現象学の基本

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1名無しさん@1周年
現象学の基本が分かる本を教えて下さい。
2考える名無しさん :2000/09/11(月) 09:29
誰もレスしてない様だから、最近出版されたらしいんだけど、
「現象学の理念」 フッサール 作品社 \2000
3:2000/09/11(月) 09:30
ここにあるけど、まだ読んでません。(笑
4考える名無しさん :2000/09/11(月) 16:58
まず初めの第一歩
木田 元『現象学』(岩波新書)はどーですか?
5名無しさん@1周年 :2000/09/12(火) 09:27
木田元さんは読んだ事あります。
独学でやっているので、自分が理解したのかどうかも怪しい状態ですが。
6名無しささん@1周年 :2000/09/13(水) 16:00
>2
長谷川宏の訳は定評があるし、講演録なので
わかりやすいですね。
レヴィナスとかリオタールの研究所より
『現象学の理念』の方がいいと思います。
それがクリアできたら『イデーン』へ。

>4
木田元は若い頃もてたらしいよ。
7考える名無しさん :2000/09/14(木) 20:10
『現象学入門』竹田せいじ NHKブックス
は、とってもわかりやすい。

『現象学』 ジャン・フランソワ・リオタール ク・セ・ジュ文庫
も、補助としていいかも。
8考える名無しさん :2000/09/14(木) 23:40
では現象学の基本をば少し・・・。
問1:「現象」とは何か?
答えられる人はいますか?(制限時間1時間)
9ハタ坊 :2000/09/15(金) 01:57
おで〜ん
10考える名無しさん :2000/09/16(土) 09:00
「事象そのものへ」という現象学のモットーはひどく誤解を招いた。
特に日本語では、
 @事象=現象 A事象=事実 B事象=事柄
は相互に区別が難しいから、皆いっしょくたにしてして論じてしまう。
フッサールも自分を誤解していた。本質無しの現象などは論理的に
ありえず、本来弁証法的に統一されているもの。
その後の形相的還元、本質直観などは自分の矛盾を取り繕うための
ごまかしの概念でしょう。主観的観念論の典型。
11名無しさん@1周年 :2000/09/18(月) 08:36
事実と事柄の違いは?
意味解釈が絡むのは、現象でいいのですか?
1210 :2000/09/18(月) 22:55
>11
 事実(英語でFact)=直接的(実在的)現実、事柄(英語でMatter)=事象
 内容 として区別できます。事柄は事実を含みながらある統一した内容を指
 す言葉でしょう。歴史的事件、ドラマ、社会問題等は事柄です。
 現象(英語でPhenomenon)は上記二つとは大きく異なる言葉(概念)であり、
 本質(英語でEssence)に対立する言葉(概念)です。それは直接的な世界
 の現れを指します。現象と本質を「つなぐ」ものが現存在(英語でExistence)
 です。つまり「現象とは本質の外化(現れ)である」(ヘーゲル)と言うのが
 正しい現象概念です。
 「超越論的に」事象を捉えようとする(現代)現象学は本質(本体的存在)を
 忘れて(現象学では判断停止(エポケー)と呼びますが)、「現象の意味」の
 解釈をもってそれに代えた20世紀全体に蔓延した主観的観念論の典型です。

 逆に質問: 「意味」という言葉の意味は何ですか?
13ハタ坊だジョ〜 :2000/09/19(火) 04:01
事実としてのおでん、事柄としてのおでん、現象としてのおでん。

「おでん」を例にとって欲しいなあ、ぐっすん。

14ハタ坊だジョ〜 :2000/09/19(火) 04:02
はっ!ひょっとしてぼくのこと知らないの?
15名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 04:48
谷徹『意識の自然』。厚くて(700ページ以上)高い(9500円)が、現象学の本格的な研究書の中でこれほど読みやすいものはない。ちなみにこの人は講義も分かりやすい。
16名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 08:43
>12
事実(英語でFact)=直接的(実在的)現実
すると、例えばAさんが10階から落ちた。これは、事実でいいのですね。
事柄(英語でMatter)=事象
Aさんは自殺しようとして、ビルの10階から飛び降りた。
じゃあ、「現象」はどういう事例が当てはまります?

>「意味」という言葉の意味
sinとbedeutungぐらいしか。

これから2週間ほど出張なのでレスできなくなります。
1710 :2000/09/20(水) 22:41
>14
 「『はた坊』は少年サンデーの人気漫画『おそまつ君』に登場するおでん好き
  な坊やだった。」、これは「はた坊」の事実。
 「『はた坊』はおそまつ君達六つ子とよく喧嘩していたが、それはおでんの
  為だったのか?」
  これは「はた坊」という事柄を考えること。
 「『おそまつ君』は当時の爆発的なヒットとなり、赤塚不二夫を戦後ギャグ
  漫画家のトップに押し上げた。」これを「はた坊&おそまつ君」現象と呼ぶ。
   はた坊さん、宜しいでしょうか?
>16
 「Aさんは3日前に会社からリストラされていた。彼の自殺はこの社会の非人間
 的な本質がリストラを契機として現象したものと考えられる。」
 確かにこの場合、本質とは「現象の意味」とも言えるが、それは主観的存在
 ではなく、観念的であっても客観的な存在(本質存在)なのです。
 いずれにせよ、「意味」という多義的な言葉は混乱の元でしょう。
 本質のない現象など幽霊のようなものであり、もしそうなら結局、
 「物事に根拠などない。」「真理など無い。」「正義など無い。」といった
 ニヒリズムあるいは主観主義に陥ることになる。
 エポケーとは白痴化(ポケー!)への誘い。
 現象学はフッサールではなく、ヘーゲルに学ぶ方が何百倍もためになる。
 初学者は「現象とは何か」を常に批判的に思考して欲しい。「超越論的」と
 は「認識批判的」という事であり、「我思う、故に我あり」という主観の明証
 自体を批判的に問うことです。
 そして、観念論の真理は唯物論なのです。観念無しの存在はあっても、存在
 無しの観念など無い。
18ハタ坊だジョ〜 :2000/09/21(木) 04:04
>10
うれしいジョ〜!でも注文は”おでん”だジョ〜

つまり、ハタ坊がいつも持っている”おでん”は、彼が言明する限りにおいては
”おでん”である(事実)が、
ハタ坊が本当のことを云っているのかどうか?虚言癖があるのではないか?実は味噌田楽かも知れない?
これが”おでん疑惑”。(事柄)
そして、これこそが最重要であるが、
紙に画かれた三角・丸・四角のモノが”おでん”として認知され流通しているのが現象だジョ〜!
1910 :2000/09/22(金) 07:00
>18
>彼が言明する限りにおいては”おでん”である(事実)
 少し変。「彼が”おでん”だと言明したのは事実である。」でしょう。
>ハタ坊が本当のことを云っているのかどうか?
 これは事実を超えて「真実か否か?」という「言明の真偽」問題だと言うのは
 OKです。「本当のこと」とは言われている対象が実在する、ということ。
>紙に画かれた三角・丸・四角のモノが”おでん”として認知され流通して
>いるのが現象
 「紙に画かれたパターン」を「”おでん”というモノとして認知」するのは
 記号の解釈であり、厳密に言えば「現れ(現存在、Existence)」であって
 現象ではない。
 「本質(Essenze?ドイツ語忘れた)とは現存在の根拠(Grund)である。」
 「現存在する根拠をモノ(Ding)と言う。」
 「現象とは仮象(見かけ)の全体として世界(Welt?)における本質的な
  現存在である。現象の世界においてすべては相対的・相関的である。」
  (ヘーゲル)
 繰り返しますが、現象&本質概念はヘーゲルが正しい。心理学・社会学
 (流通?)ではなく、論理学的に。「概念」こそが重要です。
20ちび太 :2000/09/22(金) 09:34
はた坊は、ドキュソなおそまつ兄弟にいじめられてたんだよ。
いじめ、ってのは「あり」だったんだな、当時は。
でもって、おでんを巡って喧嘩してたのは、「チビ太」だよ。
ハタ坊とチビ太の区別も付かない君らに哲学を語る資格はない!
ましてや現象学なんぞ、片腹痛いわ。顔を洗って出直してこい!!
2110 :2000/09/22(金) 20:44
>20
>はた坊は、ドキュソなおそまつ兄弟にいじめられてたんだよ。
 そうか!よく覚えているね。しかし、おそまつ兄弟が「ドキュソ」
 だったのは事実ではなく、もしそうなら大ヒットはしなかったろう。
 「『はた坊』はおそまつ君達六つ子とよく喧嘩していたが、それは
 おでんの為だったのか?」という問いは前提となる事実が偽である
 (喧嘩していたはた坊というキャラは実在しない。)ため、「そう
 ではない。」という答えになり、事柄としては継続する。事実が消
 えても、事柄は残る。これが事実と事柄の違いです。
>ハタ坊とチビ太の区別も付かない君らに哲学を語る資格はない!
 事実判断が偽でも事柄の真偽は別であり、哲学という事柄はその事
 を明らかにするのですから、個別的な事実と普遍的な事柄の区別が
 付かない人の方が哲学向きではないと言うことになります。
 顔を洗うべきはどちらかな?(今後もちび太?)
22ちび太 :2000/09/22(金) 21:53
>>21
>もしそうなら大ヒットはしなかっただろう。
なんだよ、これ。どういう理屈なんだ?こんな論理性のカケラも
ない文章書いてて、哲学だとは笑わせるぜ。顔を洗って出直してこい。

事実判定もできない奴に、事柄の真偽がわかるわきゃねーだろ。
信憑性の問題だよ。
顔を洗って出直してこい。バカ。

な、みんなもそう思うだろ!!
  デカパン:「ホエホエだす」
  イヤミ:「ミーもそう思うざんす」
  はた坊:「はた坊ダジョー」
ほら、全員一致だ。文句あるか。
2310 :2000/09/23(土) 01:03
(またもや不毛な相手が登場した。)
>>22
>事実判定もできない奴に、事柄の真偽がわかるわきゃねーだろ。
 事実判定?何それ?事実の概念と事柄の概念の違いが分かる?
 あなたの概念を示せ。
>信憑性の問題だよ。
 何の信憑性?事実概念の?それとも具体的事実内容の?
 自らの非論理性をもって相手の非論理性は論証できない。
 (平たく言うと単なる揚げ足取り)
2410 :2000/09/23(土) 10:35
ヘーゲルの『精神現象学』は自然的な精神が現れるがままにその歩みを
記述するというものですが、精神諸形態(形相)とその対象との関係を
記述者(ヘーゲル)が吟味する事でそれ(認識および対象)が真ならざる
ものであるということを明らかにして、精神のより高度な形態に移行すると
いう認識論的な弁証法となっている。「真ではない」という否定がさらに
否定され、その行程自体が新たな対象(本質的対象)を生むという訳です。
「感覚的確信の対象は『このもの』(個物)であり、感性的実在は絶対的
なものと思い込まれる。」それは思い込みに過ぎないと言うわけです。そし
て、知覚において「物自体とその諸性質の現れ」として向自的(自己に帰った、
自分だけの、排他的)存在は錯覚の可能性を持ち、実際に知覚が対象にして
いるのは一般的な存在(科学的世界として客観的なもの)だと明かされる。
「このものは生成消滅する事で自らの非真理を実現する。このものの真理は
『このものならぬこのもの』つまり『一般的なこのもの』である。」として
精神は否定の否定を介して「一般者」を対象とする事になる。しかし、その
表象は事物の表層を滑る「力の戯れ」に過ぎない。云々。それは単に主観ー
客観を固定的に対立させるフッサールとは違い、両者のダイナミックな相互
移行を「精神の自覚(教養)」として展開した壮大な叙事詩(精神という
事柄とその概念的な叙述)でもある。
これが現象学の基本です。弁証法がポイント。
25ちび太 :2000/09/23(土) 11:30
>>23
バーカ、言ってる内容の信憑性だよ。
二次方程式も解けない奴が、量子力学の世界観を講釈しても誰も
信用しねーっつーの。

いい加減な知識で平気で話をでっちあげる奴は、どんなにもっとも
らしいことを言ってるようでも信用ならんのよ。それが世間の常識
だ。心に銘記しとけ。

26考える名無しさん :2000/09/24(日) 02:42
弁証法っていろいろな意味で使われてるけど
誰か分類してくれませんか。誰がどんな使い方してるとか。
2710 :2000/09/24(日) 22:17
>>25
では、私の話には何の問題もない。事実と真実は違うからね。
>>26
「ヘーゲル」スレに少し出ています。
 http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=967096472
 確かに論者により結構違うのは確かですが、まず内容に触れることでしょう。
 繰り返しになるが、現象概念を論理的に正しく理解するためには弁証法が必要
 であり、でなければ「意味」という罠にはまる。
28>27 :2000/09/25(月) 04:11
情報ありがとう。
29ちび太 :2000/09/25(月) 10:34
>>27
苦しい言い訳だな。事実誤認する奴には、真実は分からんよ。
まっとうな認識の積み重ねの上に真実が見えてくるのであって、
論理構造だけから世界が分かるわけじゃないよ。

3010 :2000/09/25(月) 22:16
同じ現象学を名乗っても、フッサール流の(現代)現象学とヘーゲルのそれ
とでは現象に対する捉え方が全く異なる。
フッサールは世界の実在について、それが超越的でありその存在は明証的で
ないとして、「意識の事実」を認識の唯一の拠り所にした。私の意識に現れる
がままの対象を記述する事が超越論的認識論であり、それが客観的に実在する
かどうかという「実在判断」を控える(判断停止)べきだと主張した。『現象
学の理念』において、薄暗い中に人が立っていると見えたのに近寄ってみると
それは一本の木だったという例を引いて、現象学的には正しい知覚と錯覚の区
別はなく、私の表象としては同等であると言っている。そして、意識の本質は
実在の対象ではなく「志向的対象」(平たく言えば現象の意味)を捉える事
にあると言う。
一方ヘーゲルは『精神現象学』において彼の方法を、「自然的精神に現れるが
ままの世界とその認識の行程を記述する事」と言っている。それは最も原初的
な感性的意識とその対象(このもの)との吟味を通して、それが「真の実在」
を捉え得ない形式であり、その真理として知覚と物自体、表象と力学的世界、
…と精神のより高い段階への行程を追う事が現象学であると言う。
つまり、フッサールにとって現象とはそれ自体で存在するもの(私の表象)で
あり、ヘーゲルにとって現象とは本質の現れとして、それ自体では存在しない
もの(被措定有)である。前者は主観的観念論、後者は客観的観念論である。
真理はどちらにあるか。真理は弁証法的唯物論にある。
3110 :2000/09/26(火) 21:32
(続き)
フッサールの言う意識の志向性とは現代的に言い直せば、現前する記号存在を
超えてその意味に向かう解釈作用である。つまり客観的世界の実在ではなく、
現象世界の意味を問う事が超越論的と言うのである。これはカントから大分離
れている。何故ならカントは「物自体」は認識不可能であっても客観的世界の
実在は経験的に確かであり、客観に向かう精神の働きを超越論的と言ったの
であるから。フッサールはカントの経験論を先験論化したと言われるのもこの
ためである。自己完結する記号的意味の世界。これはその後の哲学の主調音と
なった。世界に開かれた精神ではなく自己の意味に閉ざされた精神とは、「世
界はそれ自体非意味である。」と言ったハイデガーが「存在」にあれほど固執
したように形而上学にしか救いを得られない。原物(要するに現実世界)に背
を向けて記号(代理物)に好き勝手な意味を読み取ろうとする事は、同時期に
現われたマッハ流の主観的現象主義と同様に、19世紀末のブルジョア世界の
閉塞状況を反映しており、またその後の非合理主義の先駆である。記号はあく
まで実在(関係的な世界)の代替物としてのみ何ものかで有り得る。意味とは
客観世界への通路である。それを忘れたブルジョア哲学者は、まさに労働者を
忘れた資本家のように自らの影に怯える事になる。それは21世紀を間近にし
た現在迄続いている。ポストモダニズムの記号論とは現実世界から如何に逃避
し、自己を「差異化」(アリバイ化)するかという小ブル知識人の無意味さを、
逆に「すべては無意味だ」と居直る事で隠蔽しようとするあがきでしかない。
そこから出てくるのは、昔と同じ非合理主義の道だけだろう。本質のない現象
とはまさに幽霊の存在性格を言い表している。それは仮象の存在として自らの
身体を求めて永遠にさまようのである。最近の日本では特に無思想という思想
が流行るから、意味は無意味と区別無く、仮象(見てくれ、外見)の知性なる
ものが思考の負担を免じてくれて安く買える最高の哲学と言う事になる。
以上が「ポストモダニズム現象」学の基本である。そこに本質的な事柄はない。
32名無しさん@1周年 :2000/09/27(水) 03:49
>19
>観念無しの存在はあっても、存在無しの観念など無い。

