1 :
にいなな:
2 :
にいなな:01/08/31 18:44 ID:ENmGcL4g
ジャコバイト様
> あなたの論法だと何も政治的・社会的実践は生まれまい。
「実践」ってのが、具体的に何を指すのか、いまいち解りませんので、
お答えいたしかねます。もすこし具体的に示されたし。(←議題1)
> ろくでもない人間がこの板に多かった
同意。
> 俺が、この板で一つ確認してたことは、儒教が今日的意義を全く失った、
> なんの生命力ももはや持たないといことだった。
> 孟子を読んでるとか朱子も読んでないのかと言う人間が、いかに品性に
> 欠け包容力が欠如してるかを如実に目の当たりにしたからである。
あなたは、朱子を読まずに「儒教には問答法はない」と断言してました。(前スレ563)
包公さんでなくとも、「朱子を読んでないのか」と言うのは正当だと思います。
あと、
これは重要な問題ですので、改めてあなたの立場を確認させていただきたい。
「解脱した」と言う人間が、サリンを撒きました。
で、仏教は、今日的意義を全く失った、何の生命力も持たないものでしょうか?(←議題2)
3 :
にいなな:01/08/31 18:45 ID:ENmGcL4g
> 儒教の徳目がドグマではないかという我輩の質問へのお答えは?
> ドグマの範囲、は理性的推論によって根拠付けられていないにもかかわらず、
> それが正しいと主張するもの、ってことじゃないの?
「ドグマ」の捉え方について、我々の間で揺れがあるようですので、
もう少し議論を重ねたいと思います。まず、あなたのいう中国哲学の
ドグマとは、具体的にどのようなものを指しておられるのか。
またあなたは、前スレ407で
> 例外に対処できんわけよ、ドグマだと。たとえば、ファザーファッカーにも
> 孝養を尽くせとか、雪の中に竹の子をとりにいけ、とか飢えた親のために
> 自分の子を殺してくわせるとか、俺はとんでもない、って思うわけよ。
と述べておられます。「孝」がドグマだというなら、それはそうでしょう。
儒教には、祖先から子孫へという血統を重視する、「孝」というものが
背骨として抜き難く存在します。まあ「孝」を理論づける試みとか、親への
盲従を認めない立場(「諫諍」とか)もある、ということは措きます。
しかし、前スレ413で指摘した通り、「刑法200条はとんでもない」というのも、
「親の命よりも子供の命のほうが大切だ」というのも(「俺はとんでもない、
って思うわけよ」ですから、これらはあなたの立場ですよね?)、やはり
「ドグマ」ではありませんか?
「人間として、親は大事にすべきだ」というのも、「人間として、子供を
殺してはいかん」というのも、「ドグマ」という点で同じだと思いますが。
違うと言われるなら、もう少し協力して「ドグマ」の定義をはっきりさせて
いきたいと思います。(←議題3)
4 :
あぼーん:01/08/31 18:47 ID:uj/X6MAs
あぼーん
5 :
考える名無しさん:01/08/31 19:04 ID:9TMIvu0w
しっかし、このスレッドは、どうしてもマトモには終わらないみたいだな。
遁天児に落とされ、W大生に潰され。
次はどうなるんだ?
6 :
にいなな:01/08/31 19:06 ID:ENmGcL4g
いちおう前スレ(パート2)の復旧依頼は出しときましたが、
現状が現状なので、いつになるかも、復旧できるかも不明です。
前スレの最後のほうがどうなってたのかよくわかりませんので、
スレ違いなんかがあったら再掲でもしてくれれば有り難いです。
7 :
W大生:01/09/01 00:25 ID:voP260Ks
>>5 >遁天児に落とされ、W大生に潰され
遁走くんはどうだったか知らないが、オレは盆栽職人一味が
いたずらしたかと思ったぜ。前スレではオレは#774(に
いななの発言)のあとカキコした。この後すぐに再掲しよう。
8 :
W大生:01/09/01 00:26 ID:voP260Ks
再掲だよ〜ん
久しぶり、旅行に行っていたんで留守をしていた。
またボチボチ始めるかと思っていたら。
このスレは、偏頗男=電波男Ψ(´д`)Ψ の指導のもと
にいななとジャコバイトの公開討論演習だったって訳
だな。たしかにわざとらしい議論をやってるなと思っ
たけどねえ。その真偽はどうでもいいが、結果として
自分たちの学問のデタラメさを暴露して恥をかいただ
けだな。バカじゃなかろか、いいや真性のバカだぜ。
9 :
W大生:01/09/01 00:29 ID:voP260Ks
10 :
考える名無しさん:01/09/01 00:36 ID:wGI.WAeE
そもそも、近思録は、二程子などの著作や語類から抜粋したものであって、朱子は編者の一人ではあるけど、朱子の著作ではありません。
取捨選択の選考過程に朱子の思考は反映されているかもしれませんが、朱子の論理過程が反映されていないのはむしろ当然なのではないでしょうか。
せいぜい配列くらいしか変えようがないですし。
近思録しか読んでいないとなると、朱子の著作は読んでいないということになりますが。
>>あと、ソクラテスの議論がうすいってのはどういうことよ。
問答としては、すらすら読めはしますが、分量に見合うほど思想的に多くのものを含んでいる印象は私は受けないのです。
>>俺は、そういう思考過程そのものが大切だとおもうんだけどね。
>>思考過程を軽視して、結論だけ重視する中国的思惟のあり方が、俺は実にくだらんと言ってるんだが(くりかえし言うけど、仏教は例外)。
哲学かどうかは、思考過程の特質によって決まるのですか、それとも思考対象の性質によって決まるのですか?
11 :
考える名無しさん:01/09/01 00:36 ID:wGI.WAeE
もうオレの言いたいことは尽くされているといっても
判らないオバカな連中の為に教えてやろうか。
にいななのアホアホな定義の問題はこれまで色々指摘され
てきたことには概ね同意だよ。
それで結論として言えることは、定義とは容易ではないとことさ。
それをお手軽にやろうとするとにいななクンみたいにアホアホを
晒すってことだ。
まあそれで、今度は工夫してみても今度はその定義のなかで用い
られる儒学って概念を定義するのがなかなか難しい。いわゆる
儒学と呼ばれているものも内容は多様だしね。
だから無理に定義付けしたり、範疇分けして思想史として系統化
するっていうの無理があるんじゃないって思うわけ。それを無理
にやろうとすると多様性や周囲の環境を切り捨てて盆栽化しなけ
ればならない。見た目には綺麗だか、それは野山に育つ松や杉=
真の姿ではないのさ。
まあこれも先輩からの言われて、おれもなるほどと納得した
こどだけどね。オレはね孟子を読んでいてもつくづく思うわ
けですよ。
だから電波男も盆栽職人を辞めて、野や山に出て真の哲学や
思想を学んだらどうだい。気分いいぞ。
12 :
考える名無しさん:01/09/01 00:36 ID:wGI.WAeE
いちいち出典や掲載書を明記しないといけないのかな?(335)
などと渋っておられましたが、
・最終的に諸橋『荘子物語』と、同『中国古典名言事典』を典拠として示しました。(356)
・私がこれら両書を確認したところ、そのような記述はありませんでした。(376-378)
つまり、遁天児さんが「〜と言われている」とする説は、そもそも存在しなかったらしいのですが、
・そのことを指摘すると遁天児さんは
あんたはそのような説があったことすら知らなかったようだが、
かなりお粗末だな。もうちっとお勉強したほうがいい。
との、ありがたいお説教を下さいました。
・当然ながら、というか、
ええ、知りませんでした。今でも知りません。
諸橋先生も、そんな説は全く言ってませんでしたね。
と返したところ、直後に正体不明の「考えてる名無しさん」たちが
断言してるが、諸橋先生の著書や論文を全部見ていってるかよ?(391)
自分の知識不足を反省して、試しに自分で調らべろよ。(392)
などと、遁天児さんのフォローをされておられまして、直後に悪質な妨害(空リンクの
連貼り)にあって、前スレは落ちてしまいました。
13 :
考える名無しさん:01/09/01 00:37 ID:wGI.WAeE
日本語が読めないなら、無理に日本人のフリして
こんな板に出入りしなくてもいいでしょうに。
日本語がうまく読解できないあなたのために、
>>3-6を整理してみましょうか?
現在まで、下記のような経過を経ています。
(1) にいななによる「定義」(案)の提示
(2) その定義はトートロジーではないか?という「疑義」の提出
(3) トートロジーではない、という、にいななによる「説明」の提示
で、
(3)の「説明」、つまり「疑義」に対する反論・抗弁が提出されている以上、
再び(2)の「トートロジーだ」という「疑義の提示」を繰り返すためには、
(3)の「説明」が誤っていること、つまり、私の「反論」が間違っていると
いうことを示すことが必要です。その上ではじめて、
(4) やはり(3)は誤りで、やはりトートロジーと考えられる
という事は言えません。
言い換えれば、
14 :
考える名無しさん:01/09/01 00:38 ID:wGI.WAeE
ひとつ聞いていい?
君はどっち派?神はいる派?いない派?
なんか、どちらともいえない派のような気が…。
ハッキリしてもらえないと俺は混乱する。
ハッキリしようぜ!な?
取りあえず、俺はいる派!けど、神は逝ってよし!
>物理
なんか、揚げ足を取るようで悪いんだけど、
>物理法則の根本的な理論は当然、終着駅があると考えています。
>応用を含めればそれは無限にあるでしょう。終わりはありません。
法則の終着駅が、神がいないことを証明できるの?
俺、物理は良く知らないから偉そうなこといえないけど、なんかおかしくない?
だってさ、
>「その認識できない部分にも人間には認識できない法則が存在し…」
>近いです。法則は「理解」できるはずなんですが、その「領域」の
>存在の証明とかそういうのができない…机上の空論となってしまう
>領域というのか…のこと。
こういう意見でしょ?いくら式で導いても机上の空論は出てきちゃうんでしょ?
だったら、神がいない事は証明できないんじゃない?
飛躍し過ぎかも知れないけど、宇宙の事を幾ら語っても宇宙は宇宙でしょ?
赤方偏移だとか、難しいことをいっても、「ムー的な宇宙の存在」の可能性は否定できないでしょ?
じゃあなんで宇宙は存在したの?ってことにならない?
物理法則でこれも分かるの?(可能性を否定する事は出来るの?)
でね、いくら突き詰めても原始(原子でもいい)の存在は証明できないでしょ?
それと同じで、俺達が人間である限り、神の存在の証明はできないんじゃないの?
つまり、俺はそういう意味で
>>205をいったのかどうかは知らないけど…取りあえずそういう意見!
15 :
考える名無しさん:01/09/01 00:39 ID:wGI.WAeE
そうだよねー。
自分の解らないものをなんでも屁理屈と言ってしまう態度は
莫迦のすることだけど、矛盾や存在を言葉で説明できるぐらいの
言語感覚はほしいし、
また論理を超越したものが真理なのだと思う。
イメージ=存在そのものというか、言語にならない。
言ってしまったところで不十分な説明にしかならない。
より多くを説明することはできるんだろうけど。
それが科学的態度かな。
>>3 >「愛する人を愛する理由は記述可能な性質に還元できない」ということを、
>同じことで説明している。そういうのを「論点先取」といいます。
意味不明。同じことって?
>>もし、愛していた相手以上に美しい人を見つけたら、
>>その時点で愛する相手をすんなり変えることができるはずだよね。
>はい、できるはずですね。実際、そういう人はいくらでもいますよね(笑)。
説明不能。恋愛してくれとしか言えない。
君は愛する人が死んでも、その人以上に美しい人が代わりに現れれば、全く悲しまないし、
親が死んでも、同じ役割を果たしてくれる人がいれば問題ないって思えるんだろうね。
>「自分の想像に対する直示」は一般に「命名」とはいいません。
>「命名」は、その名を用いる人以外の人も知覚できる
>記号表現を伴うこと必要です。
反論のための反論にしか聞こえないけど。
例えばこんな話を聞いたとする。
「君のことを好きな女性がいるんだ。『その』人は○○○○さんといって…」
この場合、「君のことを好きな女性」という記号表現に「その」という直示を用いているでしょ。
こういう哲学的な話は言葉だけで理解するんじゃなくて、
感覚で納得したうえで、それを言葉で追うように理解することね。
17 :
にいなな:01/09/01 11:44 ID:AO6LlkHo
>>8 再掲ありがとうございました。(>W大生)
私は、そのカキコの後に、あなた宛に
・W大の読解力というのは、ネタじゃなくてマジにその程度なんですね
(↑「公開討論演習だったって訳だな」に対し)
・相手をバカ呼ばわりする前に、まずあなた宛に山積している質問に対して
答えて下さい
・もしも「質問に対しては一切答えない」というのがW大流なら、答えを待っている
私たちを可哀想だと思って「答えない」旨を明言してくれ
という趣旨のカキコをしました。(正確な表現は覚えてませんが)
その直後に「死ね」連書きが発生したので、皆さんは、返答に窮したあなたが
スレを落とそうとしたのだと考えたようですね。
無用な疑いを晴らすためにも、何週間も前から未提出の宿題の山を、一つづつでも
片づけていかれたらどうでしょうか?「答えない」という答えでも結構ですから。
他人を「バカ」呼ばわりするのは、それからでも遅くないでしょう。
あ、宿題があることすら忘れておられるのでしたら、前スレが復旧してから
質問の発言番号なんかをきちんと再掲しますので……。
あと、
>>10-16は、前スレからの無差別コピペか、スレ違いですので、無視しましょう。
あぼーん
バッハがなんたらかんたらと言ってましたけど私はまだ若く経験も浅く未熟者で自分自身忸怩たるものがあります。だからこれからも日々貪欲に精進せねばと思う毎日です。
Bachについて語ることでBachより偉くなったような・・・のところで最初に思ったのは、大抵その様な人はバッハを愛し尊敬するからこそ研究者を志すと思うのでまず
その様に自分の方が偉いと勘違いしたりとか侮蔑することはないと思います。
ただたしかにその意見はよく分かります。世の中を価値観で統合した階級で判断したら何かを創造している人が優れた階級に属するものだと私自身思います。単純労働だけの一労働者階級でなく、
出来るだけ人間は知的な創造者として生きられるよう努めるべきでしょう。ただそれ以外の人も人間であって別の生き方もあるのです。その様な人を尊重するのも大切です。
ところでバッハの研究者に関してですけど、考え方は正当だとは思えません。
そう言われるとなるとシェークスピアやゲーテなどの作家に比べて文芸批評家は劣ってるとかそんな話になります。確かにそう思いたくなるのは分かりますが、その様な人以外にも存在意義はあるもので
その様な人々を一方的に蹂躙するのはどうかと思います。
日本の文芸批評家のドンであった小林秀雄は的を得た画期的な美しい批評をすることで非常に作家からも尊敬された批評家です。昭和文壇の最大の人物は小林秀雄であるとさえ言う人もいます。
あのような偉大な研究者だっているのにその価値を認めないのは私には理解できません。近代以後は批評などの研究は一つの独占的ジャンルとなって重要な位置を占めているのです。
音楽に於いても然りで、ベートーベンなど作曲家と、フルトヴェングラーなどの指揮者とどっちが偉いかとかそんな話になってしまいますが指揮者は一人の作曲家の曲だけでなく多くの曲の
最初から最後まですべて理解し独自の表現をしなければならない。それには作曲家とは違った功労があるはずです。
後者を理解するのは大切なことであると思います。ただきっと作曲家自身は演奏家や研究者に最大限の敬意を払うと思います、少なくともあなたよりは。
こういったことはくだらないことで何の意味もないと思いますけど。価値観の問題でしょうし。ただ100歩譲ったとしてもあなたの認識は間違いだらけだと思います。
無意味な存在にも意味はある、その意味を探求する、これって大切なことだと思うな。なんかあなたに言っても犬に論語っぽいけど。あなたのような人こそ、
ここのスレよく読んだりして哲学しないと動物的人生歩んで終わるよ。
あれっぱかの文章読んだだけで視野が狭くて盲目的なのはよく分かったよ。
そして最後に・・俺は気紛れでやってんだよ!!!!んなこと知るか、勝手に言ってろ!!!以上。
20 :
考える名無しさん:01/09/01 21:09 ID:uEtayzvA
21 :
オナニー:01/09/01 21:29 ID:F0FnAkjM
22 :
W大生:01/09/01 23:01 ID:uGkWVxUs
>>17 > ・相手をバカ呼ばわりする前に、まずあなた宛に山積している質問に対して
> 答えて下さい
なんの事だよ。
口を開けば他人は立論できないとかいうが、オマエの場合は立論
以前の用語の定義のところで躓いているのが理解できないかい。
オレも前スレを能く読み直したよ。オマエのアホさは、儒家の件
で十分証明済みだろ。他からも指摘があったようにだ、「儒家」
の定義に「儒家」が出てきて平気でいられんだ。まともな定義が
出来なくてどうやってオマエが立論できるんだよ。それで立論し
ているつもりかよ。
>(儒家とは)儒家を自認しており、なおかつ言動・学説が儒学・儒教の
>許容範疇に収まる人間・学派
まあオマエの言いたいことも解らないではないのだが、かなり議論
がもつれたあとに出した儒家の定義に、また儒家が登場してくるよ
うでは誰も納得できないぞ。
トートロジーに当たるかどうかは脇に置いても何の疑問も抱かずに
(気が付いていても意地で言い張ってだけかもしれないが)主張出来
る神経がオレにも他の人にも理解できないぜ。
今、儒家を定義しようとしているなら、別の言葉で定義するのが当然
だろよ。
いいや定義の中で出た儒家は別の概念だというなら、儒家の定義が2
つ有るわけで議論の中で一々どどっちの儒家か宣言しなければならな
いだろ。これではいったい何の為の定義か解らないぜ。
オマエの真面目さはオレも認めよう。しかしあのような定義をやっ
ていてはやはりおバカとしか言いようがない。もうちょっとオツム
の血の巡りをよくしてスマートにやれよ。
もしオレの言っていることが納得でければ、周囲(電波先生を除く)
に訊ねてみろよ。オレが方が正しいっていうぜ。
来週、オレ田舎に帰る。9月20日まで東京に戻らないよ。
にいななクンもあまり気張らずに気楽にやれや。
23 :
考える名無しさん:01/09/01 23:31 ID:wGI.WAeE
ソクラテスは当時、知恵ある存在とみなされていた人々と議論し、そういう人に知恵がないことを証明して見せた。
その結果、ソクラテスの証明に納得し、受け入れた者もいたが、あちこちに敵も作ってしまった。
どんな人間でも、自分が愚か者であることを証明されて喜ばないからだ。
しかし、ソクラテスはその活動を神から与えられた使命と考え、仕事もせずに哲学に明け暮れた。
それで大変な貧乏生活となり、貧困が慢性化していたが、そんなことにはくじけなかった。
ソクラテスは人間は決して知恵ある存在にはなれないと述べているが、知恵を求める努力はするべきだとした。
ソクラテスは哲学の原点を作り、人類の進化に大きな貢献をした。
ギリシャ時代は、現代と違って、非常に神々を身近に感じる時代であった。
そのためにいろいろな神秘的な現象が日常的に発生していた。
まるで、信じるがゆえに未知なるものが、それに応えるかのようであった。
現代の知恵というのは、単なる情報の蓄積であり、データの量で差が出ることになっているが、本当の知恵はそんなものではない。
>>1 なんかスレのタイトルがよろしくないような 焦点がボケて見える
にいななとジャコバイトとW大生の戯れスレになっているような、、、。
そうなのかな?
『中国哲学は哲学か?』
これって哲学は哲学かってこと?
朱子学が哲学かってこと?
仏教が哲学かってこと?
儒教が哲学かってこと?
25 :
ジャコバイト:01/09/02 18:07 ID:aAVziHJo
>2
何度も同じ事を言いたくないが、俺はそれゆえに包茎公に、もしその箇所を示してもらえば、俺の判断を変える用意はある、ってことを言ってるわけだ。
それなのに、当該箇所をわかりやすく説明しようともしない。
そのうえ、人に考える能力があるのかなどと言う。
全く、このような御仁に、何をかいわんや、だ。
断言、っていうが、それは、現時点での俺の知識の中から言ってるわけで、別に俺の言ってることが絶対の真実なんて一度も思ってない。
自分に誤謬や不十分な点があると思ってるから、議論しようとしてるに決まってるでしょうが。
しかし、俺も忙しい中で、府儒や小人に対して少しで警策を与え、木鐸になり、またわが誤謬を是正したいとは思うけど、いちいち朱子の全著作を読もうとは思わんわけだよ。
そんなの、キリスト教は哲学でない、という以上、アクィナスの神学大全を全部読んで来い、と言ってるのと同じだぜ。
むしろ、専門家の方が、かくかくの箇所がある、って示すべきじゃないか。
アクィナスが啓示やキリストの権威を否定してないゆえにしょせんキリスト教の枠の中にあり、それゆえしょせん哲学の名に値しない、というのは誤りか?
それと同じで、朱子はしょせん孔孟の権威を否定せず、その権威から出発してるゆえ、哲学の名に値しないと類推するのが、そんなに責められることであろうか?
ソクラテスはあらゆる権威によらず、自分の頭で考えようとした。
その運動が、ソクラテス的問答であり、その方式が問答法である。
あおれに比べ、孔子は何かと先王の道とか、昔の権威に訴えるばかり、孔子以後は、今度は孔子の権威に訴えるばかりだ。
そんなのはドグマであり、哲学ではないと言ってるわけだよ。
しっかし、この板での議論に参加することは、正直言ってやめようかとも思ってるんだ。
動機付けがだいぶ失われている。
俺は、この板の、すぐれた知性には、しばしば敬意を表し、感謝の意を表してきた。
しかし、それに報いられることは、一度としてあったろうか?
おんなじことを何遍も言わされ、かつわけのわからない侮辱を受ける。
やっぱし、この板を見てると、孔孟や朱子を読んでも、この程度の仁愛や礼儀しか育たんのか、っていう気がしてきて、やっぱり何の価値もないんじゃないかって思うわけだよ。
26 :
考える名無しさん:01/09/02 19:45 ID:tTzAirO2
あ、ご紹介どうもです。
むこうでは現実的な選択方法などの、いろいろなアドヴァイスを頂き、一応ボクも心の平穏を
とりもどすことができました。ですが、次第に野外で自慰行為に耽る事がそんなに悪いことなのか、
社会に対して悪影響を与えるのか、自慰行為を哲学的に考察すると一体どのような結論が得られるのか、
等と、いろいろと考えがめぐってきました。ボクは専門は一応哲学じゃなくて化学なんで、よくわかんないんですけど、
いろんな方面の人の違憲が聞きたいな、とおもった次第です。
27 :
にいなな:01/09/03 09:52 ID:YiI3.FtU
>>25のジャコバイト氏は偽物ですね。
さもなくば、人格が入れ替わったのかな?
一応、本物だという前提で話を進めますが、
> ソクラテスはあらゆる権威によらず、自分の頭で考えようとした。
とのことですが、彼の思想(「思考過程」)の出発点には、全く何の
前提も「ドグマ」も無かったのでしょうか?
彼が、自分の論理の結果に対して「私も私の言うことを認めたくない」と
いう場合、彼がそのように判断した根拠は、いったい何だったのでしょうか。
まあ
> しっかし、この板での議論に参加することは、正直言ってやめようかとも思ってるんだ。
> 動機付けがだいぶ失われている。
という御判断は尊重します。「ガイドライン」無視の罵倒・中傷が飛び交っている
スレッドですからね。「バカ」以外の日本語を読めない・書けない方も多いし。
私は、声が大きいだけの馬鹿にでかい顔をさせるのが嫌いですし、立場が違う人の
意見を聞くのは好きですから、もうすこし自分の主張を「言い張る」つもりですが。
ベッカリーアは「何もかも言わねばならないような相手には、何を言っても無駄で
あろう」と言いましたが、私は、もう少し理性や言語の効力を信用したい。
さて、
28 :
にいなな:01/09/03 09:53 ID:YiI3.FtU
> > ・相手をバカ呼ばわりする前に、まずあなた宛に山積している質問に対して
> > 答えて下さい
> なんの事だよ。(
>>22、W大生)
との事ですが、前スレが復旧したので、改めて指摘させていただきます。
前スレの342とか495とか597とかの質問に対して答えて下さい。
あとついでに578とか591とかにもね。
それから、617とか621とかについては同意しますか?「はい」か「いいえ」で
答えて下さい。
「なんの事だよ」という質問には答えました。今度は、あなたが上記の質問に
答えて下さい。9月20日以降でも結構です。
もし「答えない」と決めておられるなら、「答えない」と明言して下さい。
> 口を開けば他人は立論できないとかいうが、(
>>22)
あなたが、現在までに何も立論していないのは事実でしょう。
> オレも前スレを能く読み直したよ。
> 「儒家」の定義に「儒家」が出てきて平気でいられんだ。(
>>22)
前スレをよく読み直したんですか。だとしたら、読みが足りないようですね。
もう一度770〜772あたりを読み直して、顔を洗ってから出直して下さい。
29 :
にいなな:01/09/03 09:53 ID:YiI3.FtU
> 定義の中で出た儒家は別の概念だというなら、儒家の定義が2
> つ有るわけで議論の中で一々どどっちの儒家か宣言しなければならな
> いだろ。
このスレの文脈中で、〈儒家〉(我々の定義する儒家)ならぬ「儒家」(定義の
中で登場する儒家)が登場することは考えていませんでしたので、区別する記号を
付すのを怠っておりました。(表記で区別するまでもなく自明と思っていた、ともいう)
上記のように区別すればよろしいですか?(前スレ653や663〜664などを参照)
それとも、どちらも 儒家 という文字だからダメですかね?
> もしオレの言っていることが納得でければ、周囲(電波先生を除く)
> に訊ねてみろよ。オレが方が正しいっていうぜ。
あなたの「まわりのセンセイ」(前スレ539)とやらの評価は、どうでもいい。
私が会ったこともない「センセイ」や「周囲」が何を言おうと、私に対する
説得力はありません。
どうせなら、その「センセイ」等が「学者の風上にも置けない」と言っている、
その発言(結果)だけを引用するのではなく、そう判断する根拠(過程)も
引用して下さい。
そしたら、その評価と根拠とは吟味させていただきます。
もし単に「にいななは馬鹿だ」と言った場合、この評価は論理的な吟味の対象には
ならない。しかし、「にいななは、これこれこういう理由で馬鹿だと判断する」と
いえば、「これこれこういう理由」や「判断」の妥当性について、吟味は可能でしょう。
> 来週、オレ田舎に帰る。9月20日まで東京に戻らないよ。
東京に戻られても、我々の質問に答えずに、ただ罵倒を繰り返すだけなら、
もうこのスレッドに戻ってこなくてもいいですよ。
30 :
にいなな:01/09/03 09:54 ID:YiI3.FtU
>>24 「中国哲学」というのは、遠い昔にこのスレッドを立てた方(どこ行かれました?)が
用いていたタームです。この「中国哲学」とは何を意味するのか、ということ、
具体的に何が「中国哲学」に該当するのか、ということも含めて、みんなで議論を
行っておりました。
当然ながら、ある思想が「哲学である」と判断する条件についても、「哲学とは
なんぞや」「思想と哲学とはどこで弁別するのか」という定義の問題にもからめて、
議論を行っておりました。
遁天児さんが「荘子の思想の根本にあるのはヒューマニズムだ」とか言い出したり、
W大生さんが「表面的な定義の問題はつまらん」と言って「真の哲学」について
語り始めたりする前はね。
31 :
ジャコバイト:01/09/03 16:58 ID:u8jfCUOA
>27
どういう意味?
俺だけど。
全く、どうしようもねェなぁ。
俺が誰と人格が入れ替わったって言うわけ?
ソクラテスのドグマ、ってのは、そんで何なんだい?
32 :
にいなな:01/09/03 17:15 ID:YiI3.FtU
>>31 あ、失礼。
包公さんの指摘から以降、口調も態度も豹変されたように見えたもので。
>>27再掲:
> ソクラテスの思想(「思考過程」)の出発点には、
> 全く何の前提も「ドグマ」も無かったのでしょうか?
何の前提もなく、ただ単に思考することはできないでしょう。
何らかの前提から始めて思考を構築していったとすれば、
その前提が「ドグマ」か否かが問題となります。
この問題を考えるためには、当然ながら「ドグマ」とは何か、
「ドグマ」とそうでない命題との相違は何か、ということを
お互いの間で了解せねばなりません。
とりあえず、ソクラテスは、どのような前提からスタートしたのか、
西洋哲学が専門ではない私にもわかるように、教えて下さい。
33 :
考える名無しさん:01/09/03 17:40 ID:9O15xeFM
久しぶり、暫く旅行に行っていたんで留守をしていた。
またボチボチ始めるかと思ってスレを読んだぜ。
何だと?。
このスレは、偏頗男=電波男Ψ(´д`)Ψ の指導のもと
にいななとジャコバイトの公開討論演習だったって訳
かよ。
わざとらしい議論をやったのは確かだったがな。自
分の学問をひけらかそうというような意図を感じたよ。
旧帝大がどうの大学院に逝っていないからバカだのな
どと言い出すしな。
まあその真偽はどうでもいい。しかしさ、結局自分た
ちの学問の浅薄さとデタラメさが暴露されて、恥をかい
ただけだだろ。バカじゃなかろか、いいや真性のバカだ
ぜこりゃ。
34 :
考える名無しさん:01/09/03 17:40 ID:9O15xeFM
>>32 誤 その上ではじめて、
(4) やはり(3)は誤りで、やはりトートロジーと考えられる
という事は言えません。
正 その上ではじめて、
(4) やはり(3)は誤りで、やはりトートロジーと考えられる
といえます。
欝山車能。
あぼーん
36 :
にいなな:01/09/04 10:10 ID:JPLTXEzE
>>32補足説明
たとえば「人間は善に向かわねばならない」とか
「真・善・美は肯定的な価値を持つ」というのは
「ドグマ」でしょうか。
「人間は社会を尊重せねばならない」というのは
どうでしょうか。「家族を尊重せねばならない」と
いうのは。
「親は子供を慈しまねばならない。子殺しはいけない」
というのは。
逆に「子供は親を敬愛せねばならない」というのは。
ジャコバイトさんは、これらの命題うち、あるものを
「ドグマだ」と決めつけ、別のものは「ドグマではない」
としておられるようです。
このジャコバイトさんの弁別基準が、私の基準とは
どうやら異なるようですので、「中国哲学はドグマだ」
「西洋哲学はドグマではない」などという問題について
意見の相違が生じているようですので、そこらへんを
詰めたいと思うのですが。
37 :
ジャコバイト:01/09/04 14:29 ID:Lz1kKzyM
>36
議論に前提は必ず必要だよ。
先了解があって必ず了解がある。
しかし、要はその先了解を疑う自由があるか、あるいは実際に疑ったことがあるかが、ドグマか否かの弁別になるんじゃない?
あんたの挙げてる例だと、真善美が肯定的な価値をもつ、って命題だけは、当たり前で、そもそも肯定的価値を持つものを真善美と名づけるんだから、問いそのものが同義反復だよ。
他の命題は、時と場合による。
それ単独で出回ったら、ドグマだと、俺は思う。
ヒュームは、人間は一般規則に溺れやすく、当初の目標が失われても、一旦成立した一般規則に溺れやすい、ってことを言ってる。
まぁ、そこら辺を参考に、考えてみたら?
あぼーん
あぼーん
40 :
にいなな:01/09/04 15:00 ID:c3QM5E0Q
そもそも、近思録は、二程子などの著作や語類から抜粋したものであって、朱子は編者の一人ではあるけど、朱子の著作ではありません。
取捨選択の選考過程に朱子の思考は反映されているかもしれませんが、朱子の論理過程が反映されていないのはむしろ当然なのではないでしょうか。
せいぜい配列くらいしか変えようがないですし。
近思録しか読んでいないとなると、朱子の著作は読んでいないということになりますが。
>>あと、ソクラテスの議論がうすいってのはどういうことよ。
問答としては、すらすら読めはしますが、分量に見合うほど思想的に多くのものを含んでいる印象は私は受けないのです。
>>俺は、そういう思考過程そのものが大切だとおもうんだけどね。
>>思考過程を軽視して、結論だけ重視する中国的思惟のあり方が、俺は実にくだらんと言ってるんだが(くりかえし言うけど、仏教は例外)。
哲学かどうかは、思考過程の特質によって決まるのですか、それとも思考対象の性質によって決まるのですか?
あぼーん
42 :
にいなな:01/09/04 15:06 ID:c3QM5E0Q
にいななさんへ
私の朴訥な意見としては繰り返しになるが
>「実践」ってのが、具体的に何を指すのか、いまいち解りませんので、
お答えいたしかねます。
です。
43 :
にいなな(本物):01/09/04 16:39 ID:JPLTXEzE
>>37 > 先了解を疑う自由があるか、あるいは実際に疑ったことがあるかが、
> ドグマか否かの弁別になるんじゃない?
キリスト教信者は、キリストの復活を疑わない、または疑うことができない。
これは「ドグマ」ですから、キリスト教は「哲学」に値しない。
これは我々の間で合意できますね。
『五経正義』という思想的営為は、底本となる「先王の発言=経書」や
「鄭玄の注釈」を前提として、これに違背することは許されない。
これも「ドグマ」を疑う自由を持たない思想でしょう。
程子や朱子なんかは、そういう権威を軽視し、時には経書を否定して、
自分の思想によって新たな宇宙を構築しました。これは「哲学」に
分類してよろしいでしょうか。
> 真善美が肯定的な価値をもつ、って命題だけは、当たり前で、
> そもそも肯定的価値を持つものを真善美と名づけるんだから、
> 問いそのものが同義反復だよ。
譬えが悪かったようですね。もう少し考えます。
44 :
にいなな(本物):01/09/04 16:40 ID:JPLTXEzE
「専門知識は持っているが、自分が専門馬鹿だと知らない人間」と、
「専門知識を何も持たず、自分が何も知らないことを知っている人間」とで、
どちらが より「知恵がある」人間か、判断することを考えましょう。
前者の持っている「専門知識」と、後者の持っている「知識」と、
どちらが価値が高いか。
(どちらを持っているものを、より「知恵がある」とするべきか)
これは、ある先了解によって判断される問題ですが、その判断根拠となる
先了解とやらはドグマか否か。
ドグマだとしたら、ソクラテスの思想は、儒教が哲学ではないと言われるのと
同様に、哲学ではない。
ドグマでないとすれば、彼の出発点は瓦解してしまう。
このように考え続けると、どのような思想であれ哲学であれ、
そもそもの出発点、それを疑うことのできない出発点があるのでは
ないか、と不安になります。
それを「ドグマ」と呼ぶのならば、すべての思想は哲学とはなり得ない。
ストア派とエピクロス派との主張が相違するのは、両者が根底に持つ
ドグマが相容れないものだからだ、ということになりかねません。
> 他の命題は、時と場合による。
> それ単独で出回ったら、ドグマだと、俺は思う。
で、『廿四孝』で、親を養うために我が子を殺そうとする
儒教的な孝行息子に対して、あなたが「とんでもない」とか
「そんな風に孝を絶対視するから儒教はダメだ」と判断する
根拠は何でしょうか。
ただ単に「子供を殺すからとんでもない」というのであれば、それは
「ドグマ」でしょう。
45 :
ジャコバイト:01/09/04 16:54 ID:Lz1kKzyM
>39
25をよく読めや。
何度も同じ事を聞くな!
あと、仏教とオームの喩えに関しては俺は以下の見解。
つまり、俺は、仏教徒で、オーム以外の宗派で立派な人を何人も知ってる。
ゆえに、オームこそが例外であり、仏教は今日でも意義を有すと考える。
しかし、オームで立派な人は知らないので、オームはだめだと考える。
儒教に関しては、俺は寡聞にして近代以降において、仏教徒や洋学者を越えて立派な人を一人も知らない。役立たずばかりである。
かつ、現代において、儒教の徒で立派な人物を一人も見たことがない。
特にこの板においてひどいのばかり見た。
ゆえに、俺にとっては、オームがろくでもないように、儒教もろくでもないと判断せざるをえんのだよ。
仏教のたとえは、少なくとも的はずれだね。
俺の経験の範囲で言ってるわけだから、違うというなら、もっとそうでない例を出して欲しい。
特に、この板の、儒者連中が、府儒ではないこと、礼儀と仁愛のあることを、身を以って示して欲しいね。
46 :
ジャコバイト:01/09/04 16:57 ID:Lz1kKzyM
>41
俺のどこが豹変したわけ?
