1 :
名無しさん@1周年 :
02/02/21 01:51 1 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 01/11/20 08:43
■わかる人(ボランティアさん)は、回答してあげてね!お願いしま〜す。
■回答してもらったら、確認のためにも、お礼をひとことお願いね。
■議論が本格的になりそうなときは、スレを立てて移動してね。
■2chのことをもっと知りたい方、初めての方はこちらへどうぞ!
【2ちゃんねるガイド】
http://www.2ch.net/guide/ (クリック)
■付録
・
>>2 2chで分からないことあるとき キリスト教@質問箱の過去ログ
・
>>3 【800】でのスレッド更新と、旧スレを倉庫送りにする方法
・
>>4 削除依頼の方法
∧_∧____
/(*゚ー゚) ./\
/| ̄∪∪ ̄|\/ みんなの質問箱を、これからも、よろしくお願いします!
|____|/
,,,,∪∪,,,,,
2 :
名無しさん@1周年 :02/02/21 01:52
2もーらい
3 :
【2chの疑問はこのページ 過去ログ】 :02/02/21 01:56
4 :
【スレッドの更新と倉庫送りの方法】 :02/02/21 01:58
800レス、容量でなら480kbぐらいで(512KBがスレの限界です)、
スレッドをお引越し(更新)させましょう。
http://www.skipup.com/~niwatori/#kokoroe (容量の確認方法) 「全部読む」>右クリック>プロパティ>サイズ
更新した旧スレッドは、 使わないようにしましょう。
かつては「過去ログ倉庫」行きをお願いすることができましたが、
現在「倉庫送り」は機能していないようです。
5 :
【"””削除””"依頼の方法】 :02/02/21 02:05
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
Λ_Λ | 君さぁ こんなスレッド立てるから |
( ´∀`)< 厨房って言われちゃうんだよ |
( ΛΛ つ >―――――――――――――――――――‐<
( ゚Д゚) < おまえのことを必要としてる奴なんて |
/つつ | いないんだからさっさと回線切って首吊れ |
\____________________/
■■□■■どうせならこのスレッドに書き込め■■□■■
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/dame/1012489602/l50 (-_-) ハヤクシンデネ…
(∩∩)
□□□□■□□□□□■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□■■□□□□□■□□□□□□□■■■■■■■■■■■■□□ □□■■□□□□□■■■■■■□□□□□□□□□□□□□■■□□ □■■□□■□□□■□□□□■□□□□□□□□□□□□■■□□□ □□■□■■□□■■■□□■■□□□□□□□□□□□■■□□□□ □□□■■□□■■□■■■■□□□□□□□□□□□■■□□□□□ □□■■□□□□□□□■■□□□□□□□□□□□■■□□□□□□ □□■□□□■□□□■■■■□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □■■■■■■□□■■□□■■□□□□□□□□□■□□□□□□□ □□□□■□□□■■□□□□■■□□□□□□□□■□□□□□□□ □□■□■□■□□□□■■□□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □□■□■□■□□□□□■■□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □■■□■□■□□□□□□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □■□□■□□□□■■■□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □□□□■□□□□□□■■■□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □□□□■□□□□□□□□■■□□□□□□■■■■□□□□□□□
あなたはこのスレッドを立てた時、 どれだけのレスがつくと思っていましたか? 500?それとも1000? 今現在、モニターの前でどきどきしながらリロードを繰り返していることと思います。 でも残念ながらこのままのペースでは、自作自演でもしない限り レス100も突破することなく、 数々の駄スレと同じ運命をたどって 奥深く埋もれていくことは確実でしょう。 「自分の立てたスレは他の奴らが立てた”駄スレ”とは一味違う!」 きっとあなたはそんなふうに思っているのでしょう。ですが、 客観的に見てあなたのスレッドは、残念ながら「低レベル」と言わざるを得ません。 あなたが立てた「一味違うスレッド」というものは、 普段あなたが一笑に付し軽蔑している「駄スレ」の正にそれなのです。 ちょっとした勘違いから生まれたスレッドによって、深く傷つくあなた。 そんなあなたが気の毒でなりません。 人は誰しも幸せになれるはずなのに・・・。 だからあなたにこのレスを書きました。sageも入れないでおきました。 私のこのレスが「レス100突破」に微力ながら貢献できるのならば、 そして私のこのレスによるageが、スレッド再燃に微力ながら貢献できるのならば、 こんなにうれしいことはありません。2ちゃんねるという場所ですら、周りと噛み合うことができなかった 不器用なあなたに、両手いっぱいの幸せが訪れますように・・・。
9 :
名無しさん@1周年 :02/02/21 03:23
>>8 >sageも入れないでおきました。
sageてるじゃん。
10 :
dendo. :02/02/22 16:10
精進age
>>1 お疲れ様です。
ローカルルールタグ変更完了です。
次ぎからは、1さんが批判要望板でやって味噌。
使っちゃだめなのかい?ここは?
したい質問がたまってしまうよ
>>1 さん
まぁ間違いは誰にでもあるんで気にしないように
誰も答えてくんないなぁ
16 :
dendo. :02/02/26 16:46
ってか質問がかかれてないから答えがないのではないでしょうか。
17 :
名無しさん@1周年 :02/02/26 20:13
18 :
名無しさん@1周年 :02/02/26 22:32
1コリに 「自然からして男が髪を伸ばしたら恥」とありますが、何故でしょうか。 ほっておけば、男女とも髪は伸びるのではないでしょうか。 それともパウロは自分が禿げでコンプレックスの正当化をしたかったのでしょうか。
19 :
名無しさん@1周年 :02/02/26 22:49
私はいただきますスレでちょっと下らない言い争いをした自称仏教徒です。 ぜんぜん敬虔ではないが(w で、教えていただきたいのだが、キリスト教徒は犬やら猫やらに魂を認めない とそのスレの(たぶん)キリスト教徒が言っていたのだが、これ本当? そこらへんの動物ひき殺してしまっても仏教徒が感じるような悔恨の念みたいの は生まれないわけ? そこらへんはっきりして欲しいワケです。 よろしくお願いします。合掌。
20 :
名無しさん@1周年 :02/02/26 22:54
>19 そのはずです。 創世記において、神が人(アダム)に息(=魂)を吹き込んだとあります。 従って、吹き込まれていない他の動植物には魂はありません。自由意志もあ りません。 ついでに、イヴは神がアダムに息を吹き込んだあとで、アダムの脇の骨から 作られ、その時に息を吹き込んだとはかかれていないので、「女には魂はな いのではないか」というのは、中世の神学トピの一つでした。 あと、アダムは脇の骨を取られたから、代々!男性は肋骨が女性より一本少 ない筈という神学的解剖学!?の見解もありました(藁
21 :
名無しさん@1周年 :02/02/26 22:55
いのちはあるけどスピリットはないのね。 でも、だからあぼーんしていいわけじゃなくて、みんな神様から 与えられたいのちだから、それは大事にしなきゃね。アーメン。
22 :
名無しさん@1周年 :02/02/26 23:31
生命はあるけど魂はないのか。 キリスト教では生命と魂は別物なのか? 魂ってなんなの? 仏教でも魂があるから生きているなんて考えないことが多いけれど 生命のなんたるかはそれなりにきちんと説明されている。 あなた方に生命のなんたるかを説明できますか? それは尊いものでは無いのですか? いっぱいイパーイ疑問がわき上がる解答だ。
23 :
名無しさん@1周年 :02/02/26 23:43
>22 キリスト教では、霊・魂・肉体と言う構造になっています。 幕やというのがあって、外庭(肉体)ー聖所(魂)ー至聖所(霊)といいまして、 神が命の息を(霊)を吹き込み、人は生きています。 キリストの救いはこの「至聖所=霊」に神が入ることを意味します。 被造物はすべて神がつくられたものなので、21さんの言うようになります。
24 :
名無しさん@1周年 :02/02/26 23:56
>23
ご丁寧にありがとう。素人で悪いね。
>神が命の息を(霊)を吹き込み、人は生きています。
ってことなのに
>>21 >いのちはあるけどスピリットはないのね。
ってのは矛盾しています。
いのちとは生命でしょ?
魂がないのに生きているんでしょ。
それとも犬や猫は生きていないの?
25 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 00:05
一応誤解の無いように言っておくが、煽っているのでも無ければ 揚げ足を取っているのでも無いよ。 知りたいだけだ。
26 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 00:07
聖書が正しいっていう証拠だせやゴルァ!!
27 :
dendo. :02/02/27 00:09
とりいそぎ。
アリストテレス以来の
植物魂(栄養を取る。育つ。受動的)
動物魂(動く)
理性魂(考える)
つーのと聖書の記述を中世人が突きあわせて、
>>23 みたいな
霊魂観が形成されたのね。それをさらに日本語に翻訳するときに
たぶん上のじゃ煩瑣だから、魂と霊という言葉にわけたわけ。
あと 23 をよくよめば、犬・猫に魂がないとは書いてないと思われ。
(霊はないけどね、23の書き方だと)
28 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 00:20
うーん、いよいよコンフュージングゥ^^; 用語を統一しようよ。 人に入っているのは霊?魂? 犬猫の生命の源は魂? 話の流れから判断すれば、23の言いたいことは人以外の畜生に 魂は入っていないと考えられるんだと思うんだが。 まあ私は概念がわかれば満足するんで(ちょっと不安だが) べつにここで使う用語が世間一般に通用してなくても構いません。
29 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 09:49
さて件の質問者だが、あなたたちはフランダースの犬を知っているか? 悲しい物語だ。おれは泣けたぞ。 で、その物語の中、お犬様のパトラッシュは主人公のネロと一緒に 天国に召されるのだ。 ふたりが寄り添って亡くなる場所は教会の中だ。 カルピスこども劇場では天使だってちゃんと降臨する。 この物語はキリスト教圏で大ブレイクしたのだ。 作者はウィーダとかいうイギリス人だが、こいつは「銀色のキリスト」とか言う 聞いたことも無いような小説を書くなど明らかにクリスチャンだ。 つまりだ、教義がどうこう言う前にクリスチャンだって犬はかわいいのだ。 本当は一緒に天国に連れて行ってやりたいんだ。 本場のイギリス人がそうなんだからきっとそうだ。間違いない。 こういう人間の本性みたいなものとつじつまを合わせるようなうまい理屈(教義) はなんか無いんですか?
30 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 09:59
フランダースの犬、泣けるけどオープニングのアニメで既に天使が 出ちゃっててネタバレさせてんのがマイナス10ギルダー
31 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 10:14
>>29 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
支配するという事は、気まぐれに殺しまくっていいという事ではない。
管理・監督し、導き、守り、育んでいかねばならない。
国王が、自ら支配する国民に愛着を感じず、無碍に扱うだろうか?
脳が、自分の四肢を大事にせず、腐らせようとするだろうか?
犬猫を最も大事にするのは、聖書を信じる国の人々である事を考えなさい。
32 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 10:17
>>29 神さまからの預かり物を粗末にする聖書の民などいるものか。
大事に大事に世話するに決まってるだろ。
大事に世話してれば、愛着だってわく。
魂があるかないかとは関係ない。
あんたは魂が無ければ大事にしないのか。
33 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 10:40
>>31-32 なるほどそう言う理屈か。仏教のように対等じゃあないけれど支配者と
して愛情はそそいでやるわけだ。ようやくわかりました。
ありがとうございます。
生かすも殺すも支配者次第と言うわけですよね。
支配するとはそういう意味だ。
意に添えば無限の愛情を注ぎ、意にそぐわねばばっさりやる。
欧米文化が見えてくる。なるほど。
キリスト教における「魂」は誰のでも同じ重さなのですか?
「ひと」は皆平等なの?
被支配者はどうですか。
被支配者間では犬でも猫でも牛でも豚でもゴキでもバイキンでも
平等?
それは人様が決めることかな。
34 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 10:45
おっとそうそう、大事なことを書き忘れた。 愛情を注ぐなら、食いもんにするときに何故懺悔の念を抱かない。 そこらへんの理屈も教えてください。
35 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 10:59
>>34 神に対する敬愛と
人間の対する情愛と
動植物に対する愛着とは
まったく別物
神の定めた自然の掟に逆らい
それをごっちゃにする愚行を犯すと
しっぺ返しを食らい
悲劇を生む
いま日本では
権勢症候群(アルファ・シンドローム)にかかる犬が増えて
問題になっている
愚かな日本人が
仏教的な平等意識から
人間に対するのと同じように犬を愛し
犬に「自分がリーダーなのだ」と勘違いさせてしまったからだ
その結果
人間に牙を剥いた犬は保健所に引き渡され
屠殺されるという悲劇的な結末を招く
ペットに
人間に対するのと同じ情愛を注いではいけない
人間と同等などと思ってはいけない
そんな事をすれば
ペットにとっても
人間にとっても
悲劇が待ち受けているだけだ
36 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 11:09
>>33 > 生かすも殺すも支配者次第と言うわけですよね。
> 支配するとはそういう意味だ。
> 意に添えば無限の愛情を注ぎ、意にそぐわねばばっさりやる。
そういう支配者が成功したためしはない。
そういうのは「暴君」というのだ。
真の支配者は、王道を知っているものだ。
「支配」の意味を履き違えてはいけない。
37 :
dendo. :02/02/27 13:48
>愛情を注ぐなら、食いもんにするときに何故懺悔の念を抱かない。 そのためにキリスト教には「斎」(ものいみ)があります。 正教では週に二日、また年に数回(数週間)、ほとんどの動物性蛋白質を 摂取せずに暮らします。 神様は人間が肉体の欲求に打ちかてない弱い存在であることを あわれんで、お肉やお魚を食べることをおゆるしくださいましたが、 聖書はそれが人間本来の姿でないことも語っています。 斎によって、「お肉おいしいよ〜」というある意味あさましい自分の心性や 「お肉たべたいよ〜」「ううっ。ついお肉たべちゃった。罪悪感感じるけど やっぱりお肉っておいしいよぉ」という自分のいじきたなさ、穢や罪という ものを再認識して、そうして人間が神の赦しによって存在していることを 再認識するのでし。 でも今週は斎のない週なので、冷蔵庫のチーズとたたかっていまし。 (このモンドール、熟成しすぎ……)
38 :
パトラッシュ :02/02/27 22:43
キリスト教にもいろいろあるみたいですね。 アイデンティティを明確にするためにも数字でいいからコテハン使ってほすい・・・ 私は件の仏教徒(敬虔じゃない)です。 マターリいきます。でもちょっとしつこいかも。 「いただきます」スレでもレスもらったんでこっちにもコピペしておきます。 うざかったらゴメン。
39 :
パトラッシュ :02/02/27 22:44
以下引用っす。
67 :名無しさん@1周年 :02/02/27 10:07
>>66 逆の立場に立って考えてみよう。
聖書的な価値観から、君のような仏教的価値観を見ると・・・
まず、聖書的には、人間以外のものには魂は無く、すべては神により、人間の糧として創造されたのだから、それらを監督・管理する義務はあっても、それを食料として食べる事には何の痛痒も感じない。
ただし、それを創り与えてくだすった神には、感謝の祈りを欠かさない。
ところが仏教では、全ての生あるものには魂があると考えるわけだから、何かを食べるという事は、同じ魂ある生物を、同胞を、自分が生き長らえるために、あえて食らう、という事になる。
これは、聖書的な価値観からすれば「とてつもなく恐ろしい事」だ。
親兄弟を殺し、食っているのと同じだからだ。
犬畜生にも劣る、人肉食らいの外道というわけだ。
それでもなお、君は「仏教が唯一接待に正しく、他の大多数の人類は間違っている」と言い張れるのかね?
教典の民とて、魂の無い犬猫や家畜に憐れみは感じるよ。
逆に、神の命令によって人間は地上の全ての管理者と定められているのだから、神の被造物として動植物を大事にするのは使命だ。
家畜を解体する時も、食べる時もまた、それを創り与えてくだすった神に感謝して行う。
実に理にかなった世界解釈ではないかな?
それでもまだ、「仏教の価値観だけが自然で完璧な世界観で、それ以外は不自然で間違っている」と言えるのかね?
68 :名無しさん@1周年 :02/02/27 10:58
6%しかいないのに相手してくれてありがと。
わたしゃ
>「仏教が唯一接待に正しく、他の大多数の人類は間違っている」
なんて言い張ってないし
>「仏教の価値観だけが自然で完璧な世界観で、それ以外は不自然で間違っている」
とも言っていない。
そんな敬虔な仏教徒でもないんでね。
今日のレスポンスはどっちのスレでも理にかなっている。
勉強になりました。
ちょっとお忙しいんでまた後でレスつけます。では。
詩篇36:7 で、主は獣も救って下さるって ちゃんと書いてますよ
41 :
dendo. :02/02/27 22:50
あと、創世記によると肉食が許されたのは洪水以降だよね。 書いてないけど、そこから類推すると、それ以前は肉食は禁じられていたか 行われていないか、だ。 というわけで「動物は本来人間が食べるために創造された」という動物観を 創世記に直接見いだすのは難しいんじゃないかな。
42 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 22:53
神が清めたものを、清くないなどと、あなたは言ってはならない。 ↑だから肉でも何でも食うぜゴルァ
43 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 23:03
オナンについて一言。
44 :
名無しさん@1周年 :02/02/27 23:40
オナンはオナーニじゃなくて、膣外射精だよ。
45 :
名無しさん@1周年 :02/02/28 08:13
つまり、避妊は自然に逆らう行為だからイカン、中出しせよと?
46 :
名無しさん@1周年 :02/02/28 09:19
これ以上「生めよ、増えよ、地に満ちよ」やったら共倒れだろう つか漏れの言いたかったのは「だからオナーニはよし」ということなんだけど(w すげー罪悪感持たされてんじゃん、オナーニに。 たまったものは適当に出しましょう。体に悪いです。
47 :
パトラッシュ :02/02/28 10:11
これからまとめていっぱいレスする。多少うざくても我慢するように。
>>31 >犬猫を最も大事にするのは、聖書を信じる国の人々である事を考えなさい。
キリスト教圏のある国では獣医のソーシャルステータスが普通の医者を上回ります。
プロテスタントの国。
その国の動物愛語団体はテロリズムに近いとも聞きます。
そういえばグリンピースもキリスト教圏の団体だ。
やはりキリスト教と無縁ではなさそうですね。
なぜキリスト教圏の人々は理にかなわない暴走を繰り返すのでしょう。
>>32 >大事に世話してれば、愛着だってわく。
キリスト者のペットに対する愛着とは愛用の帽子や鞄と同質なものだと
言うことですね。あなたの言い回しだとそう言うことになるが。
>魂があるかないかとは関係ない。
>あんたは魂が無ければ大事にしないのか。
大事にしますよ。
形あるものは皆儚い。だから大事にします。
あなたの言うように、世話をしていたら結果として愛着がわいた、だから
大事にする、なんてそんな設定は必要ない。
48 :
パトラッシュ :02/02/28 10:13
>>35 >まったく別物
あなた、ここまではなかなかいい。定義をしっかりと教えてくれてありがとう。
でも、
>権勢症候群(アルファ・シンドローム)にかかる犬が増えて
からはちょっと痛いな。
>しっぺ返しを食らい
>悲劇を生む
に対する具体例を挙げているつもりなんだろうが、例ってのは一般化できないと意味ないのよ。
あんたのは思い付いて知ってることを書いてみただけ。
だいたいしっぺ返しなら、キリスト教圏がその思想の基に自然界を征服しようとして
得た手痛いしっぺ返しのほうがお犬様問題よりよっぽど重要だろ。
今のところあなたは議論に参加できるレベルにいない。
出直してきなさい。
>>36 >真の支配者は、王道を知っているものだ。
で、愛情を注ぐだけの真の支配者って誰さ。
そんな奴いるわけないでしょうが。
真の支配者とは愛と力を自由自在に操るもののことだ。
「支配」の意味を履き違えてはいけない。
49 :
パトラッシュ :02/02/28 10:13
>>37 >そのためにキリスト教には「斎」(ものいみ)があります。
知りませんでした。無知なんです、ごめんなさい。
仏教ではお肉に限らずお野菜にもいただきますをします。
生きとし生けるもの全てに感謝の念を、です。
ま、それは置いといて、あなたのお話ですと、キリスト教でも生々しい
殺生には悔恨の念を抱くと考えて良さそうですね。
でなければ神様がわざわざお肉を食べることを「許して」くれる必要なんて
ない。
>でも今週は斎のない週なので、冷蔵庫のチーズとたたかっていまし。
うーん、チーズもいかんのか。深いな。
>(このモンドール、熟成しすぎ……)
腹大丈夫かい・・・。
>>いただきますスレの67様。
>これは、聖書的な価値観からすれば「とてつもなく恐ろしい事」だ。
>親兄弟を殺し、食っているのと同じだからだ。
>犬畜生にも劣る、人肉食らいの外道というわけだ。
正確にいえば犬畜生と同じ、です。
もちろん親兄弟は食いません(^^;)。これは別のペナルティです。
が、大筋ではその通りです。生きている限りその恐ろしいことはついて回る。
言葉を借りればこれは仏教における原罪です。
仏教には残念ながら赦してくれる神様は想定されていないのでキリスト教徒
と違ってこの問題に正面から取り組まなくてはならない。
だからいのちをいただいているということになる。
>教典の民とて、魂の無い犬猫や家畜に憐れみは感じるよ。
その憐れみは何に惹起されるのか。
あなた方は机や椅子と犬猫を区別できるのか?
>実に理にかなった世界解釈ではないかな?
理にかなってますね。良くできている。
ただ、生物と無生物の境界に関する講釈をまだ受けていないんで
気持ち悪さが大いに残っています。
50 :
パトラッシュ :02/02/28 10:15
>>40 >詩篇36:7
>で、主は獣も救って下さるって
>ちゃんと書いてますよ
そうなんだ。じゃ、獣も天国にいけるんだね。よかった。
魂が入ってないのに天国に行けるのか。
天国に行くのは魂じゃなくて霊の方なの?教えて君でスマソ。
>>42 >神が清めたものを、清くないなどと、あなたは言ってはならない。
>↑だから肉でも何でも食うぜゴルァ
これは宗派の違いか?
ところでこれにはなんで誰も答えてくれないのだろう。
再掲!
>キリスト教における「魂」は誰のでも同じ重さなのですか?
>「ひと」は皆平等なの?
>被支配者はどうですか。
>被支配者間では犬でも猫でも牛でも豚でもゴキでもバイキンでも
>平等?
>それは人様が決めることかな。
51 :
dendo. :02/02/28 20:16
>>50 逆に清くなかったら、どうして普段は食べていいのか問題が発生する。
自粛と禁止は違うっしょ。
52 :
パトラッシュ :02/02/28 22:47
>>51 >逆に清くなかったら、どうして普段は食べていいのか問題が発生する。
私はあなたの文章から、本来食べてはいけないものを口にせざるを得ないから
物忌みがあるのだと受け取っていた。
違うのか?
>自粛と禁止は違うっしょ。
本来は同質だと思うが。
自粛するのは罪の意識があるからだろう。
禁止されているのは罪だからだろう。
どこが違うのだ?
53 :
dendo. :02/02/28 23:59
「かつてそうであった」のと「いまそうであった」のとは違う。 「神が清くされたもの」うんぬんは使徒行伝のエピソードなので それを参照されたし。 律法で禁じられた食物を取るよう幻のなかでペテロが勧められたのを 固辞して「神が清くされたものを拒むな」といわれたあと、それまで 宣教の対象ではなかった非ユダヤ人への宣教のきっかけができるエピソード。 ただ「本来そうでなかった」ことは罪(つーか人間の本来あるべきすがたから の頽落)を意味することも確か。罪は意識の問題ではなく、人間存在と 人間がそこに内属する世界のあり方の問題だ。斎は神への祈りと神の赦しに より、人間がかってそうでありえたかもしれない罪のない状態へ到りたい という切望を表現する。けっして斎が人を浄めるわけではない。
54 :
dendo. :02/03/01 00:06
あと肉食それ自体が罪悪視されていないのは、 妊婦や病人など身体をいたわる必要のある人々には斎は「禁止されている」 ことからも伺える。 斎は苦行ではなく、祈りの形。 52は願かけかなんかで自分の好きなものを断ったりした経験はないのかね。
55 :
青眼 ◆.t4dJfuU :02/03/01 00:06
リトル・ペブルのメッセージにご興味をお持ちになられた方は下記のサイトをご覧下さい。
また、もし彼を支持される方がいらっしゃいましたら
どうか、一箇所でも多くの掲示板にマリア様のメッセージを貼り付けて下さい。
一箇所でも多くのメーリングリストにマリア様のメッセージを流して下さい。
http://homepage1.nifty.com/charbeljapan/index.htm 我が子よ、私のことばや御子の御言葉を述べ伝えるために、しっかりしなさい。
あなたを嘲笑する者や……中傷する者達のことを心配することはありません! 今まで通り、大胆であり続けなさい。
そして、すべての者が悔い改めて御子へ立ち帰る時間を与えられて来ているということを、すべての者が知るように、私のことばや御子の御言葉を生きとし生ける者へ伝えなさい。
世のすべての子供達よ……覚えておきなさい! もう、あなた達の時は短いのです! 時間は速やかに過ぎて行き、最後の審判のあとの時間を越える永遠性は、もうすぐやって来るのです!
何故なら、御子の御腕が人類の上に隆りおろされているからです。
56 :
名無しさん@1周年 :02/03/01 00:11
宗教
58 :
パトラッシュ :02/03/01 09:46
どうなってるかと思ってワクワクして来てみれば、やっぱレスくれてるの dendoさんだけじゃないか。どうなってんの、キミたち。 ここに迷える外道の仏教徒が迷える子羊のごとく迷い込んで来ているというのに なぜなんのアクションも起こさない? おれはここで論破されて改宗しなきゃなんないかも、なんて思ってそれはそれは 期待していたのに。リトルペプシとか言うのでも見習ったらどうだ。 キミたちには七つの海を乗り越えて世界中を布教したキリスト教徒の末裔としての プライドとかちっとは無いのか。
59 :
パトラッシュ :02/03/01 09:48
>>53 >dendo.さん。
あんただけが頼りだ。
>「かつてそうであった」のと「いまそうであった」のとは違う。
これは自粛と禁止に対応しているのですね?
「自粛」は「ほんとはいけないんだけど赦されてること」を自発的にやらないこと
「禁止」は文字通り禁止されていること
と言う意味で使ったのだ、と言いたいんですよね。
そりゃ言葉の意味が違う説明にはなっていますが(当たり前)、
やっぱ本質は変わらないんじゃないの?
私は両方とも罪の意識の上に成り立つ行為だと指摘した。
あなたも罪だと認めた。
たぶんこれに関する回答が
>罪は意識の問題ではなく、人間存在と
>人間がそこに内属する世界のあり方の問題だ。
の部分なのかな。
はっきり言って何言ってるのかわからん(^^;
もっとわかりやすい言葉で言ってくれないとやだ。
私はキリスト教徒というのは罪の意識をモチベーションにして動いているものだと
ばかり思っていた。
>人間がかってそうでありえたかもしれない罪のない状態へ到りたい
>という切望を表現する。けっして斎が人を浄めるわけではない。
なるほど。
では斎を怠っても「罪」は発生しないのですね。ここは理解できたと思います。
60 :
パトラッシュ :02/03/01 09:48
>>54 >あと肉食それ自体が罪悪視されていないのは、
どっちなのだ。
あんたは
>>53 で
>ただ「本来そうでなかった」ことは罪(つーか人間の本来あるべきすがたから
>の頽落)を意味することも確か。
と言ってるんだぞ。
矛盾する回答は私のようなかわいい子羊ちゃんを路頭に迷わすだけだ。
なんとかしてくれ。
>妊婦や病人など身体をいたわる必要のある人々には斎は「禁止されている」
>ことからも伺える。
伺えませんって。
身体をいたわる必要があろうとなかろうと禁止されているならわかる。
しかし身体の保全に起因した「禁止」の目的は身体の保全に他ならない。
あなたは明らかに自分の論理に都合のよいように教義を曲解した。
これは罪にはならんのか?
>52は願かけかなんかで自分の好きなものを断ったりした経験はないのかね。
虚しいからコテハンで呼んで。せっかく作ったのにい。
ちなみに願かけ自体あんまりしないんでねぇ。経験あるかもしれないけど
覚えてないなあ。その程度です。
61 :
名無しさん@1周年 :02/03/01 14:09
>>41 アベルとカインの奉げ物が農作物と牧羊とだった事からして、楽園追放後は肉類と農産物
の両方とも人類の食べ物だったのではないかな。
62 :
Rikimaru7 :02/03/01 14:20
パトラッシュ、君の文章は読む気が起こらない。 読みづらい
>>34 >愛情を注ぐなら、食いもんにするときに何故懺悔の念を抱かない。
犬には番や牧羊の仕事をする僕としての
牛には乳を出し肉を提供する食い物としての
愛情をそれぞれに抱く。
だから、牛を食っても慙愧の念は起こらないし、犬を食うやつはくそみそに非難される。
64 :
名無しさん@1周年 :02/03/01 14:30
>62 同意。 パトラッシュさん、少なくとも、分かち書きをきちんとしてください。 それから、段落分け、つまり、改行の方も。
はじめまして。 クリスチャン15年やってますが、肉食については全く良心の問題として 意識してませんでした。皆さん凄いですね。 別に聖書の1コリ10:25〜31に書いてあるからじゃないけど、自分 の良心が汚されないように、また隣人の良心が導かれるように気を付けて、 感謝して頂けば何の問題もないと思うのです。
66 :
パトラッシュ :02/03/01 18:31
>>62 読む気が起こらないのはあなたが怠惰だからだ。
伝道の熱意がこれっぽっちも伝わってこないな。
いいのか?ここは初心者の誘導を目的とする質問箱スレだぞ。
おれの発言は乱暴だが論理的だし原始的な疑問を書き連ねてある。
これを放置してあるのを見て1000人に一人くらいもしかしたら耶蘇教に
愛想を尽かす人間もでてくるかもしれん。
長い文章読むのに慣れていないんだろうが、ここは一つ頑張ってでも
読んでくれないか?
67 :
パトラッシュ :02/03/01 18:40
>>64 分かち書きをしなかったのはスレの消耗を防ぎたかったからなのだが
これはあなたの言うように失敗だったかもしれないな。
おれはクリスチャンの熱意というものを勝手に過大評価していたようだ。
これからは気を付けるよ。
最低限の改行はしてるつもりだが、これも気を付けよう。
一応言っておきたいのだが、私はここで仏教を説こうとか正当性を主張しよう
とか考えているわけではない。
原始的な疑問を質問箱に投稿しているんだ。
あなた方が
>>47-50 のいずれかに該当している人なら誠意ある対応をよろしく
頼む。
68 :
名無しさん@1周年 :02/03/01 18:42
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ・∀・ )< まぁまぁ、マターリしないか〜い? ( ) \_____ | | | (__)_)
69 :
パトラッシュ :02/03/01 18:43
>>63 ヲイヲイ、犬を食らう韓国人の大半はクリスチャンだぞ。
あんたの発言は聖書に基づいているのか?
70 :
名無しさん@1周年 :02/03/01 21:03
板違いで申し訳ありませんが下の文に間違えがありましたら教えてください。 コス板、おもちゃ板、特撮板に居る電波の文です。私は宗教は全然わからないので どうかよろしくおねがいします。 747 :dexiosu ◆a.06orfw :02/03/01 17:17 ID:qfwdE3hD だったらその昭島の時のまんまでいーのでは? 愛情友情は相手を選ばないと意味無くなるよ?けして人間の愛情は無限じゃないんだから。 >1.12月24日生まれとキリストの生まれ変わりと >どういう関係があるんですか? そう思っているのは自分では無く、昔からの業界人の方です。 根が深い問題なのであえて書きません。 >2.キリストは「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」と >言ってたのに、森本さんのカキコ見ると「死ね」とか平気で使ってますよね? >生まれ変わるまでの間に何があったのですか。 右の友人が犯されたら、左の友人も犯させますか? 単純な問題です。 その台詞はキリスト教を支配に利用した太古の統治者が 民衆に圧制強いるために利用したセリフです。 利用されたセリフを圧制者が笑うようなスタンスで使うのはやめてください。 業界内で大昔から自分を知っているような連中(元同級生の男)などは 「あいつはキリストみたいなもんだから、俺とお前がヤってても許してくれるから今は俺とつきあえ」 と言って、自分の過去の同級少女を何人もやってます。 当然自分とその子達が付き合う事はありませんでした。 そういう奴らがそれを自分や知人に話題にされたから、 逆恨みに2chまで自分を叩きに来ているだけです。それが全てです。
71 :
dendo. :02/03/01 21:24
>自分の良心が汚されないように、また隣人の良心が導かれるように気を付けて、 >感謝して頂けば何の問題もないと思うのです。 Agreed. なので教会が斎しませうといえば斎し、 斎のない日だといえば普通に食べたいものをたべているでし。 毎日斎して祈る修道士さんがいるのは知っていますし尊敬していますが 神様と教会が食べていいとおっしゃったものをありがたくいただくのに 罪悪感などまったくなし。 で今週は税吏とファリセイの主日の後で週を通して不禁食なので 今日のメニューは前菜は野菜のシチリア風と鴨のコンフィオレンジ添えと あとなんかひとつ。 プリモは軽めにペンネ・アッラビアータ、 んでセコンドは鶉の詰め物トスカナ風、 チーズ各種、デザートにはまだ残っているパネットーネだけでは 飽きが来たのでフルーツマチェドニアヴァニラのヨーグルト添え 飲み物は2000年のスプマンテ・アスティにするか 1997年のシャトーヌフ・ドゥ・パプ・ブランシュにするか思案中。 なぜか今年手に入りにくいラクレットが230g手に入ったので あしたはじゃがいもを買いにいくぞ〜 シャトーヌフ・ドゥ・パプなら前菜は暖かいアスペルジュの ベシャメル・ソース添え、スプマンテなら暖かいパプリカのサラダ なんだけど、うーむー。 # めんどくさいので某所のデリで大量まとめがい。 # 今日は一割引きの日なのさ。 罪悪感ってなに?おいしいの?
72 :
名無しさん@1周年 :02/03/01 21:57
>>66 あのさー、
もうキリスト教徒って世界中にゴマンといるわけ。
いまさら必死になって伝道なんてする必要ないのよ。
もちろん、教会の門は常に万人に開かれてるから、
自発的に思うところあって教会にやってくる人は、教会あげて歓待するよ。
「求めよ、さらば与えられん 叩けよ、さらば開かれん」だからね。
つーかさ、いまどき宗教勧誘なんて必死にやってるのって、ヤヴァげな新興カルト宗教だけだって。(w
73 :
パトラッシュ :02/03/01 22:22
>>72 理想郷を目指すなら一人の異教徒をも見逃すべきではないのでは?
おれだってキリスト教の歴史くらいちっとは知っている。
外道の種はそこら中に転がっているのにそれに目をつぶるのは
堕落した証拠ではないか?
正しい教義に則ればカルト化なんてしないだろう。
おれの言っていることはなにか間違っているのか?
>>71 さん。どうかお腹を壊さないように気を付けてくださいね。
でも自分の良心の自由を、他人に誇ることはあまり関心いたしません。
それはキリストの十字架を無にすることです。
キリストの十字架に至るまでの愛と、質素な生活を心にとめて何事も
程ほどにしましょう。
75 :
名無しさん@1周年 :02/03/02 02:51
フランダースの犬は確か人間と一緒に墓に葬られる結末ではなかったか? そうだとしたら、この作者はキリスト教的でないし、異端的思想の持ち主 と言える。
76 :
パトラッシュ :02/03/02 03:29
>>75 そのキリスト教的でないお話がキリスト教圏で大ブレイクしたのはなぜだ?
異端思想と簡単に判別できるのにだ。
犬に魂を認めない教説は人の本性に逆らったものだからだろう。
違うか?
77 :
名無しさん@1周年 :02/03/02 03:46
>>73 >正しい教義に則ればカルト化なんてしないだろう。
>おれの言っていることはなにか間違っているのか?
使徒の働き5:13
「ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、
その人々は彼らを尊敬していた。」
この前には、使徒たちによって多くのしるしと不思議がなされているのに
ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったとは? パトラッシュさんはなぜだと思う?
イエスの昇天後、イエスを信じる人々が共同体を形成しセクト化していた。
カルト化ではないが、かなりカルトに近いものだったと思われ。
正しい教義に則っていても、原理主義的傾向が強いと(あなたの言われる理想郷を目指す、
一人の異教徒をも見逃すべきではないとなると)必然的にセクト化⇒カルト化しやすくなるよ。
ついでに、
>>69 >>韓国人の大半がクリスチャン・・・・・。
韓国のクリスチャンの増加は、経済発展に比例しているもので、真のクリスチャン化とは
言いがたいものがあります。その証拠に、儒教(というより、儒教に強く影響された先祖崇拝)と
合わせての信仰だから。(妹が韓国人と結婚していて、その韓国人の夫と夫の家族がクリと儒教の
二股かけてる。変だよー。っていつもメールで相談されてるから。)
犬食は韓国の食文化だもん。
ついでにA
>>58 >>おれはここで論破されて改宗しなきゃ・・・・・・。
「オレヲ言い負かしてみろ!俺を納得させてみろ!」の姿勢ではねー。
ダメだよ。だって、ヨハネによる福音書15:16「あなた方が私を選んだのではなく、私があなた方を
選んだのです。」ってあるでしょ?
キリスト信仰は(キリスト教信仰じゃないよ。キリスト信仰!!!!)あなたが論破されて無理やり
力ずくで信じるものじゃないもの。イエス様の選びに「はい。信じます。あなたに従います。」って言う
応答だもの。
78 :
パトラッシュ :02/03/02 04:25
>>77 ううう、ありがとう。まともなレスくれて。
>カルト化ではないが、かなりカルトに近いものだったと思われ。
>正しい教義に則っていても、原理主義的傾向が強いと(あなたの言われる理想郷を目指す、
>一人の異教徒をも見逃すべきではないとなると)必然的にセクト化⇒カルト化しやすくなるよ。
セクト化とカルト化は違うでしょう。
そりゃセクト化しなきゃカルトになりようもないけれど
そのステップを押しとどめるのが正しい教義の意義でないかい?
