人は何故生きるのか 生きる目的はなんなのか?

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん
誰か教えて。
2名無しさん:2000/06/09(金) 12:10
知らなくても生きれる

終了
3名無しさん:2000/06/09(金) 12:36
生きるというのは欲望だ。
……とチャップリンが言っています。
4陳腐ですが。:2000/06/09(金) 13:46
「生きる目的」はない。

「生きているという事実」があるだけ。

ゆえに、

「生きる目的」を自分で作り出すことが、
「生きる目的」そのものである。

と、このような言い方もできよう。
5久野:2000/06/09(金) 17:36
残念ながら万人が納得出来るような「生きる目的」はないでしょう。気付いた時には既に生きており、生きようと思って生まれたわけでもありません。しかし人は生きる目的なしには心もとないものを感じざるを得ない生き物です。だから生きる目的を探し続ける、そう言ったものが人生ではないかと思います。
6名無しさん:2000/06/09(金) 17:56
混沌をもたらすことです。
だって最初宇宙は完全に限りなく近い秩序だったでしょう?
それが生という高度な情報の塊によってどんどん…わけわかんなくなるでしょ
7T:2000/06/09(金) 21:25
哲学とは、この板のスレッドのような疑問から始まったので
はないでしょうか?人とはなんなのか、何故生きるのかと。
そう考え始めた時から、人は一種の生物として動物とは違う
身体的ではなく、精神的・観念的な進化のレールにのったの
ではないでしょうか。
人間以外の生き物は生きるために生きる。
つまり、子孫を残す事によって自分の分身を作り、永遠の命を得ようとする
ということが生きる理由で、人の場合は入きる理由を探すこと、もしくは
人というものは何のかという答えを探す事ではないでしょうか。
8>6:2000/06/09(金) 22:48
一般的な(俗流の?)エントロピー論だと、逆みたいね。
9名無しさん:2000/06/10(土) 02:10
なんで生きているのだろうと考えているだけでも生きるに値すると
思うよ。
そうやって考えているっていうのは生きているからだし。
2chでこうやって知らない者同士が語り合うなんて素晴らしいと
思いませんか。(チョットハズカシイノデsage)
10名無しさん:2000/06/10(土) 07:50
>人は何故生きるのか 生きる目的はなんなのか?

これは真剣に考えるべきことです。どうすれば真剣に考えられるかというと、
そのことを考えながら生きていってみるということです。
そもそも生きるとは何なのかというと、誕生してから死ぬまでの過程で、
その過程をどう生きるか?という問題になります。それは、自分はどう判断するか?
という問題になります。判断するとは、何らかの生き方をとるということで、
自分の生き方を省みて、どう生きてきたか考え、どういった生き方であったのか考えなければなりません。
また得られたその生き方は、人間の生き方の中でどういったものなのかを知るために、
いろいろな人の生き方というものを知らなければならないので、歴史を知ることも必要です。
人は何故生きるのか 生きる目的はなんなのか?知らなくても生きれるし
ただ死ぬこともできます
人生の過程を、自分の生き方で生きることもできます

>2chでこうやって知らない者同士が語り合うなんて素晴らしいと
思いませんか。

素晴らしいですね!語り合いましょう!

11名無しさん:2000/06/10(土) 10:29
>all
長く生きるため、生き延びるために
生きてるんじゃないかなー?
12名無しさん:2000/06/10(土) 13:15
エントロピーってなんでしょう。ど素人でスンマセン
13名無しさん:2000/06/10(土) 13:18
生きる・・脳みそに服従しているだけかもね
14名無しさん:2000/06/10(土) 14:34
死ぬ為に生きてるんじゃないの?
15名無しさん:2000/06/10(土) 16:30
じゃあ氏ね!
なんて言えないから…
生きてるんじゃないのかね
16名無しさん:2000/06/10(土) 18:36
人間の本能。生存欲(?)ONLY
17代理いぬ:2000/06/10(土) 22:18
怖くて死ねない。
かといって生まれるときには選択できない。
けっきょく惰性でここまで来ました。
生まれてすいません。
18名無しさん:2000/06/11(日) 03:25
金のため
19名無しさん:2000/06/11(日) 04:09
>18
イロニーは他でやれ

>1
考えるため。
20名無しさん:2000/06/11(日) 16:25
山登りだな。
あとは無し。
21名無しさん:2000/06/12(月) 03:06
何のために生きるかではなく、どう生きるかが大切なのだ。
もとより、誰一人として自発的に生まれてきた人間はいない。
それは「生まれる」という言葉が、受動態なことでもわかるはず。

そして、どう生きるか、ということを考えたとき、あらゆる真理はすべて、
より良き生を送るための手助けでしかないのだな。
というわけで、素晴らしい、充実した生を送れるように頑張ってくれ。
22名無しさん:2000/06/12(月) 03:10
>21充実した生のために生きるんじゃないの?
23オッカム:2000/06/12(月) 06:24
 高校生の頃、初体験のときはじめてマンコを生で見た。
気持ち悪−い、これが俺の欲望の対象か...、とか
ここからすべての生が始まるのか、とか
ここから世界が開けてるんだな、とか思った。
どんな高邁な思想もマンコから出てくるんだね。
だから「人はなぜ生きるか」なんていう疑問もマンコあっての
問いだ。つまりマンコがその問いの可能性の条件となっている
ってことだ。いや一切の哲学および人間の営為の可能性を条件づけ
ているんだね。そしてマンコ自らがマンコを再生産する、つまり
自らが自らの存在の可能性の条件をなしている。
つまりマンコとは「在りて在るもの」すなわち神だ、そしてわれわれは
セックスという営みを介してのみ、その存在の分有にあずかることが
できる。マンコは受肉せる理念だ。
 てなわけで1番の君、うだうだ考えるより交りなさい。
24ネオ生茶:2000/06/12(月) 06:30
生きる目的などはないし、
仮にあったとしてもそれに従うかどうかさえ
自分で選ぶしかない。
25もっか:2000/06/12(月) 19:56
>オッカムさん
「女をば、法の御蔵と言うぞ実(げ)に、釈迦も達磨もひょいひょいと生む」
と唄った一休禅師みたいですな。
26名無しさん:2000/06/13(火) 04:50
あれか『あっかんべぇ一休』
27名無しさん:2000/06/13(火) 09:57
>1


教えて禁止!
28名無しさん:2000/06/13(火) 21:07
>あれか『あっかんべぇ一休』
あれ、好きだったのにな。
もっと続きが読みたかった……

合掌
29名無しさん:2000/06/14(水) 06:20
>1

>人は何故生きるのか
生きたいから、欲望をもとめているから

>生きる目的はなんなのか
人それぞれです。
生きる目的がないなら死ぬのも、また一興。

でも、死なないほうがいいよ。オレも死ぬこと考えた時期があったけど。
1さんが、どれくらい今がしんどいかわからないけど。
いつか、あのとき死ななくて良かったと思えるときがくるといいね。
生き方しだいでそうなれるよ。きっと。
30名無しさん:2000/06/14(水) 13:40
このスレッドってつまらないですね。 どうしてなんでしょうか?
スレッド立てる前に考えました? レスが付くかな、とか、
おもしろいかな?とか。それなのに立てたとしたら、あなたセンス最悪です。
それとも、やはり何も考えることのできない人ですか?
文面から察するに、何も考えていないんですよね?
でも、少しは考えてくださいよ、あなたが立てたこのつまらないスレッドを
読まされた人達の迷惑を。 せっかく楽しく掲示板を読もうとしたのに、
こんなしらけたネタを読まされちゃって興ざめです。
もう、すっかりやる気なくなってしまったというか。
はっきり言って、あなたのネタってブラクラや死体画像以下です。
どうせ、私以外のレスって全部自作自演なんですよね?
そうまでして相手にして欲しいんですか? 友達いないんですか?
もちろん恋人なんていないですよね? ええ、たぶん、
あなたは一生一人きりで過ごすことになると思いますよ。
でもまあ、そんな事はどうでもいいんです、私が言いたいのは
とにかく、これ以上つまらないスレッドを立てないで
欲しいってことだけなんです。 掲示板があなたの立てたくだらない
スレッドで埋められていくのが我慢できません。あなたにも人の
迷惑が理解できるんであれば、二度とこんな事はしないでくださいね
31剣豪:2000/06/14(水) 15:42
>30つまんないよ、おたく。
 俺の経験浅いネットライフに基づいて言わせていただくと、掲示板てのは所詮ゴミだ。高尚な思想のやりとりばかりが展開されるとは限らない。ん?高尚な思想って何だ?
 けれどもゴミはゴミの楽しみ方がある。つまんないレスにも光るものがある(皮肉じゃないよ)。
 君のレスポンスはつまんない。
32もっか:2000/06/14(水) 18:31
>剣豪さん
30は多分コピぺでしょう。
暇人の荒らしですな。
33名無しさん:2000/06/15(木) 12:42
 一夜明けてなにげにレスをチェックしてると・・何?コピペ?
 うーん。何とも言えぬ後味の悪さ。
 ところで・・・・
 以前俺はレスを期待して書きこみすることの欺瞞についてエラソーに文句をたれましたが、やっぱり自分の見解にある程度責任を持つべきである以上、書き逃げは許されないのではないでせうか。
 まあ、この掲示板を跋扈する数百人(?)の「名無しさん」が自分の書きこみの反応を眺めて楽しんでようと、きちんとレスポンスの責務を果たしてようと、別にどうこう言いたいわけはない。
 だってわかんネェもんね。所詮「名無しさん」なんだから(かくいう俺もペンネーム・・)。
 いや・・別に何か言いたいわけではないんですけど
 書きこみの自己言及性、自己責任性と、書きこむ主体の匿名性との差異についてぽつりと感想が言いたかっただけです。
 
34ん?:2000/06/15(木) 13:31
33=剣豪なの?
35剣豪:2000/06/15(木) 14:46
・・・やっちまった。自己言及のアスペクト盲に見事にしてやられたわ。
>34 もち、そうです。ありがと。
36結城:2000/06/22(木) 02:52
「一番大切なものは?」の質問に多くの人が、命や家族や平和等を答える。
人間が、命や家族を大切だと考えるのは、命や家族を守ろうとする人間の本能だ。
イヌやネコでも同じ様な本能を持っている。
知能は、知識や経験をもとに因果関係を理解できる。
人間の知能は、命や家族を守る事と平和とに因果関係があることを理解し、
命や家族を守るためには平和が大切だと考える。

ほとんどの人は、本能か本能と関係ある物しか価値が理解できない。
本能と関係ない物の価値を理解できない。

生きる目的は、本能の外側にある。
本能しか価値が理解できない人が、生きる目的を理解することなどありえない。
理解しなければならないことが沢山あるが、
まず、人間の本能について理解することが必要だと思う。
37剣豪:2000/06/22(木) 03:29
>36 頭の中整理して出直して来い。
38名無しさん:2000/06/22(木) 04:05
>36
 ピカソやゴッホの絵は生存本能となんの関係があるのでせうか?
 
39剣豪:2000/06/22(木) 04:30
 文句ばかり言わないで、たまには感想のひとつでも書くとしよう。
 生きる目的などない。が、理由の無いことが直接行動に反映されるかと言えばそうではないから不思議だ。
 人生の不条理から直接に自殺が導出されることはない。断っておくが、不条理の自覚から死を選んだ人間の存在を否定したいのではない。
 死についての抽象的な煩悶と、実際の現実生活との間にはひとつの差異がある。つまり、生きるに値しないと思いつつも、実際には生存のためのあらゆる努力を惜しんでいないというアポリアがそれだ。
 カミュは「シジフォスの神話」でこのアポリアを絶対的に肯定した。すなわち、人生に生きる価値があるのか、という意識レベルでの設問そのものが事実としての生を促進し、生に活力を与える、という帰結がそれだ。
 この帰結はニーチェと変わらない。あらゆる形而上学的な、従って生に対して禁欲的で否定的な言説が人間の自己解釈であり、自己解釈が自己の保存を志向する狡猾な人間理性に由来するとすれば、究極的な形而上学的命題、つまり人生の無意味性ほど逆説的に生を肯定している言説はない。
 なぜこうした帰結が生ずるのか。問題は、生きるに値しない、という自覚ではなく、生きるに値しない、という言説ではないか。或いはこの命題がまさしく命題として、つまり個々人が代替不可能な経験としてではなく、言語レベルでの表現として「人生の無価値性」に相互理解可能な公共性を、交通の可能性を与えることに由来しているのではないか。
40剣豪:2000/06/22(木) 05:30
 消えた・・もう一度書くか。
 作家としてのカミュを悩ませたのはこういうアポリアの言語性、というより言葉そのものが持つアポリアだった。晩年の作品「転落」の主人公は、俺はダメな人間さ、生きるに値しないクソヤローさ・・と饒舌に自己告白をする。この自己告白に欺瞞がある。告白は、或いは言葉はその公共性から言って必然的に他者を志向する。しかも特定の他者ではなく、まさに外部の匿名性をだ。
 純粋に自分自身が内的に引き受けなければならない問題、人生の意味についての自己反省に、そうした反省の言語化作業が取って代わる。反省の代替不可能な緊張が、誰とも知れない他者へと向けられた饒舌によって弛緩せられる、というわけだ。のっぴきならぬ疑問に対する自己決定が際限無く遅延されるわけだ。
 俺達はこういうモラトリアムな領域を逃れられないかもしれない。
 「人生の目的ってわかんないけど、みんなそれぞれに思うとこあったり、悩んでるわけだけ。ま、悩みが多ければそれだけ生きがいも増すってものさ」
 こういう帰結では困る、と言いたいわけではない。哲学とはまさにそうしたモラトリアムな領域を問題にするしかない、という感想を持っているだけ。
 無意味ではないか、という疑問がある。だがこれが心底、死への希求に昇華されるのであれば、わざわざ饒舌になる必要もあるまい。さっさと首をくくるだろうから。
 哲学(或いは倫理学)が所詮、こういう半端もんの傷の舐め合いだとすれば、俺達に出来るのは、せいぜい派手に舐め合うことさ。もっとも、ここにネットの匿名性という限界が浮上するんだけどね。言語の限界でもあるかな、こりゃ。
41剣豪:2000/06/22(木) 05:49
 消えた・・もう一度書くか。
 作家としてのカミュを悩ませたのは、こうしたアポリアの言語性、というより言葉そのものが持つアポリアだった。晩年の作品「転落」の主人公は、俺はダメな人間さ、生きるに値しないクソヤローだよ、と執拗に告白する。がこういう饒舌にこそ欺瞞がある。告白、或いは言語とは、その社会性からして他者を志向するものだ。しかも特定の他者ではなく、まさしく外部の匿名性をだ。
 なぜ告白するのか。人生についてののっぴきならぬ煩悶、自分自身が、そう、まさに代替不可能な存在としての自己が引き受けるべき経験の緊張を、なぜ言語化し他者に晒すことによって弛緩させるのか。自己決定の瞬間を、なぜ際限無く保留するのか。或いはこの留保こそが発話の本質なのか。
 人生の意味について、教えてください、というけれど、結論などない、というより、結論が不断に先送りになる、というのがこの設問の事実とすれば、これは笑うべきことだろうか。
 といのは、俺達はこういうモラトリアムな領域を逃れられないからだ。
 「人生の目的ってわかんないけど、みんなそれぞれに思うとこあったり、悩んでるわけだけ。ま、悩みが多ければそれだけ生きがいも増すってものさ」
 こういう帰結では困る、と言いたいわけではない。哲学とはまさにそうしたモラトリアムな領域を問題にするしかない、という感想を持っているだけ。
 無意味ではないか、という疑問がある。だがこれが心底、死への希求に昇華されるのであれば、わざわざ饒舌になる必要もあるまい。さっさと首をくくるだろうから。
 哲学(或いは倫理学)が所詮、こういう半端もんの傷の舐め合いだとすれば、俺達に出来るのは、せいぜい派手に舐め合うことさ。もっとも、ここにネットの匿名性という限界が浮上するんだけどね。言語の限界でもあるかな、こりゃ。
42剣豪:2000/06/22(木) 05:53
2回書き込んじゃった。ゴメン・・
できれば41のほうをお読みいただけたらと。
43代理いぬ:2000/06/22(木) 06:27
>41
>なぜ告白するのか。
発話は紛れもなく行為なのだよ。
告白は君が言うところの、
「自己保存を志向するところの狡猾な人間理性」
が引き起こすものではない。
言うなれば狡猾な人間本能か?

要するにただのストレスのはけ口だよ。
わかりやすく言えば"愚痴"だな、愚痴。

>…だがこれが心底、死への希求に昇華されるのであれば、
>わざわざ饒舌になる必要もあるまい。
>さっさと首をくくるだろうから。
なるほど、君もなかなか饒舌なようだ。
しかし、もう少しわかりやすく語ってほしいものだな。
君も頭を整理して出直すか?
44剣豪:2000/06/22(木) 06:53
 お・・早いな。最近文句ばっかり書く込んでるから、つい饒舌になっちまった。
 おやおや愚痴っぽくなった。でも愚痴といえば君のレスも愚痴だな。
 別に文句言ってるわけじゃないぜ。こんな朝早くに、御互いストレス発散ご苦労サマ、って言いたいわけよ。
 俺達のストレスのはけ口を提供してくれる哲学に、というより俺達の思考そのものに感謝したいものだ。
 けどこういうストレス発散こそが「考える」ていう行為の自己保存の現れとは思わないか。
 つまり俺達は、ほんとは考える必要もない設問を勝手にこしらえ、勝手にあーだこーだと愚痴ってる。
 こういう繰り返しそれ自体が「人間理性」の狡猾な自己保存の動きとは思えないか、と感じてるわけさ。身体的な本能?それは分からないし答えたくも無い。
 ニーチェの言う本能ってのは観念的なものだったかもしれないしね。
 続きはまた。
 
45代理いぬ:2000/06/22(木) 07:11
>44
>こういう繰り返しそれ自体が「人間理性」の狡猾な自己保存の動きとは思えないか、
>と感じてるわけさ。
やれやれ。
君はカミュになぞらえて人間を不条理だと語ったが、
ちっともわかっていないようだ。
理性は自己保存などしない。
理性がそのように整然とした指向性を持つものならば、
カミュは人間を不条理な存在だとは言わなかっただろう。

しかし、
理性について勘違をしている輩がすこぶる多いな。
理性は決して"理性的"ではない。
理性の本性はカミュの指摘する通り不条理なものだ。
46岡ちゃんの眼鏡:2000/06/22(木) 08:22
 久しぶりにみてみたら、雰囲気が変わってた。

>発話は紛れもなく行為なのだよ。

だとしても、「自殺する」と語ることと、実際に自殺することの
間いには、埋められない深淵が横たわっているだろう。
 あらゆる自己否定はそれが言説として表現される限り、
根底において自己肯定に結びついているだろう。
 「自己の否定」を語るということと、実際に自己を否定する
ことはおそらくまったく違うことではないだろうか。
 結局のところ、語るという行為は、代理いぬさんが言う通り、
暇つぶしであり、気晴らしであり、ストレスの発散であって、
それらはすべて根底において生への志向を示していると言える。
 言いかえれば、言語ゲームはその根底において「生への目的」
というそれ自体無目的なものによって支えられている。

>理性は自己保存などしない。
>理性がそのように整然とした指向性を持つものならば、
>カミュは人間を不条理な存在だとは言わなかっただろう。

 仮に、理性が整然とした志向性を持っていたとしても
やはり、カミユは人間を不条理な存在だと言っただろう。
不条理の本質は無意味さであり、理由のなさである。
 人間の理性が自己保存という整然とした志向性を持っている
とすれば、そのことそれ自体が不条理ではないだろうか。
 極論すれば、存在すること自体が不条理なのであり、
人間が意味と理由を求める動物であるかぎり、世界は不条理で
ありつづけるしかない。
 もちろん、理性の背後にはどす黒いカオスがとぐろをまいて
いるのであって、それに統一的な志向性があるのかどうかは
私の知るところではない。
 しかし、もしそのような究極的な志向性を求めるなら、
自己保存欲よりも、勝利欲のほうが説得力があるように思う。
47反論はあるまい:2000/06/26(月) 01:04
あらゆる生命の目的は、
己が望む秩序を創造することにある。
48名無しさん@人生薔薇色:2000/06/26(月) 01:35
あらゆる生命の目的は、
欲求の充足だろ?単純に。
49名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 02:02
で、哲学的には欲求の充足が目的ではなにかまずいことはあるんですか?
50名無しさん@選挙に逝きました:2000/06/26(月) 03:39
欲求の充足にもいろいろあって、例えば性欲や食欲以外に精神的な充足。
こういうスレッドでのレスの応酬もそのひとつ。欲求の充足とは何か、
って問うことも欲求充足の過程であることには変わらない。ありゃ循環
しちゃった。
51名無しさん:2000/06/26(月) 05:55
>人は何故生きるのか 生きる目的はなんなのか?

そんなの
イージーゴーイングっ♪
楽しければそれでいいのさ〜♪
52名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/06/26(月) 06:17
生きる目的は、理屈としては「分からない」としか言いようがない。
しかし、人生の中で本当に好きな何かを見つけることができれば、
生きる目的が分からなくても幸せだと感じることができる(はず)
「理解すること」と「感じること」は無関係。
恋してるときになぜ恋をするのか悩んでも仕方ないってこと。
53>52:2000/06/26(月) 14:36
精神医学系の、「主体性」或いは「自己意識」について論じると、
「理解すること」と「感じること」の違いが明確になるのでは。
たとえば、鬱病なら「理解」はできても「感じる」ことができない。
分裂病ならその逆、とかね。
ちょと、大雑把にまとめ過ぎになったかな。
54名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 18:42
age
55名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 22:03
何のために・・・。
と問うている現在も「生存」は進行している。
意図的に(人為的に)否定しなければ、生きてしまうものを「生命」と定義すると。
どうなる?
トートロジー。
56名無しさん@1周年:2000/06/27(火) 01:42
その答えを見つけるために生きているのです
57剣豪:2000/06/27(火) 01:51

 相変わらず現代思想オタはうぜぇ・・。ミーハーどもめ。
 >代理いぬ
 自己保存について相互の理解内容に相違が見られるようだ。
 人間の本能としての自己保存とは整然としたもので、理性の
 不条理とは相容れないものかもしれない。が、そんなことは
 俺には分からない。哲学の歴史そのものの自己保存的な性質
 性質こそが問題なのだ。こういう思弁的なテーマに苛立つの
 かな?
 結論自体を拒否し続けるような暇つぶしの言語ゲームの展開、
 人生の不条理について、或いは死について語るが、ぎりぎり
 のところで自己決定(自殺か、或いは生の全面的な肯定とし
 ての沈黙だ)を遅延してきた哲学の歴史の、そして思考その
 もののそういう半端な性質がそれだ。理性が整然とした志向
 性を持っていたとすれば、このスレッドのような設問を俺達
 に惹起させるはずがない。理性は「理性的であること」より
 もなお狡猾だ。
 >46
 生の自己否定と、それについて言語ゲームが志向する生の肯定
 とのアポリアに悩んだカミュの結論はこうだ。つまり、所詮語
 るという行為が暇つぶしであり、死を選択しえない生の遅延行為
 であるならば、よりよき暇つぶしをしようなじゃないか、と。
 彼の最初にして最後の到達点。それは幸福への問いだ。
 「よりよく生きるとはどういうことか」
 アドルノのテーマでもあったこの問いは、実際「なぜ生きるのか」
 という設問よりも根源的なのだ。俺達が死と沈黙を選択しない限り。

 ・・・・聞いてる?

