1 :
名無しさん@3周年:
2 :
名無しさん@3周年:2006/05/19(金) 17:01:53 ID:tsVj83XB
あの「カンヌ国際映画祭」で、大ベストセラー小説を映画化した「ダ・ヴィンチ・コード」の試写会が行われ、
冷淡な反応が大半。批評は大半が辛口。上映中にはやじが飛ぶなどし、失笑、冷笑、あくびが渦巻いた。
上映が終わると、拍手の代わりに口笛が聞かれ、重要な場面では失笑も漏れた。米紙ボストン・グローブの記者は、
「良くなかった。原作本と同じくらい悪い出来だった」と酷評。
トム・ハンクスが演じるロバート・ラングドンが、誰がイエスの子孫とみられるかを明かす重要な場面で、観衆は失笑をこらえきれなかった。
タイムズ・オブ・インディア紙の記者は「ハイライト場面で笑いが起きた。大きな笑いでなく忍び笑い。それがすべてを物語っている」。
さらにイタリアのテレビの記者は、原作を読んでいない人にとっては物語が分かりにくすぎるとして、「観客は混乱し、拍手はなく、ただ沈黙があっただけ」と話し、
英国のラジオ記者は「本当に失望した。会話が下等だ。演技は悪すぎるというほどではないが、映画は原作ほどには良くなかった」と語った。
3 :
名無しさん@3周年:2006/05/19(金) 17:04:10 ID:tsVj83XB
話が面白ければなにをやってもいいのか?この作品でキリスト教とやらを知って、友だちに知ったかぶったりしないように。
けして「知的小説」なんではない。原作では「この話はすべて真実です」云々書いてあるが、すべて他人の説を都合よくまげて、
それをミステリー仕立てのアクションで無理に「天使と悪魔」の続編をつくった、ダン・ブラウン史上最低作品ってことを忘れずに。
書店でどこみても「ダ・ヴィンチ」・・・。今日友だちと本屋いったら、文庫版ダヴィンチコードがずらり並んでいた。「モナリザ」「モナリザ」「モナリザ」「モナリザ」
友だちは気持ち悪いと。。正直自分もこの本の過激な宣伝はウンザリだ。いったいいくら「ダ・ヴィンチ」の解説本があるんか。テレビでも特集番組ばかり。雑誌も同じだ。
社会現象なんていわれているが、SONYが勝手に騒いでいるだけ!原作はずいぶん前に発売していたが、映画化してからこんな事態になってしまった。
4 :
名無しさん@3周年:2006/05/19(金) 17:06:01 ID:tsVj83XB
しかもこの話がいう、「世紀の大発見」とやらは、すべてウソっぱしだ。わざわざ解説本買わなくたって、小説読んだ地点でこの話はフィクションだとわかるのは普通だが、
どうやらクリスチャン0.1%の日本ではそうはいかない。シューキョーあやしー!とわめいていたニッポン人は、みんなが読んでるという「ダ・ヴィンチ・コード」を読み、
マジ面白い!とはしゃいで、口コミ。すべて史実と全然違うのに、福音を知ったかぶって、誤解知識で頭が塗り固められる。すべて商業主義のいいなりってことなんだべ。
最近騒がれる訴訟問題ならいざ知らず、「ユダの福音書」もダ・ヴィンチブームにのっかってでてきたとしか。。ほかの福音書の存在など四海なんとかが発見されたときに知られている。
福音書はコンスタンティン帝が選んだんじゃないんで。いっちばん古く信憑性の高い福音書がいまの新約聖書なんで。。
5 :
名無しさん@3周年:2006/05/19(金) 17:12:17 ID:+PQEM971
>2
ソースを提供せよ
6 :
名無しさん@3周年:2006/05/19(金) 17:16:33 ID:Ce/RFXvh
7 :
名無しさん@3周年:2006/05/19(金) 17:22:56 ID:7o8+XXHi
ダビンチコードもフィクションだし、聖書もフィクション。
大人げない。終了
10 :
名無しさん@3周年:2006/05/19(金) 17:38:57 ID:tAKU33va
オープニングの観客はヨーロッパのエリートたちだよ。その中でもフランス人が大多数を占め
ている。この国は上流階級と庶民とは別世界に棲んでいる。この支配階級から見たら、主役の
大学教授がアメリカ人という事は、ルーヴルやカソリックの絡みもあり拒絶反応を示すのは当
然ですよ。しかもヒロインが英語ペラペラ、原作もアメリカン。
