◆ 仏教全般 ◆

このエントリーをはてなブックマークに追加
1考える名無しさん
初心者の質問から、マニアックな議論まで
なんでもOKです。
2:2009/08/03(月) 05:28:46 0
とりあえず、仏教入門として適切な本を教えてもらえるでしょうか。
私はこれまで、新書の仏教系の本ぐらいしか読んでません。
一番おもしろかったのは、中村元「原始仏教」です。
あと、内田樹の浄土真宗の本もおもしろかった。
3考える名無しさん:2009/08/03(月) 06:11:30 0
中村元訳の岩波文庫の仏教書がいいだろう。

ttp://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/index.html
ここの「ブッダがのこした二千の詩」、以下が初期経典にあたるだろう。

仏教の専門用語や上座部のことなら
ttp://www.j-theravada.net/
ここを片っ端から読んでいけばだいたいわかる。

大乗は中国の宗派から日本の宗派までいろいろあってどれも特色がある。
日本の仏教書はだいたい大乗中心になってる。

チベット仏教のことは謎。かなり神秘主義的色彩が強いとのこと。
4:2009/08/03(月) 06:40:42 0
5:2009/08/03(月) 06:45:09 0
>>3
つまらんな。
岩波文庫の「ブッダの言葉」等は読んだが、
はっきり言って、退屈だったよ。
6考える名無しさん:2009/08/03(月) 06:56:47 0
はっきり言い過ぎw
7考える名無しさん:2009/08/03(月) 09:03:05 0
1.古坂紘一『宗教史地図 仏教』最も簡明で最も広範な仏教通史、しかも地図が豊富で、インドおよび日本については優れた知見を盛り込んでいる。

2.水野弘元『仏教要語の基礎知識』日本人学者で最も権威の高い著者が、原始仏教を中心に記述したもの、簡明でありながら見解も高い。索引が充実しているので辞典としても使用できる。

3.パユットー『仏法』タイの高僧が書いたテーラワーダ仏教入門書。優れているが、翻訳がもう一つなのが惜しまれる。

4.ダライラマ『智慧の眼をひらく』チベットの高僧が書いた大乗仏教入門書。本来、チベット語から訳すべきなのだが、英語からの重訳なのが惜しまれる。

5.鎌田茂雄訳『八宗綱要』日本仏教の優れた入門書。他から丸写しの書き下しやフリガナは信用できるが、訳註は信用できない。余裕があれば平川彰訳の同書を薦めるが、そちらはもはや入門書の域を超えているかもしれない。

6.片山一良『パーリ仏教入門』日本の学者が書いたテーラワーダ仏教入門書。大乗仏教との対比がなされていて優れている。

7.石飛道子『ブッダの優しい論理学』縁起が論理的に明解で非常に読みやすく書かれている。ほとんどなんの予備知識も必要ないように工夫されていてすばらしい。

8.末木文美士『日本仏教史』思想史的に書かれた簡明なもの。

7.が最も簡明で始めに読むべきかもしれないが、体系的でない憾みがある。
1.を始めに読むべきだろうが、それでも難しいかもしれない。
その場合、記述に問題があるが最も分かりやすい『岩波仏教辞典』を備えて読むのがいいかもしれない。『仏教学辞典』の方が安心して信頼できる伝統的な記述になっているが若干読みにくいと思われる。

2, 3, 4, 6 の内いずれか一冊と1.を交互に三回ぐらい読めばだいたい基本的な知識は得られると思われる。
8考える名無しさん:2009/08/03(月) 09:10:46 0
以上を読んでから以下を読むのといいよ、面白い。

生野智紹『密教・自心の探求 『菩提心論』を読む』大法輪閣
石飛道子『龍樹と、語れ! 『方便心論』の言語戦略』大法輪閣
吉村均『神と仏の倫理思想 日本仏教を読み直す』北樹出版

なお、以下の左側のリンクで仏教文献がネット上で見ることができる。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/22.html
9ニイタカヤマ ノボレ:2009/08/03(月) 12:22:31 O
大麻ヲ合法化セヨ
10考える名無しさん:2009/08/03(月) 12:35:14 0
>>5
つまらんか。
ならば入門書を読む初心者の域は出てるじゃないですか。
「瞑想」でもしたらどうでしょう。瞑想がなければ仏教の意味は無いと言ってもいい。
11考える名無しさん:2009/08/03(月) 12:44:08 0
石飛道子氏は初学者には薦めませんなあ。

ナーガールジュナならこれは必携でしょ↓

龍樹(ナーガールジュナ)―空の論理と菩薩の道 (単行本)
瓜生津 隆真 (著)
12考える名無しさん:2009/08/03(月) 12:47:16 0
11だけど。
道元禅師ならとりあえずコレ↓ 値段も安いし。

道元―自己・時間・世界はどのように成立するのか (シリーズ・哲学のエッセンス) (単行本)
頼住 光子
13考える名無しさん:2009/08/03(月) 13:01:08 0
おkベイベー。連稿すまそだけど11です。
色々、考えたみたけどこれはちょーお奨め。↓
玉城先生の遺稿になります。スピ系の人に悪用されるんじゃないかと
思うような内容もあったり。まさに尊いお方でありました。上座部の
傲慢な老師とは比べるのも失礼ですね。ほれっ↓

悟りと解脱―宗教と科学の真理について (単行本)
玉城 康四郎 (著)
14考える名無しさん:2009/08/03(月) 13:10:07 0
>>13
>上座部の 傲慢な老師とは比べるのも失礼ですね。

これスマナサーラ長老のことだな。たしかに傲慢である。
15考える名無しさん:2009/08/03(月) 13:13:19 0
>>13
おkベイベーですが、荒れるといけませんので、これ以上は控えます。
上座部の方いましたら、先に謝っておきます。すみません。じゃあ、またね。
16考える名無しさん:2009/08/03(月) 13:14:47 0
薦める理由も書かずに、書名を列挙しても、あんまり意味ないなぁ・・・


17考える名無しさん:2009/08/03(月) 13:17:31 0
ダライラマげいかが来日されるようなので記念に詩を貼り付ける。
あるブログからの拾い物。ほれ↓作者はダライラマげいかね

「矛盾の時代」
家は大きくなったが 家庭は小さくなり
より便利になったが 時間は以前よりもない
たくさんの称号を得ても センスは乏しく
知識は増えても 判断力に欠ける
専門家は大勢いるが より多くの問題を抱えている
薬も豊富だが 健康状態は悪くなっている
私たちは月まで行き来できるのに 通りを渡って新しい隣人と会うことに難儀する
より多くの情報を押さえるために より多くのコンピューターを作った
しかしコミュニケーションはどんどん減っている
人の数は膨張したが 質はよくない
ファストフードばかりで 消化は悪く 体は大きいが 人格は小さい
利益に夢中で 人間関係は希薄だ
そんな時代である
飾りたてた窓辺 しかし部屋の中には何もない

18考える名無しさん:2009/08/03(月) 13:18:52 0
あと、タゴールね ほれ

危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。

不安と怖れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。

成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。
19考える名無しさん:2009/08/03(月) 13:22:02 0
>>16
すまなんだが、アマゾンのレビュー読んでください。
私の筆力では、良さを伝えられないだろうし。
スレ主さん、たまに覗きますね。ほんとに、おいとまする。じゃ。
20考える名無しさん:2009/08/03(月) 15:15:03 0
>>12
うーん、和辻哲郎以来の哲学的『正法眼蔵』読解を代表する一冊だけど、初心者にすすめるのは・・・
少なくとも、和辻の道元や仏教理解に批判的な他の論者のものもあわせて読まないと。
頼住光子さんの研究で専門家の間で評価が高いのは、まだ一冊にまとめられていないけど、講座比較思想2巻の「和辻哲郎における「かたち」の意義」などの一連の和辻論で、熊野純彦さんや苅部直さんの論でも言及されており、研究者必読文献になっている。
それを読むと、『道元 自己・時間・世界はどのように成立するのか』の明快な図式が、実は仏教由来のものではなく、和辻のニーチェや現象学への関心を踏まえた、いわば「書かれるべき和辻の道元論」であることがよくわかる。
21考える名無しさん:2009/08/03(月) 15:28:05 0
おやおや。
こんなスレが哲学板に立つとは。
スナインコッコスマナラコッサーラ長老の弟子どもがついに動き出したのかね?
22考える名無しさん:2009/08/03(月) 16:23:44 0
東南アジアの国では頭を撫でる行為は禁忌とされているらしいですが、
その仏教的意味を教えてください。
23考える名無しさん:2009/08/03(月) 16:55:20 O
やまねいるみ
24考える名無しさん:2009/08/03(月) 17:12:42 0
>>23
おいっ あほんだら ついつい、ぐぐったじゃねえか

やまねいるみ で検索した結果 1〜10件目 / 約46件 - 0.64秒


>>22
仏教というより、神様かなあ。子供の頭には神様が宿る、もしくは仏が宿るの
どちらかと考えられているからだと思う。何故、そう考えられるのかは知らない。
あと、イスラムやキリスト教圏内でもタブーの所があるらしいよ。ソースは保障できない。
博学な方がいましたら、続報を願います。
25考える名無しさん:2009/08/03(月) 18:12:24 0
>>24
でどんな意味なの?そのやまねなんとかっての。
26考える名無しさん:2009/08/03(月) 19:47:01 0
タスポ富士
27考える名無しさん:2009/08/04(火) 03:38:21 0
NHKのこころの時代は20年近く見てるが、いろいろな学者さんが出ておった。
28考える名無しさん:2009/08/04(火) 08:24:38 O
原始仏教の修行をマジでやっている方いますか?
29考える名無しさん:2009/08/04(火) 09:00:54 0
本格的にやると戒律がとても厳しいよ。
戒を守っていたら2ちゃんねるに来れないでしょ。
30考える名無しさん:2009/08/04(火) 09:57:45 O
>>29
まあそうだねw
人の世から縁を斬るのが前提だから
31考える名無しさん:2009/08/04(火) 22:17:08 0
仏教知識0だけど色即是空を理解するためにはどうすればいいですか?
32考える名無しさん:2009/08/05(水) 03:22:24 0
>>31
ちゃんとした先生を見つけてきっちり行するのが本質的理解への道です。

知的理解でいいなら、以下の諸論文と
http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E5%8E%9F%E7%94%B0%E5%92%8C%E5%AE%97%E3%80%80%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C&range=0&count=20&sortorder=1

渡辺章悟『般若心経』を読むといいよ。
33考える名無しさん:2009/08/05(水) 11:14:28 O
色即是空は共感覚のことでもあるのですか?
34考える名無しさん:2009/08/05(水) 11:32:16 0
>>33
共感覚ってどういう意味?

色即是空というのは、あらゆる現象・知覚が本質・実体などがないという意味。
そのあらゆる現象の例として「色」を挙げている。
「色」というのは、仏教でいう五蘊の一つで、外界とか物質と思ってくれればいいです。

その外界とか物質として知覚するものは空であって、実体も本質もないという意味。
これは何もないという意味ではなく、縁起して知覚されるだけだという意味。


35軽井沢:2009/08/05(水) 11:44:17 0
36考える名無しさん:2009/08/05(水) 13:20:06 0
>>31

面壁九年の坐禅をすればいい。
37考える名無しさん:2009/08/05(水) 13:44:32 0
>>36
それじゃだめ。なぜなら、どうすればいいか分からないから。
師について学んでから、篭もって修行すべし。
38考える名無しさん:2009/08/05(水) 13:52:30 0
確かに野狐禅はあぶない
39考える名無しさん:2009/08/05(水) 17:09:12 0
そんなに構える必要はありません。平常心とはどういうものか、
を体感するために毎日わずかの時間を坐禅にあてるのは
とても良いことです。
40考える名無しさん:2009/08/06(木) 05:45:53 O
私は原始仏教以外は、仏教ではないと考えております。
そもそも世俗に漬かっている方が仏教徒ってありえなくないですか?
これは仏陀自身が言っている事です。
41考える名無しさん:2009/08/06(木) 09:25:29 0
>>40
>そもそも世俗に漬かっている方が仏教徒ってありえなくないですか?
仏教はもともと「仏・法・僧」への帰依から成り立っている。
僧とはサンガであり仏教徒の集会を意味する。
仏教徒はもともと出家の修行者と在家の信徒からなる。
世俗が仏教徒で無いなどということはもともとありえない。
42考える名無しさん:2009/08/06(木) 09:38:03 0
逆にいえば、修業もしないで、ただ
「世俗に浸かってないから、俺は原始仏教の立場に近いぞ」
なんて思ってるだけのニートが、仏教徒なんてありえない。
43考える名無しさん:2009/08/06(木) 09:39:01 O
至道無難や正受老人も僧籍にはあったが実質在家居士のような生活であったとも考えられます
山岡鉄舟もそうです
もちろん世間なみの俗っ気なんかはるかに凌駕していましたが
44考える名無しさん:2009/08/06(木) 09:44:12 0
日蓮宗は肉食、妻帯ですよね
45考える名無しさん:2009/08/06(木) 10:09:16 O
肉食 妻帯 だけど社会的にはなんのメリットもないよ。
46考える名無しさん:2009/08/06(木) 10:10:08 O
>>41
自分は仏教は原始仏教だと思い込んでいるんですけど。
仏陀の教えを実践するのに諸々の支障がある在家に意味があるのか?
権勢や金に拘る時点でただの俗物ではないのか?経典すら読んだことのない人に、仏壇や墓を買わせています。読めば愚行だと分かるものなんですが…
47考える名無しさん:2009/08/06(木) 10:13:32 O
>>42
ニート君は世俗に漬かっています。故にニートだと言えるかもしれません。
48考える名無しさん:2009/08/06(木) 10:14:47 0
>>45

 社会的はメリットですよ。人に用事をさせてお金を払うと仕事になるんです。
肉を買ったり、子供の道具を買うのも仕事を作ってます。
 だから、仕事になっていますよね。メリットが無いとは言えません。
49考える名無しさん:2009/08/06(木) 10:18:00 0
出家者在家者の如何を問わず、悟りをあきらめるべきではないよ。
仏教徒とかいう自負すら邪魔になりかねん。
50考える名無しさん:2009/08/06(木) 10:36:20 O
親鸞はあの時代に肉食、妻帯を断行したから偉大な仏教者なのであって、
今の時代に甦ったなら逆に肉食、妻帯をしないかもしれないね。
51考える名無しさん:2009/08/06(木) 11:01:55 0
>>50
なるほど。そういう考えもあるね。
52考える名無しさん:2009/08/07(金) 05:41:31 0
>>40
高度な行者ならありえます。

>>46
それなら出家すればいいだけ。

形骸化した葬式制度も、仏教に関わらないよりマシ、
少なくとも間接的に布施できる。
もちろん、布施を受け取って不浄に生きる方には大変な未来が待っている。

53考える名無しさん:2009/08/07(金) 08:23:58 0
>>46
比較宗教学や民俗学、文化人類学系などの欠如した人間は、ひとえに視野が狭い。(経験上の話ですが)
とくに仏教史など、王権との関わりや伝播した土地の気候、風土が与えた影響などなど、
広範囲に学んでいくとそう簡単には批判できないところが多々ある。
私も、若い頃は無知ゆえに批判ばかりしていた者ですので、日本仏教の抱える問題点は承知していますが。

広範囲に事物の成り立ちを紐解けば、「原始仏教こそが本来の仏教」などとのたまうことが不可能であることは、
容易に察せられよう。
54考える名無しさん:2009/08/07(金) 09:09:22 0
本来の仏教をすべての仏教と考えても構わない。
55考える名無しさん:2009/08/07(金) 10:44:09 O
仏教には如来部 菩薩部がある。さしずめ正当覚者 世間解 大日如来 普賢菩薩 虚空蔵菩薩と行ったところだろう。精神の真実の部分から見ていくところ。本当のこと。性質。
56考える名無しさん:2009/08/08(土) 10:37:48 0
仏教の思考が社会の思考に向かわないのはなぜか?
57考える名無しさん:2009/08/08(土) 12:27:14 0
>>56
社会は虚妄であり、苦であり、安楽も、解脱ももたらさないから。
もちろん、方便としては社会的なことも論じます。
それはあくまで便宜的なもので、本質ではありません。
58考える名無しさん:2009/08/08(土) 18:09:35 0
>56
ぶっちゃけ、人類の繁栄であるとか、共同体(国家)の継続など「どっちでもいい」と
言っちゃったのがお釈迦さんだろ。勘違いしないでくれ。「どっちでもいい」んだ
から、継続の否定でも破滅思想でもないからね。
59考える名無しさん:2009/08/08(土) 20:50:32 0
>>57 >>58
じゃあ、虚妄でないものはなんですか。「色即是空。空即是色」についてはどう思いますか。
「どっちでもいい」なら、そのように言う必要もないんじゃないですか。
60考える名無しさん:2009/08/08(土) 21:14:10 0
>>59
虚妄でないものは、ネハンのみ。『スッタニパータ』757-756 中村訳は分かりにくい。
聖徳太子の世間仮虚唯仏是真も同義。

色即是空 色に代表される一切の現象・知覚は空で実体のない幻のようなものである。
空即是色 実体のないから縁起して色などとして現象できる。

という意味。一部にあるような凡夫の現状肯定ではありません。
61考える名無しさん:2009/08/08(土) 21:16:31 0
>>60の補足
>58 は別の方です。
62考える名無しさん:2009/08/08(土) 21:29:05 0
>虚妄でないものは、ネハンのみ。
「ネハン」は空ではないのですか。
63考える名無しさん:2009/08/08(土) 22:11:17 0
「色即是空。空即是色」というのは、世界はあるがままにあり、あるがままでそのまま空だ
ということであって、色とはなれた「涅槃」などというものを設定するのは妄想だという
ことだと理解してましたが、これは間違いですか。
64考える名無しさん:2009/08/09(日) 02:57:05 0
>>63
言語表現としては間違ってません。
ただし「あるがまま」が今、凡夫が観ている世界が実在し、自分も実在するという意味で「あるがまま」なのではありません。

三昧・禅定体験で一端全ては空であるということを体験した後で、
現れる「あるがまま」の現象・知覚が空であることに揺るぎのない状態です。
全く凡夫の見方と違うことを理解ください。

禅宗や中観で言う「あるがまま」や輪廻即涅槃といったことは凡そそんな意味です。
でないと修行する意味が理解できないでしょう。
禅宗でも中観の概説書、変なことを言う人もたくさんいるので惑わされないようにしてください。
65考える名無しさん:2009/08/12(水) 05:58:02 0

薄暗い部屋で座禅してると、たまに半眼にしてる眼が外界を捉えなくなって視界が遮断される。
眼で眼の表面を見てるような感じになる。目の前を壁で塞がれたような気になるが大丈夫なのだろうか。
まさに面壁という感がするが。あと光がチカチカ見える。
66考える名無しさん:2009/08/12(水) 06:19:59 0
「C点による時空論」参考にして下さい。
華厳経を試論しました。暴論ですが、一読して下さい。
  ヤフー検索:悟りの世界、華厳経
373−380に書いてあります。
「C点による時空論」は、思考の限界にアプローチしたもの、科学ではありません。
仏教の般若心経の色即是空、中論の非有非無に最期は一体と成りますが、アプローチは
微妙に異なります。華厳経の一即多、一即一切に続くものです。
67考える名無しさん:2009/08/12(水) 07:51:51 0
C点は空間に位置のみ占める、体積の無い、粒子でも無い「点」であり「有と無」
の二つの性質を持つ存在です。3次元の立体、2次元の平面、1次元の直線を考える
時、0次元の「点」であります。
有の性質の時には、「無限」に小さな点であり、0寸前また0であり、無の性質の時は
「無限」に大きな空間と一体になり、総てが金色に、また黒に、また白に、また赤に、
また緑に、そして様々な一様うな、区別のない、「無」の空間と合一します。無限に小さな
ものと無限に大きなものとの、同時同位置存在で華厳経の世界であります。
また無限に大きな0とは、数えきれない無限に多くの0であり、一即一切、一即多であります。
68考える名無しさん:2009/08/12(水) 08:03:04 0
現在と言う「瞬間」は、0秒であります。過去、現在、未来と流れる
時間も一瞬であります。数直線上の0と1が、無限、矛盾と言う概念
を入れることにより連続する様に、時間も現在と言う0秒で連続します。
0秒と言う瞬間と流れ過ぎる膨大な時間も瞬時であり、無限に短いものと
無限に長いものとが同時存在します。これも華厳経の世界であります。
69考える名無しさん:2009/08/12(水) 08:05:20 0
>>67
時間も空間も縁起・仮設・空性であるということでしょう。
なんで、西洋の存在論の代表選手数学的な概念を持ち出すのか分からない。
かえって混乱するだけだと思う。

『普賢行願讃』が美しく簡潔に描いていると思う。
70考える名無しさん:2009/08/12(水) 08:07:14 0

目を開けば、「有」の世界。目を閉じれば、「無」の世界。
どちらも「C点」より、成っている。
71考える名無しさん:2009/08/12(水) 08:11:13 0
69さん
  アドバイス有難う。
72考える名無しさん:2009/08/12(水) 16:19:58 0
C点は空間に位置のみ占める基点では有りますが、基点0では有りますが、単位1では
有りませんので、数には成りません。基点0と単位1とが有りますと、プラス・マイナスの
2進法で数となり、コンピュータ処理も出来ますが、C点は有に非ず無に非ずの存在です。
「無限・矛盾」の視座でしか、理解できません。観測・測定も出来ず科学ではありません。
以上「C点」と言う立場で、仏教を試論しました。華厳経の試論です。
73名無しの禅師 ◆gBLpBEN2TQ :2009/08/13(木) 06:18:20 0
華厳経を解説されてる方へ


自然科学では素粒子とか超ひもとか、いくらでも分割しようとする。
「部分」というものがある限りどれだけ小さくても分割しようとする。
あなたの「C点」の考え方はたぶん仏教的には間違ってないと思う。
ただ、その考えは華厳経だけでなく仏教の根本的な考え方です。
どの経典にも同じようなことが書いてあります。
74考える名無しさん:2009/08/13(木) 08:20:37 0
C点では、仏教の根本的な考え「無自性」を避ける事も可能であります。
「勝義諦」と「世俗諦」の問題もさてをき、最後は仏教と合一しますが、しばらく
仏教の是までの瞑想を離れて、お読み下さい。「C点による時空論」を参考にして
下さい。以下に続けます。
75考える名無しさん:2009/08/13(木) 09:18:24 0
現象世界は時空より成っています。そこでは物質Aと空間非Aとに、つまり
空間は有と無とに2分されます。しかし、ビッグバン以前は、時間も空間も
無い宇宙でC点のみであり、有に非ず無に非ずの世界で、仏教の悟りの非有非無
の世界です。どうしてビッグバンが、生じたかは解りません。仏教では、諸々の
因縁による縁起となるのでしょう。
ビッグバン以後は時間と空間が生まれ、つまり物質Aと空間非Aが生まれました。ここで
物質AはC点より成立していますが、「有」の性質が優位であり、また空間非Aは
「無」のせいしつが優位であります。
ビッグバンの発生以前であれ以後であれ、宇宙はC点のみであり、非有非無の仏教の世界
であります。しかし、これは概念の宇宙では有っても、科学では有りません。

非有非無の「C点」では、「無自性」無しでも、仏教の世界に至りましたが、いささか暴論
かも知れません。
76考える名無しさん:2009/08/13(木) 13:00:19 O

77考える名無しさん:2009/08/13(木) 14:52:06 0
仏教の宇宙論もそれはそれとして、矢張り宗教であるからには、人々の苦悩
への済度が必要である。しかし、現代の科学の進歩、社会制度の進歩などにより
人々の生活は、昔とは比較にならないほど、楽になった。
医学、法律、経済、産業、教育等などは勿論、さて宗教の出番は葬儀に関係した
分野だけであろうか?
だがこの現在の日本で、数多くの「新宗教」が有り、人々がそれを求める現実を
どう考えたらよいのか?
考えねばならない時ではある。社会が荒れすさんでいます。
78考える名無しさん:2009/08/13(木) 16:22:58 0
>>77
>>人々の苦悩への済度が必要である
仏教が解決しようとしている「苦悩」は生活苦ではまずない。
生老病死を一言でいえば、「存在すること自体の苦」とでも言えよう。
「貧乏」や「金持ち」などに関わりなく、社会が荒れているか、安定しているか
に関わらず、襲ってくる「死にたくない私がいるのに、必ず死ななければならない」
という生の根源的矛盾の解決に道を示すのが仏教であると思う。
しかし、一方で「底知れぬ不安」を抱かない人々、もしくはその不安が、顕在化されない
人々も存在するのである。では、そのような人へ仏教者はどう向き合えばいいのか。
私の答えは「ほっとけば良い」である。
79考える名無しさん:2009/08/13(木) 18:39:03 0
ほっといたら金がもらえないから
 あおっているんでしょ
80考える名無しさん:2009/08/13(木) 18:42:33 0
んなわけねーだろ。なんか変だと思ったらやっぱり江戸か。
どこいったよ?人?
81考える名無しさん:2009/08/13(木) 20:40:43 0
難解で不毛な宗教論争に労を咲くより
現実的な政治に興味を持ち
選挙に行きましょう
そのほうがよほど世のため人のためです
82考える名無しさん:2009/08/13(木) 20:50:56 0
>>81
政治に関わるとろくな事がない
それに誰に投票すればいいか判断する妥当な基準も情報もない
まあ、一応選挙いくけど
83考える名無しさん:2009/08/13(木) 20:56:53 0
邪教に洗脳されている
ので仕方がないと思いますが
情報は与えられるものでなく自分で獲得するものです
たとえ中途半端な知識でも選挙のために何かした
ということが国を浴するでしょう
むなしいからと不毛な宗教論争に埋没しないように
84考える名無しさん:2009/08/13(木) 21:28:54 0
>>83
洗脳というけど、人は生まれながら洗脳されてるよ。
生まれた後で洗脳されるのは言語学や認知科学、哲学からでも理解できるでしょう。

>情報は与えられるものでなく自分で獲得するものです

 不毛な世俗の情報獲得解読にあまり時間かけたくないんですよ。

>たとえ中途半端な知識でも選挙のために何かした
>ということが国を浴するでしょう

 この考えは、民主主義が善く、政治に参加することが善いという近代主義に洗脳されていると思うんだが。
 なんで、選挙や政治に関わることが国を善くするんだい?
 悪い動機で政治に関わるなら、国も悪くなるだろう。

 政治ってのはただの妥協調整の手段だよ、正しいも善いもない。
 あるのは妥当とか「しょうがない」とかそういったことだけ。
 
>むなしいからと不毛な宗教論争に埋没しないように

 宗教論争ではなく、仏教なんですが?
 仏教は本来、論争、妄想の廃止、寂滅を説く道です。
 対象を知らないのに批判するのは止めましょう。
 批判するために仏教を知るためには梵パ蔵漢の四語が必要です。
85考える名無しさん:2009/08/13(木) 21:37:26 0
悪い動機で宗教をやったら最悪です
上から目線の妄想宗教なんて過去の遺物にして
未来に向かって全員が参加できる選挙システムを
どうやったらよりよく機能させられるか政治に興味を持ちましょう
 もう 邪教がはびこった
参政権を与えられなかった時代には戻りたくありません
86考える名無しさん:2009/08/13(木) 21:57:57 O
デモクラシーはなんら人間を高尚にしません
87考える名無しさん:2009/08/13(木) 22:05:15 0
空想で高尚になるのは誰にでもできます
 しかしみんなが現実に目を向け デモクラシーで
何とかしようとする行動
それ自体がバカ宗教にこもってしまうより
はるかに精神的活動です
88考える名無しさん:2009/08/13(木) 22:37:18 0
>>85 >>87
あなたの説は、断定による主張だけで根拠、理由がなんにも示されませんね。

こういう立論・論法を信仰表明とか所見とか言うんですが
もうちょっと人に意見するなら、根拠を示して筋道立てて話さないと
誰も相手にしませんよ。

私もあなたが根拠を示さないなら、もうレスつけませんので

89考える名無しさん:2009/08/13(木) 22:43:30 0
政治に興味を持ち
選挙に行きましょう
どうせ ダメだろう 政治に理想は実現できないだろう
と邪教が振りまいた日本の悲しい歴史から
いい加減脱皮しよう
 宗教なんて しょせん権力者が支配民に与えた麻薬に過ぎない
90考える名無しさん:2009/08/14(金) 00:27:16 0
哲学版だから
政教分離ぐらい基礎知識だと思っていたけどな
それを説明すると 長いよ
91考える名無しさん:2009/08/14(金) 01:11:37 0
>>89
巣にお帰りなさい。
>>宗教なんて しょせん権力者が支配民に与えた麻薬に過ぎない
どんだけ無知なんだよ。本気で思ってるなら、哲学板に来るなよw
受け売りの言葉で、自分の貧しい知性をこれ以上晒すな。
民主主義が好きらしいが、その発生において原動力となったものは何かね?
あなたが、麻薬というキリスト教ですね。キリスト教なくして、民主主義も
近代科学も成立しなかったであろう事くらいは、お勉強してから哲学板に来てねw



92考える名無しさん:2009/08/14(金) 02:43:22 0
親鸞さんのがいいそうな
93考える名無しさん:2009/08/14(金) 05:58:26 0
>>90
政教分離は、ただセム系宗教が政治的排他的だから発生した概念で、
他の文化圏ではあまり意味がなく、そもそも、根拠がない。
あるとすれば亜科学信仰以外の信仰を拒否する疑似教会機能をはたしてるとはいえるだろう。
94考える名無しさん:2009/08/14(金) 10:46:14 0
近代システムの生みの親が
いくら宗教でもいつまでも敬う必要はない
これからは 人間が経験したことのないような
未来が来るかもしれない
できることは政治に興味を持つこと
95考える名無しさん:2009/08/14(金) 21:47:13 O
で政治でなにをするの?
96考える名無しさん:2009/08/15(土) 06:48:23 0
仏教と政治と言う大問題はともかく、今、もう一度「精神」について考えねばならないでしょう。
仏教の心理学は、難しくて、修行無しでは、理解出来ません。ここは、単純に
   グーグル検索:精神について
を参考にして下さい。同名のタイトルが二つ有りますので、jikuron/とあるのを読んで下さい。
97考える名無しさん:2009/08/15(土) 06:57:46 0
96訂正します
   ヤフー検索:精神について
が正しい。ヤフーでお願いします。
98考える名無しさん:2009/08/15(土) 08:10:18 0
この「精神について」は、「C点による時空論」にあるB面を自我境界として精神を
試論したものであります。仏教では、この現象世界を超越して、言葉を変えれば、「欲望」
をコントロールして生きる、極端では欲望を否定して生きる、様なことになります。
現実的では有りません。死すべき人間は、よりよく生きねば成りません。
これは政治とは、別に考える必要があるのでは?
生きる?  欲望?  仏教はどうあるべきか?  今、それが問われています。
99考える名無しさん:2009/08/15(土) 08:54:20 0
>>96
そんなことないよ。
水野弘元『仏教要語の基礎知識』
平川彰『インド仏教史』上
『摂アビダルマ義論』
『入アビダルマ論』
『清浄道論』
『クシャ論』

上の順番に読めばだいたい分かる。
上二つだけでも基本はつかめる。
100考える名無しさん:2009/08/15(土) 09:07:14 0
>>99
つかめるのは「仏教とはどういうものか」だろ?

仏教が理解できるわけではなかろうに。
料理本読んだのと料理できるのはちがう。
司馬遼太郎読むのと旅行体験はちがう。
おれなんか、なんで隣人が時々お経を1日何時間も唱えているのか、理解に苦しむ。
知識と理解(実践する人の心と行動を分かる事)は別次元。
101考える名無しさん:2009/08/15(土) 09:26:32 0
>>100
仏教はだいたい理解できるという意味。

仏教は仏、目覚めた人の教えという意味だから。
レシピなわけだ。作るのが修行すること。
食べるのが解脱、悟りに対応しますね。

隣人さん立派ですね。
102考える名無しさん:2009/08/15(土) 09:59:59 0
朝起きて仏壇にお線香をあげることもしない。それどころか仏壇の無い家も多い。
私共の日常から仏教の影が薄い。今ここで論じられているのは、仏教全般である。

仏教は死んだ。今あるのは葬式仏教と観光仏教だ。そして、その空白を埋めるのは「新宗教」で
ある。だが私達の心は、何かを求めている。「精神」とは何か?
私達は、99氏の様に其の為に、仏教を学ぶべきかも知れない。
だが100氏の言うことも肯ける。
今日本人の心は荒れすさんでいる。此の儘ではいけない。皆が感じている?
103考える名無しさん:2009/08/15(土) 10:14:51 0
仏教徒で有ろうと無かろうと、良識のある心豊かな人はいます。一般の
平均的市民は、日本人はそうでは無いだろうか。

だから事あるごとに、心を傷めている。
104考える名無しさん:2009/08/15(土) 10:46:47 O
事あるごとに心痛めてるだけなら精神病むぞ。
事に対処するという態度になっていかないと我も人も良くならない。
これを私は、退けば無間地獄、進めば往生極楽と考える。
105考える名無しさん:2009/08/15(土) 11:14:33 0
>>101
いや、実は創価っぽい。と邪推している。
唱えるというのは正確じゃなく、テープっぽい。
自分は別に理解できない以外の感情はないが、他の隣人は気持ちわるがってるんじゃないかと邪推している。
そっちのほうが頭をよぎって精神衛星上、あまりよろしくない状況。
106考える名無しさん:2009/08/15(土) 11:24:54 0
104氏の言う様に、日本人の大部分は軽鬱状態なのかも知れない。仏教の一切皆苦とか、キリスト教
の原罪とか、死すべき人間の運命的な基礎感情なのかも知れません。
しかし直接我が身の問題で無い限り、事あるごとに対処しないのも忙しい現実の生活では
出来ないのも無理からぬことでしょう。だが心は傷みます。
107考える名無しさん:2009/08/15(土) 13:51:31 O
>>106
他人の苦しみを見て、我が心が痛んだのなら、それは自分自身の痛みです。
日本は大乗仏教の伝統を持ちます。
貴方の考えは小乗といいますか、自他を全く別のものとして考えすぎではないでしょうか。
108考える名無しさん:2009/08/15(土) 15:11:47 O
宗派によっては、やかましく言わないところもありますが、
なぜ修行僧は禁欲的な生活を送るのでしょうか?
禁欲的行為が安心へと繋がるのでしょうか?
109考える名無しさん:2009/08/15(土) 21:12:59 0
107氏へ
一人ひとりの人格を大切に、生きている意味を尊重するならば、時と場合により、手を貸したり
ただ見つめていることも、必要ではないでしょうか? 一寸視線を変えて伝道の書になりますが
「時あり」と言う言葉があります。洋の東西を問わず、物事にはタイミングと言うことも大切では
無いでしょうか?
110ナノテクモ ◆yh3IZKs7oU :2009/08/15(土) 21:16:45 O
にゅ
111考える名無しさん:2009/08/15(土) 22:11:58 0
>>108
基本的に二点に集約されると思います。
第一に悪い行為をしないため。
悪い行為とは、後に苦を生む行為を言います。
欲望を動機とした行為は苦を生むから、それを止めることで苦を除く。

第二に様々な現象に意識がいって散乱するのを防ぐためです。
こちらは禅定、精神集中の準備として機能します。
112考える名無しさん:2009/08/16(日) 06:11:07 0
観自在菩薩は在家の修行者だったのですか?
113考える名無しさん:2009/08/16(日) 08:23:07 0

色即是空   空即是色
114考える名無しさん:2009/08/16(日) 08:42:33 O
アングリマーラよ。わたしは世界の終わりについてよく考えるのだ。アングリマーラよ 私の仏性とブラフマンとは一致しないのではないか?
115俺の穴:2009/08/16(日) 09:08:26 O
電気どうよう電解質のプラスとマイナスはちょうど物質のズレによって起きている。同様社会構造のプラスとマイナスは社会の電解質から空間の奥底に穴を開ける。心はそれを敏感に感じ取ることができる。今穴があるようだね。
116考える名無しさん:2009/08/16(日) 09:44:40 O
>>111
なるほど。禅的な説明ですね。
ふと思ったのですが、浄土系仏教の南無阿弥陀仏も精神統一、禅定の効果があるのかもしれません。
117歯抜けじじい:2009/08/18(火) 19:15:05 0
比較的良いスレと思い見ておったが、乱れて来たので一言。
本来の御釈迦様の教えは、認識論{観、一目瞭然}であって。
信仰{信じる}ではないよ。
左脳で探っても堂々巡り、ピュアな感性により右脳で得心すべし。
真剣に理解したければ、アドバイスするよ。
118あめのみやつこ:2009/08/18(火) 19:31:25 O
春日のいいたいことはわかるよ。人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 敵は仇なり。考えてやらんということだろ?必要なものは人が運んでくる。特に社会に関しては左脳は敵。人は戻らないことにはいけない。
119あめのみやつこ:2009/08/18(火) 19:35:53 O
もしコンピューターで上に上がったのであればそれは役割。人を大事にしないと落ちる。オーラルコミュニケーションの授業でも言っていたよ。倉とつくと上がいない。
120考える名無しさん:2009/08/18(火) 20:17:10 0
>>117
いやいや、縁起には認識論も存在論も観法も論理学も含まれてますが、
信がないと仏教という体系は機能しないよ。
なにかメカニズムとか法則のように捉え、
それに従って行えば悟れると機械的に考えたのが他ならぬオウム
121考える名無しさん:2009/08/18(火) 20:17:23 O
かずかつさんとガクトが去っても大学内部におんながいるのは知らなかった。何故わかるかはわからないが急にわかった。知らなかったが知っている。
122考える名無しさん:2009/08/18(火) 22:14:14 0
遠離一切顛倒夢想
123考える名無しさん:2009/08/18(火) 22:20:55 0
>>117
お釈迦様の教えをそのまま知るにはどうするのが早道ですか。
117さんはお釈迦様の教えでなければ仏教ではないと考えているのですか。
124考える名無しさん:2009/08/19(水) 07:19:11 0
私もお釈迦様の真の教えを知りたいです。
法事で金を稼ぐ僧侶を見ていると悲しくなります。
125歯抜けじじい:2009/08/19(水) 10:46:45 0
>>120
始めに言っておくけど、私は一切の宗教に関係ない、田舎のじじい。
貴方の立場{仏教系信者}には受け入れ難い意見なのかな。
信仰{信じる}とは何だろう、正しいと思えるから信じる。
観える者は一目瞭然、信じるとは言わない。
私は必ずしも信仰を否定するつもりはないよ。
人類の歴史を見ても、信仰に依り人間としての規範や、安らぎを与えた。
一方では狂信、教義主義に依る悲劇も古今東西格、理解されたし。
御釈迦様は一度も信じなさいとは言っていません。
落ち着いてよく考えなさいと言うのが常套句のごとし。
126歯抜けじじい:2009/08/19(水) 11:41:51 0
>>123 >>124
仏教とは、仏の教え、仏とはそれまでの人類に於いて認識出来なかった
意識領域に認識を深めた人。
御釈迦様の教えを理解した者は、その偉大で、完璧な教えの前に感謝により、
自分の名前なぞ絶対残そうと思わない。
よって御釈迦様の教え以外は、仏教ではない。
御釈迦様の教えを知るには、理解力を高めること。
理解力が有れば、般若心経を見ても判る。
理解力を高めるには。
1}自分とは何か
2}何の為に生きているのか。
3}どのように生きるべきか
以上を明確に知ること。
知りたければ{1}から説明するよ。
127考える名無しさん:2009/08/19(水) 11:48:58 0
>>125-126のような半可通は宗教板にも山ほどいるが荒らしと見做していい
128考える名無しさん:2009/08/19(水) 16:17:35 0
私も日本の仏教は変質していると感じます。

お釈迦様は、死後の世界の存在を肯定していない。
お釈迦様は、春分・秋分の日に死者の魂が現世に帰ってくるとは言わなかった。
お釈迦様は、お経を唱えれば極楽往生できるとは言わなかった。

お釈迦様が何を語られたのか、私は知りたい。
でも、お経の言葉は難しすぎる。
129考える名無しさん:2009/08/19(水) 19:26:04 0
>お経の言葉は難しすぎる。
そもそも、お経はお釈迦様が書いたものではないでしょ。
130考える名無しさん:2009/08/19(水) 19:33:08 0
>>126
般若心経がお釈迦様の教えであるとする根拠はなんですか。
131歯抜けじじい:2009/08/19(水) 19:51:32 0
>>128
御釈迦様の教えを、チョー短く言えば。
>>122さんが書かれたとうり、
いっさいの、てんとう、むそうを、おんりして。に尽きると思う。
判り易くすると、生きて行く上で、様々な欲望や、無知により
間違った価値観や、判断にしがみついて苦しむから、よく考えて
誤った認識から離れなさい。そのような教えだけど。
判った者から観ればそのとうりで、判らない者には手が届かない。
よってはしごの役割になるのが、先に書いた1}、2}3}
を明確に理解する事が一つの道と観ます。
132考える名無しさん:2009/08/19(水) 19:53:35 0
>>131
それはほんとうにお釈迦様の教えなのですか。その根拠は?
133123=130=132:2009/08/19(水) 23:16:36 0
「アドバイスするよ」と書いたからにはスルーしないで下さい。
134考える名無しさん:2009/08/20(木) 01:48:34 0
心経なぞ、予備校講師の書いた古典文学の概略に過ぎん。
デキは良いが、平伏すほど有難がるものでもない。

心経好きに、(特に2chでは)、ロクな奴はいない。
135考える名無しさん:2009/08/20(木) 01:51:37 0
>>134 ←こいつの言っている意味、だれかわかる人いますかぁ?
136考える名無しさん:2009/08/20(木) 04:54:59 0
>>135
分かったつもりだから情けないよ

スル〜推奨
137考える名無しさん:2009/08/20(木) 06:18:06 0
般若心経は観自在菩薩が舎利子に対して語った言葉で、
それを聞いていたお釈迦様が「その通りだ」とうなずいた。

・・・という事で良いですか?
138歯抜けじじい:2009/08/20(木) 09:30:09 0
>>137
般若心経は中国に渡った仏教を中国語で、御釈迦様の教えを凝縮した作品で。
観自在菩薩とは御釈迦様のことです。
御釈迦様{ゴータマ、シィタールタ}の教えは原始仏典。
たとえば阿含経典などがより正確だよ。
139考える名無しさん:2009/08/20(木) 13:33:39 0
>>138
>般若心経は中国に渡った仏教を中国語で、御釈迦様の教えを凝縮した作品で。

いえいえ、梵語も蔵訳もあり由緒正しいインド成立経典です。
シナ訳から訳されて流通したという説もありましたが、あれは勘違いでしょう。

>観自在菩薩とは御釈迦様のことです。

経典の中ですら、お二人は別人格で説かれています。

>御釈迦様{ゴータマ、シィタールタ}の教えは原始仏典。
>たとえば阿含経典などがより正確だよ。

パーリだとゴータマ・シッダッタ、梵語だとサルヴァールタ・シッディ
あるいはガウタマ・シッダールタですね。
正確というのはいただけないですね。分かりやすいぐらいにしといてもらいたいです。

歯抜けさんは、こういった教学は説かなくていいから
自説の続きを説いたらどう?

