1 :
名無しさん@1周年 :
02/12/17 21:36 ついに第4巻目に突入です(W。 前スレ容量オーバーなので立てました。
2 :
名無しさん@1周年 :02/12/17 21:40
3 :
名無しさん@1周年 :02/12/17 21:41
4 :
名無しさん@1周年 :02/12/17 21:43
5 :
名無しさん@1周年 :02/12/17 21:47
>ひさしぶり >この御和讃を「どんな善でも方便の善であるから行自体やめなさい」 >と読めば造悪しかありません。どんな善もやってはいけないのですから。 イヤ、違うんでないの? 「どんな善もやってはいけない」のとさ 「意識して善をすることはない」ってのは また別物でしょう。 あなたの意見に異議を唱えているものは、後者の ニュアンスで言っていると思われるのですがどうですか?
>ひさしぶり >この御和讃を「どんな善でも方便の善であるから行自体やめなさい」 >と読めば造悪しかありません。どんな善もやってはいけないのですから。 ひさしぶりよ、お前もか!ww
8 :
名無しさん@1周年 :02/12/18 08:29
>>6 そのとおり、後者のニュアンスでしょうね。
ひさしぶりは「廃悪」の勧めについてはあえて無視している。
ゴジラもそうであるが。
諸善を廃し→基地外だ、こればっかだね。
諸善を廃し→「廃悪」をしっかり勧め、諸善は道徳善程度に勧める。
こういう意味では?
10 :
祭り大好き!! :02/12/18 10:24
>他スレ771 ひさしぶり氏よりマターリスレの方に回答いただきましたのでそれについて・・・。 >「涅槃の因」というのは方便・・・ ひさしぶり氏の従来からの主張によりましても(もちろん私も)、方便でない「涅槃の因」という ものはないのではないか? と思います。ただひさしぶり氏が、聖道諸機や定散諸機が実在しない という主張かと思っておりましたので質問していたのですが、今回の回答で自力で五十一位に進める 聖道門の機類の実在を主張されていることを確認致しましたので、定散諸機についても実在するとい うことでよろしいですね? 聖道門や観経の方便も往生成仏の御方便には違いありませんが、末代悪 機のわれわれに勧められた御方便ではないということですよ。前スレ814の「ある通行人」氏が態 々異訳の御文をあげられて仰られているように、十九願はまるっきり聖道門ですよね。ですから前ス レ791で紹介した先哲のお示しのように親鸞聖人は釈されたのだと思うんですがね。
11 :
祭り大好き!! :02/12/18 11:49
>他スレ772 >自内を証するのが・・・ 仏様ごとに自内証が異なるというのは初耳です。涅槃というのは一味ではないということですかね? 「唯、仏と仏とのみ、乃ち能く諸法実相を究め尽くせばなり。」(『妙法蓮華経』方便品第二)です から諸仏の自内証は同じと思ったのですが・・・。覚如上人がいわれる久遠弥陀説は、諸仏の果徳が 異なるということなのですかね? 諸仏も念弥陀三昧で「弥陀同体」になるのでは?まあ聖道門では 、弥陀同体という言い方はあまりしないとは思いますけどね。理としては、仏の境涯を目指している のですから「目指す所」(上求菩提)は、同一境涯だと思うのですが。 >ぐずぐず・・・ 法然上人は、観経の諸善のなかから、御本願(十八願)の意(そして観経の持名付属の意)に腰を据え られて念仏を選び取られて(それが御仏意)、念仏・諸行廃立された真意を親鸞聖人は、 さらに三経三願隠顕であきらかにされたのです。観経の諸行の実義は、念仏・諸行相対で言えば、(下下品・付属の) 念仏(持無量寿仏名)であり(その前提上で)、顕説(表面上)の諸行の勧励の隠された真意は弘願真実の念仏の (念仏の真・仮については、『御本典』前五文類で決択済み)の勧励であることをあきらかにされたのですから、 親鸞聖人の三経隠顕・真仮廃立は、法然上人の念仏諸行廃立をわかりやすく解釈されたものでごちゃ混ぜも何も同じ 意ですよ。従って弘願念仏の外は、諸善万行も自力念仏も上求菩提(往生)の功徳(宿善)になる行としては、われ われ末法悪機の為には、廃せられたのです。他力の念仏を抑えるといはれのは、「我がこれだけやっている。」という自力 の執着心が他力の「御本願の生起本末を聞く」ことを抑えるということです。心相を離れて行体はありませんから、自力の心相 を廃捨することは即ち行体を廃捨するということです。実際にはなかなか自力心は廃るものではありませんが、だからといって 自力諸善や自力念仏を「宿善になる」と称して勧めるのが間違いだといっているのです。
12 :
祭り大好き!! :02/12/18 12:25
>他スレの773 >「御方便は必要ない」・・・ ですから、御本願・十八願の無他方便があるのじゃないですか? 「抑止門」も御本願ですよね。 十九願には何故ないのでしょう? 上機相手だからでは(これは前にも質問して未回答でしたね)? それに必要とか何ってのは仏様の側のことですのでわれわれ凡夫が選べるものではないですよね。 ましてや、われわれのような五逆・十悪の悪人には選べるはずがないですよ。その為に仏様が御本願 を選択してくださったのでは?? >ここは・・・ 私の知る限り、親鸞聖人等歴代善智識の『「観経自力の三心」では、報土往生はできない、弘願に入るように』という 御教化ばかりで、「観経の三心を得ること」が、「弘願に入る」為の前提条件だとか必要条件だとかといはれる御教 化を見出すことはできないのでそうとしか思えないのですが・・・。 >私の見解 まあ「大行論」とか「報恩行」については諸説ありますのでね。私の見解は、何度も申し上げていりように、報恩称名 は、衆生の能行に約しては、「往生行」ではないが、所行に約しては、「往生行」たる法体大行であり、能所不二である ので所行に摂せれられて能行も所行の相を顕しているという説を支持しています。ひさしぶり氏のいわれる他力でありながら、 行体が法体大行(仏智証得の行体)とは異なる行があるのでしょうか? 心相が自力だと他力じゃないし、心相が他力なら必然 的にその行体は他力(名号法)なのでは??
13 :
祭り大好き!! :02/12/18 15:12
>>11 (>他スレ772)に補足
心相を離れて行体がないことに異論があるのでしたっけ? 行体というのは、能修の対境となる法の体のことで
よろしいですかね? 諸法(五位七十五法OR五位百法)は、色法を除いては皆心相を伴いますね(心王・心所・
心不相応。無為法も摂すれば真如であり仏心ですね。)。また色法といっても十二処では、心を除いてますが、
五根五境無表色も業の物質的側面を別択するもので、実際の業に於いては、心色相伴いますね。諸善万行といっても
心相を離れては有り得ず、心相が嫌われているというのは、行体が嫌われているのと同義です。例えばs会が盛んに
勧める法施とは、「法施は、謂はく、実の如く、無染に経等を弁ずるなり。論じて曰く、若し能く実の如く、諸の有情
の為に、無染心を以って、契経等を弁じて、正解を生ぜしむるとき、名づけて法施と為す。」(『倶舎論』巻十八四業
品第六)とある如く、無染の(清浄な)心相を伴わなければ「法施」とはいえないわけです。真宗の場合、自力の心相
が嫌われるとは、自力の行体が嫌われているというのと同義です。
14 :
祭り大好き!! :02/12/18 15:28
>>13 の続き
したがってs会流の「善ノススメ」とは、(自力で五十一位に至れるような)聖道門の機類の
如き無染の心でもあれば兎も角、われわれのような末法の五逆十悪の悪人には、単に
「自力の執心ノススメ」でしかないわけです。親鸞聖人は、そんな悪人のわれわれの為に
「最高無上善の御本願(南無阿弥陀仏)ノススメ」をされたのです。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ こ こ は ひ さ し ぶ り 氏 と 祭 り 大 好 き ! ! 氏 専 用 オ ナ ニ ー ス レ で す 一 般 の 方 の ご 使 用 は ご 遠 慮 下 さ い ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
16 :
名無しさん@1周年 :02/12/19 00:28
そろそろ会って話してみたら? 朝まで生討論!!
17 :
祭り大好き!! :02/12/19 22:05
>他スレ775〜776 横レススマソ 浄土門の「六度万行」と大乗通途の「六波羅蜜」=「六度」が違うというのもよくわかりませんね。「六波羅蜜」は、 『大乗理趣六波羅蜜多経』(資第八巻)等の所説で、大乗菩薩所修の万行を六度(六波羅蜜)に類別したものですから、 開けば万行、閉じれば六度になるのは大乗通途では? まあ他力浄土門の立場から云えば、念仏は他力ですので、諸善万行 といえば、念仏以外の自力の万行(菩薩行)の意になりますが、自力門の立場からは、念仏も自力の菩薩行の中に入りますか らその違いはあるでしょうね。「六度万行」という言葉は、別に真宗独自のものでなく通仏教的に他宗でも使いますね。例えば、 「設ひ修し得る者有るとも、皆是生死の業なり。爾言ふ、六度万行斉しく修すと。」(臨在禅師『臨在録』) 「妙とは具足。六とは六度万行。諸の菩薩の六度万行を具足するやうをきかんとをもう。」(日蓮聖人『開目抄』)
18 :
名無しさん@1周年 :02/12/19 22:30
元s改印さんたちに任せておけばいいんだけど、あんまりひどいので漏れも 一言。 > 「六度」というのは「六波羅蜜」のことで「布施、持戒、忍辱、精進 > 禅定、智慧」を意味しますが、「六度万行」というときは > 「六波羅蜜」はすべての善の根本なので、 > 開けば万行、閉じれば六度になり諸善万行を意味します。 > とくに浄土門では念仏以外のすべての善行を意味しており > 聖道門でいう六波羅蜜十波羅蜜とは意味が違います。 > 。「六度万行」と「六度、六波羅蜜」は違う、と > 言ったはずですが。 > 六波羅蜜を行じてさとりを求めているのではないですから。 すごいなー(藁。「六度万行」と「六度、六波羅蜜」は違うとは、こんな珍説は 聞いたことがない。「開けば万行、閉じれば六度になり諸善万行を意味します」 って本人が言ってるじゃん。手の込んだボケですか? 開いて閉じるなら同じ に決まってるじゃない。仏教でいう開く/閉じるの意味が分かってないんじゃ ないか。この人の思考回路はホント、ようわからん…。 あ!もしかして、「六波羅密」に出世間行を配し、「万行」は「万」だからあら ゆる善を意味してそうなので(爆、出世間行だかそうでないかまことにアイ マイ、ムニャムニャの、親鸞会のいう「善」とやらが、つまり世の中では普通 「独善」と言われるだろうアレが(藁、「万行」に入るから「違う」って言い たいのかな〜〜。そゆこと、ひょっとして? だとしたら、もう呆れるを通り越して爆笑もんですな。
書いてあることで根拠を示せといったかと思えば 書いてあることより意味が大事とか言ったりするような人たちですので その場その場の部分部分の正しさだけでしのいでる人達ですので
20 :
名無しさん@1周年 :02/12/20 00:00
「善の勧めはない」イコール 「悪を勧めてる」 という変わった脳内変換をされる会ですのでね・・・
21 :
祭り大好き!! :02/12/20 00:13
22 :
祭り大好き!! :02/12/20 00:15
>>17 訂正補足
誤り 『臨在録』
正解 『臨済録』
23 :
名無しさん@1周年 :02/12/20 18:43
善を勧める親鸞会を、「善の勧めはない」と非難している のではないか。 「善を勧めるのは間違いだ」と言うのは、 「悪を容認している」ことになるではないか。 こんなことさえ、わからぬとは。
24 :
名無しさん@1周年 :02/12/20 21:50
>>23 基地外の戯れ言だよ、それ。
1)「善を勧めるのが間違い」ではなくて
2)「あえて善を勧めていない」んだよ。
1)と2)の違いが分からないか?
たとえば、英会話スクールに行って「君の英会話スクールでは
善の勧めはないのか?では、悪を容認しているのか?」
といわれたらハァ?っていわれるだろ。
It's not my business.ってわかる?関係ないよってことだけど。
関係ないから勧めないんだよ。0はゼロであってマイナスでは
ないんだよ。頭悪いからわかんないか。(w
25 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :02/12/20 23:18
>>23 >「善を勧めるのは間違いだ」と言うのは、「悪を容認している」ことになるではないか。
「善を勧めるのは間違いだ」と言うのは、「悪を容認している」ことじゃないんだよ。「善
を勧めるのは間違いだ」と言うのは、悪を犯した人に宗教の場を通じてもう一度立ち直るチャ
ンスを与えようということなんだ。悪人もグループの一人として容認するということなんだ。
善をしなさい。善をしなければいけません。こう言えば、既に悪を犯した人は立場が無くな
るだろう。無くならないまでも、肩身は狭くなる。
悪を犯した人が肩身を狭くするのは、裁判所、刑務所、会社、学校、地域、隣近所、家庭の
中だけでもう十分じゃないか。悪を犯した人がそうした場所で肩身を狭くしてくれたら、宗教
の場で重ねて肩身を狭くさせる必要はないだろう。
あらゆる場で肩身を狭くしたなら、それ以上狭くする場所を増やす必要はない。悪を犯した
人に宗教では、肩身を狭くする必要のない場所を提供するから、そこをきっかけに一日も早く
立ち直って行きなさい。浄土真宗はそう言ってるんだ。極楽浄土とは、悪を犯した人さえ、肩
身を狭くする必要のない場所だ。仏道修行者の世界だ。浄土真宗は、そういう場を提供してく
れているんだ。
浄土真宗は悪を弾劾しない。悪を弾劾しないために、善も勧められない。善と悪は裏表だか
ら、善を勧めれば、悪を排除しなければならなくなる。それは分かるだろう。善を勧めないと
いうことで、悪を犯した人を弾劾しないという価値観を、浄土真宗は担保しているんだ。
「善を勧めるのは間違いだ」と言うのは、「悪を容認している」ことじゃない。悪を犯した
人を重ねて弾劾しないという価値観を担保し、それによって悪を犯した人の再起のチャンスを
与えようとしているんだ。
こんなことさえ、わからぬとは。
26 :
名無しさん@1周年 :02/12/20 23:50
>>23 『廃観立称』の言をよくよく噛み締めるべし!
27 :
名無しさん@1周年 :02/12/21 02:15
>>23 「悪人正機」を悪を勧める教えと勘違いするのと同レベル
あんたほんとに浄土真宗?
新呆論スレもなかなか盛り上がっていますね。
>>17 >>18 祭り大好き!! さん、18さん、横レスありがとうございます。
ひさしぶりさん、お待たせしております。
現在仕事(と忘年会)がピークのためレス遅れておりますが
一両日中にはお返事できそうです。
29 :
祭り大好き!! :02/12/21 10:40
>>28 元s改印さん、前スレでの丁寧な心遣い有難うございました。今後ともよろしくお願い致します。
>>1-5 ご挨拶とお礼遅れて申し訳ないです。御苦労様でした。
>>25 「困っている人を助けましょう」
と積極的に勧めている人に、
「そんなことを勧めるのは間違いだ。すべきでない」
と反対するのは、
「困っている人を見捨てよ」
ということになりませんか。
こんな単純なことさえ分からぬとは。
>>30 それで、親鸞会は困ってる人を助けてるの?
実際は、金のない人は用無しでしょ。(w
>>30 >「困っている人を助けましょう」
>と積極的に勧めている人に、
>「そんなことを勧めるのは間違いだ。すべきでない」
>と反対するのは、
>「困っている人を見捨てよ」
>ということになりませんか。
後生の一大事の解決とよい関係があるから「困っている人を助けましょう」というのと
人間として当然のことであるとして「困っている人を助けましょう」と言うのはまったく別物のような気がしますが
>こんな単純なことさえ分からぬとは
こんな単純なことさえ分からぬあなたなんですね
33 :
名無しさん@1周年 :02/12/21 22:58
単純なことほど分かりにくいものです。 だから、分からないことは恥ではありません。 恥ずべきは分かろうとしないこと。
>>33 分かろうとしないではなくて、s会の言うことに疑問を持って
いるから反論が出るんですよ。人間として当然でしょ?
言うことを、100%鵜呑みにすることが「分かった」事ですか?
35 :
名無しさん@1周年 :02/12/22 09:37
>>34 分かりにくいと言ったのは、出家の善と在家の善の違いのことです。
親鸞会は両者を意図的に混同している。
それゆえ「分かろうとしない」と書きました。
ひさしぶりさん、ご返事遅れまして失礼しました。
やっと時間がとれましたのでぼちぼちと書き込んでいこうと思います。
>>1-5 さん、ご挨拶遅れましたがありがとうございました。
>>29 祭り大好き!! さん、こちらこそ宜しくお願い申し上げます。
いつも勉強させていただいてますが、今回も
>>11 後半は私の申し上げたいことを
簡潔に理解しやすくまとめていただきまして有難うございました。
さすがのひさしぶりさんももはや誤解が晴れたであろうと思っております。
>>774 >「信前の者がしている聞法は諸善ではない」ということで よろしいですか
「信前の者」の機根によって回答が異なってくるとする見解です。「信前の者」が
竜樹、天親両菩薩方のように上機の方々は信前においても諸善万行を行じうると
とみなします。竜樹菩薩は自力聖道門のご修行で歓喜地に到達せられた、と以前s会
でも教わったと思いますが、今は違うのですか?また天親菩薩は起観生信ができたお方
である、という見解は認められませんか?彼ら菩薩方の信前の聞法は諸善であるとみな
しています。一方「我らごときの三世諸仏に捨てられた末代の泥凡夫」の場合は、信前
に諸善万行を行ずることはできません。ただ、前回申しましたように真宗は「聞」=他力
信心を頂くことが肝要ですから、聴聞の「聴」は釈迦弥陀が我らのためにご用意くだされた
善巧方便であるとみなしております。
>>ついでに「信後の聞法は諸善ではない」という見解ですか?
「末代の泥凡夫」の場合についてお答えいたします。
>17に祭り大好き!! さんがすでに
「他力浄土門の立場から云えば、念仏は他力ですので、諸善万行といえば、念仏以外の
自力の万行(菩薩行)の意になります」
とご指摘のように、信後に自力はありませんので超善の他力念仏はご報謝として
行じますが、逆謗の屍の実機は信後も変わりませんので諸善万行は行じない、
という見解ですね。
>>774 >会に対する批難のほとんどは、単に感情的な批判だと感じています。
実際に同じような見解を採っているひとには批判はしないのですから。
中村先生が、もし三願転入のご文を根拠として、「信前のものは宿善をあつくするように
一生懸命励まなければならない。なぜならそれが信心決定とよい関係にあるのだから。
信前のものは宿前をあつくするためにまず要門から入りなさい。これが浄土真宗の教え
なのだ」と主張したとすれば、「大先生ご乱心か?」というスレでもたてて批判するかもしれ
ませんね。
どこかで中村先生はそのようにおっしゃっていましたか?
もちろん私の知る限りそのように言われているとはみなしておりませんし、今後もそのような
ご意見をとられるとも考えられませんので批判したこともございませんが何か?
>>38 訂正スマソ。
×信前のものは宿前
○信前のものは宿善
>>775 >以前あった「親鸞聖人のお歌」の批判にしても
>「聖人が千日回峯行を成された」と信じる本願寺の関係者はいますね。
まあ、本願寺のご門徒さんんがおひとりでも信じていれば、本願寺の関係者
ですからねえ(笑)。まあ、この件に関しては今回はあまり追及はしませんが。
>「在家」と考えてもおかしくはない。
>こういう見解自体を批判しているなら「こだわりがあるんだなあ」
>ただ悪口がいいたい だけの価値のない書きこみとしか判断できないね。
そこまでおっしゃるのなら、次の三点に関して見解をお示しいただけますか?
1)「しかれば、すでに僧にあらず俗にあらず、この故に「禿」の字をもって
姓と為す。」(教行信証後序)
この「俗」とは聖人による、自らが在家ではない、という表明ではないのですか?
2)なぜ聖人は藤井という名字を使用されずに「愚禿」と名乗られたとお考えですか?
3)「賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕はす。賢者の信は、内は賢にして外は愚也。
愚者の信は内は、愚にして外は賢也。」(愚禿抄 述題意)
親鸞聖人が「愚禿」が名乗られたことについてのあなたの見解を知るために、
愚禿抄のこのご文のご見解をお聞かせいただきたいです。まあ、本筋とはずれる
から答えたくない、というご見解ならばそれでもよろしいですが。
>>775 >聖道の慈悲は聖道のなさけぶかさですし、浄土の慈悲は浄土のなさけぶかさです。
私の書いたものをもう一度お読みになっていただけますか?
詭弁にしかきこえないのですが。
「慈悲に聖道、浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、
かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、き
わめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈
大悲をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。」(歎異抄)
中村先生説「なさけぶかさ」は聖人が浄土の慈悲といわれる「念仏して、いそぎ
仏になりて、大慈大悲をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり」
という見解よりむしろも聖道の慈悲であると聖人がいわれる「ものをあわれみ、
かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること」に相当
することは明白ではありませんか。あなたは歎異抄のご文は信じないなどといわれ
るかもしれませんので念のため申しておきますが法然上人も同様の発言をなさって
おいでです。現在手元にはありませんが示せといわれるならばその根拠もお示しい
たしますが。
>2,3の波羅蜜に関しては的外れですね。「六度万行」と「六度、六波羅蜜」は違う、と
言ったはずですが。
>>17 >>18 のご親切な横レスにまったく禿げ同ですね。
これらのご説明で理解できない、とおっしゃるとすればそれこそ理解に苦しみます。
>>776 >>2)s会においてはなぜ勧誘と財施に代表される布施のみを異常に突出させて
勧めているのかその理由がありましたらご説明ください。
>報謝の心によってなされる行為ですから法施が主になるのは当然でオょう。
釈迦弥陀の慈悲よりぞ願作仏心はえしめたる
信心の智恵にいりてこそ仏恩報ずる身とはなれ(正像末和讃)
信前のものに仏恩報謝はできるのですか?
信前のものに仏恩報謝の心があるのですか?
s会のかたで破邪顕正や財施なされる方々はみなさん信後の方々なのですか?
>六波羅蜜を行じてさとりを求めているのではないですから。
これは驚きです。s会の見解は六度万行は世俗諦とみなす見解であったという
いことですか?本当にその見解はs会の見解とみなしてよろしいのですか?
では、なぜ信前のものに法施は「人間のなしうる最高の善」であるとか
「あつい宿善になるから」といって一生懸命に行ずることを勧めるのですか?
実際、法施を行じているときに命を落とされたかたも何人もおられるのですよね。
世俗諦である六度万行にノルマを課して無常の時間を費やすことを勧めるにいたっては
いよいよ浄土他流といわれてもしかたがありませんね。
>>776 >真宗辞典にも「諸善」や「万行」には同様に書かれています。
諸善も万行も世俗諦である、と書いてありましたか?
残念ながら「同様に」ではあなたの解釈が混じる可能性は否定されませんね。
ですから具体的にご教示いただきたいのですが。もし嫌だ、といわれるのでしたら
なんという出版社のなんという辞典でしょうか。教えていただけますか?
>>777 >どこまで強調したら「本となす」ことになると判断されるのか
基準をお聞かせください。
やっぱり訊いてきましたか(笑)。
まずはあなたも特にお好きであると思われる蓮師の「御文章」を、あなたは
すでにすべて暗誦されるほど御読みかもしれませんが、今一度通読していただき、
「往生極楽の一大事」と「堕地獄の一大事」のどちらに重きがおかれているかを
判断していただき、そのうえでまたお尋ねいただけますか?
新人太郎さんと459さんのご討論のにも459さんがご親切にもご教示なさってた
ような気もしますが、いかがでしょう?
>>777 >このお言葉からは「願力に由りて生死を厭捨せしむる」のが
「欣求をもって本となす」ことだと解されますが、
おっしゃるとおり、真の意味で「生死を厭捨」せしむるのは信後でないと
達成されません。二種深心が立たなければ「欣求」とはなりません。
そして私は信前の凡夫に説かれる「欣求」と「厭離」はちょうどコインの
裏表のようなものであり、信心をとらせていただくための如来の善巧方便で
あるという見解であることも強調いたしたいと思います。
しかし仏法は対機説法、応病与薬ですから対告衆の機根によって
「本」とされる度合いも当然異なるでしょう。蓮師の御文章自体が
さまざまな方々に対するご説法をまとめたものですから、当然信仰の
度合いによって説かれ方も異なって当然ですね。
しかしなぜ聖人がこのご文をわざわざお示しになられたのかと申しますと
信前のものに対して自力心のありかたをお示しになられたのでしょう。
この御文のはじめには、「聖道門、難行道、竪出、自力。」とあって次に
「竪出とは難行道の道なり。厭離をもって本となす。自力の心なるが故也。」
とあります。聖人が「自力の心なるが故也」と仰せになっているということは
方便の竪出に迷ってはならない、方便の竪出は厭離を強調する見解であるから
迷ってはならない、と仰せです。
厭離をもって本となす見解の典型的例とはたとえばs会における「一切衆生必堕無間
=後生の一大事」を強調する見解であり、このような自力に執する見解は聖道門にな
ってしまうと聖人は仰せです。
>>778 >ほんとだ、下巻の間違いですね。
おっしゃるとおり、私の引用の根拠があやまっておりましたことを
認めます。申し訳ありませんでした。
そして自分でお聖教を調べる手間を省いてはいけない、ということを反面教師と
して学ばせていただきまして有難うございました。
ただ、一言申し上げますと、自分で書き込みしたものは自分で責任をもつ、という
のは当然のことであると思っておりましたが。いかがなものでしょうか。
>あなたの根拠なんか信用するとろくなことないね。
これは愚痴ですか?
他因自果説の表明ですか?
>>780 >「化土には本当は行けないんだよ」なんて説かれる方便はないんですから。
>あなたは方便とは心得てないようですね。
私はs会の見解である「一切衆生 必堕無間」の反証として
経典に化土往生を説かれていると申しているだけです。
仏説はまことではないのですか?
経典の根拠をきいているだけであなたの解釈はきいていないのです。
まあ、どうしてもあげたくないようならばもう一度お返事をお待ちして
別の反証を提示いたしますが。
>>47 追加
祭り大好き!! さんが
>>10 におっしゃっておられるように
定散諸機についても実在するということでよろしいのですね。
そうしますと、必然的に化土往生の機も実在するということで
よろしいでしょうか。
>>781 >>誰が19願や20願の念仏を称えているというのですか?
あなたのご主張がいまひとつ理解できません。
祭り大好き!! さんが
>>10 におっしゃっておられる見解に対してお答え
いただいた上でレスいたしたいと思います。
>>782 >法然上人の真意を開顕された親鸞聖人の解釈にいちゃもんつけるとは
なにさまなんでしょうね。 己が分際を知りなさい。
「己が分際を知りなさい。」はまことに仰せのとおりで何も返すことばも
ございません。ありがたいお言葉ありがとうございました。
ただ、法然上人、親鸞聖人に「いちゃもん」をつけ続けているのは
私ではなくてあなたであることを声を大にして申し上げたいと思います。
そもそも法然上人と親鸞聖人のみおしえはまったく同一ですね。
法然上人のせっかくのみ教えを聞き誤っている他流のものたちや、
明恵上人などの旧仏教からの批判にたいして、聖人は法然上人のご真意を
あきらかになさったのですね。
「観経は弘願念仏をすすめておられることが真意である」ことを聖人が開顕なさ
れたのに、まず要門から一生懸命はげみなさいといって自力に執する方便の
諸善万行の難行を勧めるとはなにごとですか。末代の凡夫に勧められるものは
ただひとつ、名号を頂くこと、すなわち弘願念仏ではないのですか。
しかも六度万行が世俗諦である?と主張しているとみなされる今回のあなたの
ご発言には正直いって呆れております。
あなたがお答えになっておられないこの質問にもお答えください。
>>「真実法を信じる器を作る」のが俗諦である理由はありません。
>改めて確認させて頂きます。要するに、あなたは「真実法を信じる器を作る」
教えが浄土真宗の真諦であると主張しているということでよろしいのですね。
>>783 >私達ができるのは 本人がどういうつもりでやっているにしろ
「仏教で説かれている道徳善」しかできません。
なるほど、あなたは末代の泥凡夫でないという見解ですか。
だからあなたには、道徳善も「できる」のですね。
わたしがいままでお話していたのは「善人さま」だったというわけですね。
ご無礼いたしました。
>この御和讃を「どんな善でも方便の善であるから行自体やめなさい」
と読めば造悪しかありません。
あなたは道綽禅師が安楽集に説かれている、
「目の前に荒れ狂う川があって泳ぐために服を脱ごうとすれば後ろの群賊に
たちまち殺される。そしてただちに飛び込めばおぼれ死んでしまう」
(ちがってたら訂正キボンヌ)
という場面で、相変わらずそんな悠長なことを言い続けるのですか?
無常のトラのご説法はどうお考えなのですか?
あの藤蔓につかまっているあなたもやはりゴジラさんのように
困っている人に親切にする、というのが真宗の至極ですか?
>「方便はいらない」と強弁するひとなら抑止門も無視ですから
誰がどこに強弁していました?
廃悪については末灯抄に説かれているとすでに申しましたが、まだあなたの見解
をおききしていませんが。
抑止門も無視しているのはあなたではないですか?
廃悪については末灯抄に説かれているとすでに申しましたが、まだあなたの見解
をおききしていませんが。
>>35 「出家の善」と「在家の善」の違いを明確に示してください。
その分かる説明もないのに、「お前は分かろうとしない」とは。
誰にでも分かるように、2つの善の違いを示してください。
52 :
名無しさん@1周年 :02/12/22 20:39
>>51 簡単なことですよ。
出世間善(出家の善?)とは、自らが成仏(仏になる)のために行う善。
世間善(在家の善?)とは、上記以外のすべての善。
それだけのことなんですが・・・
53 :
名無しさん@1周年 :02/12/22 21:15
>>30 仏法を説く者が部下を騙すという糊塗は、この上なく悪い事である。
そうであれば、そういった者の行為をうやむやにする事など出来ない筈だ。
この場合、もし故意に揉み消そうとする者があったならば、仏法を否定し悪に迎合する
悪を勧める者になるのではないか。
こんな単純なことさえ分からぬとは。
>>38 訂正スマソ。
×・・・・信前のものは宿善をあつくするように
一生懸命励まなければならない。
○・・・・信前のものは宿善をあつくするように
諸善万行に一生懸命励まなければならない。
>>42 訂正スマソ。
×・・・・世俗諦である六度万行に
○・・・・世俗諦であるとあなたがたが見なしている
(と思われる)六度万行に
>>42 度々訂正スマソ。
×・・・・この「俗」とは聖人による、自らが在家ではない
○・・・・「この俗にあらず」とは聖人による、自らが在家ではない
>>50 最後の文章「廃悪について(中略)おききしていませんが。」
・・・・→だぶってカキコしているため削除。
>>776 (マターリスレ)
>「独自の説ではない」とは何度も言いましたが。
>どこに「オレの見解は本願寺でも認められている」といいました?
といわれますので念のためあなたの発言をお示しいたしました。
1)呆戦2
>>817 「破邪顕正は諸善のひとつであることは本願寺も認めていること。」
2)呆戦2
>>823 「本願寺に聞かれてもよろしいかと思いますよ。
同じことをいうひともいると思います。」
これらは「オレの見解は本願寺でも認められている」と同義でないといわれますの
ならばご持論を展開していただけますか?
>>57 もうひとつおまけ。あなたの発言です。
3)呆戦2
>>451 「破邪顕正は万行諸善にじゃいるのは当然であり本願寺も反論文で
認めているところです」
本日はここまで。
59 :
祭り大好き!! :02/12/23 11:50
>>771 (>マターリスレ771)に補足
>『出世できないのは何故ですか?』・・・
「世間」とは、仏教では、迷いの衆生の生死の場で、「対治」・「不静住」・「虚妄」の意味
があるとされ(『仏性論』巻二・資第三十一巻七百九十六頁参照)、三界六道の迷界のこと
ですね。ですから、「声聞・縁覚・菩薩・仏」の四聖の悟界は、出世間とされているのですけど
、ひさしぶり氏説では、仏界に限定されるというのでしょうかね? それでいて五十一位の実在
を主張されているのですからよくわかりません。五十一位は、仏果を補う位で(補処)で弥勒菩薩は、
兜率天内院に上生されていますね(弥勒菩薩は、釈尊の一生補処。因みに阿弥陀様の一生補処は観音
菩薩です。)。源信和尚は、『往生要集巻上・極楽証拠・対兜率』で極楽往生と兜率天上生とを相対
されてますけど、俗世間との比較でしょうか? 『大経』の「弥勒菩薩も五道に転展」をあげられま
すが、「無住涅槃」「願って悪趣に生まれる」が、菩薩の境涯であること(弥勒菩薩が兜率内院を離れ
下生された話は諸経論に出てますね。まあ実在の弥勒との混同説もありますが。)は何度も述べた通り
です。あと、「『大無量寿経』は、法の真実なることを説きあらはして対機はみな権機(弥勒菩薩のよ
うな上機)なり」(『口伝抄』)ですから、実の対告衆である、われわれ底下の凡夫が、真実信心をい
ただけば来世往生成仏が決定して「便同弥勒」「次如弥勒」の身となれることをあらわされただと思います。
60 :
祭り大好き!! :02/12/23 12:47
>>772 (>マターリスレ772)の補足
まあ真言密教では、ヨーガタントラ(『金剛頂経』)五相成身観のシッティー(悉地)成就の果徳として、摩訶毘慮遮那如来
(大日如来)や阿弥陀如来の法身と一致し、三十二相・八十種好の色身を現じ(第十一普光地)るのは、顕教の六・十波羅蜜
の仏果とは、頓漸の相違(密教が頓、顕教が漸)だけで果徳の相違は無いが、更に第十二地〜第十四地の仏地の差別を説き、
マハーヨーガタントラ(日本には近代までは未伝。もっとも中世、高麗経由でモンゴルより伝法があったとする俗説あり。)
によってのみよく証得することができるとする説があるようです。このことですかね? しかし『口伝抄』に久遠弥陀説の証拠
としてあげられた経釈は、妙楽大師の『止観行伝弘決』、檀那院覚運和尚の『念仏宝号』、善導大師の『法事讃』、『楞伽経』、
『般舟三昧経』などですから、直接的には真言密教の影響はみられませんけどね。
>>36-50 >>54-60 君いつもいるね。いつもそんなことばかり書いているね。
気付いてるかい?はっきり言って誰も君のこと相手にしてないよ?わかってるの?
それって、自分ではおもしろいと思って書いているんだろうね。
きっと、薄ら笑い浮かべて書いているんだろうね。
でもさぁ、君以外の人には全然おもしろくないんだよ。
もしかして自分でもおもしろくないのに書いているんじゃないの?
自分でも何してるのかわからなくなってるんじゃないの?
家族からも近所からも煙たがられているんだね。
友達も彼女も彼氏もいないんだね。学校でも会社でも浮いているんだね。
どこに行っても相手にされないんだね。
ネットでも無視されてここに流れ着いて来たんだね。
ここでさえ相手にされてないじゃん。どうするの?
かわいそうに。もう駄目じゃん。
生きていても何もいいことないよ?
どうせ誰からも相手にされないんだから、死んだ方がいいんじゃない?
相手にされないから奇抜な言動で注目を浴びようと必死なんだね。
始めは少し注意を向けてもらったのだろうけど、
もう飽きられて完全に無視されているね。
それって迷惑なんだよ?気付いてる?
おもしろくもないのに、意味不明な事を大量に書かれても目障りなんだよね。
さようなら。この世から消えてくれ。君いるだけで迷惑。
せめて最後ぐらい人里離れた山の中で自殺してね。
62 :
名無しさん@1周年 :02/12/23 14:57
63 :
祭り大好き!! :02/12/23 17:34
>>59 訂正
誤り (・・・。まあ実在の弥勒)
正解 (・・・。まあ史的実在の弥勒)
>>61 なつかしい変身忍者さん(歳モロバレ)。そういえば世親菩薩さんは最近ご無沙汰ですね。
おっとPRIDE24の第2試合が始まるので・・・。
64 :
前スレ828 :02/12/23 18:56
>>ゴジラ 私がお前の発言は善智識だのみだと宣言してるようなものだということについて。 私のPCがプロキシー規制にかかって発言できなくなったのでネカフェでカキコ。 私が仔牛を盲信できん理由はなにもM晴が浄財使い込んだ上に尾万個しただけのことが原因じゃない。 もっともこれは盲信でなく、ちゃんとした証拠もあるのだがな。 私が言いたいのはM晴を初め、K玉やK谷、W部などの一目でわかるDQN仔牛でも、 s会の仔牛だという肩書きだけでそいつらを尊敬していることが善智識だのみだと言っている。 そんな香具師らが担当仔牛なら気軽に相談なんてできんだろう。 ましてや、過去スレの元の発言にもあったんだが仕事上の悩みを相談してるのに、容易に 「研究発表会の前に信心決定しちゃえばいいんですよ。」 なんて言い放つDQNに相談できんだろう。(中にはN村正仔牛、S本仔牛などの若干の例外もあるが) そんなDQNでもs会仔牛の肩書きのみで盲従するところが善智識だのみだと言っているのだ。
65 :
祭り大好き!! :02/12/23 22:35
>>59 に補足
兜率天は、六欲天の第四天ではないか?といはれるかも知れませんが、『往生要集』所引の壊感禅師の
『釈浄土群偽論』(資第四十七巻参照)の「十二勝劣」の「退位・五衰」があるのは、外院ですからね。内
院は不退です。欲天とはいえ、外院の対告衆の天人でさえ「歓楽に飽満し、其資質に於きて自ら満足を知り、
八聖道に於きて知足を生ぜず。故に説き名づけて兜率陀天と為す。」(『仏説立世阿毘曇論』巻六・資
第三十二巻百九十八頁)ですから、単なる凡夫天人でないのはあきらかですね。ましてや、化主の弥勒菩薩は、
出世の聖界にあることは自明です。従って『観弥勒菩薩上生兜率天経』(資第十四巻』)の上生も単なる人・天
の果報ではなく、聖道菩薩の果徳ですね。
66 :
祭り大好き!! :02/12/23 22:41
>>65 訂正
誤り 『釈浄土群偽論』
正解 『釈浄土群疑論』
67 :
祭り大好き!! :02/12/23 22:49
>>52 「出世間善とは、自らが仏になるのために行う善。
世間善とは、上記以外のすべての善」
と言われましたが、
「仏法を聞き求めている人の善は、みな出世間善、
仏法を知らぬ人の善は、みな世間善」
ということでしょうか?
69 :
名無しさん@1周年 :02/12/24 21:11
>>68 漏れは教学はDQNだが、あんた、しつこいというか、うざいんだよ。
いつもいつも他人に意見をきいてはケチつけるしか能がないじゃないか。
ひさしぶり以下だよ、あんた。
自分がわかっていないから人に教えてもらおうというのでなく、
待ち伏せして落とし穴におとしてやろう、というのが見え見えなんだよな。
そんなくだらないことをしている暇があったら正々堂々と自分の意見を披露して
「これでよろしいのでしょうか」とか、みんなにきいてみたらよかろうが。
まあ、その卑怯なやりかたがあんたらの会のやりかたじゃあ、しょうがないか。
70 :
名無しさん@1周年 :02/12/24 21:32
そうですよ。 s会は、卑劣な会ですよ。
新羅会って真っ当には来ないよね。 たとえて言うと、肩すかしとかで来るんだよね。 がっぷり四つ、って取りあいができない。 やっぱり、卑劣というか卑怯だと思うね。
72 :
名無しさん@1周年 :02/12/25 02:31
真っ当に来るわけないよね。来られないんだから。
>>68 なんてほんと呆れる。「仏法を聞き求めている
人の善は、みな出世間善、仏法を知らぬ人の善は、
みな世間善」とは、まあよくもこんなに意図的誤読
ができるもんだ。
そもそもの出発点であるはずの
浄土門と聖道門の区別はどこ行ったって感じ(w。
73 :
名無しさん@1周年 :02/12/25 03:21
>>71 s会の呆論のやりかたはいつでもそうだった。
呆賤シリーズも、本願寺との論争も、最近はAクラ子牛(犬鉄?)=新人太郎
の論争も、みんなそう。
とにかくどんなに卑怯といわれようと「勝つためには手段を選ばず」、という感じ。
肩透かし、とったり、はたきこみ、はては急所攻め、目つぶしなど奇手の
連続に相手が根をあげるのをひたすら待ちつづけ、悪口雑言を矢のように浴びせて
「これは相撲ではない」(=「この相手は仏法者ではない」)
と呆れた相手が土俵を背にしたとたん、突然高らかに勝利宣言して高森教教義を
嫌というほど垂れ流し続ける、という卑劣のワンパターンばかりだった。
>>72 ゴジラは本当にデジタル人間なんだなと思う。白か黒だけ。
論理による教学のもてあそびが好きなんだろう。
おおかた(ちょっと有名な)大学中退子牛だろう。
次はどういって言い負かしてやろう、という教学。
破邪顕正(s会的には「相手を言い負かす」こと)
目的につくられたあの短冊の犠牲者なのだろうな。気の毒に。
般若の智慧とか一元論とか、スッタニバータだったけ、
「我はかつて牛であり草であり大地であった」
の釈尊の真意は全然理解できないのだろうな。
え?理解してるって?じゃあ理解しているところを披露してみなさいな。
>>72 「仏法を聞き求めている人の善は、みな出世間善、
仏法を知らぬ人の善は、みな世間善なのか」
と尋ねているのは、誤読するためではなく、
言われていることを正しく理解するためです。
そうでないのなら、
「出世間善とは、自らが仏になるのために行う善。
世間善とは、上記以外のすべての善」
とは、実際に誰がどんな善をするのが出世間善で、
誰がどんなことをすることが世間善なのですか。
呆れているヒマがあるのなら、お答え下さい。
なんとなく先の展開が読めてしまう。 答えたら、また新たな質問 さらに答えたら、また新たな質問を延々としてくるに違いない でも実際は、どんどん内容がスライドしていく罠。 で、それを指摘すると 「疑問がわくから質問しているのです」という大義名分を使ってくる あきれて相手が去ると いままで「分からないから質問している」といっていた相手が 何故か急に全てを知っているかのように持論を延々と垂れ流す。 自分がそんなことをしていると分かってないのは 意図的というより天然なのでしょう。
>>75 善を勧めていると言いながら
悪を黙認しているとんでもない会です
廃悪修善が聞いてあきれます
組織のトップがそれを踏みにじっているんですからもうおしまいでしょう
こんなことを書くと「いまだにそんなデマを」と言われそうですが
デマを事実のように聞こえてしまう人がトップと言うのはあまりにもおかしなはなしですね
2chがなくなったらどんな反応をするんだろうか?