すいません。どうしてそう言えるのですか?
33微熱症患者 :2000/09/27(水) 23:45
>>31
「ブルジョア哲学者」というのがよくわからないのですが……。
ブルジョア階級に属する哲学者という意味ですか?
それとも、ブルジョア階級のための哲学を構築した哲学者という意味ですか?
もし後者だとすると、「(本人の意図はどうであれ)現にブルジョア階級を
利する哲学を構築した哲学者」と「(現にブルジョア階級を利しているかど
うかはともあれ)ブルジョア階級を利する意図をもった哲学者」という分け
方が可能だと思うのですが、どちらなのでしょう?
3410 :2000/09/29(金) 22:22
(ようやく接続できた)
>>32
 「観念」と「存在」の違いは何でしょう。もし「観念的存在」というものを
 含めればすべては何らかの意味で存在する訳ですが、観念と観念的存在の違い
 は前者は働きであり後者はその対象であるという点でしょう。つまり観念は常
 にその対象に向かう活動であると言う事です。(フッサール自身が「意識とは
 常に『・・・の意識』である」と言っています。)そして一義的な対象とは実
 在する自然でしょう。フッサールはその対象性について判断を保留しますが。
>>33
 通常は「小ブル知識人」(プチブル階級に属する知識人)と言うのですが、こ
 こでの「ブルジョア哲学者」とは「プルジョア=市民の立場の世界観を前提に
 した哲学者」ということです。この場合近代合理主義の社会観をすべて含む事
 になります。では近代合理主義とは何か。それはざっと
 1.絶対的主体としての個人
 2.無差別な(平等な)個人からなる社会
 3.科学的普遍性に基づく合理主義
 4.歴史の絶えざる進歩
 といった諸観念からなる市民(ブルジョア)階級の思想を指します。それは近
 代を開いた革新的なものだったが、すぐさまイデオロギー(現実に合わない世
 界観)となってしまった。哲学的には主観的観念論であり、ヘーゲルはむしろ
 異質なものとしてそこから敬遠される事になる。(フッサールもデリダもヘー
 ゲル嫌いでした。)今世紀の哲学が「意味とは何だ?」と迷いさまよったのも、
 その社会的基盤である資本主義自体が「限度を知らないカネ儲け」という無意
 味な運動だからでしょう。(いつになったら組織された労働者がその姿を現し
 て世界の真実を示すことになるのか。)
35名無しささん@1周年 :2000/09/30(土) 12:16
水野和之萌え
3632 :2000/10/01(日) 10:32
>10(34)
返答ありがとうございます。
観念(ノエシス)―観念的存在(ノエマ)ということでなら、34で仰っている
ことは理解できます。
しかし、「観念無しの存在はあっても、存在無しの観念など無い」
というのはよく分かりません。 10さん言うところの観念(働き)無しで、
どうやって「存在」があるのか。
その前の「観念論の真理は唯物論なのです」というのもピンとこない。

あと30の「フッサールにとって現象とはそれ自体で存在するもの
(私の表象)であり」とありまずが、これもよくある誤解だと思います。
フッサールの主観的観念論は「私の表象=現象それ自体」を保証
するものではないと思います。そこには「妥当」ということが言われ
ていて、それのみがあるのだと思います。「妥当」というフッサール
の概念は主観内部での確信構造のことに過ぎません。勿論、フッサールに
おいては「現象それ自体」はエポケーされています。よって視点を変えると、
ヘーゲルもデリタも「現象それ自体」という概念を捨てられず、かかる概念を無意
識に保有した上で、「現象それ自体」が「ある」とか「ない」とか、「観念論」
とか「唯物論」とか言っているように思えます。フッサールならそう言うでしょう。

ついでに、私も俗にポストモダニズムといわれる潮流は好きでは
ありませんが、
>ポストモダニズムの記号論とは現実世界から如何に逃避し、自己
>を「差異化」(アリバイ化)するかという小ブル知識人の無意味さを、
>逆に「すべては無意味だ」と居直る事で隠蔽しようとするあがきで
>しかない。
は、あまりにも一面的に過ぎると思います。対抗マルクス主義という
一面もあり、ヘーゲル等の歴史的決定論や倫理的リゴリズムに対す
る反省という意義もありました。
37現像学の基本 :2000/10/01(日) 13:11
普通のカメラで撮影したフィルムには肉眼で見ることのできない像、
つまり潜像ができているが、これはハロゲン化銀の場合、数個以上の
銀原子でつくられていると考えられている。
 化学現像法は、還元剤(現像主薬)を含む溶液により、潜像を形成
するハロゲン化銀を還元し、金属銀を析出させて可視像をつくらせる
方法で、今日の一般的な現像法である。
 物理現像法は、可溶性銀塩と還元剤を含む溶液から潜像上に金属銀
を析出させて可視像をつくる方法をいい、インスタント・カメラのモ
ノクロフィルムはこの方法でポジ像が形成される。
3810 :2000/10/01(日) 22:05
(私のレスはいつも長文で失礼します)
>>36
>「観念無しの存在はあっても、存在無しの観念など無い」というの
>はよく分かりません。
 ここで言う存在とは一義的な存在、つまり実在を指しています。
>「観念論の真理は唯物論なのです」というのもピンとこない。
 多分、真理概念についての理解の相違だと思いますが、私はヘーゲ
 ル流の弁証法に準じて「xxの真理」との言い方をxx(何らかの
 概念)がそれ自体では誤謬(実在に相応していない)がその止揚さ
 れた真の内容はyyである、との意味で使います。観念論も単に
 誤りと言うのではなく、その真実は唯物論で正しく表現できると
 いう意味です。また何故唯物論が正しいと言うのかという事なら、
 それは観念とは独立の実在を認めるという点です。
>「妥当」というフッサールの概念は主観内部での確信構造のことに
>過ぎません。
 そこが彼の曖昧、不徹底な点であり、「意味志向」「意味充実」
 (妥当?)という心理学的なのか論理学的なのか不明な概念を持ち
 出しているのは動揺でしかない。
>勿論、フッサールにおいては「現象それ自体」はエポケーされてい
>ます。
 そうでしょうか?「現象自体」とは「現象そのもの」つまり現存在
 (Existense)の事でしょう。現存在は「何かの現れ(外化、出現)
 」として何かを持つが、例えば知覚現象(Perception Phenomenon)
 では「物」(Object)という本質存在がそれに当たる。知覚現象と
 は有機体が夜明けの光から太陽という「物」が出現するのを捉える
 という事象です。フッサールは「太陽」が真に実在するかどうかは
 エポケーするが、「夜明けの光」という知覚現象自体は認めるので
 は?それとも「現象自体」という言葉で「現れ自体」つまり物のこ
 とを指している?まさに事象および現象概念の明確化が必要ですね。
3910 :2000/10/01(日) 22:11
>>37
 唯物論的ですね。さて、潜像とは実像か、幻像か。また実像は実在
 するか。それは幻像学の基本。「肉眼で見えないものは存在しない
 」? いや、判断を停止します。
4032 :2000/10/02(月) 02:33
>>「観念無しの存在はあっても、存在無しの観念など無い」というの
>>はよく分かりません。
>ここで言う存在とは一義的な存在、つまり実在を指しています。

私がお尋ねしたいのは、どうして観念(働き)無しで「実在」があり得ると
言えるのか、ということです。それを証明して頂かないと……。

>何故唯物論が正しいと言うのかという事なら、
>それは観念とは独立の実在を認めるという点です。

実在を観念(働き)とは独立したものとして認めるということなら、
やはりそれを証明していただきたいです。
証明できないのであれば、それは悪しき形而上学ですよね。
ヘーゲルは現代において、かなり不当な扱いを受けている哲学者
で、ヘーゲルの復権は大賛成ですが、こと認識論や「現象学?」
においてのヘーゲルは、膨大な数のヘーゲル批判が示してもいま
すが、もはやアナクロというだけでは済まされないと思いますが。

あと「夜明けの光」と「夜明けの光という知覚現象」はまったく違いますよ。
フッサールは前者をエポケーします。後者は「原的に与える働きをす
る直観」とか「内在」とかいわれるもので、わかりやすく言えば
「不可疑のもの」あるいは「確信が成立する条件」です。
現象学の考え方は、知覚現象を疑い得ないものとして認めることに
より(認めざるを得ない)、「夜明けの光」そのものを確信するわけです。
この確信は勿論、内的なものであり、現象そのものを認めるのとは
全く違います。
フッサールの現象学は、疑問の余地の無い極めて明瞭な考え方
だと思います。
41名無しさん@1周年 :2000/10/02(月) 06:14
やっと2chに復帰できました。
随分前になりますが、
17>>「物事に根拠などない。」「真理など無い。」「正義など無い。」といった
 ニヒリズムあるいは主観主義に陥ることになる。
とありましたが、私は客観的(この表現が誤解を与えるなら、万人が認め得るとでもしておきましょうか)
正義、真理はないと思います。
「物事に根拠もなどない」これに関しては仮説のみがあると思っています。
この立場からでは現象学は理解できないのでしょうか?

4210 :2000/10/02(月) 22:57
>>40
>実在を観念(働き)とは独立したものとして認めるということなら、
>やはりそれを証明していただきたいです。証明できないのであれば、
>それは悪しき形而上学ですよね。
 「マジですか?」と聞き返したくなるが、
>フッサールの現象学は、疑問の余地の無い極めて明瞭な考え方だと思いま
>す。
 とあるので、冗談でもなさそうですね。そうなると、哲学も知らない普通
 の人は皆「悪しき形而上学者」だという事になるが、それで宜しいのです
 か?確かにデカルト以来、素朴に世界の実在を信じることに批判的になっ
 たのは良いが、だからといって観念論を安直に信じる事も、現代では無思
 想的な態度でしょう。
>「夜明けの光」と「夜明けの光という知覚現象」はまったく違いますよ。
>フッサールは前者をエポケーします。
>現象学の考え方は、知覚現象を疑い得ないものとして認めることに
>より(認めざるを得ない)、「夜明けの光」そのものを確信するわけです。
 おかしな言い回しですね。「エポケー」という言葉をどのように理解され
 ているのか?私は「エポケー=客観的実在についての判断を停止すること
 」と理解していますので、「『夜明けの光』をエポケーする」と言われると
 「夜明けの光が実在することについての判断を停止する」としか解釈でき
 ない。しかし更に、「『夜明けの光』そのものを確信する」と言われると、
 明らかにそれと矛盾すると思う訳です。夜明けの光から太陽の現れを知覚
 しながら、太陽が客観的に実在する事をカッコに入れるというのが、フッ
 サールの言うエポケーでしょう?
 確かに私の「現象」あるいは「自体」「そのもの」という言葉の用法も通
 常とは、ずれておりヘーゲル流ですが、議論の噛み合わない原因はそこに
 はなさそうですね。
4310 :2000/10/02(月) 23:02
>>41
 まず、<万人が認める=普遍的>である事と<客観的>である事は異なり
 ます。誰も認めなくても、客観的なものは客観的なのです。それに応じて、
 <普遍的>の反対=<特殊的、条件的、相対的>、そして<客観的>の反
 対=<主観的>となります。つまり、「真理、正義は主観的なものである
 。」と「真理、正義は相対的なものである。」とでは内容が異なりますが、
 どちらを認めますか?
>「物事に根拠も(ママ)などない」これに関しては仮説のみがあると思っ
>ています。 この立場からでは現象学は理解できないのでしょうか?
 鋭い指摘ですね。まず言える事は自然現象と社会現象とでは当否が異なる
 でしょう。たとえば現象学的物理学はあり得ないが、現象学的法学はあり
 得ます(高橋和己の小説『悲の器』の主人公の判事が構想していました
 (古!))。「仮象の論理」こそが現象学本来の強みでしょうが、フッサ
 ールは仮象自体から妥当的意味(意味充実)などという所に内在的に超越
 してしまった。意味概念は記号論で扱うべきもので「意味自体」をいくら
 追跡しても、無意味しかでてこない。
44考える名無しさん :2000/10/02(月) 23:16
「生き生きとした現在」について大いに語れ。
45考えてる気味の名無しさん :2000/10/03(火) 03:02
マターリヽ(´▽`)/
46名無し人間 :2000/10/03(火) 03:29
真理を英訳するとTruthって書いてあった。 真実も英訳するとTruthって
書いてあった。
4746 :2000/10/03(火) 03:32
ごめんなさい。書くとこ間違えた様な・・・。
4832 :2000/10/03(火) 03:32
>哲学も知らない普通の人は皆「悪しき形而上学者」だという事に
>なるが、それで宜しいのですか?
よろしいです(笑)
だから、哲学者というのはスゴイんです。ニーチェもフッサールも、
あるいはデリタも。
しかし、哲学に関心の無い人びとは少なくとも「主義」に陥ることは
ないので健全といえましょう。

>観念論を安直に信じる事も、現代では無思想的な態度でしょう。
「信じる」「信じない」は自分の意思ではどうしようもない、としか
言えませんね。それは恣意的なものではありません。信憑というも
のは勝手に向こうからやってくるものです。

>「『夜明けの光』をエポケーする」と言われると「夜明けの光が実在
>することについての判断を停止する」としか解釈できない。
よろしいとおもいます。もっと言えば実在を否定するとした方がハッキリする
でしょう。ただ『イデーン』におけるエポケーというのは還元というモチーフ
があるため「停止」とかいう曖昧な言い方になっているだけです。
「夜明けの光」という存在が客観的に実在しているということを、現象学
では、まず完全否定するわけです。それがエポケーの真意です。
このような客観的実在を否定するのは何も現象学だけではありません。
いちいち哲学史を説明するのは控えますが、現代思想ではもはや
常識です。ニーチェが先陣を切ってフーコー、デリタと受け継がれ
ました。実在を否定することばかりに躍起になって、それを
徹底的に証明して見せたのが所謂ポストモダンといわれる潮流です。
彼らは良くも悪くも徹底的だったので、誰もが彼らの言葉を習い覚
えさえすれば、「〜は〜である」という人を論破できるようになりました。
凡そ10さんが実在を証明することは不可能です(笑)
4932 :2000/10/03(火) 03:33
以前この板のどこかで読んだ覚えがあるのですが、
喫茶店でコーヒーを飲んだとします。現象学では実在を否定するわけ
ですから、このコーヒーが本当にコーヒーであるかどうかは判断を
保留します。じっさい、これは科学的に調合された黒い液体かも
知れないということはありえますし、哲学的に考える権利として、
このコーヒーがニセモノであることは無限に想定可能です。
要するに客観的実在の否定です。これが現象学の出発点です、
というより現代思想の常識でしょう。
さて、現象学ではこう考える。

