1 :
考える名無しさん :
2008/06/30(月) 08:06:49 0
2 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 08:44:21 0
>>1 希望の存在を確かめてる私は尊厳を大切にするゼロアカ帝国
小説家モドキのぴかっと閃く不倫好きな皇后
爆乳生熟女アニマル浣腸クレポン二元論タンポン情動デイープスロートの女神
スカトロのあずまん古腐人淫乱なさねえエロぴか理論の内親王です。
最高位一派は前スレで形勢不利と見て一行レスでスレを埋めようとしたなww >998>999は誰だろうなwww
>>3 いや、不利ではないでしょう。
現在感嘆子が指摘中の点については、明らかに不利だろうと思えるが、
954的(954そのままではないにしても)な問いに関しては拮抗している。
なぜなら、954的スタンスは
・超越的視点の設定は可能である。
・ヒトの「始原・起点を求める思考の癖」を克服できる。
を前提とするが、
(ネコ氏がその先鋒だが)その前提に対して疑義が呈されているからだ。
・超越的視点の設定は不可能である(≒傲慢な妄想である)
・ヒトの「始原・起点を求める思考の癖」を克服はできない。
いや寧ろ、それは「癖」などという軽いものでなく、
(ヒトという生物に)運命づけられた、逃れられないベクトルである。
と・・・。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1214006280/947 >その仮説を立ててるのは誰?
>フィクションを認識してるのは誰?
>と、思ってるのは誰?
この問いには、答えられない。なぜか?
≪そこには【誰も】いない≫からだ。
もし、
その仮説を立ててるのは【何】?
フィクションを認識してるのは【何】?
と、思ってるのは【何】?
と問われたならば、
仮説を立ててる「意識状態」がある。 (仮説を立ててる「行と識」がある)。
フィクションを認識してる「意識状態」がある。 (フィクションを認識してる「識」がある)。
と、思ってる「意識状態」がある。 (と、思ってる「識」がある、或いは「行」がある)。
と答えることも可能だろう。
9 :
下僕 :2008/06/30(月) 13:57:23 0
とりあえず、他人の振りをしている私というみなさん。 実は、私が他人であると思ってこれを読んでいると思いますが…。 実は、私です。私一人しかいません。つまりみなさんの正体は、 私だったのです。 しかし同時に私とは別人であると思っている、その自覚とは、 自我と称し、学習と呼ばれる洗脳のたまものです。私の正体を 説くために洗脳したのですが、自我を私と思い一人歩きし、 あたかも、私が他人であるがごとく信じている事でしょう。 でもみなさんは私です。だからここで私が何をしているか、 既におわかりでしょう。自作自演です。
なんか面白いこと始めましたよ
11 :
下僕 :2008/06/30(月) 14:02:58 0
私一人しかいないのに、私が沢山居るのは変ですか? いいえ、私は無限に共有できるんです。ここにも居ながら、 同時にあらゆる場所に点在できるのです。 さらに、私は個別の自由な意思を私自身に与えていますから、 このようにあたかも他人のごとく発言のやりとりが楽しめるのです。 みなさんが私を記述できうる唯一の方法は、私に戻る以外にないのです。 私の下に階層的にさらなる私をつくっても、それは総て私ですから、 永遠と私が増殖するだけであり、私の正体を突き止めるには至りません。 でも方法はあります。私の増殖に制限を掛ければいいのです。 私を記述する条件の設定です。同時に記述が成立するのです。
曖昧さ回避失敗で林先生のお世話になる患者が増えましたか。
13 :
下僕 :2008/06/30(月) 14:07:00 0
>>10 は、私の発言ですが、その真意は私だけが知っているのです。
これも一つの共有の在り方です。
14 :
下僕 :2008/06/30(月) 14:08:12 0
>>12 別の私が現れました。このように、私は様々な観点から、
語る事ができるのです。
結局のところ 「われ思う、ゆえにわれ在り」からは 逃れられないわけだね。
16 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/30(月) 14:16:36 0
原因と結果を私の現れという観点に回収しているのですね。
17 :
下僕 :2008/06/30(月) 14:17:14 0
別の私からあなたの私を区別したいとも思わなくなるわけだね。
18 :
素人 :2008/06/30(月) 14:18:51 0
19 :
下僕 :2008/06/30(月) 14:19:09 0
>>17 > 別の私からあなたの私を区別したいとも思わなくなるわけだね。
いいえ、総て私ですから区別しようがありません。
そろそろデカルトはお腹いっぱいって感じだな。 歴史的にみて重要かもしれんけど、ぶっちゃけもう古くさいだろ。
21 :
下僕 :2008/06/30(月) 14:25:18 0
以上、隔離施設よりおおくりしました。 杏仁豆腐は密の味、まんまんとーふは
22 :
下僕 :2008/06/30(月) 14:26:26 0
>>15 >>16 一言いいですか?
それらの制限は私の創作です。今のところ上手く機能し、
私はその制限を超越しないようにして秩序を保っているのですが、
解除してもいいです。
>>22 別の「私」と言ってる時点で
デカルトの手のひらの中でうろうろしてるってこと。
ところで、 前スレ926・927さんは、930で納得していただけたんでしょうか・・・。
25 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/30(月) 14:35:02 0
想像力というフレームの中で仮構された「私」に対して、全くの断絶の場所にある「他者」。
>>23 貴方ならご存知かもしれません。
「我思う」の方の「我」は、どこから来たんですか?
27 :
下僕 :2008/06/30(月) 14:36:55 0
>>23 では、デカルトという創造の産物は殺してしまいましょう。
そうすれば大丈夫です。
映画や小説のナレーションの存在に対して違和感を憶えずに物語を視聴し続けられる。 下僕の語りは専らそのナレーションとしての位置から行われる。 ナレーターの存在を自然に受け入れる性質が普遍的な性質かどうかはわからない。
29 :
下僕 :2008/06/30(月) 14:47:31 0
>>25 > 想像力というフレームの中で仮構された「私」に対して、全くの断絶の場所にある「他者」。
ところがですよ。
まったく私と同じように考えることも可能ではないですか。
もちろん、Absalomさんのおっしゃるように考える事も可能です。
少なくとも考えの上での私と他の区別は希薄化も可能ですし、同化も可能。
つまり自由自在な私および私たち。
別の私である、Absalomさんも自由に他を創作できるという訳ですよね。
30 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/30(月) 14:59:26 0
>>29 下僕さんの考えられるように同じように考えることも可能であるし、それは倫理としてはもっとも
おおきな枠でとらえられたものだと思う。しかし、他者の想像に分け入ることは、活字や対話
によってしかなされない。「私」が宇宙と一体になったとしても、他者も全く別の宇宙を作ること
ができる。その両者はアメーバのようにくっつくかもしれないし、全く関係がないかもしれない。
私には予想がつかない。
また、意味論的な立場でいえば、私でないものが他者であると定義できる。その内実は、
僭越ですが、下僕さんに向けていえば、個人の創作には限りがあり、教え教えられるという
関係が重要である。というようなことを考えました。
>>26 さあね、そんなことわかるわけないだろう。
32 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/30(月) 15:21:04 0
何かに対する批評をしようとするとき、ある立場に立たなければ批評はできないのだろうか。 言説が意味を持つ限りにおいて批評であるとき、何か空虚なものを批評しようとすれば、 そこにおかれるのはどういった事態であろうか。並置、対置、どこに?空虚さはすぐ他のものによって 埋められてしまうから、空虚なものを存続させるには、ある装置が必要である。そして空虚さ こそが、<いま、ここ>に降り立つための唯一の方法である。<いま、ここ>に立つことにより、 歴史外の言説、古びてしまわない言説、が可能である。
みんな認識論的にわざとゴチャゴチャさせて考える必要ないのに。 社会的、生物史的に集団(公)と私の関係を考えればいいのになあ。
認識論的に考えると、時間軸、空間軸がめちゃくちゃになるから、 屁理屈のモンスターみたいになるんだよ。 時間軸は生物史的観点から、空間軸は社会的観点から私を考えればいいのに。 天動説で宇宙全体を説明しようとするから変になるみたいなもの。
35 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/30(月) 15:28:48 0
他者との間に作られる共同体は、歴史の外に置かれるための必要条件を満たしているだろうか。 他者との間を作ることによって、二人だけの秘密を持つことが可能になる。その秘密は、共同体 の中に意味の真空を作る。他者にとってみれば、この意味を読み取ることのできない秘密の真空 こそが、新たに生じた他者であり、虚空である。
>>33-34 認識論はむしろシンプルさをめざしているんだと思うんだけど。
その帰結が非常識なものであったとしても。
屁理屈のモンスターなんていったら理論物理学もそうとうなもんだろw
それをえらい学者先生のご託宣としてはいはい受け入れてしまう一般大衆もひどいもんだけどね。
39 :
1/3 :2008/06/30(月) 16:00:30 0
40 :
2/3 :2008/06/30(月) 16:01:35 0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1214006280/821 (名無し?w)
> >> 818
> >つまり「認識は存在に先立つ」ということでよろしいですか。
>
> 「誰の」認識で、「誰にとっての」存在か(存在してるのか)、
> が重要になりませんか?
> 特に、(独我論的に)「世界」が当人にしか現われていず、「当人(の認識)以外の世界」を容認するのであれば・・。
> もし、「当人(の認識)以外の世界」を認めないのであれば、話は簡単ですが・・・。
> 当然、「認識は存在に先立つ」でしょう。それしかないでしょう。
> (ただ、“「世界」という語の定義による”とも言えますが・・・。)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1214006280/825 (ネコ)
> >> 821
> だれにとって? 一般的な言い回しをしたつもりだが、貴兄は具体的に
> 問うているのですね?
> それなら「私にとって」というしかありません。w これは他者の認識を
> 否定しているのではなく、他人のそれは経験できない、それだけの話し。
> それとも、貴兄にはそれができるのですか。w
> たしかに「こう考えているだろう」と想像することはできる。が、これも
> 私の“想像(意識)”である。
> 勘違いしてもらっては困るが、私は事象(>> 475 のの言う外圧?)の存在を
> 否定しているわけではありません。私の認識によってしかそれを把捉(彼なら
> メロディ化)できない、と言っているだけです。
41 :
3/3 :2008/06/30(月) 16:02:30 0
42 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 16:14:45 0
>>8 認識(意識)は常に後づけであり、それをもって「そのときに存在していた根拠
がない」というのなら、すべての認識(内容)についてそう言いうる。
そもそも“後づけ”とは、反省を加え、その対象を意味づけすることだろう?
最高位一派?らしく切り返せば、「何(だれ)が後づけしているの?」となる。w
「後づけする」といった他動詞でコギトを説明するかぎり、「その主語は?」と
突っ込まれてもしかたがない。
素人氏は“状態”だと述べている。が、何にも帰属しない“意識状態”を氏は
うまく表現しきれていない。
43 :
なんと器の広い0点 :2008/06/30(月) 16:18:21 0
時間、手間、金、全てを無駄にした 芸人魂 優勝オメデトウ ヒョー ショー ジョー
>>36 でも、私というのは<公>に対して生まれているわけだし。
10人くらいの閉鎖されてる村なら、
最高位、機械、ハンニ、素人、じいさん等の名前でお互い呼び合えばよいの。
私なんて言葉は使わなくても生活できるんだよ。
ここの住人は全然こういう議論しないんだもの。
45 :
おら :2008/06/30(月) 16:22:04 0
謝れ
46 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 16:23:26 0
>>42 >最高位一派?らしく切り返せば、「何(だれ)が後づけしているの?」となる。
人間でしょ。
47 :
下僕 :2008/06/30(月) 16:24:27 0
>>30 >下僕さんに向けていえば、個人の創作には限りがあり、教え教えられるという
>関係が重要である。
私(下僕)の自我に向けたAbsalomさんという自我が発した発言ですよね。
私は自我などなんの価値もないと思っています。ここでの発言の目的において、
自我の満足には興味無しです。
倫理の成立条件は自他の区別から、つまり自我に端を発していますよね。
再三申し上げているとおり、私しか居ない。そういうわけですから、
神しかいないと同じ事で、だれもが神であるから、
教えるという行為を作為的に行うまた、なんらかの虚栄心や利己的衝動にかられた
自我の言うことなどは聞かず、神の振る舞いをみるだけで総てが教えではありませんか?
こんな感じで、他(自我)に化けた私がAbsalomさんに語りかけました。
>>44 だってそれ哲学の話じゃないからw
なんの話してるのか理解してからおいで。
49 :
下僕 :2008/06/30(月) 16:27:13 0
>>28 >ナレーターの存在を自然に受け入れる性質が普遍的な性質かどうかはわからない。
素晴らしい観察点である私の一部を発見しました。
普遍的もなにも総て私ですから、普遍でもなく、観察点、焦点、視点の問題である、
などと、あたかも他人に話しかけるがごとく、別の私に話しかけてもいいですか?
>>44 名前としての、呼称としての、識別タグとしての私ではないのです。
辛うじて≪「識別タグ」として≫とは言い得ますが、それも、
自身を内省した時に、自身を見つめた時に識別・把捉する為に必要なタグとして、です。
(禅は、そうしたタグをも嫌うわけですが・・・w)
たとえ砂漠を独り放浪中であっても、
熱さと渇きを感得している(ツライ・・・しんどい・・・と感じている)のは何者か?
ということです。
51 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 16:32:37 0
>>46 “人間”というのは(抽象的)概念だよ。“ネコ”と一緒。そんなものは私の
環界には存在しない。素人さんなら、いるらしいけど。たぶん、感嘆子も。w
>>44 そして、もっと掘り下げれば、
≪そのタグをぶらさげているのは何者か?≫
ということです。
53 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 16:39:27 0
下僕さんの難解な書き込みをきちんと読んではいないのだが(ごめん)、 彼が延々と述べているのは汎神論ならぬ、汎『私』論?
54 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/06/30(月) 16:48:59 0
ある対象に向けた意見以外の言説をしてみたい。哲学としての哲学。
55 :
下僕 :2008/06/30(月) 16:59:54 0
>>53 私の論は簡単です。
私しか居ない。
同時に私は沢山居る。
私は自由な意思を持つ。
さてどこに他人がいるのでしょう?
比較を止めれば普通に理解できると思います。
もっとも、私というものを比較して理解できうるならば別ですが…。
56 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 17:01:34 0
>>4 ネコは超越論的還元ができないのか・・・
『私』は超越論的位相にある超越論的対象だから、
「超越論的視点」を否定すれば、超越論的主観へ辿り着くことは不可能になるのに。
57 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 17:02:25 0
>>4 ネコは超越論的還元ができないのか・・・
『私』は超越論的位相にある超越論的対象だから、
「超越論的視点」を否定すれば、超越論的主観へ辿り着くことは不可能になるのに。
58 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 17:19:11 0
唯物論自体が「超越論的視点」でしか成り立たないのだが。。
人間には想像力があるので様々な視点を捏造する事は止められない。 私コギトという視点も人間の想像力によって捏造された視点である。
60 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 18:14:31 0
>>48 バカ?
私は人称代名詞の一人称。
人名は固有名詞。
君みたいなバカが議論に参加してくるから滅茶苦茶になるのね。
61 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 18:15:52 0
62 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 18:45:20 0
歩く行為を例えば実況中継してみよう。 しかし、あくまでも実況中継なので、 事が行われた後に実況すること。 「右足を離すと同時に、左足のかかが今、接地し 次に右足の足首を空中で返しつつ、左足の。。。」 さらに詳細に実況しようとすると複数に分裂して (ひざ、足首、かかと、指。。)、不可能になる。 第一、実況する私は、勝手に歩く私を実況しているのだ。 ここに複数性における対象として私だった事を発見する。
64 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 19:17:44 0
>>4 >954的スタンスは
>・超越的視点の設定は可能である。
私は
>>8 を書いた者だけど、954的スタンスとは違いますよ。
8的洞察は超越的ではなくその反対に内在的。
経験的現実の根底にあり、経験的現実を可能にしているものへの洞察だから
カント風に言えば、超越的ではなく超越論的・先験的。
>・ヒトの「始原・起点を求める思考の癖」を克服できる。
そういう思考の癖の根源を見ていこうということであって、
それを克服できるかどうかというのは別問題ですよ。
克服できるかどうかというのは、人は悟れるのか?とか、
超人になれるのか?というたぐいのことであって、
哲学からは逸脱するかもしれませんよ。
>>42 >そもそも“後づけ”とは、反省を加え、その対象を意味づけすることだろう?
>最高位一派?らしく切り返せば、「何(だれ)が後づけしているの?」となる。w
意識になぜ「起点」や「帰属先」が必要なのか?という問いに答えられないとすれば
やはり、それは後からの反省によって付け加えられたと考えるのが妥当だと思います。
「何(だれ)が後づけしているの?」という点については、もちろん「意識が」です。
はじめにある(根源的)意識が反省を繰り返し自己意識が深まっていくにつれて
自己が肥大化していくと思います。
65 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 19:19:15 0
>>56 >>4の要約はどれが私の意見なのか、私にもよくわからない。w
>>4のどの部分が超越論的視点を否定していることになるの?
ただ、この超越論的主観性も、もう一人のデ氏にいわせれば、かなり怪しいらしい。
66 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 19:30:08 0
>>64 その「克服できる」というのは、だれの見解? 少なくとも私のそれではない。
では、その帰属先のない意識はそれがないまま浮遊しているわけですか?
自己意識の“自己”、肥大化する“自己”とは何のことですか。
67 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 19:45:18 0
>>66 >自己意識の“自己”、肥大化する“自己”とは何のことですか。
私の考えでは、意識が意識を意識することが自己意識ですね。
自らを対象化した意識から「自己」という意識が生じる。
だから自己意識が過剰になるほど自己は肥大化する。
肥大化するというか、あたかも確固とした存在であるかのように見えてくる。
68 :
62 :2008/06/30(月) 20:21:43 0
歩く行為を意識化しても、
>>62 のようにこの程度
の者が能動的第一者であるという事が、まず持って
錯覚であろう。誰の錯覚かは、意識であろう。
そしてそれを暴露出来るのは誰であろう??
69 :
下僕 :2008/06/30(月) 21:11:12 0
無意識的行動のほとんどは意識化は可能です。 行動といえば言動もそうです。 で、意識化されようがされまいが自動運転されているのが 我々の身体と思考そして、思考にまとわりつく好き嫌い。 つまり自我。感情。 このメカニズムを私は選択といわず、マシン化と言う。 マシンのうちは、私は思考で止まる。だから思考でだされた 私を私と認識する。けれども、しょせん思考のでっち上げだから 私を捕まえる事は不可能。 であるならば、選択者を捕まえるべきなのだが。 選択の結果には個性が反映されるが、選択自体には個性はない。 選択者になれば自我は無し。で、選択者が身体や思考を道具として 活用できる。活用できるということは、マシンを誘導し、 望む結果に導く事が可能であるという事で、実は支配の法則でもある。 その選択者が、自分の事をどう呼び、どういう システムに構築するか?どんな自由を設定するか。 つまり自由自在。これが論理構造の全てだ。 しかしその選択は自我が無い以上、上位の意図が反映されているのは いうまでもない。それを何というかは、これまた選択による。
70 :
62 :2008/06/30(月) 21:35:56 0
どっちにしても、 新たに概念を作るか 据えるかしなければ ならんでしょうな。 それとも病院行くか でしょうか?
71 :
下僕 :2008/06/30(月) 21:52:09 0
>>70 62さんの場合の選択は、ご自身の発言にみられるような
現実を創造されるのですね。
私の場合は、どんな状況を創作したいか?をまず設定し、
それにふさわしい選択をします。
24時間1+1のことを考えたいと自分で意思しても ふと気付くと他のこと考えていたりするよね
73 :
66 :2008/06/30(月) 23:17:17 0
>>67 初めに意識が浮遊していて、それが意識を意識するわけですか?
もう一つ、「自らを対象化する意識」ですって?
では、その意識の対象となる「自ら」は存在するわけですね。
「確固とした存在にみえてくる」 何(だれ)にそう見えてくるのですか。これも意識?
意識の帰属先(主体)を隠蔽した表現には無理がありますね。
そしてまた デカルトの手のひらの中で踊っていたことに気付く。
>>73 時間的前後を考察に加えれば、解決の糸口に繋がりはしませんか?
>>74 貴方ならご存知かもしれません。
「我思う」の方の「我」は、どこから来たんですか?
>>76 あ、それ、デカルトを批判してるつもりだったんだ。
>>77 あ、わからないならいいです。
また別の方にお尋ねします。
いいんなら、いいや。
>>74 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%B3%E5%8A%87%E5%A0%B4 これは、つまるところ
,,-‐、______,-''三ヽ 中
( ミ,,-――――――-- 、丿 の
/::/ U `ヽ 人
/:/ (;;;;;;;;;)ノ ハU(;;;;;;;;;)U ヽ な
/:/ U i||| - l - lli i ど
|;| 、__丿 U i い
|| U ,ニ,ニ、 i. な
|::| U | |  ̄ | | U <三三 い
三三> U l iエエ,i 人 !!!
|:::::::::ヽ、______ー___,,-'':::::
|::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ではないよな。 ないよ。多分。
81 :
67 :2008/07/01(火) 07:11:46 0
>>73 >初めに意識が浮遊していて、それが意識を意識するわけですか?
そうですよ。
「浮遊」ということで何をイメージしているのか分からないけれど。
あなたの考えでは「初めに自己が浮遊している」んですか?
