京都公安のマイクロ波使用について

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401名無しピーポ君
>>396
281さんは電子レンジの話してるんですか。
やっぱり「よくわかる電気図鑑」か・・・

あとは答えになっていず、ゴマカシだけ。
ご苦労様。
402名無しピーポ君:2001/08/23(木) 21:42
281さん
もしかして「メーザー」って知らない?
403名無しピーポ君:2001/08/23(木) 21:57
>>390さんはとても聡明なお方のような気がします。

(抜粋)--------------------
2)其れが中々記録に残し難い種類のものなのです。だから不正が出来たことな
んでしょうが。例え記録できたにしても体験としてはその時一回性のものであり、
内容が個人に関する事であり、体験は個人の感覚的なものであるとすると、後で
他人がその記録されたものを容易に理解できることなのかということもあります。
ましてその時に限って先方次第、そうした体験にはならなかったということも大
いに有り得る事なのですから、記録の採取法にも一工夫がいるわけですね。証拠
集めの為のプロジェクトを組まなきゃならないぐらいのもので。個人でも出来な
いことではないかもしれないがは少し面倒が多い。
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問題がよくおわかりになっていらっしゃると思います。
404名無しピーポ君:2001/08/23(木) 22:23
>>395さん
御柔軟な御思想には敬服いたします。
人間のわかっていることなど、まだわからないことに較べたら
微々たるものに過ぎないということからいけば、
そういう態度こそ理性的だといえないでしょうか。

ただ、
(抜粋)------------
一つの想像として或る特定個人が盗聴する構造がその盗聴に関わる全ての行為の
基本形とみて

1)相手が聞いている?ー>(受信?)(A盗聴させ?)、相手が言い返す。
ー>(送信)

2)言いかえしたことが私に聞こえている!ー>(受信!)(B盗聴させ!)
=(テレパシーの成立!!)、相手に言い返す!ー>(送信!)

3)その盗聴の方法 A=B(お互いの受信、送信、)
--------------------------------------------------
は、

これは僕個人の意見としては現時点では有り得ないものと思っています。
しかし、被害者の、錯覚、「主観」としてなら、十分ありえます。
たとえば、「サブリミナル」で何らかのイメージを個人に想起させたとしましょう。
勿論「サブリミナル」である以上、その個人は自分が何故それを「想起」したのかという自覚はもとよりありません。
加害者が、その「サブリミナル」の操作の後、そのイメージに関連したものを、個人に提示したらどうなるでしょうか?
その個人は「自分の想起したもが『読み取られた』。どうしてだ?」と思うでしょう。

「サブリミナル」でなく、知らないうちに「条件反射」を作られていた場合はどうでしょうか。これも同等のことが言えます。
また、「スチモシーバー」にみられるように、「電磁波」によって様々な生体反応が惹起可能であるとした場合はどうでしょうか。・・・
405名無しピーポ君:2001/08/23(木) 23:01
281さん
「自白剤」で、本人の「知らない間」に「条件反射」は作れるか、作れないか、
どっちかわかる?
406名無しピーポ君:2001/08/23(木) 23:03
「よくわかるヤク図鑑」には載ってないよ。
407名無しピーポ君:2001/08/23(木) 23:33
>>399さん

問題を的確に捉えておられると思います。
何故かというと・・・

『僕があるとき書いたメール』
(そのままだと、「行が長すぎる」という『バグ』(!)のエラーメッセージが出ますので、適当に改行を加えてあります。読みにくいかもしれません。ご了承下さい)

