1 :
考える名無しさん :
2009/07/20(月) 01:15:19 0 老荘や仏教が好きな人には特にオススメ
むしろマイナーなジョナサン・エドワーズがオススメ
3 :
考える名無しさん :2009/07/20(月) 01:53:07 0
エゴ=煩悩 意識的であること=観照 手放す=無為自然 大いなる存在=大日如来 タオ 思考は真の自分ではない=慧知出でて、大偽有り 自己の定義を捨てる=我を馬と呼ばば、これを馬と謂わん
こいつの本読んだらマイスターのほうのエックハルトの理解進んだよ
5 :
考える名無しさん :2009/07/20(月) 08:42:33 O
トールたんは菩薩 仏教徒はトールたんの本から学ぶべき
6 :
考える名無しさん :2009/07/20(月) 10:52:21 O
この人の知名度ってどれくらい? ググっても著書の情報ばっかり
7 :
考える名無しさん :2009/07/20(月) 12:22:39 0
瞑想のプロというイメージがある。 真理を体感する一つの方法論者であることは間違いないのだろう。 磨き上げて仏性を輝かせようとするのが仏教系。 初めから輝いてるのが見えないのは目が濁っているからで その濁りを取り払うと考えるのが老荘系。 だったかな?
モノクロ
9 :
考える名無しさん :2009/07/20(月) 23:53:24 0
老荘は直接的には修行を説かないが、彼らに従って生きるのは慣れるまでかなりのエネルギーがいる 物質的に豊かで無駄に大量の情報、知識を握ってる現代人ならなおさら 実質、修行と変わらない
10 :
考える名無しさん :2009/07/20(月) 23:59:14 0
トールは「『自分が苦しむのはおかしい』とは、実は単なる間違った思い込みで、この思い込みから開放されたら楽になる」といったが、 それを体現してるのが、『荘子』内編に出てきた生老病死を超越した人々だろう
11 :
考える名無しさん :2009/07/21(火) 00:02:10 0
トールさんは真人だ!!
12 :
考える名無しさん :2009/07/21(火) 20:56:04 0
13 :
考える名無しさん :2009/07/23(木) 16:46:35 0
14 :
考える名無しさん :2009/07/23(木) 18:11:31 0
∧_∧ ノ ( ・ω・)ノ>゚+。:.゚ C□ / ゚。:.゚.:。+゚ / . | (ノ ̄∪ age
>>13 経験的解釈からの読み解いた汎神論でしょう。
I Am that I Am
というのは旧約聖書の出エジプト記3:14の
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、
また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。
『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
「わたしはある。わたしはあるという者だ」の部分でしょう。
ユダヤ教やキリスト教の神は人みたいにしゃべりますから、あまりそんな感じはしませんが、
彼の解釈ならば、仏教の「空」に近接していると思います。
物質や物理現象や空間や時系列にまったく関係なく「ある」ってことでしょう。
目の前にパソコンがある。の物理的存在を示すような「ある」ではありません。
また、幽霊が見えるか神をみたとかいう脳内で造った心理的イメージがある。の「ある」でもありません。
未来や過去にも縛られません。未来や過去の時間の経過、つまり歴史ですね。
こういうのは人間の脳が組み立てて出来るんです。それにも縛られません。だからややこしいです。
自分にもよく分かりませんし、勘違いされても困りますが、一つの例として、
意識が「ある」、意識が「ない」。この「ある」に近いかなと思います。
16 :
考える名無しさん :2009/07/24(金) 13:50:11 0
>>15 >意識が「ある」、意識が「ない」。この「ある」に近いかなと思います。
素朴な古代人が「ある」「ない」と言う場合、それは、専ら、生存に関係する
「具象物」のことだろう。厳しい自然との闘いの中に、ひたすら生存に務める
古代人にとっては、寝そべって「意識が、ある、ない」などという形而上的
思考に耽っている余裕がある訳がない。
「わたしは、ある」のヘブライ語の原義から、意味を解明すべきであろう。
意識のどこが生存と無関係なのだろう? 土台なくして、どんな思考も成り立ちません。 >寝そべって「意識が、ある、ない」などという たとえばこんなのだろう、という例示でしょう。 古代人と一つまとめにしていますが、いろんな人がいます。 なんか狩猟や農業であくせくしている人々が念頭に置かれてると感じがします。 それでも休憩ゼロでは無いでしょう。休憩時に次の狩猟とか農業の話だけするわけでも 無いでしょう。身の上話をしたり冗談を言い合ったり、物事の背後に思いを馳せることもあるでしょう。 古代は、現代よりも字を書ける人が遥かに少なかったはずです。 でもって出エジプト記のようなまとまった歴史文書を書くとなれば いわゆる当時の一般人とは違う教育を受けた人の手によるものと考えられます。
19 :
15 :2009/07/24(金) 16:01:07 0
なんか勘違いさせてしまったね。 意識の例は「ある」っていうのを説明するための単なる例えで出しただけだよ。 この手の話はバラモン教とかの方がわかりやすいだろうなあ。
20 :
信者 :2009/07/25(土) 02:13:00 0
この人が弥勒菩薩なんじゃないかと思ってしまう
21 :
考える名無しさん :2009/07/28(火) 02:17:26 0
この「ある」は、ある日突然ストンとわかるとわかるんだが、 それを言葉で説明するのが難しい。ってか出来ねえ…。(´・ω・)
22 :
考える名無しさん :2009/08/03(月) 00:30:01 0
思考を懐疑的にみるところが老荘っぽい
ほ
24 :
考える名無しさん :2009/08/10(月) 20:47:02 0
新しい本出して欲しい
25 :
考える名無しさん :2009/08/19(水) 18:04:25 O
あるある大辞典
26 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 03:47:24 0
次の本まだあ? 早く出せよ、
27 :
考える名無しさん :2009/08/20(木) 12:42:47 O
本を求めさせ本に集中させることによって今ここに焦点を合わさせないように するのもまたエゴの戦略だろうと思う。それは旅行に行ってもずっと携帯電話で 2ちゃんねるの読み書きに集中しているのに等しい。その人の体験は旅行に 行ってない時と同じになるのだ。携帯電話から目を離し目の前の風景を見るだけ でも気分転換になるというのにそれに価値を見出せずいつもと同じ画面を見る。 これはもはや病と言って良いだろう。
28 :
考える名無しさん :2009/08/25(火) 20:48:44 0
でも本はいいきっかけになるし
29 :
考える名無しさん :2009/08/25(火) 20:50:11 0
あと、字幕付きDVDと吹き替え版CD出せ
>>28 ああ。本は道具であり手段だ。しかしエゴはそれを見失わせどうでも良いことの
重要性を引き上げさせる。
本に限った話ではないが、大切なのはまずはそれによって伝えられる情報にある。
しかしエゴは見た目にこだわらせる。本が新しいか古いか、綺麗か汚いか、印刷や
デザインはどうか、何冊読んだか、或いはまた本という形態かどうか、などなど、
周辺の下らないことの重要性を引き上げて本質を見失わせ肝心なものを得ることを
妨害する。
これは至る所で発生する。テレビも肝心なのは伝えられる情報にあるのだが映像が
綺麗かどうかや音質がどうなのかといった所にこだわらせ、そのために伝えられる
情報を見失う。
31 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 15:57:58 0
それに本読んでそれに酔ってるだけじゃ身にならないしね
32 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 18:29:50 0
酔いは通過点だろ 誰でも通る 酔うことで、後で酔いと理解の違いを学習する
33 :
考える名無しさん :2009/08/30(日) 02:56:24 O
他の哲学にもペインボディに相当する概念ある?
34 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 06:43:01 0
35 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 06:46:27 0
あさりみちこはクビにしてほしい クズ訳
37 :
考える名無しさん :2009/08/31(月) 00:52:51 0
この人の言う「抵抗しない」という教えに、老子の「無為自然」を理解するヒントがあると思う
38 :
考える名無しさん :2009/08/31(月) 01:01:31 O
やくみ
39 :
考える名無しさん :2009/09/12(土) 22:19:52 0
人を一人殺してみればエックの言うことがよくわかるかもしれない これは極端な表現だが、いわゆる罪と罰のラスコーリニコフのように 何が真理であるかを知るには、最低な行為もときには必要ではないか?と思うのだ はっきり言えば、鬱になった人間でなければ鬱を治すに最適な方法はわからないであろう、ということ。 エックにしてもブッダにしても、偉人と呼ばれるような人間は皆一度は最低な人生を送ったことで答えを見つけられたんだと思ってる
やばいニューアースやばい。 これ言っていることが理解できてくると、脳内革命が起きる。 フーコーも似たようなこと言ってるよね。 現在の自分がどのような条件で形作られてきたのか。 両者とも人間の主体性というものを完全に否定している点でほとんど同じ。
フーコってドラエモンの台風?w
>>30 綺麗なものってか、洗練されたものに惹かれるのは何でだろう
一方で汚くても味のあるものにも惹かれる
宗教も哲学もエックハルトも結局はすべて同じ地点にたどりつく つまりそれは人生に納得できるかどうか
今しかないけど 変化はある。 これがわけわからん。 変化を認識した時点で過去を見ていることになるし。
44 :
考える名無しさん :2009/09/24(木) 08:04:43 0
>>43 頭で理解しようとするとそうなるってことなんじゃないかな。
体の側には時間感覚はないので思考せずに感じるだけなら今しかなくなる。
体とは言っても実際には脳の中枢部だとは思うが。そこには多分時間感覚がない。
脳の外側の、進化の過程で主に人間になってから大きく発達したような部分は
記憶情報を集めて時系列に並べて思考出来るからそこには時間感覚がある。
逆に言うと、記憶がなくなれば時間感覚はないのと同じになる。事故や病気で短時間しか
記憶出来なくなったような人は冗談抜きでほとんど「今」しかなくなる。記憶する機能と
それを時系列で並べて思い出す機能、この二つがないと時間感覚はなくなってしまう。
それとおそらく子供の頃は脳がまだ発達していないので時間感覚は乏しい。
記憶の断片はあってもそれを時系列に並べて思い出せなかったりしているのではないか。
記憶そのものも少ないので記憶障害の人とあまり違わずほとんど「今」しかない状態だ。
そしてほとんど何も思い出す必要がない。というか思い出す記憶そのもがとても少ない。
金剛般若経や正法眼蔵には 「過去の心はとらえようがなく、未来の心はとらえようがなく、現在の心はとらえようがない。」 という記述がみられる。 心の変化のスピードは光速の17倍の速さだと言われる。 変化の認識とは、比較しているということです。 これからあれに変わったと両者を比較したら変化を認識しています。 これは思考したのであり、今を捉えることをやめた証しになります。 「今」だけ捉えるなら左脳的な思考をしてはだめなのです。
46 :
考える名無しさん :2009/09/24(木) 19:36:29 0
光の17倍は嘘くさいが、とにかく速いってのは分かる。
47 :
考える名無しさん :2009/09/24(木) 19:43:29 0
まあしかし左脳的に考えるだけで済まないものであるなら 哲学板向きなスレではないな。心をとらえた結果出てくる 考えや思想は哲学的に考えることが出来るかもしれないが、 体感できないのではみんなが自らその元ネタを出すことが 出来ない。釈迦の言ったことは哲学で扱えるけど釈迦の ような考えや思想を新たに出せないなら言ったことを 解析するだけで終わってしまって発展させられない。 みんなして瞑想でもして悟るか?w
>>44-45 なるほど、俺は思考でいまを捉えようとしていたってことか。
これからは捉えようとせず思考を止めるほうに行ってみようと思う。
サンクスでした。
49 :
考える名無しさん :2009/09/25(金) 23:18:36 0
よし。みんなで瞑想だ。
50 :
考える名無しさん :2009/10/04(日) 01:38:58 0
さて、そろそろみんな悟った頃かな。
52 :
考える名無しさん :2009/10/04(日) 12:28:58 0
53 :
考える名無しさん :2009/10/04(日) 13:01:59 0
早く本出せよ! おせーよ、しねよ、 読みてーんだよ、
54 :
考える名無しさん :2009/10/04(日) 13:34:39 0
エゴの声ですね。わかります。
55 :
考える名無しさん :2009/10/05(月) 01:13:56 0
エコポイントはいくつつきますか?
俺、将来の役に立つと思うものを積み上げることに価値があると思う。 今って物足りなすぎると思う。 こんな俺がトール氏の教えを受け入れるにはどうしたら良いでしょうか。
>>56 今と未来は常にリンクしてる
未来と現在というのはその時空において決定的に違うと思われがちだけど
実際にはいま現在の繰り返しが未来なわけだ
だから将来を考えて行動することと、いまに在りなさいということは同じことだと考えればよい
58 :
考える名無しさん :2009/10/12(月) 14:40:32 0
未来のためのことをするとしてもそれは今行うのだから、 今を把握していなければ不可能だ。今どうなっているかが はっきりとわかった上でないと正確に未来のための行動は できない。積み上げようにもどこにどう積み上げれば良いのか、 それは今しかわからない。だから単なる空想ではなく実現 しようとするならば結局は今を見なければならなくなる。
>>57-58 サンクス〜。
幻の中で満足できればいいと思っていた。
これからもっと今に集中しようと思います。
60 :
59 :2009/10/12(月) 20:12:18 0
×これからもっと ○これからはもっと
61 :
考える名無しさん :2009/10/22(木) 19:21:39 0
イマココage
62 :
考える名無しさん :2009/10/25(日) 16:39:26 0
歌舞伎age
63 :
考える名無しさん :2009/11/10(火) 16:05:59 0
「未来のための行動」などしてはいけない!
64 :
考える名無しさん :2009/11/10(火) 16:07:33 0
色即是空 空即是色 をエック的に語りなさい
レッテル貼らないって カテゴライズしないってことか、今更わかったよ。 カテゴライズするって脳の中で世界をバラバラにすることだもんなあ。
66 :
考える名無しさん :2009/11/13(金) 21:08:26 O
今に在れ!!