   
58名無しさん@1周年:2000/06/27(火) 06:20
耳よりもアンテナに良いデムパがビンビン来るね。
59名無しさん@1周年:2000/06/27(火) 07:13
あなたの人生の目的を他人に尋ねるのが間違い。>1
その他人が超越的な第3者であろうが、それがたとい先験的にどこかで
決定されていたとしたって、あなたがそれに恭順である必要がありますか?
その意味であなたが考えるべきはまさにあなたが「よりよく生きるとはどういうことか」
ということでしょう。そしてよりよく生きるための最後の選択として
「死と沈黙を選択」するオプションだってアリだと思います。ていうか
そのオプションだけが特権的に否定される理論的帰結はナイでしょう。
「しっかり選べよ」ということで。
60代理いぬ:2000/06/27(火) 08:02
>57
>哲学の歴史そのものの自己保存的な性質こそが問題なのだ。
確かに、ある種の哲学は既に死んでしまっていて、
その事実は隠されている。
実存哲学がもたらした結論が、
自殺か沈黙しかないという二者択一であることは明らかだ。
しかし、それにもかかわらず、
饒舌に語りつづけようとするそのくだらなさは、
死を前にした遅延行為だといえよう。
しかし、一番まずいのは、
死に絶えた言葉を扱うことを哲学だと勘違いしているゾンビ達が、
自分たちをソフィストだと思っていることなのだ。
クリエイティブでもない仕事が知の探求であるはずがない。
哲学の歴史を知ったかぶりをする輩より、
ここで自作の哲学を披露して叩かれている奴の方がよっぽどソフィストだ。

>理性は「理性的であること」よりもなお狡猾だ。
なるほどな。
61代理いぬ:2000/06/27(火) 08:15
>46
結局のところ、人間が主体的生き物だなんて幻想に過ぎないのだよ。
ままならぬ感情と本能に操られながらも、
悩める意識は理性的であろうと悲鳴を上げる。
不条理なことだな。
62名無しさん:2000/06/28(水) 02:32
混同されがちですが、 一応関係を持っているとされているものの
問題と理論と実践と解決は、それぞれまったく別々の独立したものです。
63剣豪:2000/06/28(水) 02:46

>60
 でも饒舌にも救いがあると思う。死に絶える必要があるのは言葉ではなく、
 それを扱う僕らの方だ。ソフィストの欺瞞とは、自我が言葉を思いどおりに
 扱うことができると思い込むことで、逆に制度としての言語の公共性に
 捕られられている点にある。だとしたら、徹底して自我を自殺に追い込む
 必要が出てくるわけだ。思考が、言葉の他者性に接する態度を学ぶのも
 ここ以外にはない。対人関係と同じく、つかず離れずってセンスを
 身につけることは、僕らが言葉を扱う場面においても妥当するような気がする。
 この点で、主体とか精神とかいった形而上学的な概念の再生も、ひとえに
 思惟する側のセンスの問題であるように思うのだか。もちろん、脱形而上学
 を目指す現代思想の場合にも同じ事が言えよう。

 
64名無しさん@1周年:2000/06/28(水) 06:16
ものすごい量の悪意が私をつつんでいる。
偏見を抱かずにそこから脱出するためには
どうすればいい?
65剣豪:2000/06/28(水) 07:20
>64
 じゃまだ!!外野はすっこんでろ。
66代理いぬ:2000/06/28(水) 08:48
>62
>この点で、主体とか精神とかいった形而上学的な概念の再生も、
>ひとえに思惟する側のセンスの問題であるように思うのだか。
それはそうかもしれないが、
結局のところ思想の自殺は延期というわけだな。(堂々巡りだ)

私は偽ソフィストの欺瞞にはうんざりだ。
思想が文学以上の力を持つことはもはやありえない。
人に感銘を与えることはあるにしても、
それが根源的に他人を説得する力となり得ないことは、
予言された不条理な時代を迎えた現在、もはや明らか。
詩的な言葉をこねくるだけでは、他人を説得する力は生まれないのだよ。
現代思想とやらがいまだに哲学の神秘性にすがっているようなら、
まとめて自殺してもらいたいものだな。
「わかる人だけわかればいい」というスタンスでは、
結局文学の域を出ない。
そんなひ弱な哲学はいらない。
他人を積極的に説得する力を持った哲学こそが、
不条理な現代には必要なのだから。
67代理いぬ:2000/06/28(水) 08:52
>64
きりもみジャンプで脱出せよ。
68黒狼:2000/06/28(水) 10:18
>66
>思想が文学以上の力を持つことはもはやありえない。

それはありえないだろうな。思想が本来的な水準で「単なる」ブームに
なったことの最後が「構造と力」の頃か?それであっても、単なるブームに過ぎない。
「ソフィーの世界」や「葉っぱのフレディ」は、癒しなんてことが言われる世代の、
自己肯定のための(これ自身は否定しないが)文学的セラピーに過ぎないだろう。
そして、これが今後の「思想」理解のスタンダードとして既に確立されているから。
しかし、思想が文学よりも力を持っていたのはいつなのか?
思想が文学同等の積極性と説得力を持っていた時代が
20〜30年前まではあったと言う事には疑念を挟まないが。

>他人を積極的に説得する力を持った哲学こそが、
>不条理な現代には必要なのだから。

困難なことではあるな。
「他人」(他者)が、知識レヴェルで高度化し、物質的には充足している状況下で
積極的に説得できうる力量を備えた思想とは、いかにして可能か?
一方では高学歴化による大衆の知識の飽和、片や学級崩壊に象徴される
社会底辺層の向上心の喪失並びに拡大。
他者が多様化し、既得権益を主張する現代において、
他者が能動的に受容(或いは参画)可能な哲学は
はたして確立できるのか・・・。
その基盤には何がなりうるのか?
微温的な全体主義としらけをまとった個人主義への対抗軸は何か?
私は無力感と徒労感を覚えることが多い。
69代理いぬ:2000/06/28(水) 11:34
>68
>自己肯定のための(これ自身は否定しないが)文学的セラピーに過ぎないだろう。
なるほど。
うまいこと言うな。

>社会底辺層の向上心の喪失並びに拡大。
経済に波があるように、こういった社会状態に波があるのは必然だろうな。
不足しない限り需要は生まれないから。
今の日本はあらゆる飽和のつけによって欲を失っている。
しかしそのうち、「これ以上は本当にまずい」という意識が芽生えて、
また転回するのだろう。
これは希望的観測ではなくて必然の理だろうな。

>他者が多様化し、既得権益を主張する現代において、
これぞ不条理社会の根源だろう。
個人が賢くなり過ぎてしまっていて、権力はこれを手に余している。
個々人が自らの利権を守るために、自らの論理で動く。
その結果、公の道理が全く通らない、
極めて不統制な社会ができあがってしまった。
互いの敵意があらわになった嫌な世の中だな。
70ろすでー:2000/06/30(金) 03:40
簡単にいうと、全ての生き物は、肉体的欲求と知的欲求を満足させるのが目的です。
人間は、知的欲求を追及しすぎてしまったために、他の生き物には出来ない、文字
を使ったり複雑な言葉を話したりする事が出来るようになったのです。
 肉体的的遺伝の欲求とは、子供を作ることにおいて、あなたの遺伝子を存続させ
たいと願う欲求です。知的遺伝の欲求とは、今我々がしているように自分の受けつ
いできた知識を誰かに伝える事によって又さらに未来に生きてゆこうとする行為の
ことです。
 けつろんとしては、生き続ける事が我々の目的なのでしょうが、肉体的限界と、
より良い遺伝子を残すために、遺伝子と知識というものに成り代わって生き続けて
ゆくことに、人間の生きる目的があるのだと思います。
71名無しさん@1周年:2000/06/30(金) 05:39
70の意見、久々に笑わせていただきました。

 なぜ、人間は自分の子供に財産を残すのか。
それは全ての生き物には金銭的欲求があるからです。

 金銭的遺伝の欲求とは、今我々がしているように
金銭を子孫に伝えることにより、永遠に財産を残そうとする
行為のことです。

…この方法を使えば、説明できないことは世の中から消え失せるね。

目的論的な世界観は、確かに全てを説明できるけれど、
それでは何の意味もないことを知るべきだろう(マジ)。
72代理いぬ:2000/06/30(金) 08:41
>70
>人間は、知的欲求を追及しすぎてしまったために、他の生き物には出来ない、
>文字を使ったり複雑な言葉を話したりする事が出来るようになったのです。
私はそうは思わないな。
人が言語を獲得したのは偶然だと思うぞ。
例えば豊かな発声を可能にする喉を得たサルなら、
自らの生存を有利にするために言語が発達すると考えられる。
しかし、喉の発達自体は環境がもたらした偶然の変化であるべきであって、
言語獲得のために身体が変化したと考えるのは、進化論的にきわめて不自然だぞ。

誰かその辺に詳しい奴はおらんのかね。
教えて下され。(生物板にスレ立ててこようかな?)

>遺伝子と知識というものに成り代わって生き続けてゆくことに、
>人間の生きる目的があるのだと思います。
残念ながら、知識の継承は必ずしも行われていない。

>71
>金銭的遺伝
こりゃー、おもしろい。

>…この方法を使えば、説明できないことは世の中から消え失せるね。
しかし、死に際に散財しようとする強欲者はどうやって説明つけるね?
金銭的欲求は世代にではなくて、
むしろ、個人に強くあるものだと思うのだが。
73ろすでー:2000/06/30(金) 13:40
>72
たとえ始め豊かな声を出せるようになった事は偶然であったと
しても、それでは今の社会に継承されてきている言語・知識と
いうのはどう説明するんですか?偶然を必然に変えようとする
欲求・目的を持ってこそ、初めてそれを使いこなす事が出来るわ
けであり、現に脳はそのために肥大化したといっても過言では
ないでしょう。
 自らの(今まで交配してきた全ての)遺伝子と知識(その人々が
かかわった全ての人々の知識)の生存を淘汰される事のないよう
に(有利にするために)言語が発達したとはいえないでしょうか。

>71
 全ての生き物に金銭的欲求があると言うことはないです。
人間と置き換えたとしても、金銭と言う概念を持ったのはそんな
に昔の事じゃないはずです。現在でも金銭と言う概念を持ってい
ない人々もいると思うのですが。
 それと、目的あらずしてその前には何がありうるのですか?
 目的のない行為はありえない。
 全てを説明できるけど何の意味もないとは?
 哲学とは全てを説明しようとする事なのでは?
74人生の意味ねえ・・・。:2000/06/30(金) 14:35
中身もわからない、文字も書いてないレトルトパック
みたいなもの。商品名とパッケージ、キャッチコピーは
パックを開けたところで書いてはいない。
それぞれが勝手に考えて、命名すればいい。
だから、生きる意味を考えたって、その正誤も確かめ
ることはできない。ただそれぞれにそう信じる、という事かな。
75:2000/07/01(土) 03:37
君たち、渋沢栄一という偉大な起業家を知らんのか?
渋沢型資本主義の前にはマルクスだってひれ伏すよ。
76:2000/07/01(土) 04:26
>66 代理いぬさん
>他人を積極的に説得する力を持った哲学こそが、
>不条理な現代には必要なのだから。

おいおい、俺はそんな哲学はちっとも必要じゃないぞ。
「現代には」なんて言ってるが、現代人の圧倒的多数は
<不条理を解き明かす哲学>よりも、現実の不条理を<幾分緩和>
してくれる<エンターテイメント>こそ望んでいるはずだ。

喘息の革命家チェ・ゲバラが、吸入器と共にたくましく育ったように。
<呼吸できない苦しみ>を<吸入器>で<幾分緩和>させて彼は生きた。
そこに「なぜ俺は喘息なのか?」なんて哲学的な考察が入る余地はない。
君たちの議論は不毛だよ、フモウ。そんなこと考えなくても生きていける。

とまぁ、これは人生哲学ですわ(笑)。失礼。
「いかに生きるか?」という質問にはこれでOKですね。

生きる『目的にシラケている』ことは、
知のデュエリスト天才浅田が指摘した通りですね。

さて「なぜ生きるのか?」の続きをどうぞ(笑)。<次の方
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
77剣豪:2000/07/01(土) 05:31
ん・・・パソコン復活し尋ねて見りゃ・・・何たる停滞状況。
スレッド復活がかえって仇となったか。
>66
>他人を積極的に説得する力を持った哲学こそが、
不条理な現代には必要なのだから。

 が、他人が説得を拒否した場合はどうなのだ、というより、
 説得するとはどういうことなのだ。ホッブズを引き合いに
 出すまでもなく、いつの時代においても個人はしょせん個人だ。
 これは公共性の実現に対する単なる諦念ではない。
 互いに分かり合うというのは、現実変革とは別の次元にある、
 極めてデリケートな問題であるように思うだけだ。
 小林秀雄の言うように、思想とは、その純粋な姿から言えば実に女々しいものなのだ。
 これに対して、20世紀は思想のテロルをさんざん経験してきたのではなかったか。
 こういうアポリアをただ肯定したり否定したりするわけでもなく
 どう処理するかが問題なのだと感じる今日この頃である。
 社会系の哲学ってのはこういう問題、一見うまく処理してるようにみえるんだな。


 
78剣豪:2000/07/01(土) 05:38
>76
 無視するのも何なので(笑)。
 人生哲学という君の見解は、まさしく個々人の欲求が
 十分に満たされるかに見えたかの時代に現れたものだ。
 周知のように、ローマ時代におけるキケロやエピクロス派がそれだ。
 こうして見ると、時代はめぐりめぐってるのねん(はあと)。
79名無しさん@1周年:2000/07/01(土) 19:27
生きる目的は、有りません。
まさに、盲目的なる、生きる意志に、
突き動かされているだけです。
心臓が動いている限り、
ただ、生きるために、生きるのみ、です。
80:2000/07/02(日) 01:16
>78さん
お情け?ありがとう(笑)。
81ひろいち:2000/07/02(日) 01:50
生きる目的ぐらい自分で決めろ。<盲目的なる、生る意志> はどこから生じ、
どうしたいのですか。自己を無責任に放置したり、欲のまま動かしていても、すぐ
つまずき、存在する事、事態、憂鬱になる。そうならん様、オレは努力している。
小さな目的から、少しずつ、大きな目標へ移行して行ってはいかが。
カントの言う道徳律(真善美)に従って、無上道(仏性、悟り@`正法)をめざすべし
82名無しさん@1周年:2000/07/02(日) 18:26
この世の中には、
これといって、
本当に、生きる目的などはない、
ということを、認識することが、
生きることの、目的といえば、目的です。
83名無しさん@1周年:2000/07/02(日) 23:15
あげまん
84代理いぬ:2000/07/03(月) 04:01
>>72
>例えば豊かな発声を可能にする喉を得たサルなら…
(以下は自己レス)
どうやら、人間の声帯が特別な仕組みを持っているということはないらしい。
解剖生理学では、猿の喉に人間の脳をくっつければ、
人と同じように話せるだろうという見解が一般的なのだそうだ。
しかし、喉と同じように人間の脳が特別に変化したということもないそうだから、
言語獲得は環境によって起こるべくして起こったとしか言えないらしい。
(以上、唯脳論立ち読み)

>>73
>自らの遺伝子と知識の生存を淘汰される事のないように
>言語が発達したとはいえないでしょうか。
例えば、利己的な遺伝子というアイディアは認めるが、
遺伝子が意志を持って一人歩きをすることは決してない。
遺伝子は、あくまで一意的に作用しているだけであって、
それが利己的に見えるかどうかは我々が判断することだ。

君はこれと似たような誤りを犯してはいないだろうか。
子孫の生存を有利にするために、
知識の継承が行われるということは確かにあるだろうが、
我々は知識の継承のために生きているわけではない。
知識や遺伝子という作られた概念が、
人間自身の生存を先導するというのであれば、
それは本末転倒な話だと言わざるを得ない。
85代理いぬ:2000/07/03(月) 04:47
>>76
>おいおい、俺はそんな哲学はちっとも必要じゃないぞ。
>>77
>が、他人が説得を拒否した場合はどうなのだ、というより、
>説得するとはどういうことなのだ。

「他人を積極的に説得する力を持った哲学こそが、不条理な現代には必要なのだから」(>>66)
において、私が主張したかったことは、
「すべての学問は科学的であるべきだ」
ということです。
そしてまた、その意味での"本来"を失った現在の哲学に、
学問としての性格が戻ることを願っています。

私の言う「積極的に他人を説得する力」とは、
(科学哲学における意味での)"科学であるということ"なのですが、
"科学であるということ"が(簡潔に述べて)一体どのようなことであるのかについては、
まだ考えのまとまらないところです。

反証可能性だとか、再現性だとか、キーワードはいろいろあるんですけどね。
どなたかいいアイディアありますか?
86名無しさん@1周年:2000/07/03(月) 13:36
>85
 うーん。難しいな。
「全ての学問は科学的であるべきだ」、で「科学であるということの意味は不明瞭だ」では
論理的に倒錯しているように思うのだが。
科学そのものの定義の問題か・・。
ドイツ語ではWissenschaftは「科学」とも「学問」との訳せるところからも分かるように
科学とはいわゆる「自然科学」をモデルとした論理体系とは限らない。
フィヒテの「知識学」は「Wissenscaftlehre」、今風に言えば「科学論」だ。
おおざっぱに言えば、西洋の形而上学の歴史そのものが科学論の系譜なんだな。
難しい問題だね。
87剣豪:2000/07/03(月) 14:55
86は僕です。
でも自分で書いてて思ったけど、これほど物質的に充足してるからこそ
生きる意味とか目的とかについてあーだこーだ言えるんだな。
ぜいたくな悩みなんだ。豪奢な生活のなかで死について考えたショーペンハウエルよろしく。
かたや目先の享楽を求めて援交するコがいて、かたや引きこもってゲーム片手にジンセイについて思弁を巡らす。
行為の真の必然性が見えてこないという点では似通ってんのかねぇ。
これからますます、うすっぺらな幸福論がはびこりそうだ。文学的セラピーか。ふふ。
セラピーでも構わないけど、せめて10年は持ちそうなモノを書いてくれ、と思う今日このごろ。
88名無しさん@1周年:2000/07/03(月) 18:36
『構造と力』→『ソフィーの世界』→『葉っぱのフレディ』
89:2000/07/04(火) 01:52
吉本の「大衆の原像」論じゃあないけど、
哲学者も芸術家も、<大衆と同じく>自分の生活圏から
出れないからダメなんじゃないの?

いつ野たれ死んでもいい覚悟がなければ、
芸術や新しい哲学を生み出すことは難しいと思う。
生活と芸術を両立することは難しいからね。
一昔前なら、お金持ちがパトロンになってくれるとか、
エンゲルスから搾取するとか(笑)、方法はあるけど
今の世の中、そんな気さくな人はいないでしょう?
90代理いぬ:2000/07/04(火) 07:23
>86
>「全ての学問は科学的であるべきだ」、で「科学であるということの意味は不明瞭だ」では
>論理的に倒錯しているように思うのだが。
その通りなんだな。
科学と擬似科学を区別する試みは、
科学哲学の主要なテーマなのだけれど。
ある種の学問体系だけを科学として切り取るような、
そんな(都合の良い)恣意的なものの見方を、
ひとつの理論として説明して見せることは意外と難しい。

「科学とは何か?」スレにてご意見募集中。

>89
>いつ野たれ死んでもいい覚悟がなければ、
>芸術や新しい哲学を生み出すことは難しいと思う。
>生活と芸術を両立することは難しいからね。
それは言えてるかもしれないな。
たしか、文学の価値と文学者の生活は反比例するという法則があったような…!

>87
>これからますます、うすっぺらな幸福論がはびこりそうだ。
>文学的セラピーか。ふふ。
それにしても「文学セラピー」とは、
うまいこと言ったものだよねえ。
黒狼さんには糸井重里賞でもあげようかねえ。
91代理いぬ:2000/07/04(火) 07:38
あ、ゲンゴロウ的転回の時の選考委員もわしだったのよ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=958350687&ls=50
これにはまいった、まいった。
知らない方も、ぜひ一瞥をお勧めしますよ。
92>90:2000/07/04(火) 09:43
単に、世の中、白黒簡単につくようなものばかりじゃないという、極めて常識的な話なんじゃないの?
だからといって、科学と疑似科学が識別不能というわけではないでしょ。

たとえば、日本人と非日本人を識別せよとか言われたとき、厳密な線引きは難しくても、まったくできないわけではない。数理の世界でもないかぎり、判別の難しい対象が存在するのは当たり前なんじゃないかな。

93一休:2000/07/04(火) 11:37
人生の目的は、悟ること。

宇宙の真理に哲学だのそんな理屈は微塵も付いていない。
その正体を悟り、それに従って生きなきゃ人間に生れてきた甲斐が無い。
いつまでも、解った様な理論・理屈を言っていても、辛いだろう。
生きるだけならサルでもできる。
修行により自己の本質を悟れるのは地球上では人間だけである。
人間に生れてこれを実践しなければ、屁理屈と争いの絶えない、
でたらめやり放題の、一番たちの悪い下等動物である。

今の日本では、本当に悟りを得た指導者は絶滅の危機にあるが、
それでも、一刻も早く正しい方向性のある指導者を探し、人から
聞いた理屈でなく、自分自身の悟りにより、問題の解決を図られん
ことを願う。喝!

94名無しさん@1周年:2000/07/04(火) 12:08
>一休さん

悟りとは馬のクソ。
悟りには何の意味もないことに気付いてこその悟りと知りなさい。
喝!
95代理いぬ:2000/07/04(火) 12:39
>92
>単に、世の中、白黒簡単につくようなものばかりじゃないという、
>極めて常識的な話なんじゃないの?
いや、その極めて常識的なことが、
なかなかうまくできないから困っているのだよ。

>厳密な線引きは難しくても、まったくできないわけではない。
そう、科学と擬似科学の区別を判断することは、
常識のある人なら誰でもできる。
ところが、厳密性を持った科学の枠組みを取り決めようとして、
厳密な定義を試みようとすると、これがなかなかうまくいかない。
ごく当たり前に思えることを、万人にとって違和感のないよう、
的確に、簡潔にまとめてみせるというのは、かえって難しいものだ。
使いなれた言葉ほど、厳密な場で用いようとするほどに、
その意味をよく知らないことに気付いて辞書を引いたりするのに似ている。

もし出来ると思ったら、挑戦して、
君の科学峻別のアイディアを聞かせてほしいな。

>数理の世界でもないかぎり、
>判別の難しい対象が存在するのは当たり前なんじゃないかな。
ところが、対象とする科学は数理の世界に近似な論理の世界なのだよ。
96一休:2000/07/04(火) 13:05
>94
もちろん「馬のくそ」も、満点の悟りの姿です。
でも、
>悟りには何の意味もないことに気付いてこその悟り
とは、ただの屁理屈です。
これで納得するなら、釈迦も達磨も苦労はしない。
97代理いぬ:2000/07/04(火) 13:24
>93
>修行により自己の本質を悟れるのは地球上では人間だけである。
出たよ、人間中心主義!
それとも君は悟りを得た特殊な人間なのかね?
私はその手の傲慢が嫌いだ、君は滅びたまえ。カツ!
98一休:2000/07/04(火) 18:18
>97

>人間中心主義
と、勝手にお思いですが、そんな事は思ってもいません。
文章を簡潔にする為に言葉が足らなかったとすれば、
人間以外の動物で、自己の正体を求めて滝に打たれてる犬とか、
瞑想している猫とか、見た事がありますか?
人間は地球上であらゆる悪さをやる一方で、本質を求めて修行も
できる唯一の存在であるということです。
勿論、人間は万物の霊長などではありません。ただ、人間が動物と
違うところは、真実を求めようとするという、この一点に尽きるのです。
「人生の目的」が、ここに無ければ、人間ほど地球を荒らす悪魔はない
と言う事です。

>それとも君は悟りを得た特殊な人間なのかね?
あなたは、「悟り」を何もわかっておられない。
私も仕方ないから「悟り」と言う言葉を使っているけれど、
悟りをよそに見て、そして何か特殊なものといった偏見を持って
おられる。悟っていないからやむを得ないけど。
私はただ、ちょっと時間があってこの掲示板をのぞき、自分の体験から
一つの方向性を示しただけなんだけどね。
どうも、理詰めの文章のやりとりで、人生問題が解決するとでも
思っている人には、この「悟り」という言葉が相当癇に障るみたいですね。
でも、しつこい様ですが、悟らなければ、いくら尤らしい事を言った所で
すべて偽もの・借りものの人生です。

>私はその手の傲慢が嫌いだ
私はよく傲慢に思われますが、何とか本当の事を伝え様としているだけ
なんですけどね。

>君は滅びたまえ
これは ちょっとうけました。面白かったです。
でも、本当に解ってみると宇宙が滅びない限り、滅びようがないんだけどね。

>カツ!
合掌。
9994 > 98:2000/07/04(火) 18:33
「悟り」という言葉で、何らかの望ましい状態を示そうとしているのは
理解できるが、それは本物の「悟り」ではない。

前にも書いたが、「悟り」などとそれっぽい名前を付けてみたところで何の意味もない。
もちろん「悟った人間」と「悟っていない人間」に優劣などありえない。
でもその何の意味もないことに一番意味がある。
「色即是空、空即是色」と同じ図式なんじゃ。

…まだまだ小坊主じゃのう。
100名無しさん@1周年:2000/07/04(火) 18:40
生きる目的?
キリ番をゲットすることさ!
100番いただき!!!
101一休:2000/07/04(火) 20:05
>99
そんな、通り一遍の平等観と、取って付けたような言句の及ぶ所で無い。
と、言っても、とても解っては貰えないでしょうけど・・。
掲示板では、ただ理屈の応酬になってしまうようです。
まあ、99さん他の書き込みあって、お陰で少し補足が出来たので
良しとして、
あとは、すべて自業自得。解ってないのは自分がよく知ってるはず。
折角の人生、哲学・宗教等々、一切の理屈をぶち切って、本物を手に
入れられる事を願っております。
どうしても、ここでは方個性だけで抽象的な話しか出来ないのが
残念です。
私の書き込みは一応これにて終りにします。
では、皆さん有難う。お元気で。
102一休:2000/07/04(火) 20:10