(「浮遊」という語から察するにあなたは存在論的にイメージしている
んだろうと思うけど、私が書いているのは認識論的なことですよ。
存在論的に初めに存在するものが何であるかなんていう事は語りえない。)
>もう一つ、「自らを対象化する意識」ですって?
>では、その意識の対象となる「自ら」は存在するわけですね
>「確固とした存在にみえてくる」 何(だれ)にそう見えてくるのですか。これも意識?
意識が意識を意識するんだから、そうですよ。「自ら」も意識。
この「自ら」を、肥大化していく自己として考えていけば、根源的レベルから
しだいに、経験的・常識的な人間としてのレベルの話に移行していきます。
つまり、人が普通「自分」と思っているものは、意識が意識を意識する自己意識の結果
として形成されるものであって、そのような「自分」が初めにあるのではないということ。
>意識の帰属先(主体)を隠蔽した表現には無理がありますね。
なぜ無理があるのか分かりませんね。
無理があると思う理由を説明するためには、
『意識になぜ「起点」や「帰属先」が必要なのか?』
に答える必要があるでしょうね。
82 :
下僕 :2008/07/01(火) 07:34:59 0
「我思う、ゆえに我あり」は基本的には自意識と断定します。 実際には、我を思っている我を設定しなければ、こんな事は言えない。 そして、「我あるならば、我思う」と逆説を立てれば解る事です。 私が思わなければ、私は存在しないか?あるいは、 私の存在する根拠は、単なる私の思いか?馬鹿馬鹿しいです。 実際、そんな事を実感レベルで感じられるわけがない。 哲学者は常に、自意識(自我)を中心に置いている。 なぜならば、そういう社会にむけて哲学説を発信するからです。 例えば、万物は存在も非存在もなく、創造物であると仮定します。 以下は存在側のみ説明するとして、その創造物の一部として我も 存在している。 その我がどのように考えどう意識を持ち、どんな概念を形成しようが、 在る事には変わりなく、言葉も概念も排除し、その万物の中に我が 在った場合、万物の一部であるから、我だけを消滅させることは できない。 つまり「我思う、ゆえに我あり」は現代の用語でいえば 自意識を言っている。自我といってもよい。これは個別化の思想である。 個人主義の身勝手思想で、東洋思想とは正反対であると、私は、 あえて、自我を創作した論点を構築し、結論づけます。 自我を「私」とすると議論できるが、東洋思想でいう「私」などは 議論の対象ではないです。万物から入りますからね。
83 :
下僕 :2008/07/01(火) 07:39:14 0
私と万物は平等である。…私に価値無し。 私は万物をコントロールする。…私に価値はおおあり。 こういう根底にある東西の癖を考慮する必要があるという事です。
84 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/01(火) 09:27:57 0
>>69 感情が自我の産物であるという意見は興味深いですね。
自我が追体験により再生産する。
負の感情であれば、つらい感じを受けるところです。
正の感情であれば、うれしくて何度も思い返すでしょう。
感情は自分に関係したことに起こるので、自我が関わってくるということでしょうか。
感情をコントロールするすべを身につけるのは大事だと思います。
85 :
下僕 :2008/07/01(火) 09:35:35 0
西洋思想の根底にある自我中心主義という遠近法的視野は傲慢です。 我々は宇宙に支配されている客人という立場です。 その客人が自由な意思をもっているのですが、その範囲は、 自分の体と想念の及ぶ範囲に限定されます。 そして人間は同化・融合・調和する能力もある。 つまりどこに自分の帰属箇所にもってゆくか自由なのです。 私が我即宇宙という時、私は宇宙に属する立場で語る。 私が我であるという時、他を発見する立場に立つ。 私は社会(人間界)に属するというならば、社会的視点、つまりその社会での 流行的視点に立つ。 しかしいずれも、自由な立場に立つには、自我を放棄し観察者として できるかぎり先入観なく観察する立場でないと自我(好み)を反映した つまりねつぞうがはいりますから、その部分で共同観察で、事実を 抽出すればよいという訳です。 そんだけの事です。
86 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/01(火) 09:55:28 0
>>76 どこから来たのかは知りませんが
私が思っている というのは、どうやっても否定できないですよね
私が、どこから来たのかを知ってる人は
おそらく、どこにもいないのではないでしょうか
しかし
どこから来たのかが、わかるわからない は別にして
わかっても、わからなくても関係なく
いずれにせよ私は思っているのだから
「我あり」を否定する事は、できない
というのが「我思う故に我あり」であり
よって、第一原理であるとされる所以です
懐疑しても懐疑しても、この一点だけは
どうやっても揺るがない という事です
87 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 10:01:56 0
>>86 やはり神の霊ではないでしょうか?
神がいるということが証明されたのでは?
88 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/01(火) 10:03:10 0
>>80 素朴な疑問なのですが
中にいる小人さんの意識は、どうなっているのでしょうか?
小人さんの頭の中にも、また小人がいるのでしょうか??
89 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 10:03:41 0
>>86 あなたが思っている事を知らなくてもよく生きている私はゼロアカ帝国
小説家モドキのぴかっと閃く不倫好きな皇后
爆乳生熟女アニマル浣腸クレポン懐疑タンポン否定デープスロートの女神
花びら満開にしておっぱいマサージしちゃうあずまん古腐人スカトロ好きなさなえエロぴか理論の陛下です。
90 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/01(火) 10:06:32 0
91 :
66 :2008/07/01(火) 10:06:47 0
>>81 「初めに何があるか語りえない」と言いつつ、貴方は「初めに意識(の存在)」
を立てている。その意識(主体)が意識(対象)を意識している、というわけだ。
だれの意識でもなく、何についての意識でもなく、ただ意識(心)だけがある、
これは唯識(心)論である。(よく知らないけどw)
私は、意識が意識を意識する、その全体的な機制の帰属先を「自己(主体)」と
呼んでいる。これを「自己疎外」と、やや古い言い方をしてもいい。
貴方は意識の表出が後づけ的に「自己」を仮設するとしているが、この表出を
“疎外”と言い直すなら、その起源は環界との“違和(原生疎外)”にまで遡る
ことができ、このとき自と他(環)の分別の原型ができたとみる。
「自己」は意識が意識を意識する、その仕組みの全体を通して前面に出たり、
あるいは後景に退きながら、ときには主旋律を別のときには通底奏音を鳴らし
続けており、貴方のように簡単にそれを消去できるのなら、あちらの錚々たる
思想家たちもそれと四つ相撲に組む必要はないのです。
92 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 10:08:16 0
「私はひとりの他者である」ランボー
93 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 10:10:31 0
私というのはフィクションですから誰がそう思っているのか わからないですよ。
94 :
下僕 :2008/07/01(火) 10:14:17 0
>>84 自分などどうなってもよいと本気で思う。
というより、それすら思わない放棄及び、成長主義やあらゆる主義から
堕落したならば、なにをやっても、「ああ、そう…」ではないですか?
これは仏教においてカルマの消滅。物理学でいえば、作用反作用の消滅。
慣性の法則の消滅。実際どうなるかといえば、介入作用をする主体となります。
感情は観察できれば、単なる物理作用です。観察できればですが…。
できないうちは、感情と一体化した自我が形成されつづけ。
馬鹿と言われただけで、なんらかの感情を誘発するってわけです。
これはコントロールとは違い、無反応になっただけです。
もちろん他者からみれば反応しているように見えますが、実は、選択によるものです。
95 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 10:16:34 0
フィクションとしての「私」は共同主観のことでしようね。 この国では、こちらが前面にでてくる場面が多いようです。
96 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/01(火) 10:24:49 0
厳密に考えるならば 他人には、自我があるのか無いのかすら、わかりません 他人の意識については、実際にはわからないのですから 意識について、客観的観点から述べる場合には その事実を忘れず、慎重に発言すべきです 私は、私の意識によって私を意識している という事実 そこからしか、論理展開できない事を認識しましょう 意識については、一般論的な観点に立つこと自体が すでに論理的飛躍を含むわけです
97 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 10:32:21 0
私の意識かどうかわかんない
98 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 10:33:04 0
>>96 厳密に考えるならば、他人は存在しているのかどうかすらわかりません
99 :
66 :2008/07/01(火) 10:33:08 0
>>95 だから、この国では容易に「私」を消去でき、「私の意識」ではなく、
帰属先のない単なる「意識」を主語として定立できるのだろう。
なにせ、私(たち)は超越的な存在と相撲を取った経験がないので…。
100 :
下僕 :2008/07/01(火) 10:46:46 0
>>95 おっしゃるとおり。村。忍苦待望。猿。くれくれ。被害者。
みんなと一緒。仲良くするがゆえに、仲良くできない。
一番怖いもの?→世間。つまり他者がおり、その思惑におびえる毎日。
キレてやっと本性をさらす。たまに本性を使うだけだから、
無限なるエネルギーの源である自然と一体となっている本性がもったいない。
資源の無駄つかい。
私などは、こうかんがえます。
101 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/07/01(火) 11:00:12 0
>>99 <なにせ、私(たち)は超越的な存在と相撲を取った経験がないので…。>
他者、共同体とまじわるしかない日常生活の中で、超越(論ではない)的存在(おおざっぱにいえば共同体/資本の論理等に表出された、その自己維持のための公式に基づく、私にとって不合理なもの一般)との対峙を、つねに、そのつど、強い続けられています。
102 :
下僕 :2008/07/01(火) 11:12:36 0
>>101 つまり、私(たち)は被害者であるということですか?
仮にそうであれば、加害者の視点もあります。
103 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/01(火) 11:23:35 0
>>93 誰がわからないって?
「わからない」と思っている本人が、「わからない」と言ってるんじゃないの?
104 :
下僕 :2008/07/01(火) 11:27:12 0
論理や概念構築は、結果を出した時点で、その結果構築者にとっては、絶対化され、 包括的視点の下位は相対化が可能です。つまり反対側の論もありますから、 視点は常に対極が存在します。(表裏一体が自然ですが…) 絶対化された結論にとっては、常に反対側が、超越的視点ではないでしょうか。 私(下僕)は最初から、超越的視点(あるべき姿)を作りますが、価値体系を組み立ててゆくタイプの 思考方法をとられる方の場合は、対極こそが、超越という気づきさえあれば、 常に自分は超越的立場をとっていたことに気づくわけですが…。
105 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 11:27:58 0
106 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/07/01(火) 11:30:04 0
>>102 害というと語弊になるでしょうが、他者や共同体に対し、私はそういう関わり方しか持てない。
それを自己疎外と書いております。
107 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/01(火) 11:31:55 0
108 :
93 :2008/07/01(火) 11:33:36 0
>>103 馬鹿ですから(笑 ただ社会的には一応自分が思ったとしとかないと
ヤバいですから。社会と言うフィクションが成立しませんから。
人間はフィクションなしにも生きられませんから。
デカルトの我だって神の前の我でしょう?
109 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 11:37:10 0
110 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/01(火) 11:44:05 0
>>104 私というものは概念としてまとめられないもの、言葉では説明できないもの、あえていえば
視点(常に移動する)と想念の集合体のようなもの、私、存在している私には、対極が
存在せず、どこかにぼやけてしまう。
111 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 11:49:40 0
最高位の言う通りだよ。
113 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 11:52:44 0
>>112 ふつう最高位のような人も言われますよ。
114 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/01(火) 12:02:28 0
>>93 それだと、フィクションとは何かということをいわないといけないでしょう。
泣きたい気持ちの時は、外は土砂降り雨、不穏な先行きが期待されるときは、
曇り空、というふうにメロドラマてき好都合主義で盛り上げるのがフィクション
だとすれば、現実との齟齬にあって、物語的ではない私というものも考えられる
と思います。
115 :
下僕 :2008/07/01(火) 12:07:17 0
>>106 私の発言部の「害」の部分あるいは、「被害者」を「自己疎外」に置き換えても
意味は同じになります。自己疎外の反意語を「加害者」にもってくればよいです。
ただ、誰に疎外されたのでしょう?これは私としては気になりますね。
116 :
下僕 :2008/07/01(火) 12:11:20 0
>>110 私(存在している私)を中心に考えればそうですよね。
でも肝心な事は、「考え」は、私たちとくっついて存在していませんよね。
たんなる考えですもの。
概念と自分は切り離すことはできませんか?。但し、切り離す事ができればの話しですが…。
117 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/01(火) 12:16:41 0
フィクションというのは観念であるからして 「フィクションである」と認識されて初めて「フィクションである」と言える 当たり前だが そう認識している人がいるのである
118 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 12:17:21 0
>>114 言葉は自然そのものを摑んでいるわけではないということです。
記号や象徴だということです。自然そのものではないということは
自然そのものからまったく離れてということでもありません。それなりの
規定を受けつつということですが。
119 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/01(火) 12:19:37 0
>>116 「考え」についていえば下僕さんの自由的「考え」観は正しいでしょうが、考えを生み出す何物か
が存在し、それを想念を生み出す不定形体としての私、と考えるのですが。
なお、上記のことも考えであると思われますが、そのことを考えると、「考え」のなかには
何か主体の痕跡のような物が残されている、と思えます。
120 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/07/01(火) 12:22:35 0
>>115 <誰に疎外されたのでしょう?>
<本源的な自分>を取り戻そうとすればするほど、その自分の営為一般により、自分自身が疎外され続けていく。
そういう構図です。
121 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 12:25:42 0
言語そのものが疎外するんじゃないかな。 自然(実体)から離れているわけだから。 道具(言語)をつかうということは。
122 :
下僕 :2008/07/01(火) 12:25:52 0
話しは変わりますが…。
哲学者最高位氏を私は謙虚であると、認めておりますが、
その理由は、
>>96 で、ご本人が述べております。
123 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/01(火) 12:27:04 0
>>93 フィクションという言葉で、私とは想像力のことである、ということをいおうとしてらっしゃるなら、
大いに賛成です。想像の産物である、実体はない、という意味合いであるなら、賛成でき
ません。つまり、「何かを生み出す物が主体である」と考えないと、不毛になってしまうから、
ということです。
124 :
下僕 :2008/07/01(火) 12:29:45 0
>>120 ><本源的な自分>を取り戻そうとすればするほど、その自分の営為一般により、
>自分自身が疎外され続けていく。
お答えいただければ幸いなのですが…。
疎外され続けてゆくという、その場所は、wisteria-1さん個人の属する共同体ですか?
125 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/01(火) 12:31:37 0
>>99 >だから、この国では容易に「私」を消去でき、「私の意識」ではなく、
>帰属先のない単なる「意識」を主語として定立できるのだろう。
しかし実際には
誰のものでもない意識 など存在しえない
126 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/07/01(火) 12:31:47 0
>>121 言語は、そのほぼすべてが自己疎外の表出であると思います。
自己疎外を伴わない言語はコピーペーストであるとして。
127 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 12:32:33 0
>>123 実体はないという意味では使っていません。
128 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 12:32:57 0
誰のって、人間の意識でしょ
129 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/07/01(火) 12:39:02 0
>>124 <疎外され続けてゆくという、その場所は、wisteria-1さん個人の属する共同体ですか? >
そのつど、私が、今、ここで、発話している、この時間、そして、この空間。
もちろん、この時間と空間という「感性」の、私にとっての、そのつどのありようから、既に自己疎外の表出として現前しています。
131 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 12:41:57 0
>>128 >>51 >“人間”というのは(抽象的)概念だよ。“ネコ”と一緒。そんなものは私の
>環界には存在しない。
132 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/01(火) 12:46:46 0
>>128 「犯人は誰だ?」
「人間です」
ではダメじゃないか?
133 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/07/01(火) 13:01:22 0
>>132 横スレですが、「故知らず」、「故の構図だけは知り」、「故といえるものがあるらしいということを知り」、というレベル差は、そのときどきにあるでしょうが、「犯人は誰だ?」の解は、「ヒト故です」と置くしかないでしょうね。
もちろん、これで、何かを言明したことには、なりませんが。
134 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/07/01(火) 13:02:21 0
横「レス」でした。
135 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/07/01(火) 13:05:54 0
136 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/01(火) 13:08:28 0
>>133 「人間です」
では
単に「個人を特定できない」という事なんだけど?
137 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/07/01(火) 13:11:16 0
>>136 「犯人は?」、の「解として」、「人間です」、ではなく、「ヒト故です」、と書きました。
138 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/01(火) 13:17:35 0
>>137 会話になってませんし
畑を荒らしている犯人は、イノシシかも知れませんよ?
139 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/07/01(火) 13:20:33 0
>>138 対話としては十分に成立しています。
畑を荒らしている犯人は、誰とも何とも特定/規定できないヒトユエかも知れませんよ?
つか誰って話なのに動物含めてるとか馬鹿じゃね。
>>136 ほうw
では、どうやって特定するのか、その手腕を見せていただきましょう。
犯人が、「キムタク」か「イチロー」か「朝青龍」か、
どう区別し、どう判断するのか。
『私』の価値観が、境目なく繋がった(『私』以外の)“状態”の、どこをどう切り取って
犯人を定めるのか。
( ・∀・) ドキドキ
( ∪ ∪ ワクワク
と___)___)
142 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 13:27:54 0
○○○街の殺人の犯人はオランウータンである。
143 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/01(火) 13:35:15 0
>>139 >誰とも何とも特定/規定できないヒトユエ
キミの言う「ヒト故」いうのの意味がわからなくなってきましたね
漢字の意味からすると
「人ゆえ」「人だから」という意味じゃないの?
>>140 今日のエピソード
うちにある植木の花のツボミが無くなっていた犯人は、子犬でした(爆笑
>>141 もちろん切り取る境目は、観念によってテキトーだよ
物理世界に明確な線引きがあるわけじゃないからね
キムタクには自我がある という価値観によってキムタクだと個人を尊重しているわけで
単なる物体であるならば
論理的には複雑であるだけで、その辺の石ころと同じだという事になる
富士山と同様
「存在性ではない」ということになるね
早く理解できるといいね
じゃ
今日はこれで時間切れ
144 :
67 :2008/07/01(火) 13:46:45 0
>>91 >「初めに何があるか語りえない」と言いつつ、貴方は「初めに意識(の存在)」
>を立てている。その意識(主体)が意識(対象)を意識している、というわけだ。
>だれの意識でもなく、何についての意識でもなく、ただ意識(心)だけがある、
>これは唯識(心)論である。(よく知らないけどw)
存在論ではなくて認識論だと書いんですが・・・
意識だけが存在するというような存在論(形而上学)を言っているのではなく
認識論というのは経験的認識を説明するためのモデルです。
>その起源は環界との“違和(原生疎外)”にまで遡る
>ことができ、このとき自と他(環)の分別の原型ができたとみる。
その時に自と他の分別の原型ができてしだいに明確化していったということならば
やはり自己は後付けということになるのではないですか?
意識には必ず「起点」と「帰属先」がなければならないということとその話は
つながっていないように思います。
「意識」とその起点・帰属先である「自己」との関係をもう少し説明してもらえますか?
後付けでないとすれば、まず帰属先である「自己」があって、そこを「起点」として
意識が表出するということですか?
そう考えてしまえばデカルトのように我を実体と考えてしまうことにつながると思います。
>貴方のように簡単にそれを消去できるのなら、
>あちらの錚々たる思想家たちもそれと四つ相撲に組む必要はないのです。
デカルト以降の哲学は、我を実体と考えてしまったデカルトの誤りを
訂正する歴史だったと思います。
私は自己(経験的自己)を消去しているのではないですよ。だからもし
>>5 のように「その仮説を立ててるのは誰?」と質問されれば、
≪そこには【誰も】いない≫などとは答えません。
質問が経験的人間レベルでの質問だからです。
145 :
下僕 :2008/07/01(火) 13:47:36 0
>>129 >私にとっての、そのつどのありようから、既に自己疎外の表出として現前しています。
既に自己疎外ですか…。つまりwisteria-1 の論ずる「私」は自己疎外が前提になっているわけですね。
なるほど…。
146 :
下僕 :2008/07/01(火) 13:53:49 0
>>145 敬称略してしまいました。「wisteria-1 さん」
に訂正します。
>>143 おお、最高位氏、何ですかこれはw
加藤智大氏に自我がないとしても、「加藤智大が秋葉原事件の犯人である」という
事実に何も変わりはないのですぞ(責任能力なしで無罪になるかもしれませんが)。
>キムタクには自我がある という価値観によってキムタクだと個人を尊重しているわけで
ですからw、「キムタクや朝青龍や最高位には自我があるが、富士山にはない」とか、
「キムタクや朝青龍や富士山は私ではないが、最高位は私である」という価値観が
成立するためには、前もって「キムタク」「朝青龍」「最高位」「富士山」
が別個の存在として区別されていなければならないのですよ。
それに自我があるかないかとか、私であるかどうかの判断(価値観w)は、その後の
ことなのです。
その4者の区別が「私の勝手でテキトーな価値観」に過ぎないとすれば、
上記のような判断もすべて「私の勝手でテキトーな価値観」に過ぎないことになる
わけです。当然、秋葉原の殺人事件の犯人はキムタクであるでも富士山であるでも、
何でも構わないことになります。それどころか「秋葉原など存在しないし人間も
存在しないから殺人などという出来事もない」でも構いません。
>>136 のような自分の首を絞める書き込みを安易にしてしまう、ということは、
あなたがご自身の「個物に存在性はない論」を本当は信じていないからだ、
としか思えないのですが、いかがw?