67 :
考える名無しさん :2009/11/15(日) 02:09:28 0
なかなか書いてあるようにいかない
トール好きな人はクリシュナムルティも読んでみたらいいと思う
69 :
考える名無しさん :2009/11/16(月) 23:52:52 0
6月にセドナメソッドの本を買って 9月にようやく自分のものとして実感できたあと、 11月のアタマに「ニュー・アース」を読んだら、 より一層、自分への理解が深化した。 永らくいろんな自己啓発本を渡り歩いてきたが、 ようやく終着地に着いた気分だ。 今まで、いろんな瞑想や呼吸法をやっても得られなかった、 カラダの深奥を貫く安らぎ、快さに、読むだけで到達できた。 ほんと「ニュー・アース」ヤバイ。
神とか引き合いに出す割に「どの宗教団体にも属さず」とかプロフに載せてるのはどうかと思うけど。
71 :
考える名無しさん :2009/11/19(木) 03:13:38 0
話を通じ易くするために神とかを持ち出しているだけではないかな。 本はキリスト教圏に売ることしか考えてなかっただろうし。 エックハルト自身もドイツ出身だし。
通じにくくしてるように見えますね
73 :
考える名無しさん :2009/11/19(木) 21:19:28 0
>>70 西洋は何かの宗教に入っている、というのが前提な場合が多いだろうからね。
それを強くアピールしておいて、「神」という言葉をできる限りニュートラルな感じで
使おうとしてるんだと思う。
日本人からしたらアピールしすぎだろって思うところがあるんではなかろうか。
それか、さとり〜の監訳の方が前置きに書いていたように、
宗教色を取り除く、というアピールに基づいて、監訳者がプロフ組み立てたのかなと。
神の信仰と宗教団体に属することは違うでしょう 神に対してアプローチすることは団体に属することとは無関係なのに団体に属してしまう ということは何らかの団体に属したいという依存心のせい それは神とは無関係 また、神というのも象徴や例えであって、いわゆる宗教団体のいう「神」と同じ意味だと考 えてしまうのは言葉の意味に捉われていう自我、自分の持っている既成の概念への依存
75 :
考える名無しさん :2009/11/21(土) 00:59:10 O
エックハルトはキリスト教だけではなく 仏教も引き合いに出している
76 :
考える名無しさん :2009/11/21(土) 16:25:34 0
77 :
し :2009/11/21(土) 16:28:33 O
青い鳥をエックハルトとむすび付ける。
78 :
考える名無しさん :2009/11/21(土) 16:34:03 O
やくみとひなどりをむすぶと大根になる
79 :
考える名無しさん :2009/11/21(土) 16:37:14 O
さくざ
新しい地球のほう、去年の今頃買ってすぐ読んだんだけど、 しばらくは、「わかるんだけど、イマイチわからない、好きじゃない」 という微妙に気に食わない感じの本で、折に触れページを開いても、 アマゾンのレビューのように絶賛できないでいた。 しかし先月くらいからチョコチョコ読み返すと なんですかこれは!みたいにぐいぐい読めたなー もう3回くらい読んだ。あまり読みすぎると、いわゆる 「エゴの満足」に成り代わっちゃいそうで、我慢してる。 こんなに感想が劇的に変わるとは思わなんだ。 読み手の受け皿もある程度必要かもしれないね。
禅というものは、ひとつの仏教の宗派ではなく、すべての思想の根底に横たわる 普遍的真理?をシンプルにあらわしている? みたいなことを言った外国の方の逸話を読んだんだけど、 すべての根底に同じ基本的真理があって、 エックはそれをシンプルに、でも誤解なきよう、制限ある言葉ではあるが、 詳しい説明を試みつつ、なんとか表現しようとしている感じだよね。 だから一歩間違えば、エゴの満足にすり替わる。 それすらも文面で警告してるから親切 あらゆる宗教の最も根幹部分にのみ触れて、共通点を見つけだしてるよね。 だから宗教に属さないことがただちに宗教と無関係という意味ではなく、 逆に宗教というものをものすごく冷静に取り扱ってるからこそ、 あちこちから引用できてるんだろうね。 こういうアプローチは全く新しいと思うんだけど、 (分かってる人はいたかもしれないけどこのように分析解析して 説明した人は初めてのような) この人100年後とかには、哲学のカテゴリに入ってそうな感じがする。
82 :
考える名無しさん :2009/11/27(金) 04:38:01 0
聖書を引用して説明する以上、説明者が信仰宣言しない場合、説得力を欠くね 聖書以外でも教義を記したものすべてに言えるけど。そこがトールをいまいち信用出来ない点。
聖書を信仰ととるか、真理の例え(方便)ととるかでしょ 真理を表すために単に聖書のカタチをとってるのか、聖書自体が真理なのか
聖書をいわゆる経典としての聖書とみなしてない感じがする。 鋭い洞察をした一個人の教えとして捉えてるって感じ。 本当にそう考えてその言葉を残したかはもちろん 結局イエスさんなり本人に聞かないとわからないだろうけど、 エックハルトは確信があるんじゃないかな? 私もたまにこじつけかな〜と思う部分あるけど、 (ランプの火を絶やさなかったとかの所が特に) そもそも解釈の問題以前に聖書の文体自体が訳を重ねて 本来の意味を損なっているかもしれないし大体本当に イエスさんがいたのかっていう話になってしまうので、 わかりようがないんだよね。定点が両方ブレているというか。 でもそれをひっくるめてもストンと納得できる気がする。 信じるか否かでなくとも納得いかないとこはすっとばしてもいいんじゃないかな。
85 :
考える名無しさん :2009/11/29(日) 18:19:41 0
この人の言っていることは、クリシュナムルティとか上座仏教なんかに通底するよね アメリカではニュー・ライフ・ファウンデーションのヴァーノン・ハワードがこの手の本を書く第一人者だったが、ハワード亡き今後はこの人が第一人者になるだろう。 ヴィパッサナー瞑想の実践者のブログなんかでもこの人は取り上げられたりしている。 ただ、K、上座部、禅、スーフィーなんかに全く触れたことのない人には分かりにくい内容だろうとも思う。 まあ、それでもこの人の本は分かりやすい方だろう。 特に「ニュー・アース」は素晴らしい。訳者の能力に起因する部分も大きいだろうが。
86 :
考える名無しさん :2009/11/30(月) 02:34:03 O
老荘→仏教→トール の流れで入ったからスルスル吸収できた 今は矢印を逆にして更に理解を深めてる この人のおかげで瞑想の質も上がった
87 :
考える名無しさん :2009/11/30(月) 02:44:49 O
仏教書や現代スピリチュアルは盛んに読まれているが、老荘はややホコリ被り気味でさみしい 「老荘?ああ世界史に出てきた諸子百家でしょ」で片づけられてる感がある 「古典=誰でも知ってて誰も読まないもの」 って、わりと当たってるかも スピリチュアルや仏教の人は、絶対読んで損は無いのに
私はコマゴマした書物を経て
(心理学とか仏教の分かりやすいもの、精神世界)
トールに落ち着き→仏教→神秘学とか老荘
おまけで、文学のほうでは、詩人かな。
>>86 さんと逆パターン。
私も最近になって、古典ってやっぱり残るだけの価値があるから
残るんだな、と思って、文学史に出ているようなのを
読むようにしてる。若い頃は、なんというか題名を覚えなさいっていう
教育だったんだよね。ほんと罪作りな教育システムだよ…
色々読みあさったおかげか、ゲーテの格言にまで共通項を体で感じる。
89 :
考える名無しさん :2009/11/30(月) 15:53:27 O
トールさんの顔すげえな なんかもう全然違う
90 :
考える名無しさん :2009/11/30(月) 15:56:40 O
エピクロスやヴィトゲンシュタインもよろしく
そんな凄いなら読んでみるか。なんか値段が高いけど。
なかなかさとれません
93 :
考える名無しさん :2009/12/01(火) 00:10:42 0
>>92 本当は誰でも悟っているんだけどね、「悟っていません」と言い出す部分が中に入ってるんだよ。w
その部分がエゴ。
94 :
考える名無しさん :2009/12/01(火) 19:45:34 0
ヴァーノン・ハワードやエックハルト・トールの本が売れる国ってだけで、アメリカも捨てたもんじゃないと思う。
鈴木大拙もアメリカで評価されたという理由で読んだし。
あー悟りたいッス
悟るんじゃなくて、既に悟っていたと気付く(思い出す)だけだよ 自分が悟っていることを忘れてあれやこれや悟りは何だと外側に目を向けているだけなんだから 自分が悟っていないということを前提に目を向けてもそういう視点から見えるもの(見たいもの) しか見えない なぜ自分は悟りたいか、悟りというものを気にするのかという自分の内面にまず目を向けるのが いいんじゃないかな トールのようなものを読みたいなら初期仏教と金剛般若経とクリシュナムルティ 少し精神世界寄りならヴィヴェーカーナンダとラマナ・マハルシ 創作ならヘッセのシッダールタとかおもしろいよ
※:スルー能力検定実施中
ヘミシンクっていう意識誘導CDに トール氏の教えを基にしたようなのが出ていた。 Eternal Nowってヤツ。
この人きっかけで、ニーチェとかゲーテが多少深く読めるようになった、、 ような気がする。勝手に共通してると思い込んでるだけかもしれんが。
内容はたぶん半分くらいはわかってると思うんだけど 本に書いてあるような体に住まうとかいま在るとかいう状態になりそうもない
読むだけじゃなく座禅とか瞑想とか自己洞察とかいろいろやってみるといんじゃない? 仏教とかでも知識の理解ではなく自分が体験しないとしょうがないっていうし
思考が止まりません。どうすればいいの?
なんで思考してしまうのか考えてみたら? 思考したい、思考してしまう、思考せずにいられない理由に気づけば止まるかもよ
思考している時、誰が思考してるのかを探ることによって 思考は消えるってマハリシだかプンジャジが言っていた。 ところでプンジャジがトールと同じたとえ話をしていたんだが、 この二人ってつながりあるんだろうか?
自己レスだが トールとかかわりのあるガンガジがプンジャジの弟子だったと思った。
ガチで目覚めた人いますか?
ちょっとした覚醒体験ならあったよ ちょっとしたっていっても日常とは別世界だけど 知り合いにもいる
自分の気付けてないこだわりに気付くことで、自分が消える、なくなる 自分の悩みも記憶も価値観もまるで実感わかないしどうでもよくなる、そういうものは実体 ない自分が作り上げたものだとわかる 自分を自分の中に探してもどこにもいない 自分が誰かは論理としてわかるけどまるで実感わかないし、自分は誰でもないとわかる 頭の中どこまでもクリアーで見慣れた景色も初めて見る景色だし食べ物は初めて食べる味 がする 全てが新鮮で、何かと比べた知覚、認識ではなく、そのものそのままな知覚でしかない 時間も過去や未来と比べての今ではなく、ただ今が続いてるだけ 雑念もわかず、ただ瞬間瞬間の気付きがどこまでも連続してる 今まで生きてきた出来事で最も強烈というか全く別物な体験だけど、大抵は一日、長くて 数日で元に戻ってしまう 理由はまたこだわりを持って自分を作ってしまうから 今はわかるけど、そういった自分の体験がなんなのか理解するのに数年かかった 本を読んだり同じような体験を持つ人と出会ったりしてやっとわかったけど トールとかを読んだのはその後だけど 前はよく書き込んでたけど煽りレスとかで荒れるので、自分の体験はあまり書かなくなっち ゃったな
112 :
考える名無しさん :2009/12/25(金) 02:01:25 0
>>105 > なんで思考してしまうのか考えてみたら?
この1行読んで吹いた。
113 :
考える名無しさん :2009/12/27(日) 14:36:51 0
この人の思想基盤は、ヴェーダーンタだよな。
一人でいると目覚めることはよくあるんだけど 誰かと一緒にいると、相手の意識にのまれてダメになることがよくある。 相手のエゴや敵意がみえると、そのエゴに反応して自分も同化してしまう。 それでもすぐに忘れられればいいんだけど、いつまでも根に持ってしまうから困る。
115 :
考える名無しさん :2009/12/27(日) 19:43:05 0
それを乗り越えられればね。
116 :
考える名無しさん :2009/12/27(日) 21:16:23 0
>>113 それは、「悟りをひらくと人生はシンプル」の前書きで本人が書いてる。
117 :
考える名無しさん :2009/12/28(月) 00:54:00 0
>>114 その他人のエゴのように感じられるものをもっとよく見てみろ。自分の中にあることが分かるぞ。
>>114 相手のエゴに反応するのは自分のエゴに気付くチャンスだよ
目覚めてるってのは本当は無我なんだから相手が来ても反応しないはず
つまり一人でいるとき目覚めていると思えるけど、実は自分のエゴが眠っているだけ
眠ってるだけで自分のエゴが残ってるからそれが他人が来ると反応しちゃう
ひとりでいるときに気付けないエゴに気付かせてくれるんだから、他人に反応するときはむし
ろ消えきってないエゴに気づき消せるチャンスだと思うよ
あ、リロード遅れたら同じようなこと書いてるひとがいたw
120 :
考える名無しさん :2009/12/28(月) 13:10:05 O
エゴの解体は絡まった糸をほぐして元の一本の糸に戻すようなものだ。 つまり、それと戦ってはいけない。強い力で直そうとしてはいけない。 そのようにすれば糸は益々強く結びつきそして余計に絡まるだろう。 ゆっくりと結び目を引いてほどいて行く必要がある。焦ってはいけない。 エゴの解体は多くの場合観察して気付くことを繰り返すだけで良い。 それ以上のことは不要と思って良い。エゴとは記憶とイメージによって 作られた幻想の自分であるから幻想を幻想であると確認出来た時点で 終わりである。誤解を誤解であると、嘘を嘘であると見破るのに等しい。 幽霊を枯れ尾花と見破れば恐怖はなくなるのと同様だ。故に自分の心を 観察する力に全てがかかっていると思って良い。いつも一方からのみ 見るのではなく上下左右時にはひっくり返してよく観察すると良い。 ダルメシアンの隠された絵のように、最初は気付かなくても何れ 見えてくる。
121 :
考える名無しさん :2009/12/31(木) 17:18:55 0
マンガやアニメの主人公とかって人間界にいたらエゴの塊のようなものだと思うんだが そういう人達がいなくなったらそれはそれで悲しいよね あいつら見栄えがいいから、悪魔も貫いてくれれば
stillness speaks?だっけか 邦題は全然違ったけど、 それを読んだら、少し腑に落ちる、、かもしれんよ。 (他人に言葉で言われると枠ができるからあまり言わないほうがいいかもだけど) 私も、エゴを追放「しよう」と、目覚め「よう」として 結局やきもきしてたんだよね。で、うまくいかないで何をすればいいのか? と考えてみたり。 でも別に目覚めなくともよいのでは?みたいな感じになると 現状維持でも平安が持続するようになる。 ときおり、人のエゴに反応しても、 反応しちゃった〜、ありゃりゃ。みたいな感じで、ただの事実として スルーして、 反応した→イクナイ。みたいな図式を(知らず知らずのうちにレッテル貼ってた) スキップできるようになった。 ただの現状肯定ジャンと言われればそうだけど とりあえずこれでもいっかという心境。
123 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 10:22:13 0
「エゴを追放しよう」と考えているのがエゴだったりする。w
124 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 10:32:18 0
エゴは自他が分離した状態で思考するから何か自分に害を及ぼす悪いものがあるものに 対しては必ず戦って勝とうとする。しかし自意識はエゴそのものだし、自分以外の何かが 存在するという認識も自意識があることによって自動的に発生してしまうもの、つまりこれも エゴによって作られているものだ。これが自分であると決定してしまった途端にそれ以外が 自分ではないものになってしまい世界から分離した「自分」というものが作られる。 そしてエゴはその分離された世界の中で「エゴという何か悪いものがあるから戦ってやっつけよう」 と思考してしまうのだ。自分以外の何かであるから戦ってやっつけてしまっても自分には全く 何の影響もないばかりか相手は何か悪いものであるからむしろやっつけた方が安心できる とエゴは思考する。 このループに気づかないと自分の尾を追いかけて噛みつく蛇となる。 外の世界に居る敵のように見えるものは、自分の尾だ。
125 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 10:34:53 0
全ては繋がっている。 全ては自分である。 自分以外のものは何もない。
126 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 10:41:30 0
竹の根が繋がっているように全ては繋がっており一体である。 しかし地面の上に出た竹からは根が見えない。 故に一つ一つの竹は「自分は他の竹とは切り離されて生えており、他の竹も同様である」 と思い違いしているかも知れない。
127 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 10:50:37 0
竹の本体は竹の根の方であり、根が生きていれば幾らでも竹を生やすことが出来る。 地面から上に生える筍や竹は人間でいうならば髪や爪のようなものであって決して本体ではない。 だがしかし他の竹と切り離されて独立して生えていると思い違いしている竹は切り倒されることを 恐れるだろう。切り倒されたらそれで終わりであると思って極端に死を恐れるだろう。 あるいはまた死後の世界を妄想したり生まれ変わりを妄想したりするだろう。 しかし単体で生えているわけではなく、部分であって本体ではない。
竹も人も同じってことなんだろうけど・・・納得できないというか腑に落ちないというか
129 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 21:50:55 0
エゴが納得するわけがない。このことは思考によって証明しようとすることは不可能だ。 そうではなく思考を働かせずにただ観察して気づくということを繰り返すしかない。 ただし思考は余計な解釈をしたりして真っ直ぐな観察の妨害をする。
130 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 22:23:44 0
早く新刊出せよ、おせーんだよ、まだかよ、
131 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 23:24:38 0
本など出なくても答えは最初からあなたの中にある。 あなたは今メガネを持ちながらメガネメガネと探す人のようになっているだけだ。
132 :
考える名無しさん :2010/01/18(月) 00:01:19 0
潜在意識とか無意識の力で成功するみたいな本がたくさん売ってるけど これとは全く逆のことをいってるんだよね?
133 :
考える名無しさん :2010/01/18(月) 00:09:55 0
逆って言うか、あれが入り口になっていると思う。自分の内面に注目させるためのね。 色々な宗教も似たような手法で人を集めている。病気が治るだの幸せになるだの。 しかしその後修行していくと実は間逆であることが分かる。結局のところ自分の欲を 滅して求める心をなくさない限り苦はなくならない。欲しがることと苦はワンセットに なっていてどうやっても切り離せない。執着やこだわりがある限り苦は続く。望みを 手放した時に苦も去っていく。
134 :
133 :2010/01/18(月) 00:16:59 0
エゴは望み通りにならないから苦があり、望みが叶いさえすれば苦はなくなると考える。 しかしその考え方が苦を継続させている原因だ。金がもっと沢山あれば幸せになるという 考えは麻薬がもっと沢山あればハッピーになるという考えに等しい。全くのハズレではないが、 長期的に見れば滅びにしか繋がらない。喉が渇いたからといって塩水を飲んではいけない。 もっと飲みたくなり、そして飲めば更に飲みたくなる。沢山の偽物を集めても本物にはならない。
135 :
122 :2010/01/18(月) 15:22:46 0
>>132 逆ではないと思うよ。
光と闇 の闇の部分についてずーっと書いていると思う。
ポジティブシンキング系は光の部分に(のみ)焦点をあてていると思う。
>>123 そう。それに は!と気づいて、そうかこれはエゴかもしれん。
と思ってしばらくニンマリしてたら、
そのニンマリしてる自分にも は!と気づいて、これもエゴかもしれん。
という感じでループしていくよね。
結局、自分で「やった!気づいた!真理だ真理だ!」
とのぼせているうちはだいたいだまされているかと思うようにw
136 :
122 :2010/01/18(月) 15:27:21 0
>>132 ごめん追加
潜在意識系とくくっていいかわからないけど、
潜在意識を操って願望実現系というカテゴリと比べるのは難しいかもしれない。
137 :
考える名無しさん :2010/01/19(火) 23:58:50 0
>>135 真理の一端に気づいた時は「ああ。そうだったのか。やられた。」という感じだな。w
ステファン・ボティアンの本に全ては過ぎる幻という考えについて の危険性について書いてあったな でもこの人エックハルトのこと尊敬してるみたいだった。
139 :
考える名無しさん :2010/01/23(土) 03:25:44 0
現実は幻であり夢のようなものではあるが、夢を見ている最中はその夢こそが真実だ。 夢だからといって手を抜いてはいけない。いい加減であってはいけない。夢であろうが なんであろうが自分のやったことは自分が見ている。そしてそれに従った夢が作られる。 いい加減であれば夢は地獄になる。
ho
>>139 確かに〜
あと、言葉の受け止め方によるよね。
幻だから何してもいい、というわけじゃなく、
幻なんだけど、その場を生ききる、
でも現実問題に過度に縛り付けられている人には
幻だよ〜というと少しラクになるだろうし。
ニーチェの永劫回帰に通じるとか思ったけど違う?
(ごめんあまりニーチェ読んでないけど)
結局同じ人生を人間は繰り返して行くから虚しそうな感じもする、が!
それを超越して思いっきり生きてやれ!みたいな。
これぞ超人?
どうしてもあちら対こちらって図式が、あらゆる分野で、
宗教界でも哲学でもスピリチュアル分野でもできてしまうけど
そうじゃないよね多分。
142 :
考える名無しさん :2010/01/23(土) 18:23:12 0
一番良いのは現実が幻であることを自分で確認してしまうことだ。たとえ部分的であっても 確認出来た部分に関しては自由になる。 これは時計が進んでいることに気づくか気づかないかといったことに似ている。時計が5分 進んでいることに気づかなければ5分進んだその世界が自分の真実の世界となり、遅刻 しないようにと走らねばならなくなる。気づけば余裕をもってゆっくり歩いて行ける。大切な ことはよく観察して真実に気づくことだ。 擬似的な真実というものがある。真実に近いのだが必ずしも真実を表していないものだ。 世界はこれで溢れている。主に情報しか伝わらない時は注意が必要だ。身近にあるもの では例えば信号機。信号機は真実を表しているように見えて実はそうではない。青が 安全である保証もなく赤が危険である保証もない。本当に安全か危険かは実際に車が 来ているかどうかによる。青であっても車が来ていれば危険であり赤であっても車が来て いなければ安全である。それが本当の現実だ。信号機は擬似的な真実であり必ず現実 とのずれがある。だから道を見ず信号機のみを見て道を渡ることを繰り返せばいずれ 車に轢かれる。
143 :
考える名無しさん :2010/01/23(土) 18:35:01 0
厳密に言うならば人間の目や耳などの五感もまた擬似的な真実しか伝えられない。 どう頑張っても元の光や音を電気信号に変換して脳に伝えているのだから変換時の 精度の問題があり更に誤差や間違いが必ず入り込む。またそれを脳が受け取って 様々な意味付けや解釈を行うのであるからそこでの間違いが必ず発生する。 よって人間であろうがなんであろうが本当の現実は永遠に見ることが出来ない。 常にぼやけたレンズを通した世界しか見えないのだ。 但し、それなりの訓練をすれば精度は上げられる。間違いの率は下げられる。 観察する能力が高まれば木の葉の中に隠れた木の葉虫でも見分けられるようになる。 だまし絵の中のダルメシアンもすぐに見つけられるようになる。
144 :
考える名無しさん :2010/01/24(日) 23:34:07 0
私は在る
145 :
考える名無しさん :2010/01/25(月) 01:24:49 0
私は無い。
私は嘘つきだ
147 :
考える名無しさん :2010/01/27(水) 22:28:23 0
148 :
考える名無しさん :2010/01/27(水) 23:38:51 0
我思わぬ。故に我なし。
149 :
考える名無しさん :2010/01/27(水) 23:46:37 0
何度読んでもよくわからぬ
我思う、故にエゴ在り
>>149 時間おいて読んだら?