方個性→方向性
訂正です。これで、ほんとに終りです。
103ひろいち 改め 解決ハリマオ:2000/07/04(火) 20:20
>82
上記のような考えは、どのような時、からですか。
どろどろの脳乱している青春時代に、だれかに’無の境地になれ’とか言われて
まだやってるんですか。
それとも悪行三昧すきかってやって、他人の恨みをかって’おまえなんかしねー!’
と言われて、本当に死んでしまおうと努力なさってるんですか。
この世に、棚からぼた餅なんて、自分が思うだけで、ぼた餅置いた人の気持ち
(くやしい!(冗談))を思わないんですか。善行つまなきゃ良果は、来ん。
104代理いぬ:2000/07/05(水) 00:13
>92
>人間が動物と違うところは、
>真実を求めようとするという、この一点に尽きるのです。
そのセリフこそが人間中心主義的傲慢なのだよ。
処置なし…だな。

>悟りをよそに見て、そして何か特殊なものといった偏見を持っておられる。
そう言うと思っていたよ。
「何も特別なことはありません」が、
超能力者と超宗教家の口癖だからな。
君のような超人バカは論破されるべきだから、
「お元気で」なんてトンズラこいてないで、出てきたまえ。

もし、君の言う通りに悟りを得るとしたら、
どんないいことがあるのかね?
悟っても何も得しないんじゃ、誰もついてこないぞ?
ははは。
105名無しさん@1周年:2000/07/05(水) 00:49
「魔境」という言葉を思い出したよ。
106:2000/07/05(水) 02:14
京極夏彦の『鉄鼠の檻』を思い出したよ。
107名無しさん@そうだ涅槃にいこう:2000/07/05(水) 03:17
生きる目的は永遠の生(肉体的な生ではなく)なことを知っ
ているものにとっては暇を持て余さないようにするのが目的。
これは全能の神が魂を分離させたことからスタートし、
再び統合するまでのゲーム。
なぜそんなゲーム?。暇にならないようにする為。
全知全能ほど退屈なものはないので。
昨日、うちの地元のスタートレックの放送ではキュー
が自殺した。既に知っているものや可能なことしかも
うなくて生きることが苦痛なんですと。
それを見たから書いたわけじゃないですけど。
これはこれで疑問もあるけれど。
いつか全能の神に戻ったらその先どうするんだろう。
再プレイ?。他のゲームは無いのかな。
108剣豪:2000/07/05(水) 03:42
>107
 テレビ画面の中にいる我々じゃあ、リセットは押せないよね(笑)。
 目的論の原点はキリスト教だが、より詳しくはキリストの再臨の遅延だそうだ。
 ・・・またしても遅延だ。ふん。
 要するに、いつまでたっても再生しないキリストについて、何とかごまかそうって筋らしい。
 ごまかし始めて2000年になるというわけだ。
 終わらないゲームか、本質的に終了を拒絶するゲームか。
 それとも根本は、終わりとか目的とかいうコトバなのか。やれやれ、またしても言葉だ。

 くそ坊主は去ったか。うらやましいな。こんな時代に哲学するってのは
 懐疑論者が悟りを試みるようなものだ。悟ったのであればせっせとと沈黙しておればいいものを。
109>1:2000/07/06(木) 00:46
人間だけが特別と考えるとややこしくなるよ。
人間っていうとどうしても現代人を考えてしまうけど、
原始人も人間だからさかのぼると、人間と猿とを区別
することはできないんだよ。それをたどっていくと生
物と鉱物とも境界がないんだよ。
(一般的に言われている境界は、学者さんががんばっ
て定義しただけで、あとからあとからその境の物が見
つかるから、偉い学者さんも大慌てなのさ。)
そうすると、人間がどうして存在するかは、どうして
あの大腸菌の一つは、あのほこりは存在するのか、って
なっちゃうんだ。もう個体って言う概念もなくなっちゃうよね。
人間の存在理由なんて意味なくなるよね。
結局、人間はちょっと賢くなって「なんで存在するだろう。」と
発明しちゃったんだね。そして教育が広がると、これがみんなに感染
しちゃったんだね。
結局、自分が納得すれば、それが君の正解なんだよ。
110名無しさん@1周年:2000/07/08(土) 13:29
人間というか、
生命体は、
目に見えない意思によって、
突き動かされている。
それを、神というか、
盲目的な意思というかは別にして、
ただ、言えることは、
人間は生命体の、
進化し、行き着いた、終着点では決してない、
ということだ。
生命体の進化の歴史からいえば、
人間といえども、
まだ、その途上である。
人間の後につづく、次の生命体へ向かう意思、
それが、無意識の内にある、
生きることの意味であり、理由ではないか。
111剣豪:2000/07/09(日) 02:00
>110
 これがウワサの電波というヤツですか?
112剣豪:2000/07/09(日) 02:03
>110
これがウワサの電波というやつですか?
113名無しさん@1周年:2000/07/09(日) 03:27
僕に議論の能力はないよ。ただ実感で語らしてもらう。
多分この記述指すものも全く実際と違ってしまっているかも知れないけど。

人間の認識は示差認識というのは正しいのかな。
存在確認のための足場づくりではなく、
記号で自分の根拠を求め、全ての足場を解体しようとした先、
そこにはただブラックホールのような浮遊間、狂おしい圧迫感、沈黙と虚無がある。
あれが完全な自由なんだろうか・・。
人は生きる意味の足場となる主な対象を失ったとき、
しばしば一時的にそれを味わうって事なんだろうか。
あんまり長くそこにいたり、
それを克服しようと向かい合ったりしようとすると
恐らく気が狂うけどね(寸前だったと思う。感覚の説明難しい・・)。
狂った先どうなるか判らない。

音声遮断、真っ暗な完全密室に唯一人、静かに座っていると
五感の変調と共にその感覚は味わえる。

結局それに気付いたとき、気付きつつも目をそらし、逃げようとか、
存在を確認する足場を造る方向性こそ
動くことであり、生きる目的だったりすると思うよ。

生きる目的はただ設定するだけ。
それを意識せずに生きている人は
注意をそらした状態になっていて、存在の確認がとれ、発狂せずにいられるだけ。
かも知れない。こんなのは全くカルトだけど。全くの戯言です。
114>113:2000/07/09(日) 16:18
>音声遮断、真っ暗な完全密室に唯一人、静かに座っていると
>五感の変調と共にその感覚は味わえる。

そういうこと自分ですすんでやってるんだろ。
最後までいけよ。最後まで。
途中で引き返して怪談にしてどうする。
なさけなー。

115ラトヴィッジ:2000/07/10(月) 01:00
生きることに意味なんてない。
だけど、価値はある。
116名無しさん@1周年:2000/07/12(水) 00:29
age
117ハリマオ:2000/07/12(水) 21:51
>113
恐縮ですが、貴殿のいう人間の次に来る生命体とは、どの様なものを、お考えで
しょうか。複数個体の分散しつつも、融合しているようなもの、または、宇宙蛍?
でしょうか。
又、完全自由に圧迫されて、定めた生き方に、生きる様な存在形態自体を、生命体
自体が、望まないなら、もっと陽気なものへ、変える事が、出来るのでしょうか。
それで問題無いなら、又は必然性があるなら、変える必要は無いかもしれませんが。
又は、陽気な生き方を、設定するだけ・・・か。
118名無しさん@1周年:2000/07/12(水) 22:32
>115
ちがうな。生きることに意味も価値もない(付け加えれば
“生きている”ことそのものには価値はない、ということ)

ただわれわれは生きることで意味や価値を作り出してゆくのだ。
119ラトヴィッジ:2000/07/14(金) 04:27
>118
訂正。
俺が生きているからといって、俺を含め、俺以外の他の存在に対し意味はない。
<この世界に対する影響も含める(そんなもんねぇし)
ただ生きてるだけだからな。
だが、俺にとってこの世は生きる価値はある。
生きているといろいろな出来事に出会うから。イイにしろ悪いにしろね。
俺自身の存在意義がないとしても、それはそれでい〜の。
ま、こりゃ俺の考えだ。気にするな。

120名無しさん@1周年:2000/07/15(土) 22:52
何故生きるのか、という問いは医者に聞けばわかります。
生きる目的は何かは、
「人の自由」です。
目的など自由に設定できるからです(設定しなくとも良い)。
121名無しさん:2000/07/16(日) 01:25
>118
至言かもね。

>120
聞いたくらいで
わかった気になれ、なおかつ納得できるとは・・・。
幸せな人ってのはそういうことか。

>118
その前にただ”生きる””生きている”って?

>俺自身の存在意義がないとしても、それはそれでい〜の。

その仮定が実現した世界に実感を伴うイメージは持てたの?

ま、それはいいとして
表層にふみとどまれているようで
それはそれでいいんじゃないスか?
はっぴぃだ。

そのままずっといける・・とか
それ以上を必要とするアクシデントがこの先ない・・
という仮定において。
122120:2000/07/16(日) 01:31
>121
言語的にそれらの問いはすでに無意味に近いということです。
123120:2000/07/16(日) 01:38
補足
「なぜ生きるか。」は生命維持過程を記述すれば足り、
「何のために生きるのか。」は本人の設定次第ということです。
目的、はある意識主体が自由に設定するもの。
設定者を離れて目的はあり得ない。
124Rio坊:2000/07/16(日) 09:28
剣豪さんて、ここの住人なのね。

ところで、V.E.フランクルの態度価値はどうでしょう?
共感を覚えることもあり、キリスト教的な絶対者の高みから見た、
突き放されかたをされるような疎外感もあるのですけれど。

『人生におけるミッションというものは、作るものではなく発見するものである。
すべての人は、人生における独自の仕事あるいはミッション(使命)を持っている。
その点において、誰もその代わりになることはできない。したがって、すべての
人に与えられている使命とそれを実施する機会は、その人独自のものである。
 終局において、人は人生の意味は何であるかを問うべきではない。むしろ自分が
人生に問われていると解釈すべきである。
 一言で言えば、すべての人は人生を問われているのだ。自分の人生の責任を
引き受けることによってしか、その問いかけに答えることはできない。』
125人生は:2000/07/16(日) 12:55
人じゃないから何も問わない。
126121:2000/07/16(日) 14:48
>120
こりゃ失礼いたした。
ま、”無意味”ってのはなかなか良い響きだ。
境界からの逃避にも使える。
そこで思考停止することも大半の人にあてはまることだろう。
個人的には”無意味”の極致を
何らかで把握できないかという試みは以前残るがね。
私はロジックそのものの迷路に過剰な期待を抱かないほうです。
手法としては勿論重宝するだろうが。
127剣豪:2000/07/17(月) 03:08
>124
 なるほど。自分で設定し実行することが出来る人生の目標など、たかだか知れている。
 目標は主体が無前提な状態から立てるものではなく、言わば向こうからやってくるようなものだ、ということですね。
 全ての人は人生を問われている、とは、曖昧な言説かもしれませんが、事実を言い当てていると思います。
128あらっ?:2000/07/17(月) 03:14
人は何故死ぬのか? 死ぬ目的はなんなのか?
129剣豪:2000/07/17(月) 03:40
>121
 無意味の極地から生み出される論理とはどういう形をしているのでしょう?
 或いは
 無意味である、という無の境地が描き出す風景とは、どういうものでしょう?
130120:2000/07/17(月) 13:49
だから
目的という概念自体、設定者を離れてありえないんだっつーの。
因果関係の比喩で使うこともあるけど。
(川は海になるために流れる、とか。)
無意味が描き出すものはなにもない。
何も描き出さないということが無意味の意味だから。
記号のシミをのぞいて。
131121:2000/07/17(月) 19:08
>129
矛盾をどう処理するか。ひとつの倒錯としてでいい。
実感覚やイメージとしてどんなものだと思う?
恐らく興味ないだろう。興味を持とうとするとあらわれるものもある。

少なくとも”眠り”や仏教的”空”とか
”無我の境地”とかからはかけ離れているように思う。
”無意味”そのものをどう捉えるというよりは
あらゆる”無意味”へ際限なく潜っていく作業になると思うんだが。
別に”無意味”でなくとも良い。無意味というより非意味か。
でも止めとく方が無難だと思うね。
128の言うとおりだ。

少なくない人が”眠り”を”死”に似せて捉えるのは
一つの願望だと今では思えてしまう。信じる限りにおいてそうなるだろう。
言葉の内省のない生物にとっては、将にそうかもしれない。

120@`は補足含め、一つの形として導き出されるものだとは思う。
以前一回至ったところだから。
俺にフィットするかどうか現段階で判り兼ねるだけ。
119は一つの理想だ。

相手にしないでね。ただの暇つぶしで独り言だから。
なんか、だれかの言葉にインスピレーションが得られるかと淡い期待があってさ。
今後こういうのは止めときます。
132剣豪:2000/07/17(月) 19:31
何かつまんないレスだねぇ。
無意味に際限なく沈潜する、これぞ形而上学的ヒエラルキーに似せた自己満足の境地の逆説的現われだな。
変な言い方かもしれないが、無意味である、という自覚にもそれなりの論理性があるのだ。
したがって、論理性がある以上、たんなる感覚的な構え以上のものとして表現される必然性も存在するはずなのだ。
仏教の空にしろ、そういう論理性を備えているからこそ、問答的な対話となって展開されているのではないか。
僕はその論理性がどういう言説を形成するのか、こういうことについての個人的意見が聞きたかった。
まあいいや。
補足:無意味というより非意味か→いや、逆でしょう。
   :眠りを死のアレゴリーとして捉えること→レヴィナスですな。
133131:2000/07/17(月) 23:32
俺自身妙なのはよすとして、最後にリクエストも載せておこう。
しばらく俺は見る方に徹するから
これからはもっと面白くてビビっとくるのを頼むよ。

>僕はその論理性がどういう言説を形成するのか、
こういうことについての個人的意見が聞きたかった。

光栄なことだ。君の意にそぐうような言説が偶然にも
形成できたと思えたら、君の相手をしてみることにするよ。
個人的に全く関心はなかったのだがね。

>無意味に際限なく沈潜する、
これぞ形而上学的ヒエラルキーに似せた
自己満足の境地の逆説的現われだな。

なるほど、そういえるかも知れない。
そう断言することで万事解決出来ているなら
此れほど楽で安心な事はなかったろう。

君の把握がどんなものか全く判らないが、
私的体験における作業もお勧めしておこう。
そう感じさせるものがここまでないのでね。

または、いつか気が向いたら聞かせてくれ。
君の”哲学”と君の”世界”との関係もいつか聞いてみたい。
それと、君自身が創造したと思えるものについてか。

ところで君は仏教の”空”を把握する努力をどこまで行い、
どこまで把握出来たんだい。または沈潜とやらでもいい。
その結果どんな感じだったとかそれについての考察でもいい。
或いは特定の絵画や音楽についての君の哲学的把握でもいい。
興味がある。

引用したり、ただ決まりきった知的単純労働だけなら
字面をなぞってわかった気になるだけで充分だろう。

生涯において究極の解説者を目的とするも、まあ、いいだろう。

134名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 19:33
10億年後の地球を、
想像してみるとよい。
おそらく、そこには、
人類は存在していないであろう。
ただし、地球はまだ存在している。
そこにいるのは、
人類が進化した生物か、
だだ荒涼とした風景が広がるのみか?
あまり先のことを考えると、
空しくなるが、
しかし、
それが、現実だということを、
認識する必要がある。
地球は、
その最後の時がくるまで、
その回転をやめない。
135名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 19:59
10億年後の地球は現実ぢゃないと思う。
136地球が:2000/07/18(火) 23:37
止るって
ペルソナでもやったの?
137剣豪:2000/07/19(水) 00:32
>131
親のスネをかじる年でもないので、普段は塾の講師をやって小金を得ている。
世もふけ、塾帰りに遅い夕食を食べ、ビールをぐいと飲み干して街を歩くと
ネオンのまぶしさが妙に哀しい色をしている時がある。
公園でたむろしている少年少女に自分の過去を重ね合わせて
ガード下で酔いつぶれている親父に自分の将来を予感しつつ、
ふと今の自分を考えてみる。
俺の私的体験なんてこんなもんだ。
稼がねばならぬ。論文も書かねばならぬし、外国語の勉強も疎かに出来はしない。
煩わしい同僚とのつきあい、職場での軋轢、将来への不安、けどこれらも全て、哲学することを自ら決意したからこそだ。
私的体験なんぞ待望しているヒマなんてない。生活の必要、要求に否応無しに促される、そういうあくせくした混沌、
そういう不純な環境を嫌って、或いはこれと馴れ合って、うつらうつらと考える。いろんなことを考える。
今は、こんな感じです。

138>134:2000/07/19(水) 01:14
ノラエモン印のタイムマシンにのって、
十億年後の未来に行って帰ってきたところだ。
そこには今よりはるかに美しい地球があった。
人類は宇宙に進出し、銀河連邦まで設立されている。
惑星はおろか、恒星までも自由自在に操る超越宇宙生命体へと
進化を遂げた人類は、空間の隔たりを超越し、
広大なる空間に自分たちの種子を蒔き、
全宇宙に広がっている。
そこには平和があり、戦争があり、
今とやってることはあまりかわらない。
何万もの宇宙種族がいて、
彼らとのあいだでは、やはり確執がある。
それは帝国軍と反乱軍に別れて、
いつも小競り合いを続けている。
しかし、おおむね、みんなはうまくやっている。
だから君は、ただの想像でモノをいってるだけだ。
139名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 01:22
> ノラエモン印のタイムマシンにのって、

ノラエモンはタイムマシンを作っていないのでは?
彼は単に製品を買っただけでしょう(爆)。
140名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 01:47
全てはオナニーだよね?
これ以上の思想に行きつくことができないよ。
141名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 01:54
! 確かに。
142>139:2000/07/19(水) 02:01
今ノラエモンに問いただしたところだ。
ド○えもんは買っているようだが、
ノラエモンは拾ってくるといっている。
「落ちてるのをひろえばタダにゃのに、
まじめに買い物するド○えもんはあほにゃ」といっている。
なんでおまえの印がついてんだと聞いたら、
「拾ったものはオレのものにゃ」。
「だから印をつけるにゃ」といっていた。
以上だ。

143名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 02:07
ジャイアソ回路搭載猫型ロボット・ノラエモン。
144名無しさん@NOW:2000/07/19(水) 18:24
あれほど、この地球上で、
繁栄を謳歌した、
恐竜ですら、
滅びた。
人類とて、
例外だとは、
とても思えない。
現実を直視した上で、
それから、
人生を考えれば良い。
そうすれば、
肩の力が抜けて、
もっと気が楽になる。
145名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 20:04
♪人生なんてララッラァー ラララ ラァーラァーッ♪
146名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 00:30
ところでこれって哲学の話題?
なんかむっちゃ宗教っぽいけど・・・・・
147名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 00:32
ああ! なんで人はこの掲示板にかきこするんだ
誰かかきこする目的を教えてくれ!・・・
148>147:2000/07/20(木) 00:35
宗教でトラウマを受けた人によくみられる症状です。
149>147:2000/07/20(木) 00:35
宗教でトラウマを受けた人によくみられる症状です。
150名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 03:36
意味と強度。
151はりまお:2000/07/20(木) 20:54
受け取る予感や、行おうとするビジョンは、各人によってことなる。行いによって、
当然変わる。それらが、無いというなら未来は無いという事。
地球は10億年たとうが、本来の価値も、目的も減損しない。

ちなみに、地球の現重力では恐竜は立ち上がる事が出来ないと言う論文紹介が、本
にでてたよ。アインシュタインの理論は合っているが、現実には、合っていない、
根本からちがっている事になるんだろうねー。単に遠心力のはなしじゃなく。

仏教理論は哲学と思っていたが、理解しない段階ではやっぱり宗教になるのかな。
江戸の生活哲学?? イのいちばん”犬も歩けば棒にあたる”を書きのこして
引き上げます。よい人生を。
しばらく仕事に力を入れるので、それでは・・・。


152名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 23:28
>1
そんなこと考えたって無駄なんじゃない?
意味なんかない
ただ生きているから生きているに過ぎない
いやなら死ねばいい
生きることになんの意味を見出せないならね・・・
153ネオ生茶:2000/07/20(木) 23:40
>152
生きるのには意味など無いと言いながら
意味がなければ死ねと言っていますが・・・。
>1
私は人が生きるのは遊ぶためだと思っています。
遊びとは、何かを目指すのではなく、それ自身を目的とするような
行為のことです。
もちろん遊ぶために人間は生きると言っても
それを実現できる人など少数ですが。
154剣豪:2000/07/21(金) 00:07
>153
>私は人が生きるのは遊ぶためだと思っています。
>遊びとは、何かを目指すのではなく、それ自身を目的とするような
>行為のことです。
 こういう割り切り方はあまり好きではないのですが、
 あなたにとって目的それ自体である遊びって、例えば何ですか?
155名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 00:09
>153
152は、人生には意味はないんだから、自分で意味を見出せ
っていってるんだよ。(多分)

それから
>遊びとは、何かを目指すのではなく、それ自身を目的とす
>るような行為のことです。

それって、オ○ニーのことだよね? 君はオ○ニーするため
に生きてるってこと? (爆 (冗談)
156名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 00:17
>153
>生きるのには意味など無いと言いながら
とは言ってない
「人はなぜ生きるのか、生きる目的はなんなのか?」
ということを考えること自体オレには意味がないと言おうとしたが
言葉が抜けていた
>意味がなければ死ねと言っていますが・・・
これは1の人が生きることになんの意味を見出せないないなら
死ねばいいと言ったまで
157名無しさん:2000/07/21(金) 00:22
>152
長い人生にはね、自分の人生の意味がわからなくなって
悩んでしまうこともあるものなのよ。
不条理としかいえない不幸に会う事もあるの。
それで、その人はとても悩んでるかもしれないの。
君にいわれなくても、自殺を考えてるかもしれない。
「意味なんかないさ、いやなら死ねばいい」なんていうのは、
誰にでもいえる使い古された言葉だし、
そんなことをいっても、誰も感心なんかしてくれないと思う。
自分が人生の虚無感にさいなまれた時、
いかにして人生に意味を見いだしたか、
それを書いてくれないか。
158名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 00:34
私は生きることに目的はないと思う。
なんであれ目的は生きていることに依存するのだから。
だから、「人生の意味は?」と訊かれたら、
目的を目的たらしめる基礎だ、と答えたい。

何もない人生、何も起こらず、何も行為しない人生などというものは
ないのだから、まずは具体的な事柄に即して、その事柄の目的や価値
について考えてみるべきではないだろうか?
159ネオ生茶:2000/07/21(金) 01:12
遊びとはオナニーだと解釈してもらってかまいません。
狭義のオナニーではありませんが。
自分の楽しみのために生きるということを言おうとしたわけです。
誰しも、それ自身に意味があるような生き方は不可能ですが、
(生きるためには働かなくてはならないし、働くためには勉強しなければならない
この繰り返を人間は生きているように思えます)
私の理想は何者にも憚ることことなく自分の好きなことだけをすることです。
ただ、これを実行できる人などいないということから、人生は無意味だといってよいと思う。
160名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 01:45
オナニー的な行為は内面に性エネルギーを向ける事であり、
それは自己創造の過程。
自分を創れていない者は、外界にそれを向けてもなにもできないだろう。
遊びなき人生など、誰が生きるものだろうか。
内的な自己創造がなされ、それが外界に発露として現れるようになった時、
世界を含めての第二の自己創造が始まる。
オナニー的行為は、成長の過程であり、
否定されるものであるわけがない。
161剣豪:2000/07/21(金) 03:01
オナニーオナニーってうるせぇんだよ!!
はぁはぁ・・・・

まぁ、結論は見えてきたかな。
生きること一般についての議論は、生それ自身のために生きる、という抽象論の域を出ないし、
具体的事実に即して生の意義を語る、というやり方にしても、肝心の具体的事実てやつの提示に二の足を踏んでしまうし、
或いは下手に私的体験を語るにせよ、体験の私秘性に応じて、そこから導出される結論の一般性が疑われてしまう、ということか。
162名無しさん@1周年:2000/07/21(金) 03:12
本当になやんでないんだから、
他人事なんだから、
結論なんて出ないさね。
163>162:2000/07/21(金) 11:07
甘ったれるな、(大島渚風に声を震わせて)バカヤロウ!

誰にもあてはまる「生きる目的」などないに決まっておる。
自分が「生きる目的」は自分で見つけるものであって、他人に
尋ねるべきものではない!!

