α〓〓〓マリヤ像は粗大ゴミ〓〓〓ω

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◆マリヤ崇敬が間違いである証拠◆ 必読>>1-20
@マリヤ崇敬は、神に背く偶像礼拝です。出エジプト記20章4節
A偶像礼拝をすると悪霊と交わる事になります。第1コリント10章20節
B人は、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められ救われるのであり、マリヤ崇敬によって救われるものではありません。ガラテヤ2章16節
C神と人との間の仲介者は唯一、人としてのキリスト・イエスであり、マリヤは仲介者では有り得ません。第1テモテ2章5節
Dイエスは霊においては父なる神と等しく、肉においては人と同じです。主イエスが人として生まれたのはマリヤからですが、神と同質の神の御子として生まれたのは造られたすべてのものより先であり、マリヤは神の母では有り得ません。コロサイ1章15節
E聖書のどこにも(外典にさえ)「マリヤ崇敬をせよ」とは書かれていません。黙示録22章18節
Fカトリック教徒が聖伝と呼ぶものは、正典に匹敵するものではなく、信仰基準とは成り得ません。内容が正典に反するものなど論外です。マルコ7章8節

以上のように、マリヤ崇敬が間違いである事は確実であり、反論の余地は全くなく、一見、反論のような書き込みがあっても、それは全て詭弁に過ぎません。又、いくら詭弁を並べても、荒らしても、マリヤ崇敬が間違いであるという事実は変動しません。

カトリック教徒が掲示板上で、傍観者を名乗ってプロテスタント批判をしたり、プロテスタントを名乗って同様の妨害をする場合が以前ありました。惑わされないようにしてください。

エキュメニカルに関して
カトリックの教義には、多くの迷信が含まれています。彼等とは団結するべきではありません。

必読事項を直後に書き込む予定です。その後は、カトリック教徒が出鱈目な事を多量に書き込むと予想されます。惑わされないで下さい。

ルルド、ファチマ、落涙等の奇跡に関しては、おおよそ次のようなものです。>>1-20
2:02/07/04 04:09
◆奇跡に関して◆
ルルドでは一人、ファチマでは三人の子供が、マリヤを見たと主張しただけです。その中には、後に、修道院に入った者もいますが、当時は四人とも無学で、小学校にも行っていません。
ルルドでマリヤを見たという修道女の遺体が百年以上、腐敗していないというのは、ウソです。腐敗(若しくはミイラ化、又は、白骨化)した遺体にロウを被せて、腐敗していないと主張しているだけです。
ルルドの水を飲むと病気が治ると言いますが、町興しのために大袈裟な宣伝をしているように思われます。教会も、いくらか伝道になると思って黙認、助長しているようです。
人を惑わす為に、悪霊が実際に病人を治す場合も稀には有るでしょう。
しかし、悪霊に健康状態を悪くされたり、病気と思い込まされている人が、ルルドの水を飲んだり浴びたりした際、悪霊が、その人から手を引いて、奇跡的な治癒に見せかけている場合が多いのではないでしょうか。
ルルドの水を飲んでも浴びても、殆どの場合、何も起こらない事は言うまでも有りません。
ルルドの洞窟に置かれている多数の松葉杖の殆どは、足に怪我をした人が病院で手当てを受け、完治し、不要になった松葉杖を、置いて行ったものであり、奇跡とは無関係です。
1917年5月から10月に、ポルトガルのファチマにマリヤが現れたというのは、子供の作り話、又は、子供が悪霊によって幻覚を見た事に端を発する騒動です。
ファチマでマリヤを見たという少女の遺体が腐敗していないというのも、ルルドの修道女の遺体と同様、ロウ細工による奇跡の捏造です。
10月13日に起こったという太陽の奇跡に関しては、悪天候時に急に太陽が出たので、奇跡を期待して集まっていた人たちが太陽の方を見て、眩しさのあまり錯覚を起してしまったものです。
しかし、何万もの人が同時に同じ錯覚を起したとは思えません。一部の人が錯覚を起し、パニック状態になり、他の人もつられて大騒ぎになり、何か大変な事が起っているような雰囲気になってしまったのだと思われます。悪霊の影響もあったでしょう。
第一次大戦中で精神的に不安定な人たちが、奇跡を期待して何万人も集まっていたのですから、そのような事があっても不思議ではありません。新聞も、売り上げを伸ばす為に大袈裟に書き立てた筈です。
3:02/07/04 04:10
稀に、マリヤの像が涙を流したという報道があります。しかし、仏像等が涙を流したと報じられる事もあり、それと同様、悪霊による怪奇現象です。
CBSドキュメントによると、簡単な細工をするだけで像から落涙させる事も出来るそうです。