買ってるんだよね?
私も最初てんでわからなかった。
アマゾンの評価で訳が誉められている
(というよりさとり〜の方の訳が良くないと言われている)
ことが理解できなかった。さとり〜のほうがまだ理解できるぞと思って。
けども、半年以上放置してまた読んだら、すごく「読めた。」
何この面白い本、と思った。
それまで読んだ本の蓄積された知識だとか、
(逆に自分には無用な知識を捨てるだとかして、)
あとはタイミングもあるんじゃないかなぁと思う。
152 :
考える名無しさん :2010/01/29(金) 21:08:36 O
上げてたもれ。
154 :
考える名無しさん :2010/01/31(日) 00:27:27 O
エゴ思う。故にエゴあり。
155 :
考える名無しさん :2010/02/07(日) 19:45:50 0
ego
スレ進まないね〜 かなりの良書だと思うんだけど
沈黙は語る
苦しみが必要ないとわかるまで 苦しみが必要になるという矛盾
159 :
考える名無しさん :2010/02/11(木) 23:04:16 0
>>156 とりあえず書くたびにageてみてはどうか? 専ブラでお気に入りとかに入れているなら
関係ないのだが、そうしている人が少ない時には目立った方が良い。荒らしが来る
かも知れないが、過疎っている今ならむしろ荒らしてくれた方が活性化して良いかも
知れないしな。
我観る。故に我在り。
161 :
考える名無しさん :2010/02/13(土) 19:10:54 0
我ageる。故にageあり。
エックハルト・トールどのも学んでいる本… A Course in Miracles(奇跡のコース)
165 :
考える名無しさん :2010/02/16(火) 14:43:00 0
お 私も、ここもACIMも見てるよん。 判断しない、っていうのが、細かいことからラクになれてスキですわ。 チョプラ博士も奇跡のコースを学習しているみたいね
166 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 00:12:35 0
私は「スペース」である 私の中にある「スペース」から全てが生まれる 実際私の肉体は空洞だらけだ 外見からは肉と血液がぎっしり詰まったカタマリのように見えるが 空間が全てを支配している
さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる、絶版?
168 :
考える名無しさん :2010/02/23(火) 00:33:47 0
いや、トールの本は日本語訳されたものは全部持ってるよ。 ただ、絶版してしまうのかなと。 それで文庫化するなりして装丁を変えるのか、完訳版でも出るのかな? 徳間に聞いてみるか。
170 :
考える名無しさん :2010/02/24(水) 01:22:20 0
それより早く新刊出せよ、読みてーよ、 出るまでアダルトDVD見るしかねーじゃねーか、
何思考に振り回されてんのw 俺はクリシュナムルティを読み始めたよ
アダルトDVDを見るしかないという囚われを観察すればいいんじゃない? あるいはアダルトDVDを無心でみる修行をするとか
173 :
考える名無しさん :2010/02/26(金) 01:10:24 0
いいじゃないか。アダルトDVD見れば。w ていうかだな、これではいけないのではないかという疑いがエゴを育てちゃうんだぞ。 疑うな。堂々と自信を持ってアダルトDVDを見ろ。w
174 :
考える名無しさん :2010/02/26(金) 01:11:46 0
バカボンのパパも言っている。 「これで、いいのだ。」
空に立ち入るとトールの本もアダルトDVDも同じだしな そうなるとわざわざトールの本もアダルトDVDも見ないけど
ん?誰も「アダルトDVDを見るな」とは言っていないよね
177 :
考える名無しさん :2010/02/26(金) 23:07:53 0
言っていない。むしろ見るべきだ。
見るべきでもないが見てもよい
179 :
考える名無しさん :2010/02/28(日) 20:58:38 0
話題に出るって時点で何かしらの評価がついてんだよね。 ビデオにしろなんにしろ。でもやっぱ知らぬうちにつけちゃうよね〜レッテル。 きっとあらゆるものがそうなんだろうな〜。 学歴なんて関係ないっすよ!と主張してた「高」学歴の子の 弁論をしばらく聞いてたけど、 その裏には、関係あると思ってるから わざわざ関係ないって主張してるんだろうな と感じてしまった。 やっぱり自分が優位に立ってる自覚は、 本人は気づいてないかもしれないけどあるんだろうなとおもった。 言わなかったけど。 何もレッテル貼ってないと話題にも上らないからね。 てか関係ないし。ゴメン。
180 :
179 :2010/02/28(日) 21:01:53 0
↑ 場合によってはそうならないけどね。 私が学歴が関係あると主張したことに対しての反論とかだったら。 でも自分から身近な第三者の例をあげて話しだしたから およよーと思ってしまった。 学歴低い「のに」立派だとかなんとか…
181 :
考える名無しさん :2010/03/01(月) 01:41:46 0
学歴が関係あると思い込んでいる人の間では学歴は関係ある。 何故ならそういう思い込みのある人はそういう社会を作ってしまうからだ。
182 :
考える名無しさん :2010/03/01(月) 01:46:20 0
人間は、というよりはエゴは難しい高度なことを好む。それを乗り越えれば自分の手柄になるためだ。 エゴは手柄を好む。手柄を立てて人々から賞賛されることを好む。だから常にそれを狙った行動をしたがる。 しかし、当然のことながらそれは失敗の連続となる。なぜか? 失敗を繰り返してからようやっと成功した方が 価値が高いとエゴは感じるためだ。その方が人にも自慢できる。自分は難しいことをやっていたということを 人にアピールできる。それだからものすごく簡単なことだったとしても必ず「難しい」と言い出し失敗する。
正直「さとりをひらくと〜」とか言う本を手にする事すら恥ずかしかったので絶版には賛成。 新訳のパワーオブナウでるといいね。
184 :
179 :2010/03/01(月) 10:59:46 0
>>181 まさにそうなんだよね。
(私はやっぱあるよな〜と感じているのは自覚してる)
世の中の色づけされているものって全てそうじゃない?
ダイエットだって必要のある(と思っている)人が関心を持つでしょう。
私は悩んだことがきっかけでエックの書籍しったけど、
ああ、悩み苦しみは必要ないらしいんだと知るためには必要性が必要wだし
もとっから必要ない人もいるし、不思議だよね。
>>182 注意しとかないと、エックの言うとおり、魂や真理の道を求めることにすら
エゴが入り込むよね。俗を否定して聖を崇めたてまつり軽蔑するとかになったら。
>>183 私も本棚に並べるのがちと苦痛。良書なのに〜
改版してほしいね。
185 :
考える名無しさん :2010/03/02(火) 21:21:13 0
書けるかな?
186 :
考える名無しさん :2010/03/02(火) 21:21:53 0
祝 2ch 復旧
復旧してない板もあるようだけど
188 :
考える名無しさん :2010/03/03(水) 12:11:56 O
aげ
189 :
考える名無しさん :2010/03/04(木) 03:21:38 0
人間は自然環境によって作られたロボットのようなものであり常に刺激に反応してしか動いていない。 人間は考える葦であるとして人間だけを特別なものと思い込むのは勝手だが、事実は違う。 人間だけでなくあらゆるものがただ刺激に反応しているに過ぎない。だから自由意志などは幻であり 「自分」などというものは幻だ。「自分」はない。ただ刺激に対する反応があるだけだ。「自分はある」 という幻想こそがエゴだ。 ここまで読むと「そんなことはない。自由意志はある。」と言いたくなるかも知れない。しかしあなたは なぜそう言いたくなったのだろうか? それはこの書き込みを読むという刺激があったからではないのか? もしここにこの書き込みがなかったらあなたはそう思うことはなかったのではないか?
ニューアースはするめ本だわ。 さとり〜も衝撃だったけどそれ以上。
191 :
考える名無しさん :2010/03/06(土) 06:25:14 0
悟りって一元論の世界だよね? この答えに対して「YesともNoともいえる」 としたら、この答え方は二元論的だから先の質問、一元論の質問の答えにはふさわしくない? 一元論には一元論で答えるのが良いと思うんだけど、こうやって考えたりしている時点でおかしいんだよね。 一元論の世界と二元論の世界を行き来しているわけだから、明確な答えなど出るわけがない。 結局、悟りは理解できるものでなく気づくものってことか。 しかし、言葉とか形而上学ってのは本当に難しいね。追えば追うほど深みにはまる。 哲学だとここらへんの答えはカントとかウィトが出してるのかな? 読んでないからわからないけど。
192 :
考える名無しさん :2010/03/06(土) 08:39:39 0
そう。悟りへは真実に気づくことを繰り返して近づく。気づけば気づいただけ心は軽くなり、 そして自分というものが最初からなかったことに気づく。 人間は自分の意思で自分の行動をしているものと錯覚している。自分を自分で操縦 できるものと思い込んでいる。しかし実は刺激に反応して動き続けているだけのことで 思考や感情もまた刺激に反応して起こっているだけだ。何かを思い出すにしろ考えるに しろそのきっかけとなる原因が必ずあり、その原因がなければ思い出すことも考える こともない。因果に基づいて物が上から下へ落ちるようにただ動くだけだ。 これはオートパイロットで操縦されている飛行機に乗っているようなものだ。機長は実は 何もしていない。しかし機長は自分で操縦しているものと錯覚しており操縦桿を握って 必死に動かしている。この錯覚がエゴだ。飛行機は飛行機の都合で高度を上下させ 右旋回したり左旋回したりしている。何一つ機長の思い通りにはならない。にも関わらず 偶然一致することがあるので自分で操縦していると錯覚してしまったのだ。 この世界の何処を探しても操縦者は居ない。全ては突かれたビリヤードの玉のように ただ動かされているだけだ。一切に自由はない。私にもあなたにも誰にも。それだから 誰が何をしようともその責任を問うことは出来ない。全ては動かされた結果だからだ。 誰かが後ろから押したので転んだ。押した人に責任があるのか? いや、ない。その人も その後ろの人から押されたためだ。そしてその後ろの人も更に後ろの人から押された ためだ。因果の鎖は無限に繋がっており誰にも責任を問うことは不可能だ。そして 転んだあなたも転んだ時に踏み潰して殺した虫の命に対する責任はないのだ。 あなたは何もしていない。ただ現象が起こっただけだ。
>>191 >>192 良レス~
言葉で表せるものは表した時点で凍り付いてしまう感じ。言葉の次元におろしてしまったら
もうそれは違うものになるんだろうな~という。
悟りというものは定義できないし、定義できないと定義することもできないし、
パラドックス
ウィトゲンシュタインが 自分の言ったことを超えよ、登りつめたらはしごを捨てよ 語り得ぬものについては
沈黙しなければならないっていうのと
ブッダが悟りとはと聞かれて沈黙でもって答えた?のとなんとなく同じ匂いを感じるんだよな~
気づくにはどうすればいいの?
195 :
考える名無しさん :2010/03/07(日) 00:16:34 0
気づき易くする方法は色々あるが、仏教での止観の瞑想が良いかも知れない。 止の瞑想は呼吸に集中して雑念を放置し無念夢想になる瞑想。これは観の 瞑想をやり易くするためにある。観の方は自分の心の観察だ。 自分の心を観察して自分に起こった考えまたは感情は何故起こったのだろうかと 原因を探ってみる。それには必ず原因がある。そして直接的な原因の更にその奥に その原因を作った原因がある。という具合に芋ずる式にどんどん無意識の中から 原因を引っ張り出す。続けるといずれその根が自分の中にないことに気付くだろう。 つまり自分の心の中はドミノの駒が並んでいるのだが、その駒の先頭は自分の中には なく外に無限に続いており最初の一齣を倒した者が誰なのか全くわからないのだ。 その全く分からないことが原因で今のあなたの思考や感情が作られたとあなたが 了解した時に自分の中で起こった思考や感情は「自分のものではない」と気づくのだ。 単に自分の体がエネルギーの通過点になったに過ぎない。そして通過して伝わり 更に別の者を通過することになるだろう。倒されたドミノの駒にも倒したドミノの駒にも その行為の責任はない。行為はあるが行為者は居ないのだ。動かされた者は居ても 動いた者は居ないのだ。 川は自分で頑張って水を作って流しているわけではない。何故だか分からないが 水が集まってしまって流れているだけだ。笛は頑張って自分で音を出しているわけ ではない。何故だか分からないが息を吹き入れられてしまっただけだ。そして人間も また自分で頑張って生きているわけではない。何故だか知らないけど生きてしまって いるだけだ。
上の人が言ってるのと同じだけど、もうちょっと簡単?に言えば、感情や、いいわるいなどの 価値感を感じたとき、それがなぜか常に考える みんな自分の感情や価値感にあまり疑問をもたないけど、同じ境遇でも人によって出る 感情も判断も違う 他人は気にしないことでも自分は気にしたり、感情が出たり それは人によってその人の中にあるもの(自我、執着、こだわり)が反応してるせいだから、 それを考えていけば自分の中にどんな自我があるかわかる 例えば、お金を無駄に使ってる人を見てバカだと思うのはお金(金を使うこと、金を使うことで 得るもの失うもの)にこだわりや執着があるから もっとも、別の執着の仕方をしてれば無駄使いできてうらやましいと思うかもしれない そういう風に自分の中にどんな自我があるかで人それぞれ反応がかわる どちらにしろ何らかの自我があるから反応する 本当にお金に執着がなくなれば他人が無駄使いしようがどうしようがどうでもいい 自分が人生の中で自分の都合で勝手に作ってきた自分なりの自我が反応してるだけだと わかってくる 感情や反応が起きるたびに、どうして自分はそういう反応をするのだろう、自分の中の何が そういう反応をしてるのだろう、どうしてそういう自分になったのだろうと考えてくといいかもよ 自分の中がカラッポなら反応はなくなる どうにでも自分の好きに反応すればいいしこの世の全てから自由になる 反応してしまうのは自分の中に何かがある証拠 好きなものや守りたいものや許せないものや嫌いな何かがある証拠
あ、でもね、自分はお金に執着あるんだなあで終わりじゃないのよ 何故お金に執着を持つような自分になったのかが問題だから それを探ると例えば子供のころ友だちの持ってるおもちゃが自分も欲しくてそれを得るには お金があるばいいのだと思ったとか つまり原因は自分と他人の比較からだとか、自分と他人の優越問題からだとか じゃあどうして優越問題が生まれたかというと、優れてるほうが褒められてたからとか、自分 も親に褒められたり認められたかったからとかいろいろと出てくる あと、もし今自分の全てが満たされていたらお金も他人もどうでもいいよね 反応するのはどこか今の自分に満足してない、今の状況に欠如感を感じてるからじゃないかな 普段文句ばっかり言ってる人間も何かいいことがあればそのときはたいていの他のことは どうでもよくなってるしね 感情や反応は今の自分が満たされてないと自分自身思ってる証拠なんだ その思いが、自分を満たすために何かないかと常に反応しようとしてる どういう満たされない思いがあるのか探るのもいいかもね
>>194 やっぱり感情が起こったりしたときに、
一歩引いて周りから眺めるような癖をつけることじゃないかな。
ただ観察してるとどうしても、その感情は悪い、良い、こう考えるべき、べきでない
と色を付けそうになるんだよね。そしたらエゴにエゴで対抗してることになるから
とにかく淡々と眺める習慣を付けることかな。
もちろん私もできてるわけじゃないけど、
どんな方法にせよ、それができたら、悟りなんだというゴール設定は、
それこそ義務の発想になるから、できないならできないでよい、あるがまま。
と現状を全部ナイスキャッチしていく感じがいいのかなー。
「気づこう」と気づき自体を目的にするとなんかおかしくなるんだよね。
瞑想はしっかり指導してくれる人とかいるなら、
かなり近道になるかもね。思考からの脱却の。
阿頼耶識に触れようとする行為だと思うからあまり自己流はどうかという意見もあるし
調べるといいとオモ。
>>197 >今自分の全てが満たされていたら…
そうだよね。私も最近とみに思うようになった。
気にならないところは、自分が気にする必要がない、改善する必要がない、
今で完璧だと思ってるからこそだからなんだよね〜
本当に強い人ってどういう状況でも態度が常に変わらない人だと思った。
他人より真理に近づいている分、優れているというエゴを振り払うのが困難。 みんな自動操縦で生きてる中、自分が目覚めようとしてるなんて これ以上無いエゴのごちそうだからね。 一体感に近づいていると思いきや、むしろ分離していってるという喜劇。 自分は他の人間とは違って真理を会得していると思った分だけ離れていく。 自分の世界に篭って知識だけつけてる人間よりも 社会に馴染んでる、本なんて読まない人の方が幸せになれる。 ちなみにこのレスはエゴの挑発。
>>199 そうそうそうそう私まさにその道とおってたw
どこまでももぐりこんでくるエゴ。
もう私は文章や言葉にした時点でアウトという構えでいるようにしてるけど
↑
なんとこれも実はエゴ
↑
なんとこれも実はエゴ
エンドレス!