なんとなく読めてしまうのが悲しいですね
77 :
名無しさん@1周年 :02/12/28 08:00
>>75 まったく同意。いつものs会のやり方で、新人太郎もまさにそうだった。
s会に入会しようかどうか迷っている新人という香具師が
「わからないから尋ねているのです」とか繰り返しつつも、
相手の親切な説明は故意に無視して「わからん」を繰り返し、
結局徐々に論点を大きくずらしていく。
意図的に相手の人格攻撃をすることも忘れない。
そのあいだ、459氏以外の発言は一切無視。
そして、「こんな香具師とはもう話しとうない」という気持ちを
意図的に相手に植え付ける。なぜなら退出させるのが狙いだから。
相手が呆れて退出した途端にs会教義を延々と垂れ流し、
「真宗の至極とは云々」ときたもんだ。
それを堂々とHPにして公開している、その神経は本当に呆れる。
新人がs会に入会するとあんなふうになってしまうと宣伝したいのかね(W
ひさしぶり氏は新人太郎をして「すごい人ですね」といっていたな。
実際、新人太郎が子牛ではなく、本当に新人であったとみなすs会関係者の
香具師なんて一人もいないだろう。
もしいたとしたら、よほどのバカか、大嘘つきだろう。
78 :
名無しさん@1周年 :02/12/28 08:08
ねえ、親鸞会の人で、信心決定した人っているの?? 聞いた事ねーな。
79 :
名無しさん@1周年 :02/12/28 11:38
>あきれて相手が去ると いままで「分からないから質問している」といっていた相手が 何故か急に全てを知っているかのように持論を延々と垂れ流す。 剥藁 これぞ究極の横綱相撲だ。
80 :
名無しさん@1周年 :02/12/28 13:12
清き一票を!
【日本の政治評論家不人気投票】
池田大作、現在一位まであと約600票。
ご協力お願いします。
http://www.amiva.com/an/vote001/tvote.cgi?event=001&show=all 下記は池田大作の発言ですが原爆を投下されたのは創価学会を迫害したから
ということです。このような人物が権力をもっていてよいのでしょうか?
先ほどから話がありましたが、大聖人様御在世に大聖人様を迫害したがゆえに
一国謗法であり、一国が正法を護持しなかったがゆえに他国侵逼の難、二回の
他国侵逼の難がございました。文永の役と弘安の役。その大きい難を通じて、
民衆は大聖人様の予言を少しずつ知ってきたわけでございますが、下って
大東亜戦争の際、日蓮正宗を国家が弾圧し、創価学会を弾圧し、二度の原子爆弾の
投下をされております。一発は九州、一発は広島。日本の国が正法を誹謗した報いです。
いままた日本の国が、もしか広宣流布ができなかったならば、それ以上に、
日本の国が重大の岐路に立っている。それはなにか。戸田会長はそれをいちばん
心配して、それを青年に、これからの行くべき道をたくさん教えてくださったわけで
ございます。大聖人様御在世のときには二度の他国侵逼の難。大東亜戦争のときには
世界始まっていらいの二つの原子爆弾の投下、今度は日本の国が、ソ連とアメリカと
二つの大国から攻められていくべき宿命にあるということを、真の青年は知らなくては
ならないと思うのでございます。
81 :
名無しさん@1周年 :02/12/28 21:16
最近ひさしぶりは来ないな。 ついに力尽きて敗北宣言かな?
82 :
名無しさん@1周年 :02/12/29 20:27
∧_∧ ( ´∀` ) このゴミ、どこに捨てたらいい? /⌒ `ヽ / / ノ.\_M ( /ヽ |\___E) \ / | / \ ( _ノ | / ウワァァン ヽ | / / |ヽ(`Д´)ノ| ←ひさしぶり | / / ヽ( )ノ ( ) )  ̄ ̄ ̄ | | / | | |. / |\ \ ∠/  ̄
実はこのスレの存在知らなかったりして>ぴさしぷり いや、それはないか…本スレに遠征したりしてたし。 仕事場のPCが仕事納めで使えなくなったから、 と言ってみるテストしてもいい?
84 :
名無しさん@1周年 :02/12/30 10:17
>>83 スレの存在知らなかった(ふりしてた)りして。
s会はよく「ウソも方便」使うからな(w
ひさしぶりはおそらく子牛だろうが
彼のいうとおり本当に会社員なら仕事おさめでPCつかえないのかもな。
昔の高僧の逸話。 ある人が来て、「私の家は貧乏でかまどに火を炊かぬこと数日におよびます。親子三人餓死寸前です。お慈悲でお救いください」といった。 しかし寺には、食物も衣服も財物もなかった。考えてみたがてだてがない。僧は仏像の光背ののべがねを取り出して、僧正みずから手で折って 貧者に与えたという。門人に「仏の物を自分の用に使うのではないか」と問われると、僧正は答えていわれた。 「まことにその通りかもしれないが、仏の心を考えると身肉手足を切ってでも、衆生に施されるに違いない。現に餓死しようという衆生がいるのだ。 たとえ全体を与えてでも仏の心にかなうだろう。たとえ、自分が仏物己用の罪で悪道に堕ちるとしても、飢えている衆生を救うほうがよいのだ」
86 :
名無しさん@1周年 :02/12/31 16:59
仏像まるごとでない所がセコイ気もする。
88 :
名無しさん@1周年 :03/01/03 00:16
あげげのきたろう
信心正因 称名報恩 という事についてお聞きしたいのですが、信心決定者は 後生の一大事があるからこそ 助けていただいた報謝の念仏が腹底から湧き出してくるといわれますが、その報謝の念仏について、よくいわれる 往生スッキリ、ハッキリ(露塵ほどの疑いもなくなった)という状態の時、地獄はどの様に観えるのでしょうか? 又、六字の名号には五劫の修行をされた阿弥陀仏の力が込められていると教えられましたが、いわゆる カトリック教の聖体の様に、実体としての神(この場合は阿弥陀の本願力)が例えば、携帯用の名号本尊に 宿っていると観じられるのでしょうか?
>ある家に庄松が行くと、その家の女房が「薪がなくて困る」という。 庄松はいった、「薪がなければ仏壇へいって取って来い。」 今後の庄松は、仏壇の仏像の無い空間に頭を下げ続けるのでしょうか? そこでお聞きしたいのですが、 何が庄松の離れていた手を結びつけ、庄松は何に頭を下げさせられる様になったのでしょうか なずなの花の色を、教えていただきたいものです。
91 :
名無しさん@1周年 :03/01/06 23:45
92 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 00:17
ひさしぶり君は本当に白旗上げて退散したのかな(w。
93 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 22:52
七里恒順(1835〜1900)師はこのようにいわれていますね、 「捨てよと云ふこともあり、又尽力せよと云ふこともあるが、捨つる処はすっぱり 捨てる、取る処はやっぱり取る、是が真俗二諦の御宗風ぢゃ」 「真諦の方は此世を捨てる。俗諦の方は此世を取ると云ふ話ぢゃが、一寸聞くと無 理な様にあって、一時に出来はすまいと思はるけれども、一遍捨てて夫からは取る と云ふ様に、時を隔てることではない。一時同時に出来るのが、此宗旨の妙味である」 「先づ思ひ切って此世を一つ捨てやうぢゃないか。是が言を云ふなら黙って云へ。 走るなら据つて走れと云ふ話になってある」
94 :
名無しさん@1周年 :03/01/07 22:55
>>93 「真諦門の方では何も彼も捨てねばならぬ。俗諦の方は王法為本と云ふて、
飽くまで渡世職業に勉強せねばならぬ。(中略)そこで真諦の方では世間を
捨てて往生を願ひ、俗諦の方では世間に力を尽すが真宗ぢゃ。サァ貴公達は
実際此世が捨てられたか。繋いだ船なら何程棹をさしても行きはせぬ。纜の
弛んだだけは行くけれども、纜を引張ると又後へ戻る。御浄土へ参りたいと
思ふも、世間の縄が弛んだだけでは又後へ戻るぞ。夫で行くかと思へば戻る。
戻るかと思へぼ少々進む。行ったり戻ったり、戻ったり行ったり何程でも限
りはない。そこで真諦の方ではさっぱり世間の執着を断って仕舞ひなさいや」
95 :
NB ◆YIoCB90ZbI :03/01/09 03:49
最近ちょっと、思うところあってROMすらしてなかったんですけど、 本願寺を引き合いに出して理屈を作る人がいるようですね。 はっきり言って迷惑ですし、きちんとソースを出して欲しいですね。
いや、はっきり言ってゴジラさんのこと。
親鸞聖人には俗諦がなかったといふことをはっきり云ってよかろうと思ふ。 親鸞聖人の一代は、ただ一途に真の道を求めて進まれたのであります。 世間の善悪とか、世間の仁義道徳といふことは問題ではない。 問題でないといふ事は、親鸞聖人がそんなことは考へて居られなかったといふ事でない。 或は考へもせられたであろう、困りもせられたでせう、併し乍ら考へも困りもせられて居れば居る程、それは親鸞聖人に対しての当面の問題で無い。 当面の問題は如何にして解脱するか、如何にして生死を離れ、如何にして此の矛盾だらけの、罪と悩みに満てる人間世界を超えて彼岸の世界へ行くことが出来るであろうか。 さういう風にただ一途に出世の善を求められたのであります。
98 :
名無しさん@1周年 :03/01/11 07:32
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらるべしと、よきひとのおおせをかぶりて 信ずるほかに別の子細なきなり。 念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるなん、また地獄におつべき業にてやはんべるなん 総じてもって存知せざるなり。 たとい、法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。 そのゆえは、自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうあらわばこそ、 すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。 いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。 (略) 詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。 このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々。
99 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 05:38
で?
100ゲット
101 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 22:11
覚如という人物が親鸞の曽孫におります。 本願寺の第三代を継いだ方であります。 彼はその書物『改邪鈔』の中で、真宗信者の現実における生きざまを教えて、 内心には信心をたくわえて、外相には儒教の倫理としての五常を守れと明か しております。 新しく儒教倫理を導入してくるわけです。 親鸞にはそういう発想はまったくありません。 むしろそういうものを厳しく否定するというかたちで、仏教における真理へ の覚醒という、基本的な方向をいっそう明確化したはずでありますけれども、 その没後間もなくにして、こういうように信心は内側のことであって、外側 は儒教倫理を守れということになってきました。
102 :
名無しさん@1周年 :03/01/13 22:23
>>101 は信楽論文のコピペでした。
ご意見をキボーンです。
103 :
名無しさん@一周年 :03/01/16 22:39
本スレに新スレ起ったね
何? レジスタンスの決起?
>>104 いんや、950オーバー。普通にスレ更新
106 :
名無しさん@1周年 :03/01/17 22:25
_ , ― 、 ,−' `  ̄ヽ_ ,' ヽ ( ) ( ノ`ー'ー'ヽ ) ( ノ● ●( ) ( 〉 -――-( )_ _ `ー'l ● ( ノ ヽ ) 、‘ー'ー’ _ノ`ー' |  ̄| ̄ | / /7 / ̄ ̄/ / `ー´ `ー ´ `―´
108 :
名無しさん@一周年 :03/01/19 22:16
最近ジャンヌが盛り上がってるね。
>>108 こっちが盛り下がっているの間違いでは?w
(^^)
111 :
名無しさん@一周年 :03/01/20 23:01
ヤッター! 雪輝たんがフカーツしたぞ。
山崎渉ってなぁどっかのスレを沈めようとしてんのか?
113 :
名無しさん@3周年 :03/01/22 19:10
s会の文化講座や部会などで話されていた「七大経」というのには何か根拠があるのですか? 詳しい方教えてください。
活性化揚げ
誰も見てないから活性化せんよw
>>113 漏れは詳しい方ではないが、「七大経」ってのは、S会の方(大きいほうね)
の「五時の教判」をアレンジしたT森のオリジナルだったと思う。
118 :
◆FW3Gm.m/us :03/01/27 12:17
ひさしぶりさん 元気ですか?
119 :
名無しさん@3周年 :03/01/27 13:09
「後生ねがいと栗の木にはまっすぐな者がない」 だよ。 他は善を勧めないと言いながら、自分の勧める善は財世だけみたい。 ところで、 M春さんの不倫疑惑はほとんど風化してしまったね。 やっぱり証拠の無い作り話しだったんだろうか?
>>119 風化するから作り話という論理展開には何のつながりもないな
121 :
名無しさん@3周年 :03/01/27 23:21
>>119 ひとのうわさも49日。
会長先生の世襲の思惑は大成功のようです。
m晴先生、じっと我慢の甲斐ありましたね。
親鸞会は功罪相半ばしています。
原理主義的な真宗のセクトと後世にみなされるのでしょうね。
まあ、会長先生なきあとは、またーりと会の崩壊を観じましょう。
>>121 >親鸞会は功罪相半ばしています。
功って何?
>原理主義的な真宗のセクトと後世にみなされるのでしょうね。
一緒にされる原理主義も真宗も迷惑な気がww
s会は、原理主義じゃなくて御都合主義。
金権腐れ揚げ。
124 :
名無しさん@3周年 :03/01/29 23:23
>>122 s会の功とは?
1)反面教師として、
2)諸行無常を知らしめる。
3)所詮人の作った組織は腐ることを知らしめる。
4)金の怖さを知らしめる。
5)若者は熱しやすく醒めやすい、騙されやすいことを知らしめる。
6)権力者は世襲に走る(北朝鮮と同じ)。
7)軍隊組織が時代錯誤であることを知らしめる。
8)仏教組織は軍隊組織ではなりたたないことを知らしめる。
9)ダミーサークルで他人を騙すとその報いが如実に現われる。
10)因果の道理を知らしめる。
ふむ、まあまあ功はあるのではないかと。。
125 :
朝まで名無しさん :03/01/30 11:00
>124氏に禿同! T森師は阿弥陀仏のお慈悲により、提婆と同じく人間の弱さ、愚かしさ、悲しさ を示す為に身を破滅する道を身を挺して具現しているお方です。 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏.... ただ、提婆のように最後救われるかどうか?..............
>>125 レスありがとう。
私のT森師と「提婆達多」に対する認識はですねえ、実は以下のようなんですね。
提婆達多師は、凡夫のアキレるまでの愚かさ、罪悪を末代のわれわれに
示すために、王舎城の悲劇を現出され、そしてわれわれの実機を示す
ために恐れ多くもお釈迦様を殺害されようとされた権化のおかた。
親鸞聖人も「調ダツ、ジャセをして逆害を興ぜしめ」とか、「提婆尊者」とか、
ご和讃に「・・提婆等」と権化のおかた、と強調しておられる。
聖人がいわれるように提婆達多師は恐れ多くも菩薩様のご化身。
そしてT師は、提婆達多師の生まれ変わり。
T師は菩薩様のご化身であります。
T師は尊くも自身の「破滅の道」を尊くも我々に方便されたのです。
T師こそが、20世紀に出現された提婆尊者のご化身。
T師はまさに、末代のわれわれに提婆尊者の生き様を示された
権化のおかた。
T師自身の業が招く、身の破滅がやがて実現する。
そして、T師一世一代の大方便は完成する・・・
その瞬間は、もはや秒読み段階に入っている・・・
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・
>>126 もちろん、
「菩薩様の化身」=「阿弥陀様の化身」
とご理解ください。
128 :
125だが :03/01/31 18:16
世襲相続者M死をT森死はいつ義絶するのだろうか?
誰でも彼でも権化にしちゃったら 結局、全部阿弥陀仏の自作自演で いったい誰が救われたことになるんじゃ!!!
>>128 親鸞とT森を同列に並べたら
親鸞に失礼だよ。
131 :
名無しさん@3周年 :03/01/31 23:29
>>129 、
お見事!
権化として「味わう」のも、あんまりやりすぎるとイヤミか思考停止
になりかねないと漏れも思う。
お味わい揚げ。
多分、T森は提婆達多と同様、地が裂けて生きながらにして地獄へ堕ちるんだろう。
134 :
ひさしぶり(偽) :03/02/02 23:57
にやってきたけど、ここはひどいね。 ちょっと教えてやるか。 >>133 先生は20世紀に出現された唯一絶対の善知識だよ。 師をそしるものを謗法のものと申すなり、 とマットウ抄にもあります。 >>126 先生を謗ったら地が裂けるよ。 提婆達多は法華経で記別を授けられていますが、 法華経は方便の経典だから親鸞会的には信じないの。 >>130 先生は権化のかた。聖人のうまれかわりだよ。 誰がなんといおうとね。 聖人は一生涯、布教活動され、破邪顕正を叫ばれつづけられたんだ。 え?晩年は執筆活動に専念された? 正本堂建立されるのは、法をひろめる崇高な目的がおありなんだよ。 おれは一日16時間はたらいていて結構いい収入があるから、 GHSのノルマは、さほど苦にはならんがね。 ご報謝でのたれ死のうが子供が飢え死にしようが、 人生の本懐を達成するんだからいいんじゃないの? 何か問題あるかね? >>128 なんで義絶する必要があるのだ。 m春子牛の不倫のこと?あんただって不倫したいんだろ?
憐れな・・
ジャンヌの現役s会員って、ひさしぶりかな? ゴジラかな?
137 :
名無しさん@3周年 :03/02/04 23:25
>>136 >ジャンヌの現役s会員って、ひさしぶりかな? ゴジラかな?
性格的に「不真面目とはみなされたくない」らしい。
ちょっと(クソ?)まじめそうだから
おそらくゴジラではないかと・・
ただ相当SA氏を嫌っているところからすれば
ひさしぶりの別の顔かもね。
ジャンヌか… 嘘つかずに「宗教ですが何か?」と勧誘する選択肢が 残っているはずなのにそれをしない時点で糞。 という意見は駄目なのか…?お互い法論とやらに持ち込みたいらしいから そのツッコミしないみたいだが。
139 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 03:23
家族の絆過去ログ、おもしれえ。 このコピペ、ゴジラさん読んでみて。 シラン(614) 題名:学者・新人太郎氏へ 投稿日:2001年10月8日<月>22時43分 ジャンヌでの議論を拝見していました。親切に議論をされていた459さんも、とうとう 匙をなげたみたいですね。あなたの論理展開の不十分さは、茶畑氏が明晰に説明され ているので付け加えることはありません。でも、本当は、学者・新人太郎氏も少しは自 分の無理がわかっているのじゃないですか。そして、これ以上やるのがしんどいので、 ともかく「勝った」ことにして、終わりにしたいんじゃないですか。 私の印象からすると、これだけ論点をずらされても、まだ459さんの方が圧倒的に有利だ と思っています。なにせ、あなたは信一念がなにかまったくわかっていないからです。 もちろん、私はあなたと「法論」なるものをするつもりはありませんが、最後に、老婆心 ながら、あなたに、ひとことだけ述べたいと思います。 あなたは、議論に勝ちたいがために、いろいろ無理をして信一念へとたどり着きましたね。 その途中であなたは、さまざまな人間として大事な要素を切り捨ててきました。もちろん 仏教者としてはいわずもがなです。あなたは、破邪のためには、それで構わぬと思ってい るでしょうが、そうではありません。あなたは、人間のさまざまな要因を見えぬように、 ふたをし続けてきたのです。また、仏教・真宗の善悪論の背景にある、豊かな文脈にそっ ぽを向き、それを切り刻んできたのです。その結果、あなたが考えている信一念は、きわめ ていびつで矮小化されたものになっているのです。本当の信一念とはそういうものではあり ません。その人間の全体的ありようをそこで転換させるものなのです。あなたの議論の仕方 は、親鸞会に典型的なものですが、その思考方法が、獲信をさまたげているのですよ。 けっして、親鸞会の発展のために、つくせば、宿善がたまるものではありませんよ。 よく考えてみてください。
>134 名前:ひさしぶり(偽) 投稿日:03/02/02 23:57 >にやってきたけど、ここはひどいね。 >ちょっと教えてやるか。 という割には、会員歴一桁年の若い兄ちゃんだと思われ。 ひょっとして釣り師? まあ、あんたの頭の悪いことはよく分かったから とっとと逝ってくれ。
142 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 09:01
128だが”ひさしぶり(偽)”は短絡、無配慮、幼稚、エトセトラ、まるで北朝鮮並み の「T森マンセ−」一色だな。まさに絵に描いたようなカルト教団!!!!!!11 語るに落ちるとはなァ!私は一言も「m春の不倫のこと」とは言って いない。おまいら不倫を認めとるんだな! 北朝鮮ならさしずめ”収容所送り”だ。逝ってよし!
144 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 12:00
「ひさしぶり(偽)」は「ひさしぶり」のパロディだろ。 >ご報謝でのたれ死のうが子供が飢え死にしようが、 >人生の本懐を達成するんだからいいんじゃないの? >何か問題あるかね? ただ、混乱のもとになってるようだね。
145 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 18:48
ジャンヌ盛り上がっているねえ。 SA&茶畑氏vs現役会員(高確率で専任子牛) さあ、あなたはどちらに軍配? ちなみに漏れは現役不利とみた。
>>137 ジャンヌでのどんなに無知を指摘されても懲りずに同じ質問繰り返す様
はゴジラに似てるな。それにむか〜し、「よちきの掲示板」で三吉さん
にメタメタに論破されてた“しんちゃん”にも似てるな。
話題提供=でぶちん=ひさしぶり=はははのは
しんちゃん=ゴジラ=現s会員
つてとこじゃないかな? いずれにせよsの賎煮ん仔牛だろう?
147 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 19:05
527 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/24 17:20 「渋長に従わない者は飼い員ではない、ただし大前提がある」と先生はおっしゃいました。 「死無長が教えを正しく伝えている」ことが大前提です。果たして今までどうであったか、 反省と、今後のあり方を話し合った後、「不況局は必要かどうか」お尋ねになられました。 これは事実上、不況局長の信任、不信任の決議でした。そして、不況局長、部長は不 要、となるように水を向けられているのが明らかでした。 採決の結果、「必要」に挙手した人はわずか7人、残り100人以上が「不要」、つまり不 況局長への不信を表明したのであります。存続を訴える仔牛もいましたが、完全に浮き上 がり、多くは、これまでの局長のおかしな会合を先生にご報告しました。 先生も初めは半々だろう、と想像されていたようですが、あまりにも歴然としていたこと、ま た知らされなかったことばかりを聞かされ、驚きを隠せないご様子でした。不況局長が、自分 へのお礼ばかりを問題にすることを申し上げたら、さらに驚いておられました。「本当か?」 とお尋ねになり、皆が「そうです」と口を揃えた時には、「礼状なんて、その人の気持ち、そん なことを言うのは話にならん」と激怒されていました。 皆が異口同音に言うことに、さすがに先生も決断されざるを得ない、という状況になりました。 一人や二人が申し上げても、簡単に動かれることはありません。それだけ、仔牛部を信頼しよ うとされているのです。しかし、ここまでくれば、今のままでおられないことも実感しました。 結局こうなってしまったんですね。 >>128 なんで義絶する必要があるのだ。 m春子牛の不倫のこと?あんただって不倫したいんだろ?
148 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 20:00
M春なんて、s回のトップを張れるタマじゃない。 自分にお礼状を強要する。アイドル講師と不倫する(会の金で!) いつも、ヤクザチックなグラサン(気の弱いヘタレな証拠)。 ともかく、あいつが2代目になったらもう終わりだ。 その辺りも北朝鮮に似てる。
149 :
ばかまつこーた :03/02/06 15:01
>>148 そんなことないよ。
s会でめでたく信心決定したオナニー好きのおれがいうんだから間違いない。
21世紀の唯一無二の善智識であらせられる、M春大先生を謗ってはいけません。
善智識M春大先生万歳!!!
善智識M春大先生万歳!!!
善智識M春大先生万歳!!!
もひとつおまけに善智識M春大先生万歳!!!
高森先生は死ぬのが嫌じゃないだろうね。信心決定してるから。
151 :
名無しさん@3周年 :03/02/06 18:33
そうさ、だから現役会員の人は今度の聴聞に刃物を持っていくといいよ。 それで会長先生と刺し殺すんだ。なんということをいうんだ、と思ってる人は まだまだ甘い。会長先生は殺されることに狼狽されるようなお方ではない。 きっと、いいよいいよ、と寛大な言葉を発するに違いない。そして自分を殺したことを縁として その人の信心決定の大契機となれ、と念ぜられるに違いない。この上ない宿善になるよ。 先生を殺すことをおぞましく思うのは、まだ自力の心が廃りきれない表れだね。 善知識を殺すなどという恐ろしい悪を造ったら、地獄に堕ちて二度と救われないのではないか? それが阿弥陀仏の本願を疑う心、自力に執着する心だね。 先生も常日頃自力の心、阿弥陀仏を疑う心を捨てろ、とおっしゃってるじゃない。人々が阿弥陀仏に救われるなら、 自分の身が寸刻みにされてもいい、とまでおっしゃってるじゃない。 先生がいなくなったらほかの人が救われないじゃないか、なんて考えるのも無用。 阿弥陀仏はあなた一人を救うために誓願を建てられたのです。他の人の心配までする必要はありません。
152 :
名無しさん@3周年 :03/02/06 19:25
>>151 憎む気持ちがあるのは分かるけど、こりゃあいくらなんでも
言い過ぎだよ。あなたが仏法者ならば、なおさらそうだし、
そうじゃないとしても、品がなさ過ぎ。
153 :
名無しさん@3周年 :03/02/06 19:35
へっへっ、のんきだねぇ〜♪
155 :
名無しさん@3周年 :03/02/07 01:38
ほんと、品のない人たちの集まりです、 s会は。
156 :
名無しさん@3周年 :03/02/07 15:08
134=149=151=S会の工作員
ジャンヌの通行人も原液? なんか坊主の卵でsじゃないって 言ってるみたいだけど。
158 :
名無しさん@3周年 :03/02/09 01:07
>>157 >ジャンヌの通行人も原液?
通行人=原液は明白でしょうね。いつものs会のやりかた。
で、カキ子の目的は。。。?
1)ジャンヌで現s会員が事実上敗北したので現s会員が
問題を風化させようと画策してカキこ
2)ジャンヌで現s会員が事実上敗北したので減益工作員が
問題を風化させようと画策してカキこ
3)ジャンヌでs会側がいつも歯がたたず敗北しているので
アラシのための減益工作員によるカキこ
4)電波
上記のいずれかではないかと。
159 :
名無しさん@3周年 :03/02/09 01:21
4)に一票w)。ありゃフシギ系。てんじんぼさつクンみたいな感じ。
160 :
名無しさん@3周年 :03/02/09 21:21
134=149=151=そうかの工作員
>>160 相加がs会みたいな吹けば飛ぶようなマイナーカルト相手にするとも思えんが。
舞名age
なんかあっちの本スレは呆論ギリギリのところで盛り上がっちゃってる みたいだけど何でこっちに来ないのかな?
164 :
名無しさん@3周年 :03/02/13 23:09
ところで、 ジャンヌの 三燈兵って原液でしょ? なんで、入会してるの? 変わった椰子だ。
165 :
名無しさん@3周年 :03/02/13 23:12
>>163 鯖の負荷で下がってたスレにはかけなかったんだろ?
漏れも、カキコしようとしたけど、ダメだったからさ。
変なことが起こるもんだ。 もしかしてonpurpose? なわけないよな。
なんか前スレが金魚のウンコみたいに落ちずに残ってるね(ww
お前は誰だ?実体のあるものか?
次はどのカード出すんだ?おい。 考え中か?(藁
しばらくおまちください。
171 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 22:32
>>169 ゲシュタポに近いやり方をする椰子らだからね。
どんな手でくることやら・・・。
172 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 23:20
1
173 :
名無しさん@3周年 :03/02/16 15:07
あげとくよ
174 :
名無しさん@3周年 :03/02/17 21:38
ageage
震撼シーズンだから新たな子羊を増やさないためにもアゲ。
世親(てんじん)菩薩やーい。古巣が閑古鳥なのでもどっておいでYO。
177 :
名無しさん@3周年 :03/02/21 19:59
50 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/31(水) 19:54 頭よくないというか・・・。私の実感としては、親鸞会にいた期間中自分の 成長が止まっていたという感じです。 学力の面でも人間形成の面でも。。 親鸞会じゃああれこれと余計なことは考えず、上の指示に唯々諾々と従う従順 な人間になるようしむけられますから、頭が悪くなっていくのでしょう。 カルトは恐ろしい。 51 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/31(水) 19:56 あそこは自分の頭で考えない教団の奴隷、もとい活動ロボットを量産している 団体です。 52 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/31(水) 22:18 「親鸞会」なる団体の名前はここに来るまで初耳だったので、 しばらくネット巡っていろいろ調べてみると、 五年前、私が田舎から出てきて大学に入ったばかりの頃にしつこく勧誘された 宗教サークルらしきモノが、まさにその親鸞会だったことを知ってびっくり。 思い起こせば、暗幕を垂れたマンションの一室に連れ込まれて ビデオとか見せられて、まるきり洗脳でしたね。 「絶対の幸福を追求する」とか言ってたんで、胡散臭すぎて逃げ出したけど。 たしか「アルタ」と名乗ってた。
ひさしぶりとかゴジラとかてんじん菩薩とかの原液は氏んだんでつか?
獲物(ドキュ原液=仔牛)が来ないと枯れるねw。
保全アゲ
ジャンヌの現s会員って、そんなに法論やりたいのならどうしてここに来ないのかな?
あ〜…もうジャヌソ逝きたくないなぁ…でも雪輝タソが居るしなぁ…
183 :
名無しさん@3周年 :03/02/28 21:40
それにしてもこのスレ最近マッタリしすぎてるよな。 本スレよりもマッタリしてるよ。 なぜ法論が止まっちゃったの?? やっぱり「ひさしぶり」とか「ゴジラ」とかが来なくなったから?
親鸞聖人も死ぬのが、嫌じゃなかっただろうね。信心決定していたから。
185 :
名無しさん@3周年 :03/03/01 20:50
>>184 う〜ん、嫌だったと思うよ。
だって、疑情は晴れても、煩悩はそのままなんだし。
可愛い連れ合いがいたら、死にたくないわな。
死んだらどうなるか、はっきりしているのと、死ぬのが
嫌じゃないのは、別っしょ。
それより、ダミーサークルスレ、寂しいぞ。
原液さん、JOHOちょうだい。
s会昔から酷かったけど、今や腐敗の極地だね。こことかジャヌソ見てると 自分らの金集め(罪施)と人集め(呆施)を正当化するための驚愕しかない んだね。
ジャヌソの通行人ってもしや=新人太郎? もしそうなら=犬鉄?
188 :
名無しさん@3周年 :03/03/04 19:49
犬鉄もあのレベルの可能性大だが、違うだろ。
通行人って天然アフォ?それとも工作員?
出たがりでしゃばり
通行人UZA過ぎ。
192 :
語ろう親鸞会 :03/03/07 21:26
>>192 あなたは現役ですか? もしそうなら、このスレのうえの方の「祭り大好き」「元s改印」
両名の質問に逃げた「ひさしぶり」氏に代って答えてね。
194 :
名無しさん@3周年 :03/03/08 11:24
>>192 懐疑会員、常連元会員あぶり出し作戦かもしれないから
下記子する前にしばらく様子見がいいかもね。
様子見age
196 :
語ろう親鸞会 :03/03/09 19:57
いいやぁ(^^ゞ
そこまで暇じゃないです。
実はアイランドには宗教サイトが案外ありまして、そこでは浄土宗や真宗の人は来るのに親鸞会が来ない。
なのではたで見ていても一方的な会話が多いわけです。
たとえば、念仏すれば誰でも往生!みたいな??ものが多く、かねてから疑問があったのです。
一度アイランドにもご来訪を願う…という意味です。
ここが賑わってきたら念仏系の人が多いサイトに宣伝しに行き、やがてはまともな議論を交して頂く場所としてご利用頂きたい、それが本音です。ちなみに私は念仏に関してはまったく中立ですのでかたよった管理はいたしません。
ご安心のほどm(_)m
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=shyumisin
197 :
名無しさん@3周年 :03/03/10 01:16
他スレから。。 「リチャード・ノル氏も渡辺学氏も、若い頃にユングにのめり込み すぎたんだろう。 だから、裏切られたと思ったときにユングが許せなくなったんだ と思う。 しかし、実際に彼らを裏切ったのはユングではなくて、 彼らが抱いていた ユングという名の幻想だったんだよ。 」 ↑「ユング」(ここではほぼオカルトと同義)を「s会」、 または「k鉄」におきかえてみてください。 退会者の心理がよくわかります。実は自業自得だったんですね。
で?
とりあえず生活を20年前に戻そうぜ。
200 ぎゃくとく!
201 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 23:53
二百一アゲ!
前スレがついに堕ちたね。アーメンじゃなかったナムアミダブツ(w
203 :
名無しさん@3周年 :03/03/12 00:28
華光会について詳しい情報ほしい。 1)I藤氏、M井G朗氏は信心決定しているの? 2)仏敵ってそんなに良い本なの? 3)土蔵秘事じゃないの? 4)親鸞会との教義の違いはあるの?
204 :
名無しさん@3周年 :03/03/12 02:29
>>199 20年前って1983?
ちょうどバブルの頃じゃないのか?
>>203 自分で本注文して読んでみて自分で判断したら?
特に1)なんて誰の情報なら信用できるの?ww
結局自分で解決するしかないよ。
206 :
名無しさん@3周年 :03/03/13 23:15
207 :
名無しさん@3周年 :03/03/14 15:11
華光会の噂話でも何でも言いから 情報キボン
前スレみられるようになったね。
>>207 漏れも208に同じ。華光に行きたきゃ1人で行け。あとは自業自得だよ。
211 :
名無しさん@3周年 :03/03/16 15:42
自業自得という言葉からは非難の意味がよみとれるが、そんなにひどいのかな。 ちなみに、私、K光、同人ではありません。
212 :
名無しさん@3周年 :03/03/16 23:33
ジャヌソのSAさんって、仏教詳しいね。 でも、s会会員に対して、「十二礼」っていっても、 わからんでしょ(w
>>196 語ろう親鸞会さんは、何故こっちの議論にひさしぶり氏に代って参加しないんですか?
(^^;)
s会っていつからおかしくなったの?
筋金入り。
揚げまふ
219 :
名無しさん@3周年 :03/03/26 00:16
明橋っていまだに人をだましてるの?
220 :
明橋でーす :03/03/26 00:39
新人ィパイ洗脳するぞー
221 :
名無しさん@3周年 :03/03/28 17:41
なんみょうほうれんげきょう! !!
「百働萌ゆ」が絶版になったって本当? 漏れが誨淫の頃(だいぶ以前) 「お聖教は読み破れ」みたいなスローガンがあって輪読会みたいなもの までやって随分読まされたもんだが。あれを祖師の著書と並べて「お聖 教」なんて呼ぶのも凄いが、絶版が本当なら、絶版しなきゃならんよう な「お聖教」って何(藁
160 :147 :03/03/31 00:23 そういえば、心霊写真の話題があったのは、 「こんなこと知りたい1」だった(この本も絶版。まあ、当然だろうな)。 たしか、「死後の世界の実在はもはや疑う余地はありません」 のような強い口調で書いてあったのを今でも覚えている。 -中略- 「これって竜樹菩薩がサイ破された常見外道の見解そのものじゃないの? についてのご意見キボン。 誰か、ゴジラ氏とかひさしぶり氏とか少しは骨のある会員は、 この漏れの書き込みみてないの? 改めて繰り返す。 親鸞会の見解は常見外道じゃないか、っていっているんだよ。 誰かこれをみてたら反論してみろよ。 呆論スレでも返答待っているぜ。
>>196 は結局、なんだったんだ。最近は更新されないし、BBSの書き込み
も3月20日から停止したまま。なにかを探ろうとしてんのか?
あげあげ
226 :
名無しさん@3周年 :03/04/07 20:19
ファンタジスタさん歓迎あげ
227 :
名無しさん@3周年 :03/04/07 20:53
信者さんは今回のイラク戦争に賛成ですか? 反戦ですか?
なんかジャヌソには電波原液s誨淫に加えて基地の会も乱入してるみたいね(藁
229 :
名無しさん@3周年 :03/04/09 00:45
>>227 会員にそんな話を聞いても無駄だよ
普通にそういったことを考える能力は全部駄目にされてしまっているから。
考えたとしても、湾岸の時の「聖戦」とs会の活動を結びつけるような
そんなんばっか。
230 :
名無しさん@3周年 :03/04/09 20:16
>>228 あ〜あ、ソシ雄はぜんぜん自覚症状がなさそうだな。
言及されている女性が「きもい」ってひたすら避けている様子が目に浮かぶね。
ソシ雄をこんな病状にしたのはs会にも当然責任がある。
罪なs会だ...
>>229 禿げ同。
そう、ちょうどサラ金の多重債務に追われる香具師に、
「今回のイラク戦争に賛成ですか?反戦ですか?」ってたずねるのと一緒。
s会会員は後生の一大事を実体的に捉えているから、
まじめな改印ほど強迫神経症のように勧誘目標達成、GHSのやりくりで頭が一杯。
的に敵は味方だ。気合入れて自爆特攻していただきたい。
敵の敵は味方だ。
ジャヌソはもうあんま見てないな…面白いネタがあるでもなし。
創価学会(自称?)のファンタジスタさんと、顕正会(自称?)の魔民シリーズさん ってなんかキャラかぶってる気が・・・。もしや同一? それともただ「春は花」 の季節だからかな(ww。
>>234 草加と検証は敵同士らしい。
実はどちらでもない第三者が陥れようとしているのかも
層化にも懸賞にも相手にされないs会哀れ(w
238 :
名無しさん@3周年 :03/04/16 20:10
親鸞曰く 「当時、専修念仏のひとと、聖道門のひと、諍論をくわだてて、 わが宗こそすぐれたれ、ひとの宗はおとりなりというほどに、 法敵もいできたり。謗法もおこる。 これしかしながら、みずから、わが法を破謗するにあらずや。」 他の宗派や宗教を批判するなんてことはやってはいけないと 言ってる訳ですね。 「破邪顕正」をスローガンとする、親鸞会のかた、 どなたか見解をおきかせくださいね。
239 :
名無しさん@3周年 :03/04/17 04:02
親鸞曰くって歎異抄? あれは、s会ではあまり重要視してないというか むしろ読むなと言われてる類の本だよ。
240 :
名無しさん@3周年 :03/04/18 00:46
>>239 まあ「本尊を取り返そうなんてもってのほか」なんて書いてありますからな
会をやめる時に本尊を返すように規定している会則に都合が悪い。
他にもいろいろ会の活動に都合が悪いんだろ。
でも昔は法話で話したり、ダミーサークル名が歎異抄研究会だったりしたんだから
ここでもs会のご都合主義が垣間見えるところですな。
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
なんか他スレは荒れ放題みたいね。
さびしいので上げとくね。
244 :
大谷光道著「みめぐみの」第14部より :03/04/25 02:46
>>244 大谷光道著「みめぐみの」第14部より
商業本のネット宣伝だな。
246 :
大好きな渡海さんへ :03/04/26 01:42
来週から再来週くらいが一番「親鸞会」で検索かける 新入生が多いと思われる。 渡海さん、新入生を邪宗団体から救うために、 いましばらくご発言お控えいただけないでしょうか。 お願い申し上げます。 そうしないと、新入生に必要な情報が行き渡らない と思うので。なにとぞ・・・。 マルチポストすまそ。
247 :
大好きな渡海さんへ :03/04/26 01:46
その後、夏くらいに、馬鹿森教を徹底的に 論破しちゃってください。 とにかく、新入生を救いたいのです。
248 :
名無しさん@3周年 :03/04/26 10:10
>>244 ただ、「往生できる」ことが決まるのが「今」であって、まさに命が
終わろうとするとき(臨終)を待つ必要がないというのが、
浄土真宗の大きな特徴の一つ(平生業成)です。
? ? ?