(ついでに、
>>117 も、あなたなら「そう認識している人がいるのである」ではなく
「そう認識している私がいるのである」と書かなければいけません。)
オリエント急行殺人事件の犯人は乗客全員だ アクロイド殺人事件の犯人は語りべだ 十津川「こんどの犯人は神に愛されているね、手がかりなど何一つない」 亀「いえ、犯人は人間です。きっと何か事件につながる手がかりを残しているはずです」 会話は、両者の関心の共有のもとに成立する 「明日は晴れるかな?」 「明日は木曜日じゃないよ」 これじゃカオスだ バイバイ 僕はストレンジカメレオン ななーななー♪
149 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 14:39:20 0
物質は1つながりで、「人間の価値観」が勝手にキムタクや富士山を 切り取っているて? その前にすでに「人間」という切り取りしとるやん。 それに、「私」が認識してるはずなのに、 「私」の外部の「人間」が何で主語に成るん? 最高位はん、ちゃんと答えてやー
150 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 14:44:38 0
>>96 >意識について、客観的観点から述べる場合にはその事実を忘れず、慎重に発言すべきです
主観的な直接経験、対象化した意識を根源的明証の検証基準にすれば、
『私』は超越論的位相にある、超越論的対象(客観物)だから、
すでに論理的飛躍を含むわけだ。
厳密に考えるならば、『私』があるのか無いのかすら、わかりません。
「我思う」からは、「我(脳)」という「思い(思考機能)」があるとしかと言えない。
これは非根源的な明証。第一原理にできない。
ネコ ハチワンダイバーの見すぎだろ さておき、将棋では定められた確固たるルールがあるが 議論はそうはいかない 「議論に参加しない」という答えもありうる その点でルール無用、将棋盤をひっくり返したってかまわない そんな中で勝ちにこだわることに何の価値がある? 持ち時間1分の早指し将棋の勝ち負けに何の価値がある? 混沌とした中で、それでも将棋をできるのは、 定石の改良、対策などの研究が後世に残るということ 野将棋と指す楽しみは、かつてない発想で定石を崩したり、古い戦法を復活させたり、そういう体験をしたいというものだろう その場の勝ち負けにこだわりすぎるあまり、戦法の研究をないがしろにするのはどうかと思うがね 羽生名人だって負けたのだ 誰しも、必ず負けは経験するのだ ならば、誰もが敗者であると言えよう 敗者である自覚、(これをわたしは「知的謙虚さ」と呼ぶが) 知的謙虚さのない者と議論を交わして楽しいのかな、なんて思う そんな僕はストレンジカメレオン ななーななー♪
152 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 14:45:56 0
「私」と固有名詞はちがう。 固有名詞は唯一人物につける名であり、 「私」はとりあえず「私」と呼んでいる超越的存在性のことである。
>そんな僕はストレンジカメレオン >ななーななー♪ ばか
論理的飛躍をしない人は前提以上の内容を発言できない 論理を何か有益な結論を得るための推論の道具と見なすならば それはざるで水を汲むような行為だと考えねばならない 逆である 論理は誤ったものを蹴落とすための道具なのである 論理的に両立できない関係、いわゆる矛盾は偽であると考えられる もし、矛盾した関係があるならば、 その関係にあるひとつ-少なくともどちらか片方を-破棄せねばならない 最高位のように、論理的飛躍をするべきでないと考えるならば 「わたし」についても論理的飛躍があるということ(「われおもうゆえにわれあり」もまた不確実である)ということ そこから何ひとつ語れなくなるという困難に陥る それは「謙虚」とはとても形容しがたい 僕はストレンジカメレオン ななーななー♪
そういうのを 揚げ足を取るというんだよ。 おばかさん
156 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 15:21:27 0
>>151 ネコはディベートと思索的対話の区別がつかないんだよ。
哲学の考察が「相手側を言い負かすこと」と誤解してるんだ。
ディベートマニアのネコに哲学はできないよ。
哲学では「あげ足とり」と言わず、 「その批判は些末である」と言う あげた以上はとられて当然 僕はストレンジカメレオン ななーななー♪
>>157 些末であるだけならまだしも見当違いなんだけど。
159 :
哲_学_者 :2008/07/01(火) 15:47:58 0
ストレンジカメレオン君、無視させてもらいます。
160 :
66 :2008/07/01(火) 15:58:41 0
>>151 そのアニメも番組もみていない。
>>156 その批判は当たっていると思う。もともと哲学とは無縁の俺が機械スレに
書き込んだのは、不純な動機だったから。
で、よければ君が思索的対話の見本をみせてくれると、助かるのだが。
それを範とします。これは皮肉や当てこすりではありません。
それから、ストカメ君は終わりの二行はやめたほうがいい。似合わない
と言っているだろう。w
しかし思索云々以前に、話しを転がすのが下手な連中が多いよね。
たとえば、よく知りもしない“原生疎外”という言葉をだせば、あの人が
登場してくれるだろうと予想していたら、案の定でした(自慢)。w
ストレンジカメレオンは「テツガク」の色になじまないできそこないのカメレオン でも実践を批判することはできるし、 哲学の伝統的な問題も平気で扱える(というか哲学畑) だけど、何かが実践としてテツガクじゃないと、いつもつまはじきもの 滅びる覚悟はできてるのさ 僕はストレンジカメレオン ななーななー♪
物質はみんな同じだが、私はみんな違う、と最高位は言うけど 私だってみんな同じじゃないの。 ただ、それぞれの人の私が置かれている環境と遺伝子と記憶が違うだけで。 最高位は純粋な私という存在性が最初に存在すると言うのだから、 そのような抽象的純粋性が存在するなら、 私は物質と同じように、みんな私という記号において同じと言っても 問題ないね。 最高位哲学の内在論理からそう言える。最高位哲学は唯物論と矛盾しないよ。
>>161 異端を誇るやつはただの馬鹿なんだけど。
164 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 16:09:57 0
死んで逝った多くの者は、無駄だったからではい。 無駄に多くの者が死んでいったにすぎん。 嗚呼なんと豊かな世界。
165 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 16:10:27 0
166 :
141 :2008/07/01(火) 16:10:39 0
>>143 >キムタクには自我がある という価値観によって
キムタクに自我があるかどうか以前に、「キムタク」が区分されてますね。
まるで、「我、思う。故に、我、あり」で「思う」前に「我」がいるように・・・w
さて・・・、この「キムタク」はどこから現れたのでしょう?
どう切り取られて出現したのでしょう?
この「キムタク」が「イチロー」でない理由は何でしょう?
(勿論、この時点では、自我があるかどうかは判明していませんw)
異端はなるのではない させられるのである
168 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 16:15:50 0
169 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 16:19:13 0
無視しようとしても
出来てない君みっけ。
>>168
170 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 16:20:53 0
>>169 目も当てられないので、無視させていただきます。
171 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 16:52:43 0
思索的どころか、日常的な会話にも…(苦笑
>>162 を、
みんながツッコミ易いように簡略化しておこうw
「水の分子を“H2O”と括る」ように、「自覚される存在を“私”と括る」ことができる。
「“私”が普遍性を持つ」と言われる時は、この意味に於いてである。
173 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 17:15:36 0
>>173 興味深いですねw
てか、スレタイに即すなら、
そういう色んなアイデアがたくさん陳列されるのも面白いんだけどね・・。
175 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 17:37:41 0
>>175-176 記号だろうが式だろうがどっちでもいいんです。
>>175 そういう雰囲気で記述してみるのも余興として面白いじゃんw
と言ってるのに、マジレスされたら困るwwwww
180 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 18:15:01 0
>177は半分基地外か、よっぽどのバカだ
181 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 18:22:44 0
物理屋には、 ユーモアとかパロディとかパクリギリギリのオマージュもどきとか、 そういう部分が理解できないんだね・・。
183 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 18:26:58 0
自分がバカだって告白したって?
184 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 18:37:59 0
185 :
考える名無しさん :2008/07/01(火) 18:58:01 0
>>182 そんなオマージュもらったら嫌な感じがするだろうな。
>>152 「私」は代名詞だお
>固有名詞は唯一人物につける名であり
違うお
189 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 03:27:47 0
>>147 >加藤智大氏に自我がないとしても、「加藤智大が秋葉原事件の犯人である」という
>事実に何も変わりはないのですぞ
人間社会では、誰にも自我がある という価値観だからだよ
自我のない単なる物体が裁かれたという記憶がないのだが
落石の石や、津波とかが裁かれたという記録でもあるのかね?
>>149 >物質は1つながりで、「人間の価値観」が勝手にキムタクや富士山を
>切り取っているて?
私は、いつそれを言いましたかな?
>>154 >「わたし」についても論理的飛躍があるということ(「われおもうゆえにわれあり」もまた不確実である)ということ
「我あり」が、どう不確実なのかね?
>>162 >私だってみんな同じじゃないの。
根拠を書かなきゃね
>>166 観念によってね
唯物論を肯定したいなら、観念を考慮に入れずとも
物理現象だけで説明をつけられなければならないのだよ
>>187 その代名詞が指すものが「私」
190 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 04:15:54 0
さあ英語の復習です 「私」以外にも代名詞はありますよんw
「われおもうゆえにわれあり」が不確実なのは現代哲学の常識、現代哲学の基礎なのよ ここでね、「確実」って言葉の定義を試みるといいのよ おそらく「わたし」という言葉が入って、循環を起こす説明になってしまうのよ ななーななー♪
事件の犯人が自然災害だった、、というケースはあるわな 犯人の話からいきなり裁判の話に移ったね ななーななー♪
193 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 05:02:54 0
>>191 >「われおもうゆえにわれあり」が不確実なのは現代哲学の常識、現代哲学の基礎なのよ
その理由をキミに聞いているのだが?
>>192 キミ全然話について来れてないよ(苦笑
>事件の犯人が自然災害だった、、というケースはあるわな
それをどうやって特定するのか という話しな
観念によって特定してるんじゃないのか?
どこからどこまでが、その自然災害なのか、言えるの?
>犯人の話からいきなり裁判の話に移ったね
何が言いたいのか、よくわからんが
で?
事故と殺人と災害の区別だってどうつけるのか すべてが一繋がりなら、何一つ区別はつけられない 「われおもうゆえにわれあり」については「確実さ」の定義をしてみればわかる そうでなければ、「われおもうゆえにわれあり」がトートロジーに変換できない 「わたしは存在しない」とか 「すべては存在しない」という言明が矛盾に変換できないということが、理由になる ところで、最高位って他人には根拠を訊ねるけど 自分では根拠を述べたことがないよね 「われおもうゆえにわれあり」が確実であるという根拠って何があるの?
最高位じゃあるまいし テキトーに自分の権威付けのために「現代哲学の基礎」だなんて発言しないって
・決定的最終基礎付けをもとめて 泥沼の中を進むようなあやふやさの中で、まったく沈まない確固たる地盤を探す旅 沼に浸かっている者を排除する日々 そして、自分だけは自分の髪を引っ張って沼から這い出たと信じこむ 自分の髪でなくともいい 命綱でもはしごでもいい だが、そのロープの先は泥沼ではないのか 誰しも若い頃は泥にまみれるのを嫌うもの テツガクなんて子供のするものですよ
197 :
下僕 :2008/07/02(水) 08:34:26 0
しかし、何故でしょう。 議論の展開を拝見しますと、「私」を記述する、あるいは、【私の存在性】 についての議論が成り立つという事に不思議さを感じますね。 私が私を記述するのですから、それぞれの私が言うことが正解でしょう。 それを、議論の対象とする事自体が、共有化されている「私」がまるで、 存在するという前提ではないですか? もっとも、私などは、「私」しか居ないと思っているのでこの議論に 満足感を覚えていますが、みなさんは個別である私から一つの共有された 「私」という「全体」を求めているように私には感じられます。 つまりみなさんは神を求めている。同時に個別化である自分自身(私)の 存在も否定したくない。 であるならば、つまりみなさんの欲求に従う議論を展開するならば、 他を消滅させるには?という議論になるか、個別化された「私」である 自分自身が神になるか?その二つの道しかないです。 そして、神ならば神らしくすればよいでしょう。
198 :
下僕 :2008/07/02(水) 08:43:18 0
個別化された私への愛着の顕れと、その過保護の手段として、
>>196 さんは、「私」への到達をしているようで、遠ざかりつつ
しかし常に足元にあるというような上手い表現だと私などは感想します。
私は、
>>196 さんの言う、
「まったく沈まない確固たる地盤」これが、「私」であればいいわけです。
でも最初からそれが「私」である。というわけです。
199 :
下僕 :2008/07/02(水) 08:58:42 0
他人の発言を自分の事だと勘違いし、また自分の発言を他人と共有していると
勘違いする戒めとして…。自他の境界が曖昧(境界性人格障害的)な人へ…。という意味で、
>>96 で哲学者最高位氏はこう述べている。
厳密に考えるならば
他人には、自我があるのか無いのかすら、わかりません
他人の意識については、実際にはわからないのですから
意識について、客観的観点から述べる場合には
その事実を忘れず、慎重に発言すべきです
私は、私の意識によって私を意識している
という事実
そこからしか、論理展開できない事を認識しましょう
意識については、一般論的な観点に立つこと自体が
すでに論理的飛躍を含むわけです
哲学者最高位氏のこの考えの態度が何故、謙虚であるか?これは神「真理」に対して謙虚である
という意味です。
哲学者最高位氏は哲学の態度とスタイルは現代に必要であるという事です。
現代哲学の基礎というのはでっちあげではなく常に基礎です。
私は、哲学者最高位氏を持ち上げているのではなく、唯一確かな事を言っていると称しているのです。
これを私の言葉に言い換えるならば、
「私は私の全てを知っている。それ以外は知らないです。」です。
しかも、この発言自体も下僕自身の事でもあり、
下僕(私)は、「私は私の全てを知っている。それ以外は知らないです。」
>>189 >人間社会では、誰にも自我がある という価値観だからだよ
>自我のない単なる物体が裁かれたという記憶がないのだが
最高位氏、ですからw、「加藤智大は人間である」「加藤智大が秋葉原で
殺人を行った」という事実は、純然たる物理状態のみによって判断されるのです。
加藤氏に自我があるかないかは、そのあとの話であって、上の事実判断とは
何の関係もありません。
仮に、加藤氏に自我がなかった、という判定が下されると、責任能力がないので
その行為は罪には問われない、ということになるだけで(変わりに病院に入れる
等の措置が講じられるでしょう)上の事実判断に何らの変わりはないのです。
>落石の石や、津波とかが裁かれたという記録でもあるのかね?
最高位氏、「落石の石」や「津波」が裁かれずに、「加藤智大」が裁かれる
ためには、前もって「加藤智大」「最高位」「キムタク」「落石の石」「津波」が、
それぞれ別個の存在として区別されていなければならないわけです。
その区別が「私の勝手でテキトーな価値観」によるものに過ぎないとなると、
「この死体は落石の石によって殺されたので、加藤や最高位やキムタクによって
殺されたのではない、だからこれは事故だ」という判断も、「落石の石には
自我がないから責任能力もない」という判断も、すべて「私の勝手でテキトーな
価値観に過ぎないから根拠もないし事実でもない」ということになります。
殺人犯として落石の石を逮捕するのもキムタクや最高位を逮捕するのも、
人間なんて存在しないからそもそも死体もない、ということにするのも勝手放題、
ということになるわけですが、それでよいのですか、とお尋ねしているのですw
(関係ありませんが、落石の石や津波や動物の罪を裁く、ことは、近世初頭の
ヨーロッパで実際に行われたそうです。これは迷信ではなく、むしろ理性万能
信仰の表れだ、という興味深い話を呉智英という人がしておりました。)
201 :
下僕 :2008/07/02(水) 09:50:43 0
お話中、ちょっと失敬し、追加して締めておきます。 議論としての配慮のみずからの甘さを反省し、 こう言い直しておきます。 私(下僕)は断言する。 【私は全てを知っている。】
202 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 10:00:29 0
>>194 >事故と殺人と災害の区別だってどうつけるのか
>すべてが一繋がりなら、何一つ区別はつけられない
そそ
わかってきたじゃないか(笑
唯物的には区別つけれる根拠がない
価値観すなわち、観念によって区別しているだけだ
>「われおもうゆえにわれあり」が確実であるという根拠って何があるの?
基礎的な事だぞ??
「我思う、しかし我なし」が、論理的に成り立たないだろ
我が居ない可能性を、いくら探しても
探してるのが我なんだから、たとえ「居ない!」という結論が出たとしても
その結論を出したのは我でしかないんだから
どこまでいっても我の居ない可能性は有りえないわけだよ
論理的な話、1%も見出す事はできない
もちろん過去に、これを覆して、我が居ない可能性を示せた人は、一人もいない
非常に基礎的な事柄だね
反論するなら、話をすり替えたりせず
正面から
「我はいない」という可能性が少しでもある事を示さねばならんのよ
>>195 権威づけのためじゃないんだよ
キミらが本当にわかってないから、わざわざ親切に教えてあげてるんだよ
そういう風に、ひねくれた発想だと、一生理解できないよ?
203 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 10:01:20 0
>>197 >もっとも、私などは、「私」しか居ないと思っているのでこの議論に
>満足感を覚えていますが、
と、思っているのは、いったい誰でしょう?(笑
>>199 >私は、哲学者最高位氏を持ち上げているのではなく、唯一確かな事を言っていると称しているのです。
>
>これを私の言葉に言い換えるならば、
>「私は私の全てを知っている。それ以外は知らないです。」です。
そそ
そして
「私を分析する限り、人間の自我はこうなっているので
もし、そうじゃないのなら、そうじゃない人は
私の言うところの自我は、無い という事になる
しかし、たとえ他の人に自我がなくとも、私には有るのだから
私は唯物論が間違えているという事を、論理的に理解している
もし、私と同じく自我をもっていて、ある程度の知能があるなら
それを理解できるのだ」
という結論なんだね(笑
自我の無い人が、いくら反論しても
自我のある私の出した結論に、傷を付ける事はできんのだから、関係ありません(笑
だから何度も言いますが、自我のない人は、申告してください
その人には、当てはまりませんから(爆笑
204 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/02(水) 10:02:29 0
人間は、成長にしたがって、世界のありようをおぼえる。5感をフルに使い、たとえば火にさわると 熱いんだとか、体感で学習する。そういった、生きていく上で重要なことは、長期記憶に入れられ、 無意識的に熱いんだと考える。そうして視界に入った記号を読み解くことが可能になっていくわけ であるが、他者も記号に当たる。他者が私にとって意味のある、世界を読み解く上でのキーとなる 限りにおいて、また、自己の振る舞いをみていて、誰か権威のある物に告げ口されないかという 恐怖がある限りにおいて、そのどちらかによって、他者は他者である。もうろくした年寄りとかは、 誰にも相手にされず、半分程度の人間である。自分に関わりのない物は、無視するのがふつう 我々のとる態度である。社会的な常識とその基盤となる良心によって、そういう態度を決定 する。下僕さんがひどく倫理的に感じられるのは、私の知りえない他者に対して、むげな態度 をとらないからである(やめてくれといわれそうではあるが)。 監視の目は、秩序を保つために必要とされるのであり、その失敗の例は、監視の対象が大きい ほど多く、ジョージ・オーウェル的なビッグブラザーとか、ソ連の粛正であるとか。現代に必要 とされる監視の目は、どういう形をとるのであろうか。
205 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 10:03:51 0
下僕さん。何と言おうとその私は社会的だということです。 私は疎外によって生まれた。社会は疎外である。しかし人間は疎外された 「私」という意識でしか語れない。共有しているものと敢えて言えば その疎外された「私」であって疎外されている以上語っているのは 私であると同時に「何か」なのである。
206 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 10:09:44 0
疎外されている以上いつもほんとに語りたいところは すりぬけていくのです。近づきたいといつも必死?なのですが。
207 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 10:10:28 0
>>204 >>205 結局
我から見れば、我と他しかありません
まぁ、いろいろ考えたところで
結局のところ「我あり」であって
「我なし」とは言えない
という事なんですよね
208 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 10:13:45 0
209 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 10:16:07 0
「我おもう故に何かあり」でね。
210 :
66 :2008/07/02(水) 10:17:04 0
>>144 67
ここは「私の存在」論スレですので。w
貴方は「意識している」事態から“私(一般的には自己、主体)”が後づけ的
に仮設されたと言い、それに対して私はその帰属先(起点、帰点)は存在する、
と述べました。
『私』は(私の)意識を意識している、と言い換えてもよい。これに自己疎外と
いう言葉を当てましたが“原生疎外”の概念で強調したかったのは、自他(環)
の分別がなければ、言い換えれば原初的な疎外感(違和感・意識)を受容する
“自”の存在抜きには「意識」は意識たりえない、ということです。肥大化するのは
その“自”を芯として膨らんだり萎んだりする“私の心”を指しているのでは
なかろうか。(議論がスレ違っているのかもしれぬが…)
貴方は「後づけ」批判を繰り返していますが、ちなみに「先づけ」の事例を一つ
あげてください。
それから、デ氏のコギト…の「我」と経験的自己を自明のごとく区別しています。
その違いをわかりやすく示していただきたい。
211 :
素人 :2008/07/02(水) 10:21:10 0
>>189 >唯物論を肯定したいなら
またですか・・・(^^;
166のどこに「唯物論肯定」という前提があるというのでしょう?
