僕はこの主客一体という言葉をクリシュナムルティやosho,eoなどの著作で知った。 自分の瞑想体験からも主客一体というのは瞑想の本質そのものだと思う。 語ってどうなるでもないだろうが、可能な限りやってみたい。
,、-──────-、 / `ヽ、 / \ / \ / \ / ,r-ト-、 ,' f /⌒ヽ! ,' i L、-、ヽ\ ! ` `ー、 ) } \ ! `ゝf j \ .| ' ノ \ ! ,,、ノ∠, ヽ、`ー' ヽ ,,;彡'' / / ヾ、ヽ i 、 /シイノ ,'´ '; i { ヽ `ー,イ`二 ̄-'' i!| \_,r-rフヽ‐'´ '´ 、_ i! | i | `‐' ノ`' '⌒ヽ-、,_ ヽ、 ノ | ,' !  ̄ 〉 ,r-ノ  ̄``ヽ、 ヽ /{ | / / \ ( / ,,、ミ-‐''⌒! ヽ i / | | / / / \ `ー‐‐'´,,、、ミッ‐',∠ノ ̄`! ! | / | / / / \ 〈 r!=‐'´_,_// /、 ! | レ' / / ____________ `ヾ、ヾ \ ̄|~´ / ノ } | // はひょ丸喰っちゃうぞ。\ `ヾ、 ヽ└---'´`` ノ ! /! // ,、-‐ ______________ / `ヾ、ヽ、_ , ''´ j / // / / \丶ー‐'´ '´ / ノ´ / / \` / /
ありがとう。なかなか笑わかしてもらったよ。 oshoとか、グルジェフとか、クリシュナムルティの奴も作ってくれると嬉しいな。
やはりこのテーマで書き込める人はいないのかな? まあ、ここは2ちゃんねるにおける僕のプライベート・ルームに してもいいしね(笑)。 僕が主客一体ということを気にしだしたのはクリシュナムルティの 「自由への道」という本と和尚の「ユニオ・ミスティカ」だな。 方便というものは2つに分かれる。 ひとつは合一の道。 行為、思考、感情そのものに成るという方法。 離れて見ている自分など一切残さぬように完全に巻き込まれるようにする。 もうひとつは観照の道。 なにが起きてもそれを見守るという方法。 完全に分離してそれをただ見守る。 和尚によればこの2つは完全に矛盾しているが、 最終的には同じところへ行き着くらしい。 クリシュナムルティの本のややこしさの要因の一つには この2つが同時に語られていることがあるのかもしれない。 で、この最終的に辿り着く同じ場所が主客一体だと思うんだよな。
5 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 19:51
ただの言葉です
6 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 01:30
俺は >離れて見ている自分など一切残さぬように完全に巻き込まれるようにする。 時に >完全に分離してそれをただ見守る。 事が出来るのだと思うが。 「私」が行為に巻き込まれ、なおかつ「私」が分離しそれを見守ると言う時に 初めてその二つには論理的矛盾が起こるのではないだろうか? つまり「私」という部分的な思考なしにただ行為がある時、完全に思考はそれに 巻き込まれ、部分的な思考の基である「私」という中心概念から分離して いる時、全的にそれを見守る、理解する事が出来るのという事ではないか? もし我々が無意識と呼んでいる思考の層と、表層意識と呼んでいる思考の 層全て使って物を見る事が出来れば、つまりそれを分割している要因で ある自意識がなくなれば、その自意識自体である葛藤もなく、部分的な思考 が捉える世界の反対でもない全く違うものがあるのではないか?(我々が 観念や概念に基づいて行動を起こす時、やはり反対のものしか生み出さない。 しかし部分的な思考が「私」を中心にしてあれとこれを反対にしているだけ で、実はその二つは同じく部分的な思考に過ぎない。)
6の言いたい事は要するにまきこまれる「私」と見ている「私」は 別物である、と言いたいのだろうか? だとしたら僕も同意見。
こんな題名のスレをたてるなんぞ300年早かったかな、などと 思う今日この頃だがまた書いてみる。 クリシュナムルティの言葉に 「観察者無しに観察する」というのがある。 ここでいう「観察者」とは僕は思考、感情、イメージの 事だと思う。 僕という主体が何の思考も無く客体を観察するなら そこには主客一体性があると思う。 そして僕が面白いと思うのはそういった観察ができている時 は主体である僕は一切客体にひきずられないということ。 客体という世界に力を与えているのは主体の思考である。 つまりそれが恐怖である。 純粋な知覚、観察というものに思考が介入することにより、 主客一体性は崩れ去る。
9 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 23:47
すみません。 主体は自分の意識。客体は何を指してるの?
10 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 23:50
まあ一歩まちがえたら 境界霊人格障害みたいなもんかな?
11 :
名無しさん@3周年 :03/10/18 00:07
>>1 Kスレで(自>他)から(自<他)になることが変容だと書いていた奴に対して、
別の奴がKの言う変容は(自=他)だと指摘していた奴がいたのを見て、このスレを立てたんだろ。
300年早いとか偉そうなこと書いてないで、Kスレで論議すれば良かったんじゃないか?
>>9 客体はここでは外部の対象物を意味して書いてみました。
本当は客体というと自分の思考も含めると思うんですが、
いまはややこしくなるのでとりあえず。
8の文章を分かりやすく下世話な話に置き換えると
こうなります。
一ヶ月1万円の超オンボロアパートに住んでいる男
がいます。
彼の持つ唯一の欲はsexです。
彼は暇があるとそれについて考えます。
そして興奮します。
彼は女性という客体を冷静に観察することが出来ません。
なぜなら、いつもの妄想が純粋な知覚に介入してくるからです。
また彼は日々の生活の中でも冷静に落ち着く事が
出来ません。
なぜなら貴重な注意力というエネルギーを性妄想に
消費しているからです。
このように欲望によって主体は客体に隷属化します。
>>10 境界霊人格障害?
それ興味あるなー。
主客一体ということは絶対主観とイコールだと思う。
>>11 僕はkスレのその文章は全然ひっかからなかった。
なんか読む気にもならなかった。
このスレを立てたのは主客一体というテーマについて
いろんな人の考えを聞きたかったから。
kマニアだけじゃなくてね。
14 :
名無しさん@3周年 :03/10/18 00:39
>>7 いや「私」は元々実在してない。だとすれば、観察者という「私」
でなく、ただ全的に働く思考がある。それが部分的な思考である
「私」が全体的な思考に巻き込まれると表現されている事。そうで
あればそれは「私」から完全に分離して見る行為というもう一つの
表現とも矛盾はしないはず。
大体「巻き込まれる」や、「見守る」という言い方が読む人に基から
主体の存在が前提されている様に思われる理由の一つかも知れ
ない。
私の右手を上げさせる意思が、また心理を意思的に操作しようとする。
それが自分自身だと分からず、自分で作った幻を掴まされる。そこで
初めて心理活動の中に「私」という囲みが儲けらる。そしてそれは他の
いかなる物を分離させる基本になる訳だが、その断片化された思考が
自分自身の出所を見る時、それが意思の部分である事を理解する時、
主も客も自分自身だと
>>5 の言う様にただ自分が発した言葉である
と理解する時、同時にそれは他動詞で表現される「見る」「理解する」
でなく、対象がなく、故に思考は全的であり、故に愛なのだろう。
15 :
名無しさん@3周年 :03/10/18 01:12
>>13 ふーん、それにしてはスレを立てた時間が余りにもKスレで(自=他)とか書き込まれてたのと一致してるな。
(自=他)と主客一体はテーマ的にもほぼ同じだし。ま、どうだっていいけどな。
>>14 > いや「私」は元々実在してない。だとすれば、観察者という「私」 でなく、ただ全的に働く思考がある。
全的な思考があるのか?
Kの指摘は思考が終焉すれば全的な生があるということで、思考が全的になるということではないと思うが。
おっと、Kの話じゃないのかもしれないな。
部分的な思考、分裂した「私」は、実存の「私」ではない、という指摘はグルジェフやKなどに共通してあるな。
それは正しいと思うよ。
ただ、人はグルジェフのいう自己想起、Kのいう気づきによって変化しうるということであれば、
そういったことも考えてみると良いかもね。
>>15 300年早いというのは僕にとって、という意味でだよ。
>>14 全的な思考というのが僕にもわからない。
この言葉はkの本でみたことがある。
全的な思考=思考の完了=心理的記憶の消失=無思考
と言うんなら分かるが。
そもそも「主体」なんてものは存在するんだろうか? 「主体」という言葉自体が「客体」を前提としている。 つまり「主体」は「客体」に依存している、つながっている ということだ。
18 :
名無しさん@3周年 :03/10/19 19:32
それは違うな。
主体と客体を分離させているのは何か? それは心理的記憶だと思う。 自分の中の未解消の感情だ。 それが他人に投影されることにより「嫌いな人」というものが 生まれる。 主体が「嫌いな人」という客体を本当に「見る」ためには 心理的記憶が理解されなければならない。 「嫌いな人」というのは理解していない、見るのを避けてきた 自分だ。 心理的記憶という「苦しみ」は価値判断、是非判断により 作られる。 「良しと言っても駄目。 悪しと言っても駄目。 かといって両方兼ね備えてもいけない。 さておまえならこんな時どうする?」 by 石頭
20 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/20 20:10
>>19 >さておまえならこんな時どうする?」 by 石頭
手放す。
今、ここのスレをロムりました。
突発的に、わたすがお題に答えました。
失礼はお許しの程を・・・。
拙者、机龍之介の申すものでござる。
よろしうにm(__)m
大体思考を止める必要なんぞないしどのみちそんなこと不可能だ。 ただ思考自身が自分の過剰なまでのでしゃばりにより何が起きているのか? を理解することにより自ずから無駄な動きを止める、ということは可能だ。 「過去の快楽」という連想ファイルを開ける事が 注意力の消費と悲しみと苦しみをもたらすと知りながら わざわざ開けるだろうか? 記憶を吟味するためならいざしらず。 思考は理解するべきものだし、最大限にまで使われるべきものだ。 思考が心理的記憶というカスを払い落とした時、 はじめて思考はその力を最大限に発輝する。
22 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/20 20:29
思考とは・・・・めんどいものよのぉ〜〜〜〜。 これさえなけりゃ(^^ゞ 何故に思考があるんかい? 不思議よの???
思考を止めるのではなく、気づきによってそれが終演する時にのみ、、、、。
ここまではあたかも思考を観察する主体があるかのような 書き方をしてきたが主体=思考だとすると、どうだろう? 僕は時間の外にでたような気分だよ。 どんな技法も僕をこの場所にはつれてこれなかった。
25 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 21:39
私という中心によって思考は部分的になる。
私があると対象がある。それが思考の分裂だと思う。
思考が全的になると私もないし、よって対象もない。
対象のない思考が全的な思考。それが愛だと思う。
全的な思考=無思考は分からない。たぶんその
アプローチからは何も得られないと思う。無思考と
言う言葉がなぜ出てくるのかを考えなくてはならない
と思う。
「思考は駄目だ。」「思考は良い。」それらは結論で
あって、私がそれを求めている。だからその問題に
真剣に踏み込まなければならない。そしてその問題
に深く入る事が結局主客一体、全的な思考なのだろう。
時間の外に出た感じ、、、。それは分かる。時間とは
私の都合だから。私が時間の事に対して都合が悪く
なる時にだけ時間を意識する。心理的時間が生まれる。
今日たまたまここを読んでいた。際どいテーマが話され
ている。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwiv0294/madras524.htm
26 :
ケイヒ末 ◆i./89bp18g :03/10/20 21:48
【ROM記念】
しかし我ながら「基地外の駄弁」だな。 ここにたまたま来た人はあまり本気にしないでね。 たまに面白いツッコミ入れてくれると助かるんだけど。
28 :
ケイヒ末 ◆i./89bp18g :03/10/20 21:56
>>25 全的な思考などない。思考そのものの本質が分裂的だ、というのがKの指摘。
それと、愛は思考が終演した時にのみあらわれる。思考が変化して愛になるわけではない。
>>29 「全的な思考」とkが言う時と「考そのものの本質が分裂的だ」と言う時では
「思考」という言葉にkが与えている意味が違うかも。
kの本はある意味ベルゼバブ以上にトリッキーかも。
31 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 22:45
なんにしろマインドの力には限界があるの
>>30 Kは全的な思考などとは言っていない。もしお前の本にそう描いてあるのなら、訳者のみスカ、印刷ミスか、
英語版に印刷ミスが会ったのかのどれか。
どの本の何ページか書いてみろよ。
>>32 どこに書いてあったのかなんて分かんないよ(笑)。
ただときどきkの本には「えぇっ?」っていうような表現があることがあって
「全的な思考」もそれで覚えているんだと思う。
だってまずありそうもない表現でしょ?
oshoのセリフだったらゴメンネ(笑)。
34 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 00:20
>>29 全的な思考か、全的な生かどちらだろうか等と結論を、意見を、
つまり言葉を思いめぐらす事は何の意味もない。いつもそうやって
俺たちは問題から逃避する。
俺たちはkの本を置いて、自分で自分を考え尽くさなければならない。
考える事が重要なんだ。kの本は俺たちの肩を叩いてくれる事しか
出来ない。
俺たちは何かの体験をしたかも知れない。しかしそれは綺麗さっぱり
忘れていつも新たに問題に入って行かなければならない。
そしてそれは俺たちが全的なのは思考か、生かという意見や結論を
持っていてはそれについて新たに考える事は不可能だ。人とのやりとり
でも自分の中でも。
ときどきkはなぜ用語集を作らなかったのか?と思うことがある。 同じ言葉でも違う意味で使うこともあるし。 「知られざる真理の断片」としてつなぎあわせるワークを残したのか?
36 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 00:34
そんな、言葉を定義して固定したら、 真理から程遠くなっちゃうでしょ。 kはその場の雰囲気でしゃべってたようだよ。 (しかもその後何言ってたか覚えてなさそうだし)
>そんな、言葉を定義して固定したら、 >真理から程遠くなっちゃうでしょ。 う〜ん、そうだろか? それこそ神秘主義じゃないか。 僕はkの教えを数学ではなく明確でわかりやすい算数のようなものにしたい。
38 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 01:17
今話し合われている事の根底には、言葉それ自体についての 理解が必要な問題があるのではないかと思う。そして言葉について 考察していくと、このスレのテーマも見えてくるのではないだろうか? もちろん単語一つを取ってそれに意味を与える事は出来ない。 単語と単語が合わさって、一つの文章になって初めてそれに 意味が与えられるとされる。しかし、それでもその意味は本当 に著者や読者から自由に、客観的に存在するものなのだろうか? コンピューターのプログラミング言語を扱う場合、もしそれが客観的 でなければ全く役に立たない。プログラマーが主観的な意味を それに当てはめてもコンピューターがそれを理解できないと動か ない。そしてその問題は用語のリファレンスが存在する事により 解決されている。 では日常世界では、このスレで今起こっている様なやりとりの食い 違いがある。そこではひょ丸氏は上と同じ様にリファレンスを作る 事により解決すると言う。実際シュタイナーには用語のリファレンス があったりする。
39 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 01:18
しかし、
>>36 氏の意見はそういうリファレンスを設けて言語を固定すれ
ば、真理から遠くなるというものだ。
プログラミングの話に戻るが、それが動作する理屈を理解する為には
それを分析すれば事が足りる。分析で理解されるものは必ず概念で
ある。それはいまだ言語である。論理である。だから言語で表現する
事が出来るのだろう。
しかし真理は概念ではなく、論理でなく、言語でない。実際に存在する
実在そのものである。
俺たちは生活の為に実在を概念、論理、言語にモデル化し、動きを予測し、
確率で物事を計ったりする。その概念化は、俺たちの役に立つという観点
からの実在のモデル化である。
そしてそれを俺たちは心理的な問題にまで持ち込む。モデル化する。
だから、思考の断片化はそれの言語化なのではないだろうか?
話は変わるが、意識とは世界の言語化作用である。そして意識とは対象
意識であり、同時に自意識である。つまりその時私が生まれるのでは
ないだろうか。
僕は言語の、思考の、論理の限界点までは明確な記述が可能だと思うし それをやらなければ意味がない、とさえ思っている。 kの超越性によっかかりたくはない。 「人はつねに自分自身からはじめなければならない」 by G.T.グルジェフ
だったらグルジェフのいう厳密な言語の必要性も理解するべきだな。
43 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 16:15
>「人はつねに自分自身からはじめなければならない」 Kもこれと同じ事を何度も言ってるんだが、はにょ丸は気付いてないのか。 Kは「近くから始めれば、意外と遠くまでいけるかもしれません」トカって表現だったな。 この場合の近くとは、自分自身のことなんだが、はにょ丸の読解力では理解できなかったのか?
>>43 違うよ。僕は思考の限界を突き詰めて理解することもなしに
「真理は言葉によって定義、固定できない」と言うことの欺瞞性を戒めただけだよ。
そもそもkとグルジェフは陰と陽みたいなものでしょう。
真理が何であるか云々の前に、 言葉そのものが、それの持っている意味を常に 固定してこくことはできない。 同じ言葉でも、時代によって意味が違うし、 その場面場面で、使う人によって、受け取る人によって、 意味は違ってくる。 言葉とはその程度のものだと思う。
>同じ言葉でも、時代によって意味が違うし、 >その場面場面で、使う人によって、受け取る人によって、 >意味は違ってくる。 だからこそ言葉とその意味にこだわろうとしてるんだよ。 魔術にしても祈りにしてもそれをおこなうものが言葉なりシンボルなりに 与えている意味、理解によって大きく結果が異なってくる。 グルジエフの本にも確かこんなセリフがあったよ。 「祈りの言葉が力を持っているのではない。 あなたがそれらの言葉について考えた事が力となるのだ。」 とかく現代ほど言葉が軽んじられている時代はない。 それは本当の意味での知性が失われているということを意味する。
人はよく幸せになりたい、などと言うが幸せとは何だろうか? ある人にとってそれは結婚であり、仕事であり、富であり、悟りであり、それは人によって違う。 だが上の例はすべて「私は**がなければ幸せでない、幸せになれない」 という前提に基ずいている。 つまりただの条件付け、信念にすぎない。 「幸せになりたい」という、欲望、言葉が「現在、私は不幸である。」という前提を意識に刷り込んで 見事に我々は不幸に成る。 これがよくありがちな「魔術」の一例である。
真理を言葉で正確に描写、記述することは出来ない。 これは当たり前のことだ。 しかし人間がハマッている不幸の、窮状の正確な記述、考察は可能である。 自分の自覚していない無意識な思考プロセスへの気付きは 解放への足掛かりとなる。
なんだこの初心者まるだしのスレは。 勉強しなおして来い!!
50 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 02:48
時々思考回路が混線して注意力が枯渇することがある。 そんな時下のようなエクササイズで注意力を回復させる。 *思考が静まるまで物の形を数える。 *思考の介入なしに物をジッとみつめる。 *以下のものにそれぞれ「この、あの」と付け加えて思考する。 自分の身体 感情 肉体 住んでいる部屋 建物 街 国 惑星 太陽系 銀河系 宇宙 これらはアバターと呼ばれるグループの推奨しているエクササイズ の一部である。 このグループは色々と問題があり2ちゃんねるでも散々叩かれているが そのエクササイズにはシンプルで比較的効果のあるものが多々ある。
52 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 08:12
>>1 はひょ丸さんは、どうして瞑想などをするようになったのですか?
>>52 簡単に言えば自意識と劣等感が異常に強くて苦しくて
そんな状態から解放されたかった、というのが理由ですね。
ペニス丸出しですって!
虫がついたようです 三三ヘヘ((・∀・)ヘ カサカサ・・・ 三三ヘヘ((・∀・)ヘ カサカサ・・・ 三三ヘヘ((・∀・)ヘ カサカサ・・・
56 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 16:49
>*思考が静まるまで物の形を数える。 >*思考の介入なしに物をジッとみつめる。 >*以下のものにそれぞれ「この、あの」と付け加えて思考する。 > 自分の身体 > 感情 > 肉体 > 住んでいる部屋 > 建物 > 街 > 国 > 惑星 > 太陽系 > 銀河系 > 宇宙 これって「グルジェフ:弟子達に語る」の講和の中にあったエクササイズにかなり似てるな。 はにょ丸はもうちょっとちゃんとグルジェフを読め。
toはひょ丸さん 私は、私の苦悩の原因が「私は幸せになって当然だ」という傲慢な 執着の想いにある事に気付いた時、本当に幸せになった気がします。
>>58 甘ったれるな。自分で探せ。まあヒントはくれてやる。
「グルジェフ:弟子達に語る」の中の第2部から第4部の中の講話のどこかにある。
>>はにょ丸 「幸せになりたい」という、欲望、言葉が「現在、私は不幸である。」 という前提を意識に刷り込んで見事に我々は不幸に成る。 この論法で言うと、”解放への足掛かり”は束縛の、 エクササイズは注意力の枯渇の前提になるのでは? 事実我々は見事に束縛して注意力は枯渇している。
神の声が聞こえる、または聞こえる人のそばにいる。 これ以上の幸せはない。
62 :
名無しさん@3周年 :03/10/23 02:01
しかし、言葉の性質を理解しないと、どこのスレでも起こっている 様に、皆自分の意見を出し合うだけで、決して議論にならず、 決してどんな状態にもならないと思うな。
>>59 さんきゅー。
>>60 そう、時としてエクササイズをする、ということ自体
がそういった状況を生むことが多々ある。
だからこそ、あるがままの理解というkの教えが役に立つ。
既存の創造の解消と新たな創造という2つがあるならば
kは主に前者に関わっており、後者はあとからついてくる、
といった感じでしょう。
どのみち、それが物事の順序なのかな?
両方が必要なのは確かだ。
>>62 ベルゼバブなんかでGが造語を使ったのも
正しく意味を伝えるためでしょうね。
64 :
名無しさん@3周年 :03/10/23 13:05
G虫ウザイ
言葉の性質というより、 使う人間の性質ではないか? 人間は自分のイメージでしか、世界を把握できない。 もし、あるがままを見れたなら、もうそれ以外何も仕様が無い。 あるがままを見るための何かしらの方法があるだろうか? もちろん、健康に良いとか精神的にいいという方法は 人それぞれあるだろう。でもそれだけのことだ。真理とは関係ない。
>>65 どちらにせよ、ここは結局G虫がまわりくどく方法と名を変えた
自我を肥やす為のスレの様。邪魔者は出て行った方が良さそうだ。
67 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 01:18
>>63 いや、造語も言葉の内じゃないか。あのオッサンは狡猾だから
たぶんワザと煙に巻いてるだけだと思うが(w。
68 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 01:55
生活における知識の道と存在の道の乖離、また、その乖離の部分的には原因であり、 結果でもある理解の欠如は、一つは人の話している言語に由来する。 この言語は、誤った概念や分類、誤った連想でいっぱいだ。 そして重要なことは、普通の思考法の本質的な特性、つまりその曖昧さと不適切さの為に、 個々の語は、話し手が好き勝手に出す話題と、その時に彼の中で働いている連想の複雑さに従って、 何千という違った意味を持ちうるということだ。 自分達の言葉がどれほど主観的であるか、つまり、 同じ語を使う時でも一人一人がいかに違うことを言っているかを人々ははっきりと認識していないのだ。 彼らは、他の人の言葉をただ曖昧に理解するかもしくは全く理解せず、また、 自分には未知の言葉を話しているなどとは考えもせず、 それぞれ自分勝手な言葉を話しているということにも気づいていない。 彼らは、自分達は同じ言語を話しており、互いに理解しあっているという強い確信、 あるいは信念を持っている。 実際にはこの確信には何の根拠もない。 彼らの話している言語は、実際の生活の中でだけなら何とか使い物になる。 つまり、実務的な性質の情報であれば彼らは互いに意思疎通ができるのだが、 少しばかり複雑な領域に踏み込んだとたんに道を失い、 気づかない内に互いに理解することをやめてしまうのだ。
69 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 01:56
彼らは常に、もしくは殆どの場合、自分達は理解しあっている、 少なくともちょっと頑張れば理解し合えるという幻想を抱いている。 あるいは読んだ本の著者を理解したと空想し、また他の人々も理解しただろうと思う。 これも彼らが自分で生み出した幻想の一つに過ぎない。 彼らはその幻想の真只中に生きているのだ。 本当は誰一人、他人を理解してはいない。 二人の人間が、共に強く確信して同じことを言っているのに、ただ言葉遣いだけが違う場合とか、 二人とも全く同じことを考えているなどとは夢にも思わず、果てしなく議論する場合もありうる。 かと思えば逆に、二人は実際は全く別の事を言っていて、 ほんのこれっぽっちも相手のいっていることを理解していないのに、 同じ言葉を使うのでてっきり同意見で、互いに理解しあえたと思い込むこともある。 話の中によく出てくる簡単な単語をいくつか取り上げ、 手間を惜しまずにそれらに与えられている意味を分析してみればすぐに、 人は誰でも一瞬ごとに、他の人は決して与えないばかりか想像さえできないような特殊な意味を、 個々の語に与えていることに気づくだろう。
見てみろよ今あの猫のスレも。各々が自分で定義した言葉と一人 相撲してるだけだろ?
68,69はGの言葉なんだろうがまったくそのとうりだな。 僕なんかは気のしれた友達とですらまともな対話が なされていない事に時々気付いて愕然とするよ。 あまりにも僕達の思考は怠惰で「思考の超越」なんて夢のまた夢でしかないのか?と思うこともしばしば。 自分の過去の記憶の中に 何回か「思考の介入しないsex」の記憶があるのに気付く。 それはほとんどの記憶にありがちな重く濃密な匂いがしない。 その記憶にはほとんど感情的な要素が無い。 だからこそもう一度あれを繰り返したいなどとは全く思わない。 トータルな体験は後を濁さないのだろう。 kの言う「快楽」という言葉が「記憶の反復を求める」ということならば 「快楽」でないsexという行為はあり得ると思う。
>「快楽」でないsexという行為 不感症なんだね、君。
ネットのいいところは相手の発言をじっくりと吟味して 対話できることだと思うんだが72のように字面だけ捉えて文章の意味していること を捉えるということが全くできない人が多すぎる。 老婆心から指摘しても子供じみた反応が返ってくるだけのことが多い。 やはり誰でも発言できるというのはまともな議論の邪魔になりやすいと言える。
74 :
名無しさん@3周年 :03/10/26 10:43
思考とは創造だ。 毎瞬毎瞬私達は自分の現実を思考によって創造している。 感情も思考により創造されている。 いわゆる落ち込んでいる時というのは 意識化されていない思考プロセスによるものが大半を占めている。 私達の多くは反応としての思考しか知らない。 創造としての思考を使わずにいるのだ。 結果として私達は創造者ではなく被創造者となるのだ。 ではどのようにして創造するのか?ということを 以下に示そう。
75 :
名無しさん@3周年 :03/10/26 10:45
ではまずあなたの心のなかで「私は幸せだ」という思考を作り出して下さい。 作りましたか? どうでしょう?大半の人はそれ以外の反応としての思考が出てくるのに気付いたでしょう。 それは例えば「そんなわけない、こんな貧乏なのに」とか「馬鹿な!あと何回ローンが残っているんだ?」とか 「なんだこの方法は?こんな方法で幸せになれるはずはない」とかでしょう。 さてここからが本題です。 あなたが創造者です。思考はすべてあなたの創造物です。 あなたが創造者です。思考はすべてあなたの創造物です。 そして創造者としてのあなたにできる事は反応としての思考に承認を与える事です。 そうする事により無意識の思考プロセスが意識的なものになるのです。
76 :
名無しさん@3周年 :03/10/26 10:49
具体的にはこのようにします。 「私は幸せだ」という思考を作り出して反応としての思考が出てきたら 心の中でその思考に「ok,****(自分の名前)」と言い承認のサインを書くのです。 そうしてまた「私は幸せだ」と作り出すわけです。 これを何回か繰り返せば「私は幸せだ」という創造は確かなものになります。 反応としての思考は注意を求めている子供のようなもので それを与えてやればおとなしくなります。 以上が思考創造の方法です。 主客一体であるということは自らの創造者であるということです。
77 :
名無しさん@3周年 :03/10/26 11:19
自己暗示のことか? 世の中そんなに甘くないぞ。
これってどこかで見たことあるな。
ここを時々のぞく人はkを読んでいる人が多いだろうが kの教えの妥当性について疑いを抱いたことはないのだろうか? どこのkスレを見てもkの言葉を自分の言葉として語り それを自分のエゴの肥やしにしている。 kの教えを疑い、検証する人はいないんだろうか。 僕自身はkの教えにリアリティを感じつつも やはり納得がいかない部分を抱えている。 oshoのk批判には「またまた〜このおやじ・・」と突っこみをいれたくなるもの もあるがその内容は十分吟味するだけの価値を持っているものがある。 そのうちの幾つかを以下に(はひょ丸編集)で紹介する。
「kの教えは第5身体以上で役にたつ。 それ以前では役に立たない。 第4身体まではグルジェフの教えが役に立つ。」 (秘教の心理学) 「kは自分の霊的修行で経てきた事に関する記憶を消失 している。それゆえに彼は光明を得るために必要となる あらゆる準備を認めていない。」 (奇跡の探求1) 「無選択の教えは肯定的なマインドにのみ役に立つ。 否定的なマインドには役に立たない」 (愛の円環) 以上物凄く皆さん激しくつっこみたくなるであろう内容ですが。
突っ込みたくなるというよりラジニーシなんて読んでないから、そこだけ抜き出されてもわけわからん。 そんなのより、お前がKの言葉のどこに疑いを持っているのか書けよ。 第5身体以上とかのラジニーシ用語なんて意味わかんねーし。
それぞれ一部を引用、編集したものなのでどういう文脈で語られていたか 知りたい人もいるかもしれませんが要望があればコピペをのせてもよいです。 最初の第5身体どうのこうのについてですが 第5身体というのはようするに自我の結晶化のことです。
なんだこの素人丸出しのスレは。 勉強し直してこい!
>>81 僕自身が抱えているkの教えに対する納得のいかなさというのは
僕自身に対する納得のいかなさかもしれない。
ただいえるのはkの教えの本質を体得できるのは
思考の臨界点に達している人のみだということです。
85 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 08:49
G虫のカス野郎はコピペでえらそうにヤジるだけじゃねえか!このごみが! くやしかったらテメエの言葉で主客一体について語ってみろ! まあ、そんな勇気もないだろうがな。
>>85 何をそんなに喚いてるんだ? ヒステリーはみっともないぞ。
お前はそのヒステリーがお前自身を真理から遠ざけていることにまだ気づかないのか?
87 :
Krishnamurti・Jr :03/10/28 16:36
私から見るとはひょ丸氏はまだなんらかの技術や方法にこだわっているように 思えます。 マインドというのはひとつのホログラム作成機です。 ホログラムとは私達自身の事です。 kの言った主客一体とはマインドというプログラマーと 私達自身であるプログラムはひとつだ、ということです。 そしてoshoの言う第5身体とはプログラマーとしての自分に目覚める ということを意味します。 現状の人間には意志がありません。 常に状況が主人であり、自分が召使なのです。 この意志の目覚めがなければ主客一体の認識は難しいと私も思います。 技術というものはコントロールを意味します。 確かにマインドの体験はコントロールが可能です。 主客一体ということはそのコントロールをすてる、ということなんです。 私にははひょ丸氏がその2つを同時に欲しているように思えてなりません。 違っていたら御免なさいね。
88 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 21:04
>>はにょ丸 つまり、Oshoはkは常に高みから話しているから、 凡人にはわからないということだろう。 高等数学を話していても、算数もろくにわからない俺らには、 さっぱり役に立たない。ということだと思う。 しかも大部分の人は、一生勉強したとしても、 高等数学は理解できないかもしれない。
89 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 23:17
はひょ丸氏は本当に言葉についての問題の核心を理解しているの だろうか? 確かにkは彼岸から語っている。そして此岸から彼岸に渡る道はない。 それを求めてもエゴを肥やし、迷い続けるだけだ。あなたが迷ってる のはあなたが方法を探しているからだ。俺はkの言う事を鵜呑みに しろと言っているのではなく、これがネタスレでないなら、本気で何らか の方法を見つけようとしているなら、本当にその行い自体をあなた自身 が真剣に考えなければならないと助言している。しかしあなたはまた どうやって考えるのかと尋ねるだろうか?彼岸から始めなければならない。
90 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 01:14
だ・か・ら〜、なんなんだこのティンポ丸出しのスレは。 一から勉強しなおして来い!
色々いわれちゃったなあ。
K・Jの言ったことはかなり核心をついてると思う。
>>88 問題は僕達が算数を知らない、ということだと思う。
>>89 彼岸から始めろってのは凄い言葉だよね。
これは「自己の変容」の言葉だろうけれども
この本には凄い言葉ばかりのってる。
要約すると
「彼岸から始めなさい。ただしあなたにはそれをすることは出来ない」
などと誤読したら気が狂いそうな言葉に
満ちている。
そういや洋書でkと仏教徒との対話の本がもうすぐ出る。
また例によってkの独演じゃなけりゃいいけどね。
>>91 俺も此岸と彼岸というのはシンプルな言葉で好きだが、確かあれは
瞑想録で見た様な気がする。
Kの教えは彼岸から語ってるわけじゃないだろ。 Kは自分を見ることから始めなさいと言っている。だから此岸から語っていると言うべき。 もしラジニーシがKは彼岸から語っていると言ったなら、それは彼がKをきちんと理解していないだけだ。
>>94 そこら辺はまた言葉の問題っぽいね。気を付けよう。
言葉の問題と言って論点をごまかすのはやめろ。
97 :
名無しさん@3周年 :03/10/30 01:38
>言葉の問題と言って論点をごまかすのはやめろ。 つまり、此岸から始めるつもりだといつまで経っても此岸だろう。 今、彼岸から始めるつもりで真剣に取り組むと言うことだ。 しかしあなたがあなたの思考の中でその二つ、「彼岸」と「此岸」と 対決しているだけなら、誰と分かり合える事もないんだよ。それは あなたの言葉でしかないし、その思考に囚われたあなたの目に映る 俺の文章もあなたの言葉でしかない。あなたはあなたの言葉から、 つまり此岸から一挙に彼岸に来なければならない。 >問題は僕達が算数を知らない、ということだと思う。 算数ばっかりやってる奴はいつまでも数学は出来んだろうよ。 だから数学を学ぶには数学から始めなければならんだろうな。
>>97 論点ズレまくりだな。よくそこまで曲解できる。
Kは彼岸から始めろと、一体どこで言っているのか?
ラジニーシが勝手に決めつけているだけだと指摘しているんであって、
Kが彼岸から始めているという見解にお前も賛成するなら、
いつKがそんなことを言ったのか、きちんと例示しろ。
Kはいつも自分から始めなさいと言っている。
彼岸というのは自分ではない未知のもの。
しかし、Kはおそらくどの本でも未知のものではなく既知のものから始めなさいと言っている。
これは用語法の問題ではない。Kの教えの基本を理解しているかどうかの問題であって、
そして、お前は基本さえ理解せずに語っているということになる。
99 :
名無しさん@3周年 :03/10/30 03:44
>つまり、此岸から始めるつもりだといつまで経っても此岸だろう。 >今、彼岸から始めるつもりで真剣に取り組むと言うことだ。 これはKの話していることとは全く違いますね。 Kが話しているのはいつも既知のものを調べつくし、 そしてそれが終わる時に未知なる何かが表れるかもしれないということであって、 未知なるものを目指すという態度はいつも否定していますよ。 あまりKの本を読んだことがない方でしょうか?
100 :
はひょ丸 :03/10/30 03:55
えーと今自己の変容をみてみたら「彼岸」という言葉じゃなくて 「むこう岸」という言葉でかかれていた。(p16) そして正確には「彼岸から始めろ」とは書かれていない。 皆さん、すいません。 僕の記憶違いでした。 ただここでは此岸における彼岸への「一切の心理的動き」の無効性について述べられている。 このkの架空の言葉への僕の解釈?は「此岸で終わり彼岸で始まる」ということ。 つまりあるがままの認識自体が新しい生を生むということ。 そういった意味では此岸と彼岸はブラックホールとホワイトホール のようにひとつであり、分離していない。 ただkはこんな言い方は避けるけどね。 oshoはkが彼岸から語っているとは言っていないが(これは鈴木大拙の言葉) 理解のための方便を何も提示していない、とは言っていた。
102 :
親鸞の教行信証には、 :03/10/30 05:53
主客一体を達成するための理論と方法が記されています。
103 :
はひょ丸 :03/10/30 13:01
104 :
102です :03/10/30 21:16
(その一)「無碍の光明は無明の闇を破る慧日なり」(教行信証総序) 仏教の目的は四苦八苦の解決にある。四苦八苦の解決とは苦悩の根本原因である 無明の闇を破ることであり、それは最終的には絶対他力によるしかない。 仏教とは絶対他力の教えである。絶対他力とは阿弥陀如来の本願力であり、 道元禅師はこれを「万法」となづけ、華厳経では宇宙の中心の慮遮那仏、 法華経では久遠実成の釈迦仏を指している。 「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、 自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。 万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せ しむるなり。」(道元禅師;現成公案) 我々の側から彼岸へは不連続である。しかし彼岸から我々には連続している。 われわれが悟るのではない。万法によって「無我」を悟らせていただくので ある。
105 :
102です :03/10/30 21:16
(そのニ) 私は「我」を離れていない。 しかし「我」と知る主体は絶対他力であり、それが私に届くのである。 私が私を超え、私が私になる。 如来の絶対他力が私に達して私となり、絶対他力が私を包み込む摂取不捨がある。 私の中に煩悩成就の私(客体)と主体の私と二つあるのではない。精神分析では、 深層の私が対象化されて「私」になっていると説明するが、自分が意識している ものはいつも私より小さい。深層の私とそれを見る私と二つではなく、本来一つ である。それが太陽を越えた慧日のような無碍の光明(=絶対他力)に照らされて 無明の闇は敗れ、「煩悩成就の私」と懺悔する。 つまり絶対他力=阿弥陀如来が私の心になって私を見るのである。 「煩悩成就の私」が私である。本当の私というのは如来即ち私に生きて私の上に 真の主観となる。 そして、その真の主観は「今まで主観であった私」を客観とするものになる。 それを主客合一または機法一体という。
106 :
名無しさん@3周年 :03/10/30 23:56
>>102 あまり簡単でないな。
そう長くはない文章に、”私””私”と連発されているのを見ると、
相当自我に執着している様ですが、どう思います?
107 :
102です :03/10/31 00:28
>>106 機からみた「私」が我の執着を絶つことは不可能です。
私には煩悩以外のなにもないから。
そういう意味では
>相当自我に執着している様ですが、どう思います?
というご指摘はまったくそのとおりとしかいいようがないですね。
108 :
102です :03/10/31 00:31
主: 「一には決定して『自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、 昿劫より已来常に没し常に流転して 出離の縁あることなし』と深信す」(機の深信) 客:「二には決定して『彼の阿弥陀仏四十八願をもって 衆生を正受したまうこと疑いなく慮りなく彼の願力に 乗ずれば定んで往生を得』と深信す」(法の深信) 以上、教行信証信の巻からの引用でした。
>>102 それでは、親鸞さんの理論と方法は
全く無意味ということですか?
110 :
102です :03/10/31 00:38
わたしの書いた物をお読みになった上でそうおっしゃるのならば どうやら議論は無理のようですね。 あなたのお考えの概念からは、無意味という結論が 導き出されるのかもしれませんね。 あなたのお考えの主客一体と、 わたしの考えている主客一体の定義がどうやら違っていたようです。 どうも、お邪魔いたしました。
111 :
名無しさん@3周年 :03/10/31 00:39
だって瞑想録にそう書いてあったんだもん。こうなったら俺も コピペしてやるからな!!おまいらびびるなよ!! 質問者: 「この絶え間ない分析、内証的自己検証、この果てしない省察、 実際こうしたものにはきりがないようです。(中略)貴方もご存じ でしょうが、そうしたあらゆる手だてを尽くした後に残されるのは、 空虚で満ち足りない気持ちなのです。」 k: 「あなたはなぜ向こう側ーこちら側からはおそらくあなたに見えない 向こう岸、あなたの知らない向こう側ーからはじめないのか。 既知ではなく未知の方からはじめなさい。さもなければ、そうした 絶え間ない分析は、ただいたずらに既知なる物を強固にし、 制約を強めていくだけである。もしも精神が彼岸から生きれば、 そうした諸処の問題は存在しないはずである。」 質問者: 「しかしどうやって向こう岸から始めたら良いのですか。私はそれを 知らないし、見ることも出来ないのですから。」 k: 「あなたが「どうやって向こう岸から始めたら良いのですか」と問うとき、 それはまだ依然としてこちら側から発問しておられる。それゆえそう 発問なさらずに、とにかくあなたが何も知らない向こう岸、理知にたけた 思考によっては捕捉出来ない別の次元から歩き始めてみたまえ。」 どうだまいったか!! (瞑想録のヨーロッパ第十章です。)
101
>>112 うん、某所で見つけてこのスレにぴったりと思ったノサ。
で、勉強不足の1はまだ自分の不明に気が付かないのかな?