それから「一人の異教徒をも見逃すべきではない」と書いたのは
実はちょっと意味合いが違いまして、
これはあなたに言う事じゃないけど、
「今、この場所にいる私を無視するのはいかがなものか」、
と言いたかったのです。
聖書風にいえば私は今あなた方の隣にいるんです。
こちらの言葉で言えば一期一会の仏縁を大切にしましょうよ、です。
>犬食は韓国の食文化だもん。
韓国のキリスト教はそんなに変なのか。しらんかった。
ところで犬食はほんとのところ、罪になるんですか?
>「オレヲ言い負かしてみろ!俺を納得させてみろ!」の姿勢ではねー。
>ダメだよ。だって、ヨハネによる福音書15:16「あなた方が私を選んだのではなく、私
私は「論破」を力づくで無理矢理と言う意味で使っているんじゃないんだが。
ただ、あなた方の持っている世界観を私が受容できるか否かは話を聞いて
みないことにはわからないからね。
それで私が納得し、かつこちらの世界観よりいいじゃん、てことになれば
可能性もあるよということだ。
いきなり信じろってのは無理でしょ?
お国柄とか家庭環境とか人柄のいい牧師さんとか、なにかしらの前提があって
信じている人はわかるけど、いきなり初めからそう言うものを抵抗無しに
信じられる人を私は信じられない。
79 :
パトラッシュ :02/03/02 04:30
>>77 で、関係ないんだけど・・・
韓国に「いただきます」があるかどうか妹さんに聞いといてもらえませんか?
80 :
名無しさん@1周年 :02/03/02 05:10
>>79 「いただきます」あると思われ。
プサンに遊びに行った時、皆「いただきます」してたよ。でもなんで?
>>78 >そのステップを押しとどめるのが正しい教義の意義でないかい? 」
正しいって・・・・・・。パトラッシュさんの言う正しさが私には正しいとは思えないんでゴメンネ。
>韓国のキリスト教はそんなに変なのか。しらんかった。
私的には変だと思うけど。だって、法事を毎年やるけど、それも長男だとお祖父さん、
大お祖父さんその又先の・・・・お祖母さん、大お祖母さん、その又先の、親戚・・・・
たしか妹のところは年に8〜9回法事を毎年してるよ。投身礼でひれ伏して先祖たちを
拝んでるよ。クリだと普通葬式でも、拝まないでしょ。
>ところで犬食はほんとのところ、罪になるんですか?
なるわけないしょ。
>ただ、あなた方の持っている世界観を私が受容できるか否かは話を聞いて ・・・・・。
ご利益宗教だったらいいかも知れないけど、聖書が示す神は「マスター・オブ・パッション」
って言って、最も情熱を傾けるべき神だからねー。
だから偶像を刻んではならないと言われるのよ。情熱を最も傾けるって分るでしょ?
拝金主義ならお金が神だし、学歴に情熱を傾ければ当然有名大学出れば自分や亭主
子供の学歴を自慢するし。だから、こちらの世界観とあちらの世界観を比べるってもんではないのよね。
だから可能性といわれてもねー。
>お国柄とか家庭環境とか人柄のいい牧師さんとか、なにかしらの前提があって ・・・・。
妹みたいに外国人と結婚したら?家庭環境が事故等で激変したら?人柄のいい牧師が実は・・・・
不変でないものに根拠を置いては信仰とは言えないよ。ただのヒューマニズムか宗教だよ。
>信じられる人を私は信じられない。
イエス様が私を愛して、信じてくださるからいいんだよ。
イザヤ書「私の目にはあなたは高価で尊い。」英語のVIPのことだよ。
マジにレスしたもうた。
81 :
名無しさん@1周年 :02/03/02 05:13
ご利益宗教・・・
82 :
パトラッシュ :02/03/02 06:06
マジレス有難うでございまする。 >「いただきます」あると思われ。 >プサンに遊びに行った時、皆「いただきます」してたよ。でもなんで? あなたは私の事を知らない。過去ログを良く読んでないな。 私は数少ない「いただきます」スレの住民なの。気が向いたら覗いてみ。 もしかしたらもう私一人しかいないかも知れない(w 今のところ知りうるかぎりでは「いただきます」は日本人とアイヌ人(日本人だけど) しかしない地域限定ご挨拶だったの。あなたの情報めちゃ貴重。多謝。 >正しいって・・・・・・。パトラッシュさんの言う正しさが私には正しいとは思えないんでゴメンネ。 私は何が正しいかまだいっとらんが・・・。 キリスト教の教義知らないしぃ。 思うのは、社会的に認知された伝統宗派の教義を踏襲しているなら反社会的には なりにくいだろうなってことです。 これでよろしい? >たしか妹のところは年に8〜9回法事を毎年してるよ。投身礼でひれ伏して先祖たちを >拝んでるよ。クリだと普通葬式でも、拝まないでしょ。 投身礼とは五体投地礼のことだろうか。 仏教と混交しているんだろうか。 考えてみれば儒教のこともほとんど知らないな。 2cHって勉強になる。
83 :
パトラッシュ :02/03/02 06:08
犬食が罪?
>なるわけないしょ。
やっぱね。
>>63 が変なこと言うから混乱した。Thank you.
>ご利益宗教だったらいいかも知れないけど、聖書が示す神は「マスター・オブ・パッション」
>って言って、最も情熱を傾けるべき神だからねー。
ご利益宗教って仏教のこと?
ま、お賽銭と交換方式で現世利益を願うちゃっかり型宗教は
かなり日本独特らしいけど・・・。
ただ本当の仏教でも御利益あるよ。
心の安心が得られる。
で、あなたは私をお見捨てになったの?
>だから偶像を刻んではならないと言われるのよ。情熱を最も傾けるって分るでしょ?
本筋に関係ないんだけど・・・・
キリスト教は仏教と並ぶ偶像崇拝OKな宗教じゃなかったのか。
宗派によるの?
>不変でないものに根拠を置いては信仰とは言えないよ。ただのヒューマニズムか宗教だよ。
話の次元が違う。
不変でないものに根拠を置いては信仰とは言えない。これは一緒だ。
でも私が言っているのはそこに至る過程の話。
いきなり信じなさい、はい信じます。ではどうかと思うぞ。
こういう人のことの言うことを信じられないのではなくて、
こういう人がいると言うことが理解できないと言うこと。
>イエス様が私を愛して、信じてくださるからいいんだよ。
そのくらい私にだってわかる・・・つもりだ。
>>82-
>>83 >あなたは私の事を知らない。過去ログを良く読んでないな。
>私は数少ない「いただきます」スレの住民なの。気が向いたら覗いてみ。
失礼いたしました。覗いてみます。
>思うのは、社会的に認知された伝統宗派の教義を踏襲しているなら反社会的には
>なりにくいだろうなってことです。これでよろしい?
ハイ。よろしいと思われ。
>投身礼とは五体投地礼のことだろうか。 仏教と混交しているんだろうか。
ハイ。そう思われ。NHKで観た、チベットの聖地巡礼者と同じで、まさしく五体投地礼。
>で、あなたは私をお見捨てになったの?
ははは・・・・・(藁
>キリスト教は仏教と並ぶ偶像崇拝OKな宗教じゃなかったのか。 宗派によるの?
偶像崇拝可能なのはクリスチャンだけ。と牧師が言ってた。本物の神と偶像の神が
分るのはクリスチャンだけだからと。
クリ以外は、偶像なんて思いもしないで拝んでいるからとも言ってたっけ。
>そのくらい私にだってわかる・・・つもりだ。
大変失礼いたしました。ゴメンネ。
85 :
名無しさん@1周年 :02/03/02 19:27
>>77 さん
スレに関係なくて申し訳ないんだけどちょっと確認させて。
韓国のいただきますは、年齢順に「どうぞ食べてください」って言うやつ?
もしそうならそれは中国からの文化だ。
>>84 >偶像崇拝可能なのはクリスチャンだけ。と牧師が言ってた。本物の神と偶像の神が
>分るのはクリスチャンだけだからと。
そう言う意味なら了解です。
偶像作っちゃ駄目ってどっかに書いてあるわけじゃないのね。
ところで77さん、あなたもしかして日本にいないでしょう。
86 :
パトラッシュ :02/03/02 19:35
しまった。コテハン入れ忘れスマソ↑
>>85 パトラッシュさん
>韓国のいただきますは、年齢順に「どうぞ食べてください」って言うやつ?
そうそう。
>そう言う意味なら了解です。
>偶像作っちゃ駄目ってどっかに書いてあるわけじゃないのね。
違うよー。大違い。偶像造っちゃダメダメ。拝んでもダメダメ。家に持ち込んでもダメだよ。
出エジプト記20:4、レビ記26:1、申命記5:8の三箇所ではっきりと「偶像を造ってはならない。」
と書いてあるよ。
その他聖書66巻で、「偶像」を検索すると、122回もヒットするよ。それ位聖書の神は偶像嫌いだよ。
この事は、クリスチャンにとっては今も昔も超大事だよ。パトラッシュさん間違えないで下さいね。
>ところで77さん、あなたもしかして日本にいないでしょう。
へ?書き込み時間から推測してるの?日本在住クリスチャンだよ。
明日は礼拝だから、今晩は早く寝よーっと。おやすみなさい。
88 :
dendo. :02/03/02 23:12
>キリスト教は仏教と並ぶ偶像崇拝OKな宗教じゃなかったのか。 偶像は禁止。というのは 77=87 さんの指摘通り。 聖像(ikon)と偶像は違うでし。
横レス大変申し訳ないのですが、 「偶像」と「聖像」の違いってなんでしょうか? 「聖像」=教会の認めたモノ 「偶像」=教会が認めていないモノ。 こんな認識でよろしいんでしょうかね? 厨な質問でゴメソ。
90 :
パトラッシュ :02/03/03 07:13
77さん、ありがと。 これで多少は私もキリスト教の教義に入り込むきっかけができたと言うものです。 まだ大きな疑問が残っています。 どなたかが、動物も救われると聖書に書いてあると発言していたけど、 これは動物もフランダースの犬よろしく天国に行けると言う事? 天国に行くのは神様の吹き込んだ”魂”? それとも動物も持っている”霊”?
91 :
パトラッシュ :02/03/03 07:14
>>dendo.さん 私も聖像について聞きたい。 聖書は偶像と聖像を区別しているの? イスラム教はあらゆる像、絵画の存在を許さないけど、(だからって仏像壊すなよな) キリスト教にはなんであんな絢爛華麗な絵画文化を持ってるの?
92 :
許されざる者 :02/03/03 09:37
>>90 獣や鳥は、神の被造物として最初から祝福されている。
また、人間のように【原罪】も持っていない。
だからイエスによる救いも、浄罪も必要としない。
そのかわり、魂を持たない肉に過ぎない獣は、天国へは当然逝けない。
魂が天国へ逝くのだから。
魂がないから、肉の体が死ねば、それで全ては終わり。
人間のように、肉の死と、魂の死と、二度の死を受ける事はない。
したがって天国も必要無い。
93 :
許されざる者 :02/03/03 09:42
>>91 聖像と偶像はどこが違うのか。
聖像もまた、偶像ではないのか。
これは簡単に答えの出せる問題ではない。
この偶像崇拝問題こそ、キリスト教の最大の問題だからだ。
カトリックは聖像を戴き、プロテスタントはそれを批判している。
長年に渡って、互いに喧喧諤諤の論争を続けているが、答えは出ない。
94 :
名無しさん@1周年 :02/03/03 18:25
許されざる者って「カトリック必死だな」の糞ゼリフを連発していたあの君か?久しぶりだなあ
95 :
名無しさん@1周年 :02/03/03 18:29
>>89 第三者的にいうとそんなもんだね。
信徒の間では理屈があるが。
96 :
dendo. :02/03/03 18:38
>>91 偶像≠聖像つー考え方と偶像∈いわゆる聖像という考え方があって
前者は
偶像: 像自体が神だって考え方。
清涼寺の阿弥陀像みたいな「生き仏」ってのは偶像否定論からすると
端的な偶像の例だろうな(内臓を入れることでより「生きた」仏になる
っつー発想自体は面白いが)
聖像: それ自体はたんなる絵。ちょうど恋人の写真を持ちあるいたり
壁にはったりするようなもので、あくまでも本体の写像。写像だけど
思い入れつか愛があるから、本体と同じように心を込めて扱う。
でもあくまでも本体そのものとして拝むわけではない、
ので偶像と聖像は違う。
さらに、絵としてのイコン(聖像)は窓だといわれるでし。
本来不可視な聖なるものの世界の影像を人に見せてくれる窓なのね。
プロテスタントは基本的に偶像∈聖像なので、上のような考え方を
否定するけど、こっちの解説はプロプロパーのひとにおまかせ。
偶像をなぜ忌むべきと考えるか、 近代的にいえば自己疎外の象徴 だからではなかろうか。自分勝手な欲望を叶えてくれる存在。 自我の拡大を支援する存在。十字架だって聖書だって偶像的な存在 になりかねない。
98 :
青眼 ◆.t4dJfuU :02/03/03 19:32
99 :
パトラッシュ :02/03/03 19:38
偶像崇拝のお話はいちおう了解です。 宗派間で論争のある話題に足突っ込んでも素人にわかるとは思えないんで。 おなかいっぱい(笑)。ありがとうございました。 動物の死の話ですが、やっぱりパトラッシュは天国には行けないようですね。 ありていに言えば、動物は初めから祝福されてる肉塊にすぎないのね。 もし愛玩動物が死んじゃったらクリスチャンといえども悲しむ筈だけど お墓とか作るわけにはいかないんでしょ? その死は愛用の帽子を紛失したのと同列に扱わなければいけない。 ある意味キビシイ宗教だよね。
100 :
dendo. :02/03/03 19:41
>>肉塊 いや、だから魂(anima)はあるんだって。じゃなかったら「生き物」とは いえない。ないのは霊(pneuma) お墓をつくるかどうかは人それぞれちゃう。
101 :
神聖神まるっ。 :02/03/03 20:16
>>100 コンピュータ上の模擬生物なんかにはアニマはあるんでしか?
ヴァイラスなんかにもアニマはあるんでしか?
どうやって判定するでしか?
102 :
神聖神まるっ。 :02/03/03 20:17
=101 キリスト教質問箱より希蝋哲学質問箱向けの質問ぽいでしが。
103 :
dendo. :02/03/03 20:20
チューリングテストを通ったらきっとアニマがあるんだろうという説と すべての人工知能は原理的に人工知能ではないという説と ……いろいろあるみたいですが、個人的な意見はないでし(興味ない)。 なお後者を指摘した先生は「趣味・先祖崇拝」 ……趣味でするものなのか、という疑問はとりあえずおいておく。
104 :
神聖神まるっ。 :02/03/03 20:24
>「趣味・先祖崇拝」 >……趣味でするものなのか、という疑問はとりあえずおいておく。 爆笑っ! >チューリングテストを通ったらきっとアニマがあるんだろうという説と 同上っ! あと、それだと犬猫粘菌酵母菌もアニマがなくなってしまわないかと心配なの でしが。
105 :
dendo. :02/03/03 20:30
>>104 そうなんだよね>最後の疑問
でもすげえ楽しいので許す。
工学系の人は古典を読まない分ときどき「勘弁してくれよ」ってことも
あるけど、この発想は思想プロパーには出ねえよな。最初聞いたときには
唸ったです。
106 :
名無しさん@1周年 :02/03/03 20:36
107 :
許されざる者 :02/03/03 21:58
>>94 ずいぶん久しぶりの書き込みなのに、
まさか憶えている者がいたとはな。
>>102 生物学的には、遺伝子と殻だけで、細胞を持たないファージやウィルスは「生物」ではなく「物質」なんだよな。
108 :
許されざる者 :02/03/03 22:00
これは逆に、パトラッシュに聞いてみたいな。 万物に魂が宿るとする仏教では、 ウィルスやファージにも魂が宿り、六道輪廻するのかどうか。
仏教では魂は無いんじゃないかね?
110 :
許されざる者 :02/03/03 22:02
>>109 そうなのか?
パトラッシュは、仏教では万物に魂があると言っていたが。
111 :
許されざる者 :02/03/03 22:10
もし、仏教ではウィルスにも魂があるとするなら、 風邪にかかって、免疫系が勝手にウィルスを攻撃したら、 それもまた「殺生」になるよな。 クックック・・・
112 :
パトラッシュ :02/03/03 23:11
>>110-111 そうだよん。
教義の解釈や文化風土の違いによって一概には言えないけど
免疫系が細菌やっつけたら殺生だね。
ウイルスは結晶化できるから生きてるか死んでるかしらんけど。
そう言う安易に答えのでない、かつ考えても意味のない事柄に関しては
不記とかいってそんなくだらんこと考えてないで修行しとけってのが
よくある仏教的解決法だよ。
なお、仏教的には殺生ってのは数じゃない。
生命が同じ重さだって考えるんじゃなくて、
同じ源だと考える。ん?ちとちがうな。
源が同じなだけじゃなくてまさに生命そのものが同じだと。
同じものを共有しているのだと考える。
ま、こんな説明だとわけわからんかもね。
詳しくは佛教関係のスレで聞いてください。
パトラッシュ君には悪いが、神の似姿としての人と、動物は違うというのが 聖書の思想。動物は新約で2カ所くらい出るが、肯定的な文脈にあらず。 食っていいやつとだめなやつ.食い方につきる。 Animal rightは怒るだろうな。環境主義者も。 それを前提にどう現代のキリスト者が考えるかは別。
114 :
パトラッシュ :02/03/03 23:18
>>109-110 魂という用語を認めない宗派はいっぱいあるよ。
おれどっかで万物に魂があるなんて言ったっけ?
たぶんそれは悉有仏性のことだと思う。
いきとし生けるものに仏性があるということね。
これをわかりやすく魂と言い換えてもいいかも知れないけど
魂というとどうしても他の宗教みたいに各自に別個に入っているという
印象を持たれてしまって仏教的には都合が悪いことが多いの。
だからそう言う用語は極力使わないように説明するんだよ。
115 :
名無しさん@1周年 :02/03/03 23:21
>>111 許されざる者
おい。カトスレにもあいさつに来いよ。
クックック・・・。
116 :
パトラッシュ :02/03/03 23:24
>>113 べつに悪くなんか無いよ、ぜんぜん。
おれはキリスト教の哲学がまずは知りたいの。
>食っていいやつとだめなやつ.食い方につきる。
どんなのだと食っちゃだめなのさ。
ダメなの食うと罪になるのか?
やっぱ犬食は罪なのか?
117 :
パトラッシュ :02/03/03 23:28
>>113 べつに悪くなんか無いよ、ぜんぜん。
おれはキリスト教の哲学がまずは知りたいの。
>食っていいやつとだめなやつ.食い方につきる。
どんなのだと食っちゃだめなのさ。
ダメなの食うと罪になるのか?
やっぱ犬食は罪なのか?
118 :
パトラッシュ :02/03/03 23:30
二重カキコスマソ
>>115 おれも遊びに行っちゃダメ?
119 :
許されざる者 :02/03/03 23:43
>>112 あー、一応注意しとくと、細菌とウィルスは全くの別物だぞ。
細菌は生物だが、ウィルスは生物学的には「生物」じゃない。生きてない。ただの物質だ。
細胞を持たない、遺伝子と殻だけの物体だ。
ウィルスそれ自体には増殖能力は無く、他の細胞の増殖機能を利用して増える。
>>115 気が向いたらな。
クックック・・・
120 :
パトラッシュ :02/03/03 23:49
>>119 誰に向かって口きいとる。
おれは生物学者だ。この厨房が。
121 :
許されざる者 :02/03/03 23:53
>>120 そりゃ失礼。
こういうのを「釈迦に説法」っていうのか?
それと、厨房ではない、悪魔だ。
クックック
122 :
許されざる者 :02/03/03 23:58
>>111 で「ウィルス」及び「ファージ」について聞いたのに、
パトラッシュは細菌の話をしだしたから、
もしや細菌とウィルスの違いが分かってないのかと思ってしまってね。
123 :
パトラッシュ :02/03/04 00:09
生物のことがわかっているからわざわざ細菌から入ったのさ。
124 :
dendo. :02/03/04 00:11
>>104 誤解のないようにフォローしておくと、「チューリングテスト」うんぬんは
ratio、つか anima rationis(≒spiritus)のあるなしと anima animalis
あるなしがごっちゃになってるところがそもそも問題なので、
実は最初から答えになってないのね。でも楽しいから個人的にはおけ。
しかし我が身を振り返って考えれば、趣味で正教やってるよな。わしも。
125 :
パトラッシュ :02/03/04 00:47
>>108 おっと見落としていた。
六道輪廻のことね。
輪廻の思想は実は原始仏教には無かったんだよ。
あれはバラモン教(現ヒンドゥ教の母体)から引き継いだ思想。
なんでこんなものを引き継いだかってえと難しい仏教の教義を大衆にわかりやすく
説明するための方便として取り入れたのだと言われている。
だからおれは六道輪廻をわかってはいるけどこんなところで説明は
したくない。
こういう書き方をすると仏教専門スレではまさに喧喧諤諤の大論争になっちゃうん
だけど、基本的に輪廻思想は外道の思想だ。
127 :
名無しさん@1周年 :02/03/04 01:24
ネットアイドルじゃなくても 音楽業界って盗作だらけなんだよ 日本ってどこでもそうだよ
128 :
パトラッシュ :02/03/04 01:24
>>112 すまぬ。訂正だ。
>不記とかいってそんなくだらんこと考えてないで修行しとけってのが
不記→無記の間違えです。
人様のところで嘘ついちゃまずいよねえ。
音楽業界なら まだわかりますが・・・
130 :
パトラッシュ :02/03/04 02:19
>>100 dendo.さん。
アニマは死んだらどこ行っちゃうの?
肉体と一緒に死んじゃうの?
激遅レスですが、「偶像と聖像の違い」の質問をした者です。 なんとなーく理解できました。 答えて頂いた皆さん、どうも有難うございました。 パトラッシュさんも横レスしてスミマセンでした。 またROM人にもどりますが、 疑問がでた場合、質問させて頂きます。
132 :
dendo. :02/03/04 03:40
伝統的には anima rationes だけが不死の霊魂だけんど。 駁論されているものも含めて諸説あると思われ。
>>90 パトラッシュさん
妹からメールきてました。スレ違いなので、「いただきます」の84に書き込みしてあります。
なんかしっかり言うみたいです。
>>91 の dendo.さんへの質問だけど、>キリスト教にはなんで・・・・絢爛華麗な絵画文化・・・・・
一つには、中世の1000年間聖書が封印されていたから(ラテン語で書かれていたのと、高価)
ビジュアルに聖書物語を理解させるためではと。それが教会の権力の誇示のために華美に。
もう一つは、聖書の記述で、金(純金)は神性をあらわすからキンキラキンなのかなーと。
ちなみに銀はイエスの贖い、青銅はさばきをあらわす。旧約聖書おもしろいよ。
少しでも、パトラッシュさんのキリスト教理解のお役に立ててうれしいです。
134 :
dendo. :02/03/04 03:54
>>133 東方正教会ではむしろ聖書を読むことが奨励されています。
聖書や典礼の現地語化も積極的にやってます。
カトだけがキリスト教じゃないよん。
金は神性を現しますね。「光よりの光」だからねえ。神。
>>134 >東方正教会ではむしろ聖書を読むことが奨励されています。
中世の1000年間と書いたのですが、いわゆる暗黒の中世と言われる時代ですが。
写本に頼っていた中世でも聖書を読むことが奨励されたのですか?
ラテン語の勉強をしなかった農民とかもいたと思うのですが。まだ中世では
各国語には翻訳もされていないのでは・・・・・・?
136 :
名無しさん@1周年 :02/03/04 08:46
日曜日に旅行に行くことは、カトリックでは許されるのでしょうか?
137 :
パトラッシュ :02/03/04 09:05
>>133 77さん。
>妹からメールきてました。スレ違いなので、「いただきます」の84に書き込みしてあります。
ありがとうございますぅ。わざわざメールで確認して下さったんですね。
>少しでも、パトラッシュさんのキリスト教理解のお役に立ててうれしいです。
2ちゃんとはいえ、あんな挑戦的な態度で乗り込んできたのにそんなこと言ってもらえ
るなんて、うう、嬉しいよお。
しかしお二人とも日曜日だと言うのに宵っ張りですなあ。
138 :
パトラッシュ :02/03/04 09:05
>>132 dendo.さん。
anima rationis (rationes?)は天国に行って、anima animalisは消滅するんですね?死んだら。
と言うか、anima animalisが消滅することを「死」と言ってるのかな。
そんなことないか。人だったら肉体が滅びるから死ぬんだから。
そこまで差別しちゃかわいそうでしょ。
ところで生まれるときは両animaとも神様が吹き込むの?
そうそう用語のこと。人によって使い分けが違うみたいだけど、無理やり和訳すると
anima rationisが人魂
anima animalisは動物魂
んで
pneumaは霊で動物も人間も持ってる。
てな感じでよろしい?
植物も植物魂とpneumaを持ってるのか?
大腸菌も大腸菌魂を持ってるのか・・・・しつこいね(w
もうひとつの質問なのですが、ダニエル書7−9に出てくる 「日の老いたる者」は、「太陽の老いたる者」と解釈していいのでしょうか? 「日」と「太陽」は外国語では違うんでしょうか?
140 :
ぷちとまと :02/03/04 13:30
>>135 >中世の1000年間と書いたのですが、いわゆる暗黒の中世と言われる時代ですが。
>写本に頼っていた中世でも聖書を読むことが奨励されたのですか?
>ラテン語の勉強をしなかった農民とかもいたと思うのですが。まだ中世では
>各国語には翻訳もされていないのでは・・・・・・?
77さんが書かれているのは西方ローマ・カトリック世界の状況を基調として
おり,dendo.氏が説明されたのは東方ギリシァ・正教世界の状況についてです.
先ず,その教会で伝えられた聖書の言語(として翻訳された言語)であるラテン語が
古語になり,民衆には理解できなくなったローマ教会領域と異なり,東方ではギリシ
ァ語が小変化をしながらも継承使用され続けたので,一般人もギリシァ語訳旧約聖書
とギリシァ語原語の新約聖書を読むことが,語学的には可能でした.
また,西方と異なり所謂中世の時代の東方は文明的暗黒期に入っていたわけではあり
ません.ビザンティン帝国が存続しつづけた為,古典古代より水準が落ちたとは言わ
れるものの,かなりの程度の文化が継承されていました.
また,初期中世にはシリア語を始めとする諸語に,後期中世にはスラブ語を始めとす
る諸語に,各地で東方では聖書は土着言語に翻訳されています.この点,プロテスタ
ンティズムの勃興までラテン語訳聖書を絶対視しつづけたローマ・カトリック教会と
は,聖書の言語に対する態度がかなりちがっていました.
ただ,識字率の問題や,写本の入手しにくさの問題は,文字を通じての民衆に於ける
聖書理解をかなり阻んでいたでしょうから,それと「ビジュアルに聖書物語を理解さ
せるため」の宗教絵画芸術の発展との関係は深いと思います.
>「日」と「太陽」は外国語では違うんでしょうか? 原語はyomとなっているから、やはり「日」であって、「太陽」ではまずいね。
>>141 さん
教えてくださってありがとうございました。
聞いてよかったです、勉強になりました。
143 :
パトラッシュ :02/03/04 20:36
dendo.さん。 私、ちょっと間違ってましたね。 霊は人間にしかない。 魂は人間と動物にあるけど区別される。 ですね。 で、天国に逝くのは結局霊なの? 人間魂は不滅なのだからこちらが天国に逝くの?
すみません。また質問させて下さい。 神父さんは生涯独身でないとダメとなってますが、 単純になぜ結婚は許されないのでしょうか? 結婚=人を愛する事だと思うのですが、それさえも禁欲の対象なんですか? またSEXも一生禁止なんでしょうか? それだと人生の喜びの半分は無いような気が(笑) どちらかといえば禁欲的といわれるプロテスタント派の方が 「牧師の結婚は禁止」といわれてもピンとくるのですが。 出来れば、神父さんの結婚禁止理由と牧師さんが結婚できる理由を 両方教えて頂ければ有難いのですが・・・ 判りにくい文章でゴメンなさい。
145 :
名無しさん@1周年 :02/03/04 20:52
146 :
名無しさん@1周年 :02/03/04 20:58
神父さんが地元の新聞に出た時、××才「独身」と書かれて なんとなく気恥ずかしかったらしい。
>>140 ぷちとまとさん
丁寧な解説有難うございました。
>>144 牧師に質問したことあり。
創世記2:18「神である主は言われた。人がひとりでいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を・・・・」
Tコリント7:9「(情欲を)自制できなければ結婚しなさい。」
Tテモテ4:2〜3「それは嘘つきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、
結婚することを禁じたり・・・・・」
プロテスタントは、聖書が基本だから、上記の聖書箇所からプロテスタントの牧師は結婚出来ると
説明された。
私も知りたいな。ナゼカトリックの聖職者は結婚できないのか。
東方教会はどうなんですか?やはり聖職者は結婚できないのですか?
>>140 ぷちとまとさん。
149 :
名無しさん@1周年 :02/03/04 23:12
>>144 >神父さんは生涯独身でないとダメとなってますが、
>単純になぜ結婚は許されないのでしょうか?
ローマ・カトリックと聖公会の神父さんは修道士しかなれないからでしょう。
なぜ、修道士しか神父になれないかはまた別のお話。
(聖公会では結婚している聖職者も結婚していない聖職者もいるが、後者のみFather
と呼びかける。日本語で神父と訳しているかどうかはしらん。)
150 :
名無しさん@1周年 :02/03/04 23:17
指名された方とは違うけど、東方正教会では、輔祭(助祭)になる時に、 独身か妻帯するか選べます。 そのかわり、結婚する気なら、輔祭になる前に結婚しておかなければな りません。なっちゃった後で「ヤパーリ結婚したかった」はアウト。 主教は、修道司祭でないとなれません。 主教は教会を娶るものだからです。
151 :
名無しさん@1周年 :02/03/04 23:19
>>149 >なぜ、修道士しか神父になれないかはまた別のお話。
修道会に属する司祭、すなわち修道会司祭以外にも司祭はおられます。
そのような司祭を教区司祭と呼びます。
教区司祭にも独身制が適応されています。
あ、それと、なっちゃってから変えられないっていうのの根拠は、 うろ覚えだけど新約のパウロの書簡のどっかで「召された時の状態 のままでいなさい」ってところかららしい。
153 :
ぷちとまと :02/03/04 23:21
>>148 怪しげな事しか言えませんが,ご指名ですので(笑)
ギリシァ正教では,司祭までの方は結婚できますが,主教には原則的に独身
者しかなれません.
※確か,司祭か哺祭かどちらかになる前に修道誓願を立てるか否かで決まり,
一度司祭になったら結婚できないのじゃなかったかと思いますが,忘れました.
(ミミックさん,dendo.さん,ステ兄たすけて)
※例外的に既婚者が主教になられる場合には,その妻が修道女になられます.
(日本でも小野帰一主教(だったよね)の例あり.)
※ギリシァ典礼カトリックの神父様も結婚なさってらっしゃる方が居られる筈.
結局何一つ断定できてないなぁ
154 :
名無しさん@1周年 :02/03/04 23:25
>>145 >牧師さんが結婚できる理由を
ルターが修道女とくっついたから
ローマ教会は早くから司祭は独身が建前ではあったらしい
だが、徹底されたのはグレゴリウス7世の教会改革から
代々教会とその付属領地を相続してしまう司祭は地元豪族と結託しがちで
ローマ聖座の指示に従順でないのを聖座が嫌ったから
155 :
dendo. :02/03/04 23:25
>>150 さらに指名された方とは違うけど、
妻帯した司祭様で、奥様が早逝されたあと、修道司祭になり、
さらに主教になりする方もおられるようでございます。
なおローマ・カトリックも13Cまでは公式には妻帯司祭は禁止されて
なかった。メリットより弊害のほうが大きいと判断されたと思われ。
日本の民法では配偶者の死亡によって婚姻関係といふことをこの前 知りました。 ……しかしなぜそこでお座敷がかかるんだ;; みみっく姉やステ兄は いざしらず。 妻帯者は司祭になれます。ただし初婚の場合に限るでし。 「ひとりの妻の夫」(テモテ1 3:12)なのでふたり妻をもつのはだめなのでし。 なお上記聖句は補祭(diakonoi)についての勧告でし。為念。 すでに司祭でかつ独身の方は153の御指摘どおり結婚できません。 たぶん教会と結婚してるから。そして「召されたときのままでいなさい」 (コリ1 7章、特に 7:27)とあるから。詳しくはステ兄の解説きぼん。 >※例外的に既婚者が主教になられる場合には,その妻が修道女になられます. > (日本でも小野帰一主教(だったよね)の例あり.) ほほー( ._.)φ そういや、正教の離婚できる要件には、 相方が修道の誓いを立てた場合っつのがあるですね。 この場合は法律上の離婚をされたのであろうか。
回答ありがとうございます。
プロテスタントは「聖書」の教えによって。
(ルターは結婚と免罪符の為に法王庁と争ったんでしょうか・笑)
正教会も一応、選べると。
カトリックは現在は結婚禁止である。
修道士しか神父さんになれないから・・・
そこです!ではなぜ修道士は結婚禁止なんでしょうか?
プロテスタント派のように、「聖書」によって禁止されているんですか?
それとも13C以後法王庁によって禁止されたんですか?
そこのところを明確にして頂けると有難いんですが。
>>155 dendoさん
>「13Cまでは公式には妻帯司祭は禁止されて なかった」
とのご発言からですが、さらに質問させてください。
ならその時点に結婚していた方々は、禁止されて
離婚ということになったのでしょうか?
しつこくてスミマセン。次から次と疑問が出てくるのです。
158 :
dendo. :02/03/04 23:54
159 :
名無しさん@1周年 :02/03/05 00:03
>>157 少なくともそのあとも女中として実質上の妻を司祭はしばしばもっていた。
160 :
名無しさん@1周年 :02/03/05 00:08
教区司祭も独身でしょ。
161 :
dendo. :02/03/05 00:11
156typo.
×婚姻関係
○婚姻関係解消
>>160 正教だと妻帯してる教区司祭さま多いですよ。
通っている教会のマトシカからこのまえ「若い方」っていわれて
返事に苦慮した。……そんなに変わらないと思うのだが……
>>153 指名に応じて頂きありがとうございました。
今ひとつ、良く理解できませんでした。すみません。
プロテスタントの私は、「?」という時、聖書から答えを得る訓練をされているので、
「この箇所にこう書かれている。」と言うと分りやすいのですが。
何がなんでも聖書を盲信ではないのですが・・・・・・。
>>150 さん
>>151 さん
>>152 さん
>>154 さん
>>155 さん ありがとうございます。
>>158 dendoさん
とんでもない。お付き合い頂いて、こちらこそ恐縮です。
ではご紹介頂いたスレを覗いてきますね。
皆さんもありがとうございました。
ユニテリアンに興味を持っています。 というより既にいろいろキリスト教を調べたりしていて、自分はここが 一番合ってるかなあと考えています。(聖書も一応旧新共に読みました。結構面白かった。 子供のころ日曜学校に通ってたりしてイエス様は結構ナイスな方だと思ってます。) ふと手に取った資料でユニテリアンの事を知りました。 三位一体に懐疑的な私はここの考え方にすごく惹かれています。 友達に同性愛者も多いし。男女平等当たり前だと思ってるし。 内村鑑三とかにはボロかす言われてるみたいだけど。 アメリカとかでは結構この教派の方も多いみたいですね。 しかしタウンページとかで同仁教会とか検索しても全然出てきません。 大阪でユニテリアンの教会はありませんか? またユニテリアンに詳しい方、いろいろご教授くださいませんか?
165 :
dendo. :02/03/05 01:58
日本にはユニテリアンの教会はありません。 集まっている人たちはいるようです。 個人的にはまったくすすめできませんが新教会やエホバの証人も三位一体を 否定しています。
166 :
名無しさん@1周年 :02/03/05 10:44
167 :
シスターみみっく :02/03/05 12:00
ご指名があったと聞いて参上しましたが、遅かったようですね(^^; どっちみちご期待に添えるようなお答えは出来なかったですが蛇の足など。 独身での生活について聖書から引くとすれば、第1コリントの7章でパウロがそれを勧めています。でも神に与えられた賜物は人それぞれなので、自分を抑制できなければ結婚しなさいと説いています。 また、修道生活については、未来の神の国に関して、聖書と聖伝の中で同じく正しいものとして認められています。主はこう言われました。 「死者の中から復活するときには、娶ることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ(マルコ12:25)」 言ってみれば修道士・修道女は天使の予象です。ですが結婚が決して劣った状態というわけではありません。 「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる(エペソ5:31)」 結婚は神の祝福の賜物であり、結婚と修道とは、共に福音を実行する道です。 神品(輔祭、司祭)に叙聖されてからの結婚の禁止は、聖職者の本質的な必要条件として「成熟」と「安定」を強調する配慮により教会法で定められています。 古くは2〜3世紀頃まとめられた「聖使徒規則」にさかのぼります。 結婚生活か独身生活かについての最終的な決心をしている者だけが、輔祭や司祭になることを許されるのです。 初代教会の伝承の中では、妻帯の主教は沢山存在しましたが、独身もしくはやもめから選ばれるようになったのは、主教の職務は、教会への完全な献身を必要とするという考え方から来ているようです。 主教は教会を娶る者であると言われるゆえんです。
長文ゴメソなさいね。
169 :
名無しさん@1周年 :02/03/05 18:21
>>157 >そこです!ではなぜ修道士は結婚禁止なんでしょうか?
