坐禅と見性第7章☆無心にして花、蝶を招く

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1名無しさん@3周年
1 名前:南予出身[] 投稿日:04/05/18 09:27 ID:5l4pouB+ さんに立てていただいた第1章スレ以来、諸宗派の方たちと禅との語り合いも活発な良スレです。
宗派、宗門の麻痺、硬直した教派のコピー機、スピーカーとなるよりも、全宇宙にたった一人のわたしの こころ、いのち、ほとけ、 を語る参禅道場。
【前スレ】
坐禅と見性第6章あめつちは書かざる経をくり返しつ
http://pc5.2ch.net/test/read.cgi/pc2nanmin/1094025701/
【過去ログ】
坐禅と見性第1章☆釈尊のさとりのこころを学ぶ☆ 
http://etc2.2ch.net/test/read.cgi/psy/1084840058/
坐禅と見性第2章☆平等と自由を学ぶ
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1090052679/
坐禅と見性第3章☆悟りと涅槃を学び合う_
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1091222364/l50
坐禅と見性〇第4章☆生死大海を泳ぐ_
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1093234409/
坐禅と見性第5章☆無差別と主体性を学び合う☆
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1093959126/

ご紹介していただいたHP →日本テーラワーダ仏教協会の公式ホームページ
http://www.j-theravada.net/
2名無しさん@3周年:04/09/10 22:16:53 ID:KjKaXC8+
おまんこ
(@u@ .:;)ノシ
女学院
3あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/10 22:58:31 ID:K8fKaEUs
スレ建て、乙!!

感謝!!
4名無しさん@3周年:04/09/11 00:34:31 ID:aPktzPC1
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5 ◆2CMtjCEakk :04/09/11 09:15:56 ID:eiZ1tG8R
インドの仏教は、無我を説きますが、

日本の禅は無心を説きます。
6名無しさん@3周年:04/09/11 12:33:29 ID:NwJuhl6K
誰かの文章を見ていて、ふと気づいたのだが、
世の中には医者から瞑想の類を
絶対禁止されてる人間もいるのだった。
俺は自分の浅はかさに気づいた。
もうここへは来ることも無いだろう。
7名無しさん@3周年:04/09/11 17:59:01 ID:C1n7ujEl
>>5 さん
> インドの仏教は、無我を説きますが、
> 日本の禅は無心を説きます。

無我と無心について、も少し、語っていただけませんか?
8 ◆2CMtjCEakk :04/09/11 18:54:15 ID:eiZ1tG8R
>>6
> 俺は自分の浅はかさに気づいた。
あなたの浅はかなところは、瞑想の類を、医者に求めたところです。

瞑想を禁じられたのは、間違った瞑想の仕方をしたのでしょう。
瞑想のことは、瞑想の達人に聞くべきですね。
9 ◆2CMtjCEakk :04/09/11 18:55:46 ID:eiZ1tG8R
無我とは、我を否定して、執着しないことを説きます。

無心とは、こころを否定するわけではなく、こころを正すところが違います。
10名無しさん@3周年:04/09/11 19:03:16 ID:Jx2f8Oe6
無意識で行動するのと無心で行動するのでは、一体何が違うのかな?
11名無しさん@3周年:04/09/11 19:28:09 ID:4Mi11xLr


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12名無しさん@3周年:04/09/11 19:33:12 ID:C1n7ujEl
>>9
> 無我とは、我を否定して、執着しないことを説きます。
> 無心とは、こころを否定するわけではなく、こころを正すところが違います。

我 とは なんでしょうか?
我が物という執着をいうんでしょうか?

>>無心とは、こころを否定するわけではなく、こころを正す
こころとは、?





13名無しさん@3周年:04/09/11 19:35:04 ID:C1n7ujEl
>>11
ご苦労様です。
お疲れ様です。

あなたの日ごろの思いを、メッセージにして、カキコ、してください。
14名無しさん@3周年:04/09/11 19:40:55 ID:C1n7ujEl
>>10
> 無意識で行動するのと無心で行動するのでは、一体何が違うのかな?

「無意識で行動する」    夢遊病とか、でしょうか。

「無心で行動する」      ほとけさまと同じように行う、と言う事でしょうか。


15B ◆t/HOghkWzc :04/09/11 19:42:56 ID:jqs3EyG/
こんにちは、あはさん
前スレは、スレ自体が問題だったので、完全撤退宣言しましたが、
このスレには、時々参加させてもらってもよろしいでしょうか?
16傍観:04/09/11 19:46:22 ID:ZuBNOD2Z
無我は、我の認識あり、その対極を無我とす。
無心はどんな対極も無い。
17名無しさん@3周年:04/09/11 19:49:56 ID:C1n7ujEl
>>15  B ◆t/HOghkWzc さん
ありがとうございます。
お世話になりました。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。

18名無しさん@3周年:04/09/11 19:54:30 ID:C1n7ujEl
>>16  さん
> 無我は、我の認識あり、その対極を無我とす。
> 無心はどんな対極も無い。

禅は、相対的なとらえ方をしないと思いますが、「対極」、を、どのように、とらえればいいのでしょうか?
19B ◆t/HOghkWzc :04/09/11 19:55:23 ID:jqs3EyG/
>>17
ありがとうございます。
前コテではキャラ作ってましたけど、今後は素でいきたいと思います。
20名無しさん@3周年:04/09/11 20:05:11 ID:C1n7ujEl
>>19  さん
4−5−6章と、粘着されましたからね。
それでも、会話が、成り立てば、よかったんですが、それも、無理なようで、残念でした。
21傍観:04/09/11 20:15:03 ID:ZuBNOD2Z
対極;光と闇を別々に捉えれば常に対極なり。
無心は光と闇を区別せず、それは環と認識す、何処にも対極なし。
善と悪、醜と美、愛と憎しみ、・・・思考のゲームは常に対極を生む。
22名無しさん@3周年:04/09/11 20:16:13 ID:SLLqEdCF
>>14
レスありがd。
でもさ、別に夢遊病に限らず、なんにも思わないで行動していることって
ありませんか?そういう無意識的行為というのは結構ありますよ。
呼吸なんてその最もたるものではないでしょうか?
寝ていても呼吸はしますが、これは病気ではないですよね。
23名無しさん@3周年:04/09/11 20:38:24 ID:C1n7ujEl
>>21
> 対極;光と闇を別々に捉えれば常に対極なり。 無心は光と闇を区別せず、それは環と認識す、何処にも対極なし。善と悪、醜と美、愛と憎しみ、・・・思考のゲームは常に対極を生む。

>環
ぐるりと回る、わっか のようなものとしてとらえるのでしょうか?

>光と闇を区別せず
光と闇を、おなじとみるのでしょうか?

24名無しさん@3周年:04/09/11 20:43:15 ID:C1n7ujEl
>>22 さん
無意識は、まあ、ぼぉっとして、何も、考えないで、行動した、と言う事でしょうね。

「無心で行動する」
行いの面で、無心を見ているわけですが、この無心が、とらえ切れません。どう、お考えですか?
25 ◆2CMtjCEakk :04/09/11 20:53:14 ID:eiZ1tG8R
>>12
我 とは、自分というものが、他と独立して存在するという思い
そのような、常住にして、不変な我というものは、存在しない、というのが無我。

一方、こころ、とは、脳に付随する働き、といわれています。
こころ という存在があるのではなく、働き、として、こころはあります。

だから、こころの存在や働きを否定するのではなく、こころの働きを整えるのが無心といわれています。
26名無しさん@3周年:04/09/11 21:14:50 ID:c9g6Asd7
自己同一性と言われるものは、
社会や自分が作り出した、いわばフィクション。
自己を飾る装飾、アクセサリーのようなものとも言える。
それを楽しむのもいいけれど、
飾りのない、裸一貫の自分で、
リアルな自分を生きることができれば、もっと楽しいだろう。
禅には、そういう局面もあるように思う。
27名無しさん@3周年:04/09/11 21:46:26 ID:cBuT6t3h
>>25
今、ハイデガーの「存在と時間」を少しづつ読んでいるんですが。
ハイデガーが、「現存在」とか「本来的自己」とか呼んでいるものが
我に相当するんでしょうかね。(まだ読み込んでいませんので自信
ありません)
ハイデガーも「現存在」を実体だとか常在だとかとは考えていない
ようですが、我という「あり方」がある、というふうに考えているようで
す。
また「我というあり方」はいかにして可能となるのかということを問う
ているようです。(まだ読み込んでいませんので自信ありませんが)
仏教的な解釈と対比させて読んでいくと結構興味深いです。

一方、心はハイデガーの言うところの「非本来的自己」に相当するん
でしょうか。
28名無しさん@3周年:04/09/11 21:53:24 ID:ZUON1+2/
>>16
無心の対局は無心に至っていない状態、だろ。
誰もが、そして全てが無心であるなら、対極もへったくれもなく
無心という言葉そのものが意味を為さなくなるが。

無心という言葉がある時点で相対的なんだから、
対極がないわけがない。
揚げ足取りという奴がいるかもしれんが、あまりのレスなので
突っ込みを入れておくぞ。
29 ◆2CMtjCEakk :04/09/11 22:15:26 ID:eiZ1tG8R
ところで、インドの仏教でも、こころ は重要なテーマです。

基本は、こころは、清らか(清浄心)にもなるし、汚染される(染汚心)こともある。
また、安定した心(定心)と、散逸した心(散心)というのがあり、じつにさまざまな
心の状態が想定されています。
インドにおける心の捕らえ方も、大別すれば、浄心と不浄心に分けられるかと思います。

不浄のこころには、苦しみがつきまとい、浄心は、安楽をもたらす、ということですね。

しかしながら、無心 ということは、インドの仏教には見られないようです。

30名無しさん@3周年:04/09/11 22:23:02 ID:RknIj01o
>>27
「存在と時間」は、もう何年も前に読んだので、かなり忘れていますが。
「現存在」というのは、アプリオリに(何らかの理由で生まれつきの知識と
して)「自分は存在している」という自覚を持つもの、という定義なので、
これは人間を指しています。

「非本来的自己」というのは、日常の自己のことで、他人(社会)から、
「お前はこういう人間だ」というレッテルを貼られた自分のことです。
たとえば、「医者」ならば、その人は病を治す道具として見なされていること
を示す。しかし、ある人とは、「医者某」で記号化できるものではない。
自分がこうだと思う可能性に投企して、自分の実在を勝ち取ろうとする、
(たとえば、自分はテニスプレーヤーだと信じて、趣味のテニスの腕を磨く)
ダイナミックな存在こそが「本来的自己」だと言うのです。

仏教との共通点とは、ともに日常に埋没した自己は仮の自己にすぎないと
説く部分だと思います。
31名無しさん@3周年:04/09/11 22:44:26 ID:cBuT6t3h
>>30
レスありがとうございます
なにぶん哲学門外漢なものですから、難しい言葉に難渋しております
気長に少しずつ読んでいこうと思っています
32名無しさん@3周年:04/09/11 22:46:06 ID:k5g/4r0s
             / / }
           _/ノ.. /、
           /  <   }
      ry、     {k_ _/`;,  ノノ パンパン
    / / }      ;'     `i、 
   _/ノ../、   _/ 入/ /   `ヽ, ノノ
  / r;ァ  }''i" ̄.   ̄r'_ノ"'ヽ.i   ) ―☆
 {k_ _/,,.'  ;.  :.      l、  ノ  
    \ `  、  ,i.    .:, :, ' / / \
     ,;ゝr;,;_二∠r;,_ェ=-ー'" r,_,/   ☆
【ラッキーレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
3330:04/09/11 22:49:24 ID:RknIj01o
>>31
『存在と時間』は難渋ですよね。私も最初読んだ時はチンプンカンプン
でした。なお、岩波版はお勧めできません。お勧めはちくま書房版の方
です。また、最初にちくまの『形而上学入門』を読んでおくと、ちょっと
は楽になるかも。私にとっては、こちらの方がわかりやすかったです。
以上、ご参考まで。
34名無しさん@3周年:04/09/12 00:10:09 ID:IYVfFk9O
>>24さん
>この無心が、とらえきれません。
そうかぁ。。無意識的というのは、ある意味分析可能な範疇に入るのかな?
フロイトが分析したのも無意識でしたっけね。
私の頭脳では、呼吸が無意識なのか、無心なのか、実はよくわかりません。
ただ大分前なのですが、海で溺れかけた時、どんどん身体が沈んでいって
しまってドタバタと海面に向ってもがいていた時に、何故かはわからない
のだけど全身脱力してしまって、そうすると気持ちの良い浮力に乗ること
ができ、海面まで浮かび上がって助かったことがありました。
あーいう時が、ひょっとして無心なのかなぁ〜なんて思ったりします。

35名無しさん@3周年:04/09/12 00:10:26 ID:JcO9jMAe
>>25 さん
無我とは、おしゃか様は、アートマンは無いと、教えられたそうですが、そのことでしょうか?

スレタイにもある、「花、無心にして、蝶招く」の無心と、同じでしょうか?


36名無しさん@3周年:04/09/12 00:18:38 ID:JcO9jMAe
>>34  さん
フロイトは、意識の根底に、リビドウを、見つめたようですね。
性的な欲望とでも、いうものみたいです。

溺れて、よく助かりましたね〜
無心
脱力、
自己防衛能力とでも、言いたい、ですね、よく助かりましたね。
37 ◆2CMtjCEakk :04/09/12 01:15:46 ID:BqQAXA5k
>>35
> 無我とは、おしゃか様は、アートマンは無いと、教えられたそうですが、そのことでしょうか?
無我は、そのとおりです。

> スレタイにもある、「花、無心にして、蝶招く」の無心と、同じでしょうか?
無心は、無我とは、根本的に異なります。

無心は、仏教用語では「無為」(はからいが無い)などと、表現します。無為自然(むいじねん)
38名無しさん@3周年:04/09/12 02:20:48 ID:J7NFrTL2
無心とは、何ものにも、何事にも、とらわれない心のことだと思う。

たとえば、淀まない川の流れのようなもの。
川から水を掬い取ることはできるが、その水は川ではない。
39名無しさん@3周年:04/09/12 02:21:43 ID:JdWuWkmp
>>37
無記は無記といわないと、怒るよ。
40名無しさん@3周年:04/09/12 02:33:05 ID:J7NFrTL2
どのような思いも、どのような感情も、
たた来るにまかせ、ただ去るにまかせる。
座禅をしている時の、その心。
それが無心だと思う。
41名無しさん@3周年:04/09/12 03:40:43 ID:KB9YG/wh
>たた来るにまかせ、ただ去るにまかせる。
>座禅をしている時の、その心。
>それが無心だと思う。
まったく違います。
42名無しさん@3周年:04/09/12 06:21:39 ID:jRkOOvEc
白隠の内観法(寝禅)で救われたことがある。
だけど効果がありすぎるから逆に怖いくなってもうやってないが。
43名無しさん@3周年:04/09/12 08:02:36 ID:zzjOGam1
一休さんが好きです。
44名無しさん@3周年:04/09/12 09:19:53 ID:taCqwyc8
>>36さん
いや〜、運が良かったとしか言えないですね。
でもあの頃は心とか仏教なんて、な〜んも関心なかったんだけど。
まあそのお陰でこうして仏教などにも感心を寄せております。
45 ◆2CMtjCEakk :04/09/12 09:30:54 ID:BqQAXA5k
>>39
> 無記は無記といわないと、怒るよ。
なんのお話でしょう?
さっぱりわかりません。
46 ◆2CMtjCEakk :04/09/12 09:54:22 ID:BqQAXA5k
無我については、経典に書かれています。
一般に、無心は、無記として扱われません。

無記とは、形而上の問題とされています。

「十難無記」
(一)世界は常住である。(二)世界は無常である。(時間的に限定されていないか、いるか)
(三)世界は有辺である。(四)世界は無辺である。(空間的に限定されているか、いないか)
(五)身体と霊魂とは一つである。(六)身体と霊魂とは別である。
(七)人格的完成者(如来)は死後に生存する。(八)生存しない。(九)生存し且つ生存しない。
(十)生存しないし且つ生存しないのでもない
47 ◆2CMtjCEakk :04/09/12 09:59:46 ID:BqQAXA5k
また、無記について面白いものを発見しました。

中村元氏の大著『原始仏教の思想T』p234に「佛教でもジャイナ教でも説くところの、
このコンテクストにおけるタターガタとは『如来さま』のことではなくて、『たましい』のことである。
タターガタは『衆生神我』と訳されていることがある。」

*ttp://www.dia.janis.or.jp/~soga/excha217.html
48 ◆2CMtjCEakk :04/09/12 10:14:31 ID:BqQAXA5k
>>41
無心について、どうちがうのか 教えていただけますか?
49けちゃっぷ:04/09/12 10:48:29 ID:+E9NpKx0
>42 どのように救われたのでしょうか?また、恐くなるくらいに効果を実感されたということですが、具体的に教えていただけないでしょうか?興味しんしんです。
50名無しさん@3周年:04/09/12 20:01:35 ID:wiUPP54M

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【ブリ〜〜〜フの考案】

汝らにこのブリ〜フが見えるかどうか?
もし見えるなら、それは何か。ブリ〜フだと言うだろう。しかしもしブリ〜フが
見えるなら、君たちは普通の人間だ。君たちには禅はないのだ。またもしブリ〜フ
などは見えぬと言うなら、現にわたしは君たちの前にそれを差し出しているのだ。
この事実を否定することがどうして出来るか。
51名無しさん@3周年:04/09/12 22:11:07 ID:HYtI2mp/
>>50に回し下痢
52名無しさん@3周年:04/09/12 22:44:29 ID:tMGaErui
>>51
ワロタ。

回し”下痢”

すごくイヤだw

漏れがこう言われたら、すんごく反省しちゃいそうだな。
周りに芳しいものを撒き散らしながら、とても香ばしい
音を奏でるんだろうな、これって。
う〜ん、想像してしまったぞ、ヲイ。
53 ◆2CMtjCEakk :04/09/12 23:03:47 ID:BqQAXA5k
何のために、何の役にもたたないことをするのでしょうね。

あっというまに年を取ります。

怠らずに修行せよ。
54名無しさん@3周年:04/09/12 23:09:11 ID:tMGaErui
>>53
私のレスが煽りに見えてうざったかったというなら
謝ります。スミマセン。

ですが、
>あっというまに年を取ります。

>怠らずに修行せよ。

これはハッキリ言って余計なお世話だと思いますよ。
人は自分の在り方を自分で選んでいるんですから。
55 ◆2CMtjCEakk :04/09/12 23:21:05 ID:BqQAXA5k
これは失礼。

たまたま、あなたのレスの次に書いたので、誤解を招いたようです。

あなたのことではありません。失礼しました。m(_ _)m

釈尊の最後の教え

さあ修行僧達よ。お前達に告げよう

『もろもろの事象は過ぎ去るものである。

怠ることなく修行を完成なさい』と」

56名無しさん@3周年:04/09/13 01:58:56 ID:7DBrUD/A
>>25

>我 とは、自分というものが、他と独立して存在するという思い

仏教などで使われる「我」は、
自他の区別が発生していない我のことですけど。
「自分」という普通の意味ではないので、読解に気をつけて。

>そのような、常住にして、不変な我というものは、存在しない、というのが無我。

「無我」は、「常住不変の我」があるかないか、という話ではないです。
57名無しさん@3周年:04/09/13 02:27:48 ID:KVIYB8Eu
>>57さん
おぉ!ぱちぱち

>>56さん
私もそのくだり大好きです。むかし座右の銘でした。
私の覚えていた文は

「すべては無常である。怠ることなく実践し、それを完成しなさい。」

でした♪
58名無しさん@3周年:04/09/13 03:42:33 ID:4uGULWBz
>>53
>何のために、何の役にもたたないことをするのでしょうね。

これこれしかじかの役に立つというなら、それは限定に封じ込められることですね

何の役にも立たない→限定に拘束されない→大いなる可能性&創造を言っておられる

のだと思われるようなレスですよ

名のある禅師が言う言葉なら、カンシケツでも珠玉の名言に様変わりするものだ

59単、直:04/09/13 14:55:00 ID:v5KsX2CJ

1さんスレ立て乙です。
皆さんお久です、もともとおいらは禅のほうは門外漢だったのですが
精神世界に関心があり前スレで少し参加させて戴いてました。
このたび下記スレを立てましたのでもしよろしかったら
友好スレという事で行き来できましたらお題の幅も拡がり
面白くなるだろうと想いましたのでいかがなものでしょうか?
>精神世界で癒される
http://life5.2ch.net/test/read.cgi/healing/1094528758/

ちょっとサワリだけ紹介しますネ

>37 名前:単、直[] 投稿日:04/09/12 17:30:55 ID:qTWJ/iS8
>>30 名前:マンゴー先生
>過分な言葉ドモです。少し木っ恥ずかしい、なんであんなカキコミしたのか
>実は訳があります。その辺の所これからボチボチしたいと想いますのでよろしくです。
>話変わりますが禅の7章が立ってます、ご存知なかったら下記にハリコしときますネ

>ケチヤップさんもアハさんも来ておられるみたいです。
>それからこれはあくまで今の所おいらの勝手な希望、提案ですが
>よければあちらのスレを友好スレとして行き来できるようになれば
>より交流の幅が拡がりイイなと想うのですがマンゴー先生如何でしょうか?
60あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/13 23:07:27 ID:iYu8X6nS
>>59 単直さん
スレ立て、乙かれさま

今ここの住人さんは、新しい方が多いと思います。
そして、やっと、禅の話が落ち着いて出来そうです。
そちらでも、禅の話しが出来るそうですから、スレとしてと言うより、個々人の意思ですから、ご招待を受けられる方も、いらっしゃると思います。

いろんな事を学びあうスレであると思いますから、お互い、友好スレと言う事で、発展していけばいいですね。
勿論、個人見解ですが。
61あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/13 23:16:28 ID:iYu8X6nS
>>46  さん
ありがとうございます。
無記、について、このような考察があること、初めて知りました。
各条の説明も、聞いてみたいです。
62あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/13 23:22:06 ID:iYu8X6nS
>>50  さん
心情を、吐露していただいて、ありがとうございました。

>>汝らにこのブリ〜フが見えるかどうか?
もし見えるなら、それは何か。ブリ〜フだと言うだろう。しかしもしブリ〜フが
見えるなら、君たちは普通の人間だ。君たちには禅はないのだ。またもしブリ〜フ
などは見えぬと言うなら、現にわたしは君たちの前にそれを差し出しているのだ。
この事実を否定することがどうして出来るか。

ブリーフだったんですか。(汗)
なんだろうなと思っていました。(笑)
ですが、ちと、強引な設定では、あります。(藁

63あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/13 23:25:41 ID:iYu8X6nS
>>56  さん
>>25
>我 とは、自分というものが、他と独立して存在するという思い
仏教などで使われる「我」は、自他の区別が発生していない我のことですけど。
「自分」という普通の意味ではないので、読解に気をつけて。
>そのような、常住にして、不変な我というものは、存在しない、というのが無我。
無我」は、「常住不変の我」があるかないか、という話ではないです。

すみません、そのご講義、も少し、聞きたいです。
64 ◆2CMtjCEakk :04/09/13 23:32:41 ID:ef/DDo5r
>>56
ええっと?
>自他の区別が発生していない我のことですけど。
そういうお話は、聞いたことがありません。
くわしく教えていただけますか?

よく、わたしの話は、あちこちで否定されます。(^-^;;なかなか不思議。
わたしは「我」とは、非常に多義的で、いろいろな意味がある、とおもっていますが。
文章の前後によって意味が異なるということです。

>> そのような、常住にして、不変な我というものは、存在しない、というのが無我。
>「無我」は、「常住不変の我」があるかないか、という話ではないです。

「我とはアートマン(atman)のことをいいます。インドの哲学者や宗教家たちは、
永遠不滅の主体的存在が私たちに内在すると考えました。この不死であり
永遠不滅の主体的存在を我といいます。(中略)
しかし仏教は、縁起の哲学に立脚し、常一主宰の我を認めません。
これが無我ということです。」(某大学の教科書より)

わたしの理解はあながち、的外れではないと思いますが、
「あるかないか」という話でなければ何でしょう?
65名無しさん@3周年:04/09/14 00:15:48 ID:mLl6O+hj
これは我があるかないかを言っているのではないです。

縁起しているこの世界は常ではない相対的なものだということはわかりますね。(我ではない)
だから縁起が起こり、因縁果報を供えて連鎖しています。
それだけのものなんですよ。
だから「相対的」の中にいる限り、縁起している無常の苦が生じています。
「我」と言っても、「この世」の「私」のことを我だと思っているなら、
無我、無我と言いたくなるその気持ちは分かりますよ。
そうじゃないんです。我というのはね、この世だけのそれが我ではない。
そういうこと。あるとか、ないとか、認める、認めない、そんな怪しげな
ものではなくて、常に不変で確固たる存在ね。
66 ◆2CMtjCEakk :04/09/14 00:39:05 ID:FlTEXupu
>>65
解説ありがとうございます。

しかし・・

無我の原語は、アートマン(atman)の否定形(anatman)で、普通に考えれば、我の否定形、ということですよ。
つまり、あるとかないとか、というそのものずばり、無い、ということ。
または、非すといういみの、非我です。

あるとかないとかじゃない(中道)、というのも、まあ、わからないでもないですが・・

我が「常に不変で確固たる存在」というのは、大乗仏教にありがちな思想ですが、
あまり一般的には認められない思想ではないでしょうか?
67名無しさん@3周年:04/09/14 01:02:13 ID:iees9jo1
それって英語じゃないとは思うけれど、直訳すればたぶん
「アートマンじゃないもの」(非)ってことになるんじゃない?

「アートマン」というものが無いと言うときは、アートマンという
用語から派生する反意語も意味を失ってしまうから、一般的な言語では
接頭詞によってそれ自身の存在を否定することはないと思う。
むしろ対比の対象として「アートマン」を用いているのだから
“アートマンそのものが無い”と言ってるのではないだろう。
68あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/14 01:07:51 ID:M3NTPe/M
おしゃか様は、言われた。
「いずこにおもむこうとも、人は、自己よりいとしいものを見出す事は出来ない。
それと同じく、他の人も全て自己はこの上も無く愛しい。
さあれば、自己を愛しいと知る者は、他の者にも慈しみをそそがねばならない。」

煩悩に固執する「我」を否定し、
悟りの「無我」へと、目覚める事ではないでしょうか?

諸行無常
諸法無我
を悟れる者は、
涅槃寂静の平安に至る。

ちと、ドグマっぽいけど。
69名無しさん@3周年:04/09/14 01:19:08 ID:tTZpzDfA
いいスレですね
70名無しさん@3周年:04/09/14 01:25:24 ID:S/FKP2x4
>>68
煩悩に固執するのは「我」ではありませんから、
お釈迦さんは「我でないもの」を否定したんですね。
初心者に方は、「我」については戸惑うことがあるとおもいます。
71マンゴー先生:04/09/14 09:03:06 ID:CSW8NOqb
この方のおっしゃる「我」というのは、「そのもの自体で独立して存在せしめる本質」のこと
を指しておられるのではないでしょうか?
人だけでなくモノも無我だよ、と。
我をなくすというよりも、そもそも最初から無我だよ、と。
そういう認識論としての概念的な意味における「無我」。
的外れでしたらご訂正下さいませ。
72名無しさん@3周年:04/09/14 10:16:28 ID:zDXj1+pp
どうやら野狐が一匹紛れ込んだ模様W
みなさん、化かされないように注意しましょうW
73名無しさん@3周年:04/09/14 10:46:59 ID:h+8fiaue
横レス、スマソ。

>>65
>常に不変で確固たる存在ね。

それがアートマンの定義なのでは?
その「不変で確固たる存在」とアートマンの違いについて解説をキボンヌ。
74名無しさん@3周年:04/09/14 11:24:32 ID:YO5hMdS4
>>71
おっしゃるとおり、この世に存在しているように見える全てのものは
我と関係ないところから発している幻覚です、ということは言えます。

>>73
そうです。
だから苦と苦の原因とその消滅には「アートマン」が登場する幕では
ないのです。かえって混乱を来たします。だからアートマンを否定・肯定
する必要はありません。
75名無しさん@3周年:04/09/14 11:43:45 ID:kCHQui8c
野狐は臭いですぐわかるよねー。タマキン臭せえってか何てか・・・
76名無しさん@3周年:04/09/14 15:16:22 ID:wSGq7dLV
>>50
×考案
○公案
です。

いま、公案の壁にぶち当たっている者です。
「存在と時間」とかエックハルトとか読んでみたいですが、
逆に妨げになる…気がするので自粛しています。
つまり自分の感覚のみでやっている訳ですが。。
むずかしい。


77名無しさん@3周年:04/09/14 15:38:20 ID:h+8fiaue
>>76

冷暖自知。喝!
78あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/14 20:20:29 ID:M3NTPe/M
> >>68
68 名前:あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA [sage] 投稿日:04/09/14(火) 01:07:51 ID:M3NTPe/M
おしゃか様は、言われた。
「いずこにおもむこうとも、人は、自己よりいとしいものを見出す事は出来ない。それと同じく、他の人も全て自己はこの上も無く愛しい。さあれば、自己を愛しいと知る者は、他の者にも慈しみをそそがねばならない。」
煩悩に固執する「我」を否定し、悟りの「無我」へと、目覚める事ではないでしょうか?
諸行無常
諸法無我
を悟れる者は、涅槃寂静の平安に至る。
ちと、ドグマっぽいけど。

>>70 さん
> 煩悩に固執するのは「我」ではありませんから、お釈迦さんは「我でないもの」を否定したんですね。 初心者に方は、「我」については戸惑うことがあるとおもいます。

あは
諸法無我
全存在は、縁起によって成り立っている。故に、固有の実体的な本性は無い。まるで、どこかから、メモったような言い方になりますが、こう言う事でしょうか?
79名無しさん@3周年:04/09/14 21:17:25 ID:pVhm2jl2
>>76
御指摘ありがとうございます

難解な哲学書はあまり読んだことはありません。
ハイデッガーの「存在と時間」などは有名みたいですが、
それはあくまでもヨーロッパ哲学の伝統に基づくところの
人間中心的立場であるそうです。
道元禅師にとっては、山川草木、森羅万象すべてが時間であり、時に
あり、人間と同等に過去を含み未来に臨む絶対の時間を生きているの
だそうです。
80 ◆2CMtjCEakk :04/09/14 23:56:41 ID:FlTEXupu
>>65
>常に不変で確固たる存在ね。

「常に不変で確固たる存在」は、「我(アートマン)」のことで、「無我」ではありません。
無我を、何か存在するもの、のように考えるのは間違いですよ。
もうすこし、基本をしっかり学んでから、またおいでください。
81名無しさん@3周年:04/09/15 00:33:43 ID:HFKYgzGS
>>78
> 諸法無我
> 全存在は、縁起によって成り立っている。故に、固有の実体的な本性は無い。まるで、どこかから、メモったような言い方になりますが、こう言う事でしょうか?

「諸法の中のどこを探しても「我」を見つけることはできないのです。」
それだけです。

>>80
繰り返し言いますが、我があるとか無いとか言ってるのではないのです。
84あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/15 00:45:33 ID:AXJdl+hc
>>81 さん
> >>78
> > 諸法無我
> > 全存在は、縁起によって成り立っている。故に、固有の実体的な本性は無い。まるで、どこかから、メモったような言い方になりますが、こう言う事でしょうか?

> 「諸法の中のどこを探しても「我」を見つけることはできないのです。」
> それだけです。
> >>80
> 繰り返し言いますが、我があるとか無いとか言ってるのではないのです。

法とは、真理、あるいは存在、ですが、
>>「諸法の中のどこを探しても「我」を見つけることはできないのです。」 それだけです。
諸法無我。全存在は、縁起によって成り立っている。故に、固有の実体的な本性は無い。
三宝印、あるいは、一切皆苦を加えて、四法印として、仏教の基本的立場を、あきらかにしたもの、ではないでしょうか?

85名無しさん@3周年:04/09/15 00:59:15 ID:HFKYgzGS
>>84
この場合諸法は真理のことではなくて、
法によって表れている全ての物を指します
86 ◆2CMtjCEakk :04/09/15 00:59:41 ID:yBvW1Gj0
やれやれ
>>80
> 繰り返し言いますが、我があるとか無いとか言ってるのではないのです。

我(アートマン)ということばは多義的で、これだ、と断定できるものではありません。

したがって、その否定形である無我も、無我とはこうだ、と断定できるほど単純ではありません。

それをふまえて、仏典の中にでてくる、無我は、

1.我が無い。->無我
2.我では無い。->非我

以上の二つに用例が大半を占めています。もちろんそれ以外にもありますが、
あなたが、無我が「あるとかないとかじゃない」と、いいはるなら、根拠を示しなさい。
87名無しさん@3周年:04/09/15 01:04:21 ID:HFKYgzGS
ですからあるとかないとかじゃなくて、「○○ではない」(非)
88あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/15 16:36:26 ID:AXJdl+hc
>>87
> ですからあるとかないとかじゃなくて、「○○ではない」(非)

法句経に
「人に生まれるは、難し。今、いのち有るは、難し。やがて死するものの、今、いのち有るは、難し」
と、
一期一会の有り難さを、教えていられます。
この語らいを、有り難いものとして、大事にしていきたいと思います。

>>煩悩に固執する「我」を否定し、
悟りの「無我」へと、目覚める事ではないでしょうか?

> >70 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:04/09/14(火) 01:25:24 ID:S/FKP2x4
>>68
「煩悩に固執するのは「我」ではありませんから、
お釈迦さんは「我でないもの」を否定したんですね。
初心者に方は、「我」については戸惑うことがあるとおもいます。」

この「我」のとらえ方について、戸惑いがあります。初心者の故だと思います。
我、無我について、
ご講義を受けたいと思います。
89けちゃっぷ:04/09/15 19:52:45 ID:whKAz19e
授業で聞いた憶えがあるのですが。例えば心臓は、人間の意識にかかわらず動きますよね。じゃあ、その心臓を動かす力は何かと考えた時、古代インド人はアートマンを設定した。
90名無しさん@3周年:04/09/15 19:56:28 ID:QdYLgeGR
(56) カーシャパよ、恒常であるというならば、これは一つの極端論であり、
カーシャパよ、無常であるというならば、これももう一つの極端論である。
これら恒常と無常との二つの間の中正なものは、形をもたないもの、見ら
れないもの、あらわれ出ないもの、認知されないもの、基底のないもの、
名づけられないものである。カーシャパよ、この(ように観察する)こと
が中道、すなわち存在についての真実の観察と言われる。

(57) カーシャパよ、自我があるというならば、これは一つの極端論である。
無我というならば、これももう一つの極端論である。(この)有我と無我との
中正は、形をもたないもの、見られないもの、あらわれ出ないもの、認知され
ないもの、基体のないもの、名づけられないものである。カーシャパよ、この
(ように観察する)ことが、中道であり、存在についての真実の観察である。

             宝積経(A大乗仏典―中央公論社、P.203〜P.204)

#カーシャパ=摩詞迦葉
91名無しさん@3周年:04/09/15 21:35:56 ID:e7eu4VrT
>88
アートマンについて知りたいなら、普通、間接的な指導によって(生きているうちに)
具体的に気づくことは難しいそうです。だから文字で伝えるのは無駄な努力だと思います。
独学しつつ探し訪ねて、よさげな団体に出会ったときのために貯金するのが無難です。
急いで変な宗教に加入することはないですよ。
92名無しさん@3周年:04/09/15 21:46:46 ID:6hp3ffzA
>>89

禅問答にこういうのがあるよ。
生きたミミズを、棒切れで半分に切った。二つになったミミズが動いている。
では、仏性は最初ひとつだったものが二つに分かれたのか。
93あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/15 22:33:45 ID:AXJdl+hc
●アートマン

アジア インド AD 

 インド思想・宗教史における最重要の術語の一つ。呼吸を意味する動詞からの派生語で気息・生気・生気をもつ身体,としだいに発展し,ついには人間存在の自己の本質を意味するにいたった。
通常,我(が)と訳される。一方,紀元前8〜6世紀のブラーフマナ文献に宇宙の本質はプラフマン(梵)としてとらえられ,ウパニシャッド文献(前500年を中心)ではこの両者は否応なしに一なるものと確信される。
この梵我一如を宗教体験をもって“知る”ことが解脱である。
ウパニシャッドではこの梵・我の内容がさまざまに論じられている。
このアートマンはしだいに死後にも消滅しない実体と考えられ,これは当時に一般化した輪廻思想と合して,輪廻の主体ともなった。
仏教はこの考え方を否定して無我説を説いた。
以降,アートマンは多彩な内容をもりこみつつ,インド哲学の中心的概念として発展している。

〔参考文献〕辻直四郎『インド文明の曙』岩波新書,1967,岩波書店

中村元『インド思想史』(2版)岩波全書,1968,岩波書店
94マンゴー先生:04/09/15 22:40:41 ID:meOAEEAh
>>92
面白い公案ですね。
スレの流れから外れてしまいますが、私だったらこう答えてみたいですね。
「智慧と慈悲」
95あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/15 22:52:41 ID:AXJdl+hc
無我
出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』
無我 (むが、anaatman、nairaatmya、niraatman (sanskrit))

「我」(aatman に対する否定を表し、「我が無い」と「我ではない」(非我)との両方の解釈がなされる。
スッタニパータなどの最初期の韻文経典に、無我はさかんに説かれる。
それらによれば、「無我」は我執(がしゅう)の否定ないし超越を意味し、
そのような無我を実践し続けてはじめて、清浄(しょうじょう)で平安な涅槃(ねはん、ニルヴァーナ、nirvaaNa)の理想に到達できるとする。
初期の散文経典では、我(自我)を「私のもの」(mama (pali))、「私」(ahaM (pali))、「私の自我」(me attaa (pali))の3種に分かち、
いっさいの具体的なもの、具体的なことのひとつひとつについて、「これは私のものではない」「これは私ではない」「これは私の自我ではない」と反復して説く。
これらをまとめて、諸法無我(sabbe-dhammaa-anattaa (pali))という術語となる。
96あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/15 22:58:11 ID:AXJdl+hc
>>92
> >>89
> 禅問答にこういうのがあるよ。
> 生きたミミズを、棒切れで半分に切った。二つになったミミズが動いている。
> では、仏性は最初ひとつだったものが二つに分かれたのか。
>>94
> >>92
> 面白い公案ですね。
> スレの流れから外れてしまいますが、私だったらこう答えてみたいですね。
> 「智慧と慈悲」

仏性、ほとけのいのちは、宇宙に遍満するので、二ではない。しかし、まっぷたつに斬られたのであるから、二である。
どうでしょうか?
97あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/15 23:01:40 ID:AXJdl+hc
部派仏教の無我
部派仏教になるとこの定型が形式化し、説一切有部(せついっさいうぶ)においては、要素である法(ほう、dharma (sanskrit))の分析にともない、その法の有(う)が考えられるようになる。
元来の初期仏教以来の無我説はなお底流として継承されていたので、人無我(にんむが)・法有我(ほううが)という一種の折衷説が生まれた。
この「法有我」は、法がそれ自身で独立に存在する実体であることを示し、それを自性(じしょう、svabhaava (sanskrit))と呼ぶ。
こうして説一切有部を中心とする部派仏教には法の体系(一種の物理学的体系)が確立されて、阿毘達磨教学として現在にいたるまで熱心に学習されている。
98あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/15 23:04:45 ID:AXJdl+hc
大乗仏教の無我観
このような「法有我」もしくは「自性」に対して、これを根底から否定していったのが大乗仏教とくに龍樹(りゅうじゅ)であり、自性に反対の無自性を鮮明にし、空(くう)であることを徹底した。
その論究の根拠は、従来の縁起(えんぎ)説の根本的転換であり、それまでのいわば一方的に進行した関係性を、相互依存性へと広く深く展開させ、相互否定や矛盾をも含む、自在な互換と複雑で多元的な関係とを導入した。
それはまた縁起関係にある各要素をどこまでも相対化し、実体的な「我」もしくは「自性」の成立する余地をことごとく奪い去った。
このような「縁起―無自性―空」の理論は、存在や対象や機能などのいっさい、またことばそのものにも言及して、あらゆるとらわれから解放された無我説が完成した。
龍樹以降の大乗仏教は、インド、チベット、中国、日本その他のいたるところで、すべてこの影響下にあり、空の思想によって完結した無我説をその中心に据えている。
99あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/15 23:12:24 ID:AXJdl+hc
諸法無我(しょほうむが)
三法印の一つ

全てのものは、因縁によって生じたのであって、実体性が無いという事。

佛教では法という語が頻繁に出てくるが、唯、法とか、仏法というような場合には真理そのもの、仏の生命そのものを指す場合が多い。
しかし、諸法という場合は森羅万象など、具体的な自然現象を指す。

禅的にいえば、あらゆるものは無心であるという事。
100あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/15 23:13:34 ID:AXJdl+hc
ぐぐれば、どんどん出てくる解説。

分かったような気には、なってくるのだが・・・
101あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/15 23:19:52 ID:AXJdl+hc
>>99
> 諸法無我(しょほうむが)

> 禅的にいえば、あらゆるものは無心であるという事。

その 無心 に まよい が でてきてね・・・
102名無しさん@3周年:04/09/16 01:24:13 ID:MWIBLWqV
>>94
>スレの流れから外れてしまいますが、私だったらこう答えてみたいですね。
>「智慧と慈悲」

「仏陀とは何か?」
「麻三斤」

にみられるように、禅とは直截明快であってこそ禅ではないの。

智慧だの慈悲だのといった、喧々囂々たる様々な二元的論理や推理を
呼びこむような抽象概念は、仰るとおり禅からますます外れるようですね。

103:04/09/16 01:50:07 ID:FP0rz+K7
禅であることのこだわりとは何なのでしょうか?
袈裟も欲を捨てたいという欲の表れです。
御用心
104名無しさん@3周年:04/09/16 01:52:22 ID:7RTtn+Nn
Wikipediaより引用 アートマン (Atman)
は、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。ヴェーダの宗教で使われる用語で真我
とも翻訳される。最も内側 (Inner most)を意味するサンスクリット語のAtmaを語源とする。
アートマンは、個の中心にあり認識をするものである。それは、知るものと知られるものの
二元性を越えているので、アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。(※1)

ゴータマ・ブッダによれば、「我」は存在しないため仏教においてアートマンの用語は
一般的ではないと思われる。(※2) 無我を知ることが悟りの道に含まれる。しかし、
個の中心にある「無」を知ることが悟りとされることもあり、この場合、「無」が
「アートマン」と同じものだと捉えることもできる。(※3)

また、初期のウパニシャッドであるブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドでは、
「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるされるという。その属性を「…である」と
定義することはできないという。したがって、「…である」ものではない。すなわち、
「何でもないもの」すなわち「何かではないもの」「有るものではないもの」がアートマンで、
これが仏教または禅の「無」と同じ意味だととることもできる。(※4)

また、アートマンは、宇宙の根源原理であるブラフマンと同一であるとされる。

また、仏教が最終的にインドから消滅した理由に、「我はない」とした初期の仏教の教えにあると
する説もある。「我の中心にある偉大なアートマンは祝福に満ちて、花びらが舞降りている」
という説明を聞くと人はアートマンを求めようとするが、「我は存在しない」という事など
人は知りたくもないというわけである。(※5)
---引用終り
105名無しさん@3周年:04/09/16 01:59:56 ID:7RTtn+Nn
注)※1:人はアートマン自身ではないが、それ故にアートマンを(仮に)認識することは可
※2:この場合の「我」はアートマンのことではなく、因縁によって生じる個我を訳した
 場合の「我」である。従ってアートマンは必ずしも存在しないと断言されたわけではない
※3:アートマンは無ではない
※4:言葉で表現できないものを言葉で表現しようとすれば無いと言うことになるだろう
 それは間違いとはいえないが、「○○ではない」と言うのが限界である。だがそれで以て
 「無い」ということはできない。
※5:この解説も「我」の誤用例。我→私に読み替えれば意味は取れる
106名無しさん@3周年:04/09/16 02:08:33 ID:yEDZSLoW
>ゴータマ・ブッダによれば、「我」は存在しないため仏教においてアートマンの用語は
一般的ではないと思われる。(※2) 無我を知ることが悟りの道に含まれる。しかし、
個の中心にある「無」を知ることが悟りとされることもあり、この場合、「無」が
「アートマン」と同じものだと捉えることもできる。(※3)

正しく「不二」ということですかね。
107名無しさん@3周年:04/09/16 02:25:32 ID:oX5c6nkE
>>106
いいえ無というものは無いんですよ。
無と言うとき、「何何が無い」といように、
必ず対象があって、それが無いのが無であるという、
つまり無は相対です。
だからアートマンではありません。
108名無しさん@3周年:04/09/16 02:41:50 ID:fcTbPMaY
アートマンはただ単に「わたし」という意味で十分だと思いますが。
109名無しさん@3周年:04/09/16 03:45:40 ID:XLBEzOwa
>禅であることのこだわりとは何なのでしょうか?

ずばり、汝の問いかけなり

で、捨てられた?