「この世で念仏を唱えていれば、死んだら極楽逝きだ」って説いているのが本願寺だって
親鸞会で、聞いたんだけれど・・・
249 :
名無しさん@3周年 :03/04/26 11:46
250 :
「みめぐみの」読者(元親会員) :03/04/26 12:13
252 :
名無しさん@3周年 :03/04/26 23:29
ネットの sky soft 書籍販売 で 「仏敵」、ネット購入できるよ。 漏れ、かった。来週にくる。 アマゾンは、品切れだったが。 アマゾン以外の、ネット販売しているところ いくつかあるしね。
253 :
大谷光道著「みめぐみの」第6部より :03/04/28 21:12
http://www.butaman.ne.jp/~yosimine/family/98/kodo.html 本願寺の第二世ってどんな人?
「本願寺」とか「浄土真宗」といえば、親鸞聖人、蓮如上人のお名前は出てくる
のですが、親鸞聖人の次の第二世がどんなお方であるとか、「如信上人」の
固有名詞も、残念ながらずいぶん知名度は低いと思われます。
親鸞聖人や蓮如上人の偉大さをどれだけ知っていても、「それが『私』とどこで
どんな風につながっていると実感できるのか」、このあたりがはっきりしないと
極端な言い方ですが、宇宙人の教えを「優れた人たちの宗教だから」と、
ただただ大事に推(お)し戴(いただ)いているようなものになります。
つまり、「念仏」が絵に描いた餅になってしまっては何もならない
ということです。
阿弥陀様が初めから阿弥陀様であったのではなく、人間であった法蔵菩薩が
成仏して阿弥陀様になられたところに、私たちが近づくことのできる大きな
要素があるのと似ています。
254 :
名無しさん@3周年 :03/04/29 09:25
>>249 の書き込みにつき、一部誤解を招く表現があったかもしれません。
K光会の信心については、実際に信心決定者に話を確認してみなければ、軽軽しいことは
いえませんね。
関係者の皆さんに御詫びいたします。
255 :
大谷光道著「みめぐみの」第6部より :03/04/29 14:52
http://www.butaman.ne.jp/~yosimine/family/98/kodo.html こんなことを頭に描きながら、本願寺第二世・如信上人の七百回忌を機に、
平成11年1月26日、如信上人(1235〜1300)の御旧跡に参拝して
まいりました。各地からも、「それなら、ぜひ一緒に」と言ってくださる方が
増えて、百人を超える団体となりました。
前日から茨城県大子町の近くの袋田に泊まり込み、当日は朝から大子町にある
如信上人の御廟(お墓)に、また午後は、そこから50キロほど南に下がった
水戸市郊外の大洗にある如信上人開基の原始真宗大本山願入寺にお参りしました
256 :
みんなの悩みより100万倍辛い事実!読んでください! :03/04/29 14:53
栃木リンチ殺人事件■■■ 1999・10・25 『殺虫剤による火炎放射器』 なんと正和の性器にまで火炎を向けたのだ 「熱い熱い。すいません、すいません」 大声で泣き叫び、逃げまどう正和を、Bは執拗に追いまわし 部屋の隅に追いつめ、背中一面にキンチョールの火炎を容赦なく浴びせたのだった その結果、正和は、右手、下腹部、両太股、背中に火傷を負い、身体全体にできた水ぶくれが破けて皮がむけ 皮膚はベロベロの状態になり、肉は真っ赤に腫れあがった Bは逮捕後の警察の調べに対して 「正和が泣き叫びながら『熱い』『すいません』と言うのがおもしろくてやった どうせ、火傷するのは須藤だし、自分が熱いわけではないので、気にしなかった」と話している さらに、これほど残虐非道のリンチをおこないながら、夜になれば三人そろって熱湯シャワー攻撃を加えたというのだ だが、鬼畜と化した彼らにはこんな凄惨な行為も、それからさらに果てしなく続いていくリンチの 序章にすぎなかったようだ 『熱湯コマーシャル』(最高温度のシャワー)は毎日、定期的におこなわれる習慣になっていたらしい 正和の皮膚は、火炎攻撃と熱湯シャワーによって、ボロボロにただれ 傷口からはジクジクと体液があふれだし、腐敗すらはじまる状態だった それでもBはむりやり正和を風呂場に連れていく もしも抵抗して逃げるようなことがあれば、その「お仕置き」として狂ったように体じゅうを殴りつける 正和が大声でシャワーから逃げる姿がおかしく、体じゅうに熱湯を浴びせるのだ Aたちにとっては、あくまでも熱湯シャワーを使った『遊び?
257 :
みんなの悩みより100万倍辛い事実!読んでください! :03/04/29 14:53
栃木リンチ殺人事件■■■ 1999・10・25 『殺虫剤による火炎放射器』 なんと正和の性器にまで火炎を向けたのだ 「熱い熱い。すいません、すいません」 大声で泣き叫び、逃げまどう正和を、Bは執拗に追いまわし 部屋の隅に追いつめ、背中一面にキンチョールの火炎を容赦なく浴びせたのだった その結果、正和は、右手、下腹部、両太股、背中に火傷を負い、身体全体にできた水ぶくれが破けて皮がむけ 皮膚はベロベロの状態になり、肉は真っ赤に腫れあがった Bは逮捕後の警察の調べに対して 「正和が泣き叫びながら『熱い』『すいません』と言うのがおもしろくてやった どうせ、火傷するのは須藤だし、自分が熱いわけではないので、気にしなかった」と話している さらに、これほど残虐非道のリンチをおこないながら、夜になれば三人そろって熱湯シャワー攻撃を加えたというのだ だが、鬼畜と化した彼らにはこんな凄惨な行為も、それからさらに果てしなく続いていくリンチの 序章にすぎなかったようだ 『熱湯コマーシャル』(最高温度のシャワー)は毎日、定期的におこなわれる習慣になっていたらしい 正和の皮膚は、火炎攻撃と熱湯シャワーによって、ボロボロにただれ 傷口からはジクジクと体液があふれだし、腐敗すらはじまる状態だった それでもBはむりやり正和を風呂場に連れていく もしも抵抗して逃げるようなことがあれば、その「お仕置き」として狂ったように体じゅうを殴りつける 正和が大声でシャワーから逃げる姿がおかしく、体じゅうに熱湯を浴びせるのだ Aたちにとっては、あくまでも熱湯シャワーを使った『遊び』だ 肉体的にダメージを与えるだけでは飽き足らなくなったAたちは、正和に忍耐を強要することを思いつく それは、熱湯シャワーを約20秒間連続して浴びせることを1セットとし 毎朝毎晩4、5セットの頻度でリンチを加えるというものだった 遺体の鑑定によれば、頭皮、顔面は変色し表皮が剥がれていた いずれも重度(三度)の熱傷によるものだが、実に正和の体の80%はこうした熱傷でおおわれていた そして、陰茎の先端部分にもやはり重度の熱傷があった (これはほんの事件の一部にしかすぎません)
258 :
大谷光道著「みめぐみの」第6部より :03/04/29 15:08
http://www.butaman.ne.jp/~yosimine/family/98/kodo.html 親鸞聖人のあと
如信上人は御開山・親鸞聖人の孫にあたるお方です。親鸞聖人が関東から
京都に帰られてまもなく生まれられ、聖人のおそばで成長されました。
親鸞聖人から浄土真宗のみ教えを、聖人のお言葉からではなく、
その全身から学ばれ、二十歳を過ぎたころまで京都で聖人と御一緒に
過ごされました。
その後如信上人は、ここのさらに北の方の、現在の福島県の入口にあたる
大網というところを中心に教化活動をなさいました。そのため上人のこと
を大網の上人ともいいます。その後大網にできたのが、この願入寺です。
願入寺はのちに何度か移転なさって、水戸光圀公の時に黄門様のお力に
よって今のこの場所に移られた、と伺(うかが)っております。
259 :
大谷光道著「みめぐみの」第6部より :03/04/29 19:43
http://www.butaman.ne.jp/~yosimine/family/98/kodo.html それで、如信上人は大網を中心にして活動なさったわけですが、1262年
(弘長2年)如信上人が27歳のときに宗祖親鸞聖人がお亡くなりになり、
如信上人はその後毎年京都の大谷まで通われて、京都の報恩講をお勤めに
なりました。
一口に京都までと申しますが、福島県大網から600キロ。
それも一口に600キロといいますが、当時のことですから
歩いてお行きになった。
仮に一日50キロ歩いたとしても、12日かかります。50キロもの道のりを
連日歩くということは不可能でしょう。ですから何日かかったことか。
今回、皆様方バス旅行で大変長い時間バスに乗られたわけで、大阪、名古屋、
金沢、そのいずれもが十何時間という長旅です。それでも如信上人と比べるには
桁が違いますね。
260 :
大谷光道著「みめぐみの」第6部より :03/04/29 19:55
261 :
大谷光道著「みめぐみの」第6部より :03/04/29 20:03
262 :
大谷光道著「みめぐみの」第6部より :03/04/29 20:09
親鸞聖人の末娘で覚信尼という方がおられたのはご存知でしょうか。 親鸞聖人亡き後(あと)、関東の聖人の門弟方を中心に、聖人の御廟を 建てたいという願いが日に日に強くなっていきました。覚信尼公がその夫 である小野宮禅念という方から譲り受けておられた土地を、聖人の廟堂を 建てるために提供なさったのが、そもそも大谷の始まりです。
263 :
大谷光道著「みめぐみの」第6部より :03/04/29 20:19
http://www.butaman.ne.jp/~yosimine/family/98/kodo.html 覚信尼公は初代の留守職(廟堂の管理役)になられました。
留守職の3代目を継がれた覚如上人(覚信尼公の孫)が、如信上人から
み教えを受け継ぎ教化に力を注がれたため、大谷の廟堂は寺院化して、
つまり宗祖のお墓から宗祖のみ教えを広めるところという性格を
持つようになり、本願寺となったのです。
覚如上人の御著作は内容の深さといい、文章の格調といい、
惚(ほ)れ惚(ぼ)れするもので、報恩講には欠かすことのできない
『報恩講私記(式)』をわずか25歳で、また同じく報恩講に拝読する
『御伝しょう』を26歳でお作りになっていることにも感服します。
その他重要な御著作がたくさんあります。
平成12年は覚如上人の650回忌にあたられます。
264 :
名無しさん@3周年 :03/04/30 23:29
>>253 ,255,258-263を書き込みされた方へ
うっとぅしぃんじゃボヶー!!
どっかいきやがれぇ〜!!!
265 :
名無しさん@3周年 :03/04/30 23:34
さきほどは失礼しました。
>>253 ,255,258-263を書き込みされた方へ
あなたはアラシさんですか?
ここは親鸞会教学の間違いを論ずるレスではなかったでしょうか。
あなたのしていることはその趣旨にかなっているのかよぉく考えてみてください。
私は管理人ではありませんが、ちょっと気になったのでご意見します。
うーん、私は、「みめぐみの」氏(失礼かと存じますが長いのでこう略 させていただきます)が、大谷光道師とのご縁を通じて考えられたり お感じになってるs会問題を「教学」上なり自身の「お味わい」の上 なりで書き込み下さるのを期待しているのですが、ただの御紹介であれ ば、他スレの方がよろしいかと思います。
267 :
「みめぐみの」読者(元親会員) :03/05/02 00:10
>>266 > うーん、私は、「みめぐみの」氏(失礼かと存じますが長いのでこう略
> させていただきます)が、大谷光道師とのご縁を通じて考えられたり
> お感じになってるs会問題を「教学」上なり自身の「お味わい」の上
> なりで書き込み下さるのを期待しているのですが、ただの御紹介であれ
> ば、他スレの方がよろしいかと思います。
島国様ありがとうございます。
確かに前置きの如信上人と願入寺の紹介が長すぎて、これだけなら真宗スレに
書いたほうが良かったかもしれません。
島国様がおっしゃるように私は本家本元の浄土真宗が持つ伝統や風格が
親鸞会では味わえなかった何ともいえない暖かさを持っていてとても衝撃を
受けたのです。
(親鸞聖人のことを「御開祖様」とお呼びするのもカルチャーショックを受けました。)
とくにこの願入寺は如信上人の御子孫が代々大網家として住職をされています。
親鸞聖人の御子孫が大谷家以外におられる事も衝撃的でしたし、
如信上人は善鸞の息子なのです。
したがって大網家は善鸞の子孫でもあるのです。
親鸞会は善鸞は親鸞聖人に義絶されたと教えておりますが
事実はそんな単純なものではなかったのではないかと善鸞の子孫であり
水戸黄門の子孫でもあられる
(水戸黄門の娘さんが願入寺に嫁がれた)
願入寺の大網御住職とお会いして思いました。
長文ですみません。
http://www.butaman.ne.jp/~yosimine/family/98/kodo.html http://www.town.oarai.ibaraki.jp/~kankou/sightseen/gannyuuji.html
>>267 確かに史実は、そんなに単純じゃないと私も思います。仏光寺派とか高田派の先生の宗史
関係のもの読んでると本願寺系とアングル違いがあって面白いですね。関東というのは
、何かとアンダーグランドwだった気がします。如信上人については知らない事が多い
ので勉強になります。覚如上人が、如信上人からの血脈伝持を主張されたのは、対他浄土
門(聖道諸宗に対しても)と対関東門徒の二重の戦略的な深い意味があるんでしょうね。
伝統宗門が、s会と違う暖かさを持っているのは、一つには、伝統に伴う成熟もあると思い
ますけど、もう一つは、やはり親鸞聖人のお人柄が教風となって伝わって下さっているよう
に思いますね。s会が主張されている戦闘的親鸞像はやはり異様な印象受けます。
「みめぐみの」読者(元親会員)wa Ootani Koodoo-san honnin de syo.
270 :
名無しさん@3周年 :03/05/03 20:19
m(_ _)m 失礼
272 :
名無しさん@3周年 :03/05/03 23:16
>>270 どういう点が、親鸞会の教義と違うのですか?
はっきり主張してみてください。
273 :
名無しさん@3周年 :03/05/04 16:16
>>272 「みめぐみの」第5部より
私は定善や散善は全くやってみたこともありません。
これは、「やってみるべきだ」という考え方と、
「宗祖御自身が私たちの分も含めて御苦労くださって、やっても無意味だと
おっしゃっているのだから、それに素直に従えばいい」
という考え方があります。
私はこの後者によっています。
>>273 実は、わたしもそれが親鸞の教えだろうと思っていたのです。
どうも親鸞会では、雑毒の善といっても、やらなければ分からないと
いわれますが、聖人くらい激しくやることは不可能ですものね。
なんか、うれしいです。
HP覗いてみます。
もしかしたら、入るかもね。
276 :
名無しさん@3周年 :03/05/06 01:47
私は定善や散善は全くやってみたこともありません。 これは、「やってみるべきだ」という考え方と、 「宗祖御自身が私たちの分も含めて御苦労くださって、やっても無意味だと おっしゃっているのだから、それに素直に従えばいい」 という考え方があります。 私はこの後者によっています。 賛同します。
277 :
「みめぐみの」読者 :03/05/06 20:09
御反響の大きさに驚いております。
もっと早くからこうして「みめぐみの」の内容を
御同朋御同行の皆様にお伝えすればよかったと思います。
「みめぐみの」は1997年から今までに季刊で18部まで出ております。
その中から気の向くままにここに部分的に書き込んで御同朋御同行の皆様に
み法(のり)のみめぐみをお伝えしたいのですが全文はなかなか入力できません。
もし御興味があって「みめぐみの」を実際にお読みになりたい方は
http://www.butaman.ne.jp/~yosimine/family/98/kodo.html に願慶寺の吉峯さんが書いてくださった寺務所にお問い合わせに
なったらよろしいかと存じます。
ちなみに「烏丸道七条上」は正確には「烏丸通七条上ル」だろうと思います。
「みめぐみの」は中外日報社から刊行されているはがきくらいの大きさ
の30ページくらいの小冊子で一応定価200円と書いてありますが
私は大谷光道さんからの御好意でただで送ってもらってます。
それにしても大学に入るまで仏教にはまったく興味も知識もなかった私が
こうして親鸞聖人の仏法を喜べるのも親鸞会のダミーサークルに
声をかけられたのがきっかけなのですからなんだかんだいっても
親鸞会には感謝すべきなのかもしれません。
これみなすべて十方衆生をお助けしようと願われる阿弥陀さまのおはからい
なのではなかろうかと親鸞会を脱会して数年の歳月を経た今になって
しみじみ思えるようになりました。
(昔はとてもそんな気にはなれませんでしたが)
思わずまた長文になってしまいました。
御同朋御同行の皆様にまことの仏縁あれかしと切に願っております。
南無阿弥陀仏
南無尽十方無碍光如来
278 :
名無しさん@3周年 :03/05/06 21:52
s会も、また方便である、という事に関しては真偽は信を得るまで わからないだろう。つまり、2階であるが、目的地の最上階か どうかは「わからない」と言うのが本当のところではないか? もし、s会が「仮」だとしても会が縁になって信を得られたら、 高森先生も御同業/御同胞喜ばれるのではないか。 s会が「真」である証左は「どこにもない」。
279 :
「みめぐみの」第5部より :03/05/07 15:49
(ちなみに第5部の副題は「どうしたら極楽に行けるのか」です。) 10ページ 行く先は? 他力の信心によって阿弥陀様は極楽に迎え取ってくださるということまで、 話は進みました。 それでは、定善や散善、自力の念仏では往生はできないのでしょうか? 定善や散善、自力の念仏に共通していえるのは、これらはいずれも因果の道理に こだわりすぎているため、自分で良い行いもしないのに往生という良い結果が 得られるなどということがどうしても信じられないということです。 だから何とかして自分で善を積もうとするのです。 これは取りも直さず阿弥陀様のお力、お智慧を疑っているということです。 これを疑心といって、ちょうど信心の反対です。 疑いが心を包んでいて、心に蓋(ふた)がされているようだから、疑蓋(ぎがい) ともいいます。 サザエのように蓋を閉めていてなかなか開こうとしない、疑いの心の頑固さを うまく表現した言葉だと思います。 ここで、いつもお勤めになっている御和讃の中でももっとも馴染(なじ)み深い 恩徳讃のすぐ次から23首がこの「疑い」についての御和讃で、疑惑和讃といいます。 疑惑和讃には、定善、散善、自力の念仏の人たちへの誡(いまし)めや、 往生したとしても行く先がどのようなところであるか、詳しく説かれています。 その最初の御和讃を拝読してみましょう。
280 :
「みめぐみの」第5部より :03/05/07 16:00
不了仏智のしるしには 如来の諸智を疑惑して 罪福信じ善本を たのめば辺地にとまるなり 「阿弥陀様のお智慧を納得しない印には、 如来の諸智を疑って、 因果の道理にこだわっていて、 それで自力の念仏を当てにするから、 辺地にとどまるのである。」 諸智=諸々の智慧、これには五智、五種類ある。 罪福=悪い事をしたら罪を受ける、良い事をしたら幸福を受ける。 因果の道理と同じ。 善本=すべての善の根本、つまり念仏のこと。 これによってわかるように、本願疑惑の行者は、それでも念仏を称(とな)えたり、 いくらかでも良い行いをしているので、「辺地」(へんじ)つまり端っこではあっても 極楽には迎えてもらえる、というわけです。
ジャンヌが香ばしくなってきた気がしないでもないが、 もう関わる気にはならんなぁ…
>>281 なんかネカマ?vs真性基地の毒壇場になってるね、ジャヌソのザツダンバン。
阻止汚とN根って何があったのさ?
寂れてるよ…ちょっと燃料投下してみるかな 雄弁に沈黙するだけど、何か質問ある?
285 :
名無しさん@3周年 :03/05/11 02:28
宗教教団における、血脈相状についての是非。
沈黙するは、驚愕力ゼロなので それはご容赦願うとして… つまり、m貼るの事かな? 真宗に特別の理由(血脈に何か神聖なものが流れる) でも無い限り、m貼るはただの個人であるはずだ。 決定者が居なくなった時点で―終了― 会社でも二代目がろくでもないのはよくある話
ゴメーソ。血脈相状がヨクワカンネ(・∀・) そういや、会の内部状況を告発したり(本スレ) 真宗のテクストについての議論(ここ)はするけど ダミーサークル初期に行われる人生の目的云々の 話は話題にならんけど、なんでだろ? 会員の建てたスレも寂れてきてるし。
288 :
名無しさん@3周年 :03/05/11 03:44
>>286 沈黙さん、どもども。
う〜ん、本○寺の血脈相状は、親鸞の子孫という
ことだから(つまり、彼の血が流れている)、「価値」が
あると思うんだけど、s会ごときの血筋には、「価値」など
は考えられないですね。
ただの、北陸の寺、それもその次男の、息子なわけ
だから。
289 :
名無しさん@3周年 :03/05/11 03:47
ちなみに、日本の仏教で、血脈相状の最初は、 本○寺だそうです。 それまでは、一番、「力」のある弟子の僧が引き継いだ そうです。
290 :
名無しさん@3周年 :03/05/11 04:04
雄弁に沈黙する、さんへ 親○会の寿命について。 あと何年でしょうか?
291 :
名無しさん@3周年 :03/05/11 04:12
本願寺の第二世ってどんな人? 「本願寺」とか「浄土真宗」といえば、親鸞聖人、蓮如上人のお名前は出てくる のですが、親鸞聖人の次の第二世がどんなお方であるとか、「如信上人」の 固有名詞も、残念ながらずいぶん知名度は低いと思われます。 親鸞聖人や蓮如上人の偉大さをどれだけ知っていても、「それが『私』とどこで どんな風につながっていると実感できるのか」、このあたりがはっきりしないと 極端な言い方ですが、宇宙人の教えを「優れた人たちの宗教だから」と、 ただただ大事に推(お)し戴(いただ)いているようなものになります。 つまり、「念仏」が絵に描いた餅になってしまっては何もならない ということです。 阿弥陀様が初めから阿弥陀様であったのではなく、人間であった法蔵菩薩が 成仏して阿弥陀様になられたところに、私たちが近づくことのできる大きな 要素があるのと似ています。
292 :
名無しさん@3周年 :03/05/11 04:12
親鸞曰く 「当時、専修念仏のひとと、聖道門のひと、諍論をくわだてて、 わが宗こそすぐれたれ、ひとの宗はおとりなりというほどに、 法敵もいできたり。謗法もおこる。 これしかしながら、みずから、わが法を破謗するにあらずや。」 他の宗派や宗教を批判するなんてことはやってはいけないと 言ってる訳ですね。 「破邪顕正」をスローガンとする、親鸞会のかた、 どなたか見解をおきかせくださいね。
長いのでこの名前で。
>>288 -
血縁で継承する事の利点というのは、現実的にみて
存在するとも考えられまするる。
例えば、医者のせがれはしばしば医者になります。
医療の質を考えれば腕のいい人間に継承させる方が
いいと言えるっすが、しかし医師は全国にまんべんなく
開業している必要があり、更には設備が必要となるっすよ。
設備が公共物であればまだしも、財産と扱われる場合
第三者に継承させるのは困難になりまっしょい。
そして別の場合として、弁護士なんてぇのがあります。
医師と並ぶ文系側の頂点付近ですが、こちらは
弁護士のせがれが弁護士とは限りません。これは
医者ほど地域に密着する必要もなく、設備にしても
極論舌先三寸で済んでしまうからでもあると考えられるす。
僧侶の話に戻すと、昔は弁護士風味で、だんだん医者風味に
なっていったんかなーとか思うでござるよ薫殿。
かつて朝廷という巨大なパトロンを持ち、個々の僧侶は学者等に
近い知識層であり、個人の力量が重視されていたはずであり、
又、相手にするのもどちらかといえば貴族など一部の人間に
重きがおかれていたはずです。
それが段々民衆を相手にするように裾野を広げ、寺の数も増える
過程で医者ちっくになっていったのかなと。
というわけで、救済をシステム化する場合には せがれに継がせるってぇのも悪くないわけで、 特に寺社が公共物でなく私財になった場合には それを余儀なくされるとも言える部分があると思えるッス。 その意味で、民衆に目を向けて先陣切った浄土真宗で 真っ先に血脈が重んじられたのは必然的であったとも 考えられるっすねー。余所も今はやってるし(特に末寺では) ただし、最初に言ったように、質を重んじるなら腕のいい人が 継いだ方がいいわけでもあって。本O寺を批判し、より上質な 救済を謳っても居るs会で、仮にm貼るに継がせますなんてぇ 言った日にはコラーッ!(`・ω・´)なわけですよ。
そして
>>290 s会の寿命で最も有力なのはやはり
「怪鳥が鬼籍に入って数年」かなぁと思うです。
怪鳥のお話が聞けるから、とか子牛はおかしいけど
怪鳥は決定者だとか、色々言い訳しながら
かろうじて今のシステムを維持してきているs会。
怪鳥はs会の柱なわけですよ。リョーマ君は青学の柱ですが。
柱が折れたらそりゃぁ…ねぇ。
少なくとも大きな方向転換をしないと維持できないはずです。
しかしm貼るにその転換ができるのか?…私はムリの方に
50兆カノッサ賭けます。
291とかも楽しく拝見させて頂いたっすけど、全部にレスたりすると
ウザがられそうなのでレスはご容赦。
ジャヌソの通行人(自称・大学1年生)が、馬脚(おそらくs会仔牛工作員) あらわしはじめたな(w
見てきた。 香ばしいっすね >頭で理解するのと、心で理解するのとは違うんですよ。 某K会では「命で理解する」とか抜かしやがる。
スマヌ。K=顕正会ね。
300 :
名無しさん@3周年 :03/05/13 03:53
ジャヌソの通行人の正体分かった。 本○寺の説法の真似するのが うまい講師部の椰子だ。 t大出の椰子。
301 :
名無しさん@3周年 :03/05/13 04:08
>>301 そうかぁ?
漏れは、真諦門と俗諦門の区別すら出来ぬ
ただのアフォだと思うよ。
そのt大出のs会講師=真諦門と俗諦門の区別すら出来ぬ ただのアフォ でファイナルアンサーされてみてはいかがかな? 法論やるならこちらでどうぞー。わたすはギャラリーになるけど
303 :
名無しさん@3周年 :03/05/15 02:39
ジャンヌはもうソシオ祭り会場になってるな
疎塩って真性のアレ?
ソシオはもう限界超えてるっぽ。 ちょっと茶々いれてみたかったけど、わたすにゃ無理だ。 あれはマジなのかネタなのかわからん。 そういや本スレ817がなかなか核心に迫りそうな 台詞引用?してるなぁ。
306 :
名無しさん@3周年 :03/05/16 14:09
ソシオっちの話の内容は具体的なんだが、 支離滅裂で理解できないのは漏れだけか? 誰か解説しておくれ!
ジャヌソの通行人必死だなw
おもすろくなってまいりますた 誰か通行人とこに特攻してやれYO
鼠潮もあれだが、通行人も相当逝ってるね。もしかしてやっぱり怪鳥本人。
310 :
名無しさん@3周年 :03/05/18 23:06
そんなわけないだろ。
>>310 漏れも違うとはも思うが、甲斐町のDQNぶりは、
ソシたんにもツウコウにも勝るとも劣らないと
思われ(w
312 :
名無しさん@3周年 :03/05/20 20:14
>>310 Re11に関しては、怪鳥本人が書いた(述べた)ものでは?
富山弁みたいなのもところどころ混ざっているみたいだし、普通の大学2年生がこんな文章書く?
文章の内容からして、「通行人」=「人生の目的の達成者」としか漏れには考えられないぞ。
投稿時間:03/05/18(Sun) 16:54:18
投稿者名:通行人
Eメール:
URL :
タイトル:Re^11: ご教授お願いします。
「いつか、信心決定できるだろうな〜。」冗談じゃない。今、信心決定しようと、助かろうと
思わないでどうする。無常をかんじるならそんな悠長なこと言ってられんです。六度万行実践
しなくてよいというのは、本当に苦しみ、真剣に求道したことのないものが言う言葉です。何が
何でもこの心の苦しみを解決するんだ!!という心があるものなら、いかなる善根、功徳をも
修しようと考えるはずなんです。
313 :
名無しさん@3周年 :03/05/20 20:16
(つづき) さりながら、阿弥陀仏の独り働きとは知らなかった。阿弥陀仏のそのままこいよの仰せとは知らな かった。私には信ずる心がある。大間違いだった。私には真実見る目がある。大間違いだった。 こっちから聞いてやるんだ。大間違いだった。何にもしらなんだ。知っているとうぬぼれていた。 阿弥陀仏が私一人のために泣いてくださっていたとは知らなかった。阿弥陀如来が、泣きながら頭を 下げて、助けさせてくださいとの仰せはほんとうだった。 もったいないやら、恥ずかしいやら、申し訳なくて悲しくて嬉しくて。足の踏み場に困るほどの喜び が湧き上がってすみません。となるのです。ほんとうですよ 親鸞会ほど真の仏法を正確にお伝えしようとしているところは、ないんだよ。 間違ってもいない。本願寺も念仏ばっかり勧めてんと、学んでほしいね。 本当にこの文章の記載者が通行人であるのなら、この話も「信心決定してもいないのにした様に装って 仏法の話をしたり、勧誘したりするのは私だったら逆に勧めます。」ってことの事例の一つにすぎなく なっちゃうんだけど。
314 :
名無しさん@3周年 :03/05/20 20:33
ははは、会長はネットなんて書き込むことできないって。 小器用な会員が会長の口真似して書いているだけ。 だから、これも嘘つきの一事例ね。
315 :
名無しさん@3周年 :03/05/20 21:14
>>314 通行人は怪鳥の可能性、大。
怪鳥はネットなんて書き込むことできないというのは、操作
容易な犀芯式魔心の存在を知らない山猿の寝言の蚊脳性、蟻
316 :
名無しさん@3周年 :03/05/20 21:19
314に一票。
317 :
名無しさん@3周年 :03/05/20 21:27
>>312-313 内容、口調は快調にかなり近いので、聴聞録か講義録の抜粋だろう。板に書いたのはイタコ状態に入ったカイーンの仕業。
漏れも会長マンセーな熱”狂”誨淫にイピョー
319 :
名無しさん@3周年 :03/05/20 22:31
>>314 会長が直接キーを叩くという事は、ないかもしれないけれど、ROMはしてるのでは?
そして、所々でネット対策担当の講師に書きこみの指示を出しているんじゃないか。
新人太郎の正体にしたって、入会しようかどうしようかに悩む新人生ではなかった。
459氏が去った後、最後の決めの言葉を語っている人物とRe11の人物は、
どうみても同一人物に思えてしまう。
「信心決定してもいないのにした様に装って仏法の話をする」通行人の様な人物が
語った内容ならば、会がわざわざホームページまで創って公開したりはしないだろうから。
まぁこっちで惨敗した挙句消えたひさしぶるみたいのは スルーしてるわけだしな。壊の上の連中が関与している 可能性は否定でけない。 その割には低脳なわけだが。
321 :
名無しさん@3周年 :03/05/20 23:40
新人太郎は少しレベルの低いところと、法論のへたなところがあった。 たとえば、「てんねん」ですから、というような表現は愛嬌はあったが少しひいた表現だった。 それから細かな観経解釈の誤りを最初はまったく理解していなかった。 会長にみせたとは考えにくいが、それはかなりたった時からだろうな。 うーん、可能性としてはどこかな。もう一度読むのは、面倒だな。
322 :
名無しさん@3周年 :03/05/20 23:42
通行人は、新人よりもう一段、レバルが低い感じがする。 新人が幹部講師なら、通行には学生幹部かはね上がりの社会人か。
323 :
名無しさん@3周年 :03/05/21 23:48
親鸞会みたいな曲がりくねった思考様式してたらそりゃ迷って当たり前の世界
最初に宣言しとく。漏れ原液。ただし会議寄り。それでも納得しかねる所があるから
そこだけ回答させてくれ(どうも、ここ上層部も見てるらしいけど、何も書き込まなくて
いいの?このまま言いたい放題にさせてたらどんどん御縁の離れる人が増えるんでは?
まぁ、その程度で新人崩壊するやつはいなくて結構、と仰るならそれも良し。)。
>>273 >>276 超亀レスで申し訳ないんだけど・・・。何かひっかかりますね。「善の出来ない者と
親鸞聖人が仰っているのだから我々はそれに従えば良い」と考えておられるのでしょうか?
言っておきますが、もしその言葉に甘えて何も善をしないのであれば、因果の道理から
いっても貴方が幸せになることはないのですよ。世間でもそう。自分が良い行いをしないと
自分に良い結果は返ってこないでしょうが。
楽に流れたいからそう言っている、と思われても文句は言えないでしょうね。
私がここで申し上げる善は、世間でも当たり前の善、です。
アニメだの御著書だのまでここで引き合いに出すつもりはありません。
とりあえず、「宗祖が無意味と仰っているからそれに従えばいい」という根拠を
教えて貰えますか?(親鸞聖人、など善知識方の御文からでお願いします。)
あと、善いことをするのは悪いことですか?(これは
>>279 )。
以下↓へ
上レスの続きです。
>>292 >他の宗派や宗教を批判するなんてことはやってはいけないと
言ってる訳ですね。
あんまり理解の進んでない奴が法論をしかけるなって事では?乱暴に言えば。
まあ、そういう意味では漏れもかなり危ないかもしれないけど・・・。
親鸞聖人ご自身は中々凄いことを教行信証や御和讃に書かれてます。皆さん
ご存知だと思うんですけどね。「かなしきかなやこのごろの・・・」とか。
「然るに諸寺の釈門、真仮の門戸を知らず」とか(必要なら全文挙げます)。
歎異抄・・・「読むな」と言われている代物だったら教学聖典には盛り込まれ
ないと思うが。アニメ6部にも普通に出てるし。
逆切れで申し訳ないんだけど、特に「正御本尊」が何でこんな所で論議の対象に
なるのか漏れには理解不能。見た感じ、「どうしても正御本尊を持たせて欲しい」と
言う香具師はいないっぽいし。・・・アニメ6部のネタで話させてもらってもいい?
もし皆さんからの諒解が得られたら続きを書き込みます。ここまでで議論がずれて
たら続けても意味ないし。
>>324-325 真宗と諸善との関係は、このスレでずーと議論されてきた
ことだから過去スレ・レス嫁。ただしDQN誨淫みたくに、
世間的な善と仏教でいう自力の善根とを混同しないように
注意すべし。
>>325 著書や和讃の中に批判的なこと書くことと、自分から論争しかけたり
ましてそれを門弟や信者にすすめるのとは全く違うだろう?教行信証
も一部の門弟くらいしか読んでなかったし、法論しかけたわけではな
いだろう。
>>324 俺の理解では、やはり善を勧めるのはおかしいと思うね。
そもそも、善を勧めないなら本願寺は悪を勧めているのか、という
論法自体が無茶苦茶だし、勧めようが勧めまいが、善をするのは
良いことだというのは当たり前だろう。
ただ、あえて当流では言うことも無いから言わないだけで。
信前に、自力の修行なされた親鸞聖人が、これから1から
始めようとする者に向かって「お前も自力の修行してこいや」というのは
どう考えてもおかしいだろう、普通に考えて。
善をせよ、というのは同じように聞こえて仕方がない。
「(自力の)善は捨てモノ」=「善は必要ない」
ではないよ。
早速のレス、ありがとうございます。思ってたより良心的なレスでほっとしてます。
>>326 じゃあ読み返してみましょう。混同・・・気をつけます。
>>327 ん〜、確かに・・・。今自分のレス見返してもその辺が大分甘かった。まず、
「この宗教は間違ってる!」とか「迷信だ!」と潰して回るだけが葉じゃ顕正なの
ではなく、「本当の仏教はこうだ!」と伝えるのも破邪顕正になる。
漏れがこの文章見て感じたのは、親鸞聖人から真実の仏教を聞かせて頂いた門徒の
人たちが、それを言わずにおれなくてあちこちに叫んで回り(つまり親鸞聖人が進めた
訳ではなく)、結果あちこちの宗教・宗派と問答になり、それを見かねたお言葉かなと。
だから、このお言葉=破邪顕正するな、ということではないと理解している。
ここで釈尊の「僧にして、法を壊つものあるを視ながら〜〜」を出したらDQNに
(バカ)認定?三大譲論は、伝説だという話をここで見かけたからやめとく。じゃあ、
口伝抄とかにあったあれは架空だったのかと思うとショックだけど。
蓮如上人も御文章で「あながちに道端で仏法讃嘆すべからず」といった旨の
お言葉を出されているけど、それは当時「念仏者であることが知れると大変な目に
あう」時代であり、門徒たちの身を案じての蓮如上人のご教導だったと聞いた事が
あるし。ちなみに今でも「きちんと理解できない間は無用な疑いを起こすから、
人には話するな」と学勇部の方では言われるようだ。
だから、本来であれば「伝えずにおれない」のが真実の姿で、怪鳥に言われて
破邪顕正に乗り出すと言うのは・・・漏れ的にもどうなんだろう?
かつて漏れが御縁持つ前、顕正戦なんてのが繰り広げられたらしい・・・。
s会の破邪顕正の問題点は、「破邪顕正」そのものにあるのではなく、必ずしも
会員たちの自発的なアクションとは言い切れない所にある、と思うんだけど。
330 :
名無しさん@3周年 :03/05/24 00:23
>>328 あんた表現力豊かだね。
>信前に、自力の修行なされた親鸞聖人が、これから1から
始めようとする者に向かって「お前も自力の修行してこいや」というのは
どう考えてもおかしいだろう、普通に考えて。
まったくそうだ。
言い方一つで、こうもはっきりするとは。。。
ジャヌソに行ってあげなよ。
真宗の伝道は顕正即破邪で、顕正のみありて破邪なき宗旨。とは言いますね。 イソップだったっけ?太陽と北風ならばあくまでも太陽の立場。 「愚者になりて」と「破邪」はどう相応するのか、いっぺん聞いてみたいね。
332 :
名無しさん@3周年 :03/05/24 00:36
>>331 あ、NBさんだ。
すっごい、久しぶりのカキコじゃないですか?
もっと、お願いします。
>イソップだったっけ?太陽と北風ならばあくまでも太陽の立場。
これね。よく考えました。
北風にも、正あり邪ありで、s会の場合は、邪の北風ですね。
真宗が、太陽の方法というのは、うなずけます。
あと、ジャヌソにも行ってあげてくださいよ。
>>328 ごめんなさい。先書き込まれていたんですね。う〜ん、半分同意で半分疑問って
所かな。そりゃ「自力の修行してこい」とは言われないでしょう。親鸞聖人の
御教えを聞いている人だったら、明らかに聖人のみあとをついて行った方が早いん
だから。あと、「「(自力の)善は捨てモノ」=「善は必要ない」ということでは
ないよ」・・・これ、一応s会でも同じ事言ってるんですけど・・・。もし余裕あれば
「なぜ生きる」立ち読みしてみてもらえませんか?書いてますし。
「善をせよ」というのが何と同じように聞こえるのでしょう?
<論法がむちゃくちゃ
気分を害してすみません。本願寺が悪を勧めているわけではないことをはっきり
聞かせて頂きたかったので。ただ、「善いことをすることが良い」と分かっていても、
「それを実行することが難しい」とも言われます。「3歳の幼児でも因果の道理はわかり
ますが、80歳の翁でもこれを実行することは難しい(by鳥巣禅師)」という言葉も
ありますし。また、釈尊が「六度万行」を説かれたのはどうしてですか?
別に釈尊がわざわざ言われなくても、その時代から「よいことをするのは当たり前」と
いう考えはあったでしょう。にも関わらず、釈尊が「修諸功徳」と言われ、「六度万行」も
教えられた理由を聞かせて頂けますか?
親鸞聖人は釈尊の仰せをそのまま教えられているので(御文章1−1?)、浄土真宗に
無関係な質問とは思えません。
過去スレみずに書いてるので重複の予感。明日目を通します。次回書き込みは多分日曜の
夜か月曜。明日から2日間、忙しいので。
不等号が反対向いてる。寝込みます。
335 :
名無しさん@3周年 :03/05/24 00:45
「往生のための善」は必要ないだろう。 「日常生活での善」は必要だろう。
>>333 親鸞聖人のみ教えに、善のすすめは
「ある」・・・親鸞会
「ない」・・・本願寺
っていう、茶色の垂れ幕を掛けていましたよね、昔。
>「善をせよ」というのが何と同じように聞こえるのでしょう?
その善をあて頼りにするから、「あえて」善を勧めない(もちろん、
悪を勧めてるわけではない)ってのが真宗なのでは?
>鳥巣禅師
なんで自力の仏教の師匠の言葉をありがたがってるのか
イマイチ理解できないのですが。
涅槃教は捨てモノではないのですか?
もちろん、それ自体が間違ってるとは逝ってませんよ。
ただ、捨てモノか拾いモノか?と問われれば「捨てモノ」だと
思うので。「廃立肝要」じゃないの?
「無常は迅速」と教えてるはずのs会が、なぜ迅速に自力を捨てて
他力に帰依しないのか?この辺りにも、s会で信を獲た者が
ほとんどいない事に通じているのではないでしょうか?