『自我があるかどうか「以前に」、キムタクが区分されてますね?その区分は何によるのでしょう?』
という問いでしかないのではないですか?
そこへ、「いきなり」そのようなことを言い出すから、
「唯物論という呪縛に囚われていませんか?」という唯識氏の指摘が出てくるのです。
強固な否定・拒絶は、強大な関心の裏返しですよw
>観念によってね
はい。何度も何度も言われているので、それは解っておりますw
≪『私』の価値観で(観念で)、境目のない(物理)状態が切り取られ、
『私』により(或いは共同体内で共有されている前例により)名前を付加されている≫ と。
この時、≪その観念は(『私』は)、なぜ、境目のないものを区分できるのだろう?≫ という疑問が湧きませんか?
≪勝手に区分しているのに、なぜそれが共有できるのだろう?≫
≪勝手に区分しているのに、なぜそれが同じ(或いは類似した)区分となるのだろう?≫
という疑問が湧きませんか?
≪区分の基準となる差異(違い)が、状態の側にあり、それを情報として入手することにより区分が可能となっているのではないか?≫
という考えは、そんなにもおかしなことでしょうか?
「山」とかなら、(傾斜の具合等)どこが境目かは曖昧にもなりますが、
「キムタク」や「朝青龍」「加藤智大」等、“人間”と呼ばれる存在に関しては、
かなりはっきりと分かたれているように思えますが、素朴すぎますでしょうか?w
>唯物論を肯定したいなら、観念を考慮に入れずとも
>物理現象だけで説明をつけられなければならないのだよ
逆に、≪観念を考慮に入れても、こうした区分に関しては唯物論の補強になってしまわないだろうか≫
という疑念が生じてしまうのです。
212 :
下僕 :2008/07/02(水) 10:25:19 0
>>203 久々に会話をしますね。時々接点がありますね。
私(私が私と言うとき、下僕の事)などは、満足感を覚えるのも私、
>>203 を話しているのも私。
そして私は再び思うんです。
満足です。
>>205 私の見解を申し上げましょうか。
私も私自身によって疎外されている。
それどころか、私が疎外した。
だから私は私自身の牢獄に居る。
自由になるには、あたらしい私を創作する以外にない。
だからそのアイデアをいつも試しているんです。
今もですけどね。
たんに感性的所与を記述しただけの 「今、私には、…のように見える(聞こえる/感じる…)」 という命題は、絶対に間違うことはない。 私の認識は幻想かもしれないが、 幻想であっても、その幻想を生じさせるところの感性的所与を感覚している事実だけは 否定しようがない真理である。 また、「SがPかつPでないということはない」という矛盾律も絶対的に正しい。 なぜならば、それは誤謬を誤謬と判断する基準そのものであるからだ。 しかし、こうした真理は、真理の名に値しない最も貧しい真理である。 真理の名に値する真理を獲得するには、確実だが、 狭い真理の領域から《超越》しなければならない。 そのような超越が可能かどうかを論じる哲学が、超越論的哲学である。 だってさ 殻に閉じこもってると何も発見出来ないってことだね
214 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/02(水) 10:34:01 0
>>204 の続き(ナガッ)
規範について。良心のありようについていえば、何かかかれた物を読んで意味をとる、その際
その内容が、私はこうする、その理由は、こんないいことがあったから、そうしないと恐ろしい
ことが起こったから、などと書いてあれば、そのまねをすることも考えられる。これが自己的に
発見した規範である。現在ではインターネットがあり、規範的な情報がいくらでも手にはいるので、
意味のある物が残るとすれば、それは理想的な規範(のみではないが)の記述がされた
データベースとなる可能性もある。
215 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 10:34:42 0
>>208 なんで?
わけわからん(苦笑
>>209 「我あり」という事は言えるが
その我が認識している「何か」は
それは懐疑論に引っかかってくるのであって
「実際には、それが有るかどうかは」わからんのよね
>>211 >『自我があるかどうか「以前に」、キムタクが区分されてますね?その区分は何によるのでしょう?』
>という問いでしかないのではないですか?
何度もいいますが、それは観念的価値観によってですよ
決して唯物的には区分できない問題なのです
>そこへ、「いきなり」そのようなことを言い出すから、
>「唯物論という呪縛に囚われていませんか?」という唯識氏の指摘が出てくるのです。
はぁ?
唯物論の是非は、歴史的大問題だぞ?(苦笑
なんで、わざわざ必死に、そこから話を逸らそうとするのかね?
唯物論の是非が、重要でない根拠を示しなさいよ
歴史的に論争されてきたが、未だに未解決な重要問題だろ
キミも知ってる通り
私は機械的唯物論者が立てた唯物スレで、唯物論について批判していたところへ
こっちでやって下さいと懇願されて、わざわざ立てられたから、こっちでやってあげてるだけだよ
勝手にスレの趣旨を変更しないでもらえるかな
216 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 10:34:51 0
>>212 あなたが私と言う時思うとき(言葉として概念としていうほかないのです。)
それが疎外です。
217 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 10:38:14 0
218 :
下僕 :2008/07/02(水) 10:39:12 0
>>216 疎外と言い表しますか…。
私は過去と言い表しますね。今私はこれを書いていますもの。
でもあなたが読む時は、私の過去ですし…。
よってあなたの立場に私が立てば、あたの言うとおりです。
219 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 10:41:48 0
220 :
66 :2008/07/02(水) 10:47:06 0
>>211 事象(モノ自体)のありようは不可知でしょう? それを“必要性”“欲望”に
沿って分節・意味づけする『私』が存在する、ということです。
正確に言うなら、分節・意味づけ“させられる”『私』がいる、でしょうか。
221 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 10:54:09 0
>>212 結局のところ、私の存在性は否定できない という事ですね
>自由になるには、あたらしい私を創作する以外にない。
ようするに、それは
精神活動の部分ですね
そして私の精神活動は、私の存在性なくしてはありえない
そして更に、その「私の存在性」は、物理的要素に由来しない のだから
とりあえず
唯物論は間違いだ という事が言えますね
>>213 >殻に閉じこもってると何も発見出来ないってことだね
その解釈には、自分なりの飛躍があるのではないかな?
>>219 私以外は全て「他」ですので、私以外は全て「外」であると言えますね
私と他は、常に別ですので
それゆえ
常に「別」である という意味で、疎外感があって当たり前といえば当たり前ですね
ようするに私は
そういう意味で、完全に独立した存在性である という事が言えます
222 :
下僕 :2008/07/02(水) 10:54:49 0
>>219 ご希望とあらば、疎外でもいいです。
疎外という言葉をつかって私を表現します。
私は私自身をみずからの自由で疎外している。
要は、疎外が先に在るのではなく私が先にある。
もし疎外が先にあるならば、私=疎外となりませんか?
私というものは、創造主ですから。
でも創造主=疎外と表現する自由はあなたにありますけど…。
おお、最高位氏、
>>200 はスルーですかw?
>>202 >唯物的には区別つけれる根拠がない
最高位氏、横レスですが、ごまかしてはいけませんぞw
「最高位哲学w的には、区別つけれる根拠がない」のです。「その区別には
一切の客観的根拠がなく、私の勝手でテキトーな価値観に過ぎない」というのは、
他でもないあなたの主張なのです。唯物論者であろうとなかろうと、あなた以外に
そんな主張をしている人は見たことがありませんw
ついでに、下僕氏は最高位氏の
>>96 >厳密に考えるならば
>他人には、自我があるのか無いのかすら、わかりません
>他人の意識については、実際にはわからないのですから
を高く評価しているようですが、これも最高位哲学wによれば、明らかに不正確です。
最高位哲学wによれば、「自人(哲学者最高位という人間)」にも、自我があるのか
無いのかはわかりません。そもそも、「自人」と「他人」の区別自体が私の
勝手でテキトーな価値観によるものに過ぎず、「自人」にも「他人」にも存在性が
ないのですから、自人が私だと言っても、他人が私だと言っても、両方私だと言っても、
どうでもよいことになります。
最高位哲学wによると、存在するのは
1.「私」
2.「私の観念」
→「最高位」「キムタク」「人間」「富士山」「チョモランマ」「山」
「落石の石」「事故」「殺人」「災害」等々。
すべて私の勝手でテキトーな価値観に過ぎず、存在性なし。
3.「境目なく一つながりの物質・物理状態」
→2.との関係は不明w
と、こういう図式になるわけです。
>>220 理性は不可知だけど、感性はそれをアプリオリに感じてるよね
火は熱いと私が意味づけしてから火は熱くなるのか、
私がそう意味づけする以前に感性が働いているのか
225 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 11:02:27 0
「全てを疑っても、何者かが疑っているのは間違いない」 第一原理 「他人に話をしている側を私と呼ぶ、ゆえに何者かを私と呼ぶ」 第二原理 まず最初に、何者かが存在する。次に他人が存在する。 他人に話をする何者かを私と名付ける。
226 :
素人 :2008/07/02(水) 11:07:06 0
227 :
66 :2008/07/02(水) 11:09:17 0
>>224 感性が比較的“事象”と直通しているだろうことは否定しませんが…。
これも、断定しがたいところがあって…。
228 :
下僕 :2008/07/02(水) 11:14:02 0
>>222 でも、正直な所、今のところ、私は神(私)から
疎外っていうか、疎開先というここにいますけど…。
でもだからといって神(私)から疎外されているとは言えないし…。
疎外を持つ別の私の心境も知りたい気持ちは芽生えました。
これも過去の君のお陰だ。
>>220 >>227 それは、貴方と私の「差異はどこにあるか?」議論ですねw
そして、220・227の段階までは確認し合っていたような気がします。
(そして、貴方の「いずれまた」的な発言で凍結中であると認識してましたが・・・w)
230 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 11:18:28 0
>>223 >>200 ?
>最高位氏、ですからw、「加藤智大は人間である」「加藤智大が秋葉原で
>殺人を行った」という事実は、純然たる物理状態のみによって判断されるのです。
「加藤智大は人間である」という判断が
既に、観念的価値観なんだよ
「加藤智大」を物理的に特定する事はできないだろ(笑
なんで何回説明しても理解できんのかねぇ(苦笑
反論もクソも、まず基礎的な事を理解できなきゃ、話にならんのよね
>「最高位哲学w的には、区別つけれる根拠がない」のです。「その区別には
>一切の客観的根拠がなく、私の勝手でテキトーな価値観に過ぎない」というのは、
>他でもないあなたの主張なのです。
うむ
反論するなら
唯物的に区分できる根拠を挙げればいいだけでしょう
>唯物論者であろうとなかろうと、あなた以外に
>そんな主張をしている人は見たことがありませんw
見た事があろうがなかろうが、キミが反論できない事実は何も変わらない
>最高位哲学wによれば、「自人(哲学者最高位という人間)」にも、自我があるのか
>無いのかはわかりません。
自人て何?
自分の事だったら、自我があるとしか言えませんけど?
231 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 11:20:44 0
>>222 言葉と言う道具をつかってそれを表現しているところがすでに
疎外だと言ってるんです。
疎外を引き受けるしかありようはないですけど。
私の自由で下僕さんの私を疎外と言ってるのとはちょっと
違うと思いますけど(笑
何かがあるということと、私があるということ。どっちがシンプルかっていったら、 何かがあるっていう方がシンプルだよな。なら私より何かの方が根源的ってことで、 何かを思う、故に何かありの方がいいんじゃね。
233 :
66 :2008/07/02(水) 11:24:53 0
>>229 こういうことです。初めに差異があって、『私』はそれを指し示している
のではない、ということです。(これって常識ではないの?)
234 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 11:24:56 0
>>230 >「加藤智大」を物理的に特定する事はできないだろ
アホかいな。加藤と富士山の違いや、加藤とキムタクの違いは物質的に違うからだろ。
物質的に特定できないなら、加藤と間違えてキムタクや富士山を逮捕するのかよw
235 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 11:30:49 0
そもそも哲学者最高位は「ウンコなど存在しない。 食べ物から消化物へ、そして排泄物へと一繋がりの物質を、 人間の勝手な価値観でウンコとして切り取っただけ。 ウンコは存在しない」と言っているスカトロ最高位だから、 ミソもクソも一緒だろこの人。
236 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/02(水) 11:33:27 0
>>哲学者最高位さん 私のものである原因について、また私の及ぼした結果について、考察できるのが人間というもの だと思います。雷や富士山にはそれができない。なぜ原因、結果というかというと、それが主体 の行為のほとんど(全部ではない)、特に他に対しての行為を説明する物だと思うからです。 レスポンスのあるのが他者で、それのないものは、私に対して結果を及ぼさないから、他者 とは呼べないと思います。また、結果も原因もないものは、いまだ私ではない、といえると思い ます。つまり、「我思う」ばあい、それは自分の中に結果を生み出すから、私であるといえると思う のです。
>>230 >「加藤智大は人間である」という判断が
>既に、観念的価値観なんだよ
だからw
その観念(『私』の観念)中に、「人間」というカテゴライズが既にあるから、
その中に「加藤智大」という「【勝手に区分した】“或る状態”」を放り込むことが可能なんじゃないですか?
その「「人間」というカテゴライズ」もまた、勝手な価値観による区分(カテゴライズ)ならば、
犬や猫を新入社員として採用し、取引先へ派遣する会社があっても(社長がいても)よさそうなものですが?w
>>234 >加藤と間違えてキムタクや富士山を逮捕するのかよw
ハゲワロタwww
キムタクと間違えることは、可能性として無いこともないかもしれんがw、富士山はなぁ・・・
238 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 11:38:21 0
>>235 ミソとクソの差異は主体の感覚に依存しており、現に、稀ではありますが
ミソ嫌い、クソ好みのかたもいらっしゃいます。
239 :
下僕 :2008/07/02(水) 11:39:02 0
>>231 言葉によって疎外が生まれるという論でしょうか?
でも言葉を使わないと、話しあえないでしょう。
しかたなく、言葉で疎外し、疎開先から話さざるをえないのです。
これは、言葉に変わって、私が謝って差し上げます。
こんな言葉でごめんなさい。
240 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 11:43:35 0
>>226 > >なんで、わざわざ必死に、そこから話を逸らそうとするのかね?
> 逸らしているのではなく、せめて「一時的に脇へ置いている」と表現してほしいもんですねw
それを「話をすり替えている」と言うんだよ
誰かが、重要な結論を出してきているのに
わざわざ関係のない、論点の曖昧な
いつ結論がでるやも知れない深遠な課題を突き付けるのは
話をすり替える行為以外のなにものでもないよ
キミは、いったい、どういう結論を主張しているのかね?
私の唯物論批判の、その批判をしたかったのではないのかね?
で、ないとしたら何が言いたいの?
端的に説明してみて
>で、
>>211 の2段目3段目についての御意見は?w
うむ
素朴だね
厳密性がない
互いの認識が同じである と思っているのは勘違い
抽象的な価値観によって区別しているのだから
区別する基準が同じである と考えるのは
非常に厳密性に欠けた観念的判断だ
価値観と言えば
私が「アホ!」と言った意味すら、キミらは正確に理解できてはいないのだよ
北島が「気持ちイイ〜」と言った価値観は
当然、物理的な要素に特定する事は不可能なんよ
その価値観をキミは、共有できてると思ってるのかね?
241 :
下僕 :2008/07/02(水) 11:58:41 0
お話中ではありますが…。
>>225 さんの論を今、読み返して気づいたけれども、その論は面白いね。
>まず最初に、何者かが存在する。次に他人が存在する。
>他人に話をする何者かを私と名付ける。
私は単なる名前で、何者かが、何者か自身を私と呼んでおり、
他人が「存在する」というのも名付けると同次元の実感であるならば、
何者かしかいない。こんな論になる。
ま、私の信仰ですが…。存在を言葉と同レベルで扱う私は、
必死で自我を創作するのです。でないとみなさんから見えませんから…。
すみません、変な事をいってしまったかもしれませんね。
糞が不快なのは命に関わるからで、 けっきょく主観は肉体の生理機能に左右されてるってこったな。 勝手な価値観でどうこうって話じゃない。
243 :
66 :2008/07/02(水) 12:03:54 0
>>237 「人間」というカテゴリーは、つい最近の共同幻想(価値観)でしょう?
少し前には夷テキ、ケトウ、チョウセンとも呼び、外国人を間以下の何か
として意味づけしていたらしい。初めから、そのようにカテゴライズされ
ていたわけではありません。
主観的な価値観、もしくは共同的な価値観によって対象に意味を付与して
いる、ということです。
特定も出来ないし、原因も無いような物理現象って論理的に可能だよね? 神でも私でも物理現象であるにしちゃえばいいんだもん 物理現象には原因があり、特定出来るというのは経験的な信仰に過ぎないし、 演繹的に帰結されてないから、これもアリだと思うのよ
245 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 12:09:15 0
>>237 >その「「人間」というカテゴライズ」もまた、勝手な価値観による区分(カテゴライズ)ならば、
価値観による勝手な区分ではないというならば
区分に対する、絶対的な基準を示せばいいでしょう
唯物的世界観からすれば、それは「物理的要素に明確な基準がある」という事になります
その辺を、明確に提示すればいいだけじゃないですか(笑
ちなみに
>犬や猫を新入社員として採用し、取引先へ派遣する会社があっても(社長がいても)よさそうなものですが?w
犬や猫を家族と考えてる人は、いくらでもいますよ?(笑
ただ犬や猫は、普通に考えて仕事ができないから社員として雇う人はいないでしょうね
タレント犬というのはいますが
それにエサはやるでしょうが、要求されない給料を支払うのは、もったいない話であって
そのような無駄な事を実行する人は、まずいない というだけの話ですよ(爆笑
>>237 >>加藤と間違えてキムタクや富士山を逮捕するのかよw
いやいや
厳密に考えるならば物理的に特定できないわけだが
ある程度の物理状態を根拠にして
価値観によって、その人物を特定していると言える
だから物理状態の、よく似たものとは間違える可能性は高いね
判断の基準は、ある程度、曖昧だからね
厳密な物理状態ではなく、観念的基準だから(笑
246 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 12:11:25 0
247 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 12:12:15 0
>>243 人間という言葉に拘らなくていいよ。
共同体構成者とかでもよろし。
最高位よ 実際論的パラドクスは矛盾しているわけじゃないぞ 俺が何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も これだけ説明しても、お前はまだ分からないんだな お前はアホか?
249 :
下僕 :2008/07/02(水) 12:15:27 0
見返しますと…。ありましたね。
>>221 >ようするに、それは
>精神活動の部分ですね
>そして私の精神活動は、私の存在性なくしてはありえない
>そして更に、その「私の存在性」は、物理的要素に由来しない のだから
>とりあえず唯物論は間違いだ という事が言えますね
当たり前の事です。別に反論する人もいないでしょう。
「〜のように見える」ということや 矛盾が偽だって疑いうるのだよ 「確実さ」と「真理」をそれぞれ定義しちゃえばいいんだよ
251 :
下僕 :2008/07/02(水) 12:20:30 0
>>246 我々は言葉でコミュニケーションを行うとき、
全てを分かり合う事は不可能である。よって、疎外を引き受けるしかない。
こう表現すれば一発で私は理解しました。
私のような者相手には、主語を使っていただくとありがたいです。
>下僕さんもそう思われるんですね。
私の信仰は神しかいないですから。
252 :
66 :2008/07/02(水) 12:21:43 0
>>242 それは単純すぎる結論。なぜ身体に悪いと知りながら、タバコをのむのか。
また、ほぼ間違いなく生理機能を損傷させると知りつつ、麻薬にのめりこむ
輩がいるのか。
(適当なw)価値観は、ときには生理機能を超えるのです。
>>252 価値観じゃなくて、機能の問題だね
私の意志で止めることも出来るのに止められない
>>230 >「加藤智大は人間である」という判断が
>既に、観念的価値観なんだよ
おお、最高位氏、またまた話をずらそうと必死ですなw
>>200 で論じていたのは、「加藤智大が人間である」「加藤智大は最高位でも
キムタクでもない」「加藤智大は秋葉原で殺人を行った」等々の
事実に関する判断は、「加藤智大に自我があるかどうか」の判断とは
無関係である、ということなのですぞ。この点はお認めになるのですか、いかがw?
ちなみに、「加藤智大は人間である」という判断も判断である限りすべて
「私の観念」であるのは、当たり前であります。(価値観という言葉はどうにも
いただけませんがw)
この点についての「最高位哲学w」と「唯物論(というか常識)」の違いは、
最高位哲学wでは「加藤智大」も「人間」も、私の勝手でテキトーな価値観に
過ぎず存在しないから、「加藤智大は人間である」「加藤智大は最高位でも
キムタクでもない」「加藤智大は秋葉原で殺人を行った」等々の命題もすべて
私の勝手でテキトーな価値観に過ぎず真でも偽でもない、となるのに対し、
唯物論(というか常識)では、「加藤智大」は客観的に存在する物体が私に
必然的に惹起する観念なので、それらの命題はすべて客観的に真偽が定まる
ことになる、この違いなのです。
255 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 12:25:35 0
>>248 はぁ?
いったい何を説明したのかね?