《確かにこれは、コーヒーではない別の液体だという可能性を
否定することは出来ない。しかしその液体を飲んで「美味かった」
「熱くてコーヒーの味がした」という知覚や感情は否定できない。
否定のしようが無い。そうであるなら別にその液体が「実際に」
「客観的に」なんであろうと我々の知ったことではない。》

現象学はメリット主義なんです。
主観内部である種の確信が生じることと、客観的実在を否定する
ことは矛盾しません。
50ハイデッガー :2000/10/03(火) 03:38
現象学=フェノメノロジー=フェノメン+ロゴス
これをギリシア語で言うと、レゲイン・タ・ファイノメナ
で、レゲインはアポファイネスタイのことだから、
現象学=アポファイネスタイ・タ・ファイノメナ
すなわち、「己を示すものを、それがそれ自身の方から現れてくる通りに、
それ自身の方から見えるようにすること」。
これが現象学の基本なのダ。
51ハニバル・レクター :2000/10/03(火) 03:56
いま初めて43を読んだのですが、

<万人が認める=普遍的>である事と<客観的>である事は異なり
 ます。誰も認めなくても、客観的なものは客観的なのです。

とはスゴイですね。恐れ入りました。
特に後半部の「誰も認めなくても客観的なものは客観的なのです」
というところ。
「なのです」と言われても……。
証明していただきたいなー。哲学史がひっくり返りますよ。
5210 :2000/10/03(火) 21:45
>>48
>このような客観的実在を否定するのは何も現象学だけではありません。
>いちいち哲学史を説明するのは控えますが、現代思想ではもはや
>常識です。ニーチェが先陣を切ってフーコー、デリタと受け継がれ
>ました。
 随分乱暴な意見ですな。確かに主観主義は現代哲学の主潮流になっているが、
 それは全くの誤りですよ。大体日常生活の中で「世界は主観的なものであり、
 客観的実在などない。」などと言えば、「目を覚ませ!」とビンタが飛んで
 来るでしょう。それでも否定できれば、まあ本物でしょうが。
>凡そ10さんが実在を証明することは不可能です(笑)
 同上です。観想的で労働をしない哲学者は毎日実証される現実世界には棲ん
 でいないと言う事が証明されるだけでしょう。もう少し現象学を勉強して、
 実際にフッサールが辿った道を追うことをお勧めします。
>>51
>誰も認めなくても、客観的なものは客観的なのです。とはスゴイですね。
>恐れ入りました。
 つくづく時代が変わったのだなと思う。あなたも「証明」にこだわっているよ
 うですね。哲学を何か数学の証明問題と取り違えているのかな。
 まず、「客観的」という概念について理解する事をお勧めします。それは「主
 観的」の反対だと言う事は解りますね?主観的とは「誰かにとって存在する」
 と同義でしょう?例えば痛みという感覚は主観的だと言われるのは、その人だけ
 に痛みがあるからですね?それに対して「客観的」とは「それ自体で存在する」
 という意味ですよね?それが「客観的」という言葉(概念)の意味でしょう?
 私が上記で言ったのはその事であり、「客観的なものは主観的でない。」と
 言っているに過ぎない。さてしかし、32さんもそうですが、何か極端な主観
 主義に陥っているようで、「客観的なものとは幻想で、この世には主観的なも
 のしかないのだ。」と思い込んでいるために、「客観的なものはそれ自体で存
 在する」と聞いただけで驚かれるのかな。しかしそうなると、「客観的」と
 いう言葉自体の意味が無くなるでしょう?極端な主観主義は自己矛盾ですよ。
53考える名無しさん :2000/10/04(水) 00:56
現象学は実在的対象の存在妥当を一時的に保留するのであって、
否定するのではないのだよ、そもそも。
現象学を主観的観念論と混同してはいけないな。
それと、現象学を語るのに、主観―客観という概念対を
持ち出すことほど不適切なやりかたはないね。
主観―客観図式を克服するのが現象学なんだから。
どうも現象学は客観を否定して全てを主観に還元する
考え方と思ってるやつが多いような気がするな。
そんなやつはフッサールの『厳密な学としての哲学』を
とりあえず読んでほしいな。
現象学が心理主義、自然主義(これがすぐ「客観」を持ち出すヤツの立場)
の何を批判してるかがよく分かるはずだ。
どうでもいいが、コーヒーの味うんぬんの話は竹田青嗣の本が元ネタだと
思うが、竹田青嗣の本を読んでも現象学は分からんぜ。
現象学は「私探し」のチンケな哲学ゴッコとはわけが違うんだから。
フッサールがやろうとしたのは、「諸学の基礎づけ」なんだぜ。
よくも悪くもアカデミックな動機から出てきた哲学の潮流なんだよ、現象学は。
現象学の基本について語る板なんだから、その辺は押さえとくべきだと
思うがね。


54考える名無しさん :2000/10/04(水) 01:10
で、その諸学の基礎づけという目的のいくばくかを
現象学は果したのかい?
55考える名無しさん :2000/10/04(水) 01:21
なんか、アカデミックなことになると過剰反応するやつウザい
56ハニバル・レクター :2000/10/04(水) 02:30
48に対する10さんのレスでのお怒りはごもっともなことだと思います。
常識的な考えであり、私も「客観」が無いからといって走ってくるバスに
跳び込んだりはしません。
現象学では何故「客観」が無いのに、我々は走ってくるバスに跳び込
んだりしないのか、その理由を解明しているだけなのです。現象学が
そのように単純な主観主義でない理由を説明するためには、
『デカルト的省察』における他我や間主観性の議論をしなければなりま
せんが、「客観」を「在る」との前提に立ってしまえばその意味もありません。

「客観的」という概念について、私と10さんは同じ意味で受け取っていると
思いますよ。ただ、それを認めるか認めないかの違いですね。

>「客観的なものはそれ自体で存在する」と聞いただけで驚かれるのかな。

フッサールが言うように誰でも最初は「自然的思考態度」で生きているの
ですから、実在(モノといったほうがわかりやすいかな?)というものを前提
にしています。しかし認識論を深めていけば、その態度では理屈に合わない
ことがたくさん出てくる。よってフッサールいうところの「哲学的思考態度」
でやっていこうということになるのです。
このあたりのことは現象学の基礎の基礎です。お読みになっているのなら
もう一度『現象学の理念』を講義一から読み返してはいかがでしょう?

実在についてもう証明しろとはいいません(笑)
代わりと言ってはなんですが、デリタなんかはお読みになりますか?
彼の反ロゴス中心主義という荒波を10さんはどうやって乗り越えられた
のですか? あるいは無視されたのかな?


現象学が言うところの「諸学の基礎づけ」云々という議論を真
面目にする人は、いくらなんでも現在ではもういないでしょうね。
57ハニバル・レクター :2000/10/04(水) 02:51
ちなみに私は32です。
で、最後は53に対するレスでした。おわび。
『厳密』ではフッサールは凄いこといってますよね。
すべての学問は現象学の足元にひれ伏せみたいなこと。
あれはいただけない。
5853 :2000/10/04(水) 03:53
>57
「基礎づけ」ってことで何を考えるかによるんじゃないか?
ていうのも、哲学は昔から究極の「根拠」について問題にしてきた
わけだろ。
現象学だって「存在者の存在」(ハイデッガー風に言うとだよ)という「根拠」
について馬鹿みたいに徹底して考えたから意味があるんじゃないのか?
デリダとかドゥルーズがやったことも、ある意味こうした「根拠付け」の
思想の徹底化だしな。
「根拠付け」っていう発想なしに、哲学=超越論的な学問については
語れないと思うがね。
まぁ確かに、フッサールは気負いすぎてる感はあるけどな。
でもそんなこと言い出したら、哲学なんてみんな同じだぜ。
59ハニバル・レクター :2000/10/04(水) 23:50
>哲学は昔から究極の「根拠」について問題にして
>きたわけだろ。

その挫折の歴史だと思ってますね私は。
その上でも尚、基礎付けといったフッサールの意味合いは
(相当誤解されていますが)、生活世界という概念に集約されました。
『ヨーロッパ学問の危機と先験的現象学』に詳しいです。そこで彼は
唯物論等の自然的態度思考が西欧の学問を危機に陥れていると
喝破したわけです。
まずは、その前提が理解出来ないと、現象学のお話は意味がないですね。
6053 :2000/10/05(木) 01:29
>レクター博士
博士の言うことにとくに異論はないよ。
ただ、現象学は「根拠」をしつこく問題にしてるんだ
ってことは絶対押さえとく必要があると思うわけ。
現象学は、経験諸科学が常に既に前提しつつも
問わないままに放置している存在者の「存在」
について問うわけだよね。
現象学的還元も、世界が「在る」ことに
対する「驚き」(タウマゼイン)っていう学問一般が
それによって生じることになった根本感情へと回帰するための
一種の方法と言ってもいい。
フッサールが還元を行うことを宗教上の回心に似たもの
として語るものこのためだろう。
学問一般がそれによって誕生したあの素朴な「驚き」へと
立ち返り、世界をその根本から解明してやるぜー!っていう
壮大な(妄想的な?)信念がフッサールにはあるんだよ。
フッサールは哲学史には疎くても、
哲学の根本、こういってよければヨーロッパの「学」
の最深部にいつのまにか立ち返っていたんだ。
で、その掘り下げにおいて、やっぱりフッサール
は徹底してたと。
なんせ、摩滅するまでナイフを研いじゃうような
やつだからね。
ヨーロッパ特有の「学」に寄せる熱い思い(?)
みたいなものを抜きにしては、現象学を語るのに
片手落ちになるのではないかな?


61考える名無しさん :2000/10/05(木) 01:45
なかなかうまいこと言うね >53
62考える名無しさん :2000/10/05(木) 04:04
・e・<54の問いに答えてみよう。

    フッサールによる諸学の基礎づけがどれほど徹底していたにせよ、
    それが洗練された科学主義≠ナあり(ペゲラー)第二のヘーゲル=iシュルツ)への
    先祖返りだとしたら、しょせん無駄な努力であったに過ぎない。
    ヘーゲル流の根拠づけ≠フ成果とは何か。
    というのは、ハイデガーに端を発するもうひとつの′サ象学の流れは、基本的に世界の無根拠性というものを
    前提に据えているからだ。これはフッサールの志向とはベクトルが逆である。
    世界を前にしたオドロキ、存在にたいするタウマゼイン、詩や芸術がもたらす美的体験、
    サルトルやメルロ・ポンティ、デリダ当のフランス系の思想家がやっているのは、ハイデガーの言う無根拠性をダシにした
    思弁のたわむれ・・・と言えなくもない。
63:2000/10/05(木) 18:06
世界の無根拠性を前提しているという言い方は
かなり微妙だな。
世界の根拠を掘り下げていった結果、事象そのもの
の展開によってある種の無根拠性へと突き抜けざるを得なかった
というべきだろう。
無根拠を前提にするのか、それとも結果的に無根拠へと辿りつくのかでは
大きな違いがある。
64考える名無しさん :2000/10/05(木) 18:26
・e・<うん、そうだね。ちなみにハイデガーの言う「根拠なし」というのは、根拠や第1原因が存在しない、というより
   そういうものが確固として存在する‘場所’がどこもにない、という意味あいを含んでいる。
   理性による事象の植民地化ではなく、事象の‘それなりの’真理が‘いたるところにあり、かつ、どこにもない’という
   ラディカルな自由選択によってなされるということなのかな。
65ハニバル・レクター :2000/10/06(金) 01:37
>ヨーロッパ特有の「学」に寄せる熱い思い(?)
>みたいなものを抜きにしては、現象学を語るのに
>片手落ちになるのではないかな?

熱い思いかどうかはいざ知らず、フッサールはゲッチンゲン大学の哲学の
正教授に任命するという文部省の提案を同僚達の反対によって阻まれる
という経験をしており、「学」にたいするルサンチマンは並々ならないとする
「哲学」者の意見もあります。

存在論に対する徹底的な問い。その結果、フッサールが到達した「根拠」
はしかし、我々がごく普通に生活を送っている上での実在論や心身二元
論や近代実証主義を保証するものではないということだけは最低でも
理解しておかなければ、フッサールの「根拠」は、カントやヘーゲルと何も
変わらないということになってしまいます。
これは、「根拠づけ」云々の議論に対して、是非とも言っておく必要の
あることです。それこそ片手落ちどころか、現象学をやる意味がまったく
無くなりますから。(53さんに異論はありません)

誤解を招くおそれがあるので付け足すと、現象学は近代科学等の根拠を
保証はしませんが、その意味合い、もっと言えば役割を基礎付けています。
62の書き込みに賛成ですね。
6653 :2000/10/06(金) 03:20
「根拠付け」にこだわるからって、
オレ自身がそうした主張をナイーブに
信じてるとは思わないでくれよ、念のため言っとくけど。

哲学に根拠なんか提供してもらわなくても、
経験科学はやってける。これ当たり前。
でも、フッサールにとってみれば、
究極の根拠を問わないままに築き上げられた学
ってのは「デラシネ」なんだな。
土台を失った建築物みたいにぐらついているわけだ。
それはヨーロッパ自身がその「根っこ」を見失って
ふらついているのと同じこと。
フッサールにとっては学=ヨーロッパなんだろう。
「ヨーロッパ」諸学なんだよ。
そこからあの妙な危機意識が出てくるんじゃないかな。
現象学の根底には、ヨーロッパをその起源(ギリシアだろうな)
に根付かせて、そこから根本的に建て直すっていう
特殊ヨーロッパ的な動機があるように思えるわけ。

オレが「根拠付け」にこだわるのは、こうした文化的背景、
哲学自身がそこに書き込まれている「コンテキスト」を喚起させたいが
ためなんだよ。
だって、本当に現象学が基礎づけに成功してるかどうかなんて議論しても
おもしろくないだろ?実際、そんなことできないって(笑)

67考える名無しさん :2000/10/06(金) 11:46
・e・<コンテクスト、なるほど、現象学運動の必然的契機としての歴史的背景を問うわけね。
    とすると、現象学はその普遍妥当的な基礎付けを標榜するより、むしろ歴史学に吸収されるというわけね。
    フッサールに対するハイデガーの勝利だ。
    が、もしボクの独断的な結論が正しいとして、
    イマサラながらにフッサールの遺稿をシコシコ読んでるヤツは
    いったい何がしたいんだ。
    ・・・といったアヲリかまさせていただきます。
68考える名無しさん :2000/10/06(金) 14:25
>66
デラシネ? いやむしろノマドロジーじゃねーの?

