1 :
名無しさん@1周年 :
03/01/06 05:32
2 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 05:33
注:四次元の立場から見ても三次元球は平面ではありません。 円を三次元の立場から見てもあくまでも曲線に囲まれた図形であるように。
3 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 06:29
あまり深く考えるな。
4 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 06:41
娯楽本と割り切ってしまえば良い。
5 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 07:55
>注:四次元の立場から見ても三次元球は平面ではありません。 >円を三次元の立場から見てもあくまでも曲線に囲まれた図形であるように。 四次元以上の幾何学が分かっていないどころか、三次元の幾何学も 分かっていないみたいだね。 円は、三次元では、見る角度によっては、単なる線分に見える。 「あくまでも曲線に囲まれた図形」として見えるとは限らない。同様に 四次元でも、三次元の球は、見る角度によっては、平面の円に見える。
6 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 08:03
>>2 今、紙に円を描いて、その円を切り取って、その円を色んな
角度から見てみな。線(分)にしか見えない角度があるから。
7 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 08:50
王仁さんが言う「地は平らか」というのは、霊界での風景のことだと思うけど ね。天国と霊国の「太陽」の高度に関する記述がどこかにあったはず。そこで 「地は平らか」ということが述べられていたと思うけど(記憶違いならスマソ)。 霊界の「太陽」と対比させて、霊界の「地」を説いたんじゃないだろか。 それに、王仁さんが大いに啓発された神道家本田親徳の著作には、すでに地球 が丸いという説が紹介されている。それどころか、太陽の自転周期が25時間 だということまで検証されている。あの超人的な読書家の王仁さんが、これを 読み落としているはずがない。
高天原においては、大神様が日輪様と現はれ給ふところを東となし、これに対す るを西となし、それから高天原の右の方を南となし、左の方を北とするのです。 さうして天界の天人は、何れのところにその顔と体躯(からだ)とを転向すると も、みな日月(じつげつ)に向かってゐるのです。その日月に向かうたところを 東といふのです。(霊界物語、第47巻第20章) 霊界においては、どこに顔を向けても日月に向かうことになるので、日の出も 日没もない。つまり、「地球が丸い」と考えると説明がつかなくなります。
9 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 18:19
>今、紙に円を描いて、その円を切り取って、その円を色んな >角度から見てみな。線(分)にしか見えない角度があるから。 それ以外の角度では円に見えるだろ。 真円、楕円かは問わず。 君はある特定の見方だけで物を判断するのか? 球とて3次元世界でも一方向から見れば円だ。 でもそれをもって「これは球ではなく円だ」と主張するのか?
10 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 18:23
>霊界においては、どこに顔を向けても日月に向かうことになるので、日の出も >日没もない。つまり、「地球が丸い」と考えると説明がつかなくなります。 地球が「平坦」だと説明がつくのか? 理屈を聞こう。
11 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 18:48
>>9 >それ以外の角度では円に見えるだろ。
>真円、楕円かは問わず。
>君はある特定の見方だけで物を判断するのか?
ある角度と言ったが、二次元の円を、三次元目の軸に直角で見たら
そうなるのだが、それは二次元と三次元の違いがもっともはっきり
する視点となる。
>球とて3次元世界でも一方向から見れば円だ。
>でもそれをもって「これは球ではなく円だ」と主張するのか?
三次元の幾何学がまったく分かってないねえ。「球とて3次元世界でも
一方向から見れば円だ」ということはないよ。三次元の球は三次元では
どの方向から見ても真ん中が膨れあがっている球だ。
もっとも、片目しかない場合は立体視が出来なくて奥行きが見えない
から、二次元的な目となって円に見えるが。
三次元の球は、四次元では四次元目の軸に対しては厚みがゼロ。しか
し三次元の球は、三次元ではどの軸に対しても厚みがある。
君は言えば言うほど自分の無知をさらけ出していることにいい加減
気がついた方がいいと思うがね。こっちは、君に三次元の幾何学を教
えなくてはいけないので馬鹿らしくなってくる。
12 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 19:11
>三次元の球は三次元ではどの方向から見ても真ん中が膨れあがっている球だ。 たとえば太陽はどう見える? 煤をつけたガラスを使って見てごらん また陰の出来ないよう照明を当てられた球はどうだ?
13 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 19:14
また騙し絵みたいな手法で円を球らしく見せることもできるな。
14 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 19:20
>>12 さらに馬鹿らしいことを言い出したな。そんなことは三次元と
四次元での物の見え方の違いとはまったく関係ない。
15 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 19:24
>14 >三次元の球は三次元ではどの方向から見ても真ん中が膨れあがっている球だ。 君もこう言っているが? 4次元でも球と円は明確に区別されるだろ? もとを正せば高次元からみれば地球は平坦だとイタイ発言があったわけだが。
16 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 19:38
>>15 馬鹿らしいね。三次元の幾何学が分かっていない者に
四次元以上の幾何学を説明しても無意味だということが
よく分かったよ。これ以上説明を求めるなら、少なくとも
三次元の幾何学を勉強し直してからにして欲しい。
17 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 19:40
>16 君も本当にわかっているのかね? 4番目の次元軸て何?
18 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 19:44
>>17 次元軸はいくらでも取れる。三次元で終っている高校レベルの
幾何学ではなくて、大学レベルの幾何学を学んでいれば、こんな
質問はしないだろう。
19 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 19:44
3次元の見方では平面やら立体やらとなるが4次元では別の概念が加わる んじゃない?
20 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 19:45
>18 では何? 具体的にどうぞ。
>10 うむ。仮に地表面が平坦だったとしても、「何れのところにその顔と体 躯(からだ)とを転向するとも、みな日月(じつげつ)に向かってゐる」を 説明することはできない。 ただ、地球が球体の場合には、太陽の影になる部分(夜)が必ず存在 するはずから、ますます記述と合わなくなる。霊界での地球を平坦とし た方が矛盾が少ないと思われる。
球とは、ある点から等距離rにある点の集合を球面とするから、4次元の 球面を表わす式はこうなるね。 (x-x0)^2+(y-y0)^2+(z-z0)^2+(u-u0)^2=r^2 この球面と、4次元での平面u=u0の交線は、この式にu=u0を連立させて できる式 (x-x0)^2+(y-y0)^2+(z-z0)^2=r^2 だが、それは3次元での球 面と等しい。ところが、これは4次元での平面u=u0上の点の集合でもある わけだから、すべて4次元のある平面の上に乗っている。言い換えると、 3次元での球面は、4次元では平面の一部である。
23 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 20:39
で4次元軸て実際何?
24 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 21:08
>>23 >で4次元軸て実際何?
幾何学の多次元空間が分かっている者は、こんな質問はしない。
分かっていない者がこんな質問をする。分かれば、こんな質問は
無意味だということが分かるだろう。
霊界の消息に通ぜざる人士は、私の『霊界物語』を読んで、 子供だましのおとぎ話と笑はれるでせう。 ドンキホーテ式の滑稽な物語と嘲る方もありませう。 中には一篇の夢物語として顧みない方もあるでせう。 また偶意的教訓談と思ふ方もありませう。 しかし私は何と批判されてもよろしい。 要は一度でも読んでいただきまして、霊界の一部の消息を窺ひ、 神々の活動を幾分なりと了解して下されば、 それで私の口述の目的は達するのであります。
26 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 21:16
>>5 三次元でどの角度から見ても円はただの線分には見えませんよ?
もしかして縦の軸と直角の方向から見たら線分だとでも思ってるの?
縦の軸と直角の方向から見るということは二次元の立場から
円を眺めることだってことが分かって言ってる?
二次元の立場では言うまでもなく円は曲線に囲まれた図形です。
円が線分と感じられるのは奥行きの存在しない世界、即ち一次元の世界だけ。
27 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 21:23
スマソ、
>>26 の”縦の軸”ってのは”高さの軸”の間違いっス。
28 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 21:33
>>22 四次元におけるu=0の立場はすなわち三次元の立場だよ?
すなわち我々が見る球と同じ姿として球を眺めること。
もちろん平面ではない。
球が平面図形として円に見えるのは、
三次元の軸のうちの一つを完全に無視した状態に於いてだけ。
これは別に四次元の立場から見なくても三次元の立場でも出来ること。
例えば球に光を当てて逆方向に平らな板を置いてその影を眺めると
円に見えるよね?こういう作業をすると円に”見える”。
でもそれは元の図形ではなくてあくまでも立体である球を平面に投影した
写像に過ぎないんだよ。
29 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 21:37
>>11 >球とて3次元世界でも
>一方向から見れば円だ」ということはないよ。
これが分かってるのなら四次元の立場から四つ目の次元軸の座標が0の場合に
球は平面に見えないことは分かるはずだが・・・
ついでに言えば円を三次元目の軸と直角方向から眺めても
円は曲線に囲まれた図形だってことも分かるはずだが・・・
30 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 23:56
高度が上がれば太陽が近くなるので気温が上昇する(?) とかいうのも、四次元の視点の話なのでせうか。
四次元の立場から見れば三次元に於いては認識出来ない 空間の曲がりを認めることが出来る。 しかし、曲がりが平坦として見えるなどということはありません(w
32 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 02:58
>>28 >四次元におけるu=0の立場はすなわち三次元の立場だよ?
>すなわち我々が見る球と同じ姿として球を眺めること。
「三次元の立場」の「立場」って何だ?「立場」なんて言葉を使うのは、
まったく次元について分かっていないことの証明みたいなものだな。
22 で書かれている式では、u=u0 の場合は、四次元における三次元球で、
四次元から見た三次元球と、三次元から見た三次元球は、同じ姿とは見え
ないのだよ。
それは、二次元球(円)と三次元球が、二次元では同じ形に見えるが、
三次元では同じ形に見えないのと同じ。それとも、君には、三次元で円と
球が同じ形に見えるかね。
33 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 02:58
>>4 娯楽本としての「霊界物語」の価値を知りたい。
たとえば「マハーバーラタ」や「古事記」や「旧約聖書」は
それぞれの宗教に於ける”聖典”だけど、信者以外の人にも
楽しめる娯楽読み物になっていますよね?
わたしゃ、神話や宗教関係の文学が好きなの。
だから興味あるんですが、図書館にも置いてないし買うには高い。
つーわけでどうしようか迷ってるわけです。
34 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 03:04
>>33 >娯楽本としての「霊界物語」の価値を知りたい。
お笑いの本としても傑作。まあ、お笑いの好みにもよるが、
抱腹絶倒の滑稽諧謔本としても楽しめると思う。
35 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 03:04
>>32 馬鹿ですね。
三次元で見ようが二次元で見ようが四次元で見ようが
円は円だし球は球です。
あなたの「円を三次元軸と垂直に見れば線分になる」という
あまりにも荒唐無稽な説に対して「立場」という言葉を使って
懇切丁寧に説明してあげてるだけなのに・・・
三次元軸と垂直に見るということは一つの次元軸を無視して見るということです。
つまりは二次元住人なるものが存在すると仮定した場合に
その二次元住人と同じ視点で円を眺めるということです。
しかし残念ながら二次元の住人がいたとしても円は曲線で囲まれた図形であって、
線分には見えません。
線分になるのは円を切断した場合だけ。
同じく球は切断面は平面になるけど、どのような高次元から見てもあくまでも閉曲面です。
それが平面と感じられるのは高次元の視点ではなく、
二次元以下の低次元の視点に於いてのみです。
36 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 03:07
>四次元から見た三次元球と、三次元から見た三次元球は、同じ姿とは見え >ないのだよ。 同じ姿ですよ(w 円は三次元から見ても二次元から見ても同じ図形です(w
37 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 03:10
38 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 03:11
もちろん「見る」という行為は光学的な三次元の行為であって、 仮に平面世界の存在を考えたとしても厚みのない物体を 「見る」ことは不可能ですが、その辺りは四次元の場合でも同じなので 敢えて無視して考えます。
>>37 サンクス。
諧謔もいいけど、叙事詩的なロマンはあるの?
そういうのも楽しみたい。
神話文学を読む際の楽しみの一つですからね。
追加、次元の話はもうよろしい。 落ち着け双方共。
41 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 03:16
スサノオノミコトを主役とした一種の英雄譚では?
42 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 03:26
四次元とか三次元とかを出口王仁三郎が考えてるわけもなし。 不毛な言い争いすんな。 お釈迦様もキリスト様も地球が丸いことなんて知らなかったよ。 非信仰者から見ればそう考えるのが当然。 だが信仰者から見ればそう考えないのが当然。
43 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 03:53
天地の構造を図解したのであって、 我々の見ている次元軸とは展開が違うだけだ。 見方の違いだ。
44 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 04:38
王仁信者ウザイ。 非信者もいるんだからそれに合わせろや。
45 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 05:21
天動説云々は意図的に無視されてるのか? あと、火の雨が降るぞと信者を騙した所行も黙認か?
著作権切れてるんだったら誰かどこかにUPしろや
47 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 06:41
>>35 >>35 四次元がまったく分かってないね。二次元と三次元をごちゃ混ぜに
して四次元に当てはめても四次元は分からないね。
三次元球は、三次元ではピンポン玉にたとえれば表面の殻に囲まれて
内側と外側が分離されている。ところが、三次元球は、四次元では、
四次元目の軸に関しては内側を囲む表面を持たないから、内側と外側
が分離せず、その三次元球には内側というものが存在しない。そして
三次元ではピンポン玉の中に何か入っていればその殻を壊さないと中身は
取り出せないが、四次元では殻を壊さなくても中身を取り出せる。つまり、
三次元では殻によって全方向が閉じられているかに見える三次元球は、
四次元では殻によって閉じられず、内側が外に露出しているものとして
見える。
これ以上四次元の話をしても無駄だから、四次元について書くなら、
四次元について書かれた幾何学の入門書でも読んでからにして欲しい。
四次元では卵の殻を壊さずに中身が取り出せるといった話で説明して
あるから。
48 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 07:02
ところで、神界が4次元だという証拠でもあるのか? まずそれを出してくれ。>47
49 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 07:22
>>47 確かに四次元目の軸方向に対して開かれてはいるけど、
三次元空間上で曲面に囲まれてることに変わりはない。
君は三次元に於ける切断”面”を四次元から見た三次元空間に当てはめて
その切断”面”が平”面”だと考えてるみたいだが、それは明らかな間違い。
四次元空間に於いて四次元目の軸と直線方向に交わるのは
”面”ではなくて”空間”なの。
四次元図形は”面”ではなく”空間”で切断される。
球が曲”面”で囲まれた三次元図形であることは四次元でも五次元でも
ヒルベルト空間でも変わらない。
地上、即ち地球表面が”平坦”であるか否かはあくまでも三次元上での
問題であって、そこに四次元を持ち出しても曲面が平面に変わることはない。
それを三次元空間の切断平面に於ける曲線は平面に於いてだけ曲線であるわけでは
ないということで説明したんだけどね。
球面は四次元空間に於ける切断平”空間”上の曲面ではあるので、
別の切断空間上の座標と交わることは有り得ないという意味で、
四次元上では特殊な曲面ではあるけどね。
それは丁度三次元空間内に於いて平面上に収まる線とそうでない
線があるのと同じことだね。
というか君の文章は>35に対する反論として成り立ってない。
50 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 07:30
>>49 >というか君の文章は>35に対する反論として成り立ってない。
これはピンポン玉内部のものを壊さずに
取り出せても>35の内容の反駁にはならないってことです。
ピンポン玉云々に対しては「だからどうなの?」としか言い様がない。
51 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 07:33
>>49 >四次元空間に於いて四次元目の軸と直線方向に交わるのは
>”面”ではなくて”空間”なの。
スマソ、「直線方向」ではなく「直角方向」の間違いですた。
>>48 現在の最先端の理論物理学では宇宙は26次元であるという説が有力です。
無論、霊界について超弦理論が触れることなどありませんがね(w
53 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 07:52
>>48 >ところで、神界が4次元だという証拠でもあるのか?
>まずそれを出してくれ。>47
そもそも、三次元に住む人間が、三次元の概念を抽象化して
多次元に拡張した多次元空間論が、霊界に当てはまるとは考え
ないが、霊界のことを考える粗雑なモデルとしてはそこそこ
使える部分もあるだろうというだけの話。
54 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 07:57
それなら生半可な知識で四次元とか持ち出すよりも 「霊界から見れば平坦なんだよ」と言えばいいだけのことじゃん。 「知の欺瞞」って本を一度読んでみて。
>>49 せっかくレスをいただいたので、補足しますね。4次元空間での「平面」とは
どう定義するかという問題ですけど、例えばu=u0という「空間」上の任意の2点
A(x1,y1,z1,u0),B(x2,y2,z2,u0)を選んだとき、ベクトルABと、u軸方向の
単位ベクトルの内積が常にゼロであれば、ベクトルABはu方向に対して常に直交
するから、u=u0という空間は「平面」であると言えると思います。実際に内積
をとってみると、u=(0,0,0,1)だから、
内積(u,AB)=(x2-x1)*0+(y2-y1)*0+(z2-z1)*0+(u0-u0)*1=0
です。これは、どのようなA,Bの組み合わせにおいても成り立ちます。
だから、「空間」u=u0は4次元的な意味で「平面」と呼んでも差し支えないと
思います。
56 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 14:44
>>55 三次元空間を「四次元的な意味での平面」と呼ぶことに意味があるとは思えないけど・・・・
一般的な定義として平面とは二次元空間のことを指すし、
わざわざ「四次元に於ける平面は三次元空間である」などという新定義を作り出す必要はないと思います。
あとその説明に内積の計算を持ち出す必要もないと思います。
そもそも地球が平坦であるかどうかは二次元空間である地表が曲がっているかどうかの話なので、
「四次元に於ける平面は三次元空間である」という新定義を持ち出しても
「四次元から見れば地球は平坦に見える」という説の助けにはならないのでは?
57 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 14:56
>>55 でも確かに
>>22 ではあなたは「四次元的な意味での平面は三次元である」
という立場から説明をしていますね。
よく読みもせずに短絡的にそれを批判した
>>28 については謝ります。
58 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 15:45
「ここに在る物は他にも存するが、ここに無い物はどこにも存在しない」 という言葉がピッタリな書物ですな。
四次元・三次元の話は、これくらいにすれば・・・ 正直、信者同士の『霊界物語』研究の雑談的会話なら兎も角、 信者でもない人にそういう説明はいけないよ。 解釈になってるし、『霊界物語』が判るの? 霊界が判る?宇宙が判る?四次元?決め付け? 『霊界物語』の言葉を引用するなり、他の聖師様の資料を 引用するなりして、説明すべきでしょ? 他の事をどうして言えるのか?余り自分の言葉に置き換えないように しなければ、間違えた事を伝えかねない。
60 :
名無しさん@1周年 :03/01/08 07:56
とにかく高いし図書館にもなかなか置いてないので、 紹介されてた冒頭部分以外でももっとドラマティックな場面を 色々と読めるサイトとか紹介していただけませんか?
61 :
名無しさん@1周年 :03/01/09 00:24
さて、錦之宮が競売に掛けられたわけだが、 大本裏神業は、どの様な運命をたどるのか。
>>59 ここは別に大本の布教所じゃないわけだから、霊界物語にはこう書いてある、
それを自分はこう解釈する、という具合にソースを明らかにしさえすれば自由
に議論していいと思いますけどね。
霊界物語が外部批判に耐えられないような脆弱なものなら話は別ですが。私は
そうは思わないし、もしそう思ったら霊界物語の拝読など何年も続けませんよ。
そもそも、霊界物語は身魂相応にしか読めない、と王仁サンが言っている んだから、身魂相応に考えたことを書けばいいのですよ。 もちろん、自分の解釈の部分はちゃんとそう断って書くべきだけどね。
64 :
名無しさん@1周年 :03/01/09 13:40
聖書からトマスの『神学大全』が生まれたと思うと・・・ 宗教の聖典なんてものは後世の信者達が時代に合わせて内容を付与していくもんだわな。 ヒンドゥーでは宇宙創造神ブラフマン(ヴィシュヌ)は聖音「Ω」の神らしいが、 「ス」の神が原初の神であるっていうのは間接的にインドの影響受けてる? 空海も『吽字義』や『声字実相義』で「阿」と「吽」から世界が生まれたとか 言ってると聞いたことあるけど。 旧約聖書で最初に声があったこととかも含めて古今東西の宗教の 共通性が感じられて面白いね。
65 :
名無しさん@1周年 :03/01/09 17:07
そういえば霊界物語には神代文字が存在 してたと記されているらしいですね、 崇神天皇の時代に無くなったとか。
実は、四次元・三次元の話を楽しく読ませて頂いた一人なんですが、
我田引水的自論解釈を強行して、第三次大本事件を煽動した大本本部
の悪い事例を思えば、たとえ『霊界物語』の研究だからとはいえ、
ことわり書きのないまま議論ばかり先行させては、危険だと警告するのが
『霊界物語』という神示を大切に思う者の執るべき発言となるのも当然
というものではないですか。
そもそも
>>1 に書いてあって然るべきことわり書きがないこのスレで、
発言に注意する意味の意見を書き残しておく必要があると思ったのも事実。
アクセルとブレーキの関係でもある。ブレーキが無ければ暴走が待っている。
『霊界物語』の解釈の危険性を熟知している者同士の研究目的の議論で、
しかるべき立場をわきまえた、『霊界物語』の研究は
どんどんやってもらえば良いと思う。ただ初心者の多い2chなので、
十分考慮の必要なことは今後においても当然のことと思う。悪気はない。
>そもそも
>>1 に書いてあって然るべきことわり書きがないこのスレで、
ここは『霊界物語』に少しでも興味持った人が集うスレだと思ったので、
ことわり書きなんてものを入れなかっただけっス。
スレ立て人の私自身が大本の信者でも出口さんの崇拝者でもありませんから。
信仰の対象にしようとは全く考えていなくとも、
文学、娯楽としてのみ『霊界物語』に興味を持つのも、
近代宗教史の於ける一史料として『霊界物語』に興味を持つのも、
宗教学的、哲学的解釈の対象として『霊界物語』に興味を持つのも、
スレ住人の自由だと思ってます。
もし、ことわり書きを今から入れるとするならば、
「ここは荒らし、煽り以外には自由に開かれたスレであるので、
一方的な立場から他のスレ住人の参加態度に干渉するのはやめて下さい」
とでも入れときましょうか?
>>66 私自身も数年前にネット上で霊界物語の存在を知り、いつの間にかはまって
しまったひとりなんですが。私の「初心者時代の経験」から言えば、人が書い
たことを鵜呑みにするなんていう状態には程遠かった。ちょっと聖書をかじ
ったことがあったので、そういう教義をコピペした形跡なんかがひどく鼻に
ついてしまって。賛美歌など、キリストを瑞霊に置き換えただけじゃないか、
どこが違うんだ、というのが正直な感想でした。だけど、後でいろいろな問題
にぶつかった時に、最初に荒唐無稽だと思われた霊界物語の一節に深い真実が
隠されていることに気付いてハッとする。そういう経験の積み重ねによって、
疑惑が薄らいでいったのです。
最初に疑いがない人、ないし疑うことを知らない人は、どんなものでもその
堂奥に到達することはないと断言できる。なぜなら、疑うこと=真理を求める
ということだから。求めない者には、いつまで経っても与えられないでしょう。
66さんの心配はごもっともですが、他人の言う評判を鵜呑みにするような人は
いくら霊界物語を読もうとその本当の「ありがたさ」が判るはずがないのだ
から、一度、疑惑の泥沼の中で数年間のたうちまわってみる方がその人のため
になるかもしれない。
疑ふ事は総て神界に対して奉りて畏れ多き事なれども、蓋し事に由る也。 奇怪(あやし)き事柄と思ふ時は、譬へ神界の御事なりとも、何処までも 考へざる可らず。只神の言なりとて前後の区別も無く、直ちに信ずる時は 迷信に陥り、却って真正(まこと)の道を毀(そこな)ひ破る可し。 (裏の神諭、明治三十六年六月一日)
>>67 >ここは荒らし、煽り以外には自由に開かれたスレであるので、
>発言に注意する意味の意見を書き残しておく…
と、
>>66 に書き込みました。荒らしでも、煽りでもない「意見」です。
>近代宗教史の於ける一史料として…、宗教学的、哲学的解釈の対象として
こうした見方ができるのは、宗教学・哲学だけでなく、
教学全般に精通していないとできません。
「現代の錚々たる学者すらも、未だ神霊界の何たるを了解し得ない世情
だから、一般人が何ほど鯱鉾立ちになつたところで、
この神示の物語が批判されやうはずがない。」
『霊界物語』第五十三巻「序文」
>文学、娯楽としてのみ『霊界物語』に興味を持つのも
まっ、何にせよ、読んで頂ければ良いと思います。
ただ、文学作品ではなく神示であるという点を無視して、『霊界物語』を
身勝手に批評したところで、どれだけの意味があるでしょうか。
71 :
名無しさん@1周年 :03/01/11 04:06
>ただ、文学作品ではなく神示であるという点を無視して、『霊界物語』を >身勝手に批評したところで、どれだけの意味があるでしょうか。 神示とやらが如何に荒唐無稽か世間に知らしめ、騙される人を減らせる。 これ、重要。
72 :
名無しさん@1周年 :03/01/11 09:12
>>71 >神示とやらが如何に荒唐無稽か世間に知らしめ、騙される人を減らせる。
どうやって、「神示とやらが如何に荒唐無稽か」を認識したのかな。
霊界物語を読んだのかな?
73 :
名無しさん@1周年 :03/01/11 09:17
『瑞能神歌』を読むだけでも王仁三郎の神示が荒唐無稽とは言えない ということが判ると思うが。
74 :
名無しさん@1周年 :03/01/11 13:52
>72 スレよく読め。
「耳で見て、眼で聞き、鼻で物食うて、口で臭かねば神は判らぬ」 と聖師様は言われました。 疑惑の泥沼の中で数年間のたうちまわってみるというのも、 『霊界物語』の研究をするというのも、ようは同じことで それぞれに誠心誠意努力すれば判りかけるという事だと思います。 その本質を探究してやろうという思いが、必要なのです。 聖師様の著作を荒唐無稽と思うなら、その御教え真髄を 徹底的に探求すればよい。人に頼らず、自分の力で『霊界物語』や その他の著作物を読破し、内容を十分に吟味して、それから結論を 出せばいい。その過程を無視して、 いかに神の心を知ることができるだろうか。
76 :
名無しさん@1周年 :03/01/11 15:25
75は「耳で見て、眼で聞き、鼻で物食うて、口で臭かねば・・・」 をやっているのか?
77 :
名無しさん@1周年 :03/01/11 21:13
>>70 >こうした見方ができるのは、宗教学・哲学だけでなく、
>教学全般に精通していないとできません。
そりゃ何も知らずに解釈しろなんて言わないですよ(w
聖書も仏教経典も知識もなしに解釈するなんて不可能。
ていうか宗教書に限らず文学でも経済書でも何でも一緒です(w
そんな当たり前のことをわざわざ言ってどうするの?
>ただ、文学作品ではなく神示であるという点を無視して、『霊界物語』を
>身勝手に批評したところで、どれだけの意味があるでしょうか。
ホメロスも旧約聖書もマハーバーラタも信仰者にとっては宗教的作品です。
しかし、それを現代の人間が文学として楽しむことは自由です。
信者として教えを絶対化した立場から信仰を持たない人に
発言するのはやめて欲しい。
信仰者にとっては”神示”であっても、非信仰者にとっては
ただの書物です。そこんとこ宜しく。
78 :
名無しさん@1周年 :03/01/11 21:15
それと『霊界物語』で出口王仁三郎が語ったことを 立論の根拠とするのもやめてね。 出口さんの言葉は、信者にとっては問答無用の真実であっても、 他の人にとっては違うんだから。
79 :
名無しさん@1周年 :03/01/11 21:18
>>75 はっきり言って、大本信者以外は『霊界物語』から
神の心を知ろうとなんて思ってません。
なんでそんな簡単なことがわからないのですか?
80 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 00:10
>>79 >はっきり言って、大本信者以外は『霊界物語』から
>神の心を知ろうとなんて思ってません。
大本信者ではありませんけど『霊界物語』から神の心を知ろうと
思っていますが、何か?
81 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 00:23
無駄なこった。 広大無辺な神の心を知ることなどはできない ただ断片をかいま見ることができるのみ。
82 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 00:36
>>80 大本信者でないなら王仁三郎信者でしょう?
同じようなものじゃん(w
信仰心がなかれば特定の本から神の心を知ろうなんて思わんよ。
83 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 00:57
>>81 「神の心は凡夫の心 凡夫の心は神ごころ」
(『霊界物語』第15巻余白歌)
84 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 00:59
つか、神って何スか?
85 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 01:04
>83 なら「霊界物語」など必要なしってことだろ 凡夫そのままで神の心なんだからさ! つまり東洋版「指輪物語」なんだね。
86 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 01:59
なぜに「指輪物語」?
87 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 02:01
漏れも「霊界物語」を別に崇拝してるわけではないが、
妙な煽りがいるのはどうも気分悪いな。
>>77 の言葉で言えば、信仰者にとってはあくまでも神示なのだから、
それに対して外部の人間が云々する権利はなかろう。
88 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 03:09
外部の人間にとってはあくまでも神示じゃないのだから、 それに対して信者が云々する権利はなかろう。
89 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 03:18
>>88 神示と信じない者にとって神示ではないというのは正しいが、
『霊界物語』を読んでいないのに『霊界物語』はどうだこうだ
と決めつけるのはどうかと思うな。読まなければ『霊界物語』が
こういうものだと結論めいたことは言えないはずだから。
90 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 03:19
神示というのも意見
神示じゃないとするのも意見
それだけのこと
>>88 が人の意見を云々する権利はなかろう。
91 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 04:33
神示というのも意見
神示じゃないとするのも意見
それだけのこと
>>90 が人の意見を云々する権利はなかろう。
92 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 16:56
つーか、宗教に限らず、どのような物に対しても物の見方っていうのは 一つに限定されることは有り得ませんからね。 互いに互いの立場を尊重し合いましょうや。 「神示ではこうだ」と「神示って何だよ(藁」のやり合いじゃ いつまでも平行線を辿るだけです。 世の中、歩み寄りってもんが必要なのよ(w
93 :
名無しさん@1周年 :03/01/12 16:57
>>89 同意。読みもせずに馬鹿にするって態度は失礼ですよね。
94 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 05:37
科学者の苦労を知りもせずに莫迦にした王仁三郎は無礼者ですよね。
95 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 06:05
じゃあ王仁三郎は苦労してないのか?
96 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 06:55
>>94 >科学者の苦労を知りもせずに
王仁三郎は獣医を志して解剖に明け暮れた時期もあるし、科学者の
苦労を知りもせずというのは間違いでは?
97 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 11:12
上田喜三郎青年は牛乳屋さんで成功しましたが、 牛乳屋さんは聖師御推奨の職業なのか。 すると昨今の雪印のような食品事件は何を意味するのか。
98 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 17:40
当初は普通の牛乳屋でしたが 後に人造牛乳に転職しました 牛乳屋で成功したという 史実は確認されていません 聖師が制定した四大綱領に 「適宜の事務」 というのがあって 現代語に意訳すると 適性に応じた職業選択の自由 云う感じになるかと思われます
99 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 18:14
科学者を「阿呆だ」といったのは事実らしいな。
100 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 19:38
でもさ、王仁師より田中さんのほうが偉いと思うぞ。
101 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 21:39
>>100 田中さんって、ノーベル賞をもらった田中さんのこと?
偉いというのは、有名だという意味のつもりならそうだろう。
しかし、田中さんの場合は実験の失敗が発見につながった、
棚ボタで運が良かった人という気がするが。
102 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 23:20
>101 それこそ神の御わざの現われともいえないこともないと思うが 言霊で神風をふかせるより、よっぽど人々のためになる。
人のためになることがそのままいいことだと思う、その心、 その心こそ、外国の悪神に尻の毛まで抜かれた証拠じゃ。 情けなや、情けなや。
104 :
名無しさん@1周年 :03/01/14 01:11
>>103 丑寅金神を僭称することこそ、
「その心こそ、外国の悪神に尻の毛まで抜かれた証拠じゃ。
情けなや、情けなや。」
105 :
名無しさん@1周年 :03/01/14 08:44
>>98 >当初は普通の牛乳屋でしたが
>後に人造牛乳に転職しました
回顧歌の中で、子牛に飲ませる分まで売りに出したので、子牛がひょろひょろ
になっているのを見て涙した、という歌がありましたね。私はああいう王仁
さんのやさしさがたまらなく好きだ。雪印事件も、その後の狂牛病さわぎも、
気のせいかその裏に王仁さんのやさしさが重なる気がする。人間の分際で神事
を勝手に推測するのはいけませんが。
106 :
名無しさん@1周年 :03/01/14 15:12
歴史的人物として王仁三郎を見ると、 芸術に宗教に政治に軍事にと、その活動領域の広さに 驚くと共に、その全体像を捉えにくいカオス的な人間性を感じますね。 そういうところが面白いなぁ。 民俗学者の鎌田東二郎が、弘法大師空海と出口王仁三郎の共通性に 言及してたな、そういえば。
>106 いわゆる「大化物」ですよね。善人が覗けば善が映り、悪人が覗けば悪が映る。 霊界物語の第1巻に、ヨルダン川にかかる黄金の反橋が出てきて、その橋は 「一面には金色燦爛としてゐるから、おのおの自分の身魂が映って本性を現 はすやうになってゐる。それで中には非常な猛悪な悪魔が現はれて来ても渡 られないので、その橋を通らずに、橋の下の深い流れを泳いで彼岸(むかふぎ し)に着く悪神も沢山ある。」という代物で、ちょうど審神役の王仁さんに 対応しているのですね。 鏡には、対象がそのまま映るから、なかなか正体が見えてこない。これは王仁 さんだと思っていると、それは自分自身の心が映っていたりする。国常立大神 の御顔も、見る人によって慈悲深くも鬼のようにも見えると言いますが、これ と同じかもしれません。こういうわけで、「全体像を捉えにくいカオス的な 人間性」ということになるのでしょう。
ということは、漏れは出口王仁三郎が善そのものに 見えないから悪人ってことですか? 鬱だ・・・
109 :
名無しさん@1周年 :03/01/15 03:48
『霊界物語』第七巻「凡例」 要するに本巻の総説にもあります通り、 この霊界物語は人智をもつて解説することは到底できませぬから、 すべて文字のままを拝読し、身魂(みたま)相応に解釈すれば 結構だと思ひます。 身魂相応に解釈すれば、自ずと自分の本性が反映されるもの。 改心なくして、納得もまたないと思います。
110 :
名無しさん@1周年 :03/01/15 08:08
聖師ちゃまに文句が夷いたい方は 81巻総説「天地はえぬきの極元」くらい 読んでから逝ってね
>108 読み始めは私もそうでしたよ。三童子の言葉を借りれば、 「三国ケ岳に大蛇(をろち)がをるの、鬼婆がをるのと吐(ぬか)して、言向和 (ことむけやは)すの、征服するのとは何のことだい。鬼婆も大蛇も、鬼も悪魔 も、貴様の胸に割拠してゐるのを知らぬのか。鬼婆を言向和さうと思へば、貴 様たちの腹の中の鬼婆から先へ改心さして出て行きやがれ。大馬鹿者奴(め)。 ウーン」(第20巻第9章「童子教」) ということになるのでしょうね。ちょうど、世界を立て替えんと息巻いていた 大本幹部達が、大本事件で真っ先に立て替えられてしまったのと同じです。
112 :
名無しさん@1周年 :03/01/15 14:08
>>111 ま、おそらく漏れは一生王仁三郎信者になることはないと思うが・・・
ただ、歴史的人物としてのイメージが宗教的にはどう解釈されるか、
という意味で興味深かったです。
あ、
>>112 は悪意があっての発言ではありませんので・・・
114 :
名無しさん@1周年 :03/01/15 20:35
トリックスター 王仁三郎
115 :
名無しさん@1周年 :03/01/17 00:48
116 :
名無しさん@1周年 :03/01/18 02:05
今日、図書館でちょっと読んでみたよ。 結構面白そう。 新たな神話って感じで興味感じた。 文章も名文かどうかは文学的素養のない俺にはわからないけど、 割と読みやすいと思った。 宗教的感銘を受けるかどうかは最後まで読んでないからまだわからない。
117 :
名無しさん@1周年 :03/01/18 10:06
八幡の本はあいかわらず高いですか?