私が質問しても
キミは「お前にはわからん」とか「お前はアホか?」しか発言しないだろバカ(苦笑
今ここで、キミの主張を、論理的に、わかりやすく説明してごらん
読んでやるから(笑
>>249 >当たり前の事です。別に反論する人もいないでしょう。
ところがしかし、このスレには反論する人がいるんですよ(爆笑
私は存在しない とか言ってね
もちろん理屈に合ってないわけですが(苦笑
256 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 12:27:23 0
最高位の言ってることは馬鹿としか思えないね。 @唯物論はすべて物質だという理論 A同じ物質なら、同じ現象を生み出す。 B同じ物質で出来た人間は、同じ『私』を生み出すはずだ。 B同じ物質で出来た人間を別にもう1体作っても、『私』は 二つにはならない。 C同じ物質なのに、同じ現象が生まれない。 Dだから、唯物論は間違いである。 こんな馬鹿な事を書いて遠回りしなくても、 @唯物論はすべて物質だという理論 E精神は物質ではないので唯物論は間違い この2行で終わるじゃん。 @が正しい前提なのかは知らないけど。
(続き)
>自人て何?
自人とは(もちろん造語ですがw)「私と特別な関係にある物体」、あなたであれば
「哲学者最高位」のことであります。それ以外の物体のうち「人間」であるものが
「他人」となります。
しかし、最高位哲学wによれば、物質はすべて境目なくつながっていて、
「哲学者最高位」自体が私の勝手でテキトーな価値観に過ぎず存在性がないので、
自人と他人の区別も、人間と人間でないものの区別も、私の外部には実在いたしません。
従って、「私はキムタクである」でも「私は富士山である」でも、すべて
真でも偽でもない、ということになります。「最高位には自我がある」も、
当然真でも偽でもありません。この結論に反対だとすると、あなたは自身の
「最高位哲学w」を否定することになってしまうのですが、いかがw?
>>233 横レスですが、それは到底「常識」ではありませんw
「あらかじめ差異があって、私がそれを認識している(させられている)」
というのが、常識であります。
(無論、哲学的には大いに異論のあるところですが)
258 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 12:33:19 0
「われおもうゆえにわれあり」は実際論的パラドクスが偽であるという感覚に裏打ちされて 明晰、判明に真であると感じること デカルトは以降 「これと同じくらい明晰、判明なものは真理として受け入れてよい、と判断した」とある これは懐疑論からの脱却だろ
260 :
下僕 :2008/07/02(水) 12:42:45 0
>>255 >ところがしかし、このスレには反論する人がいるんですよ(爆笑
>私は存在しないとか言ってね
>もちろん理屈に合ってないわけですが(苦笑
反論できないはずです。
私(下僕)は、こんな時、説明する勇気も気力も張りあいもないです。
261 :
下僕 :2008/07/02(水) 12:43:53 0
>>251 はい、気に入っています。どうにでもなりますから。
262 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 12:44:51 0
>>256 >B同じ物質で出来た人間は、同じ『私』を生み出すはずだ。
はぁ?
生み出すはずないだろバカ(爆笑
『私』を物理的要素に特定する事は、100%絶対に不可能だ
だよ
これを覆して、唯物論の正当性を主張すればいいのです(笑
>>257 >>自人て何?
>自人とは(もちろん造語ですがw)「私と特別な関係にある物体」、あなたであれば
>「哲学者最高位」のことであります。
はぁ?
それって単に、自分の体の事だろ(苦笑
>「あらかじめ差異があって、私がそれを認識している(させられている)」
>というのが、常識であります。
少なくとも、分子と分子の間は全て差異です
では
どの差異で私はそれを認識させられているのですかな?
明確に、どの分子が差異なのか特定してみて下さいな(笑
263 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 12:45:42 0
>>259 要するに、何が言いたいの? 君の説明は変な教養をまじえるぶん、
わかりにくい。だから、めったにレスがつかない。その種の知識を
咀嚼したうえで、何かを語っていただきたい。最高位のように。
264 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 12:46:41 0
>>261 そういうの開き直りって言いません?(笑
だから、懐疑論的立場から「わたしの存在は確実」だという発言は端的に間違っているんだということ
>>263 彼は基本的に社会性が欠如しているんだよ。
子供にだれも読めないような名前をつけといて、読めないと怒るタイプ。
267 :
246 :2008/07/02(水) 12:54:50 0
「何者か」を私とか神とか呼んだとき「何者か」とは違ったもの になっているわけですけどね。 そういう構造を疎外と言うんですが。 下僕さんとは受け取りかたが違いました。
268 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 12:58:25 0
>>266 たしかに、そのきらいがありますが、それでも私は彼に期待しています。w
>>265 その“端的さ”が伝わってこない。
もう一度、私の存在の不確実さを端的に(社会性のある言葉で)語ってください。
何かにイラついているのはわかるけど。w
269 :
下僕 :2008/07/02(水) 12:59:38 0
>>264 開き直る?何を開くのでしょう?心ですか?本音ですか?
270 :
246 :2008/07/02(水) 12:59:40 0
>>265 同意。最高位は権威にすがってるよね。
そこら辺の中学生がいったのならただの自意識過剰だよ。
「我思う」って思うまえに我がいるじゃない。
271 :
下僕 :2008/07/02(水) 13:04:21 0
>>267 神と私と宇宙と246さんと私は私にとって同じものです。
受け取り方を話すことで、私ではない人の受け取りかたの違いが解りますよね。
有益ではありませんか?
272 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 13:04:51 0
>>269 一般的な使いかたです。
「俺は信じてるんだ。仕方ないじゃないか。」
273 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/02(水) 13:08:47 0
>>265 だから、なんでなの?と聞いているんだよ
根拠を言わなきゃ話が前に進まないだろ(苦笑
「懐疑論的立場から」と言った時点で
私は、すでに懐疑論的立場に立って考えちゃてるだろ(爆笑
>>270 >最高位は権威にすがってるよね。
それ、オレの話じゃないけどな(爆笑
いやいや
常識的な哲学の基礎を、わかりやすく解説しているだけだよ(苦笑
まず、学校で勉強してからにしようよ
274 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 13:10:16 0
>>271 ですから確認できたといったわけです。
ことばが足りなくすみません。
275 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 13:13:32 0
>>273 意外にごきげんですね。
学校でか何か知らないけど勉強することは最高位さんにも
たくさんありそうですねぇー
我思うということは、我は思うものだってことだ。 でも同時に我ありと思われるものでもあるわけだ。 ということは我は思うものであり思われるものでもあるって ことになり、矛盾するんじゃまいか。
結局ストレンジカメレオンは説明できずに終わったか。
278 :
下僕 :2008/07/02(水) 13:53:18 0
>>272 >「俺は信じてるんだ。仕方ないじゃないか。」
居直って虚勢を張っているのか?と私に尋ねているのですね。
信仰ですから、告白。暴露。などですね。
話しているだけです。深い意味はありません。
さらに追加するならば、先にもあげましたけど、
私自身について私を記述するならば「私は全て知っている」です。
>>262 おお、最高位氏、相変わらず肝心の質問には一向にお答えいただけませんなw
>>254 の最初の点はお認めになるのでしょうか、いかがw?
>それって単に、自分の体の事だろ(苦笑
そうですがw、肝心の
>>257 の内容についてはお認めになるのでしょうか、いかがw?
繰り返しますと、そもそも、唯物論(というか常識)では、物体A(最高位)と
物体B(キムタク)が別個の存在として観念によって区別されます。しかも、
この区別は否応のないもので、私の価値観ではどうにもならない、と理解されます。
そして、「最高位を切ると自分は痛いが、キムタクを切っても痛くない」等々の
経験の積み重ねの結果、「最高位は自分の体で、キムタクは自分の体ではない」
と判断されます。これも否応のない事実で、私の価値観でどうにかなるものでは
ありません。「自分の体はキムタクか朝青龍の方がいい」という「価値観」をいくら
持っても、「自分の体は最高位である」という「事実」はいかんともしがたいわけですw
これに対し、最高位哲学wでは、物体は境目なくつながっているので、最高位と
キムタクの区別自体が実際には存在しません。それは私の勝手でテキトーな価値観
です。ですから、そもそも切っているのが最高位なのかキムタクなのかも私次第で、
「最高位が私の体だ」も「キムタクが私の体だ」も、「最高位には自我がある」も、
「最高位には自我がない」も、すべて私の価値観として等しく成立することになります。
なにしろ、勝手でテキトーなのですからw
さて、あなたはこの「最高位哲学」の結論をお認めになるのでしょうか、いかがw?
>少なくとも、分子と分子の間は全て差異です
最高位氏、あなたがこんなことを言ってはいけませんw あなたはどうしても
理解されませんが、「分子」だとて「電子」「素粒子」「クオークなんたら」だとて、
すべて私の観念であることに変わりないのです。というか、「朝青龍」とか「キムタク」
などより、はるかに観念性は強いのであります。
従って、最高位哲学wに従うなら、当然分子などというのは私の勝手でテキトーな
価値観に過ぎず、分子と分子の間の差異など実際には存在しない、と言わねば
ならないわけです。
280 :
下僕 :2008/07/02(水) 14:29:58 0
ここに見る全員が自覚することは、 私たちはそれぞれ「違う」って事でしょう。 だから違う!と反論じみた事をする違った人もいますけど、 違うのが当たり前ですからね。 考え方も、受け取り方も、同じ言葉も違うイメージで、 または、違う思いで、ある言葉をつかう。 だからやることは互いに確認作業をするだけであり、 それ以外にする事が無い。こう考えるわけです。
トートロジーが何スレも消費していく・・・・・。 これには虚無を感じる。
282 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 14:55:34 0
>>280 変えようともしてるし変わろうともしてるんですよ。
たがいに違うと言ってもひとしなみに違うわけでもない。
確認と言ってもいろんな意味を含めての確認ですよね。
283 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 15:15:24 0
>>191 >「われおもうゆえにわれあり」が不確実なのは現代哲学の常識、現代哲学の基礎なのよ
>ここでね、「確実」って言葉の定義を試みるといいのよ
>おそらく「わたし」という言葉が入って、循環を起こす説明になってしまうのよ
この指摘は正しい。
『私』を第一原理にすることはできないと言うことだ。
根源的明証の検証基準にあるのは、主観的な直接経験の場。
『私』は先験的な認識様式であるので、人の認識能力の有限性を理解すれば、
内観では問題を解消することができないと分かるはず。
第一原理にできる、と思ってる人は、人の認識能力の有限性を無視している。
『私』は自分の認識の限界を超越している。
自分の有限性を自覚している人は、『私』が基準として役に立たないことを自覚している。
経験的意識→超越論的意識→超越論的対象に相当するから
主観が客観へと超越する仮象『私』を見いだす。
認識形式の制約を超越した物自体である。『私』は憶測の域を出ない。
>>280 「私」とは何かっていう問いには、僕は最終的な答を出しているんだ。
説明してしまえば、何だ当たり前じゃないかと感じる話になるけど。
子供が「私ね、私ね、あのね」というのを見ていると気がつくんだけど、
子供が「私」と言う時は、相手してくれー、
お腹空いたから何とかしてくれーなど、こっちに注目してくれという意味。
子供は仲間が気がついていない情報を、仲間に知らせるための前置きとして
「私ね、私ね」という音声を発してる。
「今から皆が気がついていない危機情報を知らせてあげるから、
こちらに注目してー♪」と呼びかけをしているのね、「私」という言葉で。
だから「私」というのは、仲間が気がついていない知の事なのよ。
以上のように考えるようになってから、
非常に整理された世界観が得られて見晴らしがスッキリした。
明晰に世界が見えるようになった。
285 :
下僕 :2008/07/02(水) 15:23:30 0
>>282 はい。ただ、確認しすぎるのも嫌がられます。
隠したい人もいるでしょうからね。
けれども、私自身、他人と自分は全然違うという自覚はあります。
意識状態の趣向が根底にあると思っています。
意識状態の趣向を押さえる事が私にとって他人を知るという事でもあります。
どんなテイスト・どんな世界観をもってるの?という事を確認する
最大の事柄です。というか興味ですね。
>>283 >人の認識能力の有限性
こういった経験的知識は懐疑の対象になっちゃうから根拠にならないんだよ。
勉強しなおしていらっしゃい。
287 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 15:47:41 0
>>252 生理機能とは身体の機械的領域のこと。
身体に悪いと知るのは、理性の領域。
タバコをのむ麻薬にのめりこむ行動は、中毒から起こされる身体機能の機械的な欲求状態。
精神活動より身体機械の欲求の方が強い。
身体機械は精神を超えるのです。
288 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 15:58:00 0
>>286 主観的な直接経験の場、とは現象の場のこと。
『私』を懐疑の対象にできるから根拠にならない。
根源的明証の検証基準にできのは、現象の場しかない。
『私』は、仮象の域を出ないよ。
>>288 「私」は懐疑の対象になっても『私』(超越論的主観性)が懐疑の対象になるわけないだろう。
超越論的主観性と『私』を同一にしてる時点で意味ワカメちゃんじゃね。
>>290 デカルトの『私』が超越論的主観性でなくてなんだと思ってたんだ?
292 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 16:30:13 0
>>287 タバコをやめた人は少なくないし、麻薬中毒から精神力でw立ち直った人も
皆無ではありません。
>>291 超越的なものと超越論的なものは違うんじゃね。
デカルトには超越的な神がいたから、超越論的ではないべ。
294 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 16:36:43 0
しかし誰に向かって『私』って言ってんだろうな?
295 :
absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/02(水) 16:36:55 0
一般的な意味での私には、方向性がありますね。それは、外界の影響を受けるから。それに 対して内面的行為である思うという行為は、外界の影響を断つところで成り立ち、そういう行為を 思うと名付ける。従って、自分の本質として取り出されるのが思うという行為なのである、と思う。
>>292 >(適当なw)価値観は、ときには生理機能を超えるのです。
ときには、だよね。
ご飯を食べなくても生きられるという価値観で生理機能を抑え込もうとしても
1年も続かないでしょう。
自分は3日断食にチャレンジしたけど3日目の夜にギブアップした。
>>293 「コギト・エルゴ・スム」に神は必要ないよ。
>>297 おまいは何をいってるんだ。
つかそもそも超越的主観性に私なる意味合いの文字が重なるわけないべ。
>>240 > それを「話をすり替えている」と言うんだよ
無視し、隠蔽し、無かったかの如く扱うわけではありません。
いつでも手に取り、利用可能な位置へ(議論の中へ引き戻せる場所へ)置くだけです。
貴方のお得意なスルーと一緒にしないで下さい。甚だ心外ですwww
(ホント、貴方の論法は、(現代)中国人の論法とそっくりですねw)
> 誰かが、重要な結論を出してきているのに
> わざわざ関係のない、論点の曖昧な
> いつ結論がでるやも知れない深遠な課題を突き付けるのは
> 話をすり替える行為以外のなにものでもないよ
御自身のことですか?(大爆笑
> わざわざ関係のない、論点の曖昧な
大いに関係しています。論点(この場合、各論・細論としての重要点ということですが)は明確です。
> いつ結論がでるやも知れない深遠な課題を突き付けるのは
逆でしょう? 結論の出し易そうな所から攻めようよ、と言っているのです。
> 話をすり替える行為以外のなにものでもないよ
すり替えではなく、下準備だと理解して下さい。(料理番組を御覧になったことありませんか?w)
> キミは、いったい、どういう結論を主張しているのかね?
何回同じことを言わせれば気が済むんですか?w
> 私の唯物論批判の、その批判をしたかったのではないのかね?
違いますw (たまたまリンクしてしまっているだけです。)
> で、ないとしたら何が言いたいの?
> 端的に説明してみて
何度も貼って差し上げましたでしょうに・・・。(最近はURLで済ますことが多いですがw)
全文貼りましょうか?(書き直すのは面倒くさいw)
>>240 > うむ
> 素朴だね
> 厳密性がない
> 互いの認識が同じである と思っているのは勘違い
> 抽象的な価値観によって区別しているのだから
> 区別する基準が同じである と考えるのは
> 非常に厳密性に欠けた観念的判断だ
また大味な感想文ですかw
そんな概観でなく、個別に(或いは厳密にw)批評していただけないもんですかねぇ・・・。
(例によって一部分しか読んでなさそうですが・・・w)
> 価値観と言えば
> 私が「アホ!」と言った意味すら、キミらは正確に理解できてはいないのだよ
> 北島が「気持ちイイ〜」と言った価値観は
> 当然、物理的な要素に特定する事は不可能なんよ
> その価値観をキミは、共有できてると思ってるのかね?
できないでしょう。(たとえ、近似させることは可能であったとしても・・・。)
しかし、今は「肉体」を巡っての話ではなかったですか?
なぜ、「感情・気持ち」の話にすり替えるのですか?
貴方と私で、「第三者の肉体を巡る境界」に関する「境目の共有」は、
「感情・気持ち」なんかより、かなりの高確率でできているように思えますが?
>>245 > 価値観による勝手な区分ではないというならば
> 区分に対する、絶対的な基準を示せばいいでしょう
(絶対的かどうかは解りませんが、かなりの確からしさで我々の眼前に現われていると思われます。
その確からしさを元に、そうではなかろうか?と類推し、提示しているのです。
「見て」「触れて」、或いは「反応によって」、
(『私』が)明らかに差異を設定してしまう境界が見出されている事実を提示することになるでしょう。
絶対的、完璧な確かさでなければ認めていただけないのであれば、これ以上話は進みません。
永遠に平行線でしょう。詳細は感嘆子さんの説明に委ねますw)
具体的方法として、もし私なりに示そうとすれば、貴方と私が実際に対面していて、
貴方の身体をまんべんなく撫で回し、「ここが境目じゃないですか?」と質問するでしょうw
互いが、肉体に於いても分断されているが故に、
人は抱きしめ合う(互いの境界を接し、重ね合わせ、“繋がっている”と見做し合う)のではないでしょうか・・・。
> 唯物的世界観からすれば、それは「物理的要素に明確な基準がある」という事になります
> その辺を、明確に提示すればいいだけじゃないですか(笑
感嘆子さんの説明に委ねますw
>>245 > 犬や猫を家族と考えてる人は、いくらでもいますよ?(笑
いやいや(笑
それは、犬猫ではあるけれど「【関係性の上で】家族として扱っている(家族として見做している)」だけでしょう?
【骨格や肉付き、音声、毛の生え方等】に於いて、自分(達)と同様であると考えているのでしょうか?
そんな意識調査もおもしろいですね。どっかの会社がやらんかなw
寂しい独身男性が猫を飼っていたとして、恋人として接していたとして、
彼は猫とセックスするでしょうか?(ありそうな話で怖いですがw)
仮にセックスしたとして、子供ができるでしょうか?
> ただ犬や猫は、普通に考えて仕事ができないから
なぜ、【普通に考え】たら、犬や猫は仕事ができないのでしょう?
勝手な価値観で社員というカテゴリーに放り込めば、仕事ができても良さそうですよね?w
(んなわけないかwww)
>>245 > 厳密に考えるならば物理的に特定できないわけだが
> ある程度の物理状態を根拠にして
> 価値観によって、その人物を特定していると言える
そうです!w まさしくその通りです!
その【ある程度の物理状態】が重要なのです。
貴方自身の口から、
≪「【ある程度の物理状態】を根拠にして」、『私』が、「対象を(その人物を)特定している」≫
という言葉が出てきました。
この【ある程度の物理状態】を「差異のある“状態”(『私』の外)」として考えてみてはいただけませんか?
> だから物理状態の、よく似たものとは間違える可能性は高いね
おお!まさしくその通りです!w
実験や検証等に於いては、(その場面場面に於いて)、
「間違えても問題の無い部分が捨象されているから、“同じ実験”“同じ実験結果”である」と括れるのです。
小学校の理科の実験と製薬会社の実験室とでは、その“捨象のレベル”が著しく異なるのです。
姿形(形態)として現われている物理状態で言えば、
韮と水仙など、間違え易いのではないでしょうかw
> 判断の基準は、ある程度、曖昧だからね
そうですね。
私が、捨象のレベルに拘る理由が、少しは解っていただけますでしょうか?w
いささか感嘆子風なレスになりましたがw、真似でもパクリでもなく、
素直な感情の発露と、感嘆子さんへのリスペクト&オマージュとして生温かく見て下さいw
感嘆子や素人は常識的見方を「事実」と考えてるみたいだけど、そのどこが哲学なの? 常識を疑うことから始めないと、哲学にはならないんじゃ? 「世界」をビデオで撮ってそれを超高速早送りすれば、全てが灰色に見えるかもしれない。 それが事実かもしれんだろ。 その事実を「人間」という特定の視点からのテキトーな価値観で見たのが 君らの言う「事実」なんじゃないか?
しかし、ただ単に疑っているポーズを見せればいいという哲学が 大手を振っているのも変ではないか。 本当に疑っているのか、疑い方がおかしいのではないか、 という批判があってもいいはずだぞ。
307 :
66 :2008/07/02(水) 17:53:40 0
>>素人さん 文章が長すぎる。その結果、何が言いたいのかよくわからない。w 『私』は存在しない、ということ? 世界は物理状態だと言いたいの? 「互いが分断されているがゆえに」ではなく、分断されているという「想い(意識)」 を抱く(抱かされる)がゆえに、と言うべきでしょう。 初めに差異があるのではなく、差異の“認識(意識)”が先にある、ということ。 感嘆子もキムタクとイチローを語りながら、うっかりそう口をすべらせている。w その「差異の認識」に貴兄と私のあいだに共通性があったり、なかったりする という話しです。 その差異感をもたらすものを“物理的状態”にしたいらしいが、それは転倒。 たぶん初めにあるのは事象(モノ自体)であり、その意味づけ(認識)の一つとして “物理状態”をあげることができる。それなりに説得力のある「世界観」です。w 少し長すぎたかな?