まあフッサールが偏執狂的にそういう“根拠づけ”を求めていた、
っていうのは何となく分かるけれども・・・
しかしそういう型の“哲学”がもはや時代遅れになってしまった、
という直感こそが彼の危機感に繋がっていたんだろうな...
6953 :2000/10/06(金) 21:45
>現象学はその普遍妥当的な基礎付けを標榜するより、
>むしろ歴史学に吸収されるというわけね。

性急だね、おたくも(笑)
俗っぽいポストモダニストならイエスというんだろうが、
オレはそうはいわないぜ。
そんな生ぬるい外在的批判をいくらやっても、つまらんだけだ。
あくまで哲学の内部にとどまりつつ、
内側から食い破る方がスリリングだからね。
それはさておき、哲学が語る普遍性を真に受けるなってことさ。
哲学はいわば、閉じたゲームだよ。だからこそ過激で面白い。
でも、そのロジックに絡め取られないこと。
それが哲学との健全な付き合い方だと思うがね。

>デラシネ? いやむしろノマドロジーじゃねーの?

フッサールが「リゾーム万歳」っていうと思うかい?


7068 :2000/10/07(土) 08:35
>フッサールが「リゾーム万歳」っていうと思うかい?

はは。言うわけないよ。「哲学が語る普遍性を真に受けるなってこと」
ここは賛成。だけどそれはフッサールが自分の理論が普遍性に近いと
信じて疑わなかったことに反しないかな?「哲学は閉じたゲーム」だ
といって個々の哲学者の理論を相対化してみせるのもいい加減ポスト
モダン的だと思うが、最終的な真理(各々の解釈枠にとらわれない)
を想定しないと哲学を論じる意味がなくなるのも確かだろう。だから
「本当に現象学が基礎づけに成功してるかどうか」という問題は
絶対避けて通れないと思う。結局それはあなたの真理観とフッサール
の真理観を引き比べることになるんだろうけどね。

まあ俺はそこまでやる気はないが・・・
7153 :2000/10/07(土) 17:57
>70
その通り。
イイとこ(イタイとこ)つくね。

>最終的な真理(各々の解釈枠にとらわれない)
>を想定しないと哲学を論じる意味がなくなるのも確かだろう

もちろんそうさ。
オレもこの前提は受け入れる。哲学書の読み手としてはね。
哲学について語る以上、そのゲームの規則には従う。
でも、その規則は哲学の「内部」でのみ妥当性をもつ
ものだってこともある程度自覚しておく必要があるだろ
ってのがオレの立場。
面従腹背?
まぁ、そういう批判は甘受するよ(笑)
哲学の全面肯定も全面否定もオレの好むところではないのでね。
72名無しさん@1周年 :2000/10/08(日) 13:58
現象学にも○○派っていうような、派閥というか傾向めいたものってあるのですか?
73名無しさん@1周年 :2000/10/11(水) 09:51
A
74名無しさん@1周年 :2000/10/14(土) 14:21
現象学的社会学って哲学者から見てどんなもんなんですか?
本当に現象学の意図した事とおなじですか?
75素人 :2000/10/16(月) 00:50
レクター博士がんばれ!でも他の方の発言も勉強になる。とても面白い。
「哲学が語る普遍性を真に受けるなってこと」 は「哲学」を「現象学」に置き換えても、実感としてわかる(気分)。
76考える名無しさん :2000/10/16(月) 02:49
この板、最近レスついてないようだけど、
比較的まともっぽいな。

77考える名無しさん :2000/10/16(月) 02:50
この板、最近レスついてないようだけど、
比較的まともっぽいな。

78名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 10:20
後期が始まったら、みんないなくなっちゃった?
79名無しさん@1周年 :2000/10/22(日) 10:24
age
8010 :2000/10/22(日) 15:54
>>56(ハニバル・レクターさん)
(亀レスですみません。他のスレで遊んでいたので。)
>代わりと言ってはなんですが、デリタなんかはお読みになりますか?
>彼の反ロゴス中心主義という荒波を10さんはどうやって乗り越えられた
>のですか? あるいは無視されたのかな?
 デリダは昔読みましたが、すぐ嫌いになりました。『根源のかなたに』
 (原題:グラマトロジーについて)はまだしも、『声と現象』を読んで
 「何だ、この大仰な物言いは?」と呆れた。
 (にも拘らず、その後忘れて同じ本をまた買ってしまった。)
 その後、ポストモダニズムなどという思潮が日本で受けて、意味のない事が
 意味なのだとか、意味とは差異だ戯れだとかいうバカバカしい言論が日本のバ
 ブル経済期の浮かれ気分に同調して流行った。と言う事で、デリダの言う事は
 はったりだと思っているし、「反ロゴス主義の荒波」などどこにも存在しない
 幻でしょう。客観的には西欧知識人階級の堕落(小ブル的な無根拠性を隠蔽す
 る自作自演の猿芝居?)と日本のインテリの軽薄でしかない。実際ポストモダ
 ニズムはその後どうなったのか?日本の商業主義ジャーナリズムはバブル崩壊
 と共にネタ切れでしょうか。いずれにせよ、知性の白痴化は確実に進行してき
 たし、今も進んでいる。そう言った点ではフッサールの持った危機感は意味が
 無かったが、別の意味で、資本主義時代と観念論哲学と知識人の無意味という
 点で、無意味という意味があった事を意味していたことが、20世紀末におい
 て再(差異)現象したのでしょう。
81考える名無しさん:2000/10/23(月) 23:41
あげとこう。
82無名選手@投げたらアカん! :2000/10/24(火) 00:03
>ALL
哲ヲタは基本的に細かいことをうるさく気にする。
あからさまに素人くさい表現(例:「現れ(現存在、Existence)」)
は使わない方がよろしいでしょう。
あと、うろ覚えのドイツ語を使わなくたって議論はできますし、
無意味に(失礼!)字面を黒くする漢語・変換・
表現方法も避けていただきたい。
たとえば、>>80
「流行った」「事」を漢字にしなくてはならない理由はおそらくないだろうし、
「知性の白痴化」「再(差異)現象」なんかは文芸評論家気取りなのかと
疑わせる。
>そう言った点ではフッサールの持った危機感は意味が
 無かったが、別の意味で、資本主義時代と観念論哲学と知識人の無意味という
 点で、無意味という意味があった事を意味していたことが、20世紀末におい
 て再(差異)現象したのでしょう。
 という文章こそ、
>「何だ、この大仰な物言いは?」と呆れた。
 でしょう。
83考える名無しさん:2000/10/24(火) 01:09
>82 こいつ、野球板の住人のくせして分かってる感じ。
たしかに、
>そう言った点ではフッサールの持った危機感は意味が
>無かったが、別の意味で、資本主義時代と観念論哲学と知識人の無意味という
>点で、無意味という意味があった事を意味していたことが、20世紀末におい
>て再(差異)現象したのでしょう。
って、ヴァカが無理して見え張ってる文章だよな。
84考える名無しさん:2000/10/24(火) 01:15
>哲ヲタは基本的に細かいことをうるさく気にする

そりゃそうかもしれないが、

>無意味に(失礼!)字面を黒くする漢語・変換・
>表現方法も避けていただきたい。

って、オマエもコマカイじゃん(笑)
85:2000/10/24(火) 01:28
っつーか、82自身が哲ヲタで、細かいところが
気になってしょうがないから改善してくれ、
と言ってるのではないかな。
86考える名無しさん:2000/10/24(火) 01:58
80(=10)の文章は確かに読みにくいし、スノッブ風のところも
たくさんある。まだ学部生の私が見ても、明らかな間違いだってある。
けれど、ちゃんと議論してくれてるんだからいいじゃん。
ここは現象学の基本を語るスレなんだから、現象学そのものについて
レスしましょう。
87考える名無しさん:2000/10/24(火) 02:16
>86
まあそうなんだけど、80(=10)の話って、あまりにもサヨ的偏見が入ってる
ような…。いやね、マルクス主義から現象学を批判すること自体がダメだと
言ってるんじゃないですよ。でも、80の議論だけ読んで「現象学の基本」
がわかるようになるとは思えない。
スレの方向が違う方に流れていってるのが残念だ。現象学を批判するためにも、
まずは現象学自体を知ろう。
ところで、『デカルト的省察』の新訳が出るそうだけど、誰か詳しい情報もってる人いない?
88考える名無しさん:2000/11/07(火) 14:32
..
89名無しさん@1周年:2000/11/19(日) 19:27
。。
90名無し:2000/11/23(木) 21:31
あぁ、下がってるよ、このスレッド。もったいないからあげ!
91名無しさん@1周年:2000/11/25(土) 13:10
明らかに現象学ではないのに、「現象学のナンタラ」と名前がついている本を教えて下さい。
92考える名無しさん:2000/11/25(土) 13:25
「精神の現象学」は?
93名無し:2000/11/25(土) 20:49
もっと現象学論議を読みたい・・・・・・・
面白い
9410=OFW:2000/11/26(日) 04:42
レスをつけなくなって久しいが、固定HNで再登場という事で。
以前のカキコは、無茶苦茶固いなぁ。
少しは掲示板にも慣れてきたので、新ネタで「まったり」と…。

1. 現象という言葉は難しいという話
  現象vs本質     vs 現実
   経験されるものごとは私にとって直接与えられているが、
   それらの本質は良く分からない。そもそも本質などあるのか?
   いずれにせよ、現実は否応無く迫り、しかも厳しい。
  観念vs実在(物質) vs 生活世界
   観念は今まさに私が考えているものだが、
   それらの対象が独立して実在するかどうかは疑問だ。
   いずれにせよ、生活している世界は身近なもの。

2.意味のない話
  真理って何? 本質って何? 生きるって何?
  ものごとに意味などない、究極的な根拠などない。
  ささやかでも生きる喜びがあれば、それで満足することだ。
  哲学者は余計な詮索をし過ぎる。

さて、哲学を志す者は如何に答えるか?
95kanji:2000/11/26(日) 04:54
>>94現実は否応無く迫り、しかも厳しい

僕、別に哲学志してないけど(板から出てけなんて、いわないよね?)、
僕の現実問題なんて、せいぜい「あぁー、今日も仕事つれえなー」とか、
「今月はマジ、金ねえよ。ハラヘッタ・・」とか、その程度なんだけど。

世の中、本当に生きていくのが辛いのは、僕たちみたいに物質的には
豊かだけど、心が満たされていないなんて、あまっちょろいことをいっている
人間じゃなく、生きていくのに一刻を争うような人のことをいうと思うけどね。
96名無しさん@1周年:2000/11/27(月) 00:43
>94,95
何が言いたいのか、厨房のおれにはイマイチよくわからん。
自分の主張を、バカにも分かるように噛み砕いて説明してほしい。
97kanji:2000/11/27(月) 21:35
>>96さん。>>94氏の発言の真意は、どきゅnの僕にもよく、
わかりませんが、僕の発言は読んで字のごとしです。

もし、生きていくのに対し、後ろ向きで本当に思いつめている人がいるとしたら、
僕の発言が誰かを傷つけてしまうことも、あるかもしれません。
ですが、それは僕の本意ではありません。あくまでも、目前の現実問題に対し、
大小の価値観を見い出すのは、(僕を含めた)その人自身や人たちです。
98考える名無しさん:2000/11/28(火) 01:43
>観念は今まさに私が考えているものだが、
>それらの対象が独立して実在するかどうかは疑問だ

言ってること違うじゃねーか。
99考える名無しさん:2000/11/28(火) 03:01
このスレが久々に活況を呈することを
希望して、挙げておこう。
100考える名無しさん:2000/11/29(水) 23:12
>94

>真理って何? 本質って何? 生きるって何?
>ものごとに意味などない、究極的な根拠などない。

これはまあ、この板でもよく見かける意見だし、ひょっとしたら
正しいのかもしれないのですが、

>ささやかでも生きる喜びがあれば、それで満足することだ。

 っていうのは何なのでしょう。何だかたんなる人生論の
ようにも思えますが。
 ものごとには意味がないという主張から、この人生論風の
帰結は導けるのですか。 

101考える名無しさん:2000/11/29(水) 23:26
>>91
 そーいう本はいくらでもある。図書館にでも行って自分で判定せよ。
まあ、戦後のフランスの状況をみればわかるように、現象学っていう
のは間口が広いというか何でもアリというか、哲学以外の分野にも
適用されるような方法論でもあるわけだから仕方ないかな。
 あ。自分で探すのが面倒だったら、本じゃないけど、
どー考えても「現象学」とは関係ないスレを教えてあげる。
それはここだよんW)
102考える名無しさん:2000/11/29(水) 23:28
>>100
94じゃないけど、導けると思うよ。というか、矛盾はしないと思う。
「ものごとに意味はない」から「ささやかでも・・・」を導かなければ
ならないわけではない。第一、94と95は別人のようだしね。

ささやかな生きる喜び(意味)は、満足した時点で消える。
また、ささやかな生きる喜びが生じる、また満足して消える。
ささやかな明滅を延々と繰り返して生きる。
全体として、人生に意味があるわけではない。ものごとにも
意味はない。
103:2000/11/30(木) 04:04
意味不明
104考える名無しさん:2000/11/30(木) 16:58
>103
君の読解力がないだけ。
105名無しさん@1周年:2000/11/30(木) 20:19
>91
影の現象学
河合隼雄(かわい・はやお)著 講談社(講談社学術文庫811 )
これなんか、わけわかんない。これって現象学なの?