★マリヤ崇敬は聖書に反する行為です。それに伴う奇跡は、癒しを含めて、悪霊による怪奇現象と、人と悪霊による演出です。

日本のカトリック幹部は、秋田市で起こったマリヤ像からの落涙等の現象に否定的です。
彼らも、マリヤ崇敬が聖書に反する間違った行為である事を知っており「マリヤ崇敬に伴い奇跡が起こった」という情報があっても、虚偽、又は、悪魔的なものと考えているからです。間違いと知っているならば、やめるよう指導するべきです。

◆カトリック教徒の心理状態◆
意地になって反発するカトリック教徒の心理状態は、次のようなものであると、私は考えます。

1、彼らは遅くとも、何度か忠告を受けた段階で、間違いに気付いています。
2、マリヤ崇敬の罪を犯す事をやめたり、マリヤ崇敬をやめるべきだと主張して批難される事を恐れ、マリヤ崇敬の罪を犯し続けている。
3、「マリヤ崇敬を正しい行為と信じ込んでいる事を装い、悪いと知らずに罪を犯しているように振る舞っていれば、不可抗力と見做されるのではないだろうか」と考えている。
4、「正しいと信じ込んでいる事を装うには、この罪を平然と犯し、正当な行為だと主張していくべきだ」と考えている。(注意:正しいと信じている事と、正しいと信じている事を装う事は正反対です)
5、「誰かが、自分の愚かな言動とその害を見兼ねて、間違いが容易にまかり通ってしまう世の中を何とかするだろう」と、愚かな期待をしている。

※彼らの愚かさは、彼ら自身の愚かな言動によって、主の御前で明らかなものとされるでしょう。
4:02/07/04 04:10
◆協力者の皆様へ◆
カトリック教徒がまともな書き込みをする事は殆どありません。マリヤ崇敬は確実に間違いであり、まともな反論など有るわけがないのです。
スレッドの冒頭の部分が存在し、時々上がる程度でも、十分にカトリック教徒への忠告になります。時々、上げてくださるよう御願い致します。
書き込む場合には、どちらを支持しているのか、わかるようにして下さい。敵か味方か、わからない者が戦場をうろついていたら、どうなるか考えて下さい。
プロテスタントが忠告しなかったら、誰が忠告するのでしょう。
他のサイトで引用したり、プリントして配布しても構いません。

★福音派にカトリック教徒が移ってきた際、生じる問題について。
マリヤ崇敬をしてきた元カトリック教徒は、それが是か非かという事を悩んでいる筈です。
その事に関して、牧師に質問するでしょうか?おそらく出来ないと思います。他の事ならばともかく、マリヤ崇敬の事など質問出来る雰囲気ではないのです。
仮に質問をした場合、マリヤ崇敬が聖書に反している事くらいならば、牧師は答える事が出来るでしょう。
しかし、それだけで元カトリック教徒が納得するとは思えません。奇跡の問題があるからです。マリヤ崇敬に伴う奇跡の事で質問されて、答えられる牧師は少ないのではないでしょうか? それに関しては述べてあるので参考になさって下さい。
5:02/07/04 04:11
◆詭弁封じ◆
@青銅の蛇やケルビムは神の命令によって作ったもの。神が「マリヤの像を作れ」と命令した事はありません。神が「マリヤ崇敬をせよ」と命じた事もありません。興味深い事に、青銅の蛇は後に偶像化し、ヒゼキヤ王に破壊されています。第二列王記1〜7節
聖書が一貫して偶像を禁じている以上、神が特別に命じない限り、それを作るべきではありません。
A「礼拝ではなく、崇敬をしているのだから良いのだ」という主張は自己満足の詭弁に過ぎません。実際にローマ法王が、手を合わせてマリヤ像を拝んでいます。カトリックのマリヤ崇敬は偶像礼拝です。
又、カトリック教徒の多くは「マリアを礼拝にならない程度に敬っている」という自覚など持っていません。
B「神殿に向かってひれ伏して良いのだから、マリヤ崇敬をしても良い」という主張は詭弁です。神殿に向かってひれ伏す事は、神に向かってひれ伏す事と同じです。イザヤ6章1節
※神殿の形の偶像を作って拝んだら、偶像礼拝には違いありません。