具体例も示さずに適当なふかしこいてんじゃねェぞ!
37をよく読め!
何度も同じ事を言わせるな!
25もよく読め!
47 :
にいなな(本物):01/09/04 18:58 ID:JPLTXEzE
>>39も
>>41も、私ではありませんよ、念のため。
どっかの馬鹿が「考える名無しさん」とか「にいなな」とかを騙って、
過去のカキコとか他スレのカキコなんかを無差別にコピペしてるだけです。
>>38-42とかに表示されているIDが同一で判るかと思いましたが、
お怒りの相手は お間違えなきよう願います。
48 :
考える名無しさん:01/09/04 20:14 ID:c3QM5E0Q
友達の名言に「結論出すな」って言うのがある。論理的に考えると
矛盾している言葉だ。(その言葉自体結論出してるだろ?)
でも宇宙的に見ると動いている言葉だよね。
分かってない人は思考が固定している。いくら賢い人でも
考えがある地点で止まっている。
かと言って分かってしまうと常に瞑想していないといけない。
何故かって上でも言ったように真理は動的だから。
そして宇宙に逝ってしまう。しかし人の価値観なんてその人
次第なので、その人はそれで良いんだ。
つまり生活は正常に営もうとしたら分かってない必要があるんだ。
あぼーん
どうやら上記の馬鹿(
>>48-49、ID:c3QM5E0Q。あと
>>38-42や
>>10-16など)は
確信犯のようなので、とりあえずキャップ(◆)つけて、本物と偽物との
区別を付けてみます。
51 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/05 09:29 ID:YC962TzE
>>45 あなたは、御自身が今までの人生において「仏教徒(オーム以外の宗派)」であり、
なおかつ「立派な人」を個人的に「何人も知ってる」から、という理由で
「仏教(オウム以外の全ての宗派)は今日でも意義を有すと考える」のですね。
「オームで立派な人は知らない」から「オームはだめだと考える」と。
そしてあなた自身が「儒教の徒で立派な人物を一人も見たことがない」から、
「儒教もろくでもないと判断」されると。
このような幼稚な論法が通用するのならば、
たまたま私は、「儒教の専門家で、かつ立派な人」を何人も知っています
(また、「それは人としてダメだろう」という坊主も知ってます)から、
私が「儒教は今日でも意義を有す」と主張することもできるはずです。
同じ論理で。
すると、あなたの結論である「今日的な意義を持たない」という主張と、
私の「儒教は今日的な意義を持つ」という主張とが、同時に併存できてしまう。
これは矛盾です。
このような矛盾を許容するあなたの論理(あなたの個人的な経験や知り合いなどから
普遍的な価値を云々する論理)は、誤っていると思います。
個人的な知り合いの相違や経験の相違によって異なる結論がでるようでは、
その結論は「普遍性を持つ儒教への評価」となり得ないと思うのですが。
52 :
ジャコバイト:01/09/06 11:23 ID:jxwZzRNs
>51
はいはい、そんじゃ、歴史的事例と論理で勝負ってことにすればいい?
少々うんざりしてるんだけどね。
近現代の儒者で、誰か洋学者や仏教徒の一流の人間を越える、あるいは匹敵するような、政治家や知識人や社会運動家っているの?
俺は知らねーな。
具体的に個人名を挙げられたし。
たとえば、福沢諭吉やらに匹敵する人物をね。
戦後をましてや、儒教は死んでるよなぁ。
俺が言ってる現代的意義ってそういうことね。
44はモノホンのあんたか?
孝のために赤ん坊を殺して食わせる、って何の根拠も示されずそれが正しいって言われても、正気か?って疑う人のほうが多いでしょ。
あらゆる共同体内で、一体に、殺人と近親姦と食人肉がタブーだってのは常識だが、それを破ってええんか?マジで?
俺は、鬼畜の振る舞いと思うぜ。
保護法益を、個人的な観点にとっても、社会的観点にとっても、孝のために幼児殺人・カニバリズムってのは正当化できないと考える。
個人的法益で言えば、幼児も老人も生命の重さは同じってことで、どっちを生かすためにも殺して食うことは正当化しえない。
社会的法益から言っても、著しく社会の安寧を妨げる暴挙であるし、社会の存続を考えるなら、老い先短い老人より、これからの若い生命を生かし方が、将来的な社会への生産・軍事的貢献も見込めるというものである。
これらの、別の価値観に、十分納得の根拠も示さずに、そんなのを美談としてるのは、文明にほど遠い半開・野蛮とみなさざるをえまい。
特に、わが日本においては、方丈記にもあるように、親は飢餓でも必ず子の方をなんとか生かそうとしたものであるし、また姥捨山の伝統もある。
さような、唐土の蛮風を真似するいわれは伝統から言っても全然ない。
漢意の、ことごとしきさかしらが倒錯を犯した極みだね。
まぁ、あんたも、国学と仏教と洋学でも学んだ方が、健全な常識が身につくと思うが。
53 :
ジャコバイト:01/09/06 12:29 ID:jxwZzRNs
>23
そのとおり!
俺は、ソクラテスがソフィストを撃破した勇気を少しはあやからんと、現代の腐儒と闘い続けてる。
千万腐儒といえども我いかん、ですな。
まぁ、しっかし、だいぶ動機付けが失われてんだけどね。
54 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/06 12:45 ID:y6gsD8Ag
>>52 まず、
> 44はモノホンのあんたか?
偽物です。前後のコピペと同一IDだということから判断されたし。
> 近現代の儒者で、誰か洋学者や仏教徒の一流の人間を越える、
> あるいは匹敵するような、政治家や知識人や社会運動家っているの?
> 俺が言ってる現代的意義ってそういうことね。
よく解りました。そういうのが「現代的意義」だといわれるなら、降参します。
そういう尺度によって「哲学」の「意義」を判断する、ということについて
我々の見解は一致してませんから。
あなたにとっては、内藤湖南も安岡正篤も加地伸行も「腐儒」に過ぎないのでしょう。
あ、創価学会の「哲学」としての「現代的意義」は高い、と認められますか?
何人も閣僚を出してますし。
55 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/06 12:46 ID:y6gsD8Ag
> 孝のために赤ん坊を殺して食わせる、って何の根拠も示されず
> それが正しいって言われても、正気か?って疑う人のほうが
> 多いでしょ。
根拠は、「親を生かすためだから」です。
何の根拠もなく「子殺しはダメだ」「俺は、鬼畜の振る舞いと思うぜ。」と
決めつけるほうが、よほど「ドグマ」「前提を疑えない立場」だと思いますが。
あと誤解があるようなので指摘しときますが、
「赤ん坊を殺して食わせる」のではなく、「赤ん坊を殺して口減らしする」
です。これは日本でも飢饉の際に行われたと思いますが。
中国で、自分の肉を親に食わせたり、子供を親が食べることはあっても、
我が親のために我が子の肉を食わせる、というのはあまり聞かない。
> 幼児も老人も生命の重さは同じってことで、どっちを生かすためにも
> 殺して食うことは正当化しえない。
だから二人とも餓死させれば、公益に貢献しますか?
それとも、どっちか一方だけでも救うべきですか?
後者は「ドグマ」で、前者は違うと言われるのでしたら、根拠を示されたい。
56 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/06 12:46 ID:y6gsD8Ag
> あらゆる共同体内で、一体に、殺人と近親姦と食人肉が
> タブーだってのは常識だが、
もう少し歴史を勉強して下さい。古代エジプト王家や我が皇室の近親婚、
生贄なんかの儀式的な殺人や非キリスト教圏・非仏教圏での人肉食とかね。
それとも、これらをタブーとしなかった彼らは、人間以下の鬼畜ですか?
> わが日本においては、方丈記にもあるように、親は飢餓でも必ず
> 子の方をなんとか生かそうとしたものであるし、また姥捨山の
> 伝統もある。
別の価値観に、十分納得の根拠も示さずに、姥棄山を美談としてるのは、
文明にほど遠い半開・野蛮とみなさざるをえまい。
親を棄てるような、東夷の蛮風を真似するいわれは、中国には全然ない。
> あんたも、国学と仏教と洋学でも学んだ方が、健全な常識が身につくと思うが。
私は、あなたと違って、カンナヒフミを信じるほど「健全な常識」には
毒されておりません。それが私の「常識」による判断です。
あと、ヤマトゴコロもカラゴコロも、私のドグマではありません。
57 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/06 12:49 ID:y6gsD8Ag
>>54訂正
>>44は本物の私です。別のスレ番号を確認してしまいました。申し訳ありません。
58 :
考える名無しさん:01/09/06 13:34 ID:E06MS1N2
>ジャコバイト様
1 知らないことに判断を下さない
2 時代に隔たりがあるからと言ってその学の是非は問えない
ex)現代でイギリスの立派な哲学者なんか知らんから
ex)ソクラテスは二千年前の人だから
この2点は議論や哲学の基礎です。
西洋の哲学者で「自分が今感じていることをギリシャ時代に書いている人がいた」
と驚嘆していた人がいました。この方はギリシャ哲学の全てを盲信してはいません。
現代人から見た古代〜近代の中国、儒教文化や歴史的事例の欠点を挙げても
中国哲学の是非は問えません。
>>にいなな様
>この問題を考えるためには、当然ながら「ドグマ」とは何か、
>「ドグマ」とそうでない命題との相違は何か、ということを
>お互いの間で了解せねばなりません。
真摯な問いかけですね。哲学者の取る誠実な態度と思われます。
論客の人数が少ないのも残念ですね。
いい論客がジャコバイト様とW大生様だけでは。
>>48 なんとなく同意
期待あげ
59 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/07 16:15
>>58 ジャコバイトさんはともかくとして、
偏頗男=遁天児やW大生が「いい論客」かぁ?
自分からは何も立論せず(できず)、ただひたすら
私や電波男さんを中傷しているだけに見えるんだけど。
私の心が狭いからそう見えるんですかね?
60 :
ジャコバイト:01/09/08 14:17
>54
もう、そういうことで、話し合っても意味ないじゃんない?
あんたのいう人間形成って何さ?
俺がいってるのは、哲学としての儒教の価値じゃなくて(だって俺は儒教を哲学と認めてないから。まぁ、この判別はドグマか否かで話し合いましょ)、その他の、倫理学や社会政治思想の観点で、全く現代的意義がない、って言ってるわけでしょ。
それはコンセンサスでいいのかな?
あと、内藤湖南は学者としては立派と思うよ。
加地さんの本はわりーが読んだことない。宮崎哲也との対談で、わりと好感持ったよ。
けど、安岡正篤はフェイクだろ。
あんた、あんなの評価するの?
そりゃ、平成の元号は考えたんかもしれないけどさぁ・・・。
61 :
ジャコバイト:01/09/08 14:20
>54
ついでに一言。
創価学会は、あんましその教えを詳しく知らないから何とも言えないが(興味ないんでね)、公明党はほんとむかついてる。
俺は自由党支持者で、いまの与党には断固反対だからね。
「そうはいかんザキ」なんてアホなCMやってるぐらいなら、もっと国のためにまっとうな仕事をしろ、って思う。
「おまえらがいかんザキ」って言いたくなるわな。
62 :
ジャコバイト:01/09/08 14:23
>58
俺の今までの発言を、しっかりちゃんと読んでから発言してね。
それとも、あんたは包茎公?
63 :
ジャコバイト:01/09/08 14:25
>55
あれー、子を食わせるんじゃなかったっけ?
もしそうじゃなかったら、俺の意見は撤回するからごめんね。
まぁ、しっかし、二脚羊、なんてのは、中国史最大の汚点と思うんだが、あんたはそうは思わないみたいだね。
64 :
ジャコバイト:01/09/08 14:32
>56
だから、「一体に」と言ってるでしょうが。
例外として、王室の近親姦があったくらい知っとるわい。
んで、遺伝的にどんだけ失敗したかは周知でしょうが。
日本の歴代天皇も、陽成とか清和とかね。
んで、生贄も無意味な野蛮な風習と俺は思うよ。そんで天候や収穫が変わるわけじゃなし。
あと、人肉食は、鬼畜の所業と思う。
まぁ、ここで、価値観食い違うみたいだね。
65 :
ジャコバイト:01/09/08 14:34
>59
おや、珍しく俺のことを評価してくれてんだね。
俺は、あんたが「戯画化」などと言い出して謝罪しなかったことと、包茎公の肩を持った時点で(それともあれはニセモノ?)、そうとうあなたの品性を見損なっていたので、かなり意外というか、心証を良くしましたよ。
66 :
にいなな(1/3) ◆9dSmoZhY :01/09/08 15:36
いつぞやの「戯画化」ってのは、あなたの論法を押し進めると
ああなるんだ、ってことを示したつもりです。
極端だったかもしれませんが、間違ってはいないつもりです。
「富国強兵に貢献しない哲学は無価値だ」とかね。
あなたの論旨からずれている部分があれば、指摘して下さい。
>>61 > 公明党はほんとむかついてる。
あなたの個人的な好みと、「価値」とか「現代的意義」とかを
混同しないで下さい。
以前にも、「あなたの論法では、勝ったナチスの思想の方が、
負けたフランス三色旗の思想よりも優れていることになる」と
指摘した際、「俺はナチスが嫌いだ」という理由で否定されましたね。
で、あなたは閣僚を何人も出している創価学会の思想を、
高く評価されるのですね?
67 :
にいなな(2/3) ◆9dSmoZhY :01/09/08 15:36
>>63 > しっかし、二脚羊、なんてのは、中国史最大の汚点と思うんだが、
私も人肉食を想像すると胸が悪くなりますし、公明党も創価学会も
大嫌いです。これは私個人の好みの問題として、そうです。
しかし、だからといってダイレクトに「人肉食を肯定するような思想は
哲学の名に値しない」とか「創価学会は思想として無価値だ」とは
言えません。それは客観的な議論ではない。
哲学か否か?という判断は、誰か個人の趣味によって行われるべきでは
ありません。
>>64 「一体に」てのは、「一般的に」ということですか?
> あと、人肉食は、鬼畜の所業と思う。
んだから、「親を救うためでもなんでも、とにかく人肉色はダメだ、
そんなことするのは鬼畜だ、許せない」って言われるんでしょ?
だったら、それはあなたの「ドグマ」です。
自分の「ドグマ」に対立する思想を「ドグマだ」と否定するのは
いかがかと思いますが。
68 :
にいなな(3/3) ◆9dSmoZhY :01/09/08 15:37
> 包茎公の肩を持った時点で(それともあれはニセモノ?)、そうとうあなたの品
> 性を見損なっていたので、
あなたや包公さんの「品性」とやらで一方の肩を持ったわけではありません。
そういう理由で一方の肩を持つ、などと見損なわないで下さい。
あの点についてはあなたの論理が誤っており、包公さんの意見が妥当だと思ったまでです。
私が出した意見のうちいくつかをあなたが認めておられるように、あなたの意見も
包公さんの意見も、議論の結果 妥当なものと受け入れられれば、私は認めている
つもりです。
論証もせず、議論も拒否して、ただ罵倒するしか能がない連中は論外としてね。
69 :
ジャコバイト:01/09/08 18:52
にいななよ、俺はあんたが謝罪しない限り、二度とこの板には書き込まない。
さらばだ。
66−68のあなたの自己正当化を見て嫌気がさした。
戯画化なんぞを正当化し、かつ、包茎公の肩を持つなんぞはね(包茎公に関しては、俺は25でちゃんと批判してる。これに関して、あんたがしっかり反駁しない限り、包茎公の方が妥当というのは、俺には納得がいかない)。
まぁ、天下国家をともに論じ、殺身以成仁をなす人材にはほど遠いにしても、あんたは一身の徳は他の連中に比べれば多少マシと思っていたよ。
しかし、見込み違いも甚だしかったようである。
腐儒は、やはり一身の徳に関しても腐儒のようである。
ちなみに、何度も同じ事を言わせないで欲しいが、俺は富国強兵に役立たないから儒教は哲学ではないと言ってるのではない。
富国強兵に役立たないから、政治社会思想としては無意味有害とは言ってるけどね。
んで、そういう政治社会思想の未発達は、懐疑の精神が乏しかったため、と言ってるわけだ。
んで、懐疑の精神が乏しく、ドグマでる儒教は哲学ではないと言ってるわけだよ。
あとねー、あんた52をしっかり読んだの?
個人的観点か、社会的観点か、そのどちらからも根拠付けられないくせに人間に苦痛を強いるのがドグマって言ってるんでしょうが、まったく。
ちゃんと俺の発言を読め!
謝らんかぎり、議論のし甲斐がないとみなして、以後相手にせん!
それと、俺がナチスを否定したのは、短期間で滅び、英米に負けたからと言っていたはずだ。
人の発言の片言隻区をとらえて歪曲して攻撃するのは、もっとも人間の品性に欠けた行為と思うがいかが?
それと、創価学会が閣僚を出してるから、ダイレクトに良い思想とは思わない。
その閣僚が国家に寄与しないとね。
バカ小泉に荷担してるところを見ると、まぁ国家に寄与するどころかマイナスだわな。
しっかし、まぁ、今の仏教が葬式仏教になりさがってるのに比べて、その志は壮、とは思うよ。
もうちっと排外主義的じゃなければいいんだがね。
あとねー、68の発言だけど、ホント65の発言をしっかり読んでるわけ?
俺は品性を基準に、なんて言ってない。
25で述べたように、包茎公が全くナンセンスな狭隘なことを言ってることに関して、肩を持つあなたのコモンセンスを疑い、おそらく儒教的党派心からであろうと思い、品性を疑った、といってるわけである。
まぁ、党派心ではなく、あなたなりの論理で述べてたんなら、まぁ、品性に欠けるという判断はその点に関しては撤回しよう。まぁ、今度は判断力を疑うがね。
大体、俺は一度言おうと思っていたのだが、あんたは自分の実存を守るために、何が何でも儒教を擁護するつもりであり、結局どれだけ儒教がダメであると心では思っても、認めないんじゃないかね?
俺は、あんた個人は一度も攻撃せず、もっぱら正義感から儒教と腐儒を批判してきたのに対し、あんたは幼稚だのなんだの(俺のあん時の論法が幼稚というなら織田信長もヒュームも幼稚になろうが)、悪罵の限りを尽くしてきた。
しかも、謝罪なしだ。
人の命題に難癖つけるばかりで、あんたの方から積極的に、儒教のこういうところが現代的意義がある、とか全然言ってないじゃん。
まぁ、言ってもむだかなぁ。
70 :
儒学すきです:01/09/09 01:54
ボクは儒学的常識を持っている人と付き合いたいね。
法家やマキャベリストは、ご免こうむるよ。
71 :
儒学すきです:01/09/09 01:55
ジャコバイトさんもそう思わない?
72 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/10 10:14
>>69 既にジャコバイトさんが撤退済みでしたら無駄なカキコですが、一応書かせて貰います。
> 俺はあんたが謝罪しない限り、二度とこの板には書き込まない。
> 謝らんかぎり、議論のし甲斐がないとみなして、以後相手にせん!
お忘れかもしれませんが、前スレッドでの例の「戯画化」については、
私は再三にわたって「あなたの主張とズレているなら指摘して下さい」と
言っております。
指摘されて、私がそれに納得すれば、訂正するのも謝罪するのも吝かではない。
しかし、
私の「戯画化」のどこが誤っているか指摘せずに謝罪を要求されても、
また謝罪要求もしておられないのに「謝罪がない、けしからん」と言われても、
私としては対応のしようはありません。
これは「自己正当化」ですか?
> あんたは自分の実存を守るために、何が何でも儒教を擁護するつもりであり、
> 結局どれだけ儒教がダメであると心では思っても、認めないんじゃないかね?
いいえ。私は単に思想史研究の対象として儒教を扱っているだけで、儒教は
私の本尊でもなければ実存の根拠でもない。
儒教がダメか否か(21世紀に儒教帝国を再建する、という意味でではなく、思想として)
73 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/10 10:15
ということは、まだ私は判断できていないし、このスレッドでの議論も進んでいない。
ただ私は、あなたが儒教を否定する論理過程を受け入れられないのです。
個人の好みや歴史的な結果なんかと客観的評価や思想自体の評価などを混同する論理を、ね。
結果的に、儒教に対するあなたの評価は正しいかも知れない。
しかし、誤った式から正しい結果を得られても、その答えは無価値です。
> あとねー、あんた52をしっかり読んだの?
> 個人的観点か、社会的観点か、そのどちらからも根拠付けられないくせに
> 人間に苦痛を強いるのがドグマって言ってるんでしょうが、まったく。
> ちゃんと俺の発言を読め!
>>52には、そのようなことは書いていないように見えますが、私が「しっかり」と
読んでいないから そう見えるんですかね?
> 個人的法益で言えば、幼児も老人も生命の重さは同じってことで、
> どっちを生かすためにも殺して食うことは正当化しえない。(
>>52)
>>55を再掲します。
だから二人とも餓死させれば、公益に貢献しますか?
それとも、どっちか一方だけでも救うべきですか?
さらに、
74 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/10 10:15
> 社会的法益から言っても、著しく社会の安寧を妨げる暴挙であるし、
> 社会の存続を考えるなら、老い先短い老人より、これからの若い生命を生かし方が、
> 将来的な社会への生産・軍事的貢献も見込めるというものである。(
>>52)
政府が市民個人を直接統治する市民社会の視点からは、そうかも知れませんね。
あなたは国家が何よりも大切だ、という「ドグマ」を持っておられますから。
しかし、中近世以降の儒家なんかの一般的な立場である
子供はまた作れるが、産んで育ててくれた大恩ある親はただ一組しかいない。
君主や国家よりも、子供よりも、親のほうが大切だ。我が親を見殺すのは鬼畜だ、
という立場の人間には通用しない理屈でしょう。「親が大事」は「ドグマ」だというなら
「国家が大事」「公益が大事」という「もう一つのドグマ」から非難攻撃するのではなく、
また「わが日本には姥棄山という美談がある」と主観的な美談を押し付けるのでもなく、
「国家が大切だという命題は疑えない、親が大切だという命題は疑える」ということを
論理的に示して下さい。
> それと、俺がナチスを否定したのは、短期間で滅び、英米に負けたからと言っていたはずだ。
> 人の発言の片言隻区をとらえて歪曲して攻撃するのは、もっとも人間の品性に欠けた行為と
> 思うがいかが?
あなたは、私が前スレ245で
75 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/10 10:15
数十年前、フランスはナチスに対して独立を保てませんでした。
もちろんこれは、三色旗に象徴されているフランスの「政治思想」と
背後にある「採用してた思想が無能だった証拠でしょ。」と
いうことになります。ナチスのナチズムのほうが優れていたと。
あなたの仮定、つまり政治的な優劣は思想的な優劣に直結する、
という仮定からは、そうならざるを得ないと思うのですが、
とカキコした直後には
> ナチスは俺は嫌いだがねェ。フランスが、負けたあとも、秩序が存続したこと、
> つまり国民国家が成立していて持続していたことを俺は高く評価してる。
と言われました。これは到底、ナチスが短期間で負けたからその思想も云々、という
主張には見えません。
W大生なんかから「関係ない話で誤魔化さないようにね。」とかつっこまれて
立場を変えられたように見えたのですが。
間違っているというなら、指摘いただければ訂正します。
> 包茎公の肩を持つなんぞはね。
私の
>>2を読み直してみました。
> あなたは、朱子を読まずに「儒教には問答法はない」と断言してました。(前スレ563)
> 包公さんでなくとも、「朱子を読んでないのか」と言うのは正当だと思います。
76 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/10 10:16
これが、誤ったカキコであるとは、私自身には思えません。
あとあまり関係ありませんが、
>>25で
> 断言、っていうが、それは、現時点での俺の知識の中から言ってるわけで、
> 別に俺の言ってることが絶対の真実なんて一度も思ってない。
> 自分に誤謬や不十分な点があると思ってるから、議論しようとしてるに
> 決まってるでしょうが。
と言われていますが、議論というか誤謬を指摘した包公さんに対して、恫喝的な言辞
(前スレ672とか686とか)を弄されるのは、横で見ていてあまり気分良くありませんでした。
> 人の命題に難癖つけるばかりで、あんたの方から積極的に、
> 儒教のこういうところが現代的意義がある、とか全然言ってないじゃん。
あなたが勝手な命題を立てるだけ立てて、論証を怠っているからです。
不十分な論証について指摘したり議論しようとするのが「難癖つける」と言われるのでしたら、
それはもう どうしようもありませんが。
前スレ685で包公さんが下記のように「難癖つけ」ています。
> あなたは勝手な命題を立てて他人に立証を求めるだけで、自ら
> 自分の立てた命題が正しいかどうか自問しているように見えない。
あなたに「考える能力がない」とまでは言いませんが、少なくとも、
77 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/10 10:16
考えることを怠っているように、私には見えます。
> まぁ、党派心ではなく、あなたなりの論理で述べてたんなら、まぁ、
> 品性に欠けるという判断はその点に関しては撤回しよう。まぁ、今度は
> 判断力を疑うがね。
それで充分です。
私なりの論理で判断した結果について私の「品性」を疑われるのは心外でしたが、
「判断力を疑う」と訂正されるなら、これはむしろ感謝します。
同じ土俵の上で論理をぶつけあう相手として評価しようとされたことに対して。
土俵の外から石を投げることしかできない偏頗男なんかとは、我々は「品性」を
異にしようとしているはずですから。
> 包茎公に関しては、俺は25でちゃんと批判してる。これに関して、
> あんたがしっかり反駁しない限り、包茎公の方が妥当というのは、
> 俺には納得がいかない
すでに充分長くなっているので、これについては後でまとめてカキコみます。
>>58 さんに同意。別に私が論客と言っているわけではないが。
ジャコバイト氏が私についていまだにあれこれ言っているようなので
一言書き残しておこう。
ジャコバイト氏は、人格を変えたというよりも、単に正体を現したに
過ぎないと思う。
氏は、朱子は、小学と近思録しか読んでいないと言っていた。
小学については、その書物の性質について確かにいなな氏が触れられ
ていた。
近思録については、それを読んだ人が、朱子の著作だと思うというこ
と自体、私には理解できない。ここからすでに私は氏に疑問を感じて
いた。
しかし、一連の氏の発言を見れば、氏は、実は自らの言及するソクラ
テスと最も遠いタイプの人間のように思えてきた。
にいなな氏が例示(例えば、上の創価学会もそうだ)したのに対し、
それを乗り越える一般論を構成するわけでもなく、例示に対して直に
反発を繰り返すだけであることもそれを示しているだろう。
このような思考の欠けた表面的な対話から、論が形成されていくはず
はない。氏がソクラテスを特殊視するのも、自らに欠けているのを自
覚してのことではないのか?
要するに、私から見て、共に考えるに価する人ではない。
「中国哲学は哲学か?」
私はもともとこのような議題にあまり興味はないし、説得したい相手
もここには見当たらないようだ。従って、しばらく書き込んでいなか
った。
にいなな氏が、例えば現代における中国哲学の価値というような議題
で話をなされるのであれば、また書き込むことはあるかもしれない。
いや、電波男氏はFSHISOの人と自称しておられるので、そちらでして
頂いても構わないが(私も月に一度程度は覗いているので)。
79 :
にいなな続き(1/3) ◆9dSmoZhY :01/09/10 14:57
> 包茎公が全くナンセンスな狭隘なことを言ってる(
>>69)
> そんなの、キリスト教は哲学でない、という以上、アクィナスの
> 神学大全を全部読んで来い、と言ってるのと同じだぜ。
> むしろ、専門家の方が、かくかくの箇所がある、って示すべきじゃないか。(
>>25)
あなたが何かの命題を思いつくたびごとに、専門家は、それが誤りであることを
いちいち示さなければならない、ということでしょうか?
示さなければ、あなたの思い付きが正しいということになると?
だとすると、あなたは、その命題が正しいことを論証しなくてもよい、という
ことになりますね。
論証しなくても、反証が出されなければ「とりあえず真ってこと。」(前スレ462)と。
もしそうなら、私はそのような立場を認めることはできません。(前スレ414など)
むしろ、そのような「思い付き」を論証する責任は、提言者の側にあると思います。
これは専門家によるナンセンスな狭隘な意見ではないと信じますので、私は
包公さんの「肩を持つ」。
私が「ヴェーバーは社会科学ではない」「ヴェーバーは儒教を理解していない」とか
いう主張を提示するたびごとに、専門家であるあなたは「そうじゃない、かくかくの
箇所に反証がある」と示す義務を負うのですか?
それとも、提示した私のほうこそが、「この箇所のこの記述によって、彼が儒教を
理解していないということがわかる」と示す義務を負うのでしょうか?
80 :
にいなな続き(2/3) ◆9dSmoZhY :01/09/10 14:58
> それなのに、当該箇所をわかりやすく説明しようともしない。
> そのうえ、人に考える能力があるのかなどと言う。
包公さんは、ジャコバイトさんについて
> あなたは勝手な命題を立てて他人に立証を求めるだけで、自ら自分の立てた命題が
> 正しいかどうか自問しているように見えない。
> まるで聞き分けのない赤子のようにしか私には思えません。
> そもそもあなたに物を考える能力があるのかという疑問を抱いています。
と評しました。(前スレ685)
考える能力の有無というのは措きまして、少なくとも、考えることを怠っている、
つまり、命題の提言者として当然行うべき、その命題の立証・論証を怠っている、
という印象を、前スレ末期のあなたからは受けております。
(ここでいう「論証」には、「ただ2つの事柄を並べて、いかにも因果関係が
ありそうに装う」ということは、当然ながら含まれておりません。)
以上、誤解がありましたら御指摘をいただければ幸いです。
で、
81 :
にいなな続き(3/3) ◆9dSmoZhY :01/09/10 14:59
> 腐儒は、やはり一身の徳に関しても腐儒のようである。
> 俺は、あんた個人は一度も攻撃せず、もっぱら正義感から儒教と腐儒を
> 批判してきたのに対し、あんたは幼稚だのなんだの(俺のあん時の論
> 法が幼稚というなら織田信長もヒュームも幼稚になろうが)、悪罵の限りを
> 尽くしてきた。
私は、
>>45であなたが示された論法が あまりに幼稚だと判断したから、
そのように述べたまでです(
>>51)。
(正直、このような論法を平気で示すあなたが、本当に前スレのジャコバイトさんと
同一人物なのか、私は疑問を抱いています。)
これを「悪罵」と呼ばれるなら、私の立場を「オナニズム」だの「腐儒」だのと
批判してきたあなたは、個人攻撃を潔しとしない正義の騎士なのですか。
子、四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし。
論語 巻第五 より
83 :
逃げた前スレの420:01/09/11 00:20
ごめんなさい。書き込まないでたまにROMしてました。
ジャコバイト氏はそれなりに勉強はしているとは思う。
ただ、包公さんが言っているような考える能力がないのでは
なくて、院などで専門的な訓練を受けていないからだと思う。
もちろん知識じゃなくて知的作業の方法についての。
にいななさんはよく付き合ってるよなあと実は感心して
おったんだけど(スイマセン)やっぱこんなんになっちゃ
いましたね。
私は逃げて良かったと考えてます。ドグマとかメタ的な価値論
について何も分かってない人と話すのは疲れるから。
で、中国哲学の現代的な意義や価値、その展開等について
論じていただけると門外漢の私にはありがたいです。
84 :
ニフティ監視人:01/09/11 01:04
http://www22.big.or.jp/~15ch/readres.cgi?bo=fshiso&vi=0181&rm=50 70: おみごと 2001/09/11(Tue) 00:37
素朴な疑問です。違和感とでも言いましょうか。
(WAKEI氏勝訴に対する疲労屁漏(偏頗男Ψ(@x@))の発言)
>たとえ原告でないにしろ、現代思想フォーラムでの出来
>事の決着を法廷に委ねたということですよね?
>
>思想としては敗北じゃないのですか?
すると、あなたのコレ↓は、(いやぁん氏の突っ込み)
(疲労屁漏のかつての発言)
[おまえさえよかったら「真剣勝負の試合」でケジメつけに行ったてもええんや
[ど。蹴り、突きは堪忍したる。車で10分や。怖いか?この腑抜け。
(nifty:FSHISO/MES/09/14364)
(いやぁん氏の結論)
(疲労屁漏は)現代思想フォーラム内での出来事の決着を「決闘」に委ねた
ということですよね?
もしかして思想的に、ここでの論争で完全敗北した、とみな
したからですか?
71: 疲労屁漏(偏頗男Ψ(@x@)) 2001/09/11(Tue) 00:43
おんどりゃ、分かったけ。
ワシ、と議論するときはやな空手を習っとけ。
あぼーん
86 :
考える名無しさん:01/09/11 02:18
にいなな=電波男=ヒロヘロ
88 :
ジャコバイト:01/09/11 13:05
にいななさんが、とてもいっぱい書き込んでくれたので、その誠意に答えて、一応今回で接点ができなければ最後ということにして書き込んでいきましょう。
まず72。
戯画化、というのは、微妙な論点を単純化してるのがアンフェアと思ってる。
69の11−15行、第二パラグラフ、にどこが違うか書いている。
これでも、わからない?
これで、もし過度の単純化をあなたがしていると、良心が認めてるなら、ちゃんと謝罪してちょうだいな。
あなたの実存の根拠が儒教でないというのは、一応信じましょう。
73について。
あのね、論文じゃないんだから、対話ってのは思考過程がごちゃごちゃしてるのは当たり前でしょ。
最初から、そんなビシっとしてるなら、こんなところでわいわい話しながら考える必要はないわけだ。
いろいろ俺がごちゃごちゃしてるのは認めるよ。
ただね、それを話してく過程で整理してくのが対話じゃないの?
たとえばね、俺が好き嫌いをまず言ったとする。
それの根拠は何か?と尋ねる姿勢は正しいよ。
そして、俺はその根拠いっつも答えてきたでしょ。
それと、二入とも餓死させるかどうかの問題だけど、
1、個人の保護を論拠とするなら、二人とも餓死させるべきである。
もし、どっちかを殺した場合は、必ず罰されなければならない。
正義はそれ一つの実践だけ見ると、大いに疑問を持つ場合がある。
たとえば、放蕩息子に、勤勉な人が金を借りてて、強制的に返還させる場合とかね。
でも、そうした例外を認めてたら、正義は成り立たないんだよ。
ここら辺の機微は、ヒュームでも読んでみてね。
2、共同体保護の観点に立つ場合。74で議論になってるところね。
だから、これは社会の利益に立つ場合、って言ってるでしょ。
その場合は、その方が社会の存続には合理的、って言ってることにはどう思うの?
俺は、1の立場から言うならね、なんで親の命のほうが子どもの命より尊いって言えるわけ?
こどもにとっては、自分も生きたいだろうに、まだ反撃する力がないから、唯々諾々と殺されるだけでしょ。
もし、反撃する力があるなら、黙って殺されてないと思う。
そして、無力なものだったら、殺していいって話だったら、あらゆる正義はなくなってしまうのはわかるよね?
んでね、もし個人の人権・利益というのを、正義の名のもとに侵害するなら、それは公共の利益に合致していなければならないと思う。
これは、人は社会の恩恵を受けてるし、その社会が崩壊すれば自己の権利・利益も損なわれるので、社会・国家の利益に従うというわけで、何も自己利益を放棄してるわけじゃなく、長期的観点からの自己利益に一致してる、ということね。
んで、その場合は、個人の恣意的な判断は許されないわけだよ。2で述べてる問いに答えてちょうだい。
俺は、個人の自己利益から導き出せない理屈で、個人の利益を侵害することがドグマと思っている。
決して、侵害される本人は納得がいかないだろうからね。
親の命が大切だって、大義名分を担げば、抵抗力のない子どもの利益はいくらでも損なわれていいってわけ?
