世界の中に自分がいるか、自分の中に世界があるか

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1考える名無しさん
姿や名を変えながら何度も浮上する、哲学・思想の大もんだーい
2考える名無しさん:2009/11/23(月) 14:43:06 O
裏返しになっておしまい。
3考える名無しさん:2009/11/23(月) 14:54:57 0
「世界の中に自分がいる」と、「自分の中の世界」で思う
4考える名無しさん:2009/11/23(月) 17:21:24 0
今の日本では、自分の中に世界があると感じてる人はすごく少ない気がする

古典的な問い、「誰もいない森で倒れる木は音をたてるかどうか」なんて
どこに疑問点があるのかを説明しないと分かってもらえないくらい
5考える名無しさん:2009/11/23(月) 17:27:18 0
今の社会では、自分の中に世界があるかを確かめようとすると逮捕されるから仕方がない。
しかし、無法者ばかりの社会では、自分の中に世界があるのか思い耽る暇もなさそうだ。
6考える名無しさん:2009/11/23(月) 18:00:17 0
今の日本では、とか、今の社会では、で話を始めることが、
すでにして、世界の中に自分がいる、という前提に立ってしまっている。
話をするときはそうなる。
しかし、今の日本や今の社会そのものは、明らかにおれの中にあるなあ。
これはどうしようもない事実だ。
7考える名無しさん:2009/11/23(月) 18:01:52 0
日本はあなたの中にはない。
あなたの中にあるのは、日本についてのあなたの観念だよ。
8Tar ◆SQIDAUQYpc :2009/11/23(月) 18:51:52 0
現実は世界の中に自分がいる。
夢は自分の中に世界がある。
9考える名無しさん:2009/11/23(月) 18:57:51 O
他人が自分を作ってくれるんだよ
10考える名無しさん:2009/11/23(月) 19:33:16 0
夢の世界は自分の中にあるのか? じゃ、その夢の中にいる自分はどうなる?w
11考える名無しさん:2009/11/23(月) 19:45:04 0
>>7
でも観念以外の何もないじゃん、という話でしょ?
>>8
だから、現実も実は夢(のようなもの)なんじゃ、って話でしょ?
>>9
ということもまた自分の中にある、って話でしょ?
12考える名無しさん:2009/11/23(月) 19:52:38 0
肉体は世界に内包され、精神は世界を内包する。
13考える名無しさん:2009/11/23(月) 19:52:40 0
ばーか、自分の中に夢の世界があってそのなかにまた自分がいたら、変だろがw
14考える名無しさん:2009/11/23(月) 20:07:27 0
意外と名スレの予感
15考える名無しさん:2009/11/23(月) 20:24:38 Q
世界の中に自分が居るんだよ 

または自分が世界そのものか…ね
16考える名無しさん:2009/11/23(月) 20:29:08 0
素朴に考えれば世界の中に自分がいる、ということになると思うんだが。
17考える名無しさん:2009/11/23(月) 20:32:51 0
>>16
リンゴを食っちゃったので
18考える名無しさん:2009/11/23(月) 20:35:48 0
面白い
個人的には「自分の中にある世界(主観・観念)から抜け出せない」って思ってる
過去の偉大な哲人はこの問題にたいしてどういう言葉を残してるの?
19考える名無しさん:2009/11/23(月) 21:00:09 0
おまえらの世界の境界は2ちゃんとニコニコ
20考える名無しさん:2009/11/23(月) 21:09:43 0
ナンセンスな問題だ。
自分には広さ、長さ、面積は無い。
ゆえに、自分には内も外も無い。
21考える名無しさん:2009/11/23(月) 21:14:03 0
自分という概念を考える際に、ついつい円や四角形など幾何学的なイメージで自分を考えてしまう。
そして円の内と外の空間が存在すると思い込んでしまう。
そして、こういうナンセンスな問題について考え込んでしまうのだ。
22考える名無しさん:2009/11/23(月) 21:59:24 0
スレタイ、「自分」を「私」に変えるべき。
「自分」だと、各人の自分一般になってしまって、単なる観念論になるから。
23考える名無しさん:2009/11/23(月) 22:01:20 O
愛する人の中に僕はいて僕は愛の宇宙を漂う銀河
24考える名無しさん:2009/11/23(月) 22:14:59 0

上から見るとドーナッツ
25考える名無しさん:2009/11/23(月) 22:57:04 0
断面図か。
26考える名無しさん:2009/11/23(月) 23:34:47 O
>>20
あんた何もないじゃんw
座標もなさそうだな。
27:2009/11/24(火) 00:13:12 0
くだらん痴の者だな。
座標とは数学の概念であってその概念は心に関しては文学的、修辞学的にしか応用できない。
つまり例え話に過ぎない。
例え話であり詩的な表現に過ぎないイメージを真面目に受けとって
ナンセンスな思考の混乱を起こしているだけ。
俺は潔白なのかと考えて、本当に俺の心は白色か赤色かと調べる阿呆みたいなもんだな。
くだらん。
28考える名無しさん:2009/11/24(火) 00:32:54 O
>>27
せっかくのってやったのに、お前というやつは・・・
ちなみにマジレスだが、その話で何を例えたの?
29考える名無しさん:2009/11/24(火) 00:42:24 0
世界/内/(世界/内/存在)
30考える名無しさん:2009/11/24(火) 00:55:50 0
>>29
ハイデガーさん
31考える名無しさん:2009/11/24(火) 01:35:38 0
世界の中に自分がいる → 一般人
自分の中に世界がある → 発達障害
32考える名無しさん:2009/11/24(火) 01:46:32 0
自分の中に自分がたくさんいる → 解離性人格障害
33考える名無しさん:2009/11/24(火) 10:53:27 0
自分の中に世界がたくさんある → 統合失調症
34考える名無しさん:2009/11/24(火) 11:20:39 0
思想家哲学者宗教家物書きのほとんどが病気ですね
35考える名無しさん:2009/11/24(火) 11:38:43 O
迎えにくるよその瞬間やシグナルによって脳みそが揺れる
36考える名無しさん:2009/11/24(火) 15:49:35 0
>>16
たしかに、世界の中に自分がいるっていう認識は素朴なものに感じるけど、
「世界の中にいる自分」っていうモデルは、いろいろなことを知ったことによって、
後から獲得されたものなんじゃないかな。

世界の中に自分がいるっていう認識より、自分の中に世界がある(自分が知覚しているものが世界だ)
っていう認識のほうが素朴な解釈だと思う。
37考える名無しさん:2009/11/24(火) 16:22:50 0
http://uproda.2ch-library.com/19091092I/lib190910.jpg
この画像をみてほしい。
この画像の世界の中に自分がいるのなら、あなたはそんなとんでもない世界にいるのか。
自分の中の世界がこの画像のようなことまで含んでいるのなら、あなたは一体何者なのか。
大丈夫。グロ画像じゃない。
38考える名無しさん:2009/11/24(火) 16:42:40 0
なにそれ 制服着てるところがガチっぽいんだが。。。
39考える名無しさん:2009/11/24(火) 17:48:47 O
視界が揺らめき始めた
40考える名無しさん:2009/11/24(火) 21:20:00 0
>>39
鏡を見たり、腕立て伏せをしたりするんだ!
41考える名無しさん:2009/11/24(火) 21:43:06 O
世界=自分
42考える名無しさん:2009/11/24(火) 22:17:34 0
>>41
美しく感じるか?
43考える名無しさん:2009/11/24(火) 22:26:46 O
美しくなればいいのか!
44考える名無しさん:2009/11/24(火) 22:43:18 0
人は自分の姿だけは見えないんだよ
45考える名無しさん:2009/11/25(水) 21:30:24 0
自分の中に世界があると考えた方がラクだな。本当にこれを信じることができるようになれば悩みもなくなる。
なにしろすべて自分の内部の問題だからな。外部と対決しなくてすむ。
46考える名無しさん:2009/11/25(水) 22:13:16 O
>>44
ちょっと聞いてくれ。
いままで生きてきて初めてなんだが、
昨夜、自分を見る夢を見た。
超興奮した。
47考える名無しさん:2009/11/25(水) 22:19:51 0
ヘンタイか?
48考える名無しさん:2009/11/25(水) 22:47:41 0
>>45
何者にも包んでもらえず、すべてを飲み込まねばならん人生だよ?
49考える名無しさん:2009/11/25(水) 22:56:44 O
>>47
だってそんな夢見たことある?
俺は夢を見るとき、これは夢だと見破れるように訓練してるんだ。
今ではたいがい見破れるようになった。
今回も例に漏れず見破れたが、これは興奮したね!
まさか自分の背中を見れるなんて!
夢と見破っちまえば空を飛ぶなんて簡単だ。
だが、自分を見るのは出来なかった。
知らないものはイメージ出来ないからな。
ビデオで自分を撮影した甲斐があったぜ。
あと出来ないのは、きちんと地を蹴って走る夢だな。
最近その辺を意識して走り込みしてんだ。
50考える名無しさん:2009/11/25(水) 23:06:53 0
メガネは顔の一部です
一部のメガネは顔です
メガネの顔は一部です
51考える名無しさん:2009/11/26(木) 01:01:07 0
>>34
文化も文明も、狂気が発展させるという考えには頷けるものがある。
52考える名無しさん:2009/11/26(木) 03:28:59 0
>>51
医療の進歩が国を滅ぼす
53考える名無しさん:2009/11/26(木) 19:46:02 O
>>49
俺夢見るときっていつも第三者視点なんだけど・・・
普通そうじゃないのか?
54考える名無しさん:2009/11/26(木) 23:49:11 O
>>53
それは俺から見ると信じられないくらい凄い。
ちゃんと調べた訳じゃないが、そういう人はかなり少ないと思うよ。
55考える名無しさん:2009/11/27(金) 00:00:09 0
そういえば、おれが幼児期に見た夢で自分を外からみる視点のものがあったが
その時だけだったな。
56考える名無しさん:2009/11/27(金) 17:57:33 O
>>54
俺からしたら明晰夢をみれる方が凄いと思うぞ
57考える名無しさん:2009/11/27(金) 22:34:14 0

        __ `ソ/-=・=- -=・=-\/ ̄/  
          \/゚    ,ハ      \/
            ヽ.   ヽ. ⌒⌒ ノ    /   ぴゃぴゃ〜ポール君
            ヽ. ヽ、`==´ / /    まだ懲りないのかな?
        /∴ (⌒、"⌒ソ⌒ヽ_  ノ 丶
        ∵∴ ~''(_)(_)(_)(_)ソ      ー-゙:.、
        ∴∵ ヽ/`、_, ィ/           `ヽ_
        ∵∴/ ∴∵∴/            ゙i"
        ∴∵∴∵∴∵/          _..ハ
        \∴∵∴∵ ノ        、r‐、>ー ヽ
          \__ /        :.ヾ、ニ二 /
58考える名無しさん:2009/11/29(日) 12:59:41 0
オタクの中には夢がアニメの人がいるらしい
59考える名無しさん:2009/12/05(土) 09:47:53 0
自分が客観的な世界だと思っているものは、主観が作りだしたものだって言えば、
まぁありがちな意見だけど、これを身近で具体的な例で見ると、ちょっと恐ろしくなる。

読んだ人もいるだろうけど、「妻を帽子とまちがえた男」っていう本の中に、
脳の一部を損傷して認知機能に障害を負った男性が、
自分の奥さんを帽子だと勘違いして被ろうとしたっていうエピソードが出てくるんだ。

信じられないような話だけど、このエピソードが何を意味しているのかと言えば、
人間の認知から離れた客観の世界では、自分の妻と帽子の間に差異は存在しないってことなんじゃないかな。

純粋な客観の世界が一体どんな姿をしているのか、想像するだけで頭がおかしくなりそうになる。
60考える名無しさん:2009/12/05(土) 10:33:43 0
>>59
俺も歯を磨こうとして、歯磨き水と石けん水を間違えたことがある。
コーラと間違えて醤油を飲んだこともあるし、
お茶と間違えて紙コップの小便を飲んだこともあるマジで。
5日連続徹夜して働いたり睡眠時間2時間とかよくあったから、完全にぼけてた。
過労死寸前で危ない状態だった。日本で俺くらい働いた奴いないんじゃないかと自負してる。
横道逸れたが。

対象をよく見ずに、かつ、強い目的意識があるとたまに間違えるね。
とにかく帽子をかぶらなきゃという考えにとりつかれて必死になって、
嫁の服を頭に被せようとしてしまったのだろう。
強烈な天然ぼけだな。
61考える名無しさん:2009/12/05(土) 15:02:12 O
>>56
明晰夢というんだな。
俺は、つじつまが合わない状況を発見した時、これは夢だと気づく。
おとといの夢は、友人と泊まり込みで釣りに行く話だった。
釣りに向かう途中の車内で、そういえば明日仕事だということを思い出した。
しかし、もう何十kmも来ていたので、引き返してもらうか、駅で降ろしてもらうか判断せねばならなくなって困った。
そこで夢だと気づいた。
そもそも、明日仕事なのに泊まり込みで釣りにいく計画を立てること自体が、俺的に有り得ないから。
そこで、これは夢だと疑い、この話はいつから始まったかを思い出した。
すると、友人の部屋の場面から始まり、それ以前の記憶がまったくない。
俺の中で夢であることが確定した。
俺は夢から起きさえすれば、家(布団)に帰れる。
俺は友人に、「俺はここで降りるから」と言い、彼等を見送った。
見送った後、自主的に夢から覚めて、ちゃんと布団の中にいることを確認した。

つじつまが合わないことや、有り得ないことに敏感に気づく癖をつけると明晰夢を見れると思う。
街に怪獣が出現しただけではつじつまが合わないとは言えない(夢とは疑えない)が、
そいつの動きがリアルじゃないのを見て夢だと気づく。
そんな感じだ。
62考える名無しさん:2009/12/06(日) 06:39:46 0
嫁の服ではなく、「嫁」を頭に被ろうとしたのでは?
「帽子は帽子・・帽子がない・・どこに置いたっけかな・・」
「ずいぶん重いな。。。うまく掴めないんだけど、どうなってるのこれ・・」
「あれ・・頭にフィットする穴がわからない・・捲れてこんがらがってるのか・・・」
「帽子重すぎるからとりあえず、置いたままで頭にはめて持ち上げるか・・・」
「滑ってだめだ・・どうなってるんだ・・・。おい、母さん、帽子が変なんだけど」
「・・母さん・・・具合でも悪いのか・・?返事くらいしてくれよ・・・おい。あっ・・!」
「母さん大丈夫か?いきなり床に倒れるなんて。病院いくか?おい、母さん、大丈夫か?」
63考える名無しさん:2009/12/08(火) 20:29:51 0
>>59
俺、ちょっとした精神病なんだけど
似たようなことあるわ
64考える名無しさん:2009/12/08(火) 20:40:22 0
>>63
どんな?
65考える名無しさん:2009/12/08(火) 21:36:20 0
世界の中に居るんだよ。
自分が創造した世界ではないから、自らが居る世界を知ろうとするんだ。
自分の中に世界があるのなら、世界の仕組みや動向は知る必要がないだろ。
世界は気になるし、知る事で世界は広がったり深まったりする。
ただ「世界の限界」を知り得ないだけである。

66考える名無しさん:2009/12/08(火) 21:51:22 0
>>20を読んで理解できなかった馬鹿が一人・・・。
67考える名無しさん:2009/12/08(火) 22:57:29 0
思い通りにならないことがあると、いやでも現実つまり外の世界を感じる。
とくに差し障りもなく、ぼんやり世界を眺めてるようなときは、自分の中に世界があるように感じられる。
要は、世界に対する態度の違いがそのつど現われただけじゃないか。

ライプニッツは世界の中の個体と個体の中の世界とがモナドという形で初めから統一された世界観を持ち出したんだけど、そんなことをする必要はなかったのかもしれないね。
68考える名無しさん:2009/12/08(火) 23:02:40 O
>>66
ほう、何を理解したんだい?
ただの例えに過ぎないので真面目に受け取ってはだめだと、本人と見られる>>27が言ってたようだが。
69考える名無しさん:2009/12/08(火) 23:08:58 0
自分は世界に内包されていて
世界の中に世界を見る自分が居る
自分の中にある世界は
自分が認識している世界であって
自分を含む世界ではない
70考える名無しさん:2009/12/09(水) 00:04:15 O
>>69
お前頭いいな。
71考える名無しさん:2009/12/09(水) 01:54:38 0
何を理解したのか本当は分らずにいると
自分という存在は意識の中の概念にすぎず
自分の後ろも前も、内も外もないとかいいだすわけで