106考える名無しさん:2000/12/01(金) 02:21
>104

俺、103じゃないけど、94と102はむちゃだと思うよ。
とりあえず>>102についてだけいえば、

>ささやかな生きる喜び(意味)は満足した時点で消える。

って、生きる喜びが「意味」だなんて何故いえるのか理解不能だし、
その喜びは満たされた時点で消える、という主張だって、言いたいことは
分からなくもないが分析もなくいきなり断定されたって困る。それから、

>また、ささやかな生きる喜びが生じる、また満足して消える。
>ささやかな明滅を延々と繰り返して生きる。

という主張Aに続けて

>全体として、人生に意味があるわけではない。

という主張Bが並んでるのも分からない。

主張Aが正しいのなら、「ささやかな生きる喜びが生じ」ている瞬間には
「意味」はあるんだろうから、「全体として、人生に意味があるわけではない」
と断言するのは難しい。百歩譲って主張A→主張Bのつながりが確保できたと
しても、Bから「ものごとにも意味がない」ということは必ずしも帰結しないだろうしね。

まあ、102の最大の問題は、100の要望に応えて94の意見を擁護するために
書かれたはずのものなのに、94のテクストから離れて自分の(根拠のない?)
信念を述べるだけに終わってることだな。結局、主張Bから主張C「小さな喜びに
満足せよ」を導き出すのは可能なのかと問うた100の要望に応えられているとは思えない。

107:2000/12/02(土) 01:44
まあ、君の言うとおりなんだが、
このままだと「人生に意味はあるのか」
スレッドになってしまうぞ。
そうなるとまたいろんな奴らが集まってくるぞ。
108名無しさん@1周年:2000/12/02(土) 01:56
哲学プロパーだけが集まってる板じゃないんだから、
人生論風の議論に流れやすくなるのはしょうがない
んじゃないかな。おれも哲学素人だけど。
で、結局、現象学の基本を学ぶには何読めばいいのよ。
はやく教えれ。
109考える名無しさん:2000/12/02(土) 04:10
『意識の自然』谷徹
をゆっくり読めってどこかで誰かが言ってた。
でもこの本は、フッサール以外に対しては結構アンフェア。
110考える名無しさん:2000/12/02(土) 04:13
「ポストモダン嫌い」とか言ってる連中は、
ボードリヤールみたいな厨房と、
デリダやドゥルーズみたいな本物を、
「哲学的に」区別できていない点で、
「自然的態度」を免れない悪しき形而上学者。
111:2000/12/05(火) 02:24
意味不明
112名無しさん@1周年:2000/12/09(土) 17:06
まだ読んでないけど、これはどう?
フッサールを学ぶ人のために
新田義弘(にった・よしひろ)編 世界思想社
113考える名無しさん:2000/12/09(土) 17:29
小説読んだら?バイバイエンジェルとか。わかるとは思わんけど。
114名無しさん@1周年:2000/12/09(土) 18:09

そんな本、検索したけど出てこんかったぞ。
誰が書いた本なの?
115考える名無しさん:2000/12/09(土) 19:05
いまだに哲学プロパーとか数学プロパーのプロパーがわからんage
116考える名無しさん:2000/12/10(日) 00:49
もおいい!おまえら全員バカ。小西聖子でヌク。
117名無しさん@1周年:2000/12/12(火) 09:30
age
118名無しさん@1周年:2000/12/16(土) 17:21
age
119考える名無しさん:2000/12/16(土) 17:35
吉野サリーでヌク。
120やまがた:2000/12/16(土) 19:14
加藤尚武のこの文がおもしろいですよ、現象学(者)については。

http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/kato/phaenomenologie.html

121山形:2000/12/16(土) 22:58
あと、「バイバイエンジェル」は笠井潔の探偵小説です。次々に起こる謎の殺人事件を
探偵矢吹駆くんが、現象学的直感で解決していくのだが、それら事件の背後には、
ヘーゲル的な共同観念の深淵により人々をあやつるおそるべき影の存在が……という
代物。いまは「サマー・アポカリプス」に改題しているのかな? でも探偵が事件を解決
するのに「直感です」はずるいっす。
122名無しさん@1周年:2000/12/18(月) 18:08
>121
さっき調べてみたら、哲学者のナンタラっていうような推理小説も書いてるね。
この人、哲学出身なの?
123考える名無しさん:2000/12/18(月) 18:11
笹井は最悪でしょう。哲学としても最低であるのは言うまでもなく、
推理小説をなめすぎ。現象学的直感=電波。
124考える名無しさん:2000/12/18(月) 18:12
自分の頭に浮かんだ妄想を解釈することなく現象学的に小説化しているんだから
いいでない。
125考える名無しさん:2000/12/18(月) 18:20
それを電波っていう(笑。
別に個人で書くのは勝手だけど、それを商売にされても困る。
126考える名無しさん:2000/12/18(月) 18:22
しかし意味ありげで全部はわからないけどきっとこれを理解すれば
知性に到達できる様な読み物を読んでみたいという御客様のニーズもあるしね。
127考える名無しさん:2000/12/18(月) 18:26
でも、それだったら秀逸な入門書を読めばいいのであって、笹井の小説は出来の悪いオカルト本じゃない?
128考える名無しさん:2000/12/18(月) 18:27
オカルトというか、一種のホーリズムへの憧れがあるんで、
新しい知識を理解しつつ噛み砕くための最初の枠組みというのは
ちょっとイヤンな感じなんですよ。
129考える名無しさん:2000/12/18(月) 18:35
ホーリズムって。つまんなくない。一即多、多即一、みんなまとめて「いっしょくた」っていうだけじゃない。
130考える名無しさん:2000/12/18(月) 18:56
複雑系ブーム以来なりを潜めてますけどね>ホーリズム
勉強したい人と、他人から勉強してると思われたい人とは違うんですよ。
131考える名無しさん:2000/12/18(月) 19:00
何が言いたいのかよくわからん。
132考える名無しさん:2000/12/18(月) 19:02
哲学出身者の書いたオカルト本の読者像を考えているんですが。
133考える名無しさん:2000/12/18(月) 23:37
789 名前:ギコフッサール投稿日:2000/11/24(金) 21:33
  ,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′,,,,,,,,,,ミ,,゚Д゚彡<俺が作ったんじゃないけど、今日からこれは俺の持ちキャラにする!!
 UU"""" U U    \_____________790 名前:ギコフッサール投稿日:2000/11/24(金) 21:33
  ,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′,,,,,,,,,,ミ,,゚Д゚彡< 785よ、使わせていただくぞ!!
 UU"""" U U    \_____________791 名前:( ´∀`)さん投稿日:2000/11/24(金) 22:18
  ,,,,,,,,,,,,,,,∩,,∩   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′,,,,,,,,,,ミ,,゚Д゚彡< さっそく盗用
 UU"""" U U    \_____________

792 名前:ギコフッサール投稿日:2000/11/24(金) 22:40
  ,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′,,,,,,,,,,ミ,,゚Д゚彡< 三味線におれの皮が・・
 UU"""" U U    \_____________
134考える名無しさん:2000/12/19(火) 09:54
ガーフィンゲルと現象学の関係について説明してよ。
135名無しさん@1周年:2000/12/22(金) 23:11
age
136名無しさん@1周年:2000/12/26(火) 10:04
a
137名無しさん@1周年:2000/12/26(火) 18:06
>1

無駄だと認めるところから出発すべき。
てゆうか1は何か不当に期待しすぎ。

ニヒリズムは安易なヒューマニズム(「人生って素晴らしいはず」)
からこそ生まれる。

俺は何も期待しない。だから「幻滅」もしない。
1はまだまだ「期待」が大きいのでは?

138考える名無しさん:2000/12/26(火) 18:08
肥大した自己イメージを幻滅感の原因だとするところは現象っぽいですね。
139名無しさん@1周年:2000/12/26(火) 18:08
137
スレ違いでした。
140考える名無しさん:2000/12/26(火) 18:12
ちなみに現象学は貨幣の物神的崇拝を人間の自尊心(自己言及)と照応させ、
貨幣を物であるとするマルクス的諦観に基づき自己=言語であるとの内省的諦観に至ったものです。

って、スレ違い???
141名無しさん@1周年:2000/12/26(火) 21:35
それって「ヘーゲルは」でしょ。
142考える名無しさん:2000/12/27(水) 18:16
系譜的には
ヘーゲル→マルクス→ソシュールでは???
143名無しさん@1周年:2000/12/28(木) 09:49
ソシュールもそうなの?
144考える名無しさん:2000/12/28(木) 10:24
正確には

ケネーかな?→パレート
スミス→パレート
パレート→ソシュール
ヘーゲル→ソシュール

スミス→マルクス
ヘーゲル→マルクス

で、マルクスよりソシュールのほうが盛りだくさん。(直接の師弟関係はない)
145名無しさん@1周年:2001/01/08(月) 12:18
age
146考える名無しさん:2001/01/10(水) 05:17
この世界に真理というものがあるとするならば

「私は存在する」

という存在論的真理と

「私を超えて認識はできない」

という認識論的な真理があると思う。
この真理を否定できる人などいない。

だからその真理から世界を読み解こうとする現象学は
論理的には間違っていないと思う。
でも直感的にやっぱ違うよなと思ってしまうのは
僕が生活世界にどっぷり浸かっているからだろうか?
147名無しさん@1周年:2001/01/10(水) 17:30
>でも直感的にやっぱ違うよなと思ってしまうのは
>僕が生活世界にどっぷり浸かっているからだろうか?
例えば?
148146:2001/01/12(金) 05:56
ちょっと考えたんですが
なぜ違うと思うのか分かりましたので発表します。

「私は存在する」

という真理は、私の意識の志向性が私の意識(自意識ではなく我)
に向かっているときにだけ成立する真理であって
志向性が他のものに向かっているときにはその真理は成立しない
ということなんではないでしょうか?
って、だれに聞いてるんだかわかんないけど
現象学に詳しいかたそこら辺はどうなんでしょうか?
149名無しさん@1周年:2001/01/13(土) 12:54
age
150名無しさん@1周年:2001/01/19(金) 09:25
あげ
151考える名無しさん:2001/01/19(金) 09:32
「私」という言葉が何物かへの志向性を持っているので、
思考される先に実体があって、それが「我」の指し示すものと
同じかどうかはちょっとなんともいえないれす。
152考える名無しさん:2001/01/20(土) 01:04
>>146
フッサールのいう認識対象性という言葉を反芻したまえ。
つまり「私」には「認識する私」と「認識される私」が存在する。
前者を主観、後者を自己と区別し、それを徹底することなしに現象学
を学ぶことは出来ない。ゆめゆめ「私」などと言ってはならない。
153名無しさん:2001/01/20(土) 01:40
「デカルト的省察」が岩波文庫ででるらしい。
154146:2001/01/20(土) 03:18
えーと僕が問題にしているのはまさにデカルトのコギトなんですね。
ただフッサールの現象学はそのデカルト的な「我」を出発点としていると
思っているので少なからず関係はあると思います。
ひょっとして違うんでしょうか?
違ってたらどのへんがデカルトと違うのか教えて下さい。
なにせ初心者なもんで。

デカルトがあらゆる物を疑い尽くした果てに
今まさに疑いつつある意識を疑うことはできないってんで
「我あり」と言ったのはよく分かるんです。
しかしそう言えるのは疑いつつある意識を疑おうとした
その“瞬間”だけそう言えるのであって
それを拠り所として体系的な認識論を展開できるような
ものではないと思うんですよ。
たとえば過去の私の意識はやはり疑おうと思ったら疑えますよね。

そのへんのことを聞きたかったのですが
今度はうまく伝えられたでしょうか。
155考える名無しさん:2001/01/20(土) 05:27
とりあえず「イデーンT」だけを問題にするなら、デカルトとフッサールの相違は、やはりノエシスーノエマの相関にあるのでは?
デカルトの場合、自我のみを疑い得ないものとして確保し、他を切り捨てたために、自我だけがぽっかりと浮かんでしまった。それが、デカルトの実体主義と言われる所以の一つ。
他方フッサールは、自我の意識作用のみを確保するのではなく、その対象(あんまりこの言葉は使いたくないのだが)も、つまりノエマも確保する。
つまり、デカルトにおいて世界は切り捨てられ、心理学的実体しか残存しないが、フッサールの場合、世界はその実在性に関する保留を受けながらも、主題とされうるのである。

ちなみに、フッサール自身が断りを入れているように、こうした問題設定は時間の問題を抽象した上での話である。
どうやって整合的に時間を現象学の中に組み込むかについて、フッサールは死ぬまで頭を悩ますことになる。
156考える名無しさん:2001/01/20(土) 05:30
付け加えておくと、上のデカルト解釈はフッサールの立場から見た、教科書的なデカルト理解であることを付言しておく。
デカルトにはデカルトの言い分があるだろう。
157155・156:2001/01/20(土) 05:48
それで、154さんの後半部分に関しては、現象学はあくまで本質学だということを持ち出せばいいのかな・・・
でも、問題意識の深いところでは、もっと別な所に・・・
158名無しさん@1周年:2001/01/20(土) 15:23
誰が何を言ったかよりも、どう考えいるのかのほうが重要じゃない?
159146:2001/01/21(日) 03:20
>>155-157さん
レス有難うございます
しかーし、やはり違うんですよね〜僕が期待してる答えとは。
僕が問いたいのは
“主観”を出発点とするのは原理的に間違っているのではないか?
ということなんですよ。
もしフッサールが“主観”を“出発点”ではなく
“終着点”としたなら僕も異論はないのです。
146で述べたように
「私を超えて認識はできない」
という真理には合致しますので。

そう考えると、
僕の世界観はカントがすでに言い表わしているのかもしれません。
世界は“物自体”と“主観”によって構成され
主観に捕らえられて初めて実在すると言える。
ただし主観は物自体に近付くことはできるが決して物自体に到達することはできない
(主観を超えては認識はできない)

仮にフッサールが主観を終着点としていたとしても
カントの世界観の“物自体”を抜かしただけのような気が僕にはするんですよね〜

ということでフッサールとカントの相違点はどんなところでしょうか?
160146:2001/01/21(日) 03:42
>>152さん

>つまり「私」には「認識する私」と「認識される私」が存在する。

「認識される私」が存在するっていうのはどうしてそう言えるのでしょうか?
デカルト的懐疑にかかれば認識されうるものは全て懐疑の対象になるのでは?
161考える名無しさん:2001/01/21(日) 04:27
フッサールにも物自体に類する考えはあります。対象Xというやつがそれです。
>世界は“物自体”と“主観”によって
これをフッサールの言葉に翻訳するなら、対象極と自我極ということになるでしょう。

で、教科書的なカントとフッサールの相違ですが、大雑把に言えば、
カントにとって問題なのは如何にして認識は可能であるかということで、フッサールの場合は何を認識するかが問題である、という点です。
カントは認識の可能性の条件という問いかけのもとに正当な認識というものを始めから絞り込んでしまうわけですが、フッサールの場合、もちろん認識の妥当性という問題も重要ではあるのですが、差し当たりそれは置いておいて、何が見られているか、思念されているかが問われるわけです。
この点でフッサールはカントよりも、むしろヒュームに近いと見るべきでしょう。
162考える名無しさん:2001/01/21(日) 04:28
で、159さんの問題意識そのものについてですが、
差し当たり、主観を「終着点」とすることの意味がよくわからないです。
カントのコペルニクス的転回を考えれば、カントこそ主観を出発点としているように思えるのですが・・・

>>154では、
「疑いつつある意識を疑おうとしたその“瞬間”だけそう言える」と、意識の自己反省の正当性が問題であるように、私は理解したのですが、
そういう発想からすれば、カントの認識論の枠組みこそ疑われるのではないでしょうか?
カントは時間と空間を直観の形式とし、経験を可能にするカテゴリーの分類をやるわけですが、その正当性はそれなりに問題だと思います。
それで、フィヒテはそれを事行の概念からそれを体型的に基礎づけようとし、ヘーゲルはその形式性を批判して、弁証法によってそれに内実を与えようとしたと、私は理解してます。

それこそヒュームの人間本性論の類の方が、主観を「終着点」にしているように見えるのですが、ちょっとこれは言いすぎかも・・・・。
163146:2001/01/21(日) 06:14
>161.162さん

ちょっとずるいかもしれませんが
僕がカントに賛成したのは“世界観”であって“認識論”ではないのですよ。
そもそも僕はカントの著作もフッサールの著作も一冊たりとも
読破したことはないので、すべて聞きかじった知識というのを御理解下さい。
だからあまりつっこんだ議論はできないのですが
大雑把な論議として
フッサールにも物自体に似た概念はあるのですよね?
だったら別に言葉を変えなくてもカントの世界像をそのまま
もってきてもいいのではと思うのです。
わざわざ翻訳する意味があるのかな〜と思うのです。

それから

>差し当たり、主観を「終着点」とすることの意味がよくわからないです。
>カントのコペルニクス的転回を考えれば、カントこそ主観を出発点としているように思えるのですが・・・

主観を“終着点”とするということについては
不可知論と置き換えてもらってもいいかもしれません。
主観の認識力には限界があるということを言いたい訳です。

それでカントのコペルニクス的転回ですが
主観を出発点とした訳ではなく、
主観と客観2つが揃って初めて世界は実在する
ということを言いたかったのではないかと思います。
それぞれ片方だけではなんら意味をなさないということではないでしょうか?
だからカントにおける出発点ということでいえば
主観と客観が出会った地点ということになるのでしょう。
164考える名無しさん:2001/01/23(火) 20:03
我思うと我思う故に我ありと我思う。
165名無しさん@1周年:2001/01/25(木) 11:59
a
g
e
166考える名無しさん:2001/01/25(木) 12:39
我思う故に我ありと我思う。