まだわからないかもしれないけど、「親を生かすために」そんなことを言ってるのはわかりきってるんだよ(55)。
要は、なぜ「親を子を殺してまで生かすことが正当化されるのか?」ってことなんだよ。
俺が、自己利益と公平の立場に立つのも、ドグマというならいたしかたない。
俺は、自己利益の点から合理化できない理屈で他者に不利益を強制するのをドグマと思っているのだが、たぶんあなたとドグマにこめている意味が違うのでしょう。
89 :
ジャコバイト:01/09/11 13:14
>75
うーん、だから、88でも言ってるけど、俺は少しづつ尋ねられたら自分の考えの根拠を述べていってるので、最初舌足らずだったのは認めるよ。
でも、それは自分の立場を変えたりしてることじゃない。
対話の効用というのは、本人も気付いてない思考の根拠を明るみに出し、その論理的妥当性を問い直すことにあると思ってる。
包茎公がまたほざいてるけど、そういう営みがソクラテスだったわけで、はじめ一言で答える対話相手に、その根拠は?って問うていったのが、ソクラテスの問答法=産婆術、だったのは、いいかな?
それで、俺がはじめに舌足らずだったのは認めるけど、ちゃんと問われたらその根拠を答えていったでしょ。
その文脈も無視して、66のようなことを言うのは、69と思う、というのには、どう思われる?
もし、少しは良心に恥じたら(儒者だったら良知って言うのかな?)謝罪してちょうだいな。
90 :
ジャコバイト:01/09/11 13:22
>76
議論の誤謬をしてきされて俺は怒ったのじゃなくて、包茎公の態度が学際間の交流を不可能にするものなので、恫喝ではなく、義憤で批判してたんだよ。
あと、あのねー、ちゃんと問われれば、ずっと俺の考えの根拠は答えてきてるでしょ。
むしろ、にいななは別として、多くの人が、俺がその考えの根拠を問うと、なしのつぶてだった。(前の板を見てけばわかるよね)。
最初から、命題の根拠を述べる、ってのは、全ての思考過程が完了してから行う論文の時の態度で、思考過程そのものである対話の態度じゃないんだってば。
にいななも、議論することで、自分の思考が発展すると思ってるから、やってんでしょ。
包茎公は全然そうじゃないから、ソクラテスのことを希薄としか見れないんだろうね。
あと、勝手な命題、っていうけど、まず問題提起して自分の考えを開陳して、議論にのせるってことこそ、尊ばれる態度だと欧米じゃされるみたいだけど。
俺が難癖、って言ったのは言い過ぎた気もして謝るけど、あなたの方から積極的にこうこうこうだから、儒教の現代的意義があるんだよ、って言って欲しいという俺の願望ですがな。
91 :
ジャコバイト:01/09/11 13:26
74
そうそう、言い忘れてたけど、なんで俺が姥捨て山とか方丈記とかもちだしたかというと、
合理的根拠から(88で言ってることね)は多少正当化できなくても、許容範囲であれば、その社会の慣習は尊重した方がいいと俺は思ってるわけね。
でも、その慣習擁護の立場から言っても、日本の場合、儒教は百害あって一利なし、って言いたかったわけ。
本朝の先祖たちは、やっぱし緊急の場合でも88の2の観点に沿うようにしたあたり、唐土の半開に比べて、だいぶ賢いと思う。
つーか、ジャコバイトは何故か儒教研究者=儒者と何故か勝手に思いこんでる節が。
93 :
ジャコバイト:01/09/11 13:36
>79
しからば、お尋ねするが、あなたは43でキリスト教はドグマですよね、って言ってるが、アクィナスやアウグスティヌスの全著作を読んでないあなたがどうしてそんなことを言えるのか?
あと、スミスのことを自由放任経済と、前の板で言ってたが、国富論すら全部読まず、ましてや道徳感情論を読んでないあなたがどうしてそう判断できるのか?
この問いに答えてね。
あなたや包茎公はこういうことを言ってるんだよ。
もし、その場合、アクィナスやアウグスティヌスの本の中で、復活や三位一体を否定している場所を、私は不案内なので教えて下さい、とあなたが尋ねたとする。
そしたら、呆れた、思考する力があるのか疑わしい、って答えられたら、己のためではなく、正義感から起こるのは当然じゃない?
にいななあ儒教的党派心から目が眩んでるだけで、包茎公のような言っても無駄な小人とは違うと思うから、以上、丁寧に説明しました。
まぁ、この問いに答えてよ。
それで、自分が精妙な俺の思考を誤解してました、って良心が思うなら、謝罪してちょうだいな。
94 :
ジャコバイト:01/09/11 13:52
>81
だから、幼稚だと判断しても、普通は口に出して言わないでしょうが。
大体、俺が経験の範囲内で、っていうのは、丹念に読めば歴史的事象の知識も含めてってのはわかると思う。
んで、こういう場合、俺の言う経験の範囲内の例外をあなたが提起するか、それとも「立派」とする判断基準がいかなるものか問うのが議論する際の適切な態度でしょう?
そう思わない?
実際、そのあと、すぐ「立派」とする基準が俺とあなたと食い違ってることが判明したけど、これは基準の違いであり、俺かあなたが幼稚か大人かの違いじゃなかったんじゃない?
まだわからないみたいなら言うけど、
たとえば、自分は悪魔や幽霊を見た経験がないので、いないと思う、という人に対して、
なんという幼稚な論理か、というのは適切か?(織田信長の例)
また、自分は神や天使を経験で見たことがない、からいるとは言えない、という人に対し、
なんという幼稚な論理か、というのは適切か?(ヒュームの場合)
あのねー、それが悪罵じゃなくてなんなの?
俺は36であなたが「真善美は肯定的側面を持つべきである」というのはドグマか?ってナンセンスな問いを出してきて、その不適切さを指摘して、あなたもそれを認めたけど、
俺は幼稚だとか言ってないでしょ。
心の中で思っても、言わないのが、礼だし仁なんだよ。
それに、反してて、一身の徳においても、腐儒なのかなぁ、って問いかけるのは不適切かな?
俺は、あなた本人の思考能力や人格の悪口は一度も言ってない。
腐儒やオナニズム、という言葉は、あなたも含めた、ただ象牙の党に引きこもるだけで、国家や社会への実践的貢献によって衆生を救おうなどとは全く考えない態度のことを、正義感から言ってるんだよ。
孔孟は、衆生を救う実践的思考に貫かれてた。
その精神も忘れて、ただ冊子上の糟粕をなめる学者を見れば、今の世に孔孟がいれば、腐儒と言ったことと思う。
また、学問はオナニズムにとどまって、本当にいいと思うのかね?
あなたは、旧帝大の教官の給料を、そんな態度でももらえるからいいと思ってるのかもしれないが、社会は分業でなりたってるんだし、知識人にはもっと高いものを世間は要求してると思うよ。
まぁ、以上のことを読んでて、良心が恥じたら謝罪してください。
「改むるに憚ることなかれ」というのは、論語中の俺の高く評価する言葉です。
あなたが、自らの態度と判断の誤りを謝罪するなら、当方はそれ以上追及しません。
95 :
ジャコバイト:01/09/11 13:58
>78
まぁ、あなたは俺のにいななへのメッセ―ジを見ても、にいななだったらあるいは考え直す可能性があるが、何もわが身を恥じないんだろうなぁ。
儒教のいう小人、仏教のいう一闡提、キリスト教のいう種の育たぬ荒地、だろうか。
もし、違ったら、あなたが改悛さえ示せば、すこし見直すかな。
はじめ、包容力のある人と思ったのだが、包容力が微塵もないどころか狭隘の極みで、きっと御自身の包茎からHMをとったと思って、いつの間にかその名で記憶して書いてたけど、違ったらごめんね。
しっかし、あんた、その態度じゃ女にもてないだろうなぁ・・・。
大体、儒教は、包容力もない人間ばかり生み出す。
あと、話は変わるけど、女性の地位の低さも大問題だよな。
まぁ、ともに思考することがあんたとは不可能らしいので、この辺にしときましょう。
96 :
ジャコバイト:01/09/11 13:59
>83
その学問的方法論を教えていただければありがたいのですが・・・。
97 :
ジャコバイト:01/09/11 14:02
>70,71
儒学好きですさん
五常の徳は、持っておいてもらわないと、コミュニケーションできないってのは同意。
ただ、儒学的常識、ってのが何を指すのかわからんので、それ以上は同意できない。
何を指すの?
親を生かすためなら、子や他人を殺すことを美徳として褒め称える、ってのが誰かさんみたいに人間として妥当でしょ、っていうなら、俺は受け入れられないよ。
ジャコバイトさんは女なのにどうして「俺」とか言うのかい?
中国は独自の社会主義を構想し、それを実現している。それには構造改革や
腐敗や香港の返還など中国にも直面する問題が全くないわけではないのだが。
そして今中国は経済成長の時代にある。それは低労働賃金という点で昔の
日本のそれと同じ点が多いが中国が不況になっても日本のように失業や福祉
などの問題はは生じる可能性は少ないだろう。基本的に社会主義だからだ。
儒教その他がどのように今の中国を形成してきたのか、説明きぼーん
100 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/11 16:31
長文のレス、ありがとうございました。(>ジャコバイトさん)
「省略」覚悟で、長文の書き込みをします。
先に言っておくと、
一部については謝罪・訂正しますが、他の部分についてはそうではありません。
では。
> まず72。
> 戯画化、というのは、微妙な論点を単純化してるのがアンフェアと思ってる。
「戯画化」(前スレ330-331)を、たとえば前スレの218-219あたりでのあなたの主張と
見比べても(だいぶ昔のことでもあり)どのへんがズレているのか、よくわかりません。
「微妙な論点」というのが具体的にどういうことなのか全くわかりませんが、
その単純化によってどのように歪んだのか、指摘していただきたく思います。
(微妙な論点とやらがどうあれ、たとえばあなたが『ある国が、対外的に独立を維持したり、
国民を幸福にしていると、その国の「政治思想」が優れているということが、「それだけで
直ちに」言える』と主張していることには変わらないと思います。また、それによって
あなたの立場を歪めるわけでもないので、アンフェアだとは思えません。)
> 69の11−15行、第二パラグラフ、にどこが違うか書いている。
> これでも、わからない?
その点については、訂正して謝罪します。
そもそも
>>66での例示からして間違っておりました。
また、
>>69で頂いた指摘は、従来からのあなたの立場であること、間違いありません。
申し訳ありませんでした。
> 73について。
あなたが言ってもいないことを、行間から読みとれ、ということでしょうか?
ならば「ちゃんと俺の発言を読め!」というのは甘受します。
> いろいろ俺がごちゃごちゃしてるのは認めるよ。
> ただね、それを話してく過程で整理してくのが対話じゃないの?
あなたが何かを言っても、「整理」されるまではリアクションをしては
いけないのでしょうか?
私は、あなたが何かの意見を表明されれば、それがあなたの意見だとして
批評したり議論したり「幼稚だ」と指摘したりします。
101 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/11 16:31
> たとえばね、俺が好き嫌いをまず言ったとする。
> それの根拠は何か?と尋ねる姿勢は正しいよ。
> そして、俺はその根拠いっつも答えてきたでしょ。
あなたの個人的な好き嫌いや、その根拠を質したわけではありません。
あなたの公明党嫌いの理由やナチス嫌いの理由を聞いても意味はない。
問題は、「あなたの論理だと公明党を肯定することになる」「ナチスを
肯定することになる」という問題です。
(これは、あなたがナチズムの持ち主だ、とかいう低レベルの個人攻撃とは
全く異なる問題です。念のため。)
あなたが「私は公明党は嫌いだ」「なぜなら小泉政権に協力してるからだ」と
言ったところで、あなたの論理が指し示す結論は変わりません。
道は2つだけ。
「私も私の言うことを信じれられないが、私の論理はそのように示している」と
自分の論理に殉じるのか、それとも
「このような結論に至る私の論理は、おそらく間違っている」として破棄し、
新しく別の論理を模索するか。
> 1、個人の保護を論拠とするなら、二人とも餓死させるべきである。
> もし、どっちかを殺した場合は、必ず罰されなければならない。
2人の人間(我が親と我が子と)が餓死しかけている。食糧は1人分しかない。
どちらにも食糧を与えず餓死させるのが正義である、と無条件には言えないでしょう。
どちらにも全く食糧を与えずに餓死させるか、
平等に半人前づつ与えて結果的に双方を餓死させるか、
親に1人前を与えて子供を餓死させるか、
子供を優先して老い先短い年寄りを餓死させるか。
個人の保護を論拠とするならば、最初の判断が正しいと決められる、とは、
すくなくとも私には信じられません。
> 俺は、1の立場から言うならね、なんで親の命のほうが子どもの命より尊いって
> 言えるわけ?
> こどもにとっては、自分も生きたいだろうに、まだ反撃する力がないから、
> 唯々諾々と殺されるだけでしょ。
> もし、反撃する力があるなら、黙って殺されてないと思う。
> そして、無力なものだったら、殺していいって話だったら、あらゆる正義は
> なくなってしまうのはわかるよね?
相変わらず誤解がありますね。あの説話では、年寄りも子供も、無能力者なんです。
まさか、読まれたことが無い、などとはおっしゃらないで下さいよ。
102 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/11 16:32
> その方が社会の存続には合理的、って言ってることにはどう思うの?
それはそうかも知れません。しかし、
だとしたら、あなたの
>>52における指摘は、「社会の存続」について述べているだけで、
本論とは無関係なカキコということになります。
> 俺は、自己利益の点から合理化できない理屈で他者に不利益を強制するのを
> ドグマと思っているのだが、たぶんあなたとドグマにこめている意味が
> 違うのでしょう。
全くその通りです。「ドグマ」という一般名詞に対する理解が、我々の間で
大いに異なっているようですね。
> それで、俺がはじめに舌足らずだったのは認めるけど、ちゃんと問われたら
> その根拠を答えていったでしょ。
> その文脈も無視して、66のようなことを言うのは、69と思う、というのには、
> どう思われる?
私は
>>66で、訂正後の立場を無視して、当時のあなたの発言のみを指摘した。
のちにあなたが立場(の根拠)を改められたということを明示せず、
(「それは自分の立場を変えたりしてることじゃない」(
>>89)というのは認めません。)
当時のあなたの立場のみを強調した。
以上のことはミスリーディングだったと認めますし、このことについて謝罪します。
しかし、
>>54で私が
> そういうのが「現代的意義」だといわれるなら、(中略)
> 創価学会の「哲学」としての「現代的意義」は高い、と認められますか?
と問うたことに対して、あなたが
>>61で
> 公明党はほんとむかついてる。
> 俺は自由党支持者で、いまの与党には断固反対だからね。
と答えられたことは、既に述べたように、やはり疑問です。
> 包茎公の態度が学際間の交流を不可能にするものなので、恫喝ではなく、義憤で
> 批判してたんだよ。
> だから、幼稚だと判断しても、普通は口に出して言わないでしょうが。
では、他人を批判する際の態度というものについて、我々の間で常識が共有されて
いないのでしょう。
103 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/11 16:32
> あと、勝手な命題、っていうけど、まず問題提起して自分の考えを開陳して、
> 議論にのせるってことこそ、尊ばれる態度だと欧米じゃされるみたいだけど。
欧米ではどうか、というのはどうでもいいんですが、そういう態度を貴ぶことには同意。
ただし、最低限「議論」に耐えられる程度の「問題」提起を望みます。
> しからば、お尋ねするが、あなたは43でキリスト教はドグマですよね、って言ってるが、
> アクィナスやアウグスティヌスの全著作を読んでないあなたがどうしてそんなことを
> 言えるのか?
ドグマにとらわれている思考が「ある」ということは、全文を確認せずとも言えます。
「不合理ゆえに信じる」なんてのが「ある」ことを確認すれば、著作すべてを確認せずとも、
その思想が「ドグマ」にとらわれているということは言えると思う。
しかし、
儒教に問答法が「ない」ということは、儒家に関する全ての著作を確認しないと
断言できないと思います。
「黒いカラスがいる」ということは、カラスを1羽だけでも確認すれば言えます。
が、「白いカラスはいない」ということは、地球上の全てのカラスを確認しなければ
断言できないでしょう。
> アクィナスやアウグスティヌスの本の中で、復活や三位一体を否定している場所を、
> 私は不案内なので教えて下さい、とあなたが尋ねたとする。
> そしたら、呆れた、思考する力があるのか疑わしい、って答えられたら、
> 己のためではなく、正義感から起こるのは当然じゃない?
もし私が、アウグスティヌスを全部よまずに「彼の思想には三位一体はない」という論を立て、
それから専門家に「アウグスティヌスが三位一体を認めている箇所があるんなら教えて下さい」と
尋ねたのなら、誰かが私に「呆れた、思考する力があるのか疑わしい」と言ったとしても、
私はその評価を甘受します。
あなたは、朱子語類さえ読まずに「儒教には問答法はない」という論を立てて、
それから専門家に「儒教で問答法を使っている箇所を教えて下さい」と尋ねました。
> たとえば、自分は悪魔や幽霊を見た経験がないので、いないと思う、という人に対して、
> なんという幼稚な論理か、というのは適切か?(織田信長の例)
> また、自分は神や天使を経験で見たことがない、からいるとは言えない、という人に対し、
> なんという幼稚な論理か、というのは適切か?(ヒュームの場合)
上記の例を「幼稚」だと評するのは適切だと思います。
悪魔や幽霊や神や天使が存在すると言うことが他に示されていないならば。
ところであなたは、
「立派な儒者を見たことがないから、立派な儒者はいないと思う」とは言ってません。
「立派な儒者を見たことがないから、儒教という思想はろくでもない」と言っています。
断言しますが、これは幼稚な論理です。
このように断言しても、「悪罵」ではなく「客観的な批評」だと、私は思います。
104 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/11 16:33
以前に私が出した不適切な例に対して、「幼稚だ」と思っていながら口に出さないのは、
あなたなりの「礼」や「仁」なのかも知れませんが、議論を進める上では適切ではないと
思います。
「幼稚だ」と指摘されれば、私は、それについて再考し、必要なら訂正することができる。
訂正する必要を認めないならば、「幼稚ではない」と信じる理由を示せばいい。
「ひとのことを『幼稚だ』などというのはけしからん」と噛みつくのではなく。
その結果、話がかみ合わずに物別れに終わっても、それはそれでいい。
見解の相違が、どちらかの論理的な誤謬によるのではなく、互いの立場(の根拠)の相違に
起因するということがはっきりすればね。
> 腐儒やオナニズム、という言葉は、あなたも含めた、ただ象牙の党に引きこもるだけで、
> 国家や社会への実践的貢献によって衆生を救おうなどとは全く考えない態度のことを、
> 正義感から言ってるんだよ。
> 社会は分業でなりたってるんだし、知識人にはもっと高いものを世間は要求してると思うよ。
社会は分業で成り立っていますから、国家や社会への実践的貢献とやらによって衆生を救うのは
あなたや政治家にまかせます。
私は、思想史の研究をする人文科学者にすぎませんから、そこまで求められる筋合いはない。
布教しない宣教師は怠慢だと思いますし、国家や社会に貢献しない政治家は責められるべきですが、
布教しないキリスト教史研究家や、国家に貢献しないヴェーバー研究者が責められる筋合いはない。
理解してもらえないようですが、何度でも言います。(前スレ487)
「論語を研究する立場」と「論語を実践する立場」とを区別して下さい。
仏教研究者は、みな仏教信者であるべきで、研究者はみんな滝に打たれて修行すべきですか?
横スレ
> 子や他人を殺すことを美徳として褒め称える、ってのが誰かさんみたいに
> 人間として妥当でしょ、っていうなら、俺は受け入れられないよ。
これは「主張を歪めた」ことにも「悪罵」にもならないのですね。
どうぞあなたは、カルネアデスの板に五人でも十人でも乗せて、一緒に沈んで下さい。
結局は誰も助からないけど、それが公益に貢献することなんでしょう。
私は「人間として妥当」な選択をして、自分だけでも親だけでも助かるほうを選びます。
過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。
論語 巻第八 より
107 :
ジャコバイト:01/09/11 18:58
>98
むむ、俺を女と思う根拠は?
ちなみに俺は年齢はいくつぐらいでしょう?
108 :
ジャコバイト:01/09/11 19:06
にいななさん
まず100について。
あんたの文脈を無視してたことへの謝罪は了解した。
それでいいよ。
んで、戯画化、だけど、その挙げてる例でも、まず、時間のある程度のスパンを俺は考慮に入れなくちゃいけないのを最初から言ってるのに、それが単純化されてる。
それに、あんたが言ってたのはそれだけじゃないでしょ。
109 :
ジャコバイト:01/09/11 19:14
>101
なるほど、了解した。
俺が、好悪をまず述べる態度が不適切というなら、今後気を付けましょう。
ただね、ナチの点では、最初から言ってる時間の問題が無視されて批判されてる。
俺は論理的には一貫してると思うよ。
公明党の問題は、もっと詳しくあんたに説明すべきだったね。
まず、閣僚になるだけではだめだと思う。
それは、俺が洋学・仏教よりも儒者で活躍した人がいるか?という言説の中に、当然何を以ってより活躍したか、って価値基準が入ってるよね。
んで、俺はそれは読んでてわかると思ったけど、わかんなかったのかな。
つまり、国家にとっていい意味で働いてないと、活躍してるとは言えないと俺は思ってる。
んで、公明党は、地域振興券のような税金の無駄遣いの愚作をしたり、自分たちの利益だけ考えて中選挙区制に戻そうと画策してる。
かつ、俺は小泉改革は国のためにならないと判断してるけど(話すと長くなるからご希望があれば別の板で)、そんなのに協力して、国策を誤らせてる。
だから、国家のためにプラスになることがほとんどないから、閣僚にはなってるけど、それで立派な思想の持ち主、とは全然言えないと思ってる。
これで、なんかまだ不足?
それと、俺が好悪を言うのは改めるとして、俺が言ってるような対話的やりかたもだめかな?
リアクションはしてもいいけど、もうちょっと長い目で、忍耐強く質問を選んでやって欲しい、という俺の要望については、全然却下するのかな?
できれば検討して欲しい。
110 :
ジャコバイト:01/09/11 19:24
>101の後段
もし、個人の利益保護の観点に立つならば、どちらにも故意に食事を与えず餓死させるのは犯罪である。
あなたの挙げる例では、結果として餓死するとしても、両方平等に食事を半分づつ与えるべきだと思う。
年よりも子どもも無能力者、っていうけど、はっきり意思を表明できる点でまず違いがある。
それに、年寄りと子どもが弱者なんてのは俺もわかりきってることで、そのどちらかの生殺与奪をする権利が、その間に入ってる壮年の者にどうしてあるのか?ってことをいってるんでしょ。
じゃあね、88の1で挙げてる、放蕩息子に借金を返すことについて、どう思うか、あんたの判断を示して欲しい。
つまりね、人間はそのような極限状態では弱いものであるから、あるいは子を見捨てて親を生かすかもしれない。
でもね、それは人間の悲劇であって、決して誉められるべきことではない。
これは孝だ、美徳だなんて称揚するべきことじゃない。
平等に生かすべきだった子どもを、死なせてるわけだ。
だから、個人的観点に立つ場合、どうして子よりも親を生かすべきだと言えるのかどうか、しっかりこたえてちょうだい。
親は一人、なんていうなら、その子どもにとっては自分は一人きりなんだよ。
111 :
考える名無しさん:01/09/11 19:36
横レスですが、
>>110 つまりね、人間はそのような極限状態では弱いものであるから、あるいは子を見捨てて親を生かすかもしれない。
でもね、それは人間の悲劇であって、決して誉められるべきことではない。
これは孝だ、美徳だなんて称揚するべきことじゃない。
平等に生かすべきだった子どもを、死なせてるわけだ。
だから、個人的観点に立つ場合、どうして子よりも親を生かすべきだと言えるのかどうか、しっかりこたえてちょうだい。
親は一人、なんていうなら、その子どもにとっては自分は一人きりなんだよ。
この部分は非常に好ましい判断法だと思います。
私もこのように考えています。部分だけ読んでレスしてすいません。
112 :
ジャコバイト:01/09/11 19:42
>103
それで、俺の問題提起は最低限の議論に耐えれてないのかな?
この板は俺の問題提起のおかげで随分盛り上がってると思うけど。(まぁ、付き合ってくれるあんたにも感謝だけど)
あと、あんたは「〜はない」って言うのは、全てに目を通さなければ言えないが、「〜はある」というのは一例だけで言える、というわけだね。
しかし、それでも、やっぱりキリスト教全てがドグマにとらわれてるとは、あんたの理屈だと言えないんじゃない?
全てを確認しなければ、例外があるかもしれない。
どうして、その例外の存在を否定して、キリスト教は哲学ではない、ってあなたは言えるのかな?
それと、問答法がない、とは、あなたがたが明白にここにある、って示してくれれば、一瞬にして破砕される議論なのにどうしてそれをしないのだろう?
問答法、つまりディアレクティケーは、統括と分割を行う特殊な対話の技法である。
まさか、この語義をしらず、単なる問答と思って云々言ってたわけじゃないよね?
んで、論語にこれがないのは明白だ。
んで、聖書が変な書物でそれを疑い得ないゆえに、キリスト教が結局哲学ではなかろう、ってのと同じように、孔孟の権威を結局否定できないどころかその権威を言ってた朱子には、大した懐疑はないし、問答法もなかろう、って判断がそんなに不当かな?
少なくとも、考える力がない、と言われるほどのことじゃないと思うがね。
まぁ、あなたが「〜はない」というために、全て知らなければ言えないし、そういう論法をとるのは幼稚というなら、あらゆる経験科学やイギリス経験哲学は幼稚でおかしいということになるので、俺にとってはさほど不名誉なことではないようですね。
8本足の人間はいないと言えないし、太陽が西から登ることもないと言えないし、死んだ人間が蘇ることはないとは言えないのでしょう。
まぁ、常識を疑うけど。
113 :
ジャコバイト:01/09/11 19:47
>104前段
これはちょっとあんたが間違ってると思うから、よく聞いといてよ。
つまり、あんたの理屈だと、議論において不適切さを改められればいいんだよね!?
幼稚、って言わないと議論の不適切さは指摘できないのかな?
俺は、あなたのことを幼稚とは言わずに、十分その議論の不適切さを指摘してわからせることができたよね!?
もし、同様の効果があがるなら、相手に不愉快な気持を与えない方を選ぶのが、礼であり仁じゃないのかな?
これは俺なりの、ってことだけじゃなくて、あらゆる真の仁や礼について共通してると思うよ。
まぁ、良心が恥じたなら、謝ってちょうだい。
114 :
ジャコバイト:01/09/11 20:03
>104後段
あなたの言い分には明白な矛盾が一点あるから、それについて答えてちょうだい。
まず、あなたがそのように、没価値的に、単に研究する立場からものを言うというのならば、それはそれでいいんだよ。
その場合は、儒教は哲学か否か、という問題に関してだけ、あなたは発言することができる。
つまり、ドグマの有無を認識するのが問題だからね。
ただ、この場合だと、一切の価値判断はできないはずだ。
それゆえ、俺の価値判断についても、異をはさめないはずである。
あなたが、単に哲学かどうかの問題でのみ食い下がるなら、俺はあなたの立場に矛盾はないと思う。
しかし、そうではなく、儒教に価値は少ない、劣ってる、とする俺の判断に異を唱えてるわけだ。
価値判断に異を唱えるということは、あんたにも何かの価値判断が働いてないとムリと思うけど、それはどうなんだい?
それとね、あんたが、自分には責任がない、というのは、専門職業としてはそうかもしれない。
でもね、人間として、また知識人として、それでは失格とは言わないけど、そうした責任感を感じて働いてる人と比べたら、価値がぐっと劣ると思う。
俺が言ってるのはそういうことなんだよ。
あなたは、そんな風に没価値的に生きてて、いつか死ぬし老いていくのに、悔いはないのかな?
まぁ、ないっていうなら、如何ともし難い。
仏教研究者が、仏教徒である必要はないよ。
行もその場合しなくていい。
でもね、単に冊子上の糟粕をなめてるだけで、何も悟りにその場合近づいてないだろうね。
俺は一応、臨済宗の方で坐禅やって、初関は通ってるから、そのような人よりかは、はるかに仏道に近いし、仏の真意に近いと思う。
まぁ、何よりも、そういう人は、仏教の価値について判断する資格も能力もないよね。
だって、没価値で生きてるんでしょ。
あなたのいう、没価値的態度は、学問の世界においては、ある程度必要と思います。
ある程度、ってのは、本当は全くの価値中立なんて不可能なことだからね。
ただ、人間として、人生をどう生きるか、また国家はいかにあるべきか、という実践の領域はすごく価値判断が必要なことなんだよ。
俺は、専門外の人間なので、実践的関心が過ぎたとは思う。
でも、まぁ、これからさらに気をつけるけど、哲学かいなか、つまりドグマの有無は価値判断だけではやってないつもりだよ。
ただ、あなたが、もし人生や政治を価値判断をせずにやっていけると思ってるなら、それはちょっと説明してもらわないと俺には信じ難い。
没価値的に生きるなんてことはそりゃできんだろうよ。
でも研究対象の価値体系に没入することもあるまい。
ジャコバイトは臨済宗の実践者でもあるらしいが、
それによって臨済宗を対象化できなくなってる面もあるだろう。
116 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/12 10:06
>>108 > それに、あんたが言ってたのはそれだけじゃないでしょ。
再三再四お願いしていますが、誤りを指摘して下さい。
少なくとも
>>100での例示が、前スレ218-219あたりに照らして
間違っているとは、私には思えませんので。
>>109 > 俺は論理的には一貫してると思うよ。
あなたの当初のカキコからは、あなたの内部で一貫していたという「論理」は
読みとれませんでした。
当初のカキコと異なることを、後からカキコまれたので「立場を改めた」ように
見えた、と評しました。
テレパシーではなく言語を使って対話している以上、これは当然だと思います。
> リアクションはしてもいいけど、もうちょっと長い目で、忍耐強く質問を
> 選んでやって欲しい、という俺の要望については、全然却下するのかな?
あなたのカキコに対して、「以上で俺の見解は終わりだ」と宣言されたり、
「以上のことを整理するとこうだ」と整理されるまで、リアクションせずに
待て、ということでしょうか?
だったら、あなたの要望は却下したいと思います。
> 公明党の問題は、もっと詳しくあんたに説明すべきだったね。
では譬えを改めましょう。
わたしも公明党は嫌いですし、「活躍」の価値基準も問題をややこしくしますので。
アメリカやイギリスの政治家には、キリスト教徒でありながら国家に貢献した者が
多数います。毛沢東は共産主義者ながら中国を強くしました。これについては、
我々の間で「国家にとっていい意味で働いて」いる、という点について、認識は
ズレないと思います。
また、江戸時代の政治家には儒家を自認していた者も多かった(まあ、過去の事実は
あなたの評価の対象とはならないのかもしれませんが)。現代においても、イスラムの
政治家も、ヒンズーの政治家もいる。リー・クアン・ユーを儒家と呼べるかは微妙ですが。
あなたは、彼らの「思想」や、属する「宗教」すべてに、「現代的意義」を認められますね?
あ、
>>79で包公さんが言っていることですが、
> それを乗り越える一般論を構成するわけでもなく、例示に対して直に
> 反発を繰り返すだけ
というのはやめて下さい。念のため。
117 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/12 10:06
>>110 > 88の1で挙げてる、放蕩息子に借金を返すことについて、どう思うか、
> あんたの判断を示して欲しい。
> 正義はそれ一つの実践だけ見ると、大いに疑問を持つ場合がある。
> たとえば、放蕩息子に、勤勉な人が金を借りてて、強制的に返還させる場合とかね。
> でも、そうした例外を認めてたら、正義は成り立たないんだよ。
事情はどうあれ強制的に返還させるべきだ、でないと正義は成り立たない、と
いうことですね。
ならばあなたは、同じ理由で2・26を否定しますね。
もちろんカルネアデスの板も認めない。
我が親と我が子とが餓死しかけていて、自分の手元に1人だけを救える食糧があったら、
1人だけでも救おうとはせず、「正義」に従って2人とも餓死させると。
たしか
>>88で、あなたはこのようにおっしゃいました。
俺は、自己利益の点から合理化できない理屈で他者に不利益を強制するのを
ドグマと思っているのだが、
私は、あなたの「正義」は「ドグマ」だと思います。少なくとも、「万人にとって
疑えない命題・前提」ではない。
> 個人的観点に立つ場合、どうして子よりも親を生かすべきだと言えるのかどうか、
> しっかりこたえてちょうだい。
「私」が「我が親」か「我が子」かを選ぶ際に、判断基準となるのは、以前に述べた
通りです。古典的な儒家の常識として。
> それは人間の悲劇であって、決して誉められるべきことではない。
> これは孝だ、美徳だなんて称揚するべきことじゃない。
食糧難という「悲劇」を儒家が招いたわけではありませんよ。念のため。
現にある食糧難という「悲劇」に際して、儒家がどのような判断をするか、です。
それとも、そこで2人とも餓死させれば、それは「悲劇」にはならない?
さて、儒家の「ドグマ」に立てば、
人間は弱い存在だから、つい、可愛い我が子を助けて、親を見殺したく
思うかも知れない。
しかし、自分を産んで育ててくれた親を見殺すなど、人間として、
絶対に行なってはいけないことだ。
だから、あえて我が子を犧牲にしても、人間として、人の道を全うする。
これは「悲劇的な美徳」であっても、「悪徳」ではない。
儒家の「ドグマ」を「ドグマだ」と批判するのは簡単です。
もちろんその場合、「別のドグマ」に立って非難するのではなく、
118 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/12 10:07
「私はこのような前提に立って別の判断をする。そして、この前提は、
孝などというドグマとは違って、絶対に疑い得ないものだ」ということを
示す必要があります。
「そのほうが社会の存続に有益だ」というのは、「社会」を「個人」よりも
優先する「ドグマ」に過ぎません。現段階では。
>>112 > あんたは「〜はない」って言うのは、全てに目を通さなければ言えないが、
> 「〜はある」というのは一例だけで言える、というわけだね。
その通りです。何か間違っていますか?