修道誓願したから、という答えはさておき
修道士になるということは、世俗の全てを投げ打って信仰にひたすら身をささげる事と
して始まりました。最初の修道士といわれる聖アントニウスは、ただ一人で砂漠で生活
を始めたのです。その模倣として、修道制度が起こったので、修道士は世俗の全てを捨
てる事が要求されます。その打ち捨てねばならない世俗のものごと、しがらみの一つ
として配偶者(婚姻)があるわけで、ただ結婚をだけ否定しているわけではありません。
170 :
名無しさん@1周年 :02/03/05 23:51
age
171 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 00:16
【なぜ結婚禁止なのか】 イエスが、たとえばなしを多用した事は有名ですが、 福音書のイエスの言葉の中で、神と人間との関係を結婚にたとえている部分があります。 神 → 新郎 人間 → 花嫁 神と人との契約 → 結婚 というように。 このたとえ話が、そのまま真に受けて取られてしまい、 聖職に就く者は、神と結婚する花嫁なのだから、 人間と結婚してはいけないという事だったのでしょう。 つまり、誤解から始まった慣習であって、 あまり厳守すべきしきたりとは言えないように思います。(w
172 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 00:26
でも、修道士とか修道女って存在必要だと漏れ思う。 お祈りのプロパーがいてくれるなって安心感ていうかさ 世事にかまけている漏れらのお守りみたいな存在
173 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 00:39
>>172 うーん。
それは、あまり善い考え方とは思えない。
生贄とか犠牲って言葉が頭をよぎるよ。
こういうしきたりは、そろそろ見直すべきだと思う。
じゃないと、某・大司教のように、
「神に祝福された結婚」という餌にひっかかって、
統一教会などに利用されてしまう人がまた出てくるよ。
174 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 00:52
でもさ、正味な話係累がない方が教会のことに専念できるんじゃないの。 女房が悪妻で、とか、子供が病気にかかって、とか考えなくていいじゃん。 一人で身軽だから、どこでもいけるし、ある程度貧乏でも「自分一人だから…」って思えるし。
175 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 00:57
でも、慣習だから、伝統だからって独身を強制したり、 無言の圧力でそれを求めるのは、間違いじゃないかな。 結婚が支障になると考える司祭は独身でいればいいし、 結婚を望む司祭には結婚を認めていいと思う。
176 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 01:02
じゃ、漏れは選べる正教会に一票
177 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 01:03
>>174 そーだね。定年退職した旦那が「オレの面倒を見ないくせに、教会というといそいそと出かける。」とか
「オレの飯はどうなってる」「帰りが遅い。」としょっちゅう嫌味言われて、携帯持たされた友達いるよ。
私独身だから、「ウラヤマシー。」って言われてる。別に教会に専念してる訳じゃないけど、遅くなっても
誰も文句言わないから、ホントに独身でシアワセと思う。誰にも邪魔されず、「神様」一番にできる。
>>158 でdendoさんに教えて頂いた、
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1014839028/l50 カトリック21を、1番目最初からROMしましたが・・・
すみません、私あのスレで質問する勇気ありません(笑)
>>167 シスターみみっくさん
さらにレス有難うございます。
ただ、専門用語というか、宗教用語というのでしょうか、
私には少々理解できない言葉がありまして・・・
もっと勉強します。
>>169 さん
これです!これが私の求めていた答えです。
不勉強な私のような者でも理解できる、とてもわかり易いレス。
噛み砕いて説明して頂きまして、心から感謝します。
>>171 さん
興味わく説ですね。
これが真実ならとんでもない勘違い(笑)
>>172 〜177のみなさん
人それぞれの立場があり、意見があると。
ディスカッションは大変有意義ば事だと思います。
しかし、くれぐれも喧嘩だけはしないで下さいね(笑)
重ね重ね有難うございました。
179 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 10:44
dendo.さあん、もう一段落ついたでしょお?
こっちの質問にも答えてよお。
>>143 ね。
>>179 人を自動応答マシンみたいに扱わないでください。
>>180 補足
司祭の独身制に関する教皇パウロ六世の文書は
SACERDOTALIS CAELIBATUS
ENCYCLICAL OF POPE PAUL VI ON THE CELIBACY OF THE PRIEST
でございます。
また独身制の優越性に関してトリエント公会議が挙げている聖書的根拠はマタイ19:11、1コリント7:25〜26、38、40でございます。
183 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 17:13
>>172 >お祈りのプロパーがいてくれるなって安心感ていうかさ
>世事にかまけている漏れらのお守りみたいな存在
この安心感自体を悪と見なすとプロテスタンティズムになるんだよね
184 :
プロテスタントですが。 :02/03/06 17:19
>183 プロテスタントでも、執成しの祈りはささげますよ。 特に、牧師にはその役割が課せられているように思いますが。 つか、漏れらの教会では、牧師が日夜ささげる執成しの祈りも、 大切な牧会(カトでは司牧?)の働きの一つ。
185 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 17:25
>>184 >プロテスタントでも、執成しの祈りはささげますよ。
するのは当然だが、そのプロがいるから、自分達は安心って教会で発言したら
白眼視されるだろう。
186 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 17:27
最近のdendoさんはたしかに自動応答マシンみたいだ。 どこのスレにも出没するし。
187 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 17:28
>>186 自動応答マシンといわれるのは嫌なようだから
半自動応答チューリングマシンとでも呼んで上げよう
188 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 17:31
そのくせ聞かれると応えないのか。 うう〜んイケズゥー
189 :
プロテスタントですが。 :02/03/06 17:32
>>185 いえ、漏れらの教会では、そうでもないですよ。
先日も、そういう発言をした人がいましたが、
みんな納得してうなずいてたし。
それとも、漏れらの教会、ちょっと変なのかな?
190 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 17:39
キリストは信者に売られて刑死したって、本当でしょうか?
191 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 17:41
↑銀30枚でね。
192 :
名無しさん@1周年=185 :02/03/06 17:41
193 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 17:42
>>190 まだ、キリスト教が無かった時代だから、キリスト教の信者にではなく、イエ
スの弟子に売られて、だがね。
194 :
プロテスタントですが。 :02/03/06 17:44
>>192 牧師も笑顔でうなずいているのが、よかったです。
(和気あいあいの)笑 ま、ユダヤ教の信者だしね、ユダさん
197 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 18:13
ダメ宗教。
198 :
パトラッシュ :02/03/06 19:25
>>181 >人を自動応答マシンみたいに扱わないでください。
むぅ、ちっとは自分で調べろよ、ゴルァ!と言うことですね?
私どもの世界でも自灯明っつうくらいで他人様に依存しっぱなしは極めてよろしくない。
で、私もこういう性格なんでネット検索くらいはガンガンかけています。
が、どうもキリスト教情報ってのはノイズが大きくていけない。
これが佛教関係だったら簡単に絞り込めるんですが・・・
というわけでせめて検索単語のヒントくらいはいただけませんか?
2ちゃんばっかり来てると馬鹿になるぞ
200 :
dendo. :02/03/06 20:06
哲学史入門本買って古代と中世と通読する。 ラテン語がよめるなら Thomas の Summa contra Gentilis がネット上に あるので通読する(ぉぃ) カト関係はこれでいける。東方思想にはもうすこし別のアプローチが必要ですね。
201 :
パトラッシュ :02/03/06 20:15
>>200 それってもしかしておれへの回答?
あんたいじめっこかい(^^;
聖書を読む前に、新聞を読みましょう。 聖書の読みすぎはバカへの最短距離です。
203 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 20:31
新聞しか読まないおっさんもいやだなぁ
新聞を読んだ後は、ちゃんと仕事しろ。 妄想は夢の中だけでいいだろ。
新聞屋はカエレ
206 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 21:44
>>143 そもそもキリスト教の場合、霊と肉(ソーマ)を相伴って復活し、父の御国に入る
のではないのか?
207 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 22:21
208 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 22:23
>>206 エホ証が確かそんな事言ってたね。
地上の楽園がどうとか。
みんな食べなくてよくなって、
ライオンと人間が仲良く並んで微笑んでるんだっけ?
209 :
パトラッシュ :02/03/06 22:42
>>206 へ?そうなの?
でも肉の部分はちゃんと墓の下にあるではないか。
別のお肉を纏い直すのですかい。
不思議すぎるぜ、キリスト教。
210 :
名無しさん@1周年 :02/03/06 23:15
>>209 真に受けないように。
>>206 はカルト宗教の『ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)』の教義ですよ。
211 :
パトラッシュ :02/03/07 06:55
>>209 なんだそうなのか。
やっと答えたもらえたと思ったのに。残念。
うーん、修道者のイメージってどう? 私は、少し垣間みたけど、良い部分がなんか かけてきた気がするわ。 厳しさとか。 もう、入会者が少ないから、ちやほやされるし 観想会くらいじゃないと 厳しさはないかもなぁ・・・・。 それ以外は、結構、豪華な生活ですよ・・・。
>>211 あのーパトラッシュ様、一応、キリスト教の教義には「最後の審判」というものがございまして、
そのときにはイエズス・キリスト自身が復活したように全人類も生きていたときの体(現在のような物理的諸条件に拘束されない「霊的な体」に変容していますが)をもって復活し、
イエズス・キリスト自身が「昇天」によって「天国」に入られたように、義人はからだをもって天国に入り、悪人はからだをもって地獄へ行くのでございます。(
>>180 の事典でresurrection参照。)
なにをアフォなことを、と仰るかも知れませんが、道教やチベット密教にも「白日昇天」や「虹の身体」のような教義が存在するのは、ご存じでございましょう。
もっとも全ての仏教徒がそれを額面通りにとっていらっしゃるわけではないでしょうがな・・・。
>パトラッシュ殿 あなたが本気でキリスト教の教理を学びたいとお考えでしたら、 次の書物を一読されることを、お勧め致しますぞい。 『キリスト教神学入門』A.E.マクグラス著、神代真砂実訳 教文館 ただ、お値段の方が・・・税抜きで7,500円・・・高いなあ・・・ 翻訳者があとがきで書いているように、 神学をかじって見たいという人には、打ってつけの入門書ですぞい。
215 :
パトラッシュ :02/03/07 10:11
カトリック教会のカテキズムをざっと見てみたが動物の霊魂に関する記述は 見当たらなかったぞ? 動物を大事にしろだのとは書いてあったけど、死んだらどうなるとかは書いて 無いみたいね。 もしや人間以外の霊魂観ってものすごーく曖昧なんでない?
216 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 10:28
聖書勉強会で「肉体を持って復活する」話をやっていたときに、ふと 「どの時点の体なんだろう?」という疑問を口にしたら大受けした(^^; おばちゃんたちは口々に「若いときのがそりゃ、いいわよねぇ〜」と言い、 「神様なんだから、そのぐらいしてくれるわよね」と納得し合っていた。 漏れらの信じてるのは全知全能の神だから、肉を復元するのもたやすいこと なんだろうなと漏れも妙に納得。 パトラッシュさん、こんな説明じゃ曖昧すぎ?
217 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 10:29
うちの子が神父をつかまえて聞きました。 「わんちゃんは、お祈りできないけど、天国へいけるの?」 「わんちゃんはもちろん天国いけるよ」 だそうです。
218 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 10:37
>>217 コンプリ神父の本には行けないって書いてあったけどなぁ
219 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 10:40
>212 修道会によるんじゃない? ミッショナリーズ・オブ・チャリティ(マザー・テレサのとこ)なら、 確実に豪華さからは縁が遠いと思われるし。 ちなみに、どの修道会?
カトリックではないです。
>パトラッシュ様
動物の魂の非不可滅性についてはdendo.様ご指摘の「対異教徒大全」第二巻第八十二章で論じられております。
英訳はSumma Contra Gentiles(University of Notre Dame Press)がございます。
これはカトリック神学上の通説ですが、カトリック教会が文書をもって動物的魂に関する教義を決定したことは私の知る限りございません。
なお、哲学史的知識は
>>180 の百科でimmortality,soul,spiritの各項目をお調べになるのが早いかと。
>219 神の愛の宣教者会ですね。あそこは、厳しいですね。 マザーが余りに偉大すぎて笑 日本の修道会は、裕福ですよ。特に活動会は。 新築の修道院覗いた事あります?いいホテル並みですよ 普通の生活して、年金生活とは、雲泥の差です だから、本部に戻るの順番待ちしてますよ・・・・。 よっぽど世俗のほうが、厳しい生活ですね 廊下は、カーペット、床暖房、料理、自由に使える個人のお金。 未だ持参金による扱いの差がある会もあるようです。
私は貧しい家だったので 結構、驚きましたが。
224 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 12:37
>>210 でも最後の審判まで地中に埋まってるのだろう?
カトリックだと、煉獄で浄化されるとさっさと御国に入ってしまうのか?
聖人は直行だし。
225 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 12:38
煉獄なんてねえよ
>>225 様
よろしければ煉獄について
>>180 の事典でPurgatoryをご参照くだされば幸いです。カトリック教会のカテキズムでは1030以降です。
227 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 13:07
ないですよ
228 :
dendo. :02/03/07 14:23
煉獄があるっていってるのカトだけじゃないかな。
>>201 こちらとしてはすでに簡潔にかつわかりやすく書いたつもりなので
それでわからないなら
>>200 が迂遠に見えてたぶん一番確実な答え。
Namas Sarvaj~n~aya百回通読するより、有部についての概説書いちど読んでから読んでみる
ほうが、何いってるか分かりやすいだろう、てのと同じっすよ:)
人間は平等と言いながら、 教皇を敬えとは、どういったことでしょうか?
「教皇」は人間扱いされていないということでは
231 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 18:39
>>229 イエス様がペトロとその後継者に対して与えた「権威」に敬意を払うという
ことでしょう。(マタイ16:18)
232 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 18:42
ペテロを後継者に軟化してねえよ
233 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 18:43
ペトロを後継者にしたとは書いていない。 よく読むように。
234 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 18:46
煉獄もかいてねえよ
235 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 18:52
オリゲネスとアンブロジウスによれば詩編66:12に出てくる「火の中、水の中」 は、煉獄の火と洗礼の水を通り、人間が「豊かなところ」、つまり天の国に入ると 解釈されているよ。
236 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 18:55
イザヤ4:4にも 「主は必ず、裁きの霊と焼き尽くす霊をもってシオンの娘達の汚れをあらい、 エルサレムの血をその中からすすぎ清めてくださる」 と書いてある。 焼き尽くす霊とはまさに煉獄を通ることによって、人々が清められることだ。
237 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:00
イザヤ6:5-7も読んでおくように。 セラフィムがイザヤの口に火を触れさせてこう言っているだろう。 「みよ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、 罪は許された」 神の前に人は立つとき、イザヤ預言書が示すように、我々の聖でない部分は 清められる。何をもって? 火をもってだ。 煉獄も火をもって、人々を聖なるものに変える。 それは苦しみを伴うが、神に直接会うための喜びが隠された苦しみだ。 好きな人に会う前に化粧せずいきなり会うより、美しくなってから会うことが できるほうが幸せだろう。 火はそのためにある。
238 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:02
聖書にない話をつくっちゃだーめ
239 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:04
ミカ7:8-9も読むように。 その中心部分を書いておこう。 「わたしは主に罪を犯したので主の怒りを負わねばならない。 ついに、主が私の訴えを取り上げ私の求めを実現されるまで。 主は私をひかりに導かれ、わたしは主の恵みの御業を見る」 ヒエロニムスはこの部分は煉獄を示していると考えた。
聖書自体が作り話では?
241 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:06
まだまだたくさんあるが、とりあえず、ここまで。
>>238 全部聖書から持ってきた話だ。読んでおくように。
242 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:06
聖書自体が作り話では?
243 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:19
>>241 無理やりこじつけて作った
創作教義でしょうが。
244 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:20
>>241 カトもやってる事はエホ証と同レベルだね。
245 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:22
・・・・と解釈されているよ。 ・・・・とはまさに煉獄を通ることによって、人々が清められることだ。 ・・・・この部分は煉獄を示していると考えた。 全部憶測とこじつけじゃないか。(失笑)
246 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:23
煉獄とかマリヤ崇拝とか もう少しばれないような の考えたら?
247 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:24
煽りではなく、素朴な疑問なのですが、 クリスチャンの皆様は、 人間が、アダムとイブから始まったと本当に思ってるのですか?
248 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:26
>>247 教派や、また個人個人でも違うんじゃない?
自分は信じてないけど。
普通の人がまず信じないような事で、
なおかつ自分が信じるのは「イエスの死と復活」ぐらいかな。
249 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:28
>>247 同じ基督教徒でも
リベラリストと
ファンダメンタリストでは
天と地ほども差があると思われ
みなさま、回答ありがとうございました。
251 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:47
252 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:49
ガンダムおたくと、50歩100歩。
254 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 19:59
>>245 は自分の聖書理解が絶対だと思っているから、控えめな表現を見ると
「憶測」だとか「こじつけ」だと突っ込みたくなるのだろうね。
曲がりなりにも教父たちの理解を紹介しているのは、私の勝手な思いこみじゃ
ないことを示しているのだけど。
アンブロジウスとかオリゲネスとか知ってますかぁ?
教会史、勉強しましょうね
255 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 20:02
>>254 だからさ、カトの教父もエホ証並みだねって事だよ。(笑)
256 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 20:03
>>254 どこに「あなたの」思い込みだなんて書いてあるの?
カトリシズムは新約聖書が成立する以前から存在しておりました。
何が正典として認められるかを判断し、それを保存してきたのもカトリック教会です。
聖書に書かれずとも、使徒達から歴代伝えられた教えというものは厳然として存在してきました。
教会教父たちはその証人であります。
したがってわれわれカトリックは、(1)聖書のみが教義の論拠となる、というそれ自体として無根拠の前提を採用しません。
(2)聖書に明示的に書かれていないから誤謬である、という必然性のない命題も承認しません。
よろしければTradition,Church,Protestantismの各項目を
>>180 の百科事典でお読みください。
258 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 20:09
>>257 やっぱり汁だったか。(笑)
そのカトリック至上主義の物言い、
そうじゃないかなーとは思ってたよ。
259 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 20:11
いや、こいつカトリックのこともよう知らんのですわ。 許してやってちょーだい。
おいおい、キリスト教がキリストと縁を切っていいのか? 神学やったんだろう? もっとまともな議論が出来んのか? カトリックって、この程度か?
261 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 20:18
>>260 部外者だからよく知らないけど、
カトリックも決して一枚岩じゃないみたいだよ。
ピオとかオプスとかリトル・ペブルとか、
内部に色々な派閥があって覇権争いをしてて、
お家騒動でてんやわんやらしい。
教義も、解釈も、方針も、なんかてんでバラバラで収拾つかないそうな。
じゃあプロテスタントみたいに別れればスッキリするのにって思うけど、
「ひとつの教会」っていうのがカトの正統の証らしいから、
それもできなくてよけい荒れてるみたい。
>>261 様
いえカトリックの教義は
>>180 のカテキズムや各公文書で明示されております。
教導権に公然と楯突くドキュソがいるだけ。
(カトリック誤謬告発スレッドの過去ログ参照)
>>260 様
「キリストと縁を切った」発言とは、どのことでしょうか。よろしければご教示ください。
263 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 20:28
>>262 君も多くのカトからは腫れ物扱いされてるじゃない。(笑)
>ピオとかオプスとかリトル・ペブルとか、 それはみんな超保守の連中。シルもそのシンパ。 正直いって、連中とは全然話し通じませんわ。 さよやうよみたいに、相手するとしつこいから、気をつけたほうがいいよ。
265 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 20:31
>>264 了解です。(笑)
カトもたいへんだね、頑張って。
>>265 様
騙されてはなりません。
オプス・デイの創立者、福者ホセマリア・エスクリバーは、
今年カトリック教会によって列聖されることがきまっております。
>>264 氏の知識のいい加減さはこのように暴露されます。
私はピオ十世会やペブルへの支持を表明したこともありません。
>>263 様
正統教義に対して反対する人間が騒いでるだけです。
そのことは私の異端性をなんら証明しません。
サンクス >265 おれらの場合は、呉越同舟だからきついよ。 へたすると、そのうち沈没してしまうかも(笑)
268 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 20:41
>>267 プロにも原理主義的な福音派とかあるけど、
基本的に「よその教派の話」で済ませられるからなあ。
カトは「ひとつの教会」だから、きつそうだね、同情します。
>知識のいい加減さはこのように暴露されます。 きみのくだならい公文書解説とどっこいどっこい(笑) オプスデイなど、影でなんて言われているか知らないの(笑) それに海外ではカルト扱い。金にモノ言わせて、列福だろ。
>268 そうですね。 彼らは福音派とそっくり。 聖書原理主義者ならぬ、公文書原理主義者。
>>269 リベラルになんと言われようが、
列聖となれば、それは不可謬的に確定します。
おわかりですか?
その場合でもエスクリバー師に対する批判を続けるなら、
それは教会に聖霊の導きを約束なさった主への反逆です。
オプスデイに属する個々人の不賢明な言動があったとすれば、それは反省されるべき別問題でしょう。(教会史上の多くの前例と同様に。)
>>270 ここは質問スレですからここでこれ以上議論はしませんが、
批判があれば告発スレに書いてください。
272 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 21:08
>>257 シルさん、サポートありがとう。
>>270 公文書原理主義なんて言っているけど、公文書に従わないのがカトリックとしては問題だよ。
しっかりしてくれよ。
カテキズムにも公文書にも従わず、思いつきだけをたよりにイエズスの言葉を判断
するつもりなの? 使徒や教父たちを通じて我々にもたらされた伝統がいらないなら、
カトリックなんてやめたっていいじゃないの?
Hold on to the tradition とはパウロの言った言葉。
273 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 22:58
教会に行こうと思うんですけど、正直やめたほうがいい教会を教えて下さい。(異端カルトなど)
274 :
dendo. :02/03/07 23:05
>>273 たぶんこのスレの統一見解としては統一協会、エホバの証人、モルモン教。
(そもそもこれはキリスト教ではないという声も多し→その一人)
あとはこの板を適当に歩きまわってれば自分に合わないところがおのづと
分かるのではないでしょうか。個人的おすすめはオーソドクス(日本正教会)。
理由はまったりしてるから。献金もうるさくないし。
……てか香典(断わってるのに持ってくる人がいるんだよぉ)を寄付しようと
して「信者でもないのに……さしでがましいかもしれませんが」とゆー
メイルを書いたら「うちはどこぞの新興宗教じゃねぇぞゴラァ」というお返事。
# 原文はもっと穏当な言葉づかいだたーけど。
……どうしよ、このお金。自分で使えばいいんだけど、それは嫌なんだよなあ。
みなさんならどうします? と便乗質問(ちなみに半分はもう寄付先が決まってる)
>>273 正直、どこもやめたほうがいい。(w
っと、冗談(冗談か?)はさて置いて、
末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)
ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人、聖書研究者)
世界基督教統一神霊協会(統一教会)
以上三つは代表的なキリスト教系カルト。
この三つだけは、たとえ冷やかし半分でも関わっちゃダメ。
276 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 23:14
>>274 >>275 ありがとうございます興味はあったんですがかなり無知なので・・・。隣人がイエスの御霊教会というところに行っているらしいのですがここはどうなんでしょうか。
277 :
dendo. :02/03/07 23:16
278 :
名無しさん@1周年 :02/03/07 23:24
279 :
パトラッシュ :02/03/08 10:58
>>221 Sylvius堂本舗さん。
いつもご丁寧様です。一応了解いたしました。
>>228 dendo.さん。
>こちらとしてはすでに簡潔にかつわかりやすく書いたつもりなので
>>27 で言っていた「理性魂」と言うのが「霊」ということですか?
どうも私は用語関係でついていけてないようです。
280 :
教えて下さい。 :02/03/09 19:27
教えてください。 クリスチャンの友人のお母さんが亡くなりました。 亡くなったお母さんもクリスチャンです。 明日お葬式なのですが、 1.「ご愁傷様」って言っていいんでしょうか? それとも、天国へ行くから「おめでとうございます」ですか? 2.お葬式なんですが、喪服を着ていっていいんでしょうか? 私の母も同行するのですが、着物の喪服着てもいいですか? 3.お香典は持参するのでしょうか? 4.数珠を下げて行ってもいいでしょうか? なにせキリスト教式のお葬式ははじめてなので教えて下さい。
おめでとうは言わないよ、やっぱり。 で、喪服はよいでしょう。黒のワンピースやスーツが一般的。 お香典は「御霊前」「御花料」「御ミサ料」などとする。 数珠はキリスト教式の葬式には似合わない。 焼香の替わりに献花があるかもしれない。
282 :
名無しさん@1周年 :02/03/09 20:46
ミサってカトリックなんじゃ?プロテスタントでは葬式はなんていうの? いずれにしても、数珠は似合わないですね。
283 :
教えて下さい。 :02/03/09 20:57
>>281 ありがとうございます。
ところで、何と声を掛ければよいのでしょうか?
ご愁傷様でよろしいのですか?
284 :
名無しさん@1周年 :02/03/09 22:09
>283 わからん。 お悔やみ申し上げます、程度ならよいんじゃないのか? ご愁傷様とは・・・・あまり良い響きに聞こえないからなあ。 ちょっと周りを見回して、当り障りのない挨拶を心がけると・・ そんなとこで・・いんじゃない?
285 :
パトラッシュ :02/03/10 00:14
御愁傷様は人に死なれて嘆き悲しむ人に対するごく一般的な挨拶文句。 別に宗教色を帯びている言葉では無いはずです。少なくとも仏語ではない。 ふつーの日本語だよ。 だから言って良し、でしょう。やっぱ。
286 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 00:19
心配なら「この度は……」とフェイドアウトしながら頭を下げれば、 なんとか格好が付く。 教会でのお葬式でも仏教徒の参列者に配慮して焼香台置くとこもあるよ。 参列者それぞれのやり方で故人のためにお祈り下さいって感じかな
287 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 00:21
おれも一昨日仏式葬儀に参列したよ。 やはり「この度は・・・・・」で済ませた。 これが一番無難な感じ。
288 :
教えて下さい。 :02/03/10 00:23
>284-286 レスありがとうございました。 周りの方の様子を見ながら、失礼のないようにいたします。
289 :
教えて下さい。 :02/03/10 00:24
>287様ありがとうございます。
290 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 00:50
あまりにスレッドが多すぎて探しきれません。 キリスト教関係の古本屋さんを探しています。東京在住です。 絶版になっているジョン・バニヤンの「あふるる恩寵」という本を探したいのですが。 77歳になるクリスチャンの母が、死ぬ前に是非読みたいと探しています。 ヤフーの本探しでは、新刊だけで、全集や「天路歴程」だけで、他は大体絶版なのです。 いいお知恵があれば宜しくお願い致します。
2001年5月11日 カナダ、ケベック、岬の聖母の参詣所 -------------------------------- フランツ・カイラー: 今朝、祭壇の上方に聖母が青のケープ、真っ白なドレスで奇跡の御像 を見て立ち、すこし御自分のロザリオを指でつまぐっておられました。 彼女は言われます。
聖母: 光のいとしき子供たち、私の聖なるロザリオを唱える者は本当に少な いです。特に聖なるロザリオに献げられた世界中の参詣所においては。 ロザリオを唱えることは大切であり、皆が聖なるロザリオを唱えるのを わかることが私の望みです。しかし、これとミサの聖なるいけにえは別 にしなければなりません。ミサの祈りに注意して時を費やさなければな りません。もし、ミサの祈りの間に他の祈りを唱えるなら、それが何で あろうとも、ミサに注意は向けられません。多くの者はミサの祈りの間、 ミサの聖なるいけにえに十分な注意を払わず、私の神なる御子の真の現 存に対して無礼の数々をはたらいています。あなたたちのいくらかは意 見を異にするかも知れませんが、それは正しくないです。皆が祈るため の時と場所があります。その観点に立ち、他の祈りの時間とミサは取り 替えられません。私の神なる御子の御死去の意図を忘れないようにしな さい。毎日ミサにおいてそれは再現されているのです。
若者の多くが個人的問題のために人生を終わらせるように誘惑されて きていることを私はわかっています。私の神なる御子のもとに来なさい。 そして、また、危機に瀕したこの重大局面に必要な専門家の助けの数々 を見つけなさい。あなたがどう感じようとも、あなたは一人ではなく、 私たちがいつも一緒だということを知ることがとても大切です。汚れな き御心のもとに来なさい。私はあなたに世が与えないすべての安心を送 りましょう。それだけでなく、何もかも与えることを大いに約束します。 私が約束することを私の神なる御子はいつも与えられます。それはあな たが期待したよりちょっと違うかもしれませんが、それはそれでいいの です。すべてあなたたちは忍耐しなければなりません。そうすればすべ て与えられるでしょう。
青眼氏ね
ヘブライ人の国(イスラエル)の子供たちは過去を忘れています。あ るいは過去を無視しています。なぜ彼らは絶えずいらいらしてパレスチ ナ人たちをおとなしくさせようとするのでしょうか。双方に問題があり ますが、その事に面と向かっている者はわずかです。イスラエルの侵略 はパレスチナ人たちを排除するのが望みで、数年前より大部違ってきて います。彼らはこれがどうなるかをわかっていません。あなたたちが彼 らを完全に排除する問題がわからないなら、あなたたちは過去にとらわ れた人たちです。中東に平和をもたらそうとするなら、すべての政党は 他者の重要性を認識し始めなければなりません。平和は一方的にできま せん。それは現在の良い状況を見ることから始めるのです。祈りは双方 にとって助けとなるでしょう。両者が考えを鮮明にして交渉に臨むこと が、上辺の交渉をなくします。私の愛を中東の子供たち皆に送ります。 平和をもたらせるために解決しなければなりません。さもないと更に大 きな戦争が結末となるでしょう。
297 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 00:55
コピペうざい!!!!氏ね!!!
教皇ヨハネ・パウロ2世のために祈ってください。彼の最近の旅行は 気絶するほど困難です。天は教皇の平和への努力を大変喜んでいます。 しかし、あなた達は皆が教皇に耳を傾けることを期待できません。教会 内の多くの反対者のために祈ってください。
300 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 00:55
青眼氏のカキコはカルト的な偽出現のメッセージなので、気をつけてください。 誰も読まないでしょうが。
教皇ヨハネ・パウロ2世の死後の教皇権について、あちこちの枢機卿 が絶えず言っていることに私は驚かされます。彼はいたって元気で、永 遠の御父から天に呼ばれていません。あなた達の答えは何ですか。あな たたちは蝮の巣窟ですか。あなたたちが次の教皇を予想することはどん なに無礼か、これはあなたたちが予定することではないです。自分が誰 かということを思い出しなさい。あなたたちの多くは自分が永遠の御父 の召し使いであり、聖霊の助手であることを忘れています。誰がこの地 位を任命し、誰が解任するかということを忘れないように。あなたたち は恐ろしい偽善によって教会を絶えずまごつかせています。少数の者は 永遠の御父や私の神なる御子を信じていません。彼らはこの愚かしいこ とを地獄で支払うでしょう。彼らは幻想の世界に生きています。永遠の 御父が彼らを地獄に宣告するときにそれは終わるでしょう。彼らは償わ ない限り、煉獄で多大な時間を送るでしょう。たぶん時の終わりまでで す。煉獄の13段階はたくさんの司教、枢機卿、そして何人かの教皇で 満ちています。彼らはまだ自分の責任を払っていません。誰も法の上に いません。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ Λ_Λ | オラオラ、 ( ・∀・)< コピペばっかしてんじゃねえよ。 ( ) \_____________ | | \ \ グリグリ (__) (__) (゜ο゜) ←>>青眼
いとしき子供たち、小さきロザリオのさすらい人を通しての私の言葉 について、多くの者は本当に厳しくて無慈悲なものだと話しています。 甘美な言葉を聞くより、地獄で終わりたいのですか。私はそう思いませ ん。メッセンジャーを非難しないでください。彼がいつもあなたたちに 告げる言葉は私が話している言葉です。それが耳ざわりなら、言われる ように生き、生活を変えなさい。こうして不平不満はなくなります。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ Λ_Λ | 回線切って ( ・∀・) < 首つれやカルトヲタが!!! ( )ペッ\_____________ | | | ヽ。 (__)_) (゜ο゜) ←>>青眼
他のテーマについて言わなければなりません。それは、今日ありふれ た言葉の虐待です。そうされてすべての人はすぐに傷つきます。不親切 や無慈悲が原因であり、絶えず人を除け者にし、こき下ろし、自分自身 を自慢する人の心の問題です。自画自賛は破滅に導きます。地獄は自己 本位の人で埋まっています。誰も同じ人はいません。
毎日ミサにあずかり、私の神なる御子を司祭から舌でのみ拝領してく ださい。祝された秘蹟の御前あるいは家の個室で日々黙想してください。 祈りを通してすべては与えられるでしょう。 私の愛をフランジル、ジェニン、この聖地に来ているすべての者に送 ります。巡礼を通して、将来のすべての共同体は平和統治に導かれるで しょう。私はいと尊きロザリオの元后、岬の聖母、神の小羊の母です。
2001年5月13日ファティマの聖母の祝日 カナダ、ケベック、岬の聖母の参詣所 -------------------------------- フランツ・カイラー: 今朝、ミサの前に、参詣所で聖母が岬の聖母として、まばゆいばかり のドレスでお現れました。美しいですが悲しそうでした。彼女は言われ ます。 聖母: いとしき光の小さき子供達、非常に特別な日にあなた達をここに歓迎 します。私の小さきフランツに初めて公的に出現して、彼がミッション を行うことに「はい」と言ってから25周年です。25年間で多くのこ とが変わりましたが、メッセージが毎月私のいとしき子供たちにいつも 届くことが天の計画でした。
私のいとしき子供たち、私は復活祭の日曜日に関する私の神なる御子 の話が続くことを望んでいます。それは私のいとしき教会の難破のこと です。愛する教会に余興や軽薄を取り入れ、信心を変えるどんなことも 支持しないと、牧者や司教たちに告げなさい。祭壇の中央に私の神なる 御子を据えなさい。御子は、本来あるべきでない脇や別の部屋に置かれ ています。何とひどいこれらの移動を支持してはなりません。なぜあな たたちは教会の破壊を支持するのですか。それが良くなるように注意を 払いなさい。ニューエイジを教会に導入するために、どんなことでもし ようとするこの蝮(まむし)たちに、このことを許さないし、それを望 まないと私の子供たちが声を大にして言う時がきます。これらは大変な 策略ですが、ある教会では敬意が欠如してきて、ある司教たちは時代と 共にすべてを変えようとしています。すべて彼らが行うことは破壊で、 多大な騒乱の源です。
私はいま、極めて重大な問題に答えなければなりません。教皇を批判 することをやめなさい。あなたたちが何と考えようと、彼はやるべきこ とをやっています。こういうことを要求するのは誰ですか。彼は聖霊か ら導かれており、バチカンの囚人です。この愚かな民がわかりますか。 不平を言う前に考えなさい。
310 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 01:03
聖霊の導きは教会とか教皇は関係ないな。 個人的なことだ。 イエスの教えは教会にこだわる必要なし。
>297 有難うございます。友愛書房@神保町、行ってみます
313 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 01:17
青眼氏ね!!!
314 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 01:31
プロテスタントのクリスマスに、 サンタクロースはどう関与するのでしょうか? 私、子供のころに何度かプロテスタントの教会で行われる クリスマスの会に参加した経験があるのですが、 「プレゼントの交換」があっただけで、 サンタのサの字も登場しませんでした。 今になって、守護聖人の観念がないプロテスタントだったから なのかな?とも想像するのですが、一般的にはどうなのでしょう。 敬虔なプロテスタントにとって、サンタクロースは どう受け止められているのでしょう?
315 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 01:37
>>312 こういうマトモな会話も出来るんじゃん。>阿保癌
あ!しまった!
相手してしまった・・・・・
>314 子供たちにお菓子を配るオジサンがサンタクロースです。 ただそれだけの事ですが。 「敬虔なプロテスタント」としては、イースターもEastreという異教徒の名を古代の 英語に合わせて変えた言葉だから、元々のPaschaに戻した方がいいのかも、 クリスマスツリーのもみの木も、もみの木信仰からのものだし・・・・・。 どうなんでしょうねえ。 聖餐式に種入り(イースト菌)食パン使用している教会もあるし、多様に解釈してる みたいですね。
317 :
dendo. :02/03/10 07:54
「このたびはご愁傷様です」 「おくやみ申しあげます」 自分がいう側だと空疎で、その空疎さに口にすること自体相手に失礼な ような気がするけど、 いわれる側に回ると、そうはっきりいってもらったほうが気持がよい、 というかなぐさめられることが多い。 もちろん「このたびは……」どころか眼があった瞬間泣き出す人、 なにもいえないでこっちを見ている人、いろいろあって、 それぞれに思いは伝わるけれど。 下手に策を弄する必要はないと思うです。
318 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 15:01
数年前、両親がプロテスタントの信者になった。 それから帰省すると食事のときにお祈りさせられるわ、 もちろん初詣にもいかないわ、 娘の誕生日やクリスマスプレゼントにはマンガ聖書物語とか キリスト教がらみのものしか送ってこないわ、(娘は全然うれしくない) そんなこんながイヤでついに親と断絶。 60過ぎた親とのつきあいを絶つのは心苦しいものがあるが もう、話していても自分の言葉で語ることはなく 全て聖書の引用。 オシャレでおいしいものを食べに行ったりするのも好きな親だったのに 清貧ということなのだろうか、急にみすぼらしくなり 生活に彩りもなくなってしまった。(献金も大変なのだろうか) でも本人達は「幸せだ」といっているんだけど、子供からすると 耐えられないものがある。 他にも仲のよかった御家族や親戚とのつきあいもなくしているようだ。 ここに来る信者の方もそんな経験をしているんですか? そして家族とのつきあいをなくしても信仰の方が大事になっちゃうんですか? 私は一人娘なんだけど両親の葬式の時も、喪主になるわけでは ないらしい。(教会主催の葬式になるからだとか) 最初は「まあ、へんな新興宗教じゃなく、キリスト教ならメジャーだし」 と軽く思っていたが、こののめりこみ方はカルトとなんら変わらない。 もちろん、こんな人ばかりじゃないと思うんだけど。 このことで実は凄く悩んでいるし、とても悲しんでいるんだけど こんなこと、どこにも相談できなくて 2ちゃんに書き込んでしまった、っつーのが また悲し〜〜。
>>318 >もちろん、こんな人ばかりじゃないと思うんだけど。
つーか、それって、選んだ教会がまずかったってことなんじゃない?
話す言葉が自分の言葉ではなく、すべて聖書の引用なんて、
福音派の症状にぴったし。カルト対策の牧師にでも相談してみたら?