と、我思うわけですね。
167考える名無しさん:2001/01/25(木) 12:40
我以外もそう思っていると我思う。
168サルトリ:2001/02/02(金) 04:05
帰納法ってことだろ。
169名無しさん@1周年:2001/02/06(火) 18:29
広松渉さんを読んでいるのですが、結構マルクスが出てきます。
この程度のマルクスの引用は、普通なんですか?
170考える名無しさん:2001/02/06(火) 19:06
 プラトンに夫がのめり込んでいたら難しいかも・・・
171170:2001/02/07(水) 02:11

上 書き込みのミス。間違った。スマン。気にせんで。
172名無しさん@1周年:2001/02/10(土) 10:53
>>169
広松渉は何だか読みにくい。
173名無しさん@1周年:2001/02/12(月) 18:16
age
174名無しさん@1周年:2001/02/18(日) 10:02
age
175考える名無しさん:2001/02/18(日) 15:16
広松渉は共産主義者同盟(ブント)のシンパ。

176名無しさん@1周年:2001/02/19(月) 11:53
やっぱり。文章が主義者っぽいなと思った。
177考える名無しさん:2001/02/19(月) 11:55
現象学や生態学という肩書きを好む人には、自分の言ったことややったことに
責任を持ちたがらない人が多いよ。インド哲学とかもそうだね。全てはシバの戯れだとかね。
178非公開@個人情報保護のため:2001/02/28(水) 16:22
>>177
近代哲学の究極が現象学と聞いたのですが、どういう言い逃れ(?)をするのですか?
179考える名無しさん:2001/02/28(水) 16:28
>近代哲学の究極が現象学

如何にも左翼らしい、思いきりの良い無責任なアジじゃないか。
180考える名無しさん:2001/04/03(火) 11:15
age
181考える名無しさん:2001/04/07(土) 16:02
現象学って言語分析・会話分析も行いますよね。この分野で有名な人は誰になります?
182考える名無しさん:2001/04/10(火) 13:44
>>181
野家啓一
183考える名無しさん:2001/04/14(土) 09:31
野家啓一さんのどの本がいいですか?
184考える名無しさん:2001/04/18(水) 14:53
>146さん
あなたは主観を乗り越えて認識はできないことに、賛同しているのに、なぜ、
物自体が存在するなんて、確信をもっているのでしょうか?それこそ、認識
の背理でしょう?

では、なぜカントは、物自体にこだわったのか? それは神という存在を信
じていたからです。彼は理性と信仰という相対立する世界を、うまく調停し
ようと考えたあげくに、物自体の存在を許したんですよ。

現象学は、主観−客観という二項対立で、認識論を語ることは、無意味だから
やめようぜっていう立場です。
185考える名無しさん:2001/04/20(金) 09:19
age
186考える名無しさん:2001/04/24(火) 17:38
age
187考える名無しさん:2001/04/25(水) 14:01
Schutzの現象学的社会学を1週間で理解したと言い切った「大天才」がいました。
そういう天才はいます?
188catt:2001/04/29(日) 19:43
呼びました?>>187

  人 々
 ミ@Д@彡
189いちご姫:2001/04/30(月) 00:00
>>169
廣松渉氏は日本最高(おそらく世界最高)のマルクス文献学者です。
マルクスの引用で埋まっても不思議ではありません。
190考える名無しさん:2001/05/04(金) 09:45
マルクスと現象学って根本的につながるのですか?
どうも理解できない。
191無礼講:2001/05/04(金) 09:53
客観視は主観的にできない
192考える名無しさん:2001/05/04(金) 13:28
文献学者ということは、自分で作り出す能力がないということね。
193無礼講:2001/05/04(金) 13:32
すこしはそうかもね
194いちご姫:2001/05/04(金) 15:39
>>192
哲学文献学者(哲学史家)は、哲学体系を自ら創り出しはしませんが、
哲学者の新たな解釈を自ら創り出します。

また、文献学者と哲学者を兼ねている人もいます。廣松氏もそのひとり
です。西田・大森と並ぶ日本近代哲学界の巨星だそうです(廣松哲学
を私は理解していないので、「です」と書くわけにはいかない)。
195いぬのめい:2001/05/04(金) 15:41
姫見っけ☆先日は失礼(ぺこり)
196いちご姫:2001/05/04(金) 18:54
>>195
もう気にしないでくださいネ
(でも何があったのかしら?+どの発言が本当のいぬのめいさんのものだ
ったのかしら?)

あと、いぬのめいさん、めいなのに男性なの?(違ったら陳謝)
197いぬのめい:2001/05/04(金) 23:13
>>196
僕は♂(おす)です。
僕の家で飼っている犬の名前が「めい(そう、♀です)」なんです。
ゲームのキャラの名前からなにから「仮名」は全て「いぬのめい」使ってます。
あああ、こう書くと分かる奴には正体が分かってしまう・・・(汗)
因みに「ななし」は使いません。(あおりや荒しはしない主義)
前のやつは「いぬのめい」と「おいぬさま(再び)」が、そうで、他は違います。
では。(狂ったことを言い出したら指摘してください)
198いぬのめい:2001/05/04(金) 23:13
>>196
僕は♂(おす)です。
僕の家で飼っている犬の名前が「めい(そう、♀です)」なんです。
ゲームのキャラの名前からなにから「仮名」は全て「いぬのめい」使ってます。
あああ、こう書くと分かる奴には正体が分かってしまう・・・(汗)
因みに「ななし」は使いません。(あおりや荒しはしない主義)
前のやつは「いぬのめい」と「おいぬさま(再び)」が、そうで、他は違います。
では。(狂ったことを言い出したら指摘してください)
199考える名無しさん:2001/05/07(月) 03:41
Phaenomenologie revival
200考える名無しさん:2001/05/08(火) 14:05
現象学的社会学とエスノメソドロジーの違いが分からなくなってきた。
201考える名無しさん:2001/05/08(火) 14:24
おれもわからん。この手の分野からそろそろ手をひきたい。
解釈学やろうかな〜行き詰まってきた現象学
202Miss名無しさん:2001/05/08(火) 14:46
現象学的社会学は社会学の一分野で、
エスノメソドロジーは人類学の一分野。
トライブが違うだけかもね。
203考える名無しさん:2001/05/09(水) 01:54
204考える名無しさん:2001/05/09(水) 16:50
>>202
ということは、目指すところはいっしょということなんですか?
205age:2001/05/09(水) 19:57
age
206考える名無しさん:2001/05/09(水) 22:56
age
207考える名無しさん:2001/05/10(木) 00:55
新カント学派とのちがい・論争なんかやってると頭痛くなるね
208考える名無しさん:2001/05/11(金) 09:11
現象学的社会学を理解するには、最低限読まなければならない本は何ですか?
209名無しさん:2001/05/11(金) 09:50
読むだけでなく、理解することが大事なり。
210考える名無しさん:2001/05/11(金) 14:19
>>209
それはわかるのですが、現象学と名前がついた本がありながら、
怪しいのも結構あるでしょう。
211考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:13
カッツやルビンなどの実験現象学
ってどうですか?
心理学板で聞いてもよく分かりませんでした。
212考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:20
そもそも理解できてるやつがおらんね、このスレは
213考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:44
バーガー&ルックマンは必読なんじゃないですか。
おれ読んでないけど。
214考える名無しさん:2001/05/12(土) 22:50
読めよ。読まずになぜいえる
215考える名無しさん:2001/05/13(日) 11:42
現象学は、言語による社会分析。
エスノメソドロジーは、行動による社会分析。
この解釈は正しい?
216考える名無しさん:2001/05/14(月) 12:24
age
217考える名無しさん:2001/05/14(月) 12:41
>>215
現象学が対象にしたのはそもそも言語だろ。
言語が介在する現象の一例として社会現象があるというだけで、
基本的には言葉を同意を形成するための道具として使うことを一時保留する事で言語自体が持つ性質を明らかにするという事が目的。
218考える名無しさん:2001/05/16(水) 13:05
>>言語自体が持つ性質を明らかにするという
この言語というのは、特定の限られた集団でもいいわけですよね。
内集団、外集団の概念に絡んできますが。
219考える名無しさん:2001/05/19(土) 11:41
age
220実習生さん:2001/05/19(土) 19:19
konchiwa
221考える名無しさん:2001/05/19(土) 19:36
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gay&key=990242700&ls=50
ある同性愛サイトで(ホモは頭が良い)と言う自称哲学科の研究生がいました
また、男は追及するとすべて同性愛者になるそうだ。とりあえずまだ人が
集まっていませんが書き込みにきてください
222考える名無しさん:2001/05/20(日) 14:59
野家啓一さんの「言語行為の現象学」を読んだ人はいませんか?
223考える名無しさん:2001/05/20(日) 18:01
>>222
何年も前から本棚にさしてあるけど、
難しそうだから、同じ「のや」でも野矢茂樹を読んでる(ワラワラ
224考える名無しさん:2001/05/21(月) 09:13
>>223
論理トレーニングね。
225考える名無しさん:2001/05/21(月) 11:50
>>223
(誰か言ってやらねば・・・)馬鹿だね。あれは「のえけいいち」と読むんだよ。
226>225:2001/05/21(月) 12:14
そんなことくらい知ってての、たんなるギャグだと思ってたけど。
これ読んで、そういや二人とも、同様の分野で、
読みようによっては、同じになるんだなぁ、って、
はじめて気づかされて、ちょっと感心したけどな、おいら。
227とまと:2001/05/21(月) 12:15
222さんへ。だいぶ前に読みました。無根拠からの・・と
いっしょに読んだ。ほんとに無根拠なんだと思います。
ここから先は、2つの道があると思います。
1、意識主体(言語の主語)(わたし)も無根拠なので
  解明不能。
  例えば「脳が脳のことを語る」養老タケシ
  これ以上の解明は、言語のメタレベルの何か
  (言語を語れる言語)
  の創作が必要。
   Mポンティ Mポランニー
2、 どうしても解明しようとするとどこかで形而上学に
   戻ってしまう。
   自分を語る視点は、自分を越えざるを得ない。
   そうすると、フッサール現象学を認めるか、
   脳からはじめる唯脳論となる。
228GO:2001/05/23(水) 04:57
GOです。お邪魔します。マヤ・デーレン。重大なGO報告にやってまいりました。GOはねー、このスレがねー、1000に近づくときねー、GOはねー、その時にねー、哲学板のねー、コテハンさん達全員がねー、GO!GO!GO!GO!ってねー、どんどんグルーヴしていくのねー。GO!GO!って。もうねー、24時間テレビ−愛は地球を救う−のマラソン状態。BGMはもちろんZARDの「負けないで」。GOです。凄くない?GOはねー、あらゆるコテハンさん達に応援されながら完走するの。いままでGOに批判的だった人もその時にはダンスに参加。あのハイデガー先生やいちご姫も花束を抱えて駆けつけてくれる始末。GOです。ある意味カタストロフです。GOです。そうです。GOです。GOはほとんど熱狂的な声援の中、世界最後のダンスを踊り続けるの。もちろんみんなもつられてダンス!ダンス!そこはまるでリオのカーニバル。GOです。GOはねー、耳たぶ柔らかいほう。それでねー、999でねー、パタッとカキコが止まるの。何故ってGOは思うの?何故なんだ?って。それでどうしたんだろう?って他のスレに様子を見に行くの。そしたら、あらゆるスレというスレに「GO!お前が1000にカキコするんだよ。はやく!もったいぶるんじゃないぜ!みんな待ってるんだよ。GO!おめでとう!今まで良くやったな!さあ、GO、早く!」っていうカキコを発見するの。GOです。GOは感涙にむせび泣き栄光の美酒を飲み干すのさ。リーリーリーリー。GOです。GOです。最後の乱舞が始まろうとしています。GOです。記念カキコ宜しくお願いします。GOでした。お邪魔しました。
229考える名無しさん:2001/05/24(木) 12:12
>>227 さん
唯脳論になってしまうと、現象学的「社会学」から遠ざかってしまいそうですね。
唯脳論から社会学ってできそうですか?
230考える名無しさん:2001/05/25(金) 08:19
age
231とまと:2001/05/25(金) 20:33
229さn
社会学の方法論に関してシロウトなので直接答えになるかどうか
わからないけど・・・するどいですね
 社会の認識や人々の行動パターンの解明には現象学的方法が
最も優れていると思います。
つづきは、また書きこみます。
232考える名無しさん:2001/05/26(土) 11:46
>>231さん
229ですが、その集団の独特な思考パタンを解明するには現象学的社
会学が一番良いのでしょうか。エスノメソドロジーの方が、良いので
しょうか。あまりにも自明のこととして会話がなされている集団の中
で、自明とされる内容は観察者にとって言語化できるのでしょうか。
あまりにも会話のない集団だと、難しいですよね。
233考える名無しさん:2001/05/29(火) 09:30
age
234231:2001/05/29(火) 20:30
232さん
 
>自明とされる内容は観察者にとって言語化できるのでしょうか。
あまりにも会話のない集団だと、難しいですよね。

 観察者が、集団の中に成員として存していないと、現象学のよさは、
 でてきませんね。
ただ、「観察者」という設定自体が、多分現象学と、折り合わない様に思います。
「観察者を含んだ集団の行動」という限定付では、やはり現象学は価値があると思いますが。
 もし、観察者という設定からならば、唯脳論でいけるのではないか・・
・ ヒトという類の特性から他の動物行動との比較ができる。
・ 超合理としてのコンピューターとの比較可能。
  観察者を設定するとどうしてもまた認識問題に戻ってしまうと思いますが・・
  エスノメソドロジーは、これを解決できるのでしょうか。
  教えてください。(エスノメソドロジーを知りません)
235考える名無しさん:2001/05/31(木) 03:57
age
236へーゲリアン:2001/06/01(金) 11:23
長谷川宏「ヘーゲル精神現象学入門」(講談社メチエ)
237考える名無しさん:2001/06/02(土) 15:30
エスノメソドロジー社会学的思考の解体
ガーフィンケル著
238考える名無しさん:2001/06/07(木) 17:58
あげ
239考える名無しさん:2001/06/07(木) 20:57
キェルケゴールはどこに逝った?
240考える名無しさん:2001/06/15(金) 20:51
>>234
自明のものであっても、類型化することで
@その立場に代わってみる(観点の互換性の理念化)
A有意体系の一致の理念化
で目的動機、理由動機の理解がある程度可能。
でも、Schutzの限界は、あくまでも言語行為がメインのコミニケーションである点。
以心伝心みたいなことを重視している日本みたいなところでは難しいんじゃないの。
241231:2001/06/16(土) 13:43
>>240
>@その立場に代わってみる(観点の互換性の理念化)
たとえば、ラーメン食べてる人がいて、自明の様だけどその立場に変わってみると
 ・ラーメンが好きである
 ・お腹が空いている。
  この位までは、互換性の理念化が可能であるけどもしかしたら
 ・ほんとは、カツ丼が食べたいのに、金がないからラーメンを食べている。
 ・実は、ラーメン研究家である。
  というような、上位の観点は、理念化不能ではないか。
>A有意体系の一致の理念化
 で目的動機、理由動機の理解がある程度可能。
 有意体系とは、価値観ということですか?
242通りすがり:2001/06/16(土) 14:35
現象学を知りたいなら、なぜ現象学が必要とされるようになったか考えることが近道だと思おうよ。
例えば、神学の歴史をたどるといい。
なぜ、エリアーデなのか?
自ずと答えは見えてくるはずだよ。
243名も無きマテリアルさん:2001/06/16(土) 16:03
>>236の本、最高(笑)。
244考える名無しさん:2001/06/17(日) 09:50
価値観の中に有意体系がある
245241:2001/06/18(月) 01:48
通りすがりさんへ
ノエマとしての神やそれに起因する宗教戦争等のことに
現象学が有効な事は、当然、前提として考えておりますが、
何でエリアーデなのですか?
教えて下さい。ちなみにエリアーデは好きな学者です。
246考える名無しさん:2001/06/18(月) 08:39
>>241
>>@その立場に代わってみる(観点の互換性の理念化)
>たとえば、ラーメン食べてる人がいて、自明の様だけどその立場に変わってみると
> ・ラーメンが好きである
> ・お腹が空いている。
>  この位までは、互換性の理念化が可能であるけどもしかしたら
> ・ほんとは、カツ丼が食べたいのに、金がないからラーメンを食べている。
> ・実は、ラーメン研究家である。
>  というような、上位の観点は、理念化不能ではないか。