164ショーペンハウエル:2000/07/21(金) 12:50
生きる意志を持つことが非道徳的であり、悪である
165162:2000/07/21(金) 15:13
>163
そのことをいいたかったんだけどな。
166163:2000/07/21(金) 21:54
そうか、スマン>162
167名無し:2000/07/23(日) 14:53
疑問をもって、
考えさせること、
それが、
この宇宙というか、
世界をつくった者の
意図ではないか?
物自体は考えることが
出来ないので、
それを、
認識され、
解明されるために、
生命を誕生させたのではないか?
168名無しさん@1周年:2000/07/24(月) 03:35
この世界を観にきたのよ。
169名無しさん@1周年:2000/07/24(月) 03:49
>167
それは生まれて初めていえること。
後付の理論とされる
170名無しさん@1周年:2000/07/24(月) 07:25
とりあえず、2ちゃんをみたくてしょうがない、いまは。
んで、2ちゃんを見るには、生きてないとだめなのよ。
その前は、ふーこ^読んでたっけ。
それだって、生きてないと読むことすらできないわけよ。

要するに、ねたがある限り、ねたが見つかる限り
生きてるよりないね。
ねたが見つからないよーって時だって
つい捜し歩いたりなんかしちゃってさ
171どべる:2000/07/24(月) 07:58
>170
あんたいいね。頭もいい。
>生きる目的?
そんなこと他人に聞くな。
生きる目的=やりたいことがあるから
ではないが、自分で探すつもりがないなら生きてても
苦しいだけだろ?逝ったほうがまし。(本人のためにも)
ネタのつもりなら・・・、もっと建設的なことがいいな

172Rio坊:2000/07/24(月) 10:10
>170,171
いいよ。すげぇー哲学的だよ。
ねたは、自分で探すのがベストだが、
向こうから降ってくるのもあるよ。
見合い結婚でも、愛情一杯になるようにね。

でも、俺自身は厭なことほど何度も反復したり浸りたかったりでね。
忘れてしまうと何か重大なものが失われそうな気がしたこともあった。
でも、それも幻想でね。飯食うのにあくせくしてると、
薄まってくるよ。

でも、ねたはいいね。没頭できるねたは最高。
ねたを探し、ねたに探されながら、人生全体をふと生きることが
できるのが俺の理想かな。
人生全体から小さな作為を少しずつ取り去って生きたいね。

本当にジジイになったのかな>俺
173名無しさん@1周年:2000/07/24(月) 11:37
繰り返せ。永遠に。
それが嫌なら死ぬしかない。自殺はだめ。自殺を繰り返すだけ。
174哲労:2000/07/25(火) 02:03
究極的には、ビッグバンがなぜ起こったかを考えることである。何故生きるのか以上に、無から何故万物が創造されたか?に行き着くのではないか・・
175名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 14:09
>174
だからそれは生きてて初めて言えることなんだって。
人間一般が目指すべき目的なんて無いと思うが、
もしあったらそれは形而上学的なものだろうな。
176名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 15:41
哲学をやってるのは
退屈をまぎらわすためなのか?
177名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 15:46
ふと思ったのですが、「この先生きていても楽しいことは何もない」と
悟りつつも「生」を選択する人はいますが、これは一体なんなのでしょう
か?
例えば、全身麻痺状態、家族すら死を望み疎んでいるという状況で、
「家族への怒り」(こん畜生、くやしいから生きてやる)というのが
ないとしたら、それでも生を望むのは、一体何なんでしょうか?
178名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 15:49
やっぱり本能なんじゃね?>177
179>177:2000/07/26(水) 01:50
「生」自体が楽しいことだから。?
180名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 02:44
>177
そんな事あるのかな?
生を望んでいるんじゃなくて、
死への恐怖から、そう望んでいるようにみえるのでは。
181四捨五入:2000/07/26(水) 03:39
生まれて来た事が根本の疑問。
182四捨五入:2000/07/26(水) 03:42
生きている故生まれる疑問
183四捨五入:2000/07/26(水) 03:44
鳥か卵か
あーあ親子どんぶり
184名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 11:27
もし、死後の世界があることが完全に科学的に実証されたならば、
…死ぬのなんて怖くなくなってしまう。。。
やはり無への恐れですか?
185Rio坊:2000/07/26(水) 15:45
>177
では、アウシュビッツの囚人たちは、ガス(シクロンB)で殺されるのが
分かっていながら、なぜ自殺しなかったんだろうか?
周りを高圧電流が流れる有刺鉄線で囲まれて生活しながら。
身を投げればすむことなのにね。
全身麻痺とか、余命幾ばくも無いというのは、医者の科学的推論だよね。
余命の大小は関係ないんじゃないの、全ての人間はいつか死ぬんだし。

チャレンジする機会がある限り、人は生きると思うよ。
生きている限り、回りの人間はそれが愛しい。(障碍者の親を思え!)
また、その機会を尊重しなければならないと思う。

フランクルのよれば、「生きるとは、問われていること、答えること。」
だそうだ。個人個人で自分の中の未踏峰を目指す登山家のように。
人生に期待するものが無くても、人は、人生が自分に何を期待しているのかを
問うて生きることができる。

人生は、仕事、義務。そして幸福は人生の目標ではなく、義務を果たした時の
つかの間の結果。皆、人生の主体性を自分中心に捉え過ぎ。
そんなに世の中甘くないよ。病気になりたくてなる人間はいないし、
死にたくて死ぬ人間も滅多にいないからね。
186177:2000/07/26(水) 16:06
>>185
誰も「余命幾ばくもない人には生きる資格がない」とは言ってないっす。
(例が悪かったかな…)
ただ、もし「完全なる絶望」を感じつつも「生」を選択するとしたら、
それは一体何?という疑問。
187名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 16:49
パンドラの箱の中には必ず希望があるからでないのかな?
188Rio坊:2000/07/26(水) 18:40
>186
留保。人生の問いかけを見つけるための留保。
この問いかけは、自殺者の回りにも転がっているらしいよ。
昔、身投げのために海岸に行くために、タクシーにしようか、
運賃の安い電車にしようか迷った人の話を聞いた。
結局、彼は自殺の寸前まで打算が働くことを知り、
ばかばかしくて思いとどまったらしい。(笑えるね。)
189名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 23:09
自分に絶望したとしても、ほかの何かに興味や関心があれば
生きていくだろうな。>私の場合
まあモノは何でもいいんだけれど
しかしこれって”絶望していない”状態かなぁ。
「完全な絶望」って、自分にもほかの何かにも興味も関心も
持てない状態なら、わざわざ死ぬ為の努力はしないだろうな。
死んでしまうにしても、自分からは死なないね。きっと
190:2000/07/27(木) 00:27
マラソンしてる最中の人に「何で走るの?」って聞いたら、
たぶん「ゴールするため」とか「気持ちいいから」とか
答えると思うんスよ。
何で生きていくかってのも同じだと思います。

でも、ゴールって単純に「死ぬこと」だけじゃなくて、
人によって解釈は違うと思うなあ。
一番になりたいって人も完走できればいいって人もいると思うし。
何の答えにもなってませんね。
でも、ゴールできてないオレらに答えの出る問題なのかなあ?
191テライユキの素:2000/07/27(木) 00:43
私よりはマシだと思うから生きてるんじゃない?
192名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 11:19
マラソンと生きるのって全然違うと思うぞ・・・
193名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 12:25
別の視点を用いれば、「目的」を言語で明示しなければ気が済まない、
というところに理性主義の限界がある。
194名無しok:2000/07/27(木) 18:29
本当の意味で、
生きる目的や、意味などはない。
それらを承知した上で、
人生の空しさや、空虚さに負けないで、
強く生き続けることだ。

195テレサ・テン:2000/07/27(木) 23:16
わかったようなことをいうな。
人は罪深い生き物だから、生きるということはつぐなうということだ。
窓に西日があたる部屋は・・・
196>194:2000/07/27(木) 23:25
生きる目的や、意味など無い。
それらを承知するのならば、
生きることに強さというものも、また弱さというものも無いのではないだろうか?
197>1:2000/07/27(木) 23:32
こっちの方が難しいんでないかい?!
人は何故死ぬのか、死ぬ目的はなんなのか?

事故死、過労死、突然死、安楽死、自然死、自殺・・・
198名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/27(木) 23:34
目的が欲しくば、宗教しかないね。
意味を押しつけられるだけだけど。
楽だな。
199名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/27(木) 23:35
目的が欲しくば、宗教しかないね。
意味を押しつけられるだけだけど。
楽だな。
200seymour:2000/07/27(木) 23:45
なんで生きるのか…究極の問いだね.
オレも昔よく考えたし,今でも考えることがある.
結局,結論なんてないんだよな.
いっくら考えても.

でも,それを無駄だと言わずに
一生懸命あれこれ考えてるこのスレッドのヤツら,
おれはみんな好きだゾ.
201>200:2000/07/28(金) 00:06
私もそんなキミが好き

無意味だとわかっているのにもかかわらず、
あれこれと生きる意味を問い続ける。
その行為自体には価値があることは認めたいのです。
202>200:2000/07/28(金) 00:15
私もそんなアナタ好き

全ては偶然。
無意味であることこそがそのまま必然性となる。
にもかかわらず、あれこれと意味を自らに問い続ける。
私はこの行為ソレ自体に価値を認めたいのです。
203202:2000/07/28(金) 00:18
あら?二重カキコ。スマンヽ(´ー`)ノ
204『死に至る病』:2000/07/28(金) 00:40
人間は精神である。
しかし、精神とは何であるか。
精神とは自己である。
しかし、自己とは何であるか
自己とは、一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である。
あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。
自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである
205ネオ生茶:2000/07/28(金) 00:44
キルケゴールの重要な自己観だけど、
全体の文脈の中でないと読解は難しいですよ。
206名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 00:48
自己が自己に関係するってどういうことかなぁぁ?
わかんね
207名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 01:02
>206
おらもその本読んだけど、そこんとこの意味が
わからんかった。
208ネオ生茶:2000/07/28(金) 01:06
別の箇所で肉体と精神の関係こそが自己であるとも言っています
209>『死に至る病』:2000/07/28(金) 01:26
人間は精神的原理である。
それはいつも「自己」を独立したものとして打ち建てようとする本性を持っている。
しかしこの「自己」は関係によって編まれているので、この「自己」を独立したものとして打ち建てようとする人間の試みはいろんな困難にぶつかる。
およそそういうことを言っている

キルケゴールの哲学は、やはり「世界とは何か」という客観的な問いを切断したところからはじまっている。
彼の哲学の中心問題は「信仰」ということ、つまり個人としての「自己」と「神」の存在との間の絶対的関係をめぐっていた。
自己の存在の救いの問題といってもいい。
だから今の人間が読むとなかなか判りにくい面がある。

「自分を知るための哲学入門」より
210名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 01:31
>209
で結局どんな関係なの?
211名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 01:36
>209  

で結局どんな関係なの?
212哲労:2000/07/28(金) 01:47
しかし、結局無から無に(生から死)に向かうとすればなぜ存在する必要性があるのだろう?
意味がなければ(そこに何かの意志が働く)わざわざこんな現象を作り出す必要性などないではないか?
それともあまりにも人間は難しく考えすぎているのだろうか? 自然の木立がゆれるように我々の意識も単なる現象にすぎないのだろうか?
213名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 01:50
自己観かぁ、オレはオレをどう観るかぁぁ
オレがオレ自身に関係する?
は?オレは独立した存在?
むー
214ネオ生茶:2000/07/28(金) 01:59
>212
ギリシャの昔から、人生に目的はあるか否か
と考えられてきたようです。
しかし、無いというのがまともな答えだと思いますね
215名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 02:12
あと、「綜合」って言葉もよくでてくるよね。>死に至る病
これはなに?
216どべる:2000/07/28(金) 02:15
>214
人生を 人間の生存ととれば目的は無い。
    人間の一生ととれば人それぞれである。
で、まともな人は人生を人間の一生ととるから、目的はあるというのが
まともな考えである。(エセ哲学者=変態@`的視点)
217名無しさん@もっと楽しく逝こうよ:2000/07/28(金) 03:01
>212
そこがエセ哲学の限界なんですね。
万物の必要性を否定しても何にもならないからね。
必要性を否定できても(錯覚)なぜ存在するのかは解らないでしょ
ただ底無し沼に沈むだけ。自己陶酔に浸るだけ。
>214
>人生に目的はあるか否か  無いというのがまとも(略
少なくとも私にはあるという考えがまともだと思います


218名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 03:39
人生の目的だと?あほか!分かりきってるだろ!
おまんこ覚えて大学出て就職してた〜ぷり稼いで、トオチャンカアチャンに楽させることさ!
おちゅとめ果たしてるかい〜。
219名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 04:14
自己が自己に関係するというのは、自己が感覚を通して自己自身と
関係しているってことか?
自己とは、感覚によって与えられる自己。
自己が一つの関係というのは、そういうことか?
自己自身という存在が、自己と関係しているのね。
じゃぁこの与えられる自己ってのは、自己自身にとってどういう関係なんだ?
頭が頭が痛い、この痛いという関係は、自己自身に与えられる。
自己はオレか、
220名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 04:26
お・ちゅ・と・め・は・た・し・て・る・か・い?
221名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 04:35
↑ こいつ、大丈夫か
222名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 04:37
聞いてるのはオレだ!ぼけぇ・・
223名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 04:50
ダカラァ、おまえ頭ダイジョブデスカ ???
224名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 05:04
ああ・・心配するな。ところで
おつ
225名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 05:33

    Λ_Λ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ( ´∀`)< 俺だって時には議論スレッドで
   (    ) .| 熱い長文レスを交わしたいと思うときもあるよ。
   | | |  | でも、それはしないんだ。悔しい気もするけど。
   (__)_) | みんなが俺に求めているのは、そんな言葉じゃないから。
         | 俺が言う言葉は「おまえもな」だけでいいんだ。
         | それがオマエモナーとしての俺の誇りであり、
         | 俺のすべてなんだ。それでいいんだ。
         \______________
226名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 07:45



    Λ_Λ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ( ´∀`)< 俺だって時には議論スレッドで
   (    ) .| 熱い長文レスを交わしたいと思うときもあるよ。
   | | |  | でも、それはしないんだ。悔しい気もするけど。
   (__)_) | みんなが俺に求めているのは、そんな言葉じゃないから。
         | 俺が言う言葉は「おまえもな」だけでいいんだ。
         | それがオマエモナーとしての俺の誇りであり、
         | 俺のすべてなんだ。それでいいんだ。
         \______________
227名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 10:51
オマエモナ〜
228ちょっと、いっぷく:2000/07/28(金) 21:23
ふかーい、ふかーい、ねむりについてまちゅと、
だれかが、よんでまちゅ。
かぜになって、さまよってまちゅと、おとーさんと、おかーさんが、
ゆらいでまちゅ。
なんだろーとのぞいたら、すいこまれちゃいました。
うまれたからには、まないたのうえのこいのように、いきていくしかありましぇん。
楽しいことも、目につくけれど、きちゃないものも、いっぱいありまちゅ。
なんとかしなければ、と、おもいまちゅ。
おちゅとめも、しさくも、おわりがなくてちょとたいへん?でちゅ。
229なのなの:2000/07/28(金) 22:43
そのものが、そのものに係る’関係’を自己という。自己は複数の構成要素から
成り立つが、構成要素をどこまで分解していっても自己の本質は、無い。
関係して成立している事が、自己だから。
この場合、外界をまじえて関係の始めと終わりが、等しい必要はない。
変わらず同じ運動をするだけなら、物質的なものになる。物質も変わるが。

触覚が、実在感(意識の自覚の一面)なら、それは電気的ものだから、
場とかと意識がいずれ等価になる認識になる。
230名無しさん@素人:2000/07/29(土) 16:32
役割を持つこと。
231名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 00:45
age
232名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 00:53
あげ
233名無しさん:2000/07/30(日) 11:17
この世の中は、
まともに真正面から凝視すると、
とても耐えられるものではありません。
半分眠っているか、酔っ払っているかして、
チラッと見るくらいが、ちょうどいいです。
まともに向き合って悩み苦しみながら
挙げ句の果てに自殺するなど、
具の骨頂です。
この世の中は、
自殺するほどの価値すらないと考え、
もっと肩の力を抜いて生きた
方がいいです。
234名無し:2000/08/01(火) 12:44
人は、現に自分が、今生きているから、
どうしても、その生きていることに
意味や目的を見出そうとする。
存在意義を確認しようとする。
なぜなら、自分が生きていることに
意味や目的がないということに、
耐えられないからだ。
でも、はっきり言います。
あなたが今、生きている意味や目的は
これといってありません。
大事なのは、そのことを知っても、
腹を立てず、憤りもせずに、
我慢して生き続けることです。
腹を立て、憤りを感じたら、
あなたの方が負けです。
悲劇を承知で生き続ける勇気、
それが大事です。
235吽狐:2000/08/01(火) 14:23
>234
ストーカー気質ですな?
236エミール:2000/08/01(火) 14:37
人はなぜ生きるのか?
生きる目的は何なのか?

この答えは、ひとによって、さまざまでしょう。

ほかのひとのことはわかりませんが、少なくとも私は、
「愛するため」に生きています。

それは、いいかえると、
「愛する人たちを幸せにしてあげるため」
「愛されることを必要としている人たちを、守り抜くため」
です。

そして、じつは、あらゆる人間が、アプローチのかたちはさまざまですが、
「愛するため」に生きているのではないかと私は思います。
237吽狐:2000/08/01(火) 14:46
>236
生きる目的は、解脱した仏である拙者が、
うぬら衆生に与えてあげるものなのじゃ。
感謝せよ。
238名無しさん@1周年:2000/08/01(火) 15:12
あんま面白くないね。うんことかいう人
239エミール:2000/08/01(火) 15:53
世の中、きれいごとだけでは生きてゆけません。
他人を傷つけてでも、自己の利益を追及するような人は、けっして珍しく
ないし、むしろ、不正な人の方が、強い権力をもっているのが、今の現実
です。
現実の世界は、悲惨に満ちていると言ってよいでしょう。
けたはずれの富を持つ人々が存在する一方で、この地球上では、8億人以
上の人たちが、貧困と飢餓に苦しんでいます。
一時間に2千人以上のこどもたちが、飢えのために死んでいくのが、
現実の世の中です。

「現実は、汚い」
その通りかもしれません。

でも、だからこそ、私たちは、この現実を変えてゆくために、
力を尽くさなければならないのではないでしょうか。

私たちは、けっして、「あるがままの現実」を、
そのまま受け入れることしかできないような存在ではありません。

悲惨な現実を改善し、あるべき理想を実現してゆくことこそが、
私達が、この世に生まれた目的なのではないでしょうか。

愛と正義を、完全に実現させることなど、不可能でしょう。
しかし、そこへ向かって、少しでも現実を変えていくことは、
誰にとっても可能なのであると私は信じています。

240なのなの:2000/08/01(火) 17:14
このスレットは、ほんと、つかれまちゅ。
いい人がほとんどでちゅし、なにかがかわったので、すこし楽になりました。
しばらく、おきらくに、いーき・よっと。精進はおこたりませんが。
241名無しさん@1周年:2000/08/01(火) 18:42
人類がこの世のできごと全てを科学的に解明するまでです。
242名無しさん@1周年:2000/08/01(火) 19:45
科学が扱うのは再現可能なこと。
人生は一回きりのこと。
243なのなの:2000/08/03(木) 10:08
ネガティブ詩人の貴様の言葉は
おれの心によくひびく。なんでだ。
貴様がおれのことを、無価値と言ったが、そんな事はどうでもいい。
しかし、無価値という言葉がよくひびき、
急に、ノラが気になりだした。経済的価値など、どうでもいい。
少なくともノラは、自分に害をくわえないし、親しみを感じる。
おれは社会的には、底辺の人間なので、ノラたちをどうすることもできない。
胸が苦しくなったので、他の小動物の事も考えていたら、
地球がおれの中に呑みこまれてしまった。
ついでに地球の未来を書き変えておいた。
他の要因もあるので、どう実現するか、わからないが。
より青い地球を。


244名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 10:45
死なないために生きてるに決まってるでしょう。

死なないことが生きる事の目的だよ。これ真実ね。

この一日、この1年、この一生を顧みる。
一体自分は何のためにアクセクと、、、
そう死なないため。究極的にはそれが真実。

いろいろ理屈考えるのは、更に楽に生きたい、ってことであって
人間の浅知恵ね。ツクリゴトの目的よ。これ分別の一種。名無三宝。
245名無しさん:2000/08/03(木) 12:14
>244
と、いいつつ誰もがいずれ死ぬっちゅーの。
究極的にはこれが真実。
そんとき悔いの残らないよう、自分で「なんのために生きるか」を
デッチアゲルべし。
246名無しさん@1周年:2000/08/07(月) 20:59
人は、なぜ生きるのかはわからないが、

自殺するのは、精神変調のせいだ、ほとんどの場合。

(その精神変調の原因は色々あろうがの!)

                   精神科医
247名無しさん@1周年:2000/08/08(火) 12:48
名医といわれる精神科医ほど悩む。
迷医であるほどマニュアルどおりに患者を診断(=断罪)してるだけ
だから悩まない。
248名無しさん@1周年:2000/08/08(火) 15:28
いい女とやりまくるために、生きていまぁす!
249名無しさん@1周年:2000/08/08(火) 21:01
じゃあインポになったら自殺するのだろうか
250名文:2000/08/09(水) 02:56
生き物の生きる理由は、種の保存のため。
しかし人間の場合、それだけでは生きられなくなってしまうところまで来てしまった。
昔は、自分の家の血を絶やさないため、主君のご用にたつため、お国のためなど、理由はいくらでも決められていて、生きる理由について考える必要も無かった。
人が私に生きる理由を尋ねるなら、私は自分のため、そして愛する人のためにと答えるであろう
251名無しさん@1周年:2000/08/09(水) 10:40
>250
「自分のため」っていうけど、その「自分」のイメージの中に自分
を苦しめる要素が入っているものなんですけど・・・。
250の言っていることは最近のくだらないアニメの主人公が
言ってそうだ。
ひょっとして、250はアニメおたくか、それぐらいのレベルの
文学、テレビドラマの愛好者?
252名無しさん@:2000/08/10(木) 15:17
普通は,ただ何となく生きている。
あと,1カ月の命と言われれば必死に生きるだろうが,
そうでなければ,そこまで必死にはなれないのが普通だと思う。
253Rio坊:2000/08/13(日) 22:30
夏休みなので、村上龍の『希望の国のエクソダス』読了しました。
なんとなく感じていた閉塞感を、あからさまに絵に描いて、
突きつけられたようで、少しめまいが…
小説の中のポンちゃんの言葉。
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。
 だが、希望だけがない。」
254Rio坊:2000/08/14(月) 20:44
人が少なくてさびしいのでオナニあげ。

大分高校1年生の一家惨殺事件が起きました。
夢も希望もないからといって人を殺すのやめてくれんか。
遠足に行った記念に、落書きするのと同じ感覚で、
人殺すんじゃない。
こういうやつらには、どうやって教え諭したらいいんじゃ?
255名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 20:51
「風呂場覗いて注意されたから」か・・・。
まあ長女(16)を、だろうな。
どうやったらこんな人間に育つんだろ。
256名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 20:51
一応、夢も希望もないからじゃなくて
前に風呂を覗いてると言いがかりをつけられたのを恨んでという
立派な犯行動機があるんですが・・・
257名無しさん@1周年:2000/08/17(木) 17:28
世間体を気にしすぎて、やってしまったのか?
「僕は覗いてないやい」ってのを実証(?)する事が
彼の頭の中では無理だったんだね。
実際そんな濡れ衣をくつがえすのは難しいし。

日本語滅茶苦茶かも
258名無しさん@1周年:2000/08/17(木) 21:09


        き
        る
     と  っ
     て  て
     も
     難
     し
     い
     こ
     と
     な
     ん
   ま だ
   た ね
   ボ
   ク
   大
   切
   な
   こ
   と
   を
   学
   ん
   だ
   よ
259名無しさん@1周年:2000/08/18(金) 03:24
(´Д`;) なんだこの厨房どもの会話は!!!
260名無しさん@1周年:2000/08/24(木) 21:33
不景気で、自殺者が増えているらしいけど、
彼らは、"逃げる"という自己に成ったのか。
それとも、"自己を捨てる"という自己になったのか。どっちだ?難問?

261俺様 :2000/08/26(土) 18:36
俺は今カミさんと子供育てるため、生きてるけどな
来週のテレビ番組のために生きてた頃も会ったっけ。
まあ、その時々によって違うね。


262Rio坊 :2000/08/27(日) 14:10
意味とか目的意識とは、本来、ある行動や表現を外側から、
また時間的に終局点の見地から対象化し、他の行動や表現に関連付けること。
それも、短射程のそのつどそのつどの行動や表現を支える機能しかないとおもう。

したがって、「人生」とか「生きる」とか、あまりに抽象的で大きな射程を
持った観念に適用するには向かないと認識しました。
本スレは設問の設定に無理があるものと考えます。
263牛乳 :2000/08/28(月) 03:02
人は「生きなければならない」と思っています。なぜ?とか考える余地もなく。
だって、今まで生きてこれたのは、他の「生きていたい」と思っていた(であろう)動植物の命を自分にとり込んで来たからでしょう。
生きるか死ぬかの選択の余地なく、人が生きていくために殺された、そんな沢山の生き物の命を頂いて生きている私達が自分から進んで死を選択するという事は、とても失礼な事に思えるんです。

生きる目的は、私の場合、せっかく生まれてきたんだから、後悔のないように生きよう。という事です。
でも実際のところ、仮に明日、死ななきゃいけないってことになったなら、私は後悔だらけで悔し涙を流してしまいそうです(苦笑)。
理想と現実には大きな溝があります・・・。ああ、怠惰な毎日・・・。

初めて書き込みました。考えている事を実際文章にするっていうのは難しいですね。

264名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/08/28(月) 22:54
人間と動物とでは意識のレベルがちがう。発展しているとするなら差別はないが。
おれは肉体は死んでも、意識は残ると思ってるから存在の在りかたに苦労している。
自然や動物の為に、人間はいきればいい。
景気・経済のためとか国のためとかいって、自然や動物や人間をムシした考え
で、生きているやつがいるからいやなのだ。いろんな意味で今が分岐点だと思う。
経済のための経済なんてネズミ講にたいな、閉そく感のある世界はいやじゃ。
265名無しさん@1周年 :2000/08/28(月) 23:22
ものを考えるってどういうこと?
が分からないうえに
生きる目的を考える。
そして分かんなくなる。

ある一貫した「ものを考える」についての見解を持った人の意見が
やっぱり説得力ありますね。

哲学者ってそういう説得力の持ち方してるよね?