118 :
名無しさん@1周年 :03/01/18 21:14
目茶高いです
119 :
名無しさん@1周年 :03/01/18 21:35
鎌田 東二(カマタ トウジ) 1951年、徳島県生まれ。國學院大学文学部哲学科卒。武蔵丘短期大学助教授。 著書に『神界のフィールドワーク』『記号と言霊』(青弓社)、 『翁童論』『老いと死のフォークロア』(新曜社)、『場所の記憶』(岩波書店)他。
120 :
名無しさん@1周年 :03/01/19 02:46
電子ブックス版『霊界物語』は、3万円くらいだから 本にした場合の値段考えるとかなり安いな。 まあ平凡社の世界大百科事典が電子ブックスなら2万円程だから、 それに比べりゃ十分高いが。
121 :
名無しさん@1周年 :03/01/19 22:42
age
(^^)
123 :
名無しさん@1周年 :03/01/20 14:39
>>118 和さん(ご冥福をお祈りします)と洋ちゃんとこのビジネスを批判してはいけんよ。
少発行部数の書籍類は割高になるのです。でもCDROMは別かな―。
124 :
名無しさん@1周年 :03/01/21 17:01
それでも天声社、もとい地黙社発行の エセ界物語よりはずっとまし
125 :
名無しさん@1周年 :03/01/21 18:14
霊界物語、シークレット・ドクトリン、古事記大講、神秘学概論 個人的にこの辺は全部制覇したいと思ってたが、 霊界物語と神秘学概論しかまだ制覇出来てない。 「オカルト板に帰れ!!」なんて言わないでね(w
126 :
名無しさん@1周年 :03/01/22 09:10
>125 スウェデンボルグが一冊も入っていないのはいただけませんなあ。 それに、ブラバッキーは王仁三郎の在世期間と重なるけど、ああいう霊界の 大峠とも言うべき時期に出た霊能者を鵜呑みにするのは危険だと思います。 国常立大神の側も、盤古の側も死力を尽くして闘っていたわけだから、当然 盤古の息がかかった霊能者だっていたはずです。 ところで、福島久がブラバッキーと名乗る鬼から攻撃を受けた話はご存知で しょうか。
127 :
名無しさん@3周年 :03/01/22 09:33
>>125 若き同学へ
次の旅に立つ前に、以下について答えてみて下さい。(時間は無制限)
@『霊界物語』は3日で読め、と説かれていますが、この理由を霊的・体的・力的
各側面から述べて下さい。
A天使には181階級有る、と説かれていますが、この理由を述べて下さい。
B「北光開眼」において天使はどちら側の目を失ったか。その理由を述べて下さい。
決して煽りではありません。これからの進路の参考になると思います。
最後に大先達Pythagorasの言葉を送ります。
Hirundinem domi ne recipias.
>>125 回答は不要(おそらく煽られる)
『神秘学概論』はR.Steinerの西川隆範師訳のものですか?他の書ですか?
『シークレット・ドクトリン』を読まれる前に同じHPBの"Isis Unveiled”も。
129 :
名無しさん@3周年 :03/01/22 19:21
アホな神道家なんかは、同時代のブラバッキーに代表される西洋神秘学の復興と国常立大神 は同じく地に封じられていた神の蘇りであるとか・・・。極端になるとそれはルシファーで あり、ルシファーとは光の神であり何たら・・・。そんな単純なもんじゃないだろうと俺も 思うが。武田はんですら、似たような事書いてたもんな。盤古大神と日本の神の闘いっての はとても興味深いです。
130 :
名無しさん@3周年 :03/01/22 19:25
>>126 いえ、鵜呑みにしちゃいません。
何を鵜呑みにするかも決めかねてますし(w
>>127 漏れの手には余ります…
>129 国常立大神が魔王で、人間のワケミタマを栄養源にして生き永らえている と主張するトンデモ神道家がおりましたな。立て替えられる側の神の手先 に使われていることも知らんと...。 >盤古大神と日本の神の闘いってのはとても興味深いです。 盤古は盤古でも偽者(ウラル彦)ですけどね。
132 :
名無しさん@3周年 :03/01/22 19:55
何がトンデモで何がアホなのか、判定する基準が分からんよ〜
133 :
名無しさん@3周年 :03/01/22 20:33
「片目を失った天使」ってのはエジプトのホルス神を思い出すが・・・。あんまり 関係ないかな。
134 :
名無しさん@3周年 :03/01/22 22:00
もともと、魔王のワケミタマがどうとか言ってたのは初期の武田氏も影響受けていた 金井南龍氏だよね。トンデモ度が急激になったのは、その弟子の代あたりからのよう な気がする。スサノウはルシファーだからこれからはルシファーの時代だとか。それ こそ立て替えられる側の神の手先に使われてるだけだよな。
>134 おやおや、実名が出てしまいました(^^)。 ご存知かと思いますが、金井氏の教学は極右?的と言ってよいほどのエリート 主義で、高天原に上がれる人間はごくごくわずか、大部分は魔王の餌食になる としています。それどころか、定期的にエリートが出ないとこの世は滅ぼされ てしまうんだと。 これが、今の宗教の大部分を占めている「大中教」(霊界物語第6巻)の型に なっていると思います。つまり、偽盤古の教えです。門前市をなす宗教のほと んどが、絶対的権力を持つ教祖を担ぎ上げて、世界を救うのだと主張する。 その教祖を神のように崇めて、ご機嫌を取りつつ絶対服従すれば、めでたく 高天原へ行けるのだとして、嫌々、「剣の刃渡り」やら、「釘下駄の行」に 精を出している...。 どこの「大中教」も、教義の根本にあるものは同じです。
136 :
名無しさん@3周年 :03/01/23 17:02
>>132 宗教に於ける基準とは「何を信じるか」の一点に尽きるのです
137 :
名無しさん@3周年 :03/01/23 17:16
>>136 基準は、「何を信じるか」ではなくて、愛善が中心になっているか否か。
「高天原に上がれる人間はごくごくわずか、大部分は魔王の餌食になる
としています」 ← こんな考えのどこに愛善があるか?ということを
考えれば、偽物というのはすぐに判明する。ブラバッキーの考えも
中心に愛善なんてない。
138 :
名無しさん@3周年 :03/01/23 17:31
>>136 禿同! 『霊界物語』的に表現すれば、大神様の愛の善の熱と真の信の光に
包まれつつ、奇魂を働かせて理解・判断すること。
139 :
名無しさん@3周年 :03/01/23 17:47
なるほどなるほど。俺は南龍氏の「地に封じられた国津神を表に出す」ことと、王仁聖師の 再評価を早くからやってた事に関しては好感もあったんだけど、一方でその冷酷なまでの神 道理論にどうにも納得できないものがあったんだよね。中心に愛と善があるかどうかですね 確かに・・・。目からウロコが落ちるような思いですよ。このスレに来て良かったです。
いかん!真と信が逆だった―!
141 :
名無しさん@3周年 :03/01/23 17:57
愛善とやらが基準になるかどうかということ自体が 「何を信じているか?」で振り分けられると思うのだが・・・
142 :
名無しさん@3周年 :03/01/23 17:58
って、ただの横レスです。 136じゃないよ。
143 :
名無しさん@3周年 :03/01/24 21:27
南方熊楠がブラヴァツキーに対してかなり辛辣な評価を下してるそうですね。 熊楠と親好のあった真言宗僧侶土宜法竜が、西洋の神秘思想に興味を示していた時、 「今流行りのブラヴァツキーなどはただの寄せ集めだ」と言って、 参考にする価値もないし、読む必要はないと忠告したそうです。 ただ、熊楠はカバラの神秘思想については、 西洋に於ける密教のようなもので、一定の体系性を備えた思想であると、 ブラヴァツキーに比べれば幾分か肯定的な評価だったとか。
144 :
名無しさん@3周年 :03/01/24 23:17
ナチスの御用学者にも神智学系がけっこういたのもうなずけるよ。ブラバッキーの理論は 高尚なようでいて、結局は人種差別の体系だもんね。王仁さんとかみ合うはずが無い。 カバラに関しては、確かにもっと研究されてもいいですね。まあ例の日ユ同祖的なものが 絡んでくるとややこしくなってきそうだけど・・・。王仁さんは日ユの関係について何か 言及しておられたのでしょうか・・・?。
145 :
名無しさん@3周年 :03/01/25 05:55
八幡書店のCD「ONISAVULO」を聴く。 ナカナカイイ!
146 :
名無しさん@3周年 :03/01/25 07:31
>>130 霊国天人と想われる若き同学へ
基本は『霊界物語』の素読(音読)。一切の有形無形の書巻は参考書。
基本の行を反復継続する事により、何時の日か、大神様からの内流によって、
平易な文言の奥に隠されている、<あなない教秘密法門の扉が開かれる>と
教示されております。
147 :
名無しさん@3周年 :03/01/25 08:53
>>146 >あなない教秘密法門
「あなない教秘密法門」、そんな言葉を王仁三郎が言っているのかい?
148 :
名無しさん@1周年 :03/01/25 10:24
>>144 直弟子の
三浦一郎師の
著書を読んでナモ!
149 :
グリーンマン :03/01/26 02:16
>>143 王仁三郎の弟子の合気道開祖の植芝盛平さんが和歌山の田辺出身で
若いころ南方熊楠と親交があったとか。一緒に神社合祀反対運動
したという話がある。「わしはあの時、生まれてはじめて国事に奔走
しとるのじゃという欣快を味わったものじゃ。南方爺さんは偉いお方
じゃった」と植芝さんは語っている。
田辺では南方と植芝さんの活躍で反対運動は大変な成果をあげたよう。
和歌山だから真言宗が盛んで南方は密教を評価していたみたいだし、
植芝さんも若いころ真言宗の寺で学問を学んだようです。
王仁三郎によれば空海は厳の御霊だといっていますが真言宗と
王仁三郎とのつながりは興味ぶかいですね。
丸山貫長さんとか、大国美都雄先生が著書で紹介している山岡瑞円
さんとか。山岡瑞円和尚は昭和18年『皇道と密教』という本を出し
てますが戦時中で大本事件もあってか出口王仁三郎とか大本とかは
出てこないのに「皇道」ということでほとんど『霊界物語』の教え
を引用してますよ。その天皇に関する考え方などは戦前らしいです
けど。
150 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 06:10
熊楠は密教を評価していたというよりも、 実際に真言宗徒だったんじゃなかった? 勿論、熊楠らしく独創的な解釈を持っていて、 南方曼陀羅っていうのが有名ですよね。 しかし、王仁三郎といい熊楠といい、 近代日本には並外れてスケールの大きい人物が何人も現れていますねぇ。
151 :
グリーンマン :03/01/27 01:23
そうそう南方曼陀羅。明治15年に16歳のとき初めて両親と 弟とともに高野山に参拝したというからそうなんでしょうね。 でも僧侶の土宜法竜に「金粟王如来第三仏 南方熊楠より、 子分 法竜米虫殿へ」なんて書簡を送る真言宗徒なんて 熊楠以外いないでしょうね(笑 丹波という独特の風土が王仁三郎聖師を生んだように、 紀州熊野という特別な風土が熊楠や植芝さんのようなユニーク な人物を生んだんでしょうか。 南方曼陀羅はともかく(笑) 神社合祀反対運動はエコロジー運動 の先駆として高く評価されていますが『霊界物語』でも第一巻の 第十四章の「神界旅行の一」で、息を引き取った男が急転直下で地獄 の底に落ちていったのを見て不思議に思った王仁三郎が芙蓉仙人に 訊ねて、
152 :
151の続き :03/01/27 01:24
『一体地獄といふものには道は無いのでせうか』 とたづねてみた。仙人いふ。 『この者は前世においても、現世においても悪事をなし、 殊に氏神の社を毀(こぼ)つた大罪がある。それは旧い社 であるからといふて安価で買取り、金物は売り、材木は 焼き棄てたり、または薪(たきぎ)の代りに焚いたりした。 それから一週間も経たぬまに病床について、黒死病(ペスト) のごときものとなつた。それがため息を引取るとともに、 地が割れて奈落の底へ墜ち込んだのである。すなはちこれは 地獄の中でも一番罪が重いので、口から血を吐き泡を吹き、 虚空を掴(つか)んで悶え死に死んだのだ。しかもその肉体は 伝染の憂ひがあるといふので、上の役人がきて石油をかけ焼き 棄てられた』との答へである。 なんてありますね。当時の似非神主たちなどが進んでこの男の ようだったのに熊楠や植芝さんや白井光太郎などの小数の人たち のがんばりには頭が下がりますね。 神道学者の鎌田東二さんはあと何人もの熊楠のような存在がいればと、 それこそ嘆いていましたよ。
153 :
名無しさん@3周年 :03/01/27 01:45
南方熊楠は、王仁三郎と大本をボロクソに貶していたんじゃなかったかな。
154 :
グリーンマン :03/01/27 02:18
そりゃ中村古峡の『変態心理』にも寄稿したらしいから あのへんの情報を信じていたかもね。大本というより鎮守の森の 生態系や先祖伝来の信仰は尊んではいたけど神道の哲学そのものは 真言宗と比べて粗末なものと思っていたらしいけど。 「ボロクソに貶していた」というのは直接には知らないけどたしか 大本教以前の「大本」という言葉について論じていたような。
155 :
名無しさん@3周年 :03/01/27 09:56
まあ、熊楠の学問や思想の傾向からして、 型の国や言霊学の思想には賛同しそうにはありませんね。 ボロクソに貶しててもおかしくはない。
156 :
名無しさん@3周年 :03/02/01 15:20
霊界物語は大本信徒連合会の愛善世界社の方が いいのですか。天声社、八幡書店がありますが ・・・・
157 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 00:35
神様、最終的に全ての… 一切の魂は救われるのでしょうか?
158 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 00:54
文庫サイズで読みやすいという利点を考えたら愛善世界社版がお薦めだな。原文に忠実だし。まだ全巻刊行されてないけど。 八幡書店版は6巻分を1冊に纏めてあるが、百科事典級のデカさがやや難。今は一部品切れ状態のはずだが、将来コンパクトにした廉価版を全巻刊行する予定らしい。 天声社版は見たことないから、何も言えませぬ。
159 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 02:38
サイズを考えればCD-ROM版が一番か。 でも電子ブックスってちょっと抵抗あるのよね。 辞典とか調べる本ならいいんだけど、やっぱり読む本は パラパラとページを捲って読みたい。
158
>>159 >>どうも有り難うございました。
霊界物語読み終えるまで時間がかかりそう。
161 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 17:48
ほんとは神示とか御経やコーランて 腹から声出して音読するのがベストらしいが 人が周りにいないド田舎に住んでる椰子はいいが 都会に住んでる椰子はどーしてんだらう? やぱーり黙読派が多い?
162 :
名無しさん@3周年 :03/02/03 13:55
コーランは、アラビア語で書かれた芸術として見ても、最高峰だから、音読して 味わうのだと思います。今だにコーランを越えるものは出ていないとか。 お経の場合は、カトリックの典礼をラテン語でやるように、意味不明の呪文で 参加者をありがたがらせるためじゃないですか。お経の場合、ほとんどが釈迦 の没後にまとめられた教義を書いた「人造の書」で、そんなものを機械的に 唱えたって神通力が出るわけありません。
お経の音読そのものを何度やっても意味がないことは、白隠禅師の有名な 逸話からも示すことができます。 禅師は、小僧時代から毎日、法華経を読呪されてきたと言いますから、 回数にして何千回になるでしょうけど、四十二歳のある日、きりぎりす の声を聴きつつ読呪していて、忽然として法華経の深い妙理を悟り、 思わず声を挙げて泣いたと言います。 世に法華経の読呪を重ねる人は、何万人もいるでしょうけど、白隠禅師 と同じ深みにまで理解を進めた人は、暁天の星のごとく稀でしょう。 音読すれば、理解が深まるというわけでもありませんし。強いて言うな ら、「体で読み続ける」しか手がなさそうです。
164 :
名無しさん@3周年 :03/02/03 15:12
お経というか、真言はやっぱり基本的に音読するものなんじゃないですか? 密教だけでなく、ヒンドゥー教なんかでもやっぱりサンスクリットの発音ってのは 重要みたい。 インドの宗教っていうのは、言葉の力に対する信仰みたいのが強いし、 どこか言霊を重視する日本の古神道と通じるところがある気がする。 詳しくは知らないけど。
>>164 密教と修験神道は関係が深いとよく聞きますが、三密 (印をくみ、心に仏を念じ、真言を唱える)
というようにかなり重要視されている部分で
それと似たような感じで,何か言葉を声に出して発音するとき
例えば「あ」と発音しますよね。そのとき既に舌と口は(あ)という「型」
すなわち「あ」という印を組み(あ)表現しています。
「い」なら(い)の型から「い」という音が生まれますよね。
それと関係づけてもよいのかわかりませんが
例えば物語ならばその世界観に浸るにも その世界をイメージし口が型を現しそして 生きた音として発音が生まれる。
という考え方があるようで。まさに拝読は「体で読む」といった感じなのでしょうかね。
それにしても簡単に音読/拝読といってもその中には何か意味や理由が
あるようですし、また「3日で読む」とか霊界物語が「口述書」である事
>>166 「心の中に三を念じて、口に一をいふことは出来ない」という文も何かそれと関係があるような気もするのですが、どうなのかな
しかし そこまで考えなくてもごく自然に赤子心のような素直な気持ちになれば
いつの間にか自然と口から声が溢れてくるような気もしますし☆(よく気分が良いと鼻歌歌っている人とかいますよね)
それとは別に何か事情のある方は別に無理して声を出す必要も無いと思いますし、
拝読出来ない状態というのもある種、何かの因縁かもしれませんし
またそうやって拝読/音読する(場)を確保する為の努力というものももしかしたら
神様から与えられた修養の一つと思った方が前向きだと。。。思うのですけど。
満員電車の中で声を出して読んでいたら、周りが引いて 目の前の席が空いた
「これこそ音読/拝読の御利益だ」などチョット笑えませんが(>_<)
高姫を 恨む心が 闇の淵 笑い読むこそ 歩は進みけり
くされ(鎖)縁 禅で切るのも 全然(禅々)に 終着(執着益)駅はまだ見えずカナ
同根の 教えの兄弟なりなれば 共に手を取り 進むが神みち(満ち)
霊界物語四十七巻第九章 (ry・・・・愛悪とは、体主霊従といつて、自然界における自愛または世間愛をいふのである。 いま口述者が述ぶる世間愛とは、決して世の中の、いわゆる博愛や慈善的救済をいふのではない。おのれが種族を愛し、あるひは 郷里を愛し、国土を愛するために他を虐げ、あるいは亡ぼして、自己団体の安全を守る、偏狭的愛を指したのである。 それからまた信仰には、真と偽がある。真の信仰とは、心の底から神を理解し、神を愛し、神を信じ、かつ死後の生涯を固く信じて、 神の御子たる本分を尽くし、何事も神第一とするところの信仰である。 また偽りの信仰とは、いはゆる偽善者どものその善行を飾る武器として、 内心に悪を包蔵しながら、表面宗教を信じ神を礼拝し、あるひは宮司などに 寄付金をなし、その金額を石または立札にしるさしめて、自己の器量を誇るところの信仰である。あるひは商業上の便利のために、 あるひはわが処世上の都合のために、表面信仰を装ふ横着者の所為を称して、偽りの信仰といふのである。要するに、神仏を松魚節と して、自愛の道を遂行せむとする悪魔の所業をいふのである。かくのごとき信仰は、神に罪を重ね、自ら地獄の門扉を開く醜行である。 真の神は、愛善と信真の中にこそましませ、自愛や偽信の中にまします はずはない。かかる自愛や偽信の中に潜入する神は、いはゆる八岐の大蛇、悪狐、餓鬼、畜生の部類である。高天原の天国および霊国に あっては、人の言葉みなその心より出づるものであるから、その言ふところは思ふところであり、思ふところは、すなはち言ふところである。 心の中に三を念じて、口に一をいふことは出来ない。これが高天原の 規則である。いま天国といつたのは、日の国のことであり、霊国といった のは、月の国のことである。・・・・・・・・・(ry うーん身につまされるようです・・・ (¬¬; 神典の進展するも 時代より 驚天するも教典の教へ
福はーうち〜 鬼もーうち〜 遅れをとって ウィーッス ∧_∧∩ (´∀`*// ⊂二 / | ) / 口口/  ̄) ( <⌒<.< >/ 節分の 煎り豆 生豆撒く(蒔く)型 鬼(オニ)笑う やがて芽(目)が出る 花(鼻)が咲く
168 :
名無しさん@3周年 :03/02/03 22:05
・・・可愛い。
>>164 真言のサンスクリットの意味を知れば、そんな子供騙しなど吹き飛んでしまう
でしょう。たとえば、最も有名な光明真言は、
「オーン 不空なるものよ、毘盧遮那よ、大印あるものよ、摩尼と蓮華
よ、光明を放ちたまえ、フーン」
で、「ほとけの智慧の光明を我らにお与え下さい」位の意味です。これを日本
語で何度唱えても、そんなにありがたい気持ちにならないから、箔つけに訳の
わからないサンスクリット読みにするのです。「自宅勤務」を「SOHO」と言い
換えると、確かに「コスモポリタン」(都会人)になったように錯覚するで
しょうけど、百万遍「南無SOHO大菩薩」と唱えても、それだけでは成功しない
でしょう。一番大切なことは、「SOHO」という言葉の魔力に対する迷信を払拭
して、「SOHO」の中味を見据えることです。
霊界物語の第63巻第4章では、ベルが陀羅尼品を唱える場面が出てきます。 この経文は、自分という存在は実態がないものだから、嘆き悲しむ こともなく、病気や災害に会うこともない、というような意味ですが、 もし「我」という存在に実態がないのなら、泥棒をしてまで「我」に 利益を願い、身の無事を祈る必要もありません。ベルの行動は矛盾して います。 真言が現世利益を得るために使われる時にも、同じような茶番がくり 広げられます。加護を求める先は諸仏ですが、どの仏も「我」を乗り越 えていて、いくら喉から血を吐いて真言を唱えたとしても、おいそれと エコヒイキに応じてくれそうにありません。むしろ、現世利益を叶えな い方がその人の我欲の消滅に役立つと見て、見殺しにするだけでしょう。 「我」にとらわれて、「無我」を百万遍、しかも本格的にサンスクリット で唱えても、仏には届きません。実際のところ、こういう唱え方がされ ているケースの方が多いと思います。
>>165-166 気に入った文章が、ひとりでに口をついて出る、という感じなら結構だと
思います。音読の方が、黙読よりもよい、ということは、聖師自らが
はっきりおっしゃっているのだから、疑問の余地はないと思います。ただ、
音読することが「媚び」になることを私は恐れます。神様へのご機嫌
取りの音読になるのなら、それはやめた方がいいと思う。
>商業上の便利のために、あるひはわが処世上の都合のために、表面信仰
>を装ふ横着者の所為を称して、偽りの信仰といふのである。要するに、
>神仏を松魚節として、自愛の道を遂行せむとする悪魔の所業をいふの
>である。
音読することで、有形無形の「ご利益」を期待してこれを行なう限り、
「自愛の道を遂行する」ことにつながっていると思います。聖書には、
汝の神の名をみだりに唱えるな、祈るときは閉じこもって一人きりで祈れ、
とあります。神の名を唱えたり、人前で祈ったりする表面的なことが
信仰の本質ではないからです。音読もまた、下手をするとこれと同じ
ような「自愛の業」に陥ってしまうと思います。
172 :
名無しさん@3周年 :03/02/04 16:58
真言は元来サンスクリット語圏で作られたもので、 別に日本人のための拍付けでも何でもないわけだが・・・ 「内容をこそ重視する」という立場に立つならば、 王仁三郎の「黙読よりも音読」という教え自体を疑うのが筋でしょ。 そもそも「内容ではなく言葉そのものに力が宿る」という”信仰”に対して 「内容がないよう〜」という反論は成り立ちませんぜ? 別に真言なんて信じちゃいないが、あなたの文章読んでると 「何様ですか?」と言いたくなってくるな。
>>171 「聖師自らがはっきりおっしゃっているのだから、疑問の余地はないと思います」と言いながら
音読が媚びになるとから恐れるとか、チョット理解に苦しみますが、、それにそういう変な理屈も
「自己愛」なのではないですか?
とにかく神様への媚びだ、ご機嫌取りだなどくどくど余計な事は考えずとも
(むしろ
>>171 さんが何故そんな事を考え心配しているのかの方が引っかかりますが)
最初は黙読でも音読でも、どんどん物語に親しむべきではないでしょうか。
そうすれば媚びるだ、ご機嫌取りだという発想そのものが生まれてはこないとは思いますし、
何が縁なのかは、わかりませんが最初は御利益目的でも 親しみ真剣に拝読しているうちに
真の主神がいずれ誠の道にそれぞれ導いてくれるのではないでしょうか。
(だいたい
>>171 さんは随分と御利益というものにこだわっているようですが、御利益とはいったい何を期待してるのか?それもよく判らないのですが・・・)
あなたは何故疑問の余地の無い所に、禅だキリスト教だなどわざわざ疑問を挟むのですか?
申し訳ないのですが もしかして拝読されていない事に対して
>>171 さんの
何か後ろめたさからそのような事をおっしゃられているような
気もするのですが・・・・???
そんな事で別に優劣の問題や選民的な発想をする必要など無いと思いますが。
心配だ不安と 勝手に思い込み 周りを引き込む業を消しなむ
ご利益を 避けて 御利益願うのも 虚偽の狭間の自愛の心
ご機嫌だ 媚びだと 浮かぶその元に 教への光照らす 慈愛
それよりもどうすれば 音読/拝読できる(場)をつくるかを皆で智恵を絞った方が修養にもなり
どれだけ発展的で有益かと思いますけれど。
>>171 キリスト教にかかわらず祈るときに一人きりで祈るのも、大勢で祈るのも 時と場合によるのでしょうしまた
いろいろな理由もあるでしょう。何故一方的に物事を偏って見るのでしょう? (心一つ)だと思いますよ。
また神の名とおっしゃいますが神の働きを理解し名を正確に発声出来る方が簡単におられますか?(w
また神の真の名を正確に唱える事自体が不信仰者にはどだい無理な話ではないかと思いますし
たとえば同じ言葉でもその言葉を発する者の (心の内にある その想い )により
違ったものになりますよね。「アホっ!」と心の中に凶器を潜ませればそれは聞く人を傷つける
凶器ともなりえますし、「アホやなぁ〜」と親しみを込めれば愛情と親しみで相手を暖かく包む言葉になるでしょう。
>>168 さんがAAを見て「可愛い」と思ったとき既にその心が天にあるのと同様ですよね。
美しい 可愛いと思うその御魂 心すでに天界にあがれり
音読する人は当然黙読もしているでしょうし、黙読しか出来ないという
状況にはそれなりの理由がある事でしょうし・・・
たとえば「霊に聞かせるように」拝読する感情や行為が既に他者に対する有形無形の慈愛のようなものだと思いますが。
また読んでいるうちに物語を通し、そういう慈愛や他者への思いやりの心も自然に培われるものではないのですか?
とまぁ口うるさく 万公さん、みたいにまくし立てるのあと5倍ぐらい書き込みが増えそうなのでとりあえずこの辺で。。と
ところで
>>171 さんは随分ネガティブというか批判的内容や決め付けるような断定形な発言が多いようですが(たまたまなのかな?)
それはさておき
で?
どうすれば 音読/拝読できる(場)をつくれると思いますか?
雪どけの とけるこおりの すがしさに ながれる清水 こころをうるわす
171 とまあぁわたしもちょっと言い過ぎた感じもするので・・・・スマソm(__)m
176 :
名無しさん@3周年 :03/02/04 19:19
実際のところ、アトムのオサーン以外に黙読派の人ってどのくらいいるのかな? 他の本ならいざしらず、霊界物語を音読しないっつーのは単純にもったいない ってゆーか、王仁三郎・言霊学のことを否定してることに繋がんないか? ちゃんと天祥地瑞まで読んだ? もちろん漏れは音読してるよ。読める状況を一生懸命つくってさ。 とはいえオサーンの他宗に対する薀蓄は、参考になるときもある。ときどき。
ありがたい祝詞ですら、唱える人の心によっては、世界を汚す元になる、とは、 第1巻にも明示されている通りです。 霊界物語の音読も同じじゃありませんか? それとも、霊界物語だけは例外なの でしょうか。霊を磨くことによって、最終的に言霊を使いこなせるようになる ということと、誰でも音読すれば言霊が働くと信じることは別問題です。 また、英訳したり、エスペラント訳した霊界物語を音読したら、その効果は どうなるのですか? 霊界物語には、スウェデンボルグや、本田親徳や、仏典からかなり逐語的に 引用されている部分があります。そういう部分にも言霊的な力があるとお考え でしょうか? あるいは、土人の言葉「エッポッポー」まで、言霊が発現して いるとでも?
霊界物語の音読によって、言霊の力で救われる、と信じる人は、恐らく 「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」と唱えることでも救われるので しょうね。 ある意味、うらやましい(^^)。これは、皮肉じゃなくて本心からそう思う。
>>177 さん
「第1巻にも明示されている通りです」という部分も、
黙読でも音読でも(その心のありかた)一つで濁りも清くなるという戒め的に語られている要素が大きいとは感じますが。また、それをもってして音読が意味ないとかいけないという発想はおかしくありませんか
そのあたりは大切なところでしょうが、それゆえ心を清め落ち着かせる事が必要と言われるのですよね。
霊界物語を読む事自体が鎮魂にもなるといわれているように。また物語りを構築する そのリズムというものも 音読により、よりリアルに実感できるのではないでしょうか。
たとえば英会話にしろ外国語を学ぶにしろその文章を黙読していても ヒアリングやリーディングが上達しませんよね^^
音楽などに於いても楽譜や 歌詞だけを見てその音楽や歌を楽しむ事は出来ないでしょうし
やはり黙読よりも音読がbetterだと思うのですが でもあまり強調しすぎて何故か戒律的にとられるのもなんなので 否定する方に勧めるのもこれぐらいにしたいと思います^^
とりあず「疑う女に釈迦が寝たふりして横チン見せた」などというお経を懸命に唱えるのも
どうなのか疑問ですが物語を読んでいる方にしては、ある意味教訓話ともとれるわけですね。。^^
まぁそれがどんなものであれ、宗教的教義やそれに係わるものものは(実際宗教だけではないでしょうが)
なにか理由やそれぞれ各自の人の因縁的なものもあるようですから頭から決め付けない方がよろしいと思いますよ^^
おいくつの方かはしりませんが(お若い方かと思ってましたが(>_<))年の功より亀甲・・・ではなく亀の功ですか?
打たれ強いのか何にしろ凹まないで元気そうで良かったですね^^
わたしは子供とお年を召した方には優しいので(笑)
最近は2chもなかなかそういった年配の方とお話する機会も少ないようなので嬉しく感じます(^^ゞ
晴天の 空を飛び交う 鳥の声 神の恵みはここにもありし
「初めに言葉ありき」なのか「言葉は道」か「神」なのかそのあたりはどうなのかさておき その土地や風土が文化が言葉を生んだり、住む人やその使う言葉がその土地や環境に影響を与えている所を 見ると その民族や地域の人達が使う言葉も大雑把な解釈の上では言霊の働きと呼べるのではないでしょうか。 霊界物語を見ると神々や土着民が「ウロー ウロー」と喜びなのかおもしろい叫び方をしますよね。 そういう事からも「エッポッポー」などその使う地域や民族があるのでしたら、その地域や文化と関係のある 言霊の働きを含んでいると思いますが^^ いかかでしょう。 太古の言葉(原始的言語/あるいは野蛮な言葉/)といわれるものにはあるいは荒ぶるエネルギーというものが 含まれていたのかも知れませんが(w それゆえに当時の権力者や為政者により言葉狩りが行われたり いろいろな事情で次第に忘れ去られてしまったのかも知れませんが・・・!!!。・゚・(ノへ`)・゚・ エスペラントや各国の翻訳についてはどうなのでしょうねぇ(笑) 出口王仁三郎が何か当時の資料を残し其れを元に翻訳するのかな?まぁ言葉の壁もさることながら気になるのは 文化風習など違う人達にうまくユーモアが伝わるのか(神のユーモアも万国共通でしょうからその辺は心配する必要もないのでしょうけど( (w むしろ屁とか小便茶などそんなユーモアこそが万国共通の言語なのかなもしれませんが) 万国の 端まで届くわらい声 しろしめはたすは 十曜の神旗
>>177 さんがとらえる言霊という意味や その働きをいかように考え憧れをいだいているのかは知りませんが
人間同士の会話というものも言霊のキャッチボール見たいなものですよね。それによってお互いに影響を与え合ったり人を動かしたり。
またその人の声(トーン・声の質)を聞くだけでも今その人が何を考えどういう感情なのかも察する事も私たちの日常ではよくある事でしょうし
また極端な話、専門的な方などは声だけでその人の健康状態やあるいは発声器官の形からその対象の身体的特徴までも掴む事でしょうし。
話は飛びますが
北極圏に近い地域に住むエヌイットの一部にはお互いが向き合いながら歌を唄い相手の口の中に反響させるという不思議な風習があるらしく 歌や唄などリズムやその震動というのはやはり出口王仁三郎の提唱する(大宇宙の音)や
全てに流れるリズムなどにも関連しているようで興味深いところです。また見渡せば自然界の動物などはコミュニケーション以外にもいまだに現代人がわすれてしまったような
言霊的な働きの一部を平気で活用しているような気もすします。鯨やイルカなど海に住む哺乳動物の中には特定のリズムの歌(何故か唄?)