> 8本足の人間はいないと言えないし、太陽が西から登ることもないと言えないし、
> 死んだ人間が蘇ることはないとは言えないのでしょう。
これも、その通りです。白いカラスがいないとは言えないし、黒い白鳥もいないとは
言えない。
(逆に、白いカラスを一羽でも確認すれば「白いカラスはいる」ということは
断言できますし、8本脚の人間を一人でも確認すれば「8本脚の人間はいる」と
いうことは言えます。)
あなたは、自分の周りにいる何人かの儒家が「腐儒」だということを確認すれば、
ただちに「この世のすべての儒家は腐儒だ」と断言できる人でしたね。
私は、自分の周りの何羽かのカラスを確認しただけで「この世のすべてのカラスは黒い」と
断言するだけの度胸はありません。学者として。
>>113 私は、あなた個人ではなく、あなたの振り回す「論理」が幼稚だと思ったので、そのように
指摘しました(
>>51)。これは、あなた個人の人格が云々という話ではありません。
そのことを確認した上で、もしあなたが、この指摘をあなた「個人」に対する侮辱だと
受け取られたならば、誤解を与える表現を使ったことを謝罪します。
>>114 > この場合だと、一切の価値判断はできないはずだ。
> それゆえ、俺の価値判断についても、異をはさめないはずである。
あなたが「儒教はろくでもない」というのは、どのような価値判断なのでしょうか。
このような大雑把な表現からは、あなたの真意をうかがえませんので、確認願います。
少なくとも、「儒教には問答法はない」という議論に、私は異を挟むことはできる
119 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/12 10:07
はずですし、これまでに儒教は社会の貢献してきた、有意義だった、ということも
言えると思うのですが。
> 人間として、また知識人として、それでは失格とは言わないけど、そうした
> 責任感を感じて働いてる人と比べたら、価値がぐっと劣ると思う。
人生に対する価値観は、私とあなたとの間で異なります。
故に、あなたから「おまえの人生の価値は誰々よりも劣る」と言われても、
また池田大作から「おまえの人生の価値は誰々よりも劣る」と言われても、
痛くも痒くもありません。
せいぜい、あなたのドグマによる価値観を勝手に押し付けられたことに対して
不快感を感じるくらいです。
不破哲郎から「おまえは労働者としての自覚がないから」と言われても、
小沢一郎から「おまえは国家に貢献していないから」と言われても、同様です。
あなたが、「自分は臨済宗の方で坐禅やって、初関は通ってるから、仏道に近いし、
仏の真意に近い」と言われるなら、それはそれでいい。
逆に私が「おまえは四書五経もロクに読んでないし、朱子語類も読めないから、
おまえは私よりも孔孟の真意から遠いところにいるんだ」と言うのも構わない。
そもそもの価値観が食い違ってますから。
あなたが「にいななの人生の価値は、責任感を感じて働いてる人に劣る」というのも
私が「ジャコバイトの人生の価値は、四書を読むだけの腐儒にも劣る」と言うのも、
それは価値観の相違によるものです。どちらが絶対的に正しいとは言えない。
「国家に対する貢献」と「古典思想の研究」と、どちらが普遍的な価値を持つのか
特定のドグマによらず決められない以上はね。
取り急ぎ以上。あと漏らしている問題があったら指摘して下さい。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
125 :
考える名無しさん:01/09/12 10:13
血縁度というのは興味深い概念ですね。
でもハチの中には集団を作らない種類もあるのになぜ…ってのは生物の問題っすね。
スレ読んでると「利己的遺伝子」なんて言葉が言いたくなっちゃいますがちゃうっすか。
「自分の子供以外は助けない」というのが道徳を知らない本来的な人間(つまりは動物としての人間?)
ならば、それでもなお崖から落ちそうな赤ん坊を見たらしかし反射的に手が出そうになるその一瞬の
判断(判断?)こそが人間ならではの本性だと考えていいんでしょか。
いやそれでも倫理道徳をも兼ね備えるのが人間なのだから、それを含めての本性なんでしょか。
人間の本性という字義に近いのは前者だと思うですが。
んでまた沸いてきたはた迷惑な疑問。
「人間はその成長の段階においていつ崖から落ちそうになっている赤ん坊を助けるのだろうか」
例えば3歳児は助けないと思うですよ。小学校高学年ならおそらく手が出るとは思うです。
ならばその間にどんな教育があったのか。あるいはその間に人間固有の本能が顕現したのか。
あるいは幼児期にだって助けようと判断はしているけど能力がないのか。むーん…。
とりあえず利他的行動が善なのか悪なのかはおいといちゃってますが、この人間の利他的行動の
反射的速さが不思議です。逆ってある?反射的な他害行動。あ、また疑問が…。
126 :
考える名無しさん:01/09/12 10:13
利他が善で,利己が悪なの?
善悪の定義がそういう簡単なものなら,
遺伝子は悪だね.
で,遺伝子のの乗り物である個体のレベルでは
ケースバイケースだね.
環境変数によって変わる.
心を平安に保つには,バランスが必要.
人間は社会的動物でしょう.そう考えると,
人間という個体レベルでは,結局,バランスを
とる方が重要なのではないかしらん.
徹底的に利己的にやってりゃ,社会的にいたいし,
徹底的に利他的じゃ,生きてゆけないし・・・ね.
人間の本性が善か悪か,と分けるより,善悪の定義が
問題だと思うよ.
127 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/12 10:13
あ、
>>118訂正
×
あなたは、自分の周りにいる何人かの儒家が「腐儒」だということを確認すれば、
ただちに「この世のすべての儒家は腐儒だ」と断言できる
○
あなたは、自分の周りにいる何人かの儒家に「立派な人がいない」ことを確認すれば、
ただちに「この世のすべての儒家には立派な人はいない」と断言できる
128 :
考える名無しさん:01/09/12 10:14
> 儒教の徳目がドグマではないかという我輩の質問へのお答えは?
> ドグマの範囲、は理性的推論によって根拠付けられていないにもかかわらず、
> それが正しいと主張するもの、ってことじゃないの?
「ドグマ」の捉え方について、我々の間で揺れがあるようですので、
もう少し議論を重ねたいと思います。まず、あなたのいう中国哲学の
ドグマとは、具体的にどのようなものを指しておられるのか。
またあなたは、前スレ407で
> 例外に対処できんわけよ、ドグマだと。たとえば、ファザーファッカーにも
> 孝養を尽くせとか、雪の中に竹の子をとりにいけ、とか飢えた親のために
> 自分の子を殺してくわせるとか、俺はとんでもない、って思うわけよ。
と述べておられます。「孝」がドグマだというなら、それはそうでしょう。
儒教には、祖先から子孫へという血統を重視する、「孝」というものが
背骨として抜き難く存在します。まあ「孝」を理論づける試みとか、親への
盲従を認めない立場(「諫諍」とか)もある、ということは措きます。
しかし、前スレ413で指摘した通り、「刑法200条はとんでもない」というのも、
「親の命よりも子供の命のほうが大切だ」というのも(「俺はとんでもない、
って思うわけよ」ですから、これらはあなたの立場ですよね?)、やはり
「ドグマ」ではありませんか?
「人間として、親は大事にすべきだ」というのも、「人間として、子供を
殺してはいかん」というのも、「ドグマ」という点で同じだと思いますが。
違うと言われるなら、もう少し協力して「ドグマ」の定義をはっきりさせて
いきたいと思います。(←議題3)
129 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/13 09:18
ええと、本物の私(にいなな)のカキコには、キャップ「◆9dSmoZhY」が
付いています。IDが非表示になったとたんに復活した
>>119-124や
>>126なんかに
騙されないでね。念のため。
さて、
>>118補足。
> > 8本足の人間はいないと言えないし、太陽が西から登ることもないと言えないし、
> > 死んだ人間が蘇ることはないとは言えないのでしょう。
>
> これも、その通りです。白いカラスがいないとは言えないし、黒い白鳥もいないとは
> 言えない。
あなたがたとえば「地球は西から東に自転している」なとという論拠を示さず、
ただ単に「昨日も一昨日も太陽は東から昇った、故に太陽が西から昇ることはない」と
言われるなら、私は「太陽が西から登ることもないと言えない」と、否定します。
どうやら、科学的な論理や方法論について、認識にズレがあるようですね。
> あらゆる経験科学やイギリス経験哲学は幼稚でおかしいということになるので、
> 俺にとってはさほど不名誉なことではないようですね。(
>>112)
儒教に関する文献・資料が100冊あるうちの、任意の1冊だけを選んで、
その本には「問答法はなかった」ということを確認する。すると、
それだけで直ちに「儒教には問答法はない」と断言できるのが
「イギリス経験論」の方法なのですか。
130 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/13 09:19
あなたの知り合いには、立派な儒者はいないそうですが、それだけで直ちに
「この世には、立派な儒者は存在しない」と断言できるのが「経験科学」ですか。
だとしたら私は、あなたのいう「イギリス経験論」や「経験科学」とやらを
「幼稚な論理だ」と断言することを躊躇しません。
あなたの「経験科学」では、下記のような論証手続を是認されますか。
是か非かで答えて下さい。
(1)一昨日も昨日も今日も、太陽は東から昇った。
故に、太陽が西から昇ることはありえない。
(2)今までに、私は死んだことはない。
故に、私は今後も死なない。
(3)今までに私は、八本脚の人間を見たことがない。
故に、八本脚の人間は存在しない。
(4)今までに、死んだ人間が蘇ったことはない。
故に、死んだ人間が蘇ることはない。
(5)今までに私が読んだ儒教の本には、問答法が存在しない。
故に、儒教には問答法は存在しない。
繰り返しますが、
もし私が、アウグスティヌスを全部よまずに
131 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/13 09:19
アウグスティヌスの思想のうちには三位一体は存在しない
という論を立て、誰か専門家に「ふざけるな」と言われてから
アウグスティヌスが三位一体を認めている箇所があるんなら教えて下さい
と尋ねたのなら、誰かが私に「呆れた、思考する力があるのか疑わしい」と言ったとしても、
私はその評価を甘受します。
立論する上で当然おこなうべき、基本的な確認作業を怠っていた、ということですから。
私はバクチ打ちではありませんので、知らないことについては断定できません。
また、もし私が『特殊相対論』も『一般相対論』も読まずに
アインシュタインの理論では、マイケルソン=モーリーの実験結果を説明できない
という新たな論を発表したとしましょう。その後で誰か物理学者に「その論はおかしい」と
指摘されてから、指摘した物理学者に
相対論の中で、マイケルソン=モーリーの実験結果を説明できる箇所があったら
教えて下さい
などと尋ねたら、やはり「呆れた、思考する力があるのか疑わしい」と言われるでしょう。
この場合、「私は物理学は専門外だから」「キリスト教には詳しくないので」というのは
132 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/13 09:20
言い訳になりません。
論を立て、議論に上せようとする際には、そのような確認をしておくのは当然です。
もし確認できないなら、そもそも そのような立論をする資格はない。
これは「学際間の交流を不可能にする」態度(
>>90)でも何でもない。当然のことでしょう。
ましてや、
私は専門外だが、アウグスティヌスの思想について、このような論を思いついた。
しかし、アウグスティヌスを全部よむのは面倒なので、専門家であるあなたが、
私のかわりにアウグスティヌスを全部確認して、この論が妥当か否かを調べてくれ
などとは、まともに思考する能力を持っている人間なら、言えるはずもない。
もしあなたが
専門家がアウグスティヌスを確認せず、反証も出さないならば、私の立てた論を
『とりあえず真だ』と扱うべきだ
などいう前提に立つのなら別ですが。
さて、あなたは、
基本文献である『朱子語類』さえ読まずに「儒教には問答法はない」という論を立てて、
不審を表明した包公さんに「儒教で問答法を使っている箇所を教えて下さい」と尋ね、
包公さんが「当該箇所をわかりやすく説明しようともしない」と怒りをぶつけました。
誤っていれば、その旨を指摘して下さい。
『朱子語類』が基本文献てのはハードル高すぎないか?
あれ全部読むなんて
134 :
ジャコバイト:01/09/13 14:01
>133
同意。
あと、変わるけど、
にいななよ、110についてもう一回丹念に応えてくれ。個人的観点であんたの論旨とどっちが整合的かと。
それと、何を言っても無駄だから、そろそろやめようかと思う。
あんたが、しょせん価値判断で動いてることは自覚できたかな?
130の例は、2は他に死んでる人がいるからダメ。
5は、論語を聖典視してる宗教の枠内ならば、当然類推が成り立つでしょ。
もし、問答法が急に成立したのなら、そこに飛躍があるし、もはや儒教の枠から突破すると思う。
っていうか、あんた問答法の意味わかってるの?
単なる問答じゃないんだってば。
それに、経験の範囲内のことを、人間はそういふうに言うんだよ。
んで、それをひっくり返したいなら、反証を出せば済むことじゃない。
なんで、その問答法がある朱子の箇所を示さないわけ?
それに、繰り返し言ってるように、俺は断言してるわけじゃない。
自分の言説は、全て反証があれば、修正するつもり。
言語活動は全て仮説、ってのが、イギリス経験主義の流れをくむ、保守主義者の考えだが(西部邁でも読みーや)、それがあなたはどうしてもわからないみたいだねー。
それと、儒教が社会に貢献してきた、ってあんた言ってるけど、今問題なのは、洋学や仏教より貢献しうるのか、ってことでしょ。
俺の発想は、ずっと、洋学者よりも儒者が劣ってる、って言ってることをちゃんと押さえてね。
それと、2.26は、個人的利益の観点に立つなら、あなたが言うとおり、許されない。
しかし、個人的法益は、急迫な被害が迫っている場合、社会的利益の観点からなら侵害できる、って俺が二段構えになってることを忘れないでちょうだい。
んで、あの時の日本は破滅へまっしぐらだった。
そして、あんたみたいな自分の社会に無関心無責任な人間が2.26の義挙をつぶして、数年後には日本は滅びた。
135 :
ジャコバイト:01/09/13 14:51
>121
しっかし、これは噴飯ものだなぁ。
自己利益の観点から合理化できないこと、つまり個人が自分の立場からは納得のいかない侵害、を除去することが、啓蒙であり、文明の進歩だとヨーロッパや賢い近代以降の日本人は把握してるんだけど。
それを、ドグマっていうなら、進歩も自由もあったもんじゃねーな。
あんたがそれを疑うのは構わんが、ほんなら何だったらそれ以上に納得がいくのか示してくれや。
どうやら、あんたは孝のためなら自分が殺されてもかまわないし、まだそれならいいが、納得のいかないあんたの子どもにも平気で強制するんだね。
136 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/13 14:58
>>134 > 110についてもう一回丹念に応えてくれ。個人的観点であんたの論旨とどっちが整合的かと。
ってのは、
> 個人的観点に立つ場合、どうして子よりも親を生かすべきだと言えるのかどうか、
> しっかりこたえてちょうだい。
ということですか?「個人的観点」というタームが共有できていない気がしますが、
私の答えは以前と変わりません。私は儒家ではなく儒家思想の研究者ですが(この
両者の区別は、きちんと付けて下さい)、もし儒家ならば、何度も言うように、
自分の子供はまた作れる。いま子供を餓死させても、あとからまた子供を作れば
祖先の祭祀は絶えない。
自分を産んで育ててくれた親は、一組しかいない。生育の恩を仇で返すのは禽獣だ。
という答えを返すはずです。
これは「孝」というドグマに立脚した答えで、普遍的に正しい答えではないでしょうが、
あなたの「両方とも餓死させる」という答えも、何らのドグマにも依拠せず普遍的に
正しい答えだ、とは思えません。
> 何を言っても無駄だから、そろそろやめようかと思う。
それはご自由に。
137 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/13 14:59
> 2は他に死んでる人がいるからダメ。
では、(2)で例示した「証明」の行論は、どこが間違っていたのでしょう?
あなたが再三示しておられる論法では、これは正しいはずですが。
あと、(1)や(4)の証明は、正しいと認められますね?
今までに、太陽が西からのぼったことは、たぶん無いと思いますので。
> 5は、論語を聖典視してる宗教の枠内ならば、当然類推が成り立つでしょ。
それがあなたの「経験科学」の限界です。
> あんた問答法の意味わかってるの?単なる問答じゃないんだってば。
それは解っているつもりですが、じゃあ念のため説明して下さい。
あとついでに、「個人的観点」と「ドグマ」と「論証」と「経験科学」と
「価値」とについて、あなたなりの定義を示して下さい。
用語を共有していないことが、現在我々が陥ってしまっている「水掛け論」の
大きな原因だと思いますので。
138 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/13 15:02
> それに、繰り返し言ってるように、俺は断言してるわけじゃない。
前スレの、あなたのカキコをご確認下さい。
あなたがどういう「つもり」だったのであれ、あなたは断言していました。
議論の手順として、それは不正です。
> あんたが、しょせん価値判断で動いてることは自覚できたかな?
いいえ。こちらからの幾つかの質問に答えていただかないと、自覚するのは難しいです。
> それと、2.26は、個人的利益の観点に立つなら、あなたが言うとおり、許されない。
> しかし、個人的法益は、急迫な被害が迫っている場合、社会的利益の観点からなら
> 侵害できる、って俺が二段構えになってることを忘れないでちょうだい。
あなたが、自分のドグマを疑えない人間だということは自覚しておられますか?
139 :
考える名無しさん:01/09/13 16:15
昨晩、夜食を作るために台所に行くと、ニーチェが冷蔵庫から盗み食いをして
いました。彼は私に気づくと、音も無く立ち上がり、
「神は死んだ。今や我々は欲する。超人が生きることを」
と、静かに語りかけてきました。
「とりあえずか警察を呼ぼうかな…」私が台所から出ようとすると、
「俺たちが神を殺したのだ!おまえたちと俺たちとがだ!俺たちは皆、神の殺害
者なのだ!」
彼はそう叫びながら包丁をなげてきました。私はたまたま持っていたリーガル
社製のフライパンですかさずそれを打ち返しました。包丁は弧を描きニーチェの
眉間に命中しました。彼は呟きました。
「これが運命か…、ならばもう一度。」
昨晩、夜食を作るために台所に行くと、ニーチェが冷蔵庫から盗み食いをして
いました。彼は私に気づくと、音も無く立ち上がり、
・・・・
同意。
あと、変わるけど、
にいななよ、110についてもう一回丹念に応えてくれ。個人的観点であんたの論旨とどっちが整合的かと。
それと、何を言っても無駄だから、そろそろやめようかと思う。
あんたが、しょせん価値判断で動いてることは自覚できたかな?
130の例は、2は他に死んでる人がいるからダメ。
5は、論語を聖典視してる宗教の枠内ならば、当然類推が成り立つでしょ。
もし、問答法が急に成立したのなら、そこに飛躍があるし、もはや儒教の枠から突破すると思う。
っていうか、あんた問答法の意味わかってるの?
単なる問答じゃないんだってば。
それに、経験の範囲内のことを、人間はそういふうに言うんだよ。
んで、それをひっくり返したいなら、反証を出せば済むことじゃない。
なんで、その問答法がある朱子の箇所を示さないわけ?
それに、繰り返し言ってるように、俺は断言してるわけじゃない。
自分の言説は、全て反証があれば、修正するつもり。
言語活動は全て仮説、ってのが、イギリス経験主義の流れをくむ、保守主義者の考えだが(西部邁でも読みーや)、それがあなたはどうしてもわからないみたいだねー。
それと、儒教が社会に貢献してきた、ってあんた言ってるけど、今問題なのは、洋学や仏教より貢献しうるのか、ってことでしょ。
俺の発想は、ずっと、洋学者よりも儒者が劣ってる、って言ってることをちゃんと押さえてね。
それと、2.26は、個人的利益の観点に立つなら、あなたが言うとおり、許されない。
しかし、個人的法益は、急迫な被害が迫っている場合、社会的利益の観点からなら侵害できる、って俺が二段構えになってることを忘れないでちょうだい。
んで、あの時の日本は破滅へまっしぐらだった。
そして、あんたみたいな自分の社会に無関心無責任な人間が2.26の義挙をつぶして、数年後には日本は滅びた。
141 :
ジャコバイト:01/09/13 16:44
さらば、にいなな。
あなたとの議論は、いくつかの論点の違いがはっきりしたことだけは、とても有益でした。
没価値と価値判断、蓋然性を扱う経験科学の問題、etc.
ただ、あなたの毒のある優しさのない言い回しを見てると、どうもこちらの心がすさんでくるので、これ以上は体力的な問題で、撤退します。
ごめんなさいね。
あなたは、学者としては、たぶん優秀になれると思う。
でも、人間としてはどうだろう?
まぁ、俺の今までの書き込みや姿勢から、ほんの少しでも何かを汲み取ってくれてれば、望外の喜びだけど、それがあんまりないようなのは、俺の方の落ち度もあると思う。
俺が自分のドグマを疑ってないか問うなら、135に応えてちょうだいね。
それと、2.26への無理解は、あなたの歴史理解の程度を示すに十分です。
儒者の史徳の無さの一例でしょうか。
用語に関しては、個人的観点やドグマについては前述のとおり。経験科学や論証は、
話すとわずらわしいので、ヒュームでも読んでちょうだい。
137の2は、そのとおり、自分の死は誰にとっても、
常に未経験なものにとどまる。実験不可能な問題だね。
他人の死を見て類推するしかない。でも不確かな、経験の裏づけの無い類推になってしまうね。
だから、2のように思う人がいても、それはご自身で確かめてみてとしか言いえない。
そして、人は死が何か本当はちっともわからないのに、一応避けているわけだ。
でも、2はその人の中では、成り立つ理屈だとは思う。
死というのが何かという、実存的な問題に関わる難題だね。
あなたらしからぬ、鋭い問題的だね。
1と4は正しいと認めるよ。
んで、5が俺の限界ってのはどういう意味?
まぁ、あなたには仁も礼も智も少ない。
信はとてもある。
義は、どうだろう?
まだよくわからない。
まぁ、がんばりな!
ともかく、
1、儒教にドグマが含まれていれば哲学ではない。そして、ドグマが含まれている。
2、儒教は洋学に比べて価値が劣る。
ということを、そうは言えないとどうしても言い張りたいあなたの不毛な努力はよくわかりました。
だったら、
@儒教はドグマを持たず、個人に納得のいかない不利益を強制しないし、懐疑的精神に満ちていて、権威よりも真理を追求する方法論が確立されている。
A儒教は、洋学の持たない、あるいは洋学以上の価値がある。こういうものがあるから、現代社会にも役立つし、意義がある。
ってことを、もっと積極的に言って欲しかったね。
そうすれば、もっとこの議論は意義のあるものになったでしょう。
俺から見ると、あんたは、「2000年儒教が続いたから価値がある」という命題を、速攻にで俺に粉砕されて、
あとからは何も建設的にのべることができないので、ひたすら方法論的な文句を言いつづけ(まぁ方法論に自覚的になった点では感謝してるんだよ)、
なんの意義や価値も示せず、否定的な作用に終始してたと思います。
あなたのように、否定的なことばかりするより、俺のように積極的に何かを提起していくほうが、やはり世の中には何かをもたらすだろうね。
あなたもいつか必ず死ぬ。
まぁ、悔いの無いように生きなよ。
まだ若いんだから、儒教に固執することは無いよ。
もっと、意義や価値を求めて、積極的に何かを提起していくことだね。
それでは、Adios!
142 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/13 18:30
>>135 > どうやら、あんたは孝のためなら自分が殺されてもかまわないし、
> まだそれならいいが、納得のいかないあんたの子どもにも平気で
> 強制するんだね。
最後まで、儒教研究者と儒家との区別を理解いただけませんでしたね。
儒家のドグマにしたがえばそうなる、と言ったつもりでしたが。
あなた自身が臨済を実践しておられるから、対象を客観化する立場を
理解いただけないのでしょうか。
> 自己利益の観点から合理化できないこと、つまり個人が自分の立場からは
> 納得のいかない侵害、を除去することが、啓蒙であり、文明の進歩だと
> ヨーロッパや賢い近代以降の日本人は把握してるんだけど。
「個人が自分の立場からは納得のいかない侵害」というのは、個人の
価値観によって異なります。「殺されても豚肉だけは食べない」とか
「自分が殺されても親だけは助ける」とか「親を殺してでも自分だけは
助かりたい」とか「自爆してでもアメリカ人を殺す」とか。
あなたは以前に「殺身成仁」とか、国家や社会への貢献とかについて
肯定的に述べておられました。
「仁」や「社会」に対する理解が万人にとり共通でないので、たとえば
楊朱にとっての「納得のいかない侵害」と、墨子にとっての「納得のいかない
侵害」と、あなたにとっての「納得のいかない侵害」とは、食い違います。
> あんたがそれを疑うのは構わんが、ほんなら何だったらそれ以上に
> 納得がいくのか示してくれや。
あなたが疑えない命題に対して私が疑念を抱くことは、私が何かの命題を
盲信しているということとは無関係です。私が何の宗教も信じていなくても、
私が「聖書を盲信するのはドグマだ」というのは妨げられない。
万人にとって疑えない命題が、もしも存在すれば、それは普遍的な価値をもつ
哲学の根拠となりえるかもしれませんが、まだ私はそのようなものに至っていない。
「これ以上に信じられる本尊が示されるまでは、私の信じる本尊が正しい」と
言われるなら、例によって接点はありませんが。
>>141 > 俺の今までの書き込みや姿勢から、ほんの少しでも何かを汲み取って
> くれてれば、望外の喜びだけど、
あ、それについては感謝してます。
> あなたとの議論は、いくつかの論点の違いがはっきりしたことだけは、
> とても有益でした。
これもそのままお返しします。
143 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/09/13 18:30
> あなたは、学者としては、たぶん優秀になれると思う。
> でも、人間としてはどうだろう?
> まぁ、あなたには仁も礼も智も少ない。
これも価値観の相違。
私は聖人君子を目指して修行しているわけではありませんので。
> 1、儒教にドグマが含まれていれば哲学ではない。そして、ドグマが含まれている。
> 2、儒教は洋学に比べて価値が劣る。
> ということを、そうは言えないとどうしても言い張りたいあなたの不毛な努力は
> よくわかりました。
1の後半については、認めていたつもりですが。「孝」なんてのはドグマだし。
むしろ、前半についてコンセンサスはあったのでしょうか。
「ではあなたの洋学には、ドグマはないのか」とか「全くドグマを持たない
思想なり哲学というものは、そもそも有り得るのか」ということも
もう少し深く問いたかったですね。
2については、「価値」についての定義を共有できていないので、別に「言い張りたい」と
努力したつもりはありません。
私もあなたも「21世紀に儒教帝国を復興する意味はない」という意味での「意義」はない、
ということで同意していたんではありませんでしたか?
> あんたは、「2000年儒教が続いたから価値がある」という命題を、速攻にで俺に粉砕されて、
あ、粉砕されてたんですか?気が付かなかった。
で、上記の意味での「意義」はともかく、それ自体の思想としての価値、というのも
粉砕されてたんですかね?
> それと、2.26への無理解は、あなたの歴史理解の程度を示すに十分です。
あなたの「正しい歴史認識」を、私はあなたと共有できていないようですね。
あなたの大好きな「法治国家」を揺るがす武力反乱を、あなたは「公益」の観点から
肯定されるのですか?
> あなたのように、否定的なことばかりするより、俺のように積極的に何かを
> 提起していくほうが、やはり世の中には何かをもたらすだろうね。
>
> あなたもいつか必ず死ぬ。
> まぁ、悔いの無いように生きなよ。
はい、ありがとうございます。
それから、ありがとうございました。
儒教の
何千年も前からの批判、現代における批判として
大道廃れて 仁義有り
慧智出でて 大偽有り(智慧が生じて、そこに大いなる偽りが生じる。)
っていうのは永遠の真理でなないでしょうか?
儒教はその根本に人間の本性を捉えるとともに、ルサンチマンも抱え込んでいる。
儒教が教義を声高に言えば言うほど、儒教のメリットはデメリットに反転していく。
誰か能く出ずるに戸に由らざらん。何ぞこの道に由ること莫きや。
論語 巻第三 より
146 :
考える名無しさん:01/09/14 01:37
今度の米国でのテロを中国はどう思っているのでしょう?
公式見解では米国を支持してるよ。
テロリズムは何処の国家でも基本的に悪さ。
今回のテロは後ろ盾に国家やイデオロギーが表立って出て来ないもの。
犯行声明を出さないんじゃ擁護する事も出来ない。
イデオロギーは関係無いだろうね。
北朝鮮やキューバや中東やアフリカの反米国は分らないけど。
148 :
考える名無しさん:01/09/26 00:58
すんません。。。
中国哲学っていうけど、哲学ってなんなん?
哲学がなにかってことを教えてくれへん?
おれは自分があほとは思わんけど、
土俵が違ってるのに
同じ土俵で戦ってるような
食い違いの議論てあほらしいって思うから。。。
最初はそんなことを議論していたみたいなんだけどねぇ……。
150 :
考える名無しさん:01/10/08 03:20
何で、最近書き込みなくなっちゃったの?
日本は今回の空爆を支持する。
でも中国が怒るから、ご機嫌をとりに日帰りで逝ってくる。
あんまり荒れたんで、どこまで戻って議論を再開したらいいのか
わかんないんじゃない?
153 :
考える名無しさん:01/10/10 18:15
つーか、問い自体がまずいって気づいたんだろやっと
孔子、孟子、韓非子、老荘などは哲学ではなく「思想」です。ただ、
その対象は、西洋哲学のそれと一致するものもあります。西洋はロゴス
による徹底的吟味。東洋は、必ずしも言語による手段を至上のものとは
しません。禅のように言語化を本質を見失うものとして退けるものも
あるくらいです。
155 :
考える名無しさん:01/10/10 22:32
>孔子、孟子、韓非子、老荘などは哲学ではなく「思想」です。
つーか、これの根拠について議論するんだろうが。
言い切るのは勝手だけどな。
156 :
書き逃げ ◆9dSmoZhY :01/10/11 09:13
> 孔子・孟子・韓非子・老荘などは哲学ではなく「思想」です。
言い切るのは勝手ですが、その根拠というか、
「思想の対象」や「西洋哲学の対象」とやらが
どのようなモノだと考えておられるのか、
明示してくれれば有り難いですね。
> つーか、問い自体がまずいって気づいたんだろやっと
「まずい問い」ではないと思いますよ。
「難しい問い」だとは思いますが。
157 :
考える名無しさん:01/10/11 17:24
>>156 いや、「まずい問い」だろう。
「中国哲学は哲学か?」って問いに対して
ベタベタな形式論理で答えるなら、当然イエスとなる。
中国「哲学」って言ってるし。
この次元で問いを考えるならば、
これは「まずくない問い」「優しい問い」
(つーか、むしろ「無意味な問い」か)なんだけど、
そういうしょうもない答えを求めてるんじゃない以上
これはやっぱり「まずい問い」だろう。
それにもうひとつ。
問いそのものはイエスorノーで答えられる類のものだが、
仮にどちらの答えが出たとしても、そのことに知的な意義があるとも思えない。
そういう意味でも「まずい問い」と言える。
「いや、そのプロセスが大事なんだよ」とかしょうもないこと言うなよ。
中国思想って、伝統的に、観念を擬人化して書かれるって、本当?
159 :
考える名無しさん:01/10/13 16:59
>>158 んなことないYO!
「天」概念なんかはある意味で脱擬人化の歴史を経てるYO!
160 :
考える名無しさん:01/10/16 11:21
YOって言うなYO!
161 :
考える名無しさん:01/10/16 13:35
いわゆる「学問」をする者に「人格」
を執拗に求める態度は儒教的といえるんで
ないの?
162 :
考える名無しさん:01/10/16 13:39
> あなたは、学者としては、たぶん優秀になれると思う。
> でも、人間としてはどうだろう?
笑える
163 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/16 23:28
>>157 無意味だよ。君の発言。
「中国哲学〔と名乗っているけど〕哲学として位置付けられるのか?その場合の哲学
の定義は?そこから哲学と称されるもの思想と称されるものを洗いなおしてもいいん
じゃない?」
というのが発端だ。
議論の発端なんぞ知らなかった。
そういうことならまさに無意味な発言だったと言える。
165 :
考える名無しさん:01/10/19 02:05
哲学って、西周が創った言葉って、大学の哲学の授業で聞いた。そんで、
「中国哲学」と呼ばれるものは、思想であって、哲学じゃないって教わった。
>>156 思想は実践を含む。哲学はロゴスと形而上学。
167 :
273 ◆9dSmoZhY :01/10/19 09:17
> 孔子、孟子、韓非子、老荘などは哲学ではなく「思想」です。(
>>154)
> 思想は実践を含む。哲学はロゴスと形而上学。(
>>166)
つまり、「孔子、孟子、韓非子、老荘など」は、「実践を含む」もので、「ロゴス」や「形而上学」ではない、と?
168 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/19 15:13
>>165 大学の授業で教わったと言うのじゃなく、チミとしてはどう見るかと言うのが大切なんだよ。
>>
実践を含まない思想があり、ロゴスと形而上学を否定する哲学もある。
>>168 実践を含まない時点で中国思想ではない。ロゴスと形而上学を否定する時点
で哲学でもない。要するに、現在「中学哲学」と呼ばれてしまっているものすべてに
普遍的な要素を哲学とは呼び得るわけではないということ。同時に、中学思想と呼ば
れているものすべてを中国思想と呼べないとも言える。既出だが、形式論理学的に中
国哲学とは哲学かと問う時点で、矛盾が生じる。哲学か哲学ではないかは、結局、哲
学とみなすか、否かということになる。「Aとは何か」とは問えない。「BとはAで
はない」「CとはAではない」ということの繰り返し。
170 :
考える名無しさん:01/10/20 01:31
哲学か思想かってそんなに重要な問題かね。
そもそも「哲学」という単語は中国文献からきたものだし。
西洋哲学でも「死んでる」「ほとんど死んでしまった」哲学は多い。
問題はそれが現在でも生きているか否か?影響を与えているか否か?
が最重要。
時間というのが最も公正で厳正なフィルターだと思うのだが。
>>170 それは、日本が西洋の諸思想を取り入れる時に、翻訳語として
漢語を使わざるをえなかったことに由来する。「哲学」という言葉が中
国文献から来たこととその言葉の指示内容とは厳密な対応関係は無い。
別に思想でも、哲学でも大して重要ではないと思います。こんなこと
水掛け論に終わる可能性アリ。
172 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/20 08:25
>>169 じゃ、これは形式論理学的じゃないのか?
>実践を含まない時点で中国思想ではない。ロゴスと形而上学を否定する時点
>で哲学でもない
実践、ロゴスと形而上学についての思想、哲学においての価値基準がきみには
出来ていないようだね。
それと君は形式論理学の上面しか解っていないようだ。
173 :
考える名無しさん:01/10/20 11:41
「中国哲学」というカテゴリーは日本製だろ?
もっとも「支那哲学」って呼んでたんだろうけど。
明治日本が自らのアイデンティティを構築する際に
西洋の哲学に対抗しうるアジアの哲学を、従来の漢学的中国思想研究の蓄積から
抽出して「支那哲学」として再構成しようとしたってことを問題にしないで、
単に哲学?思想?とか問うても大した意味はないような気がする。
174 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/20 13:28
>>173 過去ログ読んだ?
話はそれを含めて更にさかのぼり、サンスクリットが中国語へ与えた助辞の影響や
中国独自に発達した論理学まで出てるんだよ。
君は浅い。
175 :
考える名無しさん:01/10/20 14:35
歴代中国において儒者って存在は政治的には
どうなの?
176 :
神のDNA:01/10/20 21:32
今日始めてここへ訪れた者だが・・・ざっと読ませてもらった。
これが始めての書き込みになる・・・。
まあ、とりあえずひとこと言わせてもらう。
中国哲学というのは存在しない。
西洋人が中国に渡った時に、自分らの哲学というものに似たものを
見つけたので、それを中国哲学というふうに呼んだだけのこと。
東洋哲学という呼び方をされている分野はあるが、それは”便宜上”
という形式をとっているにとどまる。
その意味で言えば、存在はするが、本来的には存在していない。
これから他もいろいろ読ませてもらう。
>>172 そういう揚げ足とり的反論はやめようね。私は形式論理学を問題にしている
のではない。個人がどう見なすかという定義の問題を言っている。初めに私の哲学、
思想の定義は述べた。その定義に従って、「中国哲学」と一般に呼ばれるものの中
に、哲学とは呼び得ないものがある。といった。そこにあなたの定義する「思想」
「哲学」を念頭において、「ロゴスと形而上学を含む思想もある」などと言われて
も私はそれを中国思想と見なさないと言っているのだから、見当はずれ。
178 :
考える名無しさん:01/10/21 14:42
>>174 遡ることにこの場合意味を感じないが?
衒学趣味でやってるのか?
179 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/21 15:24
>>178 意味を感じないのなら発言参加するな。
中国思想全般(歴史をさかのぼる事も含む)を射程に置いた議論なんだから。
>衒学趣味でやってるのか?
それ以上ハクチを露呈するな。哲学研究とはそういう側面が多いのだ。
厨房は氏ね。
そんな口汚く罵られるようなことは言ってないつもりだが
何か被害妄想でもあるのか?
>哲学研究とはそういう側面が多いのだ
知っておくよ。
181 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/21 19:05
>>180 >そんな口汚く罵られるようなことは言ってないつもりだが
>何か被害妄想でもあるのか?
被害妄想など無いよ。当然の対価を示したまでだよ。
足元は見えないようだね。君のような態度を持つ人を悉く潰すのがぼくちゃんの趣味。
「衒学趣味」の持つ侮辱的意味をよーく考えな。
182 :
考える名無しさん:01/10/21 20:07
論語は「儒教」という言葉も、「中国哲学」「支那哲学」という言葉もできる前から存在した。
その中に、現在我々が「哲学」と読んでいるものの問題として、
語るに値する内容があるなら、語ればいい、無ければ語らなければいい。
論語成立から現代までの経緯をでもって
論語の意義を論じるのはあまり意味が無いように思う。
183 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/21 20:13
>>182 きみ本当に哲学の勉強してるの?