ここでは何かてきとうな独断論が幅を利かしてますね。
266名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 16:37
>1
生きる理由なんて考えてもわからない。
なんで生まれてきたのかもわからないんだから。
答えのない質問だわさね。

267電波猫@以前に書いたもののコピペ :2000/09/01(金) 17:23
えーと、究極的価値なんて必要ありません。
恐らく「生理学的」なレベルでは、ゾウリムシが走性で光に向かうのと同じように人間が「友達」を大切に思う事もそれ自身で完結していて「根源的目的」を持たないでしょう。(「進化生物学的」なレベルではどうだか知りませんが)
そして主観的レベルでは違う捉え方がされますが、「生理学」的レベルと同じ物を指していますから価値も究極的根拠を必要としません。
しかし、全ては「本能としてインプットされて」されているというのも違うと思います。
「赤い」と言うことと脳内現象が違う様に、同じ物を指していてもレベルが違うから
貴方が何かに価値を感じる時、確かに何かに価値を感じているのです(なんか意味不明)。
もちろん、主観的(倫理的)レベルでの議論が全て「生理学」的レベルに還元されるわけではありませんね。
人が倫理的判断を下す時「生理学」的レベルでは全て一人の中で行われますが倫理は単なる個人的なものではありえないからです。また、何かが良いと思ったけど実は良くなかったと言う事もありますし。
何を当たり前の事を書いているんだろうか。

別スレの言い訳代わりに
268名無しさん@1周年 :2000/09/02(土) 14:30
何故生きるのか?生きる目的はなんなのか?
それは、人、それぞれです。
あなたも、人生に絶望しないように、普段から、
一生懸命、生きる理由や、目的を考えておいた方がいいです。
誰でも、油断をすると、ちょっとしたきっかけで、簡単に人生に絶望してしまいます。
そうならないために、普段から、人生について、自分なりに考え、
自分なりに納得しておくことが大事です。
269Mrs.名無しさん :2000/09/03(日) 01:24
死にたい人は、例の場所へ集まれ!
270名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/03(日) 02:06
さぁ、いつでも死ねるから生きてるんじゃないのかな。
271名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 12:55
人生に絶望してしまうような、きっかけは、
世の中に、ごまんと転がっている。
それが、目の前にきてから、準備したのでは遅い。
普段の、平穏な時期から、それに耐えられるように、自らを鍛えるべき...
272名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/03(日) 18:32
・e・<ジンセイに絶望する余裕のあるひとはシアワセだね。
273対話のないスレッドだ… :2000/09/03(日) 20:02
↑オマエモナー
274名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 22:52
>271
はい。そう考えてボディービルやってます。
275名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 00:10
そうか、肉体から鍛えるのか。
そして精神。自然かもしんない。
276名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 00:52
>>274-275
精神なんて鍛えずに
亀頭を鍛えなさい。
私が言えることはそれだけです。
277名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 03:39
>276
「早漏ね!」といわれることが男には一番つらいと言うことですね。

278名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 15:13
>>277
そうです。何だかんだいって亀頭が精神に密接に関連しているんです。
これに気づいた人はとても少ない。
279まず読んでみて。 :2000/09/04(月) 20:24
http://www.shinrankai.or.jp/
何だ?本会の人誰も来ていないんだ???
280考える名無しさん :2000/09/07(木) 11:51

                    幸せになるためだ。

281名無しさん@1周年 :2000/09/08(金) 15:32
何故生きるのか、生きる目的はなんなのか、
は、分からないけど、
生まれたからには、
出来れば、幸せに、楽しんで生きたい、
というか、死んでいきたい。
282考える名無しさん :2000/09/09(土) 05:01
面白いから。
適度に生きて適度に死ぬのが面白いの。
283名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/09(土) 15:06
イヌや、ネコは、
自分は、何故生きるのか、
生きる目的はなんなのか、
考えもしないし、思い悩みもしない。
それで、結構、幸せそうに、
満ち足りた感じで、生きている。
284名無しさん@1周年 :2000/09/12(火) 17:02
あんまり、あれこれ、考えすぎない方が、
人間も、幸せなんでしょうか。
285考える名無しさん :2000/09/14(木) 14:16
ただ、考えていても、一向に、答えが出ず、
そうこうするうちに、あっという間に、終わってしまうのが、人生なのさッ。
286名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 14:20
生きることそれ自体。
287考える名無しさん :2000/09/14(木) 17:02
考えるより前に、行動してみればーー?。
そうすれば、何らかの、自分なりの回答は、得られるはず。
じっと、考えてばかりいると、
なーーーんもしないうちに、人生、終わっちゃうぞーーー。
288名無しさん@1周年 :2000/09/16(土) 16:50
歩きながら、考える。
あるいは、歩き終わったあと、考える。
289考える名無しさん :2000/09/16(土) 17:52
科学反応もあまり複雑になると悲惨だね。
290C:¥オチン***とかいう能無し【TTH】 :2000/09/16(土) 21:26
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|   |〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜

キリ版取りをすることなのさ〜
291C:¥オチン***とかいう能無し【TTH】 :2000/09/16(土) 21:26
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|   |〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜

キリ版取りをすることなのさ〜 
292C:¥オチン***とかいう能無し【TTH】 :2000/09/16(土) 21:26
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|   |〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜

キリ版取りをすることなのさ〜  
293C:¥オチン***とかいう能無し【TTH】 :2000/09/16(土) 21:26
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|   |〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜

キリ版取りをすることなのさ〜   
294C:¥オチン***とかいう能無し【TTH】 :2000/09/16(土) 21:26
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|   |〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜

キリ版取りをすることなのさ〜    
295C:¥オチン***とかいう能無し【TTH】 :2000/09/16(土) 21:26
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|   |〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜

キリ版取りをすることなのさ〜     
296C:¥オチン***とかいう能無し【TTH】 :2000/09/16(土) 21:26
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|   |〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜

キリ版取りをすることなのさ〜      
297C:¥オチン***とかいう能無し【TTH】 :2000/09/16(土) 21:26
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|   |〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜

キリ版取りをすることなのさ〜
298C:¥オチン***とかいう能無し【TTH】 :2000/09/16(土) 21:26
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|   |〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜

キリ版取りをすることなのさ〜 
299C:¥オチン***とかいう能無し【TTH】 :2000/09/16(土) 21:27
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|   |〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜

キリ版取りをすることなのさ〜  
300C:¥オチン***とかいう能無し【TTH】 :2000/09/16(土) 21:27
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|   |〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜

キリ版取りをすることなのさ〜   
301C:¥オチン***とかいう能無し【TTH】 :2000/09/16(土) 21:27
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|   |〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜

キリ版取りをすることなのさ〜    
302考える名無しさん :2000/09/17(日) 00:28
せめてsageてやってくれ。
みてると可哀相になってくるよ。
303何もかも :2000/09/21(木) 20:06
何もかもになること
304名無しさん@1周年 :2000/09/25(月) 00:53
死んだら考えなくてよくなるよ。
305あり :2000/10/13(金) 13:32
本能
306哲学志望 :2000/10/13(金) 15:02

              I was born
307考える名無しさん :2000/10/13(金) 15:06
なぜ生きるのかって、かなり重要なことに思うのですわ。
生きる目的達成って、ようは「我が生涯に一片の悔い無しアッハッハッハッハッハ」となれるってことだよね。
生きる目的達成=生きることに目的ない=生きる必要なし=生きるに悔いない
これを考えずに、人生の成功者になれんのかな。
生きるに悔いない心になれずに死んでいくのは、人生の敗北者かね?
まじで心から喜んで人生を達成できるかね?
あきらめるな!未来の哲学者よ!
308名無しさん@1周年 :2000/10/13(金) 15:20
誰か!!
俺の心臓に悔いを打ち込んでくれ!!
309考える名無しさん :2000/10/13(金) 20:23
人間は弱いもので、苦痛や快楽に簡単に屈してしまうものです。

荒らしを放置できない。

思いつきで駄スレを立ててしまう。

よく考えずに書き込む事を止められない。

あげくの果てに自分の事を正当化する始末。
先ず自分がなぜその事を考えるに至ったかを考える事
を始めましょう。
310考える名無しさん :2000/10/13(金) 20:52
恋をして子孫を残すため(種族保存)
311哲学板レベル向上委員会 :2000/10/13(金) 20:55
確かに、これはアラシですね。
312若葉名無しさん :2000/10/15(日) 07:23
このスレ、まだあったのか。
本当に悩んでいる人、
人生相談板にでも逝くか、
あるいは宗教家や文士にでも
聞きなさい。
哲学は人はなぜ生きるのかに
答える学問ではありません。
313殺してはいけない :2000/10/17(火) 22:37
人間の体は数十億の細胞でできておりそれらは皆生命体である。
もし君が死ねば君は細胞殺しの罪で天国へはゆけない。
無限地獄の世界でのたうちまわるがいい。天罰じゃ!
314考える名無しさん :2000/10/17(火) 22:44
細胞の一つや二つ、毎日死んでるだろ?(ワラ
315考える名無しさん :2000/10/18(水) 02:03
>>312
そーだね。
私のお奨めは、ジョン・レノンのイマジンを聞きなさいだね。
気が休まるぞ。>1
316たま :2000/10/18(水) 02:09
・・・子孫を残す・・・ためかな?
317MNB :2000/10/18(水) 03:57
>>312
それじゃあどんな学問なの?
言葉をもてあそぶ学問なの!
318zzz :2000/10/18(水) 15:20
>>317
そうだよ。こんなとこ来ても具体的な意見なんか聞けないよ。
だいたいテツガクなんてなーーーーーんのやくにもたたないの。
319通りすがり名無し :2000/10/18(水) 15:36
俺も一度聞いてみたかった。哲学ってなんなの?
哲学的でない答えをくれ。
320考える名無しさん :2000/10/18(水) 15:40
「原因」探しに夢中になってると
大切な事を見失ってしまうよ。
321考える名無しさん :2000/10/18(水) 17:24
日本の大学人のほとんどは「哲学研究者」です。
一般的な意味の「哲学」を期待していると
ちょっと違うことになるかもしれないですねー。
322考える名無しさん :2000/10/18(水) 17:36
>>319
「哲学ってなんなの?」てことを考えるのも哲学の仕事なのです。
323考える名無しさん :2000/10/18(水) 18:02
哲学とは、あらゆる思考活動から、既製分野として存在する
学問、研究をさしひいた残りの部分である。

一言で言えば、学問の残り滓。
しかし、残り物には福があるのか、それで飯が食えたりするのが
現実。
324MNB :2000/10/18(水) 18:15
>哲学は人はなぜ生きるのかに答える学問ではありません。
それじゃあどんな学問なのか早う答えて。
>「哲学ってなんなの?」てことを考えるのも哲学の仕事なのです。
そんなの仕事にせんでええ。ごたごた言わんと「人は何故生きるのか、生きる目的は何なのか?」に答えて頂戴。
325考える名無しさん :2000/10/18(水) 18:33
お母様から聞かなかつたかしら。

おまえは一流大学に入つて一流企業に入つてきれいなお嫁さんをもらつて
幸せに暮らして、そして死ぬために生きてゐるのだと。
326325 :2000/10/18(水) 19:04
「おまゑは」のほうが良かったか。

324氏が本当にやりたいことは、哲学をやってる人間(そんな人間がいるのかどうかしらんが)
を言い負かしたいだけであって、本当に人生の指針を聞きたい訳ではないだろう。

つーか、ここで聞けたとして、従うのか?その「生きる目的」に。
327MNB :2000/10/18(水) 19:24
>>326
大変有り難い御指摘、痛み入ります。
人生の指針にしたい訳ではありませんが、本当に聞きたいのです。
その答えがここで聞けたとしてもそのまま従うつもりはありません。
しかし、聞くことの出来た答えに真剣さを感じ取れたとき、謙虚に参考にしたいと思っています。
ですからよろしく。
328MNB :2000/10/18(水) 19:46
>>326
327に追加です。
>哲学をやってる人間(そんな人間がいるのかどうかしらんが)を言い負かしたいだけであって-----
とありますが、少し違います。本音は、こんな基本的な事にまともに答えてくれないいわゆる哲学者に対して
幾分軽蔑の念を抱いておりその事を表明した、というところです。
329325 :2000/10/18(水) 19:47
325はそれなりにまじめに答えたつもりだが・・・

言い方はあれだけど。それ以上の生き方があるのかい?
330MNB :2000/10/18(水) 20:06
>>329
325について
反語的表現としてとらえていましたが、違うんですか?
もし万が一そうでないとしたら、以下が私の思いです。
  もし再びこの世にやって来ることがあっても、
  そのような事を目的として生きたくはない。
331考える名無しさん :2000/10/18(水) 20:20
なるほど、世の中的な幸せなど、くそくらえであると。

でも良く分からないな。そこまではっきりした価値観を持っているなら、
なおさら聞く必要もなさそうだけど。
結局、「他人」に何が聞きたいの?「自分」にではなく。

む。もうこんな時間か。帰ろう。
332EZ :2000/10/18(水) 20:48
>本音は、こんな基本的な事にまともに答えてくれないいわゆる哲学者に対して
>幾分軽蔑の念を抱いておりその事を表明した、というところです

暗いと不平を言う前に進んで明かりをつけましょう。
誰も明かりをつけられないと感じるならなおさらご自分で。
それしか方法はないと思いますが。
333考えない名無しさん :2000/10/18(水) 21:25
>>330
じゃあマジレスします。
生きていることそのものに意味はないし、目的もないです。
人間の人生は「〜をするために生きる」という文でまとめることはできない。
君はありもしない人生の目的を前提にして「人はなぜ生きるのか、目的は何かに
答えろ」とずっと言うだけで、「生きる」ということがどういう状態なのかを考
えたことがないんじゃないか?

334MNB :2000/10/18(水) 22:04
>>331
世の中的な幸せなど、くそくらえではありません。金は欲しい。きれいなだけのお姉さんは
外見が好きです。そうでないお姉さんはそうでないところが好きです。この世にはやれば楽
しい事がいっぱいあってどれも全部出来たらいいなと思います。私には関心のある事が多過
ぎる程です。
しかし、そうだからと言って「何のために生きているのだろう」という疑問を持つことが不
自然で、不謹慎な事とは思いません。むしろ価値観という言葉を使用する方が不自然かなと
感じます。

>結局、「他人」に何が聞きたいの?「自分」にではなく。
と御指摘ですが、自分の中に疑問点に答え得る能力を持ったもう一つ別の高次の自分と言う
ようなものを見出すことが出来ません。そのようなものを捏造する気もありません。従って
自分には聞くことが出来ません。
仮に、そのような自分を発見できたら、自分に聞くという事を意識するまでもなく、答えが
有る無しを含めて即座に得られることでしょう。
「他人に何が聞きたいの?」とお尋ねですが、他人が「生きる目的は何か?」についてどう
考えているかを知りたいのです。これを自分に聞いたらアホです。

ところで、331さんは自分に答えてくれるよそよそしい自分を自分の中に住まわせているの
ですか?その人は331さんとどのように違うのですか。何か分からない事があるとホイホイ
と出てきて質問に答えてくれるのですか?
335MNB :2000/10/18(水) 23:07
>>333
333様、あなたはすごい人ですねー。超能力を持っているのですか。
>君は----「生きる」ということがどういう状態なのかを考えたことがないんじゃないか?
とおっしゃいますが、実はそうなんです。それ以前に「生きる」ということがどういう状態なのかを考えると言う事が どうゆう事なのか判っていないのです。是非教えて下さい。
*** 宣言します ***
私は、--「生きる」ということがどういう状態なのかを考える--という意味がよくわかりませーん!!
336考える名無しさん :2000/10/18(水) 23:38
おまえら厨房か?
337考えない名無しさん :2000/10/18(水) 23:45
>>335
君はまるで、神様だかDNAだか知んないけど、そういうモノが勝
手に決めた「人間の目的」みたいなのがあって、それにしたがって
人間は生きるべきだと考えているように思えるんだわ。
そうじゃなくて、別に目的に直線的に向かっているのではなくて、
欲望やらなんやらの後押しを受けながら無目的に歩みを進めるよう
な放逸なものだと。
そういう状態こそが生きるということじゃないの?と言いたかった
んだが。
説明足らんかったらゴメンな。ていうか行間読め。
338MNB :2000/10/19(木) 01:07
>>336
>おまえら厨房か?
の意味がわからん。説明しとくれ。
339考える名無しさん :2000/10/19(木) 01:15
いやです
317の論理構造
(1)哲学は生の目的を教えてくれる学問である
(2)ところが、312はこの前提(思い込み?)を真っ向から否定している
   そうされると困るので、
(3)逆ギレする
 317よ、哲学が生の目的を教えてくれるはずだと考える根拠を示せ
 312は、317に彼の前提が間違っている理由を教えてやってくれ。
341MNB :2000/10/19(木) 02:58
>>59
>>337
59様、337様
ご両人様が同一人物かどうかは判りませんが、はぼ同様な意味合いの事を述べておられるものと思います。
私もそのように考える事がよくあります。具体的には

 .なぜ私は私の人生に意味付けをしたがるのか?
 .そのようなとき自分は本当に真摯な態度で自分について考えているのか?
  片目をつむって自分を見ているのか?
 .目的、意味、価値というものが言葉によって他から与えられる事を望んで
  いるのではないか?
 .神という他人、社会という他人、不特定多数の他人、外的権威としての他
  人、自分の中にでっち上げた他人、これらの他人からの無言の要請を待ち
  わびているのか?
 .本当は「生きる目的はなんなのか?」が知りたいのではなく、他人から自
  分がどのように期待されているかを知りたい、という事なのか?
 .要するに他人に良く思われたい、良く評価されたいだけなのか?

等です。他人から良く評価されたいという欲望を持っている限り「生きる目的はなんなのか?」に関するまともな答えは得られないのかなーとも思います。
しかし、この世で密かに黙々と、しかし光を放って生きている人々がいる事を知るとそのように結論付けてしまう事は安易すぎる様にも感じているのであります。
そこで皆様がどのように考えておられるのか知りたいのです。
342MNB :2000/10/19(木) 03:06
312は340の要請に答えてやってくれ。
343test :2000/10/19(木) 03:08
(~~)
344考える名無しさん :2000/10/19(木) 04:06
>「生きる目的はなんなのか?」
1や341がそれを考えること自体をバカにしてる人は
あまりいないと思います。問題は、それが哲学板に
ふさわしい話題かどうかですよね。
とりあえず、カントの二律背反のところを読んでから
もう一度来てください。
いまの状態、話が全然かみ合ってないこと、分かってます?
345生きる目的とは何か、の答え :2000/10/19(木) 07:19
誰もちゃんと答えてないみたいだから
1さんが読んでるかどうかわかんないけど
いちおう答えておきます。

人生の目的は、幸福です。
なぜ生きるか?幸せになりたいからです。

幸福とはなんなのか、という問いの答えがそれぞれ違っていても
幸福をめざしていることには変わりない。
でしょ、あなたも幸福になりたいのでしょ。
もし人を殺すことでしか幸福を得られない人がいるなら殺せばよし。
それで法に裁かれて死刑になるとしてもよいのだったらね。

私は「真の幸福とは何か」なんて言いませんよー。
だって、その答えを提示してしまったら宗教と化してしまうからね。
あなたにとっての幸福とは何か、の答えはあなた自身の考えで
ださないと、ただの信者です。
信者はなぜみっともないか?自分の頭でものをかんがえてないからです。

幸せは既に持ってるものの中にあるかもよ。
犬だって猫だって幸福のために生きているよ。
や、ハエでもミミズでもそうだ。
欲望は幸福を得るためにある。
だから欲望を満たすためってゆうのも間違いではナイですよ。

人に評価されたいという欲望ですらも
自分を幸せにするためにあるのですね。
や、むしろ、疑問を立てるべきなのは
「人に評価されたいと欲することを、自分が卑しく感じてしまうのはなぜ?」
というところなんですが。
そこがわかればちょっと割り切れるんじゃないですか?>341さん
346考えない名無しさん :2000/10/19(木) 08:50
と、いうふうに。
大概の場合、345のようにイデア的な「幸せ」という得体の知れない「何か」を
「人生の目的」として自らに課し、一生の間に得たのか得なかったのか解らない
ような妙な満足感と不満足感を抱えながら生きていくのです。
345の答えかたというのは、一見して全く無難な答えですが、哲学、倫理学上で問
題にされている「欲望」や「他者」、「生きている」という諸問題をすべて「幸福」
という謎めいた言葉に回収し、結局人生というものを目的論に縛り付けてしまうの
です。
347名前 :2000/10/19(木) 11:51
ううーん、僕は「幸福」=「安心」と「満足」の両立と考えているけれど
それではダメすか。
一般的には「幸福」は得体のしれないものとして解釈されているのですね。
それは「絶対的普遍的な幸福」というものが無いと判断されやすいという
ことでしょうかね。
それなら僕は「不安のない安心」「不満のない満足」の両立として、
「不幸でない幸福」を挙げることができますよ。
もっとも、先に安心と満足の両立としての幸福をみとめてもらわんと
いかんのだけど。
348名前 :2000/10/19(木) 12:44
あ、僕345書いた奴です
これからコテハンにします。
349zzz :2000/10/19(木) 12:50
結局あれか?テツガクって至極単純なモンダイを
複雑怪奇なモノに変える学問か?
あんだけ屁理屈こねたアゲクに出た答えが>>345か?
いやァーーまいった。テツガク。
350考える名無しさん :2000/10/19(木) 12:54
345(=名前)は新参者だよ。
351zzz :2000/10/19(木) 13:05
ごめん。テツガクって屁理屈をこねるのがお仕事なのか?
答えなんかわりとドーデモイー・・・とか?
352考える名無しさん :2000/10/19(木) 13:05
今までの編集。出来るだけ公平になるようにしたんでもう少し絞込みが必要かも

>>4 >>5 >>10 >>17>> 21 >>29 >>36 >>41-46 >>57 >>60-69 >>124 >>185 >>263 >>267 >>268
353考える名無しさん :2000/10/19(木) 13:06
354考えない名無しさん :2000/10/19(木) 14:32
>>347
「幸福」という概念が常に主観的であることを考慮してください。
「私は幸福であるか」という問いに答えられる人がいるとすれば、それは
「私」だけでしょう。しかも、その答えも確かではありません。安心と満
足というものは数値的に比較できるものではないので、主観的に判断する
しかないということになります。
結局のところ、安心と満足の両立が人生の目的だとするならば、人生とは
主観的に判断して自己満足が得られればそれで良しということになるので
はないでしょうか。
この答え方では「人は何故生きるのか?人生の目的とは何か?」という問
いの真摯な答えとは言い難いと思います。自己満足というものも結局その
人の考え方次第ですし、そもそも考え方次第で人生の目的が達せられたと
することができるならば、誰も「人生って何だ?」なんてことをウジウジ
考えたりしませんし、他者問題で悩んだりしないはずです。
この永久ループは、結局のところ、人生というものに目的論的な価値を見
出そうとすることに起因するのではないかと思いますが。
仮に人生において安心と満足が両立できなかった人がいたとして、その人
の人生は「生きる価値のない人生だった」と言うことができるでしょうか?
人生ってのはそれほど簡単に割り切れるものでしょうか?
355MNB :2000/10/19(木) 14:35
>>344
> --- 問題は、それが哲学板に ふさわしい話題かどうかですよね。---
あんたもそう考えるの?。無学な俺にはそれが判っとらんのだ。だから哲学ってどういう学問なのと聞いているのに、それにも答えてくれませんのですねー。

> --- とりあえず、カントの二律背反のところを読んでからもう一度来てください。---
そんな言い方しないで頂戴。量子力学を勉強してから来い、相対性理論を勉強してから来い、聖書を読んでから来い、仏教を勉強してから来い、国際情勢について勉強してから来い、コンピュータについて勉強してから来い、環境問題について勉強してから来い、-- そういう事を無学な私に要求する発言自体が変だという気がしませんか?
カントの二律背反について良く理解しているのなら、あんたがその理解を基にこの場に合った自分の言葉を使って説明してくれれば良いのではあーりませんか。

> --- いまの状態、話が全然かみ合ってないこと、分かってます?---
話がかみ合わないのは今に始まったことではない。かみ合わない事を認めながらも話を進めるのも無意味ではない。高尚な言葉の意味希薄な組合せを羅列して有意な気分に浸っているよりはよほど有意義であると思いませんか。
356考えない名無しさん :2000/10/19(木) 14:45
>とりあえず、カントの二律背反のところを読んでからもう一度来てく
>ださい。
っていうのは、一番基本的なことを知ろうとせずにどういう学問かを教
えろなんていうのが間違いってことを言おうとしてるんでないかい?
掛け算九九を知らない人間が「アインシュタインなんか意味がねー」っ
て言ってるようなもんだよ。
と言ってる俺もカントなんか読んだことないけどさ。
357>355 :2000/10/19(木) 14:54
無学な俺から見たら、あんたは理解する努力を放棄しているだけ。
口数は多いけど>>355を一言でいうと、
「俺にも分かる話して」っていってるだけじゃん。
ここが雑談板じゃなくて哲学板だって本当に分かってる?
それなりの蓄積がある人間と専門的な話をしたいのは、
あたりまえだと思うのですが。
以上、横レスごめんなさい。
358MNB :2000/10/19(木) 15:26
>>332
EZ様 平凡に見えますが私にとっては貴重な御意見有り難う御座います。
私は不平を言っているわけではありません。もっと明るくしたいという事です。
しかし実はものがよく見えないのは、私の目が悪いせいなのか、明かりが足らないせいなのかも判っておりません。
私の目が悪いせいだとすると、どのようにして自分で直せばよいのでしょうか。
明かりが足らないせいだとするなら、もっと明るい蛍光灯か電球に変えるべきなのでしょうが、お金で買うことになるのでしょうか。どの店屋に行ってどのメーカの物を買えばよいのでしょうか。もし自分でやるとすれば、電球作りと発電所造りをしなければならないのでしょうか。発電所は造らなくても太陽電池ならもっと小規模に実施できると思いますが直流電圧を100Vの交流電圧に変換するための変換器も自分で設計し、その中に使われるトランジスタやトランスなんかも自分で造らなければならないのでしょうか?いずれにしても金と交換と言う事になるのでしょうか?