114 :
はひょ丸 :03/10/31 03:42
>>111 そう、これこれ。
僕の記憶にあったのはこれだ。しかし我ながらいいかげんだな(笑)
しかしどのみちkという人はなかなかの「暴言吐き」だと思うな。
>>102 サンクス。なかなか面白いね。
僕も自分という主体内での主客分離が問題だと
思うのでこの文章は楽しめました。
>>113 勉強不足だとか初心者だとか言うのは承知の上でこのスレ
をやっているんだよ。
115 :
はひょ丸 :03/10/31 03:45
しかしつっこみは多いんだけど 僕以外に主客一体について書く人が全然いない。 2チャンねる全体に言えることだが なにひとつまともなことは言えないくせに 人の揚げ足取りだけは一人前、という輩が多い。 自分を晒す勇気もなく他人へのひやかしのみで 生きている人間は過大な自己イメージにより 常に傷つくのを恐れている。 自分自身を見ることが怖いのだ。 そして無意識に過大な自己イメージが自分を 苦しめているのを知っているがために 外側のあたかも過大な自己イメージを 展開させているかのように見える人間に 食らい付く。 これは主客分離の典型的なパターンである。
まともに相手にする気にもならない。。。
117 :
はひょ丸 :03/10/31 05:29
じゃあ君は逝ってよし。
>しかしつっこみは多いんだけど >僕以外に主客一体について書く人が全然いない。 自意識過剰。 >僕はこの主客一体という言葉をクリシュナムルティやosho,eoなどの著作で知った。 あと付け加えるならバーナデットロバーツだろ(w そういうの読んで感化されたのはわかるが、おまえはあまりにもお子ちゃま。 まともな話ができるようになるまで一人で勉強してなさい。
119 :
はひょ丸 :03/10/31 09:00
だからもう君は来なくていいんだよ。 そもそも下らない内容だと思うのなら普通来ないぞ。 それでも来るんだから「相手にされたい君」としか思えないな。 よっぽど実生活で人にまともに相手にされていないんだな。 あさはらも幾ら高度なヨーガ技術を身につけても 社会というパパに愛されたいという気持ちは誤魔化せなかった。
>>111 別に参ったりはしないが、これは初めて読んだ。
今まで伝記本含めてKの本は10冊近く呼んだが、こういう用語法をしているのは初めて見たような気がする。
おそらく質問者が自分のことばかりに気を取られているためにそう言ったんだろうが、
Kの普段の言い回しとは違うね。
121 :
名無しさん@3周年 :03/10/31 17:18
呆け老人のスピードで 呆け老人のスピードで俺は街を歩く 懇切丁寧なステップが俺のすべてだ 絶対停止する俺の周囲で世界が崩壊する kと讃岐うどんを食べるために その日俺は確かにすべてを失い すべてを祝福したのだ
122 :
名無しさん@3周年 :03/10/31 22:07
>>102 こんにちは。
最近、ハゲでお悩みでありませんか?
実はハゲを治す良い理論と方法があるんです。
ちょっと待ってください。
あなた、ハゲてるじゃないですか。
帽子を取ってみてください。
・・・そうですね。確かに私はハゲています。
ほんとに効くんですか?その方法。
あなたとはハゲの定義が違うようだ。(怒)
せっかく勧めてやったのに、はなしにならん!
今一な例えだな。
でも短気はいけません。もしきちんと探求したいと思うなら、
根気よく行きましょうね。
>>108 の教行信証で親鸞上人が言わんとすることと、
>>111 の「あなたはなぜ向こう側ーこちら側からはおそらくあなたに見えない向こう岸、
あなたの知らない向こう側ーからはじめないのか。既知ではなく未知の方からはじめなさい」
というのは、言い方は違うが同じことを言わんとしている、ということに気が付かなかったみたいね。
やっぱり申し訳ないけど、勉強不足の1ではこの話についていくことはできないよ。。。。
124 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 01:08
しかしはひょ丸君が本当にエゴが肥大して苦しいのなら、 まずこのスレから止めた方が良かったりして。
125 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 02:00
>>123 親鸞とKでは向こう岸、他力の意味の中身が全く違う。
Kが自己を検証する人に向こう岸といったのは、思考で自分を検証するのではなく、
気づきによって思考を見なさうい、ということだし、
親鸞の教えの中にKのいう選択なき気づきがあるとは思えない。
気づきというのは単に禅的、仏教的なものではないよ。
同じ彼岸という語であったとしても、もっと中身を君はよく見なければならない。
>Kが自己を検証する人に向こう岸といったのは、思考で自分を検証するのではなく、 >気づきによって思考を見なさうい、ということだし、 そうじゃないんだなあ。。。いや、気づきの内容にもよるけど。。。 あんまり詳しく書くつもりはないけど、 ある種の○○(伏せとく)があって、それに気がついていないと話は困難。 どうも分かってないっぽいね。 >親鸞の教えの中にKのいう選択なき気づきがあるとは思えない。 それは仏教に対する無知というもの。 勉強不足と言いたくなっちゃうね(W >気づきというのは単に禅的、仏教的なものではないよ。 >同じ彼岸という語であったとしても、もっと中身を君はよく見なければならない。 逆にいえば気づきは別にK特有のものでもない。 仏教であろうと別の伝統であろうと同じものを指し示そうとしていることは沢山あります。
128 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 03:59
>気づきは別にK特有のものでもない。 これはその通りだ。しかし、気づきと言ってもいろいろある。 グルジェフやKのように、いつでもどこでも自分自身を自覚し、 気づいていなさいという教えは今の仏教にはないし、親鸞にもない。 もしあれば世界はもっと違う世界になっていただろう。
129 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 04:03
>ある種の○○(伏せとく)があって、それに気がついていないと話は困難。 こういう態度ってKの教えとは相容れないな。 君はまだその程度のことにも気づいていないようだ、
>これはその通りだ。しかし、気づきと言ってもいろいろある。 >グルジェフやKのように、いつでもどこでも自分自身を自覚し、 >気づいていなさいという教えは今の仏教にはないし、親鸞にもない。 >もしあれば世界はもっと違う世界になっていただろう。 なんだG虫くんか(w。 キミもカナーリ勉強不足だよ。 仏教にない、というより今の仏教界にそれだけの人材がいないだけ。 仏教の中にはそのものズバリの教えがいっぱいあるし、 Gのようにスーフィズムからそれを学ぶこともできるよ〜ん。
>こういう態度ってKの教えとは相容れないな。 Kの信者じゃないんだよ〜ん(w。
Kの場合○○の段階を経ていなければ、というのはないからな。 「ある種の○○(伏せとく)」、なんて問題外。
まあ好きに解釈してちょ。 ○○は別に段階じゃないし。。 じゃあね。
134 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 04:14
おい親鸞虫、じゃあKと同じとか勝手に決めつけるな。ボケ。
結局ろくに自論も語ることさえできずにさっさと逃亡かw
>>130 ,131
ちょっと突つかれただけですっかり醜いエゴを露出してるな。
すぐに相手を見下そうとするのはエゴに支配され切ってる奴のすることで、みっともないぞ。
137 :
名無しさん@3周年 :03/11/02 20:22
>>はにょ丸 ところでさ、主客一体という言葉は、 Kやosho、他の人では同じものをさしているのだろうか。 最近oshoの著作を読んでるのだが、 どうも違うような気がするんだよね。
138 :
ここで休憩 :03/11/02 21:42
「愛は自由の子である。」(クリシュナムルティ)
139 :
名無しさん@3周年 :03/11/02 21:57
>>120 >おそらく質問者が自分のことばかりに気を取られているためにそう言ったんだろうが、
>Kの普段の言い回しとは違うね。
それ故に言葉に拘ればどうなるだろうか。
つまり問題は「彼岸」か「此岸」か、「思考」か「生」か、「主」と「客」は一体か否か、
ではない。名付ける者は名付けられる者だ。確かに。
140 :
名無しさん@3周年 :03/11/02 22:10
あまりにも言葉が少なかったか。つまり「彼岸」か「此岸」かの問題ではなく、 その二つの葛藤、思考の分裂がつまり「思考」「生」、「あるべきもの」「あるがまま」、 「私」「客」でもあると言うことだ。
>それ故に言葉に拘ればどうなるだろうか。 Kも言葉にはこだわっている。 またしても用語法の問題に逃げるつもりだろうか。
142 :
名無しさん@3周年 :03/11/03 00:35
>>141 「用語法」か。まあ、つまり私とあなたの話し合いは不毛だって事だよ。
ここであなたは絶対にあなたを退こうとはしないだろう。言葉を使えば
逃げ回る事は幾らでも可能だ。特にそれを信用する者には。どちらに
せよ、私もあなたも己の事が分かるのは己だけだ。
>>142 ということはあなたは根気良く対話をし続けたKの生き方を否定するわけですね。
まああなたは親鸞の方がお気に入りなんでしょうが。
>>137 僕は皆同じものを差していると思っているよ。
ただ僕がoshoとkを「見て」みた限りではoshoの方がサハスラーラの機能
が強くてイっちゃってる感じがする。
kの方はむしろ第3の目の方が強く働いている感じ。
これはいかに言葉で伝えるか、という事に苦心した結果だとも思う。
でそれはこの2人の言葉の違いにも表れていて
oshoがエゴとの非同一化を語ったのに対して
kは主客一体を直接語っていた。
で親鸞の教行信証にはその両方が語られている。
ニサルガダッタ・マハラジとかダグラス・E・ハーディングでも
それは共通してる。
>>144 サンクス。
でも、やっぱり違うんだ。いや、俺らの場合では、
それが判らなくても違うと仮定しておいたほうがいい。
正確な意味では、はにょ丸が”主客一体”と言うときと、
Oshoのとき、kのとき、すべて違う。
”同じ”といってしまったら、そこで停まってしまうんだよ。
その上のこと、つまり見かけとか個性とかの違いを探ったところで、
俺たちの理解には役に立たないと思うんだが。
146 :
名無しさん@3周年 :03/11/03 14:13
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
147 :
名無しさん@3周年 :03/11/03 15:03
Kは主客一体を語っているとハニョ丸は書いているが、Kの著作を読んでいても、 まだ一度も主客一体という語を俺は見たことがないので、 なぜハニョ丸がそういうのか良くわからない。 俺の印象としてはKは気づきについて語っていることが多い。 他には静けさとか愛とか静ひつなとかそういうのが多いと思う。
>>147 主客一体=見るものは見られるもの
しかし韓国強いな。キムチ食うとああなるのか。
149 :
名無しさん@3周年 :03/11/03 20:24
昔思考覚醒(ヴィパサナ)と野口整体の活元運動をやっていたら 立ったまま活元がでるようになった。 (活元というのは気功でいう自発動功で勝手に体が動きだすこと。) そのときは学生で学校は休みだったので飯と糞と風呂以外は 座っているか活元で踊っているか。 完全明け渡し状態。 そうすっとしまいには一日に浮かぶ思考が7個ぐらいになって しかも丹田がパンパン。 座れば完全に満たされてて存在しているだけで幸せ、って感じ。 思考が減ると観察者だけになる。 ほんでもっと行くと観察者すら消えてしまう。 僕がkに興味を持ったのは技法によらずに 直接最終地点まで行けそうな可能性を感じたから。 だけれども今僕の覚醒はとても荒い気がする。 技法で感じたような精妙さは感じられない。 解消すべき心理的記憶がたまってるんだろうな。
151 :
すぅ ◆GxRz7tt9ME :03/11/03 20:55
∧_∧ 今日はハショチャンのお宅訪問です ( ・∀・) 太股ばかり鑑賞して ( ) ムラムラしないでね、お・ね・が・い! | | | ポンポコに反歌書きまちた。 アソンデネ (__)_)
152 :
名無しさん@3周年 :03/11/03 21:13
>>はにょ丸。 覚醒って程のものでもないんじゃないの? 文章で読む限りでは、気功というかエネルギー的にいっちゃっているが、 覚めているという感じはしない。
まあ、主客一体の感覚を得ると、他者が「わたしはこんな人間なんです」と アピールしてくるのがウザくなる(w それらは妄想でしかないと気づいてホスイ。 慈悲の念が足りないのかな俺(w
154 :
すぅ ◆GxRz7tt9ME :03/11/03 21:20
>ほんでもっと行くと観察者すら消えてしまう 同じ様な事をして やはり、何もかも消えてしまったケド 充満した感じって経験有り。 デモ周りの諸氏からは 「おい、お前目が逝ってるぞ」って 言われたけどね。 >解消すべき心理的記憶がたまってる これは自身の思い込みってトコが多い(と、思う)
いやあ、「解消すべき」というより、「燃やすべき」と捉えたほうが いいんじゃないかな。チベット密教でいうところの「苦行」とは「タパス」 というけど、そのまま「燃やす」という意味。あと、トパーズという宝石の 語源も同じ。
156 :
名無しさん@3周年 :03/11/03 21:36
>>555 慈悲の念とかいっているあたり、君の主客一体の感覚とやらも、
妄想かもしれないと考えてみてホスイ。
というか、エゴがなくなった時点で、自動的に主客一体になるよね? エ?チガウノ?
158 :
すぅ ◆GxRz7tt9ME :03/11/03 21:47
瞑想がお好きな方々とか 心療内科とかに多いんだけど 「幼少期の出来事が自身の歪みをつくった」 と考えている厨房。 実は自身の思い込み・幻想って事が多い。 だから「燃やす」とか「解消」とか 考える前に 本当にそれは実在するのか?? と、自身に問いかけるのが先だと 厨房は考えますが… 諸氏、如何でしょうか??
159 :
すぅ ◆GxRz7tt9ME :03/11/03 21:48
160 :
名無しさん@3周年 :03/11/03 21:56
>>555 エゴがなくなるって?
たとえば、激しい運動をして疲れきって自分がいなくなったような感じ。
まさかこれを主客一体とでも思ってるの?
161 :
名無しさん@3周年 :03/11/03 21:59
>>すう >実は自身の思い込み・幻想って事が多い。 君が君と思っているのと同様に、本人にとっては 紛れも無い事実だからね。難しいと思うよ。
>160 これは瞑想のときに起こる状態。 >161 心の内部の状態に紛れも無い事実なんかあり得ないだろう? もうちょっと詳しく書くと、それは「(否定的な)意識のフィードバックループ」 で、ただ単にループの外に出ればいい。まあ、それが簡単にできるとは言わないが 基本的にそういうこと。
日本が勝ったな。 やっぱりたくましい女はいいな。
164 :
名無しさん@3周年 :03/11/03 22:22
>>555 だから、その瞑想というのを気楽に考えていないかい?
ちょっとばかりいっちゃったのを瞑想と思っている感じがする。
エゴ(自我)がなくなるってのは大変なことだと思うけど。
161も俺ね。
あり得なくても、”本人にとっては”事実なんじゃないの?
書き方が気楽だから、気楽に考えていると解釈しないように。 ただ、エゴがなくなる状態というのが「大変」なことだというのは確か。 こういう言い方ができるかな?なにかとんでもなく偉大なものを見た(あるいは聞いた) 瞬間、あまりの感動に日常のちまちましたエゴが吹っ飛んで「茫然自失」とするだろう? それがその状態の鳥羽口。
>>164 というか僕の感じで言うと思考の外に出るのは割と簡単だけど
すぐ戻っちゃう。
身体性と知性が成熟してれば思考の外にいながら
思考を使えるようになると思うんだけど。
555の言う「瞑想」にはいまいち身体性が感じられないな。
>166 おいおい。俺はレイブが始まる前から毎日のように踊り狂ってたんだぜ? キチガイヨバワリサレタケド
168 :
すぅ ◆GxRz7tt9ME :03/11/03 22:49
>>165 は判んない。
でも
>>162 のループは
「そうなんだよ」と言いたい。
再度自分自身、奥のその奥まで見直して
そして、記憶の前から見直して…
自身に問いださす。
(あっ… 此れが瞑想か。失礼!)
>やっぱりたくましい女はいいな
太股ばかり見ないでよ。 や〜ねぇ!
へえーなるほど。 君の知性はちゃんとペニースとつながっているというわけか。 僕も瞑想知る前はライブハウスで暴れて追ん出されたりしたけど カタルシスってのは身体性そのものじゃないからねえ。 まあ、すこし誤解してたのは認めるよ。
いや悪いけど、「暴れる」と「踊る」って正反対なんだけど、 なんかここはひょ丸のスレなのにつっかかるようなことばっか書いてごめんな。 まじに悪気はないんだけどさ。
いやいいんだよ。 もともと上の瞑想体験を書いたのは555のkスレには身体性が 感じられない、という言葉に喚起されて書き始めたんだけど (書いてたら君がちょうど来た)途中でやめた。 仮説でしかない内容だったから。 ここは僕のスレじゃないよ。 主客一体のスレ。(だと思う)
172 :
名無しさん@3周年 :03/11/04 00:18
そっか、俺は主客一体という言葉で、クリシュナムルティの言うような瞑想、 とか、マホメットに降りたもの、イエスに語らしめたもの、みたいなものを イメージしてたからな。もっと恐ろしく、まともに出会っては キチガイになってしまうような。歴史がぐるりと動いてしまうような。 感じかな。踊ってたらくる、というものじゃないな。 はにょ丸や555がいってることも確かにあると思う。 そういうのも瞑想という言葉を使うからね。 でも、だいぶ違うな。
こら(w>172 踊ってたらくるんじゃなくて、瞑想してエゴがお亡くなりになった結果、 踊りだしちゃったの。な〜にが「そういうのも」だクヌヤロ(w ただ、確かに君のその主客一体の解釈(イメージ)は普通言われるそれと違うね。君が言いたいのはえーと ブラーマンとアートマンの一体化みたいなことだろって、俺が書いてること分かってくれっかなあ・・・。 はひょ丸、あとは任せた。
あ、チャネリングのことかあ。うーん、この話続ける?
あ、でも、たいていの場合「狂気」を通り過ごすハメになる(wのは確かだから、 「キチガイになってしまうような」 というのは言えてるな。そういうところが、瞑想の危険さではあって、 できるだけ、信頼できる熟達者を見つけて教えてもらうようにしたほうが いいと思う。もちろんカルトには気をつけて。 一番簡単なカルトの見分け方は、その組織があなたを「拘束」しようとするか どうかで、まともなところだったら、自由に動けるようなところであるはず。
一人で外しまくっているな。
>踊ってたらくるんじゃなくて、瞑想してエゴがお亡くなりになった結果、踊りだしちゃったの。 踊りだしたと言うことは、まだ身体的なエゴ、思考が終焉していないということ。 Kが思考という時は感情や、肉体の思考、働きをも含んでいる。 グルジェフは感情、知性、肉体の3つのセンターに分けて説明し、 それら3つのセンターのエネルギーを調和的に使い切ることだと言った。 どれか1つだけ働きが止んだとしてもそれはGやKの教えとは違う。 グルジェフは様々な道を4つの道に分類して説明した。 そのことは知っているだろう? 第1の道が身体的な道、第2が感情、第3が知性、そしてグルジェフの言う自己想起を伴う理解の道が第4の道。 踊りに夢中になるのは第2の感情の道の要素が強いな。
身体的なエゴというのがなんのことだか分からないっす(w グルジェフのたとえを持ってきてみると、「超自我の喪失」が起きたと思ってる。 どの本だか当ててみ?(w >踊りに夢中になるのは第2の感情の道の要素が強いな。 初めて聞いたなその説は。君が勝手にそう決め付けてるだけのように思えるが。 まあ、いいたいことは分からなくもない。感情、知性、肉体のセンターのバランスが取れると「クール」になるということだろう? あと、一人で外してるんじゃなくて、GやKを引用することなく、分かりやすい言い方で 書こうとこころがけているからであって、いくらでも難しくできるが(w 読んでる人が理解できないと意味ないだろう?君の文はGを読んでない人には理解できないぞ? まあ、正確なグルジェフ評として、「意識の進化と神秘主義」、ごめん、著者失念した、 を、一読されることをお勧めする。この本は凄くいいよ。
河豚が2匹。。。
>身体的なエゴというのがなんのことだか分からないっす(w 君はエゴを言語的な思考や欲望としてのみ捉えているだろう。 もしエゴが本当に終焉したなら、その時には君は踊れない。 踊るための肉体的なエネルギーも全て使い切った時にしか、本当の意味でのエゴの終焉は訪れない。 踊ったということは、君の中に君が気づいていないかもしれないエゴが残っていたということに他ならない。
ポカーン。えっと(w、オッケー、これもつっかかるわけじゃないんだが、 エゴが「踊る」ことを抑圧している場合がほとんどなんだが。 まあ、要するに君は踊りたくなるような状態には入り込んだことがないんだね。 もちろん、禅では踊り狂うような悟り(wを「魔境」として戒めているというのは あるけれど、君が言ってるのはそういう意味でもなさそうだし。 だがしかし、Kが 「踊るための肉体的なエネルギーも全て使い切った時にしか、本当の意味でのエゴの終焉は訪れない」 なんて言い方はしないと思うぞ?オッケイ?
>「踊るための肉体的なエネルギーも全て使い切った時にしか、本当の意味でのエゴの終焉は訪れない」 > なんて言い方はしないと思うぞ?オッケイ? Kはエゴではなく思考の終焉という言葉を使う。 そして、その場合、思考とは言語的な思考だけなく肉体的な思考、感情も含んでいる。 思考が終焉したその時は肉体的なエネルギーを一旦全て使い切った時でもある。 だからそういう時には踊る体力なんて当然残っていない。 >君は踊りたくなるような状態には入り込んだことがないんだね。 あるよ。トランス状態になってハイになる。 だがそれは感情的なエネルギーの放出による快感と肉体的な爽快感に因るものだが、エゴはまだ残っている。 エゴが本当に吹き飛んだら、君は真理を見い出すだろう。 しかし真理を見い出さずに君は戻って来てしまった。それは本当の意味でエゴが終焉したとは言わないし、 思考の終焉でもない。
>>踊りに夢中になるのは第2の感情の道の要素が強いな。 >初めて聞いたなその説は。君が勝手にそう決め付けてるだけのように思えるが。 グルジェフに因れば感情の道とは熱狂的に信仰心を持っていて壁に頭を打ち付けて、 トランス状態になって真理を見い出そうとするような人の道だと「奇跡を求めて」の中で説明している。 レイヴで踊り狂ってトランス状態になる精神状態とよく似ている。 >まあ、いいたいことは分からなくもない。感情、知性、肉体のセンターのバランスが取れると「クール」になるということだろう? 単にクールになると言うことではない。 グルジェフを読んでいるなら主観的意識という言葉を見たことがあるだろう? 第1から第3の道では主観的意識を見い出すことはまずあり得ない。 感情、知性、肉体のセンターのバランスが取れないと、主観的意識を見い出せないからだ。
>正確なグルジェフ評として、「意識の進化と神秘主義」、ごめん、著者失念した、
>を、一読されることをお勧めする。この本は凄くいいよ。
ttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0366.html ↑この本のことだな。読んだことはないが、グルジェフ以外の人にもたくさん言及してるようだな。
こういったオムニバス的な本のグルジェフ評にはいいのが滅多にないから、あまり興味は持てないが、
本屋で見かけたら立ち読みしてみるよ。
>グルジェフのたとえを持ってきてみると、「超自我の喪失」が起きたと思ってる。
>どの本だか当ててみ?(w
超自我というのはグルジェフの用語ではないし、Kの用語でもないな。
ハイヤーセルフってやつだろ。正直言って興味がない。
うん、まあ思考が終焉していないのは確か(wだし、肉体的なエネルギーを 使い切ってないのも確か。だけどエゴはないよ(w 繰り返すけど、 >思考とは言語的な思考だけなく肉体的な思考、感情も含んでいる。 思考が終焉したその時は肉体的なエネルギーを一旦全て使い切った時でもある。 ということをKが言ったのかい? とてもそうは思えないのだが。
超自我がハイヤーセルフだって?ははは。 キャサリン・リョルダン・スピースとウスペンスキーが使ってたんだが、そういや グルジェフ自身が使ったのは読んだことないな。そこんとこだけ(w 君に一票。超自我というのはフロイトが言い出した心理学用語だけど、 このぶんだと君はフロイトも読んだことがないわけか。
あと、「主観的意識」じゃなくて「客観的意識」だろう? まあ、落ち着け。
>ということをKが言ったのかい? 言っているよ。ただし、もっと長い文章で書いてるから原文そのままではないが。 Kが思考と言う時に感情や肉体の働きをも含んで話している箇所はたくさんある。 その上で思考の終焉と語っているのだから、感情や肉体の思考も終焉した時ということになるだろ。 >まあ思考が終焉していないのは確か(wだし、肉体的なエネルギーを >使い切ってないのも確か。だけどエゴはないよ(w 要するに君はエゴと思考が同じではないと捉えているわけだな。 だがエゴとは自我のことだろ。Kの著作に「自我の終焉」というのもあったな。 悪いがこれはまだ読んでいないが、 自我が終焉すると言うなら肉体や感情的な思考(自我、エゴ)も終焉しないと自我の終焉とは言えないぞ。
もういいや(w
>超自我がハイヤーセルフだって?ははは。 >キャサリン・リョルダン・スピースとウスペンスキーが使ってたんだが、 そうか、最近レイキヒーリングとやらのHPをたまたま見て超自我、ハイヤーセルフとか書いてあったから、 それを持ち出したのかと思ったよ。 他にもニューエイジ思想とかトランスパーソナルとかで出てくる用語だな。 グルジェフはもっと具体的に表現するから、超自我という用語は俺は使う気にはなれない。 フロイトなんて興味ないよ。全く読んだことがない。俺にはグルジェフとKで充分。 「知識が多であることは美徳ではない。」とKも言っているだろうw >あと、「主観的意識」じゃなくて「客観的意識」だろう? おいおい、主観的意識というグルジェフ用語も知らないでグルジェフを語っているのか? 人間5番は主観的意識を持っているが、それは第1から3の道ではほぼ獲得不可能だと「奇跡を求めて」や、 「ベルゼバブ」などで説明しているのを君は知らないんだろうか。 客観的意識は人間6番と7番が獲得している意識だとされている。 しかし第1から第3の道でも主観的意識を持っていない人間7番になることが可能かもしれない、 ということをグルジェフは仄めかしている。 しかし、その場合、その人物は主観的意識を持っていないため、 自分に何が起こったのかきちんと把握できないままということになってしまう。
すみません、もう良く分かんなくなってきました。降参です。
はっ、ということは今の俺が主観的意識を持ってない状態なのか!
正直グルジェフ用語と言われてもなにがなんだか。 たださ、普通一般的な言い方で主観的意識と客観的意識の区別をつけると 後者のほうが公平な物の見方だとされるよね?そのへんになにかありそうだ。
>はっ、ということは今の俺が主観的意識を持ってない状態なのか! ハイになってトランス状態のような時は客観的意識が働いている時もあるが、 しかし時間が過ぎるとそれは失われてしまうだろう? 君がどういう状態かは知らないが、主観的意識も客観的意識もごく短時間、 普通の人にも働いていることがある。 だがごく短時間で、すぐ消滅してしまう。 本当にそれを獲得するにはいつでもどこでも自己を想起することだとグルジェフは言っている。 それが第4の道。 >正直グルジェフ用語と言われてもなにがなんだか。 >たださ、普通一般的な言い方で主観的意識と客観的意識の区別をつけると >後者のほうが公平な物の見方だとされるよね?そのへんになにかありそうだ。 実際その通り。 「公平無私である」というのが主観的意識と客観的意識を獲得し、 真理を見い出した人間7番の状態だというのがグルジェフの言葉だ。 しかしどちらかが欠けていればそれはまだグルジェフの言うところの「公平無私」ではない。
ああ、じゃあさ、たとえば、GやKを知ることもなく、その「公平無私」な 状態に在る人もいるのかな?いそうな気がするんだが。 まあ、ほとんどいないだろうというのは分かるけど(w
>194 ああ、この書き方で分かったけど、ちょっと前まで良くいるタイプの連中かと 誤解してたよ。正直すまんかった。ちゃんとグルジェフ読んでるのが分かります。 スーフィズムとかは詳しいんですか?
そういやイスラム世界ではスーフィって異端なんだよな。 えっと、ここ何のスレだっけ?主体客体か。主観と客観をテーマにすると 話が広がっておもしろくなるかな?
>ああ、じゃあさ、たとえば、GやKを知ることもなく、その「公平無私」な >状態に在る人もいるのかな?いそうな気がするんだが。 もちろん居ないとは言えないし、グルジェフは自分の教えを自分の独自のものではなく、 古代の叡智を集めて総合したものだと言っていたわけだから、居るのか、居ないのか、 ということであれば勿論過去にはGやKのことなど何も知らなくてもそういう状態になった人も居ただろう。 現代でも探せばどこかには居るかもしれない。 グルジェフの教えも、Kの教えも超人になることではなく、 語の厳密な意味での「正常な人間として存在する」ことについての教えだから、 どこかにGやKを全く知らずにそういう人間として存在している人が居ても不思議はない。 しかし君の言う通り殆ど居ないだろうが。 >スーフィズムとかは詳しいんですか? 全然詳しくないよ。 グルジェフの教えはスーフィズムの影響が強いという意見が主流だったが、 最近はそうではないんじゃないかという意見が結構出て来てるのは知ってるが、あんまり興味がない。 自分が興味があるのは、まずは自分自身が人間7番として存在できるかどうか、ということで、 人間7番として存在できるなら、GやKも本当はどうでもいいのかもしれない。 今日はもう寝る。続きはまたいつか。
555ってへたれやなあ(激笑)
寝てたらこんなにのびてる・・・・。 555は正直だな。 kにもgにも詳しいであろう198に聞きたいんだけど oshoの「gの教えは第5身体まで役立つ。 kの教えは第5身体以後に役立つ。」 というコメントをどう思う? 第5身体というのは意志力、結晶化(=主観意識?)のこと なんだけど。
202 :
名無しさん@3周年 :03/11/04 10:49
肉体的思考って何?エロ本見たらチンポが立つとか? さっきの例なら踊りたくなってしまう衝動、欲望とかの 事? 俺もグルジェフ読んでみたいんだが、それらが知識と して入ってしまうのが恐い気もする。
>oshoの「gの教えは第5身体まで役立つ。kの教えは第5身体以後に役立つ。」
>というコメントをどう思う?
>第5身体というのは意志力、結晶化(=主観意識?)のこと
別にどうとも思わない。ラジニーシは殆ど読んだことがないから第5身体がなんなのかもわからない。
ただし、ラジニーシはグルジェフやウスペンスキーの著作をいくつか読んでいたようだから、
もしその第5身体がグルジェフの言う人間5番と同じものを指しているのなら、
ラジニーシがGやKを誤解しているか、
あるいはGやKより自分の言葉に集中するように弟子達に言った詭弁だろうと思う。
自分がGやKを読んだ感想としては、GもKも人間1〜7番の全ての人にとって、ある程度は有効だと思う。
GとKの大きな違いの一つはGは少数の人に集中して教え、Kは大勢の聴衆を前に講話することが多かったこと。
だから普通に考えればKよりGの教えの方が個人的で、
世間には殆ど存在していない人間5番以上にも役立つ部分が多いだろうと思う。
ラジニーシの主張とは逆だということになるね。
もう一つの大きな違いはGはダンスやエクササイズをたくさん教え、
Kはそういった肉体的な鍛練にあまり肯定的ではなかったこと。
もしかするとラジニーシはそういったダンスを見て第5身体までは役に立つと言ったのかもしれないが、
人間5番であっても肉体的な鍛練がある程度必要であるというのがGの教えだから、
そういう見方が正しいとも思わない。
ダンスはGの教えの一部分でしかないし。
それと、Gのいつでもどこでも自己を想起せよという言葉と、
Kの言う無選択の気づきという言葉の中身は殆ど同じだと思えるから、片方は第5身体以上に役立ち、
片方が役立たないというようなことはあり得ないだろう。
↓のサイトに紹介されているラジニーシの言葉の中では、
ラジニーシは「グルジェフは完璧なマスターだった。」と言っている。
ttp://member.nifty.ne.jp/MRG/osho_1.htm
>肉体的思考って何?エロ本見たらチンポが立つとか? 違う。それはグルジェフ的に言えば性のセンターの働きと、 フォーマトリー・アパラタス(連想器官)が大きく関係している。 フォーマトリー・アパラタスの主な働きは連想することだ。 エロ本を見てその女を抱くことを連想するのはフォーマトリー・アパラタスの働きに因るもので、 その連想とエロ本の女の裸という視覚刺激が性のセンターと肉体のセンターを動かす。 だがグルジェフに因ればそれは正常な性の働きではない。 連想に邪魔されて性のエネルギーが正常に作動することは殆ど無くなっているというのがグルジェフの指摘。 (わかりにくいかもしれないが、わざとグルジェフ用語を多用してみた。)
>さっきの例なら踊りたくなってしまう衝動、欲望とかの事? グルジェフは一つのことを説明するのにいつも同じ用語を使うのではなく、 いくつかのパターンを使い分けていた。 だからたくさんあるグルジェフ用語を把握するのは最初は大変かもしれない。 しかし、それらの用語はある種の法則(3の法則、7の法則など)にきちんと沿って組み立てられているから、 その法則がある程度理解できれば、聞いたことがない用語が出て来てもすぐ把握できるようになる。 有名なパターンの一つは人間は思考、感情、肉体の3つのセンター(からできているというもの。 世界中のどの人間も人間1番(肉体のセンターの働きが優勢)、人間2番(感情のセンターの働きが優勢)、 人間3番(思考のセンターの働きが優勢)のどれかとして生まれてくる。 そして適切なショックを受け取ることができれば人間4〜7番に成長できるかもしれない。 人間7番のみが語の厳密な意味での「正常な人間」と呼ばれ得るが、 地球では何百年あるいはそれ以上の長い期間の様々な悪癖や悪環境などの為、 世界中の人間の殆ど全ては人間1〜3番として生まれ、 人間4〜7番には成長することなく死んでいるというのがグルジェフの話すパターンの一つ。 人間1〜3番が人間4番になったり、5〜7番になったりすることをグルジェフの用語で結晶化と言い、 一度結晶化したら下の段階に落ちてしまうことはない。 こう書くとどこがKと共通しているのかという疑問もあることだろうと思う。 しかし、Kが思考の終焉とか、開花と言う時などに、 思考という言葉に世間一般での言語的な思考という意味だけでなく、 感情の働きや肉体の働きをも含んで話していることはKの著作をいくつか読めばわかって貰えることだと思う。 上に書いたフォーマトリー・アパラタスは思考のセンターの中の一部分だ。 555の人のような踊りだす精神状態は、 一時的にこのフォーマトリー・アパラタスの活動が止むことで起きたハイな状態だろうと思う。 しかし、感情のセンター、肉体のセンターのエネルギーが残っているから踊ることができるわけだ。 思考、肉体、感情の3つのセンターが調和的に成長しなければ、人間7番として存在することはできない。
206 :
名無しさん@3周年 :03/11/04 23:55
しかし肉体センターの動きが止まれば心臓も止まるとか?
207 :
名無しさん@3周年 :03/11/05 00:04
>>204 確かにkは観念、概念、言葉があるがままに介される時、
全的な理解はないと言った。確かにイイ女と当たった
時には、邪念は雑念だ。
>しかし肉体センターの動きが止まれば心臓も止まるとか? 肉体センターの働きが止まったら死ぬよ、確かに。 グルジェフの教えは思考、肉体、感情のセンターの全エネルギーを一旦調和的に使い切ることで、 その場合肉体の死ではなく意識の死、あるいは自我の終焉が訪れることになる。 死と再生だよ。 蝶に例えれば、幼虫からさなぎになって蝶になるだろ。 それは青虫の生が終了してさなぎになり、蝶として生まれ変わることだ。 人間も同じ。一度意識の上で死ぬことで、真の人間として再生できる。 Kだって講話で何度も死を生きたままで理解することができるはずだというようなことを言っているだろ。 Kは自我の終焉と、開花という語を同じような意味で使っている。 終焉とは一旦自我が死ぬことだし、Kも死をテーマに話していることがたくさんあるだろう?
209 :
名無しさん@3周年 :03/11/05 00:26
しかしkとグルジェフの一番の違いは、kは方法を否定し、 グルジェフは様々な方法や言葉を活用している所だと 思うがどうだろうか。
210 :
名無しさん@3周年 :03/11/05 00:29
>>208 ああ、肉体センターの働きが止まるのでなく、エネルギーが
無くなるのか。しかしエネルギーが無くなる=働きが止まる
ではなく、、、。そこら辺が雲を掴むような話でちょっと難しい。
211 :
名無しさん@3周年 :03/11/05 00:38
そしてkを読んでいると確かに自我の終焉を言っている。 でもそれを読む限りではその自我は精神的にあるだけの 物なのか、精神的にも肉体的にもあるもので、その両方が 滅する事なのかまでは分からないなあ。 つまり人間の意識、無意識も表層の物も含めてそれを築いて いるのはイメージや概念等の精神的な物だけなのか、はたまた グルジェフが言うような肉体センター等の別の何かがあるのか。 そこら辺が分からないよ。
>>209 グルジェフは一時的にでも役立つものであれば取り入れるが、
Kはいつも役立つものでなければ否定するという傾向があるとは思う。
それとグルジェフは若い頃は友人達と様々な地域を旅してまわり、皆が学んで来たことを総合したわけだから、
神智学教会の中で育てられて来たKと違って、歴史の積み重ねによる知識や理解があったように思える。
逆にKは一人だったから、それゆえの純粋さがあると言えるかも。
>>210 肉体のセンターとか1つのセンターだけではなく、
3つのセンター全てのエネルギーを調和的に使い切る必要がある。
蝉だって幼虫から成虫になる時、木の幹で一旦動かなくなって、
それから脱皮するわけだが、羽化したばかりの蝉は真っ白で、
そして朝を迎える頃までにだんだん茶色くなるだろ。
213 :
名無しさん@3周年 :03/11/05 00:48
そしてkやシュタイナーに対しては詩に取り組む様な態度が 読者には求められていると思うのだけれど、グルジェフの場合は ダンスもしたりする。これは俗に言う体で学べとかの意味合いを 感じるのだが、、。(シュタイナーにもダンスはあるが、絶対 必要ではない様だ。)
214 :
名無しさん@3周年 :03/11/05 00:58
なるほど。幼虫の話は何かを教えてくれてるね。
>>212 >Kはいつも役立つものでなければ否定するという傾向があるとは思う。
kの場合はそれ以上に方法が有害だと言っていると思う。
>>111 にもある様に、「どうやって」と問う事は問題から逃避する手段、
心理的時間、つまり今ある物の理解に概念が介されると言っていると
思うがどうだろう。
215 :
名無しさん@3周年 :03/11/05 01:05
つまりその三つのセンター全てが理解できる言語があり、それで 方法が記述されていればその方法は真の方法として時間を超える けど、やはり言語は言語だし、分かってない人がそのつもりになっちゃう 事もあるだろう事が危ういとは思うんだけどな。 ダラダラすまんそ。寝るわ。
>>211 Kは感覚という言葉を時々使うね。
感覚という言葉は肉体と直結してると思うから、そこから読み直してみると、
Kが思考の終焉という時に言語的な思考だけでなく、
肉体的な思考も含んでいると俺が書いた理由を理解して貰えるかもしれない。
>kの場合はそれ以上に方法が有害だと言っていると思う。
その場合の方法とはGの言う自己想起を伴わないものだからね。
例えば気づきという語をKはよく使っているけど、自分の肉体の動きに注意深く気づきながら踊るなら、
それはKの否定した方法、手段とは何かが違ってくるだろう。
そしてGのダンスとは単に上手に踊るためのものではなく、
自分の肉体のパターン(Kの言葉で言うなら条件付け)に気づくことを目的の一つとしているから、
普通の意味でのダンスとは大きく違う。
217 :
名無しさん@3周年 :03/11/05 02:39
アジズの話が出てきてないけど、彼についてはどうです?
218 :
名無しさん@3周年 :03/11/05 03:21
アジズには興味ないです。
219 :
名無しさん@3周年 :03/11/05 04:09
Why?
