【討論】聖句の解釈をマターリ語るスレ7【議論】

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1名無しさん@3周年
聖書の聖句解釈について、クリスチャン同士で分かち合うスレです。
まだ未信者だけど興味のある方、求道者さんも歓迎致します。

一般的解釈だとこう言われてるけど納得できない…
ココとココの箇所って矛盾してない?
ココがどうしても良くわからない…とか
こんな解釈してみた!自分はこう思った!など皆で分かち合ってください。

お互いの解釈を照らし合わせつつ、議論してみてください。
新しい発見をお互い学び合えたら幸い!皆で語り尽くしましょう。

★議論のお約束★

◆他の人が読みやすいように気配りしましょう。
◆結論をはっきりさせるようにしましょう。
◆反論する場合は相手の立場で考えてみましょう。
◆議論に感情を持ち込むのはルール違反です。
◆自分の価値観や考え方をむやみに押しつけるのはやめましょう。

荒らし・煽りは放置しましょう。相手をしているとあなたも荒らしになっちゃいます!
2名無しさん@3周年:2006/03/07(火) 03:13:02 ID:StH4YTht
>>789
罪はありませんよ多分。あとユダは救われるという最大級の表現。
3名無しさん@3周年:2006/03/07(火) 03:21:16 ID:StH4YTht
ココモ笑いすぎ
4名無しさん@3周年:2006/03/08(水) 02:35:58 ID:Cv8NXRyn
5キュロス:2006/03/08(水) 19:58:18 ID:Qz9jS71b
エレミヤ 新改訳
>20:15 私の父に、「あなたに男の子が生まれた。」と言って伝え、
>彼を大いに喜ばせた人は、のろわれよ。

マタイ福音書 新共同
>1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。
>この子は自分の民を罪から救うからである。」

この二つの聖書の箇所は 関係があるような気がする。

ただし 占星術者も 男子の誕生を継げているから
なんとも 言えないかどね。

マタイ福音書に 交差配列 が有ると仮定すれば
ユセフに 受胎告知をした 天使に 対応するのは
二人のマリアに イエスの復活を 告げる天使だろうね。

占星術者に 対応するのは ピラトの嫁サンだろうね。
そうなると当然 ピラトの話しに対応するのは ヘロデの話しだろうね。 

そして 洗礼者ヨハネの話しに対応するのは 誰だろうね?
ユダとペテロの 話しのような気がする。共通点は イエスの
そばにいるが イエスを理解しない とか。
6キュロス:2006/03/08(水) 19:59:03 ID:Qz9jS71b
>5
エレミヤ 新改訳
>20:14 私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、
>祝福されるな。

>マタイ福音書 新共同
>26:24 人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。
>だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、
>その者のためによかった。」

ユダの話しの 誕生を呪う と言う主張は エレミヤにも
有るのね これには関係が 有るのかな。
7キュロス:2006/03/08(水) 21:21:50 ID:PykZ5bbO
>5
エレミヤ
>22:30 主はこう仰せられる。
>「この人を『子を残さず、一生栄えない男。』と記録せよ。
>彼の子孫のうちひとりも、ダビデの王座に着いて、栄え、
>再びユダを治める者はいないからだ。」

まあ イエスの事を理解する つまり イエスとは誰か?
という 問題が有る。

イザヤの救い主預言の成就としての救い主 
つまり ダビデの直系ではないが ダビデ家の子孫としての救い主なのか

それとも エレミヤの預言の成就 つまり ダビデ家の系統が切られ
非ダビデ家からの 救い主なのか と言う問題だ。
(エレミヤ 22:24-22:30は ダビデ王朝の否定)

イエスの誕生は イザヤ預言の成就として描かれいるように見えるが
実際のイエスは エレミヤ預言の成就としての救い主として
(ユダヤ人の王ではない)として描かれている ように見える。

イエスの誕生を イザヤ預言成就として 描き
実際のイエス(復活後を含む)を エレミヤ預言成就として
描いた のかもしれない。
8名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 20:17:27 ID:eJCH6/mE
マトフェイ福音書に 交差配列 が有ると仮定すれば
『ユセフ』に 受胎告知をした 天使に 対応するのは
二人のマリヤに イイススの復活を 告げる天使だろうね。

占星術者(ミトラ−マギ)に 対応するのは
 ピラツスの嫁サン(プロクラ[プロエフェクツ女性形])だろうね。
そうなると当然 ピラツスの話しに対応するのは イロドの話しだろうね。 

そして 洗礼者イオアンの話しに対応するのは 誰だろうね?
イウダとペヨトルの 話しのような気がする。共通点は イイススの
そばにいるが イイススを理解しない とか。
9名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 20:20:10 ID:eJCH6/mE
洗礼者イオアン
 ↓
先駆洗者イオアン?(正教)

マリヤ(ミリア・ミリアム・ミデアン)

ユセフ
 ↓
イオシフ(正教)
10名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 20:25:39 ID:eJCH6/mE
カイサル → ケサリ
ヘブライ → エウレイ(ヘウライ)・ヘブル ←→ アラム・アラマイ(シリア)
ギリシア → エルリン(エリニカ・エルラダ)
11名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 20:28:58 ID:X1thVKkh
神の子もキリストも
歴史の中に実在しません。
12名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 20:30:16 ID:eJCH6/mE
バトリアルフ(主教?)

ディーコン(主教つきの執事[補祭→カトリック助祭とカトリック俗世執事の両方の役割])
13名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 20:43:12 ID:eJCH6/mE
フォース(光)フィラデルフォス・イシュアテヌ(救い)
イエス・クマノス
イエス・チウダ
イエス・バラバ

14カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/09(木) 22:49:58 ID:qY68fHrJ
私は世の生じる前から悟っているものだ。
万物は私から生じ、万物は私により生じず。
私は力から遣わされた。私は私を思う者達のもとに来た。
そして私は私を求める者達の中に見出された。

私は、最初にして最後の者。
私は尊敬される者のして、軽蔑される者。
私は不妊にして、多産。私は花婿にして花嫁。
私は把握し得ない沈黙にして、思考重なるエピノイア。
私は声重なる言述にして、かたち重なるロゴス。
私は知識にして、無知。私は戦争にして、平和。私は愚者にして、賢者。
どうして私を憎むあなた達が私を愛し、私を愛するあなた達が私を憎むのか。
私を拒むあなた達が、私を告白し、私を告白するあなた達が、私を拒む。
私は敬われ、讃えられる者にして、軽蔑される者。
私は平和にして、私ゆえに戦争が起こる者。私は本質にして、本質を有しない者。
私と本質を共有する者は、私を知らない者。私の本質に在る者は、私を知るもの。
私は善であり、悪である者。私は結合にして、解消。
私は一つであり、分離した者。私は分離した者であり、一つである者。
私は有罪判決にして、無罪放免。私はすべての人に達する聴力にして捉え得ない言葉。
私に優しく聞きなさい。そして私から厳しく学びなさい。
私は私の名の認識。あなた達の内側は、あなた方の外側なのだ。あなた達の外側を作る者は、あなた達の内側を
かたち造るものなのだ。そしてあなた達の外側にみるものを、あなたがたは、あなた達の内側にみるのだ。
聴きなさい、聴く者よ。私の言葉を学びなさい。私を知るもの達よ。
自分自身を知る者は知られるであろう。私は捉え得ない言葉。
私は捉え得ないものであり、存在そのもの。
私は声の名前にして、名前の声。私は創られた者であり、創った者。私は彼の名を告知するだろう。
聴き手よ気をつけなさい。死人から蘇ったあなた達霊よ。
私は独り存在する者にして、私を裁く者は誰もいない。数多い罪の中、人を制する欲情の中にあるものは、
多くの甘美な姿を呈し、あなたがたを酔わすだろう。だが、酔いから目覚めた者は、憩いの場所に昇り行くだろう。
そして彼らは、そこに私を見出すであろう。そして彼らは生きるであろう。彼らは再び死ぬ事はない。
15カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/09(木) 22:54:06 ID:qY68fHrJ
グノーシスは、いい。
多くの無智なるキリスト教徒は、グノーシスを知りもしないで忌み嫌う。

ところで、aoiのじいさんや、ダニエルはもう来ないのか?
バカモスキーの能書きはどうでもいいんだが、彼らの能書きは面白かったんだけどな。
16名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 22:54:42 ID:i6co6YnV
キリスト教質問箱スレから誘導されてきました。
私については、ここをご覧ください。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1140849736/53-55n

みなさんこんにちは。私は聖書が本当に神の言葉なのかどうか調べています。
宗教などにいろいろと興味があり、インターネットで調べていたのですが、
福音書の信憑性を揺るがすようなページを見つけ、動揺しています
と言うのも、ただ興味本位で宗教について調べていたのではなく、改宗も大いに
視野に入れて調べていたまからです。特に、聖書には引かれました。
聖書の信憑性を裏付ける証拠がたくさんあり、本当に神の言葉なのかもしれない
と思っていたからです。

しかし、そのページによると、福音書の記述は他宗教の神話から借用したに
すぎないとのことです。この説によれば、他宗教の神話における神に関する描写と、
イエス・キリストの生涯が合致するそうです。
17名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 22:55:23 ID:i6co6YnV
例えば、エジプトのオシリスも処女から生まれ、春分ころに死に、復活したそうです。
インドのクリシュナも、誕生が星によって予告され、洞窟で生まれたそうです。
さらに、クリシュナと同じ頃に生まれた赤子が王によって虐殺されたそうです。
また、十字架に掛けられて死に、矢で突き刺され、三日後に復活したそうです。
ペルシアで崇拝されたミトラは12月25日に洞窟の中で生まれ、12人の仲間を連れて旅したそうです。
ミトラの崇拝者はウエハースで聖餐を行ない、ミトラの誕生と復活を祝ったそうです。
アドニス、もしくはタンムズも、酷い死に方で死に、地獄へ下り、墓から復活し、昇天したそうです。
フリギアのアッティスも「よき羊飼い」と呼ばれ、処女の息子であると言われており、
神聖な松の木の下で血を流して死んだそうです。アッティスの死と復活の祝いは、
3月22日から3月25日に行なわれたそうです。アッティスの崇拝者は血による洗礼を
行ない、洗礼を受けた者は罪から清められたとされ、「再び生まれた」とされたそうです。
さらに、アステカ(メキシコ!)のケツァルコアトルも処女から生まれ、
誘惑され、40日間断食し、死んで、復活したそうです。
ttp://www.africawithin.com/jgjackson/jgjackson_pagan_origins_of_the_christ_myth3.htm

どうして他宗教の神話や、儀式が、こんなにも福音書の記述や
キリスト教の儀式に似ているのか、私は疑問に思いました。
古代オリエントの神話とキリスト教の中に何らかの貸し借りがあっただけなら
分かりますが、遠く離れたメキシコの神話もこれに類似しているのです。

ttp://home.earthlink.net/~pgwhacker/ChristianOrigins/
ttp://home.earthlink.net~pgwhacker/ChristianOrigins/PaganChrists.html
ttp://www.medmalexperts.com/POCM/getting_started_pocm.html
ttp://www.truthbeknown.com/christmyth.htm
18名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 22:56:07 ID:i6co6YnV
こんな本もあるそうです。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/The_jesus_mysteries

さらには、こんな意見もあります。古代ユダヤ人の間では、人間を十字架に架ける
儀式があって、 それが「キリスト神話」の元になった、とのことです。

「ユダヤ人の神は父でもあり子でもあって、ときには、ロバの頭をした人間となって、木に十字に掛けられた。
メシアの十字架刑はいちばん古くはこうした形で行われた」。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/ass.html

「また、ピロンの記述によると、神-王イスラエルも、一人息子のイエウドに王の衣装を着せ、
「ユダヤのしきたりにしたがって」その子を生け贄に捧げたという 。
生け贄に捧げられたこの王が、イエス、すなわちユダヤ人の「王」(『ヨハネによる福音書』第18章 33節)になった」。
ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/kingship.html

さらに、ヤハウェはペルシアの神話から借用された、というような、
恐ろしいことをほのめかすような文章もあります。
ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/jahi.html
19名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 23:05:20 ID:i6co6YnV
>>18の元ネタは、バーバラ・ウォーカーの事典です。
日本では「神話・伝承事典―失われた女神たちの復権」と訳されて出版されています。
この前の土曜日、市立図書館に行ってこの事典を漁ってみました。
確かに、上記のサイトと同じことが書かれていました。しかし、この事典を
鵜呑みにするのは危険なようです。アマゾンのレビューでも、学者からは
疑問視されいている、というようなことが書かれているからです。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4469012203/503-7188122-3005508

キリスト教は本当に他宗教の神話からの借用にすぎないのでしょうか?
聖書は本当に信ずるに足りるのでしょうか?どうか、みなさん、ご意見ください。
20カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/10(金) 01:20:58 ID:FUufpT+4
>初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
>この言は、初めに神と共にあった。
>万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
>言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
>”言は肉となって”、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。
>それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。〜ヨハネの冒頭部分

世に生きるものは他の生命を食らう。食われる生命は死んでいる。
死んでいるものを食らうものは、死んでいる。それは死んでいるものを食らうゆえである。
死んでいるものどもは死んでいる者どうし互いに食らいあう。だが生きているものは生きているものを食らう。
それはその者は生きていいるゆえである。彼の言葉は神の意思。神の意思とは命であり、
聖霊と呼ばれる。それらを食らう者は永遠に生きるだろう。彼の肉を食べ、彼の血を飲むものは永遠に生きるのだ。

>イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。
>弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。
>イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、
>その業を成し遂げることである。〜ヨハネ4.32〜4.34

>イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
>わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
>わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
>わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
>生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。
>これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。
>このパンを食べる者は永遠に生きる。」 〜ヨハネ6.53〜6.58

生きた言は、肉となり我々の前に現れた。彼の言を食べ、聖霊を飲む者は命をとりもどすであろう。
21カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/10(金) 01:46:30 ID:FUufpT+4
なんか聖書とかは古い神話とかのぱくりとか言ってる人がいるようだけど、そんなことはどうでもいいんだよ。
イエスキリストは、なにも肉の姿をした者を言うんじゃなく、父なる神の意思。言だからね。
それは聖霊でもある。重要なのは彼の残した言葉であり、父の意思を語り、行うものは、油そそがれし者、イエスキリストである。
大事なのは彼の残した言葉。父なる神の意思。

ま、イエスは史実として、あの地で十字架に掛けられ、聖書や、その他に残された文献のいくつかは、十字架に貼り付けられた
彼の言葉は残されていると思うけどね。普通に。彼が実在しなかったとするほうがトンデモだろう。
彼が仮に実在しなかったとしても、(トンデモだが)重要なのは父の意思であり、聖書にはそれが書かれているということ。
それは命を得る言葉でもある。また我らの主である者が命を得ないことには、我々には命の門が開かれないことになり、我々の主が命を得たのなら、
それは我々の救い主なのは間違いないことである。主が命を得ないことには、我々はどんなことがあっても永遠に生きることはないからだ。

ところで神話には、世界各地で同じような記述があるそうだね。
それらの神話は誰が伝えたんだろう?俺にはそのほうが興味があるんだがね。偶然にしては話が出来すぎている。

あ、そうそう。ID、i6co6YnV さん。あんた地獄に行くの怖がっているそうだが、心配するな。
罪人である我々は、すでに落とされている。いや、自ら落ちたと言ったほうがいいな。
22カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/10(金) 01:51:09 ID:FUufpT+4
あと旧約の神、自ら妬む神と称するヤハウェ。エゴ丸出しのクルアーンに登場するアッラー。これらはこの世の権威の象徴だよ。
この世の権威。それは識別であり、形あるものであり、妬み、嫉妬、争いである。が、これらは根源は一つである。
根源の者と同じではあるが、彼らは滅びる者である。旧約、クルアーンに出てくる彼らは、神々の言葉であるが、一つである者。父の言葉ではない。

そういや、ここには、一生懸命聖書の粗探しをしている哀れなムスリムがいたっけ(苦笑)
23カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/10(金) 01:55:28 ID:FUufpT+4
肉は魂を求める。魂なしで体は罪を犯さないものである。
霊なしで魂は救われない。しかし悪のない魂が救われ、霊もまた救われるのなら、身体には罪はなくなる。
なぜなら霊が魂を起こし、身体が魂を殺すからである。すなわち魂が自らを殺すのである。
霊は魂を殺しもするが、生かしもする。そして魂は人を殺す。言葉は”人の”魂である。それは思考でもある。
父の徴は何か?それは運動と休息である。命の場所とはどこか?それは静寂であり、完全なる休息の中にある。
完全なる静寂に戻るには、言葉による思考が必要であり、言葉による思考を持たない獣には考えも及ばないことである。
そして完全なる静寂は思考を止めなければ得られないものである。言葉で思考するものは、人間だけである。
感情は五感による刺激により生起し、言葉を持たず、感情だけの獣は、死ねば何も残らない。
悪霊とはなにか?聖霊とはなにか?言葉は霊であり、霊は魂を生かしもするが殺しもする。そして魂は人を殺す。

父の御心は、命の言葉。思考は人を生かしもするが、殺しもする。

父は子の内にありあり、子は父の内にある。そして父の意思である聖霊は、父と子と共にある。
さぁもう寝よ。父と子と聖霊と御名において、アーメン。
24名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 02:19:08 ID:SEdPRKoU
★★★ インターネット家庭礼拝 ★★★

第二章 日常生活 ニ 家庭人として
1 キリスト者の家庭 (2)家庭礼拝・・・順序を一例を左にかかげる。

一 讃美歌 http://www5b.biglobe.ne.jp/~chfujimi/hymn-66.htm

一 聖書 http://www.bible.or.jp/index.html
(時としては短い感話)http://seishonikka.org/200404/11/nikka.htm
           http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/sekkyou.html
           http://www.igmtokyo.com/sermon/sermonf.html

一 祈祷 http://www2.odn.ne.jp/~aai50550/kirisutokyo-02.htm

一 主の祈り http://www.christusrex.org/www1/pater/JPN-japan.html

一 頌栄 http://www17.ocn.ne.jp/~sanbika/a383.htm
25名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 02:20:11 ID:SEdPRKoU
■ 第1章 主の祈り(五芒星の儀式)
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/pentagrm/pentagrm.html
■ 東方正教会の基本信条(日本ハリストス正教会教団)
 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/symbol/index.html
■ 三大信条(日本福音ルーテル教会)
 http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/sinzyou.html
■ ニカイア信条を学ぶ(日本基督教団改革長老教会)
 http://www.yukinoshita.or.jp/tsuushin/nicene1.htm
■ カトリック教会の祈り(公教会祈祷文、祈りの友、他)
 http://www.minc.ne.jp/~hosanna/prayer/contents1.htm
■ 公教要理(日本カトリック中央評議会)
 http://www.d-b.ne.jp/mikami/catech.htm
■ 心のともしび:カトリック要理の友
 http://www.tomoshibi.or.jp/tushin/yori/yori.html
■ 英国聖公会の39箇条(聖公会大綱)アングリカン教会
 http://voxviva.hp.infoseek.co.jp/seikoukai.html
■ ウェストミンスター信仰基準(日本基督改革派教会)
 http://www.ogaki-ch.com/WCF/text/index.htm
■ 旧約、新約聖書の口語訳、新共同訳、新改訳の検索
 http://ebible.echurch-jp.com/
■ Unbound Bible(外国語・聖句検索)
 http://unbound.biola.edu/index.cfm?method=searchForms.showSearchForm
26名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 02:27:53 ID:SEdPRKoU
(洗礼時の告白・毎年の聖霊降臨大祭の読誦文)
【 ニケヤ・コンスタンチノポリス信経 】
われ信ず 一つの神 父 全能者 天と地 見ゆると見えざる万物を造りしシュを
また信ず 一つのシュ イイスス・ハリストスかみのドクセイの子
よろずヨのサキに父より生まれ 光よりの光 まことの神よりのまことの神
生まれし者にて造られしに非ず 父と一体にして ばんぶつ彼に造られ
我ら人々のため また我らの救いのために天よりくだり
せいしん及び童貞じょマリヤより 身を取りヒトとなり
我らのためにポンティイ・ピラトのとき十字架にクギうたれ 苦しみを受け葬られ
ダイサンジツに聖書にカナいて復活し 天に昇り 父の右に坐し
光栄をあらわして 生ける者と死せし者とを審判する為に
またきたり そのクニ終わりなからんを
また信ず せいしん シュ いのちを施す者 父よりいで
父および子と共に拝まれ ほめられ 預言者をもって かつて言いしを
また信ず「一つ」の「聖」なる「おおやけ」なる「使徒」の教会を
われ認む 一つの洗礼 もってツミの赦しをウるを
われ望む 死者の復活 ならびにライセのイノチを アミン。

【 食事の前のお祈り(ハリストス正教会) 】
 主よ 衆人(しゅうじん)の目はナンジを望む
 ナンジは時にしたがいて彼等に糧をたもう
 ナンジの豊なる手を開きて
 もろもろの生ける者をナンジの恵みに飽かしむ

旧約聖書・詩編145編
15節 ものみながあなたに目を注いで待ち望むと/
   あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
16節 すべて命あるものに向かって御手を開き/
   望みを満足させてくださいます。
27名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 02:40:22 ID:PVuJLlgC
主の祈り【パーテル・ノステル】(ラテン語)
 パーテル ノステル クイ エス イン チェリス
 サンクツィフィチェトゥル ノーメン トゥウム アドヴェニアト レニュウム トゥウム
 フィアット ヴォルンタス トゥア スィクト イン チェロ エト イン テルラ
 パネム ノストルム クオツィディアヌム ダ ノビス ホディエ
 エト ディミッテ ノビス デビタ  ノストラ スィクト エト ノス ディミッツィムス デビトリブス ノストリス
 エト ネ ノス インドゥカス イン テンタツィオネム セド リベラ ノス ア マロ アーメン

 天にましますわれらの父よ、
 願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、
 御旨の天に行なわるる如く地にも行われんことを。
 われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。
 われらが人を赦す如く、 われらの罪を赦し給え。
 われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

「御名が崇められますように。御国の来たらんことを」(『エゼキエル書』に由来する祈祷文)
「天になされるごとく、地にも行われんことを」(『トセフタ・ベラコース』3章7節)
「なくてはならぬ食物でわれらを養いたまえ」(『箴言』30章8節)
「われらが債務を許すごとく、われらの罪を許したまえ」(『メギラ』その名は巻物)
「われらを試みにひきあわせんことを、われらを悪から遠ざけたまえ」(朝の祈祷文)
「国と力と栄えとは 限りなく汝(聖三者)の物なればなり、アーメン」(『歴代志上』29章10、11節)

「栄光は父と子と聖霊(聖三者・三位一体の神)に 今もイツモも代々に アーメン」(栄唱)
28名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 09:17:32 ID:OeGx6UH4
人は総じて神様に頼ろうとせず、不信の盾を持ち、熱くならず冷静でいようとする生き物です。
聖書との付き合いは、その盾から曳かれるほうへ顔を覗かせるような現象に例えられますね。
29名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 10:34:51 ID:In7aEYLY
>>21
キリスト教が贖罪信仰を中心としてる以上、中心はキリストの言葉よりも、歴史的存在と
してのイエスが最大の問題である。ナザレのイエスが永遠の神の子キリストでなかったな
ら、語った言葉も贖罪死も無意味。ナザレのイエスが真の神であり、真の人であるから、
贖罪が完全に遂行された。この信仰の上においてこそ、キリストの言葉は神的権威として
受け入れられる。そうでなければ「わたしは言う〜」の言葉は無意味です。啓示としての
存在も言葉もない。イエス・キリストの人格が信仰の中心だから、ニカイア・カルケドン
信条であれほど注意深く議論され、信条が制定されたんです。
それから、神の働きに三位よりも一性を重んじる傾向があるようですが、それは様態論的
な言い方になっていると思います。いわゆるサベリオス主義ですね。百歩譲って様態論で
はないとしても、従属説になっていると思われます。啓示において顕された父と子の関係
が、必ずしも三位一体の神の内側の関係と同一であると考える必要はないでしょう。
父なる神のロゴスは、イエス・キリストになった。この方が存在・行為・約束において神
を顕された。キリスト教の信仰の根幹はこのように言い表せるのではないでしょうか。こ
のことが聖書において証されていると思います。
30名無しさん@3周年:2006/03/10(金) 11:23:43 ID:6muW97Ku
>>19
バーバラ・ウォーカーの本には
コーランの原型はギリシャ神話の女神コレーが語った、と書いてあるはずですよ。
KoranとKoreが少し似ているところから思い着いたんでしょうけど。
31mono ◆HfNWSGfVro :2006/03/10(金) 21:11:44 ID:HAMLHfa6
>>7
おもしろいですね。勉強になります。

ルカ12;35〜37
   「腰に帯をしめ、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って
   戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
   主人が帰ってきたとき、目を覚ましているのを見られる僕てとは幸いだ。

腰に帯をしめ〜。はマタイにある10人のおとめのたとえと同じですね。
準備をして主人の帰りを待ち望んでいる。

戸をたたく〜。は黙示録にもありますね。 ラオディキアの生ぬるく「裕福で
満ち足りている」人々に戸をたたいているんです。神を求めていない人にも
戸をたたいている。

ぼ〜としていてはいけないってことなんですね。
32キュロス:2006/03/10(金) 22:52:42 ID:0RhNcEcC
マルコ福音書
>14:3 イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、
>食事の席に着いておられたとき、一人の女が、
>純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、
>それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた

マルコ福音書14:51〜52 で登場する若者が 福音書の著者マルコ本人
だとする説が有るが クロッサンは ナルドの場面の女が 福音書の
著者であるとする説 つまり マルコ福音書の著者は女性だとする
説を「イエス あるユダヤ人貧農の革命的生涯」のなかで主張している。

だとすれば 復活の場面の説明が綺麗につく
つまり 男には イエスの復活を伝えないことだ。
また マルコ福音書の中で パリサイ派 サドカイ派 律法学者等の人々と
共に イエスに従がう弟子達も徹底的に批判されている これは

以前 男性社会に対する 批判では無いのか? とする説を書いたが
マルコ福音書が 当時の女性の視点で記述されているとすれば
納得がいく。

 マルコ福音書が キッカケとなって他の福音書が記述され
キリスト教に多大な影響を与えたことは 誰も否定は出来ないだろう
だとすれば キリスト教は女性が 育てた宗教と言えるかも知れない。

>>31 ありがとう。
  
33キュロス:2006/03/10(金) 22:56:44 ID:0RhNcEcC
マタイ福音書
>26:50 イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」
>と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。

なぜイエスは 御自分を裏切るユダに「友よ」と 呼びかけたのか?
それは ユダには ユダが飲まなければならない「杯」が 神から
与えられていた という事だね。

>マタイ福音書
>26:42 更に、二度目に向こうへ行って祈られた。
>「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、
>あなたの御心が行われますように。」

>20:23 イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を
>飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、
>わたしの決めることではない。
>それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ

全ての人には 神からそれぞれ 飲むべき杯が 与えられている
のかもしれない。神が無意味に 人に命を与える和歌がないからね。
34キュロス:2006/03/10(金) 23:01:32 ID:0RhNcEcC
>>33
なお ユダは その杯を飲んだあと 後悔した後
祭司達の所へ行き つまり 人に頼る のではなく 神に頼る
べきだったのです。この辺は ペテロの否認 との対比で解りやすく
記述されている。

>神が無意味に 人に命を与える和歌がないからね。
「和歌」 ではなく 「わけ」 ね。

当然 神は無目的に命を 生産しているわけがない
とすれば 命とは 神から与えられた 目的・使命 の別名かもしれない。
35キュロス:2006/03/10(金) 23:08:35 ID:WnuQFGU0
>>33
つまり ユダもイエスと同様に 神から 出来れば飲みたくはない
杯を 突き付けられた者同士だ という親近感からイエスは
ユダに「友」と呼びかけたのだ とする説だ。
36名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 11:33:26 ID:U9bkxWyS
ユダはキリストに不可欠な存在。
37名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 15:15:59 ID:U9bkxWyS
(サタンの介在)→  エバ 人に良いつもりで実を得る  アダム(罪に共に染まった)

(サタンの介在)→  ユダ 人に良いつもりで主を売る  キリスト(罪を共に負った)
38名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 20:50:30 ID:3zlgFLn2
エバ・ラブ
エビ・ラビあ(ロシア人に言うな・ラテン系に言うな)

イウダ・イイスス
チウダ・クマノス
39名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 20:54:49 ID:3zlgFLn2
一人の人から罪が人間に入いり死ぬ事になった。アダム。

一人の人から命が人間に与えられ復活して生きられるようになった。イエス。
40名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 20:58:18 ID:3zlgFLn2
一人の人から罪が人間に入いり死ぬ事になった。アダム。

一人の人から命が人間に与えられ復活して生きられるようになった。キリスト。
41ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/11(土) 21:30:47 ID:tBtqH7eK
キリスト教のドグマはいろんな宗教の重箱の隅からかき集めた物
ばっかりなんで、あらゆる批判は重箱の隅を突っついたような物
になるよ...わははははははははははははははははははははは
重箱の隅からの寄せ集めドグマなんで、ちょっとした事でも屋台骨
が揺らいでしまうのがキリスト教会さ....わははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ナザレ村の大工の子を全知全能の神だなんて言うから、イエスの
主張はかくかくしかじかなんて言うと、キリスト教会のドグマは
がたがたになるし、ユダは裏切り者なんて言う根拠の無いドグマ
を固定しちゃうから、ユダはイエスの一番の理解者だったなんて
言うと、どっかのキリスト教徒はガタガタだw....
次はわはははじゃなくてもガタガタガタガタガタガタガタガタガタ
にしよ

ユダの話をしたいけど、ユダに関しては殆ど資料がないので
聖書だけになるw...
ただ当時の過激な民族主義者グループとして、ゼロータイは
有名だw...聖書にもゼロータイのシモンの事が書かれてるw
イエスの12人使徒の多くはゼロータイの親派だと思うw
イエスは政治には興味なかっただろうと言うのが神学派の言う
言葉だけど、こういう状況で政治に興味ない人が信徒達に
何たらを説明できるわけが無いだろね.....

自らを利発と思ってる信者は、馬様と鹿様の精神論を説明してくだハイ
彼らは保守派でしょうか?革新的でしょうか?神の栄光を享受してるで
しょうか?ゾーエーアイオノスの世界に生きてるのでしょうか?
神とともに生きてるのでしょうか?難しい言葉を適当に支離滅裂に
並べれば如何にも賢そうに見えるから、論じてチョ
ガタガタガタガタガタガタわははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは

42キュロス:2006/03/11(土) 23:27:03 ID:kz/ggMLb
>イザヤ
>29:18 その日、耳しいた者が書物のことばを聞き、盲人の目が暗黒
>とやみの中から物を見る。

マタイ福音書
>11:5 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を
>患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、
>貧しい人は福音を告げ知らされている。

イエスは ヨハネの弟子の 答えの中で イザヤの預言が成就していると
主張している ようにみえる。
つまり すでに 神の王国 が来ている と言っているようにみえる。

マタイ福音書
>11:17 『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。
>葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』

しかし 人はその 神の王国 を認めなかった。
つまり このへんの考え方は 安息日 と同じで 神は 時間を聖とするが
空間は 人が聖となる様に振舞わなければ 空間が聖とは ならない。
安息日を 神が一方的に実施しても 真の安息日(神と人が聖なる時を
友に過ごす)にはならないのだと思う。 

まあ この辺から イエスの宣教活動の失敗の公算が濃厚になる
(イザヤ預言の成就が 民の不信仰で挫折する ように見える。)
ように見えてきて れいの各自が飲むべき杯 になるのだろうね。

ひょっとすると 杯 が 十字架 なのかもしれない。
43キュロス:2006/03/11(土) 23:36:49 ID:kz/ggMLb
>>42
神の計画の挫折 つまり 人の不信仰が 神の計画の実現を
ぶち壊す ように見える。 というのは荒唐無稽に 見えるかも
知れないが 決してそうではない エデンの園追放物語は

神の計画・願いを 人の不服従がぶち壊した 最初で 多分最大の
事件だと思うよ。
イザヤ書には 神の祈りが有る と言うことを 主張していた人が
以前 聖書翻訳スレ にいたよね。いいねこれ。
44名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 00:28:17 ID:y8O/ZNQr
主による「人」の創造は、祝福されているが「良し」とはされていない。
つまり現在に至る流れは御手の内だということ。
45名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 00:42:28 ID:y8O/ZNQr
良しとされない人は1章で、創世全体の中で「良し」と総括されている。
現在に至るように創造されているのだ。
極論として、世は御子イエスキリストのためにあるといえる。
46カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/12(日) 01:31:39 ID:7ucKd+JK
>初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
>この言は、初めに神と共にあった。 〜ヨハネ1.01〜1.02

>>29
偶像崇拝者達よ、お前達は三位一体とは何かも理解しない。
なにも子は父の内にいて、父はこの内にあるというのは、俺が言っていることではない。
それ、つまり三位一体は、聖書に明かされている。

>もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。
>しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、
>父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」
〜ヨハネ10.07〜10.08

>フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、
>イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。
>わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。
>わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、
>自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
>わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
〜ヨハネ14.08〜14.11

父と子は一つだと聖書は明かしている。
47カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/12(日) 01:40:39 ID:7ucKd+JK
では聖霊とはなにか?こらは何度も言っているが、命を得る言葉であり、父なる神の言葉。それは父の意思であり、命そのものなのだ。

>わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
>この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、
>あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
〜ヨハネ14..16〜14.17

>しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、
>わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
〜ヨハネ14.26

>テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、
>お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
〜使徒言行録1.01〜1.02

>「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。
>この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。
〜使徒言行録1.06

>五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
>突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
>そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
>すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
〜使徒言行録2.01〜2.04

父の言葉(意思)は、命を得る道を人々に悟らせ、彼の言葉が人々に命の場所を理解させる。言葉が人に教え、悟らせる。
霊の性質とは言である。言は悪霊ともなるが、聖霊ともなる。根源は同じなのである。
言葉は人を殺しもするが、生かしもする。
48カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/12(日) 01:41:44 ID:7ucKd+JK
父とは名前のない者である。なぜなら名前のある者はだれかの創造したものだからである。
父とは、生まれえず、初めから在る者。父は子に名を与え、子の名は父の名となり、子は父の名をあらわす。
なぜなら父はこの内にあり、子は父の内にあり、二人は一体だからである。

父と子と聖霊と、御名において、アーメン。
49カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/12(日) 01:43:33 ID:7ucKd+JK
子に名を与えたのは父の知恵であり、それは言葉である。真の父は在って在る者。真の母は父の意思である聖霊。
男は父に似せて創造された。それは在って在る者。男の肋骨から創造されたと比喩される女は、男のハート。それは思考でもある。
この世は消滅と生成を繰り返す幻のようなものであるが、ただ在るもの。人の魂はそのただ在るこの世で言葉で思考し、
そして子を増やす。無論、ただ在るこの世も、魂も、その魂から成る我々の自我も、父なる神の似像である。
だがそれはあくまで似像。いずれは消えてなくなる幻。

父とは在って在る者。言は父のハートなのである。
50カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/12(日) 01:53:15 ID:7ucKd+JK
魂は自らの思考で子を増やす。女であるゆえ。
霊は自らの思考で名を与え、子を増やす。女であるゆえ。

この世は神の似像。この世を拝むな。それは偶像崇拝である。
ところで、偶像崇拝者どもは一つのものを別けたがる。
彼らはこの世の者である肉のイエスに執着し、この世のコミュニティーの一つに過ぎない
自分達の教会に執着し、自分の気に入る教えに執着し、それはすなわち
自分の自我に執着し、それらの執着は他人との争いを生み、他人と自分の心を分裂させる。

愚か者どもよ、お前達は偶像崇拝をしているんだよ。
51ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/12(日) 01:54:48 ID:NZL9j3xO
ようやく馬鹿どもは聖書とやらを読み始めた様だけど
自分達が世間から嘲笑の的になってることに気が付き始めたのか....わははははははははは
断末魔の喘ぎだと思うけど...気づくだけ賢いのか、まだ
本当は気が付いてないのかよく判らないけど...話を進めると
その聖書とやらがサンザンいろんな変遷の結果今残ってる物が
スタンダードであって、それができるプロセスもサンザン研究
し尽くされてるんだw...今時聖書から反論してる馬鹿は
更に笑いものの的になるだけよ....わはははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
52ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/12(日) 02:05:28 ID:NZL9j3xO
キリスト教のドグマのソースは何処が多いか
1...聖書...恐らく5%位
2...他の宗教からのパクリ...30%
3...何処かのオッサンが唱えた...50%
4...何時かの時代の潮流で決まったもの10%
5...出所不明5%

この中で明らかに聖書と矛盾してる物....30%
何とかカンとか無理やり聖書から説明が可能な物...60%
既に聖職者も捨ててるもの.........10%

僕の大雑把な振り分けだけど....わはははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは

53カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/12(日) 02:16:09 ID:7ucKd+JK
イエスが自分の兄弟である弟子に送った言葉。
彼の兄弟とは彼の掟を守る者達であり、それは父の掟でもある。

>この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。
>この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。〜ヨハネ

>かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
>わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。
>わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」 〜ヨハネ14.21〜14.22

聖霊を受け入れ、掟を守り、その業を成す者は、父と子と一つとなる。
54カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/12(日) 02:16:28 ID:7ucKd+JK
>>29
偶像崇拝者よ。
我々の主が命を得たのなら、
それは我々の救い主なのは間違いないことである。主が命を得ないことには、
我々はどんなことがあっても永遠に生きることはないからだと、俺は言っている。
主が命を得ない限り、我々には滅びしかない。主が命を得たからこそ、我々にも救いがある。
なぜなら主は、我々の主なのだから。
重要なのは、我々の主である最初の人間。罪を犯した最初の人間が、その罪による業を滅ぼし、
命をえたのかどうかであり、おそらく二千年前にいたナザレのイエスが彼であり、彼の十字架の出来事が、
最初の人間の、罪の業を滅ぼした御業であることは、ほぼ確実であろうが、
たとえ聖書に書かれている十字架の出来事はフィクションで、
最初の人間の犯した罪を滅ぼす御業が、他のところで行われていたとしても、
ナザレのイエスが父の御心を語り、行ったのなら、彼は間違いなく命を得た父の独り子であり、
油塗られし者、キリストなのである。それは他の者でも父の御心を語り、行う者は、同じ事なのである。
重要なのは、二千年前にイエスと呼ばれた肉ではなく、
最初の人間が自らの罪を滅ぼしたか否かであり、父の御心、言葉、行いなのである。
かたちあるものは神の似像。それは形ある物から生じる我々の意識(自我)も同じである。
それらのものに執着する心。それが人々に争いを生み、分裂を招く。
二千年前にいたであろう肉の姿をしたイエスに執着する心。それはその実、偶像崇拝に他ならないのである。
まぁ偶像崇拝者に言っても、わからんだろうが。
55カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/12(日) 02:20:40 ID:7ucKd+JK
ま、頭でっかちの学者(もどき?)達が、聖書は捏造だの、他の神話のぱくりだの、また唯物論的に解釈して
悦に入っているのには困ったものだ。彼らはそれが飯の種なのだから仕方がないのだろうが、
キリスト教にけちをつけたいアンチどもがそれらの珍説に、ありのように群がる。ま、誰がどういおうと、
ナザレのイエスは人の子(父の独り子)であり、2千年前に十字架の御業が行われたのは、史実としても、ほぼ確実だろう。

ところで贖罪という言葉を辞書で調べてみた。yahooだが(笑)

1 善行を積んだり金品を出したりするなどの実際の行動によって、
自分の犯した罪や過失を償うこと。罪滅ぼし。「奉仕活動によって―する」

2 キリスト教用語。神の子キリストが十字架にかかって
犠牲の死を遂げることによって、人類の罪を償い、
救いをもたらしたという教義。キリスト教とその教義の中心。
罪のあがない。

多くの自称クリスチャン達は、イエスの贖罪の意味は、2だと解釈するが、彼らは思い違いをしている。
イエスの成した贖罪は1のほうだ。彼は自分の罪を十字架による御業で滅ぼし、
再び命を得た。それは我々の身代わりではなく、自分自身が再び命を得るため。それは、ひいては我々に
命の門が開かれたことに繋がり、我々の救いにも繋がる。
だがそれは無条件に救われるものではなく、父の意思を行い、彼の掟を守れる者だけである。
キリスト教の救いは、あくまですべての人に命の門が開かれたことなのであり、
信仰告白をだけすれば、直ちに救われると言う類のものではないのである。これは言葉を変えれば、
どんな悪人も悔い改め、イエスの掟を守り、真の信仰の道に入る者は救われる。
それはすべての人に平等なのである。だが、彼の掟に背き、口先だけの信仰は、決して救いには繋がらない。
彼らは頑固だ。彼らは聞く耳を持たない。救いにいたる道を選択するも、滅びの道を選択するも、
責任は全て、自分自身にある。
56ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/12(日) 02:25:08 ID:NZL9j3xO
イエスを理解していた者は誰か?
よく理解していた順番に書いたるw
 1...弟のヤコブやヨネやシモンかな
 2...母親のマリヤ
 3...洗礼者ヨハネとヨハネ福音書の編者
 4...巡回霊能者とこの辺にユダとゼロータイを入れたい
 5...マグダラ・マリアを頭とする女性の弟子達
 6...この辺から弟子のペテロやゼベタイのヨハネがでるかな

番外にパウロと福音書の編者を入れとくw...

僕はおおよそその順番だと思うよ
57カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/12(日) 02:28:37 ID:7ucKd+JK
>>51
>自分達が世間から嘲笑の的になってることに気が付き始めたのか

世間から嘲笑の的になっているのは、お前達ムスリムだよ、ドアホウが。
おまえも相当な偶像崇拝者だ。お前の研究のテーマはクルアーンにこそふさわしい。
あれは単なる唯物論をベースにした、ムハンマドのエゴが作り出したものだからな。
キリスト教に対する扱いの変節ぶりには笑える。政治上の都合でころころ言うことが変わるムハンマド
の能書きの集大成であるクルアーンの研究でもしてろよ。

ま、おまえは単に聖書の粗探しだけをしたいだけのようだから、言っても無駄だとおもうが。
おまえは可哀想な人だよ。
58カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/12(日) 02:39:31 ID:7ucKd+JK
イエスキリストの祈り。

>父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。
>彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。
>あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
>わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。
>こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。
>父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、
>与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。 正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、
>この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。 わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。
>わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」
〜ヨハネ17.21〜17.26

父の御心を行う者、つまりイエスの掟を守る者は、父と子と一つとなる。
私の心に聖霊が満たされん事を。皆さんの心に聖霊が満たされん事を。

父と子と聖霊と御名において、アーメン。

おやすみアホども。早く悟れよ。
59ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/12(日) 02:51:06 ID:NZL9j3xO
そんなわけでね...僕は聖書を真面目に読んでる人達は
キリスト教とは全く異質の宗教と言うべきか、全く異質の
物を学び取ってるんだと思うよ...それで既存のキリスト教会は
馬鹿集団にしか見えないし馬鹿らしくて相手にできないし
(既存の教団は適当に遊んでてくれ)今更愚の骨頂の宗教集団
なんか形成する気は無いんだろね聖書の教えはそこまで
読み取れるw...

と言っても自分が賢いと思ってる人達はいつまでたっても
自分は賢いと思ってるんだろね....世の中が幾ら嘲笑しても
判る人が見たら馬鹿丸出しの幼稚極まりない奴でも、自分は
賢いと思ってるんだろね...キリスト教会はそういう人達を
安らかに自尊心を傷付けない為の宗教団体みたいね...一般
社会へ出るとすぐ馬鹿にされるからね...下手したら知恵遅れ
に見られるしね...
60名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 02:53:05 ID:H9A1+eHB
カラスの鳴き声がうるさい。
61名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 09:22:33 ID:Ka/45QGY
ハート=心

ところで世の中には聖霊のことを、聖霊様と呼ぶ、変な宗教があるんでつね。
62立里卜貝:2006/03/12(日) 11:44:44 ID:fhlICGtS
>>57
>あれは単なる唯物論をベースにした、

え?そうなんですか?
63カラス:2006/03/12(日) 12:49:40 ID:Ka/45QGY
あそこに出てくる天国、アッラー、天使などは、それこそ幼稚な、おとぎ話だろう。
他の部分は単に、自分達コミュニティの決まり事、及び政治的なもの。
つまりは世俗的なものでしかない。
ムハンマドは実にうまく自分達のコミュニティをまとめる為、宗教を利用した。イスラムなどはそれ以上でもそれ以下でもない。
それは今のイスラム圏の国々でも行われていること。
いずれも時代遅れのもので、今の時代、自分達のコミュニティをまとめるにも、
よりよいシステムがありいいかげん古臭いおとぎ話は捨てるべきだろう。と、言いたいところだが、一神教はそう単純なものではない。
全ては神の計画のままに。御心のままに。みよ、世はまさにその通りに動き、新約は成就される。
ま、肝心の部分が単なるおとぎ話でしかなく、あとは世俗的なことしか書かれていないクルアーンの内容は、
唯物論的なものしか見出だせない。唯物論的に判断をすれば、クルアーンは、単なる時代遅れの書物だろう。
64名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 13:28:41 ID:udjfJF1z
>>15

グノーシスを言うなら、シュタイナーを調べるがよい。彼のヨハネ福音書講解同じくマタイのそれなどが面白い。

私は、マタイとルカの福音書でのイエスの系図の違いについて調べていたが、列王記に記載されているが、ダビデは後継として王系として
ソロモンをたて、祭司系としてナタンを立てている。マタイは王系のソロモンをイエスの系図とし、ルカは、祭司系のナタン
をイエスの系図としている訳だ。

そこで、シュタイナーは言う、当時イエスは王系のイエスと祭司系のイエスが実在していたという。つまり磔刑のイエスと祭司系のイエス
の二人が実在していたと。なるほど、二年半もイエスに従っていた弟子たちが、蘇りのイエスを
なかなか認識できなかったのも、別人イエスであったからかも知れない。シュタイナーは神秘的知識において霊界に参上できたという。
いろいろと面白いことを語っている。日本ではシュタイナー教育で著名である。

シュタイナーは仏教に造詣が深い、彼はイエスと竜樹と孔子が、同じ霊統にあり、ほぼ同時代に霊統の発揚があったと言う。
これはユングの言う同時性と同じ意味を持っている。ユングは彼の影響を受けている。
なお、今日の岩波文庫の上下2巻の「仏教」はシュタイナーの一番弟子の著作である。

シュバイツアーを嚆矢とする史的イエスの研究も学を形成したプルトマンをへて今日のイエス語録Q資料にいたり、古びて
しまった。ナグ・ハマディのグノーシス文書研究で、荒井献がようやく気をはくのみ。

聖書研究もいいが、イエスの語るとおり、「人を生かすものは霊であって、私の言葉は<霊>であり命である」ヨハ6:63
いくら史的イエスを調べても、イエスの言葉を理解できない。霊であるイエスの言葉を知るには聖霊によるほかはない所以だ。

ただ、聖霊がほんものかどうかを正すのは聖書である。いくら聖書を論じても、聖霊を知らなければ、群盲象を撫ぜるに
等しい。
65ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/12(日) 14:36:52 ID:NZL9j3xO
>>64
>シュバイツアーを嚆矢とする史的イエスの研究も学を形成したプルトマンをへて今日のイエス語録Q資料にいたり、古びて
>しまった。ナグ・ハマディのグノーシス文書研究で、荒井献がようやく気をはくのみ。

例によって自分達をそうやって慰めてる御仁の様で...シュタイナーみたいな
アホに頼ってたらますます時代遅れになるw...奴のヨハネ福音書講解を読んだけど
途中でアホ臭くて笑い出したよ...わはははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははは
66名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 15:52:52 ID:udjfJF1z
>>65

きみには、中身がなくて虚勢を張った馬鹿笑いしかない。
カラスくんがバカモスキーと言う所以だね。

シュタイナーのヨハネ講解を読んでアホと言うなら、その根拠を
挙げてこそ言えることだよ。どこがアホと根拠を挙げ得ないきみこそ
アホと言えることを知らないアホなのだ。
キュロスくんは、曖昧としても、論拠を挙げることを知っている。

なお、64はグノーシスを推奨するたカラスに対する発言だよ。
おれはシュタイナーを推奨するものではない。
ただ、霊というものを知って、彼なりにグノーシスとして追求した姿勢を
認めているにすぎない。
私はカラスの大きな意味においての聖書理解の本領を評価している。
イエスの教えを守る意思が信仰の基本であることを知っている意味で。

イエスは豚に真珠を与えるなと語る。
豚は足で踏みつけ、向き直ってかみついてくると言う。
きみがそれだ。私は言いつけを守って豚に真珠は与えない。

ナグ・ハマディのグノーシス文書研究の荒井献を挙げたのも
カラスくんのトマス福音書に肩入れしていることを勘案してのことだ。
牧師の息子である荒井献は、かつて東神大と対決した、そのグノーシス
許容のゆえに東神大は荒井献の著作を讀禁にした。カラスは知ってか
知らずか、そのグノーシスに肩入れしようとしているからだ。

やはり知識をもって霊界に参入しようとするのは妥当とは思えない。
ヨハネの黙示のように聖霊の中にあっての霊界入りであろう。
だが豚よりましな人たちではある。

67名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 20:20:09 ID:XJh2THdN
バシリデース派
(グノーシス一般・ヌース[知性・叡智・英知]による
 否定神学「存在しない神=思惟の思惟(アリストテレース)」)

セツ派
(ナハシュ派・蛇派・エジプト人福音書・大いなるセツの第二の教えなど・
 「アルコーンの本質より」
 その獣(デミウルゴス)は目を開き「私こそ神といった」
 権威の高みから声があって「お前は間違っているサマエール(目くら)」と告げた。
 永遠の命(ピスティスソフィアの娘)がデミウルゴスをサクラス(ばか者[シリア語])と呼んで
 その娘の息が火の天子となって襲い掛かりタルタロス(奈落・バフート)に落とした。
 彼はヤルダーバオト(若者が渡る、若者が奈落にいる[シリア語])と呼ばれた。)

バルベロ派
(男女両性具[おめ・おとこおんな]論・男性の処女神[童貞神]が
 原父から与えられた思考により不滅・次に永遠の命・次に真理と与えられていった)

バレンチノス派
(プトレマイオス派・原父と沈黙[シゲー・女性形]の対で二元・過失はソフィア[女性形])

バレンチノス派
(三部教・唯一原父[プロ_パトル]の一元・過失はロゴス[男性形])

マルキオン派
(マンダ教・ギンザー教・光の世界と闇・第2の命・
 一番年長者の第2の者が動揺を持ち込んだ・ヨルダン川のような洗礼)

マニ教
(トマス福音書・シェームの釈義を含む・
 イエスの派遣・アダムにイエスが生命の木の実を食べさせる)
68名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 20:20:52 ID:XJh2THdN
『ノアの七戒』(創世記六−九章)
1、社会正義(法を整える義務)
2、偽証を含む悪口雑言の禁止
3、偶像崇拝の放棄
4、近親相姦及び姦通の禁止
5、殺人の禁止
6、盗みの禁止
7、残虐行為の禁止(生きている動物から切り取った生肉を食べてはならない)

ユダヤ人 Jew ユダヤ人の定義は今に至るまで明確でないが、
 近年では母親がユダヤ人の場合にユダヤ人とみなされる。
 帰還法の定義とハラハー上の定義が異なるため、問題なることが多い。
ハラハー Halacha ユダヤ教の生活律法規定のことです。コシャー規定もこれに含まれます。
コシャー コシェル、コーシェル、コーシャー Kosher 清浄食品等と訳される。
 ユダヤ教の厳密な食品規定をパスした食品のことですが、
 基準にもいろいろあり、最も厳しいものは「グラット・コシャー」と言われる。
--------------------------------------------------------------------------------
アシュケナジ Ashkenazim 東欧系ユダヤ人で、白人が多く上流階級だと言われる。
イディッシュ Yiddish ドイツ語とヘブライ語の混成語。
 東欧系ユダヤ人(アシュケナジ)が用いていた。
チーフラビ 管轄地域のラビの中で最も権威ある人。
 イスラエルでは、アシュケナジやセファラディにより権威が分かれるなど、
 複雑な仕組みになっている。米国などにはこの制度は無い。
--------------------------------------------------------------------------------
セファラディー Sepharad(セファルディー)スペイン系のユダヤ人のこと。
 イスラエルでは中流以下を占めているとして、差別が問題になっている。
ラディノ語 Ladino スペイン系ユダヤ人(セファラディー)が使っていた言葉。
 スペイン語とヘブライ語の混成語。
69名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 20:21:46 ID:XJh2THdN
天(ウーラヌー): 天界(複数:ウーラヌス)
古代ギリシアの世界観・宇宙観によると、天界は7階層からなる。
プトレマイオス・アリストテレースのどちらも[天動説の]7惑星の公転円周に天界を想定し
近くから遠くまでを地上界から最上の天上界までの階層で出来ているとみなした。
近代科学の天文学とは違った構造である。
 例: 順逆に覚え間違いあり・・・。
天界(ウーラヌス)
 太陽: 第7天−最上天界(この1階層だけの天界:ウーラヌー)
 木星
 土星
 火星
 金星:愛の階層・第3天界
 水星:知恵の階層・第2天界(ジオ ウーラヌー)
 月
地界(ゲー)・地上の各地域の世界(地界複数: ゲー+ス)
地の穴・地の淵・地獄(ゲー+ヘナ)

古代ヘブライと古代オリエント特にカンナ地方(パレスチナ[フェリシテ]・ユダヤ[イスラエル])は
古代エジプトと同じ宇宙観や世界観を持っており

天(シャマイム・天妃が四つんばいで地上を蓋い・星を抱え・乳が垂れるは流れ星・雨の恵み)
地上・土地(アーレツ)
黄泉・死者の世界(シェオル)

の三階層[と考えるの]である。

カトリック教会が、魚にキリストのイニシャルのモチーフと同様に太陽のモチーフを用い
太陰暦からグレゴリウス太陽暦を用い現在の世界標準となった様に神の子キリストや父なる神を
この世の光・太陽に喩える様に、人が直視できない光が神の正義であり
太陽が、この世に創造された最上天界とされた。
70名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 20:42:17 ID:ObR3QW1C
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1137433357/473-474
レバノン: フェニキア・ツロ・シドン・列王(文字・レバノン杉・白檀香・高き山の祭所・地中海貿易)
シリア: アラム・ゴラン高原・サムエル・エリヤ・マタイ・ルカ(将軍ナアマン・ヨルダン川の洗礼・預言者シェムエル[サムエル])
イラン: ペルシャ・ネヘミヤ−エズラ(善悪光闇の戦い光の子・最終審判)
エジプト: ミツライム・ヤコブ・ヨセフ・エレミア・マルコ(母子が神・防腐オイルと沈香・
           復活思想・ミイラ葬式・乳香・太陽暦の豊穣の川と一つの太陽の恵み)

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1127025404/404-417
< とあるグノーシスの一思想 2 >
>ヤルダバオト?
シリア語でヤルダー「若者」バフート「奈落(または混沌の元、転じて混沌の母)」
をギリシア語読みにした、ユダヤの神を貶めた呼び名
つまり「ヤルダバオート」の意味は「奈落を母とする若者」である
グノーシスのある一派は「ヤルダバオート」を
[混沌の]知恵の母(アーカモート[ホークモート・ヘブライ語で知恵])が
8番目の天を作って その下の7つの天を作った子供(若者)と説明した
ユダヤの神を貶めたとは この7つの天を作った事を揶揄してである
そして この7つの天以外に世界がないと言いつつ
ほかに神もいないのに妬む神なので サクラス(ばかもの)とか
サマエール(めくら)という名の神だと[グノーシス・キリスト教は]説明した
71名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 20:43:04 ID:ObR3QW1C
【 人生の基準(古代ギリシア哲学で) 】
不正←→正または 偽←→真 事実と言葉が一致して良い 悪←→善 行いが見返りに関係なく良い 醜←→美 見てくれ良い

真善美(哲学) → 正美愛(プラトーン著 クリトーン[とソークラテースの会話]対話Z章)
正・不正(プラトン) → 真・偽(哲学) → 利益・損(創価教育)

翻訳の差 大学書林:良き友(対話[章)→岩波文庫:親愛なる友 
     原典:ベルティステ:アガソスの比較級→良き→親愛
     原典:Διαディア(対話]U章の直前)→翻訳:ゼウス

善:アガソーン 正:ディカイオーン 美:カローン

無償の良 慈善 善:アガソス 
無償の愛:アガペー 母子の愛、授乳の愛[出世払いというウバ的考えもあるが]
全能:[H]シャッダイ・女性の胸 [G]パントクラトール(何でも屋・よろずや)
有償の愛:エロス(男女の愛、あげたら貰う愛)
良い麦(カローンの麦・美しい麦?)←→毒麦(醜い麦?)

「ερωΣ」、最後のシグマ、字体がない問題は全部を大文字にすれば一気に解決でつヽ(´ー`)ノ
アガペー(神の愛) ΑΓΑΠΗ
フィリア(兄弟愛) ΦΙΛΙΑ
エロース(性的な愛) ΕΡΩΣ
ストルゲ(親子の愛) ΣΤΟΡΓΗ
なんだか、大文字の方がギリシャ語っぽいでつねヽ(´ー`)ノ

【 ギリシア思想系譜 】
ソクラテス→弟子1・プラトン→ アリストテレス→アレキサンダー大王→
ソクラテス→弟子2・アンティステネス→ ディオゲネス→アレキサンダー大王→
 アレキサンダー大王→エジプト・プトレマイオス朝(70人訳ギリシア語旧約聖書)
  →プトレマイオス朝(70人訳旧約聖書・旧約ダニエル書)→新約聖書ギリシア語著者達
72名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 20:45:42 ID:ObR3QW1C
[人が神に]似せて創られた部分 道徳的善として良心の痛み・自然に備わる悪かったと言う気持ち

(宗教改革期のカトリック教会令(南部カトリック王侯・皇帝派)に反する異端なのか
良心の痛みに反[すると]してルーテルが自説を撤回しない(ルーテル派教会・スウェーデン国教会)のか
聖霊によって聖書を読む(イギリス共和国の改革派[ピューリタン(清教徒)・アメリカのバプテスト教会系])
(聖書によって聖書を読み解く[チェコのフス派→オックスフォード大学ウエスレー教授のメソジスト])のと違った争点で
ドイツ国会[神聖ローマ帝国会議]は信仰問答となった)

土(アダマ)から人(アダム)をつくった。人は死ぬと土に帰る事となった。
男(イシュ)から女(イシャー)を創った(元は人は一つの説明)
父母を離れ男女がお互いを求める理由、元は一つで、二人は結ばれて一体となる。

息(ルアハー[H]・プネウマ[G]・命)を鼻から吹き込まれ、生きる者(命ある者)となった。
人は死ぬと魂(息)は息(命)を吹き込んだ神に帰る事となった。

神との約束を破って(原罪の発生・善悪の知識の木からは
、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう) 智恵の実を食べ食べた事によって
精神的善として善悪判断が身に付く(人間の智恵→信仰の智恵)

スウェーデン軍(ルーテル派の王国レベルの主力軍・ドイツ諸族の新教盟主ザクセン侯を救援)
→北方戦争→ロシア−ロマノフ朝(ロシア正教会・ビザンツ王冠とモンゴル汗の称号の「東西統合皇帝」)
→宗教戦争→南のオーストリア神聖ローマ皇帝の帝国軍と・ドイツ諸族の旧教盟主バイエルン王と敵対
→ネーデルランド宗教戦争(オランダ・ベルギー)・
→植民地戦争(スペインとフランスとイギリスの対峙)・
→黄禍論 オスマン−トルコ(イスラム)とハンガリー・ポーランド(カトリック)の対峙
73名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 20:57:47 ID:veyM5twv
< とあるグノーシスの一思想 1 >

デミウルゴス(製作者とも造物神とも訳す)は、
もともとは古代ギリシアの「公共職人」を示して使われる言葉。それをプラトンが、公共職人
(デミウルゴス)と言う単語を著書に用いた。グノーシス思想では、造物神は最高神ではない。
→ 新キリスト教辞典 いのちのことば社

ナグ・ハマディ文書 救済神話 プトレマイオスの教説 第五章に登場する。ヤルダバオート
(「ヤハウェを貶める」の意味の造語)・サクラス(馬鹿者)・サマエール(盲目の神)とも呼ぶ。

アイオーン(世界・流出[時の流れ])からプレーローマ(充満[豊かさ])があり。
美のプレーローマ、プレーローマの星こそが、救世主イエスと言う。
アイオーンは、ビュスト(深遠)・シゲー(沈黙)をアルケー(根源)とし
そこからエンノイア(思考)が、ヌース(叡智)とアレーテイア(真理)を生み
さらにロゴス(言葉)とゾーエー(生命:ヘブル語のエバ)を生んだ。
ロゴスとゾーエは、アントローポス(人間)とエクレーシア(教会)を生んだ。

またプレーローマ(充満[豊かさ])から 30のアイオーン(世界[流れ]・[時代の]流出)より
アカモート(ヘブル語ホクモート由来の借用語:[不妊の]ソフィア(知恵))が
第八天を創造し、母となり その母から天使の一種のデミウルゴス(旧約の神)が生まれて
第七天以下の七つの天を創造した。 デミウルゴスは自分が作った七つの天を、
全ての世界と思い上がってサクラス(馬鹿)であった。

*ヨハネのアポクリュフォーン?から  ヤルダバオート(デミウルゴスの別名 
ヤハウェを[貶めた]アダ名)は妬む神であった。自分が作った天使たち以外に
住める他の神の世界があるのはおかしい。妬むには他に神がいるから妬むのであり ヤルダ
バオートは思い上がりであり 妬む神の妬みは 一人しかいないで妬む自作では不自然である。
74名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 20:59:04 ID:veyM5twv
もうひとつのプロティノスの思想の特徴は、「一者」と
この世界をつなぐヌースという存在を考えたということであった。ヌースは
知性とか叡智とか訳され、理性あるいは精神にあたえられた神秘的な名であった。
ヌースとは神の思惟によって産みだされたイデアの世界と考えるとわかりやすい。
私たちはまたヌースをロゴスであるとも聖霊であるとも考えることができる。
新プラトン主義が古代と中世をつなぐ架け橋となったのは、ギリシア哲学の成果を
宗教的なかたちでまとめあげ、キリスト教に引きわたしたからであった。そのなかでも、
一者 − ヌース − 私たちの魂という世界の三分法は、キリスト教の
三位一体論の成立に大きな影響をあたえたとされている。

●ヨーロッパ哲学史において光は真理のメタファーである。私たちが太陽を直接
見ることはできないように、私たちは直接一者を理解することができない。太陽の光が
散乱して地上を包む光となるように、この世界はヌースによって包まれている。そして
私たちが光を見ることができる器官である眼をもっているように、私たちの魂の
純粋な部分はヌースと通じている。

★一者と私たちの世界をつなぐものはヌースである。魂のうちで純粋な部分は、
この神のヌース(叡智)の世界とつながった、いわば下級のヌースなのである。この
経路を逆にたどって、私たちはエクスタシスし(自分を脱げだし)神と合一する。
75名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 21:00:01 ID:veyM5twv
司教(儀式執行は同等、辺境教区もローマ教区も司教は司教・
   同一教会内で多言語の礼拝を行っている
   1962年以前の昔はラテン語だけのミサを世界共通にした。
   神父や教導者・司会者助祭の合図で
   起立やお辞儀やアーメンやハレルヤなど数単語のラテン語だけ平信徒が唱え
   シスターなど聖職者の聖歌隊がラテン語の賛美歌・聖歌を歌った
   ローマ教区[教皇・ローマ司教]・
   ミラノ教区[枢機卿・ミラノ司教]・
   東京大教区[日本首都大司教・東京司教]・
   仙台教区[司教・仙台司教]
   東仙台教会の仙台司教の監督下の神父[教会の長老])

主教(儀式執行は同等、辺境教区[イルクーツク・東日本−函館]もモスクワ教区も主教は主教
   民族別とか国家別の単一教会・
   ロシア正教・セルビア正教・日本正教[日本ハリストス正教会教団]という
   同言語礼拝の単一民族の単独教区の教会と
   アメリカ国内の在米ロシア正教・日本国内のロシア正教[駐日ポドウォリエ教会]
   という出身民族の教会内の国別の複数教区を持つ本拠母国と別の独立教会がある
   コンスタンチノープル教区(ビザンツ・第2ローマ)
   キエフ教区(ウクライナ正教・キエフ公国ウラジミール候の受洗)
   モスクワ教区(ロシア正教・第2ビザンツ・第3ローマ)
   イルクーツク教区(日本正教会−函館時代・ニコライ_カサートキン大主教)
   東京教区(日本の府主教・東京の主教)
   東日本教区(仙台の主教)
   石巻教会・東日本の主教の監督下の神父[教会の長老])
76名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 21:16:52 ID:veyM5twv
ユダヤ人でない方はノアの子らの7戒を守れば十分だからです。
今日ではそういう人たちの団体もあります。ノアの子らの7戒を守る人は
他のユダヤ教の戒律をも自由に守ってもよいという意見もあります(マイモニデス)。
しかしユダヤ人になったら、613箇条の戒律を厳守する義務が生じます。
その用意がなければ改宗は認められません。
日本人として生まれた者がこれらの戒律を守り続けることは
けっして簡単ではありません。それがユダヤ教への改宗は単なる
宗教替えではなく民族替えを意味すると言われるゆえんでもあります

口伝律法 Oral Law ユダヤ教では、モーセがシナイ山で十戒を与えられた時、
 文書としての律法の他に口伝もで多くの律法が伝えられたことになっている。
 紀元以後に成立したタルムード Talmud は、その口伝律法を書き写したものとされる。
--------------------------------------------------------------------------------
ノアの七戒 7戒 Noahide Law ユダヤ教において、異邦人も守るべきだとされる戒律。
 社会的不正、偽証や悪口、偶像礼拝、姦淫、殺人、盗み、残虐行為をそれぞれ禁止するもの。
 口伝律法によりノアに対して与えられたとされる。
--------------------------------------------------------------------------------
タルムード Talmud 紀元後に数回にわたって編纂された法典とその注解書で、
 ユダヤ人にとってはトーラーについで権威あるものとされている。
 中心となるのは、ミシュナとゲマラという二つの法典。
ミシュナ 2世紀頃にラビ・ハナシが整理した口伝律法の名前。
 これに対する注釈が、ゲマラである。タルムードの基本となる。
ゲマラ グマラ ミシュナ法典に対する注解と補足であり、
 3〜6世紀にイスラエルとバビロニアで成立した。
77ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/12(日) 21:50:27 ID:NZL9j3xO
ルドルフ・シュタイナーのヨハネ福音書講義...
馬鹿がまた新たな神話を作ってるだけさ...
シュタイナーで何人目でっか、この人も殆ど聖書読んで
ないみたいザンスね...

わはははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははは

78ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/12(日) 22:34:03 ID:NZL9j3xO
トマス114編
シモン・ペテロが彼らに言った。”マリハム(マグダラマリア)はわたしたちのもとから去った方
がよい。女たちは命に値しないからである”。イエスは言われた。”見よ、私
は彼女を天国へ導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あ
なたがた男たちに似る生ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女
らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから”

ここで注目すべきは、マグダラのマリアがペテロを初めとする男弟子たちと
共にイエスの対話者として登場し、マリアがペテロよりも高く評価されてる
事である。(参マリア福音書)
これについてグノーシス学者の荒井献は、正統派教会におけるペテロの理念化
に対するグノーシス派のマリアによる批判だろうとしている。
しかし同様にグノーシス学者のマルヤーネンは、マリア福音書についてはその
見解が成り立つだろうが、このトマスの文章は、グノーシス内部の対立では
ないかとしている。いずれにしても、グノーシスではマグダラのマリアを
「遊女」あるいは「改悛する」女と関連して言及してるものはない。

ルカ福音書やマルコ福音書の「罪の女」や「遊女」とマグダラ・マリアを
関連させてるのはヨハネ福音書であろう...これは次回に説明します。
79名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 22:46:03 ID:R2sW579j
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1141457634/34-36

●新約聖書のできたプロセス
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_qmap.html
●新約聖書における旧約聖句
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_conf.html
●Q資料...バートン・L・マックによる
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_qtxt.html
●トマス格言集(トマスによる福音書)
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html
80名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 22:53:58 ID:R2sW579j
原始キリスト教の発見
http://www.hm3.aitai.ne.jp/~makokato/gnosis.htm
81ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/12(日) 22:57:27 ID:NZL9j3xO
「アダムはそれまで永遠に生きる事が約束されていたが、アダムが罪を
 犯して永遠に生きられなくなった」...こんな子供からも馬鹿に
されそうな幼稚なドグマがいつの時代にできたのか調べてるけど
よく判らんw...創世記だけ読むとどう考えてもそんな馬鹿げた
ドグマは読めないし、パウロ書簡をよほどひん曲がって読めばそういう
解釈になるかも知れんが、まともな頭の持ち主ならそんな馬鹿げた
事は言わんだろう...
こんな馬鹿な事を言い出して、パウロ書簡を無理やり根拠にしたのは
3−4世紀以降の何処かの「オッサン」だと思うよ...
こういうドグマにしておけば、信者に神(教会)に逆らったら
アカンと言う戒めになるし、馬鹿信者はそうなんだと思うヤロ

わはははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
82名無しさん@3周年:2006/03/12(日) 23:30:53 ID:R2sW579j
神様を愛する。ドウ愛する。神を賛美する。礼拝する。神に祈る。
隣人を愛する。ドウ愛する。お互いが生きられるように助け合う。
 http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=177&to=180

罪はいろいろあるのですが、キリスト教の考えでは
「宗教的な罪」と「法律や掟などを破った罪」の大まかに2つあって
シン[英語]グレーフ[ロシア語](原罪)と
クライム[英語]プレストゥプレーニェ[ロシア語](犯罪)なんだそうです。
 http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=188&to=188

神は陶器師(創造主)であって人間は陶器(被造物)なので逆らえない前提で考えます。
神が出来の悪い陶器(罪深い)と思えば、陶器を砕いてしまう(地獄に落とす)のです。
 http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=185&to=197

『昔、人々はアルカディアに住んでいた。自由な暮らしをしていた。理想の暮らしであった。』
コスモ+ポリタンの共通語です(世界+都市国家[町]の人。世界の町々に横断的な人。国際人。)
『昔エデンの園である楽園に住んでいた。神と共に暮らし不自由がなかった。 』
造り主の神様の御身元に行き一緒に代々(よよ=世代横断的に=永遠)に楽園な暮らしをする
 http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=201&to=208

私審判: 個々人の死んだ後の裁き
 福音書  (生前の報いに応じて 陰府[ハデス]と天国[パラダイス])
公審判: 世界の終わりの日の裁き
 黙示録  (第二の死・携挙 地獄[ゲヘナ]・海の地獄[タルタロス]と天界[ウーラノス])
  http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=34&to=37
礼拝は神の呼吸(テオス プニューマトス?)・
信仰(ピスティス)による判断は、神の知恵(ピスティオンタス)を得る。
まあ、教会の人間関係が煩わしくとも、神とは挨拶(礼拝)は出来るだろうし
生きるヒントは、聖書や説教集が与えてくれるであろう。
83立里卜貝:2006/03/12(日) 23:41:00 ID:mbPIUQxo
>>70
>サマエール(めくら)という名の神だと[グノーシス・キリスト教は]説明した

外典『モーセの昇天』にはサマエルという堕天使が登場するそうです。
両者の間には何か関係があるかもしれません。
84名無しさん@3周年:2006/03/13(月) 00:22:44 ID:i73pDiI+
立里卜貝さん
>外典『モーセの昇天』

なかなか読まれてますね。私も、もっと勉強せんいかんのですが
読んでなかったんで驚きです。
エルが付くから神様だし天使だろうと思ってたんですが。堕天使だとは。
85名無しさん@3周年:2006/03/13(月) 00:28:06 ID:i73pDiI+
私は未信者だし牧師先生や神学生でないのですが。下手の横好きで読みかじってで。
86名無しさん@3周年:2006/03/13(月) 20:53:24 ID:Ldep1j1x
九州が中国・四国が英国・北海道と東北がソ連、と言うのは構想の話。
実際はアメリカ軍が単独で済州島・巨済島・草梁島・沖縄・小笠原・日本本土・北海道の改革で占領支配した。

米軍に降伏すべき地: 南洋・フィリピン・沖縄・小笠原・日本列島(北海道も)・朝鮮38度線以南。
英軍(インド軍)に降伏すべき地: タイ・イギリス植民地・フランス植民地(ただしベトナムは南部だけ)
蒋介石軍に降伏すべき地: ベトナム北部・台湾・中国本土(万里の長城以南)。
ソ連軍(毛沢東軍)に降伏すべき地: 満洲(関東州ふくむ)・朝鮮38度線以北・内モンゴル。
オランダ軍に降伏すべき地: インドネシア。
オーストラリア軍(米軍・英語圏補充兵)に降伏すべき地: オーストラリア信託統治領。

上海亡命朝鮮政府(呂運亨)
米国亡命朝鮮政府(李承晩)
朝鮮ソ連軍(金日成)
中国八路軍(毛沢東)

降伏相手と認めず。

1945年8月16日〜1945年9月9日 朝鮮建国準備委員会(朝鮮人民共和国[主席:李承晩・副主席:呂運亨・内務部長:金九])
1945年9月10日 朝鮮総督府がアメリカに降伏調印。
1945年10月10日 蒋介石が了承のアメリカ軍政府(アーノルド長官)が、朝鮮建国準備委員会を否定。
1948年5月10日の総選挙まで、共産主義者・反米主義者を弾圧し処刑。
87mono ◆HfNWSGfVro :2006/03/13(月) 22:07:33 ID:xwpJPHtI
先日 子供の頃からの家の掟であった梅の花見に行ったんです。

どこかの教会の人が、聖書の話をしていて、ちょうどその時は
SLの通過とも重なっていて、たくさんの人が集まってたんですね。
福音のパン種はいたる所で、蒔かなくちゃいけないんでしょうけど 
わたしのようにひねくれていると そういう所での説教(メッセージ)は、
ちと難しい。 

で、聖書って膨大で訳わかんないところもたくさんあって、むしろ
わかるところの方が少ないのよね そして分ったところは説教を
通してが多いんだわ。やはり聖書を学ぶには、「聞いて信じる」って
言われているけど、そうなんだなと思った花見の日でした。
88キュロス:2006/03/13(月) 22:20:01 ID:SKZDAVP3
ヨハネ福音書
>17:3 永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、
>あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。

ヘブライ語で 永遠 を表す ネツァハ は 栄光 監督する 
指導する と言う意味も有る。

また 知る を表す ヤ−ダー は以前の書いたけど 特定の人に対する
気遣い 献身 愛着を含む行為を意味している。つまり 知的行為
だけではなく 情的行為 も含んでいる。 

その辺のことを 頭に入れて ヨハネ福音書17章を 読むと
新たな発見があるかもしれない。
89キュロス:2006/03/13(月) 22:50:20 ID:SKZDAVP3
>>88
ヨハネ福音書
>17:5 父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。
>世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。

この時点でイエスは 栄光 を失っているのですね。
栄光を失うとは 永遠を失っている を意味するのかも知れない。

ヨハネ福音書
>17:26 わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知
>らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたし
>も彼らの内にいるようになるためです。」

これは 知る(ヤーダ−)事が 愛(へセト)する事になるという事だね。
ここで 興味深いのは 「彼らに知らせる」と「愛が彼らの内」に
なるようになる と言う表現だね。
愛(へセト)は 個人の内面に有るのではなく 「彼らの内」にある
つまり 人と人との関係性だ と言うことかな。その関係の中に
イエスもいる と言う意味かな。

90名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 05:31:46 ID:uqeDez6g
先レスでインドネシアの日本軍はオランダに降伏することになってますが
実際はイギリス軍が先に進駐しています。この中にシンガポールで捕虜生活を
送った連中がいて日本人にたいし酷い報復をやった者がいます。
後日オランダ軍の進駐に伴って、そのイギリス軍が撤退するとき
日本軍から接収した武器弾薬、車両、航空機には海水をぶっかけて
オランダには何一つ使える状態では渡さなかった。
イギリスはインドネシアの独立運動を押さえるのに必要な物ばかり
戦勝国とは名ばかりのオランダに、かなり意地悪してます。
91名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 13:12:43 ID:NCQWFejT
>>73

いわゆるグノーシス主義と、キリスト教でのグノーシス派のグノーシス
的思想とはかなり違うものだ。よく混同されるが。
ヨハネ福音書記者の思想はかなりグノーシス的色合いが濃い。
「ロゴスは神であった」という彼の思想がそれを示す一例だ。


92カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/14(火) 14:46:03 ID:KDxe6Y8e
>イエスは乳を飲んでいるいくにんかの幼な子をごらんになった。そして彼は弟子たちに言われた。
>”乳を飲んでいるこの幼な子たちは御国に入る者たちに似ている”。彼らは彼に言った。
>”それではわたしたちは幼な子として御国に入るのでしょうか”。イエスは彼らに言われた。
>”あなたがたがふたつのものをひとつにするとき、そして、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、
>そして男性と女性とをひとつにし、男性がもはや男性ではなく、女性が女性ではないようにするとき、
>そしてひとつの目の代わりに目を、ひとつの手の代わりひとつの手を、一つの足の代わりにひとつの足を、
>ひとつの像の代わりにひとつの像をつくるとき、あなたがたは御国に入るであろう”。
〜トマス22
93カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/14(火) 14:47:50 ID:KDxe6Y8e
>>78
でたよ、お得意の、無理矢理こじつけのトンデモ解釈が。
お前のトマス114編の解釈が、グノーシス内部の対立をあらわしているというなら、似たような文言のある
上の>>92にある、トマス22編との関連性は?おまえたちは一部分だけを引っ張り出して、自分達の都合のいいように解釈するから、
聖書全体を通してみれば、一貫性にかける。お前たちの解釈はあくまでその部分だけを都合よく解釈しているだけ。
その部分だけみれば、なんとかそう取れようもなくもないが、同じ単語」、同じような内容の他の部分では、矛盾がでてくる。
それはお前たちの解釈が間違っているに他ならない。
お前たちの気に入る、いかにも唯物的な、俗物解釈して悦に入ってるんじゃないよ、たわけが。
一部分だけひっぱりだして自分たちの都合のいいように解釈しているお前達は、ノストラダムスの、トンでも解説者と
変わらないということを知れ。いいことを教えてあげよう。
キリスト教に出てくる、男、女、婚姻、結婚、花嫁、花婿。には特別の意味がある。
面白いことに、異端とされるグノーシスだとされる文書にもこのテーマは一貫されている。新約聖書も、グノーシス
に残るいくつかの文書も、この男、女、婚姻、結婚、花嫁、花婿に関するテーマは、一貫されている。
意味するところは、同じだ。

なにもパウロの書簡に出ててくる、女性蔑視とも取れる内容の発言は、ただの女性を蔑視するための発言ではない。
彼の女性蔑視ともとれる発言の裏には、深い意味があるんだよ。
ま、実際のところ、女はでしゃばるとろくなことがないというのは、ある意味真理だがな(苦笑)92
94カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/14(火) 14:56:54 ID:KDxe6Y8e
ノンクリ同士の結婚は虚しい。
この世の生が終われば、二人の繋がりは、完全に解消される。偽りのものだ。
だがまことのクリスチャン同士の結婚は違う。
二人は、イエスキリストの名のもとで、永遠に一つとなる。まことのクリスチャン同士の結婚はね。
信じようが信じまいが、キリスト教のいう結婚とは、そういうことだ。

無論、口先だけの、偽りのクリスチャン同士の結婚も、ノンクリスチャンと同じく、解消されるものだ。
95カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/14(火) 15:07:24 ID:KDxe6Y8e
神とは永遠の存在だ。人はその神に似せて創造された。
>>81
あのさ、アダムの名前の由来はなんだ?言ってみろ。
そりゃはじめから死ぬよな。創世記の文言をそのまま解釈するお前たちは何の智慧もない。
それはそうと、前にも言ったが、世界には似たような伝承、神話があちこちにあるんだってな、俺はそのほうが興味深い。
おおかい、本来人は神に似せて創造されたんだよ。神とは形あるものなのか?
お前が言うように、キリスト教は幼稚なドグマではない。智慧のないものは、読み解けないだけだ。
いや、聖霊の働きのない者と言ったほうがいいかな。キリスト教を、お前達の幼稚なおとぎ話にすぎない、イスラムと一緒にするな。

聖書を理解するには、聖霊の働きが必要だとはよく言ったもんだ。バカモスキーよ、おまえをみてると、つくづくそう思うよ。
96mono ◆HfNWSGfVro :2006/03/14(火) 19:44:31 ID:4c2oiL/1
> ヨハネ福音書
> >17:26 わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知
> >らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたし
> >も彼らの内にいるようになるためです。」

神を知り、人の長い生涯にわたって、神の愛を知らせ続けてくれるの
であれば、人との間にイエスを見出す。

いつもいつも知らせ続けられていることに、敏感になりたいと思うのね。
そして、それが死ぬまで続くのだから、「もうこの教会のアイツ嫌い。」
「もうキリスト教は卒業だ。」なんて言えないなぁ。 言っているけど。

大祭司の祈りはいつも新しい発見をするのよね。
古い小冊子にでていたもので祈りに関すること。
「カルヴィン主義とは祈りを捧げた後、跪いていた膝をあげてからも
尚この心を持ち続けることである。」  ウアーフィルド。

妙に納得。祈りが叶わない理由がわかったわ。
97名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:12:02 ID:CeTd8lRF
>>91

ローマ書 正義 ディカイオシュネ(真理[アレテイア]でなく)
コリント書αβ 親愛 アガペーセイス(善[アガソス]ではなく)
ヨハネ書 美 カローン
     光 フォース・フォトス
     命 ゾーエー(息・霊[プネウマ]ではなく)
     言 ロゴス
     世々・代々 アイオーン・アイオナス(世界[コスモス]ではなく)
コロサイ書 満ちた[豊かさ] プレローマー
     像・影 エイコナ(イコン)
ほとんどグノーシスではテーマになっているギリシア語の単語ですね。

古代ユダヤは 神の預言者[サムエル(シェム+エル[呼ぶ(名を)+神を(神と)])]によって
       ヘブライ王を任命し、初代サウル王・第二代ダビデ王が誕生した。
98名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:14:24 ID:CeTd8lRF
>わたしは、いのちのことば社の聖書解題ものをすすめて不評を買ったが。。。

新約聖書の使徒書簡には、人間の三分法というのが解説にあって驚く。
昔の人の人間観を解説している。

カトリックは二分法といって、肉と霊(高次元・低次元)と扱うが
正教会は三分法といってギリシア哲学の人間観を定義に採用する。
ギリシア正教は、定理とか方程式とか信条の表現がギシシア数学なのだ。
刑事コロンボの、死の方程式だか殺人の方程式ってやつだ。逆切れの方程式もありそう。

三分というのは
肉体(からだ[ソーマ])・魂魄(たましい[プシュケ])・霊魂(レイ[プネウマ])と扱い
グノーシスHPで判り、ナグハマディ文書の本の巻末の用語解説で判ったが
人間は霊(霊魂・カトリックの高次元たましい)が無いと
狂人や植物人間で、いわゆるケダモノ(獣)なのだという。

獣(ゴイ・外国人・異邦人・複数形がゴイム・外国人は本来的に罪びと)にならないよう
樫の杖(アロンの杖・テレビンの杖)で羊飼いするよう人間・信者を飼う(ユダヤ人になる)。
その杖使いの行いを「司牧」という。杖は司牧杖(アロンの神権)という。
ダビデ(紀元前1000年ごろ)は、羊の群れを飼ったがヘブライ人の群れも飼った。
羊相手に牧者だし、ユダヤ人相手に王様(油の人・メシア)だし、と言う事である。

霊がある状態というのは
「良心の痛み(人に教えられずに先天的に判っている
人間の心に神の掟が刻まれている)」がある。懺悔告白できる。
「善悪判断に自由意志」があり
善を選択し行動する(物事を見分け悪を遠ざかり善を取りなさい)という
態度を取れる。
というものである。
99名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:15:54 ID:CeTd8lRF
創世記(カナン・パレスチナの創造神話・・・アダム(人類の発祥・・・)ノア(洪水物語・・・))
 アブラハム(ヘブライ人の族長・その名は「多くの父・高き父・愛される父」
__↑____親戚ロトにまつわる話・ソドム−ゴモラの滅亡・・・
__↑___エルサレム[平和の神]の祭司メルキゼデク[正義の王]のパンと葡萄酒・10分の1・・・)
 イサク(その名は「笑い」)
__↑
ヤコブ(押しのける、の意味 兄を押しのけた 別名:天使に勝てる者・イスラエル)
__↓
ヨセフ(入エジプト・ファラオ任命のエジプト宰相・・・)
モーセ(出エジプト・モーセ五書[レビ族アロン系祭司と十戒の・・・])
ヨシュア記(師士はモーセの後継者)ヤショルの書
師士記(対ペリシテ・パレスチナ)__↓
ルツ記−−−−サムエル記−−−ヤショルの書
 人間としての_メシアとしての_???
 ダビデの出生_ダビデの即位__???
__↓
ダビデ王(古代ヘブライ統一王国の成立・詩篇)
ソロモン王(ダビデの子孫・シバの女王・箴言・伝道の書)
列王・歴代誌(預言者エリヤ・エレミヤ・イザヤ・・)
バビロン捕囚(哀歌・ダニエル(バビロン宰相・・・))
バビロンから帰還(エズラ&ネヘミヤ(ペルシア王が任命した州知事&書記)・エステル(ペルシア王妃))
__↓
死海写本・・・
100名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:18:50 ID:CeTd8lRF
【 キリスト教成立のキーワード: 私的考察 】
@罪(ハマルティアαμαρτια) 唯一神との契約違反で
 天国(パラディソスπαραδεισοσ)[楽園(エデン[豊穣の平地の意])]の自由を失う
 [手に汗して生きる]地上生活と人類の「原罪」の発生
A愛(アガペーαγαπη) 地上生活での神の戒め 神と人への『愛』
B契約(ディアテーケースδιαθηκησ) 律法と預言書と詩篇から
 最期の晩餐による肉(パン)による信者の繋がりの教会と
 血(ブドウ酒の杯)による「贖罪」の「契約」
C十字架(スタウロスσταυροσ) 神との新しい契約としての人類の原罪の贖い
 贖いで足りない所を補う 主への讃美と善行と施しをイケニエとして捧げる事
 行いの有る『信仰(ピスティスπιστισ)』
D復活(アナスタシンαναστασιν)
 古いものを捨て「神のロゴスθεοσ λογοσ」によって新しく生きる甦りの命と
 最後の審判でのキリスト(χριστοσ)の弁護による救い(ソーテールσωτηρ)
 天国に戻る『希望(エルピスελπισ)』
E教会(エクレシアεκκλησια) 契約により
 キリストを頭(かしら:主人:キュリオス)として
 肢体になった信者(クリスティアノス
 油塗られた者χρηστιανουσ 使徒11:26)は
 天国を相続する自由人の女から生まれた子となり
 聖霊(ハギオンαγιονプネウマπνευμα)の賜物として
 異言(グロッサ・舌)・霊的な歌や癒しの奇跡を得る
F公会議 父と子の神としての同質・同一本質 聖霊を含めた神の三位一体
 キリストの神性−人性の両性 各信条[ニカイアなど]
 聖職者制[監督(主教・司教)−長老(司祭・神父)−執事(助祭・輔祭)]
 生母マリアへの”神の母[テオ・トコス:神・生みし者]”の呼称
 聖書(ビブロス・ハギア−グラフェー・テモテβ3:16[旧約])の選抜などを決定
101名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:21:31 ID:CeTd8lRF
私審判: 個々人の死んだ後の裁き
 福音書  (生前の報いに応じて 陰府[ハデス]と天国[パラダイス])
公審判: 世界の終わりの日の裁き
 黙示録  (第二の死・携挙 地獄[ゲヘナ]・海の地獄[タルタロス]と天界[ウーラノス])
(池[リムネ・魂の死]・海[タラサ・不安]と「新しいエルサレム・新しい天地・永遠の命」)
ゾーエイ・アイオノス(永遠の命?)を新天地で ←→  ジオ・タナトス?(第二の死)を池で
新しい天地の「新しい」はリフレッシュ(再生・再利用品「汚れちゃったけど
洗って新品に見える」)ではない。「別物の新品」という意味でもない。
ハローロ・フレスコほか「新しい」を意味するギリシア語が複数あった気がします。
罪の無い、穢れる前の状態、「元の状態[未使用状態]の新鮮さ」のある天地。
池・海、これは創世記の水の表を神の霊が漂っていた時の新しさ。
混沌の水の下は死の世界・生命の無い世界だったんでしょう。まあ創造神話ですが。
つまり天地に分離する前の混沌の原初の状態。まったく罪が発生する前の天地。
これでは、今生きている世界ではないと通常は判断しますよね。
我々は、個々人の裁きさえ気にして身を正して、神に祈って神を賛美して
神の憐れみ恵みを求めて生きていけばいいんですよ。あと他の難しい事は考えない。
近々この世の終わり・地球破滅が起こって、最終審判が起こるとかで
近い将来に、新しい天地に・ビックバンが起こる別けでないんだし。確率は低しですよね。
なんか神の御前に、取り立てて身構えなくちゃいかんのかな。
102名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:23:47 ID:CeTd8lRF
パラディソ(天国)ウーラノス(天界)ゲース(地界)ゲーヘナ(地の穴・淵)ハデス(黄泉)
タルタロス(海底地獄)
〜伝・〜福音書: カタ[ギリシア語] マタイ伝(カタ マッタイオン)マルコによる福音書(カタ マルコン)
福音: ゴスペル[英語] グッド+ニュース[英語] 福なる音づれ[良き訪れ]
 キリストが原罪から救って下さった良い知らせ。
よい知らせ: エウ+アンゲリエ[ギリシア語] エヴァンゲリオン[ラテン語] グッド+ニュース[英語]
 良い+知らせ(福音・戦勝の知らせ・戦勝報告)
天使: アッゲロン[ギリシア語]・アンゲリ・エンゲル・エンジェル[英語]
 知らせる人・み使い・使者・天の使い・戦勝報告の伝令・メッセンジャー
使徒: アポストル[ギリシア語]・セイント[英語]
黙示: アポクリュフォン[ギリシア語]・アポクリファ(隠されたもの)
〜へ・〜宛の手紙: プロス[ギリシア語] ローマびとへの手紙(プロス ロマイウス)
聖書: ハギア+グラフェー[ギリシア語]・ヒエロ+グラマタ[ギリシア語]・ビブロス
 清い+書物(聖なる書)・祭りの+文書(祭文・神聖な+文書)
聖霊: ハギア+プネウマ[ギリシア語] 聖なる+霊
身体・魂・霊(或いは、息・風): ソーマ・プシュケー・プニューマ
肉・代々に続く命(永遠の命): サルクス・ゾーエー
@神・創造主 
 アダム(A人間の原罪)
 アブラハム(F神の約束による神の恵み・G信仰の父)
 モーセ(E十戒)→サムエル→エリヤ(D預言者)
Bヨシュア____ダビデ(Cメシア)
 ↓________↓
 イエス・キリスト[ギリシア語]→ヨシュア・メシア[ヘブライ語]  
(@神の子・D預言者・F神の約束による神の恵み・A人間の贖罪・E愛の戒・G信仰の父)
103名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:25:32 ID:CeTd8lRF
神と共にあります(インマヌエル・エマニュエル・エマ)
私はいます(イエスース・イエホシュア・ヨシュア)
来て下さい(マラン+アファ マラナ・タ)

はシャマイム(天)はアレツ(地)シェオル(黄泉)カイアふぁ(大祭司カヤパ)
ヤー[ヘブライ語] 生きる。ある。存在する。BE動詞。アブラハム・イサク・ヤコブの神。
エリ+ヤー[ヘブライ語] 神は+生きておられる・旧約聖書の預言者の名前。
イサク[ヘブライ語] 笑い(母サラは90歳でイサクを生んだ。思わず笑った。奇跡だ。)ユダヤの族長。
アブ+ラハム[ヘブライ語] 父は+いと高い(父は+神に愛されている、父は+多くある)ユダヤの族長。
アブ+ネル[ヘブライ語] 父は+ともし火(父は+光)旧約聖書の人物。
オール[ヘブライ語] 光 旧約聖書の光と闇を分けた時の光を指す。
イスラ+エル[ヘブライ語] 勝った+天使に(神の使いに勝った)ヤコブの別名。族長のあだ名。
シェマ[ヘブライ語] 名前を呼ぶ・呼びかけ・聞け!聞けやの意味。
シェム+エル[ヘブライ語] 名前は+神(神を呼ぶ)サムエルという旧約聖書の預言者。ダビデに王様即位の油を注いだ。
アダム(人間)は
アダマ(土)から作った。鼻から息(ルッアハ)を入れ生きる者となった。息は命(エバ)。
高望みする人間達は、バベルの塔を作り始めた。神のようになろう。しかし神は
その人間達の言葉を、バラル(混乱)させ、塔を作るのを止めさせた。
104名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:33:45 ID:CeTd8lRF
「ベルゼブル」は本来古いシリヤの神の名であり
「ベエル・ゼブール」すなわち「家(神殿)の主人」の意味であったがイスラエル人は
これを嘲って「バール・ゼブーブ」(蝿の神)と呼び次第に悪魔を指す名として
用いられる ようになったものである。
宗教当局者はイエスをこの「ベルゼブル」すなわち悪魔に取りつかれていると判定した。
神の律法を冒涜する者が どうして神の霊を持つ者であろうか。
彼が奇跡を行うとしても それは悪霊どもの頭が行う奇跡にすぎない、という判定である。
ところがイエスは彼らが「ベルゼブル」という悪魔の名を用いたのを逆手にとって
これをアラム語の「ベエル」(主)とヘブライ語の「ゼブール」(住居)とに分解し
内輪で争う家や国の譬を用いられた。

べエロねー(ベアロンえ): 樫[エロン]_の木々(複数形)_の前(前置詞)
つっハッかー([イ]つっハックあ=イサク): 「笑う」という動詞1人称過去形?名詞化?
105名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:36:31 ID:CeTd8lRF
イサク(イツハーク[笑い])高齢出産で生まれるなんての意味の笑い。
シャーケード(アーモンド)を見ている・神がショーケード(見張っている)エレミヤ1
エリヤ(エリ[神は]ヤ[ヤハウェ])ミツパ(ミツパ[見張り所])
サムエル(シェム[名を・聞く]エル[神と・神に]→神言葉を聞く・預言者)
シメオン(シェマ[耳にする・聞けよ])
イスラエル(イスラエル[神の使いに勝つ])レスリングで天使に勝った。
ヤコブ(ヤコブ[押しのける者])兄エソウを押しのけた。エレミヤ9
ユダ(ヤ[神(ヤハウェ)を]ダ[賛美])ダン(ディン[お裁き])ナフタリ(ニフタル[ついに勝った])
ガド(ガド[何と幸運な])アシェル(アシェル[何と幸せな])イサカル(サカル[報酬])
ゼブルン(ザバル[尊敬])ヨセフ(ヨセフ[男の子を−加える])
ベニヤミン(ベン・オニ[苦しみの子]を改めベニヤミン[幸いの子]という人物)
メルキゼデク(メルキ[王]ゼデク[正義の])マッサ(ご宣託・重荷)
エルサレム(エル[神の]シャレム[平和])アブサロム(アブ[父]シャロム[平和の])
タマル(タマル[ナツメ椰子の木])別名シュロ(棕櫚)の木・祭りでソテツの葉で代用。
アロン・バクト(嘆きの樫の木:アロン[樫]・バクト[嘆きの])樫は別名テレビンの木
ロ・アンミ(ロ[〜でない]アンミ[わが民〜者])ホセア2
アンミ(わが民−なる者)ルハマ(憐れまれる者)イズレエル(イズレ[種を蒔く]エル[神が])
バアル(わが主人: バ[私?]・アル[主人?・所有者?]?)
ヨベルの年(ヨーベル[雄羊の角]で[借金放免の年・徳政令を]知らせる)レビ25

ラビ(ラベ[結びつく])
アブネル(アブ[父は]ネル[光・ともしび])
アブラハム(アブ[父]ラハム[多くの・高められた・愛する])
106名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:42:19 ID:CeTd8lRF
復刻 死海文書 テキストの翻訳と解説 日本聖書学研究所 山本書店¥6200

宗規要覧(1QS)T出所、外観、書体
一九四七年(あるいは四五年)にクムラン洞穴1で最初に発見された
数個の巻物のうちで最も重要な文書の一つである。
V年代
巻物のうちで最も古いとみなされる『聖マルコ・イザヤ書写本』についで
古いことが判定され、その年代は前一00〜五0年と考えられる。
・・・クムラン宗団の設立にまで遡ることが可能である。・・・

宗規要覧(1QS)Y p102−103 
一 彼の故に罪を負わ 二六 ない 一 ようにしなければならない。
また隣人を証人たちの面前で忠告しないで いきなり多数者に訴えてはならない。
二 彼らはどこに寄留していても、隣人とともにいるときはいつも、
一 このように 二 歩まねばならない。
そして仕事や財産に関して、低いものは高いものに服従し、共同で食事し、
三 共同で讃美し、共同で審議しなければならない。
<共同体>の会議に属する者が十人いるところには必ず一人の 四 祭司が 
三 その中にいなければならない。 
四 そして各々その順位に従って彼(祭司)の前に坐り、
こうしてすべての事に関する彼らの議事を審議する。食事のための食卓または 
五 飲むための 四 ぶどう酒を用意したら、
五 最初に祭司が手をさしのべてまずパン(または飲むためのぶどう酒を祝福する。
最初に祭司が手をさしのべて 六 まずパン)とぶどう酒を祝福する。
また十人いる所には、七 互いになすべきことについて 六 日夜 七 絶えず 
六 律法を研究する者がいなければならない。
多数者は一年中毎晩三分の一夜ずつ共同で起きていて(聖)書を朗読し、
おきてを研究し、八 共同で讃美しなければならない。
 以下は多数者の集会に関する規律である。
各々その順位に従って祭司たちが第一に坐り、長老たちが第二に、
そして残りの 九 民すべてが各々その順位に従って坐る。・・・・・・
107名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:44:10 ID:CeTd8lRF
【 キリストが出て来ないグノーシス原典 その1 】
ヘルメス文書 荒井献+柴田有=訳 朝日出版社

ヘルメース・トリスメギストスからタトとの対話
CH]U−ヘルメース・トリスメギストスからタトへ−
普遍的叡知(ヌース)について p314 

13「父よ、他の生き物は言葉(ロゴス)を用いないのですか」。
「子よ、言葉(ロゴス)ではなく、音声を用いるのだ。
しかし、言葉(ロゴス)は音声とはまったく異なる。
言葉(ロゴス)はあらゆる人間にとって共通であるのに、
生き物はそれぞれの種族が自分だけの音声を持っている」。
「しかし父よ、人間の場合にもそれぞれの民族によって
言葉(ロゴス)が異なるのではないですか」。
「子よ、それは異なるが、人間は一つである。
このように言葉(ロゴス)も一つであって、
翻訳されればエジプトもペルシアもギリシアでも同一の言葉が見出される。

子よ、お前はロゴスの効果と偉大さについて無知であるようだ。
至福の神、『善きダイモーン』は、
『霊魂は身体のうちにあり、叡知(ヌース)は霊魂のうちにあり、
ロゴスは叡知(ヌース)のうちにあり、神はこれらの父である』と言った。

14 従って、ロゴスは神の像、神の叡知(ヌース)である。
身体は形(イデア)の像であり、形(イデア)は霊魂の像である。
108名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:45:47 ID:CeTd8lRF
【 キリストが出て来ないグノーシス原典 その2 】
CH]V−ヘルメース・トリスメギストスが山上で子タトに語った秘められた教え−
再生と沈黙の誓いについて p350

7 ・・・
「子よ、無知が第一の懲罰である。第二は悲嘆、第三は無節制、
第四は欲情、第五は不義、第六は貪欲、第七は虚偽、第八は嫉妬、
第九は計略、第十は怒気、第十一は軽率、第十二は悪意であって、
これらは数で十二になる。
子よ、これらの配下にさらに多くの者どもが居り、
内なる人間(アントローポス)を強いて、
身体という牢獄によって感覚的に苦しませている。
しかし以上の懲罰は、神によって憐れまれた人からは、
一挙にではないにせよ離れ去る。
再生の有様と教えとはこのように構成されている。

8 子よ、これ以後は口を閉じ、沈黙しなさい。
そうすれば、神から私たちに及ぶ憐れみは絶えることがないであろう。

子よ、これ以後は喜びなさい。
神の諸力によって清め尽くされ、ロゴスへと結集しなさい。

神の認識(グノーシス)が私たちに訪れた。
子よ、この訪れによって無知は追い払われたのだ。
喜びの認識(グノーシス)が私たちを訪れた。
子よ、この出現のゆえに悲嘆は、
それを包容する人々のもとへと逃れるであろう。
109名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:52:02 ID:CeTd8lRF
霊操(心霊修行)イグナチオ・デ・ロヨラ著
 http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=62&to=70
●トマス格言集(トマスによる福音書)
 http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html
第二旧約聖書 ダニエル書補遺 ベルと竜 知恵の書
 http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=79&to=85
宗規要覧(1QS)Y【 合同信条 】バシレイオス 金口イオアン イグナティオス
 http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=86&to=90
ヘルマスの牧者 【第二のたとえ】【 第十一のいましめ 】 
 http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=91&to=94
【 フィリポによる福音書 】
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=95&to=97
【 マリヤによる福音書 】
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=98&to=99
【 ニコデモ福音書=ピラト行伝 】
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=100&to=101
【 ポリュカルポスの手紙 】【 伝道者の書・コヘレトの言葉(旧約) 】
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=102&to=102
【 聖書の世界(自由国民社) 】
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=103&to=105
【 歴史的うんちく 】
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=106&to=119
110名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:53:48 ID:CeTd8lRF
----------------------------------------------
殺す: 「ラツァハ」「ルツァふ」
聖絶: 「ヘレム」「はレム」
聖_: 「   」「れカデショー」
----------------------------------------------

★申命記5:17【 第六戒 】
ろー ティルツァふ:
な_ あなたは殺す:

★申命記2:34【 殲滅 】
ヴァニるコッド___ エット コる__ アラヴ  
そして私達は占領した を__ すべての 彼の町々 

バエット ハヒー ヴァナはレム____ エット コる イール 
時に__ その_ そして滅ぼし尽くした を__ 全体 町__ 

メティーム ヴェハナシーム ヴェハタフ__ ろー ヒシュアルヌ サリード:
男たち__ と_女たち__ と_子供たちを 私達は残さなかった 生き残りを

★申命記5:12【 第四戒 】
シャモル エット ヨム ハシャバット れカデショー
守れ__ を__ 日_ 安息の___ それを聖別するために

カアシェル ツィヴェはー_ アドナイ エろへーは:
〜とおりに あなたに命じた 主が__ あなたの神:
111名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:56:41 ID:CeTd8lRF
 和光同塵
ΠΡΟΣ ΦΙΛΙΠΠΗΣΙΟΥΣ ×××
2:6 οσ(彼) εν(中に) μορψη(姿・外貌) θεου(神) 
υπαρχων(状態にある・手元にある・出て来る) 
ουχ(でない) αρπαγμον(奪い去って得たもの・獲物そのもの) 
ηγησατο([不過]思う・みなす・導く・統べる) 
το([冠]その) ει-ναι(もし〜ならば-実に・そのうえ) 
ισα(同等の・等しい) θεω(神 −がご覧になる・−の判断)

日本正教会翻訳 新約 フィリッピ書 第二章 
五 蓋 爾等はハリストスイイススの意を以て意とすべし。 
六 彼は神の像にして、神と匹(均)しくなることを僭(ひとごろ)ふとせざりき、
七 然れども己を虚しくして僕の貌(かたち)を受け人と同じき者と為りて、
外形に於て人の如くなり、

古代ギリシアの「僭主政治」の「僭」で「分限を越える・不相応な・名を騙る」の意味
争うのでない 競うのでもない「獲物の分際」なんです正教会解釈は。直訳です。
こ[れ]って間違いかなぁ?

【 私的直訳 】
2:6
 彼は神より出でた姿の中にあって [神が統べる]獲物と見なされず その上に実に神に同等[な方]
フィリピの信徒への手紙2章6節
 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず
 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず
 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで
 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず
7節
 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ
 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず
 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ
112名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 20:57:15 ID:CeTd8lRF
>参考

1.について
それぞれの底本(ギリシア語新約聖書)が異なるために生じた違いです。
口語訳  ネストレ-アーランド(NA)版第21版
新改訳  ネストレ-アーランド(NA)版第24版
新共同訳 聖書協会世界連盟(UBS)版修正第3版

29節〜31節には大きく分けて3つの異読(アパラトゥス)があります。
(1) 兄は「いいえ」と返事するが、行く。弟は「はい」と返事するが、行かない。
  祭司長たちの答は「兄」。(シナイ、エフライム写本等)
(2) (1)と同じだが、祭司長たちの答は「弟」。(ベザ写本等)
(3) 兄は「はい」と返事するが、行かない。弟は「いいえ」と返事するが、行く。
  祭司長たちの答は「弟」。(ヴァチカン、コリデティ写本等)
(NA21,24版は (3) の読みを、UBS修正3版は (1) の読みを本文として採用)

16世紀〜19世紀までは、ほとんどビザンチン型の写本しか知られていなかったため、
(1) の読みに従っています。その後、ヴァチカン写本が知られるようになると、その
重要さの故に、(3) の読みが採られるようになり、20世紀前半は、(3) の読みが支配
的でした。しかし、最近の本文批評は (3) の読みではなく、(1) の読みを採るように
なっています(NAは26版、UBSは3版から共に (1) の読みを本文として採用)。
因に、UBS版には「確かさの度合い」なるものが付されており、当該個所は{C}
「どちらを採用すべきかかなり疑問なもの」の判定が付けられています。

どの読みを採るかは、マタイの救済史観を考察する上で重要な個所かもしれません。
113名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 21:03:16 ID:CeTd8lRF
>>111

彼は神より『出でた姿(神姿)』の中にあって
 『被造物(人間)』と見なされず その上に実に『(人間なのに)神に同等』
114http://www.d6.dion.ne.jp/~hirata5/:2006/03/14(火) 21:07:32 ID:NNOeHXBP
色々な解釈が出てきていいと思います。
115名無しさん@3周年:2006/03/14(火) 21:20:46 ID:CeTd8lRF
神から生まれた
 → 神の子(神の性格)で、人間でない(被造物・獲物でない)
 → 神の姿に、固執しない。(被造物・獲物・けだもの・人間になっている)
その事は(神か、人間か?)
 → 人間で無いので 神と
 → 神で無くなり 人間と
同じ性質。
116カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/15(水) 00:22:21 ID:mU+c3c/+
それはその霊の善さが生成のない神によって、つまり一切の消滅しないものと、
これらの後の生じたものたちの父によって現れでるためであった。
だがその時点でそれらは現れ出るものになっていなかった。さて、消滅しないもの達のあいだに、
多大な違いが存在する。さて彼は叫んだ。
「聞くための耳のある者には聞かせよ。私は目覚める者達に語ろうとしているのだ」
彼はなおもそれに続けた。彼は言った。
「消滅するものから生じている限り、そのものはことごとく消滅するであろう。」
「それらは消滅するものから生じるゆえである」
「消滅しないものから生じているものは、消滅しないのが常であり、消滅しないものとして存在する」
「消滅しないものに由来するゆえである」
「それは人間の群れがこの違いがわからないため、失われてしまっているのと同様である」
「彼らは死んでしまっている」

グノーシスはいいよ。
これらの教えは、案外キリスト教徒より、仏教徒のほうが理解できるのかもしれない。
無論ここでいう仏教徒とは、釈迦の教えを理解する人達のことであり、今の世にある、多くの似非仏教の
教えを理解する人達のことではない。
117カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/15(水) 00:35:53 ID:mU+c3c/+
ところでバカモスキーよ。おまえは前に、自分の聖書の研究は、聖書を書いた人達、編集した人達の
当時の、そのときの心情などに興味があり、それを知りたいためなどという意味のことを言った。
偽りを言うな。おまえは単に聖書を、既存のキリスト教会にケチをつけたいだけだ。
そのことはおまえ自身が一番よく知っている。過去に、おまえと、キリスト教会との間になにがあったのか知らんが、
せっかく聖書とかかわりができたのに、このような負の感情で、聖書に接するおまえはまことに哀れだ。
百歩譲って、聖書を書いた人達、編集した人達の当時の心情を知りたいので、
自分は聖書を研究しているという、おまえの言葉に偽りがなかったとしても、お前達のように、いかにも世俗てきな、唯物論的な解釈
しかできないお前達に、一度はイエスを見捨てた弟子達や、キリスト教徒を迫害する第一人者だったパウロが、
命がけで、いや自分の命を捨ててまで、伝えたかったこと、当時の彼らの心情などわかるものか。

バカモスキーよ、お前は可哀想な人だ。お前にも、聖霊の恵みが現れんことを切に願おう。
118ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/15(水) 01:07:16 ID:lQsv4w2q
いよいよガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ
を身に感じ出したという事だろ...

ペテロの理念化と言う言葉は馬鹿信者は理解できないだろうが
聖書学者は当たり前のことばなんだw
2−3世紀にエレナイオスの主張にそって、正統派教会は少人数
多党派与党を組むわけだけど、その根幹がペテロの理念化ですな
それに対抗したのがグノーシスのマグダラ・マリアっていう事ね
荒井献さんの論文によればそのとおりだw...特にマリア福音書
はそのものずばりです....ただ残念な事にマリア福音書は
6章からかなりの部分が欠損してまして...配偶者のマリアが
イエスから聞いていた言葉(遺言でしょうか)の肝心な部分が
ないんです。残ってるところから推測すると、確かに今のキリスト教会
とは180度違う事を言ったんでしょうね...

こんな話は今の馬鹿信者に何の説話にもならないか、ともかく
今残ってる聖書とキリスト教会は167度位違うんでしょうから...
今残ってる聖書とグノーシスの聖書の違いよりも聖書とキリスト教会の
ドグマの違いの方が甚だしいので、問題はそれのハルカに前のことを
論議しないとアカンのか.....わははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは


キリスト教会に馬鹿を自浄する能力が求められるんだw....わはは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
119カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/15(水) 01:35:24 ID:mU+c3c/+
そういや、ダニエルとか言う奴は、今のキリスト教会は真っ先に裁かれるなんていっていたな。
それは聖書の何処の文言にかかれているって言っていたっけ?

今のキリスト教会が裁かれるというのは、実は俺もそう思ってたりする。
裁かれるのは、今のキリスト教会だけではなく、既存の宗教全てだろうが。
そのなかでも今のキリスト教は、真っ先に裁かれるんだろう。

偽預言者どもは時が来れば、永遠に封印される。
偽預言者とは、既存の宗教全てを指す。ところで最近ダニエル見ないね。あいつの能書き面白かったんだけどな。
もう寝よ。バカモスキーよ。お前のアホ笑いは滑稽だよ。普通に書けよ、バカモスキー。
120カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/15(水) 01:43:55 ID:mU+c3c/+
>>118
寝る前に一言。宗教学者の言う、ペテロの理念化とかいう能書きは、具体的にはどういうことだ?
反論してやっから、具体的に述べてみろ、バカモスキー。

世の中で、宗教学者の唱える能書きほど、くだらない学問はないんだよ、バカモスキー。
彼らの能書きは、糞の役にも立たない、くだらいものだ。

唯物論が真理だと思うなら、他のテーマを研究したほうがはるかに有意義だよ。
121名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 04:56:55 ID:i7WGBlyZ
旧約聖書の「詩篇」の成立は紀元前2世紀から
ペルシャ時代(紀元前6世紀から前4世紀)と推定される。
 ダビデ時代のように詩篇を歌い継ぐのではなく、文字として記録されたのが、
七十人訳ギリシア語・旧約聖書までと推定されているからである。
 AD90年頃の「ヘブライ語聖書の成立」と言うのは「編纂完了の年代」であって、
紀元前1世紀頃の「死海文書」のヘブライ・アラマイ(ヘブル・アラム)語聖書は、
エステル記が未発見な(たぶん書き記しで成立してなかった)以外は、
現在の旧約聖書の如く各編が出来上がっていた。
「死海文書」以前の いつ頃に書かれ始めたかの詳細は不明。

 新約聖書のペトロの1日が千年とか、神学者ヨハネの黙示録の
千年の支配の千年単位のネタは、たぶん紀元前6世紀頃のプラトンの
人間の「人生における賞罰期間が千年」の思想概念が由来と推定される。
→ パイドロス プラトン著 岩波文庫 青601−5 p167

 ほかにプラトン・ネタには、旧約聖書ダニエル(紀元前2世紀)の
金・銀・青銅・鉄&土の巨人に例える王国のように、
プラトンの「金・銀・銅・鉄の理想国」の思想概念が当てはめられる。と推測される。
→ イラスト西洋哲学史 小阪修平著 JICC ¥1860 p78

>マケドニアのアレキサンダーを大王(ホ・メガス・バシレウス)と呼んだ。

ソクラテスの弟子アンティステネスに弟子入りの「犬のディオゲネス」に対する返答で。
→ 古代ギリシアの思想 山川偉也 講談社学術文庫 p364

キュニコス派(ギリシア語の犬の意味のキュオーンから「犬儒者という学派」)の
ディオゲネスの二重構造支配の説明に。
→ 一神教の誕生 加藤隆 講談社現代新書 p266−268

ほか参考に 新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか 加藤隆 大修館書店
と、新約聖書学が加藤隆先生なら、グノーシス思想と新約聖書の比較学は、
荒井献(あらい・ささぐ)先生や大貫隆先生など。
122名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 04:58:24 ID:i7WGBlyZ
【 ギリシア−ヘレニズム(インド・パンジャブ地方も)−ユダヤ 1 】

イオニア自然哲学(アルケー:始元・根源の究明)
 アナクシメネスBC586−525頃は不変を空気(アエール・プネウマ)と考えた。
 ヘブライ人は命を神の息(ルアッハー:プネウマ)と考えた。

 エレアのパルメニデスBC540−470は”在るもの”を真実在と考えた。
 バビロン捕囚後の記述に寄ればヘブライ人は”在るもの”をモーセの見た唯一の神と考えた。

 サモスのピュタゴラスBC580−500はピュタゴラス教団をクロトンで設立し数学・音響学で魂を解明。
 ギリシア系ペリシテに身を寄せたヘブライ人のダビデは音楽(詩篇)で神を讃えた。

 バビロン捕囚はBC586−538。
 ヘレニズム医学ケオスのエラシストラトスは血液循環を研究(プネウマ説)。
 ヘブライ人は血が命と考えた。

BC518−510アケメネス朝ペルシャのパンジャブ地方征服。
BC500−400(前五世紀)マガダ国グプタ朝でゴータマブッタの仏教の始まり。

 ソフィスト(知の教師)470−340頃。
 死海写本のメシア像(義の教師)紀元前後。

プラトンの哲人政治(金・銀・銅−鉄の構成)。
ダニエル書の4つの帝国(金・銀・銅・鉄−土の構成)。
マカベアの祭司王政治。
123名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:01:59 ID:i7WGBlyZ
【 ギリシア−ヘレニズム−ユダヤ 2 】

アテナイのアルコン制(王制に代わる)
 アルコン・バシレウス(ディオニュソスの祭礼)
 アルコン・エポニュモス(都市監督官)
 アルコン・ポレマルコス(軍隊統率者)

ソロンの改革(アルコンの全権委任)
 民会(エクレシア:教会)

東方方言のアッティカ(アテネ・イオニア人)のコイネ・ギリシア語。
 ペロポネソス半島中央高地アルカディア。
 アレクサンダー東方遠征BC327−325。

対話形式の記述の著作。
 プラトン(例えばソクラテスの弁明BC427−347頃−ペロポネソス戦争)
 70人訳ギリシア語旧約聖書(ヨブ記BC285−246頃)
 上座部・部派仏教の仏典(ミリンダ王の問いBC160頃)

女は男にならないと天国に行けないし成仏しない思想。
 トマス福音書(AD64?−135頃 グノーシス異端基督教・マニ教)
 法華経(AD129−150頃 上座部仏教から追放・初期大乗仏教)


古代ユダヤは 神の預言者[サムエル(シェム+エル[呼ぶ+神を])]によって
       ヘブライ王を任命し、初代サウル王・第二代ダビデ王が誕生した。
124名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:17:43 ID:ovuk/vSj
大王(ホ・メガス・バシレウス)ギリシア語→マハー・ラジャ(大・王)ヒンドゥ語

中世ヨーロッパは ローマ教皇[ローマ教区の司教(神父監督)]によって
       ゲルマン人の王(フランク王)を任命し、カール大帝が戴冠即位した。
       後にアウグスブルクの街に帝国議会を置いて選定する侯爵達によって選挙にて
       ドイツ人の王にして神聖ローマ帝国の皇帝が選定され
       ローマ教皇によって戴冠され即位した。

俗人の砲兵隊長あがりのコルシカ人ナポレオン・ボナパルトは
       フランスの市民革命によって ローマ教皇の権威を破壊し
       革命国のフランス皇帝の戴冠を ローマ教皇に行わせて
       武力によって 教会秩序や宗教慣例を破壊して 政教分離を行い
       民法[→商法→刑法]を制定し 教会慣習が絶対とされた 中世時代を終焉させた。
      ※ 憲法や基本法より特別法や下位の法律が問題解釈で優先させる。
       民事契約を犯罪や商売のために活用する事を否定・
       刑法の下位部分が取り締まり方法[訴訟法]や基準[治安維持法]の設定。
       この下位部分を廃案や改定する。外国軍武力により条約や国際宣言で改廃もある。

ギリシアのポリスは、王制に代って アルコン制度(指導者制)を採っており
       ディオニッソス祭礼の神主(バシレウス[神主・長老]:ブドウ酒の神様を祭祀する王の意味)
       都市監督長官(エポニュモス[市長・県知事])
       軍隊統率者(ポレマルコス[幕僚長・県警本部長]→マルス[軍神])の三巨頭政治であった。

しかしソロンの頃のアテネ−ポリス?では民会(エクレーシア・教会・集会)の選挙議決により
      『 全権委任 』を受けて ナチスの総統(フューラー)のような地位を
       ”ソロン”に与えて スパルタやペルシアなどの外事(外交・戦争)に当たった。
125名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:18:26 ID:ovuk/vSj
キリストやクリスチャンは「油(クリス)」という意味の単語から派生しており
コイネーその名を万国共通というコイネー・ギリシャ語の直訳です。

コイネーはペロポネソス半島の東方のアッティカ方言の一種で
インド・ペルシャからエジプト・ローマ・ヒスパニアまでヘレニズム時代の共通語でした。

[アテネのある]ペロポネソス半島の中央部にアルカディア高原があり
『昔、人々はアルカディアに住んでいた』という言い回しがあります。
アルカディアに住むとは、自由の地に住む、自由な暮らしをしていた。
理想の暮らしであった。古きよき時代があった。昔は良かった。の意味です。
ギリシャ人のこの言い回しに対抗して
ユダヤ人は『人類は昔エデンの園である楽園に住んでいた』楽園は天国であった。
神と共に暮らし不自由がなかった。と考えていた。
エデンは豊穣を意味するシュメール語系統の言葉で
周辺が砂漠の死の世界にあって水と果樹の豊かな不自由の無い生きた生活の場を意味した。

コスモ+ポリタンの共通語です。(世界+都市国家[町]の人。
世界の町々に横断的な人。国際人。)現在の国際人の言語はアメリカ英語ですが。

また救い主は「ソーテール」という別のギリシャ単語です。
ではなぜキリストが【救い主】という【意訳】で【直訳】の【油注がれし者】と
違う意味になったかというとキリスト(油注ぎの者)は「ユダヤ王の即位者」と同意義で
ユダヤ王(神の子)はユダヤ人(神の民)を解放する者で
解放者すなわち「救い主」という回りくどい説明になるからです。

>あらゆる生物の最終目標は神様を超えることでいいのでしょうか。

神を超えるとか超えないと言うのではなく。
最終目標は造り主の神様の御身元に行き一緒に代々(よよ=
世代横断的に=永遠)に楽園な暮らしをする。です。
126名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:19:04 ID:ovuk/vSj
‡正教要理(日本ハリストス正教会教団)
p8 聖書と聖伝・・・を
「真理の柱、真理の基礎」(テモフェイ前書3・15)と呼び・・・
み言葉の遺産。

7回の全地公会のみが聖書とならぶ「最終権威」というわけではございません。
正教狭義の源泉は「聖伝」でございます。
そして狭義の源泉としての「聖伝」は具象的なものとして、以下があげられます。
1、聖 書
2、7回の全地公会の教理的決議
3、地方公開の教理的決議
4、「ニケア・コンスタンティノポリス信経」
5、公祈祷、聖体礼儀、や諸祈祷
6、聖師父の著作・規則等
7、教会法
8、イコンや聖歌
以上が全体として教義の源泉になります。また、信仰規範としては
1、信経
2、公会の教理的決議
3、表信書、要理書
127名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:24:43 ID:vCz5Seiy
★古代ギリシアの思想 山川偉也 講談社学術文庫 1200円 p402

ローマ帝国の国教となって以降に起こったキリスト教徒内部での異端審問騒動と、
それに決着をつけるために開かれた全地公会議のようなものを思い浮かべてみよう。
周知のとおり、「ニケア・コンスタンティノープル信経」
(第二回「コンスタンティノープル公会議」、三八一年)が定められるまで、
キリスト教徒か否かを明確に判別する基準は存在しなかったのである。

‡ 正教要理 p77−78 一、洗礼機密 1.啓蒙礼儀

洗礼機密のはじめに行われる啓蒙礼儀は、
人が物質や社会的地位・身分に捕らわれる僕となっている日常生活をすて、
神を知り神の僕となる生活に入る決心を表すものです。
これはハリストスの福音を中心とする生活をはじめる意志の宣言です。
宣言は教会の入口で西に向かって行われます。
・・・・・・西は・・・・・・暗闇の始まり、人生の終り、死を待つ生活を意味します。
このことから東に向き直ることは、自己中心、物質中心の生活を
主の福音に従う生活へきりかえる意志の表明となります。
次いで「主に配合する」との決心の言葉によって
主を中心とする生活の始まりを宣言し、終りに主に向かう生活の信条として
受洗者の信仰告白(ニケヤ信経)が読まれます。
128名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:26:01 ID:vCz5Seiy
→ ドストエフスキー 罪と罰(下)江川卓訳 赤613−7岩波文庫 定価(本体760円+税)

宗教的「罪」は、грех:グリェーフ(グレーフ)と呼ぶ。使い方として
@しかたない損も半々に(責任も半分こに)грех пополам
Aグリェーフを使う、若気の過ち грехй молодости
失敗・間違いの語を使う、若気の過ち ощйбки молодости
B彼を虐めるのは可哀想грех его(彼を)обежить
アビジャ−チ(怒らせる:侮辱する)とあり、このことから、
法律ではなく生活上の罪、[を意味する。そこで]ロシア的な宗教的「罪」の使い方は
「神様を怒らせるような事をしでかした」「どっちの人間にもある過失」
「人生一度は誰もがする失敗」と理解できる。法律を破ったの意味ではない。
慣用句というか、決まった言い方に 人間は皆、罪人です все Люди грещнь?
罪の赦しを神に祈る замолить грех とあり
ロシア文学「罪と罰」で使われる「罪」はПре−ступление:プレ−ストゥプレーニエ
越える−歩む(踏み越えてしまう)という法律上の罪を意味する。
p428 ロシア語を知らないと気がつきようもないが
この長編の題名の一要素である「罪」の原語「プレストゥプレーニエ」
は「越える」を意味する「プレ」という接頭辞(せっとうじ)と
「歩む」を意味する「ストゥパーチ」という動詞の合成語から派生した名詞で
原義は「ふみ越えること」の意味なのである。ロシア語で「罪」をあらわす言葉には、このほかに
主として神の掟を破った罪を意味する「グレーフ」という名詞があるが
「プレストゥプレーニエ」のほうは、人間の定めた掟を「ふみ越えた」罪 つまり、犯罪なのである。
p429 ・・・ソーニャは自分のことを「罪の女」と呼んでいる。
この「罪の女」の原語は、神の掟を破った罪を意味する「グレーフ」
から派生した「グレーシニツァ」である。ということは、神を信ずるソーニャが抱いていた罪意識を
「ふみ越えた」という言葉によって、ラスコーリニコフが強引に自分の罪意識に引き寄せ
彼女を自分の「同類」にしようとしていることを意味するのだろう。
129名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:29:07 ID:vCz5Seiy
聖書が原語で読めたなら
 −−−聖書語学の証しと勧め 大久保史彦 聖書語学同好会