何で、自分の聞いている教えがすべて正しいと思えるのか?
自分の師がどうして唯一の善知識だと思えるのか?
どうしても、視野搾取の、単なる思いこみにしか思えないのですが。
337 :
名無しさん@3周年 :03/05/24 01:14
本スレの前スレ
晒し者。
848 名前: 投稿日:03/05/15 16:52
>>817 >>846 阿弥陀仏、諸仏方、獲信されてる方があなたのことを嘆き悲しまれ
てますよ。阿弥陀仏はあなたのお母さまより、もっともっと、あなたのことを
かわいい、助けたい、本当の幸せにしてやりたいと思われているのに・・
親の心 子知らずですね。
阿弥陀様こそが、いつか本当の親様だったとあなたもきっとわかられるとき
がくるでしょう・・・三品の懺悔するときが・・・
s会の教学など、所詮この程度。
三品の懺悔する人は、今の世にはいないんだよ。
和讃読み間違えているアフォ。
「三品の懺悔する人と同じ」と
「三品の懺悔する」とは別だ。
>>332 ありがとうございます。ええ。ひっさびさですねえ(w
まあ、「破邪」は中観派が「真理」を表現する方法論だというならわかるんですけどねえ。
一乗真宗の「真実」って「真理」という言葉とはびみょーに違うように思いますね。
で、ジャンヌは…。たまにロムしてるんですけど。。ちと思うところあって当分は遠慮させて
いただきます。ありがとうございます。
親鸞会の組織については、安易に口をはさめるような資格はぼくにはないと思いますし。
教義の正誤については当面のところ判断保留としておきたいもので。。
何かいい表記区分ないのかね。 善といったとき、 A:悟りに近づくためによいこと B:通常、よいとされること の二種類があって、それが今回も引き続き混同されてるよかーそがしますな。
s会は最高の善=仏法伝えること、すなわち破邪顕正の功徳で 助かろうという節がある。いや、もちろん最終的にはあて力には ならないとは説いてるよ、でも法話の合間や会議で話を するのは、その話とGHSの話ばかり。まるで、その功徳を積めば 助かる近道だといわんばかり。もしくは、勢力拡大をねらってるのか? どうも、自力っぽい感じがするのだが。 「一宗の繁盛と申すは、大勢集まることではなくて 一人でも信を獲た者があるのが重要」 と言いつつ、聴聞以外の時に他の話ばかりに忙しくて、 信心の沙汰をまるでしないのは、どういう事?
341 :
名無しさん@3周年 :03/05/24 08:39
>>319 通行人は、信心決定したと言っているぞ。
会長でないとしたら、会長以外に信心決定した会員が遂にネット上に登場したということになる。
投稿時間:03/05/24(Sat) 06:37:12
投稿者名:通行人
Eメール:
URL :
タイトル:Re^15: ご教授お願いします。
体験こそ親鸞会が真実であることの要であり、体験のない者は真実であると話す資格はない。
(通行人)これはこれは、厳しい御意見ですね〜。でも、安心しました。私は体験があるから、
真実であると話してもいいんですね(笑)
(通行人)私の経験を根拠にしています。ということですので、私の言う事は
説得力あるんですね?
342 :
名無しさん@3周年 :03/05/24 08:55
>>341 投稿時間:03/05/11(Sun) 03:38:44
投稿者名:通行人
Eメール:
URL :
タイトル:Re^3: 通行人さんへ
信心決定者は
【人の地獄の事はよく判らない・地獄という世界は宇宙どこを探してもない、
火の車は己が創りて己が乗り往く】と述べられていますね。
それならば、
※【御自身の地獄は信心決定された今】 ※【どの様に観えられている】
・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
と言われているのでしょうか?
(通行人) 何度も同じ事を言うようであれですが、具体的な地獄の様相は私知りませんよ。
嘘だろ。
343 :
名無しさん@3周年 :03/05/24 09:36
極楽の具体的様相は述べているみたいですよ。 投稿時間:03/05/08(Thu) 03:01:33 投稿者名:通行人 Eメール: URL : タイトル:Re: 通行人さんへ 極楽・・。それは、あらゆる宝石、珍味、美女、美男、金銀、瑠璃、きれいな花々、がある世界。 なんでも望みがかなう世界です。真如の世界です。 早くあなたも、この世から浄土で遊ぶ身になってください。
344 :
名無しさん@3周年 :03/05/24 11:59
>>343 > 極楽・・。それは、あらゆる宝石、珍味、美女、美男、
> 金銀、瑠璃、きれいな花々、がある世界。
> なんでも望みがかなう世界です。
物欲、色欲、権勢欲がむんむんしていて、高森さんのような人が、
ごまんとひしめきあっている世界と思えば間違いない。
人々は、馬の鼻面に六度万行の人参をぶら下げて、馬車馬のよ
うにかけずり回っている世界だろう。
345 :
名無しさん@3周年 :03/05/24 14:09
A子ちゃんが、好きで好きでたまらなかったら、夢にA子ちゃんが出てきたりする。 これだけ会にメロメロだったら、ちょっとした出来事が、親鸞会が正しい事を確信する出来事の様に思える。 何でも都合の良い方向に理解してしまうだけ。 「やっぱり群賊・悪獣・悪知識が出てきた。仏説マコトだったー!」とかね。 体験とか言ってるけどその程度。たんなる錯覚。深い信仰が無い事は文面ぱっと見てわかる。 極楽の様相とか書いてるけど、体験でも何でも無くて、知識の受け売り。かっこつけてるだけ。
346 :
名無しさん@3周年 :03/05/24 14:11
↑通行人氏の事ね。
で、
>>344 氏の言ってる事がホント。
347 :
名無しさん@3周年 :03/05/25 12:24
阻止汚の詳細JOHOきぼん。 きゃつはイカレたふりしとんのか、ほんまにイカレとんのかよーわからん。
348 :
名無しさん@3周年 :03/05/25 12:58
阻止尾の何を知りたいかはわからんが、話し好きのようだから阻止汚に直接尋ねてみんしゃい。
349 :
名無しさん@3周年 :03/05/25 13:18
>>341 >通行人は、信心決定したと言っているぞ。
繕自慰の言葉を適当に真似して騙っているというのはよくあることだが、それではないの?
それに信心決定の体験をしたとは言っていない。単に体験とだけ言っている。
ここで言っている体験とは単に会で活動した体験ではないのか。
S会こそが真実と知らされたイターイ体験に基づいているのだろう。
>>349 > S会こそが真実と知らされたイターイ体験に基づいているのだろう。
ま、その可能性はある。ただ、相手の話は眉に唾を付けて聞け。それ
が大人社会の常識だ。小学校の学級会と混同するな。大人の世界は、
物事は金で動くんだ。金が正義だと思っている奴はいくらでもいる。
金を稼ぐには、配慮ある不正直な営業文句が必要なんだ。当たり前
だろう、そんな話は。
人間としての正直さを採るか、商売人としての営業成績を採るかと聞
かれれば、大人は誰でも営業を採るんだ。正直さを採るというのは、小
学校の学級会での話と思え。
嘘ついて悪果を受けることなんか恐れていれば、大人は金が稼げな
いんだよ。善智識だ、信心決定したと言う奴がいれば、それはセールス
トークだと、早よ目を覚ませ。
>>350 通行人が怪鳥もしくわその意を受けた人物だとするとジャヌソでの
商売発言は、事実上のカミングアウト?
>>351 布施を受け取り、後向いて「あかんべー」していた
赤いベロが、表に出ただけ。
353 :
名無しさん@3周年 :03/05/25 16:53
獲 信 者 な ど い な い のは当然としても。 通行人のやつは本スレへのリンクも 見たはずなのに、十悪にたいする弁明はしないのな。 図星か? ソシオ、通行人、渡海難と香ばしいのがそろっててウマー
355 :
名無しさん@3周年 :03/05/25 19:48
まったく、 獲信者がでないというのが会の最大の問題点。 それを会の体質、問題と考えずに、自己の努力不足と考え、さらにウソをつきまくり、真実信心からさらに遠くなるという惑業苦の自縛。 ああ、それに早く気づいて欲しいものだ。
356 :
名無しさん@3周年 :03/05/25 20:57
★宝くじ信仰 解説しよう。 教団の信者は絶対の幸福という名の宝くじを買い続けているという行為をしているに過ぎないというもの。 この宝くじはこの教団の独占販売かのように教え込まれる。 教団から離れるということは宝くじが購入できなくなったことと同じで、買わなければ当たらない。当たる確率は0%になったことと同じ。 教団で熱心に活動するということは、宝くじの大量購入をしているようなもの。買い続けていればいつかは必ず当るんだという気持ちが去らないから、今回こそはと売り場の聴聞会場に買いにいくのである。 「ワシは当たったぞ」という人の熱い話を聴かされているので、自分も早くそうした身になりたいと買い続ける。 ときどき当たった人の話を情報誌に載せるので、購入意欲をそそる。これは「この売り場から出ました」というのと同じ。 ところが、先輩や上司で当たったという人がいない現実がある。当たらなければ買う意味はないが、なかなか当たらないほどの凄い宝だとも言える。 絶対の幸福の身になるという夢を売る教団だと割り切ったほうがいい。信者は夢を見続けるだけで活動していけるものだ。
357 :
名無しさん@3周年 :03/05/26 04:55
>>356 禿同。
そういえば、T森は宝くじ1000本いっぺんに当たった位の喜びだって言ってたっけな(藁。
お前、宝くじ当たった事あるのかよって言いたい所だが、
T森は1年も説法すれば宝くじ1本分くらいの収入があったんだっけな(藁。
しかし、それ聞いてやけに喜んでいた香具師いたっけな。
あいつはその宝くじ信仰なんだろう(藁、しかし悲しくもあるな。
あと売り場がS会にしかないってのも笑える喩えだな。
少しはさがせよ。探した上に、そういうならば未だいいけど、探さずに受け売りは
どうかなと思うな。
あと、K光は宝くじのあたり確立が異様に低くなった感じだね。あの異様さを
誇るあたりが藁える。
358 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/05/27 19:51
>>354 >見たはずなのに、十悪にたいする弁明はしないのな。
今か今かと待っていたのか?
坊主が寝言を発すれば、他人がそれに聞き耳を立てるとでも
思っているのか。
フンともスンとも思わずに、鼻先で通り過ぎただけだろう。
360 :
名無しさん@3周年 :03/05/28 00:35
ӓѱөӳӡѳӡӑ
361 :
名無しさん@3周年 :03/05/28 02:41
渡海さん、せっかく350でいいこと言ったと思って感動したのに、 すぐにひとを「坊さん」だと決めつける妄想癖、何とかして ほすい。354はたぶんふつーの学生さん。
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
363 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/05/28 21:33
>>361 > 妄想癖、何とかして ほすい。
配慮を欠いていたなら申し訳なかった。 <(_ _)>
他のs貝スレは、原液(ジャヌソの通行人と同一か?)が来て レス内容こそ低級だがそこそこ盛り上がってるのにこっちには 来ない(来れない?)のね。
365 :
名無しさん@3周年 :03/05/30 00:09
>>364 今の時期に減益っぽいのがカキコするようになったのは、
新入生が宗教団体だと明かされて、
インターネットで調べだしたりしたためかと思われ。
事前に「でっち上げ」「何かの陰謀」などの説を吹き込んではいるが、
それでも心配なのでカキコでも念押しで「でっち上げ」を強調したんだろ。
>>357 >あと、K光は宝くじのあたり確立が異様に低くなった感じだね。あの異様さを
>誇るあたりが藁える。
これはどういう事?
s会でも確率は全然0に近いのに、K光はもっと低いって事?
367 :
名無しさん@3周年 :03/05/30 21:05
あげ
368 :
名無しさん@3周年 :03/05/30 23:54
ジャソヌ雑談版は真性の「電波おぢさん」によって占拠されました。 先住民たちは掲示板へ流れ、疎開【そ(と)かい】、「難」 を免れた模様です。さあ、「電波おぢさん」の無常が勝つか、あるいは 警察沙汰が先か?見ものですぞ、みなさん。
>>368 案外とソスオも原液工作員ではないか?ファンタズスタくん
にはすっかりだまされたからな。
敢えてあれを完全にスルーしながら会話すれば、奴が偽か真性かが 判明する…というアドバイスはしないでおこう。
素潮めっちゃおもろい! 雑談板には感動した。 あの基地外のような、それでいて素晴らしい文章は 芥川龍之介のようでもある。(誉めすぎ
でも、なかなか良いことも書いてある。あをいさん。無断引用スマソ。 >「悪い」ことだから「悪果」が返ってくるのではない。 >「悪果」が返ってくることを「悪い」と呼ぶ。当たり前のようで、 >実にここの順序を取り違っているケースが多い。
この素潮なる人物、ちょっと心当たりがある。 関東から愛知にきた基地外ではないか。 見た目、明らかに基地外とわかる人物だ。
374 :
名無しさん@3周年 :03/05/31 14:54
↑JOHOきぼんぬ。
>>372 善悪の定義が曖昧なままなのを除けば、
まぁそうかもねー。
祖塩の情報、漏れも激しくキボンヌ
376 :
名無しさん@3周年 :03/05/31 21:47
祖塩、仏敵読んだんだってさ〜。 今日の(以外とまともな)書き込みみてると やっぱりs会の工作員とは思えないな。 仏教のことは、今回みたいにたまにまともなことしゃべるけど、 普段のことは支離滅裂すぎ。 被害者意識、妄想、電波がどうのこうの、監視されている云々、 シゾでまちがいないだろうな。 脳腫瘍じゃなくて真性だと思ふ。
>373 >関東から愛知にきた基地外ではないか。 若しかしたら、漏れ知っている香具師かもしれない。 学生時代の彼を少し知っているけど、まじめな人だったよ。ところが機責めの会 の育成の為だろうか、突然怪鳥の聴聞の時に叫んで、。。。 あっ、下手に打つと実名出されるかもな。という事でこんな所にしときましょう。 しかし、ところどころはよくこんな事知っているなって位の事知っているな。 テレビ付けになっている事も伺える。S会が遠因だと言うのは機責めの ような所を言っているんじゃないのかな。 子牛の中にもそういう人を見たけど、本当に可哀想だよ。 あそこは精神を破滅させる会じゃないのか。 ところで、彼の濁点の付け方が変だよな。「ど゛」とか書くでしょう。あれどうよ。
age魔性
>>377 >あそこは精神を破滅させる会じゃないのか。
その通り。
ここには減益も吊りも来ないのね。
ここはぎすぎすした減益とのやりとりに疲れた人の 憩いの場になってる。と言ってみるテスト
ジャヌソのチビ丸(おそらくは=ひさしぶり=デブチン=話題提供)は、自分のこと 理系っていってるみたいだな。やっぱりあの仔牛?
383 :
名無しさん@3周年 :03/06/07 07:54
>>382 >やっぱりあの仔牛?
あの、ネット上でしかられてた子牛(むきりょく)のこと?
どうでしょう?
もっと年上のような気もするし、ちょっと小賢しそうだから、そうかもね。
ジャヌソのチビ丸氏(おそらくは=ひさしぶり=デブチン=話題提供)
はSA氏=猫はいだらけ氏が大嫌いだから、
SA氏の(会の教義の検証)カキコを新人が見るのを恐れ、
どうしても次ページにもって往きたかったのだろう、などと思ふ。
384 :
名無しさん@3周年 :03/06/08 16:21
,.-、 /.n l /⌒ヽ | l l | ,' /7 ,' , '' ` ー ' '-' / / 、_, `ヽ l , .-. 、`´ l ヽ ヽ ̄フ / s会の教義は、真宗十派の教義とは異なります。 丶、 ̄____,/ / ,. - 、 ) (( ( n ([N],ハ_う ゝ)ノ  ̄ ヽ / _ l )) 〈__ノ´ `(_ノ
385 :
名無しさん@3周年 :03/06/08 19:15
♪いっぱい聞けてー(聴聞) ♪いっぱいしゃべれーるー(弁論大会)
ジャヌソの痛香人、ちびり○の誤飽和を神妙な顔して聞いてる減益って? 洗脳ってのは怖いね。
387 :
名無しさん@3周年 :03/06/11 19:51
本願寺の中には、K光会と交流のある先生もいるというが その先生は、後生の一大事の問題を、どうとらえているのだろうか?
388 :
名無しさん@3周年 :03/06/11 20:30
会長を獲信に導いたI藤康善氏は龍大に学んだというが、当時の龍大では、「後生の一大事・ 悪因悪果の法則」によって地獄に落ちるという様な教えが、なされていたのだろうか? I藤氏に後生の一大事の教学を教えたのは誰なのだろうか? 後生の一大事の教えは、どの学系の流れを経て今に伝えられてきている者なのだろうか?
蓮如上人の御文章を最初から読めよ>388
390 :
名無しさん@3周年 :03/06/12 00:39
>>388 本願寺教学が著しく歪んだ方向に進んだのは、やっぱ太平洋戦争
を境にしてじゃないのかな〜。昭和初期の文献なんか読むと、
意外にまともなこと(後生とか)いってるんだよね。
ちなみに伊藤師が獲信したのは大正期。(仏敵より)
獲信に導いたのは坊主ではなく市井の念仏者ということだが、
当時はまだ教えが生きていたんだろうね。
391 :
名無しさん@3周年 :03/06/12 08:02
>>390 今は、教えが生きていないみたいな言い方だな。
例えば「教行信証」の様な、教学的に体系づけられた
講義書があったら、紹介していただけませんか?
どの派のどの学系の流れを経て、文献として顕されているのか。
まともなことが言われなくなったのは、何時のころからなのか
是非、知っておきたいのでね。
392 :
名無しさん@3周年 :03/06/12 08:29
清沢満之以降、ガラッと変わった。親鸞会のホームページにも出ているから、見てみそ。 死後の事を言わないのはおかしい。
393 :
名無しさん@3周年 :03/06/12 09:31
>>392 死後のことを言わないのは変でも何でもないが、死後のことにあまり触れなくなったのは大谷派では顕著な傾向かも知れん。
394 :
名無しさん@3周年 :03/06/12 14:07
キリスト教には統一教会、エホバの証人がある。 日蓮宗には創価学会、顕正会がある。 イスラム教にはハマスやタリバンがある。 皆、独自の教典解釈をしている。 どこの団体も自分の教えのみが、唯一絶対だといっている。
395 :
名無しさん@3周年 :03/06/13 00:57
ジャンヌが変な盛り上がりみせてるけど、 話の流れが全然読めないw
396 :
名無しさん@3周年 :03/06/13 01:23
>>395 本当に久しぶりにジャンヌいってきました。
チビ丸ってのは、なんだありゃ。
現役の講師かね。とにかく病んでるね今の
s会は。(今に始まったことじゃないか?)
397 :
名無しさん@3周年 :03/06/13 04:46
>>396 通行人もいいかげんイカれてると思ったけど、チビ丸というのは、
あれは完全に狂ってるね。鬼気迫るものを感じる。通行人は
ある意味天然だろ、ありゃ。
カルトってホント怖いよな。冷静に正しいものを信じているつもり
で、正義の怒りのつもりで、でも狂っているとしかいいようがない。
そら恐ろしくて何も言う気になれん…。
チビリ○は脳に蛆が湧いている
399 :
名無しさん@3周年 :03/06/13 13:01
>>396 わたしゃ読んでないが想像は容易にできる。
ああやって「シンジツ、シンジツ、これが真実の教えだ!」と叫ぶことによって自己暗示をかけているのではなかろうか。その裏には「ひょっとして?」という不安が本人の意識下に潜んでいて、常に叫んでいないと酔いが醒めてきて不安が顕在化するのではないかな。
酔っ払いが同じことを何度も叫んでいるのと大して変わらないようにも思える。
「ヒック、オレは酔ってなんかないぞぉ。お前が酔ってるんだ〜。いいからオレの話を聞け。真実の教えとはな……」って説教するのと同じ。
そういうときには「ああ君は酔ってなんかないよ。正しい。すばらしい。いいお話だった」と言ってやって一度ぐっすりと寝かせればいいんだが、
バリ員は寝ても酔いが醒めずに、休んでパワフルになるだけで、また説教を始めるんだよね。性質の悪い酔っ払いだと思えば、理解はできる。
遠くで見るぶんには愉快だね。といいつつ400ゲトズサー(AA略
少しジャンヌを流し読みしてみたっす。 通行人が「方便」とか騒いでおりぁすが どこぞのスレで「方便が使えるのは〜から上の高位の菩薩から」 というのを見かけたっすよ。これってどうなのでしょ? 偽情報掴まされたのか、それとも 通行人は 偉 い 菩 薩 様w だったのか
402 :
名無しさん@3周年 :03/06/15 09:53
>>401 >通行人は 偉 い 菩 薩 様w だったのか
それは通行人さんに直に尋ねてみては?
ちなみにS会の教学聖典では、
「我々を真実に近づけ、真実を体得させるに絶対必要なものを言う。」
と教えられている。
そうすると、ウソをついて勧誘することも方便だという主張は、真実を体得させるのに絶対必要なものがウソをついての勧誘という変なことになる。
S会では、教学的には方便の使える人は、真実を体得した人のみであると教えられていて、仏はもちろんのこと会長も該当する。
方便だけわかる、真実だけわかるという人はいない、と教えられていることから、通行人さんが方便をお使いになっておられるならば、真実を体得した人ということになる。
403 :
名無しさん@3周年 :03/06/15 09:55
>>402 (続き)
そもそもS会で方便を教えていた意義は、S学会から「真宗の門徒は方便法身の仏、つまりはウソの仏を有難がっている」という非難に応じるためのものであった。
つまり「方便=ウソ」ではないことを示し、真宗の本尊の正当性を示すことが目的だった。
にもかかわらず、「真実に近づけるに必要なもの」という言葉を誤解して拡大解釈し、S会の勧誘方法とかS会という組織を正当化するためにも使われだした頃から、S会の教えはより怪しい雰囲気をかもし出したと言えるかも。
404 :
名無しさん@3周年 :03/06/15 19:30
>>402 >>403 確か数年前ぐらいに、勧誘、親への対処、新人への説明などのテクニックを指して方便というのは教学的に間違っているということを、部会で徹底されたことがあった。
そのときの説明では、方便とは「狭義の善知識(仏、菩薩)が衆生を弥陀の本願へ導くために用いるもの」という説明がなされたと記憶している。
だから我々の活動に方便という言葉を使ってはならないとのことだった。
ただし、そのような勧誘、親への対処、新人への説明などのテクニック自体は否定していなかった。
あくまで言葉の使い方だけ。
405 :
名無しさん@3周年 :03/06/15 19:41
投稿時間:03/06/15(Sun) 16:09:11 投稿者名:通行人 Eメール: URL : タイトル:Re^5: ぼやき 阿弥陀如来に救われた人はみな、そう思うはずなんですけどね〜。 私は金の為に、仏法求めたのではない。それだけ、信前のときは命がけの求道をしてきた。 私には、それしかなかったもの。 通行人は、自分は信後だと述べている。 通行人という縫いぐるみの中身には、やはり会長が潜んでいる様だ。
406 :
名無しさん@3周年 :03/06/15 21:11
>>404 会内でこうした教義的な面での誤用が事実まかり通っていたことがあったわけですから、こうした大切なことは会の機関紙で取り上げるべきことではなかったかと思いますが、
S会はいつも教えの点で間違ってはいない、ということをただ通したいために誤用の問題を取り上げないんですね。
それに、これは外部からの指摘で、「方便」という言葉の誤用に気づいてやめただけのこと。
組織内で教義的誤用が実際にあったわけですから、正しい教えを説くことに真剣な団体を自負するならば、なおさら過去の誤用を詫びて反省すべき言葉が見られてもおかしくはありませんが全くない。これがこの会の体質。
407 :
名無しさん@3周年 :03/06/15 21:17
>>404 >確か数年前ぐらいに
気づくのがあまりにも遅すぎの感あり。
教学的に間違っていることが長年放置されているというのは、
正しい教えを説いているはずのS会としては由々しき問題ではないですか?
どうしてこうなってしまったの?
教えが大事の会のはずなのに、その責任を会は全く感じていないの?
レスサンクス。 方便の定義は浄土真宗でもほぼ同じなわけです。 ダミーサークルは方便として成り立たないなら 十悪に引っかかってる罠が待ち受けていますw このスレの少し前の時点で、十悪を戒める教えは 存在しているという話も出ていましたから。 これ突っ込んだらどう返事するか興味はありますが ジャンヌに突撃するのは…いいや。やめときまっす
あれ、日本語が少し変 「方便の定義は浄土真宗でもほぼ同じようですね」 十悪に対する戒めの話は本スレだった模様。 過去レス探したら無かった…ショボーソ
なんか、本スレの方が法論スレっぽくなってるぞ。 でもあの快淫ってヤ香具師が工作員で、その説が 今のs会の教えならぶっ飛んだことになってるぞ。
411 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 01:54
>>410 もしそうなら教義的にもs会は崩壊してきていることになるなw。
412 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 02:09
>>410 あるゲンエキ とかいう椰子だろ、
たぶん。
413 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 03:00
>>410 S会の教義理解からすれば、あの説は当然かも。
S会の表面上の教えは吹っ飛んだかも知れないが、本願までぶっ飛んだということではないので、開院であってもあの説で全く問題はないと思うけどな。
414 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 03:11
>>410 教義論と感情論がS会では混同されていただけのことさ。
S会の教義に立てば、開院からは、親鸞さん、T森さんが信心決定しているかどうかの判断はできない、というしかないだろう。
ただし、成仏すれば、仏々相念で、そういうことも手に取るようにわかる、ということだ。
415 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 04:58
>>410 親鸞や怪鳥が信心決定していると信じ切ることに、感情的にはともかく、教学的に違和感を感じない開院がほとんど。
むしろ快淫のような奴の方が、S会の教義を正しく理解しているといえる。
416 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 07:02
このスレが過去ログになっても読みやすいように、
レスが多くついていた快淫さんの記事をコピペしておきます。
21世紀 親鸞会の崩壊とM春の時代?〜Vol.22
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1055480001/l50 102 03/06/15 22:33
快淫
>>98 >>もしかしたら聖人の信心は異安心だったかもしれない。
>これって自説? それとも本当にS会ってこういうことを内部で言っているの?
誤解がないように言い直しますが、
>もしかしたら聖人の信心は異安心だったかもしれない。
というのは、「親鸞聖人の教えが弥陀の本願に教学的に反している」という意味ではなくて、
「親鸞聖人自身がその教え通りの信心を獲得していなかったかもしれない」という意味です。
違いが分かっていただけましたか?
「親鸞聖人自身がその教え通りの信心を獲得していなかったかもしれない」という意味であれば、
s会はそのように主張しています。
具体的に上記のような表現は公式にはなされませんが、s会が説いている弥陀の本願の教義自体が
上記のことを主張しているのと同じです。
そういう意味では、すべての説法において「親鸞聖人自身がその教え通りの信心を獲得していな?
417 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 07:05
>>416 (スマソ。途切れた。以下もコピペ記事)
そういう意味では、すべての説法において「親鸞聖人自身がその教え通りの信心を獲得していなかったかもしれない」と
s会は主張しているということになります。
418 :
これもコピペ :03/06/16 07:14
101 03/06/15 22:24
快淫
>>99 >なるほど。そうするとなんだい、「S会で逆臣している人がいる」というような主張している香具師がいたけど、
>単なる香具師の思い込みを事実のように言っていたわけ?
>ということは「私は逆臣したぞ!」と言っている人がS会にはいるというだけのことで、実際には怪鳥を含め誰も
>救われている香具師なんていない、という可能性もあるということだね。
まさにその通りです!!
だからこそ、
・獲信の体験談を語る
・獲信の体験談を聞きたがる
・あの人は獲信しているorしていないの議論をする
・新人「先輩は獲信しているのですか?」と聞く
などが信仰の上で、無意味あるいは悪影響があるとされる理由のようです。
信心の有無は本人と阿弥陀如来にしか分かりません。
親鸞会の法話を正しく聴聞している会員ならば、個人的な味わいはともかく、会長が信心決定していると100%信じたりはしていません。
(他人にはそのように言うでしょうが)
会長が100%信心決定していると信じ込んでいるような会員は、聴き損ないの異安心です。
419 :
訂正があったのでこれもコピペ :03/06/16 07:17
107 03/06/15 22:47
快淫
>>105 >教学的におかしいとは言えても「異安心」とまでは断言できないのではないだろか?
ご指摘の通りですね。失礼しました。
教学的に間違っているという意味です。
信心については断言できません。
確かに聞き誤りやすい、説き誤りやすい法です。
420 :
これもコピペ :03/06/16 07:18
124 03/06/15 23:08
快淫
>>111 >んじゃ、蓮如上人が「講」を勧められたのはなぜ?
>信心の話をしてはいけない?
>
>>103 のおっしゃるとおりだと思うが。
蓮如上人が信心の沙汰を勧められたのは、自己の信心の中身を告白することで異安心に陥らないようにするため。
>・獲信の体験談を語る
>・獲信の体験談を聞きたがる
>・あの人は獲信しているorしていないの議論をする
>・新人「先輩は獲信しているのですか?」と聞く
などが間違いというのは、獲信の有無を三業で判断するのが間違いという意味です。
「獲信した」と口で言っているから、獲信したと思うのは教学的に間違っているということです。
上の4つはすべて、信心と三業を結びつけようとする自力の心から出てくるものです。
蓮如上人の言葉とは矛盾していないです。
>ほう、自分の師も疑ってかかれと言うことか。
>じゃあ、会の言うことも疑いいっぱいだな。
そういうことです。
一方でそのような疑いの心では仏法は聞けないとも言われます。
このような矛盾と思えることばかりなのが浄土真宗です。
ゆえに凡夫の智恵では進めません。
救われるかどうかは唯一宿善まかせです。
なかなか、深く聴聞しているひとだよね。 これまでの、完全s会マンセーじゃないところもいいし。
昨日から予想外に法論のようになってしまって少々困惑気味だが、今まで断片的に答えてきたので一度、俺が理解している限りの、信心と三業に関するS会の教義をまとめてみる。 長くなってすまんが。 あくまで俺の理解したS会の教義なので、もし誤りがあれば会員・非会員を問わず、指摘していただけると有難い。 <S会の教義> @三業で信心はうかがえない。 A信心は三業に表れる。 @については、 浄土真宗の信心は阿弥陀仏より回向される絶対他力の信心であるから当然である。 しかし自力の信心しか知らぬ者は、信心と三業をむすびつけて考えずにはおれないので、そこから生まれたのが「三業がこうなったら救われる」という三業安心。 一方で三業以外に何かがあると思えない者は、三業が変わらずに救われるなら、「すでに救われている」としか思えないので十劫安心。 いずれも他力の信心を味わったことのない、自力心から生まれる異安心である。
これをS会の会員レベルの心情に置き換えてみると、 <三業安心> 周りに信心決定した人がたくさんいると自信になるんですけどねえ。 信心決定したという人の体験談を聞いてみたいなあ。 あんなに活動している講師部員ですら信心決定していないのだから、自分なんてとても無理だ。 あの人に比べたら自分は毎回聴聞しているから信仰が進んでいる方だ。 あの人最近聴聞に来なくなったから、信仰が退転しているな(ニヤっ)。 昔ほど無常や罪悪が感じられなくなったのは縦の線に遠ざかっているのかも。 最近ご法話の最後に、口から自然に念仏が出るようになった。俺ってけっこうイケてるかも。 S会の人はみんな熱心だなあ。正しい信心が説かれている証拠だ。 会長先生のご活躍はすごい。さすが信心決定している方だ。 <十劫安心> このまま聴いていけばそのうち求道が本気になって、そのうち信心決定できるだろう。 死ぬまでに何とか本気になればいいや。今は仏縁がつながるように適度に息抜きも必要だな。 極楽は無理でも、来世はもう少し仏縁深い身に生まれて、また仏法聴けるだろう。 今日が最後の御法縁とはいいながら、どうせ来月もあるしな。 地獄とはいっても、これだけ聴聞しているから、阿弥陀様のお慈悲でなんとかなるだろう。 人生の目的も考えずに遊び呆けている奴らは馬鹿だなあ。俺はS会に出会えて助かった。 この三業安心と十劫安心との間をふらふらと揺れているのが、信前の者すべてである。 この自力の信心と他力の信心との間には無限の断絶がある。 そしてこの自力の此岸から他力の彼岸へ渡す、ただ一つの清らかなまことが南無阿弥陀仏である。 (以上のS会の教義は、浄土真宗では正統な教義であると思うが、いかがだろうか)
(続き) これをS会の会員レベルの心情に置き換えてみると、 <三業安心> 周りに信心決定した人がたくさんいると自信になるんですけどねえ。 信心決定したという人の体験談を聞いてみたいなあ。 あんなに活動している講師部員ですら信心決定していないのだから、自分なんてとても無理だ。 あの人に比べたら自分は毎回聴聞しているから信仰が進んでいる方だ。 あの人最近聴聞に来なくなったから、信仰が退転しているな(ニヤっ)。 昔ほど無常や罪悪が感じられなくなったのは縦の線に遠ざかっているのかも。 最近ご法話の最後に、口から自然に念仏が出るようになった。俺ってけっこうイケてるかも。 S会の人はみんな熱心だなあ。正しい信心が説かれている証拠だ。 会長先生のご活躍はすごい。さすが信心決定している方だ。 <十劫安心> このまま聴いていけばそのうち求道が本気になって、そのうち信心決定できるだろう。 死ぬまでに何とか本気になればいいや。今は仏縁がつながるように適度に息抜きも必要だな。 極楽は無理でも、来世はもう少し仏縁深い身に生まれて、また仏法聴けるだろう。 今日が最後の御法縁とはいいながら、どうせ来月もあるしな。 地獄とはいっても、これだけ聴聞しているから、阿弥陀様のお慈悲でなんとかなるだろう。 人生の目的も考えずに遊び呆けている奴らは馬鹿だなあ。俺はS会に出会えて助かった。 この三業安心と十劫安心との間をふらふらと揺れているのが、信前の者すべてである。 この自力の信心と他力の信心との間には無限の断絶がある。 そしてこの自力の此岸から他力の彼岸へ渡す、ただ一つの清らかなまことが南無阿弥陀仏である。 (以上のS会の教義は、浄土真宗では正統な教義であると思うが、いかがだろうか)
(続き) Aについては、 「自信教人信」なので信心決定した人は、必ず三業にその姿が現れる(他人に伝えずにおれなくなる等)ということ。 これに関してはS会の自説か一般論かは俺には判断がつかない。 ゆえに、親鸞聖人が100%信心決定していたとは断言できないが、教行信証をはじめとする親鸞聖人の著書や言動から考えると、99.9%信心決定していたと考えていいだろう、ということ。 会員の会長に対する見方も同様。 (以下は俺のS会についての私見、なのでS会の真意は別にあるかもしれない) よって、S会の著書、ビデオ、法話が親鸞聖人が信心決定していることを事実のように説明しているのも無理はないだろう。 この点については、たとえ親鸞聖人が信心決定していたというのが事実でなくとも、それは単に史実上の問題であって、教義的に何の問題もないという点が最も重要であろう。 またS会が他者を異安心だと批判するのは、「教義が親鸞聖人の教えられた信心とは異なる信心を教えている」というように信心ではなく教義を批判しているか、 もしくは上記の理屈で「そのような教義を教えているということは、信心が間違っている証拠だ」ということなのだろう。
最後にこの問題のきっかけとなった問題について。 <大善知識に必須なのは「信心」ではなくて「教学」> これは、たとえ親鸞聖人が信心決定していなかったということが歴史的に証明されたとしても、その教えによって救われるという点は変わらないというのが、何よりの証拠である。 親鸞聖人が獲信していたか否かは親鸞聖人自身の後生にとっては一大事だが、会員の後生にとってはどうでもよい。 会長が獲信しているか否かは会長自身の後生にとっては一大事だが、会員の後生にとってはどうでもよい。 会員にとって重要なのは「親鸞聖人が弥陀の本願を正しく伝えているか」「会長が親鸞聖人の教えを正しく伝えているか」ということ。 善知識が信心決定しているからといって我々が救われるわけではないし、信心決定していないからといって我々が救われないわけではない。 しかしその教義が弥陀の本願に反していれば、誰も救われない。
427 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 16:21
【三業安心と十劫安心について】
以下のような理解の仕方もあるようです。
<三業安心>
「『これだけ阿弥陀様のことを思っているから救われる』『念仏を称えてい
れば助かる』『これだけ仏壇の前で拝んでいるから救ってくださる』といっ
た自己の三業(行ない)を阿弥陀仏にさしむけることで救いの助けにしよう
としたり、三業で帰命していることを救いの証拠にしようという」立場。
<十劫安心>
「十劫の昔に阿弥陀仏が成仏されたときに、すでに衆生の救済も成就さ
れているのだから、それを忘れないのが信心であると」して、「仏に帰命せ
ずともよい、帰命の安心を不要」という立場。
http://www.pure.ne.jp/~pages/uemon/3gou.html
>>424 ><三業安心>
>周りに信心決定した人がたくさんいると自信になるんですけどねえ。
>信心決定したという人の体験談を聞いてみたいなあ。
>あんなに活動している講師部員ですら信心決定していないのだから、自分なんてとても無理だ。
だから、ひょっとしたらこの教え(あるいは師)は間違っているのではないか。
他にもっとわかりやすい教え(あるいは師)があるのではないか。
ちょうど、聖人が比叡の山を下りられる時のような心情になっても
おかしくないですよね。
429 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 17:14
>>428 >だから、ひょっとしたらこの教え(あるいは師)は間違っているのではないか。
>他にもっとわかりやすい教え(あるいは師)があるのではないか。
>ちょうど、聖人が比叡の山を下りられる時のような心情になっても
>おかしくないですよね。
熱烈な求道心に燃える人ほど土蔵秘事に迷いやすい。
適当な気持ちの開院ならまあS会でもいいかとなる。
s会本スレから
>169 名前:名無しさん@3周年 投稿日:03/06/16 22:02
>
>>168 >>「それでも、慧可は腕を切り落として、仏法を聞いたんだよね。
>> まだまだ及ばないなー」
>
>阿弥陀さんは、そんなもん要らんといってますよ。
親鸞会以外の浄土真宗はこういう考え方だけど、
快淫さんはどうだい?
要するに、19願/20願で自己の自分が見えないと18願には
入れないから19願と20願(の中でも、特に19願の諸善万行)を
プッシュする親鸞会なのだが、 それは聖道門チックだと思うのだが。
431 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 22:13
ひでえ、これじゃ、 「結局誰一人として新人欠場していなかった。」 という結論さえ可能な教えだ。
433 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 23:18
土蔵秘事・・・ その実態を知っている人がここにいるだろうか? S会で流布している「土蔵秘事」のイメージは意図的に捏造されたものですよ。 古参会員に聞いた情報ですが、その昔、土蔵秘事に迷っていたのは犬鉄の母親でした。 k会で活動していた犬鉄は、母を土蔵秘事から救い出したそうです。 その後、独立した犬鉄はk会を「土蔵秘事」ということにしたそうです。 個人的に知る限りでは土蔵秘事なる団体は実際に存在するようです。 もちろんk会ではありません。
434 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 23:23
それに類するものってのがあるじゃん。 あれは?
435 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 23:36
「それに類するもの」・・・s会流の詭弁ですね。政治家の答弁のようだ。 k会に流れる会員を引き止めるためにはどうしてもk会には土蔵秘事(およびそれに類するもの)になってもらわねばならなかった。 k会が土蔵秘事という異安心ならば堂々と名前を出して論争すればいいのにそれが出来ないからイメージをぼかすんですね。 しかし「土蔵秘事とそれに類するもの」という名称もしっかりと叩き込まれるその土壌。 情報操作は恐ろしいですね。
436 :
名無しさん@3周年 :03/06/16 23:39
k会サイドの人?
437 :
名無しさん@3周年 :03/06/17 00:16
快淫氏はS会の教義をよく理解していながら、冷静である。 少なくとも3年以上は真面目に活動していないとこの発言は出来ない、と思う。
438 :
名無しさん@3周年 :03/06/17 00:29
k会で著書まで出しておきながら、都合が悪くなると土蔵秘事呼ばわりだからな。 信前ならいざ知らず、獲信後も数年間在籍した会なわけだから、奴の非難は全く の的外れ。土蔵秘事なら獲信後真っ先に袂をわかってしかるべきじゃないのか? 奴は単に自分を崇めてくれるイエスマンが欲しかっただけ。そいつらが自分の傍 を離れていくことが怖かっただけ。一時でもあんな奴を蓮如上人以来の大善智識 だなんて思っていた自分が恥ずかしいよ。
439 :
名無しさん@3周年 :03/06/17 00:35
>>438 本当にそうなんだろうか?