レスサンクス。 面白いな。 これだけちゃんとGについて語れる人ははじめて見た。 Gとk読んでるとGはとりわけ意志とか、コントロールの視点から 語っているように見える。 kにおいては最初からコントロールとか意志的な事は否定しているように 見える。 認識がすべてでコントロールする者はコントロールされるもの、って 感じだから。
>瞑想がお好きな方々とか >心療内科とかに多いんだけど >「幼少期の出来事が自身の歪みをつくった」 >と考えている厨房。 正確には幼少期の出来事に対する感情的解釈が現在の歪みとなっている、 ということだと思う。 >実は自身の思い込み・幻想って事が多い。 正にその通りだね。でもその思い込みが認識されない限り 未解消の感情はその人の内部で存在し続ける。 >だから「燃やす」とか「解消」とか >考える前に >本当にそれは実在するのか?? >と、自身に問いかけるのが先だと >厨房は考えますが… >諸氏、如何でしょうか?? それが存在しない、とは言いがたい。 本人はそう思っているかもしれないけど無意識に押し込んだ感情ってのは かなりあるんじゃないか。 で、それらは認識した時点で解消され得る。
222 :
名無しさん@3周年 :03/11/06 00:01
子供時代の親や家庭の影響はめちゃめちゃ大きいよ。 例えば外国語を習得するには10歳前後まで、 というのが経験的に分っているが、 最近ではこの時期に言語中枢の回路が出来上がってくるということが 医学的にも確認されている。 いったん脳の回路が出来上がってしまうと、 出来上がったパターンから抜け出すのは容易じゃない。 純粋に心理学的なことで、というより、 薬で鬱が治たっりするのは、それが原因で脳に影響がでてるからだろう。 逆にいえばそれだけ環境の影響や心理的影響が大きいということなんだね。 子供時代の虐待が幻想だ、というのはフロイトの時代から言われているが それは絶対に違う。
223 :
名無しさん@3周年 :03/11/06 00:52
幻想かどうかということはたいして重要ではなく、今現在、それにどういう意味づけを付与するか、 ということなんでしょうね。だから過去生療法で効果があった、という場合なども、 本当にそういう前世を生きていた、というよりも、そのような設定に仕立て上げることによって 因果関係という方程式の中に翻訳すれば、すんなりと答えが出てきますよ、ということなんで。 今流行っているTFT療法なんかもその典型だと思いますね。
224 :
名無しさん@3周年 :03/11/06 02:46
225 :
名無しさん@3周年 :03/11/06 16:06
人間7番として存在したいと思う気持ちはエゴではないのか?
>いったん脳の回路が出来上がってしまうと、 出来上がったパターンから抜け出すのは容易じゃない。 だが、それは不可能ではない。非合法だが、LSDが効果あることは良く知られている。
227 :
名無しさん@3周年 :03/11/06 18:08
ベルクソン読んでる香具師いる?
俺読んでる。 まあグルジェフ関係の話題がつながっているのでレスすると、瞑想直後オモテに 出ると、明らかに人々が「機械」的だなあとは良く思う。 あと、フォーマトリーなんだっけ?連想器官の話だけど、エロ本みて妄想するという 例えはオカしいような気がする。単に自我が過去の自己像の延長として連想的につらなって いることをそういったんじゃなかったっけ。うーん、これも違うな。 おい、俺をへたれよばわりしたキサマ。「演技」ぐらい見抜けよ(w
>だが、それは不可能ではない。非合法だが、LSDが効果あることは良く知られている ここで言われていることはそういうことじゃないと思うんだが・・・・・。 ドラッグやっても潜在意識に否定的なデータがあれば体験に確実に 影響を与えるしね。
230 :
名無しさん@3周年 :03/11/06 20:05
なんかよくわからんが、ドラックで主客一致体験しても、一時的なものだし現実に繋がる事ってないんじゃない?
誰がドラッグ(LSD)で主客一致体験ができるなんて言ってるんだ? デキルケド
232 :
名無しさん@3周年 :03/11/06 20:30
>231 いや、スレ読んでなかったんで雰囲気で発言したんだ。見当違いだったら誤るよ。
233 :
名無しさん@3周年 :03/11/06 20:31
>19 心理的記憶以前に生物学的記憶もあるんじゃない?
234 :
名無しさん@3周年 :03/11/06 20:45
>これだけちゃんとGについて語れる人ははじめて見た。 まぁ、それが彼の最大の弱点かもしれないけどな。 なんとなく。
マジレスだけど、グルジェフが「将来、我々は丸薬を飲むことによってそれを 達成できるだろう」と言ってたのがあったが、それとLSDって似てると思わないか? どのくらいの「体験者」がここにきてるのかはともかく(w
236 :
◆GxRz7tt9ME :03/11/06 21:24
アシッド ブラウン コーク エク スピード etc… 全て心底はまって そして人生の何かを失った。 失うだけだよ。 何一つ達成は出来ない。 ただ失うだけ…
・・・分かった。スマソ。
それはご愁傷様。さて葉っぱでも吸うか。
>>220 >Gとk読んでるとGはとりわけ意志とか、コントロールの視点から語っているように見える。
>kにおいては最初からコントロールとか意志的な事は否定しているように見える。
これはGとKの根本的な違いではない。
Gは人は意志や意識を持っていない、持っていると空想しているだけだと指摘し、
その上で様々な言葉を展開している。Gによれば真の意志や意識を持っているのは人間7番だけだというわけだ。
Kは人は意志や意識を持っていると認めつつも、それは思考の領域のものでしかなく、
思考の領域の外に途方もない何かがあると言っているが、
この途方もない何かがGの言う真の意志や意識であることに気づけば、
これらは表面的な違いに過ぎないことがわかる。
>>225 そうだよ。エゴだよ。グルジェフ的に言えばエゴは全くの不要物ではなく、
人をある程度成長させるのに必要なもの。
ただし、増大するとかえって成長の妨げとなる。
要はバランス、調和の問題なんだよ。
>>235 >グルジェフが「将来、我々は丸薬を飲むことによっ>てそれを達成できるだろう」と言ってたのがあったが
一度もそういう記述は見たことがない。
少し似たような記述がどこかにあったのは記憶してるが、それはあくまで変容の比喩としての意味だった。
グルジェフは基本的にドラッグの使用には否定的だった(100%禁じていたわけではないが。)
あー。真の意志や意識って「本質」のこと?
>>240 Gはある時は人は3つのセンターからなる3脳生物だと言ったが、
別の時には人は人格と本質の2つの部分からなっていると言っていた。
しかしGの言う意志や意識とは、人格と本質が調和的に成長した時にのみ獲得できるのであって、
本質、あるいは人格のどちらかに最初から意志や意識が備わっているわけではない。
本質とはその人の骨格的な特徴とか、子供時代からの成長過程で形成された感情的な傾向とか、
その人にとって簡単には変えられない部分のこと。
人格はその本質に影響されて形成されているが、ペルソナ(マスク、仮面)という言葉の通り、
容易にその表面を変える。
だが、人には人格も本質も必要なものであり、その2つが調和的に成長し、
結晶化することで意志や意識を獲得する可能性が生まれる。
だがあるのはあくまで可能性のみであり、殆どの人は意志も意識も獲得しないまま、
獲得していると勝手に思い込んで人生を終える。
こういったことはGの「ベルゼバブの孫への話」やウスペンスキーの「奇跡を求めて」に詳しく書いてあるので、
本当に興味があるなら、その2冊を読んでみて欲しい。(両方とも平河出版社)
俺の書き込みよりその方が勉強になるぞ。
ああ、それだと、俺の解釈と違うな。俺の場合だとね、「人格」が少なくなるに つれて「本質」が自分を占めてくるのが大きくなってくると思ってるのね。ただ まあ、キチガイヨバワリされたとき(w人格もちゃんと保っておかないとマズイかな? とは考えた(w そうそうそれで、いかにしたら本質と人格のバランス取るかといろいろやってみたんだけど、 ある日「あ、こういうことか」みたいな、なんつーのかな、自己放棄、じゃちょっと 違うな、ある種の「流れに任せる」みたいな心的態度を身につけてさ、まあそれから 基地外扱いはなくなったが、まあ、そんな感じ。
ああ、あと全然見当違いかも知れないが、脳幹って分かるよね? それを鍛える方法というのが色々あって、それで「本質」が発達するのを 感じたよ。参考になるかな?
245 :
名無しさん@3周年 :03/11/07 00:40
『意識の進化と神秘主義』を買おうと思ったら間違えて 『グルジェフ・ワーク 生涯と思想』を買ってしまった。 いいんかな。
あー。244は先ほどから話しているグルジェフファンかな? 見当違いだとすると、じゃあ、例えば、君がやっている(やってないのか?) 本質を発達させるワークというのはどういうのがあるの?
245 気にするな(w
>>246 まずはいつでもどこでも自己を想起、観察すること。
話はそれから。
>>245 K・R・スピースの「グルジェフ・ワーク」はそれなりによくまとまった本だが、
しかしグルジェフ関連の本はやはり本人の「ベルゼバブの孫への話」、「注目すべき人々との出会い」、
「生は<私が存在し>て初めて真実となる」、「グルジェフ弟子達に語る」の4冊と、
ウスペンスキーの「奇跡を求めて」、トーマス・ド・ハルトマンの「グルジェフと共に」、
フリッツ・ピータースの「魁偉の残像〜グルジェフと過ごした少年時代」、
ジェイムズ・ムアの「グルジェフ伝」の合計8冊が基本。他の本は後回しでも構わない。
231 :名無しさん@3周年 :03/06/10 00:57 もう何年も前になるが渋谷にグルジェフを研究する小さなサークルがあった。 やっと探し当てたこのサークルに私は入会した。 代表者がグルジェフファウンデーションにゆかりのある人だったのでたまに 外人の人がやってくる。 ある日イギリスからJ.Iがやって来た。彼は自分はティーチャーではなく単なる 先輩にすぎないといっていたが この人が私にとって最初の注目すべき人、最初の先生となった。 サークルのメンバは10人程で椅子を輪に並べて座り、ミーティングの終わりに 宿題(ワーク)が出る。ミーティングは先週の宿題を一人一人が報告すること で始まる。 232 :名無しさん@3周年 :03/06/10 01:03 宿題は大抵、体を感じるエクセサイズで、これは注意力を高めるためだと思う。 例えば、「朝、家を出るときドアを開ける手を感じる」といった感じで とるに足らないことの様なのだが、このような動作は普段ほとんど自動的に 無意識に行っているので、すぐ忘れてしまう。家を出た後何かそわそわした 感じがして何か忘れている感じがする。しばらくして宿題を忘れていることに気づく といった感じになる。 自分の機械性を思い知らされる。
231 :名無しさん@3周年 :03/06/10 00:57 もう何年も前になるが渋谷にグルジェフを研究する小さなサークルがあった。 やっと探し当てたこのサークルに私は入会した。 代表者がグルジェフファウンデーションにゆかりのある人だったのでたまに 外人の人がやってくる。 ある日イギリスからJ.Iがやって来た。彼は自分はティーチャーではなく単なる 先輩にすぎないといっていたが この人が私にとって最初の注目すべき人、最初の先生となった。 サークルのメンバは10人程で椅子を輪に並べて座り、ミーティングの終わりに 宿題(ワーク)が出る。ミーティングは先週の宿題を一人一人が報告すること で始まる。 232 :名無しさん@3周年 :03/06/10 01:03 宿題は大抵、体を感じるエクセサイズで、これは注意力を高めるためだと思う。 例えば、「朝、家を出るときドアを開ける手を感じる」といった感じで とるに足らないことの様なのだが、このような動作は普段ほとんど自動的に 無意識に行っているので、すぐ忘れてしまう。家を出た後何かそわそわした 感じがして何か忘れている感じがする。しばらくして宿題を忘れていることに気づく といった感じになる。 自分の機械性を思い知らされる。
233 :名無しさん@3周年 :03/06/10 01:18 J.Iが来てからミーティングに出るのが楽しみだった。 というのも、彼と会った後私はいつも帰りの電車の中で涙が出て止まらなくなるからだ。 昔の辛かったことや、悲しいことが思い出され、人前にも関わらず泣いてしまうのだ。 とてもいやされた感じがした。 そして次の日はとても調子がよく、人間関係もうまくいく。 しかしそうした調子も2,3日で元に戻ってしまう。 それで、早くミーティングに出たくなる。 234 :名無しさん@3周年 :03/06/10 01:27 そんな日々が半年ほど続いたがJ.Iは仕事の都合でイギリスへ帰ることとなった。 最後の日曜日、メンバとJ.Iのマンションで昼食会を開いた。 帰り際にJ.Iは私を呼び止め、「人生は厳しい、ワークに励むように」というようなことを いってくれた。(私は英語があまり達者でないので、こんなニュアンスだったと思う) またしても、泣きながら帰る私だった。 235 :名無しさん@3周年 :03/06/10 01:28 とても興味深い。続きを聞かせて下さい。
236 :名無しさん@3周年 :03/06/10 01:39 しばらく、空虚なワークが続いた。 サークル内の噂ではアメリカからティーチャー・レベルの人が来るらしいとのことだった。 サークルの代表者がワークを教えてくれるようその人と掛け合ったが 最初は断られた。「あなた方の国には禅があるではないか?」とのこと。 交渉の末、ある条件のもとOKとなった。その条件とはワークは朝、8時15分から丸の内の 彼のオフィースで行うというものだった。 普段のワークは会社の帰りだったので夜8時からだった。 平日の朝8時は厳しかったが、私は運良く会社がフレックス制を導入したので何とかできた。 中には泊まりがけで大阪から来る人もいた。 237 :名無しさん@3周年 :03/06/10 01:51 ニューヨークからやって来たこの人はS.Gと言い、奥さんがザルツマン婦人の 孫娘に当たる人だった。 ミーティングに一度奥さんが来たことがある。確かに面影はザルツマン婦人に似ていると思った。 彼との最初のミーティングはひどく緊張した。あんなに緊張したのは生まれて初めてだと思う。 彼は私たち一人一人にここに来た理由、目的を言うようにいい、私は「人に流されやすいので不動の私が欲しい」 という様なことを言ったと思う。 全員が言い終えると彼は「あなた方のレベルではまだ目的を持つことはできない」と言いました。 なんだか大変なことになっちゃったなとびびりましたが、結局、こんなに緊張したのはこの日だけでした。 この人が私の二番目の先生、注目すべき人です。
238 :名無しさん@3周年 :03/06/10 02:17 彼には2年半ほど教えてもらった。 何を教えてもらったかをうまく言うのは難しい。少なくとも知識だけではないことは 確かだと思う。 彼の隣に座るとなんだかさわやかな感じがして気持ちがいい。 J.Iと同様にS.Gと会った後は調子がよくなる。S.Gはミーティングの後はエネルギーが 逃げない様、無駄話をしないようにと言っていたが、みんな子供のように無邪気になって ワーワーガヤガヤ帰ったものだ。 S.Gはよく、どの様に目覚めるのか一人一人言うように迫りました。 「コーヒーを飲んだ後に目覚めよう、などというようなことはあり得ない。目覚めるならば たった今、この瞬間に目覚めなければならない。さあ、どの様に目覚めるのか言いなさい。」 といった感じで。 彼は「私なら「観る(Seeing)」ことから始める」とよく言っていました。 彼は思考を止めるのではなく、思考を眺める必要があるとも言っていました。 結局、私自身は彼とのミーティング期間中、彼の言うほどには目覚めることは できませんでした。 彼がアメリカに帰る頃、私達は彼の目覚める方法についての問いに答え、 彼は一応満足したようです。それを続けていればいつか目覚め、本当の私を 心の中に見いだすだろうと言ってくれました。
239 :名無しさん@3周年 :03/06/10 02:37 その後、私はサークルを離れJ.IやS.Gとは一度も会っていません。 (できればまた会いたいと思います。) しかし、わたしの探求は続きました。その後私は3番目の先生に会いました。 彼は日本人です。 私にとってこの3番目の先生がもっとも深く関わった人で5、6年学びました。 なぜ、J.IやS.Gと会うと調子がよくなるのか、いやされるのか何となくわかりました。 真の自己観察もここで少しだけ理解しました。 心の中に自分のエゴを観ることのできる場所があるのです。 この場所に立ち続けるのは難しいです。ネガティブなことを許せないとこの場所にたつことは 困難です。 自分が嫌いで自分をよく見せることばかりしていると自分を観れないのです。 だから自分を「直す」のではなく「許す」ことが必要になります。 3番目の先生は「負ける練習、恥をかく練習をしなさい」とよく言っていました。 私はまだ修行中ですので、あまり上手く書けません。 皆さんも頭でっかちにならないようにがんばってください。 ではまた。
わかるよ。でもリンクは相手先が落ちることもあるしね。
258 :
名無しさん@3周年 :03/11/07 03:14
1ヶ月近く放置しても落ちないような板で何言ってんだか。
>>258 >この場所に立ち続けるのは難しいです。ネガティブなことを許せないとこの場所にたつことは
>困難です。
許すことは難しいね。
あー、そのグルジェフ団体(wの匂いは本物だな。今でもあるの?
あ、もうアメリカへ帰ってたのね?スマソ。
262 :
すぅ ◆GxRz7tt9ME :03/11/08 15:22
このスレタイの「主客一体」って判んなくって悩んでいる厨房でございます。 「主客一体」…「主」「客」と分けて考える時点で「一体」ではないような感じがして… この件につきまして、どちら様かご教授頂けないものかと… 宜しくお願い致します。
262 気にするな(w野郎どものたわごとだ(www
264 :
すぅ ◆GxRz7tt9ME :03/11/08 17:51
>>263 はっ、そうなんですか。
スレタイが理解できないとカキコ出来ないと
「カキコしたい」という、欲望に駆られ
色々自分なりに考えてみました。
結果この
>>262 の質問に行き着いた訳です。
555さんには何時も私の拙い文章で主旨を理解して頂き
感謝しております。
あ、いえいえ、どういたしまして。感謝するのは僕のほうですってば。 僕のコムズかしい書き込みを「わかりやすく」言い換えてくれて非常に助かっております。 ティムの文は、今、いつもんとこがアレなんで明日ぐらいにはなんとか。 もうしばらくのお待ちを。
そうだなー別に主客一体で無くてもいいかも。 早い話がお○んこにちん○を入れると2人供に気持ちよい、と言う「真理」にせまろうと しているわけです。 ただ、その場合ち○こは隆々と立っていなくてはならないし、 おま○こは濡れていなければならない、という「重大原則」を 見逃すと「痛い目」に逢うぞ、とこう言いたいわけです。
267 :
名無しさん@3周年 :03/11/08 20:42
なんだ、その程度のことだったのか。
268 :
すぅ ◆GxRz7tt9ME :03/11/08 21:35
>>266 そ… そうでございましたか。
セクースの事でしたら、決して知らない訳では無いので
何とかカキコできると安堵致しました。
今後とも宜しくお願い致します。
かしこ
ちょっとまって下さい、皆さん! 「その程度のこと」じゃないんですよ、コレは! 話をもとに戻しますとちん○は隆起していなければ気持ち良くはなれないのですが、 この場合の隆起は性にまつわる一切の幻想を破棄していなければならないのです。 G風にいえば性センターは他のセンターからの干渉を一切受けずに それ自身のエネルギーで動かねばならない、ということなんです。 ほとんどの男は思考センターの干渉でボッキンしてるんです。 これは感情にもあてはまります。 つまり、人間のほとんどが高次感情センターで機能しない、ということ。 一見肯定的な感情のほとんどが否定的感情の一側面でしかないんです。
こういった討論の際に良くないことの一つは、すぐに下ネタにすりかえて話し出すこと。 ラジニーシ経由の奴は特にそれが多い。
名前を挙げてみ?
「隆起」するためには又心理的記憶を解消していなければなりません。 なぜならそれらが解消されていなければ2人の「愛の睦みあい」は 単なるストレス解消になってしまうからです。 しかも心理的には非常につまらない打算が働いちゃうわけです。
274 :
すぅ ◆GxRz7tt9ME :03/11/08 22:57
>>265 ティムの文は,いつもんとこがアレでしたら、こちらにでも…
お待ちしております。
276 :
名無しさん@3周年 :03/11/09 22:55
まあ俺とか今日凄い嫌な事があったんだけどね、それも 半端じゃない奴ね。するとね、こう嫌な感情に一体に なっちゃう訳よ。今日は酔って酔って酔いつぶれたいとかね。 でも、まあココ流にそんな俺の状態を見てみる訳よ。思い出した 様に。もう他にする事ねえから。するとね、そん時は嫌な事が 半端じゃない訳だから、理屈に直さなくても十分分かる訳よ。 というかいつもなら気づこうとする魂胆(結論?)が自動で理屈に しちゃう所が、もうその嫌さが勝ってるもんだから、勝手にそいつ 自体を俺に突きつける訳よ。教える訳よ。なんて言ったら良いのか なあ。 そしたらね、すっと客観視出来る訳よ。結構楽になっちゃう訳よ。 同一化?で苦しんでた訳だからね。心理的問題?そういうのが 他人事になっちゃう訳よ。そんでたぶんそれを突き詰めて いったら、主客一体とかそんな感じじゃないかなって思う訳。
277 :
名無しさん@3周年 :03/11/09 22:58
普段から自分に気づいていれば、嫌な感情の時だけ気づくということはない。 日頃全く自覚せずに生きてるからその程度になる。
278 :
イエス・キリスト(本物) :03/11/09 23:04
/\ \ __/ / ̄/ /\ _\/ /_\ / / ̄ ∧_∧ \/__(;・ ∀・) 目あるものは読みなさい。 / と ノ ハァ 他人は他人の姿をしたもう一人の自分に他ならない。 / 人 Y ハァ \/し'(_)
279 :
名無しさん@3周年 :03/11/09 23:31
>>276 そうそう、気づくということは言い訳をつけたり、
理由をつけたりすることではなくてさ、苦しいなら、
苦しいままで、それでいて、苦しくないというか。
”離れて”みることとはちょっと違うような気がする。
苦しいことに留まる、と言うのかな。
そうすると気持ちのからくりとかが、意外と見えてくるのよ。
で、それが主客一体かどうかはよくわからない。
280 :
名無しさん@3周年 :03/11/09 23:59
味わい愛でるということです。
経験そのものになると逆に経験の外にでちゃうんだよ。 矛盾してるけど。
282 :
名無しさん@3周年 :03/11/10 01:40
>>277 まあな。
>>279 ほんとに嫌な事になると、客観視なんてしたくても
出来ないしな。理屈言って逃げれる内は花だよ。
>>281 経験そのものになる=経験を見る=同一化を見る
って事だよな。するとその同一化から自動で逃れ、
後は経験(実は事実に対する心理的問題)はなくなり
事実しか残ってませんって奴かな。
もちろんその時点ではまだ観察者はいるんだけどな。
283 :
名無しさん@3周年 :03/11/10 02:48
マニアックではあるがくだらないスレだね。何の役にもたたない。
基本的には心理的な痛みはそれ自体から意識を分けようとすることで作られる。 二元性による意識の統合の分裂ー痛みから逃げようとする注意深い実体があるという概念によってのーが、 痛み自体の拒絶された感情と観察された感情を、ゆがめたり、圧倒したりするのだ。 もしも2元性における意識が痛みの原因ならば、その時は、統合における意識だけが 痛みを取り除けることになる。統合の中で痛みは終わる。 あなたが恐怖や怒りといった感情とあなた自身の間に作り出してしまう分裂が、あなたを2つに分けてしまう。 あなたは観察するものとされるものになってしまう。 あなたは言う、「私、観る者はここにいる。そして観られるものとして痛みがそこにある。 私はその痛みではない」。今や、この二元性が痛みを作り出す。
あなたは観られるものではない。 あなたは観る者ではない。 あなたは両方だ。 あなたは観る者と観られるものの両方なのだ。 「私は怖いと感じている」とは言わないこと。それを表現するには正しくない。 「私は不安だ」・・・・・・これも間違っている。 ただこう言いなさい。「私は恐怖だ。この瞬間、私は恐怖だ」と。どんな隔たりも創らないこと。
あなたが「私は怖いと感じている」と言う時、あなたは自分自身とその感情を別々にしている。 あなたはどこか遠くにいる。そしてその感情はあなたの周りにある。これは基本的な非統合だ。 「私は恐怖だ」と言いなさい。そして観てごらん。それが本当のところだ。恐怖がある時はあなたが恐怖なのだ。 時々、愛を感じるということはない。愛が本当にある時はあなたが愛なのだ。 そして怒りがある時はあなたが怒りなのだ。 これはクリシュナムルティが、何度も何度も、「観る者が観られるものだ」。こう繰り返す時、観るものは観られる。 経験するものが経験だ。主観と客観という分断を創らないように。 これがあらゆる惨めさの、分裂の根本原因だ。 (以上「ユニオ・ミスティカ」osho p358,359)
287 :
すぅ ◆GxRz7tt9ME :03/11/10 22:51
>>284-286 厨房なりに拝読させて頂きましたが
経験的に我子を失った時の喪失感等
この様な一般論では解決できない気が
スルスルと致しますが、はしょ丸様
如何なものでしょうか??
ご教授頂けますよう宜しくお願い致します。
悩める羊より Be Love
Kの言う気づきとは苦しみを解決することではなく、共に在り理解しなさいということなんだが。
289 :
名無しさん@3周年 :03/11/10 23:29
>>287 その時本当に上に書かれている事を実行しましたか?
290 :
すぅ ◆GxRz7tt9ME :03/11/10 23:39
>>289 >その時本当に上に書かれている事を実行
はしておりません。
過去の自身の経験の苦しみ、喘ぎ感を思い出し
「あの時の楠しみは、この様な一般論で果たして解決するものなのか」
と、疑問に感じただけです。
板を汚すような初心者質問で申し訳ございません。
291 :
名無しさん@3周年 :03/11/11 01:18
イヤなことになりきっちゃった意外と短い時間で怒りとかが消えることはあるよね。 でもイヤな経験になりきる以前に恥ずかしいだのなんだのと反応が出るからなりきれないね。 なりきったらどうなるんだろうという怖さもあるし。 心理療法のように、心のわだかまりを減らす,緩和するという目的であれば,その場は出来るだけ 客観的、理性的に対処して、のち一人の時間にまだ残っている気持ちをよく味わい,なりきってみて消 すっていうことでいいんだろうけどね。 真理だとか解脱というものを想定すると、一人時間差攻撃は×なのかな? わたしは一人時間差でわだかりがなくなればそれで良しとしてますけどね。
292 :
名無しさん@3周年 :03/11/11 01:34
真理だとか解脱というものを想定しなくても、その方法ならそれを 日常生活にお持ち帰りしようとして、その状態を維持するからそれ がまた恐怖の元になっちゃう事を説明出来なるかも。
>>287 多分これらのoshoの講話を読むと皆自分の「感情を解決しようとして」
一体化するんだろうな。幾分oshoの講話は技法的、方便的に語られていると思う。
そういった意味ではkの講話はより厳密で慎重に語られている。
「感情を解決しようとして」一体化するのでは本当の意味でのソレにはならない。
感情を解決しようとしている時点で感情に対する是非、つまり観察者が生じている。
ですからこの場合にはこういった事に気付くことが必要と思われます。
kは「感情の開花」という言い方をします。
k自身弟が死んだ時2,3日船の中で泣き叫んでその後には晴れ晴れとした表情で船を下りてきたそうです。
僕自身は日常において上記のようなことを試してきましたが、
うまくいく時といかない時があります。
うまくいくとエナジーが自然に胆に降りますがうまくいかないとズッと感情と格闘することになります。
まさに感情を味わわずに解決しようとして克藤しちゃうわけです。
そういうときは僕は単純にこの感情はどういった観念から発生したのか?
ということを調べます。
それによってどうしても消えなかった感情が消えることが多々あります。
我々は尋ねる、「如何にして自己中心はなくなるのか? その為に私はいったい何をすればよいのか?どんな修養、どんな犠牲、どんな大それた努力を しなければならないのか?」と。 しかしそういった意味で我々に出来る事は何一つない。 ただ自己中心な心の動きを無選択に観察するだけだ。 それも観察者としてではなく、外に立っている者が内を見るようにでもなく、 ただ選択者なしに観察するのである。 するとあなたは言うかもしれない。 「そんな事は私には出来ない。私は常に過去に囚われた目でしか物事をみられない。」と。 それなら、過去に囚われた目でしか物事を見られないと言う事実を自覚し、それに留まりなさい。 (クリシュナムルティの会 会報 第2回より引用) 是非無しの観察=合一という感じですかね。
「ププル、グルジェフをどう思う?」クリシュナムルティは聞いた。 「余りにもロシア的ですね。」彼女は答えた。 (クリシュナムルティ・水晶の革命家 高岡光著より)
296 :
名無しさん@3周年 :03/11/11 14:29
グルジェフってそんなにロシア的かなあ。 大体さあ、グルジェフってギリシャ人(父)とアルメニア人(毋)のハーフだよ。 育ったのもアルメニアのギリシャ人地区だし、幼い時に強く影響を受けたのもギリシャ正教の司祭だし、 Kの周りの人たちってちょっとグルジェフを勘違いしてたんじゃないの?
297に1票
299 :
名無しさん@3周年 :03/11/11 18:26
高岡光さんの情報ってちょっとあやしいところあるね。 高岡さんがクリシュナムルティに会ったときに、 あなたは何か行法のようなものをされていますか、と 質問したら、毎日ヨガのアーサナを励行していると。 ホントなのかねえ?
>>297 Gの背景が純粋なロシアのソレでないことは知っているが
ここでpが言う「ロシア的」というのは
「超努力」とか「人間は牢獄にいる」とかいったような教えについて
そう言ったのと思うけどね。
>>299 kがそうしてるというのはkの自伝からも明らかだよ。
301 :
名無しさん@3周年 :03/11/12 22:06
>>300 ただ行法と言うより、kにとっては健康法だったのでしょう。
302 :
名無しさん@3周年 :03/11/13 00:28
>>292 > 真理だとか解脱というものを想定しなくても、その方法ならそれを
> 日常生活にお持ち帰りしようとして、その状態を維持するからそれ
> がまた恐怖の元になっちゃう事を説明出来なるかも。
仰っている主旨が良くわからないけど,「そのやり方だと次の恐怖の因子を残すだけ」といっているのかな?
本題とズレるが、この自己心理療法がうまくなれば,恐怖感が起きても「あ,またか」と淡々としてきますよ。
「慣れ」ですね。無くせないけど,恐怖とうまく付き合えるようになります。受け入れるって奴ですね。
私は輪廻などを信じていないほとですから、その程度で人生やり過ごしていくのも悪くないな,と思い、梵我
一如とか宇宙意識とか、主客一体を瞑想で得ようというような考えはかなり薄らぎました。
悟り「真理」を求めるって、神経症的な心性の表れという気もします。
スレッド違いでスマソ。
>悟り「真理」を求めるって、神経症的な心性の表れという気もします。 そうなんだよね。 kは「何を求めているか、ではなく求めていること自体が問題だ。」 と言ったけれども求めている時点で心理的時間が発生して 主客一体性が崩れてしまう。 状況を本当の意味で変化させることが出来るのは 状況を正確に認識している者のみである、と言う極めて単純な話でもあるな、コレは。
304 :
名無しさん@3周年 :03/11/13 20:38
>悟り「真理」を求めるって、神経症的な心性の表れという気もします。 う〜ん、見る側によってはそうかもしれない。 けど、世の中の虚為やそれゆえの不幸に気づいてしまったら、 もう求めるほかしょうがなくなると思うよ。
>悟り「真理」を求めるって、神経症的な心性の表れという気もします。 本人が自覚している、自覚していないという違いはあるが、 基本的には既に心理を見い出した人以外は誰もが真理を求めている。 世間でウルトラマンやスーパーマン等ヒーローを題材にしたテレビ番組、映画、コミック、小説、 その他が溢れているが、これらは間違いなく真理を求める、真の自分を見い出すという心理が働いている。 恋愛小説、映画、ドラマなどもたくさんあるだろう? これも本当の愛を人が求めている証拠。 要するに本人が自覚的であるか否かの違いのみで、誰もが愛や真理を求めている。 そして多くの人は条件付けや怠惰さによって、あまり真剣にそれに取り組まないだけだ。
ようグルジェフファン、久しぶりんちょ。
307 :
名無しさん@3周年 :03/11/13 21:20
>世間でウルトラマンやスーパーマン等ヒーローを題材にしたテレビ番組、映画、コミック、小説、 >その他が溢れているが、これらは間違いなく真理を求める、真の自分を見い出すという心理が働いている。 >恋愛小説、映画、ドラマなどもたくさんあるだろう? これも本当の愛を人が求めている証拠。 求めていると同時に、体よくそれ満たし、逃避する手段にもしているのでは?
>求めていると同時に、体よくそれ満たし、逃避する手段にもしているのでは? そうだよ。でも潜在的あるいは自覚的に求めていることには変わりないだろ。
一応断っておくけど(w307は俺じゃないよ(w っていうか、そんなどうでもいいレスにマジになるなよグルジェフファン。 君はマジメなタイプだというのは良くわかったけど。
310 :
名無しさん@3周年 :03/11/14 00:13
>>308 変わりないよ。逃避の手段にしてることも変わりない。
求めたり、逃げたり、大方の人間はそんなことをしながら、
一生を過ぎていくのかな。
311 :
名無しさん@3周年 :03/11/14 00:38
前にkが毎日ヨガ・アーサナをこなしている、という話があったが k読みは身体的なことをどう捉えているのだろうか? Gなんかは「誰もが身体的なワークを必要としている。」と言い、 EOなんぞも「そもそも丹田が出来ていなければ持続的な思考を持ち得ない。」 と言っていた。 僕自身の感じからいっても身体性というのはかなり重要に思える。 もちろん身体性だけじゃ元も子もないけど。 kが身体からではなく心理から始めろと言ったのは知っているが kが単なる健康法としてアーサナを行っていたという話も少し?だな。
312 :
名無しさん@3周年 :03/11/14 04:12
omaera chinpodana
313 :
名無しさん@3周年 :03/11/14 23:11
心理から始めるにしても、ある時点を過ぎると身体がダダを捏ねて邪魔しようとする。 だから、身体をかまってやらないといけない時期というものがあると思う。 ハワイのカフナの伝統でも、中自我→低自我→高自我の順番で、みたいなことを 言っているらしい。この場合、中自我というのは我々の普通の顕在意識、 低自我は潜在意識、つまり身体のことを意味しているものとして。
314 :
名無しさん@3周年 :03/11/15 02:08
>>305 > >悟り「真理」を求めるって、神経症的な心性の表れという気もします。
>
> 本人が自覚している、自覚していないという違いはあるが、
> 基本的には既に心理を見い出した人以外は誰もが真理を求めている。
(略)
> 要するに本人が自覚的であるか否かの違いのみで、誰もが愛や真理を求めている。
> そして多くの人は条件付けや怠惰さによって、あまり真剣にそれに取り組まないだけだ。
同意だけど,あえて否定的にいうが,それってこういうスレに集う人の論理なんじゃないかな?
また、あなたの例に出した真理って数学の証明で使うような意味での真理か、比較的妥当性の高いもの
のことでしょ?たしかに絶対当る宝くじとかあれば欲しいな〜〜くらいの絶対性は欲しいと思っている人は多いと思うけどね。
>こういうスレに集う人の論理なんじゃないかな? こんなスレには来ない心理学とかの学者達にもかなり認められている論理ですが、何か。
>この徹底的な失墜と虚無をキリストと共にし、 >キリストの行き着いたところまで導かれたこと。 >絶対的虚無のなかに私は見た。 >見たところで知性によって把握できない。 >許される必要まで無くなる内なる静寂点。 >普通に経験する現実が「それ」を見るのに妨げとなる。 >人間は自己をもったために原罪を背負った。 >純粋主体性と自己の主体性は違う。 >一つは真の自己の完成の道 >他は自己喪失の解体の道 >考えるべきこと、為すべきことはいつも目の前にあり、迷うことがない。 >心に起こることは感情によって支えられない限り無力なのです。 >自分の存在の中心にある静寂点にこそ、人間の独立と安全への鍵がある。 >著者 バーナデット・ロバーツ 代「自己喪失の体験」紀伊国屋書店 555じゃないけどバーナデット・ロバーツの文章ってのは いつ読んでもぞくぞくするね。 未邦訳の原書2冊あるんだがまだ少ししか読んでいない。 EOなんかは「ほとんどの探求者が自我の発達の途上にあり 自我の解体なんぞ必要としていない。」 と言っていたがバーナデット・ロバーツの本は自我の解体についての話 がズッと続く。 自我の発達途上にあるであろう自分にはたまらなく子宮回帰な感じがして 体の良い現実逃避の手段になってるかもな。
>>1 主観と客観は同じもの、ということとは違うんですか?
客観は単なる「共有された主観」ですから
え!はひょくん、まだ中学生なのに原書でバーナデット・ロバーツ読めるんだ? すごいねー。良かったら翻訳カキコきぼんぬ。
>>317 主体=主観ではないよ。
>>318 「まだ中学生」というのは当たってるかも。
Gに言わせれば中学生はまだましな方でしょ。
6〜10才レベルの本質しか持ち得ない人も多いみたいだし。
320 :
名無しさん@3周年 :03/11/16 16:22
そうなんだよね。 ちなみにあちきは図書館で借りてコピーしました。
今日は寒いねー。 昔ガンガンにボディーワークをやっていた頃は 冬でもはだしにサンダル、薄着で「基地外か、おめェは?」なんて言われてましたが 最近は普通に寒い。 んで、気功とかボディー・ワーク再びやり始めてる。 最近古武術の甲野さんがよくTVに出てるけど 主客一体性を意識しながら動いていると彼の言う「ねじらない、ためない動き」 になる。 実際動きにブレが生じにくいのは確か。 周りは奇妙な顔で見てきますが。 何か共通点があるのかもしれないね。
324 :
名無しさん@3周年 :03/11/17 22:18
>>はにょ丸 >主客一体性を意識しながら 素のときは主客一体でないと言うこと? それじゃ、何もかもが弱ってどうしようもないとき、 つまり死ぬときには元に戻ってて、結局何もしない人と 同じだということかい?
>>324 何言ってんだよ(笑)。
僕はちょっと河豚な普通の人間ですよ。
そう、もし今死がやってきたらあわてて主客一体性を意識して
死への恐怖を消そうとしてあがいて失敗して
「kのばかやろ〜!」って死んで行くだろね。
326 :
名無しさん@3周年 :03/11/17 23:29
主客一体とか言葉では言えるが、主、客はあるわけで、 二者の共通点を見つけることが主客一体かと思う。 この場合、主、客、一体となった主と客、がある。
ねじれってのは感情と関係あるね。 野口整体でもねじれ型って言うし。 お前の心はねじれとる、とか。(名古屋弁です)。 そのねじれが「超合理的」な身体運動の妨げになる、というのは面白い。 ねじれは同時に力みでもある。 「超合理的」な身体運動を提唱する古武術がそのスピードを 売り物にしてスポーツ界にモテてるみたいだけど スピードって距離感の無さとも関係してて 考えるにそれって思考の無さでもある。 絵で言うなら2次元絵画のような知覚。 ひとつの平面にすべてが映しだされてる。 奥行きが無いから到達すべき場所もない。 すべてが今ここに畳みこまれている。 3次元絵画のような知覚形態は病んだ現代人に特有のもの。 距離が無いというのは今ここにいる、という事でもあるんだな。
無いな。 ここのボスとすれ違ったことはあるが。 「いい目」してたよ。
331 :
名無しさん@3周年 :03/11/18 00:27
>>はにょ丸 そっか、ある意味安心した。 はにょ丸がいう”主客一体”ってのは、ある種の技術というか、 おもちゃというか、あくまでこの世のことのことなんだね。
>>331 いや、正確にいえばそれは技術ではない。
それは生きることの真髄のようなものだと思っている。
だからおもちゃなんかでもない。
僕はこの主客一体ということをこのスレで懐疑し、調べ尽くしたいと
思っている。
だからそれを体得していない。
そしてやはりkの教えに身体性を取り戻させたい。
彼の教えをより唯物論的なものにしたい。
それがここのスレでやりたいこと。
>>333 大悟者のとこだけ違ってないかな
大悟者は最低ライン一直線だと思うな
主客一体というのは ある対象を捉えたときに 自分が見ているのか 自分が見られているのか 一体、 見ているほうが自分なのか 見られているほうが自分なのか それとも両方なのか 思考を働かせれば こちらの見ている方だとわかるが 自他の区別がつかない状態 のことだろうね
主客一体は たとえば、何かに、オッスと古い挨拶をする そうすると、オッスと自分が言ったばかりなのに そのまま言われている現象 あちらこちらで、オッスと言って来るので、疲れる現象のこと だろうね
無明案は2〜3回見て良いサイトだとは思えなかったので最近は全く見てない。
>>334 ああ、それは「覚者にはエゴが無い」とか
「思考が無い」とか言うよくある誤解に基ずく解釈だと思うよ。
覚者は創造というゲームを何の執着もなく楽しめるのだから。
流体的などんな形にでもなれるぐにゃぐにゃの身体を獲得
したようなもの。
なおかつ気体化して蒸発せずにとどまっている。
>336ワロタ
わかってないなあ。主客一体ってのは八百屋が自分の店で野菜を買うことだよ。 別に八百屋じゃなくてもいいけどな。
主客一体ってのはオナニーのことだ。 そんなこともわからん1は夢精主義者だ。 間違いない。
言うまでもないがオナニーは分離である。
343 :
名無しさん@3周年 :03/11/18 23:47
オナニーといえば昔射精の瞬間に「射精そのものになって」逝ったら 無茶苦茶気持ち良かった。 中学生の頃の感覚と同じ位の。 皆もやってみ。
まだオナニーなんかしてるのか。 オナニーくらいさっさと止めないと主客一体なんて見い出せないぞ。
はひょ○は読書リストに光線も入ってるのか? 鯵図も結構面白かったぞ。
>>348 だからそういうのが幼稚なんだよ、お前らは。
>>349 用地も出来ない君の頭はカチカチと主われ。
堅いのはチンコだけで充分。
>>350 はいはい、そういう幼稚なことからはさっさと卒業しろよ。
つまり主客一体にはセックスは必至なのか。 老後が大変だな。
完全5度和音がハート・チャクラにクるって言うから シンセでテープ作りしてたらoshoの瞑想cdの音楽みたいになってしまった。 あれはそういう意図で作られたのかもしれないな。 k読みだしてから貪るように音楽を聴くことは無くなった。 だがグルジエフの言うような客観芸術には凄く興味がある。 露骨なまでに身体と心に影響を与える音楽とかね。 腰椎3番を引き締めるための音楽とか。 今まで一番主客一体性、今、ここに引き戻されたライヴはなにか? と聞かれたら・・・・ それは「ハリ・プラサード・チョウラシア」と答えたいが、 残念ながらそうじゃなくて 「遠藤みちろう、アコースティック・ソロ・ライヴ」です。
>>338 いやいや、人生最低、最悪と言う意味だ
そういう人しか大悟できないし維持できないってこと
無明庵にぴったりくっついてた おやっさんでも、そのかけらも 理解できんかったとや 大悟者にくっついてても あんまり意味ないのかな?