を歌い、その震動で固体識別をしたり、レントゲン並に内部をスキャンしてしまうのではともいわれ、同時に仲間を癒したり、魚を獲るために利用したりしているのも自然界の不思議です(人間から見た場合ですが)
もちろん水中という音(震動)を伝え易い陸上とは違った環境条件も関係有るのかも知れませんね。
太古の人々は自然と会話し、言葉により天地をゆり動かしていたと語り継がれていたようですがもしかしたら私たちが住んでいる現在よりも太古の環境の方が海など(母なる海というだけに)とかに近かったのかな(笑)
と読んでいる人が本気にされても困るので冒険野郎椎名誠さんばりのENJOY探検妄想話もおひらきにしておきましょう(w
波の音 海辺の砂浜 潮の声 輝く月道 みなもに開く
それと古来からいわれる言霊の働きや 言語や学問的なものとをごっちゃにして考察するのもクレームがつきそうなので
ついでこの辺にしておくとして、実際学問の王様か、女王様か知りませんがこれから先将来に於いてこういった分野もどんどん研究され解明されて行く事でしょうし、またそう有って欲しいと感じるところです。
くだらない事のようなものの中に重要なものが潜み、各地に伝わる民話や童謡などの中に貴重な教訓や神の教えなどがそれとなく含まれていると出口王仁三郎も指摘しているように
言霊や真言にしても文化や古いものをむやみに排除せず大切にしそういったものに敬意を払う事こそが本当の文明の進歩と発展となっていくのですかね。。。。
ちなみに言霊解の中で古事記に関して独特の解釈などありますよね。初めて読んだときは全く訳がわからなかったのですが最近ようやく:*:・( ̄∀ ̄ )。・:* こういうささいな悦びこそが神様の贈られる最大の報酬なのかな。と
もろもろの 迷信 因縁立て替えつ ケタリケタリの甘き神代
>>178 本心からそう思えるということはまたあなたもそれで救われているという事でしょうか?ミ☆
それにしても霊界物語の音読と「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」を唱える事と
何故無理やり関係つけるのですか? 其れによっての救いというものも それぞれどのように同一視されておられるのでしょう^^
本心からそう思えるという事はとても凄いと思いますのでお聞かせ願えませんか?
もちろん皮肉ですよ(^^ゞ
ここにあると ゆれる草木言葉聞く さす指見ず(瑞)に 月をながむる
でも中々ユニークな発想なので178さんの主張はともかく着目点などは いろいろ勉強になるかもしれませんね。 こちらはもちろん皮肉ではないですよ^^ 意を得たと 掴む真理は 月の影 水面映る月ではすくえず
>>182 わかりやすく説明すると、大国治立尊=ミロクの大神=天御中主神=阿弥陀如来
=ゴッド=天帝...という関係があるのだから(第6巻第1章)、「どの神様」を
崇拝するか、という問題はナンセンスです。「南無阿弥陀仏」とは、「南無
ミロクの大神」と同じことになるからです。
神様は公平無私だから、祝詞を唱えようと、念仏を唱えようと、唱え方にかか
わらず、人間の声を聞いて下さるはずだと思います。逆にいえば、たとえ上等
な唱え方であろうとも、唱える側の心がけが悪ければ、神様の心障りになるで
しょう。霊界物語の音読ならば耳を傾けるが、念仏は一切無視する、というの
ならそんなエコヒイキな神など本物であるわけがないと私は思う。
どんな悪人でも、改心すれば神の御子だ、という教えの裏は、どんな善人にも
特権が許されないということです。玉照彦をめぐる興亡で、三五教側が叱責を
受ける場面がありますね。いくら「正しい神」に対して「正しい祝詞」で祈る
人でも、少しでも「誠」に曇りがあれば、容赦なく叱責が来る。日ごろのよし
みで大目に見てくれるような神様じゃありませんよ(^^)。
月影を 桶にとめおく 愚かさよ 諸人あまねく 照らすを見ずや
空の月 指し示す指は 数多あり 指にこだわり 月を忘れる
184は、「28」ではなくて「178」の誤りです。なぜかおかしな数字がはい ってしまった。あと、興亡-->攻防の間違いです。
186 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 19:22
言霊などの精神的な部分での功徳もさることながら もっと物質的な面でいいますと 良い言葉や詩の音読や朗読は身体にすこぶる良いですからどんどんやりましょう。 口や喉だけではなく腹から声を出すことで全身に波動が響き渡り 細胞レベルどころかアストラル体レベルで身体が活性化します。 心もすっきりサワヤカになって一石二鳥です
187 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 20:26
>>184 その発想で行くと、そもそも神が悪人なる者を創造して裁断するという
こと自体に疑いを持たざるを得なくなるような・・・
一神教に対するよくある批判の一つだけどね。
ま、個人的に念仏だの言霊だのと言った物の功徳はあまり信じてないので、
あなたの言いたいことには共感は出来るが。
宗教に於けるある種の言語行為(念仏、音読等)は、目的のための手段と
いうよりも結果、或いは証明っていう気がするな。
詳しく覚えていないけど、親鸞や法然にもそういう思想があったと思う。
>>187 >宗教に於けるある種の言語行為(念仏、音読等)は、目的のための手段と
>いうよりも結果、或いは証明っていう気がするな。
そうなんですよ。それが言いたいのです。目的の手段だったとしたら、それは
方便のはずなのです。飴玉で子供を連れ出して、そのまま歯医者へ行かせる
ような。音読すればその言霊で救われるという信仰も、私のように屁理屈こね
て理性的に満足するまでとことん突き詰めるという信仰も、所詮は大慈大悲の
神様の方便のひとつなのでしょう。王仁先生は確か、大乗仏典とは、仏があら
ゆる方便を尽くして人間を救おうとする心、その心だけ理解すればよい、という
ようなことを言われていたと思います。ところが、救われる側から見ると、
自分の「救われ方」だけが髄一のように錯覚する。これは、私自身の反省も
含んでいるのですけども。
禅でも似たような問答がありまして、どうもそれが私の心の中にひっかかって
いたようです。その趣旨は、仏法を聞かねば成仏できないのならば、オシで
メクラでツンボの、ヘレンケラーのような人はどう救えばいいか、というもの
です。ヘレンケラー女史は、スウェデンボルグの著書で救われていますね。
神の慈悲が無限大である限り、オシでもツンボでも、愚かでも、石頭でも、
必ず救われるはずだと思います。
霊界物語が「普通の書物」として扱われるようにならなければ、世界中に 広まることなどありえないと私は思います。 私は聖書も愛読しますが、一部の「聖書=完全無欠の神書」という偏狭な 思想を持つ教団に属する人には嫌悪感を感じるし、もし不幸にしてそう いう人たちから聖書を紹介されたとしたら、一生縁がなかったでしょう。 「音読すると言霊の力が云々」という話は、「普通の人」から見たら、 実にカルトっぽい響きがあって、それがために霊界物語そのものの価値 を否定されるとしたら、損失は計り知れない。
>>189 言霊はとても大切なものでしょう!
むしろ言霊という分野をわざわざ隠して 広めようとする事のほうがよっぽどカルトチックではないですか^^
それではわざわざ何故 言霊解や天祥地瑞で配置にまでこだわりながら、いろいろそういうものを霊界物語の中に収容されているのですか?
内容が既に言霊や霊界について重要視しているのに どうして隠すのですか!読めばすぐわかる事ではないですか。
あなたの論法でいったら「霊界物語」という題名じたいが既にあやしいものととられますよね^^
まさか題名を変えますか? それとも内容から言霊や霊界に関する部分を削除しますか?
世界に広がればそれが「普通の書」と認知されるのでしょうし、「普通の書」と装わせるために
重要な部分をごまかすのですか?
むしろ
>>189 さんの主張の数々(拝読/音読から人の心を引き離す)事の方が損失とやらがが大きいと思いますよ^^
その他にもいままでの>189さんの主張の矛盾点やら自己庇護のためと思われるような歪曲箇所など指摘しましょうか?
それにしきりに飴玉のたとえとか神のたとえ話を脚色しながら自己弁護に徹しておられるようですが、
まさか神にでもなられたおつもりではないでしょうね^^
そんしつを 計る 狭き人心 神の御心なぜ隠す
>>189 さんは・・・・・・古来の人々の事や日本の文化をどう思っているのですか? カルト的 偏狭的なのはもしかして
>>189 さんの方ではありませんか^^
もしかして以前にも私以外の誰かにも指摘された事はありませんか? キリスト教の方を偏狭者よばわりするから広まらないとはお考えになりませんか?
敷島の大和の国は. 言霊の幸はふ国ぞ. 真幸くありこそ.
しきしまの やまとのくには ことだまの さちはふくにぞ まさきくありこそ
万葉集 巻十三 柿本人麻呂
>>189 わたしとしては別に189さんの事を裁こうとか晒してやろうとか、そういう気持ちは
持たないよう心がけているつもりですし、むしろお互い助け合えればと思うのですが。
またわたしもあなたも同じ霊界物語や教えを学ぶ同僚として、同時に
主神の御手の中に生けるもの同士としてお話しているとご理解願えれば幸いです。
しかしこれから先書き込みを重ねる事により、189さんの今までの主張の
矛盾点などをさらに指摘しながら進めなくてはならないと思いますし、またそれもこちら
としても少々心苦しい部分でもあるのですが・・・・・・・
わたしの言いたい事もおわかりになられますでしょうか^^
どうしましょうか?まだつづけますか・・・・・・・・?
始まりは 終わりの最後 連続の 広がり栄え 神の大慈悲
ともに手を取り 峠を越えなむ
>>190-191 >いままでの>189さんの主張の矛盾点やら自己庇護のためと思われるような
>歪曲箇所など指摘しましょうか?
いや、むしろ指摘してもらった方がありがたいです。
>>184 ステキなうたですね^^
ご自分の事を歌われておられるのですか?
わたしに対してでしたらありがたく謹んでおうけしたいと思います。
まぁ内容は最初引きましたけど(笑)
それでも何度か詠むと中々味わいがありますね。もちろん大切な事なので肝に命じたいと感じました。
結構いい感性しておられるではないですか(^^ゞ これからもどしどしお詠い頂ければ嬉しいです。
_n
( l _、_
\ \ ( <_,` )
ヽ___ ̄ ̄ ) グッジョブ!!
/ /
>>192 そうですか(笑)
それを聞いて安心しました。 では始めましょうか^^
それではまず物語を拝読/音読することから始められてはいかがですか (^O^)
宗教に於いて、ある種の方法論や独自の思想があるのは当然。 言霊の思想や霊界物語の音読や浄土宗や日蓮宗の念仏や題目もそうだろう。 しかし、それを知らない人はどうなるのか? 他言語の人間にはもちろん音読なんて出来ないし、 世界中の大部分の人は念仏なんて知らない。 絶対神の存在を前提とする宗教に於いてはそういう問題点が必ず出て来るんだよね。 何しろ世界には何十億という人間がいるんだから、 いくら熱心に布教活動を行ったところで、全人類を感化するなんて不可能なんだ。 でも、神の全能性と無限の慈悲を頼って「神様は全てをお救い下さる」として 現状を全肯定してしまうと、宗教行為や道徳そのものが無意味となってしまう。 そういう難しい問題について、178氏は考えているんだと思う。
無論、選民の思想をもってすればあっさりこの問題は解決するけど、 神が限られた人だけを選ぶという思想にはやはり多くの人が抵抗感を持つはず。
197 :
名無しさん@3周年 :03/02/08 06:29
アトムはうそつきだから、黙読していると言いながら 実は音読しているという罠 というか、どんなに偉そうなこと書いても説得力まるで無し 見てみ、この苦しい言い訳↓
198 :
名無しさん@3周年 :03/02/08 07:02
名前: 名無しさん@3周年
E-mail:
内容:
615 名前: アトムの騎士=通りがかり 投稿日: 02/03/04 08:59
>>565 引用を確認してみて了解しました。私が「あの人」と言ったのは、アトムのおじさん=
自分のつもりだったんだけど。誤解を与えてしまったようで、すみません。私は音読した
ことはない、ということを言おうとしたのです。
>↑何を言ってるのか全然ワカラン
私が音読しない理由は、毎日忙しいので霊界物語を読むのは深夜と早朝になるのです。
家族は寝ているし、そんな時に音読はまずいでしょ?オヤジが死ぬ前、少しだけ音読して
聞かせてやったことはあります。しかし、ちょっと虚しさを感じましてね。意識がない人に
いくら聞かせたって、という醒めたものがあって。やっぱり、生きた人間が読んで、納得して
こそ霊界物語は生きるのだと思う。
199 :
名無しさん@3周年 :03/02/08 07:03
私としては、何も自分の意見の押し売りをするつもりはなくて、こういう議論の場のネタに なればいい、という感覚なんです。私自身が糸の切れたタコみたいなものですからね。あとは 神ながら、ということでいいんじゃないかと(無責任かもしれないが)思うのです。逆に言えば、 アトムがヤチマタ人間の代表として、ナタ理屈を振りかざして皆様にいちゃもんを付けて、問答 を投げかけているのです。皆様はこの憐れな人間を言向け和し、救済しなければいけない。それ ができないとすれば、あなた方もまた贋物です。そこに盲従と明従の差があると私は思っています ので。 >↑自分のことぐらい自分でなんとかしろ まあ、私はネタだから、お好きなように叩いてください。それでお互いの身霊が磨けるなら 私は大歓迎です。 >だってさ 御父君が亡くなられたのは気の毒だが、そこで物語を読み聞かせる ことに虚しさを感じて止めてしまった、というのは明らかに言霊の 妙用、思想を無視、否定するものだと思う 御父君の肉体は聞けない状況でも、霊魂はきっと聞いててくれている だろう、と前向きに考えるのが信仰というものじゃないだろうか? この点がアトムの理屈信仰と揶揄される一番の問題点で、知識ばかり で肝心の説得力に欠ける原因 信仰者じゃなくて宗教研究家なんだね、恐らく
200 :
名無しさん@3周年 :03/02/08 08:33
>>199 >信仰者じゃなくて宗教研究家なんだね、恐らく
君は、さぞかし立派な信仰者なんだろうな。それで、他人の痛みや虚しさを
感じることも超越してしまったのだろう。
コテハンを叩きたいのなら、自分もコテハン名乗るか2chの外でやってくれ。 見苦しい。
202 :
名無しさん@3周年 :03/02/09 16:45
八幡版『霊界物語』(全巻セット) 今なら語路合せ価格80K円!! 神田神保町 原書房にて!!
203 :
グリーンマン :03/02/09 19:34
神人は常住不断言霊の助けを受けて生き栄ゆなり 出口瑞月
>>197 人間は、生きているうちに心の中に天国を建設しておかなければ、死後にも天国
へ行けない、というのは霊界物語に書いてあるはずなんだけどね。死人に向かって
霊界物語を拝読すれば、死人が全部「成仏」するのなら、見直し聞き直し、
なんて回りくどいことはやめにして、365日24時間、墓場にスピーカーを持ち
こんで流せばいい。
「大本神諭」や「霊界物語」の音読そのものに威力があるのなら、初期の大本
幹部達はどうしてパリサイ人になってしまったのですか。彼等は、「道の真中
を歩け」とあれば、道路の真中を歩いて通行人の顰蹙を買い、「この世は真っ暗
がり」とあれば、白昼も行灯を並べてともしたという。
あなたが主張しているのは、材料が「霊界物語」に変わっただけで、やろうと
しているのは初期の幹部とそう変わらないように、私には見える。
「大本神諭」は、芝居の役者のセリフが断片的に書いてあるだけだから、 芝居全体がわかるには「霊界物語」を読まねばならない、と王仁先生は はっきり言っておられる。だから、読んだ人に対して「芝居の筋書きは わかったか?」と訊ねるのは当然のことです。「声に出して読んだか」 ではなくて「わかったか」です。 「大本神諭」の例にもあったように、各自が勝手に解釈すると語句の取 り違えるという危険性がある。それはその通り。しかし、そうだからと 言って一切解釈を放棄するのも間違っていると思う。読む人が自分の頭 で考えて、その人の身魂なり、ネットプライスで解釈したものが「霊界 物語」の本質ではないでしょうか。 ネットプライスでないと、どんな読み物でも身につかないし、心に残る こともないでしょう。いくら「霊界物語」をおろして芋粥にして食っても 「内分」は変わることはないと私は思う。こんなに美味いものを、そんな もったいない食い方をするな、と言いたい。
まあ、オヤジに向けて音読(とは言っても、病室だから小さい声だったが)し つつ、魂の救済を願ったことは確かだけど、その裏には「音読で起こる奇跡」に 対する期待があったのは事実。「神ながら」なんて口で言うのは簡単だけど、 「死すべき者は死す」という当たり前の事実を受け入れるのに七転八倒した。 音読さえすれば、というのは論外として(^^)、たとえ頭で理解したことでも、 実際に自分の身に起こるまでは安心できん、というのが痛いほどわかった。 心の底にご利益期待を隠しもって、いくら殊勝に神様のご機嫌取りに奔走し たって、そんなものは実を結ばない。期待が裏切られれば信仰も消えうせる。 それがオヤジの死と引き換えに得た教訓だった。私が、嫌われ者覚悟で「音読 万能原理主義」に刃向っているのも、元を正せばこういうわけだ。
受け取り方は自由だね。 出口さんの意図こそが絶対とも言えない。 書物とは享受者あっての物だから。 って、あまりに宗教意識から離れた冷めた見方だけどさ。
208 :
名無しさん@3周年 :03/02/10 22:31
「音読万能原理主義」 そんなもんがあるとは初めて知ったよん。 原理主義的思想、そうした考え方自身が、およそ聖師さまの 目指された道とは、ほど遠いものになるだろうと思ふ。
209 :
名無しさん@3周年 :03/02/11 15:13
いかんわ。 文章が生理的に受け付けなかった。
210 :
名無しさん@3周年 :03/02/13 20:31
霊界物語を黙読しながら研究する人→アトム 霊界物語を音読しながら研究する人→たくさん アトム、孤独に耐えてガンガレ!
211 :
名無しさん@3周年 :03/02/13 21:50
鉄腕!下条アトム
また新しいコテハン思いついたぜ! その名も「へーげる :03/02/11 14:26」だ!! よろしくなっ!!
>>210 群れて音読すれば、ひとりじゃないから安心できるのか。
単純すぎて、おじさんはうらやましいぞ(^^)
君たちは、霊界物語に書いてある以下の文章をどう読むんだ?
>私は単なる現今の大本教信者のみのために口述したのではない。現幽神すな
>はち三千世界の神仏、人類および禽獣、虫魚、草木などに安息を与へ、天国
>浄土を地上に建設せむために惟神的に三才の童子の耳にも解し易からしめむと、
>卑近な語を用ひて述べた神書である。
大本教信者以外の人に「黙読すると、アトムのオサーンみたいに四つ足身魂に
まりますよ」と説明するつもり? 一般の人が図書館行って、あたり構わず音読
したら、つまみ出されてしまうぜ。霊界物語が普通の本として扱われるようになら
なければ、世に広まらない。こんな簡単なこともわからんのかなア。
214 :
名無しさん@3周年 :03/02/14 19:43
王仁三郎が霊界物語は音読しろってどこかで言い残したんですか? ソースを知ってる方、情報お願いします。
>>214 ソースははっきりしませんが、「霊界物語を音読すると、まわりに集まって
きた霊が聞いて改心する」と言われたらしいですね。また、『三鏡』によると
大祥殿で、三味線に合わせて皆で音読する慣わしだったようで、それも
王仁先生の指示だったらしい(「物語拝読について」)。
では、音読さえしておれば「自動的に」身魂の浄化がなされるのかと言えば、
それは疑わしいと思います。たとえばその一例として、
「物語はただ読んでいてもいかぬ。何でもないようなことの中にでも大事な
事が書いてある。大事な事は馬や鹿や、あんな下の者が言っていること
が多いのや。」(『新月の光』、「霊界物語は真剣によめ」)
ふと、その前の文章を読んだら「そうや赤ん坊になればよい。智慧のある
赤ん坊になれ...」という言葉が書かれてました。これだけ見ても、ただ無心に
(赤子のように)音読しただけでは不完全だということがわかると思います。
216 :
名無しさん@3周年 :03/02/16 11:01
言霊の幸ふ国
217 :
グリーンマン :03/02/16 11:02
伊藤 聖師さまは物語の拝読をお聞きになるのがお好きで、 吾々も若いとき枕元で読ましていただいたこともありましたが、 三浦さんは農園におられた時分によくなさったでしょう。 三浦 毎晩でしたの。ときには、こちらがくたびれるんですね。 それが一時間も二時間もでしょう。いまから考えたらもったい ないことだけど(笑)。こっちは毎晩のことやから、今日は誰 かに代わってほしいナと思っても「いやあかん。お前、読まに ゃいかん」とおっしゃるでしょ。子守唄みたいに聖師さまはそ れがないとお休みにならなかったですわ。読ましていただくと、 とってもご機嫌で、高姫なんんかが出て来ると、顔を真っ赤に して喜ばれるんですね。ご自分でご口述なさったのに、ほかの 人の著者を初めて聞くように、何度も聞いておいでになるのに、 赤いお顔してワアワアいうて喜ばれるんですよ。たまにてをは に間違えたりすると「そこは違う」とおっしゃって一字一字直 されるんです。そのうちグゥグゥお休みになるから、もういい かナと思って、こっそり足音をしのばせてお部屋から出ようと すると、急に目を醒まして、「それから、どうやった?」とお っしゃるんです。こっちも本当にくたびれましたわ。それが毎 晩でしょ。今から思えば、もったいないことですけど。一晩で も読まんとお休みにならない。それが無上のお楽しみというか、 なんか知りませんけど・・・・。
218 :
名無しさん@3周年 :03/02/16 11:05
読み方でも、こう読むんやと、よく教えていただきました。そ の人物の心持になって読まにゃいかんとおしゃって・・・・な んぼ忙しくても一ページは読め、一ページ読む 時間がなかったら半ページでもいいとおしゃっておられました。 わたしが最初おそばにお従えさせていただいたときにけっこう な神さんのお話しを聞かしていただけると思って喜んでおった んですわ。そしたら、ちょっともそんなお話はなくて、物語を 読まされるばっかりなんです。あるとき、聖師さまのおそばに 来さしていただいたら、神様のお話を聞かしていただけると思 っていましたのに・・・・と申しあげましたら、 「神様のことはなんでもご神書にかいてあるから、今さら言う ことはない。物語を読んだらいいのじゃ」「私たちは読んでも さっぱりわからんのですけど、面白いから読ましていただいて おります」「それでいいのや」とおっしゃって、潜在意識にな って、必要なときにパッパッと出てくるからただ読んでおけば よいと申されました。あるとき綾部にお供しましたとき、いつ ものように拝読さしていただいておりました。聖師さまはよく、 物語は霊界で浮かばれない霊に聞かせるということをおっしゃ っていたんです。そのとき、拝読しておりますと、横の階段を トントントンと降りて来て、私の横にサッと 座る気配がしたんです。もちろん、肉眼では見えませんけど。 気持ちが悪かったので、あとで聖師さまに申し上げたら、浮か ばれない霊が聞かせにもらいにきているということでした。そ ういうことからも、ご神書の拝読は大切なんやとおっしゃて下 さいました。
219 :
うちゅうじん :03/02/16 11:07
霊界物語はは宇宙人についてなんと書いてあるんですか?
220 :
218の続き :03/02/16 11:08
話がとびますが、このごろ婦人会で、昇天されたみたまさんの 家へご神書の拝読に行かせていただいておるんです。○○さん が昇天されたので、婦人会が拝読にいかせていただいたんです。 ○○さんがに昇天されるときに「私は死というものを研究しな がら死ぬ」とおっしゃたんだそうです。でも、そのあと、なん ということもないから「○子(娘さん)ちゃん、死ぬときは、 こういうことやったと、お母さんから報告してもらわいかん な」と冗談で言うておったんですが、ご神書を拝読さしていた だいたそのその晩に、○子ちゃんが夢を見たそうです。 「今日は本当にけっこうやった。朝日がパーッと昇って、なん ともいえぬいい気持ちやった」というて、ご神書拝読のお礼に 来られたそうです。私はその話を聞いて、霊界とこの世は壁ひ とえというか、目に見えぬだけのことで、人間とお話をしてい るのと同じことやと思いましたね。ことに、霊界に行くときは 物語の拝読が大事だということをお聞きしていたんですですけ ど、こんな目の前にまざまざと見せつけられて、有り難いこと やなと思ったんです。やっぱり聖師さまがおっしゃっていたよ うに、たとえ半ページでも、毎日読ませていただかないといか んなとつくづく感じされました。 伊藤 今のお話で思いましたんですけど、お通夜のときなんか に、以前はかならずというぐらいに物語を拝読してあげました ね。この頃はしたり、しなかったりのようですね。
221 :
220の続き :03/02/16 11:10
三浦 二代さまは、前は物語がお好きでなかったそうですけど、 いつもおそろいでお休みになりましてね「クニさん、このごろ、 わしも物語が好きになったよ」・・・・・ 「おもしろいな、その先読んでや」いうて、聖師さまとご一緒 にお聞きになりました。ご昇天になった晩も「クニさん、先生 は物語は好きやったで、ずーとっ読んであげてや 」とおっしゃいましたし、二代さまお一人のときでも「クニさ ん、ちょっと読んでや」と、ご自分の方から所望されました。 山川 物語をお聞きになられるようになってから二代さまのお 顔が聖師さまに似てこられたということをよく伺いました。 『おほもと』昭和42年6月号の座談会より
222 :
名無しさん@3周年 :03/02/16 11:13
昇天より笑点みようぜ!
223 :
グリーンマン :03/02/16 11:37
>>217 訂正
「ほかの人の著者を初めて聞くように」は
「ほかの人の著書」です。
須磨曽
224 :
グリーンマン :03/02/16 12:35
王仁三郎は「人を見て法をとけ」で若い人たち相手の 『昭和青年』の座談会では理解してなければ読んでも 自身の鎮魂にもならないといってますね。 歴史を知らなくて語るなかれとも教えています。 記者 鎮魂帰神は只今お止めになつてゐられますがまた 何時かの時期に…… 出口 あれはうるさいでネ……魂の研けた者で、よく解 したものがやるのはいいがそんなに研けた者は居ない。 その癖やらすと邪霊がかかつてさつぱりいけない。皆 邪霊のかかりそうな顔ばつかりだ。(出口氏外一座大 笑)本当や。…… 記者 何か条件をつけてある程度のお許しを頂くといい のですが、修行者などがよく聞きたがつてゐます。 出口 条件をつけるにも、条件をつける資格がないやな いか。 記者 霊界物語を拝読さして頂くのが鎮魂でないでせうか? 出口 それはそうだけれどまだ本当に霊界物語を解して 居ないからいけない。もちつと研究会でも開いて勉強 せねばいけない。
225 :
グリーンマン :03/02/16 13:08
「大本」の信者でもいろいろでしょうが生前の王仁三郎聖師から
直接『霊界物語』の教示を受けたことでは大本でも有数の故木庭次守
さんは熱烈な音読論者ですね。木庭さんは「手を洗い、口をすすぎ
聖師の御前にある心を持って拝読する」が信条でした。
>>224 「理解してなければ読んでも自身の鎮魂にもならない」は
言い方まちがいました。まずはそのようになるように努力
することですね。
>グリーンマンさん 貴重な資料情報をどうもありがとうございますm(_ _)m 私見ですが、王仁三郎が目指したのは「新しい宗教の建設」という よりも「古い宗教の破壊」に近いと思います。ミロクの世には宗教 などあってはならない、と言っておられますよね。 では、「古い宗教」の何が悪かったかといえば 「...怠慢に流れしめたる大根元は、立教者たる教祖一人の宗教的信念 のなかに潜んでいるようである。彼らは神、または真如、または仏陀、 または実在と、その名称は種々変わるにしても、ある特定の神秘力の 働くと働かぬの如何に帰しているものである。....」 (『三鏡』、「宗教団とその教祖」) つまり、名称はいろいろあるとも、ある対象を信じれば、神秘力が働い て救われるという教えが禍していると言います。そういう独断的な発想 が「宗教固有の臭み」の元になっている。御幣があるかもしれないが、 この「宗教固有の臭み」=「迷信」と言い換えられるでしょう。 霊界物語にあるエピソードの多くは、「迷信」の打破です。太平柿に 御倉魚など、それまで人々が盲従してきた「迷信」の象徴になってい ます。「迷信」を「誠の力」をもって破壊する、というのが霊界物語の 主要テーマだと思います。 では、今の「大本」に「大本臭」はないでしょうか。私は否定的ですね。 宗教臭を廃して、あらゆる迷信から人間を解放するべく書かれた霊界 物語を授かりながら、わざわざそれに「大本臭」を付け加え、一般人 から臭がられているのが現実ではないでしょうか。
227 :
グリーンマン :03/02/20 02:42
>>266 僕は『霊界物語』の音読が話題になっていたので王仁聖師自身の言葉を紹介した
だけですが、べつに教えにも『霊界物語』の拝読にも落第生の劣等生ですので
ねんのため。また愛善苑のシンパであり、愛善苑が王仁三郎の意思(つまり誠)
だと思いますがまだ正式な信者なわけではないですけど。
> 私見ですが、王仁三郎が目指したのは「新しい宗教の建設」という
> よりも「古い宗教の破壊」に近いと思います。ミロクの世には宗教
> などあってはならない、と言っておられますよね。
>
> では、「古い宗教」の何が悪かったかといえば
>
> 「...怠慢に流れしめたる大根元は、立教者たる教祖一人の宗教的信念
> のなかに潜んでいるようである。彼らは神、または真如、または仏陀、
> または実在と、その名称は種々変わるにしても、ある特定の神秘力の
> 働くと働かぬの如何に帰しているものである。....」
> (『三鏡』、「宗教団とその教祖」)
『三鏡』といえば八幡書店のやつですか?なら「月鏡」の「宗教団とその教祖」を
引用するならどうしてその1,2ページ前にある「水鏡」の「真の宗教」を無視
するんですか。聖師は大本は「宗教」ではなく皇道であるといっているのも同じ
ことですが。真の宗教であり皇道である教えを示したのが王仁三郎でしょう。
それに王仁三郎が「教祖」と言う場合出口なお開祖をさす事ぐらい想像できるで
しょう。
確かに『霊界物語』は王仁三郎が「血であり肉であり」「血を枯らして」僕たちに
残してくれたものですから王仁三郎のにおいが強烈に感じられますよね。
228 :
グリーンマン :03/02/20 02:43
どうやらアトムさんは王仁三郎の教えの根本である四大綱領、四大主義を理解 できてないようですね。もしかしたら直接詳しく学んだことがないのではない のですか。どこかの講座を受けたことありましたっけ? 『霊界物語』は四大綱領、四大主義を生きるうえでの糧ですし、王仁三郎の教え で四大綱領、四大主義が骨だとすると『霊界物語』は肉ですよね。 たとえば四大主義の第一である「清潔主義」は霊魂の罪の垢は神様(言霊)しか 洗うことはできないということを教えていますがこれが「迷信」だと主張するの ですか?四大主義を否定するなら『霊界物語』は骨のないくらげの教えになって しまいますよ。 言霊を否定するために水や植物でさえ人間の言葉に反応するといわれている時代に 三重苦のヘレンケラーを出してきてもはずれてますし、言霊とは霊妙な波動(調べ) なのだから耳の聞こえない龍に通じるんですよ。(神界に通じること言霊の持ち主 のみ「月鏡」参照) それに大本初期のパリサイ人たちは『霊界物語』に書いてある因縁で王仁三郎に反対 してるわけであり、言霊の神である素盞嗚尊を悪神だと思っているわけでそれを理由 に「「大本神諭」や「霊界物語」の音読そのものに威力があるのなら、初期の大本 幹部達はどうしてパリサイ人になってしまったのですか。」なんていうのも恣意的 ですね。後年彼らの熱心さを王仁三郎が懐かしんだのは知ってのとうりですが。
229 :
グリーンマン :03/02/20 03:08
教団を否定したいようですが教団は神さまの意思(つまり誠)によって 「苦集滅道」の「集」の雛形として造られたものですよ。(『水鏡』参照) 『霊界物語』のテーマは序文にあるとうりですが、また日本の神々や人民が 主神への真の信仰を思い出すまでのドラマですね。霊界物語はまず南米の話 だろうが印度だろうが日本のこととして考えるべきでしょうが『霊界物語』の 御倉魚は『新月の光』で王仁三郎が「そんな事が言えるかい。」といっている ように戦前の皇室財産と考えられていますよね。いまは資本家が持っているん でしょうが。やはり日本の立替え立直しが課題ですよね。 重ねていいますが王仁三郎は歴史を知らなくて語るなかれと教え、 『霊界物語』発端(元「回顧録」の一部)にある「竜宮館(皇道大本)は変性 男子の神系と、変性女子の神系の二大系統が歴然と区別されてゐる。」という こと無視しては『霊界物語』は半分も理解できないでしょう。 王仁三郎聖師が「誠」と言う場合「神様の真実」、「神様の意志」、 「神様の意志にしたがう」などのことを指すとおもいますがたとえば 王仁三郎聖師が入蒙前にのこした遺言的神示の「錦之土産」では、 神示 大正癸亥旧十月十四日 宇知丸は瑞の御魂の分霊にして大八洲彦命の精霊の再生なり。月の手によりて成れる神 示のプログラムに由りて選まれたる役員信者を総指揮すべき因縁にして霊魂上より云へ ば瑞月の実子なり。神界の経綸につき一切を神示しあり。故に宇知丸の言は瑞月の言の 伝達なり。その思慮また瑞月の思慮なり。故に大本人は皆その指揮に従ふべし。(略) 瑞月は伊都能売大神の勅に依り後日のため茲に明示しおくものなり。 誠 誠 誠 月 なんてありますね。宇知丸というのは『大地の母』で王仁三郎の二十年目の弟子と して紹介されている出口宇知麿さんのことで出口和明さんの父親、佐賀○平氏の お祖父さんにあたります。彼などは明らかに 変性女子の神系ですよね。
230 :
グリーンマン :03/02/20 04:08
『霊界物語』は音読することによって頭ではなく血で読むといわれ 「みたまのふゆ」をめぐまれると信者の中の熱心な人は思っています。 たとえば木庭次守さんは一回ひととうりは拝読するごとに魂が変わった 経験をもっているとか。それはたしかに「信仰的経験」ですが マザーテレサのこれに似ているかも知れません。 > カトリック的には「祈る」事も大切。 > 祈る事によって神様に行動できる力を与えていただく。 > マザーテレサも毎日の祈り、ご聖体拝領を無しでは > 一日もやっていけないとおっしゃっていました。 > まず彼女たちは祈る質と量からして私たちと違う。 もちろん出家した修道女の「キリストの花嫁」のマザーテレサと 「在家の弥勒」が理想であり目標である王仁三郎の弟子とは違い ますしし、現在の愛善苑や大本の信者が「在家の弥勒集団」 としていえるのかどうかは彼ら自身が日々反省し精進していると思い ますよ。機関誌など読むかぎり(w カトリックの聖体拝領のソースは福音書の最後の晩餐の場面でしょうが 2000年前のこととはちがい、『霊界物語』の音読は王仁三郎自身 の言葉によるものですよね。それを「迷信」だと主張するアトムさん の主張にははっきりいって「慢心」と「我」を感じました。 お互い見直し聞きなおししたいものですね。
231 :
グリーンマン :03/02/20 04:58
訂正
>>217 「高姫なんんかが」は「高姫なんかが」です。
>>220 「お聞きしていたんですですけど」は「おききしていたんですけど」、
>>230 「ひととうりは拝読するごとに」は「ひととうり拝読するごとに」
などケアレスミスが多く多謝、須磨曽
>>227 >するならどうしてその1,2ページ前にある「水鏡」の「真の宗教」を無視
>するんですか。
キリスト教の奇跡の最大とは、キリストの復活で、それは万人の罪の
贖いを意味することは、ご存知のはずです。それが本当の信ずべき
ことなら、万人がキリストに罪の赦しを願って、クリスチャンになれば
いい。なぜ大本が必要になるのか伺いたい。
王仁先生は「あヽ既成宗教」の中で、このキリスト教義について触れ、
「以上のごとき教理は、数千年以前の人智蒙昧なる野蛮時代におい
ては、多少の脅嚇もごまかしも効力があったであろうが」、現代には
通用しない、と書かれています。
迷信をもって、迷信を打ち破ることはできませんよ。どこの宗教でも
自分のところにこそ奇跡は起きると確信している。一心に信じること
だけで本物かどうか見抜けませんよ。あなたにもおわかりと思うが。
>>228 なぜ、王仁先生がわざわざ聖書から引っ張り出してきた「パリサイ人」
という言葉を使われたか、考えたことがおありでしょうか。王仁先生
自身がイエスキリストと対比されて、教えが説かれているのは明白でしょう。
こう言っては失礼かもしれないが、読みが浅すぎますよ。
>>229 御倉魚が、皇室財産の譬えであったことは肯ける点が多々ありますが、
霊界物語は単なる大本史の覚書ではなく、未来人のために書かれた
ものですから、あるひとつの解釈に固定する必要はないと思います。
それに大本と関係のない一般人に「宇知丸さん」がどうの、「変性女子
の神系」がどうの言ったって無駄ですよ。
>>230 >2000年前のこととはちがい、『霊界物語』の音読は王仁三郎自身
>の言葉によるものですよね。それを「迷信」だと主張するアトムさん
>の主張にははっきりいって「慢心」と「我」を感じました。
読んでも無駄だとは言ってませんよ。音読という行為そのものに効果
があるとか、音読しなければ言霊が働かないから無効だ、などという
主張は迷信だと言っているのです。私は現代人で、おまけに科学の
一端に関わって飯を食う人間です。信じられるものは信じるし、信じら
れないものは信じない。それが「慢心」なら、しょうがないですね。
「取違いの信仰」にはこういう一節があります。 「じつは、みな誰でも取違いのないものはない。今日のところ、 まだ本当にわかったものは一人もないのだ」 (昭和六年十一月) 壁にぶちあたって、自分の取違いに気付き、軌道修正できる のは、固定したスタンスを持たぬ、私のような四つ足身魂の 風来坊に限られます。最初から「正教」という重しを背負って、 一歩も踏み出せない皆様がお気の毒。アトムの副守のたわ ごとですので、どうぞ見直し聴き直しのほどを。
235 :
グリーンマン :03/02/20 12:37
>>228 ぼくが何時キリストの復活を信じているといったのですか。
パリサイ人ってあったらキリストに反対するものであることなんか
だれでも知っているでしょう。マザーテレサですよキリストを
信じているのは。
>>235 いや、あなたが「真の宗教」を引用してきた理由は、奇跡を宗教から
抜き去ると、それはただの倫理になってしまって、宗教の生命が
失われる、という王仁先生の主張を使って、「奇跡」=「霊界物語音読
の奇跡」という公式を当てはめたわけですよね。しかし、「奇跡」=
「キリスト復活の奇跡」という当てはめ方もできますよ。
「キリスト復活の奇跡は信じない」が、「霊界物語音読の奇跡は
信じる」という態度こそが、矛盾していると考えられたことはありませ
んか。回りを見渡して御覧なさい。自宗の奇跡だけを正当として
他宗の奇跡は一切認めない偏狭な迷信家で溢れている。
確かに、三鏡の「信じきること」で「迷信でも一生懸命であれば、それ
相応の天国に行く」と書かれています。しかし、それが本当ならば、
既存宗教のキリスト教や阿弥陀信仰で十分だったのではありませ
んか。
霊界物語に盛り込まれた精神とは、一切の迷信を廃して、自分の頭
で考えるという態度だと思っていますが、違いますか?