140考える名無しさん:2009/08/20(木) 17:12:17 0
いいかげんなことばっか言ってんじゃねーよ、糞歯抜けじじい!
141:2009/08/20(木) 17:36:42 O
百済観音よ。よく自分をみるがいい。君はよくよく自分のために生きようとしても生きることができない。万人救済のため君を助けよう
142歯抜けじじい:2009/08/20(木) 18:47:53 0
>>139
内容も判らず、どうでも良い事にこだわって、自己顕示してる者よ。
自分の言葉で存在理由を話してみなさい。
私は自覚者、学者じゃない、
もう少しで自覚できそうな者限定で呼びかけているだけ。
判ってないのを、判らない者には何を言ってもむだ。
可能性が無ければ速やかに退場するよ。
143考える名無しさん:2009/08/20(木) 18:52:04 O
哲学されている方で仏教関係でオススメの本あれば教えて下さいー。
144やみ:2009/08/20(木) 19:22:09 0
ダイレクトの佐竹宇どうしの組み合わせには愛がある。
愛を反故にした覚えはない。1−4から考えるのは難しかった。
ただそれだけのことよ
145考える名無しさん:2009/08/20(木) 20:26:06 0
>>142
お、結構、エゴあるね。
私は単なる情報の誤りを訂正しただけ、
ちゃんとした人なら感謝こそすれ、不機嫌にならないと思うが。

気を悪くされたら、ごめんね。
146考える名無しさん:2009/08/20(木) 20:30:52 0
>>143
哲学的に仏教を勉強したいなら石飛道子先生の本をお薦めします。
次の順番で読むと分かりやすいと思う。

ブッダの優しい論理学
ブッダ論理学
ブッダと龍樹の論理学
龍樹と語れ!

西洋哲学系の術語で仏教を論じたものがよければ
津田真一先生と丘山新先生あたりがいいかな?
認識論関連なら、赤松明彦先生と福田洋一先生をお薦めします。

147考える名無しさん:2009/08/21(金) 02:09:03 0
>>143
このスレの一番最初の方で、何人かの方が本を紹介してますね。
私が読んだものだと、もしまったくの基礎からなら、
水野弘元『原始仏教入門』佼成出版社
中村元『<生きる道>の倫理』春秋社
あたりから。本格的に仏教哲学について学びたいなら、
早島鏡正『インド思想史』東京大学出版会
山口益『般若思想史』法蔵館
『ダライ・ラマ 智恵の眼をひらく』春秋社
など。日本仏教なら、
末木文美士『日本宗教史』岩波新書か『日本仏教史』新潮文庫
で基本的流れをおさえた上で、
『日本仏教34の鍵』春秋社 や『日本思想史ハンドブック』新書館(後者は仏教中心ではないけど、ブックガイドが秀逸)
あたりを読めば、研究のトレンドがわかるでしょう。中学高校の日本史の教科書の説明とはずいぶん違ってきています。
哲学的に仏教を論じた本もいろいろあるけれど、個性が強いので、好みはわかれるでしょう。
読んだものによっては、それでイメージが固定されて、自分で仏教書を読む時の障害になるかも。

148考える名無しさん:2009/08/21(金) 05:16:24 0
>>147
こちらも名著ですね。
149考える名無しさん:2009/08/21(金) 06:07:27 0
本なんか読んでないで坐禅組め、バカタレが
150考える名無しさん:2009/08/21(金) 06:42:41 0
>>149
そりゃ、行は重要だけど、坐禅組むだけじゃだめだな。
三昧・禅定だけではヒンドゥーと変わらん。

151考える名無しさん:2009/08/21(金) 19:54:27 O
>>149
只菅打坐を主張した道元禅師も正法眼蔵などの書物を残しているよ。
なので、ただ坐禅に打ち込むという言葉の中に、
お寺の雑用から書物から勉強することまで含まれていると見るべきかと。
152:2009/08/21(金) 20:10:09 O
ルージュの宣伝で昔 赤い口紅が交差する宣伝があった、ふたつのルージュが近づく。しかし交わらない。ふたつのルージュは互いに近づき右と左に離れる宣伝。まるでスターダストのように。まるでサザンクロスを描くドラマのように
153考える名無しさん:2009/08/21(金) 20:45:53 O
セリーヌ・ディオンの月の曲のような標高3000の山奥のように美しい。月夜野のお餅。
154151:2009/08/21(金) 21:07:50 O
>>151
只菅打坐→只管打坐
誤字でしたので訂正します。
155考える名無しさん:2009/08/22(土) 12:50:05 0
座禅だけでなく作務とかも大切だし、
日常生活で何をやっていてもすべてが禅になるくらい極めるしかない。
156考える名無しさん:2009/08/22(土) 12:58:33 0
すべてが大事だというと何が大事なのか分からなくなる
座禅においても作務においても共通する悟りに至る要素を理解した上で
それを実践することを目的とした上で全ての行為に真剣に取り組むならば
そこで初めてすべてが大事だということに意味が出てくる
不毛な努力・根性主義に陥らないよう注意したい
157考える名無しさん:2009/08/22(土) 15:14:56 0
>>156
ん?
すべてが大事なんじゃなくて
すべてを禅にするんですよ。
それが目的なんですよ。
158考える名無しさん:2009/08/22(土) 15:42:41 O
持戒、布施、精進、忍辱、禅定、般若波羅
159考える名無しさん:2009/08/22(土) 19:10:49 0
結局、おまいら何もわかってないってことだね? ぶひゃひゃひゃひゃひゃwwww
160考える名無しさん:2009/08/23(日) 10:55:52 0
なぜ、僧侶は読経で金を稼ぐのですか?
161考える名無しさん:2009/08/23(日) 11:59:30 0
>>157
目的とかいっちゃ禅じゃないんじゃないかw

>>160
本来は、供養です。
現在は職業なので疑問に思うなら貴方が供養しなければいいだけのことです。

162:2009/08/23(日) 19:44:01 0
自分たちだけでは綺麗ではいられないのさ。
世の中に生きている以上厭離穢土はない。
穢土がなければそれが世の中の色の分だけこちらに
よってくる。
163:2009/08/23(日) 19:54:43 0
菩薩業とはこの世の万人救済のために世の中に存在する
六波羅蜜を標榜する修行者たちのこと。まあキリスト教でいえば妖精のような
存在だ。つまりは慈悲深い存在者。ただしそういった救済の
ための存在はマナスが汚れていない。マナスの汚れがなく
世間を解している世間解のように世の中を広く知り正当覚者のように
正しく物事を解しているものに近づいていく。空は地続きに終わりがない。
識は第八識までに物事の成り立ちを知る。
164考える名無しさん:2009/08/23(日) 20:06:24 O
ただ米原の言うように覚者だからこそ危ないんだけどね。日本の真言宗やインド人や中国人はわかっているが故に怪しい。ただインドにはブッダの前に8人もの如来がいたとかね。
165考える名無しさん:2009/08/23(日) 20:16:30 O
どうでもいい。やるぞ。
166考える名無しさん:2009/08/23(日) 20:16:56 O
つまりビシュヌ(存続)が悪いのよ。その点越後などは最後まで均衡のことを考えたのから残ったのかもな?幕府が悪いことで財政難を被った藩もそれを思ったことだろう。何のための存在かということを。心の方向を向くことが
167考える名無しさん:2009/08/23(日) 20:19:06 O
どうでもいい。時間がない。
168考える名無しさん:2009/08/23(日) 20:42:51 0
釈尊は死者を供養しなさいと言われたのでしょうか?
169考える名無しさん:2009/08/23(日) 21:01:08 0
>>163
唯識ね。それより『普賢行願讃』が感動しますぞ。

>>164
米原ってどなた?

過古仏は釈尊の前は6人か3人が一般的ですが
8人というのは聞いたことがありませんが、何経の説ですか?

>>168
供養は人のためならずという意味なら、言われたかも。
170考える名無しさん:2009/08/25(火) 06:44:49 0
ヴィパッサナをしながら車を運転するのは危険ですか?
171考える名無しさん:2009/08/27(木) 19:25:41 O
子は親を選んで産まれてくるっていうのは
仏教の考え方?
172考える名無しさん:2009/08/27(木) 20:01:34 0
>>171
違います。
173考える名無しさん:2009/08/27(木) 20:53:05 0
なぜ私の両親はあの人だったのですか。
174考える名無しさん:2009/08/27(木) 21:36:12 0
>>173
そういう業だったから。
あるいは、そういう縁起だったから。
175考える名無しさん:2009/08/27(木) 22:05:42 0
縁起をつくることはできますか。
それなら、私の来世の両親を選ぶことができるような気がしますが。
176考える名無しさん:2009/08/27(木) 22:33:17 0
>>175
できますよ。善いことをして悪いことをしない。
善いこととは言葉でも意識内でも他を害さないこと。
悪いことは、その逆。
これを実践できれば、間接的には選ぶことができると言えるでしょう。
つまり、ピンポイントでこの人という選択ではなく、
地獄、餓鬼、畜生でなく人や天に生まれることができるという意味です。
177考える名無しさん:2009/08/28(金) 03:06:38 0
来世が人間である可能性はかぎりなく低いけどね
178考える名無しさん:2009/08/28(金) 20:44:36 0
>>176
輪廻は仏教の教えではないという説(確か秋月りょうみんの本)を読んだことがありますが
これは間違いですか。
179考える名無しさん:2009/08/28(金) 21:21:52 0
>>178
間違いです。和辻哲郎以来、なんにんかそういう人がいますが、
輪廻を仏教では認めないというような学者の本は避けましょう。
他の教えも常識に合わせて適当に書いていることが多いので。
180考える名無しさん:2009/08/28(金) 23:05:44 0
>>179
こんなトコにもwwwww

どこにでも居るな。 まるでGのよ・・・げふんげふん
181考える名無しさん:2009/08/29(土) 04:13:55 0
輪廻思想は仏教がうまれるはるか前からインドにはありました。
当然シッダールタもその影響を受けてはいます。そして解脱を輪廻からの
開放と見る解釈もあるでしょう。しかしそれは仏教が目指す本質ではありません。
182考える名無しさん:2009/08/29(土) 04:54:41 0
>>181
その根拠はなんでしょう?
183考える名無しさん:2009/08/29(土) 07:29:35 0
本質はともかく坂本政道も釈迦も人間が目指すべき目的は解脱だと言ってるだろ
一方は愛を肯定し他方はそれを否定する点で決定的に違っているけど
184考える名無しさん:2009/08/29(土) 07:45:54 0
>>183
半可通はクチだしすんな(笑)
185考える名無しさん:2009/08/29(土) 08:33:19 0
>>184
183じゃないが君はどれほど通なんだw
ちょっと教えてくろ
186考える名無しさん:2009/08/29(土) 08:42:35 0
>>183
それは因縁・苦からの解脱だろ
輪廻思想の輪廻からの解脱じゃない
187考える名無しさん:2009/08/29(土) 09:39:41 0
>>186
なんだ輪廻思想からの解脱くんか。
そんなの問題外。輪廻は思想でなく行者の直接知覚です。
しかも、ウパニシャッドや叙事詩時代に萌芽はあったけど、
輪廻という言葉で術語化したのは恐らく釈尊。

輪廻思想からの解脱なんて説くインド学者は引退すべき。
それを真に受けるのは勝手だが、人にそんな説、説かないように。
188考える名無しさん:2009/08/29(土) 09:57:53 0
輪廻思想の輪廻からの解脱ではない
輪廻からの解脱ってことだな
189考える名無しさん:2009/08/29(土) 09:59:25 0
>>188
そうそう
190考える名無しさん:2009/08/29(土) 10:07:23 0
解脱を目的とした場合、ソウルメイトを探し求めるのとそうでないのとは
どちらが近道でしょうか?
191考える名無しさん:2009/08/29(土) 10:35:21 0
>>190
師なしには妄想か勘違いがオチです。
師を求めるのに善業を積みながら、数年費やすべきです。
本物の師が得られたなら、もう、解脱したも同然。
後は貴方の素直さと精進にかかっているといっていいでしょう。
192考える名無しさん:2009/08/29(土) 12:10:51 0
少なくともスッタニパータには輪廻について言及はしていない
仏陀自体も輪廻に対して否定的だったが当時の状況では
反感を買うのであえて語らなかったそうだ
193考える名無しさん:2009/08/29(土) 12:48:03 0
この瞬間の生滅(輪廻)に関してはスッタニパータにも書かれてるが。
生まれ変わりの輪廻に関しては何も語られてないね。
194正十郎:2009/08/29(土) 15:59:47 O
輪廻とは
言葉通りに理解するだけか?
人間社会や己の生き方や考え方にも
適応出来る
あらゆる問題や悪考などから
脱しろという
メッセージも
読み取れる
195考える名無しさん:2009/08/29(土) 20:25:08 0
>>192
いえ、沢山言及されてます。
それは並川説ですね。並川説は和辻説を劣化させたような話にならない説です。
輪廻に対して否定的というのは輪廻を忌むべき避けるべきものという意味で、
インドの宗教は、その意味で皆、否定的です。


196考える名無しさん:2009/08/29(土) 20:29:10 0
「輪廻」は当時においては、特に意識もされない常識のようなもので、
お釈迦さまはそれに対して「解脱」を説いたという風に理解してますが
これはおかしいですか。
197考える名無しさん:2009/08/29(土) 20:29:58 0
>>193
それは無理な解釈ですね。
中村訳『スッタニパータ』
728 世間には種々なる苦しみがあるが、それらは生存の素因にもとずいて生起する。
実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、くり返し苦しみを受ける。
それ故に、知り明らめて、苦しみの生ずる原因を観察し、再生の素因をつくるな。

729 この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は、その帰趣(行きつく先)は無明にのみ存する。

730 この無明とは大いなる迷いであり、それによって永いあいだこのように輪廻してきた。
しかし明知に達した生けるものどもは、再び迷いの生存に戻ることがない。
198考える名無しさん:2009/08/29(土) 20:34:58 0
>>196
可笑しいです。輪廻という言葉も恐らく釈尊の創建です。
輪廻は常識ではなかったと思われます。
恐らく苦行者の間で、ある程度体験されていて共通認識となっていたものと思われます。
そして、常識はローカーヤタのような非宗教家の死んだら終わり思想です。
このことは『梵網経』その他の長部・中部経典やウパニシャッド、
叙事詩などから推測されます。
199考える名無しさん:2009/08/29(土) 20:37:07 0
>>197
生存とは現世に限るのだろ。
生死輪廻も現世輪廻のことだろ。
生まれ変わりは必要ない。
200考える名無しさん:2009/08/29(土) 20:41:07 0
>>198
>輪廻という言葉も恐らく釈尊の創建です。
輪廻は釈迦の仏教以前のウパニシャッドですでに言われていることだね。
涅槃は仏教の造語かも知れないが輪廻からの解脱は当時のバラモン教の
常識に従っている。
201考える名無しさん:2009/08/29(土) 20:53:55 0
>>199
それはありえない。>>197の『スッタニパータ』
以下の『梵網経』に明かです。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
202考える名無しさん:2009/08/29(土) 20:56:36 0
>>200
>輪廻は釈迦の仏教以前のウパニシャッドですでに言われていることだね。
>涅槃は仏教の造語かも知れないが輪廻からの解脱は当時のバラモン教の
>常識に従っている。

ウパニシャッド辺りから生まれ変わりを行者の間で体験するようになったが、
その生まれ変わりをサムサーラという言葉で表現したのは釈尊のようであるということ。
常識といっても行者の中での常識であって、一般には常識でないことが
上の『梵網経』から明かです。
203考える名無しさん:2009/08/29(土) 21:00:32 0

797 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/07/14(火) 21:55:45 0
         ...-ー、,-─ 
        .-=・=- i、-=・=-   
             ((i))
          .. -=ニ=-        つのがらいクリかね?
           .`ニニ´ 
       γ´⌒\___/⌒ヽ  
      /⌒  ィ    `i´  ); `ヽ  
      /    ノ^ 、___¥__人  |   
      !  ,,,ノ爻\_ _人 ノr;^ >  )  
     (   <_ \ヘ、,, __,+、__rノ/  /      
      ヽ_  \ )ゝ、__,+、_ア〃 /

204モンキー:2009/08/29(土) 22:31:25 O
お前達馬鹿だろ
205考える名無しさん:2009/08/29(土) 22:48:36 0
実際のところ輪廻はどうでもいい概念だよ。
釈迦が言及していたとしても妻子を持たない出家層が修行、正道に励むように口から出任せを言ったまで。
他の釈迦の教えと相反しすぎる。
普通に解釈したら悪いことしてれば子孫累代が悪くなっていくつーことだよ。12縁起と合わせて考えれば当然のこと。
206考える名無しさん:2009/08/29(土) 23:55:45 0
実体もなくすべては変化し消滅する
それなのになぜ悟りなんか求める?
死んでしまえば釈迦もヒトラーも同じ

非合理的で理解し難い存在だ
そう考えれば確かに人間は価値もないクズだね
魂の永遠性なんて要らない
207考える名無しさん:2009/08/30(日) 01:59:12 0
手塚治虫の「ブッダ」は仏教通の人から見ればどういう評価が下せますか。
208196:2009/08/30(日) 03:06:03 0
橋爪大三郎の「世界がわかる宗教社会学入門」(ちくま文庫)148頁に
「輪廻の思想は、仏教において初めて成立したのではない。むしろ仏教が、初めて輪廻を
否定したのです。否定したとは「輪廻を乗り越える」というアイデアを打ち出したという
ことです。仏教以前の人びとは輪廻を肯定し、世界の逃れようもないあるがままの姿だと
考えていた。仏教は、そこからの差異化をはかったのです」
とありますが、この記述にはどう思いますか。
209教官短W ◆TANPanX3xc :2009/08/30(日) 03:15:56 0
ぼん時じゃな・W
210名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 04:01:12 O
輪廻するかどうかは、いつか死んでみればわかります
わからなかったら、しないんだろう
211教官短W ◆TANPanX3xc :2009/08/30(日) 04:10:54 0
>>210
生きているうちに知りたいのさ☆



ハゲ
212名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 05:01:20 O
仏教スレでハゲといわれてもなぁ
213名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 06:56:57 0
>>205
なんも分かってないな。

>>206
それは輪廻が苦だからだ。

>>207
正確に仏伝を再現した佳作だが、手塚さんの脚色が色々入ってる。
エンタとしてはいたしかたないのかもしれないが、そこが惜しまれる。
214名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 07:02:16 0
>>208
ウパニシャッドから輪廻から解脱という概念がありますので、
仏教が起点となったかどうかは疑問。
ただし、輪廻、サムサーラという言葉は仏教が起点と思われる。
しかしならが、史的変遷など考えても意味はないと思う。
215名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 07:17:53 0
いまどき仏教思想を「真面目に」信じている人なんていないだろう
仏教思想にリアリティーというか現実的効果がないし
仏教は葬式屋さんでいいんでないの

人間ってのは「雨が降るように」単純に死んで終わりなんだけど
葬式屋さんはそれを受け入れられるように我々を癒してくれるわけさ
216名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 07:39:35 0
>>215
いるよ。しかも欧米では大学でも普及しつつある。
苦を除くワークショップなどで仏教がいかに効果的か欧米では認識されつつある。
信者も増えている。私の印象ではフランスの信者はちゃんと行もして
ある程度の境地に達した人が多い。
その代表がマチウ・リカールさん。彼は素晴らしい。
日本でもマチウさんのような人が育ちつつある。
217名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:21:48 O
やくざ
218名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:35:55 0
>>213
>>216
参考になります。
あなた方のようなご意見をお聞きしたいです。
219名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:48:25 0
>>215
釈尊の「一切法は生滅する性質である」というこの短文が、
パルメニデス、ソクラテスから始まる実在論・本質主義だけの
西洋思想を軽く乗り越えているんですね。
それは「なぜ無ではなく、むしろ何ものかが有るのか」というライプニッツの問いに明らか。
その実在論・本質主義はハイデガー、ウィトゲンシュタインがやっと疑問視したものの、
クリプキで早々に復活している。

なぜか。現象は有るのではなく、生滅するものという存在論・認識論だからだ。
つまり、縁起でセツナ的に x として認識されるだけの存在であるということ。

これだけでも、仏教がどれほど偉大な教えか分かるが、
西洋思想とちがって、ただの思想ではなく苦を除くプラクティカルで、
効果的な道であるということがどれほど素晴らしいか、わかるだろうか?
220名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:49:15 0
>>218
ども〜、なんでも聞いてください。答えられることにはお答えします。
221名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:55:19 0
苫米地英人の仏教解釈ってどうなんだろうか、わかりやすいんだけど
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6723592
222名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:34:54 0
>>219
コピペ乙。
223名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:03:22 0
>>221
すまん。一時間もみてられん。
彼の論旨だけ、書いてくれればコメントするよん。
224名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:05:11 0
でも欧米人てまだ実在としての神を信じてるんだろ?
仏教哲学が信仰を覆すところでには意識が達してないと思う
225名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:13:41 0
>>224
一般論で言ったら、東洋人だってほとんど実在論なんです。
量子論以降、仏教に注目してきた人がなんにかいたのは事実。
しかしながら、ニュー・サイエンスという際物所属の方が多かったので、
説得力が不足していた。というところか。
それを打ち破る一人が、マチウ・リカールさんではないかと思っている。
226名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:23:22 0
ところで、皆さん托鉢に行かないの?
227名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:50:08 0
>>226
夜の7時過ぎに托鉢する馬鹿がどこにいるw
228考える名無しさん:2009/08/30(日) 20:43:56 0
午前中に行ったのですね
失礼しました
229考える名無しさん:2009/08/30(日) 20:59:18 0
>>226
アホか?
托鉢する奴は出家してる
ネットみれる在家は基本そんなことしない
230考える名無しさん:2009/08/30(日) 21:28:40 0
>>226
托鉢してるビクが2ch.するかな〜
231考える名無しさん:2009/08/31(月) 02:17:04 0
輪廻があるとして、私の起源は何なのですか。
無限の昔から存在していたのですか。
232考える名無しさん:2009/08/31(月) 04:23:31 0
>>231
実在基盤としては何もありません。輪廻は始まりがないと言われます。
ですが、無明が起源と言えば起源です。十二縁起から分かるでしょう。
仏教では。
233考える名無しさん:2009/08/31(月) 06:44:29 0
さあ、托鉢に出かけるかな

       ∧,,,∧
      (´・ω・`)
    l⌒O⌒⌒⌒O⌒l
    | □囗□囗□ |
    | 囗□囗□囗 |
    | □囗□囗□ |
    | 囗□囗□囗 |

234考える名無しさん:2009/08/31(月) 12:37:15 O
「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語
http://www.amazon.co.jp/dp/4333023971/ref=mem_taf_books_d
235考える名無しさん:2009/08/31(月) 14:34:40 0
>>233
托鉢は乞食じゃない
踊念仏で民衆にお返ししろ
バチがあたるぞ
236考える名無しさん:2009/08/31(月) 15:14:24 0
>>231

仏教では自我はもともと無いものなのにあると思わされていると考えるのです。
つまり無我です。
仏教では修行で自我意識を徹底的に叩き潰して最後に無我の境地を知るということになります。
バラモン教では「真我」とも言われますが、「入菩提行論」 では釈迦は次のように述べています。

バラモン教徒「真我が実在している、無我などではない。」
お釈迦様「自我が消えて、真我が現われると考えるか、我が無くなると考えるか、その違いに過ぎない。」

つまり「自我なんかないんだなあ(無我)」と思うのと
「何とも形容できない『私(真我)』だけがある」と考えるのかの違いだけですね。

禅宗では「無位の真人」とか「父母未生以前本来面目」とか言うんだが、
最終的にはそう思ってるという意識すら捨てる。
ただ言葉で説明しなくちゃわからんから、
とりあえず「無我」とか「私」とか「真我」とか「無位の真人」とか名称とつけてるだけなんですわ。
237考える名無しさん:2009/08/31(月) 15:19:22 0
>>236
231に答えるんなら、「私の起源」を書かないとだめでしょう・・・
話がちょっとずれてるよ。
238考える名無しさん:2009/08/31(月) 15:45:54 0
>>236
『入菩提行論』は釈尊ではなく寂天菩薩の著ですよ。
それ何偈ですか? たぶんそれで論理は完結してなくて誤解を与えると思う。


239閻魔 ◆TANPanX3xc :2009/08/31(月) 15:54:30 0
6階層のX地獄の話からか?\\\\

はふん
240閻魔 ◆TANPanX3xc :2009/08/31(月) 15:56:24 0
第一地獄は舌きり地獄だ!
241閻魔 ◆TANPanX3xc :2009/08/31(月) 15:58:52 0
苦しめよ、ばかやろう!!!!
242考える名無しさん:2009/08/31(月) 16:09:53 0
輪廻転生をまともに説明できている人はいないな。
243考える名無しさん:2009/08/31(月) 16:14:47 0
244考える名無しさん:2009/08/31(月) 16:42:12 0
>過去世の無始の煩悩
なんて勝手に書き足されただけだからな。
十二縁起は輪廻転生の説明になんてなってないよ。
十二縁起は人間の生存について表しているだけ。

wikipediaの輪廻の項目では仏教の解釈では
魂や意識に実在や連続性もない。つまり魂のエネルギーが消滅し別のエネルギーが生まれるだけとなってるしな。
連続性がないのに過去世とはこれ如何に。
245考える名無しさん:2009/08/31(月) 17:15:50 0
>>244
ありえない>197 >201

そういった近代的和辻解釈はもう過去のものでしょう。
並川さんは単なる笑いものw
246考える名無しさん:2009/08/31(月) 17:27:12 0
>>244
>魂や意識に実在や連続性もない。つまり魂のエネルギーが消滅し別のエネルギーが生まれるだけとなってるしな。
>連続性がないのに過去世とはこれ如何に。

それが縁起。連続と捉えるか、不連続と捉えるか、
同一性を観るか、非同一性を観るかは、全てただの縁起。
習慣的認識のみのもの。本来は無常、無我、空の幻だから。
その縁起を実体的、実在的に解釈するから貴方がただ分かってないだけね。
詳しくはこちらを。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/l50
247考える名無しさん:2009/08/31(月) 17:30:34 0
>>245
それは一所に現れた言語を翻訳しているだけで、
仏教思想や仏教的解釈をしているわけではないからね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/輪廻
の仏教における輪廻を読んでみなよ。

近代的解釈と違って輪廻を否定していないがここから過去世とか未来世とか引き出せるのか?
釈尊は自分の言った言葉がモデル化されないように注意を払っていたのになぜ輪廻については強引かつくだらないモデル化を行わなければならないのか?
これは単なる後生の弟子達の願望に過ぎないだろう。
248考える名無しさん:2009/08/31(月) 17:31:58 0
>>246
わかりやすく実体的に言ってみただけだよ。
249考える名無しさん:2009/08/31(月) 17:33:41 0
>>247
ミスった
×輪廻については強引かつくだらないモデル化を行わなければならないのか?
○輪廻転生については強引かつくだらないモデル化を行わなければならないのか?
250考える名無しさん:2009/08/31(月) 17:43:23 0
紹介してもらった>>201のウィキをみてみたら

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/14.html

さて、仏教における輪廻思想の問題点をまとめておこうと思うのですが
基本的な思想として仏教には「人間は悟らなければ、何度でも生まれか
わり、生の苦しみを味わうことになる。これから抜け出すには解脱し
輪廻を断ち切るしかない」 というのがあります。また一方には「無常」
すなわち、永遠不滅のものはないという思想があり、これが輪廻思想と
矛盾してしまうのです。 というのは、輪廻転生思想というのはAという
個が消滅した後、生じるBという個との間に何らかの関連性がなければ
そもそも概念自体が崩壊します。AからBへと連鎖するもの、その名前は
何でも良いのですが、例えば霊と言おうが魂と言おうが、あるいは実体が
あろうが、なかろうが、そんなことはどっちでも良いのです。
その属性として唯一はずせないのが、他との識別可能性なわけです。
すなわちAからBへと連鎖したものが、CからDへと連鎖したものとは異
なることが、わからなければ輪廻思想の概念自体がなりたちません。
言い換えるとBには必ずAの干渉が見出されなければならないわけです。

しかし、この連鎖するものがたとえどのようなものであろうとも
個から個へと受け継がれていく限り、その継続性は「永遠不滅のものは
ない」という思想に矛盾してしまいます。この二律背反の論理的矛盾の
解消に多くの仏教家たちが挑んできましたが、現在までそれに成功した
ものは皆無です。

と記述がありました。
結局、輪廻転生は仏教の他の思想と反していて説明も理解もいまのところ不能と言うことが真相らしいですね。
251考える名無しさん:2009/08/31(月) 18:49:18 0
>>237

なるほど。起源ですね。
キリスト教的に言えば起源は神になります。
仏教的には無です。
ここらへんは難しいので「言葉」や「論理」というものの魔術的側面をしっかり理解してください。
キリスト教では起源は神になります。プラトン的に言うと一者とかになるんでしょう。
起源とは何でしょう?始まりです。始まりを神とするのがキリスト教です。「アルファでありオメガである」。
仏教では始まりと終わりを想定しません。記憶・記録にある過去と想定された未来をすべて今現在に収斂させます。
キリスト教が「永遠の命」というなら、仏教は「永遠の今」と主張するのです。
キリスト教には「魂」という考え方がありますが、あれは重要視されるものではありません。
後世のバカが神学の辻褄合わせに魂は永遠とか言ってるだけです。
仏教には輪廻転生という考え方がありますが、あれは重要視されるものではありません。
後世のバカが仏教哲学の辻褄合わせに輪廻転生すると言ってるだけです。
共通点があるでしょう。「人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。」
というのは嘘ではありません。このキリストの言葉はかなり仏教的なんですよ。
最終結論を言いましょう。

起源・キリスト教の場合
神→創造物ーーー人々ーーー→救世主イエスキリストーーーそれぞれに宿る聖霊=神=キリスト
キリストの一部であり構成要素としての「私」

起源・仏教の場合
無→生死ーーー自我ーーーー仏陀ーーーー→それぞれに宿る仏性=無我=全体的無意識(集合的無意識みたいなもん)
無に解け合う「私」

かなり難しいけど、だいたい哲学板にいる人々は「心身」の「身」を蔑ろにしてる人が多いから
その辺りがヒントだ。頭で論理をグルグル回しても、実践して体感できた人には勝てないよ。
昔はオレも頭だけで考えれば何でもわかると思っていた。
でも心と体は「ともだち」でいないと滅ぶよ。
252考える名無しさん:2009/08/31(月) 18:53:24 0
キリスト教の魂の不滅性の議論を後世のつじつま合わせというのはさすがに無理
その視点自体がロマン主義以降の捏造だな
253250:2009/08/31(月) 18:57:27 0
良く読んで考えたら輪廻転生て単に滅の縁起で生が発生するって言っているだけなんだな。
現存している仏教が神秘主義(チベット仏教筆頭に)でまるで死んだ人間が来世に生き返るみたいに説いている糞たればかり
だから輪廻転生の言葉自体を勘違いしてたわ。
254考える名無しさん:2009/08/31(月) 19:18:22 0
生き返るじゃなくて生まれ変わるだな。

はぁ言葉はめんどくさいよ。
255考える名無しさん:2009/08/31(月) 20:00:40 0
>>247-248
いいは、話にならん。

>>250
それは反証。批判対象ね。答えはまだ書いてないだけ。
256考える名無しさん:2009/08/31(月) 20:04:11 0
>>251
>仏教には輪廻転生という考え方がありますが、あれは重要視されるものではありません。
>後世のバカが仏教哲学の辻褄合わせに輪廻転生すると言ってるだけです。

君が何も知らんだけ。仏教で輪廻を重視しない伝統など一つもない。
あるとすれば新興宗教だ。

輪廻概念のないシナ、チベット、日本、西洋などどこでも
強い抵抗を受けながらも輪廻を捨ててないことからハッキリ分かるし、
もっとも古いスッタニパータから一貫して輪廻は生まれ変わりの意味で、
否定的解脱対象としてずっと説かれている。
257考える名無しさん:2009/08/31(月) 20:09:10 0
>>253
>良く読んで考えたら輪廻転生て単に滅の縁起で生が発生するって言っているだけなんだな。

それでもいいが、もし生を起点に発生や死を起点に断滅があるなら、
輪廻ではないし縁起が連続しなくなる断見になる。
断見というのは原始仏教以来、死後や業、因果がないという見解だとハッキリとかれている。

たぶん、君が並川みたいなドキュン学者の説を信奉してるんだろうが、
それは仏教じゃないから、疑似仏教というべき似て非なるもの、
ただの観念遊戯だから。
258考える名無しさん:2009/08/31(月) 20:37:17 0
>>257
特にどの学者も信奉してません。
今までの自分の経験と仏教について調べた知識でこうではないのか。
と自分なりに見解し理解しようとしているだけです。

とりあえず。現在は
世の中、因果は永遠の常見的思考と
人の一生は1度きり(因果を引き継ぐのは自分ではない)の断見的思考の両方を取り。
中道的思考としたいと思います。
259考える名無しさん:2009/08/31(月) 22:04:42 0
母さん、わかったよ
あと5分で托鉢に出かけるよ

       ∧,,,∧
      (´・ω・`)
    l⌒O⌒⌒⌒O⌒l
    | □囗□囗□ |
    | 囗□囗□囗 |
    | □囗□囗□ |
    | 囗□囗□囗 |

260考える名無しさん:2009/08/31(月) 22:32:12 0
>>259

ああ・・・
今の時代、早朝よりも今くらいの時間の方が
起きてて、ちょうど食事中でっていう時間かも・・・・


って、おい! んなわけねーだろ!
迷惑なことはやめろwww


って、26分過ぎてる・・。 遅かったか・・・。
通報されないことを祈る・・ (`・ω・´;)
261考える名無しさん:2009/08/31(月) 23:03:20 0
邪教。
262考える名無しさん:2009/09/01(火) 15:58:47 0
仏教ツマンネ
263考える名無しさん:2009/09/01(火) 17:22:24 0
仏教オモンネー
264考える名無しさん:2009/09/01(火) 20:07:47 0
     _____________
   /|:: ┌──────┐ ::|
  /.  |:: |          | ::|
  |.... |:: |         | ::|
  |.... |:: |         | ::|
  |.... |:: └──────┘ ::|
  \_|    ┌────┐   .|     ∧∧
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄     (  _)    俺が働かないことで
             / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄旦 ̄(_,   )
            /             \  `
           | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|、_)
             ̄| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| ̄

     |           .( ( | |\
     | )           ) ) | | .|
     |________(__| .\|        俺の代わりにだれか一人、職を持てる
    /―   ∧ ∧  ――-\≒
  /      (    )       \
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
  |______________|

   ∧∧
  (  ・ω・)
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                            俺はそういうことに幸せを感じるんだ
  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/
265考える名無しさん:2009/09/01(火) 20:17:13 O
やくみはな俺とはちがうんだ。やくみはずっと同じところにいた。俺はどこか駆け回ってたんだ。日本に国ができた時もそうだったやつらは天才的にすべてを理解したんだ
266考える名無しさん:2009/09/01(火) 20:20:08 0
>>262-263
仏教は最高なんだが、一般の学者の仏教書はツマンネ。
267考える名無しさん:2009/09/01(火) 20:22:08 0
>>251
>起源・仏教の場合
>無→生死ーーー自我ーーーー仏陀ーーーー→それぞれに宿る仏性=無我=全体的無意識(集合的無意識みたいなもん)