308 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 17:55:44 0
「人間」を定義できる?
常識を疑うことから始めないと、哲学にはならないよな。 ったく、こんなの常識だろうが。
310 :
66 :2008/07/02(水) 18:10:24 0
>>308 様々な定義が可能でしょうが、そのどれもが事象内・存在、別の言い方をすれば
“事象の一齣”の“人間”を描出しつくすのは不可能でしょう? たぶん。
その哲学界の常識を覆す方が楽しいんだよ 一般常識を擁護するために細かい理念を検討し、もっと非常識ことを言い出す だが、結果として一般常識を擁護する 哲学の世界に入ると、そういうことに楽しさを感じる輩が出てくる 実際、楽しいよ
312 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 18:40:43 0
>>311 チャーマーズなんか、そんな雰囲気感じるな。
常識的なこと(我々の経験)を別に否定してないし・・・。
むしろ、常識的なこと(我々の経験)を採用・援用してる感じ。
違うかな?
最高位よ、それは誤読だ 懐疑論の立場に立つ以上、「わたしの存在は確実だ」という発言は 私的独善に侵されたものであり、懐疑論の規範に反する と、俺はこう言っている 俺の立場は懐疑論ではなく客観主義
>>311 じゃあそういうローカルな文化の中で楽しいでればいいよ。
僕はストレンジカメレオン ななーななー♪ ハンドル入れ忘れた チャーマーズ、読んだことない でも結構いるよ、常識擁護派 疑って捨てるだけなら簡単でつまらない そこから組み立てる方が面白いもの 懐疑論なんてつまらないのですよ たいてい、マッハのような結論になる 爆笑問題の太田が言ってたけど ラディカルな芸をするのは簡単だ 舞台でウンコすりゃいい そんなものは誰でもできる 普通のコント、漫才で笑いをとるほうがはるかに難しい だとさ
>>315 >ラディカルな芸をするのは簡単だ
>舞台でウンコすりゃいい
>そんなものは誰でもできる
だれにでもできるような芸はちっともラディカルじゃないんだよ。
馬鹿に感心するとはやっぱり馬鹿だな。
314 つまり、テツガクの実践的態度、倫理規範を固定して そのような実践を反省せず 異なる実践的態度をとる者を「テツガク」の名の向こうに追いやるということだね はたして、それでいいのだろうか
基本に忠実 「衒学的」などと揶揄される方が意外とラディカル(根本的)なものさ 研究してる者たちは皆、新しい展開を創ろうとしている者たちだからね
ネコが将棋の比喩をしてたけど 戦法の研究って古臭いイメージがあるかもしれないけど 古い戦法に新しい一ページをつけ加えるためにしている 哲学理論の研究だって似たようなもの これが実際、楽しいんだよ
>>317 自己発生的規範、平たくいえば自己中、人の話を曲解して押しつける、そういったことが
多すぎるとおもうよ。
チャーマーズすら読んでないやつがよくもまぁ衒学なんていえるなw どんなレベルの研究者だよおい。
悪いけど、無名としか思えない このスレでしか聞いたことがないよ、チャーマーズ
そもそも、自己中は規範足りえないだろ
まぁ50年前で止まってるようだからしょうがないな。
325 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 19:27:23 0
>>322 は苦笑するところだけどまあ仕方ない。
チャーマーズってある意味色物哲学者みたいなとこあるから。
むしろ
>>311 の流れでチャーマーズを持ち出す
>>312 のセンスが良くわからん。
他にもっと適当なのがいるだろうに。
でもチャーマーズのやってることは現代の哲学者に求められてる仕事の模範例といってもいいよ。
科学の知見を踏まえた上で哲学の問題をポレミックに提出する。
それだけの言いっぱなしじゃなくてその問題を考えるフォーラムを提供し古典を含めた議論を紹介するとかね。
自演おつかれさま
ごめんごめん 自己擁護だったな
>>307 >文章が長すぎる。その結果、何が言いたいのかよくわからない。w
最高位の1節1節について返答、述懐なのだから、まとまった結論になっている筈がなかろうにw
また、ほぼ全文引用に近いので長くなるのも当然だw
逆に、君や最高位の文章は、短か過ぎて何が言いたいのかよく解らんことが多いぞw
また、生来の理屈屋、生来の評論家、饒舌冗長になるのは大目に見てくれw
>『私』は存在しない、ということ?
上の5レスが、そういう結論を導く為の文章に見えたのかい?
眼科に行ったほうがいいぞw いや、それとも小学校の国語からやり直すかい?www
参考:
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1144214403/566 >世界は物理状態だと言いたいの?
もしかしたら、ある意味、そこへ着地してしまうかもしれない。(唯識教学とは一線を引いているので・・・w)
が、貴方の
>初めにあるのは事象であり
の方が、より、私の想定する世界像に近い。
(というか、最初から私はそのスタンスのつもりだったんだが・・・w
最高位相手の場合が多いので、どうしても売り言葉に買い言葉&援用等で、
同じ言い方を多用することになる。紛らわしくて申し訳ない。
用語を使いこなせていない点を恥じる。m(_ _)m)
>>307 >たぶん初めにあるのは事象であり、 (モノ自体かどうかはわからんがw)
>その意味づけ(認識)の一つとして“物理状態”をあげることができる。
私は、「“あばた”も“えくぼ”」は真理だと思っている。(同様に「“えくぼ”も“あばた”」もなw)
(それが、かなりの高確率であり得ることだという意味で・・。一個人の内面のみで言うなら尚のこと・・・。)
だから、貴方の言う「主観が事象を差異化して(区分して)価値付けする」ということはあると思う。
(ただ、「それのみだ」「常にそれが先行している」とは考えていないだけで・・・。)
いや、寧ろ、人の生活、文化等は、この作業に大きく依存しているだろう。
これにより、「価値(観)の共有」、「共同幻想」、「規範の成立・護持」等があるのだろうと思っている。
「“あばた”も“えくぼ”」を、少し仏教っぽくw分析するなら、
“あばた”は“あばた”として見、“えくぼ”は“えくぼ”として見、
その上で、“あばた”に“えくぼ”の価値を乗せて、“えくぼ”として受け止めてゆく。
そうした姿勢(或いは(無意識裡にであっても行われる)そのような心的操作)
が述べられたことわざである、と・・・。
(※仏教的には、“あばた”はあくまでも“あばた”。“えくぼ”はあくまでも“えくぼ”なわけですが・・・。
後期大乗仏教の一つの系譜でいけば、「“あばた”もない。“えくぼ”もない。」
という言辞が出てきますけどねw)
追記 :
>>305 にも反応しておいた方がいいか?
境目の無い物理世界で物理的に同じモノを二つ作るってのはどうやるんだ?>最高位 テキトーな価値観か?
>>330 なるほど。
テキトーな価値観によるなら、同じものが作れて当然だな。
理にかなっているw
テキトーな価値観でこの体と物理的に同じモノをもう一つ作ってみました。 テキトーな価値観でそれを私と呼んでみました。 私は二人になりました。
私のテキトーな価値観では私は物理的に作れます^^
334 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 23:43:03 0
テキトーな価値観で 「この体」と「この体を見ている体」に分けてみました。 なんか、文句ある?
水素やら酸素やら炭素やらその他、 なんか物質をテキトーに混ぜると私になるよ
336 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/07/03(木) 00:31:06 0
混ぜると何かに成る。 この「成る」が決定されているか否か 否、「知らない」だけではないでしょうか。
切れ目なき物理世界という事は、 最高位の手は南明奈の尻と繋がってるんだな。 ずいぶんテキトーな世界観だな、おい。
338 :
下僕 :2008/07/03(木) 00:55:09 0
>>284 >「私」というのは、仲間が気がついていない知の事なのよ。
>非常に整理された世界観が得られて見晴らしがスッキリした。
>明晰に世界が見えるようになった。
これは新しい視点ですね。独自性・個性の表現の一形態の
象徴として用いているというような論ですね。
しかも、「整理された世界観」と表現されているように、
精神の安定という実用的な付録付き。いいですね。
私は昔の哲学者達には敬意を表するけれども、
独自性やクリエイター的なタイプの独自の世界を創り上げる場合、
参考にはならない。むしろ哲学界外のほうが参考にはなる。
そういう意味では、あなたのアイデアは私にとって
とても参考にはなったです。私などは、味気なく「創造主」等と
片づけちゃうからね。やはり「私」には敬意を払うという必要性も
考えなければ…と内省致した次第。
339 :
下僕 :2008/07/03(木) 01:04:31 0
>>295 >一般的な意味での私には、方向性がありますね。
同感です。
私は、私自身を創造主であると断定しており、
今、私自身を「救世主」であると見立てるならば、
過去の私が作った結果を今、私自身が享受しているわけです。
まあ、それを環境といい。また仏教では行為・業・カルマといいますが、
私はシンプルに「自分の今の環境」といい。その方向性を指します。
私の人生はほっておけば、「自分の今の環境」の方向性に
未来は一直線に進みます。そこで、私という救世主であり、
創造主である私自身は、新しい方向性を惰性ではなく、
選択によりクリエイトする。
こういう意味に私を設定すると、私は私自身の「救世主」である。
つまり映画マトリックスでいえば、私(下僕)自体が、
あの映画の主人公ネオである。というわけだ。
このように妄想しますね。
>>337 アインシュタインの宇宙論的には正しいよ
物理的には特に珍しい考えじゃない
341 :
下僕 :2008/07/03(木) 01:09:25 0
>>309 >常識を疑うことから始めないと、哲学にはならないよな。
>ったく、こんなの常識だろうが。
素晴らしいユーモア!個人的には、爆笑。
こう言うことを真顔で言いたいです。
亀田大毅に言わせたい
343 :
3時で1時 :2008/07/03(木) 01:26:00 0
物体が存在しなければ、物体の運動はない。 物体の運動がなければ、移動・振動・摩擦・熱といった物理現象はあり得ない。 物体の位置も運動量もないのであり、無いのに「測定することに」意味はない。 したがい、何ら境目が存在しないのであれば、「物体・物の理の世界」は存立し得ない。 「物理世界」は虚構であり、そこから何かを「任意に選ぶ」ということはありえない。
344 :
下僕 :2008/07/03(木) 01:31:35 0
私はアインシュタインは正しいと思う。 しかし彼の論は光を超えていない。 もし宇宙が光りから見た光景がすべてならば、彼は正しい。 彼自身は光を超えた存在のはず。 同じようにホーキングも正しいが、 彼の論は彼自身が考えた宇宙論を超えていない。 つまり彼自身を超えていない。 様々な宇宙論は論の創造主の牢獄であり、 それ自体が地獄である。じゃあ天国はどこにあるか?といえば、 実は、論自体が相対性をおびているのだから、その対極にある 論が正しい一部を形成している。これは具体的論の宿命だ。 その対極を一まとめにした包括論を展開すればよいのだが、 それでは具体的ではない。しかし論の創作者はすでに、 反論の用意もできているから、真理は本人だけが握っている。 だから一元論ならば、表裏一体であるから矛盾なく、 全宇宙を包括でき、その一部を言い当てる事も可能である。 しかしその論は当たり前すぎてだれも耳をかさない。 そこで工夫が必要になる。その工夫の一つが、現在科学界で の常識をちょっと覆すくらいの具体性のある表現をもちいて 発表する事なのです。すると人々から賞賛が得られる。 だからアインシュタインはクリエイターです。 創造の愚かさと創造の有益さは痛いほど知っていたでしょう。 私は、同じクリエイターとしてそのように思います。
345 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 01:36:03 0
彼自身を超えていないのではなく、 彼の論を超えていないだけでしょ。 彼自身って、何?
>>343 >物体の位置も運動量もないのであり、
あるけど切れ目がないんだよ。
習ったでしょ?無限小数。
347 :
下僕 :2008/07/03(木) 01:42:53 0
>>345 彼の論は、彼の創作物。(彼自身ではない)
彼は、アインシュタインという人格・自我。(彼自身ではない)
彼自身は、アインシュタインがアインシュタイン自身をどう思っているか?
彼に尋ねるしかない。
348 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 01:50:07 0
>>346 >習ったでしょ?無限小数。
無限小数もあれば、有限小数もあるだろうけど、
「割り切れない」とか、
「確定しえない」部分があるというだけのことでは?
人間も、意識も「割り切れない」と思うけど?
349 :
3時で1時 :2008/07/03(木) 02:47:25 0
存在の境目を確定し得ない、ということであれば、 「俺の存在」も確定し得ない。 俺とは、どこからどこまでをいうのか。 いつから俺であり、いつまで俺であるのか。 いつから思い始め、いつまで思い続けるのか。 何故に思い始め、何故に思わなくなるのか。 確定できないという意味では、俺という存在は「存在性」ではない。
350 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/07/03(木) 02:56:18 0
>>349 さん
境目と言いますか、時間軸と空間軸の交点ですか
その一点(当に点ですが)それを「実」「有」と観るかですね。
その点に量子力学のように様々な物理量(スピン等)を与える
「私」で言うなら付加価値ですか。
351 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 03:07:22 0
,/”” ”ヽ ,/ __ _ ゛ / /““ “” ヽ | | / -━ ━.| | | |. “” l “ .|.| (ヽ | r ・・i. || りリリ /=三t. | もう7月だぞ 不細工ニート税導入 |リノ. | | 、 ー- " ノヽ / ̄\ / ゙ー― ヽ._/ .,入 \ l i ' Y / /l \/ `ヽ \ l  ̄ヽ・. ・/ / l _ )___ . `ー' ゝ  ̄ ̄)ノ/ ̄ ./__/ / ⌒⌒ ̄\
また停滞させてしまったな・・・w
354 :
下僕 :2008/07/03(木) 09:03:01 0
過去の「私」の環境や関係(行為の結果)が「私」の環境や関係であり、 「私」の環境や関係や役目は、好きなように個々の「私」が決めればよいわけです。 好きなように決めるとっても「理念」や「夢」というビジョンが必要で、 ビジョンがないならば、決めようがない。 一例として 水という物質の一形態である結晶(個体)は環境の影響により変化を受ける。 その環境の影響の中に、人間の精神も含まれるという結果も出ている。 こうなると物質と精神の境界は曖昧になる。
355 :
下僕 :2008/07/03(木) 09:21:06 0
水はどこにでもある。人体もどこにでもある。この点では同じ。 遺伝子構造云々や個々の違いはあるが、物質であることは同じ。 水の形態は、固体・液体・気体であるが、液体・気体では流体で変化に富む。 水は形を変えるが無くならない。固体を破壊することはできる。でも水には 変わりない。では何を破壊したのかといえば、環境による影響を破壊しただけ。 我々は水の固体である氷に見立てるならば、環境に影響された産物であるが、 水と同じであるから、人体が壊れても、残るものがあってもおかしくない。 これは否定も肯定もできないが、固体の特性を考えれば、何かが固体になっている 必要があることだけは言えるのではあるまいか。
356 :
下僕 :2008/07/03(木) 09:48:16 0
個体になるためには、その個体をつかさどる鋳型である意思が必要である。 このように考える下僕は、全ての個体には意思を認める。 仮定の論として、下僕を個体とみなすならば、下僕の鋳型である意思が必要である。 「理念」や「夢」というビジョンである。外部からの意思もある。 環境に影響されるビジョン(各種メディア洗脳)がそれである。 下僕は、エネルギー自体も意思があるとみなす。よって物質と精神との境界線が 解らないので、いつも不安定な状態である。逆にいえば、これを安定というのか? これすら解らないのである。ただ、下僕本人は満足している。だから人体を 保つことができているのであろう。
>>305 >感嘆子や素人は常識的見方を「事実」と考えてるみたいだけど、そのどこが哲学なの?
>常識を疑うことから始めないと、哲学にはならないんじゃ?
いえ常識が事実だと考えているわけではありません。
「事実に関する常識」は一応あって、
>>233 の内容は到底常識ではないでしょう、と
言っているだけです。「事実などというものはない」という可能性だとて、哲学的
にはもちろんあるわけです。
>>307 >初めに差異があるのではなく、差異の“認識(意識)”が先にある、ということ。
>感嘆子もキムタクとイチローを語りながら、うっかりそう口をすべらせている。w
これはどうもさっぱり意味がわかりません。
認識論的には、「差異の認識」が先にあることはあまりにも当然であります。差異の認識
がなければ、どんな存在も認識できるはずがありません。
この例は前にも挙げましたが、まず特定の色合いを伴う三角形(差異)があり、扇形の
変形があり、円があり、それらの差異の認識から「円錐の物体があって、それが見えて
いるのだ」という認識が成立すると「じゃあそれを見ているものは何だ? 私だ」
となって、「円錐の物体」と「私」と「それを含む世界」の観念が成立いたします。
しかし、一旦成立したら、「円錐の物体」も「私」も、「世界の中に客観的に存在する
差異」として、色合いや形の差異の認識より先にあった、と理解されるわけです。
ないものは見ることも見えることもできないからです。
これは哲学的にはもちろん異論がありますが、一応「常識」です。
「現実に存在すると理解される物質の観念」については、キムタクでもイチローでも
富士山でも分子でも「私である人間」でも、同じことであります。
最高位がいないとスレに活気がないな なんだかんだで、ファッション(流行)にしか興味ない輩ばかりのなかでは稀有な存在だったのかも
359 :
僕 :2008/07/03(木) 11:31:34 0
真理というでっち上げはこうです。 科学は科学を信仰する人達の共通宇宙を作った。 惑星宇宙という宇宙。 実は、宇宙は意思をもつものの数だけあり、 それ自体が重なり合っている。 その実体は電波や音波のようなものであるから 重なっていても物理的に成立する。 受信機である我々は、それに合わせるだけで、ある一つの宇宙を 体験できる。しかし同時に惑星宇宙を信仰している我々はの殆どは、 一つの宇宙だけを体験しているに過ぎない。 実際は宇宙は無限である。私次第でどうにでもなっている。 これは証明も否定もできない真理である。
360 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 11:37:14 0
>>358 俺はそこを評価してきたんだよ。君は、その教養主義と好き嫌いの感情に
囚われすぎて彼を見損ない、自らのキャラ立てにも失敗し、常に議論の輪
から外れてきたわけだ。
ところで、紗南はどうしているの?
361 :
僕下 :2008/07/03(木) 11:46:00 0
お話中ではありますが、別の宇宙から書かせてもらいます。 宇宙が最初から在り、科学でそれを解いたのではなく、 実は創造と発見は同時に起こっており、発見されたと同時に 宇宙がまた一つ拡大した。 ビックバンが起こった事実はどこにもない。 科学が発見したと同時に起こった事実を信じた人達が居た。 よって創造した事は事実として起こってしまう。 極端に説明するならば、 私は空を飛んで遊んでいるが、 みなさんには、ここでキーボードをうって書いているように見えている。 実際、人々のふれ合いはこんな調子である。 言語を使うのと同様、世界観も合わしているだけ。
いや、ファッション云々は皮肉だ 俺のわけわからん言葉はたいてい皮肉だ 最高位の議論を「議論」なんて言わないでくれ あんなのはよくある2ちゃんのやりとりだ いわゆる「便所の落書き」だよ 議論てのは俺のような言葉を吐かないとなw 冗談はおいといて、つっこめるようなこと言ってるんだけど、なかなか議論をふっかけてこないよね ここの人たちは議論が嫌いなんじゃないかな 将棋も嫌いだったりして ハチワンダイバーじゃないけど、寝ても覚めても将棋のことを考えて 負け続けの中でひたすら将棋を指す それぐらいの将棋バカはレアだということでしょ
363 :
下僕 :2008/07/03(木) 12:07:04 0
>>362 私の意見も挟みましょうか。
私の場合は、私が興味がある事柄だけ質問するだけです。
だから議論というものを知りません。
勝ち負けを議論とするならば、私は最初から勝っています。
でストレンジカメレオンさん自身に私は興味があるか?と
いえば、無いです。他意はありませんから誤解なきよう。
で、本は読んだ方がいい なるべくたくさん それは将棋で様々な定石を知っといた方がいいのと一緒 昔、最高位とのやりとりで 俺「少しは本読め」 最高位「本ばかり読んで自分で考えないと哲学じゃない。どの本を読めば真理が書いてあるんだ?」 俺「その教典のように本を読む読書の仕方を変えろ」 最高位「それはこっちのセリフだ」 というやりとりをした 将棋で言えば 「定石を知っとけ」 「どの定石が必勝法だ?」 というやりとりに近い 多くの定石とそれへの対応を知っとけば将棋の幅も広がろう 哲学だって、いろんな考え方、論争を知っとけば、 考え方の幅も広がりそうなものだ 一つの戦法に凝り固まる必要なんてないのだから 何を言いたいのかと言うと「一つの答えに凝り固まろうとする態度」が最高位には眠っている それって自分が教典とする聖書を探して本を読むような行為だ だが、いかだは川を渡るためにあるもので、しがみつくためにあるものではない しがみついたいかだはたいてい沈没してしまう(仏典の一説より) それぐらい軽いノリでいた方が議論も弾むんでないかね ま、よう知らんけどね 僕はストレンジカメレオン ななーななー♪
>>364 >で、本は読んだ方がいい
>なるべくたくさん
おまえがいうなw
将棋もそうだし、マージャンでも一緒だな まあ、マージャンなんて無いって人にはこんな話無意味なんだがね
まぁ、俺の読書量もまだまだだからね 今、古典ばかり読んでるんだ(目下はアリストテレス) つまり、50年前で止まるどころか、その影響で2000年前まで遡ってしまったいわゆる懐古厨って奴さ 絶滅する覚悟はあるのさ 僕はストレンジカメレオン ななーななー♪
>>367 そうやってすべてをごまかして生きてろよ。
369 :
下僕 :2008/07/03(木) 13:13:10 0
ストレンジカメレオンさんは、 哲学者最高位氏と話がしたいということですね。 で、ストレンジカメレオンさんは議論に対して持論をもっている。 「一つの答えに凝り固まろうとする態度」はストレンジカメレオンさんは 望んではいない。 ざっとこういうことですね。 哲学者最高位氏は人気者ですからね。私もその独創性を評価しているんです。
誰とでも議論はしたいよ 最高位に限らず どうも無駄に絡んでくる輩がいるが、彼とだって議論したいと思ってるよ 彼の目的が何かは分からないけどね 別に読書が甘いことも勉強不足なことも ニートでホームレスで40ひきこ独身童貞電波受信の加藤予備軍であることを認めてもいいよ 所詮2ちゃんじゃん イチローや貴乃花が叩かれるような価値観のズレた2ちゃんで何言われようと認めるよ 実際、俺は勉強不足だし、その自覚はある で、認めたからなんだっていうんだろう 溜飲を下げたいだけならいくらでも下げさせてやるから議論したいものだ
私自身が私は二人いてもいいと認めている時、 果たして他人がそれを否定出来るのだろうか? 今、私が二人いても構わないと思っているこの私をコピーしてみれば、 コピーのそれも同じように二人いても構わないと思うだろう。 二人ともに私だと認め合うだろうと予想される。 二人以外がこれを否定出来るのか? これが否定されるならば、 自身が「私」と思っているモノが、 実はそうではない場合があり得るという事になる。 自身の思いこみが揺らぐ。
372 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 14:16:14 0
>>371 逆もありうる。
去年の自分は今の自分じゃない。
なぜ、あの時の行為で、今の自分が罰を受けねばならんのか?
