京都公安のマイクロ波使用について

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399名無しピーポ君
この問題への反応を見ていると、新しい問題に対しては、考え方が後ろ向きの発
想で、そこから少しも外れられないのは、既成概念に余り拘らなくなった若い人
の考え方にも馴染み難いものではないのか。

目に見えるもの、手にとれるもの以外の不可解な難問には現状維持的に理解する
ことで満足してしまう。どうにも理解し難い、解決のままならないような問題は
全て既知の原因にその解を求めることで済まそうとするもので、あらゆる手を尽
くして方法を模索し問題を探ろうとまではしない。直ぐ病気の所為にして物事の
本質をそれで済まそうとするのと同じことじゃないかな。大昔には直ぐ祟りだと
するのにも似ているんじゃないか。そこから何か新しいものが生まれてくるだろ
うか。

若い人が科学的に物事を考えることに躊躇してしまうことや、或いはもっと科学
的に物事を考えることが出来ないでいるのは、一つには色々な社会問題に対する
国自身のこうした問題に対する曖昧な姿勢が、教育や社会、特に若い人にも影響
している結果とみている。

あの例の原子燃料事故の例でもそんな感じがしている。行き当たりばったりの、
その時のやりくりで事を済まし、根本から問題を見極める姿勢に欠けていたから
だと思うが。安全と言うことを考えるなら、物事起こってから慌てて対策や間違
いを探すようでは間に合わない。

あの問題は国の科学(行政)の問題でもあったが、国(行政)の社会一般の問題
にも共通し、色々な問題に対する国の日常的姿勢の問題でもあったろうと。今の
場合この問題が只徒に放置されているのもそうした国の姿勢(この場合は国民の
安全に対する)の所為でもあると私ははっきり断言する。

問題が提起されても、それをはっきりと解明しないまま同じ状態で繰り返される
情況は何としても愚かなことだ。そういう意味でこの問題は全面的に国の治安の
責任上にあるものだ。
寄らしむべし知らしむべからずは何時の時代でも自信のなさの現われではないか。
私は国に対して警告を発したつもりだ。