ん・・・いまいち。
私の起源を問われれば、「無明」と答えるのが仏教だろ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%9B%A0%E7%B8%81
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%98%8E
268考える名無しさん:2009/09/01(火) 20:24:40 0
やくみ オヤシロ 殺し 殺害 宮の下 カルーセル真木
269考える名無しさん:2009/09/01(火) 20:45:03 0
>>267
>251は問題外と一見して分かるでしょ。
一応、無明なんだけど。そこが始まりというわけでもないでしょ。
270考える名無しさん:2009/09/01(火) 21:15:19 0
現象学は意識作用とそれによって生じた意識内容に重点をおき
意識そのものというのをあまり想定してないような気がする
仏教も固定した自我というのを否定する観点から
両者は似通っていますかね?
271考える名無しさん:2009/09/01(火) 21:34:27 0
>>270
似てないだろーが。
凡人。
272考える名無しさん:2009/09/01(火) 22:56:53 0
知識ばかり追求しているのはたいてい凡人だよね。>>271のように。
覚者は直感で理解する。
273考える名無しさん:2009/09/01(火) 22:58:29 0
>>272は変人。
274考える名無しさん:2009/09/01(火) 23:36:59 0
右脳が発達している人。つまみ読みするだけで直感的に全て理解する。勝手に論理的思考。
左脳が発達している人。知識を詰め込む知識をひけらかすだけで基本的に解っていない。
左脳、右脳が非常に発達している人。きちんと理解しそれらを組み替え理路整然と説明してくれる。

良くいるのは真ん中のタイプ凡人。特に日本人はこれ。
275考える名無しさん:2009/09/02(水) 07:50:34 0
>>270
現象学の山口一郎先生などは、唯識について関心を払っておられます。
276考える名無しさん:2009/09/02(水) 09:05:16 O
最近、ティク・ナット・ハンさんの本を読みました。
結構良いです。
277考える名無しさん:2009/09/02(水) 17:59:47 0

>>274

だから日本は自殺者多いんだよ。左脳バカばっかりになっちゃったんだよ。
左脳系ばっかりだと全体主義的になる。右だろうが左だろうが流されやすい人が多い。
何のための身体技法(礼儀作法・正座・辞儀・姿勢・茶道・禅・礼法)だったのか?
全部右脳を活性化させて左脳とバランスをとるためだったんだろが。
だから識字率は江戸時代でも世界一だったんだ。
何でもそうだけど「バランス感覚」を忘れたら暴走特急と同じだよ。
まったく何のための「中道」なんだか。
278考える名無しさん:2009/09/02(水) 20:27:58 0
仏教では個々人が素晴らしいものをもっていると説くんだけど本当か?
周り見るとこいつ救いようがねえバカだクズだって思って
生きる価値あんの?こいつって感じてしまうんだが
279考える名無しさん:2009/09/02(水) 20:30:46 0
>>278
本当だ。如来蔵とも言う。

みるものが全て輝いていれば自他ともに楽しいだろう。
君のように観ていたら自他ともに苦しいだろう。
280考える名無しさん:2009/09/02(水) 21:01:02 0
>>279
いや、俺はいいんだよ
自分が尊い存在だって自覚してる
ただ運が悪いね
周りが出来の悪い欠陥人間ばかりで俺に迷惑を掛ける
多少でも利用価値があればいいんだけどカスばっかりだな
世の中ろくな奴がいねーって常々思うよ
281考える名無しさん:2009/09/02(水) 21:07:00 0
>>280
う〜、現代の日本人、特に犯罪を犯すヤツはそういう思考法。
早く抜け出せ。
282考える名無しさん:2009/09/03(木) 09:54:07 0
>>280
>いや、俺はいいんだよ
>自分が尊い存在だって自覚してる

こういう考えの基に科学的思考法が潜んでいると思ってる。
なんても対象化して客観的に分析すると解決できるという。

しかし、それではどうであるかは分かるが、どうするかは分からない。
そして、この見方考え方が現代社会を不幸にしている根源だと思う。

つとにニーチェが気付き、ハイデガーが明かにしたもので、
それを乗り越えるのが、仏教の縁起、無我、空、慈悲、利他だと思う。
283名無しの禅師 ◆gBLpBEN2TQ :2009/09/03(木) 18:20:45 0
自分が尊くて周りが欠陥人間だなどという価値観持ってる人が増えると
当たり前のように精神病が増えるでしょう。
煩悩が増幅すれば敵が増える。目が合っただけで敵だと思って因縁つけるのが893系じゃ。
幸せになろうとして欲を満たそうとするが、結果どんどん不幸になってるのが現代人じゃ。
じゃあ欲を減らせばいいでしょう。欲を減らし続ければ、知足じゃ。
初恋の感覚を何度も。初〜〜の感覚を何度も。慣れという記憶の集積によるものを捨てる。
病人だらけの日本を救えるのは止観の実行しかあり得ないのじゃ。
「もっともっと」と求めるより、自己を掃除して新鮮さを感じるのはいいもんじゃ。
284考える名無しさん:2009/09/03(木) 19:00:19 0
俺は自分が栄えればそれでいいんだよ
他人は落ちぶれてもかまわない、淘汰されればいいんだよ
自分の幸福の条件なかに、他人が幸せである必要性はないだろ
大乗は異端思想
285考える名無しさん:2009/09/03(木) 20:03:42 0
>>284
少なくとも仏教について何も分かってないなw
286考える名無しさん:2009/09/03(木) 20:47:01 0
>>285
てか仏教はもういいよ
俺は仏教に従うつもりもないし
じゃあ
287考える名無しさん:2009/09/03(木) 21:11:49 0
>>286
仏教スレなんだが(^^)
288考える名無しさん:2009/09/03(木) 21:14:05 0
日本は仏教国と言えますか。
289考える名無しさん:2009/09/03(木) 22:03:54 0
>>288
信仰の薄い仏教国でしょう。
290考える名無しさん:2009/09/04(金) 06:48:51 0
>>288
日本流に変質した仏教だな。
291考える名無しさん:2009/09/04(金) 06:55:15 0
>>290
仏教はどこでも縁起します。文化的表層は、あまり重要でない。
292考える名無しさん:2009/09/04(金) 10:17:48 0
神の国じゃなかったの?
293考える名無しさん:2009/09/04(金) 11:43:46 0
>>292
そう言うバカなことにしてしまったのは九州の朝鮮人が作った明治政府。
294考える名無しさん:2009/09/04(金) 12:53:46 O
今日も駿府城うまい
295考える名無しさん:2009/09/04(金) 17:45:20 0
>>293
それ薩摩藩のこと?長州藩の方が強い気がするが。
今までも山口県出身の首相が多いし。長州閥だろ。まあ今回の自民大敗で終わったがね。
薩摩は廃仏毀釈がひどかった。
当時の九州に朝鮮人はあんまりいない。顔を見ればほとんどが南方系だとすぐわかる。
296考える名無しさん:2009/09/04(金) 22:03:22 0
日本の仏教は、読経で金を稼ぐ仏教だ
297考える名無しさん:2009/09/05(土) 18:48:20 0
明治から戦中にかけても仏教国だったんですか。
298考える名無しさん:2009/09/05(土) 21:36:20 0
釈尊「金を稼ぎなさいと教えた覚えはない」
299考える名無しさん:2009/09/05(土) 22:07:27 O
たまに仏教の深遠な言葉を聞くと泣きそうになる。たまらなく感動する。
こんな俗物のクズ以下の俺の存在さえも認めてくれる響きがある。
300考える名無しさん:2009/09/06(日) 11:26:14 0
>>299
よかったね
301考える名無しさん:2009/09/06(日) 15:33:43 0
>>299
いよいよ出家の時がきたようだな。
302考える名無しさん:2009/09/06(日) 16:57:15 0
>>299
その感動している心こそ素晴らしい!
それを随喜と呼ぶ。共感です。
いいことに共感できるのは、心が清らかな証拠。

いい心を持っているよ!
303考える名無しさん:2009/09/06(日) 20:18:33 0

「許容し可能にする」状態とは、以下のようなものである。

・他人がありのままのあなたを認めなくても、あなたはありのままの他人を認める。
・他人が認めてくれなくても、あなたはありのままの自分でいられる。
・他人がどう見ようとも、ネガティブな暗い気持ちにならないでいられる。
・「意図的な創造の方法論」を学び、間違った創造をしない域に達している。


「許容し可能にする」状態になりたいと思ったら、まず自分が欲するものだけを引き寄せようという強い意志をもつこと。
304考える名無しさん:2009/09/06(日) 21:28:31 0
>>303
なにスレ違いの西洋思想喧伝してんだw
305考える名無しさん:2009/09/06(日) 22:56:04 0
そういえばそうだったなw
でも、ありのままって仏教にも通ずるだろ
306考える名無しさん:2009/09/06(日) 23:17:16 0
>>305
我のあるありのままは、ただの現状肯定で、仏教の対極なんですね。
言葉、記号は同じでも意味は全く違う。
307ネオマトリクス:2009/09/06(日) 23:28:09 0
>>1-307の書き込みも
全てが記号の配列∴無限通り=全 て は 記 号 の 配 列 ゆ え に ∞ 通 り だ=すべては
きごうのはいれつゆえにむげんとおりだ=スベテハキゴウノハイレツユエニムゲントオリダ=subeteha
kigounohairetuyuenimugenntoorida=Because all are rows of
the sign, it is infinite streets.=堵愚慧螺轡簸=مبيوت  تكولوجي تس
وناميتليف وكيمون طكيو =色即是空空即是色=「男」との「肌の触れ合い」を
もっと持つことです。私でよければいつでもですが、私側からの「欲求」は全く
ありませんので、誤解しないでください。=OK?DOユーUNDREA
STND?=Hannibalが自作自演を頻繁に繰り返してるカキコ=『三匹のリスザルがキーを叩いた結果
できた文章】です。
308考える名無しさん:2009/09/07(月) 01:38:24 0
>>306
詳しく
309考える名無しさん:2009/09/07(月) 02:11:15 O
>>300
>>301
>>302
ありがとう。でも俺全然心清らかじゃないよ。煩悩だらけで心は汚れまくっている。
欲を無くしたい。苦しみから解放されたい。解脱したい。真我に目覚めたい。
いずれ出家するかもしれない。本当の本当にごまさずに徹底的に考えたんだけど、修行者として生きていくしかないという思いを最近痛烈に感じるのだよ。
310考える名無しさん:2009/09/07(月) 02:32:17 0
>>309
よく分かる。オレもそうだったから。今も結構、残ってるし。
貴方の今の気持ち、解放されたい、解脱したいという思いを出離という。
出離が切実なほど解脱は近い。

よき師と出会われることを祈る。

ビルマ系かチベット系仏教をお勧めする。
311考える名無しさん:2009/09/07(月) 03:32:54 0
俗物のクズ以下な俺→そんな事ないよお前は凄い奴だよ
→そうやっぱ俺って凄い奴→乗るのは乗り物だけにしとけよなっと
 とかいうの日常であるよね
312考える名無しさん:2009/09/07(月) 09:14:05 0
>>308
「あるがまま」とか「ありのまま」、それから色即是空空即是色を、現状そのままで何も変えなくていいと読む説があるが完全な間違い。

そのままでいいなら、一切皆苦ではないだろう。
家を捨て戒を守り、精神集中させる禅定を修し、智慧を得て解脱する必要もないだろう。

色即是空空即是色というのは色受想行識の五蘊を始めとする一切諸法、
つまり、あらゆる現象・知覚が空、つまり実体なく幻のようだということ、
そして空だからこそ、一切諸法が縁起して現象可能だということ。

それを悟るためには戒を守り、精神集中させる禅定を修し、智慧を得る必要があるんです。

現状のままでいいという説は、伝統漢訳では現法涅槃論と言われ、
邪見として『梵網経』で明解に否定される見解です。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html

313考える名無しさん:2009/09/07(月) 10:04:49 0
>>312
>「あるがまま」とか「ありのまま」、それから色即是空空即是色を、現状そのままで何も変えなくていいと読む説があるが完全な間違い。

完全な間違いとは言えない。
現状そのままで良いという側面もある。
「一切衆生悉有仏性」の解釈に二面性があるのと同じ二面性があるから、その両面を見ないとだめでしょう。

現状そのままで良いという側面があることを見逃すと、あなたのように
「それを悟るためには戒を守り、精神集中させる禅定を修し、・・・」と、現状否定的方向に傾き過ぎてしまう。

両面性を見るということ、それが中道だろう。
314考える名無しさん:2009/09/07(月) 10:18:21 0
まあ八正道を実践しなきゃね。
あるがままというのは
価値判断しないことかな。
判断もしないことかな。
意識に何も所有しないことかな。
意識に何も所有していないという意識も所有しないことかな。
意識に何も所有していないという意識も所有しないというという意識も所有しないことかな・・・・・・

無無無無無無無無無無無
無無無無無無無無無無無
無無無無無無無無無無無
無無無無無無無無無無無
無無無無無無無無無無無
無無無無無 無無無無無
無無無無無無無無無無無
無無無無無無無無無無無
無無無無無無無無無無無
無無無無無無無無無無無
無無無無無無無無無無無
315考える名無しさん:2009/09/07(月) 10:19:26 0
>>313
いや、現状否定が仏教の基本、出離、厭離というでしょう。
あなたのような解釈は、適当な世俗への阿諛でしかありえない。
現状そのままでいいとは、如来蔵も本覚門もゾクチェンもどこでもいわない。
そのままでいいというの修行が完成した聖者が、
あらわれそのままで、何もとらわれない境地を指しているのであって、
凡夫の現状そのままでいいというのは、そういうと凡夫が喜ぶから、
言ってしまった出来損ないの仏教徒の追従以外のなにものでもない。

違うというなら、根拠は何か教えてほしい。
伝統仏教説で、そのような説を唱えるものは現代日本仏教以外ないと思う。
316考える名無しさん:2009/09/07(月) 10:45:46 0
>>315
根拠?
まぁひとことで言えば「諸法実相」。
あなたは「諸法実相」を、どういう風に考えているの?
317考える名無しさん:2009/09/07(月) 10:53:58 0
二者で何が議論の焦点になっているのかよくわからん。
しかし、ネオマトリクス師がアラビア語を解するとは思いませんでした。
318名無しの禅師 ◆gBLpBEN2TQ :2009/09/07(月) 11:21:12 0
いつか自燈明・法燈明を体感できるかな。
319考える名無しさん:2009/09/07(月) 13:26:35 0
>>316
まず、自分で説明してね。>>313みたいに考えてるんだったら誤解だから。
それじゃだめだと思う。
320:2009/09/07(月) 13:52:46 O
人間でもねえのに馬鹿
321考える名無しさん:2009/09/08(火) 06:02:17 0

それが何であれ、他者(自己)や社会、世界をも包含した現状を否定するような
理論よりも、それを許容及び肯定できる理論の方が少なくとも精神衛生上は
望ましいのかも知れない。私の中には、様々な思想なり説が混在しており、
そのどれが実際、妥当性があるのか、もしくは現実性があるのかはそれ程、
判然とはしていない訳であるけど、まあ、観点の多角化、複眼化というのは
現代人の誰もが比較的有しやすい精神構造や社会環境であると思う。

つまり、何でも、あるいは自己自身でさえも相対化(無化)してしまうのだ
けれども、これは独断を防ぐという観点においては望ましくても、
ある程度の確信なり、手応え、絶対性、もしくは基軸というのが喪失されやすく、
そういう意味で精神的なアノミー、流出、もしくは乖離的な現象さえ生じ易い
と言えるでしょう。

それで様々な形で展開される理論なり、説、もしくは意見というのはよく聞いて
観ると、それを主張する人の個人性なり嗜好、バイアス、信念、特殊な経験、
環境、利害関係などから生じていることが多いように見え、よくアドバイスなどを
したり、されたりする光景などを観ていると、それはそのアドバイスをしている人
にとって適しているように見えるものが多く、その人とは異なった性格なり状況、
属性、その他様々な偏差がある人へ、それが適していると思えないようなことが
多々あります。思想や生き方などもそうで、万人に妥当するような思想や生き方
というのはこの世界にはなく、ただある程度の社会的、時代的な文脈との
照応連関における妥当性であったり、ある意味、慣習的な経験論から一部言える
ことであったり、そういうものは多少あっても、時代、社会的な偏差や個人的な
特別な状況等までを捨象しての普遍妥当な見解というのを、あらゆる
実存的な問題に対して具象的に提示するのは困難であろうと思われます。

つまり、それが精神的な、心的なものであっても、あるいは法、社会的な
イシューであっても……。
322考える名無しさん:2009/09/08(火) 06:04:59 0
ただ、この考え(現状肯定)だと、あらゆる殺人者、麻薬常習者や、犯罪者、
虐待者でさえその即自態として肯定されてしまうのでは?という疑問もすぐに
生じてしまう。これに対して言えるのは、その前段階において、その即自態に
おいての激しい憤懣や不満や憎悪、嫉妬、劣等感、耐え難さが彼(女)らには
その小児的な自己中心性と共に多々あり、その解消、及び無化としての対自態
をカタストロフな形態で志向することによって、そうした即自態を直截的に
全面的に否定するような態度が、そうした無用な劣化なり破壊を招くのだと
思われます。よく言われるように、殺人者は一種の自殺者でもある。
殺められた他者は、投影されたその殺人者自身であるのだ、みたいな観点
などもそうです。

無気力な態度、自堕落な生活、よく考え抜かれていない諦観などもこうした
広義の対自態に包含されてよいと思う。これに対して現状(自己・他者・社会)を
複眼的な観点から評価、肯定できるようになれば、すなわち苦悩をも含めた
即自態の肯定というスタンスをまず何らかの観点なり洞察に因って得ることが
出来れば、そのことによって現状を全否定−無化するような対自態へとではなく、
次なる即自態という形で、新しい方向性なりソリューションへの導出が
得られるのかも知れません。
323考える名無しさん:2009/09/08(火) 06:07:48 0

それでブッディズムに関しては、その理論的な洞察においては非常に優れて
いると思うことがあり、私自身一部、その認識に依拠している部分もあるけど、
やはりその実践となると困難なのではないかという素朴な直観があります。
欲望や自我(自己)を単なる仮象、現象(迷妄・無明)のように捉えるのは
まだいいとしても、それを否定するというのが、そもそも非常に不自然に感じられ、
そうしたことをある意味、克己として己に課す人達はそれはそれで非常に
価値のある営為ではあるとは思うけど、現実主義者の私みたいな人達には
まず無理だと思われます。

私はもう少し現実的に無理のない観点なり概念をその裡、提示できたらよい
であろうと思ってます。たとえば、脱中心化という発想は、全てを自己愛的に
恣意的に自己組織化して無用な苦痛なりフリクションを組成しやすい私達に
とって、一応、理に適っていると考えられます。ただ、これは自我や他者の
否定ではなく、相対的に、つまりなるべく客観的に観て考えていくという方向を
取っていくということです。それらを原理的に突き詰めていけば、それは感官
なり因縁が生み出している一過性の現象のようなものに過ぎないというのは
全くその通りだと思いますが、でも、みんな喘ぎながら苦心惨憺して生きて
いかざるを得ない訳だから、そうした原理的な考察と共に、もっと具体的な
観点なり着眼というのを開拓していくのが、やっぱり生きている人間の哲学
としては相応しいと思われます。

324考える名無しさん:2009/09/08(火) 12:42:52 0
「あるがまま」を勝手に現状維持と勘違いして詭弁ばかり言っているアホがおるな。
仏教用語をやたらと使いたがるやつはほとんど何もわかっていない。
言語で理解しようとしているから何も解らないんだよ。
325考える名無しさん:2009/09/08(火) 16:24:00 0
>>324
>「あるがまま」を勝手に現状維持と勘違いして詭弁ばかり言っているアホがおるな。

「現状維持」なんて誰も言っていないと思うぞ。君以外にはw
妄想だな・・・

326考える名無しさん:2009/09/10(木) 02:04:50 0
>>324
アホって言ってるヤツがアホだ!!
327考える名無しさん:2009/09/11(金) 10:20:47 0
>>323
ブッディズムは哲学としてあるだけではなく
実践と実践する方法論なんですわ。


328考える名無しさん:2009/09/13(日) 18:41:17 0
教義にとらわれすぎてはいかん

柳は緑、花は紅じゃ
まず、座禅をしてみなされ
329考える名無しさん:2009/09/13(日) 21:35:32 0
>>328
見解は重要じゃ。
330考える名無しさん:2009/09/14(月) 17:17:32 0
>>323
そのために方便があるんじゃないか?w
331考える名無しさん:2009/09/14(月) 21:38:36 0
中道じゃよ
332考える名無しさん:2009/09/16(水) 08:32:19 O
最近の修行者が駄目なのは、無位の真人を看取できない点にある。
もし無位の真人を徹見できないと、すぐにあらゆる現象に翻弄されて、無位の真人の働きを失う。
もし願望や欲求など、あらゆる自我の動きを、刻々終わらせるならば、そのまま仏である。

お前たち、仏を知りたいか? 
わしの話を、今・目の前で・聴いている“そいつ”がそれだ。
お前たちは“そいつ”を徹見していないから、偉人の言行録や聖典、行法など自分の外に求める。
述べられ語られた真理は、文字言句上の概念で、生きた真理そのものではない。
誤っては成らぬ、道友諸君。 即今、徹見しなかったら、永遠に迷いの世界に輪廻し、
利己性の流れに囚われ、驢馬や牛に生まれ変わることになるであろう。

自信 = 現在一般に使われる「自分を信じる」の意味ではなく、
真実の自己(仏性=絶対無的主体)を“自覚・徹見する”意味が強いと思われる。

「自らが絶対であること(無位の真人)を看取すること。」
「個一を個多の一として見ず、超個者において絶対的存在であることを知るのが『信』。」
「『信』は霊性的自覚の別名。」(「臨済の基本思想」鈴木大拙)

歇得 = とどむ。止める。
念念 = 一瞬一瞬。「九十刹那を一念となす。」(仁王経般若波羅蜜護国経 観空品第二)
祖仏 = 祖師である仏。
333考える名無しさん:2009/09/16(水) 12:04:37 O
334考える名無しさん:2009/09/16(水) 15:23:41 0
Q. 『仏教徒は、神としてお釈迦さまを信仰しているのですか?』

 いいえ。仏教徒は、お釈迦さま自らがヴィパッサナー実践によって目覚められ、
この上なく完全に悟られた方であるという理由で、お釈迦さまを信じているのです。
お釈迦さまは実際にこの世界で生きていらっしゃった方で、肉体的には完全に人間でしたが、
精神的には、この全宇宙のすべての生命とひき比べても、想像を絶するくらいに偉大な方でした。
しかしお釈迦さまは、自らを「唯一のものである」とおっしゃることはありませんでした。
お釈迦さまはよく、「心の汚れを完全になくした生の勝利者はみんな私と同じです」とおっしゃいました。

 お釈迦さまは、人々に恐れを持ってもらいたくなかったのです。お釈迦さまの悟りが、
本物なのか偽りのものなのかと確かめることさえも、人々に奨励しました。
お釈迦さまは、「宗教に従おうとする人々は元来、恐れを持っています。
しかし、私たちは何も恐れる必要はありません。
『恐れる』のではなく、ものごとを『理解する』ために適切に調べることが必要です」とおっしゃいました。
私たちはお釈迦さまの『お告げを受けた』のではなく、お釈迦さまから『学んだ』のです。
335考える名無しさん:2009/09/16(水) 16:03:39 0
>>334
> いいえ。仏教徒は、お釈迦さま自らがヴィパッサナー実践によって目覚められ、

ヴィパッサナー実践と書いているとこはないと思うが、
縁起によって悟ったということで、意味は同じかもしれないが、
日本テーラワーダ協会のいうヴィパッサナー実践は唯の四念処だから、
かなり違う、そして戒定慧なども含む道と言った方が、より正確だろう。

どうも、日本テーラワーダ協会は偏った誤解を招く言動が多いように思える。
336考える名無しさん:2009/09/16(水) 17:38:28 0
まあ日本テーラワーダのヴィパッサナーはマハシ流だからね。
337考える名無しさん:2009/09/16(水) 18:03:31 0
如是我聞
338考える名無しさん:2009/09/17(木) 03:00:21 0
>>336
やってることは似てるけど、直系なの?
339考える名無しさん:2009/09/17(木) 03:48:41 0
   やくざ
340考える名無しさん:2009/09/17(木) 21:37:14 0
↓キリスト野郎が釈迦を偽物として攻撃しています。コメントをお願いします。↓

主イエスとシャカ(偽の救世主)の違い(仏教とキリスト教)
http://blog.livedoor.jp/mark22003/archives/51076681.html
http://blog.livedoor.jp/mark22003/archives/51076690.html
http://blog.livedoor.jp/mark22003/archives/51077039.html
http://blog.livedoor.jp/mark22003/archives/51077450.html
341考える名無しさん:2009/09/17(木) 22:17:19 0
お釈迦様が救世主?
ちょっと勉強不足ですね。
仏教は信仰ではなく信心ですよ。
342考える名無しさん:2009/09/17(木) 22:31:08 0

私が言っているわけではないんでね、筋違いの批判は受け付けない。
死ね。
343考える名無しさん:2009/09/17(木) 22:49:17 0
>>340
笑ってほっとき

>>341
何、信じ仰ぐ、信じる心とかいうの?
そんな言語記号に拘っても、意味そんなかわんないでしょw
344考える名無しさん:2009/09/18(金) 06:43:16 0
そうじゃ、お釈迦様を拝むのではない
あなたの心の中の仏を拝むのじゃ
345考える名無しさん:2009/09/18(金) 19:06:07 0
そして森羅万象の中に潜む仏性を拝みましょうw
346考える名無しさん:2009/09/18(金) 20:49:27 0
全世界の宗教の統一理論なんてものはつくれませんかね。

中沢新一は、仏教のことを「宗教でない宗教」と言ってますが。
347考える名無しさん:2009/09/18(金) 23:54:36 0
>>346
無理。
インテリ中心で生まれた理論的宗教と極度に現実的要請から生まれた宗教と、
或いは
極寒の地で生まれた宗教と熱帯で生まれた宗教と、
或いは
砂漠で生まれた宗教と穏やかな気候の地域で生まれた宗教とで、
無矛盾に歩み寄れる筈が無いw
348考える名無しさん:2009/09/19(土) 01:03:09 0
宗教空間の両極は天地であって、どちらかに偏った土着宗教や
天なる神様宗教というのはダメなのだ。
「天にいます主」に偏したのは環境を破壊する。
349考える名無しさん:2009/09/19(土) 18:51:25 0
>>346
そもそも統一するには淘汰があるじゃないかw
わざわざそんなことする必要も無いし
結局そんな思想が宗教戦争の要因になる。
まぁハタから見たら矛盾した話ではあるがねwww
350考える名無しさん:2009/09/20(日) 02:01:50 0
>わざわざそんなことする必要も無いし
必要なくても、このグローバル化の現代では「統一したい」という
欲求が出てくる。
351考える名無しさん:2009/09/20(日) 02:06:30 0
911テロもあったことだし。
352考える名無しさん:2009/09/20(日) 06:44:32 0
外部を統一したいという思いは、内心が統一されていないから起こるだろう。
外部を統一したから、内心も統一されるとするなら、それは永久に無理だろうね。
一神教の一部の支配欲者の傲慢。
353考える名無しさん:2009/09/20(日) 11:16:21 0
>>352
外部をどう定義する?
家族だって外部だし国家だってその延長の外部であるし、世界もそうだぞ。
外部の統一なくして内部の統一はありえない。人は常に外圧に晒されている存在。
程度の問題でしょう。
354考える名無しさん:2009/09/20(日) 11:20:17 0
統一の定義も困難。
355350:2009/09/20(日) 18:10:44 0
>>352
世界をその統一理論でまとめたい、ということではありません。
私が、世界の宗教を、統一的に理解したい、ということです。
356考える名無しさん:2009/09/20(日) 20:39:05 0
>>346
パーリ『梵網経』で十分
357350:2009/09/20(日) 22:40:25 0
>>356
では、それに基づいて、ユダヤ教の信仰について述べてください。
358考える名無しさん:2009/09/21(月) 00:08:02 0
嗚呼クレシンの作者仏になっちまったか
359考える名無しさん:2009/09/21(月) 06:13:56 0
この世では自己こそ自分の主である。
他人がどうして自分の主であろうか?
賢者は、自分の身をよくととのえて、
自分の主となり得る。
360考える名無しさん:2009/09/22(火) 14:57:42 0
ウダーナヴァルガですか。良い句ですねw

じゃあそのレスポンスも兼ねて僕が好きなスッタニパータの一句でもw
「起てよ、坐れ。眠って汝らになんの益があろう。
 矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。」
361考える名無しさん:2009/09/22(火) 20:22:28 0
↑解説をお願いします
362考える名無しさん:2009/09/22(火) 22:08:55 0
苦しみを感じている人間は夜も眠れないだろう。
苦しみすら感じていないお前らがなんで横になって怠けて寝ようとするの?
363考える名無しさん:2009/09/22(火) 22:20:40 0
>>361-362
で、矢に射られていない者は居ない。早くその傷に気付け、ってこと。
もし気づいたら(自覚したら)痛くて寝てられんだろ?ってこと。

夢中になってる時って、怪我したことに気付かないことが多くないか?
そういうことを啓発する偈だよ。
364考える名無しさん:2009/09/22(火) 22:21:35 0
では要らないなw
365361:2009/09/23(水) 07:06:30 0
>>363
私も自分が怪我をしている事に気付かない事があります。
解説ありがとうございました。
合掌
366考える名無しさん:2009/09/23(水) 14:31:43 0
スッタニパータってイイ話が沢山載ってて、釈迦の肉声に近い貴重な文献だけどさ
ジャイナ教の影響を少なからず受けているよな。
なんかジャイナ教でも同じ句を使ってるのがちらほらあるみたいだし。

その辺に明るい諸兄になんか適切な解釈をお願いしたいのだが…
367考える名無しさん:2009/09/23(水) 19:11:41 0
>>366
ジャイナ教の影響受けてるという説は、松本史朗ぐらいだろう。
ジャイナ教との共通偈は苦行者文学と呼ばれていて、
当時の行者の通説で、当然、同時代の両者が共有してもおかしくない。

ジャイナ教の影響を受けてるというのは松本史朗自身の妄想仏教像に合わない部分で、
文献史的にも古いので、後世の付加といって切り捨てられないので、
ジャイナ教の影響を受けてるということにしただけ。

単純に松本史朗の仏教像が妄想なだけ。
368考える名無しさん:2009/09/23(水) 19:17:33 0
>>367
それも、偏ってるだろw

同時進行の形で発展してるんだ、
『相互の交錯など無い!』なんてお気楽に宣言できる感性の方が信じられんね・・・w

それに貴方は大乗の徒でしょ?
スッタニパータに拘らなくてもいいんじゃね?www


( ̄ー ̄)ニヤリ
369考える名無しさん:2009/09/23(水) 21:12:12 0
>>368
まあ、オレはウパニシャッドとか、叙事詩、ジャイナ初期経典と、
仏教経典を精査した訳ではなく荒巻先生や村上先生の説に従ってるだけだから、
キッチリしたことはいえないが、松本説が話にならないのは確実だと断言できる根拠がある。

そして、ジャイナ的影響があると真っ当な学者で言ってる人はいるのか?


『スッタニパータ』の現形やパーリ・テクストという意味でなく、
そこに説かれる内容、『ウダーナ・ヴァルガ』や『義足経』などと共通のものが、
『中論』の根拠となっているのは確実だよ。

『スッタニパータ』の原形が大乗の基礎といってもいいと思われる。
つまり、部派的な香りがほとんどしないと思う。
しかも『スッタニパータ』は非常に高度な内容だと思う。
370366:2009/09/23(水) 21:23:39 0
>>367-369
おぉぉ!回答サンクス!w
ありがとう勉強になったわw
371考える名無しさん:2009/09/23(水) 21:33:38 0
>>370
ども。喜んでいただけて嬉しいよ。

スッタニパータ、読むなら南伝大蔵経の水野訳か、
講談社の荒巻訳、春秋社?の村上訳がいいと思う。

岩波文庫中村訳を村上訳に変えればいいのに。
372考える名無しさん:2009/09/23(水) 22:19:38 0
アルボムッレ・スマナサーラ長老は宗教板でかなり叩かれてるな・・・。

まあ俺も違うと思うけど。
373考える名無しさん:2009/09/23(水) 22:38:12 0
>>372
ほっとき
374考える名無しさん:2009/09/23(水) 23:20:23 0
>>369
さすが!w

ワシだって詳しいわけじゃない。
貴方の言いたいことが、
《『ジャイナ教の(特徴的)要素』がSnに入り込んでいるわけではない》
《『当時の共通の価値観、要素』が(時代的制約として)あるだけ》だ、というのもわかる。
【土壌が共通であった】のだ、と。

ただ、サンガ確立・精舎生活の成立以前の教えが色濃く述べられている文献であり、
且つジャイナ教の古典(isibhAsiyAiM)と同時期の展開となれば、
同じ用語、同じ句、相似したエピソードが見られるなら、
無関係だとは考え難いだろ?
(ましてや岩波文庫の中村註の方が圧倒的に人目に触れ易いとなれば、>>366は自然な帰結だよ。
 荒巻氏村上氏がどのように述べているかは浅学ながらチェックしてないが、(中古で買ってみるか・・・)
 岩波文庫を入口に普通に仏典に触れ始める人にとっては、そのような説は存在しないも同じだw)
(そういえば、スッタニパータは何種類くらい和訳が出版されてんだ?)

たとえば、雨季の遊行を止めたのは、外部からの指摘によると言われている。
これは、その経緯が仏典に記されているので、辿れるしはっきりしてるわけだが、
Snの種々の『説かれ方』『用語の使われ方』『修行者の生活の仕方の共通点』などなどは、
『仏教独自なのか』『当時の共通事項なのか』『輸入アレンジされたものか』『換骨奪胎されたものか』、
は、判別困難だろ?
こうした、《相互に干渉し合った成立の歴史》をスッタニパータも歩んでいるんじゃないか?
というのが、(私の)総合的感想だ。



isibhAsiyAiMは、読みたいなぁ・・読まなきゃなぁ・・・と思いつつ、云十年が過ぎた・・・。
何かイイ和訳知らないか・・・?w (^^;
375考える名無しさん:2009/09/24(木) 00:15:02 0
>>374
> 荒巻氏村上氏がどのように述べているかは浅学ながらチェックしてないが、(中古で買ってみるか・・・)

より厳密にいえば記憶によって確認してないので、間違ってるかもしれない。
荒牧先生のは岩波東洋講座 インド仏教1だから、安く手に入るが、
村上先生の訳は、ものすごく高価なので購入するのは金持ちならありだがw

> 岩波文庫を入口に普通に仏典に触れ始める人にとっては、そのような説は存在しないも同じだw)

セブンにいっただけ〜

>(そういえば、スッタニパータは何種類くらい和訳が出版されてんだ?)

中村訳で言及されているもの以外では、荒牧、村上の他に宮坂訳があるけど。
宮坂さんだから見る必要なし。と思う。
その他、正田、宮元、スマナサーラの部分訳があるけど、内容は分からない。
その他、研究書が沢山出版され、今、スッタニパータが熱い!
中には、岩波から並川本が出版されてて、岩波、見る目ないのか、
営利に走ったのかどっちなのかと思うよw

>たとえば、雨季の遊行を止めたのは、外部からの指摘によると言われている。
>これは、その経緯が仏典に記されているので、辿れるしはっきりしてるわけだが、

これはそうでしょ。

376考える名無しさん:2009/09/24(木) 00:23:14 0
>>374

>Snの種々の『説かれ方』『用語の使われ方』『修行者の生活の仕方の共通点』などなどは、
>『仏教独自なのか』『当時の共通事項なのか』『輸入アレンジされたものか』『換骨奪胎されたものか』、
>は、判別困難だろ?
>こうした、《相互に干渉し合った成立の歴史》をスッタニパータも歩んでいるんじゃないか?
>というのが、(私の)総合的感想だ。

オレはないと思うよ。なぜか、ヴォーハーラをそのまま使うのが釈尊の流儀だよね。
となるとシュラマナの間で使われる言い回しを使うのは当然だ。
ただし、釈尊は記号・言葉は同じでも意味・内容を換えてつかってるでしょ。
例えば、ダルマとかバラモンとかヴェーダとか。

となると、記号形態だけに注目する客観的研究では自ずと限界が見えるでしょ。
各テキストにパラレル・フレーズがあって、文献史的前後関係が確定できるだけだ。

意味・内容は、どれほど言語学的文献学的に追求しても最終的には主観による解釈に委ねられる部分がある。
それを妥当に解釈するためには各文献の全体的思想体系を把握して、
比較対照するしかないでしょ。

オレ的にはほとんど一方的仏教的からの比較しかしてないが、
ウパニシャッドとかジャイナが仏教に本質的な影響を与えたとは思えないですね。

>isibhAsiyAiMは、読みたいなぁ・・読まなきゃなぁ・・・と思いつつ、云十年が過ぎた・・・。
>何かイイ和訳知らないか・・・?w (^^;

全く知らない。古くは松濤先生訳、最近では谷川泰教先生訳が優れてると聞くが、もちろん私には分からない。
その他、渡辺研二さんの訳があるけどジャイナ学者の英訳がネットで読めたような?
377考える名無しさん:2009/09/24(木) 14:35:15 0
>>376
Thx.
(ネットの英訳、英訳書籍は探すのに時間かかりそうだw てか英語読むの面倒臭い・・・(´・ω・`))

渡辺研二氏は、面白い論文が多いね(CiNii調べw)。PDF化も多いんで、ちょっと集めてみよう。
谷川泰教氏の比較研究モノも面白そうだ。 (大学図書館行くしかないか・・・ orz)
てか、近年の若手(?)研究者の台頭は凄いね。みんな頑張っとるなぁ・・・w (;´ー`)y━~~
 (袴谷・松本組の動きは、振り子の揺れの一方として、もしかして必要な事象だったのか・・・?)

>オレはないと思うよ。
だと思いましたw
だって、御自身で自覚する通り  >一方的仏教的からの比較  に他ならないのですから・・・。
 (別に、私が多角的に見れているというわけではないがwwwww)

ここでというか、だからというか、「信」「信仰」ということが重要なタームとして浮上してくるわけです。
「原点批判研究」と「信仰」の両立ほど難しいものはない。
  (→※まさに、 >【全体的思想体系を把握して】、比較対照するしか  なわけですw)
貴方はそうは思わないでしょうが、それは、貴方に「リアルな」「面前する」師がいるからでしょう。
もし貴方が、文献のみに対峙していたなら、きっと今のような発言にはならないでしょう。
「どこまでその文献に身を委ねるか」、「どの辺で、その文献の信用度にリミッターをかけるか」、この判断は難しい。
(殆どの学者はその(自身の)研究に於いて、この線引きに無自覚だ。(自分の持つ“贔屓目”に気付く事が一番難しい・・。)
 その点は片山さんは潔いw  「入門」での“これは正式な学究とはならない”との告白は、
 「信」を主軸として読んでいくという決意の現われかと思う。(勿論、そうでない純粋な学問的仕事もされてるが・・w)
 奈良さんも、自覚し、自ら(自発的に)ラインの引き場所を選んでいるかに見える。
 (中村さん(中村訳)に依存し過ぎなとこがマイナス評価言えるかしらんが・・・w)
 その他、論文読んではいないが、石井修道氏も道元に対し(片山さんと)似たスタンスなのかもしれない・・。)
378考える名無しさん:2009/09/24(木) 14:39:19 0
>>376
>本質的な影響を与えたとは
狡いですね・・w
374では「相互に干渉しあった可能性がある」とだけ記され、「本質的影響」とは明言されていない。
それを貴方は「本質的影響」に限定して、【それは無かった】という結論としている。
 (このような手法が、あっちのスレでの認識論絡みの対論者に指摘されていると言ってもいい。)

雨季の遊行を止め、安居期としたことは、(これも本来は、本質的重要な事件だが一先ず措くw)、
影響を受け、教えの内容が変容したことを意味する。貴方はこれを肯定した。
ならば、同様の事態が、他にも生じていたとして何の不都合があろう。
寧ろ、そうした事態が生じていないことの方があり得ないことのように思えないか?