テサロニケ人への手紙第Tの5:17の
17 αδιαλειπτωσ προσευχεσθε.(註:語尾のσは別文字)
アディアレイプトース プロシューケッセ「絶えず」「祈れ」

45 的をはずれると「罪」 p107
神に背を向けた状態
「罪」というのはギリシア語でハマルティアーといいます。
これはもともと「失敗」という意味があり
槍を的に向かって投げるとき的をはずすという意味からきているのだそうです。
新約聖書においては このハマルティアーは明白な罪の行為を指しているのではなく
罪の行為が起こってくるもとの罪の状態を意味し
神という「的」からはずれ、神との正常な関係からはずれた人間の状態
神に背を向けた状態をいうのです。αμαρτια(単数形)ハマルティアー

正教要理 p39 四、罪 
人間が神に与えられた中で最も大切なものは自由です。
他人の意志によらず、束縛を受けず・・・喜びを持つ、・・・
しかし、人間は自由をはき違え悪魔の誘惑に負け
自分の生命を神のみ手にゆだねることを拒み、神の前に罪を犯しました。
・・・。悪は神から来るものではなく罪から生まれるものです。
無限に尊い神にそむいた罪ですから人間は自分の力で罪のつぐないを
することはできません。・・・人間が悪にうち勝つために
救い主ハリストスを遣わすことを・・・されました。

私註※ [新教]神に背を向けた状態・・・。[正教]神にそむいた罪・・・。
130名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:34:23 ID:9hoVfuDk
聖書が原語で読めたなら
 −−−聖書語学の証しと勧め 大久保史彦 聖書語学同好会

14 メシアとキリスト p44−45
メシアということばはふつう「救い主」と訳されていますが、
ヘブル語では「油注がれた者」という意味です。
旧約時代には、王や祭司として神に代わって民を治めるべく任命されるときに、
頭に油を注がれて、その特別の使命を受けた印としたことに由来しています。
ヘブライ語 マーシャハ(動詞)「油を注ぐ」
ヘブライ語 マーシーアハ(名詞)「油注がれた者」(メシア)
ギリシア語 クリーストス(名詞)「油注がれた者」(キリスト)
ギリシア語 クリーオー(動詞)「油を塗る」

私註※ カトリックのサクラメント(秘蹟)での@堅信やA病者の「塗油」の由来か?
正教のミステリオン(機密)では「膏」の字を当てている。@傅膏とA聖膏。

15 アブラハム p46
アブは「父」、ラハムは「多くの者」という意味です。
ほかに、サムエル記U3:3に出てくるアブシャロムは「父は平和」という意味、
サムエル記T14:50に出てくるアブネルは「わが父は光」という意味だそうです。

私註※ 新約に「アッバ、父よ」と呼ぶ霊が、我々の御霊であり。という
アラム語(アラマイ語)「アバ」はヘブライ語(ヘブル語)「アブ」で「父・神父・パパ」
の語彙だと言う事。シャロム(平和)は、イスラエル関係で、よく聞かれる言葉ですよね。
シャローム(こんにちは)は、平和がありますように。だし、
サレムの王は、平和の王であり、頭にエルが付いて、エルサレムと街の名になる。
131名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:35:07 ID:9hoVfuDk
★テルトゥリアヌス(155年ごろ生まれ、190〜195年に改宗し、220年以降に没している)
  百卒長の息子でカルタゴ生まれ。
法律と修辞学を学び、生活語のラテン語のみならずギリシア語に精通していた。
司祭になったが、三位一体を言い出した初めの提唱者であり、
204年ごろからモンタノス派になり、213年に完全に正統教会から離れている。
  彼の慣用句に、
「キリスト教徒は生まれながらにしてキリスト教徒であるのではなく、キリスト教徒になったのである。」
「アテネとエルサレムとに何の関わりがあろうか」
「哲学者はギリシアの弟子だが、キリスト教徒は天国の弟子だ」(以上 護教論) 
  父・子・聖霊
実体[substantia]の統一性[unitas]は三一性[trnitasトリタス]へと 
秩序づけている経綸[オイコノミア]の秘義は守られている。・・・
・・・本質[status]についてではなく、相対的な位置[gradus]についてであり、
実体についてではなく、形相[forma]についてであり、
力[potestas]ではなく、〔それをになう〕具体的存在[species]についてであって、
この三つは一つの実体、一つの本質、一つの力に属している。
なぜなら、神は一つであるが、この神から、父と子と聖霊という名で、
このような相対的な位置、あるいは形相、あるいは具体的な存在が生じると考えられるからである。
(『プラクセアス反論』ニ・4〔土岐正策 訳〕)
132名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:35:57 ID:9hoVfuDk
★オリゲネス(176〜194年に生まれ、
 激しい拷問の後に釈放された250年以降に没する)
 著作に『ルカ福音書講話』『殉教の勧め』など。(『教会史』六・39・5参照)

キリスト教教理史入門 諸信条の成立 アラン・リチャードソン著 日本聖公会出版部 
p42 第2章 二世紀および三世紀 
クレメンスのすぐれた弟子オリゲネスは三世紀のはじめに・・・
彼(オリゲネス)は青年時代にアレキサンドリアにおいて
(異教の)プラトン主義哲学者アンモニオス・サッカスの講義に出席したことがある。
そういうわけで、古代最期の非キリスト教思想家で、
新プラトン主義の創始者プロティノスとも、
この教師(サッカス)のもとで、しばらく学友であったことになる。

○ヨハネ福音書・書簡・黙示録は、パトモス島流刑の使徒ヨハネ(85年〜90年)による執筆。
従来は学者により2世紀の中頃(133−167年代)に書かれたという。
ジョン・ライランズ・パピリという,この福音書の写本(135年と推定)の断片が発見され、
発見されたエジプトの内陸部まで伝わるためには,
少なくとも数十年はかかると考えられるから90年代と推定したのである。
○マルキオン(140年代活躍)は黒海沿岸ポントス・シノペ生まれ、ローマに行った事がある。

 2世紀つまり100年代で、マルキオンのルカとパウロ書簡のみの
聖書(140年代)や、ヨハネ福音書・書簡・黙示録(110〜150年代)が出来た、
グノーシス・キリスト教(異端)が全盛の頃。
133名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:38:55 ID:o6vqRmwG
【 エッセンシャル聖書辞典 いのちのことば社 】
p371 タダイ 〈人名〉マタイやマルコの福音書による十二弟子のリストで,
アルパヨの子ヤコブに続いて出てくる人名(マタ10:3、マコ3:18).
ルカの福音書の並行箇所(6:16)と使1:13では「ヤコブの子ユダ」.
この2人は同一人物.言動の言及は1つだけで,ヨハ14:22の問である.
ヒエロニムスによれば,エデッサの王アブガルスに伝道するために派遣された.

p182 監督 [G]エピスコポス.元来「見張人」の意がある.
パウロはエペソの長老たちを,その群れの監督に立てた(使20:28)
ペテロはイエスについて用いる(Tペテ2:25),
・・・[G]エピスコペーを使っている(Tテモ3:1)
・・・教会を牧{司牧}することであった(使20:28,Tペテ5:2)
・・・2世紀{100年代}にローマで殉教{獣と闘うの刑で刑死}した
アンテオケア{シリア}の監督イグナティオスは,
監督{主教・司教}−長老{司祭・神父}−執事{輔祭・助祭}という
階級制度を確立したといわれる.

p352 セラ 詩編中に71回見られる.語源的には「上げる」の意があるので,
声を休めて楽器の演奏を強める,つまり間奏の入るところとする説と,
伴奏旋律の変化,または音楽的休止を示したものとの2説がある.
後者の場合,簡略化された祝祷ともとれるであろう.
134名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:42:06 ID:dyLxIgnY
【 聖書の世界(自由国民社) 】
旧約聖書ダイジェスト 律法(モーセ五書) モーセ五書の構成 モーセ五書の書名 
旧約の最初の五冊は、ユダヤ教の伝統では、完結した一区分として「トーラー」
(または「モーセのトーラー」)と呼ばれている。これは通常「律法」と訳されているが、
神の「教え」の意味が強い。このトーラーが五分されて、
「ベレシース」(初めに)、「シェモース」(名前)、「ワイクラー」(そして呼ばれた)、
「ベミドバル」(荒野にて)、「デバリーム」(言葉)というそれぞれの書の冒頭(に近い)
の言葉が書名になっている。
「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」という書名は、
旧約のギリシア語訳(七十人訳)のタイトルの翻訳であり、各書の内容を表わす。
トーラーはまた、モーセが書いたという古い伝承によって「モーセ五書」ともいわれるが、
申命記三四・五−八のモーセ自身の死の叙述が示すように、
モーセが書いたという可能性はきわめて少なく、種々の伝承が纏められて、
現在の形をとるようになったと一般に認められている。

創世記 創世記は世界創造から族長ヤコブとヨセフの死までを扱うが、
「原初史」「族長物語」「ヨセフ物語」に大別しうる(前項の表1参照)。
135名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:42:36 ID:dyLxIgnY
【 聖書の世界(自由国民社) 】
旧約聖書ダイジェスト 諸書 諸書の構成と内容 「諸書」の名称 
前二〇〇年頃から一世紀にかけてユダヤ教の会堂にて「律法」
「預言」の書の正典に付加された諸文書が「諸書」である。ヘブル語では「ケスビーム」と称し、
「書かれた(もの)」という意味である。ギリシャ語では「聖 文書」(ハギオ グラファ)である。
宗教的聖歌集、歴史書、知恵の教え、未来の黙示から恋愛歌にわたるさまざまな文学が含まれている。

「諸書」の正典への歩み
詩篇、ヨブ記、箴言、ルツ記、哀歌、歴代志、エズラ記、ネヘミヤ記、
ダニエル書は比較的に初期の時代に公認されていたが、ユダヤ教の律法学者の間で最後まで、
その正典性が争われたのが雅歌、伝道の(コヘレト)書、エステル記である。
これらの文書は、しかしエジプトやシリアの会堂では、それ以前に正典として用いられていたが、
パレスチナでは宗教的真理が隠された文書、つまり外典(アポクリファ)として扱われていた。

聖書の中での「諸書」の順序 ・・・ヘブル語聖書・・・の・・・区別・・・。
T「詩の文書」詩篇、箴言、ヨブ記 
U「五つの巻物」雅歌、ルツ記、哀歌、伝道の書、エステル記
V「預言の書」ダニエル書 
W「歴史の書」エズラ記、ネヘミヤ記、歴代志

ヨブ記 著者と時代 
ヨブ記は序曲、対話篇、終曲という三大部分から構成され、
序曲と終曲の散文はおそらく前一〇〇〇年頃から伝承されていた「ヨブ聖徒物語」が原本である。
・・・ヨブ記の成立時期は用語表現から前五世紀から前三世紀前半と推定される。
成立場所はパレスチナであろう。
136名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:43:25 ID:dyLxIgnY
【 聖書の世界(自由国民社) 】
旧約聖書ダイジェスト 後の預言書 後の預言書の構成 
イザヤ、エレミヤ、エゼキエルの三大預言書とホセア以下の一ニの小預言書は総括して、
「後の預言書」と呼ばれる。「前の預言書」が、実際には、歴史書であるのに対し、
「後の預言書」は古代イスラエル預言者たちのことばをその内容としており、
預言書と呼ばれるに相応しい。

 古代イスラエル預言の特徴 
古代イスラエル預言者(ヘブライ語でnabi’〈nb’「呼ぶ、語る」〉)の主たるつとめは、
将来の出来事の予告にではなく、神ヤハウェの意思の告知にあった。
ヤハウェの意思を民に語るべく、ヤハウェの召命を受けた人物、これが預言者であった。
・・・非日常的な幻聴体験と幻視体験である。
「主(ヤハウェ)のことばが・・・・・・に臨んだ」とか
「主(ヤハウェ)が・・・・・・に語られた」とかいわれる場合が前者であり、
「・・・・・・が見た幻」とか
「主(ヤハウェ)が・・・・・・に示された(=見させた)」と報告される場合が後者である。
もっとも、幻聴や幻視の体験を通して神の意思を知る、
ということ自体は広く見られる宗教現象であって、古代イスラエル預言の特質ではない。
・・・伝統とは、モーセ時代以来の倫理的契約宗教としてのヤハウェ信仰であり、・・・。

 預言書の成立
総じて預言書は、個々の預言者が語ったことばを中心に構成されている。それらが、
預言者自身によってあるいは預言者に親灸[シンキュウ]した者たちによって書き留められ、
編纂され、最終的には預言者の時代から数百年を経て、
捕囚後に、現在のような形にまとめ上げられたのである。・・・とくに、
捕囚後の教団国家の時代、神殿で朗唱される際に改変された部分も少なくない。
しかし各書の中核には、・・・。伝承させた内的原動力はここにあった。
137名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:49:13 ID:Cx3n2h2E
イラスト 西洋哲学史 小阪修平著 JICC出版局 
p122−125 グノーシス主義と新プラトン主義 Hプロティノスと新プラトン主義 

グノーシスとはギリシア語で知識を意味することばだ。
だが、ギリシア哲学における知識が最初は神秘的なものから出発しながら、
だんだんとことばによって真理を伝えるという知識、
語られうるロゴスになっていったのにたいし、
グノーシス主義のめざしたものは神との合一をめざす神秘的な知識であった。
ヨーロッパの合理主義はその祖先である、
オリエントの霊と肉体の直接的な一致をめざす思想に、
つねにゆり動かされる運命をもっているのだ。

しかし、ここでも、ディオニュソス教が哲学のなかにとりこまれていったように、
グノーシス主義の影響をうけた、より合理的な哲学が成立する。
プロティノスを代表者とする新プラトン主義の哲学であった。

●プロティノス、エジプト生まれ(204〜269)新プラトン主義の哲学者。
プロティノスが使った主な概念は、
一者(ト・ヘン)、叡智(ヌース)、質料(ヒューレー)、自然(フユシス)という
ギリシア哲学伝来のものであった。

プロティノスはこの世界に根拠をあたえている神を「一者(ト・ヘン)」とよんだ。
このことばで私たちが思いだすのは、
パルメニデスの「あるもの(存在するもの)」である。
「あるもの」とは、部分をもたない「一つであるもの」であった。
つまり、「一者」とは完全無欠なものに哲学があたえた呼び名なのだ。
プロティノスはまたこの「一者」のことを「根元的な美」だと考えた。
ここでも、プロティノスの哲学はプラトンに近く、
新プラトン主義とはプラトンのうちの神秘的な要求を拡大した哲学であったともいえる。
138名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:50:27 ID:Cx3n2h2E
万物は一者から生まれ、一者へ帰ろうとする。
だが、プラトンの善のイデアが私たちが到達することができないものだったように、
私たちも一者を理解することはできない。ただ近づきうるのみである。
新プラトン主義でも、強烈な現実否定の情熱と神秘主義が結婚している。
かれらの哲学の目的もまた、自己を脱して(エクスタシス)、
この一者と合一することであった。
人が思惟するのも、花が咲くのも、ただ一者に近づくためだとプロティノスは言った。

だが、このように彼方にある「一者」と、
この現実の世界はどのように関係しているのだろうか。
プロティノスは太陽や泉の比喩でこの両者の関係を説明した。
太陽はたえず万物に光をあたえるが、自分はいつも変わらぬ明るさで輝いている。
あるいは、泉はこんこんとわき出るが、涸れてしまうことがない。
プロティノスはこの関係を「流出」と名づけた。
これはたしかにうまい説明であり、
キリスト教の発想や近代の哲学の発想にまでヒントをあたえるものであった。

●流出
A 一者は絶えず私たちの存在に根拠をあたえている。
B しかし、いくら私たちの世界に根拠をあたえつづけても減ることがない。
139名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 05:56:43 ID:Cx3n2h2E
もうひとつのプロティノスの思想の特徴は、
「一者」とこの世界をつなぐヌースという存在を考えたということであった。
ヌースは知性とか叡智とか訳され
理性あるいは精神にあたえられた神秘的な名であった。
ヌースとは神の思惟によって産みだされたイデアの世界と考えるとわかりやすい。
私たちはまたヌースをロゴス[キリスト・神から生まれ信徒の心魂へ]であるとも
聖霊[神から出で信徒の霊息へ]であるとも考えることができる。
新プラトン主義が古代と中世をつなぐ架け橋となったのは、
ギリシア哲学の成果を宗教的なかたちでまとめあげ、
キリスト教に引きわたしたからであった。
そのなかでも、一者 − ヌース − 私たちの魂という世界の三分法は、
キリスト教の三位一体論の成立に大きな影響をあたえたとされている。

●ヨーロッパ哲学史において光は真理のメタファーである。
私たちが太陽を直接見ることはできないように、私たちは直接一者を理解することができない。
太陽の光が散乱して地上を包む光となるように、この世界はヌースによって包まれている。
そして私たちが光を見ることができる器官である眼をもっているように、
私たちの魂の純粋な部分(良心の痛み・善を求める自由選択意志・
神言葉を思い起こす心根)はヌース(神の言葉[キリスト]・神の聖霊)と通じている。

★一者と私たちの世界をつなぐものはヌースである。魂のうちで純粋な部分は、
この神のヌース(叡智)の世界とつながった、いわば下級のヌースなのである。
この経路を逆にたどって、私たちはエクスタシスし(自分を脱げだし)神と合一する。
140名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 06:01:53 ID:x1F8hKlm
【 イエスは父なる神と同一本質か? その[ ] 】

一時、アタナシウス派が破れアレイオス派の時代であったが、
サベリオス派が現れアレイオス派を荒らした。
350年ごろに反サベリオス派のアレイオス派が分裂して、
<非相似>アノモイオス anomoios説(新アレイオス派 非相似説)
<相似本質>ホモイウーシオス homoiousios説(アレイオス派 相似説)ができた。
357年のシルミウムの教会会議の文例は明らかに御子従属説(非相似説)である。
358年のシルミウムでは反対にアンキュラ(現在のトルコ・アンカラ)の
バシレイオス(同質に持って行こうと相似説を出した)が勝っている。
教皇リベリウスが追放で疲れ切っていた時に正統派(バシレイオスが用意した
同質説の文例)に同意したという。

参照: キリスト教史 2教父時代 上智大学中世思想研究所・監修 平凡社ライブラリー

>49 サベリウス異端
>神は、父なる神から子のイエスに変身し地上に現れ、復活・昇天後は聖霊に変化した。
141名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 06:02:31 ID:x1F8hKlm
【 イエスは父なる神と同一本質か? その[ +-1 ] 】

キリスト教教理史入門には、アレイオス派の「ホモ〔イ〕ウシオス」は書いて
ないが、アレイオス非難が書いてある。

三位一体の教理の成立の枠で、
アレクサンドリアの主教付きの執事(ディーコン)であった若年の
アタナシオスは、上司の正当性を擁護するために・・・勇敢な役割を演じ・・・
・・・アレイオス主義に対し・・・たのである。
〔キリストが被造物なる人間である〕アレイオス派の考え方によれば、
〔キリストの〕しょく罪は成り立たない。何となれば、神のみが人類をあがない
うるからである。・・・・アタナシオスの・・・指摘・・・
彼自身(イエス)と神との間に、更なる仲保者を必要とする・・・から、
人類をあがなうことは不可能である。
・・・キリストに対する礼拝は 被造物礼拝であり・・・偶像崇拝になる。
・・・それゆえに、教会が使徒時代から続けてきた
キリストへの礼拝は 第一戒への違犯となる。このようなわけで、議論は
キリストが被造物であるか否かの問題をめぐって交わされたのである。

参照: キリスト教教理史入門 アラン・リチャードソン著 日本聖公会
142名無しさん@3周年:2006/03/15(水) 06:06:44 ID:x1F8hKlm
【 イエスは父なる神と同一本質か? その5 】

>[アリウスとアタナシオスの差]つまり2人なのか、1人なのかということ。
「 i 」の「ある」「ない」の説明は
間違いでしたが、「2」「1」の説明が発見されました。

アリウスの相似説の提唱。
父と子とは、互いに分かつことのできない二つのもの(πραγματα)でありたもう」
〔エピファニオス「異端反駁」におけるカエサリオスに宛てたアリウスの書簡〕。
つまり「二つの本性(φυσειs フュシス)」であり
「父とうりふたつの像(απαραλλακτωs εικων)」であるとされるのである。

アタナシオスの論駁。
ロゴス(神の言葉・イエス−キリスト)が〔父と〕ホモウシオス[同一本質の方]である
との主張は、神はキリストにおいて人性[人類]のうちに入り来たりたまい、
それゆえ彼においてわれわれに真理と不死とが分かち与えられた。
ロゴスは、自らが受け取った肉(σαρξ サルクス)・・・人性[人類]を神化したもうた。
・・・キリスト教の救い〔σωτηρια ソーテーリア〕・・・になる・・・
・・・み言により神化されるとともに、・・・永遠の生命を受け嗣ぐからである・・・

参照: 教理史要綱 ラインホルト・ゼーベルク著 教文館


神から生まれたロゴス[神の言葉]が、肉身を取り人間として表現される(人間キリスト・受肉・籍身)
神から出でた霊は、人にロゴス[神の言葉]を思い起こさせる(聖霊・聖神・霊気)
143カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/15(水) 14:26:05 ID:onZt+514
物質はことごとく消滅するだろう。いかなる被造物も彼らの内に共にある組み合わせであり、
主体性の無いものだからである。それらのものが解消に向かうのはその根源へとである。
個別性、つまり主体性のない被造物は、その始原から、根源へと解消されるのだ。
世の罪とはなにか。罪というものは存在しない。存在するのは、その罪を犯す人。つまりあなた方なのだ。
あなた方が、始原から、根源へと解消されるとき、罪も、根源へと解消されるだろう。
なぜなら、もともとは、無いものなのだからである。

自からの内に、聞く耳のある者には聞かせよ。

あなたがたを惑わすものが、みよ、私はここにいると言い、また、あそこにいると言い、
あなたがたを惑わすだろう。だが、惑わされてはいけない。
人の子がいるのはあなた方の内なのだ。彼を求める者は、彼を見出すだろう。

自分の内に、聞く耳のある者には聞かせよ。
144カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/15(水) 14:26:58 ID:onZt+514
欲望が言った。『私はお前が降るところを見たことが無いのに、今お前が昇るところを見ている。
おまえは私に属しているのに、どうして私を騙すのか』
心魂は答えて欲望に言った。『私はあなたを見た。あなたは私を見たこともないし、知覚したことも無い
私はあなたにとって着物のようであったが、あなたは私を知らなかった』
これらのことを言った後、心魂は大いに喜びつつ、去っていった。

それから心魂は第三の権威、無知と呼ばれる者のところに来た。
その権威が心魂を尋問した。『お前が行こうとしているのはどこへなのか。おまえは悪の内に支配されてきた
裁くな』と心魂に言って。そこで心魂が答えた。『あなたが私を裁くのはなぜなのか
私は裁いたりしたこと無いのに。私は支配したことなにのに、私は支配されてきた。私は知られなかったが、
私のほうは地のものであれ、天のものであれ、全てのものが解消しつつあるときに、それらのものを知っていた』

心魂は第三の権威に打ち勝ったとき、上のほうに去っていった。
そして第四の権威を見た。それらは七つの姿をしていた。第一の姿は闇であり、第二の姿は欲望。
第三のは無知、第四のは死ぬほどの妬みであり、第五は肉の王国であり、
第六は肉の愚かな知恵であり、第七は怒っている人の知恵である。
これらが怒りのもとにある七つの権威なのである。彼らが心魂に『人殺しよ、お前が来るのはどこからなのか
それとも場所に打ち勝ったものよ、お前が行こうとしているのはどこへなのか』


と尋問すると、心魂は答えていった。『私を支配するものは殺された。私を取り囲むものは打ち負かされた
そして私の欲望は終わりを遂げた。また無知は死んだ。世にあって私が解き放たれたのは世からであり、また
範型の内にあって、私が解き放たれたのは、天的な範型からであり、
一時的な忘却の束縛からである。今から私が沈黙の内に獲ようとしているのは、時間の、時機の、そして
永久の安息である』

〜以上、マリアの福音より。
145カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/15(水) 15:09:15 ID:onZt+514
>>118
バカモスキーよ。どうせお前らのトンデモ解釈は、
この後に続くマリアと、ペトロの対立から、俺の引用した箇所の、
七つの権威とは、七つの教会のことを指し、マリアの福音のテーマは、
その後たもとを分けた、ペトロの残した教会と(カトリック)と、グノーシスの対立のことだと、したいんだろう。
肉の知恵に縛られたお前達には、キリスト教の真のテーマは理解不能だからな。
こういうのをアホ解釈という。何度も言うが、キリスト教のテーマは一貫している。
そのテーマが読み取れると、よくわからない聖句の意味も、一本の線でつながれているように
一貫したテーマが語られているということを知るだろう。
お前達の説明では、この箇所ではそう取れるかもしれないが、他の部分では矛盾が出てくる。
それは前にも言った。なんなら俺の引用した箇所の言わんとする、意味を解説してみろ。
たしかに今の教会の教える教義、ドグマは、ここのバカモスキーや、唯物論者達から、馬鹿にされ、
幼稚なものだといわれても仕方が無いだろう。
だがそれは、キリスト教が幼稚なのではなく、今の教会の指導者達が、キリスト教を教えながら、その実、
キリスト教を知らないのである。永遠の命とはなにか、肝心の指導者自体が知らないのだ。

盲人が盲人の手を引いても、二人とも穴に落ちてしまう。

ところで俺が引用したマリアの福音の箇所。
あれは、仏教的なアプローチで読むと、大変興味深いことが書かれていることを知るだろう。
バカモスキーよ、マリアの福音の肝心な部分、あの文書の作者が伝えたかったことは、マリアとペトロの対立、
カトリック教会と、グノーシスの対立の図を表したかったんではなく、もっと別のことなんだよ。
それは聖書全体にもいえる。もちろん聖書にも、当時の教会員たちの政治的な都合で、編集したであろう箇所もあるだろうということは
否定しないが、そんなのは、付録みたいなもので、あれらを書き残した作者の伝えたかったこと、
命を懸けて、命を捨ててまで伝えたかったことは、もっと別のことなんだよ。
146キュロス:2006/03/15(水) 18:56:08 ID:LclFz8//
しかし ココモ博士が キリスト教を批判すると言うことは
キリスト教に 何らかの期待があるのだろうか?

カトリックサンでさえ 聖書学と教義学との間に ある緊張が
生じている事を あの百瀬神父も ある雑誌で述べているんだよ。

一部を引用しておく
「聖書学者達は、しばしば教義学者達が聖書学的な無知から
聖書の中に勝手な教義の読み込みをする いわばイデオロギー
によって聖書を読む と批判する。」「聖書の字句を断片的に
引用することによって、あらかじめ決定された教義の主張の
証明しようと しがちだった。」「それは 既存のドクマ
の主張の為の聖書利用である。」

「逆に教義学者達にとっては、しばしば聖書学者達が 木を見て
森を見ない者のように、言語分析や歴史研究などのなどの細事に
かまけて 神学的な真理を総合的に把握することが出来ずにいる
印象をうける。」「そのくせ聖書学者達が聖書釈義に自分の
主観的な立場を持ち込んでいることに無反省でいる 
と言うことに気付かされる」 
147名無しさん@3周年:2006/03/16(木) 05:11:25 ID:cpc5acmf
ココモスキーのような本文批判のみで至る結論には価値が見出せないだろう
反キリスト関連には面白いだろうけどさ
148名無しさん@3周年:2006/03/16(木) 05:53:38 ID:RSSf2VtP
本文批判の意味を誤解している。
ココモスキーがやっていることを普通本文批判とは言わない。
149名無しさん@3周年:2006/03/16(木) 12:04:22 ID:cpc5acmf
そうか、じゃあ、ココモスキーのはコジツケ批判か
150ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/16(木) 21:55:42 ID:1E3kE7oX
原マルコの研究をしてる聖書学者は少ないんだけどね...
今のマルコ福音書が16/20までの物が多いけど、田川健三氏
は5章位の巻物ではなかったかと言ってる。
例えば1/1
神の子イエス・キリストの福音の初め
なんかはどう見たって、コピースト(写本家)の書き足しだよ
次の1/2−3のイザヤ書(40/3−4)の引用も書きたしだろね
原マルコからマルコ福音書の生成過程が解析できたら、新約聖書
(キリスト教じゃないよ)のドグマ成立の過程が判って来るんでしょうね
151ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/16(木) 22:56:26 ID:1E3kE7oX
キリスト教徒の批判のかわし方ってパターンが決まってるんだね
「木を観て森を観ず」・「重箱の隅を突っつく」・「あいつもイエス
・キリストに帰る」・「あいつは悪魔サタンの側にいる」....
これらは全部他の信者が動揺しない様にと言う意識があるみたい
心配はご無用ですよ...賢い御仁は動揺なんかしないで、はなっから
はっきりと、お前らの事を馬鹿にしてるから、それを知らないのは
お前らだけよ....わははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは

152ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/17(金) 00:24:47 ID:PDlkFGhG
と言ってもキリスト教徒は馬鹿しかおらんから、また周期的に
同じ抗弁を繰り返すんでしょうね...「木を観て森を観ず」
...クリスチャンにこういう印象を持ってる御仁はあまたいると
思うよ....わはははははははははははははははははははははは
分厚い聖書から都合の良い聖句を見つけ出すなんざ、まさにこれだよ
森だって自分の足で何回か歩きまわってたら、おおよそどの程度の大
きさの森で、何処に道があって、何処にどんな木が群生してって覚える
よ....聖書だって同じだろ...何回か読み直したらどんなシナリオ
か判ってくるよね...それをしないのがまさに馬鹿クリスチャンって
いう事だろ......「木を観て森を観ず」は馬鹿クリスチャンの戒め
の言葉だよ...たまたま何処かに生えてる木を観て、いーーーーーーぱい
くだらない妄想を唱え始める...そんなやつばっかりだよ.....

153名無しさん@3周年:2006/03/17(金) 09:26:33 ID:juCaUb58
森で迷子になって、助けを求めている人がいるスレはここですか?
頭が狂いかけているので、誰か早く助けに行ってやってください。
154名無しさん@3周年:2006/03/17(金) 13:45:20 ID:j0svn78Y

      彡ミミミミミ    
カタ     ( ´┏┓`) < パラレリズムに偏執があるのよ
  カタ.__| ̄ ̄ ̄‖)__   ココモ博士の偏執は 怨念だね
   /   | NEC‖/ /|
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
  | キュロス聖句研究室.|/
155名無しさん@3周年:2006/03/17(金) 14:09:28 ID:fD6du5pp
木を見て森を観ず。
まさに、あきらかに形而上のことをテーマにしている聖書を、形而下のことに置き換え、
無理矢理解釈し、悦にはいる、ココモスキーや、おろかな宗教学者らのことだな。

みろよバカモスキー。あまりにぴったりなことを言われて、悔しさに発狂してしまっている。
よっぽど悔しいんだろう。カワイソウニ。

分厚い聖書から都合の良い聖句を見つけ出して勝手な解釈してるのは君らのほうだよ。
聖書を何回読んでもわからない奴はわからず、わかる奴は、数回読んだだけでも理解する。
これは仏典にも言える。そんなものだよ、バカモスキー。

君は聖書を50回以上読んでも、隣人の意味もわかっていなかったではないか(哀)
聖書のいう隣人とは、人類全体のことか?君はどこまで馬鹿なんだ!バカモスキー!
見てて哀れになってくるよ(哀哀哀)
そういやヨハネの10章の意味も、よくわからんとか言っていたな。聖霊の働きのないものなどこんなものだ。
ちゅうか、聖書を50回以上も読みながら、隣人の意味すら理解していなかったことには驚嘆に値する(驚)

木ばかり観ないで、ちゃんと森全体を観ようね。バカモスキー。

これからも無智をさらけだしながら、トンデモ解釈で我々をわらわせてくれたまえ。わっはははははははははは〜。
156キュロス:2006/03/17(金) 21:43:37 ID:ghBoBq7q
>>150
>例えば1/1
>神の子イエス・キリストの福音の初め
>なんかはどう見たって、コピースト(写本家)の書き足しだよ

田川建三著 「マルコ福音書 上巻」 p7 より引用
==========================================================
1節 イエス・キリストに「神の子」を添えている写本がある
(BDLW他)これは明かに後世の写本家の加筆であって、イエス
に神の子という呼称をつけねば承知できなかった後の教会の傾向を
示しているだけである。元来のテクスト(この場合シナイ第一写本
エイレナイオス オリゲネス などの伝える読み 他)は 単に
「イエス・キリスト」である
===============================================================
として 田川氏は その著書のなかんで マルコ1章1節を
>イエス・キリストの福音の初め。
と訳出している。

以前も忠告したけど 何処かのHPが ネタ元なんだろうけど
ネット情報を無批判に信頼するのは 大変危険だし もの笑いの
元だぜ。
157キュロス:2006/03/17(金) 22:17:28 ID:xlNfeoWH
まあ キリスト教のドグマ批判は 次の引用で良いんじゃないか

>つぎのことを 言う人々 すなわち
>「彼が居られなかった時がある」とか
>「生まれられる前には居られなかった」とか
>「彼は無から来られた」などと言う人々や
>つぎのように 断言するする人々 即ち
>「神の御子は(神はと)異なる存在 本質から出た」とか
>「彼は被造物である」とか
>「彼は変化する」
>「彼は変わりやすい」などと言う人々を
>聖なる使徒的な教会は、呪うものである。

それと ドグマ批判ではないが ストラスブールの聖堂にある
目隠しされた女 と 十字架のついた長槍のような物を持った
女の彫像 もかなり凄いよ。
158キュロス:2006/03/17(金) 22:25:54 ID:xlNfeoWH
>>156
まあ 田川氏 の 「マルコ福音書 上巻」に 対して
大貫 隆 氏も「マルコ福音書 上巻」を出し 二人が

論争をしているんだね 残念ながら オレは大貫氏の
その著書は 持っていない。その著書は 絶版だろうから
古本屋で見つけたら 即 買いだね。
159名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 01:02:10 ID:5mJN0Gj7
       ____
      Σ___|
       |@@ 3 < 俺の信念で旧約を読むぜ!
カタ     Σ´`  |
  カタ.__| ̄ ̄ ̄‖)__  
   /   |SONY‖/ /|
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
  |烏の唄基督研究室|/
160キュロス:2006/03/18(土) 09:53:34 ID:pP33UZA4
>>150
>原マルコの研究をしてる聖書学者は少ないんだけどね...
>今のマルコ福音書が16/20までの物が多いけど、田川健三氏
>5章位の巻物ではなかったかと言ってる。

田川 建三著 「原始キリスト教史の一段面 福音書文学の成立」
p11 から一部引用
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
学問的な方法で確認できるのはニ資料説の段階までであって、マルコ
とQ資料以上の古い段階の文書資料など、たとえ有ったとしても(後に
述べるように、これより古い段階ではまとまった文書資料などなかった)
確認できるよすがもないのである。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
161キュロス:2006/03/18(土) 09:59:08 ID:pP33UZA4
ひょっとして ココモ博士の言う 「田川健三氏」
あの「イエスという男」の著者の 田川建三氏とは
別人かな。

まあ 別人なら ココモ博士の言う「田川健三氏」は
ココモ博士と同類の人かな?
162名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 15:24:24 ID:EfmeEYdH
>原マルコの研究をしてる聖書学者は少ないんだけどね...
原マルコ説って100年以上昔に下火になっちゃった説だよね?
原マルコ説にしがみついている学者って誰?
「少ない」でなく、「いない」の間違いじゃない?
163名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 15:35:08 ID:EfmeEYdH
いや、違うみたいだ。
どうやら原マルコ説と呼ばれる学説の内容を勘違いしているらしい。

>5章位の巻物ではなかったかと言ってる。
↑の発言からは、勘違いの可能性大だね。
164ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/18(土) 22:20:46 ID:fdl5IBvJ
原原原..(この間は10〜20人のコピーストが入る).....
原マルコは何処から造り出されたか?
僕の予想だけど10−16/8の半分位が最初のスリップだと思うよ...

何処かの馬鹿教会は自身の擁護の為に聖書学者の文章からも
引用するみたいね....それもサンザン観てきたけど、その
聖書学者の言いたい事とは正反対の読み取りをするから、面白くて
しょうがねえや.....わははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは

165ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/19(日) 00:07:23 ID:4xmlg18w
Qは何処から出てきたか....?
その前にQ資料と言う物があったであろうという事は定説に
なってまんね...馬鹿教会はいまでも「古い」だの「仮説でいい加減な
物だ」だの...その場の言い逃れの揚げ足取りのお得意の護教手法で
あらゆる資料から自分達に都合の良い文章を引用するだろうが、Q資料
と言うものがあった事は何十年来定説になってるよ....自分の教会に
不都合だから「嘘だ嘘だ」っ手言ってるだけなんだけど、...お得意の
手法で誤魔化してるだけだろコイツラ...

それは良いけど、今はそのQ資料を書いた人達がどういう人達なのかが
興味事なんや....それと原マルコ(福音書の最初のスリップは何処に
それに近い物があるか?)が、少なくとも僕の興味だw.....
166名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 01:49:20 ID:8yeryEch
   わ は は は は !!

      彡 ⌒ ミ     
カタ     ( `へ´) < 僕の意見は、笑わねば目立たないんだよな....
  カタ.__| ̄ ̄ ̄‖)__   埋没を避けるためには仕方が無いんや
   /   | FMV ‖/ /|
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
  | . ココモ聖書研究室. |/
167キュロス:2006/03/19(日) 21:26:29 ID:aA1EUhnr
まあ 写本の作業において その文が正確に写されない場合が
ある事は 複数の読みの写本(複数の相違箇所のある写本)が有
ることから 明かだね。つまり写本時に誤りが生じる事が有る
と言うことだ。

そして その誤りが 故意のもの と 不注意によるもの がある。

不注意によるもの の代表的なものには 綴りの書き間違い
重字脱落 重複誤字 朗読の誤り 底本の欠落 等のものがある。

また 故意による誤り の代表的なものには 綴り・文法・スタイル
の修正 新約聖書の並行箇所に合わせる 引用文を手元の本のテキストに
合わせる 行間や欄外の注釈等を挿入 神学的立場のからの修正 等
がある。
168キュロス:2006/03/19(日) 21:39:05 ID:aA1EUhnr
>>167
不注意による誤りで 重字脱落 重複誤字 は同一な綴りや 似た綴り
が 近くに有ると 書き落としや 逆に同じ文を2度書いてしまう事だ

例えば ヨハネ福音書17章13〜16節で 「世(コスモス)」 と言う
単語が頻繁に出てくる 長時間にわたって写本作業をしていると
わけが解らなくなり 文の脱落や 逆の文を2度写してしまう事が有る。

綴りの間違い 朗読の誤り 底本の欠落 は創造がつくよね。
169キュロス:2006/03/19(日) 22:04:00 ID:aA1EUhnr
>>168
重複誤字 ではなく 重複誤写ね。

故意による誤り の 綴り・文法・スタイルの修正は
底本のテキストの誤りを 写本家の考えで 修正したしまう事ね。
これは  写本家の考えが 違っていた場合 正しいものを 間違った
のもにしてしまう 事が有る。

新約聖書の並行箇所に合わせる の例は マルコ1:17 マタイ4:19
ルカ5:10 等の場合に起きる このばあい ルカ5:10が マタイ
マルコ の影響を受けた箇所だと する説が有る。

行間や欄外の注釈等を挿入の例は マタイ5:5の「柔和な人は幸いで
ある」が 例のマタイ5:3に書かれた行間の注 だったのではないか
と言う説が有る。

神学的立場のからの修正の例は 以前書いた マルコ1章1節
の「神の子」の加筆だという説だ。 
170キュロス:2006/03/19(日) 22:11:51 ID:PfQzQVnE
>>169
まあ この辺の話は 田川建三氏の「書物としての新約聖書」に
詳しいけど この本は結構な値段だから 加藤隆氏の本が比較的安価で
手に 入ると思うよ。
171名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 11:29:29 ID:j7ahR6Jz
h発音の抜け。エスパニア語(スペイン語)にも共通。強い母音発音。
エリニカ語(ギリシア語)では気息記号ほか発音記号がある。
ヘブライ語の母音にもマソラ学派(4世紀)からの
ラシ体(アラム−ヘブライ文字)の字体に母音などの記号がつく。
同じ字でも記号のつく位置で、シンとスィンと発音が違ってくる。
アーなのかエなのかも違ってくる。アーレフかエルフなのか。間違いが生じる。

オテル[西]→ホテル[英] オラ[西]→ホラ[ローマ字による間違い読み]

ヘロデ(he 新共同訳)
イロド(i 正教訳)

ヘブライ(he 新共同訳)
エウレイ(e 正教訳)

ゲヘナ(新改訳)
ゲーイナ(グノーシス本に一般では解説が見える
  ゲー「地上・地界→天界(ウラーノ)」と ギリシア語辞典の
  ヘナ「穴(イナ)」の『複合語』 ゲース[複]→ゲー[単] ウラーヌス[複]→ウラーノ[単])
172名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 11:51:17 ID:RvaMkT5L
>>1
オカルト信仰きんもーっ☆
173名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 11:51:27 ID:j7ahR6Jz
イナ(穴・底の意味[ギリシア語])イナンナは、バビロンの女性の死後の世界からの復活の話である。
七曜の話に付随して占星術に解かれる説話・作り話・創作話・物語である。
娼婦に落とされ裸にされ殺され地下界に落とさ地獄に落とされていく話である。

それは装身具類を盗られ、衣服を盗まれ、肉体を盗まれ、心を盗まれ、魂を盗まれ、死ぬのである。
日曜に復活し霊を取り戻し(朝日が昇る生き返った感触、黎明)
月曜に魂を取り戻し
火曜に心を取り戻し(良心の痛みがなくなると殺し合いや戦いができる根性になる)
水曜に肉体を取り戻して生き返り(水曜の断食)
木曜に衣服を取り戻し(木曜の衣食住の祈祷)
金曜に装身具類を取り戻し(金曜に買い物を済ます)
土曜に神に感謝し、安息日の物忌みと神への礼拝を捧げるのである。
バビロンで性奴隷にされたユダヤ人娼婦がヘブライ神話から
バビロン捕囚で合わさったバビロン神話とヘレニズム−ギリシアの哲学が混合した結果の作り話という。

マグダラのマリアと母マリアは淫売でありイズレエル平原(「神が種まく」の平地)であるガリラヤ地方の
マグダラ村はギリシア人秘書−家令やローマ兵士にアラム人行商相手の娼婦の集落だったという。
バビロニアでの話やギリシア人の話を元に、ペルシアのマギという占星術師からミトラ教の話を聞き
死海の海岸の洞穴のエッセネ派クムラン宗団のスーフィーやハシディームの修行に凝った人が
偽りの人(サウロ改めパウロ)を生んだという。

商売が商売のため、母は父が分からない為に、
お前のアッバ(オトサン)はヤー(神様)だから
お前はヤソ(イエスース[ギリシア語]神の子)なんだ
という育て方をしている女性集団だったという。
174名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 11:54:51 ID:j7ahR6Jz
基本的に育ちが育ち親が親のため、イエス−クマノスは美人局的ヤクザである。
メシア(キリスト)はオイルマッサージプレーと思われる。エステの走り。
175名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 11:59:18 ID:j7ahR6Jz
真言宗立川流西船橋派(文観真義曲解宗門)・・・。
176名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 12:00:08 ID:j7ahR6Jz
私的解釈を施してはならない・・・。聖書。
死後さばきがある。聖書。
177名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 12:02:49 ID:9GveQlbK
>>173
スーフィーがイスラーム発祥より以前から存在してたなんて驚きです。
詳しく教えてくださいませんか。
178名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 12:30:42 ID:j7ahR6Jz
スーフィーのような。
 ヨガ行や南伝仏教のような托鉢修行者がアレキサンダー大王以降の
 ヘレニズム70人訳旧約聖書翻訳時代の
 エジプト−アレキサンドリアに居たという説。(エジプト人福音書的な霊媒状態も)

ハシディーム
 敬虔主義・清貧な信仰生活ほどの意味で使用。
179名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 14:19:52 ID:Ba7u7F+b
ダルウィーシュ(イスラムの托鉢僧)も古代イスラエルの恍惚預言者団もともに
古代イスラエル以前に小アジア、シリア、パレスチナなどに存在した恍惚預言の流れを
継承したものと疑う研究者としてはヘルシャーが有名だよ。19世紀後半〜20世紀初頭には
宗教史学派による古代イスラエルの預言の研究が活発化したんだけど、ヘルシャーも
それを代表する学者のひとりだ。残念なのは、第一次世界大戦を境に、カール・バルトを
はじめとする危機神学が台頭し、宗教史学派の研究が終息してしまったことだ。
180名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 15:44:31 ID:ylXM6zwC
イスラームとアレキサンダーで思い出したが、コーランでは
デュ・アル・カーナイン(有角王)の名で神の使徒としてアレキサンダーが登場する。
イスラム圏でもアレクサンダーのアラビヤ語読みのイスカンダルは
わりあい一般的な名前になっている。

聖書ではどんなだったっけ。ダニエル書にちらりと登場していた気もするけど・・・
181悪の連想:2006/03/21(火) 02:46:49 ID:B8pNahiZ
人は悪を滅することはできない
    ↓
    ↓ 人は悪を行う部分を切り離し悪を遠ざけることができると示されるが
    ↓ 心の中の悪(原罪)は切り離すことができず、心の片隅に隔離するのみ。
    ↓ 人は魂の死を選択することができるが、死の結果を得る自由が無い。
    ↓
人は自他の悪を片隅に追いやり、共存していかなければならない。
    ↓
    ↓ 今生の死をもって原罪以外の罪の増加は防ぐことができる。
    ↓ しかし神である主は、殺してはならないと示される。
    ↓
人は罪を滅する術を知っている。
    ↓
    ↓ 人は「真の信仰」を持った唯一の存在を知っている。
    ↓ 人は「存在が道」であることを知っている。
    ↓
人は悪を制御して共存して生きていく者
    ↓
    ↓ 人は悪を求め、神に対し悪を行う力を得ている
182ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/21(火) 23:58:32 ID:shrJjdGv
ずばりQの担い手はエルサレム原始教会ざんす...わははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
こんな事を言ったらまた不都合な教団があまた出てくるんだろうが
それと原マルコのスリップの出所もエルサレムの原始教会ザンスね

教会はその説が学術的に真偽性があるかどうかではなく自分達の
立場がどれだけ危うくなるかで、その真偽性を決めるんでしょ
ヤバケレバまた例によっていろんな資料から強引に引用して嘘だ嘘だ
って言うんですよ...馬鹿教会の十八番ですダ....で古いの
アホだの言うだけよ....わははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
キリスト教会のドグマの1/3位はエルサレムの原始教会にあるよ
これって不愉快だろね....だけどねぇ他に源泉を求めたらもっと
くだらないルーツに行っちゃうんだよね....ツァラトウストラに
源泉を求めたらキリスト教徒は繭を潜めるし、どっかのオッサンだと
いったら文句言うだろうし、聖書とは全く違うと言うとだんまりの
沈黙だし、当時の時代背景だと言うと反発するし、ホンマにコイツラ
何を言っても納得しないだろうから、ホットクカ....わはははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは

要するにその教会だけでしか通用しないドグマだという事ですよ
183名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 00:41:15 ID:SxxpdxZe
   わ は は は は !!   
         
      彡ミミミミミ     
カタ     ( `へ´) < Q資料を悪用してやるぜ!!
  カタ.__| ̄ ̄ ̄‖)__  
   /   | FMV ‖/ /|   
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
  | . ココモ聖書研究室. |/
184名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 11:40:28 ID:wZzWUQyu
>ずばりQの担い手はエルサレム原始教会ざんす...わははははは
>はははははははははははははははははははははははははははははは
>こんな事を言ったらまた不都合な教団があまた出てくるんだろうが
っていうか、もっと精緻な議論がされている。
G・タイセンやB・マックが言う「イエス運動」は、放浪活動のQの担い手と
エルサレム教団を区別する。マックなどはイエス運動を五つのグループに
分けて説明するが。マック流に言えば、イエス運動とキリスト・カルトが
区別されていないココモ流解説は粗雑過ぎて、問題にならない。
185mono ◆HfNWSGfVro :2006/03/22(水) 20:29:43 ID:xsES3SoT
昨日の野球を見てて多くの人は「天網恢恢祖にしてもらさず」って
思ったでしょうね。
この「天網恢恢祖にしてもらさず」言葉のように クサッている時に
慰め、時がきたら悦に浸る、そしてリズムがあって、軽くて、出典を
知らなくとも、口ずさめる聖句ってありますか?

あとですね、大先輩から「そんな仏心を出すからよ」と慰められた
ことがありましてね、その人はオチャメなのでそういう風に言ったと
思うんですね。
仏心、生き仏のように、良い人に例えるもので、社会に認知されて
いるみ言葉或いは教会関係の言葉はありますか?

「天の配剤」はたまに使いますけど。これは創造主を知らない人も、
使っているね。
186ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/22(水) 23:43:59 ID:LGzgcv+2
>>184
>G・タイセンやB・マックが言う「イエス運動」は、放浪活動のQの担い手と
>エルサレム教団を区別する。マックなどはイエス運動を五つのグループに
>分けて説明するが。マック流に言えば、イエス運動とキリスト・カルトが
>区別されていないココモ流解説は粗雑過ぎて、問題にならない。
マックは好きだから読んでるよ...マックはエルサレム原始教会を
キリスト・カルトなんて言ってないぞ...それってまた何処かの馬鹿
教会の駄々込みと違うか?

187ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/22(水) 23:59:19 ID:LGzgcv+2
>>184
>G・タイセンやB・マックが言う「イエス運動」は、放浪活動のQの担い手と
>エルサレム教団を区別する。マックなどはイエス運動を五つのグループに
>分けて説明するが。マック流に言えば、イエス運動とキリスト・カルトが
>区別されていないココモ流解説は粗雑過ぎて、問題にならない。
続き.....
エルサレム原始教会を殆ど理解してナインと違うか、マックの言う
初グループは殆どエルサレム原始教会出身の人達だよ...
それは使徒言行録とも符合する話しだし、マックの説とも符号する
話だろ...キリスト教会にとっては不都合極まりない話だろうけど
...

またキリスト教会が聖書学者の話をどう引用するか実例を知ってしまった
わははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは

今は学者の論文を引用したほうがキリスト教団の馬鹿話にも信憑性が
付くらしいので、ややこしい時代になったw....と言って肝心の
Qそのものは恐らく全く読んでないんだろうけど....わはははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは



188名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 00:11:38 ID:Fk29qzxJ
>>185

>昨日の野球を見てて多くの人は「天網恢恢祖にしてもらさず」って
思ったでしょうね

ピンとこないね。祖は疎だろう。天の網の目は粗いが決して悪人を
逃すことはない という意味だが、どうして昨日の野球と関係がある
のかな?

聖書に関連して人口に膾炙している言葉は「目から鱗(うろこ)が落ちる」
だろう。
ダマスカスへの途上で盲目となったパウロがアナニヤの祈りで鱗のような
ものが落ちて目が見えるようになったと(使徒9章)。これが出典だ。

パウロが
189名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 00:19:06 ID:Ta7bHVZB
「眼から鱗の思想」は、すべて胡散臭い。キリスト教然り、マルクス
然り。

思想とは、多くの人間の生活の中から、長い年月をかけて熟成される
べきもの。「眼から鱗」の思想は、現実界に投げ込んでゆすぶった
場合に、必ず歪が生じ、破綻する。
190ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/23(木) 00:23:48 ID:BfZwMDd9
>>184
ある人の論文を抜粋するね....例によって誰って書くとキリスト教徒
はそれだけを判断材料にするんでね
Q文書はエルサレム原始教会の倫理的勧告のための書である、と見る説
(上述)によれば、Qの背後にエルサレム原始教会とは異なった、固有の
伝承の担い手を想定する必要はない。しかし、Qには、エルサレム原始教会
の特徴と思われる(Tコリント15:3以下)贖罪信仰や、それと結合した
意味の復活信仰がない。とすれば、やはり相対的にではあれ、エルサレム
原始教会とは別グループとすべきであろう。
(こう書いてあると、ここだけキリスト教会は引用するんでしょうね、
だけど、これはこの人がエルサレム原始教会を狭義に捉えてるだけ
であって、僕の様にこの別グループも原始教会の中のセクトの一つ
と捉えれば....)
実際、Qの背後には特定の担い手達がいるというのが、最近のQ研究の
一般的認識である。
しかしながら、Qは地上のイエスの言葉、それも相当に個人的な表白
まで(Q12:49−50)も含んでいるため、その担い手は少なくとも
最初期の中心グループはーイエスの直弟子であったと考えざるを得ない。
これは何もいわゆる「十二人」と同一のグループではなく、それよりも
191ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/23(木) 00:24:44 ID:BfZwMDd9
>>184
続き
(2)二極構造―放浪の預言者的伝道者達と定住の信者集団
そうした不特定多数の直弟子群に属する彼らは、Q10:4以下の
弟子派遣説教やQ9:57−60の弟子志願者に関する伝承にも
明らかなように、家族や職業を放擲した放浪の伝道生活を営んだらしい。
対象はイスラエルの地、即ちいわゆるパレスチナである(パレスチナにも
異邦人が存在したため、異邦人との具体的な接触が想定されてはいる。
しかし、繰り返しになるが、パウロ的な意味での異邦人伝道の視点は
存在しない)。それは要するに、地上のイエス自身が採ったライフスタイル
の継続である。いわばイエスの遺志を保守的に継いだ彼らとしては、
当然の行動形態であったろう。それが彼らの意識にとってはかなりの
自已犠牲と不安を意味したことは、Q12:22−31などに暗示されて
いよう。
しかし、こうした彼らだけがQ文書の担い手ではない。他方で、彼らの
報知を受け入れ、彼らを物質的に支えた定住の賛同者集団があったことは
間違いない(Q10:6−9。G・タイセン『イエス運動の杜会学』参照、
彼の説は原始キリスト教一般ではなく、主にQに妥当する)。そしてその
彼らが、放浪の伝道者達の新しい世代を補給もしたのであろう。
また、Qの文書化も、そうした定住集団の地でなされたと想定される。

192名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 00:44:16 ID:Fk29qzxJ
>>173
>マグダラのマリアと母マリアは淫売でありイズレエル平原(「神が種まく」の平地)であるガリラヤ地方の
マグダラ村はギリシア人秘書−家令やローマ兵士にアラム人行商相手の娼婦の集落だったという。

ナルドの高価な香油でイエスの足をぬぐったのはマグダラのマリアだっけ?
だと、高級娼婦として金持ちだった説と符合するが。

マグダラの街は今はミグドル(マグダラー見張りの塔と同義)村で、当時より
ガリラヤ湖より後退しているが、確かに、皇帝チベリウスが建設させたチベリヤ
に近く、当時はかなりヘレニズム化した街として娼婦説はうなずける。

だが娼婦を普通、賣淫と言い、姦通とは言わない。
当時の彼らの律法では、石打ちの刑は、売淫であったのか、それとも
姦通であったのか、知りたいものです、当時の律法に詳しい方に。
193ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/23(木) 01:22:39 ID:BfZwMDd9
>>192
>ナルドの高価な香油でイエスの足をぬぐったのはマグダラのマリアだっけ?
>だと、高級娼婦として金持ちだった説と符合するが。
ルカ福音書7−8章だけ読むと別人となるんだけど、ヨハネ福音書には
ルカの読者を意識して、関連付ける様に書かれてる。この部分はグノーシス
と正統派(?)教会の最も対立してる部分で、グノーシスではマグダラ・マリア
はイエスの伴侶として筆頭弟子の扱いで書かれてる。ヨハネ福音書の
関連付け文章もグノーシスを意識した2−3世紀の追記分の可能性もある。
どうもマグダラ・マリアさんは正統派教会とグノーシスの価値観の係争に
ネタに担ぎ出されたヒロインなんでしょうか....実際はどんな女性
だったのかは良くわかりませんが....娼婦と言うのは、キリスト教会の
作り事だと思います。

>当時の彼らの律法では、石打ちの刑は、売淫であったのか、それとも
>姦通であったのか、知りたいものです、当時の律法に詳しい方に。
レビ記あたりに詳しく書かれてます。書かれてる罪状は全部姦通です。
売淫については、神殿娼婦の話がいくつも出てきますが、代表的なのは
オナンに嫁いだタマルと言う女性が、オナンの兄もオナンにも先立たれ
レビレート婚の習慣により次の弟に嫁ぐところを弟も失われては困る
と実家に戻されてる間に、神殿娼婦に化けて買春に来たオナンの親父
と***して親父の子(つまりオナンの兄弟)を授かる話があります。
もちろん石打ちの刑などありません。




194名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 09:49:11 ID:gN2wIAAI
┌────────────────┐
│聖書の学び                 │
│(世に対し小さく育つこと).        │
│聖書内世界                 │
│(内に居る時は神に対しての愛=信仰).|
└────────────────┘
  ↓ 世のどんな小さな者にも仕える小ささ
交 ↓ 小さくなった自分と他者との交わりが愛
じ ↓ 小さな者(子供)は無力
わ ↓ 小さな者(子供)は親を求め、必要とする
り ↓ 小さな者は天では大きな者となる
.・ ↓ 白い小石
力 ↓

他者・世・大きな者・小さな者
195名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 11:00:27 ID:Fk29qzxJ
>>193

>娼婦と言うのは、キリスト教会の 作り事だと思います。

キリスト教会では、普通は、聖書に記載通り、一般の姦通として
扱っているようだが。

今、世界的ベストセラーとして、本屋に山積みされている「ダビンチ・
コード」では、イエスの愛した最高の弟子として、最後の晩餐に描かれて
いるヨハネはマグダラのマリアだと言う。なるほど、よく見ると、ヨハネ
の顔が女の顔に見えてくる。レオナルド・ダビンチはグノーシスの系統を
引くシオン修道会派に入っていたかもね。

>レビ記あたりに詳しく書かれてます。書かれてる罪状は全部姦通です。
売淫については、神殿娼婦の話がいくつも出てきますが

私は、イエス在世の「当時」と言っているのだが。
というのは、安息日の規定にしても、「当時」では、許される一日の行動
距離が何百キュピトなどと細かく規制されるようになったというように。

神殿娼婦は、あなたの言う売淫ではなく、地上における女神と交わる
一種の儀式のようなものだったようだ。
ヘロドトスの「歴史」を読むと神殿娼婦の「謂れ」がよく分かる。

蛇足だが、オナンの話は、オナニーの語源になっている。
196名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 11:08:39 ID:hX9DOLI3
>>186
>マックはエルサレム原始教会を
>キリスト・カルトなんて言ってないぞ...
おれもそんなこと言ってないのだが・・・。
どこをどう縦読みすれば・・・(ry

>>187
>エルサレム原始教会を殆ど理解してナインと違うか、マックの言う
>初グループは殆どエルサレム原始教会出身の人達だよ...
全然違うね。
マックによれば、エルサレム・グループはイエス運動の中でも特異な存在であった
可能性が高いと言う。ただ今となっては判断材料が少な過ぎ断定は避けているが。
もしかしてマックの『誰が新約聖書を書いたか』を読んでいないんじゃないの?
197名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 15:23:37 ID:hX9DOLI3
>>194
その引用の続き部分を何故省略するのかな?何か不都合でも(^^

「ということは、Qの伝承圏とは、複数の拠点をもとに巡回する伝道者達を擁する、
相対的に独立した運動圏であったということである。ただし、繰り返すならば、
それは「相対的な」独立であって、Qを全く孤立した共同体のように表象するのは、
事態に即していないことになろう。」(佐藤研「現代聖書講座」第2巻294p)

タイセンの「イエス運動の社会学」も参考のため引用しておくね。

「巡回霊能者と共に、『地域教団』が、すなわち定住の支持者たちの集団があった。
『教団(Gemeinde)』という概念は、誤解を招くかもしれない。なぜならば、
この支持者の集団は、全くユダヤ教の周辺にとどまり、何ら新しい『教会(Kirche)』
をたてることを考えていなかったからである。」(42p)

ココモスキーのエルサレム原始教会説は、やっぱり粗雑にしか見えないんだよなあ。
ちなみに佐藤研先生も馬鹿ばっかりのキリスト教徒の一人だけど、かまわないの? ^^
198名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 15:25:31 ID:hX9DOLI3
>>190-191  の間違えだった(スマソ
199名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 16:32:20 ID:DrVE6bDC
>193
ちょっと気になったんですが、ユダがタマルを遊女と思って関係した話は聖書のなかで肯定的に書かれてるわけではないでしょう。
この話のポイントは売春云々ではなく、
レビラート婚制度の中でそれがタマルに正当に適用されたか否かだと思うのですが。
彼女が殺されなかった理由は、この一連の事件について
「あの女は私よりも正しい。
私が彼女を、わが子シェラに与えなかったことによるものだ」(創38:26)
だったのでは?
ただの売春による妊娠なら殺されていたと思います。
あと、当時は神殿はなかったと思いますし、
神殿娼婦や神殿男娼が聖書の中で正当とされたこともないと思います。
「神殿娼婦が存在していた」ことと、
「神殿娼婦が認められていた」こととは区別されるべきです。
200名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 19:18:31 ID:BBHZdmIa
マタイ福音書
>26:51 そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を
>抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。

マタイ福音書
>26:56b このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった

弟子達は なぜ 最終的にイエスを見捨て 逃げるのに
剣で大祭司達に 剣で切りかかったのでしょうね?

これは 方耳を切り落とす と言うことに意味があるのでは
ないでしょうか。
耳を切り落とす と言うことは 人の話が良く聞けない

つまり イエスの話を 良く聞けない為に イエスを誤解させる
目的で 耳を切り落とした のではないでしょうか。
(預言を成就させる為にかな)

親ローマ的でな ルカ福音書では 耳を直しているのですね。
201mono ◆HfNWSGfVro :2006/03/23(木) 21:36:32 ID:j43Btaku
>>188
韓国側から見ればこの言葉はおかしいですね。
しかし、対アメリカ戦ですとアメリカの都合のいいやり方でゲームを
進め、審判の勘違いジャッジもあったでしょう?そんなハンデに負けず
ニッポンが勝ったから。棚ボタ式に勝った訳じゃないですよね?