>パリサイ人について キリストに敵対したというだけじゃなくて、発想がとてもよく似ている のですけどね。とにかく、品行の正しい彼等からすると、イエスは 悪の鑑だった。そのイエスが「我こそはユダヤの救世主なり」と宣言 した挙句、ユダヤを政治的に支配したローマ帝国に刃向う意志が なかったので、「不敬罪」で死刑にしたのです。 マザーテレサは、キリストによる罪の贖いが目当ての一般のキリスト 教徒とは違い、現世にイエスの仁慈の教えを実現しようと努力したの です。マザーは、非キリスト教徒にむしろ受けがいい。プロテスタント など、「善行するかどうかは、罪の赦しには関係ない」などと、冷淡なる ことドライアイスのごとしです。カトリックでさえ、「人にはそれぞれ使命 がありますから(自分には関係ない)」と口にする人もおります。 日本では、マタイ福音書を愛読して、それを行動原理とし、足尾鉱毒 事件に殉じた田中正造という人がいます。私は、彼などは霊界物語を 読まずして三五教の極意に達した大宣伝使だと思いますけどね。
238 :
グリーンマン :03/02/20 23:11
>>236 >いや、あなたが「真の宗教」を引用してきた理由は、奇跡を宗教から
抜き去ると、それはただの倫理になってしまって、宗教の生命が
失われる、という王仁先生の主張を使って、「奇跡」=「霊界物語音読
の奇跡」という公式を当てはめたわけですよね。
違いますよ。「真の宗教」には奇跡なんてふれてないでしょう。
アトムさんが王仁三郎が目指したのは「新しい宗教の建設」という
よりも「古い宗教の破壊」に近いと思いますなんていっていたので
王仁三郎聖師は「真の宗教」である皇道であるところの四大綱領、
四大主義を示したといったんです。
時代に合わないなら自然にきえていくわけで「破壊」なんて王仁三郎の
仕事ではないですよ。
キリストの復活を聖師の「あヽ既成宗教」を引用して「迷信」だと主張
したのはアトムさん自身でしょう。ぼくが何時他宗教の奇跡や救いを否定
したのですか。清潔主義というのも王仁三郎(直)が開いた天国や霊国に
救われるためにですよ。
239 :
グリーンマン :03/02/20 23:11
戦前大本の宣伝使がヨーロッパに宣伝に行ったときスイスのカトリック の信者からずいぶんひどいいいかたで「お前たちのいう救世主などは、 偽救世主だ、聖書にこう書いてある。こう書いてある。聖書だけが本当 に信ずべきである。二千年前、神様はちゃんと道を示されている。 二千年たって、お前たちのような無学なものに神がかって、二千年前に 神が教えたような事を訂正せなならぬような、そんな神さまではない」とか、 「お前たちのやってきた事で、一番よい事はエスペラントを使っていること だけだ。児戯に類するような霊界物語など宣伝してくれるな。 これは蒙古のような未開のところではうけいられるかしれないがヨーロッパ、 アメリカの文明社会では、とてもうけい入られない」とかいわれたとか。 まだ若い宣伝使が王仁聖師に「聖師さまの事を、こんなボロクソにいう者が おりますが、こんなものでも死んで天国にゆけるでしょうか」と幼稚な質問を すると王仁聖師はふっと考えられて、「うん、いける。せまーい天国や」と いったとか。「あんなものは天国に行けるか!」ではなく「行ける」と自分を たたいて来る人にも広やかな気持ちをもって見ていたようです。
240 :
名無しさん@3周年 :03/02/20 23:21
>>239 そういえば特に良いことも悪いこともせずに
「聖書こそすべて、他なんか間違っとる!」とかたくなに平穏に暮らしていたら
その「せまーい天国」に行けるそうですよ。
皆さん、悪いことをするくらいならそのほうがいいですよ。
勿論、良いことをたくさんすればもっと上に行けますよ。
241 :
グリーンマン :03/02/20 23:54
>霊界物語に盛り込まれた精神とは、一切の迷信を廃して、自分の頭 で考えるという態度だと思っていますが、違いますか? どう自分の頭でかんがえても言霊を尊ぶことは王仁三郎の根本主張であり 「迷信」ではありませんね。 ぼくがマザーテレサを引用したのは彼女があのような仕事ができたのは まずなによりもカトリックの信仰があったからだと思いますよ。 日々祈りと聖体拝領で「神様に行動できる力を与えて」もらったから でしょう。「大本」の信者の熱心な人が『霊界物語』の拝読で同じような ものを与えられるといっているのに「迷信」だとは思いませんよ。 知らないところで陰徳を積んでいるかもしれないじゃないですか。 田中正造なんて昔「田中正造伝 嵐に立ち向かう雄牛」という外国人が書いた 伝記をよんだぐらいですが明治天皇への直訴とかおもしろいですね。 神道研究家のひとが田中正造とか秩父事件とかと禊教との関係を書いていたっけ。
242 :
グリーンマン :03/02/21 00:28
パリサイ人(じん)が吾(わ)が罪(つみ)を 教(をしへ)の主(きみ)に負(お)はせつつ その身(み)の安(やす)きを祈(いの)るをり 憐(あは)れみ給(たま)ひて瑞御魂(みづみたま) 千々(ちぢ)に心(こころ)を砕(くだ)きつつ 平安(やすき)と栄光(さかえ)を与(あた)へむと 仇(あだ)なす身魂(みたま)を守(まも)ります その御恵(みめぐ)みは海(うみ)よりも 深(ふか)きを思(おも)ひ明(あき)らめて 夢(ゆめ)にも忘(わす)るる事(こと)なかれ 神(かみ)の愛(あい)には限(かぎ)りなし 人(ひと)の愛(あい)には限(かぎ)りあり 教(をしへ)の主(きみ)は出口直開祖ですかね。
>>238 「あヽ既成宗教」で、キリスト教の教義を否定しているのは王仁先生
自身です。あなたが他教の奇跡や救いを否定しようがしまいが、
関係ない。キリスト教の奇跡、中でもキリストの復活を否定すれば、
キリスト教は「迷信」と断罪され、「古い宗教」として破壊されたのと
同じことです。これを称して、
>王仁三郎が目指したのは「新しい宗教の建設」という よりも「古い
>宗教の破壊」に近い
と書いたのです。別のところで、王仁先生は、既存宗教は崩壊寸前
で、あとは時間の問題だ、最後まで残るのはキリスト教だ、という
意味のことをコメントされています。
>>239 キリスト教の連中から見たら、もっともだと思いますけど。誰も、死後の
世界へ行って確かめてきたわけではない。王仁先生自身は行かれた
はずだが、それだって証拠はない。これはキリスト教の連中も同じこと
で、お互いに確証のないことを言い争って「自分は正しい、相手が間
違っている」と主張して譲らない。
具体的に言えば、グリーンマンさんがキリスト教徒相手に言向け和そう
としても門前払いで、一向に埒が開かないでしょうね。相手の弱みを
掴んだつもりが、そのまま同じ弱みを相手に掴まれているわけだから。
迷信を持ち出しあって、言い争うよりも、言葉なくして相手をうならせる
宣伝方法があるのではないですか。その宣伝方法に頼る限り、霊界
物語は音読でなければならない、的なきまりは二次的なものにすぎ
ないのでは。
>>240 その発想がパリサイ人的です。
大本の四大綱領、 四大主義だって、その根本にある「愛善と真信」の結合が なければ意味がないでしょう。 第47巻第9章の部分を読むと、「自分が救われたい」という願望から悪事を 離れ、善事を行なうことすら、単なる「自愛」にすぎないのではないか、と思え ます。心の底から、神への愛、隣人への愛に動かされて行動するのでなく ては。礼拝も善行も、「神様へのご機嫌取り」になってはいけないと思います。 パリサイ人が非難されたのは、「神様へのご機嫌取り」のための、うわべだ けの善行(偽善)に励んでいたからです。人間の死後、残るのは「内分」、 心の底にあるものだけですから、偽善は意味がないどころか、善行を重ね るごとにかえって「自愛」を大きくしてしまいます。 霊界物語には、我欲を捨てて日本魂を発揮し、天下公共のために、神のため に身を尽くして奉仕せよ、という教訓が繰り返し書かれています。第1巻の 「発端」からしてそうでしょう。霊界物語とは、「自愛」を捨てて日本魂を発揮 するマニュアルのようなものです。 私も含めて、霊界物語を初めて手にする人は、「自分が助かりたい」とか、 「自分が霊界の秘密を独占したい」など「自愛」のゆえです。しかし、読み進め ていく内に、「自愛」が薄れていき、自分が助かるも助からぬも神様の御心 次第という気持ちになってくるでしょう。私の経験によれば、の話ですが。
>>239 (追加です)
>「うん、いける。せまーい天国や」
何度となく、読み返してみましたけど、「そんな狭い天国が本物なわけ
あるかい」という風にも読めますね。スウェデンボルグによれば、キリスト
教の修道僧達は、自分達が作り上げた神学こそが真実だと信じて、
死後は、日が射さない洞穴のようなところで、宝に囲まれているように
錯覚している。ところが、それは彼等が作り出した幻想にすぎず、
神の光で正体を暴かれると、たちまち目や鼻が欠けた醜い姿を曝し、
積み上げた宝も汚物に一変するといいます。こういう状態も、本人達が
自己満足しているという意味では「せまーい天国」かもしれない。
もともと、人類愛善には垣根がないのだから「せまーい天国」なんて
あるわけがない。「せまーい天国」とは、実は「地獄」の謎かけなんで
はないでしょうか。
247 :
グリーンマン :03/02/25 19:58
>>243 >「あヽ既成宗教」で、キリスト教の教義を否定しているのは王仁先生
自身です。あなたが他教の奇跡や救いを否定しようがしまいが、
関係ない。キリスト教の奇跡、中でもキリストの復活を否定すれば、
キリスト教は「迷信」と断罪され、「古い宗教」として破壊されたのと
同じことです。
王仁聖師が「あヽ既成宗教」でキリスト教を批判しているところは
アダムとイヴの堕罪によって子孫の人類に原罪があるとする「原罪説」
と十字架にかかって死んだ神の「独り子」であるイエス・キリストの名
によって天帝に祈願する者「のみ」これを天国に再生せしめたまうという教理で、
肉体をともなったキリストの復活の話なんて直接ふれていないでしょう。
キリスト教や聖書にくわしくないけどキリストの肉体をともなった復活という
のは原罪や失楽園によって人類に招来した「死」の超克という意味があるんで
しょうか ?
カトリックでは無原罪の聖母はキリストと同じく肉体のまま天に昇っていった
ことになっていますけど。
248 :
グリーンマン :03/02/25 19:59
キリストは『霊界物語』では、 その時成り出でましたる島は、前述のごとく淡島(あはしま)なりき。 淡島は現今の太平洋の中心に出現したる島なるが、この天地逆転の神業によりて、 その根底は弛(ゆる)み、つひに漂流して南端に流れ、地理家のいはゆる南極の 不毛の島となりにける。 而(しか)してこの淡島の国魂として、言霊別命の再来なる少名彦命(すくなひこ のみこと)は手足を下すに由(よし)なく、つひに蛭子(ひるこ)の神となりて か弱き葦舟に乗り、常世(とこよ)の国に永く留まり、その半分の身魂は根の国に 落ち行き、幽界の救済に奉仕されたるなり。 この因縁によりて、後世猶太(ゆだや)の国に救世主となりて現はれ、 撞(つき)の御柱の廻(めぐ)り合ひの過(あやま)ちの因縁によりて、 十字架の惨苦を嘗め、万民の贖罪主(あがなひぬし)となりにける。 僕にはこれ以上でも以下でもありません 。 ちなみに 王仁三郎は昭和10年に撮影した『昭和の七福神』(八幡書店発売の ビデオ『蘇る出口王仁三郎』 )という映画の中で、 「吾こそは言霊清き蛭子なり国のあちこち歌碑(うたぶみ)建つるも」 と歌っています。
249 :
グリーンマン :03/02/25 20:00
>あなたが他教の奇跡や救いを否定しようがしまいが、関係ない。
アトムさんが「キリスト復活の奇跡は信じない」が、「霊界物語音読の奇跡は
信じる」という態度こそが、矛盾していると考えられたことはありませんか
といっていたんでしょう。
>キリスト教の奇跡、中でもキリストの復活を否定すれば、キリスト教は「迷信」
と断罪され、「古い宗教」として破壊されたのと同じことです。
どうして王仁三郎が 既成宗教に批判的な意見をもっていたら、「古い宗教」
として破壊されたことになるのですか。
キリスト教だったら聖書学者や フェイエルバッハのほう影響力が強いですし
仏教だったら学者は大乗非仏論をとなえ、王仁三郎もたしか同じ丹波出身の
村上専精 博士を引用して肯定していますが、 逆に「あヽ既成宗教」では
宗教として小乗より評価している。大乗非仏論 が証明されたら大乗仏教は
「迷信」として「断罪」されるわけですか? 日本の葬式仏教が「崩壊」寸前
なのはいわなくてもわかりますが。
霊界は想念の世界だから信じる人がいるかぎり霊界は形成されるわけです。
それにキリスト教が最後までのこるなら「破壊」されてないでしょう。
アトムさんが王仁三郎の仕事を新しい宗教の建設「というより」古い宗教の破壊
といったいいかたはやはりわかりません。もちろん新しい宗教 というのは 、
「真の宗教」たる宇宙皇道 であると王仁三郎が「正教」意識 持って主張する
四大綱領、四大主義のことですが。
どうやらアトムさんは王仁聖師が戦後愛善苑で諸宗教との提携をすすめ喜んだこと
を無視しているのでは。
>>239 の話もあれは戦後の幹部だった故伊藤栄蔵さんの話で 戦後 カトリックの
教皇の使節が大本に来て「カトリックはようやく、このごろ、こうして諸宗教との
対話ということを一生懸命させていただいておりますが、実はこの方面では大本
さんは大先輩であります。」とか「大本さんが先輩であります。そして我々も
そうゆう風に一生懸命やるつもりです。」といったというオチがつく話です。
250 :
グリーンマン :03/02/25 20:49
田中正造は王仁三郎聖師より約30年前に生まれた世代で若いころは祖父の影響で富士 赤間信仰の富士講の熱列な信者だったらしい 。病気平癒祈願とかも熱心にしたみたい。 「正造は従来物質上の霊物に感ずる事狂人の如し。或は樹を愛し、石を愛し、山を愛 し」など、もともと天地の自然のなかに造化のむすびの神をみる という自然感と儒教 的な国体意識と草莽としての義侠意識を生涯にわたっても持ち続けたひとでしょう。 「亡国を至るを知らざれば此れ即ち亡国」というのもそれからきているんだろうね。 富士講の食行身禄のみろく信仰と人間平等思想 などについては故宮田登さん の「大本 教」のことも論じている『ミロク信仰の研究』を参照してください。近代思想とキリス ト教に接してからはきっぱりと捨て去ったらしいけど 晩年、谷中村の住民の戦いにそのような民間信仰が支えているのをみて若い時の記憶を 甦らせたそうです。 田中正造の「聖人」待望論を出口なお開祖と比べる学者もいますね。 もともと三宅雪嶺を「何宗にてもそしらず」と評価していたように宗教的寛容の持ち主 で日本における初期のスウェーデンボルグ受容者の新井奥邃や岡田式正座法の岡田虎二 郎、一燈園の西田天香などに期待していたらしい。晩年の田中正造が王仁三郎聖師にあ ったらどうだったかな。
251 :
グリーンマン :03/02/25 20:55
>私も含めて、霊界物語を初めて手にする人は、「自分が助かりたい」とか、 「自分が霊界の秘密を独占したい」など「自愛」のゆえです。しかし、読み進め ていく内に、「自愛」が薄れていき、自分が助かるも助からぬも神様の御心 次第という気持ちになってくるでしょう。私の経験によれば、の話ですが。 それは晩年の田中正造が思い出したという富士講の食行身禄の歌 、 「富士の山 のぼりてみればなにもなし よしもあしきも 我がこころなり」 というやつですね。正造翁は「仏信者の秘訣であるべきか」といっている。 でも僕は王仁三郎聖師のこの歌の方が親しいですね。 天にかがやく月日の玉を 取つてみやうと野心をおこし 天教(てんけう)、地教(ちけう)の二つの山を 足の台にして背伸(せのび)をしたら 雲が邪魔して一寸(ちよつと)にや見えぬ 見えぬはずだよ盲の企(たく)み そこでちよつくり息してみたら 雲が分れて銀河となつた 左手(ゆんで)に太陽わしづかみ 右手(めて)に月をばひん握(にぎ)り 顔に当てたら眼(め)ができた 顔にあてたら眼ができた。 『霊界物語』のテーマは慢心を捨てて生まれ赤子のように誠の神さまに したがうということですね。
>グリーンマンさん 信仰というのは、神と人間との直接的な関係であって、その間には何の 取次ぎもいらぬと私は思います。キリスト教にも善人と悪人がいるし、 仏教もイスラム教も、また大本でもそれは変わらないでしょう。各宗教 から善人だけ集めたら天国になるし、悪人だけ集めたら地獄になる。 王仁先生が望んだのは、この世を改造して天国に変えることだった ので、善人にさえなったら目的は達するのです。その手段は、何教でも 構わない。だから、バハイ教などと提携を持ったわけでしょう。 結局、どの宗教を信じたら天国へいけるなんて「特典」を期待するのが 間違いじゃないかと思います。 キリスト教徒がキリストの復活にこだわるわけは、復活が「死に対する 勝利」の証で、その恩恵によって、キリストに頼るものの罪が帳消しに なるからです。同じことを大本の人が、スサノオ大神に対して求めたら、 五十歩百歩だという気がする。そこに矛盾を感じないのなら、それは 個人の主義の問題だから、もう何も言いますまい。
田中正造の日記に書いてあった文章です。 「キリスト何とて我を捨てたまうやと言えるなり(注:十字架上 でイエスが口にした言葉)。神に尽せることかくの如し。信仰の 厚き、ここに至る。信仰の完からぬものにてこの言の出ずる なし」 王仁先生もまた、信仰の完き人であった。
254 :
失礼します :03/02/27 01:31
如来教、天理教、今光教、黒住教、そして大本教 三千年一度に開く梅の花 神仕組は 延々と受け渡されバトンタッチされていく 丑寅の大金神国常立尊の世の立替建て直し 筆先 本当に世のし組みを担ってきた先人達 本当にご苦労様でした 大敬意 さて、王仁三郎先生もお書きになっている「真打は後から出てくるぞ」と。「尾張の半田まで」と 宗教弾圧は、国家警察がやったようで神霊的には神様の仕ぐまれていた事であった 先生も予言されている つまり、一つの仕ぐみが終った時代が変わるという事です。又次の仕組に大本の精神を受け継いだ次の団体に バトンタッチ 実際にすでにその団体は活動しています。つい最近本当(以前までは御魂での顕現)の国祖国常立大神様の復活祭を 終えた所です。どうぞ、是非最終の弥勒の世への神仕ぐみに参画いたしませんか お待ちしております。誠
255 :
名無しさん@3周年 :03/02/27 02:09
、「自分が救われたい」という願望から悪事を 離れ、善事を行なうことすら、単なる「自愛」にすぎないのではないか、と思え ます。心の底から、神への愛、隣人への愛に動かされて行動するのでなく ては。礼拝も善行も、「神様へのご機嫌取り」になってはいけないと思います。 パリサイ人が非難されたのは、「神様へのご機嫌取り」のための、うわべだ けの善行(偽善)に励んでいたからです。人間の死後、残るのは「内分」、 心の底にあるものだけですから、偽善は意味がないどころか、善行を重ね るごとにかえって「自愛」を大きくしてしまいます。 霊界物語には、我欲を捨てて日本魂を発揮し、天下公共のために、神のため に身を尽くして奉仕せよ、という教訓が繰り返し書かれています。
スウェデンボルグによれば、キリスト 教の修道僧達は、自分達が作り 上げた神学こそが真実だと信じて、 死後は、日が射さない洞穴のよう なところで、宝に囲まれているように 錯覚している。ところが、 それは彼等が作り出した幻想にすぎず、 神の光で正体を暴かれると、 たちまち目や鼻が欠けた醜い姿を曝し、 積み上げた宝も汚物に一変す るといいます。こういう状態も、本人達が 自己満足しているという意 味では「せまーい天国」かもしれない。 もともと、人類愛善には垣根がないのだから「せまーい天国」なんて あるわけがない。
257 :
失礼します :03/02/27 02:25
出口王仁三郎先生は偉大だった。 先人達様方、何卒真実の力をお借り出来ないでしょうか どうでしょう
258 :
大本教被害者の会 :03/02/27 08:20
259 :
大本教被害者の会 :03/02/27 08:25
>>254 >大本の精神を受け継いだ次の団体に
バトンタッチ 実際にすでにその団体は活動しています
団体はもう要りません!
カルトと団体はお断り!
聖師の弟子は千騎一騎!
260 :
大本教被害者の会 :03/02/27 08:28
ワールドメイトの人は 「ウラナイ教の本部おほもと」の馬鹿信者に どんどん布教してくれれば好いから ここには出てこないでネ!
261 :
大本教被害者の会 :03/02/27 20:32
262 :
大本教被害者の会 :03/02/27 20:36
>>254 こんな所に出てくる暇があったら
自分でスレ立てて好きなように
やってくれよ。
どんどんカキコんでやるから(藁)
263 :
名無しさん@3周年 :03/02/27 20:41
264 :
名無しさん@3周年 :03/03/05 00:53
ぜひスピルバーグに映画化して欲しい。
265 :
名無しさん@3周年 :03/03/06 00:02
>>254 大本教以降 国際勝共連合 (出口の弟子笹川良一) 日本会議(勝共連顧問戸澤眞)
とアメリカに国を売っているカルトは面々と受け継がれているなw
さ す が 戦 前 か ら ア メ の 犬
266 :
ベンゼン中尉 ◆BENZENFG3I :03/03/06 00:33
出口の言うことも当たり外れはあるわけで、完璧ではないとおもたよ!!
267 :
出口 王仁三郎 :03/03/06 08:20
>>265 「以降」って何だ?
まだやってるゾ!
それから無関係なものと一緒にするな
親欧・亜はありえても親米・売国は教義上ありえない罠
小沢一郎と一緒にしないでくださいネ
268 :
出口 王仁三郎 :03/03/06 08:22
>>265 「面々と受け継がれてる」って何?
日本語から勉強しなおしたら?
「大本教」なんて書いている連中は相手にしなければ良いと思うが。
270 :
出口 王仁三郎 :03/03/07 08:22
>>269 それは宗教色を薄めようとしている
「ウラナイ教の本部おほもと」の宣伝の結果であって
宗教を超えた大きな「大本文化」といったものもあるし、
宗教としての「大本教」もある。
宗教として対外的にも対応できなければ
存在価値が薄くなるだけだ罠
271 :
名無しさん@3周年 :03/03/12 17:55
大本5はどこに行ったんだ こないだ立ったばかりなのに 消されたのだとしたら禁止行為だぞ
272 :
名無しさん@3周年 :03/03/13 20:29
>>271 板の移動があっただけで
つまらない事で騒ぐな!
ヴォケ!!
273 :
名無しさん@3周年 :03/03/13 20:30
274 :
グリーンマン :03/03/13 23:58
>>252 信仰が神と人との一対一なのはあたりまえでしょう。たくさん集まって祈る大
祭でも神様は祭主の声しか聞いてないと、聖師はいっている。取次ぎって釈迦
・キリスト・マホメットとか宗祖・預言者も入れるんでしょうか。いれないん
なら「永遠の同伴者キリスト」とか「同行二人」とかありますね。二人の間に
はローマ教皇とか高野山の管長はいないでしょう。どのまともな宗教の信心で
も根本はそうでしょうね。
僕たちは王仁三郎聖師を通して主神に祈るだけでしょう。
愛善苑でいえば天国天人的には在家の万人祭司に近いですがひもろぎ松がある
聖地を中心として分苑・個人宅と「統一主義」をとって顕祭をおこなわしても
らっているそうです。
霊国天使的には宣伝使・信徒は一人旅であり『霊界物語』を一人一人が拝読音
読を通じて神様からの内流を受けさしてもらい、『霊界物語』を相教誨しあい
ながら刹那最善主義をとれるような信仰生活が理想だそうです。
霊界物語を拝読するとき、神の言葉を承っているのだと思う心構えであれば、
魂の中に入るけれども、何か小説でも読んでいるような心構えであれば、得る
ものが少ないでのである。声を出して読めば、自分の耳に神のお言葉が直接に
響いて来る。神の御声を聞きつつあるという心で読めば内流になるのである。
神は現実の世界に住むものに対しては直接内流 はくださらぬ。そこで聖言に
よって内流するのである。霊界物語は瑞霊の教えであり、聖言なのである。こ
れによって生命(いのち)の糧は与えられるのであるから、物語を常に拝読す
るように心がけなくてはならぬ。霊界物語の中に神は坐しますことを悟らなく
てはならぬ。 「瑞言録」 『愛善苑』誌 昭和二十五年七月号 より
275 :
グリーンマン :03/03/14 00:10
>王仁先生が望んだのは、この世を改造して天国に変えることだったので、善 人にさえなったら目的は達するのです。その手段は、何教でも構わない。だか ら、バハイ教などと提携を持ったわけでしょう。 この世はまだ九分九厘悪神が支配しているそうなので「善人」は育ちにくいし 、「善人」にさえなったら地上天国の目的はたっするのですとは簡単にはいえ ないでしょう。霊界物語にあれだけ、国魂の問題とか書かれているのにどうし て無視するんですか? 現代のごとく世界の隅々まで面白からぬ思想が勃興し、人心は日に月に悪化し 、暴動や爆弾騒ぎが相次いで起り、天下は実に乱麻のごとき状態である。かか る醜(しこ)めき穢(きたな)き国になり果てたる以上は、どうしても禊身祓(み そぎはらひ)の大々的御神業が開始されなくては、たうてい人間の智力、学力 、武力などで治めるといふことは不可能であります。 八十曲津神(やそまがつかみ)、大曲津神(おほまがつかみ)の征服は、絶対無 限の金剛力(こんがうりき)を具有したまふ神剣の発動、すなはち神界の大祓( おほはらひ)行事に待たなくば、障子一枚ままならぬ眼(まなこ)をもつてをる やうな人間がなにほど焦慮してみたところで、百日の説法屁(へ)ひとつの力も 現はれないのである。これはどうしても神界の一大権威をもつて大祓を遂行さ れ、日本国体の崇高至厳を根本的に顕彰すべき時機であつて、実に古今一轍の 神典の御遺訓の、絶対的神書なるに驚くのであります。
276 :
グリーンマン :03/03/14 00:11
神界の権威なる、宇宙の大修祓(だいしうばつ)は人間としては不可抗力である。 由来天災地妖のごときは、人間の左右し得るものでないと、現代の物質本能主 義の学者や世俗は信じてをるが、しかしその実際においては、天災地妖と人事 とは、きはめて密接の関係があるのである。ゆゑに国家よく治平なる時は、 天上地上ともに平穏無事にして、上下万民鼓腹撃壤の怡楽(いらく)を享(う)く るのは天理である。地上二十億の生民は、みなことごとく御皇祖の神の御実体 なる大地に蕃殖するものであるが、この人間なるものは、地上を経営すべき本 能を禀(う)け得て生長するのである。しかるに、万物の霊長とまで称ふる人間 が吾の天職をも知らず、法則をも究めずして、日夜、横暴無法なる醜行汚為 (をゐ)を敢行しつつあるは、実に禽獣と何等えらぶところはないのである。 全体宇宙は天之御中主神の御精霊体なる以上は、地上の生民らが横暴無法の行 動によつて、精神界の順調もまた乱れざるを得ない次第である。要するに天災 地妖の原因結果は、いはゆる天に唾(つばき)して自己の顔面にかぶるのと同一 である。 (『霊界物語』第十巻 言霊解より ) この神は、人民の病を癒すのが目的ではないぞよ。天地の大病、世界の国の大 病を直すのが目的であれども、それに就いては、誠の人民を道具に使わねばな らぬから悩まされている病を助けて、改心させたその上で、神界の大望な御用 に使ふて、万古末代名の残る手柄をさすぞよ。それで病気は御神徳の初りじゃ と申すのであるぞよ。(『神霊界』大正七年六月一日号より)
277 :
グリーンマン :03/03/14 00:25
誠の人民の誠とは聖師はこのように説明しています。 『誠の力は世を救う』という宣伝歌の誠ということは、神は言葉なり、言葉は神なり、 言葉は神とともにあり、万物これによりて創られるとある聖言の意味よりして、 瑞の御魂の御言葉は世を救う力があるということである。誠という字は言を成すと ある。その言というのは上にゝ(ほち)がある。このゝは玉の意であって主(ス)◎(ス) の霊という。三ノ口というのは、三つのみたまの口というので、結局三つの神霊の言葉と いうことである。救うということは最高至上の権威を持つものでないとできぬ。 すなわち生殺与奪の権を持つものにして始めてできるものであって、万有の創り主ではなく てはならぬ。そこで主の神の神格、神権を持つ瑞の神霊が誠であり、 世を救う力をもっているのである。この誠の力によって一切はよみがえり、復活するので、 生命を賦与したものでなくては生命を救うことはできない。 月の大神様がこの世の御先祖様がこの世の御先祖であるという神諭もあるが、瑞霊として 下生し、三界の救い主とし現われたる神の聖言こそ永遠の救いの力である。 ゆえに瑞霊に背く者の末路は常に哀れであり、瑞霊に来るものは永遠の復活をなすのである。 瑞霊の教えに生きるものは常に内流を受け現幽ともに光明の世界に楽しむことが できるのである。『霊界物語』に示してあるものを軽視するようでは、教えも開けんし、 内流もない。世を救う力は瑞霊の教え、誠よりほかにあるとおもうな 伊都能売の御魂の出口王仁三郎の「厳」の言葉です。 「善人」になるとか死後の天国とかは「まともな宗教」ならどの宗教いいんで しょうが、 この世を救うのは主神自身が主神の「用」として、宇宙の「活動力」として 三千世界の衆生を清め、更正されるためにあらわれた 、 神素盞嗚大神しかなく。人間は『霊界物語』に示された言霊と愛と清めの神である 神素盞嗚大神 の神格をよく認識し、信じ、その意思にしたがって活動するしかない というのが 「信仰に全き」出口王仁三郎の信仰であり、 根本主張であり、 生涯をかけた心の叫びです。
278 :
グリーンマン :03/03/14 00:44
訂正
>>246 の「フェイエルバッハ」はいうまでもなく
「フォイエルバッハ]の方がいい。須磨曽
>>277 の「信仰に全き」は田中正造だと「完き」でしたね。
279 :
グリーンマン :03/03/14 01:31
>結局、どの宗教を信じたら天国へいけるなんて「特典」を期待するのが 間違いじゃないかと思います。 いつから死後の天国の話になったんですか? 地上で神様がする「神の善」のお手伝いをするには人間は 生きているうちから魂の住所を天国や霊国においてなければ いけないというのが出口聖師の教えです。 そのための第一歩が四大綱領の政(祭)であり、四大主義の 清潔主義であり、『霊界物語』の拝読音読です。 四大主義の進展主義は社会改良の大道ですし、 天下公共のために働くことと『霊界物語』の音読がどうして 対立することになるんですか。話を曲げないでくださいよ。 仏教だって往相と還相とかいうでしょう。 『霊界物語』の拝読音読は王仁三郎の弟子にとってすべての 地上天国への活動の第一歩であり、原点です。
280 :
グリーンマン :03/03/14 01:35
『霊界物語』「道すがら」より 人生の本分としては、第一に天地神明の大業に奉仕し、政治をすすめ、産業を 拓き、かつ真の宗教を宣伝し、道義心の発達を助けて世界の醜悪を駆追(くつ ゐ)し、真善美の天地に進めてゆかねばならぬのである。他人はどうでもかま はぬ、自分のみ清く正しければいいのだといつて、聖人気どりで済ましてゐる やうなことでは、人間としての天職を全くしたものといふことはできないので ある。喜楽は常に、政教慣造(せいけうくわんざう)の進歩発達を祈願し、かつ 完成せしむるを以て、人たるものの天職だと考へてゐる。皇祖天照大神様(く わうそあまてらすおほかみさま)が建国の御趣旨は、政(せい)、教(けう)、慣( くわん)、造(ざう)の四大綱領(しだいかうりやう)の実行であつて、 一、政(せい)は万世一系(ばんせいいつけい)なり 一、教(けう)は天授の真理なり 一、慣(くわん)は天人道(てんじんだう)の常(じやう)なり 一、造(ざう)は適宜の事務なり 即ちこの四大綱領(しだいかうりやう)を実践躬行(きうかう)するのが人生の本 分であつて、特に我が神国(しんこく)に生まれたものは、一層責任の重かつ大 なるものである事を忘れてはならぬ。吾人(ごじん)は何れもこの主義に向かつ て、最も忠実に勤め奉(まつ)らねばならぬのである。吾人は人生の重大なる責 任を感じ、どうしても肉体の安楽のみを貪(むさぼ)ることはできない。人生の 本分を幾分なりとも遂行し得ざる内は、いかなる栄華も歓楽も、自分の心を満 たすことはできない。美衣、美食、財宝なども到底天授の心魂(しんこん)を喜 ばすに足らぬ。ただ天下公共のために、自分としての天職を尽くし得ることが 肝賢である。一寸先の見えないやうな不完全なる、罪に穢れたる吾人(ごじん) の身をもつて、到底重大なる天職を完(まつた)うすることは出来ずとも、その 幾分にても奉仕し得たならば、これに過ぎたる人生の幸ひはないのである。
281 :
シュレーダー首相@ドイツ連邦共和国 :03/03/14 07:10
古き良き欧州が他と違うのは、戦争が本当に意味する事を国民が深く心に刻んでいるからだ。 仏独は体を張って欧州の世界観を守ろうとしている。 戦争か平和解決か。 米・欧の価値観がぶつかる「最後の審判」は刻々と近づいている。 朝日新聞 朝刊
282 :
グリーンマン :03/03/14 12:48
訂正
>>277 の「月の大神様がこの世の御先祖様がこの世の御先祖であるという神諭」
は「月の大神様がこの世の御先祖であるという神諭」です。
すみませんでした。
283 :
グリーンマン :03/03/14 19:37
聖師が戦前提携した道院・紅卍字会にしても普天教、カオダイ教、そしてバハ イ教などにしても神様が用意したのでしょうが直接には彼ら自身が他宗教 との対話路線をしいていたからでしょうね。現在は宗教間の対話は当たり前に なりましたし、カトリックでも第二バチカン公会議以後 は盛んになりました ね。ユダヤ教とバチカンが対話する時代ですね。 大本は世界の鑑といいますから雛形になったのでしょうか。 王仁聖師を最高神の至聖先天老祖の代弁者と彼ら自身の神の啓示で信じていて 大本と一心同体だった戦前の道院と違ってバハイ教の方は側近の大国美都雄さ んによれば、王仁聖師にバハイ教について尋ねたところ、 「バハイ教はある程度のところまで行けるかもしれないが、いかんかもしれな いなあ。ワシは頼りにはしとらんぜ」とのこと。これからバハイ教がどうなる かは彼ら自身の課題でしょう。あと大本とエスペラントの出会いは彼らとの提 携などがきっかけのひとつだったようです。バハイ教とはいまでも交流がして いるのを大本信徒連合会の雑誌でみたことがあります。大本本部でもあるん じゃないのでしょうか。それからどうしてキリスト教徒を言向け和さなきゃ いけないんですか。戦前の相対主義がまだまだだった時代とちがっていまでは フランス人のチベット密教徒とか、ブラジル人の生長の家信徒なんていくらで もいますよ。 天理教徒には天理教徒の安心立命がキリスト教徒にはキリスト教徒の安心立命 があるわけでちゃんとした信仰をもっている人はまだいいんですけど。 彼らとは対話協力し、まずは日本と同じくあいまいな信仰な人や既成宗教に満足 していない人、無宗教の人もふくめて、聖師の存在と教えを紹介するところから 初めなければいけないですね。宣教という面ではまだ始まったばかりでしょう。 まだ聖師死後五十年ですからね。 愛善苑だったら出口和明宣伝使がイタリアの沖道ヨガや、インドのジャイナ教徒 の人たちのあいだに宣教にいって出口聖師の教えに関心を持っている人が尋ねて来 てたりしています。
オイぐりーんまん! 人生楽しいか?