日本の批評家は目端の聞く人が多い。世界の評判が悪いとなれば、そっちに乗るでしょう。こ
の業界は狭いから自分の本心がどうであれ少数派にはなりたくないもんね。韓国人や中国人で
日本は素敵だと言ったら、その本国では袋だたきにあうのと同じです。
批評に惑わされずに自分の目と肌と頭で感じ取り理解しましょう。
私は23日に予約をとったので、批評はその後ですね。
ハリーポッターにもご立腹だったひとらだもんなぁ。
たかが小説、たかが映画だっつーの。
まったく・・・
12 :
名無しさん@3周年:2006/05/19(金) 17:47:47 ID:r9xuOHkW
13 :
名無しさん@3周年:2006/05/19(金) 17:48:32 ID:l04HMHr9
日本でもつい最近、南京をめぐって
たかが漫画ひとつで大騒ぎになりましたが
⊂⊃
∧ ∧
( *゚ω ゚ ) 「 神の御霊に導かれる人は
ノ⌒∩∩ だれでも 神の子どもです。 」
川 | ノ ローマ8:14
UU
マ ・ ラ ・ ナ ・ タ 主 イ エ ス よ 来 た り ま せ ☆”
16 :
名無しさん@3周年:2006/05/19(金) 21:48:38 ID:OcNvmSFd
>>1だが、確かに大人げ無かったと思う。スマソ
だけど映画の批評でこの映画を嫌っているんじゃなくて、
原作者がフィクションをつくるならフィクションだとはっきりしてほしかったし、
映画関係者も自分の意図を中途半端にすんじゃなく、はっきりして欲しかった。
思想や習慣や信仰なんかは自由やからね。
またこのダヴィンチ的“自論”がいま巷で大ブームになっている、
さらにこんなに広まっている極論を、日本じゃ誰も反発しない、そのことに
ひとりのクリスチャンとして危機感をもったまでなんで・・・
明日世界同時公開で、日本は年齢制限もなく、名前だけが一人歩きされて、
軽くたかが小説、たかが映画だっつーの。 とは考えられなく、
これからも第二のダヴィンチコードが増殖し、聖書もなにもなも、生活や生き方の基盤を
たかがお話になっちゃう未来が不安だなっと思ったんで。。現にモハンマド風刺画なんか
書かれる世になったからね。
乱立しすぎ。
18 :
名無しさん@3周年:2006/05/19(金) 23:10:55 ID:OcNvmSFd
乱立しすぎだなぁ。ニュースをそのままスレにしてんのが多い?
漏れは、なんだかんだいって一応ダン・ブラウン著の本は全巻読破した。
20 :
名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 00:07:45 ID:4CzLj/6d
映画評論家のデビッド・マニングさんは
この映画をいったいどう評価したんだろう?
22 :
名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 00:17:49 ID:6e22X6tx
重複スレから↓
ただでさえ多いアンチキリスト教の人に勢いつけた感は否めない
23 :
名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 00:20:27 ID:drkrrndX
>福音書はコンスタンティン帝が選んだんじゃないんで。
>いっちばん古く信憑性の高い福音書がいまの新約聖書なんで。。
??????
24 :
名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 00:30:39 ID:drkrrndX
どうやらかなりレベルの低い小説みたいだね。
芸術版「X-FILE」って言ったところの作品かい?
>>16 「小説」はフィクションであり、それを基にした映画も当然フィクション。
そんなものは自明の理だからだれもあえて指摘したりしないだけ。
日本人の99%はクリスチャンじゃないんだから反発しないのも当然。
もともと聖書の内容だってフィクションだと思ってるんだから。
あんたの信仰が確固たるものならこんな小説や映画でいささかも揺ら
ぐ事は無いだろう。
嫌なら見なけりゃいいだけの事。
たかが小説や映画の話で、異教徒相手に何をいきり立っているんだ ?