このスレッドを見てマリヤ崇敬を迷信と知った人は、黙っていないで名乗り出て、忠告する側に回って下さい。

イシス崇拝との関係
http://www.kajima.co.jp/prof/culture/freud/collection/egypt2p-j.html
http://www.toshima.ne.jp/~yufu/sub5-3.htm
http://www.ffortune.net/symbol/egypt/gods/isis.htm
http://www.kt.rim.or.jp/~r_toki/talk/57page.html

カトリック教徒が犯している罪の中で、マリヤ崇敬に匹敵する罪があるので付け加えておきます。それは、聖餐のパンを神として礼拝する偶像礼拝の罪です。黙示録2章18〜29節のテアテラ教会は、ローマカトリック教会の事だと言われています。
6:02/07/04 04:11
7:02/07/04 04:12
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1000127135
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1015180259
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1015862098
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1019796236

ここで忠告を受けたカトリック教徒に言っておきます。
マリヤ崇敬をしても救われません。イエスを救い主と信じ、心の中に受け入れて下さい。
マリヤ崇敬が間違いである事は明らかです。しかも、あなたは、それを知っています。
カトリック内部でマリヤ崇敬に反対する運動を起すか、速やかにカトリックを離れ、福音的な教会へ移って下さい。

これまでに、私以外の者が「俺」と名乗って書き込みをする場合が時々ありました。単純な荒らしの他、部分的に混乱を招くような要素を含む、巧妙な荒らしなどがありました。
混乱を避ける為に、次のレス以降では「俺」とか「1」とは名乗らずに書き込むつもりです。

重要な事は以上です。次以降は、出鱈目な事が多量に書き込まれると予想されます。惑わされないで下さい。

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8マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:13
マルタ嬢のマリヤ崇敬批判中間報告>>8-100

次のことが決定的に証明されています。カトリックを知らない人はよく読んでください。

エレミヤ書44章記載の、異教の偶像への愛着から離れられずにいるイスラエルへの神の怒り。それは「天の后」という名のエジプトの女神イシス、別名アシタロテ崇敬に対する神の怒りでありました。

そのイシス女神崇敬は、ユダヤ教の時代を生き抜き、キリスト教の時代にマリヤの名で崇敬されるようになりました。
マリヤがイシスの別名であるのを良いことに、イシスから離れられずにいる異教からの改宗者はこの紛らわしいマリヤイシスをイエスの母を拝んでいると称して崇敬し始めました。

この堕落教会については、昔アシタロテイシスをユダヤに持ち込み神に呪われた女予言者イゼベルに汚された「テアテラ教会」として、黙示録2章に記載されています。
テアテラが栄えた4世紀に、マリヤイシスがキリスト教会に異教の改宗者を通して入り込んできました。神はいわれます。

黙示録2:20 しかし、あなたに対して言うべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女のすることを大目に見ている。この女は、自ら預言者と称して、わたしの僕たちを教え、また惑わして、みだらなことをさせ、偶像に献げた肉を食べさせている。
2:21 わたしは悔い改める機会を与えたが、この女はみだらな行いを悔い改めようとしない。
2:22 見よ、わたしはこの女を床に伏せさせよう。この女と共にみだらなことをする者たちも、その行いを悔い改めないなら、ひどい苦しみに遭わせよう。
2:23 また、この女の子供たちも打ち殺そう。こうして、全教会は、わたしが人の思いや判断を見通す者だということを悟るようになる。わたしは、あなたがたが行ったことに応じて、一人一人に報いよう。
9マルタ ◆7MiQXQsw :02/07/04 04:14
こんばんわ。新スレッドですか?
10マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:14
この教会の行く末は、黙示録17章、18章に預言されています。神は言われます。
黙示録17:1 さて、七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、わたしに語りかけた。「ここへ来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。
17:2 地上の王たちは、この女とみだらなことをし、地上に住む人々は、この女のみだらな行いのぶどう酒に酔ってしまった。」
17:3 そして、この天使は“霊”に満たされたわたしを荒れ野に連れて行った。わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。この獣は、全身至るところ神を冒涜する数々の名で覆われており、七つの頭と十本の角があった。
17:4 女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。
17:5 その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。
17:6 わたしは、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれているのを見た。この女を見て、わたしは大いに驚いた。
17:7 すると、天使がわたしにこう言った。「なぜ驚くのか。わたしは、この女の秘められた意味と、女を乗せた獣、七つの頭と十本の角がある獣の秘められた意味とを知らせよう。
17:8 あなたが見た獣は以前はいたが、今はいない。やがて底なしの淵から上って来るが、ついには滅びてしまう。地上に住む者で、天地創造の時から命の書にその名が記されていない者たちは、以前いて今はいないこの獣が、やがて来るのを見て驚くであろう。
17:9 ここに、知恵のある考えが必要である。七つの頭とは、この女が座っている七つの丘のことである。