320 :
ニコラス・クザーヌスについて教えろ。 :02/03/10 17:21
オレにも分かるように教えろ。
>>320 様
まずディオニシオス文書から読むのが吉でございます。(教文館「キリスト教神秘主義著作集1」)
「知ある無知」を最初に読むのはおすすめしませんな。
「テオリアの最高段階について」これが、短くて明晰でよろしい。
平凡社中世思想原典集成に収録してございます。
神は一切の現実に先行する可能自体である。
可能なしには何事も不可能。
可能概念の根本的な変容によってとてもわかりやすい神学ができました、ということでございますよ。
323 :
教えて下さい :02/03/10 20:37
お葬式に行ってまいりました。 お悔やみのご挨拶は、正直に「何と言ったら分りませんが、大変でしたね。」と申しました。 「ご愁傷様でした。」か「お悔やみ申し上げます。」か「この度は・・・・・。」のどの言葉が良いのか 分らないので、昨晩ネットで聞きましたと言いましたら、友人は「ホントだよねー。でも悲しくも何とも ないのよ。今ごろ先に死んだ父と祈っていると思うよ。ありがとう心配してくれて。」でした。 賛美歌と献花のシンプルなお葬式でした。教えてくださった皆様ありがとうございました。
324 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 20:44
私の質問にお答えください。 私の彼はクリスチャンで私は仏教徒です。 結婚も考えています。 信じるものが違う者が生活していく上でのすれ違いがないか心配です。 また仏教徒である家族にはどのように説明したらよいか悩んでいます。 死後のこと(お墓に入るのかどうか)、習慣のことなど教えてください。 ほんとになにも知識がありませんので、よろしくお願いします。
325 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 20:54
>>318 数年前、私はプロテスタントの信者になった。
未信者との食事ではお祈りはしません。(一人でも未信者がいれば
その方に嫌な思いをさせないように。)初詣は勿論いきません。
プレゼントはキリスト教がらみのものはエルサレム土産だけ。
でも、親兄弟とは仲良くしています。友人とも仲良くしています。
>そんなことがイヤでついに親と断絶。
きっかけはそうかも知れないけど、原因は他にも、な気がしますが。
オシャレもしてるし、おいしいものを食べに行ったりもしてるし。
私もクリスチャンになる前の日本のクリスチャンのイメージは
清く、正しく、明るく、ダサく、でした。
>そして家族とのつきあいをなくしても信仰の方が大事になっちゃうんですか?
そうですね。イエス様は「私よりも父母(要するに家族)を愛する者は、私の弟子にふさわしくない。」と
言っておられますから。優先順位が神様一番になります。
326 :
名無しさん@1周年 :02/03/10 21:00
>>324 先ず、あなたの彼に聞いてください。
彼の方が仏教徒と結婚する気があるかどうか。
そして、彼は信仰の違う者の結婚を
どのように考えているのか。
327 :
ニコラス・クザーヌスについて教えろ。 :02/03/10 21:00
もう一度言う。 オレにもわかるように教えろ。
>>326 あなたは信仰の違う者との結婚をどのようにお考えですか?
329 :
dendo. :02/03/10 21:51
>友人は「ホントだよねー。でも悲しくも何とも > ないのよ。今ごろ先に死んだ父と祈っていると思うよ。ありがとう心配してくれて。」でした。 直後はわりとそうらしいよ(私は早かったが)。 先達によると、一箇月とか一年後とかに「どーん」と来るらしい。 しばらくたったらそのお友達にまた声をかけてあげてください。
330 :
教えて下さい :02/03/11 00:08
>>329 アドヴァイスありがとうございます。
しばらくしたら連絡してみます。
>>328 クリスチャンとして反対です。
母親としては、意見を求められれば反対いたしますが、
日本国憲法第三章24条によって「両性の合意のみ」ですから。
>>324 さん
>死後のこと(お墓に入るのかどうか)、習慣のことなど教えてください。
クリスチャンもお墓に入ります。(不要という方もいます。クリスチャンではない方と同じ)
当然、お彼岸にお墓参りにはいきません。法事もありません。(記念会とする方はいます。)
イベントは、イースターとクリスマスを大事にいたします。(教派によって多少の違いあり。)
それよりも、子供の育て方で夫婦が一致出来ないと、子供の精神の安定と発達にに悪い
影響があるかもしれません。
父親は食前の祈りをするのに、母親は、なし。母親は初詣に行くのに、父親はダメと言う。
仏滅でも気にしない父親。大安、赤口、等気にする母親、ランドセルにお守りをつける母親
家内安全のお札や初詣の破魔矢を飾る母親とそれらを捨てようとする父親、、、、、、、、。
細かなことかも知れませんが、日常とは細かなことの積み重ねですから。
クリスチャンの母親の一意見でした。
333 :
パトラッシュ :02/03/11 00:56
>>331 そういうもんなんですかい。
これでは国際結婚などおちおちできんな。
334 :
名無しさん@1周年 :02/03/11 01:02
319さん 325さん お返事ありがとう。 うーん、クリスチャンの家族とつきあっていくのは むずかしいです〜。 >>そんなことがイヤでついに親と断絶。 >きっかけはそうかも知れないけど、原因は他にも、な気がしますが。 そうですねぇ、親というか母の方は昔、共産党員だったんすよ。 時代とともにやめちゃったんだけど。 私は子供時代、そのことでイヤな思いをいっぱいして 「どこかに帰属しなきゃ不安な親、人の教義がなくては 生きる指針がない親」が弱くて情けない人間に思えてしかたなかった。 東西の壁も崩壊し、もうマルクス主義無しでも やっと生きていける人になったかと思ったら 今度はキリスト教か、ったく!って感じ。 おまけに今度は父親迄。 娘の私にとっては違和感しかないんですよ。
335 :
パトラッシュ :02/03/11 05:41
カトとプロは平気で結婚するらしいぞ。 近親憎悪でかえってまずいんじゃないかと思ってしまうのはおれだけだろうか。
お答えありがとうございました! なぜ同じ人間、愛し合うものなのにこんな問題が生じるんでしょうかね。 人間のための宗教なのに。
337 :
dendo. :02/03/11 12:49
>>314 ドイツだとファーター・ニクラウスは12/6に来て
クリスマスプレゼントはまた別なんですよ。
ルター派とかのドイツ出自の教派にはそれもあるんじゃないかな。
サンタクロースは NYC の某デパートの陰謀でしょ。
イギリスだと「ファーザー・クリスマス」とはいうけど
聖ニコラウスとは関係なさげ。
>>335 天台と門徒で結婚してる夫婦だってようけいるやん。
338 :
325です :02/03/11 22:01
>>334 >325さん
>お返事ありがとう。
>うーん、クリスチャンの家族とつきあっていくのは
>むずかしいです〜。
と、言うよりも「つきあっていくのがむずかしい家族」が
クリスチャンになったようと思われますが。。
>>336 「人間の愛」を考えて見るとよくわかります。
一般的には、人の愛は「自分にとって」の前提(条件)ありきですから。
「この人と結婚したらシアワセになれる。」等、自分にとって益かどうかが
重要なことが多いのではないでしょうか。
自分にとっての利用価値がなくなれば、熟年離婚などが良い例でしょう。
だから、すべて相手の望むように行動すれば問題は小さなものになるでしょう。
でも、自分の思いや願望をすべて無にすることは難しいことです。
キリスト教ではイエス様が一切の見返りを求めない「アガペー」の愛で救いを
示してくださいました。その事実に応答して、私はクリスチャンになりました。
340 :
ニコラス・クザーヌスについて教えろ。 :02/03/11 23:20
教えろ。
>>340 様
可能自体は一切の現実に先行し、いかなる限定からもまぬかれております。
すなわち無限です。
それは対象化される存在者を次々とつけ加えていくことのうちにあるような「無際限」ではありません。
無限の「外」には何もありません。
そのような「外」があるとすればもはやそれは無限ではないでしょうから。
無限は増えることも減ることもない。
すなわち不変です。
342 :
質問です。 :02/03/12 10:02
以下の文章は、自称「幼い頃にキリストの生まれ変わりと呼ばれた」人物の キリスト教観です。 現在、彼は2チャンネル上で自作自演による誹謗中傷を繰り返し、 複数の板(おもちゃ板、特撮板、コスプレ板、アニメ板など)で顰蹙を買っています。 彼の人生がうまくいかないのは、「エロ団(彼に好意を寄せる女性を“犯し捨て”する組織)」 などの陰謀によるものだと考えているようです。 彼に的確なツッコミを入れたいものの、私にはキリスト教に関する知識が足りません。 どこがどう間違っているか、ご専門の方にご教授願えると助かります。 ------------以下コピペ その1---------------------- キリストに人の罪を背負わせようとするのは 神の意志では無く、悪魔の意思だと自分は思います。 単純、善人に他人の罪を背負わせますか?という事です。 「キリストが人の罪を背負った」という考え方は・・・ 後世の人々が自らの罪深さを省みた時に始めて生まれた感情が 言葉にされたもので、人間は誰でも 「生きてる自体で罪だ」という考えを心の内に持つため、のものです。 そういう(原罪、といいますが)罪の意識を持ち、 だからこそ「一生懸命生きよう」とするからこそ、 「キリストが人の罪を・・・」云々が意味を持ち、 努力する人に勇気を与えるわけです。 [キリストだったら、俺達の罪を背負って氏ね。 貴様が犯し捨て呼ばわりされて 犯し捨ての俺達のかわりに、 2chでROM連からも怪しまれ、叩かれて氏ね] という、叩き連中の考え方は(なんで自分がキリストか解りませんが) はっきり言って基地外で、暴力的異常者の思想以外の何物でもありません。
------------以下コピペ その2---------------------- 良い事悪い事をした人間が、その行為に応じて裁かれるというか、 悪い事した分だけ返す、というのでは、「元に戻る」だけですよね。 良い事でも悪い事でも、倍返しする、というのが本来的なキリスト教の 考え方です。それがキリスト教で言う「報い」です。 それは黙示録の「多くの水の上にいる大淫婦 が「倍にして裁かれ」」という思想と同じです。 悪魔の「逆恨み」とは違います。 悪魔は人間の正しい行為にでも悪で報います。 「犯し捨てを叩くと悪呼ばわり」 する詭弁な2chの叩きなどはその最たるものです。 自分には人間の為に人間の罪を背負うなどという気は一切ありません。 「だったらあなたはキリストでは無い」というように (見ず知らずの人に自分をキリスト呼ばわりされるのも変な話ですが) 思われるのもわけのわからない勝手な話ですし、 まず根本問題から、自分に関わらないでくれ、 というか、ほっといてくれという感じです。
同人物による、キリスト教関係のたわごとです。 こちらは彼のヲッチャー数人によって論破されております。 ------------以下コピペ---------------------- >2.キリストは「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」と >言ってたのに、森本さんのカキコ見ると「死ね」とか平気で使ってますよね? >生まれ変わるまでの間に何があったのですか。 右の友人が犯されたら、左の友人も犯させますか? 単純な問題です。 その台詞はキリスト教を支配に利用した太古の統治者が 民衆に圧制強いるために利用したセリフです。 利用されたセリフを圧制者が笑うようなスタンスで使うのはやめてください -------------------------------------------- もちろんただの電波だとは思うんですけど、なんかそういう異端な宗派が あるのかもしれないと不安になってしまったもので。 詳しい方、間違いの指摘をお願いいたします。
345 :
dendo. :02/03/12 17:04
どうでもいいじゃん。コピペ荒らしするわけでもないんだし。 ていうか異端のパターンで新奇性のあるものは そう多くないので、探せばあるでしょうまる ほおっておいてあげるのが互いに吉かと。 # Gestaltprayer 萌え。
なんで外国の宗教を信じるのですか?
347 :
名無しさん@1周年 :02/03/13 01:46
宗教は普遍的なものであるからして日本の宗教とか外国の宗教 なぞというものはありません。
>>345 ええ。私としても非常にほおっておきたい人物なのですが、
誹謗中傷を受けているのが知人(しかも実名出された上に無実)なので。
何らかの措置をとる前に、2チャンネル上でも是非ヘコんでいただきたいという。
正統派からすれば突っ込みどころ満載の解釈である、という私の読みは
合っていますでしょうか。
わたしは宗教は半分信念と信仰、のこりはライフスタイルと思います。 プロ系ですが神社仏閣大好きです。教団や聖公会のきょうえき者で お参りするひとも多いです。ただし純然たる宗教的礼拝は行わないようです。 カトリックのかたで参禅されるかたも増えています。 要するに世俗化、エキュウメニズムのよのなかみんなリベラルに生きているようです。 キリスト教の神は生きる神であり、いけるものの神です。 葬式は死者を主の身元に送る送別会です。去った方には(新しい生活が ーたぶんー待っています) 新聞の訃報をみても、1/4はキリスト系、1/4は無宗教です。
> 宗教は普遍的なものであるからして日本の宗教とか外国の宗教 > なぞというものはありません。 とは言うものの、実際は カトリックは、ラテン民族向け、 プロテスタントは、アングロサクソン・ゲルマン民族向け、 オーソドックスは、スラブ民族向け、 の宗教にローカライズされてしまっているように思えてならない。 キリスト教の歴史上、数々の思想・宗派が登場したが 民族と結びつかないで生き残ったものはまれだと思う。 もしかしたら、一つも無いかもしれない。 民族と宗教が相互作用して発展してきたのだから キリスト教に日本人が違和感を感じるのは当然のことでは。 それでもなお、キリスト教が普遍であるとすれば、 いったい何をさしてのことでしょうか? ユニテリアン・ユニバーサリストのスレをみたけど、 理知的・万人救済的な傾向のキリスト教であれば 日本人にも受け入れられるほど普遍性があるかな、と思たよ。
351 :
はじめまして :02/03/13 11:47
352 :
dendo.%正教会ふりーく :02/03/13 12:28
実は事前に連絡して参祷したことは一度も……あ、一度だけあるか、 ありません。でもまったりやってます。そんなに心配しなくても大丈夫。 教会によりけりだけど基本的に正教とカトはいきなりでオーケー。 # そのぶん、構ってもらえない可能性も若干あり。 うちとけたいなら事前に連絡しておくほうがいいかもしれません。 どういう式次第かとか、しちゃいけないこととか教えてもらえるし すくなくともそのとき接触した人が当日声をかけてくれる可能性高し。 まあ、たいていの場合、礼拝が終わったら 「はじめての方?」「お昼の支度がありますから、よろしかったらどうぞ」等々 と誰かが声をかけてくれますよん。 ちなみに先週土曜日の日本ハリストス正教会京都教会の徹夜祷は、はじめての 人(私含む)といつもの人(神品含む……)の数が同じでした…… # この季節は入学やら留学やら転勤やらで人のいれかわりが激しいという話はある。
353 :
名無したん :02/03/13 12:38
>>346 先日、お釈迦様とお話しする機会があったんですが、何で日本人は、俺
の教えを勝手に変えるかなあ、あれはもう仏教つうより日本教だねと、
ぼやいておいででした。神道やキリスト教も似たようなもんですよと答
えたら、蓮華の華を片手に大笑いしておいででした。
354 :
名無したん :02/03/13 12:45
>>351 カトリックの場合ですが、御ミサに飛び入り参加しても、紹介してくれ
るから大丈夫です。プロテスタントも多分同様。
ただし、神父様や牧師様とお話したいなら、事前連絡する方が良いです。
聖職者は意外と忙しくて留守がちだし、プロテスタントは家庭持ちの人
が多いし。
うちの神父様も、今月は人事異動でてんやわんや。教区事務所のある仙
台と地元を行ったり来たり。
355 :
dendo. :02/03/13 13:15
>>354 行こうと思ってる教会が決まってるならメイルという手もある。
うちの神父さまは、こっちがメイルで済ませてもいい話なら
むしろそのほうがありがたいっておっしゃってた。
htt://google.com/ で検索してみてはいかが?
>始めての人でも楽に教会の人と打ち明ける方法 事前に牧師に会っておくと牧師から紹介して貰える。 事前に牧師に会っておくと牧師の人柄とか観察でき、あわなければ他を探せる。 事前に教会へいっておくと教会の中も観察でき、あわなければ他を探せる。 下見が宜しいようで。 この時期イースターに向けてなんかやってるはずなんで、特に歓迎されますよ。
あったあった。 なんか、そんなのないとかでるから、なくなったのかと思ってたよ。 俺ってパソ音痴だからなー。
358 :
名無しさん@1周年 :02/03/13 18:57
>>349 結局そぷなんだよね。で、教会に来るとみんないい子ちゃんしてる。
359 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 21:43
キリスト教では、死ぬとどうなるのでしょうか? すぐに天国か地獄行き? それとも最後の審判までは存在しないの?
361 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 21:46
>>360 キリスト教では「宗派」ではなく「教派」
362 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 21:47
363 :
俺はクリスチャン :02/03/14 21:51
364 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 21:52
>>362 多すぎて全部は知らん。
仏教徒だって、
仏教の宗派別の世界観を全部教えてくれと言われても、
スラスラと言える奴なんて滅多にいないだろう?
365 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 21:54
カトリックの場合なら、 死→天国へ直行(聖人コース) →煉獄で浄罪→天国(善人コース) →地獄(悪人コース)
366 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 21:57
プロテスタントの中には、 生前・死後の区別なく、神の招きに応え洗礼を受けた時点で、その者の魂はすでに永遠に神と共にある(天国にいる)とする所もある。
367 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 22:02
最後の審判の時に、聖徒のみ肉体を持って復活するというのもあるな。
368 :
俺はクリスチャン :02/03/14 22:11
>>365 すみません。わたしはカトリックではないのですが、
煉獄という言葉、あるいは死後の解釈について、
聖書の中にはどの個所に、どのように表現されている
のでしょうか?
けっして悪意をもって聞いているのではなく、ちょっと
興味があるものですから教えてください。
よろしくおねがいします。
369 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 22:13
>>368 「煉獄」はカトリックオリジナルの概念だったはず。
したがって聖書には記載は無い。
根拠は聖伝だろう。
370 :
ミレニアム :02/03/14 22:25
>>369 「聖伝」て聖書外伝のことですか?
すいません話についていけてなくて・・・。
ちなみにユダヤ教のいわゆる旧約聖書って膨大なものなんですってね。
新約聖書も編集にもれた書簡ってたくさんあったんでしょうね。
その中には死後に関する記述ってあるのでしょうか?
371 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 22:28
>>370 違う。
カトリックの歴代教父の著作物などのカトリックの伝承の事。
372 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 22:39
僕は以前、地元のバプテスト系の教会に行ってました。 そこではロックは悪魔の音楽だと言われました。そして ビートルズ、イーグルス、クィーンetcの音楽には 正回転または逆回転で悪魔を崇拝するメッセージが込められて いるという事でした。当然、それらの音楽を聴く事は 好ましくない(決して強制ではないと強調されましたが) という事でした。そのような音楽を聴く行為は神様を悲しませる から。と言う理由です。結果、僕は音楽をとりました。 もちろん今は教会に行ってません。もう2度と行きたくありません。 これで地獄行きなら、それでも結構。もうウンザリです。
373 :
ミレニアム :02/03/14 22:40
>>371 さっそくのお返事ありがとうございます。
よくプロテスタントの牧師が答えに困ったときに使う
「神様の不思議な導きによって」みたいなもので書かれた
カトリックの歴代教父の著作物と理解してよろしいですか?
374 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 22:42
>>372 それ、バイブルバプテストじゃないの?
バイブルバプは、普通のバプテストとは全く違う、カルト宗教だから気をつけてね。
>>373 様
煉獄や聖伝に関するカトリックの立場の説明に関しては
>>226 や
>>257 あたりに出ておりますのでご参考までに。
>>180 に貼ってあるカトリック百科事典で引いていただくのが早くて確実かと。
376 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 22:44
>>374 レスどうも。
その辺の違いがよくわかりません。バプテストはバプテスト
じゃないんですか?
377 :
ミレニアム :02/03/14 22:45
>>372 ロックが悪魔の音楽というより、それを好む人たちの
(すべてのというわけでないが)、生活習慣、言動等
が、クリスチャンとしは、望ましくないことをする方々
が多いから、また周りに対する影響もすごく良いとは
決して言えないから、きつい言葉で止めたんじゃない
かな。
人の役に立つことをいっぱいして、みかえしてあげれば?
カトリック教会のカテキズムでは聖伝に関する説明は80以降です。
リンクは同じく
>>180 にあります。
379 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 22:48
>>377 お言葉を返すようですが、それは偏見ですよ。
ロックを聴くというだけでこの言われよう!
独善的すぎませんか?
380 :
ミレニアム :02/03/14 22:51
>>379 偏見を持ってる人は少なくないでしょ?
だから人の役に立つことをいっぱいやって
みかえしてあげれば?ということです。
381 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 22:54
>>380 いや、別にそこまでして奴らを見返してやろう
とは思ってないですし・・・。
ロックを聴く自分を正当化しなきゃならない理由
はありません。だって悪い事してる訳じゃないでしょ?
>>376 仏教の宗派にも、浄土宗と浄土真宗など、似たような名前の宗派が数々あるように、
キリスト教の教派にも、思想も教条もまったく違うのに、似たような名前の教派があるのです。
中世ヨーロッパで、当時堕落していたカトリック教会に、マルチン・ルターが抗議(プロテスト)して始まった宗教改革運動で生まれたのが新教(プロテスタント)、
バプテストは、そのプロテスタントの一派で、17世紀初頭に始まった「浸礼派」と呼ばれる教派ですが、
その後さらに分裂したり、単に洗礼に浸礼形式を取るからという理由で、まったく関連なく「バプテスト」を名乗る教派が出てきたりしたため、
現在では多くの「バプテスト」を名乗る教派が乱立しています。
現在の日本でも、日本バプテスト連盟、日本バプテスト同盟、日本バプテスト教会連合など、
それぞれ様々な思想・教条の、多くの教派・教団があります。
384 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 23:09
>>382 非常に詳しいレス、どうもありがとうございます。
じゃ、一つお聞きしたいんですが、異端ではない教会
ではロックを聴くなというような事は言わないんですか?
>>384 うちの教会では青年会でロックバンドやってますね。
昔はゴスペルアワードに出て、いい所までいったとかいかないとか。(w
386 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 23:16
>>385 レスどうも。でもあなたのおっしゃるロックって言うのは
サウンド的にロックと言うだけで、歌詞は神を賛美するモノ
なんでしょ?僕の言ってるロックとはもっと退廃的なモノなんです。
そういうモノはやっぱり受け入れ難いですか?
>>386 おっしゃる通り、音楽はロック、歌詞内容は神の賛美ですね。
でも、よく身障者の施設なんかに出向いて、演奏したりしてますけど、
アンコールでせがまれると、ジューダスの「ブレイキング・ザ・ロウ」とかもやってるみたいですよ。(w
388 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 23:23
初めて書き込みます。 私はプロテスタントです。 以前、バプティスト教会に行ってました。 そこでは年齢層がとても若かったので讃美歌を歌うとき、ギターを使ったりして とてもにぎやかだったし、やっぱり青年会でロックバンドやってましたよ。
プロテスタントと一口に言っても、 ガチガチの原理主義から、ちょっと緩すぎじゃないかと心配になるほどのリベラルまで、 本当に様々なスタンスの教派があります。 ご自分に一番合った教会を選ばれるのがよろしいかと。
390 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 23:36
>>ALL 僕も最初からユルイ(?)教会に行ってれば、クリスチャンに なってたかもね。ただ、アレはダメ、コレはダメという ストイシズムだけは勘弁ならんのです。 ま、今さらですが。(W
結局は価値観ですよ。 欲望を絶ち、ストイックでなければ、救いになど与れるハズがない、という価値観もあるし、 イエス様は、欲望の誘惑に弱く、どうしようもない愚かで哀れな私達を救ってくださるためにこそ、来られた方だ、という価値観もあるんですよ。 どちらが正しく、どちらが神に至る道なのか、終わりの刻まで誰にわかりましょうや。
392 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 23:49
>>391 なんかちょっと感動しました。
そうですよね。
この板で汚い言葉で罵りあって宗旨論争に明け暮れてるやつらも、
あなたのような考えが理解できればいいのにね。
393 :
名無しさん@1周年 :02/03/14 23:50
>>391 じゃ、別に教会に行かなくても、心の中でひっそり神を
信じててもOKなんですよね?
ってゆー訳にもいかないんだな、これが。
伝道もしないフヌケはクリスチャンじゃないモン!(w
394 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 00:02
>>393 フヌケですいません。(w
でもね、エホ証みたいに、迷惑になってるのわかってて、
無理に伝道するのはどうかと思いますよ。
そこに教会がある、それだけで伝道になってる、とする教派もあるんですよ。
教会の、あの高い塔は、「ここに教会がありますよ、あなたが神の救いを求める時は、ここに来て祈りなさい」って目印なんです。
自ら進んで教会の扉を叩くものには、教会はいつでも開かれてますし、みな兄弟として歓迎します。
「求めよ、さらば与えられん、叩け、さらば開かれん」です。
395 :
ミレニアム :02/03/15 00:56
>>386 保守的といわれるかもしれないけれど、私はロックは受け入れがたい。
正確に言えばハードロックかな。あのやかましいやつ。
趣味趣向の問題だともいえるけれど、私は静かに神を賛美し、神のみ
たまの霊的な感覚を感じたい。
もしも教会の中がガンガンやかましかったら、勘弁してよって気持ちに
なっちゃうな。
個人的な部分では、やってもいいとは思うけど、でもやってる間は、
神様のことなんか、そっちのけ状態じゃないのかな。
それが悪いのかと言われたら、「生き抜き程度なら」というように
肯定しようかな・・・。
サンデークリスチャンにはならない程度にね。
>>389 根っこが同じなら、どのような幹や枝葉であっても、すべて神様の教会だ
とプロテンタントで教えられたけど、それもちがうんじゃないかと私は
思ってる。
396 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 01:04
>もしも教会の中がガンガンやかましかったら、勘弁してよって気持ちに >なっちゃうな。 一礼拝者として、そのきもちはわかるなぁ。 でも、中世のローマ教会の礼拝はしばしばトランペットみたいなのとか打楽器とか が用いられたかなり騒々しいものだったらしいですね。我々がグレゴリア聖歌のCD を聞いてイメージするのとは違って。 というわけで礼拝だって多様だって事。 まして、趣味で聞くのにロックだろうがジャズだろうが信仰心と余り関係ないのでは ないかと。(私は嫌いだが) >個人的な部分では、やってもいいとは思うけど、でもやってる間は、 >神様のことなんか、そっちのけ状態じゃないのかな。 ばくちやってても編物やってても、熱中している時には、神様の事なんかたいていの 人は忘れてそうだ
397 :
ミレニアム :02/03/15 01:25
>>396 結局、度合い・バランスですかね。
度が過ぎると、「お前ほんとにクリスチャンか?」って
ことになると思うし…。
でもその度(基準)って人によって様々だから、とどのつまりは
押し問答ってことになりますかね。
398 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 01:26
399 :
ミレニアム :02/03/15 02:31
どなたか次の話題を提供してください。
400 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 06:44
>>395 やっぱり保守的(?)なクリスチャンの方は否定的ですね。
ただ、僕個人の意見としては、周りがとやかく言う問題でも
ないかなぁ。と思います。本人が自主的にこれは良くないかも?
と自覚しない限り、ただ強制しているだけになってしまいます。
401 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 10:29
オナンさんなつかしーなー
402 :
ミレニアム :02/03/15 10:36
そういえば400番取りそこねちゃった。残念。 でも、666は俺のもんだ。←覚えてたら。
403 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 12:04
>>370 聖書にもれた記述の「死海文書」には輪廻転生のことが
書かれてあるらしい。
もちろん、キリスト教に反するので削除された。
真意のほどは分からないが、もし本当なら、
本来、キリスト教にも輪廻の概念があることになり
それを正しく伝えてない今日のキリスト教は
本来の真理から大きく外れていることになる。
404 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 12:35
>403 あなたが言っていることは、すべて間違いです。
極端な例なんだろうけど、 中世以前では、歌うことそのものが否定されてたこともあったと聞き及んで いますが。 また、賛美歌が信者の信心高揚によいとなってからは、民謡などで楽曲の いいものは、それをぱくって、さらにその民謡は歌っちゃだめとした時代も あったとききおよんおります。
406 :
名無しさん@1周年 :02/03/15 13:42
>>403 当時のユダヤ教自体がペルシャ思想やヘレニズム思想(特に後期プラトン哲学)の影響を
強く受けているから、「よみがえり」の表現も復活よりは霊魂不滅や輪廻転生に近い表現が
使われている場合があるからね。それに初期キリスト教思想家の間でも輪廻転生思想に
ついて激しい議論が行われていたことは有名な話し。神学者オリゲネスなども輪廻(転生)
主義者の疑いをかけられた。だから別にキリスト教が輪廻転生思想とかかわった事実を隠そう
としているなんてことはない。ただ輪廻転生思想は明かに旧約の時間観(歴史観)とは
合致しない思想だから、ユダヤ教・キリスト教を問わず、そういった思想は主流になることはなかった。
だからことさらユダヤ教・キリスト教の中に輪廻転生思想の痕跡を探そうとするのは、
どうかと思うけど。それから死海写本にはキリスト教側による改竄の痕なんかないよ。
死海文書に改竄の余地があるかないかなんて断定誰にもできないと思われ。 なにしろ、発見から、全面開示までには何十年もたってるし、 その間研究と称して、懐に入れ続けたのはバチカンの息のかかった学者だし、 バチカンは世界最大の諜報先進国だし。 誰にも疑われない改竄なんてお手の物だと思われ。 もちろん絶対改竄されたとも言い切れないんだけどね。
>>407 もしかしてベイジェントとリーの「死海文書の謎」の愛読者?
あれはトンデモ本として定評があるけどね。
しかし最近の高尾はロクな本を訳さないねえ。昔はあんなではなかったのに。。。
てか誰も周りが止めないのが不思議だ。
ちょっとだけ知ったかぶりをすると、仏教は西伝して東方のキリスト教に 影響を与えた歴史があるんだってさ。又聞きだけど。 一時はイラン高原まで広まったので、薔薇十字仏教やマニ教 (、キリスト教グノーシス派もか?)等が中東や欧州の思想に 特に輪廻や非暴力(「汝の敵に祈れ/聖書」とか)、 瞑想を通した神との合一、等の影響を与えたフシがあるとの説もあるし。 とのことです。(某スレのコピペ) キリストさんが仏道修行者だったという説もあり。 無論トンデモです。 オコラナイデー
>パトラッシュ様 アレキサンドリアのクレメンスはブッダの名前を知っておりましたな。 ところで、薔薇十字会ならよく存じておりますが「薔薇十字仏教」とは・・・?
412 :
パトラッシュ :02/03/17 01:33
>>411 私はコピペをしただけですので詳しくは存じ上げません。
どうやら西伝仏教のことを指して「薔薇十字仏教」と言っているようです。
とりあえず「薔薇十字仏教」(西川隆範著)という本があるらしいので興味がおありでしたら
探してみてはいかがでしょう。
内容は
西洋文化への支流となった東洋の宗教観、
精神的・内的伝統について。
・・・とこれも他のwebpageのコピペですが。
うっ、西川・・・もろシュタイナー系ですね。 なるほどそういうことでしたか。ご教示ありがとうございます。
414 :
ひかりのことば社 :02/03/17 23:20
なあ、おしえておくれよ どうして教会の内部で、ツマラン争いがあるくせに、 対外的には、キリスト教って、いいですよほ〜〜〜〜 みたいな態度、とるんだ? 宗教は麻薬だ、っていったむかしのエライひとがいっけど ある意味あたってると思うんだけど 宗教は、救いは手に入るかもしれんが 真実ではないと思うのだが (それは教会内部でいざこざが絶えないことを見ても解る) ひとはひとだから、なんてないい訳は、よそうや
415 :
ひかりのことば社 :02/03/18 00:09
>413 シルビウス裂か??
417 :
名無しさん@1周年 :02/03/18 00:19
>>414 使徒6:1
「そのころ、弟子の数がふえてくるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちから、
ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちのやもめらが、日々の配給で、
おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた。」
上記のように、キリスト教そのものが成立したときに、もうツマラン争いがあった。
だからキリスト教とツマラン争いはセットなのです。
418 :
名無しさん@1周年 :02/03/18 02:16
教会に行こうと思っていて知り合いの人がいるホーリネス系の福音派なのだそう ですが、「マリア像を粉々に打ち砕く」や「マリア崇敬」を立てている「俺」って いう人が福音派なのだそうなのですが、ああいう人が模範的福音派なのでしょうか? なんか怖くなって来た。性格がゆがんでいるようで。それとも教会に行っているうち にだんだんゆがんで来たのでしょうか?あれを読んでいるとリベラルかカトリック の方が良いのではとの疑問も生じて来た。今度の日曜に教会に行く約束してしまった のですが、どうしようか迷っています。
419 :
名無しさん@1周年 :02/03/18 02:49
>>418 > あれを読んでいるとリベラルかカトリック
> の方が良いのではとの疑問も生じて来た。
リベラルなプロテスタントは、悪く言えば放蕩的で、信仰が無いとも言える。
カトリックは、はっきり言ってプロテスタント福音派よりヤバイ。
一番いいのは、宗教なんかに近寄らない事。
>>418 アメリカに本拠をおくプロテスタントには気をつけたほうがいいな。
もちろん全部がそうではないけど、彼らのうちの右派は戦争をあおるという
ことは覚えておくべし。
彼らの意見が強いと、アメリカ軍による虐殺ー>政府支持率上昇
という驚くべき現象が見られる。
421 :
ふらんちぇすこ :02/03/18 05:49
>>418 2CHで観察した結果だけで判断するのは良くないよ。
ここは極端なのが多いから。
自分で行ってみて確かめるのがイイよ。
肌に合わなければやめればいいんじゃないか?
「死海文書の謎」は読んでないんだよね。いかにもそれっぽかったから。 キリスト教の歴史かなんかの本にちょろっと出ててあとは推測の域。
423 :
名無したん :02/03/18 13:13
>>418 聖公会が、良くも悪くも何でもありなので、行ってみると良いと思われ。
でも、カトリックもいいぞー、と宣教してみるテスト。
424 :
名無しさん@1周年 :02/03/18 23:56
418です。 420さん、ふらんちぇすこさん、423さん、レスありがとうございます。 私は教会にマターリしたものを求めているので、「俺」さんのようにヒステリック に他人を口汚く罵って自分だけが正しいと思っているような人が教会に多いとちょっと ついていけないし、(そもそもそれがイエスの精神に反しているように思う) そんな人が福音派に多いのだとしたら(「俺」さんがたまたま変わり者なのかも しれませんが)イヤだなあと思って尋ねてみたのです。聖公会、カトリックなども 含め色んな教派に行って自分に合ったマターリ教会を探してみます。
425 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 00:12
カトリックほど原理主義的な教会は他に無いがね。
426 :
ふらんちぇすこ :02/03/19 00:12
福音派もマターリした人は多いよ。 電脳空間じゃ、をれの所属するカトリックにも 「自分だけが正しく、ヒステリックに他人を口汚く罵る」人が居たりする。 でも現実の教会ではお目にかからん。 福音派の教会だってきっと同じようなもんだろう。 電脳空間は特殊なんだよ。
427 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 00:16
>>426 そうなのか?
吹く印派では「俺」ぐらいしか目立った原理主義者はないが カトリックは原理主義者だらけだからな
これがネットだけの話で 現実にはみんなリベラルだなんてしんじられん
428 :
ふらんちぇすこ :02/03/19 00:20
>>427 つーか、リベラルどころか、何も考えてないかもしれない。
・・・・・・・というのが多い気もするな。
ミサ出るとあと帰っちゃう人の方が多いから。
何考えてるのかわからん。
429 :
ひかりのことば社 :02/03/19 00:46
>416 それはドン・ボスコとかんけいあるの?
430 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 00:47
ドン・ガバチョの親戚だ
432 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 10:29
突然ですが質問です。 ノアは悪人ですか?
433 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 10:30
434 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 10:31
ノアは神に従う無垢な人であった・・・とノアの物語は始まる。
435 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 10:33
>>434 それなら、なぜ、ノアの子孫のためにイエスが犠牲にならなくてはいけなかったのでしょうか?
436 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 10:34
ノア以外の家族は洪水で滅んだはずですよね?
滅んだのは人間の家族だけではありませんよ。陸上にいる ありとあらゆる動物も死滅しました。コアラもカンガルーもどうやって、 アララト山から、オーストラリア大陸まで行ったのか? 泳ぎが得意だったんですかね?
438 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 10:41
ちなみに、
>>432 は聖書について勉強していた知り合いが
「どうしてもわからない。」とぼやいていたものです。
このスレのみなさんを困らせるためのものではありません。
失礼しました。
439 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 10:45
>>438 全然困りませんよ。
ノアもアダムの子孫だからです。アダムの子孫の中では唯一ノアとその家族が
洪水で滅ぼされずに済むセーフ圏に入っていたということでしょう。
いくら義人であると言っても、まったく罪がないわけじゃないからノアも罪人ですよ。
そして人間はやはり堕落していくものだから、ノアから時代がくだっていくと
キリストが来られる必要があったということです。
440 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 10:58
>>439 レスありがとうございます。
でも、「ノアも罪人」なんて知り合いが聞いたら、驚かれてしまいそう。
441 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 11:11
1年ぶりにこの板に来たんだけど、元カトリックで神道の巫女のオカマのマリアさんはまだいますか?
442 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 11:15
>>440 どういたしまして。
アダムの犯した罪は受け継がれていて「原罪」と呼ばれているんだ。
聞いたことあるんじゃない?