ウザがられるだけだよ。
27 :
名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 08:32:11 ID:2u7uUYK+
>>25 たかが小説、たかがフィクションであっても
それが天皇ネタだったりウヨサヨネタだったりすると
大騒ぎだったりするわけで
嫌なら見なけりゃいいだけ
というのは社会的バイアスに対する想像力が欠けている
28 :
名無しさん@3周年:2006/05/20(土) 14:04:21 ID:MnfVGfSk
>>28 副島隆彦って月着陸捏造説の著作で、2005年度日本トンデモ本大賞を受賞した
あの副島隆彦ですか。
トンデモ本大賞を受賞するってはたして名誉なことなのかな?とりあえづオメー
>>32 「批判的に本を読む習慣のある人が読めば、あくまでも「お話」とわかるのだが、
信じやすいタイプの人間だと、本気にしてしまうかもしれない。」
他にアンチ本とかDVDとかサイトとか知ってる? 気になる・・・
34 :
名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 03:19:15 ID:ql64fUC+
(´_ゝ`)フーン
キリスト教なんかどうでもいいじゃんwww
なんとか教徒があーだこーだ言ってるのをヲチするのが楽しいwww
なんとかの古文書にはキリストが結婚していたって
昨日のテレビで言われたけどそのことについては
キリスト教の人達はどう思ってるのかな?
>>36 そういう古文書は山ほどあるから
今更なんだよ
>>36 あの手の古文書なら初代教会時代から書かれ続けています。
現在の「ダ・ヴィンチ・コード」や「ユダの福音書」なんかは、それの焼き直しに過ぎず、
目新しいものが何一つないからです。
ちなみにそれぞれが「アリウス異端」と「グノーシス異端」に対応します。
40 :
名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 21:28:10 ID:pt2AMOqs
青森にありますよキリストの墓
30過ぎのラビが結婚していないのは変だが、「肉と霊は別物」と、パウロがロマ書で
書いている。だから、信仰には影響しないけれど、修道士カワイソス
千年王国を治めるダビデとの契約が、旧約にちらっと出てきたはずだけども、案外、
ダビデとイエス様の肉的な子孫が即位するということかも知れない。
>>40 復活して遺体はないんだから、あれは墓ではない。よって、掘り返しても刑法に問わ
れない! あ、不法侵入になるのか。
イエスが神でなかったならば、ひっくり返るような宗教なら、それだけの
代物だってことだ。
映画を封じ込めて「教権」を守ろうってんだから、焚書とあまり変わり
ないわな。現代の「大審問官」、必死すぎて笑える。
キリストを題材にしたから信者にしてみれば賞賛する物以外は鬱陶しいってだけだな。
悩んでるなら観るべきだ。
45 :
名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 01:02:12 ID:cFJOzwlp
評論家は買収できたから試写会の評判は落とせたけど、
客は買収できなかったようだな。
46 :
名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 17:35:31 ID:68duuTDf
映画見たけど、最後に「この映画に出てくる団体等、すべてフィクションです」
って感じで出てたけどなあ。映画としてはほんとに前評判ほどじゃなかったよ。
イメージ映像とかではしょりすぎててよくわからんかったってのが正直なとこ。
そんなに危惧する必要あるのかね。
シオン修道会自体、学問的には存在を否定されてるんだろ?
へぇ〜、フィクションって出たんだ。
原作じゃあ事実ですとかいってたんにね。
映画関係者はやっぱあいまいな立場にたたざるをえないんかなぁ。
そいえば、チケット売り上げ歴代で7位とかとったらしい。
フィクションがフィクションをけなしても...
目くそ鼻くそみたいなもんだ。
>>47 「事実です」までふくめてフィクションだろうに。その程度も読めないかねキミは。
「事実です」ではなく「事実に基づいています」だ
51 :
名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 23:12:01 ID:ADJC/Mji
52 :
名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 00:03:14 ID:UHEhSq1n
特選映画紹介だよ〜((((* ̄∀ ̄*)†~~~
★海を飛ぶ夢 / 尊厳死
★マグダレンの祈り / 修道院で起こった虐待
★アマロ神父の罪 / 聖職者のモラル 教会の腐敗
★裸足の1500マイル / 白人化政策 強制改宗
★キリスト最後の誘惑 / マグマリちゃんとラブラブ
★バッド・エデュケーション / 聖職者による性的虐待
★司祭 / 同性愛者である司祭の苦悩 形骸化したカト教会
★エミリー・ローズ / 悪魔祓いに失敗した神父が過失致死罪で起訴される
ジハードだからな。
歪曲はしても、主義主張はしない。だから修正主義。
56 :
名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 01:48:54 ID:G8MQUNxw
「司祭」はすごくよかったけど?