286 :
名無しさん@3周年 :03/03/17 14:43
霊界物語の音読ってどういうこと
287 :
名無しさん@3周年 :03/03/17 22:48
>>286 声に出して読むこと。
オイラなんかその影響でビジネス用に
「ナニワ金融道」の音読迄やってます罠。
288 :
名無しさん@3周年 :03/03/18 17:20
皆、出口王仁三郎聖師の事は最初どこで知りましたか。 私は、確か雑誌「ムー」だったと思います。親が大本信 徒の場合もあると思うんですが。私は王仁三郎の考え方 好きですね。
僕も雑誌ムーです。 テレビで取り上げられたことあります? 普通に生活してたら知る機会がないですよね。
(^^;)
漏れも「ムー」。霊界物語読むと、乱視が治ったりボケが治ったりとか、やたらいいこと が書いてあるので(八幡の広告)、漏れも根性で全巻読破したが、別になにもなかった。 全巻読破したひとで、なにかいいことがあった、というひとはいますか?
292 :
名無しさん@3周年 :03/03/27 07:41
>>291 ウソ八ヒャク幡に乗せられては逝かんぞー。
でも、チミの動機も不純。
座禅で言う「只管打座」のように、何事も思わず、ひたすら音読すべし。
一読毎に人格が変わるはず。
しかし、信者さんでない人が通読したとは、御立派です。(感涙)
293 :
名無しさん@3周年 :03/03/28 04:01
霊界物語読んで幸運が舞い込む? 戦前の弾圧やら現在の狂信者どもの内輪もめを考えてみたら、そういうのは出鱈目 だとすぐわかるじゃないか。
294 :
名無しさん@3周年 :03/03/28 09:55
>>293 キミハ ゲンカイノ コトシカンガエテオラン。
295 :
名無しさん@3周年 :03/03/28 19:45
>294 現世をきちんと生きてこその来世だろう?
「顕幽一致」 『霊界物語』を読み直してください。
297 :
名無しさん@3周年 :03/03/28 20:22
読んだ。 感想は「馬鹿馬鹿しい」
298 :
名無しさん@3周年 :03/03/29 00:41
外部の人が書いた出口王仁三郎の伝記なり歩みなりで一番面白いのが何ですか?
>>298 ああ、どんな伝記があるって聞いてるんじゃなくて
一番面白いのって聞いてるのね
ごめん
どなたか教えてください
301 :
名無しさん@3周年 :03/03/29 03:40
>>298 「一番面白いって」どうゆうことですか?
神秘的なこととか、思想や学問的なこととか、
エピソード的なこととか。
302 :
名無しさん@3周年 :03/03/29 16:20
>>297 同意。正直、読む前は結構期待しちゃった。
最初から信仰する気はさらさらなかったけど、
聖書や大乗経典みたいに部外者が読んでも面白いのかと思って。
実際読んでみたら失望しまくり。
303 :
名無しさん@3周年 :03/03/29 17:01
まー難しいけどな、 いきなり『霊界物語』読んで解かったという人はいないし、 そもそも、読み終わる前に止めてしまう。聖書や大乗経典が いいなら、まずそっちの真理を探究してみるのもいいと思う。 それから『霊界物語』との比較研究をしてもいい。 『霊界物語』は教義や真理をそれらしく書かれていないので、 要点が何なのか理解できないという人も多いようだ。
304 :
名無しさん@3周年 :03/03/30 08:51
霊壊物語というのは、土俗の拝み屋が世界宗教を夢見てトチ狂ったような内容だった。
305 :
名無しさん@3周年 :03/03/30 09:57
「なを」のお筆さきはどうよ?
307 :
名無しさん@3周年 :03/03/31 07:23
>>295 ,297,302,304
赤門は出入りは出来るが入学できたということではない。
君らには御縁が無かったという事なのだ。(身魂の因縁)
自分たちにあった教えを探すほうがいい。(縁無き衆生・・・)
思想、哲学、宗教は万人に向くものなどない。
308 :
http://boat.zero.ad.jp/~zbc17307/ :03/03/31 07:58
309 :
名無しさん@3周年 :03/04/01 04:08
>307 うむ、毒酒に酔わなかっただけなのだ。 善哉、善哉。
310 :
名無しさん@3周年 :03/04/02 08:17
>>309 毒も変じて薬となる。
毒にも薬にもならんのは6なモンじゃない。
本当の毒は後からジワリ、ジワリと効いてくる。
中毒になるのも道、一旦投げ捨てるのも道・・・
311 :
名無しさん@3周年 :03/04/02 19:41
まあ、サリンも毒だけれど薬として使う物好きがいるかも知れんわな。
312 :
名無しさん@3周年 :03/04/02 20:01
>310 人を即死たらしめる毒は本当の毒ではない?
313 :
名無しさん@3周年 :03/04/03 08:58
>>312 「くどく」ちゅう「どく」もある。
もっとも、「どく」ヘビちゅうて、人がそば寄ると脇にのくのもおる。
314 :
名無しさん@3周年 :03/04/03 21:11
王仁三郎なみの氷点下ギャグだ。
当然ながら悪霊の予言能力はある。
316 :
名無しさん@3周年 :03/04/04 09:37
>>315 悪も神。
すべて大神の御分霊。
おおもとでは、節分のとき「福も内、鬼も内」言います。
317 :
名無しさん@3周年 :03/04/04 21:23
>316 なるほろ。 だから大本教には鬼も蛇もいて、みな好き勝手やっているのれすね。
318 :
名無しさん@3周年 :03/04/05 06:21
>>317 然り。
我々、おおもと信者は「三千世界の大悪神」の眷属です。
その信仰のもとに生活しております。
善悪正邪不二門。
319 :
名無しさん@3周年 :03/04/06 13:39
洋ちゃん、また出てきてCMでもいーからカキコしてチョウ。 スレが盛り上がりゃーせんわ。
320 :
名無しさん@3周年 :03/04/06 14:24
次の「火の雨」(原爆)はいつどこに落ちるんですか?
321 :
名無しさん@3周年 :03/04/06 14:26
>>320 文字の通りに受け取ってはいけません。万葉仮名と同じです。
「火の雨」ではなく「日野飴」と読みます。
おおもと開教の地綾部〈京都府綾部市〉の信者さんで日野という人が
むかし飴屋さん〈お菓子屋〉をしておりました。その飴が時間を経て(ふる)
古くなる、威厳がつく、神々しくなると言う意味の「古」「経る〈文語でふる)」
を、「飴」を「雨」とした縁語で「降る」と書いた一種の言葉遊びです。
神力と人力 (『霊界物語』第六十七巻)
一、宇宙の本源は活動力にして即ち神なり。
一、万物は活動力の発現にして神の断片なり。
一、人は活動力の主体、天地経綸の司宰者なり。
活動力は洪大無辺にして宗教、政治、哲学、倫理、教育、科学、
法律等の源泉なり。
一、人は神の子神の生宮なり。而して又神と成り得るものなり。
一、人は神にしあれば神に習ひて能く活動し、自己を信じ、
他人を信じ、依頼心を起すべからず。
一、世界人類の平和と幸福のために苦難を意とせず、
真理のために活躍し実行するものは神なり。
一、神は万物普遍の活霊にして、人は神業経綸の主体なり。
霊体一致して茲に無限無極の権威を発揮し、万世の基本を樹立す。
http://tanosi.net/~whoopee/bunken/yoshioka.htm 本当の 世界平和は 全世界の 軍備が撤廃 したときに はじめて実現され、いま その時代が 近づきつゝある。
age
325 :
名無しさん@3周年 :03/04/18 15:38
age
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
「この世の中は愛と善とで固まって居る世の中でありますから、何事も総(すべ)て愛善の神様に任して、そうして取り越し苦労をしないよう、過ぎこし苦労をしないよう――過ぎこし苦労というものは、済(す)んで了(しま)ってからの事である。 彼奴(あいつ)はああいう事を言いよったとか、彼奴(あいつ)の讐(かたき)をとらんならんとか、ああせなんだら、今まで大分財産も出来て居ったのにというような事で、又取り越し苦労をして、明日の事を、明日は何(ど)うしようとかと考えて居っても仕方がない。 千里の路(みち)を行くのにも、左の足から右の足という風に出して行けばよい。行く処は東京なら東京と決めて置いて、一足々々を注意して行く。積極的刹那心(せつなしん)を以(もつ)て進んで行く。そうすれば、影が形に伴うが如く、愛善の心が起って来る。 取り越し苦労と過ぎ越し苦労を忘れて来たら、一切の慾も起って来ぬ。怨恨も忘れて来る。又妙な欲望もなくなる。大本の方から謂(い)うと、それが惟神(かむながら)の精神である。」 『神の国』大正15年5月号「人類愛善の真義」 ●,,● (・e・) <ぬるぽ ゚しJ゚
霊鷲山(りやうしうざん)の宣伝使北光天使(きたてるのかみ)は泰然自若として、一心不乱に神教を説き進めつつありぬ。 一同の中より、 乙『宣伝使にお尋ねします。私は御存じのとほり、片目を抉(えぐ)られました。幸ひに片目は助かつたので、どうなりかうなり、この世の明りは見えますが、時々癪にさはります。 あなたの御話を承り、かつ御忍耐の強きに感動しまして、私も貴下(あなた)のやうに美(うるは)しき心になつて、直日(なほひ)とやらに見直(みなほ)し聞(き)き直(なほ)さうと、 覚悟はきめましたが、どうしたものか、腹の底に悪い蟲が潜(ひそ)んでゐまして承知をしてくれませぬ。これでも神様の御意に叶ひませうか。 どうやらすると、仇(あだ)を討て、仇を討て、何をぐづぐづしてゐる。肝腎の眼球(めのたま)を抉られよつて、卑怯未練にもその敵を赦しておくやうな、弱い心を持つなと囁きます。 どうしたら之(これ)が消えるでせうか。どうしたら之を思はぬやうに、綺麗に忘れることができませうか』 北光彦『御尤(ごもつとも)です、それが人間の浅ましさです。しかし、そこを忍耐せなくてはならないのです。何事も惟神(かむながら)に任せなさい。 吾々がかうして一口話をする間も、死の悪魔は吾々の身辺を狙つてをるのです。また吾々の心の中には、常に鬼や悪魔が出入りします。 それで人間は生れつきの直日の霊(みたま)といふ立派な守護神と相談して、よく省(かへり)みなくてはなりませぬ。笑つて暮すも泣いて暮すも、怒つて暮すも勇んで暮すも同じ一生です。 とにかく忘れるが宜しい。仇を討つべき理由があり、先方が悪ければ神様はきつと仇を討つて下さるでせう。人間は何よりも忍耐といふことが第一であります。 人を呪はず、人を審判(さば)かず、ただ人間は神の御心(みこころ)に任してゆけばこの世は安全です。
何事も神様の御心であつて、人間は自分の運命を左右することも、どうすることも出来ないものです。 生くるも死するも、みな神様の御手の中に握られてをるのである。 ただ人は己を正しうして人に善を施せば、それが神様の御心にかなひ、幸福の身となるのです。 人間としてこの世にあるかぎり、どうしても神様のお目に止まるやうな善事をなすことはできませぬ。 日に夜に罪悪を重ねてその罪の重みによつて種々と因縁が結ばれてくるのです。 あなたが眼球(めだま)を刳(えぐ)られたのも決して偶然ではありますまい。本守護神たる直日に見直し聞き直し、省みて御覧なさい。 悪人だと思つても悪人でなく、神様に使はれてをる人間もあり、善人だと見えても、また悪魔に使はれてをる人間もあります。 善悪正邪は到底人間として判断はできませぬ。ただ惟神に任せて、神の他力に頼つて安養浄土に救ふてもらふのが、人生の本意であります。 惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)』 と合掌する。折しも甲は、 『ヤイ皆の奴、こんな恍(とぼ)けた教示を聞く馬鹿があるか。それこそ強い者(もの)勝(がち)の教だ。 此奴(こいつ)はきつとウラル彦の間諜(まはしもの)だぞ。 俺のやうな弱い者を、舌の先で、ちよろまかしよるのだ。オイ金州(きんしう)、貴様は片目を刳られて、 今朝まで仇を討つと吐(ぬ)かして力んでけつかつたが、 今の態(ざま)つたらどうだい。さつぱり宣伝使に盲にせられよつて、今に片方の目も取られてしまふのを知らぬか。 オイ片目、所存の臍(ほぞ)をかんち、否(いや)、固(かた)めてかからぬと馬鹿な目玉に遇(あ)はされるぞ。 コラヤイ、どこから北光彦の宣伝使、貴様もえらい目に遇(あ)はしたらうか』 といふより早く、削竹(そぎたけ)をもちて宣伝使の右の眼をぐさと突きたり。 宣伝使は泰然としてその竹槍を抜きとり、片手に目を押さへながら、右の手に竹槍を持ち、押(お)し戴(いただ)き天に祈り始めたり。
甲『ヤイ腹が立つか。天道様(てんだうさま)に早く罰を与へて下さいなんて、竹槍を頭の上に戴きやがつてるのだらう。 滅多に此方(こなた)さまに罰が当つてたまるかい。悲しいか、痛いか、苦しいか、涙を雫(こぼ)しよつて。 今まで太平楽の法螺ばかり垂れて、その吠面(ほへづら)は何だ。今までの広言に似ず、何をメソメソ呟いてゐるのだイ』 と言をきはめて嘲弄したり。宣伝使は竹槍を頭にいただき、左手(ゆんで)にて目を押さへながら、 『アヽ天地の大神様、私は貴神(あなた)の深き広きその御恵(みめぐみ)と、尊き御稜威(みいづ)を世の中の迷へる人々に宣伝して、神の国の福音を実現することを歓びといたします。 殊(こと)に今日は広大無辺の御恩寵をいただきました。二つの眼を失つた人間さへあるに、私はいかなる幸か、一つの眼を与へて下さいました。 さうして一つのお取り上げになつた眼は、物質界は見ることはできなくなりましたが、 その代りに、心の眼(まなこ)は豁然(くわつぜん)として蓮(はちす)の花の開くがごとく明らかになり、 三千世界に通達するの霊力を与へて下さいました。今日はいかなる有難い尊(たふと)き日柄(ひがら)でありませう。天地の大神様に感謝を捧げます』 と鄭重に祈願を捧げ、天津祝詞(あまつのりと)を声朗(ほがら)かに奏上したり。一同の人々は感涙に咽びてその場に平伏し、うれし涙に袖絞る。 甲は冷静にこの光景を見やりながら、 『オイ腰抜け、弱虫、洟(はな)たれ、小便たれ、減らず口を叩くな。
331 :
名無しさん@3周年 :03/04/20 07:42
うわ、サンドイッチ喰っていたが、いっぺんに食欲失せるモノを見せられて しまったぞ。
三文の獅子舞口(ししまいくち)ばかりぢや。それほど眼(め)を突かれて嬉しけりやお慈悲に、も一つ突いてやらうか』 と又もや竹槍を持ちて左の目を突かむとせり。このとき東彦命は、その竹槍を右手にグツと握りたるとたんに右方へ押したり。 甲はよろよろとして倒れ、傍(かたはら)のエデン河の岸より真逆さまに顛落したり。 北光天使は驚きて真裸体(まつぱだか)となり河中に飛び入り、甲の足をつかみ浅瀬に引きて之(これ)を救ひたり。 これよりさしも猛悪なりし乱暴者の甲も、衷心(ちゆうしん)よりその慈心に感じ、悔(く)い改めて弟子となり、宣伝に従事することとはなりぬ。 宣伝使はこれに清河彦(きよかはひこ)と名を与へたり。 因(ちなみ)に北光天使(きたてるのかみ)は、天岩戸開(あまのいわとびら)きについて偉勲を建てたる天(あま)の目一箇神(まひとつのかみ)の前身なりける。 霊界物語 第35章 北光開眼(きたてるかいがん) 思い出すのは、1981/5.13 ローマ法王ヨハネ・パウロUはその凶弾に倒れしも すかさず自らを襲った暴徒に対し哀れみと祝福の十字をお切りになったらしい。 「われわれはひとつの肺では息が続かない。呼吸するには二つの肺が必要だ。東の肺と西の肺」 (当時の冷戦時代。凶弾に倒れまだ日も浅いその直後の声明だそうです。) 上に立つ御魂というものは、やはり壮絶ですね・・・ゥーン・・・(゚ぺ) .。o○
月光世に出づ 月光いよいよ世に出でて エンヤットコセ 精神界の王国は コラショ 東の国に開かれぬ ヨイセヤットコセ 真理の太陽晃々と コラショ 輝きわたり永遠に コラショ 尽きぬ生命の真清水は ヨイセヤットコセ 下津岩根にあふれつつ コラショ 慈愛の雨は降りそそぐ コラショ 荘厳無比の光明は ヨイセヤットコセ 世人の身魂をてらすべく コラショ 現われませり人々よ コラショ 一日も早く目を覚せ ヨイセヤットコセ 四方の国より聞こえ来る コラショ 誠の神の声を聞け コラショ 霊の清水に渇く人 コラショ 瑞の御霊に潤へよ ヨイセヤットコセ 音頭(みろく踊・花明山節) 華も咲き 出会い 別れに 実を結び 待つ(松)は うるわし 弥勒の世かな さんどいっちによろしく♪ おかげで連続投稿規制がかじょされたよ w
よ〜いせ〜 やっとこせ〜 闇のあとには月が出る。 新月に影見る人の宴かな
ウントコ ウントコ どっこいしょ〜 決行結構 コケコッコー 鳴くは 闇払ふ 酉の言霊♪ 影を見て 人の大きさ 測られぬ まして心の 中はいかにや♪ 封印を 解かれし 言霊鳴り響く 萌ゆる春の 夜月の桜♪ (ヨ−ィヨ−ィ エンヤラヤァ)
337 :
名無しさん@3周年 :03/04/20 17:29
壊れてるよ...
本年の流行性感冒は余程猛烈を極めて居る。就いてはその傳染(でんせん)を防ぐためにマスクを使用 せぬ者は電車に乗る事を禁ずると云ふ府縣令が出たり、全国に防疫官が派遣されるといふ大騒ぎであ るが、マスクの使用も結構かも知れぬが、それよりも日本国民は精神をマスクに持ちかへてマスグな 惟神の大道を歩めば、決して斯様な猛悪な風邪神に征服される気遣ひは無いのである。マッソンの流 感に罹っ(かかった)た連中が敬神尊皇(けいしんそんこう)の大儀を忘れてしまつて、不健實(ふけんじ つ)な害国思想にに心酔していると、終には神を軽んじ、大君の体恩を忘れ、悪神に乗ぜられて大切な 命までも抹損せなければ成らぬやうにるのである。。。。一月十五日の・・・・・略・・・・吾人は 大本神諭を反復熟読して倍々(ますます)神の力に依らねばならぬことを深く感ぜざるを得ないのであ る。又、大阪では十五萬人の小學生徒が一時に学校を休み、マスクを面部に當ている。 全然六道の辻をさ迷ふ亡者の行列を見るようである。一時も早く日本神洲清潔の民に復歸し、マスグ の精神に成つて悪神を撃退するが、目下の最大急務である。 又、マスクは国音(こくおん)「魔好く(ますく)」に通ずるものである。 (大正九・1・21號神霊界誌) 最近やたらテレビ等で、SARS(重症急性呼吸器症候群)予防の為にマスクを付けてる光景を目にしますが、こういう健康などなど各自十二分に気をつけなければならないようですね。 ちなみにこの大正九年(1920)という年はスペイン風邪が世界中に猛威を奮っていた頃のようです。 ・・・ちなみに風邪にはネギがいいとか・・・
339 :
名無しさん@3周年 :03/04/20 22:11
葱を首に巻いていた人、昔いたよね。 今でも古い歌手の人はやるらしいけど。
>>339 出口王仁三郎によると風邪は、ドブたぬき? のしわざらしいねw
で、この狸というのがネギを嫌うという話があるそうですよ。
それから生ネギは、日本人にとってもニンニクよりも精力増進としても効果があるそうです。笑)
これはわたしも試してみて確かに実感。。。。
しいていえばニンニクは瞬発性はあるけど「・・・ん?」感じですけど、ネギは持久的に持続する
という感じでした。
(〃^∇^)o_彡 アハハ 恥かしい・・・・オヤスミ!マタネ(笑
大きな紙にネギを載せて 「大神にねぎ奉る」 という信仰にだけは陥らんでくれ!
342 :
名無しさん@3周年 :03/04/21 14:08
>>340 月光浴の宣伝使様
ネギの効用ですが、毎食の分量、効果が出るまでの日数等の
具体的なお話しをお願いします。また、硬度、持続時間の変化
も出来れば・・・・・・
青ネギと長ネギどっち?
弥勒age
御世出age
346 :
名無しさん@3周年 :03/05/15 00:04
聖師様や開祖様は「食物節すると運が開ける」と言ってますか? 日月神示みたいに。
347 :
名無しさん@3周年 :03/05/21 21:40
一度肉食わないように心掛けたが、失敗した。
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
349 :
名無しさん@3周年 :03/06/03 18:20
出口聖師の霊界物語、先日、1巻を拝読しました。黙読しましたが、音読 がいいと言われました。音読をするとどんな効果がありますか?どなたか 教えて下さい。真面目なレスです。
350 :
名無しさん@3周年 :03/06/03 18:21
351 :
名無しさん@3周年 :03/06/03 19:08
>>346 浅野和三郎とかが、大本に入った頃に、自然に体が肉類を受け付けなくなった
という経験をしたらしい。
「霊性向上のため」と言ったって、好きな肉を我慢するというのは偽善になる
んじゃないかな。聖師は、魚などがお頭つきで食卓に上がると、かわいそうで
見ていられないから魚を食べるのは嫌になった、と告白されていたと思う。
私見だけど、信仰とは「完全なる自律」でないと本物じゃないと思う。「見返
えり」期待の信仰では必ず途中でぐらついてしまうよ。信仰に目論見があって
はダメだ。たとえ、それが「霊的な向上」であってもね。
以下の文章、「断食」を「肉食断ち」に変えてもそのまま成り立つと思います。 「食すべき食物が豊富にある時、断食しても、それは断食にはならない。 宣伝にいって食するものがなかったり、忙しくて食事する間がなくて、食べたり 食べなかったりする場合が真の断食になるので、それが三度つづけば一日分 断食したことになるのである。それがおかげである。」 (『三鏡』「断食のこと」)
353 :
名無しさん@3周年 :03/06/05 15:55
霊界物語って何?霊の世界の話?
人間は死んだ後にも「霊」のような本体が残るとして、死後は、「霊」の資質 に応じて、「天界」か「中有界」か「地獄界」のいずれかへ行くとしています。 その3つをひっくるめて「霊界」と呼んでいます。
355 :
名無しさん@3周年 :03/06/06 17:49
>>354 違うだろう。それだと彼岸の世界だけの
話になってしまう。この世も含めての
霊妙なる世界の物語です。
「霊界と神霊界」
霊界とは、霊妙なる世界、ということであって、
顕、幽、神三界を総称して、しかいうのである。
人あり、霊界物語を評していわく「書名題して
霊界物語という。しかるに記すところは顕現界の
事象はなはだ多し。なんぞそれ内容と題名と相応
せざる事かくの如くはなはだしきや」と。
これ、霊界の意味を真にしらざるがゆえの妄評で
あって、霊界というのは、三界を包含したるもの
であるから、顕現界のことを記して、ちっとも
さしつかえないのである。
世人のいわゆる霊界というには、神霊界をさして
いうのであって、霊界とはその範囲がよほど狭く
なってくる。
(大正十五年二月・水鏡)
霊界には天界と、地獄界と、中有界(ちううかい)との三大境域があつて、 天界は正しき神々や正しき人々の霊魂の安住する国であり、地獄界は邪神 の集まる国であり、罪悪者の堕(お)ちてゆく国である。(第1巻第5章) 「霊界物語」の題名にある「霊界」の意味を尋ねられたのだから、物語 の中の定義を示せば十分でしょう。
357 :
名無しさん@3周年 :03/06/06 18:14
>>356 だから物語の題名にある「霊界」の意味は
霊妙なる世界だってこと、
霊の世界の話が「天界」やら「地獄界」やらなのは
>>353 さんだって知っているでしょう。
聖師が前半生を回想した物語三十七巻、三十八巻
や「入蒙記」だって霊界物語だろう。
>>357 じゃあ、第1巻に書いてあるのは嘘だとでも?
359 :
名無しさん@3周年 :03/06/06 19:21
王仁三郎みたいなオオボラ吹きの言うことなんか、真に受けるなよ。
>>359 でたらめかどうかは、自分で判断する。あなたの指図は受けない。
361 :
名無しさん@3周年 :03/06/06 20:06
>360 そりゃ痛い目に遭うのは君だからね。 周りに迷惑を掛けないのなら好きにするがよかろう。
362 :
名無しさん@3周年 :03/06/06 20:18
だから353さんが聞いているのは『霊界物語』の題名の「霊界」の意味と 物語全体の内容の意味でしょう。 第一巻の説明は「世人のいわゆる霊界」と同じ狭い意味の「霊界」の説明。 なんで嘘になるの。 それに天国と地獄の話という説明だったら物語を読んだらいきなり まだ人間がいない時代の神々の戦いの話を読まされて面食らうよ。
363 :
名無しさん@3周年 :03/06/06 20:22
霊界物語って紀伊国屋とかの本屋で売ってるのかな?
364 :
名無しさん@3周年 :03/06/06 20:23
ねぇここのスレの人、竹内崇元っていう霊能者知ってる?武田じゃないよ
訂正「まだ人間がいない時代」というのは間違い。
366 :
名無しさん@3周年 :03/06/07 14:36
びっくり箱の蓋が開くのはいつでしょうね。
367 :
名無しさん@3周年 :03/06/07 16:22
他スレに質問したのですが、返事をもらえません。 生死を超越したものなし、と或る人が申しています。 聖師に”生死を超越”に関するお言葉は無いでしょうか?
368 :
名無しさん@3周年 :03/06/13 19:33
>367 「生死を超越」という意味は、「生死」という二元対立を超越する、という ことなら、聖師は「生死一如」という言葉を残されているヨ。 また小三災の饑病戦、大三災の風水火に攻められ、いかなる艱苦の淵に沈む時 ありとも介意せず、幸運に向かふも油断せず、生死一如と心得、生死に対して は昼夜の往来をみるがごとく、(中略)心神虚しくして一点の私心なきとき は、その胸中に永遠無窮の神国あり。(霊界物語第22巻第2章) こういうのもあるヨ。こっちの方が「生死を超越したものなし」に近いかも。 生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひおもてを みなみにして北斗をみんとするがごとし。いよいよ生死の因をあつめて、 さらに解脱のみちをうしなヘり。ただ生死すなわち涅槃とこころえて、 生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし このときはじめ て、生死をはなるる分あり。(道元『正法眼蔵』「生死」)
kakkyとかいって、HPに行ったら写真が載っててイメージと違うので びっくりした・・・・ なんかナルシストっぽいのだけども文章の内容が・・・ 写真なんか載せなきゃよいのに・・・ それとも、有名になりたいのかな? ちなみに月光浴って女?
>>209 同意
ところで話変わるけど、携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)
このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。
画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。
この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
いきなりへんな事書いてすまそ・・・
GBAとくらべてみてどうですかね?(シェアの事は抜きで)
アトムの騎士ってなんなんだろうね、 知識が豊富のようだけど、 上のほうにいるアトムというのと同一人物? まあ、寂れた掲示板で二人でお話して盛り上げてるのだから 偉いけどね。 kakkyもあれだけど、 鬱陶しさ アトムの騎士>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>kakky だけど、 勉強になる度合い アトムの騎士>>>>>>>>>>>>>kakky 学校の先生のような存在かね。
372 :
名無しさん@3周年 :03/06/28 13:22
霊界物語の掲示板って寂れているのかな? ROMしている人は結構多いと思うぞ。 コテハンで議論する勇気も知識もない大多数が2chにカキコしているだけ(自爆)
> コテハンで議論する勇気も知識もない大多数が2chにカキコしているだけ それ、もろに俺・・・w 一般的な知識もないし、霊界物語の知識もなしw 俺がこっちに書き込みしてるのはそのせい あの掲示板の雰囲気を汚したくないと言うのもあるけどね
何か疑問や質問があったらここに書き込んでおいて下さい。
375 :
物語掲示板常連 :03/07/01 08:48
>372,373 そんなに気にすることないんじゃない? アトムのオサーンは、すぐに自己陶酔 してまくし立てるウザイとこはあるけど、あれは独り言だと割り切ればいいさ。 それに、レスが混線状態になることも多いけど、あすこの住民はそんなこと気に しちゃいないぜ。書きたいこと書けば、きっとアトムのオサ−ンあたりが食 いついてくれるさ。
376 :
名無しさん@3周年 :03/07/01 19:54
アトムってワールドメイトだったんだろ?
377 :
物語掲示板常連 :03/07/01 20:09
>375 それは別の人だよ。「ひつじさん」が「ワーメイ問題」で今年の4月に 投稿しているようだけど、アトムのオサ−ンは直接関係ないんじゃない? どちらかというと、反ワーメイだったと思うよ。
378 :
名無しさん@3周年 :03/07/02 15:42
アトムは元深美信者。あそこでひーひーいう目に合わされたから、 極端に疑り深くなっている。 だから「わだすは科学的に真理を解明します!」的発想になっている。 なんかヤシのカキコみてると、物語を始め自説に合致するとこだけを 「おいしいトコどり」するんだよね。 だから普段は「王仁先生はこう仰ってます」と印籠を振りかざすくせに、 ちょっと自分の考えと違うと「私は王仁先生の言うことを全面的には信じて いません」と都合の悪いときは切り捨てるか無視する。 確か鰐口曲冬や鼻高学者達はこのパターンで脱退と新派立ち上げになって いったが。 もしかしてヤシも大阪商人の血が騒いでアトム教設立か? 宗教は無税だから。
379 :
名無しさん@3周年 :03/07/02 16:13
アトム=元ワールドメイト会員
380 :
物語掲示板常連 :03/07/02 18:26
>378-379 霊界物語には、とことん曲津に騙される場面があるから、疑い深いのが悪いとも 言えんと思う。もし、アトムが間違った方向へ行っているという確信があるのなら、 掲示板へ行って本人を言向け和すべきなんじゃない?