聖句は、普段あたりまえに使われる肯定的な言葉を知りたかったんですね。
隣人愛、求めよ〜、門をたたけ〜、等は良い言葉として、一般に認知されて
ますよね。そんな聖句を知りたかったんですよ。
202ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/23(木) 23:39:07 ID:BfZwMDd9
そうか、プロテによる聖書学の引用作戦が始まってるみたいヤネ...
これがコイツラのビジネスだからしょうがないけど、webを覗いてると
いたる所でヤコブやエルサレム原始教会で引っかかってやんの...
教団はどうしてもこれ等を否定した歴史を持つので、どうしてもそこから
自由になれないんダw...エルサレム原始教会がキリスト教の母なる教会で
そこから多くの聖職者が育ち、マタイ教会もそうだろうし、ヨハネ教会も
距離を置きながら一目を置かせただろね、マルコ教会も反発的ながらそうで
しょうね、迫害者パウロの改心を容認したのもここだし、彼に「神の教会」と
言わせしめたほどの教会だw

この教会の宗主ヤコブの著作と思われた書物を「藁の書」と言った何処かの
教団の創始者の頭の中がスカスカだったという事か聖書を全く読んでなかった
と言う事だよ...わははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははは

カトリックのエリート達は早々に自分達の非を認めてるよ....
くだらない事に執り付かれてないw....わははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは


203ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/24(金) 00:11:47 ID:x52ufEuV
聖霊が降る(使徒2/1−)....
馬鹿な教会は聖霊が降るで、聖霊の存在を更に確信として信じるんでしょうね...
でその後を全く読まないから、ますますキリスト教徒になってしまうのか

2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが
  座っていた家中に響いた。
2:3 そして、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ」、一人一人の上
  にとどまった。

聖霊が降ったで勝手な想像をしてはイカンのだけど、どうしてキリスト教徒は
勝手に想像してしまうのでしょう...ルカさんはチャントどういう事なのか
説明してるんだよ、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ」って...
それで理解できなかったら、ルカさんはその後更に詳細に説明してるよ
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話
  しだした。
2:5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が
  住んでいたが、
2:6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が
  話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
2:7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。

204ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/24(金) 00:13:15 ID:x52ufEuV
ここまで読んだら、聖霊の中身が判るだろうに....つまりユダヤの
血筋を引きながら異邦人の地域に住みついた人達(ヘレニスタイ)が
母国のユダヤに戻っていたんですが、ユダヤ教会の引き締めが厳しくて
要するにシキイがたかかったんですな...それがある時期にユダヤ教会の
箍が緩みだして、ヘレニスタイが一斉に母国語で喋りだしたんですな

エルサレムの原始教会はそういう人達がこぞってあつまる場所だった
様ですな...

それをルカ一流の表現で聖霊が降ったと言ったということでっさ...
学者はその後ろを検証してるんでっさ...僕は後ろを想像してるから
学者のいう事がスーと頭に入るんでっさ...馬鹿なキリスト教徒は
聖霊を霊感もどきに考えるから学者のいう事が何の事かさっぱり判らない
んでっさ...要は聖書をチャント読んでるかどうかなんだけどねぇ...
だけど、ここの聖霊を例によってキリスト教団の神話話に引用してたら
全然違う話なんだろね...わはははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは


205名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 02:56:33 ID:G+7/PqEB
       ミミミミ
       (⌒⌒)
       l|l l|l          わ は は は !!
      ドッカーン   
         
      彡 ⌒ 彡  
カタ     ( `■´)  < 僕は、カトリックのエリートが認めてることの一部分を
  カタ.__| ̄ ̄ ̄‖)__   採用し認めています!!
   /   | FMV ‖/ /|   
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
  | . ココモ聖書研究室. |/
206カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/24(金) 10:59:25 ID:ZwmF2vjI
>>204
また、はじまったよーだーなー、バカモスキー。
聖書にはなにも、聖霊という言葉はその箇所だけではなく、他にもたくさん出てくる。
例えば、1コリント12:03だとか、マタイ1:20、マタイ3:11等々、等々、等々、
そのアホ学者の解釈で、聖書に出てくる他の聖霊と、どう整合性がとれるとぴうのだ?バカモスキー。
おまえや、お前が信奉する聖書学者共は、自分の都合のいい箇所を引っ張りだして、
自分の都合のいいように解釈しているだけ。もちろん一部だけを引っ張り出して都合のいい解釈
をしているので、聖書全体から見ると整合性がとれなく、言ってることがめちゃくちゃ。
ノストラダムスのトンデモ解説者と、なんら変わりない。
何でも彼らは、形而上のことをテーマにしている聖書を研究しているのに、形而上的な結論で論文を書いても
まったく評価されず、形而下のこととして論文をまとめなければ、評価されないそうじゃないか。
まさに彼らのやっていることは、木を見て、森を見ず。彼らのアプローチでいくら聖書を研究しようと、
聖書に隠されているテーマは見出さないだろう。まったくもって、馬鹿馬鹿しい話だ。
彼らの聖書研究は、所詮飯の種。それをありがたく頂戴して、得意げに彼らの珍説を語るお前は、
真に滑稽だ。たく・・・・・どこまで馬鹿なんだ!バカモスキー!!!!
長年研究して、聖書に書かれていること、キリスト教をまったく理解しないお前を見てると、哀れになってくるよ。
おまえは聖霊を知らないようなので、ひとつ俺が、ここで聖霊とはなにか、示してみよう。

「あなたがたは、互いに愛し合いなさい」

わかるか?バカモスキー。聖霊に言い逆らうものは、決っしてまことの命を、得ることはなのだよ、バカモスキー。
おまえはみたところ、父や、人の子を誹ってはいるが、聖霊は汚していないようだ。
そこは感心するぞ、バカモスキー。だが残念なことに、同じ兄弟であるはずの者達が、自分達の通う教会の誤った教えを元に、
父や、人の子を褒め称えはするが、聖霊には言い逆らい、汚している。まことに嘆かわしいことだよ、バカモスキー。
207名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 18:51:01 ID:PF4qaAw1
使徒言行録
>2:7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、
>皆ガリラヤの人ではないか。

>>204
>それがある時期にユダヤ教会の
>箍が緩みだして、ヘレニスタイが一斉に母国語で喋りだしたんですな

まあ素直に読めば、「他の国々の言葉で話し始めた」(2:4)のは
「ヘレニスタイ」ではなく「ガリラヤの人」のようだが?


208名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 09:52:47 ID:0wP9lvUR
アンテオキア(アラム・ヘレニスト・ローマ兵)
ダマスカス(アラム)
ガリラヤ(アラムとユダヤ人の連合)
サマリア(アッシリアに強姦混血のユダヤ人: ユダヤの敵とされた)
ユダ・エルサレム(ユダヤ・ローマ兵)
ペリシテ・ガザ地区(ギリシア人・ヘレニスト・ローマ兵)
209名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 09:58:12 ID:0wP9lvUR
ローマ兵は、ローマ人の将軍や官僚と
現地人のローマ装備軍装の現地人(ユダヤ人でローマ兵の服装)がいた。

パウロは出身地の現在のトルコで
小アジアというギリシア人地域のユダヤ人富豪の子で
ローマ市民の資格を金で買った。名目上はローマ人で血筋としてユダヤ人。
ギリシア語を使う事で文化的にギリシア人で、宗教儀式や価値基準がユダヤ教。
もしサウロ改めパウロが兵隊を志せばローマ兵であったと思われる。
ユダヤ人ローマ兵である。

アラム[アラマイ]は、現在のシリア人の先祖。

サマリアは、今のイラクのクルド人地区のアッシリア人との混血。
現在のクルドに、キリスト教異端や古い分派に、ユダヤ人は多いという。
210名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 10:00:59 ID:0wP9lvUR
たしか、小アジアのタルソスという
ギリシア人都市(ポリス)の生まれ育ちで
都市タルソスのユダヤ人は
ギリシアの反乱とローマ併合の戦争や合戦でローマ人の将軍に従って
兵卒や兵員として従軍し功績を上げていたので
名誉的に金を納めると
ローマ市民として市民権という身分を買い取る事が出来たと言う。
211名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 10:03:03 ID:0wP9lvUR
時代背景としてね。。。
212名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 10:08:31 ID:0wP9lvUR
金持ちの在日朝鮮人ですよ。

アメリカ永住権を持ち。
ハワイで拳銃を使え、日本で帰化人として猟銃を持ち
韓国で朝鮮人金持ちとして、韓国人売春婦を妾とし数十人を食わせ
日本の大学の理事やアメリカの工場の株主役員をしている。
生活言語は韓国語だが
日本にいるので、官公庁や商売では日本語をしゃべり
韓国では朝鮮語をしゃべり、アメリカで英語で経営をこなす。
そんな感じです。

日本の政治家や実業化が劣って見えるし
日本女性を日本人金持ちや政治家が助けないで
在日や帰化人の金持ちにレイプや監禁SM殺人しても
日本人警察が逮捕しないような
日本での貴族的扱いを
庶民派の共産党や社民党や民主党が支えている。
って感じですよ。

私は大和民族の和魂漢才・和魂洋才の日雇い生活者ですが。
213名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 10:21:33 ID:0wP9lvUR
公明党に創価学会で、でも扱き下ろしを受けている下っ端の学会員が
まじめに働いているのは耐えられない感じですよね。
私はガカイの悪戯や扱き下ろしを受けているけど、会社や働き場を与えられて
食って行けている。
デーサクの良い部分も悪い部分も影響を受けている。

旧社会党系統は最悪で偽善者で弱いもの虐めをしながら弱い者の味方と
イケシャーシャとしている。あの姿勢が赦せない。
拉致被害者に対し弱いもの虐めをし朝鮮様とお調子を取る
あの姿勢が赦せない。
あれで日本人なんだそうです。
戦前のように刑務所にいれ拷問でなく絶滅収容すべきですよね。
あーゆー人を助けないのに食わせないのに
助けているし食わせているから感謝しろ。と故のない崇めさせ方をする
事実に反する暗示かけで尊敬を得たいバッカどもを。

聖書解釈バチカンやオックスフォードやルーテルはと違うコジツケでおかしいし
正平協(カトリック正義と平和の協議会)の加害者擁護と同じですよ。

拉致は無い。北朝鮮は正しい。
強制収容所や人体実験に獣姦ビデオは民族学校に無い。
など事実に反する弁護するバッカ達は。
戦前に拷問死刑だったのは当たり前のフザケタ主義主張の連中です。
214カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/25(土) 10:49:13 ID:nrR5Hrh9
>町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、
>その人のもとにとどまりなさい。 その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。
>家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。
>もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。
>あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、
>その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。
〜マタイ10:11〜10:14

彼の言葉に聞く耳を持つものは、神に属する者達だ。
彼らは命を得るだろう。滅びに属する者たちは、決して彼の言葉を聞こうとしない。
サタンとは何者かも知らずに。彼らは自分自身を殺してしまっている。

彼の言葉を受け入れない者ガいれば、彼らの証として、足の裏の埃を払い落とし、
彼らの元から去ってやれ。そこに留まる事は無い。平和はあなたがたに帰ってくる。
215名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 11:37:33 ID:7XYd6qjt
エネルギーは、高(有)→低(無)への流れ(状態の変化)から取り出される。
流れは存在する物の時間を表す。われわれの感じられる「原理」だ。
これの原理を、実体の捕らえられない精神にあてはめると、「真理」となる。
216カラスなぜ泣くの:2006/03/25(土) 11:42:04 ID:Xfe75std
>>その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。

主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
人はこうして生きる者となった。
(創世記2―7)

塵とは人間(の肉体)の象徴。

神の御使い=天使は、一応、地球人に福音=救済預言を与えるが、地球人が救済にふさわしくない、と判断したなら、
人間(地球人)を振り払い、捨てて去ってしまう。
217カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/25(土) 12:13:11 ID:nrR5Hrh9
獣は被造物だ。塵から造られたものは塵にかえるだろう。
我々の体も、なんら獣と変わらない。獣は同じく被造物に過ぎない、他の被造物を食べ、
被造物であるこの体を生かす。そして、塵にかえるのだ。彼らはこのように死んでいるものを食べ、
死んでいる自分の体を生かす。そして彼らは、生きながらにして、死んでしまっている。
だが生きているものは、生きている肉を食べ、生きている血を飲む。そして彼らは生きるだろう。

創世記〜3:13〜3:14
>主なる神は女に向かって言われた。 「何ということをしたのか。」 女は答えた。 
>「蛇がだましたので、食べてしまいました。」 主なる神は、蛇に向かって言われた。 
>「このようなことをしたお前は あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で 呪われるものとなった。 
>お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。

善と悪とに別けた知恵は、生涯地を這い、塵を食らう。
誰が知るか、人の子は天に上げられ、獣は地に下るかを。塵から生まれたものは、塵に帰るのだ。

218名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 12:14:56 ID:7XYd6qjt
          ┌←聖・神・有・陽
        信/      
        /         
     仰/            
     /               
   正──正しい愛 ─────→邪
   正←─邪悪な愛──────邪 
                     /
                    / 仰
                  / 信
                 / の
      悪・偶・無・陰←┘負   



 /
正←─【交わり・エネルギー・富】──→邪
                        / 



 /
正←─【富める者・キリスト(者)】──→邪
                        / 
219名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 12:31:40 ID:7XYd6qjt
          ┌←聖・神・有・陽
        信/    ↓  
        /     ↓ ↓ ←───────普遍の愛   
     仰/              認
     /               \不
   正──正しい愛 ─────→邪
   正←─邪悪な愛──────邪 
220名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 12:50:10 ID:7XYd6qjt
創世記3-6にあてはめると


         ┌←聖・神・有・陽
        /      
      /         
     /           不信
  ア/               \    エ
  ダ──正しい愛 ─────→邪   バ
  ム←─邪悪な愛──────邪 
                     /
                    / 仰
                  / 信
                 / の
      悪・偶・無・陰←┘負  
221名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 13:08:26 ID:7XYd6qjt
創世記3-6〜13にあてはめると


         ┌←聖・神・有・陽
        /      
       /         
     /              不信
  ア/                 \    エ
  ダ──  主    ─────→邪   バ ←蛇の関与
  ム←─  神    ──────邪 
                     /
                    / 
                  / 
                 / 
      悪・偶・無・陰←┘

☆元々エデンでのアダムに神への愛と信仰があったのだろうか?
  神を愛するとはどういうことか?自覚があったと言えるのだろうか。
  エデンでの交わりは特別だろう。
  アダムは、エバに対しては己の如く愛したことは理解できる。
222カラスなぜ泣くの:2006/03/25(土) 19:08:48 ID:YTW+M+KN
>>お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。

お前(蛇=サタン)は地上を這いまわり、塵(人間の肉体)を食らう。

しかし、イエスを信じ、イエスの教えに従った者だけは、イエス(天使)によって救われ、
サタンの餌食から逃れて、永遠の命を得られる、
はずだったとさ、
とかなんとかいっちゃって。
223カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/25(土) 22:30:06 ID:lJStCLqX
足の埃に対して。
>>216
>塵とは人間(の肉体)の象徴。

この解は正解だ。埃=塵=肉体。

”彼らの証として”、足の裏の埃を振り払えとは、智慧のある者なら、
マルコにある、この記述の意味を、すぐに理解するだろう。

が、>>222の解釈はいただけない。すこしピントがずれている。

てか、2chは駄目だな。餓鬼が多すぎる。
かと言って、ここは人が一番見ているところだと思うので、まだみぬ兄弟と
めぐり合えればと思い書いてるが、豚に真珠を投げているだけか。
224シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/03/25(土) 23:55:30 ID:Xx6JyMou

すべてのことは、父からわたしに任されています。
父のほかに子を知るものはなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知るものはいません。

(マタイ11-27)
225名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 02:12:41 ID:UxRs7KfM
このスレッドは「聖句の解釈」についてだが、根拠は類推、憶測によるもので、一つとして確たるものはない。多くの聖書学者についても同様である。と言うも、すべて類推に過ぎない。

聖句の解釈は聖句に拠ることが正しい。聖句で説明しよう。

「私は口を開いて、譬えを語り、いにしえからの<なぞ>を語ろう」詩78:2
具体的にはモーセ五書の聖句の<なぞ>を解きあj化す明かすということだ。
たとえば、エホバ神はなぜカインの供え物を顧みず、アベルの供物を嘉したか?
イサクは跡継ぎとしてエソウを選ばず、エソウの権をいなご豆で奪い、また
父をだましたヤコブを選んだのか?
ヤコブは跡継ぎに長兄ルベンを選ばず、ヨセフを選んだか?

これらの<なぞ>の答えは「主は彼らの国のすべてのういごを撃ち、彼らの凡ての力の始め(長兄)を撃たれた」詩105:36
つまり、神は人間における「力の始め」(長兄)を撃ち、懲らしめる ということである。
ちなみに、ヘブル書に、「アベルはカインよりもまさったいけにえをささげたから」(11:4)と記しているが、これは誤りであり、ヘブル書記者は聖書を知らない。
(なお、私は、パウロを含めての書簡類は聖書とは認めていない) 続く





226名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 02:56:20 ID:UxRs7KfM
(続き)
この詩篇78:2については、イエスはこれを正当として認めている。
マタ13:34〜35

イエスはまた、ヨハ5:46で語る「モーセは私について書いたのである」と。
つまりモーセ五書はイエスについて書いたものと解釈すべきものなのだ。
例えば、イスラエル民族がエジプトから呼び出されたのは、エジプトに避難していたイエスが呼び出されたことの予兆であり、
シナイ半島で彼らが40年の試練を受けたのは、イエスが荒野で40日の試練を受けたこと、そしてサタンに試みられたことの予兆であり、
モーセの挙げた銅がねの蛇はイエスの予兆であることをイエスは語っている。

そしてイエスは言う
「私の言葉は<霊>であり<いのち>である」と。ヨハ6:63
つまり、イエスの言葉は
「すべて、譬えによらないでは何事も語らなかった」マタ13:34
「私の言葉は霊である。」ヨハ6:63

聖句つまり「聖なる言葉」はすべて「譬え」であり、「霊(的意味)」であるということなのだ。
であるから、マタ24章の終末論も凡て、譬えであり、地球が潰れることではない。

だから詩篇も言う「いにしえからの<なぞ>を語る」と。つまりモーセ五書の記述は「譬えでありなぞ」(暗く玄妙という訳もある)であると。
従って、創世記も譬え話であり、カインはカインという教会族の行動としての
信仰を意味し、アベルはアベルという教会を意味し、信仰のみでなく、「隣への愛」という捧げ物をしたというわけだ。


227ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/26(日) 03:22:56 ID:qVoaiYH9
>>226
>イエスはまた、ヨハ5:46で語る「モーセは私について書いたのである」と。
>つまりモーセ五書はイエスについて書いたものと解釈すべきものなのだ。
>例えば、イスラエル民族がエジプトから呼び出されたのは、エジプトに避難していたイエスが呼び出されたことの予兆であり、
>シナイ半島で彼らが40年の試練を受けたのは、イエスが荒野で40日の試練を受けたこと、そしてサタンに試みられたことの予兆であり、
>モーセの挙げた銅がねの蛇はイエスの予兆であることをイエスは語っている。
読んでて腹の底から笑い出すのが、こういうアホのくだり....わはははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははは

「モーセは私について書いたのである」と言うヨハネ教会(共同体)の解釈
だって、何回言っても理解しようとしない...そもそも、モーセがモーセ
五書を書いたと言うのが、その当時の人達の誤解で、モーセがヘブライ語で
聖書を書くはずもないし、モーセの様に民族の出エジプトをなしとげる勇猛な
指導者が、モーセ五書の様な複雑な伝承を多重に入り込めた(多くの神学者
達がいく様にも検討と討議を繰り返して少しずつ文章を進めた)文章を
書くはずが無いんだよ....
本当のモーセさんは何語を喋ってたのか調べてごらん...当時の福音書の
編者がどれだけ頼りなかったか判るよ....わははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは

228ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/26(日) 03:32:17 ID:qVoaiYH9
>>225
>たとえば、エホバ神はなぜカインの供え物を顧みず、アベルの供物を嘉したか?
>イサクは跡継ぎとしてエソウを選ばず、エソウの権をいなご豆で奪い、また
>父をだましたヤコブを選んだのか?
>ヤコブは跡継ぎに長兄ルベンを選ばず、ヨセフを選んだか?
そもそもエホバなどと言う馬鹿しか言わない事を言い出すのが
アホな連中のどうしようもない妄想の結果だw...
僕はこのユダヤ教の神様の御名を知ってますが、教えていただいた
方への約束で、発音が判る文字にはしない事にしてます。
つまりこの言葉を口にするのはご法度なんです。旧約聖書には
この言葉を口にしたが為に処刑された記事もあります。それをアホ教会
はエホバ・エホバの繰り返しだろ....(本当はヤ**が近いざんす)
お前ら、当時のユダヤへ行ったら一斉に石を投げつけられて皆殺しだよ
判ってるんかよ....馬鹿どもが....
229ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/26(日) 03:55:32 ID:qVoaiYH9
>>225 >>226
モーセ五書はモーセが書いたというのは、イエスの時期には
その様に思われていたと言うか、今の馬鹿教会と同じで、ユダヤ教の
お題目みたいに言ってたんだろうと思いますが、モーセ自身の言葉が
反映されてるのではなかろうかと言われてるのは、モーセ五書の中の
1/1000位だと思います。というより、モーセの10戒のなかの
4−5位が、モーセ一行がシナイ契約として伝承した物だろうと
思います。それをモーセが喋っていた言葉からBC8−9頃に
新たにできたヘブライ語に直して....いか省略......
230名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 13:33:46 ID:PttovHw7
出エジプト 新改訳
>34:28 モーセはそこに、四十日四十夜、主とともにいた。
>彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、彼は石の
>板に契約のことば、十のことばを書きしるした。

同箇所 フランシスコ会訳
>34:28 モーセはヤーウェとともに、四十日四十夜そこにいたが、パンも
>食べず、水も飲まなかった。かれは板にうえに契約のことば、
>十のことばを書きしるした。

まあ 普通はこの箇所の 「十のことば」「石の板に契約のことば」とは
十戒 のことを指す とされている。
つまり 十戒は当初は 短い物だったと考えられている。

具体的には 出エジプト20:13〜15の 三つの戒めだったらしい。
231名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 13:39:10 ID:PttovHw7
出エジプト 新共同
>34:28 モーセは主と共に四十日四十夜、そこにとどまった。
>彼はパンも食べず、水も飲まなかった。
>そして、十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記した。

同箇所 口語訳
>34:28 モーセは主と共に、四十日四十夜、そこにいたが、パンも食べず、
>水も飲まなかった。そして彼は契約の言葉、十誡を板の上に書いた。

文語訳
>34:28 彼はエホバとともに四十日四十夜其処に居りしが食物を食わず水
>をも飲ざりきエホバその契約の詞なる十誡をかの板の上に書したまえり。

新共同が 「十のことば」と訳さずに「十の戒め」と訳しているのは
文語訳からの 伝統を守ったのですね。

フランシスコ会訳と新改訳が 「十のことば」と訳出して

新共同・口語訳が 「十の戒め」「十誡」と訳出しているは
興味深いね。
232ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/26(日) 13:53:54 ID:qVoaiYH9
>>225
>たとえば、エホバ神はなぜカインの供え物を顧みず、アベルの供物を
>嘉したか?
この疑問については何千年もの歴史の中でどれだけの人が考えたか判らない
と思うけど、何処かの教団の様に適当な注釈をしてそれが唯一正しい
注釈だと言ってる馬鹿な教団もあまたあるのが現実なんだw...
それで馬鹿な信者はたまに真面目な文献に接すると、自分達の教会の
愚かさや、そんな教団の信者を何年もやってた事に恐怖心を持つんだよ...
それでそういうオゾマシイ事から逃げ出さんとして、そのての文献や解説
や書き込みから回避しだすんだよ...僕はそんな連中をあまた見てるw...
233キュロス:2006/03/26(日) 14:21:22 ID:PttovHw7
感覚の優れた人は 気付いたと 思うけど

文語訳では エホバが契約の詞を石板に書いた と言っているのね。
>エホバその契約の詞なる十誡をかの板の上に書したまえり。

新改訳では 「そして」以下の「彼」が モーセ のことを指すのか
主 のことを指すのか 両方に解釈できる様に訳出している。

新共同では 「そして」以下の「彼」を省略して
十戒を 書いたのは モーセだ と決め付けている ように
読める。

ここだけを見ると 新共同は聖書に 伝統的な教義 を読みこんでいる
ように見える。 ますます旧約は新改訳が 良いように思えてきたよ。

新共同は 中途半端 のような気がする。
まあ 素人判断だけどね。
234ヨシュアン:2006/03/26(日) 14:40:02 ID:s7A5P4Bj
旧約とは、神がモーセを仲介者として、イスラエル人と結んだ契約。
新約とは、神がイエスを仲介者として、全人類と結ぶ契約。

モーセは自分についてきたイスラエル人しか救わなかった。
その者達も結局シナイの荒野で野たれ死。
しかし、イエスは「私を信じて私の指示に従った者には永遠の命を与える」と約束。

旧い契約とは、神が新しい契約を準備する為に、その過程において仕方なく一時的に結んだ契約。
新しい契約ができたなら、旧い契約は無効になり、破棄された。
その無効になった旧い契約にいつまでも固執しているのがユダヤ人。
聖書におけるイスラエル人とはユダヤ人にあらず。

旧約聖書の後継が新約聖書。
モーセの後継者はヨシュア。
ヨシュアはイエス(ギリシャ名)のヘブライ名であり、ヨシュアとイエスは同じ名前。

モーセ五書の後継はヨシュア記。
約束の地(カナン)を奪回したのはヨシュア。
主がアブラハム(の子孫)に与える、と約束した土地を悪魔崇拝者(バアル信仰)から奪回し、
約束の地に主の王国、イスラエル王国を確立したのはヨシュア。
このヨシュア記自体が、イエスが地上に主の王国を確立することの、予兆、予型、雛型。
235ヨシュアン:2006/03/26(日) 14:44:11 ID:s7A5P4Bj
>「すべて、譬えによらないでは何事も語らなかった」マタ13:34

聖書は全て譬え、象徴、暗喩によって書かれてある。
これは、旧約聖書も、歴史書と呼ばれているモーセ五書もヨシュア記も含め、聖書全てに渡ってあてはまる。
つまり、モーセ五書もヨシュア記も、「ユダヤ人の過去の歴史物語」という形式をとって創作された象徴預言。
史実にあらず。
これらの記述を史実だと思っていることこそ誤解。
この固定観念に縛られているから、聖書の真意を理解できない。
原理主義者とは、譬え、象徴を理解できない者。

従って、ヨシュア=イエス、
約束の地=地球、
ヨシュアによって聖絶されたカナン人=イエスによって聖絶されるべき愚者、半豚人=悪魔崇拝している現地球人。

となる。
つまり、モーセ五書とヨシュア記によって、神の計画=イエスによってこの地球に神の国が確立される、
という過程は、一度、全て告知されている。
モーセ五書とヨシュア記で、一旦ストーリーは完結している。
この基礎の上に聖書、ヘブライ系預言が組み立てられている。

この基本構造が理解できなければ聖書は理解できない。
236名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 15:54:34 ID:c+C+twXW
ヨシュアンって
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1141457634/80-n
のヨシュア=イエス?
237名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 15:55:42 ID:hTn/gWc6
>>233
27節から通して読めよ。
238名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 19:19:12 ID:SaoDUTrP
なるほど 27節から読むとしよう

文語訳 27〜28節
>斯(かくて)てエホバ、モーセに言いたまいけるは汝是等(これら)の言葉
>を書きしるせ我是等の言葉をもって汝とイスラエルと契約をむすべばなり
>彼はエホバとともに四十日四十夜其処に居りしが食物を食わず水
>をも飲ざりきエホバその契約の詞なる十誡をかの板の上に書したまえり。

口語訳
>また主はモーセに言われた、「これらの言葉を書きしるしなさい。
>わたしはこれらの言葉に基いて、あなたおよびイスラエルと契約を
>結んだからである」。
>モーセは主と共に、四十日四十夜、そこにいたが、パンも食べず、
>水も飲まなかった。そして彼は契約の言葉、十誡を板の上に書いた。

新共同
>主はモーセに言われた。「これらの言葉を書き記しなさい。わたしは、
>これらの言葉に基づいてあなたと、またイスラエルと契約を結ぶ。」
>モーセは主と共に四十日四十夜、そこにとどまった。彼はパンも食べず、
>水も飲まなかった。そして、十の戒めからなる契約の言葉を板に
>書き記した。
239名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 19:19:58 ID:SaoDUTrP
新改訳
>主はモーセに仰せられた。「これらのことばを書きしるせ。わたしは
>これらのことばによって、あなたと、またイスラエルと契約を結んだ
>のである。」
>モーセはそこに、四十日四十夜、主とともにいた。彼はパンも食べず、
>水も飲まなかった。そして、彼は石の板に契約のことば、十のことば
>を書きしるした。

フランシスコ会訳
>ヤーウェはモーセに言われた、「これらのことばを書きしるせ。
>わたしはこれらのことばに元づいて、わたしはおまえ及びイスラエルと
>契約を結んだからである。」と
>モーセはヤーウェとともに、四十日四十夜そこにいたが、パンも
>食べず、水も飲まなかった。かれは板にうえに契約のことば、
>十のことばを書きしるした。
240名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 06:33:11 ID:vmAM1cy1
霊(プネウマ・スピリット・良心の痛み・自由意志選択力・善悪判断)
魂(プシュケ・ソウル・感情)
身体(ソーマ・ボディ・血肉・骨肉 →肉[サルクス・ミート] )

★三位一体
父神: 霊(神性)魂(神性)体(神性)
子神: 霊(神性ロゴスが人性の霊気に)魂(神性ロゴスが人性の心魂に)体(神性ロゴスが人性のサルクス[肉体]に)
聖霊: 霊(神性・人間にロゴスを思い起こさせる力)

人間: 霊(人性)魂(人性)体(人性)
動物: _(なし)魂(人性)体(人性)

ヨシュア[ヘブライ語]=イースス[ギリシア語] 私は生きている。私はいる存在する。
メシア[ヘブライ語]=キリスト[ギリシア語] 油を塗られし、油を注がれし者。

創造主: 父神から「子が生まれ」「霊が出でる」
被造物: 天使・人間(預言者・祭司・教師・長老・弟子・使徒・一般人ほか)

父なる神(アルケー・根源)
 ↓ 生まれる・出でる
子なる神・神の霊(聖霊)
 ↓ コロサイ書?
天地創造
 ↓ 人間を創造
受肉(聖霊が父神より出で、
   神のロゴス[言葉]が聖霊により人間母マリアから人間肉体を取って生まれる)
 ↓
十字架(原罪をあがなう)・黄泉降下(過去に亡くなった人間へ福音を布教)・
 復活(永遠の命)・昇天(霊の体がある・完全な肉体を着る・栄光の王国へ)
 ↓ 聖霊降臨
教会が誕生(聖職者伝承と継承)
241名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 06:34:05 ID:vmAM1cy1
★罪
 原罪(宗教的罪・グレーフ[ロシア語]・シン[英語]
    誰でも起こす犯罪で無い失敗[人生1度はする失敗]・
    完璧な善神に対し恥ずかしい失敗[道徳的的外れ])
 犯罪(法律的罪・プレストプレーニェ[ロシア語]・クライム[英語]
    ルールー違反・度を越した失敗・法律を破った乗り越えた悪事)
原罪 → 十字架であがなった。聖餐と聖塗油・堅信・洗礼のサクラメント[聖典礼]を受け罪が消える。
犯罪 → ざんげ告白・ゆるしのサクラメント[聖典礼]で罪を認め反省し指導に基づきつぐなう。
★審判 罪の報いは死
私審判: 死後に個人的に生前の罪に基づき裁きを受ける。ハデス(黄泉)に眠るかパラディソ(天国)で楽園生活。
公審判: 人類としての全体裁判。第2の死(ジオ タナトス)のゲヘナ(地界の穴淵)タルタロス(地界牢獄)が
     永遠の命を受け霊の体で完全な体でウーラヌス(天界)に生きるか。
★福音(ゴスペル・エヴァンゲリオン)
戦勝報告(生き残った喜び、永遠の+命[アイオナス+ゾーエー]を得た喜び、
     罪の報いの死を乗り越えた喜び)・
良い+知らせ(エウ+アンゲリエ[知らせ→ 知らせビト・み使い・アンゲル・エンジェル])
★愛
 愛(善[アガソス]・アガペー・アガペセイス)
 義(真[アレティア]・正義・ディカイオン・ディカイオシュネ)
 佳い(美・よい・カローン)
神を愛する → 礼拝する。神を賛美する。
人を愛する → お互い生きられるように助け合う。施し。
        人への義の為に教え戒め励ます有益な聖書を学ぶ。隣人愛。
242名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 06:35:58 ID:vmAM1cy1
★礼拝は神への挨拶・神の呼吸・
 安息日(復活記念曜日)に一週の邪念に染まった罪の心から
 礼拝で得る神の息によって、人間のあるべき正気を取り戻す。

息(プネウマ・霊)
風(プネウマ・聖霊の息吹[いぶき]・命を与える息吹・
  聖霊降臨[ペンテコステ]に聖霊が降る。この時期に
  緑が映え若葉新芽の生命の息吹が満ちる。
  バラの花が咲く。マリアを思い起こす月。
  ジューンブライド[六月の花嫁]、結婚式の季節。)

舌(グロッサ・聖霊の炎の形・異言[人間と異なる天使の言葉・神のロゴス])
聖霊の交わり・聖徒の交わり(神の言葉の聖書を読みあい交わす)

光(フォース・フォトス・神の栄光・聖書にある人が正しくある光)
影(イコン・天国を見る窓、天国に行く予兆の像(かたち)・来るべき者の影)

★★★ インターネット家庭礼拝 ★★★
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1119050981&st=220&to=236&nofirst=true
243名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 09:34:34 ID:+HZ312Nz
     「人」を愛する (愛には、正しい愛と悪い愛がある)
      ↓           
大きい者〜小さい者 (人には、大きい者と小さい者がある)
         ↓
       小さい者への愛→「神」を愛すること

@聖書に示される、小さい者大きい者が他者に対し発揮する引力と斥力とその効果
244名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 17:53:45 ID:i2TR7DFy
幼い: 硬い食べ物を食べられない・思慮分別がない。

あなた方は、この道に入って間もない分けでもなく、信仰が
未熟でないのだから、幼くないのだから: 死者の洗礼や・・・学びなおす事無く。

居留民: エジプトで居留民だったのだから。

朝鮮半島の日本人を虐殺 75万人 居留民保護 日本軍
日本列島の朝鮮人を虐殺 231人 居留民保護 アメリカ軍
245mono ◆HfNWSGfVro :2006/03/27(月) 19:50:33 ID:4YLIoHcH
>>232 
べつに、ちっともオゾマシクないですよ。パウロは律法の義については
非のうちどころのない者(フィリピ3;6)だったけど ダマスコ途上で
イエスの声を聞き、十字架以外に救いはない(ガラテヤ2;15〜)と言って
いるでしょう。で、信仰によって救われることになるんだけど、その信仰が
ヨレヨレで良い行いもできない者には、神の自由な選びは福音なんですよ。
乱暴に簡単に言っちゃうとですね。
246名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 09:49:47 ID:17eAK+8H
悪い愛 と 【正しい愛】
          ↓
  【無償の愛 と 有償の愛】

@「有償の愛」は明確だが、無償の愛との境界は不明瞭。
☆無を求めることは闇の属性が伴うと考える。
247名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 18:40:38 ID:6llv2CgO
神は人を選びます。『召命』と言って士師・預言者を遣わします。
 旧約です。(律法・諸書・預言書)
人の目には神の光はまぶしく姿が見えません。神の子が使わされました。
 ヨハネやパウロが書いています。(使徒書簡)
時が満ちていないと起こらないし、祈りではダメな事があります。
 イエスの言行録にあります。(福音書)
ざんげ告白があり、加害は償わなければいけません。日本が謝罪や賠償した話はありますが
韓国が謝罪や賠償をした話を聞きません。ベトナム戦争で、朝鮮戦争で。
 ベトナムは韓国ではないです。戦争で韓国は負けました。賠償してません。
 中国韓国は日本ではないです。戦争で日本は負けました。賠償しました。
カトリックの正平協はいったい何者ですか。
 韓国人の拉致でも日本人の拉致でも、在日朝鮮人や北朝鮮人に謝罪と賠償を求めませんよね。
韓国大統領を狙撃した拳銃は、大阪の警察官の拳銃で在日朝鮮人がパクチョンヒ大統領を撃ったものでした。
 日本の社会党や民社党や共産党は、韓国を非難したのです。
どこに正義と平和があるんですか?
 カトリックに出入りの在日朝鮮人や韓国人の日本旅行者に聞きたい。
君らはクリスチャンなのか。本当なのか。懺悔があるのか。
 良心の痛みのないものは霊がない人間でギリシア哲学
定義ではケダモノであり処分対象です。
248名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 18:43:42 ID:6llv2CgO
【 人生の基準(古代ギリシア哲学で) 】
不正←→正または 偽←→真 事実と言葉が一致して良い 悪←→善 行いが見返りに関係なく良い 醜←→美 見てくれ良い
 真善美(哲学) → 正美愛(プラトーン著 クリトーン[とソークラテースの会話]対話Z章)
 正・不正(プラトン) → 真・偽(哲学) → 利益・損(創価教育)
翻訳の差 大学書林:良き友(対話[章)→岩波文庫:親愛なる友 
     原典:ベルティステ:アガソスの比較級→良き→親愛
     原典:Διαディア(対話]U章の直前)→翻訳:ゼウス
善:アガソーン 正:ディカイオーン 美:カローン
 無償の良 慈善 善:アガソス 
 無償の愛:アガペー 母子の愛、授乳の愛[出世払いというウバ的考えもあるが]
 全能:[H]シャッダイ・女性の胸 [G]パントクラトール(何でも屋・よろずや)
 有償の愛:エロス(男女の愛、あげたら貰う愛)
 良い麦(カローンの麦・美しい麦?)←→毒麦(醜い麦?)
「ερωΣ」、最後のシグマ、字体がない問題は全部を大文字にすれば一気に解決でつヽ(´ー`)ノ
 アガペー(神の愛) ΑΓΑΠΗ
 フィリア(兄弟愛) ΦΙΛΙΑ
 エロース(性的な愛) ΕΡΩΣ
 ストルゲ(親子の愛) ΣΤΟΡΓΗ
なんだか、大文字の方がギリシャ語っぽいでつねヽ(´ー`)ノ
 【 ギリシア思想系譜 】
ソクラテス→弟子1・プラトン→ アリストテレス→アレキサンダー大王→
ソクラテス→弟子2・アンティステネス→ ディオゲネス→アレキサンダー大王→
 アレキサンダー大王→エジプト・プトレマイオス朝(70人訳ギリシア語旧約聖書)
  →プトレマイオス朝(70人訳旧約聖書・旧約ダニエル書)→新約聖書ギリシア語著者達
249名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 23:28:10 ID:bJhuqsyh
前漢−武帝−天子−劉一族
 (淮=ワイ=[シ歳]=いにしえの辰人の邑(古辰国)・
  貊=バク=今は亡き本当に野蛮な朝鮮異民族の邑(故真蕃朝鮮故国)を滅ぼし
  玄菟郡高句驪県・楽浪郡朝鮮県・楽浪郡帯方県・楽浪郡楽都県などの郡県設置)
西晋−楽浪郡太守−劉茂
 (三国志−魏書−鮮卑烏桓東夷伝−韓条
  楽浪郡遂城県〜楽浪郡海冥県[続漢書(後漢書)]・帯方郡新南県[晋書]
  楽浪郡屯有県の崎離営を攻めた、韓王(加羅王)を僭称する
  韓侯の臣智[辰国(臣国=辰韓)荷知(日=智という韓国王)]を滅ぼす)
六朝−南朝−宋国−劉裕が太祖の国
 (楽浪郡亡命漢人−王仁?の上奏文により
  倭の武王[継体天皇?応神天皇?]を倭国の王に冊封し
  都督・六国諸軍事−安東将軍(海北95国[任那]将軍)に除目)
李唐−楽浪郡遠征−劉将軍(新羅討伐遠征し、新羅城を包囲中に背後の旧百済に倭軍上陸)
 (遠征軍主力は高句麗を滅ぼす。分遣隊の蘇将軍は百済を滅ぼす。)
  劉: 大きい鎌(鎌田)
  鎌: 小さい鎌
藤原鎌足(楽浪郡フジ県−鉄原→藤原・鎌より大きい劉の足下に→鎌足
  白村江で降伏し赦され帰国)
中大兄皇子(那下の大江、楽浪郡楽都県=弁楽奴国(弁辰地域の倭人[辰]が
  混在しない弁人だけ国)=那国=羅州
  羅州の下向(那下)=下羅(くだラ[久多良])=百済・百済の大江=白村江)
下羅=くだラ・あるしラ・洛[楽]で都(奴[那・な・羅(羅州:ナじゅ)]=弁人)
  みまな[任那]おこし[上]タリあがた[多利県] 起きる=あがる[上がる]
  みまな[任那]あるし[下]タリあがた[多利県] 外へ或る=さがる[下がる]
白村江(錦江・帯水[アリ水・漢江])の
  熊津(くまなり・駒也?=公州=大田[てジョン])が百済の都邑(とユウ:奴熊)
250ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/29(水) 00:07:46 ID:rqy3brps
馬鹿信者が、何処そこの文献にはこの様に書いてあるって言っても
奴等の聖書の読み方を見てれば、まともに受け止める人はおらんダロ
奴等は自己を正当化するために読んでるんだから、人の文章なんて
如何様にも読めるもんな....僕の名前でプロテの先生の文献を
載せたら「大雑把に過ぎる」だし、カトの聖職者の文献を載せたら
「異端者の発言」だし....わはははははははははははははははは
こいつら、結局文献なんか読む能力無いっていう事さ....
自分等の無様を隠す為に、著名な先生の名前を掲げて、自分達に
都合よく引用してるだけさ....わはははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは

251名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 01:04:17 ID:F631sxmq
子に乳を与えることは無償でなく、その子自体が、宝・財産であるから。
生きている子は、その時も将来も何某かの反応をするのだ。

宝石やカネなどに愛を注ぐことは、かなりの無償愛だろう。
何が富で何が不正の富かが見えてきた。
252名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 01:18:43 ID:F631sxmq
   聖

善  十  悪   
   
   邪


   ─

│  十  │
   
   ─
253184 :2006/03/29(水) 01:20:55 ID:dgVHTZw/
>僕の名前でプロテの先生の文献を載せたら「大雑把に過ぎる」
何か勘違いしてないか?
君の名前で載せられた研究者(佐藤研・立教大学教授)の解説(>>190-191)が
大雑把だなんて言っていないぞ。
それともまさか、あの解説がココモ説と同じとでも言うのか?!!!
254184:2006/03/29(水) 01:25:38 ID:dgVHTZw/
文献を読む能力が無いのは一体どっちだよ・・・。

自分の無様さを隠すために著名な先生の文献を自分に都合よく引用して
馬鹿笑いしているのは一体どっちだよ・・・。
255名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 19:35:32 ID:Lt6dHEXZ
>>227
>「モーセは私について書いたのである」と言うヨハネ教会(共同体)の解釈
だって、何回言っても理解しようとしない...

ヨハネ共同体が解釈したなどと言う根拠を提示しなければ、きみの論は空虚にすぎない。このスレッドは「聖句」を認めての議論なんだ。
福音書が、それぞれの教団の解釈を記述したものとすることは、すでにイエスをキリストとするキリスト教としての聖書研究を逸脱するものであって、単なる古文書研究の道楽に過ぎない。

聖書の解釈は、2000年来血を血で洗うほどの、死を賭しての論争に耐えての厳しい試練を経てきたものであって、昨今の人目を引くための新奇な異説
をたて、また過去に圧殺されたグノーシス思想を引っ張りだすなど、まともな宗教学者、神学者は相手にしないところだ。

イエスのことばの機知とその真理性は、到底、当時の弟子たちを含め、学者と言えども述べ得るものではない。多くのイエスのことばは、神の子しか語り得
ない偉大さを持っている。ヨハネ教団の、またマタイ教団の捏造した言葉であれば、多くの識者はとっくに福音書を捨て去り、キリスト教は存在していない
だろう。

イエスの言葉をイエスの言葉として信じることのできないものは、「聖句」
であるという前提としての土俵を無視するもので、別の土俵で議論すべき
だろう。








256キュロス:2006/03/29(水) 19:40:24 ID:Mn1t00Ng
>>255
で アンタは その聖書の箇所を どのように解釈するのかな?
257キュロス:2006/03/29(水) 19:47:55 ID:uVrbbvDL
>「モーセは私について書いたのである」と言うヨハネ教会(共同体)の解釈
>だって、何回言っても理解しようとしない...

ヨハネ教会の イエス理解 が重要なのであって
モーセ五書を 何時 何処で 誰が 書いたか と言うことを
ヨハネ福音書の記述達に 教えたって全く無意味なんだよ。
258名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 20:30:34 ID:Lt6dHEXZ
>>227
>モーセがモーセ 五書を書いたと言うのが、その当時の人達の誤解で、モーセがヘブライ語で
聖書を書くはずもないし

モーセが書いたということは内容を書いた、あるいは口述したということで
あって、言語は筆写ある意いは復原した人間の問題の表現の問題だよ。
モーセも創世記などはヤシャルの書、あるいは、エホバの戦いの書に拠った
ものだろう。
どちらも、モーセ以前の書であって、詩篇が書かれた時代まで残っていたよ
うだ。

なお、エホバはエホビ、ヤハウエ、ヤーヴェ等々と訳されるが、ヘブル文字
には母音がないので、伝承によるほかはないが、伝承もバビロン捕囚により
途絶えてしまった。
日本語訳では、エホバを主と訳しているが、聖なる書を恣意によって改竄する
もので、黙示のヨハネが言うごとく、いのちの樹からの取り分を失う者となる。

実に理解できない聖句がでてくる。 「主は主のーーー」などと。
その点、新改訳だけは、エホバを太い文字で「主」と印刷して区別している
のは、やや良心的といえるだろう。日本語聖書としては、敗戦後8年にして
口語訳聖書ができ、エホバを主と改悪してしまった。

エホバは神の名であり、旧約では、真理を表す神としての場合、「神」と記し
愛を表す神として記述の場合「エホバ」を用いたようである。
祭司資料とか、伝承資料とかで使い分けと考えるのは、創世記人間創造の記述
が2種あるための、苦しい憶測に過ぎない。


259キュロス:2006/03/29(水) 20:42:33 ID:o5dYACzC
あーあ 情けないことに 

ココモ博士は ものの見事に釣れるんだろうな。

さあ ココモ博士さん 出番ですよ
260名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 20:55:13 ID:Lt6dHEXZ
>>256
>で アンタは その聖書の箇所を どのように解釈するのかな?

コスモくんは、その箇所を「ヨハネ教団の偽作」と解釈し、
私は「イエスが語った言葉」と解釈してるのが分からない
のかな?

261名無しさん@3周年:2006/03/30(木) 01:16:49 ID:0SIJVKzQ
        ___
       _皿皿皿_        
カタ      ( ´ω` ) < 僕はココモの土俵にいます!
  カタ.__| ̄ ̄ ̄‖)__  
   /   |SOTE‖/ /|
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
  |.名無し基督信仰者.|/
262キュロス:2006/03/30(木) 21:00:50 ID:a4oQ3gOh
ヨハネ福音書
>17:14 わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。
>わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。

ヨハネ福音書では 世 が否定的・敵対的に描かれている。
これを グノーシス主義 や 善悪二元論 で説明する人も
いるようだ。
ケーゼンマン氏が「イエス最後の意志 ヨハネ福音書とグノーシス主義」
新教出版 で ヨハネ福音書の集団は グノーシス主義化しつつある
と主張している と大貫隆氏が紹介している 大貫氏はそれを否定してる
けどね。 まあ オレはケーゼンマン氏のその本を 読んでいないので

ヨハネ福音書の集団が グノーシス主義化しつつあると言う説ではなく
旧約の預言書から なぜ ヨハネ福音書の集団が 世 を否定的に
描くかを 考えてみたい。
263mono ◆HfNWSGfVro :2006/03/30(木) 21:19:22 ID:L01/SPUe
夢見たものは一つの愛 願ったものは一つの幸福
それらはすべてここにあると それらはすべてここにあると

立原道造は、病の時にこの詩を書いたらしいんですが
祈らなかったんのでしょうか。イエス或いは仏、神社などに。

祈りの方法は教えてもらった記憶はないけれど、大祭司の祈り
(ヨハネ17)を読んでいると、ゆだねるという意味がわかりますね。
ほんと ゆだねるという行為は人の力だけではできないものだな
と思いますね。
「苦しい時の神頼み」って本当にできるのかな?わたしだったら
あれこれ考え、あちこち行ってどうどう巡りしそうだ。
264キュロス:2006/03/30(木) 21:23:27 ID:AORrvPzj
>>262
ヨハネ福音書
>1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
>1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。

ヨハネ福音書の結論 或いは 結論に至る鍵は 冒頭の部分にあると
思う. そこでだ この箇所が 最初に登場する 世 である。

この箇所で 重要だと思われるのは「世は言を認めなかった」だと思う。
つまり 「世は言を認めなかった」から 世 が 否定的・敵対的に
なる と主張しているのではないのかな。

そこで 旧約預言書の中に 世が 神の思い に従がわないから 世が
否定的・敵対的になる と言う箇所が ある。
また パウロが その書簡の中で その様な事を主張している。
265キュロス:2006/03/30(木) 21:39:29 ID:5rorYv3D
>>264
ホセア 新改訳
>4:1 イスラエル人よ。主のことばを聞け。
>主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、
>誠実がなく、神を知ることもないからだ。
>4:2 ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、
>流血に流血が続いている。
>4:3 それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、
>空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる。

4章3節は 世界のことで ヨハネ福音書的表現をすれば
世 だろうね。

それで この箇所では 神の選民イスラエルの子らが 神の教え
に従がわないゆえに 世界・世 が否定的・敵対的になる
と 主張している。
だとすれば イスラエルが 神の教えに従がえば 世界・世 は
本来の状態に戻り 肯定的・平和的になる と言うことかな。
266キュロス:2006/03/30(木) 21:49:16 ID:5rorYv3D
>>265 まあ このあたりが あのパウロに代表されるの強烈な
選民意識を 理解する一つの ヒントなんだろうね。

とうぜん マタイやヨハネ福音書の集団にも その選民意識は
色濃くあるけどね。

神の創造した 世界・世 の平和・自由の為に 神がイスラエルを選び
トーラ を授けた。そしてその トーラ は選民イスラエルにだけ与え
られ 世・世界の 平和・自由は 神の選民イスラエルの 心がけ一つ
に掛かっている という強烈な使命感なんだね。
267名無しさん@3周年:2006/03/30(木) 21:51:54 ID:pX3Bx9CP
おいおい、ケーゼンマンじゃないだろ。

ケーゼマン
268キュロス:2006/03/30(木) 22:04:01 ID:37+JnnAc
>>265
エレミヤ
>12:4 いつまで、この地は喪に服し、すべての畑の青草は枯れているの
>でしょうか。そこに住む者たちの悪のために、家畜も鳥も取り去られて
>います。人々は、「彼は私たちの最期を見ない。」と言っているのです。

もう一箇所 これは エレミヤの嘆き なのだけど ホセアに似ている
事を 言っている。
つまり 「そこに住む者たちの悪のために」 世界・世 が
本来の姿を表せない と嘆いている。


まあ この箇所の 前の方の 今も変わらないと思われる ある意味で
時間を超越した エレミヤの神に対する訴え がある。
エレミヤ
>12:1 主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。
>それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいの
>です。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか。

これは 難しい問題だよね。神義論で説明つくのですかね
それとも 神の主権 の一言で解決ですかね。 
269キュロス:2006/03/30(木) 22:29:54 ID:37+JnnAc
ヨハネ福
>1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
>1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には
>神の子となる資格を与えた。

で ヨハネ福音書の続きなのだが ここ11説の 自分の民 とは
イスラエル ヨハネ福音書では ユダヤ人 のことだろうね。
そして 12章の その名を信じる人々 とは ユダヤ人を含む
イエスを信じる人々だろうね。

と いうわけで まあ 時間がないから でっちあげると
ユダヤ人の一部が 言 を受け入れなかったから 世 は否定的・
敵対的になった。
しかし ユダヤ人と言う枠を外して 言を受け入れる人選ぶ 事によって
世界・世が 肯定的・平和的になる と言うことかな。
270キュロス:2006/03/30(木) 22:43:45 ID:3CfUJ2qT
ヨハネ福音書
>15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
>これがわたしの掟である。

まあ これが 言を受け入れる人々が受け入る 掟だろうね。
簡単に言えば 言 の具体的な意味だろうね。

ヨハネ福音書
>17:21 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内に
>いるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたち
>の内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわた
>しをお遣わしになったことを、信じるようになります。

そこで すべての人が一つになれば つまり具体的には
全ての人が愛し合えば 世 が神を信じる様になる つまり
肯定的・平和的になる と言うことかな。

>>267
そうですね ケーゼマン ですね。 
271ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/31(金) 00:02:35 ID:lekXWQaE
これも多分プロテ系の先生でしょうが、やはりヤコブについてのトラウマ
があるんですねぇ...ヤコブはパウロが律法を無視してる事は知ってる
んだけどねぇ...例によってどの先生かは言うまい
ヤコブの提案
本日の箇所の17〜20節には、パウロらの一行がエルサレム教会の
人々によって喜んで迎えられ、パウロがそこで自分の奉仕を通して神が
異邦人の間で行われたことを詳しく説明し、これを聞いた人々が皆神を
賛美した、ということが語られています。パウロの努力のかいあって
異邦人の教会とエルサレム教会の間によい交わりが確立した…、ように
見えます。しかしここでも話はそう簡単ではないのです。というのは、
20節の後半以降に、エルサレム教会の中心人物ヤコブがパウロに一つ
の提案をしたことが語られています。ヤコブはこのように言うのです。
「エルサレムを中心とするこの地域に、幾万人ものユダヤ人キリスト信者
がおり、皆熱心に律法を守っている。ところがあなたについてのうわさが
立っており、あなたが異邦人の間にいるユダヤ人たちに、『子供に割礼を
施すな、慣習に従うな』と教えているとのことだ。そのあなたがエルサレム
に来たとなると、彼らが騒ぎ出すかもしれない。だから、あなたがユダヤ人
として律法を尊重し、それに従って生きていることを身を以て示してもらいたい」。
(A)「これは一種の脅し」です。幾万人ものユダヤ人キリスト者がいて、皆熱心に律法を
守っている、というのは(B)「現実離れした誇張」です。ヤコブはこのような言い方で、
(C)「パウロに圧力」をかけているのです。

(A)「これは一種の脅し」(C)「パウロに圧力」......脅しではあるまい、
ヤコブはパウロの為にカモフラージュを画策したんだと思うよ...その意図をパウロ
も汲んで、同意したんでしょ
(B)「現実離れした誇張」...現実に近いと思うよ、幾万人は誇張かも
しれないけど

ヤコブも異邦人とユダヤ人の対立に苦慮してたんでしょうね...でなければ
あのエルサレム会議の裁定はないと思うし...キリスト教会に薬漬けされた
人間は何を読んでもダメだろね....わははははははははははははははは
そんな奴の説法なんか聞いてもしょうがないヤロね、
272ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/31(金) 00:30:05 ID:87wP3MDB
世の中の馬鹿信者は、ヤコブとエルサレムの長老達について
こういう意識なんだろね....

キリスト教会のドグマ≒イエスの主張<>エルサレム教会の主張
ここで言うイエスの主張と言うのが、キリスト教会によって作られた
物だという事を知らないんだよ...
実際のイエス様≒エルサレム教会の主張≒その後のユダヤ系(例えば
マタイ教会)キリスト教会<>異邦人系キリスト教会−>現代のキリスト教会
のドグマなんだよ
つまり馬鹿クリスチャンが考えてるイエス・キリストと実在したイエス様が
全然違うという事なんだけどね...それが判ってないから、みーーーんな
ヤコブやエルサレム教会に蹴躓いてるんだよ...わはははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははは


273ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/31(金) 02:00:23 ID:87wP3MDB
トマスの翻訳をした時にいい勉強になったんだけどね...あの翻訳で
直訳をすると「救い主」と訳すべきところをあえて「主」と訳してる
場所が8ヶ所ほどあるんだよ...救い主のギリシャ語がクライスト
つまりキリストの事なので、下手するとキリストと読まれてキリスト教徒
には全く違う読まれ方をしてしまうんだな...その文章の意味は私が
尊敬するご主人はの意味なんだけどね...
旧約聖書のメサイヤは主であるYHWHから然るべき職務を拝命した事の
証として「香油を注がれし者」の意味なんだけど、馬鹿キリスト教信者は
キリストと直訳してしまうんだw....第2イザヤ45/1はペルシャの
王様のキュロスがYHWHから油を注がれた事が書かれてるけど、トンデモ
ない馬鹿教会はキュロスをキリストと訳してるんだw...この手の愚かな
連中とは話もしたくないし、現代社会はこの手の愚かな事が殆ど通用しない
事を理解してないらしい...新共同訳は敢えて「メシア」を全て「油注がれし者」
と訳してるだw...旧約聖書にキリストと言う言葉を書いたアホ教会は
********.....わはははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははは
274名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 04:10:25 ID:6h5fELrw
    【天】遍く照らす光源
│         │ 「明」
│         │
│         │
│ 人       │恵(光)(時間)の流れ(生きた水)
│         │  ↓
│         │
│   【光】   │    (新)    (信)   (旧)
│         │      陽      陽    陰
│      人  ┼【地】   人─【霊】 人    人
│         │      陰      陽    陰
│         │             ↑
│         │             │
│         │             │
│         │ . 陰を陽に変える網┘
│  人      │
│         │ 「暗」
    【底】
275名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 04:21:52 ID:6h5fELrw
(旧)
 陰
 人-(イザヤ)
 陽-ケルブの炭火
276名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 09:28:29 ID:DAjl7/BN
>キリスト教会のドグマ≒イエスの主張<>エルサレム教会の主張
それは現代聖書学を受入れない教会のはなし。

>実際のイエス様≒エルサレム教会の主張≒その後のユダヤ系(例えば
>マタイ教会)キリスト教会<>異邦人系キリスト教会−>現代のキリスト教会
>のドグマなんだよ
それは現代聖書学を受入れないトンデモ教のはなし。
277名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 10:45:33 ID:k2+cx38T
>>262〜270
なるほど、これらが最近の思考の結論というわけですか。
だが、論理的に言うなら、
>わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。
>>わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。
>ヨハネ福音書では 世 が否定的・敵対的に描かれている
ということと、あなたの言う「選民思想」とは結びつかないと思うが。

なぜなら、イエスの語ったという「世」は当時のイスラエルの民を意味しいる。
 つまり、「世」すなわちイスラエルの民の「世」を否定することは、イスラ
エルの民を選ぶ、つまり選民とは逆のことだから。
 イエスはこの世つまりイスラエルの民の世界を否定してはいない。
イエスはあくまでユダヤ教徒であり、マタイが伝えるように(マタ15:24)
「私はイスラエルの家の失われた羊以外の者には、遣わされていない」とあるように、
イエスはこの世を否定的に考えてはいないし、あなたの前提した、「わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを
憎みました。」という言葉は、この世を否定的に考えたとは言えない。

ちなみに、「イスラエルの家の失われた羊<以外の>者には遣わされていない」
と伝えたこの福音書は、真実を語っていると思う。
護教家なら、「イエスはイスラエルの失われた民だけのためにこの世にきた」
などと言えるはずもない、布教に不利故に。だからマタイたちは真実を語って
いると信じるほかはないと思っている。


278名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 13:52:51 ID:l9/a9cTp
#The Immaclate conception
無原罪の宿りを英訳しる。
意外なマリ基地ハケーンできるぞw
279名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 15:26:02 ID:QFhoWAys
「私はイスラエルの家の失われた羊以外の者には、遣わされていない」
これがどうして選民思想肯定論なわけ?
選民思想そのものが神の理想から外れるものなので、
矯正するためにやってきたことが如実に書かれているではないの。
280名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 15:28:12 ID:vFYCFUwB
イエスは医者。世は病人。
281名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 17:05:23 ID:k2+cx38T
>>279

>「私はイスラエルの家の失われた羊以外の者には、遣わされていない」
これがどうして選民思想肯定論なわけ?

どうして肯定論になるのかね?
だから、「あんたの言う選民思想」と書いているだろう。
だが、イエスの言葉は、確かに、イスラエルの家の見すてられた人間を
選んでいることに違いない。つまりイエスは救う民を選んだのだ。
その意味で、イエスは選民したと言えるのだ。

>選民思想そのものが神の理想から外れるものなので

きみは神かね? 神が理想を持っているとは知らなかった。あはは!