感動したけどな。
ラスト、主人公グレッグは、あの少女を通して神に赦された自分を感じたわけだから。
57 :
名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 11:12:02 ID:UHEhSq1n
>56
だ か ら『特 選 映 画 紹 介』なのよ〜(^∀^*)
58 :
名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 13:13:13 ID:/V5YkzWN
宗教怪しいとかいっている割には
こんな怪しい小説に夢中になるなんて変な国民性だ。
あやしいのは宗教のほうであって、
ダビンチは天才だ。
ダヴィンチコードじゃなくてダン・ブラウンコードなんだよ。
そんなくだらない批判をして何が面白いんだか
62 :
名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 14:39:38 ID:/V5YkzWN
だって変なんだもんw
別にアナグラムとか、パズルとか、そういうのだけがコードじゃないんだよ
なんでユダヤ文書のアナグラム解読するのに英語でやっているの?
ねえどうして?
その時、クローヴィスが登場し、カトリックの洗礼を受け、カトリック教会の
擁護者として登場したのです。
彼はカトリック教会、民衆の支持をうけてゴート族を駆逐してフランク王国、
メロヴィング朝を創始したのです。
長々と書きましたが、つまり、メロヴィング朝はカトリックの擁護者であり
キリストを人とするアリウス派を駆逐する性格を持って登場した王権なのです。
逆に言えば、このタイミングでクローヴィスがカトリック擁護という立場で
登場しなければ、その後のヨーロッパ宗教史は異なった展開をみせたでしょう。
そして、そんなメロヴィング朝が、『ダ・ヴィンチ・コード』の言うように
「キリストの血脈」と姻戚関係を結んでいたか、という疑問があるのです。
『ダ・ヴィンチ・コード』では、その血脈のことがメロヴィング朝内で
伝えられていたからこそ、メロヴィング朝の末裔であるゴドフロワ・ド・
ブイヨンが、その証拠をえるためにシオン修道会を創始したとしています。
しかし、「キリストの血脈」はまさに三位一体というニカイア信条に反し、
アリウス派の正しさを示すものです。
仮にその血脈がメロヴィング家と婚姻を結び、その血脈のことをメロビング家
に伝えていたら、そもそもメロヴィング家はカトリックになど改宗しなかったでしょう。
また、クローヴィスの代になって破竹の進撃を行ったメロヴィング家よりも
それ以前からフランク族よりも大きな領土を持っていたゴート族の方が
100年前からアリウス派を信奉していました。
なぜ、キリストの血脈は、より信条的にも共通性のあるゴート族を選ばなかったのか。
やはりご都合主義、結果からの類推なのだろうな、と思わざるを得ません。
ニカイア(ニケーア)公会議について少し触れましたが、この件に関しても
『ダ・ヴィンチ・コード』にはおかしなところがあります。
1.ニカイア公会議まで、信者達はキリストは預言者であり、あくまで人間
だと見なしていた。
2.キリスト教の新しい伝統を確立するため、ローマ皇帝コンスタンティヌス
は、ニカイア公会議を開いた。
3.ローマ帝国の統一を強固にし、ヴァチカンの権力基盤を確立するために
ローマ皇帝コンスタンティヌスがイエスを神の子であると宣した。
4.『神の子』というイエスの地位はニカイア公会議で提案されたもので、
選挙の結果、イエスは神の子と決められた。
なんとも頭が痛くなってきます。
作者は西洋史の勉強をちゃんとしているのでしょうか。
ニカイア公会議が開かれた経緯はこうです。
4世紀の初頭、アレキサンドリアの司祭アリウスは、サベリオス主義(父・子
聖霊は単一の神の3つの様態であるとする説)への対抗のなかで、イエズスは
「人間」であり、神によって選ばれた人間ではあるが神性は持たず、天なる父
と本質を異にするとの説を主張しました。(この説を唱える人達をアリウス派という)
この主張は、同じアレキサンドリアの司教アレクサンデルにより誤りとされま