↑
なんと(ry
201 :
200 :2010/03/07(日) 19:45:34 0
つづき。 「わかった!これが気づきですね!」 となる高揚感はかなーり怪しいよね… 気づきを特別品にしているので。 そして、さらに。 「その高揚感は偽者だ!わははは!」となった場合すら、 笑っているのは誰だいという話に… そしてまたエンドレス…。 ということでやっぱりフラットに観察していくのが思考からの脱却に手っ取り早いかな。
あんまり深く考えないことなんだよね まあいっか。で終わらせてそれ以上は追求しない。 でもこれがなかなかできない。
追求していくとどのような状態もエゴのように思えてしまう ある状態を他の状態から選んでいることになるから でもある状態がエゴなのではなく、その状態にとどまりたいとかその状態を避けたいと思う のがエゴで、状態を味わうのはエゴじゃないよ だから高揚感も気持ちよさも悟ったと思う気持ちもその瞬間エゴじゃない その状態を次の瞬間にどうしようとか思った時点でエゴなだけ 与えられた状態はたのしむなり悲しむなり瞬間瞬間自由に味わえばいいよ まだ何も起きてない内から○○しようとか○○しないでおこうとか思ってるほうがエゴ
悟りたい、気づきたいっていう時点で自分は悟ってない、気づいてないって思ってしまってる わけで、本当は、自分は既に悟ってた!既に知ってた!気づいてた!って気づくべきなんだ よね 悟りや気づきが今ココにはないと勝手に想定して、ここにないどこかを求めているわけだから 自分は悟ってない、気づいてない、ココでないどこかに悟りや気づきがあるはずだっていうエゴ なんだよね
205 :
200 :2010/03/07(日) 21:46:07 0
>>203 ふむふむなるほど…
なるほどっていうか確かにと思ってきた。
>その状態を次の瞬間にどうしようとか思った時点でエゴなだけ
サンキュ!
>>200 エンドレスだと思う事がエゴなんじゃなくて
エンドレスである事を知っている俺って素敵やん♪がエゴじゃないの?
それを知らない奴が「なーなー、俺、悟ったで〜」と口にした時、
「なんやこのボケそれがエゴやし、そしてそれがエンドレスな事も知らんやろがい」
とそのエゴが苛立ちとして表出する事になる。
と解釈している。
207 :
206 :2010/03/07(日) 23:18:21 0
↑ちなみにこのレスは関西弁を嫌う人のエゴないしペインボディを挑発している。
足し算が好きなんだね
>>204 そもそも悟りとか気づきってなんですか?
>>209 自分が勝手に作り上げた「自分」のいない状態、特定の個でない視点、純粋知覚、ありのまま
どこかにあるものではなく今ココにあるものだから、悟りはないとも言えるし全てが悟りとも
言えるし…言葉にならないホニャララ…
>>211 簡単に言えば今初めてここに生まれてきた状態になる
何かとの比較を通しての認識をしないってことです
相対知覚ではなく絶対知覚、純粋知覚
今生まれたばかりだから何も知らないし、何かをそのまま認識するしかない
だからあれよりいいとかわるいとか、あれよりおいしい不味いとか、他との相対的な認識じゃ
なく、そのものをそのまま認識することになる
みかんの味を他の果物や今まで食べたみかんと比べて味わうのではなく、ただみかん!の
味がする
おいしいもまずいもなく、みかん!の味 初めてみかんを食べたときの味
何も知らないでみかんを食べたときの新鮮な味
りんごやみかんの味の記憶や知識を通してのみかんの味ではなく、純粋にただみかんの
味
そういうふうにあらゆるものに対して、純粋に知覚する状態
今までの記憶や経験を通しての知覚ではなく、ただそのままに知覚する、瞬間瞬間の純粋
知覚の連続
全てが何も知らないで今初めてふれる新鮮な知覚
214 :
考える名無しさん :2010/03/08(月) 00:45:21 0
まず、悟りを求めているのがエゴだ。だから本当に悟った時にはその悟りの体験者(エゴ)は居ない。 つまり「誰」も悟れない。その「誰」かは本当は最初から居なくて居るように感じているだけの幻だ。 影のようなもので、あると言えばあるけれどないと言えばないようなものだから。
215 :
考える名無しさん :2010/03/08(月) 01:05:32 0
エゴを完全に失わなくてもエゴの存在は確認可能だ。それは言い方を変えれば人格だからだ。 通常一人の人間の中には複数の人格が作られている。そして時と場合によって出てくる人格が違う。 家で一人で居るときはパンツ一丁で寝転がって鼻くそほじりながらテレビを見て屁をこいていたり するが会社に行くとその人格は微塵も出てこなくてあたかも屁などこきませんよという顔をして お客からの電話では声が変わったりしているものだ。しかし酒を飲むと裸になる。 これは要するに状況に合わせた仮面があって付け替えているようなものだ。この仮面がエゴだ。 ある意味どんな人も多重人格のようになっている。そしてある場面では偉そうになりある場面では ヘコヘコしていたりする。その他あまり使われない人格も沢山入っているだろう。おそらく外で 見かけた人の人格はどんどんコピーされている。(これは脳のコピーニューロンがやっている のかも知れない)。 なんでこうなるのかと言うとおそらく環境への適応率を上げて生存率を上げるためだ。生き延びる ために内部に色々な人格を作成して使い分けている。王様の前では物理的に首が飛ぶかも 知れないのでヘラヘラしないような固めの人格が出てくるわけだ。 問題はこの仮面をつけた状態の自分を本物の自分と思い込んでしまう所にある。これが苦を作る元だ。 だから仮面は仮面であると見抜く必要がある。単に見抜けば良い。どちらにしろ世界との交流を するためにはインターフェースとして何らかの仮面は付けざるを得ないので、仮面を活用すれば いいだけだ。あってはいけないものではない。それに振り回されてしまうことが苦に繋がるという だけのことだ。文字通り本末転倒になって主従逆転になるとまずいだけ。エゴが従になっている なら問題は起きない。
そうだね あらゆるものは真理とも言えるし、あらゆるものは仮面とも言える ようするに真理も仮面も同じであり、そういった何かは何もない 問題は自分が完全に自由かどうかで、自由であれば真理だろうが仮面だろうが好きにつけ かえればいい 悟ったと言おうが言うまいがどうでもいい 真理であろうが仮面であろうがそこから不自由でなければなんでもどうでもいい
217 :
200 :2010/03/08(月) 16:09:22 0
>>206 そうそう。そのエンドレス←これも…って
そのつもりだったんだけど、このままいくとドンドコ出てきて
壊れたPCみたいになるから深く考えないどこうという結論にw
結局どういう状態でもいいんだろうね。そのまんま。
円の始点と終点で同じ点って感じ。
うまいこと言ったとエゴを刺激してみる
状態を見るのではなく、運動を見る 点を見るのではなく、円運動を見る
エンドレスという事よりも 自分が絡むとエゴになるって知る方が大事だと思う。 トールも言ってたけど 光が音より速いと誰かに教える事はエゴじゃないが 自分と絡める(自分は、教えた人物より知識があるetc)とエゴになる。 逆に言うと自分を絡ませなければエゴじゃない。 あらゆる手段を使って自分を非特別化しなきゃいけない。 芸能人は全滅だろうし、 鏡の前でにらめっこしてるレベルでもダメかもね。 2chで言うとトリップ使ってるのなんか論外だろうね。
>>219 意味分からん
じゃあ本出してるトールはなんなんだ?
エゴが絡むのを承知でやってればいいってことじゃないのか?
あらゆる手段を使って自分を非特別化ってこれもエゴでしょう
>芸能人は全滅だろうし、 >鏡の前でにらめっこしてるレベルでもダメかもね。 >2chで言うとトリップ使ってるのなんか論外だろうね。 そんなのあっさりやめれるならエゴじゃないよ やめれないならやめれないだけエゴ 自分が道具を使うのはエゴじゃない 道具が自分より主体になってしまってるとエゴ 服着るのも音楽聴くのも金儲けも悟りを説くのもエゴじゃない そうせずにいられないときにエゴとなってるだけ
エゴとエゴでないものを分けたいのもそのそもエゴなんだよ 自分の都合であるものとあるものを分けたくなってるんだから
>>220 その通りだよ
エゴを無くすという目的に合わせて
「ダメ」とか「論外」とか言ったまで。
トールも言ってたけど
それがエゴだとは言ったが悪いとは言ってない。
非特別化についてはトールの本に書いてる通りで
エゴに捕らわれないようにする為。
捕らわれてるってのは気づいてないって事だからね
気づいているならそりゃ何してもいいのよ。
でも自分も含めてまだまだ全然気づいてないエゴがあると思うよ。
美人が横を通り過ぎるのを微かに意識する事にすらエゴはあると思う。
224 :
考える名無しさん :2010/03/09(火) 00:52:40 0
エゴを否定するとエゴに餌を与えることになる。否定すればするほどエゴは育つ。
225 :
考える名無しさん :2010/03/09(火) 00:53:41 0
エゴを否定しているのがエゴだからだ。何かを否定することがエゴだと考えても良い。
226 :
考える名無しさん :2010/03/09(火) 01:07:17 0
最もマナーの悪い人が他人のマナーの悪さに最も敏感になる。 最もエゴの強い人が他人のエゴに対して最も敏感になる。
それはどうかなあ
228 :
考える名無しさん :2010/03/09(火) 01:41:11 0
スレが200超えたか この人けっこう有名なんだね
229 :
考える名無しさん :2010/03/09(火) 02:09:57 0
エゴは雲のようなものだ。中心に何か芯が入っているわけではない。あるといえばあるしないと言えばない。 台風やハリケーンも同様。中心に空気をグルグル回している存在が居るわけではない。構成しているものも 全て空気でその他の場所の空気と同じだ。何か特別なものがあるわけではない。 雲も台風もハリケーンも環境によって作られ環境からエネルギーを与えられ環境によって動かされている。 しかしあたかもそれが主体となって動いているかのように見えてしまう。本当は何もないのにあるように見える。 動かされているだけのものなのに自分から動いているように見える。環境に支えられて環境の条件が揃った から存在しているだけなのにあたかも自分で頑張って存在しているかのように見えてしまう。しかしそれは錯覚だ。 本当は何もないのだ。
230 :
考える名無しさん :2010/03/10(水) 21:49:12 0
わたくし わずかな教養と 豊富なペインボディを持つ者です。
231 :
考える名無しさん :2010/03/11(木) 02:40:56 0
エゴを受け入れろ。エゴを認めよ。エゴを喜べ。エゴに感謝せよ。 それがエゴを縮小させる方法だ。
ヒトラーさま ∩( ・ω・)∩ばんじゃーい
/つ_∧ /つ_,∧ 〈( ゚д゚) |( ゚д゚) ヽ ⊂ニ) あっなしよ ヽ__と/ ̄ ̄ ̄/ |  ̄\/___/ ̄ ̄
234 :
考える名無しさん :2010/03/11(木) 03:44:34 0
エゴは世界への抵抗として生まれる。だから、抵抗する必要性を失わせれば良い。エゴを否定するな。
そういうおまえのエゴを認めろってんだろw アホくせ
他人のエゴがどうかなんてどうでもいいやん 自と他が分離してるぞよ
「 」
快楽は全て苦に繋がるって聞くと凹む どうしろいうの
240 :
考える名無しさん :2010/03/12(金) 01:42:16 0
認めるものと認めないもんを分けたりめんどくさいことせんでもええやん わざわざめんどくさいことするのが好きやのう 敵と味方つくって戦争ごっこじゃああ☆
242 :
考える名無しさん :2010/03/12(金) 02:25:51 0
いやん、なにかを認められない自分をまず認めてあげてええ
244 :
考える名無しさん :2010/03/12(金) 03:20:33 0
私は全てを認める。
全てを認めた俺は全てを認められない奴より優れている→分離の始まり
全てを認めるってのは認めないことも認めるわけだから、認めるも認めないもなくなるんだよね 何かを認めようとするのは認めることがいいことだと思ってるわけで、何故いいことだと思う かといえば、大体は「深層心理に自分が他人から認めてもらってない思い、認めてもらいたい 思いがある→認めないのはよくない、他人を認めてあげよう→認める行為はいいこと」だった り、「他人を認めてあげられてない自分というコンプレックス→全てを認められる人間になりた い→認めることはいいこと」みたいに、自分の内面問題からきてるんだよね だいたい既に全てを認められてるなら認められるとか認めないとか気にしないというかもう いちいち反応しないわけで、「認める」とかじゃなく「認めた」になって、認める認めないの作 業はもう終わってるはずなんだよね なんてことは本来自分で気づくべきで、自分で気づけばズルリと自我自体が抜けるけど、他 人が言っててそうだなと思っちゃうと単なる納得で終わる(納得で終える自我ができてる)から どうどうめぐりであれなんだけど
ここ最近の認める認めないレスってネタじゃないのかw
248 :
考える名無しさん :2010/03/12(金) 21:18:00 0
私はネタを認める。
>>246 そうそう~私もそう思う。コインの裏表なんだよね。
うまく言い表せないことを上手にいいなさるな~w
あるというわけでもない、ないというわけでもない
あるというわけでもないというわけでもないというわけでもない。みたいに
ということでそこには沈黙が残るよね。沈黙っていうのも一つの定義だけど
状態としての沈黙。
しかも、ものすごいパワーが滑らかに活動しているゆえの静寂、か
251 :
考える名無しさん :2010/03/13(土) 00:32:19 0
252 :
249 :2010/03/13(土) 00:35:14 0
成功哲学とか、精神的な本とか、 ○○してみてください、そしたらこれがこーなってあーなってこういう理由でこうなるでしょう。 ってな感じで書いてあるじゃない? 私は、先にプロセス言われたらもうそれは形骸化してしまうんじゃないかなって ずっと思ってたんだよね。 手段が目的になってしまうというか。プロセスがゴールになるというか。 例えば、瞑想やら座禅で、適切な方法で適切な要領できちんと説明してある。 で、瞑想を進めていくと「どうなるか」「どんな気持ちになるか」が本に書いてある。 ここで自我の出番。 瞑想のための瞑想でなくなって、 「瞑想を進めていくとどうなるか」の、この状態を「目指す」ようになる。 おかしいこういう現象が現れるはず。ってなる。 結局本末転倒になる。 このカラクリっていろんなところに出ている気がする。
>>252 そういう構造ももちろんあるし、あと他人の言葉は自己と結びつけない問題があると思うん
ですよね
例えば自分のこと「おれはバカだ」って簡単に言う人がいるけど、あれは「バカなおれがいる」
って他人事として捉えてる
そういう人は自分では「おれはバカだ」と言いながら他人から「お前バカだな」って同じこと言
われたら気分を害したりするわけで
つまり「おれはバカだ」って言うことで「おれば自分をバカだと認識できてるぞ」という構造にし
て問題を解決した気になり満足してる
本当は「ああ!おれはバカだ!!」と言葉の内容と一体にならないといけないのに、「おれは
バカだ」と自分と関係ない他人のことのようにして自分の外側に置いてしまう
つまり「バカなおれ」と「それをわかってるおれ」と自己が分離して別々の自己を作り出してる
同じように他人から悟りはこうだとか自我なんて無いとか言われても、その通りだなあなんて
他人事のように言葉として納得してしまう
本当は「悟りはこうなのか!」とか「自我なんて無いんだ!!」って自己の気づきにならないと
本当じゃないのにおれは納得できたんだよかったよかったってことにして終わらせてしまう
それじゃ自我や依存の対象が別のものに移行しただけで気づけてないのに
この問題が起こらないように禅じゃ合理的な答えを言わないし、仏陀やクリシュナムルティ
なんかも対話を通していくことで本人自身に考えさせようとしたと思うんですよね
気付かせるための話し方でしょうか。 それはミルトン・エリクソンのようにでしょうか。 私には分かりませんが、それは人に教える、いや語り合うことのためにさえ、嗜んでおきたいことかも知れません…
255 :
考える名無しさん :2010/03/13(土) 03:20:28 0
「これで、いいのだ。」 (バカボンのパパ・談)
>>253 なるほどなるほど確かにおれバカの話は納得。
特に「それをわかってるおれ」のところ。
人に表明しなきゃ気がすまない部分は心底では怪しいねかなり。
>自我や依存の対象が別のものに移行
そうだよね。いやはや経験ありw
心に例えば名声地位など外側を飾るガラクタを溜め始めて、
それでうまくいかなくなって今度精神性という部分に焦点をあてて、
自分はスピリチュアルな存在だ、地位名声に拘らない存在…とそれを名札にしてしまう行為、
これはガラクタを捨てているように見えて、
実は新たなガラクタを溜め始めただけで、なんら変わりがないということ。
むしろ自覚されにくい分、厄介。
私はいつぞや、あーこれは形を巧妙に変えたただの競争だな、とがっくりきたことがあって、
(外側の競争に疲れて内に向かったら実はそれも競争していた)
そのときブッタとシッタカブッタシリーズの「ブとタのあいだ」のガラクタに例えた話を見て、
まるごとスッコンと納得したよ。
この人の本、エックに読ませたら共感すると思うんだよなー
漫画だけど。
ふふっ
258 :
考える名無しさん :2010/03/13(土) 17:45:23 0
やたら恥ずかしがるとか上がり症だとかは自意識過剰というけれど、 この自意識がエゴだな。肥大して分かり易くなったエゴ。「自分」という ものがあるという錯覚により発生している認識。そして自分がやって いるのだというそこから派生する事実誤認。 だから自意識が小さくなると上がり症などは治る。
認めるって言葉はどっからでてきたの? その言葉自体に自惚れ、または上から目線のニュアンスが多少なりとも含まれる それらのニュアンスを無くした言葉が「受け入れる」という言葉だから 認めるという言葉はほとんど使う事なんて無いんじゃないかな
それはそれで「認める」とか「受け入れる」という言葉に勝手な意味を持たせてるよ 世間的にどんなエゴじみた言葉でもこだわりを持たずに使えばエゴはないし、「受け入れる」 という言葉でもこだわりを持って使えばエゴを含んでる エゴが抜ければ自分からしゃべる気も起きないから一般的には言葉はほとんどの場合エゴ とも言えるけど 根本的には使う人がどう使うかだと思う
261 :
考える名無しさん :2010/03/13(土) 23:05:47 0
認めさせていただきます。w
262 :
考える名無しさん :2010/03/13(土) 23:27:07 0
受け入れてあげてもよろしくてよ!