原罪から免れる人間はイエス様マリア様以外にいないんだ。
(マリア様に関しては教派によって原罪を持っていたと言うだろうけど)
>>441 マリアさんはまだいるよ。
でも、ここ1,2週間は見ないな。
443 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 11:31
なぜキリスト教徒は マリアを信じれるのですか? 救世主の出現を望み祈ってただけで イエスが誕生した処女受胎を 受け入れる証拠があったのですか? 奇跡の一言で済ますのは 愚か者でもできます。
444 :
chebjcro :02/03/19 11:36
444
445 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 11:37
うちの教会最近荒れ気味。原理主義者が勢力伸ばしつつある。 福音派原理主義者みたいなことを言って回ってる。 これにちょっと若手が洗脳されつつある。 対話を重視する神父さんの言うことは全く聞かん。 逆に追放の機会を伺っているよう。 温和な年寄り軍団が最初は 「そんな偏狭な決め付け方はどうかねぇ?」 と注意していたけど、まくし立てて逃げ切って、 自分がいかにも正しいというように人に見せる。 私が聖書のイエズス様の言葉から問えば教義を持ち出してくる。 「教義は正しいけど、イエズス様の原則に沿って解釈しなきゃ意味は無いよ」 と言ったら「教義を軽んじてる。君は誤謬だ」と捲し立てる。 神父様が「教義を軽んじてはいけませんが、 私達は主イエズス・キリストの福音によって歩まなければいけません」 といったら「あんたは異端だ!サタン憑きだ!司教様に手紙を書いてやる! 司教様が駄目なら教皇大使様に、そこも駄目なら教皇庁へ!」 とわめいたんだよ。まじ怖かったよ。 それでも神父さんは「昔に何かあったのかも知れませんね。 心の病気かも知れませんから、彼に反対してはいけませんよ。 彼の心が早く癒えるように祈りましょう」と言うけど、 特に精神不安定な若い子がどんどん洗脳されていくし、 ・・・どうしたらいいかなぁ?
446 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 11:46
マリアを信じられるというのは処女懐胎を信じられるということかな? まずイザヤ預言書にメシアは処女から生まれると預言されていたこと。 聖書の預言はことごとく成就していて、イエスの受難など事細かく預言されている。 処女懐胎の預言だけを除外する理由がない。 イエスは第二のアダムであると言われているけど、マリアも第二のエバだから。 一人の処女エバが神に対し不従順をしたため、人類全体に罪が広がったけど 第二の処女エバの徹底した従順によって、人類に救いがもたらされた。 創世記3:15を読むと女のすえが蛇のすえに勝利することが書かれている。 神の救いの計画に、女のおかした罪は女によってつぐなわせてやるというものが あった。キリストがやってくるのに、一人の処女のまったき神への従順が 必要なように神は計画された、と理解できるから。 他の人は他の理由で処女懐胎を受け入れているんだろうけど。
447 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 11:46
ごめん。スレ間違えた・・・。
448 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 11:47
449 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 11:48
>>445 困った人だね。そんな態度なら、若い人もおかしいと気がつかないのかな。
でもこの話はカトスレでやったほうがいいだろう。
ここは初心者向けの質問箱だから。
450 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 11:49
スレ間違えただけか・・・驚いた。
451 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 12:03
>>446 なるほどマリアがセックスしたかどうか
確認する必要はないわけだ。
そのときその場所で
タイミング良く妊娠し聖母になった
マリアはなかなかの戦略家ですね。
>>442 >アダムの犯した罪は受け継がれていて「原罪」と呼ばれているんだ。
>原罪から免れる人間はイエス様マリア様以外にいないんだ。
ここがよく理解できん。
あなたの目の前にいきなりヤクザが現れて、「てめーの先祖が、うちの組に莫大な
借金してんだよお、今すぐ耳揃えて返しな。」と言いがかりをつけたとしよう。
あなたには身の覚えもない借金だ。恐る恐る調べてみると、証文に押された印鑑は
「アダム」となっていて、自分が聞いたこともない名前だ。
そのうち、これまた自分の知らない「イエス」と「マリア」という二人連れが通り
がかり、「まあまあ、ここは私たち二人に免じて許してやってくださいな。後で、
あなたの組にご挨拶に上がりますから」と説得してくれたとしよう。
この時、二人に素直に感謝するのは無知な人間だけだ。私は性格が悪いから、ヤクザと
イエス、マリアの3人はグルで、一芝居売ったんじゃないかと疑うね。
自覚なき原罪など、全く無意味だよ。同じ理由で、自覚なき原罪の帳消しもまた無意味。
453 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 13:24
キリスト教の罪概念はいわゆる犯罪の罪とは違うんだよ。 神様から離れている距離みたいなもの。 今から出かけるから、帰ってきてだれもまだ答えてくれていなかったら 夜遅くにでもちゃんと答え直すよ。>>452 じゃ、失敬。
>キリスト教の罪概念はいわゆる犯罪の罪とは違うんだよ。 >神様から離れている距離みたいなもの。 そういう形而上学的な罪概念に果たして意味があるか、甚だ疑問だと思い ますね。「神への距離」と言われるけど、世の中には神を自分なりに信心 する人はいくらでもある。それはキリスト教じゃないから、いくら信心しても 神から離れている、と一方的に決めつける権利が果たしてあるんだろうか。 「イエス」と「マリア」でないと原罪が解決しない、という主張は、そのまま 言い換えれば、キリスト教以外の宗教は無意味だという傲慢極まりない独断と 同義です。 原罪というキリスト教でしか通用しない概念を持ち出してきて、信仰という、 キリスト教の枠を越えた一般性のある概念にそのまま当てはめようとするのは 詭弁以外の何ものでもない。
聖書&英語を勉強中の者です。 一石二鳥を狙って英訳対照の聖書を買おうと思ったのですが、 TEVという英訳は原理主義的らしい、と知人から聞きました。 他にCEVとRSVとNRSVというのがあったのですが、 カトリックだとどれを選べば良いのでしょうか。 一応、手許にはフランシスコ会訳と共同訳の聖書(日本語のみ)があります。
456 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 16:04
ニューイエルサレムバイブル
The New American Bibleがいいのではないの?カトなら。 新約の脚注がとても詳しいし、改訂版の訳は改良されているし。 もちろん脚注も原理主義なんかではなく、安心できる。 ニューエルサレムももちろんいいけど。
>>456 ,457
どうもありがとうございます。
ニューイエルサレムか、The New American Bible改訂版ですね。
店頭で比較して買うことにします。助かりました。
てか英訳の種類を言ってるんだろう
460 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 21:36
>>454 今、帰ってきた。誰も代理に返答しておいてくれなかったんだね。
まずキリスト教じゃなければ救われないとキリスト教が主張しているという思いこみがあるようだけど、
邪魔だからそれは横に置いてほしい。そういう主張はされていない。
罪が神からの距離、隔たりの話だけど、神は生命の与え主であり人間は神無しに本来生きることができない
存在だという意味なんだ。この世が生きにくい、自分の生まれて来た目的が何か知りたい、満たされない孤独感、
そういったものは神が欠けているから起こる欠乏感なんだ。動物と違って人間は生きる意味を考える、何かを
求めて生きているけど、それは神にたどりつくまで続く乾き。
キリスト教では、なぜそのような乾きが起きたかと言うと、命の源である神のもとで幸せに暮らしていた
はずのアダムとエバが神に背く(神に背を向ける)ということをしてしまったため、自ら神から離れてしまった
と説明している。以来、人間は神に対する渇望があるんだ。
しかし神は愛そのものであるから、そのまま人間を見捨てておこうとは考えておられない。
時がきたら救い主を遣わして、人間をもとのように神へ集めよと計画された。
そして派遣されたのがイエス・キリストだと考えている。
461 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 21:41
460の続き イエスは神と人間のへだたりを回復できる存在。神であり、同時に人間として この世に生まれ、人間の罪をすべて背負って神への捧げ物となった。 これによって罪はあがなわれた。我々のすべきことは、イエスを受け入れ、彼の教えた 道をたどって歩くこと。そうすれば神へ到達することができる。 でも、生きている内にキリストの教えを伝え聞かなかった者は大勢いる。たいていの日本人もそうだ。 そういう人たちは、自分たちの過失でイエスを知らなかったわけじゃないから、その生き様によって 神に判断されるだろうと考えられている。 キリストの教えは確かに我々にとって完全な教えだけど、他の宗教にも神の示す真理の一部は現れて いるから、良き仏教徒として生きた者や良きイスラム教徒として生きた者はもちろん 神は歓迎して天に引き上げられると予想されている。
462 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 22:29
460さんへ。 あなたが言っていることは、「キリスト教には、そう言う立場もある」と言うこと。 つまり、全てのキリスト教を代弁しているわけではない。 そのことを、まず明確にしておいて欲しい。 そうでないと、またつまらない論争が始まる予感がするから。
463 :
名無しさん@1周年 :02/03/19 22:34
>>462 ご助言どうも。
よかったらあなたの考え方を披露してもらえませんか?
私の勉強にもなるし、一般人さんもキリスト教の幅広さを実感してくれるでしょう。
>>461 イエスは神なのか?
自分に向かって「父よ」って言うの?
良き仏教徒も救われる。。。って聖書に書いてあるの?
神という思想の無い仏教を、一神教のキリスト教は認めてるの?
まじめにやってればなんでもいいの?
イエスを通してのみ、救われるんじゃないの?
462さんのいう、つまらない論争とは思うが、461さんなりの回答を求む。
465 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:21
イエスは神です。 父なる神から派遣されてきた子なる神です。 キリスト教で言う「三位一体の神」ですが、本質的には一つの神でありながら、 父と子と聖霊という3つの違う顔を持っているのです。3者は互いに矛盾することなく愛で 結ばれています。 キリストが人間として地上に派遣されていた時は、人間として生きていたので、 天にいる父なる神に「父よ」と祈りを捧げていました。神が弱い人間になることで、 人間がキリストに倣い神のもとに帰れる道筋を創るためです。 仏教も真理の一部は現れているし、キリスト教は仏教のその尊い部分を否定しません。 しかし立場的に、仏教がすべて正しい真理であるとは考えていません。 仏教徒が救われると明確に聖書に書いてあるわけではないですが、キリストは弟子達に 地の果てまで私の教えを伝えるように言い残して行かれました。キリストのメッセージが 届かずに亡くなった方たちには、責任はないですからね。 しかし、教会の使命はあくまでも宣教なんですよ。全ての人類はキリストの教えを 必要としているというのが我々の信仰理解ですから、仏教徒にもキリストのメッセージを 伝える努力をこれからも続けていく必要を感じています。 しかし、歴史上にあったような無理矢理、こちらの信仰を押しつけるようなことは あってはならないという反省があります。 それでヨハネ・パウロ2世は積極的に諸宗教と対話をするという姿勢を貫いています。
466 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:24
父、子、聖霊のなかで一番えらいのが聖霊と理解してよろしいでしょうか?
467 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:25
我々の理解では、やはりイエスを通してのみ救われるのですが、 神は個々人の事情を考慮なさるでしょう。 神がどのように最後の審判で異教徒を裁かれるかは私にはハッキリとはわかりませんが、 神が喜ばれるような正しい生き方をした人を退けられることはないと信じています。 むしろ、厳しく裁かれるのはキリストを知っていながら神の教えた道に反したキリスト教徒 でしょう。 うまく説明できないですが、こんな感じです。
468 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:28
>>466 いえ、三位一体の神はみな同等です。
しかし、子と聖霊は父なる神から出ているということで、父は源であるという
考え方があります。強いて言えば、父なる神が偉いということになります。
でも、父なる神が働かれるところでは、子と聖霊がともに働いていますし、
子なる神が働くところでは父と聖霊が共に働き、
聖霊が働くところでは父と子がともにいます。
3者はわけることができないと考えていいでしょう。
469 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:28
>>467 救いはマリア様を通してのみ行われます。
誰もマリア様の執り成しなくしては救われません。
>>465 >>3者は互いに矛盾することなく愛で結ばれています。
これを、自分の力だけで実感できますか?(教会の洗脳は無いものとして・・)
普通は「父」という表現と「子」という表現は違うものを指します。
また、聖書のイエスが父に語りかける所は、明らかに第三者(自分以外)
に話しかけるものです。
私は既存のキリスト教の「三位一体」という考え方に抵抗があります。
あなたも、「教会がそう教えてるから・・・」というだけで、そう信じてるだけなのでは?
愛で結ばれてるから三位一体は正しい・・・なんて、意味不明です。
471 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:35
>>470 教会が教えているというより、キリストが「私と父は一体である」「私を見る者は父を見るのである」と
おっしゃったので、その言葉を受け入れています。
教会はキリストの言葉を伝えています。
472 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:37
>>469 注意しないとキリスト論から離れてマリア論を展開するとおかしなことになるんですよ。
ここは初心者の質問箱だから、誤解を与えることは避けたほうがいいと思います。
おっしゃりたい意味は私にもわかりますが。
473 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:41
>>472 何がおかしいんですか?
あなた異端の教会の方ですか?
474 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:43
>>470 でもおっしゃる意味はわかります。
三位一体は信者でも理解できるという実感はあまり得られない奥義です。
私は神のことを完全に理解しなくてはキリスト教徒にならないと思ったわけ
じゃなく、徐々に理解させてもらっていることに喜びを感じています。
教会に教えられているというより、神のことがもっと知りたいので、自分から
本を読んで勉強しています。
それから「愛で結ばれているから三位一体は正しい」という表現は私は書いていないと
思いますが。正しいとか正しくないとかコメントはしていません。
>>467 キリスト教には300を超える教派があるが、
その中の信者はそれぞれ「自分が正しい」と思っている。
なぜ、自分が「本当の神の教えに反しているかも・・」とは考えないのだろう?
あなたより賢く、心も澄み切った人が他の宗派、教派に属していても、
それでも自分は正しいと、なぜ考えられるんだろう?
正しいと思ってますよね?
正しいと思ってないと伝道(一歩間違えれば洗脳)なんてできませんから・・
476 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:43
聖書を読んでいると、聖霊が一番えらいような気がしてなりません 同様の質問をしても教団社会派の人からは納得できる答えは得られませんでした だから、わたしはあなたがたに言います。 人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。 しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。 また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。 しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、 この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。 (マタイ12:31〜12:32) まことに、あなたがたに告げます。 人はその犯すどんな罪も赦していただけます。 また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。 しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、 とこしえの罪に定められます。 (マルコ3:28〜3:29)
477 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:50
>>475 キリスト教徒で「私は正しい」と思う人はあまりいないんじゃないでしょうか。
正しいのは神であって、自分は取るに足らない者であるという自覚がなければ
キリストについていく気にはなりません。
私より賢く、心の澄んだ人は他宗教にいくらでもいると思います。
(というか、今、裏切り者のユダの話を読んでいたところですが、あまりにも
立ち回りがうまくずるがしこい彼の考え方が自分の考えと似ているので、ぞっとしているところです)
キリストが正しいと思うのは何故かと訊かれれば、私の場合、霊的な体験が
ベースになっているので、ご参考にならないと思います。キリスト教徒はなにがしか
キリストから呼ばれた体験を持って教会につながるわけですが、千差万別でしょう。
言ってみればキリストとの出会いがあって、人間と人間どうしのような、関係を
築いていくプロセスが誰にでもあるみたいですよ。
ある人は理性的に頭で納得するのでしょうが、これこそ私が探していた人だと
インスピレーションを得てキリストについていく人もあるわけで・・・。
478 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:54
キリストは自分で「私は神の子供だ」って言ったのか? 2000年前にも電波っていたんだね(w
479 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 01:55
>>475 キリスト教には300を超える教派があるが
使徒ペトロの後継たる正統な教会はカトリックただひとつしかありません。
>>477 誤解が無いように言っておきたいのですが、
私は、キリスト教(またはキリスト)が間違っているとは思いません。
その中で枝分かれしている教派に問題があると言いたいのです。
いろいろ見ていくと、教派によって教えがぜんぜん違っている場合があります。
「強調する部分が違う」等という部類ではありません。
明らかに違う捕らえ方をしているのです。
たとえば、死後の世界があるという思想と、無いという思想が同じキリスト教でも
あるのです。
そういう意味で、もし本当の神の教えを示す教派があるとすれば、
それ以外は「邪教」と言えるのではないでしょうか?
そして、正しいと思ってか思わないでかは分かりませんが、
自分の教理を人に伝道していく・・・・それが間違っているかもしれないのに・・
アメリカなどを見ていると、とりあえずキリスト教徒であるという人が多すぎるのでは ないかと思ってしまいます。 犯罪者の多くがキリスト教徒であろうから・・・
>>479 カトリックだから正しい・・・
使徒ペテロだから正しい・・・
これって危ない思想ですよね?
なぜカトリックなら正しいのですか?
カトリックが正しいと自分で思っているぐらい、
他の宗派の人も、それなりの理由をもっているとは
考えられませんか?
483 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 02:14
>>480 ご指摘のとおり、問題だと思います。
パウロも、洗礼はひとつ、霊はひとつ・・・と一致すべきであることを説いていましたが、
現実にキリストが天に帰られてから1000年後に東西の分裂が始まっていますね。
本当はキリストのうちに一致すべきだと思います。
ヨハネ・パウロ2世もそれを願われて、東方の兄弟たちと近づこう、他教派と対話によって
一致していこうとされています。何年かまえ、ルーテル教会とは、450年前に分裂のきっかけと
なった義認論でお互いの解釈の違いであったことを明らかにし分裂を一部解消することができました。
今後もそういう努力は時間がかかっても進めていくべきと思います。
(つづく)
484 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 02:15
>>480 そうやってキリスト教は大勢の人の命を奪ってきたよな?
過去の話と言って無かったことにするつもりかい?
自らが正しく、他の者が邪悪と安易に決めつけるのは短絡的と思うがね
信仰を持つ人間も他の信仰を尊重するって考えを持つべきだよな
イスラム教徒のようにさ
485 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 02:15
>>482 そのへんのオジサンが、ある日突然「キリスト教はじめました」って看板出したら、
あなた信じて入信しますか?
イエス様が直接命じ、使徒ペトロがその手で建てた教会は、カトリックだけです。
イエス様とも使徒とも何の関係も無い異端など、教会とは認められません。
使徒継承の地上で唯一正統な教会は、カトリックただひとつです。
486 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 02:25
483の続き 私はカトリックなのでその立場からしか語れませんが。(479は私の書き込みじゃありません) 基本的にキリストが選んだ使徒たちの教えを継承していることが教理的に信頼できる理由の ひとつだと思っています。 もちろん同じ使徒継承の教会でも東方教会と教理に差があることはなんとなく知っておりますが。 しかし、東西分裂前からそれぞれ継承してラインが違うこともあって、必ずしもぴったり 同じものではありませんでした。私はそれはそれで仕方がないものだと思っています。 キリストが伝えられたことは同じものです。細かい点で違いがあっても、 神の国の建設という中心に流れている大きなものに違いがありません。 死後の世界がどんなところであるか、言ってみれば、東西の理解どっちだって 構わないと思うのです。 神とともに暮らせ、人間がもっとも幸福でいられる状態なのだとさえわかっていれば 今どんなところか知るより、行ってからのほうが楽しみでいられるじゃないですか。 煉獄という清めの場所があるのか、あるいはいったん天国に入っても地獄に行く可能性があるのか、 すべて神にゆだねればどちらだろうと構わない気がするのです。 神が目的なのですから。
>>485 では、歴史さえあればいいというわけですね?
そういう意味ではキリスト本人さえ、旧約聖書の神の教えとは違うことをしていますよね。
よく、旧約の神と、新約の神は違う・・と言われますが、
歴史云々というならば、それこそキリストの教えそのものが
旧約(一番歴史がある)の教えと矛盾するのでは?
いっそのことユダヤ教のほうが歴史は古いと思いますよ?
488 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 02:32
>>487 むきになって反論される所をみると、異端の方ですか?
だから〜 無宗教だってば〜(藁
490 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 02:35
キリストの父とは旧約の神のことを指すんですよね? キリスト自身死ぬまでユダヤ教徒だったのだから 旧約と新薬では神が違うとか言ったら・・・ あーぁ、嘘を嘘で塗り固めている実情を示唆してますね 基本に立ち返った方がいいんじゃないの?
491 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 02:37
486の続き プロテスタントについて、私の思いは複雑です。 でも彼らも教会が編纂した聖書をベースにしているのですから、細かい違いより 一致の部分のほうが多いと希望を持って信じています。 何が本当の教えか、プロテスタントとカトリックで共に研究しあうことで、 初代教会の伝えてきたことを再発見し、一致を深めていくことは可能だと思います。 私が言わなくても、すでに聖職者や神学者レベルではそれをやっているでしょう。 眠くなってきたので、そろそろ失礼します。 キリストは真理を伝えられましたが、人類が知ることのできた真理はほんの 一部じゃないでしょうか。人は神のすべてを知ることはできません。 多くの部分は時の終わりに示されるでしょう。 そんな風に思っています。 (なお、485は私の書き込みじゃありません)
反論されると、すぐ異端扱いだ・・ なんのかんの言っても、やはり自分たちが正しいと思ってるわけだ。 異端という発想自体、その表れだよ。
493 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 02:42
>>492 すいませんね。過激な人が異端だなんだって。。
ここはキリスト教の質問箱なのにね。
「:」さんを攻撃している方たち、彼は信者じゃないのですから
キリスト教をわかるように説明してあげてください。
未信者が疑問をもつのは当然でしょ。よろしくね。
494 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 02:43
>>492 誰も「自分たちが正しい」などと一言もいっていない。
『カトリック教会が絶対に正しい』と言っているだけだ。
495 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 02:43
>>492 しょうがねぇよ
殺してでも異教徒を排斥しつづけてきた連中の末裔だもの
信仰ってやつは血よりも濃いとしたら恐ろしいものがあるよな
この世の終わりにはキリスト教徒によってオウムの惨劇が再現されるでしょう
>>495 カトリック教会が教義として「異教徒を異教徒であるゆえに殺してよい」と主張したことは一度もないばかりか、公文書にあらわれた教えにも反しています。
デンツィンガー教会文書資料集(大型図書館にはたいていあります。あるいは誤謬告発スレの過去ログにも引用してありますが)480,698,772,773,3176などをご覧ください。
十字軍においてはかずかずの逸脱が行われ、現教皇もそれを反省しているわけですが、本来の目的は巡礼者保護の正当防衛にすぎません。
カトリック誤謬告発スレ過去ログより引用。 >強制改宗が行われた事実は存じておりますよ。で、それはもちろん誤りでございます。 >それは教会自身の教えに反しております。 >他宗教へのカトリックの寛容な態度は、デンツインガー教会文書資料集480,698,772,773,3176,3251の各公文書によってご確認いただけます。 >とりあえず698の教皇アレクサンデル二世の書簡(1065年)を引用させていただきましょう。 >「聖書には、われわれの主イエズス・キリストは誰をも力ずくで強制したのではなく、謙遜な勧告によって、信仰に導いたとある。・・・聖グレゴリウスも暴力によってユダヤ人に信仰を強制してはならないと、その書簡の中で書いている」 >(Licet ex) >繰り返しますが「カトリック教会の公式教義」と、「カトリック教会に属する個人の罪や不賢明な行為」は区別していただかなければなりません。 >ご理解いただけましたでしょうか? >十字軍が、「東方に住む兄弟達を助けること」(教皇ウルバヌス二世)という当初の目的(正当防衛・巡礼の保護)を完全に逸脱した行為を多々行ってしまったことは周知のことであり、そのことを正当化するつもりはありません。 >それらはもちろん反省されるべきことです。ただし、何度も言うように、教会が教義として貪欲に基づく略奪や侵略を正当化したことなどありません。 >教会の公式教義と、教会に属する個人個人の罪とは、明白に区別していただかなければなりません。 >たとえば、あなたがある会社にお勤めだとして、その会社の従業員の何人かが殺人を犯した場合、「あなたの会社は殺人を正当化する会社だ」などとレッテルを貼られたら、変だとお思いになりませんか。それと同じ事です。
>>476 カトリックですが一言。
「御子にいい逆らう」ことがゆるされても、「聖霊に反する罪」がゆるされない、と言われるのは、聖霊が御子より偉大だから、ではもちろんありません。
聖霊は人間の良心を照らし罪を自覚せしめます。
つまりここで言われている「聖霊に反する罪」とは、敷衍すれば
「はっきりとわかっていながらあえて神の教えに反逆する罪」であり、
それは論理的に悔悛の拒否を含意するので、「ゆるされない」と言われるのです。
>>498 補足
より詳しい説明に関しては聖トマス・アクィナス「神学大全」第二ー二部第十四問第三項や、カトリック誤謬告発スレッド(11)の3にリンクを貼ってあるPeters Netの聖書注釈を参照していただければ幸いです。
>>482 なぜプロテスタントではなくカトリックなのか、という御疑問に関する答えは多くの問題を含み、大変長くなります。
とりあえず、
>>180 にリンクを貼ってあるカトリック百科事典の「プロテスタンティズム」「教会」「ルター」「カルヴァン」などの項目を見ていただけませんでしょうか。
日本語であれば、岩下壮一「カトリックの信仰」(講談社学術文庫)が、
プロテスタンティズムに対するカトリック側の回答をまとめてあります。
また、ハインリッヒ・シュリヤーのような聖書学者(プロテスタントからカトリックへ改宗)ニューマン枢機卿(聖公会からカトリックへ改宗)も御参考になろうかと思います。
>>460 遅レスになってスマソ。あなたのお考えはよく理解できたし、私も賛同できる。
残念なことに、ここのクリスチャンの総意という訳ではなさそうだけど。
神が父親で、人間が子供だったとして、子供が父親を嫌って家を出たまま寄り付かない。
これはよくある話ですよね。この時に、子供が父親の元に戻るために必要なのは、子供
が父親に対して持っている偏見を取り除き、自分が今まで父親に刃向っていたということ
を後悔し、自発的に家へ帰ろうと意志することだと思う。たとえ、父親の代理という人間
が現れたって、グレた息子は変わらんじゃないか。力ずくで家へ戻しても、グレたままなら
また家出するんじゃないか。
「イエスを神の子と信じる」というのは、グレた息子を何一つ変えない。むしろ、「イエス
が神に対して説いていること」に耳を傾けることから、変化が始まるのじゃないか?
尊ぶべきものは、「神の子としてのイエス」の地位ではなくて、「イエスが神について
教えること」なんではないだろうか。
もし、そうならば、イエスがお経を持っていようが、ターバン巻いていようが、救世主
としての使命を果たすことに変わりはない。
502 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 10:09
明らかに「キリスト教徒だから、洗礼を受けてる人間は普通の善人より、また悪人であっても特別に救われる」 みたいな考えかたのクリスチャンがいるけどすごいエゴイスティックだと思う。 こういうのは、大してイエスのいう行いをしてないから、クリスチャンだけであるという事実で安心したいんじゃないかという気がする。
クリスチャンが罪を犯した場合、そうでない人と同じ事をやても、 より罪が重いって話もあるよ。
504 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 11:22
>>501 そうだね。ぐれた息子が自発的に戻れるなら、それは一番理想的なんだろうね。
だが、罪は罪を呼び込み、人間はもはや自力で神の元に帰ることができなくなってしまった。
神から遠くなってしまった人間は、もはや神から助けがなければ帰り道がどっちかもわからない。
イエスの道案内が必要だと判断した神はイエスを派遣した。
でもイエスの道案内に従い神の元へ帰るかどうかは本人たち次第なんだ。
無理矢理、神の元へ戻す作業ではなく、父の家はあっちだ。帰る気持ちになりなさい、と諭すことで
あとは本人達の自由意志による選択にまかされている。
イエスが神の子であるというのは、神自身が啓示されたことなんだ。
それまでにも神はイザヤとかエゼキエルとかモーセとか多くの預言者(神の言葉を預かってきて
伝える者)たちを送り込んできた。しかし人々はあまり耳を貸さなかった。
もはや神を指し示す者ではなく神自身が導かなければならないほど人間は暗い迷い道に
入り込んでいたんだ。
(続く)
505 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 11:35
504の続き お経をもっていようが、ターバンを巻いていようが、神の預言者としての役割であるなら それで十分でしょう。しかし「救世主」といわれるのは、イエスが神を指し示す他の人々と 決定的に違う役割があったからなんだ。 人間の罪を全てあがなうという使命を帯びていたことなんだ。 人間の血を流して捧げても、人類全体の罪をあがなうことはできないけど、人として生まれた 神が血を流せば、尊い犠牲となり、現在・過去・未来の全ての人間の罪を洗い流すとイエスは考えていた。 それはイエスだけが勝手にそう思っていたわけではなく、イエスの使命というのは、イエス以前に書かれた 旧約聖書に預言されていたことだとイエスが解き明かしたことなんだ。 人間はもはや自力では回心して神へ帰ることができない。しかしキリストのあがないを信じて受け入れる なら、キリストが流した血は自分のどんな大きな罪をあがなってくれるのにあまりあるものである。 キリストに同意すれば彼の指し示す神への道を歩まないわけにはいかない。 イエス以前のユダヤ時代には罪のつぐないとして羊などの動物を殺して神に捧げていたけど、 毎日何頭捧げても完全に罪をつぐなってくれるわけじゃない。しかし神の子羊イエスは 完全なあがないになる完璧な犠牲なんだ。
なるほど、生まれたとたんい死んでしまった赤ちゃんや、 一度もイエスの話を聞くこともなく死んでいくジャングルや、中国の奥地の 人達は天国の門が開かれることはないってことだね。ブラボー!!
507 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 11:50
505の続き 504は変な日本語になっちゃったな。わかりにくくて、ごめん。 他宗教にも立派な教祖はいるけれど、私は神であると言ったのは驚くことにイエスくらいなんだね。 なぜイエスが頭の狂った男ではなく、本当の神だと考えるかは、彼の教えのすばらしさとともに 彼が命の与え主である神しかできない奇跡のわざをおこなったことにも現れている。 そして、本来なら教祖が殺されてしまえば、その教団は失敗ってことになるのだろうけど、 イエスを見捨てた弱虫の弟子達が復活したイエスに会い、驚くほど強くなり、ヨハネ一人を除いて 全員残虐な処刑にあってもイエスを否定せず雄々しく死んでいった。そして殉教を見た者たちは ますますイエスが神であることを信じるようになった。迫害は長く続いたけどみな自分の命を イエスを証するために喜んで投げ出していった。 これはただの狂気なんだろうか? そう思う人もいるだろうけど、私は彼らがイエスに出会い 決定的に変えられたのだと思っているよ。そしてイエスは私にも呼びかけてくれた。 他の宗教を否定したいとは思わないけど、私はイエスが本物の神であることを信じている。 それだけは確実だと信じている。だからイエスのことを話さずにいられない気持ちになるんだ。
>>506 少なくともカトリックはそんなことは言わないね。
>>180 にリンクがある「カトリック教会のカテキズム」846番以降を見てよ。
>>504-505 百歩譲って、罪の贖いがあるとしよう。また、罪の贖いができるのはイエス
だけだっともしよう。それでも、その贖いが有効になるのは、本人が「自分
は罪に穢れており、自分の手ではどうしようもない」という絶望を持っている
時に限られると思う。罪の許しの前に「悔い改め」がなければウソだと思うん
だが。罪の重大さを認識もせず、「許してください」と言っても口先にすぎない
じゃないか。グレた息子だって、その位のお芝居はするさ。
>人間はもはや自力では回心して神へ帰ることができない
「帰りたくても帰れない」のじゃなくて、「帰るつもりがない」のだよ。あんな
オヤジのところに誰が戻ってやるか、と思っている。戻りたいが、罪が深いので
オヤジが許してくれないだろう、というのとは違うと思う。本当に帰るつもりが
あるのなら、メンツも刑罰も一切気にならないだろう?「悔い改め」た人間なら、
神からどんな刑罰を与えられても甘受するんじゃない?ヨブのように。
キリストが罪を贖われた、と言うのなら、あなたは一体「どんな罪」を持ち、 どのように苦しんだのか、克明に説明できるはずだよ。自分でもよくわからない が、人間固有の罪というものがあって...なんて「自覚なき罪」など、痛くも 痒くもない、夢物語にすぎないよ。そんなものが「悔い改め」だと言うのなら、 抱腹絶倒だね。
511 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 12:31
>罪の許しの前に「悔い改め」がなければウソだと思うん だが。< その通りだね。だからイエスは悔い改めて洗礼を受けるようにと言っているんだね。 > 「帰りたくても帰れない」のじゃなくて、「帰るつもりがない」のだよ。 本当に神を拒否できる人っていうのは少数だと思う。 自分に欠乏しているのが神だと知らない人は「帰るつもりがない」とは言わないのでは? >「悔い改め」た人間なら、 神からどんな刑罰を与えられても甘受するんじゃない? そのとおり、作家のG.K.チェスタトンのおじいさんは「たとえ私が地獄に行っても、 神のなさることは全て讃えずにはいられない」と言っていたそうだ。それが本当の回心だね。 >「どんな罪」を持ち、 どのように苦しんだのか、克明に説明できるはずだよ。< キリストがあがなうのは原罪だけじゃなく、むしろ自罪の部分のほうが大きいと思っているけど。 原罪があるのは個人の責任ではないしね。
512 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 12:53
>>510 それから、あなたはキリスト教のことを真摯に知りたくて書き込んでおられるのだと
思い、レスする気になったのですが、「抱腹絶倒だね」という言葉に嘲笑的なものを
感じ少しがっかりしました。
初めから目的がキリスト教を知るきっかけを創ることではなく、嘲笑するのが目的だと
したら、私はそういう対話を望んでいないでこれで最後とさせてもらいます。
とりあえずお尋ねになった質問には答えましたし、残ってやりとりする義務もないと思います。
では。
「物」はそこにあるから、「物」であることを実証できる。 しかしその「物」がなんのためにあるのかは、 その「物」が何かを帰結させるまでは分からない。 そして帰結させれば、それはそれとわかる。 では、神はどうか? 神はあるか? 残念ながら、見たことのある者は一人もいない。 聖書にも書いてある「神を見た者はいない」と。 聖書を持って説明するか? そんな者は、劇作家にでも書ける。 では、奇跡をもってか? 奇跡を行っているのはクリスチャンだけではない。
>>512 私は、「自分でも説明できないような罪が許されることが悔い改めだと
いう人がいれば」抱腹絶倒だ、と書いただけで、何もあなたを名指しして
いるわけじゃない。あなたにそういう自覚があるのなら別だけどね。
515 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 14:29
>>514 そっか、嘲笑を込めた意味ではなかったんだね。
了解した。
では。
516 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 14:40
神っつーのは、いるとしても人間の形をした爺さんじゃないと思うが。
神が実体を持ってたらたしかに笑えるよね。 でも、証明できない理由にはならんでしょ。それは。 いるっていいはるんなら。
518 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 14:56
なんちゅうか、教派独特の解釈で回答する場合は、明示してちょ。 キリスト教が誤解されちまう。
519 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 15:00
>>518 460のことを言っているなら、どこにクレームがついたのか自分でもわからないんだ。
だからクレーマーにも別の意見があるなら書いてくれる頼んだつもりなんだが。
自分で教派独特の回答だとわかっているなら、うちではこうだ、という書き方を極力しているよ。
520 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 15:11
>>516 そうだね。
でも人間は神の似姿として創られたそうだ。
姿や形はともかく、本質的に人間は神と似たところがあるのだろう。
521 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 15:25
神は父とか男っていうイメージがあるけど、どうなんだろう。
そりゃ、男尊女卑の世界だからさね。 女性は物であって、人間でないと主張される時代が大昔にはあったからさ。 旧約を見たらよーくわかるっすよ。新約でも書いてるけど。
523 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 16:42
>>522 聖書のどこに女は人間でないって書いてあるの?
おせーて。
524 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 16:51
>>509 罪の贖いができるのはイエスだけだっともしよう。
救いはマリア様を通してのみ行われます。
誰もマリア様の執り成しなくしては救われません。
525 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 16:52
>>524 さんをばかとは言いませんが、聖書のどこにそんな記述があるのか
是非教えて欲しいですね。
>>523 さん
すまない。直接にはそんなことは書いてないね。
「自分の妻を自分の体のように愛せ」と言ってるんだけど、
体は朽ちる物。だかそれに執着するな。ともある。
まあ、ちゃんと読めば男尊女卑発言が随所にあるよ。
そんな説教をしてる先生もいるし。
女が作られた経緯だけを見ても、女性を軽く見ていることは明らかだし。
527 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 17:28
>>526 体はくちるものだという記述と自分の妻を自分の体のように愛せとはいっしょに書いてあるの?
それとも全然違う文脈の中からオナンさんが拾ってきたの?
女の作られたところのどの部分が女性を軽く見ているの?
528 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 17:33
>>527 なんか煩わしいっすね。
聖書は一冊の本でしょ。神の霊感とやらで書いた。
だったらどこからとっても、整合性がないとあかんのちゃいますか?
「アダムを慰めるため」「他の動物は助けてとして不十分だった」
「あばら骨で創った」「アダムはそれを女と名付けた」
どれも、男が上段にあって初めて成り立つ文脈でしょ。
530 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 17:42
>だったらどこからとっても、整合性がないとあかんのちゃいますか? そうですか? 「柔和な者は幸いである」と「私は剣をもたらすために来た」とは同じイエスの 言葉でも、文脈が違うから書かれた意図に沿って読まなければ大矛盾になるんじゃないですか? エバはアダムを「慰めるため」じゃなくて「助け手」として創られたんでしょ。 アダムの心臓を守る大事なあばら骨からつくられたっていうのは、たかが骨一本分の価値しかないって ニュアンスなんですか? だったらなぜアダムは「これこそ私の骨の骨、肉の肉である」と感嘆したんでしょうね。 聖書がいいたかったのは、男も女も一体であり、相手がなければ生きていくことができないってことじゃないの?