381 :
名無しさん@3周年 :03/07/02 18:29
自分が間違っていることを認めない奴には何を言っても無駄だと思われ
382 :
名無しさん@3周年 :03/07/02 19:04
出口王仁三郎なんて詐欺師に引っ掛かったのが運の尽きなんだな。
>>382 出口王仁三郎のどこが詐欺師なのか言ってみてよ。
384 :
名無しさん@3周年 :03/07/04 04:14
>>384 やっぱ、そこか。馬鹿馬鹿しい。
まともに少し自分で出口王仁三郎のこと調べれば、そこに書いているのが
いい加減な内容だというのがすぐ分かる。
386 :
名無しさん@3周年 :03/07/04 04:50
>385 ほう、どういい加減なのだ? お主の調べたこととやらを羅列して見よ。
実は385自身も調べてません。
>>387 「出口王仁三郎なんて詐欺師」のように、「実は385自身も調べてません」と
決めつけるのが、なかなかお得意なようだね。
調査によって明らかにされた事実のupまだ〜?
390 :
名無しさん@3周年 :03/07/04 06:04
>>389 じゃ、一つの例。
>教祖没後に公表された『お筆先』は教祖直筆ではなく
>王仁三郎の捏造になること、『お筆先』の予言が的中
>したと称するのはすべて後からのこじつけであり、実
>際には多くの予言が外れている
お筆先には予言された事が起きる時期を書いたものは、
ほとんどない。だから、起きる時期を適当に解釈して
「多くの予言が外れている」と言っている。
予言は「すべて後からのこじつけ」というが、王仁三
郎自身の予言、たとえば第二次大戦でアメリカの攻撃を
受けることを予言した『瑞能神歌』などを見れば、実際
に「後からこじつける」ことが出来ないこと事が実現し
ていることが明らかに分かる。
「今の世界の国々は、御国に勝りて軍器を、海の底にも
大空も、地上地中の撰み無く、備へ足らはし間配りつ、
やがては降らす雨利加(アメリカ)の、数より多き迦具
槌に、打たれ砕かれ血の川の、憂瀬を渡る国民の、行く
末深く憐みて」(『瑞能神歌』の一節)
この予言は長いから省略するが、初出は、『神霊界』
(大正7年2月号)で、『伊都能売神諭』(八幡書店)
に再録されているから、簡単に調べられるだろう。
日米戦争の予見程度で舞い上がっているのか。 >お筆先には予言された事が起きる時期を書いたものは、 >ほとんどない。だから、起きる時期を適当に解釈して >「多くの予言が外れている」と言っている。 インチキ宗教家が使い古した手法を出口も使っていたんだね。
>>391 「日米戦争の予見程度で舞い上がっているのか。」と、また決めつけかね。
他にも色々あるが、書くのが馬鹿馬鹿しくなったから止めた。
>392 なんだ その程度か。
394 :
名無しさん@3周年 :03/07/04 11:53
>>393 じゃあ、お前が思う「詐欺師じゃない、本物の偉人」を挙げてみろよ
395 :
名無しさん@3周年 :03/07/04 13:54
原田実の大本オウム論は、6年前に「宝島30」で、武田(崇元)さんからコテンパン にやっけられてとっくにカタはついてるじゃん。古史古伝や偽書研究ではいい仕事して るんだけどね原田さんも。
396 :
名無しさん@3周年 :03/07/04 18:34
武田のオヤジ自体が胡散臭い。 東日流外三郡誌や竹内文書といった偽書を高値で売ってただろう。 ああいう輩は信用するに値せず。
>>396 >武田のオヤジ自体が胡散臭い
には漏れもひそかに同意(w
だが
>>394 の質問にはちゃんと答えてくれよな?
>古史古伝や偽書研究ではいい仕事してるんだけどね原田さんも。 ぜんぜん同意できないね。 あんな奴、ただの腐ったオカルト・オタクじゃねえか、 あんな餓鬼を相手にするだけで、厨房の証明になるぞ。 それとも原田と心中する覚悟なのか(w
399 :
名無しさん@3周年 :03/07/04 20:41
あらっ。武田は胡散臭いオヤジで、原田は腐ったオカルトオタクなのか。 さんざんな師弟コンビだな、どっちもどっちなのか???。
400 :
名無しさん@3周年 :03/07/05 02:36
>だが
>>394 の質問にはちゃんと答えてくれよな?
答えてやる必要性もないと思うが、
ヤージニャヴァルキャぐらいか。
まー、王仁三郎も神通力(有るか無いのか知らんが)を除けば
三流の宗教家だしな。
401 :
名無しさん@3周年 :03/07/05 03:20
>>400 ずいぶんマイナーな名前出してくるな。
ヤージニャヴァルキャがいう「自己(我、アートマン)」とは、大本でいう
ところの直霊だよ。
そしてさらにつっこんで言えば、その直霊はすべての根源である「大素神=
天帝」と直接つながっている。
王仁三郎は当然神通力は持ってたが、本当に凄いのは教えだよ。霊界物語その他
を検索してみな。
しかしなぜ師匠のウッダーラカ・アールニじゃなくて、弟子のほうを出すんだ?
402 :
名無しさん@3周年 :03/07/05 07:54
>401 霊界物語なんぞ途中で放りだしたよ。神々のいやらしい戦ごっこに呆れてな。 >しかしなぜ師匠のウッダーラカ・アールニじゃなくて、弟子のほうを出すんだ? 出藍の誉れ、って知ってる?
403 :
名無しさん@3周年 :03/07/06 12:17
>>402 >霊界物語なんぞ途中で放りだしたよ
具体的に何巻まで読みましたか?
>しかしなぜ師匠のウッダーラカ・アールニじゃなくて、弟子のほうを出すんだ?
>出藍の誉れ、って知ってる?
どこがどうウッダーラカ・アールニよりヤージニャヴァルキャの方が優れている
のですか?2、3例を挙げて、解りやすく説明して下さい。
404 :
名無しさん@3周年 :03/07/07 08:19
おい、もまいら!!
霊界論争で禿げしく敗れた
>>351 は
ア ト ム で す よ
知ってた?
>404 追っかけ、ご苦労! あんたも、私みたいなもん相手にしとらんと、 もっとマシなことに時間使いなはれ。
>404 どこで誰に負けたの?
407 :
名無しさん@3周年 :03/07/08 07:16
408 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 01:02
ヤージニャヴァルキャ信者はどこ逃げたんだ??
丑寅の金神
410 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 01:17
ヤージニャヴァルキャ信者、逃亡によりこの勝負、王仁聖師の勝ち。
411 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 01:18
ワールドメイトのほうが上じゃ、ガハハハ
402氏じゃないけど、霊界物語、戦ごっこ?ばかりであまり面白くないので 困っています。意気揚々と読み始めたのですが・・。 申し訳ない。一応まだ放り出す気はないけど・・。 まだ3巻です。・・・ふう。
深見先生にくらべたら王仁などクズ同然(ぎゃははは
おまえら、ワールドメイトを騙って大本とワールドメイトを・・・w
415 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 01:40
麻原先生に比べたら、晴久など一小市民(ぎゃははは
三千世界一度に開く梅の花・・・
417 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 03:58
>412 無理することはない。 霊界物語なんて幼稚なファンタジーだからね。
418 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 04:07
>>417 論争に負けて荒らしまくっているお前の方が幼稚
>>412 13巻あたりから、滑稽諧謔満載で面白くなるので、
しばらくの辛抱だね。それまでで投げ出してしまう
と、残念ながら霊界物語の面白さが味わえない。
420 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 04:19
霊界物語で重要な教えに忍耐力を持つことというのがあるが、霊界物語を途中で投げ出す人というのは、神の教えを知るには忍耐力が足りなかったということだろうね。
421 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 04:25
出口のいう神の教えとはなんだ? 信者たちよ、簡潔に列挙してみるがよい。
422 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 04:30
>>421 『人は神の子神の宮 神霊界はいふもさら
現実界の天地の その経綸の司宰者と
選まれ出でしものなれば 人はこの世の元の祖(おや)
国治立大神の 神言(みこと)のままに畏(かしこ)みて
愛と善との徳にをり 真の信仰はげみつつ
天津御神の賜ひてし 一霊四魂をよく磨き
忍耐力を養成し 人と親しみまた人を
恵み助けつ神のため 世界のために真心を
尽してこの世の生神と 堅磐常磐(かきはときは)に仕へゆく
貴(うづ)の身魂と悟るべし たとへ天地は覆るとも
誠一つの大道は 天地開けし初めより
億兆年の末までも 堅磐常磐の巌のごと
決して動くものでなし 吾らは神をよく愛し
神の恵みに浸りつつ ただ惟神惟神
神より来たる智を磨き 宇宙の道理をよく悟り
この世に人と生まれたる その天職を尽さずば
この世を去りて霊界に 到りし時の精霊は
伊吹戸主に審かれて たちまち下る地獄道
実に恐ろしき暗界に 顛落するは必定ぞ
かくも身魂を穢しなば 吾らを造りし祖神(おやがみ)に
対して何の辞あるべき 日ごと夜ごとに村肝の
心を鍛へ肝を錬り 善と悪とを省みて
神の賜ひし恩恵を うつかり捨つることなかれ
かかる境遇に陥らば 天地を造り給ひたる
神に対して孝ならず 吾が身をはじめ子孫まで
曲津の群に墜ち込みて 塵や芥と同様に
自ら世界に遠ざかり 百千万の罪業を
集むる身とぞなりぬべし 省みたまへ諸人よ』
『霊界物語』第四八巻・第一六章
424 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 04:59
>422 まず、何巻まで読んだとかいう質問だが、巻数までは覚えてはいないな。 10個ほどの宝珠を守護するアホ神たちが、敵の神に宝珠を詐取されるところ ぐらいまで辛抱強く読んだ。いや、実に馬鹿馬鹿しかった。 ヤージニャヴァルキャとウッダーラカの件だが、ヴィデーハ国王ジャナカの 宮廷でヤージニャバルキャがウッダーラカを論破した逸話がある。 こんなんでいいだろう。 で、出口のいう神の教えはなんだ? 簡潔に頼むよ。
425 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 05:02
>>424 >で、出口のいう神の教えはなんだ?
>簡潔に頼むよ。
423 に引用したのに簡潔に表わされてるよ。
426 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 05:48
>425 あれがか? たしか川面凡児についてのスレで出ていたが ある信者が「大本ではなんで禊をしないの?」と出口に聞いたら 「禊ちゅうんは天人クラスがするもんじゃ。穢れた人間風情がするもんじゃ ない。」みたいな問答があったらしいな。 それなのに「人は神の子神の宮」「 人はこの世の元の祖(おや)」 なんてよく言うよ。 出口は裏表のある男だな。崇拝するに値せず。
427 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 05:55
どこかで霊界物語は霊主体従が重要な部分だとか読んだ気がするのだけど、 サパーリ分からんです。いや、筋書きの意味は分かるけど、何が重要なのやら。 実に申し訳ない。とりあえず忍耐ですね。
429 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 07:27
>>426 どうも、早とちりする性格のように見受けるけど、早とちりしないで良く
読んでね。
「人は神の子神の宮」というのは、「人間は神の子神の宮」じゃないよ。
「大本は、人は神の子、神の宮と唱えている。また、神は万物普遍の霊に
して人は天地経綸の司宰なり、神人合一してここに無限の権力を発揮す、
とか、また、人は天界の基礎なり、天国は昇り易く地獄は堕ち難し、と謂っ
ておるのは、普通一般のいわゆる人間ではない。人間界を超越した神の
御用にたつところの神柱のヒト(霊止、ひと)を指したものである。」
(『月鏡』「人間という問題」)
また、「 人はこの世の元の祖(おや)」じゃなくて、「人は、この世の
元の祖・国治立大神の…」とつながっていて、国治立大神が、「この
世の元の祖(おや)」ということ。
430 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 08:03
>>426 「私は断言しておく。大本の教理を真解せむと欲せば、
どうしても本書を繙(ひもと)かねばならないことを。」
(『霊界物語』第二七巻「序文」)
「この霊界物語は、全巻を通じて三大潮流が不断に幹流し、
時々大小の渦巻が起つてをりますが、何分にも大編著で
ありますから、一冊や二冊くらゐ拾ひ読みをしたぐらゐ
では、到底その真相を捕捉することは出来ませぬ。まづ
全巻を読了された上でなければ、いかなる批判も加へる
ことは出来ないやうになつてをります。」
(『霊界物語』第一三巻「モノログ」)
431 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 08:17
>>428 >とりあえず忍耐ですね。
そうですね。読んでいる内に段々分かってくるでしょう。
初めから分かる人間なんてほとんどいないと思い
ます。早とちりで分かったと思い込む場合は、426さん
みたいに、見当外れの批判するようになってしまう
でしょう。
432 :
KAMEJIN :03/07/11 08:41
総本山(?)の近くに住んどるんですが、大本教ぶっちゃけよくわからんです。どなたか教義というか、哲学というか、この宗教の言いたいことをわかりやすく教えてもらえませんかね?
433 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 09:31
>>428 ,
>>431 それでも、強いて「霊主体従」の真意が現れているところを示せ、と言われたら、
文句なしに第1巻「発端」の、
「霊主体従の身魂を霊の本の身魂といひ、体主霊従の身魂を自己愛智(ちしき)
の身魂といふ。」で始まる部分だと思う。あまり「霊」と「体」の字面に囚わ
れて、不思議世界に埋没しない方がいいと思うよ。これは私個人の意見にすぎ
ないけどね。
434 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 17:33
>>424 >>422 >ヤージニャヴァルキャとウッダーラカの件だが、ヴィデーハ国王ジャナカの
>宮廷でヤージニャバルキャがウッダーラカを論破した逸話がある。
だから、その逸話の内容を詳しく解りやすく書けっての。
>何巻まで読んだとかいう質問だが、巻数までは覚えてはいないな。
10個ほどの宝珠を守護するアホ神たちが、敵の神に宝珠を詐取されるところ
ぐらいまで辛抱強く読んだ。いや、実に馬鹿馬鹿しかった。
全然最初の方じゃねえか。
お前は馬鹿だな。
435 :
出口王仁三郎 :03/07/11 17:44
(原爆について聞かれて) まだまだ本当の火の雨はこれからや。 霊(ひ)の雨が降るぞ
436 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 19:10
>434 >だから、その逸話の内容を詳しく解りやすく書けっての。 自分で調べる気はないのか? ここは出口スレであってウパニシャッドスレではない。 どうしても知りたいというのなら図書館でも行くがよかろう。 >全然最初の方じゃねえか。 最初の部分で投げ出させるほど下らぬお伽噺という事だ。 君みたいなカシコさんじゃないから、学ぶべき事柄を取捨選択しなければ ならないのだよ。
437 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 19:18
人間界を超越した神の御用にたつところの神柱のヒト(霊止、ひと)を 指したものである。」 馬鹿馬鹿しい。 人というのは神々の愚かな戦争ごっこの道具だというのか。 ならば、こちらは人間のままでありたいね。 だが、人間よりも神々のほうがよっぽど愚行が多いね。 この調子では四六時中、禊をやっていなければならんね。 いっそのこと、河童よろしく水棲神になってもらったらどうだろう。 わざわざ禊を行いに水辺に赴く手間が省けるぞ。
438 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 19:20
アトム=元コスモメイト(ワールドメイト)
439 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 20:51
アトムさん、くだらない煽りは無視してくださいね。応援しています。
442 :
名無しさん@3周年 :03/07/12 01:27
>>437 >人間界を超越した神の御用にたつところの神柱のヒト(霊止、ひと)を
>指したものである。」
>馬鹿馬鹿しい。
>人というのは神々の愚かな戦争ごっこの道具だというのか。
神々には、正神と邪神があるが、「神の御用にたつ」と
いったら、「邪神の御用にたつ」なんてことを含んでいる
はずがないだろう。
そんな読解力の持ち主だと、大本以外の他の宗教の
本を読んでも、トンデモ解釈をしているんだろうな。
443 :
名無しさん@3周年 :03/07/12 01:28
アトム(コスモメイト崩れ)ならデタラメな解釈をしてることは考えられる
トンデモ解釈をしているのは、ヤージニャヴァルキャ信者
445 :
名無しさん@3周年 :03/07/12 04:02
>442 「正神と邪神」とあるが、両者は醜い勢力争い・戦争をやっているんじゃなかったのか? 戦争状態の奴らにとって「役立つ」というのは穏やかなモノではあるまい。 少し冷静に考えれば、それぐらいわかりそうなものだが。
446 :
名無しさん@3周年 :03/07/12 04:39
>(原爆について聞かれて) >まだまだ本当の火の雨はこれからや。 >霊(ひ)の雨が降るぞ こういう具合に人心を惑わすような者を崇めるというのも如何なものか。 出口に引っ掛からなかったら、オウム真理教や阿含宗の信者になっていた 人々が多いんじゃないのか?
447 :
名無しさん@3周年 :03/07/12 09:42
>>445 >「正神と邪神」とあるが、両者は醜い勢力争い・戦争をやっているんじゃなかったのか?
正神界は天界で、邪神界は地獄のこと。それらの「醜い勢力争い・戦争」とは、
天界と地獄の戦いのことであり、この天界と地獄の戦いの戦いは、人間個人
の心の中では善と悪との戦いとなっている。
したがって、人間が「神の御用にたつ」とは、別の言葉で言えば、人間が悪を
斥け善に生きることで、それは地上天国化となる。
>戦争状態の奴らにとって「役立つ」というのは穏やかなモノではあるまい。
>少し冷静に考えれば、それぐらいわかりそうなものだが。
たしかに、人間の心における善と悪の葛藤は「穏やかなモノ」ではないだろう。
448 :
名無しさん@3周年 :03/07/12 13:01
>447 天界も地獄も修羅界の中にあるのだな。 そもそも善悪なんて状況次第ではいくらでも変化するのではないか。 国や民族或いは各宗教間などで善悪の基準が異なる場合も多いだろう。 その差はどう解消せよと出口は言っているのだ?
449 :
名無しさん@3周年 :03/07/12 13:40
正神と邪神、両陣営ともあぼーんしてくれれば世界は平和、人の心も穏やかなのに。
450 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 00:03
>>449 >正神と邪神、両陣営ともあぼーんしてくれれば世界は平和、人の心も穏やかなのに。
「正神と邪神、両陣営ともあぼーん」されたら、「人の心も穏やか」どころか、
人もあぼーんされてしまう。
「神より人に流れ来る 凡てのものは愛の善
信と真との光のみ 根底の国より来るものは
悪逆無道ばかりなり まことの神は人間を
悪より離れて善道に 立帰らせむと為したまふ
これに反して地獄界は 人をば悪に誘はむと
一心不乱に焦慮せり さはさりながら人間は
天界地獄両界の 間に介在なさざれば
人は何らの想念も 意義も自由も撰択も
あらず身魂も亡ぶべし」
(『霊界物語』第五六巻・第一章)
451 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 08:55
>「正神と邪神、両陣営ともあぼーん」されたら、「人の心も穏やか」どころか、 >人もあぼーんされてしまう。 釈迦のいう涅槃の境地はここにあった!
452 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 09:05
>したがって、人間が「神の御用にたつ」とは、別の言葉で言えば、人間が悪を >斥け善に生きることで、それは地上天国化となる。 昨今の大本教の状態は地上天国の「型」なのだよ、キミィ。
あれ?大本ってまだ型の役割なの?確か王仁三郎は地の準備神業は終わったと言ったはずだけど。
454 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 15:34
今の大本は自民党や官僚支配の 腐った日本の型になっているのは明らか 裏で糸引く○太郎 王仁が嫌いな○日に聖○ 操り人形くれ○いチャン
455 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 17:55
面白うて やがて悲しき 王仁信者 きちんと成仏しろよ
456 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 18:06
>>455 >きちんと成仏しろよ
( ´∀`) オマエモナー
457 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 20:22
出口王仁三郎信者も言われっぱなしでいいのかよ。 聖師が侮辱されてるんだ。 反論できる香具師はいないの?
458 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 20:26
>>457 見当違いのこと書いているから、馬鹿らしくて
反論する気にもなれん。
459 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 20:29
>458 どこが見当違い? はっきり書かないと言い負かされたと思われちゃうよ。
461 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 20:31
462 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 20:33
>>459 霊界物語を読んでいない者は言い負かされたと
騙されるかもしれないが、霊界物語を読んでいる
者には、どこが見当違いかよく分かる。
463 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 20:35
>461 つまり反論しないってこと? 誤解を糺すのが神の御用に立つことの一つじゃない?
へーっ、ご自身で駄レス付けておいて、 誤解してますって書き込みも面白いね。
465 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 04:38
何やら妙な流れになっているようだが、448あたりの質問には 回答不能なのか。 >霊界物語を読んでいる者には、どこが見当違いかよく分かる。 見当違いも何も、出口にとって善悪とは如何なるものと 聞いているだけだが? いつもどおり霊界物語の一節を引用して回答するのが 無理なのなのかね?
人から『霊界物語』の一節を引用して回答してもらう のではなく、ご自身でどうぞお読み下さい。
467 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 08:42
>>465 結局のところは、「霊主体従」=「善」、「体主霊従」=「悪」という価値観
になると思うけど。我欲にとらわれず、普遍的な公益に尽くすこと(その究極
が神の意志のままに従う「神ながら」)が「善」で、公益を害してまで我欲を
満たそうとするのが「悪」。
「善悪」はそれを判断する尺度に従って決まるから相対的だけど、「神なが
ら」という尺度を使ったときだけが本物の「善悪」かつ、絶対的な価値観にな
りうる。それ以外はすべて「我には善だが彼には悪」という矛盾を含んだ価値
観になっている。矛盾が出るのは、自分と他人の間に垣根をもうけて、「内
外」の価値観でものを考えるからだ。
聖師は、垣根がない世界を「愛善世界」と定義したんだよ。
あと、「霊主体従」と「体主霊従」の意義については、
>>433 で引用されている
箇所が役に立つと思うよ。
469 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 17:43
愛には「愛善」と「愛悪」の2種類があって、有限の愛が愛悪、 無限の愛が愛善=真の神の愛
470 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 19:20
>>470 イスラム教の聖戦も、スピノザの汎神論も、神と人が断絶状態にあるから同じ
ことだと思いますよ。「人には神の真意が理解できない」のであれば、神から
「聖戦のために異民族を虐殺せよ」と言われても盲従するしかない。もし、
巨石が転がって赤子を押し殺したら、「これこそが無慈悲なる神の真相だ」と
言うしかない。
しかし、聖師は「人は神の子神の宮」と説かれた。どんな人間も神の前には
平等で、かつ尊厳を持つのです。だから、「神のために人間を殺せ」など命じる
「神」など、贋物にすぎないのです。
霊界物語には、バラモン教という邪教が登場します。神の名のもとに、肉体を
傷つけて、苦行や禁欲を強いる宗教です。聖師は、今の宗教はどこもバラモン教
だとコメントされている。つまり、人間をないがしろにした信仰、邪教になり
下がっているということです。
大本の大きな特徴は、従来の宗教のあり方を批判しつつ、神の前で人間がどう
あるべきかを指し示す「神ながら」であるところです。
472 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 20:03
>471 正神と邪神という存在があって、そして両者が戦うという構図なのだが、 なぜそのような運命が両方にあるのか考えてみたことがお有りか? 出口のいう神々もそれぞれの運命に支配される被支配者の一面を持つ。 その運命を司るのがスピノザのいう「神」みたいなものだと思う。
>472 それは善悪二元論です。善と悪が等価に扱われている。「勝てば官軍」ならば、 強い方が「正神」ということになる。 しかし、虚偽は真実には絶対勝てない。虚偽には自己矛盾が生じるからです。 数学の解でも、正解はひとつしかないが、虚偽の解なら無数に作り出すこと ができる。完全もひとつだが、不完全は無数にある。 だから、あなた流に言えば、「正神」がスピノザの神に相当し、「邪神」は レベルの低い存在、せいぜい「悪魔」程度のものでしょう。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
475 :
名無しさん@3周年 :03/07/15 19:05
>473 違う。 スピノザにとっては、世界の全てがただ一つの「神」なのだ。 そこに善悪の区別はない。
しかし、それは「物理法則」のようなもので、人倫には関係がなくなって しまう。神と人間が断絶するということです。神は人間に対して関心が なく、人間も神を崇拝する理由がなくなる。 もし、人間が神を「理解」できるとするなら、それは人倫を通じてのはず です。具体的に言うと、父親とか母親との関係の延長が、人間と神との 関係です。それ以外に、人間が神を知る手がかりは与えられていない。 結局、スピノザの汎神論は、唯物的無神論と同じになってしまう。神は 存在するが、人間と関わりがないという意味で。
477 :
名無しさん@3周年 :03/07/15 19:21
>476 >しかし、それは「物理法則」のようなもので、人倫には関係がなくなって >しまう。神と人間が断絶するということです。神は人間に対して関心が >なく、人間も神を崇拝する理由がなくなる。 人間も「神」の一部、属性なのだが。 「神」より離れて存在するものはない。 「神」は特定の者を愛さない。 だから公平・平等なのだ。 >もし、人間が神を「理解」できるとするなら、それは人倫を通じてのはず >です。 スピノザは優れた考察、論理思考で「神」に肉薄した。 世界を統べる法則が人倫などというもので理解できるか?
少なくとも、大本での神の概念とは全く違いますね。神は人間に「こう あってほしい」という期待をかけている。キリスト教も大乗仏教もそう です。神が物理法則のように「血も涙もない」存在ではない。 477さんのは、有神論のようで、実のところは完全な無神論ですよ。
479 :
名無しさん@3周年 :03/07/15 19:38
>478 >神は人間に「こうあってほしい」という期待をかけている。キリスト教も大乗仏教もそう >です。 大本の神が人間に期待を寄せる。 何故そうなったのだろう。 どういう因果、運命で? と、考えていけば、大本の神を支配する運命、そしてそれに敵対する神を支配する 運命はどうして成り立つのか?、という疑問は湧かないか? 万物流転を司るのが「神」であり、流転する万物が「神」だ。 善なる神、という執着を捨てよ。
480 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 03:39
>478 負けんなオサーン 応援してっぞ ganngare!!
>>479 >万物流転を司るのが「神」であり、流転する万物が「神」だ。
>善なる神、という執着を捨てよ。
「一、宇宙の本源は活動力にして即ち神なり。
一、万物は活動力の発現にして神の断片なり。」
(『霊界物語』第六七巻・第六章「浮島の怪猫」)
「善とは、すなはち此世の造り主なる大神の御神格より流入し来たる
神善である。この神善は、すなはち愛そのものである。真とは、同じ
く大神の御神格より流入し来たるところの神真である。この神真は、
すなはち信である。さうしてその愛にも善があり悪がある。愛の善と
は、すなはち霊主体従、神より出でたる愛であり、愛悪とは、体主霊
従といつて、自然界における自愛または世間愛をいふのである。
...
現界の人間自身の志すところ、為すところの善なるもの、また思ふ
ところ、信ずるところの真なるものは、神の御目より御覧したまふ時
は、その善も決して善でなく、その真も決して真でない、瑞(みづ)
の御霊(みたま)の大神の御神格によりてのみ、善たり真たるを得る
ものである。人間自身より生ずる善、または真は、御神格より来たる
ところの活力を欠いでをるからである。御神格の内流を見得し、感得
し、摂受して、ここに立派なる高天原の天人となることを得るのである。
...
瑞の御霊の御神格は、総ての生命の原頭とならせたまふものである。
この大神より人間に起来するものは、神善と神真である。故にわれわ
れ人間の運命は、この神より来たる神善と神真を、いかに摂受するか
によつて定まるものである。そこで信仰と生命とにあつてこれを受く
るものは、その中に高天原を顕現し、またこれを否むものは、やむを
得ずして地獄界を現出するのである。」
(『霊界物語』第四七巻・第九章「愛と信」)
482 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 05:13
>故にわれわれ人間の運命は、この神より来たる神善と神真を、いかに >摂受するかによつて定まるものである。 「決定論」をご存じかな? 全ての物事はその運命に従って変化する。 人間がいう「善悪」も起こるべくして起こるもの。 そうなる定めであったのだ。 世界の始まりから全ての事象は決まり切っている道を歩んでいるのだ。 そこに「自由意志にもとづいた選択」などない。 原因があるからそれに応じた結果が発生する、それだけ。 「神」は全てを掌握する。 「神」の予定外のことなど発生しない。 故に、神は人間に何かを託すようなことなどしない。
483 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 05:48
>>482 「自愛および世間愛に堕落せる教はいはゆる外道である。外道とは
天地惟神の大道に外れたる教をいふ。これみな邪神界に精霊を蹂躙
され、知らず識らずに地獄界および兇党界に堕落したものである。
...
ニルケラントー・ヂニヤー・ヂブトラ、この外道は、人間の苦楽といふ
ものは素から因縁が定つてゐるものだ。たとへば三碧の星はどうだと
か、九紫の星はどうだとか、子の年に生れたからどうの、丑の年に生
れたからどうだとか、身魂の因縁がよいとか悪いとか、宿命説に堕落
した宿命外道である。かかる宿命外道は如何ほど神仏を信仰するとも、
自分の定まつた運命を転換することは出来ない。何事も運命と諦めて
その道に殉ずるより外はない。オタマ杓子は鯰(なまづ)に似てゐるが、
少し大きくなると手足が生へて蛙になつてしまふ。どうしても鯰になる
ことは出来ない。それゆゑ因縁の悪いものが神を信じたところで誠を
尽したところで、決して立派なものになれさうなことはない。何も前世の
因縁性来だと断定をくだす無明暗黒なる常見外道である。
...
かくのごときニルケラントー・ヂニヤー・ヂブトラは三五教の中からも
をりをり発生したものである。いづれも自尊主義の慢心から、かかる
外道に知らず識らず堕落するのである。」
(『霊界物語』第五七巻・第一章「大山」)
484 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 05:58
>483 少しは論理的に反論されたし。 ここがこうだから決定論は成り立たない、とかね。 出口の言葉を引っ張りだされても、はぁ?となるだけだ。
485 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 06:23
>>484 >ここがこうだから決定論は成り立たない、とかね。
その前に、決定論が成り立つという証明をしてもらわないとね。
神は、人間に自由意思を与えると、将来が予見できなくなるから、
人間に自由意思を与えるはずはないと言いたいんだろうけど、
神は、人間に自由意思を与えても、その自由意思を前提として、
将来が予見できるとしたら、決定論は成り立たない。
自由意思と決定論が矛盾すると考えるのは、そう考える者の
思考の不完全性に由来するとしたら、決定論は破綻するだろう。
486 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 06:36
>その前に、決定論が成り立つという証明をしてもらわないとね。 物事は自然法則に従っている。 それを否定できるか? >神は、人間に自由意思を与えても、その自由意思を前提として、 >将来が予見できるとしたら、決定論は成り立たない。 予見できるものが自由意志か? それはすでに決定しているものだ。 >自由意思と決定論が矛盾すると考えるのは、そう考える者の >思考の不完全性に由来するとしたら、決定論は破綻するだろう。 非決定論も破綻するな。
487 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 06:54
>>486 >物事は自然法則に従っている。
>それを否定できるか?
たとえば、人間の思考が霊界の影響を受けるとしたら、
人間の思考は自然法則に従わない部分があることに
なるが、人間の思考は霊界の影響を受けないということを
証明して欲しい。
488 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 06:55
>487 霊界の存在を証明してみよ。
489 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 06:59
>>488 神の存在を肯定しているみたいだが、神の存在も
否定するのかな?
結局は、水掛け論になってしまいますね。神が存在するのか、しないのか。 この世に起こるできごとは必然か、それとも偶然の羅列にすぎないのか。 この種の問題は、人間の理性の範囲を超えているので、いくら議論しても 平行線のままです。いわゆる、二律背反ですね。 最後は、「自分が神の存在を望むのか、望まないのか」、「法則としてのつな がりしかない神を求めるのか、それとも人倫を通じて理解できるような神を 求めるのか」という、人間側の「要望」によって決まります。だから、その 人の神像を見れば、そのままその人の本質が露わになるでしょう。
「霊を見ずば信仰せぬというやうなわからずやには相手になるな 悪神は神を見せよとなじるなりよい罰当りほろびはちかし 天地の霊力体の活動をかんがへて見よ世の阿呆ども 神様の国に生れて神知らぬ浅ましきかなこの明盲目よ むらきもの心の盲目つんぼには実地見せても説いても駄目なる」 (『東の光』出口王仁三郎)
492 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 18:56
>489 人格神については否定する。 森羅万象をただ一つの「神」とする。 >最後は、「自分が神の存在を望むのか、望まないのか」、「法則としてのつな >がりしかない神を求めるのか、それとも人倫を通じて理解できるような神を >求めるのか」という、人間側の「要望」によって決まります。だから、その >人の神像を見れば、そのままその人の本質が露わになるでしょう。 そう、幻想に縋って生きる者と、幻想よりも論理を重きとなす者とに分かれる。 「霊を見ずば信仰せぬというやうなわからずやには相手になるな 悪神は神を見せよとなじるなりよい罰当りほろびはちかし 天地の霊力体の活動をかんがへて見よ世の阿呆ども 神様の国に生れて神知らぬ浅ましきかなこの明盲目よ むらきもの心の盲目つんぼには実地見せても説いても駄目なる」 (『東の光』出口王仁三郎) あまり品格があるとは言えない説教だ。 >天地の霊力体の活動をかんがへて見よ世の阿呆ども 世界の成り立ちを考えてみたら、あのような結論に達したのに。 自分の教えに従わぬ者を阿呆呼ばわりか。 そしてかのような男を崇拝する者達。 「類は友を呼ぶ」というものだな。 まあこういう幕間喜劇も「神」の一部だが。
493 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 19:43
>天地の霊力体の活動をかんがへて見よ世の阿呆ども と サリンより怖いノータリンが申しております。
494 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 21:00
>>492 >人格神については否定する。
>森羅万象をただ一つの「神」とする。
人格神ではなく、神格神を認めたら。
>>天地の霊力体の活動をかんがへて見よ世の阿呆ども
>世界の成り立ちを考えてみたら、あのような結論に達したのに。
>自分の教えに従わぬ者を阿呆呼ばわりか。
自分は頭がいいと自惚れて、神を畏れぬ途中の鼻高には、
阿呆という言葉がふさわしいのでは。
495 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 21:28
>人格神ではなく、神格神を認めたら。 世界が「神」だと言っている。 擬人化する必要はない。 >自分は頭がいいと自惚れて、神を畏れぬ途中の鼻高には、 >阿呆という言葉がふさわしいのでは。 ついには与太者並のイチャモンか。 不様。
496 :
無限絶対無始無終 :03/07/17 21:33
ナ サ ア イ スクウ エ ノ オ
497 :
無限絶対無始無終の大救世主神スサノオ :03/07/17 21:36
ナ サ ア イ スクウ エ ノ オ
498 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 21:38
>>495 「現代の人間は百人がほとんど百人まで、本守護神たる天人の情態
なく、いづれも精霊界に籍をおき、そして精霊界の中でも外分のみ開
けてゐる、地獄界に籍をおく者、大多数を占めてゐるのである。また
今日のすべての学者は、宇宙の一切を解釈せむとして非常に頭脳を
なやませ、研究に研究を重ねてゐるが、彼らは霊的事物の何物たる
を知らず、また霊界の存在をも覚知せない癲狂痴呆的態度をもつて、
宇宙の真相を究めむとしてゐる。これを称して体主霊従的研究といふ。
はなはだしきは体主体従的研究に堕してゐるものが多い。いづれも
『大本神諭』にある通り、暗(くら)がりの世、夜の守護の副守護神ばかり
である。途中の鼻高と書いてあるのは、いはゆる天国地獄の中途に
ある精霊界に迷うてゐる盲どものことである。
すべて宇宙には霊界、現界の区別ある以上は、たうてい一方のみ
にてその真相を知ることは出来ない。自然界の理法に基づくいはゆる
科学的知識をもつて、無限絶体無始無終、不可知不可測の霊界の真相
を探らむとするは、実に迂愚癲狂も甚しといはねばならぬ。まづ現代の
学者は、その頭脳の改造をなし、霊的事物の存在を少しなりとも認め、
神の直接内流によつて、真の善を知り、真の真を覚るべき糸口を捕足
せなくては、黄河百年の河清をまつやうなものである。今日のごとき
学者の態度にては、たとへ幾百万年努力するとも、到底その目的は達
することを得ないのである。夏の虫が冬の雪を信ぜないごとく、今日
の学者はその智暗くその識浅く、かつ驕慢にして自尊心強く、何事も
自己の知識をもつて、宇宙一切の解決がつくやうに、いなほとんど
ついたもののやうに思つてゐるから、実にお目出たいといはねばなら
ぬのである。」
(『霊界物語』第四八巻・第一章「聖言」)
499 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 21:39
神素盞嗚大神 私たちの一切の苦しみや悲しみを 私たちに代って背負ってくださり 私たちに降りかかる災厄を事前に除き 世界平和の建設へ 私たちを導いてくださる神さまです
500取ったり・・・
501 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 21:47
>498 相も変わらず「霊界物語」頼みか。 当の出口本人が 「その智暗くその識浅く、かつ驕慢にして自尊心強く、何事も 自己の知識をもつて、宇宙一切の解決がつくやうに、いなほとんど ついたもののやうに思つてゐるから、実にお目出たいといはねばなら ぬのである。」 学者の業績を甘く見るな。 医学、化学、電気・電子工学などの発展に貢献したのは彼らだ。 出口がそれらに何らかの貢献をしたか? 少しはそこらへんを考えてみろ。
502 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 22:04
>>501 現代の科学が明らかにしている自然法則で、
全ての事物を解明できると思い込んでいる
らしいが、それがそもそもの認識の間違い。
それは、海に網を入れて、魚を捕ろうとした
者が、網で魚が捕れなかったら、魚はいない
と結論づけるようなもの。網の目より小さな
魚は捕れない。
現代の科学の網の目にかからないから、
霊界とか存在しないと結論づけることは
できない。現代の科学の網の目より微細な
ものが存在すれば、その網の目には引っ掛
からないのは当然だから。
503 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 22:15
>502 何か必死なので哀れを誘うが。 >それは、海に網を入れて、魚を捕ろうとした >者が、網で魚が捕れなかったら、魚はいない >と結論づけるようなもの。網の目より小さな >魚は捕れない 学者は網だけで判断しない。 実際に海に潜ったりなどの手段もとる。 >現代の科学の網の目にかからないから、 >霊界とか存在しないと結論づけることは >できない。現代の科学の網の目より微細な >ものが存在すれば、その網の目には引っ掛 >からないのは当然だから。 そりゃ単なる希望。 霊界があるという証明にも何にもならない。 検証可能な証拠を持って出直しておいで。
504 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 22:33
科学を生んだのは誰か 人を生んだのは誰か それは人間に窺知できない 神です
505 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 22:37
>それは人間に窺知できない >神です 窺知外の神
506 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 23:25
神を知りたければまず己を知り、己の内面への探求から始めるべきです。 きっと真の神にで会えるでしょう。 そこに全てがある。
507 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 23:32
>>503 >霊界があるという証明にも何にもならない。
>検証可能な証拠を持って出直しておいで。
霊界があることは、それを霊能力で知覚する
ことのできる人間には自明のことだが、それを
他人に証明する必要はない。
霊界の存在を信じたくない者は信じないでよい、
神から信じない自由意思も与えられている。
508 :
ふじわらふひと :03/07/18 00:34
>>507 優秀な建築者とか、プログラマって
自分がらみの事故って、原因に気がつくこと多い
「あのぉ」っていいたいんだけど..