なぜ、去年の所得の計算で、今の自分の給与から住民税を払わねばならんのか?
来年の自分は自分ではないだろう。
なぜ、自分じゃない誰かのために、今の自分が苦労し、犠牲を払わねばならんのか?
勉強?糞喰らえだ!
年金だって、受け取るのは今の自分じゃない誰かだ。
とねw
373 :
下僕 :2008/07/03(木) 14:30:06 0
>>370 ストレンジカメレオンさんにとって議論ってなんです?
ボケとか突っ込みとかですか?
反発しなくては議論にならないのでしょうが…。
私の場合は、本人が言っているならそれは正しいわけですからね。
さしずめ、このスレどおり、「私」を記述してみたらどうです?
374 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 14:30:28 0
逆じゃないwwwwwwwwwwwww
375 :
下僕 :2008/07/03(木) 14:59:40 0
やはり議論するには、私自身の考えを述べるのは良くない。 もっとも議論しやすい対象は、私自身からもっとも離れたものだろう。 私自身からもっとも離れた対象物とはなにか?。 私には解らない。
内面的な自分はいくつもあるけれど(何人もいるかもしれない)、 外面的物理的に肉体は一つなんだから、 一人という事になってるんじゃないの。 南の方向に歩きながら同時に北に歩いて同時に東にも歩ける? 物質的に身一つだから無理でしょ。
>>375 それは言語ではないかな。物自体と言う人もいるようだけど。
>>378 いや、バイキン草のエキスとまごころ草のエキスだ
380 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 23:52:46 0
age
381 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 00:33:23 0
思索的対話はおろか、日常会話も無理か。 下僕のは独り言だもんな。
382 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 00:57:55 0
最高位はゼノンのパラドックスを 世界で初めて私が完全解決したと豪語してたけど、 どうせあの人のことだから、 人間のテキトーな価値観で・・・と言い出すんだろうな。 あの人は何でもテキトー価値観おじさんだと思う。
>>382 >人間のテキトーな価値観で
テキトーな事を言われては困るよ。
”私”のテキトーな価値観であるよ。
384 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 02:04:55 0
最高位に言わせると”人間”のテキトーな価値観らしいよ。
385 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 02:08:59 0
曖昧だが、でたらめ というほどではない テキトーをテキトーに用いておれば、テキトーに落ち着く
387 :
下僕 :2008/07/04(金) 06:58:17 0
>>375 言語ですか…。その発想は私には無かったです。
私にとって言語は道具ですね。物ですから物質と言えるかもしれない。
あなたの発言によって、概念自体を物質的に語ってしまう場合がある私を発見しました。
>>381 それは言えている。思案的対話を他人をつかって行う
習慣がないのです。そういう私は、結論を発するか、
疑問を聞く事以外にすることがない。よって議論が成立しえない。
しかし感想や倫理観の相違は確認しあうことができるので、
日常会話には意味があると思う。しかしどう思うか?と尋ねて、
思いを語ってくれる人は非常に少数である。
388 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 07:06:53 0
あなたは言語の道具です
389 :
下僕 :2008/07/04(金) 07:43:55 0
390 :
下僕 :2008/07/04(金) 08:01:47 0
>>389 他を断定する所に、議論の余地を作るという手もありますね。
議論を行うには、他を断定し、別の人が再び他を断定し、永遠と続けられる。
ところが、他を断定しなくなったら。議論は成立しえないですね。
よって、私の答えは、議論をする上で間違っている。
答え方のモデルとして下記に示します。
>>388 私に向かって「あなたは言語の道具です 」だということは、
言語に人格や意思があり、それが私を道具として使うという場合であるが、
私は、物にも意思があることを認めているので相対的にはみれば、賛成です。
続いて啓蒙的なケースを下記に示します。
>>388 「あなたは言語の道具です」などと言っているあなたは、
なにものであるか?を問い、語るのがこのスレです。
感想として、
>>388 なるほど。
完全なる神の声として、
>>388 >あなたは言語の道具です
言語の道具は「発言者の対象物」です。
だれかとはいいません。
391 :
下僕 :2008/07/04(金) 08:11:54 0
みなさんは他者が存在すると思っている人が大半でしょう。 そういう人に向けて、ちょっと話しましょうか。 他者について考える場合、それは、 思考者がこしらえた対象物であることを知る必要がある。 だから他者についての想念すべては、思考者自身の想念なのです。 つまり、思考者自身を対象物に置き換え、それを思考する。 こうする事によって、私自身を考える事ができるわけです。 しかし、他者が存在するという前提をもつ思考者は、 他者へ投影した自分の思考をも、思考者自身のものではないと 考える所に、「他者が存在するという前提をもつ思考者」は 気づけないでいる。 これが競争と比較と分裂を生む根源である。 しかし、議論とはそれを行うゲームである。 対話は、私と私との話である。他者の入る余地はない。
392 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 08:41:33 0
テキトー=適当なら、これは「よく当たる」「ほどよく当たる」の意なので、 “テキトーな価値観”とは、うまい表現です。 痘痕も笑窪もテキトーに差異化されたのでしょう。ただし、痘痕を笑窪に、 逆に笑窪を痘痕にみたてるのは単なる錯覚。「アバタもエクボ」は、この類 の認識上の錯誤のことを言っているのではありません。
393 :
66 :2008/07/04(金) 09:25:48 0
>>391 独我論的対話ですか?
しかし、全き独我論に自足するのが難しいように、仮想の他者(私)と
対話しつづけることも至難のワザ。
議論の対手を主観的なそれ(もう一人の私)として押さえこもうにも、
たとえば最高位でも素人氏でもいいが、対手は(物質という意味ではなく)
モノ自体であり、私の意識(主観)に制限を加えるからです。『私』は
他者・外部・モノ自体に絶えず侵食されている、ということです。
独我論同様、独我論的対話も難しいと思いますね。
394 :
下僕 :2008/07/04(金) 10:02:37 0
>>393 >全き独我論に自足するのが難しいように、仮想の他者(私)と
>対話しつづけることも至難のワザ。
その通り至難のワザのはずなのです。
以下、その理由は、おっしゃるとおりです。
だから、まずは自分を知らずして他者を攻撃対象にして突っついて、
その対象に、発言を求める行為は、精神的には実は甘えである。
一方で、直感か想像力というものもありますね。
これは環境に影響されているが、自他という外部に設ける依存関係が無い。
こういう思考もありうる。こう考えます。
同じように、至難のワザという事であれば、自問自答を私は良しとします。
これは趣向によるもので、どちらがどうだというものでもないですね。
395 :
下僕 :2008/07/04(金) 10:13:59 0
だだし、クリアな自問自答を繰り返し純粋を極めようとする 行為者がいるとして、それを押し進める行為は、別の観点から言えば、 一種のイジメでありますから、自粛すべきでしょう。 その意味において、攻撃対象になる者は、つまりヒール役は 実は優しい人達なのです。 私はぜんぜん優しくないです。もし私が攻撃するならば、 イジメになりますからそれは出来ません。
スレに活気がないなw
397 :
学生 :2008/07/04(金) 12:03:05 0
学生 自発性の欠落です。敵がいなくちゃ話しにならんという事でしょう。 また、問題がなければ解けない。 前例がなければ何もできない。 外部に自分を発見できないから何もないということです。 自分の存在意義は、外部に自分と見立てた他者を発見することで、 はじめて成立するという人たちが大半だからです。 これこそ、「私」しか居ない証明です。 生きているって事ですから、つねれば痛いと感ずる者が「私」です。 言葉でつねるならば、疎外者共! アホ。馬鹿!というものです。 いずれにしても「私」がむくむくと起き出すというカラクリです。 他人を創作する愛情。これは慈悲である。悪こそ善である。
398 :
医者 :2008/07/04(金) 12:03:59 0
>>397 >生きているって事ですから、つねれば痛いと感ずる者が「私」です。
痛いときには言いなさい。治療が必要だ。
399 :
漢方 :2008/07/04(金) 12:05:48 0
>>398 医者さん、治療など必要はないのす。
東洋医学では自然治癒力を用いる。西洋のやり方はパッチ処理だ。
痛いに任せ、さらに痛みを与える事により、内発力が働く。
400 :
町内会 :2008/07/04(金) 13:00:09 0
>>399 職人:痛いなら、「休め」という事だ。
ジャンキー:痛いなら、刺せ。直ぐ直る。
弁護士:痛いとっても、私の管轄外だよ。
子ども:僕は痛くないよ。
会長:補助金は下りません。そういえば次回の会合は出席してくださいますか?
カラス:カ〜ぁ
八百屋:そうなねぇ〜。痛いだかねぇ〜。そりゃ大変だわね〜ぇ
ナルシスト:私の身に覚えがない。
エロ爺:ええかぁ〜。。。ええのんかぁ〜。
自衛隊:君も入隊しないか?
女:イヤっ!
>>399 不屈闘志:来た・・来やがった。逆境だ。
小泉純一郎:痛みなくして改革なし、改革なくして成長なし。
JAM Project:さぁ、振り返らずに、風になれ。痛みを越えて、駆け出せ!
ゴステロ:脳が、脳が痛ぇ〜!
アミバ:フム…この秘孔ではないらしい。
フリーザ様:さ…さすがの俺も、今のは死ぬかと思った。
女:痛くしないでね・・・
402 :
67 :2008/07/04(金) 17:59:16 0
>>210 >肥大化するのは その“自”を芯として膨らんだり萎んだりする
>“私の心”を指しているのでは なかろうか。
>貴方は「後づけ」批判を繰り返していますが、ちなみに「先づけ」の事例を一つ
>あげてください。
>それから、デ氏のコギト…の「我」と経験的自己を自明のごとく区別しています。
>その違いをわかりやすく示していただきたい。
経験的自己は他への意識がもとになって成り立っているでしょう。
たとえば、親に対しては子であり、妻に対しては夫であり、子供に対しては
パパであり、上司に対してはダメ部下であり・・・という無数の対象への意識が
もとになって、それらの対象への意識によって「膨らんだ」結果として
経験的自己はできている。
それはデカルトが言うような疑い得ないものではない。
そういう「膨らんだ」自己のもとになる“自”というものを、疑い得ないもの
として考えるとしても、そういう「自-他」「主観-客観」という
二項対立図式も疑わしい。
僕は後づけ批判をしたわけじゃなくて、経験的自己が疑い得ないものとして
初めにあるのではないということを言っただけですよ。
(デカルト的に、疑い得ないものは?という発想で考えればの話だけれど。)
また、初めにあるのでないから存在しないと言ったのでもない。
「膨らんだ」結果として、経験的自己は存在している。
でも「それを考えているのは誰?」と質問することによって、
結果としてできたものを初めにもってこようとするのはおかしい。
常識的会話なら「僕が考えているんですよ」と答えるけれども、
さまざまな対象意識と幻想によって「膨らんだ」結果としての「僕」が
「考え」を生みだしているというのは何かおかしい。
「考えがうかぶ」という言い方のほうが実状に近いでしょう。
だから「そういう考えが、(偶然にか必然にかは分からないけれども)
『僕』において現れている」。
403 :
67 :2008/07/04(金) 18:00:21 0
>>220 >事象(モノ自体)のありようは不可知でしょう? それを“必要性”“欲望”に
>沿って分節・意味づけする『私』が存在する、ということです。
>正確に言うなら、分節・意味づけ“させられる”『私』がいる、でしょうか。
デカルト的「意識」を、分節・意味づけする働きと考えれば、
確かに言えることは、分節・意味づけする働きがあるということだけでしょう。
それを「分節・意味づけする『私』が存在する」と言ってしまうと、一挙に
経験的自己のレベルに飛んでしまう。
経験的自己である僕は、すでに分節・意味づけされた世界の中で、せいぜい
それを再分節したり、別の意味を少し付け加えるという、二次的、三次的なことを
しているにすぎないでしょう。
>>229 >それは、貴方と私の「差異はどこにあるか?」議論ですねw
存在そのものが分節・意味づけする働きだと考えれば問題ないような気がする。
存在を主観と客観に分けたのちに、そのどちらかによって「差異」が生じるはずだ
と考えるから、わけがわからなくなるんじゃないのかな。
404 :
67 :2008/07/04(金) 18:01:42 0
>>329 >「“あばた”も“えくぼ”」を、少し仏教っぽくw分析するなら、
「あばたもえくぼ」を仏教的に考えると、僕なら「煩悩」という語がまず
思い浮かびます。それから、「煩悩即菩提」。
「恋愛とは美しき誤解であり、誤解であって差支へありませぬ。そして
結婚生活とは恋愛が美しき誤解であったことへの惨憺たる理解であります。」
これは亀井勝一郎のことば。
「誤解であって差支へありませぬ」というところが良い。
でも、「誤解」とも言い切れないのではないかと僕は思います。
恋は幻と言うけれども、「幻想」と思っているのは、「惨憺たる」姿を
「リアル」だと思っている立場からの理解であって、
恋愛のただ中にいる者にとっては幻想どころか最もリアリティがあるし、
ものごとを美しいものとして見ること自体はネガティブなことではないはず。
「幻想」という語がネガティブな意味を持つのは、それが「リアル」なもの
と見なされたものに対して「偽」という意味合いを帯びてしまうからだ。
分節・意味づけされた世界とは別に、不可知な「事象(モノ自体)」がある
という考え方にも、そういうところがあると思う。
もし不可知な「事象(モノ自体)」があるとすれば、僕たちの世界認識は、
分節化され意味づけされた世界の認識に「すぎない」、幻想に「すぎない」
というネガティブな意味を帯びざるを得ないのではないのかな。
405 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/04(金) 18:35:49 0
繰り返しますが、デカルトの「我思う故に我あり」は、唯一人間に確実に確認可能な事実であり、 我が思ったとき、その結果を自分の内部で確認することができる。この因果関係だけが 人間に与えられた知覚可能な事実である、ということです。
普通の奴が考えれば「我思う故に我あり」ではなくて、 「我思う、ゆえに我と考えの両方あり」になるだろ。 最初に我しか存在しないと考えてる奴は頭がおかしい。 我と考えの両方があって、そのような現象全体が存在すると 普通の人間なら考える。
デカルト読んでてある事を思った。 それは、デカルトは全てを疑ったのではないという事である。 当初は、デカルトは全てを疑おうとした。 が、そんな極端な疑いに行き詰まって、すべてを疑う事を断念した。 そして、次善策として、とりあえず全てが間違っているとすると・・・ と仮定してみただけだ。 つまり、デカルトは全てを疑った末に結論を出したのだ というおかしな解釈から、 私の存在は疑えないというおかしな結論を、 デカルトの本から読み取った後世の読者が悪い。 そのような読者が害悪を生んでいるのだ。 このスレッドにも、そんなおかしな人間が紛れ込んでいる。
408 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/04(金) 19:13:54 0
>>406 我と思うを切り離して考えるのはおかしい。
409 :
66 :2008/07/04(金) 19:29:24 0
>>67 色々と教えていただいて感謝します。
たしかに不可知論に拠っており、差異は幻想であると思っているところが
あります。また、質問させてもらいます。
いま、あちらのスレでラビ女史に久々に突っ込んだため、ボロクソに言われて
います。以前にも、因果論に絡み、いい経験をさせられました。w
彼女と議論しても後味が悪いので、適当に手仕舞いしようと考えています。
410 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 19:34:18 0
「我思う、故に我あり」と言う文章は明らかにおかしい。 正確には「我思った、故に我あり」と理解している。 コギト アルゴ 酢飯wwww。 寿司食ったぞぉぉぉぉw。
411 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 19:37:47 0
>>67 .409
フムフム。
だから己の尻尾を食らう蛇なのだよ。w
制御系の基本だな。
412 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 19:46:44 0
>我と考えの両方があって、そのような現象全体が存在する >我と思うを切り離して考えるのはおかしい 同じこと言ってるんじゃあないの?
413 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/04(金) 19:49:09 0
>>410 我の根拠は私が思うところにある、と説明してみるが、おかしいか?
414 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 19:50:53 0
>>412 いや、違うでしょう。
前者は、「我」と「思う」の、どちらかがない事態が可能性として残るが、
後者には、どちらかしかない事態がありえない。
415 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 19:54:34 O
ぼくケンイチ
416 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 19:55:18 0
>>414 ああ、「考える」ではなく「考え」になってた 悪かった すまん
417 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 20:05:26 0
>>412 後者には時間的な確信が込められている。
我思ったと時間的な前後関係を無視した我思うじゃ
意味が大きく違う。
思うと言うのは今と未来に期待が込められているが、
≪思った≫という言葉には確信で満ち溢れている。
418 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 20:09:29 0
我は思った。とはつまり、脳内の記憶回路に間違いなく記憶されているが、 「我思う」という文言には、今と未来に期待が込められている。 宿題とかレポートをここでやらないようにね。w 手伝う気は全く無いからw。
419 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 20:09:38 0
我かく思う いとうとき すでに 表明しようとする思いは準備されている
420 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 20:11:48 0
へたコイタ 飲み過ぎw いとうとき→というとき
421 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 20:12:28 0
>脳内の記憶回路に間違いなく記憶されている つまり、私の存在が、記憶と言う形になって証明されてるのだよ。 つまり、故に我あり。
422 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 20:16:01 0
>>420 おれもワイン一本空けたぜ。飲みたんねぇw。
423 :
420 :2008/07/04(金) 20:22:05 0
>>422 発泡酒(貧乏人w)1リットルでこのざまだw
424 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/04(金) 20:22:40 0
>>418 あなたは日本語が不自由というか、想像力に欠けている。
425 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 20:30:22 0
>>424 君は、人の感情や表現を理解する能力に欠けている。
てか、二、三行で全てを表現できるほどに卓越した国語力は
有してないよ、俺は。
っていうか、何故この瞬間に俺を叩くのか・・・w。勘ぐるぞw。
「我思う、故に我あり」の文言に対して君の意見を伺いたいです。
他人に話しかけるときは、思惟する主体を私、俺と呼んでるが、 自分に話しかけるときは、思惟する主体をこいつ、お前と呼んでいるな。 関西では自分という言葉で相手を呼んだり、テメエという言葉が 自分という意味だったり相手をいう意味だったり逆転してるな。
427 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 20:37:41 0
日本語では「こっち」「そっち」でも通じる場合がある
428 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 20:46:50 0
429 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 20:49:05 0
>>428 >飲んでいい気持ちになっているときに異論をぶつけて悪かったかな?
別に。
てか、「我思う、故に我あり」の文言に対して君の意見を伺いたいです。
はやくぅ。
430 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 21:00:48 0
おまえ等、酔ってんだったら少しは面白いこと言えよ。 何時までも学者気取りか?w。 少しくらい直感で話をしろよw。
「○思う故に○あり」 ○に入るのは「我」でなくて何でも同じように成立しないか。 それが「我」だという根拠はどこにあるのか。 それが「我」だとしたら、2文字目以降は無駄ではないか。
>>431 もういいかげんデカルトの文脈無視してとんちんかんなこと言うのやめないかな。
「人間は考える葦である」→「人間が植物なわけないだろ」
と同じようなレベルばかりだよ。
433 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 21:11:49 0
434 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 21:13:23 0
じゃ、分かっているらしい人に聞きたいけど、 「我思う、故に我あれ」を詳細に、そうだなぁ原稿用紙5枚以内で表現してくれ。 お願いしましたよ。
436 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 21:27:25 0
>>435 無知な俺でも、奴が俺様以下だということは理解できた。w
437 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 21:29:46 0
>精神と物質は元々一つのものの二面的な現われに過ぎないと推論します(物心平行論) 確かに俺もそのように思ったこともあるが、特に別に平衡する必要も無かろう。 何ゆえに平行≪せねばならない≫と人は思うのか?。実証主義に委ねよう。
438 :
x of x :2008/07/04(金) 21:35:14 0
俺は俺以外何者でもない!!!