したが、ニコメディアの司教ユーゼビウスがこれを弁護します。
これによって東方の諸教会は、アリウスの説をどう扱うかで混乱してしまい
ました。
このため、コルドバの司教ホシウスの進言により、皇帝コンスタンティヌスが
開いたのがニカイア公会議です。
ですから、「イエズスは人間である」というのは、アリウスが言い出したことです。
「イエズスは神の子である」というのはニカイア公会議の前から言われていたことで、
ニカイア公会議で新たに提案されたわけではありません。
それに、ニカイア公会議の目的はヴァチカンの権力確立のためでもありません。
これは東方教会の混乱収拾のための会議です。
公会議には220人が参加したといわれますが、そのほとんどは東方諸教会の
人々でローマからの参加者は2名だけだったのです。
それから、ローマ皇帝が帝国の支配とヴァチカンの権力確立のために
ニカイア公会議でアリウス派を異端と決めたというのも、ナンセンスな話です。
もちろん、ミラノ勅令でキリスト教を公認したり、
ニカイア公会議を開いて教会の混乱収拾に努めたりはしています。
しかし、ニカイア公会議でアリウス派が異端とされた後も、
皇帝の取り巻きにアリウス派は存在し続けていましたし、
何より、その後、当の皇帝コンスタンティヌス自身が、
アリウス派の洗礼を受けているのです。
コンスタンティヌスに続き、その跡を継いだ子のコンスタンティウスもアリウス派でした。
また、その後を継いだユリアヌスはローマの伝統的な多神教を復活させています。
カトリックがローマ皇帝によってつくられた宗教なら、こんな展開には
なっていないでしょう。
ただの馬鹿だったか・・・
イエスの本質に確定的な説が無く諸説ふんぷんだったころ、
三位一体説が台頭してきたので、アリウス司祭がキリスト人間説を唱えて対抗したと。
教会はどっちが正しいかで混乱したので、会議で恣意的に三位一体説に軍配を上げたと。
こういうことかな?
会議に聖霊のお力が下り真実の三位一体の解釈が採用されたのです。
現在の礼拝に聖霊の力がいらっしゃるのと同じことです。
会社の会議と一緒にしないでください。
>>70 オマエが
>>64で書いたことを良く見てみろ
小説の中では一度もユダヤ文書の解読などはしていない
オマエは小説を読んでいないか、読んでも理解していないかのどちらか
どちらにしてもオマエには小説を批判する資格はない
>>73 小説はパチもんらしかったから、真偽がはっきりしてから読むかも
と思ってたけど、
これだけまともな筋から反証があがってきてるから読むだけ時間の無駄そうだね。
正当な文書に関する勉強をした方がいいや。
上で紹介した批判はそういう人のための参考のためだよ。
>>74 何を言いたいのかわからないな。
罪を犯すのは人間であって聖霊じゃない。
77 :
名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 16:59:23 ID:QRF52x6q
>76
会社の会議じゃん
>>77 ニカイア会議の決定事項を悪事といってるのか。
それなら>>66-
>>68を参照方。
すべて罪を犯す人間が決めたこと。
キリスト株式会社の議決でしかない。
>>79 それはあなたに信仰がないからそう言い切るだけだ。
これは宗教の領分だ。聖なるものを怪我してはいけない。
あなただって地鎮祭とかお祓いだったらやらず
に家たてたりしないんだろ。
戒名だってつけてもらって墓に入るんだろ?
お札をはさみで切って捨てたりしないんだろ?
>>80 宗教だと言いたいのだろうが、キリスト教は宗教ではない。
会議は人力だといい、一方では聖霊だという。
こんな矛盾した宗教はいらない。
それとも仏教、神道株式会社の風習としてわりきってるのかも。
ご先祖様の供養も風習みたいなもんかもしれないしね。
キリスト教が宗教でないとは小学生も言わないだろう。
それではこれで帰るわ。
宗教板にキリスト教徒が居座っていることが問題。
もっと遠慮がちに書き込みしろよ、、、
知ったかがわめきちらして逃げてった、というまとめでよろしいか?