282キュロス:2006/03/31(金) 19:14:02 ID:KiF3yJ9B
上のほうで メシヤ の話が出ているので イザヤの 艱難の僕
の話を書く。

1歴代誌
>3:18 マルキラム、ペダヤ、シェヌアツァル、エカムヤ、ホシャマ、
>ネダブヤ。

エズラ記
>1:8 すなわち、ペルシヤの王クロスは宝庫係ミテレダテに命じて
>これを取り出し、その数を調べさせ、それをユダの
>君主シェシュバツァルに渡した。

歴代誌のシェヌアツァル と エズラ記のシェシュバツァル とは
同一人物だと言われている。
このシェヌアツァルと いわゆる第二イザヤとが バビロン陥落後
協力して ユダ王国を再建しようとしたといわれている。

ペルシャのキュロスは 宗教的伝統の回復は認めたが政治的な独立は
当然認めない。
しかし シェヌアツァルは 政治的独立を強行しようとした ために
彼は 殺された。そのことを イザヤは 艱難の僕 として歌った
とする説がある。
283名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 21:12:46 ID:vFYCFUwB
>つまりイエスは救う民を選んだのだ。
>その意味で、イエスは選民したと言えるのだ。

イエスが購ったのは、イスラエルの羊で、
それ以外は購ってないということか。
しかし購いと選民は意味が全然違うだろ。
284キュロス:2006/03/31(金) 22:52:59 ID:zLAcgi74
>>282 ダニエル書には 苦難のメシヤ が登場する。
ダニエル
>9:25 それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、
>との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。
>また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。

この箇所の 七週といのはバビロン捕囚からの一回目の帰還の前537年
だとする説がある。この説を採ると>>282のシェヌアツァル の事になる
また 前523年だとする説がある。この説を採るとゼルバベルの事になる。

ダニエル
>9:26 その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も
>残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。
>その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、
>荒廃が定められている。

この「油そそがれた者」は 大祭司オニアス三世 だと言われています。
マカバイ記2・4章30〜38節に そのことが記述されている。

メシア油そそがれた者は サムエルに油そそがれた サウルから
時代と共に変わり イエス に至ったと言うことかな。

まあ 政治的メシア と 宗教的メシア 当初から別物だけどね。
285ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/31(金) 22:53:08 ID:87wP3MDB
苦難の僕は誰か?見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、
あがめられる。....彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を
閉ざす。だれも物語らなかったことを見/一度も聞かされなかったことを悟
ったからだ。わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力
を誰に示されたことがあろうか。
この人、指導者Xは滅びかかったダビテ家の希望であったが、指導者として
の、押し出しの立派さや、風格が無かった。しかし、人の苦しみのわかる
謙虚な人であった(53・2〜4)のに、わたし達は、軽蔑していたのだ。
彼は、私たちの苦痛を一身に負っていたのだ。そして犠牲となった。
帰還民は、ペルシャの官憲に逆らうとか、外国人を殺害するとか、何か
過激な行動をしたのでしょうか(51・19、二組の災い)。...首長
シェシュバツァルか?新約聖書に生き続ける苦難の僕
苦難の僕とは誰か。ユダヤ教では、神の民イスラエル。キリスト教では
新約のイエスキリスト。これをもう少し発展させて、今歴史の中で色々
な形で苦しめられている人々も含めて、苦難の僕とした。「苦難という
ものをこのように、この世界の救済に役立つべき手段として、熱烈に栄光化
した」のが、第二イザヤと、マックス・ヴェバーは言っています
(古代ユダヤ教、岩波文庫、888頁参照)
ここまでカトの聖職者の文章です。ここから僕の文章ですが苦難の僕に
ついては、もう一人ゼルバベル説があります。年齢的に少々しんどいん
ですが、福音書を書いた人達はゼルバベルだと思っていた様です。
以下省略
ハガイやゼデキアの王政復古運動は明らかにゼルバベルに白羽の矢が
立てられてます。
この話はこれで5回目くらいだけどね...馬鹿は何回書いても何の事か
よく判ってないみたいだね.....わははははははははははははは





286キュロス:2006/03/31(金) 23:07:23 ID:zLAcgi74
>>284
エズラ
>3:2 そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、
>またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、
>神の人モーセの律法に書かれているとおり、全焼のいけにえを
>ささげるために、こぞってイスラエルの神の祭壇を築いた。

>>284のゼルバベルとは この「シェアルティエルの子ゼルバベル」の
事だ。このゼルバベルは 一応ダビデ王朝の血筋だと言われている。

バビロン捕囚からの解放後 第二神殿は 前515年に完成するのだけど
それと並行して起こった メシヤ運動は ことごとく失敗した らしい。
287ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/31(金) 23:32:04 ID:87wP3MDB
これは例によって何処かの馬鹿牧師(多分プロテ系)のweb
U日和見なヘロデ王
ここでも登場するのはヘロデの名です。このヘロデは、イエス様誕生
時にベツレヘムの幼児を虐殺したヘロデ王の孫です。バプテスマの
ヨハネを殺したヘロデ王の甥に当たります。
残忍なヘロデは、「思いつきでヤコブを捕らえて殺しました」。ユダヤ人
が喜んだのを見ると、「調子に乗ってペテロをも捕らえ」、過ぎ越しの祭
りが終わったら殺そうと計画しました。
*キリスト教会の十八番発言ザンスね、「思いつきでヤコブを捕らえて殺しました」
 、「調子に乗ってペテロをも捕らえ」、....こんな発想はキリスト教関係者
 しか思い浮かばない発想ザンス...容疑者を逮捕して処刑するのは
 現代も昔もそう簡単な事ではないだろうと言うのが大人の思考ですがね
これは忌まわしいことですが、ヘロデ家の者らしいやり方です。
聖書には、ヘロデ家の人間が十人以上登場します。
彼らの性格はいずれも好色、権力を振りかざす一方で日和見、弱い者
には残忍です(ヘロデ大王は十回結婚(近親婚あり)して、妻を
殺し、息子たちを殺し、その子らも同じ道をたどる)
*結婚を好色と結びつけるのも如何にもキリスト教会の発想ザンス
 領主にとっての婚姻は、政治的策略なんですね、好色の人間は
 このレベルの人であれば望みどおりだろうし、それと政治的策略の
 婚姻を混同するのは、如何にもキリスト教会の聖職者の浅知恵ナンス
 ね。近親者と言うのは例のサロメの母親のヘロディアの事だと思うけど
 ヘロデはヘロディアに正々堂々とプロポーズして、ヘロディアに
 受け入れられてるんですね...権力を傘に強引にした事ではなくて
 一人の男として一人の女性にプロポーズしたんですよ...それで
 ...やめとこ...馬鹿に言う言葉なし...
288ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/31(金) 23:34:22 ID:87wP3MDB
続き
ヘロデはエドムの出身で、ユダヤ人に対して劣等意識を持っていた
ようです。ヘロデに教会を迫害する必然性はなかったのです。ユダヤ
人の関心を買うために犯した生命軽視も甚だしい行為です。
*こいつ殆ど研究らしき事はしてないようだね...
彼の根性は、弱い者いじめをするガキ大将と同じです。おだてられる
と直ぐにいい気になります。
*お前の頭の悪さの方が人様の迷惑だよ
彼が後に行なった演説がどれほどのものであったか知りませんが、
ヘロデに諂う民衆は「神の声だ。人間の声ではない」と叫びます。
これは賛辞などではありません。民衆はヘロデのような男の扱い方を
知っているのです。その直後、ヘロデは「虫にかまれて息が絶えた」
とありますが、虫けらのように死んだということでしょう。
*????何処に書かれてんの....使徒に演説中に気絶したと
 あるけど、虫に噛まれたなんて書いてないよ...多分心筋梗塞
 だよ
先ほどまで権力の座にあった者のあっけない幕切れです。
 *お前は死ぬときに「天国よ天国よあーーーーーーー」って
  言って死ぬと思うよ...お前の方が気の毒なんだけど
....わはははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは

289キュロス:2006/03/32(土) 08:45:26 ID:96FGzGU5
>>285
>ハガイやゼデキアの王政復古運動は明らかにゼルバベルに白羽の矢が
>立てられてます。

ふつ〜 王政復古運動 って 
「日本における武家政治 外国における共和聖などが廃止されて
昔のような天皇・君主親政にもどること」(新明解国語辞典)
と言う意味だよ。

バビロン捕囚からの解放後に起きた メシヤ運動を 王政復古運動
とは 普通は言わないぞ
290ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/32(土) 09:46:07 ID:hFrH/9B2
これもカトの聖職者の文献だw
ハガイの王政復古活動...指導者たちを激励(ハガイ書、2章)
ヨヤキン王の孫でダビデ王家の血筋の総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアを
激励します。
ハガイ2/4−
今こそ、ゼルバベルよ、勇気を出せと/主は言われる。大祭司ヨツァダク
の子ヨシュアよ、勇気を出せ。国の民は皆、勇気を出せ、と主は言われる。
働け、わたしはお前たちと共にいると/万軍の主は言われる。
ここに、お前たちがエジプトを出たとき/わたしがお前たちと結んだ契約が
ある。わたしの霊はお前たちの中にとどまっている。恐れてはならない。
.....
この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると/万軍の主は言われる。
この場所にわたしは平和を与える」と/万軍の主は言われる。

ペルシャの官憲や、住民の妨害を恐れず勇気を持って造営すべしという
託宣です(2・4)。新しい神殿の栄光は、昔のソロモン神殿の栄光に勝る
ようになると励まします。

ゼデキア書はまた別の機会にせつめいするね....何処かの馬鹿教会の
資料には無いんだろうけど、それは資料を編集してる連中がアホばっかり
だからさ....わはははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははは




291ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/32(土) 09:53:20 ID:hFrH/9B2
主の僕、ゼルバベルの王位指名(2・20〜23)―神殿定礎
工事は続けられて其の年の9月24日、神殿の基礎が置かれた記念すべき日
に(2・18b)、二つの神託があります。
聖別された物に触れても其の物は聖別されないし、汚れた人が触れれば、
其の物は汚れる(2・13)。同じように社会正義を行わず汚れていれば、
神殿建設は聖別されず汚れる(2・14)。しかし、今までの汚れた業を心に
とめて回心すれば、この神殿の基礎が置かれた記念すべき、今日この日
から、わたしは祝福を与える、と。
そして今日この日から、豊な生活を保証する(2・19)という、回心の勧めと
祝福の託宣です(2・11〜19)。
もう一つは、総督ゼルバベルを王として指名する神託です。ダビデ王家の
再興宣言です。
2:21 「ユダの総督ゼルバベルに告げよ。わたしは天と地を揺り動かす。
2:22 わたしは国々の王座を倒し/異邦の国々の力を砕く。馬を駆る者
もろとも戦車を覆す。馬も、馬を駆る者も/互いに味方の剣にかかって
倒れる。
2:23 その日には、と万軍の主は言われる。わが僕、シェアルティエルの子
ゼルバベルよ/わたしはあなたを迎え入れる、と主は言われる。
わたしはあなたをわたしの印章とする。わたしがあなたを選んだからだ」
と/万軍の主は言われる。
エレミヤからは失格とされた(エレ22・24、※3)王の印章、即ち王権
が与えられます。捕囚された王ヨヤキンの孫、ゼルバベルを王とする神託
です(ゼカリヤ4章、第五の幻と平行)。
しかし、この王位復活宣言を最後として、ハガイの預言は突如ここで
終わります。続きは、次のゼカリヤ書となります(※4)。

292名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 10:13:59 ID:jdnYLeOk
      有
     / \
    子 ┬ 聖
     \  /
    │ 王 │
     / \
    男 ┴ 女
     \ /
      無
293ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/32(土) 10:15:38 ID:hFrH/9B2
ゼデキア書では
戴冠の宣言とゼルバベルの失脚―祭司的メシヤの誕生?
バビロンから帰国した、裕福な家族から資金を受け取り冠を作り、戴冠式を
行います。第五の幻で、油注がれたゼルバベルの王戴冠式のはずなのに、
祭司ヨシュアに変えられているので、前後不自然な文章となっています。
大祭司ヨシュアを、ゼルバベルと読み替えると、意味が判ります。
ゼデキア6/11−
銀と金を受け取り、冠をつくり、それをヨツァダクの子、大祭司ヨシュア
の頭に載せて、宣言しなさい。万軍の主はこう言われる。見よ、これが
『若枝』という名の人である。その足もとから若枝が萌えいでる。
彼は主の神殿を建て直す。彼こそ主の神殿を建て直し/威光をまとい、
王座に座して治める。その王座の傍らに祭司がいて/平和の計画が二人の
間に生ずる。

「若枝」は、第4の幻3・8cのゼルバベルです。若いゼルバベルが神殿を
建て直し、王国を治め、傍らの老大祭司ヨシュアの助力で、平和の計画が
生ずるという戴冠式文です。
しかし、ゼルバベルに不都合が生じ、大祭司ヨシュアに名前を入れ替えた
のでしょう。印章を受け(ハガイ2・23b)、注油され(ゼカ4・14)、王と
なった青年ゼルバベルは、ペルシャからの独立を図ると睨まれ、総督の地位
を失脚したのです。ペルシャ官憲によって、排除されたのです。
またしても、「ダビテ王家の再興は挫折します」。ペルシャ帝国は、従順である
限り、征服国の宗教を尊重し積極的に援助しましたが、政治活動は決して許
しませんでした。(なお、ここはゼルバベルの政治的メシヤは挫折したが、
ヨシュアが祭司的メシヤとなったと解釈する説があります)。

この「ダビテ王家の再興は挫折します」。が第3イザヤ書の下地なんだよね


294ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/32(土) 10:40:24 ID:hFrH/9B2
それで問題の第二イザヤ書52−3の苦難の僕が、ゼルバベルか
シュシュバツァルなのかという事だけど、新約の連中はゼルバベル
とした方が、ドラマチックでイエスに当てはめた時の効果が大きい
と考えんでしょうね(信者達はゼルバベルと考えたのだろう)...
イエスの系図にはマタイにもルカにもゼルバベルの名前があるね...
と言うより2つの系図はこの人のところで一度符合してるんだな...
マタイとルカの系図が全く違ってる事は多くの人が論議してるが、
みーーーーーんな0の字の様な系図を描いてるけど、本当は8の字の
様にゼルバベルで符合してるんだな、馬鹿教会は何処もそれを
説明せんw
これも何回か説明してるけど
馬鹿は何回説明しても何も理解せんw....わはははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
295キュロス:2006/03/32(土) 10:57:24 ID:x12yXVSA
>>294
>イエスの系図にはマタイにもルカにもゼルバベルの名前があるね...

「苦難の僕」を「新約の連中はゼルバベル 」だとする
理由が 系図に「ゼルバベルの名前がある」事だけなの?

たった それだけの理由なの?
296名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 11:33:17 ID:xiZl5JXx
>>283
>イエスが購ったのは、イスラエルの羊で、
>それ以外は購ってないということか。
>しかし購いと選民は意味が全然違うだろ

「贖い」は別の問題であって、文脈は「イエスに選民意識があったかどうか」
を論じているわけだ。

だから、「イスラエルの失われた羊<以外の者>には遣わされていない」という
イエスの言葉は、救いの対象を選んだとという意味で、選民意識があったという
ことだ。お分かりかな?


297名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 14:46:52 ID:YtXzq4AL
【在る】─有限─無に対する個─無を俯瞰できる個
 ┌───────────────┘
【無限】─聖・邪の属性を含む
298名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 15:41:56 ID:mFPIr9G6
>>296
遣わされた対象が限定されたことと、選民意識は違うだろう??
299名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 16:01:55 ID:xiZl5JXx
>>298

一般的に言えば、選民思想とは、選ばれた民の側から、選ばれたという誇りを持つ思想なのだが、
何度もことわっているように、私は神の側からの選びの思想を言っているのだ、つまり、イエスは
イスラエルの失われた羊を、救いの対象として選んだ、すなわち選民したのだと。
お分かりかな?



300名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 16:47:15 ID:zsA0cqcr
「イスラエルの失われた羊以外の者には遣わされていない」

イスラエルの失われた羊たちに隣人愛を伝えるためにイエスは来たのであって
これはイエスの本務だ。
こういうのを選民思想と見る見方もあるかもしれないが、
ただ契約が成就まっとうされるためにそれが果たされるための存在としてイエスが来た
というのが、一連の聖書のシナリオとしてみれば当然のことと言える。
イエスが来たことにより大どんでん返しが起こるわけだが、選民思想から隣人愛への
転換である。イエスはその選民思想終局にあたり、終焉のための降臨であることは
いうまでもないだろう。
301名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 18:04:42 ID:YtXzq4AL
   ↑        ↓
 ┌─┐     ┌─┐
←│与│→  →│求│←
 └─┘     └─┘
   ↓        ↑
秩序の発揮   歪みの力

世の恵みは均一でないように見える。
恵みには「ムラ・歪み」があり、それを取り除く為の求める力が生まれる。
歪みの力を秩序に換える要素がキリスト。「ムラ・歪み」という混沌も恵み
となる。

混沌→秩序 の過程が「美」
秩序→混沌 の過程が「醜」 と考えられるが・・・
302名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 18:36:32 ID:YtXzq4AL
「私の目にあなたは高価で貴い」 は真理なり。

吾あるは、父なる神の恵みなり。
あなたがたと世があるのは父なる神の恵みなり。

イザヤに語った主は、後のイエスキリストとしての霊だと感じられるだろう。
303キュロス:2006/04/02(日) 19:12:16 ID:tlgoTRKZ
ある 解説書を読んでいたら
エゼキエルは エレミヤを 知っていたらしい とする仮説が
あるらしい。

確かに両者は ほぼ同時代に活動した預言者であり
エレミヤは 捕囚の民へ 書簡を送っている。
304ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/02(日) 23:46:08 ID:sMNM1Nb9
>>303
>エゼキエルは エレミヤを 知っていたらしい とする仮説が
>あるらしい。
仮説だからあるで良いんだよ...それは隣組のあいつくらいの
関係だったかも知れないけど、エゼキエルがバビロンに連れて
こられたのが多分20代の頃だと思う(第1次BC597)ので、
エレミヤ(田舎祭司)から見たら、エリート祭司のその他大勢の
一人だとおもうw...後の捕因(第2次BC587)の事も
エゼキエルが捕因達の中の宗教的指導者だった事も多分知らない
だろね。エゼキエルから見たら、エレミヤと言う人間の事を知って
たかどうか疑わしい....両者の書き物に関連性を持たせてるのは
例によって無知蒙昧なキリスト教団だけだと思うけど、固有名詞に
関連性は多々あるけど、思想的なスタンスは全く違うw...
まあ何でもかんでも神話造りの好きなキリスト教団は、また十八番
の物語を作って「信仰が」「神は偉大だ」「イエス・キリストの預言だ」
って作るんだろうけどね...馬鹿な人達はどこまで行っても馬鹿のまんま
だろうからね....わはははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
305名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 00:05:55 ID:BAJnjeay
>>301

はははは、独特のキリスト教哲学だね。

>「ムラ・歪み」という混沌も恵み
となる。

はははは、
恵みの雨は、善人の上にも、悪人の上にも平等に降る。
キリストは不平等という歪を平等に変えるというわけかね?
きみの理論は?

ところで、きみの思想はどこからひねり出したのかね?面白い。
306ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/03(月) 00:06:10 ID:H3JTQBQk
それにしても、バビロンに降伏すべしと言ってたエレミヤが
エルサレムに残って、エルサレムの悲劇を見てて、高級聖職者の
エゼキエルがバビロンで祖国の再興を願う...北イスラエル
はアッシリアの地獄の沙汰の中...イスラエルにはロクな
指導者がいなかったと言う事だろね...今のキリスト教会と
同じだw...この国はアホな神様を信じちゃった事が民族の
悲劇のソースだという事に未だに気づいてないんだw...
ペルシャとかエジプトとかローマはどうかな、今はアメリカ
だろ...何処か大きな国がパトロンになって、お前は大人しく
内政をしてろと言われた時だけは平和な統治ができる人達だw

キリスト教会も同じだw....乞食みたいな立場にたって
知的貧民を相手にしてる時だけは、社会では馬鹿扱いしかされない
奴等もエリートっぽくいられるし健全な宗教集団でいられると
いう事さ..わははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは

307名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 05:26:27 ID:OcqZggUI
アメリカは「ローマ」ではありません。

ローマ帝国
 ↓
西ローマ(ローマ法皇☆)・東ローマ(コンスタンチノープル総主教★)
 ↓
フランク王国☆・ビザンツ(第2ローマ★)
 ↓
神聖ローマ帝国☆・キエフ★+モスクワ
 ↓
ナポレオン+オーストリア+ドイツ帝国☆・ロシア帝国(ローマ王朝[ロマノフ王朝]・第3ローマ★)

アメリカは
イタリアのローマも
キリスト教5大総主教(ローマ・コンスタンチノープル)も
両方を滅ぼす側です。
参拝も信者の教区も教区中心(ローマ・コンスタンチノープル)に対する
服従も存在しないし
過去からの継承(ローマ・コンスタンチノープルの継承)もありません。

308名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 05:35:33 ID:OcqZggUI
ケルト人は、サクソン人(『辺境の人[ドイツ人]』)でないし
ケルト人は、チーズと肉を同時に食べない『ユダヤ人』でありません。

ケネディは
アイリアン(アイリッシュ・語尾〜アンは〜シュより野蛮の意味)で
ケルトだし
マリリン・モンローにイケニエ的危険があってドルイド教的だしサクソンで無い。

マック・アーサー(マッカーサー)は
スコッタン(スコッチ)で
ケルトだし、子供の頃に母に強制されスカートはいてたし。
ローマやヘブライに漢字に関係ない。
野蛮と文化の差を逆に考えているし。

マック・ドナルドは
スコッチで
ケルトだし
チーズ肉を同時に食べるし
ユダヤでない。
309名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 05:42:55 ID:OcqZggUI
セイラ(セイラム)はケルトで
ソールズベリーとサクソンの名という風に別名で呼ぶ。
同じ地名で、別名の時に
ケルト名で呼ぶのって
サクソンがキリスト教化したローマと断絶しているのでは。
アイルランドはカトリックだからという。
いつの布教かも知らせない。

スコットやウエルズ・コーンウォルなカトリックじゃない。
アメリカ移民も同じ。
カトリック教区や正教教区に属さない。

同じカトリックの
メキシカンや中南米などヒスパニックや
ポーランド・南ドイツ・フランス・イタリア・スペインに対する
対応が差別的。
310名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 05:54:06 ID:mKeHXSj6
イスラエルには普通の赤いマック以外に青いマックがあるそうだ。
青いマックにはチーズバーガーはないし、肉は殺し方の基準を守っているものだけを使う。
311名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 09:30:20 ID:VrNc4b0s
>>305
ここでははっきりとは示していないが、これは聖書から読み取れること。
@背景的な全体を対称とする恵みと、A御心の下の個人を対称とする恵みとがある。
*Aの例ヨハネ9−3

考え方は、有と無の二元(陰陽)と三位一体の関係性(教義)を聖書理解に取り入れ
展開・発展させるもの(盲信ではない、求道者向けの説教考案と同様だと思うが)。

「この広がりを持つ関係(愛)力学?で、全体を破綻無く関連付けられると筈だ」
というココモとは逆の信念を持つ探究方法なのだ。
312名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 18:48:42 ID:aRpwxzNT
エゼキエル
>18:2 「あなたがたは、イスラエルの地について、『父が酸いぶどうを
>食べたので、子どもの歯が浮く。』という、このことわざをくり返し言
>っているが、いったいどうしたことか。

エレミヤ
>31:29 その日には、彼らはもう、『父が酸いぶどうを食べたので、
>子どもの歯が浮く。』とは言わない。

エゼキエルも エレミヤも 表現方法が似ている。
しかも エゼキエルは 「イスラエルの地」の事を 知っている
これは 誰かが 彼にイスラエルの状況を知らせていると言うことだ。

しかも 結論が全く同じだ
エレミヤ
>31:30a 人はそれぞれ自分の咎のために死ぬ。

エゼキエル
>18:4c 罪を犯した者は、その者が死ぬ。
313名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 19:18:26 ID:tiLSe8XR
タルシシュってスペインですか?そうとらえるとヨナ書の解釈がものすごく変って
しまうような・・・そもそも旧約聖書に今のスペインあたりの地名は出てこないし
そんな誰も知らないところ(フェニキア人が今のジブラルタル海峡や大西洋を知っ
ていたとしても預言者ヨナがそれに同行するとも思えない)へ行ってしまう途中な
らば暴風に会ったとしても預言者としての身分を隠しとおすはず。それでも最後に
は神の命令どおりニネヴぇに宣教に行ったヨナにとってに始めにタルシシュに逃れ
ようとした真の意図はなんだったのだろうか。
314名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 21:05:46 ID:BAJnjeay
>>313

ヨナもヨブもルツも当時の「文学」と考えて読むことが妥当なようだ。
ま、旧約全体も、歴史的ドキュメントとして扱ったほうが下手な読み込み
をしないで済む。ユダヤ人の古代からの思想の遍歴を綴ったものだ。
315名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 21:32:10 ID:BAJnjeay
>>311

>有と無の二元(陰陽)と三位一体の関係性(教義)を聖書理解に取り入れ
展開・発展させるもの

中国の「太極」思想だね。
太極は万物の根源であり、ここから陰陽の二元が生ずるとする。

そう言えば、グノーシスの光と闇の二元は、陽が光であり、陰は闇だわね。
全く同じ思想といってよい。

つまり、きみは古代のグノーシス思想を復元しているのだよ。

キリスト教の基本的思想は、光と闇の二元ではなく、光が真理として存在し、
光の存在しないとき闇となる のであって、闇が独立して存在はしないのだ。
つまり、二元でなく光という一元が存在するのだよ。

だから光が差し込むとただちに闇は消えうせる。闇は独立して存在しえないのだ。
グノーシスは「知恵」を言うが、グノーシス主義は無知なのだ、なんたる皮肉。
あははは。
316名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 22:13:29 ID:JXWJf3bC
>>313
>タルシシュってスペインですか?
そうです。スペインのタルシシュのようです。

ある注解より引用
本書は、出34:6の「憐れみ深く恵みに富、忍耐強く慈しみとまことに
満ちた神」(ヨナ4:2参照)の概念にたって、「全世界を裁くお方は正義を

行われるべきではありませんか」(創18:25)というソドムに対するアブラ
ハムのの疑問を新しく提起している。ヨナの不従順は、彼の神学的表れ
である。彼は、神が邪悪な物に対して神の恵みを無差別に広げることを

問題視するが、それはとりわけイスラエルの身近な艱難を考えてみる時
重要なのである。しかし単純な正義は神のなさり方ではない。神は、裁き
以外なにものにも値しない人々に対して、自由に恵み深くありつづける。

このことはヨナ(イスラエル)にニネベ(たぶんぺリシテ人)、両者にとって
真実である。本書の目的は、身を持って学ばせることであり、ヨナは
最後まで抵抗する自由を保持している。
317名無しさん@3周年:2006/04/04(火) 09:54:30 ID:rXceDyXq
>>315
殿が>>301のみで、そのようにしか評価できないことは恥じることではありません。

太極は相対する関係・交わりの原理を表し、時を始りから終りまで表す。この意味
で、聖書の「光」の意義と違うものではないことに気がつかないだろうか。
318mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/04(火) 21:12:21 ID:bVifY34S
Tコリント11;1 
    わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたも
    このわたしに倣う者となりなさい。

「人を見ずにキリストだけを見なさい」ってよく聞くけど、これは逆のことを
言っているんですね もうパウロ程になるとあらゆることに覚悟ができ、ゆ
だねることができているので、このように言えるのかな。

「あ〜、あのような人になりたいな」と思わせる人がたまにいらっしゃるんで
すよね。50〜60年も教会生活を続けられる人を見るとそれだけで見習い
たいと思う。ココモッキから見ると馬鹿も板に付くということになるんでしょう
けどね。
319たるししゅ:2006/04/05(水) 17:44:25 ID:77ytTLXR
 でもイスラエル以外の地域といえばツロとシドン、エドム、ぺりシテ、
遠くてもエジプトくらいまでしか出てこない旧約においていきなり現在の
スペインあたりの地名が出てくるとしたらあまりに唐突。それに話の流れ
から見てもヨナは嵐にあうと自分が神の命令に反したことをあっさり認め
ているし魚の腹の中で必死に祈っていることから神の権威に反逆する意図
を持って『地の果て』まで逃げ延びようとしたわけではないことは明白。
むしろ神を信じるがゆえにみこころの真意を問いただそうとしたその信仰
に大魚やトウゴマの備えをもって応えてくださったことこそヨナ書の真髄

でなければ、なぜヨナが神の命令に背いたにもかかわらず裁かれることな
く再び命令を全うする機会を与えられているのかが分からなくなります。
320ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/06(木) 00:40:31 ID:AV6yqI95
>>318
コリント1/11「わたしはパウロに」「わたしはアポロに」「わたしは
ケファ(ペテロ)に」「わたしはキリストに」などと言い合ってる事です。

ここでキリストは別として、生身のイエスを知らないのはパウロだけです。
エルサレムの使徒たちも生身のイエスを知ってる人が多く、アポロの様な
(多分巡回霊能者)人達もイエスを知ってる人が多いんですね...
特にコリントの街はいろいろな福音が錯綜してて、キリスト教徒はパウロ
がスタンダードだと思うでしょうが、実際のコリントの街ではパウロは
マイナーな主張です...ここの街で「救い主(クライスト)に従え」と
言うと、「パウロは無視しろ」という事になります...
パウロが宣教していた頃のコリントの街では、イエス信じるという事と
パウロの主張を受け入れる事は180度とは言いませんが90度位は
違ってたんだと思います。
321ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/06(木) 01:01:07 ID:AV6yqI95
エレミヤ43/10
彼らに言いなさい。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。
わたしは使者を遣わして、「わたしの僕であるバビロンの王
ネブカドレツァル」を招き寄せ、彼の王座を、今埋めたこの大石の上
に置く。彼は天蓋をその上に張る。

この聖句を最初に読んだときはビックリ仰天してまった...あの
エルサレムを火の海にしたネブカがエレミヤによれば、全知全能の
神エホバのしもべだそうだw...馬鹿教会はどの様に説明するのか
聞きたいものだけど...僕は所詮頭でっかち(その割りに悪い
頭なんだけど)の青二才の発言だと思うw...
322名無しさん@3周年:2006/04/06(木) 02:49:53 ID:voQwNI9T
神の思うとおりに動けばそいつは「神の僕」であると言えるのさ。
323名無しさん@3周年:2006/04/06(木) 03:47:26 ID:zzz2fPZy
『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
       いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる』

光(良心)が増すほどに影が強くなる

信仰・洗礼・聖餐

キリストの内に居るということは全方位から光を浴び、見かけの影はなくなる

↓  外身は輝くが、中身は影を帯びる状態

自身の内にもキリストは居るので全く影は無くなる?
↓  
↓  内と外の中間である身をつくっている部分が残る
↓  霊を宿し機動させる肉である故に、死ななければならないのか?
↓  
肉は悪で霊は善なのか?

↓  創世2・3では肉の罪は問われていないようだ
↓  知恵の木の実であって、生命の木の実ではない
↓  霊が汚れている→肉が実罪を実行
↓  └言葉の汚れ=霊の口の汚れ
324名無しさん@3周年:2006/04/06(木) 10:57:42 ID:Jmf9/iBf
>>313
スペイン説が嫌なら、小アジア説はどうかな?
パウロの出生地タルソスも候補地の一つだよ。
325たるししゅ:2006/04/06(木) 17:47:49 ID:taIgV2QA
>>324 ありがとうございます。まさにそれでは?
326キュロス:2006/04/06(木) 19:02:50 ID:6bRGaD50
まあ あれだ
バビロン捕囚期に 拝一神主義 から 唯一神主義 になんじゃないのか?

つまり 多神世界 の中の一つの神 から その神々の中の最高神に
なり そして唯一神になるんじゃないかな。

バビロンには バビロンの神が居たはずなんだよ そのバビロンを
ヤハウエが 道具として使う と言うことは ヤハウエがバビロンの
神に勝利して ヤハウエがバビロンの神にもなる と言うことなんだよ。

また 別の角度から見ると
バビロンの脅威にさらされて ひどい目に合ったのは イスラエル・ユダ
だけではなく その周辺世界の国々もその被害者なんだね。

つまり 神に対するイスラエルの不服従が その周辺世界まで影響を
与えるんだね。
327キュロス:2006/04/06(木) 19:16:23 ID:92nJhNFs
エレミヤ 新改訳
>1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、
>あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々へ
>の預言者と定めていた。」

だから エレミヤは ユダへの預言者 でなはく
国々に対する預言者なんだよ。

他の国々には その神々が居るはず なのだが その神々を退けて
ヤハウエが その国々の神になる と言うことだと思いますよ。
328キュロス:2006/04/06(木) 20:14:35 ID:92nJhNFs
まあ 聖書は 多神世界 が描かれている と言うと すぐに
やれ 創世記や詩篇等に 神々 と記述されているなどという
ことを言い出す人が居るけど そんな話は 聞き飽きたので 別の
箇所を 上げておく。

2列王記
>3:27 そこで、彼は自分に代わって王となる長男をとり、その子を城壁
>の上で全焼のいけにえとしてささげた。このため、イスラエル人に対す
>る大きな怒りが起こった。それでイスラエル人は、そこから引き揚げて、
>自分の国へ帰って行った。

まあこの「彼」とは 「モアブの王」の事だけど
彼が「全焼のいけにえ」として捧げた相手は ヤハウエ ではなく
別の神 だと思いますよ。
329キュロス:2006/04/06(木) 23:03:41 ID:0CwAQAk9
エゼキエル
>14:3 「人の子よ、この人々は偶像を心に抱き、彼らをつまずかせる罪を
>目の前に置いている。それなのに、わたしは彼らの求めに応じられようか。

「心に偶像を抱き」と言う事は いわゆる目に見にえる形ある物
だけが偶像なのではない と言うことなんだろうね。
330キュロス:2006/04/06(木) 23:04:14 ID:0CwAQAk9
エゼキエル
>14:9 もし預言者が惑わされて、ことばを語るなら、
>・・主であるわたしがその預言者を惑わしたのである。・・
>わたしは彼に手を伸ばして、わたしの民イスラエルのうちから彼を
>根絶やしにする。

この「彼」とは 預言者のことなんだろうか?
それとも 「尋ねる者」の事なんだろうか?

預言者を 主なる神 が惑わし そして主なる神が その預言者を
根絶やしにする では文の意味が通じないから この「彼」は「尋ねる者」
の事なんのだろうか それとも 「預言者」と「尋ねる者」の両者あの事
なんだろうな。

>14:10 こういう者たちは、自分たちの咎を負う。
>この預言者の咎は、尋ね求めた者の咎と同じである。

続くこの記述から「彼」とは「預言者」と「尋ねる者」の両者の事を
指しているようだね。

>14:11 それは、イスラエルの家が、二度とわたしから迷い出ず、
>重ねて自分たちのそむきの罪によって自分自身を汚さないためであり、
>彼らがわたしの民となり、わたしも彼らの神となるためである。
>・・神である主の御告げ。・・」

捕囚以前に 偽りの預言をしていた預言者は 主なる神が預言者を
惑わして語らせた預言であり その結果 捕囚民 となり苦労して
いるのは 全て イスラエルの家が 神に立ち返らせる為だった
と言う事なんだね。

この辺の捕囚の意味・理解は エレミヤに やや近いかもしれない。
331ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/07(金) 01:39:18 ID:NNrFE79Y
>>322
>神の思うとおりに動けばそいつは「神の僕」であると言えるのさ。
神の思うとおりではなくて、エレミヤの思うとおりにダロ...
でもエレミヤもネブカからは都合よく使われた後は、御用済みでポイ
だよ...エレミヤはネブカを神の僕だと思っても、ネブカから見たら、
便利でアホな小僧っ子に過ぎないw...まるで、今のキリスト教徒と
同じだw...自分だけ気位高くて賢く思ってるだろうけど、人から見たら
くだらない小僧っ子...自分も真面目に突っ込むのではなくて、ネブカ
見たいに、ハハア気高く賢く清廉潔白なキリスト教徒の皆様って言ってりゃ
良かったんかなぁ...
332ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/07(金) 02:12:20 ID:NNrFE79Y
ネブカから見たエレミヤは便利やそのものだろね...
この手の小賢しいハズレ者はどの社会にもいるよ...ある国を
攻略しようとする戦略家は必ずこの手の輩を探すんだw...
エレミヤみたいな統治者に不満タラタラの奴に裏工作ですりよって
「君の理想には未来がある、自分(ネブカ)も君の理想の実現に尽力
 したい、是非わたしに協力していただけないか」って言ったら、この
 手の馬鹿は、舞い上がって簡単にネブカの手先になってマウんだw

エレミヤは簡単な人間だったみたいだね....わははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは

この手の人間だったら、エルサレムの悲劇を見た後は多分人間そのものが
崩壊して、その後は人間の体をなしてないと想像するけど....
大した事はしてないだろうし、やりようもないか...
333キュロス:2006/04/07(金) 19:01:36 ID:Z1YL2MaC
ローマ
>11:11 では、尋ねよう。ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまった
>ということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって
>異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねた
>みを起こさせるためだったのです。

神の働く領域は 時間であり 人が管理する領域は 空間だと言うことは
創世記から 明らかだと思う。

そこでだ パウロは バビロン捕囚期のユダとバビロンとの 関係から
上記の 事を言っているのだと思うよ。

つまりユダヤ人を救う為に 異邦人に救いが広がった
と言うことなんだね。

>11:13 では、あなたがた異邦人に言います。わたしは異邦人のための
>使徒であるので、自分の務めを光栄に思います。
>11:14 何とかして自分の同胞にねたみを起こさせ、その幾人かでも救い
>たいのです。

さらに パウロは自分が異邦人に対する使徒として 神に選ばれた
理由を ここで述べているのがけど それによると
彼は ユダヤ人を救う為に 異邦人の使徒として 神に選ばれ
ユダヤ人を 救う為に異邦人に宣教しているんだね。
334キュロス:2006/04/07(金) 19:03:01 ID:Z1YL2MaC
>>333
ローマ
>11:15 もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、
>彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。

ユダヤ人が犠牲になる事によって 世界の和解が成り
そして 最終的に そのユダヤ人が神に受け居られる
と言うことなんだね。

誰が救われ 誰が滅ぶか などど言う 次元の単純な選民意識
では無いんだね。ユダヤ人の心がけが 宇宙全体の運命が掛かって
いると言う意識なんだね。喩え その心がけが 神に背いていてもね。
335名無しさん@3周年:2006/04/07(金) 19:38:53 ID:xAg6NCpq
そんなパウリチャン(パウリスチャン)の理論を信じると頭がおかしくなるよ。
336キュロス:2006/04/07(金) 19:50:06 ID:Z1YL2MaC
まあ 一部の聖書信仰の福音系の人達が ユダヤ人に対する宣教に
熱心なのも聖書からすると理解できなくも無い。

何しろ 聖書の各文書の著者の大部分は ユダヤ人なんだからね
親ユダヤ主義なのは 否定できないよ。
337ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/07(金) 19:53:27 ID:NNrFE79Y
ユダの福音書の解読が進む
http://www.nikkeibp.co.jp/news/life06q2/501112/
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
このパピルス文書では、2000年にわたって裏切り者とされてきた、
イエス・キリストの弟子「イスカリオテのユダ」が、実はキリスト教の
真の教えを正しく理解した一番弟子として描かれている。
「イスカリオテのユダ」は、イエスに選ばれた弟子の一人でありながら、
銀貨30枚と引き換えにイエスを裏切り、接吻を合図にイエスを敵の手に
引き渡したとされ、その名は今も「裏切り者」の代名詞となっている。
しかし、今回の『ユダの福音書』に描かれたユダ像は、従来とはまるで
違ったものだった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

わははははははははははははははははは...何処かで聞いたような
シナリオだw....
338ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/07(金) 21:55:53 ID:NNrFE79Y
ユダの福音書はもうすぐ日本語でも発刊されるみたいだけど...
多分グノーシス系の人の巻物だろね...書いた人の心境が手に取る
ように判るよ...
「ユダはイエスの弟子の一人だったが、魔がさして銀30枚でイエス達
 を裏切ったが、イエスの死刑判決で失意に陥り、首を吊って自殺した」
と言うのは、マタイ福音書だけ引用して、教会の幼児教育用の幼稚な神話
なんだよ...それを教会の牧師がさも偉そうに説教話にしてたり
大の大人の信者が真実の如く信じてるのを見て、「お前等馬鹿じゃないの」
と思ったのは、自分だけじゃないという事ダロ...
おまけに、「そのユダを使徒に任命したイエスは人間を見る能力が無かった
のか?」とか「ユダはイエスの共同体の金庫番じゃないか?」と言う中学生
級の疑問にロクナ答えをしない奴等をみてると、要するにキリスト教会は
幼児的知能の人間の集まりか?と思ってしまうんだw...実際のイエス
とユダの関係はそんな子供の共同体じゃあるまい、もっと複雑な大人の
関係があったと思うのが大人の常識だろね...「ユダの福音書」の編者
もそう考えたんでしょうね。正統派教会の馬鹿牧師が言ってる事があまり
にも幼稚に思ったんでしょうね...



339キュロス:2006/04/07(金) 22:35:53 ID:Z1YL2MaC
マタイ福音書
>マタイ 12:32 人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊
>に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」

まあ ユダを必要以上に悪者にしているのは
反セム主義で聖書を読んでいるからだと思うよ。

ハッキリ言って 例えばマタイでは ペテロの裏切りと
ユダの裏切りは 同程度裏切りだと思いますよ。

ユダもペトロも 聖霊には逆らっていないから 大した罪ではないんだよね。
340キュロス:2006/04/07(金) 22:48:27 ID:Z1YL2MaC
まあ ヨセフスの エルサレム神殿の炎上・陥落から 神の選びが
ユダヤ人からキリスト教徒に 変わった 解釈した人達がいるらし
いからね。

パウロをどう読んでも 神の愛する選民はユダヤ人だと思いますよ。
マタイは 置き換え臭いけど それは逆説だからだと 思いますよ。
341ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/08(土) 02:37:51 ID:z9JVGV2W
>>340
>パウロをどう読んでも 神の愛する選民はユダヤ人だと思いますよ。
>マタイは 置き換え臭いけど それは逆説だからだと 思いますよ。
この文章全然意味が通じないと思うんだけど...
神の愛する選民は誰かなんて誰も判らないと思うけど...パウロが
ユダヤ人に執着を持っていたのは当たり前だろね...これもパウロが
スタンダードだと思ってる馬鹿なればこその言葉だろね...パウロ
は少なくともパウロがいた時のユダヤ社会では(異邦人社会でも)
ごくごくマイナーな発送で、大阪の新世界あたりや京都の先斗町で
関東弁喋ってる様な奴と同じだよ...そいつが地元を基盤にそれを
意識して生きてるのが当たり前なのと同じだよ...それをあたかも
日本全体が標準語で喋ってると錯覚してる奴がアホなんで、パウロも
マタイ教会もユダヤ社会で生きてるんだな...その中で標準語主張
をしてるんだろ...主張してる相手は全部地元なまりの相手だよ
...地元なまりの相手なればこそこいつの主張が意味があるんだろ
関東へ行って関西出身の奴が関東弁で喋ってもなんーーーーーーにも
意味がない...
ユダヤ人相手に異邦人の思想(脱律法)を主張したから、パウロの価値が
あるんだろが...異邦人相手に脱律法を説いたって馬鹿にされるだけだろ
(もともと律法ではなく、その地域を統治している人達の法律やその地域の
習慣・風習による生活してる人達)

この程度の事は大人であれば当たり前の事だけどね、幼児にはこの程度の
事すら説明しないと判らないらしいw
342ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/08(土) 03:07:20 ID:z9JVGV2W
例えが難しすぎたか...明治維新のときにな、髷を結ってる
日本人にな、髷なんか結わないで、そのまま髪をのばせって言ったら
異端扱いさたんだよ...だけど湯陀屋教団の信者だった派卯路君と
言う西洋かぶれした奴がね日本人も髷なんか結ってはダメだって
主張したんだw...
髷こそ命の湯陀屋教団や信者は派卯路を袋叩きにしたんだw
彼の盟友で彼に理解のあった屋鼓舞さんは派卯路の心情が判ってる
んだけどね、西洋へ行ってる日本人まで髷を強いる気はないが、
日本に住む日本人に長髪を求めるのは無理だよって言ったんだな...
派卯路も屋鼓舞さんのご注意が判って、作戦を変えたんだな...
文化風習と言うのはそんなに急激には変えられるものではないんだな
この後の又意屋理髪店がどういう戦術を持ってたかは、僕は判ってる
けど、馬鹿には説明しにくいw...現実は一部の世界(例えば
国技の相撲の世界)を除いて髷を結う人がいなくなっちゃったw
343ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/08(土) 03:49:11 ID:z9JVGV2W
ちょっと遊ばしてくだはい
 大の大人もムカデに噛まれたら大変な事になってマウでしょ
 僕ははっきり言ってキリスト教団は僕から見たらムカデの集団
 だと思ってるんだ..僕は酒に酔った勢いで道を歩いてたら
 (無茶くちゃな発言をしたら)何処からか毒針が刺されて痛い
 思いをしてマウ...ここ10年程そんなことばっーーーかり
 願わくば毒針集団にはならないで欲しいし、毒針をいくら
 抱えてもくだらない人間にしかならないよ
 
344名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 07:17:32 ID:MubukNzd
┌──┐無宗教
│理想│弱肉強食
└┬─┘利己愛
  │
┌┴─┐
│自己│
└──┘←@霊が入っていない状態(創世記1)
         動物的で原罪の無い状態

○クマが冬眠するのもリスが餌を保存する行為も、それが理想の姿。
345名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 07:28:33 ID:MubukNzd
  善(知)           悪(不知)
┌──┐           ┌──┐
│理想│           │理想│
└┬─┘           └┬─┘
  └────┬─────┘
         │
         │
        ┌┴─┐
        │自己│
        └──┘←A主の霊が入った状態(創世記2)
346名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 07:37:23 ID:MubukNzd
  善(知)           悪(不知)
┌──┐           ┌──┐
│理想│           │理想│
└┬─┘           └┬─┘
  └────┬─────┘
         │
         │ 「闇」属性
        ┌┴─┐
・・・・・・・・・・│自己│・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(創世記3〜)
        └┬─┘
         │ 「光」属性
         │
  ┌────┴─────┐
┌┴─┐           ┌┴─┐
│理想│           │理想│
└──┘           └──┘
  善(知)           悪(知)
347名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 08:02:25 ID:MubukNzd
アダムは霊を与えられ、善の存在の主を知らずに体感していた。
実を食べてはいけないという悪(不知)の概念の取得

>345アダムの理想の像は自分自身であるエバであり、主ではなかった。

>346実を食べる思いに至り、光属性の善悪を取得、光属性の悪を実行した。
 そして更に闇属性の悪を実行(主から隠れる)した。
348ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/08(土) 12:04:52 ID:z9JVGV2W
>>347
実はイブを誘惑した蛇様にも霊が与えられてました
悪の存在の主アドナイを知ってて主アドナイの命令によって
イブを誘惑しました。アダムは....ただのアホ男ですた
349キュロス:2006/04/08(土) 12:35:36 ID:beAv3utt
申命記 32:8〜9 新改訳
>「いと高き方が、国々に、相続地を持たせ、人の子らを、振り当てられた
>とき、イスラエルの子らの数にしたがって、国々の民の境を決められた。
>主の割り当て分はご自分の民であるから、ヤコブは主の相続地である。

同箇所 文語訳
>至高者人の子を四方に散らして萬の民にその産業を分ちイスラエルの子孫
>の数に照らして諸の民の境界を定めたまえリ
>エホバの分はその民にしてヤコブはその産業なり

同箇所 口語訳
>いと高き者は人の子らを分け、/諸国民にその嗣業を与えられたとき、
>イスラエルの子らの数に照して、/もろもろの民の境を定められた。
>主の分はその民であって、/ヤコブはその定められた嗣業である。

同箇所 新共同
>いと高き神が国々に嗣業の土地を分け/人の子らを割りふられたとき
>神の子らの数に従い/国々の境を設けられた。
>主に割り当てられたのはその民/ヤコブが主に定められた嗣業。

同箇所 フランシスコ会訳
>いと高き方が、国々に相続分を割り当て、人の子らを分けられた時
>神の子らの数にしたがい、国々の境を定められた。
>ヤーウエに割り当たのはその民、ヤコブはヤーウエご自分に定められた
>相続分。
350キュロス:2006/04/08(土) 12:44:08 ID:octbVUtP
>>349
この箇所の 「神の子ら」 と 「イスラエルの子ら」
違いがあるんだね。

ちなみに マソラ本文は 「イスラエルの子ら」で
LXX クムラン では 「神の子ら」 になっている
そうです。
351名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 12:49:48 ID:MubukNzd
ココモスキー
その見解>>348には、聖書が表す三位一体の構造を考察に取り入れられていない。
否定力ばかり増大させているから、肯定力の先にある奥義がみえないのだ。
どうせ信仰の土俵に入り込む気はないんだろうけど。
352名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 13:42:55 ID:MubukNzd
言い過ぎた・・・悪かったね、ココモスキー。探究も始めたばかりだし
全否定する者に、肯定力の先に見えるのが正しいことを断言しても無意味。

ココモスキーとの人間関係的に、
肯定という「賭け」に至らせる動機は、ココモスキーを肯定または否定すること
によっては生まれないのだ。
353名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 14:30:48 ID:MubukNzd
アダムは土で創造された段階で潜在的に光属性の陰陽も備えており
そのことの認識をしたのは実を意識したことによる。

蛇の言ったことは嘘ではなく、蛇という存在が闇そのものではなく、
光を遮る陰陽のある存在であることが窺える。
354名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 15:07:21 ID:MubukNzd
ココモスキーに肯定力(柔らかい信仰)を至らせるための、肯定・否定(陰陽)でもない
第3の関係力とその属性が何であるのか。
逆に肯定者に否定力を至らせる、第3の関係力とその属性がなんであるのか。
355ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/08(土) 17:23:54 ID:z9JVGV2W
>>354
>第3の関係力とその属性が何であるのか。
>逆に肯定者に否定力を至らせる、第3の関係力とその属性がなんであるのか。
わはははははははははははははははははははははははははは
この手の馬鹿はどうオチョクッタラいいのやら、ちょっと作戦を
考えておこ......

>>349
>いと高き神が国々に嗣業の土地を分け
このいと高き神とは誰かがキリスト教会にとっては重要な事らしいが
YHWHじゃないよ...僕はこの問題も10年以上前にホムペに
書いたよ...キリスト教会はどうしてもYHWHにしたいのだろうが
(それがイスラエルの子と言うわかり難い翻訳になってる)...
申命の編者がイスラエルの子なんて書くわけ無いんだよ、これは明らかに
キリスト教会の思惑で訳されてるっという事だよ...
いと高き神はカァナン神話の「エルの神」の名残で、そのエルの神が
YHWHに割り当てたのがヤコブの嗣業と言う
>主(YHWH)に割り当てられたのはその民/ヤコブが主に定められた嗣業。
つまりYHWHの上位神がいる事になるだろ...これがキリスト教会の
馬鹿どもには不都合なので、「イスラエルの子ら」なんて言う馬鹿げた
翻訳になるんだよ...僕のホムペを覗いた普通の方は知ってると思うけど

また怜にって、一般の大人には何でもない事なんだけど、キリスト教徒には
何回説明しても、どうしても理解(したくない)できない事柄ですた...
キリスト教徒はこんな事ばーーーーーーーかりだよ
わはははははははははははははははははははははははははは

356キュロス:2006/04/08(土) 19:00:02 ID:octbVUtP
創世記 14:18 新改訳
>また、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。
>彼はいと高き神の祭司であった。

この箇所の 「いと高き神」と訳出されている ヘブライ語は
エル・エリション

申命記 32:8〜9 新改訳
>「いと高き方が、国々に、相続地を持たせ、人の子らを、振り当てられた
>とき、イスラエルの子らの数にしたがって、国々の民の境を決められた。

この箇所の 「いと高き方」と訳出されている ヘブライ語は
エリオン

申命記 33:12 新改訳
>ベニヤミンについては言った、/「主に愛される者、/彼は安らかに
>主のそばにおり、/主は終日、彼を守り、/その肩の間にすまいを営
>まれるであろう」。

申命記 フランシスコ会訳
>ベニヤミンについてはモーセは言った、/「ヤーウエに愛される者は
>その傍らに安らかに住まい、/いと高き方は終日彼をかばい、
>彼の肩の間にすまわれる」。

ここで 「いと高き方」と訳出されている ヘブライ語は
アウラ もしくは エリー で神の古代名。

フランシスコ会訳のこの箇所の 注によると
>マソラ本では この名前を「彼に」あるいは「彼のそばに」という
>前置詞に誤って解釈している。
357キュロス:2006/04/08(土) 19:10:07 ID:qMtIVSu/
>キリスト教会はどうしてもYHWHにしたいのだろうが
>( それがイスラエルの子と言うわかり難い翻訳になってる)...
>申命の編者がイスラエルの子なんて書くわけ無いんだよ、これは明らかに
>キリスト教会の思惑で訳されてるっという事だよ...

つまり マソラ本 が「イスラエルの子」に成っているんだよ。
マソラ本 よりも その底本が古いと言われている LXX や
クムラン写本 では 「神の子ら」 になっているらしい。

底本であるマソラ本に よって訳出すれば「イスラエルの子」なんだよ。

それを 脚注も無く「神の子ら」と 訳出した 新共同は
いかがなものかと思いますよ。

やっぱり フランシスコ会訳のように 脚注で説明するべきだと
思いますよ。
358キュロス:2006/04/08(土) 19:16:06 ID:qMtIVSu/
まあ ココモ博士は ヘブライ語及びギリシャ語が
読める様だから ココモ博士が参照しているヘブライ語聖書
では どうなっているのかな?
359キュロス:2006/04/08(土) 20:46:31 ID:ROCmYxMY
つまり ヤーウェが バビロンのネブカドレツァルや ペルシャの
キュロスを 使って ユダ・イスラエルを 裁き・神に立ち返らせる
と言う事は バビロン捕囚期に 地上の世界では ユダ・イスラエル

は バビロンに敗北する のだけれど 天の世界つまり神々の世界では
ヤーウエが他の神々に勝利して ヤーウェが 最高神 いと高き方 
になるのですよ。

この辺の歴史認識が 逆説 なんだね。
地上では ユダ・イスラエルは 敗北するが 天の世界 では
ユダ・イスラエルの神ヤ−ウエ 他の神々に勝利する。

イエスは十字架で 弟子達に裏切られ・見捨てられて 惨めに死ぬが
天の世界では ヤーウエが死に勝利する。

イエスの十字架の意味は パウロ・マルコ等の福音書では逆説なんだと
思うよ。 青野太潮氏は パウロの十字架の逆説を マルコが引き継い
でいると主張しているらしい。
360ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/08(土) 21:28:00 ID:z9JVGV2W
>>357
何をアホな事を言ってるのか、理解に苦しむw、言ってる事が支離滅裂だよ
申命記の文章を良く考えてみな
申命記 32/8−9
「いと高き神」が「国々」に嗣業の土地を分け、人の子らを割りふられた
とき、「神の子ら」の数に従い「国々」の境を設けられた。
「主」に割り当てられたのはその民、「ヤコブ」が主に定められた嗣業。

「いと高き神」...YHWHより上位のエルの神
「国々」......カァナン地域の各国
「神の子ら」....それぞれの国の民

つまりエルと言うYHWHよりも上位の神が、カァナン地方の
国々の神にその民の人数によって、国を分け与え国境をつくった
それで、その神々の一人であるYHWHに与えたのが、ヤコブの嗣業
(つまりイスラエル)だと言う事ダロ

つまり多くの国と神(エルの息子達)と民がいて、エルが広大な地域
を分割してその息子達に分け与えた、それでその一人であるYHWHに
与えられたのがイスラエルだと言う事だよ...この「神の子ら」
と言うのは、「神々の子ら」だと思うよ...ここを「イスラエルの
子ら」にしたら、主が割り当てられたのがイスラエルだと言う次の
文章がはなはだ不自然になるだろ...
エルの息子達にはバアルをはじめ、他にもダゴンやアシュタロトなども
いるよ...その中にYHWHはいないようだけど、申命記の編者は
その一人と考えたんだと思う...

もっとも文章が不自然であろうが、意味が通じまいが、キリスト教会は
かまわないだろうから
361キュロス:2006/04/08(土) 21:35:51 ID:FetSfHJn
>>360 解らない人だね。
バビロン捕囚期とその解放期に ヤーウエが最高神に成ったんだよ。

つまり バビロン捕囚とその解放という 出来事がヤーウエが
その多神世界の 最高神に成った証明なんだよ。

その後に 他の神々は 神ではなく天使的な存在になるんだよ。
362キュロス:2006/04/08(土) 21:44:38 ID:FetSfHJn
フランシスコ会訳の聖書の脚注には その程度のことは
書いてあるんだよ。
カトリックの信者さん 聖書好きは フランシスコ会訳
ぐらい読んでいるんだよ。

新共同には 脚注はないの そしてその解説を全巻揃えると
数万円するんだよ。例のヨハネのブルトマンの注解も数万円するし。。

これは 一般信徒には 聖書だけを渡しておいて その意味は
聖霊の証明 とか 祈りによって解き明かされる なんて
訳の分からない事を 言って 聖書の解釈を 一部の職業信徒
(一般に牧師と言う)が独占している としか思えないよ。
363ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/09(日) 01:42:27 ID:o4z4z787
>>362
>これは 一般信徒には 聖書だけを渡しておいて その意味は
>聖霊の証明 とか 祈りによって解き明かされる なんて
>訳の分からない事を 言って 聖書の解釈を 一部の職業信徒
>(一般に牧師と言う)が独占している としか思えないよ。
それを非信者の俺に言ってる奴はもっとアホだろが、何でそれを
牧師にぶっつけなナいんだよ....ますます支離滅裂だろが...
それとなんでネットを使わないのか疑問だw...少なくともトマス福音書は
ネットで読めるはずだし新改訳もネットでフリーのはずだよ...こんな
ものに何万も請求するのは詐欺商法と同じだろ...食い扶持に困ってる
馬鹿聖職者が吹っかけてるに過ぎないと思うよ...