まあね。でも、身体運動のみでその理由動機、目的動機を見る訳じゃないよ。
本来現象学は、言語行為からその動機を見つけ出す訳だから。
247考える名無しさん:2001/06/21(木) 11:00
あげ
248考える名無しさん:2001/06/23(土) 16:05
現象学の手法だけで、書いてある論文を知りませんか?
249考える名無しさん:2001/06/27(水) 13:10
age
250考える名無しさん:2001/06/27(水) 19:52
フッサールはあるとき、ナイフを研いでいたら研ぎすぎて
刃がすり減るのにきがつかなかったという子供の頃の思
い出を語り、悲しそうな顔をしたという。
251考える名無しさん:2001/07/01(日) 10:52
Schutzの音楽理解のところって、前衛芸術には当てはまらないような気がするのですが。
252考える名無しさん:2001/07/03(火) 17:46
age
253考える名無しさん:2001/07/07(土) 13:02
バーガー&ルックマンは面白かった。
254考える名無しさん:2001/07/07(土) 13:11
現代思想入門はいいよ。
255考える名無しさん:2001/07/08(日) 14:29
>>254
確か2冊あったよね。
256考える名無しさん:2001/07/09(月) 08:58
日本人が書いたものは、なぜか読みにくい。なんでだろう。
257考える名無しさん:2001/07/11(水) 13:57
age
258考える名無しさん:2001/07/19(木) 14:11
age
259WIZARD’S筆頭WIZ:2001/07/19(木) 14:47
くくくく
俺を論破できないくせn
260考える名無しさん:2001/08/09(木) 00:00
age
261考える名無しさん:2001/08/09(木) 00:03
257-258 260へ
自分の行動が虚しくなってこないか?
262考える名無しさん:2001/08/09(木) 13:17
>1

ヘーゲルの弁証法
263考える名無しさん:2001/08/18(土) 03:38
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
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264考える名無しさん:2001/08/18(土) 09:59
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死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
265考える名無しさん:01/09/25 16:16
間主観性を成り立たせるには、
現象の記述を互いに共有する為の、言語のプロトコル
(互いが同じ記号に対し共通の意味を解釈ための規範)が必要になる。
互いで言語のプロトコルを成り立たせるには、
互いでそれを学習することが必要になる。
言語(のプロトコル)を学習するには、同じ記号(音声、表記)と、
同じ現象とを結びつけることが必要になる。

そしてその学習の時、同じ記号と同じ現象とを結び付けるには、
現象の同等性を保証する物自体が必要になると思う。
266考える名無しさん:01/09/29 16:49
実証主義と現象主義の違いを教えてください。  
267無学:01/09/30 01:46
現在、竹田の『現象学入門』を読書中の者ですが、
あちこちで、竹田の現象学の理解は「問題がある」と聞きます。
「問題がある」とは聞くけれど、具体的に「どのように」問題があるのか
わかりません。どなたか御指導下さい。今理解できるかわからないけど、
学が進んだときに省みるヒントが欲しいのでお願いします。
ちなみに、新田義弘さんの評判が高いことは知ってますが、あまりにも難解で……
268考える名無しさん:01/09/30 01:54
>>267
大元のフッサールの著作を理解できるようになれば、
わかるよ。いろんな意味で解釈が恣意的過ぎるんだ。
(ハイデガーの解説本も書いてなかったっけ?)
だから、翻訳書が読めるほどの理解力がつけば、
竹田がある一定方向に読者を導いて行こうとしてるのが
わかる。つまり平易すぎることによってもとの思想の
誤読を導きやすいということです。
269無学:01/09/30 02:25
>>268
ということは、特定の部分の理解に問題があるというよりは
全体的に問題があるということでしょうか。

>だから、翻訳書が読めるほどの理解力がつけば、
最初から翻訳書を読んで理解できるとは思えません。
例えばテクニカルタームの意味がわからない場合は、
考えればわかる(こともあると思いますが)問題ではなく、
単純に知らなければ解からないのではないではないでしょうか。
皆さんは、どのような道程を辿って翻訳書を理解できるレベルまで行くのでしょうか?
やはりいきなり翻訳書と辞書とかを用いて格闘するのでしょうか?

とりあえず現在の予定では、『現象学入門』を読了後、
西研『哲学的思考』と谷徹さんの『意識の自然』の方を
読んでみようと思うのですがこの線はどうでしょうか?
新田義弘さんは難解なので…
(この「難解」は、文章として読める/言葉は通じるけど、
それでも尚、中身が難解という状態、ではなく、テクニカルタームや
文法上、難解で私には読めないという意味合いです)
270ずぷいぇくと:01/09/30 02:33
>>267
とにかくフッサールの著作を読むことが大切だと思いますが、
10年程前に発行していた雑誌『ORGAN』(小阪修平編?)
で実現した、竹田氏と故廣松渉氏の対談中で、
竹田氏の恣意的な読解(受容)姿勢がうかがわれた気がします。
271無学:01/09/30 02:48
>>270
彼の哲学を、フッサール現象学の理解の正しさとしてどうか、
という観点ではなくフッサール現象学を、彼が個人的に学んで作った
彼個人の哲学として評価する場合、その評価はどうなのでしょうか?
272ずぷいぇくと:01/09/30 05:49
>>271
竹田氏の著作(の一部)を読んだのはかなり昔なので"彼個人の
哲学"が何なのかよく憶えていませんし、現在、それに与えら
れている評価も知りません。
たしか当時、彼の哲学的領域での主張は、"現象学的方法が
独我論を脱し得ないとする批判への反論"、そして、"実は客観/主観
の二項図式をフッサールは乗り超えている"、ということに集約
されたかと思います。
なので、この限りでは彼とフッサール現象学の理解とを切り
離して評価するわけにはいかないのでは、、、、と感じます。
※竹田現象学への評価はともかく、哲学水先案内人としての
魅力は,川本隆史氏などからも高く評価されていましたね。

役立たずでスマソ
273考える名無しさん:01/10/06 18:12
age
274考える名無しさん:01/10/12 12:05
このスレなかなか続きますね。
275:01/10/13 05:13
「現象学」コレだけはダイジェストよんでも、面白さがまるでワカランかった。
276立松じいさん:01/10/13 06:45
イデーンUの翻訳が上巻だけだけど、やっっっっっと出たね。
下巻はすぐに出るんだろうか?
277考える名無しさん:01/10/13 14:34
ダイジェストじゃあ分からんと思うよ。
Schutzは翻訳が出てるから、まずはそれから読んだ方がいいと思う。
278考える名無しさん:01/10/14 17:06
随分昔のレスだけど、唯脳論はどうなったの?
279考える名無しさん:01/10/24 15:26
age
280考える名無しさん:01/10/27 11:46
放送大学の現象学の講義はどうなんでしょう?
281死刑囚。:01/10/28 03:03
>>270
廣松渉は、竹田現象学は認めるが、それとフッサール現象学は
相容れないって態度だったと思う。
彼はフッサールには批判的だった。
竹田は逆に底抜けのフッサール肯定派。
282kudo-chan:01/10/28 03:10
>>281

竹田サンに質問する機会があって、しましたが、完全に
フッサールに侵されていて、身動き出来ない状態に
思えました。好きですけどね。

彼の本は、簡単に書きすぎていて、問題は多々あるのでしょうが、
彼自体の思想は別に深くあるのかもしれませんよ。彼の論文みたい
なのは読んだことはないですが。
283死刑囚。:01/10/28 03:32
>>282
オレは竹田の本は全部読んでるし、大好きですよ。
最近は西研に宗旨変えしましたけど。
284名無し:01/10/28 04:24
『厳密な学としての哲学』と『デカルト的省察』を読むのが一番。
285klostermann:01/10/28 04:32
『デカルト的省察』はともかく、『厳密な学としての哲学』はどうかと思うぞ・・・
286考える名無しさん:01/10/28 14:23
『厳密な学としての哲学』データベースで探してみましたが、ありませんでした。
誰が書いた本なんですか?
287考える名無しさん:01/10/28 15:19
フッサールなり・・・
翻訳なら世界の名著に入ってる。
原書はフッサリアーナの25巻に収録、klostermannから単品で安いペーパーバックもある。
288考える名無しさん:01/10/31 00:10
初学者はまずは『現象学の理念』を読むべし。
289考える名無しさん:01/11/01 10:22
トーシローだけど『現象学の理念』は読みやすかった。
290考える名無しさん:01/11/01 11:42
291考える名無しさん:01/11/02 14:04
『現象学事典』木田元 他
全くの初学者には向かないかも。
292考える名無しさん:01/11/02 18:22
便利ではある。
293幼児的全能感:01/11/02 20:55
本屋の現象学コーナーに『幼児の対人関係』という本があったけど、
読まれた方いますか?
http://www.msz.co.jp/newtitles/newbooks/3093.html
294考える名無しさん:01/11/03 02:32
メルロ=ポンティでしょ?「眼と精神」に収録されてたやつでないか?
295考える名無しさん:01/11/04 12:23
シュッツの[現象学的社会学]は、1冊の本として書かれたものではないんですか?
296考える名無しさん:01/11/05 09:24
経営学方面だと、Karl E Weickがよく引用されてますけど、哲学・社会学では
有名な人なんですか?
http://www.jbook.co.jp/product.asp?product=0001728746
http://www.jbook.co.jp/product.asp?product=0001111959
297考える名無しさん:01/11/09 11:04
>>296
現象学っぽくないと思う。
298考える名無しさん:01/11/14 10:03
Weickの話しは、個人の心の中の話で、社会とのリンクがないのではないですか?
299考える名無しさん:01/11/17 05:00
>295
そんな題名の本あったかな・・・。
ちなみに、紀伊国屋のやつはいろんな論文を集めて編集したダイジェスト版ね。
300考える名無しさん:01/11/17 06:20
今日は現象学会。
静岡でやるらしいね。
301会費安いね:01/11/17 06:21
面倒くさいので、欠席します。
302考える名無しさん:01/11/17 06:22
浜渦さんがホストなんだね。。。
303考える名無しさん:01/11/17 06:48
304考える名無しさん:01/11/20 10:12
現象学会に入るには、どこに申し込めばいいのですか?
305考える名無しさん:01/11/22 01:06
ホームページ見てみれ
306考える名無しさん:01/11/23 13:30
どれが公式ページ?
307考える名無しさん:01/11/23 14:54
日本現象学会のHPは一つしかないと思うが・・・
そこで申し込み用紙がダウンロードできる。
それに必要事項を記入して、事務局に送る。
今は阪大が事務局だっけか?
308考える名無しさん:01/11/23 19:14
309考える名無しさん:01/11/26 18:57
当たり前だけど、思いっきり哲学してますね。現象学的社会学は、この学会の範疇にはないのでしょうか。
310考える名無しさん:01/12/01 02:12
>現象学的社会学
単に発表する人がいないだけで、テーマにもよるけど、結構受けつけてくれるんじゃない?
去年のワークショップの片方では西原さんが発表してたし。(結構、頭のキレる人だった)
あと、社会学系にそれ専門の学会(研究会?)があるとも聞いたことがある。
311考える名無しさん:01/12/01 18:52
>あと、社会学系にそれ専門の学会(研究会?)があるとも聞いたことがある。

よかったら教えていただけませんか?
312考える名無しさん:01/12/01 23:12
残念ながら、知り合いからちょっと話を聞いて、雑誌を見せてもらったぐらいだから、よくわからない。
確か、そのまんまの名前だったような・・・
社会学畑の人に聞いて回れば、誰か知ってるのでは?
313考える名無しさん:01/12/07 11:13
どうやら現象学的社会学はかなりマイナーな存在らしい。
身の回りで知っている人がいませんでした。どなたか知りませんか?
314考える名無しさん:01/12/07 16:41
>>313
哲学の分野では、それについて語れる人があまりいないんではないでしょうか?
図書館でたまに配架されてるのを見ますが、「哲学」ではなく
社会学方面での記号になっていたように思います。
前に社会学板でスレッドがありましたけれど、否定的な意見が(煽りっぽいのが)多く
あまり参考にはならないかもしれません。
315考える名無しさん:01/12/08 17:11
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/sociology/946921470/l50
確かにこれは激しいですね。
316考える名無しさん:01/12/15 11:16
age
317考える名無しさん:01/12/17 07:17
「シュッツが・・・」って言ったら、「誰それ?」という反応は一度や二度ならず。
現象学専門の人は流石に名前ぐらいは知ってるけど。
318考える名無しさん:01/12/17 19:52
現象学は、哲学の中でもマイナーな方なんですか?素人でスマソ
319考える名無しさん:01/12/17 20:59
>>318
    / ○ ┌─┐   ○    ///\          ____
    /     |   |         ///ヽ   |   ヽ       丿 / ̄\
   .|     |   |          ///|   |     |     |    |    |
   |     /   |          ///|  |      |    |       /
   .|    /    |       //////  |       |   /       |
    ヽ   |  ̄ ̄ ̄|     //////   |       |  ノ        o
320考える名無しさん:01/12/18 01:20
マイナーなのは哲学の世界でのシュッツでしょ?
321考える名無しさん:01/12/18 01:21
というか、哲学自体がマイナーです。
322考える名無しさん:01/12/18 01:24
げんしょうまなぶって だれ〜?
ゆ〜め〜なせんせ〜?
323考える名無しさん:01/12/18 01:27
精神現象学はメジャー>>318
324考える名無しさん:01/12/18 01:27
>>322
元拓殖大の教授。
フッサール研究家
325ダイナマ伊藤:01/12/18 04:05
うそでしょう!
326考える名無しさん:01/12/18 04:14
いやいたよ
327考える名無しさん:01/12/20 09:07
だって、先生に聞いても俺はできない俺は知らないって答えるばっかりで・・・
328考える名無しさん:01/12/29 13:45
age
329考える名無しさん:01/12/29 15:18
ファンデルレーウについて教えて
330考える名無しさん:01/12/30 09:33
>329
何を書いている人?
331stoner ◆r4fKZlYs :01/12/30 20:48
西研だろ。
332考える名無しさん:02/01/03 09:21
age
333考える名無しさん:02/01/05 01:38
千田義光の現象学入門読んだ人いますか?
334考える名無しさん:02/01/14 14:17
335考える名無しさん:02/01/15 16:08
「禁煙」と大書された講義室でタバコを吹かしながら講義する男=木田元
336考える名無しさん:02/01/16 11:31
もう引退したでしょ?
337考える名無しさん:02/01/21 01:50
age
338考える名無しさん:02/01/21 18:10
Phenomenological Research Methods
Clark Moustakas (著)
これって面白かった。日本語でこういうのはないですか?
339考える名無しさん:02/01/25 21:14
age
340考える名無しさん:02/02/07 16:47
age
341名無し:02/02/07 18:11
減少額はとっくに死んでます。
342考える名無しさん:02/02/08 01:26
いや、死んでない
343考える名無しさん:02/02/09 00:52
既出かもしれないが、