なーなー 俺のうんこく喰ってよ誰か つ●
264 :
考える名無しさん :2010/03/14(日) 00:59:09 0
喰いますので画面から出してください さあどうぞ どうぞ
265 :
考える名無しさん :2010/03/14(日) 01:11:09 0
エックハルトは、禅、無、空、公案等を知っていましたか。 funkeに影響を与えていますか。
>>264 ↓ _人
∩ ∧_∧ ノ⌒ 丿
\ヽ_( ) _/ ::(
\_ ノ / :::::::\
∩_ _/ / ( :::::::;;;;;;;)
L_ `ー / / / \_―― ̄ ̄::::::::::\
ヽ | |__/ | ノ ̄ ::::::::::::::::::::::)
| ̄ ̄ ̄\ ノ そんなに ( ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;ノ
| | ̄「~| ̄( 、 A , )喰いたきゃ / ̄――――― ̄ ̄::::::::\
| | | | ∨ ̄∨ ( :::::::::::::::::::::::::::::::::)
し' し' \__::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
__
>>264 l ̄/. ___
↓ / /. / ___ノ
__/ /_/ /
送ってやんよー? Y人, ' ',人⌒ヽ、, '
Y⌒ヽ)⌒ヽ、 人,ヽ)人'、, '
へ, --- 、 ノ ̄ ::::::::::::::::::::::)
/ ̄ ̄ ̄ 、____\ ( ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;ノ
/ _/ ̄「~|\ __ \ / ̄――――― ̄ ̄::::::::\
| | | | ( 、 A , \ミソ ( :::::::::::::::::::::::::::::::::)
し' し' と∨ ̄∨ \__::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
267 :
考える名無しさん :2010/03/14(日) 01:40:59 0
う、受け入れてなんてあげないんだからねっ。
268 :
考える名無しさん :2010/03/14(日) 22:36:23 0
269 :
考える名無しさん :2010/03/15(月) 22:37:10 0
天才薄伽梵
270 :
考える名無しさん :2010/03/17(水) 02:08:56 0
なんださとり増刷してんじゃん 増刷するのを決めるのに時間がかかったりすると空白の時間があるんだな
272 :
考える名無しさん :2010/03/18(木) 00:04:48 0
そうか。まだ売れ続けていたのか。さすが。
273 :
考える名無しさん :2010/03/20(土) 22:49:02 0
悟りage
274 :
考える名無しさん :2010/03/22(月) 19:06:22 0
かぶきage
中村屋sage
276 :
考える名無しさん :2010/03/22(月) 19:33:17 0
何で日本じゃマイナーなの?
仏教や老荘思想が昔から有名だからじゃないの
278 :
考える名無しさん :2010/03/23(火) 01:27:10 0
まず、日本ではまだ願望実現ということでないとあまり売れないんじゃないかと思う。 願望実現を延々とやり尽くして行く途中でこういった本にも手を出すというパターン だろうから (本屋での売り場が同じだからね)。
っていうか海外じゃメジャーなの? メジャーってもピンからキリまであるだろうけど
280 :
考える名無しさん :2010/03/23(火) 01:54:36 0
アメリカではかなり売れたんだよね
有名な司会者のオプラ・フィンフリーのブックなんとやらに選ばれて
爆発的に売れたんじゃなかったかな?
確か彼女のトーク番組にも出てた。
日本て色々な部分でアメリカの20年か30年遅れで流れてるところがあるから、
東洋の知恵を全体が注目することになるのはまだ先なんじゃないかな?
私も
>>278 の仰せの通り、
願望実現(というかやりたいことがわかんなくなって色んな書物に手を出した)
のきっかけにこっちに流れてきたクチ。
私の場合強烈に何かの願望に拘ってたわけじゃないから
簡単に流れることができたんだろうけど、どうしても叶えたい何かがあったら
直接解決してくれなさそうな書物はスルーだったと思う。
でも、この本にたどりつき、賞賛し、
知っていることにすら優越感を長いこと抱いていたよw
これは…ry
282 :
考える名無しさん :2010/03/23(火) 21:36:37 0
アメリカの場合60年代のヒッピーブームから尾を引いているというのがあるんじゃないかな。 ニューエイジなどにハマった人が今は老人になっていて丁度良い年齢だったりする。 多分ハマったままの人の人数が多いんだろう。だから若い世代に伝えようとする人も多く、 実際に伝わった人も多いので日本よりも流行り易い。 日本の場合はそこら中に仏教の寺があって座禅だの瞑想だの悟るだのの情報は腐るほど あって全く珍しくない。手を伸ばせば幾らでも手に入る。ただ、飽き飽きしていて手を出さない だけだ。誤解されたまま、あるいは意味が分からないまま言葉だけ広まっているものも沢山 あって、それが仏教に一般人を近づけない原因になっているように思える。大多数の人には 初詣に行く場所とか葬式のためのものぐらいにしか認識されていないように見える。 しかし調べるとかなり重要なものもあったりする(9割はクソ情報と感じるかも知れないがw)。
アメリカ人はお目覚めの人が多いの?本は売れただけ?
>>283 ヒッピーブームからの流れとか、ガンガン成功法則&物質主義信仰の行き詰まりとかで
皆がやっぱり興味を持ってるんじゃないかな。
資本主義的システムとか煩悩?をうまく使った形でよく売れたって感じだけど
(有名人が薦めると売れるあたり)結果的に何らかの良い影響を与えることができるなら良いよね。
逆輸入的だけどトールのおかげで仏教をちゃんと知りたいと思うようになったから
よかったかもな〜
自分もトールの影響でクリシュナムルティと禅の本読み出した どっちもすんばらしぃ
へークリシュナムルティは神秘色が強い気がして手を出せなかったけど そうでもないのかな、読んで見ようかなー。 マイスターエックハルトと禅の共通点に関する本も出てるし、 この世の真理はシンプルな何かがあって、 キリスト・イスラム問わず、そういう宗教はそれを下敷きにしているんだろうね ただ装飾が過ぎて誤解が繰り返されて見えづらくなってるのかもしれないけど。 そういう意味で日本人はトールとか過去では異端扱い受けてた 神秘主義的キリスト教の観念が受け入れやすいはずだよね。 やおろずの神だし、汎神論的だし。 あー日本っていうか昔の日本ってすごいよね。改めて。 ごめん感極まった
287 :
考える名無しさん :2010/03/24(水) 21:27:12 0
荘子 クリシュナムルティ 臨済 一休さん トール この人たちは、権威とか格式とかそういうものを退けて、真理が装飾される事を避けたね バリバリの「宗教」より、シンプルさを兼ね備えたこの人たちを支持したい
288 :
考える名無しさん :2010/03/24(水) 21:33:22 0
則天去私
289 :
考える名無しさん :2010/03/24(水) 22:44:19 0
釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな 一休
トールよりクリシュナムルティの方が神秘色ないよ トールは○○ボディとか世界との一体感とか未来の到来とか 飴でくるんだような甘いイメージ使うけど クリシュナムルティは本当に「今」しかなくて 嫌なものも本当に直視するから(もちろん「嫌だ」という思考を消す訳だが) 逆に禅のような厳しいイメージを使うこともないんだけど イメージというまやかしの出番がないのが本質すぎて厳しいかもね
291 :
考える名無しさん :2010/03/25(木) 08:48:50 0
>290 そうなんだ〜 今日図書館行くから早速探すわ インドって東洋の奥義のイメージが強くて。偏見だったわ。 禅・キリスト神秘・ヴェーダなど多角的に検証するのも趣味として面白いかもね。
294 :
考える名無しさん :2010/03/26(金) 12:13:12 0
禅とに興味あるけど南直哉とかには行かないんだね。
295 :
考える名無しさん :2010/03/26(金) 12:15:54 0
もっと日本語訳してくださいな。飯田史彦以外で
296 :
考える名無しさん :2010/03/27(土) 00:06:23 0
お願いです。飯田さん。お願いですから悟ってください。
あさりなんとかもトールから訴えられたら負けるレベル
298 :
考える名無しさん :2010/03/30(火) 01:12:20 0
この人の抵抗しないっていう教えで、老子の無為自然の意味がピーンと来た
299 :
考える名無しさん :2010/03/30(火) 02:41:14 0
あー。抵抗はエゴを育てるねえ。
抵抗すまい抵抗すまい… と思ってたら その事自体に執着してる私はひねくれものですかねぇ… マジメなのかな〜 他の本にも あるがまま受け入れろ→ムリ(受け入れなければ!でもムリポ) そんじゃ受け入れられないことを受け入れろ→ポ?みたいな問答あったし やっぱりエゴが巧妙にもぐりこんでくるのかな。 結局そんなループを絶つには空っぽが一番なんだろうな。 たまに何か堂々巡り始まりそうなときは 考えなーい!とストップかけてるつもりだけど その「考えなーい!」というやり方自体にいちゃもんつけてくる私の頭の声。
今に在るなんて無理です。どうすればいいの? どんどん醜い感情憎悪が湧いてくるんだ。トールさん助けて。
303 :
考える名無しさん :2010/03/30(火) 22:57:35 0
>>300-301 否定も肯定もせず心の動きをただ観察すると良いと思う。出てきた思いに対して抵抗しないことだ。
抵抗しないで観察だけをする。そして何故その思いが出てきたかを探る。どんな思いであっても
それには善悪はない。たとえ恨みであろうと殺意であろうとそれはそのような思いが出てくる理由が
あって出てくるだけだ。その理由を心の底から全て引き出して白日の元に晒せばその思いが勝手に
湧き出すこともなくなる。記憶は感情を伴わないただの記憶になり今に影響することはなくなる。
304 :
考える名無しさん :2010/03/30(火) 23:23:02 0
それと色々なことへの抵抗や逆らうことをやめることだ。無理に止める必要はないが、 出来る所からすれば良い。抵抗はエゴを育てる。エゴそのものも芯まで抵抗で出来ている。 抵抗する心の塊がエゴだ。自然を許さないのがエゴだ。自分と自然とを切り離し自然に 逆らって戦うのがエゴだ。自分は他のものとは違うという思考がエゴだ。現実には全ては 一体であり切り離すことは不可能でありあなたが世界なのだ。
>>303-304 ありがとう
やっぱり頭でわかるのと体でわかるのって違うねorz
私対して深刻な悩みではないんだけど
これでいいのかな?という感じで世間の常識と外れた生活してて、
それがたまに不安なんだよね。この不安もエゴだろうから気にしなくていいやと思うと
楽なんだけどそもそもそのエゴがどーしたこーしたっていうのが
壮大なる「なんちゃって」か自分の怠惰を言い訳するだけの方便だったとしたら
私は間違った方向に行っているかもしれない…
と根本を疑うんだよ。そこさえ疑わなきゃ平気。
トールの言っていることは本能でストンとくるような感じ。
でも今までなんというかこうあるべきってのが強かったからそこから外れるのが
怖いみたい。で、そこを脅かしてるのがエゴ、というその考え自体も
いいのかよーそんな考えでってツッコミが入るのです。
無駄に年月過ごしてるんじゃないの〜?と。
とにかくガムシャラに頑張らないとだめだよ〜と。orz
↑
>>300 ですワタシ。
なんとなく自己解決した。
怠惰であったとしてもいいか。
楽なほうを選ぶよ。
今までガンガン頑張って結果出してきたからなれないんだろうね。
疑う性格だから疑いを晴らそうとしても無益だ というか晴らせない
いや疑ってないんだけどなんというか楽してはいけないという思いからかな?
目に見えるものと効率を重視というか…
ま、それも個性だし、その部分を黙殺して頑張りながら頑張らないでいくよ。
307 :
考える名無しさん :2010/03/31(水) 01:23:50 0
何故疑いが強いのだろうか、どうして疑うのだろうか、という具合に観察してみれば良い。 別に疑うことはあったって構わない。ただ度を越した不信感は自他を苦しめることに 繋がり易いからなるべく小さい方が良い。人を疑えば人は嫌がり自分を疑えば自信を失う。 疑いの強さは妄想を膨らませ怒らなくても良いことで怒り恐れなくても良いことを恐れる ことに繋がる。
308 :
考える名無しさん :2010/03/31(水) 02:11:27 0
大雑把に言って他人を意識した思考はエゴの産物だと考えて良いだろう。 普通は他人が居るときと居ないときで緊張の度合いが変わる。それは自他を 分離した形で思考するエゴによるものだ。もしエゴがほとんどなければ小さい 子供のように自他を大きく意識することも恐れることも恥ずかしがることも こだわることもなくなり苦痛は減る。
>>307-308 うん疑い・不信感っていうのはなんていうか自分のやり方に対してなんだよね
観察をする、という行為をしようとしていること自体が、何かに寄りかかっているのではないか?という
自分に対する不信というかな?
私、何か一つの考えとかを妄信している状態があまり好きではなくて
何かの考え方に「沿って」いくっていうのにうーんとなってしまうんだ。
もちろん妄信ではないよ、ただ本読んでるだけでナルホド!と納得してるし。
分かりづらいな〜
エゴというものが存在する・それは自分をおびやかす・分離を感じさせる何かであまりよくない
これを前提としておいて観察が始まるよね?
私はこの「前提」とするっていうのが何かに頼っている行為なのではないかな?
本来は自分で自分の運命を切り拓いていけるのに、何か一つの考えに染まってないかな?
とチェックが入るんです。
もちろんこの性格はいい面もあります。
冷静なんですよいろんなことに対して。
ただこのトールの書籍から受けた衝撃というか影響が本質的だからか
ぐらっとくるときがあるんですよ。
ただ何かに寄りかかってはいけない、と強く思うことも実は「何かに寄りかかってはいけない信仰」
になるので表裏一体だとは思いますが。
素直じゃないの。要するにw
ただそれすらをまるっと含めてどちらでもよいよい、という心境に近づいているので
遠回りだけどいいかな〜と思います。
続き 主義・主張、特に度合いの強いもの にどうも嫌悪感を感じるんだ。 あとドグマ・教義にのっとった考え方を常にする人、 排他的な宗教、過度なポリシー、それしかないと妄信する行為 エゴがどうしたこうしたっていうのを自分の思考によって、そこから出される言語によって 解釈する行為がどうしてもそういうポリシーのように感じてしまうときがある。 でも本能では本当のことだと思っていると思う。矛盾?いやいやそうでもないんです。 多分言語分野におろしてきたときに、もしくは過度にその考え方を支持したときに、 なんか違うぞ〜?となるんじゃないかな。 まだ未熟ですけん… でも一連のレスは本当に淡々としてて 色がついてない感じで本当に参考になるよ〜あるがままというのかしらん。 中立的。 私カンの冴えには結構自信あるんだ。人の発言を文字で見ても、 この人はエゴという概念を弄んでいて、実はその弄んでるのもエゴじゃないかな? ってこっそりだけど思うこともあるかなりひねくれた人間。 スレ汚しごめんなさい
311 :
考える名無しさん :2010/03/31(水) 23:49:13 0
>>309 > エゴというものが存在する・それは自分をおびやかす・分離を感じさせる何かであまりよくない
かといってそれをなくそうと努力してしまうとそれもまたエゴの餌になる。否定がエゴの元であり
否定はエゴを育てる。
但し、実際にはエゴはない。これは否定的思考によって作られた、あるように見えるだけの幻影だ。
あるように見えてしまう理由は否定的思考を保持したままだからだ。歪んだメガネを掛けている
ために何も存在していない空間にあたかも何かがあるように見えてしまうのと同じことだ。観察を
続ければいずれそれが最初から存在していなかったことに気付くだろう。本当は最初から何も
ないのだ。
312 :
考える名無しさん :2010/04/04(日) 22:37:13 0
何が本当の自分なのだろうかと考えても答えは出ない。 何が自分ではないのだろうかと考え自分以外のものを全て取り払った残りが本当の自分だ。 取り払われるものはこれまでに自分であるとして知覚してきたもの全てになるだろう。
313 :
考える名無しさん :2010/04/06(火) 10:55:35 0
桜って接木だろ? みんな分身ということだよな。 あれが人間にできたら自分が何人もいることになるよな? ということホントの自分ってなんなのさ?
314 :
考える名無しさん :2010/04/06(火) 11:01:45 0
アメリカのアマゾンレビューから抜粋です。星一つでしかも2467人中2054人も支持され ているので個人的には気になっております。 翻訳を使っても意味不明なんで暇な誰か翻訳してくれません? This is an interesting book to review because I can tune in and see what is happening to people who read it and get a close up look at the author using his philosophy to answer questions. While I applaud Oprah for this novel approach to bettering the human race, I take issue with both this author and his book.
I read Tolle's first book and found it to be a boring rehash of Buddhism. Because Oprah was so high on his second I figured I'd give him another try and join the book club. I thought it would be interesting to see a book "in action" and discuss it with others. I even sent a copy to my sister who could use a bit of computer recreation since she now lives in a very small town. This book is better than the first in that it is a better compilation of Buddhist thought. However, it rambles constantly, draws conclusions from encounters that are not necessarily justified and the attitude of its author (who sees himself as enlightened and continuously "conscious" and egoless), is laughable. Tolle's vanity is nothing short of astounding. Buddhism isn't a pill, it is a practice and awakening has many layers. In spite of this, Tolle has tons of people saying that they have awakened. On one hand adherents claim to be valiantly battling their ego's while on the other they flaunt their "awakening", telling others who claim to be in serious pain to simply read page such and such or tell their "pain body," to effectively shut up and go away. Yikes!!! While it is true that you can't blame the messenger for what people do with the messenger (Jesus protect me from your followers!) Tolle adopts a similar attitude toward others on the streaming video. His dead pan delivery of jargon in response to questions does not impress me as enlightened or egoless. It might behoove him to remember that those Zen stories he includes in the book were once used by master to deliver highly specific teachings that met the needs of particular students.
He has turned awakening into a race....to what I am not sure, but I do know that enlightenment is not a competitive event. A few months from now there are going to be a lot of people with one hell of a philosophical hangover caused by all those subconscious drives they never bothered to examine and thought they'd left in a dumpster somewhere. I keep waiting for the day when someone writes a version of Buddhism for the working mom. I think that person should herself be a mother with at least one ADHD child. She should be clinically depressed and have a couch potato for a husband. If she manages to help the child grow into someone with a good marriage and a real profession, I'll buy all of her books. Unfortunately what we keep getting are philosophies created by self-satisfied, introverted, childless, hermits like Tolle. There is nothing wrong with an introverted, childless, hermit being self-satisfied. What is wrong is suggesting that his way of being represents THE path to enlightenment for everyone. I would say that all he has found in Buddhism is a treatment for his (self acknowledged) form of depression and suicidal thoughts. I am glad he is well and happy and wish him the best....but I won't buy anymore of his books because they are just Buddhism repackaged and linked to an attitude I am not fond of.