まあ、自分の意識がどういう仕組みで発生するのか分らないだけだよ
72考える名無しさん:2009/12/09(水) 02:34:26 0
精神病だから世界が狂って見えるんじゃなくて、精神病じゃないから世界が今の形で見えてるだけなんだよね
73考える名無しさん:2009/12/09(水) 08:57:23 0
視点と視野の問題かと。
74考える名無しさん:2009/12/09(水) 09:22:21 0
「君はこの会議にわが社の命運がかかってるという認識を持っているのかね?」とか、「いまが授業中だっていう意識があるの?」と言われたりする。
つまり、認識とか意識というのは、世界の中の自分を自覚させる意味が強い。
見当識はその典型。

自分の中の世界を説明するのに、意識や認識を持ち出してもだめなんじゃないか。
75考える名無しさん:2009/12/09(水) 09:59:54 0
臨場感支配の効力がきれないように度々釘を刺す=世界の中の自分を自覚させる
76考える名無しさん:2009/12/09(水) 12:28:13 0
科哲とか分析だろ
77考える名無しさん:2009/12/09(水) 14:05:03 0
>>74
世界は固定化されない、同時に様々なことが起こっている多様な場であって
神の視点を持たない生物は、アリにはアリの、人間には人間の知覚できる範囲で
それら世界のごく一部の状況を、自らの内に知覚しているに過ぎない。
その発言は、そうしたごく一部の状況を固定化して
心の内に意識しろ、認識しろと言ってるわけだから
意識・認識は自分の中の世界だと思う。
78考える名無しさん:2009/12/09(水) 14:28:40 0
>>77
交通事故とかで意識障害を起こしてる人に声をかけるときは、周囲の状況がわかりますか?と聞いてるよね。
その人に向かって「心の中に意識しろ」って言ってるわけじゃないよ。
心の中に意識してたって、意識朦朧のままじゃ困る。
むしろ逆に外界を意識できてますか?と聞く。

認識とか意識という言葉は、世界の中の自分を自覚させる意味で使うことが多い。
そうじゃない意味で使うのは、哲学の釣りに引っかかってるんだと思う。
79考える名無しさん:2009/12/09(水) 14:38:01 0
>>78
そりゃ自分の中に世界を取り込むには、まず意識があることが大前提だからね。
で、その意識された世界は、人によって違う。
例えば、交通事故にあった人が意識してる世界
脳しんとうを起こしてる人が意識してる世界
目が見えなくなった人が意識してる世界
みな違うはずだ。というより一人一人違うはず。

百歩譲って、意識・認識するという行為は、外界を知覚するための言葉だとしても
そこを通過して意識・認識された世界は、もう自分の中の世界でしかない。
80考える名無しさん:2009/12/09(水) 14:57:31 0
>>79
意識の状態が個々に違うという意味なら、その通りだけど、意識された世界が個々に違うということは誰も示したわけじゃない。
その部分はまだ事実になっていないと思う。
81考える名無しさん:2009/12/09(水) 15:44:10 0
>>80
しかし意識された世界が皆同じということもまた、誰も示してはいない。
そして、同じ世界にいても意識された世界が違うという事例は
例えば世界に溢れるブログや本からでも、あるいは2人で同じ物を見ていても記憶が違う
あるいは一番親しい人間とすら、すべてを「100%」わかりあえるのは稀だ
っていう実体験等、けっこうないか?

例えば4人が室内で車座になってなごんでいるとして
同じ室内でも、小さいところでは物の見える角度や見ている部分
ひいては個々の感想、事情、人生観、いわば世界観までも違う。
更には同時刻にスペインにいるカルロス(仮名)の世界に至っては。
世界はそれらすべてを内包する1つのもの。
しかし意識・認識できる範囲はそれぞれ
82考える名無しさん:2009/12/09(水) 16:18:56 0
同じ世界でも見方が違うという意味なら、その通り。
同じ番組を見ても、「面白い」という奴もいれば、「つまらん」という奴もいる。
民主党の世の中を「良い」という奴もいれば、「悪い」という奴もいる。
「意識された世界」というのは、同じ世界を個々に意識するってことじゃないの。
つねに同じ世界、同じ物を経験しているという前提で話をしているし、その上で受け止め方の違いとか、意見の相違がある。
同じ話題を扱っていてもブログの記事が違うのは当たり前です。
親しい人でもすべてのことにおいて意見が100%合うことがないのも当たり前です。
そう思うんだけど。
83考える名無しさん:2009/12/09(水) 16:23:38 0
私の実感としては
>つねに同じ世界、同じ物を経験しているという前提で話をしているし
=外界とコンタクトするための意識・認識作業

>その上で受け止め方の違いとか、意見の相違がある。
=しかし実際に意識・認識された世界は個々に違う

というわけで、>>79に戻るって感じだ
84考える名無しさん:2009/12/09(水) 18:20:38 0
>>82
>「意識された世界」というのは、同じ世界を個々に意識するってことじゃないの。
>つねに同じ世界、同じ物を経験しているという前提で

ここ。 「同じ世界」「同じ物」というが、それは本当に【同じ世界】【同じ物】なのか?
という疑義を消去できない。 もっと潜航すれば、そんな世界やら物やらが本当に『ある』のか?
となる。 『同じ』と括ってしまうのは、お気楽に過ぎないか、と。

群盲が象を撫でてるなら、まだいい。
【ひとしきり撫で終われば】、盲人でも【全体像(洒落じゃない)を把握できる】だろう。


だが、もし、その盲人たちの撫でているのが、別々の象であったら・・・。
もし、幻肢が如き知覚認識であったなら・・・。
85考える名無しさん:2009/12/09(水) 19:01:20 0
>>83
>>84

同じ世界があるってことを誰も示していないのは、誰も示す必要がないからです。
検証する以前の当たり前の事実だからです。
「同じものに同じものを加えれば、結果は等しい」というのと同じくらい自明の理なんです。

かりにその部分を疑ってみましょう。
そうすると、個々に分かれた「意識された世界」があるということになりますか。
個々に分かれた「意識された世界」は人間あるいは動物の頭数だけあるのでしょうか。
86考える名無しさん:2009/12/09(水) 19:10:36 0
>>85
>個々に分かれた「意識された世界」は人間あるいは動物の頭数だけあるのでしょうか

まさにその通りです。
「意識する(知覚認識をする)モノ」の数だけ「世界」はあるのです。
 (それが、【重なりを持つ】ことは、あり得るかもしれませんw)
87考える名無しさん:2009/12/09(水) 19:26:30 0
どうにも自分の中の世界というのが分からない
88考える名無しさん:2009/12/09(水) 19:31:29 0
>>86
個々に分かれた「意識された世界」(複数)を全体としてイメージするとき、共通の背景の上にのっけますね。
それらの世界にとって共通の背景です。

その背景がけっきょく同じ一つの世界だと思うんだけど。
89考える名無しさん:2009/12/09(水) 19:39:45 0
>>87
鏡を想定するといい。
鏡に「映った像だけ」が、鏡に映っているモノということだ。それ以外は鏡に映っていない。
鏡の裏側にあるモノは鏡に映らない。
もし、鏡に思考があり、映ったものを存在するものと見做すなら、
彼の世界は、その映った世界にほかならず、映っていないものを知覚認識する術を鏡は持たない・・。

彼の世界は、鏡に映った世界でしかない。
また、仮に、
鏡Bに映った世界が鏡A(彼)に映ったとしても、それは【鏡Bに映った世界とは全く違う】!。


人は、このような中でコミュニケートしていかねばならないのだ・・・。
不憫なのか胸躍ることなのか・・・w
90考える名無しさん:2009/12/09(水) 20:07:42 0
>>88
だから、
>けっきょく同じ一つの世界だと  なぜ“判”るの?
帰納的に、情報の集積により、或る一つの在り様を予想(夢想・妄想?)しているに過ぎないでしょう?

>共通の背景の上にのっけますね
そうじゃないでしょう?
メタな視線と言いながらも、所詮は或る一つの(自分の!)意識が行っている作業に過ぎない。
そこでは、そのような共通の背景(土台、基盤等々)すら、或る一つの(自分の!)意識が想定した庭だ。
その背景も、庭のオブジェだ。
その意味で、独我論的世界観は、自己という唯一つの世界、ただ一つの背景で閉じている。
91考える名無しさん:2009/12/09(水) 20:15:02 0
私の中に世界は有ります。私が「意識」したものが、世界である。意識の無い処には、世界も無い。私が眠っている時には世界は無い。
私には「私だけの世界」がある。君には「君だけの世界」がある。それぞれの人には「それぞれの人だけの世界」がある。無限に多くの世界
があり、一種の「パラレル ワールド」である。

私の「意識」したものしか存在しない。それこそ「実在」である。
92考える名無しさん:2009/12/09(水) 20:24:40 O
世界は私を存在させてて、私は世界を存在させてる
93考える名無しさん:2009/12/09(水) 20:46:20 0
>意識が行っている作業に過ぎない。

意識って作業するんかw
94考える名無しさん:2009/12/09(水) 20:48:10 0
>私が眠っている時には世界は無い。

眠っている私はどこにもいないw
95考える名無しさん:2009/12/09(水) 20:55:44 0
>>90

あなたの言う個々に分かれた「意識された世界」を校庭に描くとしましょうか。
あなたが説明する役です。
あなたはまず個々の分割世界を○なりなんなりで有限の数だけ書いていく。
その中の一つの●はあなたの中の世界を表わします。
有限だから、いつかその作業は終わるとしましょう(現実には無理ですが)。
最後に、あなたはそれらの○すべてを一つの大きな◎で囲みます。
◎が同じ一つの世界を表わします。
このとき、◎とあなたの中の世界を表わす●とをイコールとしてはいけません。
もし、あなたがこの説明で◎=●だと強弁したら、説明を聞く人は黙ってないですね。
なぜなら最後の◎は誰が描いても同じだからです。
それどころか、この説明は誰がやっても同じになります。

最後の◎は描かなくてもいい。その場合は、校庭が同じ一つの世界を表わします。
「この校庭は俺の世界だ!」と言えば、どつかれますよ。

だから

> メタな視線と言いながらも、所詮は或る一つの(自分の!)意識が行っている作業に過ぎない。

この部分はたいした意味はありません。
96考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:13:04 0
>>95
1行目、
>あなたの言う個々に分かれた「意識された世界」を校庭に描くとしましょうか

ここで既に、複数の意識の間で、同一のものとして共通する外部が仮説されていますね?
これを疑うべきだというのが>>90の主旨です。
最初に、共通の外部があると設定してれば、そりゃ
>この部分はたいした意味はありません。
と言うしかないでしょう?w

最初の一歩からして誤っています。
97考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:23:28 0
>>96
> ここで既に、複数の意識の間で、同一のものとして共通する外部が仮説されていますね?

その段階では同じ一つの世界は出てきていませんよ。
6行めからです。
あなたは共通の外部はないと決めつけて話をするから、そういう誤解をする。
98考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:25:45 0
共通の外部を疑うべき理由はまったくありませんね。疑うメリットもない。
99考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:29:43 0
共通の外部はある。
が、神の視点を持つことは不可能な人間に
それをそのままの形で知覚することは出来ない。
100考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:33:56 0
>>97
そうではなく、
校庭は、>>95的に言うならば、個々の分割世界の集合が校庭である、と。
それは12行目に近いですが、若干違います。
太郎君が泥団子を十個、山にする。弘君が泥団子を十個、山にする。
これが同じでないということと同程度に、何一つ共有可能なものは無い、というのが
一つの極として提示されているわけです。
「最終的に括ったら(レジを抜けて買い物袋に放り込んだら)一緒」
とは、やはり違うと思います。
101考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:37:05 0
というかこうやってカキコしてる時点で少なくとも無意識に共通の外部が前提になっているw
102考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:39:31 0
共通の外部はあるが
人間がその外部を認識しようとすると
人によって、ある一部分だけが拡大されたり、すっぽり抜けたり、ピントがあってなかったり、像が歪んだり・・・
あるいはある香りが肉付けされたり、温度や湿度が変わったり、明暗、高度、角度・・・
それぞれに「固有の内部」となってしまう。

だから人間は語り合う。
言葉を尽くして語り合い、それぞれの内的世界をすりあわせ
共通の世界像を結ぼうとする。
103考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:40:47 0
>>101
「《たぶん、こうであろう》という推測に沿って為されている」だけで、「いつ覆されるか予断を許しません」。

貴方のその書き込みも、私が心の真相の部分で望んだ文章が、
私の視覚に、意識に、顕現しているのかもしれません。
104考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:41:41 0
他者と話し合えるだけの共通の外部はある。
でなければ、何かに例えたりしても無駄なんだが。
105考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:45:54 O
例えたものが自分の世界と相手の世界にあれば重なり合えこそ外部にあるとは言えないのでは?
106考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:49:24 0
>>100
傍観しているが、
あなたの「個々の分割世界の集合が校庭である」という表現と、
彼の「それらの○(個々の分割世界)すべてを一つの大きな◎(同じ一つの世界=校庭)で囲む」
という表現は、どうやら同じ意味であるように俺には見える。
107考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:50:21 0
>>100
> 太郎君が泥団子を十個、山にする。弘君が泥団子を十個、山にする。
> これが同じでないということと同程度に、何一つ共有可能なものは無い、というのが
> 一つの極として提示されているわけです。

俺の頭がおおざっぱに出来ていて、ニュアンス的な話が理解できていないのかもしれませんが、正直この部分はフォローできませんね。
太郎くんの泥団子10個の山と、弘くんの泥団子10個の山は、最低でも「泥団子の山であること」と「数は10個であること」ぐらいは共有できてますよね。
108考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:53:49 0
>>106
しかし、
ライトスタンドの横断幕を、
ライトスタンドから見るのと、レフトスタンドから見るのとでは見え方が違うのでは?
そのように、視線が(=思考が)重なり合わない以上、共有や一致はあり得ないでしょう?

