404 :
402:
>>403 だって、みんな「研究用」「研究用」っていうからさ。
翻訳の評価のポイントは
1.原典研究(本文学)の成果の反映具合(時代的制約、神学的立場の違い)
2.日本語としての整い具合(敬語、漢字の用法、読みやすさ)
3.ギリシャ語との対応具合(単語の対応、文法的対応、内容の対応)
くらいかな?
さし当たって【新共同訳】でいいんじゃないの。
日本キリスト教団の旧約新約聖書解説(聖書辞典的な部分がある)と
カトリックの注釈つきの新約聖書(フランシスコ会)に
オアシス(旧ライフセンター)などキリスト教書店でお求めであれば。
わたしは、いのちのことば社の聖書解題ものをすすめて不評を買ったが。。。
実際、聖書辞典の併用が必要だと気付き失敗。
【新共同訳】は、聖句の解説が後ろに、ついているし。。。
シャーケード(アーモンド)が見えるか?
神はあなたをショーケード(見ている・見守っている)
アダマ(土)
アダム(人間)を創った。
バベルの塔を創り・・・人間が協力して創れないようと言語を
バラル(混乱)させた。
神(ヤー)
裁き(ディン)・・・生まれた子供に
ダン(ディン)と名づけた。族長の名で部族の名。
ヤディンというイスラエルの軍人の名前(ユダヤ人名)って、
そーいう意味なんだと、わかる。
のように、原語と翻訳単語の併記があるから判りやすい。
カトリックのフランシスコ会の新約聖書などは
解説注釈が
第?ペテロ書のこの聖句・・・地獄とあるが言語がタルタロスで
と、地獄の翻訳が
ハデス[死者の世界]・
ゲヘナ[地の底・底知れぬ淵]の他に
タルタロス(海底の牢獄[地獄])という別の表現もあるのが判る。
プロテスタントと違う解説だな
という新たな発見とか新たな視点が面白い。
>わたしは、いのちのことば社の聖書解題ものをすすめて不評を買ったが。。。
新約聖書の使徒書簡には、人間の三分法というのが解説にあって驚く。
昔の人の人間観を解説している。
カトリックは二分法といって、肉と霊(高次元・低次元)と扱うが
正教会は三分法といってギリシア哲学の人間観を定義に採用する。
ギリシア正教は、定理とか方程式とか信条の表現がギシシア数学なのだ。
刑事コロンボの、死の方程式だか殺人の方程式ってやつだ。逆切れの方程式もありそう。
三分というのは
肉体(からだ[ソーマ])・魂魄(たましい[プシュケ])・霊魂(レイ[プネウマ])と扱い
グノーシスHPで判り、ナグハマディ文書の本の巻末の用語解説で判ったが
人間は霊(霊魂・カトリックの高次元たましい)が無いと
狂人や植物人間で、いわゆるケダモノ(獣)なのだという。
獣(ゴイ・外国人・異邦人・複数形がゴイム・外国人は本来的に罪びと)にならないよう
樫の杖(アロンの杖・テレビンの杖)で羊飼いするよう人間・信者を飼う(ユダヤ人になる)。
その杖使いの行いを「司牧」という。杖は司牧杖(アロンの神権)という。
ダビデ(紀元前1000年ごろ)は、羊の群れを飼ったがヘブライ人の群れも飼った。
羊相手に牧者だし、ユダヤ人相手に王様(油の人・メシア)だし、と言う事である。
霊がある状態というのは
「良心の痛み(人に教えられずに先天的に判っている
人間の心に神の掟が刻まれている)」がある。懺悔告白できる。
「善悪判断に自由意志」があり
善を選択し行動する(物事を見分け悪を遠ざかり善を取りなさい)という
態度を取れる。
というものである。
「使徒言行録」と題名があるが、いのちのことば社の解説書・全一巻では
「使徒の働き(アポストルの行い)」とギリシア語の原語を紹介している。
「使徒行伝(「アポストルの行い」の伝え)」という昔の翻訳の方がピッタリ来る気がするんだが。。。