(その1)
「総合研究開発機構(NIRA)」のレポートから。
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[科学と20世紀]
世紀末の現時点から20世紀を振り返ると、今世紀は科学の時代、技術進歩の時代と映る。今日の生活の豊かさ快適さは、その多くを科学や技術進歩の輝かしい成果に依存している。
工業化の形で技術進歩を取り入れることで、わが国のように資源の乏しくとも国民の英知と努力により、文明社会を築くことができたのも、その証左である。科学の進歩は、一面で、人類に多くの恩恵をもたらしたといえる。
しかし、他面では、同じ知識や技術は、使い方によっては、それまでは想像もできなかった程の被害を人類に与えることになった。豊かな文明生活からは、自然環境の破壊や公害などが生み出されている。
戦争では科学技術に裏打ちされた高度な兵器や近代工業の生産力により大量の破壊と殺戮がもたらされた。
今日、科学の進歩が人間社会の向上に結び付くためには何が必要なのかを問い直す必要に迫られている。もはや、素朴な科学万能論が受け入れられる状況ではなくなっている。
(中略)
特に、わが国では過去40年に限っても大規模な薬害が繰り返して発生している。今時点でも、医学・薬学の進歩によって市場では安全な薬ばかり売られているかと言うと、そうではない。諸外国では承認されない薬もわが国には少なくない。
逆に、先進国で標準薬とされる薬が利用できないこともある。政府は、世界で最も安全で有効な薬だけを国民のために選別していると期待されるが、その責務を十分果たしているのかどうか厳しく問われている。
408名無しピーポ君:2001/08/23(木) 23:33
(その2)
[多くの国民の素直な疑問]
本研究は、直接的には薬害エイズを契機として始められた。これ以外にも我が国では、サリドマイド、スモン、クロロキン、ソリブジン等による薬害が発生している。これまでのこのような経緯に直面して、多くの国民は次のような率直な疑問を抱いている。
すなわち、なぜ、有効性や安全性に関して十分なチェックがなされないまま、医薬品として審査・承認され市場に出回るのか。外国では医薬品として承認されないものが、なぜ我が国では、医薬品として承認され販売されているのか。
我が国の承認・審査の実体は一体どのようになっているのか。
また、市販後に副作用が発生し、医薬品が有害である可能性がある場合に、なぜ、回収・販売中止あるいは承認取り消し等の措置を迅速にとることが容易ではないのか。被害の抑止や拡大防止を適切に行えないのはなぜか。
そして、なによりも本質的な問いは、なぜ、このような薬害が繰り返し発生しているのかという疑問である。事件発生のたび毎に、関係当事者は原因究明と薬害防止を約束する。
しかし、それは殆ど空念仏のように聞こえる。そこには、学習やフィードバックと無縁のものをみることができる。
責任の所在を明らかにすることや個々の当事者の責任追及は、時に真の原因を隠蔽し真相究明の障害になる。しかし、責任の所在を曖昧なままにしておくことは、本当の原因を直視することをしないままに、同じ過ちを繰り返すことにもなる。
重要なことは、科学的に原因を追及することである。
409名無しピーポ君:2001/08/23(木) 23:34
(その3)
わが国において戦後、繰り返されてきた薬害の経緯を追ってみると、戦前、戦中、戦後医療システムの法的不備や混乱に起因したと考えられる面もみられるが、
戦後のわが国の医療技術、医療科学の急速な進歩、世界的医療水準への向上に比較して医療システムが大きな遅れを生じていると言わざるを得ない。
戦後の産業システム、経済システムなどが大きな社会的変動の中で生き残りをかけて大きな変革を余儀なくされてきたのに比して、医療システムは社会変動から大きな影響を被ることなく経緯してきた。
このため自主的発想に乏しい官僚主義の弊害、医学の権威主義の継続、形骸化した医薬品等の審査体制、硬直化した医療保険システム、護送船団的医薬品産業政策などの古い体質、パターナリズムの強い医師−患者の関係などを続けてきたと言えよう。
度重なる薬害への対策も不具合部分への部分的対策に止まり、全体のリスク管理システムとしての統合的視点を欠いていた。
また医療システム内部の強固な結合、縦割り行政の弊害などが、次第に利権によるいわゆる癒着や、自己保身のための不作為と責任の曖昧化、権威にとらわれる医学界、利益追及型の医療機関等をつくり出し、患者のための正当な科学的判断基準を誤らせる原因となっている。
しかもこの強固な結合が、医療システムの本来の目的である患者の健康と安全の維持、向上からいつの間にか乖離した現象や体制を発生させてきた。
昭和40年代の多くの公害、環境汚染、あるいは最近の原子力施設など巨大技術システムの事故など、
科学技術への疑念や不信が高まってきた時代における国民の健康や安全に対する意識の変化や、社会風潮の変容、さらには急速な世界的情報革命の発展にも十分に順応することが出来ず、制度の硬直化や疲労に陥った不具合と言えよう。