もっとも、超能力やテレパシーやらで、ダイレクトに同化できるというなら別ですが・・・。
109考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:58:15 0
>>107
>「泥団子の山であること」と「数は10個であること」ぐらいは

ああ・・・そうですね・・。 迂闊でした・・。
どうしましょう・・・w
110考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:58:32 0
>>108
なるほど、同じ物を見るにも、人によって見え方が違うのは現実的に了解できる。
つまり・・・どういうことだ?
もう少し傍観してみる。
111考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:59:15 0
語り得ぬ物については沈黙しなければならないw
ちなみに精神分析は無意識の次元でダイレクトに同化し得ると考える。
112考える名無しさん:2009/12/09(水) 21:59:30 0
>>108
そうだね。
しかも、その像が共有・一致したとしても
それが「全世界を客観的に俯瞰できた」って意味にはならない。
ただ「同じ側から見ている」というだけ。
113考える名無しさん:2009/12/09(水) 22:01:27 0
>>109
いやそれは、どこかの一つの主観から見た認識だから、
共通点があるのは自然だし、問題ないだろう。
114考える名無しさん:2009/12/09(水) 22:04:55 O
>>108
世界を重ねることで世界が広がる(私の中に世界があれば密度を増す)、というのはどうだろう
115考える名無しさん:2009/12/09(水) 22:11:02 0
>>111
それは同意だな。
意識なんて不可解なものが無けりゃ、何の疑いも無く世界は一つだったろう。
116考える名無しさん:2009/12/09(水) 22:14:17 0
>>112-114
哲学界には、「間主観」なる言い方もあるようですが、よくわかりません。
「共同主観」や「共同幻想」なら、なんとなくイメージできますし、
そのように、想定することが、112、113の言う「共通点(らしき要素)の発見」のことかもしれない。
覆される事態が生じていないことと情報の分析から、
『「他者と共有し、自身の思考・意思とは切り離された外部」があるかもしれない!?』
ことを想定するよう迫られる・・。
そして、時には、全く逆のベクトルで、『このうねりの中、自分(我)はどこにもいない!』と達観するかもしれない・・w

人は、そうしたカオスの中を泳いでいるのだろう・・。
117考える名無しさん:2009/12/09(水) 22:23:58 0
>>108
そういえば、重要なことを思い出したんだが、
あなたの「個々の分割世界」が、その部分を共有されたり一致したりしないという意見は、
>>95の中にそのまま受け入れられているように見える。(>>97でも説明されている。)
○を重ねて書かなければ、他の○と共有・一致していないと捉えていいだろう。
118考える名無しさん:2009/12/09(水) 23:01:34 0
119考える名無しさん:2009/12/09(水) 23:03:18 0
120考える名無しさん:2009/12/09(水) 23:12:17 0
世界の共同主観的存在構造
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8747696
121考える名無しさん:2009/12/10(木) 01:03:19 0
人対人の場合、人間社会での経験から
ある程度共通した部分があるのも当然だと思う。
生まれたばかりだとまっさら(なのかも分からないが)なのが
人との関わり合いや学習により人間社会での共通認識を育み、
それらの外的因子により己の世界を拡大していく。

人以外の生物との場合で個々の世界を考えたときには
共通の何かがあるのかなんて分かりようもないと思う
意思の疎通も出来ないし
122考える名無しさん:2009/12/10(木) 01:10:11 0
主客問題は永遠のテーマだな。
東洋の宗教や東洋思想のほとんどが主客合一を目指してる。
123考える名無しさん:2009/12/10(木) 01:13:33 0
いや、こういうのを考える以前の問題であって、
そもそも自分て何なのかが誰にも分かってないですから。
何なのかが分かってないのに中か外かと、何言ってんのって感じ。
124考える名無しさん:2009/12/10(木) 01:24:43 0
個々の世界の中で共通した部分は
他者との意思疎通のための道具に過ぎないのかも
言語の獲得によりコミュニケーションの多様化、情報量の増大
共通の話題があれば意思疎通も容易に
いかん、変な方向に・・・

>>123
俺は俺だ
125考える名無しさん:2009/12/10(木) 01:38:47 0
俺は俺だというのなら、俺以外の全てが外とも言えるし、
俺以外の全て中とも言えるし、
ようするに、中も外も無いというのが真実です。
中も外もないのに、中か外かと考えるのがバカバカしい。ナンセンス。
126考える名無しさん:2009/12/10(木) 01:52:38 0
>>125
俺も含めて世界
127考える名無しさん:2009/12/10(木) 02:16:51 0
俺と俺以外、その全てを含めたものが世界
俺の内にある世界は、俺が見てきた世界を基に構築されたもので
こんなものを世界なんて言うのは間違ってる気もする
世界観とか・・・
128考える名無しさん:2009/12/10(木) 02:20:16 0
哲学の世界では超越(外部)や内(属性・近接)の概念などよく整理されていないので、
詭弁のようなわけわからん話が出てくる。
概念が適当すぎるので、正直、どっちでもよい。議論する価値がない。
129考える名無しさん:2009/12/10(木) 10:30:29 0
バスの床にアリがいたんだが
ちょっと左にいけば乗降口があって外に出られるのに
わからないんだよ。
ウロウロウロウロ、靴に遮られて戻ってみたり
見当違いの方向へ歩いてみたり。
私くらいの高さに目があって、私くらいの視力があって、空間認識力があれば
すぐたどりつけるのに。
もちろん、そのかわり、アリには私にない別種の能力や認識の仕方を持ってはいる。
アリと人間は、人間と神の関係と同じ。
人間としての視力と認識力しかないから、世界の全体像がわからない。
そのかわり、人間ならではの能力もある。
しかしその世界の見え方や、それに従って右往左往する様は
神がいたらさぞじれったく思っているだろう。
もう少し視力が上がれば、すべてを見渡して判断できるのに、と。
神の視点が外部の世界、人間の目に映るのが自分の中の世界。
130考える名無しさん:2009/12/10(木) 16:59:15 O
だからその神が世界の中に収まってるかもわからないから(ry
131考える名無しさん:2009/12/10(木) 18:43:48 0
>>129
神という存在を考えられるのは人間だけ
132考える名無しさん:2009/12/10(木) 19:44:43 0
>>130-131
まあ神は「いたら」と書いたとおり、例えであって。
要は人間の把握する世界は、アリのそれよりもうちっと範囲が広いだけで
限定されピントの狂った世界しか見えてないってことではアリ同様。
決して「外部としての世界」をその形のまま知覚することは出来ないってことさ。
133考える名無しさん:2009/12/10(木) 20:46:56 O
知覚し得ない存在の有無…
神の(人より上位の視点を持つ)存在が証明できればこの問題にも片が付くのかな
134考える名無しさん:2009/12/10(木) 21:07:10 0
高速の渋滞に巻き込まれてるとき、当事者が渋滞の状況をすべて把握していない、というのは当たり前。
渋滞状況をすべて把握してる者がいれば、それこそ神です。
共通の外部とか、同じ世界というのはそういう意味じゃない。
単に、同じ渋滞に巻き込まれてる当事者を考えてるだけ。
135考える名無しさん:2009/12/10(木) 21:27:53 0
>>134
同じ渋滞に巻き込まれていても、渋滞1km地点の人間と、10km地点の人間とじゃ
状況が変わるだろ?
「同じ世界」「共通の外部」といっても、中身は違うってことさ。
てわけで

>>133
上に書いたとおり、神の存在が証明できなくても
既に人間の知覚領域には各々限界がある
ゆえに単一の世界を同時に知覚することはできない
ってことはしょうめ異されるんじゃないか?
136考える名無しさん:2009/12/10(木) 22:03:30 0
>>135
同じ渋滞に巻き込まれてる当事者を考えるのは、単に同じ渋滞に巻き込まれてる人たちを話題にしてるだけ。
その人たちの置かれた状況を個々に考えましょう、と言ってるわけじゃないよね。
順序としては、同じ渋滞を話題にして、では次に当事者の置かれた状況を個々に見てみましょう、となる。

というか、なんでこんな当たり前のことを言ってるんだろう?
137考える名無しさん:2009/12/10(木) 22:15:52 0
補足する。
同じ渋滞を話題にしてるってことがわかればいいんで、同じ渋滞を”知覚する”必要はありません。
これも当たり前。
138考える名無しさん:2009/12/10(木) 23:43:14 0
>>136-137
>同じ渋滞を話題にしてるってことがわかればいいんで、同じ渋滞を”知覚する”必要はありません。

それは「同じ世界に住んでるってことがわかればいいんで、
その同じ世界とは実際どんなところかを知覚する必要はありません」
って言ってるように聞こえるんだが。
こっちはその「実際どんなところか」を考えたいから
こういう命題に惹かれるわけでw
139考える名無しさん:2009/12/11(金) 00:37:13 0
「私がいるから世界があるのか?」
「世界があるから私があるのか?」
難しいね。

世界が無ければ私は存在しないに決まってんだろ!
私が無ければ世界は存在しないに決まってんだろ!

我々は生きている。だから世界を認識できるのが自明に思える。
だが、生まれてこなかった者にとって世界など関係ない。
やはり主観が有利だな。
主観無くして客観も無し。
ならば主観と客観もない。主観が、主観と客観を分け隔てただけだ。
それなら、主観とも言えない。主な観などない。
ただ観があればいい。自他分別を超えろ、か・・・。
人は摩訶不思議だな。
140考える名無しさん:2009/12/11(金) 07:30:52 O
世界と自分どちらが先か?
これは無理難題すぎる…


人間は人間をを客観的に見ることが出来ないからな。
141考える名無しさん:2009/12/11(金) 07:54:12 0
>>132
> 決して「外部としての世界」をその形のまま知覚することは出来ないってことさ。

なんでそんなことが分かるんだろー
世界って私たちが何らかの形で知覚できるものでしかないんじゃないのー?
142考える名無しさん:2009/12/11(金) 08:21:36 0
>>141
「その形のまま知覚」と「何らかの形で知覚」の違いってことさ。

143考える名無しさん:2009/12/11(金) 09:12:49 0
>>138
この世界でなんの話をしても、しょせんはこの世界という同じ一つの世界でなされる話題の一つでしかない。
この世界が科学的にどうなってるのか調べるのも、この世界における話題の一つなのです。
あの世の話も、パラレル・ワールドも、この世界の話題の一つです。
主観と客観の話も、この世界でなされる話題の一つなのです。

この世界でなんの話をしても、この世界を直接間接話題にしてると言ってもいい。

なにかの話題を振るとき、その時点では詳細を知る必要はない。
詳細を知らないと話題が振れないとなると、誰もものが言えません。

詳細を知りたがるのは人の常ですよ。
でも順序としては話題のあとにくるということ。

だから、

> それは「同じ世界に住んでるってことがわかればいいんで、
> その同じ世界とは実際どんなところかを知覚する必要はありません」
> って言ってるように聞こえるんだが。

というのは誤解です。
この世界を話題にして、では実際にその世界はどうなっているのか知りましょう、という話になる。
144考える名無しさん:2009/12/11(金) 09:43:44 0
>>143
つまり「世界の中に自分がいて、自分の中に世界がある」
ってことだね?
145考える名無しさん:2009/12/11(金) 10:07:39 0
>>144
その「自分の中に世界がある」という論点ですが、俺は否定的に見ていますよ。
根拠を話すと、次のようになります。

「自分が死ぬと世界はなくなるんなら、自分の中に世界があるんじゃん」
これ自体は正しい推論です。
問題はこの仮定の部分が事実じゃないということ。
「自分が死ぬと世界はなくなる」という事実はありません。
日々確認される事実のほうは「テメェが死んでも消えるのはテメェだけ、世界はそのまま」なんですね。

「自分が死ぬと世界はなくなる」というのは、その意味でドグマ、世間で広く信じられてる命題ということになる。
だとすると、「自分の中に世界はある」はドグマに基づく帰結、ということになってしまいます。
推論としては正しくても、内容的にはナンセンス。

つまり、「お前が古代エジプトのファラオなら、俺様は現アメリカ大統領だ」というのと同じレベルのナンセンス。
推論としては正しくても内容的にはナンセンスなんですね。
(このあたりの議論は論理学の初歩です)

意識の謎とか言ってる人も、「意識のないところには、世界もない」と思ってる。
そう思ってるから「意識のないところに世界がないんだったら、意識の中に世界があるんじゃん」と言う。
これ自体も正しい推論ですが、仮定の部分「意識のないところに世界はない」という部分が事実じゃない。
「テメェが眠ってるあいだも世界はある」というのが日常的に確かめられる事実ですから。

以上の話から、「世界の中に自分がある」は自明だけれど、「自分の中に世界はある」はナンセンスだと見ます。
146考える名無しさん:2009/12/11(金) 10:24:04 0
>>145
私が「自分の中に世界がある」と思う根拠は
「自分が死ねば世界はなくなるから」じゃなく
「自分と他人との世界観が違うから」です。
というか、それを再三レスしてる。
147考える名無しさん:2009/12/11(金) 10:26:58 0
>>146
世界観の違いといっても、同じ世界に対する異なる見方と言えば済む話ですよ。
そこから「自分の中に世界がある」と根拠づけるのは飛躍だと思うな。
148考える名無しさん:2009/12/11(金) 10:28:27 0
訂正。
根拠づける、じゃなくて、結論づける。
149考える名無しさん:2009/12/11(金) 10:40:03 0
>>146
本当は、「自分の中に世界がある」と思ってるから、「自分と他人との世界観が違う」と言ってるはず。
その逆ではない。
150考える名無しさん:2009/12/11(金) 10:43:40 0
>>147
同じ世界に対する異なる見方
→同じ世界を見ても、認識して自分の内に取り込まれた世界は、他人のそれとは異なる
→自分が認識している世界は、自分の中の世界

「と言えば済む話」で済ませるのがあなたの感じ方
それが「自分の中に世界がある」ってことだと思うのが私の感じ方
私だって別に、自分の胃や腸の中に道路や家があるなんて思ってる訳じゃないからw
(ただし、血や涙のもとは海水だとか、そういう意味で世界が内包されているとは思うけど)
151考える名無しさん:2009/12/11(金) 11:09:33 0
>>150
認識することを、「自分の内に取り込む」と表現するところが、あなたのユニークなところですね。
そのように表現すれば、「世界を認識する→自分の中に世界を取り込む→自分の中に世界がある」となるのは自然です。

でもその表現って、食事からの類推じゃないですか。
よく認識のことを内面化だの血肉化だの言う人がいますが、俺には例え話にしか思えないわけですよ。

詩としてはありだし、それで楽しい話もできるだろうけど、正直議論には使えないと思うな。
152考える名無しさん:2009/12/11(金) 11:13:29 0
「自分の中に世界がある」だって?
世界の前に「脳内」って言葉を入れとけよ。
だったら、だれも反対しないw
153考える名無しさん:2009/12/11(金) 13:54:37 0
>>151
まあそれ言ったら、哲学なんてほとんどたとえ話じゃないの?
「郵便」とか「記号」とかさw

それはともかく、「自分の外の世界」=実体と「自分の中の世界」=認識した世界
は違う。
で人間はお互い、自分の外の世界を語っているつもりで
自分の中の世界を語っているっていう実感が抜きがたくある。
例えると、食事っつか「写真」や「TV映像」
あるいは前の人が言ってた「鏡」の方がしっくり来るなあ。
「写真」や「鏡」と違って、触感や嗅覚なんかもあるにはあるけど
それすら自分と他人じゃ感覚は違うんだから、結局は
「今見ている世界は、他人が見ている世界とは、ましてや実体とは違うんだろうな」と。

>>152
自明のことだから入れてないだけじゃね?
154考える名無しさん:2009/12/11(金) 14:38:03 0
> まあそれ言ったら、哲学なんてほとんどたとえ話じゃないの?
> 「郵便」とか「記号」とかさw

哲学一般の話じゃなくて、「自分の中に世界がある」というその一点について述べているんだけど。
デリダの話でもないよ。

> 「今見ている世界は、他人が見ている世界とは、ましてや実体とは違うんだろうな」

「(この世界について話題にしましょう。) Aさん、あなたに見えてる世界はどうですか。Bさん、あなたはどうですか。
はい、ありがとうございました。この世界というのは、人によって実に様々に見えてるんですねぇ。」
つねに「この世界」を話題にしてるんだけど、いつもそれが忘却の彼方に逝ってることが問題です。
いつもカッコに入れられてなおざりになってる。
当たり前のことほど省かれるのはよくある話。
その点はあなたも指摘してますね。

でも哲学ってその当たり前を、野暮くさくても、もう一度思い出すことが大事なわけでしょう。
哲学書の権威の幻影が解けて、当たり前のことを当たり前に見据える勇気が持てるようになればいいですね。
155考える名無しさん:2009/12/11(金) 14:58:29 0
>>154
忘却どころか、常に「同じ世界について話しているはずなのに」と思うからこそ
人によって見える世界の差異に驚き、とまどい、世の中のあらゆる齟齬や行き違いの仕組みをうっすら理解し
「自分の中の世界」と「他人の中の世界」をすりあわせ続ければ
「自分の外の世界」=世界の実体に近づくことができるんだろうか
(ちょうどパノラマ写真や3次元模型を組み立てるように)
と考えてみたりするわけよ。
思い出すも何も、それが前提。
「自分の中に世界がある」に「脳内」という前提がついてるのと同じ。
156考える名無しさん:2009/12/11(金) 15:12:01 0
> 忘却どころか、常に「同じ世界について話しているはずなのに」と思うからこそ
> 人によって見える世界の差異に驚き、とまどい、

この世界が人によって違って見えてるってことです。
その違いに驚くからといって「この世界」を話題にしてることは変わらない。

> 「自分の中の世界」と「他人の中の世界」をすりあわせ続ければ
> 「自分の外の世界」=世界の実体に近づくことができるんだろうか
> (ちょうどパノラマ写真や3次元模型を組み立てるように)
> と考えてみたりするわけよ。