私は、(ここから先は超個人的感慨となるがw)、
スッタニパータ(或いはダンマパダ)を「伝家の宝刀」「水戸の印籠」の如く使用する風潮は、
如何なもんだろうか・・・? ちょっと行き過ぎじゃね? と思ってるもんでね・・w

片山さんも、両経典の古さを重視しているが、突出させてはいない。
(寧ろ、その内容の凝縮された濃度を評価している感がある。)
彼は、経蔵律蔵全てを(或いは三蔵及び蔵外仏典を)尊重している。 訳出という作業の枠があるにせよ、
文献の歴史的変遷を踏まえた上で、その変遷をも「教え」の海の中へと解消(昇華)させている。
「経を読む」「おしえに触れる」とは、本来このようにあるべきだということを示す意味でも、
片山さんのパーリ仏典入門は歴史に残すべき一冊だと思うわけで・・・。

って、これは関係ない話かw


ちなみに、偶然見つけたページ。
ttp://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-kikou/20060518.html
379考える名無しさん:2009/09/24(木) 19:49:10 0
アーナンダよ、この世でみずからを島とし、みずからをよりどころとして、他人を
よりどころとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころと
せずにあれ。
380考える名無しさん:2009/09/25(金) 08:13:33 O
381考える名無しさん:2009/09/25(金) 09:35:16 O
382考える名無しさん:2009/09/25(金) 09:37:35 O
383考える名無しさん:2009/09/25(金) 16:29:39 0
>>377
セブン、ども〜

>てか、近年の若手(?)研究者の台頭は凄いね。みんな頑張っとるなぁ・・・w (;´ー`)y━~~

ですね。

>貴方はそうは思わないでしょうが、それは、貴方に「リアルな」「面前する」師がいるからでしょう。

かもしれないが直接関係ないと思ってる。なぜかというと、

>もし貴方が、文献のみに対峙していたなら、きっと今のような発言にはならないでしょう。

根拠は石飛先生ですね。

>「どこまでその文献に身を委ねるか」、「どの辺で、その文献の信用度にリミッターをかけるか」、この判断は難しい。
>(殆どの学者はその(自身の)研究に於いて、この線引きに無自覚だ。(自分の持つ“贔屓目”に気付く事が一番難しい・・。)

純文献学、あるいは言語学的研究家は自覚的なんじゃないかな?
例えば、辛嶋静志先生とか。
思想分析に入るとどうしても解釈を入れざる得ないから、
そこで大抵、エゴがあらわれる。

片山先生は、いいよね。最近では生井先生ぐらいが同じ香りがする。
きっちり、文献学でかつ行者の立場。
384考える名無しさん:2009/09/25(金) 16:31:47 0
>>378
語句とか、安居とかってヴォーハーラ、形式であって本質じゃないでしょ。

ちがう?
385考える名無しさん:2009/09/25(金) 16:35:49 0
>>378
>つttp://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-kikou/20060518.html

似てるところがヴォーハーラだと私は思う。

最も重要な縁起・無我、心を中心とするとことか違うです。
だから、重要な弟子を取られて血を吐いて死んじゃったんじゃない?
386考える名無しさん:2009/09/25(金) 17:48:55 0
さらに、このように、考えないとならない。これ以下、汝とは、主体たる心のことであり、私は真我のことであり、彼は自我のことである。
「汝ら(心)は、彼(自我)の為に、輪廻に苦しめられた。よって、汝ら(心)の苦悩を、全て彼(自我)に背負わせて、彼(自我)の安楽を奪い取り、地獄に落とすべきである。」
「ああ、汝ら(心)が、利己を追求している間に、無数の劫、無量の時が、過ぎ去ってしまった。その間、汝ら(心)は、膨大な苦悩を得ただけである。」
「故に、私(真我)の要請に従い、汝(心)は利他を為せ。仏の法が、決して、汝ら(心)を裏切らないように、私(真我)の教えは、決して、汝ら(心)を裏切ることはない。」
「彼(自我)は楽しいばかりで、他は苦しいばかり、彼(自我)は尊く他は卑しい、彼(自我)は動かない他が働く。このように見抜いたら、汝ら(心)は彼ら(自我)に嫉妬せよ。」
「彼(自我)を楽から離して、彼(自我)に苦しみを与えよ。彼(自我)が、いつ何をするか、その欺瞞を観察せよ。彼ら(自我)は、自らの楽の為に、汝ら(心)の苦を厭わない。」
「他の罪は彼(自我)に着せ、彼(自我)の罪は仏に報せよ。他の者の名声を称えて、彼(自我)の名声を曇らせよ。卑しい奴隷のように、彼(自我)を衆生の為に酷使せよ。」
「彼(自我)の為に、他を害した、全ての汝(心)の罪を、他の為に、彼(自我)を害して、全て償わせるべきだ。彼(自我)を汝(心)の支配に置け、命に背くなら罰を与えよ。」
「ああ、心よ、私(真我)が、このように言っても、汝(心)は、彼(自我)を許そうとするだろう、覚えておけ。汝(心)が彼(自我)を罰しない時は、私(真我)が汝(心)を罰するだろう。」
「つまり、すべての業は、汝(心)に拠っている。すべての業は、私(真我)が見ていると、覚えておけ。たとえ、汝(心)が私(真我)を忘れても、私(真我)は汝(心)を忘れない。」
387考える名無しさん:2009/09/25(金) 20:54:30 0
>>386
『入菩提行論』ですね。
388ぴゃぴゃぴゃぴゃ〜:2009/09/25(金) 21:10:23 0

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
389考える名無しさん:2009/09/25(金) 22:49:55 0
日蓮宗の法華経の和訳が欲しいのですが
お願いします
390考える名無しさん:2009/09/25(金) 23:02:22 0
創価学会に入信してください。
391考える名無しさん:2009/09/25(金) 23:18:51 0
>>389
日蓮は仏教ではないのですが
392考える名無しさん:2009/09/26(土) 00:54:50 0
>>384-385
だからw
私は、「本質が変容してる、影響を受け変質している」とは言っていない。
本質・核・コアとしての部分が変容を免れたとしても、
それを、「支え」「顕現させ」「明らかな事象として存続・継承させる」要となる部分に、
そうした相互の干渉があるとしたら、呑気に構えるのはどうかと思うぞw


酔ってるから、話半分で聞いとけwwwww
393考える名無しさん:2009/09/26(土) 01:08:57 0
>>392
オレも寝るからw
394考える名無しさん:2009/09/26(土) 06:43:30 0
391さんへ

般若心経、中論、華厳経などの仏教哲学中心の日本仏教のグループとは
少し異なる様です。法華経は、「新宗教」のグループでもよく読まれているようです。
日蓮は、法華経を視座に活動しましたが、仏教であることには間違い
ありません。
395考える名無しさん:2009/09/26(土) 07:31:27 0
>>394

間違いないという根拠は何でしょう?

私が日蓮が仏教でないという根拠は本来包括的で融和的な『法華経』を排他的で独善的に誤読してることが根本です。
これは現代の新興宗教が自分のエゴを権威づけるために仏教を利用するのにそっくりです。

そして彼は非常に麻原に似ています。ごちゃ混ぜの似非教義、反社会性、
排他性、コンプレックスとその反動としての権力志向、
神通信仰と競争意識、嫉妬深さ、とても仏教の聖者とは思えません。
彼は中世のナショナリズム的啓示型宗教の仏教的擬装と考えるのが妥当だと思います。


因みに江戸時代に到っても日蓮宗は仏教と認められませんでした。
その証拠として超宗派的仏教伝である『本朝高僧伝』に日蓮宗の人が誰一人として挙げられていないことが挙げられます。


396考える名無しさん:2009/09/26(土) 08:02:46 0
395さんへ

私自身は、日蓮の信者ではありませんが、「法華経」は大乗仏典であり
日蓮は叡山「天台」で修行し、そこから「法華経」に目覚めたのであり、
彼自身の性格や現在の新宗教グループの活動態度が問題とは言え、それらを
理由に「日蓮は仏教に非ず」と言うのは、言い過ぎでは? 「麻原」のことは
よく解りませんが、密教・ヒンズーに近いのでは?
397考える名無しさん:2009/09/26(土) 19:10:02 0
>>396
間違いないよ。天台でも高野でも堕ちこぼれて相手にされてないし。
『法華経』は全く意味を取り違えたただの誤読。
活動はエゴまるだし。

いいとこなし。
398考える名無しさん:2009/09/26(土) 19:53:55 O
399考える名無しさん:2009/09/27(日) 07:54:29 0
蛇が古い皮を脱ぎ捨てるように。
400考える名無しさん:2009/09/28(月) 07:58:15 0
仏教への試論です。検索はまだ出来ませんが、アドレスは次のとうりです。

  C点による仏教論  http://www.016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/bukkyou
401考える名無しさん:2009/09/28(月) 13:53:34 0
教外別伝が仏教の神髄だよ
402考える名無しさん:2009/09/28(月) 16:12:47 0
ちがいますよ。
403考える名無しさん:2009/09/28(月) 20:30:57 O
『子の肉』の話がインパクトあった……
http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/canonindex.html
404考える名無しさん:2009/09/29(火) 00:14:30 O
犀の角達は面白かった。現代科学の最先端の入門書でもある。
ただ肝心の仏教の解釈のとこはもうちょい推理や仮説を使って大胆に書いてほしかった。
405S・イマムラ:2009/09/29(火) 06:00:25 0
404さんへ

仏教哲学は、難解です。私自身は、仏教徒とは言えぬ葬式仏教ですが、是は是で
長い歴史があり、仏教の葬儀はそれなりに、深さもあります。
C点論は、一般人の単なる試論に過ぎず、膨大な仏教思想の極々一部に過ぎず、空想し
発展させる程のものでは、ありません。
406考える名無しさん:2009/09/29(火) 06:07:48 0
>>404
それが面白いと思うなら『掌の中の無限』を読んだ方がいいよ。
407考える名無しさん:2009/09/29(火) 06:28:54 O
404
>>406
今は上座部系に関心を持ってて
チベット系は
中国・日本系に近いって無根拠な先入観があって全然知らないんだよね。
その本一応持ってるから読んでみようかな。


>>405
トリ間違い?
408考える名無しさん:2009/09/29(火) 06:39:08 0
読経で金を儲けるのは
お釈迦様の意思にも反しますね
409考える名無しさん:2009/09/29(火) 06:48:16 0
>>407
上座部系でいくならそっちで一貫していった方がいいですよ。
上座部ならビルマ系が本物が多いようです。

チベット系がシナ・日本系に近いのもの事実です。
ただし、現在日本で流通している説は、変な説が多いので、
一端、チベットを知ってそれを鑑にして日本の大乗仏教を観てみると
何が本質で、何が現代的阿諛かよく分かるでしょう。

もってるなら読んで損はないと思いますよ。
410考える名無しさん:2009/09/29(火) 20:50:52 0
「814」 「副島隆彦という生き方」というタイトルのインタヴュー記事を、載せます。 
最近の私の考えが分かりやすく表明されています。副島隆彦 2006.12.15
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#1501

スッタニパータと、法句経(ダンマパダ)という一番古いお経がある。どうやら仏陀本人の本当の
言葉はこの二つだけのようですね。その他のいろんな膨大なお経は、全部仏陀が亡くなった後に、
弟子たちが勝手に作ったものだ。僧侶が葬式をやったり、お盆にお経をとなえたり死者を祀ったりは、
仏陀は一言も言ってない。ブッダは死に関わるな、と言っている。勝手に後の人たちが作った制度だ。
仏陀自身の言葉は、「愛欲と煩悩を捨てて、この世とあの世のすべてを捨てて、ただ一人歩め。ヘビの
皮が新しく抜け変わるように。サイの角がひとつ進むように。」と書いてあります。
奈良の興福寺、東大寺は法相宗(ほっそうしゅう)という仏教で、中国までやって来た仏教のうちでは
一番古い仏教を伝えている。それは輪廻転生(りんねてんせい)を認めないんです。
来世はない。あの世もない。「この世とあの世をともに超える」とスッタニパータ(「ブッダのことば」 
岩波文庫 中村元訳、1984年初版) で仏陀は言っています。だから輪廻転生(りんねてんしょう)
もないのです。そこで私はブッダに従うならば、ゼロ、全くないと思います。「今」という現実は有るの
だけれど、それは仮のすがたであって、すべてなくなるんだ、と。輪廻転生は、仏陀が若い頃、厳しい修行
をしたヒンドゥ教の思想なのです。ヒンドゥ教 ( Hindu 、ヒンズー教、インド教)には輪廻転生が強烈
になる。六道輪廻ですね。生命は生まれ変わる。ですから、不思議な話ですが、本当の仏教(ブッダの教え)
は、徹底的に、無神論(むしんろん、atheismエイシイズム)なんです。
411考える名無しさん:2009/09/29(火) 20:51:53 0
[315] 今朝、会員の宇根君から来た学問研究メールは、すばらしいので、早速ここに載せます。
投稿者:副島隆彦 投稿日:2006/08/24(Thu) 18:28:37
http://snsi-j.jp/boards/sample1/89.html

はじめまして、会員の宇根康裕です。27歳で京都で技術開発をしている会社員です。今回メールする
目的は、最近道場で話題になっている宗教に関して、最近読んだ「スピノザ」 (上野修著NHK出版)
をヒントに、私が考えたことをとを書くためです。
いきなりですが、結論は
キリスト教は、キリストを信じる「信仰」であり、スピノザ、ウィトゲンシュタインは、真理を証明する「哲学」である。
初期仏教は真理を理解する「哲学」であり、各種大乗仏教は、「信仰」のあつまりであり “仏教”ではない。
老荘思想は、儒教と対立していて、道教は、道を信じる「信仰」で、間違った政治(間違った儒教)に対抗している。
以下のブッダに関する記述は、主に宮元啓一氏と石飛道子氏の本を読み、私が理解したことである。ブッダは12因縁を
順逆に観じ、悟りを得た。ブッダが発見したのは、 西洋にはない、因果の論理学であり、ブッダはその論理学を用いて、
ついに真理を“発見”した。
これまでの ヒンズー教は、信仰であったが、信仰とは別の世界、真理の世界に入った。
仏教は真理を発見する哲学であり、信仰ではなく、必死で考えなければならなかった。考えて、考えて、考え抜いた先に、
真理を見ることができるのであって、信仰をいくらやっても、真理には到達しえない。
輪廻の輪から抜け出すということは、当時の信仰の輪(ヒンズー教)から抜け出すということである。
ブッダは信仰から抜け出して、真理の世界へ行った。
412考える名無しさん:2009/09/29(火) 20:52:50 0
勘違いしてはならないのは、ブッダは輪廻を前提として、その輪廻から抜けたのではなく、輪廻など
考え無くて良しというところにいったのだ。輪廻は真理でないと悟ったのである。
また、ブッダは、信仰を捨てて真理の道へいくことが、自らの体験で難しいとわかっているから、
信仰をすてるための修行をさせている。しかし、民衆は修行に耐えれなくなった。そこで、民衆は
真理ではなく、信仰を求めるようになった。
これが大乗仏教である。空なんだと思え、あるいは、唱えろ、極楽を信じろ、という信仰だと考える。
大乗仏教は信仰であるがゆえ、よいと思った信仰はどんどん取り入れられる。こうして、大乗仏教は、
どんどん派生していったのだろう。大乗仏教は信仰である以上、本当の仏教(哲学)ではない。袴谷
(はかまや)氏の批判仏教からは、ハッキリみてとることができなかったが、私は初期仏教と後の
仏教は、真理(哲学)か信仰(宗教)か、の違いだと考える。
以上から、初期仏教と大乗仏教は、まとめられないことは明らかである。
宮元啓一氏と石飛道子氏の本は、ブッダの論理学の核心、大乗仏教の核心(=般若心経の核心)に
最速で迫る書物である。
413考える名無しさん:2009/09/29(火) 20:57:35 0
>>412
こんなの貼るなよ。少なくとも石飛先生を誤読してることは確か。
ただの妄想だろ。
414考える名無しさん:2009/09/29(火) 20:57:38 0
[488] 私は、インド、ネパールの旅から帰ってきました。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2007/03/08(Thu) 19:37:46

この世の一切を、根底から批判しつくそうという、私の気迫を、横山老師なら、分かってくださるでしょう。 
私が、これまでに、冗談で、あれこれの真実暴露の、恐ろしい本 を冗談で書いてきたなどど、思っている
ような連中は、全部、激しい、やけどを負わせてやろうと思います。 私の頭脳と思想が、そこらの生来の
軽度のキチガイたち程度に、負けるわけがないのです。
僧侶の河口慧海(かわぐちえかい)が、1898年(明治30年)からインドに入って、のちに、(「西蔵旅行記」
(あるいは「チベット三年記」)を書いたその足跡も私もネパールまで、行ってみて、カトマンドゥーからポカラ
まで飛んで、「彼は、こんな道を歩いて、ヒマラヤを越えて、チベットまではいっていったのか」 と実感で
分かりました。
彼ら、明治になってからの、日本の高僧たちは、本物は、すべて日本のウソ仏教への、激しい疑念の気持ちを
持って、そして、大乗仏教(だいじょうぶっきょう、Mahayana マハヤーナ)という大嘘を、暴く
ために、それで、死ぬ気で、本場の発祥の地のインドに入っていったのだと、よく分かりました。その
「大きな真実の暴き」の気迫が、他のなにものにも代えがたく何よりも大事なのだと私にはいよいよ
分かりました。
ゴータマ・ブッダその人の思想は、日本の小思想家である、小林秀雄が言った「無私(むし)」 とか、
漱石の「則天去私(そくてんきょし)」などではなくて、 無我(むが) そのものである。 日本で
だけはやった、「道心」(、どうしんみちを究める)などではない。
諸行無常の「無常」(つねなるものはない)などではなない。 無常観など、ブッダの教えと無関係だ。 
ただひたすら 無我(むが、おのれの存在の否定)そのものだ。縁起(えんぎ)などでもない。 
四諦(したい)まではいいけど、八正道(はっしょうどう)も怪しい。
415考える名無しさん:2009/09/29(火) 21:48:06 0
んなわけないだろ、仏陀が輪廻は無い、神はい無いなんて言わねえよ・・・www
最も古い経典には「神々のなかの神、仏陀を讃えよ」って記述もあるぐらいだぞ。
誰だよ、仏教が無神論だなんて妄想喚いてる奴は・・・、アッ副島かwww
副島隆彦ってアホじゃね・・・www
416考える名無しさん:2009/09/29(火) 22:29:58 0
諸法無我
417考える名無しさん:2009/09/30(水) 06:11:44 0
仏教哲学は、無神論だと思われます。しかし、仏教哲学は、難解で誰にでも理解されるとは思われません。
方便として仏陀を神にしたこともある、それは有りうる事。絶対的なものに「帰依」して、信仰により
「信ずる」ことにより、仏の「慈悲」に縋るのは、人々にとって自然なことでもあります。

輪廻転生は、あってもよい。仏教は科学では無い。善因善果 悪因悪果。この教えだけでも良い。信仰には
救いがある。素朴な信仰は、今も生きている。
418考える名無しさん:2009/09/30(水) 06:47:34 O
>>409
自分はスマナサーラさん関連のを読んでますね。本人が日本語出来るから文がわかりやすい。
それに誰でもいつでもできる瞑想法が書いてあります。

>>417
やはり輪廻がない、人生一回きりとの断滅論なら修行することの意義がほとんどなくなるんじゃないかと。カルマを気にする必要もなくなっちゃうし。
究極の涅槃のイメージは「悟りの階悌」を読む限り完全な消滅に思えます。断滅論は修行しなくてもそれが実現するイメージですね。

恒常論(≒魂不滅説)に基づく輪廻説の暴力性も問題が多いですが。カースト制しかり。


断滅論でも恒常論でもない輪廻が仏陀の説く輪廻ですがまあこれはめちゃくちゃ理解困難ですね。


419考える名無しさん:2009/09/30(水) 10:54:59 0
りんねがカントリー娘を辞めて何年になるんだろ?
420414の続き:2009/09/30(水) 13:08:50 0
414の続きだよ。

ナーガルジュナ(竜樹)の、唯識(唯識)や阿頼耶識(あらやしき)などの中観(ちゅうがん)
ですらない。それらも、ブッダ本人は言っていない。チベット仏教で発生した、マントラ(密教、
=真言しんごん、加持祈祷 )の類も、一切、ブッダ本人とは、関係ない。
遠藤周作(「深い河」という作品がある)や、高橋和己(たかはしかずみ、「西方浄土論」のようなもの)や、
三島由紀夫(「暁の寺」のなかの竜樹=ナーガルジュナ=論 ) の聖地ベナレス(バラナシー)への言及にも、
私は、今では、大いに異論があります。現地まで行ってみて、私に分かったことがいろいろあります。私は
それらをおいおい書きます。
仏教(ブッダのことば)は、徹底的に、無神論である。ブッダは、一切の神を信じない。 空(くう)とは、
絶対的に 無 のことである。これ以外の解釈はすべてウソだ。 死ねば一切が、消える。すべては、無だ、
という思想です。出家した者は、生きている限り修行だけせよ。
ただし、いたずらに激しい修行(苦行)などはするな、という一点で、彼は、悟った。そして、悟り(正覚)
というには、解脱(げだつ)で、ブッダが6年間厳しい修行をして、35歳で到達したのですが、この「解脱
(げだつ)」というは、ヒンドゥーの思想そのものであって、仏教に中には、それに相当する言葉がない。
ブッダの80歳での死のことを、涅槃(ねはん、ニルヴァーナ)と言って、入寂、仏滅ですが、こっちが、本当の悟り
(understanding、deliverence )というのではないですか。 仏教には、 悟り(解脱)というのは無いはずです。 
仏教(釈迦の教え、ブッダの言葉)は、徹底的に、死ねばすべてがおしまい、消えてなくなるのだ、という思想です。

ブッダのあとから現れた、歴代の各国のアホたちが、のちのちの高僧どもとなって、何を言ったかは、一切、問題
ではない。ブッダがしゃべった言葉だけが、本物の仏教だ。それ以外は、ずべて、ウソだ。でっち上げです。
421414の続き:2009/09/30(水) 13:10:29 0
ですから、日本で、空海、最澄、親鸞、日蓮やら、栄西、道元やら、を崇拝するなら、どうぞ。それぞれの
教祖様として崇めればいい。それが人それぞれの宗教ですから。「しかし、お釈迦様本人は、そんなことは、
どこにも言っていないからな」「証拠を出してみろ」という、私からの、攻撃を彼らは受けることになります。

私は、ゴータマ・シッダールダ本人が、しゃべった言葉、以外は、絶対に、仏教(ブッディズム)ではない、
と原理的に決め付けます。そして、一切のウソを排除します。相手が、誰だろうと、いい加減なことを言う者を、
すべて言葉の力で、切り殺す。(このことの大前提として、その人が、その人の、自分の考えを言うのは、
その人の自由です。私は何も言いません。ご自由にどうぞ。 )
ブッダの思想は、全部、全部、すべては無に帰ってゆく、という思想です。 こういうこともよく分かってきました。
今から、私は日本のウソ仏教の、壮大な馬鹿な各仏教教団を、徹底的に、たたきます。

東大の、印哲(いんてつ)の教授どもの渡邊照宏(わたなべしょうこう)だろうが、前田恵学(まえだけいがく)
だろうが、平山彰(ひらやまあきら)だろうが、山口瑞鳳(やまぐちずいほう)だろうが、すべての、彼らの、
大乗仏教論の、わけの分からない、むずかしい言葉を並べつくす、虚妄の「日本仏教学」など、叩き壊すべきだ。

彼らにしてみれば、厳格な自己正当化として、「私たちは、仏教の経典の厳密なテキスト・クリティーク(文献の
読み込み、翻訳)をやっているだけです。学問とは、古典文献を正確に解読することです。それだけです。その
厳しい修練です」という一点に、立てこもっている。そのことは私にもよく分かります。 こいつらが、現代の
比叡山延暦寺(天台法華宗)であることは自明です。
422考える名無しさん:2009/09/30(水) 13:27:09 0
>>421
>平山彰
平川彰先生だよ。副島はそんな妄想書いて悪業増やすより過去の自分の悪行を懺悔した方がいいぞ。


もう、貼らないでくれよ。お願いだから。
423考える名無しさん:2009/09/30(水) 14:58:17 0
420さんへ

あるは「無」のみと言うことですか?  「無」とは「空」ですか?
「無」とは「非有非無」を含みますか?

あるは、有に非ず無に非ず、第3の存在  「無」のみではなく「無」もないのでは?
あるは「第3の存在」のみ
424考える名無しさん:2009/09/30(水) 16:24:13 0
>>423
そんな人にレスしないように。
425考える名無しさん:2009/09/30(水) 17:00:20 0
私は仏教の素人ですが「414の続き」さんに同感です。
お経を唱えるだけで極楽往生が出来る・・・等とお釈迦様はおっしゃいませんでしたよね。
春分・秋分の日に死者の魂が帰ってくる・・・とも語ってはいらっしゃらない。
経典を音読してお金を受け取る日本の僧侶には疑問を感じます。
(料金のメニューがあったりする)
426考える名無しさん:2009/09/30(水) 17:09:01 0
まあ日本の仏教は日本古来の先祖崇拝を取り込んでるからね。
それはそれでいい。そこのところが解っていれば。
427考える名無しさん:2009/09/30(水) 17:40:19 0
>>414
>ゴータマ・シッダールダ本人が、しゃべった言葉

これって、どのようにして確認検証したのかを述べないと、
まったく説得力 ゼ ロ !なんだが、教えてくれ。書いてみ。
428Hannibal ◆WZVtcR4.5X/g :2009/09/30(水) 18:18:43 0
原始仏典のことを「ゴータマ・シッダールダ本人が、しゃべった言葉 」
といってるんだろうけど、そんなもんは、「最澄が○○と言った」、
「日蓮が○○と言った」というのと同じレベルで、
「仏典結集した人たちが『これがゴータマ本人の言葉です』と言っってる」
ってだけの話であってね。
まあ、仮に原始仏典がゴータマ本人の言葉であったとしても、だ、
大乗涅槃経ではない方の涅槃経に、「自分は指導者ではない」
と明言しているわけだから、
>ブッダがしゃべった言葉だけが、本物の仏教だ。それ以外は、すべて、ウソだ。でっち上げです。
なんていうのはブッディズムでも何でもない、単なる外道の了見だな。

ちょっと副島は話にならないねww
429Hannibal ◆WZVtcR4.5X/g :2009/09/30(水) 18:52:20 0
ちょっと前の方を読まずにレスしちゃったけど、涅槃経は「仏陀本人の言葉」には、
入ってなかったみたいだね。

>>410
>スッタニパータと、法句経(ダンマパダ)という一番古いお経がある。どうやら仏陀本人の本当の
>言葉はこの二つだけのようですね。
うん、だから、それは副島がそう思ってるってだけの話でしょ?
最澄には最澄のブッディズムがあり、日蓮には日蓮のブッディズムがあり、
副島には副島のブッディズムがあるってことでいいんじゃないの?

>奈良の興福寺、東大寺は法相宗(ほっそうしゅう)という仏教で、中国までやって来た仏教のうちでは
>一番古い仏教を伝えている。それは輪廻転生(りんねてんせい)を認めないんです。
はああ? 唯識は仏陀本人の教えではないんじゃなかったの?
それに『成唯識論』は輪廻転生があることが前提で書かれてますけど?
結局、副島なりのブッディズムっていうのは、「古けりゃ何でもいい」っていう、
とっても新しいブッディズムのようですねwww
430Hannibal ◆WZVtcR4.5X/g :2009/09/30(水) 18:57:04 0
書いてから気づいたけど、興福寺、清水寺が法相宗。
東大寺は華厳宗の寺ですよ?

>>420
>ナーガルジュナ(竜樹)の、唯識(唯識)や阿頼耶識(あらやしき)などの中観(ちゅうがん)
>ですらない。
こいつも全然、意味の取れないぶんだなあ?
なになに? ナーガルジュナは中観を唱えたの? 唯識を唱えたの?
中観は唯識なの? 新しいにも程があるブッディズムだなwww
431考える名無しさん:2009/09/30(水) 20:05:42 0
私は「学問の全体像」の自分の頭による理解を目指したのだ。そんなことやって何になる、どうせ無理な話だ
という自問もかつてはしたが、今は、それらを、外側にどんどん出すときがきた。ためらってなどいられない。
自分の理解力の低さを疑って、ためらってみても何にもならない。私が、「大風呂敷」をひろげて、バサリ、
バサリ、と切ってみせなければ、日本の知識層は、大きな観点からの世界水準の学問というものがどんなもの
なの分からないだろう。だから、私がやるのだ。あれこれの細かいことは知らない。それらを知るための時間
投入は、もう私の人生時間に、残されていない。絶対に、忘れてはいけないのは、小さな「蛸壺」に入るな。
常に、学問・思想・知識の全体を見渡せ。その上で小さな分野にこだわれ。ということだ。思想の全体を見渡す、
という構えが、日本人には、極めて病弱である。「重箱の隅を突っつくような議論をするな」と言う割には重箱
の隅を突っついてるのが、日本の知識人層だだ。私がグランド・デザインにこだわるのは、そういう理由からだ。
私は知識と、知恵のグランド・デザイナーを目指す。各部品の不足品は、この国に生まれた以上、しかたがない。
この際どんなにみすぼらしくても、「自分の思想の家」を自力でつくると決めたのだ。

副島隆彦「属国に本論を超えて」P69〜70
432考える名無しさん:2009/09/30(水) 20:06:54 0
日本では、向こうの一流学者の評判を取った本を翻訳することが、学者の仕事のようなものである。
そういう国だ。自分が作った理論(仮説)を、現実社会に投げ込んで、実験してみて、その成果を
厳密に測定する、というような態度などまったくない。ただひたすら、学者と自称する連中が、
「トーマス・クーンの「パラダイム」paradign 理論は、カール・ポパーの「反証可能性 (falsefiability
フォールスファイアビリティ)とはちがう」「いや、似ている」というような議論をえんえんとやる。
そういう国だ。その程度の国だ。壮大な社会実験など、やらなくて済むし、やるだけの土俵もないし。
みんな、紙と鉛筆と自分の研究室、の3つしかない。それでも、企業サラリーマンとなって会社奴隷になって
働かされるよりは格段にまし、ということか。
日本では大学か公立の研究所に籍を置かなければ、知識人生活はおくれない。そうでなければ、貧乏な、在野の、
一匹オオカミの雑文業者でしかない。江戸時代の傘貼り浪人か、寺子屋の先生をやることに等しいのだ。私は
ずっとこれをやった。そのかわり、国民の方は、学者と雑文家の差というか、社会的区別をあまり認めないから
おもしろい。すぐれた文章家が、学者より高い尊敬を集める。その程度の国だ。
だから、司馬遼太郎を私は、そのうち、徹底的に、砲撃する。彼は文章がきわめてうまいというだけの人だ。
あの文章は、英語(ヨーロッパ語)には翻訳できない。だらだらと非論理的な話が果てしなく続くからだ。
副島隆彦「属国日本論を超えて」p40〜41
433考える名無しさん:2009/09/30(水) 20:12:09 0
網野問題も、西尾問題も、全て、岡田英弘の枠の中の、その剽窃本です。こういうことを私は、はっきりと書きます。
ずば抜けて、優れた知識人というものがどんなものかを、君はもっと、はっきりと知りなさい。「それは、あなたの
勝手な判断でしょう。好き嫌いでしょう」などという逃げ道を作った反応(土人国・日本ではその方が自然な態度で
しょうが)をしているようでは駄目です。「岡田説の誤った部分」を「噂の真相」に突かれる、うんぬんは、私は、
寝言を言うな、と叱っておきます。ゴロツキ・スキャンダル雑誌の「噂の真相」は、そういう学問(サイエンス)の
中身に興味を示すような連中ではありません。細かい理論部品の不都合の問題ではないのです。
副島隆彦「属国日本論を越えて」P102
434考える名無しさん:2009/09/30(水) 20:18:23 0
副島貼るな、レスするな。ドキュンなんだから、マジレス恥ずかし。
435Hannibal ◆WZVtcR4.5X/g :2009/09/30(水) 20:22:38 0
いや、「ナーガルジュナの唯識」とか「唯識などの中観」とか、
「東大寺は法相宗」とか思いつきで書いてるんだから、
立派な雑文家だと認識してますけど? 学者ではなく、ね。

文章が極めて下手だというだけの雑文家です。
436考える名無しさん:2009/09/30(水) 20:27:48 0
>>428

副島は簡単に言えば原理主義者なんだよ。
中間の偉い奴の存在を認めない。仏陀以外の中間の権威を認めないという事だろう。

この事はキリスト教のカトリックとプロテスタントと正教会と原理主義者の関係を見れば分かる。
キリスト教ってのは以外と思われるかもしれんがイエスキリストの事はあまり語らないんだよ。
カトリックはペトロ崇拝で、プロテスタントがパウロ崇拝で、正教会がヨハネ崇拝らしいんだ。(佐藤優の発言)
そこに戦後になってキリスト本来の言葉に戻れてって事でキリスト教原理主義が出始めたんだよ。
437考える名無しさん:2009/09/30(水) 20:30:54 0
>>435
あの辞書本以来、一貫してドキュンだろ。嘘でも堂々というと信じるヤツがでるから。


438Hannibal ◆WZVtcR4.5X/g :2009/09/30(水) 20:34:30 0
>>436
>副島は簡単に言えば原理主義者なんだよ。
違うな。単なる「副島主義者」だ。
439考える名無しさん:2009/09/30(水) 21:20:21 0
おまえらは権威ある人や外国人が認めてるからからとか賛成してる人がいっぱいいるからとかじゃないと
信用しなそうだな。

そういう考えはどこから来たのか。村社会からなのか社会主義からなのか分からんが
出る杭は打つという考えは止めたほうがいいぞ。
440考える名無しさん:2009/09/30(水) 21:43:07 0
>>439
優れたものは優れている。ダメなものはダメなもの。

例えば、以下の短文にどれだけ誤謬があるか指摘してみよう。

>>420
>ナーガルジュナ(竜樹)の、唯識(唯識)や阿頼耶識(あらやしき)などの中観(ちゅうがん)
>ですらない。それらも、ブッダ本人は言っていない。チベット仏教で発生した、マントラ(密教、
>=真言しんごん、加持祈祷 )の類も、一切、ブッダ本人とは、関係ない。

1.ナーガルジュナ>ナーガールジュナ
2.唯識(唯識)>唯識(唯識)無意味な羅列
3.竜樹の唯識や阿頼耶識などの中観>竜樹は唯識や阿頼耶識などは説いていない。
4.中観ですらない。それらも、ブッダ本人は言っていない。>龍樹菩薩の中観と釈尊の教えが全く矛盾せず、ほとんど同じというのが石飛先生の説。
5.チベット仏教で発生した、マントラ(密教、真言、加持祈祷)の類も、>密教、真言、加持祈祷はインド成立です。
441考える名無しさん:2009/10/01(木) 01:57:44 0
仏教の基礎がよくわかる本

木村泰賢全集
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SE/List?dcode=02&ccode=96&scode=50&Genre_id=029650&listcnt=0

いつの時代の本に比べてもいちばんわかりやすい。
442考える名無しさん:2009/10/01(木) 02:01:36 O
初心者ですが仏教は哲学ではなくて
神秘体験、見性体験、体認して救われる教えではないのですか?
443考える名無しさん:2009/10/01(木) 02:32:44 O
源義朝
444考える名無しさん:2009/10/01(木) 02:33:46 O
>>436
それは面白い。佐藤さんはたしか副島さんと対談本出してたな。副島さんの先生の小室さんの本にもそういう視点は書いてなかった。副島さんはホント小室さんの気性の後継者って感じなのが面白い。
副島さんの本は色々参考になるものも多いけど反米の気持ちが過ぎて中国べったりの姿勢はどうかと思う。
兵頭二十八さんの現実的親米姿勢の方が説得力がある。
まだ米国の方が主権国家の独立性を尊重する建前がある分マシだと。
445考える名無しさん:2009/10/01(木) 07:17:38 0
>>441
木村先生の本が読めるなら基礎はあるだろう。
木村先生はいいね。
446考える名無しさん:2009/10/01(木) 07:21:24 0
>>442
仏教にはなんでもあるから。

基本的には、良い行為をして悪い行為をせず、
諸行と縁起観などで心を清めて解脱するのが仏教です。

神秘体験や救われるというのはどうも誤解を含むので使わない方がいいでしょう。
447考える名無しさん:2009/10/01(木) 07:26:21 O
元木まさひろ
448考える名無しさん:2009/10/01(木) 07:32:01 O
桜井和寿
449考える名無しさん:2009/10/01(木) 07:33:36 O
ミムラ
450考える名無しさん:2009/10/01(木) 07:42:30 O
加藤こうじ
451考える名無しさん:2009/10/01(木) 08:14:41 0
白石ひとみ
452考える名無しさん:2009/10/01(木) 10:20:17 0
>>449
じゃ、ミムラに仏教娘でも演じてもらおうか
白石には『サウンダラ・ナンダ』のナンダの妻かな。もう、若くないかw
453考える名無しさん:2009/10/01(木) 13:01:36 0
若くはないが、それでもまだすごく綺麗
むしろ昔よりも
454考える名無しさん:2009/10/01(木) 13:27:06 0
>>453
そうなんだ。オレたしかあったことあるぜ。撮影でw
455考える名無しさん:2009/10/01(木) 19:47:48 0
宗教版どうなってる?
456考える名無しさん:2009/10/01(木) 19:55:24 O
生前の日蓮の態度には最後感服するわ
457考える名無しさん:2009/10/01(木) 19:58:06 0
>>456
え〜、ただのドキュン霊能者で、予言が外れてしょぼ〜んにしか見えないが。
なんで、信じる人がいるのか理解不可能。
458考える名無しさん:2009/10/01(木) 20:28:14 0
>>455
2ch サーバーダウン(鯖落ち)情報 part252
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/operate/1252568804/854
2ch サーバーダウン(鯖落ち)情報 part253
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/operate/1254385961/12
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/operate/1254385961/7
gimpo死亡のお知らせ。・゚・(ノД`)・゚・。

> tiger3515.maido3.com につきましてご連絡いたします。
>
> tiger3515 のサーバー再起動にあたり、
> データセンタースタッフが手動でリブート及び FSCK を
> 実行しましたが、ハードディスクに致命的なエラーが見つかり、
> サーバーを正常に起動する事が出来ない状態となっております。
> そのため、tiger3515 にかわる新しいサーバーを大至急で手配しております。
459考える名無しさん:2009/10/01(木) 20:32:04 0
>>458
感謝
460考える名無しさん:2009/10/01(木) 22:18:32 O

461考える名無しさん:2009/10/01(木) 22:28:38 0
神は偉大なり
462考える名無しさん:2009/10/02(金) 06:30:39 0
>>458
感謝します
463考える名無しさん:2009/10/02(金) 08:58:32 0
宗教版が見れないよ・・・。
464考える名無しさん:2009/10/03(土) 06:40:05 0
南無
465考える名無しさん:2009/10/03(土) 12:12:18 0
木村泰賢全集全六巻一万三千円でゲット・・・。
儲かった!!!
466考える名無しさん:2009/10/03(土) 13:56:39 0
泰賢全集は最新版なら全六巻で6万近いだろ・・・、確か。
旧版だろうけど五分の一ぐらいの値段だね、ええなぁ〜。

467考える名無しさん:2009/10/03(土) 21:09:52 0
いい本なの?
468考える名無しさん:2009/10/04(日) 01:25:48 0
1冊2200円か・・・。 安いな・・・。
469考える名無しさん:2009/10/04(日) 02:26:51 0
>>10
何でもいいので一言でいうとなんでしょう?
470考える名無しさん:2009/10/04(日) 02:33:43 0
「ブツダが考えたこと」(宮元啓一)ってどうですか?
471考える名無しさん:2009/10/04(日) 05:38:16 0
>>467
良い本だよ。 伝統教学と文献学の融合。
それが和辻によって壊された。
オレは一万でゲト(^^)

>>469
『スッタニパータ』は簡単ではないですよ。中村先生の訳は今一つです。
荒牧訳や村上訳がいいよ。ただし入手困難、高価だけど。

修行法や禅定は優れた先生についてやらないととんでもないことになりかねないので、
むしろ勝手にやらない方がいいよ。とりあえず、なにかに意識を一点集中するぐらいはやってもいいかもしれないけど。

>>470
まあまあ、宮元さんは根本的にアートマン説なので邪見です。
472考える名無しさん:2009/10/04(日) 06:40:19 0
和辻さんて悪い人なの?
473考える名無しさん:2009/10/04(日) 06:54:56 0
>>472
少なくとも日本仏教を破壊した人であることは間違いない。

474考える名無しさん:2009/10/04(日) 07:04:08 0
「クリシュナムルティ学友会」のページに
正田大観訳がそろってるぞ。
475考える名無しさん:2009/10/04(日) 09:44:42 0
和辻がその後に影響力大きすぎた面あるな
476考える名無しさん:2009/10/04(日) 10:01:16 0
>>475
東大系の伝統派が傍系で和辻派が本流になっちゃったからねw
477考える名無しさん:2009/10/04(日) 10:09:16 0
徳を一番多く積める行為は瞑想と聞いたのですが
二番目と三番目についても知っている人がいたら教えて下さい
478愚禿 ◆ztTkWncwGw :2009/10/04(日) 11:01:23 0
利他行でも徳を積めますか?
479考える名無しさん:2009/10/04(日) 11:02:58 0
>>477
瞑想というとあやふやですが、精神集中と考えればそうです。
特に空性の状態に留まった精神集中が最高です。

二番目は、随喜でしょう。これは良い行為に共感することです。
無我で共感できればその行為の功徳と同じ福徳が積めると言われます。
仏伝や聖者の伝記から、身近なニュースまでなんでも随喜しましょう。

三番目は、供養・布施ですね。仏・法・僧になんでも供養すること、
困っている人や動物などになんでも施すこと。別にものじゃなくても
いいんです。重要なのは無我・無願で供養・布施することです。
無願とは、見返りや結果を求めないで行うといった意味です。
480考える名無しさん:2009/10/04(日) 11:04:08 0
>>478
利他行こそが最高の行ですよ。
481愚禿 ◆ztTkWncwGw :2009/10/04(日) 11:09:54 0
>>480
おこたえに感謝いたします
482考える名無しさん:2009/10/04(日) 16:04:53 0
和辻哲郎は、飽くまで哲学者だよ・・・。
哲学者としての仏教観に過ぎない。
木村泰賢先生こそ日本の仏教学、インド学の本流・・・!!!