110名無しさん@3周年:04/09/16 03:51:50 ID:XLBEzOwa
無は老荘の弊害???
111あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/16 18:32:36 ID:zUqf0RH6
むしん 0 【無心】 三省堂提供「大辞林 第二版」より
(名)スル
(1)無生物や植物のように、心をもたないこと。
「―の草木」
(2)遠慮なく人に金品をねだること。
「親に金を―する」「―をいつて五両もらつたのを/安愚楽鍋(魯文)」
(3)〔仏〕 一切の妄念から解放された心。⇔有心(うしん)
(4)和歌・連歌で、卑俗・滑稽さを求めたもの。
(名・形動)[文]ナリ
(1)心にわだかまりのないこと。雑念や欲心のないこと。また、そのさま。
「―の勝利」「―に遊ぶ子供」「―の境地」「―な与吉は誘ひ出されるままにいつて畢(しま)つた/土(節)」
(2)思慮・分別のないこと。無神経なこと。また、そのさま。
「中将のいと実法の人にて率て来ぬ、―なめりかし/源氏(常夏)」
(3)情趣を解する心がないこと。風流心のないこと。また、そのさま。
「人の遊びせむ所には、草刈笛吹くばかりの心どもにて、いと―にて侍り/宇津保(国譲上)」
112名無しさん@3周年:04/09/16 18:42:31 ID:zUqf0RH6
花も蝶も無心に相手を招き、そして尋ねる。
 そこには何の計らいもなく、選り好みもない。
 花開く時、その命の働きによって蝶が来、
 蝶が来た時、花開く。
 「そうなっている。」

  他人のことは知らないし、人もまた私のことを
 知り得ない。それでも、お互い何も知らなくとも、
 花のように蝶のように、人もまた、すべてが
 大自然の理法(天地の道理)に従っている。

  こんなところだろうか。
  私たちがあれこれ思い悩んでも、所詮、
 人間のこざかしい考えなど大自然の命の
 働きの前では、一切、通用しない。
113名無しさん@3周年:04/09/16 18:52:34 ID:zUqf0RH6
大本山永平寺貫首 宮崎奕保(みやざきえきほ)大禅師(平成15年に大変おめでたく103歳をお迎えです)と映画「紀ノ川」でブルーリボン主演女優賞を受賞した司葉子(つかさようこ)さんとの対談。
禅師 『 ただ坐る。お釈迦さまは6年黙って坐られた。達磨様は黙して9年坐られた。でも、この忙しい時代。黙って手を組み足を組んで坐るというのはムダな時間だと言います。
じゃ、何をするか。いま言った五欲を満たすことしか考えない。これで、坐ることをムダといえますかな。 』
司 『 ほんとうですね。でも、坐禅を組んでおります時、いろんなことが頭の中を去来いたします。坐る時は「無」になっていないといけませんか? 』
禅師 『 なんぼなと、頭に浮かぶだけ浮かばしたらよろしい。 』
司 『 えっ、よろしいんですか? 』
禅師 『 ええ。生きとる以上、頭に浮かぶのは当然です。息を調えて静かにしたら、三年前に貸した黒豆一合のことまでも思い出すでしょう(笑)。
道元禅師様は「妄想(もうぞう)自ずから断除(だんじょ)の法を帯せり」とおっしゃっています。頭の中にくるくる巡る思いは、向こうから退屈して逃げてしまうぞ、ということです。 』
司 『 いいことをうかがいました(笑) 』
禅師 『 だから、酒を飲みたいと思う時、思わせたらいい。遊びたいと思うたら思えばいい。身体は坐っておったらいい。そんなこと、何時間も思い続けられませんよ。
行かなんだらよろしい。 』
司 『 おっしゃる通りです。 』
禅師 『 ただすぐにはうまくいきませんよ。自然に身についてくるのです。
「正法眼蔵随聞記」の中に、 「人の霧露(むろ)の中を行くに、いつ濡るるとも覚えざれども、自然に衣の潤うが如く、善き人の言葉を幾度も聞けば実の道心も起こるなり」とあります。
「善き人」とは悟りを開いた人で「実の道心」とは仏様の悟られた心という意味です。 』
司 『 いいお言葉ですね。 』
114名無しさん@3周年:04/09/16 18:56:46 ID:zUqf0RH6
「無我」になれ、「自我をなくせ」「無心になれ」といわれて、自我を無くすことができれば難行苦行など必要ないでしょう。
「無心」といっても、ボンヤリと居眠りしている無意識の状態でもありませんし、変なものと合一してエクシタシ−の状態に入ることでもありません。
「了々常知」という言葉がありますが、あくまで意識はハッキリ澄んでいる状態が「無心」の世界です。
 ところで「無心」になれと言われて「無心」になることができれば人生に悩みなどありません。
わかってはいても、どうしても自分に執着してしまうところに人生の悩みがあります。
他人からそんなものガラクタだから捨てろと言われても捨てられないところに悩みがあるものです。
人はひたすら忘れようとして頭で理解して忘れられるものではありません。ひたすらに忘れようと頑張る行為は意に反してそのことにとらわれてしまうのです。
 例えば、不眠症とは眠ろう眠ろうとしすぎるから眠れないのです。眠ろう眠ろうをする意志はゆとりのない緊張した神経症的頑張りです。
「さあ寝よう」ではなく「早く寝なければ」となってしまうと、寝ようということよりも、寝られないかもしれないという不安というか余念が出てしまうのです。

 
115名無しさん@3周年:04/09/16 18:58:59 ID:zUqf0RH6
実際、壁を向いてじっと坐っていますと最初はことに「妄想」は起こります。
只坐れと云われても、只と云うことがわからないので、何も考えまいと努力する。
考えまいとすればするほど様々な妄念が起こります。
「妄想」だらけの坐禅などでは「只管打坐」には程遠く、自分のいたらなさや悪いところばかりが思い出されてこんな坐禅で良いものだろうかと、どうどう巡りの「妄想坐禅」になってしまいます。
坐禅をしてみると、平生いかに心に落ち着きのない生活をしているかわかります。
でも、宮崎奕保禅師はそれでいいと示されるのです。 総持寺の貫首であられた梅田信隆禅師も『・・居士が衲(わし)んとこ、たくさん来るんだよね。
もう30年から、いっしょに坐っているのがおるんだ。
いろんなのが来るから、おもしろいんだがね。
「方丈さん、きょうは、わし、気持ちよう坐られました。
ほんとにすっきり坐られました」衲は、「あんた眠っとらったようやな−」「そうですかね−」といいよる。半分眠ってると、すっきりしてるんだよ。
生きているとそんな坐禅はありゃしないんだ。妄想が起こってくるのが坐禅なんだ。
おっ!起こってるなあと自分を見つめることができる人が、本当の坐禅をやった人ですよ。』と説示されます。
116名無しさん@3周年:04/09/16 19:02:12 ID:zUqf0RH6
静かに坐っていれば、さまざまなことが思い浮かんでくるのは自然の摂理だと云われるのです。
それは頭の中に自然に発生したガスみたいなものですから、あまり気にしない方がいい。
どうしてかというと、坐禅をすれば心が澄んできます。
澄んでくればこそ自分が見えてくるということでしょう。
自覚しようとしまいと自惚れの熱がある時は自分というものは見えないものです。
ですから、あまり気にせずとりあわないことです。
身も心も開け放して只坐る。
「非思量」の坐禅は、「無になろう」とせず、宮崎奕保禅師のお示しのごとく
『 だから、酒を飲みたいと思う時、思わせたらいい。遊びたいと思うたら思えばいい。
身体は坐っておったらいい。
そんなこと、何時間も思い続けられませんよ。
行かなんだらよろしい。 』となるわけです。
117名無しさん@3周年:04/09/16 19:17:43 ID:zUqf0RH6
悟ることもいらない、得るところのものも考えない、ただ坐っておったらいい、というのですから大変気楽にも感じます。
けれども、いねむりするわけにもいきませんし、背筋がスッと伸びているかどうか点検しながら坐禅するのですから、気をゆるして坐るのでもないのです。
修業には卒業がありますが、修行には卒業がありません。
只管とは行じっぱなし、見返りをアテにしないということですから「ただ坐る」ということです。
そうすると凡夫にとっては、一生懸命坐っても悟りや功徳もアテにするななどというバカなことがあるか、アテになるものがあればこそ人はそのことに力を尽くすのではないか・・そんな妄想も起こってくるでしょう。
或いは素直に「ただ坐っておればいいのだ」といって、「ただであればいいのだ」という概念で坐るのも違うのです。
妄想だらけの頭からすると、坐禅の時ぐらい退屈することはありません。早く終わらないかなナ−などとも考える。坐禅が浅い証拠です。
そこのところで、退屈する自分をじいっと眺められるくらいの余裕が出てくるというとガスが無くなっている。
こうみたらいいでしょう。
118名無しさん@3周年:04/09/16 19:20:43 ID:zUqf0RH6
瑩山禅師法語には「無念無相一念不生と云は、念をやめ、妄想をのぞいて、木石の如くなるを、無念無想と云うには非ず」と示されます。
 「念をやめ、妄想をのぞいて、木石の如くなる」ということは、「・・・の如くなる」になろうという行為が作り上げた感覚的なものであり無念無想というものではない。
「・・・の如くなる」というようなものは妄想であり、自己陶酔のなにものでもないということです。
なぜなら、前に記したように、念も妄想も生きているというということの真実の実体であり表情であるからです。
 道元禅師は「普勧坐禅儀」のなかで、「心意識(しんいしき)の運転を停(や)め、念想観の測量(しきりょう)を止め」と言われます。
また「非思量(ひしりょう)これ乃ち坐禅の要術なり」とも言われます。
瑩山禅師もまた、「坐禅用心記」のなかで「一切為さず、六根作(な)すことなし」と説かれています。いずれも表現は違っていても、示す内容は同じです。
六根(眼耳鼻舌身意)の感覚器官を、身構えて自分から使わないことを「作すことなし」というのです。
沢木興道老師はもっとわかりやすく「心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、こう言うと心理作用をピタッと止めにゃならんようであるが、そんな無理なことをするのではない。
ただ、働かさぬことである。そのまま放って置くことだ」と示されます。
119名無しさん@3周年:04/09/16 19:23:08 ID:zUqf0RH6
「無我」や「無念無想」とは「自我」を入れず「無量無辺」を仏にまかせてストンとハラにすわる境涯です。
邪念があってもうまくすわらないし、非常に聡明で知識があっても「非思量」なる思量がないと「無量無辺」がうまく入りません。
「非思量」を道元禅師は「坐禅の要術」と示されます。
「非思量」の坐禅とは、「放てば手にみてり」ですから仏にすべてまかせる坐禅、仏のかたより行われる坐禅といえるでしょう。
 「無我」という、とらわれの無くなった状態の時には、振り回されている自分が見える。無理している自分が見えてきます。
今まで気づかなかった道ばたの一輪の草花も見えてきます。
空を飛ぶ鳥や鳥の鳴き声、雲の輝きにもいのちを感じます。
鳥の鳴き声やせせらぎの声を頭でとらえるのではなく、その事実に身を置くことが「非思量」ともいえるでしょう。
この「非思量」は、つまるところは「只管打坐の行」です。
坐禅に限ることではありませんが、ゴルフでも野球でも、いくらプロの理論を勉強をし、レッスン本で研究してもクラブを握ってみないことにはわかりません。
研究ばかりでは時間の無駄、まず始めることが大事です。
120名無しさん@3周年:04/09/16 19:25:31 ID:zUqf0RH6
沢庵禅師に「不動智神妙録」という著があって、沢庵が柳生但馬守に対して剣の極意たるものを教えた内容が書かれている。
沢庵の教えたところは要約すると、剣をとって相手に立ち向かった時は、心を一ヶ所、例えば相手の眼とか剣とかに止めてはならず、相手の全体に止めよというのである。
この心の状態を無心という。
つまり無心というのは心が無いということではなくて、心はむろんあるのだが、一つのところに止まらないで、どこにもひっかかることがなく全対象に広がって存在するというのである。
121名無しさん@3周年:04/09/16 19:34:30 ID:zUqf0RH6
土佐藩の茶道師範が参勤交代の殿様について江戸へ行って、ある日武士の姿で歩いていたところ、
喧嘩をふっかけて金にしようとした浪人らに真剣での立ち会いを求められたが、剣を使ったことが全くないので困り果て、恥じることのない死に方をしたいと思って
柳生道場で教示を受け、死を覚悟して剣を大上段に振りかぶり目を閉じて相手の斬先に対峙し、相手を退散させたという話がある。
この時の茶道師範はまさに生死を超越し、何にも拘りをを残さない無心の境地だったといいえよう。
122名無しさん@3周年:04/09/16 19:36:48 ID:zUqf0RH6
また、大正末期に、東北大学の哲学の教師に招かれたドイツ人のオイゲン・ヘリゲルという先生の弓の話も有名である。
弓の先生(阿波研三範士)がヘリゲルに対して「弓は力でひくのでなく心でひけ」、「矢は射放すのではなく、無心になって矢が自然に離れるまで待て」、「無心になろうと努めるのでは無心とはいえない」と行って指導するので、
ヘリゲルはその言葉を理解することができず弓をやめたいと申し出た。
先生は夜にヘリゲルを道場に招じ、細長い線香1本を的の前の砂に立て、二本の矢を発射してあらためさせたところ、第一の矢は的の真ん中につきささり、第二の矢は、第一の矢の筈にあたってそれを二つに裂いていた。
これを見て驚いたヘリゲルは、更に修行を積んで帰国したのである。
123名無しさん@3周年:04/09/16 19:39:45 ID:zUqf0RH6
これは一例だが、日本の芸道は全て「無心を以って極意とする」と言い得るのである。
琴を演奏する場合、名人は、演者である自己と対象である琴とを別個のものとして意識することなく、演者自ら琴になりきり、両者は一体とあって無心の境地で演じられるのである。
能を舞う場合もしかりで、無心の境地のうちに登場人物になりきることが肝要である。

禅の世界では、この心境を「主客一如」と言う。この意味で芸道と禅とは深い関係にある。
我々は非常に美しい景色を見て思わず「綺麗だ」と感嘆する時があるが、この時見る主体としての自分と見られている客体としての景色とは合一していると言ってよい。
理屈とか、その他の想念の一切を容れることのない心境だからである。
ただめまぐるしく動く我々の日常生活では、「無心」の境地になり得る機会は少ない。
しかし、我々が色々な事態に直面した時、そのことの直接的な解決のみに心を奪われることなく、一旦は所謂無心の状態に立ち戻り、事態の形相を全般的に熟視したうえ、その解決策を決することが必要ではないか。
この様な言わば、精神修養的な考え方を是非とも日頃の生活の中に採り入れることが現在人の課題である。
124名無しさん@3周年:04/09/16 19:48:59 ID:zUqf0RH6
雲無心鳥知還
くもむしんにして、とりかえるをしる 『御選語録』

【解説】
 「雲無心にして以って岫を出で、鳥飛ぶに倦んで還るを知る」(雲は山腹の穴から無心に湧き起こり、鳥は飛ぶのに疲れて帰らなければならないことを知る)をつづめた語。
わずかなとらわれや執着や作為もなく、無心に行う尊さが記されています。
125名無しさん@3周年:04/09/16 19:52:36 ID:zUqf0RH6
はぁ〜、どこまでも、コピペが続くが・・・無心とは?
126馬鹿梵天:04/09/16 19:58:55 ID:BZvy/vWP
ドゥッカしたんですか?
127名無しさん@3周年:04/09/16 20:07:05 ID:Z+YbccSG
>>125
う〜ん。無心は意識してなるものではないぞ。
何かに熱中していて、あたりが暗くなっているのに気づいて、時計を
見て「もうこんな時間か!」と驚くときだな、無心に気づくのは。
もっとも、気づいたときには無心は既に去っているが。
128名無しさん@3周年:04/09/16 20:32:32 ID:Z+YbccSG
>>123

日本画の名人の話でこういうのがあったな。
雀を画く時、西洋画なら、対象を観察してその形を写そうとするわな。
ところがその名人は、自分で羽ばたいてみて、それを参考に画くのだそうだ。
129:04/09/17 02:45:57 ID:z0LigCMC
そのままで何も欠けることはない。
美しく、醜く、見て聞いて感じることができる。
心からは様々なものが湧き、通り過ぎていく。
自ら捉え、自ら捨てる。
それも忘れてしまう。

我々は本当はこんなにも自由なのだ。
世界は広く、こんなにも許されていたのだ。
130名無しさん@3周年:04/09/17 02:58:31 ID:9MO/vhAx
くさやくさや
131名無しさん@3周年:04/09/17 03:39:17 ID:5IRy6wH2
>129
(and) マイホーム!
       た だ い ま
132:04/09/17 03:58:21 ID:z0LigCMC

 おかえり
133名無しさん@3周年:04/09/17 23:08:42 ID:jxSJ+OFx
メディア・リテラシー。「情報およびその周辺に対する読み書き(処理)能力、の意。」
広義には「携帯電話やインターネットの使い方」という、ハード・ソフト両面でのマニュアルあるいはルール・マナーの認識も含まれるが、
一般的にはマス・メディア(TV・新聞・雑誌)が提供する情報に対する、受け手側の判断や判断能力、という意味で使われることが多いように、第一記述者は考える。

報道に対する十箇条

1.情報を流して得する人を考えてみましょう。
2.可能な限り情報のリソースを確認しましょう。
3.コメントはその人の意見であって事実ではありません。
4.片寄った意見はなんらかの裏があるはずです。情報だけを見るようにしましょう。
5.2つの意見があるとき、マスコミの誘導に載らない決断力を持ちましょう。
6.雑誌や番組のタイトルや見出しに惑わされず、中身を見るようにしましょう。
7.意見の偏りやその人の専門を見極めるために、情報提供者の名前を覚えるようにしましょう。
8.メディアの人間がアクシデントに対しどんな対応をするか見極めましょう。
9.メディアは知っていることすべてを報道するわけではないことを覚えておきましょう。
10.大勢が判明するまでなにかを語ることは避けましょう。
134名無しさん@3周年 :04/09/18 00:05:55 ID:SjPVv+Vn
to Aha
Don't interfere.
Masturbation is carried out alone.
135名無しさん@3周年:04/09/18 01:06:56 ID:8ULFn0Mz
> 仏が主催する世界が展開する。
> 帝釈天の宮殿の天蓋を飾る網の結び目に飾られた玉は、互いに全ての存在を
> 反映する・・・etc
> 華厳の仏世界の描写ですけど、

各家庭に仏壇がありますよね。
また、本寺、末寺が、ありますよね。
また、悉有仏性、全てのいのちに、ほとけが、いますよね。

> 網の結び目に飾られた玉は、互いに全ての存在を 反映する

満天の星が、輝く。
136名無しさん@3周年:04/09/18 03:02:42 ID:ap5HitsT
ひたすら サムい
137名無しさん@3周年:04/09/18 03:54:47 ID:8ULFn0Mz
>>136
> ひたすら サムい

ほれ、七輪。

手をあぶれ。

あったまるぞ。

138名無しさん@3周年:04/09/18 08:45:56 ID:EPp053JL
>>137
そして、眠くなる...
139名無しさん@3周年:04/09/18 12:03:20 ID:zTHH14Sc
>>129
かくも無心とはごちゃごちゃと弁明を必要とするものらしい
140名無しさん@3周年:04/09/18 12:09:03 ID:zTHH14Sc
捨てるということにしてさえもね
141名無しさん@3周年:04/09/18 15:57:50 ID:psjji1qV
>>138 ガクガクブルブル
142名無しさん@3周年:04/09/18 16:12:15 ID:3zn7HDLZ
天下は仁道をもってこれを治むるべし。
143名無しさん@3周年:04/09/18 16:27:10 ID:8ULFn0Mz
138 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:04/09/18(土) 08:45:56 ID:EPp053JL  さん
>>137
>そして、眠くなる.

ブッダ
目覚めた人。

目覚めるとは、悟る。

だから、「放逸にならず、時を惜しんで修行せよ」と、おしゃか様は、言われた、臨終の荒い息をしながら、弟子アナンに。


144名無しさん@3周年:04/09/18 18:40:54 ID:wnQydnP+
臨終の荒い息 は余計でしょ。

一般に「釈尊は何を悟ったか?」ということが問題にされますが、

目覚める、というのは、何かを悟った、ということではない、といいたいのですね。

一方、釈尊は、中道を悟った、とよく言われています。
145名無しさん@3周年:04/09/18 19:29:18 ID:x/bec6a0
信じたことなんてないわ。
だから全てが正しかった。
146名無しさん@3周年:04/09/18 19:37:51 ID:8ULFn0Mz
>>144
> 臨終の荒い息 は余計でしょ。
おしゃか様は、80才で大腸がんで、死亡されたと、医学的には推測されています。
生涯を通じて、灼熱のインドの大地を侍者アーナンダを伴なって伝道布教の道を歩かれました。
ご存知のように、木陰に身を横たえられて、嘆き悲しむいとこでもある侍者アーナンダに荒く苦しい息の中でも、修行を怠るなと、諭されています。
遺骸は、学者たちが、葬ってくれるだろうから、葬式には、かかわらず、修行にはげめとも、言われています。がんの激痛の中で。
> 一般に「釈尊は何を悟ったか?」ということが問題にされますが、 目覚める、というのは、何かを悟った、ということではない、といいたいのですね。 一方、釈尊は、中道を悟った、とよく言われています。
「目覚める、というのは、何かを悟った、ということではない」
では、、
1、目覚めた人、ブッダは何を目覚めたのでしょうか?
2、目覚めた人ブッダは、悟らなかったと言う事ですね?
「中道を悟った」
ブッダは、中道に、目覚めたと言う事でしょうぁ?
では、中道とは、なんでしょうか?

147名無しさん@3周年:04/09/18 20:50:28 ID:wnQydnP+
>>146
>1、目覚めた人、ブッダは何を目覚めたのでしょうか?
「何を目覚めた」のではなく、せいぜいいいえて「何かから目覚めた」というのが正解。

ブッダという用語は自動詞であって目的格を持たない、対象が無い、ということです。

インドでは今でも、朝、眠りから目覚めることをブッディ(目覚める)といいます。
ブッダ(目覚めた人)も同じ言葉です。

>2、目覚めた人ブッダは、悟らなかったと言う事ですね?
違います。上に書いたとおり。

「目覚める」ことと、「悟る」ことは違う、とわたしは言っています。

あなたも、同じ意見だと思ったのですが・・

ブッダは、まず、中道を悟った、それからしばらくして、目覚めた人となった。

そして、最初に、四諦、八正道を説いた、といわれています。
148名無しさん@3周年:04/09/18 21:13:30 ID:QnqFbH5Q
快楽行でもなく苦行でもなく普通の修行=中道
(普通の生活ではない)
149小物もついでに逮捕(爆):04/09/18 21:20:42 ID:5qlUPp2N
http://www21.big.or.jp/~saturn2/megachin/readres.cgi?bo=log7&vi=1095504704

目覚めることと悟ることはちがうのですな
( ´,_ゝ`)フ〜ン
150名無しさん@3周年:04/09/18 22:12:52 ID:wnQydnP+
>>149
「悟る」ことと、「覚る」ことも違う。

無我と無心も違う。

無我は、執着しないこととは違う。

無我を説く目的は、執着をしないため。
151名無しさん@3周年:04/09/18 22:44:22 ID:8ULFn0Mz
>>147
禅としての、おしゃか様の受け取りは、拈華微笑でしょうね。
152名無しさん@3周年:04/09/18 23:07:00 ID:5hH7mhi3
>>147
その「悟る」というのも自動詞だと思いますよ。他動詞になって「何かを悟る」
となると、それは本物の悟りではない。

「何かを悟る」というのは、主語(悟ろうとする人)と目的語(悟りの内容)、
「悟った人=聖」と、「まだ悟ってない人=俗」の二つに分けてものを考えると
いうことになる。「主語」と「目的語」、ないしは「聖」と「俗」の両手を合わ
せるとパチンと音がする。しかし、そういう音ではいけない。「主語」と「目的語」、
ないし「聖」と「俗」が未分化での「悟り」でなくては。それが「隻手の声」です。

自動詞と他動詞という説明は、非常に的を得ていると思います。
153名無しさん@3周年:04/09/19 03:24:06 ID:1pQZMwQn
>>他動詞になって「何かを悟る」 となると、それは本物の悟りではない。
そうですか?
「釈尊は中道を悟った」
どこも変ではありませんね。

悟りとは気づきのことである、とすれば、本物の悟り、なんて当てはまりませんな。

>>「聖」と「俗」が未分化
はてな?

「聖」と「俗」が未分化というのは、矛盾してます。

釈尊は、そういう矛盾したことは決して話さなかった。あなたの話は、あたまでっかちになってますね。
154名無しさん@3周年:04/09/19 05:05:14 ID:kiiIWkGv
禅病の主な症状って何ですか?
155152:04/09/19 09:41:23 ID:fMTxk6Qa
>>153
「中道」の中身が重要でしょ?
「中」というのは、「高低」などの両極端の中間を取るというのと違います。
「中」は「中庸」と同じく、「あたる」、ズバリ、核心を突くという意味です。
大乗仏教の基本的な考え方は、「聖」と「俗」に分化すると、もはや「聖」
ではなくなってしまうということに尽きます。「悟り」には自覚症状がない。
「自分は悟った」と口にすれば、それは自ら贋物であることを証明しています。
詳しくは、維摩経などを直接読んで勉強してください。
156152:04/09/19 10:23:57 ID:fMTxk6Qa
別スレで偶然眼にした記事です。原始仏典にも、そういう記述がある。本当に
悟ってニルヴァーナを知った人は、それが当たり前になるのです。「悟るべき
何物かがある」と錯覚すれば、いくら修行を積んでも、ハンドブレーキを
外さないままアクセルを踏むようなもので、一歩も進めません。

阿羅漢-如来も同文-は、ニルヴァーナよりニルヴァーナを知り、ニルヴァーナを
思惟せず、「このニルヴァーナは自分のもの」とは思惟せず、ニルヴァーナにつ
いて喜ばない。それは何が原因かといえば、かれには熟知されたからである、と
わたくしは説く。『マッジマニカーヤ』T-1 『根本法門経』
157名無しさん@3周年:04/09/19 10:35:10 ID:1pQZMwQn
>>詳しくは、維摩経などを直接読んで勉強してください。

お断りします。あなたの価値観を、人に押し付けないでください。
158152:04/09/19 10:37:14 ID:fMTxk6Qa
>>157
ここは禅のスレです。禅は大乗仏教ですから、当然に維摩経も経典に含まれます。
あなたの方こそ、禅について語らないのなら、ROMに徹するか、立ち去ってください。
159名無しさん@3周年:04/09/19 10:37:51 ID:1pQZMwQn
>>禅病の主な症状って何ですか?

症状は、脅迫神経症に似ているようです。

動悸、息切れ、目眩、脅迫観念、妄想など。
160名無しさん@3周年:04/09/19 10:39:39 ID:1pQZMwQn
>>158
やれやれ、了見の狭い方ですね。

禅は不立文字(ふりゅうもんじ)

維摩経に囚われることなかれ。

禅は禅にも囚われるな。
161152:04/09/19 10:46:59 ID:fMTxk6Qa
>>160

>禅は禅にも囚われるな。

それは単なる外道でしょ。
臨済禅の公案の多くは、大乗経典を元にしているし、公案を使わない曹洞宗
でも、道元の『正法眼蔵』には、金剛頂経を初め、多くの大乗経典からの引用
が見られる。そういう基礎がないと、本当に禅が主張するものなどわからない
と思うが。

禅に「仏に遇うては仏を殺し」という文句があるのは確かですけどね。その前
に相手の主張をよく知らないと。手前勝手な理屈で盲滅法切りまくるだけでは
ただの通り魔です。わかりましたか? 悪胴鈴之助さん。
162名無しさん@3周年:04/09/19 11:00:42 ID:WQq4xno4
>わかりましたか? 悪胴鈴之助さん。

1pQZMwQnさんは、キンタマ男さんではありませんYO。
163名無しさん@3周年:04/09/19 11:18:38 ID:PSb23ze3
粘着嵐のお陰でタマキンおやじに遊んでもらえなくなったなぁ。
164152:04/09/19 11:27:44 ID:fMTxk6Qa
>>162
はあ、そうですか。真理を勝手にでっちあげる不遜な態度がソクーリなんで、
そう思ったのですけどね。

ちなみに、155の主張は『正法眼蔵』には以下のように書かれています。

自己の外に、あれこれと識得して、ものごとの真実を明らかにしようとする
のが迷いである。ものごとの真実は総て自己の体験として証せられる時、それ
が悟りである。迷いを迷いと悟るのが諸仏であり、悟りに執するのは真に悟って
いない人である。悟りの上に悟る人があり、迷いの上に迷う人もいる。悟った
人が本当に悟った人であるならば、自分の悟っていることすら、自覚しない。
(中略)
悟ったことが、必ず知識となって論理的に理解されるとは限らない。悟りの
究極は修行によってすぐさま体験されるものであるが、それが自分によって
気づかれるとは限らない。なぜならば、それが表面的理解を超えていること
だからである。(「現世公案」、中村宗一訳)
165名無しさん@3周年:04/09/19 12:22:22 ID:YT4iPrtY
http://tmp4.2ch.net/ihou/
   ↑
西村博之が、覚醒剤売買の個人情報集めをする
薬・違法板( ´,_ゝ`)プッおまえら逮捕だよ。

覚醒剤もってタント計画倒産
海外逃亡予定、鈴木 公一
北海道札幌市 手稲区前田9 条12丁目4−15
219.3.1 62.167 YahooBB2190 03162167.bbtec.net
210.169.2 10.113 , user0071 13.htv-net.ne.jp ,
166名無しさん@3周年:04/09/19 14:48:33 ID:kchN3xNM
>>160 どうも気になるのは、あなたの発言は、上からものを言う感じですね。
人を見下してませんか?
167名無しさん@3周年:04/09/19 15:17:17 ID:obTdw34o
まぁ悟道の方ではないので、気にしないw
168 ◆2CMtjCEakk :04/09/19 21:32:41 ID:1pQZMwQn
>>161
>臨済禅の公案の多くは、大乗経典を元にしているし、公案を使わない曹洞宗
>でも、道元の『正法眼蔵』には、金剛頂経を初め、多くの大乗経典からの引用
>が見られる。
一般からみれば「不立文字」に違背していませんか?

これを、日蓮さんは、禅天魔と呼んだのですが。
169152:04/09/19 22:56:15 ID:hilFaWIa
>>168
やはり、日蓮系でしたか。道理で○○だと思った...

「不立文字」というのは、真理が合理的な思考の範囲を超えているから、言葉
で解き明かすことができない、という意味です。維摩経にあるように、真理に
ついて語れと言われたら、ただダンマリを続けるしかない。

しかし、ダンマリだけでは埒があかないから、その手がかりを言葉で表現する
のです。

>これを、日蓮さんは、禅天魔と呼んだのですが。

明治以降、学術研究が進んで、法華経が釈迦の直説ではなく、後世の僧達の
創作だということが明らかになりました。日蓮さんも、草場の陰でさぞかし
臍を噛んでいることでしょうね。
170 ◆2CMtjCEakk :04/09/19 23:11:31 ID:1pQZMwQn
わたしが日蓮系だとは、前から公表しているが、

コンギョク師と混同するアホがおおいのでね。
171 ◆2CMtjCEakk :04/09/19 23:12:32 ID:1pQZMwQn
ついでに、日蓮さんを捨てたともいっておく。
17239:04/09/19 23:12:41 ID:hilFaWIa
>>170
レベル的には、同じかと。
173 ◆2CMtjCEakk :04/09/19 23:43:27 ID:1pQZMwQn
>>172
それはどうも。

だが、思想はまったく異なるのだがね。

それはともかく、「禅は禅にも囚われるな。」というのは、鈴木大拙師の言った事だと

記憶しているのだが、152さんは、外道だとおっしゃる。

他の方々はどう思われますか?

ちなみに、金剛経にいわく

「わが説法を筏の喩えのごとしと知る人は、法さえも捨てなければならない。」

ということで、外道ではないと考えますが。
174名無しさん@3周年:04/09/20 00:25:50 ID:krhbb468
はい、S木師の言ったことは筏と同じ(粗大ごみ)だと思います。
175:04/09/20 04:27:13 ID:fSKZ/5fj
禅も念仏も、例えば皿のようなものです。
肝心なのは飯の方で、つべこべ分析してないではやくお食べなさい、
食べ終わったらさっさと洗って戸棚にしまいなさい、ってことですよ。
176:04/09/20 04:36:01 ID:fSKZ/5fj
>>173
外道とは思いませんよ。
152さん、禅は○○主義ではないのです。
buddhismっていうのは誤訳甚だしいのです。
177名無しさん@3周年:04/09/20 05:26:14 ID:10BrUcPF
「わが説法を筏の喩えのごとしと知る人は、法さえも捨てなければならない。」


煩悩の荒海を渡り終えた後に筏は捨てられる。
まだ渡り始めてもないのに捨ててどうする。
捨てるよりも何も、まだ筏を持ってないではないか。
禅(瞑想修行)はまず物欲を捨てるのが前提。
物欲の亡者は礼拝供養からはじめるべし。
178 ◆aj02kekrv6 :04/09/20 08:10:16 ID:9L0jLCNv
>>177
修行の途中で、いつでも筏は捨てるものです。

あなたも、あたまで考えていますね。

禅と瞑想は別物です。
179152:04/09/20 09:45:11 ID:j6V/qVXi
>>173
>「わが説法を筏の喩えのごとしと知る人は、法さえも捨てなければならない。」

ところが、最初から「法」を拒否した場合はどうなりますか?
拒否したものは、捨てることはできない。
武道でもそうですが、最初に型を身につけてそれに習熟する段階がある。
その後にそれを捨てる段階を迎える。
釈迦が菩提樹の下のたった一週間の瞑想で悟りを開いたからといって、
その前の六年の苦行が無駄だったことにはなりません。むしろ、機が熟する
のにその六年がどうしても必要だった。

禅には禅の主張があり、入るべき門もある。最後にはどこにも門がないという
か、いたる所が門だらけという段階があるとしても。
ものには順序というものがあります。
180 ◆/T1KAe5eI2 :04/09/20 09:53:18 ID:9L0jLCNv
◆aj02kekrv6 です。

>最初から「法」を拒否した場合はどうなりますか?

最初から、否定はしていませんよ。

大乗仏教のうち多くは否定しますが、全部否定しているわけではありません。

指摘されて勉強することを拒否しただけで、勉強することまで否定していません。
181 ◆8qZSxe2bdQ :04/09/20 10:00:08 ID:9L0jLCNv
◆aj02kekrv6 です。

>禅には禅の主張があり、入るべき門もある。

わたしは、その最初の門のところで、いやけがさしました。

公案:「裏山に森がある。これは何か?」

禅を嫌いになるには、十分役に立ちましたが。
182 ◆IMm.ClQ03k :04/09/20 10:06:11 ID:9L0jLCNv
◆aj02kekrv6 です。

結局、初めから否定するのでなければ、

「禅は禅にも囚われるな。」は外道ではない 

ということでいいですね。
183152:04/09/20 11:51:27 ID:2McIFMUf
>>182
それで結構ですよ。
184名無しさん@3周年:04/09/20 13:47:52 ID:CEPuZGna
田を排斥するのではなく、学び合う、その意味で活発に動いているスレを紹介します。
相互に訪問しあって、お互いの境地が深めればいいなと思います。

★見性を本当に得たもの同志が語らうスレ★
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/10913633

卍卍 新・仏教質問箱@参学用 卍卍パート2
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1095178011/

悟りを得た人、何か書いてみて  その8
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1069395679/

唯識
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1092796044/

精神世界で癒される
http://life5.2ch.net/test/read.cgi/healing/1094528758/
185名無しさん@3周年:04/09/20 13:51:00 ID:CEPuZGna
訂正

田を→他を
186名無しさん@3周年:04/09/20 22:11:21 ID:8iWEAsvz
>152
ちょっと面白い人が来られましたね。
いや、悪い意味じゃなくて、我流禅やら野狐仏教に飽き飽きしてるところに久々にきちんと
仏教勉強してそうな人が出てきたんで。

レスの中で維摩経読めと語っておられましたが、お勧めの解釈本とかありますかね?
自分は大森曹玄さんの「維摩経入門」、大乗仏典シリーズ「維摩経」、講談社学術文庫「維摩経講話」を
読みました。
自分は大森さんの本が一番維摩経のの内容的解釈としては良かったです。
ただ、どれも原文の読み下しが載っていない(^^; 「大乗仏典」は訳は全部あるんですが、いかんせん酷すぎて。
問疾品での文殊と維摩の対面のシーン

 「よく来たれり文殊師利。不来の相にして来たり、不見の相にして見ゆ」

ここは前半の山場のはずですが、無理に口語に訳そうとして雰囲気台無し、訳を読んでてかなりガックリきました。
本が見当たらないので引用できないのが残念ですが。
187186:04/09/20 22:28:13 ID:8iWEAsvz
>152

追伸。
差し支えなければ、これまで読んだ本とか教えていただけると幸いです。

お尋ねするだけでは失礼なので、維摩経関係以外で自分が読んだ本を考えつくだけ挙げておきます。

 岩波文庫の仏教関係 浄土経典以外全部
 沢木興道氏の著作全部(沢木興道全集除く)
 白隠禅師法語全集全部
 大森曹玄 碧巌録(上、下) 剣と禅 禅の高僧
 白隠禅師健康法と逸話 白隠ものがたり 白隠門下逸話選
 カイ安国語(読みかけ)
 弓と禅

その他立ち読みとかでいろいろと。
188名無しさん@3周年:04/09/20 23:31:44 ID:9L0jLCNv
>明治以降、学術研究が進んで、法華経が釈迦の直説ではなく、後世の僧達の
>創作だということが明らかになりました。

維摩経も、偽経ですな。
189名無しさん@3周年:04/09/21 00:48:16 ID:brA9hduD
>>188
>維摩経も、偽経ですな。

維摩経は、一、二世紀頃にインドで成立した初期の大乗経典だし、サンスクリット語
原典のあるれっきとした経典でしょ。偽経とか偽典といわれているのは、中国で唐代
の頃までに書かれた、いわゆるサンスクリット語の原典のない経典群の類を指して、そ
う呼んでいるわけでしょ。

「拈華微笑」という句も、原典記述のない中国人の創作なんですね。


190真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/09/21 00:54:37 ID:PAELTw8H
>>189
なんでインドで作られたら偽経でなくて、
中国で作られたら偽経なんですか?
『華厳経』は西域で作られたといわれますが、
これは偽経とは言われていませんね。
西域はセーフですか。
191名無しさん@3周年:04/09/21 00:55:12 ID:brA9hduD
192真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/09/21 01:00:46 ID:PAELTw8H
しばしば梵本のあるものを真、
梵本のないものを偽、とする発言をみますが、
ぜったいおかしいと思う。サンスクリット語で書かれていようが
漢文で書かれていようが釈尊の言論でなければ偽経。
また漢文で書かれていようがサンスクリットで書かれていようが
釈尊の精神を承けて再現したものであれば真経。
このように考えてもいいと思う。
193名無しさん@3周年:04/09/21 01:10:43 ID:brA9hduD
学者がそのような主旨の発言をしているので、
受け売り的に言ったまでなんです。
何が真で何が偽かなんて、実際にはわかりませんです。
194名無しさん@3周年:04/09/21 01:13:26 ID:h9JgsRwx
いずれ古人の糟粕じゃ、ボケ
195152:04/09/21 08:15:42 ID:U8VrNWIj
>187
守備範囲はほぼ同じですね。ただ、あなたのように通読したわけではなく、
つまみ食い程度ですが。
あと、付け加えるとすれば『正法眼蔵』(中村宗一訳)、中央公論の『禅語録』、
『大乗仏典』、ちくまの『夢中問答』、鈴木大拙全集(ほとんど持っているだけ)、
もう絶版になってしまった秋月龍王民先生の入門書多数(一日一禅、道元入門など)、
といったところでしょうか。

維摩経については、中央公論の『大乗仏典』を一読しただけです。『正法眼蔵』も
現在取り組んでいる最中です。
196152:04/09/21 08:27:27 ID:U8VrNWIj
>186
私が数年前に維摩経を読んだ時、こんな馬鹿馬鹿しいもの、と思いました。
悟りを開こうとして真面目に修行しようとしているアーナンダらを、単なる
在家の気楽さに胡坐をかきながら、揚げ足を取っている維摩詰という男は
なんと嫌らしい奴か、とさえ感じました。それで、かなり激しい口調で、ここ
(2ちゃん)にカキコしたのを覚えています。

昔から秋月先生の本で「サトリという鳥は、追っかけると逃げてしまって
捕らえられない」という文句を知ってはいましたが、あまり真剣に考えた
ことはありませんでした。ところが、最近『正法眼蔵』を勉強し始めて、
どうやら、維摩経の真意らしきものに触れたような気がします。

何を読むかというのはもちろんですが、その機というのが重要な気がしますね。
197152:04/09/21 08:53:07 ID:U8VrNWIj
>「よく来たれり文殊師利。不来の相にして来たり、不見の相にして見ゆ」

「来、不来」、「見、不見」ともに、「意識するもの」と「意識されるもの」
の自他の分離が前提になっていますからね。
私見ですが、「不来の相にして来たり」という状態は、純粋体験でなければ
感得できないにせよ、その直前、理性が行き詰る奈落の淵までは、哲学で
追っかけられます。だから、仏教が主張する「不二の法門」の有り難味を理解
するためには、思い切って哲学、中でも実存哲学を勉強するのが一番早道だと
思います。定番的名著ですが、『善の研究』は非常に参考になりました。
198187:04/09/21 09:48:42 ID:vx2e5p5P
>152
お答えありがとうございます。
『禅語録』には「菩提達摩無心論」「六祖壇経」「臨済録」「洞山録」の読み下しと訳に、祖堂集の抄訳を収録ですか。
読みたいですねえ。

維摩経の中の維摩が一黙する場面を見て思い出すのは「無言の行」という話です。
うろ覚えですが、和尚が小僧たちといっしょに無言を貫き通す行をしている。その最中に鼠かなんかが出てきて
それを見て小僧が「あっ鼠だ!」と言った。別の小僧が「うるさい!」と注意し、また別の小僧が「しゃべるな!」と言った。
最後に和尚が「無言の行を貫いたのは、ワシ独りじゃわい」と言ったという笑い話です。
なるほど面白いな、ト。

我々の生活の中でもこんな場面はいろいろあるんじゃないかと思いました。
例えば誰かと殴り合いのケンカしてる最中とか。ケンカやめるときの不二の法門如何、と。
「殴るな!」と言うのでなく、「ケンカは悪い事だ!」と言うのでもなく、「ケンカはやめることによって止むんだ!」
と言うのでもない。
『時に維摩詰黙然として言なし』であってこそ初めて本当にケンカが止まる、ト。
199152:04/09/21 10:26:27 ID:U8VrNWIj
>198

ちと屁理屈をつけるなら...
「無言の行」という場合、「無言」が行の最終目的になっているから最初から
無効なんでしょうね。「無言」というのが結果で、気がついたら、もう丸一日
口を開いておらず、唇が乾燥して癒着してしまっていた、というのが「無言の行」
なのでしょうね。だから、意外と最初に「あっ鼠だ!」と叫んだ小僧さんこそが
唯一「無言の行」を貫いた御仁と言えるかもしれませんよ。叫ぶ寸前までは、
立派に「無言の行」に徹していたわけだから。他の小僧さんや、和尚さんは、
「無言」を守るのに必死で、誰かが禁を破るのでは、とワクワクして待っていただけ。
そういう邪念がなかった分、小僧さんの「あっ鼠だ!」には咎がない。

ケンカの場面では、ホトケとホトケのケンカですから、ひたすら合掌礼拝する
だけでしょうね...
200187:04/09/21 10:26:33 ID:vx2e5p5P
>思い切って哲学、中でも実存哲学を勉強するのが一番早道だと思います。

自分は哲学関係はあまり得意ではないので、こちらの方はパスですね(^^;
201187:04/09/21 10:39:35 ID:vx2e5p5P
>199
えーと、この話の中にでてくる「無言の行」という修行自体にはあまり意味はないです(^^; 
無言の行をしてるのにモノにつられて全員言葉を話してしまった、というところがミソで。
「無言の行」の話では維摩に該当する人はいない…というのがまたポイントで。

もしこれを理解した上でのご発言ならスイマセン…
202152:04/09/21 10:41:30 ID:U8VrNWIj
>200
哲学書は、専門用語がたくさん出てくるから難しく感じるだけですよ。
ヤスパースの『哲学入門』は読みやすかった。
それに、日頃から自分がいろいろと考えていながら、意識していなかった
ことをズバリと指摘されるのは気持ちがよいものです。

仏典が書かれた時代背景は、現代と全く違いますから、現代人が読んで共感
できる部分というのは限られると思います。むしろ、実存哲学のように「人間
は孤独なんだ」とズバリ指摘された方が、現代人の心に直接訴える。「天上天下
唯我独尊」の語は、最初「井の中の蛙のひとりごと」だと決め付けていましたが、
実存の意味を知ってからは、うんうん、と納得できます。もっとも、そういう解釈
は他人から見ると間違っているかもしれませんけどね。
203152:04/09/21 10:43:20 ID:U8VrNWIj
>201
はいはい。ですから、>>199はただの屁理屈なんですよ。(^^)
204名無しさん@3周年:04/09/21 11:41:15 ID:2sXSNUXS
仏教のうちでも特に禅は「拈華微笑」で必要十分。
205名無しさん@3周年:04/09/21 12:18:23 ID:2sXSNUXS
>>202 「天上天下唯我独尊」の語は、

「この世で仏陀一人が真理を見た」という宣言ですよ。
206名無しさん@3周年:04/09/21 12:21:42 ID:FpdHahSR
理入というのは、経典によって道の大本を知り、人はすべて凡も
聖も平等に真実の本性をもっていることを確信するのだ。

                    ―――二入四行論
207名無しさん@3周年:04/09/21 12:23:53 ID:2sXSNUXS
「確信するのだ」
確信したとき、拈華して微笑するのです。
「凡も聖も平等に真実の本性」をもつが、
それは易かにすれば顕現するのか。
それが分かれば心から微笑できるのです。
208名無しさん@3周年:04/09/21 13:35:57 ID:wFK3DNou
確信しますた。
209名無しさん@3周年:04/09/21 14:35:16 ID:2sXSNUXS
>>208 何?
210187:04/09/21 15:30:14 ID:jwFxxtte
>>152
>203
大変失礼いたしました(^^;A

自分はわかってもわからなくても、経典とか語録を繰り返し通読してますね。

で、実生活を営んでいくうちにいろいろ失敗したり、トラブルがおきたり、他人のトラブルを見たりする。
そうすると、たまーにお経や語録を読んで気になった部分とか言葉がその場面でパッと浮かんでくることがある。
それで「ああなるほど、あの言葉はこのことを言っているのかな」と実感させられることがよくあります。

たとえば…ある公案がよく呑み込めなくてずーっと取り組んでいて、レンタル屋にビデオを借りに行ったときのこと。
店の方からちょっと怪しげなオヤジがビデオを持って出てきた。その店はAVの品揃えがかなり良い店で、
中身はわからなかったのですが「あーこのオッサン、きっとAV借りてきたんだろーなー」とふと思いました。
その瞬間、取り組んでいた公案がパッと浮かんで「へー、、、面白いな、、もしかしてこのことを言っているのかな?」
と閃いたり。
「怪しいオッサンはAVを借りに行くに違いない!」とか閃いたんじゃないですよ(笑)



ちなみに自分がそのときレンタル屋に何を借りに行ったかはご想像にお任せしますw
211152:04/09/21 16:23:30 ID:U8VrNWIj
>>210
そうですね。日常生活に公案を当てはめると面白いですよね。
ところが、公案自体が論理的に矛盾している場合があるのです。
同じ答えを2回言ったとき、初めのは誤りで2回目は正しい答えになる。
http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/houwa/raiguka.htm

あるいは、「趙州狗子」の例にあるように、矛盾する答えが両方正解とされる
場合もあります。
http://www.geocities.co.jp/Beautycare/7975/m-001.htm

それはさておき、行きつけの古本屋さんへ行くと、禅問答用のアンチョコが
売ってました。コピーを製本したもので、5000円の値がついてましたね。
要するに、師匠がこう出たら、こう答えよ、というのがズラズラ書いてある
のです。恐らく、丸暗記するのでしょうね。こんなもの、と思って鼻で笑って
いたのですが、なかなか洒落た問答になっていて、一時は買おうかと考えた
ほどです。次の日に行ったら、どこかの好事家が買っていった後でした。
212187:04/09/21 16:52:54 ID:2ZVL7Zpx
なぜ同じ答えでも最初の則公の答えはダメで、次の問答の禅師の答えは良いか?
それはこういうことでしょう。

例えば自転車に乗るときには「バランスを取」らなければなりません。
ですが、同じ自転車に乗るのでも自転車に乗りたての子供が「バランスを取る」ことと、
TBSで放映している筋肉番付でやってるような曲芸的な自転車の乗り方をする人たちが「バランスを取る」ことには
天地の隔たりがあります。

プロの曲芸自転車乗りを育てている先生が「自転車に乗ることとはどういうことか?」と問うとしましょう。
そこで自転車に乗りたての子供が「バランスを取ること!」と答えることと、この厳しい先生について長く訓練を積んだ人が
「バランスを取る事。」と答えること。
この話と先の公案とを比べたときどうでしょうか。
213187:04/09/21 17:00:27 ID:2ZVL7Zpx
続き。

趙州狗子の公案については、薬と病の関係ではないかと思っています。
原典(趙州録だったか、従容録だったか…)では確か「狗に仏性ありますか」という僧の問いかけに対し、
 「ない。」「なぜないのですか」「自分に仏性があることを知らないからだ」
 「ある。」「なぜあるのに狗の姿をしているのですか」「無明の迷いのためだ。」
と二通りの問答がされていますが、自分はこれは決して矛盾しているものではないと思っています。

体の調子が悪い。それがハラを下している場合には食事を食べさせず、胃腸を養生させることが大事になる。
それが栄養失調ならば食事をキチンと食べさせなければならない。
また、血圧が低すぎて体調が悪い人には血圧を上げる薬を飲ませなければならないし、高い人には血圧を下げる
薬を飲ませなければならない。
こういうことではないでしょうか。

傍論になりますが、無門関では後ろの問答をぶった切って単に「狗に仏性あるか」「『無』」とだけ述べてあります。
これはこれでまた別に深い意味があると思っています。
214名無しさん@3周年:04/09/21 17:09:53 ID:2ZVL7Zpx
>禅問答用のアンチョコ

うーむ、こういうモノが出家した坊主の世界で出回っているというのは本当に情けない限りですなあ。
中には、本当の心の安心を求めるために出家したのではなく、「悟ったこと、印可されたこと」を勲章にして
エバりたいがために出家して禅門に入った輩がいるってことなのでしょう。
もしくは、出家して出世して管長とか偉い位につくのが目的だとか。
そんな修行をした人たちにまかり間違ってついて学んだとしたら……(((((゚Д゚;)))))ガクガクブルブル

沢木さんも著書の中で言っていましたが、真の大善智識にあうってのは大変難しいってことですかねえ。
215152:04/09/21 17:40:31 ID:U8VrNWIj
>>212
バランスですか...そういう解釈もあるのかなあ。

私見ですが、最初の「丙丁童子来求火」は、単なる言葉上の意味でしかないの
です。ところが2回目の「丙丁童子来求火」は、則公自身が丙丁童子自身に
なって、まさに火を求めに来ているのです。そこに違いがあると思います。

われわれなどが、いろいろと禅語録を読んであれこれ解釈するようなレベルは
せいぜい最初の「丙丁童子来求火」にすぎず、絵に描いた餅では腹の足しには
ならない、という程度のものにすぎないのだろうと思います。これは自省の
意味ですけど。
216ピカチュワ ◆GPDV33Riho :04/09/21 17:44:57 ID:hIwLLvnq
禅の考案は、いくらじっくり真剣に取り組み考え続けても解けるようにはできていないが、
しっかりと取り組んで考え続けないとわかる時が来ない。
217152:04/09/21 17:52:00 ID:U8VrNWIj
「趙州狗子」の公案については、「糞かきべら」にさえ仏性があるというのですから、
そもそも「犬」だけにこだわって問うのがおかしいと思います。だから、最初の僧が
考えていた「仏性」というのは、ものに有ったり無かったりする、何か霊魂みたいな
ものだと思い込んでいたのではないでしょうか。だから、「そんな仏性という特別な
ものがあるわけじゃない」という意味で「無」と答えたのだと思います。

第2の僧に対しても同じことで、「犬には仏性はない」、「仏性がないから畜生の
形をしている」という二重の過ちを犯しているから、最初は「仏性は有る」と答えた
ものの、第2の答えは相手のペースに合わせて、何だか歯切れが悪くなっているの
ではありますまいか。
218152:04/09/21 17:58:21 ID:U8VrNWIj
>>215の補足

小学生時代に、「おじいさんのランプ」という童話を読みました。
かなり有名な作品なので、ご存知の方も多いでしょう。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/635_14853.html

>「ちえッ」と巳之助は舌打ちしていった。「マッチを持って来りゃよかった。
>こげな火打みてえな古くせえもなア、いざというとき間にあわねえだなア」

とひとりごとした瞬間こそが、2回目の「丙丁童子来求火」だったのだと思います。
「今、俺は、ここで」、何と馬鹿なことをしていたんだろう、という自覚です。
219あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/21 20:55:00 ID:G7jphego
○ 片手の人がたたく拍手の音を聞いて来い(隻手の公案)。

片手では、拍手は出来ないし、音も出ないし、聞こえない。

33才を前にした頃、片手の人がたたく拍手の音を聞いた時、その数日前から眼前に黄金色の炎が、激しく燃えながら立ちのぼり、喜びの気持ちで満たされた。

その音を聞いた時、踊りだしていたね。大声で叫び、笑い、手をたたき、肩を組んで、踊っていたんだ。

全存在が、ばらばらではなく、肩を組んでいる存在だと、知った。

けんしょう見性を得る。

悟りが、平等という事であり、涅槃が、自主、主体であると知った。

何十年かかっても、片手の人がたたく、拍手の音を聞いて欲しい。
220 ◆aj02kekrv6 :04/09/21 22:10:50 ID:UmGiU0+1
仏性は、実存ではない。

仏性は、実在ではない。
221あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/21 22:36:04 ID:G7jphego
>>220 さん
> 仏性は、実存ではない。
> 仏性は、実在ではない。

では、仏性とは?
222187:04/09/21 22:43:37 ID:TCKFeDMl
>>152
>215

自分は最初の「丙丁童子来求火」もあながち間違いではなかった…と解釈しました。
何か掴んだのは事実だったのでしょうが、悟境が浅くしかもそれにデーンと尻を据えて腐れ水のように淀んでしまっていた。
大悟18度、小悟数知れずと白隠が言ったように悟ってもまだ先がある。求めた上で更に求めることが必要だ…と。
先の自転車の例でいえば、子供が得た「バランス」は確かに「バランス」の一つに間違いはない。でも更に上のレベルがあることは知らねばならぬ。

…とはいうものの、152氏が言うとおり最初の「丙丁童子来求火」は単なる知識だったかもしれません。
これはさすがに公案上からだけではわからない(^^;
単なる知識に過ぎなかったとすれば215で書かれた通りだと思います。

>217
狗子仏性についての自分の解釈は以下の通りです。
「狗子仏性無し」については、恐らくこの僧は「一切衆生悉有仏性」を生悟りして「修行しなくてもそのまま仏」というふうに
思っていたのではないか?
また、「狗子仏性有り」については「一切衆生に仏性があるなら何故皆仏の姿をしていないのか、なんで悪趣があるのか。
仏性なんて本当はないんじゃないか」と考えていたのではないか?
…かなり端的にしか書きませんでしたが、これが自分の感じたことです。

ただ、両方の公案で一番重要なのは「仏性」の本質を掴むことだと思うんです。これを明らかにしなければ
単なる飾り物になってしまうのではないか、と自分は考えたりします。
もっとも仏性は言葉にすれば言葉から離れるようなもの、自分自身が自分で掴まなくてはならない人間の本質部分だと
感じています。
223名無しさん@3周年:04/09/21 23:00:14 ID:ziuL+jGE
>219

後、18時間くらいで自然に元に戻ってしまい、かれこれ4年が経ってしまいました。
224 ◆aj02kekrv6 :04/09/21 23:03:15 ID:UmGiU0+1
>>221
仏性とは、単なる概念

>>222
>一切衆生に仏性があるなら何故皆仏の姿をしていないのか

仏性とは何か、経典にどう書かれているかを知れば、こういう質問はでないはず。

まずは原典にあたれ。-->大乗涅槃経
225187:04/09/21 23:09:58 ID:TCKFeDMl
>218

大変良い話ですね。これこそ見性だと強く思います。
洞山五位の第二則、偏中正と照らし合わせると面白いですね。

紹介してくださってありがとうございます。
226あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/21 23:15:15 ID:G7jphego
>>223 さん
> >219
> 後、18時間くらいで自然に元に戻ってしまい、かれこれ4年が経ってしまいました。

見性を確認する公案が、あります。

石をくりぬいた、石棺が、あります。
中は、空洞ですが、ふたも無ければ、入り口も、ありません。
あなたは、そこを自由に、出入りしていますか?

227 ◆aj02kekrv6 :04/09/21 23:18:59 ID:UmGiU0+1
>>223
日常、瞑想を習慣化していれば、持続時間が長くなりますが、

そのような体験にこだわることは、おすすめできません。
228あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/21 23:19:02 ID:G7jphego
> 仏性は、実存ではない。
> 仏性は、実在ではない。

(あ)では、仏性とは?

224 名前: ◆aj02kekrv6 [] 投稿日:04/09/21(火) 23:03:15 ID:UmGiU0+1
>>221
仏性とは、単なる概念

仏性とは?
では、仏とは?
また、性とは?
229 ◆aj02kekrv6 :04/09/21 23:22:32 ID:UmGiU0+1
>>226
> 見性を確認する公案が、あります。

それは、本当ですか?

客観的に確認できるのですか?

主観でしかないのでは?
230 ◆aj02kekrv6 :04/09/21 23:27:58 ID:UmGiU0+1
>>228
> 仏とは?

目覚めた人

>性とは?

他のものと区別しうる、そのもの本来のありかた。特徴。

仏の性質などというものは、実在しない。
231187:04/09/21 23:48:55 ID:AEoRw6so
>224
……はあぁ?

レスはきちんと読みましょうよ。別に私自身が仏性の存在とかそういうものに疑問があるわけではないですよ。
232あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/21 23:56:58 ID:G7jphego
>>229
> >>226
> > 見性を確認する公案が、あります。
> それは、本当ですか?客観的に確認できるのですか?主観でしかないのでは?

これは、師家が、公案の門を通った弟子に、その悟りを確かめる簡単な公案です。

わたしは、独覚ですので、師家のもとでは修行していませんが、隻手の公案に通過した後、この石棺の確かめる試験も通過しました。

麻、三斤の公案も続いて、通りました。

ですが、狗子の公案、無、は、通っていません、(汗)


233あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/22 00:01:25 ID:yB5OuSKh
>>230
> >>228
> > 仏とは?
> 目覚めた人←ブッダではありますが、
> >性とは?
> 他のものと区別しうる、そのもの本来のありかた。特徴。仏の性質などというものは、実在しない。

性とは、いのち。

よく、植物の種に例えられています。

234名無しさん@3周年:04/09/22 00:34:25 ID:t9WXGdf2
>>207
>「凡も聖も平等に真実の本性」をもつが、
>それは易かにすれば顕現するのか。

易かに顕現するかと申されましても、真実の本性なるものが秘密の
アジトに隠れ棲んでるというわけではないでしょう。(^_^;)

維摩経や金剛経の般若空観を磨いてゆきたいと思ってます。



235223:04/09/22 02:10:46 ID:B2gfZOgB
>>226
もしその時、「見性」によってその公案が出されたならば、大泣きしてしまうでしょう。

私は「禅」の道を学んでいるものではないので、特に確認するものも無く、その様な
公案をちょっと羨ましくも思います。その様な状態で、3人の人間を車を運転し街の
駅まで送らなければならず、翌日に隣の県まで車で往復し、翌々日に高速道で静岡から
神奈川の実家まで帰ったので、こう書いてみると18時間以上ありますね^^。
出来事は多様でも本人の感覚ではとてもゆっくりとだったのですが、やはり忙しく「ああ、
心ゆくまで静かに浸れたら良いのになぁ」と何度も思ったものでした。そして>>227さんの
仰るとおり何だかんだと4年も拘ってしまっていたのでした。

最近になって、ようやく「最低でもあそこまでの経験をしたい。そして今度こそ。」という
アプローチ全体が障磔になっていた事実に気が付いたわけです。それも必要なことだったの
でしょう。きっと。例えるなら今まで主体従霊だったことに気が付いたのです。トホホ
236あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/22 03:05:19 ID:yB5OuSKh
>>235 さん
そうでしたか。
方向性をきちんと持つ事だと思います。
師家の修行のもとで、修行したわけではないので、つまりは、独覚なので、深くなりえません。
最近の、ジレンマ、です。
237あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/22 03:11:07 ID:yB5OuSKh
訂正

師家の修行のもと→師家の指導の下
238 ◆aj02kekrv6 :04/09/22 07:55:47 ID:a5jpR8CX
>>231
>>……はあぁ?
いや、これは失礼。ここにあなたの人間性が現れている。

わたしの提案は、無用でしたな。
239152:04/09/22 08:10:03 ID:yzYHg2Oz
>>222 (187さん)

>「丙丁童子来求火」再び

例えば、アイスクリームを百科事典で調べたら、(読んだことはありませんが)
いろいろと定義が出てきますよね。それで、師匠から「アイスクリームとは何か」
と問われたとき、その定義をそのまま口にしたら、恐らくですが「なかなかいい表現
だが、君はアイスクリームをわかっていないね」と言われるでしょうね。
「アイスクリームは何か」と問われたら、実物を口の中に放り込んでやるしかない。
2回目の「丙丁童子来求火」は、まさにそういう状況だと思うのです。

>「狗子仏性無し」
>「一切衆生悉有仏性」を生悟りして「修行しなくてもそのまま仏」というふうに
>思っていたのではないか?

あるいは、そうかもしれませんね。
240152:04/09/22 08:53:43 ID:yzYHg2Oz
>>220

実存というのは、人間に許された唯一の拠り所です。
>>218の童話で言えば、自分が本当に正しいと信じる道を進む。たとえ、それが
自分の生活を脅かす恐れがあったとしても、巳ノ助さんはランプを割らざるを
得ない。「たとえランプすべてを失って路頭に迷っても、自分自身を失うよりは
ずっとマシだから」。動物は、腹さえ一杯になれば満足です。人間は違う。たとえ
腹一杯でも、心が飢えるということがある。心が飢えるよりは、身体が飢えた方が
ましだと考えることもある。心を「腹一杯」にするには、実存を拠り所にする他に
方法がないのです。

実存とは、自分自身の一生を「真理」に賭けて悔いないという行為です。確かに実存
は仏道とはイコールではありませんが、仏道は必ず実存がスタート地点になる。実存
なき宗教など、死ぬまでの苦痛を忘れるための「気晴らし」にすぎない。それは禅も
例外ではない。
241名無しさん@3周年:04/09/22 10:34:55 ID:sqyEvzZs
まぁ、人の数だけ迷いの形もあり、
発心の場所も異なればたどり着く先も様々でしょうに。
求道心は尊いものだが、気張るのはおよしなさい。
242223:04/09/22 13:20:14 ID:Lu2Fan5u
>日常、瞑想を習慣化していれば、持続時間が長くなりますが、
>そのような体験にこだわることは、おすすめできません。

特に当時などは、瞑想を欠かすことは無く、最低でも寝る前・起きた後は当たり前であり
日常でも出来る限りの瞑想状態で過ごしていました。基本的には今でも変わりません。
瞑想時には、ある程度起こることではありますが、朝方から知人と会話している時に始
まったので、活動している個我には、やはりインパクトが大きかったのです。
その時、私は知人達と会話をしていたのですが(内容はどうと言うことも無い日常の事
でしたが)正面の方の話の内容が理解出来ずにいました。部屋の中にいる他の方々は「
そうよね〜」とか当たり前の様に分かっていたようなのですが、私は何だか「世界一の
お馬鹿さん」に自分が思えて仕方なかったので、もう一度同じ話をその知人に頼んだの
です。今度は胸で呼吸をしながら「世界一の馬鹿・生涯を懸けて臨む」の勢いで^^。
すると知人の話が終わり沈黙になった時、始まったのでした。胸の中から360度に途轍
もない密度のそれが広がって外と内の境が全く無くなってしまいました。何が起こった
かは、この人格の人生では初めての出来事なので分かりませんでしたが、何故か
「帰ってきた」ことだけは、はっきり分かるのです。自他も無くなっていまして、すべて
の人すべてのものが同じ「それ」、「それそのもの」以外の何ものでもなく人智など遥か
遥かに及ばない叡智であり、楽しくあり、安全である「わが家」。この方の中で全てが起
きていた、起きている、起きるのだなという理解。などなど語りつくせないわけですが。

その中で「謎」の人物を感じたのも事実です。どうにも理解出来なかった。それが今の
私自身なのでしょう。我の権化・正体。人知。


気質的に「禅」が好きなのでこちらにお邪魔させて頂いておりました。これからも勉強さ
せて下さい。
243南予出身:04/09/22 14:00:15 ID:Q1dBRt2j
このスレの一回目を立てた本人です。ある日から書き込めなくなって、そのまま
放っておいたら、こんなにもスレが伸びていて光栄です。
 私は、この猛暑で夏ばてして坐禅は週に一度、寺で行われる坐禅会のみしか
やっていませんでした。そのころはもう鬱で自殺したいぐらい苦しかったです。
やっとこの数日、秋風が吹くようになり、家で座ることができるようになりました。
喜びで一杯です。座って20分ぐらいしたときの、あの心。あの心のまま常に行動
できたらどんなにいいでしょうね。
 また書き込みます。皆様のアドバイス参考にさせていただきます。
244名無しさん@3周年:04/09/22 14:48:45 ID:G2WZ7GQp
僕は自我が大好きだよ
245名無しさん@3周年:04/09/22 15:40:01 ID:FIsqyq9S
あれはいいよね。
あれ。
>>242>>243
そのそれは違いますね。
邪道ですよ。

やっぱりあれこそ本物。
246223:04/09/22 16:05:19 ID:5+RXANHC
>>245

それで結構です
247:04/09/22 16:17:58 ID:5+RXANHC
とは書いたものの非常に体が重いです。何なんでしょこれ。

連投、失礼しました。

                        223
248あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/22 16:45:49 ID:yB5OuSKh
243 名前:南予出身[] 投稿日:04/09/22(水) 14:00:15 ID:Q1dBRt2j さん
実に、お久しぶりです。
心配していました。
第一章の頃からのメンバーは、いらっしゃらないとは、思います。わたしぐらいでしょうか。
でも、毎週、参禅会に出られていたんですね。
南予さんらしい禅の取り組みかただなーと、感心しています。
これからは、季節も涼しくなり、過ごしやすくなります。
また、ゆっくり語り合っていきましょう。
249 ◆aj02kekrv6 :04/09/22 22:57:57 ID:a5jpR8CX
>>233
仏性は、いのち という捕らえ方をすると、わけがわからなくなりませんか?

先に、人間性という言葉を使いましたが、人間性は実在ではなく、また人間のいのちでもなく性質です。
この性質はどこから生じるかといえば、いのちではなの脳の”働き”です。

仏性として人々が実体視する”それ”は、やはり、人間の体に付随する性質でしかありません。

仏性という実体があるのではない、ということがわかると、大乗仏教の似非ぶりが見えてきます。
250 ◆aj02kekrv6 :04/09/22 23:00:02 ID:a5jpR8CX
如来の胎児ということで、如来蔵思想がありました。

仏性はその発展した思想で、如来蔵とは異なります。

また本覚思想も、仏性思想とは別ものということでよろしいか。
251あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/23 00:14:40 ID:8lPq5QDh
>>249 さん
実体がないことを、空と言いますよね。
一切皆空
ここが、大乗だと思います。
上座部仏教に対して、大衆部仏教、在家仏教、が出てきました。
空、
については、どうお考えでしょうか?
252Blue Sky ◆t/HOghkWzc :04/09/23 01:50:03 ID:StkIdw2D
あはさんへ、
>>232
>隻手の公案に通過した後、この石棺の確かめる試験も通過しました。
>麻、三斤の公案も続いて、通りました。

通過というのは、どういう意味でしょうか?その公案の本質を理解したという事ですか?
DQNな質問で申し訳ありませんが、もう少し詳しくお教えいただけたらと思います。
253名無しさん@3周年:04/09/23 07:06:24 ID:C3PRWlg+
ゴータマブッダは中道の教えを説いたのに
あはさん、大乗小乗、大悟小悟とは何事でしょうか?
254名無しさん@3周年:04/09/23 07:52:30 ID:eMHT0h5b
>>249,>>250
もし人間が生まれつきにして煩悩にがんじがらめになっているならば、絶対に
悟れっこない。ところが、仏道に帰依したいという菩提心が起こるというのは、元々
人間の中に如来の種があるからに違いない、というのが如来蔵思想の始まりです
よね。まあ、仮説にはすぎないとしても、否定するためには、これに代わる仮説
を用意しないといけませんね。

私は、仏性というのは、菩提心とは違うと思います。菩提心ならば、脳の働きと
いうことで説明がつきますが、仏性は実在のものです。というより、実在の姿を
仏性と呼ぶのですから。あはさんは「空とは実体がないことである」と言って
いるが、それだけでは「空」を誤解している。むしろ「空とは、ある決まった
形を持たないもの」と言うべきだ。形が決まらないから、何にでも融通無碍に
対応できる。空間は、そういう融通無碍なもので満たされている。

その実相を始めて見た人は、あはさんのようにおおはしゃぎになるかもしれ
ませんが、やはり自分もまたその融通無碍の一部であり、そこへ溶け込んでいる
のですから、大悟だ小悟だ、などというつまらないこだわりを離れて、空を
鳥が行くように、水を魚が行くように、一切の痕跡を残さず立ち去るはず
なのですが...
255 ◆aj02kekrv6 :04/09/23 08:20:34 ID:CRJv18AE
>>251
実体(中身)の無いこと、不変のものが実在しないことを空といいますね。
仏性も不変の実在ではなく、空(縁起生)であるということです。

一切皆空が大乗で説かれたのは事実ですが、
大乗以前から、諸行無常、諸法無我を説いています。

諸行無常、諸法無我我、すなわち空ということです。

空を正しく理解すると、魂のような実在がなくても、
個人のアイデンティティが輪廻することが了解されます。
256 ◆aj02kekrv6 :04/09/23 08:21:58 ID:CRJv18AE
×:諸行無常、諸法無我我、すなわち空ということです。
○:諸行無常、諸法無我が、すなわち空ということです。


257 ◆aj02kekrv6 :04/09/23 08:33:56 ID:CRJv18AE
>>254
大乗の人々は、”実在がないこと”を、受け入れることができず、
仏性というアートマン(実在)を、想定したことになります。

如来蔵思想、仏性思想、本覚思想、これら変わる”もの”を提供する必要はありません。
縁起、空を正しく理解すれば、自然に「如来蔵思想、仏性思想、本覚思想」は否定されます。

不変の実在がなくとも、働き(=法)があるということが縁起の法です。

人々は、その”働き”をみて実在を想定しますが、釈尊は縁起を説くことで、
不変の実体がないこと、つまり実在ではないことを説明しました。
258名無しさん@3周年:04/09/23 08:48:10 ID:eMHT0h5b
>>257

しかし、空の理論を持ち出してきたのは「中観派」で、「大乗の人々」ですよ。
私見ですが、本覚思想というのは、「釈迦へ回帰せよ」という運動の一部だった
のです。

・釈迦の時代には、生きたまま悟りに至った弟子達が大勢いた。
・釈迦の没後、上座部は釈迦が禁じていたはずの形而上学の研究に没頭し、
煩瑣なアビダルマ哲学を作り上げた。その過程で、「釈迦の悟りの高きに
凡夫は到底到達できるものではない」という神話化がなされ、仏と凡夫の
間に無限の距離ができた。一方で、無知な大衆は、仏舎利信仰へ走らざるを
えなかった。上座部、大衆部ともに本来の仏教のあり方から堕落した。
・大衆部は、上座部が忘れていた慈悲心を復活させるべく、菩薩という立場
を打ち出した(実は、如来はいつの時代でも独り存在するだけだという思想
があったのが直接原因)。
・同時に、凡夫には仏性があるのだから、それほど仏と隔たっているのでは
ない、という楽観主義が持ち込まれた。

結果論から言えば、紆余曲折を経て、ようやく釈迦の教えに何とか戻った
のです。だから、「如来蔵思想、仏性思想、本覚思想」を否定すれば、今度
はアビダルマに戻ることになり、余計に釈迦から遠ざかってしまう。
259名無しさん@3周年:04/09/23 09:05:00 ID:eMHT0h5b
(続き)

大衆部と言っても、仏舎利を拝んで現世利益ばかり追求していたわけ
ではなくて、中には上座部と同じレベルの修行歴を積んでいたが、
戒についての意見が合わなくて上座部を飛び出した連中もいたわけです。
そういう連中が、自分の修行体験として「仏性」ということを言い出した。
確かに、それを神霊のみたいなもの、アートマンとして理解した大衆信者
は多かったでしょう。しかし、それは「仏性」を単に誤解したにすぎません。
例えば、本覚思想をとる天台宗では、法華経を重要視しますが、どこかの
みたいに題目だけ唱えているのではなくて、厳しい修行の中で「仏性」を
探るための手がかりとしています。これは禅についても同じです。「仏性」を
新種のアートマンとして解釈するような「大乗の人々」は、むしろ稀でしょう。
迷信にとらわれている一般信者は知りませんけど。
260 ◆aj02kekrv6 :04/09/23 09:44:23 ID:CRJv18AE
>「仏性」を 新種のアートマンとして解釈するような「大乗の人々」は、むしろ稀でしょう。
>迷信にとらわれている一般信者は知りませんけど。
ええっと?
「仏性とは何か?」と問題にするときは、出典を元にしないと、基準があいまいになります。

そこで、仏性の出典といえば、大乗涅槃経です。
大乗涅槃経、それ自体が、時代とともに拡張され、それにともなって仏性の概念が変化した
様子が読み取れてなかなか興味深いものがあります。

大乗涅槃経では、本覚思想は否定されています。
仏性は修行しなければ現れてはこないとされています。

一方、仏性とは、真実のアートマンであると大乗涅槃経には書かれています。
261名無しさん@3周年:04/09/23 12:30:02 ID:NRsTuQqO
>>260

>仏性は修行しなければ現れてはこないとされています。

???それは当たり前だと思うのですが。
そうでなければ、仏道修行の意味がありません。
本覚思想というのは、凡夫が仏になる可能性を言っているので、生まれつき
煩悩に縛られている状態では、仏になる可能性がない。キリスト教の原罪と
同じ立場になります。

>仏性とは、真実のアートマンであると大乗涅槃経には書かれています。

具体的に引用してください。それは仏性とは言っていないはずです。先尼外道
のように「仏性とは、死後にも残る霊魂のようなものである」と誤解した一派
に対する批判です。
262名無しさん@3周年:04/09/23 12:36:56 ID:NRsTuQqO
大乗仏教の「仏性」についての考え方です。

つまり「即」「心」「是」「仏」は単なる文字では無く、それぞれ一つの事実であって、
一々が仏(尽十方界真実)であり、仏(尽十方界の事実)を四つ並べたのと同じである。

要するに、尽十方界真実が仏であるから、「心即是仏」「仏即是心」「即心仏是」
「是仏心即」「心即仏是」と並べ方を変えても意味は変わらない。何故並べ方を変える
のかと言えば、我々が一つの結論、例えば「即心是仏つまり心そのものが仏だ」と、
即心是仏を固定的に観念化し、現実の多様な事実を忘れてしまいがちであるから、
観念の固定化を防ぐ意味で、道元禅師は自由自在な説き方をされるのである。

結局尽十方界の在り方そのものが仏だということであり、また即心是仏という仏なのである。
参考までに、「即心是仏」巻は、同じく『正法眼蔵』「身心学道(身心の本来の在り方を実践)」
巻を補足する巻であるが、一般に「心」というと、古来インドの「先尼外道」の不滅の「霊魂」を
想定しがちであり、この過ちを正す為に書かれた巻である。
http://www.rinku.zaq.ne.jp/syamon-syokaku/kokoro.html
263名無しさん@3周年:04/09/23 13:23:11 ID:U5qf2HeD
禅を最近勉強し始めたばかりの初学者の素朴な疑問です。

慧能は頓悟を唱え、北宗の看心とかの修業的な要素を否定し、座禅一辺倒なるのを退け、
馬祖道一は「全体作用」を唱えて、日常生活のうちに悟りがあることをといたのであったなら、
なぜ現代の日本の禅では座禅ばかりが強調されるのでしょうか?
(自分が禅を勉強し始めるまでは禅=坐禅でしたので)
これは中国禅の流れに反してることにはならないんですか?

それと達摩から慧能までの宗史を記した研究書は多いですが、
慧能以後の中国禅を主に取り扱った書はないでしょうか?
特に宋代の禅壇についてもっと勉強したいと思ってます。

あともうひとつ(なんどもすいません)
うちの大学にはあまり禅に関する書物が収められてないんですが(鈴木大拙全集くらい)
禅および仏教に関する書籍が大量にある図書館とかはないでしょうか?

長文失礼しました。よろしくお願いします。
264机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/23 13:57:54 ID:kweSq1Oy
>>263
横レス失礼。

私と全く同じ事を考えてますね。

貴殿のレスで、ここの論客達がどういう展開をするのか?
わたしは非常に興味があります。

馬祖の流れを駄目にしたのは、日本の禅宗なんだろうね。
坊主の話をきいてると、それが良くわかる。
265あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/23 14:11:40 ID:8lPq5QDh
252 名前:Blue Sky ◆t/HOghkWzc [sage] 投稿日:04/09/23(木) 01:50:03 ID:StkIdw2D さん
あはさんへ、
>>232
>隻手の公案に通過した後、この石棺の確かめる試験も通過しました。
>麻、三斤の公案も続いて、通りました。

>>通過というのは、どういう意味でしょうか?その公案の本質を理解したという事ですか?

師家のもとで指導を受けた事が無くて、つまりは、独覚です。
「通過」と言うのは、公案の門を通過したと言う事で、見性を得たと思っています。
ですが、そこからの深化が進んでいません。
やはり、師家の点検を受けながら、悟後の修行をしていかなければいけないのだろうなと、考えはじめています。
見跡、あるいは、見牛、あたりかなと、自分では、思っています。
266 ◆aj02kekrv6 :04/09/23 16:18:20 ID:CRJv18AE
>>261
本覚思想は、仏になる可能性ではなく、もともと仏であって修行する必要はない、というものです。

>>仏性とは、真実のアートマンであると大乗涅槃経には書かれています。
>具体的に引用してください。それは仏性とは言っていないはずです。
そのものずばり、書いてあります。
有名な「一切衆生悉有仏性につづく文、すなわち「即是我義」というものです。

仏言。善男子。我者即是如来蔵義。一切衆生悉有仏性。即是我義。
如是我義従本巳来常為無量煩悩所覆。是故衆生不能得見。
(第七巻 如来性品<大正蔵十二巻四○七頁>)

現代語訳
我とは如来蔵を意味する。一切の生けるものは、ことごとく仏性を有する。是がすなわち我というものだ。
267 ◆aj02kekrv6 :04/09/23 16:28:30 ID:CRJv18AE
パーラージカ罪というものがあります。

これは、いままで誰も言わなかったことを説き、人々を惑わす罪です。
すなわち、釈尊の教えでないものを説く罪というものです。

大乗涅槃経は、はじめて仏性を説きますが、同時にパーラージカ罪ではない、と繰り返し説明します。

しかし、わたしには、言い訳にしかみえません。仏性思想はパーラージカ罪に相当します。
268あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/23 17:32:32 ID:8lPq5QDh
>>255 ◆aj02kekrv6 さん
> >>251
> 実体(中身)の無いこと、不変のものが実在しないことを空といいますね。 仏性も不変の実在ではなく、空(縁起生)であるということです。

> 諸行無常、諸法無我我、すなわち空ということです。 空を正しく理解すると、魂のような実在がなくても、 個人のアイデンティティが輪廻することが了解されます。

個と、全体の垣根が無くなり、一体としてのいのちの燃焼であると受け取る。
これが、悟りであると、受け取っています。
269名無しさん@3周年:04/09/23 17:50:15 ID:JUAVSXn3
>>266
う〜む。「一切衆生、悉有仏性」というのは有名な文句なので知っていましたが、
前後に「如来(仏陀)とは我(アートマン)である」というのがあるとは
不覚にも知りませんでした。確かに、この部分について「如来蔵思想は仏教
ではない」という問題提起をしている人がいますね。
http://page.freett.com/Libra0000/001.html

かなり苦しいこじつけになるかもしれないのですが、「この世に遍満する空」こそ
が世界の実体であり、仏であるのなら、「空」そのものは不増不減、不生不滅
なので、「もし、アートマンのように常住のものがあるとしたら、仏=空だよ」
と主張しているのではないでしょうか。少なくとも、道元はそのように解釈して
いるように思えます(『正法眼蔵』、「仏性」)。
270名無しさん@3周年:04/09/23 19:17:44 ID:JUAVSXn3
>>263
>禅および仏教に関する書籍が大量にある図書館とかはないでしょうか?
これはご存知かな?
http://iriz.hanazono.ac.jp/frame/data_f00d.html
271名無しさん@3周年:04/09/23 19:29:51 ID:JUAVSXn3
ついでに

>なぜ現代の日本の禅では座禅ばかりが強調されるのでしょうか?

人間というのは弱いもので、日常の中に埋没しているのが一番楽なんで
すね。人間は、自分が自由であると感じることに不安と苦痛を覚える。
たとえば、サラリーマンは「すまじきものは宮仕え」なんて言っている
けど、「じゃあ、明日から独立したら」と言えば、ほとんどが肩をすく
める。みんな、奴隷がいいんですよ。そして、自分は不自由なために、
奴隷に甘んじるしかない、と言い繕う理由を探しているんです。曰く、
「家族が路頭に迷わないため、会社のいいなりになるしかなかった」、
曰く、「人間は神の奴隷であって自由意志などない」。ぶっちゃけた
話、誰もが自分の自由を持て余している。

そういう奴隷根性の人間に「自由」をフルに活用させるためには、日常
から隔離する必要があります。さらには、日常で安住している奴隷状態から
燻りださねばならない。人間というのは、屁理屈でもって武装しています
からね。

座禅というのは、そういう脱日常の機会になると思うのです。日常のままに
いくら「日常生活のうちに悟りがある」と言ったって、奴隷のままじゃダメ
です。主人から一時的に奴隷を解雇されて、自分自身で考えて何とかする、
という自由の苦い味を知らねばなりません。
272机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/23 20:01:52 ID:kweSq1Oy
>>271
それもありますね。

日本は濃厚民族ですから、どちらかというと漸修漸悟のようなのが性分には合っている。

かつてジンギスハーンに侵略された民族というのは、敵に襲われたら、
その時点で瞬間に自分の身の振り方を決断せねばならない。
そこには常に切羽詰った死生観が内在している民族と、農耕民族の違いかと思います。

無常観を、四季折々の変化にそれを見出す民族との違いかと思いますね。
273机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/23 20:03:18 ID:kweSq1Oy
×  濃厚民族
○  農耕民族
274271:04/09/23 20:13:39 ID:JUAVSXn3
>>272

日常に埋没して安心感を得るのは、日本民族だけではありません。
人間に普遍的な傾向だと思います。人間に自由意志がないと主張した
カルヴァンもルターも西欧の人間です。
確かに、農耕民族である日本民族にそれが突出して見られるというのは
正しい指摘ですが。
275机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/23 20:35:06 ID:kweSq1Oy
>>274
面白いことに、漸修漸悟をやっていて・・・・
それでどうにも駄目で、
絶望の淵に立たされた時、
その時に開悟する。

まあ、可笑しな話かと思います。
それを長年やってきたんですからね。
なんの疑問もなく。
276271:04/09/23 20:52:38 ID:JUAVSXn3
>>274

「機」というのが大切ですね。
シンフォニーのクライマックスで、シンバルが渾身の力を込めて「バシーン」
とやる。あのタイミングが数分の一秒ずれただけで、それまでの数十分の
努力が水の泡になることもあります。

人間は贅沢なもので、日常的に不自由なく使えるものについては、その
「存在」を意識しないのですね。無門関の「倶胝竪指」の公案では、乱暴にも
小僧さんの指を斬りおとしてしまいますが、斬りおとされた後、無意識に
指を出そうとして悟る、というあのタイミングが絶妙ですね。小僧さんは、
日常に埋没した「指」が斬りおとされたお陰で、その「指」に陰のように
つきそっているもうひとつの「指」に気づいたのだと思いますよ。

われわれ修行者は、この公案を詳しく探究することによって、倶胝和尚の
老婆心に報いねばなりません。小僧さんもまた、指の無くしがいがあった
というものです。

絶望というのも、実は「日常の喪失」ということと同義です。いつもは何でも
ないものが、どうにもならなくなる。それが絶望ですね。そこで初めてことの
本質を知る「機」が与えられる。
277机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/23 21:07:15 ID:kweSq1Oy
>>276
私は、仏教における一切皆苦、というのは、あれは生死の切羽詰った意味かとおもいますよ。
日常においてはこんな切羽詰ってことはありえない。

いわゆる倶胝竪指というのは、こんな生死の・・・・その境目。
倶胝が「言い尽くせない」っていうのは、
刀を喉元にまで突きつけないと、人間というのはモノ事が見えない。ってことなんでしょう。
そういう時に、生死って意味もわかってくる。

>本質を知る「機」が与えられる。

指を切らねば分からんのが、まあ、人間なんでしょううね。


278271:04/09/23 21:15:18 ID:JUAVSXn3
>>277

>仏教における一切皆苦

最近は、ほとんどありませんが、若い頃は休日が本当に「苦しかった」。
彼女がいなかったせいかもしれませんが、休日が24時間自由になるのです。
いつもは、会社に自分の24時間を搾取されているように感じているのに、
休日はその自由な24時間が苦痛で苦痛でしょうがない。

人間が生死の境目に投げ込まれたら、苦しいと感じる暇もないでしょう。
むしろ、人間が感じる根源的な苦しみは、無風状態の凪の時に訪れる。
いわゆる「恒」の状態で、何の苦しみもなく充実した人生を過ごせるように
なったら、その人は覚者と呼ぶにふさわしいでしょう。
279机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/23 21:24:33 ID:kweSq1Oy
>>278
生死の境目っていうのは、生もなくて死もなくて・・・無限なる広がり。
いわゆる禅においての無なのでしょうね。
これを倶胝は「言い尽くせない」。って言い方をした。
と、私は解釈してます。

もっとも、生死の迷いがない。ってことは、こんな自由なことはない訳でして。
これを智恵、とかいうのでしょう。

これは言うに易しきなれど、解するは難し。
ようするに頓悟なんですね。
280机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/23 21:28:17 ID:kweSq1Oy
×  智恵
○  智慧
281271:04/09/23 21:31:52 ID:JUAVSXn3
>>279

すみませんが、正直言って意味がわかりませんでした。
「生死の境目」というのは、たとえば強盗がのど元にナイフを突きつけられる
ような状態のことを言ったのです。ご存知とは思うが、禅の教えにおいては
「生也全機現、死也全機現」です。

私はそろそろ落ちねばなりません。続きはまたの機会に。
282机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/23 21:46:47 ID:kweSq1Oy
>>281
>すみませんが、正直言って意味がわかりませんでした。

そうでしたか。それはすまんです。
いわゆる、概念では対義であっても、本質は同義ってことはありますよね。

>私はそろそろ落ちねばなりません。続きはまたの機会に

そうですか。
では、私も落ちます。

おやすみなさい。
283263:04/09/23 22:54:26 ID:4fz9qJRn
>>270
ありがとうございます
けど中国語読めないんです・・・・(; ・`д・´)
禅の本読み始めたのつい最近なんでできれば初心者でも分かりやすいものをおねがいします。

>>271
なるほど現代ではいわゆるストレスといったものが顕在化してきたので、
現代の日常をそのまま慧能の時代の日常と捉えることができなかった、ということですね。
慧能も悟り以前の立場として、道義的な潔白さを要求していたように覚えています。
けれど確かに非日常的な日常(疲弊し人間的でない日常)から脱する手段としては、
禅は己に帰るという点で非常に有用だと思います。
けれど現代の禅はあまりにも座って黙することに執着しすぎてるのではないでしょうか?
この傾向はまさに慧能と対比される北宗一派の「看心」につながってしまうのではないでしょうか?
>>268にあるように悟りを更に深めるっていう立場は完全に北宗の立場だったように思います 

>>272
塵も積もれば山となる、っていう精神の人多いですもんね。
資産運用とかでも株より銀行預金のほうが好まれますし
284名無しさん@3周年:04/09/24 00:38:54 ID:favu+/+W
>けれど現代の禅はあまりにも座って黙することに執着しすぎてるのではないでしょうか?

 そんな疑問を抱くほどにあなたが実際に坐られて来たということですか
285263:04/09/24 01:18:03 ID:p0POicP0
>>284
そうではなくて座禅に執着しすぎてしまったら
六祖から伝わってきている教えと齟齬してしまうんではないか、という初心者の素朴な疑問です。

284さんはろくに座禅もしたことのない奴が何を言うか、とおっしゃってるんだと思いますが
(もちろんそのご指摘の通り座禅の経験まったくないです)
でも、座禅に固執しては悟りは見えてこないといってるのは慧能自身です。
慧能禅の流れを継いでいる以上現代の禅はそこらへんとの整合性についてどうなってんのかな、という青二才の疑問です。
別に批判するつもりで質問したわけではないんでそこはご寛大に。
もとよりそんな批判をするほどの知識は持ち合わせてませんのですが。

生意気そうに聞こえましたらどうぞご勘弁下せえ ペコリ<(_ _)>



286机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/24 04:59:43 ID:1JO5RMAQ
>>285
盤珪などは、弟子が坐ろうとすると、わざわざ止めに入ったことがあります。
日本にもこういう禅師はいますけど、
日本人の性分としたら、こういうやり方はアウトロー的に見られてしまいますね。
勤勉実直な日本人には合わないのかと思います。

キティーのリスクを前程にしましても、顕実・努力の白隠禅の方がいいのかもしれませんね。
僧堂でそういう教育されれば、固定概念として・・・そういうふうに思い込んじゃう。
全くの白隠批判はありません。

釈尊も慧能も、いわゆる固定概念を破壊した人物なんですが、ね。
慧能以降に法脈は細分化されたのは、そういった自由な思想があったから一つの法脈に拘らなくても
どんどん覚者が巣立っていったわけです。
南岳→馬祖→南泉あたりが中国禅の開花期だろうかと思います。

新しい流れが出来たとしても、それは時代とともに形骸化していく。
これは人間の性分なんでしょうね。
そういうのを破壊していくのが、頓悟なんでしょうけど。

287名無しさん@3周年:04/09/24 09:37:39 ID:kmZ9wIHG
>>263
>なぜ現代の日本の禅では座禅ばかりが強調されるのでしょうか?

そんなに強調されてますかね?
永平寺では朝に60分、夕方に90分の坐禅(90と120だったか?)が通常の日課らしいですが、その他は
日常の作務をしています。で、この日常の作務の意味が坐禅で培った定力を動いている中でも発揮させる
修行だ…と聞いた事があります。

また、中国の禅史の中では宋の時代に大慧と宏智という二人の傑物がでて、大慧は公案中心の看話禅、
宏智は坐禅中心の黙照禅を説き互いに論争していたといいます。
中国にも坐禅中心のものもあれば公案中心のものもありました。

>それと達摩から慧能までの宗史を記した研究書は多いですが、
>慧能以後の中国禅を主に取り扱った書はないでしょうか?
>特に宋代の禅壇についてもっと勉強したいと思ってます。

いろいろ大きい本屋に行ってあらん限りの禅の本を読みましたが、中国禅の研究について専門的に書いた
本は見たことないですね…
ほんまもんの専門書を読むのなら、関東では駒澤大学、関西では花園大学とかの仏教系大学図書館を利用
させてもらうしかないでしょう。
…旧仮名遣いor漢文の勉強必須っぽそうですが(´Д`;)
288机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/24 12:55:15 ID:1JO5RMAQ
>>287
>永平寺では朝に60分、夕方に90分の坐禅(90と120だったか?)が通常の日課らしいですが、

偏差値教育の一環なんでしょうね。

>この日常の作務の意味が坐禅で培った定力を動いている中でも発揮させる
修行だ…と聞いた事があります。

頓悟ですから、なにも培わなくていいかとおもいます。
289Blue Sky ◆t/HOghkWzc :04/09/24 13:01:08 ID:uJ8zM1tu
>>265
>「通過」と言うのは、公案の門を通過したと言う事で、見性を得たと思っています。
>ですが、そこからの深化が進んでいません。

回答ありがとうございます、公案の門を通過したという、「通過した」の意味が
わかりませんでしたが、
坐禅をした事により、公案の門を通過して、見性を得た。という解釈でいいんですね。
290263:04/09/24 13:17:17 ID:PXCz77Ge
>>287さんによると現代の日本禅はちゃんと慧能禅の流れをひいているということになりますね。
思想とか哲学っていうのは時代が移るにつれて変容していくのは必定なので、
それが進歩か>>286さんのおっしゃるように後退(形骸化)かといった問題はともかく、
現代禅は現代日本人の性格、環境に適合してできた結果なのかもしれません。
やはり慧能以後の中国禅の流れをもっと勉強せないかんな、と思いました。
宋代に今までの公案禅が反省されて、その流れから日本に黄檗宗が輸入されたとも読みましたし。

京都人なので近所だし花園大学に出張してきます。
でも館長の許可がいるってけっこうめんどくさそですね。
英米文学専攻なんで漢文読めないですけど気合入れて門を叩いてきます(; ・`д・´)
291あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/24 13:53:25 ID:M/p0viTR
>>289

> 公案の門を通過したという、「通過した」の意味が わかりませんでしたが、 坐禅をした事により、公案の門を通過して、見性を得た。という解釈でいいんですね。

難解も申しているので、恐縮ですが、師家のもとで修行した事がないので、坐禅の経験は、ありません。
片手の公案に長く取り組んで、通過したと思っている、独覚、です。
独覚は、決してほめられるものでは、ありません。
やはり、師家のもとで修行されるべきだと思います。
出家される事は、必要でしょうね。
292あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/24 13:54:42 ID:M/p0viTR
訂正

難解も申しているので、恐縮ですが、

何回も
293あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/24 19:44:51 ID:M/p0viTR
>>283 名前:263[] 投稿日:04/09/23(木) 22:54:26 ID:4fz9qJRn さん
268 名前:あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA [sage] 投稿日:04/09/23(木) 17:32:32 ID:8lPq5QDh
>>255 ◆aj02kekrv6 さん
> >>251
> 実体(中身)の無いこと、不変のものが実在しないことを空といいますね。 仏性も不変の実在ではなく、空(縁起生)であるということです。
> 諸行無常、諸法無我我、すなわち空ということです。 空を正しく理解すると、魂のような実在がなくても、 個人のアイデンティティが輪廻することが了解されます。
(あ)個と、全体の垣根が無くなり、一体としてのいのちの燃焼であると受け取る。
これが、悟りであると、受け取っています。
> >>268にあるように悟りを更に深めるっていう立場は完全に北宗の立場だったように思います
(あ)慧能さんの話は、事実としてあったのかもしれませんが、荷沢神会(南州禅)が、南部で埋もれていた慧能の禅をを担いで、北州禅との違いを南州禅側からの論駁として主張しているものです。
逆算して、現在から、過去を見て優劣を言うべきものでは、ないと思います。
一度、北州禅を学ぶことも、意義があると思います。
荷沢神会さんは、かなりのやり手であったと言えるでしょうね。
荷沢神会さんが活躍していた頃には、すでに~秀は死んでいなかったんです。
慧能さんというより、荷沢神会の主張と言った方が、正確だと思います。
294名無しさん@3周年:04/09/24 22:23:25 ID:GczERi/L

PCはじめて3ヶ月、この板の基地外性にやっと気が付いた。
295 ◆aj02kekrv6 :04/09/24 22:59:14 ID:2MkGT+zJ
>片手の公案に長く取り組んで、通過したと思っている、独覚、です。
わたしの知っているかぎり、あなたの答えでは認可を得られないでしょう。

>独覚は、決してほめられるものでは、ありません。
そんなことはありません。
釈尊その人が、独覚であったことをわすれてはいけません。
そうはいっても、常に謙虚な気持ちをもつことは大事です。(^-^)
296栗花 馨@サンスクリット:04/09/24 23:31:05 ID:xx4lyIXQ
クス
297名無しさん@3周年:04/09/24 23:32:03 ID:fsqqKx6J
>>296

外道は死ね!
298あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/24 23:40:14 ID:M/p0viTR
>>295
> >片手の公案に長く取り組んで、通過したと思っている、独覚、です。
> わたしの知っているかぎり、あなたの答えでは認可を得られないでしょう。
・・・(−−;)アセアセ

> >独覚は、決してほめられるものでは、ありません。

> そんなことはありません。釈尊その人が、独覚であったことをわすれてはいけません。そうはいっても、常に謙虚な気持ちをもつことは大事です。(^-^)

おしゃか様は、独覚と言いません。
目覚めた人、ブッダ、です。

299机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/25 06:36:25 ID:lZ8MJ/DS
>>290
伝統宗派というのは、いわゆるブランドになってますから。
ブランドを保守することに心血を注ぐ。

そもそもブランド志向というのは、禅宗には合わないのかと思いますね。

五祖以降というのは、そういうのを廃していったからこそ中国禅が開花したのであって、
開花後は、一気に覚者が出現していった。
これは驚嘆すべきですね。
そういう流れがあったからこそ、馬祖という人間も出現している。
300名無しさん@3周年:04/09/25 06:59:04 ID:UokJsJzO
禅は菩薩行であるということも大切だという気がするのですが、どうでしょう。
301机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/25 07:33:43 ID:lZ8MJ/DS
菩薩行の「行」というのに、ひとつのイメージを持つと思うが・・・

私は、大慈・大悲で既に菩薩行になってるかと思います。
あえて「菩薩行」と意識することもない。

そこのところを「慈悲は空性」と、私は言ってます。

302名無しさん@3周年:04/09/25 08:04:00 ID:zUWb9qOb
釣れますか?
303 ◆aj02kekrv6 :04/09/25 08:07:26 ID:j/7EfGeZ
>おしゃか様は、独覚と言いません。
>目覚めた人、ブッダ、です。
歴史的事実として、釈尊は独覚と呼ばれていました。

しかし、紀元前後、出家教団が自己の解脱に精進していることを、
大乗仏教側が批判して、声聞、独覚は、二乗として差別したのです。

あなたのいう独覚は、この変化した間違った意味の独覚であって、
正しい本来の意味の独覚は釈尊のことです。
304 ◆aj02kekrv6 :04/09/25 10:59:32 ID:j/7EfGeZ
中村元氏は、「ブッダのことば」の「犀の角」の解説(P.254)で、

「ここで「独りで覚った人(paccekasambuddha)というのは、最初期の仏教の理想である。
後代の仏教教学で考えた「独覚」とはかならずしも一致しない。」

と述べています。
305机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/25 15:47:46 ID:lZ8MJ/DS
ロダンの彫刻に「考える人」というのがありますが、
人は考えるような場合は、身体の姿勢は自然にロダンの彫刻のような体勢にはなる。

あと人というのは、哀しいときは涙が出ますが、あまりにも哀しければ立ってるのも苦痛にまります。
そういう場合はしゃがみ込みます。
これも心は体を顕します。
(心身一如)

一切皆苦があって、それで菩提心があり、心は体を顕す。
これが「坐る」ということでしょうね。
「坐る」こと(行)が目的ではない。←頓修頓悟
心は信であり、しいてはこれが信と行はひとつなり。
306あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/25 16:36:04 ID:JR8u7j78
>>303
> 歴史的事実として、釈尊は独覚と呼ばれていました。
> しかし、紀元前後、出家教団が自己の解脱に精進していることを、大乗仏教側が批判して、声聞、独覚は、二乗として差別したのです。
> あなたのいう独覚は、この変化した間違った意味の独覚であって、正しい本来の意味の独覚は釈尊のことです。
>>304
> 中村元氏は、「ブッダのことば」の「犀の角」の解説(P.254)で、「ここで「独りで覚った人(paccekasambuddha)というのは、最初期の仏教の理想である。
> 後代の仏教教学で考えた「独覚」とはかならずしも一致しない。」 と述べています。

上座部仏教からのご指摘だと思います。ありがとうございます。知らない事が多いものですから、ありがたく思います。
苦行から解放され、少女が差し出す乳粥(ヨーグルト)を食べ、坐禅をしていたおしゃか様が、あかつきの星を見ていたとき、悟られました。
インドに置いてはそのまま、歓喜のまま坐禅を続け、やがて死んでいく、覚者が、多かったそうです。
おしゃか様もそう言うお気持ちだったそうです。
すみません、所要で、中断、2時間半。
これで、閉じます。(汗)
307 ◆aj02kekrv6 :04/09/26 22:50:28 ID:zj66gi7c
ちょっと説明が足りなかったようです。

>片手の公案に長く取り組んで、通過したと思っている、独覚、です。
わたしの知っているかぎり、あなたの答えでは認可を得られないでしょう。

でも、気にすることはありません。最後は自分を信頼することです。

わたしはむしろ、禅宗の認可をあまり重要視していません。
一種の偏り(本覚思想)があるように感じます。
308名無しさん@3周年:04/09/27 07:21:44 ID:D2fEs5A9
>>305
計らいを捨てるということですね?
309机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/27 08:02:27 ID:K9WNFGYi
>>308
僧堂などで、多数の修行僧が定刻とおりに一斉に坐りこむ。
これはどちらかというと漸修ですね。

漸修というより、偏差値教育の延長なんでしょうけど。
修行僧が多いだけに、これも教育の手法としては合理的。

なんてったって合理性は最優先されます。
学費として400万円くらいは徴収しますから。
それなりのノウハウがないと需給のバランスが取れません。
310名無しさん@3周年:04/09/27 09:57:17 ID:C1eaITUG
>>309
学費?
311机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/27 10:01:41 ID:K9WNFGYi
>>310
学ぶための費用だから、学費ですね。
出家制度がなくなりましたから、学校教育の延長のようなもんでしょう。
312あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/27 13:17:11 ID:bT02vi4u
>>307 ◆aj02kekrv6 さん
> ちょっと説明が足りなかったようです。
> >「片手の公案に長く取り組んで、通過したと思っている、独覚、です。」
> > わたしの知っているかぎり、あなたの答えでは認可を得られないでしょう。
> > でも、気にすることはありません。最後は自分を信頼することです。わたしはむしろ、禅宗の認可をあまり重要視していません。 一種の偏り(本覚思想)があるように感じます。

印可と言うのか、あなたが言う、認可、と言うのか、師家の下で出家修行した事もないので、分かりませんが、隻手の公案、麻三斤の公案を続いて通ったので、見性を得たと思っている、独覚です。
やはり、おしゃか様は、目覚めた人ブッダの名で、統一して呼ばれていますので、ブッダと申し上げるのが、良いと思います。
ジャイナ教の祖がジナ(勝者)の名で、統一して呼ばれるようになったのと、同じ理由からだと思います。
それまでは、ブッダ、ジナは、どちらの祖にも、ブッダ、ジナの尊号は贈られていましたし、また他の宗教指導者にも贈られていた尊号です。ジャータカにありますように、釈尊の前7代に渡って、修行、悟られ、教化されていました。
天上天下、唯我独尊(てんじょうてんげ、ゆいがどくそん)へとつながるゆえんです。
> >苦行から解放され、少女が差し出す乳粥(ヨーグルト)を食べ、坐禅をしていたおしゃか様が、あかつきの星を見ていたとき、悟られました。
> >インドに置いてはそのまま、歓喜のまま坐禅を続け、やがて死んでいく、覚者が、多かったそうです。おしゃか様もそう言うお気持ちだったそうです。
百尺の竿頭から一歩前に踏み出し、落ちたところからの生き方が、これから、問われると思っています。
313名無しさん@3周年:04/09/27 13:59:48 ID:C1eaITUG
>>311
修行中に学費がいるの?
314机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/27 17:47:26 ID:K9WNFGYi
>>313
大学に入るのも、授業料は払うのが普通かとおもうよ。
315名無しさん@3周年:04/09/27 18:42:57 ID:XqTZEFIF
>>314
いい歳して、知ったかぶりですか。
世間では相手にしてもらえないので、脳内禅が唯一の生きがいなのですね。




おきのどくに。
316あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/27 20:37:00 ID:bT02vi4u
犬に、仏性があるか?
あるに決まってる。
だが、そこを、無、と言うらしい。
この公案以後の禅は、ここに尽きると言う。 しかし、飲み込めない。
犬に仏性があるとも、答えている。  これはまともだと思う。
然し前の、いぬに仏性が有るか、無。
がひっかかる。
空の理解は、している。
仏性のある、なし、には、かかわらない。  仏性は、あるに決まっている。
犬に仏性はあるか。無。  これは、受けと入れない。
犬に仏性は、あるか。空。
これだと、門の内側に入る。
無。
これに、迷う。
空では、無いのか、と。
317名無しさん@3周年:04/09/27 23:06:14 ID:GkfDhylC
仏性は有る、ということは、
仏性は無い、ということだ。
これが空だ。
318 ◆aj02kekrv6 :04/09/27 23:43:47 ID:AFEJA+hU
仏性は実在ではない。
319 ◆aj02kekrv6 :04/09/27 23:44:34 ID:AFEJA+hU
有るとか無いとかを、此岸といい、覚りは彼岸。
320机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/28 00:03:02 ID:tzp2jEOO
>>315
宗門への上納金やら、法衣・法具、その他諸経費はどうするんですか?
ただで坊主にはなれないですよ。

なんでも資格をとるには、それなりの金がないと駄目。
世間はそういうふうになってるんだから、しかたあるまいね。
321名無しさん@3周年:04/09/28 00:54:59 ID:nPEB1vxa
>>あほさん
犬が悟ったことはないけどな。
322名無しさん@3周年:04/09/28 01:51:37 ID:slKTvtJF
>犬に仏性はあるか。無。
で意味がわからんようじゃ、他の公案がわかったわけではあるまい。
仏性と無の関係がわからんのなら、仏性について解かってはおらん。
323名無しさん@3周年:04/09/28 20:03:22 ID:h+7iRQqv
>>320
禅僧になるにはカネが必要でしょうが、比丘になるのなら不用ですよ。
禅僧も比丘も坊主ですよね?
324西村博之の親父にFAXする会:04/09/28 20:21:04 ID:GqvP344K
●鈴木・公一●新田洋士●高木泰三●古川太一 詐欺師4人衆
325机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/28 21:03:03 ID:tzp2jEOO
>>323
日本には、出家の習慣がありませんから・・・
授業料五百万円がなけりゃ駄目ですね。

残念ですが・・・

飯を食うて寝て糞してれば宜しいかと思います。
それなら学費は掛からないかと思います。
326名無しさん@3周年:04/09/28 21:09:17 ID:1d6Bj1Q4
320 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/28 00:03:02 ID:tzp2jEOO
>>315
宗門への上納金やら、法衣・法具、その他諸経費はどうするんですか?
ただで坊主にはなれないですよ。

なんでも資格をとるには、それなりの金がないと駄目。
世間はそういうふうになってるんだから、しかたあるまいね。

何処から400万円という金額がでてくるのですか(笑
ご自分で体験もしていないことや知りもしない嘘を
得意げに語ることを知ったかぶりと言うのですよ。
あなたの発言は一事が万事この調子ですね。

さらしあげ
327机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/28 21:38:43 ID:tzp2jEOO
>>326
あなたはヒッキ-ですか?
親元から独立して生活したことがありますか?

学生だったら学費どころじゃないですよ。
寮費、生活費、書籍費、付き合い、お茶だってタダでは飲めない。

どんな世界だって、タダでは生きてはいけないんですよ。
オオワラヒ
328名無しさん@3周年:04/09/28 21:52:19 ID:lj3+21D+
あたしの聞いたところでは50万用意しろといわれた。
袈裟やらなんやら自分のこずかいやらでそんくらいになるらしい。
329机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/28 21:57:25 ID:tzp2jEOO
50万を用意して、そこから生活費を引くのですか?

ご飯はどうしますか?
食べないのですか?

それとも50万で、半年くらいの飯代にするのですか?
330けちゃっぷ:04/09/28 22:25:55 ID:rxmynpqA
得度(僧侶になること)は簡単にできるでしょう。師匠をみつけて弟子入りするだけだから。自分の道を求めるだけなら、これでもいい。でも教師資格を取るなら、机さんのおっしゃるように授業料が要りますね。
331けちゃっぷ:04/09/28 22:32:12 ID:rxmynpqA
浄土宗の場合、念仏の教えの神髄・奥義を、在家でも授かることができます。教師資格は、人に教えることができるのと、法要をとり行なえる。禅や密教の場合、僧侶でないと伝授されない奥義があるのでしょうか?
332 ◆aj02kekrv6 :04/09/28 23:07:17 ID:x4LviLMN
>>322
「仏性について、わかった」という人がいても、それは、いささか怪しい話ですね。

釈尊は、仏性などについては話をしていません。

これは「無記」とも違います。

はじめから、話題にもならなかったということです。
333机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/28 23:11:53 ID:tzp2jEOO
>>331
>浄土宗の場合、念仏の教えの神髄・奥義を、在家でも授かることができます。

これは妙好人制度だったですか?
素晴らしい制度がありますね。

>禅や密教の場合、僧侶でないと伝授されない奥義があるのでしょうか?

教外別伝というのがありますから、なかなか僧と俗には隔たりがあります。
歴史的な流れからくるのでしょうね。
浄土宗(真宗)のように「大衆全が救われる」というのからは、かけ離れているかと思います。

文化としては禅は生活に根付いているかと思いますが・・・

334名無しさん@3周年:04/09/29 14:29:33 ID:m20NKstJ
327 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/28 21:38:43 ID:tzp2jEOO
>>326
あなたはヒッキ-ですか?
親元から独立して生活したことがありますか?
329 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/28 21:57:25 ID:tzp2jEOO
50万を用意して、そこから生活費を引くのですか?

ご飯はどうしますか?
食べないのですか?

それとも50万で、半年くらいの飯代にするのですか
学生だったら学費どころじゃないですよ。
寮費、生活費、書籍費、付き合い、お茶だってタダでは飲めない。

どんな世界だって、タダでは生きてはいけないんですよ。
オオワラヒ

勘違い野郎の雄叫びをみました。(笑
再び晒し上げ。
知りもしない者が、さも知っている風を装うことを知ったかぶりと言います。(笑
335名無しさん@3周年:04/09/29 14:35:44 ID:BYDjK1QB
>>329
最初に出た500まんえんの根拠を出してみろよ。(笑

いつのまにか50まんえんになってるぞ。(笑
336机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/29 15:14:21 ID:C/0Jom13
>>335
学費400万は安いかとおもうよ。
普通は400万だったら、500万とか余分にストックするもんだよ。
500万だったら、なんとか不自由しないんじゃないかな?

ってよりも、
息子・娘が大学に入るんでも、親はいくらくらい用意すると思う?
500万以上くらいは常識かと思うよ。
いくら不景気とはいえ、学生や僧は稼ぐわけではないんだよ。
金を使ってあたりまえ。
大ワラ
337名無しさん@3周年:04/09/29 15:43:31 ID:Xu3MGiMK
他を排斥するのではなく、学び合う、その意味で活発に動いているスレを紹介します。相互に訪問しあって、お互いの境地が深めればいいなと思います。

坐禅と見性第7章☆無心にして花、蝶を招く
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1094822033/

卍卍 新・仏教質問箱@参学用 卍卍パート2
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1095178011/

唯識
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1092796044/

★見性を本当に得たもの同志が語らうスレ★
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1091363340/

精神世界で癒される
http://life5.2ch.net/test/read.cgi/healing/1094528758/

仏教などに興味ないから、ところかまわないような誘導止めて下さい
338名無しさん@3周年:04/09/29 15:57:31 ID:yKAFpESj
336 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/29 15:14:21 ID:C/0Jom13
>>39 あなたは、ずいぶん痛い人だね。ネットとか操作できるのだから馬鹿
じゃないんだろうけど。あなたより頭が悪い人間でも、マルチの嘘は見抜ける。
100人いたら99人は見抜けるかとおもうよ。残りの一人だけ引っかかる。
この引っかかる。って人は馬鹿ではないんだろうけど、いわゆる世間では
「お人よし」って言われてる人だよ。資本主義ってのは、どんな理由にせよ
【金を握った】方が有利。このことをよく知ってれば・・・・世間は上手に
生きていける。

>騙そうと思っていろんな準備して寸前にばれるのは、
>もっと馬鹿だということ(w

会社で言えば計画倒産だから、当然、一番美味しいとこで倒産させるのが
賢いやりかただよ。いわゆる短期勝負。投資して・・・寸前に倒産させれば、
投資した金はまるっきり自分のものになる。そこが資本主義だよ。
資本主義は投資によって成立つシステムだから。投資される側(資本家)は
優遇されるように最初からそういうシステムになっている。
つまり貴方が勘違いしてるのは、投資をする。ってことは貴方は
資本家側で、経営陣なんだよ。もし会社が倒産したら、文句を
言える立場じゃない。

339名無しさん@3周年:04/09/29 15:58:34 ID:yKAFpESj
336 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/29 15:14:21 ID:C/0Jom13
>>39 あなたは、ずいぶん痛い人だね。ネットとか操作できるのだから馬鹿
じゃないんだろうけど。あなたより頭が悪い人間でも、マルチの嘘は見抜ける。
100人いたら99人は見抜けるかとおもうよ。残りの一人だけ引っかかる。
この引っかかる。って人は馬鹿ではないんだろうけど、いわゆる世間では
「お人よし」って言われてる人だよ。資本主義ってのは、どんな理由にせよ
【金を握った】方が有利。このことをよく知ってれば・・・・世間は上手に
生きていける。

>騙そうと思っていろんな準備して寸前にばれるのは、
>もっと馬鹿だということ(w

会社で言えば計画倒産だから、当然、一番美味しいとこで倒産させるのが
賢いやりかただよ。いわゆる短期勝負。投資して・・・寸前に倒産させれば、
投資した金はまるっきり自分のものになる。そこが資本主義だよ。
資本主義は投資によって成立つシステムだから。投資される側(資本家)は
優遇されるように最初からそういうシステムになっている。
つまり貴方が勘違いしてるのは、投資をする。ってことは貴方は
資本家側で、経営陣なんだよ。もし会社が倒産したら、文句を
言える立場じゃない。

340名無しさん@3周年:04/09/29 15:59:29 ID:yKAFpESj
336 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/29 15:14:21 ID:C/0Jom13
>>39 あなたは、ずいぶん痛い人だね。ネットとか操作できるのだから馬鹿
じゃないんだろうけど。あなたより頭が悪い人間でも、マルチの嘘は見抜ける。
100人いたら99人は見抜けるかとおもうよ。残りの一人だけ引っかかる。
この引っかかる。って人は馬鹿ではないんだろうけど、いわゆる世間では
「お人よし」って言われてる人だよ。資本主義ってのは、どんな理由にせよ
【金を握った】方が有利。このことをよく知ってれば・・・・世間は上手に
生きていける。

>騙そうと思っていろんな準備して寸前にばれるのは、
>もっと馬鹿だということ(w

会社で言えば計画倒産だから、当然、一番美味しいとこで倒産させるのが
賢いやりかただよ。いわゆる短期勝負。投資して・・・寸前に倒産させれば、
投資した金はまるっきり自分のものになる。そこが資本主義だよ。
資本主義は投資によって成立つシステムだから。投資される側(資本家)は
優遇されるように最初からそういうシステムになっている。
つまり貴方が勘違いしてるのは、投資をする。ってことは貴方は
資本家側で、経営陣なんだよ。もし会社が倒産したら、文句を
言える立場じゃない。

341アンチネットワークシステム:04/09/29 16:00:02 ID:yKAFpESj
336 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/29 15:14:21 ID:C/0Jom13
>>39 あなたは、ずいぶん痛い人だね。ネットとか操作できるのだから馬鹿
じゃないんだろうけど。あなたより頭が悪い人間でも、マルチの嘘は見抜ける。
100人いたら99人は見抜けるかとおもうよ。残りの一人だけ引っかかる。
この引っかかる。って人は馬鹿ではないんだろうけど、いわゆる世間では
「お人よし」って言われてる人だよ。資本主義ってのは、どんな理由にせよ
【金を握った】方が有利。このことをよく知ってれば・・・・世間は上手に
生きていける。

>騙そうと思っていろんな準備して寸前にばれるのは、
>もっと馬鹿だということ(w

会社で言えば計画倒産だから、当然、一番美味しいとこで倒産させるのが
賢いやりかただよ。いわゆる短期勝負。投資して・・・寸前に倒産させれば、
投資した金はまるっきり自分のものになる。そこが資本主義だよ。
資本主義は投資によって成立つシステムだから。投資される側(資本家)は
優遇されるように最初からそういうシステムになっている。
つまり貴方が勘違いしてるのは、投資をする。ってことは貴方は
資本家側で、経営陣なんだよ。もし会社が倒産したら、文句を
言える立場じゃない。

342名無しさん@3周年:04/09/29 20:25:54 ID:F2Z1h9Bn
309 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/27 08:02:27 ID:K9WNFGYi
>>308
僧堂などで、多数の修行僧が定刻とおりに一斉に坐りこむ。
これはどちらかというと漸修ですね。

漸修というより、偏差値教育の延長なんでしょうけど。
修行僧が多いだけに、これも教育の手法としては合理的。

なんてったって合理性は最優先されます。
学費として400万円くらいは徴収しますから。
それなりのノウハウがないと需給のバランスが取れません。



310 :名無しさん@3周年 :04/09/27 09:57:17 ID:C1eaITUG
>>309
学費?


311 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/27 10:01:41 ID:K9WNFGYi
>>310
学ぶための費用だから、学費ですね。
出家制度がなくなりましたから、学校教育の延長のようなもんでしょう。


バカが知ったらしいこと逝ってます。
343机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/29 20:35:09 ID:C/0Jom13
学費1000万円。
これでも足りんか?

おおわら
344名無しさん@3周年:04/09/29 20:46:08 ID:WaABObJn
262 :名無しさん@3周年 :04/09/29 19:03:41 ID:yDQbFxjH
257 :名無しさん@3周年 :04/09/29 18:40:41 ID:FkMkKXyT
>机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
しったかじじい
似非がなにいってもうすっぺらなんだよ。


本当に薄っぺらですね!
本当に薄っぺらですね!
本当に薄っぺらですね!
本当に薄っぺらですね!
本当に薄っぺらですね!
本当に薄っぺらですね!
本当に薄っぺらですね!


345名無しさん@3周年:04/09/29 20:46:59 ID:ex1VCQZ3
>>325
お釈迦様は詩を唱えた代償としての金品は受け取らなかったらしいが。
本々修行は自分のためにするものでしょうからねえ・・・。
慈悲の行為に代償が付くとも思えない。
しかし、お釈迦様とて霞みを食って生きていけるわけじゃなし。
飯を食って、寝て、糞を垂れて生きていければ、これ幸いでしょう。
346机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/29 20:58:32 ID:C/0Jom13
>>345
理想論と現実にはギャップがありますからね、
理想だけでは生きてはいけない。

リーマンで、会社でしごかれながらもサラリーを貰ってくる。
これとて立派な仏道修行じゃないですか・・。

自分らしく
自分の生き方で
仏の道を歩んだら
これが一番の理想かとおもいます。

女房、子供を大切にするのも立派な仏道修行。
347机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/29 21:00:34 ID:C/0Jom13
働かないで、僧堂で足を組んでいることこそ贅沢なことはないんですよ。
市井の人間は、汗水たらして金を稼がねばならんです。
348あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/29 23:37:34 ID:Rtd3uHm9
犬に、仏性があるか? 無。 あるに決まってる。悉有仏性。
だが、そこを、無、と言うらしい。
この公案以後の禅は、この「無」 に尽きると言う。 しかし、飲み込めない。
また、他の僧には、犬に仏性が有るとも、答えている。
然し最初の、「いぬに仏性が有るか、無。」 がひっかかる。
空の理解は、している。
仏性が、ある、なし、には、かかわらない。  仏性は、あるに決まっている。

これに、迷う。 無ではなく空では、ないのか、と。
無、と答えれば、老荘とのかかわりが、出てきそうだ。
「犬に仏性は、あるか。空。」
このほうが、禅的には、うなずけるのだが。
349名無しさん@3周年:04/09/30 00:47:08 ID:KHB8Cy83
・・・。
350名無しさん@3周年:04/09/30 07:35:27 ID:Rqxyacri
????????????????????????????????
351名無しさん@3周年:04/09/30 08:22:25 ID:lND4K65g
>>348
一切‘衆生’悉有仏性
この意味が解らない人はシッタカ
352名無しさん@3周年:04/09/30 09:11:38 ID:0LhQIceo
>348

哲学の「世界」の定義に近いものがあるな。

観察者自身が「世界」に属している場合には、「世界」の全体像は見えない。
たとえば、「世界」の外壁が何色に塗られているかは、「世界」から出なければ
観察できない。また、人間が「世界」を理解するとき、五感の情報を元にして
頭の中に概念を作り上げる。われわれが日常的に感じる3次元的な立体とは、二つ
の目の情報を元に作った「世界」の表現方法で、「世界」そのものではない。

だから、「世界」は観察者の頭の中にしかない、と言える。人間が絶滅すれば、
人間のとっての「世界」も消えてなくなる。「最後の人間が死んでも、地球は
回り続けるではないか」と反論する人は、「世界」を実在のものだと勘違いして
いる。人間が知ることができる「世界」は概念でしかない。

この「世界」を「仏性」に当てはめてみよう。森羅万象が「仏性」を備えている
のならば、その「仏性」そのものを観察することはできない。だから、ある人が
「仏性」と言ったとき、それは実在するものではなくて概念を言っている。
「Aという概念でなら仏性は有るが、Bという概念でなら仏性は無い」という答えも
ありうる。

では、概念ではない「仏性」、実在する「仏性」はどうか、と問われたら、沈黙する
他ない。
353あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/30 15:39:34 ID:SvfKO4AD
352 名前:名無しさん@3周年  ID:0LhQIceo さん
哲学の定義、
むしろ、難解そうです。
華厳経の「悉有仏性」、全て仏性が有る、を受けて、「いぬに仏性が有るか?」の問いに、「無」、を持って答えている、公案です。
352さん、鈴木大拙氏の「悟り」の講義を聞いているようでした。
わたしは、無、と言うことばでは、なかなか受け取れず、「空」と言う、受け取りであれば、大いに、うなずけるのです。
そう言う意味で、「無」が、ツマヅキになっています。

> >348
>犬に、仏性があるか? 無。 あるに決まってる、悉有仏性。だが、そこを、無、と じょうしゅう和尚は言う。この公案以後の禅は、この「無」 に尽きると言う。 しかし、飲み込めない。 また、他の僧には、犬に仏性が有るとも、答えている。
然し最初の、「いぬに仏性が有るか、無。」 がひっかかる。
空の理解は、している。 仏性が、ある、なし、には、かかわらない。  仏性は内と外に、あるに決まっている。

これに、迷う。 無ではなく 空 ではないのか ?、と!。
無、と答えれば、老荘とのかかわりが、出てきそうだ。
「犬に仏性は、あるか。空。」 このほうが、禅的には、すぐさま うなずけるのだが。
354名無しさん@3周年:04/09/30 16:05:43 ID:FrvXQXRF
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.はどこの僧堂に入ってたの?
355名無しさん@3周年:04/09/30 18:19:23 ID:0LhQIceo
>>354
府中か網走だろ
356机龍之介 ◇8Z1PfzdK1:04/09/30 19:14:37 ID:1Ez21zFs
働かないで、僧堂で足を組んでいることこそ贅沢なことはないんですよ。
市井の人間は、汗水たらして金を稼がねばならんです。
まして、わたすのように労働も座禅もせずに2chで一日中妄想三昧。
これは極上のぜいタックですヨ。

あひゃひゃ。
357名無しさん@3周年:04/09/30 20:03:13 ID:A3bHysUB
>>356
どうせなら、懲役刑にするんだったぜ。
358名無しさん@3周年:04/09/30 20:23:01 ID:PkoAGk6O
>>346
なるほど、然様で御座いますか。
>>347
しかし禅者は市井の人間の汗など何処吹く風で飯も食らうので御座いましょう?
机さんだって禅者で御座いましょう?
そういう禅者様が市井の人間の流す汗など語れるので御座いましょうか?
359机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/30 21:11:48 ID:hs57QWbh
>>358
飯を食うのに、天皇陛下も禅者も凡人もないですね。
一様に同じ箸を使って食べる。
使う人は違ってっても、食う飯は糞になる。

割り箸か?金の箸か?
違ったとしても、
食うにはなんら差異はなかろうに。
360名無しさん@3周年:04/09/30 22:58:42 ID:ypDyhS/p
私は臨済宗の修行道場へ数年おりましたが、
袈裟衣鉢等はお古を頂戴しましたので、掛塔(入門)の際のお金は薬・本代程度しかかかりませんでした。
道場での生活も、半年ごとに数万円お手当てを頂けるのでそれで充分やっていけました。
勿論道場で入学費・授業料等を徴収される事は決してありません。
道場の維持費は全て托鉢によって賄われておりました。
361あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/09/30 23:18:11 ID:SvfKO4AD
>>360
そうですか、書き込み、ありがとうございます。
狗子に仏性はありますか?
362名無しさん@3周年:04/09/30 23:37:40 ID:xPF0lf8i
>>359
然様で御座いますか・・・・・。
食う事に差違はなくとも、食うに至るまでの差違は御座いましょう。
大変な思いをして食に有り付いているのが市井の人間で御座います。
そんな中で悠々と食に有り付き、禅者様は立派な袈裟までお召しに
なっていらっしゃる。そして市井の人間の理解を超えた難解な事を
お説きになられ、市井の人間の苦労を嘲笑うので御座います。
私は、こんな禅や禅者様は嫌いなので御座います。
私の、禅や禅者様のイメージが間違っているので御座いましょうか?
363名無しさん@3周年:04/09/30 23:52:50 ID:ypDyhS/p
>>362
間違っております。
禅とは常に自分自身をイメージする事です。
禅者とは常に自分自身をイメージする事が出来る人です。
あなたが理想とされているのは苦行者です。
364机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/30 23:55:28 ID:hs57QWbh
>>360
中卒で、僧堂へお手伝いとして入れば学費はなしで給金はもらえますね。
>>362
>そして市井の人間の理解を超えた難解な事を
お説きになられ、

職業ですからね。やはりプロフェッショナル意識は当然あるかと思います。
金を頂くにはそれなりのことはやらないと・・・職業にはならない。

>市井の人間の苦労を嘲笑うので御座います。

嘲笑っているかどうか分かりませんが・・・
坊主と乞食は三日やったら止められない。
らしいですね。
365名無しさん@3周年:04/09/30 23:55:38 ID:YXOqKTRH
禅とは○○


これが一番よくない
366机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/01 00:11:43 ID:MP5NM8zP
>>360
豪華客船に乗って、しかも給金が貰え、
美味いものを食い、世界一周のクルージングをすることができる。

お手伝い。として船に乗れば・・・(ry
367机龍之介 ■8Z1PfzdK1:04/10/01 08:45:09 ID:jVwA1+Q6
 私は、修行道場の入門並び禅宗の修行に400万円の学費が経費として必要であると
実際のところを知りもしないのに、さも知った風を装って
自慢と謂れの無い批判を繰り返しました。
 私は坐禅をしたことも無ければ、参禅をしたこともありません。
他人から無知無教養、人格批判を受けるとついかっとなって
有りもしないことを口から出任せでその場を取り繕う癖があります。
 私は我が強く慢心が捨てきれない男です。
その我がいつもいつも私を責め苛むのです。
だから無我や禅の世界に憧れを持つにいたったのでしょう。
 今日こそは、我を捨ててご迷惑をかけ続けた皆様にお詫び申し上げます。
本当に申し訳御座いませんでした。
 この言葉を遺言とさせていただきます。

さようなら。
368単、直:04/10/01 09:02:25 ID:abocsXrl
367 名前:机龍之介さん

絶望のはてに出会えた自己の真実

全てはそこから始まるんではないでしょうか

あなたの全てを否定する人は少ないと想います

そこにキズイタ上での発言は充分魅力あるんじゃないでしょうか

369名無しさん@3周年:04/10/01 09:03:24 ID:B40zl5Ax
>>367
机さん、あなたの脱線ぶりはおもろかったで〜。
ちゃんと成仏し〜や〜。自殺はしくじったらぶざまやで。ほんなら。
南無南無
370机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/01 10:29:13 ID:MP5NM8zP
>>367
>私は、修行道場の入門並び禅宗の修行に400万円の学費が経費として必要であると
>実際のところを知りもしないのに、さも知った風を装って

得度して資格を取るにも金はかかる。
資格を取ったとしても住職になれる訳ではない。
住職として一人前になるには、それ相応の金が掛かるのは当り前のことだよ。

どこの世界でも同じ。
薬剤師や保母の資格を持ってる家庭の主婦は沢山いる。
資格を持ってても、それで食うには運と努力。

僧侶の場合は、後継ぎではない場合は殆どが運しだい。
運が悪けりゃ還俗するほかあるまい。
世間はそう簡単に自分の思うようにはならないのが常。

371机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/01 10:30:53 ID:MP5NM8zP
>>368
367の書き込みは、机龍之介の書き込みではありません。

すまんですね。
372あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/01 13:20:46 ID:Os2QFmkL
367 名前:机龍之介 ■8Z1PfzdK1[] 投稿日:04/10/01(金) 08:45:09 ID:jVwA1+Q6


371 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [] 投稿日:04/10/01(金) 10:30:53 ID:MP5NM8zP
>>368
367の書き込みは、机龍之介の書き込みではありません。

すまんですね。




なるほど、ちがうね。
でも、本質を言ってるっぽい、(爆)
373机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/01 13:43:34 ID:MP5NM8zP
>>372
>でも、本質を言ってるっぽい、(爆)

私は、あなたが隻手の音声を透過した。と、自主申告したから
それ以上はあなたには突っ込みはしなかったでしょ(笑

コテハン叩きはしないんですよ。
374机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/01 13:50:44 ID:MP5NM8zP
あまり言いたくはないけど、今どき中卒で僧侶になろうとするのは甘い。
得度ならできるかもしれないけど、これは「手伝い」にしかならない。

大学くらいは入れてやんないとね。

大学で400万、つうたらこんな安いことはない。
医学部だったら数千万ないと卒業はできないよ(笑
375机龍之介 ■8Z1PfzdK1:04/10/01 14:08:49 ID:5iv1qkDq
今、私の心中は穏やかではありません。
私自身蒔いた知ったかぶりの種の芽を摘み取るために
どの様に論点を摩り替えればよいか必死なのです。

下らない自尊心を守るために又、嘘を重ねることに胸が痛むのです。
嗚呼。
私自身のチッポケナ自尊心をかなぐり捨てて
この苦しみもがく心を秋空のような大きな虚空に解き放つことが出来たら
どんなに素晴らしいでしょう。
しかし、私はこの愚かな我が愛しいのです。
愛しい我を貶めようとする宗教板の外道どもが憎いのです。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い

こんな心を無くしてしまいたい。。。。

でもザゼンとかメンドクサイコトしたくないぴょーん。(苦笑
376魔法のマント ◆zPDVctO00E :04/10/01 19:28:34 ID:an3iQ9EJ
マジ切れしてるんじゃないの。。。
377名無しさん@3周年:04/10/01 19:50:19 ID:++8jVOCZ
机って ぷ
378机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/01 19:52:10 ID:MP5NM8zP
500万を出して子供を大学に入れたとする。
大学を卒業して、運良く企業に就職できたとしても、
営業とか販売の仕事しかない。
これものんびり仕事をやってる訳にはいかない。
営業成績を上げなければ企業だってイイ顔はしない。
これで鬱になる人間もいる。

中卒で・・・・教師資格を果たして取れるのか?
給金を貰って、それで教師資格とは(ry
学資も払わんで・・・教師資格とは(ry
中卒で教師とは・・・(ry
379あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/01 19:57:44 ID:Os2QFmkL
↓ ここから、とんできたのか。それとも、とんでいったのか。あまり、撒き散らさない方が、いいけどな。そっちで、やっててくれないか?
卍卍 新・仏教質問箱@参学用 卍卍パート2
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1095178011/

204 名前:机龍之介 ◇8Z1PfzdK1[] 投稿日:04/10/01(金) 12:39:21 ID:gSyblZWc
 私は、修行道場の入門並び禅宗の修行に400万円の学費が経費として必要であると実際のところを知りもしないのに、さも知った風を装って自慢と謂れの無い批判を繰り返しました。
 私は坐禅をしたことも無ければ、参禅をしたこともありません。他人から無知無教養、人格批判を受けるとついかっとなって有りもしないことを口から出任せでその場を取り繕う癖があります。
 私は我が強く慢心が捨てきれない男です。その我がいつもいつも私を責め苛むのです。だから無我や禅の世界に憧れを持つにいたったのでしょう。
 今日こそは、我を捨ててご迷惑をかけ続けた皆様にお詫び申し上げます。本当に申し訳御座いませんでした。この言葉を遺言とさせていただきます。さようなら。

205 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [] 投稿日:04/10/01(金) 12:42:22 ID:MP5NM8zP
>>204は、ニセの机です。

206 名前:机龍之介 ■8Z1PfzdK1[] 投稿日:04/10/01(金) 14:27:40 ID:vh73o1sw
>>205は、エセの禅者です。
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1くん
もうそろそろ、海外逃亡の準備は出来ましたかな( ´,_ゝ`)
381名無しさん@3周年:04/10/01 20:34:09 ID:5fqTolXq
>>363
然様で御座いますか。
本当は私は、禅や禅者が好きなので御座います。
でも、素直に好きと思えないので御座います。
382机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/01 20:36:36 ID:MP5NM8zP
>>380
海外へ逝って、日本の米が食いたくなったら、空輸で送ってくれますか?
料金は通常の倍を出します。

どうでしょう?
大量に買えば、損した分は取り返せますよ。
383名無しさん@3周年:04/10/01 20:59:03 ID:5fqTolXq
>>364
プロの意地があるのは結構なので御座いますが、それならプロ同士の
意地のぶつかり合いも素人に見せてほすいもので御座います。
プロの世界には、厳しいヒエラルキーがあるので御座いますから。

384名無しさん@3周年:04/10/01 23:15:07 ID:AEGN2uN1
意地でも2ちゃんなんか見ない、と言い放った僧侶はおります。
385あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/02 00:03:52 ID:BG4bXfi5
>>384
健全な、僧侶です、そのかた。
2ちゃんねるは、たたくと言う所が、ありますから。
386机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/02 05:49:14 ID:meS4KN+i
>>383
>それならプロ同士の
>意地のぶつかり合いも素人に見せてほすいもので御座います。

住職ですから、意地のぶつかりあいをやってる暇はないかとおもう。
宗務・檀家・家族・その他もろもろの世間との付き合いがありますから、
その業務が第一義になってあたりまえ。

僧侶が住職になって一人前。
住職じゃなくても、僧侶で食べていけるならそれでもいいけど、
寺男のままで小遣程度の収入だったら、一般の職業がいいでしょうね。

今は、教師資格を持ってたとしても、なかなか職にはありつけない状況。
寺の掃除くらいの仕事。
非常に厳しい業界です。

ましてや、学費も払わんで・・・中卒とは(ry

387 ◆aj02kekrv6 :04/10/02 08:26:46 ID:pNkd46I5
>>361
>狗子に仏性はありますか?

仏性を自覚できる人間には、ある と答え、
仏性を自覚できない人間には、 ない とこたえる。

>>365
> 禅とは○○
> ↑
> これが一番よくない
すごい!
本質をついている。

それはともかく、「禅とは○○」という表現で遊ばせてください。
388名無しさん@3周年:04/10/02 08:34:01 ID:6/OUIata
>>386
おはよう御座います。
386の書込み、然様で御座いますか。

すると、机さんは住職ではなさそうですね。
机さんは、禅寺の住職になりたいので御座いますか?
その為にお寺で、禅の修業をなさっておられるのですか?
そもそも机さんは、どうして禅に興味を持たれたので御座いますか?
それと、中卒とは、何の意味で御座いますか?

いやいや、質問責めで申し訳御座いません。
389名無しさん@3周年:04/10/02 10:44:24 ID:QSK19oNI
>>364

>坊主と乞食は三日やったら止められない。
らしいですね。

昔は乞食をしながら座禅に励んだ禅僧もいたと聞いていますが。
それこそ、やめられない境涯でしょうか?
390机龍之介 ■8Z1PfzdK1:04/10/02 10:50:07 ID:nEYjt232
>すると、机さんは住職ではなさそうですね。
烏賊にも。

>机さんは、禅寺の住職になりたいので御座いますか?
烏賊にも。
あこがれるのでつよ。

>その為にお寺で、禅の修業をなさっておられるのですか?
そもそも修行とかめんどくさい事は大嫌いなのでふ。
でもエラソウにはしたいので、手っ取り早く2Chで駄法螺ふいてまつ。
盤珪とか六祖とか自分に都合の良い所だけを引用して
座禅不要論、修行不要論をぶっこいてまつ。

>そもそも机さんは、どうして禅に興味を持たれたので御座いますか?
自分に都合の良いこじつけがやりやすいので。
あと、一番の動機は>>367に書いてまつ。

>それと、中卒とは、何の意味で御座いますか?
私は最終学歴が中卒なので学歴コンプレックスが激しいのでつよ。
私は学歴のことでは苦労してますので、>>388さんも大卒の学歴だけはつけた方が良いでつよ。
391机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/02 10:50:08 ID:meS4KN+i
>>388
私は人生相談をしている訳ではありません。

今朝はどういうご飯を食うたか?
オカズはどういうものだったか?
というよりも・・・

もちっとパブリックな書き込みをキボンヌ。
392机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/02 10:58:21 ID:meS4KN+i
>>389
>昔は乞食をしながら座禅に励んだ禅僧もいたと聞いていますが。
>それこそ、やめられない境涯でしょうか?

法燈国師とか、盤珪は乞食をしましたね。
営業成績に追われるような人生よりは、余程人間らしい生き方が出来るとは思うが。
食べられるなら。
これが問題。
そう世間は甘くはないけどね。

昔の坊主は妻帯がなかったから出来たんでしょう。
393名無しさん@3周年:04/10/02 11:05:36 ID:G+njIHLj
>>390
然様で御座いますか。有難う御座いました。
>>391
然様で御座いますか。有難う御座いました。

394名無しさん@3周年:04/10/02 11:05:51 ID:10aCqbew
>>390

栗花くん、もうその変にしておきたまえ。正直つまらんよ。
395名無しさん@3周年:04/10/02 13:26:34 ID:MFWAXE2L
>>394
 ×その変
 ○その辺

 これだから・・・中卒は(ry

おまけに推理もハズレ。
396あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/02 15:34:10 ID:BG4bXfi5
>>387  ◆aj02kekrv6 [] 投稿日:04/10/02(土) 08:26:46 ID:pNkd46I5  さん
> >>361
> >狗子に仏性はありますか?
> 仏性を自覚できる人間には、ある と答え、 仏性を自覚できない人間には、 ない とこたえる。

路傍で坐禅していらっしゃる釈尊に、息せき切って走ってきた若者たちが、酒臭い息を吐きながら、訊ねる。
「酒盛りの最中に俺たちの金を持って逃げた。女がここを通らなかったか、教えてくれ。」
釈尊は静かに、「人を尋ね、探していくよりも、自分のこころを探す方が、大事ではないか。」と言われました。
その言葉を聞いて、ドキッとして、釈尊の顔を見つめる若者たち。
「あなたたちは人を尋ねていくけれどそれより大事なのは自分たちのこころが、今、どこをうろついているのかそれを探し求めるのが、大事だろう」と、言われたと言う。
仏性、ほとけのいのち、は、「悉有仏性」
>「仏性を自覚できる人間」,・・・日常、わたしたちは、逆立ちをして物事を見ていると言われる。
生きているものは、ほとけである。この常識を、否定するのが、無、である。狗子に仏性はありますか?無。
そこを、わたしは、『狗子に仏性はありますか?空』、と、受け取った、うなずいたと言っています。
397名無しさん@3周年:04/10/02 17:01:23 ID:X/PzdVYf
>>388
>それと、中卒とは、何の意味で御座いますか?

中卒とは、脳卒中の後遺症を卒業することなり

さように存ずる

good job!!!!!!!!!!!!!!!!!


398机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/02 17:22:01 ID:meS4KN+i
立身の志を立てれば、まずは専修学院とか専門学校で学ぶ。

各種学校においても、先ずは高校は最低でも卒業しなければならない。
学費は当然ここでもかかる。

専修学院でも200万〜300万。

学費がロハ、ってんなら学校には逝かないで得度すればいい。
誰も文句はいわない。
399名無しさん@3周年:04/10/02 18:07:34 ID:f9C4vzUH
309 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/27 08:02:27 ID:K9WNFGYi
>>308
僧堂などで、多数の修行僧が定刻とおりに一斉に坐りこむ。
これはどちらかというと漸修ですね。

漸修というより、偏差値教育の延長なんでしょうけど。
修行僧が多いだけに、これも教育の手法としては合理的。

なんてったって合理性は最優先されます。
学費として400万円くらいは徴収しますから。
それなりのノウハウがないと需給のバランスが取れません。


310 :名無しさん@3周年 :04/09/27 09:57:17 ID:C1eaITUG
>>309
学費?

311 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/27 10:01:41 ID:K9WNFGYi
>>310
学ぶための費用だから、学費ですね。
出家制度がなくなりましたから、学校教育の延長のようなもんでしょう。
400机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/02 18:11:36 ID:meS4KN+i
>>399
釣り糸をたらすと・・・・

掛かるね。

やっは、「学費」ってのが引っ掛かるか?

( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \
401名無しさん@3周年:04/10/02 18:18:10 ID:IbsawDjO
>>400
悔し紛れの釣り発言ですか?(笑

いつ又ぶちきれて荒しまくるか楽しみにしているんですが。(^−^)
402机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/02 18:22:53 ID:meS4KN+i
>>401
貴殿の執念深さには、いろいろと勉強させて貰ってます。

やっぱ「学費」ってのは生活に関わるものですからね、
誰でも敏感に反応するもんです。

誰でもよくあることですから。こういう誤解というのは・・・

学校とは、金が掛かるもんなんですよ。
403名無しさん@3周年:04/10/02 18:32:22 ID:0iguxSuY
つまらん。

もっと突っ込めるネタをたのむ。

いつもの調子でどんぞ。
404机龍之介 ◇8Z1PfzdK1:04/10/02 18:38:00 ID:Ndtgw3+L
私は、修行道場の入門並び禅宗の修行に400万円の学費が経費として必要であると
実際のところを知りもしないのに、さも知った風を装って
自慢と謂れの無い批判を繰り返しました。
 私は坐禅をしたことも無ければ、参禅をしたこともありません。
他人から無知無教養、人格批判を受けるとついかっとなって
有りもしないことを口から出任せでその場を取り繕う癖があります。
 私は我が強く慢心が捨てきれない男です。
その我がいつもいつも私を責め苛むのです。
だから無我や禅の世界に憧れを持つにいたったのでしょう。
 今日こそは、我を捨ててご迷惑をかけ続けた皆様にお詫び申し上げます。
本当に申し訳御座いませんでした。
 この言葉を遺言とさせていただきます。

さようなら。
405 ◆aj02kekrv6 :04/10/02 18:40:22 ID:pNkd46I5
>>396
>生きているものは、ほとけである。
ここが、いささか?ですね。
おそらく、インドでは通用しない話です。

ほとけ を拡大解釈しすぎだと想います。

>この常識を、否定するのが、無、である。
それ、常識ちゃいますがな。
406机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/02 18:54:11 ID:meS4KN+i
曹洞宗では、常時お手伝いを募集しています。
学費がなかったら、お手伝いで入ったらいい。

ご飯は食べられる。

給金も貰える。
こんないい話はない。

私は遠慮するが・・・
407名無しさん@3周年:04/10/02 19:18:51 ID:MAt3z14E
> >狗子に仏性はありますか?
> 仏性を自覚できる人間には、ある と答え、 仏性を自覚できない人間には、 ない とこたえる。

本当言うとその反対。仏性を自覚できてない人は、犬にも仏性があるなどと答える。
犬に仏性は無いと言い切れるかどうかは仏性がいかに凄いものかを体験しているか
否かを実によく表す問いだ。
408名無しさん@3周年:04/10/02 19:28:35 ID:es5x5GSx
>>406
曹洞宗、人物はいますよ。
永平寺とか総持寺にいるかどうかは私は知りませんが。
409机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/02 19:42:02 ID:meS4KN+i
>>408
末寺でも、クリーニング・ボーイは募集しているとこはあります。
ボーイといっても70歳とかの高齢者が殆ど。

あとは、お茶だしとかの仕事(女性)。
これも高齢者が殆ど。

まあ、ここのスレに住み着いてる人物には適材適所の仕事かもしれませんね。
給金は安い。が・・・
しかし学費は全くない。

こんなイイ話はないが・・・私は申し訳ないが遠慮します。
410名無しさん@3周年:04/10/02 20:01:17 ID:76zZjCNW
>私は、修行道場の入門並び禅宗の修行に400万円の学費が経費として必要であると
>実際のところを知りもしないのに、さも知った風を装って
>自慢と謂れの無い批判を繰り返しました。

これに尽きます。

>貴殿の執念深さには、いろいろと勉強させて貰ってます。

これは「それおまえやん!」のツッコミを要求しているのでしょうか。

411名無しさん@3周年:04/10/02 20:08:31 ID:es5x5GSx
>>409
それ住み込みだったら、私、暇になったらいきたいくらい
412机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/02 20:15:12 ID:meS4KN+i
>>411
男性の仕事は、寺の庭掃除。給料は月に5万くらい。
たいがいは年金生活者の仕事。

女性は、接待のお茶だし、とか坊主の子供の遊び相手とか。
これも年金生活者が殆ど。月に五万くらい。

主に、檀家がやる仕事。
住み込みはない。
413名無しさん@3周年:04/10/02 22:30:11 ID:es5x5GSx
>>412
情報さんくすです。年取ったら考えて見ます。

私の親父、そろそろ定年が見えてきたんですね。
で、いざ仕事がなくなると本当にどこも行き場所がなくなっちゃう。
犬の散歩ぐらいしか。と、お袋が寂しそうに言ってました。
年取ってもどこか行く場所があるっちゅうのは、もしかするとありがたいことなのかもしれませんね。
414あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/03 00:37:19 ID:PC75LNGB
>>405
> >>396
> >生きているものは、ほとけである。
> ここが、いささか?ですね。 おそらく、インドでは通用しない話です。 ほとけ を拡大解釈しすぎだと想います。
> >この常識を、否定するのが、無、である。
> それ、常識ちゃいますがな。

> >「仏性を自覚できる人間」,・・・日常、わたしたちは、逆立ちをして物事を見ていると言われる。生きているもの(有情)は、ほとけである。この常識を、否定するのが、無、である。
> >狗子に仏性はありますか?無。 そこを、わたしは、『狗子に仏性はありますか?空』、と、受け取った、うなずいたと言っています。

ほとけ、って、なんだと思いますか?
415名無しさん@3周年:04/10/03 02:53:05 ID:g4JvLAVj
禅では神秘体験を魔境として退けますよね?
ということは空海の神秘体験も魔境だったのでしょうか・・・
416名無しさん@3周年:04/10/03 03:34:29 ID:kwHO26Wd
>>414
全部なにもかも仏だったらさあ、仏という言葉も無いし仏も悪鬼も無いわけだよ。
仏というのは、いろいろと体験してそこらへんをよーく解った人だよ。
417机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/03 05:54:48 ID:5EBLK3Tw
>>415
>禅では神秘体験を魔境として退けますよね?

白隠は神秘体験してます。
それで心がHighな状態にいつまでもなってたのでは問題かとおもいます。
つまりそこにトンでも概念を注入しちゃうとか、
そういうことだったら魔境なんでしょうね。

神秘体験、そのもの自体は心作用ですから、なんらそこに意味がある訳ではないが、
しかしながらこの体験を通して直覚・直観へとの道筋が肝要かとおもう。

心のHighは、いつかは消滅する。
418机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/03 06:08:35 ID:5EBLK3Tw
>>413
得度して教師資格を取ったとしても、その需要がなければ寺の掃除くらいしか仕事はない。
若い者が寺の掃除をやることはない。
修行というのとは別。
仕事でやることはない。と思います。

寺の仕事(掃除・茶だし)は高齢者で充分。

若い者は、若い時にしか出来ない仕事がある。
それを充分にこなしてから、年老いた時の仕事を考えればいいかとおもう。

>年取ってもどこか行く場所があるっちゅうのは、もしかするとありがたいことなのかもしれませんね。

そうですね。
一番大事なのは、家庭においての「お父さんの居場所」ってのを常に確保しておくことが大事でしょうね。
お父さんの座る場所とか、
お父さんの好きな食べ物を常時用意しておくとか、
お父さんにいつも相談する体勢にあるとか、

お父さんがこの家に居なきゃ困る。って状態にするのがベターかとおもう。
そうじゃないと、若く(還暦以降)してボケる可能性がある。


419 ◆aj02kekrv6 :04/10/03 08:12:54 ID:N7ptJ0I+
>>414
> ほとけ、って、なんだと思いますか?

わたしの師匠に同じ質問をされました。

師匠 :ほとけとは何か?
わたし:ほとけとは、目覚めた人のことです。
師匠 :それは違う!
わたし:違いません。
師匠 :ほとけさまは、いつも見守っていてくださいます。
わたし:し、師匠・・それ本気ですか?
420名無しさん@3周年:04/10/03 09:05:03 ID:azZLtwvy
ほとけとは、正等覚者のことで御座いましょう?
421名無しさん@3周年:04/10/03 09:10:14 ID:azZLtwvy
世界の現実の方が、住職の現実よりはるかに厳しいので御座います。

422栗花 馨:04/10/03 10:34:03 ID:G46cnRRh
机、過去に憑依され重い病を生じている。今は憑依された物の力で生存している。
自らの魂は支配されすでに使用されてしまった。憑依しているものは彼の家族の感情から力を得ている。
彼はいうなればゾンビである。肉体的ゾンビ・精神的ゾンビの精神的ゾンビに属する。
戦場で裏切りをした農民あがりの足軽が罪の意識により寺の手伝いをした。その男が飼っていた犬の霊もついている。
居場所が表層にいる動物霊で、いいところは別の憑依物に占められている。
おちゃめだが程度がそうとう低いのはいうまでもない。犬だから・・・


423名無しさん@3周年:04/10/03 21:35:24 ID:P7cPdD4P
禅か真宗かに、こういうのがあったな。

坊さん「そのままでよろしい」
信徒 「そのままですか」
坊さん「違う」
424名無しさん@3周年:04/10/04 00:57:58 ID:cLMisT4c
ここでいいのか分かりませんが、キリスト教より仏教がいいかなと思っているものです。実家は曹洞宗なのですが、他の宗との違いも分かりません。でも、般若心経はなんとなくいいかなーって程度です。
おすすめを是非教えて下さい。自分を見つめなおしたいのです。
425机龍之介 ◇8Z1PfzdKI.:04/10/04 01:09:21 ID:+Qfl43TE
私は、修行道場の入門並び禅宗の修行に400万円の学費が経費として必要であると
実際のところを知りもしないのに、さも知った風を装って
自慢と謂れの無い批判を繰り返しました。
 私は坐禅をしたことも無ければ、参禅をしたこともありません。
他人から無知無教養、人格批判を受けるとついかっとなって
有りもしないことを口から出任せでその場を取り繕う癖があります。
 私は我が強く慢心が捨てきれない男です。
その我がいつもいつも私を責め苛むのです。
だから無我や禅の世界に憧れを持つにいたったのでしょう。
 今日こそは、我を捨ててご迷惑をかけ続けた皆様にお詫び申し上げます。
本当に申し訳御座いませんでした。
 この言葉を遺言とさせていただきます。

さようなら。
426名無しさん@3周年:04/10/04 01:16:06 ID:cLMisT4c
>>425
さようならといわないで
もっとテキトーでいいんだよ
ふりむくな、後ろには夢がない
(寺山修司)←確か
誰に謝っている。もっと面の皮厚く生きろ
427NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/04 01:55:20 ID:pypj546U
>>423
禅はどうか知りませんが、それ、真宗にありますね。
香樹院師だったかなあ。(ちょっと、思い出せない。

あと、こんなのも。

師「今の時が一大事であるぞ」
弟「仰せの通りかしこまりました」
師「かしこまるなんてことではない!今の時が一大事である」

@蓮如さま(と、一応しときます
428名無しさん@3周年:04/10/04 07:44:27 ID:1ugukdjR
ここ、面白かったので今一度。

372 :あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/01 13:20:46 ID:Os2QFmkL
367 名前:机龍之介 ■8Z1PfzdK1[] 投稿日:04/10/01(金) 08:45:09 ID:jVwA1+Q6
371 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [] 投稿日:04/10/01(金) 10:30:53 ID:MP5NM8zP
>>368
>>367の書き込みは、机龍之介の書き込みではありません。

すまんですね。




なるほど、ちがうね。
でも、本質を言ってるっぽい、(爆)


373 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/01 13:43:34 ID:MP5NM8zP
>>372
>でも、本質を言ってるっぽい、(爆)

私は、あなたが隻手の音声を透過した。と、自主申告したから
それ以上はあなたには突っ込みはしなかったでしょ(笑

コテハン叩きはしないんですよ





これが所謂禅境涯でしょうか。(オオワラ
429あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/04 14:42:29 ID:2MKxA/lo
>>416  さん
> >>414
> 全部なにもかも仏だったらさあ、仏という言葉も無いし仏も悪鬼も無いわけだよ。 仏というのは、いろいろと体験してそこらへんをよーく解った人だよ。

百尺の竿頭に坐する低の人、更に、歩一歩を進めよ。公案にあります。
また、十牛図の最後は、老人と少年の姿で、街へ入ってきます。
全てがほとけ、と、聖体長養35年の修行の最後は、日常生活に戻っていくのでしょう。
極楽もあれば、地獄も、あるのが、日常生活ですから。
430あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/04 14:52:16 ID:2MKxA/lo
>>419  さん
> >>414
> > ほとけ、って、なんだと思いますか?
> わたしの師匠に同じ質問をされました。
> 師匠 :ほとけとは何か?
> わたし:ほとけとは、目覚めた人のことです。
> 師匠 :それは違う!
> わたし:違いません。
> 師匠 :ほとけさまは、いつも見守っていてくださいます。
> わたし:し、師匠・・それ本気ですか?

浄土門からの答えだと思います。
しかし、師匠に反論が許されているんですね。にわかには、信じられませんでした。すべてを師家に受け取っていただいているのでは、ありませんか?そうすると師家の指導は、全て受け取る、事だと思います。
ちょっとそれました。   浄土宗の場合、仏壇の阿弥陀様は、手を合わせて、こちらを拝んでいらっしゃいます。
こちらが、手を合わせる前から、ずっとです。
何に手を合わせておらっしゃるのか?  わたしたちの中に有る、仏性に手を合わせてくださっています。
431あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/04 14:54:37 ID:2MKxA/lo
>>420
> ほとけとは、正等覚者のことで御座いましょう?

正等というかざりを取って、覚者、ブッダめざめたひと、と言う事でしょうね。
432あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/04 14:57:40 ID:2MKxA/lo
>>423
> 禅か真宗かに、こういうのがあったな。
> 坊さん「そのままでよろしい」
> 信徒 「そのままですか」
> 坊さん「違う」

違うと言うところが、すばらしいです。
そこに、他力と自力の区別が、無くなる、と思います。
けちゃっぷさんの感想がいただきたいです。
433あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/04 15:00:25 ID:2MKxA/lo
>>424
> ここでいいのか分かりませんが、キリスト教より仏教がいいかなと思っているものです。実家は曹洞宗なのですが、他の宗との違いも分かりません。でも、般若心経はなんとなくいいかなーって程度です。 おすすめを是非教えて下さい。自分を見つめなおしたいのです。

まず、実家の曹洞宗のお寺を、尋ねてみては、動でしょか?
本を読むのは、後回しでいいのでは?
434あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/04 15:09:56 ID:2MKxA/lo
>>427
> >>423
> 禅はどうか知りませんが、それ、真宗にありますね。 香樹院師だったかなあ。(ちょっと、思い出せない。
> あと、こんなのも。
> 師「今の時が一大事であるぞ」
> 弟「仰せの通りかしこまりました」
> 師「かしこまるなんてことではない!今の時が一大事である」
> @蓮如さま(と、一応しときます

すばらしいです。
禅の公案と言えます。
435あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/04 15:13:40 ID:2MKxA/lo
>>428
そうですね、机さん、に、伝えてください。
自己、
自己を見ている自分。
その双方を見ている自分。

その双方を見ている自分が、神とも、ほとけとも、言えると思います。

436あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/04 23:30:29 ID:2MKxA/lo
あらら、自由闊達な発言の芽を奪ってしまったのか、

長い時間、レスが無い、(;^_^A アセアセ
437あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/04 23:31:21 ID:2MKxA/lo
[壁]ω*)チラッ。。。。。。。゙(ノ*ω*)ノスタタタッ。。。。。。チラッ(*ω[壁]
438南予出身:04/10/05 14:21:59 ID:N0+ITfHm
机、ウザイ。悟った人間はそんなにペラペラ喋らないものだ。
439名無しさん@3周年:04/10/05 22:48:54 ID:uCabZ9wQ
>>436
>[壁]ω*)チラッ。。。。。。。゙(ノ*ω*)ノスタタタッ。。。。。。チラッ(*ω[壁]

何処へ向かっても壁(障礙)にぶち当たっているとしか見えないのですが

>>434
>すばらしいです。

何が?
440NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/05 23:05:14 ID:1fQdEKmv
>>434
禅の公案なんてことではありませんよ。
一大事ということです。

ちなみに浄土門といってもいろいろありますが、真宗では
基本的に仏性のあるなしを沙汰しません。一大事ですからね。

やや乱暴に言えば仏性の替わりに本願を立てるんです。

わたしの中から仏性を探し顕し輝かせるんじゃない。
わたしのすべてが本願によって照らしだされるんですね。

まことに知んぬ、悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、
名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、
真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷むべしと。
@親鸞聖人

上記は弥陀のご本願に遇われた深い喜びの言葉でもあるんです。
441処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/10/05 23:24:03 ID:nmNeduvp
力業にして、ハエ、薮蚊を払うw
442処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/10/05 23:24:56 ID:nmNeduvp
>>440
お、
443NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/05 23:32:28 ID:1fQdEKmv
>>442
お?
444あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/06 00:04:39 ID:Julpon9j
>>439
> >>436
> >[壁]ω*)チラッ。。。。。。。゙(ノ*ω*)ノスタタタッ。。。。。。チラッ(*ω[壁]
> 何処へ向かっても壁(障礙)にぶち当たっているとしか見えないのですが
達磨さんは、面壁9年でしたか、ただ坐って、時が来るのを待たれましたよね。
> >>434
> >すばらしいです。
> 何が?
一大事とは、生死、の事。 大死一番、と言いますね。 大死一番、絶後に よみがえる。 わたしの家の宗教は、浄土宗なので、浄土門と広くしておきました。 自力も、他力も、ありませんよ。と言う立場です。
ですが、
> 師「今の時が一大事であるぞ」
> 弟「仰せの通りかしこまりました」
> 師「かしこまるなんてことではない!今の時が一大事である」
↑まさに、参禅しているのと、同じです。

445あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/06 00:12:03 ID:Julpon9j
>>440
> >>434
> 禅の公案なんてことではありませんよ。一大事ということです。
> ちなみに浄土門といってもいろいろありますが、真宗では基本的に仏性のあるなしを沙汰しません。一大事ですからね。やや乱暴に言えば仏性の替わりに本願を立てるんです。
> わたしの中から仏性を探し顕し輝かせるんじゃない。わたしのすべてが本願によって照らしだされるんですね。
> まことに知んぬ、悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷むべしと。
> @親鸞聖人
> 上記は弥陀のご本願に遇われた深い喜びの言葉でもあるんです。

今の時が、一大事である。
死ね、そして、生き返れ、
生き返って、此の世で、生き通せ、と、言われているのだと思います。
禅として、肯き(うなずき)ました。
ありがとうございます。
446NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/06 00:24:03 ID:cTILpxel
>>445
今の時なんてことがあるか!
ただ一大事である。

なぜ付け加える?よくよく頭がとれませんなあ。



なあんてねw

まあ、禅のスレだからあんまりでしゃばりませんけど、
「死ね」という言葉だとこんなのもありますね。

死ねと命ずれば死ぬほどの覚悟を持つ者はいるのだろうが、
信を取れと教えても信を取るもののいないことよなあ。@蓮如上人

まあ、あなたって、すごく素敵に可愛らしい人ですね。(いや、スマソ。
447栗花 馨:04/10/06 01:04:35 ID:8RsiUVJV
贅沢乞食のあまちゃんが、なあんてねwだってよ・・・

おまえは命がけで働いてやっと稼いだ御金を吸い取る寄生虫なんだよ。
448あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/06 01:44:03 ID:Julpon9j
>>446
> >>445
> 今の時なんてことがあるか!
> ただ一大事である。
> なぜ付け加える?よくよく頭がとれませんなあ。

生死の一大事のほかに、一大事はない、NB ◆YIoCB90ZbI  さん。

いま、ここ

それが、生死の一大事、NB ◆YIoCB90ZbI  さん。
449NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/06 02:19:55 ID:cTILpxel
>>448
ん?ちょっとレスの文意がよくとれませんけど、まあ、待っててよかった。
レスありがとです。

「いま、ここ」が2日前の>427の「今の時」だったり、さらには元ネタの
500年ほど前の顔も知らぬ人の「今の時」でなければいいですね。
とは思うんですよ。

まあ、真宗的には「いま、ここ」というよりは「我が身」の一大事でしょうね。
「身」は体でもなく心でもなく、また、体と心でもなく体と心の外に存在する
ものでもない。ただ「身」と表現すべきものでしょう。
その故に「いま、ここ」とも表現できるのでしょうけれど。
でもなんか、「いま、ここ」だと微妙に違うような気もします。もっと時間と
空間を超越した感じ?
真宗は「生死の一大事」というよりは「後生の一大事」と表現しますね。
450sage:04/10/06 05:42:39 ID:Z1h4HEMw
絵に描いたうんこ。
451263:04/10/06 08:30:47 ID:mWH2gw0/
こっそりと亀レスです。
>>293
最近柳田聖山の『初期禅宗史書の研究』を読んだんですが、
馬祖は慧能門下というよりも処寂や無相に学んだ人らしいですね。
『宝林伝』は馬祖が慧能門下であることを証するために書かれたともおっしゃられてますし。
こう考えると果たして慧能の流れが果たして正当かどうかという疑問が浮かび上がります。
(「性は作用にある」という馬祖の言葉に関していえば、馬祖は慧能系の人なんでしょうが)
鈴木大拙先生なんかは禅は進化するものだ、とおっしゃられてますが、
弘忍の代になって付法制が崩れ、鼠算のように新たな法系が出てくることを考えあわせると
この傾向は致し方ないのかなと思いますた。いいか悪いかは関係なく。

452栗花 馨:04/10/06 09:01:16 ID:5LCyE4eg
>真宗は「生死の一大事」というよりは「後生の一大事」と表現しますね。

まったく別。くらべるものではない。
間違っています。

453栗花 馨:04/10/06 09:04:24 ID:5LCyE4eg
真宗は〜とかいってるやつ

似非だね。
454あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/06 13:48:39 ID:Julpon9j
449 名前:NB ◆YIoCB90ZbI [sage] 投稿日:04/10/06(水) 02:19:55 ID:cTILpxel さん
>>448
> >ん?ちょっとレスの文意がよくとれませんけど、まあ、待っててよかった。レスありがとです。
「いま、ここ」が2日前の>427の「今の時」だったり、さらには元ネタの500年ほど前の顔も知らぬ人の「今の時」でなければいいですね。とは思うんですよ。
まあ、真宗的には「いま、ここ」というよりは「我が身」の一大事でしょうね。「身」は体でもなく心でもなく、また、体と心でもなく体と心の外に存在するものでもない。ただ「身」と表現すべきものでしょう。その故に「いま、ここ」とも表現できるのでしょうけれど。
でもなんか、「いま、ここ」だと微妙に違うような気もします。もっと時間と空間を超越した感じ?真宗は「生死の一大事」というよりは「後生の一大事」と表現しますね。

いま、ここ
は、而今(にこん)と、言います。
 >『「我が身」の一大事』・・・性(いのち)は、個体としての生命だけでなく、地球の35億年にわたるDNAの、いのちの継承の、いま、ここ、と言えます。
生命系の一員と自覚する必要があると思います。
そうすると、わが身とか、わが身の後生とかは、動物、植物のわが身と同じものでなければならないと思います。
すみません、来客です。
ここまでにします。
失礼しました。
455名無しさん@3周年:04/10/06 17:33:07 ID:HRkrcwhM
西田幾太郎は、西田左派の御本家でしょう。
どうして、禅はサヨクと結びつくのでせう。

みんな〜、サヨクしてるか〜〜い?

禅とラカンが仲良しなのは、納得できるんだけど
禅者は、構造主義をどう考えてるのだろう?

テツガクに少し詳しい方、いたらレスきぼんぬ。
456あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/06 17:36:24 ID:Julpon9j
>>451
> >>268にあるように悟りを更に深めるっていう立場は完全に北宗の立場だったように思います
(あ)慧能さんの話は、事実としてあったのかもしれませんが、荷沢神会(南州禅)が、南部で埋もれていた慧能の禅をを担いで、北州禅との違いを南州禅側からの論駁として主張しているものです。
逆算して、現在から、過去を見て優劣を言うべきものでは、ないと思います。
一度、北州禅を学ぶことも、意義があると思います。
荷沢神会さんは、かなりのやり手であったと言えるでしょうね。
荷沢神会さんが活躍していた頃には、すでに~秀は死んでいなかったんです。
慧能さんというより、荷沢神会の主張と言った方が、正確だと思います。
> > 最近柳田聖山の『初期禅宗史書の研究』を読んだんですが、 馬祖は慧能門下というよりも処寂や無相に学んだ人らしいですね。
> >『宝林伝』は馬祖が慧能門下であることを証するために書かれたともおっしゃられてますし。こう考えると果たして慧能の流れが果たして正当かどうかという疑問が浮かび上がります。
(「性は作用にある」という馬祖の言葉に関していえば、馬祖は慧能系の人なんでしょうが)
> > 鈴木大拙先生なんかは禅は進化するものだ、とおっしゃられてますが、 弘忍の代になって付法制が崩れ、鼠算のように新たな法系が出てくることを考えあわせるとこの傾向は致し方ないのかなと思いますた。いいか悪いかは関係なく。

>「弘忍の代になって付法制が崩れ、鼠算のように新たな法系が出てくること」。
悟りが、あるひとつの形の中で、多くの覚者を輩出し続けてきたのも、事実でしょうね。
457あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/06 17:47:29 ID:Julpon9j
>>455 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/10/06(水) 17:33:07 ID:HRkrcwhM さん
> 西田幾太郎は、西田左派の御本家でしょう。
> どうして、禅はサヨクと結びつくのでせう。
> みんな〜、サヨクしてるか〜〜い?
> 禅とラカンが仲良しなのは、納得できるんだけど
> 禅者は、構造主義をどう考えてるのだろう?
> テツガクに少し詳しい方、いたらレスきぼんぬ。

いつでも、どこでも、定型の同じ問いかけをなさっている、いわゆる、釣り、なんでしょうね。
ちがってたら、ごめんなさい。(汗)
458名無しさん@3周年:04/10/06 17:50:46 ID:HRkrcwhM
>>457
元サヨクは机龍之介氏だけか (笑
今となっては、サヨクする元気もないかな。
459けちゃっぷ:04/10/06 17:58:47 ID:Gh2P5HI2
口から念仏が出る、その「今、ここ」は、阿弥陀仏の本願力の圏外じゃなく、まさに「着信音」が鳴っている。「今、ここ」に平安と喜びがある、奇跡的なできごとが実現してるんです瞬間です。
460名無しさん@3周年:04/10/06 19:00:41 ID:l5A27Qil
>>429
>>416  さん
>>414
> 全部なにもかも仏だったらさあ、仏という言葉も無いし仏も悪鬼も無いわけだよ。
> 仏というのは、いろいろと体験してそこらへんをよーく解った人だよ。

>百尺の竿頭に坐する低の人、更に、歩一歩を進めよ。

この段階でまだ、坐ってる人がいますか?
461名無しさん@3周年:04/10/06 19:48:14 ID:wL6HR/1l
>>444
>達磨さんは、面壁9年でしたか、ただ坐って、時が来るのを待たれましたよね。

面壁ではなく壁観でしょ。
壁を見るのではなく、壁が観るから、そのまま回向返照

>わたしの家の宗教は、浄土宗なので、浄土門と広くしておきました。

法然さんは自分のレヴェルはよっく認識してたようですね
あっぱれだと思いますよ
462 ◆aj02kekrv6 :04/10/06 21:34:30 ID:LPaJaBe8
>>430
> 浄土宗の場合、仏壇の阿弥陀様は、手を合わせて、こちらを拝んでいらっしゃいます。
> こちらが、手を合わせる前から、ずっとです。
> 何に手を合わせておらっしゃるのか?  
> わたしたちの中に有る、仏性に手を合わせてくださっています。
それ、本気で言ってます?(^-^;;
463 ◆aj02kekrv6 :04/10/06 21:35:17 ID:LPaJaBe8
なんにせよ。阿弥陀仏は架空の仏。なんの力もありません。
464 ◆aj02kekrv6 :04/10/06 21:39:11 ID:LPaJaBe8
ひさしぶりに、禅の入門書を2冊ばかり買って読みました。
半分は、同意できましたが、半分は同意できませんでしたね。

ただ、なんとなく、パターンが分かってきました。
同意できない部分は、学問仏教と反する点です。

つまり、「仏とは?」という問いに対して、「目覚めた人」という
単純な回答は、禅ではよしとしない、というところですね。
465けちゃっぷ:04/10/06 22:01:30 ID:Gh2P5HI2
>463 阿弥陀仏は名前にすぎません。しかし、口称念仏はすばらしい修行です。信じて口で称えるだけのことで、人を成長させてくれます。この行の不思議な効果を、阿弥陀仏の本願力と呼ぶのです。実践が大事。
466けちゃっぷ:04/10/06 22:06:23 ID:Gh2P5HI2
鈴木大拙も、妙好人(念仏者)の発言の中に、禅者のような悟りを感じていたようです。法然さんも、「今の自分は念仏に出会う前とは別人のようだ」と、念仏で人格が成長することを体感していたようです。
467机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/06 22:26:41 ID:EL7wTEHN
>>463
私は、仏あらずんば仏を殺してしまいます。
しかしながら阿弥陀仏の御力は信じています。

ここが仏教の摩訶不思議なとこなんですが・・・・
468だるしむ:04/10/06 22:32:56 ID:FhH7y1fM
人格とは何でしょうか?
あなたは、ある人を人格者と言って、讃えます。
しかし、どのような人格者であっても、死を越えられないし、
うんこをすることから逃れることはできません。

動物は、常に犠牲になっているように 見えます。
人間は動物の犠牲無しで生きられない生命体だから。。
あなたの見る聖人とは何でしょうか?
うんこをしない人間でしょうか?
動物の犠牲無しで生命を維持できる人なのでしょうか?

しかし、そんな人は、居ないように見えます。w
全ての人は、食べなければ生きて行けないし、
生命を維持することは不可能だ。
人間とは 汚い生き物である。
それが俺が出した答えです。
汚れ切っていて、それに気が付きもせず
毎日を生きています。彼らを縛っているものは何でしょうか?
それは彼らの価値観です。
何が大事なのか?それの奴隷になっています。
469けちゃっぷ:04/10/06 22:38:13 ID:Gh2P5HI2
一切の行為は、身・口・意の3種に分類され、三業と呼びます。僕はこれを教科書で知った時、「まぁ、そうだろうね」くらいにしか思ってませんでした。今は「あぁ!三業だ!三つなんだ!」と感動さえ覚えます
470あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/06 22:44:37 ID:Julpon9j
>>459 けちゃっぷ[] 投稿日:04/10/06(水) 17:58:47 ID:Gh2P5HI2 さん
> 口から念仏が出る、その「今、ここ」は、阿弥陀仏の本願力の圏外じゃなく、まさに「着信音」が鳴っている。「今、ここ」に平安と喜びがある、奇跡的なできごとが実現してるんです瞬間です。
35億年前の生命の発生以来、DNAは、100万年単位で、変異を蓄積して、あるものは植物へ、また、あるものは動物へ、と、変化してきて、「今、ここ」があります。
あみだ様からの着信音、「今、ここ」 に、はっきりと聞こえます。感謝、けちゃっぷさん。
471あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/06 22:46:29 ID:Julpon9j
>>460
> >>429
> >>>416  さん
> > >>414
> > 全部なにもかも仏だったらさあ、仏という言葉も無いし仏も悪鬼も無いわけだよ。
> > 仏というのは、いろいろと体験してそこらへんをよーく解った人だよ。
> >百尺の竿頭に坐する低の人、更に、歩一歩を進めよ。
> この段階でまだ、坐ってる人がいますか?

わたしも、いまだに、現実生活では、出家をしていません。
まず、出家をする事でしょうね。
472だるしむ:04/10/06 22:53:20 ID:FhH7y1fM
人間と動物、
何が違うのでしょうか?
それは、肉体の中に入っている魂(本質)
が違います。

動物は、、人間の犠牲になっているように見えますが、
それは人間の認識です。
彼らは、死を恐れていません。
死を恐れるような反応はしますが、それでも、
彼らは、本質的には死を恐れません。
死を、死であるとして流します。
それは、あたかも人間が、喜びを喜びとして
取る。そう認識する。それを流すような行為に似ています。

苦と楽は実は一体です。
それに判断を下すのは人間が好む1つの。。 癖です。
473あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/06 23:00:50 ID:Julpon9j
>>461
> >>444
> >達磨さんは、面壁9年でしたか、ただ坐って、時が来るのを待たれましたよね。
> 面壁ではなく壁観でしょ。壁を見るのではなく、壁が観るから、そのまま回向返照

面壁(めんぺき)9年の坐禅を、達磨さんが、なされた事をそういいます。
そして、2祖、慧可(えか)を、やっと、お弟子に加えられました。
その事を指しています。

> >わたしの家の宗教は、浄土宗なので、浄土門と広くしておきました。
> 法然さんは自分のレヴェルはよっく認識してたようですね。 あっぱれだと思いますよ

師匠、法然さんを信じ、弟子、親鸞さんんは、安心(あんじん)を、得ました。
同じ浄土門、ゆっくり、大きく、とらえていきませんか?

474あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/06 23:14:56 ID:Julpon9j
>>462>>463>>464  ◆aj02kekrv6  さん
>> 浄土宗の場合、仏壇の阿弥陀様は、手を合わせて、こちらを拝んでいらっしゃいます。こちらが、手を合わせる前から、ずっとです。
> 何に手を合わせておらっしゃるのか?  
ほとけが、ほとけに、手を合わせています。また、ほとけが、ほとけに、おブッパンをあげています。ほとけが、ほとけを、お花で飾っています。おあかりをあげ、線香をたいています。

> >わたしたちの中に有る、仏性に手を合わせてくださっています。
>それ、本気で言ってます?(^-^;;
一切衆生、悉有仏性、生きているもの全てには、仏の命が、ある。その仏性に、あみだ様も手を合わせていらっしゃいます。

463 名前: ◆aj02kekrv6 [] 投稿日:04/10/06(水) 21:35:17 ID:LPaJaBe8
>なんにせよ。阿弥陀仏は架空の仏。なんの力もありません。
ほとけさまは、全宇宙に、遍満す。どんなところにも、いらっしゃいます。

464 名前: ◆aj02kekrv6 [] 投稿日:04/10/06(水) 21:39:11 ID:LPaJaBe8
ひさしぶりに、禅の入門書を2冊ばかり買って読みました。半分は、同意できましたが、半分は同意できませんでしたね。
ただ、なんとなく、パターンが分かってきました。同意できない部分は、学問仏教と反する点です。つまり、「仏とは?」という問いに対して、「目覚めた人」という単純な回答は、禅ではよしとしない、というところですね。
475あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/06 23:26:02 ID:Julpon9j
>>468
>>472
だるしむ さん
生きているものは、太陽のエネルギーを取り込んで、体内で、熱に変換して、35億年前の単細胞生物から、こんにちの多細胞生物と、変化を重ねてきました。
476だるしむ:04/10/06 23:32:51 ID:FhH7y1fM
>>475
さて、そのソースは何でしょうか?

それはつまり。。
477名無しさん@3周年:04/10/07 11:19:50 ID:2ojHQIo4
>>435

>自己、
>自己を見ている自分。
>その双方を見ている自分。

>その双方を見ている自分が、神とも、ほとけとも、言えると思います。


早めに医師に相談してください。おだいじに。
478名無しさん@3周年:04/10/07 18:17:13 ID:AySgzKQd
>>468

他の生物の命を取らないと生きられないから、人間は汚い生き物だという
ことにはならないと思うが。

俗に言う「性(さが)」ってことでしょう? 人間にも動物にも肉体を保存
するための本能がある。その本能そのものに善悪などありません。必要不可欠
なものなんだから。特に浄土系の坊さん達は、人間の罪深さを表現するのに、
他の生命を取らないと云々を持ち出すけど、それは罪の意味を根本で間違って
いると思う。

罪とは、ある行為をする自由もしない自由もあって、自分の意思でそれを選ぶ
ことで、相手に害を与えることです。食わなきゃ死ぬのなら、食わないという
選択はできない。だから、何を食おうが罪にはならない。

まあ、罪というのと、あなたが言う「汚い」というのは意味が違うのかもしれ
ないが。
479478:04/10/07 18:36:52 ID:AySgzKQd
私自身が経験した「罪」。

ずいぶん昔のことになるが、海外への転勤が決まったので、同僚達が送別会を
開いてくれた。それで、もう何年も会えないだろうから、大盤振る舞いしようと
いうことになって、そこで生まれて初めて「活けつくり」というのを頂いた。
半身になった魚が、皿の上でまだ動いている。口をパクパク開けて。しかも、私の
門出の祝いのために殺されたんだ。私は、心の中で手を合わせて、すべて平らげたよ。

「活けつくりなどやめとこう」と言えなかったのは私の罪だけど、仲間の温情を
考えると言い出せなかった。あっちを立てればこっちが立たず。こういう場合は、
一番弱い立場にある者が犠牲になる。その時、してあげられることは手を合わせて
礼を言って、相手の犠牲に甘んじることしかない。

相手が人間の場合だって多い。この世の中、そういう犠牲のお陰でうまく回って
いることだらけだ。それもまた「人間の性」なのかもしれない。
480NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/07 18:37:14 ID:m1vAXdjQ
>>463
自然法爾章
「獲」の字は、因位のときうるを獲といふ。「得」の字は、果位のときにいたりて
うることを得といふなり。「名」の字は、因位のときのなを名といふ。「号」の字は、
果位のときのなを号といふ。「自然」といふは、「自」は、おのづからといふ、
行者のはからひにあらず。しからしむといふことばなり。「然」といふは、しからしむ
といふことば、行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに。
「法爾」といふは、如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふ。
この法爾は、御ちかひなりけるゆゑに、すべて行者のはからひなきをもちて、
このゆゑに他力には義なきを義とすとしるべきなり。
「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。弥陀仏の御ちかひの、
もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、
むかへんとはからはせたまひたるによりて、行者のよからんともあしからんとも
おもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。ちかひのやうは、「無上仏にならしめん」
と誓ひたまへるなり。

無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆゑに、自然とは
申すなり。かたちましますとしめすときは、無上涅槃とは申さず。

かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめに弥陀仏とぞききならひて候ふ。
弥陀仏は自然のやうをしらせんれうなり。

この道理をこころえつるのちには、この自然のことは、つねにさたすべきには
あらざるなり。つねに自然をさたせば、義なきを義とすといふことは、なほ義の
あるべし。これは仏智の不思議にてあるなり。
@親鸞聖人

まあ、ベタですが。このへんはどう理解なさいますかな?
481けちゃっぷ:04/10/07 22:15:56 ID:R2sBeZYO
>468 たとえば三毒煩悩のひとつ「いかり」が少なくなることは、人格の成長だと思います。口業の「なむあみだぶつ」・意業の「おまかせします阿弥陀様」が同時にできてる刹那は、煩悩は断絶してます。
482名無しさん@3周年:04/10/08 20:02:19 ID:Tabd1W8M
>>481
しかし、「阿弥陀仏にお任せします」を自分の我欲の言い訳にする可能性の
方がずっと大きいと思うが。
483けちゃっぷ:04/10/08 20:45:25 ID:8uJWATe/
>482 阿弥陀信仰を持ち込むと抵抗ある人もいるでしょうね。文字どおり、口業・意業を同時やってみてください。とりあえず信仰ぬきにしましょう…口で「あいうえお」・意で「一二三四五」を同時で。
484名無しさん@3周年:04/10/08 21:00:56 ID:Tabd1W8M
>>483
本気で言ってるの?
そんな子供騙しが宗教なんて、よもや信じちゃいないよね?

もっといい方法があるぞ。頭蓋骨に穴を開けて、前頭葉を切除してもらう。
煩悩ごと、思考能力がなくなる。
485484:04/10/08 21:07:03 ID:Tabd1W8M
オウムでやっていた方法も合理的だぞ。
暗くて狭い部屋に閉じ込めて、ひたすらマントラを唱える。あるいは、修行用
のテープを何百回も聴く。

そういう種類の修行と、あなたが言う「口業・意業を同時にやる」修行のどこに
違いがあるのか説明してください。
486けちゃっぷ:04/10/08 21:15:38 ID:8uJWATe/
>485 南無阿弥陀仏の場合は、口・意の同時実現が一回でもできたら、念仏者として合格であり、OKなんです。金メダルをめざす人が金メダルを得たような達成感があります。念仏という行為への信仰です。
487484:04/10/08 21:22:02 ID:Tabd1W8M
>>486
しかし、その裏にある思想には、「阿弥陀如来の神通力の功徳によって」一回で
いいという仮定があるよね。ところが、阿弥陀如来は浄土三部経に登場する架空
の存在なわけだ。

まあ、ここは百歩譲って、無心状態になるための方便だとするわな。
しかし、たとえ一回「口・意の同時実現」ができたとして、その後、死ぬまでの
間はどうするの? また煩悩でまくりの凡夫へ逆戻りでしょ?
488484:04/10/08 21:23:51 ID:Tabd1W8M
「阿弥陀如来の神通力の功徳によって」一回でいい、という大嘘をつく
より、真面目に無心状態になるまでマントラを唱えなさい、というオウム
の方が良心的に見えるのは私だけだろうか。
489NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/08 21:26:17 ID:bmDaJSvA
>>486
あなたの考え方を別に否定はしませんが(…同意もしませんが、

「南無阿弥陀仏の場合は」じゃなくって「○○宗の場合は」とか
自分の立場を明確にして表現するぐらいの法に対する謙虚さは
あっていいんじゃないですか?
490けちゃっぷ:04/10/08 21:29:23 ID:8uJWATe/
浄土三部経で説かれる順番がミソです。いわゆる三昧に入る観想念仏を説いたあと、罪業で心乱れて精神統一ができない悪人でも、臨終に口で念仏をとなえただけで救われると説かれています。
491けちゃっぷ:04/10/08 21:32:29 ID:8uJWATe/
常に念仏の時は、臨終のつもりで称えます。で、生き長らえれば念仏の功が積もり、死ねば浄土へ。煩悩があるならあるまま、善人は善人ながら、悪人は悪人ながら、生死ともに煩いなしです。
492けちゃっぷ:04/10/08 21:36:12 ID:8uJWATe/
念仏者は、念仏を人生の第一義なんだと選択して、決めちゃった人なんです。もはや、阿弥陀仏が架空でもなんでも、後悔はない。自分の価値観が、念仏第一なんだから。
493484:04/10/08 21:37:22 ID:Tabd1W8M
>>490
だから、人間が説いた浄土三部経に「臨終に口で念仏をとなえただけで救われる」
と言っても無効でしょ? 書いた人間は死んだ経験がないわけだから。

それに、精神統一ができても悪人は悪人でしょ。オウムの連中は、暇さえあれば
精神統一の修行に明け暮れていたけど、公共の場にサリンを撒いても平気な悪人
だったぞ。

>>491
何信じようと勝手だけど、そういうのは自己欺瞞っていうんじゃない?
494484:04/10/08 21:39:18 ID:Tabd1W8M
>>492
>もはや、阿弥陀仏が架空でもなんでも、後悔はない。

ふ〜ん。カルト信者にインタビューしても同じ答えが返ってくるでしょうな。
つまり、阿弥陀信仰はカルトと見分けがつかないということですね?
495けちゃっぷ:04/10/08 21:44:25 ID:8uJWATe/
>494 浄土宗では戒も授かります。仏教徒として当然ながら、善をめざし悪を止めようと心がけます。しかし、それでも環境や状況によっては悪を行なってしまうのが凡夫なのです。悪人は憐れみ救うべき者です。
496484:04/10/08 21:48:21 ID:Tabd1W8M
私がどうしても理解できないのは、浄土三部経が人為的に作られたフィクション
で、阿弥陀如来が架空の存在であることが明白であるのに、いまだにそれを
担いでいることです。

もし、宇宙に偏在する神のような存在を礼拝するのなら、いくらでも呼び名は
あるでしょう。エホバでも、エロヒムでも、アッラーでも、天帝でも、いい。
それらは一種の定義ですから、嘘にはならない。しかし、それを阿弥陀如来と
言えば、それは絶対に嘘です。申し開きはできません。自ら嘘を知りながら、
人に本当だと勧める行為を「詐欺」と呼びます。
497 ◆aj02kekrv6 :04/10/08 21:52:04 ID:AZhd4chn
>>494
>もはや、阿弥陀仏が架空でもなんでも、後悔はない。
おおお!
こんな、マインドコントロールの言葉を聴くとは!

目を覚ましなさい!
498 ◆aj02kekrv6 :04/10/08 21:52:35 ID:AZhd4chn
あなたは、自分で自分にうそをついている!

目を覚ましなさい!
499けちゃっぷ:04/10/08 21:57:07 ID:8uJWATe/
>496 老若男女隔てなく、たとえ悪人でも救われる、救ってあげたいという慈悲が、浄土三部経にはあります。その平等無分別の慈悲に、深く共感します。僕のような仏道から落ちこぼれた悪人には、光そのもの。
500484:04/10/08 21:59:22 ID:Tabd1W8M
>>499
だから、浄土三部経は仏説じゃないんですってば。
死後に救われたかどうかもわからない人間が想像で書いている。
それを鵜呑みにするのですか?
501けちゃっぷ:04/10/08 22:03:57 ID:8uJWATe/
>500 みんな漏れなく救われて欲しいなぁ、悪人さえ救ってあげたいなあ…という、浄土経作者である仏教徒の“心意気”に、惚れ込んでいるんですよ。だからフィクションでも後悔はないのです。
502484:04/10/08 22:05:00 ID:Tabd1W8M
浄土三部経に書かれた、菩薩の慈悲心は偉大です。それは認める。
しかし、問題はその慈悲心にすがるだけで自分の足で仏道を歩もうと
しない理由になるなら、それはかえって釈迦の教えに反することになり
ますわな。

救って欲しいという凡夫の心はよくわかる。しかし、「その救って欲しい
という自我はどこにある?無常のものではないか?」と釈迦は問いかけ
ている。その声に真摯に耳を傾けるべきでは。救って欲しい自我が無常
ならば、どうして阿弥陀如来の救いが必要なのでしょう。
503名無しさん@3周年:04/10/08 22:08:05 ID:dfHkEKxl
>>492
>念仏者は、念仏を人生の第一義なんだと選択して、決めちゃった人なんです。もはや、阿弥陀仏が架空でもなんでも、後悔はない。自分の価値観が、念仏第一なんだから。

坊さんでもね、こういう言い方する坊さんは好きですね。
阿弥陀信仰の原点というのは、こういう心境なんじゃないかな?
こういうのが浄土宗の悟りかと思うんだけど。

その時に、しっかりした阿弥陀如来の御心を知る。ってことかな?
「阿弥陀如来と私の、一瞬手綱を話した瞬間」。
ここに浄土門の悟りがあるらしいが。
私は、これは説得性があるかと思います。
504けちゃっぷ:04/10/08 22:09:48 ID:8uJWATe/
『大パリニッバーナ経』でブッダは、仏・独覚・仏弟子・帝王のストゥーパを拝むと、心が浄められると説いています。ストゥーパで供養されてる偉人の人格に思いを馳せるだけで、心が浄められる。念仏も同じ。
505484:04/10/08 22:14:46 ID:Tabd1W8M
釈迦が説いたことはただひとつ。
自我=アートマンは無常だということです。
それを悟ることが仏教を極めることです。

何度ストゥーバを拝もうとも、自我のために礼拝すればかえって仏道から
離れるばかりです。
506けちゃっぷ:04/10/08 22:19:06 ID:8uJWATe/
>502 私見ですが、悲しみや怒りも念仏がやって来て追い出してくれることや、口・意の同時念仏も物音一つに意識が向いただけですぐ崩れること、これらに気付く中で、心の無常が自然にわかると思います。
507名無しさん@3周年:04/10/08 22:21:07 ID:ac+bAMuR
浄土真宗現役僧侶けちゃっぷ殿の信仰心の危機だな。(笑

楽しいのでアゲ。
508名無しさん@3周年:04/10/08 22:27:08 ID:dfHkEKxl
>>507
いや、その反対かとおもいます。
>阿弥陀仏が架空でもなんでも、後悔はない。自分の価値観が、念仏第一なんだから。

私は、信仰とはこういうものかと思います。
鎌倉時代に、貧困と飢餓にあえいでいる民衆に救われる道。
浄土宗の信仰の原点はここにあるかとおもう。

後悔はしない。
それでも一心に信仰する。

カルトでは、こんな信仰はしないですね。
509484:04/10/08 22:31:05 ID:Tabd1W8M
>>508
鎌倉時代ではね、その通りでしょう。
しかし、現代人がその真似をして何の意味がありますか。
貧困も飢餓も縁がない現代の日本人が、明らかに架空の仏を拝んで「後悔は
しない、それでも一心に信仰する」と言うなら、自己欺瞞の勘違野郎の変態
趣味か、早急に精神病院へ言くべき重篤患者です。
510名無しさん@3周年:04/10/08 22:36:16 ID:dfHkEKxl
>>509
法然さんも、親鸞さんも決して盲信はしちなかったかと思う。

どうしても阿弥陀如来に帰依しなけりゃならんかった。
その極限を念仏というカタチに置き換えたんでしょ・・・。
そういうなかから悟りをひらくもんです。

浄土宗は他力ですから。
盲信しているわけではない。
511484:04/10/08 22:39:27 ID:Tabd1W8M
>>510
あなたもわからん人だな。
鎌倉時代はしようがなかった。
しかし、そういうアナクロなものにどうして現代人が頼らなくてはならない
のか、説明していただきたい。

鎌倉時代には文盲の人ばかりだったが、現代人なら、ちょっと大きい書店へ
行けば釈迦の教えを解説した本を買って読めるでしょ?
512けちゃっぷ:04/10/08 22:45:07 ID:8uJWATe/
>511 それを言うなら、智慧第一と言われる学僧であり、他力念仏に出会う前から戒師として有名だった法然さんも、念仏に頼らなくていいはずです。しかし、いくら学んでも、悟れなかったのです。
513名無しさん@3周年:04/10/08 22:45:39 ID:dfHkEKxl
>>511
あなたは、他力ってのが分かってないかとおもう。

親鸞も法然も、浄土があるか、ないかなんて分かるわけはない。
それでも阿弥陀如来に帰依しなければ救われない。
ってとこが重要。

阿弥陀如来に帰依することにより、段々と分かってくる。
帰依せんことには分からんのだよ。
514けちゃっぷ:04/10/08 22:47:33 ID:8uJWATe/
本屋で知識を蓄えるのも有意義ですが、実践できる修行がなければいけません。
515484:04/10/08 22:55:07 ID:Tabd1W8M
>512
違いますよ。法然さんは、当時の天台宗が庶民の救済に全く無関心だったこと
に反旗をひるがえした。これは、大原問答を見れば一目瞭然です。上機の修行者
として、法相、三論、華厳、法華、真言、仏心の諸法は「みな義理深く利益すぐ
れたり」と認めたうえで、末期の衆生には念仏が一番適している、と主張して
いる。
516けちゃっぷ:04/10/08 22:55:41 ID:8uJWATe/
>505 アートマンを無常と悟るのが仏教…というのは、不十分な気がします。アートマンを無常と知ったら苦悩が消えるような場面では、アートマンが無常だと思うのがいいのです。苦悩の原因を滅するため。
517484:04/10/08 22:57:03 ID:Tabd1W8M
>>513
本当にわからん人だね。
私は他力を否定していない。
しかし、なぜそれが架空の阿弥陀仏じゃないといけないのかと問うて
いるの。

あなたの言い草は、まるでカルトのセールスマンみたいだ。
518484:04/10/08 23:00:19 ID:Tabd1W8M
>>516
アートマンが無常と知って、苦悩が消えないのなら、仏教そのものが
無効ということです。あなた、いくらなんでも四諦くらいは知っている
よね。苦を集めるものは自我の執着です。自我が無常ならば、執着する
理由がない。だから、苦はたちどころに消える。それが釈迦の教えです。
519名無しさん@3周年:04/10/08 23:03:43 ID:dfHkEKxl
>>517
あなたも分からん人だね。
阿弥陀如来が架空だったら、架空でいいじゃないですか?
架空か架空か分からんが、帰依してみるのが浄土門かと思います。

彼岸に行くには方法がないとね、行けません。
方法のことが阿弥陀如来でいいじゃないですか?
そうでしょ?
520けちゃっぷ:04/10/08 23:03:43 ID:8uJWATe/
>517 たまたま僕が仏教徒で、おなじ仏教徒の先輩方が、念仏を伝承してきたからです。端的に言うなら、私の師匠が念仏者だからです。龍樹菩薩や天親菩薩も浄土を信じてたんだから、悟りの邪魔にはならない。
521484:04/10/08 23:06:08 ID:Tabd1W8M
>>519
???
最初から架空であるのを信じろと?
ウルトラマンを信じろというのと同じレベルの話だと思いますが。
そこまで自己欺瞞してまで、何のメリットがあるのでしょうか。
単なる自虐? あるいはカルトの経営者?
522484:04/10/08 23:08:29 ID:Tabd1W8M
>>520
あなたの師匠が、ウルトラマンを信じようと、どらえもんを信じようと
私の知ったこっちゃない。

言いたいのは、もう大人なんだから、そういう空想の世界にひたるのは
そろそろやめにしませんか、ってこと。あなた、現代人なんでしょ?
523名無しさん@3周年:04/10/08 23:10:52 ID:KllbLAzo
カルトバスターと噂され、自らもカルトバスターと自負している人が、
カルトの経営者と罵られるとは・・・
悲しい限りですな。あぁ無常。
524名無しさん@3周年:04/10/08 23:13:22 ID:Gi1nqpAc
信あれば不信ありとのことです。
ほんとうのことは、信じる必要すらない、そんなてつづき必要ない、
と言ってた人がいました。
525484:04/10/08 23:16:37 ID:Tabd1W8M
宗教の世界というのは、自分のすべてを賭けるという真剣さがなくっちゃ
嘘です。それを、最初から嘘だとわかっている阿弥陀仏を立てて、「嘘でも
悔いない」と口にすることの欺瞞性に、私の目玉は飛び出さんばかりです。
526484:04/10/08 23:20:24 ID:Tabd1W8M
方便というのは、本人が心の底からそれを信じているからこそ有効なのです。
もし、本人が最初から方便だと気づいているとしたら、単なる茶番でしょう。
鎌倉時代には、阿弥陀仏の方便はまだ有効だった。
しかし、現代においては単なる茶番です。
527魔法のマント ◆zPDVctO00E :04/10/08 23:36:38 ID:wLdA3on5
言葉が、しゃべれるということだけでも不思議。
528名無しさん@3周年:04/10/08 23:38:17 ID:KllbLAzo
おやまあ、めずらしい。
529けちゃっぷ:04/10/09 00:31:24 ID:W8Liq90a
結局最初の議論にもどります。信じて口で称えることが大事なんです。ウルトラマンを信じても、ウルトラマンの名前を口で称える修行が伴なわないと。
530処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/10/09 00:33:58 ID:Y+SDEIYM
仕事帰りにバイクで暗闇の中を半島一周しながら、
あ、座禅代わりに良いかなと思った。油断すると
死ぬしw
531けちゃっぷ:04/10/09 00:37:16 ID:W8Liq90a
南無阿弥陀仏でも南無ウルトラマンでも、口業と意業の一致を一瞬でもやろうとすればいい。それは価値観なんです。金メッキのメダルが欲しいと思うのも価値観。
532あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/09 01:14:40 ID:zfLRtqsY
如是我聞
このように、わたしは、おしゃか様がおっしゃっているのを聞きました。
上座部仏教では、この、我は、多聞第一のアーナンダです。
大衆部仏教では、とくにアーナンダであるわけでは、ありません。
誰でもない、この私が、このように、おしゃか様の声を聞いた。と言うものだと、思います。
ですから、あみだ様は、おしゃか様です。
また、おしゃか様は、あみだ様です。
あなたも、おしゃか様の声を聞いてみたいでしょう?
ですが、ここでは、おしゃか様のお悟りを、わたしは、このように聞いた、如是我聞。と、受け取るのです。
おしゃか様が、見えるではありませんか。
お声も、聞けます。
法(真理)を、受け継いで行こうではありませんか。
533名無しさん@3周年:04/10/09 07:11:45 ID:McUdCff6
結論として、浄土真宗はカルトに認定でよいですか?
534519:04/10/09 07:46:26 ID:eZM782CC
>>521
>最初から架空であるのを信じろと?

架空か?架空じゃないか?それはわからん。
そんな迷いもなくなるのが浄土門の悟りかとおもうよ。

二項に迷ってるに過ぎぬ。
己の心に問うべし。
535484:04/10/09 07:54:36 ID:OTVgEtTp
>>532
>また、おしゃか様は、あみだ様です。

いいですか。ここにものすごい飛躍がある。

おしゃか様:実在した歴史上の人物。悟りを開いたとされる。
あみだ様:後世の仏教徒が作り出した浄土三部経に登場する架空の仏。

街を歩いていて、後ろから小泉首相の声が聞こえたような気がする、という
なら、空耳かもしれないが、もしかしたら本当かもしれない。しかし、後ろ
から鉄腕アトムの声が聞こえたような気がして、しかもそれが実在だと信じる
のなら、即刻精神病院へ行ってください。

宗教体験の中で、宇宙に偏在する慈悲の塊のような存在を直感することは
よくある話です。しかし、それを「あみだ様」につなげると嘘になる。
誰だってフィクションに登場するバーチャルな存在だって知っているから。
けちゃっぷさんは、「ウルトラマンでいい」とはっきり言ってるしね。

もし、ある宗派で「うちはウルトラマンがご本尊です。ウルトラマンにすがる
と、誰でも救われます」と教えていて、そこの信者が「南無ウルトラマン仏」
と一生懸命唱えていたら、誰が見たってカルトでしょ?
536名無しさん@3周年:04/10/09 08:00:01 ID:MZYIMVYs
>もし、ある宗派で「うちはウルトラマンがご本尊です。ウルトラマンにすがる
>と、誰でも救われます」と教えていて、そこの信者が「南無ウルトラマン仏」
>と一生懸命唱えていたら、誰が見たってカルトでしょ?


(warota
537 ◆aj02kekrv6 :04/10/09 08:13:27 ID:9ZJPqRps
>>512
それはちがう。
法然さんは、智慧第一といわれ、『釈尊の教え』を極めた。
そこで、ひとつだけ、問題が残ったのです。
「自分は、救われたが、他の人はどうか?」
538 ◆aj02kekrv6 :04/10/09 08:16:45 ID:9ZJPqRps
>>532
お釈迦様が、「救いというものは無い。解脱というものがあるだけだ」と教えてくださった。
阿弥陀仏が、「解脱は難しい、わたしが救ってあげよう」といった。

それでも、あなたは、阿弥陀仏が、お釈迦様であると、脳内妄想をいうのですか?
539484:04/10/09 08:39:58 ID:OTVgEtTp
私は今、法然さんの『選択本願念仏集』を読んでいます。
そこには、浄土三部経からの引用がびっしり詰まっていて、ひとつの疑義も
ないようにと精緻な理論が展開されている。しかし、法然さんは浄土三部経は
仏説に間違いないと心の底から信じて疑わなかったので、今となっては彼の文章
からあふれ出す求道者の真摯な態度がかえって痛ましく感じる。ただ、法然さん
自身は終生、誠実を尽くした。だから、きっと救われたに違いないと思う。

しかし、けちゃっぷ氏を初めとする、現代の念仏者には誠実という二文字など
ないね。ウルトラマンでも別にかまわないという、見え透いた「方便の念仏」を
唱えても、それは法然さんの言う念仏とは天地の差ほども違うだろう。

だからといって、現代人はもう法然さんの時代には戻れない。トリックが明かさ
れた手品はもはや人を感動させない。「方便の念仏」なんて子供騙しで生き残る
位なら、捨てきった方がよい。そんな不純な念仏唱えても、法然さんに恥をかかせ
るだけじゃないか。
540名無しさん@3周年:04/10/09 09:20:36 ID:BQjeB70i
けちゃっぷは念仏版の机だろ
おまいらもわざと釣られてんじゃねーよ。
541けちゃっぷ:04/10/09 10:11:00 ID:W8Liq90a
>537 法然さんは、自分を「三学(戒・定・慧)の器ものにあらず」と自覚し、「かなしきかなかなしきかな、いかがせんいかがせん」と、救いの道を求めたのです。
542名無しさん@3周年:04/10/09 10:13:52 ID:qTYiN4/R
「仏デアル。」は仏ではない。
543519:04/10/09 12:59:21 ID:eZM782CC
>>539
>「方便の念仏」

方便の念仏。いうのは、いわゆる「方法の念仏」。
毒矢が刺されば、先ずは毒矢を抜く。
その時は架空か?架空じゃないか?が問題だろうけど、
そういう概念も必要でなくなる。

ようは、毒矢が何故放たれたか・・・がわかる。

仏教は方便(方法)の連続。
本とかから、先ずは離れてみることも肝心。
544名無しさん@3周年:04/10/09 14:15:06 ID:WBLcMNrO
>>543
机さん、ご苦労様です。(笑
545けちゃっぷ:04/10/09 14:19:26 ID:W8Liq90a
方便は、たとえ話と言ってもいいでしょう。白隠さんも、晩年には法華を信奉したそうですね。おそらく、最初はただの神話的物語にすぎないと思っていたのが、その物語に教えが語られてると気付いたのでしょう
546けちゃっぷ:04/10/09 14:23:50 ID:W8Liq90a
『仏教聖典』の「仏のたとえ」の段は、いくつかのお経から“たとえ話”を集めています。その中のある話の最後には、「人びとは、この話の中に、無我の理を感得し、まことに尊い感じを得た。」とあります。
547名無しさん@3周年:04/10/09 14:45:33 ID:p3P4fqhF
方便はいいが、架空の仏は方便ではない。
たんに妄想にすぎない。
548名無しさん@3周年:04/10/09 15:15:42 ID:eZM782CC
>>547
あなたが「仏」というのを概念化しているに過ぎない。
仏が消えたのが仏かもしれん。

「我も仏もなかりけり、南無阿弥陀仏」。by一遍上人

549名無しさん@3周年:04/10/09 15:56:57 ID:/3PRHs13
釈尊解脱の際の経典『ウダーナ』
○日没時の詩
 実に“ダンマ”が、熱心に冥想しつつある修行者の“顕わ”になるとき、そのとき、
彼の一切の疑惑は消失する。というのは、彼は縁起の法を知っているから。
○真夜中の詩
 実に“ダンマ”が、熱心に冥想しつつある修行者の“顕わ”になるとき、そのとき、
彼の一切の疑惑は消失する。というのは、彼はもろもろの縁の消滅を知ったのであるから。
○夜明けの詩
 実に“ダンマ”が、熱心に冥想しつつある修行者の“顕わ”になるとき、彼は悪魔
の軍隊を粉砕して安立している。あたかも太陽が虚空を輝かすがごとくである。

「ダンマが顕わになる」というのは釈尊ひとりだけのことではなかった。
過去七仏が解脱を得たときの光景
 「以前には聞いたことのないダンマに於いて、わたしに眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、
  明が生じ、“光”が生じた。」

ダンマはいろもかたちもない > 如来

 「比丘たちよ、一人の顕わになることから、大いなる眼の顕わになることがあり、
大いなる光明の顕わになることがあり、大いなる光照の顕わになることがある。
一人とは誰であるか、如来・阿羅漢・正等覚者である。」
550あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/09 15:58:42 ID:zfLRtqsY
わたしたちは、おしゃか様の声を聞いた声聞(しょうもん)ではなく、ヒマラヤ山脈を超え、中国で消化され、更に、日本化された仏教徒です。

2500年前に、現在を、移し帰す事もできません。
ただ、おしゃか様の、法(ダルマ、真理)を、受け継いできたものだと言う、諸先輩の歩みに連なるものです。
聖徳太子の仏教帰依が、日本仏教の始まりでしょう。
それ以前は、仏教は、存在しませんでした。
大衆部(北伝、大乗)仏教は、おしゃか様のこころの直伝です。

おしゃか様のお悟りの真理、を、如是我聞と、聞いている者、です。
551名無しさん@3周年:04/10/09 16:23:56 ID:83Ncou3j
「声聞」ってお経を読んで理解して悟ろうとする人のことでは?
552484:04/10/09 16:34:13 ID:+dKX8QG2
>>550

>ただ、おしゃか様の、法(ダルマ、真理)を、受け継いできたものだと言う、諸先輩の歩みに連なるものです。

もし、法然さんが現代に生き返ったならば、浄土三部経は捨ててかえりみなかったし、
念仏も説かなかったでしょう。
諸先輩の歩みを尊重するということの中に、後世の研究の結果明らかになった
誤りを正すという真摯な姿勢も含まれると思いますが。
「伝統」に甘んじて、諸先輩の成果を無批判に受け入れることは、かえって
諸先輩に失礼な態度ではないでしょうか。
553あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/09 17:27:22 ID:zfLRtqsY
>>551
> 「声聞」ってお経を読んで理解して悟ろうとする人のことでは?

そうではないと思います。
「おしゃか様の声を聞いた声聞(しょうもん)」 であると思います、 「声聞」 って。
554あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/09 17:38:06 ID:zfLRtqsY
>>552  484[] 投稿日:04/10/09(土) 16:34:13 ID:+dKX8QG2  さん
> >>550
> >ただ、おしゃか様の、法(ダルマ、真理)を、受け継いできたものだと言う、諸先輩の歩みに連なるものです。

「 諸先輩の歩みを尊重するということの中に、後世の研究の結果明らかになった 誤りを正すという真摯な姿勢も含まれると思いますが。」

大衆部仏典が、偽経と言う主張でしょうが、
「おしゃか様の、法(ダルマ、真理)を、受け継いできたもの」と言う事が了解できれば、おしゃか様のお悟りが、満ち溢れているのが、分かると思います。
555 ◆aj02kekrv6 :04/10/09 17:45:31 ID:9ZJPqRps
>>554
であるから、阿弥陀の教えは、お釈迦さまの教えを真っ向から否定する外道の教えだといっているのですが。
556519:04/10/09 17:51:37 ID:eZM782CC
>>552
仏教とか思想は、時代とともに発展していくのかと思います。
今の時代も決していい時代とはいえないし、
そういう時代・時代に中興の祖というのは現れる。

言語とは、いつの時代にも有効ですが、言語もまた発展していく。
そのように法は変わらないくても、時代によって発展していく。
念仏はいつの時代にも有効です。
ただ、時代によて発展はするかと思います。

龍樹も、やはりそんなことを言ってますね。
龍樹自身の説も、ひとつの解釈であり、それはまた時代によって発展していく。
557484:04/10/09 18:12:24 ID:+dKX8QG2
>>554
私は、大乗仏典だからという理由ですべてを否定するつもりはありません。
釈迦の時代にも悟りに至った人が何人もいたし、釈迦没後の教団にも悟りを
開いた人は出たことでしょう。だから、悟りを開いた人がその境地を書いた
ものが大乗仏典としてまとめられた可能性は高いと思います。

しかし、>>555でも指摘がある通り、浄土三部経の趣旨そのものが釈迦の理念
に反している上に、阿弥陀仏はもはやネタがバレた手品にすぎないのです。

ちょっと前に、タラバガニの贋物(アブラガ二)が出回っているという
ニュースがありました。値段は安いんですけど、本物の味を知っている人には
すぐに見抜ける。これを「どうせ庶民は安物しか買えないんだから、タラバガニ
だって偽って売った方が喜んで食えるんだからいい」という姿勢は、どうせ悟り
には遠いんだから、念仏を唱えさせて来世に期待するという阿弥陀信仰の本質と
同じ理屈だと思う。しかし、テレビで大々的に「贋物現る」と報道されてしまえば、
一貫の終わりです。それでも偽称して売り続ければ、立派な詐欺行為です。
558484:04/10/09 18:17:37 ID:+dKX8QG2
それに、「役に立つんだから」という正当化は何にでも通用することに
注意するべきです。以下のその例です。

1.泥棒がいなくなれば警官は不要になって、失業者が増える。だから泥棒は
社会の役に立っている。

2.菩薩は、成仏には程遠い凡夫を救うのが仕事だから、凡夫が釈迦の教え
を実行して自ら成仏の道を歩みだすと、菩薩は失業する。だから、菩薩の
慈悲に甘んじればいいのだ。
559名無しさん@3周年:04/10/09 18:49:27 ID:GNbIPwUd
484がいいたいのは阿弥陀信仰は詐欺行為ってことなのか?
よくわかんないけれど、はっきりいってスレ違いだよ。
560名無しさん@3周年:04/10/09 19:11:22 ID:4QHwgMt+
声聞というのは釈迦の教えを聞いて悟る人のことで、つまり頭のいい人のことです
聞こえるはずのない声が聞こえたりする人、特殊能力で悟る人はえんかくと
いうのではありませんか?
>>553
561けちゃっぷ:04/10/09 19:49:09 ID:W8Liq90a
たとえば怒りが起こった時、念仏が起これば怒りが治まります。また、念仏できる幸せな私が、なぜ怒る必要あるんだろう…それは私の煩悩(わがまま)にすぎないんだと、気付きます。
562けちゃっぷ:04/10/09 19:53:01 ID:W8Liq90a
念仏は、俗世の価値観と一歩離れたところに自分を切り替える、スイッチです。そして、煩悩まみれの凡夫である自分に気付かせてくれ、懺悔させてくれます。懺悔は罪業を断つ剣だと言われます。
563519:04/10/09 20:01:33 ID:eZM782CC
私は、阿弥陀信仰というのは「生きるための智慧」かとおもいます。
阿弥陀を通して、生き方というのを学ぶのかと思う。
あまり理屈はいらない。

生きるのに、そんなに理屈は必要じゃない。
その宗旨が民衆の支持を集めたたのかとおもう。

現代も、鬱や自殺者が増えている。
人間が極限にあるとき阿弥陀にすがる。
阿弥陀に救われるのではなくて、阿弥陀を求めようとする自身に救われるのだ。

書籍には、こういうことは書いてない。
本ばかり読んでると大事なことは分からん。
564484:04/10/09 20:04:30 ID:+dKX8QG2
>>559
おっしゃる通りなんですが、まあ、禅と念仏の双修が本流であったことも
事実ですから、しばしお許しを。
565519:04/10/09 20:09:19 ID:eZM782CC
>>564
阿弥陀仏の真贋は、もはや問題にもなるまい?

まあ、ここのとこを慧眼という。
いわゆる開眼。
566484:04/10/09 20:12:30 ID:+dKX8QG2
>>563は、他力と阿弥陀信仰をごっちゃにしている。
他力ならば、他にすがる対象はいくらでもある。唯一絶対神である
エホバ、アッラーなどにすがればよい。阿弥陀仏にすがるのがなぜ悪い
かと言うなら、それはすでに作り物であることがバレているから。
もし、「ビルシャナ仏や大日如来にすがる」というのなら、こんなに
目くじらは立てない。

それに、あなたは本を読む以前に、理解力そのものが欠落していると
思うのだけど。けちゃっぷ氏のは、自己欺瞞による「バカのフリ」だけど、
あなたのは天然。
567けちゃっぷ:04/10/09 20:12:52 ID:W8Liq90a
怒りには怒りの原因があり、その念の連続が怒りを継続させます。そこに革命的に念仏が起こる。口の南無阿弥陀仏・意の往生するぞ。一瞬、念仏に口・意が占拠される。それが怒りの念を断ってくれます。
568けちゃっぷ:04/10/09 20:17:46 ID:W8Liq90a
>566 他力とは、念仏の行の効果が自然現象のように当然起こることの表現です。氷にお湯をかけたら、当然氷が溶ける。お湯をかける人の能力に関係なく溶ける。念仏も、口で称えるだけで自然に効果があります。
569484:04/10/09 20:19:50 ID:+dKX8QG2
>>567
もし、その仏の名前が「ビルシャナ仏」だったら何か不都合でもある
のでしょうか。阿弥陀仏でないといけないという理由を、もうそろそろ
答えてくださいよ。
570けちゃっぷ:04/10/09 20:24:48 ID:W8Liq90a
阿弥陀仏信仰は、口称念仏という修行への信仰なのです。口業と意業の同時シンクロ行為を一瞬でも意識することを心がけ始めたら、そこに革命的な成長があるのです。もうレベルアップするというか、したのです。
571519:04/10/09 20:25:54 ID:eZM782CC
>>566
>それに、あなたは本を読む以前に、理解力そのものが欠落していると

信仰というのは理解するもんじゃないよ。
阿弥陀をとおして「自分を学ぶ」。

ここが大事。
572484:04/10/09 20:26:42 ID:+dKX8QG2
あいかわらず説明になっていない。w

人から問われて、はぐらかさねばならないような信仰を、あなたは一生かけて
やっていくつもりですか。
573484:04/10/09 20:28:29 ID:+dKX8QG2
>>571

何をわかったようなたわごとを。
理性に基づかない信仰とは、迷信にすぎない。
574けちゃっぷ:04/10/09 20:29:42 ID:W8Liq90a
>569 不都合はまったくありません。口で称える修行が初心者には最適なんだと気付かせる教義であり、なおかつ臨終に初めて知った人でも救われる教義であれば。たまたまそれが阿弥陀だっただけです。
575484:04/10/09 20:31:59 ID:+dKX8QG2
>>574

そうすると、もしあなたが最初に出会った「口で称える修行」というのが
オウムだったとしたら、そこへ帰依されたわけですね。マントラを称えて
無我状態になる修行というのは、星の数ほどありますからね。
576けちゃっぷ:04/10/09 20:33:15 ID:W8Liq90a
信じて称える、意業と口業のシンクロをはかる、その行為に力があるのです。たまたまお経ではそれを、阿弥陀仏の本願力と呼んでるだけです。
577484:04/10/09 20:34:43 ID:+dKX8QG2
そうだ。一番ポピュラーなのを忘れていた。
キリスト教は、キリストを贖罪主として認めるだけで救われますよ。
特にプロテスタント。臨終でも間に合うかもしれないし、念仏を唱える
労もない。これが一番お手軽です。あなた向きかも。
578けちゃっぷ:04/10/09 20:36:45 ID:W8Liq90a
念仏という手段で無我の境地をめざすんじゃないです。念仏を知った段階が、仏教徒として1ステップ上の境地なのです。手段じゃなく目的なのです。
579484:04/10/09 20:45:25 ID:+dKX8QG2
>>578
念仏が手段でなくて目的であるというのなら、阿弥陀仏の実在性が大前提に
なりますよね。念じる相手が不在だったら意味がないから。

あなたは、心の底から阿弥陀仏は実在すると信じておられるのですか?
580 ◆aj02kekrv6 :04/10/09 20:57:38 ID:9ZJPqRps
阿弥陀仏が問題となっていますが、
どなたか、禅の立場から発言していただけませんか?
581 ◆aj02kekrv6 :04/10/09 20:59:21 ID:9ZJPqRps
たとえば、禅では他力でも自力でもない、自然(じねん)であるとか・・
582魔法のマント ◆zPDVctO00E :04/10/09 21:00:58 ID:GnjrMStI
(答)不思議なことはあるよ!
583名無しさん@3周年:04/10/09 21:09:42 ID:Ulon4c2q
けちゃっぷ&机の二人がかりで、たった一人にケチョンケチョンにやられております。(笑
584マヨネーズ:04/10/09 21:15:47 ID:qTYiN4/R
観無量寿経の観想法するぽ
585名無しさん@3周年:04/10/09 21:18:10 ID:jRnhXbvQ
>>484
貴方がいくら正論を100万回言っても無駄ですよ。

だって彼らは、終始聴く耳ないもの。(笑

何時かは貴方がアフォらしくなって引く事になりますよ。

だって彼らは、こうして何年もこの板に張り付いているんだもの。(笑
586484:04/10/09 21:20:26 ID:+dKX8QG2
>>580

藤吉慈海『禅と浄土教』講談社学術文庫、を読んだことがありますが、
禅は自力から、念仏は他力から入って、最後に自力=他力のような状態に至って
悟りが開かれると説明していたと思います。

自力とは自我そのものですから、いずれは否定されなくてはいけない。禅は、自力
でとことん進んで、玉砕する感じだと思います。自我が砕けるまで時間がかかる
代わりに、決定的です。一方、最初から他力に頼るのが念仏ですが、合理的なように
見えてうまくいかない。なぜなら自力を試して挫折するという経験がない分、
自我を温存してしまうからです。浄土門では、本当に悟った境地に至った人を
妙好人と呼んで尊敬しますが、これまでほとんど数人しか現れていない。実績から
言えば、圧倒的に禅に軍配が上がる。

ましてや、現代においては、阿弥陀仏の権威は地に堕ちてしまっている。誰も信じない
仏の名前を称えて瞑想の真似事をやっても意味ありません。

実を言うと、自我を滅することで絶対的真理に至ることを、明確に説いている
のは西洋人のヤコブ・ベーメです。なかなか一般書では入手不能なので、ちょっと
抜粋します。

弟子がいった。「思案と意欲とをやめてしまったなら、どうして(神の言葉を)
聞けるでしょう?」
師はいった。「君が君の自我の思案と意欲とをやめるなら、君のうちに、永遠の
聴、永遠の視、永遠の弁舌があらわれ、それが君をとおして、神を聞き、神を見る
のだ。君自身の聴と意と視とは、君をさまたげて、神を見ることも、利くことも
できないようにしてしまうのだ。」(『霊の命について』No.3)
587519:04/10/09 21:23:21 ID:eZM782CC
>>579
>念仏が手段でなくて目的であるというのなら、阿弥陀仏の実在性が大前提に

阿弥陀仏の実在性はないですよ。
「我と仏はなかりけり」。by一遍
仏という概念は、そもそも仏教にはない。

禅では、是仏でも→是仏に非ず。

ようは、これは理屈じゃない。
そこが浄土門の悟りなんでしょうね。
588名無しさん@3周年:04/10/09 21:27:49 ID:zY/4AdSg
>>587
引っ込め机。
おまけに一遍上人の引用も間違えてるぞ。(笑
589519:04/10/09 21:33:56 ID:eZM782CC
>>588
「となふれば 我も仏もなかりけり 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
一遍上人
590519:04/10/09 21:36:36 ID:eZM782CC
ようするに、「仏」という概念もなくなって、それで阿弥陀如来の慈悲がわかってくる。

実在性とかの概念も、もはや意味はない。
591けちゃっぷ:04/10/09 21:43:43 ID:W8Liq90a
「阿弥陀仏」は名前です。ゴジラ松井と呼ぶ場合に、ゴジラが実在して、松井がそのゴジラであると、信じてはいません。しかし、ゴジラの物語を知ってる人は、その呼び名で松井という選手をイメージできますよね
592マヨネーズ:04/10/09 21:46:01 ID:qTYiN4/R
道元禅師の言う、
仏になる為に坐るのではなく、
坐る姿がそのまま仏なのだ。だろ?
593マヨネーズ:04/10/09 21:47:30 ID:qTYiN4/R
わしらには無理だす。
594けちゃっぷ:04/10/09 21:47:56 ID:W8Liq90a
一切衆生を救うという阿弥陀仏は、仏の慈悲の呼び名なのです。本願力とは、口称念仏の力の呼び名なのです。長々と説明しなくても、阿弥陀仏の名だけで、お経の教えを一瞬でフラッシュバックできるのです。
595519:04/10/09 21:51:39 ID:eZM782CC
>>592
そうそう。
ようするに「作仏することなかれ」。「瓦を磨いても鏡にはならぬ」。

即心即仏も→非心非仏。意味は同義。
596けちゃっぷ:04/10/09 21:55:53 ID:W8Liq90a
>592 「口先で 南無阿弥陀仏と いえばよい 心なくして 申せるものか」。信じよう信じようとすることさえ必要ありません。口から念仏が出たという既成事実に、「あ!僕も念仏者だ!」と喜ぶのです。
597マヨネーズ:04/10/09 21:56:25 ID:qTYiN4/R
ふむ。そりは便利ですな。
598けちゃっぷ:04/10/09 22:00:25 ID:W8Liq90a
座る姿がそのまま仏というのも、仏への信仰がなければ成り立ちませんよね。意業と身業の同時念仏です。
599マヨネーズ:04/10/09 22:02:26 ID:qTYiN4/R
まあ狭き門だと思うが良いレポ、キボンですよ。
600519:04/10/09 22:10:26 ID:eZM782CC
>>599
二項に迷うことが、いかに迷い根源か。

こういうことですね。
架空の阿弥陀如来。って・・・その概念こそが迷いだったんです。

こーゆーことは、書籍をいくら読んでも書いてない。
まあ、自分で開眼しなきゃならないんでしょうね。
601名無しさん@3周年:04/10/09 22:23:10 ID:nq4oUA1w
禅&念仏の盲信者どもが屁理屈のゴリ押しで黙らせた(笑

ていうか、己の浅はかさを世間に証明して見せましたね。

理屈じゃないんですよという最低の屁理屈。
602いつかのあるある:04/10/09 22:58:29 ID:7n36K+rK
>>480
おひさしぶりです。
(今日、数ヶ月ぶりにネットを開きました。)
私が2ちゃんねるに書き込むことは今後ないと思いますが、NBさんがUPして下さった、
自然法爾章の親鸞聖人の御言葉に触れ、改めて「聖人の霊性に参じさせていただきたい」
との想いが新たに湧き上がってきた次第です。
ありがとうございます。

合掌
603名無しさん@3周年:04/10/09 23:39:09 ID:1ZZFcFYN
「人を千人殺してんや」  エイッ、 ヤアッ !

合掌。
604NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/10 01:16:11 ID:fDAKFIqj
>>586
これはけちゃっぷさんにもお聞きしたいことなんだけど、
「浄土三部経」って、いったい何のことですか?
また、もっと言えば「浄土三部経」とはどのように定められたものですか?
『選択集』を読んで「精緻な理論が展開されている」と感じたそうだけど(>>539)
とてもそうは見えないよ。あまつさえ法然聖人を「評価」したりして。

それとあなたの使い方でいう「妙好人」の用語法は真宗のものです。
あなたの言う「浄土門」とやらの言葉ではありません。
また、「これまでほとんど数人しか現れていない」なんてこともありません。
一体どんなソースだとそうなるわけ?

つうかまあ。架空の前提で架空の議論をするのはやめましょう。
605NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/10 01:19:34 ID:fDAKFIqj
>>602
ううむ。「いつかのあるある」だけじゃ、
ちょっとどなたか思い浮かびませんけど(ゴメソ
ありがとうございます。合掌。
606けちゃっぷ:04/10/10 01:43:10 ID:fMLPed52
“浄土三部経”とは、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』です。浄土(阿弥陀仏)について説かれたお経のうち、特に浄土をメインテーマにしたお経を、法然さんがこう呼んだものです。
607NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/10 02:20:54 ID:fDAKFIqj
>>606
うん。まあ、「正明浄土・傍明浄土」とは言いますけど、
こういう場でいきなり「浄土(阿弥陀仏)」なんてくくり方を
しちゃうといらぬ誤解と混乱を生むとは思いますよ。

「法然さんがこう呼んだ」とかもかなり不親切。
浄土宗立教開宗の正依の経典として選取されたものですし。

先人の心を敬う者ならば、そういったニュアンスにはこだわりましょう。

まあ、とりあえず。
608けちゃっぷ:04/10/10 03:01:50 ID:fMLPed52
>607 そこまでご存じなら、質問の意図は?
609NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/10 08:20:05 ID:fDAKFIqj
>>608
ん?教えを乞うているとでも思いましたか?

失礼ながら、あなたが法然聖人のお流れに
浴する人であるとは、とても思えません。

あまりにも仏・祖を軽んじすぎです。
610 ◆aj02kekrv6 :04/10/10 08:24:27 ID:inEarL6v
というか、そのこだわりは 変
611けちゃっぷ:04/10/10 08:41:41 ID:fMLPed52
>609 あの質問の仕方だと、「浄土三部経」が何なのかすら知らないのかと思いましたので、いきなり専門用語並べ立てるほうが不親切かと思いました。
法然聖人は、一般的には法然上人と書きます。
612NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/10 08:44:35 ID:fDAKFIqj
>>611
真宗の系譜では、特に法然聖人とお敬い申し上げます。
613けちゃっぷ:04/10/10 08:52:39 ID:fMLPed52
>612 おはようございます。なるほど。僕は浄土宗所属なもので。
で、「浄土三部経」についての質問の意図は何だったのでしょうか?
614519:04/10/10 08:56:00 ID:duGqc988
う〜む。

これは東本願寺と西本願寺の違いかな?
615けちゃっぷ:04/10/10 08:56:53 ID:fMLPed52
まぁしかし、僕は、他宗の人の目にも触れるような場では、日本の祖師には「さん」付けで呼ぶようにしてます。
616けちゃっぷ:04/10/10 09:01:59 ID:fMLPed52
>614 一応確認しておきますが、念仏というと親鸞さんの浄土真宗を思い浮かべる人が多いのですけど、僕は法然さんの浄土宗(鎮西派)です。もうひとつ、浄土宗西山派というのもあります。
617NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/10 09:08:40 ID:fDAKFIqj
>>613
おはようございます。これから出ますのでまた夜にでも。

質問の意図。といったようなものはすでに>607で

>先人の心を敬う者ならば、そういったニュアンスにはこだわりましょう。

とレスしてあります。
618けちゃっぷ:04/10/10 09:22:44 ID:fMLPed52
つまり、その台詞を言いたいがために、伏線をはっただけということですね。
619名無しさん@3周年:04/10/10 13:18:23 ID:IVBccZYL
双方、我執で痛み分け、の巻。
620549:04/10/10 14:25:14 ID:18v90yQh
>549
『和讃』
弥陀成仏のこのかたは 今に十劫をへたまえり
法身の光輪きはもなく 世の妄冥を照らすなり

『弥陀如来名号徳』
阿弥陀仏は“智慧の光”にておわしますなり。この光を無碍光仏ともうすなり。
無碍光と申す故は、十方一切有情の悪業煩悩の心にさえれれず、隔てなき故に、
無碍とは申すなり。・・・・唯、他力の信心によりて、不可思議光仏の土にはいたる
と見えたり。不可称・不可説・不可思議の徳を具足す。
心も及ばず、言葉も絶えたり。かるが故に、不可思議光仏の見えたり。
南無不可思議光仏。。。合掌 (-∧-;)

「無明法性ことなれど、心はすなわちひとつなり、この心すなわち涅槃なり、この心すなわち如来なり」 by道元
「弥陀の本願信ずべし、本願信ずるひとはみな、摂取不捨の利益にて、無上覚をばさとるなり」 by親鸞  
621名無しさん@3周年:04/10/10 14:34:34 ID:18v90yQh
「発無上心」

「菩提心をねんらいするといふは、・・・・造仏造塔するなり、読経念仏するなり、
為衆説法するなり、尋師訪道するなり、一礼三宝するなり、一称南無仏するなり。
かくのごとく八万法蘊の因縁、かならず発心なり」 by 道元
622名無しさん@3周年:04/10/10 18:23:40 ID:mhG0ulut
どっちにしても、

なむあみだぶつ

なんて

おしゃれじゃないよね。
623NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/10 22:03:44 ID:fDAKFIqj
>>620
ありがたいですね。合掌。

さっき帰りました。
624名無しさん@3周年:04/10/10 22:52:34 ID:18v90yQh
NBさん あんまりケチャップさんをいじめないで下さいね。
ケチャップさんは携帯で読み書きしてるのでそれだけで、
大変な労力を使ってるんだから。

NBさんの書き込みは他スレで拝見させて頂いております。
最近お休みが多いのが残念です。
625NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/10 23:21:29 ID:fDAKFIqj
>>624
けちゃっぷさんって方は携帯からのカキコなんですか。
初めて知りました。
禅であれ念仏であれ他のお立場であれ、
建設的な対話ができるのが一番いいですよね。
あなたの>620-621のようなレスを見るとほっとします。

なにはともあれ、ご忠告ありがとうございます。
626けちゃっぷ:04/10/11 00:06:04 ID:fS8eay3o
パケ放題だし、どこでも書けるので、苦ではないんですよ。遠慮なくいぢめてください
627NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/11 00:29:30 ID:AiViki58
>>626
いじめるつもりなんぞ毛頭ありませんよ。
そんな眼で人を見てないつもりです。

ってなわけで、あらためて、初めましてです。
わたしは浄土真宗本願寺派の僧侶なんです。

弁長上人のお流れはよく知りませんけど、
よろしくお願い申し上げます。
628名無しさん@3周年:04/10/11 00:35:16 ID:PoMI8mu3
>けちゃっぷさん
>NBさん

浄土系・禅系・密教系で現代版の教相判釈をやろうというスレがあります。
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1097136146/l50
過疎化はげしい神社仏閣板なので、熱く語るお二人が必要です。
ぜひ一度おこしください。
629NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/11 01:08:03 ID:AiViki58
阿弥陀仏は架空。の人は今日はいないようで。
なんだかすごく、つまんないねw

じゃ。おやすみなさい。
630名無しさん@3周年:04/10/11 01:45:41 ID:oVIKB6/V
阿弥陀仏がいる証拠は?
(ウンチマンがいる証拠は?)
631519:04/10/11 04:41:27 ID:/0qVH3VN
>>601
>ていうか、己の浅はかさを世間に証明して見せましたね。

これは個人の自由。どう思うと全てが自己責任。

>理屈じゃないんですよという最低の屁理屈。

理屈づめでしたら、死ぬまで一遍上人の偈はわからない。

私の自論は「知のベクトルは法から離れる」。
632名無しさん@3周年:04/10/11 08:33:47 ID:g1PVmMzN
>>631
あたしゃ楽しんで煽ってるだけだから、こっちに振らずに>>484にからめよ。机

ちなみに、いまだにあんたは「こえばかりして」の人だな。(笑
633けちゃっぷ:04/10/11 08:49:33 ID:fS8eay3o
>628 ありがとうございます。覗いてみますね
634けちゃっぷ:04/10/11 08:54:46 ID:fS8eay3o
NBさん、真宗の僧侶でいらしたのですね。親鸞会とかじゃなくてよかったです。
浄土宗は法然さんの弟子の弁長さんの流れではありますが、基本的には法然さんを基準にしてます。
635 ◆aj02kekrv6 :04/10/11 09:58:40 ID:vVevo9AR
だがしかし、ここは坐禅のスレであることをわすれないようにお願いいたしますだ。
636けちゃっぷ:04/10/11 10:28:34 ID:fS8eay3o
鈴木大拙さんも『日本的霊性』で法然・親鸞を取り上げてます。「さとりとは、さとらでさとるさとりなり。さとるさとりは夢のさとりぞ」。法然さんなんかは、「悟ったぞ」と言わない悟りだった…と。
637あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/11 15:42:54 ID:vyRNIe0U
ここは、確かに禅スレですが、浄土門に限らず、なに宗であれ、自論を展開していただく場所であります。
また、だれそれは、ダメ と排斥する事も、やめています。
たとえば、レス番で参加なさっている方も、遠慮深げであります。519さん(笑)
統一仏教会 とでも、名づけてもいいと思いますから。
また、統一仏教会を希求して言っても、よいと思います。
黄檗宗をご存知だと思います。
NBさん、けちゃっぷさん、浄土門の方々とも、決して、相反するものでは、ないと思います、禅は。
638NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/11 23:12:48 ID:AiViki58
>>637
ありがたいですね。ありがとうございます。

いろんなジャンルの音楽を好むようにいろんなご宗旨の
響きに耳をすませたいものですね。
あ、仏道を音楽なんぞに例えるな!ってな向きもありましょうが、
真宗のとある僧侶の言葉。

「仏教は決して他人事のように聞いてはいけない。
しかし、他人事として聞けるうちに仏教に親しんでおくことは
大切なことだ」ってね。

そういえば真宗の蓮如上人の言葉にも「仏法は若き時たしなめ」
とありますね。
ひとつの立場だけが尊く思うのは老化現象なのかもしれません。あはは。
639 ◆aj02kekrv6 :04/10/11 23:42:22 ID:vVevo9AR
>>534
> 架空か?架空じゃないか?それはわからん。
ここがポイントだとおもいますよ。
阿弥陀仏は架空のものです。
それが、あなたには分かっていない。
だから、
阿弥陀仏を架空とすることを、トラワレだとしたい、ということですね。
640NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/11 23:58:47 ID:AiViki58
ふむふむ。阿弥陀仏は私と空(くう)を架け渡すものであると。
おおお、いいねえ。ww





って、書くと紛糾しそうだから最初に断っておきますが、
今日の朝を迎えるとあさっての夜まではカキコできません。
641名無しさん@3周年:04/10/12 00:09:06 ID:FhWjWDLG
>>639
お相手はあなたのお師匠様の机師なのだが、そこらへん認識できてるか?
いや、できているのならいいのだが、お師匠思いのあなただから・・
642名無しさん@3周年:04/10/12 21:32:06 ID:ZWHptm9Z
バカの集まりか、このスレは。
643魔法のマント ◆zPDVctO00E :04/10/12 22:46:28 ID:KzI0D4mP
不可思議光仏ね。
興味深いな。ボクは、このスレが。
644魔法のマント ◆zPDVctO00E :04/10/12 22:49:31 ID:KzI0D4mP
寝え。寝えよう〜。寝え。
645マンゴー先生:04/10/13 16:21:32 ID:C28kNxsd
久し振りに覗きましたら、昔懐かしい阿弥陀仏叩きですか。悲しき哉悲しき哉。

>>630
>阿弥陀仏がいる証拠は?

あなたがいるということです。(ウンチマンも同様)
646あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/13 18:33:28 ID:ZyudzOJr
>>645
> 久し振りに覗きましたら、昔懐かしい阿弥陀仏叩きですか。悲しき哉悲しき哉。
> >>630
> >阿弥陀仏がいる証拠は?
> あなたがいるということです。(ウンチマンも同様)

(^-^)/おかえりぃ〜
お久しぶり、です。
あみだ仏が、光と時間であるのは、周知の事のはずなんですが、実在ではないと、改めて不在を主張する人も、います。
そのことの主張に、善悪はないんですが、ゆっくりと 話しを聞いていきたいと思っています。
学び合う、が、このスレのスレタイでもありますから。
647名無しさん@3周年:04/10/13 20:31:50 ID:92lPCuB8
聴く耳無いのに、会話にならんだろ。(笑
648魔法のマント ◆zPDVctO00E :04/10/13 21:06:39 ID:DxbersjW
簡単には、その姿が見えない。だから、いいんだろうね。
649484:04/10/13 22:27:16 ID:lGSe8AJU
久々に登場ですが、また明日から出張に出てしまいます。
というわけで、書き逃げになるけどスマソ。

>あみだ仏が、光と時間であるのは、周知の事のはずなんですが

光と時間ならば、供養する必要はありませんね。
結局、浄土宗も浄土真宗も、本来はタダのはずの光と時間とやらに値段を
つけて売りさばいているわけだ。

「阿弥陀仏は光と時間」というのと、
「阿弥陀仏は、浄土三部経に出てくる仏で、四十八請願によってすがる人々
を救ってくれる人格的な神仏」というのは、両立しない。
阿弥陀信仰肯定派は、この論理の表を裏を都合よく使い分けているだけ。
650あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/13 22:34:26 ID:ZyudzOJr
>>649
ひかりと、時間は、常在、です。

イエスさんが、言う
「かみの国は、近づいた」、と言う 語り出しも、まっかな大風呂敷と言えますね、(笑)

どこよ、かみのくにって、とか
言えるからね。
651484:04/10/13 22:38:07 ID:lGSe8AJU
>>650

宇宙に偏在する神を崇拝する宗教は、キリスト教やイスラム教などたくさん
あるが、葬式の時に多額の金を要求したりしないよ。「阿弥陀仏」という
ブランド名になったときだけでしょ?
652484:04/10/13 22:46:36 ID:lGSe8AJU
こういう言い方ができるんじゃない?

自然に湧いている清水は誰でも無料で飲めるが、それを瓶詰めして
「阿弥陀の水」名前をつけると有料で売れる。無料と有料の違いは
あるものの、中身は同じ。

しかし、それでは「阿弥陀の水」が売れないので、裏に四十八種類の
効能が書いてある。ただし、それは化学分析の結果じゃなくて、誰か
がそう信じているということを書いているだけ。
653あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/13 22:53:46 ID:ZyudzOJr
>>651
>>652
>>葬式の時に多額の金を要求

その事が、論点の主旨なんだね。

「多額の金」

あみだ仏、とは、かかわりがない、ことだから。な。
654名無しさん@3周年:04/10/13 23:16:41 ID:uX91KPZI
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1071698342/l50

釈尊の教えに一番近いのはこっちでしょ?
655マンゴー先生:04/10/14 00:04:48 ID:nT7J7e+j
48願をよく読んでみれば、全部覚りについての記述ですね。
要は釈尊の教えの通りに精進努力すれば覚りを得ることができますよと書かれている。
行け、行け、彼岸へ行けと説かれている立派な仏説です。
無量寿経では法蔵菩薩が阿弥陀仏になるというストーリーですが、法蔵は釈尊、
阿弥陀仏は釈尊の覚りを暗示していまして、釈尊が覚りに至る物語と解釈できます。
阿弥陀仏は無量光仏、無量寿仏のサンスクリット音写ですが、これは智慧(空観)に
よって感得される光明体験と、無限のいのちを支える空の慈悲としての側面を表して
いると思われます。すなわち阿弥陀仏=智慧と慈悲=覚りという図式。
覚りは苦からの解脱であり救いでありますから、私たちは阿弥陀仏に会えば救われる
という表現は嘘ではないでしょう。
人格的な阿弥陀仏というのは実は経典では全く強調されていません。
極楽浄土についても、観無量寿経では、すべて光の変化したものと記述されています。
念仏すれば救われるというのは後世の覚り人による阿弥陀仏に会う為の方便(手段)
なんでしょうね。

656あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/14 01:37:58 ID:4ulMzTEX
>>652
お念仏が、流れる中、お念仏を聞きながら、急いで死んでゆく。
それが、喜びであった、そう言う背景の浄土教。
死が、日常であった時代。
今の長寿、平和な時代からは、うかがいしれない。
わたしも、死が間近に迫ってきた、その時は、なむあみだぶつと、言おうと思ってます。
一神教は、
何も心配は要らないよ、全て、俺、神さまに、まかせっきりにしなさい、それで、OKだから。
と言ってます。
それって、だいあんじん(大安心)ですよね。
黄檗宗に、惹かれます。
657けちゃっぷ:04/10/14 19:00:08 ID:5IGyw/Kr
光と時間が我々を救うために活動しているとするなら、宇宙そのものが救いをめざしている。宇宙そのものが善であり、ハッピーエンドに向かっている。宇宙肯定論になります。世界はいつも僕の味方。
658けちゃっぷ:04/10/14 19:43:14 ID:5IGyw/Kr
日本が戦争に負けなければ、僕はこの世に生まれなかった。恐竜が絶滅しなければ、僕はこの世にいなかった。すべてに意味があった。宇宙を喜ぶことは、宇宙のすべての部品達を喜ぶこと。
659あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/14 20:49:16 ID:4ulMzTEX
>>657
> 光と時間が我々を救うために活動しているとするなら、宇宙そのものが救いをめざしている。宇宙そのものが善であり、ハッピーエンドに向かっている。宇宙肯定論になります。世界はいつも僕の味方。

>>658
> 日本が戦争に負けなければ、僕はこの世に生まれなかった。恐竜が絶滅しなければ、僕はこの世にいなかった。すべてに意味があった。宇宙を喜ぶことは、宇宙のすべての部品達を喜ぶこと。

地球上では、35億年まえに、生命が誕生したそうです。
そのDNAが100万年に、一回ぐらいの割合でちょっとだけ変化したものが現れるのだそうです。
植物になり、動物になり、随分形は、お互い変わりましたが、元へさかのぼっていくと、同じいのちである事が、分かります。
宇宙を埋め尽くしているように見える銀河の中のわたしたちの銀河の中心部から随分外れに在るわたし達の太陽。
その宇宙の時間と光の中に、あみだ様はいらっしゃるのです。
660名無しさん@3周年:04/10/14 21:30:53 ID:Jc2Zgf2f
念仏といっても仏の色相光明を念じるのは観仏三昧であるが、この念仏によって
仏身と同体の仏性をこの身に観想するなどは、智慧もおぼつかなく心も浅劣な自
分らの境界ではない……。仏の身相を観念せず、ただ仏の御名を念ぜよ。われわ
れ凡夫は何かと障害が多く、観想観仏など出来はしない。さればこそ釈尊が憐れ
みをたれて、称名念仏をひたすらにおすすめ下されておいでなのだ。
                     
「和語燈録――極楽往生への燈」より
661名無しさん@3周年:04/10/14 21:38:20 ID:Jc2Zgf2f
 ―――(略)
なぜか。するどい距離の意識によって浄土のヴィジョンに裂け目を入れた日本
浄土教が、そのことによって極限的な対象関係をつくりあげてしまったからで
ある。それは、「主体が他者との鏡像関係内で宙吊りになっている状況」にほ
かならない。念仏者は阿弥陀仏との鏡像関係内で宙吊りになっている。ちょう
どあてにならない恋人の心に向かって愛の告白をつづける主体が、不確かな他
者との鏡像関係内で宙吊りになっているように(わたしは阿弥陀仏に向かって、
その名を呼び続けている。しかし阿弥陀仏がわたしの臨終にあたって極楽浄土
に救い上げてくれるか、さだかではない)。存在と非存在の「間」にある浄土
は、存在の意識にとっては無限のかなたにあるように思える。称名念仏の主体
はその距離を一気に飛びこえようと名号をとなえつづけるが、その距離の意識
こそがこの発話行為をかたちづくっているものだから、念仏の主体は死に至る
までこの鏡像関係内で宙吊りになっていなければならないのだ。称名念仏は、
母親を求める幼児の発語や恋愛主体による愛の発語のように、二元論の語なの
である。親鸞が「横超」の思想によってのりこえようとしたのは、言語学的領
野につくりかえられた日本浄土教のはらむこの宙吊りのジレンマである。
                  「チベットのモーツァルト」・せりか書房より
662名無しさん@3周年:04/10/15 01:59:28 ID:MnAa7lkF
ttp://www.mumyouan.com/e/eo-i.html

皆さんここのサイトに書いてある主張をどう思いますか?
663あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/15 22:04:46 ID:5ddk0vis
>>660
>>661
「念仏者は阿弥陀仏との鏡像関係内で宙吊りになっている。」

わたしのあみだ様は、そんなんじゃなさそうだ。
あみだ様は、

お前は何もしなくていいよ。
なむあみだぶつと、となえなくったっていいよ。
おれ、光と時間が、
何にも心配は要らない
ように、駆け回っている、手配している。
俺が、勝手にやってるよ

と言っている。

それが、あみだ様ってもんだ。
664名無しさん@3周年:04/10/15 22:26:03 ID:jXv473hZ

劣った機根の者にも、それなりの称名念仏

よかったでがすな



665あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/15 23:24:16 ID:5ddk0vis
>>664
> 劣った機根の者にも、それなりの称名念仏
> よかったでがすな

劣った機根の者
それなりの称名念仏

侮蔑(ぶべつ)なさっているんですか?まさかね・・・
666いつかのあるある:04/10/16 09:37:28 ID:Cr6IpjPS
>ううむ。「いつかのあるある」だけじゃ、
ちょっとどなたか思い浮かびませんけど(ゴメソ

某スレで御世話になった“Va”です。
蛇足になりますが、2ちゃんねるからの消滅に際して再度身分を顕かにしておきます(念の為)。
667マンゴー先生:04/10/16 09:42:09 ID:wbZKmdKU
阿弥陀仏は無分別平等の境地に住しているのだから、その働きかけに人格のありや
なしやを議論する必要性はありません。
私たちが為すべきことは、ただひたすらに感謝と報恩なのであります。
いたずらっこで、信仰しないと罰を与えたりする「神」とはそのあたりが違うように感じ
ます。
668あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/16 15:13:18 ID:xQQUZTtN
>>667 さん
わたしのあみだ様は、
一神教の神と言ってもよいと思います。
神さまが、何でもやってくれているので、お任せっぱなしで、こちらは何の心配も要らないで、毎日を暮らしていると言うものです。

669NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/17 03:24:21 ID:N0Nvqk+n
>>666
ああっはっはっは。

ですw
なんで消滅する必要がありましょうか?またカキコしてくださいな。
お聞かせいただきたいです。おながい申しあげます。

ところで、「南無阿弥陀仏」の第4部でも建てましょうかねえ。えへへ。
670名無しさん@3周年:04/10/18 04:19:06 ID:4lAZf65n
机さん、もう来ないの?病気?
671名無しさん@3周年:04/10/18 06:12:19 ID:9elbHrfH
「スッタニパータを読む+ヴィパッサナーを実践する」
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1071698342/l50
みんな、もう、釈尊の言葉へ帰ろう。

比丘たちよ、この観法(四念住)は有情(生き物の心身)を清めるため、
心配や非泣を乗り越えるため、悲しみや憂いを滅ぼすため、聖なる道を得るため、
涅槃を実現させるためのただ唯一の道である。
                              (念住経より)

苦悩より解脱のため 観法があり 実行せん
観法の咎めとならん 貴の咎めなり
               (仏史より)
672机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/18 06:54:34 ID:iF7P/wQh
ROM記念

>>670
書き込みはしていない。
今のところは、たまにロムるだけです。

673名無しさん@3周年:04/10/18 07:40:10 ID:sYUQaOYS
白隠の『内観の法』も四つの公案を観念するそうですね。
674栗花 馨:04/10/18 10:52:55 ID:t37INIr9
>書き込みはしていない。
ええええ〜〜〜〜〜!!!!!
>今のところは、たまにロムるだけです。
今のところは〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!

つーか調子悪いの?
いい意味であなたは、宗教的言葉は捨てて正解と思う。


675あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/18 13:21:58 ID:VIlFImC5
>>671
> 「スッタニパータを読む+ヴィパッサナーを実践する」
> http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1071698342/l50
> みんな、もう、釈尊の言葉へ帰ろう。
> 比丘たちよ、この観法(四念住)は有情(生き物の心身)を清めるため、 心配や非泣を乗り越えるため、悲しみや憂いを滅ぼすため、聖なる道を得るため、 涅槃を実現させるためのただ唯一の道である。
>                               (念住経より)
> 苦悩より解脱のため 観法があり 実行せん
> 観法の咎めとならん 貴の咎めなり        (仏史より)

大衆部仏教は、ヒマラヤ山脈を超え、中国を経て、日本に入り、日本化された仏教です。
聖徳太子以来1200年ぐらいの時間が、流れたでしょうか。
明治、アメリカを経て、上座部仏教が、入って着ました。
それから、120年ぐらいが、たったのでしょうか。
先に、統一仏教会、を提唱しましたが、方向は。全世界の禅宗教が、統一されていく方向にあると思います。
そう言う観点を、持つ事が、求められていると思います、わたしたちには。
676名無しさん@3周年:04/10/18 17:27:56 ID:mHBsVf3f
>>672
なんでやねん
677名無しさん@3周年:04/10/18 18:03:29 ID:KHd9g8v8
>>672

>>674 の様なアホウが多いからね。
行間読むこと知らないし(笑

もっとも、言葉で理解できる頭があったら、そもそも仏教なんてやってないだろう。
頭の悪い、あなた達は体で覚えなさい(笑
678あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/18 19:05:14 ID:VIlFImC5
>>676
>>677
机さんいじり、
栗さんいじり、
ちょっかいだしは、ここでは、よしといて下さいませんか?
何もカキコしないと言うのも、おふたりの愛情の、ゆえ、あらわれ、 だと思います。
アラシを恐れているのは、わたくしだけでは、無いと言う事です。
前スレ、三つに渡って、頑固なアラシで、スレが流れてしまった、苦い経験が、あります。
ですから、今のこの状態が、いかに貴重かを、理解していただきたいと思います。
勿論、そのアラシは、お二人となんら関係も無く、一方的なものでした、なにか詐欺事件についてのものでした。
真偽のほどは、判断不可でした。
出来れば、明るい話題をおねがいします。
679名無しさん@3周年:04/10/19 02:59:02 ID:Lxq6izI7

ROMすれば 隻手鳴る鳴り 四本足

隻手鳴り 耳を塞げぬ 仇花の策

あはさんが 収め収めと pasiru音
680名無しさん@3周年:04/10/19 09:30:16 ID:GpHd4lSx
隻手鳴る 正体見たり 失調症

コテハンを 我叩くゆえに 我あり

気がつけば コテハン叩きで 今日も暮れ
681武庫川女子大学総長:04/10/19 09:42:39 ID:y2x4Wah+
芋食えば ケツが鳴るなり 法隆寺
682名無しさん@3周年:04/10/19 11:38:19 ID:9gWkalNA
ゴータマが 人の心を 惑わせる

683あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/19 13:18:18 ID:ezdqRsFs
>>679
>>680
>>681
>>682
みなさん、悪いね、ご心配をかけました。
何でも、OKなんだけど、できうれば、明るく楽しく、それが一番だと思うから。
考え方の違い、環境の違いも何のその、明るく楽しくやっていきましょうよ。 _(_^_)_ペコリ
684名無しさん@3周年:04/10/19 14:32:26 ID:6hqmJrYz
今のお寺って悟りを開くところじゃないんですよね。
どちらかと言うと葬儀屋さんなんですよね。
もうどこにも悟りを開くことを目的としたお寺は無いのでしょうか。
685けちゃっぷ:04/10/19 18:04:59 ID:TiuuEhAw
>684 近所のお寺に尋ねてみては?教えてもらえると思いますよ。
686名無しさん@3周年:04/10/19 20:17:22 ID:Z5Uef/pY
>>685
きっと有料でな。
687栗花 馨:04/10/19 20:18:35 ID:gZe+4pCB
仏教には特定の教義はない
仏陀は、思想ではない。
釈迦に、文献学的方法やら思想史的方法やらでは永遠に出会うことない。
推理にすぎない抽出、実践を欠いた論理は、
縁起や無我に反し根本的に錯誤で矛盾する。
釈迦が入滅してから、
沈黙し実践する人達と釈迦の教えを書き留めようとする人達に分かれた。
権威として釈迦をかかげた僧団もそれからおよそ百年後に、
大衆部(だいしゅぶ)と上座部(じょうざぶ)の二つ教団にまた分裂した。
「究極極微の一瞬間。」「arhat」

688あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/19 22:30:46 ID:ezdqRsFs
>>687  栗さん
おしゃか様に、会いたい。
そう、願う。
如是我聞。
おしゃか様のこころを見る。
それが、見性(さとり)、と言えるのだと思います。
689単、直:04/10/20 00:10:42 ID:Kts5MSzx
お久しぶりです。オール
栗さんの687のカキコみて急に思い立ちました
下記のスレ見られて感想をお聞きして見たいのですが
どうでしょうかスレ主は既存の仏教解釈を全て否定した所から
お釈迦様の悟りを新ためて検証したと言ってる見たいですが・・・・

http://www.mumyouan.com/e/eo-i.html
690300@久しぶりに覗いた:04/10/20 01:51:38 ID:+hOnwSbS
>>689
ほとんど、ALL、その通りと言えます。
宇宙のかび説?を除いて
また、私よりもはるかに良く知っています。
691名無しさん@3周年:04/10/20 03:52:27 ID:CZZsoBbv
言葉で表せないものを言葉で説明、それにうなづけるなら
己というものを見渡す己に、ぼちぼちうなづいてみれば?

ただ「心」だけが、全てのものに名前を付け、全てのものに意味を与え、
全てのものの場所を決める。
その「心」の働きを止めるもよし、爆発させるもよし。
カラクリを見破ったら、悟りすらただの名前と気が付くだろう。
日々刻々と時間は流れ、現在は過去に、現在は未来に置き換えられる。
悟りに留まるもよし、悟りを用無しとするもよし。
そのままで一体何が欠けているというのだろうか?
692机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/20 10:40:47 ID:bU7PY+ad
>>691
そうだね。

生きるために、わざわざ意味付けをする。
その意味付けゆえに、自己が追い込まれる。

メンタル系において、これが顕著に顕れてる。

仏教が、メンタル系に役立ったらありがたい。
私は今、その課題に取り組んでます。

原始佛教スレをロムりながら、そのことを気づきました。
693単、直:04/10/20 10:45:37 ID:kANrZSNz
>>690 名前:300@久しぶりに覗いたさん
本当に久しぶりですネ
精神世界で癒される
http://life5.2ch.net/test/read.cgi/healing/1094528758/
今↑を立てさせて貰い常駐してます。

300さんも気が向かれれば覗いてみて癒しの精神風呂など
ありますので浸かって下さい(笑)
あぁ上記スレ紹介して頂いた方もいらっしゃいますので・・・

694名無しさん@3周年:04/10/20 11:26:48 ID:7jTnvpDw
>>691
>>言葉で表せないものを言葉で説明、それにうなづけるなら

この言い回しになぜか萌え。

>>己というものを見渡す己

この感覚、未だに良く分かりません。

>>カラクリを見破ったら、悟りすらただの名前と気が付くだろう。

すべては心の働きですね。生死も、我有りも、苦集滅道も、無限の時間も。
これにうなずいた今、何故か私の肉体は朽ちかけています。
心を爆発させるのもおっくうです。

>>そのままで一体何が欠けているというのだろうか?

一人一宇宙与えられていますね。


695名無しさん@3周年:04/10/20 11:30:22 ID:3uTFt/Sx
蝶を招くってなんですか?今年の春は学校で校舎歩いてると何匹かのもんしろちょう?に囲まれることはありましたけど
696栗花 馨:04/10/20 11:49:59 ID:aYTW1WbE
>悟りすらただの名前と気が付くだろう。
違います。
悟りに関して、無責任な発言です。
697栗花 馨:04/10/20 11:55:46 ID:aYTW1WbE
>私は今、その課題に取り組んでます。

独り読書だけではなく、専門家の講座にいって勉強してみたら良いと思います。
大学での聴講や文化教室のなかにもいいものがあります。
そこでの出会いや先生の人とその課題について謙虚にお話されたら良いと思います。
698栗花 馨:04/10/20 12:01:33 ID:aYTW1WbE
>行間読むこと知らないし(笑

クス
699栗花 馨:04/10/20 12:04:30 ID:aYTW1WbE
>「悟りの体験の神秘体験的側面についてページを割くよりも、
>その背景をなす人間の苦の本質についてページを割きたかった」、
>という事をEO氏はよく言っていました。

それなら、無明について語りましょう。
700栗花 馨:04/10/20 12:11:35 ID:aYTW1WbE
>NB ◆YIoCB90ZbI
葬式の時に多額の金を要求とあるが、
おまえが葬式の時に要求する金額はいくら?
おまえが読経で要求する金額はいくら?
おまえが墓売って要求する金額はいくら?
どんな面してその金を受け取っているのか教えてください。
701あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/20 18:26:21 ID:XHjrVflj
>>691 さん
> 言葉で表せないものを言葉で説明、それにうなづけるなら 己というものを見渡す己に、ぼちぼちうなづいてみれば?
> ただ「心」だけが、全てのものに名前を付け、全てのものに意味を与え、全てのものの場所を決める。その「心」の働きを止めるもよし、爆発させるもよし。
> カラクリを見破ったら、悟りすらただの名前と気が付くだろう。 日々刻々と時間は流れ、現在は過去に、現在は未来に置き換えられる。 悟りに留まるもよし、悟りを用無しとするもよし。
> そのままで一体何が欠けているというのだろうか?


「己というものを見渡す己」
自己と、自己を見る自己、さらに自己と自己を見ている自己の双方をを高みから見渡している自己、それが、神仏であると思います。また、こころと名づけてもいいと思います。

「そのままで一体何が欠けているというのだろうか?」
30数億年のかなたに、地球上に発生した、いのち。そのたった一つのいのちから、分かれ分かれて150万種に及ぶいのちが、今に続く。
個は個ではない。同じいのちが、あるいは動物になり、あるいは植物になって、続いている。
昨日があり、今日がある。明日は、来るのかどうかまでは、分からない。だから、いま、ここが、かけがえが、ない。ありがたい。

702あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/20 18:31:02 ID:XHjrVflj
>>695
> 蝶を招くってなんですか?今年の春は学校で校舎歩いてると何匹かのもんしろちょう?に囲まれることはありましたけど

花 無心にして 蝶を招く。
さとりの風景です。
宇宙の進行が、語られています。
703あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/20 18:37:14 ID:XHjrVflj
>>700  さん
> >NB ◆YIoCB90ZbI
> 葬式の時に多額の金を要求とあるが、
> おまえが葬式の時に要求する金額はいくら?
> おまえが読経で要求する金額はいくら?
> おまえが墓売って要求する金額はいくら?
> どんな面してその金を受け取っているのか教えてください。

どんなに正義と思う事をを語っても、たった一つの言葉で、全てが、いろあせてしまいます。
日常生活でも、話しをする相手に、「おまえが」とは言わないと思います。
論争するのが2チャンネルのツネではありますが、「愛語」を、語りましょう。
しかめっ面して、おしゃか様は、語れないと思いますよ・・・(笑)
704名無しさん@3周年:04/10/20 22:14:18 ID:CVg8aLWe
>>694
>すべては心の働きですね。生死も、我有りも、苦集滅道も、無限の時間も。
>これにうなずいた今、何故か私の肉体は朽ちかけています。
>心を爆発させるのもおっくうです。

理性や悟性で推理して、己にそう納得させているのですか?
おっくう?
単に暗性に陥ってるだけじゃな〜いの
沈鬱の対抗薬は、菩提心です

705691:04/10/20 22:18:56 ID:NEiwS1eV
>>694
>この感覚、未だに良く分かりません。
「694さん!」と僕が呼ぶ
「はい」と答える
答えた時点でもう半分以上わかってるんです。あとは気付くだけです。

>>696
>悟りに関して、無責任な発言です。
悟りに責任が伴うの?
誰に対する責任ですか?
責任が生じるってことは、悟りに実体があるとでも?
すごく奇妙な視点ですね。

::::::::::::::::::::::::::::::::
>>690
あなた本当に300さん?
僕ですよ、僕。300さんなら分かるはずだ。
「それ」は元気ですか?
706NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/21 00:04:15 ID:KC4F9h5n
>>703
つくづく。

面白い方ですね。ファンになりそうw

仏教って、本当にいいですよねえ。
707栗花 馨:04/10/21 00:08:26 ID:G+54z3wg
>NB ◆YIoCB90ZbI
葬式の時に多額の金を要求とあるが、
あなたさまが葬式の時に要求する金額はいくら?
あなたさまが読経で要求する金額はいくら?
あなたさまが墓売って要求する金額はいくら?
どんな面してその金を受け取っているのか教えてください。
どのような贅沢乞食をしていますか?


708.栗花 馨:04/10/21 00:33:20 ID:G+54z3wg
>>703
つくづく。

面白い方ですね。ファンになりそうw

仏教って、本当にいいですよねえ多額の金を要求できて。


709300@久しぶりに覗いた:04/10/21 01:32:08 ID:d7TRXXb2
>>691
久しぶりですね。
そんなに、くどいくらいにキーワードを書かなくても、誰か判りますよ。
さて、もっともな内容で、驚きです。
それとも、これは挑戦状ですか。
それでは受けてみましょう。
> 言葉で表せないものを言葉で説明、それにうなづけるなら
> 己というものを見渡す己に、ぼちぼちうなづいてみれば?
そうですね。それは反発から始まります。
それは自分の置かれた状況に対する反発。
状況を変えたいという反発。
自身を偉大だと知らしめたい反発。
自己の存在を証明したいという反発。
エゴの醜さへの反発。
俗への反発。
欲への反発。

俗は醜く、仏道は尊いという偏り。
欲は醜く、無欲は尊いという固執。
それが、偏見と固執に気づけば、俗もエゴも同じように尊い。

> ただ「心」だけが、全てのものに名前を付け、全てのものに意味を与え、
> 全てのものの場所を決める。
全てに価値を与え
全てに善悪を与え
全てに良否を与える
710300@久しぶりに覗いた:04/10/21 01:32:33 ID:d7TRXXb2
>>691
> その「心」の働きを止めるもよし、爆発させるもよし。
> カラクリを見破ったら、悟りすらただの名前と気が付くだろう。
心は自由に飛んで行く。何も束縛されてはいない。
尊いもの理想のものも、単なる固執にすぎず、
固執と解放にすぎない
> 日々刻々と時間は流れ、現在は過去に、現在は未来に置き換えられる。
> 悟りに留まるもよし、悟りを用無しとするもよし。
> そのままで一体何が欠けているというのだろうか?
何か欠けている。という思い。
恐れから自己の存在を証明しようとする思い。
自己の思いに固執し優先する行為。
それらが無いとき、すでに欠けているものはなく、何かを達成する思いもなく、自己に帰り着く。
711300@久しぶりに覗いた:04/10/21 01:42:01 ID:d7TRXXb2
>「それ」は元気ですか?
元気になったり、元気がなくなったりするのですか?
「それ」はふとしたときに癒し効果はありますが
いうなれば休憩所のような役目です。
えっ、違っていますか。
712566@久しぶり:04/10/21 02:13:28 ID:z7YJjvTs
ああ、確かに300さんだ。
挑戦するなんて、そんなそんな。
丁寧な補足ありがとうございます。
元気そうで何よりです。

>「それ」は元気ですか?
本物の300さんかどうか確認したかったのですよ。
>元気になったり、元気がなくなったりするのですか?
おっしゃる通り、です。
いやぁ、久しぶりに見たら、またお会いできて良かった。



713名無しさん@3周年:04/10/21 08:02:00 ID:5XrrJAyN
歪が二匹。
714名無しさん@3周年:04/10/21 08:38:56 ID:f9zZ1X2w
>>704
>>理性や悟性で推理して、己にそう納得させているのですか?
からくりフル回転ですね。
>>おっくう?
おっくうです。
>>単に暗性に陥ってるだけじゃな〜いの
脳内麻薬出まくりのチョーハッピーで〜す。
>>沈鬱の対抗薬は、菩提心です.
またカラクリですね。
>>705 :691
>>「694さん!」と僕が呼ぶ
>>「はい」と答える
>>答えた時点でもう半分以上わかってるんです。あとは気付くだけです。

俺が「はい」ではなくて
「はい」が俺
俺が宇宙を見ているのではなく
すべての表象が俺
一人一人に与えられた
一人一宇宙
なにも欠けていない
すべては一人一人の心の中に有る
悟りも迷いも
仏も衆生も
  *  *

しかしどーもこれには萌えん。→己というものを見渡す己
なんで己が二つなの? おせいて。



715机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/21 09:10:25 ID:U9Cej4TY
>しかしどーもこれには萌えん。→己というものを見渡す己
>なんで己が二つなの? おせいて。

「己」に論理性を追及しても、意味はないですね。

      (主客未分)
716名無しさん@3周年:04/10/21 09:13:54 ID:eZrzhlg8
>>715

その

>「己」に論理性を追及しても、意味はないですね。

と言う机さんの「己」とは何者ですか。「己というものを見渡す己」なのか、
それとも「『己というものを見渡す己』から見られる己」なのか。
717机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/10/21 10:39:32 ID:U9Cej4TY
>>716
>「己というものを見渡す己」なのか、→これは「己」が二つ。
>「『己というものを見渡す己』から見られる己」なのか。→これは「己」が三つ。

「己」という概念は、そのもの自体が分別概念です。
もとも、言語自体が分別概念に依りて意をなしてるわけですから。
その言語にどんな意味付けしても、もはや空論かと思います。

空論でしても、その空論において語ることは出来る。
これを不立文字という。

718名無しさん@3周年:04/10/21 11:26:42 ID:RFK7onvx
説明するほど「己」が増えとるがな。
719名無しさん@3周年:04/10/21 11:37:34 ID:f9zZ1X2w
三つは無いでしょ?
三つはこの人です
→自己と、自己を見る自己、
さらに自己と自己を見ている自己の双方をを高みから見渡している自己、
それが、神仏であると思います。
また、こころと名づけてもいいと思います

こっちの方がコワッ
これ何なんですか?
720名無しさん@3周年:04/10/21 12:14:16 ID:eZrzhlg8
>719

>さらに自己と自己を見ている自己の双方をを高みから見渡している自己、
>それが、神仏であると思います。

それは、「見られる自己」を意識した「自己」が思い描く神仏にすぎないのでは。
たとえば、楽園追放の時に、アダムとイブは神の目を恐れて藪の中に隠れる。
しかし、見るまでもなく神はすべてをご存知だから、隠れても無駄。

だから、「見るでもなく、見られるでもない自己」というしか表現方法があり
ません。

あと、「自己を見る自己」というのも厳密には間違っていると思う。「自己」
の姿を知りたいと思えば、他人の目を借りるしかない。たとえば、誰かと大喧嘩
をしたとする。自分の考え方は絶対に正しいと信じる。それでも、友人にすべて
を話して「な、俺は間違っていないよな」と確認しなければ安心できない。
「自己」を知るには、「自己」とは異質のもの=「他者」から見てもらう必要
がある。人間は、幼少から父母を「他者」として、「自己」を理解してきたの
です。だから、人間の「自己」とは、常に「他者」に裏付けられた「見られる
自己」です。

だから、「自己を見る自己」というのは、実のところは「他者を装った自己」
の視点から「自己」を見るということにすぎないのです。自分の頭の中で、
「他者」を作り上げて、「そうは言うが、君の言葉使いにもまずいところがあったの
では」という具合に、まるで実在する人物のように語らしめ、「反省」するのです。
721名無しさん@3周年:04/10/21 13:38:56 ID:f9zZ1X2w
禿げしく納得。違和感の正体が判りました。
722名無しさん@3周年:04/10/21 14:22:36 ID:f9zZ1X2w
「自己」こそ心のカラクリの真骨頂でした。
自分で似たような内容のカキコしておきながら忘れてました。(>>694)
生悟りのカキコはイクナイですね。
>>「見るでもなく、見られるでもない自己」
我無しの我、宇宙即我、悟りの境地ですね。
723あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/21 14:32:22 ID:RAIbkQGh
>>719 さん
>>720 さん
ほかにこんな説明が、あります。
たけしの師匠が、ストリップ劇場で、幕間のお笑いをやってたとき、言ったそうです。
舞台で演じている自分。
舞台で演じている自分を見ている観客の自分。
演者と観客を見ている自分。

之は、有る哲学者かなんかの言葉を、師匠は、知ってて言ったんだと思います。
つまり、かなり広く知られている言葉です。

この3者を、ただ一人の人の人間の心のはたらきを、言ったこころを、神仏のこころだと、言うところに、わたくし的、禅的、展開であろうと思います。
自他の差別がないので、お前は、神仏だと神仏すら、差別していません。
724名無しさん@3周年:04/10/21 15:16:19 ID:f9zZ1X2w
良く分からんが強い違和感を感じる。
もしかしてこうか?
→教師を演じている自分。
 教師を演じている自分を見ている生徒の目になった自分。
 教師を演じている自分と生徒を見ている自分。
これペルソナの話?
725720:04/10/21 15:36:20 ID:eZrzhlg8
>724

「違和感」とおっしゃる意味、私にもよくわかります。

あはさんの神は、心理学で言うところの「超自我」とそのまま重なってしまって
いるように見受けられます。
http://www.ne.jp/asahi/welfare/sociology/report/jiga.htm

「超自我」としての神は、やはり「他者」の目から見た「自我」のひとつなので、
「他者から見て、自分は理想的にはこうあるべきだ」という目標の寄せ集めのような
ものでしょう。だから、そこには「神の目」が不気味に光っている中で「自我を
演ずる」というプレッシャーないし「神の前でいい子を演じよう」という媚が見え
隠れする。

自分の外に「他者」として神を設定する宗教では、大なり小なりこういう「媚の
関係」にはまってしまう気がします。そういう神は「自分を見る」し、自分は神に
「見られている自分」を意識する。だから媚びざるを得ない。あるいは、罰を恐れて
後ろめたさ(罪)を感じながら行き続けるしかない。

私見ですが、本当の宗教とは、神と自己の間に一切の媚びも後ろめたさもない関係を
築くことだと思います。
726名無しさん@3周年:04/10/21 15:56:31 ID:f9zZ1X2w
なるほど、自己と、自己を見る自己、
さらに自己と自己を見ている自己の双方をを高みから見渡している自己、
三者とも虚構でした。
人の宿業みたいなところありますね。
727720:04/10/21 15:59:00 ID:eZrzhlg8
妙好人として有名な庄松にこういうエピソードがあります。

ある日、庄松さんが富田村の菊蔵さんとふたり連れだって三本松の勝覚寺さん
にお詣りをした。すると庄松さんは本堂にあがるなり、「ああ疲れた疲れた」
といって、仏様にお礼もせずに、畳の上に寝ころんだ。 それを見た菊蔵さんが
「これこれ庄松さん、何ということかいな御仏前に寝ころんで、ご無礼なことを・・・」
ととがめると、庄松さんはにこにこして「何をいう親の家じゃ、遠慮にはおよばん」と
 それでも菊蔵さんは「そういっても御仏前に・・・・」というと庄松さんが
「そういうおまえは義子であろう」といわれたそうだ。
http://ew.sanuki.ne.jp/zenraku/arinomama.htm

こういう関係は、「見るでもなく、見られるでもない自己」にかなり近いと思います。
もっとも、「故意に媚びない」というのも媚の一種で、かえって嫌らしいのですが。
728名無しさん@3周年:04/10/21 16:24:52 ID:f9zZ1X2w
遠慮無くお尋ねしますが、
脳内麻薬出まくりで体がぶっ壊れてる時はどうすればいいんでしょうか?


729.栗花 馨:04/10/21 16:31:05 ID:pgiOxIMf
自然がいちばん
体内微生物と人体の相互作用を理解すれば、
ヒトに関する生物学や医学がヒトゲノムの領域を超えて発展することになり、
遺伝子と環境との新種の相互作用の解明にも役立つ。
こうした知見が得られれば、やがては病気の治療についても、
新たな手法がとられるようになるだろう
あなたの体内に存在する細胞のかなりの部分は、あなた自身のものではない。
それどころか、ヒトの細胞でさえない。
それは細菌(バクテリア)の細胞なのだ。
目には見えないが足の指の間で増殖の機会をうかがっている菌類から、
腸の中の1キログラムにもおよぶ細菌類に至るまで、さまざまな要素を考えると、
われわれ人間は歩く「超有機体」[superorganism:
通常はハチやアリなど社会性動物の集合体を指す]であり、
ヒトの細胞と菌類、細菌、ウイルスが高度に絡み合った存在とみるのが、
最も適切なとらえ方と言えるだろう。ロンドン大だとさ
730名無しさん@3周年:04/10/21 16:48:36 ID:f9zZ1X2w
変なこと逝ってすいませんでした。
「見るでもなく、見られるでもない自己」で居れば尋ねる必要ありませんでした。
731あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/21 18:32:35 ID:RAIbkQGh
>>724 さん
ペルソナって、仮面という意味ですよね。
いいえ、仮面については、語っていません。
舞台で演じている自分は、日常の自分です。
観客席に坐って、演者である自分も、まぎれも無く自分自身です。
肝腎なのは、その双方を見ている自分を、自分の中に持つと言う事だと思います。
732あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/21 18:44:29 ID:RAIbkQGh
>>725  720さん
あなたと言う自己を語ると言う事でしょうか。
ご意見伺いました。
ありがとうございます。

わたしが言ってることは、
自他を同じと見る。
これは、特に、禅の悟りだ、とか大上段に振りかぶったような言い方でなくても、幼児の世界観の中では、既に実現しているものだと思います。
自他を同じに見る。それをみているものを、神仏である自分自身であると言っています。
そして、神仏に会えば、あなたは、神さんだ、あなたは仏さんだといって、差別扱いはしないよ、と言うものです。
733あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/21 18:56:32 ID:RAIbkQGh
>>729  栗さん
一個の細胞である、大腸菌。
それから、多細胞である、ヒト。
そのヒトにも弱みがある。
大腸菌が、大腸のなかに住み込みで、生きて働いてくれないと、ヒトは生きてられないと言う事です。
栗さん。
いままでに、だいちょうきんさまに、感謝の言葉をかけたことがありますか?
無いですよね。
無いと思います。
山口県の浄土真宗のおばあちゃん、大便に手を合わせるそうです。
お勤め、ごくろうさんでしたと言いながら。
これを聞いたときは、別の感動を受けたのでしたが、これが、大腸菌なしでは、生きていられないヒトの、だいちょうきん様への、感謝の仕方かなと思います。
私と、生死を共にしてくれる、親友ですね。
生物学からは、はずれてしまいましたが、生きると言う事を学ぶという意味では、生物学も、宗教も、変わりは無いですよね。
734名無しさん@3周年:04/10/21 18:59:37 ID:O3fDEVWs
「スッタニパータを読む+ヴィパッサナーを実践する」
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1071698342/l50
みんな、もう、釈尊の言葉へ帰ろう。

比丘たちよ、この観法(四念住)は有情(生き物の心身)を清めるため、
心配や非泣を乗り越えるため、悲しみや憂いを滅ぼすため、聖なる道を得るため、
涅槃を実現させるためのただ唯一の道である。
                              (念住経より)

苦悩より解脱のため 観法があり 実行せん
観法の咎めとならん 貴の咎めなり
               (仏史より)
735あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/21 20:03:47 ID:RAIbkQGh
>>734  さん
出来うれば、あなたの話すことばを聞きたいですね。

「みんな、もう、釈尊の言葉へ帰ろう。」と言われるあなたの言い分を。そして語り合いましょうよ。ペコリ。
736.栗花 馨:04/10/21 21:02:57 ID:pgiOxIMf
>生きると言う事を学ぶという意味では、生物学も、宗教も、変わりは無いですよね。
死も感じます。調和がよいですね。
737720:04/10/21 21:51:19 ID:GVeqQz+A
>>732

う〜ん。どうしても言いたいことが通じないようで。

>自他を同じに見る

と言っても、それは「自分が他人を見る」、「他人が自分から見られる」という
関係の延長でしかないので、「見るでもなく、見られるでもない自己」には
程遠いのです。人間は、生まれてからこの方、「他人の眼から見た自分」の情報
だけから「自分」を見てきたのです。端的に言ったら、「カッコいいかどうか」
だけが気になるのです。「カッコが悪かったら、自分という存在には価値が
ない」とまで思いつめている。

ところが、神と同質の「自己」は、そこへわけもなくゴロリと転がった岩の
ように、「他人の目」とは無関係にそこに「自己」をさらけ出しているのです。

あはさんが言う「自他を同じと見る」というのは、「自分」と「他人」の視点
を逆向きにしているだけで、やはり「見る見られる関係」であることに変わりは
ないのです。
738あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/21 22:49:28 ID:RAIbkQGh
>>736
> >生きると言う事を学ぶという意味では、生物学も、宗教も、変わりは無いですよね。
> 死も感じます。調和がよいですね。

たった一つの生命が、発生した30数億年前から、DNAは、生き通しだよ。
でも、
死も、大事だね。個体は、死ぬものだからね。
739あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/21 22:56:16 ID:RAIbkQGh
>>737  さん
禅の話をしてるよ。

自己の内と外の神仏。
自己が、神仏であり、他も、神仏である。
他、とは、全存在である全宇宙。

自己が、全宇宙と、おんなじ。

自己が、全宇宙を、おんなじ、と見るのが、神仏。

740あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/21 22:58:34 ID:RAIbkQGh
訂正

自己が、全宇宙を、おんなじ、と見るのが、神仏。→自己と全宇宙が、おんなじと見るのが、神仏。

741691:04/10/22 03:25:14 ID:W7jNg83f
>>722
>「自己」こそ心のカラクリの真骨頂でした。
>>726
>三者とも虚構でした。

見事です。
そう、全てを言葉で名付け、勝手に縛っていたのは「自己」。
そして「自己」という名の自己。
うなづいたら、それすらも忘れてしまいましょう。
また頭で理解して名付け、再び虚構を築かないように。
大事なのは、その呼吸です。

742名無しさん@3周年:04/10/22 06:35:08 ID:X/pTandV
>>731
莫妄想
743690:04/10/22 11:03:01 ID:iRiBvTpI
>>693
>単、直さん
>精神世界で癒される
癒し系ブームですね。
744690:04/10/22 11:04:08 ID:iRiBvTpI
>>741
久しぶりでも、冴えてますね。
745単、直:04/10/22 16:22:32 ID:uD8GIIeB
>>743 名前:690[]さん
あ、見て戴いたんですネ
相変わらず門前の小僧習わぬ経を読みで厚かましく逝っています。(^v^)
調子に乗るみたいですが

下記のレス見られてどうでしょうか?
気が向かれたら感想等いただければうれしいです。

>>150 名前:いずこさん
みました、最初のスレ ディープですね、宇宙の深淵を覗き込むような・・・
以前
坐禅と見性第7章☆無心にして花、蝶を招く
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1094822033/
で下記のようなレスの内容で虚無主義について興味深い話し合いがなされてましたが
>>241 名前:25[]
>「空」を完全に体現した唯物論者がどうなるかと言えば、ドストエフスキー
>の『悪霊』に出てくるスタヴローギンみたいになると思う。せいぜい、自分の
>意志によって自分の命を絶つことで「絶対自由」を謳歌する程度のことでしょう。

かなりの知性ある人でも虚無主義を極めれば究極自らの自由意志で命を絶つしかない
過去太宰治をはじめとしていくたの知性人たちがそのドグマに嵌まって死んでいった
かの人は何と死なずにその先まで観て来た、イヤ到達してしまったのでしょうネ

そして達観、宇宙の果てまでみ透す事が出来た
ひょっとしてお釈迦様の大悟もそこまで逝ったうえでの・・・?
そうしたうえでの一切苦では・・・・・?

続く
746単、直:04/10/22 16:26:59 ID:uD8GIIeB
続き
153 名前:いずこ[sage] 投稿日:04/10/04 23:49:08 ID:te7hyc4q
EO氏の体験談について色々思索を巡らしていましたが、単、直 さんの指摘の通り
お師様(お釈迦様)はやはり、EO氏の体験の先まで行っていた事は間違いありません

あらゆる感情、思考、想念をはぎ取った先にある深層意識の底にいた真我(魂・アートマン)のさらにその奥
宇宙(真理・ブラフマン)の領域まで到達する、そこでシュタイナーの唱えるアカシックレコードに
触れることが出来る、そこで改めて宇宙(真理・ブラフマン)の根底には慈愛が存在している事実
カオスではあっても決して虚無主義ではない事、現世は修行の場であるため一切苦である事
それを修行の末に真理に到達して来るのを悟りという

瞑想という手段で到達したゴータマ・シッダルタ様の凄さを追確認出来ました
と同時に修行の方向性も追確認出来ました

154 名前:いずこ[sage] 投稿日:04/10/05 00:08:18 ID:gWqXnjKb
つまり、得られた追確認とは、行によって深まっていく道程にある精神世界の一里塚を
発見するために断片を集めている様なものでですね
それらのどれが正しいのか否か、時として自らの魂の声にですら迷うとき
他の人の魂から素直に出てくるアドバイスも聞いてみるのも良い方法ですね

他のコテさん名無しさんもよろしければ感想等キボン
長文スマソです。

747690:04/10/23 00:34:42 ID:iSxSZ0LV
>>745
少し、いきさつを解説してもらえると判りやすいのですが、

>>150 名前:いずこさん
>みました、最初のスレ ディープですね、宇宙の深淵を覗き込むような・・・

最初のスレとは?

>>150 名前:いずこさん

これがどこのスレか悩みました。


「精神世界で癒される」
http://life5.2ch.net/test/read.cgi/healing/1094528758/152
これが、抜けてたのですね。

ディープなスレとは 下記EOのHPのことで、流れがわかりました
http://www.mumyouan.com/e/eo-i.html
748690:04/10/23 00:38:47 ID:iSxSZ0LV
>>745
>下記のレス見られてどうでしょうか?
>気が向かれたら感想等いただければうれしいです。

本題に入りますと、
>かなりの知性ある人でも虚無主義を極めれば究極自らの自由意志で命を絶つしかない
想像であれこれ、組み立てても、その内容を知ることはできません。
仏教だって、悲観的です。
これが有名な人が言ったのでなければ、どう考えるでしょう。

・四法印の諸行無常
すべてはうつろいゆく
うつろでかげろうのようだって?
人生いろいろあるさ。
・四法印の一切皆苦
一切すべては苦しみ?
楽しいこともあるだろう。
あんた否定的すぎやしないかい?
・竜樹の空観
空  空しい。空っぽだと?
ほんと、否定的だね。

どれも悲観的なものばかりです。
彼らは、自殺寸前のただの悲観論者ですか?
その流れを受け継いできたものは、ただの集団自殺予備軍ですか?

彼らは何を言っているのです?

彼らは、虚構を落とせと言っているのです。
無いものをあると思い込んでいる虚構を落とせと言っているのです。
749691:04/10/23 02:58:47 ID:nAxt5x/K
では今度は僕が690さんを補足しましょう。

「苦」の意味は“苦しい”ではありません。
原語はdukkha「意のままにならない」というニュアンスです。
中国に仏典が伝わった時に「苦」と訳されたのです(by玄奨三蔵)。
だから一切皆苦は「全てのことは思い通りにならない」、と書くと悲観する人もいつので
「全てのことは思い通りになるとは限らない」ぐらいに考えてはどうでしょうか。

>かなりの知性ある人でも虚無主義を極めれば究極自らの自由意志で命を絶つしかない
影を見て「光がない!」と思うようなものですね。
それは知性とは呼ばないと思います。

>現世は修行の場であるため一切苦である事
来世に期待ですか? 
来世も前世もあるのかどうか知りませんが(興味ないので)
前世は何やってたんでしょう?前世がダメだったから現世で修行?
じゃぁ来世はどうするの?そこまでして悟りたいですか?
なんかすごく欲深いなぁ‥‥

人は答えを求めるものです。分かりやすい一つの答えを。
しかしものごとには二面性や多面性がある。
(その人にとっての)その矛盾が、惑わせる。
惑いが固執を産み、固執が虚構を「現実」だと誤認させる。
二面性も多面性も、まとめて「あぁ、そうか」と思えばいいじゃない。
750単、直:04/10/23 10:16:09 ID:1Zsic9Hf
あちゃ〜、朝から自分のレス745〜746見直しました
指摘の通り分かりにくかったです(苦笑)
相変わらず単純、直情手前勝手で修行が足りません。
にもかかわらず、辛抱強く見て戴いて丁寧なレス感謝です。

少し合点しました。
全て自分の中で作り上げている虚構
自負心の強い人こそ陥り易いドグマかも知れませんネ
相変わらず鋭い切り口で弛んだ心を引き締めてくれます。

下記は昨日入ってたホームスレでのレスおいらも禿同でした。
精神世界で癒される
http://life5.2ch.net/test/read.cgi/healing/1094528758/
315 名前:門主[sage] 投稿日:04/10/23 02:05:31 ID:0sbyk0HE
>>312 :単、直 さん
「坐禅と見性第7章☆無心にして花、蝶を招く」スレ
の690さんはかなり的確なレスを入れてますね
今まで何となく分かっている事でも今まで上手く説明出来なかった
事でもあるものをあの様に説明されると、改めてそうだったんだ
としか思いようがないですね、上には上の人がいるもんです、脱帽しました

もし気が向かれたら時間のある時でも門主さんとお話でもどうでしょうか(^v^)

>>749 名前:691さん
補足カキコありがとう御座います
おかげで分かり易く少しだけど何か掴めてきたような気がします。
道を真摯に求めて歩いている方のカキコは観ていてこちらの
魂(真我)が喜んでいるのが分かりうれしいです。

ところで文脈に懐かしさを感じるのは気のせいでしょうか(^v^)

751あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/23 16:53:22 ID:tPfVQc8u
>>741
> >>722  > >「自己」こそ心のカラクリの真骨頂でした。
> >>726  > >三者とも虚構でした。
 > 見事です。そう、全てを言葉で名付け、勝手に縛っていたのは「自己」。そして「自己」という名の自己。
うなづいたら、それすらも忘れてしまいましょう。また頭で理解して名付け、再び虚構を築かないように。
大事なのは、その呼吸です。 」

諸法無我と言う事でしょうね。 引用ですが、
『諸法とは全てのものであり、第一の「諸行」は因縁所生の有為法たる現象を指しているが、「諸法」は有為法のみならず、真如法性という無為法をも含めている。
 「無我」の「我」とは何を意味しているのか。釈尊以前のインド哲学者たちは、我々の中に、不生不滅の固定的実体があるように考え、それをア−トマン(我)と名づけた。
ア−トマンとは「常一主宰」のという意味で、単独でなりたち、常住で変化しない存在で、自身全体を支配しているものである。
しかし諸行無常を顕かに観た釈尊は、この我の思想を根底からくつがえし諸法無我を主張した。
この無我の主張は万有諸法を観察する場合において仏教と他のインド思想が相違する根本基準として重大な意味を持っており、
後にこの無我思想は人我や法我の両者を否定する大乗仏教の徹底した思想へと発展していく。
 また仏教では、世間一般にいう自分とか我とかいうところの有情なるものを「五蘊仮和合我」、すなわち「仮我」と説いている。
五蘊とは色(物質)、受(感情)、想(概念)、行(意志)、識(意識)の五要素のことで、色蘊は肉体、他の四蘊は精神及びその作用のことである。
したがって因縁によって五蘊が仮に和合している我であり、因縁がとけると自ずと解体されるものである。
 無我は大乗仏教では無自性空として説かれる。「無自性」とは、ものには固定した体や性質がないということで、実体的固定性がないということに他ならない。』
752あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/23 18:18:43 ID:tPfVQc8u
>>742
> >>731
> 莫妄想

はい、妄想する事、莫れ(なかれ)、と受け取らせていただきました。
753あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/23 18:33:56 ID:tPfVQc8u
>>749  691さん
>「苦」の意味は“苦しい”ではありません。原語はdukkha「意のままにならない」というニュアンスです。中国に仏典が伝わった時に「苦」と訳されたのです(by玄奨三蔵)。
だから一切皆苦は「全てのことは思い通りにならない」、と書くと悲観する人もいつので「全てのことは思い通りになるとは限らない」ぐらいに考えてはどうでしょうか。

日本語で、苦、と受け取っていることばの苦が、翻訳当時の中国で、どのような語意で用いられていたのかは分かりませんが、
しかし、苦は、「思いどおりに行かない」と言う事だと、以前にも、どなたかに(マンゴー先生だったかも?)教えていただいた時は、目が覚める思いでした。
人の生きる事、死ぬ事、それは、思ってるようには、ゆかない・・・それは、苦である。と、受け取らせていただきました。
ありがとうございます。
754690:04/10/23 21:34:41 ID:QVl4X4DE
>>750
いやー、実は3日間、風邪を少しこじらせていて、頭がぼんやりしております。
>>748は、あとで読み返すと、理屈をこじ付けていて、スマンです。
見かねて、691さんがフォローしてくれたのですね。感謝。
755あはさんpasiru語 ◆.KW7KtLaak :04/10/23 22:07:34 ID:exX9DPec

最近、朝昼晩ステーキしか食べてない。
お金が余ってどうしようもないんだよ。
マジでお金って足りないと大変だけどありすぎても大変だな・・・・
756いずこ:04/10/23 22:15:33 ID:74qOJCR5
>>755 :あはさんpasiru語 ◆.KW7KtLaakさん
初めまして、事後承諾で申し訳ありませんが
>751にて引用されてたのを気に入って自スレに引用させてもらいました
http://shizu.0000.jp/read.cgi?bbs=jinsei&key=1076549581&st=501&to=600
757あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/23 23:14:02 ID:tPfVQc8u
>>755 755 名前:あはさんpasiru語 ◆.KW7KtLaak
> 最近、朝昼晩ステーキしか食べてない。
> お金が余ってどうしようもないんだよ。
> マジでお金って足りないと大変だけどありすぎても大変だな・・・・

↑ トリップが違いますよ、コロッケさんか、クリかんさん、清水さん?(ーー;).。oO(想像中)
お金が無くてねぇ〜、(笑)
こまるよ、ニセモノ出現・・・(苦笑)
758あはさんpasiru語 ◆.KW7KtLaak :04/10/23 23:15:04 ID:exX9DPec
貞のお前らに経験豊富な俺が教えといてやるが
フェラチオとか顔面シャワーとかはAVの中だけの話で
実際のセックルではそんなことは誰もしません。
普通はローション塗った女の太ももでチンコを挟んで擦ってもらうだけですよ
759あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/23 23:27:28 ID:tPfVQc8u
>>758 ◆.KW7KtLaak さん
> 貞のお前らに経験豊富な俺が教えといてやるが
> フェラチオとか顔面シャワーとかはAVの中だけの話で
> 実際のセックルではそんなことは誰もしません。
> 普通はローション塗った女の太ももでチンコを挟んで擦ってもらうだけですよ

トリップが違うから、そこを見てもらえば、違うとすぐ分かってもらえると思うけどねぇ〜、もうひとつ、固定ハンドルネームの、使用は、これも、止めて頂きたい。ペコリ

あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA  より
760あはさんpasiru語 ◆.KW7KtLaak :04/10/23 23:45:03 ID:exX9DPec
下一桁で、一生のうちに出会える女性の数が決まる!
761マンゴー先生:04/10/23 23:46:39 ID:SHrGtnWs
>>753
>しかし、苦は、「思いどおりに行かない」と言う事だと、以前にも、どなたか
>に(マンゴー先生だったかも?)教えていただいた時は、目が覚める思いでした。

それは確か名無しさんだったと記憶しております。
私はサンスクリット(パーリ?)は苦手な典型的な日本人ですので。
さて、思い通りにならないから苦である、というよりも、思い通りにならないからそれは
私ではない、私のものではない、と繋げてゆきたいですね。
762NB ◆YIoCB90ZbI :04/10/23 23:57:21 ID:9VDEGkUk
>>759
心配しなくても分かってるから、放置しといたほうがいいよ。

まあ、自分のコテハン&トリップで警告しときたい気持ちは
すごく分かるし、1回ぐらいはそうしたほうがいいとは思うけど。

でも、あんまり過敏になんなくても大丈夫だよ。分かるから(はぁと
763あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/23 23:59:48 ID:tPfVQc8u
>>761 マンゴー先生  ID:SHrGtnWs  さん
> >>753
> >しかし、苦は、「思いどおりに行かない」と言う事だと、以前にも、どなたか
> >に(マンゴー先生だったかも?)教えていただいた時は、目が覚める思いでした。

> それは確か名無しさんだったと記憶しております。 私はサンスクリット(パーリ?)は苦手な典型的な日本人ですので。
> さて、思い通りにならないから苦である、というよりも、思い通りにならないからそれは、 私ではない、私のものではない、と繋げてゆきたいですね。

あぁ、そうでしたか。名無しさんだったんですか、記憶違いで、ご迷惑かけました。ペコリ
一切皆苦。から、諸法無我、への、展開でしょうね。
764あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/24 00:04:01 ID:1IZ//4J0
>>756 いづこさん
どうも、ご丁寧に、断りを入れていただき、ありがとうございます。
うらみのもん、のぞかせて頂きましたが、カキコまでには、至りませんでした、(汗)
765あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/24 00:07:34 ID:1IZ//4J0
>>762  NB ◆YIoCB90ZbI  ID:9VDEGkUk さん
> >>759
> 心配しなくても分かってるから、放置しといたほうがいいよ。
> まあ、自分のコテハン&トリップで警告しときたい気持ちはすごく分かるし、1回ぐらいはそうしたほうがいいとは思うけど。
> でも、あんまり過敏になんなくても大丈夫だよ。分かるから(はぁと

ども、ご心配を、おかけします。ペコリ
わかりました、放置します。
766あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/24 00:27:15 ID:1IZ//4J0
>>728 さん
728 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:04/10/21(木) 16:24:52 ID:f9zZ1X2w
遠慮無くお尋ねしますが、脳内麻薬出まくりで体がぶっ壊れてる時はどうすればいいんでしょうか?

この方に、レスが、なされていませんね。
亀レス
快楽を感じていると言う状態でしょうか?
諸条件にもよりますが、至福の時と、言えませんか?

「体がぶっ壊れてる時」
ドーパミンが出て、快楽の真っ只中にいるのに、身体は、制御不可。暴走中と言う事でしょうか?
身体は、意思に従うもの。
こころよく、おだやかに、過ごしていると仮定すれば、その心地よさを楽しまれればいいと思います。


767いずこ:04/10/24 00:30:34 ID:jlM1Qc7o
>>764 :あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGAさん
いえいえ、こちらこそ、デンパなスレでお恥ずかしい限りで
768691:04/10/24 02:39:14 ID:LINJPDnq
>>754 690さん
フォローではなく恩返しですよ。
風邪大丈夫ですか? 風邪の時は風邪になりきれ ナンチテ
しかし数日すれば治ってしまう不思議さよ

>>761 マンゴー先生
>思い通りにならないから苦である、というよりも、思い通りにならないからそれは
>私ではない、私のものではない、と繋げてゆきたいですね。
???????
字ヅラだけ追うと「私(のこと)は思い通りになれ、そうありたい」という文意に読めますが、
何かの書き間違いでしょうか?
それとも「私に関する事柄は常に思い通りになるものではない、思い通りになったとしても
それは諸々の縁の為せる結果で、私一人で為したものではない」の意でしょうか?
ちょっと確認したく‥‥

>>750 単、直さん
懐かしいですね
また曲解されたらと思うとヒヤヒヤかもですよw
みなさん元気そうで何よりです
769けちゃっぷ:04/10/24 10:03:46 ID:qbXMxzwq
私たちの思考は、自分でコントロールしてると錯覚してますが、何一つ“自分の思い通りにならない”ですよね。突然鼻歌が口から出る…なぜ今このタイミングでこの唄が思い浮かんだのか?鼻歌さえ“苦”です。
770単、直:04/10/24 11:18:22 ID:sI1ZRBI4
うわ〜、けちゃっぷさんシンクロにびっくり
今過去スレからの蒼々たる顔ぶれが集ってるんで
このチヤンス逃さじとお題を振ろうと想い
なんか浄土宗にも関係ありそうなのでけちゃっぷさん観てないかナ
呼びかけとこうと想ってた所だったので・・・・

さてお題の方ですが
>>727 名前:720さんの
>妙好人として有名な庄松にこういうエピソードがあります。
のカキコに何となく感じっいって・・・・

おいらが常々考えていた涅槃、仏国土の事ですが
新しい理想の社会を考察して感じた事はいくら立派なシステムを
構築しても今のままでは仏作って魂いれずですぐ腐ってしまう

そこで社会の中枢のは見識があり見性された方々が中心になり
一般の普通の人は庄松さんみたいであればいう事なし
と想った訳ですが皆さんどう想われたでしょうか?
今一番気にしてる部分ですが率直な意見を戴ければうれしいです

あぁ、又流れが掴みにくいかも下記の>293から見て頂ければ補足資料になるかと・・・・
どうしたら良い世の中がくるんでしょう? その2
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1096018631/

>>768 名前:691さん
691さんは720さんとは同一人ではないでしょうか?間違っていたらスマソです。(笑)


771単、直:04/10/24 11:20:45 ID:sI1ZRBI4
>>767 名前:いずこさん
ちようどイイ時に来られましたネおいらが知ってる限りでは
今までのうちでかなりの顔ぶれが集ってらっしやるみたいですヨ

いずこさんも劣らずの人ですので想ったことどんどんカイテネ
772マンゴー先生:04/10/24 12:04:09 ID:T8sQdwts
>>720
自己を見ている自己というのが、いわゆるフロイト心理学における「超自我」でしょう。
それは「批判者」ともいいます。
あはさんがおっしゃる、双方を高みから見渡している自己、これは「観照者」であって
何も評価をしない存在です。超越心理学では「超個的目撃者」などとも言われます。
西洋の伝統では「良心」とかユング心理学の「自己(セルフ)」に当たるかもしれません。
大乗仏教では「自性清浄心」がこれに近い感覚でしょうか。
いずれにしてもそれを対象化してしまえば間違いでありまして、「見ることができるもの
は見る者ではありえない(ケン・ウィルバー)」という理解からのアプローチが重要に
なってきます。
それは言い換えれば720さんのおっしゃる「見るでもなく、見られるでもない自己」と
なるわけですね。
自らがこの観照者でありたいと願うのがヒンズーの梵我一如かと思います。
仏教的に言えば「無分別平等の境地」でありますが、もしもアートマンを否定するのが
仏教の特質であるとするならば、私やあはさんはどちらかといえばヒンズーに近いの
かもしれませんね。
しかしながら私はヒンズーに対する仏教の特質はアートマン否定ではなく、還相の
菩薩行にあると考えております。
773マンゴー先生:04/10/24 12:14:13 ID:T8sQdwts
>>768
それが私であったり私のものであるのならば思い通りになるはずである。
しかしながら五蘊を観察すれば無常であり、全ては思い通りにならない。
思い通りにならないからそれらは私ではないし、私のものではない。
そのように観察して、執着を離れる。
そこに平安と喜びがある。
これが釈尊の教えの根本かと、このように私は考えております。
774けちゃっぷ:04/10/24 13:08:48 ID:qbXMxzwq
>770 単、直 さん、どうやら先程の僕の書き込みは、貴方に呼ばれたのかもしれませんね。ある習慣(芋を海水で洗うとか)を憶えた猿が一定数を超えると、世界各地の猿が突然同じことをやり始めるらしい。
775マンゴー先生:04/10/24 15:45:03 ID:T8sQdwts
>>763 あはさん
昔のスレを読み返してみましたら、苦とは意のままにならないという意味であると教えて
くれたのは名無しさんではなくて、691さんだったようです。
(691さんが私の思っているお方であったなら)
同じ方に二度も教えて頂いたのですね。感謝。
776単、直:04/10/24 20:31:48 ID:z428HBsU
>>774 名前:けちゃっぷさん
今戻りレスみました
いや本当そう書こうとパソ立ち上げたらけちゃっぷさんのカキコが目の前に
ドキッとしましたよ・・・なんとなく思い立って書かれたんでしょうか?
海辺の猿の件は聞いた事があります。
別の見方では101人の悟った人が同じイメージを持てば
現世の流れも変わってくるとか・・・
ところで
>>727 名前:720[] 投稿日:04/10/21 15:59:00 ID:eZrzhlg8
妙好人として有名な庄松にこういうエピソードがあります。
http://ew.sanuki.ne.jp/zenraku/arinomama.htm
観られてたらどう感じられたでしょうか?
おいらは何かストンと中に落ちたんですが
777単、直:04/10/24 20:38:53 ID:z428HBsU
>>775 名前:マンゴー先生
あはさんは日曜はお休みでパソも落としてるみたいですネ
日曜のカキコ見た事ないみたいです。明日レスするんでしょう
何かこの頃の皆さんのカキコ佳境に入ってるみたいで
パソ立ち上げるたびワクワクしててロム冥利につきますバイ(笑)
778名無しさん@3周年:04/10/24 21:46:01 ID:1VBmM7vl
>>766
レス有難うございます。
一切が心の内に有る感覚に耽っています。
妙に心が落ち着いて心地(・∀・)イイ!! ので、
単なる自己催眠にすぎなかったとしても、
かまわないと思うほどです。

しばらく休みます。体調が良くなったらロムします。


779778:04/10/24 21:54:11 ID:1VBmM7vl
文字読むのが妙に疲れるんですよね。
脳内麻薬、副作用有りますね、たぶん。
780けちゃっぷ:04/10/24 22:43:08 ID:qbXMxzwq
>776 なるほど、いかにも妙好人らしいエピソードですね。根底には「南無阿弥陀仏」へのゆるぎない確信があるんですね。
ところで、寺社仏閣板の「日本仏教バトルロワイヤル」スレにも来てくださいな。
781単、直:04/10/25 00:19:40 ID:Xw2p05wV
>>780 名前:けちゃっぷ[]さん
ありがとうです。
早速ロムらせて貰ってます。
スレタイに違わず何か熱そうですネ(笑)
782690:04/10/25 01:38:43 ID:MRTrUL0Z
>>779
あの、はっきり、くっきり、すっきり、すばやく、
ではないのですか?
とろーんと、眠くなるような、夢心地のような
そのような感じですか?
前者であるなら、問題なーし。
後者であるなら、例えば、自己暗示をかけていませんか
783けちゃっぷ:04/10/25 12:36:18 ID:NgxUiTHz
「女」という言葉にさまざまなイメージ(料理が得意とか)を貼りつけているなら、「女」は空である。現実に沿わない幻想である。「女だから」で判断せず、一人一人の属性を、一つ一つ確認する手間が要る。
784けちゃっぷ:04/10/25 12:40:37 ID:NgxUiTHz
しかし、空である概念でラベリングして判断するほうが、確率が高く効率的に思える。「学歴と学力の因果関係」は絶対じゃないけど、その幻想にしたがって分別・差別するという怠慢に、慣れてしまうんですよね。
785けちゃっぷ:04/10/25 12:49:34 ID:NgxUiTHz
テレビを見ながら部屋の音を携帯で録音し、再生してみる。思った以上に部屋には雑音がある。しかし、僕の耳は雑音をデジタル処理し、テレビの音をクリアーに聴いている。耳識は空である。
786あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/25 14:09:40 ID:qaCrncmT
>>772
すみませんね。ストリップ小屋での、師匠と弟子の会話から、これは以前、何かで聞いた、哲学的な話しを言ってるのだなと、思って、わたくしの解釈を差し挟んで、言ったものです。
「超自我」 「批判者」 「観照者」 「超個的目撃者」 「良心」 「自己(セルフ)」 ・・・ 「自性清浄心」演者であるわたくしと、観客席で観ているわたくしの双方を観ているわたくし。

>いずれにしてもそれを対象化してしまえば間違いでありまして、「見ることができるものは見る者ではありえない(ケン・ウィルバー)」という理解からのアプローチが重要になってきます。
>それは言い換えれば720さんのおっしゃる「見るでもなく、見られるでもない自己」となるわけですね。自らがこの観照者でありたいと願うのがヒンズーの梵我一如かと思います。
>仏教的に言えば「無分別平等の境地」でありますが、もしもアートマンを否定するのが仏教の特質であるとするならば、私やあはさんはどちらかといえばヒンズーに近いのかもしれませんね。
>しかしながら私はヒンズーに対する仏教の特質はアートマン否定ではなく、還相の菩薩行にあると考えております。

演者であるわたくし
演者であるわたくしを、観客席で観ているわたくし
演者であるわたくしと、観客席で観ているわたくしの双方を観ているわたくし。
この3者は、演者であるわたくしが持っている2者です。ですが、それぞれの1者は、たの2者には、そえぞれ、独立した1者です。神仏の眼、を、「演者であるわたくしと、観客席で観ているわたくしの双方を観ているわたくし」と、とらえました。
神仏の眼と言っても、それは、「演者であるわたくし」のこころが観る眼、なのですが。
787あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/25 14:10:47 ID:qaCrncmT
>>773
> >>768
> それが私であったり私のものであるのならば思い通りになるはずである。
> しかしながら五蘊を観察すれば無常であり、全ては思い通りにならない。
> 思い通りにならないからそれらは私ではないし、私のものではない。
> そのように観察して、執着を離れる。
> そこに平安と喜びがある。
> これが釈尊の教えの根本かと、このように私は考えております。

わたくしも、如是我聞
788あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/25 14:12:43 ID:qaCrncmT
>>775
> >>763 あはさん
> 昔のスレを読み返してみましたら、苦とは意のままにならないという意味であると教えて
> くれたのは名無しさんではなくて、691さんだったようです。
> (691さんが私の思っているお方であったなら)
> 同じ方に二度も教えて頂いたのですね。感謝。

あぁ、そうだったんですか。ありがとうございます。
691さんには、2度にわたって、教えていただきました、感謝します。
789あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/25 14:21:43 ID:qaCrncmT
778 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:04/10/24(日) 21:46:01 ID:1VBmM7vl
>>766
レス有難うございます。
一切が心の内に有る感覚に耽っています。
妙に心が落ち着いて心地(・∀・)イイ!! ので、単なる自己催眠にすぎなかったとしても、かまわないと思うほどです。
しばらく休みます。体調が良くなったらロムします。

779 名前:778[] 投稿日:04/10/24(日) 21:54:11 ID:1VBmM7vl
文字読むのが妙に疲れるんですよね。
脳内麻薬、副作用有りますね、たぶん。

いづれはっきりと覚めるものだと思われます。
ゆっくりとした時間の流れが、あなたの傷を修復していくのでしょう。
文字が、こころに届かないのであれば、今は無理に読まなくても、書かなくても、いいと思います。
そんな中に在っても、1日1時間程度の外歩きを続けてみてください。
新しいものに出会うかもしれませんし。
気が乗ったとき、また、カキコ、してくださいね。ペコリ
790山陰線沿線住民 ◆sLwFR3atHY :04/10/25 16:49:01 ID:jn2NlmwD
 ナ ヽ  /   ナ ヽヽ /⌒)
  〆   VL  / ニ    i
                 ・
  ⌒'  /^iヽ   ̄フ   |   | ┼
 ー-'  し ノ  _人_  レ'  { 〆
791690:04/10/26 02:02:44 ID:0wQketua
>>773
> それが私であったり私のものであるのならば思い通りになるはずである。
> しかしながら五蘊を観察すれば無常であり、全ては思い通りにならない。
> 思い通りにならないからそれらは私ではないし、私のものではない。
お久しぶりです。

ところで、
私の子供は、思い通りになっている間は、私のものであるが、思い通りにならなければ、私の子供でない。
私の恋人は、思い通りになっている間は、私のものであるが、思い通りにならなければ、私の恋人でない。
私の車は、思い通りに運転できている間は、私のものであるが、思い通りに運転できなければ、私の車でない。
と、このように聞こえますが。

なぜ、そのようにややこしく考えるのか良くわからないです。
792691:04/10/26 02:49:37 ID:KlCxMh2Y
690さん、時間がいっしょですね。

>>773 マンゴー先生
>そのように観察して、執着を離れる。
>そこに平安と喜びがある。
僕はこっちが意外でした。
「執着を離れる」と「喜び」はあるのでしょうか?
ただそういう普通があるだけかと。。。。

人の視点って様々で、とても参考になります。
違うからこそ対話する価値があります。
人の数だけ迷いがあり、迷いの数だけ気付きがある。
出発点が様々なら、悟りの姿も様々かもしれません。
793けちゃっぷ:04/10/26 12:52:29 ID:LZj9Fw33
>791 はじめから「私のもの」なんて何ひとつないんだから、「私の思いどおりにできる」と思うなってことでしょうね。はじめから期待しなければ、裏切られる痛みはありません。
794けちゃっぷ:04/10/26 13:00:49 ID:LZj9Fw33
私のものじゃないものが「思いどおりになる」のは、めったにない(有り難い)ことなんですよね。ラッキーに感謝。思いどおりにならなくて当然なのに、私の言うとおりにしてくれた、恋人に・子供に、感謝。
795名無しさん@3周年:04/10/26 16:53:54 ID:xmurpCmd
>>773
マンゴー先生はじめまして。
思い通りになるとかならないとか、私の物とかそうでないとか、よく分からないんですけど。。
脳みそがただそういうふうに理解してるだけで事実は何にも変ってないんじゃないんでしょうか??
796山陰線沿線住民 ◆sLwFR3atHY :04/10/26 21:14:23 ID:WKV9ngbs
    ∧_∧                       ∧_∧
    ( ´Д`)     ∧_∧              ( ´Д`)    ∧_∧
   /    \    (´Д` )            /    \   (´Д` )
__| | >>38 |_   /    ヽ、       .__| | >>23 | |_  /    ヽ、
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||. . (    )     ~\_____ノ|  ∧_∧. ||. .(    )     ~\_____ノ|  ∧_∧
.  _/   ヽ          \|   (´Д` ).  _/   ヽ          \|   (´Д` )
.  | >>72 ヽ          \ /    ヽ.   | >>67ヽ         \ /    ヽ、
.  |    |ヽ、二⌒)        /.|>>3| |   |    |ヽ、二⌒)       / .|>>78 |
797あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/27 00:34:56 ID:KQMz/Xi5
690さんの一切皆苦を、691さんが、直ちに補足説明されたのが、きっかけのひとつになっていますよね。
道教の人なのかなぁ〜、と思ったりしました。
ごめんなさいね、レッテルを貼ろうとしています。(笑)
690さん、691さん、自論をお聞かせくださいませんか?ペコリ
798あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/27 00:39:46 ID:KQMz/Xi5
>>796
796 名前:山陰線沿線住民 ◆sLwFR3atHY  ID:WKV9ngbs さん
ご苦労様です。お疲れ様です。
トリップまで、付けて頂いていますね。
このスレ、軽快なテンポで流れています。
山陰線沿線住民 の主張とでも言うものをカキコ、してみて下さい。お聞きしたいです。
799マンゴー先生:04/10/27 01:12:30 ID:bYqbOXNN
>>791 690さん >>792 691さん
お久し振りです。相変わらずの鋭い指摘と判り易い素敵な文章に心が清まる思いです。

さて、このあたりの釈尊の真意については意見が分かれるところかと思います。
おそらくお二人は、日常生活を執着を離れて平安に過ごす…ただそれであれ…覚りとは
特別なものではない、という達観をされておられるのかと思います。

私の場合は、釈尊のこうした言葉、すなわち空観や中道といったものは、覚りへ向かう
往相の修行であって、無分別平等の境地に至って平安と喜びを伴って、日常生活に戻っ
て還相の慈悲行(悪いことをせず善いことをする)を行う、するとまた心が清まって無分別
平等の境地に至る、こうした一連の流れをもって覚りであると解釈しております。こうした
繰り返しの中で最終的に生存の種(無明)が完全に滅ぼされ、不生(無余涅槃)となる。
すなわち覚りとは特別なものである、というのが私の立場です。
まあ、簡単に言えば神秘主義者ってことです…。
800マンゴー先生:04/10/27 01:24:48 ID:bYqbOXNN
>>795
はじめまして。宜しくお願い致します。
「執着しない」というのは頭で理解するだけでは達成出来ないことなんですよ。
だから瞑想という修行があります。
自分でやらなければならない。自分で確かめなければならない。
自灯明法灯明。
釈尊は答えを教えてくれましたが、釈尊を妄信するのではなく、釈尊の教えを己が
実行してみたその己の確信を信じなさい、ということかと思います。
801マンゴー先生:04/10/27 01:30:25 ID:bYqbOXNN
>>800
×だから瞑想という修行があります。
○だから瞑想や布施や持戒などという修行があります。
802690:04/10/27 02:52:32 ID:wN39J9wu
>>792 691さん
いつも書き込みしたら、すぐ就寝するもので気が付きませんでした。
803690:04/10/27 02:53:42 ID:wN39J9wu
>>799 マンゴー先生
> それが私であったり私のものであるのならば思い通りになるはずである。
> しかしながら五蘊を観察すれば無常であり、全ては思い通りにならない。
> 思い通りにならないからそれらは私ではないし、私のものではない。
指摘するなど、思ってもいませんよ。
感じたことを、書いておきますね。

ここに車がある。この車は私のものである。私は車を所有している。
ということについて、これは、事実でしょうか。それとも単なる「思い込み」でしょうか。

先日、台風23号がやってきました。
台風で車が飛ばされているのがありました。
台風は「この車は、私の者ではないから、壊さないでおこう。」
なんて気をつかってくれません。
所有者が誰であるか気を使うわけがありません。
自然現象に所有を主張することはできません。
また、動物にも、所有を主張できません。
主張できる相手は人間であり、しかも良心的な人間に限られます。
ここで言う良心的な人間というのは、あの人の所有であることを、
約束として、ルールとして、理解して守っている人のことです。
所有が通用する範囲は限られているのです。
それは、人間社会の中のルールで成り立っていること
お互いの頭の中でそのように思っていると言うことが条件になります。

「私のもの」というのは、単純に「思い込み」から成り立っているもので、あると思い込んでいる「虚構」なのです。
それは単なる「もの」であり、「私の」、「あなたの」、「彼の」という修飾はできないのです。
804名無しさん@3周年:04/10/27 03:02:44 ID:1D5xI7ia
私の手は、私のもの?
805マンゴー先生:04/10/27 03:20:45 ID:bYqbOXNN
>>803
そうですね。そしてその思い込みから(私の)世界が構築されてゆく。
そしてその世界の中に「私」は投げ出され、人間は否応なくこの世界を生きなければ
ならない。
どうして私たちは、それは私である、それは私のものである、と思い込んでしまうので
しょうか。

それは「私」が無いと不安だからではないだろうか?
「私」を確立するために「私のもの」を対象化する。
「私のもの」があるなら「私」があると安心する。
こうして二元的なモノの見方を繰り返して「私」の確信を強化しようとし続けてゆくのです。
つまりは益々自己中心的になってゆかざるをえない。

では「私」が思い込みであるとするならば、「私」って本当は何なんだろう?
806あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/27 03:21:50 ID:KQMz/Xi5
>>803
わたくしのもの
というものはない。
と言う、共通認識は仏教徒は、また拡大して、アジア人にとっては、全て理解、了解している事(共通認識)ではないでしょうか。
807マンゴー先生:04/10/27 03:29:47 ID:bYqbOXNN
>>805
どうぞ「十二縁起」を思い浮かべながらお読み下さいませ
808あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/27 04:07:42 ID:KQMz/Xi5
別の視点、から、ちょっと言ってみます。
わたしは現在、○○才です。
わたしの生命は、
30数億年前に発生したわたし生命(原核細胞→単細胞の真核細胞→多細胞の生物→わたくし)が、DNAと言う形で、行き続けているので、30数億 才とも言えます。
生命は、 細胞の生、 個体の生、 生命系の生、 と分けて考えられますし、 同じ一人のヒトとしても、とらえられます。
目の前に有る、大根も、30数億才ですし、高空を飛ぶトンビも、わたくしも、30数億才です。
同じ年令であるばかりではなく、元は同じ、DNAを持つ細胞でした。
DNAは細胞の中に在り、細胞が2分裂して1個の細胞が、2この細胞になります。
この細胞分裂が、100万回〜1億回に1回、変異をします。
この変異が積み重なって、約100万年、経つと異なる種となります。
そう言う事の繰り返しで、現在では、同じところからスタートしたDNAは、大根になり、ヒトになりました。
30数億年と言う時間のスパンで見ると、ヒトも、大根も、30数億年前の1点に集約されて違いはなくなります。
大根が、わたくしは、大根ですと言う。
ヒトが、わたくしは、ヒトですと言う。 
それは、間違ってはいない。 だが、大根も、ヒトも、もとは、同じDNAである。
809691:04/10/27 04:10:33 ID:Ha7Ytt+Q
飲んで帰りました〜

>>799 マンゴーさん
>私の立場です
>神秘主義ってこと
よしましょうよ〜
肩の力抜いて気楽に行きましょうよ〜
心の清さも汚さも、いっそ引き連れて生きましょう〜

私という 私を仏に渡したら 後に残るはさて何じゃいな

さて、風呂入って寝ます。
明日は明日の垢が出る。生きてるんだなぁ〜

810単、直:04/10/27 08:25:47 ID:+c5gM0bp
>>809 名前:691さん
強欲で迷いの深い輩なんでつい我慢できず野暮な突っ込み入れてしまうようですが
せっかくの又とない機会かもと想いますので
今少し691さんの立っておられる所から観える風景
の話を聞かせて貰えませんでしょうか、
厚かましいとは承知のお願いデス
811マンゴー先生:04/10/27 10:21:24 ID:BQdzFz+X
>>809 691さん
まだまだ「私の立場」なんぞに固執している執見の輩であります。
早く皆さんのように達観したいものです。
でもこんな私でも実生活は、随分お気楽に生きているように見られているようですので
ご安心下さいね。
垢からも生きている実感を感じられる、そんな生き方って素晴らしいですね!
812名無しさん@3周年:04/10/27 16:46:41 ID:X7mHhL1n
      r ‐、
      | ○ |         r‐‐、
     _,;ト - イ、      ∧l☆│∧  良い子の諸君!
    (⌒`    ⌒ヽ   /,、,,ト.-イ/,、 l 手のひらで踊っているうちは幸せだが 
    |ヽ  ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒)  手のひらを返されるとどこまでも
   │ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /|  落ちていくしかない!
   │  〉    |│  |`ー^ー― r' | 
   │ /───| |  |/ |  l  ト、 | 
   |  irー-、 ー ,} |    /     i
   | /   `X´ ヽ    /   入  |
813山陰線沿線住民 ◆sLwFR3atHY :04/10/27 20:45:32 ID:YfifXEU1
この間銀行に行ったんだ
給与用の総合振込の用紙を持って。
番号札引いてボケ〜っと待ってると
番号を呼ばれ窓口の女の人に
給与振込の用紙を手渡したら
・・・?!あれ?学生の頃、付き合ってた彼女・・・?
咄嗟に「有限会社○○」と書いた用紙を隠したくなった。
人違いだろうと思いつつ胸の名札を見る
良かった・・・人違いだ。
良く見れば髪型も雰囲気も違うしな・・・
手続きの間、待ってる時もなんか落ち着かない
ニヤけちゃいそうな事や悲しかった別れなど
色んな思い出が溢れて出て来てとても切なく
7年も経って改めて彼女が好きだったんだなぁと思った。
・・・と、社名を呼ばれ振込みの控えを受け取る
「・・・久しぶりだね」
下を向きながらそのひとは言った。
814あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/27 21:02:28 ID:KQMz/Xi5
>>813
すごいね。
読ませる・・・
とても、面白い。
とてもいい。
すごいね。
そして、
君がプロなら、もっと背景の書き込みをお願いしたい。
君が、プロを目指しているのなら、アイデアのほかに、観察する目を持って欲しい。
815山陰線沿線住民 ◆sLwFR3atHY :04/10/27 21:39:55 ID:YfifXEU1
正義の翼〜♪創価の翼〜♪と歌う動画  12MB
http:/ahiru2.zive.net/joyful/img/4041.zip

創価芸能人が大作と一緒に踊り狂う動画
http://data.uploda.net/anonymous/etc1/dat6/upload12351.lzh

久本雅美が「信心してよかった!」と泣く動画  8MB
http://ahiru2.zive.net/joyful/img/4039.zip

創価名物マスゲーム動画  13MB
http://ahiru2.zive.net/joyful/img/4037.zip
816Blue Sky ◆t/HOghkWzc :04/10/27 21:43:08 ID:OGcpMFJW
>>814
先輩、ネタですぜ・・・
それに、その山陰線沿線住民さんは偽者ですよ。
817山陰線沿線住民 ◆sLwFR3atHY :04/10/27 22:34:26 ID:YfifXEU1
糞コテが次から次へと沸いてきますね。
818名無しさん@3周年:04/10/27 22:40:34 ID:qB2TtLa8
>>816
ネタだから何だ?
文才あるじゃないか。漏れは続きが知りたくなったぞ。
819691:04/10/28 04:01:07 ID:28qWh2RD
>単、直さん、マンゴーさん これは失礼しました。

悟りも仏も平等も、スローガンみたいなものかと思います。
政治と違うのは、取り組む相手が自分自身だということです。
それらに呼応しているのは、誰でしょう?
大昔に生きて死んだ大先生、ゴータマさんに呼応しているのは誰でしょう?
呼応することが出来る!そして自由に(或いは勝手に)考えているのは誰でしょう?
皆、こんなに自由に(或いは勝手に)ふるまえています。
「自分の主は自分だけ」を地で行ってますよ、全員。

隻手の音を聞け、と問われてあれこれ考える。
片手の音は聞こえないのに、いろんな考えが聞こえてくる。
心から。
そこには無限の光も無限の闇もあり、自分の中で全てを生み出している。
一体何が欠けているというのでしょうか?

ああ、やはり上手く言葉には表せません。
言葉を重ねるほど遠くなって行きます。

年ごとに 咲くや吉野の山桜 木を割りて見よ 花のありかは
                     詠み人、誰でしたっけ?
820山陰線沿線住民 ◆sLwFR3atHY :04/10/28 05:07:06 ID:l0ovYp8m
639 名前: 背面狙撃名無しさん 投稿日: 2004/09/26(日) 22:17

まず、真剣な相談をしている(フリをしている)コテハンが
自作自演をしていることの異常さに気付けよ。

ジサクジエンはしょうがない、とか言ってる奴は、常識ないんじゃないか?
821Blue Sky ◆t/HOghkWzc :04/10/28 09:20:54 ID:6Ty5xXWP
>>818
>漏れは続きが知りたくなったぞ。

続きなんか、あればいいけどな。
いっそ、オメーが書けよ。
822単、直:04/10/28 10:03:51 ID:WSU/wObs
>>819 名前:691さん
レスありがとうございました
昨日みせて戴いてずっと考えてました。

でもおいらぐらいの程度ではいくら頭で考えても691さんの達観には
届かないだろうと素直に想えました。

過去何人かの方が禅の大悟は2ちゃんの文章で表現するのは無理だろう
と仰ってましたが、それでもあえて自分の掴まれた悟りの世界を
精一杯分かち合おうと書き込んでくれる691さん、マンゴー先生、300さん、アハさん道友の
門主さんらのお陰で朧ながらに感じるのは、全ての答えは外ではなく
こに存在してるおいらの内にある。

無明からずっとずっと掘り下げたその奥にマンゴー先生、あはさんが
言われたおおいなるものの慈悲がありそれを体感した時の大安心と大歓喜がある
691さんのそれは静謐で淡々として清清しいものを感じますが

それは新たな築きというよりも思いだすというものでしょうか?
もともとあったもの・・・に到達する・・・・還る・・・・


823あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/28 14:40:05 ID:Bk40cjh8
>>819 691さん
> 隻手の音を聞け、と問われてあれこれ考える。 片手の音は聞こえないのに、いろんな考えが聞こえてくる。心から。そこには無限の光も無限の闇もあり、自分の中で全てを生み出している。一体何が欠けているというのでしょうか?
> ああ、やはり上手く言葉には表せません。 言葉を重ねるほど遠くなって行きます。
> 年ごとに 咲くや吉野の山桜 木を割りて見よ 花のありかは                    詠み人、誰でしたっけ?
わたしは、隻手の公案に取り組んで、見性を得たと思っている、独覚です。
>「片手の音は聞こえない」・・・そうですよね、聞こえません。
片手の人がたたく拍手の音が聞こえたときは、笑い出し、手を打って、踊りだしていましたよ、(爆)
その音が聞こえる前は、金色の炎が、数メートルの高さに、燃え上がるのを見ていました。
身の回りのものが、金でできていました。
その事があってのち、片手の人がたたく拍手の音が聞こえました。
おなじと見る、
また、自由、主体と見る。
2500年まえの人は、てんじょうてんげ、ゆいがどくそん、と、言い出されました。
これが、わたくしの、見性、悟りです。
見牛、牛が歩いている後姿を、確かに見たぞ!と言うところだと思います。
悟後の聖体長養35年、と言う修行があるそうですが、わたくしは、師家のもとで見性を得た訳でないので、悟後の修行が、皆目なされていません、(汗)
824あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/28 14:55:31 ID:Bk40cjh8
>>822  さん
> 過去何人かの方が禅の大悟は2ちゃんの文章で表現するのは無理だろうと仰ってましたが、・・・

2チャンネルと限ったことではないんですが、これが、悟りです、と言う事を、書いていらっしゃいます。
わたくしは、マンゴー先生のことばを聞いたとき、あぁ、2ちゃんねるに見性を得た人が居た、俺とおなじだ!と、感激しました。
ただ、その深さにおいて、マンゴー先生の足元にも、及びません、(;^_^A アセアセ
無、と言い、
空、と言い、
不、と言う。
数学では、ゼロ、と言うのだと思います。
インドでは、ゼロは、そこからふくらんでいくと言う、概念が、あるそうです。
無、空、不、もまた何にも無いのではなく、全存在へとつながっています。

825あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/28 14:58:40 ID:Bk40cjh8
↓ これは、公案を、更に公案としたもので、問い、としたもとものです。
犬に、仏性があるか?
あるに決まってる。
だが、そこを、無、と言うらしい。
この公案以後の禅は、ここに尽きると言う。 しかし、飲み込めない。
犬に仏性があるとも、答えている。  これはまともだと思う。
然し前の、いぬに仏性が有るか、無。
がひっかかる。
空の理解は、している。
仏性のある、なし、には、かかわらない。  仏性は、あるに決まっている。
犬に仏性はあるか。無。  これは、受けと入れない。
犬に仏性は、あるか。空。
これだと、門の内側に入る。
無。
これに、迷う。
空では、無いのか、と。
826あはさんpasiru語 ◆.KW7KtLaak :04/10/28 16:18:30 ID:l0ovYp8m
         鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
        鬱 ○。         鬱 
       ノノ)     V3w      从
      ( i从〓〓      〓〓.从  
      .从 (●)      (●) 从     
     从从.      ,  、     从)   
     (从.l∴   ,,ノ(、_, )ヽ、,  ∴从人) 
    (人人|∴ ヽ `-=ニ=- './.∴..从人) 
     (人人|∴∴!  `ニニ´  !∴∴l从人)    
    (人人|∴∴!.       !∴∴l从人)  
    (人人人_人____人_.人人人)
    /´⌒´ヽ  ー-` '-ー^ヽ⌒ヽ
   /   ィ   ,  ヽ  , )` `ヽ
  /    ノ^  ー   '` ー 'ヽ   ゙i
  ノ  ,,,ノ            Y´゙  )
 (   < |       ⌒     !  /
  ヽ_  \           ノ_/
    ヽ、__ ヽ.ー    ,,,@,,, ノ  ソ、
      〈J .〉  ヾ、.::;;;;;;::.ノ |ヽ-´
      /""     ;ミシミッ    |
       レ     イミ.i i.ミ   リ
      ,ゝ    ,ノ `ー∪' ヽ ノ
     / ` レリ  i´   リ
     i    /    `、   i'
     〉  イ      〉  |
    /  ::|      (_ヽ \、
    (。mnノ       `ヽ、_nm
827魔法のマント ◆zPDVctO00E :04/10/28 18:27:04 ID:TDDxEn+B
そうそう。ここに、カキコしてる人ってレベルの高いことについては、わかって
ないっぽい。
828あはさんpasiru語 ◆.KW7KtLaak :04/10/28 19:29:20 ID:l0ovYp8m
やっぱりオレ様はレヴェルの高い男だったのか(プゲラ
829690:04/10/29 00:05:28 ID:FAmkrrmM
マンゴー先生
>そうですね。そしてその思い込みから(私の)世界が構築されてゆく。
ここで、うなづいているなら、何も問題ないじゃないですか。
>そしてその世界の中に「私」は投げ出され、人間は否応なくこの世界を生きなければならない。
なぜ、ここで問題が発生するのでしょう。
上のうなずきと矛盾していますよ。
>「私」って本当は何なんだろう?
私を振り返る、昔から変わらない、『それ』がありませんか?
そこに何でも描く自由があり、誰も邪魔するものはない。
『「私」が投げ出されている』と思うのも
『否応なくこの世界を生きなければならない。』 と思うのも
この自由の故です。
『「私のもの」を対象化する。』 のも
『「私」があると安心する。』 のも
この自由の故です。
『それ』を知らぬはずはないのです。
830あはさんpasiru語 ◆.KW7KtLaak :04/10/29 01:25:15 ID:kln+MPkc
よくいった、感動した(棒読み)
831名無しさん@3周年:04/10/29 02:38:35 ID:lZZ1sRjy
坐禅と見性第7章☆無心にして花、瀬戸内寂蝶を招く
832菌性日MkU貝:04/10/29 05:25:54 ID:CdtePzQW
机龍之介は死んだのかね?
833名無しさん@3周年:04/10/29 08:14:57 ID:Shz07zZm
犬に仏性があるかないかなど、悟りへの梯子にすぎない。悟った人には仏性
など興味の対象外。以下は良寛詩から。

仙桂和尚は 真の道者
黙して作(な)し 言は朴なるの客。
三十年 国仙の会(え)にあって
禅に参ぜず 経を読まず。
宗文の一句だに道(い)わず
園菜を作って 大衆に供養す。
まさにわれ これを見るべくして 見ず
これに遇うべくして 遇わず。
ああ 今これに放(なら)わんとするも得べからず
仙桂和尚は 真の道者。
834マンゴー先生:04/10/29 09:11:28 ID:ESpbXDxG
>>819 691さん
>そこには無限の光も無限の闇もあり、自分の中で全てを生み出している。
>一体何が欠けているというのでしょうか?

すべてがあるのだから、あとは何を選ぶのかというだけ、ということでしょうか?
あるいは、無限の光も無限の闇もすべてを受け入れて生きていく、ということ?
835マンゴー先生:04/10/29 09:16:47 ID:ESpbXDxG
>>824 あはさん
光栄です。が、買いかぶりです。私は「垣間見た」程度ですよ。
836マンゴー先生:04/10/29 09:29:41 ID:ESpbXDxG
>>829 690さん
やはり690さんと691さんは、とても近い境地を共有していらっしゃるように感じます。
このあたりのことについて、別の表現を使ってもう少しお話いただけると有り難く思います。

>『「私のもの」を対象化する。』 のも
>『「私」があると安心する。』 のも
>この自由の故です。

つきつめるとそうなのかもしれません。
しかしながら、私にはこれらは自由というよりも強制的、自動的に感じるのです。
837名無しさん@3周年:04/10/29 12:45:44 ID:j0AOVTRN
ここホントに坐禅と見性スレか?
838あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA :04/10/29 13:36:18 ID:znYaHdWC
>>835 さん
> >>824 あはさん
> 光栄です。が、買いかぶりです。私は「垣間見た」程度ですよ。

わたくしは、この道に先の方に、牛の尻尾が、「垣間見た」程度です。
いつも、学ばせていただいてます。ペコリ
839あはさんpasiru語 ◆.KW7KtLaak :04/10/29 19:01:54 ID:kln+MPkc
       / ____ヽ
       |  | /, −、, -、l
       | _| -|○ | ○||
       (6  _ー っ-´、}   ,..、
    , - 、 \ ヽ_  ̄ ̄ノノ 、-ー(  )
    (_ ノ::`.━..∪,-( t)-'、::::::/~
  三   ゙ ーt:::::::::::r"┌―-, ヽi
        |::::::::::>-―'' ̄ ̄ ヽ
          ゝ_(__,,-―''、_,ゝ
三  _    /  /        \ \_/|
  /_( ̄( ̄ _/           k/''丿
  | `y ̄ ̄              
840名無しさん@3周年:04/10/29 22:13:39 ID:tk0/XS1H
 2004年NHK杯フィギュアスケート大会が近づいてまいりました。

  /)  ,-、
   /∧_∧ ヽ               ∧_∧
   |( ´∀`) l    _∧_∧ _     ( ´∀`○
   ヽ     ノ    (( ´∀`/ノ     ((    ノ
   ノ j ハ i (     ヽ   く      .ソ   〈
   ゙'ー'┬'T'j~      _ノ,,j,,ハ,,_,ゞ     く,,ノ、,,ハゞゝ
     i lノ       / ハ. ヽ      〈;,_ノ `ー'
     (_ノ       (_ノ  `ー'      ┴  
     ┴       ┴   
   

                                 
       ,ーう (\      ニ う (\      - =う 三 =-
     / ∧_∧l    -./∧_∧ -    -ニ -. _ハ-
     l (´∀` )     -(:.∀`.:||ニ- ニ- 二-´∀`.::ニ -
     ヽ    ノ     ヽ  ..:::...三    `一≡二 三二≡-
      〉ノ ハ i:. ゝ     〉ノ ハ i:::..ゝ     - ヽ _ノ ノ
     ゙'┬'Tlー'l~      ゙'┬'Tlー'l~、    - ニ ノ - 二 ニ-
       l l `J      -=二 l ` -ニ       -ニ - ノ
       し'┨      - し'┨|          /: しニ-   
841(・ω・)
ふーむ。おらぁまだ慈悲さ語れねんで語れる人さ語ってほすぇぇぇな。