この世界は人によって違って見える。それは当たり前。
違う世界観どうしをすり合わせ接点を探るのは、有意義なことですよ。
でも、いくら違う世界観どうしをすり合わせても、そもそも最初から話題にしてる「この世界」とイコールにはなりません。

こちらのグループで世界観のすり合わせをし、あちらのグループで世界観のすり合わせをする。
で、それぞれのグループでは自分たちがすり合わせた世界観こそが「この世界」だと主張する。
それがどういう結果を招くかはあなたにもわかるはず。

でも世界観のすり合わせ自体は悪いことじゃない。
157考える名無しさん:2009/12/11(金) 16:14:06 0
自分の中から世界をながめるしかない。
そして世界がどのようなものであるのか推測するしかない。

昨日見た夢のように世界が突然違うものとしてあらわれるかもしれない。
あると思ってみている世界も、実はないのかもしれない。

「脳でものを考えている」と世界では言っているがじつは違うのかも知れない。

他人なんていないのかもしれないし、見た通り、いるのかもしれない。
自分も他人と同じようなものなのかもしれないし、まったく違うのかも知れない。

ただ確実にいえることは「自分がいる」ということだけ

もし他人が自分と同じような存在なら、やはり世界をながめているはずだ。
そしてさまざまな推測をもとに世界がどのようなものかを考えているはずだ。

とうぜん他人の推測と自分の推測があわないこともある。
世界ではそれを「たんなる間違い」というかもしれない。

でも間違いだなんてどうして言えるだろう。
他人も同じように世界をのぞいているだけなのに。

じゃあ「世界観の違い」でいいのだろうか。
「他人」がほんとうに存在して、自分のようなものであったらきっといいのだろう。



158考える名無しさん:2009/12/11(金) 16:42:19 0
>>157
> ただ確実にいえることは「自分がいる」ということだけ

あなたがボットじゃないなら、息をしてるあいだはあなたはこの地球上にいます。
その通りです。
でも寝てるあいだは意識がありませんから、意識があるという意味では「自分がいる」とは言えない。

自分が寝ているあいだも、自分が生まれる前でも死んだ後でも、確実なのはこの世界があるということです。
そちらのほうが「自分がいる」よりも、客観的には確実です。

「自分しかいない」とはよく思うところだけど、それは全然確実なことじゃない。
確実じゃないからこそ、そうつねに自分に言い聞かせてるところがある。
それはたぶん、自分の身は自分でどうにかするしかない、という思いから来てるのではないか。
自分の代わりにオシッコに行ってくれる人もいないし、自分の代わりに死んでくれる人もいないから。
159157:2009/12/11(金) 16:45:51 0
>>158

寝ている間、自分はいないかもしれない。
いま自分が生まれたのかも知れない。

でも、世界があるということよりも、自分がいまいるということのほうが確実にいえること。
世界があるかどうかは、わからない。
160考える名無しさん:2009/12/11(金) 17:17:19 0
>>156
だからそれを>>144で言ったんだけど。
>世界の中に自分がいて、自分の中に世界がある
161考える名無しさん:2009/12/11(金) 17:19:13 O
客観てのも視点を変えてるだけで自分のものだしな
162考える名無しさん:2009/12/11(金) 17:22:27 0
感じていますか幸福を
覚えていますか栗の味
163考える名無しさん:2009/12/11(金) 17:53:29 0
導入前のOSがデータの集合でしかないように、外部世界は構造でしかないでしょう。
各個体に導入して、初めて機構の有意性を認識することができます。

構造としての世界と、意味としての世界のどちらを重視するかはそれぞれですが、
前者ありきの後者ということは留意しとくべきかもしれません
164157:2009/12/11(金) 18:14:58 0
それではまだ、世界そのものの存在を前提にしてしまっている。
この世界をみているという夢から覚めるかもしれないのに。
165考える名無しさん:2009/12/11(金) 18:59:46 0
>>159
> でも、世界があるということよりも、自分がいまいるということのほうが確実にいえること。
> 世界があるかどうかは、わからない。

それはありえないね。
自分がいまいることが確実にわかっているってことは、自分がいまどこの誰か自覚してるってこと。
いまどこで何をしてるか自覚してるってこと。
例えばPCの前で書き込んでる自分を自覚してるってこと。
世界の中の自分を自覚してるってことは、そういう世界の自覚を含んでるね。

世界の自覚といっても、世界全体で起こってることをすみずみまで神の視点で見通してるって意味じゃないよ。
何度も言うけどね。
166157:2009/12/11(金) 19:02:51 0
自分はいま思っている自分ではないかもしれない。
じつはハエなのかもしれない。

でもなんだかわからない自分がいることは確実にいえる。
どこの誰かは関係ない。
167考える名無しさん:2009/12/11(金) 19:05:01 0
>>166
酔ってるの?
168考える名無しさん:2009/12/11(金) 19:10:25 0
酔っ払い相手に確実に言えることはただ一つ、シラフになれ、です。
169考える名無しさん:2009/12/11(金) 19:26:00 0
自分の中の世界は甘えか、酔っ払いの寝言で決まりだな
170157:2009/12/12(土) 00:48:06 0
人生は胡蝶の夢。

5分前に世界が想像されていたとしてもおかしくはない。

夢のなかではまったくちがう記憶を持っていることがよくある。
その夢のなかではどんなおかしなことも当然だと思っている。
過去の記憶ほどあてにならないものはない。

と考えていたら目が覚めて、火星人としての日常がまたはじまるのかもしれない。
昨日の夜地球人だった夢をみたよなどと友人に話すのかもしれない。

171考える名無しさん:2009/12/12(土) 00:53:40 0
>>170
もういいよ、あんたは
172157:2009/12/12(土) 01:37:59 0

夢の中にあって、夢を自覚できるものだけに知恵の女神は微笑むだろう。
173考える名無しさん:2009/12/12(土) 07:02:55 0
自分の中の世界とは自己意識?
知識と経験により形成され拡大していく意識、世界・・・
自分の中の世界は自分自身なのか
174考える名無しさん:2009/12/12(土) 09:54:17 0
自分の中の世界を奪われると、自分自身がなくなって困るというやつは、厨二病
それが厨二病の定義
175考える名無しさん:2009/12/12(土) 11:31:43 0
というか、自分の中の世界なんて作らず
客観的に世界をみたいと思っても
主観的になってしまうと。
176考える名無しさん:2009/12/12(土) 11:39:18 0
この世界を話題にすることと、この世界の客観的な像を捉えることとは、別の話だと、何度言えば……。
この渋滞を話題にすることと、この渋滞を客観的・数量的に把握することとは、別の話。
177考える名無しさん:2009/12/12(土) 18:53:04 0
俺はこう思う。
じゃんけんをするとき、A君の出す手は全く予想できない。
だから、A君は俺の意識の外にいる。
178考える名無しさん:2009/12/12(土) 19:09:05 0
>>177
良い意見。
自分の意識の中にすべてがあると思ってる人は、目をつむって往来を歩いてみればいいんだよ。
全盲の人くらい外界の中の自分を肌で意識している人はいないと思うな。
179考える名無しさん:2009/12/12(土) 20:39:06 0
>>177
それ、未来だからだよ
180考える名無しさん:2009/12/12(土) 20:45:35 0
A君の出す手をあらかじめカードにでも書いておいて、あとからめくるようにすれば、A君の手は過去にすでに決まってるね
181考える名無しさん:2009/12/12(土) 21:05:29 0
未来でも自分の出す手はわかるよな
182考える名無しさん:2009/12/12(土) 22:13:34 0
わからんよ。
今、これを出すと決めたという現在の思考がわかるだけで
1秒後には気が変わるかもしれない。
183考える名無しさん:2009/12/12(土) 23:38:13 0
私の意識とは独立に意識をもった他者がいる
事を証明するためにはどうしたらよいものか。
184考える名無しさん:2009/12/12(土) 23:46:04 O
>>182
気が変わったのを自覚できてりゃ、意識の中と言うには十分だと思うぜ。
185考える名無しさん:2009/12/13(日) 09:38:16 0
>>183
見当識があることは、本人にもまわりにもわかる
意識がある=見当識がある
これで十分
あとは寝言
186考える名無しさん:2009/12/13(日) 20:40:56 0
>>185
よくわかんな〜い
187考える名無しさん:2009/12/13(日) 20:55:42 0
おいらにもよくわかんな〜い

じゃなくて、見当識くらいググれ
188考える名無しさん:2009/12/13(日) 22:27:52 0
自分がどこの誰べえか、どういう状況に置かれてるか、今なにをしているか
そういう自覚=意識のほかに、あいまいな感覚がある
いつもそういうものがある

例えば、PCのファンがいまブーンという低い音を発しているとか、なんとなく気分が優れないとか、誰かさんの残り香が鼻先にするとか
そういうあいまいな感覚は、とりあえずは行動につながらない情報として、混じり合いながらふわふわもやもや漂ってる
でもいつそれが行動につながる情報に変わるかわからないだろ?

PCが明らかに快音を発するようになれば、おや?と思ってPCを調べる
気分の悪さが尋常でなくなれば、薬を飲むなり医者に行くなりする
誰かさんの残り香が気になってしょうがなくなれば、なにかしら行動に移すだろう

行動に直結しないあいまいな感覚にいつも取り巻かれてる
でもそれらは行動に移されることを待ってる情報なんだから、”中の世界”とは言えないだろう
だって、行動に移すには自分がどういう状況に置かれてるか自覚していないと無理だからね
(夢遊病とか、痴呆症の徘徊とかは、除く)

189考える名無しさん:2009/12/13(日) 23:08:56 0
訂正
快音×
怪音○
190考える名無しさん:2009/12/14(月) 10:07:19 0
>>1
両方正解。
○世界の中に自分がいる
世界の中に自分を自分とするための存在がある。
○自分の中に世界がある
自分の中に世界を認知した観念、知識、記憶、情報のコピーがある。
191考える名無しさん:2009/12/14(月) 10:13:03 0
ふ〜ん
192考える名無しさん:2009/12/14(月) 10:21:38 0
こわーい組員さんのところに行って「お前は俺の世界の中の登場人物にすぎない」て言ってこいよ
193考える名無しさん:2009/12/14(月) 10:24:17 0
「自分の中に世界がある」は誤解を招く表現
194考える名無しさん:2009/12/14(月) 10:40:22 0
このスレがもし文学板とか詩・ポエム板とかオカルト板にあるんだったら、俺だって「自分の中に世界があるわ、うふふふ」と言ってたぶん喜んでいますw
哲学板にあるから、誤解を招く表現には批判的になって当たり前
195ンドゥール:2009/12/14(月) 11:05:15 O
アイムオンザトップオブザワールドルッキン
うふふ

196考える名無しさん:2009/12/14(月) 11:08:59 O
この宇宙と、物理学者が想像する物理学者の脳内の宇宙と、どっちが広いんだろう?
197考える名無しさん:2009/12/14(月) 11:20:44 0
自分は 世界の 一部 ですー
世界は 一部の 自分 ですー
一部は 自分の 世界 ですー

だーかーらー 東京メガーネー
198考える名無しさん:2009/12/14(月) 11:43:08 0
「世界」とは何か?
「自分」とは何か?

概念で細切れにしていくほど、わからなくなるものだよ。
199考える名無しさん:2009/12/14(月) 11:53:55 0
スレチですみません
民主党の小沢さんが年明けにやろうとしていること知っていますか?
外国人参政権、これ、みなさんはご存知ですか?
これが可決すると、日本人が、日本に居ながらマイノリティになってしまいます。
これがどんな深刻な問題となるか・・・悲惨です。
どうしてマスゴミはもっと報道しないのでしょう!?
民主党、小沢さんがやろうとしていること、私はものすごく怖いです。
「外国人参政権」でググってみて下さい。
それから「ドイツの学校教育とイジメ・移民政策の破綻」でYoutubeを見て下さい。
これが日本の将来になります。ドイツ人の子供がトルコの移民にドイツの学校にいながらいじめられるんですよ!
日本はヨーロッパの国々とは違います!植民地の負い目もないのに何故!?
手放しで、外国人参政権を認めているバカな国なんて世界中見渡してもどこにもありません!
全くおかしいですよ! 断固反対しましょう!日本人の誇りはどこに行った!!!
ttp://jfk.2ch.net/classical/index.html#1
200考える名無しさん:2009/12/14(月) 11:58:12 0
>>199

完全スレチ。こちらでどうぞ
外国人参政権問題@哲学板
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1257995616/l50
201考える名無しさん:2009/12/14(月) 12:11:48 0
>>197

> 自分は 世界の 一部 ですー


> 世界は 一部の 自分 ですー
→「世界は一部自分です」が適切な表現


会社や家で肩身が狭い人でも、自室があれば、「少なくともこの部屋は俺の世界だ!」と言っていいし、というか言うだろう。
しかし、それは「この部屋は俺の中の世界だ!」という意味じゃないもんね。
202考える名無しさん:2009/12/14(月) 13:53:09 0
ちょww俺ん中の世界かよっww
(やっと居場所が得られたと思ったのにっ)

そういうオチじゃ困るだろ。
ちっぽけな俺の世界を確保するためにも、俺の中の世界じゃだめなわけ。
203考える名無しさん:2009/12/14(月) 14:02:33 0
部分に全体が宿るって考え方もあるでよ。
204考える名無しさん:2009/12/14(月) 14:51:06 0
細部にいたるまで同じ幾何学的パターンが繰り返し現われるという、フラクタル幾何学が80年代にさかんに紹介されたけど、部分に全体が文字通り含まれてるわけじゃない。
一粒の露にも宇宙全体が宿るといった意味の、インドの詩人タゴールの詩があるけど、普通に考えるとそれはレトリック。そういう考え方が事実ですというより、そのように信じられたら幸せ、ということ。本当に幸せかどうかはわからない。

宗教的世界観の一つとして、部分に全体が宿るという思想を語るのは良いが、哲学板で議論する場合はどうなの?てなる。
205考える名無しさん:2009/12/14(月) 15:07:16 0
80年代も、だれーも文字通り含まれてるなんて思ってなかったと思うけどなあ。
まさにレトリック、比喩として言ってたんであって
宗教的世界観とか幸せかどうかなんて話じゃなく
ひとつの現象とか、その存在の仕方とかを突き詰めて考えていくと
どっかで反転して全体のことを語っているのと同じになっちゃうとか
レベルが錯綜して、もっと上位のことに通じちゃうとか
そういうことじゃないか?
実際、考えてるとよくそういうことにぶちあたることだろ。色んなことで。
206考える名無しさん:2009/12/14(月) 15:14:27 0
> ひとつの現象とか、その存在の仕方とかを突き詰めて考えていくと

突き詰めたことあるの?
207考える名無しさん:2009/12/14(月) 15:18:48 0
突き詰めるってのは、ロジックを突き詰めるということであって、「どっかで反転して全体のことを語っているのと同じになっちゃう」とか、「レベルが錯綜して、もっと上位のことに通じちゃう」とか、そういうレトリックを凝らすことじゃないだろ。
208考える名無しさん:2009/12/14(月) 15:42:38 0
いや例えば、オバマが言ったように、平和を守るために戦争するだの
思想の自由を認めろってとこから始まった自由の追求が
今度は自由を守るためって名目で、その自由が認められないだの
何でも自分で決めていいとなると、今度はその「自分」っていう根拠もなくなったりだの

そういうことをさして言ったんだけど。
もっと日常にも色々転がってるね。個人同士の喧嘩とか。
209考える名無しさん:2009/12/14(月) 15:51:29 0
おいらの頭がおおざっぱに出来ていて、ニュアンス的な話が理解できていないのかもしれないが、正直そのレス、文意がいまいち伝わない。

つまり、世の中には皮肉な結果が多いですねってこと?
210考える名無しさん:2009/12/14(月) 16:02:12 0
まあそうだね。

で、皮肉な結果になるのは、運がなかったとか努力が足りなかったみたいな理由より
もっと根本的に、どうも物事どっかでそういうふうに反転するように
できているんじゃないか、てこと。
突き詰める=行き過ぎるってことだね。