「柔和・・・」「私は剣・・・」のくだりを、整合性があるとした説教をした 先生もいましたよ(支離滅裂だったけど)。 矛盾を矛盾じゃないといい(あなたがしてるわけではないけどクリスチャンには多い発言)、 整合性は否定するんですか? 私たちも自分が是非欲しいと思っていた物が手に入った場合、 似たような感動をしませんか? しかし、それは命と引き替えにしたいほどじゃない。 だから、禁断の果実を食べてしまった時、男は女を悪者にしましたよね。 神に向かって、責任を他に転化することは、 その者の運命を左右することだってことは、アダムだって知っていることでしょ。 彼女が死んでも私は生きたいから、 「あなたが与えてくれた女が私に食べさせたのです」と言ったんだと思いますよ。
532 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 18:23
>>526 聖書のどこにそんな記述があるのか是非教えて欲しいですね。
こいつは聖書至上主義の異端の福音派
533 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 18:33
マリア様は、美しい。 マリア様は、優しい。 マリア様は、慰め。 マリア様は、優しく抱きしめてくださる。 マリア様は、憐れみ深い母。 マリア様は、喜び。 マリア様は、甘美さそのもの。 マリア様は、汚れがない。 マリア様は、愛。 マリア様は、天の看護婦。 マリア様は、教会の御母。 マリア様は、イエズスの御母&私たちの母。
534 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 18:35
でも、どうして出現したマリアは美しいの? やっぱ神様も美しいものがいいと思ってるってことダネ。
>>532 おいおい、勘弁してくれよ。俺はクリスチャンじゃないし、
聖書をこれっぽっちも信じちゃいないよ。
聖書を信じてるやからの逆手を取ってるだけじゃん。
まいったねー、どうも・・・。
マリアさんってほんとに美しかったのけねぇ?
当時のユダヤのセンスから言えば・・・言えないんだけど・・・
でも、少なくとも、今見ることのできる絵画や彫像はヨーローッパの方々が
思いつきで造ったもんだし。ほんとのところわからんでしょう。
心が美しいってなら、それこそわからん話だが。
536 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 18:48
宇宙の女王マリアよ、あなたにみ栄え! 天の喜びに、わたしたちをお導きください。 お喜びください、おとめマリアよ、 みち溢れるほどお喜びください。 めでたし聖寵満ち満てるマリア、 主おん身と共にまします。 御みは女のうちにて祝せられ、 ご胎内のおん子イエズスも祝せられたもう。 天主のおん母聖マリア 罪人なるわれらのために、 今も、臨終のときも、祈りたまえ。アーメン。
537 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 18:49
すべての異端と悪魔に対して 勝利を得たマリアよ、あなたにみ栄え! いつくしみ深く、わたしたちをお導きください。 お喜びください、おとめマリアよ、 みち溢れるほどお喜びください。 栄光は父と子と聖霊に。はじめのように、今も いつも 世々に。アーメン。
538 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 18:53
めでたしマリア、天にまします神の娘。めでたしマリア、神のおんひとり子のおん母。 めでたしマリア、聖霊の花嫁。めでたしマリア、至聖三位一体の神殿。 めでたしマリア、いつくしみと愛に溢れるもっとも愛すべき、わたしの姫ぎみ。 あなたは、わたしの女王、母、いのち、親しみ、希望。 あなたは、わたしの心と霊魂の完全な喜び。 わたしは、すべて、あなたのもの、女のうちに祝福されたおとめよ、わたしのものは、みなあなたのもの。 あなたの魂が、わたしのうちで主をほめたたえ、あなたの精神がわたしのうちで、神によって喜びおどるようにと、わたしは願います。 忠実なおとめマリアよ、あなたの愛を、わたしの魂にお注ぎください。 それは、わたしが、あなたにおいて、また、あなたを通じて、神への忠実を守ることができるためです。 おん母よ、いつくしみをもって、あなたがこらとして愛し、教育し、育て、守ってくださる人々の中のひとりとして、わたしをお考えください。 わたしが、あなたの愛のために、地上の慰めにひかれないで、心の中で神と天のことを探せるようにしてください。 聖霊の忠実な花嫁であるあなたは、聖霊とともに、わたしのうちで、イエズスが完全な人間の背たけとなるようにしてください。アーメン。
539 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 18:55
マリア様、あまたの栄光を汚す愚かな悪魔
>>535 が滅ぼされますように。
540 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 19:02
>>526 > 聖書のどこにそんな記述があるのか是非教えて欲しいですね。
717年、コンスタンティノープルの司教ゲルマヌスはマリアを「全面的に神聖な女王」とか「最も尊い女王」と呼び、マリアの仲介がなければ救われる者はないし、恩寵という贈り物も受け取れないとした。
>>519 >460のことを言っているなら、
ちゃいます。460は別に何の違和感もありませぬ。460は共通した認識だとおもふ。
542 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 19:12
>>534 マリアは、現代人の美的感覚で言うなら、決して「美人」ではないぞ。
一つ、例を挙げよう。
当時、水瓶を運ぶことは、女性の仕事だった。
男性が水を運ぶ際には、水瓶ではなく、革袋を用いていた。
毎日、水瓶を肩に担いで運んでいたのだ。
少なくとも、手弱女ではなかったはずだ。
顔も、浅黒く日焼けしていたはず。
中近東の女性だ。しかも当時は、今のような美白乳液などという、凝った化粧品はなかった。
浅黒く日焼けして、筋肉が適度についた、骨太の女性。
それが、マリアの本当の姿に近いと思われ。
543 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 19:15
>>542 要するに、肝っ玉母さんのような、おばちゃんだったんだ。
マリアは「天界の女王として天使の中央の玉座にあり、地上の女王としてつねに力を示し、冥界の女王としてデーモンに支配力を持つ」 「全面的に神聖な女王」「最も尊い女王」マリアの仲介がなければ救われる者はないし、恩寵という贈り物も受け取れない。 神が「自分の母として徹底的に、全面的にマリアに」従うからだ。[ゲルマヌス 司教 717年] マリアは地上に生まれてくる前は天国を支配していた。 創造女神のように、マリアは万物を存在せしめ、天使はマリアに仕えた。[イシドルス・グラバス 神学者 14世紀] マリアが自らの神秘的力で救世主を生んだことは、神が救世主を生んだこと以上に奇跡的である[シエナの聖ベルナディーヌ 神学者 1380-1444] マリアは神に対して絶対の力を持っていたと宣言する。[ルイ・マリ・ド・モンフォーレ 聖人(1947年に列聖) 1673-1716]
>>542-543 愚かな・・・
宇宙の女王、全ての存在の中でもっとも清いかた、神の母にして無垢なるおとめ、マリア様が、
おばちゃんだの美しくないだのと・・・
おまえ達は、おまえ達自身の吐いたその言葉のゆえに、永遠の地獄の業火で焼かれるだろう。
>545 何とも無教養な・・・ 現代日本の美的基準に照らして、全てを決めるという大間違いを犯しているぞ。 当時の美的基準と、近代的西洋的美の基準で物事を判断する現代日本人の感覚と、 何もかもがごちゃごちゃになってしまっているな。
>>546 愚かなのはお前だ、悪霊に憑かれし者よ。
マリア様の美は絶対美だ。
宇宙の女王にして神の母たるマリア様の美貌が、価値観や時代に影響されるような美しさであるはずがなかろう。
神聖な、永遠の乙女マリア、まことの正当な神の母が、眼に見えるものも、見えないものも含めたあらゆる創造神の中で、一番高い位置にある。
マリアは天国の門、方舟、楽園の庭、父と子と精霊の住まう神殿。
すべての生命と運命の糸の紡ぎ手。
大いなる秤で全ての者の霊魂を計るお方。
>>547 じゃあ聞くけど、どうしてカトリックの人たちが描くマリアは、
現代人から見てプロポーションの良い、「白人の美人」なの?
現実に生きておられたマリアは、中近東の女性だよ。
白人なわけない。
それを、わざわざ白人に描くのは、その方が「美しい」と感じるからでしょう?
中近東の、色が浅黒い女性だと、具合が悪いからでしょう?
マリアが「永遠の美」なら、中近東の女性のままで、描いたらいいじゃない?
どうしてそのようにしないの?どうして?
>>548 マリア様を必死で「ただの人間」にしたがる所を見ると、お前、やはり福音派だな。
無垢なるマリア様は、日になど焼けない。水瓶を運ぼうと何をしようと、埃ひとつつかない。汚れない。老いない。
>549 残念、違った。福音派ではない。 マリアは、父なる神によって、御子イエスをこの地上に生み出すために選ばれた、 特別な存在であることは、俺も認める。 そして、ルカによる福音書1,47以下に記されているような、マリアの信仰を、 我々も学ぶべきだとも思う。 しかし、それ以上に持ち上げることには反対だ。 その理由は、聖書的根拠に乏しいからだ。 聖書は、教会の聖典として、4世紀後半のカルタゴ教会会議で定められた。 だから、我々の信仰は聖書に従うのだ。
>>550 その根拠は?
聖伝、と言うことなのだろうが、それ以外に根拠はあるかい?
>>551 馬脚を現したな。
見え透いた嘘をつくな。
信仰の先人たる多くの教父の伝承を無視し、無価値なものと貶め、
「聖書のみ」を重視するのは福音派の特徴だ。
お前は福音派だ。
>>550 マリアは、日に焼けたから浅黒いのではないワイ!
中近東の女性は、みんなそうなんだよっ!!
・・・何だか、中世におけるスコラ主義の議論のようになってきた・・・
>>553 聖書が聖典となる以前については、信条が有効となる。
つまり、ニケア・コンスタンティノポリス信条等において告白されている信仰が、
使徒達が伝えた信仰であると、我らは信じている。
マリア崇敬は、信条に記されているか?
・・・福音派ではない、ってば・・・
>>554 「マリアは中近東の女性」と言っているのは「マリアはただの人間に過ぎない」という福音派の主張からだろう。
マリア様はそこらにいる人間の女ではない。
>>555 ここまで必死になって神の母を「ただの人間」に貶めようと画策するのは、福音派の聖書ファンダメンタリスト以外にいるものか。
おまえ、「俺」だろう。
正体をあらわせ。
>>556 福音派ではなく、プロテスタントなら、みんなそう主張するよ。
それから、「マリア様はそこらにいる人間の女ではない。」なら、
一体何の女なのだ???
>>558 一体何の女なのだ???
マリアは宇宙の女王、天使の女王、全ての存在の中でもっとも清いかた、神の母にして無垢なるおとめ。
神聖な、永遠の乙女マリア、まことの正当な神の母が、眼に見えるものも、見えないものも含めたあらゆる創造神の中で、一番高い位置にある。
マリアは天国の門、方舟、楽園の庭、父と子と精霊の住まう神殿。
すべての生命と運命の糸の紡ぎ手。
大いなる秤で全ての者の霊魂を計るお方。
慈愛の泉にして全ての者の弁護者。
>女王天使 まずい、時間切れだ。私の質問に答えろ。 「マリア崇敬は、信条に記されているか?」 では、明日の朝、会おう。
>>560 イエスご自身が、マリア様を崇敬せよと教会に言い残されたのだ。
562 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 21:21
>>550 >無垢なるマリア様は、日になど焼けない。
>>554 >マリアは、日に焼けたから浅黒いのではないワイ!
>中近東の女性は、みんなそうなんだよっ!!
どっちでもいいのでは?黒マリアというのもあるんだし。
理想の女性は一意的ではないでしょ。日本には着物きた聖母像があるんだから。
雅歌 1:6 どうぞ、そんなに見ないでください/日焼けして黒くなったわたしを。兄弟たちに叱られて/ぶどう畑の見張りをさせられたのです。自分の畑は見張りもできないで。
まあ、中近東でも白い肌の女性の方が美人とされたのだから、
もしマリア様が美人であれば肌も白かったはず。
563 :
異端審問局長 :02/03/20 21:58
女王天使へ 自分を省みずに他人ばかり責めるな。
564 :
dendo. :02/03/20 22:26
>>562 たぶん白いほうがいいんだろうと思われ(ええ氏のいとはんは日焼けしない?)
そう推測する根拠は雅歌1:6。
565 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 23:40
マリアはただの借り腹。 サロゲート・マザーですが、なにか?
566 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 23:47
567 :
名無しさん@1周年 :02/03/20 23:50
イエスがといた新しい価値感ってなんですか?
568 :
名無しさん@1周年 :02/03/21 00:13
おーる・ゆ・にーでぃず・らヴ ぱっぱらぱぱー
569 :
dendo. :02/03/21 00:59
マリアを神の母とするのは公会議で定められたいわゆる「正統教義」ですが マリアが無垢だというのがその無原罪懐妊をいっているなら、それはカトリックに 固有な教義です。 東方正教会はマリアを神の母(theotokos)「生神女」 神子イイススに人性、つまり人としての身体を与えた「憐みの門」と呼び 「ひとり賛美せらるる者」として尊み マリアへその子ハリストスへの転達を祈りますが、 にもかかわらず懐妊したときのマリアは やはり人間として先祖の陥罪からまぬかれてはいなかったと教えています。
570 :
名無しさん@1周年 :02/03/21 13:06
まあ、 それを真実だと解釈するか 信じるか は、別もんだからな。 科学と宗教のちがい、みたいな
571 :
名無しさん@1周年 :02/03/21 13:07
ワシもプロテスの一派だけど カソリックがマリア、マリア 言うのは、違和感あり 穏健派もそうおもってる。
572 :
名無しさん@1周年 :02/03/21 14:04
>>571 カトリックとの違いを際立たせるために
聖書に書いていないマリア崇敬を廃止した経緯もありますから。
それは仕方はないと思います。
公会議決定では正教がしているものが正しいマリア崇敬です。
ギリシャ正教?
574 :
名無しさん@1周年 :02/03/21 16:57
すいません。 リバイバルってよく聞きますが、何のこと? 日本なんてキリスト教が来てからそんなにたってないよね? 信仰復興もへたくれもないと思うんだけど。 外国のまねしてるだけかい?
575 :
名無しさん@1周年 :02/03/21 22:57
>>574 500年が短いと感じるのなら、そんなに経ってないな。(w
フランシスコ・ザビエルまでさかのぼるのか、こいつぁ失礼(w 漏れは明治から考えてたよ
577 :
名無しさん@1周年 :02/03/21 23:01
日本には殉教者が26万人もいると言われていますからね。 ザビエル時代は入れるべきでしょう。
578 :
名無しさん@1周年 :02/03/21 23:23
じゃあ、リバイバル集会は隠れを今に伝える五島列島でやるべきだな。
どうして、「愛」なる神であるのに、聖絶なんてことがあるのでしょうか
どうして、リトル・ペブルという異端が放っておかれるのでしょうか リトル・ペブルは聖絶についてどう考えているのでしょうか
サビエル、ぢゃないかい
582 :
名無しさん@1周年 :02/03/21 23:50
聖絶ってなんですか?
583 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 00:05
584 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 00:09
>>579 聖書の神の言う愛は聖と義の上に成り立つ愛だからです。
人間の考える愛とは違います。
人間の愛=なぜならば(彼女は可愛いだから・・・・・)
聖書の愛=にもかかわらず(彼女はブスだ。でも・・・・)
だから、神が考える聖くないものは絶つ。
585 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 09:15
>>584 それでは、神はどうして人間を救われるのですか?
人間も、神の前に決して聖い存在ではないはずですが?
マリア崇拝者って、イエスキリストはどうでもいいんだろうか? 「母とは誰か、今ここにいるもの全てが母であり兄弟である」とか 「女よあなたは私とどんなかかわりがあるか?」とか 決してマリアを神聖化する記述はなかったと思われ。 さらに、マリアはイエスが復活する事を完全には信じていなかったから、 目の前に現れたイエスに気づかなかったんじゃないの。 ただ、初めみごもったときに「恵まれた女よ」と天使が言っただけなのに。 しかもその後には「あなたの民族が」と決してマリアのためだったり、 マリアを神聖化するような言葉はないんだけど?
587 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 10:58
マリア様を「崇拝」している人なんているの? 笑
588 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 10:59
正教会の方に質問です。 聖体祭儀は主日だけでなく毎日行われているものでしょうか? カトリックには平日ミサがありますが。
589 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 11:01
>>586 まあ、聖書だけ読んでるとそうだけど。
崇拝でなくて崇敬ね。
590 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 11:02
日本では祭日が平日にあたらない限りはありません。 今は大斎ですので、水曜と金曜に先備聖体礼儀があります。 海外の修道院などでは、毎日行われているところもあると聞きますが。
591 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 11:03
>>586 >>587 マリアは「崇拝」ではなく、「崇敬」ではなかったか?
俺もプロだから、よくは分からないけど。
592 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 11:05
オナンってよく間違って聖書の言葉を使っているね。 >「女よあなたは私とどんなかかわりがあるか?」 もう一度聖書をチェックしてみ。「女よ、私とどんな関わりがあるのか」とは 言われたが「あなたは」は入っていないでしょ。 今はまだ自分の時ではないのだから、なぜここで奇跡を起こさなくてはならないのかと おっしゃったけど、マリア様と自分がかかわりがないとは言っていないはず。 うろ覚えもいいところ。
593 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 11:06
>>590 わかりました。お返事ありがとうございます。
595 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 11:17
信仰で一致している者が母であり、兄弟であるなら、神にすべてをゆだねているマリア様 が母であり、兄弟でないわけないじゃない。 別にイエス様はマリア様が母ではない、とは言ってないですね。 そしてヨハネに自分の母を与えたと言うこと、これは老後の面倒を見てくれと 言っているわけじゃないでしょ。霊的な事柄がヨハネ福音書には書かれているわけ。 人類を代表するヨハネに、イエズスはマリアを霊的な母として与えたんだ。 マリア様がイエズスが復活することを信じていなかったというのはどこからきた発想なの?
596 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 11:21
マリア崇拝者なんてカトリックには一人もいないよ。みな崇敬しているだけだからね。 そしてマリア論というのはキリスト論から離れて存在しえないもの。 マリア様がいるからイエズスはいらないなんてことあり得ない。 イエズスあってのマリア様。 恵まれた女よ、というのはずいぶんお手軽な訳になっているんじゃないの? 「めでたし、聖寵みちみてるマリア」と文語では訳しているけど、単に恵みがあるという ことじゃなく、あふれんばかりの恵みをいただいていると言われているんだよ。 そうでなければ、後の世の人々はみな私のことを幸いな者と呼ぶでしょう、とまで マリア様はおっしゃらないでしょう。通常にはあり得ないほどの恵みなんだってば。
597 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 11:24
アウグスティヌスは「主はあなたとともにおられる」ということは、今、主がはじめて 共におられるようになったのではなく、これまでもずっと主がマリアとともにいたことを 示す言葉だと指摘している。
598 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 11:32
「主はあなたとともにおられます」とははっきりした意味があって、神が選び、保護した神の民、 あるいは神が大切な難しい使命を託した人にだけ用いられ、託した使命を果たせるよう、その人に 神の助けが与えられることを意味している。使われたのは出エジプト3:12のモーゼと ヨシュア1:5のヨシュアの時くらい。天使はマリアに同じ言葉を使ったんだ。 キリストもマタイ28:20で「私は世の終わりまで、常にあなたがたとともにいる」とおっしゃった。 この言葉で神が特別な使命のためにマリアを選び、それを果たせるように助けることをマリアにわからせたんだよ。 マリアはその胎にメシアを宿すシオンの娘であり、未来の全世紀にわたって幸せな者と呼ばれる婦人だ。
599 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 11:36
聖書云々で、マリア論を議論しても、それは空しい、というもの。 なぜなら、まりは崇敬は、聖書に依拠するというよりもむしろ、 聖伝に属するものだからさ。 カトは、この聖伝を大切にし、そこから聖書を読む。 一方、プロは「聖書のみ」を宗教改革の旗印とする。 よって、聖伝に属するマリア崇敬は、プロにはあり得ないんだな、これが。 もっとも、プロは聖伝(伝統)を全く無視するか、というと、必ずしもそうではない。 聖書聖典結集以前の事柄については、基本信条という形で、尊重する。 その辺りのことをきちんとふまえておかないと、 福音派の「俺」氏のようになってしまうぞい。
600 :
chebjcro :02/03/22 11:38
600
601 :
参考まで(^^; :02/03/22 12:42
>>592 ヨハネ2:4は、GNTでは
“τι εμοι και σοι, γυναι”
ティ エモイ カイ ソイ グナイ
となっており、直訳すると、
「わたしとあなたに何が、婦人よ」
となりますね。
はっきりと、「あなた」は入っていますね!
それと、
“τι εμοι και σοι, γυναι”
と同じ表現で、悪霊どもがイエスに言っている(マタイ8:28、マルコ1:24、ルカ4:24)
“τι ημιν και σοι, ιησου”(ημιν ヘミン はεμοιの複数形)
「わたしたちとあなたに何が、イエスよ」
との関連でどう考えますか...?
602 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 12:43
>>601 そこまで書くなら、もう少し親切にした方がよろしいかと思うぞい。
τι→何が
εμοι→私と
και→そして
σοι→あなたと(このことを言いたいわけだ)
γυναι→婦人よ、あるいは女よ。
クリスチャンのみなさんは、イースターの時、イースターカードのようなものを 出し合っているのですか? いつ頃届くように送ったらいいでしょうか?
イエスはなんと言っているか? 「私を通さないで、神・・・・」 イエスはマリアを通せとどこかで言っているだろうか? さらに「母よ」ではなく「女よ」と呼んだのはなぜか? さらに「私の母とは・・・」では、例へ両親であっても、 イエスの教えに従わなければ、身内にあらずととれないか? 崇敬は敬うことであり、マリアを通してイエスと語る、ではそれも崇敬の内なのか? 聖書には聖書以外の記述は全て排除する旨のことが書かれているのに、 それは無視されるのか? つまり都合次第なわけだ。
606 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 13:21
聖金曜日に届くカードがHappy Easter なんて文言でいいのでしょうか?
607 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 13:37
ルカによる福音書16−9に「不正にまみれた富で友達を作りなさい」と ありますが、不正にまみれた富は、元の持ち主に返さなくていいんでしょうか?
>>585 契約のゆえにです。聖書の神は契約の神だから。
申命記10:15読むと良く分る。
「主はあなたの先祖に心引かれて彼らを愛し、子孫である
あなたたちをすべての民の中から選んで、今日のようにしてくださった。」
ちなみに次の契約をよく読むと、聖書の神がいかに契約を大切にしてるかわかる。
1.エデン契約(創世記2:16-17)
2.アダム契約(創世記3:15)
3.ノア契約(創世記9:9-17)
4.アブラハム契約(創世記12:1-3、15:9-21)
5.シナイ(モーセ)契約(出エジプト記19:4-6)
6.パレスチナ契約(申命記29:1-30:2)
7.ダビデ契約(サムエル記第27:8-17)
8.新しい契約(エレミヤ31:31-34)
>>608 丁寧なレスを、ありがとうございます。
確かに契約なのですが、その前にやはり、
創造論に言及する必要がありはしないでしょうか。
>>609 7分後のレスなので・・・・・。
1〜8の契約の箇所を熟読されてからもう一度
ご登場くださいませ。
607の続き 「不正にまみれた富は返したほうがいい」と思うのは浅い考えでしょうか?
イエス様の目の前で「マリア様」と言えますか。
613 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 16:04
なんでいえないの? っていうか、逆にイエスの目の前で「マリア」と呼び捨てにできるのかぃ?
ロンギヌスの槍はどこにあるの。
>>610 私が言いたいことは、以下の通りです。
「どうして神は、聖ではない人間を救われるのか。」という私の問いに対し、
あなたは「それは契約です」と答えてくださいました。
しかし私は、契約に行く前に、まず創造論から入らないと、正しくないと言いたいわけです。
つまり、「なぜ神は、人間と契約を結ばれたのか。」
その答えが、申命記10,15と言うことでしょう。
ではなぜ、神は聖くもなく、罪人でしかない人間に、心を引かれたのか。
その答えが、創世記に於ける創造論であり、
それがすなわち、神が人間を救われる根拠であると言うことには、なりはしないでしょうか。
616 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 16:40
>614 どっかの博物館。
617 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 16:43
>614 ウィーンの宝物館らすぃ
618 :
メタトロン :02/03/22 16:44
エチオピアにあるアークは本物なんですか。
とんでも本の読み過ぎ・・・。 イエスの血だってあるよん。どこだかわすれたけど。 ピラミッドやスフィンクスを設計したのはモーセとかってはなしもあるし。 箱船の破片とかもあるってよ。
>>615 ドウゾ創造論からお入りください。
なんか一昔前の統一協会の原理なんとかを思い出してしまいました。
ちなみに、584は私です。あなた様は585ではありませんか?
>>620 いやあ、これは失礼しました。私は585でした。(^^
私は、あなたの書き込みを読んで、
カベナントを思いだしてしまった。。。。。
622 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 19:40
ロンギヌスの槍ってやっぱ人型決戦兵器で持つほどデカイの? それがあれば僕でも使徒をやっつけられる?
>>623 というか私はテイヤール主義、グノーシス主義、ユング主義はいずれも大嫌いだ。したがってエヴァもきらいだ。
カトリック誤謬告発スレッド参照。
625 :
名無しさん@1周年 :02/03/22 22:04
626 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 02:20
キリスト教徒は なんでくじらを食べるニポーン人に怒りを感じるのれすか?
628 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 02:27
キリスト教に入ると、なんかいいことある?
629 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 02:31
教会にはいると、もれなく、教会員のみんなから兄弟姉妹と呼ばれるように なります。また何をやっても悔い改めれば、許されてしまうので、 教会内に好みの女の子がいれば、犯しちゃいましょう。 あとで、私は罪を犯しました、と告白すれば許してもらえます。 ・・・たしかそうだったよね。クリスチャンのみなさん。
631 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:07
>>628 天国で永遠に、苦しむ事も、悲しむ事も無く、
楽しく暮らせます。
632 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:08
633 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:09
>631 嘘。そんなこと聖書のどこにも書いてない。 ヨハネの黙示録にあるだろが!って言いたいのだろうけど、 どっこい、そうはいかないぞ。
634 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:10
>>633 あれ? 知らないんだ。
かわいそうに・・・。
635 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:12
>630 告白はカトリックだけね。 罪の許しといったって、「永遠の」地獄に逝かないですむだけのことで それだけの大罪に等しい拷問を受けるよ。 地獄と同様の苦しみである煉獄の炎で焼かれる。
636 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:12
>>626 クリスチャンですが、鯨を食べることに異議ありません。以上
>>634 かわいそうなのは、あなただね。
では聞くが、その聖書の箇所を書いてみ?
638 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:14
>>626 クリスチャンですが、鯨食べたいっす。
鯨を食べる事に反対するのは、グリーンピースの連中が、
寄付金を集めるための口実。
639 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:16
640 :
Asclepius :02/03/25 15:21
To:639 Get out of here!
>>637 は、どうやら、聖書を読んだ事がないようだ。
仮にあったとしても、文章の理解力が無いのだろう。
>>639 別スレのHNだよ。面倒くさいから、そのままで登場したまでだ。
・・・ったく、ろくな釈義もできない牧師、ろくに教理も分からない牧師が多すぎる。
だから、変なこと吹き込まれるんだよなあ・・・
聖書信仰を標榜する連中に限って、聖書が正しく読めてないんだ。
困ったものだと思う。
ところで、聖書の箇所、あげられないのか?
>>637 は、どうやら外人さんらしい。
では、日本語が理解できなくても仕方あるまい。
644 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:25
>>342 では、逆に聞くが、神と共に過ごせる場所が、
苦痛と悲しみに満ちているのかい?
645 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:25
>>644 間違えた。
正しくは、
>>642 では、逆に聞くが、神と共に過ごせる場所が、
苦痛と悲しみに満ちているのかい?
>643 こら!人の国籍を勝手に変えるな! 俺は日本人だぞ。奥さんは外国人だけど。 創造論→堕罪論→贖罪論と来て、終末論へと至る。 もし、「死んだら天国で楽しく」なんて言う教理が入り込むと、 全てが崩壊するし、また、そのように釈義できる箇所もない。 第一、創造論の部分で、矛盾が生じてしまう。 わかるかなあ・・・
647 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:31
>>646 なーんだ、全然聖書を理解してない人の戯言か。
相手にしただけ、時間の無駄であった。
一人で、矛盾を感じてなさい。
648 :
ドラクロワ ◆OVjcHmyw :02/03/25 15:33
>>647 指摘されているのだから、逃げ回ってないで早く書けよ。
>>645 仏教的だね。
神と共に過ごす、と言うよりも、神が共にいてくださる。
これが、「神の国」。しかし、それは死んでから行くところではなく、
地上において実現している、と言うことになっている。
つまり、神の国は、神の支配する領域、ということ。
ここから先は、創造論にまでさかのぼらないと、議論できない。
結論を言うと、あなた方が考えているような「天国」は、
死んだ後の状態ではなく、終末論的にとらえないといけない、と言うこと。
つまり、キリストの再臨以降、全ての被造物が、創造時の状態に復帰する時に、
実現する、と言うこと。
650 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:34
よくプロにカトは告白さえすれば罪が許されるとかいう人がいるけど カトはプロと違って煉獄という場所があるからね。 告白は償いを免除されるということではない。 罪を犯したら必ず等しい償いを受けねばならない。償いをしてから天国へ。
>646 エラそうに・・・。ウザイんだよ、お前みたいなのは。
何だか知らないが、該当する聖書の箇所も挙げられないようですな。
>>651 結局は、こういうレスになってしまうんだよねえ・・・残念だけど。
でも、リアルでもこういうレスになるものだから、
まともな教会やクリスチャンは困ってしまっているんでし。
ここって、クリスチャン多いのかどうかわかんないけど、 だとしても聖書ちゃんと呼んでる人はすくなそうね。 告白は別に神父にするもんじゃないのよ。神父にする方がおかしんだから。 聖書どおりなら、キリストにするのが筋。 それと、警告さんは「千年天国」のことを言ってるんだろうけど、 その後にもう一度裁きがあって、天上に上げられることになってるの 読んでない? その天国の状況については、みんなで神を賛美するらしいことは かいてあるけど、快適かどうかは疑問。なにしろあそこにも階級があるからね。
654 :
Asclepius :02/03/25 15:45
ダマスコ文書はどこに保管されているのですか。
655 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:48
そりゃ、告白はキリストにするもんだよ、でも司祭にするほうが勇気あることでしょ。 キリストに祈る告白のほうが簡単にできるよ。 カトリックにはカトリックのやり方があるんだからいいんでないの。 つーか、聖書をちゃんと読んでるから、カトが司祭に告白するのが間違いとか変。 誰に告白しようが、心から罪を悔い改めることが大事。
訂正:読んでるなら
>なにしろあそこにも階級があるからね。 この世で最も苦しんだ人が高い位にあげられる、という階級だろうか?
>>653 いや、そう言うことを言っているのではないんだよ。
上の方で、「死んだら天国に行って、ランランラン・・・」みたいな
書き込みがあったから、それはちょっと違うんでないかい?
と言う事で、書いてみただけさ。
要するに、「死んだら、三途の川を渡って、極楽浄土へ」みたいな、
仏教的なとらえ方は、聖書の宗教とはちと違うのではないか?と言うことでした。
659 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 15:57
教会に行って牧師に三位一体について聞いてたら 「これは、信仰がないとわからないんですよ」って言われてしまいました。 三位一体って信仰がないとわからないんですか? 質問 聖書のなかには神がキリストに話しかけたりする場面がありますよね。 もしキリスト・霊・神が一緒なら、キリストは地上で いかさまをやったんですか?
660 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 16:04
>>658 だって、あなたヨハネの黙示録を認めてないんでしょう?
>660 え?そんなこと、言ってないけど。 聖書66巻以外に、神の言葉である聖書はないよ。 それと同じく、そこから何かを差し引いてもだめ。 問題は、釈義だよ。
662 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 16:13
II 天国 1023 神の恩恵の中で神との友情のうちに死に、完全に浄化された者は、 永遠にキリストとともに生きる。この人々は、永遠に神に似た者となる。 なぜなら、「あるがままに」(ヨハネ第一、3・1)、顔と顔を合わせて (Tコリント13・12、黙示録22・4参照)神を見るからである。 次のことを使徒的権威をもって宣言する。すなわち、神の一般的な 定めに従って、すべての聖人、…洗礼を受けた後に浄化を必要と する汚れを何一つもっていない信者の霊魂、さらに死のときに浄化を 必要とする汚れがあったが死後に浄化された霊魂…は、死後ただちに、 あるいは上に述べたように必要な浄化を受けた後に、われわれの主 イエズス・キリストの昇天以後は、彼らの肉体の復活と公審判の前で あっても、かつても今も未来も、皆キリストとともに、今までも、 今も、これからも天国、天の国、天上の楽園にあって、聖なる天使たち との交わりに受け入れられる。私たちの主キリストの受難と死以来、 このような霊魂は、いかなる被造物の仲介もなく、顔と顔を合わせて 神の本質を直観したし、また直観する. (ベネディクトゥス十二世 DS1000、また教会憲章49参照)。 1024 至聖三位一体とのこの完全な生活、つまり三位一体の神ならびに 聖マリア、天使たち諸聖人たちとの命と愛の交わりの中で生きる ことが、「天国」である。天国は、人間が心の最も深奥でもつ 願望の最終目的でありその実現であり、決定的な幸福の状態である。
663 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 16:14
1025 天国で暮らすとは、「キリストとともにいる」(ヨハネ14・3、 フィリピ1・23、Tテサロニケ4・17参照)ことである。 選ばれた人々は、「キリストの中に」生きる。それだけではなく、 そこに自分の真の姿、自分の固有の名前をもつ、より正確に言うなら、 発見するのである(黙示録2・17参照)。 いのちとは、キリストとともにいることです。キリストのおられる ところ、そこにいのちがあり、み国があるのです(聖アンブロシウス Expositio Evangelii secundum Lucam10、121)。 1026 イエズス・キリストは、ご自分の死と復活によって、私たちのために 天国の門を「開いて」くださった。至福者たちの生活とは、キリストが 成し遂げられたあがないの実りを余すところなく享受することにある。 キリストは、ご自分を信じ、そのみ旨に忠実であった人々をご自分の 天国の栄光に参与させる。天国は、キリストに完全に一致したあらゆる 人々のこの上なく幸せな共同体である。
664 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 16:15
1027 神とキリストにおいて生きるすべての人々との幸福な交わりという秘儀は、 人間の理解と想像をはるかに越える。聖書は、天国の幸福を表象を使って 説明する。それは、いのち、光、平和、婚礼の宴、王国のぶどう酒、父の家、 天上のエルサレム、楽園などである。パウロは、「神がご自分を愛する者 たちに準備されたものは、目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い 浮かびもしなかったこと」であると言う(Tコリント2・9)。 1028 神は超越的存在であるため、神をあるがままに見ることができるなら、 それは神ご自身がその神秘を人間に直接お見せになり、かつ人間にその 能力をお与えになるとき以外にはありえない。この天国の光栄の中で神を 観想することは、教会によって「至福直観」と呼ばれている。
665 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 16:16
>>664 の続き。
あなたの栄光、あなたの幸福とは何と素晴らしいものでしょう。
あなたは、神を見ることを許され、あなたの神である主キリストの
おそばで救いの喜びと永遠の光りにあずかる光栄を受け、…天の国で
正しい人々、神の友である人々とともに、あなたの獲得した不死の
喜びを味わうでしょう(聖キプリアヌス Epistulae 56、10、1)。
1029
至福者たちは、天の栄光にあって、神が他のすべての人々と全被造物に
お望みになることを喜んで果し続ける。彼らはすでにキリストとともに
統治している。キリストとともに「世々限りなく統治する」
(黙示録22・5、またマテオ25・21.23参照)。
666 :
Asclepius :02/03/25 16:36
Salmenes 121 1 En sang ved festreisene. Jeg lofter mine oine op til fjellene; hvor skal min hjelp komme fra? 2 Min hjelp kommer fra Herren, himmelens og jordens skaper. 3 Han skal ingenlunde la din fot vakle, din vokter skal ingenlunde slumre. 4 Se, han slumrer ikke og sover ikke, Israels vokter. 5 Herren er din vokter, Herren er din skygge ved din hoire hand. 6 Solen skal ikke stikke dig om dagen, ei heller manen om natten. 7 Herren skal bevare dig fra alt ondt, han skal bevare din sjel. 8 Herren skal bevare din utgang og din inngang fra nu av og inntil evig tid.
667 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 16:37
668 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 16:38
669 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 16:38
>>661 黙示録には、こうある。
「死ももう無く、悲しみも叫びも苦労も無くなる」(21−4)
670 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 16:45
>>669 よって、
天国で永遠に、苦しむ事も、悲しむ事も無く、
楽しく暮らせます。
じゃないか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
671 :
dendo. :02/03/25 16:48
>>661 正教はLXX使うから、いはゆる「旧訳外典」も聖書のうち。
正教版日本語訳はないけどぉ……
>>670 だから、それは終末論的に読まなくてはならないんだって。
一個人の死後のことを言っているのではないんだって。
警告さん。すまそはやのみこみでした。
>>670 苦もなく悲しみもないとは書いてあるが、
楽しく暮らせるとは書いてないよ。
楽は、苦や悲しみがあって初めて実感できるものだからね。
つまり、天国は無感情の世界。感情があれば必ず悲哀もあるからね。
神が喜びのみを賜うってなら、今それをしろよと。
674 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 18:00
天国は、天国で永遠に、苦しむ事も、悲しむ事も無く、 楽しく暮らせます。 さあ〜、天国を目指しましょう〜。
675 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 18:02
キリスト教徒はいったい何を期待しているのですか?
最後は自分たちが良い目をを見て、 いやな奴らは地獄で苦しむこと。
677 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 18:08
>675 永遠の救いでしょう。それ以外ありません。
678 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 18:12
キリスト教でその救いが実現できるのですか? 根拠・証拠を示せますか?
679 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 18:14
>>678 キリスト教そのものが救いを実現させるのでは、
ありません。
キリスト自身が、実現させるのです。
ケラケラ。 新約聖書の黙示録では、信者を苦しめたものは、地獄行きです。 神も「復讐するは我にあり」とかいってます。 結局、愛だの自由だのなんのといいながら、地獄ゆきです。 そういえば、イエスを十字架にかけた人達は天国に行ったのでしょうか? 地獄に行ったのでしょうか?
681 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 18:29
キリストでもキリスト教でもどっちでもいいんですが 救われる根拠となるものはありますか? だれか救われたという過去の実績とかだせますか?
682 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 18:38
>>680 皆地獄逝き。
ウフ♥ イエスも同様に。
683 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 18:43
>>681 いくらでもあるよ。
多くの聖人が何度も死後、出現してるしね。
天国のすばらしさや神の偉大さを
語ってるよ。
それって証明?
685 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 18:55
>>680 それは神のみ知るところです。人間にはわかりません。
686 :
名無しさん@一周忌 :02/03/25 21:05
>>669 人類絶滅の後には新たな死人はもう発生しない。 ということでは?