馬鹿を相手にしても時間の無駄だから、「ユダの福音書」の話をすると
昨日の朝日新聞に「ユダ、イエスを裏切らず」って一面に出とったw
昨日の今日なので確かな情報は集まりませんが、この「ユダの福音書」
は1970頃にエジプトの砂漠の中で見つかったらしい...文章と
言うかシナリオは僕が何ヶ月か前に誰かに言った事と粗同じです...
つまり、ユダはイエスから一番信頼されてた弟子で...もう眠い
又明日
364名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 01:50:16 ID:fZHVdXT7
キュロスさんは暇人氏か。本は沢山読んでるようだが、今ひとつピント外れで、
本質は掴んでいない。
365カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/04/09(日) 11:23:05 ID:hrUrqtZI
>ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。
>そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。
〜ヨハネ13:27

ユダは、自分の役目を果たしたんだね。
新約が旧約の預言の成就の為、編集されたのは間違いないと思う。
代表するのが、十字架上のエピソード。もちろんこのユダの裏切りも含まれている。
またイエスも、自ら、旧約の預言を成就する為に、自ら行動したのも間違いないだろう。
代表するのが、ロバに乗っての、エルサレム入城。
彼がユダに命じたことももちろん含まれる。そう、全ては出来レース。
予言ではなく、預言とはそういうもんだろう。
実はこの出来レース、今現在も続いてたりしてな、新約成就の為にね。

ところで、ユダの福音は、どうもグノーシス系の文書らしいね。
イエスの教えは、今の教会の教えより、グノーシスの教えに近かったんだと思う。
グノーシスはいいよ。佛教にも相通じるものがあるしさ。
グノーシスを批判する自称キリスト教徒は、グノーシスをろくに知りもしないで、批判している。
彼等が知っているのは、この世の創造主、悪神デミウルゴスぐらいのものだろう(苦笑)
まったくデミウルゴスの意味も知らないで。

ユダの福音の一節。
「お前はあらゆることがらを越えていくだろう。なぜなら、お前はわたしを包んでいるこの男を犠牲にするからである」

いいね。好奇心を激しくゆさぶる。早く読みたいね。
366処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/04/09(日) 11:29:09 ID:jVCQUA/V
こういう時は、マルコ書に戻って考えるべきだね。

ヨハネ書の成立時期はずっと遅いようだし、後世の解釈の介在が
強いから。
367処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/04/09(日) 11:37:06 ID:jVCQUA/V
>>365
 それは「グノーシス主義」をどう捉えるかだろ。
世俗化が進んだキリスト教世界でキリストがルナン
的解釈によって単なる道徳の先生に(以下略
368名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 13:56:31 ID:qNOBxFHF
キリスト教とは、旧約の数少ない「狂信者」であったイエスが、自分が「神の
子」であるという妄想から、旧約の真似をした自作自演。

新約でのイエスの言葉は、どのようにでも解釈可能な、一見気の利いた言い回し
の「修辞」に過ぎず、内容は空虚そのもの。

無知な信者が、2000年間騙され続けているだけの話。
369カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/04/09(日) 14:12:09 ID:hrUrqtZI
>>368
>新約でのイエスの言葉は、どのようにでも解釈可能な、一見気の利いた言い回し

どこが?
無知なのは君ら凡夫のほうだ。真理のかけらも無い君らは、
相も変わらず、自分達のエゴをぶつけてくる。これは滅びる者の徴だ。
で、君らはここでなにがしたい?ここのキリスト教徒達が、お前達のエゴの従えば、
満足かい?はっきり言えよ、俺の考えに従え!ってな。

狂信的なアホ信者も、ここで自分の考えを押し付ける無神論を狂信している、君ら無神論者も、
同じ穴の狢だ。まぁ、狂信している人になに言っても聞く耳持たないだろうが。

>無知な信者が、2000年間騙され続けているだけの話。

それを言うなら、無知な者が、2000年かかっても、イエスの言葉、キリスト教を理解しないだろう。
滅び行くしかない君ら凡夫は、みていて哀れだよ。
370名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 14:20:53 ID:qNOBxFHF
>>369
自分も人間であるのに、他の人間を凡夫呼ばわりする君は、神になったつも
りか。

自然状態にあった人間が、「知恵の木の実」を食べたために、身の程を忘れて
神など思考し、語るようになったことが「原罪」なのだ。この故に、一神教徒
神の怒りに触れ、果てしない争いと殺戮を繰り返しているではないか。

「自然状態」から離れたことが「罪」であるのなら、神とは、とりもなおさず
自然のことである。この自然、即ち神から最も遠いのがキリスト教。
371カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/04/09(日) 14:34:07 ID:hrUrqtZI
>>370
ハイハイ。凡夫は、凡夫。
言ってることが凡夫そのものじゃないか君は(苦笑)
無智な者は、無智。馬鹿はどこまでいっても馬鹿。
凡夫を、凡夫といってなにが悪い。
神を語ることが原罪ですか?さすが自然教だけのことはありますな。ククク。
せめて、原罪の意味くらい知ってから、意見しようね。ぼくちゃん。
残念ながら、君じゃ理解できそうにも無いが。
ちゅうか自然教の君は、一度病院で診てもらったほうがいいと思う。
このしつこさは異常。壊れてるんだよ、君は。ま、君のようなエゴの塊のような人は、
言っても聞く耳もたんだろうから、あとはお好きにどうぞ。

相手にされてないのに、いつまでもピエロを演じて下さい。
372名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 15:31:27 ID:qNOBxFHF
>>371
時代も異なる大昔の、一握りの精神異常の人間が書いた書物に過ぎない聖書
から、一歩の踏み出すことができないキリスト教徒。

まさに凡夫の極みでなないのか。

「原罪」の意味など、現代の人間が現代に応じて解釈すべきもの。原作者の
意図など、確かめる方法がないのだから。
373名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 15:40:25 ID:igqO+o3H
>「いと高き神」...YHWHより上位のエルの神
申32:8〜9は、モーセがイスラエルの民に説き聞かせた最後の教え(申31:30〜32:44)の一部だぞ。
あなたはモーセがヤハウェをエルのパンテオンにおける下位の神と信じていたとでもいうのか!?
一体聖書のどこをどう読めば、モーセがそんな戯けたことを言っていると取ることができるのかね。

もちろんイスラエルという呼び名からもわかる通り、エルが主神として崇拝されヤハウェはその下位の
神であった時期が古代イスラエルに存在した可能性は否定できないが、しかし現在の聖書の文脈では
ヤハウェがエルの下位の神と取るのはまったくナンセンスだと思うがね。
374名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 17:38:04 ID:vmRXhh6I
我々ゴイムも救われるんだ。嬉しいなぁ。
375mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/09(日) 22:16:13 ID:EeIxcsL/
>>364
そう思いますか? 学問的に解釈しても、信仰的な解釈が消えるわけでは
ないと思うけど。
376名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 23:16:14 ID:g87nPL+W
学問として解釈すると奇蹟が消える。本質と例えられる、聖書の大事な所は奇蹟。
極論すると、信仰とは聖書全体の統合性という奇蹟を読める力。
信仰を前提とした学問的解釈なら良いが、学問のための学問的解釈では奇蹟は奇蹟でなくなる。
ここで見えるキュロスという姿はボーダーラインに居るように見える。本音は解らないが。
377ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/10(月) 02:19:53 ID:fwnnsGOC
>>373
>申32:8〜9は、モーセがイスラエルの民に説き聞かせた最後の教え(申31:30〜32:44)の一部だぞ。
>あなたはモーセがヤハウェをエルのパンテオンにおける下位の神と信じていたとでもいうのか!?
それがキリスト教会のエゴイズムなんだよ...
申命記が編纂されたBC8−7世紀にそれより500年位前の
モーセの心情を書くわけないだろが...その時期の教団の施政者としての
スタンスで書いてるんだよ...それを痛烈に批判したのがエレミヤだよ
”「主」に割り当てられたのはその民、「ヤコブ」が主に定められた嗣業。”
の言葉に僕は3年位悩んだけど、ウガリド遺跡やらカァナン神話の資料を
調べてようやく申命記の編者の心境が理解できたんだよ...少なくとも
申命記の編者の頭の中ではYHWHの上位の神が存在してる聖句だよ...
これがエレミヤからバビロン捕因を経緯してYHWHを受容したのが
ユダヤの歴史だろね...
378373:2006/04/10(月) 14:01:53 ID:gEivyRij
>>377
>それがキリスト教会のエゴイズムなんだよ...
モーセ物語の文脈の通り解釈することが、なんでキリスト教会のエゴなんだ?さっぱりわからん。

>申命記が編纂されたBC8−7世紀
全然間違っている・・・。

>僕は3年位悩んだけど、ウガリド遺跡やらカァナン神話の資料を
>調べてようやく申命記の編者の心境が理解できたんだよ.
まず、ウガリト神話と申命記を比較して読んでみなよ。
そんな結論出て来っこないから。

>少なくとも
>申命記の編者の頭の中ではYHWHの上位の神が存在してる聖句だよ...
申命記の編者の頭の中はともかく、ヤハウェがエルのパンテオンの下位神であったという推測は
50年以上前に既にオットー・アイスフェルトが提唱しているし、古代イスラエル宗教史関連の書物には
必ず触れられている仮説だよ。3年も悩んだって、ずいぶん遠回りしたもんだな。

いずれにせよ、あなたがやっていることは聖書解釈というより、古代イスラエル宗教史を再構築する史料
として聖書を利用しているだけって感じだな。
379キュロス:2006/04/10(月) 19:41:22 ID:iGn7SXTQ
毎朝 日が昇る ことは当たり前のことではない
この事実が 奇蹟 だと思うよ。
380キュロス:2006/04/10(月) 19:49:59 ID:dHbnsRxf
自然現象の枠を超える現象が 超自然現象 だとすれば
超自然現象を認める考え方は 聖書的考え方ではない。

なぜならば 聖書は 神が 天地を創造した と主張しているからね。
381mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/10(月) 20:01:57 ID:Smbhn99h
ルカ 24−32
    二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、
    わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

聖書観の違いってありますね 正統主義、自由主義、新正統主義とか。
聖書無謬って聞いたことあるけど、それから先の話は聞いたことない。
何故 間違いがないのかな? 誤訳、わからないところがあっても、その箇所
だけで生活しているわけじゃないので、やはり通読して全体を読むことは
大切だと思うのね。

エマオ途上の話は2000年前からす゛〜っと続いているんです。それは教会
ですよ。聖書のイエスを説教者を通して説明しているんです。
(はずなんですけどね。) そうじゃないと困ります。
説教は、聞いた者の心が燃えるよう 説明するものなんですね。
382キュロス:2006/04/11(火) 18:37:24 ID:rP5wQD4d
さて いま話題の「神の子ら」と「イスラエルの子ら」という
呼称を パウロは どのように使っているかを 少し調べて見た。

パウロは 当然 トーラをヘブライ語で読めたはずで
いわゆるマソラ本 と LXXの 両方を暗記するぐらいに
知っていたはずだ。

ローマ書では 新共同では 10回 
       新改訳では  6回である

なんと 新改訳と新共同では 違う様だ。
383キュロス:2006/04/11(火) 19:06:27 ID:rP5wQD4d
>>382 まあ この翻訳の違いを 調べるのも興味深いことだけど
ここでは しない。

ローマ 1章4節
>聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に
>神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。

ここで パウロは主イエス・キリスト のことを「神の子」だと
している。

8章16節
>私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、
>あかししてくださいます。
この 御霊(神の霊のことなんだろうね)と 私達の霊 が
パウロを 神の子だ と証明していることだろうね。

つまり「神の子」 とは 神 そのものを指す言葉ではなく
また 多神主義的な神 でもないのだね。

8章14節
>神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
まあ 神の霊に導かれるとは 神に対して従順 と言う意味だろうね。

つまり 神に従順な人が 神の子だ と言うことだろうね。
イエスも 神に対して 従順だったから 「神の子」に成った
と言うことだろうね。
384キュロス:2006/04/11(火) 19:13:32 ID:rP5wQD4d
ルカ福音書の 系図に載っている人達は 全て 神の子
なんだね。まあ そう言うことなんだろうね。

まあ 旧約内の「神の子」と言う表現を ヘブライ人の中の
ヘブライ人は そう言う意味で使っていたんだろうね。
385ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/12(水) 00:15:11 ID:i3Wbl51T
全くキリスト教徒と言うのは文章が言語が読めないらしい...
”主に割り当てられたのはその民ヤコブが主に定められた嗣業”

主に割り当てられた...と言えば誰か主と違う物が主に
割り当てた事を示してるんだよ...
いと高き神が...国々に境を設けられた...その後この言葉が
あるんだろ
それじゃ「いと高き神」が「主」(YHWH)に割り当てじゃねぇか
それじゃ「いと高き神」と「主」は同じ分けないんだよ...
常識を持った人間はそう考えるけどな、キリスト教徒は
何処かの馬鹿が作ったドグマが災いして、そんな馬鹿な話は無い筈だ
と考えるんだよ、これは何かの間違えで、違う事を示してるんだ
に逃げてしまうんだな
これが僕が何回も指摘してるキリスト教のドグマと聖書の乖離だよ
「神の子ら」も神々だよ、詩篇82章の天空の大会議だよ...
詩篇82/6
わたしは言った「あなたたちは神々なのか皆、いと高き方(至高神エル)
の子らなのか」と。
これもカァナン神話の名残だよ

まあキリスト教会には甚だ都合の悪い話なんだろうが、少なくとも旧約
聖書はそこらへんの馬鹿なキリスト教会のドグマの為に書かれた分け
じゃないから、そんな連中の話なんか聞いたってしょうがないw
...わはははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは

 
386名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 18:31:05 ID:NFU2NGEC
>>385
>「神の子ら」も神々だよ、詩篇82章の天空の大会議だよ...

ローマ 1章4節
>聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に
>神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。

だから 初期のギリシャ系(非ユダヤ系)キリスト教徒は この
ローマ書の「神の御子」を 神 或いは 神と同等なもの として
理解したんだよ。

ユダヤ系でしかもバリバリのパリサイ派シェンマイ系(使徒言行録では
ガマリエルの弟子つまりヒレル系にしているが 俺はパウロはシェンマイ
系だとおもう。)の パウロは 「神の子」を 神に従がう者 或いは
神に従順な者 だと理解していたと オレは思うけどね。

これは ギリシャ人と言うか 多神世界の伝統の中で 聖書を読んで
いけば そうなるんだよ。
387373:2006/04/12(水) 18:36:19 ID:Y3hj9PaP
>主に割り当てられた...と言えば誰か主と違う物が主に
>割り当てた事を示してるんだよ...
マソラ本文を忠実に訳せば“主に割り当てられたのは〜”ではなく、“ヤハウェの分は〜”だ。
だから9節は、「いと高き神(エルヨン)」ヤハウェの取り分はその民であるといっているだけとも取れる。
あなたと似た仮説を提唱したアイスフェルトも9節についてそのように解釈している。
聖書ではエルヨンはヤハウェの呼称として用いられている(例えば詩47:3)し、申命記32章では
“わたしの他に神はいない”(39節)とか、他の神々は“神ならぬ”もの(17節、21節)といっているのだから、
ここでヤハウェより上位の神の存在を想定するのは【現在の聖書の文脈では】どうかと思うが。
まあ確かに申命記32章と詩篇82編は多神教の残滓が色濃く、議論のある代表的な箇所ではあるが。
388名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 18:42:53 ID:NFU2NGEC
だから パウロや各福音書の記述者たちが 旧約の伝統なかで
イエスを どのように理解したのか が関心の中心なんだよ。

だから 新約から旧約を見る ではなく 旧約から新約を見るんだよ。
パウロや福音書記述者達は 旧約から イエス を見たんだからね。

そう言う意味では トーラの記述者達や 詩篇作者達が 周辺世界の
他民族が祖先から伝えている 伝承 或いは 言い伝え を自分達の
信仰に合わせてどのように 記述 或いは 解釈したか が問題なので
あってその 周辺世界の 言い伝え や 伝承 そのもの が関心の中心
ではない と思いますよ。
389名無しさん@3周年:2006/04/12(水) 18:53:14 ID:NFU2NGEC
だから
「神の子」 という文言を ユダヤ人が読めば それは
神 或いは 神と同等のもの とは 絶対に思わないよ

しかし ギリシャ系(非ユダヤ系)の 人が それを読めば
神 或いは 神と同等なもの と解釈するはずだ

例えば 創世記で有名な「我々にかたどり」をユダヤ人が見ても
三位一体とは 解釈しない
しかし これを 三位一体 と 解釈する人達がいるんだよ。

まあ そう言うことです。
390ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/13(木) 00:56:58 ID:wr5Ri6ZS
”主に割り当てられたのはその民ヤコブが主に定められた嗣業”
これは毎日お題目みたいに出しましょう...僕は申命記派の編者が
ポロっとそのときの(BC7世紀位か?)伝統的教義を書いてしまった
んだと思ってるけど...10年ほど前に書いたここの部分のホムペ
が書き換えをしたいんだけど、忙しくて更新してないし、人気があって
一日に30人位見に来る所なんでそのままにしてるよ
エホバの素性
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_yhwh.html

どうせ此処からは誰も見にこないだろうけど
391バカモスキー:2006/04/13(木) 16:37:24 ID:1v9/AYN4
エジプトで70年代に発見され古美術商の手にあったパピルス紙の束が、専門家らによる修復鑑定作業の結果、初期キリスト教の幻の外典「ユダの福音書」の約1700年前の写本だと確認された。
聖書ではイエス処刑への道を開いた「裏切り者」として描かれる「イスカリオテのユダ」が、実は、イエス本人の命令に従い「救済」を完成させるために引き渡した「善行の人」だったと主張する内容で、議論を呼びそうだ。

13枚のパピルスに古代エジプト語(コプト語)で書かれたユダの福音書は、「過ぎ越しの祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」で始まる。
イエスは、ほかの弟子とは違い唯一、教えを正しく理解していたとユダを褒め、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と、自らを官憲へ引き渡すよう指示したという。

ユダは群集を引き連れてオリーブ山に来てイエスは捕えられ処刑されたと
いうように現在の新約聖書には書かれている。

現在の法王がこの写本を認め、ユダをイエスの裏切り者から理解者へと名誉回復をすれば
マラキの予言の「オリーブの栄光」ということになる。

「オリーブの栄光」が最後の法王「ローマの人ペトロ」だとしたら、現法王の任期中にローマカトリック、バチカンは終焉することになる。
392キュロス:2006/04/13(木) 18:37:56 ID:fyca+AZW
だから ユダとペトロの裏切りの程度は 同等なんだってば
それを 後世の人達が 反セム主義で 福音書を読むから
必要以上に ユダが悪者 になったんだ。

ユダは 自分の犯した過ちを 金を祭司に返すことで 清算しようと
したんだよ これは間違いなんだ 神に頼る べきだったんだよ。
人に(祭司)に頼ったから 死 と言う結果に成ったと思うよ。

まあ ペトロの裏切りから 信者の目をそらす目的で ユダを
ことさら 悪者に仕立て上げた と言うのが真相かもしれない。
393名無しさん@3周年:2006/04/13(木) 19:30:31 ID:Hmc4I2Z5
http://religion.web.infoseek.co.jp/ms/ms_30_01.htm

以前少しだけ入っていた、摂理(JMS)というカルト宗教の教義の一部ですが
一般的なキリスト教と通じている部分はありますか?
それとも完全に歪曲した解釈の仕方なのでしょうか?
自分には聖書やキリスト教の知識が全然無いので・・・。
394バカモスキー:2006/04/13(木) 21:44:56 ID:sUR2n2Z8
ノストラダムス 第1章53番

悲しいかな 偉大な国民が 塗炭の苦しみに喘ぐのを見るのは
聖なる法が滅び去るのを見るのは
キリスト教は他の法に支配され
金と銀の新たな源が発見される

ローマ法王庁が最後の迫害を受ける間、ローマの人ペテロが法王の座に就く。
ローマの人ペテロは多くの苦難のさなか、子羊を司牧する。
この苦難が去ると、七つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下される。

おわり

マラキの予言

ちなみに、ベネディクト15世にあたる第104番の予言は、「絶やされた宗教」である。
現法王、ベネディクト16世がこの名前を受け継いだのは、前任者の予言を成就するためだろうか。
395名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 07:09:13 ID:V9Btz6nK
 マルコ福音書は、弟子批判、女弟子批判、親族批判、脱エルサレム、つま
り、原始キリスト教会批判と考えられる。
 原始キリスト教会が、壊滅状態であった時、残った信徒に檄文を送ったのが
マルコ福音書であろう。

 まあ、ユダの裏切りが、強調されていることはあろうが、大したことはない
とは、言えまい。イエスが、ユダの裏切りで死ぬことを事前に知っていたよう
なことは、確かにあるから、不思議ではない。そして、不可避であったことも
同様である。そして、その責任は、やはりユダにある。

 ユダ福音書についていえば、イエスの内に臨在していた神の理解を、この
グノーシス文書は正しく理解していない。つまり、ガセということだ。
396名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 07:46:31 ID:V9Btz6nK
> イエスは、ほかの弟子とは違い唯一、教えを正しく理解していたとユダを褒め、
>「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と、
>自らを官憲へ引き渡すよう指示したという。

グノーシス的理解だな。ここのユダは、何も分かってない。
まあ、話にならないな。ユダの福音書は。

 それから、イエスが、ユダに、お前のやろうとしたことをするよう
にと、言ったのは、どちらかといえば、ユダの内にいたサタンに対し
てだよ。
 産まれてこなかったほうがいいといったのは、ユダにだけどね。
397名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 07:58:14 ID:V9Btz6nK
>ユダは群集を引き連れてオリーブ山に来てイエスは捕えられ処刑され
>たと いうように現在の新約聖書には書かれている。

ふと思ったが、マルコでは、ユダが、最後の晩餐の際に、イエスのグ
ループから離れて、出て行ったという記述はないように見える。

まあ、これらは、ユダ、ペテロだけではなく、十二使途批判だなあ。
マルコ14/27にある。
「あなたがたは《皆》わたしにつまづく」
全員というのが、マルコの理解だ。
398名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 09:45:55 ID:sDgLzEVj
聖書には予め彼は自分の行くべき所へいった‐またイエスも人の子を裏切るような者は呪われますとそれに神は誰に対しても悪を行わない‥ご自分で誰をも誘惑しない‐のだから惑わされない様にしないと,なぜそんな事もちゃんと聞ける牧師が周りにいないのですか
399名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 10:13:23 ID:V9Btz6nK
>惑わされない様にしないと,なぜそんな事もちゃんと聞ける牧師が周りに
>いないのですか

牧師ごときにできることを、なぜ、イエスが、実行できなかったのだ?
400名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 10:22:56 ID:V9Btz6nK
>>389
ちょっといいすぎたかなw
マルコの理解をちゃんと教えられる牧師という意味でなら、同意。

だが、実際には、イエスも、それを弟子に教えることはできなかった
のだよ。
そこまで教えることができる牧師は、皆無だろうなw
401名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 10:30:22 ID:OZjc7jS6
世界は終末に近づいて
サタンはなかなか後戻りせず
帝国は黒い国民に変わり
ナルボンヌは彼の目をえぐり取るだろう
(ノストラダムス 諸世紀 第3章 92番)

教会や各宗派は幻想に変えられ
破壊に向かうだろう
生きることよりも いっそう大きい傷を石にするだろう
人々はなめらかな舌で 耳を取り戻すだろう
(ノストラダムス 諸世紀 第1章 96番)

しかし、私は自分に予言者としての名称は望まない。私は死すべき人間にしかすぎないのだ。
ただ私は自力で、地球からというより感覚的に天から遠くない存在者だといえる。
「私は正しいことをなし、失敗することのないようにしむけられている」。
私はすべての人類の苦悩を背負っている世界で最も偉大な罪人であるけれども、しかし時には、予言的な気分で、あまりにも長期の予想に驚くことがある。
(ノストラダムス、息子セザールに宛てた手紙より)

大予言者の言葉は妨害され
圧制者の手の中に落ちるだろう
彼の企ては王国を欺く
しかし 強要は 彼を間も無く不安にするだろう
(ノストラダムス 諸世紀 第2章 36番)

条件は揃った。時は来た。
聖なる預言者を嘲笑罵倒した愚かな者どもに天罰が下されよう。
402名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 10:41:52 ID:V9Btz6nK
>「私は正しいことをなし、失敗することのないようにしむけられている」。

失敗ばっかじゃん。ノストラダムスはwww
403名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 11:14:16 ID:OZjc7jS6
>失敗ばっかじゃん。ノストラダムスはwww

失敗したのは汝ら地球人のほう。


愚かな読者に対する警告

これらの詩を読まんとする者は、よくよく考えるがいい
また、俗人、そして無知な者は近づかぬことだ
同様に、占星術を語る者、ペテン師達も引き下がるがよい。
忠告に反して行動する者は、儀式に従って呪われよう。
(ミカエル・ノストラダムス)

象徴を理解できない原理主義者、
聖書は譬え、象徴で書かれてあるのに、史実だと思い込み、すぐに検証しようとする原理馬鹿、
検証できることしか信じない検証馬鹿、
もう一つの聖典を認めず、聖書だけに頼る者、
救済の期限はとうに過ぎているのに、それに気がつかないで、まだ救済があると信じ、
いまだに偶像崇拝をしている夢見る馬鹿、
受け売りだけの知識をひけらかし、得意になっている受け売り馬鹿、
あげあしをとり、アラを探し、何とかしてやりこめようと、それしか考えない馬鹿。
下らない内容のない一、二行の文を書き込み、それを会話だと思っている真性馬鹿、

これらの愚者は掟に従って呪われよう。
404名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 12:58:04 ID:DS4sv5sz
イエス様はユダの将来起こす行為を罪と定めている。
ユダが犯すべく罪を知っていたのに見逃すということはどう考えるのか。
生きる人柱のイエス様に対するユダが滅びの人柱というのは筋が通らないと考える。
405名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 13:32:53 ID:OZjc7jS6
イエスは、全ての人類が生まれながらにして背負っている罪(原罪)を、
自らが全て背負い、自らが犠牲になることによって購った。
このイエスの犠牲、贖罪によって、人類に救済の可能性ができた。

>私はすべての人類の苦悩を背負っている世界で最も偉大な罪人であるけれども、
しかし時には、予言的な気分で、あまりにも長期の予想に驚くことがある。
(ノストラダムス、息子セザールに宛てた手紙より)

しかし、ここにもう一人「私もそうだ」と告白した予言者(実は預言者)がいた。
教会と信者はこの事実に全く気がつかず、無視してしまい、結果としてヘブライ預言の真意を理解できずに、救済を見過ごしてしまった。
406名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 15:53:56 ID:QNV13/ks
光と闇との 行き交う巷(ちまた)
http://www17.ocn.ne.jp/~sanbika/a304.htm
http://www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/276.html

いつくしみ深き 友なるイェスは
http://www17.ocn.ne.jp/~sanbika/a607.htm
http://www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/312.html

栄えに満ちたる 神の都は
http://www17.ocn.ne.jp/~sanbika/a199.htm
http://www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/194.html

十字架をしのび ハレルヤ!
http://www17.ocn.ne.jp/~sanbika/a171.htm
http://www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/148.html

御国(みくに)に昇(のぼ)りて  御前(みまえ)に伏(ふ)す日
http://www17.ocn.ne.jp/~sanbika/a118.htm

喜べや称えよや
http://www17.ocn.ne.jp/~sanbika/a168.htm
407名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 15:54:33 ID:QNV13/ks
マタイ27章25節 民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」
27節 それから 総督の兵士たちは イエスを総督官邸に連れて行き
部隊の全員をイエスの周りに集めた。29節 茨で冠を編んで頭に載せ
また 右手に葦の棒を持たせて その前にひざまずき「ユダヤ人の王 万歳」と言って侮辱した。
33節 そして ゴルゴタという所 すなわち「されこうべの場所」に着くと
37節 イエスの頭の上には「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。
38節 折から イエスと一緒に二人の強盗が 一人は右にもう一人は左に 十字架につけられていた。
40節 言った。「神殿を打ち倒し 三日で建てる者 神の子なら 自分を救ってみろ。
そして十字架から降りて来い。」41節 同じように 祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に
イエスを侮辱して言った。42節 「他人は救ったのに、自分は救えない。
イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。
43節 神に頼っているが 神の御心ならば 今すぐ救ってもらえ。
『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」44節 一緒に十字架につけられた強盗たちも
同じようにイエスをののしった。45節 さて 昼の十二時に 全地は暗くなり それが三時まで続いた。
46節 三時ごろ イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは
「わが神 わが神 なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
50節 しかし イエスは再び大声で叫び 息を引き取られた。
51節 そのとき 神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け 地震が起こり 岩が裂け
52節 墓が開いて 眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
53節 そして イエスの復活の後 墓から出て来て 聖なる都に入り 多くの人々に現れた。
54節 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは 地震やいろいろの出来事を見て
非常に恐れ「本当に この人は神の子だった」と言った。
55節 またそこでは 大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは
ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。
56節 その中には マグダラのマリア ヤコブとヨセフの母マリア ゼベダイの子らの母がいた。
408名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 15:55:32 ID:QNV13/ks
東方正教会の基本信条(ギリシャ語原典)
 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/symbol/greek.html#nikekon

ニカイア信条 [ ギリシア語 ]
 http://www.creeds.net/ancient/niceneg.htm

三大信条 [ ルーテル教会の礼拝式文より引用 日本語 ]
 http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/sinzyou.html

主の祈り [ ギリシア語 ]
 http://www.christusrex.org/www1/pater/JPN-gr-koine.html

主の祈り [ ラテン語 ]
 http://www.christusrex.org/www1/pater/JPN-latin.html

主の祈り [ 日本語 ]
 http://www.christusrex.org/www1/pater/JPN-japan.html

主の祈り目次 [ 日本語(各教派別) ]
 http://www.ss.iij4u.or.jp/~ana/inori.htm

主の祈り [ 五芒星の儀式(旧約からの引用箇所) ]
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/pentagrm/pentagrm.html
409名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 16:17:28 ID:NbiNLBIi
十字架の道行(フランシスコ会)
 全部で14(全14留)のキリストの受難を表した絵や彫像があり 黙想を助けます
http://www2.odn.ne.jp/~aai50550/kirisutokyo-03.htm

【第 1留】 イエス死刑の宣告を受ける
人々は「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだ。
ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。
この男に死刑にあたる犯罪は何も見つからなかった。だから、
ムチで懲らしめて釈放しよう。」ところが人々は、
イエスを十字架につけるようにあくまでも要求し続けた。その声はますます強くなった。
そこでピラトは彼らの要求をいれる決定をした。〈ルカ23・21〜24)
 なにゆえ、国々は騒ぎたち、人々はむなしく声をあげるのか。
 なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して主に逆らい
 、主の油そそがれた方に逆らうのか。(詩篇 2・1〜2)

【第14留】 イエス墓に葬られる
亜麻布に包み、まだ誰も葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。
イエスと一緒にガリラヤから来た 婦人たちは、ヨセフの後について行き、
墓と、イエスの遺体が収められている有様とを見届けた。(ルカ 23・53/55)
 彼が自らをなげうち、死んで、罪人の一人に数えられたからだ。
 多くの人の過ちを担い、そむいた者のために
 り成しをしたのは、この人であった。(イザヤ 53・12)
410名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 16:28:18 ID:OQaEYFGE
クレド(われ信ずる。信仰宣言・キリスト教信条)
  http://romaaeterna.jp/japanese/latin/l507credo.htm
主の祈り
  http://romaaeterna.jp/japanese/latin/l503pater.htm

ロザリオの祈り【 ドミニコ会 】
  http://www.minc.ne.jp/~hosanna/prayer/rosary/rosary2.htm
死者のための祈
  http://www.minc.ne.jp/~hosanna/prayer/requiem/requiem1.htm#defunctis
哀れみの賛歌
  http://romaaeterna.jp/japanese/latin/l581kyrie.htm
 http://www.minc.ne.jp/~hosanna/menu4.htm

霊操(心霊修行)イグナチオ・デ・ロヨラ著【 イエズス会 】
  http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=62&to=70
ダニエル書補遺ベルと竜 知恵の書13−14章(偶像崇拝の否定・[イエス以外の]人間崇拝の否定)
  http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=79&to=85
聖書要略−4レスまとめ−(キリスト教の信仰生活の基本姿勢)
  http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=45&to=49
【 ニケヤ・コンスタンチノポリス信経 】ほか外国語カナ発音ルビ祈祷文
  http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=11&to=31
411名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 19:05:21 ID:1shGL1vl
>>404
>ユダが犯すべく罪を知っていたのに見逃すということはどう考えるのか。

誰しも、その行為は、自身の責任による。
イエスが、ユダの面倒を見なければならないというのは、甘えに過ぎない。
残念ながら、そこまではできない。というよりは、できるのだったら、とっくに世の中が変わっている。変えているだろう。

「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。
また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」  (マルコ4/3-8)

イエスは、実を結ばない種をも救うとは、言ってないだろう。
不利な場所に落ちた種は、自分で、這ってでも良い場所に移動しなければ枯れてしまうものだ。

はっきりいって、全知全能の神というのは嘘だが、神は、人類の未来を定めているというのは、本当である。
412キュロス:2006/04/14(金) 19:11:14 ID:WLZGTGCc
>>411
その喩え話は 「種を播く人」が 主人公なんだね。
つまり 未熟で使い物にならない「種を播く人」を 批判しているんだよ。
413名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 19:15:54 ID:1shGL1vl
>未熟で使い物にならない「種を播く人」を 批判しているんだよ。

種を播いたのは、誰だ?
神ではないのか?
414名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 19:21:12 ID:RiS1ZQqw
キリストは神という種をまいた。
415名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 19:23:54 ID:1shGL1vl
まあ、神の言葉とでもいったほうがいいのかなw
416名無しさん@3周年:2006/04/14(金) 19:40:44 ID:1shGL1vl
イエスの内にいた神が、神の言葉を、播いた。

今日は、ここまで。また会おう、キュロス君www
417キュロス:2006/04/14(金) 19:46:48 ID:ecFcv8Bq
>>413
>種を播いたのは、誰だ?

まあ 当時のキリスト教の聖職者達 のことだろうよ
マルコは ペトロを初めとする12弟子批判が 一つの
主題みたいなものだからね。 
418mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/14(金) 21:48:58 ID:IZo9Xqrq
マタイ マルコは育って実を結び30、60、100倍になっているけど
ルカは100倍になると書いてあるだけなので、育った実の程度は
関係ないのですね。いいですね こういうのも。
419キュロス:2006/04/15(土) 09:01:00 ID:EEODA7ho
イエスの時代の種まきは 現代の日本のそれとは 違うらしい。
当時のパレスチナでの状況は よく知らないけど 古代エジプトの
種まきを描いた壁画がある。

それによると 日本の場合のように 畑を耕してから種を播く
のではなく まず先に種を巻き そして耕していたらしい。

ナイル川流域の肥沃な土地だから出来たのかもしれない。
イエスが生まれ育った ガリラヤの土地も肥沃だったらしいからね。
420名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 09:39:39 ID:rRLkBEqR
>>417
>>種を播いたのは、誰だ?
>
>まあ 当時のキリスト教の聖職者達 のことだろうよ
>マルコは ペトロを初めとする12弟子批判が 一つの
>主題みたいなものだからね。

場面は、ガリラヤで、イエスが群集に向かって教えていた場面だ。その後に「種を播く人」のたとえが出てくる。

「イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。
イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。」(マルコ4/1-2)

イエスは、《ガリラヤの群集》に、

『「ペトロを初めとする12弟子」は、「未熟で使い物にならない」』

と、教えたのかね? 話にならないなwww
421名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 09:40:21 ID:rRLkBEqR
弟子批判や親族批判は、たしかにあると思うよ。
それは、教団の教義内容を暴露したという点だろう。
当時のユダヤ人は、教義の内容を秘匿することで、権威を高めるということを、よく行っていたからね。
その意味では、よく言われるが、マルコ福音書自体が、弟子批判や親族批判とされるのだよ。
この後すぐにある、

「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。」(マルコ4/22)

 は、その表現かもしれないな。

422名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 09:47:39 ID:ESf9vPmN
「種を蒔く」という表現は、
「もともとその作物がなかった土地に新たに種を蒔いた」
という意味。

「種」というのは、「預言、言葉、聖書、福音」

だから、この表現は、
「もともと地球人(の歴史)には、預言、聖書、福音は存在しなかった。
それを、後からイエスだか天使だかか来て、それらを付け加えた。
そして、その後の経過を見守っていて、収穫の時(審判の時)が来たら、
合格者だけ収穫する(引き取る、掲挙する)」
という意味。

天使だかイエスは「種(預言、福音)を与えたが、それをどう活用するかは、あなたがた地球人しだいですよ」
という忠告。

天使は忠告はするが、強制はできない。

この歴史と時間の流れを理解しないで議論しても無駄。
423名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 09:52:47 ID:rRLkBEqR
ノストラダムス、うぜえーーー
424名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 10:01:12 ID:rRLkBEqR
>この歴史と時間の流れを理解しないで議論しても無駄。

おまえこそ、旧約聖書を読め!
425名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 10:04:50 ID:ESf9vPmN
>「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。」(マルコ4/22)

天使(預言の真の作者)は歴史に種を蒔いた(預言を付加した)。
しかし、時代の制約もあるから、譬え、象徴、暗喩で書くしかなかった。
だから、そのままでは、地球人は最後まで預言の真意(象徴的意味)を理解できないかもしれない。
ならば、預言の真意が理解できるはずの時代になったのなら、預言の真意を教えてあげましょう。
最期の審判の直前、時が熟して収穫直前になったら、預言の解読者を遣わして、預言の真意を教えましょう、という約束、計画。

しかし、預言を与えた時点においては、「答えを教えても、地球人が理解できるかどうか、指示に従うかどうか、
また、何人が理解でき、合格者が何人いるか」、は判らなかった。

それは、その時点にならないと天使にも判らないことだから、預言には書きようがない。
掲挙される人数だって判らなかったんだから。
「与えるだけではなく、答えも教えます。そこまで面倒みてあげましょう」ということ。
そこまでしても地球人が理解できなければどうしようもない。

今回もゼロ、中止という残念な結果になっちゃったけど。
426名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 10:05:43 ID:rRLkBEqR
ノストラダムス、うぜえーーー
427キュロス:2006/04/15(土) 10:30:35 ID:EEODA7ho
エズラ記(ラテン語) いわゆる第4エズラ記
8章41章 新共同
>農夫が地に多くの種を播き、多くの苗を植えるが、時が来ても、
>播かれたものがすべて無事に芽を出すわけでものく、植えられた
>ものがすべて根付くわけでもない。それと同じく、この世に
>播かれた人々がすべて救われるわけでもない。

マルコの「種を蒔く人の喩え」は この第4エズラ記の
この考え方に近いのかな。

「種を蒔く人」が主人公だとする説は オレの持っている資料には
ないね。

大貫氏が 「いずれにしても 道端、石だらけの土地、さらに茨の中に
まで無差別に蒔くと言う非常識です。しかもこの非常識さがこの喩えの
話の一つのポイントです」「神の国が人間にとって形式的には死と同じ
来方で到来し、実績とか、貧富の差とかそのほかあらゆる人間的な差異を
無化してしまうことの比喩なのです。神は人の尺度で測ると非常識なのです」

「しかし、その神の国に直面して人間の態度決定は一通りではなく
さまざまであり得るのです」といっている。
428キュロス:2006/04/15(土) 10:48:08 ID:EEODA7ho
>>427
また ごく最近の研究では この喩え話しは 未来のことを
言っているのではなく、この「種を蒔く人」は、困難な状況の
中で苦労している 雇用労働者や小作人の ことらしい。

そして その苦労する「種を蒔く人」に共感してこの話しを読むと
惜しみなく与えてくれる 神とのつながりは 福音として 受け取
れる。
429キュロス:2006/04/15(土) 10:52:19 ID:EEODA7ho
>>428 最後の良い地に落ちた「種」だけが 複数形で表現されている、
らしい。
430キュロス:2006/04/15(土) 10:57:19 ID:EEODA7ho
「共観福音書の社会科学的注解」を読んだ後に 
田川氏の本を読むと 田川建三氏の説も 護教的に見える
感じもする。 
431ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/15(土) 23:15:48 ID:VV5IeMNh
マルコは駄々っ子みたいな者だろね、何処の社会にもいる
青二才だよ...馬鹿な教会は、原始教会の上層部を批判
してるマルコに自分等の馬鹿教会の原始教会批判を重ねてる
だけだよ...馬鹿教会の原始教会批判とマルコの上層部批判
とは全く違ってて、マルコの上層部批判はむしろ今の馬鹿教会
批判に近いのにそれに気づいてないw...単に批判してる事が
好材料になってるだけだろ...パウロがマルコを小僧っ子扱いして
馬鹿にしてエルサレムへ追い返してるよ...パウロは原始教会を
「神の教会」と言ってるだろ...なーーーーーんて言ってると
パウロが馬鹿にしたマルコは違うって言うんだろね...
何でもいいや....どういう理由付けしても今の馬鹿教会が
馬鹿教会である事には変わりないし、とっくに馬鹿にされた
事を必死になって馬鹿ではナイと言う裏付け説明にやっきになってる
事がワシ等から見たら可愛そうにも思えるw...わはははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは


の為にありとあらゆる手練手管を屈指してる事は
432名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 23:36:50 ID:gq3sYZyf
最後の一行は何?
433ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/15(土) 23:55:49 ID:VV5IeMNh
癌を攻撃しようとして、強力な抗がん剤を使うと、正常な細胞が
ダメージを食らって、癌細胞が抗がん剤を餌にするそうだ...
まるで何かに似てるよw...馬鹿信者に専門書を与えると
馬鹿信者はそれを餌に自己防衛するもんだ...わはははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
434名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 00:02:35 ID:VeW+HjKm
はははの為に?
手練手管を屈指??

ココモスキー語録集の注解書を見ないと、解読不可能。
435ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/16(日) 00:37:53 ID:ma3QqsH9
どうも腑に落ちない事があるけど、タガケン...荒井献...
コイツラの教団には、聖書学者の文献に関してのこいつらの論評集が
あるんだと思うよ...こいつらの教団の中に数人読んでる奴がいて
、そいつが馬鹿信者向けに資料を書いてるんだと思うw....
荒井献の文献にしてもかなり高いし、膨大かつ難解なんで、そんなに
簡単に何々って書いてあったなんて言えないよ...
以下は荒井献氏の文献ですが
われわれはコリント人への手紙から、パウロがコリント教会を去った後に
パレスチナからこの教会に「ことなる福音」をもたらした複数の人物に
よって起こされたコリント教会の状況を推定する事ができる。彼らは
巡回霊能者として自らの被扶養権を主張し、イエスの言葉の秘教性と
その解釈を一義的に主張した。これは福音の自由のために被扶養権を
放棄し、十字架の愚かさに逆説的救済を見いだそうととしたパウロの
使徒としての役割に疑問が呈される。コリント教会における富裕知識人
たちは、彼らの霊肉二次元的な人間理解を受容し、死人の復活を否認
するに至ったため、貧者達の間に霊的熱狂主義をひき起こした。
すなわち彼らは、「神の国」が霊においてすでに実現していると熱狂的
に信じ、霊的な富と支配を誇って、世俗的なものを二次的とみなし、極端
な禁欲主義に陥いった。パウロは書簡によりこの様な事態を批判し、彼
固有の立場からイエスの言葉を引用し、イエスにおける啓示の秘教性と
逆説性を強調している

....さーーーーて、馬鹿信者がどの位理解してるんだろ...
436名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 00:44:38 ID:eafjOPJ6
事を必死になって馬鹿ではナイと言う裏付け説明にやっきになってる
事がワシ等から見たら可愛そうにも思えるw...わはははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは


の為にありとあらゆる手練手管を屈指してる事は
437ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/16(日) 00:57:08 ID:ma3QqsH9
そういうグループがあるみたいね...まちがえなくプロテだと
思うけど(こんな愚かな事をするのはプロテに決まってる)
今時聖書学者の文献を調べてないと馬鹿にされると言う変な
風評を気にしてて...誰々の文献にはカクカクしかじかと
書かれてると全くの嘘っぱち(文献で学者が主張してる
事と全く違う)を書いて、あたかもその馬鹿教会の主張が
正しいが如く書いてある...馬鹿教会の十八番だよ
....わはははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははは
438名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 01:07:16 ID:eafjOPJ6
事と全く違う)を書いて、あたかもその馬鹿教会の主張が
正しいが如く書いてある...馬鹿教会の十八番だよ
....わはははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははは

439名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 01:20:43 ID:now6BpQo
【 主イイススの復活の次第 】日本正教会翻訳
 我主イイスス ハリストスの新約 マトフェイ福音 第二十八章
一 安息日(スボタ)過ぎて
 七日(なぬか)の首(はじめ)の日の黎明(よあけ)に
 マリヤ「マグダリナ」と他のマリヤと墓を観(み)ん為に来たれり。
二 視(み)よ地(ち)大(おほい)に震(ふる)へり
 蓋(けだし)主(しゆ)の使(つかい)
 天(てん)より降(くだ)り就(つ)きて
 墓の門より石を移して、其(その)上(うへ)に坐(ざ)せり。
三 其(その)容(かたち)は電(いなづま)の如(ごと)く
 其(その)衣(ころも)は 白(しろ)きこと雪(ゆき)の如(ごと)し。
四 守る者は彼を懼(おそ)れ戦(をのの)きて
 死せし者(もの)の如(ごと)くなれり。
五 天使(てんし)婦(をんな)に對(むか)ひて曰(い)へり
 爾等(なんぢら)懼(おそ)るる勿(なか)れ 我(われ)爾等(なんぢら)が
 十字架(じふじか)に釘(てい)せられし イイススを尋(たづ)ぬるを知る。
六 彼は此(ここ)に在(あ)らず 蓋(けだし)其(その)言ひし如(ごと)く
 復活(ふくくわつ)せり、來(きた)りて
 主(しゆ)の置かれし処(ところ)を観(み)よ
七 且(かつ)速(すみやか)に往(ゆ)きて
 其(その)門徒(もんと)に告げて曰(い)へ
 彼(かれ)死より復活(ふくくわつ)せり
 爾等(なんぢら)に先(さき)だちてガリレヤに往(ゆ)く
 爾等(なんぢら)彼処(かしこ)に於(おい)て 彼(かれ)を見(み)んと
 視(み)よ、我(われ)爾等(なんぢら)に言(い)へり。

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1127025404/482-484
440ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/16(日) 02:55:35 ID:ma3QqsH9
ユダの裏切り者扱い
原始教会の親ファリサイ派扱い
パウロの原始教会賛美の無視

これらは全部馬鹿がやった事です。今の馬鹿教会はこれらの過去の
重大な過ちから抜けられないでいます。わははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは

気の毒なかたがたですね....少々のことでは払拭できないでしょうが
これから抜けられない為にまた新たな馬鹿を創造してるのが今の
主にプロテ系の馬鹿キリスト教会です....わはははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
441名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 03:10:09 ID:eafjOPJ6
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは


の為にありとあらゆる手練手管を屈指してる事は
442ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/16(日) 03:30:44 ID:ma3QqsH9
まだあるよ....
@ダニエル書の成立年代の誤認
@ゼベタイのヤコブが刺殺された時に兄弟のヨハネも一緒に
 殺害されたと思ってる人が未だにいる
@AD48−50年頃にエルサレムで原始教会の面面が異邦人と
 ユダヤ人対立の為の宗教会議がなされた事を知らない人もいるか?
 −>知ってる人が少ないだろね....
@パウロは原始教会って知ってるだろか?
@「神の教会」って何?
@ヨハネ福音書の編者の中に洗礼者ヨハネの残党がいたってホント?
@Qの編者ってだれ...僕は半分位が原始教会だと思ってる
@Qの編者の原始教会での位置づけは?
@洗礼者ヨハネの共同体はマタイが言うほどに過激だったか
 −>多分マタイの編者に常識が無かっただけかもしれない
@イエスと原始教会は主張にどれだけの違いがあるか
 −>二アリーイコールだと思う
@ペテロはホントに岩の様な奴か?
 −>はじめはそうだったのでしょうが、イエスに諭されて....
 −>その重大決断で、ヤコブへの禅譲がなされたと言うのが僕の説

 
443名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 03:49:21 ID:eafjOPJ6
の為にありとあらゆる手練手管を屈指してる事は
444名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 04:24:22 ID:eafjOPJ6
寝たのか? >ココモ


エホバの証人時代のことはもう忘れろ。
いつまで傷を引きずるつもりだ。
主は痛むほど惜しみなくあなたを愛してくださっています。
445名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 07:07:56 ID:BFfyEYz5
>>439

聖歌171 賛美歌148番 「救いの主は、ハレルヤ」
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/masaki-ooi/htext/148.htm
聖歌529 賛美歌453番 「聞けや、愛の言葉を」
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/masaki-ooi/htext/453.htm
 http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~syouzou/column/sanbika/s453.htm
 http://www.rakuno.ac.jp/dep16/omoide08.htm
聖歌199 賛美歌194番 「栄えに満ちたる」
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/masaki-ooi/htext/194.htm
讃美歌541 頌栄
 父、み子、みたまの おおみかみに、
 ときわにたえせず みさかえあれ。みさかえあれ。アーメン。
 http://www17.ocn.ne.jp/~sanbika/a383.htm

ウェストミンスター信仰基準
 http://www.ogaki-ch.com/WCF/text/index.htm
四福音記者・所属配下・所属教会
 弟子マタイ・兄弟ヤコブの配下・エルサレム教会(監督1)
 書記マルコ・弟子ペテロの書記・エジプトのアレキサンドリア教会(監督3)〜バビロニア教会
 書記ルカ・使徒パウロの書記・シリアのアンテオケア教会(監督2)の医者・画家・秘書
 長老ヨハネ・書記ルカの子弟・ギリシアの諸教会
三監督(3司教・3主教)により、次の監督(司教・主教)を叙任
 エルサレム教会・初代監督・主の兄弟ヤコブ・城壁より突き落とされ落下地で撲殺により殉教(ユダヤ戦争前後[70年前後])
 アンテオケア教会・第二代監督・イグナチオ・獣と戦う刑により殉教(AD110ごろ)
 スミルナ教会・監督・ポルカリュポス・生きたまま焼かれるの刑により殉教(2世紀前半)
446名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 18:23:38 ID:xbXaOLTR
スレ違いコピペ乙
447キュロス:2006/04/16(日) 18:55:42 ID:4fYSnEUQ
マルコ福音書
>6:3 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、
>ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に
>住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。

マルコ福音書では ここで始めて イエスの母マリア が登場する。

>15:40 また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラ
>のマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。

次に 登場するのが 十字架の場面だ。
なぜ 「小ヤコブとヨセの母マリア」 と言う表現をするのでしょうね。
つまり イエスの母マリア と言う表現をしないのでしょうね。

>16:1 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、
>サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。

そして この3人で イエスの居ない墓 に行き イエスの復活を
知るわけなのだが ここでは「ヤコブの母マリア」になっているんだね。
448キュロス:2006/04/16(日) 19:19:08 ID:4fYSnEUQ
ヨハネ福音書
>19:25 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの
>妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。

共観福音書とは伝承ルートが違うと 言われているヨハネ福音書では
イエスの十字架の場面に「クロパの妻マリア」が名簿に追加されている。

>20:1 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは
>墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

復活の場面では 「マグダラのマリア」だけが 登場する。
そして 墓の中は 見ないのですね

>20:2 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛して
>おられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。
>「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、
>わたしたちには分かりません。」

マグダラのマイアは 「墓から石が取りのけてある」ことしか
確認していないのにも かかわらず 墓の中が空 だと言うこと
弟子達に 報告するのですね。

マルコ福音書では 二人のマリアとサロメが 空の墓 を確認する
のだけど ヨハネ福音書では マリアは 空の墓 を確認するのは
ペトロともう一人の弟子 であり 墓に入るのは ペトロ なんだね。
449キュロス:2006/04/16(日) 20:23:06 ID:Ogn9EM00
ヨハネ福音書
>20:4 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、
>ペトロより速く走って、先に墓に着いた。

マリアが最初に 墓に行くが 墓の中は 確認しない
「もう一人の弟子」はペトロより先に 墓に行き 空の墓を
確認するが 墓の中には 入らず 後から着いた ペトロが
墓に入る。

>20:8 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、
>見て、信じた。

そして 「見て、信じた。」 彼は何を 見て信じたか?
そうなんだね 彼はマリヤの証言 つまり 「墓から石が取りの
けてある」ことで「主が墓から取り去られ」たこと を信じたのだね。
450キュロス:2006/04/16(日) 20:32:16 ID:Ogn9EM00
>>449
>彼はマリヤの証言 つまり 「墓から石が取りの
>けてある」ことで「主が墓から取り去られ」たこと を信じたのだね。

これを 以下のように 修正する。

彼はマリヤの証言 つまり 「墓から石が取りのけてある」ことから
「主が墓から取り去られ」たこと 推理した マリアの証言を信じたの
だね。

ペトロ と もう一人の弟子 の墓に到着順序に
何か意味があるのかな?
もし 意味 があるとすれば
ペトロ は 何を象徴しているのかな
もう一人の弟子は ヨハネ福音書の集団を 象徴している事は
想像できるけどね。
451名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 21:48:33 ID:QI2T08O0
>>450
バカあぢwfq原始教会あg」しわzsbんペトロさgらfdsあはあれゆh
あbはんばんぢあrhパウロjwrfhdユダgぢいw

はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは

バカバカバカバカバカバカあtげあwyがあうぇお9gは

はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは


452名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 23:31:58 ID:YaDrKaHe
キリストは既に世に送られました。イエス・キリストを信じる者は救われます。

信仰の多くはどこから得られるのか。多くの人は聖書の御言葉に縁る。
御言葉の理解には、求める力が必要。そして正しい理解は信仰が与えてくれる。
求める原動力は聖霊に縁る。信仰は力となる。

道と例えられるのは、信仰が道程の値だからです。
強い信仰とは、御言葉の理解と実践(力)です。強い信仰を得る過程が道程です。
実践とは己の十字架を負うことです。己の十字架が人を生かす力となります。
生かした者と生かされた者の差が富となるのです。
453ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/16(日) 23:54:04 ID:tOrfAjwu
馬鹿な連中の読解力を知りたいので、何処の何章とも書かないで、そのまま紹介
するね....馬鹿どもにお尋ねします。
1...これは誰の聖句でしょう?
2...マリハムって誰?
3...シモン・ペテロって誰?
4...これを書いた人はどういう思想のグループか?
5...この聖句の持つ意味は?

シモン・ペテロが彼女達に言った。”マリハムはわたしたちのもとから去った
方がよい。女たちは命に値しないからである”。イエスは言われた。”見よ、
私は彼女を天の国へ導くであろう。私が彼女を男性にするために、彼女も
また、あなたがた男たちに似る生ける命になるために。なぜなら、どの女
たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天の国に入るであろうから”

454名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 09:18:20 ID:jxRQGaq6
>>453

1...一番弟子ペトロと主イエスの対話の聖句。
  トマス格言集(114節)
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html
  μορψη(モルフェー・み姿・外貌・像)フィリピ2章6節
  肖像・像: エイコナ・イコン
(文章・書き記し・刻銘・書物: グラマタ・グラフェー
 [十字架の罪状書き
(書き記しには「ナザレンのイエスス、イウダイオンのバシレウス」とあった)
 ・硬貨である金文の刻銘
(誰の像か、何と書き記してあるのか「カエサルの肖像です」と答えた
  ならば、神のものは神に、カエサルのものはカエサルに返しなさい)])
  影・像: スキーマ

2...マグダラのマリア、イエスに七つの悪霊を追い出して
    いただいた婦人である(マルコによる福音書16章)

3...あなたはペトロ。わたしは この岩の上にわたしの教会を建てる。
    陰府の力もこれに対抗できない。(マタイ16章18節)
    シモン・ペトロ(16節)
    ケファ=ペトロ(岩)=漁師シモン(別人:皮なめしシモン・大能シモン)
   「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」
   「わたしはキリストに」などと(コリント一1章12節)

4...トマスの仲間。
    アンドレアス・レビ=取税人マタイ(マリヤによる福音書17:10−19:2)
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=91&to=120

5...女性性を武器に使わない。男性と同じ労働によって糧を手にする生き方。
455名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 09:20:05 ID:jxRQGaq6
叡智の光_グノーシス主義用語語彙集
 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/preterm.html

『トマスによる福音書』ナグ・ハマディ文書。「NH-II-2」(07)
C)キリスト教的グノーシス文書。
『ナグ・ハマディ写本』中のグノーシス主義文書。
古来より、正典(カノン)『新約聖書』四福音書以外に
『トマスによる福音書』と呼ばれる第五の福音書が存在したことが
記録として残っていた。原本は湮滅したものと考えられ
内容を僅かに伝える記録しかなかった。『ナグ・ハマディ写本』の発見において
その第一コーデックスに、この往古の福音書と比定される文書が含まれていた。
内容は、イエズスの語録集で、形態的には『Q』に近い。
荒井献の翻訳解説で講談社より出版されている。

聖書−聖句検索つき
 http://www.bible.or.jp/main.html

http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=215&to=224
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=238&to=247&nofirst=true
456名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 09:51:20 ID:PYeTgozb

トマス


マグダラのマリア


使徒ペテロ


グノーシス派


正統キリスト教(ペテロ=男性優位)に対する異端派(マリア=女性尊重)よる反駁
457名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 14:14:58 ID:PYeTgozb
>>453
じゃあ、お返しだ。

妻はその夫と[@]で結びつけられる。しかし、[@]で結びつけられた人々は、
もはや離れることがない。エバがアダムから離れたのは、彼女が彼と[@]で
結ばれなかったからである。

1.出典は?
2.@には何が入るか?
3.@の秘儀は何派で執行されていたか?一つ挙げよ。
4.上に引用した関連で、次の文章の[A]と[B]と[C]に何が入るか?

キリストの[A]はマグダラのマリアである・・・(キリストは)しばしば彼女の[A]に
[C]をした・・・
458mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/17(月) 18:51:27 ID:+N6xYnz0
>>450
ヨハネ20;4  新改訳
    もう一人の弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
ヨハネの方が若いから足が速いみたい。だけではないんでしょうけど
ペテロは、背信行為をしていて足が重かったのかもですね。

ヨハネ20;8    そして、見て、信じた。
ヨハネ20;9
    彼らは、イエスが死人の中からよみがえなければならないという
    聖書を、まだ理解していなかったのである
聖書を理解する前に信じることができるんですね 愛されている弟子の
体験の前には教理なんて すっとんでしまうんですね。
459名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 21:47:28 ID:lMjPSA4l
>>457

1.フィリポによる福音書§55b(対応: コロサイ・ローマ・コリント)
2.@愛
3.バルベロ派?あるいはフィリポ派?
4.A弟子 Bクチ(マウス) C接吻(キス)

コロサイ人への手紙2: 2 それは、この人たちが心に励ましを受け、
 愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、
 神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。
3:14 そして、これらすべての上に、
 愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。
3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するように
 しなさい。そのためにこそあなたがたも召されて
 一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、
 知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌と
 により、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

ローマ人への手紙15: 6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、
 私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。

コリント人への手紙第一6:16 遊女と交われば、一つからだになることを知ら
 ないのですか。「ふたりの者は一心同体となる。」と言われているからです。
6:17 しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。
10:17 パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。
 それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。
12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、
 一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、
 そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
460名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 21:49:00 ID:lMjPSA4l
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1131421854/264-276

>マグダラの娘(彼女の息(炎の天使)

息は、新しい生命・代々の命(ゾーエーアイオナス・永遠の命)の息吹で
聖霊(ハギア プネウマ)の事である。
霊(プネウマ)は、息(プネウマ)とか風(プネウマ)である。

炎も舌の様な形であらわれ、聖霊の象徴であり、知恵の象徴でもある。
サクラス(愚か者[旧約の神])の反対に
グノーシス(英知[新約の神])を設定している。

ロゴスを、イエスであり神と設定するのは「ヨハネ福音書」である。
ロゴスを原罪や人類の過失の一因としているのは、グノーシスの「三部の教え」教派?という。

ローマ書 正義(真理[アレテイア]でなく) ディカイオシュネ
コリント書αβ 親愛(善[アガソス]ではなく) アガペーセイス
ヨハネ書 美 カローン
     光 フォース・フォトス
     命(息・霊[プネウマ]ではなく) ゾーエー
     言 ロゴス
     世々・代々(世界[コスモス]ではなく) アイオーン・アイオナス
コロサイ書 満ちた[豊かさ] プレローマー
     像・影 エイコーナ(イコン)
ほとんどグノーシスではテーマになっているギリシア語の単語ですね。

何度か繰り返しコピペのレスで済まんのですが。思い起こしや参考に。。。
461ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/17(月) 21:56:54 ID:in/t7qhZ
福音書の中でヤコブさんの主張と思わしき物が書かれてるのは、僕が
知る限りこれだけです。
ヨハネ福音書7/3−9
>イエスの兄弟たちが言った。「ここを去ってユダヤに行き、あなたの
>している業を弟子たちにも見せてやりなさい。
>人に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。
>こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。」
>兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。
これはかなり意味深の聖句ですよ・・・まず兄弟が共同体によっては
神様とされたイエス様にご意見をしてるんですね・・・
イエスを信じるってどういう事でしょう・・・実はこれがヨハネの編者
の原始教会に対するスタンスなんだと思います。・・・
原始教会とヨハネ福音書の教会はどちらがカルトかと言うと、僕は
ヨハネ福音書の教会の方が現世に背を向けたカルトだと思います。
ヨハネの共同体の人達がその様に考えるのは自由でしょうが、現実に
多くの信者を抱えた原始教会はそんな事ができないでしょう。
462ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/17(月) 21:58:51 ID:in/t7qhZ
>そこで、イエスは言われた。「わたしの時はまだ来ていない。
>しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。
>世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。
>わたしが、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。
>あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って
>行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである。」
>こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。
>しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を
>避け、隠れるようにして上って行かれた。
ヨハネ福音書の共同体は、原始教会を現実の教会としてその立場を認めながら
自分達は、更に境地を極めていき、イエスが求めたと想定される更なる理想を
貫くと言うスタンスだったんだろうと思います。
何処かの馬鹿が考えてるような原始教会との敵対とか断絶と言う幼稚な発想
ではないと思いますし、再臨とか復活と言うのも現実のイエスの再臨では
ないだろうと思います。
さらに兄弟たち(ヤコブ達)が不信仰だったなんて言う、幼稚な発想は持って
ないでしょう。

463名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 22:03:09 ID:lMjPSA4l
464名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 22:04:39 ID:lMjPSA4l
465キュロス:2006/04/17(月) 22:11:21 ID:xv0BYL57
なるほどね 「愛されている弟子」 が信じたのだね。

信仰とは 一方的なもの ではなく 相互的ものだとすれば
「愛されている弟子」が その愛されている事を自覚した時に
信じる 事が出来たのだろう。

人間が神を信じること におとらず 神が人間を信じることが
重要なこと らしい。

マタイ・マルコは 比較的 この事が 例のイエスの十字架上の祈り
で 解りやすいけど ヨハネは 難解だね。

つまり 「わが神 わが神 なぜ私をおみすてになったのですか」
は イエス個人の為の祈りではなく 人間の祈りでもあるからね。

つまり 神が人間と共に 人間(神が想像した天地)の行く末を祈って
いる事を 人間が自覚したときに 信仰が生まれる、という解釈が
出きるからね。
466キュロス:2006/04/17(月) 22:30:19 ID:xv0BYL57
>>461
まさか その原始教会とは 
例のヤコブのエルサレム教会のこと では無いでしょうね。

ヨハネ福音書の成立年代を 100〜120年とすれば
その当時の 大きな中心的教会とは アンティオケ教会かな
それとも アレキサンドリヤの教会の事かな?
467名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 22:39:25 ID:lMjPSA4l
父なる神_____________聖母マリアの間違いだと言う事で(教会)
_↑_________________↑
父イエス−愛されている弟子マグダラの母マリア(マリア福・トマス・フィリポほか)
____↓
愛されている弟子で愛する子のヨハネ→Q資料と弟子(マタイ・ヤコブ・ユダほか)
_↓
父を信じなさい。(ヨハネ文書のテーマ)→偽りの人呼ばわりでも宣教(パウロ書簡)
_↓_______________________↓
ペテロぐれる。。。___________医者ルカが秘書(ルカ文書)・使徒テモテ
教会を援護・マルコが書記だから代筆。(マルコ・ペテロ書簡)
父というか神父って事だな(教会)
パパは一人でローマ法皇がまとめるという事で(ローマ・カトリック教会)
パパが一人ならカエサルも一人だし神聖ローマ皇帝が一人という事で(中世時代)
ビザンチンが嫌だと言っています(正教会の離反で東西に分裂)
468名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 22:39:51 ID:PYeTgozb
>>459
1.惜しい。出典はフィリポ福音書86
2.[愛]はなく、[新婦の部屋(パストス)]
3.この秘儀といえばヴァレンティノス派、その中でも特にマルコス派が有名
4.フィリポ福音書59からの引用・・・・A[伴侶(コイノーノス)]、BC正解
469名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 22:42:26 ID:lMjPSA4l
>>468
朱筆。ありがたいです。勉強になりました。
470名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 23:11:06 ID:lMjPSA4l
新約聖書のできたプロセス
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_qmap.html

★個人的意見で★

ローマ___ギリシア__北シリア___南シリア_ガリラヤ__パレスチナ_エジプト
イタリア__コリント__アンテオケア_ダマスコ_カイザリア_エルサレム_アレキサンドリア

カエサル__テサロニケ_大能シモン__バラム__バルコクバ_クマノス__チウダ&ヤンネ
裁判伝承__殉教伝承_________←−−−−イエス宣教−−−−→ 
パウロ書簡←テクラ−−−パウロ宣教__Q伝承&奇跡伝承&宣教伝承−−−→マルコ伝&アポロ
ヨハネ書簡_黙示録___ルカ書簡___マタイ伝&ヤコブ書簡&ユダ書簡__ペテロ書簡
ヘブライ書_______偽パウロ書簡__________________トマス伝&マリア
471名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 23:26:23 ID:lMjPSA4l
「ヴァレンティノス派」中期グノーシス主義初期最大のグノーシス主義教派。
ヴァレンティノスの教説に従う派。具体的にはよく分からず、異端論駁者たちの著書からは、
その弟子に当たる、プトレマイオス派やマルコス派の教義等が詳しく知られている。

「新婦の部屋(パストス)」
ヴァレンティノス派の秘儀とされ、象徴的に「心魂」と「霊」の聖婚が成立する。

「心魂(しんこん・たましい・プシュケ[別の意味に、傷ついたプニューマ(霊)])」
人間は、グノーシス主義では、三つの実体要素からなり、
それは肉・霊・心魂の三要素で、心魂は、その裡の一つ。救済に与れるか否かは、
心魂の浄化のレヴェルにあるとも云える。魂(たましい)。霊魂とも云う。
ヴァレンティノス派には、「新婦の部屋」の秘儀があり、これは、
心魂(女性名詞)を花嫁とする、霊との象徴的結婚儀式で、プレーローマにおける、
心と霊の聖婚による「両性具有」の実現を象徴的に実現する儀式であった。
ヴァレンティノス派はまた、人間の三つの種類を唱え、
霊的人間、心的人間、肉的・物質的・質料的人間の三種は、
それぞれ、「運命」が決まっているともした。

フィリポによる福音書§32
三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母マリヤと彼女の姉(妹)と彼の
伴侶(コイノーノス)と呼ばれていたマグダレーネであった。なぜなら、
彼の姉(妹)と彼の母と彼の同伴者は それぞれマリヤ(という名前)だからである。

フィリポによる福音書§68 主はあらゆる技を秘儀の中で[行っ]た。
すなわち、洗礼と塗油と聖餐と「救済」と「新婦の部屋(パストス)」(のことである)。
私註・・・「葬送儀礼」は「救済」の一部となる。
472名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 23:36:29 ID:lMjPSA4l
アイオナス(いま生きている、この世代・世の中・時代・今の世界)
 プレローマが、アイオナスを存在させしめている。生かしている。

プレーローマ(満ちている・充満・豊かさ・流出)
 豊かな方・神のロゴスのイエスの事。

プニューマ(霊)
 ハギア(聖)なる場合は、ロゴスを思い起こさせる聖霊の事。

プシュケ(心・魂)
 傷ついている心・原罪がある状態の人間・
 七つの霊に憑かれていたマグダラのマリアの事。

イエスが、マグダラを癒すような、結合の儀式をなした。という異端解釈。
473名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 23:40:45 ID:lMjPSA4l
プニューマ(霊)
 ハギア(聖)なる場合は、ロゴスを思い起こさせる聖霊の事。
 神の霊なので傷がなく完璧。

結合(交わり・コイス)→ 交わる者(やる相手)=伴侶(コイノーノス)
474ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/17(月) 23:47:31 ID:in/t7qhZ
ヨハネ福音書7/8
「まだわたしの時がきていない」...これも意味深だw
妄想かには格好のネタになりそうだけど...これは
2/4・7/30・8/20にも出てくるんだw...
このあたりを執筆してる人(多分この3箇所が同じ人)の
モチーフですね...そうすると、ヨハネ福音書でも一番
難解な8章を理解する必要があるんだw...”アブラハム
より前から「わたしはある」(へブライ語でYHWH)”が
その鍵です。アブラハム(ユダヤ人の父とされる)より前から
あるという事が、イエス(ロゴス)がYHWHより前からある
つまり、ユダヤ人だけの神ではなく、それを上回る(包括する)
神だと言うのが、この辺を執筆した人の主張だと思うw...
どうなんだろ...大袈裟に過ぎると言うか、カルト教徒ならでは
の発想だと思うけど...
475名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 23:48:56 ID:lMjPSA4l
アイオーン(いま生きている、この世代・世の中・時代の流れ・今の世界・流出)
 プレローマが、アイオーンを存在させしめている。生かしている。アイオナス[複]。
476名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 23:51:38 ID:lMjPSA4l
イエス: ある・生きている・存在している。神は生きている。神は存在する。
477名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 23:57:16 ID:lMjPSA4l
父なる神「生きている。あってある。」
↓  ↓
↓ 神の子(ロゴス)が「生まれる」
↓ ・創造主(デーミウルゴス)・全能者(パントクラトール)

神の霊(聖霊)が「出でる」
・癒す・思い起こさせる・慰める・一緒に悲しむ
478名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 00:01:39 ID:x7OnHr1N
原:プロ 父:パトロス 神:テウー・テオス
聖霊:ハギアプニューマ・ハギアンプニューマトス
479名無しさん@3周年:2006/04/18(火) 00:03:44 ID:x7OnHr1N
誠に、真に、真理: アレシーオン・アレテイア
480ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/19(水) 00:07:46 ID:xFHX/NYS
キリスト教と言うのは言わばセンサーの役目を果たしてくれるw

キリスト教会が批判してるところを探すと其処に深い主張が
あった、まともな事を言ってたり、「神の教会」と言われところ
だったり...グノーシスがそもそもそうだし、原始教会も
そうだった...多分キリスト教会はそういう正当な事が嫌い
なんだよ...それで生理的に反発をもってしまうんでしょう...
まるで自分が馬鹿丸出しだという事があからさまにされるような
思いがあるんだと思うよ..普通の人達は奴等が毛嫌いしてる物を
つぶさに調べると良いと思う...そこから多くの事を学ぶと思う...
彼等が一生懸命読んでるものは、普通の人は読んでも何の価値も無い物
だよ...
聖書...これは彼等が読んでるように見えるかもしれないが、読んでる
ポーズをしてるだけで、全く読んでないに等しいから、普通に読んで
見ましょう...グノーシス...これも読んでみましょう...
ヨゼフス...これも面白い..読んでも何の役に立たないどころか
害悪にしかならないのは、教団が作ってる聖書に関する解説書...
殆ど解説になってないどころか間違いと妄想とくだらない価値観の
押し付けに過ぎない物ばかりです
481ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/19(水) 00:14:28 ID:xFHX/NYS
キリスト教と言うのは言わばセンサーの役目を果たしてくれるw

次はファリサイの歴史でも研究してみるか...馬鹿が説明してる
ファリサイはおそらく全く事実に反したものでしょうし、そんな
幼稚なものだとはとても思えないしね...わはははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
482ココモのつぶやき:2006/04/19(水) 09:01:34 ID:tf8D9Zlc
ココモスキーの研究...馬鹿が説明しているココモスキーはおそらく
全く事実に反したものでしょうし、そんな幼稚なものだとはとても
思えないしね...わははははははははははははははははははははは
483mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/19(水) 20:18:17 ID:kygGpdqj
なんでココモッキーは、馬鹿教会、馬鹿信者って言うんだろう
馬鹿教会だって20〜30年も馬鹿信者を留めておくって本当に
難しいと思うのよ。一生となると、もう気が遠くなるくらいのことだ
よね。死ぬまで騙してくれるんならそれは本物、それはそれで
良いと思うのよ。

2〜3年くらいしか、信者を引き止めておけない教会はなんなの
でしょう? きっと牧師の器量が足んないのかもね。腹くくってな
いのかもね。
484ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/19(水) 23:50:50 ID:xFHX/NYS
ガリレオの話がテレビで放映されてたね...いろんな意味で
面白かった...彼自身は敬虔なカトリックの信者で娘も聖職に
させようとしてたらしい...若い頃は彼を強力に支持した聖職者も
多かったとか、その一人が後にローマ法王になったとか...天動説
は聖書の聖句が根拠だと言ってたが、その部分を読むとどうにでも
解釈できる物だし、ガリレオからでも1500年以上前の人達が地に
果てがあると考えてても仕方アルマイ...ガリレオも解釈を変えれば
良い事だよって言ってたみたい...かれは科学的手法で地動説を
構築してる...このへんの構図は現代と全く同じだよ...
教団に不都合な物は全部異端審問して、有罪の場合火あぶりだよ
....わはははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
485名無しさん@3周年:2006/04/20(木) 00:06:22 ID:tf8D9Zlc
ココモスキーは自民党の主張にはなにがなんでも反対するどこぞの馬鹿政党そっくりだな。
ココモスキーもあの馬鹿政党みたいに、消え細る運命なんだろうね。
しかし社会主義、共産主義万歳の世代ってどうしてこう馬鹿ばっかしなんだろうねw
486名無しさん@3周年:2006/04/20(木) 00:08:52 ID:cOQZm9cA
おっと、ココモスキー相手にしていたら、
馬鹿馬鹿を連発する脳軟化ココモスキー病にかかっちまったわい(チェッ
487ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/20(木) 00:15:06 ID:ke2G7+jm
技術者ならわかる話をしましょう....
ビルの柱は原則として地面に垂直に立てます。ある程度
距離を置いて建てた2本の柱の間に梯を渡します。
さて、この梯の長さは1階と10階では同じでしょうか
違うでしょうか?....
答えは厳密に計算すると違うが、それは誤差の範疇で
そこまで厳密な計算はしない...
488ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/20(木) 00:34:24 ID:ke2G7+jm
どこかの教団がイエスについて説明しだすと「彼の生涯は
謎に満ちてる」と言うフレーズから始まるけど、それが
そもそも間違えダヨ...
彼の生涯自体は大した謎はないと思いますよw...と言うより
彼と同時代に同じような人生を送った他の人達よりは、判ってる事が
多いと思いますよ...一番謎に満ちてるのは、そのイエスと言う人が
なんで神様イエス・キリストと言われてるかなんですがね...
彼の人生が謎めいてるのではなくて、彼の名の下に謎めいた人達が
集まって、謎めいた事を言ってる事ザンスね...わははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
489mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/20(木) 19:00:02 ID:ZeTVDNEZ
>>488
> 彼の人生が謎めいてるのではなくて、彼の名の下に謎めいた人達が
> 集まって、謎めいた事を言ってる事ザンスね...わははははははは

そうよね なんでイエスの名の下に集まるんでしょうね? わたしも知りたいです。
簡単に足抜きできる人もいれば、何度やっても抜けられない人いるしね。

ヤコブ1;2   いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。  新共同
  同      どんな試練に巻き込まれるときも{種々の誘惑に陥るときも}
         それを全く喜ばしい事と考えなさい。   詳訳

マタイ6;13  わたしたちを誘惑に遭わせず、     新共同
  同      わたしたちを試みに会わせないで   口語
  同      私たちを誘惑に陥れないで       詳訳

試練と誘惑の違いってなんだろう? その時々にあって区別が付くモンなんでしょうか?
  