てかこういうのも含めて、哲学ってやっぱほとんど比喩だと思うよ。
誰かが「東京の中心は空である」ってったって、誰も文字通り「何もない」と言っても受け止めもしない。
「自分の中に世界がある」も同じだろう。
211考える名無しさん:2009/12/14(月) 16:14:47 0
ボトルキャップをぎゅっと締めすぎると元に戻ったりするね。
やり過ぎると、反転すると。
おいらも正直そういう摂理みたいなものを夢想した時期もある。
しかし、過ぎたるは及ばざるが如し、というやつだよ、たぶんw

哲学はほとんど比喩っていう考えには同意できないんだ。
20世紀における論理学や分析哲学の流れを完全に無視する考えだと思うよ。
212考える名無しさん:2009/12/14(月) 16:24:12 0
ほとんど比喩しか使わない大陸哲学に対する反省から、英米系の分析哲学が生まれたようなもんだから。
213考える名無しさん:2009/12/14(月) 19:37:29 0
自分の中の世界は、自分の経験と記憶で出来てて
外界の一部のそのまた一部分(一面)の劣化した情報でしかない
自分の中の世界は自身の受けた情報の蓄積に過ぎないのかも
214考える名無しさん:2009/12/14(月) 20:12:36 0
>>213
「自分の経験と記憶」はある。
外界の劣化コピーなんだろうね。
問題は、なんでそういうものから「自分の中の世界」をこねあげようとするか?というその動機の部分。

どうしたいの?
殻に閉じこもりたいの?
A.T.フィールドなの?
215考える名無しさん:2009/12/14(月) 20:20:05 0
>>192
意外と親切な組員さんで「お前の言ってることは完全に間違っている。「お前」こそ「俺」の
世界の中の登場人物にすぎないのだ」って言い返されかもよ。
216考える名無しさん:2009/12/14(月) 20:24:30 0
小説の話にしたいなら、創作文芸板に逝け
そこで思う存分、「かもしれない」を満喫しろ
217考える名無しさん:2009/12/14(月) 20:27:45 0
「かもよ」をそのまま実現しちゃうのが小説の真骨頂だから
218考える名無しさん:2009/12/14(月) 21:27:03 0
>>214
>>213で言ってる自分の中の世界は、経験から得た情報の蓄積だってことで
そういう内向的なものではないよ
俺は自分の中の世界ってのは便宜的に使ってるだけで、(実際、その意味を掴みかねてるんだけど^^;)
それ自体は経験と記憶でしかないと思ってる
自分が経験した事の集大成、自分の全て=自分の世界ってことかな
自分の世界を見たところで自分しか見えないし、
それは外界の一部を偏向して見てきた物でしかないわけだ
つまりはただの自己主張ってこと
219考える名無しさん:2009/12/14(月) 21:52:53 0
>>218
「自分の中の世界」を便宜的に使ってるっていうんだけど、便宜的というからにはそれを使うとなにかしら都合が良いわけだ。
なにに都合が良いの?

俺の経験が俺の世界だ!
そういう言い方はありです。

でも俺の経験が俺の中の世界だったらどうする?
現実に経験したかどうかも定かじゃなくなる。
都合が悪いだろ。
220考える名無しさん:2009/12/14(月) 22:12:05 0
「自分の中の世界」を使うことで話に入っていけるってこと
つまり話のつかみ

>でも俺の経験が俺の中の世界だったらどうする?
>現実に経験したかどうかも定かじゃなくなる。
>都合が悪いだろ。
いまいち分からんが、
経験してないものは自分の中の世界には存在しえないってことで
221考える名無しさん:2009/12/14(月) 22:14:25 0
ああ、自分の世界=自分の中の世界ね
中のがめんどくさかったから省いてたんだ
222考える名無しさん:2009/12/14(月) 22:35:58 0
「自分の中の世界」を使うと入っていける話って具体的になんだよ。

というか、もういいよ。
223考える名無しさん:2009/12/14(月) 22:56:59 0
自分に中とか外とかあるのかよ?
224考える名無しさん:2009/12/14(月) 23:06:31 0
>>222
このスレでの話に決まってるだろー
どんどん脱線する・・・

>>223
俺に言うない
225考える名無しさん:2009/12/15(火) 10:41:50 0
世界の中に自分はある。これは文字通りの意味だと言われる。
自分の中に世界はある。これを文字通りにとる人はいないと言われる。つまりは比喩だと、例え話なんだと。

「自分の中の世界」はある人には認識、ある人には経験、ある人には「部分に全体が宿る」という思想の例え話なんだって言われる。

でもさ、例え話なんだったら、たとえることで話が簡単になるはずだろ。
認識を「自分の中の世界」にたとえたら、話が簡単になるの?
経験を「自分の中の世界」にたとえたら、話が簡単になるの?
部分に宿る全体を「自分の中の世界」にたとえたら、話が簡単になるの?
ちっとも簡単にならないよね。

認識や経験について考えてる人に、その例え話をしたら、「なるほど!わかりやすいね」と言うかな?
言わないよね。

部分に全体が宿る、という思想があります。それはどういう話ですか。ええっと、そうですね、フラクタル幾何学の話でたとえましょうか。
そういう流れになるのが普通です。

ようするに、「自分の中の世界」はなんの比喩にもなっていないし、言い換えにすらならない。
おまじないの言葉みたいなもの。

「自分の中の世界」を持ち出すと話が簡単になるってのは、単に同じ誤解が共有されてるってことだよ。
226157:2009/12/15(火) 11:08:30 0
比喩だとするには世界の存在が前提にされているわけだから
ただの結論ありきの議論でしかない。
が、認識論はそうではない。
227考える名無しさん:2009/12/15(火) 11:14:29 0
「かもしれない」ね。
228考える名無しさん:2009/12/15(火) 11:28:45 0
世界の中に自分がいる、という意味なら、自分がいるのは確実。
見当識がしっかりしている限りそうです。
でもあいまいな感覚までひっくるめて”自分”と呼んでると、自分がすこぶる不確かになるだろう。
229考える名無しさん:2009/12/15(火) 13:33:08 0
世界を例えば「恋人」と置き換えたらわかりやすくなるんじゃないか?
恋人は確かに自分の目の前にいる、自分はその目の前の恋人を好きだと思っている
でもそれは本当に「目の前の恋人」を好きなのか?
自分の中で美化した恋人を好きなんじゃないか?
また、「恋人のため」と思ってしているその行為は、本当に目の前の恋人のためか?
自分のためにしているだけじゃないか?

世界と自分の関係も似ているんじゃないか?
自分で認識している世界は、本当に自分の外に広がる世界と同じか?
てことで、「世界の中に自分がいて、自分の中に世界がある」は
自分的にとてもしっくり来る言葉なんだがなあ。
世界がなぜ争いだらけなのかわかる気がするからw
230考える名無しさん:2009/12/15(火) 14:34:02 0
自分の中に世界があるという誤解、互いの我がままから争いが生まれるんだろ。
「自分の中に世界があるよねぇ、うふふふ」と互いに争いもなく言い合ってるということが、そもそもいかにズレた感覚が気づけ。
231考える名無しさん:2009/12/15(火) 14:34:49 0
訂正
感覚が×
感覚か○
232考える名無しさん:2009/12/15(火) 14:50:35 0
>自分の中に世界があるという誤解、互いの我がままから争いが生まれるんだろ

自分の中に世界があるというのが誤解?
認識が違うのは当然だろ?
むしろ、誰も世界を世界のまま認識できない、自分の認識した世界はあくまで自分にとっての世界でしかないのに
それを他人と共有できる、他者にとっての世界も、自分の認識している世界と同じ
と思う方が誤解だろ?
233考える名無しさん:2009/12/15(火) 14:55:07 0
というか、なんでそこまで「自分の中の世界」って言葉が嫌い?
「自分の認識内容」ならOKで「自分の中の世界」なら×なの?
234考える名無しさん:2009/12/15(火) 15:01:34 0
付け加え。
「他人が認識した内容とは違う、自分が好むと好まざるとに関わらずそのように認識した世界」ならOKで
「自分の中の世界」なら×なの?
私にとっては両者同じことだけど、これも自分や他人の中の言語世界が、各々異なるためであり
そういう言い方は、私には違和感ないんだがな。
235考える名無しさん:2009/12/15(火) 15:04:09 0
>>233
その通り。
236考える名無しさん:2009/12/15(火) 15:18:28 0
> 自分の認識した世界はあくまで自分にとっての世界でしかないのに
> それを他人と共有できる、他者にとっての世界も、自分の認識している世界と同じ
> と思う方が誤解だろ?

自分の認識をPCに打ち込めば、このスレに文字列として並び、”他人と共有される”。
237考える名無しさん:2009/12/15(火) 15:50:01 0
>>234
> 私にとっては両者同じことだけど

オバマの演説をシリアスに語り合ってるフォーマルな場で、平和論に話が及んだとする。
「違う違う、俺の認識はそうじゃない」と言うところを
「違う違う、俺の中の世界はそうじゃない」と言ってみ。
238考える名無しさん:2009/12/15(火) 16:36:09 0
239考える名無しさん:2009/12/15(火) 16:46:42 O
村上ファンドのスロット機種があったら凄い納得できるんだけどな
240考える名無しさん:2009/12/15(火) 17:24:17 0
アフリカのルワンダで「侵入」事件が起こったそうだ。
アフリカでは「侵入」事件は多発している。
241考える名無しさん:2009/12/15(火) 17:33:04 0
認識限定にすると無意識部分が
242考える名無しさん:2009/12/15(火) 19:58:47 0
>>225
ただ単純に、俺は「自分の中の世界」をこう解釈してる、って話
このスレの内容にそって「自分の中の世界」って単語を使って、
「自分の中の世界」の解釈を共有しようとしたわけ

こんなものを世界なんて言ってるから齟齬をきたすんだろうね
情報の蓄積による意識の拡大を自分を中心とした広がりに見立てて、世界って言ってるのかな?
物事を経験して、視野(世界)が広がった、とか言うのと同じ感覚で

>>241
無意識は経験として蓄積されないから
自分の中の世界には影響しないんじゃない?
人に教えて貰って認識することで、影響するものかと
243考える名無しさん:2009/12/15(火) 21:13:02 0
>>242
「自分の中の世界」
このスレはまずこの表現をもらうことから始まったよね。
で、みんな自分なりに内容を盛ろうとした(解釈しようとした)。

でも現実にそれを使うことを考えたら、とてもじゃないけど内容を盛る気にならないってことなの。
>>237でその一端を示したつもり。

この表現は内容を盛るには底に穴のあいた器みたいなもん。
244考える名無しさん:2009/12/15(火) 21:38:56 0
自分の中の世界≠自分の認識した世界
245考える名無しさん:2009/12/15(火) 22:01:03 0
>>243
>>237で言ってる認識って、自分の見解、考えって意味で使ってるんであって、
世界を知覚する意味での認識とは違う

自分の中に世界があるっていうのは
「自分の中の世界」が偏向した視点での世界の一部でしかないことを忘れて
自分の見てきたものが全てであり、世界そのものであると錯覚することで生まれる誤解なのかもしらんね

部分が全体を宿すとか言うのもフラクタルな図形に惑わされて、
全体が部分から成るってことを曲解して言ってるだけなんじゃないかい?
フラクタルだからこそ言えるものを他に持ってきても通用するわけが無い
246考える名無しさん:2009/12/15(火) 22:03:44 0
余計なものまで書き込んでしまった・・・
247考える名無しさん:2009/12/15(火) 23:16:11 0
>>245
> >>237で言ってる認識って、自分の見解、考えって意味で使ってるんであって、
> 世界を知覚する意味での認識とは違う

認識という言葉を世間で一般にどう使っているか。
認識が高まる、認識が甘い、認識を深める、認識に欠ける、深く認識する、認識不足、……

これらの用法で認識を”知覚”で置き換えてみ。

いわゆる哲学の認識論でいう認識がいかにズレてるかわかる。
これも”認識”という表現にむだな内容を盛ったことの例だと思う。
248考える名無しさん:2009/12/15(火) 23:55:29 0
にんしき【認識】
1 ある物事を知り、その本質・意義などを理解すること。また、そういう心の働き。
 「―が甘い」「―を新たにする」「―を深める」「対象を―する」
2 《 cognition 》哲学で、意欲・情緒とともに意識の基本的なはたらきの一で、
  事物・事柄の何であるかを知ること。また、知られた内容。

大したズレなんてないと思うがね
249考える名無しさん:2009/12/16(水) 00:10:52 0
これも個々人の認識の違いってやつかな
250考える名無しさん:2009/12/16(水) 01:06:18 0
心の働き
意識の基本的なはたらきの一

辞書的にはそうなんだろうね。
しかし、俺にはそのような心とか意識の「働き」が見いだせないよ。
自分や他人の心や意識を何で観察して分ったんだよ⁉
心や意識を観察するのも、心や意識の働きとかいったら、循環しとるだろ。
なめんなよw

251考える名無しさん:2009/12/16(水) 01:27:52 0
正しいかとか、シビアかどうかは別して、モノゴトが分るよ。
自分の気持ちや気分が分り、何を考えているかが分るけど
それが心や意識の働きの結果であるとは、どういうことなのか。

気持ちがあり、分るということを
心をもっているとか、意識はあると言っているだけではないか。


252考える名無しさん:2009/12/16(水) 07:19:32 0
意識の働きが見いだせないとかアフォかと
お前がどうやって>>248の文章を読んだのか、よく考えろ
253考える名無しさん:2009/12/16(水) 10:01:19 0
>>248
> 2 《 cognition 》哲学で、意欲・情緒とともに意識の基本的なはたらきの一で、
>   事物・事柄の何であるかを知ること。また、知られた内容。

この記事を書いた人は、いわゆる知情意の知を”認識”としてる。
そこは読んでわかる。

問題はそこで知が”意識の働き”とされてることだよ。
知覚は意識の働きというより、単純に目や耳の働き。
視覚、聴覚、……そういうものがきちんと動作してるかどうか、どういう仕組みで動作するのか、そういう話です。

だから常識的に考えると、そこでいう認識=知に知覚は含まれない。
目や耳の働きを指して”認識”と言うのは、ズレてるよ。

耳鼻科に行って、「先生、ちょっと耳の調子がおかしいんです」と言うところを
「先生、ちょっと俺の耳の認識がおかしいんです」と言ってみ。

認識に知覚を含めるのがおかしいと気づくはず。
「世界を知覚する意味での認識」という言い方に、使い続けるだけの値打ちがあるのかどうか。
254考える名無しさん:2009/12/16(水) 10:15:06 0
>>253
>「先生、ちょっと俺の耳の認識がおかしいんです」
それがおかしいのは翻訳口調っていうか、言葉の選び方が変だからだよ。
それを言ったら
「先生、ちょっと俺の耳の知覚がおかしいんです」も十分変。

「先生、ちょっと耳の調子がおかしいんです」
「どのようにおかしいんですか?」
「耳が音を認識しないっていうか」
なら、別に変じゃない。つまり認識に知覚も含まれいてる。
255考える名無しさん:2009/12/16(水) 10:35:03 0
> 「先生、ちょっと俺の耳の知覚がおかしいんです」も十分変。
医学を勉強してきた人で「耳の知覚」と聞いておかしいと思う人はたぶんいない。

「耳が音を認識しないっていうか」
このセリフを聞いて医者が思うのは、「ああこの人は知覚の意味で認識って言ってるんだな」ということです。
お客だから当然、好意的に解釈してくれるだろう。
256考える名無しさん:2009/12/16(水) 10:40:19 0
お医者さんはどうあれ
一般的に「音を認識しない」が通じるなら
一般的に認識に知覚を含むと解釈されているということにならないか?
257考える名無しさん:2009/12/16(水) 10:44:15 0
そこは青信号を緑の信号と言う人もいる、という知識のたぐいだよ。
258考える名無しさん:2009/12/16(水) 12:56:30 0
世界「の」認識=世界「を」認識
耳「の」認識≠耳「を」認識
耳「の」認識=耳「による」認識