教父オリゲネスの福音書記事のイエスの例え話の解説などである。
このような原語や三分法とほか、古代教父[初期キリスト教神父]の説教や解釈の
紹介があるので重宝している。
【 新約聖書(フランシスコ会聖書研究所訳注) 】
ニペトロ【2】(2)イスラエルにおける偽教師の前例は、列上22章、
エレミヤ28章に見られる。「自分たちを買い求めたあるじ」は、尊いおん血をもって
われわれをあがなってくださったキリストのことである(一ペトロ1:18〜19参照)。
ニペトロ【2】(3)ユダ6節参照。「地獄」(ギリシア語では「タルタロス」)は、
ギリシア神話の中で、よみの国の下にある苦痛の場所を指すからである。
しかし、二ペトロが書かれたころ、同時代の外典に見られるように、悪天使が、
七つの層から成る天の上層部から暗い下層部に落とされて苦しめられた
という考えがあったようである(一ペトロ3:19参照)。それで、著者は、
ギリシア神話の伝統的用語「タルタロス」を使ってはいるが、その本来の意味よりは、
ここでは単に、象徴的意味における苦しみの場所のことを考えていたものと思われる。
ニペトロ【2】(9)前節の「ボソル」は、民22:5の「ベオル」のことである。
民22:22〜30は、バラムがモアブ王バラクから金をもらってイスラエルを
のろうために出かけたとき、彼の乗ったろばが、途中、進むのをやめ、
彼に打たれたとき口をきいたことを、物語っている。著者はここで、
偽教師がバラムと同じく、ろばほどの知恵も持ち合わせていないことをほのめかしている。
ニペトロ【2】(11)本節の終わりの表現は、
人の中から追い出された悪霊が七つの悪霊を連れてもどってくることを述べる
マタイ12:45の表現と同じ。なお、ルカ1:26参照。
20〜21節は、偽教師に惑わされた改宗者(18節)を指しているとも言えるし、
また、偽教師を指しているとも言える。しかし、22節のたとえのきびしさから見て、
著者は、偽教師のことを念頭に置いているようである。
旧約第2 トビト記5章( 契約書を2通作成 )
3トビトは息子トビアに答えた。「ガバエルは自筆の証文を作り、わたしも
それに署名した。そして、それを二つに分け、おのおのが証文の一方を受け取った。
彼は証文の半分と共に銀も受け取った。今はもう、銀を預けてから二十年になる。わが子よ、
だれか一緒に行ってくれる信頼できる人を見つけなさい。その人には帰って来るまでの期間の
報酬を与えよう。さあ行ってガバエルからその銀をもらって来なさい。」
4メディアまでの道に詳しく、一緒に行ってくれる人を探しに、トビアは外に出た。出てみると、
天使ラファエルが目の前に立っていた。しかしトビアには、神の使いであることが分からなかった。
民数記 22:28 主がそのとき、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。
「わたしがあなたに何をしたというのですか。三度もわたしを打つとは。」
民数記 22:29 バラムはろばに言った。「お前が勝手なことをするからだ。
もし、わたしの手に剣があったら、即座に殺していただろう。」
民数記 22:30 ろばはバラムに言った。
「わたしはあなたのろばですし、あなたは今日まで
ずっとわたしに乗って来られたではありませんか。
今まであなたに、このようなことをしたことがあるでしょうか。」
彼は言った。「いや、なかった。」
民数記 22:31 主はこのとき、バラムの目を開かれた。
彼は、主の御使いが抜き身の剣を手にして、道に立ちふさがっているのを見た。
彼は身をかがめてひれ伏した。
< とあるグノーシスの一思想 2 >
>ヤルダバオト?