あるのは自己伝授のみである。 人は教え導くことはできても{伝授}することはできない。 by g.i.gurdjief
358 :
名無しさん@3周年 :03/11/20 14:07
伝授は不可能だが方向はわかる 本を読むだけでも方向はわかる OSHOの本のおかげで知ることができた 人は本当に大爆発する
確かに広宣は激しく胡散臭いが、ものすごくぉモロイ。 おっこっとって創作なのかな〜〜ぁ? アジズに関しては、論理的にどうか?という部分も沢山あるのだけれど 瞑想法がシンプルで、丁度ヴィッパッサナのぎゃくの部分にこだわるんだよな〜 オレにっとってヴィッパッサナはとても眠くなる瞑想なのだがアジズのSPは はまるかもしれん。第3の眼は昔から何度か強く振動したことがあり、注意を 維持しやすいんだ・・・個人的な話だけれど。
ajizuの面白いところは最初はマインドと非同一化し、次にマインドそのもの に成る、と言っている事。 spってのは確かにクるね、あちきも。 だけど主客一体性を意識するだけで第3の目は活性化するけどね。 この場合面白いのは第3の目を開くための他の技法とは 感触が違ってよりシラフで酔うことなく醒めていられるということ。 しかしコウセンもアジズももっとアフォにでも分かるように 噛み砕いて本書けや。
362 :
名無しさん@3周年 :03/11/20 23:34
質問。何故ラジニーシって和尚って言うの?
>>362 確かアメリカで国外追放されたときに、日本の禅宗から批判の声があがって
その後、禅宗の和尚と呼ぶようにした と思う
364 :
名無しさん@3周年 :03/11/21 00:16
>>363 臨済宗系のお坊さんたちあたりからラジニーシに対するアメリカの暴挙に批判があがって、
でしょ?
東大の見田宗介(真木祐介だっけ?)も当時朝日新聞にラジニーシ擁護のエッセイを書いていた。
詳しくはoshoスレで聞いてみて。
へー適当に好きで名乗ってた訳じゃないんだ。
今朝の会話
C:和尚がAと言ったらA。Bと言ったらB。真偽を自分で判断しない盲目的なとこってサニヤシンのマインドってカルトじゃん。
D:和尚は違う次元の人なの。私達凡人には理解出来ないし。和尚の言う事はだから全て真実なのよ。
C:その発想って、カルトがハマル罠。って感じ。
D:あなたは何も知らないだけよ。
C:知る・知らないの口上、それって、ヤッパカルトだと…
C:和尚も反逆って言ってたし、その和尚唯一論から、離れて見てみれば?
D:和尚が反逆って言ってるから反逆なの? それって…
これと
>>336 と何か関係がありますかぁ??
(寝不足でイマイチ切れが悪いスレでスマソ)
K:疑いなさい 凡:あなたがそう言うなら疑います K:私がそう言うからといって、それに従うのではいけません 凡:分かりました。あなたがそう言うなら従いませんし、疑いません K:。。。。。
主客一体はマインドのアホ・ループ状態のことではない。 それはそのループから抜け出た状態のこと。
もちろん336はあくまでも冗談で言ったのだろうが この冗談は良く考えてみるとなかなか面白い。 それは真実というものをマインドの解釈で捉えると どのようになるか、ということを示唆している。 エニアグラムにせよマンダラにせよ 本来ならダイナミックな運動性を孕んでいるシンボルが マインドによって予定調和的なものに 読み換えられていく様子をこの冗談は克明に表している。(なんてね。)
>>322 中央図書館の地下書庫にて睡眠中との事で、予約をしてきました ^^
26日には届くので、楽しみにしております。
バーナデット・ロバーツのこの本の訳者の雨宮何とかって人、数学者なんて…検索してみてチョッと意外でビックリしました。
彼の訳書で『心は脳を超える』てーのが検索で掛かったので、次はこれを予約する予定です。
はしょチャン、ありがとさんでした。
一生懸命本を読み勉強して早くマインドのアホ・ループから、抜けれるよう頑張りますだ。
371 :
名無しさん@3周年 :03/11/22 01:15
粘着キモオタを刺激してどうするのサ☆
372 :
名無しさん@3周年 :03/11/22 03:53
>>361 途中まで読んだがさっぱり意味が分からん。
どの辺が面白いのか教えて。
>>372 はっ、貴方もそうでしたか。 実は私もです。
勉強不足より面白さが理解出来ないと思い、誰にも言えず心の片隅に秘めていました。
知らないことを恥と思い尋ねる事が出来なかった自分が今恥ずかしく感じます。
>>373 キモオタはにょまるもわかってない。
むろんバーナデット・ロバーツもわかってない。
まして原書なんて目次しか見てない。
ただ、毎度毎度さみしーからだけのしったかカキコ。
と、思われる。今までのカキコからみて。
違うかね?ひっきーくん?
>>374 アホ・ループの罠に嵌りカルト化した自身のマインドを表現したかったのですが、
発想としては良かったのですが、寝不足だったもので駄スレとなってしましました。
スマソ…
アホ・ループの罠ですか? アホというのは、関西弁?でしょうか マインドのループのことでしたら想像できます マインドの機能は 五感により対象を捉える⇒ 過去の情報を集める⇒ 今回の状況と比較する⇒ 良否判断する⇒ その判断結果を見て感情が起こる⇒ それらの情報を憶える の繰り返しが、常に起きています アホというより天才ループだと思いますが・・・
つうか、天才ループってなんだよ(w
>>377 アホ・ループの罠ですか?
はい、そうです。
アホというのは、関西弁?
判りません。任命者にお伺い下さい。 私流に言えば『お馬鹿ループ』です。
五感により対象を捉える⇒
過去の情報を集める⇒
今回の状況と比較する⇒
良否判断する⇒
その判断結果を見て感情が起こる⇒
それらの情報を憶える
上記の脳の作用はごく一般的な事だと思われますが、
こちらが何故天才なのか、ご教授頂けないものでしょうか。
勤勉に何事も吸収し早く一人前になりたいと考えております。
>『お馬鹿ループ』 この言い方、激しく流行る予感(w
>>372 え?面白くないか、これ。
言語がいかに我々の知覚を限定しているか?という話。
ま、インテリの書く文章はややこしいね、確かに。
でもここで言われていることはしごく簡単な話で
「生は動詞」っー話でしょ。
言語化、命名化が純粋な知覚をひんまげて固定する、
というだけの話。
そのひんまげ描写がインテリだから
ややこしくわかりにくくいやらしく書いてある。
あとウスペンスキーの誤解というのが面白かった。
ウスペンスキーは「見る者」に同一化して
「主客一体」へとたどり着けなかった、ということだろね。
>>375 目次だけしか見てないって?ばれたか(笑)。
>>381 「生は動詞」左様な話でございましたか。
もう、私なんか始めの記号の時点でインテリのまやかしに嵌ってしまい、
「ウスペンスキーの誤解」まではたどり着けませんでした。
でも、それより興味深かったのは『和尚』というページがあった事。
最近はGもOも関係なく、瞑想するのかなって。
アホループのアホはやっぱり日本語のことですね なぜアホなのか分からないのですが 天才と言ったのは、このマインドの機能は驚くべき高性能で、すごくスピードが速いからです たった数秒間の出来事でも数個〜数十個の判定を出してきます もっとも分かりやすいのが、危機的状況になったとき、スローに感じたりしますよね また、わかりやすいのが、歩く動作などです 歩く動作は、非常に複雑な動作をしています 道路の障害物を避け、前方から来る人とのすれ違い、 路面の状況確認、筋肉の微妙なバランス、体重移動、 その間の気温や湿度や空気の流れの確認、 ほとんど自動的にこなされているので、気にしなくてもマインドがやってくれます これが天才の所以です
>>383 あぁ、不随意動作の事ですね。
人だけではなく、それなりの生物に持っている作用。
生きていく為に必要不可欠の事、こちらの付随意な事を『天才』と言い表したら全くその通りです。
貴重なご意見感謝いたします。
アホループのアホはもちろん日本語ですよ。 僕の勝手な造語です。 334のいう天才なマインドは僕の言うアホ・マインドとは違います。 アホ・マインドはいつも天才マインドの邪魔をします。 知覚と行為が同時にあるはずの英知が思考の介入でアホになり、 あちらこちらでオッス、オッスと聞こえてきて疲れちゃうわけだね(笑)。
思考はマインドと同じですよ マインドを見守る人が意識的でないために マインドの召使いになっている というのならわかりますが・・・ あのオッスは楽しんでもらうための冗談です 本当は無言の挨拶です もちろん不随意動作を見守るのも主客一体の1つですよ
最近ループって言葉流行ってんのか? 松村潔さんの11月20日の日記より。 >知性は十分に発達していない間は、ひきずられてしまう恐れから、それを拒否するが、 >知性が、いまより進化すれば、そういう世界を許容できるでしょう。 >結局は人間意識の重心がどこにあるかの問題だね。 >いまの重心は、他者を恐れることで、人の意識に取り込まれ、そこに止まるという複雑な回路が働いているのかも。 >競争しなくては個人のアイデンティティは成り立たないという個体主体主義が凶暴化したこともあるだろうし、 >競争するというのは、人を意識することで、意識すればそこに捕まるから、互いにつかまえあって >そこから逃がさないようにしているというループだね。 >でもさ、前も書いたように、このループは案外に脆弱。 >ペットロスが出てくるという話じたい、人と人の対話による注意力の結束でなく >人と猫、人と犬の間での注意力の結束ではないか。 >みんないかれてきてるよ。一日に人に会う時間が1時間しかない人も >猫には10時間つきあってるケースだってあるぞ。そうやって人間性がずれていく。 >人間の注意力なんて、呼吸や食事と同じで、何秒とあけずに、休みなく内面の対話を繰り返さないことには維持できない。 >1秒でいいから、意識を空白にあけてみな。別の世界が躍り込んでくるよー。 だって。
ループって言葉は音楽関係だと10年以上前からしょっちゅう使われてるが。 >1秒でいいから、意識を空白にあけてみな。別の世界が躍り込んでくるよー。 1秒かよ。お気楽な奴はこれだから困るな。
390 :
名無しさん@3周年 :03/11/23 01:58
はひょ丸さんは博識ですね。松村潔さんのことまでご存知だなんて驚き。 ボディワークとかも経験済みだし、私の遥か先を行ってる方だなあ、と。
>1秒でいいから、意識を空白にあけてみな。別の世界が躍り込んでくるよー。 この表現は正確ではない。この間違いは大きすぎる。 「1分」でいいから、「思考」を空白にしてみな。「この世界」は踊っていたことに「気が付く」よー
思考や意識を空白にしようとするのは誰だろう? それもまた思考だ。
393 :
名無しさん@3周年 :03/11/23 22:58
はにょ丸は身体性を取り戻したいと言っていたが、精神であろうと身体であろうと 認識において変わらないのではないか?ただ、不自由な身体では、 不自由な認識しかえられない。そのうえで、ワーク等が 必要になってくるかもしれない。 つまり、ワーク等が重要なのではなくて、当人が必要を感じたとき それに対応するようなワークを行えばいいのではないだろうか?
>>393 まあ、そうだろね。
ただまあ、僕が身体性に拘るのは過去のボディー・ワークや瞑想の体験
に由来していてそれが奇妙な執着を作りだしている。
もちろんそれをする、しない、は個人の自由だが
観念の肥大しがちなk読みには身体性の強調というのは
ちょうどいいんじゃないかな。
それに本来言葉というものはそれ自体大きな身体性を持ちうる
ものでしょう。
それが単なる観念遊びにしか聞こえないとしたら
それはマインドのアホもしくはお馬鹿ループの仕業に違いない(笑)。
身体的知性という言葉があるように
知性というものは思ったよりも身体的なもの。
だから心理的記憶というお馬鹿ループを無効にして
天才ループである身体的知性に展開してもらわんといかんね。
395 :
名無しさん@3周年 :03/11/24 21:50
334=514=507=555??
390=393=394 hazisirazu
>395 違うよ(w
555は朝早いんだな。いや、朝帰りかな? john.c.lily関連でアリカのこと久しぶりに調べて見たら やっぱりここ面白いね。 特にメンテイションとよばれるメソッド。 「精神世界マップ」に紹介されていたオスカー・イチャーゾの講話から。 自我の知性的な側面からはじめましょう。 問題は常に頭で人生をコントロールしようとしていることと エゴに居座り続ける限り人間とその宇宙における立場を誤解してしまうと いうことです。 私達はトレーニングの最初にメンテーションというシステムを紹介します。 それはマインドだけでなく身体全体で考える訓練です。 思考が特定の器官つまり脳の産物であると捉えるのは間違っています。 エゴが何らかの内的なブロックを作りあげていなければどの思考も ブレイン=コンピューターの産物であると同時に目や足の産物でもあります。 私達に統一がある時には思考も行動も同じです。 私達は身体を12の部分に分けますがどの部分にも生理的な機能と それに平行した心理的機能があります。
耳は意味あるいはロゴスを感じ取りものの本質を伝える。 目は形態を分離する。 鼻は可能性を嗅ぎ出す。 口と胃は栄養の必要性を感じる。 心臓はそのインパルスで人間にエネルギーを与える。 肝臓は身体に取り入れる食物と知覚を同化する。 結腸、肛門、膀胱、腎臓は代謝できない食物と思考と経験を排泄する。 ・・・(以下略)。 身体のあらゆる部分に意識が浸透するようにすれば 頭にあるどんな問題も疑問ももっと徹底的に考えきることができます。 身体のどこか一つの部分が特に気になるとき例えば腎臓に問題がある 時は生活の中で何が排除されなければならないかを問わなければ なりません。
さらにより一般的にはメンテイションは身体全体を世界にチューニング できるように訓練するために使われています。 意識が身体全体に均質化されると頭は空っぽになりすべてのものを 暴君的に支配しなくなります。 (以上「精神世界マップ」p29,30 別冊宝島) 身体的思考の成熟、生成プロセスと言ったところですかね。
∩ ( ⌒) ∩_ _グッジョブ !! /,. ノ i .,,E) ./ /" / /" _n グッジョブ!! ./ /_、_ / ノ' ( l _、 _ / / ,_ノ` )/ / _、 _ グッジョブ!! \ \ ( <_,` )( /( ,_ノ` ) n ヽ___ ̄ ̄ ノ ヽ |  ̄ \ ( E) / / \ ヽフ / ヽ ヽ_//
402 :
名無しさん@3周年 :03/11/25 15:43
主体がなくては客体という言葉自体存在しなくなるだろ。 主体がなくては「主客一体」と言っても何も表すことはできないだろ。 じゃあ一体になれば主体だけになるということでいいんじゃないか。
いやいや、客体が無くなるなら、主体だけ単独で存在する、なんてできないぞ。 両方とも無くなるわな(w
主体(自己)が客体(世界)を是非を介入させずに観察するとき 主客一体性がそこにある。 そのとき主体は全面的に存在する、ともいえるし存在しない、とも言える。 kはもちろん存在しない、と言う。 主体だけになる、という言い方はエゴ・トリップになる危険性がある。 まあ、でもそんなことはそのスペースにいる間はどうでもいいことだよ(笑)。 表現の問題にすぎないんだから。
406 :
名無しさん@3周年 :03/11/25 20:35
雌雄同体
407 :
名無しさん@3周年 :03/11/25 23:51
はにょ丸さんってボディーワーク経験や哲学志向がボクと似ているな〜〜と思って読んでます。 ただ、思弁的過ぎるのは有り余るエネルギーがそうさせるのかな?私の場合瞑想、活元運動などすると ポカーンとして主客一致にどういう意味があるかとか問いたくなくなる。 淡々としちゃうんだよね。言葉を使う能力の差かもしれないけどね。 けっこう共感することおおいので、たまに覗いています。
ここで語って偏ったエネルギーをはき出す事が出来るんかな。
ティンポ出したいだけだろ(w
てか、407=はにょ丸
411 :
はひょ丸 :03/11/26 22:36
ここを見てる人は主にどんなワークをしてるのかな? よかったら何か書いて頂戴。 まあ主客一体について語る、なんて確かに不毛かもしらんね。 ただそこに至るプロセスとかマインドと身体の相関関係みたいなものが もっと明かされればなあ、とは思っているんだけども。 言葉は使いようでは自己を見る鏡のようなものにも成り得る、というのは kの言葉でもあります。
412 :
名無しさん@3周年 :03/11/26 22:53
>>403 >>405 主体が存在しなければ
主客一体などどこにも無いということになるの。
順序としてまず主体がなければ何も生じないことになる。
>>412 そういうこと。主体がなくなってはじめて客体がなくなる。
今、現在を見れば、妄想が消え、主体は消える。たったこれだけ。
414 :
名無しさん@3周年 :03/11/27 11:53
>>413 主→客という関係なのであって、
主体が無くなっては、主客の分離も一体も無いのだから、
妄想と言っても何が妄想であるかも、妄想も真実も無くなってしまう。
主体が主体としての役割を最大限果たすとき、
客体が主体に一致してスムーズに従うようになり、限りなく一体となっている
この関係を主客一体と表現したまで、私にはそう思われる。
主が客に融合するのでも、客が主に融合するのでもない。 単純なトリックを見破るだけ。 そのトリックは見破られる為にある。 それには、今、ここ、現在を見るしかない。 なぜなら、存在は今現在しかないのだから。
それはあまりに単純。だから誰もが大笑いするのだ。
417 :
名無しさん@3周年 :03/11/27 18:40
アリカのワークはシン・インテグレーションでも取り入れられてたな。 創始者のロルファー、マーク・キャフェルはアリカと関わりがあったのかな?
>415 今現在などというものは無い 言ったとたん、それはすでに過去なのだよ
419 :
名無しさん@3周年 :03/11/27 21:23
>>418 むしろ逆で、本当に存在しているのは今この瞬間、現在だけ。
今この瞬間などというものも無い 言ったとたん、すでに過去である
>>420 今この瞬間と共に在り続けることがKの言う気づきであり、グルジェフの言う自己想起なんだよ。
自分が何をしているか、それを自覚し続けることで、現実に存在することが可能となる。
また変なのがきた
車で暴走する バイクで暴走する 何が楽しいと思う? 危険なスタントをする ジェットコースターに乗る 何が楽しいと思う? それは、今を感じるからだ 今現在に集中するものは何でも楽しい それは人を魅了する、虜にする しかしそれは、ほんの1カケラを感じたにすぎない なぜなら、一瞬しか今を感じとれないからだ
>今この瞬間と共に在り続けることがKの言う気づきであり なぜなら、今この瞬間しか存在しないから、瞬間の絶え間ない連続しか存在していないから。 >自分が何をしているか、それを自覚し続けることで、現実に存在することが可能となる おそらく誰もがその道を歩む。それはトリックを見破る近道になる。
今、現在、この瞬間、すべて架空の時だ 観念上のものでしかない、そのようなものと共に在り続ける ずいぶん空虚な話をしているんだな
>>425 愚かな誤解をしているな。「現在」という漢字をよく見ろよ。「現れ在る」という字だ。
現在、この瞬間こそが現実に存在しているのであって、
過去は現実、現在に依存して、その一部を留めているに過ぎない。
そして、未来は過去の蓄積からの推測、予想、希望、組み合わせの違いでしかない。
しかし、あなたのように多くの人が、今この瞬間こそが現実であり、
真に存在することの鍵であることに気づかず、過去に逃避し、あるいは未来への希望にすがって生きている。
もう一度言うが、現在、この瞬間と共に在り続けることにのみ、実存への可能性が在る。
いくら言っても無いものは無い 実時間としては、ありえない 空虚な話を続けたまえ
428 :
名無しさん@3周年 :03/11/28 21:42
>>427 反論できなくなって苦し紛れのレスをしてるとしか見えんよ。
反論できないからないものはないと根拠のない強弁をしてるだけ。
悔しかったらきちんと何が存在して何が存在していないのか、もう一度書いてごらん。
見られたもの、知られたもの、感じられたものそれらは全て、過去だよ。 言葉を一切はさむことなく対象を観察したとしても其処に空間が存在し ている限り定義として認識されたものは全て過去になる。
430 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 06:36
「認識されたもの」が過去なのは当然だろ。文章自体が過去形になってるじゃん。 そうではなくて、「認識している」状態が現実なんだが。
431 :
はひょ丸 :03/11/29 11:00
「今」というのは認識出来ない。 認識した時点でそれは過去になる。 「それ」で在ることは出来るが、「それ」を認識することは出来ない。
432 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 11:12
時間は長さなのだろうか? 過去を内包して広がる環状のようなものと思える。 今のなかに未来に起こる因子が含まれている。
>「認識されたもの」が過去なのは当然だろ。文章自体が過去形になってるじゃん。 過去形じゃなく受動表現のつもりで書いたんだけど、日本語は難しいね! 「認識されているもの」と表記すればより正確かな。 空間と時間は相補的に存在させられていて、スペースの無い時間の流れも 時間の静止した空間も存在しない。(対化と表現する人々??もいるw) 物理的空間にしろ心理的空間にしろ、対象が現れている時点ですでに過去 を見ていると考えた方が良いよ(強制はしないし出来ないけどね)。 「汝はそれなり」・認識が終焉して初めて時間を超越することができる。 ヒンズー関係の良書は本は日本にすくないからな〜。そのうち電子書籍が 普及してラマナ=マハリシの翻訳でもたくさん読めるようになって少し でも良識が常識に変わることを願うだけの今日この頃。
434 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 17:08
>>431 「生と覚醒のコメンタリー」1巻71ページ
「自己認識がなければ、あなたが求めている神は幻想の神であり、
そして幻想からは必然的に葛藤と悲嘆が生まれるのである。
自己認識がなければ、正しい思惟はあり得ない。(中略)
自己認識は究極目的ではないーーーそれは不滅なるものに打ち込まれる唯一の楔なのである。」
一般人が認識と呼んでいるものと、Kの言う自己認識は違うもののようだね。
>>433 >「認識されているもの」と表記すればより正確かな。
今、認識されているものであるなら、それは現在のものだ。
今、認識されているものでないなら、それは過去のものかもしれない。
>「汝はそれなり」・認識が終焉して初めて時間を超越することができる。
汝がそれである、ことを認識している、という状態はあり得ないだろうか。
上記のKの言葉はその可能性を示している。
「自己認識なくして真理は狂気でしかない」by K
互いに譲れないところなのだろうが、そんなに力んでもしょうがないのでは。 それは、求める人しか理解できないし、強く求める人はすぐに理解する。 そういうものだと思う。 同じ方向を向いていると思っても、おそらく、求めている方向が異なるのだ。
それに、保証書がないと信じられないというのもある。 それはOSHOの保証書、Kの保証書がないとね。 ここで語っているのがOSHOでもなければ、Kでもないなら、信じられないというのもあるだろうし。 それは、求めていないというよりも、べつの何かを求めているためだろう。
437 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 17:56
@他力本願 この言葉は世間では,他人の力を当てにして自分の願い事をかなえるという怠け者の代名詞のように使われていますが,本来の意味は全く違うのであります。 他とは仏さまのことで,仏さまにお願いするのではなく,仏さまから願われているということです。 宗教とは無病息災,商売繁盛,入試合格など自分の欲を満たすために願かけをすることと思っている人が多いようです。 浄土真宗の御開山親鸞聖人は,このような宗教はにせものであると言われました。 私達のお寺には,お札,お守り,おみくじなどはありません。 人の欲は際限がありませんし,誰しも人生はいつどんなことかあるか分かりませんので,他人と比べて自分がどれだけ欲を満たしているかを幸せの判定基準にすることはできません。 私達の本当の幸せは仏さまの願いにおまかせし,安心して生かしていただくことと思います。 無条件に先回りして案じていてくださる仏さまのお心を,親心にた とえられます。
438 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 18:13
>>435 この認識というのは重要なんだよ。方向が違うとかそういういい加減な考えでまとめて欲しいとは思わない。
Kが多くの宗教や教団を否定したのは、それらの教えに自己認識が欠けている、
あるいは忘れられているからだと考えられないだろうか。
そして、今この瞬間、現在が存在しないと言う人は、それなら何が存在していると言っているんだ?
そこをはっきりしろよ。
過去も未来も現在に寄り掛かって断片的に存在してるだけだろ。
>>438 彼らには、まだ、たくさんのやることがあるのだ。
その道を進むよりも重要なことが。
もし、その道を進むことが重要だと感じたなら、聞こえるはず。
そのときがくれば聞こえるだろう。
まだ、その時が来ていないのに、言いつづけても、戯言か押し付けにしか聞こえないだろう。
これ以上止めはしないけれどね。
Kの教えは知らないが、宗教や教団を否定したとすれば、
おそらく、教団に所属することがたくさんのやることの重要な1つになるからだろう。
今この瞬間、現在が存在しないと言う人は、それを感じ取れないからだ。
知覚しているのは現在でも、感じているのは過去か未来しか感じとれないのだよ。
だから平行線をたどっている。
人は過去に対しては現在想起できる記憶を通してのみ触れられる。 未来は、過去と、それに引き続いた結果を現在に当てはめてみているだけである。 しかし、神の声はその因果をこえて感じられるのだ。
クリシュナムルテイに関してはもう十五年以上前から読んでいるので彼の言葉使 いが時代と共に変遷しているのは知っているし、主体と客体の分裂を示唆する observeをつかわないでawarenessを多用するようになったのはとくに有名な話。 すでに2チャンネルでも5回くらい書き込んだけど・・・この話。 <COMMENTARIES ON LIVING> の原文がないので何とも言えないが自己認識 にself-recognitionを使用しているとしたらあまり感心しないね。 recognizeの原義は ********************************************************* recognize [語源] re(=again) = know again(=再び知る) to know again sb/sth that you have seen or heard befor ********************************************************* すでに過去に知っていたものを再認識するという意味だから。 見るものを見ることは出来ないという単純な理由から。 クリシュナムルテイフリークが過去も未来もふっ飛ばして現在を崇めたくなる 気持ちはわからんでも無いが、そう簡単に事が運ばないのは、彼の本を読んだ だけで気持ち良くなっているほとんどの人間が自我を肥大させているだけで終 わっている事からも推察できるでしょう。 オレもはひょ●も思考が静まったときの知覚が現在に近づいていることは認める だろうが、それさえも<過去>であるとあえて言明するのには、深い意味があっ てのことだよ。 主客一体とか身体性なんて七面独裁事を持ち出すのは、知覚、認識では現在に 到達できないと理解してのこと。 今、私が、書いていることを理解しろとは言わないが、そろそろセメテ、 クリシュナムルテイを松葉杖にする習慣は改めたほうがいいと思う。
442 :
く〜 ◆kNoRfDfMkg :03/11/29 19:20
10億円以上のお金が、統一教会の献金に消えて行ったことや 女性連合の幹部たちが税申告していないことで、毎日心配で眠れない人が多い。 また、被害者の抗議の電話が、加害者の女性連合の幹部に連日寄せられている。 女性連合の幹部たちは、今、自分たちのやった行いがどのような結末で終わるか、一生懸命お祈りしている。 日本テレビの報道陣が、この事実に気づかないように。 原作、元創価学会員、主演女優、女性連合幹部、主演男優、統一教会磁気水販売員、配給元、統一教会。 八葉物流事件とは。 <マルチ商法を装い巨額の資金を違法に集めたとして、警視庁生活経済課と愛媛、沖縄両県警の合同捜査本部は二十五日 出資法違反(預かり金の禁止)容疑で健康食品販売会社「全国八葉物流」の東京都港区の東京本部や北谷町の事務所 各地のグループ会社などを一斉に家宅捜索した。 同社が集めた資金は約千五百六十四億円で、金のペーパー商法で約二千億円を集めた豊田商事に次ぐ規模。 約五百億円が返済できず、一月に自己破産した。
443 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 19:20
>>441 ん? 過去も未来も現在も存在しないなら、何が存在していると言うんだ?
そこを曖昧にしたまま、Kを杖にしているとか下らないことを言うなよ。
結局言葉で表現するとしたら、存在するのは現在だけだろ。
そして、その現在を認識するのが自己認識だと言っているんだが。
「それは不滅なるものに打ち込まれる唯一の楔なのである。」
というのはそういう意味だろ。
存在しているものは存在だけだよw それはヒンドゥー教徒にとってはあるものだし仏教徒にとっては空となるのかな? 対象の認識が終わらない限り時間を超えることは出来ないよ。 あなたが<現在を認識する>と書き込んでいることで一体ナニを認識しているのか 例をあげてもらえないかな〜 そうするとだいぶ説明の手間が省ける。
445 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 19:33
>>444 時間を超えることが現在を認識することだろ。こっちは最初からそう言ってるんだが。
>あなたが<現在を認識する>と書き込んでいることで一体ナニを認識しているのか
>例をあげてもらえないかな〜
言うまでもないがあらゆることを。
そうでなければ無選択の気づきではないだろ。
人はすぐ自分が何をしているか無自覚になってしまう。
駅まで歩くのに、自分の足の動きを認識などしていない。歩き疲れた時にちょっと気づくだけだ。
体の動き、思考、感情、それらあらゆる物事に無選択に気づく時にのみ、自己認識の可能性がある。
15年もKを読んでいて、こんなことさえ理解できていないのか?
おっと、こういう煽り文は良くないな。
>過去も未来も現在も存在しないなら そんなこと何処にもかいていないんだけどな〜
447 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 19:46
>>446 それなら現在は存在しているという俺の指摘で最初から問題ねえじゃん。
何をごちゃごちゃ言ってるんだ、お前は。
認識の意味 (2)〔哲〕〔英 cognition; (ドイツ) Erkenntnis〕 人間(主観)が事物(客観・対象)を認め、それとし て知るはたらき。また、知りえた成果。感覚・知覚・ 直観・思考などの様式がある。知識。 三省堂提供「大辞林 第二版」 これには同意できるのかな? 認識を議論していていつのまにか自己認識に摩り替わっているしw クリシュナムルテイもいけないのだが・・・。 >現在を認識することだろ 何度も繰り返すけど現在は認識できないよ。
449 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 19:55
>認識を議論していていつのまにか自己認識に摩り替わっているしw Kは自己認識と言わずにただ認識と言っている箇所もある。すり変わっていると言うのは逃げ口上でしかないよ。 >これには同意できるのかな? 言葉は辞書の意味が全てではない。Kは知識とは明らかに違う意味で認識という語を使っている。 >何度も繰り返すけど現在は認識できないよ。 そう、今の君にはできない。そして多くの人ができないと言って諦めてしまう。 それでも真剣に取り組みなさいとKは何度も言っている。
>真剣に取り組みなさいとKは何度も言っている。 現在は認識できないとオレ様は仰るっているw スレッドを汚すだけだからそろそろ退散するよ!
451 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 20:02
444 名前:@ 投稿日:03/11/29 19:27 存在しているものは存在だけだよw 446 名前:@ 投稿日:03/11/29 19:36 >過去も未来も現在も存在しないなら そんなこと何処にもかいていないんだけどな〜 ↑自分が何を書いているのか把握できてないだろ、お前。
452 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 20:06
>>450 また何も根拠を書けずに自論を主張するだけで逃走か。
>>427 とか、以前の親鸞厨とか、今回の@
>>450 とか、自論を主張するだけ主張して、
何も根拠を言えないまま逃走する腑抜けばっかだな。
退散しようと思ったけど面白い記述を見つけたので引用するよ!! 「我々は新しい経験を<認識>することは出来ない。それは不可能である。 我々はただ<すでに知っているものを認識するだけ>であり、したがって、新 しい経験をしたという時それは決して新しくはない。」(自己変革の方法 P237) 既知のものしか認識できないという記述は探せばもっと沢山あるとおもう がな〜面独裁ので誰かかわりに探してくれ。
主客一体、 なんの不思議も無く、受け取り、ました。 ただし、主客は、知らず、 一体のみ。
455 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 20:32
>>453 おいおい、経験を認識すると言うのじゃ、現在を認識すると言うのは全く違うぜ。
刻々の気づき、それと、経験を認識すると言うのを一緒にするなよ。
経験は過去だぞ。現在じゃない。ちゃんと文章を読めよ。
またあった! 「瞑想の完全な注意深さの中では 知るということも<認識する>ということも なにかが記憶に残ることもありません時間と思考は すっかりなくなってしまいます」(瞑想P43) まだまだ探せばあると思うよ!
457 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 20:37
コピペ 「生と覚醒のコメンタリー」 1巻 13ページ 「理解は自己認識と共に生まれる。」 16ページ 「空虚で浅薄な主張ではなく、深甚なる自己認識が絶対に必要なのである。」 30ページ 「儀式は、自己認識からの申し分のない、体の良い逃避を許す、 空しい反復に過ぎないことがわかる。自己認識がなければ、 行為はほとんど無意味に等しいのである。」 71ページ 「自己認識がなければ、あなたが求めている神は幻想の神であり、 そして幻想からは必然的に葛藤と悲嘆が生まれるのである。 自己認識がなければ、正しい思惟はあり得ない。(中略) 自己認識は究極目的ではないーーー それは不滅なるものに打ち込まれる唯一の楔なのである。」 「自己認識を身につけることは、極めてむずかしく、 そしてそれは非常に長い時間がかかるのではありませんか。」 「自己認識は得ることが困難であるという考え自体が、自己認識の妨げになる。 あえて言うならば、それは難しいだとか、 それは時間がかかりそうだとか思わないようになさることだ。それが何であるのか、 およびそれが何でないのかを前もって決めないことである。 自己認識は関係の行為において発見されるはずである。 そしてあらゆる行為は、関係である。自己認識は、自己閉鎖、隠退からは生まれない ーーー関係を拒絶することは、死ぬことなのである。死は最後の抵抗である。 抵抗、すなわちあらゆる形の抑圧、置換、または昇華は、自己認識の流れの妨げとなる。」 以上を読んだだけでも、自己認識と言う語がKの著作の中で、 非常に重要な位置を占めていることがわかると思う。
>現在を認識する 言葉の使い方が間違っていることに早く気づけよ! 語源も定義もわざわざかいてやったんだからさ〜 手間かけさせるなよな〜
>457 全部自己認識ジャンw 認識一般はどうし短大。 ぎろんすりかえるなよ
460 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 20:41
訳者によって訳語が違うから、認識という語があったと言うだけでは意味がない。 その意味する所をきちんと読み取らなければ徒労に終わるだけ。 現在を認識するのでなければ、刻々の気づきとは言えない。 Kは何度も苦しみと共に在り続けなさいと言っている。 それが現在を認識する、自己認識ということ。
G虫にも手を焼いたがK虫も中々しつこいな〜ここはクリスレじゃないんだから 認識という言葉は辞書の定義を優先させろよ!
>現在を認識するのでなければ 現在は認識できませんよ!!!!!!!!! まだだめ?
463 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 20:44
>>459 言う間でもなく、自己認識も認識だ。認識でないなら何だと言うんだ?
辞書の定義を優先? アフォか。そんなものを優先させていたらKの理解なんて1000年かかってもできんぞ。
464 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 20:46
「自己認識を身につけることは、極めてむずかしく、
そしてそれは非常に長い時間がかかるのではありませんか。」
「自己認識は得ることが困難であるという考え自体が、自己認識の妨げになる。
あえて言うならば、それは難しいだとか、
それは時間がかかりそうだとか思わないようになさることだ。それが何であるのか、
およびそれが何でないのかを前もって決めないことである。
自己認識は関係の行為において発見されるはずである。
そしてあらゆる行為は、関係である。自己認識は、自己閉鎖、隠退からは生まれない
ーーー関係を拒絶することは、死ぬことなのである。死は最後の抵抗である。
抵抗、すなわちあらゆる形の抑圧、置換、または昇華は、自己認識の流れの妨げとなる。」
>>462 ここを読み直せ。
>Kの理解なんて1000年かかってもできんぞ。 ここはクリスレじゃないって。自己虫全快させるなよ。 いつのまにか全部<自己認識>になってっるしw
466 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 20:53
>>465 ほら、さっさと答えろよ。自己認識が認識じゃなかったら何だと言うんだ?
ん?
467 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 20:54
>>465 Kスレじゃない? Kを15年以上も前から読んでいたと自慢したのはお前だろ。
答えられないからって、Kスレじゃないと言うのはみっともない言い逃れだな。
普通は観照という言葉を使うだろうね? クリは自他の分裂を意味する言葉を嫌うのでawarenessを良く使っていた。
ところで君の大好きなクリちゃんは現在を認識しろと何処かに書いてある? 君の引用したのは全部自己認識だけジャンw
>Kを15年以上も前から読んでいたと自慢したのはお前だろ 自慢じゃなく単なる事実だ。K虫の中には4―5冊読んだだけで全てわかったよ うな自我肥大をおこしちゃう人があとをたたないんだよね〜。君みたいにさww 他にも原始仏教や印哲、西洋古典、西洋哲学全般、トラパ等を多読しているよ。 これも単なる事実だから気にしないでね
またまたまたまたあった!! 「<<認識は>>経験者を含蓄している。そして経験者は常に時間のものである。 何かを経験するためには、思考がそれを経験済みであるに違いない。 そして、もしそれがその何かを経験し終わっていたら、そのときには それは既知のものである(@注・・過去っう事だね)・・・・」 (コメンタリ2P21)
472 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 21:32
>>自己認識君 >>@ 興味深いはなしをありがとう。 ところで自己認識というのは、 自己を認識なのか、自己が認識なのかどっちなんだろう? それとも全然別か? 気になるのは、kは別のところで”自我はもともと存在しない” ともいっている。
473 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 21:34
>>468-470 ちょっと時間をくれてやったが、結局
>>466 に答えられねえじゃん。
>>451 でもお前の自己矛盾を指摘してやったんだが。
>普通は観照という言葉を使うだろうね?
>クリは自他の分裂を意味する言葉を嫌うのでawarenessを良く使っていた。
awarenessは殆どの場合、気づきと訳されている。自己認識と混同するなよ。
>ところで君の大好きなクリちゃんは現在を認識しろと何処かに書いてある?
苦しみと共に在りなさい、と何度も言っている。
それと、認識しろ、というような命令型の言葉はKは殆ど使わない。
>K虫の中には4―5冊読んだだけで全てわかったよ
>うな自我肥大をおこしちゃう人があとをたたないんだよね〜。君みたいにさww
>他にも原始仏教や印哲、西洋古典、西洋哲学全般、トラパ等を多読しているよ。
>これも単なる事実だから気にしないでね
wwと書いて置きながら、自慢ではないと言うのは自己矛盾そのものだな。
君は「知識が多であることは美徳ではありません。」というKの言葉を思い出すべきだ。
ああ〜また馬鹿相手に不毛な時間を過ごしてしまった。
>苦しみと共に在りなさい、と何度も言っている 認識なんてどこにかいってあるのかな〜www
476 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 21:42
>>472 Kはその場その場でいろいろな表現を使う。
一つの本で書いてあったことを、別の本と読み比べると上手く繋がらないこともあるように思う。
そこはKに質問したいところだが、残念ながらKはもういない。
>ところで自己認識というのは、
>自己を認識なのか、自己が認識なのかどっちなんだろう?