知覚でも音でも何でも良い。
混乱をもたらしているのは「の」
259考える名無しさん:2009/12/16(水) 15:16:53 0
の???
260考える名無しさん:2009/12/16(水) 16:06:06 0
261考える名無しさん:2009/12/16(水) 16:11:56 0
の?
262考える名無しさん:2009/12/16(水) 16:43:03 0
カンタービレ
263考える名無しさん:2009/12/16(水) 19:34:38 0
>>253
感覚器はそれだけで機能するものではなくて、
その情報を受け取る意識があるから、その感覚を感じることが出来るんだと思う
感覚器は刺激を受けて信号を送ってるだけ、その信号を映像や音として感じるものが意識
そして感じた映像から文字を認識して文章を読むわけだ
意識が無ければ何も感じられないということかな
264考える名無しさん:2009/12/16(水) 20:34:28 0
>>1

は?www
ばかか。何が問題なんだ?
>世界の中に自分がいるか、自分の中に世界があるか
そもそもこの二つの概念は矛盾しねえぞ。
実際数学にもあるぞ、そういう構造。フラクタルって言うんだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB
つまり、世界は大規模な構造的フラクタルなのだ。
265考える名無しさん:2009/12/16(水) 20:38:38 0
>>263
とりあえず知覚の働き(目や耳の働き)は意識とは別に確かめられるだろ。
寝言を言ってる人に質問すると、とんちんかんな返答が返ってくる。
本人に意識はないけど、耳は聞こえてるわけだ。
266考える名無しさん:2009/12/16(水) 20:46:22 0
>お前がどうやって>>248の文章を読んだのか、よく考えろ

どんだけお前アホなの?
意識の働き・作用があるのなら、
文章を読む際の自らの「意識の働き」を説明してみなよ
お前のようないいかげんなレスは迷惑w


267考える名無しさん:2009/12/16(水) 21:00:13 0
何かについての意識をもつのは認識主体である。
意識は自分や周囲の状態が分るという結果であり、
何かに対しての気持ちや心的態度をも意識という場合がある。
しかし、意識は何ら働く(何かしらの仕事をする)事は無い。
268考える名無しさん:2009/12/16(水) 21:08:13 0

意識が感覚器官を動かすのだ と言いたいのなら
意識なるものが肉体組織にどのように作用するのか
まず説明する事だ
269考える名無しさん:2009/12/16(水) 21:28:22 0
>>266
お前は意識無しに文字が読めんの?
点の集まりを見て、文字として認識するのは意識だろ

>>268
>意識が感覚器官を動かすのだ
そんなことは言ってない
感覚器官が送ってくる情報を意識が認識するって言ってるだけ
270考える名無しさん:2009/12/16(水) 21:29:55 0
無意識でやってる事って多いよ、実際。
しかも無意識の行動(外的刺激に対する反応)は
自分の思考にも他人にも影響を及ぼしている。
そういうのを認識している、とは言いにくい。
271考える名無しさん:2009/12/16(水) 21:40:19 0
>意識無しに文字が読めんの?
馬鹿w
自分や周囲の事が分る状態を意識があるという
そう説明したぞ によく読め

>文字として認識するのは意識だろ

何だ それ
意識が認識という仕事をしているというのか
もっとよく説明してみろよw

>情報を意識が認識するって言ってるだけ
意識が認識するw
272考える名無しさん:2009/12/16(水) 21:44:07 0
意識の意味のとり方がものすごく食い違ってる気がする
273考える名無しさん:2009/12/16(水) 21:47:05 0
>>269

認識しているのはお前であり、俺だ
意識が認識主体とはどんだけアホなのか

自分や周囲の事が分る状態で(意識があって)文字を読むんだよ
意識が文字を読んだり、何かを認識する訳ではない。
小学生にわらわれるぞw


274考える名無しさん:2009/12/16(水) 22:00:48 0
>>272
無意識も意識の内の場合と意識不明とがあるしな。
意識レベルってのが曖昧で困ったもんだ
275考える名無しさん:2009/12/16(水) 22:03:58 0
>>273
意識が無くても認識している例が>>265じゃないの?
ただ聞こえている=知覚しているだけじゃなくて
聞こえてきたものを寝ぼけた脳で判断して=認識して、答えという処理を行っているわけだから。
276考える名無しさん:2009/12/16(水) 22:12:44 0
>意識が無くても認識している例が>>265じゃないの?

えっw あれが何で認識している例になるの?
寝言言っていることすら、本人は認識していないんでないの?

277考える名無しさん:2009/12/16(水) 22:15:00 0
意識って主観的な意味で使わないの?
278考える名無しさん:2009/12/16(水) 22:16:09 0
>脳で判断して=認識して

意識が認識しているのだ という
>>269の人を説得してくれw
279考える名無しさん:2009/12/16(水) 22:16:21 0
認識って、知覚した=与えられた情報をどう処理するかでしょ?
280考える名無しさん:2009/12/16(水) 22:31:24 0
>>277
脳の使い方が偏ってる状態でしかない。
認識はもっと偏っている
281考える名無しさん:2009/12/16(水) 22:34:33 0
>>276
認識していると言えるよ。
282考える名無しさん:2009/12/16(水) 22:40:13 0
現象的意識て言えば伝わるのかしら
283考える名無しさん:2009/12/16(水) 22:42:05 0
意識と認識と知覚の三つは常識的に区別して使おうよ。

意識〜見当識が要
認識〜判断、理解
知覚〜単純に目や耳などの働き

見当識すら危ない人を、判断力や理解力があるとは普通言わない。
いわんや、寝てる人をや。

「意識が認識する」というおかしな言い方が出てくるのは、意識に認識を含めてるからじゃないか。
認識と知覚を区別するように、意識と認識も区別すべし。
284考える名無しさん:2009/12/16(水) 22:53:39 0
>>283
何かに集中、没頭している状態って見当識があると言える?
285考える名無しさん:2009/12/16(水) 22:57:40 0
>>284
何かに没頭してるって自分でわかってるわけだから、そりゃ見当識があるだろ。
見当識が危ないってのは、交通事故なんかで重い意識障害になるとか、そういう話だよ。
286考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:01:39 0
一応学問を踏まえた?定義

国語辞典[意識]
@はっきり自覚すること
Aひろく知・情・意を含めた精神の働き
B(仏)分別・思案の心

[認識]
@認め知ること
A(心)物事を感知し、これを分別、判断する心の働き。
B(哲)理性によって真理を究めること

[知覚]

@しること
A(心)感覚器官を通して感覚的対象をつかむ心の働き、
 あるいはそこでつかまれた心的内容

誰か広辞苑引いてくれ
287考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:01:59 0
>認識していると言えるよ。

ただ反応して口走っただけじゃないの?
寝言を言っていることすら分っていないのに
どうして「自分の認識」なのだろうか?
起きた彼に訊いたら
「俺、そんなこと言ったか?憶えがないなぁ」と言われるよ。
そして寝言でいったような理解・解釈はしていないと言われたらどうなのよ?


288考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:04:30 0
>>287
その時点では認識している
289考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:09:31 0
だいたい辞書のその項目を担当した人間が、このスレ住人ほどに分析してるかどうかも怪しいw
290考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:11:36 0
>その時点では認識している

キミがそう認識(理解・解釈)しているだけだろ。
291考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:11:41 0
識・・・意識・・・  意識 → 入力・記憶された情報の分析、価値付け・意味付け .=判断、分別 ≒認識
行・・・意識・・・ ≒認識 → 吟味後の区別・峻別                    =判断、分別 ≒認識
想・・・意識・・・ ≒認識 → 反射的区別・峻別、機械的自動的区別         .=知覚
受・・・感覚・・・  知覚 → 感受、(受容、)                       =知覚


各概念或いはカテゴリーの境界は曖昧で恣意的だw
292考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:16:57 0
仏教の解釈学はスレチだろw
293考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:18:57 0
>>290
そちらこそ。
294考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:23:41 0
>>293
いえいえ そちらこそw
寝ぼけていることも知らないうえでの認識ってなんぞねw
295考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:28:56 0
反射みたいなものか?
296考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:41:42 0
自意識過剰な人は顔が赤くなったり気分が悪くなったりする

意識によって認識は歪められる
認識の仕方は意識が決定できる

だから意識が認識していると言えるのでは
297考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:42:08 0
広辞苑

[意識]
1.(仏)認識し思考する心の働き。
 感覚的知覚に対して、純粋に内面的な精神活動。第六識。
2.今していることが自分で分かっている状態。
 われわれの知識・感情・意志のあらゆる働きを含み、
 それらの根底にあるもの。
 唯物論哲学では、意識の生理的基礎は脳髄の活動で、
 個人の意識は環境の主観的反映として
 時間的・空間的に限定されている、と考える。
 また、観念論哲学では、経験的意識の根底に
 その本質ないしは可能の条件として
 経験に制約されぬ純粋意識・先天的意識・意識一般などの先天的存在を論定し、
 それが認識・道徳・芸術などの妥当性の根拠をなすと考えている。
3.特に、社会意識または自己意識(自覚)。
4.対象をそれとして気にかけること。感知すること。

[認識]
1.(哲)知識とほぼ同じ意味。
 知識が主として知り得た成果を指すのに対して、
 認識は知る作用および成果の両者を指すことが多い。
2.物事を見定め、その意味を理解すること。

[知覚]
1.(仏)知り覚ること。分別すること。
2.(心)感覚器官を通じて外界の対象の性質・形態・関係および
 身体内部の状態を把握する作用
298考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:49:45 0
>>292
日本語を使うには仏教は避けて通れん
299考える名無しさん:2009/12/16(水) 23:56:26 0
それとすっかり日本語に浸透してしまいあまり意識していない
大陸由来の「気」の概念もな

そんなに気がする
気が合う
気が落ち込む
気をつける
気が散る・・

いくらでもある


 
300考える名無しさん:2009/12/17(木) 00:10:41 0
エネルギーであるような
目に見えない流動体であるような
気持ちであるような 
目的や価値観でもあるような
そんな「気」の存在を皆信じているわけではないが
日本語の中にはしっかりと根付いている

「気」の存在を知らぬのに
ああ、「気」が抜けた とか 言うわけ


 


301考える名無しさん:2009/12/17(木) 00:11:54 0
>>300
知っているのさ。アプリオリだ
302考える名無しさん:2009/12/17(木) 00:13:48 0
知っているわけではない。
ただの習慣w
303考える名無しさん:2009/12/17(木) 00:15:46 0
おろおろしてたり、浮ついてたり、
或いは、何事かに心が占有されて冷静な判断を欠いてるようなとき、
或いは呆然としているとき、取り乱しているとき、
「気をしっかり持て!」と言われるよなw

考えてみると、『「気」をしっかりもつ(保つ)』には具体的にどうしたらいいんだ?w
304考える名無しさん:2009/12/17(木) 00:21:57 0
えっとw・・
具体的には自分の頬を思い切り何回かひっぱたいてみる
冷たい水で顔を洗う 深呼吸する
両手を合わせて・・目を閉じて・・
そして様子を見るw



305考える名無しさん:2009/12/17(木) 00:22:35 0
>>303
丹田に力入れる
306考える名無しさん:2009/12/17(木) 00:30:43 0
気をしっかり持とうという気になり、
大声出して気合い入れたら気がしっかりして来たw
307考える名無しさん:2009/12/17(木) 00:32:29 0
気をしっかり持とうという気になり、
大声出して気合い入れたら、
なんか、気がしっかりして来たような気がするw
308考える名無しさん:2009/12/17(木) 00:36:17 0
なんか、気がしっかりして来たような気がする
・・という気がしないでもないよw
気のせいかw
309考える名無しさん:2009/12/17(木) 00:58:26 0
気が付いたり、気が晴れたり、気を揉んだり、
気を使ったり、気を削いだり、気を病んだり、
気がふれたり、気が狂ったり、気が違ったり・・・

>>297
>>269使い方は間違ってないってことだよな?
310考える名無しさん:2009/12/17(木) 01:31:56 0
>>309
意識は状態を示すので意識が認識とか言わんのじゃね?
311考える名無しさん:2009/12/17(木) 09:34:24 0
>>299
気の概念が漢方なり中国思想なりに由来するにしても、日本で「気がする」とかいって使う場合はもっと軽い意味で使われてるだろ。
英語でit feels (like)〜とか、it seems (like)〜という場合の形式主語のitが一番”気”に近い使われ方じゃないか。
312考える名無しさん:2009/12/17(木) 10:04:38 0
>>311
I thinkが意識でそっちが知覚か
313考える名無しさん:2009/12/17(木) 10:07:49 0
>>312
知覚は単純に目や耳などの働きを言うんだよ。
314考える名無しさん:2009/12/17(木) 10:12:46 0
Itが点火(気を寄せる)でlikeが気の展開だと思う。
315考える名無しさん:2009/12/17(木) 10:17:14 0
なんじゃそりゃ
316考える名無しさん:2009/12/17(木) 10:22:10 0
Itが「イナイイナイ」で、likeが「バー」。赤さんをあやすときに使うイナイイナイバーでいうと。
317考える名無しさん:2009/12/17(木) 10:24:57 0
なるほど。

って、違うわ!
318考える名無しさん:2009/12/17(木) 10:26:33 0
>>313
広辞苑を見るにもう一歩進んでいる
319考える名無しさん:2009/12/17(木) 10:28:13 0
日本語の「気がする」の気じゃなくて、気功の気のニュアンスだった。
320考える名無しさん:2009/12/17(木) 10:29:56 0
気がする≒感じる
気が抜ける≒気巧の気
321考える名無しさん:2009/12/17(木) 10:34:52 0
>>287
泥酔した人もそうだよね。>「俺、そんなこと言ったか?憶えがないなぁ」
記憶のあるなしと認識のあるなしは別。
認識の仕方=情報の伝わり方・回路と、それに伴う処理の仕方が
その時によって違うだけでは。
322考える名無しさん:2009/12/17(木) 13:11:09 0
>>318
どこが進んでんのw
心理学の定義は、知覚に対して、宙に浮いた(物理化学的に記述できない)作用を仮定してる。
こういうのはむしろoccult quality(隠れた性質)を仮定した話に見えるから、進歩してるというより、進歩に逆行している。
さらにいうと、”知覚する”を”把握する”に還元してる。これじゃ進歩するというより、話が堂々巡りになるおそれがある。

”学問的”の見せかけにコロッと騙される人がいるんだな。
323考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:10:07 0
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚を総称したのが知覚なのか?
それら五感とは別の、脳による働きが知覚なのか?
324考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:10:59 0
>>323
ふつうは前者だろ。
325考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:15:35 0
知覚過敏の歯
326考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:16:29 0
知覚過敏の心
327考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:18:46 0
>>325
知覚過敏の歯とはいうけど、認識過敏の歯だの意識過敏の歯とは言わないよなあ。
知覚と認識と意識とはふつうに区別して使うべきだよな。
328考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:21:55 0
広辞苑を見るに仏教が混ぜちゃってる
329考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:23:38 0
>>323
前者を感覚、後者を知覚。
にすればよいのに
330考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:25:50 0
感覚過敏の歯
感覚過敏の心

認識過敏な心
意識過敏な心

感じやすい心
331考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:26:53 0
>>323
全部脳の働きなんだよね
332考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:28:44 0
>>331
オジギソウには触覚があるとはいうが、脳があるとは聞いたことないぞw
333考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:30:38 0
個人的には
五感が材料、その材料を駆使して作った物が認識って感じだけどな。
作り手は脳で。
334考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:32:51 0
>>333
『純粋理性批判』でもかじったの?
335考える名無しさん:2009/12/17(木) 14:58:21 0
>>328
そうだよなあ。
仏教学者がでしゃばって、ふつうに区別すべきものを混ぜこぜにしてるよな。

淀んだ水みたいな仏教学的思考にさらば。
336考える名無しさん:2009/12/17(木) 15:39:47 0
認識:知識になる事、知識になった事
知覚:感覚その物、感覚を理解する事
意識:全部含む
337考える名無しさん:2009/12/17(木) 16:00:36 0
>>336
その解釈ぜんぶおかしい。
とりあえず認識と知識は区別できる。
「数学についての俺の認識はこうです」というのと、「数学についての俺の知識はこうです」というのとでは、言ってるニュアンスが違う。
前者からは「数学論が来るのかな」と期待するし、後者からは「数学の知識を披露するんだな」と期待する。
338考える名無しさん:2009/12/17(木) 16:34:48 0
>>334
かじったというか、普通に考えるとそうならないか?
「知覚過敏の歯」ってあったけど
痛みを感じるのが知覚
それらの情報を組み合わせて「この痛みはなぜか」等、何らかの結論を作るのが認識
339考える名無しさん:2009/12/17(木) 16:41:09 0
>>336
区別というか、知識も認識に含まれるのでは?
340考える名無しさん:2009/12/17(木) 17:08:42 0
>>337
けど同じ話を聞くんだよね
341考える名無しさん:2009/12/17(木) 19:16:21 0
>>340
「数学についての俺の認識は……」と言ったら、ふつうそのあと、「社会に出て役に立たない」とか「複素数なんて屁理屈」とか「数学のできるやつは頭がおかしい」みたいな話が続くんじゃないか。

で、「数学についての俺の知識は……」と言ったあとは、「高校数学止まりです」とか「解析学が専門です」というような話になるだろう。
342考える名無しさん:2009/12/17(木) 19:35:42 0
認識したことが知識になる
343考える名無しさん:2009/12/17(木) 19:58:07 0
恋愛や戦争についてのテメェの認識はテメェの認識なんであって、それを知識とは言わないかなあ。
基本的に事実をおいらは知識と言ってるんだが、みんなは違うわけ?