基礎以前の論理的思想が逝っちゃってるよ。
184 :
考える名無しさん:01/10/21 20:25
>>183 なんの論理も示さずに、
>基礎以前の論理的思想が逝っちゃってるよ。
といわれても、まったく説得力がないのだが。
185 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/21 21:20
>>184 論拠を示す以前の問題。
チミには説得力を感じて貰わないでも結構だよ。
汚らわしいから。
まあいいか。一つだけ言っておこう。
>論語成立から現代までの経緯をでもって
>論語の意義を論じるのはあまり意味が無いように思う。
だれもそんな事いっていない。それこそ論拠を示せだよ。
こういうのを「論点先取の虚偽」と言うんだ。
186 :
考える名無しさん:01/10/21 22:07
>>185 >だれもそんな事いっていない。それこそ論拠を示せだよ。
>>173 あたりを念頭に発言したのだが、そんなに的外れかな。
187 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/21 22:17
>>186 ゴメン。かなり見当外してた。わるかった。完全なる誤爆だ。
ユルシテチョーダイ。
少し睡眠時間増やす。最近オーバーヒートし始めたようだ。
188 :
横レスにいなな ◆9dSmoZhY :01/10/22 09:31
>>177 > 私は形式論理学を問題にしているのではない。
> 個人がどう見なすかという定義の問題を言っている。
> 初めに私の哲学、思想の定義は述べた。その定義に従って、
> 「中国哲学」と一般に呼ばれるものの中に、哲学とは呼び得ないものがある。といった。
ふんふん、つまり「思想は実践を含む。哲学はロゴスと形而上学。」(
>>166)ってことね。
> そこにあなたの定義する「思想」「哲学」を念頭において、
> 「ロゴスと形而上学を含む思想もある」などと言われても
> 私はそれを中国思想と見なさないと言っているのだから、見当はずれ。
無為さんのいわゆる「中国思想」とは、「実践を含む」ものである、と。
で、もし中国に「ロゴスと形而上学」を含む営為があったならば、それを
「中国思想と見なさない」と言っておられるんですね。
お伺いしたいのですが、あなたの言う「思想」と「哲学」というのは、
排他的な関係にあるのですか?
もし、「実践」と「ロゴスと形而上学」との双方を含んでいる営為があれば、
それはどのように分類されるべきとお考えなのでしょうか。
189 :
考える名無しさん:01/10/22 11:26
五四期のいわゆる新儒家たちの営為はどう位置づけられる?
中国古来の思想群を「哲学」として位置づけようとしたと思うけど。
190 :
考える名無しさん:01/10/22 12:18
>衒学趣味でやってるのか?
と問われて
>哲学研究とはそういう側面が多いのだ。(
>>179)
>「衒学趣味」の持つ侮辱的意味をよーく考えな。(
>>181)
結局どっちよ?
191 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/22 12:37
>>190 言葉の多面性も解らんのか?
結局どっち等と言うのは愚問だ。
もうチミは哲学するな。
しょーもないやつ。
192 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/10/22 16:09
あまりにも説明が不親切だと思われ(
>>191)
哲学や哲学史には「遡って考える」側面が多く含まれております。
哲学を研究する上で「遡って考える」ということは重要だと思いますし、
電波さんが「そういう側面が多いのだ」というのも妥当でしょう。
「遡って考える」ことを「衒学趣味」だと侮蔑するのは勝手ですが、
「結局どっちよ?」という質問は、意図が理解できませんね。
193 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/24 09:37
>>192 お久しぶりです。
自分をわきまえない奴には191ぐらいが丁度いいんですよ。
でなきゃ遁天児みたいな馬鹿になってしまいますからね。
194 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/10/25 14:35
> 自分をわきまえない奴には191ぐらいが丁度いいんですよ。
> でなきゃ遁天児みたいな馬鹿になってしまいますからね。
それで「突き放して何も説明しない」んでは、いつまでたっても
「自分をわきまえない」ことさえ自覚されないんじゃないですか?
ま、私は「助産婦」ではありませんので、どうでもいいですがね。(と、突き放す)
>>188 思想と哲学とは排他的存在にあるとは考えません。これはすでに
述べています。たとえば老荘にも形而上学はあります。厳密な物言いをし
なかった私にも非がありますが。
196 :
小泉純一郎:01/10/26 02:32
「天長地久(てんちょうちきゅう)」。邪悪を退治し、地球に恒久平和を
もたらすという意味の老子の言葉。ブッシュ大統領に贈った流鏑馬(やぶさ
め)の鏑矢(かぶらや)と弓を入れた木箱に揮毫(きごう)した。
197 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/10/26 09:14
> たとえば老荘にも形而上学はあります。(
>>195)
すると、
> 孔子、孟子、韓非子、老荘などは哲学ではなく「思想」です。(
>>154)
> 思想は実践を含む。哲学はロゴスと形而上学。(
>>166)
ってのとの整合性は?
> 実践を含まない時点で中国思想ではない。(
>>169)
というのもイマイチ不明な弁別だし。
198 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/26 10:07
>>196 おまえ、小泉よりましな奴だと思っていたが、それ以下だったな>キャ
>>196 最初の分類に厳密性が無かったので、それ以降の理論構築されたものは
すべて崩れているのです。責めるだけ可哀想。
思想史の表層に浮き出てくるものが西洋と中国、インドその他でかなりの差異を
含んでいるのが現状です。我々研究者以外の思想哲学宗教ヲタには思想史として
明文された内容を同一則での抽出として捉えているに過ぎず、客観的に考察でき
ていないのです。ま、研究者の大部分も同じですが。(笑)
デカルトのような研究者がインド中国にも現れたにも関わらず、それが表面に
出てこなかったのは、それ以外に目立つものがあったからなのです。中国にお
いては儒学、老荘思想であり、インドでは宗教学にかかわる統一論争などが目
立っていたので、その陰に隠れていましたが、実際には大きな影響を与えてい
たのです。
たとえば中国においては因明学での論理的思考方法を全ての学派は研鑚し、イ
ンドでも論理学、自然哲学、独我論とその弊害そしてその延長線上の自然哲学
(完全なるデカルトの先駆)がありました。思想史に出てこないだけで全てを
判断してしまうのはハクチです。
199 :
考える名無しさん:01/10/26 11:19
>>198 > 責めるだけ可哀想。
いや、責めてるつもりは無いんですがね。
もしかしたら何か
>>195なりのモノが出てくるのかも知れないし。
200 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/26 17:14
>>199 いいえ。かれは筋道を立てて考える事に向いていないようです。
それを勘違いしてしまっては遁走天国児童のように人生を踏み外します。
>>200 まあ、確かに私は研究者じゃないから、自分の意見を述べたまでですが、
表面上に現れなかったものまで、考慮しろというのも専門家の傲慢では。そもそ
も思想史に現れなかったものまで全部含めて判断できるんですか?それに、厳密
に説明することを考えて書き込みをしていなかったから、細かいところを指摘さ
れると確かに整合性は欠けますね。んー、説明しなきゃダメかなあ。要するに、
はじめの定義の時点で何をもって中国哲学と呼ぶかということがはっきりしてい
なかったので、「孔子、孟子、韓非子、老荘は思想」という言い方をしました。
(じっさい、けっこう便宜的に中国哲学という言葉を使っているんじゃないです
か。それは、専門家にしてみれば許せないのかもしれないけれど。)その理由は
論語、孟子、などの説くところが、実践を重視したものだからです。しかし、
電波男さんみたいな専門家からすれば、初歩的な間違いを含む考えで、言い方も
ある程度の前提知識を考慮しないものだったから、まあ、こういうふうにバカ
にされる結果になったんだとおもいますが。そもそも、中国哲学と呼ばれるもの
を具体的に定義しないと、それを哲学か否かと判断することはできないのでは?
ある判断を下したら、いやそれに当てはまらない例もあるというふうに反論され
るときりが無いように思います。特に「思想史に現れないもの」まで含め考えろ
って言われてもねえ。それは私の知識と能力ではむりですよ。まあ、先に述べた
諸思想は実践重視で、むしろ机上の空論を否定するものだし、老荘は言葉にとら
われることを戒めていますから、ロゴス、形而上学一辺倒ではないと思います。
でも、荘子なんかにも、認識論、存在論なんかは含まれているように思います。
まあ、素人のたわごとだと思って、無視してください。
202 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/27 03:25
>>201 そうではないのです。思想史に現れてこないことを知らなくてもよいのです。
それは知っている人が示せば言い訳ですから。
要は多面的な可能性に眼をやらず、定型化して枠にはめる事の誤りを示した
までです。まだ「諸思想は実践重視であり、机上の空論を否定している」と
いう思い込みがあるようですね。要素空間を示す時に「Aの傾向があるから
非Aの傾向が無い」というのは大きな錯誤ですよ。その空間内部での命題に
ついて「Aは非Aではない」と言うものと取り違えている馬鹿が非常に多く、
日本での思想研究を阻害している一因でもあるのです。そんな馬鹿教授の
影響から早く抜け出してください。
>>202 ふうむ、そういわれればそうかもしれない。私の言い方が悪
かったのかもしれませんが、先の書き込みでは「Aの傾向があるから
非Aの傾向が無い」ととられても仕方なかった。でも、物事にはっき
り仕切りをつけるのは無理だと私も考えています。これは多様な可能
性を考えるという積極的意味のほかに結局、グレーゾーンは残るとい
う諦念のようなものもあるという意味で。ひとつの視点からすべてを
判断することは、誤りだと思いますが、ある視点からの一面的判断を
総合したものが一応の定義づけになるのでは。もしくは、ある立脚す
る視点を明らかにした上で、私はこう判断するとやるしかないのでは。
私の先の書き込みも、絶対的ではないが、一応の視点として、「実践」
というものを立て、その観点からとりあえず、哲学と思想とを区分して
みたわけです。だから、主張が破綻しているように見えたわけで。でも、
やっぱり破綻してますかね?
204 :
電波男Ψ(´д`)Ψ:01/10/27 11:59
未知なあるもの、あるいは未分化なものを判明にしていく作業のうち、
他者との比較作業を否定する事は出来ません。比較作業で陥りやすい
ものとして「隔絶錯誤」があるのですが、それは等位概念(例えば、
モノ→形相→色→赤、青、、、、、という具体的な色)であればひとまず
適用できますが、上位概念と下位概念での種差、類差である場合が多い
ことを必ず念頭においてください。
現代の科学技術の発展を底辺で阻害している思考パターンでもあり、思想哲学
研究者が本来警鐘を鳴らす責任を負っているとも考える事柄です。
判断形式にはもっと融通のある流動的な蓋然性を残しておくのが正しい手順だと
思いますよ。判断には真偽というニ極端価値だけだとするのはもはや論破されて
久しい事柄です。
今回の場合、逆に「実践的傾向の強い思想の中で見出せる形而上学的傾向」に踏
込めば論文を書くにしろ、いいものが出来ると思います。思想と哲学の関係ですが
思想の中に哲学があり、「特定の思考を客観的に価値付けて判断し、評価すること」
を一応の哲学だと考えてはどうでしょうか?形而上学が必ずしも哲学であるとは
限りません。
意外に親切に答えてくれる204 煽りだけかと思ったら。
では、いわゆる「中国哲学」は「哲学」なのか??
アジアの哲学の難点
●推論が無いこと(やりずらい)
封建制のなかであらゆる事象に推論を立てることは
政治的に制限されてしまう。
キリスト教文化圏も十全なる推論の余地を獲得出来たわけではないが
●イスラム諸国との戦争
・カトリックでは否定されたギリシア哲学や
インド、中国哲学のアラブからの逆輸入
>>それによるルネッサンスと科学の発展
・市場経済の拡大から封建領主が没落し中産階級が勃興
●キリスト教内部でのカトリックとプロテスタントとの対立
こういった要素が絡み合って複数の仮説が幅広く議論され、
応用され、再びあたらしい仮説が立てられていくことが可能になった。
207 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/10/30 09:56
> 封建制のなかであらゆる事象に推論を立てることは
> 政治的に制限されてしまう。
たとえば?
208 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/10/30 10:40
>>206 学部生ですか?形骸化された安物の思想史入門書をそのまま転載しているようですね。
【アジア哲学】
時代地域が曖昧すぎますよ。それに全てが政治的に制限されてしまう事の根拠
は?オリエントで高度発達した思想哲学、科学技術がヨーロッパに逆輸入され
、思想的には「スコラ哲学」を生み出しました。この「スコラ哲学」の元とも
いえるインドの思想は紀元前で、遥かにその水準を越えたものになっていまし
た。例えば、「絶対者の存在証明」「絶対者とロゴスとの関係における諸学派
間の論争」など数限りないものがあります。それが存在論、認識論、論理学と
して昇華され、仏教の中にも入り込み、更に高度なものになります。そして当
然のように仏教の各派を含めた論争がインド思想哲学界で展開されていきます
。この学問傾向はまず真諦三蔵によって仏教を媒介として中国にもたらされ、
論理学の基礎として定着します。テトラレンマや多価値論を含むアリストテレ
スの形式論理学よりも遥かに発展したものです。それ以前にも体系化されては
いませんでしたが全ての要素が伝来されていました。その後、インドで発展し
た論理学を玄奘三蔵がインドから持ち帰り、法相唯識(別名因明論理学派)を
築きました。その論理学の特徴は論証式の基準を経験則を固定するのではなく
、その基準自体を追及する分野を必須とし、さらには記述論理学に及んでいる
ことなどがあげられます。
この因明学は中国思想哲学に大きな影響を与え、その入門部分では基礎学とし
て位置付けられました。しかし論理学そのものを思想の表に出してくる事は無
く、教育用の注釈書に反映されていたようです。
11世紀以降、インドにイスラムが侵入してきました。そのころまたインド論理
学が発展しましたが殆どの学派が武力によって潰されています。それ以降の文
献はチベットに残されました。
過去ログ読んだ?同じこと繰り返していると思うんだけどな。
209 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/10/30 11:24
>>205 答えるときに親切になるのは私もにいななさんも教員だからだよ。
「考える筋道」を知らずか無視するかで独善的な発言になった場合、
学生をどやし付けるようになるだけ。かつて遁天児とかW大生とか
いう身の程知らずがおりました。
210 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/10/30 14:29
「学生をどやしつけ」た事って、そういえば、ないなぁ。
学生がバカな事を言いだしても、いちおう話はさせるし、
説明が不明瞭だったりしたら、具体的に何を言いたいのか
聞いてはみるよ。
その結果、やっぱり学生の言うことが間違ってるんなら、
そのように指摘するけどね。
「相手の言い分を聞く」ってのは、議論の基本でしょう。
議論の過程で相手の主張の矛盾を導く(助産?)こともできるし。
211 :
考える名無しさん:01/10/30 14:51
どの地域でも
あらゆる思想、思考が発芽する可能性は常に潜在的に
あるのだけれども、どれが主流になるかは
その地域の風土、政治的な判断に寄るということで
中国哲学の範疇を拘束するものは一体なにか?
という問いでよろしいか?
212 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/10/30 14:57
>>210 学生が間違った考え方を持っていても好いんですよ。私が問題にするのは
学問の態度が備わっていない場合です。小学校高学年から中学校で身に付
けていて当たり前のことです。それを具備していない場合、どやしつけと
言う薬を与えます。
例えば「虚無主義を唱える先生がいるが、虚無だと主張する以上、ご自身の
研究も虚偽であるので辞めればいいじゃないか」と言うような極論でも笑顔で
受け入れます。未熟であってもそれなりの筋を持っているからです。
そこから議論が始まりますが、自説絶対を主張し、言葉の定義を無意味な盆栽
主義と言って憚らない学生にはどやしつけます。
213 :
考える名無しさん:01/10/30 15:49
言葉の定義を「無意味な盆栽主義」といって憚らない学部生には、
まず「言葉の定義」の重要性を説明しますね。
論理や「方便」を交えながら、お子ちゃまにも解るように。
その上で、反論を聞き入れず、また再反論もできずに、
ただ単に「無意味な盆栽主義だ」と言い続けるのであれば、
その時点ではじめて、その学生が行っているのは「議論」ではなく
右翼の街宣車の同じ「自分の信仰を喧伝」してるだけなんだと
判断できるでしょう。
「自分の主張を駄々っ子のように繰り返すだけ」と「議論」との区別は、
残念ながら、小学校や中学校やW大では教えていないようです。
「考えるルール」を身につけないまま大学に来るお子ちゃまは多い。
だから、頭ごなしに「もうチミは哲学するな。しょーもないやつ。」とかは
なるべく言いたくないですね。
ま、結果的にそう思うことはありますが。
215 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/10/30 16:47
ま、確かに「もうチミは哲学するな。しょーもないやつ」と言うのは言い過ぎた
かも知れません。実際には言いませんが、ネット発言になると100倍は過激にな
ります。(笑)
216 :
考える名無しさん:01/10/31 13:02
なんかやおら和んできたな
217 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/01 15:19
> 言い過ぎたかも知れません。
> ネット発言になると100倍は過激になります。(笑)
いや、表現が過激だとか穏当だとかいう問題ではなく、
「そんな事いい出したら、そこで話が終わっちゃうでしょ?」
ってこと。
引導を渡すのは、相手がハクチだと確認できてからでも
遅くはないと思うナリ。
218 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/01 15:47
引導を渡す言い回しはレトリックとして大学教員には必要不可欠な
手法であると考えています。手取り足取りでものごとを教える時期は
過ぎていて、自分自身で自分の姿を客観視させることが大学教育では
必須です。それについて来れない奴は見放すだけです。
思想はそんな甘いもんじゃありませんよ。本当に引導を渡す時は完全
無視して単位も与えません。
220 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/01 18:09
>>219 電波さんは知りませんが、私は別に2chに雇われてはいませんよ。
「良質なレスを書く」とやらいう任務も帯びてません。
あと、私はジャコバイトさんではないので、「人間の価値」とやらにも
とりたてて興味はありません。
「優秀な学生」と「無能な学生」とやらを「価値」で判断することにも。
学生が「ものを考えることができる」か否か、ということには、
多少の関心はありますがね。
>>218 > 引導を渡す言い回しはレトリックとして大学教員には必要不可欠な
> 手法であると考えています。
> 本当に引導を渡す時は完全無視して単位も与えません。
まあ、その通りですね。
ヤンワリ言っても理解せず、院に願書を出してしまう馬鹿もいますし。
ただし、いきなり引導を渡すのではなく、渡す前に見極めが必要だ、と
言いたいだけです。
221 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/01 18:27
>>219 わたしも興味はありません。思想的に未熟であっても、別側面で価値が
有る場合が殆どですしそのような事は考えたくもありません。
>>218 わたしはまだ引導を渡した事は有りませんよ。(笑)
>>221 >思想的に未熟であっても、別側面で価値が有る場合が殆どですし
自分の価値に思想を重きに置いているやつは貴方のような発言で人間的価値を全否定
された気分になるでしょうね。
>そのような事は考えたくもありません。
自分の価値判断の前提を考える事はできませんか。
>それ以上ハクチを露呈するな。
>厨房は氏ね。
>チミには説得力を感じて貰わないでも結構だよ。汚らわしいから。
>もうチミは哲学するな。しょーもないやつ。
>自分をわきまえない奴には191ぐらいが丁度いいんですよ。
>そんな馬鹿教授の影響から早く抜け出してください。
>かつて遁天児とかW大生とかいう身の程知らずがおりました。
>足元は見えないようだね。君のような態度を持つ人を悉く潰すのがぼくちゃんの趣味。
223 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/01 22:43
>>222 何が言いたいの?脳味噌腐っていませんか?
チミのような奴は早くしになさい。
私は直に罵倒はするが、反論が及ばない場所で第三者の存在価値について
云々する趣味は無いので悪しからず。あ、そうそう。人間的価値を否定し
たくなるのはそういう輩に対してですね。
はぁぁ、個人の否定が同じ属性を持つ第三者の否定にも繋がる事が判らんのか。
225 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/01 23:07
>>224 「個人の否定」いつそんなことしたというのですか?
それは受け手の解釈の問題。論点先取の虚偽ですね。いや詐欺とでも言うべきでしょうか。
筋道を批判されたら反論すればいいこと。それをただ罵倒語だけを重視し「否定だ」と騒ぎ
立てる思想を放棄した負け犬でしかないのです。
ああ、、、、だからアフォは早くしんで欲しい。
226 :
考える名無しさん:01/11/01 23:07
中国哲学を語りながら、ここには恕はないのか。
電波男はそんなにアフォなくせによく教員なんかやってられるな。
自分がアフォだと思うタイプというのは何かを考えろと言っているのだ。
「誰か個人を相手してその都度直に批判しているだけで第三者は関係無い」
というのはアフォそのものだよ。
第三者であった同じタイプの人間がチミのもとにやってきたらまた同じよう
に批判するわけだし、少し頭を回せば自分がどういう者をアフォだと認識
するか判り一般化できるだろ。
228 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/01 23:54
>>227 解釈を一般化するの?何度同じこと言わせるの?自己地軸錯誤野郎だな。
アフォは氏ね。
ま、アフォには自分の判断の前提を考える事はできず喚き散らして罵倒語を
並べるのが限界という事か。アフォに氏んで欲しいならまずはキミが氏なないと。
>>226 電波男が中国哲学を語っていても知識としてしか頭に入っておらず、それを見せびら
かしたいだけの単なる馬鹿だから仕方ないよ。
231 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/02 00:33
>>229 反論できる余地を残しておいたけど、それが出来ないとはね。トホホ。
もういいから芯でくれ。
>>230 知識として頭に入る?意味解っていってる?お前も氏ね。
232 :
考える名無しさん:01/11/02 00:37
脳溢血で死ぬんじゃない。
>>231 トホホはこっちの心境だよ。こちらの問いの意味を理解せずチミは喚いて
いるだけ。こんな低脳がよく教員なんかやってられるな。チミに人にモノ
を教える資格はないよ。学生に迷惑だ。さっさと氏ね。
234 :
考える名無しさん:01/11/02 00:45
子貢曰く、
君子もまた悪(にく)むことあるかと。
子曰く、悪むことあり。
人の悪を称する者を悪む。
下流に居て上を謗る者を悪む。
勇にして礼なき者を悪む。
果敢にして塞がる者を悪む。
曰く、賜やまた悪むことあるかと。
徼いて以て知となす者を悪む。
不遜にして以て勇となす者を悪む。
訐きて以て直となす者を悪む。
235 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/02 01:37
>>233 おまえの問いは不完全なんだよ。それも解らないのか?
本筋からずれまくりじゃないか。解釈と一般化ぐらいの思考力は
身に付けておけ。
236 :
考える名無しさん:01/11/02 02:27
完全な問いって例えばどんなの?(ピュア
237 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/02 03:02
>>236 完全な問いという言い回しは少し変だが、「問い」としてその内容が
回答者に客観的に理解可能な状態であり、「問い」そのものへの質問
が生じないことをいいます。
こんな愚問に対してそれだけ冷静な回答ができるのなら
今後は罵倒語使うの控えるといいよ。荒れる元。
239 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/02 09:19
どーやら
> チミのような奴は早くしになさい。(
>>223)
という「罵倒」は、電波男さん的には「個人の否定」ではなく、
相手の思考の「筋道」に対するまっとうな「批判」らしい。
そこらへんの認識が幼児的さんと食い違ってるので紛糾してるのだろーか。
240 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/02 09:37
>>238 あなたの質問は
1 未熟であるが、考える筋道を通そうとする学生特有のもの
2 すでに多く習得しているが、私の言論に不備が合ったため敢えて初学者的質問をした
3 見るに見かねて捕捉を促した
のいずれかだと判断いたしました。有難う御座いました。
241 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/02 09:39
>>239 だからその辺の罵倒はネットでは過激になっているだけ。
実際には「頭冷やせ」「顔洗って来い」「居眠り許す」ぐらいの感じかな。
242 :
考える名無しさん:01/11/02 12:54
>>241 > チミのような奴は早くしになさい。
> 顔洗って来い
いずれにせよ、発展的な議論を指向する発言でも、
相手の思考の筋道を建設的に批判する発言でも
ありませんね。
過激か穏当かという問題ではなく。
確認できて安心しました。
243 :
242=にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/02 12:57
つまり、突き放した「個人の否定」だったんだな、という意味で。
電波さんが「思考の筋道への批判」をしているのに、私がそれを
「個人の否定」だと受け取っていたんなら、私(や全能感さん)の
日本語能力に問題があることになりかねませんでしたので。
244 :
考える名無しさん:01/11/02 13:10
哲学者としての能力も論外だし、人間として尊敬されることもない。
245 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/02 14:46
246 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/02 15:47
>>245 いいえ。単に確認したかっただけです。
深い意味も含むところもありません。
あと念のため、
>>244は私じゃないですよ。
247 :
考える名無しさん:01/11/02 16:02
バカばっか
電波男の発言は「思考の筋道への批判」なんて範囲をとっくに超え、個人の
存在の否定にまで行ってます。
暴力と容認の使い方にうまくならないとこれからも批判に晒されるだけ。
どういう者を馬鹿だと感じ不快になるか、その前提を考えろというのは、
自分の判断の前提を知ればもう少し醒めた立場から人を批判する事ができ
るし(醒めずに人を馬鹿にしている者は馬鹿です)、人の判断の前提の
サンプル収集という私の目的の為です。
249 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/02 17:05
250 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/02 17:10
まず、
>電波男の発言は「思考の筋道への批判」なんて範囲をとっくに超え、個人の
>存在の否定にまで行ってます。
これを論証すべき。「解釈と一般化」の手順を踏まずに個人攻撃する奴は
アフォ!!現に「馬鹿ゆーもんが馬鹿やんか」などと幼稚な発言をしている。
快不快の前提を考えろなどと情緒的強要を示すところもサンプルとしては
非常に典型であって、面白い。アフォの類型として学生に説明してやろう。
251 :
幼児的全能感:01/11/02 17:25
やっぱりアフォには判らんか。はぁ〜。(溜め息)
>これを論証すべき。
>>222で既に論拠となるチミの発言は挙げたじゃん。
「ぼくちんはそんなつもりは無かったんです」じゃすまねー事を知れよ。
相手が死んでから、キミが刺されてからじゃ遅いんだよ。
252 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/02 17:29
>>251 何を感情的になってるんダイ?馬鹿タレ。ちゃんと論証しろよな。
>相手が死んでから、キミが刺されてからじゃ遅いんだよ。
チミにはすでに思想、哲学を語る資格が無くなった。もうすでに
シンデイルのだ。早く去れ。
アフォ類型の補強、ども593。
253 :
幼児的全能感:01/11/02 17:34
受け手の解釈の問題に気付いてないようじゃもうダメだな。
早く教員を辞めろ。
>チミにはすでに思想、哲学を語る資格が無くなった。
チミにはとっくに教育者としての資格は無いよ。
電波男は教育者として傲慢になり過ぎという事だ。
内的にでも外的にでも、いかなることがらをも知りぬけ。
しかしそれによって慢心を起こしてはならない。
256 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/02 18:14
すみません。確認したつもりでしたが、自信が無くなってきましたので再び。
電波男さんの、たとえば
> 厨房は氏ね。
> チミのような奴は早くしになさい。
というような発言は、あくまでも「思考の筋道への批判」のつもりで、
電波男さん的には、これらは「個人を否定する発言」ではないんですね??
私の常識的には、このような発言を「人格否定ではない」だとか
「批判」だとか「過激な表現になっただけ」だとか言われても、
ちょっとついていけないのですが。
「相手の思考を批判すること」と、「相手をハクチだと見なして否定すること」とは、
過激な表現か穏当な表現かという問題とは異なるレベルの話だと思いますが、如何?
(もちろん、相手をハクチだと判断した上で切り捨てることは時に必要ですが、
「批判」と「否定」とを「表現が穏当か過激か」の相違にすぎないとして
混同するのはいただけません)
ま、2chだからいいのかもしんないけど、大学教員がそんに威張り散らしていると、
「専門知をひけらかして大衆との格差を味わい優越感に浸ろうとしているだけの、
現実ではしょぼいやつ」なんて言われかねませんよ。
>電波男
258 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/02 19:36
>>253 受け手の解釈の問題?こんな匿名ネットで何馬鹿なこと言ってるんだい?
かなり粘着質だね。アフォの特性でもあるのかね。足元も見えていないよ
うだし、サンプル的な価値が更に向上したな。それとね、哲学研究者は必
ずしも教育者である必要は無いんだよ。ついて来れないものは切り捨てる
だけ。私の研究分野は教育すべき事じゃない。私の研究に学生が付いて来
れるかどうかが問題なんだ。そんな事も解らないアフォなのかね。
実社会の私を知るとチミはおそらく驚くでしょう。どうでもいい話ですが。
>>256 続けないといってるのに続けるのですか?続けたいのなら表明してください。
貴方の議論の土俵に上りましょう。
>実社会の私を知るとチミはおそらく驚くでしょう。
ほぉ、そんなに偉いせんせいがこんな所で何してるの?
みんなに中国哲学のすばらしさをつたえたいんだー、というふんいきじゃ
ないね。ねっとでまで「ついて来れないものは切り捨てる」なんて考えを
持ち出して人を罵倒する理由はないんじゃなくって?
狩野直喜は問題認識した上で中国哲学史と呼んだわけだし、
宋明理学も老荘もあるんだから、もういいんじゃないのかな。
もっとほかのことで中国哲学の議論をしたいなぁ。
261 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/02 20:28
>>259 >ほぉ、そんなに偉いせんせいがこんな所で何してるの?
チミは面白いくらい引っかかってくれるね。ホント退屈しのぎになる。
私はべつに中国哲学の素晴らしさを伝えたいなんて思ってないよ。私の
研究成果が何かに生かせればそれでいいんだ。別に宣教師じゃ有るまい
しね。それに私の言った「驚く」をそのようにしか解釈できないとは
トホホ以前の解釈装置ブッツブレだね。
「ついて来れないものは切り捨てる」というのは大学では基本だよ。但し
やる気があっても能力的に危うくて結果、ついて来れないものに対しては
とことん付き合うがね。
やる気が無いもの、修めていないのに解った気になって勉強しないものには
容赦ないよ。チミみたいな勘違い君も含めてね。
大学は学問をするところであって学問の訓練は受けるけど、教育を受ける
ところではないんだよ。大きな勘違いしてるねチミは。
262 :
考える名無しさん:01/11/02 22:47
>実社会の私を知るとチミはおそらく驚くでしょう。どうでもいい話ですが。
哀れなり。
263 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/02 23:05
264 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/03 07:23
>>258 > 続けないといってるのに続けるのですか?続けたいのなら表明してください。
> 貴方の議論の土俵に上りましょう。
別に議論などとゆー大袈裟なモノを展開したいわけではありません。
「はい」か「いいえ」かで一言答えて下されれば引き下がります。
あなたの
> 厨房は氏ね。
> チミのような奴は早くしになさい。
というような発言は、単に「相手の思考の論理を批判する」ものであって、
「相手の人格を否定する」発言ではない、と本気で主張されるのですね?
私の疑問は、それだけです。
265 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/03 07:24
> それとね、哲学研究者は必ずしも教育者である必要は無いんだよ。
> ついて来れないものは切り捨てるだけ。
> 「ついて来れないものは切り捨てる」というのは大学では基本だよ。
電波男さんは、よほど恵まれた職場で研究に専念しておられるのですね。
驚きました。事実ならうらやましい話です。
> 大学は学問をするところであって学問の訓練は受けるけど、教育を受ける
> ところではないんだよ。
「学問の訓練」は、「教育」とやらには含まれないのですかね。
だったら「教育」って、何なんでしょう。単なる知識のツメコミ?
266 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/03 08:34
>>264 引き下がって貰わなくても結構ですよ。繰り返し仰るということは批判の意図があるから
でしょうし、「大学と教育」についても文句がおありのようで、皮肉までついている。
さぞ学生から信頼を受け、子馬鹿にされるようなことはないのでしょうね。
学問の訓練を知識の詰め込みだなぞと、チミ本当に大学の教員ですか?学問の訓練とは
筋道を立てて考える事を徹底的に鍛え上げる事です。それは教え育むと言う生易しいも
のではなく、教員もその学問に参加する事なのです。教科内容は文部省認定というものは
なく、個人の研究内容に沿ったものを使うのですからね。そこから何を学び取るかは学生
の問題です。
チミ、ヒョットシテ高校の教員ですか?それじゃ話は変わりますね。一時高校で教えてい
ましたが、あれは教育です。手取り足取りカリキュラムに沿って教え、体得して貰わなけ
ればなりません。
なんか、チミとの対話は不毛だな。。。。
267 :
考える名無しさん:01/11/03 10:24
ホントに哀れだな・・・
電波男said(
>>261)
大学は「学問の訓練」を受けるところであって、
「教育」を受けるところではない。
にいななsaid(
>>265)
「学問の訓練」は「教育」というカテゴリーに含まれるのではないのか?
もし含まれないのだとしたら「教育」の意味するところは何になるのか?
「教育」とは「単なる知識の詰め込み」か?(反語気味)
電波男said(
>>266)
あなたは「学問の訓練」とは「知識の詰め込み」だと言うのか。
学問観・教育観の違いはしょうがないが、これでは議論にならない。
電波男は
>>202のようなまっとうな発言もあったかと思えば、
上記のような単純な読み落とし・誤読もしでかす。
気分によって思考にムラがあるとしか思えない。
電波男さんが旧帝大の教員だったら、学問研究に対する上記のような
態度を貫くのもけっこうですが、地方国立大、私大程度の環境にいる
のなら、危険では。生き残れない。文学や哲学などの実は大事だが、
一般大衆には無駄、さらには危険と見なされるような分野の研究者は
自己の研究をやらせてもらうかわり、大衆の要望にもある程度応えな
いといけない。それが良いか悪いか別として。生活の糧を得るという
恩恵を受けている以上、大衆化した大学教育に対応した「教育」をや
らないと・・・。ただそっちのみでも学問が滅ぶからダメだけど。
270 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/03 17:36
以前は旧帝大の教員でした。同僚も馬鹿が多いので退職し、大学での
教授行為は非常勤になっております。希望者(押しかけてくるもの)
だけには輪読会など自宅でおこなっておりますが、研究生活に入れる
人たちはここからの出身で占めております。大学における学問も本来
はこの押しかけて来る人たちのように貪欲でなければなりません。
でないと日本の学問は本当に滅んでしまいますよ。にいななさんが標
準の大学教員であって、保身を考え、大衆迎合するのであれば、哲学
研究者としての資格を私は絶対に認めません。
私の学問は大衆に還元されるべきではありますが、直接大衆に語り掛
けるものでは有りません。多価値論が多くの論理構築に影響を与え、
分析哲学を促進させ、ファジー理論を生む遠因になったような、その
ような研究を目指しています。大衆迎合は私の思想の「死」を意味し
ます。わたしは研究者を育成しますが、大衆を教育できません。但し、
大衆からの真摯な疑問には、積極的に回答を見出すように努力しています。
なお、生活の糧は研究とは全く縁のない業務を行っており、教員であ
った時の5倍以上の収入が有ります。(笑)いかがわしい仕事では有りませんよ。
>>261 >>こんな所で何してるの?
>私はべつに中国哲学の素晴らしさを伝えたいなんて思ってないよ。私の
>研究成果が何かに生かせればそれでいいんだ。
で、ここでの発言が何に生かせれているんだ?