この教会の最後はこうです。神は言われます。
黙示録17:16 また、あなたが見た十本の角とあの獣は、この淫婦を憎み、身に着けた物をはぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼き尽くすであろう。
17:17 神の言葉が成就するときまで、神は彼らの心を動かして御心を行わせ、彼らが心を一つにして、自分たちの支配権を獣に与えるようにされたからである。
17:18 あなたが見た女とは、地上の王たちを支配しているあの大きな都のことである。」
11マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:15
18:1 その後、わたしは、大きな権威を持っている別の天使が、天から降って来るのを見た。地上はその栄光によって輝いた。
18:2 天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、/あらゆる汚れた霊の巣窟、/あらゆる汚れた鳥の巣窟、/あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。
18:3 すべての国の民は、/怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、/地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、/地上の商人たちは、/彼女の豪勢なぜいたくによって/富を築いたからである。」
18:4 わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、/その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。
18:5 彼女の罪は積み重なって天にまで届き、/神はその不義を覚えておられるからである。
18:6 彼女がしたとおりに、/彼女に仕返しせよ、/彼女の仕業に応じ、倍にして返せ。彼女が注いだ杯に、/その倍も注いでやれ。
18:7 彼女がおごり高ぶって、/ぜいたくに暮らしていたのと、/同じだけの苦しみと悲しみを、/彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『わたしは、女王の座に着いており、/やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない。』
18:8 それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、/死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、/力ある主だからである。」

古代イスラエル王国はおのれの背信の罪によって裁かれました。紀元前723年に、アッシリアに首都を陥落され、王侯貴族以下多くの民が連れ去られました。背信とは異教との融合を許して、純なるかみへの信仰を汚したからです。

同じことを、イエスの契約によって新しいイスラエルとされたキリスト教会も行っていますが、特にカトリックははなはだしいのです。同じ過ちを許していれば、第2のイスラエル陥落は避けられません。

実にそうなると黙示録は預言しています。どうか、このような背信に加わることのないように祈ります。一人でも多くの方が目を覚ましますように。
12マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:16
マルタ嬢のマリア崇敬批判(2)

死んだキリスト者が復活する日
死者の魂はどのような状態に置かれているのでしょうか。キリストにありて死んだ人は復活の日まで眠ります。
復活の日とは、主が再びこられて御使いの最後のラッパが響くときです。そのとき、まず、キリストにありて死んだ人々が復活し、次に生きている人々が復活します。
死者の魂はその時まで眠りについていて、いまだ永遠のいのちは与えられていません。神は言われます。

ヨハネ
「5:27 また、父はさばきを行なう権を子に与えられました。子は人の子だからです。
5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。
5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。」

Tテサロニケ
「4:13 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
4:14 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
4:15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
13マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:16
Tコリント
「15:21 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
15:23 しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
15:24 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。」

黙示録20章でこれら最初に復活した人々がキリストとともに諸々の民を治める千年期が終わるときに、最後の審判が訪れ、第2の死が決定します。
古い天地は消えて新しい天地が現れます。そこで永遠の生を受けるのは、子羊のいのちの書に名前の書かれている人々です。

そこで、今も眠りについて復活を夢見ている死んだ聖人を崇め敬うのは偶像礼拝の罪です。私たちは、永遠に生きておられるイエス様を通して、天の御父を崇めなければなりません。

主イエス様だけが神の救いであり、唯一神の執り成しであり、救いの門です。それ以外の門から入るのは「盗賊」のすることです。神は言われます。
14マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:17
「ヨハネ10:1 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は盗人で強盗です。」
「10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」