事実と違っていたら誤認だけど、誤認も認識のうちだと思う。
自分の持っているさまざまな認識にかなりの事実誤認が含まれていても、自分の認識であることに変わりはないんだ。
でも事実と違っていたら知識とは言いたくないな。
344考える名無しさん:2009/12/17(木) 20:20:00 0
>>340-341
認識は、《「評価」「価値判断」(優劣・善悪・適不適etc.)》という要素を含み、
知識は、《「情報」「詳細」「(具体的)内容」のみ》が対象として想定される。


一般的には、前者を「主観的領域」とし、後者を「客観的領域」とすることになろう。
で、独我論的には「客観的な認識、評価と関わりない認識はない」ということになる。
どんな情報も「主観的判断・評価を経ないことはありえない」と・・。
仮に他者を想定しても、
その他者へ伝達しようとした時に、『その伝達者の主観的判断を経ずに伝達されることはありえない』。
「知識」が、たとえ「純粋に情報のみを指すもの」だとしても、それが、他者へと発信される際に、
発信者の認識(≒価値判断)を受けない形で発信されうるだろうか・・。
結局、その知識も、発信者による「“俺の認識したところの知識”は・・云々」とならざるをえない。


>>337
意識は、《様々な、『所謂「心」の【働き】』》とでもなろうか・・・。
知覚は、もともと「認識」同様、分別や取捨選択、価値判断を含む言葉だったかもしれない。
今は、《「感覚」「感受」そのこと》を指して使われているかもしれない。
345考える名無しさん:2009/12/17(木) 20:43:52 0
>>344
よくわかった
346考える名無しさん:2009/12/17(木) 20:53:29 0
>>310
意識がある=自分や周りの状況が分かっている状態、だとして
この「ある」と言われてる意識とはなんだ?
347考える名無しさん:2009/12/17(木) 21:07:36 0
>>344
認識と知識を整理した最初の2行はその通り。
しかしそのあとの部分に問題がある。

> 「知識」が、たとえ「純粋に情報のみを指すもの」だとしても、それが、他者へと発信される際に、
> 発信者の認識(≒価値判断)を受けない形で発信されうるだろうか・・。

知識を伝えるときに、知識に対する本人の態度が”伴う”のは当然だよ。
そこを”伝達者の主観的判断を経る”というふうに言ったら、まるで何かのプロセスを経てデータそのものが壊れたみたいに聞こえる。

「金ねぇと生活できねぇだろ」と言われてなんか腹が立つということはあるよね。
でもさ、かりにその言い方なり態度なりに腹が立っても、言ってる内容が事実だってことは認めざるを得ないね(貨幣経済においては)。

だから、

> 結局、その知識も、発信者による「“俺の認識したところの知識”は・・云々」とならざるをえない。

この部分は結論づけがおかしい。
単にその知識に態度や言い方が伴ってるってことです。
348考える名無しさん:2009/12/17(木) 21:16:14 0
>>347
ですから、 >態度や言い方が伴 わない知識というものがありうるだろうか・・?ということです。

これは、「イデア」という概念を巡る事案と似ています。
たとえば、『「完全なる直線」は存在するのか?』『「完全なる正三角形」は存在するのか?』と。
そして、もっと言えば、
『「完全なる(或いは純粋なる)善」はありうるのか?』『「完全なる(或いは純粋なる)悪」はありうるのか?』と。

これらは、媒介なしに(或いは変換・フィルター無しに)ありうるのか?と。
それは、『「音」が「振動を媒介・伝達するもの」なく伝わるかどうか』という問いに次元を引き下げても、
その問い・疑義の構図は変わらないだろう・・。
349考える名無しさん:2009/12/17(木) 21:26:03 0
>>348
もう少し付加すれば、
仮に「純粋なる知識」があったとしても、それが(誰かに)入力・受容された時、
それは、《純粋さを失い、変貌を余儀なくされるのではないか》?ということです。
引き出しにしまった書類を出すような形で、《「入力前」の情報》を再現できるのだろうか?と。
 ※ま、ミクロな次元へ降りなければ、再現できていると見做すわけだが・・・。
  (たとえ引き出しにしまった書類でも、いざ出してみたら、
   紙が酸化していて一文字も読めない!ということもあるかもしれないw)
350考える名無しさん:2009/12/17(木) 21:27:05 0
イデアは論点が違うぞw
でもまあフィルターの話に興味がないでもない。
351考える名無しさん:2009/12/17(木) 21:48:03 0
>>350
>イデアは論点が違うぞw
そうでしたか・・。
呪術的?民俗学的?宗教的?な用語を使えば
《「依り代(よりしろ)」なく存在できるものがあるのか?》という意味だったんですが・・。
イデアにしても、それは《「依り代」なしに顕現するものだろうか?》 と。
逆に言えば、顕現し得ないものを「ある」と言い得るのか?と。

 ※で、これ(前の「純粋なる知識」もそうですが)は、
  (特に長い歴史を持つ宗教において)「その伝承の正確さ(≒正統性)」と直結するわけです。
  変貌なき伝承は可能なのか? と。

で、単純な言い方としても《「認識」を経ない「知識」は無いのではないか?》と。
352考える名無しさん:2009/12/17(木) 21:59:09 0
まず発信者による情報の認識、誤認識
認識した情報は取捨選択され知識に蓄えられる
蓄えた知識は忘れたりするし、別のものと混じったりもする
出力する時にも何を発信するかという判断とその発信方法にも発信者の影響がでる
353考える名無しさん:2009/12/17(木) 21:59:19 0
>>347
>「金ねぇと生活できねぇだろ」と言われてなんか腹が立つということはあるよね。
>でもさ、かりにその言い方なり態度なりに腹が立っても、
>言ってる内容が事実だってことは認めざるを得ないね(貨幣経済においては)。

事実なのに、その態度に腹が立つというのは
その発言者の価値判断・基準がその態度に表れているから。
つまりその価値観=認識の仕方に反発するんだろう。
事実は1つでも、その事実に対する認識は様々(=自分の中の世界)。
1つの事実は、伝える側と伝えられる側、最低2カ所の認識の違いを通過して
やり取りされる。
そして重要なのは、世の中事実じゃ廻っていかない。
事実は静止した物事。それをどう受け止め、次のアクションにつなげるかという認識に従い
世の中廻っている。だから事実はどうあれ、その認識が重視される。
354考える名無しさん:2009/12/17(木) 22:05:19 0
>>353
そう。
大胆な謂いをすれば、世界の実態は、
≪「事実」などなく、ただ、交わる事の無い個々バラバラな「認識」が交錯しているだけ≫
なのかもしれない・・・。
355考える名無しさん:2009/12/17(木) 22:13:10 0
>>353
> そして重要なのは、世の中事実じゃ廻っていかない。
> 事実は静止した物事。それをどう受け止め、次のアクションにつなげるかという認識に従い
> 世の中廻っている。だから事実はどうあれ、その認識が重視される。

ここが言いたいんだろ、一番?
それでしつこく屁理屈こねてるんだろ?
356考える名無しさん:2009/12/17(木) 22:24:58 0
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ∧_∧
    ( `∀´ )     ∧_∧
    /     \   (´Д` ) 何言ってんだコイツ
.__| |    .| |_ /      ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄   / .|   | |
||\..∧_∧    (⌒\|__./ ./
357考える名無しさん:2009/12/17(木) 23:32:36 0
>>353
事実=イデア
358考える名無しさん:2009/12/17(木) 23:35:20 0
(言ってることは正しいが)お前が言うなってのがある。
言ってることが事実だけに、言う資格のなさがいっそう際立ったりする。

しかし、言ってることが正しいのは事実に相当するものがあるからであって、そもそも事実に相当するものがなかったら、お前が言うなの言い合いは起こらないだろう。
お前が言うなの言い合いは事実が燃料になってる。

事実という燃料がなければ世の中は平和そのもの、それこそ夢の中だよ。
状況がたえず変わることもなく、次の行動を起こそうと必死で考える必要もないだろうよ。
359考える名無しさん:2009/12/17(木) 23:35:52 0
>>357
「イデア」と「アイデア」の関係ってどういうもの?
360考える名無しさん:2009/12/17(木) 23:44:37 0
>>359
イコール
361考える名無しさん:2009/12/17(木) 23:53:49 0
>>358
言動不一致は腹立つよなあ。
誰が言ったかより何を言ったか、ってな2ch精神は好きなんだが
362考える名無しさん:2009/12/18(金) 00:04:56 0
>>360
であるならば、
【形を成していない(=表に出ていない(≒具体性を持たない))】アイデアは(イデアは)、
あると言えるのでしょうか?
363考える名無しさん:2009/12/18(金) 00:47:12 0
>>362
ある。ってのに気付く=閃く、アイデアがわく
364考える名無しさん:2009/12/18(金) 01:12:12 0
アイデアもイデアもideaと書く。
アイデアは案であるが、イデアは理念・観念。
しかし、考えであることにはちがいない。

【ちょっと】も【いっすん】も一寸と書く。
時間と距離は異なるが
長さを表していることにはちがいない。

365346:2009/12/19(土) 12:55:54 0
反応が無くて困る・・・

意識がある=周りの状況が分かってる状態
これはあるなしで言ってるから状態を表してるだけで、
意識そのものの意味ではない
この用法から分かるのは、意識が周りの状況を分かる為のものだということ
あれば分かり、なければ分からない
意識が無い状態のとき、本人はそれを自覚することはできず
意識を取り戻したときに、自分と周りの状況から意識を失っていたと感じる
俺は意識とは表面的に現れている自分、主観ではないかと思う
366考える名無しさん:2009/12/19(土) 13:06:24 0
ていうか普通に顕在意識とかいうよね・・・ 
367考える名無しさん:2009/12/19(土) 13:40:10 0
>>365

> 意識がある=自分や周りの状況が分かっている状態、だとして
> この「ある」と言われてる意識とはなんだ?

そのように問うことは意識を存在論的な切り口からとらえることだろうね。
「事実がある」と言われるとき、その「ある」と言われてる事実って何?という問い方もそういう存在論的な切り口。

存在論的な切り口は地に足のつかない形而上のお話になることが多いので、今では機能主義的な切り口をとるのが普通なんだろうなと、おいらは思うが。
368考える名無しさん:2009/12/19(土) 13:44:38 0
369考える名無しさん:2009/12/19(土) 15:00:35 0
>>367
機能主義的ってのが何なのか分からないが・・・
>>346の聞き方じゃ答えようが無いってこと?
370考える名無しさん:2009/12/19(土) 16:39:59 0
>>369
機能主義てのは、それぞれの分野でそれぞれの使われ方をしているようで、厳密な話はおいらもフォローしていませんw
意識そのものはなんなのかとか、事実そのものはなんなのか、というふうに問うことはやめて、社会の中で意識や事実という概念がどう機能してるのか、どう使われることが多いのか、と問うてみる。
そのくらいの意味で使ってるw

存在論的な切り口がだめってことじゃないんだよね。
おいらも存在論的な切り口にそうとうこだわっていましたよ。

意識そのものは主体で、客体と区別される、うんぬん……。
そういう話は、けっきょくデカルトによる精神と物質との存在論的な区別に行き着いて終わっちゃう。
371考える名無しさん:2009/12/19(土) 17:47:37 0
俺の聞き方が分かりにくいというのが分かった。
それじゃあ簡潔に聞きます、
意識って主体的なものだよな?
372考える名無しさん:2009/12/19(土) 19:23:12 0
>>371
主体的ってのが、自分自身の意志で動くくらいの意味で使われてるよね。
ところが意識てのは、おいらは単に見当識で言い換えてるわけ。
自分の置かれた状況がわかってる状態のことね。自分がいま何をしているかわかってる状態。

おいらのような切り口では、意識があっても、主体的じゃないっていう場合があることになる。
「協調性はあるんだけど、いまいち主体性がないんだよなあ、あの人」と言われる場合がある。
協調性てのは、自分の意志よりもまわりの意志に従って動くさまをふつう言うから。
373考える名無しさん:2009/12/19(土) 23:44:34 0
主体性と主体的は違うんじゃないか?
周りの意志に従って動くことを、本人の意志で決めたわけだから
いわば「主体性のなさを主体的に選択した」と言えるw

「無意識」は自分で自覚できないけれど、内容はおそらく主観の固まりだよな?
つまり自覚するしないにかかわらず、自分の内に取り込まれた物は
意識にしろ認識にしろ、主観になってしまうと思うんだけど。
374考える名無しさん:2009/12/20(日) 00:09:52 0
>>373

> いわば「主体性のなさを主体的に選択した」と言えるw

ここはサルトルを読んでるみたいだねw
自己責任ってわけだ。
そういう言い方もできるね。

> つまり自覚するしないにかかわらず、自分の内に取り込まれた物は
> 意識にしろ認識にしろ、主観になってしまうと思うんだけど。

「君は今期の決算に我が社の命運がかかってるという認識があるのかね?」
社員がきちんとした認識を持つように発破をかけられてる場面です。
この例だと、認識は主観的と言えるかなあ。
会社の置かれた状況をそれこそ数量的に把握していないといけないわけで。
375考える名無しさん:2009/12/20(日) 14:45:32 0
うちの会社ヤバいんだってーって言われて、
精査せずヤバいと思い込んでも主観と扱われる。
正しい認識である必要は無い。
376考える名無しさん:2009/12/20(日) 14:58:58 0
社員の間で風評が飛び交っていて誰も精査しないようなケースでは、社員の認識は主観的と言えるかもね。

自分の認識に事実誤認が含まれていても自分の認識に変わりがないってことは、
>>343
で言ったつもりなんだが。
377考える名無しさん:2009/12/20(日) 16:47:15 0
思い込みと知識の区別がつかんのがつらいな
378考える名無しさん:2009/12/20(日) 17:59:36 0
ある知識に盲目的になることとか
379デ(・∀・)シ ◆DFW30AT53Y :2010/01/07(木) 04:37:16 P
自分の中に世界があって、その世界の中に自分が居る
世界の中に自分が居て、その自分の中に世界がある
西洋的二元論の限界
380考える名無しさん:2010/01/07(木) 09:21:46 0
世界は私の中にあるが、自分はその世界の中にいる。
そして、しかも、
その「私」は(その世界の中では)「自分」と同一化される
もしそうでなければ「存在する」といえない。