冗談を言っているわけではありません。
359>357 :2000/10/19(木) 15:34
別に素人がこの板に来っていいじゃんか
その為のUchだろ?(違うか)
無知な人間に割り込んで欲しくないスレはあるけどね
このスレは問題ないでしょ?
雑談スレッドもあるし
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=966310084&ls=50
360考える名無しさん :2000/10/19(木) 15:42

過去ログを見ると、このスレがいかにレベルが下がったかが
よくわかる。
361>360 :2000/10/19(木) 15:51
短に代理犬と剣豪がいただけの事だろ?
今だってあの二人が出りゃレベル上がるわ
362MNB :2000/10/19(木) 15:57
>>357
 >無学な俺から見たら、あんたは理解する努力を放棄しているだけ。
おや、あなたも無学ですか。お互い無学な者ですが、無学さの程度を競い合うのはやめましょう。でも無学な者が学のある者の中で発言する事の難しさは判って頂けていると思います。
御指摘のことは事実です。ここで発言されている内容を全て発言者の真意に立って理解する事は、私にとって非常に難しい事です。有る程度の困難さを感じたときには理解する努力を放棄しています。それで悪いか?

 >口数は多いけど>>355を一言でいうと、「俺にも分かる話して」っていってるだけじゃん。
そうです。そのとおりです。あなたは無学ではない。

 >ここが雑談板じゃなくて哲学板だって本当に分かってる?
哲学板である事は判っていますが、その前に哲学がどういうものか判っていないのです。それで哲学ってどういう学問なの、って聞いているのですよ。
363考える名無しさん :2000/10/19(木) 16:00
>>362
それじゃあ別スレに行けよ
364考える名無しさん :2000/10/19(木) 16:04
>>359
ここの君、「僕もお話に混ぜてー」とか言って話の輪の入ってきたくせに、
「俺に理解できない話をするな!」とか言って逆切れ。
君がいなくなってもここのお話は進行するんだし、
雑談スレで質問君に徹したら?
興味は有るが理解できない事物は自分で調べる。普通そうでしょ。
それができないなら、君と哲学との縁はその程度。
周り見渡せば面白いものは他に沢山あるんだし、諦めた方がいいよ。
365>364 :2000/10/19(木) 16:08
雑談スレで質問しても誰も答えないじゃん
>>359が自作自演と決めつけるのもどうかな?
366MNB :2000/10/19(木) 16:08
>>360
無学な私からみれば難解な言葉を用いる人が少なくなっただけでレベルが下がったとは思いませんが。
360さん、レベルの高いところで一発明快な回答をお願いします。ただし本当に有益なのを!
367364>MNBさん :2000/10/19(木) 16:11
イタタ、>>359ってただの野次だったのね。ごめんなさい。
これからちゃんとカルシウム取ります。
じゃ、逝って来ます。
368EZ :2000/10/19(木) 16:11
>私の目が悪いせいだとすると、
>どのようにして自分で直せばよいのでしょうか。

旅先で、「自分で治そうとして治らぬ病なし」と書かれている看板
を目にしましたが、参考になりますかどうか。不治の病があること
も事実ですが、そこから奇跡の生還を果たす人もいるようですので。

>明かりが足らないせいだとするなら、もっと明るい蛍光灯か電球に
>変えるべきなのでしょうが、お金で買うことになるのでしょうか。

光明を与えてくれる知識を得るために、お金が必要となる事は多々
あるかと思います。その知識が遠い海外にあるのがわかれば、そこ
までいく旅費が必要でしょう。そこの言葉に明るくなければ、通訳
や翻訳家をお金で雇うしかありますまい。

>どの店屋に行ってどのメーカの物を買えばよいのでしょうか。

良い買い物は、失敗した買い物もたくさんしたのち、初めてできる
ものではありますまいか。

>もし自分でやるとすれば、電球作りと発電所造りをしなければなら
>ないのでしょうか。発電所は造らなくても太陽電池ならもっと小規
>模に実施できると思いますが直流電圧を100Vの交流電圧に変換する
>ための変換器も自分で設計し、その中に使われるトランジスタやト
>ランスなんかも自分で造らなければならないのでしょうか?いずれ
>にしても金と交換と言う事になるのでしょうか?

MNBさんの目的に賛同してくれる仲間を集める事ができれば、
分業する事が可能になるのではありませんか。
リーダーは貴方です。
369MNB :2000/10/19(木) 16:14
>>363
あまりに短い文章なので理解できませんでした。
370箱男 :2000/10/19(木) 16:59
なんかムズカチー言葉で修飾しないと成り立たない学問みたい。
昔々のエラーイ哲学者様はこの問いになんて答えてんの?
371考える名無しさん :2000/10/19(木) 17:07
おいおい。ここは幼稚園か保育園じゃねえーぞ
372箱男 :2000/10/19(木) 17:26
ぼく箱から出れない箱男・・・。
昔々のエラーイ哲学者様はこの問いになんて答えてんの?


373箱男 :2000/10/19(木) 17:57
箱から出れないぼくって役立たず・・・。
昔々のエラーイ哲学者様はこの問いになんて答えてんの?

374箱男 :2000/10/19(木) 18:10
ぼくの愛読書「みんなの哲学」・・・。
昔々のエラーイ哲学者様はこの問いになんて答えてんの?
375考える名無しさん :2000/10/20(金) 16:04
理由なんてなくたって死なないって
376電波猫 :2000/10/20(金) 18:10
哲学は何の為に生きるかに答えられなくても
何の為に生きるのでないかには答えられそうな気がしますけど>>312
377MNB :2000/10/20(金) 19:57
>>340
哲学板レベル向上不可能論者さま

>317よ、哲学が生の目的を教えてくれるはずだと考える根拠を示せ

との問いにお答えします。無学故あまり論理的には出来ませんが。
>>341で恥ずかしくも私事を述べましたように私は自分の中に、神、仏、社会、身近な知り合い、など無数の権威を持った他人を勝手に造り上げており、それらに無意識かつ漠然とではありますが、私を評価する特権を与えております。哲学者もその他人の一部に含まれています。そして私自身が何かを始めたり決意したりするとき、大抵これらの他人のご機嫌を伺って彼らに気に入られるかどうかを気にしている自分に気付きます。
自分で勝手に造り上げた他人に指図されるなんて何と馬鹿げた事だろう!と思っていますが、彼らもなかなか手強くて即時に退去させる事が出来ません。彼らの中の神と仏と哲学者が私に無言で言うのです。
  おまえはそれで本当によいのか?
  人生に屁理屈は必要ない。しかし
  何か重要な事を忘れてしまっているのではないか?

その重要な事とは何かについては黙して語りません。これはかなり正直に話しているつもりです。彼らは知っているのに答えない。その哲学者はもちろん私が勝手に造り上げて理想化したものでありますが、現実の哲学者も多少はその「重要な事」について知っているのではないか、と勝手に思い込んでいたのでしょう。
ですから、思い込みという御指摘は当たっているかも知れません。煎じ詰めれば、哲学が生の目的を教えてくれるはずだと考える根拠は何も無いと言う事になるのでしょう。

しかし、私は言いたい。哲学が生の目的を教えてくれるはずだと考える事に根拠など必要なのか、と。
でもこれは私にとってあまり重要ではありません。彼らを抹殺する事の方が遙かに重要です。もし御存知でしたら、有効な方法を教えて下さい。
378考える名無しさん :2000/10/20(金) 20:23
325および331です。
帰る前に覗いてみたら、結構レスがついとるね。

自分に聞けというのは、人に聞く前に自分で考えたら?
つーことを婉曲に言ったつもりですが伝わらなかったみたいね。
しかし、二重人格みたい話が出てくるような流れでしたっけ。

330のような過剰反応は、おかあさまとかいう単語を出したせいかな。
後で正反対のこと自分で言ってるし。別にマザコンであることは恥ずかしいことではないと思うが。

君が求めるよーなことは宗教が全部備えてますから、そっちに行ったほうが、
のちのち精神的に安定すると思いますよ。
さて帰ります。今日は良く働いた。
379MNB :2000/10/20(金) 22:33
>>378
そうですか、過剰反応でしたか。何か不快感を覚えられたのなら謝ります。

あなたのお母様からの伝言です。
  XXちゃん、あなたはいつも
    む。もうこんな時間か。帰ろう。
  とか
    さて帰ります。今日は良く働いた。
  とか言って帰って来るそうですけど、お仕事大変なのねー。
  がんばってね。いつもお母様が見守っていてあげるから。
380考えない名無しさん :2000/10/20(金) 23:19
>彼らを抹殺する事の方が遙かに重要です。もし御存知でしたら、有効
>な方法を教えて下さい。
んだよ、結局「哲学勉強せずに哲学叩きやりたい」ってだけじゃねぇか。
「哲学が生の目的を教えてくれるはずだと考える事」自体は別に構わん
が、それがそもそも間違いだってしつこいほど言ってるのに。
381MNB :2000/10/21(土) 01:14
>>380

>結局「哲学勉強せずに哲学叩きやりたい」ってだけじゃねぇか。
なんでそう言う結論になるのか理解できん。学のない俺でさえかなりの努力をして説明しているのに、あんたの380は短すぎる。
ところで、考えない名無しさんと言う名前の人はすべて同一人物と考えて良いのか?もしそうだとしたら、あんたの過去の発言に対してはうなづける部分が多い。
しかし380のような発言を読むと別人かもとも思う。とにかくこれは理解できん。

>「哲学が生の目的を教えてくれるはずだと考える事」自体は別に構わん
>が、それがそもそも間違いだってしつこいほど言ってるのに。
その間違いと言う事が俺にはそもそも判っとらんとしつこいほど言っているのに、なぜそれを無視するのだ?「哲学が生の目的を教えてくれるはずだと」期待する事を禁止する哲学規定のようなものがあるとでも言うのか?どこかのエラーイ先生が仰っているのか?そんなものは俺には関係なーい。
それとも真意は、こんな所に来て馬鹿ども相手にくそ真面目に話しても何にも得られないよ、と言いたいのか?
俺はそうは思っていない。馬鹿な事を言う奴もいるけど、成る程と思えることを聞くこともできる。学のあんたにはウンザリするようなレベルの低い発言であっても俺には有益ということもある。


何で此処は紛らわしい名前を好んで使うのか?金魚のウンコみたいに「名無しさん」という呼び方をズルズル引きずっているのか?
382考える名無しさん :2000/10/21(土) 03:05
>MNB
つか、おまえも匿名じゃん。
ネタじゃないのかという疑惑は捨てきれないが、
万一マジだったら寝覚めが悪いので一応レスしておく。

哲学がなぜ人生の問題に答えないのかについて。
340の要請に312はどうやらレスしていないようだが、
カント読めという意見がほかにあったな。二律背反のところは
あまり適切じゃないかも知れないのだが、仮にそこをマクラに
して、専門用語を使わずできる限りかみくだいていえば、こうなる。

学問っていうのは、感情や偏見ではなく、人間だれもがもってる理性を
拠りどころにして物事を考えようとする。哲学ももちろんそうなのだが、
具体的なモノを相手にする学問じゃないだけに、一見理性的な議論に見えて、
実は内実の怪しいものもあるわけだ。二律背反(の箇所を含む純粋理性批判の弁証論)
のあたりでカントは、そうゆう怪しい議論をコテンパンにやっつけてる。
たとえば、世界は空間的時間的に閉じているのか、それとも無限なのかという
問題をとりあげよう。この問題について「哲学的に」考えてゆくと、
世界は有限であるという結論も導きうるし、無限だという結論も導きうる。
これら二つの結論は、ともに理性を使った正しい推論の結果だから、
間違ってはいないはずだ。にもかかわらず、互いに両立し得ない結論が
二つ出てきてしまうことになるから、これは非常に困ることになる。
(続く)
(続き)
このたとえでカントが言いたかったのはだな、理性を使って考えるといっても、
考えきれない領域もあるってことだ(だから理性の「批判」なのだ)。そうゆう領域で
まじめに議論しようと思っても、相反する結論が出てきてしまってにっちもさっちも
行かなくなる。理性的に物事を考えようとするなら、その理性が及ばない領域にまで
思弁の範囲を広げてはいけないってこと。
人生は何のためか、なんて問題も、同じだと340はいいたいわけ。
お分かりいただけたか?

ちなみに、おれの意見。「人生の目的はセクースだ」といってる奴と、
「いやいや、神の許しを求めることだ」といってる奴とがいるとして、
どちらの意見が正しいかなんて、第三者が判定できるものじゃないでしょ。
それを判定するのは、極端にゆうと「あぁ、眠い」と「ギコギコハニャ〜ン」とでは
どっちが正しいか、とゆう問題設定と同じになりかねない。
哲学は伝統的に、真偽を問える事柄だけを命題と呼んで来たわけだが(例外もある)、
おれの考えでゆうと、人生の目的を語った文章はどれも真偽を問えないんじゃないかな。
だって、真理ってゆうのは、誰にとっても、またいつの時代でも成立するもの
でなくちゃいけないと哲学は考えるのだが(例外もある)、人生の目的セクース派と、
ハレルヤハレルヤ神様大好き派とが論戦して、片方がもう片方を説き伏せるようなこと
はできないだろうから(またそれはやってはいけないことだろう)。

もう少し書こうかと思ったが、マジレスした俺がバカみたいにも思えてきたので、
この辺にしとくよ(でも、こんな自分がちょっといとおしい)。
>381
もう一言だけ。2chの匿名性をえらく気にしているようだが、
ここはそうゆうところだ。「おれは正々堂々と名前をだすぜ」などと
ぶちきれて、自分の個人情報を流すようなことだけはやめてくれ。
386名前 :2000/10/21(土) 04:43
話が別方向で盛り上がってるところですみませんが取り急ぎ354さんに
レスさせてください。
哲学板レベル向上不可能論者さんにもレス書きたいけど、とりあえず、あとで。
まあ厨房の戯れ言だと思って大目にみてくださいな・
僕がレス書くとれう゛ぇる下げちゃうみたいだけど、ムツカシー言葉は
ムツカシ過ぎて扱いづらいので、ここでは僕の言葉でかいちゃいマス(アセ

>「幸福」という概念が常に主観的であることを考慮してください。
幸福という概念が常に主観的だという根拠は、数値的に比較できるものではないという
ことだけなんですか?「主観」と「主観的」の混同もみられるのですけれども。
幸福を指数で表示しようと思えばできます。いや、「幸*の*学」じゃないですけどね。
仮に、相対的幸福と絶対的幸福というものがあるとして、両者を比較してみましょう。
相対的幸福といえるものは、たとえば自分が10円持っているのと100円持っているの
ではどちらが「より」うれしいかということです。たとえば
1位になるのと2位になるのとではどちらがうれしいかということです。
競争に勝利する、より多くの財産を得る、という「何かと比較して、より幸せである」
というものですね。人によって比較対照や基準の違いこそあれ、
「より幸せである」という状態が「ある」のは間違いないですね。
だから、「より幸せになりたい」と欲して行動するわけですね。
(長いので分割)

387考えない名無しさん :2000/10/21(土) 04:47
>>381
>彼らを抹殺する事の方が遙かに重要です。もし御存知でしたら、有効
>な方法を教えて下さい。
380を書いたときは気づかなかったが、多分俺がこの文の文脈を取り間違えたんだと
思う。この「抹殺する」対象を、俺は前段落の「現実の哲学者」や「哲学」そのもの
と読んでいたんだけれども、落ち着いて見返すとこれは「妄想として抱いていた哲学
者」や「神や仏」の「抹殺」なんだな。俺はてっきり哲学そのものを抹殺すべきとい
うふうにいってるんだと思い込んだためあのような書き込みをしてしまった。
これは完全にこっちの落ち目なんで謝ります。申し訳ない。これで俺も学が無いとい
うことを晒してしまったわけだ。
ただ、「哲学が生の目的を教えてくれるはずだと考える事」がそもそもの間違いだと
いうことの説明については俺は一度もそれを欠かしていないはずだ。というか、むし
ろ俺はその一点についてしか書き込みしていない。
「哲学規定」(?)なるものがあろうが、「エラーイ先生が仰って」いようが、そん
なもん俺にとっても関係ないし、クソ真面目に話すことに意味がないとすれば最初から
マジレスしない。っていうかこういう煽り文句はホントに頭悪そうに見えるよ。まぁや
りたきゃやりゃいいんだけど。
あ、断っておくが考えない名無しさんは今んとこ俺だけだ。
388考えない名無しさん :2000/10/21(土) 04:47
>>381
人生に目的論的な価値を与えることによって、人はとりあえず
自らの生に全体性を設定できる。始まりから終わりまでの「私
の生」を、目的へ向かうはっきりした直線として描きだせる。そ
うすることで、私は人生で迷う必要が無くなる。そして、この「
人生への目的の付与」は誰もが欲するところのものだ。人生に
迷いたい、などと思う人間は誰もいない。
ところが、ここには欠陥がある。それは、もともと人間そのもの
には「目的がない」ということだ。これはちょっと考えれば推測
できる。石ころは人間を躓かせるためにでも、投石に使われる
ためにあるのでもない。「石ころは何のためにあるのか?」とい
う問いに、答えがでることはない。この世界の中に「目的」とい
うものが生まれたのは、人間の誕生以降の話だ。つまり世界に
はもともと目的はない。人間が生まれて、初めて「〜するための
〜」というような目的付与すなわち意味付けが行われるようにな
ったわけだ。目的を与えるのは常に人間なのだから。
人生も同じで、目的は無い。楽しむためでも苦しむためでもない。
まして子孫を残すためでもない(生殖能力を失った後も人生は
続くのだ、生殖能力のない人間の生を指して、我々は「今のこ
の人の人生に意味はない」と断言できるだろうか?)。人生は
何のためでもなく、ただ「〜は生きている」ということしか問うこ
とができない。
人生とはもっと放逸で、散漫で、自由だ。
しかしそれにも関わらず、人生に迷う不安から、我々は我々自
身の人生にまで目的を与えようとする。
389考えない名無しさん :2000/10/21(土) 04:48

>>381
つまるところ、「人生の目的」と我々が呼びうるものはもともと無い。
したがって、「哲学は生の目的を教えてくれるはずだと期待する事」
は、「哲学は無いものを教えてくれるはずだと期待する事」となる。
これはいくら何でも無理がある。もともとないものを明るみに出すこ
とはできないのだから。つまり、「哲学は生の目的を教えてくれるは
ずだと期待する事」自体に、俺は口を差し挟むつもりは毛頭ないの
だが、「哲学は生の目的を教えてくれるはずだと期待する事」の「生
の目的」が無い以上、それは誤謬を免れ得ない、永久に実現不可
能な期待なんだと主張したいわけだ。この期待がそもそも間違いだ
と書いたのはこういう理由からだ。
俺は>>333>>337>>345>>354で、何回も「この期待の前提に
なっている生きる目的そのものが疑わしい」ということを言ってきて
いるはずだ。生きる目的というものが疑わしくなれば、この期待その
ものも疑わしいものだということにならざるを得ない。俺はそういうふ
うにしてこの期待の疑わしさ、間違っていると思われる点について
説明してきたはずだ。
俺がいつ説明の要求を無視してきたのか教えてくれ。

あと、名前は俺の勝手だろうが。ガキみたいにゴネるなよ。そういう
後付けしたような煽り方はまた別の煽りを呼ぶぞ。それとも罵倒スレ
にしたいのか?
本論を語れ。
390名前 :2000/10/21(土) 05:02
(386のツヅキ。)
さて、それに比べて「絶対的幸福」といえるモノはなにかとゆうと、
比較対照のないものです。自分の状態においても、他者との差違においても
比較しようのないものです。これをあなたは「心の持ちよう」「自己満足」
「主観的判断」と呼ばれたと思うのですが(違ってたらゴ・メ・ン・ネ)
これはもちっと理詰めです
「絶対的幸福」を「安心」と「満足」の二つの領域に分けたのは、
いわば精神面と肉体面のような二元的な分け方なんです
「精神の幸福」と「肉体の幸福」とゆってもいいんだけど、
「安心・不安」と「満足・不満」とゆったほうがわかりやすいでしょ。
「精神における欲求の充足」と「肉体における欲求の充足」でも
いいんだけど、どれにしても表現は完全じゃないんで勘弁してください。
要は、仮に二元的に分けてみたってことなんです
(以下、分割)
391名前 :2000/10/21(土) 05:44
ウザくてごめんなさい、390の続き。
僕が仮に「絶対的幸福」と呼ぶものについての解説は
ききたい人がいたら書くことにします。(いたらの話)
で、「幸福なんて主観的に判断するしかない」についての反駁なんですが
僕が「満足」と呼んだものが、
「単なる自己満足」と354さんが呼ばれたものとは違うということが
おわかりいただけたでしょうか?

ところで「幸福=生きる目的=生きる価値」とすれば
幸福でなかった人は生きる価値がないというわけですが
「自分は幸福である」という自覚を得られなければ、
僕に言わせてもらえるなら
当人にとってその人生は価値がなかったとしても仕方ないですなあ。
でもこれは他者から見て「あの人の人生には価値がない」と
言えるということではありません。
当人以外にその人生を意味づけすることは不可能ですよね、
だから人生の目的として共通項を差し出すとしたら
「幸福」であり、「幸福」とは何かを論じるしかないわけです
で、僕は僕の幸福論を持ち出したんですが
幸福論は数多あるので、決着をつけることはできないでしょうね。
でも、哲学の問いに答えが出ないというのは
答えが数多あり、自分はどう考えるかは人に決定されるものでなく
自分が決定するものだからでしょ?
人に決定されてたらそれは信者であって、自由意志ではない。
というわけで
「こんなことフシギだなあ」
「みなさん考えましょ、僕はこう考えます」
「その考えはこうゆうとこ矛盾してませんか?」
て言い合うのが哲学するってことなんでしょ?
もし違うんだったら
誰かこのショーガクセーにわかりやすく教えて。
392MNB :2000/10/21(土) 13:15
>>382
考える名無しさん
俺はハンドル・ネームを使わず実名で投稿せよと言っているのではない。ハンドル・ネームに「名無しさん」を付加している者が複数人いて紛らわしい。同じ名前でも同一人かどうか疑わしくなり、その先入観を持って応答すると話がややこしくなる。最初に使った人も迷惑していることでしょう、と言いたかったのである。

考える名無しさんは全て同一人物ですか?
393考える名無しさん :2000/10/21(土) 13:44
横レスですまんが、
>MNB
君は今までにどんな哲学書を読んできた? 別にそれで君を
バカにするつもりはなく、単に興味があるからだ。君の
個人的な「哲学遍歴」を聞かせてくれないか?