まあ、和辻先生が哲学と言うものを非常に分かりやすく表現した功績は認めるけど。
なにせそれまでは西田幾多郎やその亜流達の難解晦渋なチンプンカンプンの
悪文のせいで、分かるよい名文を書く者は哲学者ではないと言うのが日本の伝統だったから。

483考える名無しさん:2009/10/04(日) 16:10:47 0
サンスクリット語・パーリ語が読めない仏教学者の意見は参考にしかならない。
484考える名無しさん:2009/10/04(日) 16:23:18 0
>>483
確かに鎌田茂雄の華厳解説とかはそうだけど。

最終的には文献学者の意見は参考にしかならない。
悟った人伝統を伝える聖者こそが仏教の本質を伝える。
485考える名無しさん:2009/10/04(日) 16:37:53 0
そんな悟りを開いた聖者なんて今の仏教界にはいません!!!
優秀なインド学や仏教学の大家の意見しか当てにはなりません。
486考える名無しさん:2009/10/04(日) 16:41:41 O
本当だな?よし行ってこい。
487考える名無しさん:2009/10/04(日) 16:43:10 O
軍事境界線北緯38℃南北デットライン
488考える名無しさん:2009/10/04(日) 16:52:26 0
>>485
少なくともチベットとビルマにはいるよ。

日本にも隠れていそうだけど、私は知らないけど。
489考える名無しさん:2009/10/04(日) 17:16:17 0
>>483
サンスクリットやパーリ語が読めない仏教学者なんているわけないだろwww
それは普通の仏教者かどこぞの教団の教学者だろうがwww
490考える名無しさん:2009/10/04(日) 18:38:20 0
仏教(ぶっきょう、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教。
キリスト教・イスラム教と並んで世界三大宗教のひとつ(信仰のある国の数を基準にした場合)である。
仏教とは一般に、仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。
491考える名無しさん:2009/10/04(日) 19:59:44 0
>>489
一杯いるよ。寧ろきっちり読める人が少ない。
なぜなら、サンスクリットがよくできる人は、ヒンドゥーやヴェーダをやるからだ。
もっとも、若手はそんなことはなくなってきてるようだが。
492考える名無しさん:2009/10/04(日) 20:57:14 O
アーユルヴェーダ
493考える名無しさん:2009/10/04(日) 21:24:22 0
苦からの解放に必要なのは悟りじゃなくて金だよな

時代は変わった
494考える名無しさん:2009/10/04(日) 21:29:03 0
>>493
いやいや、昔からそう誤解する人は後を絶たない、あまりにも幼稚な誤認です
495考える名無しさん:2009/10/04(日) 21:53:30 0
人生は苦である、これが釈迦の命題だ
そんな中生まれた俺は不運でしかない
やってらんねーぞチクショウ!
死ぬのを待つしかないのか・・・
496考える名無しさん:2009/10/04(日) 22:03:24 0
他者の言葉を、深く思慮しないまま受け入れるな。
たとえそれが釈尊であっても、だ。
釈尊のその認識は人間存在の内的幸福に継続している。
その絶望まで到達したのであれば、空の意味を、残りの人生をかけて
探求すべし。苦であるこの世界を諦めるのは、この世界の苦が一体なんであるのか
探れ。絶望のままに死すのは、悲劇に他ならない。
497考える名無しさん:2009/10/04(日) 22:21:24 0
>>495
もし、一切皆苦を正しいと思うなら。
死ぬまでがチャンスと思うべし。

まず、優れた師を探し、教えを聞き、内容をよく考えて、
了解し疑いを師に解決してもらい、よく理解できたら、
ひたすらその教えに親しんで馴染み、縁起・無我・空を体得し悟るべし。
498考える名無しさん:2009/10/05(月) 00:16:30 0
>>493
金が有れば、生老病死や怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五取蘊苦を免れる?
499考える名無しさん:2009/10/05(月) 00:29:54 0
それは無理、それらから逃れられるのは宗教的悟りの境地のみ・・・。
空の境地のみ!!!

金は直接的には役には立たない、間接的に悟りを求める修行生活の支えにはなるが。
500考える名無しさん:2009/10/05(月) 04:07:24 0
>>499
悟れば免れるの?
どうして?
501考える名無しさん:2009/10/05(月) 05:12:01 0
>>500
煩悩の影響を受けず、業を作らず、再生することもなく、解脱するから。
502考える名無しさん:2009/10/05(月) 07:54:08 0
>>498
良質な食物をたべて健康を維持する
気に入らない奴がいてもすぐ仕事を辞められる
ひきこもっていれば人と会わずにすむ
金さえあれば女は付いてくる
金で手に入れなれないものはない

明晰判明だろうがよ!
503考える名無しさん:2009/10/05(月) 09:24:27 0
起てよ!坐って瞑想せよ!
平安を得る為にひたすらに坐れ!
死王に見られた者の苦しみは尽きない。
煩悩を滅尽した者を死王は見ることがない。
504考える名無しさん:2009/10/05(月) 17:28:32 0
>>502
嗚呼〜、愚かと言うもなかなかに哀れなり〜!!!
渇愛に溺れし愚者は永遠に地獄を輪廻し彷徨い続ける!!!
505考える名無しさん:2009/10/05(月) 17:45:11 0
>>504
その種の効果の薄い脅しをかけるのではなく、
>>502 の言述のどこが誤っているのか、言ってみて。
506考える名無しさん:2009/10/05(月) 17:50:47 0
金がなければネットもできない
木村泰賢全集も買えない
507考える名無しさん:2009/10/05(月) 17:51:55 0
ブッダの時代に貨幣とか紙幣とかの「お金」に相当するものはあったの?
時代の違いがあるからな。
紙幣の価値は、仏像そのものを仏と認めたようなものだしな。
悟った人でも一万円札でケツ拭いてトイレに流したりはしないだろうしなあ。
だいたいブッダに時代には紙が発明されてないしな。
貨幣経済というのは価値論的にも厄介だ。最近はイーマネーとかいうオンラインバンクもあるし。
そういう意味では、お金を物質である札ではなく、意識の中で所有するという方向にシフトしてる。
あとはカードを使えばいいし。
釈迦は比丘は何も所有するなということだけど、
実際の物質的所有より、意識の中での不所有を強調してるんだろうな。
大金持ちでも、意識のなかに大金を所有してなければ
心置きなくチャリティーできるしね。
まあ自分の家にある金や宝石を泥棒が盗んだら窃盗になるが、
家の床に落ちている塵ホコリを盗んでも窃盗罪にはならないだろうな。
住人が気づかないだろうし、ホコリを所有している意識なんかない人がほとんどだろうからね。
悟るなら実際に出家して無一物にならなければならんだろうし、
在家のままだとやはり、いろいろなものを実物的にも意識の中にも所有してしまう。

在家の我々は欲張りだから、在家のままでも悟ってしまおうと考えてる人も多いような気がするし、
悟れれば、実際に実物的・実務的な所有があっても、意識の中には何も所有していないという
超自由な境地を楽観的に夢見てる方々も多いんじゃないだろうか?
私なんかそうなれればいいと思ってるんだがね。
誰もが実際の所有にかかわらず、意識には何も所有していないで
お互いに愛し合い、助け合い、平和である・・・まるで神の国だな。
508考える名無しさん:2009/10/05(月) 17:52:13 0
全て誤ち・・・、
嗚呼〜、こんな事も分からぬ愚者は永遠に地獄を輪廻し彷徨い続ける!!!


509考える名無しさん:2009/10/05(月) 18:07:44 0
>>508
 (苦笑)
510考える名無しさん:2009/10/05(月) 18:20:28 0
>>507
後段で述べられる理想こそが、
まさしく大乗仏教の究極の姿なわけだが、そのハードルは高い。
それを可能にするような精神状態、心理、心持、境涯とは如何なるものだろうか・・・。

もし、それができたなら、様々な制限、限定、手枷足枷とセット物の涅槃を説いたお釈迦さんをはるかに凌駕する。
だって、お釈迦さんは、そうした物理的制限のもとで(≒出家、遊行という生活形態の中で)悟ったし、
そのように弟子たちに説いてきたわけだ。
アーナンダに何と言ったか?「女性を見るな(視界に入れるな)」とのアドバイスだ。
(アーナンダは、よっぽどの女好きだったんだろうか?w だから敢えて、ああした助言になったのだろうか・・・www)

所謂、《「おあずけ」状態で生き抜く》のが、507後段の理想形なのさw
スッタニパータ、ダニヤの章で言えば、
「子のある者は子について喜ぶ」と言う魔に対し、507後段を理想とするなら、こう答えるべきなのだ。
「子があっても、子について喜ばず憂えない者、彼をバラモンと呼ぶ」と・・・。


さて、どっかのどなたかさんは、
どういう生き方を理想としてるんだろうね・・・w

(´ー`)y━~~
511507:2009/10/05(月) 18:34:14 0
ああ、意識とは何なのだろう?釈迦は「眼耳鼻舌身」があり、それが「色声香味触」と接することで
「意」が生じて、意が「法(諸法)」を捉えるとしたが。
色受想行識を一瞬で行う心はすごいなあ〜。すごいと同時に煩わしいし悩ましい。煩悩だ。
諸法無常だ。ここにいるのは私も含め貧乏人ばかりだ。大金持ちは「お金」を絶対視しない人がほとんどだろう。
大金持ちにとっては、お金はあって当たり前なんだから。
持っているなら得ようとしない。持っているのに気づかないで得ようとする阿呆は多いそうだが。
むしろ、貧乏人や貧乏性が身に染みた人が拝金になる可能性が高い。
それで、意識の中を無所有にして綺麗にする方法を釈迦は教えなかったのか?いや、道を教えた。
釈迦でなくともイエス・キリストも同じようなことを教えたではないか。
祈るときも断食するときも人に見てもらおうとするなと。人からの賛美ではなく神からの祝福を求め、神を信じろと。
意識の中を無所有にするのはイエスも同じなのだ。それが出来た人だけ神を観るんだろう。クザーヌスのように。
釈迦とイエスで違うのは仲間意識かな。
イエスは友のために自分の命を捨てる以上に大きな愛はないと言った。
仏陀はそういった他人を救うために自分の命を捨てろとはいわなかっただろう。
イエスの方は、仲間意識を造る必要があった。
周りはユダヤ教徒ばっかりで、それに立ち向かい、立ち返らせねばならなかったのだから当然な気がする。
つまり、四面楚歌的状況がキリスト教的「愛」の根幹だろう。
釈迦は四面楚歌でもないし、独りでOKだった。確固とした一神教がまだなかったのがよかったのだろう。
というわけで、キリスト教に熱心な人は、この宇宙全ては神の創造物であり、異教徒も神の創造物で
イエスを信じなければ滅びると信じ、そういう世界観・宇宙観を意識に所有するハメになった。
512507:2009/10/05(月) 18:35:10 0
マイノリティの弱小的意識のイエス時代の意識を、
マジョリティの最大信者となった現代キリスト教徒の意識にそのまま適用したのがおかしかったのだ。
釈迦のことばはほとんど時代制約がないことがわかるだろう。
イエスの言葉はその時代もある程度考慮されているとわかるだろう。ユダヤ教を打ち破るために。
釈迦の時代もバラモン教やそのた宗教との対決はあったが一神教ではない。
でもだれでも目覚めた人々は言ってるよ。
「すべては意識次第だ」と。
513考える名無しさん:2009/10/05(月) 18:48:18 0
『仏のことば註全4巻』とその研究書『仏と聖典の伝承』の復刊が決定!
『仏のことば註』は、セイロン(スリランカ)に伝えられたパーリ語経典
「スッタニパータ」の注釈書である「パラマッタ・ジョーティカー」の
全訳書です。
「ジャータカ」などでもおなじみの説話を含む、原始仏教研究には欠かせ
ない必読書でありながら、長きにわたり絶版となっていた関係で古書価格
が異常に高騰していた作品としても、広く知られていました。
今回は、そんな貴重なシリーズ全4巻の完全復刊に加え、本書の研究書
『仏と聖典の伝承』も同時復刊が実現!
514考える名無しさん:2009/10/05(月) 18:53:20 0
>>512
>「すべては意識次第だ」と。

そう。
だから、20代の若き青年が、「苦なる生存を厭うて、涅槃を(≒悟りを)求め」たとする。
この時、道を歩み始めたばかりの彼が、口説かれて揺らがないどうか?
身体的接触もされながら口説かれた時、何が彼を支え得るだろうか?
女にしろ、金にしろ、食い物にしろ、
或いはまた、心地よいベッド、快適な住まい、安全な生活、etc.
或いはまた、学費、食費、子供の進路・就職、子供の恋人・結婚、自身の老後、財産の処分法、etc.etc.etc.
一般人として(→在家者として)生きるということは、
これら全てに【関わり】【対処し】【判断し】【価値付け・優先順位付け】をしなければならないということだ。
(※(特に近代)禅は、これをやれ!という教えなわけだが・・w)
これが、どれほど困難な道程、方途であるか・・・。
現代日本仏教は、この、遥か雲を突き抜けるかのような高いハードルを、自ら選んでいる。
よく、厳しい修行を「大変だねぇ・・・」などと言うが、実は逆だ。
物理的に制限を設けた方が、はるかに修業はし易い。(だからアーナンダへの助言なわけだがw)
上座部系だろうが大乗系だろうが、チベット系だろうが、2chで吠えてる奴らには、こうした現実的視線が欠落している。
《何でもありの雑踏の中で、孤高と清貧を保つ》ことがどれほど困難なことか、考えたこともないのだろう。
まさに机上の空論で、理念だけが先走る・・。
あのな・・、お前らは思考だけで存在してるのか?と・・w  お前らは草薙素子か?・・とww
515考える名無しさん:2009/10/05(月) 18:59:39 0
古代ギリシアの哲人も離れて生きることを説いたな
逃げるが勝ちか・・・
516考える名無しさん:2009/10/05(月) 19:09:22 0
短いながらも幾つかのやりとりの中で感じるのは、
どっかのどなたかさんは、
案外、草薙素子的在り方が理想なのかな・・・? という印象w



>>515
仏教には、よく「(現実社会からの)逃避」という批判がされることがあるが、
これが、当たっているということを理解せねばならない。
どんな理由を付けても、それは、仏教と言う枠を半歩でも出たら通用しない。
これを解らない奴が、「いや、仏教はそうじゃない」「逃げてるんじゃない、受け止めてるんだ」などと言うかもしれんが、
ちゃんちゃら可笑しい。
『義務の放棄』が、『逃げ』でなくて何だというのか?
お釈迦さんは、その代替となる行為をも同時に説いていた筈だ。
だから、逃避が許されるのだ。(社会的に文化的に存在が認知されていたということも忘れてはならないが。)

さて、哲板住人の方々はどう思う?
過去の哲人達も、悠悠自適だったからこそ思索に耽ることができた。
生活に追われている人間に哲学は不可能、という、仏教とは少し軸のずれた同じ構図を見るだろうか・・・。
517考える名無しさん:2009/10/05(月) 20:27:09 0
何の義務だよw
518考える名無しさん:2009/10/05(月) 20:46:39 0
>>516
そんなことないですよ。読売のナベツネ氏は、カント、ヘーゲル、
ハイデガーなどの哲学書も読む人みたいだし。ジャーナリストでも
経営者でも、クリエーターでも、主婦でも、スポーツ選手でも、
あるいは科学者でも、ミュージシャンでも哲学ある人というのは
いますし、何か、ひと味違うよね、そうした人達は……。

それより、オウムを語って欲しい。つまり、桃源郷を築いても
やはり世俗的なこと(からの承認……)は大いに気になっていた訳で、
それで認めてくれないなら(選挙での落選)、地下鉄にサリンを散布
しましょうという話なのではなかった!?

それで、ブッダは現代的な視点で見ると、どうも強迫神経症的な要素が
あるように感じられます。精神的な純粋性への強迫的なまでの傾き。
洗浄強迫症というのがあるけど、洗えば洗う程、更にその微視的な
汚れにまで注意が固着するという悪循環の機制。つまり、世間から
どこまで遠ざかっても行っても悪や穢れを見出すことは出来るし、
そういう意味では、あまりクールな態度だとは言えないでしょう。

でも泥の中でも、それに汚されずに咲く蓮の花というイメージは好きかな。
だから、都市的な雑踏なり罵倒渦巻くネットの中でさえも、それに少しも
染まらず、美しくいられるというのが、かえって良い感じだったりして。
519考える名無しさん:2009/10/05(月) 21:43:54 0
>>513
めでたし。しかしながら、中村先生のやめてこっちを岩波文庫あたりに収録してほしいものです。
520考える名無しさん:2009/10/05(月) 22:17:43 0
 下
521考える名無しさん:2009/10/05(月) 22:49:16 0
悟りを開く前の若き日の仏陀は、今で言う脅迫神経症、森田神経質症だったんだよ。
だけどそのこころの病があればこそ、無上の悟りを得たんだけどね・・・。

522Hannibal ◆WZVtcR4.5X/g :2009/10/05(月) 22:52:12 0
>>507
>ブッダの時代に貨幣とか紙幣とかの「お金」に相当するものはあったの?
もちろん、あったよ。
仏陀は勤労、節約、蓄財を勧めている。
523考える名無しさん:2009/10/05(月) 22:55:43 0
>>521
悟りなんかねえよ馬鹿。
524Hannibal ◆WZVtcR4.5X/g :2009/10/05(月) 23:01:00 0
ああ、蓄財を勧めてるっていうのは、もちろん、在家信者に対してね。
財産の半分は生業のために使い(資本ってことだよ、資本主義の精神だw)、
4分の1は生活のために使い、残りの4分の1は窮乏に備えて貯金しておけ、
なんてことまで言っている。

>>516
>仏教には、よく「(現実社会からの)逃避」という批判がされることがあるが、
>これが、当たっているということを理解せねばならない。
要するに「現実社会からの逃避」なんて解釈は、阿呆アホですねw
525考える名無しさん:2009/10/05(月) 23:05:03 0
>>524
お前に仏教は無理だよ。
決定論スレで弄られてるのが似合いだw
526Hannibal ◆WZVtcR4.5X/g :2009/10/05(月) 23:09:16 0
>>525
私にとって無理かどうかは、おまえには関係ないし、
おまえが「Hannibalには無理だ」と思っていても、
私には関係ない。
527考える名無しさん:2009/10/06(火) 17:13:18 0
>>523
釈迦の悟りが無ければ仏教も無し、ヴァ〜カ・・・www
528考える名無しさん:2009/10/06(火) 18:58:04 0
実際に瞑想やら何やらで
現世を超えた境地を一辺でも見たことのある人は、
悟りがあるとも悟りがあるともいわないだろう。
論理や思考や想像なんかより、体感が最強なんだよ。
「オレは感じて経験した。お前らが何と言おうがそれは確かな経験だった。」
哲学的な理論展開で「有・無、是・非」など二項対立を議論する間はどちらも正解になることはない。
必ずどちらにも遺恨が残って自棄になって反論しあう。実体験が土台になってないから当たり前。
理論上や科学的事実等を前提としても哲学はできるが、
それは砂上の楼閣になる。それは経験主義者にも言えることだ。
この理論と経験は補いあう。だが二者は同速度でトラックを走る二者と同じで追いつくこともなく周り続ける。
一階しかないところで哲学をやるとこんな感じになる。堂々巡りの論理迷路だ。いい加減抜けろ。
二階に上れ。新たな敵が待ってるぞ。インチキして梯子で最上階を目指したりしないことだ。精神の急降下は地獄だ。
何階まであるかは知らん。分からないのに〜階以上は無いとは言わせんよ。上ったこともないのにな。
一階ばかり溢れてる。それから二階に上れるヤツが哲学板にほとんどいない。論理や科学の縄に
縛られて抜け出せないでいる。
「二階に往ける者は、まだ一階にいる者を見て、まだそこにとどまるのか」と思う。
「一階にいる者は、二階にいる者を見て、引きづり下ろそう」と思う。

だが、「お前が上れ!」。
他のせいにするなら苦しみが増える。
お前が何のせいにしようが、それも含めて、
お前がいるからすべてがある。
誰もが自分を背負えば自他は問題にならない。
529考える名無しさん:2009/10/06(火) 20:29:16 0
>>528
その体験もいろいろな境地があるんで、
ちょっとした体験で悟りだと思うのは間違い。
例えば、7up とか。

そこらへんは『梵網経』に明か。
530考える名無しさん:2009/10/06(火) 20:53:17 0
>>529
>7up
炭酸飲料かよw
531考える名無しさん:2009/10/06(火) 21:08:13 0
>>530
ちと、古かったか。その語源。LSDを七回やると悟れるというヒッピー用語。
それを仏教は認めない。ということ。
532:2009/10/06(火) 21:15:54 0
事務職につけよランジブー
533考える名無しさん:2009/10/06(火) 21:19:55 O
そもそもブッダが実在したかどうかも怪しい
まあ実在しようがしまいが関係ないんかもしれんけど
534考える名無しさん:2009/10/06(火) 21:24:33 0
>>531
それってやっぱり、商品名をモジってできたんかね?w
それとも、そんなスラングを元に商品名にしたとか・・。
喉越し爽快!クスリをキメた時のような爽快感!てなイメージで・・・。  (((;゚д゚))) ガクブル


種類 炭酸飲料
販売開始年 1929年
日本での製造 あり
完成国 アメリカ合衆国
外部リンク tp://www.7up.com/

名前の由来 [編集]
7 Upの名前の由来については、詳らかではない。
「Up」は新発売された1920年代から成分が変更される1950年代まで、
精神昂揚作用のあるクエン酸リチウムが添加されていたためであるが、
「7」については、販売時のボトルが7オンスだった、創造者がさいころを振っていたときに名前を思いついた、
レモンを含む飲料を製造している会社としては7番目に規模が大きいからなど、諸説ある。

by wiki
535考える名無しさん:2009/10/06(火) 21:48:10 0
>>534
あり、1929年から同じ名前なら、炭酸が先だね。こりゃ、失礼。
536考える名無しさん:2009/10/06(火) 21:50:09 0
仏陀の実在は学会では実証済みwww
まだ疑ってるアホがいるんだねwww
537考える名無しさん:2009/10/06(火) 23:03:54 0
仏教の悟りが高次元だという保障はあるの?
悟り争い乙w
538考える名無しさん:2009/10/06(火) 23:35:54 0
そりゃあお前、二千五百年と言う仏教の歴史が保障してるよwww
539考える名無しさん:2009/10/06(火) 23:45:49 0
イエスの実在は、ほぼ間違いなさそう。が、彼が神の御子(キリスト)だったかどうかは…
同様に、釈迦の実在が実証されても、彼が仏陀だったかどうかはなんともいえまい。
540考える名無しさん:2009/10/07(水) 01:00:40 0
541考える名無しさん:2009/10/07(水) 07:46:56 0
542考える名無しさん:2009/10/07(水) 11:18:15 O
仏教の曹洞宗は日本で一番かはわからないがお寺が多い。四国の八十八カ所よりも迷って山口県のお寺に行ったことがあるが曹洞宗は道元には山寺での修行のなかで月と自然を書に書いていたが道元ほど自然に傾倒しといた禅者はいない
543考える名無しさん:2009/10/07(水) 14:36:20 0
曹洞宗はそんなに多いってワケでもない
http://www.osoushiki-plaza.com/library/data/data131.html#pagetop
544ちょいと借りるw:2009/10/07(水) 18:51:34 0
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1253646747/814はワシだが
もう一言添えておこうか・・。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1253646747/813
>本来平等主義で貧しい市民も救うはずだった仏教が

奈良さん始め多くの人が、『仏教はエリートの宗教である』という言明を受け入れていること、
(たとえ推測にすぎないとしても)、サンガの構成員を割合で見た時、
知識層や富裕層の者が多かった可能性を示していること、を考慮すれば、
これが、幻想・妄想かもしれないことが判らんらしい・・。
また、《この文の「救う」が、どのような在り方・在り様を「救われた」と称しているのか》、
《仏教に於いて「救われる」とは、そもそも、どのようになった時、それを「救われている」と称し得るのか》、
にも左右されるが、
釈尊在世の2500年前のインドで、 >貧しい市民  が、本当に【救われて】いたかどうかは、
疑問符を外せないと思うぞ。

ぶっちゃけ、その辺のとこ、どうよ? >>813


それこそ、【大乗の出現で仏教は完成した】 と言い得るのかも知れんぞ?w
545考える名無しさん:2009/10/07(水) 21:30:07 0
例のトコ、次スレ建つんかね・・?w
546考える名無しさん:2009/10/08(木) 06:47:21 0
>>545
もう、立てなくていいよ。妄想の巣窟だから。
547考える名無しさん:2009/10/08(木) 12:49:34 0
妄想、大好き!
548考える名無しさん:2009/10/08(木) 12:59:27 0
仏教もキリスト教も結局は妄想だしな
549考える名無しさん:2009/10/08(木) 13:10:02 0
>>547
ワロタ

>>548
たしかに仏教は妄想によって妄想を止める道ですが、
世の中妄想のみだから。
550考える名無しさん:2009/10/08(木) 13:17:34 0
もう、立ってるだろう。
551考える名無しさん:2009/10/08(木) 13:48:27 0
>>550
え? 立ってんの? 
552考える名無しさん:2009/10/08(木) 23:46:18 0
だから架空世界を捏造するな
現実はひとつしかない
悟りの世界なんてルサンチマンなんだよ
負けを認めろよ
強いものが弱いものを食い潰す、それだけ
553考える名無しさん:2009/10/09(金) 01:09:46 0
泰賢全集を拾い読みしてるけど、すごく面白いし興味深い・・・。
仏教学の最高権威の宇井伯寿博士が木村先生が生きている時は、常に二番手で
とてもかなわなかったと言われるのも分かる気がする。
木村博士が49歳の若さで夭折されたため、やっと一番手となる事が出来たんだって。
もし木村博士が80,90歳の長寿をされて研究を続けていたら、おそらく
木村博士は鈴木大拙以上の世界的な仏教学者となっていただろうね・・・。

554考える名無しさん:2009/10/09(金) 02:25:11 O
>>552
妄想は好きなので、もっと語ってください。
555考える名無しさん:2009/10/09(金) 02:52:31 0
>>552
それただのエゴと妄想の信仰だから

>>553
そう思うけど。大拙以上に有名になったかどうかは怪しい。
556考える名無しさん:2009/10/09(金) 07:21:45 0
仏教は学ぶものではない、体得するものだ
自分の行動で仏教を語れ
557考える名無しさん:2009/10/09(金) 13:03:53 0
>>544
>釈尊在世の2500年前のインドで、 >貧しい市民  が、本当に【救われて】いたかどうかは、
>疑問符を外せないと思うぞ。

生きてゆく生活に追われて、それどころではない。
558考える名無しさん:2009/10/09(金) 17:11:29 0
>>557
釈尊は貧しい人々を救っていたわけではない。
釈尊自体が無一物で托鉢の食だけで生活したんだから。
次期国王の王位を捨てて貧しくなった。
釈尊の周りに集まってきたのは当時の瞑想のプロの連中が多い。
知識層や富裕層がほとんどだったのは経典を読んでもわかる。
その彼ら以上の境地を知っている釈尊のもとに、みんな訪れたんだね。
当時は今みたいな娯楽なんかない。みんな瞑想を楽しんでたんだよ。

貧民救済は主にキリスト教だろうと思う。キリストも金持ちを批判してるが、
今ではすべて神の思し召しで、信じる者は豊かになるみたいなトンチンカンな方向になってる。
これは日本の僧侶も同じ。新幹線のグリーン車とかに乗ってるし。
葬式仏教僧侶は週に2回くらい葬式すれば月収100万は行く。これじゃ貧民救済なんかできないだろ。
559考える名無しさん:2009/10/09(金) 17:45:00 0
世俗化した葬式仏教や結婚キリスト教に救いは無い・・・。
この世の四苦八苦を解決するには仏陀の道たる四諦八正道を歩んでいく以外に無い。


560考える名無しさん:2009/10/09(金) 19:12:59 0
>葬式仏教僧侶は週に2回くらい葬式すれば月収100万は行く。
ちょっと葬式仏教僧侶になってくる
561考える名無しさん:2009/10/09(金) 20:03:15 0
>>558
知り合いのどう見てもいんちき僧侶(読経も下手)だが
檀家100人いて本堂を新築するのに1億掛かるから一人100万円出せと
いったら十日で集まったそうだ
もちろん非課税だろう
そこに住んでるし
562考える名無しさん:2009/10/10(土) 01:02:55 0
僧侶たちも、この世の四苦八苦を解決するのにカネに勝るものはない、ことに
気づいたのです。貧民よりも自らを助けることが先決というわけです。w

563考える名無しさん:2009/10/10(土) 01:07:18 0
今の坊主は煩悩のかたまりみたいな奴が多いよね。
564考える名無しさん:2009/10/10(土) 06:43:06 0
日本中がマインドコントロールされている
565考える名無しさん:2009/10/10(土) 09:30:06 0
>>559
>世俗化した葬式仏教や結婚キリスト教に救いは無い・・・

葬式仏教はどんなアカン奴でもくたばったら仏様=空なるものとして扱ってくれる
ありがた〜い仏教なんだぞ。
 これほど、ものごとには実体がなく空なるものであることを示す教え顕示するものはない。

煩悩即菩提、

ありがたや、ありがたや 太郎冠者 わかったかのう
      
なかなか、わかりましてござりまする
566考える名無しさん:2009/10/10(土) 11:41:01 0
>>565
そんな仏教いらん。まるで死んだもん勝ちじゃないか。
なるほど。だから葬式仏教(葬式のための仏教)と呼ばれるのか。
衆生「どうしたら救われるのでしょうか?」
僧侶「死ぬまで待て」
www
567考える名無しさん:2009/10/11(日) 08:28:52 0
おまえら馬鹿だなあ
そもそもこれが坊主本来の姿ではなかったか?
出家者集団も修行するフリをして労働から逃れて托鉢と称して
在家を騙して乞食をしていたんだろうが

現代日本では葬式という形而上学的欺瞞で大金巻き上げてるんだろ
念仏唱えてもらって天国とかww
まあ日本人の宗教観もメチャクチャだから坊主も楽だよなw
568考える名無しさん:2009/10/11(日) 09:34:20 0
京都祇園の高級クラブの一番の客筋は、
白足袋連中だって。

むかしは、ヤクザ、成金中小企業社長、白足袋だったが、

いまは白足袋だけや。

ありがたや、ありがたや、

ミドリさ〜ん、よろこんで、よろこんで、三番テーブルご指名でーす!
パチパチパチ!
569ゴクラク、ゴクラク、、:2009/10/11(日) 14:43:59 0
本業、土建屋/副業で議員やってる政治屋と有権者の関係みたく
在家サンキュ!
在家サンキュ!
570考える名無しさん:2009/10/11(日) 20:02:34 0
無宗教型葬儀社(戒名なし、僧侶不参加、海に散骨、低料金)
こういうの設立すれば儲かるんじゃないかな
571考える名無しさん:2009/10/11(日) 20:24:05 0
>>570
起業までの資金、収入が安定するまでの運転資金、
実際の稼働に関する経費、人件費(→何人の従業員で回せるのか?給与基準は?昇給は?)、
設備等維持の経費、いざという時の為の予備資金、積み立て分としての利潤、
利潤無しで、そうした純粋経費のみの分だけを価格とする?