漏れには、判断できないので。
440 :
名無しさん@3周年 :03/06/17 00:47
>>439 後半は俺の推測だが、前半のK会絡みの部分は、過去の犬鉄を知る人
から直接聞いた話。一人本願寺の前で叫んでいたって現役の頃聞かさ
れなかったか?いかにも一人で活動していたかのように語られている
が、あの当時はバリバリのk会布教使だった。
441 :
名無しさん@3周年 :03/06/17 01:37
質問ですが、いいでしょうか。 現実の人間を指して、「群賊・悪獣」というのは、 正しい仏教なのですか? また、特定の人物を雑縁といってもいいのでしょうか。
442 :
名無しさん@3周年 :03/06/17 02:06
>>441 そういうことは聞いたことがありませんね。
善導大師は、求道者の心の中のものを仰ったのです。
人のことをそういうように悪し様にいった者には、
それなりの悪果が訪れますから、放っておきましょう。
443 :
名無しさん@3周年 :03/06/17 20:18
><大善知識に必須なのは「信心」ではなくて「教学」> s会の教学は、真宗諸派と異なる特異な驚愕だという事なんだけど。 >善知識が信心決定しているからといって我々が救われるわけではないし、 信心決定していないからといって我々が救われないわけではない。 しかしその教義が弥陀の本願に反していれば、誰も救われない 善知識と名のる人物の体験したという自己申告によって、特異な驚愕が生み出された。 決定していなかったとしたら、驕偽は弥陀の本願に反しているという事になってしまうのでは?
444 :
名無しさん@3周年 :03/06/18 07:40
>>425 >「自信教人信」なので信心決定した人は、必ず三業にその姿が現れる
>(他人に伝えずにおれなくなる等)ということ。
>これに関してはS会の自説か一般論かは俺には判断がつかない。
万人に開かれている救済法であるなら、
何かの機縁で人知れず救われてしまって、
人知れず死んでいった人がいても何ら不思議ではないように思われ。
445 :
名無しさん@3周年 :03/06/18 09:18
>>426 >しかしその教義が弥陀の本願に反していれば、誰も救われない。
引っかかりのあるところですね。
救われない場合がただ一つあるとすれば、
その教義が弥陀の本願に反していた場合ではなくて、
弥陀の本願自体が虚仮不実だった場合のみではないですか?
弥陀の本願が真実であれば、救われない場合とは本願に対する疑いが衆生の側にある場合だけではないですか?
いわば教義というものは人間の思考の都合上あるものですから、
その教義が弥陀の本願に反していると見なされたところで、それは思考の上の話であって、
その人の救われる可能性までを断つことにはなりません。
会員の中には親鸞会の教義を聴いて、親鸞会以外の教団にいる人は救われないとか、
地獄おち確定のように思い込んでいる人が少なくないですが、
他における弥陀の救いの可能性までも奪う思いに至らせる教義って何なんでしょう。
教義が弥陀の本願に反しているとか合っているとかいうのは人それぞれの思考上の都合の問題であって、
そのことで救いの可能性までを否定することはできません。
弥陀の本願に思いを馳せることは大切ですが、
教義上の問題に力を入れるあまりに、教義論争に明け暮れて終わってしまうばかりか、
人の信心の有無を裁定し、救いの可能性まで否定していくのはいかがなものでしょうか。
親鸞は弟子一人ももたず
447 :
名無しさん@3周年 :03/06/19 00:47
俺も弟子一人ももっていない。
448 :
名無しさん@3周年 :03/06/19 04:36
ジャソヌでチビ丸が何だか壊れかけているぞ。 よく調べもせずに思い込みだけで書いているもんだから、 書簡集の削除の件も知らなかったみたい。 嘘つき呼ばわりしてみたり、事実の誤認を指摘されて詫びてみたり。 ってゆうか、「ごめんよぉ」と詫びながら相手に殴りかかっているような感じがする。 何か書き込んでなだめてあげたい気もするんだが、噛みつかれそうな雰囲気。 チビ丸を知っている減益はチビ丸に引くことの大切さを教えてやるか、 自ら「ピュンピュン丸」とでも名乗って応援しつつ連れて帰ってやれよ。同志だろ?
S会の香具師、ジャヌソの通行人に会の入会の仕方くらい早く教えてやれよ、 お前等顕正の機会だろ。 入会の仕方も知らないなどいいながら、と高森の聴聞は聞いたというからな。 会場でいくらでも入会できるのに、よく、あんな嘘を平気でいえるものだよ。 嘘でなきゃ間抜けかな。面白いって引っ張って来ているものも、お前のより ずっとまともだよ。人間としてまとも。 あんな香具師があこがれる会が親鸞会なんだなってつくづく思うよ。
450 :
名無しさん@3周年 :03/06/19 20:02
>>448 デカパンさんがチビ丸さんを助けにいかれたようですが、
馬の耳に念仏状態なようですね。
訂正:チビ丸さんは、シンニの河に落ち込んで荒れ狂っておられるようです。
君子、あやうきに近づかず、ですね。みなさん。
そもそも、ジャンヌの板自体が傍観するためにあるんであって 書くために有るんじゃないからなあ。 2chでまた〜りしてるほうが、俺の性に合ってるよ。
452 :
名無しさん@3周年 :03/06/19 23:44
皆さん、仏法は行学ですよ。 頭だけでは、ダメなのですよ。 行じなければ進まないといわれています。 えらそうで、すみませんが、そのことを再確認しましょう。
453 :
名無しさん@3周年 :03/06/20 00:15
「仏法は行学」という言葉。いっけんもっともそうだけど、親鸞や蓮如がそんなこといってるの。 まさか、勝手に作ってるわけではないだろね。 現役さんへ。
じゃそぬの工作員どもが色々言ってるみたいだけど 結局ダミーサークル勧誘やら、ありえない碁砲車やら 敗残者呼ばわりやらについての弁明が為されない限り 枝葉の議論だとオモタ
455 :
名無しさん@3周年 :03/06/20 09:05
>>452 会を辞めていった者を頭だけで「敗残者」と思っているようではダメなのです。実際に「敗残者」呼ばわりしなければ求道は進まないといわれています。
こういう行学もあるんだな。
456 :
名無しさん@3周年 :03/06/20 13:22
いつからここはジャンヌ掲示板のネット裏観戦室になったんだ?
457 :
名無しさん@3周年 :03/06/20 18:10
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ココからネット裏観戦室↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
458 :
名無しさん@3周年 :03/06/20 21:28
デカパン氏の、「チビ○氏へのレス控えてくれ発言」どうでしょうか? まあ、ジャソヌが荒れるのは多少防げるかもしれないなが、なんだかつまらないな。 でも通行人氏がしばらくは書き込みしまくって、都会氏とのバトルは延々と続くのだろうね。
でもここでしばらくチビ丸を静観してたら 勝利宣言しだしたりしてな(w そういう作戦か?とか邪推してまう。
>>459 んー、あれで「勝利宣言」出してもバカ丸出しなだけだから別にいいけどw。
しかし「勝利宣言」も何も、何も対話が成立しとらんからなー。
まあ自分でも何をしたいのかよく分かってないんじゃないすか。
論破する気すらないみたいw。
なんかよーわからん自分の感情を満足させてるだけのオナニー状態で
新人太郎ほどの戦略性もなさそう。
>>460 詭弁の特徴ガイドライン
8:知能障害を起こす
13:勝利宣言をする
とか。やりかねない
462 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 03:11
>>460 チビ丸って以下のようなことも言っていたのに、いつの間にか自分が熱くなって盛り上がってしまったのではないのか?
何してんだか。
投稿時間:03/06/05(Thu) 12:52:48
投稿者名:チビ丸
Eメール:
URL :
タイトル:こんなとこ覗いてる会員さん
悪縁になるだけだからやめましょうね。
通行人は会員かな? こんなとこ盛り上げても仕方ないでしょう。
やめときなさい。
463 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 03:15
464 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 03:22
>>456 減益が教学論議をここで展開しなくなってからでは?
「〜は真実だ」「〜では多く信心決定している」「〜は体験していない」というようなことばかりで、そこから具体的な展開がなされていない。
「これは実にいいですよ」「間違いありませんから」「絶対に損はありませんよ。お買い得です」「買わないと損しますよ」と畳み掛けるように語って押し売りしているようなこととあまり変わらないような発言が最近目立つな。
具体例は本スレにも多く転がっているから、いちいちコピペはしないけどさ。
465 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 03:37
>>458 >まあ、ジャソヌが荒れるのは多少防げる
>かもしれないなが、なんだかつまらないな。
アラシとまでは言わんが、言い放つだけで聞く耳持っていない者の発言をまだ読んでみたいのか?
暴走車があちこちぶつかりながら走っているのを安全なところから眺めているというような野次馬的な面白さはあるかも知れんが、それならジャソヌ以外でやってほしいところ。
開院からすれば抵抗があるんだろうけど、真面目に答えたりしている人もいるんだから。あれって結構な労力だと思うな。
467 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 03:42
>>462 こういうのってあるな。
殴り合いの喧嘩を止めるために割って入ったはずなのに、いつのまにか自分も誰かを殴っている状態に至ってたってことが。
そういう点ではクールダウンを促すことは大切だろう。
468 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 05:30
ジャンヌにはまた香ばしいヤシが出てきたな。
469 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 10:09
>弥陀の本願が真実であることを。 父親の息子に対する愛情は、真実であるだろう。 息子の責任は一切不問、息子を批判した会員は除名したんだから。 けど、弥陀の本願って悪人を色分けするんだっけ? 偽善者って本当にいるだな。 社会に出る前にいい勉強をさせてもらったよ。
470 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 11:23
>>468 たんぽぽ のことか?
チビ丸の可能性が高いな。
チビ丸としては気まずいものを引きずるので、
たんぽぽで仕切り直しを図ったのかも。
あれだけレスしてた椰子だ。
すぐに引っ込むとは思えん。
懲りない椰子。
それだけ傷ついたということなんだろうけど。
471 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 19:30
>>469 >父親の息子に対する愛情は、真実であるだろう。
>息子の責任は一切不問、息子を批判した会員は除名したんだから。
事情を知らずに適当なこと言うなよな。
局長に本当に何の過失も責任もなかっただけなのかもしれないんだから。
472 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 20:37
>>471 >局長に本当に何の過失も責任もなかっただけなのかもしれないんだから。
まだそんなこと言ってるよ。おめでたい奴だな。
事情を知らない奴は他でもないお前だよ。
473 :
名無しさん@3周年 :03/06/21 23:45
>>472 ほう。
その知っている事情とやらを是非聞いてみたいものだ。
474 :
名無しさん@3周年 :03/06/22 11:19
475 :
名無しさん@3周年 :03/06/22 19:00
>>474 で、その事情とやらはいつ聞かせてくれるの?
476 :
名無しさん@3周年 :03/06/22 19:54
477 :
名無しさん@3周年 :03/06/22 20:22
>>476 よくやるよ。
親鸞会のために貴重な時間を浪費するなんてもったいないと思わないのか?
さっさと親鸞会の呪縛から逃れてもらいたいものだ。
478 :
名無しさん@3周年 :03/06/22 21:31
まったくだ。 w大のサークル名だって、変わってんだぞ。 いつの情報うぷしてんだろね。
最近、基地の会スレが妙に盛り上がってんのなぜ?
Super Freeのレイプ騒動で、大学側もサークルに対する 監視を強めてくるだろうな。これまでのようにダミーで 公認とって、インチキ勧誘なんてのもやりにくくなるだ ろうよw
482 :
名無しさん@3周年 :03/06/22 23:39
>>480 勧誘時に自らの宗教団体の名前を明らかにしない又は詐称れば
いかなる場合においてもこれを罰する。
というように宗教法人法を改正してもらいたいもんだ。
信教の自由が云々・・・とかいう問題とは全然関係ない。
ジャソヌが偉い事になってんZE 泥仕合ですよどろじあい。 次々自作自演が。
484 :
減益工作員 :03/06/23 06:20
>>481 あなたを親鸞会の呪縛から救うためですよ。
485 :
名無しさん@3周年 :03/06/23 10:33
>>478 あれはある時点においてそういうサークル名で勧誘していたということで。
487 :
名無しさん@3周年 :03/06/23 22:31
>>486 なんで、NAなの?
もれ、○大だけど、なんだか、大学側からメールが学生全員宛てにきたよ。
学生のトラブルとか、いろいろ情報きぼんぬ、っていう内容だった。
ところで、いま教学交誼って、どんなことが話題なのかな。
488 :
名無しさん@3周年 :03/06/24 00:05
ほんとに、あほらしいから、やめようね、 こんなカキコ。
ちび●によれば、ジャヌソとS会スレにカキコしてるの10数名ってホント?
490 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 01:35
そんな、チビ○のことを真にうけちゃあだめだよ。 ほんと、あいつは壊れているようなかんじだな。 講師かと最初は思っていたが、そんなレベルでもない。 会でも、困った人なんかもしれない。
>>491 いや、でも安置のこことかジャヌソの書き込みをかなり以前の分から
ファイルしているみたいだから、仔牛ではないまでもネット対策担当
かなんかじゃないか?一般の減益にそんなことまでする椰子おらんだ
ろうし、第一ヒマないよな(w
492 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 20:23
ま、だとしたら、チビ○程度の人材しか残っとらんということだな。 それもそうかw
493 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 21:20
たしかになあ。 ジャンヌの茶畑氏などなかなかの論客だけど、あれ位の思索力があったら、会は続けられないだろうな。 残るのは、意地と我慢の人。ほかに行って通用しない人。それに、会長にほれた人もいるかな。 真剣に獲信をしようとする人も残れないな。信仰の幼稚園児ばかりだからな。
494 :
名無しさん@3周年 :03/06/27 23:36
チビ○って本当にみていて 痛々しいというか、 あふぉというか、 バ我まるだしというか、 他人の意見は全然きいていないというか、 すぐにかっとなって後先考えずにかきこむというか、 「意地と我慢の人」そのものだね。 ほとんど完全に茶畑氏らにやりこめられているんだけど、 その事実がみとめられなくて、「おまえのカーちゃんでべそ」 と捨て台詞はいてほくそえんでいるような感じ。
495 :
名無しさん@3周年 :03/06/28 12:30
信仰の幼稚園児ってだけじゃなくて、人間として幼稚園児だからな(w しかもガキの可愛げゼロで、ずるがしこさだけは大人。やなガキだねー。 でもいい大人が幼稚園児化するのは許されんだろ、フツーは。 カルト光線浴び続けると、幼児化していくのでちゅね、
496 :
名無しさん@3周年 :03/06/28 21:41
通行人て、所謂「ひきこもり」じゃないかと思ふ。 一日十回くらいはジャンヌをチェックしては書き込んでいるんではないの?
ジャンヌは混沌としてきたね。 通行人の「親鸞会カルト宣言」はちょっとワロタ あいつって時々ぽかやらかすよね。 以前も「嘘付いて勧誘するのはいいことだ」とかいってやがったし。
498 :
名無しさん@3周年 :03/06/29 21:04
親鸞会カルト宣言については漏れもあきれた。 本当に馬鹿じゃないかって思ったよ。馬鹿じゃなきゃ阻止尾現象の前触れか? あれでまじめなら親鸞会の方が迷惑だろう。 それにメンバーじゃなきゃ語れないこと語りながら、 漏れは会員じゃないって言っているからな。あれも阿呆だと思うよ。
痛荒人は、真性の停脳か、演技かはわからんが、どっちに してもS会の末期症状を象徴してるとオモワレ。ま、腸蛇 宮痔のたとえの話のころから、まともな会話ができる椰子 じゃなかったけどね。都会が邪推してるようにあれが回腸 かその息かかった(あ〜くっさ)香具師なら本当に腐敗の 極地だよなS下位。
500 :
名無しさん@3周年 :03/06/30 00:06
終了
501 :
名無しさん@3周年 :03/06/30 01:11
終了させたい気持ちはわかるがそうはいかないよ。 通行人さん。
502 :
減益工作員(必死) :03/06/30 03:00
本スレは本日をもって終了いたしました。 長らくの書き込みありがとうございました。 皆様が親鸞会の批判などに無駄な時間を費やすことなく、 もっと社会の建設的なところで御活躍されることを、工作員一同お祈りしております。 南無阿弥陀仏
503 :
名無しさん@3周年 :03/06/30 04:17
コピぺではありますが、カルトの詭弁論法の手口が要領よくまとめられていますのでUPして おきます。ご参考にどうぞ。 1:事実に対して仮定を持ち出す 2:ごくまれな反例をとりあげる 3:自分に有利な将来像を予想する 4:主観で決め付ける 5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる 6:一見関係ありそうで関係ない話を始める 7:陰謀であると力説する 8:知能障害を起こす 9:自分の見解を述べずに人格批判をする 10:ありえない解決策を図る 11:レッテル貼りをする 12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す 13:勝利宣言をする 14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる チビ○や通行人に、だいぶあてはまりそうですね。 とくにチビ○は多数該当すると思われ。 通行人はとくに8(藁)。
>>503 通行人は完全に逝ってよし。ジャヌソのカキコは最後の狂乱雄叫び状態か?
8にも一票だが、かなり天然の阿呆だと思う。
S会全員があんな香具師じゃないだろ。性格異常者ばかりだと彼奴いってい
るけど、お前の事だろって感じだな。
漏れが推測するに
あいつの書いている内容はほとんど嘘だと思われ
・大学が龍谷で、成績が抜群
・本願寺の話しを直接聞いた事がある
・親鸞会の会員でない
・信心決定している
後者の二つはほぼ確実。
前の二つはたぶんそうだと思う。
だいたい今書いているおばあさんの話しも嘘八百だろ。
あの会話形式で書いたカキコはバレバレの嘘で只の逝ってよし
と言うより、どっか逝って二度と来るなって感じだ。
505 :
名無しさん@3周年 :03/07/01 10:24
>>504 >あの会話形式で書いたカキコはバレバレの嘘で只の逝ってよし
>と言うより、どっか逝って二度と来るなって感じだ。
俺もそう思ったが、通行人(=S会工作員)はあのままでいいという気もしている。
本人は気づいてないようだが、発言内容が変だし、街中で何しでかすことやらわからない椰子にも見えるから、ちょっと心配。改印に見かけるタイプでもあるし、掲示板で思いっきり語らせるがよか。
せめて掲示板でのストレス発散くらいさせてやろう。
でも通行人に絡まないほうがいいと思うよ。会話にならないと思う。
506 :
名無しさん@3周年 :03/07/01 23:18
>>504 >・信心決定している
もちろん、思い込みの信心であって、一種の化城だろう。
しばらくすれば、夢から醒めてかきこまなくなると思われ。
あの書き込みから、本物の信心だとは到底思えない。
507 :
名無しさん@3周年 :03/07/02 14:01
高森先生以外にも信心決定した人っているの?
508 :
名無しさん@3周年 :03/07/02 15:17
>>507 過去に機関紙に載った人(会公認?)が何人かいる。
この中にはK光関係の人、現在では退会した人もいる。
無論、自己申告だから自力の信心である場合もあるだろう。
T先生もまた自力の信心の可能性はある。
509 :
名無しさん@3周年 :03/07/02 20:19
>>508 >T先生もまた自力の信心の可能性はある。
漏れの意見はこうだ。
「T先生もまた自力の信心そのものでしょう。」
s会の歴史をいまこそ冷静に振り返ってみるべき。
自分を唯一の善智識とし、その善智識を謗るものを無間地獄逝き
と強調する。
絶対服従に都合のいい驚愕ばかりを骨の髄まで覚えさせる。
軍隊組織を採用して「上司の指示は絶対服従」の制度にしたのも、
自分が批判されるのを極度に恐れるからだろう。
いつも人から賞賛されたい、多くの人に囲まれたい、
S蚊よりもいい建物を建てたい、いい車に乗りたい、金がほしい、
少しくらい悪をおかしても聖使命の前には善になるはずだ、という思い。
そんな気持ちが体質にしっかり現れているね。
s会は他から批判されたときは過敏に反応し、ハイエナのようにしつこい。
これも会長に他力信がないから。
周囲にイエスマンばかり集める。
報道管制を敷いて会員が外の情報を仕入れないようにする。
これは教義の矛盾を知る会員が出ることをふせぐため。
s会はミニ版の北朝鮮のようだ。
>>509 ただ、信心は三業に現れないからねえ。
北のジョンイルが信心決定してとして、相変わらず
豪遊三昧、人殺し三昧をしてても全然おかしくないと思うよ。
自分と阿弥陀様の問題だからね〜。
511 :
名無しさん@3周年 :03/07/02 22:41
>>510 そんなことを言ってしまっていいのか?
親鸞聖人が素手で刃を持った弁円の前に立たれたのは、信心の現れではないのか?
教行信証や和讃は信心を言葉によって表現したものではないのか?
真宗諸派と異なる特異な教義のs会。
その特異な教義の裏づけは、善知識の宗教体験による。
この体験を基にして、破邪顕正するのがs会の特徴といえるだろう。
s会が「信心は三業に現れない」と主張するのには、少々複雑な心境を感じます。
512 :
名無しさん@3周年 :03/07/02 23:20
>>510 これはおそらく教科書的な回答だろうね。
たとえば、実は日蓮が実は信心決定していた、とか
s加のI堕が信心決定していたといっても誰もそう思わないだろうし、
ありえないね。でも、こう書くと、そういう考え自体が迷いだ、と
切り返されるのだろうね。
513 :
名無しさん@3周年 :03/07/02 23:45
>>510 少なくとも親鸞が刃を持った弁円の前に立った行為と
影、日なたを器用に使い分けるのは異なる行為だし
座談会という信仰の話をするとっておきのチャンスに
車に乗って遠方の床屋に調髪に往くなどという話をする人の話は
どう解釈しても、三業に信心が現れているとは説明出来ないだろう。
>>510 >全然おかしくないと思うよ。
大ウソ。いいのがれ
他人の信心決定などどうでもいいではないか。他人の行状をあれこれ批評し ていると、どうも自分はものを知っているというような気になってしまう。
516 :
名無しさん@3周年 :03/07/03 05:41
>>510 >ただ、信心は三業に現れないからねえ。
T森教学では、「信心は三業ではかることはできないが、信心は三業に現れる」と教えていました。ただ「信心は三業に現れる」といってもどういう行為がそれに当たるのかを問題にすると信心を三業ではかることになるから間違い、ということになります。
だから、T森先生の三業に現れたもので先生が信心決定している、いないとはからうことは間違いです。ただ、T森先生が信心決定していると思い込んでいるのがほとんどの会員ではあります。
しかし教学的には先生の決定未決定に関わらず、またS会の存亡に関わらず、阿弥陀仏の救いはあるわけですから、S会でなければ救われない、と主張するならそれは妄信、迷信に類するもので、そのままが本願を疑っている姿ということになります。
>>515 自分は他人を批評しない、などという慢心など捨ててしまえ。
519 :
名無しさん@3周年 :03/07/04 00:25
いつも人から賞賛されたい、多くの人に囲まれたい、 ∧_∧ ( ;´∀`) BIG大好きです。 人 Y / ( ヽ し (_)_)
>>511 >親鸞聖人が素手で刃を持った弁円の前に立たれたのは、
>信心の現れではないのか?
だったら、もし弁円の前で命乞いしたら、その人は決定者では
ないというのかい?
それはおかしいだろう。煩悩の所作だからねえ。
信心は三業に現れないって書いたのはそういうこと。
>>512 阿弥陀様と私の問題であるから、他人から見てどう見える、こう見える
ってのは全然あてにならないということだね。
>>513 信心は三業に現れないって書いたのだよ。
勝手に捏造しないように。
>>516 なんだか、煙に巻くような論法だね。
光明不思議によって、己の真実の姿が知らされて懺悔が起きる
という意味では、一見三業に現れるように思うのだけど、
もしその人が心の中で懺悔して外から見ただけはわかんない
としたら、どうよ?
521 :
名無しさん@3周年 :03/07/04 07:52
>>520 >なんだか、煙に巻くような論法だね。
そのとおりだが、そう思えないのが会員だと思ってもらいたい。
>もしその人が心の中で懺悔して外から見ただけはわかんない
>としたら、どうよ?
その場合は信心は少なくとも意業には現れている。心に思っていてもそれを言葉や行動で現すことができない人もいることだろう。
ただ、三業は所詮は死ぬまで我欲を離れることができないままだから、信心は三業に現れる、ということにはもう少し説明が必要だ。
T森先生の三業も例外ではなく我欲を離れてはいない。ただ会の中にはT森先生は阿弥陀仏の化身だという思い込みをしている人も少なくないので、先生の三業は清浄なものだと誤解している場合がある。
万が一にも人集め金集めという行為が仏法を利用した詐欺的行為であったとしても、三業は我欲を離れてはいないのだから、あって然るべきことで、何ら不思議なことではない。
もっと多くの人に教えを聞かせたいという欲は人集めにもなり、もっと大きな聴聞場所を確保したいという欲は金集めという行為にもなっていく。
「もっともっと」いう、満たしても満たしても満足しない欲がなければ、嘘をついて勧誘したり100億以上のお金を集めることはできない。
他を利するための我欲であるから、人間ができうる自利利他の行為ではないだろうか。
ただし、これには会員たちの身に現実に宗教上の救いがもたらされていることが前提としてなければならない。
でなければ、救いのない教えの、自分勝手な押し売りであって、我欲にまみれた金儲けでしかない、と見なされても仕方がないだろう。
>>521 そうか、意業も三業のうち、まあ当たり前だ罠。
いいたかったのは、他人から見てわからない、という事だった。
s会の逝き方はともかく、肝心なのは己の後生。
取り詰めるのは無常と罪悪なのには変わりがない。
あまり、会に固執してるといいこと無いと思う。
仏教と真宗の原点に還ることが大事だ罠。
523 :
名無しさん@3周年 :03/07/04 12:34
>>522 >あまり、会に固執してるといいこと無いと思う。
それはそうだが、会に固執するしかないような教え方になっているので、どうしようもないな、会員としては。
これ関係の会の教えをまとめてみると、
・会、会長を批判してはならない(謗法罪で地獄堕ち)、称賛するしかない
・会以外に真実の教えを説いている団体はない
・よって会を離れたら救いの縁は断たれたも同然(地獄堕ち)
残念だが、堕地獄に恐怖している以上、会に固執するしかないだろ。
524 :
名無しさん@3周年 :03/07/04 21:29
もしかして短小コンプレックス? ↓ ∧_∧ ( ;´∀`) BIG大好きです。 人 Y / ( ヽ し (_)_)
今日は何の日? S会。
誤飽和の内容は?
527 :
親鸞会はカルト :03/07/07 07:13
>>523 >・会以外に真実の教えを説いている団体はない
これが間違い。
1)団体に帰依するのでなく法に帰依するのが仏教のイロハ。
2)「○○以外に××はない」=「××であるのは○○のみである」(対偶)
→どうして自分ですべてを当たってみて調べた事すらないのに、
「真実の教えを説いている団体は親鸞会のみである」といえるのか?
3)「真実を説いているのは団体である」という考え方は完全に思い込みに過ぎない。
本願寺だって、そりゃあ、批判されるべきところも親鸞会並みに(w
一杯あるんだけど、本願寺の誰も彼もが、親鸞会でいっているように
「念仏称えていれば、死んだらお助け」
とか、無力念仏のみ勧めているわけではないことは、
少しでも自分で調べればすぐに分るんだけどね。
>>527 s会の連中は、s会もまた丸太って事に気づいてないか、
考えないようにしてるんだろう。
仏教は唯一絶対の法だが、親鸞会が唯一絶対救われる会ではない。
529 :
名無しさん@3周年 :03/07/08 00:51
ジャヌソに、見かけない人がきたけど、 第二のソシオ? ずっぽりって何さ。
530 :
名無しさん@3周年 :03/07/08 01:00
>>529 ほっとこ。
それより、通行人こなくなったね。
531 :
名無しさん@3周年 :03/07/08 01:21
>>530 実名だとしたら、やばいんじゃん、って思ったから。
実名出すのは、ご法度でしょ。
>>530 > それより、通行人こなくなったね。
「十九願必要ない」と聖教に書いてあったから、全身から気力が抜けて
生きてい力を失ったんじゃないの?。
親鸞会がインチキ宗教だと分かって、首でも吊ってるかもね?。
533 :
名無しさん@3周年 :03/07/08 13:34
534 :
名無しさん@3周年 :03/07/08 20:03
>>533 ソシオ?
あいつも最近こないようだけど大丈夫かな。
535 :
名無しさん@3周年 :03/07/08 23:28
議論しあったりするならいいけど、 ジャヌソのような場所に、きもい系の カキコは止めて欲しいね。
536 :
名無しさん@3周年 :03/07/08 23:49
>>535 きもい系がカキコ始めちゃうと、その掲示板覗くのがいやになっちゃう。
でもね、きもい系の乱入は親鸞会にとっては都合のいいことかも知んない。
ジャヌソは軟弱な末端会員さん(会内から言えば教えがまだよくわかっていない会員さん=外から見ればMCが不完全にかかっている会員さん)には惑乱の種にしかなんないからね。
537 :
名無しさん@3周年 :03/07/08 23:50
2chは基準みたいのあるだろうけど、 普通の個人運営のHPで、実名だしたら、 訴訟に発展するのかな?
538 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 00:04
>>536 激同。
きもい系カキコするのは、どういう立場だろうと嫌だよ。
実名は、訴訟もんじゃないの?
539 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 00:06
>>537 実名出された本人が、それで精神に変調をきたした
なら、当然問題ありじゃん。
って、素人の漏れは思うけど。
540 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 00:17
>>538 あっそうか!
親鸞会がジャヌソをつぶすための作戦ってことか?
そういえば。まえに2chでM貼の不倫相手の実名が載っていたけど
どうもならなかったようだな。
541 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 00:22
>>537 実名を出しても一個人を限定したようなカキコでなければ、同姓同名ということもあるんだから、訴えることはまずしないだろう。
訴えれば自意識過剰とも見なされる。
たとえば、山田太郎さんという実名が出されただけで、山田太郎という名前の人が我も我もと訴えることにはならないだろう。自分以外の山田太郎さんの可能性もあるからな。
また、書かれた内容が該当する人の名誉を傷つけるものかどうかは該当者の主観の問題でもある。
自分が実名を出された人の立場だったら訴えることだろうか、と一度考えてみることが、とりあえずの判断基準になるのではないだろうか。
ただし、公共性の濃い内容であれば、個人の利益よりも公共性の利益が優先されるべきだろう。でないと社会的秩序は維持できない。
542 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 00:24
ジャヌソのあれね、、、 別にあれ実名じゃないんじゃない? いたずらでは? きもいことに変わりない。 s会は、そういう方法はとらないだろうから、 s会のせいにしようとしている、 なにか恨みを持っている椰子の仕業かもね。
543 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 00:37
まぁ、ニフのHPなら「しっかり」してるだろうから、 あとは、関係者に任せておけばいいだろう。
544 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 00:59
>>542 本人が名乗っている可能性はやはりないのか?それにしたところでわけがわからんのだが。
現役会員が脱会者を装ったり非会員を装ったりすることはありえるが、s会は組織としてはああいうわけのわからないようなやり方をしないようには思う。
ただし暴走会員であるなら何をするかわからないので、掲示板をきもい系色に染めて、貶めるか、からかう必要があるのかも知れないが、その場合でも、あえて実在しそうな名前をだす必要はないように思う。
からかい半分で書きなぐるにしても、チビ丸のような態度になるのではないかな。
545 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 01:05
>>544 会内超懐疑派海員か、
最近恨みながら脱会した元海員説に一票。
546 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 01:13
何にしても、ネット上で、ああいうのって、嫌だね。 仮に実名だとしたら、あれ見た人は精神的なダメージ 受けるだろうから。
547 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 01:13
ジャヌソの危機か?
548 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 01:16
変なことにならなければいいけど。
549 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 01:26
>>544 s会関係のHP(ここも含めて)で、姓・名ワンセットで発言者を
名乗ったのって、あれが初だから、ちょっと妙な気がしましたね。
まさか本人の名前とは思えないけど。。。
>>545 最近何かで恨んでやめた人間じゃないんですかね。
いま、雑談版はアットホームな感じで、あの名前だけちょっと・・・。
550 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 01:27
うーん、あれだけじゃまったく文脈不明だから、名誉毀損にも なりようがないと思うけど。その後カキコもないし、気にしすぎじゃない かな。 こうやって騒ぐ方が、かえってなんか誰ぞの思う壺のような気がしないでも ないが、どうよ。
白装束メンバーの「ジャバラーソ」がこのスレ主らしい。 ジャバラーソ!ガンガレ!!
552 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 01:38
そういや、GB の名前の椰子もいなくなったな。
553 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 04:18
>>550 そうだね。
>>552 同じ椰子だったりして・・・(藁
漏れは、最近ヤメタ学勇武印ってのに一票。
あ、もう騒がないほうがいいんだよな。
554 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 04:21
とはいえ、確かに、ジャヌソの雑談板入って見ると、 あれだけ みょ〜に、浮いてるというか、色も違うし(藁。。。、 きもいんだよな、「内容」が。
555 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 04:22
555げと
556 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 04:25
なんにしても、実名なら やばい ことだよ。 迷惑だろう。
557 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 22:51
「どうせ善などできないが」という前提で何をやっても、修 諸功徳などにはならんのです。これは仏教の常識です。絶対他力の体系を のもとで、自力作善を「どうせできない」といいながら目指すなんて、そ りゃあろくな結果にならないのは当たり前です。筋目が通らない教義を無 理矢理受け入れると、人間性がゆがんでいきますよ。
558 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 23:03
聖者もする善を自分も目指すと力説しながら、親鸞会の人は自分に甘す ぎるのではありませんか。「善ができない自分を知らされる」ために、人 々に苦痛や損害をかけてもお構いなしなのは、所詮善などできないという 前提で行う善のマネゴトにすぎないからです。人間の本性からいってもそ うなるのは無理もありません。その意味では会員さんにたちに罪はないと も言えますが。そういう善のマネゴトを内輪でやって自己満足している分 にはまだいいが、他人を巻き込まないでください。自覚されていないかも しれませんが、それは「善ができない自分」の懺悔ごっこに他人を使うと いう行為です。はっきり言えば、それはひどく甘ったれた精神ですよ。
559 :
名無しさん@3周年 :03/07/09 23:08
善をするフリ→当然失敗→「ああなんて私は罪深い」 阿弥陀仏に対して自作自演、(・A・)イクナイ
一の会スレに完敗のココ。
562 :
名無しさん@3周年 :03/07/11 00:26
>>561 ココは法論スレだから、DQNなバリ会員が書き込まないと、伸びない。
一の会スレでも本スレ以外に法論スレとか作ったら同じようなことになるんじゃないかな。
もっとも位置の下位では会員数が知れているから、現役が乗り込んで可能性は少ないように思う。
ほんと細菌減益粉稲。
本スレにはおかしな原液(仔牛臭いの)が来てるね。
565 :
名無しさん@3周年 :03/07/12 22:39
>>564 和合僧を破るような椰子は早く出て行け、という主張のようだ。
せっかく確保した多くの新人さんたちをたった一人の退会によって、ぞろぞろと辞められて失ってはかなわんからだろう。
ダミー勧誘で頑張って新人を集めた人か、学担講師だろう。
気持ちはわからんでもないがな。
566 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 10:19
>和合僧を破るような椰子は早く出て行け、という主張のようだ。 来る者は拒まず去る者は追わずのつもりなんだろうけど、親鸞会らしい無慈悲 な発言だよな。「来る者は拒まず」のところですでに嘘つき勧誘やっているん だから、どうあがいても自己矛盾にしかならない。だから、お前なんかいらな い、「聖使命」(藁の邪魔すんな、みたいな言い方になってしまう。 そうやって選民意識にすがりつくしかないんだろうな。その程度の仏教理解だ からなあ。
>>565 「他の人を道連れにしないでくださいね。」
という部分にやめられる不安をさらけ出しているのがなんともw
568 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 20:06
ジャヌソに、また実名カキコがあるな、 でも、あの名前はどこかで目にしたことがあるような。。。 本人なのかな?? 本人でなかったら、まずいよな。 あと、水芭蕉とかいうのも新手できてるな。
569 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 20:18
>>568 あーいたね、同名の人。あんまりよくないね、ああいういたずらは。
あと水芭蕉か。。。にしても、ホント毎度毎度のパターンだよな。
改印であることを隠す必要がどこにあるんだかw。
570 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 20:25
>>568 >>569 あっ、またかって感じ。
ジャヌソ雑談版の水芭蕉って、見えみえの工作員なのだが、
本人は尻尾がしっかりみえていることに気づいていないんだろうね。
教義論争やって通行人みたいに何もいえなくなるのを避けたいのかな?
で、第三者を装うという罠。
571 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 20:36
>>568 あの実名カキコの内容って前後と脈絡ないし、
以前の実名カキコした香具師と同一かもね。
デンパの仕業と思いたいが、もしもジャヌソ対策の工作員だとすれば、
最も卑劣なやりかただと思ふ。
572 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 20:41
家○の絆なきあと(まだ過去ログは元気だが)、 貴重なHPだからね、ジャヌソは。 実名カキコで、変なことになったら、大変。 前回のは知らん人間だが、今回のは、本人なのか? もう実名はやめろ、といいたい。
573 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 21:12
実名書いた人、本人さんならいいんだけど、 他人なら、責任とる覚悟はあるの?
574 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 21:12
上は、ジャ○ヌのことね。
575 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 21:28
>>572 前回のも知っている人物と同姓同名だった。
実名出したいのなら、せめて歴史上の有名人にしたほうがいい。
といっても、子孫の人が文句を言うかも知れないけどね。
576 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 21:39
>>575 そうだったのか、知らなかった。
今回と同じように、会の子牛の人?
577 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 21:50
子牛本人が自らカキコしてるのかな?? どうなんだろ・・・。
578 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 22:44
>>575 s会の人間じゃないだろ、
漏れは知らん。
579 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 23:10
子牛の名前にしたところで、本人以外の人間が もろに実名だして、騙るのはやばいっしょ。
580 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 23:17
ヨモギ > 全人類の救われるただ一本の道(弥陀の本願) を伝えている団体を非難する行為は、たいへん重い罪だ ということに皆さん早く気づいていただきたい。 (2003/07/13(Sun) 21:48:10)
583 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 23:37
次はどんな実名でくるんだろ。 もう止めろ〜
584 :
名無しさん@3周年 :03/07/13 23:44
最近のジャヌソには、故意に立場を グレーゾーンにして、発言するのがいるな。
585 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 00:09
586 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 01:37
587 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 02:39
588 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 05:42
>>576 ジャンヌの掲示板の内容、流れからすると、Sとしてはつぶすしかない存在になってきたのではないかな。
もし実名を出している椰子の目的がジャンヌつぶしであったら、これ以上、実名について詮索することは危険。
589 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 06:58
>>583 ジャソヌつぶしとどう関係するのかはわからんが、
これまでの傾向からすると会でもマイナーな人物の名前が
使われるものと推測される。
会を牛耳っているような著名人は敢えて使わないんじゃ
ないだろか。
590 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 07:13
591 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 12:09
>>588 女子牛の名前をs会側が出すとは思われない。
よって、懐疑派のいたずらだと思うぞ。
592 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 14:49
>>588 詮索することが危険なのではなく、
実名カキコをすることが危険。
593 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 16:56
>>592 実名カキコが他人によるものだったとしても、
具体性がないので、
あれでは訴えようがないのでは?
「たまたま思いついた名前であってあなたのことではない」
という言い逃れができそうだ。
詮索してあれこれ述べていく中で
実名であげられた者の
名誉毀損とかが発生するように思う。
もちろんモラル上の問題はあるので、実名カキコはダメよ。
594 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 18:01
>>593 あれカキコした椰子、分かってんのかな?
595 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 20:52
ジャヌソのSA氏と〇ん?暴マン氏の法論、さっぱりわからねえよ。 会でこんなむずい議論できる椰子って1人でもいるのかねえ?
596 :
名無しさん@3周年 :03/07/14 21:23
>>595 漏れもよく分からんが、素人ながら読むと、
SAさんは、二種深信とならせる(?)弥陀の本願の働きに、
〇ん?暴マンさんは、煩悩具足の凡夫という点に、
それぞれ中心をおいて信心を語っているんじゃないのかな。
同じじゃないの?そんな簡単なものでもないのかな?
>>596 ありがとう。
「機法二種深心」の裏表である、
機の面を強調して説くか、
法の面を強調して信を語るってことかな?
なかなか深い世界だなあと思う。
SAさんってどなたがお師匠さんなんだろう。
ちょっと気になる。
598 :
名無しさん@3周年 :03/07/15 00:07
>>597 う〜ん、なんというか、あまり教学は詳しくないので、
深入りしたくないんだけど(藁、
SAさんのは、機法二種深心から信心のすがたを語っていて、
〇ん?暴マンさんは、機の深信にも、なんとも思わない
煩悩具足の凡夫のすがたを語っているんでは?