まずは自己を認識することだろう。
しかし、「自己認識」という一つの状態があるとKは言っているようにも思える。
これに関しては、様々なKの著作に出てくる質問者に是非質問しておいて欲しかったところだが、
俺が読んだいくつかの本にはそういう突っ込んだ質問はなかった。
>>475 結局自己認識は認識だろ、それを先に認めろよ。
苦しみと共に在る、それが自己認識だよ。
477 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 21:47
語尾にすぐ、ww、とかつける奴は自信の無さを、
必死に自己防衛しているだけだという指摘がKスレにあったが、
>>475 はその典型だな。
あなたが<現在を認識する>と書き込んでいることで一体ナニを認識しているのか 例をあげてもらえないかな〜
479 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 21:52
>>478 ちゃんと相手のレスを読んで書き込めよ。
>>445 に既に書いた。
それと
>>466 に答えろ。自分の都合の悪いところをスルーしてばかりだな、お前は。
IQの低い奴と話すと疲れる。この時間のすべてが無駄だったみたいだ。 自己認識という言葉(特殊)が示しているものと「認識」(一般)という 言葉の原義は矛盾しているということは君にでさえも理解できただろう。 ところで現在は認識(一般)できるとまだ思っているのか?www
481 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 21:58
>>480 答えになっていないな。IQが低いとか、自己防衛をし続けるだけか、お前は。
観照と書いただろうK信者君
ところで現在は認識(一般)できるとまだ思っているのか?www
484 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 21:59
ところで現在は認識(一般)できるとまだ思っているのか?www
485 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 22:02
ところで現在は認識(一般)できるとまだ思っているのか?www
ところで現在は認識(一般)できるといまだに思っているのか?www
487 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 22:06
「生と覚醒のコメンタリー」 1巻7ページ「現在(いま)を理解することがすなわち時間から自由になることなのである。」 1巻 13ページ 「理解は自己認識と共に生まれる。」 これだけでも自己認識が現在と共に在ることははっきりしている。
488 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 22:10
483 名前:@ 投稿日:03/11/29 21:59
ところで現在は認識(一般)できるとまだ思っているのか?www
484 名前:名無しさん@3周年 投稿日:03/11/29 21:59
ところで現在は認識(一般)できるとまだ思っているのか?www
485 名前:名無しさん@3周年 投稿日:03/11/29 22:02
ところで現在は認識(一般)できるとまだ思っているのか?www
486 名前:@ 投稿日:03/11/29 22:05
ところで現在は認識(一般)できるといまだに思っているのか?www
↑荒らしそのものだな。みっともない。さっさと
>>466 に答えてみろよ。
489 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 22:10
前にどこかに書き込んだことのコピペなんだけど、 「自我について知るということと、自我がいかにして出現するかを 理解することとは別物である」学びと英知の始まりp334 このあと、自我はもともと記憶や経験の束であり、存在しないものを 調べてもしょうがない、自我がいかにして出現するか、そしてそれが、 生を断片化していくかを理解することが大切だ。みたいな論旨でつづく。 これと同じで、自我が存在しないように現在もまた存在しないと 思うのだが。 >体の動き、思考、感情、それらあらゆる物事 これらはみな、自我に映っている過去のことのように感じる。
またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた 自己認識(特殊)かいwwwwwwww 氏かも引用文がだいぶはなれてるなーww 現在を理解するとは書いてるが認識するとは書いてないだろwwww IQ78って所だな。 狼に育てられた子供とコミシュケ―ションしてるわけじゃないんだから もっと真面目に人生生きろよ
ところで現在は認識(一般)できるといまだに思っているのか?www
492 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 22:16
>>489 そう、人は殆どの場合、体が動いた後、思考が働いた後、感情が動いた後に気づく。
身体、感情、思考が、働いている正にその瞬間に気づかなければならない。
それがKが何度も指摘している刻々に気づく、ということだ。
「非難もせず,正当化もせず、自己を他のものと同一化もせずに、
あるがままのものをあるがままに認識したとき、私たちはそれを理解することができるのです。」
あるがままのものを認識したときには既に過去になってるんだよぉ〜〜〜〜
494 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 22:25
>>490 すっかり幼稚園児だな。
「「あなた」と「私」が創造的でないために、私たちは社会をこのような混沌に陥れてしまったのです。
従って、「あなた」と「私」が創造的にならなければいけないのです。
問題は切迫しています。
「あなた」と「私」が,社会の崩壊の原因を認識して、単なる模倣ではなく、
私たちの創造的理解を基礎にした新しい建物を創造しなければなりません。」
↑ここでも認識と言っているな。
「どうやって私は自分が空虚であることを知るのでしょうか?
それは単なる言葉上の認識に過ぎないのでしょうか? それとも、それは実際の体験でしょうか?
心は本当にその空虚に気づいているのでしょうか?
私がそれから逃げていないとき、私がもはや自分自身を豊かにしようとしていないとき、
心がもはやそれが空虚であるという単なる言葉上の叙述に捕らえられていないとき、
そのとき、内面的に貧しいということの、空虚さ、不十分さの感覚だけがあります。
その事実を認識すること、それに充分に気づいていることが重要なことなのです。」
↑ここでも認識と言っているな。
>>493 認識した後に理解が来ると言っているんだぞ。そんなこともわからないのか?
>>491 いやいや、あんたの言う「現在」は認識
出来るよw。
>>488 いやいや、現在は認識出来ないよw。
現在なんてないものw。
>正にその瞬間に気づかなければならない。 その”瞬間”があるのかないのかを@とずっと話しているのだろう。 で、”瞬間”は”点”がないのと同じように、やはりないのでは?
497 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 22:32
お前らに引用してやるのがだんだん馬鹿馬鹿しくなって来たが、
「生と覚醒のコメンタリー」1巻7ページ
「現在(いま)は明日よりはるかに重要な意義を持っている。
今の中に一切の時間があり、そして今を理解することがすなわち時間から自由になることなのである。」
>>495 はいはい、さっさと根拠を書こうね。
498 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 22:38
>>493 仮に認識が過去だとして、では自己認識は何だ? 自己認識も過去か?
結局おまえの論法では
>>466 に全く解答できてないな。
あぼーん
>社会の崩壊の原因を認識して 原因は時間的にかこだろがあ〜〜〜ヴォケえ〜 過去を認識してるんだから意味論的に問題ないわい 例えになってないジャン >489 こんな説明のし方はいやなのだが例えば、目の前10cm先に鉛筆を持ってきて 言葉をなくただ観察してください。成功すればこれがあるがままの知覚です。 これは現在でしょうか? 光のスピードは有限です。鉛筆から発せられた光はたとえ10cmでも 其処に空間が存在すれば必ず時間的にその光は過去に属します。 感覚→知覚→認識これらは全て過去に属します。
だって自己認識君の言う「現在」って概念以上の物でもなんでもないから。 何故ならあんたは過去、未来、現在でなかったら何なんだ?とかそれを 時間概念によって、思考によって捉えているし、故に「現在のみ」という 概念を目標にしているから。 kが大事だと言った現在は概念でなく、目標、つまり時間とも関係ないよ。
>現在(いま)は明日よりはるかに重要な意義を持っている。 >今の中に一切の時間があり、そして今を理解することがす >なわち時間から自由になることなのである。」 ゼンゼン<<認識>>なんて言葉使ってないジャン中学三年生くらいの知能のガキ相手に 哲学の議論している自分が哀れになってきたワイ
504 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 22:46
>光のスピードは有限です。鉛筆から発せられた光はたとえ10cmでも
>其処に空間が存在すれば必ず時間的にその光は過去に属します。
愚かだな、だからKは自己認識の重要性を言っているんだよ。
自己を認識することが現在の活動だと言っているんであって、
鉛筆を認識することが現在の活動だと言っているわけではない。
鉛筆が10cm離れた所にあるなら鉛筆ではなく、その鉛筆を見ている自分を認識するんだよ。
>>445 に書いた通りだ。
>>@ ??? よくわからないが、たとえ鉛筆が過去でも、 鉛筆を無認識→認識に変わる瞬間はあるんじゃないの?
またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた またまたまたまたまたまたままたまたまたまたまたまたまたまたままたまた 自己認識(特殊)かいwwwwwwww ところで現在は認識(一般)できるとまだ思っているのか?www
507 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 22:52
>>502 認識という語の出てくる回数が少ないとは思わない。
例えば、「生と覚醒のコメンタリー」全4巻をざっと見たが、
1巻は、13、16、30、71、72、127〜129、152、155、158、162、221、287、322ページ、
2巻は、64、174、278、290ページ、
3巻は、91、100、102、115、116、119、197、203、351ページ、
4巻は、94、207、281、315ページと、かなり何度も出てくるし、興味深いのはその殆どにおいて、
自己認識という語がその章の重要な位置を占めていることだ。
(短時間でざっと探しただけなので、他のページにも出てくるかも。)
自己認識は認識ではないと言うのか、お前は、ほら、さっさと
>>466 に答えてみろよ。www
ほら、さっさと
>>466 に答えてみろよ。www
ほら、さっさと
>>466 に答えてみろよ。www
ほら、さっさと
>>466 に答えてみろよ。www
>鉛筆を無認識→認識に変わる瞬間はあるんじゃないの? その光は過去から発せられています。 見るという行為においてその光を見ている者に気づくことは出来ます。 それは認識する当の者でありけっして認識されることはありません。
509 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 22:57
>>506 ほら、さっさと
>>504 にも反論してみろよ。www
ほら、さっさと
>>504 にも反論してみろよ。www
ほら、さっさと504にも反論してみろよ。www
ほら、さっさと504にも反論してみろよ。www
ほら、さっさと504にも反論してみろよ。www
ほら、さっさと504にも反論してみろよ。www
ほら、さっさと504にも反論してみろよ。www
ほら、さっさと
>>504 にも反論してみろよ。www
ほら、さっさと
>>504 にも反論してみろよ。www
ほら、さっさと
>>504 にも反論してみろよ。www
ほら、さっさと
>>504 にも反論してみろよ。www
ほら、さっさと
>>504 にも反論してみろよ。www
ほら、さっさと
>>504 にも反論してみろよ。www
さあ、そろそろアフォくさい煽りはやめにしてやるか。
>>507 観照だって3回ぐらい書いただろヴォケ信者。
松葉杖で一生歩いて炉よ
511 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 23:03
>>508 >見るという行為においてその光を見ている者に気づくことは出来ます。
なんだよ、俺が
>>504 に書いたことの真似じゃねーか。
だったら、ごちゃごちゃ反論してんじゃねーよ。
>>510 はあ? 観照はawareness(気づき)なんだろ。
自己認識と混同するなと
>>473 に既に書いてやっただろ。
見るものを見ることは出来ない。 聞く者を聞くことは出来ない。 認識する当体を認識することは出来ない。 初歩の初歩なんだが・・・・・。 見られ、聞かれ、認識されたときそれは対象であって全て過去に属するものである。
認識という言葉の定義読みなおせよ低能信者君
俺にはkの知識でブクブクに太った二人の力士が、 言葉という土俵の両端で独り相撲をしている様子が 見える。
515 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 23:07
>>512 ほっほ〜う、じゃあ、お前は自己を認識することはできないと主張するわけだな。www
あと、見るものを見ることではなく、見ていることを自覚することだとこのスレに何度も書いてやってるのに、
お前はそれも読んでないのか。
反論したいならちゃんと相手の文を読めよ。
>>507 ちょっと聞きたいが、どうやってそんなにすぐパッと認識を
キーワードにしてページを検索出来るんだ?パソコンに
打ち込んでるとか?
>自己を認識することはできない その通り!!!! 自己は認識でき間しぇん。 認識の意味 (2)〔哲〕〔英 cognition; (ドイツ) Erkenntnis〕 人間(主観)が事物(客観・対象)を認め、それとし て知るはたらき。また、知りえた成果。感覚・知覚・ 直観・思考などの様式がある。知識。 三省堂提供「大辞林 第二版」
518 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 23:14
>>516 前に別スレの話題で調べたことがあったから。
>>517 15年もKを読み続けても何も学べなかったようだな。可哀想に。
>見ていることを自覚することだ なら認識という言葉を使うなよ信者君 認識の意味 (2)〔哲〕〔英 cognition; (ドイツ) Erkenntnis〕 人間(主観)が事物(客観・対象)を認め、それとし て知るはたらき。また、知りえた成果。感覚・知覚・ 直観・思考などの様式がある。知識。 三省堂提供「大辞林 第二版」 ま、君じゃ気づきと認識が区別できていない自己欺瞞のレベルなんだろうがw
520 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 23:19
>519 omaemona
>>518 おいおい、ホントとに自己が認識できるとおもっていいるのか??
>>518 おいおい、ホントとに自己が認識できるとおもっていいるのか??
523 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 23:41
@の行動パターン。
1、自己防衛のためにとりあえず語尾にwとつける。
2、論破されるから
>>466 には決して解答しない。
3、偉そうな態度を取っているが、
>>508 で、
>>504 の書き込みをパクるなどという情けない行動に出ている。
4、Kの言葉より大辞林を信じている。
5、幼稚な書き込みをコピペして連投する荒らし行為。
6、もう終わりにすると宣言したあと、悔しくなって戻って来て粘着。
524 :
名無しさん@3周年 :03/11/29 23:51
7、都合の悪い質問は全てスルー。 8、相手をK信者と罵りつつ、自分はKを15年も読んでいると自慢する迷走っぷり。
525 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 00:06
>おいおい、ホントとに自己が認識できるとおもっていいるのか?? まあ、自己認識くんは自己認識の意味を理解していないので仕方がないのです。
526 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 00:17
自己が認識する、ではなく、自己を認識することが自己認識だと言っているんだが。 日本語をきちんと読まないやつが多いな。
まだやってたのか。 自分を思考か感情と思っているうちは、そりゃ過去しか認識できないだろう。 無理も無い。 でも思考や感情を眺める自分がいるのだよ。 そのことを忘れてるんだな。
528 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 00:23
>>525 ほう、では自己認識の意味を是非書いてもらいたいね。
人にケチつけるだけで、自分では何も書けないんだろ?
529 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 00:27
>自己が認識する、ではなく、自己を認識することが自己認識だと言っているんだが。 自己を認識するのは誰だよ。
530 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 00:44
>>529 質問ばっかで、結局自分の意見は書けないのかよ。
早くお前の意見を書けよ。
言うまでもなく自己を認識するのも自己だ。だから自己認識って言うんだろ。
お前はきっとこういう感じに言いたいんだろう?
自己を認識するのは誰だ? 自己を認識するなら自己が2つに分裂している。
分裂は思考で、過去のものだ。
きっとこんな感じだろ。いつものパターンってやつだ。
だから俺は何度も言っているだろ、今何をしているか自覚すること、自己を見続けること、
共に在り続けること、だと。
共に在る時、そこに分離はない。
自己を認識するとは、普段は分裂しまくっている自己が、共に在り続ける、ということだ。
例えば、人はちょっと怪我をすると大騒ぎする。
痛い痛いと言うことで逃避し、現実と分離しようとする。
例えば、自己認識とは痛みと共に在ることだ。
痛みがなくなるわけではないが、その怪我がどの程度か、きちんと把握し、自覚することになる。
(痛覚も麻痺するような大怪我の時はまた別。)
531 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 00:50
なんかものすごい浅い説明ありがとう。 しばらく放置します。
>>@ >それは認識する当の者でありけっして認識されることはありません。 (過去から発せられる光に気づく)ことは認識する当の者であり、 けっして(鉛筆そのもの)は認識されることはありません。 と言う意味かい? それは物理的な事実であるけれども、鉛筆の代わりに”苦しみ”を 入れたらどうだろうか?認識されることはありえないだろうか?
>>自己認識君? >今を理解すること 今を理解することによって、”今”がありえないことに気づくかもしれない。 今を認識することによって、”今”がありえないことに気づくだろうか?
534 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 01:10
>>531 ほら見ろ、お前には何も書けねーじゃん。他人にケチつけるだけ。
いいか、お前は自分を観察したことが殆どないだろ?
だから俺の言うことが理解できない。
ちょっと近所のコンビニまで歩いてみろよ。
お前はすぐに歩いている自分を観察するのをやめて、頭の中で、なんだかんだと考え始める。
お前は思考にすぐに囚われ、歩いていることはすっかり自覚しないまま歩く。
そして自動的に近所のコンビニに辿り着く。
お前の身体と思考はバラバラだ。認識の欠片もない。
歩いていることを自覚してみろよ。
身体の動きをちゃんと自覚しろ。
そうすると、思考が自覚の邪魔をすることに気づくだろう。
それなら、思考に気づいていたまえ。
さあ、ケチばかりつけてないで、やってみろよ。
思考に気づくのはもっと難しい。お前はすぐに思考に囚われて、自覚を忘れる。
それが分離だよ。
ちょっとは自己を観察してから出直してくるんだな。
535 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 01:15
>>533 ,489
>今を理解することによって、”今”がありえないことに気づくかもしれない。
>今を認識することによって、”今”がありえないことに気づくだろうか?
むしろ、今を理解することによって、現実に存在しているのは現在(いま)だけで、
過去や未来ではないということに気づく、とこのスレで何度も指摘しているんだが。
そして、現在の活動のみが時間を超越し得る、というのも既に書いた。
>>535 @と自己認識君の話の流れで、現在(いま)を気づく、認識する、理解する
等の微妙な違いを話し合いたかったのだが。
そろそろ眠くなってきた。おやすみ。
寝てる間にレスが伸びててびっくり。 皆お盛んだな。 こうやって見てみるとkも随分一つの言葉にその場その場で違う意味を与えた んだな、とは思うがそれとも訳の問題かな? 自己認識とは自分の思考、感情に対する認識の事で 主客一体とは別の事だと思うんだけど。 >「現在(いま)は明日よりはるかに重要な意義を持っている。 >今の中に一切の時間があり、そして今を理解することがすなわち時間から自由になることなのである。」 「過去を含む現在」と「無時間としての現在」があると言えないかな? 前者は自己認識であり、後者は主客合一。 気付きの先に観照が起こる。自己認識の先に合一性が起こる。 自己認識の延長線上に合一が起きるわけだから 自己認識は過去である、「過去としての現在」の認識である、 と言ってもいいわけだがその先っぽが合一に触れている以上 そうとも言い切れない面があるのは確か。
539 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 03:38
>>538 K的に言うなら方法ではない。とはいえ変化はたくさんあった。ここには書ききれないくらいにな。
それよりお前は質問するだけか? ちょっとは自分の意見を書いてみろよ。
>>537 >「過去を含む現在」と「無時間としての現在」があると言えないかな?
大体そういう感じだろう。
@はどうしても認めたくないようだが、結局ろくに反論できなかったし。
540 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 03:46
>こうやって見てみるとkも随分一つの言葉にその場その場で違う意味を与えたんだな、 そうだな、それは当たっていると思うよ。訳も一つの問題ではあるが、訳だけが原因ではないな。 ただ残念なのは、そういうズレについて、きちんと質問できた質問者が殆どいなかったことだな。 Kの著作の最大の問題点は、質問者の力量不足にあるだろう。
バカは何やってもバカ。 肯定してもバカ。 否定してもバカ。 その中間を狙ってもバカ。 何もしなくてもバカ。 それを悟ろうとしてもバカ。 足を洗ってもバカ。 絵を描いてもバカ。 恋愛してもバカ。 親孝行してもバカ。 社会に奉仕してもバカ。 怒ってもバカ。 泣いてもバカ。 死んでもバカ。 生きててもバカ。 バカで結構でもバカ。 だから何だと言ってもバカ。 勝手にしろと言ってもバカ。 もう寝るぞと言ってもバカ。 寝てもバカ。 起きてもバカ。 バカでもバカ。 バカ。
忘れてた。 認識してもバカ。 自己認識してもバカ。
不思議なものだな。 これだけの解説があっても・・・ 同じ本を読んだとしても・・・ まるで受け取り方が違うのだな。 俺の予想をはるかに越えてるな。 防水シートに水を撒くより、砂に水を撒いたほうが染み込み易いわな。w
544 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 17:11
衆生救済が目的の仏陀が、性別、財産、地位、宗教、等の違いで人々を差別する事は無い。 「他宗教を信じれば救われない」と言うのは俗物の戯言である。
545 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 17:32
>>334 それで良いんじゃない?人それぞれ生きている位置が違うのだから。
むしろ同じのほうが気持ちが悪いよ。
546 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 18:10
どういう受け取り方をしようとKの言う「開花」には誰も到達できないという罠 「開花」できなければどういう解釈を付けようとも無意味な人生に違いはない。
547 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 18:20
我々は「無意味な人生を歩み、そして終える」GやKやOに関わろうが、 関わらなかろうが、それが事実なんだ。魂への希求ってある程度がいい。 あんまり深く関わると人生を楽しめなくなる。 鬱な哲学者になるよりも、DQNなトラックドライバーにでもなったほうがましだ。
548 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 18:49
>鬱な哲学者になるよりも、DQNなトラックドライバー にでもなったほうがましだ。 どっちも無意味には変わりないから、同じだよ。
549 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 19:19
>>546 >どういう受け取り方をしようとKの言う「開花」には誰も到達できないという罠
U.G.クリシュナムルティという人物は若い頃に夫婦でJ.クリシュナムルティと会って、
その時はチンプンカンプンだったらしいが、45歳頃に開花して、今はインドで注目されてるらしいぞ。
>>547 そのようなキーワードがあると、つい口を出してしまう。
逆だから、指摘しておくか。
>我々は「無意味な人生を歩み、そして終える」GやKやOに関わろうが、
>関わらなかろうが、それが事実なんだ。
GやKやOは意味のある人生を送っちゃいない。
彼らは人生に無意味さを見出した。
逆に我々というほうが人生に意味をもたせている。
もし、人生に無意味さを見出したなら、もう、約束されている。
自己を認識するであろうし、主客一体を知るだろう。
551 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 19:37
>>550 細かいことだが、K的には、意味と無意味の狭間に真実がある、という言い方の方が近いと思う。
552 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 21:08
U.G.クリシュナムルティの言葉 「解脱、解放、自由、変容と名づけ、惹かれているものが何であれ、貴方は一瞬の 不幸もない幸福や痛みのない快楽に惹かれているのだ。それは同じことだ。」
>>539 俺は正直言って意見等言える程何も分かっていない。
しかし自己認識出来たとここまでハッキリと言う人を見た
事が無いので事前事後どういった事があったのか是非
聞いて見たかった。
554 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 21:51
スピリチュアルな道とは瞬間瞬間に自分自身と出会う努力です。 それは機械的なものではなく、ある親密さ、セルフとの親密さの開花です。 この単純な真理が見えませんか。どうかそのような質問はしないで下さい。 ちゃんとこの教えをしていなかったのではないかという気になりますからね。 どこへも行く所などありません。ただ十全にNowにいなさい。 生徒:じゃ、何の訓練も必要ないのですか。 それはアドバイタを学ぶ者の多くが抱く幻想です。 どこにも行かないためには実は大変な訓練が必要です! Nowに在ることは最高の訓練です。もしリラックスするだけなら、 瞬時に無意識のマインドがしゃしゃり出て白昼夢の中に居ることになるでしょう。 我々が瞑想修行をするのはどこかへ行く為ではなく、どこへも行かない為だと いうことが分かりませんか!(笑い)私たちがしているのは非行為です。 非活動のスペースに居ながら最高の存在のアートを学んでいます。 非行為のためには訓練と真正さが必要です。分かりますか。混乱しましたか。 生徒:はい。 誰が混乱しているのでしょうか。マインドは常に混乱しています。 それをやり過ごし、自分のプレゼンスへ戻ってきなさい。思考以前の自分に出会いなさい。 するとアナタは、「道」の本質を発見するでしょう。これはアジズの道ではありません。 只の道、唯一の道です! これがアナタの道ですよ... 未熟な探求者には多くの可能性と道があります。 ビパサナやチベット仏教、禅、アドバイタ、スーフィー...OSHO、プーンジャ、 J.あるいはUG. クリシュナムルティ...などなど、オプションの海に溺れています。 しかし成熟した探求者にとっては、たった一つの道と瞑想しかありません ---I Amで在ることです。(being I Am)
555 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 22:08
U.G.クリシュナムルティって初めて聞いた。で検索したら結構出てくるんだよね。
その中で気になった文をコピぺしてみた。
>>554 はアジズの文。
彼の事も最近になって初めて知った。けど、
彼もU.G.クリシュナムルティのことを知っていたんだね。(驚き
熟練した探求者じゃないと、我々凡人には訓練する道が必要なのかもしれない。
自己認識とか単に忙しい日常の中で実践するだけじゃ駄目なんじゃないか?と
思った。
556 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 22:30
アジズの言葉はグルジェフにかなり似てるね。 「生は「私が存在し」て初めて真実となる」 Life Is Real Only Then, When "I Am" グルジェフ
557 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 22:35
>しかし自己認識出来たとここまでハッキリと言う人を見た >事が無い 自己欺瞞しか出来ていないわけだが
558 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 22:38
>アジズの言葉はグルジェフにかなり似てるね。 比べたところで意味がないだろ。そろそろそんなこと落とせよ。
559 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 22:46
>>557 ,558
またもやケチつけるだけで、何も書けない人ですか?
進歩がないねえ。
560 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 22:50
モンキーの溜まり場かここは
561 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 22:55
モンキーといえば西遊記とグルジェフのベルゼバブはところどころに共通点があって興味深いぞ。
>>560 >>1 の、はにょ丸は結構真面目に書き込んでいるし、真面目に書いてる奴が他にも2〜3人いるが、
他人の書き込みにケチをつけるだけで、自分の意見は何も書けないまま逃亡する奴が時々いるんだよ。
562 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 23:00
本人が真面目だと思っているだけだろ
563 :
名無しさん@3周年 :03/11/30 23:28
>>562 ほーら、こうやってケチつけるだけの奴が出てくるだろ〜。
いつまで自分の殻に閉じこもっているつもりなんだ? ん〜?
,.、 .,r.、 ,.、 .,r.、 ,! ヽ ,:' ゙;. ,! ヽ ,:' ゙;.. ! ゙, | } . ! ゙, | } ゙; i_i ,/ ゙; i_i ,/ ,r' `ヽ、 ,r' `ヽ、 ,i" _, _ ゙; ,i" _, _ ゙; !. ・ ・ ,! !. ・ ・ ,!ヽ、 x _,r'' ゝ_ x _,r' `;;''''''''''''"´ヽ. ,:`''''''''''/ ̄ ̄ ̄ ̄/ | | | ;;"~)/ / (⌒)
565 :
名無しさん@3周年 :03/12/01 23:35
>>555 > 熟練した探求者じゃないと、我々凡人には訓練する道が必要なのかもしれない。
> 自己認識とか単に忙しい日常の中で実践するだけじゃ駄目なんじゃないか?と
> 思った。
あまりそういう風にはおもわない。日本の禅みたいな言い方になるけど,今目の前
にあることに全力を尽くす(精進)、それだけはやれそうな気がする。仕事でも歩く
ことでも・・・。もちろんその中から未熟練者なりの知恵が生まれ,努力の方向の誤
りやもっとシンプルなことに気づけるんじゃいないかと思ってる。
その時の持てる力を発現すればそれは100%自分であったと言えるんじゃないかな?
高度過ぎて先が見えないことに、あれこれ考えても無駄って気がする。「今」にありつづ
けようとする人であるならばなおさら。
わかった時にはあまりに当たり前過ぎて「ふ〜〜,そうなってんだ・・・」てなもんじゃないかな,感慨も。
566 :
はひょ丸 :03/12/03 18:32
つねに今ここにいて見守る、という風にしていると他人のうわさ話とか どうのこうのがどうでもよくなる。 なんというか物語なんだよな、マインド・ループという円の中の。 ありとあらゆる感情的で滑稽な物語。 なんというかどうしようもなく世界の無効性を感じてしまう。 ただこれだけだと虚無としての世界を見つめる自己は力を持ち得ない。 無効な世界の中で全面的に存在し、生きること。 そうであるためには見ることそのもので在らねばならない。 見ることと在ることの両方が必要だ。 そのとき初めて見るものと見られるものは一つになる。
567 :
名無しさん@3周年 :03/12/03 19:20
>はひょ丸さん スレ違いだけれど、アバターやって何か変わりましたか? アバタースレでKとの関連性とか書かれていてはひょ丸さんの話題も出てたものだから。
>566 ねばばらないは落としたほうがいいよ。 見るだけで充分だから。
569 :
はひょ丸 :03/12/03 21:00
>>568 ねばならない、っていう言葉がでちゃうのは
やはり自分を方向付けしようとする動きがあるからだろうな。
こいつは本当にしぶとい。
それを消そうという意図自体がそれを強めるわけだから。
>>567 アバター受けて何が変化したか?
むずい質問だなー。
僕はアバターうけて5年以上経つけどまだアバターを消化しきれて
いない感がある。
体験というものがいかにしてマインドによって作られるのか、
実感できたけど僕はkも読んでいるからその先にあるものとの関連で
逆に右往左往しているというのが現状ですね。
以前だったらメゲてる状況でアホのように笑っていられる、
という芸当が出来るようにはなりましたが。
570 :
はひょ丸 :03/12/03 21:30
通常では主体は客体である世界にその注意力を注入し弱体化している。 この状況では世界が主人で主体である自己がその奴隷だ。 世界はリアルで自己はアンリアル、不在だ。 主体がその欲望により弱体化していることに気付き 客体を是非抜きに観察できるようになると そのときはじめて自己が存在していると感じられるようになる。 これが「T am」である。 客体に力を与えて弱体化していたのは自己自身の創造だったのだ。
571 :
はひょ丸 :03/12/03 21:47
自己「T am」の先に存在の氾濫、主客一体がある。 ここではもう何の分離もない。 それそのものがそのまま活動している。 自我も無我もどうでもいい。 手段が目的で目的が手段だ。 しかしkなら「T am」などという段階は一切認めないだろう。 それは一切の技法を否定するのと同じこと。 「T am」、アートマン、魂ですら思考の産物であり 時間の領域内の幻想というわけだ。
もしかしてアバタースレ∞=はひょ丸さんですか? >はひょ丸さん 胡散臭いアバターとKを関連づけるのは止めてください。 そのせいで、はひょ丸さんの混乱がこっちにも移ってきました。(苦笑 危うく30万を棒に振るところでした。もういい加減アバターを卒業されたらどうですか? Kとの関連の書きこみのせいでアバターかヴィパッサナー瞑想か?迷ってしまったけれど、 後者に決めました。「今」に気づく為のある種の技法とか訓練とかが、我々には必要です。 それと「思考が現実を創造する」よりも、私にとっては「業」という解釈のほうが、 ピタリと当てはまります。昨今の外交官射殺事件にしても、どうしてああいう善い 人間が…なんてきっと思われるでしょう。あの外交官等があの現実を創造されたの でしょうか?違います。それはただ「業」によって起きたのです。
ラベリングについて否定されていますけど、この意見についてどう思われますか? 345 :342 :03/10/06 09:54 白い炎さんの言っているラベリングに対する疑問は クリシュナムルティ読んできた人間なら当然感じる疑問で、 私も最初、まったく同じ疑問をもってマハーシメソッドに取り組みましたが、 その疑問は、ある程度実践した時点で晴れますよ。 ここで、これ以上そのことを説明しようとは思いませんが、 Kの「言葉なし選択なしの受動的な観察」につながる道としては マハーシメソッドはとてもよく考えられた技法だと思いました。 あと、マハーシメソッド=ラベリングという理解(や批判)をよく目にしますが、 「マハーシメソッド=ラベリング」ではないですね。 普通の意味でのラベリングなしのマハーシメソッドもあり得るし、 修行工程では、ラベリングを入れれないし、また入れるべきではない 局面も出てきます。 「マハーシメソッド=ラベリング」というのは、あくまでも修行前半部分での話です。 だから、ラベリング使用を持って、マハーシメソッドの批判はできないと思います。 まともな指導者なら、ラベリングの弊害も欠点も分かったうえで、 ラベリングという補助器具(杖)を使用することを選択しているのだと思います。 もし、本当に興味があるのなら、半年か1年か実際にやってみて、 私がここに書いたことが本当かどうなのか、 ご自身の体で実験してみることをお勧めします。
あ、もし>もしかしてアバタースレ∞=はひょ丸さんですか? 勘違いだったらごめんなさい。m(__)m
ラベリングは不要だよ。回り道してるだけ。
(`〜´)
人間は機械だ。 彼の行動、行為、言葉、思考、感情、意見、習慣、 これら全ては外的な影響、外的な印象から生ずるのだ。 人間は、自分自身では、一つの考え、一つの行為すら生み出す事はできない。 彼の言うこと、為すこと、考えること、感じること、これら全てはただ起こるのだ。 人間は何一つ発見することも発明することもできない。全てはただ起こるのだ。 この事実を自ら確証し、理解し、真実だと納得するということは、 すなわち、人間に関する無数の幻想、つまり自分は創造的で、 自らの生を意識的に生きている等々の幻想を放棄することに他ならない。 そのような物は何一つとしてない。全ては起こるのだ。 大衆運動、戦争、革命、政権交代、全ては起こるのだ。 それらは、個人の人生で全てが起こるのと同じように起こる。 人は生まれ、生き、死に、家を建て、本を書くが、 それは自分が望んでいるようにではなく、起こるに任せているに過ぎない。 全ては起こるのだ。 人は愛しも、憎みも、欲しもしない。それらは全て起こるのだ。
>>577 どうせやるならここまでコピペしろよ。↓
しかし、君が誰かにあなたは何もすることができないと言っても、誰も信じはしないだろう。
それは、君が人々に言うことの中で最も侮辱的で不快なことだ。
それが特別不快で侮辱的なのは、それが真実だからで、そして誰一人真実を知りたいとは思っていないのだ。
君がこれを理解すれば、話がしやすくなるだろう。
しかし、心情で理解するのと、<全身全霊>で感じ、心底確信し、決して忘れないのとは別の事だ。
質問者「為しうることは何一つ、絶対に何一つないのですか?」
絶対に何一つない。
質問者「では、誰一人として何かをすることはできないのですか?」
それは別の問題だ。「為す」ためには「存在」しなければならない。
そして第一に「存在する」とはどういう意味かを理解しなければならない。
質問者「理解しようとする事も為し得る事の中に入っちゃうんじゃないですか?」 理解しようとするのではなく、理解していることだ。 質問者「何ですかそれ。ペテン師ですか?」 ペテン師もやってるよ。 質問者「そうなんですか!」 このペルシャ絨毯買わない?安いよ。 質問者「通報しますた。」
580 :
名無しさん@3周年 :03/12/06 04:59
自作自演コピペご苦労。 しかし、グルジェフ信者のやることは判んで押したように機械的だな。
581 :
名無しさん@3周年 :03/12/06 05:33
>>566 > なんというかどうしようもなく世界の無効性を感じてしまう。
> ただこれだけだと虚無としての世界を見つめる自己は力を持ち得ない。
> 無効な世界の中で全面的に存在し、生きること。
> そうであるためには見ることそのもので在らねばならない。
> 見ることと在ることの両方が必要だ。
> そのとき初めて見るものと見られるものは一つになる。
きちんとした精神修養の経験なしで、書き込んじゃいますm(__)m
鬼畜漫画家・根本敬のエッセー「因果鉄道の夜」は鬼畜やホームレス、キチガイ
にフォーカスあてた著者のフィールドワーク集。
でも、これ読んで無効な世界の中で生きる、それへの答えをみたような気がした。
ホームレスが面倒みている犬のために、これでもか!と言わんばかりに餌皿を洗剤でピカピカにしている。
それをみていた根本が「なんでそんなことしているんですか?」と質問したところ
「でもやるんだよ!!!」とそのホームレス。
根本敬+みうらじゅんの「意味はないけど訳はある(藁)」ってのも名言。
Kのような美しい世界(自然)描写とは正反対ですが(爆)
>>580 自作自演だと勝手に誤解してる君の精神の方が遥かに機械的だよ。
>>572 訂正!正しくは「思考が現実を創造する」→「信念が現実を創造する」でした。
どうでもいいけどね、、、>はひょ丸さん 何か答えてください!
アバターマスターとは、「覚者」ということでいいのですか!?
私、厨房で、あなたを尊敬しております。見解が聞きたいのです。
あと>以前だったらメゲてる状況でアホのように笑っていられる、
という芸当が出来るようにはなりましたが。
これは、具体的にどういう意識の変容があったのですか?
Kとの関連性抜きにしてとりあえず両方やってみようか?という気になってきました。
あ、アバター卒業しろだの暴言吐いたの許してください。私たいへん混乱しております。
アバターを胡散臭く感じるところは、わずか2,3年の内にド素人がアバター→マスター
→ウィザードとやって果たして上手くやっていけるのか?人生を創造していけるのか?
って疑問が湧いてきます。人間って限界がありますよね。多くは機械的に生きてます。
グルジェフの文を引用するまでもなく…。そこを本当に越えられるの?って。しかも、
わずか2,3年の内に?体験談読むと、みんな悟った人です。そこが不思議な訳です。
>>583 2,3年じゃないや、1,2年だ。
あ、もう書きこみません。スレ違いですよね。。。
\\\\\\\\\\
586 :
はひょ丸 :03/12/06 12:30
567さんお待たせ。
アクセス規制で書き込めなかった。
>>567 マハーシメソッドっていうのは何ですか?
マハリシ瞑想、TMの事?
573のネタ元教えてくれると助かります。
あとアバターとKを関連づけるのはそれなりに理由があってのことです。
まあ、567さんがどの道を選ぶかは567さん自身ですから(当たり前ですが)
とにかく僕の言う事は信じないことです。
外交官射殺事件についてですがあれをカルマで片づけてしまっていいんでしょうか?
僕はそうは思いたくありません。
でもカルマという言葉を「自己自身が気づいていない創造」として解釈したら
どうでしょう?
こんな事言ったらまた混乱しちゃいますかね?
587 :
はひょ丸 :03/12/06 12:55
>>581 >きちんとした精神修養の経験なしで、書き込んじゃいますm(__)m
いや、下手に「修養とやら」の経験を積んでいる人の方が
面白いことは何も書けなかったりしますからね。
修養に条件付けられてしまって。
根本敬の本は僕も昔読みました。
電波系の工員の話は面白かったな。
人間の業を見据える、ということでは
興味深い資料ですね。
ただ彼の世界に出てくる人たちは妄想のなかに生きてて
現実を見ようとはしない。
社会の常識の中でがんじがらめになって生きるよりも
妄想の中で世界を無効にして妄想に生きる方が
面白いかもしれませんが、どちらの妄想にも僕は醒めていたいですね。
588 :
はひょ丸 :03/12/06 12:59
あ、あと567さん質問にはアバスレで∞として答えます。
アバター用語でもありますがアバターのソレはどうやら違うものの様ですね。
=アバタースレの573のぼくなんですよ。(笑 583を書いた後に気が付いたんです。アバタースレを見て精神科歴のある人は アウトだってことを…。病んだ精神を治したいとかそういうのもあったもので。 投薬治療だけじゃしようがないなぁと思い、自己啓発スレとかアバタースレとか を覗いていたんですけど、もっと恥を晒すと551を書いたのも実は私なんですよ。 まんまとひかかりました。w はひょ丸さんのもっともらしい意見があるから。 自演お上手ですね。とりあえずアドバイスに従って静養してたいと思いま〜す!
>>567 まあ、お大事にね。心も体も。
ラスト・サムライのナビ見てたら以下の詩を思いだした。
座右の銘
私には両親がないー私は天と地をもって両親とする。
私には故郷がないー私は気づきをもって故郷とする。
私には生も死もないー私は息の満ち干きをもって生としそして死とする。
私には聖なる力がないー私は誠実さをもって聖なる力とする。
私には手立てがないー私は理解をもって手立てとする。
私には神秘がないー私は性格をもって神秘とする。
私には体がないー私は忍耐をもって体とする。 私には目がないー私は稲妻をもって目とする。 私には耳がないー私は感性をもって耳とする。 私には手足がないー私は素早さをもって手足とする。 私には策がないー私は「思考に惑わされぬこと」をもって策とする。 私には計画がないー私は「機に乗ずること」をもって計画とする。 私には奇跡が起きないー私は正しい行為をもって奇跡とする。
私には主義がないー私は限りない柔軟性をもって主義とする。 私には戦法がないー私は虚と実をもって戦法とする。 私には才がないー私は機転をもって才とする。 私には友がないー私は自らの心をもって友とする。 私には敵がないー私は不注意をもって敵とする。 私には鎧がないー私は慈しみと正しさをもって鎧とする。 私には城がないー私はゆるぎない意志をもって城とする。 私には剣がないー私は無我をもって剣とする。 無名のサムライ 十四世紀 日本
アバターなんてカルトだろ。 おまえらほんとイタスギ。
この詩が良いのはサムライにありがちな君主の存在が無いこと。 このサムライは自分以外の誰にも従おうとはしていない。 ただただ真実の道を一人孤独に歩もうとしている。 いまイラクに行こうとする人は何の為に行くんだろう? 日本の為?イラクの為?アメリカの為? 自分の道は自分で決めて自分で歩みたいものだね。
>>594 の詩は誰の詩? なかなか面白いね。実在の人物の詩なのかな?
名前は残ってないの?