私は、テレの最初の本を読んで、それが仏教の退屈な焼き直しであることがわかりました。 作者(自分が開眼していて絶え間なく「意識してい」て自我に捕らわれないとみなす)の態度はおもしろいです。 テレの虚栄は驚かせるのに何も不足していないものです。 仏教は錠剤ではありません、そして、それは習慣です、そして、目を覚ますことで、多くの層があります。 これにもかかわらず、テレは、たくさんの人々に彼らが目を覚ましたと言わせます。 彼らがもう片方で単にページを読むために真剣な痛みでいると主張する他のものにしかじかを言って、 彼らの「目を覚ますこと」を見せびらかすか、 または事実上、黙って、遠ざかるために自分達の「痛みボディー」を言っている間、 一方では支持者は、勇敢に彼らの自我のものと戦っていると主張します。 私はだれかがワーキング・マザーのために仏教のバージョンを書くその1日の間、待ち続けます。 彼女が、子供が素晴らしい結婚と本当の職業でだれかになるのを何とか助けるなら、 私は彼女の本のすべてを買うつもりです。 残念ながら、私たちが得続けることは、テレのような自己満足していて、 内向の、そして、子供のない隠者によって作成された哲学です。 内向の、そして、子供のない自己満足している隠者に具合が悪いものは何もありません。 それほど意味不明でもない
319 :
考える名無しさん :2010/04/08(木) 22:43:21 0
エックage
320 :
考える名無しさん :2010/04/09(金) 00:09:18 0
This is an interesting book to review because I can tune in and see what is happening to people who read it and get a close up look at the author using his philosophy to answer questions. 私が波長を合わせて、何がそれを読む人々に起こっているかを見て、彼の哲学を使用 している作者へのクローズアップ一見を質問に答えさせることができるので、これは批評 するおもしろい本です。 うう・・・ Excite 翻訳はこんなもんか。
321 :
考える名無しさん :2010/04/09(金) 20:03:01 0
>>318 充分意味不明だよ。片言の外人よりひどい。
322 :
考える名無しさん :2010/04/09(金) 20:36:54 O
323 :
考える名無しさん :2010/04/16(金) 20:58:35 O
アイ アム ア ペン
324 :
考える名無しさん :2010/04/16(金) 21:50:28 O
これも一つの観念ではあるがエゴを縮小させるのに丁度良い考え方を書いておこう。 あまり常識からはかけ離れていないのでこれを信じることも楽だと思う。 その考え方とは「全ては運」という考え方だ。金持ちになるのもノーベル賞を 取るのもギネスブックに載るのも大統領になるのも一切は100%運であり本人の努力に よるものではない。努力するにしても努力するための機会や時間や資金、及び 忍耐力がなければ努力することすら出来ないのだから完全に運だ。また機会や 時間や資金、及び忍耐力があったとしても元々能力がなければ伸びようがない。 当然これもまた運であり本人には何の責任もない。人生がうまく行こうが行くまいが、 金持ちになろうが貧乏人になろうが、善人になろうが悪人になろうが、その本人には 一切の責任はないのだ。本人の努力などというものは幻想である。 この考え方を信じることにより自分の失敗も他人の失敗も許せるようになり、 金持ちや成功者を妬んだり崇めたりというアホらしい行為に時間を奪われることが なくなる。何に対する怒りもなくなる。今後も誰が成功しようが失敗しようが、 また自分が成功しようが失敗しようが、それもまた運である。誰のせいでもない。 何故かそうなるようになっていたからそうなっただけだ。 この考え方は信じることが楽だろう。いくらでも証拠が見つかるからだ。エゴは 証拠を集め続けその通りだと納得すればするほど縮小せざるを得ない。自分で何かを する必要性がどんどん失われて行くためだ。
325 :
考える名無しさん :2010/04/22(木) 22:22:31 O
egoage
326 :
考える名無しさん :2010/04/28(水) 21:37:57 0
ハルト揚げ
327 :
考える名無しさん :2010/05/02(日) 13:34:18 0
仏教の焼き直しっていうけど、仏教の伝統とは無縁で過ごしてきた人たちが何らかの神秘体験を経たのちに到達する境地が仏教の説くところと一致しているというのはすごいと思う。 仏教の焼き直しというより、普遍的な神秘体験をまとめたのが仏教でないのかな。
328 :
考える名無しさん :2010/05/02(日) 21:48:00 0
普遍的なんですか
329 :
考える名無しさん :2010/05/02(日) 22:46:59 0
神秘かどうかは知らないけれど、仏教は悟るための修行方法が確立されていて実績がある。 他の宗教にもあるとは思うが経典の文脈の中に隠れていて分かりにくいものもある。 キリスト教とかも聖書をよく読むと祈り方とかが瞑想に相当するとか分かるのだがただ漫然と 読んでしまうとうっかり読み飛ばしてしまう。なんか重要なことがサラッと1行で書いてあったり して結構難しい。
330 :
考える名無しさん :2010/05/02(日) 22:50:21 0
キリスト教の場合は神を信頼して全てを神に委ねるのがキモだ。これと祈りがエゴ縮小 に繋がる。不安に基づいて自分であれこれ考えてやらずに神に委ねておけという感じ。 大乗仏教で言うなら「他力」だな。阿弥陀仏に任せとけと。
人間には修行が必要なのかもしれないな。 生まれた後に言語を訓練し、社会ルールを訓練し、仕事の訓練をし、子育て方の訓練をする。 精神の訓練も必要な動物なのだろう。
人を殺して悟りを得ることもある。 と、俺は人を殺したこともないのにそういうふうに思ってしまうのだが、 悟りというものに善悪がないのであれば、これは多分真実だろう。 だから悟りはおっかない。だから宗教も哲学も一歩間違えばとんでもない方向に行く。 なんでこんなこと書いているのかといえば、俺は危ない人間だからだ。 危ない人間だけれども、その自覚があるからなんとかまともに暮らしている。 結局のところ、どうしていいかはわからないのだが、なるようになるしかない。 最近は感情の起伏がほとんど無くなってしまった。 強い憎しみに支配されるときもあるが、それも大して気にならなくなった。 じたばたしてもしょうがないって感じだ。 俺だってなりたくてこういう人間になったわけじゃないからな。 人生なんてこんなもんだろって思ってるよ。
漫然と過ごしていては分からないような気付きというものがある。 自分や親や子供に障害があったり、どうしようもない不幸のどん底に陥ったり とんでもない犯罪を犯し拘留され極刑が間近となった、といった状況になったり そういう人の方が悟りに近い。
でも普通の人でも断食で極限に追い込む事ができる。
その人にとっての悩みといかに向き合えるかだと思うよ 物理的に過酷な状況の人間なんて世界に山ほどいるけど、だからって悟れるとも思わない もちろん人間が耐えられる限界はあるから可能性は高くなると思うけど 他人から見て何不自由ない生活の人でも自分の内面をちゃんと見れれば悟れると思う むしろ状況うんぬんじゃなく、どこまで今、自分とちゃんと向き合えるかというそういう意味で の過酷さが大切じゃないかな どんな人間にとっても自分と本気で向き合うのは過酷だからね
そう、だから漫然と過ごしていては気付きはない訳だ。 釈迦も王族の出身であるし、一概に言えないことは分かっている。 ただ、過酷という言葉を弄ぶだけの人間より、本当に過酷な状況の人間の方を励ましたかった。 俺のエゴだよ。
そうですね 過酷な状況はある意味悟れるいいチャンスだとして精進したいものですね 試練や逆境は彼岸からの恵み
338 :
考える名無しさん :2010/05/04(火) 23:09:56 0
>>336 釈迦は最初は荒行をやっていたのだが全然悟れなかった。なので荒行は止めた。
そしたら悟った。
なので何故悟れたかについては大きく二つの見解がある。直前まで荒行をしていた
から悟れたのだという見解と無理な断食などの荒行をやめたからこそ悟れたという
見解だ。ただ釈迦は結局のところその後荒行は誰にもすすめていないのでやはり
荒行には直接的には意味はなかったんだろう。釈迦は修行方法としては止観の
瞑想をすすめており、それで悟った者が沢山出ている。
一般的に「修行」というと困難を乗り越えて超人になるかのごとく思われているかも
知れないが、実際にはそんなことはない。物事を困難と感じてしまう観念を滅する
のが修行のキモだ。つまりうまく行った場合、修行すればするほど心は楽になり
平安になって行く。そうなって行って最後の最後で悟るかも知れないということだ。
実際のところそうなっても悟れるかどうかは分からない。最後は自然に任せるしかない。
最後の一点は人知の及ばないことだからだ。
これは入眠することに似ている。布団をひいて寝間着を着て布団に入って横になり
目を瞑る所までは意識的に出来る。しかしそうすれば必ず眠れるかといえばそうではない。
入眠の瞬間は自然に任せるしか方法がない。その一点だけはどうやっても意識的に
行うことが出来ない。これと同じで意識的に出来るのは悟り易くするための修行だけ。
悟る瞬間だけは意識的には出来ない。
339 :
考える名無しさん :2010/05/06(木) 11:23:43 0
犬に手に持っていた蒲鉾一切れあげました。 美味しそうに食べました。 もう蒲鉾はありません。今度は手を犬の目の前に出して右、左と振ったら 犬も手のほう見て首を動かしました。 私は犬に『月を指差す指は月ではない。蒲鉾を持つ手は蒲鉾じゃないよ』って教えてあげました。
340 :
考える名無しさん :2010/05/09(日) 18:25:32 0
飯田史彦にはがっかりした。
飯田史彦に自己同一化でもしてたの?
342 :
考える名無しさん :2010/05/10(月) 01:22:45 0
俺は飯田さんにはちっともがっかりしない。なぜなら、最初から注目していないから。w
343 :
考える名無しさん :2010/05/10(月) 01:25:20 0
飯田さんは生まれ変わりがあるとか霊界があるという観念のままストップしてしまっている。 非常に残念でありあのままでは結局のところ苦が変形するだけで苦がなくならないのだが、 でもまあ仕方がないだろう。そのうち変化するかも知れないし、そのまま放置だ。
生まれ変わりか、瞑想中100ぐらいいっぺんに見たことがあるな 何とも不思議な感覚だった その100以上のいや、1000あったのかもしれない 場面が、並列で進行している、ひとつ消えたら違うところにひとつ生まれる あの次元には時系列はないんじゃないかって思う 前世とかカルマは存在するけれど、時間の流れの中にあるこの世の感覚とは違うレベルで 存在しているというか、なんか今苦しいと全部苦しい場面になるの あれは不思議な体験だったな
345 :
考える名無しさん :2010/05/15(土) 03:31:26 0
保守age
346 :
考える名無しさん :2010/05/17(月) 03:32:31 0
347 :
考える名無しさん :2010/05/17(月) 07:22:32 0
あれは、普遍的でも何でもないと思うが。 ドラマじ仕立ての黙想の方法みたいなものだろ。
348 :
考える名無しさん :2010/05/22(土) 19:58:55 0
age悟り
生きてるのが辛くて辛くて読みはじめた。 不思議な本ですね...
350 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 23:53:57 0
苦しみの物語を作っているのはエゴだ。かといってエゴを嫌えばそれは大きくなる。 エゴは丸ごと受け入れてしまうしかない。そうすると小さくなって消える。
351 :
考える名無しさん :2010/05/26(水) 01:23:35 0
「ニューアース」「世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え」を読んで 最近、「さとり〜」を読んだ。 う〜ん どれもそれぞれ味わい深かった。 まったくエックハルトは凄い。
352 :
考える名無しさん :2010/05/26(水) 22:01:59 0
信は万物のもとをなず 信とはエネルギーである
353 :
考える名無しさん :2010/05/26(水) 22:02:38 0
なず → なす
一冊読んだのだけど「今」にある為に具体的にどうすればいいのだろう? 感情や思考などの「感覚」を感じればOK?
感情や思考の出所のエゴを探すといいんじゃない? 感情や思考が出るのは、自分がカラッポでなく、自分の中にそれらが出てしまう何かがある 証拠だから
>>355 エゴが見つかったらどうすればいいのでしょう?
エゴはちゃんと見つかったら消えるんじゃない? 自分でちゃんと気づいてないからエゴとして生じてるんだし 消えないなら見つかったと表面的に思えただけで、ちゃんとは見つけられてないんじゃない かな
>>354 私も「今にある」「ために」『何をすれば』と読了後考えたんだけど
実はこの考え方がちと間違ってるというか取り違えそうになるんだよね。
感情を感じきれ、とアドバイスがあると、
なんというかわざわざ「今にあるために」上から塗ったくるように行動を付け加えたり
したくなりませんか?感情を感じきるという行動を。
それでも多分いいんだろうけど(自分の思考を見張るとか?)
それやってたら思わぬ事態のときに
「今にある た め に」「どう感じるべきか」とかややこしく考え出して
しまうと思うんだ。私だけかもしれないが。
私はこの本の内容素晴らしいけど内容に過度にしがみついたらこれもエゴだと感じたから、
本を仕舞い込んでる。
概念をいじくりまわすと自己満足に終わるんだよね。ダイエットと一緒。
で色々考えてみたんだけど、すごくシンプルだけど結構難しい。
ただただ日常生活を大事に生きる。
今のこの瞬間にずっと焦点を合わせるのは、
今まで過去未来に壮大なスケールで飛んで行ってた人には
ハードルが高すぎる気がする。
でも目の前の一区切り一区切りを惰性で行うのでなく、きちんきちんとやっていく。
例えば食器洗うときは、「さて食器を洗うぞー」と積極的に?向かっていく。
一生懸命洗う。あーあ早く終わってテレビみたいとか思わないようにして。
そのときそのとき、やったほうがいいな…と思うことは、やってしまう。
毎瞬間とまでいかなくとも、その日一日を意識的に生きるというかな?
心を充実させるの。すがすがしくなるように。
そしてそれを毎日続けていく。
結局小学生時代に言われていた正直・勤勉・規則正しい生活・などが
一番人生を輝かせる近道じゃないかなと最近思ってるよ。
359 :
考える名無しさん :2010/05/31(月) 23:53:51 0
>>358 それはそれで良いのだが、要するに繰り返して習慣にするということで、エゴ本来の使い方だ。
つまり自動化された定形の機械的動作ということね。スイッチONにしたら自動的に動くみたいな
自動反応。
で、そういった自動反応の中に今の状況にマッチしないものが混ざっていて、それが苦に繋がる
ということだな。作られた当時はそれなりに役に立ったんだろうけどね。今はもう要らない。
そんなガラクタが溜まっていて意図せず勝手に反応して動くから困ることになる。何だか知らないけど
嫌になったり怒ったりとかね。そういうのは観察して原因を探り出してもう不要だと確認出来れば
停止させることが出来る。
>>358 エゴ本来の使い方?はてな?