それから、上の「名前」とかいうやつは君の知り合いか、
それとも同一人物かね?
394哲学板はこのスレだけでいいや。 :2000/10/21(土) 13:55
遺伝子が自己保存プログラムだから。
増える事は目的でなくより確実に保存するための手段。
本能というのはその遺伝子の命令を各個体に対して命令する手段。
そして感情と理性が実際にその個体を動かすのです。
もちろん
本能、感情などは完全なものではありません。

こんなとこでどうでしょう。
395考える名無しさん :2000/10/21(土) 14:04
おれはMNBに聞いているのだが。
どうやら文体からして394=名前 らしい。

もしMNBからの返答がなければ、MNB=名前と取ってもいいのかな?
396MNB :2000/10/21(土) 14:43
>>383
>>384
>>385
哲学板レベル向上不可能論者様

 >ネタじゃないのかという疑惑は捨てきれないが、
判っているつもりであるが誤解があるとまずいので、まずこの文句の意味を教えてくれ。

カントの純粋理性批判、二律背反に関する説明有り難う。その理解は皮相的であるという人
が出て来るかも知れないが、おれは誠意のある説明として感謝する。照れ臭さをおして説明
してくれた事や、かみ砕いた表現にする努力に痛み入る。貴殿の言いたいことは分かった。
とりあえずは、お礼まで。
本題については、よく理解した上で後ほどまじめに答えようと思っている。


本題以外

 >もう少し書こうかと思ったが、マジレスした俺がバカみたいにも思えてきたので、
  この辺にしとくよ(でも、こんな自分がちょっといとおしい)。
その気持ちは理解できないではないが、そんなにカッコヨク振る舞うことを気にかける事も
無かろう。その裏には他のマジレスする者に対する嘲笑がうかがえる。

 >2chの匿名性をえらく気にしているようだが、
  ここはそうゆうところだ。「おれは正々堂々と名前をだすぜ」などと
  ぶちきれて、自分の個人情報を流すようなことだけはやめてくれ。
392にも書いたが匿名性を問題にしてはいない。
今まで少し自分の素朴又は幼稚な考えを出したかも知れない。その事について言っているの
か?自分の無知さを披露することになり気持ちのよいものではないが、話を進める上で必要
な場合もある。そのために嘲笑を受けてもあまり重要な事ではない。
それとも俺がこの先、ぶちきれて自分の個人情報を流すような事態に陥ることを心配されて
いるのか。そうだとすればご心配には及ばない。有り難う。
397MNB :2000/10/21(土) 14:53
>>395
考える名無しさん

 >もしMNBからの返答がなければ、MNB=名前と取ってもいいのかな?
だめ、だめ! だめー! ビックリさせないで下さいよ。
MNBは今のところ私だけ。「名前」という名前の人は別人です。
398考えない名無しさん :2000/10/21(土) 15:17
>>391
細かく検討するとすれば、まず正直言って、
>「単なる自己満足」と354さんが呼ばれたものとは違うということが
>おわかりいただけたでしょうか?
がよく読み取れません。
文脈から察するに、まず幸福は相対的幸福と絶対的幸福があり、相対的幸福
の場合は指数であらわすことができるので「より幸福」という状態がありう
る。だから、皆より幸福になろうとする。したがって幸福は自己満足という
だけではありえない。とそういうことでOKですか?
あと、絶対的幸福というものを私が「心の持ち様」「自己満足」と読んだが
それはもう少し理詰めされる話で・・・という話のくだりで、絶対的幸福が精
神的・肉体的充足に分けられるということは述べられていますが、それで絶
対的幸福と自己満足や主観的判断とがどう異なってくるのかが語られていま
せん。まあこれはご本人が省略されているのでそれほど重要ではないかも知
れませんが。
あと、私が主観と主観的を誤って使っている部分とはどこ指しているのでしょうか?

これらがはっきりしないと、ちょっと正確にレスすることができないと思います。
399哲学板はこのスレだけでいいや。 :2000/10/21(土) 16:04
くっ、む、無視かい!!
400MNB :2000/10/21(土) 17:10
>>393
考える名無しさん
 >君は今までにどんな哲学書を読んできた? 別にそれで君を
  バカにするつもりはなく、単に興味があるからだ。君の
  個人的な「哲学遍歴」を聞かせてくれないか?

MNBです。上記の質問にお答えします。(私もあなたが私をバカにしているとは感じてい
ません)
哲学板レベル向上不可能論者様の>>385のご忠告に従って、個人情報の開帳を控えさせて
戴きます。但し、以下の情報は個人にとって問題ないと判断されますので答えさせて戴き
ます。

哲学遍歴--? 何のことか理解できん。あなたは私のことを買い被っておられるようだ。
私は哲学に関しては本当に無学だ。過去の投稿で私が自分の無学さを嫌らしいほど何度も
言っているのは謙虚さを装う為ではない。そのように宣言しなければ私に理解できる返答
が得られないと思ったからである。私に取って(私に取ってを強調している)本当に意味
をなさない言葉が多いからである。この様に言うとまた哲学愛好者を煽っていると取られ
るかも知れないが、そのつもりではない。歪曲した謙虚さで自分を隠すことは防衛本能と
して当然と思うので、そのようにする人がいてもその事を非難するつもりもない(これも
悪く取られたくないのでしつこく)。
とにかくご期待に添うような哲学遍歴というようなものは私には無いと言う事である。

それではなぜ、この様な哲学板に来て稚拙な発言を繰り返すのか?という疑問を持たれる
事と思う。
それは俺がときどき「今まで生きてきたこの生き方で本当にいいのかなー?」と感じる事
があるからである。ただしそれは今までの俺の生き方に不満を感じている、人生をやり直
したいと思っていると言う意味ではない。自分自身を振り返ってみると自分なりに本当に
よく頑張ってきたと感じている。
しかし何か忘れているような気がする。それが何なのかを知りたいと思う。
他人の事はよく分からないけれど多分世の中の多くの人がそのように感じているのではな
いかと思う。ある人はその答えを宗教に求め、別の人は哲学に、科学技術に、異星人に、
それらを越えた超越的存在に、更に全てを包含する自己に求めているだろう。
しかし俺はどのような答えも鵜呑みにするつもりはない。あなたの求めているようなもの
は幻想であって実際には存在しないものである、と言う事も含めて鵜呑みにする事は出来
ない。それでは一生答えは得られないではないかと言う事になるかも知れないが、それで
もOK。しかし他の人はどうゆう風に感じ、どうゆう風に考えているのか、それを知りたい
と思うのは自然であり、そうする事は有益と思う。
それが此処に来た動機と言えると思う。他人を論理的に打ち負かそうなどという気はあま
りない。しかし理解できないことはせっかくのチャンスであるから満足できるまで聞きた
いと思っている。このような所で何を期待してもまともな答えは得られないよ、と仰るか
も知れない。それも承知しているつもりである。

以上がMNBの個人情報です。MNBに興味を持って頂けたようですがご期待に添えなくてすみません。
401考えない名無しさん :2000/10/21(土) 18:02
>>391
398はとりあえずおいておくとして、不正確かもしれませんが話を続けることにしましょう。

では、まず相対的幸福から。
あなたは相対的幸福と絶対的幸福というものを想定しました。したがって、この分け方に
沿って考えていきましょう。相対的幸福とは、つまるところ、指数によって量的表現が
可能な幸福というように私は読みました。
>自分が10円持っているのと100円持っているの
>ではどちらが「より」うれしいか
というようにです。
確かに、この例では、100円持っているほうが幸福の度合いは高いように思われます。
しかし、それはお金の量に限ってのことです。お金の量で幸福というものを計量する場
合という、極めて限られた場合にのみ適合するということです。
世界はそれほど単純ではありません。お金持ちだが、稼ぐことだけに没頭したあまり友
人つきあいがおろそかになるときもあるでしょう。お金はないが、たくさんの友人に囲ま
れている人もいるでしょう。マラソンに勝って1位になっても、練習に打ち込んで勉強が
おろそかになるときもあるでしょう。最下位になったとしても、他のことで優位を得る人
もいます。全てのことに優位を保っているパーフェクト超人みたいな人は、この世には
存在しません。
つまり人は、そのときのあらゆる事柄を考慮して幸福かどうかを判断しているはずなの
です。お金はあるが友人の少ない人が、お金はないが友人の多い人より、「俺は幸福
だ」と必ずしも思うでしょうか?「お金があるかないか」「一位か二位か」「友人が多いか
少ないか」というそれぞれのレヴェルでは順位付けが可能です。しかし、それらの諸相
が複雑に絡み合ったとき、すなわち現実世界では、数値による客観的な判断というもの
はたちまちのうちに主観的判断という、不安定な判断形式に回収されるでしょう。
確かに量的に多い(例によっては少ない)人のほうが、優位にあることは疑いを入れま
せん。しかし、あることについて優位であることが幸福かどうかということには必ずしも
直結しません。その時の自らの状態を総合的に判断して、幸福かどうかを判断している
はずです。そのとき「判断」を行えるのは、結局「判断する主観」のみです。お金を手に
入れたから俺はお金という点については幸福なんだ、なんて考える人は、単に開き直
っている人です。人生がお金という点だけで幸福だと判断できるならば、どれだけ人生
は楽なものでしょうか?
「より幸せになりたい」と欲して行動するという事に関しては、異存はありません。しかし、
そうやって行動して「さて、私は幸福になっただろうか」と顧みたとき、幸福かどうかをす
るのは私以外にないのです。

なぜかくも「主観」という言葉が用いられるか、それは、世界の開けの一番最初の入り
口は結局「自己すなわち主観」しかないからです。私は私の判断を通すことなく、世界
を見たり考えたり、ひいては自らについて考えたりすることはできません。
別に私は独我論者ではありませんが、「幸福」などを語る場合、「世界にいてそれを見
ている私」という前提が可能になるのは、結局主観を通してでしかないのです。
あなたは
>「絶対的幸福」を「安心」と「満足」の二つの領域に分けた
と言いました。これは「精神の幸福」と「肉体の幸福」に相当するそうですが、それでも
この主観の呪縛から逃れうるものではないと思います。これについては名前さんが省
略されているので言及は避けますが、これも自己の判断を通さないものではありませ
ん。
402考えない名無しさん :2000/10/21(土) 18:03

>>391
哲学のことに関して言っておきます。
結局、幸福などのようにきわめて観念的なものを前提として据える限り、我々は
主観というものに捕われ続けることになります。そうすると我々は他者問題やい
わゆる「主体概念」といわれるものを規定している他のもの、権力やら構造やらと
いったものを考えることが困難になります。ですから、一旦これらの観念を取り除
いて考えていきましょう、というふうに変わってきた、というのが現代の哲学の流
れです。
「人生の目的は何か?」などのことを話し合うのは学問の場において「哲学」と
は呼ばれず、「ボクのワタシの人生論」と見られるようです。ミツルやらノリヤスや
ら一昔前の「自分探しの旅」ってやつと同じようにです。まあそれでも構わないん
じゃないかとは思うんですが。別に私は私の考えを押し付けようとは思ってません
し、どんな考え方にも異論反論が生まれるのは当たり前のことです。私は名前さん
の意見に反立を立てようとしているだけですから。

最後に、
>「自分は幸福である」という自覚を得られなければ、
>僕に言わせてもらえるなら
>当人にとってその人生は価値がなかったとしても仕方ないですなあ
の部分ですが、ここだけは私が何よりもまず重きを置きたい部分です。私は別に
ヒューマニズムに駆られてこの一文に異を唱えようとしているのでも、「人生には
目的=意味はない」と言って人間の生を貶めようとしているのでもありません。
人間の生は幸福かどうかで価値が変わってくるようなものではない、もっと根本
的な生の肯定、「生きている」という事実だけでその生には意味がある、そうい
う生の肯定を言おうとしているのです。そこに目的論(=幸せかどうか)を持ち込
むことは、最終的にはその人の考えかたによって「私の人生には意味がなかっ
た」と思わせることにもなりうる、そういうことです。
403考えない名無しさん :2000/10/21(土) 18:50
>>399
あ、いや別に無視したわけじゃないのよ。
君の394の書き込みはある側面で正しさを持っている。
だからレスしようにもできなかった。
ある側面でというのは、生物学的機能の説明という側面で、ということ。
ただ、このスレのタイトル「人は何故生きるのか 生きる目的はなんなのか?」と
いう問いに限っては、「遺伝子が自己保存プログラムだから。」では、答えになら
ないのではないでしょうか。
この答え方は、人間の生物学的な、遺伝子機能の説明によるやり方なんだな。
このレスの問いは、人間の身体の、生物としての生きるメカニズムを問うているの
ではなく、むしろ人間が誰もが一度は疑問を抱かざるを得ないような、人間の生物
学的な側面を超えてあるような「人生」という「観念」というものを問うているわ
けだ。
だから、他の説明の仕方(脳内物質の流れが・・とか、DNAのプログラムが・・・)
とかそういった説明を迂回して、このスレの問いに沿う答えかたを皆は模索してき
たんですわ。
つまり、生物学的な答え方は真理としての答えを探し出す働きを確かにもっている
し、君の答え方は正しい。しかし、真理があるかないかすら不明であるような問い
(まさにこのスレの「人生の目的は?」など)の場合、それは生物学者の仕事の範
疇を超えてしまう。そういう領野こそ、哲学の受け持つべき領野だと思います。
404考えない名無しさん :2000/10/21(土) 18:55
長文駄文を連発して申し訳ない。少し書き込み控えます。
405考える名無しさん :2000/10/21(土) 19:41
ちがうんじゃない?
どんなつくりにしてもさ
それやそこが世界なら
やぱ こまるっつーか なやむっつーか
なんてーか
ただたんに ほのぼのしてるだけじゃすまないさそりゃさ
どこかいごこちわるくってさ
なにするでもなくそこにただたたずむっつーのができにくくてさ
それでいいじゃんさっていうけどさ
よくないんだよねーっていうかさ
わるくはないんだけどねーたしかにねー ただ
やっぱりねー
それじゃあさあーどうなんかねーていうかさー
だけれどもさー
ていうかさー
なんていうかさー やっぱわかんねえじゃん?
だけどわかるじゃんさーそういうのって
だけどわかるなんていえないじゃん、そうかんたんにはさー
だけどわかるし、わかるといいたくもなるときってあるじゃん?
だけどかんたんにいっちゃうとさーなんだかねー
ここまでかかった時間と空間の消費を考えちゃうじゃん?あほらしくなるじゃん?
こたえがあんまりかんたんなんでさーほんっとにあほらしいじゃん?
いやんなるけどさー でもま それでもいいじゃん?
いいわるいはべつにしてよー そういうことって あるじゃん?
ないわけでもないよそりゃ。それにあるわけでもないしね、そうかんたんにはさー
でもさーこれでも年だけはとってきたしさー
人間万事塞翁が馬っていうしー?っていうかー
どう物が転んでどう活きるかどう活かすかっていうかー あ 別に逝かしたっていいんだけどお?
そりゃまそうだけどさ それいっちゃあやっぱ おしまい?てかんじじゃん?
だからさー 今日も空元気っていうかー 萌え萌え〜 っていうかー???
落胆ていうかー?どろろどっていうかー?
ま そんなかんじやね!
406哲学板はこのスレだけでいいや。 :2000/10/21(土) 19:56
>403
返事アリガト
いや、しかしやっぱ哲学が生物、遺伝子学に歩み寄ろうとしないのは、
教会がガリレオを認めなかったのとおんなしだと思います。
味気ない言葉で哲学を語るのは抵抗あるけどもうそういう時期でしょう。

生き物がいないと、というかDNAがなければ宇宙に主観と言うものが存在しないわけだからね。
遺伝子に存在価値をあたえてるのはその存在そのもの。
「人生生きる目的」は一個の人間としての使命を与えられた条件(才能、環境など)
内ではたすこと、要するに生きる目的とは与えられた人生を生き抜くこと。
ってとこでしょうか。


407哲学板はこのスレだけでいいや。 :2000/10/21(土) 20:41
403の方書き込み控えないデー
返事聞きたいです。
408電波猫>406 :2000/10/21(土) 23:52
哲学って科学に歩み寄ってません?
自然科学の所為かに言及する事で正しい答えは出せなくても間違った答えは排除できる場合もあるわけですし
409考えない名無しさん :2000/10/22(日) 00:01
>>406
もちろんその通りだと思います。哲学は自然科学の分野を無視しつづけることはでき
ないのですから。
哲学は諸科学の影響なしに考える訳にはいきません。その時代の知の在り方を構成
するのは哲学ではなく自然科学である場合が多いからです。そういう意味では、やは
り哲学はミネルヴァの梟で、ある時代の知の構成が終わるころにやっと始まる学問だ
とも思います。ガリレオはなぜ今科学者として認識されているのでしょうか。それは、
真理が教会にではなく、ガリレオの側にあったからです。ガリレオは世界の俯瞰の仕
方を、キリスト教的世界像から、真理へ向かう世界像へと変わるきっかけをつくり、そ
うして知の構成は一変したのです。
さて、この場合問題なのは、哲学からの自然科学分野への関わり方です。
というのも哲学の側に、例えば脳生理学に対するアレルギー的な反応や、遺伝子学
に対する独特の敬遠みたいなものがいまだに残されているように思えるからです(だ
からといって唯脳論が真理のみを語っているとは思いませんが)。哲学は自然科学が
虚偽を語っていることを告発する事のみが仕事なのではありません。むしろ自然科学
に対して哲学が積極的な役割を果たしうるのは、「その学問が真理を語っているか否
か?」を問うのではなく、「なぜその学問を語るに至ったか?」等を問うことだと思いま
す。そしてこの仕事は、自然科学ではなく哲学に残されているといえるでしょう(飽くま
でも今のところは、ですが)。私が、生物学の範疇を超えてしまう領野というふうに言
ったのはこういうことを考慮したためです。
そしていずれ哲学は遺伝子学をもその地平に見据えるよう要求されるようになるでし
ょう。そのときでも、遺伝子学の真理を問うのは生物学の仕事ですが、「人が遺伝子
について問うということはどういうことか」「いかなる理由で遺伝子学が諸学問より優
位に立つようになったか」を問うことは哲学の仕事であると、私は考えています。返
事になっているかどうかわかりませんが、これが私の意見です。
410MNB :2000/10/22(日) 02:32
>>387
>>388
>>389
考えない名無しさん

大変失礼致しました。考えない名無しさんと言う名前の人が、複数人いるという先入観を
持っていたのと、ときどき考える名無しさんと混同したり、名前をよく見ずに語り口調か
ら判断したりして混乱しておりました。考えない名無しさんという人が全て同一人物であ
る事を知った上で過去の投稿を読んだり、388、389及び402を読んでようやく納得しま
した。話のスジは通っています。
私も相手に合わせて口調を変えていたので煽りと取られたようです。反省します。

>>388の内容に理解できない点がありますが、又今度質問します。

411考える名無しさん :2000/10/22(日) 02:42
どーでも良いことだが、長文のカキコをするときは、
改行を増やそう。読みにくくてかなわん。
小難しい話になると、漢字が増えるのはやむをえないが、
意識的に句読点を多用するとマシになるかも。
エディタで書いた文章をそのままコピペしてるのか?
投稿フォームにペーストしたあと、
ちょこっと手を加えてくれ。
412426 :2000/10/22(日) 19:24
>409「いかに生きるか」を考えるのが哲学の領域ってこと・・・でしょうか?
413考えない名無しさん :2000/10/22(日) 23:24
>>412
「いかに生きるか?」ということは倫理学や宗教の教えが応えようと
するでしょう。
とすると、むしろ「人が(いかに生きるか?)を問うということはどう
いうことか?」を問うことのほうが、今日では哲学的であるといえると
思います。
414名前 :2000/10/23(月) 03:03
いつのまにかこんなに盛り上がっちゃって、
おいてかれた。レス書かなきゃいけないけど、
遅筆なのであとか誰かの話に割って入っちゃうかも

>395
う、「哲学板はこのスレだけでいいや」さんは
僕とは違う人ですよ、誤解なされず。
文体より文脈で判断してくださいな、あれは1に対してのレスでしょ?
僕のとは明らかに違う見解しめしてるし。
僕は「名前」をコテハンにしたんで、それ意外のハンドルで
書き込みしてません、自作自演はしてないです。

長文は細かく改行加えます、ごめんなさい。
415名前 :2000/10/23(月) 03:52
>398
僕が「満足」と呼んでいるのがあなたが「自己満足」と呼ばれた
ものではなく、たとえば「肉体における欲求の充足」だということです。
一般的な意味よりやや狭い意味合いで「満足」という言葉を使ったと
言いたかったんですが。
ので、あれ自体は
「人生はそんな自己満足で簡単にすますことのできるものでは
ないぞ!」というあなたの意見に対する直接の反論ではないのです。

省略したのは確かにもっと言いたいことがあったからなんですが、
それについてもちゃんと書かないといけませんね。

「主観」と「主観的」の違いはおわかりですか?
まあ、簡単に言えばあなたが使った「幸福」という言葉を
僕が言う「絶対的幸福(仮)」の意味でとっているので
主観的、と言われたと思うんですが
幸福という概念は確かに主観ではありますが
必ずしも主観的ではありません。
客観的主観と主観的主観というものに分けてみれば
おわかりかと思うのですが、
僕の頭の中では
「相対的」は客観的主観の立場をとり、
「絶対的」は主観的主観の立場をとっていると
いうことになっております。

あなたが言った主観的判断の如何というのは、たとえば
「私が赤いと思っている色は、本当に”赤”なのか?
他人も同じ色を差して赤いというが、彼らがみている
赤い色と私がみている赤い色は、果たして同じもの
なのか?」という疑問が立ったとき、
「赤い」と感じることが「主観」であり、「この色は赤である」
と判断することが主観的主観であり、
「この色は赤と呼ばれている」が客観的主観である・・・
と、
余計わかりにくくなってしまったかな。
主観と客観についてのスレがあったらよかったんだけど。
主観についてのわかりやすい本があったら誰か教えてください。
それとも僕の「主観」に対する「主観的主観」は
まちがってるんでしょうかね?
まちがってるかどうかという判断も所詮は主観ですから、
主観への判断にはより客観的な主観を求められるという
ことになります。
人間の頭の中には、この意味での客観はありえません。
物事にまったく判断を加えない人間なんていますか?
あ、信者か(ワラ
416MNB :2000/10/23(月) 04:10
>>388
考えない名無しさんへ

貴殿の論旨は理解したつもりです。
 路上の石ころは人間を躓かせる為でも、投石に使われる為に在るのでもない。この石こ
 ろの存在目的が在るにせよ無いにせよ、この石ころが一般的に何の為に在るのかについ
 て議論する事には意味がない。生の目的も同様に、議論する事には意味がない。
という論旨と理解しました。

しかし私はそれでは本当に納得したという気分になる事が出来ないのです。
どんな場合にも小石の存在には意味は無いという事を前提として話が進められているよう
に思うからです。一般的な意味ではなく、私、あなたにとってという事になると話は違っ
てくるように思えます。
私やあなたが特殊な状況に置かれたとき物理的には一個の小石の存在が目的、意味を越え
て非常に重要になって来る事もあると思います。

小石の例ではピンと来ないので、貴殿が大変な苦境にあってどうしようもなくなっている
私を助けてくれたとしましょう。そして貴殿は私に恩を着せる様子もなく、黙って私の前
から消えて行ったとします。
私は貴殿に感謝しない訳にはいきません。感謝の念を停止させる事ができないでしょう。
貴殿がこの世に存在していると言う事は私にとって非常に意味のある事です。私は貴殿の
存在の意義、目的、意味などにつて何かを感じないわけはないと思います。そこには「意
義、目的、意味」など言葉の意味や定義を越えた何かも感じるでしょう。

現象としては、貴殿という人の形をした生物が私という同様な外形を持った生物に対して
何かを行った。その後、前者と後者の物理的距離は大きくなった、というだけの事です。
しかし、私は決してそのようには考えて済ましてしまう事はないと思います。

もちろん一般的な意味に於いて、貴殿が私を救う目的でこの世に存在したのでない事は分
かっています。個人的な意味に於いても、貴殿が私を救う事だけを目的としてこの世に来
た等とは思わないでしょう。しかし、それらを含めて貴殿が何か言葉では言い表し切れな
い目的を持ってこの世に来たと、錯覚し得る状態に私は陥るでしょう。
私はそれを錯覚という言葉で片付けたくはないし、脳内物質の正常でない反応という言葉
で片づけてお終いにする事はできないと思います。

貴殿がそれを、無意味な目的付与即ち意味付けと呼ばれるのなら仕方がない。確かに一般
的な意味に於ける「生の目的」という言葉をここに適用するには少し無理があるような気
もしますが、私は、その時に感じるものに生の目的や意味を包含する何かが含まれている
ような気がするのです。

私の生の意味や目的は、「他者との関係に於いて私自身を考えるとき私自身に対してのみ
意味を持つもの」と解釈しておりますが、それを人間一般について拡大適用しようとする
事の方が間違っているように感じます。飽くまで感じるだけですが。

それで哲学が「生の目的」を取り扱うことがとんでもない事だとは思えないのです。
それは宗教の問題だ、哲学とは何の関係もないと言われれば返す言葉はありません、とい
うか「それじゃあ、哲学ってなんなの?」という疑問がまた---