心の偶像が1番の罪です。それが外の偶像を造らせ、霊とまことによる神の礼拝をできなくさせてしまうのです。神は言われます。

「ヨハネ4:23 真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

わたしたちはキリストが再び到来し、御使いが最後のラッパを吹き鳴らすときに、塵に眠れる聖徒たちが復活するのを見、ともに主の御許に上げられます。

「Tコリント15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
15マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:18
この最後のラッパが鳴り響くまで、マリヤを含め、死んだどんな聖徒も眠りについたままです。永遠のいのちは与えられていません。いのちなきものになぜよりすがれるでしょうか。
聖書のみことばを無視すれば、どんなことも言えます。しかし、それはもはやキリスト教ではありません。マリア信仰は異教からきた天主教の作り事です。

いのちなきものを崇めてはなりません。
復活のときに活ける聖徒と合流できる栄光に胸を膨らませるのはよいけれど、崇めるのは過っています。

聖人の聖徳を見習い、信仰の糧にするのはよいことです。マリヤはその模範です。受胎告知のとき、天使のみ声に素直に「主のみ心が行われますように」とマリヤはいいました。

イエス様もまた、ゲッセマネの祈りで、同じ言葉をいわれました。『御心が行われますように』は主の祈りの中にも入っています。クリスチャンの何より大切な心がまえです。

カナの婚礼でも、マリヤは、「主の言われるままにしなさい」と言いました。このような聖徒の徳に見習うのは大切な事です。

ロザリオの祈りの前半部分は、イエスをみごもることによって祝福されたマリヤに対する賛美の言葉です。それはよいでしょう。
しかし、主、イエスをみごもることによってのみ得られた賛美であることを忘れないようにしましょう。

イエスなくしてマリヤは女のうちにて祝福されることはありませんでした。ロザリオの後半は、明らかに作為的な祈りです。死んで眠っているマリヤには罪人のために祈る権限はありません。
16マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:19
イエス様の右の十字架にかけられたよき盗賊の例を出す人がいます。彼は、「今日、共にパラダイス(園)にいるでしょう」と主から御声をかけられたから、キリストを信じた人はみなこの二千年間天国に入っているというのです。それはちがいます。

イエス様が復活し、父のみもとにいって栄光をお受けになったのは、2日後の日曜日でした。金曜に盗賊に約束されたパラダイスは、天国ではありません。

パラダイス(庭という意味)には新約聖書では少なくとも3つあります。
少なくとも、生前パウロは第3の天を訪れましたので、第1、 第2の園が他にもあります。
よき盗賊が行った園は、キリストにあって死んだ魂が最初にいく第1の天。キリストによって分かたれた死者の霊が、御使いの最後のラッパが鳴り響く、主の来臨の日まで眠り続ける場所です。

マリアを装う別の霊は反キリストの霊です。プロのかたは警戒してください。
17マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:19
マルタのマリヤ崇敬批判V
「神の法を変える王」
マリヤの無原罪の宿りはトレント公会議でも疑われ教理に採用されませんでした。それは19世紀の半ばになって初めて法王が作り出した教理で、被昇天の教理は1950年に初めてつくりだされました。
こんなことは聖書とは何の関係もありません!このとき以来、教皇はマリヤをイエスより上に位置付ける努力を必死でしてきまた。
レオ13世は、回勅「デビヌム・イルト」でマリヤを「神の妻」と呼び、ピオ12世はマヤを「天主の一人娘」、「ことばの完全の母」、「聖霊の妻」、「全被造物に先立つひとり児」と呼びました。(PapalTeachings)

これらをまとめてみましょう。
天主が最初におうみになった一人娘、マリヤが、神と結婚して「ことば」を生み、ことばが化身してイエスになったというわけです。ことばの完全の母であり、全被造物に先だって存在したひとり児。

しかし、キリスト教の聖書はまったく違うことを証言しています。
ヨハネ「1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
18マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:20
法王によって、マリヤは「神の妻であり、神の娘であり、神の母」とされました。このような、女神を父の娘とし、妻とし、イエス様より前にもってくる法王の教えは神の霊感によって書かれた聖書とまったく矛盾します。
それは聖書の真理を踏みにじる行為なのです。

面白いのは、エジプトで発見された「ナーグ・ハマディ文書」にイシスの啓示として、法王の定義したとおりのことばが出てくることです。イシスはこんなドキュンな託宣をします。
「私は神の妻で、処女。私は神の母で、神の娘。私は父の母で、夫の妹」法王がマリア様にくっつけた尊称とイシスのそれとがそっくりなのはどういうわけでしょう。笑えますね。