687 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 21:10
カトリック教会はユダでさえ、地獄に落ちた とは、言っていないと聞いたことがあるじょ。
688 :
名無しさん@1周年 :02/03/25 23:56
>>687 そういえばユダはいまどちらにいるのですか?
689 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 00:00
>687 ユダがイエス様を裏切るのも神様のご計画のうち ユダは神様のご計画に従ったに過ぎないので、ユダ自身が悪というわけではないからだと思う
690 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 00:02
キリスト教ではどんな悪人も救われる可能性があります。 悪人とは神様から離れていることですから、神の元へ帰れば 悪人ではなくなります。
691 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 00:53
692 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 01:17
>>689 >ユダは神様のご計画に従ったに過ぎないので、ユダ自身が悪というわけではないからだと思う
こう言う考えは、異端だよ。
彼は、自らの意思で、キリストを裏切っただけの事。
つまり自由意志で、罪を犯したのであって神の計画に
従ったのではない。
では、なぜ、教会が「ユダが地獄に堕ちた」と、言わないか
と言うと、それは、まさに神のみぞ知る事だからです。
最後の最後の瞬間に回心した可能性もあります。
しかし、回心せずに死んだのなら、地獄に居るでしょう。
もし、最後の最後に回心したのなら、煉獄か天国でしょう。
それは、まさに神にしか分からないことです。
ユダが地獄に堕ちたかどうかといえば、地獄だと思われ。 ユダはイエスが塚まって後悔したまではよかったが、 その後、彼は伝導するべきなのに、自殺してしまったから。
694 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 10:53
何でこの世は不公平なんでしょうかね。 極端にどえらい不幸の人は何でその人たちだけ貧乏クジをひいたんでしょうか。 キリスト教のいうような神さまがいるなら。 天国がどんなとこかも謎だし。
不幸というと、クリスチャンから見て、クリスチャンの不幸は、 神の賜う試練であり、乗り越える事によって、 さらなる恵みをいただける好機なんだそうな。 そして、クリスチャンから見て、ノンクリスチャンが苦しむのは 悪魔の故らしい。神に立ち返り、信仰に寄らなければ、 その苦しみから逃れる方法は、ないんだとさ。
696 :
dendo. :02/03/26 12:00
>>692 煉獄ってカトにしかないような気がしますが違うのでしょうか。
698 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 14:47
皆さん、まじめに教えてください。 山本誠一はどうしているかご存じありませんか?
699 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 15:18
>>693 たしかに自殺を選んだが、必ずしも、
地獄に堕ちたとは、言えない。
なぜなら、死ぬ直前に回心した可能性もあるからだ。
ただ、神の憐れみによって、すべての罪が許されて、
地獄に堕ちなくても、神を裏切った罪や自殺の罪ゆえに、
相当の償いを要求されてるでしょう。
700 :
dendo. :02/03/26 15:35
自殺したんだから地獄逝きかなーってのと、 自殺を試みて死ぬ数秒間(いわゆる「短時間」)のうちに悔いて 神の憐みをもって天国にいれていただけるのかなー だとしても公審判の後の話になるんだろうなそれ、 ってのと祈ってあげたら地獄の苦しみもすこしはやわらぐと 聖伝にあるからそれを心の支えにお祈りするのがよいのかしらん (地獄にいる霊は祈りを捧げる恩寵も受けられない……ような気がする) と日々思い迷う今日このごろです。 でも、まあ、とにかく、祈ること、記憶することしかできないよね。 死者そのもののためには(残された人のためにはまた別として)。
701 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 15:49
煉獄はカトだけだけど、初期教父に一応典拠あり。
702 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 16:05
>695 苦しんでいるノンクリスチャンに言わせれば「大きなお世話だ」 って言うだろうよ 苦しみをポジティブに受け止めるのに神様に背中押してもらう必要なんかありません
703 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 16:08
704 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 16:50
>>700 >だとしても公審判の後の話になるんだろうなそれ、
その前に、私審判がある。
>祈ってあげたら地獄の苦しみもすこしはやわらぐと
>聖伝にあるからそれを心の支えにお祈りするのがよいのかしらん
聖伝は、そんな話は、無いよ。
煉獄の霊魂のために祈るのなら、ありえる話だが。
705 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 16:54
そうですね。地獄の悪魔が救われるというのは異端になったはず。 救われるとしたら煉獄の霊魂ですね。
706 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 16:58
>>696 煉獄ってカトにしかないけど、プロの人は天国か地獄か二者択一しかないことについてどう思ってるんだろう。
だって、人殺しや泥棒など地獄に値する悪人までとは言わなくても
いじめとか、女騙したりとか、人の悪口いいまくり、とか酷いことしている人間はいっぱいいる。
そうやって面白おかしく生きて人を傷つけてきたような人間がアッサリ天国に逝かれてもな、って思うのだが。
逆にこの程度の罪で「永遠の地獄」におちるのはいくらなんでもあんまりだ。
一般人でもその人が犯した罪相応の報いを煉獄で受けるのが公平だと思われ。
罪は軽かろうが重かろうが罪。 しかも最大の罪はイエスや神を信じないことだと聖書には書いてある。 なので、クリスチャン以外はみーんな地獄行き。 だってかくと、クリスチャンの多くが色々言い訳を書いて来るんだろうな〜。
708 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 18:56
>>707 カトリックではそうとは信じていないようです。
他にも一定の真理はあるので救われることもあると考えているようです。
709 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 20:03
>707 聖書の言葉を引くのなら、厳密にしてくださいね。 >最大の罪はイエスや神を信じないことだと聖書には書いてある そうではありません。 赦されない罪は、聖霊を汚す罪だと、書いてあるのです。 それから、救いは結局のところ、神を信じることによる。 つまり、最後の審判のぎりぎりのところで、神を信じても、良いわけです。 だから、今、現時点で、クリスチャンかどうかで、救いが決まるわけではないのでは?
710 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 20:11
>>709 プロテスタントの保守的見解を持つ派はそう信じています。
死ぬ時にキリスト教に改宗しなかった者は地獄行きだと。
カトリックとは水と油の見解です。
711 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 20:16
パウロはキリスト教徒になりさえしなければ、幸せ(一般的に見て)に暮らせてのではないかと思われます
712 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 20:27
無駄な知識をおつむにしこたま詰め込んでも堕落するだけや あああかわいそぅな奴らだ
713 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 20:38
>712 これらの知識を、無駄な知識と思うあなたこそ、かわいそうだ。
714 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 20:52
>>710 そんなのカルトか邪教にしか思えないね。
そんじゃ宗教の自由のない国の人間のことは考えないのかな。
とにかく、肩書きなんかどうでもその人の生き方で裁かれる。
715 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 21:53
「心の貧しい人は幸いである」の貧しいってどういう意味ですか? 心が病んでる人って意味ならわかるんだけど。 心が醜い人、とは違うような。心が清い人は幸いと言ってるから。
716 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 22:04
「心の貧しさを自覚している人」っつう説があるがな。
717 :
名無しさん@1周年 :02/03/26 22:49
>>715 神に対して、自分が何も捧げるべきものを持っていないことに気づくと
私たちは神の前に謙遜にならざるを得ません。
自分が本当に罪人であること、そして祈り、献金、奉仕、伝道が自分を義と
してくれるものではないことが分った時、私たちの心は揺らぎ、神の御前に
こうべを垂れるようになります。
そして、一途に神の憐れみと恵み、愛と赦しを待ち望む人となります。
これが心の貧しい人です。
これらの八っの幸いは弟子に語られたものです。
>>715 「心の貧しさ」の直訳は「霊における貧しさ」
教父達の注釈によれば、被創造物への執着のなさや謙遜さのこと。
カトリック誤謬告発スレにリンクが貼ってあるPetersNetの注釈書利用きぼんぬ。
ていうかPetersNetの聖書注釈はこのスレの
>>180 にもリンク貼ってあったね。
よかったらみてね。
721 :
peace :02/03/26 23:56
「非常にすばらしい」個人サイトの宣伝です。
「エホバの証人」のホームページへ、是非一度お越しください。
あなたの心の励み、癒しに、必ずなると思います。
そして「エホバの証人」のホームページが、いかにすばらしく、多くの方々又、いかなる宗教の方々に、感動を与えているか、その目で、是非お確かめ下さい。
これらのホームページには、「エホバの証人」の知識等も多く載せられていますが、宗教という枠を超え、多くの方々との話し合い、意見交換、「エホバの証人」への質問の場として、多くの掲示板が用意されています。
これらの掲示板は全て、真のクリスチャンとしての節度と秩序が守られているため、どのような方が、お越しになられても、真心を持って対応をしています。決して言い争いや、中傷などの起こらない場となっています。
この掲示板から、心を癒された方々は、数知れません。きっとあなたの心も癒される事と思います。
注意;この宣伝は、個人的な宣伝です。宣教活動及び宗教の勧誘では有りません。又、ものみの塔聖書冊子協会とも一切関係ありません。
http://www.f-child.com/wayoflove/sec-g/index.html
722 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 01:24
ユダは、キリストが裏切ると予言しちゃったので、仕方なく予言に従いました。 予言が予言であるためには仕方ないことです。 って考えはどうよ??
723 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 02:54
どうしてキリスト教はあちこちで問題を起こすんでしょうか? (特に中東、アフリカのあたりで)
724 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 02:57
>>722 罪は全て予定されている。
しかし,罪はたいていの場合、自分の意志で犯している。
罪を犯すことによってのみ、人の愚かさは明らかになる。
725 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 03:07
>>724 予定は、されてない。
神は、全知だから知ってるだけだ。
全知ってなんか、無駄な能力やね。 先が見えたからって、変更も効かんし。 でもパラドックスが起こるのでは?? 予言することも既知のことになる。 ってことは、自分の意思で行動できないってことでは??
727 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 05:42
>>726 >先が見えたからって、変更も効かんし。
ところが効くんやね〜。
祈りもそのためにある。
それじゃ全知じゃないじゃん。
729 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 06:10
認識している未来の変更がきくなら全知とは言いがたいし、 全知であるなら変更すること、変更した後のことがわかるはず。 どう考えてもパラドックスに陥る。
731 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 06:23
>>730 良い暇つぶしができたね。
君が、それを書くことも、神は、知っていた。
そして君がいくら考えても答えが出ない事も神は知っている。
さあ〜、考えよう。神の全知について・・・。(^^)
732 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 06:30
おまえら神がいるってわかるのかよ。 身のほど知らずが!
733 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 06:35
クリスチャンとは思いこみが激しいやつらの集団
734 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 06:36
735 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 06:43
736 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 06:47
へっ!答えられねーじゃんよー
全知は全知であると定義して(無理やり)、 キリストはなぜ捕まると解っていながら、あえてユダが裏切るのを待ったのか?? ユダが自殺という罪を犯すことをわかっていたのなら、その前に出頭するやさしさはなかったのか?? なぜあえて見殺しにしたのか??
738 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 06:57
十字架にかけられたイエスはどうして「神よどうしてお見捨てになるのですか」 といったんだい?
ユダに祖のつもりがあったかどうかはともかく、 キリストの一言は引き金にはなったと思われ。 「きっと、なにかお考えがあるのに違いない」みたいな錯覚はあり得るよね。 「神よどうして・・・」はともかく、 キリストが自分は死んでも死なないことを知っていてなぜ、 死を恐れたのか? たんなる詭弁で、しなくてもいいことして、 イエスを出現させなくても、人の心を操作できるんなら、はじめから皆を 信者にしておけば済むことなのに。 それでは自由がないって?
741 :
dendo. :02/03/27 13:23
>>738 ・ほんとうにそう思ったから(神秘じゃ)
・「神よ、なぜ私をお見捨てになるのですか」ではじまる詩篇を朗詠した、
つまり祈った。(ちなみにこの一章は、どんぞこにいる人間に救いを与える神を讃える詩)
と大きくわけて二つ解釈があるはずでし。
おおっ、そんな解釈もあるのか。そりゃ納得。 では、イエスが捕まる前、石の上(?)で血の汗を流しながら祈ったという カ所はどうです?
743 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 15:09
>>737 神は、人間の自由意志に介入しないから。
744 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 15:11
>>737 ;".:^; ;".:^;
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全然納得できないね。 キリスト自身が神に見捨てられたとほんとうにそう思ったのなら キリストは救世主じゃないジャン。詩篇を朗詠したっていったいどういう 意味があるんだよ。 全く答えにはなっていないな。
746 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 15:19
>>745 ミ"^;, ,ミ"^;,
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ミ ---- l l l --- ミ
ミ ---- 丶_ノ丶_ノ --- ミ
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ミ "ミ ミ
ミ;,,,.,.,..... ミ,,,,,... ..,,,,,,,... ...,,,,,... ... ...,,,,,,,... ...,,,,ミ
747 :
dendo. :02/03/27 15:29
>>742 預言が成就されるために。キリストは神であると同時に人でもあるんだから、
人として祈ったっておかしくない。
ちなみに「神よ、なぜ私を……」には他にもくじ引きの話とかが
出てくる(マタイにいろいろと引用あり)。
というかその一章全体は神を讃える讃歌でもあり、
かつ磔刑をめぐる預言でもある。というのが詩篇言及説の肝ですな。
748 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 15:33
激しくガブリエルたん萌えなんですが 彼女のプロフを教えて下ちい
>>747 dendoさん。
神はやはり酔狂者ですね。
自分が造った人を救うためよりも、
自分の仕立てたストーリーの方が大切ですか。
神が自由意志に介入しないのであれば、他者の自由意志に基づく行動は止められない、 または止めないって事ですよね。 ということは、自由意志でレイプする者を、 たとえどんなに被害者が祈ろうと止めることはできないということですか??
751 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 16:47
君ぃ、祈っても無駄だよ。
752 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 16:57
>>750 君、レイプをしては、いかんなぁ。
そういう願望は捨てなさい。
753 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 16:59
∧_∧ ( ´Д`) <はぁー … / \ _ | | | |_..∬ |\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 旦.\ ./..\\ \ / \|=================| \ ノ 失業者 \
754 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 17:00
>>750 ミ"^;, ,ミ"^;,
ミ";;.::.ミ ミ :::::::ミ
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ミ" ミ
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ミ -=・=- 、 -=・=- ミ
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ミ,, ミ
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ミ;,,,.,.,..... ミ,,,,,... ..,,,,,,,... ...,,,,,... ... ...,,,,,,,... ...,,,,ミ
755 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 17:01
∧_∧ ( ´Д`) <はぁー … / \ _ | | | |_..∬ |\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 旦.\ ./..\\ \ / \|=================| \ ノ 失業者 \
757 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 19:32
教えてクンでもうしわけないですが、 pontificium opus って何でしょうか。
たびたび申し訳ないのですが、 日本語で何というのか知りたかったなのです。
760 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 19:44
>>759 シルに聞くと良いよ。
彼は、英語、ラテン語OKだから。
761 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 19:46
ヴァチカンの仕事、かな?
ありがとうございます。 彼にも聞いてみます。
763 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 19:59
YAHOO!のチビクロという人が自らを「神の人」「私は世の光」と のたまっているが、こういう事を教える教会、教派はどこ?
764 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 20:27
765 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 20:43
766 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 20:52
>オナンさん
「何のために生きているのか」スレの続きをこちらでやらせていただきます。
>あなたの信仰は聖書以外から来ているようですね
まず、われわれカトリックは、
「教義的命題は聖書のみによって根拠づけられなければならない」という無根拠の前提を有しておりません。
これは聖書のどこにも書いていない非聖書的な主張です。
聖書が成立する以前から、カトリシズムは口頭で伝えられる教義として厳然として存在してきました。
(イエズス自身、口頭で教えを伝えたのであって、テクストを書いたのではないことをお忘れなく。)
そのような口伝の教えの中で聖書に明示的に記されていないものを聖伝と呼びます。教父たちはその証人です。
書かれたテクストだけではキリスト教の教義を誤りなく後代に伝えることは困難です。
なぜならテクストには多様な解釈を与えることが可能だからです。
相矛盾する解釈が生じた場合、
いずれがイエズス・キリストの正統な教えとみなされるべきかということを権威をもって判断し、よって正しい教えの伝達を保証するための組織として、
イエズス・キリストはカトリック教会を設立され、(マタイ16章)その生ける教導権に聖霊の導きを約束されました。
(教会論に関してカトリック誤謬告発スレッドの過去ログも参照)
何が聖書の正典として認められるかを定めたのもカトリック教会です。
このような教導権がなければ、イエズスの教えは相矛盾する多様な個人的解釈の洪水のうちに埋没してしまい、人間救済上大きな支障が生じることは自明です。
なお、含蓄的信仰については
>>180 のリンク先で神学大全第二ー二部第二問第七項と、PetersNetのWilliam G.Most,Catholic Apologetics Today,Ch.23参照。
>>757 pontifexは司教。opusは技、はたらき。
えっと・・・初めまして こういう質問でもいいのかな?(笑) キリスト教の信者では無いのですが、 聖書を読みたいなぁーと思っているものです。 初心者にオススメの聖書なんてありますか?
770 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 23:11
>>769 フランシスコ会訳は、注釈があるよ。
新約しかないのが残念。旧約は分冊。
バルバロ訳もいいと聞く。が、出版社を知らない.
共同訳は巻末にちょっとした注釈が。
新改訳はやめておいた方がいい、という意見が多数。
>>769 カトリックの立場からちゃんと注釈がついたわかりやすいものとしては、
講談社版、ドン・ボスコ社版、フランシスコ会訳
があります。
英語をお読みになるのでしたら
>>180 のリンク先に各種注釈あり。
>>770 バルバロ訳は講談社とドン・ボスコです。
774 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 23:27
バルバロ訳は本来の聖書の順番で並んでいるからお勧めです。 一応新共同訳(続編付って云う方、ちょと値段高い)の方が一般的です。 教会で使用しています。バルバロ訳とフランシスコ会訳は家で読むのに 良いしょう。聖書事典とコンコルダンスもあれば尚良し。
775 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 23:31
>>774 コンコルダンス、あるけど、開けたこと
2回。
ドンボスコ版はまだ売っていますか?
777!!
778 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 23:40
バルバロの「持たないものは持っている ものも失う。」というところの注釈は かなり鬱だった。まあ、その通りなんだが。
やはり1冊で済まそうなんて甘かったですね(笑) 本屋で聖書を何度か手に取るのですが、値段を見て 『た・・・たか・・・』(すごすごと戻す)となってしまって 現在に至ってます(笑) 【聖書事典】と【コンコルダンス】とはどう言うものなのですか??
780 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 23:49
この前、本屋さんでプロテスタントのキリスト教との人に 教会に来ませんかと勧誘されました。勧誘してきた人は、 韓国人で、色白でとても美人だったので、着いて行きました。 とても緊張して、教会に向かう途中は、地を踏んで歩いてるのか 分からないほど頭がボーとしていました。 教会に入ると、そこにいた人にとても歓迎されました。 教会にあった聖書を一緒に読みました。しかし、読む前に、 キリストに祈らないといけないのです。聖書を読んだあとも、 キリストに祈らないといけないのです。 私は、キリストに祈りをささげると言うことは、嫌でした。 そして、神様に祈りをささげるのも嫌です。 私は、聖書の内容は勉強したかったのですが、 キリストを祈るのが嫌で、3回ほど行ってやめました。 どうして、祈ったりするのですか? 自分が キリストの子分になった感じがして嫌でした。 そして、そんな行為をすることは恥ずかしいことで、 カッコ悪いと思いました。 祈ることなんて無ければ、キリスト教も日本に 広まると思ったのに、どうしてそんなことを するんですか?
781 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 23:52
>>780 でもさ。仏教でも瞑想=祈るし、
神道でも祈るが。。。。
それよか、美人に釣られてついて行ってしまう君。
カルト教団に気を付けろよ。今回はプロの教会だから良かったものの、
マンションの一室に入れられてへんな仏壇買わされた奴もいるからな。
782 :
名無しさん@1周年 :02/03/27 23:56
>>780 そこの教会はヤバイ。行くのやめて正解。
韓国系は危ないのが多い。純福音とか福音派系のカルトですよ。
時々統一協会も本屋で信者漁りしていますので注意。
ちゃんとした教会なら本屋で声かけて信者でない人に祈りを
強制したりなんかしません。祈りは強制出来るようなものでは
ありませんから。
784 :
名無しさん@1周年 :02/03/28 00:11
∧_∧ ( ´Д`) <はぁー … / \ _ | | | |_..∬ |\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 旦.\ ./..\\ \ / \|=================| \ ノ 失業者 \ 神様、お助けをー!
785 :
名無しさん@1周年 :02/03/28 00:24
786 :
名無しさん@1周年 :02/03/28 02:02
なぜ、美人に付いて行くんだ? カルト集団だったらどうするつもりだったんだろう・・・。
787 :
名無しさん@1周年 :02/03/28 02:23
>>784 くじけるな!神様がついてる。
今、祈ったから、少なくとも785さんとで
3人だよ。必ずもっといい仕事見つかるよ!
788 :
名無しさん@1周年 :02/03/28 02:47
>>784 明るい顔でハキハキとして面接に行こう!、と天使が言ってます。
789 :
名無しさん@1周年 :02/03/28 03:01
790 :
名無しさん@1周年 :02/03/28 03:13
791 :
名無しさん@1周年 :02/03/28 09:43
>>780 本屋で声をかけるのは「東京キリストの教会」もよくやるが、
そこではなかったのか?
まあ異性には声をかけないだろうから、違うかもしれんが。
そこはやめたほうがいい。ここにもスレたってるし。
労働力にさせられること請け合いだ
792 :
名無しさん@1周年 :02/03/28 13:29
コンコルダンスは例えば「愛」という言葉がどの聖句で使われてるかずらーと出てくる。 引用したいときとか「あ〜、あの聖句、どこに書いてあったっけ」というとき便利だ。 聖書辞典は地名とか言葉の意味とか教えてくれる。
>>792 辞書じゃなくて、愛について知ろうな。(藁
794 :
Ahura Mazdah :02/03/28 17:21
・・・・・・・。
だいぶん他のが入ったあとで申し訳ないのだが、汁さんへ、 >「教義的命題は聖書のみによって根拠づけられなければならない」 >という無根拠の前提を有しておりません。 >これは聖書のどこにも書いていない非聖書的な主張です。 聖書に「付け加えてはならない。引いてもならない」ってのは、そのことを 言ってませんか? >イエズス自身、口頭で教えを伝えたのであって、 >テクストを書いたのではないことをお忘れなく。 では、旧約のカ所を何度も引用してるのはなぜでしょう? >そのような口伝の教えの中で聖書に明示的に記されていないものを >聖伝と呼びます。教父たちはその証人です。 聖書が編纂されたとき、外伝とは下伝と言われて聖書に組み入れられなかった テクストがある事実はどうお考えですか? >多様な解釈を与えることが可能だからです。 それで、キリスト教も数々の宗派があるわけですよ。 >イエズス・キリストはカトリック教会を設立され、(マタイ16章) その生ける教導権に聖霊の導きを約束されました。 ちょっとまってください。聖書のどこを(あなたが示すカ所も含めて)見たら キリストが「カトリック」を起こした記述があるのでしょうか? 唖然と してしまいましたものすごい誇大解釈ですね。 >何が聖書の正典として認められるかを定めたのもカトリック教会です。 それが今日の宗教論争の火種となっていることも事実ですよね。
>>793 何で漏れに言うんだよ(号泣)
誰も愛してくれなくてもイエス様は愛して下さるさ。ウワアアアン
>>795 >オナンさん
>聖書に「付け加えてはならない。引いてもならない」ってのは、そのことを
>言ってませんか?
黙示録22:18−19のことであれば、それは黙示録のテクストについてそれを「改変するな」という意味で言われたことで、
キリスト教がテクストのみに基づく宗教であるということはそこでは言われていません。
> では、旧約のカ所を何度も引用してるのはなぜでしょう?
主が説教において旧約を引用したということは、ユダヤ教やキリスト教がテクストのみに基づく教義体系であるということを何ら含意しません。
> 聖書が編纂されたとき、外伝とは下伝と言われて聖書に組み入れられなかった
テクストがある事実はどうお考えですか?
教導権が聖霊の導きに従って、それらの文書を正典と認めなかったということです。
念のため言っておくと、「「正典に書かれていない教義」であれば何でも「聖伝」」というわけではありません。
使徒達から受け継がれた啓示された真理でなければ聖伝とは言いません。
> それで、キリスト教も数々の宗派があるわけですよ。
勿論私もそのことが良いとは思っていません。
聖書の解釈問題の最終審級は、聖霊による指導を約束されている教会の教導権であり、すべてのキリスト教徒がそれを認めることによってこの混乱状態は終息します。
混乱状態は教導権に対する各個人の不従順の結果にすぎず、キリスト教自体の責任ではありません。
> キリストが「カトリック」を起こした記述があるのでしょうか?
イエズス・キリストが建てた教会をカトリック(普遍の)教会と呼んでいるだけです。
この教会は唯一です。相矛盾する教義を教える二つ以上の教会をイエズスは建てたわけではありませんから。
この教会は聖です。すなわち、それに属する個人個人の知的・道徳的不完全性とはまったく独立に、
信ずべきことと行うべきことに関する教義について間違うことがないよう神の助けを受けています。
そのような不可謬の教導権がなければ、イエズスの教えの正しい伝達や適用は保証されませんから。
>>781 >>782 >>786 >>791 最初は、断ろうと思っていたんです。
そして、自分が知ってる知識全部出して、
キリスト教を批判していたんです。
批判というか、質問をしていたんです。
でも、相手があきらめる様子をおみせにならない
し、親切に質問にも答えてくれるので、
こんな素晴らしい人間の期待を裏切
っては行けないと思いました。
そして、ちょっとだけ行ってみようと思っていきましたが、
行った先である教会ではその人と別の、聖書を教えてる
女の人にまでとても親切にさえ、友達のバングラディッシュ人
とパラオ人しか女の子友達がいない私には、
とても嬉しく思いました。私のことをここまで真剣に思ってくれて
いるんだなあと思いました。まるで私立ちはカップルのようでした。
そして、最初は一回だけと思っていたのですが、相手の
「また来てくれる?」という言葉は、私にとっては、恋人に
またお話しましょうと言われている様だったし、とても
親切だったので、なかなか断れなかった。しかし、3回目を
最後に行くのをやめました。
あと、ついていったのは、「なんでも消極的じゃ駄目だ、 積極的に新しい環境を求めて、自分を変えないと」 とも思いついていきました。 私は、19歳で学生ですが、毎日だらだらと暮らしていて 一生懸命生きていないので、勧誘されたのを きっかけに自分が変われるんじゃないかなとも思いました。 それと、祈りを強制はされていません。 「祈りましょ?」とかわいらしい声で言われ、 「うーん、祈るの嫌だなあ」というと、 「大丈夫、私がやるから、それを見てやって」 といわれました。 その教会は、信者と教える人会わせて9人といっていました。 ビルの一室の教会で小さかったので、私は、行かなく なったことを、悪いことをしたなと思いました。 でもいい経験でした。
>黙示録のテクストについてそれを「改変するな」という >意味で言われたことで、 どこに「黙示録限定」とかいてありますか? >テクストのみに基づく宗教であるということはそこでは言われていません。 だから、それが異端のはじまりなんじゃないですか? >旧約を引用したということは、ユダヤ教やキリスト教が >テクストのみに基づく教義体系であるということを何ら含意しません。 それはそうでしょう。むしろ、イエスは旧態善とした旧約の教えを 反古にする発言を多くしてるからね。ある部分は採用し、別の部分は否定する。 聖書解釈の都合選択はイエスがすでにしていたんだから。 >教導権が聖霊の導きに従って、 >それらの文書を正典と認めなかったということです。 >使徒達から受け継がれた啓示された真理でなければ聖伝とは言いません。 その基準が間違っていなかったという保証はどうやって行われるのですか? 拡大解釈をするなら免罪符も魔女狩りも 間違っていなかったことにはなりませんか? >聖書の解釈問題の最終審級は、聖霊による指導を約束されている教会の >教導権であり、すべてのキリスト教徒がそれを認めることによって >この混乱状態は終息します。 無理です。それならはじめからプロテスタントは発生しなかったでしょう。 >混乱状態は教導権に対する各個人の不従順の結果にすぎず、 >キリスト教自体の責任ではありません。 >イエズス・キリストが建てた教会をカトリック(普遍の)教会と >呼んでいるだけです。 キリストは教会をいつ建てたんですか? 「教会を建てよう」とか言ったカ所はあったと思いますが、建てた話は ありませんよね。 >教導権がなければ、 それはどこから出てきたことばですか?
>オナンさん
>>801 >どこに「黙示録限定」とかいてありますか?
言うまでもないことですが、黙示録記者が「この書」(22:18)と書いたときは、
新約聖書の正典そのものがまだ集められていませんでした。
したがって、「この書」が指すのは黙示録だと解釈するのが普通です。
かりに聖書全体をさす、と解釈するとしても、
(1)テクストの変更を禁じること
と、
(2)教えをテクストのみに基づくものに限定すること
はまったく別の事項ですから、黙示録のこの記述は「聖書のみ」の論拠にはなりません。
「テクストのみによってキリスト教の教義は根拠づけられなければならない」という主張がそもそも非聖書的であることは、新約聖書における口伝の利用例によっても明示されます。
とりあえず次の記事をご参考までに。
ORAL TRADITION IN THE NEW TESTAMENT
David Palm
http://www.ewtn.com/library/ANSWERS/ORALTRAD.HTM SCRIPTURE ALONE
George Sim Johnston
http://www.ewtn.com/library/ANSWERS/SCRIALON.HTM
続きです。
>>801 >だから、それが異端のはじまりなんじゃないですか?
異端は、「あなたたちの言うことを聞く人は私の言うことを聞く人である」(ルカ10:16)として
イエズスが立てられた教会の教導権に従わない人々が作り出す「作り話」です。
「聖書のみ」では解釈の乱立により異端が生じてくるのは既述のごとく当然の理なので、
解釈問題に不可謬的に決着をつけるそうした教導権が必要なのです。
しかし、教導権が存在しても、人の自由意志を奪うことはできません。
ある個人が自由意志にしたがって教導権への不従順を選ぶならば、それはその個人の責任であり、カトリシズムの責任ではない、というのは既述の通りです。
>ある部分は採用し、別の部分は否定する。聖書解釈の都合選択はイエスがすでにしていたんだから。
新法と旧法の関係、およびイエズスが否定した「人間の言い伝え」に関しては
すでにご紹介したカトリック誤謬告発スレッド5で論じておりますのでそちらを参照。
>>803 の続き。
>その基準が間違っていなかったという保証はどうやって行われるのですか?
>拡大解釈をするなら免罪符も魔女狩りも
>間違っていなかったことにはなりませんか?
まず、「免罪符」はミスリーディングな訳です。魔女狩り問題についても誤謬告発スレ5参照。
なお、教会の主張する不可謬性は信仰と道徳に関する教義決定に関するもので、
個人としての教会指導者が知的に完全であるとか道徳的に不賢明なことを一切行わないとかいうことをいささかも含意しません。これも誤謬告発スレ過去ログ参照。
誤謬告発スレの冒頭をお読みいただければわかりますが、
いかなる主張体系も何らかの証明不可能な公理から出発します。
それゆえ、私は私の主張する命題がすべて神学的に論証できる、とはいささかも主張しません。
ただ私は、「カトリシズムは誤謬である」という主張の根拠のなさを指摘するとともに、
カトリシズムが採用する前提のplausibilityを説明することはできます。
どのような前提をあなたが認めあるいは認めないか、したがってどこまで対話・合意が可能か、
という問題はとりあえずこれまで「カッコにいれて」お話ししてきています。
私の説明はそのようなものとしてお読みください。
>>804 続き
正典に関するカトリック教会の判断が正しかったと考えるのはなぜか、
(あるいはより一般的にカトリック教会の教導権の信仰と道徳に関する判断を正しいと思うのはなぜか)
という問いに対しては、
そのような不可謬の教導権がなければ神であるイエズス・キリストの正しい教えの伝達が保証されない以上、
神であるイエズス・キリストはそのような教導権を現に立てられたのであると考えます、と答えます。
なおイエズス自身による教会の設立や教導権に関する説明は誤謬告発スレや
>>180 のCCC888,763周辺を参照してください。聖書的根拠とその説明(マタイ16:18、18:17他)はそちらに出ています。
>無理です。それならはじめからプロテスタントは発生しなかったでしょう。
教導権に従うか従わないかは自由意志で決定できる問題です。
したがって一致は可能です。
そしてこの一致は最終的には「一つの群、一人の牧者」(ヨハネ10:16)が実現するまで、
すなわちキリスト教の各教派のみならずすべての伝統的諸宗教の一致がもたらされるまで、追求されつづけなければなりません。
そしてそれは可能です。
ニコラウス・クザーヌス「信仰の平和」参照。(平凡社「中世思想原典集成」)
カトリック誤謬告発スレッド5を読むのは、ものすごい時間を要すと思われ、 したがって、ここで概略を要約(照れ笑)していただけるとありがたい。 >黙示録記者が「この書」(22:18)と書いたときは、 >新約聖書の正典そのものがまだ集められていませんでした。 なるほど、聖書は人が書いたと認めるんですね。聖霊の働きなしに。 聖霊の働きがあるなら、編纂されることはわかっていたはずですよね。 なにしろ預言者でもあるわけだし。 もっとも、聖書が編纂されるときに、 都合上、削除したり加えたりしたってなら、どうにでもなる話だし。 ちょうど、そぐわないものを下典にしたように。 だからその教導権ってなんですか? 聖書には記述はないようですが、 何の権利なんですか? 伝道するのに聖書以外に縛るものがあるっんですか?
807 :
Asclepius :02/03/29 18:50
To:オナン I don't understand what you're trying to say.
808 :
名無しさん@1周年 :02/03/29 21:17
あげます
809 :
名無しさん@1周年 :02/03/30 01:31
>>807 禿胴。
オナンさんの情熱は認めますが、、、、、、。
769のつかささんのように、私もキリスト教の信者ではないのですが、 キリスト教に興味があります。 聖書を読んでも、たぶんよく分からないと思います。 そんな私が、教会に行ってみても良いのでしょうか? 今まで宗教に入ったこともないので、ちょっと不安なのです。 既出かもしれませんが、ご教授下さい。
>>810 まったく大丈夫です。
カトリック教会なら、しつこい勧誘もなく、教義をネット上で確認することも可能です。(
>>180 参照)
しかも維持費は収入の3%が目安となっていて、高額の金銭を搾り取られるという不安もありません。
>>806 御質問の趣旨がわかりにくいのですが、とりあえず次のことを指摘しておきます。
神感(inspiration)の存在は、書き手の人間を「聖書記者」と呼ぶことをなんら妨げません。
神感については
>>180 のカトリック百科事典参照。
また、聖書の作者である神が正典の編纂を予知していることは、
黙示録22:18の「この書」が、「黙示録のみならず聖書全体を意味する」ということを論理的に帰結しません。
現に黙示録は独立して存在する一つの書物なのですし。
教導権(Magisterium)とは信仰と道徳に関する教義を教える権威のことで、
使徒の後継者である司教団とその頭であるローマ司教すなわち教皇によって行使されます。
詳細は
>>180 にリンクがある第二バチカン公会議「教会憲章」第三章とカトリック百科事典を参照。
聖書の関連箇所もそこで豊富に引用されています。
813 :
名無しさん@1周年 :02/03/30 03:09
私の住んでいる町にも、いろいろなキリスト教の教会があるのが分かりました。 よく考えてみて、一度教会に行ってみたいと思います。 みなさん親切にありがとうございました。
815 :
名無しさん@1周年 :02/03/30 21:41
age
816 :
名無しさん :02/03/31 19:42
カトリックですが 4/1なら嘘付いても罪になりませんか?
817 :
名無しさん@1周年 :02/03/31 19:52
罪です。
>>817 そうですか
なら某板でネタスレ立てるのやめます。
819 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 08:50
「Selim(セリム)」とは、どこかの外国語でソロモン王を表す言葉なのでしょうか?
820 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 10:37
オナンはオナンが属する教会の教義を何時どのように覚えたんだろう? 牧師の「解釈」を聞いて理解したわけではないんだな。
821 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 11:46
>>820 私は、神でもないし、天才的理解力の持ち主でもないのです。
だから、親父の教義が私の知識に全く影響を与えていないとは言いません。
(そうならないよう努力はしていますが)
私のここでの書き込み時にしようする思想は
聖書を幾度も読み、また様々な教会に出向き説教を聞き、個人的に
牧師(神父とは話したことがありません)と話をしたりして、
蓄えたものをできる限り利用しています。
823 :
友人がカトリック :02/04/01 13:18
うちの近所では、毎週日曜、通称「キリストさん」というオバサン達が、 家々を一軒ずつ廻っては、布教活動みたいなことをしています。 代々カトリックの友人が、「そういうのがいるから、 キリスト教が誤解されて困る」と怒ってました。 昨夜、晩御飯食べてると、いきなり父が 「キリストさんのオバサン達は、帽子をかぶって、きちんとした格好を している。信仰深い人は礼儀正しいんだな」と言い出したので、 「でも、あれって、ほんとのキリスト教の人じゃないみたいだよ。」と言うと、 「うそも本当もキリストを信じるならキリスト教だっ! キリストさんたちのキリスト教は、カトリック、プロテスタントなんかの ひとつの流派だ!!」と怒り出しました。 家によく来るキリストさんたちに聞こうと思ったら、 インターホンごしで30分、「ぜひ教会に来てください」の一点張りでした。 家を訪問するキリスト教、あれは金儲け目当ての新興宗教モドキが多いんでしょうか? カトリックの友人は、関係ない家に布教活動なんてやったことないと言ってますが。
824 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 13:25
>>823 う〜〜ん、プロテスタントは布教活動するとこ多いけど
そんな布教の仕方はしない・・・
統一教会は帽子かぶってんの見たことないし、
えほばの証人は帽子かぶらない上に物売って歩くこと多いし。
それだけ聞くと新興宗教っぽいなぁ・・・
まぁ、女性が帽子をかぶること自体は聖書に書いてあるから
それだけだと異端にはならないんでしょうけど。
825 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 13:43
>>824 お返事ありがと!