599 :
一休さんの話どうよ? :03/07/15 01:02
義滿公は、今度はお庭の松樹(まつのき)をお指しなすつて、 『如何(どう)だ一休、あの松樹は曲(まがつ)てるが、眞直(まつすぐ)か。』 と仰有(おつしや)いますと、何と思つたか一休、 『左樣でございます。あの松位眞直(まつすぐ)なものは御在(ござい) ますまい。』と、申しますから、義滿公は不思議に思召(おぼしめし)て、 『あの松は、あの通り、曲り屈(くね)つて居るものを、何と思つて其方は、 眞直だと申すのだ?』と、重ねてお尋ねに成りますと、一休は眞顏(まじめ) になつて、『さうです、大層曲り屈(くね)つて居りますが、その曲り屈(くね) つた形を、曲り屈(くね)つたまゝに見せて居りますから、まことに正直なも のでござります。 世間には、隨分曲り屈(くね)つた者でも、外面(うはべ)を眞直に見せやうと 思つて、頻(しき)りに表を飾る者がございますが、それから見ますと、此松位 正直な眞直な者はございますまい。』と、憶面(おくめん)も無く申しましたか ら、義滿公は舌を卷いて、 『成る程其方は怜悧(りかう)な奴だ。今に定めし豪(えら)い者に成るだらう。』 と、頻りに感心なさいまして、それから又御褒美の品を、澤山賜つたといふ事で ございます。 なんだか親鸞会で聴いた話とだいぶちがうようだ。義満公が蓮如上人になって いなかったっけ?
600 :
一休さんの話どうよ? :03/07/15 01:05
思い出した。 蓮如上人だけが一休さんの出した問題に答えたとかいう話だった ような気がする。そしたら立て看板に本願寺の蓮如は除くと書いて あったという「おち」だったんだよな。
ダミーサークル使ってるs会は それぐらいのウソは朝飯前だから・・・
602 :
まとめ(1/2) :03/07/15 02:29
信心決定した? SA していない 〇ん?暴マン している 信前の聴聞は宿善になる? SA なる 〇ん?暴マン ならない 信前の聴聞は自力?他力? SA 阿弥陀仏の御回向、または光明の照育(=他力) 〇ん?暴マン 自力 信心決定すれば、凡夫にも真実は分かる? SA 分かる 〇ん?暴マン 分からない
603 :
まとめ(2/2) :03/07/15 02:29
信後の聴聞は? SA 往生のためには不要(ただし、つもりの信心の恐れもあるため、その意味では重要) 〇ん?暴マン 重要 信後に法慢心の心は? SA 出ない 〇ん?暴マン 出る 高森氏は信心決定している? SA していない 〇ん?暴マン している(が信後の聴聞不足である) ある人が異安心であるかどうかは? SA 分かる(〇ん?暴マンは異安心である) 〇ん?暴マン 分からない 補足キボン
604 :
名無しさん@3周年 :03/07/15 02:56
605 :
名無しさん@3周年 :03/07/15 03:02
ジャヌソのデカパンって好感もてるよな 感情的なしこりがあると難しいかも知れませんが、 議論の姿勢の点でそれなりに努力して謙虚になれればいいですね。 何にしろ、悪しき法戦の歴史は新人太郎さんで終わりになればいいとは思っています。 たんぽぽさんの次回の書き込みまで温かい眼で見守ってあげてください。
606 :
名無しさん@3周年 :03/07/15 03:03
ところで、皆さんはパスポートをお持ちですか? パスポートをもらうときだったか、外務省から渡された小冊子には 「一人一人が外交官、日本の代表として恥ずかしくない行動をしま しょう」というような趣旨のことが記されていました。たった一人の 日本人の愚行がすべての日本人の評価、国全体の評価とされるこ ともあります。悪い印象として長く残ることもあります。もちろんそうし た評価は極端で不当なものであり不愉快な思いをいだくわけですが、 日本人を自覚したときには連帯責任を感じることもないわけではあり ません。 組織に属してメンバーとなった以上は、組織の外から見ればメンバー 一人一人が組織の顔です。会員ならば会則を唱和するときには、会 への帰属意識を覚えるとともに、会員であることの誇りを感じることが あるはずです。しかしその誇りも謙虚さと冷静さを欠けば、教えの正当 性を主張しさえすればそれで事足りるかのような破邪顕正になり、また そのように破邪顕正を理解しているかたもいて、残念ながら自己満足の 蛮行を見聞する結果となっています。会員としては自己の後生のみな らず他人の後生にまで思いをかけ、外部での会に対する誤解を解き、 会で教えていることの正当性を熱心に主張しているはずが、一メンバー のその熱心さが却って会全体が誤解されることになりがちなのはどうい うことなんでしょう。
607 :
名無しさん@3周年 :03/07/15 03:03
熱心さにもいろいろあって、熱心さに相手を思いやる姿勢があればいいのですが、 それがない場合、その熱心さからはストーカーからの不快感や恐怖と同類のもの を感じるものです。「私はあなたのことをこれだけ思って言ってるんだぞ」「謗法罪 で地獄へ堕ちたらどうするんだ? 心配してるから言ってるんじゃないか」という気 持ちはあるのでしょうが、これは自己満足であって相手への思いやりとは言えませ ん。相手の気持ちを慮っているのではなくて自分の気持ちをただ押し付けているだ けです。寝ても覚めても相手のことばかり思っている恋愛感情も相手の気持ちを全 く考慮しなくなったときに悪質なストーカー気質に変貌します。熱心であればあった だけ不愉快で怖いものになります。会員であろうがなかろうが、議論に熱心になると き、この熱い思いに謙虚さと思いやりがあるのかどうかで議論の雰囲気は全く違っ てきます。
>>602-603 他
おはようございます。最近、ここでは別名(祭り大好き、島国など)でお世話に
なってましたが、昔の名に戻って・・・・。ちょっと誤解があるようなので一言。
私は、別にSAさんと法論しているとか、しようとかいう積もりはありません。レス
の流れであういう質疑応答になったものと理解してます。今後とも気が向けば、自分
の意見出させてもらう積もりではいますが・・・。あと、私は、高森師が信心決定して
いるが信後の聴聞不足であると断定しているわけではありません。これだと信心決定し
ているかどうかは(完全には)わからないという後の部分と矛盾してきます。まあ、疑
わしいとかいうのは(特定の人ということなく)よく思うことではありますが・・・。
それと、信前の聴聞は「自力」だと言っているわけではありません。全ての仏縁が仏様の
光明の照育だと思います。ただ、それを信前に実践手段として捉えるのは自力の執心では
ないかと言っているのです。まあ、ともかく法論というようなものじゃありませんので、
そこのとこ誤解だと思います。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>608 〇ん?暴マンさんだ〜♪
強引な解釈でスミマセンでした…
↓修正
信前に、宿善になると思って聴聞するのは?
SA 聞法 は自力に入らない
〇ん?暴マン 自力の執心
高森氏は信心決定している?
SA していない
〇ん?暴マン 分からない(が、信心決定しているとしたら、自分の
体験にとらわれている点で、信後の聴聞不足ではないか)
いや、法論を煽ってるわけではないんですが(汗
>>608 煽りじゃなくて純粋にお聞きしたいのだが、
>信前に、宿善になると思って聴聞するのは?
>SA 聞法 は自力に入らない
>〇ん?暴マン 自力の執心
信前の聴聞は不要と言うこと?
ちょっとジャンヌへいくのはかったるいというか
あそこは話がディープすぎるので、ここで話をさらっと
聞かせてもらえるとうれしいな。
しかし、通行人は基地外だね。逆に言うとs会が基地外なんだけど。 >トラフィックの無駄使いはみんなの迷惑です。 って書いてるけど、通行人の書き込み自体ほど 無駄なモノはないよ。s会の会員じゃないなんて 100%嘘を言っていて、それを「方便」というのだから 呆れる。まさに「誠意がない」というのはここのことを 言うんじゃないのか。もうちょっと泥凡夫らしく懺悔でも あればまだ可愛いのだがね。
ちょっとした関係で親鸞会と関わった自分が、 興味本位から親鸞会の公式HPを見て思った事を勝手に書き連ねて去りたい @親鸞会は信心を纏める組織ではなく、親鸞会が信心という組織 少なくとも親鸞会あっての信心であって、その人の信心ではない A親鸞会員(人生の目的)は救われる、親鸞会じゃない奴(生き甲斐)は絶対に救われない 親鸞会の公式HPは親鸞会>他という選民思想を表に出しまくり (A)に反対だという奴は、親鸞会の教えを見直す事をおすすめする。 講演も聴かず、教学の勉強もせず、お布施も払わず、普通に生きて(生き甲斐で)救われる なら親鸞会の存在意義は何っていう話で B方々からの索引や記事の引用、自分たちに都合のいい解釈をしすぎ C目的も無く歩けない、目的が無ければ飛行機が墜落してしまう=人生も同じ (゚Д゚;)…ハア? 少なくとも高森は親鸞ではないし、親鸞会=親鸞の教え、ではない事は間違いない。 過去スレ10ぐらいを見たけれどデカパンさんみたいな考えのできる人が親鸞会側なのはそもそもの間違いとも思える。 個人の自由だからそこまではどうでもいいことだけど。 ここまで自分の思いを適当に書き連ねたので、反感も買うと思う けど知った事じゃない、公式HPを見て感じた正直な感想なんだから 途中で気分悪くなって読むのやめたけど
>>614 ちょっとの関係でおわってよかったつね。
ジャンヌやこちらには、仏法を軽んじている人が多いといいましょうか、 ちっぽけなことにこだわりすぎている人が多いですね。 自分の浅はかな愚かな自分の価値観、人生観ににんまりしている人ばかり。 どんな人をも生きている現在ただいまハッキリ救いたまう阿弥陀仏の救いが本当であることをお伝えしたいと思います。 全人類一人残らず本当の幸福に救いとろうと全力をあげておられる阿弥陀如来。 皆さんも、いつの日か、このことをハッキリ知らされれば「阿弥陀さま、申し訳ありませなんだ」と無二の懺悔せずにおれないはずなのですが。 弥陀の救いを伝えている人々を非難することは、自分だけではなく、多くの人を地獄にたたきおとすという大罪なのですよ。 頭だけでもこのことをわかって、今後は弥陀の本願を伝える人を非難する言動を慎まれる人が増えればと思います。
618 :
名無しさん@3周年 :03/07/16 23:31
通行人はもっと天然のアホ(爆。 よもぎとやらではないか。
他人の後生ではあるまいに、何故に、解決のつくまで、求め切らないのだろうか。 導く者が悪いのか。求める人がいないのか。 噫…いかに宿善まかせとはいいながら……。 人はみな、大狂人だ。 大馬鹿者を出せと言われたら、自分を知らない者を出せばよい。 なぜ、無限の生命と、無辺の空間に、雄飛する魂を、求めようとしないのであろうか。 かげろうは明日を知らず、セミは春秋を知らない。 過去世も未来も知らず、生々世々、六道を水車のように流転しながら、それすら知りえない我々は、大馬鹿者だ。 一日さえ楽しめば、あとの何百日、どんなに叩かれても、苦にせぬという者はあるまい。 後生知らずば、それよりも愚かなこと。 一文おしみの、百知らずだ。 危ない命を、大丈夫と思うのは、黒いものを、白いものと思うような、間違いである。
620 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 00:26
>なぜ、無限の生命と、無辺の空間に、雄飛する魂を、求めようとしないので >あろうか。 なぜったって、証拠がないからなw。紐がついているかどうか確認しないで バンジージャンプする馬鹿はどこにもいないだろ。 「絶対大丈夫」と言い張るあんたみたいな椰子だって、じつは 飛んだうえで言ってないってことを、みんな知ってるからな。 あんたみたいなのを、無責任野郎って言うんだよ。自分で飛んでから言え。
弥陀の救いが本当であることの証拠はたくさんあります。 経典の御文、歴代の善知識方のお言葉、妙好人の言葉等。 弥陀に救いとられた世界は一貫しています。 ま、あなたのような方ならば、昭和、平成の生き証人、妙好人の方から直接、話を聞けば一番いいのかもしれません。 あなたには、今までなかなかそのような方々とのご縁がなかったのかもしれませんが。 話を聞けば、その二種深信の世界に圧倒されるはずです。 いや、圧倒されないかもしれません。 おそらく、その話すら疑われるでしょうから。 我々愚かな凡夫の思慮の到底及ばない不思議な世界ですからね。 結局、猫に小判、豚に真珠なのです。 しかし、そんな仏法を聞く気のさらさらないあなたを本当の幸福に救わんと全力をあげておられるのが阿弥陀如来です。 いつの日か、なんとかわかってくださることを念じあげます。 早ければ早いほどいいのですが。 なぜなら、臨終に知らされては手遅れだからです。 ま、ほとんどの人は、臨終に知らされるのですが。 「この世のことは、いくらもがき頑張っても何も残らなかった、夢、幻だった」と臨終にやっと気がつく。 考えてみれば、悪業以外で残るのは、仏縁だけじゃないでしょうかね。
上記の文は620氏への返答です。
623 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 01:54
狂信者にはつける薬がないなw。あんた、信心決定してないんだろ。 最低限、してから言えって言ってるの。それで俺が信じるかどうかは 別問題。とにかく嘘つきは嫌いだって言ってんの。分かんねえのか、 日本語が。 あんたらみたいな嘘つき集団に、二度もだまされるほどお人好しじゃ ねえや。
>仏法を軽んじている人が多いといいましょうか 仏法じゃなくて、s会をというのならわかるが。(w
625 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 05:18
>>619 また会長のコピーロボットが出現したか。
鼻を押してやれば元に戻るかな?
626 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 05:40
>>616 >自分の浅はかな愚かな自分の価値観、人生観ににんまりしている人ばかり。
典型的な会員さんは、そうやって自分の信じているところの価値観、人生観を人に押しつけていく。
自分の信じているところの価値観、人生観ににんまりして酔いしれている人ばかり。
死んだ事の無い者が死を語る事の無責任さ。 阿弥陀如来があって信仰があるのではない、信仰があったから阿弥陀如来が象られたのだ。 所詮、人の造った者の浅はかさよ。 教えというのは後々から体系化された考え方で、時代のニーズに合わせて替えられていて 「そんな事は無い、我々は古来から伝わる経典を用いているのだから」と言ったところでその「解釈」のされ方が変わってる。 教えなんて自分が救われればいいように出来ていて、宗教系統の組織はそれをより簡単に都合よく「提供」する。 その見返りに村から米を分けてもらったり、金持ちから保護されたり布施を貰ってる、と。 >しかし、そんな仏法を聞く気のさらさらないあなたを本当の幸福に救わんと全力をあげておられるのが阿弥陀如来です。 >いつの日か、なんとかわかってくださることを念じあげます。 こういうおせっかいな態度で押し付けがましいのは教えとは言わない。 「しかし、そんな仏法を信じて他に目を向ける気のさらさらないあなたが本当に少しでもいいから利口になって欲しいと全力はあげてないが忠告してるのが何処かの誰かです。 いつの日か、なんとかわかってくださることを念じあげます。」 貴方が人にそう言うなら何を言われても素直に聞き入れましょう、無理だろうがな。 「信じるものは救われる」 たとえ詐欺で買わされた100万の壺だろうと、買った奴が幸せになったと信じてればOK だからS会の教えが云々の問題じゃあない勝手に信じてりゃいい、 ただ(自分から)来るものは拒まず・去るものは追わずであるべきところを 自分たちの実態を隠し・学生を騙し自分たちに取り込み、たとえ短い期間であろうと彼らの自由を奪おうとするその行動 Tさんが救われたからといって、貴方が救われる保証なんて何処にも無いのですよ。 Tさんが救われたことを証明できるのが、Tさんしかいないのだからね。 FさんもTさんが救われたと言っていますなんてのは証明にならんさ。 はいはい、勝手な事を言ってごめんなさい、グッバイアディオス、 皆様方(特に同朋さんとか?)が幸せである事を望んでますよ。いや、まじでね。
628 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 19:51
あをいファン=現s会員でした。 ハンドル変え忘れて再投稿するところを見ちゃった。 まあだからどうってことないんだけど、4へぇくらい。
629 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 20:53
630 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 21:09
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇっ〜!!! いや、しかし、ありえんだろ、、。??
631 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 21:34
お、13へぇになってる(笑。 >いや、しかし、ありえんだろ、、。?? まったくどーでもいいけど、ちょっと虚をつかれるトリヴィアなネタだった でしょー。
632 :
名無しさん@3周年 :03/07/17 21:35
あ、ネタだけど事実です。
634 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 00:38
>>633 横レスだが。
たぶん、そうだろうね。
前の、SAさんとのやり取りのときの、幼さからすれば。
それにしても、元s改印さんって、すごいね。
>>634 633だが、ありがとう。確かに小山内って感じね。
636 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 01:20
ジャヌソより引用。元s改印さんのレスです。 秀逸なので、コピペさせてください。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ たとえ自力であっても「自余の雑行・雑善に心をばとどめずして」 という意思なくして、阿弥陀様が捨ててくださる道理がありません。 信前の衆生が「ただ信をとれ」という善知識がたの御教示に対して、 たとえ自力であっても「信を頂きたい」=「一心一向にたのむ身にな りたい」=「自余の雑行・雑善に心をばとどめずという世界に出たい」 =「一念も疑心なく信じまゐらせたい」という意思がなくして他力信を いただける道理が無いのと同様です。
637 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 01:22
ジャヌソより引用。元s改印さんのレスです。 秀逸なので、コピペさせてください。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 十九願の「諸々の功徳を修し」は、「まねごと」や「もどき」の 諸善のことをいっているのではないのですよ。大乗仏教の 常識であるところの、般若の智慧に基づいた三輪空寂の伴う 善のことであって、そうでなければ回向されませんよ。 十九願の如実修行とは、真の諸善を積んで臨終正念に勝負を かけ、来迎を待って化身土往生を目指すことですが、あなたは 実際にそのような心掛けで修行なさっておられるのですか? あなたは「善根」のできない身であることを聞かせていただいて ないのでしょうか? もしあなたが十九願の如実修行ができるところの定散の機類で はないことを諦観なされたとすれば、あなたはもとより十九願の 入り口にすらはいっていないことを自覚するべきでしょう。
638 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 01:24
639 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 01:24
640 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 02:37
641 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 02:55
>>640 工作員?
だったらどう正しいのか説明してくださいよ。
642 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 02:59
>>641 面倒だから、パス。
自分で読んでみん。ばいばい。
643 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 03:01
>>642 それでも、おまえは親鸞学徒か!
破邪顕正せざるものは仏弟子にあらず。
仏法中の仇は和合僧を破る五逆のものなり。
645 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 03:11
失礼しました。 「なぜ生きる」を読んでみてください。 それでは。
646 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 03:22
現s改印出没?
647 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 03:25
ジャヌソの三大法論 459氏 VS 新人太郎氏 SA氏 VS 現s会員氏 元s改印氏 VS 現s会員氏(現在続行中)
648 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 03:29
この現代に、このような法論が起きること自体、 奇瑞でしょう。 意義深いことです。
649 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 03:31
>>645 「なぜ射きる」って、そんなにいいのかい。
650 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 03:33
>>649 あれは、読める人と読めない人がいるタイプの本だね。
651 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 03:35
652 :
名無しさん@3周年 :03/07/19 08:07
>>645 情けないなぁ。
けどお年寄りの会員とか会員歴の浅い会員でいるな、こんな椰子。
自分ではうまく説明できないから、センセーの誤著書を勧めるっていうのが。
654 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 15:08
今年の安居は大荒れです。現世往生派工作員が暗躍しています。
655 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 23:07
654さん、これ何のことなの ちょっと説明してよ
656 :
名無しさん@3周年 :03/07/20 23:25
ジャンヌ雑談板スレ番409の末尾… 居ない人間を悪し様に言うのは如何なものかと。 フォローしてる元s改印さんは大人だなぁ
658 :
s会はカルト :03/07/21 05:58
団体内でしか通用しない論理を「真理」だと盲信して、他人に対して強要する 害毒を流し続ける体質を何とかしてもらいたいね。
659 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 07:18
>>658 これは熱くなった会員が他と論争するときの姿勢ではあるなぁ。
でも団体外でも通用する論理だと強く思っているからこそ、多くの人々に声をかけて勧誘しようとするんだから、この体質はどうしようもないなぁ。
無間地獄の恐怖で煽られたからにしても、一つ一つ納得しつつ導かれたという思いがあるので、すでに入会した者は強要されたとも思っていないことだろう。
だから論争上でも団体の論理で押して議論において無理やりでも会の勝ち宣言をしておけば、周囲の人には時間がかかっても必ずわかってもらえると思い込んでいるものだ。
660 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 10:56
通行人ってまたジャヌソに出没してるけど、 あいつってホントに龍大の学生とはとても思えんな。
661 :
名無しさん@3周年 :03/07/21 12:26
まあ籍は龍谷にあるのかもしれんが、活動漬けで大学での勉強はなに一つ しとらんね(w。親鸞会の「真宗学」しか勉強した経験がないのは見え見え。
662 :
通行人見てる? :03/07/21 18:23
>>661 おまえ、T森を反面教師として、もっとまじめに真宗学を勉強しないと駄目だよ。
ぜんぜん龍大のテイストが感じられないぜ、おまえ。
T森のように若いころに間違っちゃったら、意地と我慢で途中修正がきかなくなるよ。
おまえ若いんだったら、もっとしっかり勉強しろよ。
龍大のテイストを感じさせる書き込みができたら、マア、許してやってもいいぜ(藁。
通行人降臨期待あげ。
664 :
名無しさん@3周年 :03/07/22 06:12
>意地と我慢で途中修正がきかなくなるよ。 漏れもこんな感じだと思うよ。 結局、彼の失敗は勉強不足に尽きるよ。 しっかり勉強してたら、S会など出来なかったと思うけどね。
666 :
名無しさん@3周年 :03/07/22 19:53
↓山崎渉 \煮るぽ(^^)/ ∫ ∫ ∫ ∫ 熱いよ、熱いよ、  ̄ ̄∨ ̄ ̄ 。 ∧_∧ 。 ウワァァァン!! (⌒⌒⌒) ,゚。ヽ(#`Д´)/)γ゚。・ |____| .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ( ・∀・) |;;;;; ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ;;;;;;;;;; | グツグツ ( ) \______/ │ │ │ ‖ヾ;从;从;;从ノ‖ボーボー (__)_) | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
667 :
名無しさん@3周年 :03/07/23 03:31
「なぜ異きる」○森○徹 監修 この程度のくだらない本を、しかも監修した程度で、 会員が「会長の出世本懐」などといいだす始末。 主著のない善知識など今だかつていただろうか? え?どうよ?会員さん。 平成の善知識などと自称(他称)するなんざ、 蓮如さんも、親鸞さんも、浄土でさぞかし呆れてるだろうね。
平成のぜんじしきアゲ(爆
669 :
名無しさん@3周年 :03/07/24 00:58
T森さんか・・・。 あんな教学がない人でも、もっと教学がない改印にはぜんぢしきに 見えるのだろうねえ。だから、悪業重ねた活動しても平気だし、指 摘されても意味が分かんない。困ったもんだ(w。 あの会では、T森さんを越えることができないので、そうなるのも 当然なんだが。
親鸞会が売りつけるアニメビデオは高い!今どきハリーポッターのDVD でも3980円だぞ!1万数千円の定価販売は儲けすぎ! 龍谷大学卒の高森会長は最近、本で儲けているではないか? 親鸞会という教団名は隠して、癒し系の本で大もうけしようというアイデア は経営学的には◎。しかし宗教者としては×。 それにしても親鸞会は顕正会の真似みたいだのう?
671 :
名無しさん@3周年 :03/07/24 01:43
親鸞会=念仏愚連隊 顕正会=題目珍走団
>>670 知ってるかどうか分からないけど、あのアニメって販売員にバックマージンが
あるんだよ。確か1万くらいあるんじゃないかな。
会員はさ、アニメ頒布して金儲けながら、仏教広めて宿善も積めるって一石
二丁みたいな怪しげな事やってるんよ。
こんな商売みたいな事、おかしいと思わないかね。
673 :
名無しさん@3周年 :03/07/24 09:20
>>672 そうだよな。
異常に高すぎると思った。要するに子牛の生活費ってことか。
法施したいなら、ネットで無料公開すればいいんだよね。
そして、ただで、そのアドレスをATで教える。
これなら「本当の親鸞聖人のみおしえが」広く伝わるぜ。
バックマージンつきなんて、たんなるたちの悪いセールスじゃん。
いよいよまともでないな、s会。
>>673 >バックマージンつきなんて、たんなるたちの悪いセールスじゃん。
>いよいよまともでないな、s会。
たちが悪いと言えば、そんなバックマージン制にも関わらずノルマが沢山で
さばき切れない幹部が在庫を沢山抱えてしまう現状、まあ、バックマージン分
を考えれば被害額はたいした事ないかもしれないが、阿呆らしいよな。
こういう事を会内で言おうものなら、多分除名だよ。あそこは当たり前が通用
しないからな。。。
商売という図星な指摘をするとT森はすげーきげんが悪いんよ。
お金で少し笑えるのが会場には故○松氏の書が沢山飾ってあるけど、あれ
なんか、○松氏に特別手当を渡す名目で確か50万単位で支払いしていた
と言う話しだったな。
この辺もS会独特の感覚で、驚いたりするよな。
>>670 >それにしても親鸞会は顕正会の真似みたいだのう?
というか、両方共、層化●会の発展期をイメージしてるから似て
いるんじゃないですかね? まあ、顕○会の方は、昔日蓮◎宗法華
講内に第二の層化みたいなものつくろうとする動きがあって、●観講と共に、
その副産物であるみたいな波木井さん(日蓮宗の有名コテハンさんで、2ちゃん
では、創価公明板や自然災害板!、この板では、日蓮正宗系のスレによく出没な
さってます。他サイトの掲示板その他でも御活躍中)が何度か解説下さっていた
と思います(間違ってたらすいません。こちらにも御降臨訂正キボンします)。
まあ、だから創○と顕×の関係は、どちらかといえば、(規模こそだいぶ違いま
すがw)○鸞会と一×会の関係に近いかな?って感じですね。阿含○とオ●ムの
関係も似てるように思います(まあ、オウ◎には、G◎Aの流れも入ってるみた
いですが)。まあ、真如◎といい、降伏の●学といい、発展期の層化から組織論
を学んでるとこ多いみたいですね。親●会も、昭和30年代開教ですから時期的
にはかぶりますね。
>>675 の補足。
降伏の●学は、もっと新しいですが、幹部に元層化の中堅幹部がいるという
情報ありますね。s会幹部にも、そんな人いるのかな? オ◎ムの元幹部に
も元層がいたみたいですね。
話は違いますが、日蓮正宗といえば、「教義撫で斬りスレ」に、20年 以上前に、妙観講の大草氏と、正宗僧侶で、学者である花野充道師(当時は、 まだW大の院生だったかも。学者としては、本願寺派の佐藤哲英師の御弟子 に当たるのも皮肉ですが)とW大の「歎異抄研究会」が法論して、大勝利した みたいなレス(正確には他掲示板からのコピペ)あったんですけど、これって (「歎異抄研究会」)ってs会のことでつよね?
678 :
名無しさん@3周年 :03/07/24 23:45
そうそう。 アノ頃。阪大でも負けたようなもので、W大でも負け。 s会の知的レベルはS会以下というのは、泣けてきたよ。
親鸞会は邪教です。目的は金儲けだけ。その証拠にしつこく勧誘に来ていた 人に「私は実は難病で失業中です、貯金も使い果たして多額の借金があります。 親鸞上人はこんな私でも救ってくれますか?」と言ったとたんパタリと来なく なったもん!
>>669 >悪業重ねた活動しても平気だし、指
>摘されても意味が分かんない。困ったもんだ(w。
激しく同意。
682 :
名無しさん@3周年 :03/07/26 19:57
>>679 難病で失業中、貯金もないんじゃ、会の活動は無理だと判断される。
カルトはどこでも一緒。障害者もいないんでしょ。
684 :
名無しさん@3周年 :03/07/27 11:40
>>683 足を痛めている人のための椅子席はあったな。障がい者席というよりも老人席化しているが。
>>684 老人や病人でも、多額のGHSをしてくれるおかたに限って
特別扱いとなっています(・∀・)。
686 :
名無しさん@3周年 :03/07/28 01:57
>>682 >
>>679 >難病で失業中、貯金もないんじゃ、会の活動は無理だと判断される。
そう、まさにこの点においても
「会の活動が出来ないものは救われない」
というs会の思い上がりが如実に現れている。
だから辞めていって会の活動をしなくなった者には「敗残者」などと平気で言う。
687 :
名無しさん@3周年 :03/07/28 16:48
「会の活動ができないもは救われない」という間違った教えがあるので、 「会の活動を一生懸命やっている人はひとりも救われていない」という冷厳な事実が存在している。
688 :
名無しさん@3周年 :03/07/28 19:17
>>687 納得。
助かると思って一生懸命やっている人はお気の毒ですたい。
689 :
名無しさん@3周年 :03/07/28 22:28
対偶をとれば、こうなるな。 「救われている人」とは、「会で活動をしていない人」ということ。 この真理に存命のうちに気付いてほしいものだ。
690 :
名無しさん@3周年 :03/07/28 22:48
あはれあはれ存命の中に皆々信心決定あれかしと、朝夕思ひはんべり。 まことに宿善まかせとはいひながら、述懐のこころ暫くも止むことなし。
691 :
名無しさん@3周年 :03/07/28 22:56
だから、690は信心決定していないんだろ そこのところを誤魔化してえらそうなことをいっても自分の後生は誤魔化せないぞ
692 :
名無しさん@3周年 :03/07/28 23:20
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)<
>>691 オマエモナー
( ) \________
| | |
(__)_)
693 :
名無しさん@3周年 :03/07/29 00:00
ジャヌソ大丈夫かよ。 相談者のおかげで、脱会相談所になっているが、 2chでやればいいのに。 つぶされるネタにならなきゃいいけど。 あのHPしか残ってないもんな。
ここも商売うまいねえ。癒しブームになれば、すぐに教団名隠して 癒し本を一杯出すんだもん。 高森教祖は何歳?もう相当歳だろう。ここも息子が世襲するのかね? 金正日体制と同じなんだ!
>695 きっと可愛い女の子が多くなるに違いない(*´Д`)ハァハァ
696 :
名無しさん@3周年 :03/07/30 14:56
まず世界在り、生命在り、人が在り 人に男在り、名をTとする 男は言った「我を救いたまえ」 男の中に、神が生まれた
本スレみたくこっちにも原液降臨しないのかな?
698 :
コピペ推奨 :03/07/31 20:07
弥陀の救いは万人平等のはずだが
親鸞会では難病で失業中、貯金のない奴は救われないらしい。
親鸞会は所詮、ただの金集め集団。
679 名前: あのね 投稿日: 03/07/25 00:02
親鸞会は邪教です。目的は金儲けだけ。その証拠にしつこく勧誘に来ていた
人に「私は実は難病で失業中です、貯金も使い果たして多額の借金があります。
親鸞上人はこんな私でも救ってくれますか?」と言ったとたんパタリと来なく
なったもん!
682 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 03/07/26 19:57
>>679 難病で失業中、貯金もないんじゃ、会の活動は無理だと判断される。
699 :
名無しさん@3周年 :03/08/01 07:56
>>694 74歳くらい。
驚愕聖典には他宗の開祖の年齢が列挙してある。
現在の平均寿命を考えると100歳を超えれば、
善知識としてのハクがつくというもの。
まだまだ長生きする必要があるから大変だ。
700 :
名無しさん@3周年 :03/08/01 07:58
701 :
名無しさん@3周年 :03/08/01 08:19
>>698 確かに仏の慈悲は苦のある者にはたらくし、
阿弥陀仏の本願は十方衆生が相手ではある。
しかし、会員には、あらかじめ「仏教を聞けない人たち」ということが
想定されている。
たとえば驚愕テキストには、八難が出されていることからも
想像されるように、
この場合「苦にせめられて聞けない」ことに該当する
と会員たちは判断しがちなので勧誘の際には切捨てることになる。
といっても、「楽におぼれて聞けない」人の場合で金持ちが対象の場合に、
勧誘に力が入ってしまうことがあるのは、
誤報謝を募った場合、たくさん出してもらえることが期待されているからだ。
結局は、仏の慈悲とは違って、会にとって都合がいい人かどうかで判断されることになる。
702 :
名無しさん@3周年 :03/08/01 11:02
>>701 仏と違って、宗教団体は宗教活動をするためには経済的な基盤が必要になってくるからお金を必要とし集めることには正当性はある。
ただし、御放射とかをサンガン転入の解釈でもって救いと関係付けることは間違っている。
より宿善になるものとされる活動内容が会から勧められて、
会に御放射を必死に納めたことも人を多く勧誘したことも、
また、それを無視して全く御放射を納めなかったことも、
人を全く勧誘しなかったことも
信後にはどちらもが、
というよりも、
救われるまでのすべての瞬間において仏の導きでないものはないと知らされるのである。
救いのためにはプラスになるものが何一つなかったと知らされる内容には、御放射を精一杯したということだけでなく、御放射を全く出さなかったという行為も含まれる。というか、すべての自己の三業をさして救いの資助にはならないと知らされるのだから、
会での活動の行為のあるなしにあえて強くこだわって宿善を説くのは明白な誤りだと言える。
703 :
名無しさん@3周年 :03/08/01 12:19
>>701 八難って、仏教を聞けない人々のことですよね。
つまり救いにもれた人々ととっていいのかな?
どういう根拠があるのか知りたいな。
誰かしっておられたら教えてください。経典の根拠とか。
あと、八難って「十方衆生」に誓われた阿弥陀仏の本願に矛盾しないのですか?
唯除された人々っていうこと?
>>702 久々にわかりやすい意見だと思いました。
s会側の反論が聞きたいね。まあ、無理でしょうが。
704 :
名無しさん@3周年 :03/08/01 16:36
どんな人から攻撃されようと、微動だにもしない金剛心に早くなりたい‥‥ 皆さん、そう思われませんか? 迷いの六道は、いつまでたっても安心、満足がないですからね。
>>706 タレが、その微動だにもしない金剛心とやら
になってるの? もしかして犬○たん?
708 :
だましの邪教 :03/08/03 00:52
誰か本当の宗教を教えて下さい!こんな金儲け主義の 貧乏人・病人では信仰できない宗教ではない所を!
本スレマダ〜?
710 :
名無しさん@3周年 :03/08/04 23:52
712 :
名無しさん@3周年 :03/08/06 13:17
本レスに載った、会長のK光会のときの体験記。 きわめて重要な内容が記されている。 この重大さが他の人にはわからんのかな。 これでK光会から発行した「けじょうを越えて」もUPしてくれたら、たいへんありがたいのだが。
713 :
名無しさん@3周年 :03/08/06 13:45
>>712 >この重大さが他の人にはわからんのかな。
重大さがわかんないよ。
教学音痴にもわかるように説明キボンヌ。
714 :
名無しさん@3周年 :03/08/06 19:19
715 :
名無しさん@3周年 :03/08/06 21:30
あっしが説明してみましょう。 あの体験記は、本願寺によくあるとくにかわったことのないものです。その意味で伝統的といえましょう。 ところが、そのため少なくとも二点(おそらくもっとあると思いますが)、s会での説法内容と違っています。 一つは「親様」という表現を使っている点。もう一つは「一念」が強調されていない点。そのため、「すっきり、はっきり」なんていう表現もありません。 これらの点、特筆すべきことです。続く。
716 :
715です :03/08/06 21:34
体験記は、きわめて素直に仏敵やらk光やら伝統的な書物をよむことで回心が起こったことが記されています。 このように本人が18のときに救われたなら、なぜ自分が救われたことをもとにして、説法を展開していかなかったのでしょうか。 事実、初期には、実母やf松本部長をはじめ、獲信者がなんにんかあらわれたのです。 その後のことは、みなさんご存知でしょう。 すると、体験記とちがって「教学的」に正しかったはずの説法によって、救済への道が開けなくなったといえます。 続く
717 :
715です :03/08/06 21:39
どうしてこんなことが起こったのでしょう。 以前、K光関係者が会長は信後の聴聞がたりなかったと書いていました(おっと、こういうあっしはk光関係者ではないですよ) そのときに、その意味がよく判らなかったのですが、いま判然としてきました。 つまり、自分の救いの原理を深め、他者を真実へと目覚めさせる過程の中である種の「歪み」というべきものが生じてきたのです。 素朴だが歪んでいない体験記は、その歪みを教えてくれています。 続く
718 :
715です :03/08/06 21:44
その歪みはなぜ生じたのでしょう。 聴聞不足という表現をk光関係者はいいます。それもあるでしょう。 ここから後は、推論でしかありませんが、やはりかれの独特の権力欲・名誉欲があったと思います。 自分は救われた。他の人も救われて欲しいという気持ち。その気持ち自身は、正当なものでしょう。 ところが、なかなか多くの人は認めてくれない。なかんずく、一番、認めて欲しい本願寺からも煙たがれる。 次第に、自己の体験の絶対性を強調するように、隔絶した論理を展開するようになって言ったのでしょう。 続きはまた今度。
俺は、会長が天然惚けなのか、計算なのかに興味があるよ。 天然惚けなら、あまり責められない。要するに、基地外なんだから。 でも、もし計算で今の教学を作り上げたのなら、ちょっと ひどい事するなあといわざるを得ない。
720 :
名無しさん@3周年 :03/08/06 23:41
>>719 会長が獲信までにしていたことと、会長が会員に勧めている活動内容は異なっていることから、計算が入っていると思う。
721 :
名無しさん@3周年 :03/08/06 23:46
本スレより >夏休み数日前に、M君をはじめ数名の求道者諸兄の御指導を受け、 >半信半疑、なお私の心は悶えました。親切にも休暇中『仏敵』の >書をお借りして読ませていただき、また家にあった書物により、 >さらにまた○光をも送っていただき、次第にその迷雲も晴れ、 整理すると、 獲信に導く縁となったものは、M氏をはじめとする求道者諸兄、 『仏敵』、家にあった書物、送ってもらった○光。 どの様に起こったかというと、上記の本を読むことによって “次第に迷雲が晴れたように” 起こったんだそうです。
722 :
715です :03/08/07 00:11
どうもレスありがとさん。 「歪み」の正体はなにか。 一ついえるのは、黒板に書く、求道図。あれは精神の過程を空間化しているまちっがた図ですね。 親鸞の三願転入とはほど遠い。あのような一直線の図を書いて、獲信した「とき」を強調するようになったのはいつからか。
>>721 でも、昔の説法では布団を剥いで下の心と上の心が〜
というK光パクリの説法もしてたからね。
K光というか、真宗元来の譬えかもしれないけど。
このころは、まだ決定者が居たように思う。
いつの間にか言わなくなったね。
何でだろうね。
>>721 ああ、次第に・・・ってのは「一枚一枚布団を剥いでいって
主人の心を〜」というたとえ話の事ね。
725 :
名無しさん@3周年 :03/08/07 01:03
阿弥陀仏の救いは一念でなされます。 アッという間もない時尅の極促に我々の苦悩を抜きとり、無上の幸福を与えてくださいます。 これを抜苦与楽といわれています。 他力の信心を獲ると、火にさわったようにハッキリするものである というのなら、「○月○日○時○分、焼火箸を握ったようにはっきりした」 って書くんじゃないのか? 「次第に迷雲も晴れ」の表現には違和感を感じる。
726 :
名無しさん@3周年 :03/08/07 01:25
実時についていえば、いまだ御裁断の御書にこだわっているのが不思議だ。 s会の理屈からいえば、何分何秒はさておき、何時だということくらいは当然いえるだろうに。 『顕正』の時点で、さすがに実時の認識を否定したので、いまさらということだろうか。
727 :
名無しさん@3周年 :03/08/07 01:59
s会、一念覚知慰安人説が再浮上。
728 :
名無しさん@3周年 :03/08/07 07:32
>>727 しかも、K光会や本願寺と差別化をはかるために、意図的に「一念覚知」を強調
したと推察される。
やがて当時急成長していたS価の折伏式勧誘方式を模倣して、会員数を増やす為
に絶対の幸福だとか、破邪顕正とか、軍隊式組織を取り入れた。
その時点でやがて本来の教義は都合よくねじまげられていったのである。
そしてその「ねじまげ」を正当化し、場面を糊塗する理由は常に「真宗は衰退し
て存亡の危機にある。なんとか危機を打開しなくてはならない」であった。
こうして「人の多く集まり。威の大」なる組織、それゆえ信心決定者が出るはずが
ない教義を作り上げたのであった。すべては会長の不勉強が原因である。
そして、若い頃から会員連中に唯一絶対の善知識などといってヨイショされて
きたのをいい気になって黙認してきた結果、会の性格が実質的に「会長マンセー」
になった。いわゆる「豚も木に登る」ってやつだな。
伊藤氏やM井氏が高岡までやってきて諫めようとしたが無駄であったという。
更には自尊心は激しく肥大してしまい、自身の実質的な善知識である伊藤氏の
葬式にも顔を出さなかったという。
「上司の命令は善知識の命と心得よ」という軍国主義カラーは会長の趣味であり、
勧誘成績のいいものを上にあげる組織を作り上げた。弁論大会は信仰を表明する
場ではなく、会長に対する忠誠心を競う場となっていった。お勤めのご和讃の
「善知識にあうことも」なども、自分を神格化させるためにもってきたとと考えられる。
結論:「善知識だのみ」慰安人説も再浮上。
729 :
名無しさん@3周年 :03/08/07 07:48
>>728 神格化されていた会長の裏側を覗いてしまった。
会長は飼いならされたような会員たちの顔を見て隠し通せると思ったんだろうが、今日のような情報化社会になることまでは計算できなかったんだな。
730 :
715です :03/08/07 15:52
会長は、K光会をはなれていくとともに、ムシ独悟とでもいうべき、孤立の道を歩んでいった。 かれの獲信は、念仏を唱える同胞や伝統があってのことだった。 ところが、かれは次第にそういうものを捨象し、弥陀とわれ、せいぜい親鸞を媒介として認めるだけという自己絶対化の道を歩んだ。 実時を強調しないことは、これと無縁ではない。実時をいえば、彼を取り巻いていた、具体的な社会・文化的状況も言及せざるをえない。 当然、k光の存在も言わねばならない。ところが、かれはそれをいわずに、絶対的体験のみを強調をする。これを信仰の純粋化だというのはまったくの誤解、勘違いだ。 実際は、信仰の矮小化をしているのだ。s会では獲信者どころか、けじょうにおちいる人さえ稀なのはその証拠だ。
731 :
715です :03/08/07 15:57
一念覚知の慰安人と、上記の人はいっている。それは一面では正しい。 しかし、むしろ会の問題は、慰安人が生じない点にある。だれも救われない。 K光などと接触のあった、初期はさておき、教団が成立してからは、まともな形で(具体的いえば、講師・学生で)人も獲信していない。 こういうのは、慰安人とはいえないだろう。無安心、あるいは独特の法門である。
732 :
715です :03/08/07 16:00
私が知りたいのは、このようなことがどの時点でおこったのか、ということだ。 大沼法龍氏も、一念を強調し、会長もその影響をうけたのは、たしかであろう。だが、大沼氏は慰安人であっても、無安心ではない。 かれのまわりには、獲信をしたと思った人がたくさんいた。 ともかく、もう少し初期の会長の情報が欲しいものだ。
733 :
715です :03/08/07 16:03
729のように会長の神格化というのも一因であろう。 同等ではなく、自分は絶対的だという盲信。 そしてそれを支える会員たち。 口で、弥陀だけといってもそうではなかろう。一人の善知識なるものに絶対的帰依を要求しているんだから。 s会以外に仏法がないと信じ込んでいる幼稚な現実認識。 ああ、哀れ也、親鸞会会員。
734 :
名無しさん@3周年 :03/08/07 18:43
獲信する前、奈良の妙好人の説法を聴きに行った(仏敵の伊藤氏とそっくりの話) というんだが、その事実はどうなったんだろ? 本人の記述では獲信の原因となったいくつかの縁に関しては、 M氏をはじめとする数名の求道者諸兄の指導、休暇中に借りて読んだ『仏敵』、家にあった書物、 送ってもらった○光、のみ。 奈良の妙好人の説法に影響を受けたという事実とは?