599 :
はひょ丸 :03/12/07 10:22
>>597 名前は残っていません。
出典はヴォイス社の「ルーンの書」ラルフ・ブラム
600 :
名無しさん@3周年 :03/12/14 16:52
スターピープル(ナチャラルスピリット刊)最新号に山根舞衣さんのインタヴューが載ってるよ。 山田孝男さんの最期の様子が詳しく語られている。いまわの際の山田さんからは爆発的な喜びの エネルギーが放たれて彼の身体に手を当てていた山根さんは踊り出したくなるくらいだったらしい。 一般の人たちからすると不謹慎かも知れないけど、瞑想家の最期にふさわしい臨終の場面だね。
601 :
名無しさん@3周年 :03/12/14 22:17
>>1 もうあほかとばかかと
西田でも西谷でもつかっとるがな。てかいまどきのやつは知識学など知らんの
だろうな。教養主義の時代はかく終焉する。
爆発的な喜びのエネルギーはどこでもいつでも流れている それなのに誰も気づかない 人から人へ伝染するものじゃなく、 どこにでもいつでもあるものだから ただ、いつもは気づかなかっただけなのだ
603 :
名無しさん@3周年 :03/12/18 23:51
>>584 > 爆発的な喜びのエネルギーはどこでもいつでも流れている
> それなのに誰も気づかない
> 人から人へ伝染するものじゃなく、
> どこにでもいつでもあるものだから
> ただ、いつもは気づかなかっただけなのだ
んなもんに気づいたら、いずれは慣れ、フツーになってしまうだけ。空気みたいなもんになるわけよ,爆発的な喜びのエネルギーも。
そしてまた新たなものを求め続ける・・・・
>んなもんに気づいたら、いずれは慣れ、フツーになってしまうだけ。 >空気みたいなもんになるわけよ,爆発的な喜びのエネルギーも。 >そしてまた新たなものを求め続ける・・・・ アフォだね、君は。 新しいものを求め続けるのは君の卑小な精神であって、その精神が終焉しなければ、 爆発的なエネルギーには気づけないんだよ。 本当に精神が終焉すれば、新しいものなど求める必要はないし、いつも新鮮さと共にある事になる。
そりゃ、相対的な喜びだろ、一時的なのは、自分の希望に叶ったかどうかの喜びだろ。 ここで言ってるのは絶対的な喜びのこと、理由の無い喜びのこと。 主客一体の喜びのこと。我で見えなくなっている喜びのこと。最初からある喜びのこと。 だから、なくならないの。
606 :
名無しさん@3周年 :03/12/20 02:39
.....................................................................
ビートたけしの座頭市の立ち回り見てアレッ?と思ったんだけど どうも甲野さんの昔の日本人は体をねじらずに動かしていた、という 意見を参考にして動きを作ったらしい。 人の肉体の動き方というのは見てて飽きないね。 その中に同時に心の動きも見えてくるわけだから。 催眠の技術を使って他人の動作形態を自分に転写する、なんて事を 昔やったんだけど反動がひどくて苦労しました。 仕事場に時々遊びに来ていた知り合いが先日心不全で亡くなった。 彼は岡田式正座法を実践していた人なんだが死の5日前に見舞いに 行った友人に言わせると「完全に死ぬことを覚悟し、動揺することなく 受け入れていた」とのこと。享年36才。合掌。 今年をもって10年以上勤めていた仕事をやめた。 仕事自体にはもう何の情熱も感じられなくなっていた。 しばらく働かずに生きようと思っている。 これで僕もひきこもりの仲間入りだね。 友人の一人がホームレスになりそういうのもアリかな? とは最近思うが冬は寒そうだなあ・・・。
ま、50億稼いでも40年たてば使えなくなるし。 がんばって仕事して、家庭を守って、人があふれた地球で死すべき 運命の子孫を繁栄させたところで結局はむなしいだけで・・・・・。 24時間を自由に使える期間は今度いつ巡ってくるわからないだ ろうからせいぜい有効に使ってくれ。
>608 お馬鹿ループの凄腕(w
身近な人の死ってのは多かれ少なかれ周りに影響を与えるものだけれども あまりその影響そのものをうまく吸収することのできる人は少ないみたいだ。 母が肺がんで死んだ時もその死そのものを見て感じるという事を した人はまわりにほとんどいなかった。 皆死という事実に向き合わずに反応しているだけだった。 死や闇というものは驚くほど深く生に自然な深みと厳粛さを与えるものなんだが どうも皆それを見たがらないし感じたがらないんだな。
催眠を使って暗示入れて眠ったら凄いバイヴレーションが来て 肉体から離脱した!と思ったんだが明晰夢だった。 このアストラルレベルではやりたい放題やってるけど 実際に現実世界を遊離してさまよった体験は無いなあ。
613 :
名無しさん@3周年 :03/12/22 07:52
体外離脱時に認識できる世界は思念が作り出した空間だと思う。 じゃ、それは単なる妄想かというと(<普通の日常言語で)そうではなく それなりの法則や、文法がある(物理的世界とは異なった)。 光線の尻掻くの中で死後の世界は夢の世界とほぼ同じものだといった、 チャネリング情報があったが、おそらく<物質−肉体>空間へ投影された エネルギーが現実世界と呼ばれ、<アストラル−微細身>が作り出す空間へ 投影されたものが初期の体外離脱体験になるのだと思う。(そして当然死んだ 人間は肉体への投影ができない。) 注意しなければならないのは、アストラル空間を認識しているのは サードアイなので、肉眼とは異なり物質世界を認識しているのではないと いうこと。(眼には眼を!)
普段我々は外界の物理的刺激によって容易に覚醒を保つことができている。、 意識を保ちながら入眠するとあるレベルで五感からの刺激が遮断されるが それでも気づきを保つことができれば(難しいが!!)皮膚感覚とは異な る微かな身体感覚が残る。その身体を意識的にうごかすことができれば アストラルレベルでの初期体外離脱体験ができるが普通の人間は容易に 無意識の世界に落ちてしまう。 辺見辛苦の技術は脳波をコントロールする働きをするが入眠時に発生する δ波と覚醒時のβ波を同時に重ね合わせて発生させ、体は完全に眠っている が意識は覚醒している状態を作り出すことができる。(これは素股瞑想 によって目指されるべき状態に近いのではないか?) ヨガ行者や坊主が瞑想中の自分の姿を上から目撃している体験談がよく報告 されるがこれなどは、アストラルトリップの典型的な体験談と同じに思える。 モンローの本をよむと彼はこの微細身からさらに体脱しているみたい(原因身?)。 興味があったらゲートウエイイクスペリエンスでも買って試してみることを すすめる。たまにヤフオクで中古が売っているので買って、焼いて転売すれば ほぼタダで手に入る。よい子は真似しないように。
616 :
名無しさん@3周年 :03/12/22 09:21
>>613 のサイトにもそのへんの考察がかなり詳細にupされてるよ。
そのサイト面白かった。クンダリニーを覚醒させようとして瞑想したことは 無かったけれど、茶蔵がアジナーやサハスラーラでかなり強く振動したこと はあった。 それと同時期に体外離脱が頻繁に起きるようになっていたので、 関係はあると思っていたので、興味深く読ませてもらった。 しかし、クンダリニーを覚醒させるのってかなり危ないと聞いたのですが? もしかして616さんは本人ですか?
618 :
名無しさん@3周年 :03/12/22 17:25
\ ̄\ / ̄/ /l \ \ / / lヽ | ヽ ヽ | | / / | \ ` ‐ヽ ヽ ● ● / / ‐ / \ __ l | ||___|| / l __ / \ \ / \/ /\| 人__人 |/\ //\| |∪| |/\\ カニ。 //\| ヽノ |/\\ 去年までクマだった。 / /\_____/\ \ マジおすすめ。 / __ /´> ) (___) / (_/ | / | /\ \ | / ) ) ∪ ( \ \_)
いえいえ、そのサイトのご本人さんではありません。
>>613 さんも私ではありませんので、念のため。
日本人の中にも「死後体験」(ハート出版)の坂本政道さんとか、
上のサイトの方とか、R.モンローに比肩すべきレベルの方たちが
続々と現れているようで頼もしい限りです。
明晰夢と体外離脱の違いってなんだろね。 合一性にうまく焦点が合ってるとそういうアストラルスペースには 入りにくくなるような感じもするんだが。 クンダリーニも勇退離脱もマインドの範囲内の体験だからだろうけど。 ヴォイスから出てるロバート・ピーターソンの「体外離脱を試みる」ってのも 面白かったよ。エクササイズ多数。
マジですかこれ?
>>617 @の行動パターン。
1、自己防衛のためにとりあえず語尾にwとつける。
2、論破されるから
>>466 には決して解答しない。
3、偉そうな態度を取っているが、
>>508 で、
>>504 の書き込みをパクるなどという情けない行動に出ている。
4、Kの言葉より大辞林を信じている。
5、幼稚な書き込みをコピペして連投する荒らし行為。
6、もう終わりにすると宣言したあと、悔しくなって戻って来て粘着。
7、都合の悪い質問は全てスルー。
8、相手をK信者と罵りつつ、自分はKを15年も読んでいると自慢する迷走っぷり。
9、とりあえず相手の言うことにはケチをつける。しかし、その根拠については書けない。
10、相手の書き込みを読まないので、同じ質問を何度もする。
11、とにかく相手を見下す。必死に喚き立てる。しかし、喚くばかりで中身は幼稚な煽りしかない。
意識的なこととオカルトと混同しているのも指摘しておく
思考を静めないまま入眠すると思考の自己展開が作り出した幻覚世界 に巻き込まれてしまう(幻覚世界も一定の存在ではあるが)その中で 覚醒することが明晰無の典型的なパターンだと思う。 体脱は俺の場合アナパナで妄想を静めながら行うので基本的には映像を 投影することは無い。只からだが浮遊した状態が不安で眼を明けてしま うと恐らく自分が作り出した空間が見えてくる。 体脱状態でも静かにしていて、上記クンダリニーのHPに記載してあるような 意識のみの光速移動に移ったこともあるが、三次元のどこか遠くの宇宙空間 では無く、まったくの別次元の空間に移動したような感覚だった。 そこで、あまり明確には聞き取れなかったが、別の意識体に話し掛けられ かなり、驚いてしまったがチャネリングというのはこのような状態で起こ ることなのかと妙に関心してしまった。(その後アジズとか光線の本を 馬鹿にするのは控えるようになった。) 肉体に戻ると五感からの入力が雑音にしか思えずなんとなく腹立たしかった。 スマナサーラ氏が仏教の悟りとシャンカラの悟りは別物だと語っていた。 ヒンドウー系の修行は感覚的な情報を切断することでも成り立つのに対し ヴィパッサナーは感覚そのものを乗り物にしていることには気づいていたが 目標地点も違うのか?と。
625 :
名無しさん@3周年 :03/12/26 17:15
すごいね。面白そう。そんな体験とまるっきし縁のないた私は羨ましい。 @さんもHPつくって同じような体験した人たちと情報交換すればいいのに。
瞑想も平行してやっていたので何が原因なのかよくわかりませんが個人の努力
ではなく、多分ヘミシンクの作用が大きいのではないかと思っています。
意識のエネルギーは対象を常に求めているのですが、脳波が低下すると五感
からの入出力が制限される為アストラル体に投影されるのだと思います。
(或いは、元々つながっているのですが肉体からの入力が弱くなったときに
初めて気が付くのかもしれません。)
普通は脳波が下がると寝てしまうのですがそこがヘミシンクのよいところで、
肉体は完全にリラックスし心は明晰に目覚めた状態を人為的に作り出してく
れるのだそうです。(モンロー研究所の広告を信じればの話ですが)
リモートビューイングやテレパシー、UFO、死者、との遭遇、二重身などの現象
はこのレベルで行われているとおもいます。
20年前だとこんな書き込みをすると頭がおかしいと思われたのでしょうが
今では特にめずらしい体験ではないようです。ただ、強い感情や思念がその
まま形になってしまうので客観的な記述や検証は難しいと思います。
知ってると思いますが参考まで・・・死後体験の著者のHP
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/1869/home_001.htm
>リモートビューイングやテレパシー、UFO、死者、との遭遇、二重身などの現象 >はこのレベルで行われているとおもいます。 お前は充分頭がおかしいよ。その辺の一般人にそういう話題を聞いてみろよ。 殆どの奴は眉唾扱いしかしないから。 ほんと、オカルトと意識の区別がついていないんだな。 15年もKを読んで、何も学べなかったことがよくわかる。
クリシュナムリテイーは覚醒前にロードマイトレーヤや仏陀等の幻視を見たとの 報告がありますしそれらの媒体となって肉体次元で近親者と会話をしている所が が伝記の中で伝えられています。 覚醒後も死者の残留思念を知覚できること、ヒーリングができることを側近との 会話録の中で自ら明かしていますし特にJKに会いにきた人の過去の出来事をリー デイングすることは得意だったようです。また、実妹の長男が事故のため頭蓋骨 陥没で昏睡中に祝福を与え全快させ、手術をまったくする必要がなくなってしま ったという話は有名です。 JKの著書は絶版になっているものが多く、また原著を読む人も少数なので基本的 な事実確認ができている人は少ないのが残念です。 JKだけでなくもう何年も前に本は捨ててしまいましたがEO等は人間存在は 他の生命体の家畜として存在させられていると主張していました。 2−3年前テーラワーダのスマナサーラ氏の著書に人間の感情を食物とする 生命体が宇宙の別次元で存在しているという記述を見つけたときは唖然とし ましたが瞑想状態でそのような知覚を得ることはめずらしくないと考えます。 アジズに関してもある瞑想のレベルからチャネリングにより存在まで導いて もらったこと、彼が教えているメソッドは宇宙存在からのチャネリング情報 が大半であると告白しています。 ケン・ウイルバーによれば微細領域は心身統合の象徴であるケンタウロス領域を 脱同一化し目撃者になることができて始めて知覚できる領域であるため自我段階 に留まっている現段階の社会では認知できる人間が少数であることは仕方がない ことだといっていますが、知識が容易に手に入りメソッドが確立されてくれば 恐らく今後10−20年の間でこの領域を知覚できる人間の数が飛躍的に増えて くると思います。 ヘミシンクの技術はその数多の方法論の中での有望なひとつになるのではないでしょうか。
へー
630 :
名無しさん@3周年 :03/12/28 00:11
なんかひとり(
>>627 )粘着が紛れ込んできてるね。
オカルティックな事というのは仮にkのみ読んでいたとしても ある程度現象として起こってくるでしょう。 個人的な資質にもよるだろうけど。 しかしヘミシンクの技術ってそんなに効くのかね? 不思議研の会員ではあるがあそこの商品はどれも高いし あのCDは買おうとは思わなかった。 kのオカルティックな面というのは あまり語られることが無い。 kはガキの頃から透視や予知やその他諸々が出来た。 この辺の所をよんで思い出したのは整体の野口晴哉。 彼もガキの頃から能力者だった。 彼の本を読んでもある種開放感や自分の可能性を感じることは出来る んだが伝記読んで「おいおい、生まれが違うじゃねえかよ」なんて 思っちゃう。 >お前は充分頭がおかしいよ。その辺の一般人にそういう話題を聞いてみろよ。 >殆どの奴は眉唾扱いしかしないから。 これは僕へのレスでは無いんだけど。 なぜ一般人の基準を持ち出してこなければならないのか? あほらし。 ことさらクンダリーニや神秘体験を自慢げに語るのもアホらしいが それらを無下に否定する気にもならない。
あぼーん
確かに、得体の知れないものを7−8万払って買う気にはならんだろう。 しかし実際、情報というものは保母タダで手に入る。MP3などではなく。 好奇心のある人は単なる新しいアミューズメント程度のものだとしても 試してみない手は無いと思うぞ。
後期のkは何故こういう事を全面に出さなくなったのだろう。
635 :
名無しさん@3周年 :03/12/30 17:50
言語障害はヒール出来ないらしい。一回1万円。
キヨシローが昔「君だけは僕を理解してくれる、君だけは僕に微笑んでくれる」 と歌いましたがこの「君」というのは自分自身のことだと思う。 とかく人は関係性の中で我を失い無意識に他者に要求してしまうが 「自分も他人も狂った機械」だと思うと少しは楽になるかも(ならないか?) ついでに社会や世界の狂いぶりに目をむければ下手に適応しようとして もがいて生きることがアホらしくなると思います。 今年はダンテス・ダイジの講話集が発売されてうれしかった。 直接ハートにクる言葉というものはなかなか無いものだ。 彼の言葉で今年を締めくくらせてもらいます。 「その道が君自身の道であるかどうかはその道の途上においても 君が倒れても悔いがないこと、それが君の心ある道だ。 地獄とは理想を実現しようとする精神的な欲望以外には無い。 いわゆる救世主という人物が君を本当に救済するということは 断じてありえない。なぜならば君そのものが欲望と苦悩なのだから。 君そのものが苦であることを全身全霊でわかった時君は1ミリも動くことが 出来なくなる。そこに救世主が現れるギャップが可能になる。 真実の救世主とは君の全面的な生き様によって絶体絶命に直面した時に 開示される者以外にはない。」 アメジスト・タブレット・プロローグ ダンテス・ダイジ著 皆さん、よいお年を!
638 :
名無しさん@3周年 :03/12/31 13:27
昔はじめて「多摩蘭坂」を聴いた時、チャボって心の広い偉い人だな〜、 と、それだけ思った。
年が明けたなー。 今年は日本も世界もどうなるんだろ。 どのみち自分自身を生きるのみだ。 時間の中で精一杯生きることが無時間の自覚にもつながる。 刹那はいつも永遠とつながっている。 それは純粋な快楽、歓喜そのものだ。 生きていることはとてつもない事だね。 今年もヨロシク。
>>628 >クリシュナムリテイーは覚醒前にロードマイトレーヤや仏陀等の幻視を見たとの報告がありますし
>それらの媒体となって肉体次元で近親者と会話をしている所がが伝記の中で伝えられています。
>覚醒後も死者の残留思念を知覚できること、ヒーリングができることを側近との会話録の中で自ら明かしていますし
>特にJKに会いにきた人の過去の出来事をリーデイングすることは得意だったようです。
>また、実妹の長男が事故のため頭蓋骨陥没で昏睡中に祝福を与え全快させ、
>手術をまったくする必要がなくなってしまったという話は有名です。
こういう話は知ってるよ。
しかし、星の教団解散後のKはこういったことをあまり大っぴらには話していないし、
真理を見い出す上で全く重要ではない、といろいろな所で発言している。
お前のようにオカルト話に逃避するのは違うってこと。
>EO等は人間存在は他の生命体の家畜として存在させられていると主張していました。
EOっていろんな教えからパクリまくってる奴だろ。
他の生命体の家畜というのも、グルジェフの「人は月(グルジェフ的には生命体)の奴隷だ」、
という主張のパクリじゃねーの?
オカルト知識を収集するばかりじゃなく、それらを見る目をきちんと持っていないと、
>>629 のお前のように知識自慢ばかりの空虚な書き込みになると指摘してるんだよ。
クリシュナムルティ 「この自我のない空白はどのようにして訪れて来たのでしょうか? ロード・マイトレーヤーがこの肉体を用意して、空白なままにしておいたと言うのなら、事は簡単です。 それはいちばん簡単な説明ですが、もっとも簡単なことというのは疑わしいものです。 別の説明は、Kの自己がロード・マイトレーヤーや仏陀に触れて、 「私は引っ込む。私の野卑な自我よりはそれの方がずっと重要だ」と言った、というものです。 しかしそれもまた疑わしい。 非常に迷信くさくなります。 いずれにせよ、はっきりしていて正しいとは感じられません。」 (「実践の時代」427p)
642 :
名無しさん@3周年 :04/01/06 16:44
掲示板で事実を提示していることがなんで、知識自慢になるんだ? 雑多な情報でも判断材料になるだろよ。ネットはそのためのツールだろう? それから629は俺じゃないぞ。 俺は初期仏教の経典に基づいて思考を静めるためのある瞑想を実践し始めたころ、 体外離脱やチャクラの振動等が頻繁に起こり、このまま続けていると頭骸骨に穴 でもあくんじゃないかと思っていろいろと調べ、別に珍しくはない普遍的な現象 だと確認しただけの話だ。 >オカルト知識を収集するばかりじゃなく この程度のことで驚いてるんじゃヘラクレイトス、プラトン、ピタゴラス、プロテ イノス、エックハルト、ベーメ、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、ニーチェ、 ウイルバー等の西洋一流の宗教家、哲学者の著作はもちろん世親、無着、竜樹、 達磨、道元、シャンカラ、マハリシ(ラマナ)、ヴィベーカナンダ、スマナサーラ なんてアホらしくて読めなくなるだろ。 知識を自慢する奴はアホだが知識と教養がないことに開き直っている奴はクソだな。
「知識が多である事は美徳ではありません。」K
突然関係ないけどkは分析(analysis)と調査(investigate)の違いについて 「exploration into insight」の中で述べている。 ゴトさんのトコでは「注意の中の行為」という名前のテキスト。 前者は「あるものを見つけるために探すこと」 後者は「跡をたどってつきとめること」 前提を持たずに観察する、ということなんだろうけど。 原著でははたしか「地図を描く」というニュアンスが込められていたようにも思うが。 この2つをごっちゃにして混乱している人が時々いるようなので 書いてみました。念の為。
>>640 文脈で分からなきゃな。同じ言葉でも意味はコロコロ変わるよってに。
647 :
はひょ丸 :04/01/22 07:30
最近部屋でジッとしていることが多い。 たまに外に出てもまだ部屋の中でジッとしているみたいに感じる。 自分が存在なのか非在なのか分からない。 たまに介入してくる思考が合一性の中に解消されて行く。 退屈というものも全然感じない。 つくづく自分は非活動性、タマス・グナと相性がいいんだな、と思った。 単に頭がボケてるだけだったりして。
648 :
はひょ丸 :04/01/22 17:47
今日おもしろい事を発見した。外で歩いていると余りに寒いので悴んでいたのだが、 そうやって寒いときは必ずどこか体が緊張している事から、もしかしたら寒さはこの緊張の事かと思った。 そこで緊張を無くそうとしたが、やはり余計に寒くなった。そこで反対に意識して力み、限界でスッと力を 抜くと寒さは無くなった。是非どうぞ。後、急にウンコしたくなった時にも活用出来そう。
650 :
はひょ丸 :04/01/23 01:03
ほうざん氏が今年は「心の死」という事ではチャンスの年であり、 周辺を振り切って加速するのが良い、というような事を 書いていたがどうも最近心無しか「上の引き込み」が強いように感じる。 さっき寝ている時にも来たんだが、「ありゃー」という間もなく スムーズにサハスラーラとその上に引きこまれていった。 今日は特に思考がそれ自体で解消するようなモードに入っていたせいかも しれない。
651 :
名無しさん@3周年 :04/01/23 11:51
クリヤヨガのスレにも貼り付けたんで、あまりマルチっぽいことはしたくないんですが、
ヒーラーズスクールの覚醒セミナーについて、どう思われますか?
言ってることはナルホドと思うんだけど、なにしろ受講料が半端じゃない高さ!
http://www.satorijapan.com/
652 :
はひょ丸 :04/01/24 01:21
ここの受講料の高さは無茶苦茶に思える。 本は興味深く読んだが。 こういう「ボッタクリ」にはもう正直うんざりだな。 まあ僕も年収1億位あったら戯れにセミナー受けに行くかも。 ただここの連中の言うところの覚醒ってのがどのレベルのものなのか? カナーリ怪しいと思うよ。
>>651 >初級の人に先ずおこる大きな変化はくすみから輝きです。ブスだと思っていた人は一年で自信をもてるように、
>マーマーの人は一年で美人。美人と自負する人は一年でゴージャスに。
>ゴージャスな人は一年後に女神的慈愛エネルギーの体験へ。男性は勿論ハンサムになりますヨ。
>一年間のコミットをした人は特に有意義な一年に。人生は全く変ってしまうでしょう。
ゴージャスって、なんか化膿姉妹みたいだなw こんな自己暗示に金払うやつはアフォ。
>652-653 レスありがとうございます。そうですよね。やっぱ単なるぼったくりですか・・・。 神戸メンタルの平準司氏に騙し取られたお金を取り戻そうとしているだけだったりして・・・。 いずれにしても一年間で150万円なんて、どう逆立ちしても出せない貧乏人の悲しさ。 あなたもきっと「悟れる」と言っても結局お金次第なんて。サイエントロジーじゃあるまいし。
>>651 ははは・・・
単に悟った人の知識を寄せ集めた夫婦。
ただの凡夫。
こういう悪用は困るね。
たぶん、ちょっと、つついてみればわかるだろう。
だいたい、KやOSHOが一人も理解しないと嘆いているのに、
あの夫婦が、それをできるとは思えないね。
受講料の高さだけで短絡的に詐欺と決め付けるのもどうかと思うよ。 それくらいのお金を投資できるだけの真剣さを本人が持っているのかどうか、 社会への適応力(ちゃんと定職に就き、それなりの収入を稼げるだけの人か)、 敢えてそういうことをテストするための踏絵にしているのかもしれない。 勿論、はひょ丸さんの仰るように、この人たちの言う覚醒という言葉の定義が 何を意味しているのか、HPだけでは釈然としないが。
どうぞ、ご自由に・・・ 授業料うんむんは言ってないぞ。 あの夫婦は悟っていない。それだけ。
>社会への適応力(ちゃんと定職に就き、それなりの収入を稼げるだけの人か)、 >敢えてそういうことをテストするための踏絵にしているのかもしれない。 そういうテストは入門希望者が殺到しているような時には有効だが、 殆ど誰も知らないようなこの手の組織の場合は単に金稼ぎのためにやっているだけ。 それくらい見抜けないようでは、君は永久に悟りには縁がないだろうね。 それと、悟りというのは別にお金があってもなくても悟る人は悟るし、 悟れない人はいくらお金を持っていても悟れない。 このサークルの場合、金額的に、普通に社会に適応している人なら、高すぎると気付くだろう。 適応していない世間知らずな人なら払ってみようと愚かにも思うかもしれないが。
>>659 本人が目の前にいないので、文字だけの判断になるけど、愚かしい誤りが多数あります。
いや、いっぱいありすぎる。
例えば、
http://www.satorijapan.com/satori.html >インドでアバターとして尊敬されたメレババによると、
>全ての人は霊的に成長していくが例外がひとつだけあるといいます。
>それはシッディ(超能力)や支配力を誤用した霊的指導者でこの人達はまた石ころに戻ってしまうのだそうです。
>(笑い)悟りへの動機は常にチェックされていかねばならない由縁です。
霊的に成長??
この人達はまた石ころに戻ってしまう??
悟りへの動機は常にチェックされていかねばならない??
まあ、本を読んで悟りを知ろうとするなら、もう少し勉強してこいよ!
という内容です。
こんなのについていったら、無駄に過ごすだけです。
KかOSHOを勧めます。
, -'''''''''''''''- ,,, / ̄ \ \ / ) 丿 ヽ ) ヽ / / ( ( l | 、 、 l l lゝ( ( ) ヾヽ | | ノ ヽ ( )ソヽ l ヽ ( ヽ l | | /ニ-_、、 _,,,-ニ=ヽ | | || -=・=- ) -=・=- ll . i l ___________ l / ( ) \ l / ヽ ( ←ニ ニ→ ) / < はひょ丸です。こんな顔です。 丶 `=´ / \___________ │\ /│
663 :
はひょ丸 :04/01/26 18:07
>>662 うーん・・・・・似てないこともないね(笑)
ただ髪はもっと長いし目はもっと星のようにキラキラしてる(笑)。
でも僕は自分で言うのもなんだけどホントーに可愛いんだぜ?(爆笑)
まあ、30過ぎの男が自分で自分のこと「可愛い」なんて言うのは
馬鹿げてるかもしれないが事実だし橋本治好きだし。はは。
>>661 >KかOSHOを勧めます。
K? OSHO???
はい、君も悟ってなーいw 恥ずかしすぎるよ、君。
>>663 ば_かか?おまへ?
はい、君も悟ってなーいw 恥ずかしすぎるよ、君。
666 :
名無しさん@3周年 :04/01/26 19:29
>>665 はい、注意力散漫につき、貴方こそが本物の馬鹿に決定。
サニヤシンって全然ダメだね 恥ずかしすぎねサニヤシンΨ(`∀´)Ψケケケ
667 :
はひょ丸 :04/01/26 19:37
「恥ずかしすぎる」ってよく考えたら凄い言葉だね。
>>666 665は663に言ったので、注意力散漫ではないでつ。
はひょは差に野心なので同意でつ。
ってことは
>>666 が一番のお間抜けさん、ということで終了。
では、お話を元に戻しましょう。
お話を元に戻しますと、はひょ丸さんが「ホントーに可愛いんだぜ。目はもっと星のようにキラキラしてる」かどうかってことですね。
『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』 エックハルト トール (著), Eckhart Tolle (原著), あさり みちこ (翻訳), 飯田 史彦 素晴らしすぎる悟りの書 レビュアー: ○○○○○○ 著者の教えは自らの体験に基づくものであり、「今に在る」ことこそが悟りすなわち心の平和への カギであるということで終始一貫しています。ここまで明快に悟りについて語れるのは、著者が 本当に悟った人だからとしか思えません。読んでいるだけで、意識がシフトするのを感じます。 ただ唯一残念なのは、直接著者の教えを受けられないことです。その点、「あなたもきっと悟れる」 の三国ますみ氏、「ヒューマン・ブッダ」のアジズ・クリストフ氏にはセミナー等で直接会うことが できるので、悟りに興味がある方は是非そちらも読んでみていただきたいです。 3者とも「今に在る」ことが悟りであるという点で共通しています。
>キヨシローが昔「君だけは僕を理解してくれる、君だけは僕に微笑んでくれる」 と歌いましたがこの「君」というのは自分自身のことだと思う チゲーヨ。
>>672 なんだと?僕はホントーに可愛いんだぜ?馬鹿げてるかもしれないが事実だ。
>>672 違ってもいいよ。ありゃ僕の主観だからね。
トールの本も読んだがどうなんだろうね。
技術としてはヴィパサナに近い。
最近は大井成謎の「理性のベクトル」という本を読んでいて
エニアグラムからアインシュタインから脳生理学から縦横無尽なのが面白い。
奇跡の思考ツールでバカの壁を越える!というサブタイトルがついている。
ちょうど僕が20位の時に考えていたことと凄い似てていかに身体言語としての
思考を成熟させるか?というテーマの本だとおもう。
まあ下手したら単なるマインド・トリップ本かもしれんが。
あと「コア・トランスフォーメーシォン」というNLPの本も読んでいて
これも思考の振幅性と統合というテーマの本だ。
NLPに関しては前から注目していた。恐怖症を3分で治したり
人格変換したり原理が脳生理学からも導き出されていて
一時期なんとかこの技術を覚醒に利用できないか自分なりに
試したがうまくはいかなかった。
上記の本はそのNLPを覚醒への手段として使うというテーマで
書かれている。
でもまあ、その覚醒というのがどのレベルのもんか?はまた別の話だが。
675 :
名無しさん@3周年 :04/01/28 21:08
>>674 おお、なんとタイムリーな。
今日、神保町の書泉グランデで
「理性のベクトル」と「コアトランスフォーメーション」
を買ってきたところです。
673よ。言ってることは正しいが人の名を騙るな。 特に僕の名前は幾分毒性を孕んでいるから使って後で痛い目に 合っても知らんよ。
677 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/01/28 21:31
めんどいが、出てるかな?
>>675 同じ本見てる人いるかな?と思ったけどやっぱいたね。
678 :
名無しさん@3周年 :04/01/28 23:00
666は電波男か?
HN入れ忘れた
680 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/01/29 23:14
>>676 何故こうオカルト系の人たちは言語障害を患っているのですか?
682 :
名無しさん@3周年 :04/01/31 12:16
>680 この人のエピソード、以前テレビでもやってましたね。 少年時代に川辺で足を滑らせそうになったとき、 謎の声から「気をつけろ!」と言われて助かった。 そのことがずっと気にかかっていたのだが、 後年、臨死体験(体外離脱?)中に過去に飛んでいって、 少年時代の自分に遭遇する。 そのとき、少年時代の自分は川辺で遊んでおり、 今にも足を滑らせようとしていた。 そこで思わず「気をつけろ!」と叫んでしまった。 あの謎の声の正体は自分自身だったんだ! という話。
683 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/01/31 21:44
宅間守って人格障害だと認められたみたいだね。 日本の男って今すごい抑圧されてると思うんだよな。 女の自由度は広がったけど男って今凄く不幸だと思う。 そんな抑圧の象徴が彼だと思うんだけどね。 おかまキャラが流行るというのも男はおかまにならなきゃ 文句がいえないってことだしね。 僕の友達なんか職場にピンクのパンティーはいて行ってる。 「いや〜これはいて仕事行くと力みが抜けるんだよね〜」だってさ。 男はもともと生まれついての浮浪者だから家族なんてもたずに 生きる方が自然だとも思うんだけどな。 僕としては昔のタヒチみたいな社会が理想。 女も自由でいられるしね。 自由奔放な女ってこちらの所有欲をかきたてないんだよな。
684 :
名無しさん@3周年 :04/01/31 22:53
_________ / | はひょ丸よ。お前は本当に女を愛したことがあるのか?男は別に抑圧されてはいない。お前が抑圧されているだけだ。 | 30過ぎて無職でひきこもって、パソコン相手に「僕はかわいいんだぜ」か?それじゃ、お前はいつまでたっても、 \  ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ (;;::::: ) ,/;/⌒/) //;: /;:: /./ (;::::|;:: (;: (/ \);;:::.\;\ (;:: ( (<<<ヽ .|;: |\;::::\ );:: | );:::: ) _、_ (;;:::::,_ノ` ) 彡 悟れまい !! ,/;/⌒/) //;: /;:: /./ (;::::|;:: (;: (/ \);;:::.\;\ (;:: ( (<<<ヽ .|;: |\;::::\ );:: | );:::: )
685 :
名無しさん@3周年 :04/01/31 23:00
>>683 昔のタヒチみたいな社会って具体的にはどんな社会ですか?
俺は平安時代の貴族の家族システムが理想だな。
子供は成人するまでは女性集団の中で共同で育てられ、
男は好きなときに夜這いをかければいいというもの。
>>684 ふははは(笑)!全く君の言う通りだな。返す言葉が無いよ。
>>685 昔のタヒチは本で読んだ限りじゃ女が好きな男と自由に交わって
出来た子供は村で面倒見る、というもの。
oshoに言わせると古代には父親という言葉は無かったとか。
「叔父さん」という言葉はあったが。
父親というジェンダーから私有財産という概念が生まれたとも
言っていたっけ。
687 :
名無しさん@3周年 :04/02/01 13:09
_________ / | さらに、はひょ丸よ。 | お前の友達は単なる、、、 \  ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ (;;::::: ) ,/;/⌒/) //;: /;:: /./ (;::::|;:: (;: (/ \);;:::.\;\ (;:: ( (<<<ヽ .|;: |\;::::\ );:: | );:::: ) _、_ (;;:::::,_ノ` ) 彡 変態だ!! ,/;/⌒/) //;: /;:: /./ (;::::|;:: (;: (/ \);;:::.\;\ (;:: ( (<<<ヽ .|;: |\;::::\ );:: | );:::: )
688 :
名無しさん@3周年 :04/02/01 14:14
>>686 なるほど。平安時代の貴族社会と似てなくもないですね。
一夫一婦制なんてキリスト教の欺瞞性そのものだもんなー。
689 :
名無しさん@3周年 :04/02/01 19:14
古代には乱婚/雑婚が日常的に行われていたがこのような時代にあっても 狩猟採集民が遠くへ狩に出かけるときに抜け駆けする個体は集団から排除 する必然性があり、自由な性欲行動を抑圧することへの同意がその社会制度 の維持・発展に必要でした。 王制やコミュニズムが自由資本主義制度に駆逐されたように、 一夫多妻制度や女性を共有する制度はそのポテンシャルを一夫一婦制度を 基盤とする社会制度よりも高く保つことが出来ないがために現在の先進国 には残らなかったのでしょう。不倫トンや変態山拓のような権力者であっ てもその不道徳(ルールを破ったという意味で)が暴露されると権力を 剥奪されかねない。 昔のタヒチに上記のような制度が一時的に可能だったのは肥沃な大地と 海の恵みが豊富だったからかもしれませんが、自由な性欲行為はその 過剰性の為いずれ、その「環境が提供する資源」<「総個体数の必要量」 となった時点で他文化との衝突が避けられない。
690 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/01 19:52
691 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/03 15:30
昔オウムの事件の折りにネパール人の友達が 「オウム怖いね。なんで宗教なのに人殺すんですか?」 などと言うので大人気ないとは思ったのだが 「でもヒンズーもたくさん人殺すよね?」 と返したらなんと 「ヒンズーは理由があるからいい。」 との返事が返ってきた。 それでいうなら確かオウムにも立派な「理由」があったはずだが・・・・・。 この回答をくれたのがまだ若く美しい人妻だったので それ以上追求するのはやめたんだがこういう反応というのは 僕がインド、ネパール人と接してきた限りでは珍しくない。 彼らの国、宗教というものに対する同一化はかなり強いものがあると思う。 日本のようにそれが解体されているというのも問題だが。 かくいう僕も彼らが日本という国の悪口を言い始めると 「なら、とっとと自国に帰れ!ゴラァ」などと思うのでお互いさまかもね。 まあ、そのように思うのはどうにも彼らには都合のよい 子どものわがままのような批判である場合なんだけれども。
___ / \ ______ / ∧ ∧ \ / | ・ ・ | < 寝るぽ | )●( | \______ \ Д ノ \____/ / \ | | \ | \ \ |\ \ ―――――――― /  ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ` ヽ ー ー ー / \ ―――――― / ∧ ∧ \ ー ー ー / / ヽ / ヽ 丶 ――――― ―― / | ー ー ー / ● ● | ― ―――― ― | __ | ー ー ー | ヽ / \ / | ――――― ― | | | | | | ー ー ー | | | | | | ――― ――― | / \ __/ ヽ | ー ー ー ヽ / ― ―― ――――― ヽ ―――― / ー ー ー \ / ―― ― ――― ― \ / ̄\ / (( | ● | ―――――― \_ / \_ /
はひょ丸さん、久し振り はひょ丸さん、燻ってますね。今のあなたは停滞期ですよ。十分休んでください。 今の僕は読書はほどほどにして自分の五感をダイレクトに使って生きる生き方をメインに生活 しています。 それからほうざんさんの手口は占い師の手口と同じですよ。 ホウザンさんは自分の語った言葉によって外界の反応を見る。 自分の語った言葉によって反応して返ってきたリアクションを観察して 次の行動に出る。 そういうものです。 以前、僕の書き込みで唯一ほうざんさんが動揺した僕の書き込み。 それは「交流分析」だった。 もう宗教書はたくさんです。言葉を哲学すれば、宗教書の限界が見えてきます。 僕は現在、心理学をそろそろと学んでいる最中です。 SUNSHINE OF MY LIFE ほうざんさん、ひきこもり呼ばわりされてますね、他スレで でも実際そうみたいだね、笑ってしまった。
694 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/08 21:39
どこのスレ見ても無明庵て嫌われてるんだな。 批判したり馬鹿にしたりする連中がちゃんとEOを読んだ上で言っているのか 怪しい。まあ無明庵の情報は夢を与えてくれませんからね。 ただある種の非在的な瞑想体験があればピンとくる内容ばかりなんだけどね。 昨夜もたまたまEOの本読んでたんだけど救いとか希望とか 全く無い。 ある種の人にとってはこういった世界が逆に救いになる場合もあると思う。 あとね、ほうざんやEOのヴィパサナに関する考察というのも僕はかなり 正しいものなんじゃないかと思っている。
695 :
名無しさん@3周年 :04/02/08 23:46
EO=ホウザン説についてはどう思いますか? まんだらけの社長が思わずポロリと内幕を喋ってしまったそうですが。 つまり、EOの本が出る数年前、ダンテス・ダイジが2冊くらいの本を残して 遷化(ガス自殺)してしまった。著者は解脱を達成したのだが、 すでにこの世にいない。このインパクトで注目されていたダンテスの本、 にヒントを得て、まんだらけの社長が、今出版企画中の本の著者も 遷化したことにしてしまおう、と企画をはじめから練り直した結果、 ああいうスタイルになったんだとか。 もう随分前からまことしやかに噂されていることですが。 実は、EOというのは架空の人物で、あの本は全部ホウザンさんが書いたのだと。
696 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/09 00:09
>>695 どうなんだろうね?