既にノウハウや、資金を蓄えてる大手に立ち向かうのは難しかもしれんぞ。
信用も得なければならん。魅力だけで、何とかなるか?
こういう世界での地域性、ネームバリュー。或いは、業界での組合に、どう参加できるか。
などなど・・・、2chでスレ建てまでするバカもいるがw、企業の経営であることに変わりはない。

(※そして今は、寺院も似た状況である、ということだ。
  尤も、一般企業に比べればその行政的制限はかなり緩やかではあるが・・。)
572考える名無しさん:2009/10/11(日) 21:05:52 0
無宗教で葬儀なんて矛盾してね?
誰がそんなのに魅力感じるのか
妄想でもいいから絶対者による死後の救済がほしいんだよ

本当のニヒリズムだったら死後のことなんてなんもどうでもいいだろう
573考える名無しさん:2009/10/11(日) 21:47:56 0
>>572
「宗教」の語義・定義を最大限に広くとれば、確かに言う通りだろう。
《親しき者の(或いは自身の)死後に、『儀礼』を求める心理的ベクトル》が宗教的な感性でなくて何なのか? とw

しかし、そこまで語義を広くすることもあるまい。
《「親しき者の喪失」を、自身の中で(或いは共同体(家族・友人・親戚等)の中で)『昇華』させる》手段としては、
《何らかの儀礼・儀式を、そこに置く(挟む・設ける)こと》は、おそらくベストな、賢い方法だと思う。
勿論、それ(その時用いられる方法)は、
『型通りの』、『伝統的な』、『定番の』、『使い古された』、『無難な』、『万人にとって違和感のない』、或いは『商品化された』もの
である必要はない。 そうでない、個別な、特殊な、『その人(人達)にしか効果のない』方法というものもあろう。
(“「喪の途上にて」野田正彰”参照)

が、いずれにしろ、
≪『無宗教』だから『儀式・儀礼』不要≫ なんて、
お子様的発想はやめてくれw
574考える名無しさん:2009/10/11(日) 21:57:12 0
不要っていうか宗教的には意味ないだろ
社会的に意味があるならそれでいいさ

散骨とか考えてるのは無宗教というよりアニミズムだな
575考える名無しさん:2009/10/11(日) 23:04:23 0

あのね、娑婆ではケジメ、メリハリ、オトシマエってのが
大切なのよ。
 これにて一見落着!ということね。
〜式とか盆・正月・お彼岸とかってね。
セレモニーなんだけど、社会生活にリズムをあたえる共同社会的知恵よ。
葬式仏教なんて日本人にとってうまくできたあり方だと思うな。
原理主義ってガキっぽくて、人間さまざまな矛盾を含むから人間社会なんであって、
原理原則一辺倒なんて、つまんないよ。
576考える名無しさん:2009/10/12(月) 02:29:51 0
来世とか戒名とか言ってるのはハンコ売ってる人たちと何ら変わらないと思うのですが、
カルトと仏教?の違いって何ですか?
テーラワーダ仏教に興味を持って調べてるうちに疑問を持ちました。
577Hannibal ◆WZVtcR4.5X/g :2009/10/12(月) 03:19:59 0
>>570
>無宗教型葬儀社(戒名なし、僧侶不参加、海に散骨、低料金)
「アタシが死んだら灰を海にまいて欲しい」とか言ってる奴、
ホント腹立つわ。
何それ? 個性的だとか、ロマンチックだとか思ってるわけ?
個性的でも何でもないからね。平凡すぎてチャンチャラ可笑しい。
そっちはセンチメンタルな気分に浸ってりゃいいかもしれないが、
こっちは、そんな気持ち悪い海で泳ぎたくないっつーの。
578考える名無しさん:2009/10/12(月) 06:40:46 0
いや、日本人の意識は変化していると思うよ
私も低料金・無宗教の葬儀をお願いしたいね
579考える名無しさん:2009/10/12(月) 07:17:26 0
戒名とか葬式とか位牌とか祭壇って、仏教じゃなくて儒教のを取り入れただけでしょ?
来世観については浄土教の極楽浄土の他に日本ではなかったようだから
何となく死んだ後は浄土行きということになってしまった。
580考える名無しさん:2009/10/12(月) 11:03:33 0
死んでからのお浄土ではなく、
今をお浄土にせねばなりません!
      (映画 禅 のなかの若き道元の母への言葉)
581考える名無しさん:2009/10/12(月) 11:31:44 0
そんなあなたに、生前契約
http://www.seizenkeiyaku.org/HP/home.html
582考える名無しさん:2009/10/12(月) 14:04:59 0
沢庵は葬式も位牌も墓も要らないって要ってたな
こういう人はほんと悟ってるんだろうね
583考える名無しさん:2009/10/12(月) 14:41:46 0
修行するのが仏教だろwww
584考える名無しさん:2009/10/12(月) 17:50:34 0
>>582
>こういう人はほんと悟ってるんだろうね

悟っとらんなあw このくたばりぞこないは。
娑婆にいる連中のことを考えろ、この自己中やろー!
埋葬義務がある者が遺体をほっといたら、犯罪や。
>葬式も位牌も墓も要らない
くたばった奴にはどーでもええやろが、
娑婆にいる関係者にとってはメモリアルという知恵がいるのや。
墓作って、墓銘碑にこう書く
『柳は緑 花は紅
 さて、くたばったのは だれか
 つぎは おまえだ 覚悟しろ 』

どや、カッコエーやろ?
585Hannibal ◆WZVtcR4.5X/g :2009/10/12(月) 20:47:18 0
私は別に悟っちゃいないけど、
自分の死体は生ゴミに出してもらえればいいや。
586考える名無しさん:2009/10/12(月) 20:49:29 0
>>585
現実的ではないな。
587Hannibal ◆WZVtcR4.5X/g :2009/10/12(月) 20:58:06 0
>>586
うん、法律的にね。
じゃあ、ミンチ状にして海にまいてもらおうか。
灰よりも魚が食べやすいと思うんだが。
588考える名無しさん:2009/10/12(月) 21:14:41 0
>>587
地元の漁師さんにコネ作っとかないとなw
589考える名無しさん:2009/10/12(月) 22:56:48 0
>>585
>生ゴミ

うん、燃えるゴミのほうねw

あふぉか、ゴミ袋に入れるのに
チェンソーでゴリゴリ切断して袋ずめが必要。
でないと、清掃局のおっさんから文句が出る
また、警察から遺体損壊罪で逮捕、検事に起訴される。
ほんに娑婆は面倒だ。
 やっぱり娑婆仁義、渡世の礼節は必要や。

そこで、偉大な葬式仏教が日本を救う=巣食うw
なんという日本的合理主義文化であることよ!
よーできてるわw
590考える名無しさん:2009/10/13(火) 09:03:12 0
>>582

ただ自分が死んだ後の死体は火葬だろうが墓に入ろうがどうでもいい、ということだろう。
周りの人々は法律通りにしなきゃならんがね。
591宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 20:54:16 0
【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255345468/l50

もし、宜しかったらご参加のほどをヽ(´ー`)ノ
592考える名無しさん:2009/10/13(火) 20:56:31 0
『悟りにチャレンジ!』
見上げれば 空には青空 真理の太陽が ただ一つかかる
なぜと問う 人もなく 輝き続け 照らし続ける
天に二日(にじつ)なく地には 一人の仏陀 ただ一人の仏陀
光の言葉を 説き続ける ありがとう仏陀 世の光よ
あなたが休まれる時 この世は闇となり 人々は悲しみ 人々は苦しみ
男も女も涙を流し 動物たちもが 悲しみの唄を歌う

「さよなら仏陀」そうつぶやいてから 二千五百年 仏弟子たちは闇夜の中
あなたの法輪を転じ続けた あなたはもう還らない 還る必要もない
悟りを開かれ 涅槃に入られたのだから
しかしあなたは また還ってこられた 絶対真理(しんり)から 還ってこられた
沈黙の仏陀が 再び口を開かれた 慈悲の心で かつての弟子たちを
導くために 永い夜が明けた 鳥たちはさえずり
緑の木の葉を 朝日が照らす 新しき法輪が また転じ始めた
仏弟子たちよ喜べ 真理の太陽が また空に昇る
だから今度こそ 悟りにチャレンジ!
二度とない 今こそ 悟りにチャレンジ!
まだ見ぬ未来のために 悟りにチャンレジ!

Let’s try to get great change!
593考える名無しさん:2009/10/13(火) 22:11:04 0
Perche' parli in inglese ?
594考える名無しさん:2009/10/13(火) 22:16:07 0
>>592
腐れ糞カルト大川隆法の「幸福の科学」の糞信者乙・・・www
595考える名無しさん:2009/10/13(火) 22:30:26 0
>>592
しかし、言葉も意味もやすっぽ

なんでこんなの信じられるのか不思議だ
596考える名無しさん:2009/10/13(火) 22:34:05 0
なんで創価学会は立正佼成会を敵視するんですかい??
597考える名無しさん:2009/10/13(火) 23:19:45 0
同じ法華信仰と言う近親憎悪によるんだろwww
598考える名無しさん:2009/10/14(水) 00:50:10 0
覚醒して輪廻の鎖を断ったからこそ、仏陀は仏陀と呼ばれるんだ。
仏陀が現代に生まれ変わるわけないだろ。ちょっとは考えろ、馬鹿。
599考える名無しさん:2009/10/14(水) 07:34:23 0
じゃあチベット仏教もおかしいね
ダライラマも詐欺ですか?
600考える名無しさん:2009/10/14(水) 09:07:45 0
>>599
全く違う。釈尊はネハンした。
ダライラマは、普賢行、無住処ネハンによる化身であって再生ではない。
こんなことも分からずに再生とか言ってるのは何も分かってない証拠。
大川興業の本は、何も分かってない矛盾だらけのマンガみたいなもの、
もうちっとマシなゴースト・ライターを頼まんとなw
601考える名無しさん:2009/10/14(水) 12:20:05 0
【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】1
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255345468/l50

もし、宜しかったらご参加のほどをヽ(´ー`)ノ
602考える名無しさん:2009/10/14(水) 21:44:56 0
あっ、もうこんな時間だ、オイラもネハンするかな
603考える名無しさん:2009/10/15(木) 06:56:43 0
■薄れる宗教意識・高まる節約志向
日本では、人口高齢化と並行して大都市圏での宗教意識の希薄化が進む。こうした背景のなか、
人々はより安価な選択肢を模索し始めた。第一生命経済研究所の小谷みどり主任研究員によると、
東京都内では今、なんの儀式もしない「直儀」が3割を超えている。
残された家族に出費をさせたくないという思いが強いという。また、「信仰が無い」ため
「お坊さんのお経に何十万を使うのはもったいない」と考える人が多いと同氏は指摘した。
604考える名無しさん:2009/10/16(金) 22:19:17 0
それにしても今の日本仏教はひどい。
現代の日本人が今の日本仏教で救われることはない。
605考える名無しさん:2009/10/16(金) 22:29:13 0
おまえら日本人は高相なみにちんちくりんの集まりだな
パンチンコ
606考える名無しさん:2009/10/16(金) 23:08:35 0

ゴミアジアはすっ込んでろ
607考える名無しさん:2009/10/16(金) 23:17:57 0
 やくみ
608考える名無しさん:2009/10/17(土) 05:35:52 0
609考える名無しさん:2009/10/18(日) 08:39:33 0
「仏陀再誕」てどうよ?
610考える名無しさん:2009/10/18(日) 09:10:13 0
再誕しないことを目指したのがシャカムニ仏
再誕したら解脱に失敗したってこと
これだけ覚えておけばおk
611考える名無しさん:2009/10/18(日) 10:10:18 0
>>609
大川興業はまさにマンガ、ギャグ・マンガだよ

信じる人がいることが信じられない

まあ、信じて十善戒を守るなら、何も信じないよりマシかもしれないが、
あれが仏教だと言うなら、まさにギャグ・マンガ

映画は見てないが、以前、数冊読んだ。ギャグだった。
どうみても仏教の概説書数冊読んで、適当に書いてるとしか思えない。
憑依型に脚色してギャグをちりばめたひろさちや本って印象だ。
612考える名無しさん:2009/10/20(火) 08:28:23 0
ゴチャゴチャ言ってないで、黙って坐れ!
これが基本だ。
613考える名無しさん:2009/10/20(火) 08:59:16 0
>>612
黙って坐ってもやり方が分からなければ寝てるのと同じ。
たとえ三昧に入ったとしても三昧が、悟りでないことを知らないなら、
三昧の精神集中を悟りと勘違いするのがオチ、
LSDで悟ったと勘違いするのとそれほど変わらない。
614考える名無しさん:2009/10/20(火) 10:05:25 O
いわゆる悟ったことがある人間は「私は悟った」とは他人には話さない。
話すとしても、何らかの形でその曖昧な概念を伝えるだけだと思う。
仏陀は例外か。
615考える名無しさん:2009/10/20(火) 10:09:55 O
>>604
カネの臭いがプンプンする坊主が多いね
616考える名無しさん:2009/10/20(火) 10:35:45 O
縁なき衆生は度し難し
617考える名無しさん:2009/10/20(火) 13:48:50 0
>>614
完全に悟った人は言うようだけど。つまり、一切智を得た場合。
618考える名無しさん:2009/10/21(水) 07:28:01 0
言わなくても悟った人は判別できる
パンチパーマの人は悟っている
619考える名無しさん:2009/10/21(水) 17:20:41 O
成程!
620考える名無しさん:2009/10/21(水) 17:43:51 0
>>618
ワロタw

ま、悟った人は悟った人にしかわからないそうだ。
だから悟ったひとなら、この人は悟った人だと証言できる。
その証言が一つもないなら、
悟った人を証言しないことになっているか、
悟った人など一人もいないということになる。
なんと我々は末法どころか
滅法時代に住んでいるのだ。
621考える名無しさん:2009/10/21(水) 19:06:21 0
悟った人と言うのは阿羅漢と同じ意味ですか?
622考える名無しさん:2009/10/21(水) 22:35:40 O
>>621
そう。同じ意味。
623考える名無しさん:2009/10/21(水) 23:29:12 0
>>621
最初はそうだったけど。今は違いますね。
624考える名無しさん:2009/10/22(木) 01:37:35 O
あぁ、悟りたい。辛い。解脱したい。
荒れ狂う激情を純粋な精神に昇華したい。
本当悟りたいよ。煩悩という煩悩すべて遮断し覚醒したい。
625考える名無しさん:2009/10/22(木) 02:00:20 O
悟りは瞬間的なものだと思います。流星のような。
そして常に悟り顔で生きられるものではないと思います。
釈迦も人間だったから…
626考える名無しさん:2009/10/22(木) 02:03:30 0
全ての煩悩なくしても覚醒はしないわな。
苦痛が無くなるだけ。
627考える名無しさん:2009/10/22(木) 06:19:30 0
>>624
まず、良い先生を捜すことですな
628考える名無しさん:2009/10/22(木) 17:33:40 O
師は自然
629考える名無しさん:2009/10/22(木) 20:03:56 0
>>628
それじゃ、一億人に一人ぐらいしか結果だせない。
ただの三昧を悟りと勘違いするもの多し。
630考える名無しさん:2009/10/23(金) 04:28:03 0
ほんと日本仏教は形骸化してる。
こんなんだからいかがわしい俗宗教が台頭したり麻薬が蔓延したりするんだ
631考える名無しさん:2009/10/23(金) 07:30:08 O
生臭坊主は淘汰されなきゃいけませんね。
彼らからはカネの臭いがプンプン漂ってきます。

今度会った時は「おい、クソ坊主。真面目にやれ」と言ってやりましょうか。
632考える名無しさん:2009/10/23(金) 22:07:32 0
だが大部分の坊主は、お前たちよりも真面目だと思ふよ・・・www
633考える名無しさん:2009/10/23(金) 22:17:46 0
真面目だが、釈尊の意思とは違う方向に進んでいる
釈尊は蓄財せよとは言っていない
634考える名無しさん:2009/10/23(金) 22:23:45 O
他人をけなすのは簡単
おまえがまずやれ
635考える名無しさん:2009/10/23(金) 22:24:45 0
>>632
そんなことないな。

>>631
でも、そんなこと言うのはやめとこうよ。
636考える名無しさん:2009/10/23(金) 22:54:27 0
プロの坊主がどれほどの勉強と修行をしているのか全然無知な愚者たちwww
己の無知蒙昧さと愚かしいまでの醜さを自覚してほしいと思いますwww
637考える名無しさん:2009/10/23(金) 22:58:06 O
結婚して子供がいて大学行ってて酒も肉食もするのに【出家】なの?
ホ−ムレスの方が余程出家してると思うが
638考える名無しさん:2009/10/23(金) 23:14:17 0
お釈迦様は王子様だったよね・・・www
ある程度の(寺や財産)がありながらあえて断食苦行するプロの坊主と、
己のいたらない生き方の結果ホームレスに落ち込んだ者と比較するのも愚かしいよねwww
社会の所為、政府の所為にする前に自己責任って言うことも考えないとねwww

639考える名無しさん:2009/10/24(土) 01:20:17 O
ホムレス出家ってのは単なるシャレで有って
現代の僧侶が俗世間の楽しみも享受しながら出家でごさいとしてるのがオカシイと感じてるって意味。
お釈迦様は妻子捨てる前は僧では無かったんでは?
640考える名無しさん:2009/10/24(土) 17:38:40 0
岩波文庫とかに出てくる「神」とか「悪魔」ってなんですか。
641考える名無しさん:2009/10/24(土) 19:24:10 0
天部の神々であり、人間よりは高級だが未だ悟ってはいない低い神々のこと。
夜叉やラーマ魔族と言ったちからのある精霊たちのこと。
642考える名無しさん:2009/10/24(土) 19:55:27 0
>>641
現代人はそういう話を比喩的なものとしか聞いてないわけですが、
当時は、それらの言葉を聞いた人がたくさんいるわけですか。
643考える名無しさん:2009/10/24(土) 22:15:33 0
>>637
それだ!
三衣一鉢
644考える名無しさん:2009/10/25(日) 01:09:09 0
>>641は逃げたな
645考える名無しさん:2009/10/25(日) 06:20:38 0
容色麗しい神がゴータマに語りかける場面があったな。
俺にとっては「神々」や「悪魔」より
「神通力」の法が興味ある。
646考える名無しさん:2009/10/25(日) 21:37:23 0
人間とはなんてもろい存在なんだ
虫ケラ同然だね
647考える名無しさん:2009/10/25(日) 21:41:51 0
>>646
虫けらとの違いがあると思う方がどうかしているが
648考える名無しさん:2009/10/25(日) 21:53:03 0
うん、だから今までどうかしてたんだ
一切が空しくなった、存在が空気だな
649考える名無しさん:2009/10/26(月) 17:33:54 O
>>648
空気は大事だぞ
650考える名無しさん:2009/10/27(火) 14:41:04 0
S・イマムラが「C点による仏教論」書きました。仏教学の基本である「無自性」も「刹那滅」も無しに「非有非無」に至りましたが、少し暴論かも知れません。
「縁起」や「空性」についての、正統派の仏教学を無視し、C点論は、直接「非有非無」に至りましたが、仏教への是までとは別のアプローチがあってもよいのでは
ないかと考えています。修行なしの仏教論です。
651考える名無しさん:2009/10/29(木) 00:29:44 0
>>642
当時だけでなく、今に至るまでずっといるわけだが

凡人の常識や五感の限界で仏教を読むのは間違いですな。
652考える名無しさん:2009/10/29(木) 00:31:00 0
>>651
五感(+意識)以外に何があると?w
653プブリカヌス:2009/10/29(木) 00:55:45 0
鈴木家と野々宮家には畑の荒地があります。それは事実静岡の鈴木です。
そこが遠州になります。遠州の草木はいつでも潮風に当てられて枯れて佐藤チクゼンになります。
遠州は赤いトマトになります。そこがひかりであり仙台になります。仙台といえば
はじめちとせではなくひととようになりますね。そこが赤いトマトになります。
赤いトマトがしみずになりしみずはありません。しみずがあるのはあきよです。
しみずは恐いことに闇があります。それが一円ぱちんこになり、それがあなたです?
そのあと水族館の中のゆらゆらきらめくやしきたかじんになりますね?
やしきたかじんは安部ですね?安部といえば安部の貞任で清原和博になりそれが仙台闇
警備になります。
654考える名無しさん:2009/10/29(木) 01:01:46 0
655プブリカヌス:2009/10/29(木) 01:17:51 0
警察になります。警察は赤いトマトです。
でなおれが行きたいのはおんなではなく警察なんだ。警察はパチンコになる。
パチンコは赤い上空になるのだがそれが米になるんだがいかばかりか?
とうもろこしはきいろのなって競馬になるはずなんだがそれがなにかはわからない。
きたちょうせんの闇はふゆのそなたと変わらない。ぺ・ヨンジュンとチェ・ジウのコラボレーションが織田無道になる。
織田無道は闇だ。それが美穂だ。
656プブリカヌス:2009/10/29(木) 01:40:42 0
武田信玄が野田城を包囲したときに病気になっていまったようだが
武田信玄の城攻めはさいごの方は一級品で経験に裏づけられたようそは
さいこうだった。野田城攻めはおとせないはずの城をうまく包囲してからの不幸だ。
657コント:2009/10/29(木) 01:42:09 O
車道
658考える名無しさん:2009/10/30(金) 22:37:15 0
>>652
> みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。よく聞いて下
> さい。「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。それは、眼と
> 眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌
> に味わわれるもの、身体と身体に接触されるもの、心と心の作用、
> のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
>
> 誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張
> するとき、それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。
> さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒
> れてしまうかも知れません。何故でしょうか。何故なら、彼の主張が彼
> の知識領域を越えているからです。(サンユッタニカーヤ 33.1.3)

もしかして、上の訳を誤読してない?
五感と言っても、凡夫の五感だけが五感の対象じゃないし、
増谷訳で「心と心の作用」とされるのは mano ca dhammaa ca で逐語訳すれば「意と諸法 」だよん。
この諸法は心的現象と言って良いでしょう。
それに過去世の知が含まれることは明かですよ。

でなければ釈尊が「私は望むかぎりそのかぎり種々なる
前世の宿住を思い起こすことができるのである」『マッジマ・ニカーヤ』I, PTS483 と説かないでしょう。
あるいは、以下のような『梵網経』も説かないでしょう。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html

もはや和辻、佐倉流の断見仏教の時代は終わったといっていいでしょう。
659652:2009/10/30(金) 22:51:13 0
>>658
該当箇所を片山さんがどう訳すか待とうやw
660考える名無しさん:2009/10/30(金) 23:12:22 0
>>659
待つ必要ないよ。宿命通を釈尊は、長部・中部でほとんど説いてるし、
輪廻や業がないとする見解を邪見と明快に説かれてるんで十分。

釈尊は確かに経験論者だけど、その経験は凡夫の経験領域とは異なる。
その経験領域を現代人が自分たちの経験領域だけに限定するから、
なにも分からなくなるだけの話、それを上にリンクした『梵網経』で釈尊が示唆しているのが読み取れるだろう。
661652:2009/10/30(金) 23:22:08 0
>>660
だからぁw
六境(或いは六根六識)以外に経験領域があるのか?ってことだろw
662考える名無しさん:2009/10/30(金) 23:46:31 0
>>661
十八界以外に経験領域はない。それがサンユッタ・ニカーヤの文だ。
それに異義はない。問題は、それが凡夫の経験領域だけではないってこった。
それは『梵網経』や宿命通、「私は望むかぎりそのかぎり種々なる
前世の宿住を思い起こすことができるのである」という文から明か。

何か別の解釈の余地があるなら伺おうw
663652:2009/10/30(金) 23:52:06 0
>>662
だから、覚者が真に過去世を想起したかどうかは 『信じるか信じないかの問題』だろ?w
君が、「確かに想起できた」と言うならば、話は大きく変わってくるが・・・w
664考える名無しさん:2009/10/31(土) 00:16:06 0
>>663
そんなこというなら、他の文も信じるか信じないかの問題でしょ。

先ずは自分や現代の信念・信仰・習慣は可能な限り置いて
テクストを素直に読んで、テクスト内の整合性を読み取る、
その意味を信じるか信じないかは、その後の問題だ。

最悪なのは読みの段階で自分の信念を読み込む読み、
これはただの妄想ねw
665652:2009/10/31(土) 00:33:49 0
666考える名無しさん:2009/10/31(土) 09:19:59 O
釈迦が菩提樹?の下でミルク飲んで「悟った」時は未だ生きてた訳だし
それと輪廻の蛇から「解脱」したのは別な気するんですが?
やはり「仏陀」は後世の人の勝手な思い込みでは?
667考える名無しさん:2009/10/31(土) 09:45:55 0
>>666
それは有余ネハン、無余ネハンという言葉で解決されてるよ。
まずは水野先生の『仏教要語の基礎知識』あたりを読んでから書こう。
668考える名無しさん:2009/11/01(日) 23:11:57 O
後場が何時に〆になるのか
669考える名無しさん:2009/11/12(木) 08:49:18 0
 「C点による仏教論」を試論しました。C点論では、「刹那滅」は認めません。
現在と言う「瞬間」は、「0秒」と考えています。C点論では、「無限」と「矛盾」
を視座にを居ています。検索の上参考にして下さい。
670考える名無しさん:2009/11/12(木) 09:16:05 0
 現在が「0秒」と言う事は、現在という瞬間が「無」と言うことではありません。
現在と言う瞬間は、有に非ず無に非ず「非有非無」であります。刹那を「存在」とし
て、滅を非在とし、不連続の連続として時間を考えることは、C点論では考えません。
ご検討下さい。
671考える名無しさん:2009/11/12(木) 09:25:10 0
 「C点論」も「刹那滅」も物理学的に、観測、測定により証明することは
不可能です。どちらも概念でしかありません。科学では有りません。
672考える名無しさん:2009/11/12(木) 11:44:24 0
*
673考える名無しさん:2009/11/12(木) 12:57:30 O
亀と早い人のパラドックスみたいだね
674考える名無しさん:2009/11/12(木) 13:39:27 0
>>671
なんで科学なのw

>>673
それは釈尊以来、仏教ではパラドックスではないから。
西洋の本質主義だとずっと難問だったみたいだけど。
675考える名無しさん:2009/11/12(木) 14:24:45 0
670つづき
 現在と言う「瞬間」は、正確には時間ではなく、物質「空間」であり、
時間とは物質の変化・非変化が持続・瞬間として同時同位置存在している
に過ぎません。物質は、C点論では、非物質である空間も含めて「非有非無」
であります。「C点による時空論」も参考にして下さい。
676考える名無しさん:2009/11/12(木) 14:53:05 O
あなた達は論述に囚われすぎ
仏教の根本が見えてない釈尊が我々衆生に一番伝えたい事は何なのか
それが一番大切だ
677考える名無しさん:2009/11/12(木) 15:38:33 0
676さん
 お説のとうりです。
678考える名無しさん:2009/11/12(木) 16:25:10 0
>>676
あなたこそ見えてないと思う。

なぜなら、釈尊は伝えたいものなどないからだ。

それぞれの人に応じて対機説法で、戯論妄想を止滅させるだけ。

679考える名無しさん:2009/11/12(木) 16:57:52 0
アホ、四諦八正道の解脱の為の道と言う伝えたいものがあるわいwww
680考える名無しさん:2009/11/12(木) 17:28:54 0
>>679
違う、それも対機説法で出てきた方便。

もし、相手が五ビクのようなシュラマナでなかったら別の形で説かれていたでしょう。

それを明解に言語化したのが龍樹菩薩、
そして縁起によって法身や報身から新しい形で説かれたのが大乗やテルマなんだな。

もし、そう考えず、歴史的でないと言い出すなら、それは縁起や無我・空の理解がなく、
単なる実在論で捉えているだけのこと。

文献学による仏教学のいうことなんかほとんどあてにならんぜ!
681考える名無しさん:2009/11/12(木) 20:58:26 O
釈迦より空海の方が好き
682考える名無しさん:2009/11/13(金) 04:24:08 O
そりゃ現代人にとっては現世肯定欲望肯定的な空海の教えの方に惹かれるだろ
だが釈迦の方が何倍も崇高
683考える名無しさん:2009/11/13(金) 07:35:06 0
>>682
>そりゃ現代人にとっては現世肯定欲望肯定的な空海の教えの方に惹かれるだろ

全くの誤解、弘法大師は「現世肯定欲望肯定的」ではありません。
密教は「現世肯定欲望肯定的」ではありません。

そのようなことを喧伝する学者のいうことは全く信用しない方がいいです。
684考える名無しさん:2009/11/13(金) 08:05:08 0
小乗であれ大乗であれ、総てを包み込む奥の深い幅の広いものが、仏教。
釈迦の真意がどうあるかは、誰にも解らない。ヴェーダーから始まる古代
インド思想をも含めて、多彩な思想を含む東洋思想。宗教的真実はどこにある。
仏教は種々の立場があるが? 最後は個人の信仰にもどる。
685考える名無しさん:2009/11/13(金) 09:20:43 0
>>684
そういうプロテスタント神学、和辻哲郎みたいな解釈は止めましょう。

仏教は伝統的に聖者から聖者へと体得されて伝承されてきた、
仏・法を伝承保持するのが僧、サンガ、僧団だと釈尊が仰られているし、
だからこそ仏・法・僧の三宝に帰依するんです。

個人個人か勝手にお経読んで思い思いの信仰をもてばいいなんてのは、
和辻の詭弁・妄想ですがな。
686考える名無しさん:2009/11/13(金) 10:33:36 0
 仏教離れの現在。目立つのは、創価学会、佼成会、霊友会などの法華経系
の「新宗教」を中心とするグループを除けば少数。殆んどが無宗教。
 仏壇のない家も多い。核家族の現在、先祖を中心に集まる大家族は崩壊。
家族の誰かが亡くなると、仏式の葬儀。葬式仏教が現実。淋しい。

 仏教に限らず、宗教を必要としない時代か? いかがわしいものも有るが。
687考える名無しさん:2009/11/13(金) 13:03:48 0
アホ、仏壇や組織宗教なぞ神薙の国には必要ないからだ!!!
大自然のヤオヨロズ神の生ける信仰があるからだ、
なにが無宗教なものかワwww
688考える名無しさん:2009/11/13(金) 22:44:21 O
宗教の精神はいつの時代も必要ですよ。
私たちは良心を持った人間なのですから。
689考える名無しさん:2009/11/14(土) 11:47:47 0

昔の天皇や皇族は仏教をさんざん擁護して、出家して法皇とかまであったのに
今の皇族に仏教色が全くないのが意味不明。
神仏分離が仏教にとっても神道にとっても致命的だったな。
690考える名無しさん:2009/11/14(土) 12:16:05 0
>>689
だって今の天皇制は明治期にドイツあたりをモデルに作り変えられたものだから、
近代国家のための天皇制になっちゃったわけだ。

その理論的背景に江戸時代の垂加神道などの神秘的国粋主義があったから、
廃仏毀釈に象徴されるような仏教排斥思想・運動があったのだから容易に理解できるでしょう。
691考える名無しさん:2009/11/15(日) 13:57:18 0
675つづき
 瞬間にをける物質「空間」は、数直線上の0と1が矛盾・無限と言う概念を入れることにより
連続する様に、瞬間「0秒」にをいて連続します。非連続の連続と言う「刹那滅」は、c点論では
考えていません。過去・現在・未来と言う「時間」は、0秒と言う「瞬間」に含まれています。
c点論は、矛盾・無限と言う視座に立っています。
692考える名無しさん:2009/11/16(月) 11:05:14 0
 C点は、「C点による時空論」「C点による仏教論」に書きましたが、有に非ず無に非ずの「非有非無」の存在で
有無を超えた「第三」の存在です。ここがC点論のポイントであり、難解なところ。矛盾・無限の視座が必須。
693考える名無しさん:2009/11/16(月) 11:56:17 0
蛇足ながら追記します。物質はC点より成っていますが、「有」の性質が優位であり、
空間は同じくC点より成っていますが、「無」の性質が優位であります。しかし、
これは物質が有で、空間が無と言う意味ではありません。
694考える名無しさん:2009/11/16(月) 20:09:23 O
ソリッド事件でヤフッてろ
695考える名無しさん:2009/11/16(月) 22:51:34 0
天皇はD点に存在する
696考える名無しさん:2009/11/17(火) 06:21:15 0

  色即是空  空即是色
697考える名無しさん:2009/11/17(火) 22:08:34 0
aa
698考える名無しさん:2009/11/18(水) 11:54:01 0
ソーカル事件でした
699考える名無しさん:2009/11/20(金) 06:50:22 0
C点の変化は、物質の「有」の優位また空間の「無」の優位、この有から無また無から有への
変化はクリアカットに瞬時に行われ、連続的にでは無く「瞬時」に行われる。物質から空間へ
空間から物質へ、物質から空間へ絶えず変化している。「縁起」もこの変化の中で生まれる。
哲学的には、「非決定論」である。物質Aに対して空間非Aは、様々で決定されたものではなく
種々の条件と成り得るからである。c点論では決定論は考えていない。
700考える名無しさん:2009/11/20(金) 07:37:44 0
 「縁起」の思想は、物質の変化の説明には有力であるが、ビッグバン
の発生などは説明出来ない。しかし、「無自性」の説明には有力である。
つまりビッグバン以降の現象世界の説明には有力である。
701考える名無しさん:2009/11/20(金) 07:46:24 0
702考える名無しさん:2009/11/20(金) 08:01:16 0
 ビッグバン以前の原始の太古のカオスにおける「C点」には、「非有非無」
であるが、有の優位、無の優位ということが有るか無いか不明である。
文字どうりのカオスなのかも知れない。
703考える名無しさん:2009/11/20(金) 08:05:48 0
 仏教の世界は、ビッグバン以降の世界に限られている様だ。
704考える名無しさん:2009/11/20(金) 11:36:26 0
認識ではなく感覚
705考える名無しさん:2009/11/20(金) 14:30:13 0
>>698
ググッちまったよw

>>700
そうかな? その縁起はどんな理解なわけ?

縁起って深いぜ!
706考える名無しさん:2009/11/20(金) 16:16:22 0
705さんへ
 「縁起」とは、因縁生起の略。因は原因、縁は条件。世界の一切は直接
にも間接にも何らかのかたちで関わり有っており、消滅変化を繰り返している。
これを縁起と言う。ビッグバンを説明出来ない。

 「縁起」について特別な深い考えがあれば、ご教示下さい。
707考える名無しさん:2009/11/20(金) 20:09:45 0
>>706
その縁起は実体的縁起で、縁起本来の深さが感じられません。

縁起は本来、諸縁から諸法が生成されることを意味します。
この諸縁は空です。認識される諸法も空です。
現れとして業・行から言語習慣や癖によって x の本質を持って
法・現象として認識されるだけのことです。

この意味で縁起は、一瞬一瞬の創発とも言えるでしょう。
いいかえれば、ビッグバンが常に起きていると考えることもできると思います。

708考える名無しさん:2009/11/20(金) 20:31:14 0
>>707
後期の、「整理され掘り下げられた縁起」とは言えると思うが、
菩提樹下及び転法輪時の縁起ではない罠w
709考える名無しさん:2009/11/20(金) 20:38:09 0
アホ、縁起は思惟では捉えられんワイwww
お釈迦様は、禅観によって縁起を悟られたんだぞ・・・www

710考える名無しさん:2009/11/20(金) 20:58:57 0
>>708
いえいえ、成道の縁起を観じることによって悟られたと思います。
ただし、いままでの多くの学者やアビダルマ解釈が実体的な本質主義で縁起を捉えているので誤解してるだけのことです。

逆に正しい縁起の捉え方は、『勝義空性経』『因縁心論』や諸中観系論書に詳しいです。
同じく『華厳経』や華厳宗の縁起、性起、密教の出生、生起がより高い見解だと思います。
711考える名無しさん:2009/11/20(金) 21:25:36 0
>>710
見解の高さのことなど言とらんだろうがw
貴方の嫌うw「時間的先後(歴史的順序)に於いて」、「その質を異にする」と言ってんだよ。

それに言ったろ? 龍樹(&石飛)は嫌いだとw
712考える名無しさん:2009/11/20(金) 21:45:30 0
>>711
見解の高さは残念ながら関係ありますね。

アビダルマとか唯識、ゲルクみたいな常識に近い本質主義的、あるいは言語習慣上の固定した意味による論理的整合性を追求する学派の解釈が、
凡庸な学者の意識に近いから、そのような解釈が主流となる。
誤解されるということ。

釈尊に最も近いのが龍樹菩薩や石飛先生だと思われる。
嫌いと言われても困りますがな。

テーラワーダや片山先生、道元禅師は近いものがあるよね。
私は、アビダルマ的だと思う。
713考える名無しさん:2009/11/20(金) 22:38:51 0
>>712
>私は、アビダルマ的だと思う

そりゃそうだw
現存パーリはアビダルマの系譜らしいから。(注釈の仕方を見れば一目瞭然だ。)
道元は知らんw

ただ、言えるのは、(一在家じゃないがw)龍樹は机上の空論だよね。「実際向き」じゃない。
そこに「人間がいない」。 違う言い方をすれば「地に足がついていない」。
現存パーリ(現上座部)が(或いは水野・片山・(森?)の系譜が)、
マハーカッサパ派という批判をする人もいるがw、その傾向を持っているからこそ、
存続し得たし、耳に届くものになっているのは、「人間を忘れていないから」だと思うよ。
違う言い方をすれば「“教えを聞き、実践し、また説く”人間がそこに想定されているから」だと思うよ。
貴方のように「実在しない」と平気で言いきっちゃう態度ではない、ということさw

以前、水野さんの無我相経の小論「転法輪経について」を話題に出したことがある。
そこでの(ちょうど今の貴方のような)通俗解釈と真の義としての解釈の対比について、
宝珠は「どちらも一緒でしょw」と抜かしおったw 貴方は沈黙していたっけ・・・。
私は、水野さんの解説を読んでも、「いや、通俗的解釈をすべきでしょ?」と感じたし、今もそう思っている。
もう一方の解釈は、(今考察すれば)実に宝珠的だwww

>嫌いと言われても困りますがな。
嫌いなものは(≒馬が合わないものは)しょうがないw
714考える名無しさん:2009/11/21(土) 00:07:57 0
「814」 「副島隆彦という生き方」というタイトルのインタヴュー記事を、載せます。 
最近の私の考えが分かりやすく表明されています。副島隆彦 2006.12.15
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#1501

スッタニパータと、法句経(ダンマパダ)という一番古いお経がある。どうやら仏陀本人の本当の
言葉はこの二つだけのようですね。その他のいろんな膨大なお経は、全部仏陀が亡くなった後に、
弟子たちが勝手に作ったものだ。僧侶が葬式をやったり、お盆にお経をとなえたり死者を祀ったりは、
仏陀は一言も言ってない。ブッダは死に関わるな、と言っている。勝手に後の人たちが作った制度だ。
仏陀自身の言葉は、「愛欲と煩悩を捨てて、この世とあの世のすべてを捨てて、ただ一人歩め。ヘビの
皮が新しく抜け変わるように。サイの角がひとつ進むように。」と書いてあります。
奈良の興福寺、東大寺は法相宗(ほっそうしゅう)という仏教で、中国までやって来た仏教のうちでは
一番古い仏教を伝えている。それは輪廻転生(りんねてんせい)を認めないんです。
来世はない。あの世もない。「この世とあの世をともに超える」とスッタニパータ(「ブッダのことば」 
岩波文庫 中村元訳、1984年初版) で仏陀は言っています。だから輪廻転生(りんねてんしょう)
もないのです。そこで私はブッダに従うならば、ゼロ、全くないと思います。「今」という現実は有るの
だけれど、それは仮のすがたであって、すべてなくなるんだ、と。輪廻転生は、仏陀が若い頃、厳しい修行
をしたヒンドゥ教の思想なのです。ヒンドゥ教 ( Hindu 、ヒンズー教、インド教)には輪廻転生が強烈
になる。六道輪廻ですね。生命は生まれ変わる。ですから、不思議な話ですが、本当の仏教(ブッダの教え)
は、徹底的に、無神論(むしんろん、atheismエイシイズム)なんです。
715考える名無しさん:2009/11/21(土) 00:19:52 O
副島さん間違い訂正したのかな
716考える名無しさん:2009/11/21(土) 04:29:18 0
>>713
>ただ、言えるのは、(一在家じゃないがw)龍樹は机上の空論だよね。「実際向き」じゃない。

そんなことない。そりゃ誤解も甚だしい。
『勧戒王頌』『宝行王正論』を読めば、そんなことないと分かるでしょう。
『中論』も止・三昧ができた人が読めば非常に勝れた観のマニュアルだと分かると思います。

実在しないと言い切る理由は、縁起にしろ輪廻にしろ思想を問題にする場合は、
無我・空の立場で説かないと仏教にならないからです。
有自性とか有我で説くのは、あくまで方便の場合、
そうじゃないとほとんど何も理解できず、
しょうもない暇つぶしの知識自慢になっちゃうでしょう。

717考える名無しさん:2009/11/21(土) 04:51:59 0
>>714
そんなヘボ学者をソースにする妄想男の書いたもんなんかのせんなよ
718宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/11/21(土) 07:13:54 0
*セブン&縁起一代、両名の対話ですかぁ?