…と思ったけど、
エゴ本来の正しい使い方って意味かな
なるほどね、いい方向にエゴを向けてやる癖を地道につけるって感じかな。
その過程で私みたいにややこしくなったぞ〜となる場合もあるから
やはり粘り強い習慣か。大事ですね。
私は有事の際に思い出すようにしています。
すぐ「どうすべきか・感じるべきか」「感じきるのかウンヌン」
と考えるので、気づくだけでもうオッケーにしてる。
感情が揺さぶられたら、
ちょっとまて、と。
有事こそ試されるチャンスだしね。
>何だか知らないけど嫌になったり…
そうなんだよね、無意識にあらゆることにありがちなパターンで反応してしまってたのを
別にそう反応しなくてもいいんだ、と思うと広がっていく…気がする
反応は完全に自主選択できるもんね。問題はそれをできるよう自分を鍛えていくことだわ…
361 :
考える名無しさん :2010/06/03(木) 01:41:10 0
有事で思い出したが、過去にアメリカでベトナム戦争帰還兵が一般市民と一緒に暮らせなく なったという問題があったな。戦地での強烈な記憶とそれに基づいて作られた強固な自動反応の 回路が平和なアメリカ国内に帰っても中々解けなかったということではないかと思う。その自動 反応は戦地では役に立つ。しかし平和な場所では役に立たない。 日本国内でもおそらく似たようなことは起こるだろう。例えば治安の悪い地域に住んでいる者が 治安の良い地域に引っ越した場合とかね。そんなに恐れる必要はないのにいつもビクビクして いるとか、あるいはまた人に舐められないようにと虚勢を張っているとか自己防衛するために ナイフや防犯グッズを持ち歩いているとかね。(しかしそういった恐れが逆に治安の悪さを作って しまい兼ねない。誤解であろうが何であろうが自分を守ろうとしてナイフで人を刺してしまえば 傷害事件や殺人未遂事件になってしまいその地域も物騒になったなと多くの人に思わせる ことになるからね)。
362 :
考える名無しさん :2010/06/10(木) 22:06:47 0
トールはかなり有名になったけど、スティーヴン・レヴァインは まだまだ過小評価の気がするが。てか、ほとんど知られてないし。
363 :
考える名無しさん :2010/06/14(月) 12:48:40 0
トールは自己観察を続けることを説いているが、クリシュナムルティとかはそういう努力そのものがエゴの仕業であり、努力自体を放棄することを説いているよね。 この辺はどのように整理すればいいんだろうか。 1.一定のレベルに達するまでは自己観察なり瞑想なりが必要 2.一定のレベルに達したら、あとは努力すら放棄 ってことなんだろうか、それとも最初から2だけで行くの? なんらかの訓練もせずに、エゴから離れてすべて放棄っていうのは難しいと思うのだが。
364 :
考える名無しさん :2010/06/14(月) 18:36:49 0
自己観察を歯みがきだと思えばいい。 1.一定のレベルに達するまでは歯みがきをするが必要 2.一定のレベルに達したら、あとは努力すら放棄 普通は歯を磨くのは当たり前だ。自己観察もそうなるまでやれというわけだ。 トールは歯みがきを継続することを説いてる。クリシュナムルティは歯みがきをすることの努力放棄を説いてる。 結果、トールの自己観察継続とクリシュナムルティの努力放棄は同じになる。
臭い判定老婆が必要だな
ああ、確かに今しかないんだね ? 現に今目の前には今しかない…
てsと
それで実際覚醒できた人はいるんですか? 俺は思考を客観視してもだからどうなの?ってくらいなんですが・・・
369 :
考える名無しさん :2010/06/23(水) 20:29:45 O
覚醒しますた
370 :
考える名無しさん :2010/06/26(土) 05:36:30 0
おめでとう
371 :
考える名無しさん :2010/06/29(火) 21:41:36 0
あともう少しかな 何となくわかってきた気がする
>>368 改まって「客観視をやる」というより、概念を叩き込んでたら結構生活で役にたつ。
以前なら感情に振り回されて自然消滅するまでてんやわんやだったのが、
思考が自分を振り回してるらしいと思うと、静まって冷静になってクリアになってくる。
それでも振り回されてどうしょうもないときも、これもどうせ長くは続くまいと思う。
今に在るっていうのが最近やっとなんとなくわかってきた。
理由がなくてもああ嬉しい生きてるな〜と実感することだな。私の場合。
どうしても以前は↑こういうことを活字で見ると、
何かの(例えば幸せになる)ために、
「生きてる実感を感じよう」として二次目的になり本末転倒になってたけど。
結局自家発電のように湧き出てくるのが本当の実感なのかな。
覚醒した/しないっていうのとは違うか。
私は生活の智恵って感じ。
何でもそうだけど一つの教義・考えに沿うというやり方はどこかでよろめくと思う。
エッセンスを自分に取り込んで、役にたてるようにすれば十分だよ。
結局最終的に人間が目指してるのは幸せな人生なんだし。
私は競争心が強すぎて、何か負けてるって思ったら
でも私はアレもあるしコレもできるし、って比較思考だったのが、
比較をとんとしなくなった。
そのあたりから、ああ前に本で読んだ「今に在る」ってこういうことかなと思うようになった。
人それぞれ苦手分野や最後の砦が違うと思うんだよね。
私はどんだけでも頑張るけど人に負けたくない、ここは譲れないって気持ちがあったから
そこが融解して毎日楽しくなっちゃった。
別に負けようとしてるわけじゃなくて固執しなくなった。
色んな本読んで、そうは言うけどでもここだけは譲れん、と思う分野があるなら
そこからこだわりを解いていくのが一番近道だと思う。
でも何かの「ために」こだわりをとろうとするのは 実はこだわりが微妙に化けの皮かぶったままなんだよね〜 だから今のことだけ集中しろっていうのが古今東西? 言われているコツなんじゃないかな。 今のこと考えてたら、将来の何かのために何かを操作しようとは思わないもんね。 もちろん目標にはビジョンが必要だろうけど。 でもあるべき在りかたを目標にするのはおかしいよね。在り方は今すぐに変えられるし。 私は、 どうせ100年後は皆土の中 と考えると頭がスっとする。 愛着ある今の自分の名前も体も、100年たったら、消えちゃうんだ。 周りの人もそうなんだとよく考えるようになってから、 自分というアイデンティティへの過度なしがみつきも薄れたよ。 きれいごとじゃなくて、真に事実だからね。あと生きても70年。 テレテレしてたらもったいない。
374 :
考える名無しさん :2010/07/04(日) 01:31:13 0
エゴを見分けるヒントを一つ書いておこう。 自分のためではなく人のために行っていることはエゴだ。 但しこれもよく見ると自分のためになっている。 例えば「このようなことをしたら人からどう思われるだろうか」と恐れてそれをしない というのはエゴが元になっている。しかしこれも突き詰めて考えると自分のために やっている。自分が人から悪く思われないようにするためだからだ。 更に突き詰めて行くと、この自分の思っている「他人」は、あくまでも自分が思っている 「他人」であって他人そのものではない。自分が自分の五感を使って自分の知りうる 範囲内で得た他人の情報が元になっており、更にそれに対して自分の記憶を便りに 独自の解釈を加えて加工された情報だ。つまり作られた「他人」像だ。故にこれは 真実ではない。 「あの人はこのような人だ」という作られた他人像を確信し、それから逃れようとして、 あるいはまたその人から何かを得ようとして何かをしたりしなかったりする。これが エゴ発生の大まかな流れだ。つまり、全て一人芝居である。そして更にその芝居の 観客は自分一人しか居ない。
375 :
考える名無しさん :2010/07/05(月) 23:36:32 0
>>374 こういう思考がエゴなんだが。自覚しないと。
俺らがエゴなんだよ。
376 :
考える名無しさん :2010/07/06(火) 00:36:02 0
エゴは有って良い。巻き込まれなければ良いだけ。
そうですね、そのためにも観察することが大事ですよね。
>>374 分かりやすい例えですね。そんな感じでもエゴは出てくると思うけど
もっと根源的なシステムとして育ってしまっているものですよね、エゴって。
でも、そういう芝居のようなものに気づけたことは素晴らしいと思いますよ。
最近クリシュナムルティを読んでいる。 トールと同じことだが、別の角度から見ているようでかなり面白い。
未来の、とある時点がやってきたら、私はきっと幸せになれる という虚妄 今しかないのに 今にしか平安を感じることは出来ないのに・・・ 未来へ未来へと ドンドンと先延ばしにしていくことだけに明け暮れる人に 未来は 永遠にやってこないのであった
380 :
考える名無しさん :2010/07/07(水) 00:37:55 0
未来が作られてしまう理由は願望があるからだ。願望を持ち、実現しようとすると思考に時間軸が作られて、 未来のこの時点で実現する、などと考えてしまったりする。しかしそれは妄想だ。
しかし この世の多くの人がこの虚妄に囚われ疲弊している なんという不毛さだろう エックハルトのいう、BGMのように鳴り響き続ける不足感、不安感に包まれながら なんと恐ろしいことだろう 私は中学の頃、「この世を支配する究極の真理は『時間』ではないか。 時間から逃れられる存在など、この世にはないではないか」 という、漠然とした想いを抱いたことがあるが、それもあながち間違いではなかったようだ。 もちろん今となっては、それは皮肉的な意味合いに置いて、であるが。
382 :
考える名無しさん :2010/07/07(水) 02:13:56 0
生きるか死ぬかとなった時は、エゴは黙ってしまう。これに対してエゴは完全に無力だからだ。 しかしよくよく考えてみれば分かるだろう。人間であれなんであれ、死と隣り合わせになって いない時など一時もないのだ。死は常に目前にある。にも関わらずあたかも死が遠い未来の ことであり自分には関係ないかのような妄想を作っているもの。それもまたエゴだ。この妄想が ある筈のない「明日」を妄想させ今を見失わせる。
ロマンチックな関係性では 特にエゴに気をつけなくてはならない 新鮮で素敵な異性が 自分の欲求・願望を首尾よく満たしてくれる結果 一時的には有頂天的な歓びと高揚感で 全能的な気分を味わうだろう しかし真に自分に満足していない状況下で 上記のような一時的な満足感を得たとしても それは相手からたまたま充足してもらえたことにより 対症療法的に不足要素が埋め戻されたに過ぎないということに ほとんどの人は気づかない そうこうしているうちに相手に対する期待感が少しずつ先走り始め 絶頂期の満足感から徐々に意識がオフセットしていく つまりそのオフセット量は 既に内在していたエゴが表層に露見し可視的に観測できるようになった部分といえる 「なぜ貴方は私の思うようにしてくれないの?」 ロマンチックな関係性においては 絶頂期の満足がとりわけ甘美であるがゆえに 失墜したときの絶望とのギャップ激しくなる特質がある ゆえに多くの人が ロマンチックな関係からの失墜による傷に 悩み苦しむことになる
384 :
考える名無しさん :2010/07/08(木) 01:57:09 0
不信感がエゴを拡大させ、信頼感がエゴを縮小する。
「今ここ」から這い出そうとする あらゆる思考や感情に注意する パソコン仕事をしている時も 歩いている時も クルマを運転している時も 読書している時も 相手と話しているときも 運動している時も じっとしている時も 寸分たがわず 「今ここ」にありつづける
388 :
考える名無しさん :2010/07/09(金) 00:44:59 0
執着は苦を招く。執着を捨て全てがどうでも良くなったとき、心は開放される。
己を罰しないこと 裁かないこと 誰も貴方を訴追してはいない
390 :
考える名無しさん :2010/07/09(金) 22:55:18 0
そう。そして「自分」は記憶とイメージで作られた幻想だ。それは存在するように見えて、実は元から存在しない。
391 :
考える名無しさん :2010/07/09(金) 23:03:48 0
どんな物事であれそれに関われば関わるほどリアリティが増し絶対的なものであるかのように感じられる ようになる。ゲームをする者にとってゲームのルールは守らねばならない絶対的なものとなる。しかし ゲームをしない者にとってはどうでも良いものになる。そこに苦はない。 あなたがたは何にリアリティを感じ何を絶対視しているだろうか? それがあなた方の執着しているものだ。
欲望というものを注意深く観察してみると 自分がいかに「今ここ」において満足したがっていないかが分かる 「今ここ」でしか 満足することはできない 未来のどこかで いつか満足する ということは 実際上は不可能なのである
あさりみちこの訳ってそんなに悪いの?
395 :
考える名無しさん :2010/07/12(月) 06:12:43 0
あなた=わたし
最初からそう書け
>>393 自分はそんなに違和感は感じなかったけど
自分でつくりあげた恐怖物語を演じ続けないようにする
399 :
考える名無しさん :2010/07/22(木) 19:36:19 O
「自分」という世界から切り離された存在がいるという感覚が幻想の産物であり これこそがエゴの発生源である。誰も切り離されてはいない。切り離すことは 出来ない。磁石のN極とS極のように一体であり分割不能である。海の波のように 海と一体である。全ては一つ。幻想を幻想と見抜きそのことを思い出せばエゴは 消える。いや最初からエゴなどなかったことが分かる。エゴはあるように見える だけの幻想の産物である。
>>398 あ、それ今の私に良い言葉だ。
まあ恐怖物語てほどじゃなく、都合悪い物語程度でたいしたことないけど。
頭では理解してたんだけど、実際日常で何かイヤーなことがあると、
人間ってその説を補強する過去の記憶や未来への不安の種を引っ張り出して
話をつじつま合うよう作り上げていきますね。
そういえばあのときのアレも関係あるんじゃないかとか、そういえばああ言われたこともあるぞとか。
でもこれって生存本能を重視した結果心配するのが心のお仕事になってしまった
名残じゃないかな。無下にも扱えない。要はそれにドップリ嵌らず視点転換ができるか否か。
あ、作り上げてるのかもしれないな、と気づくだけで、いいと思う。
いくら概念を叩き込んでも習慣ってやっぱり自動操縦的なところがあるから
今にあるっていうのは何もないときに今にあろうとするのではなくて
心がざわついてるときこそ、客観視できる心の余裕を持つことかな。
と最近思う。
日常がやっぱり本番。
モノゴトへの視点や対処も少しずつ変わるし、良い本だね。
401 :
考える名無しさん :2010/07/22(木) 22:58:32 0
「今しかない」とはよく言われるが一体どういうことなのか?
時間とは何か? いや、人間の認識する時間とは何なのか?
どうして人間は時間が過ぎることを認識可能なのか?
それは記憶を順序立てて並べて繋げて考えることが出来るからだ。
しかし、本当にその記憶は正しいのだろうか?
そして、本当にその順序は正しいのだろうか?
ブログに面白いことを書いている人が居る。
http://108.houhu.net/archives/365
観念を放擲(ほうてき)する
404 :
考える名無しさん :2010/07/23(金) 01:39:27 0
この人の本を読んだら ヘッセの「シッダールタ」がほんの少し読み解けた 嬉しい
13年ほど前、NHK出版から出た「タイムシフティング」という本を読んでいたことを 最近になって思い出した 「今と言う時間を充実させることが、ストレスを軽減し、充実した人生につながる」 みたいな内容だったかと思う。 哲学と言うより、より現実的な「時間術」を主に説いた本で、 とりあえず立ち止まって、肩の力を抜いて、「今」に入り込みましょう、と。 当時は「ふ〜ん、そんなもんかね」という程度だったが、 エックハルトを読んでからだと 「ああ、あの考えもありだったのかも」と思える。
自分で自分を勝手に脚色しない いい意味で透明感を醸し出す
化粧品のCMみたいだねw
409 :
考える名無しさん :2010/07/24(土) 16:39:23 0
お肌にうるおい
冷蔵庫の「ブーン」という作動音が自動的に止まった時に はじめて「なんだ、こんなにうるさい音だったのか」と気づいた経験はないだろうか もっとも最近の家庭用冷蔵庫はそんなにうるさくはないので、 たとえばどこかの休憩室にある自販機の作動音を想定してもらっても良い それと同じように、自分の中に巣食う思考や感情の「雑音」も恒常的に鳴り続けているので むしろその雑音が鳴り響き続けている環境に一体化してしまっている 雑音を止めよう そうすれば すっきりする
411 :
考える名無しさん :2010/07/25(日) 23:40:54 0
瞑想でお肌にうるおいだな。
やばい、俺悟りつつあるかもしんないw
そうです その調子です
414 :
考える名無しさん :2010/07/26(月) 19:31:31 0
全ての人は既に悟っています。 終わり。w
過去の自分の書き込み見るとペインボディが疼きだすw
417 :
考える名無しさん :2010/07/27(火) 02:18:22 0
気にするな。その時書いたのはエゴだ。
ヘッセ読んで見ようかな。 この人結構神秘主義的だよね。デミアンとか。
デミアン、去年読んだのに全然覚えてないや… 小説はドストエフスキーが好きだね 登場人物が強烈。不幸の塊みたいなキャラがこれでもか!ってくらい出てくるw
420 :
405 :2010/07/27(火) 23:23:04 0
>418 マジで「シッダールタ」薦めるよ 最後の方はまんまエックハルトだよ ていうか時系列的にはエックハルトがまんまヘッセかw
そしたらヘッセは覚醒していたのか?
422 :
考える名無しさん :2010/07/29(木) 20:23:36 0
三国ますみさんの本を読んだ。 結構いいこと言ってる。 でも自分のセミナーをやたら宣伝しているのはちょっと怪しげだけど。
俺は法を得たが 法を得たということは 得なかったということである。 の意味がやっと理解できた。
現在しか無いっていうのはその通りだと思うけど ペインボディは本当にそんなものあるの?って感じだなぁ。
ペインボディってトラウマみたいなもんじゃないの? 嫌な記憶というか思い出したら鬱になるようなネガティブな感情だっていうふうに理解してる
あとあれだ。キリスト教でいう原罪にもかなり近いイメージがあると思うな。 トラウマと全然違うじゃねーかっていう突っ込みはなしで
原罪にしろネガティブイメージにしろ恐怖を求めるという意味では共通 彼らは恐怖を克服するために恐怖を求めるw
トールの本いくつか読んだけど覚醒できない……。 書いてあることに納得は行くんだけどな……。
429 :
考える名無しさん :2010/08/07(土) 16:04:12 0
エゴとは「自分でやっている」という感覚のことである。しかし観察すればするほど 何一つ自分でやっていないことを思い知らされるだろう。 体の内臓を意識的に動かしている者はまず居ないと思う。普通は何もする必要は なく全自動だ。むしろ何かしようとすればおかしくなってしまうだろう。それと同様に、 心も全自動で動いていることに気付いているだろうか。我々は少なくとも主観的には 何一つ考えていない。勝手に沸き起こる思考や感情をただ受け取っているだけだる。 受け取り、そして外に出すにしてもまたそれに関する思考が発生する。結局のところ 「自分」では何もしていないのだ。単にその勝手に沸き起こるものに対して「自分」 のラベルを付けているだけに過ぎない。 山で湧水が出ていたからといって「山が頑張って水を作って出している」などと考える 者は現代の日本にはまず居ないだろう。しかし自分の頭の中に湧き出た思考だと 人はそうは考えない。「自分で頑張って考えたのだ」と考える。しかしその「自分」は 一体どこに居るのだろうか? 一体「誰」が頑張ったのだろうか?
430 :
考える名無しさん :2010/08/07(土) 16:41:59 0
この世に「己れのもの」と言えるものが一つもないことに、あなたは気付いているだろうか? 体ですら己れのものではないことに気付いているだろうか? 全ては何の苦もなくただで受け取ったものだ。 この世の全存在はこの事実から逃れられない。 誰も何もやってはいないのだよ。
>>428 それで良いと思うよ。
私も同じように感じたことあるけど。
頭にインプットして、あとはまあ軽く忘れて、
有事の際に、なるべく心を乱さないように役立てればいんじゃないかな。
エックの考え方を思い出すというか。思い出せばそこですでに抜けてるというか。
その繰り返しで自分なりのルールみたいなの作っていけば良い。
悟りを目的にするとおかしな方向に行くと思うよ。
しかも何か自分以外の他から出た考え方や理論を支えにしてそうなろうとすると。
理論こねくりまわしてたら、いつの間にかその理論こねくって自己満足に
陥ってるエゴ、って寸法にならないとも限らないしね。
>>431 自分なりのルール
これすごいよくわかる気がする
他人が良いといったものを選ぶんじゃなく
自分が良いと思ったものを選んでくしかないのかなって。
それで失敗しても、めげずにまた違うやり方でいく。その繰り返し。
最終的に人生決めるのは自分で、自分の力で道を切り開いてくしかないんだなって。
ようするに自立なんだよね。
宗教信じたり神や仏を信じたりするのっていいことだと思うけど、あてにしてはいけないんだなって、思う。
433 :
考える名無しさん :2010/08/11(水) 01:16:21 0
自分が神であることを思い出すんだよ。自分の見ている世界は自分で作った夢の中の世界だ。 出会う人は全て自分の夢の中の登場人物だ。だから誰に何を聞いても無駄。誰に何を訴えても無意味。 結局のところ、誰にも頼れない。w しかし、誰にも頼る必要はない。
434 :
428 :2010/08/11(水) 06:28:50 0
>トールの本いくつか読んだけど覚醒できない……。 >書いてあることに納得は行くんだけどな……。 覚醒したいと思ってる原因がわかるといいんじゃない? 何か思いが残ってるなら、その思いが生じる原因を自分の中に見出せるとたぶん解決するよ 悟りたいって思いの原因がわかり、悟りたいって思いがなくなると悟れるみたいにね 納得する自分、納得した自分、なぜ納得できたのか、納得できてなぜいいと思ったのか 覚醒したい自分、覚醒できるはずと思う自分、覚醒できなくて物足りない自分、何かを求め る自分、なぜ今のままで足りないとか別の状態を得たいとか思うのか 自分の内面さえ見つめつづけいけばいいんじゃないかな
436 :
428 :2010/08/13(金) 17:45:30 0
>>435 恐怖を無くしたいと思って覚醒しようとしていた、ありがとう。
>>437 他人や語ってる人が覚醒しててもしてなくてもどっちでもいいんじゃない?