まあありがちな噂ではあるけど
僕はEOの著作の内容を評価してるわけで
著者が実在だろうがなかろうが
どうでもいいと言えばどうでもいい。
ほうざんが全部書いたというのはありえるかもね。
ほうざんてどんな顔してるか見てみたい
698 :
名無しさん@3周年 :04/02/09 11:12
まあ、そうなんですけどね。 EO(鈴木方斬氏?)の文章は大部分のニューエイジャーにとって 幻想を完膚なきまでに叩きのめされてしまう‘効果’があるので、 妄想に浸っていたい人たちにとっては認めたくないものなんでしょう。 でも、あの情報は真偽というより、まさにそういう効果を狙ったもので うまく利用すれば面白い加速装置にはなり得ると思うんですけどね。
699 :
名無しさん@3周年 :04/02/09 21:26
|ヽ .ハ .ノ l `ヾー、ノ `ー / ヽ-'" |ノ | _`> /_び_\ ノ _ \ 、__,人__,人__,人__,r / _ヽ / /' '\ | ノ_ \ /::::::::::::-・=-:,::::(-・=- / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ V(6 ⌒ ) ・ ・)( ^ヽ´ / | ┃、_ノ,,⌒_⌒ v┃| < はひょ丸です。可愛いってよく言われます。 ∧ ▲ ┃ヽ、`ー--`' ノ┃| \ /\\ヽ▲┃ `ー-- '' ┃ノ \________ / \ \ヽ.┗━━━┛/ \ . r‐-‐-‐/⌒ヽー '" `、 ヽ、 |_,|_,|_,h( ̄.ノヽ ビシッ ヽ ー-ヽノ| `~`".`´ ´"⌒⌒) ヽ ノ^ //人 入_ノ´~ ̄ )
700 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/09 22:26
くくくく(笑)。いいなあ。だから2チャンねる好きだよ。
苦しみを取り除く。そのあとに何があるだろうか??
703 :
名無しさん@3周年 :04/02/14 04:54
はひょ◎!第五身体の結晶化についてわかりやすく説明してくれ。 参考文献でもいいぞ。
704 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/14 21:32
>>703 そうだな・・・とりあえず参考文献としては以下の文献。
1「秘教の心理学」osho
2「虚無宇宙からの伝言」eo
3「般若心経」osho
4「奇跡の探求1.2」osho
4なんかはoshoの著作としてはかなりすばらしいものだと思う。
探求者にとってのかなり親切なガイド・マップになっている。
oshoなんかは常に第1身体を見守ることからはじめろ、と言っている。
それが最終的に第5身体へとつながるためのファースト・ステップだと。
いきなり第3の目開くのは分裂症生むとまで言っていた。
あと第5身体=意志力強化と体外離脱の為の技法もosho.timesに紹介
されていたが読みたい人いたら載せるよ。
@に薦められた「死後体験」坂本政道著を今読んでいるんだが
なかなか面白いね。モンロー研の技術はかなり厳密で有効なもの
なんだな。モリケンの著作のイメージしかなかったので
こんなにちゃんとした所だとは思わなかった。
そういや@は前レスで原始仏典にもとずいた瞑想法をやったと書いて
いたけどよかったら文献おしえて頂戴。
そういった文献は見たことないので。
しかしいつのまにか主客一体はどこへやら(笑)だな。
まあそれでいいんだとは思ってる。
やはりどうしてもそこと距離があるのは否定できないからね。
706 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/15 05:34
ダンテスダイジの本こないだまた読んでたんだけど ダンテスが禅寺に座禅しに行く前に友人の自殺に絶望して 自分も死のうとするんだけど「座禅しかない」という心の声に 従って寺に行くわけ。 「何の希望もない真暗闇の中を私は禅寺へと歩いていった」。 などと彼は書いている。 多分これだけの覚悟でもって瞑想をやってる人はゼロだろうね。 覚醒というものに関する限りある技法をやれば悟るというのは 在り得なくてそれ以前の問題だという事なんだろうな。
707 :
名無しさん@3周年 :04/02/15 08:14
>>706 >多分これだけの覚悟でもって瞑想をやっている人はゼロだろうね。
そこまで具体的になっている人は確かに僅かでしょうね。
でも、ゼロではないと思うよ。
その絶望を抱えて宗教的な世界を探求している人は多いと思う。
あなたの廻りにいませんか?
大切な人を失って、救いを求めている人。
708 :
名無しさん@3周年 :04/02/15 08:27
>>707 >その絶望を抱えて宗教的な世界を探求している人は多いと思う。
>あなたの廻りにいませんか?
>大切な人を失って、救いを求めている人。
この場合のダンテスは救いすら求めていないんだよ。
ちょっと説明不足だったけど。
救いを求めて探求するというのは多いと思う。
しかし救いを求めようが無いほどの絶望や認識を抱える人というのは
少ない。
>>708 さんくす。参考になるな。
何しろ今は時間があるから行をするには都合がよい。
しかし日本て一日80人自殺してんだな。
たまげたよ。
>>705 何も求めなくなったら最強だな。何でも入って来るだろうな。
711 :
名無しさん@3周年 :04/02/16 21:32
物理的身体を破壊しても、続くものがあるからなぁ。 違う場所で違う人と同じ本質の問題を繰り返す。 これが輪廻の恐ろしいところなんだろうなぁ。 過去世をのぞき見してみたいし、来世がどうなるのかも心配だが 問題の本質はは現在に働きかけること、または働きかけることを 止めること以外にはないと。 リセットを肯定する思想の持ち主もいるけれど目線をそらして問題 を無視することはアウェアネスに逆行し意識の進化を遅延させる。
712 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/21 03:08
>過去世をのぞき見してみたいし、来世がどうなるのかも心配だが >問題の本質はは現在に働きかけること、または働きかけることを >止めること以外にはないと。 とどのつまり勇退離脱しても「現在」からは逃げられない、ということかね。 最近前に紹介したコア・トランスフォーメーシォンのワークやってんだけど なかなか面白い。 簡単に言うと大きく逸脱した思考を一つの人格に見立ててその動機を 問うことにより思考そのものの源泉へと辿る、というもの。 なんだかkとさほど違いを感じないんだけれども。
713 :
名無しさん@3周年 :04/02/21 10:40
>712 コア・トラって心理板のNLPスレでもずいぶん話題になってますが、 パートの声を聞く、っていうの、スムーズにできますか? フォーカシングのフェルトセンスに関連づける発言も多々見られますが。
>>713 何回かワークしたけどそれなりに感じられたよ。
なんか第3チャクラの権力意志が第4チャクラのハートのスペース
へと溶け込んでいく感じ。
こんなのたんなる想像じゃないか?と思わずにやるとよいかも。
体感を大切にしながら。
715 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/22 18:10
このあいだホント久しぶりに酒のんだら次の日から 起きてても頭クラクラして立ってられなかった。 それが3日も続いた。 合一性なんて吹きとんだね。 何年も飲んでなかったからね。 気付き気付きと思わず力んじゃう人は 時間決めて逆にアフォのように呆然自失しまくるといいかもね。 逆効果の法則で逆にアウェアネスがくるかも。 風呂場でアフォのように口を半開きにしてやってみたら アフォのようにアフォな笑いが起きた。 まあ、単なるアフォだな。
すいません、↑変なレスになってましたね。 いきなりフォーカシングの話を持ち出したのは、心理板のNLPスレで コア・トラと関連付けてフェルトセンスの話が持ち上がっていたからです。 失礼しました。
718 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/23 03:09
フォーカシングもアプローチの仕方はkに近いよね。 アバスレでミルトンエリクソンの「身体イメージと身体感覚のズレ」の話が出てたんだけど これってどうも「観察者と被観察者の分離」に近い感じがするな。
719 :
名無しさん@3周年 :04/02/23 20:49
能力開発、潜在意識浄化・開発にお金をかけないで!
無駄な時間とお金を1円もかけずに、能力開発は確実にできます。
そもそも、セミナーや、成功プログラムに作為された時点で、
ビジネスになった瞬間から、不完全なものになってしまいます。
自分を変えるには、“時間とお金の代償が伴ともなう、執着を払拭
するために、自己投資をするのだ!”というのは、主催者側の
慣用句でありノウハウなんです。
数十万から、数千万、自己啓発にお金を費やした人を何人も知って
いますが、くちをそろえて、“時間とお金の無駄だったと認めていました。
私も、その中の一人です。ホントに、うんざりしています。
とにかく、下記のサイトにアクセスしてみてください。
1円もかけずに、能力開発が、できます。
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721 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/24 20:38
ロバート・メーフルソープが撮ったリサ・ライオンの写真集の最後の写真で 両性具有的なリサの裸体の隣で炎が燃えているのがあるんだけど 時々時間の中で自分の肉体が燃えているのを感じる。 それは刹那である種の快楽、至福のようなものなんだけど ハッパやったことがある人には分かりやすい話かな? 十代の後半は生理的な身体の成熟が生の実感と同時に死の実感をも 感じさせるらしいんだけれども年とともにそれが薄れてしまうのは 余計な記憶のお荷物と逃避としての習慣が固定されてしまうからでしょうね。
>>706 不思議だね。おもしろいね。
どうしてみんながみんな、同じ状況にならないと、悟れないのだろう。
723 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/28 17:46
>>722 覚醒が思考の臨界点の先にあるものだからだと思いますよ。
たいていの覚者は覚醒前に絶望しています。
それも僕等が普段抱えるようなものではなく
トータルな絶望です。
たしかkもこの絶望というテーマについて
「exploration into insight」の中で語っていました。
それは思考の不能性の認識なのかもしれません。
>たいていの覚者は覚醒前に絶望しています。 全員が絶望によるものですよ。間違いなく。 そういう仕組みなんですから。 ただ、偶然による絶望と、理解による絶望がありますが、 なぜ、理解による絶望の人がいないのかな。と思ったのです。 Kはどうなんでしょうね。
トータルな絶望 理解による絶望 だから(略
略さなかったら続きは何でしょう。 トータルな絶望と理解による絶望は違うもんだってことですかね。 「トータルな絶望」それ自体は、そのとおりですよ。 そのトータルな絶望に至るのが、最初、1番最初は、なんで、誰もが、 偶然至るのかってこと。 で、その現象が何で起こったのか 何でこのようになるのか理解しなかったら、そこで、ハイ、もう終わり。 もう、体験しない。そこで終了。 でもね、その現象を理解すると、その後も続く。 ってことなんですよ。
分かった。続きをちゃんと書くよ。 要するに、トータルで理解(認識)による絶望というのは 実存主義哲学の大きなテーマで、まあ、だんだんと人間の意識も進化(?) してきて、昔は一部の哲人あるいは神秘主義者(wしか認識していなかった 問題がいまはそこらへんのニーちゃんにも分かりだした時代というわけ。 関係なくもないが岡崎京子の漫画ってそのへんの視点もあって凄みがある。
728 :
名無しさん@3周年 :04/02/29 02:08
虚業
729 :
名無しさん@3周年 :04/02/29 04:04
行動規範への自己同一化
絶望の「ぜ」の字も知らない 餓鬼んちょのアマちゃんが、 自分ではいっちょまえに暗闇を知っているつもりになって オナニーぶっこいてるスレはここですか?
731 :
名無しさん@3周年 :04/02/29 06:24
あおりではなく、一度きちんと絶望を定義してから議論を深めたほうが良いと思う。 絶望を定義する過程で絶望がどのような形でありうるのか理解できると思う。
732 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/29 19:14
>>730 じゃああなたの言う暗闇や絶望というものを書いて頂戴。
おまえらいいかげんに目を覚ませ。 自分の絶望を人に知ってもらいたいと思っている時点で そんなものは絶望の形をした自己憐憫でしかない。
734 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/29 21:13
今言ってる所の絶望とは人に知ってもらいたいとか 理解されたいとかいう幼稚なモノじゃないよ。 それは覚醒というものに関しての思考の不能性の認識だと思う。 で言うまでもなくそれは自我の成熟を必要とする。 kにおいては自我の成熟という言い方はしなくて 「思考が思考自体を理解すること」という風に言っている。
>今言ってる所の絶望とは人に知ってもらいたいとか >理解されたいとかいう幼稚なモノじゃないよ。 だったらごちゃごちゃ言わんで一生黙っとけ。
誰かが幼稚だ、と指摘する。 しかし、その指摘は特定の誰かの特定の意見に対するものじゃない。 なのに、それに対して、自分は幼稚じゃない、と反論したくなる人がいる。 このスレの住人すべてがそう反論したわけではない。 反論したい人だけがそうした。 しかしどうしてその人は反論したのだろうか? その心理のありようを見るなら 間違いなくそいつには、人に知ってもらいたいとか 理解されたい、とかいう願望があるわけだ。
737 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/29 23:42
なんか物凄く「お前はこうだ指摘」カキコで話が進まんね。 反論というよりも事実を指摘しただけなんだけど。 つまり自分のことを書いたつもりはなくて いまここで話題にされているテーマについて書いただけですよ。 こういう「お前はこうだ指摘」やりだすと 単純な議論すら進まないんだよね。 まあ僕も他スレでシャルマに同じ事してたわけだけど。
738 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/02/29 23:43
なんか物凄く「お前はこうだ指摘」カキコで話が進まんね。 反論というよりも事実を指摘しただけなんだけど。 つまり自分のことを書いたつもりはなくて いまここで話題にされているテーマについて書いただけですよ。 こういう「お前はこうだ指摘」やりだすと 単純な議論すら進まないんだよね。 まあ僕も他スレでシャルマに同じ事してたわけだけど。
自分に正直になることができない、 人の話に謙虚に耳傾けることができない人物が絶望を語るむなしさ。
>>763 の書き込みをよく読んでみよう。
どこにも特定の個人の名前は出てきていない。
言われたことに思い当たるふしのある人が反応しているだけだと気が付こう。
絶望を競ったところで仕方あるまい。 競っても何の意味も持たない。 しかし、本当に絶望したなら、もう、約束されている。 至福と理解がもたらされる。 その人が立派であるか立派でないか その人が賢いか賢くないか その人の地位が高いか低いか その人が徳を積んでいるか徳を積んでいないか その人が神秘主義者であるか神秘主義者でないか 自我が成熟しているか自我が成熟していないか は、全く関係しないだろう。 誰にでも同じ条件だ。 すっかり全部絶望したら、覚醒する。 まだ、覚醒していないなら、まだ、望みが残っていたということだ。
743 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/03/01 02:06
744 :
名無しさん@3周年 :04/03/07 19:04
覚醒とはいかないまでも、ある種の達観を得るにはその人自身にとって対処しきれないような絶望感、虚しさを通過しないと見出せないようですね。 これはある街のカウンセラーがいっていた台詞なんですけどね。でも、希望がある限りは悩みつづけ、希望がなくなったら、持てなくなったら覚醒や達観っていうのは 人生の皮肉という気がしますな〜〜。 それにしてもまた別な視点で見た時,人間の本能=生存欲とはいかに強力なものなのか!とも驚かされる。 思考が絶望したなら死ねばいいところを、「それでもなお」と生きる選択をさせる隠し玉(覚醒や達観)を用意してある。それは生命維持のホメオスタシス現象として見なせるんじゃないか? ま、絶望したら自殺する人が大半なんだろうから、少数派である覚醒者というのは生命力のある人,生に貪欲な人と言えそうな気がするな。
>>743 >欲望が果たされない所からくる絶望ではなく
>認識から起こる絶望というものがあり
>それは特有の落ち着き、静けさを持つ。
その通りですが、リンク先を見ましたが、どこに記述がありますか?
746 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/03/08 23:15
>>745 上記の言葉はkのセリフではなくて僕の認識です。
kはいつも通り直接的な言い方はしない。
747 :
名無しさん@3周年 :04/03/11 01:29
中四国地方の T会場で以下のような事がありました.入会後2年位の会員で夫婦 仲が悪く夫がいたる所に中傷している妻に 対し会場責任者のK女史は 倫風輪読 会の席上、目を その妻をしっかと見据え「○ ○ ○ ○」 ー犯罪者の名称ー と投げつけ、つずけて犯罪を犯した者は昔は出歩かないものだったけどね、と言い 放った.そして,自分が責任者として朝の演壇の最後の演壇をする時はその妻の 身体的特徴を 誰にでも分かるようにいちいち取り上げ「この人の庭は草ボウボウ で 私も子育てで忙しい時は出来なかった。と草ボウボウを話題にして延々と話し 後,演壇を聞くときは眼を閉じているとか誰か分かるように 言動をあげつらって いました.要するにそんな悪い噂のあるひとは 来て欲しくないから責任者として 排斥行為をするのでしょうが 凄いでしょう.この責任者の倫理は 悪い噂の人物 には 行わなくて良いみたい.会誌頒布もその妻は 誘わなかった.代わりに本を 沢山勧められ,買っていたけど.他の宗教法人は 参加可能だそうです。 あと会誌頒布で 訪れた家庭内のことを「あんな家でも玄関に子供の写真を飾っ ある、とか行った先の家庭事情を 会員同士で情報交換している。いいところも 沢山ある会だけどね。
748 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/03/17 23:01
春ってエナジーが沸き起こってくる時期だから下手に否定的思考にハマってると それが加速してヤバイかもね。 昔職場の近くの寺で自殺した人がいたけどそれもちょうど今の時期でした。 kの教えに変な風にハマルと否定的思考(kの言うソレではなく)のオンパレード になって精神的にかなりやばくなることがあります。 つまり「死にたくなる」、死への欲望、タナトスのようなものに 直面させられる。 それがうまく消化されると(つまり対象としての「死」との距離が無くなると)「死にたい」という「欲望」が 「もういつ死んでもいい」とか「瞬間瞬間自分は死に続けている」というある種の喜びと認識に なります。 でこの時人はkの言う所の創造的思考を生きているのだと思う。 こういったスペースにとどまれたらいいけどそうは問屋が卸しませんね。 僕は煮詰まったらアフォな事して固定した思考や注意を解体します。 今日買った本 「自由と反逆」J.クリシュナムルティ 「タントラ房中術入門」藤本憲幸 後者によれば男は性行為において10回イクのを我慢してから射精すると いいらしいよ。素敵な写真多数。
749 :
名無しさん@3周年 :04/03/18 00:48
藤本憲幸ってずいぶん懐かしい人だなあ。 名古屋にあった東山ヨガ道場から退いて、今何をしているんだろう? たぶん、もう著述活動もやってないはずだよね。 藤本さんは僕にとって、こういう世界に関わることになるキッカケをつくってくれた人。 記憶術、想念術、玄米食、断食、リリヤヨガ、、、、中学時代が懐かしいな。
751 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/03/24 15:14
>>750 さんくす。
ここなかなか面白いね。
心なしかbrownさんて無明庵のbvのような気がするんだけれども。
問いを出している人も無明庵スタイルの問いの仕方だしね。
成熟のためには以下のことが絶対に必要である。(K) 1〜4は省略 5. 動機や目的を持たずにそれ自身の底知れない深みへとはいりこんで行くことのできる心。 それは障壁を持たず、時空を越えて自由に行き交う。 『時空を越えて自由に行き交う』 『時空を越えて自由に行き交う』 『時空を越えて自由に行き交う』 はひょ丸さん、これってどういう意味なんでしょう? もしもし?
753 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/03/25 20:17
>『時空を越えて自由に行き交う』 >『時空を越えて自由に行き交う』 >『時空を越えて自由に行き交う』 >はひょ丸さん、これってどういう意味なんでしょう? >もしもし? わかりません(笑)。 でも敢えて言うなら英知が思考を使ってる状況を表した言葉じゃないのかな。 思考が停止しているとき注意は思考という形態に限定されないわけだから 「ありとあらゆる場所」にソレは在るわけでしょう。 それが「時空を超えて」でしょう。 で「自由に行き交う」ってのはそれら無焦点の注意のなかで 起動する思考は動機や目的から自由である、という事じゃないのかな。 禅で言うなら「無分別から分別する」かな? 無選択から選択する。 う〜ん、読んでるだけで気が狂いそうになりますね(笑)。
>>753 早速のレスありがとう。
でも、やっぱりおれには難し過ぎるようで、
まじに頭痛がしてきましたさ。(笑
755 :
名無しさん@3周年 :04/03/26 23:03
1−4省略するなよ。出典名ぐらいかけよ。
756 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/03/26 23:35
僕も知りたいです。1〜4。出典もね。 750の所の「分離なき観察」というのを今日読んでいたんだけど ここはなかなかうまくkの言葉が編集されていますね。 命名や言語化が分離を生むというのである日意図的に非言語化していたら ちょうど普通だったら激しい怒りを生むような刺激が与えられたんだけど 自分の反応は感覚的なものだけで至って冷静でした。 反応というのは命名や言語化で初めて形態を獲得するわけで それがなければただのエネルギーなわけですね。
757 :
名無しさん@3周年 :04/03/26 23:36
おれは主客一体だが何でも聞いてくれ。
>>755 成熟のためには以下のことが絶対に必要である。
1.ヒンズー・スクワット一日千回
2.毎朝の飲尿健康法
3.一人で苺狩り
4.キティちゃんのミシンでパッチワーク
ラッキーアイテムは黄色い靴下
>>756 1. 事物や所有の中にではなく、存在の質の中にある謙虚さを伴った完璧な簡素さ
2. 単に身体的ではないあの強烈さを伴った情熱
3. 美。外面的な現実への感受性だけでなく、
思考や感情を越えたあの美に対して鋭敏であること。
4. 愛。その全体性、嫉妬や執着や依存とは無縁であるもの。
世俗的なものと神聖なものとに分離し得ないもの。その全体的広大な広がり。
5. 動機や目的を持たずにそれ自身の底知れない深みへとはいりこんで行くことのできる心。
それは障壁を持たず、時空を越えて自由に行き交う。
>>750 のHP「愛についての」頁より
759 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/03/27 16:02
>>758 さんくす。でも755用の1〜4の方が実行はし易そうだね。
ちょっとしんどいだろうけど。
760 :
名無しさん@3周年 :04/03/27 22:56
踏み外しているぞ。実行するものじゃない。
>>752 ,758
どうも誤解しているようだから一つ書いておくが、
>>750 のHPの中のKについての文章は、
Kを読んで、サイト管理者のレイが自己解釈を加えつつ書いたものであって、Kの文章そのままではないぞ。
> 成熟のためには以下のことが絶対に必要である。(K)
これもレイの自己解釈の加わったまとめであって、Kの文章そのままではないから、
そこをきちんと分けて考えなくてはダメなんだよ。
サイトの「はじめに、」のコーナーにもこう書いてある。
>注意
>当サイトの内容は全て、厳密な意味での抜粋や引用ではありません。
>多くの部分が、サイト作者の個人的な関心と理解と解釈によって、
>削り、書きかえられ、再構成されています。
>その点は了解の上、ご覧下さい。
>>761 ありがとう。
そうか、それはそれは勝手な早とちりをしてしまって、
はひょ丸らには失礼しちゃったなー。ゴメン、ゴメン
ところで、はひょ丸、おれも昔モリケンさんの本読んだことあるよ。
ああいった世界は眉唾モンのキモオタ世界と決めつけていたけれど、
ある時、共時性が続く日常にたまげて、色々な本を開いて調べてみたんだ。
モリケンさんのはそのなかのひとつ。
読んでるとホントかよ?って思う所もしばしばだけれど、
あんなチャレンジャーは好きだな。(笑
共時性については、いくら調べてもいずれも仮説の域を出ることがなく、
興味の対象は枝分かれ。
Kの本はそのなかのひとつ。
でもKファンには失礼だけど、今じゃどうでもいい。
ヤツの文章を読んでると気が滅入ってくるんだ、このおれは。(^^;
はひょ丸はそんなことないの?
763 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/03/28 14:22
う〜ん昔よりはk読んで気が滅入るようなことは無いかな。 「見るものはみられるものである」という主題に入ってると 比較的元気でいられるし。 ただ下手にkの思考の解析みたいなのにハマってひどく心身共に衰弱した ことがあってあれは本当にやばかった。 k読んでノイローゼになって病気になってっていうパターンは 結溝あるみたいで無能唱元の「楽する人」とかいう本にも そこら辺のことが書かれてあったな。 ただ今じゃあ友達に「お前と話してると気が滅入るよ」的なことも 言われてしまうのである程度kの教えにうまく脳が食われてるのかも。 ま、でもなんだかんだ言って葛藤はあるけどね(笑)。 モリケンといえば僕の部屋にはコイン占いのテキストが2冊 眠っている。 途中まで勉強したが今はやってない。 どうか笑ってやってくれ。 モンロー研のヘミシンクCDの方がよかったかな?
764 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/03/28 22:14
そもそもなぜこんな探求ゲームを始めたのか? これはEOが探求者たちに投げかけた問いです。 ここを見てる皆はどう? 出来たら書き込んで欲しい。 僕個人の事でいうとやはり「苦しかった」から。 レイさんと同じく「悟りたかった」からではない。 とにかく苦しくてその苦しみをどうにかしたかった。 探求当初はそうだった。 しかし探求が進んである程度苦しみから解放されるような体験 を積むようになると今度は苦しみから逃れたいというよりも 悟り(この場合過去に感じた体験の先にあると想像されたもの)を 求めるようになった。 ところが今度はその悟りを求めるということが逆に苦しみを生むということが 分かってきてKとかEOとかがしっくりくるようになったわけです。 つまり求めること自体が苦しみであるということ。 それが知的には分かるものの(にもかかわらず)欲望を生きていかざるを得ない。
思うに「悟り」「自由」「解放」なんぞを希求するよりも 「欲望」「エゴ」「醜悪な自分」「情けない自分」「しょうもない自分」 というこれ自体を生きた方が健全だと思うけどねえ。 町田康の詩って欲望それ自体を生きること 業それ自体を生きることの解放感に満ちてて好きなんだよね。 「一生このまま転げまわるのです」 by 町田 康
>>761 でもそれはkの言いたい事と矛盾してないよね。
俺は今ある快楽を退けようとする。今目の前にある素晴らしい物から目をそらす。
その我慢によって未来に何かを得ようとする。何故だろう?思考はいつも未来に
何かを思い描かく事によって今から目を逸らす様だ。しかし月並みな言葉だが、
今生を積み重ねる事でしか未来はやって来ないのだ。
>俺は今ある快楽を退けようとする。今目の前にある素晴らしい物から目をそらす。 >その我慢によって未来に何かを得ようとする。何故だろう?思考はいつも未来に >何かを思い描かく事によって今から目を逸らす様だ。しかし月並みな言葉だが、 >今生を積み重ねる事でしか未来はやって来ないのだ。 というか「今は未来」だよね。 Kの言う通り。 「未来は無い、今だけがある」という言い方もある。 今という知覚に過去としての心理的記憶の介入もしくはその投影としての 未来が介入するかぎり変容はあり得ない。 とどのつまり私たち自身である思考は「変容を望む変容それ自体への障害そのもの」 なのだろう。
>>763 >どうか笑ってやってくれ。
ハッハッハッハ
まあ、おれに金があったらその手の商品全部買ってるかも。(笑
いろいろな欲望のなかで、「これ」ってモンを手繰り寄せたらラッキー
こんど町田康を読んでみます。
「房中術入門」もありえる。(笑
770 :
名無しさん@3周年 :04/03/30 23:29
>769 うーんマンダム
771 :
名無しさん@3周年 :04/03/31 09:02
>767 ってことは、その裏もあるってことだ
772 :
名無しさん@3周年 :04/04/02 05:45
はひょ!味来日するみたいよ。
773 :
名無しさん@3周年 :04/04/02 22:04
つまらないと、ひとり。 つぶやいて、にやり。 おおあくび、ふわり。 さらりさら、さらり
>>772 味ねえ・・・・。
誰か行く人いたら感想かいてちょ。
>>773 ははは。なつかしいな。
よくバイクで爆走しながら歌ってたよ。この曲。泣きながら(笑)。
775 :
名無しさん@3周年 :04/04/02 22:42
難しいテーマですね。
776 :
名無しさん@3周年 :04/04/02 23:10
773 774 誰の歌?この詩のどこで泣けるの??
>>776 エレファントカシマシのセカンドアルバムの中の一曲。
「さらりさらり」
メロディがね、いいんですよ。
「優しい川」っていう曲も好きでした。
778 :
名無しさん@3周年 :04/04/03 23:31
779 :
( ´∀`) :04/04/03 23:43
主客一体の本義は、観察者は観察されないことにあるだすな。 もーちと分かりやすくいほう。 純粋な観察、穢れなき観察、反省的思弁を排した、純粋無雑の観察。 それを英知というべげん。 ??? つ、つまりだな、まかしかん! これだよね。 え? つ、つまりだね、この世界に対するすべての偏見をすてて、 虚心にこの世界に見入ると、完全な知恵の通路が開けてくる。 なぜなら、世界魂の領域に踏み込むことになるからだすな。 あんだーすたんど?
780 :
名無しさん@3周年 :04/04/04 09:52
頭で考えることじゃないと思う。
うーんマンダムとかじゃなくて。 本屋で町田康のブツを探しても無かったので、 代わりに「VOW王国 日本の誤植」という本を買ってしまいました。 本屋でチョロッと開いてみたら『エレファントカシマス 当日券有り』と、 こんなタイムリーなネタに遭遇したら、やっぱ買いでしょう?(笑 笑いが大好きな彼女に貸してあげようと思います。 うーんマンダム。
782 :
名無しさん@3周年 :04/04/04 13:39
摩訶止観=思考が止まる時に起きる観想状態=神秘経験
オナニー?
784 :
名無しさん@3周年 :04/04/04 14:32
この世界の全ては各々「主」でありかつ又「客」であるという事だろ。 自分という認識主体を「主」とするならば、自分が死んでしまえば被認識主体(客) を認識できないから客もなくなる。一方、自分も他から見れば被認識主体(客)な 訳だから、この事は同時に「客」がなくなれば「主」は「客」を認識出来なくなる という事になる。 「主」だけのケースや「客」だけのケースは有り得ないということ。 それぞれの相対関係がこの世ということになる。
重要なのは、主と客という二元性だけでなく、それを超越した第3の立場があると言うこと。
786 :
名無しさん@3周年 :04/04/04 19:01
主客一体とは神の自己同一 ただそれだけのこと この神の自己同一の意識を 自分の意識で体験するだけのこと 瞑想でそこまでいくのは簡単 でも勘違いすると迷走するだけ 迷走している人が多いだけ
>>786 なぜその意識が神だと断言できるのか。
どうして自分は迷走などしていないと言えるのだろうか?
788 :
名無しさん@3周年 :04/04/05 01:48
>787 それぞれの個人が感じ、 その中で人生のいかなる苦しみからも自由でいられる喜び・陶酔・歓喜をとおして生きて行くだけです。 それが神の意識かどうかはだれにも証明できません。 個人の主観だといわれるものは、すべて証明できないからしかたありません。 それを感じ喜びに満たされて生きている人をみて他の人がどう思うかだけでしょうね。 科学的証明としての普遍性は無いでしょう。ただ似た体験をした人が複数出てきて お互いにその感覚を確かめ合うだけだと思います。 その感覚からはとても芸術的感覚の表現は可能かなと思われます。これも主観ですね。 全ての全て 満ち足りて 歓喜に震える 刹那には 永久なる響き輝きと 命の歌を聴きのみか 言いたくなるだけです
>>788 やれやれ、主観と客観の意味をろくに理解できていないようだ。
790 :
名無しさん@3周年 :04/04/05 11:17
>789 いょっ、錆び哲学者!
791 :
名無しさん@3周年 :04/04/05 15:06
つーか、
>>786 ,
>>788 は全然「主客一体」について書いてないぞ。
スレ違いだろ。神との一体が主客一体?悟りスレで吠えてろヤク中が。
792 :
名無しさん@3周年 :04/04/05 20:29
>791 一生無駄な話するんかなあ。もったいないなあ。
>>788 >それが神の意識かどうかはだれにも証明できません。
>個人の主観だといわれるものは、すべて証明できないからしかたありません。
そもそも神を見た事も感じたこともない俺に、それを証明する由はないわね。(笑
でも、その個人的な意識の体験が「神の意識」に結びつくというのはかなり雑な話だと思うよ。
なんか、「未確認飛行物体は宇宙人の乗り物だ」みたいな。
他の人に「神の意識」と教えられたからあなたもそれを神だと思うんでしょうよ。
>それを感じ喜びに満たされて生きている人をみて他の人がどう思うかだけでしょうね。
神を持ち出さなくても、喜びに満ちた人は大勢いる。
その人は泣いたり怒ったり苦しんだりもするから魅力的なんじゃん。
瞑想しろとか言わないし。(笑
内なる声を聞くものたちよ 今さらにその声に耳をかたむけよ かすかなるその響きから 大いなる響きとなって語るものの声を聞け 汝等の時は来た 生まれし時よりこの時まで 内にあたためしものを 開く時が来た 汝の傍らにまします 美しきものたちを感じる時は今 あの世とこの世を語る時は終わりを告げ あの世とこの世は手を携え 新しき喜びの時代を開く その扉は汝等一人一人の手にある その胸の内に歌うものを・・・ その身を焦がし踊るものを・・・ 生きた言葉を知るものは その響きを知るものは その扉を開くだろう さあ、夜明けの時がやって来た 目覚めの時が鐘を打っている 今こそ、人生の答えの時 今こそ、成すべきものを成す時 そして、人は新しく歩み始める
795 :
名無しさん@3周年 :04/04/06 15:47
>>793 788=794
こいつはヤク中なんだから、書いてること真に受けない方が良いよ。
俺はドラッグは違法・合法問わず、やりたい奴はやれば良いとは思うが
なにかしら主張しはじめる奴はカスだな。そういうクスリに振り回される
状態を「主」が「狂」に変わると言う。黙ってやってるぶんには構わんが
「神がどうのこうの〜」「宇宙がどうのこうの〜」なったらアウトだな。
しかもこいつは別スレで医者の薬は止めろと主張しながら自分はどっぷり
ドラッグ漬け状態。まさに基地外とは(ry
796 :
名無しさん@3周年 :04/04/06 22:25
799 :
名無しさん@3周年 :04/04/14 21:44
>>784 確かにそうだが、 自分が死んで、 他人の『主』から、 自分を認識できなくても、 客体としての、私はなくなっても、 他人の主体はなくならないぞ?
800 :
名無しさん@3周年 :04/04/14 21:48
>>799 つまり、もしも、他人の主体が、 本当に、純粋な客体だった場合は、 自分=客体が、死んだとしても、 他人の主体に影響を与えることがありえない。 逆に、自分が、 主体だとしても、 客体としての他人に、 本当の真理があった場合は、 自分だけが滅びることになる。 しかし、他人としての客体=真理が、 自分と一体だった場合は、 真理が自分といつも一緒になる。
>>799-800 上っ面だけ読まないで正確に読んでくれ。
「主」は「客」を認識出来なくなると言ったが「主」がなくなるとは言ってない。
なにか薬っぽい匂いがするがマジレスすると、
>他人の主体に影響を与えることがありえない。
全くの他人であれば影響はないだろう、親子、知人だったら心理的影響が残るだろう。
客が真理で主が真理でないとか、客が真理で主と一体となるとかは無意味。
784で言ったとおりこの世の全てのものは主でありかつまた客である。
主だけ、客だけ取り出して真理とか一体とか言っても意味が無い。
真理があるとすれば、この世のものは主、客の相対関係が全てでそれぞれ自ずから
生き、また変化しているという事。死も一つの変化。
何か特別なものと一体となっていつも一緒などという妄想は捨てろ。
どうも全く理解できていないようだ。 >自分が死んでしまえば被認識主体(客)を認識できないから客もなくなる >「主」だけのケースや「客」だけのケースは有り得ないということ。 >それぞれの相対関係がこの世ということになる。 こういう質の低い固定観念にこり固まっている内はあなたは真理を見い出せない。
らりってるわりには、言ってることが偉そうだな。 らりって、びくついて、逃げ帰って、真理を見出しただと?
801 802どうちらも妄想で筋違いだな。 >真理があるとすれば、この世のものは主、客の相対関係が全て タイトルが読めないのか? >質の低い固定観念にこり固まっている内はあなたは真理を見い出せない。 質が低い?801と802は同レベルだ。ただの逃げ腰、逃避の真理だな。
要するにだ。質の高い固定観念だか観念の自由だか知らんが、ただのやせ我慢。 我慢くらべ。それが真理とは笑わせる。あーはっはっは。
良く見るとギャラリー豊富なんだな。 ヤク中野郎。逃避我慢野郎。主客分離野郎。ださいたま野郎。はひょ。
あ、勘違いの少ない順ね。
>>804 >タイトルが読めないのか?
「主客一体」とはなにか?だな?それについては784で回答した筈だが?
真理云々は800に対する回答だ。
このスレはなにか?「主客一体」からわずかにそれた話もしてはいけないというのか?
>>804 ラリってるだけあって書くことが支離滅裂だな。
>>808 言うだけ無駄だよ、ろくに文章読解力もないようだから。
810 :
名無しさん@3周年 :04/04/18 01:21
私は40過ぎて独身です。本当に辛い毎日を送っています。 つい先日も、こんな事がありました。 ある日、妹夫婦の14歳になる長男の下着類が一切合切盗まれる という事件が起きたのです。あろうことか真っ先に疑われたのは 私でした。40歳過ぎて独身だというだけで血の繋がった実の妹から この私が真っ先に疑われたのです。肉親なのに。ずっと一緒に育った 姉妹なのに。ただただ40過ぎて独身だというだけで実の姉である私が 疑われたのです。とても悲しいことです。やりきれない気分です。 ですが、実は盗んだのは私でした。 が、しかし、事ここに至ってはそんなことは瑣末な事です。論点が ずれています。私が訴えたい事は“私が犯人だと決まってないうちに” 既に“私を疑っていた”という事実なんです。つまり40歳で独身だと いう事は常に『気持ち悪い事をしでかすに違いない』という目で見られて いる、という現実なのです。これではまさに冤罪の温床です。我々40過ぎ 独身中年は常にそういった謂れ無き迫害に晒されながら毎日ビクビクして 生きて行かなければならないのでしょうか?結局私が犯人だということが ばれ、妹は「もう、来ないで」と悲しそうに言いました。ですが 私はそんな妹を許す事はできません。私が犯人だとばれる前から私を 疑っていた、という事実は消えないからです。 みなさん、結婚はしたほうがいいです。40過ぎて独身だと 本当に何をされるかわかりません。家族から。世間から。社会から。
>>807 なんで、おれがヤク中より大いに勘違いしてるのさ?
>>812 気になることは聞いておいた方が気にならないでしょう?
もしかして、それが笑いや他の何かの種だったりするかも知れないしよ。(^^;
だから聞いてみたんだよ。
自己意識の仕組みが分かっていないので無自己とその結果の心の沈黙を 説明するのがむずかしいのですがとにかくこの無自己の状態は自己意識の 崩壊で心はそれ自身を対象として見ることが出来ません。 そればかりでなく自己がないときには他の何ものもないので自己の代わりに 他のものを対象にすることもできないのです。 一方、心がそれ自身を主体として見ることができないのは目が目自身を 見られないのと同様ですがこのことが主体も客体も無い意識がどんなものかを 考える鍵となると思います。 この意識はまったく不可知の領域に属していて相対的な心で経験することも 理解することも出来ないのです。
815 :
まるちゃん :04/04/21 01:30
>814 だったらどうして、このスレたてたの? 別に攻めてないよ。 体験しに行ったほうがいいと思うけど・・・だめかなあ 初めから分かってたでしょう。でも、言葉でアプローチしたかったんですか? 体験してから生まれてくる新しい体験を語るほうが楽しいと思うけど・・・だめかなあ 偉そうなこと言っちゃったかなあ。ごめんしてね。
私は今まで自己の存在を知るには心がそれ自身を対象として見るという自意識 は必要でなくそれが無くても思考や感情が起こってそのまま意識されると思って ましたが自意識がなくなってみるとこれは間違いであると分かりました。 自省の機能は意識されない場合でも無意識の層で働いているのですがいったん この機能が失われば自意識が無くなるばかりでなく無意識面でのその働きも 無くなるのです。つまり意識の主体を見ることができなければその主体が在る という意識もありません。自意識をもつ人にとっては意識の主体の存在は どんな証明も要らないほど自明な事なのでそんなことはとても考えられない なのです。 本来思考の成立には自意識が必要です。 幼児の心のままでは成人の世界に生きられないのはこのためです。 しかし心の働きが充分に条件づけられていれば自意識が無くても思考はある のです。ただしこれは普通の思考とは違います。 内省を伴う普通の思考は個人的な感情や傾向に彩られているのですが 自意識無しの思考はいつもその場でふと起こり現在の瞬間に結びつけられた 実際的なものばかりです。 この意味で思考は局限されたものになっていますがこれはむしろ 歓迎すべきことなのです。普通の思考では心が内と外、過去と未来を往来し 個人的な感情や意向に振り回されてつかれるだけだからです。 (以上「自己喪失の体験」バーナデット・ロバーツ 紀伊国屋書店 絶版 p75〜76)
どこぞのスレでロバーツの名文が原典の表示もなしにその人の言葉として 引用されていました。 あれ?どっかで見たことのある文章だなあ、と思ったらロバーツのセリフ でした。 ロバーツのアプローチというのは非常に興味深くてそのすばらしい点は常に自己に、神?に 問いかけながら検証しながら様々な経験を通りぬけていることにあると思います。 経験に溺れることなく知性でもって問い詰めて検証し安易に思考放棄せず突き詰めていく。 そうであってこそ思考の限界点の知覚・認識が起き得るんでしょう。 彼女の著作からは学者の知性ではなくきわめて真正な生活から生まれた成熟 した一中年女性の知性が感じられます。 知性あるイノセンスっていうのはやはりいいですね。
そのロバーツは薬やってるのかも。薬やってる奴も同じような事言ってるから・・
>816がはひょだったら はひょ。ヤク中野郎。逃避我慢野郎。主客分離野郎。ださいたま野郎。 こうだったのにな。
そういった順位付けがさらなる心の分離を生んでいることに未だに気付いていないとは。
そう、ときどき思うんだよね。 俺ってものすごく勘違いしてるんじゃないか?って。 アレがココにあるときにはそんな疑いは起こりようもないんだけれども。 アレとここが離れちゃうとそんな疑いが出てくる。 体験そのものであれるときには分離は生じようがないから。 体験が命名化されて対象化されると分離がはじまる。 本当は「アレ」なんかなくて「これ」だけなんだよね。 「これ」も無いというかね。
>>819 さっぱり分かんないなー
おれが何をどのように勘違いしているのか。
具体的な説明をお願いしまーす。
823 :
名無しさん@3周年 :04/04/25 13:47
順番関係なしだ。 はひょ。有名な誰かの本読んだらわかるみてーだ。 ヤク中野郎。神だ何だと空想が多い。訳中なわけだ。 逃避我慢野郎。質の低い固定観念高い固定観念と逃げ回る。訳中だろーな。 主客分離野郎。一体だっていってんだろ。 ださいたま野郎。主客のこと知らん。
824 :
名無しさん@3周年 :04/04/25 13:49
ヘーゲルの『精神現象学』読んだ人っている?
>>823 それじゃ説明になってないけど、まあいい。
今は他にやりたいことがあるから精神の問題に興味ないんだよねー
826 :
名無しさん@3周年 :04/04/27 00:33
どうやら、主体と客体がケンカしているようだな。 西田幾多郎は「主客一体」と言い。 大拙は「主客未分」と言う。 神秘体験としての秘められた意味。 哲学上の思弁としての仮想的な主客論。 まあ好きにしてくれ。なにせ、にこんのさんすいは・・・小物のどうげんじょうなり。。
>>813 そうだな。「神」とか言って対象化した途端、それはそれでなくなるよな。
何故俺たちは何でも説明したり名前を付けたがったりするのだろうか?
>>827 > 何故俺たちは何でも説明したり名前を付けたがったりするのだろうか?
ノープロブレムでいたいから。
コミュニケーションをとれなかったら厄介なことになるから。
!!!!!な何かを分かってもらいたいから。
言葉は思考の道具だから。
とりあえず、アバウトに掴んでいないと先に進めないから。
ところで昨日、おれはまた失恋してしまいました。
そんな痛い夜に、考えてもしょーもない事を考えてしまいがちな夜に。
827がおれにレスをしてくれたことが、すごく助かってたりする。(笑
829 :
名無しさん@3周年 :04/05/11 23:01
>とりあえず、アバウトに掴んでいないと先に進めないから。 アバウトとじゃないと思って、完璧に先に行けることもあるんだ?
>>829 言っている意味がよく分からないので、完璧に先に進めません!
832 :
埼玉 :04/05/18 02:02 ID:mDmCczeM
>>831 MASAYAの教えって何に似てんの?
なぜ831はそれを論破したいのよ?
833 :
埼玉 :04/05/18 02:06 ID:mDmCczeM
なんだこのIDは?
MASAYAは条件付けとかいくつかのクリシュナムルティ的な用語を使っているようだが、 中身が全く伴っていないから、わざわざ論破するなんて時間の無駄。
835 :
sage :04/05/31 01:08 ID:IFndeHDa
sages in your heart
836 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/06/03 22:56 ID:YgrKFOiX
よく「許し」って言うけど何なんだろ。 そもそも「怒り」がそこになければ別に「許し」は必要ないわけで。 昔「私は無条件の愛そのものです」というアフォメーションを 一日中心の中で唱えていたことがあって気がついたら 部下をものすごいいきおいでどなりつけていた(笑)。 とんだ無条件の愛だね。 でもその怒りは凄いトータルな怒りで何も後を濁さなかったんだよね。 どこかのスレでダライ・ラマの慈悲の観念について そんなマゾなことができるか!ってつっこんでたけど たしかに「許し」とか「慈悲」とかって下手に囚われると 感情の抑圧になってタチ悪い。 多少の効果はみとめますけど。「トンレン」とかね。 でも「無条件の愛(笑)」とか「慈悲」とか「許し」とかよりも 自分の「怒り」がどういった条件付けから発生しているかを 観察する方が全然面白いね。 バイロン・ケイティのワークなんかはうまく両方を 橋渡ししてるように思う。
837 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/06/04 01:03 ID:g/LDg4uL
寿命を延ばす秘訣は中枢部のエネルギーを緩慢にそして意図的に消費する能力にかかっている。意識して思考することを習得しなさい。それがエネルギー消費の節約となる。夢想してはいけない。(p177) あなたは感情が何であるかさえ理解していない。 思考から感情を生み出すことが可能であるということを理解していない。 現状はその逆になっている。思考が感情の奴隷になっているがあなたはそのことに気づかない。われわれのすべての気分は経験の所産である。従って訓練された人は他人の気分を 観察することによりその人の過去の経験のすべてを読むことが出来る。 さまざまな感情の源泉である連想を我々自身の中に追跡することを学べば自分の望む どのような感情も生み出すことができる。(p311) 現在あなたは無数の「私」を持っている。 あなたのそれぞれの「私」の弱点はいつでもあなたの主人となる、それぞれの「私」である。あなた自身に「私」を持つため「私」が生まれなければならない。 だが「私」は一人では成長しない。 「私」が物質を蓄積しある日めでたくも形をとることができるように 食物を与えなければならない。 そうすれば「私」が発達し生まれることができる。 「私」のこの物質は意図した苦しみによってのみもたらされる。 たとえばタバコがほしくてしょうがないときそれを我慢するとあなたは 内面で苦しむ。そのとき「この内面の力を自己の力にしよう。自分自身の「私」のために この意図的苦しみによって生ずる物質を受け取るのだ」と言いなさい。 この方法によってあなたは「個人」になり完成された人への道を歩むことができる。(p312)
838 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/06/04 01:04 ID:g/LDg4uL
他人の意見を気にしてはならないという厳しい基準を理解し打ち立てるべきである。 周囲の人から自由にならなければならない。内面で自由になれば彼らから自由になる。 ときによってはうわべは腹を立てているように見せる必要があるかもしれない。 たとえばあなたは怒っているようなふりをしなければならないときがある。 片方の頬を打たれたらもう一方の頬を差し出さなければならないわけではない。 ときには相手が祖母を忘れるほどに応じることが必要である。 だが内的に配慮してはならない。 内的に自由であれば誰かがあなたの片方の頬を打てばもう一方の頬を差し出すことがときには起こるかもしれない。これは相手のタイプによる。場合によっては相手はそのような教訓を百年経っても忘れないであろう。 ときには反撃すべきであり別のときにはそうすべきではない。 自分を状況に適応させる必要がある。 しかし今はあなたは裏返しだからそうすることが出来ない。 内的連想を区別しなければならない。 そうすれば一つ一つの思考を分離し理解することが出来る。 そのためには理由を探り理由について考えることが必要である。 行動を選択することは人が内面の自由を得て初めて可能となる。 凡人は選択することが出来ず状況の批判的評価が出来ない。 このような人にあっては外面が内面である。 偏見を持たず一つ一つの行為をひとごとのように仕分けし分析することを学ぶ必要がある。 そうすれば公正であることが出来る。そのとき公正であることは後で公正であることより百倍も有益である。これには非常に多くが必要である。 偏見の無い態度は内的自由を得る基礎であり自由意志への一歩である。(p356〜p357) 以上すべて「グルジェフ・弟子たちに語る」めるくまーる社より
グルジェフの言葉はkとカブる点もあるけどたしかにいささか「ロシア的」だね。
俳優の窪塚洋介が飛び降り自殺計ったみたいだね。 一ヶ月ほど前、たまたま通りかかった代々木公園 の野外ステージで彼が歌っているのを見た。 彼は「全てのものはもともと一つだったんだ〜 ただ、それを思い出せばいいだけ」と何度も絶叫 していた。 あの一なる体験から二元分化のこの世界に引き戻された 彼の辛さいらだち、身を焦がされるほどにじれったい 彼の気持ちがビンビン伝わってきた。 意識の様々なレベルを体験する若い世代が増えてきて こんなジレンマ、葛藤に身を焦がしている人たちも 多くなってきているんだろうな、と思った。 窪塚くん、怪我たいしたことなければ良いんだけど・・・
一なる体験だとか主客一体性だとかその他諸々の「高い境地」への 執着ほど人を苦しめるものはないと思うね。 なまじ体験としてそれが刷り込まれていればなおさらのこと。 体験の深度が深ければ深いほど帰還した時の絶望感は激しい。 窪塚くんを見てて危なっかしいな、とは思ってたけど まわりにまともなアドバイザーがいなかったのかな。
842 :
名無しさん@3周年 :04/06/08 09:08 ID:QSOgry4U
>>840-841 窪塚洋介って、ただドラッグをやってただけでしょ?
高い境地なんていうものとは全然関係ないと思うよ。
>>842 ドラッグでも使う人間の資質と使い様によっては
かなり深い所まで行けちゃうみたい。
僕の友人もそれでかなりヒドイ目に逢っていた。
ダンテスはその場合ドラッグがソーマに成った、という様な
言い方をしていた。
窪塚君みたいな若い世代がああなるのは
結局オウム事件が世間にまともに理解されなかったことや
ヒッピー世代が下の世代に伝えるべきことを
伝えていないということと無関係じゃないと思うんだけど。
まあ世間には分かり易くて軽薄なものしか伝播しない傾向
があるからまともな言明には触れにくいというのは
あるけれども。
「高い境地」などと括弧付きで書いたのは
「高い境地」などという言葉自体が分離を含むように思うから。
とどのつまり体験として対象化され記憶になり
再現欲求に囚われて苦悩する。
そこに「世界を変える」などという思考が加われば
誇大妄想化して大変でしょう?
「高い境地」なぞクソだね、はは。
844 :
840 :04/06/08 20:41 ID:7F5xduXY
>>843 >ドラッグでも使う人間の資質と使い様によっては
かなり深い所まで行けちゃうみたい。
日本に最初にトランスパーソナル心理学を紹介したY氏
はカリフォルニア在住時代にLSDで深層世界へのダイブを
無数に経験し悟りを得た、とか言われていますね。
また、京都大学医学部の元教授・精神医学者のK先生も
LSD合法時代に10年近く自分自身を用いた実験を繰り返し、
精神科医というよりも教祖にでもなれるほどの深い洞察力と
サイキックをお持ちになることで有名ですね。
私はドラッグを肯定するわけではありませんし、違法なことを
するつもりもありませんが、こういった人間の本質的進化の
触媒となる可能性のある物質は合法的に研究されるべきもの
だと思います。
そういえば、1987年ごろ開かれた日本人間性心理学会では上述の
Y氏がゲストとして招かれていて人間性心理学会会長水島恵一教授
から「Yさんは今どのような境地を生きておられるのでしょうか?」
と質問されたことがありました。
Y氏いわく「無風の地平にヴェーダンタ哲学で言うような一条の風が
吹き渡った状態でしょうか」といった応答をされていました。
満場の心理学者たちの羨望のため息がフーッと吹き抜けた会場でした。
このスレの本題に合わない話題ばかりですみません。
昔、ヒッピーがアメリカで薬で悟ったとかのインスタント禅とか言われてたやつね。
吉福さんって今ハワイに住んでるんだっけ?
age
>はひょ丸さん 126では失礼いたしました。 私自身がいきなりやって来て暴言を吐くこと自体が感情の露出狂と言えます。 そこに他スレでのムカつきを同一人物かどうか間違っているかもしれないのに 吐き出してしまったということがないとは言えません。 軽々しく書き込んだレスがもし自分が付けられたなら非常に辛いものだと思いました。 はひょ丸さんがおっしゃるように批判すべきところがあれば そこを指摘し言いたいことを書くべきというのは 最低限そうあるべきだということと受け取りました。 掲示板を利用するに当たって普通のことがまるでできていなかったのが はひょ丸さんの怒りによって私自身が2chなれした鈍い心でようやく分かりました。 あらためてこのスレを最後まで読ませていただきましたが、 「主客一体についてまじめに取り組まれている、暴言など吐くべきではない」と思いました。 今更ですが本当に申し訳ありませんでした。 加えて、参考になるところもありましたのでありがとうございました。 (大変失礼いたしました) 追伸 2chのことではありませんし、全く関係ないかもしれませんが (はひょ丸さんがもしdさんと同一人物であったならとして書かせていただきます) Yahooの掲示板ニーチェについてですが、私はパ○チェさんと同一人物ではありません。
巡回 しております。 保守 担当の、天使のささやき と申します。 よろしく お見知りおきください。(ここで名刺を両手で持ち、差し出す) romさん 名無しさん コテハンさん 今日と言う日は、全宇宙時間の中で 2度と無い日です。 がんがって、カキコお願いします。m(___)m ☆彡(注) アプリで自動実行されてます。
850 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/07/03 10:29 ID:dIlZHLKC
いろんな掲示板に参加したりロムってたりして思うんだけど 驚くほどちょっとした事で皆傷ついたり反応したりする、ということ。 言われた事が事実かどうか洞察しない。 あまりにも自己イメージがでかいんだな。 日本人特有のナイーブさかな。 誰かさんの予言どうりまともな対話のない掲示板は 消え去りつつあるようだ。 栗山さんのスレも消えたし。 ここも例外ではない。 スレが消えようが続こうがどうでもいい。 探究心、情熱あるところ探求そのものは消え去らないのだから。
甘ったれたホモ野郎には虫酸が走ります。。。
852 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/07/06 16:48 ID:3VQ068fm
関係ないけど仲間由紀恵の体って異常なほどユルんでないかね? 前からTVでみるたびにあのゆるみ方にビックリしてたんだけど どうも彼女は舞踊を10数年習っていたらしい。 どうりでねえ。 体のゆるみって記憶や思考との非同一化性や解消度と 連動しているように思うのでうまいことゆるんでる人みると 目が離せなくなる。 oshoが庭を歩いてる写真があるんだけど 緩み方がすごくてもうサハスラーラのみに集合点があって そのあやつり人形としての肉体が歩いてる、という。 見ててほれぼれします。
853 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/07/06 21:20 ID:bTcTt3PP
瞑想者にとって精神的にナイーブになるのは避けられない事だと 思うんだけど他人の思考に過敏になる、というのは僕は死ぬほど 苦しい思いをしました。 いくら自分のゴミを処理しても外から入ってきちゃもとのもくあみだからね。 oshoはダルシャンの中で保護オーラを作るようあるサに指示している。 普通は自動的に形成されるようだがそうならない場合もあるらしい。 思うに瞑想がうまく進まずおかしくなる人の中には こういったことが原因である場合もあるかもしれない。 保護オーラの作り方 夜寝る前と起床時5分ずつ 身体から15センチ離れて保護しているオーラを想像する。 外側から何の緊張も何の想念も何の波動も入り込めないように 自分を守ってくれるとイメージしながら眠りにつき、 起きてからも行い日中もヒマのあるときはイメージする。 3ヶ月程続ける。
855 :
名無しさん@3周年 :04/07/17 20:35 ID:w+p4Ryyv
はよ円!元気か?仕事決まったか?ちゃんと生きてるか?
856 :
けちゃっぷ :04/07/18 00:57 ID:+2a2hHC0
僕は、主客一体って聞くと、主と客が同じ3次元の空間に同時に(たとえば光と影)存在してるように感じてしまいます。しかし、思考は念念の変化(1次元)のみではないでしょうか?
857 :
けちゃっぷ :04/07/18 01:09 ID:+2a2hHC0
主体(我)とは?思考1号を1号自身が主体として認識することはできない気がします。次の瞬間の思考2号が登場してはじめて1号を主とラベリングできる。しかしその時点で1号は2号にとって客対なので矛盾しますね。
858 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/07/20 15:28 ID:R6gJIKQJ
witnessingとawarenessの違いについてoshoは「瞑想 祝祭の芸術」
という本のなかで語っています。
前者は簡単に言えば2元性があり主客の分離がある。
後者においては2元性はなく主客が一つになっている。
856、857の言いたいことがよくわからないけれども
連想したのは上記のoshoの言葉。
awarenessというのがもっと体得されると細かいこと
言う必要がなくなると思いますけど。
やはり身体性と意識性の両方が必要だと思います。
>>855 生きとるよ。
859 :
けちゃっぷ :04/07/20 17:43 ID:eC6wZ1fN
たとえば、時計を見て「今6時1分2秒ですと言ってる」時はすでに1分3秒になってるわけで、2秒は「今」ではなく過去のことです。そのように、「これが私だ」と認識してる「これ」は、すでに私ではない。
860 :
けちゃっぷ :04/07/20 17:46 ID:eC6wZ1fN
瞬間ごとに意識は生まれ変わってるので、「これが私」という時点で新しい私が過去の私を認識してる。今の私が今の私を認識することは不可能。だから「私」という概念は実在しない錯覚でしかありません。
861 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/07/20 19:17 ID:EAecqcQr
けちゃっぷさんの言ってることはこのスレッドの古いレスにもありますよ。 ただ上記のような事を考えたり唱えたりして何か意識に変化は ありましたか? 「私」という概念が錯覚であると認識しても人は何も変わらないように 僕には思えます。
862 :
けちゃっぷ :04/07/21 01:33 ID:8KI37FPO
自我が錯覚ならば、自分の怒り等も客観的には正しくないことになります。他人にムカついた時にこのことを思い出せれば、一瞬ブレーキをかけられるのでは?
863 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :04/07/21 02:41 ID:+eYejO04
というかその認識が思考の片隅にあるぐらいでは大きな変化は起こらない ように思える。 だから方便としての空観、仮観、中観は否定しない。 これらの観想法はそういった認識を徹底させるものだから。 どのみち思考中枢だけの認識をトータルなものにさせる必要が あると思う。
>>860 過去の「私」を認識する今の「私」もないのではないだろうか。
ちゅうか「認識」もその対象もないよな。
866 :
けちゃっぷ :04/07/22 23:03 ID:IIiBI78t
有るのでもなく無いのでもない…では? 宇宙は1個の粒子からできているという説もあるそうです。その粒子が時空を超えて行き来し、一人何役も演じている。
>>866 うーむ一応今実際起こってる事に集中しよう。
兎に角俺は「私」はただの仮定だと言ったんだ。そして「認識」という言葉も、認識者と対象(主客)の
関係が仮定されていると言ったんだよ。
「私」とは関係性を意味する言葉なので、それを意識する事は主客の仮定という反応であり、
またそれが離れてはならないという反応を起こす。だから俺としては主客は一体になるのではなく、
それは元から一つの仮定、反応、運動なんだよな。
(デカルト曰く「私は考える。だから私は存在する。」最初に「私は」って言っちゃってるじゃんか。
マヌケなオッサンだよな。)
868 :
calm :04/07/24 12:26 ID:e0nJPAZW
>>859-
>>860 >瞬間ごとに意識は生まれ変わってるので、「これが私」という時点で新しい私が過去の私を認識してる。
>今の私が今の私を認識することは不可能。だから「私」という概念は実在しない錯覚でしかありません。
今の「私」を認識すると過去になるから「私」はいない。
のではなく
過去の連続性を想起して「私」と「あなた」を作り上げている。
今には「私」はいない。
>>867 >主客は一体になるのではなく、 それは元から一つの仮定
そ、
それは映画の投影装置、スクリーンの関係に似ている。
投影装置からスクリーンに映した連続性を見て、投影装置側を「私」として「私」と「他者」を分ける。
どちらも、投影装置から出てきたものだ。
>>861 意識にものすごい変化がありました!とはいかないかも知れない。
でもまず第一段階として、気づきを、その結果でなく、それそのものに興味を
持てる事だと思うんだけど、それもれっきとした意識の変容だよね。
それはkの本を(たとえ哲学的興味からや、何かの魂胆ありで)読んでいても、
いつかピンと来る所ではあると思うよ。人によって道は違うと思うけどね。
870 :
名無しさん@3周年 :04/07/27 13:14 ID:SCjxJC9J
みなさん難しいお話が大好きなご様子で砂。 主客一体とは実に簡単な話です。九九よりも簡単。 家を外から眺めている。これは主客分離です。家と自分で二つの存在があります。 家の中に入る。すると自分と家がひとつです。 これが主客一体です。たったこれだけのことです。 つまり家を外から眺めるという不可能なこと、これまで生まれてから一度もした事のないことをやっているかのように錯覚すること、妄想することをやめなさい。というだけのことです。 家の中にいれば雨風にさらされることはありません。交通事故に遭うこともありません。いろんな心配が激減します。 平穏が訪れます。いや平穏そのものになります。 家の外にいたという妄想が落ちると、家は他の家とつながっていたことに気付きます。 これがワンネス。セルフ、真我いろんな言いかたがあります。 これは実に当たり前のこと。しかし体験すれば実にすばらしいことが判ります。というかずっと体験しているのですがね。体験していないという錯覚を止めるだけのことですね。
test
873 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 06:10 ID:+A3EKSjM
この手の
>>870 文章は読み飽きてるよ。
はひょ゚!速く仕事せいよ。
874 :
名無しさん@3周年 :04/07/28 10:01 ID:zlQygZ+h
>>873 読み空き照るのにすまんかったな。 ところでオレ意外にはどこで読んだの?
>>870 何が錯覚で、何がそうではないのですか?
876 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 00:40 ID:Q/PyCon8
877 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 14:17 ID:Q/PyCon8
量子力学的に言うならば明在系で分離しているように見えても 闇財形では全て一体ということです。
>>876 それが錯覚だと気づくためには、どのようにつとめればよいですか?
879 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 22:24 ID:Q/PyCon8
家に入ることです
880 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 22:26 ID:Q/PyCon8
881 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 23:15 ID:uHr//8+G
>>877 天外伺朗さんね。
なかなか電気屋さんらしい空の解釈ですな。
でも、お釈迦様は量子力学しらなかったと思うぞ。たぶん・・
882 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 23:51 ID:Q/PyCon8
>>881 >でも、お釈迦様は量子力学しらなかったと思うぞ。たぶん・・
それは当たり前。
いろんな角度から説明をしただけだ。科学的にも説明がつくということ。
お釈迦様については誰も語っておらんぞ。
もともとクリシュナムルティ、EO、OSHOの話から来ているだろ。
883 :
けちゃっぷ :04/07/30 00:53 ID:U32Nj90D
主客一体だろうと相対してようと、念仏すれば往生できます。だいじょうぶ。僕は報われました。これからは、どんな重いお話も、笑って聞いてあげるから。僕がいるから。
884 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 07:48 ID:yGkn3IHQ
念仏とはどういうものですか? 往生とはどういう状態をいうのですか?
885 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 07:49 ID:q1Eh1DxD
886 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 09:53 ID:yGkn3IHQ
>>881 おまえバカすぎ。
何も理解できてないくせに知識だけひけらかしてさもわかったふりしてるな。
知識の中で蠢いている蛆虫みたいなやつだ。
くやしかったら何か自分の中で咀嚼できている解釈を示して見ろ。
887 :
けちゃっぷ :04/07/30 12:53 ID:U32Nj90D
884さん、興味がありましたら、南無阿弥陀仏のスレへ行かれてはいかがでしょうか。念仏は口で南無阿弥陀仏と称えるだけです。往生は、極楽へ生まれること。誰でも人生ハッピーエンドはたやすいのです。
888 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 13:38 ID:2F5IwJ/m
>>884 念仏=なむあみだぶつ 阿弥陀仏の名前を唱える 唱名念仏=他力=阿弥陀仏の救済を信じる 念仏は良くても、他を否定して念仏だけを取れという法然の邪見が入っている 題目=なん(なむ)みょうほうれんげきょう 唱題=お経の名前を唱える=人と法の一致(主客) これが最高の教えであり、他は邪法だという日蓮の思い上りで歪められた法 念僧?=なむだいしへんじょうこんごう 空海(遍照金剛)を崇拝 自力=行力による救われ 人(グル)に帰依する教えだが、死んだ人に帰依するのは亜流である
889 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 17:03 ID:yGkn3IHQ
>>887 >誰でも人生ハッピーエンドはたやすいのです。
ケチャップさんはもう人生がエンドになってしまった方なのですか?
890 :
けちゃっぷ :04/07/30 17:53 ID:U32Nj90D
>>889 さん、人生がエンドになったわけではありませんが、決着はついてます。あとはオマケの人生。楽しめるよう努力しますが、仮に失敗しても、臨終の往生極楽には支障ありません。
891 :
けちゃっぷ :04/07/30 17:58 ID:U32Nj90D
法然さんは、すでに念仏信者になった弟子等には念仏オンリーを説いてますが、他の信仰をしてる人にはそこまで言いません。自分は修業してもなかなか悟れないと自覚した人には、念仏しか道がないのでしょう。
892 :
けちゃっぷ :04/07/30 18:06 ID:U32Nj90D
念仏信者に「他の修業もしなさい」と言うと、「やはり念仏だけでは不十分なのか」と不安になってしまいます。法然さんは、経や論を引用して念仏選択を説いた『選択集』という本を、弟子以外には見せてません。
893 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 22:09 ID:lfYrtDkH
悪念を放出する放念教
894 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 23:20 ID:yGkn3IHQ
895 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 23:40 ID:itry3tdS
>>882 >いろんな角度から説明をしただけだ。科学的にも説明がつくということ。
まあ、電気屋さんでも満足できるならそれに越したことはないですな。
896 :
名無しさん@3周年 :04/07/30 23:40 ID:itry3tdS
897 :
けちゃっぷ :04/07/31 06:49 ID:6SwZmjDP
>>894 、人生の目的は念仏。例えば独身より結婚したほうが念仏できる人は、結婚したほうがいい。今の時点で自分の人生が合格かどうか、念仏してみたらわかります。念仏できるなら大丈夫、あなたはOKです。
898 :
名無しさん@3周年 :04/07/31 09:04 ID:maZp45LE
>>897 絶対他力に帰入しているね。大安心だよ。結構、結構
899 :
埼玉 :04/08/01 02:57 ID:q+iiAA4C
オレには念仏なんてチャンチャラおかしくて出来ねぇな。 それでもオレの人生OKで〜す!
何か、行やってるか?
901 :
けちゃっぷ :04/08/01 08:14 ID:nlRP0D4c
僕みたいに、世渡りも下手で仏道も下手くそな人間は、他力に頼るしかないんです。他力が必要じゃない人は、よほど人生がラッキーなのか、心が強くてトラブルにも平気か、どちらにしても、すばらしいですね。
主客一体 は、敷居高そうなので、身近でそれポイもので考えてみる。 主語が下記になったりする。(ビジネスでは多用) 我々、私たち、共に 共感表現が多い そうだねー。わかるよ。なるほどねー。 飲み屋などで酔っ払う(垣根が取れ具合がポイ) おー! あと、飲み屋にあってありそうな貼り紙の類。 WIN WIN 系の交渉 気持ちがよくなる感じで探せば、多くみつかりそう。 あとは、常に自分で生み出せるればベターかな。
903 :
埼玉 :04/08/02 01:02 ID:JaxDMn08
>>901 世渡りが下手なのはおれも同じだな。
世間に打たれてヒーヒー言ってるし。悲観にくれたり、
弱って泣きそうになるのもよくあることだ。(笑
でも、ギリギリのところではいつも誰かに助けられている。
そしてその誰かはすんばらしく魅力的な人達で、
しょーもないオレの生に明るさと彩りを持たせてくれる。
そのおかげで思わぬ力が発揮できたり、ピンチがピンチでなくなったりもする。
そんな素晴らしい出会いがおれの人生のいいところ。
>>900 処刑ライダーには言っても分かんないよ。
主客一体=他力本願
906 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 03:17 ID:7yj57/nI
>>870 さんの言ってる事は正しいよ。全くそのとおり。
ただそれは、「自分ていうのは、いま、ここの自分以外にない」っていう単純な意味で。
禅なんかが言うのは、もういっこ根本的な意味で、今、あなたの目の前にあるりんご
それ自身(りんごそのもの)があなたという意味だね。
ライプニッツやヘーゲルみたいな天才は思弁的にこのこと語ってるんだけど、
凡人には、りんごが自分自身なんて、どう転んでも考えられないから、瞑想や悟り体験で
理屈や観念ぬきで身体の芯から理解するしかない。梵我一如とはこの事。
梵我一如の体験後に、日常の意識(自意識)を若干これに近づける事はできるとおもうし、
幸福さとは間違いなくそういう性質のものだろうね。
主・客が一体しただの 主・客が一体することが大切だの言う香具師 何もわかってないね わかってないからそう言ったんだね ではさようなら
908 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 10:40 ID:Ediw36iQ
>>1 んな難しいことじゃない。
み〜〜んな一緒っつうことだよw
909 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 10:42 ID:Ediw36iQ
曼荼羅さ、マンダラ
910 :
けちゃっぷ :04/08/05 12:18 ID:QJFIynRc
いかなる不幸も他人のせいじゃないんですね。身内が殺されて悲しいのは、身内の死が原因でも、犯人のせいでもない。環境や他人を憎むのは、八つ当りにすぎません。
911 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 12:50 ID:gf6IXFlx
超潜在意識のレベルでは自分と他の人、物の区別がない、
一体ということかな?
他の幸福なしに自分だけの幸福を追求できない原因はここに
あるかも?
>>910 自分の好む環境、状態(例えば、恋愛関係、家族との関係)への
とらわれが強ければ強いほどそれを壊そうとする、壊した対象に
対する嫌悪が強くなります。
つまり自分の心地よい状態を崩されたことに対し悲しんだり、苦し
んだりしている。愛しているのは自分。
912 :
名無しさん@3周年 :04/08/05 13:31 ID:M6XwQ23H
主客一体だから、我と他人の区別がなくなるってわけじゃないよ。 むしろ、他人が我と異質だからこそ、他人の目を通じて我の本性が明らかにされる。 我にとっての我とは、単なる思い込み(主観)にすぎない。それを他人が正すことで 本当の我に近づいていく(客観)。 なぜ他人を愛せないかというと、他人が自分のあるがままの醜い姿を指摘して、 「我のとっての我」という自己満足に安住させてもらえないから。自分がかわいい 分、「見て!王様は裸だよ!」と他人から大声で言われたら、誰でも憎らしくなる だろう。 主客一体とは、ミソもクソも同じという意味ではなく、ミソはミソだから味噌汁 に入れる、クソはクソだから畑にまく、という具合にあるがままの性質をそのまま 受け入れるということだ。俺はクソは嫌だ、ミソになりたい、とわがままを言わず、 ミソをねたまず、クソの道を全うして恥ないのが主客一体。
913 :
けちゃっぷ :04/08/05 19:01 ID:QJFIynRc
今に集中すれば、複雑な仕事なんかありません。一瞬一瞬は単純に、1文字の文字を読んだり、手を数ミリ動かしたり。その積み重ねが、1冊の本を読んだり、文字を書いたりという結果になるだけ。
914 :
けちゃっぷ :04/08/05 19:07 ID:QJFIynRc
できること以外にできないのだから、今、できることだけやってれば、OKです。一瞬には、たった1つの動作のみです。入力か判断か出力。同時にできないのにできると勘違いして、同時にやろうと焦ってる。
915 :
名無しさん@3周年 :04/08/06 17:44 ID:hqUJ+fpx
スターピープル(ナチュラルスピリット刊)の最新号にアジズのインタビューが載ってるよ。
917 :
名無しさん@3周年 :04/08/11 19:13 ID:oYGGCobc
918 :
埼玉 :04/08/12 02:32 ID:szhrF6xO
>>910 >いかなる不幸も他人のせいじゃないんですね。
>身内が殺されて悲しいのは、身内の死が原因でも、犯人のせいでもない。
>環境や他人を憎むのは、八つ当りにすぎません。
シラッとひでぇこと言ってやがる。
念仏ってのは無責任なヘタレのマジナイだな。
919 :
名無しさん@3周年 :04/08/12 21:07 ID:GpP/ZRkc
>>918 菩提心なき「悟り」は魔境ですからね。
宗教やって、「五常」を失う位なら、最初からやめておいた方がいい。
生悟りで狐狸に身を落とすより、凡人のままの方がまだいい。
>>919 「五常」を失っているかいないかが分かるにはどうしたら良いだろう?
瞑想技術というものが思考(ここで言う思考とはkと同じく感情、感覚も含む)との完全な非同一化もしくは完全な一体化 だとして一般の人々の意識構造はどうなっているのだろう。 一番よくあるパターンは思考が快楽をもたらす時はそれに同化し 苦痛をもたらす時には非同一化する、というパターンだ。 自己憐憫な人なんかはこれの反対をやる。 快楽にも苦痛にも非同一化するとなればこれはヴィパサナに 近い状態だと思うが同時にこれは統合失調症のパターンでもある。
922 :
名無しさん@3周年 :04/08/23 04:15 ID:DPzo69uU
快楽は貪る主体と対象は分裂してないと発生しないんじゃないの? あと、統合失調症は外界にたいしては心的エネルギーが向かわないから確かに 淡々としていられるけど、内科医での過剰なエネルギーの流出はヴィヴィッド な世界を生み出しそれに絡めとられざるを得ない状況はヴィパッサナとは異なる。 ・・・で、死念も結局ダメだったみたいだし・・・。 どうする?どうする?どうする???
>快楽は貪る主体と対象は分裂してないと発生しないんじゃないの? うん、これはあくまでも一般の人の話だから。 >あと、統合失調症は外界にたいしては心的エネルギーが向かわないから確かに 淡々としていられるけど、内科医での過剰なエネルギーの流出はヴィヴィッド な世界を生み出しそれに絡めとられざるを得ない状況はヴィパッサナとは異なる。 ただヴィパサナも似たような状況を作り出すこともありますよ。 統合失調症ほどひどくはないにせよ。 >・・・で、死念も結局ダメだったみたいだし・・・。 これは意味がわからない。 一般の大多数の人の意識状態というのはいくらか思考に同化し いくらか思考に非同一化しているのだと思う。 でこれがどちらか片方に偏れば偏るほどエキセントリック になる。 そこを突っきるだけの覚悟が必要ですね。 まあ覚悟なんてもたずに通り抜けちゃう人も居るようですけど。
924 :
要はよ :04/08/23 07:19 ID:ZH84UfOc
日蓮でも念仏でも のめりこむと 無感情になるわな その状態が菩薩やん とりあえず一票入れて功徳 なぁむ
926 :
名無しさん@3周年 :04/08/23 15:18 ID:dtOl5anR
死念とは清浄道論にもかかれている初期仏教の素股瞑想の一つ。 思考感情妄想はそれを投影した特有の空間を作り出す。 (空間が出来たということは時間も誕生している) 死とはその空間的時間的投影の限界をなす概念で、思考はそれを 受け入れることが出来ない。 死を常に想い/念じることで思考の無駄な自己転回を封じることが出来る。 たとえば命があと三日しかないことが確実だとしたら、四日以降につなが る欲望や野心等の妄想に対して心的エネルギーを供給することが出来ない。 心的エネルギーが一定の割合で供給されていると仮定して投影できる空間が ごく限られた小さな空間しか持たないとしたら・・・・・・。 無駄にエネルギーを浪費しないことによって意識を極度に集中した高エネル ギーの状態に持っていくことが出来る。 この高い集中状態がヴィパッサナの前段階として必要だとする一派も存在する。 日常の意識でサティを入れたとしても単なる自動機械に過ぎんと・・・。 注射器の中の石綿のように燃えることが・・・・。
927 :
名無しさん@3周年 :04/08/23 15:32 ID:dtOl5anR
かきわすれた・・。ほとんど全ての素股瞑想には副作用が存在し、例えば死念 をやると、社会復帰/活動する気にはなれんだろうと思うので善い子はマネし ないように。
928 :
名無しさん@3周年 :04/08/23 15:55 ID:WqVg0c84
また追加。人は修行によってではなく人生において誰でも最低2回は 死念と同じ状態におかれる。一つは愛するものの死においてであり、 もう一つは・・・・w。
もう一つは自分の死? 最近は無明庵の起きている人の話シリーズが面白すぎ。 こういうこと書いてくれる人今まで全然いなかったんだよね。
>>929 おもろいね。しかし所詮自称パーの自己肯定の様なキモする。
「所詮自称パーの自己肯定」と言う位に断絶の激しい問題だと思うんだよね。 20代の頃はあそこで言われているような事はよく経験した。 探求者が一線をこえる際の障害というのが宇宙規模だというのは 確かかもしれない。
933 :
名無しさん@3周年 :04/09/05 17:36 ID:cwjGThhC
思考が二重性を生み出しその一方に執着する典型的な例だ。家の子に限って そんなことはありませんとか言うなよ。
例えば「みそ」と「くそ」は見かけは似てても異なるものでしょ。 その描写から是非を割り出すのは勝手だけれども そこに投影がない限りつまり事実が正確に観察されている限り問題はない。 「みそ」は「みそ」であり「くそ」は「くそ」です。 それを無選択だと言って「くそ」でみそ汁作る馬鹿はいないでしょ?
昔peter hammillという英国の歌手が、strenger stillという曲の最後に Stranger! Worldly man! Stranger! Worldly man! と絶叫を繰り返してた のを思い出す。 彼はたぶんその二つを叫んで無理矢理くっつけたかったのだが、結局それを 叫んでいるもう一人の彼を強く意識せざるを得なかった。そしてそのあからさまな 叫びから一歩引きながら聴いている俺自身がまたそこから分裂している事を 意識せざるを得ない。と言うのも計算済みの渋い歌だった。
936 :
名無しさん@3周年 :04/09/15 05:46:48 ID:8lG6F8cG
アジズが活動を停止したそうです。
937 :
名無しさん@3周年 :04/09/18 22:23:22 ID:++z501pH
それでイベントがキャンセルになったのか。活動停止してどんな活動するの?
938 :
名無しさん@3周年 :04/09/19 00:08:01 ID:8qJfZJ3N
939 :
栗花 馨.@国境無き聖監視員 :04/09/19 00:14:00 ID:yndxtnFI
主客一体 みんな またーり
940 :
名無しさん@3周年 :04/09/19 21:40:42 ID:cYo+kYyL
各社を生産できない理由は教えに問題があるのかな?システィマティックで は無いとか?
>栗花 馨 k アザーが… アザーが… k プロセスきた〜〜! に続く、おもろいネタはないですか?
316 名前:あはさんpasiru語 ◆FNpT2a5MGA [sage] 投稿日:04/09/27(月) 20:37:00 ID:bT02vi4u 犬に、仏性があるか? あるに決まってる。 だが、そこを、無、と言うらしい。 この公案以後の禅は、ここに尽きると言う。 しかし、飲み込めない。 犬に仏性があるとも、答えている。 これはまともだと思う。 然し前の、いぬに仏性が有るか、無。 がひっかかる。 空の理解は、している。 仏性のある、なし、には、かかわらない。 仏性は、あるに決まっている。 犬に仏性はあるか。無。 これは、受けと入れない。 犬に仏性は、あるか。空。 これだと、門の内側に入る。 無。 これに、迷う。 空では、無いのか、と。
943 :
名無しさん@3周年 :04/09/28 10:56:43 ID:c6AfKT8i
944 :
名無しさん@3周年 :04/09/28 11:02:23 ID:c6AfKT8i
栗花 馨って前は少しはおもろかったのに別人がなりすましてるのか
945 :
怒んパッチ :04/09/28 12:13:04 ID:XyNBGtKy
誰かが解釈した理論を信じるならあんたの「主体」なんざ いらん(なくては行為が成立しないが)わ! 事実しか見ないのなら言語など余分だろうが! 言葉の意味と実体に関して、理論でなしうるのは定義と解釈だけ。 理論ではないものは理論化できないもので捉えるべきでは? あるかどうかも証明できないそれがあるとして成立する意見だから 何とも言えないが、ね。
946 :
941 :04/10/04 01:06:48 ID:OGyl2MmP
なにか誤解をさせてしまったようでスマン 俺(941)は栗花じゃない。
947 :
はひょ丸 ◆xVxqW0FG7E :
04/10/21 20:45:59 ID:iS0Bx4rK 久しぶりに書いてみますわ。 kとの対話者の中で一番いい感じだったのがデヴィッド・ボームだけれど 結局彼も彼自身の個人的な問題(妻への依存、死に対する恐怖etc)を 解消できなかったらしい。 kの学校に対する疑念もあったようだ。 晩年に書いた「システムとしての思考」という本は 是非読んでみたいがハード・カバーの奴しかなくて1万超えるで 手が出んわ。