私のお二人についての印象(違い)を分析するとこうなる。
 ・セブン氏 = 仏教を世俗の感覚に合うよう変成しようとしている(理由-理解できないものには意味がないから)。
 ・縁起一代氏 = 世俗(俗な感覚の人々)を仏教の説く世界(聖なる非俗な領域)へと導こうとしている。
719宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/11/21(土) 07:15:20 0
>>714
「この世とあの世のすべてを捨てて」とは、
この世の生存を最高のものであるとして執着すること
(また逆の、二度とこの世に生れたくないという囚われの意識)を辞めること。
そして、あの世の生存こそ最高のものであるとして執着すること
(また逆の、二度とあの世に生れたくないという囚われの意識)を共に辞めること。

「この世とあの世をともに超える」とは、
これは単に、“ニルヴァーナ(涅槃)はこの世とあの世も超越した境地”であるという意味であって、
「輪廻転生はない」などという意味ではありません。

>そこで私はブッダに従うならば、ゼロ、全くないと思います。

「無い」などといえるのは勝義の視点においてだけです。
これは、その境地に到達した者(覚者)だけの感覚なのであって、
到底、我々のような世俗の凡夫などというものは、
「そっかぁ〜。やっぱり、本当は無かったんだね。
無いと思えばないんだ。よ〜く分りました。もうボクは迷いませんから。」などといったところで、
死後にはちゃ〜んとまた次の母胎へと宿り、輪廻を続けていくのです・・・。
何故ならば、そのような(無いと思えばないといった)表層意識レベルというものは、
輪廻の原動力たる根源的な意識としての「渇愛(タンハー)」とは全く異なるならであり、
そんなことでは渇愛意識を変成することはできないからです。


とか、言ってみるテストw
(お邪魔しましたm(__)m)
720考える名無しさん:2009/11/21(土) 08:35:59 O
あの世その世この世
721考える名無しさん:2009/11/21(土) 14:47:16 0
あの世はいいところだぜ
722考える名無しさん:2009/11/21(土) 16:17:50 0
仏教が無神論だとか、経典読んで無我や空が分かると思ってるアホしかいないのか、
ここには・・・www

もう一度言うがお釈迦様は、ヨーガの禅観によって縁起を悟られたのであり、
それによって一切のカルマから解脱されて涅槃寂静に達したの・・・。
つまり最高の幸福を体得されたんだよ。
ある意味、仏教は最高の幸福哲学であり成功哲学で在るわけだ。

縁起を思惟や経典論書の読書研究で求めるのは、肥溜めに入浴するようなもの。
ますます汚れ穢れて迷妄のドツボに沈むのみ・・・www
723考える名無しさん:2009/11/21(土) 18:57:44 0
仏教は有神論だろ
浄土宗の阿弥陀や密教の大日
あるいは法華系においては仏陀自身が神になってる
724考える名無しさん:2009/11/21(土) 21:03:14 0
私は考えない、ゆえに私は存在しない

純粋経験の中に自己はありますでしょうか?
725考える名無しさん:2009/11/23(月) 08:44:02 0
 仏教にをける「諸行無常」「涅槃寂静」はもっともとしても、「諸法無我」や「一切皆苦」
は、如何だろうか? 世俗諦でも、縁起よりこの世の変化を説明することは可能であり、
、時間の流れより、諸行無常は勝義諦なしでも了解可能である。ここはすなをに
縁起から諸行無常と認識したら如何であろうか?「C点論」では、無自性なしでも
「非有非無」にいたります。また「一切皆苦」と言うほどこの世は、苦の娑婆でしょうか?
「四法印」は絶対の真理でしょうか? 一般人の素朴な疑問です。

 釈迦自身は記録を残してをりません。仏教には多様な試論があってもよいと思われます。
726考える名無しさん:2009/11/23(月) 13:48:29 0
>>723
多神教文化での有神論と、一神教文化での有神論に違いはあるのでしょうか?
もう少し熟慮してから言葉を発したほうが良いと思いますよ。
727考える名無しさん:2009/11/23(月) 16:07:19 0
 総ての人々が、仏教哲学を理解出来る訳ではない。「僧」の説く「仏」の「法」を
シンボルとしての仏達に「帰依」することにより、仏の慈悲にすがる。このシンボル
が仏達、つまり如来、菩薩、天部、明王などの仏達である。仏教自体は、釈迦の説く
哲学である。仏教は単なる有神論では無い。釈迦は実在だが、多くの仏達は
古代インドの宗教から来たか、空想の産物であるらしい。それぞれにお経もある。
728考える名無しさん:2009/11/23(月) 17:18:08 0
>>727
全く違う。先ず法は哲学ではなく教えです。
三宝に帰依するのはシンボルに帰依するのではない。

諸仏諸尊は空想ではない。我々の現在の知覚程度のリアリティはあるのである。
現在の知覚も諸仏諸尊も最終的には空であることは間違いない。

あなたが説くような文献学仏教ではただの好事家の知識自慢と変わらない。
729考える名無しさん:2009/11/25(水) 17:19:19 0
ペダントリー
730考える名無しさん:2009/11/26(木) 08:07:39 0

 色即是空  空即是色
731:2009/11/26(木) 11:33:28 O
ヴィィィィィン

ガショォォォォン

カチャリカチャリ
732考える名無しさん:2009/11/26(木) 21:06:31 0
中道
733考える名無しさん:2009/11/26(木) 21:35:37 0
だめだ苦しい、苦痛すぎる
俺は悪くないのになんで自分が変わらなくちゃいけないんだ?
人生は間違いなくクソだ

釈迦、おまえは所詮犬死にだったなw
734考える名無しさん:2009/11/27(金) 01:40:14 0
コールバーグの発達理論によるとそういう考え方は第三段階の「よい子」段階。
かなり発達レベルは低い。
女性は生涯この水準に留まるとされる。
ちなみにブッダは最高の第六段階。かなり道のりは長そうだな。
735考える名無しさん:2009/11/27(金) 05:22:21 O
唐突だが三密が大事だとおもう
音読、山歩き、至誠、念
頭でっかちでアンバランスな現代人にもわかりやすいと思うんだけどな
いわゆる仏教学だけやっててもわかんない
736考える名無しさん:2009/11/27(金) 07:24:04 O
>>734
アメリカの認知心理学者、ローレンス・コールバーグの道徳性発達理論
↑ 調べてみたら、それほど大層な物でもないじゃないかw

人間の道徳的判断の認知的発達段階
1.慣習以前のレベル
第一段階:叱られることの回避と力への絶対服従

第二段階:道具主義的相対主義への志向
(道具的有用性のみが公正さ(善い・悪い)の基準となる)

2.慣習的レベル
第三段階:対人的同調あるいは「よい子」への志向
(漠然とした「善意」、一般的に良いとされる行動規範に従う)

第四段階:「法と秩序」の維持への志向
(社会的権威から与えられた規範・規則を絶対と考え、それを遵守する)

3.脱慣習的レベル
第五段階:社会契約的遵法への志向
(規則は権威から与えられたものでも、固定的なものでもなく、
 自分たちのためのものであり可変的。あくまで
 共同社会構成メンバーとの社会契約的合意に基づいて行為する)

第六段階:普遍的な倫理的原理への志向
(普遍的に「正しい」とはどういうことか、そうした
 普遍的な倫理的原理に基づいて、法を越えて行為することができる)
737考える名無しさん:2009/11/27(金) 10:22:11 0
>>736
『十住心論』の第三地までですな、きっちりと。
738考える名無しさん:2009/11/28(土) 04:36:17 O
過去世で積んだ悪業全てを償うのに今生だけで足りるだろうか。
739考える名無しさん:2009/11/28(土) 19:48:26 0
悟ればチャラ
740考える名無しさん:2009/12/01(火) 09:36:05 0
691を別の視点より説明
 
 現在と言う「瞬間」にをいて、物質の「変化」・「非変化」は同時同位置存在です。ここで
瞬間を「無限」に0秒まで近かづけていくと、その瞑想の先で、変化・非変化は合一します。
つまり、変化と言う「持続」、非変化と言う「瞬間」は合一して「時間」が成立します。互いに
矛盾する変化・非変化の合一があり、「0秒」にをいて過去・現在・未来と時間が流れます。
741あめのみやつこ:2009/12/01(火) 09:56:55 0
もともと法相宗は南都6宗のうち三論宗、倶舎宗、成実宗を踏襲して
出来たというがその後の流れは高野山と比叡山に移る。空海と最澄に
2大宗教のながれはその後の浄土宗や禅宗などに多大な影響を及ぼした
その後出来た宗派はだいたいこの2大宗教の流れを汲んでいる。やくみつる
というコメンテーターがいる。かれはポテトチップスを好物であると言ったことは
ないが好物に違いないだろう。仏教というのは昔から川と関係している。
川と言えば川越のロジャースというところがあるがあそこと仏教とやくみつるとは
深い接点があるのだ。
742あめのみやつこ:2009/12/01(火) 10:16:17 0
河というのはミステリーを含んでいる。よく火曜サスペンスの題名に
「〜川殺人事件」という題名がよく出てくる。ミクロネシア島の島々には
川が多くあってむかしここに日本人が住んでいたという記述が昔あった。
ここで川に関して自分のなかで分岐点がある。ひとつは川と外国の川の問題。
ふたつめは数学の問題。川と数字の問題。ソフトバンク。もうひとつは仏教と川の問題。
阿頼耶識の問題。
743考える名無しさん:2009/12/01(火) 10:20:06 0
>>741
なにデタラメいってんだよ
744考える名無しさん:2009/12/02(水) 01:16:40 O
座禅での超越体験なんて単なる自然現象だよ。
減食した上でずっと座っていたら頭もクラクラしてくるって。
そんなに座禅で体験したければ手っ取り早くLSDでもやればいいだけ。
それは仏教に関してはなんの意味もない。
745考える名無しさん:2009/12/02(水) 06:34:59 0
テレンス・マッケナは古代の人が神秘体験を得やすいのは
慢性的な栄養失調にあったからだと言っていたな
746考える名無しさん:2009/12/02(水) 06:39:26 0
>>744
何も分かってない。戒定慧の内の定は、三昧・禅定であり、
これは集中力をやしなうとともに、現象が固定的でないことを知るのに
必ず必要。この集中力をつけた状態で縁起観などのヴィパサナを行って、
無我・空を悟る、集中力がない状態ではヴィパサナなどは唯の思考実験で、
ほとんど何の意味もない。

だから、三昧・禅定は重要なんです。

LSD などの薬による現象の変化では集中力が付かず、
単に薬による意識の変化というように思う癖ができる、
あるいは脳内現象とかの物質還元主義ね。
これではいつまでたっても素朴実在論の枠から出られないでしょう。
747考える名無しさん:2009/12/02(水) 08:21:28 O
>>746
座禅を止めスジャーターの乳粥を食べたのがブッダだ。
座禅には意味がない。
超越・超常体験なんて脳内麻薬の分泌に過ぎない。
748考える名無しさん:2009/12/02(水) 08:45:21 0
>>747
思い込み。テキスト読んでみ。
止めたのは苦行。その後、第四禅定に入って縁起観により悟ったとするのが、
パーリ・ニカーヤや漢訳アーガマだ。

そして、どの時代のどの地域の伝統仏教も三昧の止の中で、
観、つまり、縁起観などで無我・空を悟るということで一致してる。

君のような古い科学の物質還元主義の素朴実在論ほど仏教に遠いものはない。
749考える名無しさん:2009/12/02(水) 09:21:43 0
三昧は止行(サマタ)だよ。
それは仏陀の時代以前からインドにある瞑想。
仏陀は止観の両方をバランスよくやらないとだめだと言った。
止で心を対象に止めて、観行(ヴィパッサナ)で観察する。
サマタの超越体験とか単なる妄想なのだが、とらわれると危険だ。


750考える名無しさん:2009/12/02(水) 10:55:43 0
>>749
そう、>>748と全く同じこと。
バランスよくというか観の前提に止が必要なだけ。

止なしに観は成立しないから。

そう止の現れも、現在の現れも唯の妄想、どちらも捕らわれてはいけない。
751考える名無しさん:2009/12/04(金) 20:29:10 O
>>748
大乗の坊さんか禅宗の方かな?
仏教は四諦八正道で充分。
黙って座っていても休んでいるのと同じこと。そんな暇があるなら働きましょう。
752考える名無しさん:2009/12/04(金) 20:38:14 O
分かりやすく言おう。
ゴータマ・ブッダは座禅で悟り、アリストテレスは散歩で悟った。
我々はこのような偉人のポーズを単に真似て偉人に成ることを目指すより(そもそも我々が彼らと同様の歴史的で記録に残る発見をする可能性はかなり低いと言わざるを得ない)、
偉人の発見を活用していくことが大切である。
753考える名無しさん:2009/12/05(土) 00:57:45 0
ブッダは他の宗教家のようにセールス文句を言わないから結構好きだ。
「信じなさい。そうすれば救われる」なんて言わない。
ただ、恐ろしいほど残酷な事実を突きつけてくる。
人々は楽しみや希望を求めているが、「一切は苦しみである。」と断言。
人々は何かにしがみついていたいのに、「すべては無常である。」で完全破壊。
人々は愛するものを求めているのに、「愛するものをつくるな。」で幻滅。
人々は死を成仏や極楽浄土行きや帰天や天国行きと言うのに、
「生き物が最期に行き着くのが死。腐った死体は親族をもかえりみない。」で絶望。

完全にブッダの教えを体得するには妄執や煩悩や輪廻を乗り越えるしかないな。
最期の希望、涅槃(ニルヴァーナ)については、「自分でつくれ。」
754考える名無しさん:2009/12/05(土) 05:00:28 0
だから有難いんじゃあねえかwww
755考える名無しさん:2009/12/05(土) 06:00:05 0
>>751
八正道に正定があるんだが

>>752
坐禅で悟ったのではないです。
三昧・禅定は縁起観の前提として必要なだけで、
三昧では悟れません。


756考える名無しさん:2009/12/05(土) 14:01:58 0
神様が居ようが居まいが
断定するだけで根拠を示さんようなのは宗教だ
断じて哲学じゃない
757考える名無しさん:2009/12/05(土) 14:13:02 0
>>753
素晴らしいレスをありがとう。
ブッダのその言葉はとても残酷ですが、何処か「歓びに近い苦しみ」を感じます。

自分も諦観や達観に辿り着くように日々悩んで、出来る範囲で精進しています。
758考える名無しさん:2009/12/08(火) 12:15:56 0
そういう考えは現実をありのままに受け入れる戦法だな。理想と現実が一致するのでそのギャップに悩まない。
ただ、そのご時間がたつにつれて仏教を信じないと地獄に落ちるぞといった脅し文句も仏典に現れるようになるが。

759考える名無しさん:2009/12/08(火) 12:41:02 0
>>758
いや、そういう見方、読み方は仏教とは何も関係ない。
ただの言葉による慰めだよ。

輪廻なしに仏教はありえない。
和辻とか並川とかは話にならない珍説、
現代への阿諛追従以外のなにものでもない。

彼らのような説なら、仏教でなく倫理学で十分。
まあ、和辻は意図的に狙ってるきもするが、
他の人はどうしようもない、智慧が足りなすぎるw
760考える名無しさん:2009/12/09(水) 07:51:21 0
俺には俺の生き方がある
説教を食らう言われはないね
761考える名無しさん:2009/12/09(水) 08:03:03 0
>>760
それなら仏教にかんして断定的な発言をしないことだ。
762考える名無しさん:2009/12/09(水) 10:28:36 0
ニーチェ曰く道徳を説く梅毒野郎には気をつけろ!
763考える名無しさん:2009/12/09(水) 10:49:57 0
>>762
(^^)

道徳とかエチカとかいう以前に文が読めるかどうかという実に単純な問題なんだが。
あるいは、ちゃんとテキストにあたってものを言ってるか、
適当なインチキ情報で自分語りしてるか、というだけの話。

ニーチェとか仏教を語る場に持ち出す見識もかわいいちゃ、かわいいがw
764考える名無しさん:2009/12/09(水) 12:29:27 O
生きとし生けるものが幸せでありますように(^_^)
生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように(^_^)
生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように(^_^)
生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように(^_^)
生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように(^_^)
生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように(^_^)
生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように(^_^)
生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
765考える名無しさん:2009/12/09(水) 16:45:25 0
慈心観を修習したいと欲する修行者は、先に、どのよ
うな人が自分の瞑想の対象にふさわしく、どのような人
はふさわしくないかを知っていなければならない。一人
だけを瞑想の対象とするときは、それが異性であっては
ならない。しかし、遍満慈心観を修習するとき、例えば
「願わくば、全ての有情、全ての息ある者、すべての男
性、すべての女性・・・」(sabbe sattaa、sabbe paan.aa
 sabbe purisaa、sabbaa ittiyo)とするのであるならば
、異性も中に含めてもよい。故に女性の修行者は、男性
を一人だけ選んで慈心観の修習の対象としてはならず、同
様に男性修行者は、一人だけ女性を選んで慈心観の修
習をしてはならない。もし、一人だけ異性を修習の対象にす
ると、貪欲(raaga)が生起するかもしれず、修習の障害とな
るからである。
766考える名無しさん:2009/12/09(水) 16:50:03 0
ぶっちゃけた話、手前のやったことは手前で受けるしかないってことだろ、
仏教の根本思想は・・・。
つまり業の教え、これに尽きるわな。
767考える名無しさん:2009/12/09(水) 18:09:34 0
>>766
いや、自分のやってないことも自分に降りかかってくるってのが人生ってモンだろ
768考える名無しさん:2009/12/09(水) 19:24:00 0
ぶっちゃけ釈迦って大したことないな
王子として生まれて好きなことなんでもできたんだからな
過激プレイ、乱交プレイ、幼女プレイ、
女を思う存分好きなだけ楽しんだんだろ?ww
釈迦は欲望を超越したのではない、解消したに過ぎんのだ
誰だって好き勝手してりゃ空しくなるよ、それで今度は出家したいだぁ?
とんだ厨二病だぜwwwwwwwww
奴の人生は終始やりたい放題だ、仏教の説く自由ってのも所詮そんなものでしかないんだろうな
769考える名無しさん:2009/12/09(水) 20:10:23 0
>>768
とりあえず好きなことやりまくれってことだから
770考える名無しさん:2009/12/09(水) 20:15:04 0
>>769
交通事故を起こし、出所した者が
事故防止の為の種々の活動に献身したとする。

「事故を起こした人間の言うことなんか聞けるかwww」
ということですね?w
「一度も事故を起こしたことの無い者の話だけが聞く価値がある」
ということですね?w

よくわかりますwwwww
771考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:14:40 0
中絶した人が中絶反対して何が悪い
772考える名無しさん:2009/12/09(水) 22:10:28 0
>>770
分かってないじゃん
773考える名無しさん:2009/12/09(水) 22:16:38 0
一代さん、出番ですよwww
774考える名無しさん:2009/12/09(水) 22:25:25 0
ええおめこおらんけ?
775考える名無しさん:2009/12/09(水) 22:33:47 0
>>773
かずよデスカ、わかります、わかります。
776考える名無しさん:2009/12/13(日) 00:16:30 0
仏教には週末思想もなければ千年王国もないんだな
混沌とした世界観だな
無秩序・・・
777考える名無しさん:2009/12/18(金) 19:07:24 0
>>766
無常と言え、アホ。
その無秩序混沌無常の世界観からの出離こそ仏教の真骨頂さ。
だが、退学するやつが90%以上いるので険しい道であることは間違いない。
仏教的砂漠。
778考える名無しさん:2009/12/19(土) 14:06:31 0
諸行無常
779考える名無しさん:2009/12/19(土) 14:08:05 0
繰り返される
780考える名無しさん:2009/12/20(日) 09:01:20 0
ループ ループ
781考える名無しさん:2009/12/20(日) 10:06:01 O
まぁ、瞑想(ヨーガ)なしの仏教は仏教じゃないね。

学問仏教(笑)とか祈祷(だけの)仏教(笑)とか。
あとJ仏教(笑)。マジくだらねー。瞑想やっても形だけだし、最低限の戒律も守らないし。
坊主の妻帯ってなに?寺族ってなに?
やめちまえよニセモノJ仏教徒ども。オマエラ百害あって一利ねーよ。
782考える名無しさん:2009/12/20(日) 10:37:50 0
>>781
2chで言っても意味ないよ。
大勢を巻き込んだ、実際のムーブメント(具体的行動)を起こさないと。
783考える名無しさん:2009/12/20(日) 13:49:11 0
ここは大衆が観ている掲示板だと言うことをお忘れですな
書き込みもリスクを背負った一種の行動
784考える名無しさん:2009/12/20(日) 18:23:01 0
>>783
どんなリスクがあんだよwwwww


(この件に限らず、世の多くの事案についても言えることだが)、
「具体的行動」が発生しない限り、何も変わりませんよ。
もっとも、現状の「寺離れ、家系離れ、先祖離れ」の傾向をゆっくりと気長に待つなら、それもいいでしょう。
今の寺院業界が崩壊するのに、おそらく100年はかからないでしょう。
50年でどこまで事態の変化が顕著になるか・・という所でしょう。

貴方は、待つのが嫌で書き込んだんでしょう?w
なら、動かなきゃw
『2chに』書き込むだけなら、待ってるのと変わりませんよ。
785考える名無しさん:2009/12/20(日) 19:00:19 0
>>784
ヒント:逮捕者
786考える名無しさん:2009/12/20(日) 20:19:34 0
待ってねえよ
仏教は個人宗教だろ
自分が救われればそれでいいんだよ
世間が腐っても俺だけは潤ってる
787考える名無しさん:2009/12/20(日) 20:27:24 0
>>785
《具体的に「誰か」或いは「寺院名」を特定し、名指しで批判したい》 ということですか?
或いは、
《犯罪を誘発するような文言で、批判の意見陳述をしたい》 ということですか?
或るいは、
《「これから起こす行動が“具体的に”想定し得」て、且つ「行動の“対象先が判別”でき」て、
 且つ「“行動内容が法に触れる”ような、或いは対象となる“相手が恐れや危険を抱く”」ような、
 そのような示唆にあふれた書き込み》 をする予定ですか?
ならば、リスクかもしれませんね・・w

もっとも、そうした行動や方向性が、寺院界の変化に貢献するとは思えませんが・・・。
788考える名無しさん:2009/12/21(月) 16:31:19 0
仏教は個人主義。
自分が一番大切であると認めている。
自分を救うのが最優先。
悟ったならば、あとは、主人の食卓から落ちるパン屑で他人を救えばいいだけ。
789考える名無しさん:2009/12/21(月) 16:51:24 0
>>788
そんなこと言ってないな。ただの誤解だ。
誤解じゃないというなら、仏教でいう自分って何だ?
自灯明とは自分を頼りにしろという意味じゃないぞ。
今、仏教によって解脱できる身体を得ている、
その身体によって解脱しろという「自州」が正しい理解。
790考える名無しさん:2009/12/21(月) 16:56:02 0
時計の針が37分のところで死体が出る。
寒い刑事映画のように渡部篤朗が出てくる  
やくざ映画のように作為的な意図もなく    
篤朗がでてくるのだよ。やくざはさくいとしてはやさしくない。
791考える名無しさん:2009/12/22(火) 10:14:33 0
>>789
自我が滅した自による自灯明ってこと?
792考える名無しさん:2009/12/22(火) 12:39:38 0
>>791
ちがうちがう。自灯明は先ず誤訳です。
本来は、自洲。
自洲とは、輪廻の暴流のなかで、洲のように流されない
一時的な避難所を得たということ。
この洲のような自分の身体によって、
輪廻の暴流を仏教という舟にのって涅槃という彼岸へ渡れという意味。


この場合の自というのは、言語習慣に基づいて仮設されたもので、
本来は、無我・空です。
793考える名無しさん:2009/12/22(火) 13:23:33 0
>>792
燈明が誤訳とは言えない。「洲」が正しいというのは一つの説。
このサイトでは、「燈明の方が、深さがある」としている。
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/gendaijinnozen/fl-kyouten/05-jitoumyou.htm

「なんじらは、ここに自からを燈明とし、自らを依所として、他人を依所とせず、
法を燈明とし、法を依所として、他を依所とせずして住するがよい。」

「他を依所とせず」というところが重要。
つまり、「自燈明」の「自」は、「他」との関係において考えられている。
794考える名無しさん:2009/12/22(火) 14:38:20 0
>>793
>「他を依所とせず」というところが重要。

そう思いたいからでしょ。近代人はそう思いたい人が多いから。
自灯明は、無理。
その学者の説を根拠にするようなサイトを根拠にされてもね。
795考える名無しさん:2009/12/22(火) 14:48:52 0
>>794
「自らを依所として、他人を依所とせず」
「法を依所として、他を依所とせず」
と繰り返されてるんだから、
普通に読めば、「他を依所とせず」は重要。
書かれているのに重要でないと主張するなら、根拠が必要。
796考える名無しさん:2009/12/22(火) 14:52:31 0
>自灯明は、無理。

「灯明」の意味を、君が勝手に決め付けているんだろう(どう思っているのか知らないが)。
どういう言葉でもそうだけど、「灯明」もいろんな意味合いを含んでいる。
797考える名無しさん:2009/12/22(火) 16:16:59 0
>>796
diipa という中期インド語を漢訳する時に誤訳しただけ。
インドの文脈からすればパーリもサンスクリットも、チベット訳も洲です。
文脈からして灯明という意味にとるのは不可能。

シナ訳にはよくある誤訳。


>>795
それには依存はないが、だからといって自身の判断基準を根拠とせよという意味にはならない。
自というのはこの仏教を修行できる身体に依れという意味以外ではない。
798考える名無しさん:2009/12/22(火) 17:08:13 0
>>797
誤訳であるという根拠を、君は全然書いていない。
もともと異言語は一対一で対応してはいない。
だから誤訳であるかどうかは簡単な問題ではない。
一対一で対応していれば簡単だけどね。

>自というのはこの仏教を修行できる身体に依れという意味以外ではない。

「自」の意味は重要だけれども、それをわざわざ「身体」と言い換える意図は?
普通に考えると、自己の「物質」としての側面を強調しているように思われるが、
まさかそういうことではあるまい?
799考える名無しさん:2009/12/22(火) 17:31:03 0
>>798
だって常識のたぐいだし、説明すると結構たいへんなんだよ。
簡単な部分だけいっとくと、
中期インド語の diipa はサンスクリットで diipa 灯明の意味と、
dviipa 洲の意味がある。
漢訳者は中期インド語の diipa をサンスクリットの diipa 灯明と誤訳したのである。

言語は記号であり、意味射程に揺れがあるは確かだが、
この事例は誤訳以外のなにものでもない。
文脈をみれば明か。文脈は上に示したもの。

「身体」というのは物質的意味ではなく、後に有暇などと術語化される、
人身は得難しという意味。ここでいう身体とは、物理的身体に限定された意味ではなく、
仏教を修行できる諸条件を得た自己として仮設される相続・連続体を得たという意味。

800考える名無しさん:2009/12/22(火) 17:50:58 0
>「身体」というのは物質的意味ではなく、後に有暇などと術語化される、
>人身は得難しという意味。ここでいう身体とは、物理的身体に限定された意味ではなく、
>仏教を修行できる諸条件を得た自己として仮設される相続・連続体を得たという意味。

コピーしたような文章で、こなれていないな。
本来空であるはずの、仮設された存在を拠り所とする、
つまり、本来ないものを拠り所とする、
というのはおかしいと思わない?
801考える名無しさん:2009/12/22(火) 20:55:06 0
>>800
こなれてないか? その場で書いたんだが。
もっとも、頭の中でチベット語から翻訳したようなものかもしれない。


>本来空であるはずの、仮設された存在を拠り所とする、
>つまり、本来ないものを拠り所とする、

それこそが縁起・空に他ならない。
802考える名無しさん:2009/12/22(火) 21:07:38 0
>>800
ああ、こなれてないという違和感を憶えるのは、
多分、身に染みこんだ実在論的発想「本来ないものを拠り所とする、
というのはおかしいと思わない?」つまり、何か基盤、アルケーのようなものがないと現象・知覚・体感できないと考えているからだろう。

そういう発想が無明で法我であり、その発想を壊すのが、
縁起・空・無我という見方だから。
803考える名無しさん:2009/12/22(火) 21:15:45 0
>>801
だから、
「実在」と「真に幻である、或いは概念のみである存在」との間の「仮設された(色としての)存在」に、
何かしら良い呼称を付けねばならんのさw

一般的には、それを〔実在〕と称してしまうのだから・・・。
それを苦々しく思うなら、別の名称を付けるべきだろう。

たとえば、「素朴実在論」が不適切であり、「(素朴)“仮説存在”論」とでも言うべきであるなら、
それをうまく表現するべきだろうし、歴史上(伝統上)そのような術語が無いなら、
今から、これから、(≒君こそが!w)上手い表現案を提示すべきでは?w

( ̄ー ̄)
804考える名無しさん:2009/12/22(火) 21:28:50 0
>>803
古人もいろいろ仰っていたとおもう。
今、思い出せないけど。

現代語の「実在」「現実」に相当するのは「アーバーサ・現れ」「ヴィジュニャプティ・知覚・仮設」でしょう。

因みに唯識のヴィジュニャプティを表象とするのは誤解。
唯識の文脈のヴィジュニャプティは、識であり知覚。
一般仏教の文脈のヴィジュニャプティは、仮設としての表象で問題と思いますが。

幻の存在論ですがな
805考える名無しさん:2009/12/22(火) 21:36:07 O
「赤ん坊に五蘊はあるか?」
「流れる水に転がした鞠みたいなもんだ。」

禅問答だが、発達心理学風でもある。
806考える名無しさん:2009/12/22(火) 21:37:27 0
>>805
あるに決まってるでしょ。
何で疑問に思うのか疑問だw
807考える名無しさん:2009/12/22(火) 21:40:06 O
記憶があるのか?
808考える名無しさん:2009/12/22(火) 21:47:13 0
>>804
たとえば、「全然」を肯定的文脈で使用することを日本語の乱れとして批判する者達がいる。
だが、明治期には既に肯定的文脈使用する作家は多い。
また、歴史を遡っても肯定文脈での使用が原点であった可能性もあるらしい。(後者のソースは不明w)
が、いずれにしろ、『現在【流布している】用法』に配慮することなしに、術語の使用は不可能だろ?
「知覚」でさえ、「単なる感受」から「明確な識別を経た取捨選択まで含んだ“認識”」とする解釈まで色々だ。
 (参:http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1258953010/
「現れ」も、「物質的、個物的存在」として、そこに《現れている》ことを指すのが通例だ。
また「表象」とは、(哲学的な原意すら忘れ去られ)、
逆に「概念として、或いはイメージとしての絵的な(視覚的な)在り様」を示してしまうだろう。

>幻の存在論
言わんとするところは解る。(甚だ難解だが・・・w)
だが、それを提示する前に、まず、使用する各述語の解説が最初に必要なんだよ。
現在の一般的使用法を離れてください、と指示し、その離れる訓練が必要なんだよ。
それは、行じる決意のある者にはいいだろうが、
メインストリートでのキャバレーの呼び込みのようにw、
入り口、勧誘という意味を持たせるなら、それなりの工夫は必要じゃないかい?
 (※輪廻及び転生についても同様のことが言える。
   ≪「まず信じること」「基礎知識を収めた後で解ること」であるなら、それは「入り口」ではないよね・・・w  と・・・。)
809考える名無しさん:2009/12/22(火) 22:07:14 O
「勝ち組」が揶揄じやなくて自慢言葉になったりなw
810考える名無しさん:2009/12/22(火) 22:10:48 0
>>808
お、そこのおにいさん、縁起・空・解脱はいかが〜
若いピチピチのリクパが勢揃いでっせw
811考える名無しさん:2009/12/22(火) 22:14:19 O
言葉が乱れてんじゃなくて妄念に捕らわれて畜生道に堕ちてんだよなw
812考える名無しさん:2009/12/22(火) 22:15:35 0
>>810
不覚にもwwwww
813考える名無しさん:2009/12/22(火) 22:20:09 0
>>811
ちがう。今、君が見たり、感じたり、思い起こしたりしてるものこそ妄想だと
釈尊以来仏教はずっと言っている。
814:2009/12/22(火) 22:30:54 0
難しい確認はあるけど確認仏教学部
すごく大変であるうさぎが海に流
仏教っていうのは横浜国立女子に学部があった
やさしくはな安田したにはなるよね
大変素晴難勘何ラッキーなだけ難しい
815考える名無しさん:2009/12/22(火) 22:33:31 0
俺もつい最近まで「喧喧諤諤(ケンケンガクガク)」なんて言葉は無いだろと思ってたのだが、
さっき広辞苑を見たらありましたよ、喧喧諤諤。
広辞苑や国語辞典に載ってるんだよねえ。
誤用とはっきり説明していない国語辞典も多い。
喧喧諤諤という言葉も遣っていいんじゃないかな
816考える名無しさん:2009/12/22(火) 22:48:38 O
>>813
貴様に俺の見えてるものが見えるのかw
817考える名無しさん:2009/12/23(水) 04:56:27 0
>>803
仏教は個々別々に現れる現象は全て妄想・幻とするから、
あの文字を判読して書き込んでいるなら、妄想を見ていることになるわけだ。
818考える名無しさん:2009/12/23(水) 06:22:40 0
仏教もキリスト教と同じで結局アレだよなwww
妄想幻とかいって現実から逃げようとしている
悟りの見地という別の判断、価値基準を持ち出してる
二世界説、二元論、ニーチェの批判がそのまま当てはまる
ルサンチマン丸出しな宗教
819考える名無しさん:2009/12/23(水) 07:08:10 0
仏教に少し疑問を感じます。

「諸行無常」のこの世は、因縁による「縁起」から成り立ち、止まる事無く流動して
変化を続け、虚しいものです。

「諸法無我」と言うのですが、この世に「無自性」は有りません。この世の存在「物質」
は、時間的にも、空間的にも、実存として確たる存在であり、無自性として許されるものは
無く「責任」は、何処までも求められます。c点論によれば「非有非無」は、無自性無しで
成立します。「色即是空」も無自性を必要としません。「C点による仏教論」を参考にして
下さい。「諸法無我」には疑問が残ります。無自性に疑問を感じます。

「一切皆苦」と言うほど、この世は苦ばかりでしょうか? 「涅槃寂静」と言う安らぎもあります。

四法印が二法印に成りましたが? 次いでながらc点論では、「刹那滅」も捨てましたが、暴論と言うべき
でしょうか? 部外者の痴れ事です。仏教に少し疑問を感じます。
820考える名無しさん:2009/12/23(水) 07:11:29 0

釈迦は記録を残していません。様々な試論があっても、よいのではないでしょうか?
821考える名無しさん:2009/12/23(水) 07:19:27 0
>>818
ルサンチマンというか、愚かな価値観に踊らされて失敗する生き方や現実に反感を持つ事が悪いとは思わない。
馬鹿馬鹿しい競争をやらされて悩む現実から逃げることもいいと思う。
悟りは無いと思うし、すがすがしく生きるには別の価値基準が必用だと思う。
特に悪いとは思わないけど。ニーチェが言ってたから正しいという基準も理解不能だし。
ニーチェが言ってたからってだから何?としか思えない。
822考える名無しさん:2009/12/23(水) 07:21:19 0
>>800
>それこそが縁起・空に他ならない。

いや、そういうことじゃないんだw

「自らを依所として、他人を依所とせず」
の「自」を、君のように「身体」と読み替えてしまったら、意味が通じなくなるということ。
ここはあくまでも「自」と「他」という文脈で語られている。
だから『「他を依所とせず」というところが重要。』と書いたんだよ。
「自と他」という重要なテーマを見逃してるんじゃないのかな?

823考える名無しさん:2009/12/23(水) 07:47:14 0
ついでに言えば
君は
>それこそが縁起・空に他ならない。
と言うけど、
【他を依所とせず】は、「縁起」と矛盾しているように見える。

【他を依所とせず】は、「縁起」とどうつながっていると思う?
824考える名無しさん:2009/12/23(水) 08:52:34 0
>>823

【他を依所とせず】は、「縁起」と矛盾しているように見える。

そこで言う自他は仮設だから、仮設については上に述べた通り。

なかなか、理解するのは難しいかも。
825考える名無しさん:2009/12/23(水) 08:53:40 0
>>822
>の「自」を、君のように「身体」と読み替えてしまったら、意味が通じなくなるということ。

上に書いたように仮設された自相続という意味。
826考える名無しさん:2009/12/23(水) 10:57:20 0
>>824-825
「こなれていない」と感じたのは、『仮設された自相続』などの語を、君自身が消化できていないからだと思う。

>そこで言う自他は仮設だから、仮設については上に述べた通り。

「縁起」の相【依】性は、「他を依所とせず」の【依】とは、意味が違う。
そこを考えないとだめでしょう。
後者の【依】は、‘求めて’そうしている【依】だから、「依存心」の依と同じ。

用語を連ねてもだめ。
その用語が指している『事態』は、どのような事態であるのか?を考えないと。
(それが哲学w)
827考える名無しさん:2009/12/23(水) 11:07:53 0
>>826
記号でなく内容・意味を把握して言ってるつもりだが。

君こそ、概説書の知識しかないだろう。

縁起を相依性とする解釈はもはや過去の誤読なんだが。

仮設の意味がまるで分かってない折角結構くわしく解説したんだが、
『中論』24-18読んで見ろ。

その態度じゃ解説する気にもならんはw

2ch. って机とか淫嘘とか、こいつとかシッタカが多くてこまるぜ、
セブン、きっちり知識の差が分かるように優しく言い聞かせてるつもりなんだが。
828考える名無しさん:2009/12/23(水) 11:10:40 0
>>827
まぁ、【依】の意味が違うことがわかれば、よろしい。
829考える名無しさん:2009/12/23(水) 11:23:44 0
(こういうのは、知識偏重的態度が陥る陥穽だなぁ・・・)
(その用語が指している『事態』は、どのような事態であるのか?を考えないと。)
(なんて言っても、通じないか・・・)
830考える名無しさん:2009/12/23(水) 19:19:02 0
>他を依所とせず

例えば、マンゴーの味とは「〜であり、〜ではない」と言語慣習に拠り説示出来る。
だが、直接に味覚させることは出来無い。味覚するには、“自分で”食べるしかない。
そういうことでしょう。

ただ、食べたものが本当にマンゴーか否かを正しく判別できるには、
マンゴーを実際に食べた人達の話を謙虚に聞かないとだめでしょう。
でないと、腐ったリンゴを食べながら、俺はマンゴーを食べたぞ〜、
とやりかねません。
831考える名無しさん:2009/12/25(金) 08:19:44 0
少し話題をかえます。

「C点論」では、「刹那滅」を捨てました。現在と言う「瞬間」を次の様に考えて
います。時間は、「物質」の変化・非変化より成り、持続・瞬間を時間と言う。
現在と言う瞬間は「0秒」です。瞬間を限り無く「0秒」に持ってゆきますと、
変化・非変化は限り無く合一に向かい、無限の時点でこの変化・非変化、つまり
「持続・瞬間」と言う矛盾は、合一して時間となります。

数直線上の0と1が、無限・矛盾と言う概念を入れることにより、連続する様に
時間も0秒と言う「瞬間」つまり、「現在」に於いて時間も連続します。物質「空間」は
「滅することなく」持続します。「刹那滅」を捨てます。

「C点論」では、矛盾・無限を視座とします。「C点による時空論」「C点による仏教論」
を参考にして下さい。
832考える名無しさん:2009/12/25(金) 08:38:54 0
過去・現在・未来と流れる時間は、「0秒」の中に流れています。
833考える名無しさん:2009/12/27(日) 12:03:03 0
C厨うざい
834やみ:2009/12/27(日) 12:14:31 0
法華経の世界だね「0」秒のなかにすべての因果関係が隠されていると。
実際は「十如是0秒」は「赤」だね。
835考える名無しさん:2009/12/29(火) 09:35:20 0
抜いても抜いても溜まってくる
女を突くことしか頭にない
苦しい、助けてくれっ
836考える名無しさん:2009/12/29(火) 11:28:46 0
自慰って自分を慰めるってカクだろ?マスガキだ。自分を思う存分に愛してやれ。
837考える名無しさん:2009/12/29(火) 11:41:12 0
・・・ここは仏教よりヨガだな
エネルギーを制御できれば俺も神になれる
838考える名無しさん:2009/12/29(火) 23:02:41 0
白取春彦『仏教「超」入門』について(その1)
――実は驚くほど新鮮で、実際的なブッダの教え――
http://imadegawa.exblog.jp/1945274/
839考える名無しさん:2009/12/30(水) 04:52:58 0
>>835
苦しいよな。少しずつ抜く回数を減らしてみよう。
抜けないような所、みんなの眼がある所になるべくいよう。
例えば、町中とか、図書館とか。
840考える名無しさん:2009/12/30(水) 04:54:23 0
図書館の小便器で処理してる親爺が隣にいたけど、結構ビビるぜw
841考える名無しさん:2009/12/30(水) 04:55:52 0
>>838
そんなもん読まんと、水野弘元『仏教要語の基礎知識』
パユットー『仏法』ダライラマ『智慧の眼を開く』あたりよんどき
842考える名無しさん:2009/12/30(水) 04:56:42 0
>>840
トイレはなるべく行かないように>>835
843考える名無しさん:2009/12/30(水) 06:08:16 0

    色即是空  空即是色
844考える名無しさん:2010/01/03(日) 14:59:56 0
「C点による仏教論」では、仏教哲学の基本「無自性」を導入すること無く、C点は「非有非無」の仏教の
世界に至ります。C点は「矛盾・無限」と言う視座に立つ難解な存在ですが、「C点による時空論」および
「C点による仏教論」を参考にして下さい。現象世界の解釈を、以下の三つに分けて考えました。「自性」の
復活を試論しました。もとより暴論ですので、お笑い下さい。

 「第一」の存在:「有」の世界、現象肯定、世俗諦、「自性」の世界、科学
 「第二」の存在:「無」の世界、現象否定、勝義諦、「無自性」「空性」の世界、仏教哲学
 「第三」の存在:「非有非無」の世界、現象再生、C点論、「自性復活」の世界、仏教
845考える名無しさん:2010/01/03(日) 15:10:30 0
私の勉強不足ですが、仏教哲学は「死」の哲学の様に感じられ、「生」の哲学を
求めました。「無自性」でなく、「自性」の復活を考えてみました。もとより、
宗教部外者の暴論です。お笑い下さい。
846考える名無しさん:2010/01/05(火) 17:23:18 0
仏教は、業、縁起の教えだよ。
それは同時に最高の成功哲学でも在る。
決して「死」の哲学などではない、生き生きとした「生」の哲学である。
847考える名無しさん:2010/01/05(火) 22:34:48 0
>>846
>仏教は、業、縁起の教えだよ。

 上はそうだけど、下は疑問。

>それは同時に最高の成功哲学でも在る。

 下に至っては誤解以外の何物でもないでしょう。

>決して「死」の哲学などではない、生き生きとした「生」の哲学である。

 この根拠が色即是空空即是色とか本覚、密教だとするなら、
それはただの誤解である。
848考える名無しさん:2010/01/06(水) 08:29:45 0
なんで自分が不幸なのかと考えたら
それは他人が幸せだからなんだよな。
他人が憎い
自分が幸福になるには他人が不幸になるしかない、
この残酷な真理を仏教は逆説的に教えてくれている。
849考える名無しさん:2010/01/06(水) 08:46:08 0
>>848
仏教はそんなこと説かないよ。全く逆です。
そういう自我意識、エゴイズムこそ不幸の元と説く。
特に大乗は「情けは人のためならず」という利他心、菩提心、慈悲が根本と説く。

それこそ正に重要。
850考える名無しさん:2010/01/06(水) 22:43:16 0
>>846
> 生き生きとした「生」の哲学
これはその通りだと思う。釈迦はあくまで生きるための哲学を説いた。
真理を悟ることが本当の善や幸せの道であり生苦からの解放であるが
それが「成功哲学」というのは語弊があるものの、真摯に学べば
仏教の教えはその辺の自己啓発書よりよほどマシなのは確か。
851考える名無しさん:2010/01/06(水) 22:51:58 0
>>850
>これはその通りだと思う。釈迦はあくまで生きるための哲学を説いた。

そう思いたいだけでしょw
852考える名無しさん:2010/01/06(水) 23:57:41 0
>>851
自分にとっての仏教の教えはそうだもの。
致命的な誤謬があったら是非指摘してくれよ。
853考える名無しさん:2010/01/07(木) 00:06:32 0
>>851-852
厳密に言えば、
「一切のテンションの停止」「活力の停止」(→「“生”(生きる)というベクトルの停止」)
が目指されるわけだけど、
結果として「『《生きる》ため』の教え」になっている面はあると思う。
854考える名無しさん:2010/01/07(木) 00:09:11 0
>>827
>縁起を相依性とする解釈はもはや過去の誤読なんだが。
今まで、縁起のことを相依性を思ってきたんだが違うのか?
分かりやすく説明できるなら教えて貰いたいのだが
855考える名無しさん:2010/01/07(木) 00:57:01 0
彼岸に行くってこんな感じでしょうか?