417考える名無しさん :2000/10/23(月) 04:13
みんな真剣なんだろうから茶々を入れるのもアレだが、
哲学からはますます遠ざかっているような…。
ま、いいか。
418名前 :2000/10/23(月) 05:50
既存の哲学に対してのスレでなく、それぞれが
哲学するためのスレ
みたいな感じ・・・?
いいんじゃない?
419考える名無しさん :2000/10/23(月) 11:03
幸福や人生の意味について考えを表明することに付いて回る宿命のようなものじゃて。

主観のぶつけ合いで終わることは。
420426:2000/10/23(月) 18:40
>413
なるへそ、わかった気がします
こういう問いかけができるのは人間だけですもんね。
意識してみるとすごいことですなぁ。

科学の成果を解釈するのが哲学、宗教なんかの領域なんでしょう。
でも、境界線を決めるよりも、
いろんな学問がもっと権威を捨てて歩み寄らなければ
こういう学問に発展を見ることはできないかも知れない。
421考えない名無しさん:2000/10/23(月) 19:46
>>415
なるほど、「満足というものは精神的満足だけでなく、肉体的満足という側面
も含んでおり、従って自己満足という言葉では括られない」とそう解釈すべき
だということでしょうか?これについてはさまざまな問題が含まれているように
思われますが、直接の反論ではないということなので、ここではおいておくこ
とにしましょう。
あと、私の論旨を今一度明確にしておきますが、幸福というものを前提して人
生を語る限りは、人生を自己満足という言葉で簡単に済ましてしまう、というよ
うなおかしな状況にならざるを得ないのではないか、ということです。
401でこの議論だと主観に依存せざるを得ないということを述べたのはそれを
明言するためです。

「主観」と「主観的」のことですが、私はいわゆる哲学上の用語に従って主観と
いう言葉を使っているのですが、どうやらあなたの使い方とは違うようです。哲
学上の主観というのは、基本的に主観/客観の対立項から、「認識する主体」と
同じような意味で用いられる言葉です。別に哲学上の言葉でなくても、国語辞
典では「外界に対し知覚する主体、あるいはその意識内容」とあります。私は
この定義の前者に従っていますし、哲学上でもそう用いられる場面が多々あり
ます。
つまり主観が判断することによって(=主観的に判断することによって)主観的
判断内容を得る、という具合です。
しかしあなたは
>「赤い」と感じることが「主観」であり、「この色は赤である」 と判断することが
>主観的主観
と書きました。つまり「赤い」と感じることが主観とされています。
「主観的」という言葉は、サブジェクトがサブジェクティブになるというやつで、主
観に基づく様子を表す言葉だと理解しています。単に文章表現上の使い分けで、
主観によって、主観に基づいて、という言葉を主観的に、に置き換えているだけ
です。
主観と主観的という言葉を取り違えた部分が354のどこにあたるのでしょうか?
見なおしましたが、イマイチよくわかりません。
422考えない名無しさん:2000/10/23(月) 19:47
>>415
>「この色は赤である」 と判断することが主観的主観であり、 「この色は赤と呼
>ばれている」が客観的主観である・・・
と書かれていますが、「この色は赤である」と判断するためには、あらかじめ「こ
の色が赤なんだ」と判断していることが前提されなければなりません。どこかで人
は、この色が赤だと判断しているはずです。
>彼らがみている赤い色と私がみている赤い色は、果たして同じものなのか?
という確証はどこにもありません。「これは赤である」という約束に基づいて、私が
判断するしかないのです。この「赤いもの」が客観で、この約束に従うことが客観
的態度と呼ばれることです。いずれにしても、そうしようと判断する側は常に主観
で、その判断に確証はありません。これは近代哲学のアポリアで、主観と客観の
分裂というやつです。
要は、物事を判断するのも、判断する際になんらかの約束に従おうと決めるのも、
主観であるということです。赤緑色盲のひとがポストは赤いと言うのは、どう見
ても赤には見えないが、ポストは赤いという一般的見方があるから、それに従おう
と判断しているからです。彼がポストは灰色だと判断しても、それは彼にとっては
真であるといえます。真か偽かということは、疑おうと思えばいくらでも疑えるもの
です。
別に主観の定義は重要ではありません。つまるところ、主観的なものを中心に持
ってくると、非常に相対的なものをもとに物事を考えることになり、論理的に考える
ことが困難になります。
私が先に述べたいくつかのことは、「幸福」という概念がそうした主観的なもので
あり、そうしたものをもとに人生を語る限り、人生は自己満足で測られるような結
果に陥ってしまうということを言おうとしているわけです。
423考えない名無しさん:2000/10/23(月) 19:48
>>416
極めて大雑把に近代以降の哲学史をたどってみましょう。
デカルト以前の、16〜17世紀あたりまでのキリスト教の影響を色濃く受けた哲学
の多くは、人生を目的論から見定めようとしました。人生の目的は、死後の幸福を
得るため神の教えに従うこと、というようにです。しかしそういう考え方ではどうし
ても無理がでてきます。答え方がそれぞれの信条になってしまったり、何かしらあ
る教義に強く影響された答えになってしまったりするのは当然のことです。
デカルトは、何でもかんでも神様でかたをつけるのではなくて、もっと科学的な方
法をとりました。人生とか、愛とか、正義とか、あるいは科学一般の知識とか、そう
いうものを語る前に、人間とはいかにして物事を認識するのかを解明しようとしまし
た。つまり、どう人間がものを見て判断するか、そういうメカニズムを明らかにしない
限り、何事についても正確に語ることはできないと考えたのです。このデカルト以降
は、近代哲学と括られています。
つまり、哲学は「人生とは何か?」という問いから離れ、もっと根本的な人間のメカ
ニズムの解明へと移り変わっていったのです。多分哲学史を知らない人が見たら
「これってほんとに哲学なの?理系の分野じゃないの?」と思うであろうことを、哲
学者達は300年近く続けることになります。
この哲学の流れは、スピノザ、カント、ヘーゲル、そしてフッサール、ハイデガー、
サルトルというようにその後形を変えながら続きました。しかし、1960年代になる
と、ニーチェ、マルクス、フロイトの影響を受けたフーコーやラカンなどといった新し
いタイプの思想家が現れます。彼らは哲学を、300年かけても不可能だった人間
の認識のメカニズムの解明から、人間を外部から支配している権力や言語体系と
いったものを解明していこうという方向へと向け変えました。そういう主体の外部
にある構造を綿密に分析することで、人間とはいかなる位置にあるものかを明ら
かにしようとしたのです。

明らかに哲学は、人生とは何かを問う地点からかなり遠くにまで来ました。
というか、幾世紀をかけて、人類は「人生とは何か?」という問いに答えることの不
可能性を思い知ることになったのです。そして哲学者達は、人間の認識の解明、社
会構造の分析、言語体系の分析を通じて、「人間とはこういうものなのだ」というこ
とを我々に語り、そのことで別の側面から見た人間像を浮き彫りにすることを試みる
ようになりました。
つまり、少なくとも今日の、学問としての哲学は、「人生とは何か」「世界とは何か」
「神とは何か」を漠然と問うのではなく、人間の認識機能を解明したり、人間を取
り囲む構造を分析したりして、そのことで人間がどういうものかを説明したりするこ
とが役割なのです。そういう回り道をせずに人生とは何かを問うのは、今日では
「私の人生論」です。
424考えない名無しさん:2000/10/23(月) 19:48
>>416
それから別に私は、人生の目的をさしあたって設けることは悪いことでも無意味で
もあるとは思いません。むしろ生きていく上では、そのように目的があると思いこ
んでいるほうが都合がいいのです。
何の見かえりも要求せずある人があなたを救った、という一見極めて不可解な出
来事に、感謝の念が湧くのは自然なことですし、そこになんらかの意味を見出す
ことはあなたを納得させるのに十分役立つことでしょう。
ですから、ある時には100円のおもちゃに宝石のような価値を見出すことも、ある
人がなによりも大切に思えることもあります。そしてそのことは人間にとって自然で
、もっとも都合のよい考え方です。こういった本来無目的なものに、目的や価値を
見出すことは、何より人間的な行いです。日常生活で人生を見るときは、それで構
わないと思います。
しかし、哲学的にこれを見る場合、目的があるってことでいいじゃないかでは済ま
されません。ある目的があると前提してしまうと、その目的が達せられているかい
ないかで、例えば人生そのものが不当に貶められたりすることもあるからです。私
はそう考えるべきではないと思います。人間の生には目的と呼べるものはないと、
だからこそその時々で目的や価値をさまざまなものに見出すのだと、私はそう考え
ています。
425考える名無しさん:2000/10/23(月) 20:08
もうそろそろやめなよ
いってることが和漢ねーよ
考えない名無しとかマジレスばっかして馬鹿じゃねーの
ネタスレなのに
426>425:2000/10/23(月) 20:49
バカモン!
2chじゃ、マジレスこそネタなんだよ。
ふつう、こんなトコでマジになれなーだろ(笑)
427こらっ:2000/10/23(月) 21:17
425,426
人をちゃかすなあんたら!!
428MNB:2000/10/23(月) 22:34
>>425

423@` 424 は考えない名無しさんが、忙しいのにわざわざ私MNBのために答えて下さった
レスです。あなたがその内容を毛嫌いする事は自由ですが邪魔することはないでしょう。
文句があるなら私に対して発して下さい。

 >もうそろそろやめなよ
 >いってることが和漢ねーよ
 >考えない名無しとかマジレスばっかして馬鹿じゃねーの
 >ネタスレなのに
という発言が素晴らしい事は認めますから。
「あんたは鋭い。あんたは偉い。」こうレスなら気に入りますか?
429考える名無しさん:2000/10/23(月) 23:45
>428
なに、ムキになってるの?
430名前:2000/10/24(火) 00:32
やる気減退・・・長文書くのって面倒なんだもん・・・
431MNB:2000/10/24(火) 02:13
>>429
429様、私初心者です。一度は煽りに乗ってみるのも経験かなと思って努力してみたのですが、アホらしいのでやめます。
432名前:2000/10/24(火) 06:14
考えない名無しさん、根性だね。
よって、あげ
433考える名無しさん:2000/10/24(火) 06:27
まあまあそんなことより未消化のトウモロコシについて語り合おうよ。
434名前 :2000/10/24(火) 15:32
ふう、やっと過去ログ読み終わった。
やれやれ。考えない名無しさんのゆわれることは
一見不可知論みたいだったので不安になったけど
そうじゃなかったから安心したよ。
や、アヲリみたいなことしてすまなかった。
しかし、「根本的な生の肯定」って、なんだか
永遠回帰ぽいな。あれじゃだめなん?
435考える名無しさん:2000/10/24(火) 22:08
age荒らしが横行したようなので救出age
436考える名無しさん:2000/10/24(火) 22:22
さんきゅ
437考えない名無しさん:2000/10/24(火) 23:48
>>425
いや、別にいいんだけどさ・・・代わりになんか書きこんでいっておくれよ。
無い知恵振り絞って書きこんでんだからさ。

>>434
?実は哲学のことについて有識な方だったってことですか?
や、なるべくスレの主旨に沿ってってことで専門用語は使うのを避けて話を
進めようと思ってたんですがね。なかなか難しいもんですね。
別に煽られたとは思ってないでから。ハイ。

>>435
あげ荒らしというか、多分ここの仕業だと思うよ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=972281290&ls=50
438名前:2000/10/25(水) 01:01
>437
ぼかぁサルなみです。
でも専門用語を避けるとどうしても長文になることが
わかりました。ので対策に困っています。
とっつきやすくて読みやすい文章でマジレスするには
どうしたらいいか考え中です。

で、このスレの趣旨としては、
やっぱ「哲学ではこの問いに答えられません。」では冷たいなーって
思うんで、初心者でも通りすがりでも「こう思う」あるいは
「ここがわからん。教えてくれ」って意見や質問ナドナドを
書き込めるような状態にもっていきたいな、と。

うざい言われてちょっとヘコんでますけど、どうでしょう。

439考えない名無しさん:2000/10/25(水) 01:13
>>438
それでいいんじゃないでしょうか。
「人生は〜のためだ」「目的は〜だ」等などの答え方の一つとして、僕は
「人生に目的はない」ということを挙げているだけなので。
目的はないからもうやめろ、なんていうことは毛頭考えてません。飽くま
でもこういう答え方をしてもいいんじゃないか、ってことを言おうとした
んです。
名前さん、うざいって言われましたっけ?
440名前:2000/10/25(水) 01:35
>439
や、それは別スレでした。勘違いな上に愚痴ってすんません。

それにしても、この類のギモンが多いってことは、これは
みんな興味をそそられるとこなんですな。
僕はニーチェの答えるところ(永遠回帰)でよしとしてるんですが、
皆さんはどう思われますか。
441MNB:2000/10/25(水) 05:33
>>423
考えない名無しさんへ

423@` 424 読みました。文面は理解したつもりです。依怙地になっているわけではないの
ですが、納得できてスッキリしたという気分ではありません。
考えない名無しさんがそれでスッキリしているのに、どうして私がスッキリ出来ないので
しょう。同じ人間で、でっち上げた話はしていないのにねー。それは下地が違うから、頭
が違うからと言われればどうしようもありませんが。

本題に入ります。
 >明らかに哲学は、人生とは何かを問う地点からかなり遠くにまで来ました。
 >というか、幾世紀をかけて、人類は「人生とは何か?」という問いに答えることの不
 >可能性を思い知ることになったのです。      ------
 >      -------------------------------------
 >つまり、少なくとも今日の、学問としての哲学は、「人生とは何か」「世界とは何か」
 >「神とは何か」を漠然と問うのではなく、人間の認識機能を解明したり、人間を取
 >り囲む構造を分析したりして、そのことで人間がどういうものかを説明したりするこ
 >とが役割なのです。そういう回り道をせずに人生とは何かを問うのは、今日では
 >「私の人生論」です。
この部分は私には、
  哲学がその問題に取り組める程には発展していなかった。従って一時棚上げ
  又は「私の人生論」として格下げした。
という意味にしか取れません(煽りではありません)。哲学がその問題を避けている事の
理由としては納得しますが、現時点までの哲学では手に負えないからと言う理由で封印し
触れてはならぬとしているようで疑問を感じます。

( -- つづく -- )
442MNB:2000/10/25(水) 05:37
( -- 441から続く -- )

>>424
 >ある目的があると前提してしまうと、その目的が達せられているかい
 >ないかで、例えば人生そのものが不当に貶められたりすることもあるからです。
と仰せですが、それは貴殿が、全ての人間に共通して適用されるべき規則、賞賛されるべ
き生き様といった意味合いを「生の目的」という言葉に与えているからではないでしょう
か?(私の勝手な推測ですが) 「生の目的」がそういう意味のものではないという認識
に立てば話は違って来るのではないでしょうか。

 >人間の生には目的と呼べるものはないと、
 >だからこそその時々で目的や価値をさまざまなものに見出すのだと、私はそう考え
 >ています。
と仰せですが、私は
 人類は個々の生の目的、在り様についてそれらを黙示する「何か」を感知してい
 るが、個々の頭脳の中で正しく変換し記述する能力を未だ持ち得ていない。それ
 故人々はそれがゴールを示す旗のようなものと考えたり、全ての人間が従うべき
 規則のようなものと感じたり、一生その上を走っていれば安心できるレールのよ
 うなものと思い込んだりする。また別の人々はそれを明確な形で記述できないが
 故にその「何か」を感知している事さえも無視しようとする(煽るつもりでない
 事を強調したい)。
と感じています。

その「何か」が何であるのかを言わないで議論を展開している事に異常さを覚えないか?
「そう感じています」では哲学的には話にならん。と仰りたいであろう事は想像でき、そ
れを指摘されても何も返答できません。
しかし、私は哲学に拘っているわけではなく、「生の目的」という事に関心があったので
す。哲学がそれについて何か有効な事を答えてくれるはずだというのは私の根拠のない思
い込みである事は以前申し上げました。従って、哲学が「生の目的」を排除して「私の人
生論」がそれを引き受けたとしても私には特に問題はないのですが、現在の哲学がそうで
あるからと言ってそれに従わなければならないという事もないと思うのですが。
そこで貴殿は、そんな在るか無いか分からないようなものを哲学的議論の対象にする事は
出来ないと言われる。でも本当にそうなんですかねー?(これも煽りではない)。哲学じ
みた議論でも構わないと思うのですが。


もし貴殿が、いくら正直に見ても上記の -- 黙示する「何か」-- など感じられない、と
仰るのなら、結局貴殿の述べられていることが貴殿にとって本物であり、私にとってはそ
うであるとは言い切れないという結論になるのでしょう。

極、あたりまえな結論なのですが、考えない名無しさんの仰ることもよく分かったし、私
もある程度自分の真意を伝える事が出来たと思え、私にとっては有意義でした。
443考える名無しさん:2000/10/25(水) 18:11
名前って幸福が目的だって力説してたじゃん。
なんでいまになって永遠回帰なんて引っ張り出してくんの?
幸福計量と永遠回帰じゃバッティングするでしょ。
444名前:2000/10/26(木) 04:09
あれはもう誰も読まないだろうと思ってたのに・・・
説明途中にしちゃったんだよ。ハズカシィー(**;
永遠回帰も絶対的・根本的な生の肯定なんだけど
別のアプローチでそれができないかどうか試してみたくて。
いいよ、あれはもう無視して。哲学とは関係ないし。
445俺なりの結論:2000/10/26(木) 04:33
人類の誕生が、その目的よりも偶然による産物だったため、人が生まれるのに理由は無い.生まれたら生きるしかない.それが嫌だったら自殺することができる.自殺できる動物なんて他にいるか?これは地球にとって人類が必要なために生まれた者ではないことを示している.
4462ちゃん哲学板ボエー:2000/10/26(木) 07:15
あっ445って
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=972420712
このスレ立てた人?
447みさと:2000/10/26(木) 18:50
みんないろいろ考えているんだね。
私は「人生とは楽しむもの」
と考えているんだよ。
日々楽しむためにアイデアをだしながら過ごしているの。
これは私の人生テーマなの
448考えない名無しさん:2000/10/26(木) 19:10
>>442
423の文章は哲学が「人生の目的とは何か?」をアンタッチャブルな問題として
いるということを述べるものではありません。
あなたが416の最後に書かれた、

>それは宗教の問題だ、哲学とは何の関係もないと言われれば返す言葉はあり
>ません、というか「それじゃあ、哲学ってなんなの?」という疑問がまた---
という一文に答えるために書いた文章です。むしろ、哲学がたどってきた人間に
関する問いの移り変わりにおいて、いかに人生とは何か?というようなことから
離れていかざるを得なかったかということを述べたつもりです。ですから、

>哲学がその問題に取り組める程には発展していなかった。従って一時棚上げ
>又は「私の人生論」として格下げした。
というよりも、哲学史において「人生とは何か?」という問いが不可能であること
(人生の目的というものの疑わしさ)が徐々にわかってきて、そういう問い方では
永遠に答えが出ないというような堂堂巡りの事態を避けるために、問い方そのも
のを変えてきたということです。そういう哲学史的歴史を羅列しただけであって、
それで「この論議に意味は無いからやめろ」ということを含意するものではありま
せん。ただ、これは断言してもよいのですが、哲学が「人生とは何か?」に答えら
れるほど発展する、というような事態は、これから未来永劫ありえないと私は考え
ています。これは哲学の無能によるものではなく、問いの立て方に起因します。
しかしながら、「人が、生の目的とは何かと問うということはどういうことか?」を問
うことは可能ですし、哲学がそれに答えることも可能です。
「生の目的」を思わせる「何か」が一体何なのか、それはわかりません。わからな
いから哲学は未だ終わらないのです。それがわかれば、おそらく哲学の役目は終
わるでしょう。そして、その「何か」を追及する術は、「生の目的とは何か?」を問う
ことでしかないというわけではありません。「人間が生の目的とは何かを問うとい
うことは一体どういうことなのか」を問うことによって、哲学史は、結局その「何か」
がイデア的な人間による観念であったと結論付けるを得なかったのだと思います。
449考えない名無しさん:2000/10/26(木) 19:11
>>442
ずっと以前、「哲学とは何かに答えるのも哲学の仕事」と書いたのは私です。しか
しあなたは、

>そんなの仕事にせんでええ。ごたごた言わんと「人は何故生きるのか、生き
>る目的は何なのか?」に答えて頂戴。
と言いました。その「ごたごた」をいわずに「人生の目的は何か?」に答えることは
できません。繰り返しますが、哲学は生に疑問を感じていることを無視しているの
ではありません。それに答える不可能性を感知したがために、問い方を変えたの
です。「人間が哲学する(人生とは何かをさしあたって問うてみること等)というこ
とはどういうことか」を問うのも哲学の重要な問いのひとつです。「哲学とは何か
に答えるのも哲学の仕事」と書いたのはこの理由によります。哲学とは何かを問
うことも、人間とはどういうものかを問う重要な問いの一つです。それを「そんなの
仕事にせんでええ。」で切り捨てることは、人間学の一つの方法を独断的に切り
捨てる行為となるでしょう。

「生の目的が何か?」は、哲学の問題ではありません。しかし、「人が、生の目的
とは何かと問うということはどういうことか?」を問うことは哲学の問題だと思いま
す。あなたが問おうとしているのは後者だと私は思います。そういう意味で、あな
たは哲学していると言えます。では、私とあなたの違いは何なのでしょうか。
下地が違うからでも、頭が違うからでもありません。結局、哲学に触れているか
いないかの違いだと思います。遺伝子がどういうものかを知りたければ、まずたん
ぱく質の働きや細胞分裂に関する勉強をしなければなりません。人間がどういうも
のかを知りたいときにもそれに関する勉強が必要なのです。哲学だけは別、なん
ていうわけにはいきません。真面目に語ろうと思ったら、「私は無学ですから」で逃
げるわけにもいかないと思います。誰でも最初は無学です。「近代哲学がわかる
本」とか「現代思想入門」とか、そんなのでいいですから、一度読んでみて下さい。
哲学がどうとか、人間がどうとか、そういうことを真摯に言えるのは、そういうプロセ
スを踏んでからです。
MNB氏の言いたいことは伝わりましたし、勉強にもなりました。私も有意義な話題
だったと思います。
450考える名無しさん:2000/11/12(日) 23:45
..
451考える名無しさん:2000/12/05(火) 01:58
伝説age
452考える名無しさん:2001/01/03(水) 05:34
人類に貢献する為
453考える名無しさん:2001/01/22(月) 09:22
良質スレ救出age。
454考える名無しさん:2001/01/26(金) 16:29
目的の固定されてしまった人生なんて、生きていたい?
その時点で主観的な「未来」は全て「現在」に転化されるんだよ。
つまり、人生はその時点で終わったも同然。言葉を変えれば「絶望」じゃん。
455考える名無しさん:2001/01/26(金) 16:32
生涯を賭けて成し遂げたい目標を持つってのはどう?
456ple:2001/01/26(金) 20:28
まあ生きてるうちに終わらないようなもんならいいんじゃないの?
457考える名無しさん:2001/01/31(水) 06:44
サルトルいわく、我々が生まれてきたのは偶然であり、
人生は作り上げていくもの、ってこと。長い文は今書きたくないので
サルトルの「実存主義とは何か」ってほんよんで見てください。
あほなキリスト教徒の人いがいなら1のような疑問はなくなるはず。
458淫行マニア:2001/01/31(水) 06:50
オマンコして、メシ食って、クソして寝るため。それ以外はみんな暇つぶし。
459>>458:2001/01/31(水) 13:26
其の通りだ。
みんな難しく考えすぎ。
460考える名無しさん:2001/01/31(水) 13:30
じゃあ、生きる目的はいいとして、このでっかくて機能の多い
脳みそを使って出来る良い暇つぶしを考えましょう。
461考える名無しさん:2001/01/31(水) 13:43
その為の「哲学」>>460
462サルトリ:2001/02/02(金) 03:44
ちょっとまて「人は何故生きるのか」とはどういう質問なのか?
「生きる目的はなんなのか」とはなんなのか先に考えてみろ!
それがわかったらこっちも教えてあげよう。
463考える名無しさん:2001/02/02(金) 03:52
生まれたから生きるんじゃないの?目的は自分で決める物じゃないの?
誰だっていつかは死ぬんだからそれまでの間どうするか?ってのが
考える。んででた答えが生きる目的って奴じゃないの?
464名無しさん:2001/02/02(金) 06:06
汚染と浄化。このスレよ永遠なれ!
465淫行マニア:2001/02/02(金) 07:05
僕らはみんな生きているぅ、生きているから死んでないぃ〜。
466>>465:2001/02/02(金) 09:20
そのとおりだ。的確だなあんたの意見は。
死んだら生きてないよな(w
467考える名無しさん:2001/02/02(金) 09:23
飯食うのもSEXするのも痛いのを嫌がるのも快楽を求めるのも全て生きるためです。
なぜ生きるのか?という問いを発するのは生き残るために発達した脳みそが
暇なんで暇つぶししてるだけです。
468考える名無しさん
暇つぶしの為に飯食ったりSEXしたり痛がったり嫌がったり
快楽を求めたりするんのは良くないということですね。