会社の名誉との兼ね合いが難しい
509 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 01:41
まず霊界は、あるかと言うとずばりあるなぜかって言うとまず霊界が四次元だとす ると立体的世界が三次元だとすると二次元的な物は平面だ。 で三次元から見ると二次元は知悉できるが、逆に二次元からは三次元は、 知悉できないと思うからして同様に四次元以上も同じ様なことがいえる。 霊界までとは言わないまでもそう言う世界はあるといった方がより自然と いえる。
510 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 02:58
理屈屋のオサーンが、さらに上回る理屈屋に言い負かされそう....。 他の大本軍団も押されぎみ? ヤージニャヴァルキャ・スピノザ信者ごとき、 鼻息で吹き飛ばせッ
511 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 04:33
>霊界があることは、それを霊能力で知覚する >ことのできる人間には自明のことだが、それを >他人に証明する必要はない。 つまらぬ開き直り。 >509 四次元以上の世界はあるだろうが、死後人間の霊魂がより上の次元に いくとはどういう理屈か? この三次元の世界に二次元の者の霊魂が紛れ込んできているか?
予言的中は霊界の存在を示唆する。まず霊界で事が起こる。
513 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 05:41
>512 今後、起こるとされる事柄を書いてもらいたい。 いつ、どこで、何が起こるのかをね。 曖昧なポエムは不要だ。
514 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 06:05
あんなデタラメサイトを鵜呑みにしているようなハゲに 荒らされているとは何事だ!! と聖師様に怒られますよ
515 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 06:25
>>513 さん
結局あなたは何をどうしたいのかね?
霊界をつぶさに見てきた王仁聖師が「霊界物語」を著した。その内容は多岐に
渡り、多くの示唆を含んでいる。
とてもチョコチョコっと引用した位では、全体像など見えはしない。
それはあのサイトの作者にも言えるだろう。
物語を一回でも通読した者には、とても馬鹿らしく、また薄っぺらなものに
見える。
ほんの僅かな一小部分を捉えてどうだ、どうだ!と叫ぶ姿は、像のしっぽを
捕まえて「紐だ、紐だ!」と叫ぶよりも滑稽だよ。
過去、聖師によって救われたものは数え切れないが、513さんの能書きや理屈
捏ね回し哲学で、一人でも救えたことがあるかね?
516 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 06:36
>515 救いなど求めていない。 世界の実像に近づきたいだけなのだが。 物事の本質は細かなことにも顕れるのじゃないかね? ちょっと突っ込まれて右往左往する輩も「霊界物語」の上っ面だけを なぞっているだけだ。 >過去、聖師によって救われたものは数え切れないが、 「宗教は阿片だ」という言葉がある。 酩酊していれば、確かにハッピイなのかもしれない。
517 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 07:19
霊界物語第七十八巻序文「皇国日本の国体は、万世一系の天皇之を統治し給ふ神聖無比の神国である」
>>513 いつと言うのは難しいだろうな。霊界という次元自体に時間がないらしいから。実例を知りたいのであれば過去的中させてきた実績から推察するしかないよ。大本の唱えていた経綸が戯言ではない事は実際の歴史の動きで見えてくる。
519 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 14:19
>>516 おまえさんは、霊界の存在も認めないのかい?
人間は死んだらどうなると思ってるんだい?
まさか灰になって終わり、なんて言い出すんじゃないだろうな?
520 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 14:36
まず二次元的感覚を有する生き物は実際三次元の世界に確かにいる。 だから霊魂にしても同じような事が言えるのでわないか しかも次元を超えた者にしても形はどうであれ同じく この世に存在しうるとおもわれる。 死後四次元以上に移行することについてだがあらゆる書物等を見れば明らかだ もはや三次元だけでは収まり切れない人の意識は四次元以上のものとおもわれる。 だから四次元に移行してもなんら不思議でもない。 なぜならば心自体四次元的な物とおもわれるからである。
521 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 15:07
王仁からのメッセージ 起てよ神軍 時ぞ今 宇宙開闢 嘗て無き 岩戸開きの 大神業 三段幕は 開きたり 今度出来たる 聖劇座 一粒選りの 聖劇座 予言警告 百余年 此の世の終わり 近づきぬ ミタマ調べに 及第の 神の因縁 無かりたら 見られもせぬが 判りやせぬ 救いの舟の ミカエルは 瑞の身魂の 神業ぞ 地軸は動き 山は裂け 火水の嵐 猛る共 などか恐れん 救世主 神は吾等と 共に在り
522 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 18:50
>519 霊界の有無などどうでもいい。 >人間は死んだらどうなると思ってるんだい? >まさか灰になって終わり、なんて言い出すんじゃないだろうな? さあ、どうだろうね。 死後のことを心配するより、今の命を充実させたほうがいいね。 出口みたいなのに引っ掛かって妙な妄想に耽る暇などないし。
523 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 19:03
>まず二次元的感覚を有する生き物は実際三次元の世界に確かにいる。 生物の種類は何かね? その感覚はどのように調べられたのだね。 そして二次元感覚しかない生物でも、もとから三次元世界にいたんだろう? 二次元から来た霊魂の例を挙げてくれ。 >513 そんなのは後から強弁すれば幾らでもできる。 事前に具体的な事柄を予言していないとね。 そうでなければジャンケンの後出しみたいなものだ。
悪い、>513は>518の間違い。
525 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 20:33
(昭和二十九年頃天水氏が書いたものを後に辻登美古氏筆者) 特殊使命 ◎神霊界では精霊が霊魂浄めの行を大神様より命じられているのである。現界では人間が丸 裸にされて身魂浄めの苦行を命じられるのである。説明の便宜上、前者を・で表し、後者を ○で表すことにする。・は神霊であり。○は肉体である。○が浄まれば・は○に入魂してと なるのである。故に因縁の身魂(即ち大峠に生き残る身魂)はどうもがいても丸裸にされ、死 に勝る苦行をさせられるのである。現界での苦行をあくまでも反対すれば、霊界に引き取っ てでも絶対にその行をさせられるのである。霊界での行は現界での行より一層苦しいのであ る。因縁の身魂は三千世界、逃げる場所はないのである。 どうあっても身魂を磨いて神の容れ物になり、世の終わりに救世の大神業に奉仕せねばな らぬ特別な使命があるのである。此の大使命を終われば、神の列に加えられ、再び人間界 には生まれて来ないのである。どんな事があってもこばり抜いて、吾々は最後のこの輝かし い御用を務めねばならぬ。神様が常について守護されているのである。神霊界より神使は 天降り給い、因縁の身魂を守護しつつ、現界の経綸を進め給うておられるのである。 吾等は常に神使と共に在り!
526 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 20:50
>525 「バラモン教」の説明かね?
527 :
名無しさん@3周年 :03/07/18 20:58
>NEW 10冊確保 >立替え立直し 頒価3,800円 >昭和46年、出口王仁三郎生誕100年記念に刊行されたB5判の冊子で内容はけっこう濃い。新品同然のものを10冊確保。出口うちまる監修のため、大本三派はいずれも痛しかゆしで絶対に再版はなありません。 八幡書店から君らの好きそうなのが出てるぞ。 早い者勝ちだ、ほれ急げや急げ。
528 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 00:42
瑞霊神示 ■宇宙動変の前期的現象 一、宇宙大気の動きの変化を五感が感じる様になる。 二、天地の間に悪鬼邪気ますます充満し、人身に影響が激しくなる。 三、月の周囲の変化が起こる故、よく注意する事。 四、呼吸困難になる様な事が一日に何回もあり出す。 五、太陽の色が種々に変化する故、よく注意する事。 六、動変直前になると東方上空の雲の色、動きに異常が起こるから注意する事。 七、終末近づくに従って智、学ともに働かなくなる。 八、町は火車の如くなり、倒れる物が続出する。 九、土が焼け水の温度が上昇し、非常に苦しくなる。 十、終末近づくに従って従来の学問、知識では判らぬ事が続出する。 十一、訳の判らぬ病気が非常に多くなる。 十二、動植物はこれを早く感知するからよく注意する事。 ■動変直前の人心の動き(人間の種々相) 一、人間の心は俄に動揺し、不安の為いらいらしだす。 二、散る花の如く知覚を失うもの、発狂する者が続出する。 三、利口に立ち廻るものがある。 四、ぬらりくらりの者が類をもって集まる。 五、助けてくれとオンオン泣く者がある。 六、口先ばかりで上手に言って真実のない者がある。 七、今まで反対した者、悪口を言った者でも恥を知らず、図々しく頭を下げて頼みに来る者が ある。 八、終末が近よっても尚それを冷やかし、からかっている者もある。 *「瑞霊神天津日嗣ノ神示ス」はある雛型神業の記録
529 :
神父=サラ金の取立て以下 :03/07/19 00:52
キリスト教ぶっつぶせ
530 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 03:48
>>522 >霊界の有無などどうでもいい。
ぜんぜんどうでも良くない。お前は目に見える世界の事だけを語ってるから
議論が薄っぺらで単なる揚げ足取りに終始してるんだ。ここは霊界物語スレ
だぜ。
もう一度聞くが、お前は霊界の存在を認識しているのか?いないのか?
イエスかノーか、二択で答えろ。
>>人間は死んだらどうなると思ってるんだい?
>>まさか灰になって終わり、なんて言い出すんじゃないだろうな?
>さあ、どうだろうね。
>死後のことを心配するより、今の命を充実させたほうがいいね。
>出口みたいなのに引っ掛かって妙な妄想に耽る暇などないし。
お前、全部で83冊もある霊界物語の、ホンの3,4冊黙読しただけだろ?
流すようにザーッと。そんなしょぼい根性無しが、どうして妄想だのなんだの
言えるんだ?
お前長らく粘着質問厨繰り返してるけど、こちら側からの質問には全然正面
からは回答してないな。自分が今まで書いたもの見てみろよ。何一つ満足に
答えられていないじゃないか。
その割りに教えて教えてと小学生張りに質問の繰り返し。
マナーの悪い聞き手に、誰が真面目にレスしてくれるもんか
お 馬 鹿 さ ん (プ
531 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 04:10
>530 ますますもって必死だな。 >お前は目に見える世界の事だけを語ってるから >議論が薄っぺらで単なる揚げ足取りに終始してるんだ。ここは霊界物語スレ >だぜ。 目に見える世界だけの事を聞いてもまともに答えられないのが君らだ。 あくまでも自分らに都合の良いように物事を解釈するだけだったしね。 根拠を要求してもまともなのは出てこない。 せいぜい出口の馬鹿話の引用ぐらいだ。 >もう一度聞くが、お前は霊界の存在を認識しているのか?いないのか? >イエスかノーか、二択で答えろ。 認識していないな。 君は認識しているようだが、何をもって霊界の存在を確信しているのだ? 何かの自然現象を観察・検討の上で確信したのか? >お前、全部で83冊もある霊界物語の、ホンの3,4冊黙読しただけだろ? >流すようにザーッと。そんなしょぼい根性無しが、どうして妄想だのなんだの >言えるんだ? 最初から妄想だらけだったからさ。 腐ったリンゴは一口囓ればわかる。 >お前長らく粘着質問厨繰り返してるけど、こちら側からの質問には全然正面 >からは回答してないな。自分が今まで書いたもの見てみろよ。何一つ満足に >答えられていないじゃないか。 >その割りに教えて教えてと小学生張りに質問の繰り返し。 >マナーの悪い聞き手に、誰が真面目にレスしてくれるもんか どういう部分なのか具体例を挙げてくれ。 > お 馬 鹿 さ ん (プ マナーが良いとはこういう書き込みをすることか。 それだったら、こちらは確かにマナーが悪いな。
532 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 04:21
あー、それと >マナーの悪い聞き手に、誰が真面目にレスしてくれるもんか と言うことは、君から見て、君以外の出口崇拝者がこちらに対して 答えた書き込みはオフザケ、ほら話としか見えないというわけか。
533 :
○○はシンデも判らない :03/07/19 04:37
>>531 そうやってあっちをちょっとつまみ食い、こっちをちょっと試し食い、
みたいにして、何一つの道も究められずに死んでいくんだろうな。
浅く、広く、薄く・・・。
じゃあ、おまえの中では、あのいんちきサイトの内容が真実になるわけだ。
良かったね、真実がつかめて。
どうでもいいけど、いい加減2chの書き方ぐらい覚えろ。
なんだ、この >530 書き方は。飛べねえじゃねえか。
>>530 こういう風に書けよ、おリコウさん。
534 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 04:48
>533
悲しいね。
冷静に物事を見られないというのは。
面白いね。
狂信者の蠢動を見られるというのは。
>じゃあ、おまえの中では、あのいんちきサイトの内容が真実になるわけだ。
>良かったね、真実がつかめて。
あくまでも参考だよ。
あのサイトも君にとっては全部デタラメに見えるんだろうがね。
ついでに聞くが、出口が「火の雨が降る」と信者を惑わした件で、後で出口は
信者らにきちんと謝罪したのか?
>どうでもいいけど、いい加減2chの書き方ぐらい覚えろ。
>なんだ、この >530 書き方は。飛べねえじゃねえか。
530と531の順列だ。
わざわざ
>>530 という書き方が必要かね?
535 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 04:56
下手すりゃ、本日は530嬲りの暇潰しになりかねんな。 いい加減見切りを付けて出かけるか。
536 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 05:16
物語も読まない 霊界の存在も頭から信じない そんな、なんらの努力もしない輩が「霊界の実在を証明しろ」?! 楽して真実を得ようとしてるだけだな。 こういう手合いは相手にしても、貴重な時間と労力の無駄、という実地の 教訓を得たよ。 もし真摯な気持ちで質問してるんじゃなけりゃ、単に荒らして喜んでるだけ だな。 真面目に答える価値は無いよ。 放置だな。
537 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 05:47
>>534 >ついでに聞くが、出口が「火の雨が降る」と信者を惑わした件で、後で出口は
信者らにきちんと謝罪したのか?
信者を惑わした件というのは、そのサイトにある
「大正四年、王仁三郎は火の雨が降るという妖言を
流布して、多数の信者を綾部に避難させた。大阪の
ある老夫婦などは自分の店を売り払ってその金を
王仁三郎に献納し、鰹節まで抱えて綾部に逃げ込
んだ。」ということだと思うが、そもそも、そういう事実が
あったのか? あったという根拠を示して欲しい。
538 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 08:00
>>534 そのサイトを書いた原田実が、大本や出口王仁三郎のことをまともに調べずに
中村古峡の『学理的厳正批判大本教の解剖』を鵜呑みにしていることは、
「先述の元側近の証言によると王仁三郎は大の好色家で「大本教に出入してゐる女達は
大抵片っぱしから手を掛けて」いたという。王仁三郎は「天下に私ほど不器量な者はない。
それでも世の中の女と云ふものは、一度私が秋波を送ると、みんな吸い付けられて来る
から不思議だ」とうそぶいていた。これもまたワイドショーや週刊誌に賑わわせた麻原氏
の性豪ぶりと通じるものがある。」
と書いていることからだけでも分かる。
捏造された話をホントの話だと思い込んで一生懸命書いているのは滑稽。
そんなサイトを元に、「出口が「火の雨が降る」と信者を惑わした件で、
後で出口は信者らにきちんと謝罪したのか?」なんて書いているのは、
阿呆の見本みたいなものだな。
>>523 君、頭弱いみたいだな(苦笑)歴史の資料を多角的に調べるなら、強弁がどうかなんて事は即座に判断できる。大本は国家権力の弾圧を受けた社会規模の存在だ。いちサイトを盲信し悦に浸る君の視野の狭さに乾杯。質問したいのならまず自分で調べる努力をしてからモノを言え。
540 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 10:30
>>516 >世界の実像に近づきたいだけなのだが。
とたいそうな望みを抱いているようだが、その割には意志薄弱のようだな(w
俺は霊界物語は全巻通読したが、その結果霊界の存在を信じるようになったよ。
王仁三郎の著作をいろいろ読んだが、キミの駄文より遥かに説得力があった。
というよりキミと比較する事自体失笑するしかないのだが。
541 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 12:21
山河草木 救世の聖主に遭い難く 瑞霊の教聞きがたし 神使の勝法聞くことも 稀なりといふ闇の世に 聴くは嬉しき伊都能法 三千世界一同に 輝く光明かしこみて 神の御名と教 聞き得る人は常永に 不退転位に進むなり
542 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 12:48
だとすればどうやって霊界、霊界と言うがしかも ひけらかあしているが、霊界物語を通してでもいいが 己と言う存在をどこまで知り得たと言うのか 霊界を知ってひけらかし どうして世の中に何の役にたつというのか
543 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 13:58
>>542 はスピノザ信者じゃないかもしれんが・・
>己と言う存在をどこまで知り得たと言うのか
とは随分抽象的な言い回しですね。もっと解りやすい言い方で質問し直して下さい。
>霊界を知ってひけらかし
>どうして世の中に何の役にたつというのか
幽玄微妙で霊妙不可思議な、神の作りたもうた神界、幽界、現界の三界を
総称して「霊界物語」と命名されたのですが、ここには当然死後の世界も
解り易く、生き生きと描かれている。
そこでは現界的な予審だの、控訴だの、最高裁だのといった煩わしいものは
無く、総ての功罪を一目で見え透く神の裁きによって、身魂相応の世界へ
割り振られる。
当然そこには無神論者や、霊界の存在自体も認めない分からず屋も多数
来ているが、そういった思想もひっくるめてキチン、キチンと裁かれていく。
ゆえに死後の世界など無い、と思えばこの世で好き勝手に暴れた方がいい。その方
が得だ、みたいな考えになって、この世はますます混乱、強い者が弱い物を
押し倒して支配してゆく「強いもの勝ち」の世が現出されるだろう。
544 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 17:07
出口の霊界って、出口の個人的精神世界に過ぎんのではないのかな? 普遍的なものは、求められないだろう。 頼るのは、自由だけどね。
個人的な世界が歴史を巻き込むかどうか。それが答えだよ。調べてみたらいい。
546 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 18:56
>>544 まっ、思い込みで決め付けて勝手放題の言い分を書きなぐったところで、
所詮、何の意味もないよ。君の思っているような低俗な教えなら、
第二次事件によって消滅していただろう。
ただ、出口王仁三郎聖師の教えは大変に難しいのも事実で、
特に『霊界物語』は難しいと思うね。また、『霊界物語』以外の
膨大な著作の総てがとても重要だと判っていても、
その総てを読む機会すら満足に持てないくらいだから、
この深遠な教えの総てを受け止めようとする奇特な人で
なければ、到底理解できるものではない。
大神様よる神教とは簡単、単純なものではない。
となると、当然のこと信者や共感者、研究者は少ないが、
また、その救世の真理を最も必要とする時が来ているとも感じている。
今後はインターネットなどの方法を通して、徐々に共感者は
増えるかもしれないが、惟神の大道を理解しようという
強い意思のない者には、やはり本当の理解は難しいだろう。
ただ人を杖にして、真理を書き込ませ、理解なり批判なりをしよう
などと考えること自体無意味なんだよ。改心すべきなのは貴方自身
なのだから、自分の改心を棚上げして何を言っても意味ないでしょ。
547 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 19:23
>>544 やっぱりその位しか言えないか(W
まあ、スピノザ程度に傾倒しているようじゃ、そこいら辺が限界だろうな。
>>543 の続き
そういった獣となんら変わらない弱肉強食的考えを改めさせるためにも、
天網恢恢疎にして漏らさず、悪い事をしたら例えこの世で逃げ切れたと
しても、死後必ず自分で撒いた種は自分で刈り取らなきゃいけないんだ、と
いうことを認識させたら、これは社会の善化の為に非常に有益だろう?
ここら辺はスピノザの思想では届かない範囲だから、「霊界などオレは見た事無い
から信じない」位しか反論?(W)のしようがない。あるいはファンタジーだ、
妄想だ、とかね。
もちろん俺も自分で霊界探訪したわけじゃないけど、霊界物語を全巻読んだ
後に「霊界はあると思う」という感想を抱いたわけだ。
それを全体の20分の1しか見てないヤシが「あれはどーだ、こーだ」と断定を下すのは
説得力に欠けるし、もし人としてのエチケットを弁えているのなら、「私はまだ全部
読んでいないのでよく解らない」若しくは「全巻読んだけどこの点とこの点とが
どうしても納得いかない。よって出口は胡散臭いしインチキだと思う」という
ような態度が真に理性的な、大人の態度だと思う。
俺はスピノザの「神学・政治論」にもきっちり目を通したが、結論としては霊界物語は
スピノザの思考を包含して余りあるキャパシティーを持っていた。
解り易く言うとスピノザの汎神論は、人間の小さな脳味噌で作った有限的現界物語
(一部無限的観念含む)、霊界物語は王仁三郎を通じて神が造り上げた「無限的・
三界通覧物語」という感じだった。
548 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 19:57
だから、霊界なるものは、誰のもののでも、個人の投影を免れ得ないと言っているんだ。 アホども。
549 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 20:23
自説のみに固執した意見を書き込んでも無意味。 理解したくないという想念で居ても進歩はない。 スピノザのスレを哲学板にでも立てて下さいな。
と言っているお前の意見こそ単なる独りよがりな、個人的投影だ。調べてからモノを言え。いい加減甘ったれるな。
>>548 本当、甘ったれないでくれ。人にモノを尋ねる態度を身につけてから何か言え。
552 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 20:33
ここは、 「出口王仁三郎の霊界物語」スレですが?
553 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 21:02
>>548 >だから、霊界なるものは、誰のもののでも、個人の投影を免れ得ないと言っているんだ。
>アホども。
アホだな。それなら、現界も、「個人の投影を免れ得ない」から、
新聞も、テレビも、本も読むのを止めた方がいいよ。
554 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 21:14
>>553 ついでに、2chのカキコも、「個人の投影を免れ得ない」から、
見るのをやめた方がいい。インターネット全体もな。
555 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 21:26
>>548 >だから、霊界なるものは、誰のもののでも、個人の投影を免れ得ないと言っているんだ。
「口述者が霊界より、大神の愛善と信真より成れる神格の直接内流や
その他諸天使の間接内流によつて、暗迷愚昧なる現界人に対し、霊界
の消息を洩らすのは、何だか豚に真珠を与ふるやうな心持ちがする。
かく言へば瑞月(王仁三郎)は、癲狂者あるひは誇大妄想狂として、
一笑に附するであらう。しかしながら自分の目より見れば、現代の学者
くらゐ始末の悪い、分らずやはないと思ふ。プラス、マイナスを唯一の
武器として、絣(かすり)や金米糖をゑがき、現界の研究さへも、まだ
その門戸に達してゐない自称学者が、霊界のことに嘴(くちばし)を容
れて、審神者(さには)をしようとするのだから、実に滑稽である。ゆゑに
この『霊界物語』も、これを読む人々の智慧証覚の度合の如何によつて、
その神霊の感応に応ずる程度に、幾多の差等が生ずるのは已(や)
むを得ないのである。
宇宙の真理は開闢のはじめより、億兆万年の末にいたるも、決して微
塵の変化もないものである。しかしながら、これに相対する人間の智慧
証覚の賢愚の度によつて種々雑多に映ずるのであつて、つまりその変化
は真理そのものにあらずして、人間の知識そのものにあることを知らね
ばならぬのである。もし現代の人間が、大神の直接統治したまふ天界の
団体に籍をおき、天人の列に加はることを得たならば、現代の学者のご
とく無性やたらに頭脳を悩まし、心臓を痛め肺臓を破り、神経衰弱を来
たさなくても、容易に明瞭に宇宙の組織紋理が判知さるるのである。」
(『霊界物語』第四八巻・)
556 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 21:42
>>555 修正
(『霊界物語』第四八巻・) → (『霊界物語』第四八巻・第一章「聖言」)
おお、帰ってきたら荒れてる荒れてる。 まあ、大正四年に出口が「火の雨が降る」と言ったかどうかは近代宗教史で しらべてみよう。 それまではこの件については保留とする。 あと言っておくが544は別人。 まあ、霊界物語を真実だ、と思い込むのも勝手だが、正神・邪神(居るとするならだが)、 彼らを支配する運命はどこから来てるかぐらい考えてみるがよかろう。
558 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 23:21
559 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 00:29
正神は国常立大神様としまして 霊界物語では世を混乱と破滅に導こうとしている邪神とはどの神を表すのでしょうか? 悪の3神とはまた違う 別の存在があるように思えてなりません
560 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 00:31
>>557 >彼らを支配する運命はどこから来てるかぐらい考えてみるがよかろう。
主神だよ。
そんなの大本では基本中の基本だよ。何も知らないんだな、こいつは(藁
問いかけを投げてる振りして、実は一から教えて貰ってる教養乞食(www
561 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 00:41
>>559 >まあ、霊界物語を真実だ、と思い込むのも勝手だが、正神・邪神(居るとするならだが)、
>彼らを支配する運命はどこから来てるかぐらい考えてみるがよかろう。
意味不明だな。
藻前の考える世界観が正しいということを前提に、
「彼らを支配する運命はどこから来てるかぐら
い考えてみるがよかろう」と言われてもなあ。あほらし。
>>560 あのー それは私の発言ではないのですが・・・
どうも諸兄の皆様のご論議は相手の論点の矛盾ばかりを突くことのみに終始なされているようで
特に霊界の存在の是非のみに集中なされておられるようですが
霊界の実証はまだ科学的方法では確立されておりません
検証しようがないものにこだわっても無意味だと思うのですが・・・
ここはそこから一度離れて霊界物語が表す内容に焦点を当てられてはいかがでしょうか
563 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 01:25
>>561 彼の言いたいのは、要するに、「彼らを支配する運命」は、
「決定論」ということだろ。他の人間は、頭が悪いから、
突き詰めて「決定論」など考えたことはないだろう、
自分は頭がいいから、そこまで考えて行き着いたのだ
という思い上がりの途中の鼻高。
そんなのはアホの一つ覚えにしか過ぎん。
>>482 >「決定論」をご存じかな?
>全ての物事はその運命に従って変化する。
>人間がいう「善悪」も起こるべくして起こるもの。
>そうなる定めであったのだ。
>世界の始まりから全ての事象は決まり切っている道を歩んでいるのだ。
>そこに「自由意志にもとづいた選択」などない。
>原因があるからそれに応じた結果が発生する、それだけ。
>
>「神」は全てを掌握する。
>「神」の予定外のことなど発生しない。
>故に、神は人間に何かを託すようなことなどしない。
あ すいません
リンク違いを指摘している自分がリンク間違いをしておりました
>>560 でなく
>>561 と訂正いたします
565 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 01:46
>>562 >霊界の実証はまだ科学的方法では確立されておりません
>検証しようがないものにこだわっても無意味だと思うのですが・・・
『霊界物語』のテーマが、霊界の消息を伝えることにあるので、
霊界の存在にこだわるのは当然だと思います。
「いかに現世において聖人賢人、有徳者と称へらるるとも、霊界の
消息に通ぜず、神の恩恵を無(な)みするものは、その心すでに
神に背けるがゆゑに、たうてい天国の生涯を送る事は出来難いも
のである。約束なき救ひは決して求められないものである。ゆゑに
神は前(さき)にシヤキヤームニ・タダーガタを下して霊界の消息を
世人に示し給ひ、またハリストスやマホメツトその他の真人を予言
者として地上に下し、万民を天国に救ふ約束を垂れさせられた。さ
れど九十五種外道の跋扈(ばつこ)はなはだしく、神の約束を信ず
るものほとんど無きに至つた。それゆゑ世はますます暗黒となり、
餓鬼、畜生、修羅の巷(ちまた)となつてしまつた。
ここに至仁至愛なる皇大神(すめおほかみ)は、この惨状を救は
むがために、厳瑞二霊を地上に下し、万民に神約を垂れ給うたの
である。アヽされど無明暗黒の中に沈める一切の衆生は、救世の
慈音に耳を傾くる者は少ない。実に思うて見れば悲惨の極みであ
る。あゝ惟神霊幸倍坐世。」
(『霊界物語』第五七巻・第一章「大山」)
ただし、霊界を信じたくないと思い込んでいる人には、信じさせる
のは困難で、「霊を見ずば信仰せぬというやうなわからずやには
相手になるな」ということだと思います。
566 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 05:45
皆さんよく研鑚してらしゃいますなー どんどん霊界物語を通じていろいろアイディアを いただければその内流を汲み取り霊界物語以上 の物がうまれることでしょう。 今の救世主も思想考え方はスピノザにちがいないでしょう。 しかし贖いつつであるからして完璧とわいはないが 現在過去未来を生みつつあることでしょう。
煽りに乗って書き込むことはない。 煽りは無視・放置するように。
568 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 11:35
>>560 主神は正神・邪神をそれぞれ駒にしてチェスをしているようなものだな。
主神が「善」ならばそもそも「悪」を創らないハズ。
故に主神にとっては善悪というものはないのだろう。
悪を創ったと言うよりは炎のススのような位置付け。邪気に関しては。
570 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 12:10
では、主神は正邪が永きにわたって争う世界にしたのか? さっさと邪神の精神をその力で矯正し、争いのない世界にすれば 何の問題もないのだが。
煽りに乗って書き込むことはない。 煽りは無視・放置するように。
572 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 14:13
沈黙は金
布教は禁
574 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 15:28
ならばその事については一切触れないことにする。 でももうしばらくで全て明らかに成ることを望む。
あなた自身が『霊界物語』を拝読されん事を強く望む。
>>570 その辺りの事情も全て明らかになっているから、よく調べてみると良い。常人が人為で作り上げたモノとは違うから安心して調べたらいい。王仁さんや大本関連の著作も随分多く出ている。
この世に悪があるのは、未だ宇宙が発展途上の未完成だからだっけ?
>>577 あなた自身が『霊界物語』を拝読されん事を強く望む。
579 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 02:00
霊界物語は120通り読み方があるそうであるが ある大本幹部によると人それぞれによって 読み方が違うらしい
580 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 09:05
>ある大本幹部によると人それぞれによって >読み方が違うらしい 解釈も人それぞれか?
581 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 10:39
>解釈も人それぞれか? 性格、浅深等によって違ってくると思う。
582 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 11:39
むろん基礎となるところの解釈は同じだと思うが、細部の解釈の違いで 困るということはないかな? 大本系は分裂が多いらしいが、そういうことも要因になっているのだったら 不幸なことだ。
583 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 13:46
>>570 まさに「慌てるこ○きは貰いが少ない」という感じになってしまいましたね。
あなたは当初
>>382 から人様にものを教えて頂く態度ではなかった。
だから皆さんが冷たい目を向けるのは当たり前。
自業自得と言えます。
あなたは哲学や宗教学を学ぶ前に、世間の一般常識を学ぶ事を強くお勧めします。
584 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 16:01
>>583 何を言っているのやら。
信者側も狂態を晒していたではないか。
人の態度云々よりも、自分らの信ずる教義の不完全さに思い至れよ。
>>584 さて、教義が不完全かどうかは実際に調べた人間が口にする事。話はそれからだよ。君が時間が無駄だと思うのなら調べないのもいい。そして質問も止めるべきだろうね。その程度の努力も放棄したのだから。先入観で決めつける人は優れたモノにも気付きはしない。
586 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 19:42
>>584 >人の態度云々よりも、自分らの信ずる教義の不完全さに思い至れよ。
「私は断言しておく。大本の教理を真解せむと欲せば、
どうしても本書を繙(ひもと)かねばならないことを。」
(『霊界物語』第二七巻「序文」)
>>430
587 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 19:51
>>584 自分らの信ずる教義の不完全さに思い至れよ云々より、
自分が知らない教義を不完全と決めつける愚かさに思い至れよ。
588 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 20:00
>>586 >>587 狐が人間になるとかあるお伽噺を真面目に信じることはできない。
呆れた部分の一つだがね。
君らは狐が人間に転生することを本気で信じているのかね?