735 :
715です :03/08/07 19:17
そこら辺は推察だが、奈良へ話を聞きにいったといのは、つくった話だろう。 会長の話が作り事が多いというのは、講師も認めていた。獲信に繋がるウソは方便と認められるのが、s会。 実をいうと私は奈良の話は、この掲示板を見るようになってから「始めて」知った。 私は、かなり前になりますが、幹部といいってもいい会員でしたが、その頃はそんな話はさっぱり聞かなかった。 奈良の話は、まったくのウソではなく、かれが『仏敵』の影響を受けたことをものがたっているものでしょう。
736 :
名無しさん@3周年 :03/08/08 06:50
>>732 禿同。哀れなのは現実を全く直視できない親○会会員である。
以前こんな書き込みがあった。
大沼氏が死ぬとき、大沼氏を慕っていた人が、これから、誰に聞いたらい
いですか?と聞いたら、高森さんに聞けっていったとか。 (ほんとかどう
か全く分かりません)これが美談になってますね。
それにからめて、私が死んだらみんなどうするって高森さんが専任講師に聞
いたらしい。
そしたら、女の専任講師が「私は後を追って死にます」って言ったの聞いて
高森さんうなづいたそうやわ。これも美談ですね。
「死んでどうするんだろうな」ってよく思いました、そんな人、釈尊の時も、
親鸞聖人の時もなかったような気がするけどね。これが高森氏絶対視のこと
始めだわな。その点、大沼さんの方がずっとまともだわ。
「一盲、衆盲を率いて、もって火坑に堕つ」というのはオームだけのことではない。
名誉欲その他の欲望のために教えを意図的に曲げていった会長を無二の善知識と
崇める親○会の ことだ。
737 :
名無しさん@3周年 :03/08/08 20:27
>>731 イアン人すら生まれない、虫も食わない教え。
目からウロコでした。
>>321 顕正会はある意味道徳教育です。
それは以前誰かが述べたのですが、現在の法律では罪に対する罰の基準が曖昧で、なぜこの容疑者
は死刑なのかとかはほとんど過去の例を参考に決めています。
しかし、仏法は罪に対しそれ相応の罰が当たります。罪に対する重さが明確に理解できるのです。
では聞きますが顕正会を学校教育に取り入れられない理由はなんでしょうか?
宗教、宗教と言いますが問題はその内容だと思います。
顕正会は厳密に言うと宗教ではありません。生活法です。いや宗教を超越したものです。
しかし現在ではそれに該当するものがないので宗教法人の枠に収まっているのです。
739 :
名無しさん@3周年 :03/08/08 22:39
光H随行記 いったん外に出るとイタズラばかりする外弁慶の性格になっていきました そうだ!苦しみなんかに負けてはおれない。僕は、今、父によってこの獅子の子育てに対面している。 獅子の子なんかに劣るようでは万物の霊長、人間とはいえないじゃないか。 何がなんでも地獄はいいで(ママ)の我身であったと知らされるまで求め抜く覚悟であります。
741 :
名無しさん@3周年 :03/08/09 00:43
742 :
715です :03/08/09 01:21
皆さんに誉められてちょっと嬉しい気分です
743 :
名無しさん@3周年 :03/08/09 01:31
>>740 ジャンヌの法論のアーカイブ作っておくれ。
真面目な方向も考えているんですけど、同窓会なので、気軽に参加して頂きたいと思ってます。 2CHの情報は興味あるのですけど、真偽がわからないのが、つらいところです。
745 :
715です :03/08/09 10:17
≫736 女性講師の名は、Y崎さんだったよな。 この話を聞いたとき、異様だと思ったよ。 結局、会長は各人の往生浄土よりも、自分の思うままにできる弟子が欲しいのだと感じた。
TKさんって驚愕力高いの?
747 :
名無しさん@3周年 :03/08/10 17:21
> 夏休み数日前に、M君をはじめ数名の求道者諸兄の御指導を受け、 > 半信半疑、なお私の心は悶えました。親切にも休暇中『仏敵』の > 書をお借りして読ませていただき、また家にあった書物により、 > さらにまた○光をも送っていただき、次第にその迷雲も晴れ、 > 今日までの悪疑を恥づるに余念がありません。ただただ「そのまま > こい」「そのままでよい」とは何と有難いことでしょうか。 こういう事実があきらかになると、「親鸞聖人の教えに善の勧めがあるかないか」 よりも、宿善開発する為に、「会長の様に仏敵を読むことがなぜ悪いことか」 ってことの方が、重要問題になるんじゃなかろうか? 体験記に書いてある事が本当ならば、K光会に入会する事はタブーでも、「仏敵」を読む こと位は奨励する、むしろ「五十回でも百回でも時間がある限り読み続けなさい」って 奨励するのが普通じゃないかと思うんだが。 代わりに奨励されている事は、学業や就職を放棄してでも布教活動に励むこと。 家や田んぼや畑を売ってアパート住まいをしてでも、或いは給料やボーナスの大半を 注ぎ込んで布施をすることであり、事実多くの会員が実行しているのが現状なのだから。
748 :
名無しさん@3周年 :03/08/10 17:38
>>747 >五十回でも百回でも時間がある限り読み続けなさい
会員が本を読んだって会にはお金は集まらない、講師を食べさせてやることもできない、正本堂も立たない。
749 :
名無しさん@3周年 :03/08/10 18:08
そう。好むと好まざるとにかかわらず、金を集めて維持することが 会の目的になってる。決して人を救うために会の活動が行われてる わけではない。 仏敵50回読まんでも、それくらい分かるでしょう(w。改印さんた ち、いい加減に気づけよ。
750 :
715です :03/08/10 19:12
>>747-749 に禿同
私が繰り返し述べているように現在の会は、「助からない」ことが構造的になっている。
この現状を打破するには、勇気をもって退会するしかない。
ほんとの仏教はどこにあるのか、救われるためにどうすべきか。
よくよく思案すべき。
751 :
名無しさん@3周年 :03/08/11 03:31
親鸞会に行くしかないよ。
752 :
名無しさん@3周年 :03/08/11 11:49
>>752 通行人は反吐が出るほど嫌らしい香具師だな。
あんな人間製造するS会は恐ろしいナ。
754 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 06:59
>>747 大久保利通は当初鉄道開設に強硬に反対したらしいが、新橋ー横浜間に鉄道が開設されて
実際に汽車に乗るやその速さ、輸送力に驚愕、考えを完全に改め、鉄道開設推進派となり
日本全国に鉄道を拡げるべきだと主張し続けたという。
実際に汽車に乗ってその素晴らしさを体験した旅人ならば、籠に乗って目的地に行けず
苦労している他人には、自分と同じように汽車に乗る事を勧める筈なんだが。
755 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 08:31
>>754 幻想の汽車に乗っているから目的地に着くことはないのでは?
目的地に着くはずだと思い込んでいるのはよくわかるぞ。
756 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 08:40
>>753 通行人は会員ってバレバレなのが自分ではわかっていないんだな、どういうわけか。
757 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 09:58
>私もお誘いしていた当時、心の中で、目標をきめてやってましたよ。
もうかなり前からの会員だと思われ。多分子牛もしくは幹部だろうな。
>>756 >通行人は会員ってバレバレなのが自分ではわかっていないんだな、どういうわけか。
新人太郎もそうだけど、バレバレでも構わないんじゃないの。
100%嘘だって言えない所で、相手の主張の矢先を折った感じの論法だね。
逆に言うと、こういう所に弱みがある主張が皆に多いとも言えるかもね。
例えば新人に警告を出すようなサイトでは新人太郎が出没し。
絶対の幸福そのものを疑問視するサイトでは通行人(新人決定者)が出没する。
体験の世界は体験してなきゃ語れない、新人の立場で無ければ言えない話しがある。
そういう前提から話しをすれば、否定出来なくなる事を踏まえての論法だね。
多分、龍谷大学って言うのも99%怪しい、しかし、1%の可能性があるから、皆つっこ
めない訳だよ。一端やって、皆つっこみが弱くなって味しめてるんだろうね。
人を愚弄した論法だし、結局は論理構成の下手な香具師のやる事だろうな。
こういうあからさまな嘘につき合う必要があるのだろうか。親鸞会はこの手の論法が
多いのは結局何をしてもいいって言う考えがベースにあるからだろうね。
これをT森が率先してやっている訳だからな、困ったもんだ。
758 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 13:15
だからs会から獲信者がでないんだよ。 構造的な本質的問題だよ。 私なんか、会長の信心も怪しいと最近、思ってます。
759 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 13:26
>758 喪前の信心が一番あやしいぞ。
760 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 13:29
>758 人の信心より、自分の信心は問題にならない時点で終わってる。
761 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 13:32
>>760 親鸞会の会員にはそんなこと言う資格はないだろ(爆。
762 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 13:49
/⌒ ⌒ ヽ / ヽ ヽ / /~\ ヽ / / ―- ヽ、、、人 | ノ (●) (●)| | | | ヽ | | <乙葉ですぅ〜 . ノ | '〜〜' | | ノ ノ 人\ ・_ ノレノ ._ - ヽ´ ( _ _ i´ , 〃 i! `ヽ. | | 〃 i! ヽ |/〃 y .i! v .| //i ,' !i | / |' , | | /ヽ、ノ / `ヽ、! _人_/ 、 ,ノ / |  ̄i~  ̄ ~"''''~i' / ,-、_ | | ゝ / ./ ζ  ̄ ̄ヽ_/ | .| / /.ioー-, '-、 ⌒ / | |ヽ、_/ //!_iヾ' / _/ | |`ー-/ / /´i '" / | |`ー/ /, '-'" | / | |-/ ./' | ノ _, -'~ / | ,〈√' / |
763 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 13:54
, " : : : : :::::/: ::/:::i:::::::::::::::::::::::: : :ヽ . ,.'::,': :,' / : :,./ :.,'; : :i : : :.', : : : : : : :、゙, ,':;,'::;;,'::,'::::;/i:ll::.i !i:.:.',、'、::::',、;:::',::,:::,:::゙〈 . {:l !:;;,i::ハ:::;i !.i:::l l:!',:::'、'、'、::'、、;;;';;';;:';::::゙'、 . ',!,i:;;l.!:i '、::!-‐.'、!‐',ヾ、゙、''、ヾ'、ヾ;;;;;;;;;;:::::ヽ 〉:',;|::i:', ヘ:!,r '''‐` ゙' ':"`゙':、 ゙''i'、;;;::,:.:.゙, /.:.::ヽ:ヾ、,r"!-‐'! .i.-'"! ゙i;./:::i::/.:.:::i {:l::::::;:::::::゙、゙ l;:::;_! !:::_;i /::::::'':;;::::;} ',i_:;::;;;;;::::::ヽ ゙´ ,.';_..、,、-‐‐'' '、 ´ ヾ‐゙、ヽ . '',-‐" ``' 、. - ‐ ,. ' ヾ'-、 ,、‐;' `i;;!.`゙''''''"´.i;;i ,i .i、 ,、-'" ゙'-、 ,.、- '" ,,_ _____,, `゙' ‐-- 、. ,、 '"´ ```゙゙' '"´ `'、 . ,.' ', . ,' .、 _,,......,______ /: ', . ; .::::', ,r‐''",r‐'"‐‐-、,,,_゙' 、. ,':::. i . ', ::::::;. ,' /-゙''_- ヽ‐、 ';:::: l ', ::::,' '、.,'"::`',‐、 ',-、'、. ';: ! ',. ,' ,' `"'i- 、,._...... '、 `'、. ;. ! . i. ! ! .:::::::::l:l !:::`', ',.. .'';. ..! .l l ゙、 '、::.::::::::::::::::l l:: ::::i. ';:::: i::;.' .l . l ` 、_!、::::::::::::: :l ';:. .. i '.;:i'i" .! l `,.i:゙、::::::: :,' ';:.:: :l '.,i::: l . l ',.',:: ::. ,' :. ';:::. ', ヾ:. i
764 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 14:03
, " : : : : :::::/: ::/:::i:::::::::::::::::::::::: : :ヽ . ,.'::,': :,' / : :,./ :.,'; : :i : : :.', : : : : : : :、゙, ,':;,'::;;,'::,'::::;/i:ll::.i !i:.:.',、'、::::',、;:::',::,:::,:::゙〈 . {:l !:;;,i::ハ:::;i !.i:::l l:!',:::'、'、'、::'、、;;;';;';;:';::::゙'、 . ',!,i:;;l.!:i '、::!-‐.'、!‐',ヾ、゙、''、ヾ'、ヾ;;;;;;;;;;:::::ヽ 〉:',;|::i:', ヘ:!,r '''‐` ゙' ':"`゙':、 ゙''i'、;;;::,:.:.゙, /.:.::ヽ:ヾ、,r"!-‐'! .i.-'"! ゙i;./:::i::/.:.:::i {:l::::::;:::::::゙、゙ l;:::;_! !:::_;i /::::::'':;;::::;} ',i_:;::;;;;;::::::ヽ ゙´ ,.';_..、,、-‐‐'' '、 ´ ヾ‐゙、ヽ . '',-‐" ``' 、. - ‐ ,. ' <LET'S 念仏 ヾ'-、 ,、‐;' `i;;!.`゙''''''"´.i;;i ,i .i、 ,、-'" ゙'-、 ,.、- '" ,,_ _____,, `゙' ‐-- 、. ,、 '"´ ```゙゙' '"´ `'、 . ,.' ', . ,' .、 _,,......,______ /: ', . ; .::::', ,r‐''",r‐'"‐‐-、,,,_゙' 、. ,':::. i . ', ::::::;. ,' /-゙''_- ヽ‐、 ';:::: l ', ::::,' '、.,'"::`',‐、 ',-、'、. ';: ! ',. ,' ,' `"'i- 、,._...... '、 `'、. ;. ! . i. ! ! .:::::::::l:l !:::`', ',.. .'';. ..! .l l ゙、 '、::.::::::::::::::::l l:: ::::i. ';:::: i::;.' .l . l ` 、_!、::::::::::::: :l ';:. .. i '.;:i'i" .!
765 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 14:10
_______ / ____彡 /::::::/━ ━ \ /:::::/ _ _ | |::::/ --((・))―((・)) ( 6  ̄ つ  ̄ ヽ | ___ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ∴)\_/ (∴ | < 哀れな人たちよのう!! ヽ ― 丿 \________ /\,______,/ / (__)) )) []_ | | ヽ |[] | |______) \_(___)三三三[□]三) /(_)\:::::::::::::::::::::::/ | |:::::::/:::::::/ (_____);;;;;/;;;;;;;/ (____)__)
766 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 14:12
) ./ ノ く マ す 男 ヤ l j 出 出 キ ) ヌ .る が ダ | _......_ 〈 た た ャ ノ ケ と 射 あ i、 / ⌒ヽ ゙i ┃ ハ ヽ ) こ 精 〉 / ヽ |. ┃ ハ } ( っ | / ィi i `、 j っ ハ i ) .て l { 从 ノイ!_ヽ fi ゙i、) !! ノ j 丶、〈,ニ、イ {1 ゙〕iレ 〉 ヽ ∫ ! / } .{、⊥i ¨ ´| _( レ'⌒ヽ_r-v⌒ ) / j ゝ、 、’‐ァ /Vー―-- 、 ⌒``' ‐'⌒⌒ヽ、_ノ⌒ ヽ- f レクァニ'´/ | ヽ | \ _,,...、、r− 、 ,r'´f! クvィ介ヽ|< .i \ ,ィ⌒v'´ ̄_...,,ト、,_ ヽ { | 八 「.| i / ヽ\ \ l ))V'´ \ i ! j_〈ヽゞ.、! .| | .j |ヽ、 \ .{ / 八 ゞ=-┤ \{ }レ’ _,.....⊥、..ヽ ヒ l ./ !jr从vハrn、ハ .ヽ ‖ | ゙V ./ \ ク i / i' jイ{ i` |!_!|.| ヽ \ |! ト、 ./ ヽ\ 川 ヽ ミ 亠’ 、 rュi \_ミx ゙i | !ゞ i ヽ レヽ、ヽト、 <_フ=E, .| \_ノ jヽ、 | }
767 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 14:13
__ヽルトー`ーィャく(. トn、 / =U从Wn リ rn⊂ヽ /^ヽ .ヽヽ /〈_〕 ト!ニノノ\ ./ ヒ ハ ゞ| ゙i j トr } | ヽ >ヽ |. i j ト、 \ 〈、 ク ッ .\j ゞvvr-_二 - .ヽ, ノク! ゙i \ ヽ V i .ヽ ヽ = メ>アァ┬ーー' ヽ―'┬レ´二 ー ¨ ├'´ ヽ |'´ .\ !、 |ノ |i、 | '´J L/ヽ/ / レo | ヽ .|r'´ ヽ ヽ .| ゝ/ | ` ‐-’ く/ .f └ー' .| / ヽ, ヽ .j 。| .| 'J ,' `'⊂= ┬ユ_ _f⌒ヽ t イ j _、 ヘ J .,' ヽ ウ_. | | ゙i \___/.|ゝ ― −= キソ .ヽ i' レo ./ iV | l l | ' ´ .。| \ .j └ー' / ヽ | | | l .ト、_ \ / ユ r'⌒ヽl } | ! .| ゝ`''‐- へーく ⊂i ./ ツ ト=ー{( l . i 亅 ヽ \ノ / ヽ {二i ! ト-、_,. -┬'´゙i、 >'⌒ \ / レ! ! ヽヽノ j . |i | | .l! 」t'´ \ └ '´n V / |i | l _」iー'´ ト、 \ iツ| / ¬__⊥,-'´ ゙i .\ \ ∧ /
768 :
名無しさん@3周年 :03/08/12 16:59
>>766 ,767
あらしやめれ。会員さん?
どうしてもカキコしたいなら色道燃ゆスレに。
769 :
s会ワッチャ− :03/08/13 11:12
ジャ●ヌの通行人、窮地だな。 なんと反論するか、楽しみ。
770 :
名無しさん@3周年 :03/08/13 12:01
>>762-767 オウム裁判の法廷で、奇怪な言動で精神病のふりをし、責任追及から逃れようと醜態をさらす
麻原みたいだ。
771 :
名無しさん@3周年 :03/08/13 13:46
>769 そうか? 窮地に追い込まれているのは相手の方かも知れないよ・・・。 おれは通行人の方が素直な意見でよっぽどみずみずしくて生きた文章だと 思うね。 あの信念は決して揺らがないと思うよ。
772 :
名無しさん@3周年 :03/08/13 16:29
>>771 瑞々しいというか、通行人は嘘も方便、の会員だろう?
あの信念は決して揺らがないって、、どういうこと?
まさか通行人があれで
信心決定していると
あなたは
お思いか?
773 :
名無しさん@3周年 :03/08/13 17:19
「みずみずしい文章」だって?厚顔無恥のいいまちがいじゃないの(爆。 本当に、贔屓の引き倒しというか理屈と膏薬はどこにでもつくというか、 口は便利な道具だね。論理も根拠も何もなくて言いたいことだけ言い散ら す恥知らずを、文章の「みずみずしさ」ゆえに優れているとはねー。
774 :
名無しさん@3周年 :03/08/13 18:33
( ´,_ゝ`) ププッ
>>771 が通行人のジサクジエーンだったら面白いな。
775 :
名無しさん@3周年 :03/08/13 19:05
自作自演だろう。 だってまともな会員はここを覗かないって。 通行人はレベルは正直ひくいけど、ネットの監視というか、あらしを引き受けている会員さ。
776 :
名無しさん@3周年 :03/08/13 19:40
通行人がネット監視役の会員としたら、こんなレベルの低いのに 任せる時点で人選を誤ってるな(w。常識のある会員なら、逆効 果だからやめろっていうはずだけど、もうそういう人材もいない のかな。 しかし何だね、2ちゃんにしてもジャ○ヌにしても、結局、通行 人みたいなアフォが出てきてガソリン役になってくれないと、盛 り上がらんね(w。親鸞会の末期症状ってことだろうけど。 2,3年前では、ネット上でも呪縛に苦しむ人たちが、うまく反 論できなくて困ってたけど、今はそういう心配も、あまりしなく てよいようになってきた感じがするね。
777 :
名無しさん@3周年 :03/08/14 05:26
>>771 これ以上、会員を苦しめるのはやめれ。
おまえに人のこころが、残っているのならな。
778 :
名無しさん@3周年 :03/08/14 13:34
俺は通行人をアフォとは思わない。
779 :
名無しさん@3周年 :03/08/14 13:39
通行人レス > 気になったんですが、三帖第十二通をあなたはどう読んだのですか?まさか 、だから、浅はかにも「人に仏法の話を進んでやる必要はない」とかいうんじ ゃないでしょうね〜。こんなのほんと無信心の言うことだと思うし、普通に考 えて、天理教の信者でも自分の宗教のすばらしさを説くではありませんか。ま してや、釈尊の出世本懐の法を聞いて、だれにもそのすばらしさを説かないな んて、おかしいではありませんか。普通の信仰すらないんですか。いつから、 そんな自分だけ喜べばいいなどという我利我利亡者になったのか。 なかなか理屈が通っていると思うのは俺だけか?
780 :
名無しさん@3周年 :03/08/14 14:52
>>779 眠たいこといっている香具師がいるからちょっと一言。
漏れも通行人はアふぉとは思わんよ。一種の学生工作員だろうからね。
「自分だけ喜べばいいなどという我利我利亡者になったのか」という言い回しは、
「浄土真宗に善の勧めがある」と並んで親鸞会の大好きな言い回しではあるな(w。
で、どこに理屈があるん?
誰も「人に仏法の話を進んでやる必要はない」とかいってないじゃん。
「まさか」、のあとは全部通行人の仮定に基づいた主観的な意見じゃん。
その内容もたんなる詭弁だけじゃん。
だって親鸞会は「人に仏法の話を進んでやる」といいつつ勧誘ノルマきめてるじゃん。
人に仏法話すのが自発的な行動だとしたら、ノルマなんて必要ないじゃん。
なんで親鸞会は目標達成したとかしないとかいうことを異常に気にするん?おかしいやん。
あと、会に入会して1年程度の人間に、ダミーサークル使って、身分詐称して仏法の話を
説かせるやりかたもおかしいと思うね。
「すばらしさを説かないなんて、おかしい」だって美辞麗句の詭弁じゃん。
結局は勧誘活動汁!できないものは会にお金を貢げ!という教義でしばって
建造物建てるための、働きのいい奴隷を養成しているのだからな。
人に話すことそのものよりも、その方法論や内容や結果が問題になっているんだろうが。
仏教は内容が幅広く宗旨も多いので新宗教には「盗むにはもってこい」の教えのよう です。 さて、もともと深い教えを盗用すれば、部分部分をつなげるだけで、それなりに立派 な教義ができてしまいます。しかしその中に、ほんの1%でも嘘が混じっていると、 後に大きな狂いを生むことになります。そしてこの引用法を悪用すれば、どんな平和 な教えも過激な内容に変身させられてしまうのです。 暇があったら実験してみるといいのですが――自分に都合のいい結論を最初に考え ておきます。次にそうなるように古今東西の宗教をつなぎ合わせてみましょう。都合 の悪い部分は引用しなければいいのです。さあ、立派な新宗教の出来上がりです。後 は、自分を最高の位に就かせましょう。既に教えが自分に都合がいいのですから、も う訳ないですね‥‥ ちょっと悪ふざけが過ぎたようです。しかし、笑い事でもないのです。これをまと もにやっている宗教が驚くほど多いのですから。 そうした嘘を見抜く最善の方法は、ほんの少しの疑問でも解決するまで徹底的に問う てゆくことです。
782 :
名無しさん@3周年 :03/08/14 16:18
ジャ○ヌからコピペ。 親鸞会の主張する善が仏教上の諸善であるならば、般若経と同じでなけ ればいけません。そこでは、「法を説くことによって、相手に怨みをもた せたり、相手に対して自分が怒りをもったとき、そのような法施は法施に はならない」と明記されています。また、布施に際して、「この布施が自 分の功徳になる」という意識をもったら、それは布施ではなくなるとも書 かれています。ですから、揚げ足を取るわけではないですが、「自分の意 思で財施をするのは、聞法させて頂いているものとして当然のことであ り、尊い善だといえます」というような意識をもって行われる財施あるい は法施は、布施にはなりません。これが三輪空寂(智慧)ということで す。精進、忍辱、持戒等についても同じです。これが六度万行の基本構造 であって、大乗仏教全般に共通しています。 これは大乗仏教の崇高な理想であり、これが実践できる人は、たいへん な方だろうと思います。「組織だから多少は問題が出てくる」などといっ た言い訳をする人は、もとより布施行をしているとは言えません。 三輪空寂を守れていない布施行は、仏教上の善にはなりません。よろし いですか、法を伝えることで相手に怨みや怒りをもたせたら、それは善で はなくて悪を作ったことになるというのが大乗仏教です。仏教徒ならば、 これが大原則です。親鸞会の法施や財施は、三輪空寂になっていますか? 私にはとてもそうは思えません。 第一、勧誘や集金のノルマを立てる時点でアウトです。数字が我執と なって、三輪空寂の妨げにしかなりませんから、ちゃんとした修行集団 は、そんなバカなことは絶対にしないでしょう。親鸞会が諸善の意味を、 まったく理解していない証拠です。
平成元年頃W大学系サークルにいた某浪人生N本さん元気で生きてますか? あなたは、キリスト教に造詣が深く、サークルを批判しながらもやめませんでしたが なぜなんでしょうか?
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
俺は人の霊格がわかるが、教祖TKを診断したところ「地獄界」の住人だった。 信心決定なんて大嘘やね。
ジャ○ヌ 通行人=現s会員=地獄の門番=●×仔牛?
787 :
名無しさん@3周年 :03/08/16 00:50
ジャ○ヌ 現s会員=地獄の門番=●×仔牛 通行人=×●子牛 じゃないか。
788 :
名無しさん@3周年 :03/08/16 06:08
789 :
名無しさん@3周年 :03/08/16 09:12
age
790 :
親切なひと :03/08/17 07:41
閻魔大王さま、「破地獄の文」を知らないようだから(藁)コピペしとくね。
教団当局は、この「其仏本願力」の文は、葬儀にかかわって用いられる場合には、民間では古くから、
「破地獄の文」といわれて、この経文を書いて棺の中に入れると、地獄をのがれて浄土に往生できると
伝承されてきたことを承知しているのか。このことは中国の古い説話によるもので、むかし玄通なるも
のが、地獄の閻魔大王の前で罪を調べられた時、この文を誦したら、大王が罪を赦して浄土におくった、
ということから、この文が「破地獄の文」といわれるようになり、そのことについては、法然上人の
『和語燈録』巻一に詳しいところである。なお、この文は、親鸞聖人は重視されて、『行文類』などに
引用されているが、それはまったく別の意趣によるものである。
そこで教団当局に質問するが、なぜこの文を用いることにしたのか。またそれが「破地獄の文」といわ
れていることを承知の上で用いたのか。もしそうだとすれば、上に問題にしている「還浄」と同じように、
信心がなくても、浄土に往生できるということを教団が認許することとなり、そしてそれはまさしく、教
団みずからが真宗を呪術化させていくことになるが、それでよいとするのか。
またもし、そのことを知らないで用いたとすれば、あまりにも教学的に無知である、というそしりをまぬが
れえないだろう。(中略)すべからく緊急に善處されるべきことであろう。
私は最近この教団から、教学、信心が、いよいよ欠落しつつあることを思うて、深く慨嘆せざるをえないと
ころである。(信楽 峻麿氏による)
http://www.ttec.co.jp/~chinei63/kichu-genjo-sigaraki2.htm
791 :
名無しさん@3周年 :03/08/17 09:47
792 :
親切なひと :03/08/17 10:00
793 :
親切なひと :03/08/17 10:32
>>791 地獄の門番(s会子牛)ていったら閻魔大王さまのことだよね、きっと。
795 :
名無しさん@3周年 :03/08/17 10:41
>>792 thanks!
それにしても通行人さんは大根役者だ。
親鸞会だということを隠して勧誘しているのと同じことをジャソヌでもやっている。
体に染み付いてるのね。
796 :
名無しさん@3周年 :03/08/17 17:47
普通に考えれば、質問に窮した「通行人」が、「地獄の門番」と名乗ってるんだろう。 それにしても「破地獄の文」をまさか知らなかったとは、お笑い「現役R大生」だよ。
797 :
名無しさん@3周年 :03/08/17 20:03
浄土真宗の真の教えが、親鸞会の説く教義であり、高森さんが真の善智識ならば、 善智識・高森先生にまで伝わった正統な法の伝承を、明らかにしてほしいな。 現在、高森さんは、自分以外に真の法を説いている者は、いないといっている。 じゃあ、蓮如上人の後の歴代の善智識って、どんな人物がいたんだろう? 歴代の善智識も、高森さんみたいに説いていて、信者も現在の会員の様に 行動していたとしたら、必ず真宗史に残っている筈なんだが。
とんちんかんなこと言ってるなぁ。センスない。
受けた大恩を思えば、申し訳なくて休めない。だが、肉体の限界に泣かされる。 伏して懺し、仰いで歓ぶ外ない。 私の言葉を通して、真実の弥陀に遇い、永遠の楽果を頂いて下さるのだ、と思うと、叫んでも叫んでも、倒れても倒れても、申し訳ないやら、嬉しいやら。 ただ、報い切れない仏恩に泣きながら、早く信心決定されるよう念じ続け、叫び続けるのみ。 どうしたら、聞いてもらえるか、ただそれだけである。 この煩悩具足の器がなかったら、仏智満入すまいものをと、身体をさすりながら、またまた起き上り、活動だ。 真剣になり切らんから苦しんだ。 弥陀仏をうらんで泣いた。 あの不足をいっているのが、一番可愛いと仰って下される、阿弥陀さまに泣いた。
800 :
名無しさん@3周年 :03/08/17 22:46
801 :
名無しさん@3周年 :03/08/17 22:49
>>799 また通行人、はじまったか、と思ったね。
会長のこういう演技がかった科白を引用して、会員を活動に駆り立てよう
としているとすれば、s会は善知識だのみといわれても仕方がないね。
要するに、命がけで頑張っている俺(会長)よりももっと活動して、
宿善あつくしていけ、ということでしょ。
そんな教えじゃ助かるわけないじゃん。
結局、より会に金を貢ぐ、おまえよりももっとばかな信者をみつけてこい、
ということを言っているのだがね。
だから過労死者も出るし、ノルマも課せられるし、
ノルマ達成しやすくするためにダミーサークルが作られ、うそは正当化される。
で、活動についていけなくなったら、あの哀れな子牛たちのように、
ポイ、と敗残者扱い、虫けらのように踏み潰す。どこが仏教なんだろうね?
法を謗って歪めてきた、あのばか会長の罪はまさに万死に値するね。
M晴問題なんてそれに比べたら全然大した問題ではない。
ばか信者たちは今日も死に物狂いで、喜んで会の奴隷をやっている。
ばかは死ななきゃわからんのだろうね。あわれ、あわれ。
>>801 禿同。
最近思うが、T森があげる讃題ね、
あれ蓮如上人の御遺言だけど、あの意味は親鸞会の教えている意味と本来違う。
「あわれあわれ存命のうちに皆々信心決定あれかしと朝夕おもいはんべり
まことに宿善まかせとはいいながら述懐の心しばらくも止むことなし」
この存命は皆の命の事では無く、蓮如上人の存命のうちという事。
これは御文章の文脈から言ってそうなる。
そうするとね、これは本当に蓮如上人のお慈悲の言葉だと理解出来るんだよ。
そんな御言葉を取って、自分が善知識顔してよく言うよなって思う今日この頃だね。
こういう驕慢な人は何をやっても名利を追って、結局その為に法を曲げてしまった
訳で、罪万死に値するね。どれほど気持ちが純粋でも間違った事をしているなら、
誉められない。ちょうど910のテロのように、自爆した人は純粋な気持ちだったか
もしれないが、やった行為は万死に値する。それと同じだよ。
>>802 気持ちが純粋とは思えんがとりあえず胴衣。
>>802 S会幹部、T森なんて死ぬ事も出来ないんじゃない。事故死は別だがね。
だいたいT森には基地外(真性基地外)が面会に来るので、恐くなって警備させて
いたしな。今はどうなのかな。そもそも会館の控え室何処にあるかよう分からんが
な。知っている人いるか?
805 :
名無しさん@3周年 :03/08/19 16:24
通行人(=○○小牛 or 岐○県の本派末寺住職の会員)、必死? 会員の龍大生から情報を仕入れて防戦?
真宗では「たのむ」は、「(弥陀をたのむ)他力信心」にしか使わない のに、善知識を信じるのを「善知識をたのむ」でつと(ジャ○ヌの門番) 。思いっきり馬脚表してるね善知識だのみのs会仔牛。
807 :
名無しさん@3周年 :03/08/20 03:06
教義的に善知識たのみの異安心というか、まあそれもあるだろうけど、 それ以前に、世界が狭いんだろうなとオモタ。「善知識」より阿弥陀 さんがはるかに広く宇宙に広がっているという感覚がもてないんだろ う。阿弥陀さんを親鸞会=「善知識」に切りつめた「世界」のなかで 生きている人たちだから、教義的な矛盾をいくら言っても無駄。 第一香具師ら教学ないから、なに言われても全然ワガンネw。
808 :
名無しさん@3周年 :03/08/20 09:34
>>807 >第一香具師ら教学ないから、なに言われても全然ワガンネw。
高森教学じゃダメか?
809 :
名無しさん@3周年 :03/08/20 11:21
810 :
名無しさん@3周年 :03/08/20 11:53
811 :
名無しさん@3周年 :03/08/20 11:53
なんだ、なんだ新手の新死か?
んな事繰り返しても向こうのトピに荒らし呼ぶだけだぞ?
815 :
名無しさん@3周年 :03/08/21 23:34
通行人は、都合が悪いと名前を変え、門番は、負けそうになると議論から逃げる、といったところか。 ジャンヌを見ての感想よ。
816 :
名無しさん@3周年 :03/08/22 00:35
日本は「仏教国」なのですがその実体はどうでしょう。 仏教の大本の基本は、「釈迦」が悟りによって見つけたものを自らの修行や信 心を通して、より自分の身近なものにすることにあります。そしてそのものの 中の重要な要素として「輪廻転生」の考え方があります。そしてそれを考える と当然「魂」のことも重要な要素になるのです。 私が何を言いたいのかと言うと、世の中にごく一部ですが「くそ坊主」と言っ て良いと思えるような人がいると言うこと、そしてそれがある意味で日本の宗 教の悪い面を象徴しているように思えることです。 なぜそうなっているかと言うと、おそらく坊さんでありながら、信仰心を持っ ていないからではないかと思うわけです。別な言い方では、信仰心があるのな らとても出来ないであろうということを平気で行っているということです。 おそらくそのような人は、「魂」とか「輪廻転生」なども信じてはいないと思 います。それなのに何故「坊さん」をやっているかと言うと単に職業で「坊さ ん」をやっているだけなのでしょう。 魂の存在を信じない「坊さん」は、お葬式も唯の儀式としてとらえているでし ょう。本来の死者の魂を慰め、成仏させるというようなことをはたしてどれく らいの人が真剣に考えているのでしょうか? あくまでも私の個人的な意見ですが、そのような「坊さん」にお経を唱えても らってもいっこうに有り難いという気になれません。
817 :
名無しさん@3周年 :03/08/22 06:01
818 :
名無しさん@3周年 :03/08/22 20:47
地獄の門番=現s会員=専任講師 だよ。 親鸞会の専任講師の知能のレベルが知れる内容。 何を言われても恥ずかしいと思わないのは勧誘で嘘ばかりついているせいだよ(藁。
819 :
名無しさん@3周年 :03/08/22 22:51
っっっっっっっっl
820 :
名無しさん@3周年 :03/08/23 10:13
っっっっっっっっl
821 :
名無しさん@3周年 :03/08/23 12:49
818>> ほんでもって、門番=通行人だよ 今は、都合が悪いから出てこないだけだよ だいたい懐疑派でなく、ばりばり会員で書きこむといういのは、会からの何らかのお墨付きがいるわけ。 そういうのは何人もいないから同一人物となるわけ。 でも、ひとりだとわかると不利な点もあり(じっさい、問答ではほとんど押されているが)、複数いるとみせかけ、議論がやばくなると、その人物の名前を変えて、新しい名前になるわけ。 だから、永遠に議論は堂堂巡りで続くという寸法。 そんことをしているうちに「真実」ではない親鸞会はますます衰微していくんだろうな。
822 :
名無しさん@3周年 :03/08/23 23:05
輪廻転生は仏教では普通の考え方です。仏教の目的は、修行によって輪廻転生 の輪から抜け出すことにあります。 ところがいまや、日本の仏教は葬式仏教と呼ばれ、戒名に何十万、念仏に何 十万、墓に何百万かかり税金も誤魔化せる商売になりお経も形骸化してきて いる、釈迦の教えは何処えやら、坊主丸儲けとはよく言ったものだ。(苦笑!
823 :
名無しさん@3周年 :03/08/23 23:29
824 :
名無しさん@3周年 :03/08/24 01:23
>>821 >ほんでもって、門番=通行人だよ
>今は、都合が悪いから出てこないだけだよ
>だいたい懐疑派でなく、ばりばり会員で書きこむといういのは、会からの何らかのお墨付きがいるわけ。
>そういうのは何人もいないから同一人物となるわけ。
通行人と門番はかなり性格が違いそうだがな。
あれが同じだとすると、多重人格になると思う。
それに会からのお墨付きなんかあるのかね。
それなら門番なんて、とっくに除名だぜ。きっと。あんな役に立たない香具師駄目。
それに通行人だって、親鸞会の信用失墜の為除名の筈(w。
その点懐疑派さん、何か情報キボンヌ。
バリバリなればこそ、腹を立てて書いているだけじゃないの?
826 :
名無しさん@3周年 :03/08/24 07:34
>>825 > それに会からのお墨付きなんかあるのかね。
そんなん聞いたことないよ。
講師部員であれば「お墨付き」というか「会長の許可」というのはあるだろうが・・・
一般会員にはそういうのはないと思うが・・・
だいだい、一般会員には「2chは見るな!!」って言ってるんだから、
一般会員に閲覧や書き込みの許可を与えるとは思われない。
> バリバリなればこそ、腹を立てて書いているだけじゃないの?