勝手な大学教育論を持ち出した自己満足オナニーで1人で逝ってるだけだろ。
>「驚く」をそのようにしか解釈できないとは
勝手に限定して解釈するようでは解釈装置ブッツブレ以前の単なる死人だね。
私を認めない者はアフォ、私について来れない者は逝ってよし。
自己の主張を絶対化した独善的で増長した態度を「大学教員」という事で
許されると思っているなんて勘違いも甚だしい。
輪読会に来ているの者もチミのご機嫌を取らないと教員の権限を振りかざ
されて自分が生き残れなくなる事を危惧し、上っ面だけチミに媚びている
だけだよ。
>>270 >私の学問は大衆に還元されるべきではあります
どういった形で? 学問が生き残るには、結局なんらかの形で、大衆
の力を利用しなければダメでは?時代の趨勢により、中国哲学科は衰退
していく方向にある。「学問の場」としての大学を維持するには、「大
衆に開かれた学問」を創造するしかないのではないか。そんなものはな
いんだけれど、本当の学問研究を生かすために。それを使い分けること
はできないんですか。
自分が満足するだけの安定した評判が周囲から得れてない不安定な状態だから、
すぐ人に対して「氏ね」とか「アフォ」とか言うんだよね。
275 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/03 21:48
>>271 アフォ以前のハクチ認定いたします。勝手にほざいていなさい。
>>273 私の専攻は中国哲学ではありませんよ。スレッドをちゃんと読んでいましたか?
私は別に学問の場として大学が残されるべきだとは考えていません。むしろ馬鹿
学者を食わせているような大部分の大学は滅ぶべきだと思いますよ。
「開かれた学問」?こんな受け狙いに学問が堕落してしまっていては、単なる知識
の掃出し機関でしか存在価値はなくなるのです。学問は閉ざされているのです。
求める人にだけ開かれるのです。研究者に続くものは背中を追っていくべきなのです。
研究者が後輩を引き上げていては学問は停滞してしまい、やがて滅びるでしょう。
ただし、向上を忘れて他人の研究成果の上で知識を吸収し自らは独創的な研究を
せず、教授職にへばりついている一群の人たちも居ます。そういう人なら教育に
力を注いだら好いのでしょうけどね。
大学批判なら、教育板でやってくれ。
>>275 電波男さま。
>私の専攻は中国哲学ではありませんよ。
えと、「議論」から「言い争い」に変化し始めた頃からスレ見てなかったのでしが、
(一応)中国思想に興味を持って、その勉強をしてる身としては、
なんだかなんだか・・・(むにゃむにゃ)
専攻が違うから何なのでしか。今までの発言の責任はとりませんよってことでしか?
こういう自分も大学入った時に「大学は学問の府じゃなかったのかー・・・」
と嘆いた一人なのでしが、今は研究室に押しかけて色々ご教授受けている次第でし。
なので「求める人にだけ開かれるべき」というのは同感でし。
ただ初学の門戸だけは開かれているべきだとも思うでし。
(記号論なんて言語学の講義受けなければ名前知らなかったでし。
それまでは、同様の漠然としたイメージを他人に理解してもらうのに千言万語したでし)
でも、真面目な話してるのにアフォとかハクチとかの単語を目にすると
やっぱりげんなりしてしまうのでし・・・
話の方向戻すネタを思い付いたのでしが、がいしゅつかもしれんので
も一回過去ログ見てくるでし(とかいって戻さなくて良いとか言われたら笑えるでし)
・・・また後程おじゃましまし(ぺこり)乱文長文すまそでし。
278 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/03 23:33
>>276 なた文脈を読めないアフォ煽りが来ましたね。こんな奴が居るから学問の世界は
迷惑するのです。進歩の妨げです。テロ報復の正当化に通じるものがありますね。
>>277 >専攻が違うから何なのでしか。今までの発言の責任はとりませんよってことでしか?
そんなことは言ってませんよ。よく文章を読んでください。273で中国哲学科の話が
出てきたのでそういったまでですよ。大学の中国哲学科がどうなろうと知った事では
ありません。私の専門分野の学科、研究室がなくなっても知った事ではありません。
研究は何処でも出来ますからね。実際、後学の徒は大学ではなく学閥や大学を離れて
私の自宅に集まっています。向学心の集まる場所、それが学問の場です。
それを大学の水準ですら身につけず自分を固めてしまい、批判するだけしか能の無い
人たちをアフォ、ハクチと罵倒するのですよ。実社会ではしませんけどね。(笑)
また研究者である事を自称しながら研究より教育に重きをおく姿勢にも反発を感じます。
求めてくる人にとっては私は教育者であるかもしれませんが、私にとって彼らは同じ研究
者です。
中国哲学科は一例。日文、独文なども同じ。確かに、向学心の集まる
ところが学問の場というのは、もっともな話です。学問はどこでも出来
る。逆に、安易に学問を目指す人も多すぎる。私が言うのもなんですが
今の大学院には、実際、信じられない莫迦がいたりする。でも、そうい
うのもいれて、社会的存在(財政面)は、確保しつつ、優秀な後学も育
成するっていうふうな構造にするのが良いのでは。
でも、電波センセは収入に恵まれているから278みたいなことが言える
のでしょう。私の先輩で博士の学位持っているけれど、フリーターって
人います。東大でもオーバードクターがたくさんいるし。やっぱり、専門
で食っていきたいってのが心情でしょう。学術論文書くには肩書きがいる
し。だから、大学は一応維持したい。確かに、研究論文書かない教授とか
いっぱいいますけど。電波センセは思想史研究者ですか?ある意味大学教
授より、恵まれているかも。権力闘争に巻き込まれたり、科長や部長なん
かの業務に忙殺されて研究ができないなんてことから解放されている。
280 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/04 14:16
私の禄は恵まれているといっても、それなりの五倍に相当する苦労もあるのです。
大学での雑務などの業務よりもよほど人間関係に疲れ、気を抜くと収入ゼロになる
世界なのです。このご時世、簡単に高収入を得られませんよ。
研究の信念を持つには研究部分で禄に脅威を覚えていてはロクな研究は出来ません。
思想、哲学の研究は思想史研究を第一とします。誰もが文献学者でもあり、これを
疎かにする傾向もありますが、そのような人たちはご自身の小説を発表されている
にすぎません。
281 :
考える名無しさん:01/11/04 17:03
脱線ついでに、もちょっと収入源について教えてプリ。>電波男
282 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/04 17:33
>>281 収入源は秘密です。完全なる理系です。(笑)
283 :
考える名無しさん:01/11/04 23:20
電波男の学士院賞受賞をお祈りして、万歳三唱!!
>>275 >>>>こんな所で何してるの?
>>>私はべつに中国哲学の素晴らしさを伝えたいなんて思ってないよ。私の
>>>研究成果が何かに生かせればそれでいいんだ。
>>で、ここでの発言が何に生かせれているんだ?
>アフォ以前のハクチ認定いたします。勝手にほざいていなさい。
ほら、また情緒的に反応しただけで何一つ答えれていない。
おまえがこのスレでカキコしてるのは単に威張り散らしたいから。
それを一生懸命クダラナイ理屈を持って来て援用しているだけ。
285 :
幼児的全能感:01/11/05 00:37
>>278 >それを大学の水準ですら身につけず自分を固めてしまい、批判するだけしか能の無い
>人たち
ん?キミ自身の事かな?
「自分の足元が見えてない身の程知らず」というのもまさにキミの事じゃないのかね?
何様のつもりで人を罵倒しているんだか。
286 :
幼児的全能感:01/11/05 00:58
>>282 全然嘘臭いよ。
「それを大学の水準ですら身につけず自分を固めてしまい、批判するだけしか能の無い
人たち」に自分が入らないようにする為に理系の素養もあるかのようにみせようとして
いるだけの発言だろ。
287 :
考える名無しさん:01/11/05 01:19
「完全なる理系です。」なんて普通わざわざ言わないだろ(笑)
288 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/05 08:27
>>285 メタだけに生きて、悲しくないのか?自分を基準に他人を測っていては進歩しないよ。
「完全理系」を事実に即して言い直そう。一級建築士&技術士だ。
お前には無理だろ?
289 :
考える名無しさん:01/11/05 08:53
たしかに土方のおやぶんにはなれねぇでゲス(W
290 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/05 09:23
>>289 そうだろ?お前に数学が解る訳ないもんな。
291 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/05 09:26
2〜3日離れてたら、すごいことになってますね。
このスレッドでこんなにカキコがあるってのも……。
さて、
> 引き下がって貰わなくても結構ですよ。繰り返し仰るということは批判の意図があるから
> でしょうし、「大学と教育」についても文句がおありのようで、皮肉までついている。
>
> さぞ学生から信頼を受け、子馬鹿にされるようなことはないのでしょうね。(
>>266)
そちらからも結構な皮肉をありがとうございます。
「引き下がって貰わなくても結構ですよ。」ということですが、結局
当方の質問(
>>264)に対するご返答は頂けませんのでしょうかね?
> チミ、ヒョットシテ高校の教員ですか?それじゃ話は変わりますね。
いや、相手の身分によって話を変えなくていいですよ。匿名掲示板なんですから。
あなた自身が「匿名掲示板だから表現が過激になる」とか言っておられるんですから、
他方で「実は私は〜〜だ」「あなたは〜〜だから」と言うのは控えませんか?
(念のため。私は「免状の要らない教員」です)
あと、私の発言
>>265の趣旨は、傍観者さんの
>>268で適切に解説されているようです。
292 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/05 09:27
> にいななさんが標準の大学教員であって、保身を考え、大衆迎合するのであれば、
> 哲学研究者としての資格を私は絶対に認めません。
保身は考えますが、中哲でもって大衆に迎合するというのは、そもそもどうやって
迎合すればいいのか、想像もつきませんね。
ま、研究を「社会に還元」しなければ大学や研究科そのものが潰されかねないので、
せいぜい「迎合」したいとは思いますし、それが間違ったことだとは思いません。
学問には「すそ野」も必要ですし、また大学という場が完全に無くなってはいけないと
思いますから、存続のための「方便」も必要だと思いますが。
大学の哲学科というのは、後進を育てる入門の場として重要とは思いませんか?
あと、なぜ「研究者」と「教育者」とを峻別しようとされるのです?
私は「職業としての学問」を行っているつもりなのですが。
> 私は別に学問の場として大学が残されるべきだとは考えていません。
> むしろ馬鹿学者を食わせているような大部分の大学は滅ぶべきだと思いますよ。
> 学問は閉ざされているのです。求める人にだけ開かれるのです。
> 研究者に続くものは背中を追っていくべきなのです。
あなた自身が大学を去られたから、そう思われるんでしょうか?
もしも、宗門系の大学が全滅し、サンスクリットやパーリを教える大学がなくなり、
仏典を読みたい者は、あなたのような市井の「有識者」を自力で見つけだして
個人的に入門するしかない、という学問的状況が日本において現出すれば、あなたの
お気に召すでしょうか?
仏典を解釈するのはどこでもできるけど、それを自分の内部に
取り込んで、語れる奴はいないね。最近の坊主もそうだ。
実質、大学は機能してないしね。。。
294 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/05 09:59
仏典を解釈するのは、どこででもできる、研究者の仕事です。
この仕事には、学識は必要ですが、人徳は不要です。
それを自分の内部に取り込んで語るのは、宗教者の仕事です。
この仕事には、人生経験とか何かしらが必要なようです。
これらの仕事の性格や目的が区別できないならば、
「儒教を研究する以上は、一身の徳を高めるよう努めるのが筋では?」
などとトンデモな発言をするようになります。
295 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/05 10:00
>当方の質問(
>>264)に対するご返答は頂けませんのでしょうかね?
それはすでに済ましておりますよ。
>いや、相手の身分によって話を変えなくていいですよ。匿名掲示板なんですから。
身分じゃなくて、射程領域によって話を変えるのは当然のことだと思いますよ。この話の流れで「電化製品」を話題に出来ますか?
>学問には「すそ野」も必要ですし、また大学という場が完全に無くなってはいけない
>と思いますから、存続のための「方便」も必要だと思いますが。
学問の成果を社会に還元するのは当たり前の事です。わたしの発言を読みましたか?今の大学は完全になくなっても好いと考えてますよ。旧帝大を含めてね。学問の場としてはすでに「死に体」です。
>大学の哲学科というのは、後進を育てる入門の場として重要とは思いませんか?
私の発言を読みましたか?哲学科に限らず、大学と言う場は研究者が学生を研究者として扱い、共同作業をする場です。それを教育と感じるのは学生の視点であって、研究者が教育をしているという自覚をもつのは不遜極まりない。
>私は「職業としての学問」を行っているつもりなのですが。
私の学問は職業ではありません。もしそれが生活の糧であっても職業とは考えないでしょうね。学生たちに対しての最大の侮辱になりますから。
>あなた自身が大学を去られたから、そう思われるんでしょうか?
いいえ、そう考えたから大学を去ったのです。
296 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/05 10:02
>もしも、宗門系の大学が全滅し、サンスクリットやパーリを教える大学がなくなり、
>仏典を読みたい者は、あなたのような市井の「有識者」を自力で見つけだして
>個人的に入門するしかない、という学問的状況が日本において現出すれば、あなたの
>お気に召すでしょうか?
おおいにお気に召しますね。(笑)宗門系で教えている原典など何の役にも立ちません。
向学の徒にとって害でさえあります。本当にやる気のあるものは直接尋ねてきたりする
ものです。自宅における原典解明のための語学や基礎購読はD1以上に任せています。そ
れがいい勉強にもなりますしね。輪読や演習は私がします。私が非常勤で顔を出してい
るのは後学に研究の道を示すためと旧帝大の膨大な資料の容易閲覧のためです。そのた
めに足を運ぶのは億劫になるものです。
297 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/05 10:03
>>294 >これらの仕事の性格や目的が区別できないならば、
>「儒教を研究する以上は、一身の徳を高めるよう努めるのが筋では?」
>などとトンデモな発言をするようになります。
じゃ、あなたもドンデモだ。
298 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/05 10:50
ええと、
> > 当方の質問(
>>264)に対するご返答は頂けませんのでしょうかね?
> それはすでに済ましておりますよ。
というのは、
> だからその辺の罵倒はネットでは過激になっているだけ。(
>>241)
ってことですかね?つまり質問(
>>264)の答えは「是」であると。
もしそうだとしたら、私の言語感覚とあなたの言語感覚とが大いにズレている、
ということですね。
> この話の流れで「電化製品」を話題に出来ますか?
そーゆー論点のすり替えは「詐欺」ではないのですか?
いま問題なのは、「哲学を議論する場合と家電を議論する場合とで話を変える」と
いうことではなく、「同じ哲学について議論する場合で、相手が大学教員の場合と
高校教員の場合とで話を変える」ということのはずですが。
> 実際、後学の徒は大学ではなく学閥や大学を離れて私の自宅に集まっています。
> 向学心の集まる場所、それが学問の場です。
それは重畳なことです。
では今後は、大学ではなくて あなたの自宅が日本における学問の場ということで。
299 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/05 10:51
> 学問の成果を社会に還元するのは当たり前の事です。
> 今の大学は完全になくなっても好いと考えてますよ。旧帝大を含めてね。
> 学問の場としてはすでに「死に体」です。
でも、「死に体」から脱却するために「大衆に迎合」してはいけないんですよね。
座して死ねと。
で、「学問の場」というのは、「教育」を行わず、ひたすら「研究」する場であると。
もちろん、「ものの考え方」を知らず、向学心のみを抱いて哲学科に進学してきた
奇特な学生もいるでしょうが、大学で「教育」を受けずに、あなたの自宅に入門すれば
いいわけですから。
> 研究者が教育をしているという自覚をもつのは不遜極まりない。
> 私の学問は職業ではありません。もしそれが生活の糧であっても職業とは考えないでしょうね。
> 学生たちに対しての最大の侮辱になりますから。
私は、「研究」もしますし、「教育」もします。そして、その双方によって口に糊しています。
院生と一緒に「演習」もしますし、学部生の前に立って「講義」もします。職業として。
私の職業意識は、誰かを侮辱していますか?
300 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/05 10:51
> > もしも、宗門系の大学が全滅し、サンスクリットやパーリを教える大学がなくなり、
> > 仏典を読みたい者は、あなたのような市井の「有識者」を自力で見つけだして
> > 個人的に入門するしかない、という学問的状況が日本において現出すれば、あなたの
> > お気に召すでしょうか?
> おおいにお気に召しますね。(笑)宗門系で教えている原典など何の役にも立ちません。
> 向学の徒にとって害でさえあります。
どうやら、初学者に対して「大学」が果たす役割について、我々の間で見方が異なるようですね。
大学で教えていることが役に立たず有害だから、大学はなくなった方がよいと仰有られる?
では、「ものの考え方」や「梵字の読み方」や「返り点の打ち方」など初歩的なことも、
すべてあなたの家塾で教えていただけるのですね?
志ある者が門を叩けば。
> じゃ、あなたもトンデモだ。
例によって、根拠を示して下さい。
301 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/05 12:03
>そーゆー論点のすり替えは「詐欺」ではないのですか?
論点のすり替えは「虚偽」とは言いますが、決して「詐欺」とは言いません。
高校教員と大学教員とでは教授方法が違うというのが当方の主張でしたか、故意に読み違
えしていませんか?
>では今後は、大学ではなくて あなたの自宅が日本における学問の場ということで。
わざわざこう仰る意図は?この手の皮肉は思想の荒廃であると私は考えます。
>でも、「死に体」から脱却するために「大衆に迎合」してはいけないんですよね。
>座して死ねと。
それを論点の飛躍と言います。あなたがどうするかはあなたの問題です。学問レベルの低
下を憂うことは別にして。
学部でも学問の基礎を教えてはいますよ。例えば「宗教の発生とその風土に関わる諸学説
」「宗教学研究の各学派における基本的態度」などを事細かに説明します。でもその目的
はその説明に有るのではなく、それにいたる思考の筋道の演習と各学生が提示してくる思
考と思想をともに研究する事に有ります。学部でもです。最初の説明を教育と名づける人
もいるでしょうけど、私にとってそれは教育ではありません。建築物を構築するさいに、
その建築概要を説明することに似ていますね。それは設計集団においては教育ではなく初
期作業です。聴取能力は平均で合わせますが、それについて来れないものは残念ながら見
放します。ただし、後で喰らいついてくる学生は別です。
>私の職業意識は、誰かを侮辱していますか?
職業としてと言い切るところに傲慢さを感じますね。結果職業になるぐらいが丁度いいか
と私は思うのですよ。教育にしても同じです。教育してやってるんだぞという不遜な態度
で接すれば、素晴らしい発想の芽も摘んでしまうことになります。
>どうやら、初学者に対して「大学」が果たす役割について、我々の間で見方が異なる
>ようですね。大学で教えていることが役に立たず有害だから、大学はなくなった方が
>よいと仰有られる?
あなた読解力がありますか?宗門大学は無くなった方がいいと言う私の発言に対してのコ
メントですよ。これは。大学がこのまま消滅してしまってもかまわないし、息を吹き返し
てもかまわない。でも私の研究がそのことで左右される事はありません。
>では、「ものの考え方」や「梵字の読み方」や「返り点の打ち方」など初歩的なこと
>も、すべてあなたの家塾で教えていただけるのですね?
>志ある者が門を叩けば。
返り点の打ち方など高校で終えているはずなので教えません。漢文に関しては漢文読(中
国語読み)させます。絶対に返り点一二点では読ませません。すでに高校の教員になって
いる哲学以外の専攻のもの、進学が適わなかった専業主婦、インド文学の翻訳を目指すポ
ルトガル語教員、、、、、様々です。研究者を目指すD1以上の学生やオーバードクターが
指導していますが、思想研究の枠を離れたものはお断りしています。
>例によって、根拠を示して下さい。
なにが根拠ですか。罵倒する事を批判する態度に徳目強要を感じたまでです。それよりも
っと読解力を養う事をお勧め致します。
302 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/05 12:48
> 罵倒する事を批判する態度に徳目強要を感じたまでです。
> それよりもっと読解力を養う事をお勧め致します。
あのね、「死になさい」というのは「相手の思考の間違いを指摘する発言」ではなく
「相手の人格を否定する発言」ではないのか?と質しただけです。それこそ読解力を
養って下さい。
あなたが「死になさい」というのを前者の意味で言ったのだとしても、私の言語感覚では
後者のようにしか受け取れなかったので、発言の真意は「人格の否定」なのか、それとも
「論理への批判」なのか、はっきりさせたかっただけです。これは「徳目強要」ですかね?
別に私は、あなたに「罵倒をやめろ」と言った覚えはありませんが。
(「根拠のない罵倒をやめろ」と言った覚えは、多くの方に対してありますけどね。)
それとも、あなたが「死になさい」と言ったならば、「これは人格否定ではない、学問的な
批判だ」と理解できるような「読解力」を養わねば、あなたとの議論は行えないのですか?
> 高校教員と大学教員とでは教授方法が違うというのが当方の主張でしたか、
あれ?
「身分じゃなくて、射程領域によって話を変えるのは当然のことだ」(
>>295)というのが
あなたの主張ではありませんでしたか?
それとも、高校教員と大学教員とでは「射程領域」がアプリオリに異なるんですかね?
あなたも高校で教鞭を執っていたことがあるとのことでしたが、高校の教壇に立つあなたを
相手にする場合と、大学の教壇に立つあなたを相手にする場合では、話を変えるべきですか?
303 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/05 12:48
> > でも、「死に体」から脱却するために「大衆に迎合」してはいけないんですよね。
> > 座して死ねと。
> それを論点の飛躍と言います。あなたがどうするかはあなたの問題です。学問レベルの低
> 下を憂うことは別にして。
いや、別に「私個人が」死ぬかどうかの話しはしてませんよ。説明が足りませんでしたね。
ごめんなさい。
「大学は」座して死ぬべきなのか、それとも、大衆に迎合なり社会に還元なりして
とにかく生き延びて行くべきなのか、ということを言いたかったのですが。
ま、あなたの私塾は、基礎教育を全く行わずにアナタマカセにして、すでに訓練済みの学生を
対象に「研究」を共有しているようですので、そういう問題意識はないのでしょうね。
> 大学がこのまま消滅してしまってもかまわないし、息を吹き返してもかまわない。
> でも私の研究がそのことで左右される事はありません。
ということですから。
もちろん、日本で印度哲学を学べる大学がなくなっても構わないし、高校卒業後にパーリを
学べる(「教育」を受けることができる)機関がなくなっても構わない。
あなたの研究成果を理解できる学生がいなくなっても構わない。
304 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/05 12:49
> 教育してやってるんだぞという不遜な態度で接すれば、素晴らしい発想の芽も
> 摘んでしまうことになります。
私は「教育」を職業としていると言いましたが、「不遜な態度で接する」と言った覚えは
ありませんし、「教育者は学生に対し不遜な態度で接するべきだ」と言った覚えもありません。
教育者はすべて不遜だとでも思っておられるのでしょうか?
自分の趣味で「研究」をして、自分の趣味を学生と共有するのは、町道場のやりかたです。
しかし、大学のような所で、授業料を取りながらそれをすると、「不遜」でしょう。
職業意識を持たない「趣味の研究者」が、学校という場において、いったい何をするというのですか。
にいななセンセは儒教を分析対象とみても、実践対象とはみないんですか?実践し
ようとして初めて分ることもあるような気がするんだけど。まあ、論文にはならな
いだろうけど。
電波センセすごいですね。一級建築士か。私は言語学やってたけど、数学できなきゃ
研究者は無理だと思ってやめたくちです。数学できないと学問研究には限界ありそう
って思うのは私の偏見かなぁ。
お二人のやりとりを見てると、なんか不毛な気が・・・。もうやめませんか。
306 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/06 02:34
何を言ってもちゃんと発言を読まず同じ批判の鸚鵡返し。。。。
ま、それとは別に。
「職業じゃなかったら趣味である」ということを論証してください。
イエスキリストや釈尊が行おうとした事が趣味である事を論証してください。
老荘の思想述が趣味である事を論証してください。
私が趣味で研究をしていると判断されたその根拠を示してください。
私がいわゆる「市井の有識者」であると判断された根拠を示してください。
法然上人や日蓮聖人の思想貫徹するその思想が趣味であることを論証して下さい。
あなたの底が見えた。
>>305 思想分野の最先端では本当に数学が必要です。偏見では有りません。
「哲学分野で微分積分をつかうなぞ「と」なこと言ってんじゃねーよ」と
煽っていたのがW大生でした。それに対して「ハクチ」などと煽り返して
いたのです。その言葉尻をつかまえてこのにいななさんというひとは。。。
307 :
ホームラン松井:01/11/06 03:02
>>306 おっさん、多分いい年なんだからさ
批判してる相手がおっさんが嫌いなだけっつーのを理解して
とっとと研究生活に戻った方がいいんじゃねーの。
もっと消費価値のあるモノを提供してーんじゃねーのか。
>>307 >批判してる相手がおっさんが嫌いなだけ
批判してる相手がおっさんのこと嫌いなだけ、に訂正。
309 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/06 09:30
> 何を言ってもちゃんと発言を読まず同じ批判の鸚鵡返し。。。。
なるほど、あなたの発言の真意を、私はつかみそこねているかもしれません。
(たとえば、あなたの「もういいからキミは死になさい」という発言が、
論理への批判なのか、人格への攻撃なのか、私にはいまだに判りません)
で、私が言ってもいないこと(「教育者は不遜な態度だ」など)を批判されるあなたは、
いったい何なのですか。
もちろん、私が「ちゃんと発言を読まずに」鸚鵡返しをしているかもしれない。
あなたの説明が足りない、という可能性は、全くありませんから。
(なにせ、あなたについてこれない相手は置いて行かれるワケで。)
しかし、あたなも、私の質問を理解していなかったり、私の説明を誤解したり、
または、故意に曲解しているということもあるでしょう。(
>>268とかね)
あなたが、相手の言い分も聞かずに「もういいから死ね」と言われることは、
別に道徳的に非難はしません。他人を罵倒するようなヤツは人格的にダメだとも
言いません。
(議論の方法として非効率だとは思いますが。)
> その言葉尻をつかまえてこのにいななさんというひとは。。。
私が、言葉尻をつかまえて何をしたというのですか。
あなたは、私の質問(
>>264)を理解できない程度の読解力でもって、他人に
310 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/06 09:30
「読解力を養う事をお勧め致します」(
>>301)と説教されるのですか。
それとも、単に「気分によって思考にムラがある」(
>>268)のですかね?
> 私がいわゆる「市井の有識者」であると判断された根拠を示してください。
あなたは、大学を去って、自宅で(建築士の仕事をしながら)個人的に研究を
続けておられる、と、わたしは理解しています。この理解は間違っていますか?
あなたの学識を慕って集まる連中を相手に輪読会をしておられるとの事ですが、
研究・教育機関に属さず(非常勤はともかく)、個人的にこのような活動をしている
方を指して「市井の有識者」と判断したのは、間違っているでしょうか。
> イエスキリストや釈尊が行おうとした事が趣味である事を論証してください。
> 老荘の思想述が趣味である事を論証してください。
キリストや釈迦は「研究者」か?それとも電波さんは、客観的な学問ではなく
宗教活動をしておられるのですか?
さておき、
では、「趣味」という表現は、陳謝して撤回しましょう。
別に私は「趣味の研究者」つまり「自分の研究だけに専念していて、後進を
『教育』することをしない研究者」を侮蔑する意図はないのですが、もしも
侮蔑的な意味だと誤解されたのでしたら、お詫びします。
「職業意識を持たない研究者」「プロ意識のないアマチュア研究者」という表現で
311 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/06 09:31
よろしいですかね?
> あなたの底が見えた。
よろしければ、自分一人だけで納得せず、私の「底」が、どのようなものであるかを
ご教示下さい。
たぶん自分では見えないものでしょうから、教えていただければ有り難いのですが。
根拠を示さない決めつけや罵倒は、W大生や遁天児なんかから聞き飽きましたので。
>>305 本題とはあまり関係ない不毛なことをしている自覚は充分にありますよ。
ただ、
> 大学は学問をするところであって学問の訓練は受けるけど、教育を受ける
> ところではないんだよ。(
>>261)
> にいななさんが標準の大学教員であって、保身を考え、大衆迎合するのであれば、
> 哲学研究者としての資格を私は絶対に認めません。(
>>270)
> 「開かれた学問」?こんな受け狙いに学問が堕落してしまっていては、単なる知識の
> 掃出し機関でしか存在価値はなくなるのです。学問は閉ざされているのです。(
>>275)
などとゆー「侮蔑的な」事を言われると看過できませんので、御迷惑をお掛けしています。
312 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/06 10:12
>>305、無為様
> にいななセンセは儒教を分析対象とみても、実践対象とはみないんですか?
> 実践しようとして初めて分ることもあるような気がするんだけど。
私は、「哲学研究者」「哲学史研究者」であって、「哲学者」ではありませんから。
前にも言いましたが、「仏教史研究者」がイコール「僧侶」ではなのと同様、
また、「カソリック研究者」がイコール「聖職者」である必要がないのと同様。
東洋史の研究者は、皇帝制度を研究対象とはしてみても、実際に皇帝になってみようとは
思わないのではないでしょうか?
アステカの宗教を研究している学者は、人身御供の儀式を実践対象としないと思います。
いくら「実践しようとして初めて分ることもあるような気がするんだけど。」と言われても。
313 :
考える名無しさん:01/11/06 10:52
★8人くらいに、『どうぶつの森』すすめましたよ♪
こんにちは♪わたしは、岩手に住む11歳の小五です!!
わたしは、『どうぶつの森』をクリスマスに買ってもらいました♪帰ってくるなり、
さっそく、やってみました。
1日中やってました(^^)
ともだちに、「新しいゲーム買ったよ〜〜」といったら、
「なになに??」ときかれたので、「どうぶつの森」だよ〜〜」と
いったら、いきなりでんわをきって、数分後、家にきました。
いまでは、8人くらいに、『どうぶつの森』すすめましたよ♪ちなみに、
わたしは、「ももこ」がだ〜〜いすきで、PCの、壁紙も、ももこちゃんです♪
クリスマス。(゚ー゚*)...
314 :
考える名無しさん:01/11/06 12:02
>>305 312も説明しているが、
実践することで初めてわかることもあるとは思うが、
それによって見えなくなることもまた多いと思う。
アカデミズムの世界では対象を対象化することが大事なのであって
内面化は必ずしも必要ではない。
逆に言えば、アカデミズムとはその程度のものなのであって、
「実践しなければわからないもの」を知りたければ
アカデミックな認識枠組を離れて実践者になればよいだけのことだ。
両方やればよいと言うかもしれないが、
それは二兎を追う者一兎を得ずというものだろう。
大抵の人には無理なようだ。
一見両方に精通しているような見える人でも
実際はどちらか片方の認識枠組でもってもう片方を認識してるものだ。
史料閲覧など研究活動の便を図るために
カトリック信者になった人を知っている。
現実にはこのような「一見両刀」が多いようだが。
>>313 すまん、俺はもう人を愛さないと誓ったんだ…
316 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/06 18:10
>(たとえば、あなたの「もういいからキミは死になさい」という発言が、
> 論理への批判なのか、人格への攻撃なのか、私にはいまだに判りません)
しつこいな、あなたも。論理への批判に近いニュアンスですね。「馬鹿タレ」ぐらいでしょうか。あ
なたにも「もういいからチミはしになさい」を進呈いたしましょう。
>で、私が言ってもいないこと(「教育者は不遜な態度だ」など)を批判されるあなた
>は、いったい何なのですか。
でも糞も有りません。文脈を無視して「教育者は不遜な態度だ」と切り出して反問するのは虚偽の典
型です。(詐欺でなくて虚偽だと言う指摘に対しての反応はありませんでしたね。詐欺だ訂正が無け
ればあれこそが侮辱以外の何者でもない)
>方を指して「市井の有識者」と判断したのは、間違っているでしょうか。
間違っております。海外も含め、多くの学会に属しており、絶えず研究発表をしております。それは
ひとえに私の学問成果を社会に還元するためです。
>キリストや釈迦は「研究者」か?それとも電波さんは、客観的な学問ではなく
>宗教活動をしておられるのですか?
だからあなたは馬鹿なのです。職業意識が無ければ趣味だと決め付ける短絡的な論理を批判している
事が解らないのですか?解っていて摩り替えているのであれば学問的誠実さが無しとしてもう研究生
活すべきじゃありません。
>別に私は「趣味の研究者」つまり「自分の研究だけに専念していて、後進を
>『教育』することをしない研究者」を侮蔑する意図はないのですが、もしも
>侮蔑的な意味だと誤解されたのでしたら、お詫びします。
本当に馬鹿かお前は。何回言わせるのだ。後進を教育するなどという意識が傲慢だというのだ。後進
には概要を「説明」しその後は共に研究するのだ。それについて後進や世間が教育であると目しても
いいが、教育をしているという自覚を持ってはいけないと言っている。
>「職業意識を持たない研究者」「プロ意識のないアマチュア研究者」という表現で
もう学者辞めろ。チミには無理だ。これで説明を求めるようならハクチ認定してあげましょう。とい
うか、中学校からやり直せ。
>よろしければ、自分一人だけで納得せず、私の「底」が、どのようなものであるかを
>ご教示下さい。
お断り致します。
>根拠を示さない決めつけや罵倒は、W大生や遁天児なんかから聞き飽きましたので。
ジャコバイトさんがその未熟な思想展開にあってもそれなりに根拠を示していたにも関わらず読み取
る能力の無いあなたに苛立ちを感じていたようです。思想的に対立していましたが、心の中では「頑
張れジャコバイト。ドン臭いやつには負けるな」とエールを送っておりました。
>本題とはあまり関係ない不毛なことをしている自覚は充分にありますよ。
しつこいのですあなたは。
>などとゆー「侮蔑的な」事を言われると看過できませんので、御迷惑をお掛けしています。
侮辱的だと言うことを論証してください。それより不毛だから止めようと何回言わせるのだ?
チミの漢文読みと同じ返り点読みの論理混濁か?
317 :
考える名無しさん:01/11/06 18:48
お互い言われたら言い返さないと気が済まない性格である模様。
しかし、まあなんというか、
読むと気分がなんかいや〜な感じになる、
レスの応酬だね。
319 :
考える名無しさん:01/11/07 02:01
>275 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/03 21:48
>
>>271 >アフォ以前のハクチ認定いたします。勝手にほざいていなさい。
>
>>273 >私の専攻は中国哲学ではありませんよ。スレッドをちゃんと読んでいましたか?
>私は別に学問の場として大学が残されるべきだとは考えていません。むしろ馬鹿
>学者を食わせているような大部分の大学は滅ぶべきだと思いますよ。
>296 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/05 10:02
>>もしも、宗門系の大学が全滅し、サンスクリットやパーリを教える大学がなくなり、
>>仏典を読みたい者は、あなたのような市井の「有識者」を自力で見つけだして
>>個人的に入門するしかない、という学問的状況が日本において現出すれば、あなたの
>>お気に召すでしょうか?
>おおいにお気に召しますね。(笑)宗門系で教えている原典など何の役にも立ちません。
>向学の徒にとって害でさえあります。
本当にこの通りに受け取ってもいいのですか?電波様。それとも単なるコマーシャル
なのですか?