490キュロス:2006/04/20(木) 19:53:16 ID:Zo/OpX/o
青野太潮氏が 主張する パウロから、マルコへの連続性についての
反論に、マルコの奇蹟物語が 栄光の神学であり
パウロの、十字架の逆説と どう繋がるのか? という話を
ある文書で読んだ。

と言うわけで パウロからマルコ福音書の連続性について
気に掛けながら マルコ福音書を 読んでみる。

マルコ福音書での イエスの宣教は やはり途中で
挫折するんだよね。五千人との食事あたりから
その挫折が 明白になるような気がする。

マルコ福音書が 最初から最後まで 栄光の神学で
統一されている わけが無い と思いますよ。
491キュロス:2006/04/20(木) 20:08:56 ID:a6QMcAWX
いわゆる「十字架の逆説」とは、十字架の意味を
その代償的贖罪論から 説明するのではない。

パウロが 「十字架の逆説」を主張している代表的な箇所は
Tコリント1章18節以下辺り。
492ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/21(金) 19:01:07 ID:RqXpOIs0
は!その件につきましては、問題が少々複雑で、個々により事情が
違ってます。つきましては個別にそのデータを把握し、様々な状況を
精査して慎重にその結論を導きたいと思います。は!

わははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
493mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/21(金) 19:44:44 ID:KXah86nx
むずかしいですよ 「十字架の逆説」っていうの。
「どう読むか、聖書」まずは入門書をってことで以前から読んでいたけど
わかりにくいんですね。読めても消化不良っていうか。

頭悪いせいなのか、このようなむずかしい内容は、問答書形式
(聖句、歴史等入れて)にしてもらえるとありがたいなぁ、と思う。
494キュロス:2006/04/21(金) 20:06:25 ID:OxoQsAC3
マタイ福音書
>26:65 そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。
>「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。
>諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。

さて 大祭司は どのような理由で 服を引き裂いたのか?

イエスの発言が 神を冒涜していると 大祭司は判断したのですね。
そこで 大祭司は イエスの発言によって 神の怒りが 天変地異
となって この世に及び 大祭司本人にも その被害が及ぶと考え
たのでしょう。

そこで 大祭司は 服を引き裂いたのですよ。
服を引き裂き 惨めな姿になる事によって 神の憐れみ・同情をかい
その 神の怒りを中和しようとしたのですね。

この 考え方の延長が 断食 であり その極度の延長が
「十字架の逆説」なんだと 思うよ。
495ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/21(金) 22:14:18 ID:RqXpOIs0
は!相変わらずのピンボケ・ポンカス・デブロク思考ざんした

わはははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは

真面目に読んでる自分がアホでした....

わはははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは

本人は自分が賢いと思ってるのでしょうか

わはははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは

幼稚を晒してるのが本人にはわからないのです

わはははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは

醜態を晒してる事が判らないのです

わはははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは

496キュロス:2006/04/21(金) 22:53:29 ID:OxoQsAC3
マタイ福音書
>11:21 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。
>お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われ
>ていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、
>灰をかぶって悔い改めたにちがいない。

この「粗布をまとい、灰をかぶって」も同じ意味なんだよね。
つまり、惨めな姿をして 神の憐れみ・同情を買うんだよ。
そして「悔い改めた」るんだね。
497キュロス:2006/04/21(金) 22:59:23 ID:OxoQsAC3
マタイ福音書
>6:16「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つき
>をしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、
>顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
>6:17 あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。

これも 同じなんだよ
偽善者は、人に見てもらって、あの人は断食をしている敬虔で立派な
という評価を、人から受けている、と言う意味だ。
498キュロス:2006/04/21(金) 23:04:15 ID:OxoQsAC3
つまり 惨めな姿をしている ということは、
その人が所属する共同体の仲間の人から 憐れみや同情を買い
助けてくれる。

惨めな姿をすれば 仲間の人が助けるのだから 
ことさら 天の神ならば確実に助けてくれるに違いない
という考え方なんだよ。
499mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/21(金) 23:16:13 ID:KXah86nx
やっぱり ようわかりません 使徒信条の前半の部分「ポンテオ〜 〜陰府にくだり、」
までのイエスの惨めな状態のことを言っているんですか?

ああ〜むずかしいよぉ。
500キュロス:2006/04/21(金) 23:26:16 ID:OxoQsAC3
まあ、使徒信条は、使徒信条として置いといて、

「道に倒れて誰かのこと〜 呼び止めたことがありますか?」
という歌があったけど

群集のまえで、十字架に掛けれられる、と言う状況は 惨め以外の
なにものでもないと思いますよ。
501mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/21(金) 23:40:00 ID:KXah86nx
はい それはわかりました
ありがとうございます。

それでて゛すね その十字架の惨めは、改めて何を
わたし達に、語っているんでしょうか?
教えてくださいな。
502キュロス:2006/04/21(金) 23:43:19 ID:OxoQsAC3
弟子達に、裏切られ・見捨てられ
人々から侮辱の言葉を浴びせられ

「わが神 わが神 なぜ私をおみすてになたのですか」と
信頼する神にも 見捨てられたことを自覚して なを神を呼ぶ
これ以上の惨めな死はないと思うよ。
しかも 当時の人は 十字架刑を神の呪い だと信じていた

つまり、パウロはイエスの十字架とは 愚かさ・躓き・呪い という
否定的なものが 神によって肯定される 愚かさが賢さになり
躓きが救いになる という逆説になる と主張している。
503mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/21(金) 23:49:15 ID:KXah86nx
重ね重ねありがとうございます。
なんとなく わかった気でいます。
504名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 00:06:18 ID:TH/b8hZU
ヨハネの黙示録22章17節 “霊”と花嫁とが言う。「来てください。」

「新婦の部屋(パストス)」ヴァレンティノス派の秘儀とされ
 象徴的に「霊」と「心魂」の聖婚が成立する。

“霊(プネウマ=プニューマ)”と 花嫁(新婦「心魂=プシュケ(傷ついた霊)」)
505名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 00:19:42 ID:TH/b8hZU
カトリック・日本ハリストス正教(2分法)
 霊(高次元)あるいは、魂(神の言葉を理解できる・理性や自由選択意思・良心の痛み)
 霊(低次元)あるいは、魂(傷ついた、程度の低い感情で判断する心・けもの、の心)
 肉

ギリシア正教(3分法)
 霊・霊魂(プニューマ)
 魂・心魂(プシュケ)
 肉体・身体(ソーマ)→肉(サルクス)←ことば(ロゴス)

神のロゴスが人間のサルクスになったのが、キリスト(油注がれた、神の子)イエス
506名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 00:27:25 ID:TH/b8hZU
【 時間から見たキリスト教の世界観 】

A.D.=[羅]アノ.アドナイ. 年.主の.
 ↑
復活・昇天・聖霊降臨・教会の成立、生者への福音伝道の開始。[使徒行伝]
 ↑
神の子・主イエス・キリストの誕生。
 ↓
十字架で死して葬られ陰府に降り、死者にも福音を宣べ伝えた。[ペテロ書]
 ↓
B.C.=[英]ビフォア.クライスト. 前.キリストの.
A.D.=[羅]アノ.[H]アドナイ. 年.[H]主の.
B.C.=[英]ビフォア.[G]クライスト. 前.[G]キリストの.
507名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 00:30:59 ID:TH/b8hZU
霊(プネウマ)魂(プシュケ)肉体(ソーマ)[エリニカ語→ギリシア自身の自称]
霊(スピリッツ)魂(ソウル)肉体(ボディ)[イングランド語]
霊・精神(風・霊感・良心の痛み・理性)魂・心(呼吸・魂魄・心・感情)肉体・身体(血流れる肉体・骨肉)

【 異端説1 アポリナリオス異端 】
神の子キリストは霊(神性・神の霊)・魂(人性・動物)・肉体(人性・動物)

【 異端説2 サベリウス異端 】
神の子キリストは「神」である霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)から
「人間」として霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)とヘンゲして十字架で死に昇天後に
「聖霊」として霊(神性)となって地上に君臨した。

【 神は3つの[位格]を持つ 】
父なる神は霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)
↓  ↓
↓ 生まれる(父と子は、神として、ホモウシオス[同質])
↓  ↓
↓ 神の子キリストは霊(神性と人性)・魂(神性と人性)・肉体(神性と人性)
↓ (神のロゴス、神であり人)

出でる[発出(はっしゅつ)]

神の霊(聖神・聖霊・みたま[冒涜してはならない存在])は霊(神性)
508名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 00:32:46 ID:TH/b8hZU
【 この世の流れ 】
父なる神(創造主・アルケー[根源]・
 ↓  ペルソナを「顔」と表現してはいけない、ヤヌスの顔や十一面観音のような偶像と解釈が違う)
 ↓
神として「神の子」が生まれる(創造主・子に関してはアルケーを議題にしてはいけない)
 ↓
天地創造(被造物)
 ↓
聖霊により人間マリアから人の子[人間]として「神の子」生まれる
509名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 00:33:46 ID:TH/b8hZU
ラビ(ユダヤの教師)は祈って、神に呼ばまわった(シェム・エル)。
神は生きておられる(エリ・ヤー)。彼らを救って下さい(エル・イシュアテーヌ)。
すると 聖書のある箇所に目が止まり 神は一つの聖句(ロゴス)を示された[神の啓示]
聖句から前後してヒントが与えられ アイディアを生かして努力し 彼らは救われた[神の救済]

始めにコトバ(ロゴス)があった。神はコトバと共にあった。
コトバは神であった。コトバの内に愛があった。
コトバ(ロゴス)に愛があって、神は愛であった。聖霊は神の霊である。

聖霊の内(なか)で生きるように、愛の内で生きるようになった。
平和の内(うち)に過ごせる様になった。

聖霊に”よって”という
外から他人に聞かされて(魔が差すように)他人が身体に入ってくるのではなく
聖霊の”なかで”という
愛・コトバ(アガペー・ロゴス)に包まれて身体の内側から呼ばれるのである。

人間には聖霊があるし聖霊を持っているし聖霊のうちにいる。
人間には愛があるし愛を持っているし愛のうちにいる。
しかし人間は不完全で愛が働かず良心の痛みや理性を失い
その時その時に必要な物が判らないし[前もって]知る事が出来ない[事が多い]。

トルストイの民話(モルモンのHP)・ヨハネ福音書・聖ワシリー(聖バシレウス)の説教などから
510名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 00:37:14 ID:TH/b8hZU
[キリスト教の一番大事なことは]愛する[こと]。[で、]
愛は[神へと人へと]2つあるが神様が先。

神様を愛する。ドウ愛する? 礼拝する。神に祈る。賛美します。
 人間が神様に出来るのは、賛美しかないから。
 赤ん坊は父親から手を握られてくるだけ、母親からおっぱいを吸うだけ。
 父親や母親に、笑顔で手振り嬉しがってほめる事しかできない。
 生きていられる人間として生まれている神の恵みを賛美するだけ。
 雨風に川の流れ・海の幸・山の幸・日差しなど神から頂くだけ。
隣人を愛する。ドウ愛する? お互いが生きられるように助け合う。

どういう神? 父と子と聖霊が神。

隣人を愛するのに罰則はあるの? 基本的に赦し合い。
 戒に照らし合わせ死刑もありうる。
 モーセの十戒のうち五戒とか六戒が隣人愛に対する規制。
もっと細かくは、教会令だか宗教会議の決定とか難しいの。
あと各教会の聖職者や信徒会合の判断。

イエスをキリストで神と信じる
聖職者・信徒の集会(エクレーシアスマ)が「教会(エクレーシア)」

信徒になるのに何が必要? 聖職者や信徒の合意で、信者になる儀式に預かる事。
あと集会を支える活動に参加・協力する事。聖堂・礼拝堂・信徒会館の維持も。

ポルネイア(不品行・妻以外とのセックス?・ポルノ?)から イエス−キリストへの
ピスティス(信仰)に
スキャンダロン(つまづく・スキャンダル・棄教−背教する)な。
511名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 00:47:51 ID:TH/b8hZU
礼拝は
神の呼吸(テオス プニューマトス?)・
生きる息(神は鼻から息を入れ人は生きる者となった[創世記] プニューマ)・
聖霊の風(聖なる霊感・ハギア プニューマトス?)で
まことの心(プシュケ?)で霊(プニューマ?)で神(テオ)に挨拶するもの。
人の知恵(ソフィア)は、詭弁家(ソフィスト)を生むが
信仰(ピスティス)による判断は、神の知恵(ピスティオンタス)を得る。

http://religion.bbs.thebbs.jp/1104291346/0-17

まあ、教会の人間関係が煩わしくとも、神とは挨拶(礼拝)は出来るだろうし
生きるヒントは、聖書や説教集が与えてくれるであろう。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ペトロの手紙一3章18節
キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。
正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。
あなたがたを神のもとへ導くためです。
キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。
19節
そして、霊においてキリストは、
捕らわれていた霊たちのところ(陰府[よみ]・死者の世界・シェオル)へ行って
宣教されました。

512名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 00:54:26 ID:TH/b8hZU
アダム(人間・肉体)は、アダマ(土)に帰れ、土の塵から作ったのだから。
神のものは神に、カエサルのものはカエサルに返しなさい。
イエスは十字架の死の際に、魂を神の手に渡された。
人間(肉体)は、神の息(霊・プネウマ)を吹き込まれ、生きるものとなった。
魂は神の手になるもの。神に帰す。
513名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 01:01:24 ID:TH/b8hZU
【 原罪を贖う十字架 】
★マタイ伝9:13 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。
 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。
★ヤコブ2:13 憐れみを行わなかった者に対しては、仮借のない裁きが下される。憐れみは裁きに打ち勝つ。
★へブル書7:27 ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、
 まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。
 というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。
★ガラテヤ書3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、
 私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。
 なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。
★申命記21:22〜23 ・・・死刑・・・木につる・・された者は、神にのろわれた者だからである。
★ローマ書7:6 しかし今や私達を繋いでいたものに対して死んだのであって、
 私達は律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく新しい霊によって仕えているのである。
★コリントβ書3:6 神は私たちに力を与えて新しい契約に仕える者とされたのである。
 それは文字に仕える者ではなく霊に仕える者である。[律法の]文字は人を殺し[キリストの]霊は人を生かす。
★ガラテヤ書3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、
 その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
★コリントα書15:44 自然の命の「体」があるなら、霊的な「体」もあります。
★ヨハネ伝3:5〜8 肉から生まれた者は肉であり、『霊』から生まれた者は霊である。
★ガラテヤ書6:8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
★マルコ伝12:17 「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」
514名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 01:03:32 ID:TH/b8hZU
原罪(宗教的罪)は、人類にありがちなオリジナル・エラー
(若気のいたり・誰もが一度はする失敗・
 人として恥ずかしい事・良心の痛み[悪かったと思う事])
犯罪(法律的罪)は、原罪から起こって更に失敗や間違いを続ける
 踏み越えた悪い行い(遣り過ぎた失敗・ある一線から
 行き過ぎた間違い・わざと(故意で)やった悪い事)だそうです。

原罪の罪を十字架にかけて 全人類が一括して
神によって無条件に地獄に落とされる事を
滑り止めしたのがキリストを信じて洗礼を受ける事で罪が赦される事で
犯罪の罪は、生きている時であれ、死んだ後であれ
個人ごとに神に裁かれて償わなくてはイケナイものなんだそうです。

ただ、信仰義認とか懺悔部屋で告白する赦しの秘蹟とか 洗礼で今までの犯罪も
全部チャラという教派や学説もあるのだとは思うのですが。

旧約の喩えでいえば
神は陶器師(創造主)であって人間は陶器(被造物)なので逆らえない前提で考えます。
神が出来の悪い陶器(罪深い)と思えば、陶器を砕いてしまう(地獄に落とす)のです。
全部の陶器を壊して最初から創り直す(人類に代わる生き物を創造する)のではなく
生かして使う残す陶器(出エジプトの民やロトやノアのような人間)の基準を作ったのです。
新約ですとキリストの十字架を正しく理解して信じて受け入れられるかが基準です。
515名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 01:05:31 ID:TH/b8hZU
> 天国の天使の一人であるイエス キリストに、
> 人間界へ生まれ神の言葉を伝えるようにお命じになった。

天使(み使い・使者)としてではなく 人間としては
イスラムのように預言者として、聖書に書き残されているのも事実だが
それだけでなくて 神の子としては 天のイスラエルの
ユダヤ王(メシア・キリスト・救い主)として罪から解放する役割がある。

>神は天使が人間界へ生まれれば、確実に人間共に殺されることはわかっ

殺されないと、人間側の罪の賠償としての
イケニエを捧げた事にならない。人間は罪を犯した場合、弁償する。
弁償は 盗んだものを返す、代用品を与える、等価の金銭を与える など
あるが 動物を屠って相手と肉を食べ合う事で 赦して貰うという手もあった。
馬を献上する・小鳥を献上・薬草や穀物や香油を 献上するなどの
代行の手も 賠償の一方法だった。
516名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 01:06:35 ID:TH/b8hZU
古代オリエントでは
動物は初子(ういご)植物なら初物(はつもの)を 捧げる事になっていた。

幼児犠牲は 長男が犠牲になった。あるカナンの王は
王太子を城壁で焼き殺して ユダヤ人を追い払うように異教の神に祈った。

後継者・後継ぎを殺した所で、生き残ったなら
また若い女に 王子を産ませればいいという、ふざけた時代だった。

だから、史実では イエスは兄弟がいて弟だった説があっても
信仰上は 独り子で当然 長男でなければ
イケニエとしての有り難味が なくなってしまうのである。
(恐ろしさのあまり神の御前で人間たちが集会で口裏あわせでソウ告白してしまう)
(悪い表現だと、極めて口が悪いのだが・・・イエス様に濡れ衣を着せて
 バックれてしまう・・・イエス様の背に隠れてしまう。人間って弱すぎ。)
古代のオリエントの神は気難しいので
処女とか長男とかの聞こえで、動物の血や肉でも見ないと気が済まない。
それも非常にワンマンな方で
他の神とか信じる浮気者とか虐待でもしないと収まらない神であった。

趣味もエゲツない割には 好みにウルサク お香の種類を間違えると
間違えた民の一団の前に地の裂け目を造って地震を起こして突き落とし
一族を皆殺しにしてしまうのである。

乳香やハーブでも厳選されたものしかご利用になられないほど きつい方で
下手に腐った植物油や動物脂にイケニエの血を焚くと
天候不順で自分を信じる民に難癖をつけて大量に餓死させるとか
枯れ川のワジを大雨で無理やり大規模に氾濫させて流し去り
町や耕作地を跡形もなくする ほど 祟る方でもあった。
517バカモスキー:2006/04/22(土) 11:09:52 ID:E+K/g9cT
キリストはイエス唯一人ではない。
聖書には、キリストは二人いる(二人出現する)と書かれてある。
教会やクリスチャンは、「キリストは唯一人、イエスだけ」と考えているのが根本的な誤解。

あはははははははは
は〜あ。
518名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 11:24:37 ID:sYsx2tX0
519名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 11:49:04 ID:sYsx2tX0
520名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 12:03:16 ID:sYsx2tX0
愛というのは交わりだ。交わりの連続が生きた信仰だ。ここに益が生まれる。
521名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 21:44:22 ID:Z3zcbY5z
>>516
>趣味もエゲツない割には 好みにウルサク お香の種類を間違えると
>間違えた民の一団の前に地の裂け目を造って地震を起こして突き落とし
>一族を皆殺しにしてしまうのである。

ソースきぼんぬ
522名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 22:37:25 ID:DUg30zBb
歴代誌下26章16節 ところが、彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し、
自分の神、主に背いた。彼は主の神殿に入り、香の祭壇の上で香をたこうとした。
17節 祭司アザルヤは主の勇敢な祭司八十人と共に後から入り、
18節 ウジヤ王の前に立ちはだかって言った。
「ウジヤよ、あなたは主に香をたくことができない。
香をたくのは聖別されたアロンの子孫、祭司である。
この聖所から出て行きなさい。あなたは主に背いたのだ。
主なる神からそのような栄誉を受ける資格はあなたにはない。」


歴代誌上9章26節 四人の門衛長はいつも任務に就いていた。
神殿の祭司室と宝物庫の責任を負ったのはレビ人であった。
27節 彼らは神殿の周囲で夜を過ごした。
神殿を警備し、毎朝その扉を開くことが彼らの責任であった。
28節 また彼らの中の幾人かは祭儀用具の責任を負い、数を確かめて出し入れした。
29節 また彼らの中の幾人かは祭具、すべての聖なる祭具をはじめ、
麦粉、ぶどう酒、オリーブ油、香、香料の責任を持った。
30節 しかし、香料の調合をするのは祭司の一部の者であった。
31節 コラ一族のシャルムの長男、レビ人のマティトヤは、平らな菓子の製造を任せられた。
523名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 22:38:46 ID:DUg30zBb
民数記16章15節 モーセは激しく憤って主に言った。
「彼らの献げ物を顧みないでください。わたしは彼らから
一頭のろばも取ったことはなく、だれをも苦しめたことはありません。」
16節 モーセはコラに言った。「明日、あなたとあなたの仲間すべて、
すなわち、あなたも彼らも、アロンと共に主の御前に出なさい。
17節 あなたたちは、おのおの香炉を取り、それに香を載せ、
主の御前に持って来なさい。おのおの一つずつ、二百五十の香炉を持ち、
あなたもアロンもそれぞれ自分の香炉を持って来なさい。」
18節 彼らはおのおの香炉を取り、それに炭火を入れ、香を載せ、
モーセとアロンと共に臨在の幕屋の入り口に立った。
19節 コラは共同体全体を集め、臨在の幕屋の入り口で
モーセとアロンに相対した。主の栄光はそのとき、共同体全体に現れた。
30節 だが、もし主が新しいことを創始されて、大地が口を開き、
彼らと彼らに属するものすべてを呑み込み、彼らが生きたまま陰府に落ちるならば、
この者たちが主をないがしろにしたことをあなたたちは知るであろう。」
31節 こう語り終えるやいなや、彼らの足もとの大地が裂けた。
32節 地は口を開き、彼らとコラの仲間たち、その持ち物一切を、家もろとも呑み込んだ。
33節 彼らと彼らに属するものはすべて、生きたまま、陰府へ落ち、地がそれを覆った。
彼らはこうして、会衆の間から滅び去った。
524mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/23(日) 14:15:58 ID:Ewmhnrr/
創世記 1;31 
    そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。
    見よ。それは非常によかった。
新緑がきれいですね。老木からも若い葉がうじゃうじゃとでてきて感動もん
ですね。で、礼拝中は一人創造物語を読んでいたんです。
良いものだけが神の創造のものなんだな。
525キュロス:2006/04/23(日) 19:05:51 ID:0lYLEdSA
マタイ福音書 9章36節
>また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、
>打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。

この群衆は 4章25節 8章1節 等のイエスに従がった
群衆と同じ 群衆なのですかね。

もし 当初からイエスに従がう群衆なら なぜ
「打ちひしがれている」のですかね。
526名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 11:02:58 ID:zPPM545S
>>123前半
違うと感じる。いつか説明する。
527名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 11:03:49 ID:zPPM545S
失礼、誤爆でした。
528mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/24(月) 17:59:32 ID:lDSyUEKf
>>525
マタイ9;35
    イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え
    ありとあらゆる病気や患いをいやされた。

会堂はあらゆる所にあったけど、福音が伝わらず、慰め、癒しが届かない教え
に、もう群衆は弱り果てていたんですね。そこにイエスの教えにピーンときた
群衆はイエスに縋りついたですよ。

今でも、会堂はたくさんあるけど、なんで信者は増えないんだろう?
529名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 18:09:14 ID:/FZVWB15
イスラムみたく社会全体を支配しているわけではないからじゃね?

また、同じクリスチャンなのに同胞意識がかなり少ない。
530キュロス:2006/04/25(火) 22:17:16 ID:NohLP7yv
マタイ福音書 12章31〜32節 口語訳
>だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も
>神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるさ
>れることはない
>また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。
>しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世
>でも、ゆるされることはない。

同箇所 新共同
>だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦され
>るが、“霊”に対する冒涜は赦されない。
>人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、
>この世でも後の世でも赦されることがない。」

同箇所 新改訳
>だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦し
>ていただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。
>また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。
>しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であ
>ろうと次に来る世であろうと、赦されません。
531キュロス:2006/04/25(火) 22:18:52 ID:NohLP7yv
>>530
同箇所 フランシシスコ会訳
>だから、あなたがたに言っておく、人の犯すどんな罪も冒涜も許され
>るが、しかし聖霊に対する冒涜は許されない。また人の子をあしざまに
>言う者は許されるが、しかし、聖霊をあしざまに言うものは、この世で
>も、後の世でも許されない。

同箇所 岩波訳
>このゆえに、私はおまえ達に言う、人間たちには全ての罪も冒涜も許
>されるであろう。しかし聖霊[へ]の冒涜はゆるされることがないであ
>ろう。また[人の子]に敵対して言葉を語る者は許されるであろう。
>しかし、聖霊に敵対して[言葉]を語る者は、この世でも、また来るべ
>き世でも許される事がないであろう。
532キュロス:2006/04/25(火) 22:36:06 ID:NohLP7yv
>>530 この箇所の 意味を知るためには
この箇所の冒頭の言葉 つまり岩波訳で説明すれば「このゆへに」
だから この箇所の前の言葉 つまり30節が 解釈する上での鍵に
なる そこで 30節だが 以下のようになっている。

岩波訳
>私と共にいない者は、私に敵対する者である。
>また、私と共に集めない者は、散らす者である。

つまり 敵対する とは 共にいない者 の事だ と言っている訳だ。
それは 許される と31節以下で 言っていると 考えられる。

時間なくなったきたから 結論を急ぐと
聖霊に[言葉]を語る者 とは 散らす者 だと考えられる。

なぜならば 集める とは 神に立ち帰る(悔い改める)者を
集める事であり それは人の努力ではなく 聖霊の働きによる
ものだからである。
散らす者とは 神に立ち帰ることを邪魔する者 福音から 他人を
遠ざける者 の事だと考えられる。 
533キュロス:2006/04/25(火) 22:39:48 ID:NohLP7yv
>>532
>聖霊に[言葉]を語る者 とは 散らす者 だと考えられる。

これ まちがいね 以下に修正

「聖霊に敵対して[言葉]を語る者 とは 散らす者 だと考えられる。」

聖霊を 欺く というよりも 人間を 福音から遠ざける者が
この世でも 来るべき世でも 許されない と言っていうると
考えられる。
534ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/25(火) 23:01:07 ID:VjepmIr3
シンドラーズリストが放映されたときに、馬鹿教会は
シンドラーを幼稚な批判をしたでしょ...
「シンドラーは女たらし」「シンドラーは会社を破産
させた」「シンドラーはユダヤ人が安くてこき使える
から雇ったんだ」って....馬鹿教会はこれでシン
ドラーの批判をしたつもりなのだろうけど、普通の人は
こいつらが馬鹿な連中だという事を理解するんだよ...
その「女たらし」で「会社を破産させて」「安いからと
言う理由でユダヤ人を雇う」様な、連中からみたら
アンモラルな人がユダヤ人を救って、日頃信仰だモラル
だと言ってる教会が、殺人鬼の言うなりになってるんだよ
本当に人を救えるのは、教会じゃないと言う事ダロ
馬鹿が批判すればするほど、そいつらのいう事が幼稚で嘘
ばっかりだと言う証明になるんだよ...わはははははは
はははははははははははははははははははははははははは
ははははははは
535ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/25(火) 23:11:06 ID:VjepmIr3
同じ事が原始教会についても言えるw、馬鹿教会は
原始教会を幼稚な批判をしてるでしょ...
「ファリサイと入魂」「ペテロを追い出した」「聖書が
教会と認めてない」なかには「経済破綻してるにきまってる」って
言うオツムの弱さを晒す批判をする奴もいるけど....馬鹿信者は
これで原始教会の批判をしたつもりなのだろうけど、パウロが「神の教会」
って言ってたら、普通の人はこいつらが馬鹿な連中だという事を
理解するんだよ...
その「ファリサイと入魂」で「ペテロを追い出した」「聖書が
教会と認めてない」「経済破綻してるにきまってる」様な、馬鹿教会から
みたら「キリスト教会」ではない教会をパウロが「神の教会」と言ってたら
コイツラが言ってる教会は、「神の教会」からほど遠い教会だという事さ
.....普通の頭を持ってる人はそう考えるんだよ...わははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは
536名無しさん@3周年:2006/04/25(火) 23:14:38 ID:at2rrv0a
,-──- 、   _________
    /_____ \? >            |
    |/⌒ヽ ⌒ヽヽ | ヽ > _______  |
    |  / | ヽ  |─|  l   ̄ |/⌒ヽ ⌒ヽ\|  |
   / ー ヘ ー ′ ´^V  _ |  ^| ^   V⌒i
    l \    /  _丿  \ ̄ー ○ ー ′ _丿
.   \ ` ー ´  /     \        /
      >ー── く      / ____ く
    / |/\/ \       ̄/ |/\/ \    同じスレではこのままだけど
    l  l        |  l      l  l        |  l    違うスレにコピペするとスネ夫がドラえもん
    ヽ、|        | ノ      ヽ、|        | ノ     に変わる不思議なコピペ

537名無しさん@3周年:2006/04/26(水) 01:43:28 ID:SQQsjBJc
┌─────────────────┐
├────────┐イエス        │
│神性         │↓ 肉行動     │
│↓ 心信仰     │陰の陽        │
│陽の陽        │            │
│            │            │ 
│            │            │
│            │            │
│            │            │
│            │            │
│            │            │
│            │         【陰】│
│【陽】         └────────┤
└─────────────────┘

人のあるべき陰陽の体現である復活前のキリスト
538mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/26(水) 20:30:23 ID:X1pgE6Io
ず〜っと前なんだけど、牧師がパウロ書簡の「だから」の解釈について
50分話してくれたのを思い出した。なんにも覚えてはいないんだけど
ただ聖書を読むってことは、一つ一つの言葉に注意深くなることと感じま
したね。今は、もういらっしゃらない大先生の本を読んでいるけど
一句ごと、一文章ごとに解釈されていてちっとも先に進みません。

>>529
なんかね 毎年多くの人が洗礼受けているのに、なんで増えないのかな
と思うんですよ。 事情があるんて゛しょうけど、教会を変えてでも
連なっていて欲しいと思いますね。>>532の「散らす者とは 神に立ち帰
ることを邪魔する者 福音から 他人を遠ざける者 の事だと考えられる。」

福音を遠ざけるのは、他人だけではなく自分も含まれると思うのですよ。
539キュロス:2006/04/26(水) 21:43:55 ID:rFGn0hEU
>>538
日本にキリスト教が根付かない理由は 良くはわからないけど、
以前 田川建三氏か、高橋隆氏だかの本で、使徒言行録でパウロが
アテネでの宣教で失敗した理由を 解説したいた。ような気が
する 出典を探したけど見つからない。

それによると、パウロや初期キリスト教宣教師の宣教が
成功し、キリスト教が根付いた都市は、ヘレニズムの
新興都市で それに対して パウロの宣教が失敗した
アテネは 伝統のある 都市だ と言うものだった。

そこで なぜ新興都市でキリスト教の宣教が成功したのか
と言うと 新興都市では 雑多な文化・宗教的背景をもつ
人々が 新しい都市に流入し 混在して暮らしている。

そういう 文化的・宗教的伝統が 形成される以前の都市で
キリスト教が定着すのだね。パウロ書簡にも 皆で集っての食事
が出てくるけど 人々は新しい生活の場で 人間付き合いと言うか
憩いの場・情報交換の場 世間話をする場等と しての魅了が
あったのかもしれない。

それに対して アテネ等の伝統のある都市では、人間関係が強固に
確立していて 新しい人間関係を築く必要はない から新しい宗教
としてのキリスト教は 必要無かった と言うものだった ような
気がする  まあ出典が解らないので 間違いかもしれない。
540キュロス:2006/04/26(水) 21:53:05 ID:27XL6mWd
>>539
まあ キリスト教が定着したのは 都市部で しかも人工的に
建設した新興都市だ という趣旨の本だったような気がする。

それで 日本の都市は アテネ形の都市だと 思うのですよ。
人間関係が密で 新しい宗教を 必要としないのでしょうね。
東京は それが崩れているようだけど 地方中核都市では
まだ アテネ形だと思うよ。

それに対して アメリカの諸都市は 新興都市だらけだからね。

ローマ帝国で キリスト教が広まったのも 帝国が新たに
建設した都市・人工的な都市だから だと思うよ。
541mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/26(水) 22:36:30 ID:X1pgE6Io
>>539
ありがとうございます。
以前は自治会費から神社に上納されていて、それによってそこの地域は
神社を中心に無意識のうちにまとまっていたんですよね。それはそれで
納得できる人はいいと思うんですけどね、
逆にそのような所で、伝道に励む教会、牧師は尊敬します。

わかりにくいのは、福音を信じて、人に躓いたとか言って離れちゃう人ですね。
保守派教会は、特に、十字架と復活を信じていると思うんですが、
それならばイエスの苦しみ、イエスへの希望を思えばそんなに簡単に
離れちゃいけないと保守的教会(?)に居るわたしとしては思うんですよ。

2ちゃん見ていると、いろんな教会があって本当かなと疑っちゃうのよね。
教理が受け入れられないのなら、離れるのは仕方ないことですが。
542mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/27(木) 21:56:14 ID:91R/XQpH
ちょっとおかしなことを、書いてしまった
よく考えれば、ま、考えなくてもわかることだけど
自分のものさしで、人様の信仰を語ってはいけませんね。

信仰空白期間が長くても、神は迷い出た最後の一匹の羊を
探しだしてくれるんですね。そして神に立ち返ることを喜んで
くれるんですね。失礼しました。
543名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 11:48:33 ID:On9W2xoD
炭  清い・火力の在る灰・吸着力・ミネラルの排出・イオン 
544キュロス:2006/04/28(金) 19:00:44 ID:YUC9E95H
さて キリスト教は 実用 に耐ええる宗教だろか?
日々の生活に 必要不可欠 な宗教だろうか?

教会の危機 と題してそれを 箇条書きまとめた、紙がある。
それによると
1、伝道しない教会 受洗を生まない教会
2、伝道できない自分を正当化し、言い訳を重ねる教会。
3、動かなくなった教会
4、教会の寺院化
  信徒の檀家化
  牧師の住職化 サラリーマン化
  教会堂寺院化
5、伝統のたてまえ化 制度も教理も礼拝も

等々と もっともらしい事を言っている。

しかし オレは 言う。
キリスト教は 実用に使えない 宗教になったと言いたい。
実用とは 献金の多寡による恵み とか 
祈れば病気等の困難が から癒される 等のことではない。
コレラのものは いずれ陳腐化すか 或いはエスカレートして
荒唐無稽になる。
545キュロス:2006/04/28(金) 19:07:44 ID:YUC9E95H
>>544 この箇条書きで あたかも寺院が 悪い事の喩え
として 使われているが、実際にそうだろうか

寺院は 葬儀・墓参り等の場として 日本人に実用的に使われている。

教会は どうだろうか、例えば クリスマスがある。
クリスマスは 日本人に 実用的に使われていうるだろうか?
答えは こだ
商業資本に 実用に使われ、一般人は それに踊らされている
だけだ。

パウロ書簡等で 当時の教会の様子を 見ると 実用的に
使われている。
546キュロス:2006/04/28(金) 19:19:49 ID:YUC9E95H
ユダヤ人が アメリカに移住してある程度の人数になって
ユダヤ人共同体や シナゴーク等の組織を効率的に運営・配置
するために 彼らは その当時アメリカにあった 長老教会の
組織を真似て 自分達の組織を作った。

ユダヤ教は 組織で統一した戒律の解釈をする必要がある
日常生活に 密着した宗教だからね。

その当時は アメリカでは キリスト教が 日常生活に
密着した実用的宗教だったから ユダヤ教も その組織
運営を 真似たのですね。

今の 日本でキリスト教の方法を 別の実用的な 組織が
真似る とは思えない。
だったのですよ。
547キュロス:2006/04/28(金) 20:49:35 ID:YUC9E95H
そう言うわけで マタイ福音書のいわゆる 山上の説教は
非常に実用に耐える 教え だったはずなんだね。

魂がとうとか 心がどうたらとか 気持ちがなにだとか
ではなく 日々の生活に密着した実用にたえる教え
だったはずなんだね。
548キュロス:2006/04/28(金) 22:37:05 ID:2LBr1lcm
霊的充実感とか 霊的に満たされる とか言う
訳の解らないものではなく、日常を平和に暮らす教え
だったはずなんだ。
それが 天の国 の教え つまり山上の垂訓だと思う。
549ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/29(土) 02:24:59 ID:UHKTuRdc
>>539
>それに対して アテネ等の伝統のある都市では、人間関係が強固に
>確立していて 新しい人間関係を築く必要はない から新しい宗教
>としてのキリスト教は 必要無かった と言うものだった ような
>気がする  まあ出典が解らないので 間違いかもしれない。

全然違うと思うw...アテネの様な伝統のある都市は学問が発達してて
パウロみたいな田舎者が幼稚な言葉で宣教しても相手にされなかった
と言う事だよ...使徒言行録にもその様に書かれてる...ストア派
の流れを汲む人達から、「また新しい宗教の宣伝か」と書かれてマンネン
ストア派の人達から見たらパウロみたいな宗教宣教師そのものが胡散臭く
見られる....それが学問の発達した大都市の反応だよ...幸い
僕も歴史の古い大都市に住んでるから、この感覚は良くわかるんだけどね
...人間関係が強固に確立してるのは大都市ではなくて田舎の事です..
歴史のある大都市に住んでる人間は、新興の宗教に対しては大体馬鹿に
するのがセオリーです..ハッキリ言って田舎者の馬鹿どもは相手にしないのが
セオリーです....わははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは

550ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/29(土) 02:54:11 ID:UHKTuRdc
>>549
追記
これだけだったらパウロは田舎者の戯け者でしかないので、パウロ
さんのフォローをするとな...アテネで失敗した後になパウロは
物凄い努力をしたと思うよ...それでアテネとエルサレムのギャップ
のなかに身をおいたと言っても良いのでしょうね...両方が
把握できたのはパウロさんだけですよ...それについては
盟友のヤコブには説明しえなかったと言うのが僕の説なんですね
551ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/04/29(土) 23:08:22 ID:UHKTuRdc
お上りさんの宣教  使徒言行録17/16−18
>パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを
>見て憤慨した。
はいはい、京都の路地にも地蔵盆が一杯並んでます。
>それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では
>居合わせた人々と毎日論じ合っていた。
>また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、
>その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者も
>いれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。
>パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。
はいはい、ゾーエーかビシュケーと論議してる連中にイエスの復活を
言ってもねぇ...馬鹿にされるだけなんでしょうね...それにしても
馬鹿教会の先生方や神学屋はなんで「馬鹿にされたんだ」と素直に言えな
いんでしょうね....わははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは
552mono ◆HfNWSGfVro :2006/04/30(日) 18:05:56 ID:cn0mcpRk
>>548
そう思います 主の平安とか主のあわれみとか言っても、隣に座った
人にちゃんと接することができなければそこに親しい交わりなんて
できないもんね。以前キュロスさんがおっしゃったよう、あれこれ
考えずに自然とよい習慣が身に付くと良いと、心底思いますよ。
説教でも、現世利益をバンバン語って欲しいてすよ。
>>551
弟子たちすら、復活について最初は半信半疑だったよね?だから
都市の人が、イエスのことが信じられなくてもしかたないと思う
復活のイエスに接した弟子たちが、どんどん変わっていく姿に
多くの人たちが共感したのだと思いますよ。
553ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/01(月) 00:35:46 ID:oYPMJM5g
>>552
>弟子たちすら、復活について最初は半信半疑だったよね?だから
>都市の人が、イエスのことが信じられなくてもしかたないと思う
>復活のイエスに接した弟子たちが、どんどん変わっていく姿に
>多くの人たちが共感したのだと思いますよ。
これがキリスト教会の欺瞞なんだw
弟子達はイエスの生身の復活なんか全く信じてないよ...と言うより
そんな気の振れた様な事を考えたとはとても思えない.....
ユダヤ戦争で時代がおかしくなって、人心が乱れに乱れて、まともな
判断能力が全く無くなって、見るものも何もかも信じられなくなって
目の前で人が嬲り殺されて、レイプが横行して、人肉を食うような
光景があって、そういうときにイエス様が人によっては生身の復活を
した様に思えたのでしょう...少なくとも直接の弟子や兄弟達は
まだ普通の時代ですので、普通の判断力があったと思いますダ...
生身のイエスが復活したなんて間違っても言わないと思いますダ...
わはははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは


554名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 15:57:24 ID:OfsjRQgH
>>551
中東に行けばよかったのにねぇ。あそこの多神教ってたいしたことないじゃん。
キリスト教程度の宗教でも勝ち残っていけるな。
555名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 16:01:09 ID:V0NoqpC5
>>553
ローマ帝国の治安はそれほど悪くはないです
妄想はほどほどにね
556mono ◆HfNWSGfVro :2006/05/01(月) 18:25:24 ID:E7l0Qj08
>>553
使徒 2;24 
    しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。
Tコリント 15;17
    キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、
Tコリント 15;20
    しかし、実際、キリストは死者の中からから復活し、
と、聖書には書いてあるんだから弟子たちは信じていた、と、そのまま読んで
いいんじゃないの?
ココモ先生のように考えるよう、わたしはできていないんですよ。
頭痛もちなんです。
557ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/01(月) 19:45:03 ID:oYPMJM5g
>>555
>ローマ帝国の治安はそれほど悪くはないです
>妄想はほどほどにね
ユダヤ戦争下のエルサレムの事だよ...ユダヤ戦記
読んでチョ...妄想にしたいのは馬鹿教団には不都合
だと言う事ダロ...コイツラと話してるとこの手のアホ
ばっかりだw
558ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/01(月) 19:55:37 ID:oYPMJM5g
>>556
>使徒 2;24 
   >しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。
使徒ができたのはイエスが死んで50−60年して、ユダヤ戦争が
終わった後ですよ...これがイエスの直接の弟子の主張に近いと
言う裏づけは全くできませんよ
>Tコリント 15;17
   >キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、
>Tコリント 15;20
   >しかし、実際、キリストは死者の中からから復活し、
>と、聖書には書いてあるんだから弟子たちは信じていた、と、そのまま読んで
>いいんじゃないの?
とパウロは言ってても、イエスの直接の弟子の主張とは違うでしょ
パウロと言う人が考えた事でしょ...弟子が信じたと言うのであれば
ペテロやヨハネやイエスの兄弟たちの同じような信仰主張があって
しかるべしなんですよ...なんでそう言う物が見つからないんですか?
ペテロやヨハネやヤコブはそう言う信仰信義ではないという事ですよ
...パウロや原始教会以外にもイエスの弟子は一杯いたんですよ
...そういう人達も殆どその手の主張はしてないでしょ...

これはパウロが独自の主張をしていて、ユダヤ戦争後にその手の
信仰信義が広まっていったという事ですよ
559名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 21:22:11 ID:V0NoqpC5
>>557
全然関係ないと思いますが?
560ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/01(月) 21:27:12 ID:oYPMJM5g
>>559
お前馬鹿か!!!!....イエイエ普通のキリスト教徒です。
何処かで遊んでてちょ...
561名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 21:28:32 ID:V0NoqpC5
>>560
ユダヤ戦争によって イエスの復活のイメージ?
だいたいクリスチャンがあの戦争に 積極的に加担?

むちゃくちゃ
562ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/01(月) 21:36:30 ID:oYPMJM5g
>>559
馬鹿は説明しないと判らないらしいのかねぇ
>「ユダヤ戦争で時代がおかしくなって」、人心が乱れに乱れて、
>まともな判断能力が全く無くなって、見るものも何もかも信じら
>れなくなって...
と言ってる文章になんでローマ帝国の平生の治安状態が出るんやろね
「ユダヤ戦争で時代がおかしくなって」と言えば、その時の状況を
描いてる物を読むべきだろ...それでマタイ福音書やルカ福音書
やマルコ福音書の追記部分やヨハネ黙示録やら、ヨハネ福音書が
この背景から書かれたとすれば...と言う主張に対して
この馬鹿はローマの平生の治安はどうのこうのと言ってるんだw
キリスト教徒風の馬鹿丸出し論調なんだよ
563名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 21:40:58 ID:V0NoqpC5
>>562
あのーー
クリスチャンが大弾圧された ならまだわかるんですが・・・・
564名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 21:41:52 ID:V0NoqpC5
>>562
なんか確証も何もない 単なる推測ですね
565ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/01(月) 21:43:36 ID:oYPMJM5g
>>564
こいつきりスト教徒お得意の「おとぼけ」かと思ったら、マジ
馬鹿やで....
566名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 21:48:07 ID:V0NoqpC5
>>565
偏った聖書学はイイから きちんとした資料出しなさい
ユダヤ戦争の状況の資料ね
567名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 22:54:48 ID:+lRgT8Ru
馬鹿にしたままうやむやに
568名無しさん@3周年:2006/05/01(月) 23:05:43 ID:Jyd+8wB6
そしてわははははははははははははで茶を濁す。
569ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/02(火) 02:34:48 ID:IX5pHgrL
犬みたいな奴を気にしててもワンワン言われたらそりゃ煩くて
かなわんけど、所詮ほえるだけの連中で、コイツラ自分の縄張りが
荒らされるのを恐れてるだけだよ....わはははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは

そんな奴等相手にしてても何も見えてこないばかりか人生を棒にも
振りかねないので、一日一日を大事にしながら、又新たな研究を
進めるだけちょん...馬鹿どもとはどんどん格差が付いてしまうけど
着いてこれる人だけ付いて来て下さい。馬鹿どもはほっときましょう
....わはははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは

570ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/02(火) 03:01:02 ID:IX5pHgrL
連休でちょっと暇なので..トマス福音書の翻訳の違いを
調べてみましょう..と言っても...荒井献訳とココモ訳の
違いの検証ね..自分の翻訳の批判を自分がするのも気がひける
んだけどね...10年位前の功名心旺盛だった頃に生意気に
聖書の翻訳をしたものがどれだけアホだったか存外頑張ってたのか
自分で検証してみたいんだな
571名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 08:30:37 ID:ZpdIyTVb
12使徒は戦争に加担しないから、ココモの想定しているのはは、逸れキリスト教徒
572カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/05/02(火) 10:12:36 ID:4uflcFO7
>>562
>ユダヤ戦争で時代がおかしくなって」と言えば、その時の状況を
>描いてる物を読むべきだろ...それでマタイ福音書やルカ福音書
>やマルコ福音書の追記部分やヨハネ黙示録やら、ヨハネ福音書が
>この背景から書かれたとすれば...と言う主張に対して

いかにも学者の考えそうな唯物論的なものの見方だね。
もちろん聖書にそういった当時の時代背景が全く反映されていなかったとは言わないけども、
聖書のテーマは、もっと他の事。全然違う事。君らのアプローチでは、
一番大事な事を見落とす。

そういえばナスカの地上絵を無理矢理これは天候を図る為のものだと解釈し、もっともらしい
論文を発表してた女の学者がいたが、これと同じようなもの。詭弁家は、もっともらしい理屈をこねては、
白いものでも、黒いものだと主張する。

聖書のテーマはあくまで宗教的なものであって、当時の歴史絵巻ではない。
仏教を知れば、イエスの教えも理解できるんだけどな。
せっかく聖書に縁がありながら、君のような間違ったアプローチで、悪意のこもった読み方しかしない人は、
それこそ、人生を棒に振ることになる。文字通り、全てを失うことになるだろう。
聞く耳も持たないだろうし、可哀想な人だ。
573名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 11:40:10 ID:FIB9NU9F
>>571
ナニを根拠にユダヤ全土が地獄図絵なんていえるんだろう
ココモスキーは・・・・
けっきょくヨセフスだけなんだよなぁ
574名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 11:43:39 ID:FIB9NU9F
ココモスキー
ヴェスバジアヌスやティトゥスがユダヤ戦争に投入した
ローマの正規軍団および補助軍の数は?
ユダヤの面積は四国とほぼ同じ
そこをだぞ わずか数万の兵力で封鎖 地獄図絵展開なんてできるか?
エルサレム攻防のことを意識してるなら その時点で
クリスチャンは退去してるぞ
575ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/02(火) 14:26:38 ID:IX5pHgrL
今日のトマスによる福音書...序文
荒井訳  >これは、生けるイエスが語った、*隠された言葉である。そして、
     >これを*ディディモ・ユダ・トマスが書き記した。
ココモ訳 >これらは生けるかたであるイエスが語り、*デドモ.ユダ.トマス
     >が書き記した*秘密の言葉である。

*学者さんの翻訳は、確かなんですがわかり難いんですね...底本にどう書
 かれてるか知りたがる御仁もいると思うけど、もとのもとはナグハマディで
 発見されたコプト語のテクストでしょうが、僕はそもそもコプト語を読める
 分けではないし、そのコプト語訳も多分ギリシャ語の訳本だと思います。
 僕は何処かの学者が英文に訳したものを底本にしてます。
*ディディモ(デドモ)は双子の意味だそうです。ユダ・トマスはイエスの
 双子の兄弟と考えられていた様です。その辺の資料は揃いませんでした。
*隠された(秘密の)言葉とは、グノーシス的な言い方だと思います。
 つまり、正統派教会はイエスの真の言葉を語ってないと言う批判が、こう言う
 言い回しになります。

*馬鹿はまた犬みたいにくだらない反論をして「そんなのわかんないでしょう」
 「妄想だよ」って言うんでしょうが、お前のオツムじゃ到底理解不能なだけだよ
 
576ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/02(火) 14:32:38 ID:IX5pHgrL
ほらほらほら....馬鹿を馬鹿にすると犬みたいに支離滅裂な
理屈を並べるだろ....よーーーーーく観察してみましょ...
わはははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
577ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/02(火) 15:05:45 ID:IX5pHgrL
イエスの生身の復活の記事の真相
「弟子達はなかなかイエスの復活が信じられなくて....」
これは全くの大嘘...直接の弟子達はそんな事を考える必要など
全くなくデマなど信じる必要が無く、イエスの主張(理想)の実現
が、弟子達にとってのイエスの復活であり原始教会がその答えだ
ったが、ユダヤ戦争による民心の荒廃と原始教会の崩壊が、福音書
編者にその様なデマがあたかも本当にあった様に書かせてしまった
....が真相だと思います。
わははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
578名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 15:16:06 ID:FIB9NU9F
>>577
民心の荒廃・・・・・・ユダヤ戦争以前に
エルサレムの共同体は崩壊してるでしょ?

奈落の語源もそうですが あなたは歴史上の問題に
ついては滅茶苦茶
579名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 15:22:36 ID:FIB9NU9F
神殿の破壊と旧ユダヤ王国の征服や住民の追放
当時のクリスチャンにとって あらかじめ予測できてるでしょ
その後の当局による信仰弾圧のほうが影響大きいはず
580名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 15:24:33 ID:FIB9NU9F
>それでマタイ福音書やルカ福音書
>やマルコ福音書の追記部分やヨハネ黙示録やら、ヨハネ福音書が
>この背景から書かれたとすれば...