本報告書は、薬害が繰り返し発生してきたことに強い問題意識を持ち、厳しい立場で何をすれば薬害を防止できるかとの思いで取りまとめられている。
既に患者中心の医療を実践し、改革に取り組む多くの方々には、余りに当然のことが含まれ、また、評価が厳し過ぎるかも知れないことを予めお断わりしておく。
他方、これらの方々の真摯な努力無しには、提案の実現、課題の抽出、解決策の立案等に関して専門的な情報を得ることはできない。”
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410名無しピーポ君:2001/08/23(木) 23:34
(その4)
この「総合研究開発機構(NIRA)」は、
”こうした背景の中で、いわゆる薬害エイズの裁判を契機に高まった薬害防止を求める国民の声に答えるため、また、当時の厚生大臣、厚生省から提案もあって、平成8年7月、薬害防止の研究を開始した。”
のだが、このような真摯な人々がいるからといって安心してしまっていたのがこれまでの日本であったように思われる。
しかし、彼らは「傍流」であって「主流」ではない。それは丁度上の文にもあるように
”なぜ、有効性や安全性に関して十分なチェックがなされないまま、医薬品として審査・承認され市場に出回るのか。外国では医薬品として承認されないものが、なぜ我が国では、医薬品として承認され販売されているのか。
我が国の承認・審査の実体は一体どのようになっているのか。
また、市販後に副作用が発生し、医薬品が有害である可能性がある場合に、なぜ、回収・販売中止あるいは承認取り消し等の措置を迅速にとることが容易ではないのか。
被害の抑止や拡大防止を適切に行えないのはなぜか。
そして、なによりも本質的な問いは、なぜ、このような薬害が繰り返し発生しているのかという疑問である。事件発生のたび毎に、関係当事者は原因究明と薬害防止を約束する。
しかし、それは殆ど空念仏のように聞こえる。そこには、学習やフィードバックと無縁のものをみることができる。”
という状況そのままのものといえる。
誰が考えても当たり前で簡単なことが、この日本では成され得ないのである(これは非常に危険なことなのである)。そして、そこに最大の問題と、解決すべきものがあるのである。
このような人々の仕事を、皆で継続させ本流としていくことが必要であり、それは今の日本の状況では難しいことだと認識しなければならないのである。
先達て、「尼崎公害」訴訟の判決が出、そこで竹中裁判長は日本で始めて国の責任を認める判決を下した。弁護側はその判決を聞き、信じられないことだと思ったと同時に涙が出たと述べた。誰が聞いても涙が出るような判決であった。
一服の清涼剤のような判決であった。それがまた、現実に空気を清浄にしていく。
だが、昨日、国は「科学的根拠がない」と言って上訴した。これでまたこの裁判は振り出しに戻った。この国はもう何十年も前に時計が止まっているかのようである。そして、これがこの国の政府の正体なのである。
たとえ小数でも正しい意見であればそれが認められるシステム−−−これこそ民主なのだが−−−を確立しておかなければならないのである。残念ながら、このような国はまだない。アメリカなども、逆に段々あやしくなっていっているようである。
しかし、それにしても、経済力など「力」から考えて、日本の現状はその問題だけをとってみてもちょっと酷いのである。