>>312 >「仏教史研究者」がイコール「僧侶」でないのと同様・・・。
僧侶が必ずしも実践者であるとは限りません。また、皇帝研究者が皇帝になろうと
思わないのとは問題が違います。たとえば、仏教に帰依することと、研究で客観的
に証明したり、歴史的事実を解明したりすることとは一線を画すことができると思
います。論証作業と信仰は別です。信仰は他ならぬ信じることによってのみ成立す
るもので、科学的証明、信憑性とは本来無縁だと思うからです。つまり、実践する
ことで学問的に有利不利はなく、信仰を持たない宗教学者も、信仰を持つ宗教学者
も学問研究という点では同じだということです。論文にならないと書いたのもその
意味です。私は、別に儒教研究者だから儒教を実践しなければならないと言いたい
のではなく、実践することで、客観対象としてではない多分に主観的ながらも、儒
教を通した人間観、人生観を感じ取れるのではないか、そういうことの対象にはし
ないのかということが言いたかったのです。研究しているからには、たぶん対象に
興味をお持ちのはずだと考え、研究者という立場から離れた観点からのご発言が聞
けたら、私としてはたいそう興味深いと思ったのです。
電波センセあたりには、研究者はあくまで、対象を客観視するべきで、主観は排
除するべきだと言われ、ハクチ認定されそうですが。
321 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/07 07:15
ハクチ認定しませんよ。(笑)
実は私は僧侶です。でも研究する時は対象を客観視いたします。
322 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/07 09:55
>>316 まずは、
> 詐欺でなくて虚偽だと言う指摘に対しての反応はありませんでしたね。詐欺だ訂正が無ければ
> あれこそが侮辱以外の何者でもない
はい。お詫びして訂正します。
私の
>>298における「詐欺」は、「虚偽」の誤りでした。
根拠もなく電波男さんを「詐欺」呼ばわりしたことを、お詫びします。
> 論理への批判に近いニュアンスですね。「馬鹿タレ」ぐらいでしょうか。
ありがとうございました。
あなたの日本語では、「もういいからチミはしになさい」というのは、論理への批判だと
了解しました。
言われた方々がどう思うかはともあれ、発言者の言語感覚を確認できましたので、
とにかくにも、私は安心できました。
323 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/07 09:55
> でも糞も有りません。文脈を無視して「教育者は不遜な態度だ」と切り出して反問するのは
> 虚偽の典型です。
私、
>>292 > 大学の哲学科というのは、後進を育てる入門の場として重要とは思いませんか?
> 私は「職業としての学問」を行っているつもりなのですが。
電波男さん
>>295 > 大学と言う場は研究者が学生を研究者として扱い、共同作業をする場です。
> それを教育と感じるのは学生の視点であって、研究者が教育をしているという
> 自覚をもつのは不遜極まりない。
> 私の学問は職業ではありません。もしそれが生活の糧であっても職業とは考えないでしょうね。
> 学生たちに対しての最大の侮辱になりますか
ら。
私、
>>299 > 私は、「研究」もしますし、「教育」もします。そして、その双方によって口に糊しています。
> 私の職業意識は、誰かを侮辱していますか?(私、
>>299)
電波男さん、
>>301 > 教育してやってるんだぞという不遜な態度で接すれば、素晴らしい発想の芽も
> 摘んでしまうことになります。
私、
>>309 > 私が言ってもいないこと(「教育者は不遜な態度だ」など)を批判されるあなたは、
> いったい何なのですか。
これは、文脈無視による虚偽ですかね。
324 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/07 09:56
> だからあなたは馬鹿なのです。職業意識が無ければ趣味だと決め付ける短絡的な論理を
> 批判している事が解らないのですか?解っていて摩り替えているのであれば学問的誠実さが
> 無しとしてもう研究生活すべきじゃありません。
研究に対しての意識・態度について議論しているときに、いきなり釈迦やキリストを
持ち出してくるあなたの論法は、さておきましょう。
ではあなたは、「職業」としてではなく、また、「趣味」としてではなく、どういう意識で研究をして
おられるのでしょうか。
宗教的な使命感、または「研究でもって社会に貢献する」という使命感に燃えて
研究をしておられるのですか?
あ、「趣味」という表現、「趣味の研究者」という呼び方は不適切でしたね。
> > 「職業意識を持たない研究者」「プロ意識のないアマチュア研究者」という表現で
> もう学者辞めろ。チミには無理だ。
でしたか。
大学を辞めて、職業としての学問(学生の「教育」)から退かれた方に言われたくはないですが、
少なくとも、あなたは、「職業」としての意識で研究をしているのではないはずです。
あなたは「職業意識を持たない研究者」に間違いないと考えます。
> > 研究・教育機関に属さず(非常勤はともかく)、個人的にこのような活動をしている
> > 方を指して「市井の有識者」と判断したのは、間違っているでしょうか。
> 間違っております。海外も含め、多くの学会に属しており、絶えず研究発表をしております。
「市井」というコトバの意味は、理解しておられますよね?
325 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/07 09:56
> 後進を教育するなどという意識が傲慢だというのだ。後進には概要を「説明」し
> その後は共に研究するのだ。それについて後進や世間が教育であると目してもいいが、
> 教育をしているという自覚を持ってはいけないと言っている。
前から聞きたかったのですが、ではあなたの言う「教育」とは、一体何なのですか。
あなたによると、「学問の基礎を教える」ことは、「教育」ではない。(
>>301)
また、「学問の訓練」も、「教育」ではない。(
>>268)
基礎知識を持っていない学生、こないだまで高校生だった学生に、基礎知識を教え、
ものの考え方を知らない学生に、ものの考え方を教える。この営為は、教育では
ないのですか。
では大学「教員」とは、いったい何をする職業なのですか。
> 侮辱的だと言うことを論証してください。
私は、大学において、研究と教育とを生業にしています。職業として。
で、
>>311後半に引いたあなたの意見は、
「大学で教育を行っている人間」に対して、
「大学教員として哲学研究者をしている人間」に対して、
「開かれた教育機関において学問を教えようとしている人間」に対して、
侮蔑的です。
あなたの言い方を借りるならば、「なにが論証ですか」。
326 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/07 09:57
> それより不毛だから止めようと何回言わせるのだ?
そうですね。
ただし、お互いに学者ですから
「お互い言われたら言い返さないと気が済まない性格である模様。」(
>>317)
のようですので、今回のカキコで、私から終わりにすることを、表明します。
最初の疑問には、答えていただきましたし。(
>>322)
今回の私のカキコについて、電波さんが何をどのような表現で反論されても、
私からは、この問題については蒸し返しません。
327 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/07 11:44
>>320、無為さん
> 私は、別に儒教研究者だから儒教を実践しなければならないと言いたいのではなく、
> 実践することで、客観対象としてではない多分に主観的ながらも、儒教を通した人間観、
> 人生観を感じ取れるのではないか、そういうことの対象にはしないのかということが
> 言いたかったのです。
丁寧な説明、ありがとうございます。
しかし私は「立派な道学先生」ではなく、「腐儒」・「論語読みのなんとやら」ですし、
また儒教は神秘主義でも「密教」ではありません(特定の宗派を侮蔑する意図ではなく、
「顕教」に対する一般的な用語としての「密教」です。念のため)。そもそも儒教は
宗教ですらないのかも知れない。
ですから、とくに儒服を着て詩を雅言して後王に法らずとも、師匠について皆伝を受けずとも、
文献を通じて儒教思想を理解することはできると思いますし、儒教を「そういうことの対象」と
することに、個人的な興味はありません。
ご不審への答えとなっているでしょうか。
あと、これは、私が常に疑問を感じていることなのですが、
こと儒教研究に関する限り、「おまえは儒教を研究しているんだから、一身の徳を高めるように
努めるのが筋では?」などという意見(研究と実践との混同)が一般にまかり通っているのは、
どうしてなのでしょうかね? 世間での「儒教」のイメージの問題でしょうか?
たとえば仏教研究者は「おまえは仏教を研究しているのだから、出家して禅を打ったりして
修行したほうが、研究上に得るものがあるのでは」とかは言われませんよね? あんまり。
アメリカのイスラム研究者なんかは、「おまえはイスラムを研究しているんだから、私生活でも
断食を実行して聖戦に参加したほうがいいのでは」と言われているのでしょうか。
>>326訂正。ごめんなさい。
×私から終わりにする
○私からは終わりにする
329 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/07 12:12
>>327 そういう意味で無為さんが言ってるんじゃないよ。研究そのものと自身の道学
おなじ価値対象において論ずる事という早合点してるでしょ。
所詮チミの読解力はその程度。頭が固すぎる。
ようするに、儒教を研究するにも、仏教でもイスラム教でも道教でも
相対性理論でも国学でも情報数理でも研究する「動機」と言うものが
あって、その対象を愛するにしても憎むにしても何か「熱い」ものが
あっていいんじゃないかという事だよ。
実際に学術論文を読んでみても非常に理路整然と緻密な論理の積み重
ねであってもその研究に対しての「熱き想い」が伝わってくるものが
有る。そのような論文のほうがいい論文であることが多いよ。
「論語読みの論語知らず」と公言して憚らない人の論文は面白くないし
新鮮味も学会における価値も見出した事が無い。
フランスでの仏教学研究の端緒はバチカンからの命令でありました。邪教
である仏教の欠点を見つけるために、聖書学の手法に基づいて証明せよと
言うものでした。そこには逆の意味での「熱い想い」がこめられています。
ミイラ取りがミイラになって出家してしまった聖書学者もおりました。
そのあたりを質問していることが貴方には一生わからないのかもしれないね。
再びハクチ認定して差し上げます。(笑)
330 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/07 12:19
我々研究者はそのあたりの動機は口外しない事が多い。研究そのもの
には関係ないからね。でもね、個人の思想として立ち返った場合、「思
想なしの研究者」と言うのはただの馬鹿であることを早く自覚した方が
いい。
一般人や初学者が誤解して研究者を批判するのがこういう点にあるんだよ。
だからW大生の批判も個人の思想を問うものとしては間違ったものではな
かったんだ。哲学や思想の研究作業としては間違いなんだけど、そのあた
りを説明してあげるのが教育じゃないんかい。
そいうかあなた自身が理解できていなかったので仕方ない事ではあるわな。
331 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/07 12:21
大学を教育の場と割り切る。
自身を「論語読みの論語知らず」と言い放つ。
何のために研究してるんじゃい。おんどれは。
ジャコバイトさんが離れていった理由がわからんのか?
事象教育者なら早く気づけよ。
332 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/07 12:22
事象→自称
333 :
考える名無しさん:01/11/07 13:52
この言い合いにして、このアゲ姿勢(教育者の上昇指向なんでしょうか?)
傍観アゲ なんちって
334 :
考える名無しさん:01/11/07 16:59
目下の論敵を倒すためならかつて罵倒した相手すら持ち上げるくせがあるな。
335 :
かぢかぢ山:01/11/07 18:08
電波男こと伊藤君、いいかげんにしないともっとばらすよ。
336 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/07 20:13
>>335 ばらしたら?私のことであれ、誰の事であっても「ばらす」などという
脅迫行為は刑法上の恐喝行為が成立するよ。よってIP抜きはすでに申
請しておいたから出来るものならやってみれば。絶対にそれ相応の報い
から逃れる事は出来ないでしょう。ケケケケケ。
337 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/07 20:14
>>334 べつに倒そうとは思っていないよ。すでに倒れているのだから。
つまり、死人を鞭打ってると。
339 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/07 21:11
死人だとは思っていないよ。
私を蹴ろうとして倒れたんだから踏みつけてやるだけさ。
けけけけけ。
「君子は交り絶ゆとも悪声を出さず」
の逆を、おもいっきりやってるわけね。
341 :
かぢかぢ山:01/11/07 21:20
>336
IP抜き、どうぞ、どうぞ。調べたならすぐわかるでしょ、今どこから
書いてるか。今年は海外滞在中。電話で日本のサーバーにつないだりせ
ず、こちらのイーサーネット内から書いているですよ。IP分かっても、
どうしようもないじゃん。
342 :
考える名無しさん:01/11/07 22:16
ジョークを解そう、みんな!!
これをジョークと解するのは正直辛い。
344 :
考える名無しさん:01/11/08 00:43
312,314あたりの論理で行くと、電波男に品位を求めるのは野暮というものか。
でもこんな僧侶やだな。
345 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/08 09:22
>電波男さん
無為さんのカキコ、つまり
> 実践することで、客観対象としてではない多分に主観的ながらも、
> 儒教を通した人間観、人生観を感じ取れるのではないか、
> そういうことの対象にはしないのかということが言いたかったのです。(
>>320)
という表明を、あなたは
> ようするに、儒教を研究するにも、(中略)研究する「動機」と言うものがあって、
> その対象を愛するにしても憎むにしても何か「熱い」ものがあっていいんじゃないか
> という事だよ。(
>>329)
というふうに読解されたのですね。
あなたの読解は、あなたなりの読解として、承っておきます。
> そのあたりを質問していることが貴方には一生わからないのかもしれないね。
> 再びハクチ認定して差し上げます。(
>>329)
とおっしゃられるのも。
ですから、無為さんの発言の意図をすり替えたり捻じ曲げたりするのだけは止めていただきたい。
私から無為さんへの「ご不審への答えとなっているでしょうか」(
>>327)という問いへの答えは
まだ頂いておりませんので、あなたが代わって答えられる必要はございません。
粘着の代名詞に使わせていただいております
347 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/08 09:58
摩り替えたり捻じ曲げたりしていますか?>無為さん
底が見えたことの証拠(その1)
>私から無為さんへの「ご不審への答えとなっているでしょうか」(
>>327)という問いへの答えは
>まだ頂いておりませんので、あなたが代わって答えられる必要はございません。
348 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/08 10:05
で、どのへんで止まってましたっけ?
まず根本的な問題として、哲学と思想の弁別・定義が、2スレッド前からいまだに未解決でしたね。
解決というか、定義の共有がまだ行えていない。
あと、上記の問題とは鶏と卵みたいですが、
> 狩野直喜は問題認識した上で中国哲学史と呼んだわけだし、
> 宋明理学も老荘もあるんだから、もういいんじゃないのかな。(
>>260)
という問題ですね。包公さんは、理学や老荘を「哲学」だと考えておられるようですが、
宋明理学、とくに朱子学という美しい体系・世界観は、「哲学」と呼べる代物なのか。
老荘「思想」と一般に呼ばれるものは、「哲学」と呼べるのか。
349 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :01/11/08 10:39
作業手順として、最大広い外延から「思想」と「哲学」を絞り込むのが先決と思う。
その作業過程で実践哲学なり宗教なり倫理学などの再定義を余儀なくされるけど、
中国思想全般を取り扱う際でのラインである事を明確にしておかないと人類全ての
思想を対象にしてしまう恐れがある。
現時点で明確に言えるのが、思想の中に哲学が含まれているという上下位概念と
言う違いが両者にあるのであって、「弁別」といった場合、種差を念頭において
しまう思考傾向があるからそれは間違いなのでここで言明しておきます。
また、同人物が哲学、道徳、井戸端会議を発話する現象を念頭におかないと、仏典
が読めないのと同じく、老荘の著述全体で哲学かそうでないのかを決める事は無意
味であると考えます。
老荘思想の中で、「無」として抽出されている一群の理論は哲学であると私は考えます。
350 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/08 10:56
> 思想の中に哲学が含まれているという「上下位概念」と言う違いが両者にある
> (哲学と思想の)「弁別」といった場合、種差を念頭においてしまう
> 思考傾向がある(が、しかし)それは間違い
もちろん了解。
思想と哲学とを、実践と形而上学との軸で対立させたり、相容れないものだと考えたりは
していないつもりです。
「哲学」「文学」自体がそもそも貧しい土地へ押し込められた白人の匂いがする
哲学は劣等からの逆転を目的とするという存在理由からいずれ忘れ去られるものだろう。
そういう意味で「中国哲学」が存在するかというと根本的に違うという事になる。
このスレ自体が逆説的なので問題を問うこと自体が傾向的に誤った上での知性や伝統になってしまう・・・
352 :
考える名無しさん:01/11/08 14:51
>>351 文学は兎も角、哲学にそんな事感じるなんて、、、
貴方御幾つの方?
ギリシャ、ヘレニズムに端を発する『哲学』の事ではないのかな、、、
>>327 にいなな先生
ご回答ありがとうございます。大体の答えにはなっています。
>>347 電波先生
いいえ、すりかえ、ねじまげにはなっていません。しかし、あの時点での私の
意図では、そこまで立ち入った質問はしていません。ただ、にいなな先生のご回
答によっては、そこまでお尋ねしたかもしれません。その意味では、「問い」の
方向性では電波先生のご解釈は、正しい。でも、正直そこまで聞いてもいいのか
なという感じはありました。そして、今ではお聞きするつもりもありませんので。
本題に戻ったようなので、素人は興味深く拝見することにいたします。
法華経の方便品の続きでも読んで寝ることにします。坂本幸男センセと岩本裕
センセはなんで、対立したんですかね・・・。
354 :
考える名無しさん:01/11/09 16:59
>>352 たぶん351は、「劣等からの逆転を目的」として哲学しているのだと思われ。
>ギリシャ、ヘレニズムに端を発する『哲学』の事ではないのかな、、、
351自身の『哲学』の事だろ。
355 :
考える名無しさん:01/11/10 01:38
狂気?侠気??
356 :
考える名無しさん:01/11/11 19:24
本題に戻ったとたん閑散としてきたな・・・。
357 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/11/12 09:23
>>356 それってつまり、「不毛な議論」のほうが盛り上がる、ということですかね。
じゃあとりあえず、以前のスレッドで林黛玉さんが掲げた「踏み台とすべき仮の定義」を
再掲しときましょう。
「思想」
〈人生観〉〈世界観〉の全般にわたる諸思想の意
「哲学」
厳格な論理性において追究される、統一的全体的な
人生観・世界観の〈理論的基礎〉の知的探求
だったでしょうか?
358 :
横レスですいません。:01/11/16 00:21
みなさん。活動停止ですか?
(横レスでスマソ)
/⌒ヽ⌒ヽ
Y
八 ヽ
( __//. ヽ,, ,)
丶1 八. !/
ζ, 八. j
i 丿 、 j
| 八 |
| ! i 、 |
| i し " i '|
|ノ ( i i|
( '~ヽ ! ‖
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ヽ::::::::::::::::::: \/ ノ \
丶:::::::: ノ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
___ノ:: 人_
, --ー ̄ :: ::::::::::::::::: ̄ノ ̄ー-- ,,.__
/ ヾ ソ 丶 ヽ
/ ヽ/ :|
|
360 :
考える名無しさん:01/11/16 17:55
>>351 ドイツだとあの暗くて長い冬が思索を可能にしたとよく言われるよね。
デカルトも冬のおかげで思索したし。
361 :
考える名無しさん:01/11/20 12:58
>それってつまり、「不毛な議論」のほうが盛り上がる、ということですかね。
図らずも証明されつつあるな。
たまには電波男の立論を聞きたいものだ。
そりゃ、むり。研究者は慎重だから。しかも電波センセはけっこう純だから。
今や、日本では、「礼儀・作法」を忘れてしまっていますなぁ〜!
本来の「家庭」に取り戻すには、各個人個人の努力たるモノ(結果)が、
楽しみだなぁ〜!って、影で笑っているかもなぁ〜!???
>>348 哲学と思想の弁別・定義が根本的な問題だというのは同意ですが、この点は僕には難しくてわかりません。
宇野が確か双方の題名(『中国哲学』『中国思想』とか)で講談社学術文庫あたりから出しているけど、『中国思想』は人物ごと、『中国哲学』は論点ごとに構成されているだけのような気もする。
「朱子学という美しい体系・世界観」の中には「哲学」と言えるものがあると思いますよ。
そもそも近代西洋哲学の根底にも「キリスト教という体系・世界観」が見え隠れしているように僕には思えます。
>>349 「哲学」ではあるが「思想」とは呼ぶべきではないものもあるように思えますが、どうでしょうか。
>>357 で「人生観・世界観」の理論的基礎を探求した場合に、道具としての精巧性を追求するあまり、かえって「人生観・世界観」の観点が希薄になっているものがあって、それらの中には哲学とは呼ばれるが思想とは呼びにくいものもあるかもしれませんね。
日本民族の歴史の追求は、難しい!
何らかの隠し事が教科書に載っていたら・・・・
・・・・と考えたら、自立しようも、できないでいる現れを示す、
何かが、でてくる、いや、でてきているに違いない!
アメリカ風は、「ならず者」。中国風では、「駄目な奴」、と!
では、日本はとなれば・・・・・示している国こそが、「日本」であったのであれば、
最悪な事態は免れないのかもしれない!???
正気から狂気へ走っていく日本を影で笑っている中国かぁ〜????
謎だぁ〜!??馬鹿なのは・・・・・・・・・・・・・・・・・かぁ〜〜〜〜?!!
(以上)
キョンシー(ゾンビ)が、たくさん出たら、恐い、恐い、恐い
!
367 :
かくちゃん:01/11/24 03:48
電波せんせはとっても忙しいんだよきっと。
とりあえず。アゲ
369 :
考える名無しさん:01/11/29 16:55
>「哲学」ではあるが「思想」とは呼ぶべきではないものもあるように思えますが、
詳細キボンヌ。
370 :
考える名無しさん:01/11/29 17:05
そうかもね
371 :
包公☆。 ◆im3vuWTU :01/11/29 21:03
>>369 いや、例えば分析道具化とか細密化がいきすぎると思想とは呼べないような気がして。
それ自体が思想なのだと言われりゃ、まぁそういう主張も不可能ではないだろうけど。
372 :
◆9pNu4iQo :01/11/29 21:05
373 :
考える名無しさん:01/12/02 15:56
結局、哲学と思想を弁別する作業に意味があるのか?
思想には必ず哲学的な問いが含まれていると思う。フロイトにだってマルクス
にだって。だから哲学と思想を弁別する意味はあまりないと思います。
むしろ哲学的な問いがあるか否か。またその哲学的なテーマに対して哲学的な思考
形式で解があるのか否か。
を入り口にしたほうが良いのではないかと思います。
そういう意味からすれば、以前のスレで哲学ではないとされたスコラ哲学だって
哲学なりうるし。。。。。。(笑)
にいななさん、電波男さんどうですか?
375 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/12/03 09:12
>だから哲学と思想を弁別する意味はあまりないと思います。
別に、無理に弁別しようとしていたり、峻別するべきだという先入観から
出発しよう、としているワケではありませんよ。
「哲学」とは何ぞや、「思想」とは何ぞや、ということについて、
まず我々論者の間で共通の認識を共有しておかないと、結局は
水掛け論に陥ってしまう。たとえば、
>思想には必ず哲学的な問いが含まれていると思う。
>フロイトにだってマルクスにだって。
と言われても、ではフロイドやマルクスは「思想」なのか、「哲学」なのか。
それから、「哲学的な問い」というのは、一体何なのか。
あなたが何となくイメージしておられる「哲学的な問い」というものは、
私が何となくイメージしている「哲学的な問い」とイコールなのか否か、
そこのところが不明なまま議論を進めても、無意味です。
だから、まず最低限、これらについて我々の間で共有できる「定義」、
「議論のルール」を決めておこう、ということからスタートして、
しかも、まだスタート地点から一歩も出ていない、というのが
現状ではなかったですかね?
376 :
考える名無しさん:01/12/03 18:01
断る。
378 :
考える名無しさん:01/12/06 15:02
ここでの哲学の定義って何?
中国の哲学でしょーが...
380 :
>>378:01/12/06 15:06
いや、まさにソレを考えてるんだってば。
>にいななさんへ
> 「思想」
> 〈人生観〉〈世界観〉の全般にわたる諸思想の意
>
> 「哲学」
> 厳格な論理性において追究される、統一的全体的な
> 人生観・世界観の〈理論的基礎〉の知的探求
ってことでいいんじゃないでしょうか?後付け加えてもらえるならば
“必要があれば前提すらも疑うことができること”
と思います。
内容はともかくとして
実に息の長いすれっどですね。
我が国の総理も、良きにつけ悪しきにつけ老子、孔子が登場しますな。
みなさんお元気ですか?それではまた。
383 :
にいなな ◆9dSmoZhY :01/12/07 09:06
>>381 >後付け加えてもらえるならば
>“必要があれば前提すらも疑うことができること”
>と思います。
ジャコバイトさんが えらくこだわってた
「ドグマ」の有無、って問題ですかね?
>にいななさんへ
そうですね。これがなければ、思想との区別が不明確となるのでは
ないかと思います。徹底的に懐疑することにより、疑いようのない
事柄から“統一的・全体的な人生観・世界観を再構築すること”
だと思います。
385 :
考える名無しさん:01/12/09 22:45
386 :
考える名無しさん:01/12/10 00:32
あげとくぞ。
387 :
考える名無しさん:01/12/10 10:42
「万物は水である」とか「我思う、故に我在り」とかは、「ドグマ」じゃないんですか?
誰かが言ってた「人肉食はダメだ」とか「親には孝行を尽くせ」とかも。
>>387(にいななさんでしょ!)
“そもそも存在とはなんなのか?”
を問うたのがハイデガーだと思っていたのですけど違いましたっけ
“一切が疑わしいが、考える私(コギト)だけは確実だ”
これは以後の近代哲学の大きな課題となって、ロックやカント、ヘーゲル
等々が、解決を試みたんですよね。
そしてその問いを引きずったままフッサール・ハイデガーが登場した。
と思ってたんですけど。。。。。
>誰かが言ってた「人肉食はダメだ」とか「親には孝行を尽くせ」とかも。
人肉食はだめですよ。クール病になる可能性がありますから。(笑)
医学的には有効です。(あれ、中国大陸の方々は人肉食べるんでした
っけ、犬肉を食するのは、このスレで勉強しましたけど、忘れちゃいました。)
「親には孝行を尽くせ」はどちらかといえば、“生にとっての有効性という
観念”からの発想かなあと思っているんですけど。当時の中国社会における。
ちょっと砕けすぎて大変失礼な文章になってたらごめんなさい。
>>386 恥ずかしいから上げないでください。
>>383 だって、いまのままじゃ、思想と哲学の区別が曖昧すぎる
(特に思想の定義が)と思いませんか?
思想の定義にモット肉付するのも方法としてはいいのかも知れませんが。
考えてくださいよ。私には荷が重いので。
>>387 >>388 う〜ん。
たとえば『荘子』なんかは、「疑う主体」である「我」をも疑いかねませんね。
あと、人肉食とか親孝行とかは、「そのような行為そのものが有効か否か」
「そのような行為そのものを道義的・医学的に許容し得るか」でもって
「評価」「判断」(後世の視点からの一方的な「断罪」?)するのではなく、
「人肉食は絶対禁止」「親孝行は地球よりも重い」という「思想」「信条」を
相対化し得るかどうか、という点を検討するほうが重要だと思いますね。
(もちろん、中国において「孝」という発想が出てきた原因・背景、ってのも
重要ですが、この場合それはメインの問題ではないように思います。)
相対化できなければそれは、それこそ「普遍的な倫理・哲学たりえるもの」、
でなれければ、「原理主義」とか「信仰」とかに通じるものでしょう。
>たとえば『荘子』なんかは、「疑う主体」である「我」をも疑いかねませんね。
ハイデガーも人間の存在は問いましたよ。それにより、サルトルに代表される
実存主義に発展してゆく。
>「人肉食は絶対禁止」「親孝行は地球よりも重い」という「思想」「信条」を
>相対化し得るかどうか、という点を検討するほうが重要だと思いますね。
(省略)
>「人肉食は絶対禁止」「親孝行は地球よりも重い」という「思想」「信条」を
>相対化し得るかどうか、という点を検討するほうが重要だと思いますね。
(相対化する)とおっしゃいますと、どういうことでしょうか?
(私はいちゃもんをつけているのではありませんが、意味を図りかねているので
教えてください。)
私が言いたかったのは、“「人肉食はダメだ」とかはドクマじゃないのか?”
に対して、「医学的で解決されている問題を、今更わざわざ哲学に持ち込む
必要は無いのではありませんか?」ということであり、「親には孝行を尽く
せ」に対しては、「当時の中国社会の認識じゃありませんか?」ということ
です。認識とは、客観的世界を模写するものではなく、自己保存と生長のため
に行われる行為だと思っているからです。“考”の受けてが、君主であり
(忠孝)親であったり(孝行)。だから、“考”ってそもそもなんですか?
っていうのなら、また別ですが?
いや、そんなに深い意味はないです。(>相対化
古典中国の儒家のように「孝」を金科玉条にして
「孝」をしない者は禽獣だ、人間ではない、とか
断じてしまう姿勢とか、
ジャコさんのように「人肉食絶対反対」を唱えて
「人肉食を容認するような野蛮な思想は哲学ではない」とか
断じてしまう姿勢とかと、
個人的に人肉食は嫌いでも、とりあえず人肉食を
容認する思想を客観的に検討できる姿勢、つまり
人肉食のタブーを自分の中で相対化できる姿勢とか、
(自分が日常生活では仏教徒ということは棚に上げて、
人間の実存を徹底的に疑い追求できる姿勢とか、
自分がキリスト教徒ということは別にして、
イスラム原理主義を評価できる姿勢とか)
との別をつけておかないと、また水掛け論に陥ると思って。
で、後者の立場を「相対化できる立場」と称しただけです。
後者の姿勢は、個人的な「ドグマ」にとらわれずに
哲学を研究することにつながる可能性がありますが、
前者の姿勢ならば、それはおそらく不可能でしょう。
混乱させたならゴメンナサイ。
>個人的に人肉食は嫌いでも、とりあえず人肉食を
>容認する思想を客観的に検討できる姿勢、つまり
>人肉食のタブーを自分の中で相対化できる姿勢とか、
> 自分が日常生活では仏教徒ということは棚に上げて、
> 人間の実存を徹底的に疑い追求できる姿勢とか、
> 自分がキリスト教徒ということは別にして、
> イスラム原理主義を評価できる姿勢とか)
>との別をつけておかないと、また水掛け論に陥ると思って。
にいなさんのいう相対化ということは理解しました。
つまり、そのような視点から考えると、
たとえば「孝」を疑えない古典儒教などは「自己の立場を相対化できない」ということで。
>古典儒教などは
そうですね。
どちらかと言えば、“教えを説いた”宗教に近いかと思っています。
道教研究の第一人者,元京大人文研究所長福永光司氏死去
http://www.asahi.com/obituaries/update/1220/002.html 中国思想史学者で道教研究の第一人者の
元京都大学人文科学研究所長の福永光司(ふくなが・みつじ)氏が
20日午前0時48分、肺炎で死去した。83歳だった。
通夜・密葬は本人の遺志により20日に親族だけで行われた。
喪主は長男拙(つたな)氏。自宅は大分県中津市高瀬255。
1918年、中津市生まれ。京都大、東京大教授などを歴任。
退官後、京大人文科学研究所長、北九州大学教授などを務めた。
専門は中国宗教思想史。
仏教や儒教の陰に埋もれてきた道教思想に学問の光をあて、
中国の老子・荘子などの哲学研究の先駆者となった。
著書に「荘子」「老子」全訳のほか「道教思想史研究」などがある。
最近では作家・五木寛之氏との共著「混沌(こんとん)からの出発」で話題を集めた。
(23:03)
398 :
考える名無しさん:01/12/22 01:34
儒教では唯一絶対の神はいないから理想の人間つまり聖人になるための
道が説かれている。孔子をはじめとする古代の聖人の著つまり経を
解釈するのがその学問。
だから欧米の哲学とは根本的に異なる。
>だから欧米の哲学とは根本的に異なる。
って言われてもねえ。
ここは、“中国哲学は哲学なのか?”がテーマで
根本的に違うから、“哲学の定義”から始めている
んだと思っていましたけど。。。。。
あなたの仰る哲学ってなんですか?思想ってなんですか?
教えてくださいよ。
福永死去は俺も新聞で知った。
しっかし「喪主は長男拙(つたな)氏。」って・・・。
すげぇ名前だよな。
スレに関係ない話申し訳ない。
401 :
考える名無しさん:02/01/04 12:17
>>398 キリスト教には唯一絶対の神はいるから、神に近づくための道が説かれている。
イエスをはじめとする古代の預言者の著つまり経典を解釈するのがその学問。
だから欧米の哲学とは根本的に異なる。
402 :
考える名無しさん:02/01/04 14:10
なんでこんなスレが盛り上がるのか不思議だ・・。
自分の思索が哲学だと思ったら哲学、俺はそう思う。
>自分の思索が哲学だと思ったら哲学、俺はそう思う。
だったらヒットラーの「わが闘争」も哲学だ。
小林秀雄の「考えるヒント」だって哲学だ。
佐藤愛子だって南伸坊だって、みんな哲学者だ。
そうですか?
自分の思索が哲学の思考方法に乗っ取って
いなければ哲学と呼べないのではありませんか?
異なった価値観を持つ共同体のなかでも、通用する
共通了解を造りだすこと。その時代にあった世界観
を作り出すこと。信念やテキストではなく原理あるいは
根本原因から思索していくこと。善や悪といった理念から
で判断しないこと。自分だけじゃなく第三者からも思索が
トレースできること。
これが無ければ哲学じゃないと私思います。
>>403 (1)異なった価値観を持つ共同体のなかでも、通用する共通了解を造りだすこと。
(2)その時代にあった世界観を作り出すこと。
(3)信念やテキストではなく原理あるいは根本原因から思索していくこと。
(4)善や悪といった理念からで判断しないこと。
(5)自分だけじゃなく第三者からも思索がトレースできること。
とりあえず(5)は、学問として必須ですね。
(2)は何か違う気がする。「その時代にあった」ってあたりで(1)との関係も微妙だし。
(4)は、も少し説明が必要かと。
つまりさ中国倫理思想の特徴的な考え方てなんなのよ?
だいたいその倫理思想の問題点が指摘できるわけねーだろ!
しかもその倫理思想についての意見もなにもあるわけねーだろ!
このテーマに理解を示す方なにとぞ教えてくだされ
>>405 > 指摘できるわけねーだろ!
> 意見もなにもあるわけねーだろ!
いや、いきなり「ねーだろ!」と断言されても、「はいはい。よかったですね。」としか言えませんが。
「このテーマに理解」も何も、一体どんなテーマなんですか?
>>406 中国倫理思想の特徴はなんなのか?
その倫理思想の問題はなんなのか?
その倫理思想に対する意見をのべよです
人間の成るべきいや、こうあるべき姿を人間の本質から発展させている思想だと私は思う。
問題は、経験が伴わなければ理解できない事だね。
全て無為自然に学ぶ時があると私は読み取れ、感謝している。
まだまだ先は長い(経験が伴ってないので理解できない部分が多々あるから)
しかし、学ぶべき時は、読み取れるべき時は来る時に来ると思うので(実際私はそう)
ゆっくり待つことにしよう。
1
410 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/01/07 17:55
>>407 それはチミが原典から読み取りなさい。
「中国倫理思想の特徴」などと何の限定も加えずに考えるのではなく、
「中国思想の中で、倫理を扱っているとみなされる何某の某書物に見られる道徳倫理
思想についてどのように記述できるのか。そしてその価値基準として、歴史的、社
会的、思想的な背景との関連の中で、何が特徴的であり、どういった値付けが出来
るのか」
という哲学板らしい質問をしなさい。
中国思想の中で、倫理を扱っているとみなされる何某の某書物に見られる道徳倫理
思想についてどのように記述できるのか。そしてその価値基準として、歴史的、社
会的、思想的な背景との関連の中で、何が特徴的であり、どういった値付けが出来
るのか
412 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/01/07 23:52
馬鹿は氏ね。
413 :
考える名無しさん:02/01/08 00:04
氏になさい
電波センセ、あけましておめでとうございます。
415 :
我輩は名無しである:02/01/08 01:18
「茶の本」あたりから始めたらどうですかぁ。
416 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/01/08 12:05
無為さん。
明けましておめでとう御座います。
本年も哲学を気ままに語れる世の中でありますように。
おもいっきし素人考えなんだけど、『荘子』外篇の知北遊篇に
「論ずれば真の道に至ることはできない。見極めようとすれば見失う。
弁じたてることは沈黙に及ばない」っていう一節があるんだけど、
これってウィトゲンシュタインの「語りえないものについては沈黙しなければならない」の先取りとは言えないの?