これが正解だと思うよ。
827 :
名無しさん@3周年 :03/08/24 08:30
>>825 >それに通行人だって、親鸞会の信用失墜の為除名の筈(w。
そこは通行人さんの巧妙なところ。
通行人さんは明らかに会員だが、当人は会員ではないと未だに言い張って書き込みをしているので、
親鸞会の信用を失墜させていることにはならない。
よって除名にはならない。
でも、通行人さんはもっと工夫しないとな。
828 :
名無しさん@3周年 :03/08/24 13:45
なるほど、 でもわたしゃーーやっぱし通行人=門番だよな。かつて新人太郎だとかデカパンだとかいたがここらも同人物とみている。 会には、人がいない。通行人や門番の知識、ときどきおいおいと突っ込みをいれたくなるような低いレベルだけど、あの程度でも書ける人物はそう多くない。 逆に、もと会員、ジャンヌにはいろいろいすぎて議論が活発というか、ときどき拡散してくけど。
829 :
名無しさん@3周年 :03/08/24 15:15
>>828 ほほー、おもしろいですね。
漏れは数人ぐらいがカッとなっては書きこんでいるとみる説に一票。
確かに、門番って子牛のくせに変なこといってる。
でも、会では結構、教学に自信をもっているから書き込んでいるんだろう。
たぶん大子牛の資格ぐらいはもっているんじゃないの?
大子牛っていってもM晴が教学部だったっけ?その長じゃあ、たかが知れているね。
ああいう門番のような発言が、会の幹部の本音(信仰)かと思うと面白いね。
大半の子牛たちは勧誘やGHSや育成などに追われ、さらに在庫処理に疲れ果てて
教学勉強する暇(気力)なんぞないのだろうね。
830 :
名無しさん@3周年 :03/08/24 16:13
表に出ない、ネット対策専門班がいるんじゃないの? 書き込むんでも、周到に打ち合わせを重ねてるみたいな感じがするね。 通行人名でのカキコ内容は、本物の龍大生から情報を仕入れているんだろうよ。
831 :
名無しさん@3周年 :03/08/24 16:35
通行人は言いたいことがあるんだが、もう出てこない。 実は、かれ自身はかなりやばいと感じている。 これ以上書くと、やぶへび的なものもかなりあった。 そういったことは、本人が一番よくわかっているはず。 だから、これからは別名で同一人物が書き込むに、一票。
832 :
名無しさん@3周年 :03/08/24 16:51
通行人の文章をよく読めば、以前に書いたものと今回書いたものとの乖離ははなはだしい。 どうしてそんな結果になっているかは、本人が一番わかっている。 それに現役龍大生とはとてもいえない決定的ともいえる内容が含まれてもいた。 親鸞会はなんだかんだといって、ウソをつくのがへただからな。 まあ、根がまじめというか、正直な人が多いから。 だから余計、哀れ。
833 :
名無しさん@3周年 :03/08/24 16:54
>通行人の文章をよく読めば、以前に書いたものと今回書いたものとの乖離ははなはだしい。 この点は分かるよ。 >それに現役龍大生とはとてもいえない決定的ともいえる内容が含まれてもいた。 これ何?具体的に指摘キボンヌ
834 :
名無しさん@3周年 :03/08/24 16:57
これはね、通行人が出てきたときに言ってやるの。 でも、うすうすと感じているので、もう出てこないだろうなあ。
>>834 じゃ、出てこなかったら、種明かしキボンヌ
836 :
名無しさん@3周年 :03/08/24 18:57
そうねえ、今ごろ「通行人」この板を見て、どうやって誤魔化すか、あるいは荒らすか、どんな名前にするか、 奥歯をぎりぎりさせているだろうなあ。
>>834 通行人出てきたね。確かに門番じゃないかっていう登場の仕方だけど、しかし、
現s会員の書き方は頭にスペースを入れない書き方、その点地獄の門番と同じ。
通行人はスペース入れてるんだよな。こういうくせってなかなか変えられない。
通行人はS会なるが故に門番に見方しているっていうのがやっぱり妥当だと
思うな。まあ出てきた事だし、通行人に聞いてみてよ。
838 :
名無しさん@3周年 :03/08/25 21:17
専任講師はいくら給料もらってるの?
839 :
私は講師ではありません。 :03/08/25 22:13
>>838 > 専任講師はいくら給料もらってるの?
今は支部長は会からの給料はもらってないことになっています。
でも、学友部の担当講師やM晴を始めとした上層部の役付き講師、
顕真学院担当講師はもらっていると思われます。
金額は分かりませんが・・・
840 :
名無しさん@3周年 :03/08/26 20:40
,,.-'ヽ ヽ "゙ー-、、 / : :! i 、 :. ヽヽ_,,.....、,,,....._;/ ,;' ;,.! i., ..;;;ヽ ヾ ,,;_ , / ヾ_:::,:' -,ノ ヾ;. 、;, ;; -=・=- ... 、-=・=-;: `;. ● ,; ' < R大生です。 ,;' '.、 -‐-ノ ,;'、 ;' ;: ;: ';; 通行人、会員でもないのにそんなに熱くなるなよ。
841 :
名無しさん@3周年 :03/08/26 21:05
親鸞会か・・・。 譬え話や教学はためになるが、信者の思考停止っぷりには辟易しましたな。 悪い奴は(定義にもよるけど)、見かけなかったなぁ。
842 :
名無しさん@3周年 :03/08/27 01:34
>>837 漏れも門番と通行人は別人だと思うな。門番は門番なりの美意識というか
基準があるみたい。たぶん現s会員と同一人物じゃないかな。だけど、通
行人はくにゃくにゃしてる。矛盾を矛盾として気にするほど敏感とも思え
ん。だから、前のカキコと乖離してるとかつっこんでもムダじゃなかろう
か。832=834には、ぜひジャ○ヌまで遠征して試してほしいけどね(笑。
843 :
名無しさん@3周年 :03/08/27 13:39
しかしあれだな、門番も通行人も書くときは、一気だな。 やはり普段は時間に追いまくられ、特定の時間に書き込むということだな。
844 :
名無しさん@3周年 :03/08/27 14:20
>>841 ジャヌソのメリット・デメリットに当てはめると、
メリット>譬え話や教学はためになる
デメリット>信者の思考停止
かな?
845 :
名無しさん@3周年 :03/08/28 07:45
846 :
名無しさん@3周年 :03/08/28 21:32
ジャン○ヌにまた租塩らしいのが、電波はっしてるね。
>>843 多分合宿なんだろう。夏休みで暇である筈がこんなに無しのつぶては変。
通行人もいつになくテンションが高いカキコは合宿へ向けてテンションが
上がっていった可能性大。
彼等が子牛だとすると逆にお前らゴラァとかとやっていると思われ。
どちらにせよ哀れだ。
849 :
名無しさん@3周年 :03/08/29 21:10
つまらん
850 :
名無しさん@3周年 :03/08/30 11:47
851 :
名無しさん@3周年 :03/08/30 11:48
○余計な情報は知る必要が無い ○思念した事は現実化してしまうので、そういう事は考えるな
852 :
名無しさん@3周年 :03/08/30 11:48
853 :
名無しさん@3周年 :03/08/30 20:09
つまらん
854 :
名無しさん@3周年 :03/08/30 20:10
仕事とか恋愛とか行き詰っているので、大聖人も修行された比叡山 で、止観(座禅)と写経をして、自分を鍛えてきたいのですが、こ れは謗法でしょうか?
856 :
名無しさん@3周年 :03/08/31 18:31
つまらん
空華学轍といわれるものは、明教院僧鎔師(1723〜1783)が、号を空華といい、学塾を空華廬といったので、その学轍を空華学轍といったのである。 その弟子には柔遠(1742〜1798)道穏(1741〜1813)の二師があり、柔遠師は常に越中に住していたが、道穏師は多く近畿に住しており、 その弟子の性海(越中の生まれ)に至って学説が展開したので、 その弟子、善譲などの学派を境空華とも称し、 越中を中心にして展開したものを越中空華といっているが、 学説としては大筋において異なるものではないようである。
もちろん学者によって多少の学説の左右はあるが、それは学者の個性によるもので、その基礎的なものにおいては、まったく同じ傾向のものである。 この学轍には、柔遠・道穏の後には、行照、性海、善譲、鮮妙などの諸学匠が配出し、道穏の弟子月珠は師説とはやや趣を異にする学説を説いて、 豊前学派とはいっているが、この学轍からの分派というべきである。 しかも、明治の初年までは、西本願寺の宗学においては、 主流的な役割をしてきたものである。
この学轍の特色ともいうべきものの一つは、おそらく柔遠師によってはじまったもののようであるが越中で学寮を開き、子弟を教育しても、 各々の学匠は、自分の弟子としないで、僧鎔の墓に参らせて空華の学弟子といったようである。だから、学者が学塾を開いても、 その学寮の学生であるという印に木札に「丸に花」という焼きばんのあるものを用いていた。それは私の子供の時、 祖父の印順の仏母寮の学生が、托鉢に出るとき、 仏母の学生であることの証明として用いた木札が本堂の裏に幾枚かあったのを記憶しているのである。これは、越中においては、 学塾を開き、学生を養育しても、それは空華師の弟子であり、自分の弟子とは考えていなかったようである。
この学轍の思想的特色ともいうべきものは、絶対他力の主張であると思われるのである。 それについては、具体的に他の学轍の学説と比較して示さなければならないが、 そのことについては後に述べることにする。
その主張の根底となる絶対他力について少し説明しておこう。 もし、他力という言葉を自力に対する意味で用いるものならば、 絶対他力という言葉は無理である。 自力という待対の意味をもつものであるなら、 待対をはなれた絶対という言葉は用いてはならないのである。 しかも、私は絶対他力という言葉を用いているのだが、 その意味は西田幾多郎先生がもちいられる「絶対無」の意味であって、 この場合の「無」とは「有に対する無」ではなく 「有の無限否定」である。 したがって、今いう絶対他力とは「自力の無限否定」を意味するものである。
だから、絶対他力という思想は衆生が浄土に往生するには、 全部が全部、阿弥陀如来の名号・願力によるものであって、 凡夫の自力的なものは無限に否定する思想であり、 反面からいえば、私からは成仏する可能性を無限に否定する 「絶対悪」の思想ともなるのである。
この立場にたつかぎり、浄土往生の因である信心は他力回向のものであることはもちろん、 大行も名号であり、成仏の可能性としての本有仏性も否定し、 宿善他力説など、往生成仏に関するあらゆる善は如来回向のものであるといわざるを得なくなり、 それだけではなく、信後の生活においても、 私たちの行う善的な行為は、悉く如来回向の名号の発露であるという要門助正説とならざるを得ないのである。 こうした基礎的な思想的立場の理解なしには、 空華学轍の主張を理解することは出来ないのである。
しかも、この絶対他力の思想こそ、 浄土真宗だけでなく、あらゆる救済教の究竟的なものであり、 救済教の当然いたるべき結論的な思想であると思われるのである。
では救済教において、究竟的には、救う如来は救済力において絶対性をもち、 救われる衆生は絶対悪的な性格をもつに至る必然性はどこにあるのか、 その論理の基礎的なもの、またその展開の経路などについて考えてみたい。
私はその基礎的なものは、救われる者の慶びの心情であり、 その心情の必然な論理性によるものであり、 それを「救済の論理」といいたいのである。 もちろん「救済の論理」といえば、救者である如来からの論理、 救いの論理が主体となるべきものであろうが、 自分はいま、被救者の立場、救われる者の心情から生ずる 必然的な面を取りあげて「救済の論理」と名づけたいのである。 それによって、浄土真宗の如来善の絶対性と、 衆生悪の絶対性の生ずる必然の論理を究明したいのである。
救われる者の慶びの心情の構造ともいうべきものは、 宗祖の説かれた「教行信証」の三哉がよくその内容を示しているようである。 三哉とは「誠なる哉」「慶しき哉」「悲しき哉」の三である。 「誠なる哉」は総序の文に一カ所あるだけであるが 「慶しき哉」は総序の文と後序の文の二カ所にあり、 「悲しき哉」も信巻の終わりと、 化巻の三願転入の文の前との二カ所にある。 しかも、この三哉は第二の「慶しき哉」の心情が中心になって 展開されるもののようである。
すなわち、救われる者の慶びはそれは誠のものであり、 真実のものでなければ慶べないのである。 阿弥陀如来の願力、名号は真実であり、 誠なるものであるから慶べるのである。 だから、総序の文には「誠なる哉、、摂取不捨の真言、 超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」 と説かれたのである。 このことを考えると「誠なる哉」とは 「慶しき哉」の内容として考えられるのである。 しかもその「慶しき哉」は、遇い難きものに遇い、 聞き難いものを聞いたという心情のとき、 一層つよく感ぜられるものである。 それが総序の文に「慶しき哉、西蕃月支の聖典、 東夏日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、 聞きがたくしてすでに聞くことを得たり」と示されてある所以である。 この遇い難きものに遇い、聞き難いものを聞き得たという慶びの心情は、 外部的なものであって、もしこれを自分の内面的なものでいえば 「救われ難き私が、今救われるとは」ということになるのである。 この「救われ難き私」とは、自分の悪人という反省である。 だから、自分が救われ難い存在、 罪悪深重であるという意識が強ければつよいほど、 救われる慶びが強くなるのである。 この悪人の救われる心情をもっとも適切に示されたものが、 善導大師の信心の具体的なものとして示された 「二種深信」であるといってよいのであろう。 悲しき哉の心情は、 二種深信の機の深信にあたるものとして味わうべきである。
「悲しき哉」という言葉は、 宗祖は信巻末の真仏弟子釈の結文(大信の結文とも見るべき)のところに用いられているもので 「誠に知りぬ、悲しき哉愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、 名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、 真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷むべし」 とある。 しかも、これは大信の徳を言葉を極めて讃嘆し、 本願を信ずるものを真仏弟子といい、 弥勒と同じとほめ「臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」 とたたえた後に記されたものである。
ここで注意すべきことは、 聖人は多くの場合「愚禿釈鸞」といわれるのに、 ここれは「釈」を略されているということである。 このことは、自分は釈氏ではない、 仏教徒としての資格もないのだという強い反省が動いていたのではないかということである。 この「悲しき哉」という自己現実の反省は、 そうした悪人が今、救われていくとは・・・ という慶びに変わり、慶びを新たにして深めるものである。 それはいつも「誠なる哉」という、 間違いのない如来の無惓の大悲につつまれている者の反省であるからである。若し大悲の救いの内省のないものなら 「恥づべし、傷むべし」という言葉は出ないのである。 この「誠なる哉」と「悲しき哉」とが相たすけて、 「慶しき哉」を深めるものであるというべきである。
私はこの「誠なる哉」と「悲しき哉」の 二を二種深信と合わせて味わっているのである。 それは、「誠なる哉」のない「悲しき哉」は意味をもたないもので、 救われる者の一面としてのみ意味をもつものであると考えるからである。しかも、この二は、 二種深信のように矛盾性を吹くんだ一の信心の内容であるから、 信心の味道の深まりとして、 慶びの内容を動して行き、深めるものだといってよいでしょう。
872 :
名無しさん@3周年 :03/09/01 00:55
/\___/ヽ / ::::::::::::::::\ . | ,,-‐‐ ‐‐-、 .:::| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 、_(o)_,: _(o)_, :::| / ヽ . | ::< .::| < 尊師さま 巨根だ! \ /( [三] )ヽ ::/ \____________________ | | |n ヴィシッ! (⌒ \ .( E) 。ρ゚。 \ \_// /⌒゚。゚ //\ _/) ゝ .ノ // \ ) / / ドクドクッ υ ( . |/ ./ | / ビクンビクン . ノ ノ●● 丿 丿| / /| / // μ ∪ `ー‐--‐‐―´
873 :
名無しさん@3周年 :03/09/01 17:15
私はこの「誠なる哉」と「悲しき哉」の 二を二種深信と合わせて味わっているのである。 それは、「誠なる哉」のない「悲しき哉」は意味をもたないもので、 救われる者の一面としてのみ意味をもつものであると考えるからである。しかも、この二は、 二種深信のように矛盾性を吹くんだ一の信心の内容であるから、 信心の味道の深まりとして、 慶びの内容を動して行き、深めるものだといってよいでしょう。
えへへ
「悲しき哉」という言葉は、 宗祖は信巻末の真仏弟子釈の結文(大信の結文とも見るべき)のところに用いられているもので 「誠に知りぬ、悲しき哉愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、 名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、 真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷むべし」 とある。 しかも、これは大信の徳を言葉を極めて讃嘆し、 本願を信ずるものを真仏弟子といい、 弥勒と同じとほめ「臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」 とたたえた後に記されたものである。
駄スレの予感
878 :
名無しさん@3周年 :03/09/02 22:43
>>877 じゃよはやめい。門番とまちがわれるからのう。
879 :
名無しさん@3周年 :03/09/02 23:19
あげあげあげ
881 :
名無しさん@3周年 :03/09/03 23:23
882 :
名無しさん@3周年 :03/09/03 23:23
883 :
名無しさん@3周年 :03/09/04 23:03
おいおい、チビ丸がまたジャンヌに書いてるぞ。 ったく、次々と。。。
884 :
名無しさん@3周年 :03/09/04 23:37
>>883 >おいおい、チビ丸がまたジャンヌに書いてるぞ。
放置プレイでいきまっしょい。
885 :
名無しさん@3周年 :03/09/05 11:15
というより、門番と通行人がやられそうなので、目くらませでに出てきたのでは。 ちなみは、私は門番=チビ丸説。
チビ丸説にはぶっ飛ぶな、あれは門番以下だろ。
888 :
名無しさん@3周年 :03/09/05 20:01
なんといっていいのか、チビ丸は。 以下の書き込みは真宗学の知識のないものでも、レベルの低さがよくわかる。 あれだな。インフォームド・コンセントなんて言葉の意味も知らないかもしれない。 最近の医療に関する議論もまったく知らないのだろうな。 会員の現実社会に対する無知と、その無知で持っても一方的に社会を裁断する愚かさがよく示されている。 * * * タイトル:妄語 嘘は言えないんだから、仏法者は医者にはなれないね。 「あなたは癌です。後3ヶ月」聞かれれば言わざるをえない。 あるいは黙るか。 仏じゃないから「方便は使えない」そうだから。 だれもこんな医者にはかからんよ。馬鹿げた話だ。
>>888 それと被害妄想の固まりだろう。
一体どうして都合が悪いんだ???
ジャ○ヌが既に管理者不在になって久しい事を知らないし、
掲示板の仕組みを殆ど理解してないな。
* * *
タイトル:掲示板
ページが増えましたね。以前は5ページ程あったように思いましたが。
都合悪いと減らすんですね。管理人さん。
二種深信とは一信心(深心)の二性格であって、 それは「どうしても救われない者」が「疑いなく慮りなく、如来によって必ず救われる」という機法二種の深信であるから、 そこには「救われない者が救われる」という矛盾性をもっておる。 しかも、この二種深信は決して一時的なものではなく、 臨終までつづくものだといわれている。
臨終まで続くということは、いつまでもくりかえす循環性であるということを示すものである。 だから、二種深信とは、矛盾性・緊張性・循環性の三性質を有するものであるというのである。
矛盾性があるから、緊張し循環するのである。 「落ちる者が、間違いなしに救われるとは」、 だのに現実には「また落ちることばかりやっている。でも間違いなしに救われる」と、 くりかえされるのである。 それは「誠なる哉」と「悲しき哉」の無限の循環であるといってよいのである。
この「落ちる者が救われる。救われるのに叛いておる。叛いていても救われる」という繰りかえしが慶びを、 いよいよ深めるものである。 無限というものは、いつも繰りかえしによって生ずるものであり、その繰りかえしは、 いつも内面的には相反する矛盾性を含むものである。
信仰の味道がたえず深まり、思想が常に深まって行くのには、 その内面に含む矛盾性によるものであるといってよいでしょう。 しかし、その場合に信心の内容としてその反対性である 「疑」があるといってはならないのである。
それは信心自身のもつ、 二種深信の矛盾性であるというべきであり、 それは慶びの内容を深めるものであって、 往生の因法である信心が深まったり、 動くと考えてはならないのである。
この二種深信の矛盾性による円環性が、 救済教においては、 如来の救済力の絶対性という思想になり、 一面では被救者である衆生の絶対悪の思想となり、 救いは如来の一方的な力によるものであり、 救いに関しては衆生の参加を無限に否定する、 絶対他力の思想となるのが救済教の必然的な思想というべきである。
空華学轍のもっとも特色のある思想の一つには本有仏性否定の思想であろう。 しかも、 この思想が真宗教学の中心である行信論・助正論の基礎にもなるものであるから、 もっとも注意すべきものである。
一切衆生悉有仏性という思想は「涅槃経」以来の実大乗といわれる仏教の定説となっているものであって、 初期宗学においては、 ほとんど問題にもならなかったのである。 浄土真宗において、これが問題になったのは、 宗学が研究されて、浄土に往生するのが如来の願力・名号によるものであるとの 他力思想が深く考えられるようになってからである。
具体的には、月筌(1671〜1729)の時代であるといわれている。 しかしこれが大きく問題になったのは、 僧鎔・柔遠両師からだといってよいだろう。
しかも、信心仏性説を明瞭に主張し、 本有仏性を否定したのは柔遠からであるといってよいのである。
本有仏性の問題は、一切衆生に成仏する可能性が本来あるかどうかについての問題であって、 一切衆生が成仏するという大乗仏教においては、 衆生には本来仏性があるといわざるを得ないのである。 因果律の立場からいえばそれは自力・他力の相違があるにしても成仏するという果が生ずることは果の生じない前に、 果となるべき可能性のあることをあらわすものである。
だから、それは阿弥陀如来の仏力他力によるものにしても真宗の信者が、 名号を信じて成仏するのであるから、 名号を信ずれば成仏するという仏性は、 当然私に存在しているのだということが出来るのである。
因果律のものの考え方は、 果が生じたということは、果にならない前に、 その果の生ずべき因の存在を認めるものである。 だから、自力他力の別はあるにしても、 成仏すべき因のあることをそれ自身があらわすものである。
この意味で僧叡(1762〜1826)が本有仏性を「聖浄起化の宗源」と、 仏性は聖道教にしても浄土教にしても、 その化導のおこる根本であると、 因果律の問題としたことは注意すべきであって、 この因果の立場にたつかぎりには一切衆生の本有仏性は肯定せねばならないのである。
しかし、二種深信の機の深信の立場、 救われて行く者の喜びの立場からいえば、 私にたとえそれは如来回向の名号であっても、 名号の回向にあずかれば成仏する可能性が本来あったのだと思えるだろうか。 絶対他力とは、自力の無限否定だといった意味もそこにあるのである。
その絶対他力の思想からいえば、本有仏性は否定せなければならないのである。
この意味では、 本有仏性を肯定するか否定するかは、 あくまで因果の論理の立場にたつか、 信者の救いの慶びの心情に立つかの相違ともいえるのである。
この点では宗学は単なる論理であるという立場を忘れてはならないのではないか。 この意味で現在ひろく学界で用いられている 「無自性仏性説」も、 この説を説いた道振(1773〜1824)も 「無自性空とは仏智見の立場からいうものである」といっている。
如来の立場からいえば、衆生に成仏の可能性のあること、 如来との連続性のあることは論をまたないものである。
絶対から相対へは連続だが、 相対から絶対へは断絶であるとは、 哲学者の常にいうところであって、 如来(絶対)から衆生(相対)へは連続であるが、 衆生より如来へは断絶であるといってよいのである。
だから、 この説を考えるときには「仏智見」であるということは もっとも注意すべきである。
僧鎔師の本有仏性否定の論理はあまり明瞭ではなく、 柔遠師も信心仏性以外には宗祖には仏性というべきものはないと力説されているが、 その論理については十分につくされたとは思わないのでありこれが完成されるのは、 善譲(1806〜1886)鮮妙(1835〜1914)の遍満仏性説であろう。
この説は十分ではないが、 僧鎔師の時からあって、如来の正覚は久遠であり、 阿弥陀如来は法界身であり、 衆生の心中にも遍満しているからその仏性も無始より存在しているのである。
だから、 衆生に存在しなかった時はないがそれは衆生本来のものではなく、 仏性の遍満によるものだとの主張があり、 これは衆生に有する仏への志向性はことごとく如来よりのものであるという、 絶対他力の思想から来るものである。
絶対他力を主張するときには、 獲信の因縁である宿善も当然、 如来のはたらき、仏力他力によるものといわざるを得ないのである。
この説を完成したのは行照(1795〜1862)である。 師の説は「宿善とは当相自力・体他力」であるといわれている。
この思想は、いまだ入信せない者にとっては自力だと思っているが、 獲信者の立場からいえば、 宿善そのものは如来の調熟の光明に外ならないというものである。
宿善とは獲信の因縁となるものではあるが、 宿とは宿世という意味であるから、 厳密にいえば「前世の善」という意味である。
しかし、宿善とは必ずしも前世の善根だけではなく、 獲信の前刹那までの因縁とするのであるが、 この場合でも「宿」という文字のついているかぎり、 それは獲信以前にいうべきものではなく、 獲信者が獲信の原点に立って、この信心をいただいたのには、 あの因縁もあり、この因縁もあったのだと反省した立場での名目である。
だから、当相自力、体他力の思想は、宿善とは他力であり、 如来の調熟の光明であるということになるのである。
宿善に自力・他力の異った学説の生ずる理由は、 宿善を往生遅速の要因とするか、 自己の獲信させていただいた慶びの上にたつ因縁とするかという、 基礎的な態度の相違からくるものだと思われるのである。
したがって、宿善そのものが自力や他力かを論ずる前に、 宿善とは往生の遅速の理由を説明するものか、 獲信の因縁を慶ぶ心情の立場から見るものかの決定が必要であり、 そのいずれの立場にたつかによって、 説の相違が分かれるのである。
それは「大経」の文 若人無善本(もし人、前世に善本がなければ) 不得聞此経(この経を聞くことは出来ない) 清浄有戒者(清い戒律を守った者でなければ) 乃獲聞正法(この正法を聞くことは出来ない)
また「御一代記聞書」(307)の 陽気陰気とてあり。されば陽気をうくる花は早くひらくなり。陰気とて日陰の花は遅くさくなり。かやうに宿善も遅速あり、されば已今当の往生あり。弥陀の光明にあひてはやくひらく人もあり、遅くひらく人もあり。 とある文などによって、衆生の往生について、已・今・当の往生の遅速のあるは宿善の厚薄によるものだと考える人々があるのである。
この人々の考えによれば、 衆生の往生に遅速のあるのは宿善の厚薄によるもので、 宿善の厚いものは早く往生し、 薄いものは遅く往生することになるのだと考えるのである。
如来の光明は平等にはたらくのであるが、 平等に照らされていながら、 往生に遅速の出来るのは宿善によるものだとすればその宿善とは、 人間各自の積む善根であり、 自力的なものとならざるを得ないのである。
だから、自力とはいわないが、 「自の善」だという学者もあらわれるのである。
古来、宗学においては多くの先哲は、宿善を往生遅速の論理だと考えられて来たので、自力的な色彩が強いものがあったが、 「教行信証」の総序に ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ とあり、「御一代記聞書」には 宿善めでたしといふはわろし、御一流には宿善ありがたしと申すがよく候 とあることによって、宿善とは、如来の光明であり、「よろこぶべき」であり「有難し」と思うべきであり、他力であると主張するのが、空華学轍の特色だといってよいのである。
空華学轍の特色をもっともよく顕すものは、 行信、助正の問題であろう。 しかも、このことは、 何によって浄土に往生するか(行信論)宗教者の生活はどうあるべきか(助正論)の問題であって、 宗学における中心問題でもあり、本願寺派に多くの学派が生じたのも、 主として行信の取りあつかい、特に大行の問題が中心であったことは、 いまさらいうまでもないことである。
大行論においては 「大行とは能所不二、鎔融無碍の法体大行」 であるというのである。 この能所不二の大行という説は、 法霖の主張にもあるが、 これを力説したのは僧鎔をはじめ、 空華の先哲であるが 「能所不二、鎔融無碍の法体大行」 という言葉を用いられたのは善譲である。
その意味は大行とはかたちの上では、 名号でもいえるし、 称名でもいえる。
しかも、その所称の名号を能称の称名とは無碍一体のものであるが、 その大行といわれる立場は法体の大行、 如来の立場、名号の立場でいわれるものであるという学説である。
すなわち、大行といわれるものは、 如来の名号であり、 衆生の称名でもいわれるものであり、 その名号と称名とは不離不二のものであるが、 大行といわれるものは、その原点に立てば、 如来の立場である法体名号が主体となるものであると説くのである。 これが空華轍の一貫する大行観だといってよいのである。
この主張は、常に聖人の言葉を重要視したものであって、 絶対他力の思想からいえば、 大行は如来の名号だと説明すれば、思想としても、 聖人の思想展開からいっても、 説明しやすいものであるが行巻の大行釈には 大行とはすなわち、無碍光如来のみ名を称するなり とあり、さらに経文の引用の終わったところには、 称名破満といって、称名によって衆生の一切の無明を破し、 衆生の一切の志願を満す浄土往生が出来ることを明かされてある。
この二文は、明らかに衆生の称名を大行と示されたことは動かないものである。 この文によると衆生の称名を大行とされたことは、 文から見て動かすことの出来ないものであるから、 衆生の称名を大行といわなければならなかったのである。
しかし、その大行は第十七願より出たものであるといって、標挙には 諸仏称名の願、浄土真実の行、選択本願の行 といってあり本文にも しかるに、この行は大悲の願より出たり といって、第十七願の五願名があげられている。
だから、大行とは第十七願によるものであるということは、 極めて明白なことである。
しかも、その願名はいくつもあるなかで、 とくに「諸仏称名の願」の願名をもちいられてあることに 注意すべきものがあるのである。
この第十七願の意味からいえば、 大行とは「諸仏の称名」であり、 私たちにとって所聞の名号というべきである。
この大行とは何かを示すのに、 聖人は同一のところにおいて、 一面では衆生の称名であって衆生の所聞の名号だと示されてある。
この意味からいえば、 聖人は大行とは衆生の称名でもあり、 諸仏の称名である名号でもあると表現されているのである。
すると聖人は衆生の称名と諸仏の称名である名号とは 不二のものであると考えていられたことは明瞭である。
944 :
名無しさん@3周年 :03/09/06 15:15
あなた、何ものですか?
しかも、その能所不二の不二の立場を軽くして能行の衆生の称名に重点をおいて能行系の学説があらわれ、 諸仏の称名である名号に重点をおいて所行系の学説がおこったのである。
空華学派はその両文を認め、 文の意味を十分理解して、能所不二の学説をたて、 しかも、大行といわれるものは、 不二ではあるが法体大行であるというのである。
その意味は、大行とは諸仏の称名でも、 衆生の称名でも、どちらでもいえるものであるが、 その主体的な立場は「諸仏の称名」であると主張するのである。
行巻の始めに示された文を忠実にみると、 大行とは「諸仏の称名」であるという表現(名号)と 「衆生の称名」だという表現(称名)との二つがある。 そのいづれを主とするかにより能行系と所行系との学派が出来るのである。
能行系の人々は 「大行とはすなわち、無碍光如来のみ名を称するなり」 と宗祖が申されているのだから、 大行は衆生の称名でなければならないのであると主張するのである。
この場合には、何故に宗祖は第十七願の諸仏称名の願を出されたのかが、 解決しなければならない問題となるのである。
また、大行とは「諸仏の称名であり、衆生にとって所聞の名号である」 と主張する所行系の学者にとっては 「大行とは衆生の称名である」 と申された宗祖の言葉をどう理解するかが問題となるのである。
それで所行系の学者のほかには 「称無碍光如来名」の「称」を「かなう」という意味で 「大行とは無碍光如来のみ名にかなう」ことであると解釈する方もあったのである。
しかしあの文はすなおに無碍光如来のみ名を称える、 称名大行を示す文を見るのが当然である。 それで空華の学者たちは、あの文によって、 衆生の称名も大行といわれるのであると説くのである。
それで大行とは名号でもあり称名でもある。 しかも、その名号と称名とは不二であるから、 いずれも大行とはいえるが、 その究竟的な立場からいえば、 法体である名号が主になるのであるというのが 「能所不二、鎔融無碍の法体大行」という空華の説である。
では、どうして衆生の称名が諸仏の称名(名号)と不二になるのかというに、 その重要な表現の一に「称即名とまきあがる」というものがある。 それがこの学轍の不二の最要の表現であるとも思われるのである。
>>954 他無数のkへ
コピペうざいぞ。ちゃんと対話汁。
それは衆生の称名がそのまま諸仏の称名である名号と 「位が同じく」なるという意味であり、 自分の称えた称名がそのまま聴聞の名号の位にまきあがるのだと 主張するのである。
958 :
名無しさん@3周年 :03/09/06 15:37
出てけ、このやろう。
ここに空華学轍のいう「称名」の意味が、 善導・法然によって説かれてきた、称名念仏と、称名の意味、 念仏の意味が大いに異なるものがあることに 注意しなければならないのである。
すなわち、行巻の「称無碍光如来名」とは、 無碍光如来のみ名を称えることではあるが、 それは在来、日本浄土教で用いられて来た称名ではなく、 自分の口から出て下さる南無阿弥陀仏ではあるが、 それは行巻で示される「本願招喚の勅命」 としての南無阿弥陀仏とするのである。
だから、この六字釈の意味からいえば「称無碍光如来名」の称名は、 信後の報恩の称名ではなく、 自分の口から出るものではあるが 阿弥陀如来が「我に帰せよ」の招喚の勅命であり、 自分にとっては聞きものという立場に立つものである。 この意味で「称即名とまきあがる」というのである。
この行巻の六字釈がなければ、 諸仏の称名と衆生の称名とが不二一体であるという意味が、 十分理解することが出来ないのではないか。
名号が称えられているのだから、 能称と所称とが不二だといわれても十分ではないが、 私の称名が単なる仏名を称するものではなく、 如来のよび声であり、本願招喚の勅命であり、 称えながら聞きものである場合でハッキリと称即名といえるのである。
それは諸仏の称名は、私にとって聞きものである。 もし私の口から出て下さる南無阿弥陀仏が如来のよび声であったら、 私の口から出るものではあるが、 私にとっては「聞きもの」である。
諸仏の称名も聞きものであり、 私の称名も聞きものであるという立場にたったとき、 はじめて純粋に「私の称名」が「諸仏の称名」と不二一体になるのである。
そこにはじめて能所不二であり、 しかも、所称の法体の名号を大行という説が成立するのである。
この意味で行信論を論ずる場合行巻の六字釈は注目すべきものではないか。 経文の引用が終わって称名破満が説かれ、 龍樹以下五祖の引用が終わった私釈に六字釈を出し その名号によって必得往生と示されているのであるが、 この帰命釈は在来の解釈とは全く異なった解釈をほどこし、 衆生のものであるべき帰命を如来の勅命とされたのである。
これは在来の称仏名は衆生の称名であったものを、 諸仏の称名と同じく、 衆生は称えながら所聞の位で味わうべきことを示されたもののようである。
この立場で「称無碍光如来名」を理解しなければ 「称即名とまきあがる」とか 「衆生の称名がそのまま諸仏の称名と同位になる」 という意味が理解されないのである。
970 :
名無しさん@3周年 :03/09/06 15:59
age
空華学轍の特色のもっともよくあらわれているものの一つは「助正論」である。
助正論は宗教生活の問題であるから、 宗教者としては大切な問題であり、 重大なものであるが、 その生活の上にも、絶対他力の思想に立つか否かで、 考え方の相違が生ずるのである。
助正論は広島において、 大瀛門下と僧叡との争いによって有名になり、 問題ともなったのであるがそれは、 報恩行に助正ありや否やということで、 大いに議論されたのである。
僧叡は弘願の報恩行に助正があり、 正業といわれるものは称名であって、 読誦等の四法は助業であると主張するに対して、 大瀛門下の人々は助正というは往生業についていうことであって 報恩行には助正の区別はなく、平等である、 助正があるというは往生の因についていうことで要門分斉であるというのである。
空華学轍はもちろん、 弘願の報恩行には助正なしという説をとるものであって、 報恩行はことごとく名号の顕現にほかならないのだというのである。
往生の因法について、 衆生の自力的なものを無限に否定する絶対他力の思想は、 報恩行についても、 仏祖の報恩の行となるべき善的なものは、 ことごとく如来回向のものであり、 回向の名号の顕現であるというのは、 その思想傾向からいって当然であろう。
第一弘願助正説において、 南無阿弥陀仏の名号が称名にしか顕れないというのは、 あまりにも名号の意味を狭くとっていないか。 もちろん、善導、法然の二師は称名に力を入れて、 念仏とは称名にかぎるものであり、 称名に最高の価値を認めて、 浄土教においては称名はもっとも価値あるものとされたが、 報恩行にまで、称名の価値だけを高く意味づける必要があるのであろうか。
名号は称名だけにしか顕現しないという思想は、 名号の意味を十分理解しているとはいえないのである。
979 :
名無しさん@3周年 :03/09/06 16:30
age
名号とは「大経」によると、 その仏の徳を広く讃嘆する広讃の意味である。
経に名号の内容を明瞭に示されてあるものは、 第十八願成就文の「聞其名号」のところだけである。 その文は第十七願、第十八願成就文の 十方恒沙の諸仏如来は、 みなともに無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃歎したまふ。 あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん とあるところに名号の内容が示されてあるのである。
この文によると、 名号とは十方恒沙の諸仏如来が讃嘆したもう、 無量寿仏の威神功徳の不可思議なることであり 古来「広讃」といわれるものである。
983 :
名無しさん@3周年 :03/09/06 16:44
なにこれ?
984 :
名無しさん@3周年 :03/09/06 16:46
もちろん、称仏名には「観経」下品に説かれる 「南無阿弥陀仏と称えるもの」もあるのである。
だから、先哲は讃嘆には広讃と略讃とあるといわれ、 少なくとも「大経」では名号とは広讃の名号となっているのである。
この意味からいえば、四十八願の中にいく度も「聞名」といわれるものは、 第十七願成就文の諸仏の広讃の名号を聞くことだというべきである。
また、宗祖は教巻において「大経」の真実教であることを 証明するために示された三論理のなかの 第三に「名号為体」の経なるが故にとある。
すなわち「大経」が真実教といわれるのは、 第一には釈尊出世本懐の経であるから、 第二には一切衆生を無条件で救う第十八願が中心の経であるから、 第三には、名号を体質とした経であるからと説かれてある。
この「名号を体とする」ということは、 その経のどの部分にも名号の行きわたった経であり、 経の全部が名号讃嘆にほかならないという意味である。
この意味からいえば、 釈尊が説かれた「大経」は、 阿弥陀如来の徳の広讃にほかならないのであるから、 私たちが読経するということは、 釈尊が名号の広讃歎をなさったのを口まねしているのだから、 略讃の称名と同じ意味だといってよいのである。
このように味わってくると、 読誦は名号の広讃であり、 称名は名号の略讃であるから同価値のものといえるのではないか。 讃歎についても同様のことがいえるのではないだろうか。
空華学轍においては、 衆生には本来善根といわれるものは、 まったくないものだと説くものであるから、 報恩行という善的なものも、 私の本有のものではなく、 如来回向の名号が微々としてあらわれるものだと説くのである。
だから、称える称名はもちろん、 おがむ手も、 うなずく頭も、 ことごとく如来回向の名号の顕われであるというのである。 したがって、報恩行としては、 同じく名号の顕現であるから、 いずれの行も同一の価値で主伴をつくべきではないと説くのである。
弘願助正では、称名だけが名号の顕現であって、 読誦・観察・礼拝・讃嘆供養は、 如来回向の名号のあらわれた称名に随伴して、 人間の本来有したものがあらわれるので、 名号の顕現は、ただ称名にかぎるものであり、 読誦等は名号のあらわれではないと主張するのであるから、 名号の広讃を許さないことになるのである。
南無阿弥陀仏の名号には、 そんなせまい限界をつけなければならないものだろうか。 蓮如上人が「御一代記聞書」に 万事につきて、よきことを思ひつくるは御恩なり、 悪しきことだに思ひ捨てたるは御恩なり。 捨つるも取るもいづれもいづれも御恩なり とある。
この場合の御恩というは「お恵み」の意味である。 だから、この文は、人間の一切の止悪も作善もことごとく 如来のお恵みだと教えられるものである。
また同じく「聞書」には 丹後法眼衣装ととのへられ、前々住上人の御前に伺候候ひしとき、 仰せられ候ふ。 衣のえりを御たたきありて、南無阿弥陀仏よと仰せられ候ふ。 また前住上人は御たたみをたたかれ、 南無阿弥陀仏にもたれたるよし仰せられ候ひき。 南無阿弥陀仏に身をばまるめたると仰せられ候ふと符合申し候 とある。
蓮如上人は、しばしば自分の所有する者に対して 「如来の御用物」とか 「如来聖人よりたまわりたるもの」と申されているが、 それがさらに深化すると南無阿弥陀仏の具体的なあらわれで あると考えられていたようである。 それがお衣を南無阿弥陀仏といい 畳を南無阿弥陀仏といい、 自分の周囲をとりまくものはすべて 南無阿弥陀仏であると考えられていたのである。
この蓮如上人の教示からいえば 名号は略讃の称名となってあらわれるはもちろん、 広讃の讃歎として現れるだけではなく、 私を生かしめるための、 あらゆる物として顕現するものであるといえるのである。 だから、拝む手も、称える口も南無阿弥陀仏といった 先哲の言葉もうなずけるのである。
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