と、すでにカントが純理で言っているが
この議論ですべて決着はついているのでは?
381考える名無しさん:2010/01/07(木) 10:36:17 0
「私の中に世界がある」と言ってる人は、どういう意味でそう言ってるか自分の頭で考えるべきだろうね。
382デ(・∀・)シ ◆DFW30AT53Y :2010/01/07(木) 11:27:32 P
そんなの考えるまでもなく自明じゃね?
383考える名無しさん:2010/01/07(木) 11:37:40 O
私の認識する世界だもんな
384考える名無しさん:2010/01/07(木) 11:58:52 0
「世界の中に自分がある」のほうは自明だけど(見当識があるかぎり)、「自分の中に世界はある」は自明じゃないよ。
385考える名無しさん:2010/01/07(木) 15:28:33 0
>>381>>384
「私の認識する世界」=「自分の中に世界がある」の
いったい何がそんなに気に食わないんだか
386考える名無しさん:2010/01/07(木) 16:24:56 0
>>385
自分の認識してる世界がどうして自分の中にあると思うのか。
自分の認識を述べれば否応なしに世界の一部になるわけです。
実際、何についてであれ、このスレで述べてみればいい。
それはネット世界の一部になりますね。

自分の認識している世界も、自分の中にあるんじゃなくて、世界の中にあると考えるのが妥当だと思うんだが。
387考える名無しさん:2010/01/07(木) 16:53:35 0
俺が見ている赤と君が見ている赤が同じ色であることって証明できるの?
なんていうか、俺が赤と認識したものと、君が赤と認識したものが、認識される以前の
赤自体として共通であるっていう事の証明って感じかなぁ。
哲学的訓練とか受けたことないんで、ものすごい恥ずかしいこと質問しているのかも
しれないけど…。
388考える名無しさん:2010/01/07(木) 17:43:45 0
証明できません。
それから恥ずかしい質問でもありません。
哲学ど真ん中の問題です。
389考える名無しさん:2010/01/08(金) 04:06:43 0
自分と世界とを主客関係で捉える限り水掛け論
包括的な発想を出すなら絶対精神でもブーバーでもなんでもいい
390考える名無しさん:2010/01/11(月) 00:28:44 0
自分が認識した世界は自分の中の知識の集合で
認識を述べるというのは自分の中のものを述べているだけで、
述べたものが世界の一部になるというのは情報として現れるってことでは?
391考える名無しさん:2010/01/11(月) 10:35:13 0
>>390>>386に対するレスでしょうか。
そう仮定して、答えておきますね。

自分の認識した世界といっても、ふつうに考えると、脳の中にあるわけです。
述べる前から世界の一部をなしている。
HDD上のデータはUSBメモリのような外部メディアに移される前から世界の一部ですね。

ただ、述べたほうが他者にとっても利用しやすい情報になるのは確かでしょうね。
392考える名無しさん:2010/01/12(火) 00:12:53 0
自分の中の世界なんて言ってるけど、世界なんて呼べた代物じゃないよね
脳に蓄積された情報でしかないわけだし
393考える名無しさん:2010/01/25(月) 00:35:51 0
ん?このスレで話している事はそういうことじゃないんじゃないのか?
394考える名無しさん:2010/02/11(木) 06:57:34 0
どうあがいても、私という一人称視点から抜け出せない気がして、
孤独だなぁ…。
395考える名無しさん:2010/02/12(金) 15:36:36 0
すべてが幻想だと言うならこっちこいよ
いくらでも顔殴って確かめさせてやるからw
396考える名無しさん:2010/02/13(土) 19:37:48 0
すべてが幻想だということを?
殴ることで?
397考える名無しさん:2010/02/13(土) 19:38:28 0
>>395
ファイトクラブか
398考える名無しさん:2010/02/16(火) 00:23:04 0
「自分の中に世界がある」を支持する世界観では「自分=世界」だ。
それを世界と自分に分けて考えるからおかしくなる。

要は「一切認識できないものは存在しているか?」に答えれられればいい。
その答えがそのままスレタイの答えになる。

・・・問題は眠ったはずなのにまた目が覚めるという実際の現象だ。
そもそも自分というのは本当に存在してるのか?
399考える名無しさん:2010/02/16(火) 11:26:44 0
誰にとっても”自分”は世界の一部。
400考える名無しさん:2010/02/16(火) 14:38:33 0
メガネは顔の一部です
401考える名無しさん:2010/02/16(火) 15:16:44 0
世界を見るメガネも世界の一部ってことだ
402考える名無しさん:2010/02/16(火) 17:54:16 0
メガネの 一部は 顔です
403考える名無しさん:2010/02/16(火) 18:00:04 0
「自分」ってのが対象になれば対象物の集合たる世界の一部で
「自分」を対象化するその結果の一つとして唯名論に至れば自分の中に世界があるってことになるんじゃね。
っていうか、スレタイの二択は全然並列しうる選択肢ではないよね
404考える名無しさん:2010/02/16(火) 18:54:10 0
世界の中の自分(この世)、
自分の中の世界(かの世)、
をも知らぬ境地がある。
405考える名無しさん:2010/02/27(土) 00:14:12 0
世界自体がメガネで見られた映像にすぎないなら、
メガネ自身だって、どこまで行ってもそうだということになるね。
フィヒテ?
406考える名無しさん:2010/02/27(土) 10:36:01 0
 私の場合、私が世界です。
407考える名無しさん:2010/02/27(土) 10:41:19 0
世界はメガネの一部です
408考える名無しさん:2010/02/27(土) 11:35:49 0
 一度、宇宙の果て迄、突き進んで下さい。
409考える名無しさん:2010/02/27(土) 13:57:39 0
物理空間では、世界の中に自分がいるが

情報空間では、自分の中に世界がある。
410考える名無しさん:2010/02/27(土) 14:07:39 0
 自分も,物理空間?
411考える名無しさん:2010/02/27(土) 14:55:44 0
>>410
この場合の自分が肉体なら物理空間で
自分が知性や精神なら情報空間だね。
412考える名無しさん:2010/02/27(土) 15:08:49 0
>>410
でも現実の世界では、物理空間と情報空間は、複雑に絡まっているから
この命題は、両立していると思う。

物理空間にいる肉体としての自分からタイムラグを伴って情報を受け取り情報処理をして
情報空間を構築する知性体あるいは、精神としての自分がいるわけだしね。
413考える名無しさん:2010/02/27(土) 15:37:22 0
 じゃあ、肉体が世界って事?
414考える名無しさん:2010/02/27(土) 16:04:47 0
>>413
それもある意味、正解かもしれないけど。

人間は、道具も手足のように使い神経が道具に通っているような感覚をもつから
一概には、肉体だけが自分の世界とは、言えない。

それと生命体としての肉体は動的平衡を保ち
古い細胞は、死んで排出されて新しい細胞に生まれ変わっていて
脳細胞も入れ替わっているから、情報体あるいは知性体として連続して存続している
自分と言う存在が自分にとっての世界かもしれないね。

415考える名無しさん:2010/02/27(土) 16:50:04 0
 や〜、世界は,広い、
416考える名無しさん:2010/02/27(土) 17:14:22 0
瞬間、瞬間には、個を特定できても・・・
連続的に、個を維持していると言えるのかと言うと・・・・

「童のときは 語ることも童のごとく 思うことも童のごとく 論ずることも童のごとくなりしが 人と成りては童のことを棄てたり」

さて、どこに行こうかしら・・・・

ネットは広大だわ・・・
417考える名無しさん:2010/02/28(日) 06:53:47 0
 昨日は,楽しかった,ここで知り合えた事
お互い共に生きてるんだと思ったよ。
 もう、春も近いけど、これからも生きている事
喜べればと思った。
 有難う、
418考える名無しさん:2010/02/28(日) 19:48:57 0
だーかーらー 東京メガーネー
419考える名無しさん:2010/03/02(火) 21:45:43 0
啊啊
420考える名無しさん:2010/03/06(土) 18:51:27 0
肉体の自分と世界との間に境界を引く意義は低いだろう。
どちらも、同じような物質でできている。

問題なのは、肉体の自分を、あたかもその他と区別できる個別のモノと認識している意識だろう。
この意識が持つ、根拠のない自信は、いったいどこから来るのだろうか。
まるで、ディスプレー越しに、世界を俯瞰する中で、個体を認識しているかのような、この錯覚は。
421:2010/03/06(土) 19:27:11 O
あぴた
422考える名無しさん:2010/03/06(土) 19:30:57 0
自分とは目で見えないものなのだから、中や外など無い。
中や外がないものに対して中か外かを議論しても答えが出るはずがない。
423考える名無しさん:2010/03/06(土) 19:43:30 0
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424考える名無しさん:2010/03/06(土) 20:02:49 O
つけっぱなし ぱなしばかりじゃ地球も悲しい
425考える名無しさん:2010/03/07(日) 20:44:25 0
グラスの底に顔があってもいいじゃないか
426Mark.0:2010/03/08(月) 06:37:46 0
世界の中に自分がいるというのが事実である。
しかし、世界という言葉自体には様々な意味がある。
自分の中にある世界というのは、1人称的な目線で得た世界の形や、
想像・思考などのイデアで改変されたりつくられたりする事なども含むものであり、
自分以外の者に共感不可能(再現・表現は可能)の物である。
427考える名無しさん:2010/03/08(月) 09:47:15 0
たんなる言葉遊びだな。
基本は「○○の中に○○がある」という文で、○○に言葉を入れて交換してるだけ。
1 世界の中に世界がある
2 自己の中に自己がある
3 世界の中に自己がある
4 自己の中に世界がある
自己は物質ではなく面積は考えられないのだから
中か外かと真剣に考えるのはナンセンスだよ。
428考える名無しさん:2010/03/08(月) 09:47:56 0
数学をやる上ではある一定の共通したルールがあるよね(いわゆる公理ってやつ)
物理にもそれは存在する(時間、空間によらず法則は一律に成り立つetc)
哲学にはそういったものはないの?
429考える名無しさん:2010/03/14(日) 00:33:36 0
>>427
「自己」ではなく「自分」。
このスレでは「自己」は問題になっていない。
この違いは意外に重要であるような希ガス。
430考える名無しさん:2010/03/14(日) 19:14:51 0
自己と自分の違いってなんだえ?
431考える名無しさん:2010/03/14(日) 19:34:17 0
>>427
このスレを読み込んで逝けば、解ると思うが
自分と言う概念には、複数の意味を持たせてあり
世界と言う概念にも、複数の意味を持たせているから

だから、組み合わせて逝けば、さらに組み合わせ方が増えるし
アナログ的な読み解きならば、無限に近い組み合わせを発見できるのだよ。

この場合の自分は、肉体を持つ物質でもあり、情報体や精神体でもあるのだよ。
そして、世界は、自分を取り巻く宇宙でもあり、人の精神世界の中の宇宙でもあるのだよ。

まあ、「釈迦の毒矢のたとえ」とかもあるけどね。
432考える名無しさん:2010/03/14(日) 21:26:10 0
とりあえず光文社文庫から出てるカントの純粋理性批判を買ってきた。
楽しみだお( ^ω^)
433考える名無しさん:2010/03/14(日) 21:42:22 0
カントなんて読むべきじゃ無いな。
世界とは認識に過ぎない。つまり、実在という言葉自体が空虚な物だべ。
世界は認識に過ぎないし、現実とは確信でしか無い。

カントは人間の認識出来る範囲の外に何やらあるとか言ってるみたいだが、
それは言葉遊びだよ。問題は認識出来る物以外無いと言う事では無く、
「私」は認識する事しか出来ないという事。実在とは、確信が揺らがない認識
434考える名無しさん:2010/03/14(日) 22:14:30 0
>>433
なるほど。だがしかし、それでも俺はカントを読む。
435考える名無しさん:2010/03/24(水) 03:41:43 0
この私が死んだ後も「世界」は存在するのでしょうか?それとも・・
436考える名無しさん:2010/03/26(金) 16:12:07 0
君が死んでも俺はなんともない
437考える名無しさん:2010/03/28(日) 12:53:28 0
ぺらぺら喋るバラエティーでいけそう
438考える名無しさん:2010/04/19(月) 17:04:22 0
■結婚前は純潔を守るべきか?「全くそう思う」「まあそう思う」の割合

日本男 40.9% |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本女 29.2% |||||||||||||||||||||||||||||

米国男 47.5% ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
米国女 55.9% ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

中国男 72.9% |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中国女 76.5% |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

韓国男 71.2% |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
韓国女 76.6% |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

日本青少年研究所「高校生の生活と意識に関する調査」(H16.2)
http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/data2004/dt040225.gif
http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/data2004/dt040225.html
439考える名無しさん:2010/04/19(月) 20:22:57 0
自分が生きてきた数十年の人生も、
本当に存在したのか確信がもてない。
これは全て夢だったと言われても否定できない。
リアリティーがないんだよ(Perfume)
幼い頃、実際に自分が体験した記憶と、
夢として記憶に残っているものの区別ってすごい
曖昧な気がするんだ…。
440考える名無しさん:2010/04/19(月) 20:31:16 0
>>438
それ高校生?
日本の女子高生の3割が純潔派ってうそだろw
441考える名無しさん:2010/05/23(日) 01:21:44 0
純潔派 じゃなくってさ 「なんとなく守れたらいいじゃん」派でそ

喫煙者だって「吸わないでいられるならその方が」派 圧倒的に多いかと
 


442考える名無しさん:2010/05/23(日) 02:08:09 0
ふと、会話している瞬間に出た自ら発した言葉が
他者から発された言葉が
家族、友人や知人が過去に言った事とまるで同じ
言葉を発したことは、聞こえたことはないか。そして発した瞬間
聴いた瞬間その人を想起する瞬間が、自分が一瞬、他人に
なった感覚はないか。
自分と思っている精神はいろいろな人の影響を受け
混成されその中で慣性的に続く気分のようなものを
自己と規定しているんじゃないのか。
それは、本来あてどの無いさまよい続ける何かだろう
世界「と」自分を繋ぐ「と」に自己であり続け世界が
あり続ける鍵があるきはする。
と自己に関係する意識は自己の認識を求める時がある。
443考える名無しさん:2010/05/23(日) 02:56:57 0
想起された記憶の連続性・・・すなわち自我
444道化師なる人:2010/07/20(火) 23:27:33 0
神=絶対的に有る者/無を超越した者/実体/世界精神/真の存在/その他
  世界の外において意識を持ち
  世界の内において肉体を持つこともある
世界=神と呼ばれるものの精神世界
人=世界内存在/生命体

神の意識が世界を形成し、その中に人は存在する。
仮にだが、
神からすれば唯心論が正当と言え、
人からすれば唯物論が正当と言うことができよう。

人間とは何者かを考えてみるがいい。
認識者とは何者かを考えてみるがいい。
人間というものの神秘が理解できれば、
仮に神と呼ばれるものの実体を掴み取ることができるであろう。
445道化師なる人:2010/07/20(火) 23:30:12 0
神から見ればこの世は空であり、
この世の現象とは空なる全ての一部である。

情報空間を基準にすれば世界は一なる人の内部に収まり、
物質空間を基準にすれば人は世界の一部とされる。

精神という絶対原理と物質や霊における相対原理。

認識者(相対精神)である人とは神と呼ばれる絶対精神の分霊

相対者とは存在性の一部を与るものであり、
絶対者とは存在性の全てを内包するものである。
446道化師なる人:2010/07/20(火) 23:32:17 0
根源にないものは、いかなるものも存在できない。
根源は全ての性質を持ち、全ての物質性を有し、全ての霊性を有し、全ての精神性を有する。
これはけっして神の擬人化ではない(これを諸宗教では人格神と呼ぶ)。
しかしこれは本質的には人格神とするのは相応しくないであろう。
真実のところ、これは何者でもなき有るものである。

相対的なものから世界が生起されることは有り得ない。
447道化師なる人:2010/07/20(火) 23:43:57 0
前述した通り、全ての精神性を有するということは、
必然的に、根源なる神とは善や愛と規定できるようなものでもなければ、
愚神や悪神と呼べるようなものでもない。
あえて言うなら、それは宇宙に存在する全ての精神の総和に等しい。
神の意識は明らかに矛盾しているのであり、
その創造は迷走していると言えよう。
神は常に、どうあるべきか摸索し続ける。
だからこそ、仏典に記されていたように、仏に付き従ったのである。
イエスが言うように、父なる神とは聖なる人なのだ。
人と言っても、いわゆる人ではなく、普遍(不変/不偏)真人と呼ばれる人である。
言うなれば、仏や救世主と呼ばれるものこそが真に神と呼ぶに相応しい。
神は3種に分けるとすれば、魔神人、神、魔となる。
448道化師なる人
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