589 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 20:06
>>585 出口は科学者を「鼻高」だと蔑んでいたようだが、出口自身、
科学をどこまで勉強していたんだろうね。
とことん探究して、科学者が間違っていると語ったのかね?
590 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 20:44
>>589 >出口は科学者を「鼻高」だと蔑んでいたようだが、出口自身、
>科学をどこまで勉強していたんだろうね。
>とことん探究して、科学者が間違っていると語ったのかね?
君の方こそ、「科学をどこまで勉強していたんだろうね。
とことん探究して」、科学者が全てを知っていると認識
したのかね?
私の場合、相当科学を研究してみたが、科学の限界を
思い知らされたがね。
591 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 20:48
>>590 君の事情を聞いているんではないよ。
出口のことだよ。
592 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 20:56
>>591 霊界が存在し、王仁三郎がそれを知悉する能力を持っていれば、
「科学者が間違っている」と語るのに、別に科学を「とことん探究」
する必要はないだろう。
593 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 20:59
>>592 あくまで仮定の話ではないか。
それも、君ら信者以外には通用しそうもないものだ。
>>593 いいからまず調べろっちゅーに。興味がないなら質問をやめて科学を研究したらいい。
595 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 21:19
>>595 はいはい、わかったから、まず調べて下さい。
597 :
名無しさん@3周年 :03/07/22 21:58
age
598 :
名無しさん@3周年 :03/07/22 22:04
個人的には、地球上の大陸と日本との雛型理論が面白いと思った。 ヒマラヤ山脈が富士山とか、カスピ海が琵琶湖とか 言われてみれば、なるほどな〜と思う。
599 :
名無しさん@3周年 :03/07/22 22:54
>>598 雛形ということで言えば、第二次大本事件で起きたことが、
丸6年後に第二次大戦で表われてきた事も興味深いな。
600 :
名無しさん@3周年 :03/07/23 03:43
ヒマラヤ山脈・・・・・・・山脈 火山はない 富士山・・・・・・・・・・・・・単独峰 火山である カスピ海・・・・・・・・・・・塩水湖 琵琶湖・・・・・・・・・・・・・淡水湖
>>600 何を言いたいの?
山や湖のでき方が違うから、雛形理論が
間違っていると言いたいのかな。
602 :
名無しさん@3周年 :03/07/23 05:48
>>601 ミミズが蛇の雛形だというようなもの。
中学生でも吹き出してしまうような「理論」だな。
アララ、まだ粘着していたのか。よほどこのスレが好きなんだな。
604 :
名無しさん@3周年 :03/07/23 10:33
○昭和9年7月7日 東京九段の軍人会館で昭和神聖会を発足。 この時の副総裁は日本右翼運動の創始者、内田良平。 以後大本は急速に右翼化 ○昭和15年7月7日 東京九段の軍人会館で近衛内閣と陸相の東条秀樹が大政翼賛会を発足。 以後、日本は急速に右翼化 ○昭和10年12月8日 憲兵特攻が、松江の宍道湖(しんじこ)近くに滞在していた王仁三郎を奇襲、検挙する。 ○昭和16年12月8日 海軍の特攻隊がハワイの真珠湾に停泊中の、アメリカ太平洋艦隊に奇襲攻撃をする。 ○昭和11年4月18日 綾部・亀岡の聖地所有権が町に移され、ダイナマイト1500発にて 全国の大本関連施設が破壊され、瓦礫と化した。 ○昭和17年4月18日 米軍機が東京・名古屋・神戸等の本土上空を空襲、爆撃によって日本の各所が廃虚と化した。 ○昭和20年9月8日 大審院にて大本は無罪となる。 王仁三郎は国に対する賠償請求を放棄。 ○昭和26年9月8日 サンフランシスコ講和条約が結ばれ、太平洋戦争が終結。 戦後連合国は日本に対し、賠償を一切放棄した。 これですね、某所からコピペってみました。
605 :
名無しさん@3周年 :03/07/23 12:58
>>604 あと、大本事件は「松竹梅」だ、という聖師の予言もありますね。
まあ、こういう符合を「奇跡」として認定するとしても、一番大切なことは、
「現在に生きている自分達にとって、『霊界物語』をどう読むべきか」という
一点に絞られるでしょう。他の新興宗教では、「大本の神仕組みは、第二次
大戦で終わった」と主張しているところも多いし、それをひっくり返すだけの
「物証」を出すのは不可能でしょう。運良く、『霊界物語』の中に予言の痕跡
を見出したとしても、所詮はノストラダムスや、黙示録の深読みと対して変わり
がないでしょう。大本の裏神業などに没頭している連中は、そういうわき道へ
入ってしまっていると思う。霊界の存在、正神と邪神の区別、どこの団体が
神仕組みを担っているか....こういう種類の問題は、人智を超えた次元のもの
ですから、いくら議論しても結論は出ません。
ちょっと補足すると、『霊界物語』のすべてが聖師が高熊山で見聞された記録
という訳ではないことは、ちょっと研究すれば明白なことです。第1巻の中に
も、すでに大本創業期にあった聖師と幹部とのいざこざが読み取れる。『霊界
物語』の読者の方には、『大地の母』を併読されることを切にお勧めします。
多分ですが、「大本に起こることは世界に起こる」という原理に従って、大本
の人間のモデルを使って「サニワ」した結果が『霊界物語』に書いてあるので
しょう。モデルにされた人間が騒ぎだして、出版を再三妨害したので、高熊山
の見聞記という脚色を加えたのでしょう。
かく言う私も、「予言の宝庫」という期待を持って『霊界物語』を読み始めた
のですが、今はそんなものどうでもよくなった。「神ながら」と「予言」は相
入れないものです。「明日」を全面的に神様に任すならば、「明日」に何が
起こるか知る必要がないでしょう。
んー裏神業が全てわき道だとも思えないけどなぁ。
607 :
名無しさん@3周年 :03/07/23 18:13
聖書にあったよな。 世の終わりが近づくと偽キリストが現れて妖術を使うと。
608 :
名無しさん@3周年 :03/07/23 18:15
609 :
名無しさん@3周年 :03/07/23 18:18
610 :
名無しさん@3周年 :03/07/23 18:40
611 :
名無しさん@3周年 :03/07/23 18:46
どうでもいいが被害妄想っぽい。
>>607 じゃあ現れるのはこれからだ。どう考えても。
夏厨 → 放置 釣り → 無視
614 :
名無しさん@3周年 :03/07/23 19:45
マタイ 24:24 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、 大きなしるしや不思議なことをして見せます。
615 :
名無しさん@3周年 :03/07/26 02:38
偽キリスト問題は俺も興味津々。 王仁三郎の主張や思想には感銘を受けるが、たとえば666をミロクといって 崇めたりとか、晩年は雪隠虫に襲われた、とかいって脳梗塞になってしまったり とか、日本は戦争に勝つと思ってたら負けた(本人弁)、とか、物語は世界中の 事が書いてあると言いながら、晩年になって「実は日本の事を書いてるだけじゃ、 ワハハ」とか・・・・ 疑問点は多々ある。これらの点について、詳しい人たちに色々意見を聞きたい。 また、キリスト教徒の人達に王仁三郎の事をどう思っているか、いわゆる真の 救世主が降る前に現れる偽救世主なのか、とか有意義な意見交換をしたい。 これって実は王仁三郎を信奉するにあたって、一番大事な議論なんじゃないですか?
黙示録の獣である偽救世主はこれから現れなきゃ意味ないじゃん…世界をガケっぷちまで持っていくってんだから。その事と王仁三郎の言説が変化する問題は分けて考えないと。
617 :
名無しさん@3周年 :03/07/26 03:51
>>黙示録の獣である偽救世主はこれから現れなきゃ意味ないじゃん…世界をガケっぷちまで持っていくってんだから。 最初から、決まっているところにいやらしさを感じるね。 何?その情報源?
618 :
名無しさん@3周年 :03/07/26 04:07
>>615 出典を明らかにした書き込みでないと、無視しますので、
よろしく出典を明らかにした上でご質問ください。
>>618 新月の光、その他です。
ついでにご存知の人が居たら、木庭次守氏の人となりや
何故王仁三郎の思想を封じ込めようとした本部に最後までいたのか?とか
も知りたいのですが・・。(というか最後まで本部の職員だったかどうかも
知りません、教えて下さい。)
併せて新月の光の信憑性自体にも言及したいです。
620 :
名無しさん@3周年 :03/07/26 04:57
いきなり如是我聞から読み始めれば、当然疑問ばかりとなるのも 無理はないと思います。如是我聞というのは、聖師様が相手の 心情を見抜き、身魂相応に話された言葉であって、こればかりを 金科玉条のように考えるのは取り違いになりかねません。 聖師様の書かれたものを優先して読まれますことを、 おすすめ致します。 木庭次守さんは、最後まで本部の職員であった訳ではありません。 しかし、個人的なことなので詳しく書き込むのは控えます。
621 :
名無しさん@3周年 :03/07/26 05:05
『霊界物語』を読まれるのが一番ですが、 『神霊界』大正8年3月1日號 p.9〜11をご参照くださるのも いいかもしれません。
622 :
名無しさん@3周年 :03/07/26 05:15
3流作家。面白くもないし、内容もしょうもない。
623 :
名無しさん@3周年 :03/07/26 05:27
>>622 最初の数巻で読むのやめちゃった人だろね。
面白い所読まなかっただけだろ。
624 :
名無しさん@3周年 :03/07/26 05:29
面白がるだけなら、オカルト趣味でしかないということです。 オカルト趣味的なことはできるだけ書かないつまりです。
625 :
名無しさん@3周年 :03/07/26 05:31
>>624 滑稽諧謔という点で、霊界物語は面白いと思うぞ。
>>617 黙示録以外に何があるわけ?じゃあアレはどう解釈するものなの?何をどう考えたら王仁三郎が獣に位置づけられるのかわからない。
>>621 >『神霊界』大正8年3月1日號 p.9〜11をご参照くださるのも
>いいかもしれません。
神霊界が手元に無いもので・・・・、よろしかったらどんな事が
書かれているのか教えて頂けますか?
628 :
名無しさん@3周年 :03/07/26 18:20
ttp://www.wlpm.or.jp/200203/p04.htm 一、人に惑わされない
主イエスは十字架にかかる前にオリーブ山で弟子たちから世の終わりの
前兆について質問を受けました。それに対して主は「人に惑わされない
ように気をつけなさい」(マタイ二四・四)と言われました。
そして偽キリストや偽預言者が多く現れると予言されました。事実、
今日まで数多くの偽キリストが現れました。それは私たちには将来の
ことを知りたいという強い願いがあるからです。弟子たちも同じ思いが
あり主に尋ねましたが、主イエスは、その時がいつなのかは、父なる
神がご自身の権威によって決められることで、私たちは知る必要が
ないとはっきり言われました(マタイ二四・三六)。
もし私たちが、いつ世の終わりが来るのかということを心配する
あまり、主が一度この世に来られて私たちのためにあがないの業を
十字架上で完了してくださったことを忘れるとすれば、まさしく
本末転倒です。主が知る必要がないと言われたのですから、私たちに
世の終わりの時を具体的に知らされることはありません。人に
惑わされないようにするためには、どんな教えであっても、それが
人から来ているものか神または聖書から来ているものかをしっかりと
見分けなければなりません。
ユダヤ教ではイエスを救世主と認めていないそうだ。
630 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 09:00
>>629 ローカル宗教の話をされてもねぇ.........
>>630 イエス自身にその自覚があるから気にするな。いずれにせよ黙示録の獣や偽救世主の記述のどこにも王仁三郎に当てはまるものはない。その逆の記述ならあるが。
666を弥勒として崇めてたというから、獣でもないとしてもその下っ端かもしれない。 火のないところに煙は立たない。いずれにせよ禄でもない代物の可能性がある。
>>632 は○○かもしれない。
いずれにせよ禄でもない代物の可能性がある。
634 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 16:32
王仁三郎が偽キリストかどうかは、クリに聞いてみたらいいんじゃない? 「偽キリストだ」と断言されそうだけど。
>>632 アンチキリストの獣やら下っ端やらは聖書圏にこれからぞくぞく現れるだろうから心配するな。それより詳しく大本の事を調べてみたらいい。
636 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 16:35
637 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 17:07
>>632 >666を弥勒として崇めてたというから、獣でもないとしてもその下っ端かもしれない。
アホらしい。「666を弥勒として崇めてた」なんてことあったのかね?
638 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 17:31
>>630 イスラム教もイエスを救世主として認めていない。
639 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 17:32
>>638 仏教もイエスを救世主として認めていない。
イエスを救世主として認めているのはキリスト教だけ。
640 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 17:37
キリスト教も王仁三郎を救世主として認めていない。 イスラム教も王仁三郎を救世主として認めていない。 仏教も王仁三郎を救世主として認めていない。 王仁三郎を救世主として認めているのは大本教系だけ。
>640 そんなの、当たり前じゃん。 王仁三郎が生まれる前にできた宗教なんだから。
642 :
カルト!!! :03/07/27 17:57
現代の世界レベルの宗教界で、王仁三郎を救世主として認めているのは大本教系だけ。
救世主である弥勒はこれから現れるんだからいいんだよ。いきり立つ前に自分で調べなさいっての。
弥勒は五十六億七千万年後にやってくるのでは?
救世主を外に求めるな。
>>635 >>643 何でそういうこと断言するんだ。偽救世主の片棒担ぐようなものだ。
煽りは無視・放置しましょうね。 夏厨注意報発令中!
>>646 救世主
↓
www.hatoyama.gr.jp/opening.swf
649 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 19:48
出口王仁三郎、大本教およびその信者は 宗教界の 夏厨です。 夏厨警報発令中!
まあ放置やね。知識のある人のまともな意見以外は。
651 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 20:14
まあ社会では放置やね。カルトなんて。
652 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 20:16
煽りは無視・放置しましょうね。 夏厨注意報発令中!
653 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 20:31
おーい! 勘違いをしている人がいるから、 弥勒菩薩について、紹介しておきます。 弥勒菩薩は、すでに如来に達する資格があるそうです。 その弥勒菩薩が何故、如来にならないかというと、 それは、すべてのものが悟りを開くのを待っているんだ♪ 自分はすぐにでもOKなんだけど、最後の人が到達する時 を待っているという素晴らしい仏であります。 ちなみに、弘法大師も、衆生が悟りを開くまで高野山で待っている という話だ。
655 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 20:34
>>653 だから、みんなの悟りを開く資格出来るのが56億7千万年後とか
言われてるのです。
そのときに、この世に現れるそうです。
このスレで煽って得たネタで、知ったかぶりの鼻高になっても なんの意味もないです。霊界物語を読みましょう。 夏厨注意報発令中!
657 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 20:48
邪教徒 必死
>>655 おそらく長い時の象徴なのではないでしょうか。
ジサクジエン キライ !
信者 パッパラパー
また韻が踏めてない…却下。
弥勒降臨は、近い。 777は、拒否して、666に留まるのだ。 ところで、黙示録は、予言をしるしているのではなくて、秘伝の教えを書いてあるらしい。
読みこなすには、カバラの知識が必要だということです。
get
ジサクジエン ノ ヒトリシバイ (w
>>664 その二つの数字の事もう少し詳しく教えて貰えますか?
669 :
名無しさん@3周年 :03/07/30 03:00
670 :
名無しさん@3周年 :03/07/30 20:11
同じへ理屈哲学屋でも スピノザ信者>>>おっさん だったな。 まあ、そのスピノザ信者も 他の優秀な大本信者にボコられて 逃げてったわけだが....。
671 :
名無しさん@3周年 :03/07/31 05:12
http://www.palf.co.jp/~ryu/wjn/12/149.1.html ユダヤイルミナティ世界權力は、當然のことながら、彼等の體制の中に、「世界宗教」を構築しなければならない。
そのために、日本の宗教をも利用するであらう。
これが肝腎のところである。
「彼等」にとつて利用價値のある日本の宗教とはいかなるものか。
それは、疑ひもなく、
例の「竹内文書」を走りとする、一連の新興宗教教團である。
即ち、
出口王仁三郎以降の大本とその系列の無數の分派教團。
そして、その影響下に在りながら、太古以來の傳統を持つと自稱するペテン師弊立宮など。
かうした宗教集團は、「彼等」の世界統一宗教の枠組の中に日本民族を引きずり込むための先導役を果たすことは可能であらう。
672 :
名無しさん@3周年 :03/07/31 08:36
>>670 自分でわかっていないことを、さもわかったかのように錯覚している単純な
貴公がうらやましい。「自分は何も知らない」という事実を自覚する人こそが
本当の智者なんだよ。
673 :
名無しさん@3周年 :03/07/31 09:16
>>672 ↑
『「自分は何も知らない」という事実を自覚』していない人。
>>672 貴方の(わかっている事)でも披露してください。
人間の理性では、「霊界」の存在も不存在も証明できないということです。 哲学というのは、「自分がわからないこと」を「わからない」と正しく認識 する学問です。哲学的に見れば、宗教の問題は「証明できない」という自覚を 持った上で、それでも信じているのか、ということです。そこで、信仰と盲信 の違いが現れてくる。
676 :
名無しさん@3周年 :03/07/31 20:46
情けなや 鼻欠けどもが 夢の跡
677 :
名無しさん@3周年 :03/07/31 21:47
>>675 おいおい、オサーンよ、噛み付く相手を間違ってるんじゃないか?
そんなに元気ならスピノザ信者にリターンマッチを挑めよ。
679 :
名無しさん@3周年 :03/07/31 22:42
煽っている人は単に面白がっているだけの夏厨。 無視・放置が2chの原則です。 それとも、お二人とも2chで醜態を晒したいのですか? 哲学という立脚点は良いとしても、理解しようという姿勢もなくては 永遠に平行線になるのは、議論する以前に判りきった話ですし、 そもそもスレ違いの話題で、続けるだけの意味もないです。
>>680 そうですね。具体的な話題を出しましょうか。『霊界物語』に書かれている内容
が真理である、ということは証明不可能です。本の中に「これは神伝の真実で
ある」と宣言されていることは、何ら証明にはなりません。『霊界物語』の
正しさは、『霊界物語』から離れた第3者によって判定される必要があります。
また、『霊界物語』を読む人は、決して『霊界物語』を読んでいるのではなく、
自分の意見と同じことを主張している部分だけを拾い上げて、自分の意見を
正当化しているだけなのです。つまり、『霊界物語』を自己愛の道具として
使っている。糖衣錠の甘い表面だけ舐め尽くして、苦い薬の部分を捨てている
ようなものです。『大本神諭』の解釈をめぐって、聖師こそが「悪の型」で
ある、として幹部達が妨害に明け暮れたのも、同じことです。
『霊界物語』を「正しく」読み取るには、「エコヒイキな読み方」に陥って
いないか、常に自己批判することが不可欠です。逆説的ですが、『霊界物語』
を全面的に否定する覚悟がない人には、『霊界物語』の真意は読み取れないの
です。その第一歩が「わからないことは、わからない」と認めることです。
>常に自己批判することが不可欠です。 それって、最悪..自殺への片道切符だね.. すべきは自己検証だよ
>>682 自己批判は、所詮ヒッキ−には無理でしょうね。
現実は厳しい。その厳しさから目を背けても、現実は変わらない。現実は、
自分の思い通りになどならない、という事実を受け止めるとき、世界が開けて
くる。贋物の「桃源郷」に引きこもって、世界が開けるのを待っているので
は、何千年たっても問題は解決しません。
自分の欠点を欠点として受け止めるとき、その欠点を乗り越えられるだけの
活力が生まれるのです。これが「見直し聞き直し」のもうひとつの密意です。
結局何を言いたいんだろう。霊界物語は証明できないから自分にはわからないって事を言いただけなんだろうか。
>>683 >現実は厳しい。その厳しさから目を背けても、現実は変わらない。現実は、
自分の思い通りになどならない、という事実を受け止めるとき、世界が開けて
くる。
それ、もう妄想の世界へいっちゃってる。
簡単に言えば、現実の世界は甘い..
虫歯に気をつけろで十分..
>>684 捏造云々とか証明云々やってるから、おかしくなる。
科学のことならその筋の専門家に聞け..
捏造、証明云々の話は宗教界に聞け..
全部答えは出揃っている。
まぁ、認めたくないだけだろうね..出鱈目連中は..
ちなみに金正日さんは良識派の最後の砦ですので..
>>684 真実とは、「これは真実です」というレッテルが貼られているようなものでは
なく、個人が自己責任で追求するものだということです。ダイヤモンドが本物
かどうかは、鑑定書があろうがなかろうが関係がない。鑑定書を信じるも信じ
ないも自己責任です。
人間が認定できる事実とは、二つしかありません。生まれてからこの方、 経験によって得た事実(火に触れれば火傷する、ものを放り上げれば 必ず落ちてくる、など)であるか、または先験的な事実(経験を待たずに わかる「当然な事実」:二つのものは同じ空間に場所を占められない、 など)のいずれかです。それ以外の事実を、超越者(神)から押し付け られても、人間にはそれが事実だとは認定できない。つまり、「神」の 言いなりにそれを鵜呑みにするしかない。「神」の正体がもし、悪魔 だったとしたら、人間はもうどうしようもない。そんな脆弱なものが 事実であるわけがありません。 事実とは、誰が口にしてもその真価は変わらないものです。聖者と される人が言ったら真実だが、同じことを一般人が言ったらそうでは ない、などというものではありません。そういう「ネームバリュー」を 切り捨ててかからないと、真実を探し当てることはできません。
(^^)
690 :
名無しさん@3周年 :03/08/02 02:09
また始まった・・・・
691 :
名無しさん@3周年 :03/08/02 02:56
これも霊界物語の功徳じゃ。
692 :
名無しさん@3周年 :03/08/02 06:12
荒んでいるな.................... 地上天国なんて夢のまた夢
>>688 672さんは、下手をすると霊界物語の登場人物の鰐口曲冬の
道を歩くようになってしまう可能性があるだろう。
「(赤面の守衛)『お前は霊界の消息を洩らしたる仏教に対し
尊敬帰依の心を捨て、なまじひに研究などと申してかかる
から、何にもつかめないのだ。霊界の幽遠微妙なる真理が、
物質界の法則を基礎として幾万年研究するとも解決のつく
道理がない。しばらく理智を捨て、意志を専らとして研究
すれば、神の愛、仏の善、および信と真との光明がさして
来るのだ。仏教がつまらないなどと感ずるのは、いはゆる
お前の精神がつまらないからだ。仏の清きお姿がお前の
曇つた鏡に映らないからだ』
(鰐口曲冬)『さう承れば、さうかも知れませぬが、どうも分
り難うございます』
(赤面の守衛)『人間の分際として仏の御精神を理解しよう
とするのが間違ひだ。仏は慈悲そのものだ、至仁至愛の
意味が分れば一切の経文が分つたのだ』」
(霊界物語・五七巻・一二章・三狂)
>>694 「(鰐口曲冬)『別に慢心はしてをりませぬ。世界の人間に宣伝
しようと思へば、信仰も信仰ですが充分研究を遂げ、これなら
社会に施して差支へないといふところまで調べ上げねば、社会
に害毒を流しますからな。いはば社会のために忠実なる研究
ですよ』
(赤面の守衛)『お前はまだ我執我見がとれぬからいけない。
異見外道、自然外道、断見外道といふものだ。そんな態度では
どこまでも神様は真理を悟らして下さらぬぞ。神様は愚かなる
もの、弱きもの、小さきものをして誠の道を諭させ玉ふのだ。決
して研究的態度を採るやうな慢心者には、密意はお示しなさら
ぬ。」
(霊界物語・五七巻・一二章・三狂)
696 :
名無しさん@3周年 :03/08/02 06:38
>それ以外の事実を、超越者(神)から押し付け >られても、人間にはそれが事実だとは認定できない。つまり、「神」の >言いなりにそれを鵜呑みにするしかない。「神」の正体がもし、悪魔 >だったとしたら、人間はもうどうしようもない。そんな脆弱なものが >事実であるわけがありません。 世間的には、悪神、祟り神とされる艮の金神、そしてやはり悪神と される神素盞嗚大神を、「至仁至愛」の神として信じることにしたとき に、自分が信じるものが「悪魔だったとしたら」という可能性は、既に 考えの中に入っていて、納得した上で信仰している。 悪魔かも知れない神を信仰するだけの勇気を持って信仰するの だから、「そんな脆弱なものが事実であるわけがありません」、「そ んな脆弱なもの」など信じられないというのなら、672さんが信じな いでおけば良いだけの話。人にそれを説教するのはお門違い。
697 :
名無しさん@3周年 :03/08/02 06:52
>お前は霊界の消息を洩らしたる仏教に対し尊敬帰依の心を捨て、 釈迦って霊界のこと語ってたっけ?
698 :
名無しさん@3周年 :03/08/02 06:56
>>696 自分で霊界物語に書かれている正神が「至仁至愛」の神である
ことに納得がいけば信じればいいし、納得がいかない、信じられ
ない、というのであれば、672さんが、浅野和三郎、谷口雅春、
その他の一派を立てた人達みたいに一派を立てるなり、教えを
捨てるなり自分の道を歩けばいいだろう。
自分が納得いかないから、人が納得しているのはおかしいと
考える方がおかしいのでは?
699 :
名無しさん@3周年 :03/08/02 06:57
>>697 語っているよ。原始仏典と言われるスッタニパータでも読んでみたら。
700は欲しい♥
>>699 岩波文庫
ブッダのことば スッタニパータ \800 ISBN 4-00-333011-0
(・∀・)
705 :
名無しさん@3周年 :03/08/02 18:47
706 :
王仁三郎万セー :03/08/05 00:52
東大医学部の研究練の裏門の向かいに古びた建物が廃墟と化している。 で、その前の掲示板になぜか大本教の広告が張られていたりする。 最高学府の権威に押し消された真実の徒の無念の想いがそこにはあるみたい(激鬱・・・
707 :
名無しさん@3周年 :03/08/05 03:54
東大は大本なんか歯牙にもかけない
>>707 歯牙にかけるってことは牙をむくこと..
東大は大本を攻撃するはずはない..
実に適切な指摘だ
710 :
名無しさん@3周年 :03/08/06 02:17
>709その根拠は如何に?
>>698 言葉は悪いが、結局のところ「自分は阪神より巨人の方が好き」っていうのと
レベルが変わらんように思います。自分と同じ主義だから、「これは本物だ」
と盲信しているだけで、「本物だから信じる」というのと順序が逆転している。
つまり「神ながら」と逆になっているでしょう? 自分の好きな神だから信仰
するというのではね。
真理というのは、自分の好き嫌いを超えたものです。自分が嫌いでも真理なら
有無を言わさず受け入れなければいけない。そういうものです。私はAが好きだ、
いやBが好きだ、といがみ合っている状態では、たとえ結果が正しくとも、単なる
まぐれ当たりでしょう。好き嫌いを一旦白紙にして、火の見やぐらに登り、
その「Aだ、Bだ」の争いの現場を客観的に眺めてみる。そこで出て来る結果
こそが真理で、「自分が好きだから」とか「自分が信じられるから」(実は、
自分が好きだから信じるのです)という理由など、真理に何ら無関係な装飾品
にすぎません。そういうものを振り回している限り、小北山で随喜の涙を流す
盲信者と何ら変わりません。小北山がなぜ偽神か、その教義のどこが間違って
いるか、ちゃんと指摘できるのでなければ、その信仰もまた「アナザー・盲信」
でしかないのです。
>>695 引用された部分には、ひとつのパラドックスが隠されています。赤鬼さんは、
「異見外道、自然外道、断見外道」という、釈迦が生きていた時代に流布して
いた九十五外道の諸派をわざわざ引用して、そういう思想は真理ではない、
と教え諭しているので、実は「異見外道、自然外道、断見外道」がどういう
思想で、そのどこが誤りかを知らなければ、この文章の本意はつかめないのです。
ところが、恐らくほとんどの読者はそういう地道な勉強をしない。それどころ
か、そういう努力をする人を捕まえて「鰐口曲冬」だと揶揄することで足を
引っ張ろうとする。結局、自分に都合のいい読み方をしているのです。
どんな人も、最初から真理を知っている人などいません。思い込みで誤りを
信じている。勉強していくうちに、その虚偽を容赦なく暴かれて「恥じ」を
かき、そこで謙虚に真実を受け入れたものだけが真理を手にするのです。
我見を切り捨てて、素直に真実を受け入れる。それは大和魂と同じ精神です。
我があれば、それができない。
「鰐口曲冬」が指摘する「仏教とはタマネギのようなもの」という批判は、彼 のオリジナルじゃありません。多くの研究者がそう指摘している。大乗仏教の 「空」をとことん突き詰めると、最後には涅槃も悟りも仏も「空」で、何もなく なってしまう。これは、「色即是空」一本に偏ってしまった結果の「外道」な のです。本物の仏教は、そこからUターンして「空即是色」で色界に再び戻って こないといけない。「鰐口曲冬」は、仏教を片側からしか見ないで、タマネギ だと言い切ったから、赤鬼さんにこき下ろされたのです。それでは、外道だよ、 と親切にも外道の名前まで持ち出して、はらわたの中まで真理をぶちまけて 見せたのです。 本来この世は無東西/何処有南北是宇宙/ 色即是空の世の習ひ/空即是色の真諦を/ やうやく悟り吾々は/剣を棄てて言霊の/ 神の依(よ)さしの御剣に持ち直したる嬉しさよ (第55巻16章、素道の歌)
714 :
大本反本部連合会 :03/08/07 21:02
715 :
名無しさん@3周年 :03/08/11 01:08
霊界物語を読んでいればいづれ弥勒神人種になれるようです。弥勒神人種になれない 人は小人になるようです。分からなくともただ読んでいるだけでも必要な時にその ひらめきのような物が出てくるらしい。そう意味では御魂改造、救済の神書でもある様 に思われる。
716 :
名無しさん@3周年 :03/08/11 03:37
しょーもない選民思想だな。
717 :
名無しさん@3周年 :03/08/11 03:59
あんたは小人代表に立候補するつにりか?
719 :
名無しさん@3周年 :03/08/11 04:08
720 :
名無しさん@3周年 :03/08/11 08:17
幼稚だなっまず人になる前に大人になるこどだな
721 :
GET! DVD :03/08/11 08:18
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
723 :
名無しさん@3周年 :03/08/22 18:41
うしとらのこんじん みろくのよがくるぞよ
岡本秀月ってまだ生きてるの?
725 :
名無しさん@3周年 :03/08/30 18:33
age
729 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 21:28
アトムの騎士ってどっかのカルト宗教の信者だろ、 そういう匂いがぷんぷんする。 化け物っておまえ自身のことだろが。 掲示板の管理人に頼んでアク禁にでもしてもらおうか。
730 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 21:38
オウムにも頭の切れる信者はたくさんいたわな(いるわな)
729がアク禁にされたりして
732 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 23:59
九月八日
733 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 07:44
アトムこそHPでもつくれよ。 顔でも晒してw 俺は女だと睨んでるが・・・w 言葉遣いが変だし 言ってる内容も女っぽい ぷ それに、地獄が好きで好きでしょうがない。 高姫の再生
734 :
名無しさん@3周年 :03/09/09 12:33
俺は最近来たばかりなので、最初からアトムの騎士のレスを読むことにした。 最初のほうは穏やかな感じだったのに、最近はどうしたんだろう? というイメージだな。 なんか、いやなことでもあったのか?w
735 :
名無しさん@3周年 :03/09/18 21:10
>>734 冷灰物語読んだらイイことがあるとの流言に惑わされ、高い金と多くの時間を
浪費してみても泥の中を這いずり回る境遇に何ら変化なし。
よって精神に異常をきたしたんでないかいな。
執拗にアトムの騎士さんを叩いている連中(一人?)のほうが よっぽど異常に見えるけど。 なんか、いやなことでもあったのか?w
何か別の話題はないの?
738 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 20:11
王仁が霊的テロリストかどーかやりあってみる?
おまいらを救いにきますたYO
740 :
名無しさん@3周年 :03/09/23 11:44
エスペラント運動は?
741 :
名無しさん@3周年 :03/09/23 12:31
雄松と雌松の見分け方を教えてください
>冷灰物語読んだらイイことがあるとの流言に惑わされ、高い金と多くの時間を >浪費してみても泥の中を這いずり回る境遇に何ら変化なし。 それはどこの宗教も一緒 宗教はどこも誇大広告 行く価値はなし。(大本3派も含めて) 王仁先生は弥勒の世に宗教(宗教団体のこと)は必要ないと言ってるよ。いまだに弥勒の世が来てない奴には憐憫の情をもよおす(哀れ
なんか最近kakky氏どないしたんやろ? なんか、いやなことでも(ry
sage間違えてageちゃった。スマソ
746 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 18:02
>>745 ここにも出してる、誰が宣伝してるの?
このHPなかなか好かったよ、がんばれ青年。
747 :
名無しさん@3周年 :03/10/12 22:34
王仁三郎聖師自身が 「わしを拝むな。皇神(主神=万物の創造主=天帝)を拝み、敬い、頼れ」と いった言葉を残している。 またうろ覚えで申し訳ないが、 「教主(おしえおや)を 崇むるあまり 皇神の 光忘るる 信者(まめひと)ぞ 憂き」 となげきの歌を残しておられる。 皆様、心の中に「万物の創造主」のお光をいただきながら、 共に歩みましょう。
音読してたら喉が痛くなりますた。
750 :
名無しさん@3周年 :03/10/23 01:23
霊界物語と大本神諭の音読をしてると、心と体からいろんな毒が出てくる 感じがしてたんだけど、こういう事だったんだね。 玉鏡「身魂磨き」 大本に来て修行して居ると、年を経るに従って、だんだん何も分からなく なるし、そして吾も他人もの醜さが目について、現界に活動して居た時より も遥かに汚く、悪くなったような気持ちがすると云うものがあるが、それは 其のはずである。何故なれば神様が一生懸命各自の身魂を磨いて下さって居る からである。 彼の研師が剣を研ぐ様を見よ、砥石にかけて練磨するとドロドロの汚物が 出て来る。剣其の物もまた汚物に汚れて全く光を失うて居る。だが磨き 上がって研ぎ師がサッと水を掛けると、三尺の秋水明晃々として鉄をも断つべき 名剣となるのである。その如く、皆も身魂磨きが終って、サッと神様から水を かけて頂くと、自分では思いもかけぬ働きが出来るようになって来る。水を かけて頂かねば何も出来はせぬ、せいぜい磨いて頂く程結構である。 だって。頑張ろっと
すんません。国常立命と国治立命って、同じ神様すか?
753 :
名無しさん@3周年 :
03/11/03 01:04 皆、どうでもよろしい!! 各々その時の考え方や見方は色々違うものだし、違って当たり前だ。 だから、他人が変に思えても決して馬鹿にするな! 自分の考えを、他人に強要するな! 自分を磨けよ! 悪口や苦難には耐えろよ! 忍べよ! それが日本人よ! 大和魂よ! それに気付いた正しい人は心底惚れるよ。 その時は優しく導いてやれよ。