418 :
考える名無しさん:02/01/10 23:39
あと、荘子雑篇の盗石篇には快楽主義的な思想が見られるわけで、「ああ、エピクロス派だなあ。普遍的価値(儒学でいえば仁。エピクロス派に対してはイデア論とかが当たるのか?)を認めない思想は必ずこういう方向に流れる奴が出るんだなあ、などと思ってみたりも。
419 :
考える名無しさん:02/01/11 00:10
全部読んでないから、すでに既出かもしれないが、
哲学(正確にいうと哲学という言葉、フィロソフィーか)っていうのは、
ギリシャで始まったもので、その言語の問題意識の中で、動いているんじゃなかったっけ。
ロランバルトかなんかがいっていたような。
ハイデガーの存在に関する考察からもわかるし。
だから、哲学という言葉で中国の思想を捕まえようとすることに
そもそも問題があるんじゃないかと思う。
上の言語っていうのはもちろんギリシャ語のこと。
諸子百家の思想のほとんどは政治で活用するための実用的方策だけど、
その中では異端的な立場にある名家の論理術や、それに影響を受けた荘子の論法には
いわゆる「フィロソフィー」的な側面があるような気がする。(老子はそうでもない)
墨子の論法も哲学的だよ、ソクラテスメソッドに近い感じ。
相手を説得するのにしばしばパロドックスを使った。
諸子百家のいくつかは哲学といっていいでしょう。
もちろん技術家や、宗教家も多いけど。
423 :
考える名無しさん:02/01/11 00:37
老子は読んでないけど、老子のもとになった荘子(最近の研究ではこの順らしい)
は読んだ。で、思ったけれどなんか説話集の集まりという印象がつよい。
アリストテレスのような深みはどうしても一読しただけでは感じられなかったが、どうなんだろう。
哲学といえばそうかもしれないが、処世訓という感じが強い。
中国哲学が哲学であると立証するためには、「孔子や荘子・墨子には西洋哲学に
ある技法や問いがあり、また萌芽があるのだ」だけでは、論拠としては非常に弱
いのではないのではないでしょうか?
つまり、なにが言いたいのかといえば、
エマニュエル・レヴェナスが行った「ユダヤ思想を西洋の哲学用語で語り、哲学
にその思想を移植した」と同等の行為。つまり、中国思想を西洋哲学で再構築する
ことが必要なのではないかなと思いますが、皆さんはどのようにお考えですか?
孔子スレに人が流れてるようだけど、たまにはこっちで
老荘思想は無神論だと言われているけど、
むしろ「道≒完全なる世界の法則≒神」と捉えれば
理神論に近いんじゃないかという気がするんだがどうよ
426 :
考える名無しさん:02/01/21 03:46
あげわすれた
「道≒完全なる世界の法則≒神」
って場合の「神」って何よ?
>427
スピノザによる理神論的証明
(1) 定義
神とは、全ての物の究極原因で、自らはなんらの原因のもたない存在者である。
(2) 定理
自らにおいて存在し、自らによって解され、絶対無限の実有である神は唯一である。
(3) 定理
自然における万物は、神あるいは属性の表われであり、神=自然である。
これのこと。
老荘が理神論だったというより、キリスト教が老荘思想の発想に近づくことで理神論が生まれた、というほうが実情に近いかも
ならば、朱子学も理神論ですかね?
430 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/01/22 18:09
>>428 イスラム文化からの再輸入による思想構築の一つの成果がスコラ哲学であることを
忘れてはならない。
紀元前に神の存在証明に関わる既存学派と仏教との論争の中で、428で言うところの
ものは全て出尽くされている。そしてその論争はやがてインドの論理学を高めていく
のであるが、イスラムや中国にそのまま紹介されたり、影響を与えていった事は筆述
すべくもない。
>>430の紀元前に神の存在証明に関わる既存学派と仏教との論争の中で、
と言うのはインド六派哲学と仏教学派との論争ですか?
それともミリンダパンハーのようにギリシャ文化圏との論争ですか?
432 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/01/23 09:18
>>431 ウパニシャッドの哲人たちとの論争です。つまりバラモン教との世界観人間観に関する
議論とでもいいましょうか。
六派哲学との論争は現存資料に関する限り、紀元後と見るのが妥当なようですが、
定説ではありません。
433 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/01/23 09:25
もっといえば、紀元前8世紀のベーダ聖典に428の言う定義や定理が記述されていて、
バラモン教の各学派で神の存在証明が開始されていた。
釈尊在世当事は思想、宗教、哲学の転換期であり、伝統を踏襲しながら批判脱皮しよう
とする傾向にあり、彼らバラモン教徒は理論武装を強化していった。
このことにより、インド思想の顕著な論理学傾向が始まるのである。
なるほど。勉強になりました。
ごくかいつまんで端的に言うと、インド哲学は後世のスコラ哲学にも影響を及ぼしているということですね。
435 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/01/23 17:03
仏教におけるアビダルマ、つまり「存在の分析」とスコラ哲学とを並べて煩瑣哲学
と称しますが、同時多発的に生じたのではなく、明らかに仏教からの影響が見られ
ます。
キリスト教と言うドグマが渦巻く精神社会ではスコラ哲学は僧院の奥での煩瑣哲学
であったとしても独自性を与えないと政治の存在基盤を揺るがす事態になるため、
その真実は明かされてきませんでした。
現在でもその傾向にあり、幾ら歴史学、文献学的に位置付けられ証明されていても、
学問レベルで承認されているだけで、広く西洋キリスト教社会に周知のこととして
理解されているわけではありません。その現実が思想を研究しようとする人の判断
を鈍らせる事も事実のようです。
「哲学は神学の脾(はしため)」というやつですか。
やはり、西欧におけるキリスト教イデオロギーの支配力は今も大きいんですねぇ。
そうですね。西洋文化圏ではキリスト教抜きには何も語れないでしょう。
自由・博愛・平等という概念もキリスト教が根本にある。政治制度にしても
議会制民主主義や選挙制度などはキリスト教の影響力があってはじめてまともに
機能するものなのでしょう。だからキリスト教の地盤がない東洋の国が制度だけ
西洋をまねてもうまく機能せず、汚職・贈収賄などが絶えませんね。キリスト教
の影響をあまり受けていない国でまともに選挙で政権交代した国はあるのかしら?
>>431では荒っぽく言うとそれぞれの主張は、
ウパニシャッドの哲人の主張は「神の存在は証明できる」で
仏教学派の主張は「神の存在は証明できない」と言う事なのですか?
具体的にはどういう論争があったのか教えて下さい。
話の流れに逆らいますが……
相対論スレを見てて思ったんですが、
老荘思想の立場は相対主義なんですね。
中でも、相対スレ31の
全てを相対化した相対主義者ならば
何の行為も果たさないか、或いは
本能に基づく行為のみを果たすことになる。
というのは、荘子のいう人間の理想の姿「枯炭の境地」そのものといえる気が。
「荘子」などという書物を残した荘子その人自身は、完全な相対主義者ではなかったわけですが。
電波センセいらっしゃいますか。じつは、竜樹の『中論』をきちんと
読みたいのですが、基本文献ではどのようなものが必読でしょうか。
サンスクリットは読めませんが、英語、現代中国語、古代中国語は、
それなりに読めます。どうか、ご教授ください。
441 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/02/06 13:25
>>438 沢山あり過ぎて困りますが、「人類の知的遺産 - ウパニシャッドの哲人」から
辿ってみてください。きっと 10年間は楽しめるでしょう。
442 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/02/06 13:31
>>440 仏教漢文は読めますか?私は高校から台湾に行き、日本語環境から遮断された
環境にありまして、標準語や台湾語が生活語で合ったせいか、仏教漢文は漢文
よりも早く新聞読みできます。その意味では中論に関する漢訳注釈書がいいの
かも知れません。
でも書物を選択するには仏教スキルによります。英訳のものは原語を辿りにくい
弊害がありますが、先入観無しで読めば、理解は格段に早くなります。
老荘思想は今日のヒッキー現象を先取りしている
電波男さんありがとうございます。「人類の知的遺産」て講談社でしたっけ?
探してみます。それと『中論』では大蔵出版の奥住毅さんの「中論注釈書の研究」
チャンドラキールティ「プラサンナパダー」の和訳は信頼できますでしょうか?
西嶋和夫さんの『中論提唱』はよくわからなかったというか本人もよくわかって
ないんじゃないかと思いますけど。
445 :
考える名無しさん:02/02/06 17:32
電波男さん三枝充悳さんの『中論』レグルス文庫の3巻本はどうでしょうか?
446 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/02/06 18:00
>>444 ペロさん。
講談社ですよ。中論関係では西島さんを除いて言い本だよ。でも概観を知って、これ
から本格的に勉強するには向いていない。
>>445 さんの言うレグルス文庫はそういう意味でいいかも知れない。あれは三枝さん
が書いたものではなく、若手精鋭部隊がゴーストしていて、信用できるよ。三枝さんは
サンスクリットやチベットを読む力はないからその手をよくつかう。でも第三文明の
『法華経』和訳は私は絶賛する。漢文の読みこなし能力は中文の漢文読みの比ではない。
レグルス、第三文明を出したけど、私は創価学会じゃないよ。(笑)いい本はいい本だからね。
レグルス文庫は全体を眺めるにはなかなか良い入門書。
と言う事は奥住さんの本は初心者向けではないんですね。
僕も三枝さんの羅什訳『法華経』の3冊本はすごくいいと思います。
『中論』の方は買ってから本棚にねむってますね・・・キチンと読んで見ます。
>>442 電波センセ
先生の学生時代のお話は某スレッドで拝見しました。まさに戦いですね。
先生の仏教学に対する思いの熱さ、深さには心うたれます。
中国語はせいぜい数年学んだに過ぎないので、たかが知れています。ただ、
院試は中国語で受けましたから、英語よりはできると思います。しかし、仏
教漢文となると、てんで素人なので、辞書片手となると思いますが。
漢文注釈書とは、どういうものですか。『般若灯論』などですか?もっと、
初心者向けはありませんか?日本人の著作では何が良いでしょうか。
じつは、言語学的観点から『中論』に興味があるのです。
ご教授お願いします。
450 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/02/07 10:08
>>447 初心者向けでないというわけではありませんが、偏らずに中論を理解しようとする
場合には不都合があるかなと言うぐらいです。私は今でも入門書を読みます。違う
立場の専門家の理解を盗めるからです。
>>449 大学では何を専攻されていましたか?
それによってお薦めする書籍が変わります。
>>450 専攻は国語学。とりわけ、日本語史、文献学が専門です。哲学や仏教学
をきちんと学んだことはありません。
『中論』も数年単位で読み込もうと考えております。
電波男さんがお読みになる入門書とはどんなものですか?
また仏教を学びたい人にこれだけは最低限読んでおくべき
書物などありますでしょうか?教えて下さい。
電波先生ありがとうございました。ゴーストとは知りませんでした。
452のベロさんと同じことですが、研究者ではどのような方がお勧めでしょうか?
話をずらしてもうしわけないけど、電波男せんせいの学生時代の戦いが読めるのは何処のスレなの?
456 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/02/11 22:35
>>452 無為さん。
文献学がご専門でしたか。じゃ、「中論」準備ではないですが、渡辺照宏『新釈尊伝』
をお読みになってから上記レグルス文庫を読んでみて下さい。渡辺先生のその書物は
入門書ではありますが、得るものは多く大きいと思います。その間に角川書店仏教の思想
中観編を入れたほうが好いかもしれません。
ここにもデムパが・・
>>456 電波センセ
ありがとうございます。さっそく読んでみます。(喜
459 :
考える名無しさん:02/02/12 22:34
>おもいっきし素人考えなんだけど、『荘子』外篇の知北遊篇に
>「論ずれば真の道に至ることはできない。見極めようとすれば見失う。
>弁じたてることは沈黙に及ばない」っていう一節があるんだけど、
>これってウィトゲンシュタインの「語りえないものについては
>沈黙しなければならない」の先取りとは言えないの?
語りうるものがなければそうなのでしょうが・・・。
煽りはやめろ
462 :
考える名無しさん:02/03/07 21:18
日本は外国の現体制だけでなく、過去からもいいとこ取りをします。よって、歴史的事実を研究します。
隠蔽しませんし、政治的に利用しません。
日本は太平洋戦争に負けて良かった、自国を振り替えるくせをつけたからだ。
463 :
考える名無しさん:02/03/07 21:23
世界は愚か、時間と空間を超えて全宇宙を支配出来るようになるだろう。
神など支配してしまおう。
アメリカはローマを目指すかもしれないが、日本は神を目指すのだ。
日本は神の国だ。
464 :
考える名無しさん:02/03/07 22:48
中国哲学は哲学か、中々難しい問題のように見えてよっく考えてみると大した意味は
ない。ふふんって感じだ。西洋哲学こそが哲学だといいたいようだ。
下らん。下らん問いだ。馬鹿地味てる。
*
儒教にしてみても経書を仔細に読んでみればどれも価値がある。価値があるで
片付けてはいけないな。よっく見てみればあらゆる対象を細かく観察している。
自然科学も文学もあらゆることを含む総合的な学問としかいいようがない。
西洋哲学とは少し違う感じがする。
最期にいおう。中国哲学は哲学といえないかもしれないがそんなことはどうでもいい。
西洋人がなんと言おうと。或いは西洋人に毒された惨めな小人がなんといおうと。
中国哲学には意味があり価値があると。
465 :
考える名無しさん:02/03/09 12:45
あげ
オウムは宗教か。中々難しい問題のように見えてよっく考えてみると大した意味は
ない。ふふんって感じだ。既存の宗派仏教こそが仏教だといいたいようだ。
下らん。下らん問いだ。馬鹿じみてる。
*
オウムにしてみても経典を仔細に読んでみればどれも価値がある。価値があるで
片付けてはいけないな。よっく見てみればあらゆる対象を細かく観察している。
自然科学も文学もあらゆることを含む総合的な学問としかいいようがない。
キリスト教とは少し違う感じがする。
最期にいおう。オウムは宗教といえないかもしれないがそんなことはどうでもいい。
警察連中がなんと言おうと。或いは唯物思想に毒された惨めな小人がなんといおうと。
オウムには意味があり価値があると。
467 :
考える名無しさん:02/03/15 00:38
>電波男Ψ(´д`)Ψ先生
前に現代中国人の漢文読解能力が低いと書いてらしたんで
中国の文言の参考書は読まないことにしていたんですが
ひょっとすると「平均的な中国人」の能力が「平均的な日本人」より劣る
という意味で、アカデミックな人達のことではないかもしれない
と言う気もしてまいりました。どちらなのでしょうか?
また、英米のclassical chineseの教科書は日本の漢文の教科書
に比べ激しく劣るものでしょうか?
468 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/03/20 10:20
>>467 申し訳ない。最近こちらは巡回していなかったので見逃しておりました。
>前に現代中国人の漢文読解能力が低いと書いてらしたんで
中略
>と言う気もしてまいりました。どちらなのでしょうか?
申し訳御座いませんでした。説明が曖昧でしたね。平均的な中国人はもちろん
漢文の読解能力に劣ります。現在の台湾の人たちとは問題になりません。また
、通常高校などで漢文Uを習得し、論語やその他の書物に親しんでいる日本人
と比べても劣るかもしれません。
アカデミックの世界では非常に事情が複雑です。ピンから限まであります。一
応名が通っていて、日本の論文や書物に引用されているような人物なら読む価
値があると考えます。学問的手続きを踏んでいて、一定の結果を出しているも
のであれば、引用や注記の中では言及されて当然ですから。仏教学の分野では
漢文であっても呂徴(さんずいのほう)などが有名です。
>また、英米のclassical chineseの教科書は日本の漢文の教科書
>に比べ激しく劣るものでしょうか?
教科書という意味がよく解りませんが、日本に劣る事は無いと思いますよ。但
し台湾の人と比較してですが、古語(文語文)で会話する時に奇異な感じは拭
えません。語彙やシンタックスが変です。恐らく研究としては立派なのでしょ
うが、日常としてその原語が染み付いている訳ではないというぐらいでしょう
か。ですから否定はしません。
それと、先生は止めて下さい。
469 :
考える名無しさん:02/03/20 17:10
470 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/03/20 18:14
>>469 問題は無いんじゃないでしょうか?
中文関係では定番になっていますよね。
必読かとは思います。
471 :
考える名無しさん:02/03/20 21:28
要するに、何をもって哲学というか、という問題であり、そんな問題自体に
何の意味もないのではないか、ということだね。
472 :
高ぞう→将軍 ◆qbX9iTkE :02/04/14 05:24
伝統スレ、倉庫前にage
哲板のdat落ちって、何日?
474 :
考える名無しさん:02/04/24 03:52
あげ
期待あげ。
476 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/04/25 15:28
「俺はそっちに行くから、お前らも黙ってついてこい」ってこと?
478 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆KW8mn4ss :02/04/26 07:38
479 :
考える名無しさん:02/05/09 23:33
かろうじて陽明学がそうかな
480 :
考える名無しさん:02/05/09 23:57
西洋で哲学といわれるものが中国においては経学に大体相当するということだった
のだろう。
しかしよくよくみてみたらそれぞれ共通している部分もあれば異なるところも多く
あるので同じ哲学という語を冠していいかという疑問が生じたのだろう。
俺としては、両者起源を全く異としておるので当然まったくことなっており、従って
優劣も容易にはつけがたいとおもう。
481 :
考える名無しさん:02/05/09 23:59
『混沌の海へ』を読め。
「優劣」はどうでもいいけど
483 :
考える名無しさん:02/05/11 00:30
優劣といういいかたはいけないな。価値をふくんでしまう。
ま、おれが思うに、東洋哲学とくに儒学は明治維新によりあまりかえりみられなく
なってしまったようにおもうので注目したほうがいいだろう。
そうじゃねえか。
だから何さ
485 :
考える名無しさん:02/05/21 16:59
処世術って、社会におもねってるものが多いから基本的に嫌いだけど、「処世術なんて哲学じゃないからくだらない」というのもまたどうかと思う。
哲学者のごたくより、「人生なんてこんなものさ」と教えられた人生の知恵のほうがよっぽど貴重で役に立ったりする。
中国思想も、やっぱり哲学というよりは処世術に近いような気がするけど、老荘なんかけっこうとんでいて、一筋縄ではいかない。老荘は落ちこぼれの思想だと思うけど、個人的には癒されるし好きだなあ。
「老」に? それとも「荘」に?
>個人的には癒されるし好きだなあ。
>>486 そこにどれくらいの違いがあるとかんがえているのか?
根本的に違うものだと考えてますが、何か?
つか、何で「老」と「荘」とを同じものだと思うの?
489 :
考える名無しさん:02/05/23 00:23
>>488 すいません、どうちがうんですか?
具体的になにがちがうんですか?
>>485 穴ぼこにされて死んじゃう渾沌の話とか聞いて、癒されるんでしか?
その感性に興味津々丸。
じゃあ多分、チャックにはさまれる話も癒し系に聞こえただろうね。
中国の易は単なる処世術と違う。天地人にわたる全てを陰陽の原理で説明する
宇宙論的哲学である。それに基いて処世を説く。
ギリシア哲学が自己の内面に引きこもるのに対し、易などは変化する環境に
対応する方法を説くという点でギリシアにはないものを含んでいる。
易を読むとかなり精密だよ。細かく対処法が記されている。
>>489 そうだね、……たとえば……
たとえば、価値判断というものを全否定しちゃう荘子(内篇)の思想と、
剛柔・高低・男女・という価値判断を重視する老子の思想とは同じか?
あと、高低とか生死とかを「斉物論」しちゃって、世俗的な成功とかを
ぜんぶ度外視しちゃう荘子と、「これを取らんと欲すれば」とかいう
目的のために「しばらく之を与う」とかの作為・方便を弄する老子とは、
同じ思想なのか?
>>493 そうですね。
老子は世俗の民草までを教化の対象に入れてるから処世的な
部分が出てくるのだと思っています。私は、観念論的に終始する
よりも、こういう部分が好きなのです。
でも心斎や座忘という瞑想的神秘体験の根源は同じだと
思うんです。そこからのフィードバックは違っても・・・
つまり全一感的な安らぎの境地で暮らせるなら、争う気持ちも
なだらかに落ち着くだろうという部分では、首尾一貫していると
思っているんですけど・・・
政治理論か否かの違いはあるけど、老子も荘子もアンチ儒教に変わりは無い。アンチなんとかは、いつも反対のことを言っていればいいのだから、けっこう簡単なものだけど、反体制というのは、いつの世でも常に、人々を魅了しつづける。
でも、「自然のままに生きる」なんて、実際にやってみようとしたら、なにが自然だかわかんなくなって、できやしないよ。
読んだことないっしょ?
話が具体的になると、内容のあるレスが続かなくなるという罠。
自然のままに生きるとは、動物のように、本能のままに生きるというようにもとれる。
しかし、それならば荘子が「朝三暮四」の猿を馬鹿にするのはおかしいことになる。
猿のガメツさが、無為では無いということでは?
そもそも、人間と契約をするサルは自然にはいないけど。
易経はおれ、コンピュータのごとき精密さをもってるとおもう。
『無為自然』の解釈を、「そのまま・このまま・いまのまま」というノラリクラリな癒し系の意味で
捉えていたら、「本能のままに生きるというようにもとれる」となるでしょうが、実際は太極拳の
リラックス感のように、そのコツ(気脈や呼吸法など)を習得しなければ、つまりなんらかの
有意・努力のうえで成立すると解釈しないと、心斎や座忘という記述や列子が先生に
師事するという逸話(寓話)も意味が成り立たなくなるのではないでしょうか?
>>499 >猿のガメツさが、無為では無いということでは?
『朝三暮四』は、大衆が自己の本質を見ようとせず、自分の外側にある世の中の動向
に気を取られ迷走状態に在る、ということを指摘した寓話だと思います。
>そもそも、人間と契約をするサルは自然にはいないけど。
寓話にマジレスしないほうがいいのでは・・・
>>502 >寓話にマジレスしないほうがいいのでは・・・
そんなこといったら荘子の話とかできないってこと?
504 :
考える名無しさん:02/05/27 11:26
自然である=不自然でない
505 :
考える名無しさん:02/05/27 11:28
荘子は、無為に固執しすぎててちょっと作為的
まあ、二千年以上前の寓話の内容について「こう解釈すべきだ」「いや、ここはこう理解すべきだ」って真面目にやってるんだから、たしかにちょっと変かもね。
ちなみに、おいらは冗談半分だけど、みんなもほんとはそうなんでしょ?議論を楽しんでるだけだよね?
>>505 具体的にどのへんが?
てゆうか、内篇か外雑篇か、どっちの話よ?
>>506 ガーン
Σ (;TД) アソビハンブン、ジョウダンハンブン…
(ー )ー
> \
森三樹三郎は「自然」の解釈を6つのパターンに分類した(「中国思想史」)。
1.は「荘子」内篇、2.以降は外篇・雑篇にみられるもの。
1.運命(人間の外にある)
2.虚無(老子の無)
3.天分(生まれつきのもの)
4.生命(養生につながる)
5.天真(道徳に近い)
6.本能(享楽的)
510 :
考える名無しさん:02/05/29 16:34
>>507 読んだことないから具体的には言えないんだけど、、
荘子は老子と比べて、無為と作為の間に厚い壁を作ってるような印象がある
_______________
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| 直感で語るな |
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// ### ###ヽ| |
/ l ¨ __) ¨ l| |
l 〃 = ノ゛| |
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| ヽ __,/引_)
| \ ./||
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λ ̄ ̄ ヽ、/  ̄ l
/ .λ / /
// l / ヽ /
(二) (二)
>読んだことないから
ならば
>ような印象がある
って何?
どこからそんな印象が湧いて出たの?
513 :
考える名無しさん:02/05/29 21:52
>>510 ∧__∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∩゜Д゜)< まず本を買うお金を貯めなさい・・・
□………(つ | \______________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
いのちの電話 |
|
514 :
考える名無しさん:02/05/30 00:25
易を少しく読んだことがある。乾・坤の卦の卦辞とこう辞だが、あの精密さは西洋
における哲学に匹敵すると思われる。また極めて抽象的で、原理的である。
515 :
考える名無しさん:02/05/30 00:50
>>510 現代語訳だけでいいから読んでよ。
架空の生き物とか、無茶苦茶長生きの人とか、
アキレス腱切られてる人とか、肉を解体するのが激ウマの人とか、
孔子とかが登場する、カナリぶっ飛んだ説話集といった感じで、
マジおもろいよ。
>>514 『荘子』とは対極的(?)
516 :
考える名無しさん:02/05/30 00:54
荘子、読んでみたいものであるが、今は易を読んでいる。
易には何か面白みがある感じがする。広大な世界である。読んでも味気ないと感じる
かもしれない、あまりに抽象的なため。しかし人間関係にいかせることが
できるかもしれない思想である。当分易をおれはやろうと思う。
5〜6世紀ころには「老子」「荘子」「易経」をひとまとめにして学ぼうという「玄学」が盛んだったくらいだから、互いの関連性は大いにあるんじゃないかな?
518 :
酒井トール:02/05/30 09:57
中国哲学入門として、必読書をざっと教えてください。
薄い!安い!だったら、貝塚茂樹「諸子百家」岩波新書はどうですか?ちょっと古いですけど。
上下二冊だけどわりと読みやすいのは森三樹三郎「中国思想史」レグルス文庫。
単行本でよければ浅野裕一「諸子百家」。これは2000年にでたばかりで、新しい発掘内容なども盛り込まれています。
520 :
考える名無しさん:02/05/30 10:48
浅野裕一は、なんでもかんでも古い時代に押し上げようとするみたいだけど、
何かルサンチマンでもあるのか?
私は、浅野裕一「儒教 ルサンチマンの宗教」平凡社新書を読んで、
そんなこと言うんだったら、道家思想だって、儀礼や道徳に固められた社会に窒息し、そこから落ちこぼれ、あるいは逃避した人々のルサンチマンの声なのではないか、と思いました。
前に書き忘れましたが、浅野裕一「諸子百家」の出版社は講談社で2000円です。
中国哲学は哲学か?って言うと哲学って言ってるんだから哲学じゃないの?って茶々を入れられそうなので、
やはり、中国思想は哲学か?とかいうほうがいいのでは?
>中国思想は哲学か?と
京大学派が何十年も前に結論を(以下略
いきりたつ中国哲学。
526 :
考える名無しさん:02/08/05 13:59
良スレ
527 :
考える名無しさん:02/08/05 14:10
なんか古いスレあげまくってる奴がいるな。
糞スレさげるつもりなんだろう。
それはよしとして、岩波新書の『朱子学と陽明学』は
基本中の基本と思う。
528 :
考える名無しさん:02/08/08 11:06
西洋哲学はどこまで行ってもどうどう巡り。何か大切なことが抜けてる感じ。
要するに百害あって一利なし。東洋哲学のほうが人間性の本質を突いてると思うが。
講談社現代新書の「道徳を基礎づける」は一読の価値あり。翻訳書であるが、どんな
日本の哲学書よりもわかりやすい。
529 :
考える名無しさん:02/08/08 12:44
西洋哲学は考え、定義することに重点を置き、現実とは乖離したものとして成り立っている。
東洋哲学は、既定の概念を掘り下げ、定義し、それを持って現実を観察し、
処世術として活用するものであり、あくまで現実に還元することを目的としている。
はいはい。
なるべくなら具体例を挙げてね。
531 :
考える名無しさん:02/08/26 16:04
東洋哲学なんて言うな
インド哲学は哲学は立派に哲学だ
532 :
考える名無しさん:02/08/26 18:18
>>529 中観派について説明してみてください。中期でも後期でもよいです。
533 :
考える名無しさん:02/08/26 20:20
中国思想で哲学と呼べるのは易、老荘、仏教だろ
概説書の受け売り野郎ハケン
535 :
考える名無しさん:02/09/11 06:39
全部読んだが面白かった。
漢字について議論されてかったのが残念。
天台宗の「三転読」というのを知って、驚いた、笑った。
『法華経』の「、、、如是相、、、」という部分を
1「如是相」2「是如相」3「相如是」と3通りの読み方をして
3通りの意味を見出すという。もちろん原文のサンスクリットの
読み方ではありえない、漢字(てか漢文)ならではの読み方。
ノストラダムスを解釈する際のアナグラムを思い出したよ。
これはありなんだろうか?
もう人は来ないなの?
「安般」とかの解釈でも
そんな感じのがあったな。
537 :
考える名無しさん:02/09/14 21:27
「安般」って何ですか?
「アンパン」でいいの?
538 :
考える名無しさん:02/09/14 21:50
中国哲学は哲学かってあほな質問だ
539 :
考える名無しさん:02/09/14 21:53
540 :
考える名無しさん:02/09/17 21:29
>>535 >天台宗の「三転読」
それ、もうちょっと詳しく知りたい。
何を読んだらいい?
541 :
考える名無しさん:02/09/17 21:31
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>>540 講談社現代新書『日本仏教の思想』立川武蔵です。
ぼくももっと詳しく知りたいんで他の本を教えてほしいんですが、、、
三転読のそれぞれが「空・仮・中」の天台仏教の根本テーゼを表すようですね。
544 :
考える名無しさん:02/09/20 15:09
だいぶ前に電波男さんが言っていた、
>思想分野の最先端では本当に数学が必要です。
に当てはまる実例を、どなたかご存知でしたら教えていただけないでしょうか。
「知の欺瞞」に紹介されていたような恥ずかしい例ではなく、
本当に数学が(論理学以外の)哲学研究の有効な道具となっているのであれば、
今のうちに見ておきたいのです。
545 :
考える名無しさん:02/09/23 09:52
548 :
考える名無しさん:02/09/27 07:19
((<<´ー`>>))) Σ(゜ω゜ | なんて電波だ・・・
549 :
考える名無しさん:02/09/28 10:25
墨子をロシア人が研究した本がでたね
550 :
考える名無しさん:02/09/29 09:14
>>519 個人的に目から鱗が落ちたのは、
フィンガレット『孔子−聖として世俗者』(平凡社)
ガイシュツかもしれないが西洋哲学が個人主義で論語が個人間主義というのがよくわかった。
ところがあまり日本の研究者に取り上げられていないのが残念。
あと白川静『孔子伝』は必読書。
さらに歴史小説の巨匠である陳舜臣『儒教三千年』。
解釈がありきたりだけどその分超初心者には最適でとても読みやすい。
加地伸行『儒教とは何か』は評判はいいし面白いけど、
ちょっと「注意!」という感じかな、個人的には。
貝塚茂樹とか古典的な儒教の解説者の問題は、
同時に共産党の儒教批判を支持していたように、あくまで「古典」としてしか扱かおうとせず、
その現代的価値を考えようとしなかったこと。
少なくとも中国を理解する材料くらいにしか考えてなかった。
あと儒教というとすぐに『論語』を代表としてしまうんだけど、
思想としては『礼記』や『尚書』のほうがより重要。
読んでてつまらないけどね。『論語』もあまり面白くないが。
孔子に興味があるなら『論語』だけで充分なんだが、儒教思想で語る場合は本当は読むべき。
551 :
考える名無しさん:02/09/30 23:25
どう重要なの?
552 :
考える名無しさん:02/10/02 20:34
ちゃんと、朱子ご推薦の順番である、大学、論語、孟子、中庸の順で読むべし。
553 :
考える名無しさん:02/10/03 10:09
ちゃんと、孔子ご推薦の詩書から読むべし。
554 :
考える名無しさん :02/10/03 15:53
『礼記』は儒家思想の集大成。
周知のように「大学」「中庸」はもともと『礼記』の一章にしか過ぎなかった。
簡単に言うと、儒教における礼教の理念は『礼記』、天の観念は『尚書』。
もう一つあげるなら、孝の理念を扱った『孝経』も重要。
この三つを読破すれば儒教は完璧。
『論語』の重要性はその下くらい。
少なくとも『論語』が儒教の全てではないことくらいは認識しなきゃだめ。
『十三経』は儒家思想の集大成。
周知のように『礼記』はもともと『記』の一部にしか過ぎなかった。
簡単に言うと、儒教における礼教の理念は三礼すべて、天の観念は『詩』『書』。
もう一つあげるなら、正統観の理念を扱った『春秋』も重要。
この四つを会得すれば儒教は完璧。
『孝経』の重要性はその下くらい。
少なくとも『論語』が儒教の全てではないことくらいは認識しなきゃだめ。
556 :
考える名無しさん:02/10/03 20:26
演繹的に『易』から学ぶのも一つの有力な意見だ。さすれば諸々の典籍も理解しやすい
ということである。
557 :
考える名無しさん:02/10/05 23:45
>>555 言ってることはその通りなんだが、もっと絞れよ。
『十三経』を全部読むなんつうのは、専門家でもかなりの難事だし。
『孝経』の重要度をやや低く見てるが、そんなことはない。
『孝経』にこそ儒教における人間関係の原理が非常に簡潔にまとめられている。
ただ簡潔すぎてわかりにくいのだが。
天の観念は『詩経』でも触れているが、個人的には『尚書』あるいは『国語』や『孟子』のほうが
より位置づけが明確だと思う。
『論語』すら読んでないし・・・
>>557 『孝経』って、『礼記』とか『尚書』とか『論語』とかより
価値が劣るんじゃないの?
たとえば「身体髪膚はこれを父母に……」ってゆーのは、
「身を殺して仁をなす」とか「仁を求めて仁を得たり」とかと
両立するの?
560 :
考える名無しさん:02/10/07 14:22
『孝経』なんて漢儒の偽作を、『論語』や『尚書』と同列に論じられては困る。
561 :
考える名無しさん:02/10/09 01:52
10月9日(水)早稲田大学7号館218教室 午後4時20分より呉智英先生講演!
浅羽通明の日本現代文化論(無料、潜入容易、ニセ学生歓迎!)の枠内
562 :
考える名無しさん:02/10/09 03:42
漢書はどうですか
563 :
考える名無しさん:02/10/10 12:06
重たい。
≡(`Д´;))≡= !!!!!!!!
565 :
考える名無しさん:02/10/11 19:52
>>559 そこらへんは確かにちょっと難しい。
個人的にはあまり厳格に解釈する必要はなくて、
「孝は、ケガとかして親に心配をかけない、というところからはじめるべき」
「仁を実行しようとする時は、わが身のことも振り返らないものだ」
くらいに理解しておけばいいのでは。
四書五経は朱子学のような思想的な体系性がないので、
矛盾点は探そうと思えばいくらでもあるとは思う。
とりあえず孝経は漢儒の偽作っちゅうことで。
567 :
考える名無しさん:02/10/16 00:27
>>566 偽作でもなんでもいいじゃねえの。馬鹿馬鹿しい。
重要なのはそれが儒教の「経典」の地位を確立していたこと。
age
ニーハオ
朝鮮思想もお忘れなく!
趙衰はどこ・・・
ワーシーピンズー
574 :
考える名無しさん:02/10/27 16:03
儒教は哲学ではない
一部宗教化したものを除いて仏教は哲学
そんだけのこと
575 :
考える名無しさん:02/10/27 16:09
>>574 西洋哲学と称するものをも含めて、全ては哲学ではない。
576 :
考える名無しさん:02/10/27 23:28
くだらぬ。くだらぬ言語遊戯にふけるで無い。
哲学すなわち愛知学という見地からすれば当然東洋にも知を求め、賢を
求めようとする学問がしっかり存在した。
儒学は聖人を慕い、聖人に近づこうとする学問であるという点で、哲学というに価する。
西洋哲学がただいきるのでなく、よくいきるための学問であるとすれば、
儒学も誠に似ているといえる。
>>576 孔子ってちょっと頭悪いところあるよね。
孔子の子孫で今、孔健がいるけど、孔子以来著名な学者を輩出していないと
いうころがちょっと悲しい。
儒教も陽明学辺りでようやくまともな路線になったが、日が当たらなかったのが
残念。
578 :
考える名無しさん :02/11/03 00:00
近代の西洋哲学は思考それ自体が自己目的であり、思考の「過程」を重視する。
けっきょくのところ、何らかの束縛からの人間の解放や個人の自立を主張する。
儒教は現実から遊離した思考を拒否し、人間社会を貫く普遍的な関係の在り方がいかに可能かを考える。
けっきょくのところ、人間同士がお互い仲良く生きるための作法(礼)の習得を主張する。
580 :
考える名無しさん:02/11/17 00:24
>579
バカモ〜ン!!
踏むほうがバカ。
>>577 孔子以来、著名な学者を出してないんだってさ。(藁
「そうに違いない」っていう思いこみかい?
それとも、君の中では、孔安国なんかは「著名な学者」に含まれないのか?
漢字は素敵な記号
sage。
585 :
考える名無しさん:02/12/24 18:33
保守
唐揚げしなきゃ落ちるってことは、つまり
このスレはもう使命を終えたんだよ。
不自然なことはヤメとけってこった。
(^^)
(^^)