どの家も「結構です」って断ってますが、毎週キリストさんは現れます。
いっつも制服みたいに同じ格好なんで不気味っす。
昨日もやってきて、「とにかくドアを開けてください!神がお待ちですよ」って
言われました(W。
来週から居留守使うことにします。
826 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 13:46
渋谷にある「東京キリストの教会」とは、ちゃんとしたキリスト教なので しょうか。電車でここの人に声をかけられて、うっかり住所と電話番号を 教えてしまったのですが、大丈夫でしょうか。
827 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 13:53
>>826 電車での勧誘方法は彼らがよくやる手です。
彼らは主にクリスチャンを狙ってきます。
未信者も狙っているのでしょうが。
ちゃんとしたキリスト教ではなかったと思います。
詳しくは‘東京キリストの教会‘スレでどうぞ。
>>825 カトリックの一派から派生した異端??
カトリックの人、誰かいませんか??
>>823 「キリストを信じる」にもいろいろあると思うんだよね。
存在したことをのものは仏教徒でも「信じてる」(っつーか知ってる)わけで。
キリスト教と呼べるかどうか、って要は、「イエスが神の子であり神と同等でありキリスト
であると信じるかどうか」だと思うんだけど、どなたかの解説求む。
829 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 14:10
カトリックで訪問布教活動する人はいないですね。
たぶん
>>823 のは「エホバの証人」では?
830 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 14:13
>>822 >聖書を幾度も読み、また様々な教会に出向き説教を聞き、個人的に
>牧師(神父とは話したことがありません)と話をしたりして、
>蓄えたものをできる限り利用しています。
「聖書のみ」ではないではないか。
831 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 14:13
>>828 でも、最近はもっと明確にしないと
ウイルスの定義みたいに異端が抜け道を見つけて
出現するんだよね。
832 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 14:17
>>830 いいじゃん、プロはもともと聖書中心主義が原点だからね。
833 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 14:18
>>829 おかしな布教活動をするグループがエホ証や統一のような有名どころだけと
思うのは危険だよ。小さいところほど人集めに必死になったりする。
その小さいところを見落とすと、気が付いたら手がつけられないほど巨大に
なっていたりする。オウムとかね。
カトリックでは確かにこういう事はしないだろうけど、カトリックから派生した
カルトなんかも存在するので(ミミ萩原とか)、注意が必要。
834 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 14:19
>>830 説教や牧師の話。は「教導職による解釈」だと思うんだが、
オナンはそれを否定してる。
>>831 定義ファイルの更新ですか・・・。
イエス様の目にはどう映っているんだろうね。
836 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 14:20
>>833 うん、多分カトリックから派生した異端だと思う。
エホバの証人は帽子なんかかぶんないし、
物を売って(ちゃりてぃーなので買ってくださいとか)
歩くこと多いし、
制服みたいなのもない。
837 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 14:24
>>835 さぁ。マイクロソフト(OR,あっぷる)
がウイルスをみるような見方じゃないの??
838 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 14:28
>>833 モノによるね。
変なメダイ売ってたら、カトリックから派生した異端集団
リトルペブルだね。
ペブルは変な帽子かぶって布教するということがあるのかな?
それ以外だと、統一教会も物売るらしいが。
839 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 14:32
>>838 統一が物を売るのは有名だね。壺とか珍味とか。
信者がこき使われているらしい。
840 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 14:34
841 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 14:36
神様のためならうそついてもいいらしい。 でも、神様はお金をくれることよりも 信者がうそつかないほうがうれしいと思うんだけど。 神様ってそんなに貧乏??
842 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 14:38
>>840 プロは帽子なんかかぶんないし、
制服みたいな格好もしないもん。
843 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 14:44
>>842 そうか?
救世軍は?
Moccは世間知らず。
844 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 14:44
Moccを苛める奴は逝っちゃっていいもん。 今から食事してくるもん。
845 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 14:46
846 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 14:48
救世軍はプロテスタント。 救世軍は帽子も制服も着る。 うそつきはMoccってことで、終了。
847 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 14:51
一般的に、信者獲得の強引さは 福音派>>>>>>>日本キリスト教団≒ルーテル派>カトリック>オーソドックス (左に行くほど強引かつ簡単に信者にしようとする) なので、福音派か、それから派生したカルトである可能性もある。 もっとも、福音派も、元をたどればカトリックから派生したことになるのだが(w
848 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 14:53
うそなんかついてないもん。 知ってる限りで答えただけだもん。 もういいもん、ふん。
849 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 14:56
>>845 まぁ、まぁ、すねないで。
>>823 の詳しい説明がほしいね。
カトでも信徒は変な帽子も制服も着ないから。
修道会は制服あるけど、訪問布教活動はしない。
ペブルはどうか知らないけど、
帽子を被ってる話も修道服があるってのも聞いた事ないし。
デムパな信徒でそういう事するのはいるかもしれないけど、
教会として認めないでしょうね。
そういえばペブルに協力して、活動停止食らった人達が居る。
850 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 14:56
>もっく まあまあ、そんなにおこんなや(´Д`)
851 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 15:00
Mocc、かわいい奴。
852 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 15:17
Mocc はカトリックに改宗するように命ずる。
853 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 15:37
カトリックにはなんないもん。 ところで、今日はエイプリルフール。 みんなもううそついた??
就寝時間とかある?
855 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 15:50
>>853 今日は誰とも会っていません。だから、嘘付く相手もいません。
856 :
Mocc ◆NvOWunKc :02/04/01 16:03
いや、2ちゃんでうそつくとか・・・
857 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 16:32
>>830 「聖書のみ」ではないではないか。
もしかしたら、勘違いしてますよね。私、家はクリでも、私個人はクリでは
ありません。むしろ批判する側です。よろしく。
>>857 は私の書き込みでするHN入れそこねちゃん。
859 :
名無しさん@1周年 :02/04/01 20:14
>>857 オナン
クリであろうがなかろうが、「牧師の説教」を思考に採り入れている時点で
「聖書のみ」という態度は成立し得ない。
う〜んんん・・・。 私は聖書のみを標榜するつもりはぜんぜんないんですよ。はじめから。 聖書のみを言っているのは聖書自身であって、さらにそれを 信仰の拠り所ないしきっかけにしているクリの方々は変なんじゃないの と言い続けてるんです。さらには、その拠り所のはずの聖書の矛盾を 指摘すると、そりゃ人の書いたもんだ矛盾があって当然とする その曖昧な態度にどうなの?とsてるわけです。 で、だから神なんていないのよと言いたいわけです。
861 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 11:52
>>860 オナン
つまるとこ君が言いたいのは
「聖書を絶対視するのはおかしい」…ファンダメンタルな態度は×
「教導職を絶対視するのはおかしい」…権威への盲従的態度は×
と。いうことか?
賛成だな。
ただし「神はいる」の立場でだが。
>オナンさん >聖書のみを言っているのは聖書自身 具体的な章と節は? すくなくともカトリックはプロテスタント的な「聖書のみ」の教義とは無縁です。 既述の通り。
863 :
知ってるつもり :02/04/02 12:43
迷える子羊って言い回しは、いつの時代から使われるようになったんですか? 教えてプリーズ
864 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 12:51
聖書のみを言っているのは聖書自身 ↑嘘つくなよ ワラ
865 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 12:55
>>863 イエス自身が言った言葉。
マタイ 18:10〜
カトだプロだと言うとき。 都合次第で別ものとか、同一のとか言い出すんですね。クリさんは。 事実二つの宗派がある以上、どちらかが間違いでどちらかが正しいと 言うのでなければ、神の教えは、矛盾だらけになりませんか? 聖書のカ所は、すんません今読み返してます。 概略だけが記憶に残ってるんで、詳細にどこの何章何節かまでは 覚えてないんすよ。
867 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 13:15
オナンさん。 別にいいですよ。事実プロは聖書が絶対で真理を聖書から見出して いるのですから。(カトは別として) 聖書は単なる書物ですよ。誰かが勝手に書いた書物。 これを絶対とする原理主義的な読み方は間違ってますね。 かといって、カトリックの「聖霊」の天使なども信じがたい。 キリスト教は矛盾だらけなんです。
別すれからのコピペ。 82 名前: :02/04/02 12:53 うちは祖父母がカトリックで母と私がプロテスタント。 どっちが正しいのかなんて、天国いくまで分かんない。 という結論で、特に論争しないです。 あなたが神を選ぶのではなく、神があなたを選ぶのです。 なんつって。いや、まじで。
869 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 13:21
>キリスト教は矛盾だらけなんです。 禿同。もともと、人間自身が矛盾だらけで、神をその矛盾だらけの解釈に はめ込もうとするから、聖書が矛盾だらけになるのは当然でしょう。聖書 の矛盾は、人間の抱える矛盾が鏡に映っているだけ。 しかし、キリスト教の最大の矛盾は、矛盾があるものを矛盾などないと言い 張る態度ですね。
870 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 13:22
>868 神があなたを選ぶのです。 そんなことをよくいえますね。神がいるかどうかもわからないくせに。 82は一種の「賭け」をしているんです。 天国行くまでわからないとした方がしっくりきますね。 その天国があるかどうかもわからないのに。
871 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 13:26
>869 私も同感デス キリスト教信者は自分の考えや聖書を絶対として矛盾などない これが答えだ、という傲慢な態度がむかつきます。
872 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 13:27
>>866 あほですか?
最初から、「名無しさん@1周年」を、自分の理想のクリスチャンに自動設定してるほうがおかしい。
>>872 アホですか(イシュガエシ(漢字忘れた(笑)))
理想のクリスチャンナンテ設定はありません。
そんあものはあり得ないといってるんです。
私の気持ちくんでください。
>>870 いいこと言った。信仰は「賭け」だよ。
人生の中で何かには「賭け」たいと思うんじゃないか。誰でも。
875 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 13:57
そうです。信仰は賭けですね。誰かさんがいう「変身」とか。 心中はいろいろ「変化」するようですよ。
876 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 13:58
「変身」願望も人間にはありますね。
877 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 17:10
>>867 >カトリックの「聖霊」の天使なども信じがたい。
無知発見。なんだそりゃ?
カトにもそんな教義はないぞ?
『「聖霊」の天使』ってなんだ?
878 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 17:13
矛盾があっていいじゃないか。というクリだって居るわけだ。 オナンは、クリスチャン像を画一的に見すぎているようだ。
879 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 17:16
オナンは「ありえない」像をクリスチャンに押し付けようとしている。
880 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 17:16
1を見て10を測るのは愚かなり。
>>878 いますね。そんなクリでもそれが聖書に乗っ取ってないと思うんですよ。
>>879 ちょっと違います。ありえないんだと言ってるんです。
>>880 そのとおりです。しかし、クリは神の霊感によってそれができるそうです。
よく、聖書の矛盾を指摘すると、クリはそれは人が書いた物だから、
当たり前ですといいます。それは私も同意。
しかし、それでも聖書は神の霊感による記述であり
真実だとクリは主張します。
または、信仰は聖書によらないともいいます。
では信仰はどこから始まるのでしょうか。
たしかに聖書ができる以前は、口伝によったのだから聖書という本は信仰の
対象ではないでしょうと判断します。あたりまえです。
しかし、その記述内容はどうでしょうか?
どこが矛盾でどこが矛盾じゃないかどうやって判断するのか?
指摘された矛盾のみ矛盾で見つかってない矛盾は矛盾ではないのでしょうか?
882 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 17:46
>よく、聖書の矛盾を指摘すると、クリはそれは人が書いた物だから、
>当たり前ですといいます。それは私も同意。
>しかし、それでも聖書は神の霊感による記述であり
>真実だとクリは主張します。
その場面場面、個々の現象によってそれは変化する。
オナンは「信仰」という精神の営みを知らないから
そういう思考になるんだろうな。
「信仰」はロジックのない世界だからな。説明出来ないんだがね。
「どこから始まる」とか「どこが矛盾」とかそういう次元とは別な世界なんだよね。
>>880 はオナン向けた言葉だよ。
オナンの描くクリスチャン像はオナンが見たいと思うクリスチャン像が
あるようだ。オナンは論理的「矛盾」や「説明が出来ないもの」が嫌いなの?
1+1=4であると神がいったらそれも信じますか? 実はクリは信じます。 で、信じないものが、いや答えは2だというと、それは神を知らないからだ、 信仰の精神の営みが違うからだというわけです。 世の矛盾や悪をただそうとしながら自分たちの矛盾は「然り」では、 王様は何でもして良くて国民はだめよというのに等しくありませんか? だから、土の子はいないヒバゴンはいないのレベルで、いないと いってるんです。見たいわけじゃない。勘違いしないでね。 と、矛盾を認めてなお矛盾を正当かする諸行が気に入らない事は確かです。 説明できないことを「分かる」「分かった」と言ってるのも気に入りません。
884 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 19:35
皆さん、聖書の中に出てくる人で好きな人は誰ですか? 私は聖書をこれから勉強するのですが、 人物事典を読みました。色々な人たちがいて 面白いですね。私は、ヨナが面白いと思います。
886 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 19:42
>>883 オナン
>1+1=4であると神がいったらそれも信じますか
「信じる」っつうか「それが何を意味しているのか?」と、考えるだろうよ。
そういうのが「神について考える」ことだ。
「そんなわけねえだろ。」と、当然信者だって考えるよ。
しかしそのそんなわけない事を何故神は敢えて言ったのか?
を思考するのが面白いんじゃないか。
オナンは哲学板でも揉まれるか、禅寺で揉まれるかした方がいいね。
キリスト教だと東方の神秘神学をやるのもいいけど、予めフィルターが
かかってるから、やめといたほうがいい。
>>883 >1+1=4であると神がいったらそれも信じますか?
>実はクリは信じます。
すげえ人を小バカにした言い方な。何こいつ。クリスチャンは怒んないの?
888 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 20:03
オナンは形而上のことが理解出来ないから、イライラしてるんだよ。
赦してやれ
>>887 : :
オナンは逆説的クリスチャンだしな。をれたちと同類よ。
889 :
名無しさん@1周年 :02/04/02 20:09
>>883 オナンさん。
あなたは、そう言う風に「言い切ることができる」ほどに、
キリスト教を理解し、クリスチャンを理解しているのかい?
牧師館育ちは、キリスト教に対して、どうしても視野が狭くなるものだけど、
あなたはそのことに気がついているかい?
>オナンさん
> よく、聖書の矛盾を指摘すると、クリはそれは人が書いた物だから、
当たり前ですといいます。
少なくとも正統カトリックはこういうことはいいません。
>>180 のPetersNetにあるFree From All Errorをお読みになればお分かりの通り、
カトリックの正統教義は聖書の中にいかなる誤謬の存在も認めません。
矛盾・誤謬に見えるものにはしかるべき説明があると考えます。
(ただし、聖書の無謬性の教義の意味は正確に理解する必要があります。ヴァチカンのサイトでProvidentissimus Deus,Spiritus Paraclitus,Divino afflante Spirituを読んでいただければOK。
日本語で読みたいならば図書館でデンツィンガー教会文書資料集をどうぞ。)
891 :
dendo. :02/04/02 21:53
>>886 If there is a system in which the definition of 4 is 1+1,
your statement is true. QED.
……で何か問題ある? 神様におうかがいたてるほどのことでもないと思うよん。
892 :
名無しさん@1周年 :02/04/03 10:22
>>886 >「そんなわけねえだろ。」と、当然信者だって考えるよ。
それはあなたがまだ完全なのめり込み状態にないから言えることです。
神の命令なら飛行機に乗ってビルにつっこめるほどの信仰者について
言っているのです。
そしてそれが、真に信じている言える行為です。
上っ面で、そうかもね?どうかな?
と言ってる内は信じているとは言いません。
>>887 小馬鹿にしています。クリを怒らせるためです。
もっとも、クリは教義上、バカにされたからと言って怒っては
いけないんですけどね。
>>888 残念ながら逆説的でもクリではありません。コンプレックスは
持っていないからです。全ての宗教に付いて疑問を持っています。
ただ、私の家がクリなのでそっちの知識の方が多いというだけです。
>>889 どんな、文献、事象でもそれを見て100%理解できるなんて事は
不可能です。自分のこれまでの環境や思想がフィルターになって、
全ての人が違う答えを導き出すでしょう。
キリスト教の分裂はまさにそれです。
そして、どれもが自分が真実だと主張します。
>>890 の汁さんがそのいい例でしょう。
真実は人間の数だけあることを認めません。
そんな旧態な思考は是正されてしかるべきです。
オナンへりくつばっかりでつまらんよ。実際。 おとーさんとおかーさん大変だね。
>>893 どの辺がどんな風に屁理屈なのか示してくれると、後学になるんですが。
895 :
名無しさん@1周年 :02/04/03 11:04
>>892 オナン?
>上っ面で、そうかもね?どうかな?
>と言ってる内は信じているとは言いません。
そうかね?
キリスト教神学を構築して来たもの達はすべてその思考で動いているぞ。
自己の信仰を客観視することも要求されるが?
君の考える「信じる」という行為は狭量だな。
信じる方法にも色々あるぞ。
>>892 がオナンだとすると、やっぱりこの人は視野が狭い。
誰でも視野は狭いものだけど、この人の場合、ぬきんでて狭い。
しかも、そのことに気がついていない。
例えば、その程度のことでは怒らないクリスチャンも、大勢いるよ。
あなたの周囲にいるクリスチャンを見て、それを普遍化するのは良くないね。
それから、1+1=4 神は、そう言うことは言わない。なぜだか分かりますか?
例のあげ方がまずいよ。
>>896 >しかも、そのことに気がついていない。
オナンの武器は「私は知ってる、私は聖書を読んでいる」。
『人がもし何かを知っていると思うなら、その人はまだ知らなければならない
ほどのことも知ってはいないのです』
という聖書の言葉を、
オナンは「ふん」といって飛ばし読みするんだろうか。
そうしながらも、「私は聖書を読んでいる、知っている」と言う。
898 :
名無しさん@1周年 :02/04/03 11:41
>>897 >それから、1+1=4 神は、そう言うことは言わない。なぜだか分かりますか?
>例のあげ方がまずいよ。
オナンはたぶん敢えて言ってるんだと思うよ。
信仰者でないものにとっては、そう映る事柄もあるだろう。
>>892 は私です。HNを入れ忘れてますね。
かなり興奮していると見た・・・って自分か!(藁
>キリスト教神学を構築して来たもの達はすべてその思考で動いているぞ。
だからね、それが宗派分裂をまねいたんでしょっていってるわけですYO。
>君の考える「信じる」という行為は狭量だな。
>信じる方法にも色々あるぞ。
それをイスラム教の人に言うと笑われそうですね。笑わないか?
信じる方法は色々あります。信じる対象も色々あります。当然です。
それを狭義にしているのはキリスト教なんだといってるんです。
そうしないと成り立たないんです。本来の教えは。
それが色々になったやったのは、自分勝手な解釈をしちゃったからです。
その自分勝手な解釈でできあがった宗教を信じれることに疑問があるのです。
またまたどこかに書きましたが、
間違った地図では正しい目的地にはたどり着けないんです。
900 :
名無しさん@1周年 :02/04/03 14:28
オナンはイスラム史を知らないようだ。
901 :
名無しさん@1周年 :02/04/03 14:34
>>900 というか、オナンは以外と何も知らないよ。
知っているようでいて、実は知らない。
客観的な学問として学んだことがないからだろうと思う。
オナンが言っていることは、ほとんど全て、自分の体験から得た知識のようだ。
しかし、そう言う知識は、得てして間違っていることが多い。
つまり、主観に頼っているのだ。
もちろん、物事を判断する上で、主観を排除してしまうことはできないけれども、
それをあたかも、客観的な事実のように語ってしまうところに、問題が生じる。
要するに、客観的な事実を記述するよりも前に、
そのことに対する評価を記述してしまうような間違いを犯す。
反省
神が最初に人間を創ったのは、 一人ではないですよね。 アダムというのは、人々のことであり、 2人以上いたのですか? そして、アダムのあばら骨から、女が誕生しましたが、 女は何人誕生しましたか?
904 :
名無しさん@1周年 :02/04/03 16:41
というか、オナンは宗教を信じてる人を馬鹿にするようだが、そうだとすれば日本人以外のほとんどが宗教に何らかの形でかかわってるのところ、その人たち全員(数十億人)を馬鹿にするのだろうか? オナンは、クリスチャンは人に馬鹿にされたから怒ってはならないと言うが、クリスチャンでないオナンは、人を馬鹿にしてはいけないという倫理規範はないのか? どこかずれている。
>>904 カール・セーガンの書いた小説「コンタクト」(映画化されてる)の
主人公になった気分ですね。
宗教を信じる人々の行動をその原理から照らしてみて、
私の知る限りに置いて批判することが「馬鹿」にしていることに
なるんですかね?
>>892 で小馬鹿にしているとは書きましたが、
文字通りの受け取ったわけですね。
>>904 俺が答えるのもなんですが・・・。
アダムが複数だという話は初めて聞きました。
たぶんどっかのカルトが誤謬をごまかすために考え出したんでしょう。
もっとも、聖書にも複数じゃないとは書いてませんから、どうなんでしょう。
でも、みんなで善悪を知る木の実を食べたってのも変な話だから、
それもまた別な解釈がはいりこむんでしょうか?
ここから下に書いた者は、呪われる。
>>906 「早わかり聖書 生田哲[著]」にも、「キリスト教 ハンドブック 遠藤周作[編]」
にも、一人ではないと書いてあります。
「キリスト教 ハンドブック」には、
「すべての人々が、神によって創造されたアダムである。」
と書いてあります。
私が持ってる共同訳の聖書の人間が生まれるところには、
人数は書いてありませんでした。
男の手伝いをさせるために、女を作ったのは、
手伝ってくれる男がいなかったのか、
男は一人しかいなかったのかどちらなのでしょうね。
あと、皆さん、三浦綾子の「塩狩峠」お読みになったことありますか? 私は、キリスト教の信者の人の紹介で読みましたが、結構面白かった です。
やはり家康は偉かった。
偉かったよ家康は300年も泰平の世にしたんだから。 国同士の戦争がなかったという意味においてのみ。
912 :
名無しさん@1周年 :02/04/03 18:39
踏絵という素晴らしい制度を作り出したことも(大意
アダムとイブは、エデンの園の善悪の知識の木の果実を食べましたが、 善悪の知識の果実は、リンゴですか? 「3日でわかる宗教 山折哲雄[著]」には、 「彼らは、神の言いつけに背いて禁断の実(リンゴ)をこっそり食べてしまいます。」 とあります。 善悪の知識の木の実は、リンゴですか? 新共同訳の聖書には、リンゴとは書いてありませんでした。
戦争が止まない理由がよく分かるよ。 ここ見てると。
>>913 善悪を知る木の実がリンゴであるなんて記述は聖書にはないとおもわらます。
それに、その木はエデンの園にしかないわけで、そこは永遠に封鎖されている
ことになっているので、どんな実かをしるすべはありません。
クリさんは聖霊で知ることができるとかいうかもしれませんが。
たぶん、カト関係者がリンゴをはじめて見たときめちゃくちゃ美味そうに
見えたので、これだー!! と思ったのがはじまりかもしれません。
キリ教ってそんなの多いです。特にカトでは。
916 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 10:42
アダムとイブの絵を描くときとかビジュアル的に書きやすいから リンゴを使ってそれが定着しちゃったつうのはあるかもね。 サンタの赤い服みたいにさ。
>>917 なるほど、サンタが黒装束だったら、夜中に寝静まった家に煙突から入る姿は、
ヤバすぎる。
アダムとイブの善悪を知る木の実がなんでもいいじゃないですか。
リンゴだったんですよ、そういうことにしましょう。
まあ、まあ、いいじゃないですか。
リンゴだったんですよ、きっと。
それも富士リンゴだったんです。
>>916 >>917 でもでもサンタの赤い服ってコカコーラの策略だって噂がありまっせ。
それ以前のサンタは赤服ではなかったとか・・・。
919 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 11:31
だからさ、 コカコーラかなんか忘れたけどクリスマスの広告ポスター作った奴が 赤い服でサンタ書いたんじゃなかったっけ。それで流行りだした。 リンゴの場合は時代がもっとさかのぼるだろうから広告なんてなかったろう。 まあ宗教画を宗教の広告(藁)とするとだな、リンゴで描いてみた奴がいたと思われ。 で、ビジュアル的にはまるから流行ったと。 漏れの推測だからな。
やはりリンゴではなかったのですね。 ヨハネのはは、エリザベツは、天使によって身ごもりましたけど、 これは、イエスと同じですか? ヨハネはイエスと同じ神様の子 ですか?
922 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 11:50
いや、ヨハネはセクースで産まれたと思われ。
エリザベツがマリアと同じご懐妊なのかどうかは疑問。 それと思わせる記述はないと思われ。 不妊女性が神の恵みで子をなす話は、旧約でもいくつかあるし。
924 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 11:57
925 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 12:06
>>917 サンタの赤い服はコカコーラの宣伝キャラクターになってから。
コカコーラのイメージカラーが赤だったから、赤い服を着せたのが、一般に定着した。
本来のサンタはグリーンの服。
知恵の木の実はそのまま「知恵の木の実」という実。
林檎ではない。
「知恵の木の実って林檎?」というのは、
「葡萄って林檎?」と言ってるようなもの。
葡萄は葡萄だし、林檎は林檎、知恵の木の実は知恵の木の実だ。
それ以外の何物でもない。
青眼、T氏の落書き、山本誠一、汁etc......... どうしてクリスチャンには、 周りの空気を読めずに一方的に自分勝手に振舞う ウザイ人たちが多いのですか?
927 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 12:55
「クィ エクス パトレ フィリオクェ プロセディット」ってどういう意味ですか? 映画のセリフで出てきたんですけど、その部分だけ字幕が入ってなくて、意味がわかりませんでした。
928 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 13:01
>>926 それはクリスチャンだからではなく、
人間的に欠陥のある連中がたまたまクリスチャンになっただけです。
誤解のないようにお願いします。
父母を離れてというのは、男かもしれない女かもしれない神のもとを 離れて、アダムとイブは性的に交わって協力し合う心を身につけた。 ということですか? そして、最初に生まれたのが、男でも女でも 良かったですか?
931 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 15:05
>>927 さくっと重大なこと書くね(^^;
聖霊は父と子より出で、って使徒信条の中の文句。
ここでフィリオクェ論争になりませんように(藁
>>931 すみません、まったく他意はありませんでした。(汗)
カトリックスレで教えていただいて、初めて論争の事を知って、ビックリしています。
ご親切に、ありがとうございました。
933 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 15:26
>>933 クリストファー・ウォーケン主演の『God's Army』という映画です。
>>929 >>930 アダムとイブはそれ以降の人々とは一線を期す状況で生まれているので、
普通に親とか子供の概念は当てはまらないと思われます。
聖書にはそんな記述ないけど。
だから、親の初めはアダムとイブでよくて、その二人には親の存在は
ないわけです。創造者である神がいるだけ。
ですよねクリさん。
936 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:07
>>935 ヤーウェは実は厳密には唯一神じゃない。
多くの者の集合体なんだよ。
群体とでも言おうか。
キリスト教では「父」と「子」と「聖霊」で三位一体などと言ってるが、間違い。
三位一体どころか、万位一体とでも言った方がいい。
多くの天使の群れ、その群れ全体がヤーウェ、イスラエルの神なんだ。
旧約聖書を見ればそれは歴然としている。
創世記で、アダムを作る時に、神は「誰に似せて人間を作る」と言ってる?
そして、誰に向かって「作ろう」と呼びかけてる?
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」
アダムとエヴァを楽園から追放する時、神は自身の事を何と言っている?
「見よ 人はわれわれの ひとりのようになり 善悪を知るものとなった」
「彼は手を伸べ 生命の木からも取って食べ 永久に生きるかも知れない」
誰に「見よ」と言ってる?
何のグループの中の「ひとり」のようになると怖れてる?
誰に向かって「追い払おう」と提案してる?
【われわれ】と言ってるんだよ。
神は、何かを決める時は必ず仲間に提案し、「〜しよう」と仲間の意思の確認を取っている。
バベルの塔を打ち崩す時も、そうだ。
「さあ われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」
937 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:15
>>936 一体、「われわれ」ってどこに書いてある?新共同訳見ているが、そんな記述
ないぞ。
938 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:20
>>936 旧約聖書のその箇所はもともとユダヤ教&キリスト教の為に書かれた文章では
ないんだよ。古い宗教の文書をユダヤ教用に書き換えたもの。ノアの箱船も
類似の文書が発掘されていたりする。
聖書の文章を単純にとらえてはいけないよ。例えばモルモン教は
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」という箇所を引用して
「神は完全な肉体を持っている」という結論を導いている。
文章を単純にとらえてしまうと、こんなおかしな解釈が生まれてしまうんだ。
940 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:24
>>936 それじゃ神道と一緒じゃん。
さてはあんた、元カトリックの巫女のマリアか?
スマソ。確かにそうなってるね。 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。...」(創世記1:26) (主は言われた)「...我々は降っていって、直ちに彼らの言葉を混乱させ、 互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」(創世記11:7) 言われて初めて気付いたよ。
942 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:28
943 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:31
>>938 他にも神が群体である証明は多くある。
たとえば、通常「アドナイ」と読まれる、
神聖四文字(テトラグラマトン)と称される「YHWH(ヨッド・ヘー・ヴァヴ・ヘー)」以外に、
神を指す呼称に「エロヒーム」がある。
この「エロヒーム」は、聖書では「神」と翻訳されている事が多いが、
実際には「神」は「エル」であり、「エロヒーム」はその複数形だ。
つまり「神々」。
944 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:32
>>943 これは、他の神々より高いと言う意味があるんだよ。
ユダヤ人は他の神より自分たちの神が高いと言うことを
言いたかったらしい。
945 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:37
>>944 それは後世のキリスト教神学者の後付けの屁理屈だ。
それでは神々が自身を指して「われわれ」と言っている事実と食い違う。
神学者は、単数形では畏れ多いゆえ、畏敬の念を込めて、複数形で表現するのだという。
しかし、複数形にすれば畏敬の念を込めたことになるという根拠は、一体どこから来たのだ?
何の根拠も無い。
人が神を指して「エロヒーム(神々)」と呼び、
神は自分達を「われわれ」と呼ぶ。
神々は複数、群体であるとするのが、最も自然で無理のない理解であるはずだ。
なぜ根拠もない屁理屈をごねてまで、唯一神論にこだわるのか。
946 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:39
>>945 あのう・・・、ユダヤ人の理論なんですけど・・・。
947 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:40
>>945 キリスト教では、神と天使を指していると考えます。
948 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:41
やっぱり・・・マリアさんですか?
949 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:42
>>946 だから根拠を示しなさい。
そもそも、畏敬の念を示すために複数形で呼ぶというのなら、
神自身がなぜ自分を指して「畏敬の念を込めて」複数形で呼ぶのか?
という矛盾が生じる。
どう考えても無理がある。
950 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:45
>>947 神々は対等な立場として仲間に提案したり語りかけたりている。
神が、下位の天使に命令しているような口調ではない。
951 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:49
>>947 さらに言うなら、「おまえ達に似せて」でも、「私に似せて」でもなく、
「われわれに似せて」とある以上、
呼びかけている対象は自身と同等の者、という事になる。
また、「人はわれわれの ひとりのようになり」という所からも、
呼びかけた側も、呼びかけられた側も、同等の存在である事を示唆している。
>>949 まあ、そういいなさんな。
俺も、聖書の記述をキリ教のいう唯一神を前提に、アダムとイブの
話を書いたけど、俺自身はこれっぽっちも信じちゃいないし、
進化論支持者だし。
結局、自分たちを特別な存在にしたかった人達の、
涙ぐましい努力が、今に至ってるわけで・・・、
953 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:56
>>949 何を怒ってるの?ユダヤ人の理論を紹介しただけなのに。
キリスト教の創作ということについては訂正すべきです。
>>950-951 天使は神にとっては命令する対象ではありませんが・・・。
天使は神の使いですから。
954 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:58
>>953 だから、天使の集まり、群体の総称がヤーウェなのだ。
単独の唯一神が存在するわけではない。
955 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 17:58
天使は神の意思を伝えます。神の代理なのです。 神の命令系統として現れる存在なのです。
956 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:00
>>955 「代理」ではない。
天使こそ神々自身なのだ。
天使一人一人が神々自身を構成するユニットであり端末。
膨大な数の天使群の総称が、「ヤーウェ」なのだ。
957 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:01
958 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:02
959 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:02
>>954-955 社長と秘書のようなもの、( 協力して仕事をしているには違いないが )あく
までも別人。ってこと
960 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:03
>>959 違う。社長と秘書なら、「同じ」ではない。
矛盾が生じる。
961 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:04
>>956 それでは神道の神についてもお調べください。
大神と眷族神がおります。眷属は大神の代理として現れます。
それと同じようにお考え下さい。
962 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:05
963 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:08
その大神にも天之御中主大神という神がおります。 この神はビックバーンの神とも言われておりまして、 この神からこの世は始まっております。 これがヤハウェに相当する神の力を指します。 アドナイには天照大神がこれに相当します。 エロヒムはそこに連なる眷属やなどを指します。 よってヤハウェは一人しかおりません。
964 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:09
>>962 大神と眷属も対等ですよ。
眷属は大神と合一したものですからね。
965 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:09
>>963 何が「よって」だ。
勝手に関係ない宗教を融合させるな。
何の論理性も無い事をもっともらしく言うんじゃない。
966 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:10
967 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:12
神と天使は一つの心を持っているとある口述伝承は語ります。 大神と眷属も合一しているので一つの心を持っています。 また、大神同士も一つの心を共有しています。
968 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:13
>>967 似ているものは何でもかんでもいっしょくたにするな。
969 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:15
>>965 何を言ってますか?
ユダヤ系一神教の母胎はウルに在った多神教が母胎です。
関係がないといっている時点で意味不明なことを言っているんですよ。
その多神教の概念を単純化したのが一神教なのです。
バラモン教>ヒンズー教はその流れのものです。
970 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:17
>>968 似ていて当然なのですよ。
似ていないほうがおかしいのです。同じ所から出ているのですから。
971 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:19
>>969 ウルにあった多神教と、日本の神道が何の関係がある。
おまえはただ単に多神教だから同じだと無理やり融合させているだけだろう。
イスラエルの神「ヤーウェ」が複数の同じ存在で構成された群体であるというのは、
聖書を矛盾なく論理的に理解するための解釈を模索した結果出た必然的帰結だ。
お前のようなスチャラカごった煮トンデモ説と、
私の聖書解釈の論理的帰結を、同次元で語るな馬鹿者。
まったく失敬な!
972 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:20
973 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:24
>>971 神道の伝承には数々のものがありますが、
それは色んな氏族からの組み合わせです。
その氏族の伝承を調べていけば、天之御中主大神というものが
どこから来ているのかは分かるものです。
あなたは自分で考えたものしか信用してませんが、
これは私が自分の足で調べた結果ですよ。
トンデモはあなたですよ。
974 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:25
>>973 それではあなたは、この宇宙の成り立ちが
ビッグバーンではなく色んな要素から成り立ったという
仮説を打ち出しているのですか?
975 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:26
>>973 私の説は聖書を根拠とする論理的帰結であり、
お前のスチャラカごった煮トンデモ説は、「妄想」というんだ。
違うというのなら、神道と中東の古代多神教のルーツが同じである根拠を示してみろ。
976 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:26
訂正。972へのレスです。
977 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:30
>>975 天之御中主大神と言う概念は中国系の氏族からきています。
この氏族のルーツはシルクロードからやってきた民です。
公には公表しないという条件ですからその氏族の名は控えますが、
アブラハムがいたと推定される年代には、
その地方にいた民族の末裔です。
どうぞ、ご自分でもお調べになって下さい。
978 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:30
>>974 何が「ビッグバーン」だ馬鹿者。
宗教と科学まで勝手にごちゃ混ぜにしおって。
そもそも「ビッグバーン」などという言葉はないわ!
バーンとはなんだバーンとは!
それでは「でかい・燃える」ではないか!
「ビッグバン(巨大な爆発)」だ馬鹿者!
それだけでもお前の無知蒙昧さがよくわかるわ。
979 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:31
>>977 だから根拠を示せと言っている!
なにが「公にしないという約束」だ。
お前の脳内妄想の約束など知るか!
消えろ!
バンとバーンでは大違いだね(w
981 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:33
>>977 公には公表しないという条件って、あなたはそれがなんなのか知ってるの?
982 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:34
983 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:34
>>975 悪いけど、それは仮説の域しか出ていませんよ。
984 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:35
より有力な仮説を求めてるだけでしょ。
985 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:36
>>983 お前の脳内妄想より100000倍マシだ。
986 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:38
ところで、アブラハムの伝承体系は、 氏族神信仰の発展系でもあります。 いつしか時代の流れでイスラエル民族を一つにまとめる手段として 12支族の神を一本化したものでもあります。 歴史を冷静に紐解けば真実は見えてくるものですよ。
987 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:39
>>985 あなたの仮説も私の仮説とそんなに変わらないレベルですよ。
ユダヤ人の中では、我々=他の神より高いと考えてますからね。
988 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:40
>>986 >歴史を冷静に紐解けば真実は見えてくるものですよ。
これは当たり前。
989 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:41
>>982 彼らの宗教的な考え方のようです。
私には理解出来ませんが尊重せねばなりません。
990 :
◆990getiQ :02/04/04 18:41
990get
「復活」とは具体的にどういうことですか?
992 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:43
>>989 あなたは知ってるの? 知ってても教えてはいけないの?
993 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:44
>>988 聖書を見てそう思うだけでは単に仮説の域しか出ません。
私もその疑問から様々な視点から実証してみようと思い、
色んな場所へ足を運んだわけですから。
994 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:44
そろそろ閉鎖・・・
995 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:44
誰が神スレ いや新スレ立てるのか・・・
997 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:46
.....
998 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:46
>>992 私が許されているのはこれが限界です。
後はその氏族がどう動くかです。
999 :
名無しさん@1周年 :02/04/04 18:48
*******************終了
1000 :
◆ZzZzZzZ. :02/04/04 18:48
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