>宗教板にキリスト教徒が居座っていることが問題。
まじか。おれじゃあ書き込みやめとこ^^;
87 :
名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 03:54:41 ID:13fSSMB3
どうせユダヤの反カトリック運動でしょ
最近はメディア握ってるユダヤの方が優勢だな
既知害がかならずたよるのが陰謀説。
>>88 それはカトリック陰謀説を唱えている本作の作者と追従者は吉外、
という意味なんだよな、もちろん?
そりゃそうだ。
途中でうさんくさくなった小説。
最初から最後までうさんくさい聖書のことをお忘れですよ
>キリスト株式会社
ある意味、的を得ていると思う。
パウロは、改心経験によって「自分の罪がキリストによって贖われた」という
確信を得たかもしれないが、それを万人に一般化したのは早計にすぎた。
民間療法の中で、「このおかげで末期がんが治った」という体験をした人が、
その経験を書いたのとちょうど同じことで、同じ療法を試した人が必ずパウロ
と同じ体験をするとは限らない。それを「信じなさい」の一言で片付ける集団
は、もはや営利企業としか言えないだろう。
93 :
92:2006/05/26(金) 18:34:24 ID:5mvbjyr0
処女懐妊も、復活も、「信じなさい」の一言だけでは説得力がないから、後世
に付け加えられた「宣伝」にすぎない。「宣伝」に頼って、万人には効果がない
特効薬を売り出したら、その団体は営利企業としか言えんわな。
>>92-93 「だから営利企業といってもよい」の直前のあたりにかなりの飛躍があるな。
営利だとも企業だとも言えてない。
あと、的は射てくれ。得るなら当にしてくれ。
やっぱりきたかw
よく引用されるんだけどね。その「失する」の反対は「得る」だから
「得る」が正しいっていう、なんだかわかったようなわからないような屁理屈。
よく見ればわかるとおり、「得る」が正しい、という証拠はまったく提示されてないの。
駿台の先生が言ってりゃ屁理屈も正しくなるわけじゃないの。
もうちょっと頭を使おうね。
この「的を得た」という表現をあげつらって、“「的を得た」なんていう子供なみの日本語の間違いを堂々とHPに載せているくせに、よく他人の非難ができる”などと書いている掲示板があります。
これはよく流布している無知からきています。射撃の場面を想像して「的を得る」はずがない、「的を射る」ものだ、という誤解です。これは漢語に由来する表現であることを知らず、日本語として
「的を得る」はずがない、と思ってしまうのです。語源の『大学』・『中庸』にあるように、「正鵠(せいこく)を失う」という表現からきています。この場合の正鵠は「正も鵠も、弓の的のまん中
の黒星(『角川漢和中辞典』)」のことで、射てど真ん中の黒星に当てることができたかどうか、当たったら「得た」といい、はずれたら「失う」と表現していたのです。矢で的を射るのは当り前と
しても、必ずしも的に、まして正鵠に当たるかどうかは示していない表現が「的を射る」です。たとえば、“[中庸、十四]子曰く、射は君子に似たる有り。諸(こ)れ正鵠を失するときは、反って
諸れを其の身に求む。(平凡社『字通』白川静著)”と「失する」という表現をしています。「失」の反対は「得」であり、「射」ではないのです。そうでなくても、もともと「得」という字には
「あたる」という意味があります(白川静の前掲書)。いつのまにか「正鵠」という分かりにくいことばを使わず「的」に省略し、「的を射る」という悪貨が「的を得る」という良貨を駆逐していて、
日本の国語辞典にも浸透しています。「的を得る」という表現は、日中出版『論語の散歩道』重沢俊郎著(p.188「それが的をえていればいるほど」)や、大修館書店『日本語大シソーラス』山口翼編
の「要点をつかむ」という項目にもあります。また小学館の『日本国語大辞典(12)』にも「まとを得る」があり、中国文学の京大助教授・高橋和巳の小説から「よし子の質問は実は的をえていた」
を引用しています。
http://www.ne.jp/asahi/wh/class/oubunsha.html
ここは「的を得る」の板でなく、「ダヴィンチコードとキリスト教」の板だと思うが・・・
>>93 つまりあれか?
ありもしない架空の売り上げで
さも利益が増えてるように見せて
株価を吊り上げるようなもの?
それを信じて株買った信者って・・・・
>>99 売上でも株価でもなく伝統を信じてるんですよ