悟り前

世間
 ●●●●●●●●●●
 ●●●●●●●●●●
私◎●●●●●●●●●
 ●●●●●●●●●●
 ●●●●●●●●●●

悟り後

出世間
   ○○○○○○○○○○
   ○○○○○○○○○○
私●一◎○○○○○○○○○
   ○○○○○○○○○○
   ○○○○○○○○○○
856考える名無しさん:2010/01/07(木) 07:32:01 0
>>853
目的が解脱、つまり、再生しないことだからね。
どう生きるかという戒定慧や六ハラミツも、目的は解脱や一切智だから。

どう生きるかは手段であって目的ではないですね。

>>854
相依性は月称菩薩の解釈ですね。だから、釈尊や龍樹菩薩の縁起をそれで解釈しては間違い。
相依ではなく因果、しかも実在する因が集合して実在する果が生ずるのではなく、
空なる縁が集まって空なる果としてそれぞれの相続に認識されるという意味での因果ですね。


857考える名無しさん:2010/01/07(木) 07:34:34 0
>>855
それは実体と捉えていた現象が幻・空と認識されるという意味なら近い。
悟りなら一般的にそれでいいと思う。
彼岸というのは文脈でいろいろなので一概に言えないが、まあいいかも。
858考える名無しさん:2010/01/07(木) 08:04:14 0
この世は
「実体」が無い。認識対象も「自性」が無く「無自性」で、「空」である。認識
対象も「無」なら、認識行為も「無」、よって認識主体も「無」そして究極では、一切
も「無」、これが「勝義諦」。だが現象は、仮の姿。世俗諦。勝義諦と世俗諦の渾然一体
が、仏教の最終的世界。これを言葉では、表現出来ない。仏教では触れてはならない
「無記」。縁起・空性が仏教哲学の王道。
859考える名無しさん:2010/01/07(木) 08:38:51 0

 色即是空  空即是色
860考える名無しさん:2010/01/07(木) 10:47:14 0
>>858
無ではない、現れはある、因果もある。それが空・無我ということ。
そこを取り違えては唯の虚無論。
861考える名無しさん:2010/01/07(木) 11:52:08 0
お説のとうり。縁起・空性が基本。しかし、最高の真理は、言語表現を超える。
「無」との表現は、乱暴だったかもしれません。
862考える名無しさん:2010/01/07(木) 14:07:32 0
いわゆる悟り(諦観や達観)まで行くと「人間らしさ」が失われませんか?
理性的(機械的)になり過ぎてしまうと言うか…
863考える名無しさん:2010/01/07(木) 14:11:04 0
現象は仮と言っても、有に非ず「非有」でまた無に非ず「非無」であり、「非有非無」が一層
真理に近いと言える。しかし、真理は「無記」の壁の向こう側である。
864考える名無しさん:2010/01/07(木) 14:18:59 0
人間の要素として、アニマル・マシーン・アートの三要素があります。
そして外側にゴッドの一要素あります。
865考える名無しさん:2010/01/07(木) 14:23:04 0
862さんへ

 やはり、「無自性」の壁があると、お説の様に成らざるを得ない様に思われ
ます。「自性」の復活が必要かと思われますが? どうでしょうか?
866考える名無しさん:2010/01/07(木) 15:08:05 0
>>862
道によると思う。某地上で最も高い悟りと言われる方は非常に個性豊か。

867考える名無しさん:2010/01/07(木) 15:14:21 0
>>863
違う違う。現象は「あるがまま」世間で用いられる言語習慣をそのまま用いるだけ。
ただその言葉で指示される対象・意味・内容が実体なく幻のような空であるだけ。


>>864
そりゃ、セム系の創造神系の思想ですね。それが世界標準ではなく、ローカルな考え方、言語習慣であることを認識しましょう。


>>862
だから、自性・本質・対象・意味・内容は世間で用いられる言語習慣をそのまま、あるがままですがな。
その習慣的な自性・本質・対象・意味・内容が、正しく一義的に定義できる、
確認できるというのが妄想に他ならないだけ。
適当な自性・本質・対象・意味・内容は、あるがままに機能するのです。
それでなにも問題ないでしょう。
868考える名無しさん:2010/01/07(木) 16:02:18 0
世俗諦と勝義諦、この両者の同時同位置存在が、仏教の最高真理に近い? これは「非有非無」と言う
世界に近い。だが言語では表現出来ない。現象も実体は無いが、仮の存在としないと、世俗諦も否定する
ことになる。この微妙なところが仏教の難解なところ。仏教哲学は「無記」を論ずる事は無い。
869考える名無しさん:2010/01/07(木) 16:11:36 0
なんか回りくどい物言いの方が多いですね…
870考える名無しさん:2010/01/07(木) 16:12:52 0
やはり言語化は避けた方がいいですね。体感に任せた方がいいです。
871考える名無しさん:2010/01/07(木) 16:27:32 0
>>868
誤解してると思うな。勝義は言い表せない。それは言語が妄想そのものだから。
世俗は、あるがままの言語習慣、それは因果であり現象である幻。
872考える名無しさん:2010/01/07(木) 16:29:08 0
>>870
それでは道を指示できないでしょう。
覚った師匠が付きっきりで弟子に教えるなら、それもありだけど。

ネットでそれはありえないw
873考える名無しさん:2010/01/07(木) 16:49:27 0
縁起・空性が基本、世俗諦・勝義諦はそれほどクリアカットには分けられぬ様だが
仏教哲学の難解なところか?
874考える名無しさん:2010/01/07(木) 17:13:16 0
>>873
勝義は表現不可能、言語のような妄想が止んだもので表現としてはクリヤーでしょう。

問題は世俗。一般には世俗は見えるものがそのまま実在する素朴実在論のような見方をとる。
次によくある宗教・哲学では見えるものは仮象だが、何か見えない表現不能の実在があるとする仮象と実在といった見方がある。これは仏教ではない。
仏教は世俗は「あるがまま」の言葉使いを認め、その世俗を仮に認めるが、
これは縁起であり、無我であり、空であり、仮設であるという。

およそこんなかんじだと思う。この三つのパターンは下にいくほど理解しずらいと思う。

875考える名無しさん:2010/01/07(木) 18:29:37 0
すべては生理現象ですよね。鬱だってセロトニンや血流の具合によって回復しますし。
科学的かもしれませんし、認識によるものかもしれませんし。両方でしょうね。

何にしろ神秘性や超自然に頼るのはよろしくない。祈りとか…それは結局は後付ですから。
876考える名無しさん:2010/01/07(木) 20:28:10 0
>>875
それは全く還元主義の実在論ですね。

仏教とは根本的に相容れない考えです。
877考える名無しさん:2010/01/07(木) 21:32:08 0
大乗仏教は釈迦が説いたものではない。伝説、神話のたぐいである。まずその認識が大切。次に、漢字文化圏のパラダイムの中でしか通用しない直観に依拠した思想体系だということ。
さらに伝統の権威で日本人のこころを暗黙のうちに縛ってるものだということ。そして、
西欧哲学が世界のスタンダードな思想であり、非西洋諸国はそれに加えて、自国の伝統文化、思想
も保存するダブルスタンダードを持つ事が、世界のための使命ではないだろうか。
878考える名無しさん:2010/01/07(木) 21:45:38 0
>>877
縁起を知るなら、大乗も仏教であると分かるだろう。
なぜなら、実在などなくあらゆる現象が認識だからであり、
動物と人間の人間が異なるように、凡人と聖者の認識も異なることが分かるからである。

次に大乗は漢字文化圏の特殊な仏教ではない、インド、ネパール、チベット、モンゴル、ブータン、ベトナムなど非漢字圏でも伝承されてきた。
どうも禅を大乗とイメージしてるようだが、それは知識があまりにも狭いだけの話である。
もう少し、視野を広く持つべし。

西洋哲学だろうがなんだろうが、適当に流通している言語習慣はありのまま用法どおりに妥当に用いればいいだけである。
その場合、厳密性や確実性は追求しても無駄である。
なぜなら、言葉や意味というのは、不確実で適当なものだからである。
だから「あるがまま」に適当にもちいればいいのである。
879考える名無しさん:2010/01/07(木) 22:19:54 0
私は天台も知っている。歴史的事実ははっきりさせねば学問的とは言えまい。
比較宗教、比較思想はこれからの学問分野だろう。
それまでは、それぞれの国は伝統文化を保存する義務があろう。
880考える名無しさん:2010/01/07(木) 22:53:31 0
>>879
その立場・視点は、間違いなく実在論。
それを疑わないなら、仏教について唯の歴史とか文献などの知識しか知ることができないだろう。
それでは唯の歴史好きや、文学愛好家となんら変わらない。
881考える名無しさん:2010/01/08(金) 05:53:38 0
中論の「非有非無」は、「無自性」から始まり、「縁起・空性」を基礎として始まる。
だが「無自性」は、現実には存在しない。現象「物質」は、時間的にも空間的にも実在
し、確固たる「自性」実体がある。物質「空間」は「実存」する。

「C点による仏教論」によれば、「C点」は、無自性を導入すること無く、「非有非無」の
仏教の世界に至る。「C点」は非有非無の「第三」の存在。ここが難解であるが、
「C点による時空論」「C点による仏教論」を再読願いたい。「無自性」から縁起・空性に
導き「非有非無」に至る現在の「仏教哲学」には、無理があり難解であるが、「C点論」の
様に「矛盾・無限」を視座にするほどの難解さはない。

しかし、ここで「自性の復活」つまり「C点論」を検討するのも、一考に価すると思われる。
882考える名無しさん:2010/01/08(金) 06:13:59 0
「諸法無我」は無しでも、仏教は成立する。縁起・空性も「諸行無常」の中に含まれている。
この世は、常に流動してとどまることが無い。しかし、瞬間、瞬間の「命」が大切であるが、
「執着」せず「拘る」ことなく生きるのが仏教の精神では、無いだろうか。

仏道修行の気持ちが有れば、「つましく、心豊かに」に生きられる。
883考える名無しさん:2010/01/08(金) 06:23:14 0
実在論と観念論との対立はカントによって乗り越えられた。
しかしカントも現象と物自体の、また理論と実践の二元論。まだ矛盾を抱えている。
そこでヘーゲルが矛盾を矛盾のまま肯定する論理で一元論を樹立した。
そこで西欧哲学の歴史は終わるが、今は生きずまっている。仏教はヘーゲル的。
884考える名無しさん:2010/01/08(金) 07:07:20 0
>>883
ヘーゲルはヒンドゥーでしょ。仏教の境地に達してる西洋思想は一つもない。
縁起という素晴らしい見解は、ブッダ以外には無理だからでしょう。
縁起は本当に素晴らしい、しかも重層的で分かれば分かるほど驚くべき内容を持っている。

すごい!
885考える名無しさん:2010/01/08(金) 07:25:55 0
>>875
神秘は大事、人はみなイデアに還りたいんだよ
886考える名無しさん:2010/01/08(金) 07:55:42 0
仏教は宗教と哲学がごっちゃになっている。明晰性は西欧にかなわない。
近代の啓蒙思想に仏教は耐えられないだろう。
しかし、日本の大切な伝統であることは、論をまたない。
西欧哲学との比較はこれからの学問だ。
日本の伝統にアイデンティティをおける日本人は、しあわせだナ。
887考える名無しさん:2010/01/08(金) 08:51:06 0
>>886
そんなことない。そう思うのは現代仏教学者に不明な人が多いからだけに過ぎない。
888考える名無しさん:2010/01/08(金) 09:44:23 0
日本の伝統って言うと大乗系だけどなー
アビダンマ系統のテーラワーダとかはまた違う
889考える名無しさん:2010/01/08(金) 10:12:18 0
>>888
大乗というよりも非仏教の日蓮とか、真宗のキリスト教神学的理解である清沢教学とか、
真言宗のブラフマン解釈とか、禅宗の断見現世肯定とか、そういった全然大乗でないものが、大乗と言われてるから、
現代日本の仏教は、ひとまず置いて仏教と似て非なるものとすべき。

テーラワーダもマハーシ系のニューウェーブ系ヴィパシャナと
伝統的テーラワーダではかなり違う。こちらも伝統説を見るべき。
890考える名無しさん:2010/01/08(金) 14:19:24 0
>>885
簡単にのめり込む人は気を付けなければいけませんよ。
ある人は簡単にオウム関連に行きますから。ユングとかならまだ安全ですけど。
891考える名無しさん:2010/01/08(金) 20:42:12 0
人間は経験したことしか認識できない。人間は現象を認識できるのみ。物自体は
認識できない。神、魂の不死、宇宙など、形而上学的問題は、それを追求すると
必然的に誤謬に陥る。それらはただ宗教的に要請されるべきもの。

あまり人を惑わすな。カルト行きの人を助長してると思わないか。
892考える名無しさん:2010/01/08(金) 20:43:37 0
真宗は仏教というよりキリスト教に近いよな
超越者に身を委ねている
仏教は?自己を頼りにする?
ところがどっこい自己自身も無我無常ときた
893考える名無しさん:2010/01/08(金) 21:03:01 0
>>891
仏教のことが分からないなら黙ってることだ。

>>892
それは明治時代に清沢がキリスト教神学から作り上げた近代真宗教学で、
真宗本来の考えではないよ。
894考える名無しさん:2010/01/09(土) 04:11:41 0
浄土系の阿弥陀はもちろん密教のビルシャナや法華系の仏陀自身も神的な存在だ
仏教も一種の神学的要素があるよ
895考える名無しさん:2010/01/09(土) 05:16:06 0
>>894
本来、法身も空。実体的に捉えられるのは方便か、邪見ですね。
特に明治以後の真宗と真言宗の教義は問題がある。
あれじゃキリスト教やヒンドゥーと大差ない。
縁起・空の仏教ではなくなってしまう。

それから日蓮はそもそも仏教じゃないから、ただの邪説です。
896考える名無しさん:2010/01/09(土) 05:43:26 0
素晴らしい。日本の伝統文化、これからもどうぞ、守っていってください。
897考える名無しさん:2010/01/09(土) 06:19:56 0
少し話しを変えますが、熱心な仏教哲学者であれば、「C点論」は仏教の禁じている「無記」
では無いか、また「C点論」は中論の禁じている「戯論」では無いか、と言う疑問を持つかも
知れませんが、それを承知の上の論である事を認めます。

「無記」「戯論」に縛られる時代は、消えた。部外者の暴論ですが。
898考える名無しさん:2010/01/09(土) 07:20:13 0
法華経はどう思いますか。
899考える名無しさん:2010/01/09(土) 07:59:47 0
>>898
難しくてよく分からないです。
ただ確実に言えるのは、包括的な優しい教えであって排他的なものではないということです。
900考える名無しさん:2010/01/09(土) 08:07:51 0
法華経の信者は、般若心経は読みません。排他的では?
901考える名無しさん:2010/01/09(土) 08:47:45 0
>>900
それは日蓮という邪教でしょう。あれは法華経・仏教に仮託したナショナリズム・エゴイズムだから仏教ではありません。
非常にオウムとよくにている。
902考える名無しさん:2010/01/09(土) 09:53:42 0
「寿量品」や「観音経」を読む限りでは、信仰と幸福が繋がっている様で、庶民には
受け入れ易い教えの様です。しかし、誰でもが信じられるかは別。
903考える名無しさん:2010/01/09(土) 10:16:17 0
>>902
信が功徳になることは通仏教というか通インド一般ですよ。
仏教の基本です。
904考える名無しさん:2010/01/09(土) 10:26:28 0
今の日本では法華経を元にした新興宗教が大勢力を誇ってる。創価、霊友会、立正佼成会など。
みんな金儲けのために宗教を道具にしているだけだと思う。社会的な問題はここのスレの
主旨からずれるが、どうお思いですか。
905考える名無しさん:2010/01/09(土) 10:41:51 0
>>904
それらは日蓮がそもそも新興宗教だからであって、
法華経が問題だとは思いません。
日蓮は鎌倉時代のオウムですから。
906考える名無しさん:2010/01/09(土) 16:19:21 0
信と言っても盲目的な信仰と事実に裏付けされた
確信とは意味が違う、仏教のは後者
907考える名無しさん:2010/01/09(土) 16:40:23 0
法華経重視はもともと天台宗の方針ではある
鎌倉仏教がみな比叡山から広がってるのは言うまでもない
908考える名無しさん:2010/01/09(土) 16:49:32 0
>>906
仏教徒みながそのような論理道を歩むわけではありません。

>>907
天台時代は、妥当な解釈です。日蓮が異常なだけ。
最澄もちょっと問題だけど、弟子たちが優秀だったから、
天台自体は非常に優れていると思います。

909考える名無しさん:2010/01/09(土) 17:34:04 0
やっぱり南無妙法蓮華経は異常でしたか。
910考える名無しさん:2010/01/09(土) 18:07:21 0
サールナートに行きましょう
911考える名無しさん:2010/01/11(月) 08:40:29 0
釈迦「幸福は科学である」
912考える名無しさん:2010/01/11(月) 09:00:25 0
>>911
ありえない。釈尊は「涅槃は寂静」で唯一の幸せとされたが、
科学という概念もないし、論理とか学問は本質的に妄想で、
世俗内である程度の妥当性・因果性を持つが唯の方法であるとされているでしょう。
913考える名無しさん:2010/01/11(月) 09:52:55 O
因果や縁、悟りや煩悩よりもこれからは神通力だな
914考える名無しさん:2010/01/11(月) 10:10:42 0
>>913
それじゃ日蓮、オウム、オカルト、超常現象。
仏教の本質でもなんでもない。
915考える名無しさん:2010/01/11(月) 11:42:42 0
釈尊は何のためにこの世に出現したか。皆を悟りの道へ導くためだ。
80才で涅槃したのも皆を信仰へ導くための、方便だ。仏の慈悲だ。
生老病死で悩み苦しむ人間を救うためにね。
916考える名無しさん:2010/01/11(月) 11:49:36 O
仏典よんでないやつが多いな。神通力に会いぬればってくだり知らないのか?
917考える名無しさん:2010/01/11(月) 12:08:29 0
結局仏教の悟りってのは高望みしないこと
自分に素直になるということ
自分がどうしようもないクズ人間、
そこらへんの野犬や野ネズミ同様の価値しかないということを認めるということ
918考える名無しさん:2010/01/11(月) 13:15:26 0
>>916
オイラは梵蔵漢パと一通り読んでるが、神通は本質でなく飾りみたいなものだよ。
神通が目的で行するのは、法でなく魔法に他ならない。

>>917
そんな教えではありませんね。
それは唯の世俗の処世術みたいなものでしょう。
919考える名無しさん:2010/01/11(月) 17:13:13 0
神通はおまけみたいなものだが、神通が発現しない悟りもまた半端悟りに過ぎない。
たかが神通、されど神通・・・。
920考える名無しさん:2010/01/11(月) 17:17:36 0
>>919
つか、神通のない悟りはない。
神通を求めて行するなら悟りに至らない。
921考える名無しさん:2010/01/11(月) 17:26:06 0
神通力って波長のようなもの?
922考える名無しさん:2010/01/11(月) 17:27:43 0
違うみたいね。テレパシーの類か
923考える名無しさん:2010/01/11(月) 18:15:15 O
釈迦の弟子クラスが扱えてたものだから、我々でもなんてな。神通力
924考える名無しさん:2010/01/11(月) 20:35:09 0
>>921
いろいろ。五神通などと分類される。

925考える名無しさん:2010/01/11(月) 22:15:10 0
神通力なんてのは仏教ではなく呪術のたぐいだ。
926考える名無しさん:2010/01/11(月) 22:17:39 0
>>925
そりゃ仏教を誤解してるぜ。和辻流だなw
927考える名無しさん:2010/01/12(火) 07:28:02 0
レス数、黄色信号。私はやり方知らない。だれかやりなよ。
928考える名無しさん:2010/01/12(火) 07:46:54 0

 色即是空  空即是色
929:2010/01/12(火) 07:50:40 0
受想行識
930考える名無しさん:2010/01/12(火) 17:59:32 0
生産も消費も必要最小限ってことだよね。出来るだけ自給自足。

思い、言葉、行動。これらをストイックに。
931考える名無しさん:2010/01/13(水) 14:30:14 0
地獄餓鬼畜生修羅人天声聞縁覚菩薩仏十界互具三国土三千大千世界
932考える名無しさん:2010/01/14(木) 08:27:46 0
ライフルで3人殺すなんて怒りや憎しみってのは凄まじいエネルギーをもってるな
涅槃はどこに・・・
933考える名無しさん:2010/01/14(木) 09:52:56 0
素手やナイフだったらもっと怖ろしいよ
ニヒリストは手に負えない
934考える名無しさん:2010/01/14(木) 10:17:20 0
この人は南無阿弥陀仏と心の底から唱えたら地獄に落ちないで済むのだろうか。
935考える名無しさん:2010/01/14(木) 17:51:34 0
臨終速行心最悪だろう、仏教的には悪趣確定
936考える名無しさん:2010/01/14(木) 18:08:49 0
アングリマーラ尊者だけにしてほしいですね。
937考える名無しさん:2010/01/14(木) 23:34:04 O
>>934心から拝むことがあるだろうか?この人が
938考える名無しさん:2010/01/14(木) 23:39:06 O
確定理論と不確定理論が表裏一体になってるんで矛盾してるように見える
939考える名無しさん:2010/01/14(木) 23:45:31 0
二律背反
940考える名無しさん:2010/01/15(金) 06:18:37 0
>>935
親らんの悪人正機説はこういう人には無力か。
941考える名無しさん:2010/01/15(金) 06:38:31 O
阿弥陀の慈悲により、救いがあるのであって、悟り得てない私が判別しうるものではない
942考える名無しさん:2010/01/15(金) 15:08:24 0
この世には魔王としか言えないのが時々出現するな。例えばネロ、カリギュラ、ヒットラー。
スターリン、ポルポト。

943考える名無しさん:2010/01/15(金) 19:52:02 0
衆愚によって魔王にされた可能性もある
944考える名無しさん:2010/01/16(土) 16:14:02 0
死刑になるために人殺しした、というのがどんどん出てきた。ついにここまで
という感じだ。社会も自分もあの世も、全否定だ。
945考える名無しさん:2010/01/16(土) 22:00:22 0
支配欲を捨てること。そして被支配にもならないようにする。
資本主義、セックス、親子、…あらゆる場面に欲がある。
946考える名無しさん:2010/01/16(土) 22:21:38 0
>>945
それら全てを捨てるのが仏教
947考える名無しさん:2010/01/16(土) 23:39:24 0
質問です
学問としての「仏教学」の教科書ってありますか
アマゾンだと一般向けの新書や読み物しか探せませんでした
大学学部で使ってもいいような、標準的なテキストを探して
います。エロい人いたら教えてください
948考える名無しさん:2010/01/17(日) 06:49:27 0
>>947
もっとも標準的なのは
 平川彰編『仏教研究入門』1984

上がちょっと古いので、それを補うのが
 岡部 和雄 田中 良昭『中国仏教研究入門 』2006(未見)
 日本仏教研究会『日本仏教の研究法―歴史と展望』2000
 袴谷 憲昭『仏教入門 』2004
袴谷本は、ちょっと癖があるがコンパクト。

以下は古いけど西洋の仏教研究を概観するのに便利
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=43025311&VOL_NUM=00000&KOMA=14&ITYPE=0

以下の古いけど便利、
 深浦 正文『新稿仏教研究法』1963


それと以下は西洋インド文献学の泰斗による研究史の和訳。
ドゥ・ヨング『仏教研究の歴史』1975
ドゥ・ヨング『インド文化研究史論集』1986

オイラ的には深浦を読んでから平川を読んで、ドゥ・ヨングを読み、
その後で他のを読むといいとおも。深浦が一番体系的で分かりやすくていいよ。
ただ古いのと研究法が伝統教学的であることが注意かな。
オイラはそこがまた好きなんだが。
949考える名無しさん:2010/01/17(日) 07:28:23 0
>>948
いろいろ紹介頂き感謝します
深浦氏のは絶版みたいですが、何とかして入手します
丁寧に回答くださり、ありがとうございました
950考える名無しさん:2010/01/17(日) 11:30:57 0
本は実物を手にとって少し読んでみないと何とも言えないナ。
神田三省堂、古書店街。池袋ジュンク堂。私の行きつけ。
951考える名無しさん:2010/01/17(日) 13:53:36 0
岩波文庫のブッダ云々
952考える名無しさん:2010/01/18(月) 11:36:33 O
仏教と国家は相反するもの。事実、数々の仏教国は滅亡している
953考える名無しさん:2010/01/18(月) 14:33:37 0
国家のイメージ程、個人のイメージと反するものはない。
仏教は釈迦。個人で悟りを求めるもの。
954考える名無しさん:2010/01/18(月) 14:34:17 0
そして集団へと…繰り返す諸行無常。中道。
955考える名無しさん:2010/01/18(月) 17:36:13 0
そりゃあ仏教に限らんわな・・・、宗教とは本来反国家、反世俗だろうが。
956考える名無しさん:2010/01/18(月) 21:17:20 0
人間滅びても仏様は滅びず。ーか。
957考える名無しさん:2010/01/19(火) 10:22:03 O
佛国土とその要約が間違ってるのかも。パーリー語やサンスクリット語はわからんが。現状と、理想の実現の緩和的要約は、えーと……
958考える名無しさん:2010/01/19(火) 10:32:51 O
まあ、ようするに佛国土としか訳ができなかったんだろうと思うが
959考える名無しさん:2010/01/19(火) 13:11:19 0
>>957
いやいや、諸行無常だから国なんか滅びるに決まってると仏教はいいますな。
960考える名無しさん:2010/01/19(火) 18:46:37 0
漢訳の佛国土は国土の建設とされてる。
だが、仏陀の時代に我々が現在使用してる
近代的な国家(nation)なんていう概念はなかっただろう。
だとすると佛国土は西方の極楽浄土や神の国的な意味合いになるかなあと思うんだが・・・どうだろう。
経典を読むかぎり、どう考えても国家建設や富国強兵といった実際的意味合いではないよ。


私見だが、我々は現在生きている生き物が全てだと思っている。死んだ生き物たちにはあまり目を留めない。
だが、いくら人口爆発時代だろうが、これまでに死んで行った生き物よりも
一切衆生(この場合あらゆる生き物を含む現在生きている生き物)の方が圧倒的に少ない訳じゃん?
このあたりにヒントがあると思う。
961考える名無しさん:2010/01/19(火) 21:06:04 0
東洋思想は人間と他の生き物とを一緒くたに見るからコマル。
962考える名無しさん:2010/01/19(火) 21:09:36 0
>>961
あったりまえじゃん。神も一緒だし。
神を創造主として世界を階層構造で分断するセム妄想は世界の不幸の根源ですね。
963考える名無しさん:2010/01/19(火) 22:17:15 0
近代国家の理念は西欧生まれだ。いま世界中の国でそれ、すなわち自由、平等、
基本的人権の尊重という民主主義の原理を憲法に定めてない国はないのだ。
人間は動物と違うというところから、人間の尊厳が始まるのだ。
964考える名無しさん:2010/01/20(水) 20:07:42 O
執着
965考える名無しさん:2010/01/20(水) 20:17:54 0
涅槃
966初心者:2010/01/20(水) 20:51:19 O
質問
一切が空なら涅槃も空で、空(俺)は空(涅槃)だろう?
967考える名無しさん:2010/01/20(水) 20:58:58 0
963だけど反論できないかね。私なら西欧近代の人間中心の思想が今や欲望
至上主義になり果て、人間の生み出したもので人間が大衆として隷属、疎外されてしまった。
いまこそそのいきずまりを打開するのは仏教だぐらいの事言うけど。罰あたりかね。
968考える名無しさん:2010/01/20(水) 22:27:09 0
>>966
自らが透明になると言うより、自らが森羅万象と同じになると言う認識の方が健康的かもしれません。
969966:2010/01/20(水) 23:06:22 0
>>968レスサンクス
>自らが森羅万象と同じになる
というのは、これからなるのではなくて、既にそうなのでしょう?
悟った人はそれが理解できるというだけで。
自分を人間だと知らない人間も、自分を人間だと知っている人間も、同じく人間です。
970初心者:2010/01/21(木) 00:15:41 0
疑問の核心は、
仏教徒が、菩薩と凡夫との間に優劣を規定しているように見えること。
悟りを開いたなら、菩薩と凡夫は空において対等な訳だけど、
なんか菩薩はエリートぶってるようなイメージがある。
中論を読むと、「空をやたらと主張する奴はアホ」みたいに書かれていたが、
ということは、菩薩と凡夫に優劣を感じるのは、
菩薩すげえw的にあがめる凡夫側に原因が?
971考える名無しさん:2010/01/21(木) 06:27:58 O
この世の一切は空であり涅槃に真像を求めるっつーことではないのか?わからんが
972考える名無しさん:2010/01/21(木) 06:40:54 O
絵像とは偶像ではなく方便として人間の目に映る姿。としてとらえる。それからこの世一切は空であり、真実は涅槃にあるとうながす。
973考える名無しさん:2010/01/21(木) 07:40:50 0
言語化する作業って本当に大変ですね。みなさんに感心します。
974考える名無しさん:2010/01/21(木) 07:58:10 0
>>973
金剛般若経でも仏法は言語化できないって言ってるのに相当な量の言語で表現してるよな
つまるところそういう矛盾なのかもね
975考える名無しさん:2010/01/21(木) 08:39:03 0
>>974
キルケゴールも言いましたが、
「もっとも確実な沈黙とは、口を閉じることではなく口を開いて語ることだ」

私たちは生きている限りは、語り続ける運命なのかもしれませんね。
先人の言葉、自分の言葉。
976初心者:2010/01/21(木) 09:26:31 O
ありがとうございます。
つまるところ、語弊があるかもですが、
空の悟りとは一種のクオリアと考えられますね。
色や臭いといった、体験しないと解らない物です。
しかも空の場合は、「無意識のクオリア」みたいなもんで、定義上、体験を認識し得ない。
ちょうど失神した自我を認識し得ないように。
自我を認識できたら失神ではないことになりますから。
977初心者:2010/01/21(木) 12:55:58 O
もし、生活上ありきたりなクオリアであれば、例を用いることで表現することは出来ます。
「赤とは血の色のことだよ」という風に。
でも悟りを開くなんていうのは生活上ありきたりではなく、しかも空は他に例えようがないので、
これはもう体験しないことには話にならない。
さらには、空の定義上、我は在り得ない。
我が在り得ないということは、いったん空となった後に我に戻っても、空の記憶は我に残らない筈です。
ちょうど眠りから覚めたときのように。
つまり生身の我が、「俺は空を悟った」と言っても、それは体験した訳ではなくて、理論上理解したのだと言える。
以上を踏まえると、ブッダが寝転がって涅槃と言ったのはとても合理的だと思える。
「眠りにつくことで我は空なんだよね」
ということを、布教上の負の理由から、彼は隠していたのではないかと。
978考える名無しさん:2010/01/21(木) 18:55:28 0
>>976
>>977
「悟り」の概念に関しては、早合点はとてつもなく危険だ。
クオリアとかって、別の、一般的なものに分類することで実在と錯覚する。
それに「悟り」の概念は膨大な仏典の文字を尽くしても、
仏典曰く「ガンジス川の砂の幾”劫”倍の時間をかけても言い尽くせない」んだからな
979考える名無しさん:2010/01/21(木) 19:30:52 0
980考える名無しさん:2010/01/21(木) 21:18:26 O
悟りと無
981考える名無しさん:2010/01/21(木) 21:31:50 0
「悟り」がある種の「精神的安住の地」だとすれば
そういうことは絶対に無い

982:2010/01/21(木) 21:34:58 0
悟りを「きりん」だと捉える。
双生とはサバンナである。
983考える名無しさん:2010/01/21(木) 21:42:53 0
初期的な宗教体験を悟りと誤認しないようにするため
十牛図とか色々用意されてるんだな
984考える名無しさん:2010/01/21(木) 22:16:05 O
釈迦は弟子にもれなく悟りの印可を与えてたそうだ。
985初心者:2010/01/22(金) 00:51:38 0
>>978
なるほど。確かに初心者が理解できるような簡単な理論なら、
とうの昔に誰かに論破されていたでしょうしね。
早合点はつまらない。
まあ俺の立場では、仏教哲学が崩れてしまうよりも、
とうてい理解し得ぬ形であれ成立していた方が面白い訳です。
そういう意味で、もし>>976-977の疑問にスパーンと答えが出せるならば、どなたにもぜひお願いしたい。
>仏典曰く「ガンジス川の砂の幾”劫”倍の時間をかけても言い尽くせない」
については、おおよそ説明の長い者ほど胡散臭いと言う経験から、だいぶ胡散臭いです。
これは決して悪意や恨みがあるのではなく、初心者の純朴な感想ですので、
くれぐれも気を悪くなさらないでください。
どうもありがとうございました。
986考える名無しさん:2010/01/22(金) 07:07:03 O
不思議力
987考える名無しさん:2010/01/22(金) 07:44:59 0
みなさんが「不思議力」を感じる時はどんな時ですか?
988考える名無しさん:2010/01/22(金) 10:45:39 O
家内安全
989考える名無しさん:2010/01/22(金) 10:51:20 O
ふしぎちからと読む
990考える名無しさん:2010/01/22(金) 15:31:55 0
仏教は愛だ!!!
991考える名無しさん:2010/01/22(金) 15:34:25 0
釈迦=愛
992:2010/01/22(金) 17:15:13 0
結局どうにもならんものはどうにもならん。
望んだこともすべては慣れの果て。
どうしても残念でならないけれどしょうがない。
諸行無常の響きばかりだ。
993考える名無しさん:2010/01/22(金) 21:05:29 0
人生は一時一場の夢の如し
994考える名無しさん:2010/01/22(金) 21:56:15 0
決定往生六十万人
995考える名無しさん:2010/01/23(土) 00:40:33 O
次スレ立てよろしく
996考える名無しさん:2010/01/23(土) 00:57:57 O
もしかして
997考える名無しさん:2010/01/23(土) 04:30:21 O
まさか
998考える名無しさん:2010/01/23(土) 05:40:49 0
>>963
人間と動物は違うという信念に根拠を与えているのがセム系宗教の慣習、
つまり、聖書に他ならない。
だから、人間の尊厳といった近代主義はセム思想の孫みたいなもの。
それを前提に話されてもね。

>>967
もちろん。仏教は有効。

>>966
そう。一切は空ですよ。

>>970
>仏教徒が、菩薩と凡夫との間に優劣を規定しているように見えること。
>悟りを開いたなら、菩薩と凡夫は空において対等な訳だけど、
優劣はありますが、悟ったら平等であることは確か。
しかし、それを悟らないものと悟ったものには大きな違いがあるでしょう。

>中論を読むと、「空をやたらと主張する奴はアホ」みたいに書かれていたが、
ただの誤解。空を誤解するものは破滅すると書かれているものを誤読しただけと思われます。

>>976-977
クオリアでもいいですが冷煖自知ということです。
空は体験しなければ分からないが、空へ至る道は言葉で示されるということです。
999考える名無しさん:2010/01/23(土) 13:56:41 0
仏教は愛だ!!!
1000考える名無しさん:2010/01/23(土) 13:58:16 0
仏陀は愛だ!!!
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。