どうか、イエス様のお母様にイシスの称号を与えないでください。イエス様のお母様を、これ以上汚さないでください。
あたしたちプロテスタントは、イエス様のお母様をクリスチャン女性の模範として尊敬していますが、異教の女神の扱いは、本当のマリヤ様を侮辱するもので、許されるものではありません。

この恐るべき事実をどうか知ってください。いくら聖母崇拝をしても、日常のクリスチャンとしての言動がキリストのようでなければ、けっして救われません。
聖書に記されているイエス様のみ言葉は、それだけで私たちの救いに十分です。
19マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:21
『マリヤが万物より先に存在し、神の妻になってことばを生んだ』という法王の嘘に対して、聖書は真理を証しします。

コロサイ「1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。
1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。」

マリヤ様は、肉におけるイエス様の母に過ぎず、神のことばの母ではありません。
人間に過ぎないマリヤをイシスの権威に高め、巧妙にイエス様の権威を損ってマリヤ崇拝に変えようとするカトリックの恐るべき陰謀は、まもなく、法王が発令する「マリヤ共贖者宣言」に結晶するでしょう。

これによってマリヤは実質的にキリストにすり代えられます。現に、共同贖罪を唱える信心は教会公認です。そこでは十字架にかけられたマリヤを絵や像にして販売しています。彼らはマリヤ崇敬だといいますが本心は崇拝です。
歴代の法王がマリヤを創造主と同レベルにおいているのですから、こうなるのは当然の結果なのです。

このようなイエス様の御母をイシスの座に引き上げる、多神教と変わらない誤った崇拝行為に、どうか騙されないで下さい。
20マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:21
マルタのマリヤ崇敬批判4
「黙示録の2人の女」

前から言っていますように、黙示録13章の第1の獣はローマ帝国、人で言えば皇帝ね。ダニエル8章以降の幻と重ねればわかります。

ローマ帝国は神聖ローマ帝国を含め、宗教指導者の第2の獣とともに政教一致でヨーロッパを支配しましたが、神聖ローマ帝国は革命の剣を受けて19世紀初頭に崩壊しました。以後、社会主義革命の時代で今に至っています。
17章の緋色の獣は13章の第1の獣とイコールでは結びつきません。
冠があリませんから。この獣はもう出てきていますが、グローバル社会主義にもってくるにはまだ時間がかかります。支配の拠点は最終的にローマからエルサレムに移るでしょう。ローマは火で焼かれます。革命の火です。(17章)
獣の頭は剣(革命)の傷を受けてもやがて復活します。ローマ帝国の復活です。古代のローマ帝国の領土、ヨーロッパの今後を見ててごらんなさい。最後に、獣の十角、10王に共同統治されるときがきます。そこで利用されるのが黙示録。
12章の12星冠の女のシンボルが復活ローマ帝国で利用されます。実際、EUのあらゆるシンボルに、獣にまたがった12星冠の女が使われ始めています。
黙示録の本当の意味を曲解し、バビロンの大淫婦が12星冠の女に摩り替っているんです。これほど好都合なことがありますか?

ローマ帝国誕生秘話は各種の伝説に残っています。獣に跨った女の伝説。ギリシャローマ神話を調べてごらんなさい。この巧妙な「すりかえ戦術」にカトリックは騙されていますね。
21マルタ嬢の書き込みより:02/07/04 04:22
イシスはマリヤにすりかわり、大淫婦は12星冠の婦人にすりかわっているのです。最後に反法王が法王にすりかわり、反キリストが再臨のキリストにすりかわります。アンチキリストのアンチは「代用」の意味です。
そして、昔のような祭政一致のローマ帝国が復活します。

それに乗っかる大淫婦の額には「大バビロンという秘められた名」が書かれていました。大淫婦はカトリックではありません。反キリストの密教です。
遠く、アッシリア、エジプト、バビロニア、ペルシャ、ギリシャ、ローマを通して今にうけつがれている、偶像を通して神々を崇める古代密教です。カトも含めキリスト教組織は第2の獣に統合されて、この古代密議を権威付ることになるのです。

なぜ気付かないのでしょう。早く気づきなさい。気づいたときには「像」を捨てたくなるでしょう。マリヤ様は像など祭ってほしくはないのです。像を祭ってほしいのは大地の女神です。

俺さんの仰ることは、残念ながら、当たっているのです。あたしも昔マリア像をもっていました。3個ぐらいあったかしら。今は処分して、すがすがしい気持ち。早く処分してね!崇敬という儀礼行為を卒業して、マリヤ様の聖徳に倣うようにしましょう。