覚醒してるとかしてないとか言っても、ホントか嘘かもわかんないしね
そもそも事実がどうであるかを人はどうして知りたがるのか、それで何が変わるのか
その人が覚醒してようがしてなかろうが、ホントだろうが嘘だろうが、他人や書かれているこ
と、外部に自分がどう反応するか、あるいはしないかだけじゃないかな
439 :
考える名無しさん :2010/08/14(土) 16:47:05 0
他人が覚醒していないように見えるならまだ覚醒していません。 見る人全員が覚醒しているように見えたら覚醒しています。 世界は単に自分の内面の投影だからです。というか元から内も外もありません。 内が外であり外が内でありこれは同じものです。 一度世界から五感を通して情報を取り込んで脳で処理してから認識するので当然ですね。
418だけど405さんレスありがと。
シッダールタ読んでみるよ。
この人の詩集チラミしたことあるけど、やっぱりかなり仏教的な匂いがした。
仏教というか自然から学べというか神秘主義的というか…
ゲーテもそうですよね。
>>419 私も送ればせながらドストエフスキーに最近はまった。
ミステリー並みにドラマチックだし、文学的だし、おトクというかおもしろいね。
>>428 覚醒するときは
もう覚醒がどうのっていうテーマ自体が興味対象じゃなくなってるかもね。
ものすごーくパラドックスでおもしろいよね。
だからって「覚醒するために」「覚醒する」ということを「忘れようとする」のは
本末転倒だから、まあこれもまた過ぎ去るさ、で乗り切れればいいけど、、
事情わからないので簡単に言ったかもしれませんが。
私は落ち込みそうになったら
100年後は今いる人間は全員土の中…と思い出すようにしてる。
441 :
428 :2010/08/16(月) 18:28:50 0
>>440 レスサンクス。
おもしろくもあるけれど難しいんだか簡単なんだか
わかんなくなるね。
442 :
考える名無しさん :2010/08/16(月) 22:02:20 0
100年も経つ前に生きている内にお互いに忘れてるけどな。w
443 :
418 :2010/08/22(日) 14:55:05 0
>>405 シッダールタ、読んだ。
うん、面白かったっす。
文体も詩的だったし、エックのおかげなのか(?)比較的読みやすかった。
図書館で借りて読んだけど、
ちゃんと買って蔵書に加えようと思う。
ありがとーノシ
さて、今からパチンコ打ちに行ってくるかな
445 :
405 :2010/08/23(月) 00:11:42 0
>443 ご丁寧にありがとう もし機会があったら 「釈尊のさとり」増谷 文雄も読んでみてちょ ペラッペラの文庫本だけど面白いよ 「シッダールタ」読んだあとなら尚更ね
めっちゃくちゃやる気ないんだけど、こういう時どうしたらいい? もう本当、やる気ない。すべてが煩わしい。 基地外一歩手前。カミュの異邦人みたいなかんじ。
447 :
考える名無しさん :2010/08/23(月) 03:36:09 0
>>446 どうにもしない。そのまま気にせず放っておく。
今あなたはそれを変えようとしているわけだが、変えようとすることが
変わらない現状を作ってしまう原因だ。思考を見張って変えよう変えようと
思考してしまうことをやめろ。もちろん原因を探って治そうとするのもなしだ。
何も思考するな。ただ感じ取るだけにしろ。
448 :
418 :2010/08/23(月) 15:59:22 0
>>405 おお
今日本屋行くんで探して見てみます!
レスありがとう!
450 :
考える名無しさん :2010/08/28(土) 21:35:22 0
みんな、マイスター・エックハルトのほうは読んでますか?
読んだらどうなの? 読まなかったらどうなん?
452 :
考える名無しさん :2010/08/28(土) 23:39:47 0
全然読んでない。
禅とマイスターエックハルトの共通点的な和書はチラミしたけど、、 根底に「無」という考えがあるってだけわかってあとよくわかんなかった。 本人の本は昔過ぎてよくわからんかった。 ヴィトケンシュタインの論考についてかかれた論考を読むって本を頑張って読んだんだけど、 要所要所でなんか似てる気がする。 スピリチュアルな切り口でなく、 とことん理性で理解しようと命題形式に世界の解釈を切り刻んでる感じけど。 あとニーチェも。 ニーチェがマイスターエックハルトの本読んでたとからしいから当然かもしれないけど。
E=mc2。質量=エネルギー。よって質量ある物(人、植物、惑星、宇宙などすべての物)=エネルギー。宇宙の始まりや果てはエネルギーである。 よってエネルギー=宇宙=神=空=無=創造主=ブラフマン=人間=植物 世の中すべて同じものである。(平等である。) これが理解できた人を悟りと呼ぶ。すべてのものを平等に見ることこれすなわち慈愛である。
>>454 だから何?ってかんじだけどな
煽りとかじゃなく、すべてのものを平等に憎むことだってできるんだぜ。自分すらも
悟りっつっても、人それぞれあるわけで
これが悟り、なんてものはない。と、俺は思ってる。
老荘や禅は体験して読まないと、まったくわからないらしい。エックハルトも 同じだと思う。 平塚ライチョウが見性してはじめて、「天上天下唯我独尊」がストレートに ありありと理解できたと言っている。
そだね、言葉に表すと何かしたてあげたモノみたいになるらしいから。 悟りや禅について説明されてるものは、実は本質から遠ざける行為になってるかも。 エックハルトもそのところしつこく説明してるような気がするけど、 人間て自分に都合いいところのみ重要視して拾い読みするから、 どうなんだろうね、エックハルトの書籍読んで、勘違いみたいになる可能性もあるかもね。
458 :
考える名無しさん :2010/09/01(水) 11:53:19 0
悟りの特徴に「無執着」というのがあると思う。執着心がないのだ。もちろん敢えて執着心を持つことは可能だ。 しかし意識的にやっているので持ったり持たなかったりを自在にコントロールできる。悟っていない人はコントロール 不能で自分が何に執着してしまうかを操れない。(だから執着心に振り回されて苦になる)。 では悟っていない人は何故執着心を捨てられないのだろうか? 簡単に言ってしまえば、心配事があるからだ。 心配事とは何か? それは最終的には死の恐怖に繋がっている。だから防衛本能が働いてしまい何かにしがみつく。 これが執着心の原点だ。生きようとするための本能部分のスイッチが入ってしまっているので意識でこれを 無くすことは出来ない。意識は無意識に勝てない。 問題はこの「死の恐怖」にある。つまり、本当に死ぬのかだ。あることに対する執着を捨てたら本当に死ぬ のだろうか? 死ぬとしても、一体何が死ぬのだろうか? エゴが死ぬだけなのではないか? これは自分である という思い込みの「自分」が滅びるだけなのではないか? おそらく悟った人はこの辺を主観的にではあるが解明し防衛本能のスイッチが勝手に入らないようにできた のであろうと思う。
無執着もそうだし無分別だよね 全ては自分が勝手に分けているだけで境界なんてない そもそも生と死を分けて概念として持っているのが生への執着、死への恐怖からだから、 生も死も実はそんなもんなくて、全ての瞬間が生と死であるし生も死もないって無分別の 視点が持てれば悟りの世界が垣間見える 自分も生も死も現実も単なる自我の幻想、自他の感覚からいつの間にか染み付いた錯覚 この世が幻想でないと思える(思ってしまう)理由を自分の中に見出せるといいんじゃないかな
>>455 そうですね。それが何?って感じですよね。私に限っては憎むとか憎まないとかも平等に見ますね。
>>456 そうですね。天の上とか下とか関係ないですもん。己の自我がそんな概念決め付けていますもの。
462 :
考える名無しさん :2010/09/01(水) 18:31:31 0
>>459 そうだね。分別は心がやっているだけで本当はない。 国境線が人の心の中にしかない区切り目で
あるのと同様に本当はないものだ。区切り目は属性の概念に伴って発生する。この場所 は「A」と
名付けると「A」と「Aでないもの」に思考の中で分離する。
土が盛り上がっている場所を「山」と名付けると「山」と「 山でないもの」が心の中に作られる。
そしてそこに区切り目が作られる。 実際には段々と地面が高くなって行っているのでどこからが
山であるかを発見することは出来ない。しょうがないから「 ここから内側が山」という取り決めを
して区切り目を作る。しかし時代と共に考え方が変わるとこの区切り目は変動するかも知 れない。
人間が思考の中で勝手に決めているだけで元々そんな区切り目はないのだから仕方がない。
執着と分別が重なった場合、その執着は分別を強化する傾向にあると思う。こだわりと 細分化だ。
不安にかられて何かに執着する。しかし執着してもそれは不安をごまかすための逃避でしかないので
不安はなくならない。だからエスカレートしてより強く執着するようになり段々と心は それに支配
されるようになって行く。そしてちょっとの変化が不安を増やすことになるため変化を許せない
状態になる(保守的になる)。高く積み上げられた積み木のようなものだ。少しでも揺れれば全てが
崩れてしまうため変化は許されない。結果的に細かいことに敏感になり強くこだわるよ うになり
細かな違いで怒り出すようになる(怒りは自己防衛のために発生する)。
社会的地位の高い者が保守的になったり自己保身に必死になる理由はこれであろうと思われる。
簡単に言ってしまえば「怖い」のだ。しかし、例えば政治家をしていたとして何かの事件で疑われ
週刊誌等で騒がれたとしても、最終的に失われるのは「 政治家生命」であって「生命」ではない。
その人が政治家としての役割を続けられなくなるだけのことであって体が死ぬわけではない。
というか何も死なない。「政治家」と「政治家でないもの」 の区切り目を越えて元に戻るだけだ。
しかしその属性や区切り目すら人間の思考で作り上げたものであって最初から存在していない。
「現実」は何も変わらない。変わるのは思考だけだ。
>>462 そうですね。おなじ人にあえてうれしいです。
ここ誰も否定しないですねw
イエス・キリストは全ての質問にYesって答えたってジョークがありましたw
464 :
考える名無しさん :2010/09/02(木) 21:35:02 0
日頃どれだけ思考で作り上げた幻想の世界に入り込んでいるかを比較的簡単に確認する方法に気づいた。 思考で作り上げたものとは主に言語化可能なものだ。ならば、動物や、まだ言葉を知らない小さい子供に なったつもりで世界を見てみれば良い。 例えば毎日会社に通っている場合、動物にはどう見えるかというと、何をやっているのかはわからないが とにかく動いていることはわかる。朝起きたら建物(家)を出て歩いて大きな箱(電車)の中にしばらく入って 移動して、降りてまた歩いて建物の中に入り、箱のボタンを押したり丸い何かを動かしたり(PCのキーと マウスの操作)している。太陽が一番高い位置に来たら何かを食べる。その後また同じようにボタンを 押したりして、暗くなってきたら朝と逆順で元の所へ移動する。という具合に、行動や物の名前や意味を 全て取り払った状態で見る。 これにより思考で作り上げているものが取り払われた状態になり、起こっていることそのものが むき出しになる。実際に起こっていることはその「むき出し」のことだけであり、それ以上のことは 思考が脚色して作り上げた幻想ということだ。思考でしか支えておらず忘れられたら終わりなので 「幻想」と言える。
466 :
考える名無しさん :2010/09/02(木) 23:46:10 0
>>465 もし本当にそうだとするとあなたは幸いなことに真実を見ることに長けており幻想に巻き込まれにくい
人と言えるだろう。何故なら言語を読解する能力や何を言っているのか想像する能力が低いためである。
その方が思考に乗っ取られてしまう率が低く目覚めた状態でいられる可能性が高い。あなたのような人の
方が確実に先に悟るだろう。知識ばかり集めて考え込んで自分で幻想を作ってしまうような人は後だ。
現代社会の階層に当てはめて言うならば学歴が低く底辺に居るような者の方が先だ。高学歴で知識が
沢山あるようなやつは後だ。
新薬聖書にはイエスがこんなことを言ったと書いてある。「罪人や遊女たちの方が先に天国へ入る」。
持ってる知識の量じゃなく持ってる知識に執着があるかないか 学歴なんて高くても低くてもどうでもいい 上も底辺もない 新訳聖書とかイエスとかの知識でも執着してたら幻想そのもの 執着がなければなにを持っててもいいしそれはもはや持ってるといえない
468 :
考える名無しさん :2010/09/03(金) 00:12:07 0
>>467 大まかな傾向だよ。これといって意識していない人は知識に埋もれる。埋もれてから気づいて修行して
探求してようやっと執着が落ちてクリアされ解脱する。これとは逆の際にある出口が最初からほとんど
知識を持っていない状態だ。持っているものが最初から少ないので執着していることも少なく捨て切る
までが早い。
多分、
>>458 =462=464=466なんだろうけど
(違ってたらごめんな)
こりゃあ知識大好き人間だな
あと教えたがりの傾向があるんじゃねーか?
まあいいけどさ。
文章読むかぎり、ずいぶんと固い頭してんなーって思うよ
>>468 それは想像? これまでの過去の経験の記憶からの推測? 決まった実体のあるもの?
そうであってもいいし、どうでもいいよね
みんな全て捨て去るだけだしね
471 :
考える名無しさん :2010/09/03(金) 01:17:40 0
これで、いいのだ。(バカボンのパパ・談)
>>471 それが一番パワフルだよねw
全肯定だもん。
全肯定できなかったとしてもそれも、いいのだという。
>>467 流れとは違う切り口でレスだけど
一般論としてすごく納得。
よく学歴なんてどーのと言われてるけど、その話が議題に載る時点で、
まあ、意識がそこに向いており、逆・差別的な話の進み方になるもんなね。
教えてくれてる人は、大まかな傾向って仰ってるから別に決めきってるわけじゃないみたいだけど。
大まかな傾向としてはあるのかもね。陥りやすさというか。
ほんと、何でも振り子のように反発と執着の繰り返しでいつどこでそれが入れ替わるかわかんない。
結局物事から冷静に距離を置いて見つめることのできる能力が必要だと思う。
473 :
考える名無しさん :2010/09/03(金) 19:46:37 0
皆さんに質問したいことがあるんですが… 心にあるエゴを捨ててニュートラルな状態(悟り?どちらでもない平等な状態?マインド?)までは達成したのですがこれからどうすればいいのですか? この状態から自分の幸せと思う世界を勝手に作り出していいんですか?仏教では一切皆苦(世の中すべて苦である)と囚われましたが、 私は世の中すべてハッピーであると囚われたい。ニュートラルの状態から、自ら幸せという架空の世界を作り出し、ギアを入れ始動したい。 ずっと悟り開きっぱなしの空状態じゃなくて、悟りを開いたり閉じたり遊んでいいわけ?これ無敵ですよね?
474 :
考える名無しさん :2010/09/03(金) 21:34:54 0
>>473 どうしたらいいかを人に聞いてくるということはまだまだ悟ってないと思うのだが。
というか、あなたの中でその質問を発している部分がエゴだ。ただしエゴがあってはいけないということはない。
エゴは自他を分別するので「他人に質問しよう」と思ってしまうわけだが、実は最初からその必要はない。
あなたは最初から答えを持っており、自分で自分のことを「答えのわからない者」であると信じ込んでいる
ためにそのような者を演じているだけだ。本当は何も求める必要はない。なんだったら分からないことを
分からないままにしておいてみればやがて確認できる。何れ必ず自分で答えを見つけるから。
475 :
考える名無しさん :2010/09/04(土) 12:29:29 0
それ悟りじゃない。 ニュートラルってただ心が平静なだけでしょ。 空観は主客の別がない。しかも強烈な多幸感を伴う。 ほとんどそこに居続けて野狐になるが・・・。
476 :
考える名無しさん :2010/09/04(土) 15:02:26 0
悟りに近い感覚はまだエゴの小さかった頃の感覚に近い。小さい子供の頃の感覚だ。 世界が輝いて見え、何もなくても充足感や幸福感のあった子供の頃だ。 小さい子供は悟りに近い。ただ知識を持ち合わせてはいないため表現する手段を持たない。 また天国以外を知らない人のようなものなので表現する必要性も感じない。表現するための知識を 持った頃には沢山の観念や思考や感情に巻き込まれて真実がほとんど見えなくなっている。 心の中心部は子供の頃と同じだが表面に観念や思考といった汚れが沢山付いてしまう感じだ。 そして迷信を沢山信じ込んでしまった人のようになり、迷信に振り回されて苦を受ける。 それから修行して観念や思考を取り払い一度子供の時の感覚に戻す。すると今度は表現する 手段を持った状態となり、更に完全に悟ることもできる。(「言葉では表せない」という 言葉になってしまうが、何かあることを喩えで伝えたり苦を滅する方法を伝授して直接本人に 体験させることはできる)。
どの感覚を言ってるかわからないけど、強烈な多幸感も空観じゃないことは多いよね
言葉で説明するから、多幸感もどれのこと言ってるかわからないけど
平静や空でもどの程度抜けてるか残ってるかその人によるし、その人自身わからないし
>>475 さんは主客の別がないってどういうような状態だったんですか?
478 :
考える名無しさん :2010/09/04(土) 18:36:47 0
苦を滅することに成功すると快を感じる。それまでの苦が大きいとこの快が大きい。 ただ、それはトイレを我慢してやっとトイレを見つけて用を足すことが出来たというのに等しい。 つまり快の方がノーマルな状態なのであって苦は異常事態だ。但し何事も放っておくと異常自体に なるので「一切皆苦」と考えて良い。通常の状態では苦になるよりも前に対処してしまうので あまり苦にならないのだ。苦が続いているとするとそれは対処が遅れたためだ。 悟った場合は何が苦に繋がるのかがよりはっきりとわかるので苦になりそうなことには 初めから近付かない。 だから苦にならない。放っておくと苦になるというのは法則なので悟っても変わらない。 悟るとは超人になることではない。悟っていない者と全く同じ体や心を持ちながらも 苦にならない方法に気付いた人のようなものだ。
私記憶の限りで子供の頃から計算するタイプで いわゆる自然をありのままに愛するとかいういたいけな子供じゃなかったw エゴ丸出しじゃないの。 なんか常に、自分を冷静に見てる自分ってのは感じてたけど。 (今悲しそうにしてるけど実際悲しさはもっと少ないんだよね、みたいなことを 考えてた)
480 :
考える名無しさん :2010/09/04(土) 20:30:40 0
>>479 それは表面的なことだろう。人間であろうがなんであろうが自然の中から産まれたのだから全て同じだ。
繋がりはなくならない。
執着なのかどうかしらんが、 特に理由もなくイライラして不快なときってあるじゃん。 あれって何が原因なの? どっかに欲があるってことかね? でも違うよね。 ニューアースにも書いてあったけど、赤ん坊のうちから、これという理由もないのに 周囲の人間を不幸にしてやりたいと思うような赤ん坊もいるって、トールははっきり言っている。 てことは理由のない憎悪はどうしようもないってことなのか。 流れに身を任せて、スペースを作る。そうして恩寵を受け入れる余裕を持つことが大切なのか。
いま全てに満足してればイライラはしないだろうし、いま現在何らかの不満があるんじゃない? 理由に気づけないだけで深層心理なりなんなり 赤ん坊だっていま全てに満足してれば不幸なんて願わないんじゃないかな