迫害時期だよ どう考えても
581カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/05/02(火) 16:00:17 ID:4uflcFO7
>>577
だからイエスはこの世のことを言っているんではないんだよ。なんか無理矢理
天の御国は、この世にこそあり、イエスの教えはこの世にパラダイス実現するものであり、
教会はそれを表すものだとしたいようだけど、聖書のテーマはそんなことではない。
というよりむしろ、イエスはこの世を否定している。彼は、はっきり言っているではないか、
私はこの世に属していない。私の御国箱の世にはないと言っている。それをごちごちの石頭は、
真理は唯物論だと信じて疑わないから書かれていることを素直に受け止められないで、
無理矢理自分の気に入る解釈をする。これはココモスキーに限らずだけどね。
自分の意識、思考に執着する者は、あるがままを、あるがまま受け入れることが出来ない。
イエスの教えはこの世のパラダイスを実現する為ですか?アホですか(大爆笑)
何年読んでも聖書の読めない人だ。

ちなみに仏教(釈迦の教え)もこの世を徹底的に否定している。おまえみたいなものを、仏教では凡夫と読んでいる。
この世は苦しみでしかない。地獄とはこの世のことを言うのだ。愚か者はこの地獄に望みをたくしている。
サタンがどこにいるのかも知らないで。

この世に救いを求めている間、この世に執着する教えを是とする者は、イエスの教えを理解することはないだろう。
582カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/05/02(火) 16:05:40 ID:4uflcFO7
どんなにいい思い出があろうと、どんなに幸せでもあろうと、どんなに愛おしい人と一緒になろうと、
いつかは別れるときがくる。そして我々は、どうせいつかは死ぬ。この世とはそういう所。我々は生きない。死人なんだよ。
583名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 20:15:14 ID:HFg13v0B
清浄なる酒池肉林こそ天国である。
584名無しさん@3周年:2006/05/02(火) 22:36:46 ID:+3Xo/aLK
>582
死ぬといっても肉体が死ぬだけなんだけどね
585ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/02(火) 23:36:53 ID:IX5pHgrL
今日のトマスによる福音書...1説
荒井訳  >そして、彼が言った、「この言葉の解釈を見い出す者は*死を味わう
     >ことがないであろう」。
ココモ訳 >そして彼は言われた。”だれでもこれらの言葉の解釈を見出す者は
     >けっして*死を味わうことがないであろう”。

*僕と荒井先生の翻訳に、違いはないと思います。
*「死を味わう事がないだろう」は、永遠の命(ゾーエーアイオノス)
 が理解できない人達には、トンでもない誤解を持つだろう。
 不死身の人間になるとでも思う馬鹿がいるだろうから、詳しく説明
 したいのですが、紙面が不足しますので、と言ってwebを探したら
 殆どの教会が、この馬鹿に該当する説明でした...
 何れにしても、「死を見ないも」「死ぬ事はない」も違うと思うので
 「死を味わうことがない」と言う先生の言葉をそのまま使いました。
*ヨハネ福音書8/51
 新共同訳
 >はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬこと
 >がない。」
 新改訳
 >まことに、まことに、あなたがたに告げます。だれでもわたしのことばを
 >守るならば、その人は決して死を見ることがありません。」
 聖書の翻訳者も理解してるのかどうか疑問に見えますので、無理はないのかも
 知れません。
*この事柄は、永遠の命とあいまって以下のwebがよく考えてると思います
 ので、参照してください。 
http://www.ne.jp/asahi/church/sasebo/00.4gatu.htm
586ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/03(水) 01:37:00 ID:9N5SlQyN
ユダヤ戦争に投入されたローマ軍の数....
わはははははは...犬15匹、猫8匹、馬3頭、豚20頭、それを
指揮監督する猿様が2頭..ユダヤ戦記にはそう書かれてるらしい
よ...わははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははは

クリスチャンにはその様に説明しときましょ....
587ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/03(水) 01:56:29 ID:9N5SlQyN
今日のトマスによる福音書...2説
荒井訳  >イエスが言った。「求める者には、見い出すまで求める事を
     >止めさせてはならない、そして彼が見い出すとき、動揺するであろう。
     >そして彼が動揺するとき、驚くであろう。そして、*かれは万物
     >を支配するであろう」。
ココモ訳 >イエスは言われた。”探す者は見出すまでやめてはならない。見出す
     >ときに、彼は困惑するであろう。困惑する時に、彼は驚くであろう。
     >そして、彼は天地万物を支配するであろう”。
*僕と荒井先生の翻訳に、違いはないと思います。
*この聖句は馬鹿教会では殆ど理解できないと思いますが、リスキーな世界の第一線で
 頑張ってる人達にはよく伝わる言葉だと思います。判りやすい世界では、キリスト教会の
 言ってる事が嘘と欺瞞と出鱈目の積み重ねだという事を、ある人間が理解し始めると
 「彼は困惑するであろう」ですし「困惑する時に、彼は驚くであろう。」になります
 「彼は天地万物を支配するであろう”。」これはちょっと大袈裟すぎますね....
 現代では少し賢くなって、キリスト教徒の馬鹿さ加減が判っただけのことで、それは
 今日の日本では当たり前の事ですのでよ
588名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 02:00:49 ID:pQjV3opj
>>586
かわいいW
589ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/03(水) 02:27:07 ID:9N5SlQyN
ヨゼフスの古代誌...ネットからの発注で3−5日で入荷
   ユダヤ戦記...ネットからの発注で3−5日で入荷
それぞれをチャント読み通すのは5−10日掛かります。
ヘブライ語の旧約聖書...ネットからの発注で10−15日
それぞれをチャント読み通すのは5年−10年掛かります。
ギリシャ語の新約聖書...ネット検索わ半日やってれば
5−10発見つかります..解読するのに僕の能力で3−5年
掛かりました
590名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 02:31:12 ID:pQjV3opj
>>589
ヨゼフス抜きでも理解できるでしょ
ヨゼフス偏重は危険です
591名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 02:37:33 ID:pQjV3opj
つーかココモは帝国におけるユダヤ人とか皆目無知
ティトスの後継で弟のドミティアヌスの愛人はユダヤの
王女でクリスチャンだったんだけどね
592名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 03:01:28 ID:pQjV3opj
マサダにしても 篭城側の人数と砦の規模
攻城側の人数がはなはだしく不釣合いだったりする
593カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/05/03(水) 12:48:08 ID:gJDPUNF6
>イエスは言われた。”私は彼らすべての上にある光である。私はすべてである。すべては私から出た。
>そして、すべては私に達した。木を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。
>そうすればあなたがたは、私をそこに見出すであろう”〜トマス

>>587
>「彼は天地万物を支配するであろう”。」これはちょっと大袈裟すぎますね....

ここの文言はそれでいいんだよ。大げさでもなんでもない。

探し、見出したものは、自分自身を知るだろう。そして自分自身を知ったものは知られるであろう。
そして彼は天地万物を支配するであろう。

そして自分自身を知った者が悔い改め、イエスと同じ道を通るなら、彼は、私が命であり、誰もが私を通らなければ、
父の元には行けないであろう。と言わしめる者となる。それは誰もがそうである。
聖書を表面上の文章だけなら読める者は少なくないが、書かれている内容まで読み取れる者は非常に少ない。
594名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 13:18:09 ID:KvICUG5l
KvICUG5l
        《言葉の典礼》
(旧約朗読)  第一朗読 神に感謝
(詩編讃美歌) 答唱詩篇(歌うたう[ダビデの御詠歌])
(使徒書簡朗読)第二朗読 アレルヤ(ハレルヤ)か詠唱
        主は皆さんとともに また司祭とともに
        ・・・による福音 主に栄光 †
(福音書朗読) 福音書朗読 キリストに賛美  キリストに賛美
(朗読箇所説教)説教
595キュロス:2006/05/03(水) 22:26:20 ID:qh9YoOjw
ルカ福音書
>3:23 ところで、イエス自身は〔活動を〕始めた時ほぼ
>30歳であった。

と言う訳で ルカ福音書もたまに 読んで見たい。
ルカ福音書の記述者は マタイと比較して伝承を
自分達の神学に合わせて書き換えずに そのまま
利用している と言われている。

というわけで イエスが宣教を始めた 年齢は30歳ぐらい
だったのだろう。
ここでは 30歳という年齢の 意味を考えてみる。
596名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 22:27:12 ID:qh9YoOjw
>>595
イエス時代のつまり 1世紀前後の地中海世界での
寿命から判断すると イエスは決して「青年」ではない。

当時の子供の 三分の一が 6歳になる前に死んでいた。
10代の半ばまでに 60%が 
20代の半ばまでに 75%が
40代の半ばまでに 90%が 死亡していた。
60代まで 生き延びるのは 3%程度だと いわれている。

読み書きの出来ない者が大部分を占める社会では
年配者だけが その社会の記憶や知識を 持っていた。

イエスが宣教を開始した 年齢が30代前半だとすると
イエスは 決して若くは無く またその弟子や聴衆の

大多数は イエスより 若かっただろう。
そして彼らは おそらく10年以内に死んだ だろうし
彼らもその事を自覚していたはずだ。
597名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 22:32:35 ID:qh9YoOjw
>>596
その事を念頭に入れて イエスの行動と イエスの教説に
対する 弟子・聴衆や群衆 そしてイエスに敵対すパリサイ派や
ユダヤ神殿勢力の 反応を読むと また違った イエス観が
発見できるかもしれない。
598名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 22:41:05 ID:pQjV3opj
>>596
ローマの成人死亡率 それほど高い?
ソース希望
599キュロス:2006/05/03(水) 22:58:16 ID:qh9YoOjw
マタイ福音書
>19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、
>人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
>19:14 しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。
>わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのよう
>な者たちのものである。」
>19:15 そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。

現代人の感覚で聖書を読むと この箇所を確実は 誤解する。
 
古代の世界での子供の置かれた状況は 現代のそれとは
明らかに違う。乳幼児の死亡率は30%前後で 10代半ばまでに
60%の 子供が死んでいく社会だ。
さらに 飢饉や混乱そして病気等の 最も弱い犠牲者になった。

そして その子供が思春期に達する前に 片方の親が死んで
いるか さらに成人に達する前に 両親が死んでいる社会だ。

さらに孤児は 最も弱く、最も危害を加えられやすい 存在だった。

その様な状況に置かれた子供が 天の国に ふさわしいと
イエスは 主張しているのであって 決して 無垢な魂 だとか
罪が無い 等と言う歯が浮く理由からではない。
600キュロス:2006/05/03(水) 23:03:12 ID:qh9YoOjw
>>598
「共観福音書の社会科学的注解」
ブルース・マリーナ リチャード・ロアポ−著
大貫隆 監修 加藤隆 訳
新教出版社

この本の P51を 参照しました。 
601名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 23:06:24 ID:pQjV3opj
>>600
あのー
ちゃんとした史学の本のほうが・・・・・・
602キュロス:2006/05/03(水) 23:15:00 ID:qh9YoOjw
>>601
その書籍では なんと書いてあるの?
603名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 23:19:01 ID:pQjV3opj
>>602
手元にないので しらべまつ
604キュロス:2006/05/03(水) 23:22:26 ID:qh9YoOjw
社会科学系からの 聖書学の本は 確かにその主張は過激だよ。
歴史的批評の本が 護教的に見えるほど 過激だ。

だから新しい切り口のイエスの主張が 見えるような気がする。


605名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 23:22:49 ID:pQjV3opj
>>602
ネットだと平均36歳
ただ乳幼児の以上に高い死亡率や出産時の女性の
死亡率も含むので 平均余命とは全然違うかと思います
606名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 23:25:06 ID:pQjV3opj
>>604
それから帝政初期のローマ治世下の地中海地方に
大規模な飢饉や疫病 暴動など あまり聞かないのですが?
ゲルマニアやメソポタミア ユダヤ戦争時をのぞいて
607キュロス:2006/05/03(水) 23:26:08 ID:qh9YoOjw
>>605
ユダヤの一般的な田舎の庶民は それより低いと予想できるよね。
そうすると >>596 に書いてある程度なのじゃないかな。
608名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 23:32:04 ID:pQjV3opj
>>607
都市だからと言って寿命が長いとはいえません
かえって疫病の罹患率は高いです

ローマの統治下はかなり安定していたと思いますが?
609キュロス:2006/05/03(水) 23:33:31 ID:qh9YoOjw
>>606
聖書時代史 新約編 佐藤研 著 岩波現代文庫

第一節 ユダヤ教イエス派をとりまく世界 (p50)
によると かなり混乱があるようです。
610名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 23:37:45 ID:pQjV3opj
>>609
ほかの キリスト教史観外の学者は正反対だったり・・・
弓削さんとか
611名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 23:39:45 ID:9vHNNvPw
>599
じゃあさ、もし二親が長生きしたら、
それだけでその子は天国にふさわしくないってことか?
612キュロス:2006/05/03(水) 23:40:31 ID:qh9YoOjw
>>608
ユダヤは かなり混乱していたようです。

ローマ当局も
ティぺリウス帝の時代は 恐怖政治だったようだし。
ガイウス帝は 精神的におかしかったようです。
613名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 23:45:27 ID:pQjV3opj
>>612
ティベリウスもガイウスも既得権層 主に元老院層に
厳しく接し 中間層の騎士身分育成を図っただけです
とくに精神疾患があったガイウスの治世後期を除いて
ティベリウスの行政改革&歳出削減は成功 のちに
五賢帝の出現に繋がります

彼らは知識層であった元老院層に非常に評判が悪く
そのため記録も割り引かねばなりません

あとユダヤの混乱は事実ですが それが成人余命に
影響を与えたかどうかは疑問です
614キュロス:2006/05/03(水) 23:47:44 ID:qh9YoOjw
>>611
イエスの主張として 貧しい者は幸い なんだね。

>>610
歴史的批評からの聖書学でも 当時のユダヤ地方は混乱を極めていた様です

アンチィオケやアレキサンドリヤ等の大都市のユダヤ人社会は
ユダヤ戦争時でも安定していた ようだけどね。
615名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 23:49:21 ID:pQjV3opj
>>614
聖書学は史学から孤立していません?
616キュロス:2006/05/03(水) 23:53:18 ID:qh9YoOjw
>>615
まあ 学問は 横の連携が無く 縦割り というのは常識ですね。

しかしどちらが 正しいく 片方が間違い という
わけでは無いと思いますよ。
617名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 23:54:19 ID:pQjV3opj
>>616
そうですね
こちらも少々マクロに捕らえすぎてるかも
618名無しさん@3周年:2006/05/03(水) 23:57:17 ID:9vHNNvPw
>614
親が長生きだから裕福とは限らんだろ
そもそも貧しい者って、心の貧しい者のことだろ
心が貧しいとはどういう意味(譬え)なのか?
少なくとも経済的な貧富は関係ないと思うが、如何?
619名無しさん@3周年:2006/05/04(木) 03:50:31 ID:tGWVou61
イエス様の所に来た子連れには充足が無かった故だからね。

今のキリスト教会の子供達のイメージで読んでた・・・
620ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/04(木) 14:08:02 ID:TuCG8+vZ
今日のトマスによる福音書...3説
荒井訳  
>イエスが言った。「もしあなた方を導く者があなたがたに「見よ、王国は天にある」
>と言うならば、天の鳥があなたがよりも先に(王国へ)来るであろう。彼らがあなた
>がたに、「それは海にある」と言うならば、魚があなたがたよりも先に(王国へ)
>来るであろう。そうではなくて、王国はあなたがたの直中にある。そして、あなた方の
>外にある。あなたがたがあなた方自身を知るときに、そのときにあなたがたは知られる
>であろう。そしてあなた方はしるであろう、あなた方が生ける父の子らであることを。
>しかし、あなた方があなた方を知らないなら、あなた方は貧困にあり、そしてあなた方は
>貧困である。
ココモ訳
>イエスは言われた。”あなたがたを惑わす者たちが[見よ、神の国は天にある]
>あなたがたに言うならば、空の鳥があなたがたより先にそこにいるであろう。
>彼らが[それは海にある]とあなたがたに言うならば、魚があなたがたより先
>にそこにいるであろう。しかし神の国はあなたがたの中にある。そして、外にも
>ある。あなたがたは、自分自身を知るならば、知られるであろう。そして、自
>分が生ける父の子らであることを知るであろう。しかしあなたがたは、自分自
>身を知らないならば、貧困の中にいるのだ。そしてあなたがた自身が貧困なの
>だ”。
*天国は何処其処にあって、神様がいてイエス様がいてとか、死んだら天国へ行く
*などと言う馬鹿信者は当時もいた様ですね。これはゾロアスターか何かのドグマ
*だと思うのですが、福音書もこのトマスも全く違う事を説いてるんですね。
*福音書の「天の国」はコミュニティに帰する物ですが、トマスの「神の国」は信者自身
*に帰する物の様です
621カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/05/04(木) 15:14:30 ID:Z8jqmW04
>>620
キリスト教のテーマは永遠の命だ。
死なないと言うことは、生れてこないと言うことだ。
滅するものから生じるものは、必ず滅する定め。
凡夫は得意げに語る。永遠の命とは、綿々と繋がる我々の子々孫々の中にある。
天国と地獄とは、この世に生きる人の心の持ちようのことをいう。とね。
あ〜ははは(爆笑)こういうのを凡夫の知恵だというんだよ。
無明の中にいる彼らは生きない。死人のままだ。自分が死人であることに気付くこともない。
自分が何者であるかも知りもしない。知ろうともしない。無知の中にある。
自分の面前にある者を認識せよ。

何度も言うけどさ、イエスはこの世を否定したんだよ。
私の御国はこの世にはないと言っているんだよ。凡夫が得意げに、宗教を唯物論的アプローチで語って
いるのには、まことに笑える。自分は智恵ある者だと思っている。何にも知らないで。

消滅するものから生じているものは、消滅するであろう。消滅するものに由来するゆえである。
自性無きこの世は幻。凡夫は滅び行くものに望みを託し、そして自ら滅んでいく。
ココモスキーよ、たのむから、天の御国とはこの世にあるなんて、得意げに語って俺を笑わせないでくれ。
聖書にはそんなこと書いてねぇよ。

ところであんた、神の名を知っているかい?
622ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/04(木) 16:20:18 ID:TuCG8+vZ
>>621
>ココモスキーよ、たのむから、天の御国とはこの世にあるなんて、得意げに語って俺を笑わせないでくれ。
>聖書にはそんなこと書いてねぇよ。
マタイ福音書に38個所書かれてる「天の国」を全部読んでごらーーーーん
ぜーーーーんぶ、この世の事でっさ....馬鹿信者はこのくだらないドグマ
の為にどれ一つとて読めないでいるだけさ...わはははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは

>ところであんた、神の名を知っているかい?
ユダヤ教のYHWHの呼び方はユダヤ教のラビから教えて貰ったよ
ユダヤ教ではこれを言葉にするのは、ご法度なのでアドナイと
呼びますがね...僕もラビとの約束で言葉にはしない事にしてます。

623名無しさん@3周年:2006/05/04(木) 17:04:42 ID:2HthstDw
>>622
お前、死後の世界とか全く信じてないの?
無神論者か?
624カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/05/04(木) 18:02:17 ID:Z8jqmW04
>>622
馬鹿はおまえなんだよ。
聖書を何でも唯物論的に解釈する者は、トンデモさんなんだよ。
で、マタイ伝に書かれてる天の国がこの世のことなのか、あんたの解釈を聞かせてもらおうか。
ちなみに俺はそうとは全然思わないんだが。ちゅうかあんた、永遠の命って何か知ってて言ってるわけ?
子々孫々に伝わるのが、イエスの主張する永遠の命なわけ?あんた本当にグノーシスも知ってるの?
あんた永年聖書に接してきたわりには隣人の意味さえ理解してないようだし。
もう一度言おう。聖書のテーマは唯物論的なものではない。これは明らかだ。それを無理矢理唯物論的に解釈する人は
トンデモさんなんだよ。内容が全然読めていない。
625カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/05/04(木) 18:19:37 ID:Z8jqmW04
>>622
天の国=地上の教会
こんなものを実現する為に、イエスは十字架に架けられたんですか?

>はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、
>天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。〜マタイ11:11

地上のコミュニティーに過ぎない地上の教会の一員は、最も、末端で下っ端でも
およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかったと言わしめる洗礼者ヨハネより偉大なんですね(爆笑)

あのな、たしかにイエスの掟を皆が守れれば、地上でもパラダイスは実現できるだろう。
だがそれは無理なんだよ。それが我々という存在。おまえは隣人の意味も理解しなければ、原罪の意味も理解しない。
人は歴史から学ぶことなく、同じ過ちを繰り返す。それが我々という存在。
百歩譲って皆の心に意識改革が起こり、皆がイエスの掟を守る社会が出来たとしよう(肉の身体を持つ人間である以上絶対に無理だが)
それでもそのパラダイスは偽りのものだ。ひと時の間幸せであろうと、人間は死ぬ。
人は身体にと言う牢獄に閉じ込められている間は、獣に過ぎない。塵から生まれたものは塵にかえる。これがイエスの教えだ。
なにが地上にパラダイスだ。あんた本当にグノーシスも知っているのか?
626カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/05/04(木) 18:33:29 ID:Z8jqmW04
>>622
>ユダヤ教のYHWHの呼び方はユダヤ教のラビから教えて貰ったよ
>ユダヤ教ではこれを言葉にするのは、ご法度なのでアドナイと
>呼びますがね...僕もラビとの約束で言葉にはしない事にしてます。

そんなもの、言葉にだして話しても、何の問題もないよ。無問題。
在って在る者とは、その人はそのような方だと言っているに過ぎない。
ま、あんたがその教えてもらった人との約束を守る、信義をつらぬくのはよいことだ。
それはそれでいいとは思うが、彼らの信じる神の名は、何の価値もないだろう。
そもそも神とは名前のないものだ。なぜなら名前のあるものは誰かの被造物だからだ。
父なる神は、子に名を与えた。名を与えたのは母なる聖霊である。
子の名は父の名となる。なぜなら、父と子は一つだからである。そして名を与えた母なる聖霊は、
父のハート(心)であり、子のハート(心)となる。

アーメン。父なる神の名を知る者は、自分自身を知るだろう。
627ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/04(木) 20:09:44 ID:TuCG8+vZ
今日の「天の国」−15
大分前に「天の国」シリーズをしましたけどね...全く読んで
ない御仁がいるみたいですね...いくら説明しても馬鹿信者は
「天の国」はあの世の物だと思ってるらしい、どうも馬鹿教会の
先生達は、それが悩みみたいですね、奥歯に物が挟まった様な説明で
この世の物だと言えないんですね...

ルカ福音書17/20−21
ファリサイ派の人々が、(神の国)はいつ来るのかと尋ねたので、
イエスは答えて言われた。「(神の国)は、見える形では来ない。
『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、
(神の国)はあなたがたの間にあるのだ。」

*トマス3節もここから引用してるんでしょうね。
 事もあろうにファリサイ派の人達に向かって、「あなたがたの間
 にあるのだ。」と言ってるんですね...
 さすがにマタイもトマスも「ファリサイ派」の言葉は出てこないで
 しょうが、ルカさんはファリサイ派との確執をよく知らなかった
 のかも知れません。
 馬鹿信者はこの様な聖句を読むと混乱するんですよ、キリスト教
 のドグマとかけ離れてますのでね。
 (そんな馬鹿な事はあり得ない...これは何か深い意味がある
 んだ...いや別の事を言ってるんだ...あまり気にはしない
 でおこう...誰か教団の先生が解釈してくれるだろ−−>
 でお決まりの先生方の誤魔化し論法が出てくるんすね)
 これはイレギュラーでも何か別の事を言ってるのでもなく、ルカ
 の教会の「神の国」についての考え方なんですね。それが馬鹿教団
 の伝統的ドグマとは全く整合しないだけなんすね...わはははは
 はははははははははははははははははははははははははははははは
 はははははははははははははははははははははははははははははは
628キュロス:2006/05/04(木) 20:41:38 ID:jT2OIV2r
>>627
>「あなたがたの間にあるのだ。」と言ってるんですね...

で その解釈は? 
629キュロス:2006/05/04(木) 21:37:39 ID:jT2OIV2r
ルカ福音書 新共同
>17:20 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、
>イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。
>17:21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。
>実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

さて このルカの箇所から 「神の国」がこの世のものだとする
主張が 妥当か否かを検討してみよう。

まず初めに「神の国」と訳されているが 岩波訳では「神の王国」と
訳されている これは「神が支配する王国」と言う意味だろう。

ファリサイ派の問いは 「天の国は何処に?どのような形で来るのか?」
ではなく 「天の国は、いつ来るのか?」 なのです。
歴史上の時を イエスの尋ねているのですね。

つまり ファリサイ派の人々は 「神の国」のことを安息日のように
何時からから 神の完全な支配がこの世に実現するのか?
と イエスに問うている わけです。

つまり ファリサイ派の人々は この世に「神の国」が 実現する
と考えているのです。

ファリサイ派の人々は 律法の忠実な実行により この世に神の支配する
世界が 神によって 実現される と考えていたわけです。 
630キュロス:2006/05/04(木) 21:41:48 ID:jT2OIV2r
まず >>629 で「天の国」と成っているのは「神の国」ことね
それから
「何時からから 神の完全な支配がこの世に実現するのか?」
を下記に修正
「何時から 神の完全な支配がこの世に実現するのか?」
631キュロス:2006/05/04(木) 22:01:52 ID:jT2OIV2r
>>629
次に ファリサイ派の人々に対する イエスの回答は
「神の国は、見える形では来ない。」と言ってるわけだ。

これを 岩波訳では
「神の王国はうかがい得るさまで、到来することはない。」

あるいは そして脚注で 下記のように解説している
天体などのように「観察しうるようなさまで」到来するととはない


という訳だから 「『ここにある』『あそこにある』」と人間が
観察できるさまでもない のですね。

つまり「神の国」は 人間が観察できるさまでは この世に
来ない そして「神の国」は 人間が観察できるさま でもない。
と言っているようだ。

人間には観察が出来ないさまで 来ないから 当然なこことして
。と言っているんだね。
632キュロス:2006/05/04(木) 22:03:13 ID:jT2OIV2r
>>631
「人間には観察が出来ないさまで 来ないから 当然なこことして
。と言っているんだね。 」は 削除してくれ。
633キュロス:2006/05/04(木) 22:49:23 ID:jT2OIV2r
岩波訳では イエスの答えを 下記のように訳出してる。
「なぜならば、見よ、神の王国はあなたたちの〔現実の〕
只中にあるのだ。」

また「あなた達の手の届くはんいに」とも訳せるらしい。

神の国は 人間が観察できるさま でもなく
また永遠に続く安息日のような形で 一方的に来る ものでもない
「あなたがたの現実の只中にある」とは どのような意味か?

やっぱり 現実の只中 とは 普通の日に囲まれている
安息日 のようなものだと 言っているのかな。

つまり 「神の国」とは この世に実現される 
永遠に続く安息日ではなく 6日間に挟まれた 1日の聖なる日
としてある と言う意味かな。
634キュロス:2006/05/04(木) 22:50:55 ID:jT2OIV2r
この安息日とは 良く出来ていて 6日に1度 確実にあるのですね
神の天地創造以来一回も欠かすことなく 確実にあるのですよ。

創世記では人が創造された日の 翌日に神は安息日を創造したのですね。
神は 人間がすぐに安息日を経験できるように 人間を創造した
翌日に安息日を創造した とも言えるのです。

安息日の聖なる1日を 誕生後に直ぐに経験した人間は
辛い事・困難に遭遇しても 確実に来る次の安息日に希望を抱いて
そのことを 耐え乗り越えられる、と言うことかな。

この辺の考え方は エジプトからの救出したくれた神に信頼して
バビロン捕囚を耐えた ユダヤ人ならではの 考え方なんだね。
そして 事実として 神はユダヤ人をバビロンから救出したわけだし。

つまり 今の艱難を 過去の艱難からの救出してくれた神に
信頼して将来に希望を抱く という形で その今の艱難を耐える
のですね。
635カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/05/04(木) 23:03:07 ID:a6Qc4Ppb
>>633
だからさ、なんで、神の国はあなたがたの間にあるのだが、この世のことを言っているとなるんだ?
見える形では来ない。また、ここにある、あそこにあると言えるものではないといってんだろう。
なに言ってんだかこの人は。ちなみにトマスの言行録にも似たような表記があり、それには、

>神の国はあなたがたの中にある。そして、外にもある。あなたがたは、自分自身を知るならば、知られるであろう。
>そして、自分が生ける父の子らであることを知るであろう。しかしあなたがたは、自分自身を知らないならば、
>貧困の中にいるのだ。そしてあなたがた自身が貧困なのだ”。

とある。これはあんたが訳した文章だ。訳すのはいいが、内容が全く読めていない。
神の国は我々の内にあり、また外にもある。我々の内側は、我々の外側であり、外側を作る者は
我々の内側を造り、我々の外側をみるものを、我々の内側にみるのだ。イエスが
ファリサイ派の問いに、神の国はあなた方の間にあるのだと言ったのはそういうこと。
イエスは、こうも言っている。神の徴とはなにか。それは運動と休息であると。運動とは時の流れるこの世のこと。
休息とは永遠のこと。そこに命はある。あんた本当にグノーシス知ってるのか?
636カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/05/04(木) 23:17:38 ID:a6Qc4Ppb
〜トマス
>彼の弟子たちは彼に言った。”どの日に死者の休息が生ずるのでしょうか。そして、
>どの日に新しい世界が来るのでしょうか”。彼は彼らに言われた。
>”あなたがたが待っているこの休息はすでに来ているのだ。そして、
>あなたがたはそれを認識していない!”。

アホはこの文言をみて、やはり天の御国はこの世のことなんだと理解するんだろうな(苦笑)
アホはいつも、聖書にしろ、グノーシス文書にしろ、全体を見ないで、一部分だけ
引っ張り出しては、都合のいい解釈をしては悦にはいっている。だが、所詮は一本釣りの
トンデモ解釈なので、全体的にみると整合性が取れなくなる。

イエスはこうも言っている。

〜トマス
>イエスは言われた。”あなたがたはこの世に対して断食をしないならば、
>神の国を見出さないであろう。真の安息日を守らないならば、父を見ないであろう”

この世との断食をしなければ神の国を見出さないと言っている。真の安息日とはそういうことだ。

ちなみにこのトマスの福音を書いたとされるのは、デドモ.ユダ.トマスだとされている。
デトモとは双子の兄弟のことをいうそうだ。案外、復活後、肉の姿で現れたとされるイエスは、この
イエスの双子の兄弟だったりしてな。もちろん双子の兄弟とは、肉の繋がりの兄弟のことを言うのではない。
637カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/05/04(木) 23:29:53 ID:a6Qc4Ppb
これはイエスの言葉である

自己を知らなかった者は、何ものをも知らなかったが、
自己を知った者は同時にすでに万物の深淵について認識に達したからである。
だから我が兄弟トマスよ、おまえは人々に隠されているもの、
すなわち人々がそれらを知らずにいるものをみたのである。
638あぼーん:あぼーん
あぼーん
639名無しさん@3周年:2006/05/04(木) 23:37:09 ID:fTGpPUxe
>>633
「なぜならば、見よ、神の王国はあなたたちの〔現実の〕只中にあるのだ。」
とイエスが言ったのなら、その通りでよいのでは。何故それを「安息日」だと
か「将来到来する」などと勝手にこじつけようとするのですか。

すでにキリスト教の影響を受けた者の見解に依存すると、却って真意を見逃し
ます。

「あるがままの現実そのものが神の国」というイエスの言葉通りに取ってこそ、
初めて深い意味があるのです。イエスとしては、珍しく「真理」を語っている
言葉です。
640名無しさん@3周年:2006/05/04(木) 23:57:49 ID:jIWQlpCg
多分、イエスは十界互具を言ってる
641カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/05/05(金) 00:01:01 ID:a6Qc4Ppb
これはイエスの教えである。

身体は変化する。変化するものは滅し、滅び、命の希望を持たないであろう。
この身体は獣と同じ物であるから、獣の身体が滅びるのと同じように、
これらの造り物は亡びるだろう。獣の身体は交合によって生まれる。人の身体も
交合から生まれるのなら、獣の身体とどうして大きく異なるのだ。
だからお前達は、完全になるまで、幼児のままなのだ。
地に生まれた人は、塵の中にいるに過ぎない。塵から生まれたものは塵に帰る。

あの方は死ぬことのない方である。永遠まで続く者は生成の無いものである。
なんであれ生成されたものは滅びるからである。
その方ははじめがなくて、生まれざるものである。というのはなんであれ、はじめのあるものは、
終わりがあるからである。その方を支配するものはなにもなく、その方には
名もないものである。というのは、名のあるものは、なにか他の者の創造物だからである。

万物より前に、限界のないものの内に、”自ら生まれ”自己創造したものは、はじめの人であり、
それは男女の姿をしていた。彼らは不死であった。消滅するものから生まれるものはことごとく消滅するだろう。
消滅するものに由来するゆえである。だが、消滅しないもから生ずるものは消滅しないであろう。
消滅しないものに由来するゆえである。人は、また新たに ”自ら”生まれなければ生きないであろう。


642ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/05(金) 00:58:07 ID:vWbkVkA6
今日のトマスによる福音書...4説
荒井訳  >イエスが言った。「日々を重ねた老人は、*(生後)7日の小さな子供
     >命の場所について尋ねることをためらわないであろう。
     >なぜなら、多くの先の者は後の者となるであろうから。そして、彼らは
     >*単独者になるであろうから」。
ココモ訳 >イエスは言われた。”日で満ちた老人は生命の場所について*7日の幼な子
     >に問うことを躊躇してはならない。そうすれば彼は生きるであろう。多く
     >の最初の者は最後となり、そして彼らは*単独者となるであろうから”。
*学者の翻訳と、齧りたての素人の翻訳の違いが判りますか?
*年を重ねた老人が、生後7日の幼子に命の場所について尋ねる事を躊躇ってはならない
 と言うのは、大袈裟な気もしますが、マタイ11/25あたりをヒントにしてください。
*「単独者」と言うのは、トマスでは何回か出てきます。16/23/49/75参照の
 こと、何れも否定的な孤立者の事ではなく、肯定的に評価される立場の人です。
 これには2つの意味がある様に思います。1つは一族や縁戚関係からの独立者の事だと
 思いますが、2つ目は男女の性的属性を超越した人の事です。
22の後半
 >イエスは彼らに言われた。”あなたがたがふたつのものを
     >ひとつにするとき、そして、内を外のように、外を内のように、上を下のよう
     >にするとき、そして男性と女性とをひとつにし、男性がもはや男性ではなく、
     >女性が女性ではないようにするとき、そしてひとつの目の代わりに目を、ひと
     >つの手の代わりひとつの手を、一つの足の代わりにひとつの足を、ひとつの像
     >の代わりにひとつの像をつくるとき、あなたがたは神の国に入るであろう”。
それと以前にも出した
114ですね...グノーシスにはこの考え方がある事を踏まえてください。この4節の
単独者は初めの方の「一族や縁戚関係からの独立者」の事だと思います。
643ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/05(金) 01:35:59 ID:vWbkVkA6
トマス翻訳の意図...もう10年近く昔の事で、何で自分みたいな
異教徒の素人がそんな事をしたのか、よく覚えてないんですがね...
まあ功名心が大きかった事は確かですよ...普通の教団が殆ど手がけて
無いものを、出し抜けにネットで一般公開したらボンクラの教団は
戸惑うだろと思ったんですね...それがとるに足らないような
くだらない翻訳だったらコイツラから「素人が出すぎた真似するな」
って言われるに決まってるし、足掛け2−3年間グノーシスの勉強は
したんですがね...コイツラに有無を言わせたくなかったんでね...
このトマスの翻訳が評価されるという事は、自分がただの反対者では
ないという事が認められる事になるし、僕の研究をしかるべき人は評価
してくれると思ったんですね。だからそれだけ必死になって研究したん
ですが...

2軍で燻ってる野球選手が、密かに猛練習してて一軍にたまたま呼ばれて
代打に出て打つような事ですよ。見る人がみたら「あいつは一軍
でも十分通用する」と見てくれるんですよ。かのイチローも2軍で燻って
たんですよ、聖書で言えば「後の者が先に行く」なんだよ...
644ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/05(金) 14:50:40 ID:vWbkVkA6
今日のトマスによる福音書...12説
荒井訳  >弟子たちがイエスに言った、「私たちは、あなたが私たちのもとから去られる
     >であろう事を知っております。(その後に)誰が私たちの上に大いなる者となる
     >でしょうか」。イエスが彼等に言った、「あなたがたは、(1)あなた方が来たところ、
     >(2)義人ヤコブのもとに、行くであろうなぜなら。(3)彼のゆえに天と地とが
     >生じたのである
ココモ訳 >弟子たちがイエスに言った。”あなたがわたしたちから去っていかれることを
     >わたしたちは知っています。だれがわたしたちの上に長となるのでしょうか”
     >。イエスは彼らに言われた。”(1)あなたがたが行く場所で、(2)義人ヤコブのもとに
     >行くがよい。(3)天も地も彼のゆえに造られたのである”。
*4説から少し飛ばしますが、これを早めに説明したい為です。5−11は後日します。
*今年の年初にこれを出したら、例によって馬鹿どもが恥晒しの書込みをしてましたね
 あのカキコを見てホンマにクリスチャンの知能程度の低さに呆れましたW
 ヤコブを旧約聖書のヤコブと勘違いしたり、「天も地も彼のゆえに造られたのである」と
 僕が訳したら、トンデモない妄想をしたり。翻訳者の使命は編者の意図をできるだけ
 正確に伝える事だと思うけど、アホが妄想をしない様に言葉遣いに気を使う事も大事
 なんですね。うっかりした翻訳をすると、コイツラの妄想の餌を与える事になるとは
 思いも依らなかったW。福音書の翻訳者達もこの点は細心の配慮をしてるんでしょう
 ね...いい勉強になったW。アホ信者とは、妄想発火装置だったんだW...
(1)の部分は学者と自分でニュアンスが違いますが、R・マイヤーによれば「何処にいようとも」
   と言う言葉だそうです。
(2)エウセビオスの教会史によれば、ヤコブ(主の兄弟)はユダヤ人キリスト教会では「義の人」と
   呼ばれていたらしい。この人の人柄を示してるんでしょうか 
(3)トマスの編者は原始教会の正当性を言いたかったんでしょうね(暗に正統派教会が
   イエスを継承してないと批判してる)...
645mono ◆HfNWSGfVro :2006/05/06(土) 13:21:38 ID:EW0DWklE
>>634
安息日への思いが広がりますよ。もっと引き伸ばして主の日まで聞きたいんですが。

イエスは、安息日を形式といて守ることを否定したけれど、神の恩恵として
主の日を思うと、形だけでも、取り合えずでも、神の国への入門講座として
喜んで参加したいと思う。
646名無しさん@3周年:2006/05/06(土) 13:26:35 ID:EW0DWklE
>>643
> トマス翻訳の意図...もう10年近く昔の事で、何で自分みたいな
> 異教徒の素人がそんな事をしたのか、よく覚えてないんですがね..

なんで動機がムニャムニャになったものを、そう何年も続けられるのか
本当に不思議です。
647名無しさん@3周年:2006/05/06(土) 13:41:24 ID:IbDC/r2n
>>644
ヤコブが義の人と呼ばれた理由も知らん????
648キュロス:2006/05/06(土) 23:17:05 ID:enUmJGkR
安息日に禁じられていた仕事は 39種類あったようだ。
その内訳は

種を蒔く 土を鋤く 刈り取る 穂を束ねて積む 脱穀する
穀物をあおぎ分ける 手でより分ける 引いて粉にする

ふるいにかける こねる オーブンで焼く 羊の毛を刈る
色抜きをする 毛を叩く 染色する 紡ぐ はたに張る

縦横にはたをつくる 二本の糸を織る 端で二本の糸を分ける
結び目を作る 結び目を解く 布を縫いあわす 縫い合わす為に

布を裂く 鹿を狩る 屠殺する 皮を剥ぐ 塩漬けする
皮をなめし加工する 毛を剥ぐ 切り裂く 2文字を書く

2文字を書く為に消す 形づくる 壊す 火を消す 火をおこす
ハンマーで打つ 有る領域から別の領域へ移す

の39種類の 労働だったようです。
649名無しさん@3周年:2006/05/06(土) 23:23:38 ID:0OYB+Rt2
天の国は、救う者と救われる者の間にある。関係性の先(救)にある。
天の国は地の世に接続されているということ。

接続する存在がイエス・キリスト
650ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/06(土) 23:37:12 ID:K+OR/VaS
>>647
おーーーい、チャント晒せよ...どうせプロテ系の馬鹿教会だと
思うけど...どんどん馬鹿妄想をさらして、てめえらの教会の
実体を晒してくれよ...できたら、所属の教会名とてめえらの
資料を書いてる先生方の名前も公表していただきたい、多くの人に
知らしめていただきたい....一見まともな教会に見えて、実体は
こうであるという事を世の中に知らしめていただきたい....わは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは

651名無しさん@3周年:2006/05/06(土) 23:38:09 ID:0OYB+Rt2
天の国は、地の世に接続されている連続した存在。接続する存在がイエス・キリスト(中保者)

あなたがたの間とは、救う者と救われる者の間に在るということ(救の関係性の先のこと)。
救の関係性は天に富を積むことでもある。
652ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/07(日) 00:19:14 ID:DjvrXkSh
今日のトマスによる福音書...5説
荒井訳  
>イエスが言った。「あなたの面前にあるものを知りなさい。そうすれば、あなたに
>隠されているものはあなたに現されるであろう。なぜなら、隠されているもので、
>顕にならないものはないからである」。
ココモ訳
>イエスは言われた。”あなたの面前にあるものを認識せよ。そうすれば、隠さ
>れているものはあなたに現れされるであろう。明るみに出ないまま隠されてい
>ものはないからである”。
*荒井先生の文章は本からワープロしないと記入できないんですがね、自分の訳
*はホムペからコピペするだけなので楽ですW....
*マルコ4/22やルカ8/17を参照してください。文章の内容は特に注釈の
*の必要はないと思います。言葉ではみんな判ってると思います。
*面前の事がどうしても受け入れられない時に、人は盲目になります。それが嘘だと
*思うようになります。嘘であって欲しいと思う気持ちが、妄想・捏造・歪曲・無視
*の基です。
653名無しさん@3周年:2006/05/07(日) 04:49:28 ID:EMCz5m20
>>650
本当に人柄ゆえにヤコブが義の人と呼ばれたって?
エルサレム教会の根幹に関わるんだけど
さすがにキュロスさんも呆れて突っ込まないね

マジ正気ですか???
654キュロス:2006/05/07(日) 18:50:41 ID:BNmfdgHj
トマス福音書 14 荒井訳 から一部引用
>人々があなたがたの前に置くものを食べなさい。

で明らかな様に トマス福音書の集団は 食物規定に
忠実ではなく 反対に食物規定を 反故にするように
求めている。

トマス福音書 12 の 「義人ヤコブのもとに」を
エルサレム教会の事だと 主張している者が いるようだが

エルサレム教会は 信者に対して食物規定の遵守を 求めており
トマス福音書 14 とは 矛盾する。

よって 「義人ヤコブのもとに」 とは エルサレム教会の
ことではない。
655キュロス:2006/05/07(日) 21:17:04 ID:6I4DFOyN
ルカ福音書
>23:47 百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい
>人だった」と言って、神を賛美した。

各福音書の 十字架上でのイエスの言葉の違いが 良く話題になる。
それによると イエスの死の意味が 彼の死後に弟子達のうちで 
変化していったことが イエスの十字架上の死の意味の変遷と
結び付けられて もっともらしく主張されている。

あるHPによると イエスの死が その宗教活動の 敗北ではなく
神のよって あらかじめ定められた出来事だった とする解釈が
出てきて それを示すものが ルカ福音書の「父よ、わたしの霊を
御手にゆだねます」だと主張している。

しかし そうだとすると イエスの死に立ち会った 百人隊長の
言葉が マルコ・マタイ福音書では「本当にこの人は神の子だった」

から ルカ福遺書の「本当に、この人は正しい人だった」と
イエスの神格化が ルカ福音書では曖昧になっている事の
説明がつかない。

つまり イエスの死の意味が ルカ福音書ではでは 
あらかじめ定められた神の計画 だとする 神学的に発展した形
になっているのにもかかわらず イエスの神格化が後退している事の
説明がつかないからだ。
656キュロス:2006/05/07(日) 21:31:31 ID:6I4DFOyN
イエスの十字架 及びその死の意味が それらの出来事に
立ち会った 百人隊長の台詞 の違いに 明確に表れている。

マタイ・マルコ福音書の「本当にこの人は神の子だった」と
ルカの福音書の 「本当に、この人は正しい人だった」

マタイ・マルコ福音書は 神を殺した絶望の叫び だと思う。
一方ルカ福音書は 正しい人を殺す 良心の呵責程度だと思う。

ルカ福音書は 使徒言行録と一体の文書だから 福音書だけで
解釈をすると とんでもない事になる。

つまり イエスが神の子だとする事実が 人々に知れ渡るのは
使徒言行録になってからなのでしょうね。
657キュロス:2006/05/08(月) 19:10:10 ID:Ov4ExJL5
トマス福音書 98 荒井訳
>イエスは言った、「父の国は、高官を殺そうとする人のような物で
>ある。彼は自分の家で刀を抜き、自分の腕がやり遂げうるかを知る
>為に、それを壁に突き刺した。それから彼は、高官を殺した。

荒井さんの解釈は 良く解らないけど これを素直に読めば
過去の成功体験を よりどころにして 大事を成し遂げる
と言う 話しによめる。

これは ユダヤ人がバビロン捕囚期に 過去に神がユダヤ人を
エジプトから救出した出来事を信じて 将来に神がユダヤ人を

バビロンから救出 してくれる事に希望をいだく、という
過去の救いの出来事を信じて 将来の救いに希望を抱くという
図式に 当てはまる。 
これは ユダヤ的な話しだよ。
658mono ◆HfNWSGfVro :2006/05/08(月) 22:10:56 ID:cJwANe+F
主の日の礼拝が神を知ることであるならば、そして他の人との間に
神がおられることならば、もっとまじめに人との付き合いを考えなくては
ならないですね。ローマ書12;9〜が身を持ってわかる様になるには
神を知ることなんでしょうね。
659ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/09(火) 00:48:27 ID:LFisC8NJ
>>658
パウロのローマ人への書簡の12/9−12/21で、神と言う
言葉は、一言しか出て来ないんす。それも12/19「神の怒りに
任せなさい。」と仲間(愛する人達が)が自分で復讐などせず、
神に任せろと言ってましてね、仲間の復讐の代行者にしてるだけ
ザンスね...それ以外の平生の暮らし事は全て主イエスか隣人
なんですね...今の教会が口癖にしてる「神を知る」だの「神に帰れ」
とは全く違う心情だとも思います。....果たしてパウロにとって
神とはどういう存在だったかは、想像し難いんですが、少なくとも今の
教会が説いてる物とはかけ離れてると思います。....そんな事
どうでも良いんでしょ....「神」だの「イエス・キリスト」だの「愛」
だの「ユダヤ的(???????)」だのを適当に混ぜて文章を作れば
今の教会では十分通用するでしょうから....わははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
660名無しさん@3周年:2006/05/09(火) 00:51:38 ID:5hKzrcvN
雲に乗って来るってどういう意味ですか?
661名無しさん@3周年:2006/05/09(火) 00:52:52 ID:p2CavltK
>>659
基本知識欠落してるあなたの妄想です
ヤコブのこともご存じないし
662名無しさん@3周年:2006/05/09(火) 01:10:37 ID:5hKzrcvN
火はみことばですよね
663名無しさん@3周年:2006/05/09(火) 01:30:54 ID:5hKzrcvN
パンも
664mono ◆HfNWSGfVro :2006/05/09(火) 21:41:36 ID:t6lQBDXP
>>659
いいじゃないの ローマ書のそこのところの見出しは「キリスト教的生活の規範」
なんだから。そーいうのにあこがれを持ちたいじゃないですか。
あとココモ先生笑いすぎ。

主の日が、神の存在を感じることならば、あの会堂でなくても良いのでしょう。
たとえば晴れた日は、近所の公園に行き野外礼拝に変更するとかしたら
楽しいだろうな。礼拝の後は食べ放題で会食ということで。
665ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/10(水) 18:02:03 ID:9bektrzI
>>661
>基本知識欠落してるあなたの妄想です
>ヤコブのこともご存じないし
これがコイツラの口癖だと思うけど、その基本知識が欠落してる人間が
トマス言行録の翻訳をしてるとなると、普通の人間はどう考えるでしょうね?
小学生でも判るで....わははははははははははははははははははは
ヤコブの事を知りたかったら、ヤコブ イエス 位で検索してごらん
(Yahooでは13番目に自分のwebが出てきたけど)、プロテスタ
ント系の馬鹿先生が、アホな創始者の擁護の為に、お得意のでっち上げ・
妄想で作り上げた神話は聞いた事があるけど、馬鹿馬鹿しくて空いた口が
塞がらなかった。
666名無しさん@3周年:2006/05/10(水) 18:11:29 ID:uXmRlN56
>>665
ヤコブが義の人といわれた理由は?
667ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/10(水) 18:24:26 ID:9bektrzI
今日のトマスによる福音書...6説
荒井訳  
>彼の弟子たちが彼に尋ねた。彼らが彼に言った「あなたは、私たちが断食する
>ことを欲しますか。そして、私たちはどの様に祈り、どの様に施しを与える
>べきでしょうか。どの様な*食事を私たちは守るべきでしょうか」。
>イエスが言った、*「嘘をついてはならない。またあなたがたが憎むことを
>してはならない。なぜなら、すべては天の前に現れてるからである。なぜなら
>隠されてるもので顕にならないものはないからである。また、覆われていた
>もので、覆いなしに残らないものはないからである」。
ココモ訳
>彼の弟子たちは彼に問うた。彼らは言った。”あなたはわたしたちが断食する
>ことをお望みになりますか。わたしたちはどのように祈り、どのように施しを
>行うべきでしょうか。そして何を*糧とすべきでしょうか”。イエスは言われた
>。*”偽りを言うな。そして、自分自身にとって憎むべきことを他人に行うな。
>これらすべてのは天の見るところに明らかであるからである。隠されているも
>ので現わされえないものはなく、秘密にされているもので言い広められないも
>のはないであろう”。
*「食事を私たちは守る」と荒井先生が訳されてる部分は、ユダヤ教の食事規定
*の事で掟の事を言ってるとの解釈だと思います。
*つまり弟子達はイエスにどの様な断食や掟や施しをすべきか尋ねたものです。
*それに対してのイエスの答えが「嘘をつくな、人が憎む事をするな。お前達の
*所業は白日に晒され、隠し事なんかできないんだから....」と言う事です。
*どこかの教会に言ってやりたい言葉ですね...
668名無しさん@3周年:2006/05/10(水) 18:32:47 ID:uXmRlN56
>>667
>>666
逃げるなよバカモスキーこと響子w
ついでに奈落の語源についてもなwww
669キュロス:2006/05/10(水) 18:36:23 ID:ywcmShLK
マタイ福音書
>5:12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。
>あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

イエスの話しを聞いた群衆は、なぜ「悲しむ人は幸い」とか
「迫害される者は幸い」というイエスの主張を納得できたのだろうか。

それに対する イエスの主張の根拠は 過去の預言者の事例を示し
ている。これも 過去の良い出来事から 未来に希望を抱き 現在の
困難を乗り切る という パターンなんだね。


それから バアルは農業神でお天気を支配していた と考えられていた。
お天気を支配しているから当然のこととして 雲 も支配している。

「雲に乗ってやってくる」等の「雲」関連の聖書の記述は
バアル信仰がネタ元だ とする説がある。
これの出典は 探せないので不明だ。
670ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/10(水) 18:37:49 ID:9bektrzI
>>666
>ヤコブが義の人といわれた理由は?
お前らの馬鹿先侯が言ってた筋書きは悪いけど忘れた...
聖書からそれを否定する事は簡単だろうけど、馬鹿馬鹿しい
のでそういう事に時間は割きたくないよ...馬鹿に付き合って
ると時間が幾らあってもたらんからね...わはははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははは



671名無しさん@3周年:2006/05/10(水) 18:45:47 ID:uXmRlN56
>>670
単なる人柄ですか?
検索したんでしょ?
すぐわかるでしょうが
672ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/10(水) 19:51:25 ID:9bektrzI
義の人...普通の人は普通に解釈していただいて良いと思います。
これも検索していただいたら、いろいろ出てくるでしょう、カト系の
webはまともな解釈をしてます。ところが
プロテスタントでは特別の意味を持つそうです。義の人ヤコブと言われた
ヤコブさんと原始教会をプロテスタントの創始者であるルーテルさんが
扱き下ろしたのが、その元なんですがね...
ヤコブさんが書いたとされるヤコブ書を「藁の書」と言ってましてね...
実際ヤコブ書を読んでると、何処がスカスカなのかさっぱり判らない?
もっとも聖書学が発達した現代では、これはルーテルの神学に沿わない
だけで、現実にあった原始教会の信仰信義だとすれば、あーーそうなのか
なんですがね....ルーテルの神学は信仰義認重視で福音的性質を備えて
ないとアカンと言う事なんでしょうね...それと律法戒律主義だと言う
馬鹿もいるが、実際にヤコブ書を読んでもそんな事は殆ど書かれてナインすね
ルーテルさんは原始教会がユダヤ色が強い事も気にいらないんだと思います
ね...ルーテルさんはマタイ福音書も嫌いだったんでしょうね、僕に
言わせれば、ただのユダヤ嫌いと戒律的キリスト教が嫌いだっただけだと
思うけど...原始教会が律法戒律主義だと言うのも的外れですよ...

673ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/10(水) 19:52:12 ID:9bektrzI
続き...
プロテスタントの馬鹿先生はその様な評価がまずもってできないみたい
ザンスね、未だにあの手この手を使ってこの原始教会を否定しようとする
でしょ...義の人もそういう解釈がなされてる見たいですね。
それも馬鹿なキリスト教会が毎度毎度やってる愚かな行為だと言う事も
いい加減目覚めて欲しいんですがね
>マルチン・ルターによると(「キリスト者の自由、聖書への序言」岩波文庫66頁)
>要するに、聖ヨハネの福音書と彼の第一の手紙、聖パウロの手紙、なかんずく
>ローマ人、ガラテヤ人、エペソ人への手紙及び聖ペテロの第一の手紙〉、これらの書は、
>たといあなた方がかってその外の書物や教えを見もせず聞きもしなかったとしても、
>あなたにキリストを示し、あなたにとって知る必要のあるしかも祝福をもたらすに
>足る全てを教えるのである。これらと比較すると聖ヤコブの手紙は全く藁の書である。
>此れは何ら福音的な性質を供えていない。――

あのーーー、ルーテルさん、アンタのおかげで馬鹿な教会がたーーーーくさん
できてしまって信者を躓かせてますよ..わははははははははははははは

674名無しさん@3周年:2006/05/10(水) 19:53:44 ID:uXmRlN56
>>673
あなたはヤコブの人柄のせいか?っておっしゃりました
自分のご意見お願いします
675ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/05/10(水) 23:08:22 ID:9bektrzI
ヤコブ書簡2/10
>律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点
>について有罪となるからです。
馬鹿な信者はこの文章でヤコブが律法主義者だとする根拠にするんで
しょうね。律法主義者じゃないと都合の悪い教団がよく行う方法ですw
ヤコブ書の2章を読んでると、明らかに誤解である事が判ります。
2/8−9
>もしあなたがたが、聖書に従って、「隣人を自分のように愛しなさい」
>という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。
>しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法に
>よって違犯者と断定されます。
2/11
>「姦淫するな」と言われた方は、「殺すな」とも言われました。そこで、
>たとえ姦淫はしなくても、人殺しをすれば、あなたは律法の違犯者に
>なるのです。
普通の人は判ると思います。2/10は614(だったかな?)ある
律法を全部パーフェクトに守らないとならない(律法主義者はそう
言うだろうが)と言う聖句ではなく。
2/10
>律法を形式的に守ってると言っても、そこで最も重要な事を守れない
>のであれば、その人は大罪人です。
と考えたら判りますね。マタイ福音書にも同じ様に書かれてるw
多分イエスもそう考えたのでしょう...ヤコブは律法主義者でも
何でもなくて、律法主義者を批判するファリサイでしょうね
そしてかのイエス様も殆ど同じファリサイでしょうね
676名無しさん@3周年:2006/05/11(木) 18:56:58 ID:Zp+BvZU2
ヤコブの手紙
>2:23 「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」
>という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
>2:24 これであなたがたも分かるように、人は行いによって義と
>されるのであって、信仰だけによるのではありません。

ローマ書
>4:3 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。
>それが、彼の義と認められた」とあります。
>4:4 ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われ
>るべきものと見なされています。
>4:5 しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、
>働きがなくても、その信仰が義と認められます。

まあ ヤコブの手紙と ローマ書が 食い違っているように
見えるから ヤコブの手紙の評判がよろしくないのだろうね。

このローマ書の4章5節の言葉は 解釈が色々できそうだね。
677キュロス:2006/05/11(木) 19:14:15 ID:Zp+BvZU2
トマス福音書 18 荒井訳
>弟子達がイエスに言った。「私達の終わりがどのようになるかを
>私達に言ってください。」 イエスが言った「あなたがたは、一体
>終わりを求めるために 初めを見出したのか。なぜなら初めの
>あるところに、そこに終わりがあるであろうから。はじめに立つ
>であろう者は幸いである。そうすれば 彼は終わりを知るであろう
>そして死を味わう事は無いであろう。

荒井氏の解説は まあ置いといて。

これも 過去を 見る事によって 未来を知る という
例のパターン だよ。

人間の初めとは この世に生を受けた事なんだよ。
神から 命を贈与された事 なんだね。
その事を 知る者は 終わりを知る と主張してるんだね。

678mono ◆HfNWSGfVro :2006/05/11(木) 23:00:23 ID:GgMQFNI3
ヤコブ書が、「藁の書」になるかならないかは読む人次第って聞いたことある。
と、いっても聖書に、疎いわたしとしては困難だな
説教集をたくさん出している有名な牧師も、ヤコブ書はないしね。

具体的で、自分を省みるように書かれてるけど きっとそれだけじゃ
なくて、神の憐れみを読み取るようにするのでしょうね。

ヤコブ 2;13
    憐れみは裁きに打ち勝つのです。と書いてあるから。
679名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 18:43:30 ID:/VNgfwbs
無教会風でインターネット派です。逐語霊感がかっている。

Q.万人救済説は異端なのか?
ウェスレー(メソディスト)が 万人救済説なのだが。
ウェスレー系
学校で言えば 青学と関学
教団の教会で言えば 銀座 渋谷 本多記念 あたりだが
これらがみな異端なのか? 確かにイギリス聖公会からは破門されているけどね。
ちなみにメソディストにも ウェスレー派の万人救済説と 対抗の予定説の 2派がある。

A.「普遍救済」と「万人救済」は人によって訳語が混乱していて
日本語で話していると おかしなことが 起こることがあるんですが。

1.予定論
 人は自力で福音を選び取る能力などとっくに壊れているので、救われた者はつまり
神に えこひいきされた奴ということだ、おめでとう(=カルヴィニスト)。

2.ゼネラル(普遍救済)
 神は全人類を救いたいところなんだが 人には 福音を受け入れないという
選択肢もがある。でも君は正しい選択をした えらい(=普通のアルミニアン)

3.ユニバーサル(万人救済)
 神は全人類を救うと決めたので 悪党だろうと キリスト教徒でなかろうと
救われる。万事安心なので 気にするな(=大抵 異端視される)

皆さんの言う 万人救済って それぞれ 2と3のどっちなんですかね。
680キュロス:2006/05/12(金) 19:00:12 ID:l0gJmonr
ローマ書
>8:24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。

>>679
なるほど これが 神学者 の考えていることか。
まあ 色々と 考えているようだけど
間違いない事は 神学者が 確実に救われると言う事だね。

これだけ 無意味なことを 本気で考えている姿を
神がみて 憐れまない はずは無い。

神は生きているんだよ、神も終末時の審判で どの種類の人間が
救われるのかは 知らないと思うよ。
681キュロス:2006/05/12(金) 19:10:55 ID:l0gJmonr
「神 のみが知る」という主張が有る これは
「神 のみが知る」と言う事を人が知っているんだ

つまり 神が知っていないかもしれない事を
人間が 「神のみが知る」と言う事を知っている
わけで

神が知らない事を
人が知ってしる 事になるんだ。
682キュロス:2006/05/12(金) 19:13:31 ID:l0gJmonr
最後の2行を

神が知らない 可能性の有る ことがらを
人間が 知っている 事になる。

に修正する
683名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 19:24:43 ID:QPPr7SQU
父なる神(創造主・アルケー[根源]・ペルソナは位格と訳し 顔(側面)と解釈しない)
 ↓→神の霊(聖霊)は「出でる」
神として神の子が「生まれる」(創造主・子に関してはアルケーを議題にしては いけない)
 ↓
天地創造(被造物)
 ↓
聖霊により人間マリアから人の子(人間・神の受肉)として
キリスト(油注がれた人・ユダヤ王)としての神の子(神のロゴス)が生まれる

字義的・旧約聖書
 なんじ殺すなかれ(ひと殺し自体を禁止)
死海文書の文脈で・旧約聖書
 なんじ殺人罪を犯すなかれ(「死刑でない・殺してはならない−人」を殺した罪・
 捕虜を意味もなく殺害・武装解除者を感情的に殺害・
 ローマに裏切った・ギリシアに味方したといって感情的に仲間のユダヤ人を殺した
 ユダヤの裁判やルールを無視した敬虔でないユダヤ熱心党への敵愾心への憂慮から)
原罪は、人類にありがちなオリジナル・エラー
 (若気のいたり・誰もが一度はする失敗・人として恥ずかしい事・良心の痛み[悪かったと思う事])
犯罪は 原罪から起こって更に失敗や間違いを続ける踏み越えた悪い行い
 (遣り過ぎた失敗・ある一線(法律)を越えた間違い・わざと(故意で)やった悪い事)だそうです。
原罪の罪を十字架にかけて
 厳格な神の基準によって 全人類は全員が死後に 無条件に地獄に落とされる所を
 滑り止めしたのが
 キリストを信じて洗礼を受ける選択で 原罪が赦される処置で(公審判・人類最期)
犯罪の罪は 生きている時であれ 死んだ後であれ 個人ごとに
 社会や神に裁かれて 償わなくては イケナイものなんだそうです(私審判・個人の死後)
684mono ◆HfNWSGfVro :2006/05/12(金) 21:23:44 ID:pJBK72+a
マルコ13;13
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

聖化されてなくとも、世俗にどっぷり浸かっていても
神様のお恵みを、そのまんま素直に頂いていれば
神様は喜んでくださる と、思う。

予定論は飽くまで論であるから、それが正しいのか
どうかはわからないけど、今更 方向変換は難しいね。
685名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 09:14:25 ID:Vu3ZaNf/
神様が語られる「救われない者」とは概念であり、決定の事実ではない。
その概念を結実させず終わろうとする関係こそ真髄。

敵を創るのは自分自身。救われない己を作るのも自分自身。

敵を敵としての概念でのみで留め、正しい関係を持つことができるように
、救われない者を概念に留めようとされる神様の努力と教え。

自己のみで飽きる時を得ることはできないのだ。
686ココモスキー ◆VAutiIin4w
今日のトマス..
折角18節を紹介した人がいるので、今日は18節をしますが、アホ
が解釈するとトンチンカンな理解になると言う事例です。
荒井献訳
>弟子達がイエスに言った。「私達の終わりがどのようになるかを
>私達に言ってください。」 イエスが言った「あなたがたは、一体
>終わりを求めるために 初めを見出したのか。なぜなら初めの
>あるところに、そこに終わりがあるであろうから。はじめに立つ
>であろう者は幸いである。そうすれば 彼は終わりを知るであろう
>そして死を味わう事は無いであろう。
ココモ訳
>弟子たちはイエスに言った。”わたしたちの終わりがどのようなものであるか
>をわたしたちにおっしゃってください”。イエスは言った。”いったいあなた
>がたは、終わりについて尋ねるために、初めを明らかにしたのか。なぜならば
>、初めがあるところに、終わりがあるであろうから。初めに立っている者は幸
>いである。彼は終わりを知り、死を味わうことがないであろう”。
ここの「初めに立つ者」の立つは独立すると言う意味ですな...16参照
むしろ目覚めた者とか、永遠の命の境地に立つ者ですな...産まれる
だったら、命あるものは皆産まれてますねん...「彼は終わりを知り、
死を味わうことがない」と全く対応しませんな...わはははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは