お願い
難しい用語は出来るだけ砕いて、初心者に解り易い説明でお願いいたします。
なるべくsage進行でお願いします。
五月ゼリーさん、06さん、ご無沙汰してました。
桐龍之助が絶対に来る
荒らしでなければ、歓迎します。
(補足)
もちろん実践編なので、誰もが履修できる具体的方法についてのご意見を歓迎いたします。
内心の平安とはどのようにして到達するのでしょうか。
先着GET!
うーん、じゃとトップバッター逝くよ
平安になるためなら
おいらは裸になる
スケベーを隠さない
こころを柔らかくして角立てず
繊細なこころでありながら大胆
腰には何も得物は携えず
時には傷つくことも怖れず
何よりも自分を愛し、自分を褒め
自分の中にしっかりと立って
しかも人との繋がりを忘れない
これかな
7 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :03/11/22 08:52
う〜む、内心の平安とは・・・何ぞや?
前スレでは髑髏仮面殿がイイ事言うとるようだが。
6 ○クルリンさん
お初で登場、きんこんかん!
裸って良いですね。私も夜は海ですっぱで海水浴したりします。
裸の付き合いというか、あそこまで安心できてなんでも話せる関係って素晴らしいと想います。
無防備というのも簡単な様で難しいですよね。
こころの何処かに引っかかりがあると必ず自分を【防御】する働きが生じます。
すっからかんの徒手空拳、なかなか大変です。
自分の中にしっかり立っている。
これも大変です。
見えていなければ、何処までが自分、自分の中心ってどこって探すことになりますね。
どうぞ宜しく!
7 机龍之介さん
ようこそ、お越しです。
何ぞや、そうなんです。長いこと走り回っていると静けさが解らない。
とりあえず何も考えずにボーっとしてたら良いのでしょうか。
9 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :03/11/22 11:24
レーチェさん。
はじめまして。宜しくm(__)m
>とりあえず何も考えずにボーっとしてたら良いのでしょうか。
何も考えずとも、心とは片時も休むことなく動き廻る。
何故にかように動くのか?
して、心とは何なのか?
この人類永遠の命題を、今から約2500年くらい前に深く洞察した方がおられます。
古きを尋ね師に問う。
このような気持ちで、私はおるのです。
私と一緒に、この命題について考えていきましょう。
今後ともよろしく。
>とりあえず何も考えずにボーっとしてたら良いのでしょうか。
先ずは、そのようであれば、そのようにあればよい。なのかと思います。
なんら思推には及ばぬ。
明鏡止水。
机龍之介さん
こちらこよろしくです。
前スレもブランコさん髑髏さんはなんだか仏教系の感じでしたね。
机龍之介さんもかなりの禅をなされるのですか。
>何故にかように動くのか?
>して、心とは何なのか?
近所の禅寺に体験に行きました。夕暮れの薄明かりで壁に向かっていましたが、その後で女の子が入って来たのがいけなかった。
フェロモンが気になって気になってバシ!です。
>私と一緒に、この命題について考えていきましょう。
今後ともよろしく。
いろいろご教授下さい(ペコリ!)
>先ずは、そのようであれば、そのようにあればよい。
ありがとうございます。
レーチェさん
ある方とお話して、それから数時間も経たないうちに、ある方が心変わりをした。
私は、まあハッキリしない性格だなぁ〜〜〜とか、性格が悪いかと思ってましたら、
実は「境界例」って病気だったのを・・・後から知るのです。
境界例は、こんな感じにクルクルと心が目まぐるしく動き廻ります。
して、話は変わるのですが・・・・
鬱とノイローゼは、どこか違うのですか?
ここのところを貴殿に教えて頂きたいのですが、宜しくお願いします。
貴殿の文体は、女性らしい優しさが感じられます。
かつてのブランコ氏も、女性と間違うほどに優しさが感じられる。
>>10レスで、貴殿が男性だ。ってのは判明しましたが(w
机龍之介さん
【境界例】ですか、多重人格とは別物ですね。専門的なことは解らないのですが、アメリカはさすがに進んでいますね。
おはようございます。
私の鬱は、原因としては医学的には未だ施しようがないものです。軽度の抗鬱剤の投与も検討しましたが、これを行うとずっと薬に依存する生活にはまってしまうので現状摂取していません。
甘んじて鬱状態を体験し、それを切り抜ける所存です。ほぼ9年置きにかなりきつい鬱が来ます。
自殺したいとか、自分を消滅させたいとかそういう最低の気分になってしまうのですね。そしてそれと同期するように、それまでの人間関係、仕事環境が一挙に消失します。
新しい環境を創出するまでは、なんというか精神が全くVOID状況なんですわ(T.T)
せめてもの救いは自我が苦しみながらもまだそこにあったということ。衝動的に何かするということは無かったです。
>鬱とノイローゼは、どこか違うのですか?
上記は答えになってないですが、私はノイローゼの体験が無くなんとも言い難いです。
>貴殿の文体は、女性らしい優しさが感じられます。
>かつてのブランコ氏も、女性と間違うほどに優しさが感じられる。
ブランコ NOT EQUAL レーチェ です(笑)
ブランコさんのHNは推定するに、2元分離の振り子が揺れてやがて止まる過程からとったのかな。
>>前スレ521
>>繰り返している。ブランコは行った切りでなく、戻ってきちゃくから。飽きないん
ですよ。懲りないんですよ。と言うことは私はやはり悟れないと言う事か…。
私のHNはミラレパの弟子の名前をもじりました。
(文字数大杉)
ブランコさんのメンタリティは
>>前スレ 114
>>先日ずっと一緒にレースをやってきた友人がこの世を去ってしまったので、戦意
>>喪失状態ですし、他の誰かと組んでさらに…という気は起こらないのです。
>>ただ、私は思うのですが、レーサーは確かにレース中は色々と面白い体験をしている人が
>>多くいるようですが、それを特別な事と思わず、みんなに起こるものとして別に気にもし
>>ていない事が多いようです。私がその様な事を問い質しても「だから何?」という具合に
>>取りあってさえくれないことが多い。(w
の語句に秘められている通り、生と死を日常的に目撃するところから来る命への共感のようなものでしょうか。
ゴータミーの話もそれに繋がりますね。
私はレースはしませんが、何度か山で遭難しかけたことがありました。(鬱の癖に危ないとこに逝くなーてか(笑))
雪渓で滑落した時は確かに、瞬時ですが臨死体験もどきのようなことが脳裏に浮かんでくるようですね。
命とは何か、人生の意味は何か、ごまかしようの無く物事を直視させられた瞬間をブランコさんは体験されたんではないかと、
このように想像しまた共感しました。
(以上がブランコさんのスレを継続させたいと思った趣旨です。)
>
>>10レスで、貴殿が男性だ。ってのは判明しましたが(w
うん、机龍之介さんは妙観察というか観察眼が鋭いので、こっちも余り嘘つけないんですね。
またその方が、こっちとしてもありがたいです。
隠したり、自分を飾ったりすることなく語るのも体には気持ち好いものですね。
もちろん、私は生物学的にも男子です。ははは
レーチェ氏
過去スレを、よく引っ張ってこられましたね(w
こんなのがありました。
髑髏氏がカキコしたもんですね。
_____________________________________
15 名前: 髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. 投稿日: 02/10/27 08:51
>12
>生と死の間に葛藤
私の経験ですと、「死」とゆうのが身近に感じられますと、先ず「拒否」がありますね。
「自分に限ってそんなことはい」。この葛藤があります。
しかしながら人間ちゅうまんはそれを段々受け入れていく。受容です。
こうなりますと、先ずは自分の近辺整理に入ります。
保険とか貯金の情報を身内に開示します。そうこうしているうちに段々精神も落ち着いてきます。
じっくり「自分」について考える余裕とゆうのも出てきますね。
ある意味、こうゆう時とゆうのは最も平安なんかもしれませんね。
「すべてを捨てて」「すべてを受け入れる」。この同一性とゆうんでしょうか。
武士道について、「葉隠れ」にある・・・
「武士道とは死ぬことと見たり」。この言葉を思い出す。
_____________________________________
私が青少年のころは、ノイローゼとかの言い方が一般的だった。
そのころにも鬱とかの病気はあったのだろうけど、あまり聞かなかった。
鬱。というより、
躁鬱病とかいったりしたかと思う。
今は、躁鬱の「躁」のところをあまり耳にしなくなった。
実は、私は学生の頃にノイローゼになったことがある。
だからノイローゼというならば、ある程度は分かる。
だけど、鬱は・・・たぶんそれよりは重症なのかと思う。
想像の域をでないのだが・・・
だけど、何故にこうも「鬱」という病気がメジャーになってきたのか?
貴殿と伴に考えていきたい。
この命題を熟慮しているうちに、何かの答えが見出せれば良いのだが。
これも諸行無常。
己を知るとは、他人との心の触れ合いにより知るものである。
>>13 >命とは何か、人生の意味は何か、ごまかしようの無く物事を直視させられた瞬間をブランコさんは体験されたんではないかと、
そうですね。
そのブランコ氏のアプローチを、髑髏氏が仏教からの観点で受け止めてる。
っていうようなスレの流れかとおもいます。
>もちろん、私は生物学的にも男子です。ははは
ちなみに私も男子です(w
貴殿もご存知かと思いますが、机龍之介ってハンドルは、「小説・大菩薩峠」の主人公の名前です。
>> 14 机龍之介さん
髑髏さんが「死に直面」した当時のメンタリティを考えるに、生きんとする意志は私より感じられますよ。
私のようにお腹の中にできものがある写真を見せられた時、さっさとやらんかいって思ったのとも違うでしょうね。
ですが根本にあるのは同じだと思うのです。死を拒絶するも、死をある程度はョこんかいと願う?のもともにエゴイズムでしょうかね。
現実拒否の現れ方の違いだろうと勝手に解釈しました。
それが証拠に私の場合、癌で無くなった友人から生前その癌を告白された時、私が完全に動揺しその癌を拒否しました。
生死にこだわったのです。いろいろな抗癌治療をその友人に薦めました。
>「すべてを捨てて」「すべてを受け入れる」。この同一性とゆうんでしょうか。
ある種の諦め、すなわち現実を「コントロール」することへの諦めが必要だったのでしょう。
死の知らせが夢のように届いた時、唯静かに涙する以外ありませんでした。
ただ、彼は最後まで生きる努力は末期ガンの苦痛の泥沼の中で続けたのです。
生きんとする意志、それをそこに観ました。
全てを受け入れるほどに未だ諦め切れない私としては、ただただ隘路に立ちすくむしかなかったのです。
「手放し」と「受容」これは、きっと平安への鍵ではないですか。
前スレに焦点化しすぎた成果で、なんだか口調が著しくブランコさんに似てきている自分を発見して自分でも少し笑えています(w
ブランコさん、もしも未だ居られるなら一度出てきて下さい。
無理にとは申しませんが。
>>15 机龍之介さん
ニアミスしちゃいました。(すまそ)
>だけど、何故にこうも「鬱」という病気がメジャーになってきたのか?
「鬱」状態というのは言わば、自家中毒なのでしょう。
私は未だましかもしれません。自分の状況が分析できるからです。
>貴殿と伴に考えていきたい。
>この命題を熟慮しているうちに、何かの答えが見出せれば良いのだが。
>これも諸行無常。
ありがとうござます。
>>16 >そのブランコ氏のアプローチを、髑髏氏が仏教からの観点で受け止めてる。
っていうようなスレの流れかとおもいます。
同意ありがとうございます。
だいぶ、気分的に楽になりました。私の場合話を聞いていただけただけで落ち着いてきます。
元来溜めやすいタイプなんでしょうね(笑)
>貴殿もご存知かと思いますが、机龍之介ってハンドルは、「小説・大菩薩峠」の主人公の名前です。
了解です。映画の方は拝見しました。
確か男女が、大菩薩峠で
「死んでまで悪女大姉と書かれるなんて」と墓標の前で語るシーンが印象的でしたね。
昔の映画は今見ると結構パワーあるんですね。
昨日は忙しかったので・・・今日の夕方頃にでもレスをいれますm(__)m
レーチェさんに、謝らねばなりません。
髑髏氏のネタが出てきましたから(笑
実は、髑髏仮面_EQUAL_机龍之介ですm(__)m
レーチェさん
病歴は、貴殿と私、似たようなところがあるかもしれません。
病院てとこは、患者同士で歓談してても、明日になれば互いに再び逢えるかどうか?
逢えない確立が普通の生活よりは高い訳で、
そこのところは互いにわかってる。
されば、この時この一瞬の時間が非常に大切に思われる。
一般の病院以外でもまさに同じなんでしょうけど、
これを意識しないで生きているだけの事なんでしょうね。
つまり「生」とは・・・はかないものである。
はかない。とは諦観のようですが、わたしは全くそれとも違うことかと思います。
言語は、その概念があるベクトルをもつ。
言語における背反性をそこに見たとき、一筋の光明を見出すやに思ふ。
例えば「死」とは、無限なるダイナミズムをもってるかと思う。
三島由紀夫は、その背反性のもつダイナミズムを思わせる。
これは私の自論ですが、
仏教的にいうなら、いわゆる一如の法門。ということになるんでしょうね。
「負」における背反性。ってのも考えていきたい。
これは私の経験ですが、
人間の思考は、ある意味、経験から構築されていく。
これが全てが正論。とは思えないまでも、何らかの示唆を与えるものである。
机龍之介さん、いえ髑髏さんでしたか(喜喜)光栄です。実践瞑想シリーズはROMさせてもらってました。
>されば、この時この一瞬の時間が非常に大切に思われる。
明日はわが身、この映し身は
>つまり「生」とは・・・はかないものである。
>はかない。とは諦観のようですが、わたしは全くそれとも違うことかと思います。
>言語は、その概念があるベクトルをもつ。
>言語における背反性をそこに見たとき、一筋の光明を見出すやに思ふ。
究極の「生」についてでしょうか。キリストは、決心して死を選ぶ。弟子たちの中に生きる為に、そういうことなのでしょうか。
キリストが死ななかったら世界宗教としてのキリスト教はもっと違っていたかもしれない。
>例えば「死」とは、無限なるダイナミズムをもってるかと思う。
>三島由紀夫は、その背反性のもつダイナミズムを思わせる。
三島事件は大変なインパクトだったようですね。少なくとも当時の日本と日本人の意識に染み込んだと思います。
日本人とは何かについて
>「負」における背反性。ってのも考えていきたい。
>これは私の経験ですが、
>人間の思考は、ある意味、経験から構築されていく。
>これが全てが正論。
自分で負と思い込んでいる体験そのもの、例えば怒り、或いは憎悪に至まで
本来は消すべき自我と思うような暗部も含みながら人生のタペストリーを読め、知れということでしょうか。
嫉妬、怒りなどの不浄な感情は、それを過度に恐れるなら事実それは支配的に人生を縛ってしまう。
机龍之介さんの諦観とは、何らかのそのような「負」の感情までも包含し、「負」を「負」で正にするような
転換を試みられようとされているのでしょうか。怒りとは本来清浄なり、と申します。
在家でも何とか内心の平安を得たい!
これを毎日、願っております。
利休遺偈
「人生七十,りきかきとつ。
吾がこの宝剣祖仏共に殺す。
提る我が得具足の一つ太刀,今此の時ぞ天に抛つ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
人生ここに七十年,えい,えい,えい(忽然と大悟した時に発する声)。
この宝剣で祖師仏陀も我も共に断ち切ろうぞ。
私は手慣れた武器である一振りの太刀をひっさげて,
今まさに我が身を天になげうつのだ
利休遺偈には、死という状況に立ち向かおう。とする「負」の部分ではあるが、
逆にこれは、力強いダイナミックなものを感じる。
ゆうなれば相反するが、
生の極に・・・・・死があるわけですからね。
利休は、三島にも通じるかと思う。
ある極は・・・また、ある極の具現である。
病苦の極も、またある相反する極を具現。・・・・することもある。
またしても抽象的になってしましますがね(w
ある女性が、身体障害者の子供を産んで、最初はその状況を何としても受け入れられなくて、
拒絶する。そかから・・・葛藤・・・受容。という段階になり、やがて・・
その後、転じて子供に感謝するまでになる。
この変遷の意味するところは、何ぞや。
まさにここに相反する極を見たり!!
こんな人間の摩訶不思議なワールドにこれから参りませう。
変な宗教ではありませんがね(笑
利休、信長、秀吉に仕えさりながら
やはり骨太、佛祖を斬ると申さば
>ある女性が、身体障害者の子供を産んで、最初はその状況を何としても受け入れられなくて、
>拒絶する。そかから・・・葛藤・・・受容。という段階になり、やがて・・
涙する場面です。
一人の人間が、苦しみそしてそれを手放し、あるがままに人生を受け入れ・・・・・
手放しと受容、正しく相反する世界ですが、妙にリアリティを感じます。
その矛盾がです。
>こんな人間の摩訶不思議なワールドにこれから参りませう。
>変な宗教ではありませんがね
そうです。人生には理不尽とものを言わさず全て奪い取るような蹉跌、
いろいろな矛盾が付きまといますね。
私も、ずいぶん恨み言を言い続けました。
何故、そこで無理やり手放すことを余儀なくされたのか。
意味も解らず、ただただ目の前の人を憎み続けました。
その痛みが、骨に届くころようやく人を打つ手はわが身を打つが如く
その嫌うところは、実は内にあるもの。
離れたくとも離れられず、それ故苦しみでありました。
おもしろござります。参ろうやな。
レーチェさん
>その嫌うところは、実は内にあるもの。
>離れたくとも離れられず、それ故苦しみでありました。
人を恨む。ってのは、ある意味、力強さがありますね。
そういった燃え滾るもんをキャンバスにぶつければ、それなりの激しい絵が描ける訳でして。
ああ、そういえば私も人を恨むってのはありますよ。
それを原動力?として別なもんにそのエネルギーを注入したこともあります。
殆ど無鉄砲なもんでも、以外に行動に移すと新たな発見があったりして・・・。
そうゆう土壌があってこそ仏教という法門に縁が出来ましたからね、
なんにもなければ・・・仏教にも縁がなかった。
煩悩即菩提
そういう背反するものは常に内在す。
されど我が道は一つとなり。
この道を逝くなり。
煩悩のままにて・・・そうらえ。
机龍之介さん
> それを原動力?として別なもんにそのエネルギーを注入したこともあります。
> 殆ど無鉄砲なもんでも、以外に行動に移すと新たな発見があったりして・・・。
> そうゆう土壌があってこそ仏教という法門に縁が出来ましたからね、
そういえば、ミラレパは最初怨念の塊でしたね。自分が同じ立場で同じ能力があったらやっぱりヤッタだろうなという彼の事情を察するとその感情も非難には当らない。
おっしゃるようにそれが後日強力な推進力になって求道の日々となりましたから、なんといっても何事も一時の出来事で判断してはいけないのでしょうね。
「燃え滾るもの」ですか、変に賢くなって欠点を押さえ込み自我を無くすなどしてニヒリズムに陥るよりは、馬鹿で一途な熱血漢の方が可能性があるということですね。
>煩悩即菩提
>そういう背反するものは常に内在す。
>されど我が道は一つとなり。
極道というのは、実は坊さんとヤーサン両方を指すようですね。
極道を描いた作家の今春聴(東光)氏は、「悪名」という小説でデビューしました。
彼自身、友人の死でいつか自分も死ぬんじゃないかという恐れ故か、とにかく法門に入りましたね。
背反するものをいつも抱えていたように思います。
>極道というのは、実は坊さんとヤーサン両方を指すようですね。
そうでしたか。それは知りませんでしたね。
なるほど、貴方はかなりのモノ知りですね。
う〜〜〜ん。
確かに考えてみますと結構似てるかと思いますね(w
>極道を描いた作家の今春聴(東光)氏は、「悪名」という小説でデビューしました。
これも私は知りませんでしたね。
今東光の原作でしたか。あの「悪名」は。
映画で観ましたけど。勝新太郎と田宮次郎。印象に残ってますよ。
田宮次郎の演技は特に素晴らしかった。
あの、不良?の役ね。
>背反するものをいつも抱えていたように思います。
そうですか。
私も、心の思うままにカキコしてたのですが・・・・
これも漠然としていたものですからね。
新たに再考する切っ掛けにもなります。
人との交わりにおいて・・・我を知るなり。
そうそう、またしても新たな発見がありそうです。
切磋琢磨というのでしょうか?
感慨深いですね。
机龍之介さん
> 映画で観ましたけど。勝新太郎と田宮次郎。
なんと、あの二人の個性派が出てたのですね。勝が主役ですね。
田宮の演技は、大変印象深かったんですね。
当時から、何か鬼気迫るものが背後にあったのでしょうか。
今東光は、実は大変な親思いだったのです。それを「うちの糞ババア」なんてやるから外部からは批判されてましたが、
多分集英社の古い社員で作家担当だった人は彼の人柄の素晴らしさを何かのコラムに書いていたように思います。
で、何が言いたかったというと背反の例としてなんです。
極道、それも良しとして。
>なんと、あの二人の個性派が出てたのですね。勝が主役ですね。
そうそう、勝が主役でしたが・・・
印象とすれば勝はボヤケテましたね。
田宮が光ってた。
>当時から、何か鬼気迫るものが背後にあったのでしょうか。
田宮はプライドの高い俳優ですからね、いつかは勝を抜くんだ・・・。
とか、そんなこと考えてたかもしれないですね?
それは確信みたいのがあったかな?
田宮が自殺したのは、映画のポスターに自分の名がトップに書かれない。
ってのが相当プライドを傷つけたようですからね。
それが自殺の原因じゃあないか?ってのが当時の憶測でした。
田宮が「白い巨頭」ってドラマに出演してた当時、既に私生活でも医師に成りきってたらしい。
ある日、飛行機に搭乗したさい、急患が出てスッチィーが「誰か医師はいませんか?」
って聞いたら、田宮が名乗りをあげたらしい。
俳優ってのは、こういうもんなんでしょうね。
悪名も、いわゆる極道なんでしょうけど、人間が生き生きと描かれてますね。
仏教では善悪一如とか言いますが、同じ状況において、
ある人には悪になったり
ある人には善になったり
いわゆる、私個人の立場によって受け止め方が全く違ってしまいますからね。
34 :
名無しさん@3周年:03/11/27 22:22
(一瞬上げます)
>>32 机龍之介さん
田宮は白い巨頭を地で行く、生涯トップスターであり続けようと渇愛したのですね。
彼の如何なる情念が、彼をそこまでにしたのでしょうか。
幼いころの情愛の受け方によっては、その生涯を休み無く外的な成功を確かめ続けずには居られぬように人を仕向けるような人生を歩むようですね。
例えば、戦国の長尾影虎(謙信)、武田信玄、伊達政宗、織田信長・・・・
彼らは実の親に疎んじられた上、身内から殺されかけたり、実の兄弟が自分より優遇されて跡目に付く可能性が出たりしたりしますね。
思うにそれ故か、愛されぬという悲しみ故か彼らは、ずっと強くあり続けようとした、押して言い換えるならばその生涯を常に強い男を演じる役者でもあったのでしょうか。
その素顔は押して知るべし。
何か田宮の人生とも重なるように思います。
そして後年の信長の奇行などは、その弊害として彼のインナーチャイルドが出た結果と考えています。
>田宮が「白い巨頭」ってドラマに出演してた当時、既に私生活でも医師に成りきってたらしい。
>ある日、飛行機に搭乗したさい、急患が出てスッチィーが「誰か医師はいませんか?」
役に成り切る。そのものになる。ほんとに凄い役者さんだったんですね。
恐れ入りますと申し上げたい。机龍之介さんは詳しいですね。
>>33 「人の欲望と仏陀の智慧を同じと見る者は、無上の啓発の領域に達せり」
とミラレパは言っております。
悪に強い「悪名」の主人公たちが妙に魅力溢れていたと机龍之介さんがお感じになられるのも成る程と思えますね。
>ある人には悪、・・・善になったり
同じ人間の中にある無数の可能性ということなのでしょうか。
まったく、不思議です。
34は私です。
そういえば、白い巨頭が唐沢主演でリバイバルされる。
今でこそ、医療の問題は日常騒がれていますが、あのころにこの作品があったこと自体意味深いですね。
>幼いころの情愛の受け方によっては、その生涯を休み無く外的な成功を確かめ続けずには居られぬように人を仕向けるような人生を歩むようですね。
なるほど、私も秘めたる情熱がありますが、たぶんこれが起因するのでしょうか?
そんな感じもします。
>思うにそれ故か、愛されぬという悲しみ故か彼らは、ずっと強くあり続けようとした、押して言い換えるならばその生涯を常に強い男を演じる役者でもあったのでしょうか。
なるほどね。
田宮は、一見二枚目で弱弱しい印象があるんですが、銀幕では全くそれを感じない。
野生的な魅力がありましたね。
あの映画で、わたしは田宮を好きになったんですけどね。
>そして後年の信長の奇行などは、その弊害として彼のインナーチャイルドが出た結果と考えています。
たしかに・・・信長が馬鹿っぽいとこがありましたね。哀しいまでに(>_<)
>役に成り切る。そのものになる。ほんとに凄い役者さんだったんですね。
>恐れ入りますと申し上げたい。机龍之介さんは詳しいですね。
詳しい。ってよりも、断片的な記憶しかありませんが(w
ってことよりも・・・
貴殿は博識でおられる。
この机龍之介も、貴殿のレスに惹き付けられ申す(笑
福音書は心の一番の癒しになる。旧約聖書は実生活の一番の指針になる。
>>36 机龍之介さん
> なるほど、私も秘めたる情熱がありますが、たぶんこれが起因するのでしょうか?
> そんな感じもします。
うむむ、このあたりが大いなる中道への広がりと申すところなのでしょうか。
今東光もまさか自分が坊主にまでなるとは最初思ってなかったでしょう。
> 田宮は、一見二枚目で弱弱しい印象があるんですが、銀幕では全くそれを感じない。
> 野生的な魅力がありましたね。
私も、「高原へいらっしゃい」などある緊迫感を秘めたドラマは好きです。
これはぼろぼろのホテルの再建話ですが、妙に引き込まれました。
これは善人役ですけど、悪人に扮する彼もすばらしいのでしょうね。
あのころDVDがあれば、ばんばん撮っておいたでしょう。もったいないな。
>>37 粘土さん
初めまして
キリストも、内輪のグループでは内心の平安について極めて実践的な取り組みをしていたように伺っております。
よろしくお願いいたします。
今までのスレの流れで、「極道」について私も少し勉強してみましょう。
テーマとすると、結構おもしろいかと思う。
極なる道。とか・・・意味がありそうですね(w
極といえば、戦争中などは食料難で国民は腹を空かせていましたね。
そんな時は何を考えるのでしょうか?
たぶん「喰う」ことばかりを考えるのかと思います。
「極端」に偏りますと、人間はそれを補うことだけを考えるかと思います。
心身一如。
心の平安は、お腹が満たされる時に「ある」のでしょうか?
では、心の平安とは、常に相対した概念によりてその意味をなすのであろうか?
心の平安は・・・常に、心の混乱を前程としているのでしょうか?
ならば、満たされない。とは・・・・
なにか満たされるものを注入することなのか?
例えば、お腹が空いた時にご飯を食べるが如きに。
平安と混乱は相対概念である。
まずはこれにてベースを調へまする。
レーチェ殿はいかがお考えですか?
率直な意見を聞きとう存じまふ。
>>37 修道院の中では、キリストを内観して・・瞑想するとか、
そんな修行法があったかと思います。
どうでしょうか?
>>39 机龍之介さん
>今までのスレの流れで、「極道」について私も少し勉強してみましょう。
>テーマとすると、結構おもしろいかと思う。
禿胴です。(^^
ダイナミックなバランスを視点にいれて今はここにあるという自覚。
>極なる道。とか・・・意味がありそうですね(w
「ああ、無情」であるとかマルキド・サドの「美徳の不幸」「悪徳の栄え」などは、強者の悪徳を描写しながら実は善を浮かび上がらせていましたね。
美徳の不幸では、悪徳の権化の姉が最後には世を捨て尼になります。
>極といえば、戦争中などは食料難で国民は腹を空かせていましたね。
>そんな時は何を考えるのでしょうか?
>たぶん「喰う」ことばかりを考えるのかと思います。
>「極端」に偏りますと、人間はそれを補うことだけを考えるかと思います。
>心身一如。
>心の平安は、お腹が満たされる時に「ある」のでしょうか?
>では、心の平安とは、常に相対した概念によりてその意味をなすのであろうか?
ものの欠乏と充足という、サイクルは人間を駆り立てますね。戦後のどさくさでは、結構人々にも食わねばならぬみたいな活気がありましたね。(笑)
今のように、100m歩くとコンビニがある飢えが想像できない世界ですと、人間はわざわざ贅沢とも言える悩みや問題を起こしてそれに囚われるみたいですね。
万引きをする子供は、戦争直後と今とでは全く異なる動機を持っているでしょうね。裕福な世界の精神の貧しさとも言えますが、もちろん現代のストレスの圧力が増えたせいもあるのでしょうけど。
>平安と混乱は相対概念である。
>まずはこれにてベースを調へまする。
(長すぎて切れました)
>レーチェ殿はいかがお考えですか?
>率直な意見を聞きとう存じまふ。
大変大変難しい問いですね。
もしも、この世界に学校も会社も社会も無く、税金を納めることも何かを製造する義務、商品を売ったりサービスをしたりする義務が一切無かったら自分は一体何をするだろうか。
自分を条件付けている性別、家庭環境、社会的属性、国籍、宗教観これらの制約を一切取り外した時、私は私をどのように観ているだろうか。
混乱とは、おそらく誰かとの競争だとか、自分が成りたいと思っている地位や欲しい財産、名誉、これらに奔走する自分そのものでしょう。
そしてこれの原動力の枠組みは全て外部の世界にあります。
全ての枠組みを一瞬忘れ、本当にリラックスできしかも自分を守ったり偽ったりする必要を感じなくなった時、人は和むような気がします。
しかしながら、難しいのはそういうことを赦されない状況で自分を一体どのように感じたら良いのかと言うことなんでしょうね。
独楽は、自分では立てません。しかし独楽が速く回転すれば立つことが出来ますし、外部からの干渉があってもある程度中心に安定しようとする復元力が働きますね。
その独楽の回転に相当するものは一体何か。独楽は一見静止しているように見え実は高速に回転します。
寂静(ニルバーナ)と言う言葉は、極めて精妙で人智で捉えることの出来ない高度でダイナミックな調和という世界を描写することが出来ずただ外見の静かさを言葉にしたもののように思えます。
運動し続けながら、しかも中心に安定している・・・・・うーん、言葉が見つかりません(w
レーチェさん
>ダイナミックなバランスを視点にいれて今はここにあるという自覚。
空は中道ですが、中道に偏る。ってのはまた中道に非ず。なのかと思います。
いわゆる・・・「中道」に執着してはいかん。ということかと思います。
そういう意味じゃ、ダイナミックなバランス。ってのはイイ言い方かと思います。
>戦後のどさくさでは、結構人々にも食わねばならぬみたいな活気がありましたね。(笑)
ある老人に「生きてる実感というのは、どういう時だったですか?」。
って質問したら、戦後のドサクサで食料を漁ってた頃だそうです(w
私は戦後を体験してませんが、この老人の言ってる意味が分かるような気がします。
戦時中の学童疎開で、盲の学童が田舎の方へ疎開させられた。
この児童は、腹が減ると学校の鳥小屋の餌を手掴みで食べてたそうです。
いうなればこれは「盗み」なんでしょうけど、生きるために人間は智慧も出てきますね。
飽食な時代でしたら、こういったことは発想もしないでしょうから。
>万引きをする子供は、戦争直後と今とでは全く異なる動機を持っているでしょうね。裕福な世界の精神の貧しさとも言えますが、もちろん現代のストレスの圧力が増えたせいもあるのでしょうけど。
そうですね、これは全く戦争中の子供とは精神構造が違いますね。
むしろ現代人の方が深刻かと思います。
表面的には飽食なんでしょうけど・・・。事態は深刻ですね(^^ゞ
>>42 蓮の葉の上に、ただ刺激もなく坐っているだけでしたら「和む」とは言わないでしょうね。
「和む」ってのは、なんらかしかの絶妙なるバランスがあるのでしょうね。
>全ての枠組みを一瞬忘れ、本当にリラックスできしかも自分を守ったり偽ったりする必要を感じなくなった時、人は和むような気がします。
生きていく。ってのは、ある意味困難なことですから、そういう中においてそれを調和させる。
または離れる・・。とか、そういうことですね。
>寂静(ニルバーナ)と言う言葉は、極めて精妙で人智で捉えることの出来ない高度でダイナミックな調和という世界を描写することが出来ずただ外見の静かさを言葉にしたもののように思えます。
人間の「生」はダイナミックですね。
普段は日常の生活で意識はしませんけど、
状況において(病気とか)、改めて考えてみますればやはりダイナミックかと思う。
そうですね、
たしかにそれは静寂の中にあるのでしょうね。
動静一如
生が逼迫した状況では、生が輝きますね。
これを普段の時に意識できればいいのですが、
なかなかそうもいかないのでしょう。
机龍之介さん
おはようございます
>>43 >戦時中の学童疎開で、盲の学童が田舎の方へ疎開させられた。
>この児童は、腹が減ると学校の鳥小屋の餌を手掴みで食べてたそうです。
>いうなればこれは「盗み」なんでしょうけど、生きるために人間は智慧も出てきますね。
据え膳ではなく、死線に近い領域で生きんとする意志が輝くのですね。
日本の戦後復興が異常に早かったのもうなずけるような気がします。
>むしろ現代人の方が深刻かと思います。
>表面的には飽食なんでしょうけど・・・。事態は深刻ですね(^^ゞ
そうなんですよ。平安時代末期の庶民の生きるか死ぬかという極限の時代から様々な真摯な仏教実践の教えが出てきたと思うんですね。
今の飽食の時代では、少し間の抜けたというかどちらかというと世間を見返したい、一発逆転狙いみたいな発想の安易なカルト宗教ばかりが繁栄して可笑しな感じですね。
そういったカルトでない人も何か、大人として輝くものを示さない。だから、その子供たちが大人の作った世界に興味を起こさないのは至極当然だと思えるのですね。
若者にフリーターが増えるのは必然性があるという気持ちです。
>>44 >生きていく。ってのは、ある意味困難なことですから、そういう中においてそれを調和させる。
>または離れる・・。とか、そういうことですね。
私も旨く表現できないですが、うまいこと受容と手放しが廻っていることなんでしょうか。
起こっていることは起こっていることとしてありのまま受け入れるしかないですが、
起こっていることそれ自体が、深いレベルで自分の内的な成長に不可欠、或いは無意識の層にある課題点を表面化して手放すことを促してくれている。
ここまで来ると、諦めと委ねということにも繋がるかもしれませんが、何か子の宇宙に対する自分自身の信頼とでも言いましょうか。
それとも弥陀(光)の慈悲を頼み、自分で全て背負い込む自負を捨てる覚悟とでも云いましょうか。
「調和」ほんとうにそうですね。環境を支配しようとして苦しみ、環境と「調和」して生きられる。
>動静一如
いい言葉ですね。NHKの大河ドラマ(武蔵)この主人公の描写は嫌いです。
大地という土臭い匂いが、してこないからです。
でも、何回目だったか藤田誠?が扮する多少とぼけたような柳生石船斎の
「こと勝負の只中において、鳥の声、風の音を聴き・・・」
という言葉が印象に残りました。
世界(宇宙)と繋がる、そんな意志を感じたのですね。
レーチェさん
>そうなんですよ。平安時代末期の庶民の生きるか死ぬかという極限の時代から様々な真摯な仏教実践の教えが出てきたと思うんですね。
京の都は飢餓で死者が道端に倒れてるとか、そんな時に京の大火がありましたね。
この火事も逃げる間もなく焼け死んだとか。想像もつかないですが。
その後の壇ノ浦合戦があって・・・
あと、その後に京は大地震に見舞われてますね。
この大地震が平家の怨霊とか・・・そんな噂がたったらしい。
いやはやとんだ時代でしたね(>_<)
だけど、都の死体が放置しっぱなし。ってのは想像もつきませんね。
とにかく死臭が凄いでしょうし。
平家物語とか方丈記など、たまに読み返したいですね。
>そういったカルトでない人も何か、大人として輝くものを示さない。だから、その子供たちが大人の作った世界に興味を起こさないのは至極当然だと思えるのですね。
あの時代は・・・
人間の原点に返ってみるとか、そんな事を考える切っ掛けを与えてくれますね。
「古きを尋ね新しきを知る」。
って事なんでしょうか?
>私も旨く表現できないですが、うまいこと受容と手放しが廻っていることなんでしょうか。
言葉にすると相反するものでも、えてして意は同一。ってのがよくありますね。
受容と手放す(捨てる)。
これなどは同じ意味かと思ふ。
>それとも弥陀(光)の慈悲を頼み、自分で全て背負い込む自負を捨てる覚悟とでも云いましょうか。
>「調和」ほんとうにそうですね。環境を支配しようとして苦しみ、環境と「調和」して生きられる。
弥陀信仰と禅は非常に似ているんですよ。
私はそう思ってるのですが、なかなか話が噛み合わないところはあります。
だけど本質的なところは
>それとも弥陀(光)の慈悲を頼み、自分で全て背負い込む自負を捨てる覚悟とでも云いましょうか。
ここが非常に似てる。
中国では禅と弥陀信仰は双修なとこがあるらしいけど、
日本の黄檗宗は双修ですね。
NHK・宮本武蔵より(他BBSより抜粋)
向かうところ敵なしの武蔵が、柳生新影流の師匠である柳生石舟斎に挑みました。
武蔵は素手の柳生石舟斎に向かって木刀を何度も打ち込みます。しかし、全く歯が立ちません。
・・・・
徒手の柳生宗厳に木刀の武蔵が負かされたのだが、その時に宗厳が武蔵に諭した言葉が良かった。
その時、石舟斎は武蔵に向かって「鳥の声、風の音を聞かずして何を学ぶ」と。更に「私には、聞こえた。」と。
それは「太刀を構えたときに鳥の声が聞えるくらいの清澄なる心境にあってこそ勝機が得られる」というものであった。
いや、ほんとうはその勝機にさえも拘らない無心こそが、「勝つ」ことへの執着を凌駕したということだろう。
宮本武蔵が、ある合戦で相手を腕を落とし、一瞬われに返って悲鳴をあげる場面がありましたね。
あれは印象的でした。
合戦ていうのは、つまりは壮絶な戦いなんでしょうけど、その状況が伝わってきました。
ニアミスでした。
>>47 机龍之介さん
> 平家物語とか方丈記など、たまに読み返したいですね。
そうですね。あの時代にあれほどの文学が出来ていたこと自体凄すぎます。日本人の祖先もスゲェという感じです。
>>48 >受容と手放す(捨てる)。
>これなどは同じ意味かと思ふ。
成る程(納得)
>弥陀信仰と禅は非常に似ているんですよ。
>私はそう思ってるのですが、なかなか話が噛み合わないところはあります。
あ、そうなんですか。
形式だけでは、解らない実修での感得というものですね。ある一つの目的に対するアプローチがどちらから動くかということ。
私も始め阿弥陀さんは苦手でしたね。どうも堕地獄の考えが。
>中国では禅と弥陀信仰は双修なとこがあるらしいけど、
>日本の黄檗宗は双修ですね。
日本の禅は海外にもたくさんの無形の影響を与えましたですね。海外からみれば、此れほど日本には禅と禅の文化がありました。
西洋人のアプローチはどうしても必要以上の言葉を生み出し、論理化しますが、
どうしても神に委ねるというと、その論理が中心となって善悪断裁の一神教の文化からか排他的になりますね。
禅だとどうなんでしょう。自我を一旦忘れ再び拾うような。論理だけでなく、何かを感じてゆく体験してゆくことを包括する為、
そこに不必要な境界が出来にくいのでしょうか。自我が受容されると言うことは、それを捨てることが出来、捨てれると言うことは新たな自我を発見するような循環があるような気がします。
断裁のない受容こそが、実は「無条件の愛」ということになるように思います。
無条件の愛=弥陀の絶対的な慈悲
これですかね。
>>50 こんどビデオでみてみまふ
>無条件の愛=弥陀の絶対的な慈悲
ニーチェが、「神への信仰は、神の奴隷になることである」。
と、言うたらしいけど。
まあいわゆる仏教は、このボーダーラインを取っ払って、ボーダーレス。
ここにおいてあるのは「慈悲」ということなんでしょうね。
誰かに服従するのでもなく、服従されるのでもなく。
平等に慈悲がある。
もともとあるものだ。ってことなんでしょう。
>西洋人のアプローチはどうしても必要以上の言葉を生み出し、論理化しますが、
インド哲学とは根本からして違いますね。
インドは多く偉人を輩出している。
やはり古代から受け継がれている思想が根本にあってのことかと思う。
>それは「太刀を構えたときに鳥の声が聞えるくらいの清澄なる心境にあってこそ勝機が得られる」というものであった。
>いや、ほんとうはその勝機にさえも拘らない無心こそが、「勝つ」ことへの執着を凌駕したということだろう。
武道は禅文化と深い繋がりがありますね。
鹿島流でしたか、真剣勝負はホンの一瞬でケリをつけるらしい。
つまり長期戦になると体力的にもたないらしい。
日本刀は重いですからね、いつまでも振り回せませんね。考えてみますれば。
禅の無我とか・・ある一瞬の刹那にコテとか入れて、相手の戦意を喪失させて・・・
それで勝負が決まるらしい。
あと、茶道なんかも禅文化で武士にこよなく愛されてますね。
利休が大名に相当影響をもたらしたのも、やはり武士の間で受け入れられてたのを物語ってます。
机龍之介さん
>>52 >ニーチェが、「神への信仰は、神の奴隷になることである」。
>と、言うたらしいけど。
刺客拝一刀はある日、神のような人の暗殺を依頼されました。「神が斬れるか」
私たちにとって最後の挑戦がそこにあります。
神への恐れ、自分の罪悪感、無力感、神への絶対感から私たちは圧倒されてきました。
ニーチェという反逆の徒は、次の時代へ橋を掛けたのでしょう。
神への怖れすらが、悟りへの妨害ともなりうる。そして同時に服従も。
聖書の中の人を監視し気に入らなければ滅ぼしてしまう峻厳すぎる神
この神のイメージは、葬らなければならない最後の門の一つでしょうね。
>インド哲学とは根本からして違いますね。
同感です。聖者が普通に歩いている。それだけで何かが違いますね。
>>53 >武道は禅文化と深い繋がりがありますね。
>鹿島流でしたか、真剣勝負はホンの一瞬でケリをつけるらしい。
剣禅一如という境地ですね。
一瞬に型がつくのは、なんだか公案を考え続けて一瞬に覚る瞬間に近い物があるのでしょうか。
>利休が大名に相当影響をもたらしたのも、やはり武士の間で受け入れられてたのを物語ってます。
そういえば、剣の道を伝えた始祖は鎌倉時代の僧侶らしいと言うこのようです。
名前は忘れましたが、ずっと後代までその精神が引き継がれ、柳生の石舟斎の師匠だった伊勢ノ守信綱はやはり石舟斎との初めての立会いでは、
石舟斎が全く刃が立たなかったようです。
この剣術(影流)は、どうも戦った相手の刀を振り落とさせるものらしかったです。
この話、どことなく自我を脱落させる禅の発想に似てませんか(^^
>一瞬に型がつくのは、なんだか公案を考え続けて一瞬に覚る瞬間に近い物があるのでしょうか。
太刀を振り上げて、鳥の声を聞くってのは、つまりは連続的な時間の流れの、一瞬の非日常性みたいな
無思無想なのかと思いますね。
武道なども円相っていう言い方をしますが、このことかと思います。
倶胝竪指の公案ですね。
>この剣術(影流)は、どうも戦った相手の刀を振り落とさせるものらしかったです。
>この話、どことなく自我を脱落させる禅の発想に似てませんか(^^
そうでしたか。
武道をやってる人は、最終的に精神世界の方に興味を持ってくるらしい。
つまりは、闘う相手に精神的に萎縮してしまったのでは最初から勝負が決まってしまいますからね。
先ずは闘う以前の精神的な安定。ってのを重要視したのでしょうね。
剣術の影流。ってのは知らないですが、
だけど、昔の人は刀で切られた後のケアはどうしていたのでしょうか?
私は外科手術したことがありますが、傷口を縫合したとしても痛みはズット続いてました。
ましてや昔は縫合などしませんからね、切られたら随分と苦しむでしょう。
ですから、刀の切りあい、てのは相当に恐怖感はあったかと思う。
そういうスティエーションだからこそ、禅という精神文化を受け入れていったのかと思います。
>太刀を振り上げて、鳥の声を聞くってのは、つまりは連続的な時間の流れの、一瞬の非日常性みたいな
>無思無想なのかと思いますね。
>武道なども円相っていう言い方をしますが、このことかと思います。
クリシュナムルティ風に只それに気付いているということですね。
>武道をやってる人は、最終的に精神世界の方に興味を持ってくるらしい。
>つまりは、闘う相手に精神的に萎縮してしまったのでは最初から勝負が決まってしまいますからね。
>先ずは闘う以前の精神的な安定。ってのを重要視したのでしょうね。
ナマ識というんでしょうか、とにかく思考が入り始めるとやはりビビッテしまいますね。
自分が劣勢だと感じてそれに囚われると100%の力どころか20%も出せない。
>だけど、昔の人は刀で切られた後のケアはどうしていたのでしょうか?
>私は外科手術したことがありますが、傷口を縫合したとしても痛みはズット続いてました。
>ましてや昔は縫合などしませんからね、切られたら随分と苦しむでしょう。
斬られたら助かる可能性がかなり低かったから、大変な恐怖だったのでしょうね。
私は骨折の痛さは解ります。
とにかく必死で生き残る為に兵法の発達、鉄砲の急速な普及大変な時代だったのでしょう。
戦国ってものは
ところで、イラクの二人は気の毒でした。
インフラに貢献しようとして殺されたのですから、無念としか良いようがありません。
戦国の武士ってのは、常に生と死が紙一重だったのでしょうから、
無常観てのは最初からあったのでしょうね。
仏教は、そういうので広く受け入れられていったのかと思う。
生と死の接近。ってのは常に緊張してるようだけど、それも諦観みたいのに変わっていき、
こんなところにきっと・・・心の平安。ってのを見出していったのかと思う。
人間は、ある程度の緊張が必要であって、そのバランスによりまた平安があるのかもしれませんね。
>無常観
私は京都の西の嵯峨野辺りが好きです。
建仁寺から野々宮そして、小さなお店があり、滝口寺をすぎそして清滝へ向かう小径を歩きます。
この当り、妙に寂寥感があり、現世を通り越して何やら落ち着く場所です。
戦国時代に何でこんなに茶の湯が流行ったのか、今で言うようなブームではなく、何かこころの空間ともうしましょうか、
人と人の斬り合い、身内同士の殺し合いも日常であってそれこそ血の匂いを嗅がない年も無いくらいに心の休まらない世界で、
何故人々はあの狭い空間を求めたのでしょう。
とにかく現代では、なんだか儀式みたいな茶の湯ですが、当時はどのようなものだったのでしょうか。
先に机龍之介さんが利休について少し触れられました。
一つの空間を共有し、身分を越えて合間見える。
それでいて戦場では斬り合いです。
諦観という世界で自分の命を見つめている、そういうことなのでしょうか。
茶道は、華道とか短歌とか・・いろいろな文化が集まって一つの空間に押し込められてる。
>何故人々はあの狭い空間を求めたのでしょう。
そうそう。あの狭い空間に。
当時は2畳弱くらいの広さかと思いますが。
あの狭さの「極」から〜無限の宇宙という「極」を具現する。が、いうなれば茶道なんでしょうけど。
狭い空間。ってのは、つまりは「閉ざされた心」の象徴なんですかね?
そんなことは考えてもみませんでしたが、
歴史背景を考えると、そんなこともあるかもしれませんね。
戦国時代の日本刀を、国立博物館で見ました。
やっぱ江戸時代とは全然ちがいますね。
刀身は長くて、いかにも荒ら荒らしい。
その時代の、その心のままに刀匠は刀を作るのでしょうから、
やはり、その時代の刀は時代背景が刀に出ているかと思います。
>諦観という世界で自分の命を見つめている、そういうことなのでしょうか。
ひとつは武士の、安らぎの場ではあったのでしょうし、
また、そこは異次元。って感覚もあったのでしょうね。
また、禅の場でもあって・・・。茶禅一味。
剣術を、精神的にバックアップする場。でもあった。
また、短歌とか風雅を楽しむ場でもあった。
のかと思います。
トータルに、そこにはあらゆる価値観があって、人の心の空虚を・・・何となく満たしてくれるような、
そんな不思議な魅力があったのかと思います。
当時の安土・桃山文化の、絢爛豪華な文化の対極ともいえる「わび・さび」は、
やはり新鮮な魅力があったのかと思いますね。
(極小の宇宙から)
机龍之介さん
こんなのを見つけました。
http://homepage3.nifty.com/junsoyo/yuisiki/ なんとなく茶室の入り口って(にじり)狭いですよね。
人間には自分が常に戻れる心の安らぎの場が必要なんですね。
外がどんなに嵐でも、そこだけは静寂がある、なんといいましょうか「うちなる空間」ともうしましょうか。
私は「自分の中心にいる」と言います。そこから離れる時、だんだん感情や、思い込みに囚われています。
机龍之介さんは前スレで、「空」を観るとおっしゃいました。
空とは、何者にも影響されない自由な空間とも取れるように思いますが、どうでしょう。
戦国刀見たかったです。重そうですね。
>>60 単なるステータス以上に、みんな茶を愛し、かなり高度の「遊び」も楽しんだのですね。
確かに、土派手な聚楽第などに比べれば、極端に飾りを取り去った為に反って今まで見えてなかった存在の美しさが現れるのでしょうか。
茶には、絶対その人のこころが余すところなく見えてくるように思いますね。
私のような素人にも、洗練された動きの中にも何やら不思議な宇宙の理があるのかなと思ってしまいました。
>なんとなく茶室の入り口って(にじり)狭いですよね。
チョッと思ったのですが、これは子宮みたいなもんでしょうか?
茶室は母の胎内。とか、そこが安らぎの場とか。
イメージとすると、こんなこと考えますね。
>外がどんなに嵐でも、そこだけは静寂がある、なんといいましょうか「うちなる空間」ともうしましょうか。
「しろばんば」って小説で、子供が台風が来るのを歓ぶ場面がある。
家の廻りを釘で固めて、家の中でジット台風が過ぎるのを待つ。
これがなんともいえない快感。って描写がありましたが、
嵐の中の静寂。ってことなんでしょうね。
これは私にも分かるんですが。
>机龍之介さんは前スレで、「空」を観るとおっしゃいました。
>空とは、何者にも影響されない自由な空間とも取れるように思いますが、どうでしょう。
人間は、嵐とか静寂とか常に一方を基軸に考えるが、
もともとこれは人間が、相対してしまう人間特有の概念と・・・
これを解きはなった、その答えが空なのかとおもいます。
これはちょうど0(ゼロ)の発見みたいなのかと思う。
0は一大発見だけど、これを人類が全く発見しないこともありうる。
ゆうなれば空は、一大発見なんでしょうね。
インド文明の流れがあってのことなんでしょうけど。
HPは、後でゆっくりみてみます。
唯識のことが書かれてますね。
おもしろそうです(^。^)
(少し主張先で忘年会があり遅くなりました。)
やはり、この空間は子宮胎内につながりますか。同意できます。
>「しろばんば」って小説で、子供が台風が来るのを歓ぶ場面がある。
なるほど、安心できる世界から大きく変化しているその世界を見ていることでしょうか。
台風が自分たちに危害を及ぼさないと理解できるから、台風の凄まじさは恐怖ではなく動きの面白さとして伝わるのですね。
ここは、重要なポイントであると思えるのです。何に信頼できるか、本来安心であると信じきれそれに委ねることができるか。
そして、恐怖というものはその無害が信じられるということと同居できないことも。
>人間は、嵐とか静寂とか常に一方を基軸に考えるが、
>もともとこれは人間が、相対してしまう人間特有の概念と・・・
>これを解きはなった、その答えが空なのかとおもいます。
そうですね。多分、静寂さがないと安心できないのであれば、静寂に依存しているので安心は安心ではないのでしょうね。
言わば、女性に対する自分の欲情が恐ろしいから(統御できないから)山に篭って結界をはるようなものですね。
だから、もしも静寂が条件ならば、そこにはまだ隠れた恐怖が潜在しますね。そうすると、空と見えるところには、状況を超えたところで恐怖というものの制約を全く受けない感覚がありますね。
つまり場所、状況でもないということでしょうか。
>これはちょうど0(ゼロ)の発見みたいなのかと思う。0は一大発見だけど、これを人類が全く発見しないこともありうる
ゼロの発見は凄いことですね。物理の世界にも多大な貢献をしたように思います。陽電子と電子は対で空間から現れます。そして対で消えさり光に戻ります。
存在とは、何かについて凄い前提を出したのですね。電子も陽電子も相手があって始めて存在できますね。
いいえ、存在していると見えるだけで全てがエネルギーともいえるかも。
ここら当り、唯識や三性の話なども織り込んでお話を聞かせていただきたいです。
(私の中では最近になってブームです。)
>ゼロの発見は凄いことですね。物理の世界にも多大な貢献をしたように思います。陽電子と電子は対で空間から現れます。そして対で消えさり光に戻ります。
これは、最近の物理学のユラギですか?
ユラギはずっと謎だったですが。
最近その仮説?とかがボチボチ出てきましたね。
プラスとマイナスで消滅はするが、なんかしらのアクシデント?で電子が残存す。
ですか?
>存在とは、何かについて凄い前提を出したのですね。電子も陽電子も相手があって始めて存在できますね。
いいえ、存在していると見えるだけで全てがエネルギーともいえるかも。
電子、ってのは、いわば最初は数式からはじきだされた。って記憶してますが。
数式上は電子?がなければ成立たない。
ですか?
原子構造からすると、非常に電子は極小ですね。
私は原子構造写真を見たことがありますが、電子ってのはカスミとか霧みたいに映ってましたね。
チョッと意外でしたけど。
>ここら当り、唯識や三性の話なども織り込んでお話を聞かせていただきたいです。
そうですか、では楽しみにしてます。
私は興味がありますが、そんなに知識はありませんが・・・(^。^)
> プラスとマイナスで消滅はするが、なんかしらのアクシデント?で電子が残存す。
ですか?
私も詳しいことは知らないのですが、揺らぎっていうか非対称の破れみたいのなものが、
現在の宇宙を作ったと聞いています。
炭素や酸素、水素でできた有機生物も極めて微妙な力のバランスの上で成り立っていて不思議な偶然が重なっているらしいですね。
>電子、ってのは、いわば最初は数式からはじきだされた。って記憶してますが。
>数式上は電子?がなければ成立たない。
>ですか?
そうですね。私もそれを聴いてショックでした。かっちりした物質のイメージなど無く、例えばりんごを触った時の感じなど、りんごを触ったのではなく、電子同士の相互作用で伝わる力を体験したに過ぎない。
ということですね。
すると、もっとも日常的なこともエネルギーの交換もそうだし、実際に本当に形と見える世界も微小な領域でのエネルギーの作用でしかない。
>私は原子構造写真を見たことがありますが、電子ってのはカスミとか霧みたいに映ってましたね。
チョッと意外でしたけど。
同感です。原子って殆ど空っぽで雲見たいのがあるだけで、本当に形などは見かけであって
「色即是空」を地で行っているのだと。
インド人は本当に凄いところを見ていたんですね。
こんな世界で特定の形に拘れば、たとえ何であろうともそれ自体が変化する訳ですから、形が失われそれで苦しみますね。
当たり前のことを当たり前と認めないところに、苦しみの原因の一つがあるのでしょうか。
とにかく、人間は特定の形も作ってきました。要は、何時までもそれに執着せず手放し手行くことなのでしょう。
私が子供の頃は、
原子核がクルミくらいな大きさですと、そのクルミを中心に直径1キロbくらいの弧を
描いて電子が回転している。
・・・超スピードで。っていうことを教わりました。
人間の概念は、なかなか経験したことでないと説明が不可能なんでしょうね。
言葉で説明すればそういうことなんでしょうけど、
実際は人間の思考を遥かに越えているのでしょうから、なかなか概念では把握しきれないところがあるかと思う。
物質とかエネルギーとかも、実際のところは人間の概念で捉えねばならないでしょうし。
となりますと、E=mc2乗の方程式は明確に物質とE(エネルギー)を分けてますね。
電子から電荷をとり限りなく質量を0にするとか(ニュートリノとかクオーク)。
最終的には・・・人間の概念としてはエネルギーになるとか思ってしまいますが、
ミクロの世界は神秘的ですね。
>当たり前のことを当たり前と認めないところに、苦しみの原因の一つがあるのでしょうか。
ミクロの世界はダイナミックですね。
人間の思考を遥かに超えてます。
この人間の思考と、ミクロのダイナミズム。この格差ですよね。
心の平安とは、ここあたりにヒントがあるかもしれませんね。
机龍之介さん
>実際は人間の思考を遥かに越えているのでしょうから、なかなか概念では把握しきれないところがあるかと思う。
>この人間の思考と、ミクロのダイナミズム。この格差ですよね。
>心の平安とは、ここあたりにヒントがあるかもしれませんね。
この辺りが鍵のように私も同意します。
どうも平安はそのように成るのではなく。
上記はある意味で公案ですね。
少し考えています。
どうすれば、思考を超えられるか、言葉を超越できるか
安心に生きられるか
レーチェさん
マクロの世界とか、ミクロの世界の・・・そのホンの僅かな隙間?に、人間は生活しているのかと思う。
「思う」。ってより実際、感覚的にはそうです。
人間の認識自体が経験とかがベースにより成り立ちますから。
経験論的にいえば認識でしかない。
人は、マクロとかミクロの世界を思い描くとき、何処となく安心感が得られる。
69 :
名無しさん@3周年:03/12/24 01:09
不養生が祟り、肺炎を併発しました。SARSではありません。
取りあえず、あげます。
机龍之介さん、亀レスになり申し訳ありません。
瞬間に仏であり、地獄である人間、可能性として素晴らしいものがあるのでしょうね。
人間の先には何があるか、でも人間である今、何を経験できるか。
無情ではなく無常であり、無上ですよね。人間ってやつは!
机龍之介さんもこの寒さの折、お体をご自愛下さいませ。
71 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :03/12/24 17:57
>>69 >無情ではなく
ある、癌末期患者と知り合いになり、わたしは心を通わせたものです。
>無常であり
しかしながらその患者は、あえなくこの世を去り。
人生の儚さを感じました。
>無上ですよね
それゆえに無上なのかとおもいます。
儚さゆえに・・・無上なんでしょうね。
こういう経緯を経て、私は仏教に傾倒していきました。
>机龍之介さんもこの寒さの折、お体をご自愛下さいませ。
ありがとうございます。
貴殿も、ご自愛なされまし。
>>72 このスレは、私はロムってました。
あの「小人の催眠」の話は面白いですね。
印象に残ってますよ。
後でゆっくりロムってみます。
>儚いとはいえ、いとおしいと感じることは決して執着ではないとおもっております。
その人は女性で、小学生の子供が2人の家庭の主婦。年齢は40歳前くらいですが、
首の手術痕が髪で隠れるかどうか気にしてました。
女性、ってのは生死の境にあるときでも、自分の容貌を気にするんですね。
チョッと驚きましたがね。
首ですから、そんなに見た目を気にするほどでもないですが・・。
家庭の主婦だしね。
女心。ってもんでしょうか。
さて、今から酒飲んで寝ます。
おやすみ。
> 小人
見えないものを視覚化するということいでしょうか。
子供たちは、大人に見えないものを良く指摘します。
イングランドやアイルランドの小説では、よく花の下にいる緑の小人たちの話が出てきますね。
オカルトの世界では小人は実在の生命らしい。
小人が背中にいると想像することで、無意識の働きを喚起しているともいえますね。
私も、忘れ物をなくす為にいつも外出する時、未来で携帯品を確かめている自分を想像します。
そして一旦イメージを作るとそれを忘れて言いようです。
実際にその時が来ると、無意識が喚起するので忘れ物に注意できます。
> 女性、ってのは生死の境にあるときでも、自分の容貌を気にするんですね。
> チョッと驚きましたがね。
あ、女性のたしなみというか、死期を悟った人の最後まで人間として女性としてあり続けたい思いを見たような気がします。
海音寺の小説「天と地と」?で、影虎(後の上杉謙信)の異母兄の愛妾が謀反を企んで影虎に捕らえられるのです。
半ば、死を覚悟した彼女も謙信の前ではキリっとした女性として現れました。
そのところを読んだ時、何故かドキッとするものがありました。確かに
美というものの深さというものでしょうか。
>小人が背中にいると想像することで、無意識の働きを喚起しているともいえますね。
これは私は経験したことないですが、意味は充分分かります。
そういえば私に大変近い人が、「何か変な夢を見たので今日は何かありそうだ」。
ってなこと言った途端の電話が鳴りまして、この電話が訃報だったのです。
よくいう「虫の知らせ」ってやつなんでしょうかね。
「胸騒ぎ」とかこれもその部類なんでしょうか?
フロイトとかユングも色あせた感じですが、
そんな神秘主義の世界もなんとなく現実味を帯びた事もありました。
オカルト板もたまにロムってます。
あそこも興味のあるスレがありますね。
>半ば、死を覚悟した彼女も謙信の前ではキリっとした女性として現れました。
私は、人間の死。ってのをネットの画像でたまに見ますが、
実際に自分が想像する世界を、画像という視覚で一瞬に入ってくる情報はインパクトがありますね。
この死を覚悟した女性も、そういう時代なればこそキリッとした態度もできるんでしょうね。
また、武士道の流れでしょうか?
武士の美学も、またそれを取り巻く女性の美学にもなっていくんでしょうかね。
明けましておめでとうございます。
レーチェさん。
本年もよろしくお願いします。
机龍之介さん
明けましておめでとうございます。
こちらこそ、宜しくご教授くださいませ。
>>75 > そういえば私に大変近い人が、「何か変な夢を見たので今日は何かありそうだ」。
> ってなこと言った途端の電話が鳴りまして、この電話が訃報だったのです。
電信より速い伝心、こころの内面、意識の世界の不思議を見るようです。
やっぱり本当にあるんですね。
>実際に自分が想像する世界を、画像という視覚で一瞬に入ってくる情報はインパクトがありますね。
>この死を覚悟した女性も、そういう時代なればこそキリッとした態度もできるんでしょうね。
恐るべきページですね。(。。)
確かに画像は多くの情報がありますね。
以前、小野小町の腐乱→白骨化という無常の絵画を見て呆然となった覚えがありましたよ。
これが、夢にまで現れて見える世界の儚さというか、美しさというかそういうもののそこにある真実へと目を自然と向けさせられたものです。
美学、一つの陶酔でもあるし、ある諦観でもある。
レーチェさん。
返事が遅くなりました。
>美学、一つの陶酔でもあるし、ある諦観でもある。
千利休とか、三島由紀夫や川端康成、ゴッホとかアーティストなど壮絶な生き方しますね。
そんな生き方が美を導きだすんでしょうか?
貴方のレスの・・・
美学→陶酔→諦観。
って、意味が深いですね。おそれいります。
武士道などは、ある意味マインドコントロールに似てて、残酷なものでも美学として昇華させる。
美学→陶酔→諦観。で切腹なども忠義の表現としての位置をしめてる。
でも、これだけでしたら美しいのかもしれませんが、
実際のリアルですと非常に残酷ですね。
でも、そんな世界においても人間というのは風雅を楽しめる余裕があるんですね。
辞世の句など見ますと・・・
信じられないくらいに心の平安がある。・・・・句だけ見ると。
たしか、大石内蔵之助の辞世の句は「あら楽し・・・・」。
とかだったと思う。
実際、そんな心境なんでしょうか?
武士としての見得かな?
机龍之介さん
>諦観への同意ありがとうございます。
>信じられないくらいに心の平安がある。・・・・句だけ見ると。
>たしか、大石内蔵之助の辞世の句は「あら楽し・・・・」。
>とかだったと思う。
うむむ、死罪が免れない、白刃の下で首を刎ねられる身の上としてはあまりにも余裕ですね。
本望を遂げたことへの自己賞賛なのでしょうか。
本当かどうかわからないのですが、石田光成が首を刎ねられる時、城下の人から柿を献呈されるんですね。
彼は、腹を壊しては成らぬゆえ心だけ頂くと辞退したようです。
死んで行くのに腹も何もないだろうと思い不思議ではありました。
>見得
禅の用語でしょうか。たしか見性という段階がありましたよね。
>>見得
禅の用語でしょうか。たしか見性という段階がありましたよね
_____________________________
けんとく 0 【見得】
(1)〔仏〕 主として禅宗で、真理を悟ること。
(2)理解し会得すること。
「返々、有主・無主の変り目を―すべし/至花道」
____________________________
大辞林に書かれていた説明です。
蔵之助は、自刃は覚悟してたのでしょうから、それなりに悟ってたのかもしれませんね。
諦観、っていうことなら、そういうことかと思います。
本願を成し遂げたのですからね、死の恐怖よりはこの歓喜の方が強かったのでしょうか?
>本当かどうかわからないのですが、石田光成が首を刎ねられる時、城下の人から柿を献呈されるんですね。
>彼は、腹を壊しては成らぬゆえ心だけ頂くと辞退したようです。
>死んで行くのに腹も何もないだろうと思い不思議ではありました。
この話は聞いたことがありますね。
虎は死んで皮を残す。人は死んで名を残す。
って言われますから。
武士は、後々語り草になるのは即刻承知なんでしょうね。
美談として残すには良いフレーズでしたね(^。^)
「武士は死ぬこととみたり」。by葉隠れ
私は思うに、死を受け入れることにより、そこに安堵の境地を得るような事かと思う。
禅宗が武士の間で広まったのは、こういった剣の道と禅がうまい具合にマッチングしたからだと思う。
生への執着を断ち切った時に、この時同時に生の喜びがあるのかもしれませんね。
>>79 >彼は、腹を壊しては成らぬゆえ心だけ頂くと辞退したようです。
これは切腹の当日、下痢にでもなると醜態を晒す。ってことですかね?
武士のたしなみかな?
以前読んだ本で、昭和天皇の専用理髪師は、お目通りする前日は生ものを食べないらしい。
これは下痢になると大変だから。
って意味だったが・・。
机龍之介さん
>>80 武士にとっては、仇を報じて名誉を快復せりということでしょうか。
そうすると、本懐を遂げずに生きながらえることは潔くないということなのでしょうね。
>見る
という単語に禅宗は、非常に重きを置くのでしょうか。
観自在という言葉もあるくらいだから、何よりものを見るに当って枠組みに囚われないで見るという立場を示すのでしょうね。
>>81 いくらなんでも石田光成の話は出来すぎの感は否めませんが、
事実同僚には嫌われていても、城主としてあるいは官僚として見ればもっと時代を変えた時、より彼らしく生きれる人でもあったのでしょうね。
封建領主として常民に慕われていたという2面性が見て取れます。
>武士は、後々語り草になるのは即刻承知なんでしょうね。
むう、死んで尚(名前を残すことへの執着)でもあるのでしょうね。
生き恥と言う言葉と対になるんでしょうか。
>>82 死の受容というか、死地に一生を得る?
なまはんかな生き方を拒否しですね。死地に飛び込むというのは、確かに執着を捨てねば苦しいでしょう。
>>83 皇室御用ともなると、大変ですね。
士道というか、覚悟の上で死ぬという感覚は現代では稀ですが、ひょっとして死や病気というものもしもこういう機会が無ければ人間は悟りたいなどと真剣に思うのだろうかと考えたりします。
四苦の無いその状態が天ならば、四苦の狭間をくぐりぬけかろうじて生きる有様は修羅か地獄。
真剣に求める気持ちはやはり後者なのでしょう。
レーチェさん
>観自在という言葉もあるくらいだから、何よりものを見るに当って枠組みに囚われないで見るという立場を示すのでしょうね。
真っ直ぐに見る。ってことなのかと思う。
私も病気になりまして、その時は健康だった自分を思い浮かべます。
だけど健康だった自分はもう居ないのだし。
つまりは病気の自分が全てです。
その時の自分が全て。ってのが、真っ直ぐに見ることなんでしょうね。
>封建領主として常民に慕われていたという2面性が見て取れます。
吉良上野之介も領民には人気があったらしい。
一応、彼も悪役にはなってますが、これもどうなんでしょ?
歴史の本当のとこは、なかなか分かりませんね。
>むう、死んで尚(名前を残すことへの執着)でもあるのでしょうね。
一休の「死にとうない」。ってのは、この執着から離れたのでせうか?
>なまはんかな生き方を拒否しですね。死地に飛び込むというのは、確かに執着を捨てねば苦しいでしょう。
覚悟。ってのは「悟る」って書きますからね、そこはなにかしかの見得ってのがあるんでしょうね。
その状況になって分かるもんがあるんでしょうね。
女の死刑囚が、死の前に丹念に化粧する。ってのは、いわゆる覚悟の「悟り」なんでしょうか?
>真剣に求める気持ちはやはり後者なのでしょう。
仏教の一切皆苦。ってのは、そういうのを受容する。ってことなんでしょうね。
逃げるのではなく。
これもいわゆる真っ直ぐに見る。ってことなんでしょう。
一切皆苦。ってのは、自分だけの苦じゃなくて、他人の苦も同義。
昨今の事件は・・・やはり苦ですね。
幼児の折檻死とか、私はこんな事件はとても悲しくなりますね。
机龍之介さん
レスが遅くなってすみません。
>>85 >真っ直ぐに見る。
>つまりは病気の自分が全てです。
なるほどそうですね。
健康だった時は、などと繰言を並べて今から目をそむければきっとどこかで自分をしっかり見つめる視点がなくなっているのでしょうね。
ちょっと、気になってたのですが、仏教では今というものをどう捉えるのでしょうか。
繰言を並べたり、未来を夢想ばかりしている時は、我の働きは強固であるように思えます。
真っ直ぐって良い表現ですね。
>吉良上野之介
ああ、そうだったんですね。確かに当代の文化人であったしそれなりの見識者であったと思います。
>一休の「死にとうない」。
あの禅師がそんなこと言ってましたか(笑)
なんとも正直で素晴らしい!
我欲に正直というか、変に欲望を抑圧しないのですね。パラドックスというか、欲望というものをある時点で適切に処理するならばそれは無害になるようにも思えます。
抑圧される場合、どうしても暴力としてそれがどっかで暴発するんだろうなと思います。
柿が自然に落ちるように、流れの中でしっかり見とどけるということでしょうか。
>>86 >ってのは、いわゆる覚悟の「悟り」なんでしょうか?
死ぬ前に身の回りをきれいにしたい。あれと同じなのかなと思います。
心残りを残さないというか。
>一切皆苦。ってのは、自分だけの苦じゃなくて、他人の苦も同義。
>昨今の事件は・・・やはり苦ですね。
悲しすぎますよね。
ああ、そうですね。今の時代、ある意味では地獄以下かも。
平安末期や大きな飢饉のあったころは、一家が食べて行けずに子供を死なせたり、川で溺死させたりする悲惨な子殺しの話が伝わってますね。
今の時代の親殺し、子殺しはちょっと違う様相が見えますね。
親殺しでは、何故か子供が「俺がこんな人間になったのはお前のせいだ」見たいな責任転嫁?が見えます。
子殺しはいろいろ理由があるけど、どうも悪質なものは異性関係の邪魔になるので殺したっていう、寒くなるような話を聞きます。
ロシアでも、ホームレスの子供の多くは新しい愛人が出来た親に見捨てられているということらしいと聞き及んでいます。
食う為に仕方なくやる殺しでないところに、やりきれない思いはあります。
>苦を真っ直ぐに見る。
新しい愛人にもすぐに飽きてまた不幸な子供を作る、苦を厭うから新たな苦を作る。
本当にそうですね。今ここで受容せずにどこでそれを終わらせるのでしょう。
レーチェさん
>ちょっと、気になってたのですが、仏教では今というものをどう捉えるのでしょうか。
三法印の涅槃寂静は、禅においては「今ここ」。または即今即所とかいいますね。
簡単に言えば、過去も未来もない。あるのは「今ここ」だけ。ってことなんでしょう。
ようするに、時間という概念に連続性が全くない。
だから、状況の変化において記憶は残存しないで直ぐ忘れてしまう。ってことなんでしょうね。
良寛とか一休においても、この直ぐ忘れてしまう達観は逸話として残ってます。
>>一休の「死にとうない」。
禅師の最期ってのは遺偈を残すんですが、一休の場合もこんな最期のときに弟子が集まった。
その中には一休の愛していた盲目の女性も来ていたのですが、
一休はその女性に甘えるばかりだった。
甘えながら「死にとうない」。とか言うばかりだったそうです。
弟子とすれば師家に何とかサマになるような言葉が欲しかったのでしょうけどね。
だけど私はこんな一休が好きですよ。
>苦を厭うから新たな苦を作る。
まったくそのとおりかと思います。
「生まれいずるもわからねば、死んだ先までわかりょうか?」。by盤珪
生まれたことすら知らないのに、死んだ先までわかるはずがない。
ってことかと思う。
今ここにしか自分がない。
盤珪の不生禅。
レーチェさん
>平安末期や大きな飢饉のあったころは、
平家物語だったかな?
京の都が死体がそのまんま放置され、あまりにも不憫なので真言宗系の僧侶が、
死者の額に「阿吽」の「阿」かな?これの梵語かと思ったけど、
記憶は曖昧だが、その文字を書いて廻って歩いたらしい。
死体が放置ってことは、相当腐敗(死臭)が凄かったかと推測できる。
この臭いのことは何にも記してなかったけど。
実はベトナム戦争において、何が一番のストレスになるか?ってことで当時レポートした人がいる。
これが「臭い」らしい。
「臭い」ってのはあまり情報には乗らないね。
このレポーターは戦争の悲惨さを伝えるためにベトナムの空気(臭い)を缶詰にして売ることを本気で考えたらしいが。
平安末期というのは想像が出来ないんだけど、
もしや人間というのは、状況が極限になってくると無反応みたくなるのかもしれませんね。
順応。ってこともありますしね。
イスラムのハムラビ法典なんかは、イスラム圏にしたら普通なんでしょうから。
机龍之介さん
レスが遅くなり申し訳ありません。ちょうど豪雪があり総出で親戚の家の除雪をしておりました。
雪を一輪車で運んで用水路に捨てる訳ですが、湿気が多い雪は重くて大変でした。
>>89 >だから、状況の変化において記憶は残存しないで直ぐ忘れてしまう。ってことなんでしょうね。
良く考えると紙に記録するという文化も、忘れることを前提とした文化ですね。
今の今であることの反対が、過去を忘れられない(例えば別れた恋人など)と言うことなのでしょう。
喧嘩した。そして自分の言い分の方が絶対正しいと思っている限りその喧嘩の時点に未だいるわけですね。
相手を赦す、すると自分もその出来事から解放される。
こだわりを残さないということなのでしょうね。
>弟子とすれば師家に何とかサマになるような言葉が欲しかったのでしょうけどね。
>だけど私はこんな一休が好きですよ。
弟子に見せ付ける善人も悪人も無い水平線に立つ自然人ということでしょうか。
難しい教学を超えて再び、凡人に戻る。一切が平等だと見ている以上、他者と何が違うかではなく、煩悩そのものさえ厭わない自然さを身につけたと言うことですかね。
私も良い勉強させて頂きました。感謝いたします。
>>90 > 生まれたことすら知らないのに、死んだ先までわかるはずがない。
> ってことかと思う。
>今ここにしか自分がない。
>盤珪の不生禅。
αとω、始まりも終わりも無く、そしてその中間である永遠なる私
ここに通じますね。
>>91 > あまりにも不憫なので真言宗系の僧侶が、
>死者の額に「阿吽」の「阿」かな?これの梵語かと思ったけど、
>記憶は曖昧だが、その文字を書いて廻って歩いたらしい。
「あ」ですか、始まり?でしょうか。あるいは迷わず肉体の出口に進めという思いでしょうか。
>「臭い」ってのはあまり情報には乗らないね。
>このレポーターは戦争の悲惨さを伝えるためにベトナムの空気(臭い)を缶詰にして売ることを本気で考えたらしいが。
私は未だ経験はありませんが(あったら大変でしょうけど)動物の死臭を山の中で体験したことがありました。
傍を通っただけでもすごい匂いでしたが、家に戻っても衣服にその匂いが微かに染み付いているほどでした。
それが大量と成ると、飯も喉を通らないんじゃないか。
そう感じます。
>順応。ってこともありますしね。
恐ろしいですね。毎日ほど人間爆弾となって肉片として飛び散って行く人たちがいる。
それが当たり前のニュースになって久しいですが、本当はその非情を驚くべき事であってそうした人を出さない社会へ変化するべきなのであろうに。
現実は力の支配でそのニュースも絞られていますね。
>イスラムのハムラビ法典なんかは、イスラム圏にしたら普通なんでしょうから。
これは、目には目をということでしょうか。
一度、上げます。
>>93 >「あ」ですか、始まり?でしょうか。あるいは迷わず肉体の出口に進めという思いでしょうか。
「あ」は始まり。の意味ですが、また真言宗では全体を意味するとか。
そんなことが書いてありましたね。
「あうん」の呼吸とかいいますが・・・
神社の狛犬は左右で「あ」の発音の犬と、「ん」の発音の犬を表してるらしいです。
つまりは最初と終わり。っていう意味なのかもしれませんね。
「始め良ければ終わり良し」。なんでしょう。
>私は未だ経験はありませんが(あったら大変でしょうけど)動物の死臭を山の中で体験したことがありました。
私は死臭は経験はないです。
線香は、昔は死臭を消す役割があったそうですが。
たしかに線香の香りで匂いを消すのは良い考えですね。
ドライアイスのなかった時代の生活の智慧なんだしょうね。
(つづく)
(つづき)
数十年前だったか、御巣鷹山に日航123便が墜落して、その後においてのレポートを興味深く読んだことがある。
やはり印象的だったのは「臭い」だった。
>これは、目には目をということでしょうか。
窃盗などすると腕を切断するそうです。
殺人でしたら、被害者の近親者が加害者の喉を切断。
これは宗教的に認められているそうですが。
世界には多くの人間が住んでいて、その価値観も多様です。
そういえば「人権」なんて概念は古来の日本にはなかっただろうし、
戦後において急激に価値観が変わってきた。
97 :
名無しさん@3周年:04/01/21 02:16
また自作自演ですか。
なんでそんなに自作自演好きなんですか?
98 :
名無しさん@3周年:04/01/21 02:33
「萌え」という言葉は、
オタクコミュニティー内で生まれ、その空間で使われており、
主に、カワイイ、カッコイイ、欲しい、癒される、といった言葉から、
興奮した、恋した、欲情した、勃起した、等、という言葉にも代用することができる。
要は“自意識を満たす感情”を表現する数ある原質的な言葉を、一言にまとめた
限りなく抽象的で都合の良い造語である。欲張りで便利な造語である。
ある意味“アレ・ソレ”だけで会話してるようなものだ。
よって「萌え」という言葉には中身(定義)が無い、その時々の独り善がりな感情のみ。
言葉には責任が付きまとうものだが、
この「萌え」という言葉は「定義」から逃れていることから責任が生まれない。
ようするに「萌え」という言葉は、言葉の定義という“言葉の責任”を放棄した
“独り善がりの欲情のみの言葉”であると同時に「保険がかかった隠語」である。
「萌え」という言葉を使う時点で、自分が思ったことを論理的に説明することから
逃避しており、「ボクチンの自意識を察してね」という、独り善がりな態度の押し付けなのだ。
相手に自分の意見を伝えないが故に、後からいくらでも本心を創作・言い訳できる保険となる。
現実に足が着いてない主体性を放棄した無責任な言葉、それが「萌え」
ちなみにこの「萌え」という言葉を使いまくってる人ほど、
ボキャブラリーも無く、感情論しかできない単細胞な豚だったりする。
ある意味ギャル語以上の思考停止、自己の喪失。
レーチェさん、始めまして。机さん、その節はお世話になりました。
内心の平安。かつてのスレを読み返してみると、当時の私の散り塵になって
いた心が映し出されているような気がします。
虚ろになりかけた心を何とかしようともがいていたんですね。
しかし、スレを継承してくださる方がいらしたとは、あり難いことです。
やはり最後は、捨てること、離れることの徹底しかないのでは…。
生についての思いもなく、死についての思いもなくば、そのまま内心の
平安であろうと思われます。
では人間にとって生の意味は何であり、死の意味は一体何なのか?
これが肉体の感覚と結び付いて、あらぬ虚無や妄想に雁字搦めにされて
しまう。
言うまでもなく生物としての生死はある。しかし人間には更なる生死が
あるんでしょう。ここが、内心の平安にとっては重要なところです。
生物の生死はそれぞれ一度きり。しかし更なる生死は何度でも繰り返す。
机龍之介さん
亀レス失礼いたしております。
>>95 >「始め良ければ終わり良し」。なんでしょう。
禅の問答で
「どのようにして悟れるのでしょうか」(弟子)
『何故、悟っていることに気付かないのじゃ』(師)
「煩悩具足のこの身でなんで悟れていると云われるのですか」
『何故、煩悩が怖いのじゃ、本当に要らぬものなら始めから具足せぬであろう』
これを思い出しました。
密教でも
「煩悩を転じて光(悟り)と成す」と言いますね。ここに通じるのでしょうか。
>>96 >殺人でしたら、被害者の近親者が加害者の喉を切断。
>これは宗教的に認められているそうですが。
>世界には多くの人間が住んでいて、その価値観も多様です。
>そういえば「人権」なんて概念は古来の日本にはなかっただろうし、
そう言えば明治維新前など、武士は貧しいということをちっとも恥じていなかったと当時の宣教師のレポートで書かれています。
「人権」が無くとも隣組で助け合っていただろうし、お互いを尊重する空気もあったのでしょうね。
どうも一神教の世界っていうのは、善と悪の対立っていう舞台を無理やり構築しますね。
悪を赦す教えもあるんでしょうけど、どうも一刀両断ぽくて怖いです。
そこへ行くと仏教には善悪が同居する人間を旨く処理しているように思います。
>>99 草レーサーさん
おおー!前スレの方ですね。こちらこそ始めまして。
大変嬉しいです。
>しかし、スレを継承してくださる方がいらしたとは、あり難いことです。
及ばずながら、机さんのご協力を頂いてやって来ました。
いつかブランコさんも来て頂けると信じながら。
>では人間にとって生の意味は何であり、死の意味は一体何なのか?
これが肉体の感覚と結び付いて、あらぬ虚無や妄想に雁字搦めにされて
しまう。
至る所、一次的な死への(生への)恐怖が、二次的に人様々に枠組みをこしらえてしまう。
ある人は、来世など無いと言いきりました。強弁して来世を否定する志向にやはり無意識の恐怖は汲み取れたものでした。
今後ともよろしくお願いいたします。<(__)>
>>101 自分は禅をかじった事もないんですが、禅などでは「寒い時は寒い」なんで
しょうね…。シンプルそのものです。そうやって矛盾を超えて、合理を超え
ているものを自分の中に、世界の彼処に垣間見ていくのだと思います。
自分もそういうものを垣間見ましたが、それについて考えると、どうしても
矛盾し、不合理の轍から抜け出すことはできなくなってしまいます。
たった一つの真実というものを探し求めていまう傾向もあります。
それは掴んで、確認できるものだと思っていたんです。
たった一つの真実というのは、ある極のようなものだろうと思ってました。
まるで、夢の中の大金を掴んで戻れると確信していたが如きです。
夢の中では、その大金はリアルそのもの。その大金が夢の産物であると気
が付いているのに、持ち戻ろうとしてしまうのが味噌です。(笑
>>102 草レーサーさん、お久しぶりですね。
掲示板に書き込みをする。というのは、それなりに考えが整理されるものです。
その繰り返しにおいて私は、いろいろのことを学びましたが。
また、いろいろお話をしましょう。
レーチェさん
>>100 >『何故、煩悩が怖いのじゃ、本当に要らぬものなら始めから具足せぬであろう』
即心即仏でも、いわゆる仏の意味もなくなれば非心非仏。
煩悩即菩提。
禅では合理性を追求しないもんですが・・・逆に非常に合理的な考えかと思う。
>そう言えば明治維新前など、武士は貧しいということをちっとも恥じていなかったと当時の宣教師のレポートで書かれています。
私は過去に読んだ本で(今も大事にしてる)「清貧の思想」ってのがある。
この本は少々感動したものです。
いわゆる、貧しさの中に相反?する心の豊かさ。を追求したもんですね。
かつてトルストイも清貧の思想に嵌ったとか?
現代において、イギリスにもそんな人がいたらしいです。ニュースでみました。
清貧の思想、って日本独特なものかとおもったら、そうでもないらしい。
>そこへ行くと仏教には善悪が同居する人間を旨く処理しているように思います。
非常に寛大な思想ですね。
>>103 スレの前の方で「優しさ」を語られていたようですが、客観化するから分る
のでしょうか?読んでいて優しい気持ちが溢れてくるのが分りましたよ。
かつて自分が書き込んでいた時は分りませんでした。(笑
最近私は2chにあまり書き込まないんですが、机さんは仏教関係のスレで
は見かけますね。
まあ私の見方の問題もあるのでしょうが、ここの机さんの書き込みは優しい
ものが感じられてきました。レーチェさんもそうですね。
実は私も2chデビューは机さんと同じ頃なんですが、当時のHNの頃の机
さんの書き込みを見て、年若い人だと思っていたんですよ。
若い、瑞々しい感性が覗われましたから。
流石に、最近の書き込みを見ると成熟した感ですが。
人間は成長するにつれて、奥域が出てくるけど、自分が幼かった頃や、若き
頃の感性を忘れてしまいたくはないものですね。そういう感性がありきたり
のものからも瑞々しいものを発見させてくれます。
こちらこそ、また学ばせてもらいたく思います。
机龍之介さん
>>104 >煩悩即菩提。
禅では合理性を追求しないもんですが・・・逆に非常に合理的な考えかと思う。
ありがとうございます。
煩悩を否定することもなく、ましてや他人の煩悩を非難することもなく、成長の一つの踏み段に過ぎないものと見たとき、
煩悩も煩悩として必要な経験を含むのだと教えられたような気がします。
> いわゆる、貧しさの中に相反?する心の豊かさ。を追求したもんですね。
> かつてトルストイも清貧の思想に嵌ったとか?
>現代において、イギリスにもそんな人がいたらしいです。ニュースでみました。
そうでしたか、確かに貧しい中に助け合って生きるという喜びも生まれるのでしょうね。
トルストイの書簡集、一度目を通してみておこうと思います。
武士の喰わずは、やせ我慢ではなくやっぱり美学ですね。
ストイックを自然体で表現すると言う。
草レーサーさん
>>102 私も結構、車は好きでメーカの試乗イベントなどに参加してました。R34を除くR32からV35までの乗り味を実際に見たところ私にはR32の雰囲気が良くあってました。
しかし、これでもパワーありすぎなので今は実際の足としてはSOHCにしております。
鈴鹿もわりと近いので行くこともあります。
> 自分は禅をかじった事もないんですが、禅などでは「寒い時は寒い」なんで
>しょうね…。シンプルそのものです。そうやって矛盾を超えて、合理を超え
>ているものを自分の中に、世界の彼処に垣間見ていくのだと思います。
>自分もそういうものを垣間見ましたが、それについて考えると、どうしても
>矛盾し、不合理の轍から抜け出すことはできなくなってしまいます。
>たった一つの真実というものを探し求めていまう傾向もあります。
>それは掴んで、確認できるものだと思っていたんです。
>たった一つの真実というのは、ある極のようなものだろうと思ってました。
相反するもの、確かにそれはいつもあるようですね。
真実を求める姿勢というのは確かに大切だと思うんです。
歩いていると、本当の極に出会うかもしれない。この世界をスクリーンに投影した映像だと見る学問もありますが、それでもこの世界を成らしめている真実はあると思ったります。
それは、確かに言葉にすらならないものでしょう。
でもだからこうして私たちは生き感じ、そして考える。
その中に私たちが確かに今いますね。
レーチェさん
あなたも、クルマ好きなんですね。咆えるエンジン。圧倒的な加速Gに
野性的な生命の躍動を感じます。自分はNAのフィーリングが好きです。
近代的な自動車の中で、野性に目覚めるのも面白い話しですね。
しかし私は最近、女性的な息吹をそこかしこで感慨しています。親友を
失ってから、少々骨抜きになっているのかも知れません…。
例えば、風…。
自分は時々、一人だけの時間というのを用意するんですが、そんなある時
風が私なのか、私が風なのかわからなくなるときがあります。
風の中に自分が溶け込んでいってしまうような…。
クルマで空気の壁を劈いて進むような男性的な行為は必要でない。
ただ、受身になって風を感じる。まるでいま産まれたばかりのような初々
しい風の息吹。風というのは感じやすいですね。
相反するもの。その中に私達が確かにいます。
相反するもの。それは相対的な縁起。必ず補い合うようにできている。
それは、一方的であったり、二元的であったりするものじゃないですね。
光と闇。善と悪。これらも二元的に見ると断絶するような争いになる。
相反するのも。この中で学ぶものがあるんだ思います。
もっと賢くなるためかもしれない。心という住処を広くするためかも知れ
ない。
補い合うというのは、憎み合うことで愛し合い、不理解の中で理解し合う
ことを覚えていくことかもしれない。
二つの別々のものが、出会い、相対的になり、やがてそれが止揚する。
109 :
名無しさん@3周年:04/02/01 18:49
「萌え」という言葉は、
オタクコミュニティー内で生まれ、その空間で使われており、
主に、カワイイ、カッコイイ、欲しい、癒される、といった言葉から、
興奮した、恋した、欲情した、勃起した、等、という言葉にも代用することができる。
要は“自意識を満たす感情”を表現する数ある原質的な言葉を、一言にまとめた
限りなく抽象的で都合の良い造語である。欲張りで便利な造語である。
ある意味“アレ・ソレ”だけで会話してるようなものだ。
よって「萌え」という言葉には中身(定義)が無い、その時々の独り善がりな感情のみ。
言葉には責任が付きまとうものだが、
この「萌え」という言葉は「定義」から逃れていることから責任が生まれない。
ようするに「萌え」という言葉は、言葉の定義という“言葉の責任”を放棄した
“独り善がりの欲情のみの言葉”であると同時に「保険がかかった隠語」である。
「萌え」という言葉を使う時点で、自分が思ったことを論理的に説明することから
逃避しており、「ボクチンの自意識を察してね」という、独り善がりな態度の押し付けなのだ。
相手に自分の意見を伝えないが故に、後からいくらでも本心を創作・言い訳できる保険となる。
現実に足が着いてない主体性を放棄した無責任な言葉、それが「萌え」
ちなみにこの「萌え」という言葉を使いまくってる人ほど、
ボキャブラリーも無く、感情論しかできない単細胞な豚だったりする。
ある意味ギャル語以上の思考停止、自己の喪失。
110 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/02/06 04:34
>>105 草レーサーさん
2ちゃんデビューは、私と同じころでしたか。
そのころはずっと宗教板オンリーだったです。
それから、いろいろなサイトを見て歩きました。
いろいろな人と接するなかにおいて、様々な人生があるのだなぁ〜とか、思ったもんです。
これは掲示板だけじゃなくて、メッセとかメールとかのコミュニケーションもしました。
リアルではなかなか聞けない、人間の「生の声」みたいのも聞いた気がします。
まあ、そこがネットの奥深いとこかと思うのですが。
そんな経緯をもって、私の文体も段々変化をしてきたのでしょうか?
あのデビュー当時より、ネットの社会も随分変わってきたかと思ってます。
精神世界→宗教という図式より、また違ったベクトルもあるようで、
そんなことを考えたりもします。
111 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/02/06 04:49
>>106 >煩悩を否定することもなく、ましてや他人の煩悩を非難することもなく、成長の一つの踏み段に過ぎないものと見たとき、
>煩悩も煩悩として必要な経験を含むのだと教えられたような気がします。
人間というのは、もともと順応性があるのかと思う。
これは生物学的にもそうなんじゃないかと。
私はこの分野には全く無知なんですが。
仏教は、もともとが「あたりまえ」のことを言ってるに過ぎないような気がします。
般若心経も意味はほとんど「あたりまえ」のことかと思う。
>武士の喰わずは、やせ我慢ではなくやっぱり美学ですね。
美学なんでしょうね。
喰えない。ってのは、こんな惨めな事はないですが、美学と思わなければ惨めすぎますからね。
ある武家屋敷の門前で、浪人が「切腹したい、庭先を貸してくれないか」。
とか言うのが流行ったらしいです。
武家屋敷は面倒なことになるといけないから、小銭を渡して帰すとかしたらしいが。
浪人も生きるのに疲弊してたんでしょう。
遅いレスですみません。
仕事が今日で一段落付きました。
>>108 草レーサーさん
>親友を失ってから、少々骨抜きになっているのかも知れません…。
貴方も大事な友人を亡くされたのですね。
どういったら良いのでしょう。埋める事の出来そうも無い友人を私も亡くしました。
その前後のうろたえ様は、今までの精神修養がなんだったのかと我を呆れるほどであったのでした。
今年で丸一年となりましたが、悲しむ時悲しむそれしかないと今思います。
悲しすぎず、しかし悲しまなさ過ぎず
怒りすぎず、しかし怒らなさ過ぎず
何も去りはしない、今も無くならない
> クルマで空気の壁を劈いて進むような男性的な行為は必要でない。
> ただ、受身になって風を感じる。まるでいま産まれたばかりのような初々
> しい風の息吹。
時にはストレートな怒りを持って生き、そして時には静かなる詩人のように湖面の小波の如くたたずむ
私も、怒りの気持ちにある時、現状を打ち壊して前に進む気持ちも出ます。
時として、人生は休む暇もくれた。
気持ちが初々しいのは、ある引っかかりが解けた場合に多いのでしょうか。
いつもありがとうございます
最近、素直になったレーチェです。
>>111 机龍之介さん
> 仏教は、もともとが「あたりまえ」のことを言ってるに過ぎないような気がします。
> 般若心経も意味はほとんど「あたりまえ」のことかと思う。
当たり前のことを説いて、なおそれが「ようできている」と思える時が、あるのでしょうね。
原爆で被爆した天主堂の永井博士は、職を失い、健康な体を失って
「この世界も良く見ると素晴らしい(よく出来ている)」
とついに感慨深く言ったと聞いた事があります。
精神世界のおかしな点は特殊性をまず突き詰めるところですね。
自分は偉いと錯覚してしまいます。よく見えているのだと。
特殊性を尽き壊した先に、平等性が現れます。
「ようこのような凡夫が救われるのだと」
救いと救われるが一つになり、特殊性が終焉する。
すると「当たり前のおいらが素晴らしいものなのだと。」
感慨に浸る。
旨く言えませんが、そのようなものなのでしょうか。
>浪人も生きるのに疲弊してたんでしょう
死に場所を必死に求める厳しさが顕れますね。
戦国ならば、そのような機会もありました。平和な時代もそれなりに辛いものがあったのでしょうね。
>>110 机龍之介さん
>そんな経緯をもって、私の文体も段々変化してきたのでしょうか?
私の印象ですと「悟りスレ」の頃は私より若く、ベーシック時代で同年輩
くらいか? ブランコで始めて相応の年齢を察するに至りました。(汗
まあ、2ch使用者に対する私の先入観もあったのですね。
更に受け手の私も、お蔭様で幾らかは丸くなったのだろうと思います。
私も、拙いながらも自分の声を出してきたと思います。だからか、嫌な
思いも味わいましたが、それでも…、と感じていますね。
多分みんな自分の声を出せる場所に飢えているんだと思う。
近代的で、クールな生活を堪能できても、何かが足りないと感じてしまう。
私にとっては、クルマを走らせること、速く走らせること、それが自分の
声を出せる場所。誰に遠慮する必要もなく、他人と競い合う環境の中でも、
只管になりきれる場所だった。
でも、それでもまだ何か足りない。その寂しさを埋めてくれるのは女だ。
まあ、クルマと女なんて、どんなDQNにもわかることだけど…。
だけど、そのどんなDQNにもわかるはずの何かが、わからなくなって
しまってきて、困惑してしまうのが人間の厄介なところ。
思えば、ベーシックの尊厳は、その辺のところに焦点を当ててみたいと
思ってスレを立てていたんですね。
仏教の祖師である釈迦も、そんなに難しいことは話さなかっただろうと
思うんですよ。落ち付いて聴けば、「ああっ」と腑に落ちて、気が付い
てみると、心に安らぎを感じているような。
何故安らぐのか?それは取って付けたものじゃないからなのでしょう。
>>112 レーチェさん
そうです。私も掛買のない人を何人か失ってきました。その内一人の親友の
死を切っ掛けに内心の平安スレを立ち上げたんですね。
それまでも縁のある人々の死に立ち合ってきたことはあるのだけど、決定的
に私を唖然とさせたのは、三名の人です。
アイルトンセナ。私の兄。そして親友。三人ともまだ若年で、しかもまさか
の事故や急病で、いともあっけなく逝ってしまいました。
でも身近な家族や、人生を語り合った親友の死は言葉にする事は難しいです。
しかし、兄の時は自分自身のとても不審な感覚が顕わになった時でもある。
ある朝、警察からの電話で唐突に兄の死を告げられ、訳あって私一人が警察
に身元確認をしに出かける事になりました。
出来れば行きたくなかったし、逃げ出したかった。一人では自信がなかった。
でも、たった一人の血を分けた兄弟です。世話にもなりました。
夢幻をさ迷うような感覚で、必死に警察に向かっていたんだと思います。
しかし、うろたえ狼狽し混乱している意識の奥に、何かとても静謐なものを
感じ、ある意味では穏かな力強さすら感じいたのも事実なんです。
私はパニックに陥って慌てふためいていて、でもそれと同時に言い難いけど、
何かそれを突き抜けてどこか平然といる。
今のように自分に甘えている時は、雲を掴むような頼りない感覚にしか過ぎ
ませんが・・・。
多分、仏伝のゴータミーは、釈迦との対話で突き抜ける切っ掛けを掴んだの
だと私は思う。ゴータミーは気も狂わんばかりに懊悩していたんだろうから
最も平安から遠くにいたのだろうけど、御釈迦様の伝えたかった事を了解す
るには、近いところとにいたとも言えるのではないかと思います。
例えはワルイかも知れないけど、菩薩や天使は苦悩する人々のすぐ近くにい
て、実は歌をうたっているのかも知れない。(笑
愚かな人間をバカにではなく「こっちへおいでよ」ってね。
だって、苦悩する人々って、不思議と何処かで転換が起こるようで…。
出会いと別れについて、今日一つ思ったことを記しておきます。
ある時、生きているということがとても忌々しく思えてくる時期があった。
それは、何時か愛するもの達と別れる時がくると感じられてきたからです。
風に身を任せていた時、ふとそんなことを思い出しました。
産まれたての初々しさを身に感じられるひとときは、風と戯れるとき。
風と戯れるときは、眼を閉じてゆっくりと歩く。
慣れないと少し怖いが、練習してると徐々に歩けるようになってきて、
最初は3メートルくらいだが、すぐに5メートル、10メートルくらいは
眼を閉じていても歩けるようになる。
眼を閉じて歩いてると、今まで何も感じなかったのに、風を顔や身体に感じる
ようになっている。少し風が強い時は、一瞬だが体重を風に預けられる。
その一瞬は間延びして風と一体になったような感じがするものです。
私の身体に当たる産まれたばかりの初々しい風は、同時に死して去っていく
風でもある。風との出会いは、別れが同時なのがよく感じられる。
どちらを感じればいいのか、少し迷うが、感じたままに、感じたままにと考
えを離れると、巧くいけば妙なる状態に僅かにだが入れる。
そんな時、あの忌々しさが自然に流れていくことを思い出した。
う〜ん、心の平安についても思いが湧いてきた。
39の机さんのカキコを見ていて、ふと立ち止まっている。
>「極端」に偏りますと、人間はそれを補うことばかりを考えるかと思います。
まさに、そう。食に飢えたり、女に飢えたりすると、すぐそうなる。
>心の平安は… 常に、心の混乱を前提としているのだろうか?
飯を食えば飢えはしのげ、女と交われば飢えはしのげる。
問題の一つは、時間が経てば、また再び飢えてしまうことだろう。
問題の二つは、生理的な欲求以外のことで飢え渇くことがある。
(長くなるので、ここは次ぎレスに続ける)
現象から洞察するに、確かに人間は戦乱の世では平和を希求しますし、平和
な時代には混乱を求めて楽しんだりしていますね。
世界の相はコスモスなのか?カオスなのか?
しかし、世界を見ると「コスモス」であり「カオス」でもある。言い方を変え
ると「コスモス」は「カオス」であり、「カオス」は「コスモス」となる。
人間の概念では秩序と混沌は正反対の概念であるが、世界の相を見てみると実
に不思議だが、この正反対が二とならず、ひとつの世界として成っている。
どうも考えるとわからなくなりますね。わかろうとするのが二項分別の始まり
ともいうが…。
心の平安を尋ねて、二つの問題と疑問が浮上した。
一つは無常な世界において、人間はその構造として苦楽(飢えと満足)を繰り返す
ようになっている。お腹が減ること。眠くなること。異性が欲しくなること等。
つまりこれらはいつまでも(悟っても)求めなければならない生存の条件である。
まあ異性には異なる面があるにしても、個で生きるにも、食物と睡眠だけは苦楽
の輪廻を繰り返すことから離脱できない。
そして、心や精神の問題が浮上してくる。心身一如から考えると、生理的な欲求
を満足させれば、心の乱れも納まるとも考えられ、それも確かに頷ける。
しかし、人間を観察すると、そこには納まり切れない何かがある。
そしてここが人間の特徴といえるかもしれない。他の動物や生き物にはない特徴
がここにあり、ここにおいて人間は苦悩もし、創造し生み出すこともできる。
女が子供を産む事に苦労するように、創造する事に人は苦労する。
今人間は物質を加工する業においては、神に挑戦する域までに届こうとしてる。
しかし、その業をもってしても2500年前に一人の人間が解決した問題の前
に為す術がないようにも見うけられる。心の安らぎは如何に…
仏教において、空を理解することは重要な事だと言う。しかし、その説明は
マチマチで誰かの助言や書物からその真意を察するには難しい面がある。
初期の仏教の経典には、大乗仏教の「空」の起源になったような解り易い
お経がある。
私はこのように聞いた。ある世尊は…で始まるお決まりの文句で、
曰く、例えばアーナンダよ、この殿堂は牛とか馬に関して空であり、銀貨に
関しても空である。ただ空ならざる比丘集団という形状が存在する」とか、
比丘は村に関する想いを思惟せず、人に関する想いを思惟せず、ただ森に関
する想いによって彼の心は清まり、確立する。ただ、森に関する想いが一つ
の不安になる」とかです。
何かに対しての思惟がないとき、それに対する不安はないといい、最後は輪廻
の世界で、これが最後の身体を保っているなどと記されている。
縁起の教えも、一番基本的な考えは、「これ有る時にかれ有り、かれ無きとき
にこれ無し」です。難解な空哲学や十ニ縁起は、理解を妨げられてしまう。
心身一如と人間の苦悩について、縁起の考察と、思惟の対象が空になることで
心はそこから解放されるということについて考察してみました。
今の勢いならもうひとカキコできそうです。
で、仏教に如来蔵思想というのがある。本来一切衆生には仏性が内蔵されている
と言うことだが、それなら何故わざわざ悟りを求める修行を仏教では勧めるのか。
それは、多分気付くため…、ではないかと思った。
私の実感としても、緊急時には自分の意識のざわめきを飛び越える不動の眼差し
というのが内面に感じられる。つまり悟っているような状態が認められた。
ある意味では、人は宗教に縋ろうが、悟りを求めようが救われないし得られない。
それは逆の意味で、既に救われているからとも、悟っているからとも言える。
ならばどうして釈迦は比丘達に修行を勧めたのか?それは人が無常に呑まれてし
まい、そこで虚しさに沈み込んでしまう性質があるからではないだろうか。
平安であるということは、混乱になってみるとその有難味がとてもよくわかる。
人間、どんな豊かな生活を満喫できても、それが当たり前の感覚に覆われれば、
感謝する気持ちなど忘れて刹那の快楽を求め、やがて虚無感に蝕まれてしまう。
逆に、物質的に貧しくても嬉しい気持ちや感謝の念を感じてるなら、溌剌とし
た心で生きていられる。幼い子供が退屈などしないように。
人生の成り立ちからしても、社会の構造からしても、次第に物質に心が奪われ
てしまうし、大人になれば自分が何かの役に立っている実感がないと、生きる
気力など湧いて来ない。だから役に立てない、意味がないということになって
きたり、更には迷惑になっているなどと思えば、投やりになって、もう消えて
しまいたいという気分になるのもわかる。
だから、修行が必要なのだろう。修行によって当たり前のことに喜びを感じて
感謝の念を忘れないように、心に付いての洞察を深めておく必要があるのだろ
うと思った。
>>155 草レーサーさん
レスが遅くなりすみません。
> 多分、仏伝のゴータミーは、釈迦との対話で突き抜ける切っ掛けを掴んだの
>だと私は思う。ゴータミーは気も狂わんばかりに懊悩していたんだろうから
>最も平安から遠くにいたのだろうけど、御釈迦様の伝えたかった事を了解す
>るには、近いところとにいたとも言えるのではないかと思います。
釈迦の近くにいる人たちって本当に個性豊かに思えますね。
どうも、近年個性個性とやかましくいうけど、どうしたってまだ平均志向というか特出することを嫌うこの世間ですが、
たまたま世間と違う考えを持ってやってみてそれがとことん行って結局仏陀に成った。辿りついた。
で、最初から勝算があるはずも立つはずも無い、茫漠とした目標だったわけですが、試行錯誤して失敗しながら学んだ。
失敗しながらというところが素晴らしいと思えるのですね。
>例えはワルイかも知れないけど、菩薩や天使は苦悩する人々のすぐ近くにい
>て、実は歌をうたっているのかも知れない。(笑
なるほど、そうかもしれません。
悲しい時ほど、正論めいた諭し方が妙に腹立ったりします。
そこに至った過程を理解していても、第三者に簡単に言い切られてたまるかいなというような(笑)
>愚かな人間をバカにではなく「こっちへおいでよ」ってね。
>だって、苦悩する人々って、不思議と何処かで転換が起こるようで…。
変に慰められるより、メシでも喰えと差し出される方が良い時もありますね。
枠から出なさいってことでしょうか。
>>119 > 何かに対しての思惟がないとき、それに対する不安はないといい、最後は輪廻
>の世界で、これが最後の身体を保っているなどと記されている。
身体はあるが、身体を思わない。心臓の鼓動は思わなくとも打ち続ける。
感情があるが、感情を思わない。寒い時は寒く暑い時は暑い。
それが、ある限り熱射病にもならず、凍死も無い。
ここで、快不快という感情の動きも普通に必要な動きであると思う。
考えれば、文明は快適を求めてきた。
最後に思考の砦がある。
見えるもの全てが、ある錯覚を含む。
思考が進み思考が止んだ時、アルキメデスの発見は起こった。
考えてみれば、感情も思考も階段に過ぎないのですが、それを踏まねば最終段に届かない。
不思議と言えば不思議です。
悲しみを通りこさなければ、悲しみの色も意味も解らない。
レーチェさん。
のんびりマターリいきましょう。私もそうします。前回は少しスパートした
けど、内面から湧きあがってくるものは書き込んでおきたかった。
でも、風を感じる実習は気持ちを落ちつかせてくれるし、なまを感じられる
と思います。身体に風を感じるのは、とても気持ちがいいですし。
私は、気持ちが乱れたりした時は、まず、全てのものは無常で、無常なものは
思い通リにならぬ苦で、無常で思い通リにならぬ一切のものに我はない。
という三宝印を心に染み入るように内心で唱えます。
すると、次第に心は静かになってくるようです。簡単なことですが、私にはこ
れが結構効くんです。更に自然の情景をぼんやり眺めると効果倍増です。
私の勉強してるテーラワーダでも、そういうものに気をとられていてはダメだ
といわれますが、美しいものは美しいので静かな反抗をしてます。(w
レーチェさんは、内心の平安を実践するのに、どのような事を心掛けたり実践
したりしているのですか?
あと、122レスですが…
>感情も思考も段階に過ぎないのですが、そえを踏まねば最終段に届かない。
これなどは、多分机さん流にいうと「凡夫システム」などと言っているよう。
氏は、凡夫システムは布石であるというような事も述べていました。
私などは、どっぷりと感情に浸って生きているんで、まだまだですけどね。
自然はとても厳しいけど、懐も優しさもとても深い。
やはり最高の師は自然なんでしょうね。
そういえば、自分自身というのは、自然の分身という意味だそうですよ。
この辺り、自灯明、法灯明これ然りって気がします。
>>123 草レーサーさん
超亀になりました。
>私は、気持ちが乱れたりした時は、まず、全てのものは無常で、無常なものは
>思い通リにならぬ苦で、無常で思い通リにならぬ一切のものに我はない。
>という三宝印を心に染み入るように内心で唱えます。
ご教授ありがとうございます。
>レーチェさんは、内心の平安を実践するのに、どのような事を心掛けたり実践
したりしているのですか?
イメージトレーニングを使っています。
静かな場所で、安らいでいる自分を見ているイメージです。
マントラ(真言)を使うこともありますが、常にイメージを先行させています。
恐怖を克服するなどと考えるよりは、簡単な方法なので気に良いっております。
>自然はとても厳しいけど、懐も優しさもとても深い。
同意します。
>そういえば、自分自身というのは、自然の分身という意味だそうですよ。
この辺り、自灯明、法灯明これ然りって気がします
逆だと思っていました。つまり自分を投影していたのであると。
しかし、自分が無くとも確かに、川の流れがなくなる訳でもなさそうですね。
レーチェさん
自っていうのはとても不思議なものだと思います。自律、自動、自然、自分…。
律とか動とか然とか分っていうのは、こういうものだと分かるけど、自について
は、こういうものだと言うのは難しいように思います。
自ずと…、というと、放っておいてもとか、自然にとか、とにかくそうだからそう
だとしか言いい様がないのかもしれません。
そういえば自分のことを、己とも言いますが、この己というのは、よく時代劇等
で憎らしい相手の事を、「おのれ〜っ!!」などと叫んだりしますよね。
これは、どういう謂れなんでしょうね。知っていたら是非教えて欲しいです。
スッタ二パータに、愚者はどんな怨敵でも及ばないような酷いことを己に果たす
なんて書いてありますが、暗にその反対のことも示しているようにも思えます。
心の問題を尋ねて瞑想などをしていると、そういう気がしてきますよね。
確かにある時ある所であるおもいをして、それをずーっと引きずってしまうのが
人生の側面であるし、誰でもない自分が想いを募らせてしまっているのがよく解
る。でもこれは、やろうと思ってやっているというより、そうなってしまうと言
うのが正直な感想ですね。この辺も、半自動的だといいたくなります。
仏教では、人間の行いを想いと言葉と行いの三つに分けて考えているようですが、
この内の言葉と行いは、対外的な影響を考慮し、誤魔化してでも人間は社会性を
成立させようとする。社会的な死活問題が絡んでくるから当然と言えば当然です。
しかし、対外的に誤魔化せない心の問題。それが人間にとっては一番根深い問題
なんでしょうね。心の理というのは、自明の理だろうから、万人に理解できる簡
単なことだとも言えるし、とても難しいこととも言える厄介なものでもあります。
この辺に来ると一如観というのも肯けてきます。
レーチェさん
はじめまして。
パソコン経験が浅いので、このようなスレがあるのをはじめて知りました。よろしくお願い致します。
私は元僧侶です。約30年前に還俗をしました。
それ以後、研究の一部として、
宗教団体に入らなくても心の平安と幸福が訪れる実践方法やカリキュラムを研究してきました。
何かお役に立つことがあるかもしれませんので、よろしければご質問ください。
レーチェさん
追加
質問は、お互いの話しのポイントを短時間で合わせることができると思うからです。
128 :
名無しさん@3周年:04/04/18 11:56
元僧侶さんは何宗だったんですか?
元は浄土門ですね。
托鉢をしながらいろいろな地方を旅する修行、遊行をしていました。
遊行経験から、宗教では平和はつくれないと思い還俗しました。
今は、仏典一般や聖書などに共通するエッセンスを見ています。
クリスチャンではありませんが、マタイによる福音書の第五章の「山上の垂訓の幸い」を書いておきます。
幸い
心の貧しい(素直さと謙虚な心)人たちは、幸いである、
天の国はその人たちの者である。
悲しむ人たちは、幸いである
その人たちは慰められる
柔和な人たちは、幸いである、
その人たちは大地を受け継ぐ。
義(暴力のない、理性の怒り)に飢え渇く人たちは、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人たちは、幸いである
その人たちは憐れみを受ける
心の清らかな人たちは、幸いである、
その人たちは神を見る
平和を実現する人たちは、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる
義のために迫害される人たちは、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
>草レーサーさん
超々亀になりました。
>己
もともとは蛇行する内臓を模写したものだそうです。
中医学の基礎は五臓にあり、ここの部分の健康をまず考えます。
医食同源という言葉は実はヒポクラテスも同様の考えを持っていたようです。
ですから、食を見ればその人の健康状態が解る、食べぶりを見ればその人が
解るという意味で人間の基本部分を己で表現したんでしょう。
こうなると宴会の風習も面白い見方が出来ますね。
>126
初めまして。
お坊さんだったのですか。
よろしくです。
心の中も食のようなところがありますね。
あるメニューを、例えばオムライスをつくるとするとしますと、
そのオムライスを作るたに必要な食材を欠かすことはできません。
卵がないために、ケチャップ入りのご飯だけのオムライスは、
誰が見てもオムライスでないのは明らです。
だけど、人の心の中は抽象的なものですから、
卵がないオムライスを
オムライスだと思い込んでしまうことがあるようです。
レシピには卵が薄く巻いてあるオムライスの写真があります。
しかし、心の中では卵のないトマトケチャプ入りのご飯だけになっています。
このズレがうまくいかない原因であることが多いようです。
↑
>>132の書き込みは
>126です。
>>132 仕事でも同じことがあります。
やったつもり、言ったつもりがトラブルの原因に・・・
>>134 そうですね。
内面に平安と幸福が訪れるには
二つの、または 三つの
心の灯明という材料が必要であるように思われます。
これらの灯明には反比例の性質があるようです。
灯明を点すには反比例の法則を働かせないと
灯明が点灯しないように思われます。
昔から
灯明を点灯させるために
反比例の法則を働かせることを
訪れるとか
無求とか
無とか
空とか
無我とか
無私(アガペー)とか
他力とかなど
理解しにくいことを言ってきたように思われます。
なぜ平安を求める?
なぜ吹き上がる血飛沫を求めない。
あなたの創造者は確かにそれをあなたの中に秘めたのだ。
>>136 内面に平安や幸福が訪れても
更に、その向こうに道が見えてくるのです。
義(暴力のない、理性の怒り)ならば分かりますが、
血飛沫はいただけません。
背筋が寒くなります。
138 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/22 00:16
レーチェさんに質問です。インターネットの匿名掲示板における自作自演についてどう思いますか?
自作自演をする人の心理状態について教えて下さい。
>>138 私はレーチェさんではありません。
なぜそのような質問をされるのですか?
140 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/22 00:54
>>139 別にそんなこと一言も言ってませんよ。
どうしたんですか?
142 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/22 07:02
>>141 はじめまして、机龍之介といふ剣客です。
住所は大菩薩峠です。
ネットゆえ詳細はこれ以上は無理ですが。
よろしこ。
貴殿はイラク問題スレにカキコしますたね。
なかなか客観的な分析だと思ひました。
>私は元僧侶です。約30年前に還俗をしました。
といいますと・・団塊世代か?それ以上の年輩の方ですね。
して、浄土門と・・・。
数多くの妙好人を輩出してますね?
143 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/22 07:20
レーチェさん、お久しぶりです。
草レーサーさんとは、最近「名無し」でわたしと被りました。
草レーサー氏は、だいたい書き方でわかります。
144 :
名無しさん@3周年:04/04/22 10:35
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
↑隔離スレに逝ってくださいとのことです
>>142 はじめまして。よろしくおねがいします。
浄土門といいましてもいろいろありまして
妙好人の流れとはちがいます。
このぐらいでよろしく。
146 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/22 11:02
>>146 古来中国に、浄土門と禅が双修のとこがあるそうで・・。
たしか、
日本の黄檗宗もそんな感じかと。
2ちゃん仏教系コテハンの渡海氏は、坐禅念仏を提唱しているようです。
>妙好人の流れとはちがいます。
そうでしたか。
よろしこ。
>>146 今では
浄土や禅や華厳や唯識や旧約聖書や新約聖書などの区別もなくなり
それらのエッセンスを内面と行動に見出そうとしています。
また、エッセンスですから宗教でなくなり、
心身症などにも応用できる方法にもなってきています。
今では、浄土門のこともわからなくなってきているのです。
>>131 レーチェさん。
「己」有難うございます。
書き込みがないので少し心配しましたが、今までのレスの様子から見ても
病苦を受けながらも、生の充実を感じられる方だと思われました。
私も、何とか立ちあがり、山あり谷ありで奮闘している最中でございます。
スレの方は上がってしまいましたが、新しい御客人も来てくれました。
あっ、実はもうレーシングドライバーは廃業なので、HNは変えたんです。
名無しの言辺=草レーサーです。
149 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/22 11:29
>>147 >今では、浄土門のこともわからなくなってきているのです。
まあ、人間が死ぬ時は仏教もキリスト教も用なしになるんでしょうからね。
違うかな?
わたしはそう思ってるんですよ。
宗教は、つまりは生きる道標みたいなもんかと、そんな感じはしますね。
>>149 そうですね。
宗教宗派や宗教団体ではなく
普遍的な宗教心や生き方ということでしょうか?
私は実践タイプなので
自分の中にそれがあるかどうか
それが実践できているかどうか
を問題とします。
理論には弱いほうなのです。
>>150 人間は努力して、努力しおわってホットした時に開眼するんでしょう。
宗教はおおむね感性の部分が大きいかと思う。
感性っていっても広義ですが。
>>151 禅は特にそうでしょうね。
一般的にも
緊張状態ではなく
リラックス状態のほうが
精神の成長には良いでしょうね。
昔から
宗教は人間をリラックスさせていたと思うのですが
最近では人間を緊張ばかりさせているようです。
昨晩は混乱しておりました。
>>136 ネットサーファーさん
お初です。ドラマはどこから現れるのか、欲するのでしょうか。
>>138 しろくろさん
最近はここしか書いていませんので、なんとも言いがたいですが
スレ立て人としては、全て参加者による自然な流れがあれば良いと思います。
そもそもTITLEからして、激論しましょうとは言っていない訳でして・・・
>>135 126さん
無求、なるほどそうですね。
人間どうしても自分に要求を出しすぎてしまう。がんばっちゃう訳です。
他人にも同時にがんばるぷれっしゃーのオーラを出しすぎて、それでは息が詰まってしまいますよね。
求めず、しかし関心を持たないのではなく時には委ねる。
有能ながんばり管理者ほど、周囲は達成感を味わいにくいものです。
>>143 机龍之介さん
お久しぶりです。妙好人ですか。以前は、鈴木大拙なども・・・
>>148 名無しの言辺(草レーサー)さん
>書き込みがないので少し心配しましたが、今までのレスの様子から見ても
病苦を受けながらも、生の充実を感じられる方だと思われました。
お心使い、ありがとうございます。
先々週ごろでしたか、非常に苦しくなってついに友人にSOSを出しました。
足を引きずるようにして、神戸まで行きましたが帰りは落ち着きました。
考えますに、人生は点と点が残ります。そして、点同士がやがて線として繋がる。
それまでは、無意味な点でしかないように見えますね。
>私も、何とか立ちあがり、山あり谷ありで奮闘している最中でございます。
レーサーとしてのご経験も思うに、いずれ人生の中で他の要素と共にある意味を持って結集するものなのでしょう。
ある種の気付きを持って熟成するのでしょう。
155 :
名無しさん@3周年:04/04/22 21:46
レーチェさんに質問です。ウンコと カレー は どうやって 見分ければいいんですか?
>>153レーチェさん
失礼ですが
英単語の
do(〜をする=〜を果たす)意識と
be(ある=存在する)意識を区別できますか?
同じ仕事をするにしても
doの意識(緊張状態)ではなく、
beの意識(リラックス状態)があると思うのですが
いかがでしょうか?
また、
リラックスしながら
汗を流しながら
花作りや野菜作りを
されたことはありますか。
>>153レーチェさん
電気過敏症ということありませんか?
人によって
人口電気から発生する電磁波によって
体調が悪くなったり
心が不安定になったりすることがあります。
その可能性はどうですか?
>>156 >do(〜をする=〜を果たす)意識と
be(ある=存在する)意識を区別できますか?
できます
>リラックスしながら
汗を流しながら
花作りや野菜作りを
されたことはありますか。
あります
159 :
名無しさん@3周年:04/04/23 00:17
レーチェさんに質問です。ウンコと カレー は どうやって 見分ければいいんですか?
160 :
名無しさん@3周年:04/04/23 00:20
レーチェさんに質問です。真性と偽者と悪意のない素朴な人はどうやって 見分ければいいんですか?
161 :
机龍之介 ◆EeqbSyViuA :04/04/23 00:26
>>160 貴殿は、人間の性質という二項から離れられないのです。
この切断を私はいうておるのです。
透過なされまし。
一如にて調ひなされましm(__)m
162 :
実行委員長:04/04/23 00:38
陶芸やると、鬱にいいかも。
人間は、生まれた生年月日で、その思考がきまる。
これを仏陀の思考である縁起の法に変えればいいのだ。
>>157訂正
人口電気→人工電気
実は、私は
人工電気で体調が悪くなったり
眠れなくなったり
心が不安定になったりするのです。
だから、人工電気への防御対策をしています。
164 :
名無しさん@3周年:04/04/23 01:09
>160を書いた者ですが
>161
人間の性質という二項? 切断? 透過なされまし?
むむっ・・・・やるなっ・・・。
165 :
名無しさん@3周年:04/04/23 01:28
166 :
名無しさん@3周年:04/04/23 01:40
へ?
なんかやりました?
167 :
名無しさん@3周年:04/04/23 01:45
あ、
>159と160は別人だから
というか、真意ぐらい読み取ってくれないかな。
168 :
名無しさん@3周年:04/04/23 06:33
激
し
く
尿
意
!
169 :
名無しさん@3周年:04/04/23 06:34
激
し
く
憑
依
!
170 :
名無しさん@3周年:04/04/23 06:40
|┃三 人 _________
|┃ (_ ) /
|┃ ≡ (__) < おはようございま〜〜〜!
____.|ミ\__( ・∀・) \
|┃=__ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ≡ ) 人 \ ガラッ
171 :
机龍之介 ◆RcTQsbjbyw :04/04/23 08:11
凶もよろしこ
172 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/23 10:53
>>152 >昔から
>宗教は人間をリラックスさせていたと思うのですが
>最近では人間を緊張ばかりさせているようです。
そうですね。
風雅を楽しむような、そんな生き方こそが本来のありかたかもしれませんね。
>>172 風雅もいいですね。
緊張する環境の中にあっても
人間の内面はリラックスして静かであるという感じですね。
174 :
机龍之介 ◆tak51b2Up2 :04/04/23 13:06
貴殿は、風雅という二項から離れられないのです。
この切断を私はいうておるのです。
透過なされまし。
一如にて調ひなされましm(__)m
いろいろな机龍之介さんがおられるようですね。
●_(゚∀゚ )≡ モヒョヒョヒョヒョ ヽ(A`)ノ≡ コラァァァ!! ウンコカエセヨー!!
クスクス
>>167 そこまで言うなら、言おう。見分ける必要などない。
158,176は偽レーチェだが、トリップ机龍之介 ◆EeqbSyViuA も偽。
だが明らかに偽だと解るから嫌味は無いよ。
179 :
名無しさん@3周年:04/04/23 23:39
:;' /:/ `メ、 i: ハ: i: : ii:i ヽ: i: :ii; : : : :iヽ: :
i: :i: i: i/,ィ=ミヽi: iヽNi:i_`iL:H---i:i: ヽ
i: :i :i / {.iトgj:i ヽ! lルィ丁゙)‐ミ「!: :ii/: : i
;':/ヾム⊂つ'´ i:.;{iil1:ソ i:i:::i !: : i:
: i: /: iト 、,,ミニっ /i/゚: o i
: i:/: : i 、`_  ̄/.:/: : : i: :
: /: .::ハ ゙llllllル `ヽ //. : :/! i: . あやまれ!
/: .::/:::/`、 lll/: : : : :} /〃:./: /i iハ! キモヲタの皆さんにあやまれ!
i. ::/i::/::::::i::ヽ`三ー 'ノ , イ/: /: /.::i i::::::
::::///::::::::i:::i:..ヽ---<::::/:::/: :/: : i iヽ::
∧_∧
(∩・∀・) 電話したって〜♪
□……(つ )
φ(..;) 履歴書書いたって〜 ♪
(-_-)
(∩∩) 明日になっても〜 ま〜だ〜無職〜♪
荒らしをするって
どういう気持ちなのだろうかな。
>>181 きっと寂しい人なんじゃないかな。
自作自演する人みたいに。
歌手でも
自作自演しているよ。
あの自作自演は人を楽しましているよね。
184 :
名無しさん@3周年:04/04/24 01:56
>>182 深層心理学的には、「私は愛されたい。認められたい。」です。
本とは、他人の是認を求めずとも自分の中にしっかり立てるんですよ。
誰でも・・・・
暫く来ないつもりです。「あらし」さん、さようなら
186 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/26 07:18
>>185 >暫く来ないつもりです。「あらし」さん、さようなら
そうですか・・・それは非常に残念ですね。
>深層心理学的には、「私は愛されたい。認められたい。」です。
そうですね、深層のところは誰しもが持ってるもんですよね。
特に炉リオタなんかが、こういうのが顕著に顕れる。かと思う。
実は炉リオタというのは一部のマニア的存在を脱して、いまや市民権を得るような勢いです。
最近の社会現象として、私は非常に興味を持っております。
今後はこの課せられた命題を、私は少しずつ研究していこうかと思ってるんです。
鬱病の蔓延と、なんらかの関係性はあるかと思います。
一番の素因というのは幼児期からの環境の悪化等ですね。
そこから少しずつ掘り下げていこうかとは思っています。
187 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/26 07:24
ある女児が道端に倒れていまして、殆どがパンツが見えない状態ですが、
パンツが見えるか?見えないか?
ってんで炉リが興奮状態なんですね。
殆ど病的と思うのですが、いやはやこういう連中というのは以外と多い。
特に2ちゃん系には多いですね。
私が興味を持ったのは、こんなことがあってからです。
188 :
名無しさん@3周年:04/04/26 15:16
脳内の神経伝達物質セロトニンの分泌と鬱病は関係があるようです。
セロトニンの分泌が押さえられると、精神が不安定になり、異常な行動が見られるようになります。
セロトニンの低下によって、ちょっとした刺激にも敏感になります。
暴力が内に向かえば自殺になるし、外に向かえば殺人になります。
また、脳内の神経伝達物質メラトニンの減少は、
性腺を刺激するホルモンを増やし子供たちの性欲を高めます。
子供たちを早熟にする一つの原因といえるでしょう。
人工電気から発生する電磁波は、
セロトニンやメラトニンの分泌を押さえるという実験結果もあります。
近年の、性の乱れは教育問題だけでなく、
幼児期から人工電気からの電磁波を受け続けてきたことも原因の一つと想定することができます。
189 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/26 17:07
>>188 鬱病が、脳内物質のなんかの作用による。というのは以前から情報を得てました。
でも、鬱病とか性欲とかが電磁波からの影響が原因だ。ってのは始めて聞きましたね。
電磁波が身体に良くない。ってのは知ってましたがね。
成人式に暴れる若者がいますね。
私はもう既に若者の精神構造が変わってきてるのかと思いますよ。
だいたいが意思の疎通ってのが出来ないんですから。
匿名掲示板の特徴かな?とか・・・
それなりにネットの特徴かと思ってきましたが、そうじゃないですね。
おそらくは、20年前にネットがあるとしたら、もっとマシなものかと思う。
あと、掲示板で「童貞」とか「童貞じゃない」とかの書き込みをよく見ます。
あれは最初はあまり気にも止めてなかったのですが、最近やっと意味が分かりました。
つまり、童貞ってのはリアルで女性を抱けない。って意味ですね。
モテルとか、モテナイとかの次元ではないですね。
ああ、でも男だけじゃなくて女性も最近は変わってきてます。
宗教とかの問題以前に、もはや人間性の問題が早急な課題ですね。
たぶん、もう手遅れでしょうが・・・
こうなってはね。
190 :
名無しさん@3周年:04/04/26 22:12
>実は炉リオタというのは一部のマニア的存在を脱して、いまや市民権を得るような勢いです。
最近の社会現象として、私は非常に興味を持っております。
「炉リオタ」ってなに?あなたの造語?
>おそらくは、20年前にネットがあるとしたら、もっとマシなものかと思う。
今どんな問題点があるとお考えですか?あなたにとって「まし」とはどういうことですか?
>>187 >ある女児が道端に倒れていまして、殆どがパンツが見えない状態ですが、
パンツが見えるか?見えないか?
ってんで炉リが興奮状態なんですね。
殆ど病的と思うのですが、いやはやこういう連中というのは以外と多い。
特に2ちゃん系には多いですね。
お前何もわかってないね。2ちゃんやってる奴のほとんど(8割くらい?)はリアルようじょ
になど欲情しない。実況でリアルようじょがでてきて「ようじょ*´Д`)ハァハァ」とかやってる
奴の殆どはネタだ。
まあ中には本気でやってる奴もいるだろうが少数派であることには間違いない。
まあ木曜洋画劇場実況における「イギーン」みたいな一種の儀式といってよいだろう。
奴らが真に欲情するのは二次元ロリに対してだ。
192 :
机龍之介 ◆dAbg0u5.V. :04/04/26 22:25
>>190 >あなたにとって「まし」とはどういうことですか
バレバレでつまらない自作自演やりまくっても妨害が入らない環境のことです。
193 :
机龍之介 ◆EeqbSyViuA :04/04/26 22:29
>>189 貴殿は、人間性という二項から離れられないのです。
この切断を私はいうておるのです。
透過なされまし。
一如にて調ひなされましm(__)m
194 :
名無しさん@3周年:04/04/26 22:31
195 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/26 22:33
>パンツが見えるか?見えないか?
ってんで炉リが興奮状態なんですね。
殆ど病的と思うのですが、いやはやこういう連中というのは以外と多い。
ロリはともかく「見えるか見えないか」というシチュエーションに欲情するのは普通だろ。
「チラリズム」って言葉知ってる?
どちらかというと貴様のレスの方が病的。
196 :
金毛狸 ◆03.43UmQLA :04/04/26 22:37
>>185 >暫く来ないつもりです。「あらし」さん、さようなら
お前の暫くって二日間なんだ。ふうん。
197 :
名無しさん@3周年:04/04/26 22:39
>>189 >つまり、童貞ってのはリアルで女性を抱けない。って意味ですね。
モテルとか、モテナイとかの次元ではないですね。
違うんじゃないの。何自己完結してんの?
198 :
名無しさん@3周年:04/04/26 22:42
>>186 >今後はこの課せられた命題を、私は少しずつ研究していこうかと思ってるんです。
誰も課してませんよ。大丈夫ですか?
>鬱病の蔓延と、なんらかの関係性はあるかと思います。
鬱病の人は二次コンなんですか?よくわかりません。
>一番の素因というのは幼児期からの環境の悪化等ですね。
そこから少しずつ掘り下げていこうかとは思っています。
具体的にお願いします。
199 :
スケープゴッド ◆EHWoOq5/HA :04/04/26 22:50
>>109 >ボキャブラリーも無く、感情論しかできない単細胞な豚だったりする。
ある意味ギャル語以上の思考停止、自己の喪失。
そうですねぇ。2ちゃんはボキャブラリーも無く、感情論しかできない単細胞な豚ばかりですね。
あなたはそんな豚どもと違って偉いんですね。
ところでなんで「萌え」という言葉を使用する際
思考が停止してたらいけないんですか?なんで自己を喪失してたらいけないんですか?
「萌え」の対象って趣味の世界でしょ。
200 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/26 22:52
>>190 >「炉リオタ」ってなに?あなたの造語?
ロリータ嗜好オタッキー、の略語だね。ロリオタでもいい。
>今どんな問題点があるとお考えですか?あなたにとって「まし」とはどういうことですか?
問題点というより、もう手遅れでモノホンの炉リがワンサカいるようだよ。
まあ、この調子だと童貞ばかりが増えて少子化に拍車がかかるだろうね。
>実況でリアルようじょがでてきて「ようじょ*´Д`)ハァハァ」とかやってる
奴の殆どはネタだ。
ネタといっても、普通は発想はしないと思うよ(w
不二家のペコちゃん人形でセンズリ掻くんだろ?
まあ、あまりにも幼稚。としかいえないね。
一番の問題は、そういう性癖ってのは隠すだろ?
しかしながら節操がないとこが幼稚としかいえない。
青春時代とすれば、あまりにも暗い。
たぶん人生に後悔するかと思うよ。そんなこと考えたことはないのだろうか?
201 :
名無しさん@3周年:04/04/26 22:53
援交して女子高生を買うオヤジがいますね。
私はもう既にオヤジの精神構造が変わってきてるのかと思いますよ。
202 :
ぼくちゃん ◆2N4o6iBX6. :04/04/26 23:01
>>200 >この調子だと童貞ばかりが増えて少子化に拍車がかかるだろうね。
君日本人全員が2ちゃんやってると思ってない?
>ネタといっても、普通は発想はしないと思うよ(w
2ちゃんは普通じゃない人が多いですからね。あなたみたいな。
>不二家のペコちゃん人形でセンズリ掻くんだろ?
まあ、あまりにも幼稚。としかいえないね。
世の中にはいろんな性癖もった人がいますよ。デブ専とかマゾとか。
それをつかまえて「幼稚」ですか。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
203 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:03
> 炉リオタ
炉利は、むかーしから人類のびょー気だべ(笑)
ギリシャ人は少女美を賛美した。ミロのビーナス像は14歳くらいかな
日本だって昔から相当な炉利であって、12歳でこし入れ懐妊などと
源氏物語も、炉利の世界(マザコンでもあるが)
で、なんでロリがこころの平安なんだよ(w
204 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:03
>>200 >ロリータ嗜好オタッキー、の略語だね。ロリオタでもいい。
そんなこと聞いてませんよ。
205 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:07
>>203 >炉利は、むかーしから人類のびょー気だべ(笑)
今はびょー人がいっぱいいるってことだべ(笑)
びょー人ばっかになるとそれが普通ってことになるべ(笑)
戦国武将はショタばっかだったがこれは今の炉利より異常だべ(笑)
206 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/26 23:08
>>201 エンコウの是非はともかく、ようは大人になれば裏・表は使い分ける。
こればかしは自分で社会勉強する以外にはない。
誰も教えてくれない。
>>202 キチガイマルチハンドル自作自演野郎に何必死になってるの?
208 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:11
209 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:14
ところで先生は飯田橋にある不二家のペコちゃん焼きを召し上がったことがありますか?
とっても美味しいですよ。
210 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:18
まず白痴はccさくらの実況にでも参加して二次コンとロリコンについて考察することから始めなければならんだろうな。
211 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/26 23:20
>>203 >日本だって昔から相当な炉利であって、12歳でこし入れ懐妊などと
昔は平均寿命が短かったから、男子だったら15歳までが元服(成人)。
だから女子で12歳というのは、当時とすれば大人の仲間入りなんだろうね。
白虎隊は16歳だったけど、大人としての武士の作法にのっとって自害している。
いわゆる時代が大人として認めていた。
だから16歳とはいえシッカリと教育されていたよ。
212 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:21
ボクは童顔の女性が好きなんですが異常なんでしょうか?
213 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/26 23:24
>>208 >意味わかりません
だから、そういうことは自分で学ばなけりゃいけないんでしょ?
成人式に暴れるのだって、だれもそういう事は教えてくれない。
教えてくれなくとも学ばなけりゃ生きてはいけない。
自分が損するだけだよ。
214 :
ぼくちゃん ◆2N4o6iBX6. :04/04/26 23:26
>>211 >昔は平均寿命が短かったから、
では今後平均寿命が長くなれば20くらいの女に欲情するのは異常者ということになりますね。
>白虎隊は16歳だったけど、大人としての武士の作法にのっとって自害している。
いわゆる時代が大人として認めていた。
だから16歳とはいえシッカリと教育されていたよ。
武士の作法などどうでもいいと思いますが。
封建社会のヒエラルキーを維持するため規則にすぎません。
関係ない話持ち出して知識をひけらかさないで欲しいですね。
215 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:28
>>213 だから、掲示板で固定ハンドルでレスしたければわかりやすく書かなくてはいけないんでしょ?
自己満足でレスしたら叩かれて当然ですよ。
216 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:29
>>189 宗教以前の問題がありますね。
人間の脳に異変が起こっているのではないかということです。
脳をスキャンする技術が発達してきましたから
犯罪を犯した者の脳はどうなっていたのか
その資料を残しておこうと訴えている人たちもいます。
犯罪を犯した者たちの脳には、空洞があったケースが報告されています。
光やブロードバンドの無線LANに使われる電波は、電子レンジと同じGHz帯の電波なのです。
私は無線LANを使い始めて、3日ほどで足がだるくなえり、足がつって大変でした。
あわてて有線に切り替えて、足元に置いていた本体を3メートルほど離してやっとましになりました。
私は携帯電話が使えないのです。携帯を腰につけておくと、腰が痛くなって体調が悪くなってくるのです。
電気過敏症ですから、かえって、私なんかは人工電気から発する電磁波は防御できますが、
痛みやだるさなどの自覚症状のない人たちは、静かに身体の中で異変が起こっていると思われます。
人工電気が発する電磁波が、人間の調節遺伝子レベルにも悪影響を与えているのではないかと心配しています。
217 :
金毛狸 ◆03.43UmQLA :04/04/26 23:29
218 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/26 23:32
>>214 貴殿は女性の身体を知らんようだね。
女を抱いたことはありますか?
女性は初潮を迎えれば生理的には大人だよ。
219 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:33
>>216 要するに今の若者は電磁波あびて脳がおかしくなってロリになったということかね。
じゃあ熟女マニアの奴がSEやったらロリになるのかね?
220 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/26 23:34
>>218 貴殿は女性の身体を知らんようだね。
女を抱いたことはありますか?
女性が初潮を迎えるのは何歳かご存じかね?
221 :
ぼくちゃん ◆2N4o6iBX6. :04/04/26 23:39
>>218 初潮を迎える年齢が低くなっていますからそうなるとロリコンが増えるのは必然ということになりますね(w
222 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:41
脳腫瘍やガンがよく言われています。。
スイスでは、人工電気が与える生理的な影響も研究しているようでう。
日本の家は電磁波密度が高いから、
健康に注意する必要があることをいっています。
223 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/26 23:42
>>216 >人工電気が発する電磁波が、人間の調節遺伝子レベルにも悪影響を与えているのではないかと心配しています
なるほどね。大変参考になります。
たしかにそういうことがありますね。
以前に白装束の宗教教団が世間を騒がせていましたが、あの教団と関係がありますか?
224 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:43
>>222 一日中2ちゃんで自作自演を繰り返していると電磁波で頭がおかしくなってしまうということですね。同感です。
225 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:44
220 名前:くろしろ ◆JAkgmm2k0w 本日のレス 投稿日:04/04/26 23:34
>>218 貴殿は女性の身体を知らんようだね。
女を抱いたことはありますか?
女性が初潮を迎えるのは何歳かご存じかね?
221 名前:ぼくちゃん ◆2N4o6iBX6. 本日のレス 投稿日:04/04/26 23:39
>>218 初潮を迎える年齢が低くなっていますからそうなるとロリコンが増えるのは必然ということになりますね(w
226 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:45
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
227 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/26 23:47
>>221 ロリコンというのは、いわゆる屈折した精神構造が原因だよ。
初潮の年齢には直接的には関係ない。
228 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:52
>>227 では初潮云々といった話を持ち出さないでください。
ところであなたは小学校高学年から中学生の女子生徒に欲情して新聞沙汰になる教員についてどう思いますか?
彼らはロリコンですがどのような屈折した精神構造を持っているのですか?
229 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:54
>ロリコンというのは、いわゆる屈折した精神構造が原因だよ。
2ちゃんやってる奴は屈折した奴が多いということだな(w
230 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:55
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
あなた他スレで「俺は悟ってるぞ」みたいなえらそうなレス繰り返してますけど案外了見が狭いんですねぇ。
231 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:55
白装束集団は自然界の静電気を言っているようです。
自然界の静電気は、生物には必要なものです。
必要な自然界の静電気で
身体がおかしくなるのは
何らかの病気にかかっているのではないかと思います。
人工的に作られた交流電気や
交流電気製品から発生する電磁波によって起こる電気過敏症は
それとは全くちがうものです。
あの白装束集団のために、
電気過敏症の者たちは大変に迷惑しています。
232 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:55
机先生に質問です。ウンコと カレー は どうやって 見分ければいいんですか?
233 :
名無しさん@3周年:04/04/26 23:57
219 名前:名無しさん@3周年 本日のレス 投稿日:04/04/26 23:33
>>216 要するに今の若者は電磁波あびて脳がおかしくなってロリになったということかね。
じゃあ熟女マニアの奴がSEやったらロリになるのかね?
219 名前:名無しさん@3周年 本日のレス 投稿日:04/04/26 23:33
>>216 要するに今の若者は電磁波あびて脳がおかしくなってロリになったということかね。
じゃあ熟女マニアの奴がSEやったらロリになるのかね?
219 名前:名無しさん@3周年 本日のレス 投稿日:04/04/26 23:33
>>216 要するに今の若者は電磁波あびて脳がおかしくなってロリになったということかね。
じゃあ熟女マニアの奴がSEやったらロリになるのかね?
234 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:00
>昔は平均寿命が短かったから、男子だったら15歳までが元服(成人)。
寿命が原因なのだろうか・・・・?
235 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/27 00:00
>>228 >ところであなたは小学校高学年から中学生の女子生徒に欲情して新聞沙汰になる教員についてどう思いますか?
彼らはロリコンですがどのような屈折した精神構造を持っているのですか?
貴殿も可笑しなこというね。
炉リ趣味だったら、当然職業は教師を選択するだろ?
誰だって考えてることは同じだよ。
皮膚科の先生は女性が多い。
産婦人科は男性が多い。
これが大人の世界なんだよ。分かっちゃいないね(>_<)
236 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:02
2003年6月13日 コミュニオン VS 七五三
2003年6月13日 コミュニオン VS 七五三
2003年6月13日 コミュニオン VS 七五三
237 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/27 00:09
>>231 >人工的に作られた交流電気や
>交流電気製品から発生する電磁波によって起こる電気過敏症は
>それとは全くちがうものです。
なるほど。
一時期、電磁波については話題になりましたね。
だけど今ではあまり騒がなくなってしまった。
いわゆるエレクトロニクス製品は経済の柱ですからね、経済優先の生活は
つまりは結果的に人類には良くない方向へと行くようですね。
人間にとって何が幸せなことなのだろうか?
深く考える時がきているようです。
もはや宗教以前の問題ですね。
238 :
ぼくちゃん ◆2N4o6iBX6. :04/04/27 00:09
>>235 >貴殿も可笑しなこというね。
炉リ趣味だったら、当然職業は教師を選択するだろ?
私が「何故教員にロリコンが多いのか?」とレスしたとしたならばあなたのレスは理解できますが
私はそんなこと聞いてません。
ロリ教員の精神構造について質問しただけです。
あなたさっきから見当はずれのレスばかりしていますね。/ヽ八ハハ'`,、'`,、(゚∀゚)'`,、'`,、ハハ八/ヽ
239 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:11
机先生に質問です。ウンコと カレー は どうやって 見分ければいいんですか?
机先生に質問です。ウンコと カレー は どうやって 見分ければいいんですか?
机先生に質問です。ウンコと カレー は どうやって 見分ければいいんですか?
机先生に質問です。ウンコと カレー は どうやって 見分ければいいんですか?
240 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/27 00:14
>>238 >ロリ教員の精神構造について質問しただけです。
これは何度も私が答えているよ。
つまり、リアルで女性が抱けない。
抱けないから無抵抗な幼児に嗜好が転化されちまう。
ようは、炉リ趣味本人の心の弱さが原因だよ。
241 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:15
>>238 やめとけ。ローレンツ読んで「動物は同種間での殺し合いはしない」と言ってると解釈した真性に
何言ってもはじまらんよ。
243 :
ぼくちゃん ◆2N4o6iBX6. :04/04/27 00:21
>>240 ロリと大人の女両方OKという人もいますがこれについてどう思われますか?
私の友人は普通に彼女がいてうまくやっていますがロリも大好きです。
それにあなたのレス「分析」なんていうほどのものではないと思いますがね(苦笑)
ところであなたなんでそんなにえらそうなんですか?
244 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:22
245 :
金毛狸 ◆03.43UmQLA :04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
246 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:26
>>237 経済優先のために、人工電気から出る電磁波は野放し状態です。
北欧のスウェーデンでは、「生命を尊ぶ予防原則」というルールを採用しています。
スウェーデンでは、電気過敏症の患者を障害者と認定しています。
また、WHO(世界保健機関)は、2003年2月23〜26日にルクセンブルグで
人工電気から出る電磁波に予防原則を採用することを決定しました。
ところが、3ヵ月後になって、産業界からの圧力によって
予防原則の決定を翻してしまったのです。
247 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:26
>>240 >つまり、リアルで女性が抱けない。
何故抱けないの?
248 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:29
>>246 うるせーよ。
ルクセンブルクだとかそんなことはどうでもいいんだよ。
電磁波が人体に与える影響についてのレスしろタコ
249 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/27 00:29
>>243 >私の友人は普通に彼女がいてうまくやっていますがロリも大好きです。
女性の良さを本当には分かってないのかと思う。
まあ、いずれにせよ両建てってのはどんな世界にもあるよ。
では、このへんで寝ます。
おやすみ。
250 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:29
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
251 :
ぼくちゃん ◆2N4o6iBX6. :04/04/27 00:30
そもそも「カレー」はジャガイモ、にんじん等の
具材がきちんとそろっている。
うんちは、カレーのように出る時があるが、じゃがいも
ニンジンがきちんと入っていることは稀である。
結局、見た目でわかると思う。
235 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:00
>>228 >ところであなたは小学校高学年から中学生の女子生徒に欲情して新聞沙汰になる教員についてどう思いますか?
彼らはロリコンですがどのような屈折した精神構造を持っているのですか?
貴殿も可笑しなこというね。
炉リ趣味だったら、当然職業は教師を選択するだろ?
誰だって考えてることは同じだよ。
皮膚科の先生は女性が多い。
産婦人科は男性が多い。
これが大人の世界なんだよ。分かっちゃいないね(>_<)
254 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:33
>>252 松屋のカレーにはクズみたいなのしか入ってませんよ。
見た目ではわかりずらいと思います。
255 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/27 00:35
>>246 たしか一時期、携帯電話が良くないとか・・・
そんなことを報道したことがありましたね。
記憶がうる覚えですが。
>ところが、3ヵ月後になって、産業界からの圧力によって
>予防原則の決定を翻してしまったのです。
なるほど、こういう問題ってのは抹殺されちゃうんですね。
チョッと怖いですよ。
経済優先ていうのはね・・・
>>254 確かに「松屋のカレー」と「うんち」は区別がつくかっていわれると
微妙なのかも知れないけど。
でも、一般的な家庭のカレーとうんちは見た目でわかると思うよ。
257 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:36
動物実験によって、
人工電気から出る電磁波は、
神経伝達物質であるドーパミンを押さえる働きがあります。
ドーパミンは、幸福感を与えるホルモンであると言われています。
このドーパミンの分泌が押さえられると、幸福感がなくなってくると想定することができます。
258 :
ぼくちゃん ◆2N4o6iBX6. :04/04/27 00:38
>>234 私はあまり詳しくありませんが現代ほど複雑な社会ではなかったからではないか、
と思います。当時職業はほぼ世襲制でしたからね。
結局、幸福もケミカルな物質によって得られるわけだ。
260 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:40
>>256 私は松屋のカレーとうんこの見分け方を知りたいのですが.
261 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:40
700 :机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/11/01 19:23
そろそろ私も2ちゃんを引き揚げるから・・・
262 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:41
「お休み」ってレスする奴って絶対すぐに寝ないんだよね。(w
263 :
スケープゴッド ◆EHWoOq5/HA :04/04/27 00:43
奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に
自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。
過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、奴隷になっても決してその
精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。
その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、あるいは
反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、肥え太った主人を
血祭りにあげた。
現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに
気付いてすらいない。それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの
唯一の誇りを見い出しさえしている。
264 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:44
>>260 舐めても、匂いをかいでもだめなのですね。
あくまでも、目という器官を通して区別し
ないとダメだと。
リトマス試験紙や、ペーハー値を計るものを
使えば、その変化を「目」で判断できますよ。
266 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:48
>>265 わたしはそんなめんどくさいことしたくないんですが、まあいいでしょう。
ところでうんこのペーハー値はどれくらいなんですか?
267 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:49
電磁波を浴びても
ノルアドレナリンは減らずに
そのまま分泌すると想定できます。
ノルアドレナリンは、怒りと覚醒のホルモンと言われています。
それに対して、ノルアドレナリンの分泌を押さえる働きをするセロトニンは減少します。
つまり、怒りや覚醒はそのままで、それを抑制するセロトニンが減るために
人間は怒りっぽくなると想定できます。
268 :
名無しさん@3周年:04/04/27 00:49
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
269 :
ぼくちゃん ◆2N4o6iBX6. :04/04/27 00:52
>>266 憶測ですが、カレー酸性っぽいのでPh1〜7の間。
うんこはアルカリせいっぽいのでPh7〜14の間。
ちなみに中性は7です。
これで見分けてください。松屋に行く時はダマされないように
ペーハー試験紙をもっていってくださいね。
271 :
名無しさん@3周年:04/04/27 01:00
>>270 あなたの食ってるカレーは酸性なんですか?
何を根拠にそう考えるんですか?
また仮にうんこがアルカリ性だとして松屋の店員がうんこに酢を混ぜた場合はどう区別すればいいんですか?
272 :
名無しさん@3周年:04/04/27 01:03
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
273 :
名無しさん@3周年:04/04/27 01:06
ところで先生はナバコフの「ロリータ」は読みましたか?
キューブリックファンの先生のことだから映画は見たと思いますが。
NHKためしてガッテンHPより
【アルカリ性食品】
野菜類、果物、海藻、キノコなど
ひじき、ワカメ、昆布、干し椎茸、大豆、ほうれん草、
ゴボウ、サツマイモ、ニンジン、里芋、メロン、レモン、などなど
【酸性食品】
肉類、魚類、卵、穀類
卵、豚、牛、鶏、魚肉、米(リンが多いため)などなど
カレーは酸性食品が多く使われているので酸性であると思います。
うんちは正直わかりません。多分、非酸性でしょう。
事前に調査して、「カレーはペーハー値いくら、うんちはいくら」と
決めておけばいいはずです。
松屋の店員が酢を混ぜたらどうする?という話ですが、
松屋の店員がうんちやカレーに酢を混ぜても、何の特にも
ならないと思います。よって、やらないと思います。
275 :
名無しさん@3周年:04/04/27 01:20
>>274 >カレーは酸性食品が多く使われているので酸性であると思います。
想像でものを言わないで下さい。仮に酸性だとしてリトマス試験紙に反応するのでしょうか?
されにカレーは粘度があり色もついていますからリトマス試験紙で判断するのは困難だと思いますが
いかがでしょうか。
>うんちは正直わかりません。多分、非酸性でしょう。
適当なこと言わないで下さい。
インド逝ったときはカレーばっか食ってたので尻がひりひりしました。
香辛料が消化されずにうんこに残っていたためです。
したがって酸性食品を多く摂取した場合うんこも酸性になってしまう可能性も否定できないと思います。
>松屋の店員がうんちやカレーに酢を混ぜても、何の特にも
ならないと思います。よって、やらないと思います。
世の中損得勘定だけで動いているわけではありません。他人が何によって喜びを見いだすかを理解することは困難
なケースが多々あると思います。
>>275 なるほど。
あなたが女性なら、精子とカルピスの違いについて
まったりと語りたいところですが、もう寝る時間となりました。
あなたの綿密な議論に付き合えるほど強靭な頭脳をもっておりません。
カルピスを出して寝ます。おやすみなさい。
>>154 >考えますに、人生は点と点が残ります。そして点同士がやがて線として繋がる。
>それまでは、無意味な点でしかないように見えますね。
巡り合わせというんでしょうね。人生には確かに不思議としか言い様のない縁が
あると思う。その時になってみなきゃわからない…。
或いは、やってみなきゃわからない。
スレの方も、思ってもみない展開になっています。
スレの具合からみて、もう沈黙にしてもいいかと思っていたんですが。
しかし、SOSを受け取ってくれる友人がいていいですね。
今の私には、全てを告白できる存在は妻だけ。
彼女はいい奥さんなんですが、いかんせん女性だから…。
男同士の友情とは一味も二味も違う。
つまり、生活というものが二人の最重要課題であって、
「男の世界」みたいなのは分かち合えませんね。
278 :
名無しさん@3周年:04/04/27 01:27
/ヽ /ヽ
/ ヽ / ヽ
______ /U ヽ___/ ヽ
| ____ / U :::::::::::U:\
| | // ___ \ ::::::::::::::|
| | | | | U :::::::::::::| なにこのスレ……
| | .|U | | ::::::U::::|
| | | ├―-┤ U.....:::::::::::::::::::/
| |____ ヽ .....:::::::::::::::::::::::<
└___/ ̄ ̄ :::::::::::::::::::::::::|
|\ | :::::::::::::::::::::::|
\ \ \___ ::::::
279 :
名無しさん@3周年:04/04/27 01:29
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
245 名前:金毛狸 ◆03.43UmQLA 本日のレス 投稿日:04/04/27 00:24
ロリ趣味は代償行為にすぎないんですか。
じゃあ大人の女にモテモテになればそいつはロリやめるんだ。
280 :
名無しさん@3周年:04/04/27 01:32
195 名前:くろしろ ◆JAkgmm2k0w 投稿日:04/04/26 22:33
>パンツが見えるか?見えないか?
ってんで炉リが興奮状態なんですね。
殆ど病的と思うのですが、いやはやこういう連中というのは以外と多い。
ロリはともかく「見えるか見えないか」というシチュエーションに欲情するのは普通だろ。
「チラリズム」って言葉知ってる?
どちらかというと貴様のレスの方が病的。
281 :
名無しさん@3周年:04/04/27 01:37
>ロリコンというのは、いわゆる屈折した精神構造が原因だよ。
そう考える根拠を教えていただけないでしょうか。
マンコとあわびの違いを教えてください。
283 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/27 09:16
>>280 >ロリはともかく「見えるか見えないか」というシチュエーションに欲情するのは普通だろ。
「チラリズム」って言葉知ってる?
>どちらかというと貴様のレスの方が病的。
おやおや・・・(>_<)
もともとが、ミニスカートってのは子供服のバージョン。
昔の子供はミニスカでパンツは歩いていても見えるよ。
チラリズムなんてもんじゃない。
ズバリ見えちゃうよ。
でも、そんな状況でも色目を使う人は殆どいなかった。
子供にとっては安全な環境だったことは間違いない。
女児が深夜にミニスカで歩いていたとしたって、先ず事件になるようなことはなかった。
そのかわり大人はミニスカは穿かなかった。
恥ずかしい、ってのがあったのだろね。まあ、おくゆかしかったのだろう。
284 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/27 09:26
>>287 >つまり、怒りや覚醒はそのままで、それを抑制するセロトニンが減るために
人間は怒りっぽくなると想定できます。
たしかにね。
「切れる」。ってのが最近多い。
忍耐の限界。ってのとは意味が違うようだ。
たしかに「切れる」ってのは異常なんだろうね。
285 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/27 09:31
>>263 >気付いてすらいない。それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの
唯一の誇りを見い出しさえしている。
自分から”考える”ってのを放棄しちゃた人間が多いネ。
自分の人生を人にゆだねちゃう。
カルト信者にこういうのが多いネ。
共産主義ってのは、お上に全部ゆだねちゃうんだね。
カルトは、教義のなかにマルキシズムを巧妙に挿入しているかと思ふ。
286 :
名無しさん@3周年:04/04/27 10:02
鬱病を治すには
セロトニンを増やすようなことをすれば良いのです。食事の改善があるでしょう。
次に、セロトニンを減らすようなことは避ける、予防すれば良いわけです。
盲点になっているのが、人工電気が発する強力な電磁波です。
287 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/27 15:50
>>283 >もともとが、ミニスカートってのは子供服のバージョン。
昔の子供はミニスカでパンツは歩いていても見えるよ
私が調べたところによると日本でミニスカが流行り始めたのは
1967年に 「ミニスカートの女王」、イギリスのツイッギー(当時18)が来日してからです。
当時ミニスカートを穿いたのは彼女と同世代の人間が中心だったと想定できます。
それにチラリズムに欲情するのが正常ならそれがあたかもそれが異常であるような書き方しないでください。
しかしあなたもういい歳だというのに本当に了見のせまい人間ですねぇ(苦笑)
>でも、そんな状況でも色目を使う人は殆どいなかった。
子供にとっては安全な環境だったことは間違いない。
女児が深夜にミニスカで歩いていたとしたって、先ず事件になるようなことはなかった。
ところで昔はロリ教員による事件があまり報道されていないように思いますがそれは
そういったことがなかったからですか?
昔は幼児虐待がほとんど事件になりませんでしそのようなことがなかったからですか?
北伝大乗仏教の中国などでは衆生が僧侶に合掌すると、僧侶も衆生に合掌する
のが礼儀のようだけど…。
南伝テーラワーダ仏教のスリランカなどでは衆生が僧侶に合掌する事はあって
も、僧侶が衆生に合掌することはない。
>名無しの言辺 ◆9/.wwDHUOc ,くろしろ ◆JAkgmm2k0w 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
290 :
スケープゴッド ◆EHWoOq5/HA :04/04/27 23:39
>>285 >自分から”考える”ってのを放棄しちゃた人間が多いネ。
自分の人生を人にゆだねちゃう。
カルト信者にこういうのが多いネ。
現代人共通の現象を指摘したものです。
あなたは全然この文章の本質を理解できてませんね。
>共産主義ってのは、お上に全部ゆだねちゃうんだね。
別に共産主義に限りませんよ。大丈夫ですか?
ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」でも読んで勉強したほうがいいですよ。
>カルトは、教義のなかにマルキシズムを巧妙に挿入しているかと思ふ。
あなたは本当に救いがたい知ったかですね。
結果的にそうなったにすぎません。
ジョージ・オーウェルの小説「動物農場」と映画「リベリオン」を比較、分析して勉強し直して下さい。
291 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/27 23:39
>>287 >ところで昔はロリ教員による事件があまり報道されていないように思いますがそれは
そういったことがなかったからですか?
>昔は幼児虐待がほとんど事件になりませんでしそのようなことがなかったからですか?
夏休みは河原で水遊びをするんだよ。
女児は下着のパンツを穿いてブラジャーはなし。
下着だから透けて中身は見えちゃう。
そんなダサい格好をしてたんだよ。
だから誰もジロジロ見る人はいなかった。
また、中学生も殆ど色気はなかったよ。
つまり昔の子は成長が遅いんだよね。
292 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/27 23:44
>>291 女児がダサい格好をして色気がなければロリコンは減る、ということかね?
293 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/27 23:45
>>287 「キューポラのある街」って映画を昔観たことがあるよ。
中学3年生の子が、河原で急に初潮を迎えるんだよ。
その女の子(吉永小百合)は生理の知識がなかったもんだから、血を見てビックりしちゅんだよ。
まあ、昔の子は中学三年生でもウブだったんだね。
つまり色気なんかないから、誰も欲情などしないんだよ。
まあ、欲情するってのはそれだけ身体が発達してきたのかな?
294 :
通行人β ◆A9fuzYzhx. :04/04/27 23:49
あの〜ちょっといいですか?
ロリコンの人ってその色気が無いところに惹かれると思うんですが・・・・。
さらに本当に昔はロリコンが少なかったんでしょうか・・・・。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
296 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/27 23:54
>>290 >あなたは本当に救いがたい知ったかですね。
結果的にそうなったにすぎません。
>ジョージ・オーウェルの小説「動物農場」と映画「リベリオン」を比較、分析して勉強し直して下さい。
私は「蟹工船」とか、高橋一巳の著書は熟読してるんですよ(w
いわゆる左翼のバイブルとまで言われていた。
こんな本を片手にもって市中をかっ歩するのがナウいかったんだよ。
まあ、こんなバージョンで・・・女子が寄ってくるようになる。
そんな時代だったんだよ。
文学少女、ってのもいたしね(^。^)
297 :
名無しさん@3周年:04/04/27 23:55
>>291 >そんなダサい格好をしてたんだよ。
だから誰もジロジロ見る人はいなかった。
そりゃ今の感覚からすれば昔の人のカッコなんてダサくみえるわな。
298 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/27 23:58
>>296 >私は「蟹工船」とか、高橋一巳の著書は熟読してるんですよ(w
いわゆる左翼のバイブルとまで言われていた。
そうですか。そんなものしか読んでいないから柔軟な思考ができないんですね。
>そんな時代だったんだよ。
文学少女、ってのもいたしね(^。^)
うるせえよ。黙れ。
299 :
名無しさん@3周年:04/04/28 00:01
>>296 >結果的にそうなったにすぎません。
知ったかを認めてるよ(w
300 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/28 00:02
>>294 >さらに本当に昔はロリコンが少なかったんでしょうか・・・・。
砂遊びなんかすると、昔は裾にゴムが入ってるパンツをはいていたので、
パンツの中に砂が入ることはあまりなかった。
しかしながら良家の女子はパンティーを穿いていたので、パンツの中に砂が入っちまう。
まあ、パンティーだったらチョッと色気があるかも知れないね。
だけどゴムパンツじゃチッとも色気はないよ。
まあ、パンツの中の砂を出してるとこなんかは、炉リオタだったら歓ぶかもしれんな。
そういうのは私は何度も遭遇してるけど、いまだかつて欲情したことはないよ。
301 :
名無しさん@3周年:04/04/28 00:02
292 名前:くろしろ ◆JAkgmm2k0w 投稿日:04/04/27 23:44
>>291 女児がダサい格好をして色気がなければロリコンは減る、ということかね?
294 名前:通行人β ◆A9fuzYzhx. 投稿日:04/04/27 23:49
あの〜ちょっといいですか?
ロリコンの人ってその色気が無いところに惹かれると思うんですが・・・・。
さらに本当に昔はロリコンが少なかったんでしょうか・・・・。
302 :
名無しさん@3周年:04/04/28 00:04
>>300 >だけどゴムパンツじゃチッとも色気はないよ。
じゃああなたは女児がパンティーを穿けば欲情するのですか?
303 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/28 00:07
>>300 あなたの「昔はロリコンが少なかった」という主張の根拠は下着が色っぽくなく
体の成長が遅かったから、ということでよろしいですか?
304 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/28 00:09
>>302 >じゃああなたは女児がパンティーを穿けば欲情するのですか?
そういう意味じゃないけど、筋マンの中の砂を取っていたとしても、
誰もじっとマムコを見つめる人はいなかったよ。
305 :
名無しさん@3周年:04/04/28 00:11
>>300 >そういうのは私は何度も遭遇してるけど、いまだかつて欲情したことはないよ。
そうですか。で?
306 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/28 00:12
>>304 あなたはそういった状況に何度でくわしましたか?
また周囲の状況はどうでしたか?何人くらい男がいましたか?
またその女児は何歳くらいでしたか?
307 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/28 00:14
>>303 >あなたの「昔はロリコンが少なかった」という主張の根拠は下着が色っぽくなく
>体の成長が遅かったから、ということでよろしいですか?
ああ、思い出したよ。
昔は子供同士で「お医者さんごっこ」ってのをやるんだよ。
だから大人がそこに介在する。ってのはないよ。
皆さんが殆どそういうのは子供のうちに卒業しちまうんだよ。
つまり大人になると、子供の身体を見るのが飽きてくるんだよ。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
特に机とくろしろとかいうダニ
309 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/28 00:19
>>306 >あなたはそういった状況に何度でくわしましたか?
また周囲の状況はどうでしたか?何人くらい男がいましたか?
>またその女児は何歳くらいでしたか?
良家の娘はパンティーを穿いてたよ。
当時は「東京パンツ」とか言ってたな。仮の名前なんだろうけど。
そういう状況には何度も出くわしたよ。
男ってもまだ子供だからね、私が砂を取ってやったりしたよ。
そしたらとてもその子は喜んでいたよ。
お母さんに叱られる。って、気にしてたからね。
砂遊びするくらいだから、その子は小学生だよ。
310 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/28 00:20
>>307 あなたが現在人が「お医者さんごっご」をしなくなったと考える根拠は何ですか?
>皆さんが殆どそういうのは子供のうちに卒業しちまうんだよ。
つまり大人になると、子供の身体を見るのが飽きてくるんだよ。
そう考えますとロリコンを撲滅するには小学校でロリコン無修正ビデオを視聴
したりお医者さんごっこをする授業を設ければいいわけですね。
311 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/28 00:24
>>309 ほんとあなた頭の悪いどうでもいいレスを長々としますね。
あなたは「周りの人間にもロリコンはいいなかった」と主張しているわけですよね。
その根拠を聞いてるんですよ。
312 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/28 00:25
>>310 >そう考えますとロリコンを撲滅するには小学校でロリコン無修正ビデオを視聴
>したりお医者さんごっこをする授業を設ければいいわけですね。
というか、昔はテレビもろくにない時代だからね、女の子とは毎日遊ぶんだよ。
おもちゃもないから、やることは決まってるだろ。
そんなことしか遊べなかったんだよ。
昔から比べれば、今どきお医者さんゴッコをすることもなかろう?
なんでも遊ぶもんがあるだろうし。
313 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/28 00:29
>>311 >あなたは「周りの人間にもロリコンはいいなかった」と主張しているわけですよね。
>その根拠を聞いてるんですよ。
根拠、っても、子供も身体なんて見飽きてるんだよ・・・
だから大人になっても欲情はしないだろ?
お医者さんごっこ、とかやってれば自然と飽きてくるもんだよ。
大人になっても「お医者さんごっこ」をやってみたい。とか思わないだろ?
314 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/28 00:30
>>312 いかにしてロリコンを撲滅できるか、という話をしてるんですよ。
アナタ本気でレスしてるんだったら病院逝った方がいいですよ。
ネタにしても全く面白くありませんね。
315 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/28 00:31
>>313 そう考えますと今後ロリコンを撲滅するには小学校でロリコン無修正ビデオを視聴
したりお医者さんごっこをする授業を設ければいいわけですね。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
特に机とくろしろとかいうダニ
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
あなたたちいいかげん関係ないレスしてスレを汚すのはやめて下さい。
特に机とくろしろとかいうダニ
317 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/28 00:37
>>313 >根拠、っても、子供も身体なんて見飽きてるんだよ・・・
だから大人になっても欲情はしないだろ?
その根拠を教えて下さい。
子供の頃タコ焼き食べまくってたら大人になったらタコ焼き食べたくなくなるんですか?
318 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/28 00:38
>>310 子供同士でリアルじゃ遊ばないでしょ?最近は・・・
テレビゲームが発達したのも原因だが・・・
今の時世は炉リオタが多くなっちまったんで、学校では一人遊びを禁止してるんだよ。
こんな住みにくくしちまったのも、世の中に炉リオタが多いためだよ。
あまりにも女児が外で遊ぶのはリスクがある。
昔だったら原っぱで、なんとか隠れながらも「お医者さんゴッコ」は出来たけどね。
いまじゃこんなことやったらそれこそ大変なことになる。
319 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/28 00:39
>>318 そう考えますと今後ロリコンを撲滅するには小学校でロリコン無修正ビデオを視聴
したりお医者さんごっこをする授業を設ければいいわけですね。
320 :
ハゲシクワロタ:04/04/28 00:41
7 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 投稿日:03/11/22 08:52
う〜む、内心の平安とは・・・何ぞや?
前スレでは髑髏仮面殿がイイ事言うとるようだが。
321 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/28 00:45
>>317 >その根拠を教えて下さい。
>子供の頃タコ焼き食べまくってたら大人になったらタコ焼き食べたくなくなるんですか?
お医者さんごっこをやっても、女子は年頃になれば恥じらいが出てくるから、もう身体は男には見せない。
男もそれは分かってるから、子供も頃のことは互いに秘密にするんだよ。
こういう約束事が守れて、それで初めて”大人”と言えるんだと。
いまの時世は、こんな暗黙の了承、ってのもできない。
無粋ってもんだよ。
322 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/28 00:46
>>313 >根拠、っても、子供も身体なんて見飽きてるんだよ・・・
だから大人になっても欲情はしないだろ?
その根拠を教えて下さい。
子供の頃タコ焼き食べまくってたら大人になったらタコ焼き食べたくなくなるんですか?
323 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/28 00:47
>>318 そう考えますと今後ロリコンを撲滅するには小学校でロリコン無修正ビデオを視聴
したりお医者さんごっこをする授業を設ければいいわけですね。
324 :
名無しさん@3周年:04/04/28 00:48
おまえら二人とも氏んでいいよ。
325 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/28 00:50
>そう考えますと今後ロリコンを撲滅するには小学校でロリコン無修正ビデオを視聴
>したりお医者さんごっこをする授業を設ければいいわけですね。
今じゃ無理だろうね。
精神構造がまるっきり昔とは違う。
成人式に暴れるのを見たら一目瞭然。
326 :
名無しさん@3周年:04/04/28 00:51
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1.
トリップを比較してみましょう。
7 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 投稿日:03/11/22 08:52
う〜む、内心の平安とは・・・何ぞや?
前スレでは髑髏仮面殿がイイ事言うとるようだが。
327 :
くろしろ ◆JAkgmm2k0w :04/04/28 01:00
>>325 >精神構造がまるっきり昔とは違う。
成人式に暴れるのを見たら一目瞭然。
成人式に暴れる人間は20歳の何パーセントだと思いますか?
またその精神構造の変化の原因は何だとお考えですか?
さらに何故昔の人は子供のころの「お医者さんごっこ」で女児に飽きて
成人式で暴れるような現在の若者は子供の頃の「お医者さんごっこ」でも女児に飽きないで
ロリコンになるか、その根拠を分かりやすく説明してください。
328 :
チガイマスヨ(w:04/04/28 01:06
283 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 投稿日:04/04/27 09:16
>>280 >ロリはともかく「見えるか見えないか」というシチュエーションに欲情するのは普通だろ。
「チラリズム」って言葉知ってる?
>どちらかというと貴様のレスの方が病的。
おやおや・・・(>_<)
もともとが、ミニスカートってのは子供服のバージョン。
329 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/28 06:43
>>327 >成人式に暴れる人間は20歳の何パーセントだと思いますか
若者は全体的に変わってきている。
暴れる、というのは、その象徴的なこと。
>またその精神構造の変化の原因は何だとお考えですか?
子供の成長には、よく遊びよく学べ、っていうのが大切なこと。
この基本的な「よく遊べ」が出来てないから、精神的には成人になったとしても未熟だ。
330 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/28 06:47
(つづき)
>成人式で暴れるような現在の若者は子供の頃の「お医者さんごっこ」でも女児に飽きないで
>ロリコンになるか、その根拠を分かりやすく説明してください。
遊ぶ訓練が未熟なため、リアルで成人女性と交際する術が欠落している。
また、精神的に傷つくことに抵抗があるため、成人女性に接触する勇気がない。
よってどうしても弱い女児へと関心が向く。
女児はアカラサマには拒否はしない。
331 :
名無しさん@3周年:04/04/28 07:00
>女児はアカラサマには拒否はしない。
経験者でないとわからんことだな
332 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/28 09:13
>>331 ロリコンが、ロリコンゆえに心の空虚感があって・・・
それを埋めるために仏教に関心をもつのは、そもそもがベクトルが違うと思ふ。
仏教よりも、もっと根本的な問題に眼を向けたらいいかと思ふ。
宗教には関係なく、やはりリアルで学ばねばならんことは山ほどある。
333 :
机龍之介 ◆HzhxiwJ.Cc :04/04/28 10:19
331 :名無しさん@3周年 :04/04/28 07:00
>女児はアカラサマには拒否はしない。
経験者でないとわからんことだな
334 :
jisakujien:04/04/28 10:24
326 名前:名無しさん@3周年 :04/04/28 00:51
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1.
トリップを比較してみましょう。
7 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 投稿日:03/11/22 08:52
う〜む、内心の平安とは・・・何ぞや?
前スレでは髑髏仮面殿がイイ事言うとるようだが。
335 :
名無しさん@3周年:04/04/29 00:24
鬱病を治すために自分の体質を知ることが大切だと思います。
脳を研究している医師の記事を読みました。
脳をスキャンをしながら電磁波を被験者に浴びさせると
全員の脳の血の流れが悪くなるそうです。
電磁波の照射を止めると
すぐに脳の血の流れが元どうりになる人たちと
しばらくかかる人たちと
なかなか元のどうりにならない人たちがいるようです。
心の不安定や体調不良を訴える人たちは
脳の血の流れがなかなか元どうりにならない人たちに多いとのことです。
336 :
名無しさん@3周年:04/04/29 11:10
携帯電話や交流電気製品から発する電磁波を浴びることによって
想定できる人体への影響
(1)内分泌系の影響
ドーパミン量を著しく抑制する(幸福感がなくなってくる)
セロトニンを著しく抑制する(怒りを抑えられなくなり、鬱病などの心の病気の原因になる)
メラトニンを著しく抑制する(早熟になりやすい)
ノルアドレナリン量はそのままである(怒りや覚醒はそのままであるから、怒りやすくなる)
甲状腺が異常になる
母乳が出なくなる
月経が不順になる
流産
不妊
染色体の異常
ダウン症
先天性尿道異常
奇形児出産
卵子を作ることが減少する
精子を作る量が減少する
睾丸の発達障害
免疫力が低下する
カルシウムが細胞の外に流出する
ノイローゼや精神疲労
337 :
名無しさん@3周年:04/04/29 11:23
(2)電磁波を浴びることによって想定できる自律神経系への影響
痛み・しびれ・頭痛・頭が重い・疲労感・倦怠感・不眠・やる気の低下・
食欲がなくなる・記憶が部分的になくなる・知的レベルが低下する・指などのふるえ・
まぶたのふるえ・意識消失・光てんかん・ストレス・感情が不安定になる・記憶力の低下・興奮しやすくなる
338 :
名無しさん@3周年:04/04/29 11:31
(3)電磁波を浴びることによって想定できるガンや自殺などへの影響
脳腫瘍・白血病・リンパ腫瘍・乳がん・睾丸ガン・肺がん・痴呆症・
躁鬱病・アトピーやアレルギーを悪化させる・自殺・死亡率が増大してくる・
原因不明の病気の人が増えてくる
339 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/29 12:29
>>336338
私の子供のころは、真空管ラジオだったよ。
それからやっとテレビが普及しはじまったが・・・
真空管よりトランジスタへ・・・
それからICへと急激にエレクトロニクス業界は変わっていった。
今はICから・・もっと進歩してるのかな?
その後は殆どわからんよ。
昔の車は自分で構造がよく理解できた。
プラグなんかもワイヤーブラシで掃除したもんだよ。
しかしながら最近の車の構造は全くわからない。
メカの急激な進歩は、人間がなかなか追いついていけない。
340 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/29 12:41
(つづき)
これからの世は、段々と仏教も衰退してくるのだろう・・・
だいたいが「苦」という認識自体が昔とは様変わりしている。
仏教の四苦ってのは非常に大事なんだが、
こういう問題に関心をもつ若者が激減している。
して、そういう電磁波問題を根本的に解決する方法というのは、もはや絶望なんですか?
人間というのは、いちど甘美な生活をしちゃうと、もう元には戻れないでしょう。
資本主義の利潤追求は生活を快適にする。というのは第二義として捉えられる。
だからマンションとかも、生活重視には設計されてはいない。
第一義は「いかに儲けるか」である。
341 :
名無しさん@3周年:04/04/29 12:43
日本の家の中は、世界で最も電磁波密度の高い住宅環境になっているでしょう。
電気製品の電磁波はメーカーの自主規制にまかされています。
まかされたメーカーは、電磁波規制があるヨーロッパをはじめとする国々に輸出する電気製品には、
電磁波規制をクリアーするために、特殊な部品をつけて電磁波の発生を落として輸出しています。
日本国内で販売する電気製品には、電磁波の発生を抑制する特殊な部品をつけていません。
そのために、国土の広いアメリカ人たちよりも、電磁波規制があるヨーロッパ人よりも、
日本の人々は多量の電磁波を受けていると考えられます。
ヨーロッパでは、電磁波規制がされていない電気製品は、人気がなく売れないのが実情です。
342 :
名無しさん@3周年:04/04/29 12:59
>>340 日本は、「電磁波に関する予防原則」を採用して、
ヨーロッパ並に、特に北欧並に「電磁波と健康に関する法律」をつくる必要があるでしょう。
「電磁波と健康に関する法律」をつくって、電気製品等との健康な共存関係をつくっていく必要があると思います。
そのためには、白装束集団のようなカルトは本当に迷惑なことなのです。
343 :
名無しさん@3周年:04/04/29 13:22
電流でも、「交流」が問題なのです。交流は、直流よりも送電効率が良いために、安全性が無視されて広まったのです。
エジソンは、交流が人体に悪影響を及ぼすことを知っていましたから、直流を主張し、直流を広めようとしていました。
ところが、弟子のテスラーが交流発電機を発明したために、エジソンは破産同然になってしまったのです。
エジソンが「直流」にこだわっていた話は、あまり知られていないようです。
344 :
名無しさん@3周年:04/04/29 13:53
カルシウムは、気持ちのイライラを静め、精神を穏やかにする作用があります。
日本の人々のカルシウム不足は慢性的であるといわれています。
345 :
名無しさん@3周年:04/04/29 18:00
心と身体の健康のために
インターネットをワイヤレスでしないほうが良いです。
346 :
名無しさん@3周年:04/04/29 18:01
海を見たり、森林浴もいいですよ。
347 :
名無しさん@3周年:04/04/29 18:24
カエルの心臓の生理実験をした人がいます。
大きなカエルの心臓を取り出して、心臓動脈と心臓静脈に細いゴムパイプをつなぎます。
それにカエルの血液と同じ人工血液を通します。
そしたら、心臓は、ギュッ ギュッと動き出したのです。
その後、マル三日間、動いていたのです。
次の実験は、カルシウムを除いた人工血液をつくり、カルシウムなしの人工血液を心臓に通しますと、
心臓は開いたままで縮まないのです。
また、マグネシウムだけを除いた人工血液を通すと、こんどは縮んだままで開かないのです。
心臓は血液にカルシウムとマグネシウムがないと動かないのです。
夜に足が引きつる人は、カルシウム剤を飲むと足のヒキツリがなくなってきます。
推測ですが、
夜、寝ているうちに心不全を起こす人の中には、
カルシウムが関係している人がいるかもしれません。
348 :
名無しさん@3周年:04/04/29 18:40
電磁波には、カルシウムを細胞の外に出す働きがあります。
そのために、人間の細胞の中はカルシウム不足になりやすいのです。
そして、人間の細胞の中は、マグネシウムがカルシウムに比べて多くなります。
マグネシウムが多くなる細胞は縮もうとするために、筋肉のヒキツリが起こりやすくなると推測されます。
カルシウムが不足すると、心と身体に様々なトラブルを起こすようになる一例です。
木漏れ日を浴びるのもいいですね。特に今の季節は新緑がとても美しい。
たまには樹や草花に直接手や身体で触れてみるのもいいものですよ。
仏教の経典にも、見たら見たまま、聞いたら聞いたまま、嗅いだら嗅いだまま、
触れたら触れたまま、感じたり思ったりしたら、感じたり思ったりしたままに
なるならば、それは平安の近くにいることになる。と、書かれています。
釈迦も悟りを開いたように、樹下というのは人の心を安定させるようです。
350 :
名無しさん@3周年:04/04/29 18:52
今はどうか分かりませんが、
昔は、お医者さんは、ヒステリー気味の人には、カルシウムを注射したといわれています。
患者が持って帰って飲む薬もカルシウム剤だったのです。
351 :
名無しさん@3周年:04/04/29 19:03
散歩がお勧めですね。新緑の季節です。
何もなくても、
太陽の光が、さわやかな風が、草木の新緑の臭いが、鳥のさえずりが、
身体の中を通っていく幸福を味わうことができる季節ですね。
352 :
名無しさん@3周年:04/04/29 19:06
気楽にいきましょう。
353 :
名無しさん@3周年:04/04/29 20:54
昔から、まず、僧侶は修行をするために静寂な場所を求めました。
その次に、仏教の修行がありました。
それと同じで、まず、自分の心と身体が健全に働く生活環境をつくることが先になるでしょう。
難しい宗教の話や
仏教修行よりも、
好物の食べ物を食べて、人と笑いながら語り合えることが先になり、治療になるでしょう。
354 :
名無しさん@3周年:04/04/29 21:01
何かを食べたいというのは、
「その人の身体がその栄養成分を欲している」ということを意味する場合があります。
355 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/29 21:09
>>353 >難しい宗教の話や
>仏教修行よりも、
>好物の食べ物を食べて、人と笑いながら語り合えることが先になり、治療になるでしょう。
そうですね。
炉リオタが、民衆を救済する。などと、たわけた事を言うておりますが、
果たして炉リオタに救済される人がおるんでせうか?
そんな人はおらんと思いまふよ。
先ずは、人を救済するよりも自分のことを考えるのがいいかと思ふ。
これも電磁波の影響なんですかね?
356 :
名無しさん@3周年:04/04/29 21:12
レーチェさんではありませんが、もう、炉リオタの話は止めてもらえませんか。
お願いします。
357 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/29 21:21
>>356 私も炉リオタはどうしても好きになれんのですよ。
だけど2ちゃんに出入りするには、炉リとは縁を切るのは難しいですよ。
怨憎会苦。
2ちゃんは炉リオタの巣窟ですから。
358 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/29 21:24
とはいえ・・・
炉リネタを引きずるのも大人気ないので、
なるべく炉リの話題はしないようにしましょうね。
359 :
名無しさん@3周年:04/04/29 21:31
ご自分のスレがあるようですから、
ご自分の説の披露は、ご自分のスレでされてはいかがでしょうか。
最近、鬱病などの心の病気はとても多くなっています。その原因は様々だと思います。
電磁波で全てが語れるわけではありません。
余り知られないようですから電磁波予防を言っているだけなのです。
>>351 いいですねえ。そういうの。「生き返る」って感じがしてきますね。
それにしても、最近の机さんはどうしてしまったのだろうか。
怨憎会苦を身に受けても、禅者の心得は平常心是道ではないのでしょうか。
362 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/30 05:32
>>361 >それにしても、最近の机さんはどうしてしまったのだろうか。
総括しますと・・・
いいところまで話が進んでも、肝心なとこで私の発言は「とんちんかん」になるようです。
仏教というのは「とんちんかん」なもんですね。
そういう宗教ですから。
「とんちんかん」に慣れてないと「とんちんかん」で終ってしまう。
実は「とんちんかん」てのがアタリマエ。これが仏教なのかと思う。
だけどもう、あまり「とんちんかん」は言わないようにしようかと思ってるんです。
>>362 >肝心なとこで私の発言は「とんちんかん」になるようです。
だけど、とんちんかんちん一休さんは、そんなこと気にしないんだという歌
を、むかし聴いたことがあるような。
たしか、とんちんかんちん一休さんも禅僧だったんですよね。
実は、私の率直な感想としても禅者は変った人が多いような気がします。(汗
しかし世の変った人達に言わせれば、世間人々の方がオカシイとも言いますね。
「当たり前」という感覚は、等速の感覚に似てるんだと思います。
それに乗ってしまえば、もう判らなくなる。それに乗らざるを得ないのが人間。
だから世間人々と対峙すれば人間の醜い業に油を注ぐのも避けられません。
かつての運動家は、時の権力者や指導者を相手に闘ったのでしょうが、現在は
一般の世間人々が最も手強い相手なのかもしれません。
日本の仏教が世間人々に門戸を開けないのは、世襲性による閉ざされた社会と
いう理由もあるだろうけど、実際のところ手に負えないからではないだろうか。
しかし実像はともかく、一休さんは中国やタイなどにも一般によく知れ渡った
日本のお坊さんだそうですね。
>>363 >「当たり前」という感覚は、等速の感覚に似てるんだと思います。
等速の話は、喩えにするといい喩えになりますね。
仏教@質問箱で「輪廻の主体とはなにか?」。って書き込みがありましたが、
あれも等速の喩えで考えれば非常にわかりやすい。
かつて湯川秀樹が、般若心経に興味を示したようだが、
素粒子論など研究してるとピンとくるものがあるのでしょうか?
>それに乗ってしまえば、もう判らなくなる。それに乗らざるを得ないのが人間。
そうですね。
ブラックホールなどは、観察する側と観察される側では全く違いますからね。
365 :
名無しの言辺:04/04/30 20:35
333 :机龍之介 ◆HzhxiwJ.Cc :04/04/28 10:19
331 :名無しさん@3周年 :04/04/28 07:00
>女児はアカラサマには拒否はしない。
経験者でないとわからんことだな
334 :jisakujien :04/04/28 10:24
326 名前:名無しさん@3周年 :04/04/28 00:51
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1.
トリップを比較してみましょう。
7 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 投稿日:03/11/22 08:52
う〜む、内心の平安とは・・・何ぞや?
前スレでは髑髏仮面殿がイイ事言うとるようだが。
366 :
名無しさん@3周年:04/04/30 20:47
,,,-''' '''‐,,,
,,-'' ''-,,
,i" ゛i,
,y' / | || | | ゛y
,i _/|__/|___| |___|i__|i__ i
l |゛:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ゛ .|
| |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: | |
| |:::::::::::::: :; | |
| |::::::::::::......:::::::...... :; ,i' | |
. | |:::::::::::-===・==‐-i::::: /;;-==・==‐-.. | |
| |:::::::::::::::...................ノ;;:::::: i::::::...,,,,,......,,; | |
| |:::::::::::/'''''''' {::;;::: ;;;::::::;;;;;;;;;,, | |
| |:::::::::::} /;;● ● ):::::::: | |
| |::::::::::::{ /;;::::::i:::::.. i i::::: | |
| |:::::::::::::} /;;::::;;i;;;;;;;;;;;,,,,,l i:: | |
| |::::::::::::::{ i::::::/::::::::::::::::: ゛'、 i. | |
| |:::::::::::::::{ /;;::ノ::,;''''''''''''''''''''‐-、i i | |
. | |::::::::::::::::; {;;::{;;/;;;___,;_._______.;__..,i} | |
. | |::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;;:::::::::: | |
367 :
名無しさん@3周年:04/04/30 20:57
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
このスレッドは、痴呆老人とシルバー介護士によるやりとりです。
キーボードを叩くことによって脳を活性化するトレーニングなので
一般の方の書き込みはご遠慮ください。 但し、原則として。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
368 :
名無しさん@3周年:04/04/30 21:11
,.-、 ,..-‐−- 、、
/^`~", :\ ,ィ":::::::::::::::::::;;;;;iii>;,、
,.-", /......:::::i::l /:::::::::::::::;;;;;;;;iii彡" ::ヤi、
,.i .| :キ:::::::::::|::V::::::::::::;:"~ ̄ ::i||li
/ 、 | ,;:::::l:::::::::::マ,.-‐-、j'_,.ィ>、、 .:::iii》
i、 ヘ :\:::::::キ;:::::::(:::j::):...) `‐-‐"^{"^ヾノ"
ヤ、 \:::::\,::::\:;;;:iゞ:-:;ィ ,.,li`~~i / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
.,;iiλ\.,,ィ^-‐'`ー",:::|::;X'::7、 ・=-_、, .:/ < この
>>363-364をさっさとつまみ出せ!!
";ii::i`ゝ、::;;;:、-‐-;;;;i‐'''| .}'.ヘ '' ./ \__________________
.;ill;;:\::::::::::::::::;ノノl} ィ|、./:ー-`=‐-、、ノ
iilllllli;;:::`:‐-‐'":;ノ │丶=‐-、,,_`l, ,.へ
llllllllllllii;;,,___;;;iill|||( `Д´) \ー=、7^ヾ'‐-、、
||||||||||||||||||||j'::::(U
>>1U‐"、:::::\..::/ \ `ヽ
U U
369 :
名無しさん@3周年:04/05/01 00:17
インターネットで伝えるのは無理でしょう。
禅は不立文字ですから、
師匠と弟子の関係を結び、
師から弟子へと直接に伝えられるものです。
また、印可を与えれたときは未熟ですが、
悟後の精進や、聖胎長養をしていけば、
世間がその印可を証明するようになるのではないでしょうか。
370 :
名無しさん@3周年:04/05/01 00:35
仏教って簡単なものだと思っています。
仏典を読まないようにして、自らの中の自灯明(良心)と法灯明(理性)に依って生きていけばよいのです。
だけど、良心や理性と言っても、一般の人々が理解するのとは程度がちがうようです。
371 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/01 06:18
>>369 >世間がその印可を証明するようになるのではないでしょうか。
例えば、300マンのお布施を坊主にやっても、坊主は直ぐ忘れますね。
例えば、坊主に人命救助されたとしても、坊主は直ぐ忘れますね。
達観した坊主だら忘れるかと思うが、世間が印可を証明するような坊主は決して忘れないかと思いますよぅ〜。
いうならば、世間との価値観と合体するかどうかは微妙かと思う。
そこを上手く切り抜けるのも世俗諦ってもんでしょうが・・・
世間と上手に付き合うんだったら、どうしても俗人的な坊主のほうが好かれるかと思う。
注意* 坊主というのは禅坊主のこと。
372 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/01 06:22
>>370 >仏教って簡単なものだと思っています。
そうですね、どちらかというと道徳に近いかと思う。
形而上学的なもんは全く問題ではないですから。
神秘体験などあったとしても・・・そういうのから段々と垢が取れてきて、
最終的には『普通人』になるのが禅かと思う。
だけど、『普通人』と言っても、一般の人々が理解するのとは程度がちがうようです。
373 :
名無しさん@3周年:04/05/01 09:48
365 :名無しの言辺 :04/04/30 20:35
333 :机龍之介 ◆HzhxiwJ.Cc :04/04/28 10:19
331 :名無しさん@3周年 :04/04/28 07:00
>女児はアカラサマには拒否はしない。
経験者でないとわからんことだな
334 :jisakujien :04/04/28 10:24
326 名前:名無しさん@3周年 :04/04/28 00:51
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1.
トリップを比較してみましょう。
7 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 投稿日:03/11/22 08:52
う〜む、内心の平安とは・・・何ぞや?
前スレでは髑髏仮面殿がイイ事言うとるようだが。
374 :
名無しさん@3周年:04/05/01 11:03
乞食僧たちの話しです。難しい話は止しましょう。
375 :
名無しさん@3周年:04/05/01 11:18
>>372 >そうですね、どちらかというと道徳に近いかと思う。
机先生は仏教と道徳を一緒にしていらしゃるようで・・・・
なんともこの程度のお方なんですねぇ。
だからペラペラとくだらないことをの賜るんで。
376 :
名無しさん@3周年:04/05/01 11:20
377 :
名無しさん@3周年:04/05/01 11:27
378 :
名無しさん@3周年:04/05/01 11:30
373 名前:名無しさん@3周年 :04/05/01 09:48
365 :名無しの言辺 :04/04/30 20:35
333 :机龍之介 ◆HzhxiwJ.Cc :04/04/28 10:19
331 :名無しさん@3周年 :04/04/28 07:00
>女児はアカラサマには拒否はしない。
経験者でないとわからんことだな
334 :jisakujien :04/04/28 10:24
326 名前:名無しさん@3周年 :04/04/28 00:51
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1.
トリップを比較してみましょう。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください
379 :
名無しさん@3周年:04/05/01 11:31
仏教の話になると、口論ですか?
いただけませんね。
380 :
名無しさん@3周年:04/05/01 11:32
381 :
名無しの言辺:04/05/01 11:39
361 :名無しさん@3周年 :04/04/27 01:05
妬みにかけては誰にも引けを取らない人→机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
382 :
名無しさん@3周年:04/05/01 11:42
381 名前:名無しの言辺 :04/05/01 11:39
361 :名無しさん@3周年 :04/04/27 01:05
妬みにかけては誰にも引けを取らない人→机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
383 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/01 12:06
>>375 >机先生は仏教と道徳を一緒にしていらしゃるようで・・・・
>なんともこの程度のお方なんですねぇ。
あんな程度とか・・・
こんな程度とか・・・
そんなこと考えてるうちは本当のことはわからんだろう。
程度の上下もないくらいに、全てを無にならんと分からんもんだ。
しかしながらこの「無」ってのは、なかなか成りきれるもんじゃない。
そこが人間の業なんだろう。
執着なんだろう。
384 :
名無しさん@3周年:04/05/01 12:20
>>383 先生、自己への執着心がお有ありのようで・・・。
迷う事なくどうか透過なされましm(__)m
385 :
名無しさん@3周年:04/05/01 13:09
机が来るとどのスレも荒れるんだよ。
業が深いんだよね。
シッ シッ!
386 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/01 13:15
>>384 またまたdでもに解釈しておるようだ。
無になる。というのは、屍(しかばね)になるという意じゃないよ。
そうじゃなくて・・・
今ある生に歓びが現出されるもんじゃ。
387 :
名無しさん@3周年:04/05/01 13:26
グガォ〜 ガォ〜ガォ〜
キャンキャンキャン
388 :
名無しさん@3周年:04/05/01 14:05
机の最大の恐怖は、「放置」
耐えきれずに、無門関から等スレ
389 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/01 14:19
>>388 おお、そうだった・・・
ついつい仏教の話をしてしまった。
このくらいで止めておこう。
もう、散ってもいいよ。
390 :
名無しさん@3周年:04/05/01 14:37
>>389 さあ、さあ、行け!
戻るんだ。
自分の犬小屋へ・・・。
皆様すみませんでした。
たまに逃げ出す癖があるんで・・・
391 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/01 14:51
炉リオタ(笑
392 :
名無しさん@3周年:04/05/01 15:21
356 :名無しさん@3周年 :04/04/29 21:12
レーチェさんではありませんが、もう、炉リオタの話は止めてもらえませんか。
お願いします。
358 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/04/29 21:24
とはいえ・・・
炉リネタを引きずるのも大人気ないので、
なるべく炉リの話題はしないようにしましょうね。
393 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/01 15:35
炉リネタが駄目で、して・・・
宗教の話もできんのか?
まあ、2ちゃん宗教板というても、これじゃぁ炉リオタの遊び道具みたいなもんか?
まあ、どうでもいいが・・・2ちゃんだしな(笑
394 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/01 15:37
炉リオタは、オカルト板はどうよ?
あれの方がよっぽど面白いよ。
395 :
名無しさん@3周年:04/05/01 16:07
396 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/01 16:38
で、君達はなんの話題に関心があるのだろ?
もっとも関心するようなものもないんだろうな。
無関心層。ってのか、そういう若者が増えてることに間違いない。
悪いデムパのせいかな?
なにやらデムパが走ってるそうだから・・。
397 :
名無しさん@3周年:04/05/01 17:58
おーい
シルバー介護師さーん
398 :
名無しさん@3周年:04/05/01 18:03
>>397 キチガイ演じて自分でつっこんでるのバレバレですよ。
いいかげん面白くないってことに気付いたほうがいいですよ。
399 :
名無しさん@3周年:04/05/01 22:49
何もしていないですよ。
誰かがしているようですよ。
400 :
名無しさん@3周年:04/05/01 22:49
>>396 >で、君達はなんの話題に関心があるのだろ?
自作自演する人間の精神構造
401 :
名無しさん@3周年:04/05/01 22:50
建設的な意見交換がなかなか難しそうですね。
403 :
名無しさん@3周年:04/05/01 22:53
時間つぶしですか?
酔生夢死ですか?
404 :
名無しさん@3周年:04/05/01 22:57
そもそも板違いなんだよ。
キモいマルチハンドルがでかい顔してるし。
405 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:00
毎日の生活を忘れて
旅行に行くのも気分転換になりませんか?
406 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:02
アルコール分の少ない
ワインとか 梅酒とか もいいのではありませんか?
407 :
死語の世界信じないよ:04/05/01 23:06
Ψ(゚д゚)Ψ「あ」<(゚д゚)>「い」(q゚з゚)p「う」∠( ゚д゚)/「え」(┌゚Д゚)┌「お」
408 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:07
電化製品から出る電磁波によって、
室内がプラス・イオンになっているようですよ。
「マイナス・イオン発生器」を室内に置くのも
心身をリラックスさせる一つの方法ではないでしょうか。
409 :
もはや脱糞機 ◆A1mg5S/KbA :04/05/01 23:08
頑張って…頑張って内定貰っても…
その真実は…サラリマーンという名の…私有奴隷契約書…
…奴隷主達の巧妙な操作により…
奴隷たちは自分が奴隷であることに気付かぬまま…
馬車馬のように働く…ボロ雑巾のように朽ちるまで…
勤勉という名の美徳…
政財官の奴隷主ネットワークによって巧妙に構成された…
勤勉という名の虚構の道徳……そんな社会構造…洗脳…
生まれ堕ちたその時から…持たざる貧民は洗脳を開始される…
そして…自分から奴隷主に忠誠なんか誓っちゃって…
家族も自分の体も…犠牲にして…
一生…冷静に考えれば…ありえないような安月給で働かされ…
…その挙句…壊れたら捨てられる…まるで生ゴミのように
奴隷は…代替品だから…古くなったら…ポイっ…て…
折り重なる奴隷たちの屍の上で…奴隷主ファミリーは冨と悦楽と自由を謳歌する…
見よ真実を…
…上司にいびられ…取引先で文句つけられ…残業…早朝の起床
…満員電車という名の奴隷檻での往復輸送…そんな一ヶ月でようやく得た…
血の滲むような…そんな月給…
その月給を軽く超える服や…バッグを…
まるでトイレットペーパーでも買うように…買い漁り
…奴隷とは別次元…真の人間LIFEを謳歌する…奴隷主のファミリーたち……
410 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:10
川の土手に座って、川の水の流れを見るのが良いという人がいますね。
また、素足で川の水に足を浸すのが良いという人もいますね。
411 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:14
本を捨て、
インターネットを捨て、
放浪の旅に出るのもいいかもしれませんね。
412 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:17
夜空の宇宙を見るのはどうでしょうか。
自分の中の小さな宇宙を見るのはどうでしょうか。
413 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:21
↓お前俺のケツの中で小便しろ
414 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:22
自分の中の小さな宇宙の奥をズット訪ねていくと、
大きな宇宙の始まりに来ました。
この大きな宇宙のはじまりを「ア」というそうです。
415 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:32
内科医の故中尾良一氏が「尿療法」を勧めていましたね。
「奇跡を起こす尿療法」という本がありますね。
昔の遊行僧たちは尿を飲んで病気の予防をしていましたね。
皮膚疾患になれば、尿をつけると治るいわれていますよ。
免疫力が低下している人は読まれることをお勧めします。
416 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:46
時宗の一遍氏は尿療法をしていました。
信徒たちが一遍氏の尿を欲しがって、自分の飲む分がなかったようですよ。
聖書のどこか分かりませんが、
自分から出る水を飲んで病気を治すことが書かれているそうですよ。
法然氏や親鸞氏も
尿療法をしていたと推測されます。
417 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:53
昔の人は
虫歯の毒が頭に回って死ぬ人が多かったといわれています。
尿療法は、一年ほどで歯槽膿漏を治しますし、虫歯にもならなくなります。
親鸞氏の寿命が90歳ぐらい、法然氏が80歳ぐらいですから、
彼らも尿療法をしておられたと推測しています。
418 :
名無しさん@3周年:04/05/01 23:58
内科医の故中尾良一氏は
尿療法をしているエイズの人たちのデータ−を欲しがっていましたね。
エイズの人たちも試されてはでどうでしょうか?
エイズの発症が予防できたり、遅らせることができるかもしれませんよ。
419 :
名無しさん@3周年:04/05/02 01:01
尿の成分は、
「血清」の成分と大体同じであると言われています。
420 :
名無しさん@3周年:04/05/02 02:03
内科医の故中尾良一氏は、
尿療法で治った多くの病気を「奇跡が起こる尿療法 マキノ出版刊」で述べられています。
精神的疾患としては、
ウツ病、心因性の病気、更年期障害、パーキンソン氏病に効くと言われています。
421 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/02 06:45
>>409 人生は、基本的には「よく遊びよく学べ」。ですよね。
釈尊が出家した。というのは、いわゆるこの「よく遊べ」。のところですよ。あえて分別すれば・・
ある意味、この「遊び人」的なところが人生大事なところかと思います。
しかしながらこれは真剣な遊びです。
いまの若い者は、この遊びが苦手ですね。
ってか「遊び」らしきもんをしたことがないのかと思う。
遊び、というのが非常に下手ですね。
菩薩というのは、この世で遊び戯れる姿そのものですね。
人生の深遠とは、いわゆるこんなとこにあるのかもしれません。
422 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/02 06:52
>>420 複合的な環境汚染により、あらゆる分野に現象として既に現出されてるのが現状なんでしょうね。
本来なら自然のありのままに生きていけたらいいのでしょうけど、
それも至難なら対処療法的なものに関心が向かざるを得ない。
根本的に、人間にとってなにが大事なのか?
ってところから考える時期にはきているかと思います。
424 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/02 08:26
諸行諸遊楽。人生いかに生きるべきか?
宗教・宗派を超えて、いつか真剣に議論はしたいかと思ってます。
その時はコテハンを替えて。
板とかスレとかを現在、考えちぅ。
出生、仕事、結婚、育児、生き甲斐。
あらゆるものをトータルして。
その時は宗教色を全くなくして、人生手帖みたいなベクトルにはしたいかと思ってる。
どこかそんな板がありましたら紹介くださいまし。
425 :
名無しさん@3周年:04/05/02 08:45
/ | ハ \ //// ヽ
! l |l、、\ ` 丶 、'´_ 、 、
! l ‖\、 \_ _ /, -`ヽ }
、 l ‖_ >:=‐  ̄ ̄「 l| l } 、 ヽ
ヽ 、i`─ '´ ___ | ll ⌒; j 、 ヽ
\ヽ r,ニ、‐‐'‐' u .l ll '_ノ 、 ヽ
>>1お…乙、んっ んんっ…
` \"\):、 | l| `、 ヽ 、 ヽ
ヽ ゞ'^ ! ll `、 ヽ 、 ヽ
丿 .:::. | l| \ ヽ、 、 ヽ
丶、_ | l|/lヽ `>=‐- ミヽ `、
`⌒ヽ_ | l| | ハ /´ `ヽ 、
チュパ / /. `´| l| | l / 〃 `、 、
チュパ / / | l| | l' 〃 、 、
426 :
名無しさん@3周年:04/05/02 08:50
>机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
来るなよ、ダニ
犬小屋へ帰れ
>>364 ブラックホールの観察される側って何のことだかが解かりませんでした。
人間を譬えて小宇宙と言う事もあるようだけど、その小宇宙のブラック
ホールはどこで、何がそうなんだと思いますか?
428 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/02 09:41
>>427 特殊相対性理論のことですね。
ブラックホールを観察している側から、ブラックホールを見たら・・・
時空は極端に収縮されている。
しかしながら、ブラックホールの側(内部)にいるのでしたら、全く時空は変化はなく、
穏やかな世界なんでしょう。
つまり、時空そのものが観察者なんですから、時空は相対的な変動は観察できません。
>人間を譬えて小宇宙と言う事もあるようだけど、その小宇宙のブラック
>ホールはどこで、何がそうなんだと思いますか?
最近の理論物理学は大変な進歩を遂げてますね。
以前でしたら謎であったユラギですが、最近はある仮説めいたもんも出てきました。
宇宙にあった陽因子と陰因子は、衝突すると消滅するんですが、どういう訳か陰因子が消えちゃって陽因子だけ残り、
そのアクシデント?の結果が物質世界を形成した。ってことらしいです。
いわゆるそうすると、この世界は偶然に出来ちゃった。って理論ですよね。
429 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/02 09:43
(つづき)
で、この消えた陰因子もまた別の世界を形成してるんじゃないか?ってのがブラックホールと思われてる。
いわゆるブラックホールというのは非物質世界。ということなんでしょうか?
この理論でいくと、宇宙は、爆発→膨張→収縮→消滅→爆発→膨張→∞
これを繰り返すことになる。
いうならば、宇宙そのものが消えちゃうことになる。
当然そこでは時間の消えちゃう。時空は一如ですから。
常住なもんは、なんにもないですね。
「ある」と思うの相対があるからでして。
では、主体とは何ぞや?ってとこが、いわゆる仏教の核になるところなんでしょう。
輪廻の主体。ってのは、こういうとこから考察せねばならんのでしょうね・・。
430 :
名無しさん@3周年:04/05/02 10:41
>>429 それはそうとオナホールのいいやつ探してるんですがどんなのありますかね。
431 :
名無しさん@3周年:04/05/02 10:43
自分の中の小宇宙は真言密教の金剛界であり、大宇宙は胎蔵界といえるでしょう。
理論は分かっても、どうして体得・実践するかが重要なテーマだと思われます。
薬の効能書きはあっても、薬そのものがないでは困ります。
432 :
名無しさん@3周年:04/05/02 10:46
>>429 そうですね。ない、ない、と思っているから霊的存在が全く見えなく
なっているのであって、有る、ないを思わず、ただ、ひとりでに存在している
ことを発見したとき、有る、ないの相対を超えているのですね。
433 :
名無しさん@3周年:04/05/02 10:47
>>430 刑務所の外にも懲りない人間がいるようだな。
434 :
名無しさん@3周年:04/05/02 10:51
自分の中の「絶対善」に出会わないと、
相対を超えることは難しいでしょう。
絵に描いた餅になってしまいますよ。
435 :
金毛狸 ◆03.43UmQLA :04/05/02 10:55
なんか知ったかが小難しい単語織り交ぜて吐いてるけどインド哲学が大昔から言ってることだな。
頭わるー(w
436 :
名無しさん@3周年:04/05/02 11:17
古くから尿療法は知られていました。
尿療法は、
紀元前十数世紀のインドで成立したバラモン教の聖典「ヴェーダ」に、
「不老不死は神の飲み物である。それは尿である。だから、あなたがたも飲みなさい」とあるようです。
中国の古い医学書「傷寒論(しょうかんろん)」には、いろいろな生薬を薄めるための「うすめ薬」として患者本人の尿を使うことや、
尿が生薬の効能を高める強化薬であることが書かれているようです。
古代ローマでは、
尿が解毒や目のかすみ、火傷、更に皮のなめしや 衣類の染色の定着に使われていたようです。
また、そのような仕事をする職人たちが、
痛風にならないことから尿を痛風の治療薬として使っていたようです。
437 :
名無しさん@3周年:04/05/02 11:26
尿療法をしている人たちは、
特に芸能人はこっそりとしているようだよ。
若さを保つために、声を保つために、病気の予防のために。
だいたい十歳ぐらい若くなるからね。
438 :
名無しさん@3周年:04/05/02 11:32
ガンも初期だったら治る可能性があるらしいよ。
このままでは命がなくなると分かれば、したくない人でも尿療法をするらしいよ。
もちろん、死んでも尿療法なんかしない という人たちも多くいるがね。
439 :
名無しさん@3周年:04/05/02 11:37
暴論だけど、
仏教の実践をする前に尿療法をしたらどうだろう。
440 :
名無しさん@3周年:04/05/02 11:39
尿療法の経験者 いませんか。
心と身体が、
どんなに調子良くなったか言ってあげてよ。
441 :
名無しさん@3周年:04/05/02 11:54
実は尿療法の経験者なんです
コップに注いだ尿を、鼻をつまみながら飲むんですが、
最初は下痢をしたのを憶えています
アレルギー体質なので、1ヶ月くらい続けたような気がします
442 :
名無しさん@3周年:04/05/02 11:55
私は農薬で苦労しました。
農薬は脂肪に蓄積されるために、薬ではなかなか排毒できないのです。砒素なんかも同じだと思います。
排毒できないと、肝臓などの臓器を痛めることになります。
尿療法を試したら蕁麻疹のような湿疹が出たり、消えたりして、それが2年間ほど続きました。
その後、ピッタリと蕁麻疹は止まりました。
ローマ帝国では、尿療法を解毒に使っていたようですが、私は農薬の解毒に尿療法を使いました。
443 :
名無しさん@3周年:04/05/02 12:15
>>441 最初からコップでは、多くて苦労するでしょうね。
オチョコに一杯だけ、息を止めて朝に飲むんです。オチョコ一杯を続けていけばいいのですよ。
内科医の故中尾良一氏は、
尿にはその人の「心と身体の体内情報」が蓄えられているのではないか と考えておられたようです。
体内情報を伝えるだけであったら、僅かな量の尿を飲むだけでいいのです。体調が悪くなれば、尿の量を増やせばよいのです。
尿が持つ「体内の異常情報」をキャッチするのは、喉の部分ではないかと推測されています。
喉が体内の異常情報をキャッチしたら、人間の自然治癒力が働いて、その人の心と身体を正常にするように働くようです。
444 :
名無しさん@3周年:04/05/02 12:18
アーユルベーダや中医学やホメオパシー等、いずれも西洋医学の対極に立つ、
本来の自然治癒力にアプローチする優れた医学なんでしょうが、西洋医学の
勢いに呑まれてしまいながらも、地道にその系脈は引き継がれていますね。
老人などは、とくに薬漬けになると肝臓をやられるらしいです。排出能力が
落ちているので、結局は肝臓に溜まるのでしょう。
ある本で読んだのですが、新薬の原料は石油というのは本当なんでしょうか
445 :
名無しさん@3周年:04/05/02 12:25
>>443 >最初からコップでは、多くて苦労するでしょうね。
>オチョコに一杯だけ、息を止めて朝に飲むんです。オチョコ一杯を続けていけばいいのですよ。
そうなんですか、
コップじゃほんにたいへんですからね
オチョコ一杯だったら、持続するような気がします。
446 :
名無しさん@3周年:04/05/02 12:45
>>444 新薬の原料が石油かどうかは分かりませんが、
身体は西洋医学の薬を「毒」と受け取るようです。
ある人が、十年間ほど精神安定剤を飲み続けていました。
その人は、ヒザの調子が悪くなったので、ヒザの手術を受けました。
手術は無事に終わったのですが、ヒザに水がたまり、何回も水を抜き取っていました。
自然治癒力を上げるしか解決方法がないとのことだったので、尿療法をされました。
すると、病状が良くなるときに出る好転反応が出てきたのです。
十年に渡って飲んできた精神安定剤の排毒作用が起こったのです。
その結果、ヒザに水がたまらなくなりました。
447 :
名無しさん@3周年:04/05/02 13:25
>>445 すぐに結果はでませんが、無理せずに、長く続けてください。
448 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/02 14:33
>>431 >自分の中の小宇宙は真言密教の金剛界であり、大宇宙は胎蔵界といえるでしょう。
なんで空海は二界に分けたんだろ?とか考えてしまいますが、
恵果からの伝授がそうであった。とか、空海が錯覚しちゃった。とか、いろいろ説はあるようですね。
まあ、それはさておき・・・
>>432 中国禅は、六祖あたりから特殊相対性理論を地でいくような展開になっていく。
わたしが中国禅が壮大だ。っていうのは、こんなとこを言うておるのです。
日本は情緒的ですね。
それは四季が無常観にピッタシなんでしょう。
>>428 特赦相対性理論の話でしたか。今は亡きかの友人とは、よく時空について熱
く語り合ったものですが…。光速度不変とか、空間が曲がるとか、一般的な
常識からは、かけ離れた事をいいますね。
奴は「極め」というのにとても拘っていて、某内燃機の改造では、日本一を
取れるという自負もあったようです。
まあ、結果は出せず終いで逝ってしまったのですが…。
>いわゆるそうすると、この世界は偶然できちゃった。って理論ですよね。
ここに神の仕業を想起する科学者もいるみたいですね。
気持ち悪いくらいに、よくでき過ぎているようで…。
宇宙は葡萄の房のように幾つもあって、ワームホールなるもので繋がって
いるとか、とにかく目がまわるような理論が多いですね。
ビックバン宇宙論でも、宇宙の消滅を予言してます。
当然そうなれば、その時空も消滅するんでしょう。
時空の中で、常住なものはなにもないということに同意します。
人間の認識も相対物がなければ成立しないでしょう。
更に認識はデジタル式時計のように、認めた時は既に色褪せて時差が入り、
「ある事」と断片化して、同時という本々のありかたから差違も生じる。
人間の意識というのも、まるで宇宙のゆらぎのようなのかも知れませんね。
言うなれば、そのゆらぎをゆらぎたらしめ、無常を無常たらしめている何か
が、輪廻の主体?と言うこともできるかも知れませんが…。
だけど、無常なものの中で常住を望み、ゆらぎの中で止まっているものを
発見したいと望んでしまう人間ですから…。
449改正。
×特赦相対性理論。
○特殊相対性理論。
失礼しました。
>光速度不変とか、空間が曲がるとか、一般的な
>常識からは、かけ離れた事をいいますね。
空間が曲がる、ってのはどういうふうにして証明したのだろうか?
ある惑星を通過する光線が、惑星に接近すると微妙に屈折する。
こんな計算を元に仮説を証明したらしい。
物理学ってのは、先ず仮説を立てる。
そしてそれを実証するために並々ならぬ実験とかを繰り返すんでしょうけど。
電子、ってのは実際「ある」かどうかは分からんけども、それに関わらず「なければ計算が成立たない」。
ってんで電子の所在が明らかになった。
まあ、いうならば数式上において存在するんでしょう。
もちろん眼識するのは至難ですが。
電子顕微鏡だと写りますね。雲がかかったよな状態です。
(つづき)
>が、輪廻の主体?と言うこともできるかも知れませんが…。
人間は、生まれたばかりは主体はなかたですよね。
お母さん。とか認識できるようになって、自他を分別できた。
主体には必ず客体がある。
453 :
名無しさん@3周年:04/05/02 15:39
>>448 >わたしが中国禅が壮大だ。っていうのは、こんなとこを言うておるのです。
壮大な中国禅をどこぞで修行されたのですか
本の知識なら、ある一定はだれしも知っていると思われますので、
それ以上のものを体得なされたのですか
印果も含めてのことなんですが
>>453 >本の知識なら、ある一定はだれしも知っていると思われますので、
では、貴殿の知っている本の知識を、私にどおかご教示くだされ。
よもや逃げるのではあるまいな(笑
>>453 自分の意見を言えたのなら、たいしたもんだが・・・
そしたら私は貴殿に真剣に絡む用意はあるよ。
しかし、まあ無理かと思うが。
私に絡んだ烏殿は、たいしたもんだよ。
456 :
名無しさん@3周年:04/05/02 16:02
>>454 >よもや逃げるのではあるまいな(笑
↑あなたがいつも逃げてきた証です
>>456 やっぱ口だけか・・・(>_<)
まあ、いいよ、2ちゃんだしな。
だけど私は、相手が本気なら本気にはなる。
これが礼儀というもんだから。
458 :
名無しさん@3周年:04/05/02 16:10
>>457 >やっぱ口だけか・・・(>_<)
そうです
あなたはいつも口だけです(>_<)
>まあ、いいよ、2ちゃんだしな。
その2chにコテハンで常駐してる
>>456 私は別にスルーしてもいいんだけど、
スルーしたらスルーしたで、「なんでスルーするのか?」って、ウザイから絡んだんだよ。
下手な煽りはウザイだけだよ。
私は自分の思うことだけ書き込んでるんだから。
460 :
名無しさん@3周年:04/05/02 16:14
>>457 >だけど私は、相手が本気なら本気にはなる。
>これが礼儀というもんだから。
おまいさんのは、出尽くしてるからね
>>458 じゃあ、もう、スルーしていいんだね。
これであとからグチャグチャ言ってこないでね。
たのむよ〜。
462 :
名無しさん@3周年:04/05/02 16:17
>>459 >下手な煽りはウザイだけだよ。
>私は自分の思うことだけ書き込んでるんだから。
牛馬はぶったたかないと
あまり我執を晒すのも如何かと
463 :
名無しさん@3周年:04/05/02 16:20
>>461 >これであとからグチャグチャ言ってこないでね。
>たのむよ〜。
わかってんなら、ここから出て行きな
464 :
名無しさん@3周年:04/05/02 17:08
インターフェロンを口から微量に飲むことによって、
予想以上の治療効果を上げることが注目されてきました。
インターフェロンは、
動物の体内でつくられる物質で、
ウイルスが増えるのを抑制する働きがあります。
このインターフェロンは、私たちの尿にも含まれているのです。
465 :
名無しさん@3周年:04/05/02 17:27
尿療法をはじめると、
一時期、身体に悪い反応がでてきます。これを好転反応といいます。
これは心配いりません。好転反応がきつい場合には、飲む量を少なくするようにします。
あんまさんにもんでもらうと、もみ返しがあるのと同じようなものです。
好転反応としては、
身体のあちこちが痛む、下痢をした、身体がだるくなった、
身体がかゆくなった、熱をともなった湿疹が出た、
が最も多いといわれています。
好転反応は一回だけでなく、何回も繰り返すことがあります。
好転反応そのものは、尿療法が効果を表している証拠でもあるのです。
466 :
名無しさん@3周年:04/05/02 17:37
尿療法は、微量のインターフェロンを経口投与する治療に似ています。
インターフェロンは、大量に経口投与するよりも、
微量に経口投与したほうが治療効果があるといわれています。
微量のインターフェロンを経口投与して治す病気には、特にその初期には、
尿療法は有効であると言われる理由なのです。
467 :
名無しさん@3周年:04/05/02 17:44
尿療法は宗教と変わりありません。
尿は体のために良くはありませんが、効くと思えば何でも効くのです。
ただし、効果は一過性のものです。
468 :
名無しさん@3周年:04/05/02 18:04
昔からいろいろな民間療法の伝承があります。
なぜ、治療効果があるのかわからないが、
「お餅に生えた青カビが風邪によく効く」とか、
「結核にはミミズを干した煎じ薬を飲むと良い」とか、
「尿は万病に効く薬だ」とかの言い伝えがあります。
その青カビから「ペニシリン」ができたのです。
ミミズの体内に持っている「ストレプト-グリセウス菌」から「ストレプトマイシン」が分離されたのです。
尿には微量のインターフェロンが含まれています。
469 :
名無しさん@3周年:04/05/02 18:18
尿と大便は違うのですが、
尿療法に反対する人たちにそんなことを説明しても時間の無駄でしょう。
尿療法をする人たちは少数でしょうから、
信じるも良し、信じなくも良しですね。
信じる者は救われる可能性があるということでしょうか。
一つの情報として知っておいてください。
470 :
名無しさん@3周年:04/05/02 19:57
内科医の故中尾良一氏が、最初に尿療法を勧めたのは、
1938年(昭和12年)に淋病で通院していた男性の患者に対してでした。
故中尾医師は、その時のことを次のように述べておられます。
その当時は抗生物質も発見されていない時代でしたから、これという薬もなく、
何かよい治療法がないかと思案しているうちに、ふと尿療法のことを思い出し、患者に飲むように勧めたのです。
患者も排尿のたびごとの痛みが相当つらかったようで、すぐその場で尿をコップに採ってきてゴクゴクと飲んだのです。
もちろん、糸状の淋糸(りんし)がウヨウヨしている尿でした。
患者は翌日現れて、昨夜は痛みなく排尿できたことを報告し、更に尿を飲み続けてよいかと効きます。
当時はデータもない治療法ですから、自分の尿でもあり、痛みが止まったことでもあるので、
好きなだけ飲んだらよいと答えたのです。
結局、その患者は一週間ほど自分の尿を飲み続け、淋病は完治してしまいました。
この尿の素晴らしい治療効果には、飲むように勧めた私自身も驚きました。
以上が、故中尾医師が、最初に尿療法を勧めたときのエピソードです。
>>451 現代物理学の二大柱である量子論と相対論は、ある意味で今まで人間が安住
していた常識というものを打ち破っちゃったんでしょうね。
古典力学までの時空の概念は客観的な外物だったのに対し、この両論は絶対
的な時空間も、確かだった物質の存在の根拠も否定してしまった。
まあ、自然科学は概ね西洋の文明ですが、よくぞここまで来たと思う。
かつての人間は世界は止まっていると信じ、世界の果ては断崖絶壁だと考え、
宙を巡る球体であるとは思いもよらなかった。
宇宙から地球を眺めた人々は、地球の小ささを実感するんでしょうね。
さて、輪廻の主体ですが、相対的な時空間で主体と客体の二分が不可能にな
ることを踏まえると、どうなると思いますか?
全てが有なら、全てが無。有無という分別概念が成り立たない。
表現する手立ても無いか…。
いや、全てが相対的な時空間の中で不変のものがひとつだけある。光だ。
空間の歪みも、光を利用して解明された。
まあ、生死を超えた輪廻の主体と光を繋げるには飛躍があり過ぎるか…。
だけど、宗教にはいのちの光などという表現もあり、仏教でも智慧の光なん
て言い方もしますね。光の謎はとても興味深いです。
>>471 光ってのも光子ですから、光そのものは物質世界の空間かと思う。
例えば、ブラックホールなどでは光さえも吸い込んじゃいますからね。
吸い込む。ってことは、つまりはそのホール自体が反物質世界ともいえる。
反物質世界ならば、そこは光もなく暗黒の世界なんでしょうね。
世界、というても人間は未だかつて経験したことがありませんから、認識できる訳じゃないですけどね。
>さて、輪廻の主体ですが、相対的な時空間で主体と客体の二分が不可能にな
>ることを踏まえると、どうなると思いますか?
客体ってのは、つまりは人間が認識できるか、できないか?
ってことですよね。
(つづく)
473 :
名無しさん@3周年:04/05/02 21:04
「ビッグ・バンのはじまる前に、すでに法則性があった」ではないでしょうか?
相対世界を形成している原理は、光ではなく、「水」がヒントになるのではないでしょうか?
ようは認識の問題でして、これは機械的な機能というレベルかと思う。
認識できるような機能があるなら主体と客体を分別できるんでしょうし、
非常にアタリマエなことかと思う。
例えば植物人間みたくなったら、これは主体がないですね。
認識できないのなら、ある、とはいえない。
475 :
名無しさん@3周年:04/05/02 21:08
「自然主義的誤謬」ってご存知ですか?
これを犯さないようにしないと、科学者たちは相手にしませんよ。
>>473 法則性はあったのでしょうね。
物質因子と反物質因子は同等ですから、同等ならば互いに相殺して「ゼロ」になるのが通常考えられることですから。
どうも世界(宇宙)はアンバランスなんじゃないか?
ってのは以前から言われていたけど・・・それがユラギですね。
法則性があっても、必ずしもその法則性がピッタシ法則とおりにはいかない。
ってことでしょうね。
ピッタシいかないから、つまりはこうして物質世界がある。とも言える。
付け加え。
主体という言葉を使ってますが、通常意味する主体とは少し違うものとして
使いました。輪廻の客体に対しての輪廻の主体と言う使い方ではないです。
輪廻の主体の意味するところは、釈迦がニルバーナと呼んだもの。
つまり、その何かです。
般若心経で言うと、無苦集滅道でしょうか。
だけど輪廻の主体という言い方は、どこか違和感があるので、今後は輪廻の
主体という言葉は使わず釈迦に因んでニルバーナにします。
>>477 そうですね、もっとも主体って捉えかたは仏教にはないかと思う。
諸法無我ですからね。
きみありて、われあり。
きみなきて、われなし。
479 :
名無しさん@3周年:04/05/02 21:34
鈴木大拙氏が言われるところの「宇宙意識」の中に入られたことがありますか?
見られたことがありますか?
見ておられますか?
鈴木大拙氏は、宇宙意識から少し出てきて、
自己意識を、宇宙意識と相対意識の境界線上に置くと言っておられますが、
少し相対世界に来すぎではないでしょうか?
480 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/02 22:02
>>479 即心即仏でも・・・
境界線がなけりゃ、非心非仏。
つまり自己意識も宇宙意識も、境界線がない、というのが禅の捉えかたです。
>>472 光とブラックホールについては勉強不足で、今書き込めるだけのものが出て
きません。折角答えてくれたのに、力量不足で済みません。
でもまた機会があったら、意見してみたいテーマですね。
認識の限界を超えたものなら、その認識においてそれは「ない」ことになり
ますね。ただ、その認識というのが、あまり当てになりません。
例えばスポーツなどの場面において、認識などは間に合わない事態に陥る事
がありますね。剣術などもそうではないですか?
あれは事態と同時のような気がしますが、あれも認識でしょうか?
私の感覚では、あれは通常の認識よりすっと速い。通常の認識は後から付い
てくるような気がします。あれは機械的な機能というより、ダイナミックで
予測もつかない答えに導かれる。
>>481 >ますね。ただ、その認識というのが、あまり当てになりません。
映画のスクリーンなどは、いわゆる一こまの残像があるんで像が動いてるように認識できる。
実はそこには「動き」などは実際ないんですがね。
認識では動いている。
人間というのは、認識できる世界が全てでしょうし、
またその認識してるものでも実際はどうなってるのかは未知ですね。
>私の感覚では、あれは通常の認識よりすっと速い。通常の認識は後から付い
経験で学習したものが蓄積されていて、咄嗟の判断ができるように訓練されるのかもしれませんね。
こういう能力は、過去においての狩猟していたころの人間のほうが能力的には優れていたのかもしれません。
ではまた、そろそろ寝ます。
483 :
金毛狸 ◆mN4ZziElgg :04/05/03 00:30
>>479 >鈴木大拙氏が言われるところの「宇宙意識」の中に入られたことがありますか?
↓(=^・^=) ★机居士の「宇宙意識」★(=^・^=) ↓
15 名前: 髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. 投稿日: 02/10/27 08:51
>12
>生と死の間に葛藤
私の経験ですと、「死」とゆうのが身近に感じられますと、先ず「拒否」がありますね。
「自分に限ってそんなことはい」。この葛藤があります。
しかしながら人間ちゅうまんはそれを段々受け入れていく。受容です。
こうなりますと、先ずは自分の近辺整理に入ります。
保険とか貯金の情報を身内に開示します。そうこうしているうちに段々精神も落ち着いてきます。
じっくり「自分」について考える余裕とゆうのも出てきますね。
ある意味、こうゆう時とゆうのは最も平安なんかもしれませんね。
「すべてを捨てて」「すべてを受け入れる」。この同一性とゆうんでしょうか。
武士道について、「葉隠れ」にある・・・
「武士道とは死ぬことと見たり」。この言葉を思い出す。
484 :
名無しさん@3周年:04/05/03 01:42
白隠禅師や 鈴木大拙氏は、臨済禅の出身です。
良寛氏は、曹洞禅の出身です。
時宗の一遍氏は、法灯国師から印可を与えられています。
彼らに共通するのは「見性」を体得したことではないでしょうか。
白隠氏は禅病になって「軟蘇の法」で禅病を治しました。
名前は忘れましたが、白隠氏は、優秀な弟子2名を禅で発狂させて死なせています。
白隠氏は、2名を死なせたことをとても悔やんでいたといわれています。
見性とは、鈴木大拙氏が言う「宇宙意識」と一体化することではないでしょうか。
しかし、「宇宙意識の中心部」で一体化したままだと、発狂したり、身体のコントロールがきかなくなって死んでしまいます。
だから、宇宙意識の端に自己を置くのです。宇宙意識の中心部に自己を置いても、宇宙意識の端に自己を置いても、宇宙意識に属しているのではありませんか。
「宇宙意識」の中心部から、宇宙意識に属したまま、自己を相対世界の境界当たりに持っていくと、
身体がコントロールできるようになり、発狂もしませんし、禅病にもならないのではないでしょうか。
485 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 07:07
>>484 >名前は忘れましたが、白隠氏は、優秀な弟子2名を禅で発狂させて死なせています。
婆子焼庵の公案で、白隠の弟子が「私だったら娘を抱きます」と言うたら、
白隠は直ぐにその弟子を破門した。
白隠というのは弟子には厳しかったと思う。
だけど白隠というのは禅僧のイメージが湧かないんだよね。
ビジネスマン、て感じか・・・。
まあ、私は盤珪の方が好きだけど。
弟子への接し方は、盤珪と白隠は対照的だよ。
両方とも臨済僧だけど。
486 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 07:21
>>484 >見性とは、鈴木大拙氏が言う「宇宙意識」と一体化することではないでしょうか。
参禅帰りの白隠は、見性で世界との一体感(神秘体験?)をしている。
いかにも宇宙との一体化なんだろう。
>しかし、「宇宙意識の中心部」で一体化したままだと、発狂したり、身体のコントロールがきかなくなって死んでしまいます。
このままこの体験を引きずったままだと、なんとなくスッキリしない。
喩えれば、なんか重い荷を背負いこんだような気分。
この感覚が暫く続くかと思う。
これから脱して、スッキリする。これが気づきなんだろう。
>「宇宙意識」の中心部から、宇宙意識に属したまま、自己を相対世界の境界当たりに持っていくと、
>身体がコントロールできるようになり、発狂もしませんし、禅病にもならないのではないでしょうか。
どういうふうにもっていくかは分からないけど。
神秘体験というのは、ある切っ掛けにはなるかと思う。
その神秘体験という道具を使って(方便)、使い終わったら道具はいらない。
いうならば、こういうことってのはよくあること。
こういうことの繰り返しだから、あるときは必要であったり、あるときはいらなかったり。
人の心も無常である。
487 :
名無しさん@3周年:04/05/03 11:09
お互いの話のポイントがちがうように思います。
鈴木大拙氏は禅者ですが、「一般に禅者は慈悲心が足りないように思う」、
これではいかんとおっしゃっています。
思いやりの心や 慈悲心は、「宇宙意識との一体化」と関係しているように思います。
師匠の役割は、宇宙意識の一体化を慈悲心に成長させるために、神秘体験への執着を弟子に捨てさせることにあると思っています。
弟子が魔境に落ちないようにする、魔境から脱出できるようにする、ここに師匠の役割の重要性があるように思います。
宇宙意識の一体化を禅のように突然に経験するか、他の法門のように段階的に経験していくかがありますが、安全なのは段階的に経験する方法ではないでしょうか。
宇宙意識の一体化が訪れないような禅ならば安全ですが、それでは一生、見性できない可能性が高くなるのではないでしょうか。中途半端であるために。
鈴木大拙氏は宇宙意識といっていますが、盤珪禅師はこれを「明徳」と言っているようです。
自らの「宇宙意識(仮称)」と一体化するように実践していかないと、内面の平安も訪れにくいのではないでしょうか。
明かり(宇宙意識)がない内面を「無明=迷い」というのではないでしょうか。
この「明かり」は元々あったから、盤珪禅師は「不生」といっていたのではないでしょうか。
488 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 11:44
>>487 >鈴木大拙氏は禅者ですが、「一般に禅者は慈悲心が足りないように思う」、
>これではいかんとおっしゃっています。
慈悲心が足りない。というよりも、もともとは慈悲はあるもの。あるものに何で作為が必要なんか・・。
ってのが盤珪の「不生」なのかと思う。
盤珪は、極力こういった作為的なもんを削り取っていった僧でした。
「不生にて調ふべし」っていうのは、そういった作為が感じられない覚悟のような意に解される。
もっとも空性というのは大慈・大悲のことで、これを普遍的なもの法としているとこが空思想。
だから、そのように、ありのままの生き方そのものが慈悲ともなる。
っていうふうに解釈していいかと思う。
>>482 >実はそこに「動き」など実際ないんですがね。
>認識では動いている。
映画などのコマ数は、人間の認識能力との兼ね合いで決まってくるそうです。
だけど、自然世界というのはどうなんでしょうね。物質世界という相対の枠
も、極微では粒子性と波動性の関数になってしまうらしいから。
以前、かの友人と「我々の見ているものは実際は何か?」という議論をした
けど、奴は「それは問うてはならんもんだ」と結論していた。
それを問い続けたら、世界認識が成立しなくなるからだと私も思った。
>人間というものは、認識できる世界が全てでしょうし、
>またその認識しているものでも実際はどうなってるかは未知ですね。
そうですね。全ての物質も、究極はエネルギーに還元されるという。
だけど、このエネルギーというのは未知のものなのですね。何か触媒になる
ものがなければ感知できない。触媒を通じて初めて認識に至る。
我々にとっての触媒とは、眼耳鼻舌身意。
六根を通じて認識したものは、これ故に本質でなく常住でもない。
だから、囚われては苦しい。執着になっても苦しい。
だけど、囚えて認識。執着して社会なんだとも言えますね。
これを説明するのが三宝印で、この問題に対する答えが四諦。
四諦は、二種の観察法で修める。これも仏教の中道なんだと思います。
490 :
名無しさん@3周年:04/05/03 12:43
>お互いの話のポイントがちがうように思います。
禅定経験のない人に何をいっても無駄ですよ
こればかりは、本の知識を語るようにはいかない
491 :
名無しさん@3周年:04/05/03 13:08
>禅定経験のない人に何を言っても無駄ですよ
そのようですね。禅で禅定経験をしていなければ、何も分かりませんからね。
>こればかりは、本の知識を語るようにはいかない
そのとうりですね。本の知識で禅を言っているとはね。
>>487 横やり失礼します。
私の禅者のイメージも、腹が減った同胞を前に、平気でバナナを一人で
平らげてしまうような感じがありますね。そしてそれが仏教だと。
まあ、禅者一般の大まかなイメージのはなしですが…。
机さんの言うように、慈悲がもともとあるものだとしても、作為あって
の慈悲も慈悲だし、作為なくても慈悲は慈悲なのでしょう。
だけど禅者というのは、一般には無慈悲なことでも慈悲といったりして
人々を煙に巻くところがあるような気がします。
それが禅者というものなのでしょうか?
釈迦に慈悲を尋ねてみると、一般の人間にわかるように対応してた様子
ですね。人の心の動きを知った釈迦は、心が混乱してしまうようなこと
の発言は控えたのでしょう。
493 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 14:48
>>491 私はなにも言わなかったが・・・メンドイので。
瞑想と禅は違う。
これを一緒にしちゃっても話が合うわけはない。
禅は心を集中させない。
494 :
名無しさん@3周年:04/05/03 14:53
机を禅者と持ち上げる痛い香具師
495 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 14:53
>>492 >だけど禅者というのは、一般には無慈悲なことでも慈悲といったりして
人々を煙に巻くところがあるような気がします。
>それが禅者というものなのでしょうか?
仏道ってのは、いわゆる世捨て人がやるもんですからね、
必ずしも世間の価値観に一致することはないかと思う。
でも、そういった生き方こそが本来の行き方なんかいな?
ってのでしたら、これが世間でいう菩薩道なんでしょう。
496 :
り〜ず ◆HNUDYzuu5k :04/05/03 16:15
あなたは、大菩薩峠の・・・・・
497 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 16:48
>>496 そうです。あの大菩薩峠から来ました。
今は菩薩道に禿んでおります。
498 :
名無しさん@3周年:04/05/03 18:51
もちろん、禅と瞑想はちがいます。そのようなことを言っているのではありません。
備わってる仏性(慈悲心)が、八正道の一つである正語(言葉)になって現れてこないというのは、
どこかおかしいのではありませんか。「和顔愛語(わがんあいご)」も仏性の顕現ではないでしょうか。
もし、何もおかしくないと言われるならば、「戒(十善戒や五戒)」が守れていないのではありませんか。
499 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 18:57
>>498 >「和顔愛語(わがんあいご)」も仏性の顕現ではないでしょうか。
仏性の顕現であっても、禅師は猫を殺すし、また弟子の指まで切断しちゃいますよ。
いうなれば、勝義と世俗の二諦がある。ってことです。
500 :
名無しさん@3周年:04/05/03 19:38
人の生命は、他の生命たちの犠牲によって支えられています。
だから、人はその者たちへの「お詫びとお礼を表す感謝」を実践することが大切なのではないでしょうか。
言い換えれば、互いに生かし、互いに生かされているということは、互いに殺し、殺されていることでもあります。
それゆえに、世の中に慈悲心(仏性)が必要とされる所以ではないでしょうか。
禅は仏教の大きな枠の中に入っているのではありませんか。
あなたの禅は、仏教の大枠からはずれているともいわれる日蓮宗のようなものなのでしょうか。
501 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 20:22
>>500 >それゆえに、世の中に慈悲心(仏性)が必要とされる所以ではないでしょうか。
慈悲心が必要であっても、必要じゃなくても、貴殿がどう思うと、そんなことは全く関知しなくても、
互いに生かされ、また互いに生きてる。
これを慈悲というんでしょう。
大自然(だいじねん)という言い方もある。いわゆる空性。
>禅は仏教の大きな枠の中に入っているのではありませんか。
>あなたの禅は、仏教の大枠からはずれているともいわれる日蓮宗のようなものなのでしょうか。
禅というのは、枠組みからしたら非常に寛大かと思う。
例えば、仏様を拝もうが拝まないがあまり意味がない。
拝んでよし、拝まざるもまたよし。
仏を殺すもまたよし。
いうならば、自由闊達な思想、そのものが禅である。
>>495 >必ずしも世間の価値観に一致することはないかと思う。
禅者一般のことでして、別に誰彼ということではないという前提での話しです。
世間の価値観に一致する必要もないでしょうが、本々同じ人間です。認め合う
ところがあるんじゃないだろうか。
先の鈴木大拙さんは、現代日本の仏教者では三本の指に入るくらいの功績者に
入るとの評価もあります。釈迦も世間の評価を受けました。盤珪も良寛もそう
ではないのでしょうか。一方、オウムの松本は最初から世間の評価は受けない
し、今後も受けることはないでしょう。
また仏道者は世捨て人となりきらず、再び世と関るようになるようですね。
釈迦も一度は国や妻子を捨てたが、再び関わりを持つようになった。
やはり関係を切ったままでは仏道はともかく、人間として本願に背いてりる何
かがあるような気がします。
あたりまえの人間、本来の生き方というのはどうなんでしょう?
503 :
とおりすがり:04/05/03 21:28
>>501 >大自然(だいじねん)という言い方もある。いわゆる空性。
概念としての空性を語るのはやめれ
2チャネラーは耳に蛸が出きるほど聞かされてきた
>いうならば、自由闊達な思想、そのものが禅である。
はやく我執から解かれて自由闊達にならないとね
↓ご自分の心を観察すれば分かるはず
「これこのとおり、絶対に人をだましません」終不敢誑於人
504 :
名無しさん@3周年:04/05/03 21:34
空を誤って理解しておられるのではないでしょうか。
大自然の法則と大自然(だいじねん)は同じなのでしょうか。
そのまま、大自然の法則を人間社会に適用してしまうと、
弱い者は存在することもできなくなります。
それでは、とても無慈悲な世の中になるのではありませんか。
大自然の法則を自然主義者のように悟ることが大切なのではなく、
大自然の法則を踏まえて、大自然の一部である人間の仏性をどのように活かすかが大切なのではないでしょうか。
これが大自然(だいじねん)ではないでしょうか。
505 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 21:37
>>503 >概念としての空性を語るのはやめれ
>2チャネラーは耳に蛸が出きるほど聞かされてきた
おいおい、
私は、空性と慈悲は車の両輪みたいなもんだ。ってのは前にカキコした。
もし貴殿が異論があるなら、自論を書くのが筋だろう。
大事なのは自分の考えを述べることだよ。
それが出来ないんじゃ煽りと同じこと。
506 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 21:44
>>504 >大自然の法則と大自然(だいじねん)は同じなのでしょうか。
意味は違います。
507 :
とおりすがり:04/05/03 21:55
>>505 >大事なのは自分の考えを述べることだよ。
>それが出来ないんじゃ煽りと同じこと。
おまえさんは出涸らしだからな
建設的議論が出来ない人間と、不毛論をいくら闘わしてもね
大自然だなどと、体得できないものほど振りかざしたがる
508 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/03 22:25
>>507 >体得できないものほど振りかざしたがる
体得とは笑ったよ。
509 :
とおりすがり:04/05/03 22:42
>体得とは笑ったよ
赤子の笑いとは程遠いね
おやすみ、狐さん
510 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/04 07:32
>>502 >あたりまえの人間、本来の生き方というのはどうなんでしょう?
例えば、死んだら地獄に逝くのだろうか?極楽に逝くのだろうか?
こんなことを考えてること自体が可笑しなことですね。
まだ死んでもないのに先のことで迷ってる。
ようは、地獄に逝くのか?極楽に逝くのか?とか、逝く先が問題じゃなくて・・・
どちらに逝くんだろうか?って二項に迷うとこが一番の問題なのかと思う。
苦集滅道も、無苦集滅道。
禅では、無可無不可。ともいう。
なにごとも決めつけない。先ずはそこからが・・・本来の生き方のヒントがあるかと思ふ。
511 :
名無しさん@3周年:04/05/04 11:22
1948年12月10日、
国連総会で決議された世界人権宣言の第一条の末尾に、
「 〜。人間は、理性と良心を授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」とあります。
ここにあたりまえの人間、本来の生き方のヒントがあるのではないでしょうか。
>>510 >こんなこと考えてること自体が可笑しなことですね。
ここには正直、スパっと割りきることができない人間の性を感じますね。
釈迦は成道後、過去のことはキッパリ忘れ、未来のことも全く想わなかった
のだろうか? そんなことはなかったと思う。
ただ、梵天や真我、輪廻転生などの確かめようのない物事に我を忘れて奔走
してる宗教家達や、周りの環境の厳しさに苦悩し、消え入りそうになってる
人々に、我ならざるものを我と思うな。と言っていたのだろう。
釈迦は同じ人間としての共感力や理解力に訴えていた。
当時の宗教や思想の用いていた用語を語りますが、その意味するところ難解
で伝統的宗教思想や真理と称するものから、人間の理解力の範囲に調整して
問い直したんですよね。
>二項に迷うことが一番の問題なのかと思う。
アメリカ映画の「ターミネーター」は、その二項に迷って自らの機能を停止
させましたね。(笑
古から仏教は二項対立の一方に立つことは教えない。二つの観察法は説いた。
主に、ひとつは止、ひとつは観ですね。言い方はいろいろあるようです。
ニルバーナ、涅槃寂静、無苦集滅道。これらも意味するところ同じでしょう。
四諦は観察法、実践法です。人間苦を渡る筏に喩えられますね。
513 :
名無しさん@3周年:04/05/04 13:15
道元禅師は「迷いに道あり」と言われたそうです。
例えば、雪の積もった平原を迷いながら歩いているとします。
ふっと後ろを振り返ると、自分の歩いてきた足跡が道となってズット後ろまで続いています。
道とは、自分の前にあるのではなく、自分の後ろにあるのではないでしょうか。
なぜ、人は、雪の降り積もった道のない平原を前に進もうとするのでしょうか。
それは、その人の内なる仏性が、その人を動かしているからではないでしょうか。
514 :
名無しさん@3周年:04/05/04 14:16
内なる仏性は備わっているのですが、そのことに気づかないために無明が生まれるのではないでしょうか。
内なる仏性という灯明の明かりが、自分で気づくことができるぐらいに大きくなってくれば、
内面の暗闇はなくなりはじめるのではないでしょうか。
515 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/04 15:26
>>512 「生きる」というのも、いわゆる二項ですよね。
これは選択しようがないけど、とりあえずは「生きてる」。
このあたりから考察をいれていくときに生死というのが明確になってくるのかと思う。
明確になって、そして超えられるのかと思う。
それは「知る」ということではなくて「受け入れる」のでしょうね。
拒否は迷います。
「知」は方向性をもちます。
人はこの迷いを限りなくやってきたんですね。
#、、プロキシ規制中らしい、、Test
516 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/04 15:32
>>513 >それは、その人の内なる仏性が、その人を動かしているからではないでしょうか。
人間の思慮など、たわいもないことですね。
たわいもないこと。
そのように思えたときがこれ仏の顕現なるや。
517 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/04 15:36
>>511 >ここにあたりまえの人間、本来の生き方のヒントがあるのではないでしょうか。
そうですね。
1948年といいますと昭和23年ですね。
終戦からまだそんなに経ってない。
>「 〜。人間は、理性と良心を授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」
いい文言ですね。
518 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/04 15:38
>>514 >内なる仏性は備わっているのですが、そのことに気づかないために無明が生まれるのではないでしょうか。
そうそう。
だからそんなに人は考えずともいいかと思う。
世界は調うている。
このようでいいんだろうね。
519 :
名無しさん@3周年:04/05/04 17:39
内面の実践として、
仏性の明かりを点すことが先なのか、
煩悩の火を消すことが先なのか、
それとも、それらを同時にすればよいのか、
という実践上の課題が考えられます。
スッタニパータは出家者を対象にした修行について述べられています。
一人で山中に入って、托鉢以外は誰とも会わずに、どのような禅定かは不明ですが、いわゆる禅定をしていたようです。
お叱りを受けるかもしれませんが、このような閉鎖された生活環境の下で修行をしていると、煩悩の火を消すことはそんなに難しいことではないのです。
しかし、仕事をしながら、社会生活をしながら、開放された生活環境の下で仏教の修行をする在家者にとっては、
煩悩の小さな火の粉までをも消すことはとても難しいことなのです。
社会生活をしながら仏教を実践する在家者にとっては、良心の呵責から自由になるために「戒」を守ったうえで、
内なる仏性の明かりを点すことを 先にする方がし易いのではないかと思います。
なぜならば、「戒」と「仏性の明かり」と「本人の意志による執着を捨てる実践」の三者を協力させていくと、
自然に煩悩の火を小さくしていけるようです。
仏性の明かりを点すことなしに煩悩と格闘すると、かえって煩悩の勢いを強めるようですから、
注意されたほうがよいと思います。
520 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/04 19:58
>>519 >仏性の明かりを点すことなしに煩悩と格闘すると、かえって煩悩の勢いを強めるようですから、
>注意されたほうがよいと思います。
煩悩とは、つまりは生きている証ですね。
煩悩を消すのは簡単です。
いつか人は死にますから、その時は思案することなく煩悩は綺麗に消えます。
煩悩を受け入れたときそれは菩提です。
捨て去る。というのは、いわゆる受け入れることです。
捨てる。というのを捨てる。というのは、捨てることと受け入れることは同義です。
いわゆるここにおいて煩悩即菩提が顕現されるのです。
即心即仏は、いわゆる非心非仏です。
苦集滅道は、いわゆる無苦集滅道。
拒否するのではなく受容したときに無となり、有無の相対から離れます。
521 :
名無しさん@3周年:04/05/04 21:10
第一尋牛位から始めて長年の修行の結果、今漸く第九返本還源位に至って、修行も悟も
不要だったと云えるのであって、最初から修行も悟も必要ないと云うのは全くの誤りであ
る。これを無事禅(ぶじぜん)と云うが、…
522 :
名無しさん@3周年:04/05/04 21:34
内面の平安と幸福は、内面に「仏性」が訪れることと関係しているようです。
内面に仏性が訪れると、次第に、内面の部屋は明かりに照らされ、闇はなくなっていくようです。
では、どのようにして内面に仏性が訪れるようにすればよいのでしょうか。
その前に、「仏性」の特殊な性質を考えに入れておく必要がありそうです。
仏さんのような人、神さんのような人、というのはどのような人でしょうか。
自分のことを後にして、又は、犠牲にして、他のために奔走するような人を連想しませんか。
例えば、宮沢賢治氏の「雨にもマケズ、風にもマケズ」のような人ではないでしょうか。
つまり、「仏性」には、私益(我益)がなく、他のために一生懸命に奔走して、それを喜びとする特殊な性質があるようです。
無我とは、「仏性の私益(我益)がない性質のこと」をいったのではないでしょうか。
仏性の「無我の性質」には、何も含まれていないことを更に強調するために、私益は何もない、「カラ(空)だ」と言ったのではないでしょうか。
お叱りを受けそうですが、これが、仏性が内面に訪れるために必要な、実践上の「無我」や「空」の理解ではないでしょうか。
一般に、仏教の式次第は、ヒンズーのお客を迎える作法を儀式化したものであるといわれています。
この儀式は、「内面の部屋に仏性を迎えること」を象徴化しているように思われます。
仏性が内面に訪れるためには、まず、自分の用事と他者の用事がぶつかったときは、相手に和顔愛語で対応して、
「他者のことを一番にする、自分のことは2番にする」ように実践してはどうでしょうか。人間関係が改善されるようです。
これを形にしたのが、道徳のはじまりではないでしょうか。
523 :
名無しさん@3周年:04/05/04 21:59
>>522 >これを形にしたのが、道徳のはじまりではないでしょうか。
仏教の役割というのは、単に物理的とか生理的な運動生理学を解明するものではありませ
んからね。
仏教が果たす社会的意義は、第一に倫理です。倫理を欠いた業理論、善因楽果・悪因苦果
を抜きにした業理論というのはありえないでしょう。
524 :
名無しさん@3周年:04/05/04 22:25
>>523 倫理や道徳を欠いた仏教解釈は困りますね。
倫理や道徳のはじまりを明らかにできると思います。
>>515 仏教は、そもそも四つの苦しみに囚われてどうにもならない苦悩に襲われ
た青年が辿り付き、そこから解放された心の平安を説いた教えです。
では、彼は平安に至った後に心が揺れ動くことはなかったのか…。
そんなことはなかったと思う。ただ、以前のように囚われたまま右往左往
して困憊に至ることはなかったでしょう。囚われを囚われと知るからです。
何故か? 囚われでない状態を知っていたからです。
人間は本々「囚われの状態」と「囚われでない状態」を知っていると思う。
これは、冷静に思慮深く反省すれば誰にでもわかることでしょう。
これは明かに分別ですね。「分ること」と「分らないこと」も分別します。
釈迦は人に分らないことを教えず、それらに対する姿勢は沈黙で示します。
仏教は分別の教えだと私は了解しています。分別できないものや、人間の
理解を超えたものについては、沈黙するのだと思います。
526 :
名無しさん@3周年:04/05/05 10:24
理屈は一人前。
しかし実際問題、そんなもんで心の平安なんて得られッこない。
所詮、カキコする香具師の自己顕示欲への満足でしかない。
ああ、ホントに分かった人いないかなぁ〜。
527 :
名無しさん@3周年:04/05/05 11:26
毒ガスが充満している部屋には入ることはできません。
それと同じで、仏性は、「無我の性質」を持った内面の部屋でないと、訪問することも、滞在することも、そこで成長することもできないようです。
では、どのようにしたら無我の性質を持った内面の部屋が作れるのでしょうか。
どのようにしたら、仏性に内面の部屋に来てもらえるのでしょうか。
一つのヒントとして、空海氏の三蜜加持のエッセンスがあります。
誤解しないのにしていただきたいのは、印を結び、真言を唱え、心に仏を観想することを言っているのではありません。
お叱りを受けるかもしれませんが、する必要はありません。あくまでも、そのエッセンスです。
三蜜とは「身(しん)・口(く)・意(い)」のことです。
身とは身体を使うことで 現代的には「行動」を意味するでしょう。
口とは言葉を使うことで、言葉を使う前には考える働きがありますから、現代的には「考える働きと言葉の働き」を意味するでしょう。
意とは心を使うことで、現代的には「心の働き」を意味するでしょう。
つまり、「他のことを1番にする、自分のことは2番にする」や「地域ボランティや国際協力ボランティアを少しすること」
などをして、「行動」と「考える働きと言葉の働き」と「心の働き」を無我の性質で一体化させていくのです。
そうすると、仏性の力が加わり、仏性が内面の部屋に訪れることが速くなるようです。
ここで注意することは、陰徳を守ることです。陰徳とは、人に知られないように善行をすることです。
人にボランティアなどをしていることを、言いふらさないようにすることです。
宮沢賢治氏の「雨にもマケズ 風にもマケズ」のような人になっていけば、
徐々に、無理せずに、内面の部屋は無私の性質が整っていきますから、仏性が内面の部屋に訪れるようになるでしょう。
心の平安とは、誰でも日常のそこかしこで何気に感じているものだろうね。
確かにここにおいて理屈なんていらないし、そんなものどうでもいい。
人は満足して満ち足りている時には静かに寛いでいるもの。
なにも求めず、なにも欲しくないのだから。
心の安らぎ、内心の平安にはその沈黙こそが相応しい。
529 :
名無しさん@3周年:04/05/08 00:18
内面の平安は、理論ではなく、実践であるようです。
このスレは、とてもポイントをついているように思います。
内面の平安は、内面の幸福と関係があるようです。
内面の幸福も訪れるようにすれば、内面の平安は確固たるものになるでしょう。
釈迦在世当時も、様々な瞑想法、禅定法があったのでしょうね。
でも釈迦は、それらの方法で達するであろう状態に満足できなかった。
何か疑問が残ってしまったのでしょう…。
そういう特殊な技術を用いて到達する境地では、釈迦の囚われた四つの苦しみ
から彼を解放するものでなかったのでしょうね。
四つの苦から解脱したとされるその釈迦も、齢80才の御歳を経て、静かにそ
の生老病死に従い、生涯を終えていったそうです。
531 :
名無しさん@3周年:04/05/08 22:54
技術では境地に到達することはできないでしょう。
お釈迦様の若き日の生老病死の苦は、死への恐怖であったでしょう。
また、自分は何のために生きているのか という「生きる」ことへの問いかけでもあったでしょう。
精進努力の結果、スッタニパータに書かれているような価値基準の逆転がおこったと思われます。
それによって生老病死の苦を超えられたようです。
それは、一般の人々が真理である というところのことが真理ではなく、
一般の人々が真理ではない というところのことが真理であるということです。
「真理の発見」と「仏性の訪れ」はとても関係しているように思われます。
価値基準がひっくり返るからです。
532 :
名無しさん@3周年:04/05/09 01:01
お釈迦様がお亡くなりになったとき、法灯明と自灯明を道しるべにするように言われたそうです。
法灯明とは、分別や道理と言うこともできるでしょう。
この法灯明の道が、中観派の流れになったのではないでしょうか。
自灯明とは、内面に仏性が訪れること といえないでしょうか。
この自灯明の道が、弥勒からはじまり、無着・世親へと伝えられた唯識派の流れになったのではないでしょうか。
>>531 最近よく「内面の仏性」について書き込んでくれていた方ですね。
感じるところのある、善い書き込みだと思っていたのですが、なかなかレスポン
することができずにいて、失礼しました。
まず、仏性について一言。
私の修学している上座部の仏教では、仏性というものを認めておりません。
でも認めていないということは、否定しているのとは違います。
個人的な意見としては生きていること。これにもし名前を付けるとしたら仏性
と言えるかもしれません。
つまり我々は、どういう理由かは知らないけれど、みんな生きている。
たとえ物質であろうと、川は流れ、風はそよぎ、海はうねる。原子は巡り、
星々も巡っている。ここにおいて「これだけは違う」というのはないですね。
こういうところには、とても感慨深いものを感じております。
534 :
名無しさん@3周年:04/05/09 12:08
私はどこにも所属していませんので自由に書いております。むしろ、所属しないことによって、様々な教義に執着が生じないように予防しています。
執着を厳密に考えれば、内面の平安を保とうとする教義も、人によって執着になります。
現代では、多くの様々な教義は、人々の魂を解き放つものではなく、人々の魂を縛るようになっているように見えます。
仏性という言葉に抵抗があれば、「崇高な精神」や「良心」でもよいと思います。
クリスチャンの方は「神の無私(アガペー)の愛」と理解されてもよいでしょう。
どのような言葉で語られるかではなく、このような「崇高な精神」が人に内在していることは普遍的な事実であるようです。
そうですね。本来自由であった心から発せられた言葉も、いつのまにやら言葉
に心が囚われてしまいます。
自由な心と、言葉の間でディレンマに陥ってしまう人間の性。
これは、わかっていてもどうにも避けられない。
私も空や無に安住するよりも、その「高貴な精神」に法って行動を起こす人間
が好きですし、私もそういう人間でありたいですね。
先日、新宿の高島屋で開催されていたアイルトン・セナ没10周年展を覗いて
きました。
その中には彼が愛読していた聖書も展示され、その聖書の所々に彼が注目した
のであろうと思われる御言葉に棒線が引いてあった。
それに、じっと見入っている人も結構いて、私は思わず目頭が熱くなってくる
ものを感じてしまった。彼、或いは彼女達が思っていることが解るような気が
してきて…。
「鈴鹿サーキットの上空にイエスキリストの姿を見た」とマスコミに発言して
しまった彼は、そのことで相当誤解されてしまったので、もう二度と公に神を
語らなくなったが、彼にとって神は、かなりリアルなものであったと思われる。
最後に、訪れた人々が彼に宛てたメッセージも展示されていて、私は再び目頭
が熱くなってくるのを止められなかった。
537 :
名無しさん@3周年:04/05/10 23:19
高貴な精神(神の心、仏の心)は、536に書かれているような経験からはじまっていくようです。
将来、魂の底から突き上げる高貴な精神に気づかれれば、その「高貴な精神の幼子」を死なせないように大切に育てるようになさったらよいと思います。
そうすれば、「神や仏(神性や仏性)の存在」を内面に感じて生きていくことができると思います。
それが「内面に立つ支柱(中心)」と思われます。
この内面(=エデンの園)の支柱は、
主に「理性(法灯明=エデンの園の善悪知識の木)」と「高貴な精神(自灯明=エデンの園の生命の木)」の二本柱で成り立っていると思われます。
アイルトン・セナの魅力には、プロ、レーシングドライバーとしての秀でた能力
以上に、どこか「高貴なもの」を感じさせる何かがあったような気がします。
やはり人間には誰でもそういうものを感じ取る能力は内在しているのでしょうね。
しかし、大抵の人はそういうものを夢幻の類として、いい大人の感じ取るもので
はないという風に、段々と思い込んでしまう。
或いは、特定の宗教思想などを信奉して、その思想そのものが高貴なものなんだ
とか、真理なんだという風に、段々信じ込んでしまったりする。
ここに、人間の陥る二つの難関があると思う。
一つは否定で、一つは誤解。
この二つは人間である限り捨て切ることはできないだろうと思う。
ただ一つ、素直になれた時の感謝と後悔の気持ち、これだけが最後にして唯一の
失われることのない灯明であろうかと思います。
だけど人間、リラックスしようと思ってリラックスする人は稀だし、素直になろ
うと思って素直になれる人もまた、稀ですからね。
539 :
名無しさん@3周年:04/05/12 23:59
簡単に考えています。
一般的な話しですが、今の時代、
人間に本来そなわっている高貴な精神の偉大な覚醒をもたらすという常識や
人材がとても少ないことが問題なのではないでしょうか。
私たちは、目にするもの、聞くもの、当たりとしていることが、真理かどうか、真実かどうか、を見直してみる必要があるのではないでしょうか。
幼児期から受け入れているもの(自分の思い、考え、行動など)を自分中心に結論づけて、私たちは自分の常識としてきました。
その常識の中には多くの歪みが含まれています。
人の常識の歪みが集まれば、人々の常識の歪みになり、それが社会の常識の歪みになり、更に時代の常識の歪みになるのではないでしょうか。
540 :
名無しさん@3周年:04/05/13 00:04
訂正前
当たりとしていることが、
訂正後
当たり前としていることが、
まさにその通りだと思います。我々人間を洞察するにそういう人々というのは
何時も不足しているように思います。
一人一人を省みても、その良心の声はあまりにも弱く、そして小さい。
人間がいなければ、イエスキリストも産まれ出でることはできなかった。
だけど、同じ人間がそのイエスキリストを殺してしまった。
542 :
名無しさん@3周年:04/05/13 11:16
人々の嫉妬が、イエス氏を殺したともいえるでしょう。
聖書に書かれているように、今の時代に一人の偉大なイエス氏が再誕されても、
また、人々はイエス氏に嫉妬して、彼を殺すようなことをしてしまうでしょう。
その殺す手段は、命を奪うということだけでなく、誹謗・中傷してマスコミによって社会的に抹殺するという方法が考えられます。
このようなことは、私たち凡人でも分かることですから、
仮に、イエス氏が再誕されても、イエス氏は多くの人々の目にさらされることはないでしょう。
それよりも、今の時代の主役になるのは、より多くの平凡な人々ではないかと思っています。
より多くの平凡な人々が、高貴な精神の偉大な覚醒をすることによって、社会が変革されていくのだと思います。
目覚めた、より多くの平凡な人々が、協調して、仲間意識をもって、
高貴な精神を基礎にした新しい住み良い社会 の夜明けの時代をつくりだす必要があると思われます。
近代でも、ガンディーが凶弾に倒れています。私の実感だと、個人の心の中でも
良心の声は、様々な欲望や怒りの声に抹殺されてしまうと思います。
欲望の声、怒りの声は大きく、高貴な心の叫びはそれにかき消されてしまう。
ガンディーほどの人物でも、人々の誤解や拒否の感情の前に立てば、自身の高貴
な心の声に従うことが、とても困難であった様子が伺えます。
そういえば、宮沢賢治もそういう声に忠実であった人のようですね。
彼らはみな、高貴なる目的の為に、我が身といのちを差し出すことを躊躇わない
強さと器の大きさが共通しているのだと思います。
それを支えていたのは、強烈なまでの信念だったのでしょう。
平凡な人々がこの信念を抱けたとしたら、もはや平凡な人ではないでしょうね。
544 :
名無しさん@3周年:04/05/14 00:10
高貴な精神がその人を動かしていくように思います。信念は後からついてくるように思います。
その人が内面の底から突き上げる高貴な精神に抵抗しても、
高貴な精神の突き上げがとても強ければ抵抗できなくなり、
その人は崇高な生き方をせざるを得なくなるようです。
その後に、理性と 高貴な精神が 信念(信義)を育てていくようです。
理性は、高貴な精神が健全に育つように案内役をするようです。
その人が自らの高貴な精神を選択しなければ、その人の高貴な精神は死んでいくしかありません。
その人の高貴な精神を生かすには、今までの自分の気持ちが死んでいくしかありません。
今までの自分の気持ちを持ち続けるか、突き上げる高貴な精神を受け入れるか、その選択を迫られるようです。
人生では、そこかしこで様々な選択に迫られます。
今までの自分の気持ちの中で生活していくことを選択するのが一般的な人々だと
思います。あなたの言うような生き方は、一般的な人々から見ると、かなり特異
な生き方にみえるだろうと思います。
つまりそこまで自分に厳しくなれるだけの突き上げてくるものが一般にはあまり
ない。宗教家や芸術家には多いタイプかも知れません。
だけど人生、生きることに迷い、苦悩する人々は多く、そして心の安らぎを感じ
て生きていくのも万人に等しく開かれたものだと思います。
546 :
名無しさん@3周年:04/05/14 09:52
人生は万人に等しく開かれたものでありますが、うまく処置できる迷いや苦悩や歪みも多くあるようです。
先日、知人が、親子間の断絶のために家庭内暴力寸前までいっている
悩んでおられる主婦の方から相談を受け実践的なアドバイスをされたそうです。
多くの偶然が重なったこともありますが、数日で長年の親子間の断絶が解決したとのお礼の電話があったそうです。
今の日本の人々の多くの悩みや迷いや歪みの原因は、「戦前の価値観」と「戦後の価値観」の間の裂け目に落ちているようなものだと思われます。
戦争が終わってすぐに、人は「戦前の価値観」から「戦後の価値観」に切り替えることはできません。特に、教育の分野は難しいようです。
各人の祖父母が亡くなり、両親が亡くなって、次第に環境から与えられる戦前の価値観がなくなっていくのではないでしょうか。
戦後から約60年近くがすぎました。
しかし、まだ自分の中に残っているのが、祖父母や両親から受け継いだ戦前の価値観です。
それに対して、新しい「理想的な戦後の価値観」はつくられていません。各人が、迷いながら「自分の戦後の価値観」をつくっているのが現状のようです。
日本の人々は、戦前の価値観と 戦後の価値観の間の裂け目に落ち込んでいる被害者のように見えます。
理想的な戦後の価値観が形成できて、それを実践すると多くの苦悩や迷いや歪みが解決していくように思われます。
>>546 >うまく処理できる悩みや苦悩や歪みも多くあるようです。
人間は自分の感情、思惟の中で生きているものですから、客観的な観察というのが
それからの解放に繋がる道筋になるのでしょうね。
仏教ではこれを四諦という方法論で説明し、実践を薦めています。
これは、時代の制約を超えた人間存在の苦を超克する道であろうと思います。
私の洞察では、戦前の価値観と、戦後の価値観というよりも、もっと根源的な、
人間存在の矛盾。ここに焦点を当てていくことが重要であろうと思う。
これは、言葉を変えれば、ありのままでいたいという衝動と、進化、進歩していき
たいという衝動の衝突のようなものでしょう。
これは日本人だけでなく、世界でも多くの人々が直面している難題でもあります。
何事もそうですが、難しい問題にぶつかったら原点に返れ。ここが重要でしょうね。
548 :
名無しさん@3周年:04/05/15 10:14
「四諦」を、「四諦」という言葉を使わずに、「四諦」のエッセンスを伝える方法はいろいろあります。
知人が、悩んでいる主婦に伝えたのは「四諦」のエッセンスです。
一般に、応用が効かないという点で、自分の所属しているグループの考え方から離れることができないという点で、
「心」の近くにいるはずの宗教を信仰している多くの人々が、実際は「心」から遠く離れた所に立っておられるのではないでしょうか。
549 :
名無しの言辺 ◆9/.wwDHUOc :04/05/15 15:38
自分の所属しているグループの考え方から離れることができれば、あらゆる宗教間
は元より、世間で起こる様々な紛争や、果てや戦争までも消えてなくなりますよね。
でもそれを語っても、人間にとって夢物語でしかないだろうと思います。
前レスにも書きましたが、人の陥る拒否と誤解は生半可な抵抗力ではありません。
その最もたるところを現わすのが、宗教や政治的思想なんだと思います。
こんなことは、誰でも解る簡単なことなんですけど、実際自分が社会の中で責任を
持つ立場に立つと、その簡単な実践が非常に困難なことに気がつきます。
だから、特定の宗教団体から離れて活動を行う宗教者も多いのでしょう。
世の宗教団体を見ても、金銭や権力に目が眩んでいる風体も多く伺えますよね。
真面目な団体でも、どこか閉鎖的になっているような気もします。
あなたが言ったように、偉大な宗教家でも多くの眼に触れられぬのは、この誤解と
拒否による抹殺を避けるために、やむを得ないのでしょう。
私は思うのですが、心の安らぎ、平安と言うのはたとえ社会と縁を切っても人間に
とって必要不可欠なものだと思います。個人個人の問題として、一人一人が取り組
めばいいのだと思っています。
550 :
名無しさん@3周年:04/05/15 17:08
当然、心の平安は個人によって為されることでしょう。
大切なのは、どんな苦労があろうとも放棄しないことではないでしょうか。
あなたの書き込み全体の中に、半ば放棄しているような重苦しいようなものがあるのですが、私の考えすぎでしょうか。
それが気になっているだけなのです。
お気使い有難う。まあ半ば放棄しているという、あなたの考えも当たらずとも遠
からずといったところでしょうか。心に負った荷物はあります。
だから、その回答を求めて仏道に入っているのです。
半ば、回答を見出したとも言えますが、まだ山あり谷ありで結構紆余曲折してい
るのが現状ですね。最近はちょっと壁にぶつかってますし。
552 :
名無しさん@3周年:04/05/15 20:04
仏教の場合、前半は結構ノイローゼ気味になるようです。
中盤では壁にぶつかりますが、ある時、今までの意識が転換するようです。
そうなれば、壁をこえることができますからしめたものです。
意識的に、今までの自分の発想を180度転換させて、観たり、考えたり、実行してみることも有効な場合があります。
意識のこだわりが薄れていく効果があるようです。
また、一般に、人は晴れの日を喜びますが、雨の日を喜ぶものって何だろうとか。
とても、たわいないことですが。
そのたわいのないことが悟りの切っ掛けになることも結構ありますよね。
雨の日を喜ぶもの。ヒントは頂きました。
いろいろ応用して早速実習してみましょう。ありがとね。
554 :
名無しさん@3周年:04/05/15 23:35
お役立ていただければ幸いです。
たわいのないことは、心を柔らかくしますからね。それが悟りの切っ掛けになることは十分あると思います。
例えば、拒否と誤解の反対はなんだろうか。肯定と正解だ。
肯定と正解って何だろうかな、どんなものがあるだろかな、としていくわけです。
そうすると、あたかも執着という大木の根を右に左に揺り動かして、執着の大木を倒してしまう効果があるのだと思います。
555 :
名無しさん@3周年:04/05/16 13:10
ナンバー不一致のための調整
556 :
名無しさん@3周年:04/05/20 21:53 ID:U3Y21ZRe
/ ヽ__/ ヽ /. / │ .|
\ { ● ヽ / ● } ./ < | ̄ ̄| ヽ |  ̄ ̄| ―― |
ヽ ヽ/ ノ / \ ノ _ノ __| ・
557 :
名無しさん@3周年:04/06/26 23:46 ID:eL3d+BOj
うーん
558 :
名無しさん@3周年:04/06/27 02:08 ID:rzazXs0e
仏教には、正法・像法・末法という時代があります。
正法はお釈迦様が生きていた時代です。お釈迦様を見て悟りを開いた時代です。
像法はお釈迦様の滅後500年の時代です。教えを元に悟りを開いた時代です。
末法は像法後10000年の時代です。修行による悟りは開けない時代です。
その後は仏教は消滅します。
この様に今の時代は末法ですから、修行による悟りを開くことはできません。
559 :
名無しさん@3周年:04/06/27 02:18 ID:2DtVBmid
560 :
名無しさん@3周年:04/06/27 16:55 ID:jXbza6TB
>>558 その「正法」の時代よりも、「末法」の現代の方が明らかに良い時代である。
そしてそもそも、その「悟り」っていうのはどのようなもの?
曖昧不明確な「ありがたそうな究極の境地」を目指さされるなって!
巡回です。
保守 を担当しております、天使のささやき と申します。
よろしく お見知りおきください。(ここで名刺を差し出す)
romさん 名無しさん コテハンさん
今日と言う日は、全宇宙時間の中で 2度と無い日です。
がんがって、カキコお願いします。m(___)m
巡回 でぇ〜す。。
保守 担当の、天使のささやき と申します。
よろしく お見知りおきください。(ここで名刺を両手で持ち、差し出す)
romさん 名無しさん コテハンさん
今日と言う日は、全宇宙時間の中で 2度と無い日です。
がんがって じゃなく マタ〜リと、カキコお願いします。m(___)m
☆彡 (注) Age2ch と言うアプリで自動実行 されてます。
▲一部の方には、ご不快の念、これありと伺っておりますが、
これもスレご盛会をただ願う一念でございます。
ご了承ください。 m(__)m
巡回 です。。
保守 担当の、天使のささやき と申します。
よろしく お見知りおきください。(ここで名刺を両手で持ち、差し出す)
romさん 名無しさん コテハンさん
今日と言う日は、全宇宙時間の中で 2度と無い1日です。
がんがって じゃなく マタ〜リと、カキコお願いします。m(___)m
☆彡(注) Age2ch と言うアプリで自動実行 されてます。
▲一部の方には、ご不快の念、これありと伺っておりますが、
これもスレご盛会を願う一念でございます。
ご了承ください。 m(__)m
うつ病では有りませんが
心が疲れています 仕事の問題で
困った人物がいて私は困ってます
私でなくても絶対に誰でもこの相手だったら困ります
ひとついいことに思いついて あまり相手にしない ということです
相手にしなさ過ぎると多分また当たってくると思われるからです
でそこまではよいんですが 心に安らぎを求めるにはどうすればいいでしょうか
これってこのスレであってる?
× 私でなくても絶対に誰でもこの相手だったら困ります
○ 私でなくても絶対に誰でも,これが相手だったら困るというようなかんじの人です
心の平安を願うのであれば、相手の事はあまり考えない方がいいと思います。
わたしなどは、心が疲れた時には子供に返ったりもしてます。
心が乱れた時には、充実し、心が満たされていた時の感覚を呼び覚ましたり。
参歩をしたり、買物に出たりして、まず、憂鬱な気分を変えてしまう。
。
573 :
名無しさん@3周年:04/11/06 00:01:36 ID:GJZ+RogN
生きているなんて当たり前のことだね。
死ぬことこそ奇蹟的だ。
だけど、生きていることはやっぱり奇蹟だ。
死んでしまうことこそあたりまえだ。
人間、望めば何時でも死は手に入る。
しかし、幾ら望んでも生は手に入らない。
力があれば、死は何時でも実現できる。
しかし、幾ら力があっても生は人間には実現できない。
死は何時でも実現できる・・・良い言葉。
aaa
平安でなくてもいいと思えるようにならないとね。
#####
☆☆☆
sage
heiwa
。
582 :
名無しさん@3周年:04/12/22 17:21:42 ID:GzUuNhtY
鬱
583 :
名無しさん@3周年:04/12/27 21:03:52 ID:UQgVy6xH
新興宗教に洗脳されては、いけない。
584 :
由良信隆:05/03/04 17:44:03 ID:q3qOVrW6
585 :
名無しさん@3周年:05/03/20 19:30:48 ID:79yknBcT
今年は、大開運する歳です。悪い縁が切れて、良いご縁があります。
とにかくさよならあの人たち。良い人々に恵まれますように。
ありがとうございました。
586 :
名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 16:03:19 ID:Q0EzsDO+
疲れた
587 :
名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 21:12:42 ID:7VwMi2Vf
>>586 どーしたんだ。
鬱はだれにでもやってくるぞぃ。
マターリして乗り越えようや。
588 :
名無しさん@3周年:2005/06/19(日) 17:25:34 ID:OrU5Va9L
>>558 正法・像法・末法の解釈は誤りです。
それとも、どこかの宗教団体がこんな間違ったことを教えているのですか?
仏教辞典で調べて、一から学び直してください。
589 :
名無しさん@3周年:2005/07/11(月) 05:21:20 ID:Lr9tQVlI
2005.09.25
590 :
名無しさん@3周年:
平安京