シリア語でヤルダー「若者」バフート「奈落(または混沌の元、転じて混沌の母)」
をギリシア語読みにした、ユダヤの神を貶めた呼び名
つまり「ヤルダバオート」の意味は「奈落を母とする若者」である
グノーシスのある一派は「ヤルダバオート」を
[混沌の]知恵の母(アーカモート[ホークモート・ヘブライ語で知恵])が
8番目の天を作って その下の7つの天を作った子供(若者)と説明した
ユダヤの神を貶めたとは この7つの天を作った事を揶揄してである
そして この7つの天以外に世界がないと言いつつ
ほかに神もいないのに妬む神なので サクラス(ばかもの)とか
サマエール(めくら)という名の神だと[グノーシス・キリスト教は]説明した
【 ギリシア思想系譜 】
ソクラテス→弟子1・プラトン→ アリストテレス→アレキサンダー大王→
ソクラテス→弟子2・アンティステネス→ ディオゲネス→アレキサンダー大王→
アレキサンダー大王→エジプト・プトレマイオス朝(70人訳ギリシア語旧約聖書) →
プトレマイオス朝(70人訳旧約聖書・旧約ダニエル書)→新約聖書ギリシア語著者達
新しいイスラエル・新しい新天地。。。
兄イエス(プレローマー・満ち満ちている[豊かさ]・世代(世々の時代・
代々の世界[アイオーン])に満ちた神の権能・世界に遍満している神・新約の神)
弟ヤコブ(代々の世界の下にある天と地・兄の下にある弟)
マリアの三位一体(母マリア・姉マリア・妻マリア、3人ともマリア、どれもマリア)
マグダラのマリア(第8天界の母・信仰の知恵、ギリシア語でピスティス−ソフィア
シリア語でアーカモート[へブル語 ホークモート(知恵)])
マグダラの娘(永遠の命[アイオナス・ゾーエー]である彼女の息(炎の天使)が
デミウルゴス[創造者]をサクラス(愚か者)と呼びかけ
ヤルダーバオート[奈落を渡る者・奈落に突き落とされた]にした)
デミウルゴス(マグダラのマリアから生まれた天使の一種。第七天界に住む
この世とこの世の7つの天を作った創造者、旧約の神)
グノーシス(英知)的には、そうなるのだろう。
>マグダラの娘(彼女の息(炎の天使)
息は、新しい生命・代々の命(ゾーエーアイオナス・永遠の命)の息吹で
聖霊(ハギア プネウマ)の事である。霊(プネウマ)は、息(プネウマ)とか風(プネウマ)である。
炎も舌の様な形であらわれ、聖霊の象徴であり、知恵の象徴でもある。
サクラス(シリア語:愚か者[旧約の神])の反対に
グノーシス(ギリシア語:英知[新約の神])を設定している。
ロゴスを、イエスであり神と設定するのは「ヨハネ福音書」である。
ロゴスを原罪や人類の過失の一因としているのは、グノーシスの「三部の教え」教派?という。
ローマ書 正義 ディカイオシュネ(真理[アレテイア]でなく)
コリント書αβ 親愛 アガペーセイス(善[アガソス]ではなく)
ヨハネ書 美 カローン
光 フォース・フォトス
命 ゾーエー(息・霊[プネウマ]ではなく)
言 ロゴス
世々・代々 アイオーン・アイオナス(世界[コスモス]ではなく)
コロサイ書 満ちた[豊かさ] プレローマー
像・影 エイコナ(イコン)
ほとんどグノーシスではテーマになっているギリシア語の単語ですね。
古代ユダヤは 神の預言者[サムエル(シェム+エル[呼ぶ(名を)+神を(神と)])]によって
ヘブライ王を任命し、初代サウル王・第二代ダビデ王が誕生した。
バビロンに、シリアのアラム語も楔形で、ヘブライ語もラシ体という文字は楔型が原型です
ギリシア語のアルファベットは流線型で、エジプトのヒエログリフ(絵文字)とは違いますね
でもアルファ・ベータはフェニキアの絵文字を楔形にした物が原型と言います
字(文字)はフェニキア(レバノン)からナイル川の絵文字とチグリス・ユフラテ川の
バビロンの楔形に分かれたとも考えられます。ひょっとすると神様もカナン(パレスチナ・
イスラエル)から天使とかを神格化してエジプトとバビロンへ分化していったのかもしれませんね
ギリシア(流線形の線文字)
______↑
フェニキア(楔形の絵文字)→バビロン(楔形の線文字)
______↓
エジプト(流線形の絵文字)
(フェニキア)牛の頭・家の絵・・・
(ギリシア)A(角突き頭)・B(家の屋根がわらでフサフサ[戸口と家壁])・・・
ヘブライ語の文字のラシ体はアラム−ヘブライ文字でペン字の曲線があり
1世代前に使われたフェニキア−ヘブライ文字は完全な楔形でした
死海文書という古文書でユダヤ戦争前後の巻物や青銅板書に文書以外の石碑などに
アラムとフェニキアの両方が使われており旧約聖書の本文の殆どがアラム文字で「ユダヤの神」の
4文字は古いフェニキア文字を使って有り難味を持たせています
古い方は母音の記号をつけていない[マソラ学派(AD300年ごろ)の古写本な]ので読めないのです
読みは口伝と言います。秘密にして伝承していたのでしょう
私達がカタカナと平仮名と漢字を入り混じりで使う感じです 先祖の名前や神の名だけ「テン刻」
の漢字で書いて偉大に見せるような感覚です このテン刻の漢字って[古臭く]達筆です。なんて
書いてあるんですか [古典的で]重要な気がします。といったニュアンスと言って良いでしょうか
>>201 和光同塵。
神が天より下り、神の言葉が、身を取り人となり。受肉(じゅにく・籍身[正教訳])。