新田義弘の『現象学とは何か』(講談社学術文庫)はどうでしょうか?
かなり難解だが、これを何回か読めば現象学が
なんとな〜くは理解できると思う。

俺はこれで現象学を勉強したぞ。
344考える名無しさん:02/02/09 01:03
現象学講座、って本、どう?
読もうかどうか迷ってるんですけど
345考える名無しさん:02/02/09 02:27
ベルクソンやりたいんだけど現象学って関係あり?
346ソシラテス:02/02/09 02:28
>>345
哲学ではみんながみんなに関係ある
347考える名無しさん:02/02/09 02:29
はっ!!愚問でした。恥ずかしいです…
348:02/02/09 02:31
>>347
現象学はやらないほうがいいと思うYO!
349 :02/02/09 05:55
梅原猛
現象学と言っていた
350考える名無しさん:02/02/09 06:07
荻野恒一で尻ますた。
351考える名無しさん:02/02/09 06:08
竹田age
352 :02/02/09 06:10
おさま瓶
353 :02/02/09 10:06
>>308 のリンク先の「臨床哲学」ってなんですか?
354考える名無しさん:02/02/09 10:14
>>353
氏ね
355考える名無しさん:02/02/10 02:51
>>348
現象学がだめってこと?
どーして?
それともベルクソンにはつながらないってこと?
356考える名無しさん:02/02/16 11:03
『現象学ことはじめ』はどうよ?
買おうか迷ってるんだけど
357物理学科院生:02/02/26 05:15
「デカルト的省察」読みました。
まとめようか?
358物理学科院生:02/02/26 05:48
つーか超越論的自我とカントの先験的仮象は同じようなもんだな。
359考える名無しさん:02/02/26 05:55
>>358
は?お前の感想でだろ?理論的な位置付けはちがうだろーが。
360物理学科院生:02/02/26 05:59
>>359
つーか理論的位置付けが具体的にどうなってるのかまだ詳しく知らん。
教えろ。
361考える名無しさん:02/02/26 06:04
>>360
とりあえず、先験的仮象と超越論的統覚の違いをおさえてから、
出直せ。それから、大元の「省察」は、ちゃんとよんでるんだろうな?
362物理学科院生:02/02/26 06:06
>>361
こんど来た時まとめますよ。
363考える名無しさん:02/02/26 06:14
>>361
なんで先験的と超越論的が混在してるの?
統一しれ!
transzendentalって知ってるよな?

カントでは、  「超越論的」=非「経験的」
フッサールでは、「超越論的」=非「自然的」
364考える名無しさん:02/02/26 06:17
>>363
しってるよ。
物理の言葉を引用しただけ。
それにあんま先験的統覚っていわないだろ?
俺は普段は超越論的しかつかわない。
365物理学科院生:02/02/26 06:19
もうなんでもいいよ。
だから喧嘩をやめて。
ワタシのことで争わないで。
366考える名無しさん:02/02/26 06:20
>>365
氏ね。(w
367純丘:02/02/26 09:53
>>364
わしも賛成。
 先験的、という訳語をまぜると、
  全体を統一して読めなくなる。

カントに限らず、
 訳語は哲学全体に渡って整理しなおさないと、
  もはやわけがわからなくなりつつある。
368考える名無しさん:02/02/26 11:31
こんなところにも

九州東海大学の講師「稲田=純丘」がいる!
369考える名無しさん:02/02/26 11:34
370物理学科院生:02/02/26 23:01
いやー『デカルト的省察』ムズイっすよ。
なので俺の興味があるフッサールの他者論の特徴に限定して適当にまとめてみる。

□フーサッルの他者論においては、自我を「ここ」として他者を「そこ」として
捉える空間的な見方が取り入れられていて、「感情移入」とは自我が「ここ」
から「そこ」へ場所を移すことなんだと。

□視覚的な他者認知だけが問題にされてる。

□他者の身体的現前を通して他我を「間接提示」する。

□主体自我がまず客体他者を認知し、その上で始めて主体他者が
構成され、その他者は自我に対して現れる多くの交換可能な他者
として扱われる。

ダメだ、よく分かってないからまとめられん。
フッサール直に読んで分かる?
オモシロ可笑しく学べる良書教えなさい。
371考える名無しさん:02/02/26 23:09
「超越論的」って、「経験の前提条件的」とかという意味ではないの?
372371:02/02/26 23:13
経験を可能にしている条件を経験から離れず(神とかを持ち出さず)に説明する
で正しい?
373物理学科院生:02/02/26 23:14
どーでもいいけどカントとフッサールの用語の違い分かってる?
てゆうか今日は勉強気分じゃないんだよ。
374考える名無しさん:02/03/03 01:11
age
375考える名無しさん:02/03/03 12:42
竹田青嗣さんの「現象学入門」がいい。
376考える名無しさん:02/03/03 20:06
「現象学の理念」を今日買ってきました。
これから読みむす。
377考える名無しさん:02/03/04 01:35
>>物理
□フーサッルの他者論においては、自我を「ここ」として他者を「そこ」として
捉える空間的な見方が取り入れられていて、「感情移入」とは自我が「ここ」
から「そこ」へ場所を移すことなんだと。

ここさあ、「空間的な」といっても、自我内部の変様された他我と
原初的な自我との対比が問題なのであって、現実空間を安易に想定させる表現は
まずいだろ?もちろん、ここでは他者=他我が現前している
という意味じゃないんだろ?
あとAppresentationに触れないのはどういうわけだ?
「場所を移す」ってこんな表現あったか?持ってるの岩波か?
何ページか言ってくれ。

□視覚的な他者認知だけが問題にされてる。
これは、「基本として」と第五か第六省察でいってたはずだが・・。

□他者の身体的現前を通して他我を「間接提示」する。
「間接提示」って、翻訳本ママか?これもどこかいってくれ。

□主体自我がまず客体他者を認知し、その上で始めて主体他者が
構成され、その他者は自我に対して現れる多くの交換可能な他者
として扱われる。

交換可能って微妙じゃねえの?経験の変様を考慮に入れてる?_
で、間主観性へとつながる超越論的構成、そして客観性の問題は・・・?
 


378ナナ(物理) ◆rzKO2LXY :02/03/04 02:40
>>377
すいません。実は読んでないんです。
本屋で立ち読みして得た粗雑な知識を、適当に
こねくり回しただけなんです。

現象学関係で良書教えていただけないでしょうか。
竹田の「現象学入門」は持ってるので一応読んでみます。
379377:02/03/04 03:11
>>378
>すいません。実は読んでないんです。
>本屋で立ち読みして得た粗雑な知識を、適当に
>こねくり回しただけなんです。

Mit solchem Idiot will ich nichts mehr zu tun haben...
Aber kann ich auch sehr dumm sein, der nicht bemerkt hat,
dass das die natuerliche Folge war.


380ナナ ◆rzKO2LXY :02/03/04 03:22
>>379
読・め・る・か!
カスが…!
381考える名無しさん:02/03/04 03:27
「バカは放置」という意味だと思われ
382ナナ ◆rzKO2LXY :02/03/04 03:31
ソンナ…!
テユーカ ソレホド ハズシテタ ワケデモ ナイノニ…
ヒドイ… ヒドスギル…  

キサマラハ ダマッテ オレサマニ オシエレバ イインダヨ!
ミノホドヲ ワキマエロ!

バーカ! ウンコ! チンコ! クソクラエ!
383考える名無しさん:02/03/05 06:30
アホを晒し挙げ
384ナナ ◆rzKO2LXY :02/03/05 06:34
そんなにアホですか?
頑張ったほうでしょ、頭ぐりぐりして可愛がってよ。
マジで良いテキスト教えて欲しいんだが。
385 :02/03/05 06:54
>>384
Formale und transzendentale Logik. Versuch einer Kritik der logischen Vernunft
386考える名無しさん:02/03/05 07:01
>>384
FINK
1934. Die phänomenologische philosophie Edmund Husserls
in der gegenwärtigen kritik. Berlin-Charlottenburg,
Panverlagsgesellschaft m. b. h.
387考える名無しさん:02/03/05 07:03
フィンクの解釈ってかなり強引じゃん、ニーチェ全集の補刊にしてもヘーゲル
にしても。シュッツよりひどいよ
388考える名無しさん:02/03/05 07:09
389考える名無しさん:02/03/05 07:11
>>387
Das ist genug fuer den 384.
390考える名無しさん:02/03/05 07:13
Besprechung: Kant--Laienbrevier. Eine Darstellung der kantischen Welt- und
Lebensanschauung für den ungelehrten Gebildeten aus Kants
Schriften, Briefen und mündlichen Äusserungen.
Zusammengestellt von F.Gross. Zweite, verbesserte Auflage.
Verlag Bruckmann, München 1912.
(Erschienen in: Literarische Rundschau für das katholische
Deutschland, Hg. J.Sauer, Herdersche Verlagshandlung Freiburg
i, Br.1914(40), Nr.8, Spalte 376-377)
391セイン:02/03/05 07:43
In Japanese please.
392考える名無しさん:02/03/05 07:51
>>391
No way.
393考える名無しさん:02/03/05 08:40
>>389
thanksko.
394考える名無しさん:02/03/05 10:24
nihongode。
395ボビー:02/03/05 11:18
ぞんぞんわからないよ!
あなた何様ですか?
396考える名無しさん:02/03/05 11:22
あのう。あなたは神様ですか?
神様はどこ?
どこ?
397考える名無しさん:02/03/06 18:26
「明証」ってなんですか?
398ok:02/03/06 20:07
Edmund Husserl was born April 8, 1859, into a Jewish family in the
town of Prossnitz in Moravia, then a part of the Austrian Empire.
Although there was a Jewish technical school in the town, Edmund's
father, a clothing merchant, had the means and the inclination to send
the boy away to Vienna at
the age of 10 to begin his German classical education in the Realgymnasium
of the capital.
399考える名無しさん:02/03/07 00:57
>>397
ある判断の真理性が疑い得ない性質のこと。
フッサール『論理学研究』第2巻も参照しよう。
400んで:02/03/07 05:01
Pressée de choisir entre académisme et pseudo-scientificité,
la philosophie comme recherche ou élaboration de ses questions
devrait pouvoir trouver refuge dans la phénoménologie si
celle-ci n’était paradoxalement en situation guère plus
brillante dans la mesure où, tendant toujours davantage à
entrer dans le champ du non attestable et du non effectuable,
elle en vient à perdre de vue le sens précis qui devrait
pourtant être le sien à revenir aux choses mêmes.
401397:02/03/07 16:59
>>399 あんがと。説明が簡潔すぎていまいちピンと来ないけど
第2巻読んでみるよ。
>>400 疑似科学か〜
現象学は哲学者の厳密ごっこっつ〜気もするね。
フランス語のchoseとドイツ語のSacheって微妙に違って
chose っつ〜と、より「もの」よりで科学よりのニュアンスになんのかな?
フッサールとメルロポンティーの違いもそんな感じだしぃ
402考える名無しさん:02/04/05 07:36
age
403考える名無しさん:02/04/08 08:19
asfdsafasfsdafsafdsafdsafdsafdsafdsafdawrwqeoipuu
404考える名無しさん:02/04/08 23:39
moooooooooooooooooooooooonooooooooooooooooooo
405考える名無しさん:02/04/12 20:41
kaoii
406考える名無しさん:02/04/13 08:25
KIHON
407考える名無しさん:02/04/13 10:37
kihon
408考える名無しさん:02/04/14 14:00
山口一郎「現象学ことはじめ」
読んだ人いますか?
409考える名無しさん:02/04/14 14:00
あげ
>>408

います


      ==========このスレは終了しました==========
411 :02/04/14 14:59
412考える名無しさん:02/04/14 17:20
muri
413考える名無しさん:02/04/14 19:32
“きちんと”現象学を学ぶなら、以下はいかがでしょうか。
@クセジュ文庫の『現象学』(メルローポンティの弟子と思われる人の書いた概説書の翻訳)
A山口一郎先生の『現象学ことはじめ』(フッサールの特に後期思想について丁寧に分かり易く書いてある書)
B新田義弘先生の『現象学とは何か』(難解ですが内容は折り紙つき)
詳しくはアマゾン等で御調べ下さい。
414考える名無しさん:02/04/15 01:25
>>413
Aを今読んでるんだけど、確かにものすごく分かり易いね。
哲学書を読んでるって感じがしない。
415考える名無しさん:02/04/15 17:55
>>414
( ´,_ゝ`)プッ
416考える名無しさん:02/04/15 18:58
>>415
???
417 :02/04/15 19:01
(・∀・)ジサクジエンデシタ!
418考える名無しさん:02/04/16 00:39
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=2280
おい貴様ら!これに投票してくれませんか?

419考える名無しさん:02/04/16 01:36
>>418
ユーザー登録がめんどうだから無理。
420考える名無しさん:02/04/16 23:47
>>419
貴様!つべこべ言わずに後生ですからどうか投票してやってつかぁさい。
421考える名無しさん:02/04/21 08:25
みすず書房の『イデーン』、索引がドイツ語で並んでいて鬱です。

422考える名無しさん:02/05/08 20:23
フッセル
423考える名無しさん:02/05/08 20:24
全くの初学者は何から読めばいいでしょうか?
424考える名無しさん:02/05/08 20:37
船木亨さんは、チューリップ。
425考える名無しさん:02/05/08 22:16
『現象学ことはじめ』をお薦め。
一つのトピックについてコンパクトにわかりやすく書いてあるし、
何よりも対応するフッサールの著作と該当部分が書いてあるから、
原典にあたりやすい。
426考える名無しさん:02/05/08 22:31
>>425
doumodesu
427考える名無しさん:02/05/16 17:11
http://school.2ch.net/test/read.cgi/kouri/1020741272/120
受験板で現象学的還元について説明されていたんですが、
こういうことと理解しておいていいんですか?無学なものなんで…
428考える名無しさん:02/05/27 19:33
あげ
429Stoa:02/05/28 20:40
>>425
その次に『デカルト的省察』(岩波文庫)がいいでしょうかね?
個人的には、注が充実しててよさげだと思ってます。
430考える名無しさん:02/05/29 22:10
インガルデンってどうよ?
431考える名無しさん:02/05/30 13:40
インガルデンって現象学の人?
432考える名無しさん:02/05/30 23:09
>>413
クセジュの『現象学』ってリオタールが書いたんじゃなかったっけ?
433考える名無しさん:02/05/30 23:50
会社やめよっかな・・・・・・・・
だりーな
434考える名無しさん
>>431
フッセルの弟子だよ。