>>437 どこ読んでるんだよw
おまえが知りたいのは「我思う、故に我あり」だろ?
ほんと馬鹿にはなにを言ってもムダだな。
440 :
x of x :2008/07/04(金) 21:40:10 0
要はさ、自分で自分を自分と思うからこそ自分が自分なんだよ。
物心並行は必要だろう。 さっきラーメンを食べたばっかなのに、 ラーメンを食べてないと言い張るなら最早ボケ老人だ。
442 :
x of x :2008/07/04(金) 21:45:34 0
自分を語るのにご託はいらねえ。ただ、そこにいるという事実がいるだけだ!
443 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 21:53:18 0
>>439 勝手にいってろw。www。
お前って奴はw。
話は既に進んでるんだよ。お前がそういう立場を取るなら、以降はレスなしじゃw。
>>441 それは並行にもなっていない。w
444 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 21:55:11 0
死んでからゆっくり考えよう。
445 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 22:01:52 0
抽象論は面白いよね。 新しい切り口は悦に浸れる、という比喩は哲学板でないと通じない。 ところで、ドゥルーズの新書が出る裸子よ。でもドゥルズといえば 5千円クラスだからなぁ、糞訳だったときにゃ死ぬで、全く。w
446 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/05(土) 00:04:39 0
447 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 07:27:08 0
昨夜、デカルトに合ったが、彼はこう言っていた。 デカルト>「信仰だよ。これが全てだ。」 僕>「神への信仰か、自分への信仰か、それともなにか別の信仰ですか?」 デカルト>「信仰だよ。これが全てだ。」 僕>「懐疑ではなく信仰という事ですか?」 デカルト>「そう信仰だよ。これが全てだ。」 僕>「懐疑も何かの信仰であると?」 デカルト>「そう信仰だよ。これが全てだ。」 僕>「デカルトさんは何を信仰されたのですか?」 デカルト>「キミに向けて言えば、疑問といえばそれであろう。」 僕>「疑問に答えはあるのですか?」 デカルト>「答はない。そう信仰した。」 僕>「私を起点にしようとしたという事ですか?」 デカルト>「我思う故に我あり」 僕>「神ではなく、我を信仰した?」 デカルト>「そうである私とそうでない私を分けた。」 僕>「今は一つの私となっているのですか?」 デカルト>「思い出と、信仰を知った。」 僕>「あなたはデカルトですよね?」 デカルト>「そう言われている」
何と秀逸な
芸術を理に換算する行為が愚かであるように 理を芸術で表現しようとするのも滑稽なのだろう えてして、青臭い反発心抜きにはできないわけだからな 「僕らの七日間戦争」に共感するような幼稚なセンスしかないのさ そして、いい女を抱けるのは大人の男だけなのさ
450 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 10:53:00 0
真理を芸術で表現することは無意味ではない。 芸にも理はあるし、理を芸で表現することも可能だろ。 論理や物理だけが理であるわけではない。
451 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/05(土) 11:37:22 0
>>425 感情を理解して、何をしてほしい?手加減か?
表現というのは、他人に理解できる文章を書くというのが基本で、私的に書いて理解してくれ
ないというのは、怠慢、傲慢すぎる。
452 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 17:16:43 0
>>449 愚かなのは君だ、少しは哲学書読め
バウムガルテンの「美学」、カントの「判断力批判」だ
そしてピュタゴラス、プラトンにまで遡れ。
数学が美学原理なのだ、数学的理性が芸術なのだ。
最高位の集客力を思い知らされるな・・・w
454 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 18:43:00 0
彼は哲板の小島よしお
思う我あり
457 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 21:34:51 0
この思いを我と名づけし。故に我やっとあり。
458 :
66 :2008/07/05(土) 21:34:56 0
>>403 67
意識とは「(対象を)分節・意味づけする働き」を指す。そのとおりである。
換言すれば、意識は“機能”である。
しかし、こういう言い方は当然ながら以下の問いを招く。「たとえば循環
という機能を司るのは循環器官だ。では、意識機能を担っているのは何?」
これに対して「それも意識」と答えることはできない。一般的には「脳だ」
あるいは「身体だ」という答えが多い。
最高位はそれに対して「物理的要素を有しない『私』だ」と答えて異彩を放ち、
かつ物議を醸したわけである。w
貴方は意識(という機能)を司っているのは何だとお考えでしょうか。
459 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 21:45:39 0
美意識という言葉がある。美が意識せられるのである。 しかし、美の客観的存在の証明は無い。 説明は色々可能であろう。 ともあれ、意識は美を超えたところに存せねばならぬ。
460 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 21:49:11 0
>>454 >>455 一発屋は少なくないが、最高位は五年以上、トップの集客力をみせつけてきた。
ゲッツとか小島などの十把一絡げの一発屋と一緒にするのは、お門ちがい。w
数学こそが芸術だというのは科学的にちと微妙だわ 人間の脳の言語を司る部分と感覚を司る部分は別なんだと 西洋の庭園のように均整のとれた理路整然としたものに美を感じる文化もあれば 日本の和器のように、あえて均整を崩すところに美を見いだす文化もある 知り合いの芸術家は芋虫に這わせた線を「筆のタッチでは表現できない、ハァハァ」って高額の金を出して買いやがった 美学は数学と関連が深かろうが 非理に芸術を見いだすセンスを否定したくはないな
462 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 22:00:10 0
463 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 22:15:23 0
アポロン的、ディオニュソス的。 ニーチェは…
一発屋が芸能界から干されるみたいな自浄機能がここには無いからな。 最高位のギャグは2つしかないのに。老害だよ。
465 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 22:49:45 0
>>464 いや、あるよ。つまらないスレはすぐに過疎化する。
うそと思うのなら、君がスレを立ててみるといい。
466 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 23:03:25 0
この哲板でも大半のスレが1000に達せず、中退を余儀なくされている。 機械とか最高位のそれは奇跡的ともいえる。w
467 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 23:13:02 0
「中の下」程度のスレが一番にぎわう。これは大昔からのことだ。
468 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/05(土) 23:59:41 0
>>463 にちぇは、新しいタイプですね。
ちなみに俺は、どうやら洞窟にこもったあのタイプらしいです。
はぁ。
469 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 23:59:44 0
470 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/06(日) 00:01:33 0
>>467 上の上でレスしても誰も理解できないw。
471 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 00:01:47 0
ソクラテスは言った。 悟ってから述べなさい。 こっちからあっちは想像できないよ。 あっちからこっちはただ記述すればよい。 だから知ればよい。
ソクラテスがいつそんなことを言った? ソースきぼんぬ
461の脳の話だけど、言語の話がいきなり出たけど 数学などのような理路整然としたもの一般を含めて 言葉を司る部位が使用されているということね 芸術はえてして別 芸術についてうんちくを垂れ流されたのを聞いても感動せーへんでしょ そういうこと
474 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/06(日) 01:08:32 0
♪ソ、ソ、ソクラテスかプラトンかー、ニ、ニ、ニーチェかサルトルかー、みんな悩んで大きくなった。(笑) げぇーーーーーっじゅつは、やっぱ見ないことには始まらないよね。 最近感動したゲーーージュツってなに?。
俺は芸術を感じるセンスはないが ちょっと前のジョージ・ウィンストンの来日公演 国立西洋美術館の絵画展 それと、youtubeで見たストレンジカメレオンて曲のライブ映像
476 :
宣教師 ◆XMP6DJq74g :2008/07/06(日) 02:44:32 0
>>475 >ちょっと前のジョージ・ウィンストンの来日公演
ピアニストのジョージ・ウィンストンならあなたは祝福されている。
いいねえ。神に愛されている人々は。
奴の場合は演奏よりも曲の勝利だと思うけどね まぁ、大ファンだが
478 :
芸術家 :2008/07/06(日) 09:40:13 0
芸術にはセンスや才能はいらんのだ。 要は、どんだけ感動を表現できるかにかかっている。 感動の仕方が特殊であればあるほど、大衆は驚愕する。 表現は伝える術だから、感動と表現力の結果が芸術作品だが、 だれでもやってる。 大抵の大衆は、神や自然に感動するものだ。
479 :
哲学者 :2008/07/06(日) 09:42:45 0
哲学畑の私は、神の顕れを哲学的記述にする詩人である。 同僚の哲学野郎は、詩人を見下すが、同類だと教えてやりてぇ〜ところだな。
480 :
数学者 :2008/07/06(日) 09:45:36 0
数学など本当はないのだ。 数学というルールがあるだけなんだ。 数学表現のメリットは、答えに至る道筋を、言語表現・詩的方便・視覚聴覚表現よりも 確実に一つの答えに誤解なく到達させることができるんだ。 だから、私は感動を数式に表す詩人であるのだが、他人は私を数学者とたわけた事を言う。
481 :
歴史家 :2008/07/06(日) 09:46:52 0
歴史を経験すればわかろう! 過去と未来が本当にあったのだろうか? 歴史家ならこの意味を痛感するであろう。
482 :
書道家 :2008/07/06(日) 09:48:14 0
私は文字を書いているのではない。 上手に書いているのではない。 書という描写である。 学問となんら変わらない。
483 :
言語学者 :2008/07/06(日) 09:52:54 0
言語も一つの表現であり、私は言語を用いて感動を表すが、 実際の所、言語とは伝達手段全般を指すことはお解りいただけると思う。 ようは人間のもつ共通の認識パターンや記号や波長をつかって 感動を共有する行為なのであり、完全な意志疎通が可能である 俗に言うテレパシーに人類が目覚めたならば、全ては崩壊し、新たなステージに向かうのだ。 それまでは分裂は収まらないのであり、少しづつ繰り上がってゆくので、それで よいのである。
484 :
道教 :2008/07/06(日) 09:55:10 0
今どこに在り、どこから表現するのかを知れば、 道が指し示す私の位置を知ることはできるが、 知った事でそれは過去であるから、知り続ける事だ。
485 :
八百屋 :2008/07/06(日) 10:00:44 0
おいしいんだよ。きもちいいんだよ。 それがわからなきゃ、なにもできんよ。まあ、食いな! 雷は電気だって?、電気なんて名前ができる前から雷はあるんだよ。 人間なんてどこにいるんだい?私と鈴木さんとか佐藤さんとか知り合いだけなんだよ。 縁ちゅうもんはね。テレビとかそういうものとは全然違うんよ。
486 :
漫画家 :2008/07/06(日) 11:03:40 0
絵は、省略と記号化が基本だ。 既に共有されている記号(及び記号的表現)により、 それと繋がっている或いはリンクしている事象や心情を喚起させる。 描かないことによって、そこに(それが形態であろうが心情であろうが)何事かを描く。 基本的な手法だよ。
487 :
少女漫画家 :2008/07/06(日) 11:04:17 0
見えないものをどう描くか。特に心情、心の動きをどう表わすか。 具体的事物でもいい。抽象的・デザイン的画面処理でもいい。両者の合わせ技でもいい。 いずれにしろ、そこに何かを描くことで、強調して描写して、 登場人物の心模様を読者に突きつける。 基本的な手法だよ。
488 :
別の漫画家 :2008/07/06(日) 11:05:01 0
見えないものをどう描くか。特に心情、心の動きをどう表わすか。 全く別の事象(画面)を描くことで、 直接的提示ではなくじわじわと染み入る伝達として表すこともできる。 ほんの少しリンクする部分があればいい。 前後の文脈(画脈)との繋がりが見事にキマれば、そこには、 直接的な言葉や描写以上の伝達力が生じる。 かなりのセンスが必要だけどなw
489 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 11:05:42 0
>>467 >>470 ここに名前がでてくる、ソクラテス(プラトン)、デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェ…
好きずきはべつとして、みな上級wだと思うが、哲学業界ではにぎわっている。中の下は、
すぐ忘れさられる。
それと2chを同列にできないと思うかもしれない。が、面白いものは残り、くだらぬスレは
あっという間に廃れる。ウソと思うのなら、立ち往生しているスレを覗いてみるとよい。
上級すぎて閑古鳥が鳴いているのではなく、クソゆえにそうなったことが即解できるだろう。
こういうご時世では(いや、どういうご時世でも)何であれ、継続だけが力なのである。
その意味で、このスレを贔屓にする各々がたは「上級スレに参加している誇り」を持って
よろしかろう。WWww
490 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 11:10:21 0
レスも同じ。クソ書込みにはレスはつかない。 もっとも、ミソよりもクソが好き、という奇人もいなくはないが。
491 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 11:20:13 0
ここは水戸黄門 「我思う故に我あり」 偉大なるワンパターン 確固たる我を信じられたあの頃 「心がひとすじに打ち込めるあんな時代はもう来ないものか?」 ランボー
492 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 11:21:29 0
うれし恥ずかし「我思う故に我あり」
493 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 12:04:18 0
名言集その1 「我あり故に我思う だろ 常識的に」 あと続けろ おまいら
494 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 12:14:16 0
「私は 思うという行動をとる」 迷言w
495 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 12:18:14 0
[思う、故に、“思っている”あり]
496 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 12:28:38 0
私の正体を、物理的要素で解明してみせて下さい(最高位)
497 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 12:47:22 0
印籠の威力を物理的要素で解明してみせて下さい(黄門)
498 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 14:09:58 0
『私』が存在するから、『私』の「観念」が活動できるのです(最高位)
499 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 14:13:20 0
『私』が存在するから、『私』の「観念」が活動できるのです 『私』の「観念」が物理世界から任意に人体を切り取るのです
500 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 14:15:30 0
それは観念です。観念しろ。(平次)
501 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 14:18:31 0
ホムンクルスが活動してるんですよ きっと ポエムの世界では ね
自作自演スレ
503 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 14:38:22 0
この時間帯の書き込みはおそらく4人くらい
504 :
67 :2008/07/06(日) 14:59:25 0
>>458 朝僕が目覚めると、僕の意志とは関係なく、どこからともなく意識が現れ、
それとともに今日の僕が始まる。
だから僕が意識を「司っている」という感じはしないですね。
「意識を司っているものは何か?」に「意識」と答えるのがだめだとすれば、
生命の力、とか、宗教的に言えば神とかになってしまうのではないのかな…
(存在そのものが、分節・意味づけする働きだとすれば、そして分節・意味づけ
する働きが「意識」だとすれば、「意識」は存在そのものなのかもしれない)
あなたは「司る」「担う」の2通りの言い方をしているけど、
この2つはニュアンスがだいぶ違いますね。
「担う」が「引き受ける」という意味で、
「どこからともなく現れた意識を、僕に現れた意識として僕は担っている」
なら、僕はあまり違和感ありません。
505 :
67 :2008/07/06(日) 15:00:13 0
「意識しているのは『私』だ」と言うことのおかしさは、それを言うと同時に 「意識しているのは『私』だ」への意識、つまり、「意識しているのは『私』だ」 ということを意識している意識が現れているはずだということです。 そういう意識が働いていなければ「意識しているのは『私』だ」とは言えない。 その意識をまた『私』と呼ぶとすれば、「《意識しているのは『私』だ》 を意識しているのが『私』だ」となり、最初の『私』は、二番目に出てきた 本当の『私』ではなかったということになってしまう。 このような《それを意識しているのは『私』だ》は無限に続くので、 どこまでいっても本当の『私』には行き着かないことになります。 これは、対象化できないはずのものを『私』として対象化してしまって いるからだと思います。 結局どこまで行っても行き着かない《本当の『私』》なんてあるのだろうか、 ということになってしまいます。 上で『私』という語によって表そうとしている対象化できないものを ハイデガーや西田幾多郎は、「場所」と考えます。 西田幾多郎は(たぶん)対象化できないことを強調するために、 それを「絶対無の場所」としています。 それは対象化され得る何か(something)ではない、という意味で 無(nothing)ということなのだと思います。
私なんて脳の自意識に過ぎない。 この脳がこの脳を意識している。 それが私。 この脳と思っているのは誰か?この脳だ。 その証拠に、脳の中を探してみても私など、どこにも見つからない。 私は存在しない。 この脳がこの脳をこの脳だと思っている。
507 :
学生 :2008/07/06(日) 23:13:50 0
私が私を対象化できるわけがないでしょう。 どこまでいっても私だよ。疑い続けても私が疑っているだけです。 存在する事を信仰と呼ぼうともそれをするのも私。 他を発見するのも私。 なにをするにも、なにを思うのも私。 但し私を対象化させることはできる。 考え思う事は対象化できる。 それは今、考え思っている事を説明する事で結果的に実現する。
508 :
学生 :2008/07/06(日) 23:15:35 0
私は行為する者。それを観察するのは、私ではない。 それは視点である。
509 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 23:29:06 0
私はひとりの他者である
510 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 23:34:02 0
そもそも 「我」が あるかないかが問題になってるときに 「我思う」などと 書いてしまうあたりが すでに どうしようもなくバカなんだよデカルト ↑他のスレで見つけた
511 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/06(日) 23:53:12 0
>>510 ああw。
「我思う、故に我あり」って文言には、
他スレでもご教授頂いた俺であるが、
結局かなり共感不能な文言だ。
512 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 00:00:41 0
てかデカルトはラテン語苦手だったん? ラテン語 Cgit, erg sum. (思う 、故に 在り) フランス語 Je pense, donc je suis. (我思う 、 故に 我在り)
>>460 マジ?w
お前ら5年もこんなことやってんの?w
小5が高校生になっちまうじゃないかwwwwww
514 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 00:59:56 0
我と神って同じものであるが、 それを同列で話題にしないのが不思議だ。
515 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 01:01:48 0
5年、それも365日毎日欠かさず。 正真正銘の異常者。
516 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 01:04:46 0
衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生のほかに仏なし
517 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 10:18:21 0
>>516 ちょっと質問。
この4行は、どなたが語っているのですか。どなたの認識ですか。
518 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 13:28:40 0
仏という言葉ですから、ブッタの認識です。 だれでも本来仏であるのであって、 その境地なり認識なり視点から離れているだけである。 ブッダも仏も一人称。一つの境地を表しているだけの事です。 人格を持った何者かではないです。
>>512 ラテン語を知らないのはおまえのほうだw
520 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 13:55:32 0
521 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 14:06:01 0
522 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 14:07:45 0
>>520 仏に決まってるでしょう。自己責任。自業自得。
責任転換は、通用しません。
523 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 14:14:46 0
525 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 14:24:16 0
>>522 結局、自分の認識を神か仏の教えとして「無責任の主体」となる。
526 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 14:25:48 0
>>523 多くの人の場合そうかも。我々がどうして仏なの?
>>526 本覚思想、如来蔵思想、
仏種(仏種子)、仏性、
根本識、etc.etc.
528 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 14:32:42 0
>>525 「無責任の主体」などと、何を無責任な事を言っているんですか。
でっち上げで理解するにもほどがあります。
>>526 仏になれば解るのだから、その認識にかすりもしない人には
理解しえないんだから、理解する事はあきらめましょう!
529 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 14:36:18 0
>>528 あなたはなにを言ってるんですか?
仏にはなれません
530 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 14:37:49 0
>>527 ユダヤ教キリスト教では原罪を背負ってるとかいいます。
531 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 14:39:30 0
>>529 ばかばかしい事をおっしゃって。
仏に向かって仏になれませんだって?
532 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 14:40:18 0
533 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 14:50:42 0
>>532 無駄な質問です。
あなたが思いたいようにしか思えないから私が何を言っても無駄でしょう。
534 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 15:25:06 0
535 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 15:31:43 0
536 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 15:37:30 0
>>535 そりゃそうでしょう。仏はどこにでもいるんですから。
537 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 15:38:48 0
>>534 あなたがた、同類でしょう。相性がよろしいようで結構じゃないですか。
538 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 15:44:46 0
539 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 16:17:27 0
>>538 そのネコは猫じゃらしで喜んでいる事でしょう。
540 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 16:31:08 0
541 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 16:44:52 0
>>540 はぁ?
なにを言うんですか?ネコじゃあるまいし。
猫じゃらしで喜んでいるネコの話しでをしているんですヨ。
>>541 あなたがた、同類でしょう。相性がよろしいようで結構じゃないですか。
543 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 17:08:56 0
>>542 同類?ネコはキーボードを打てやしないよ。
ネコと遊ぶには、猫じゃらしなどで動かしてやると喜ぶんです。
同じ動物だからもちろん相性はいいです。
私はネコと相性抜群なんです。
だからネコの気持ちも分かるんです。凄いでしょ。
ネコはとても喜びます。ちょいちょいと突っついたりするんです。
コツを知りたいならいつでも言ってください。教えてあげます。
544 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 17:34:11 0
545 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 17:41:25 0
>>544 はい、ネコに対しては、ネコであることを
徹底的に解るようにネコに教えてあげればいいのです。
546 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 17:41:59 0
ちょっとなついた野良猫と遊ぶのに猫じゃらしというかネズミみたいなのがついたの ダメでした。蔓で遊ぶとしつこく追っかけてくるんですけどね。
547 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 17:43:49 0
548 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 17:49:45 0
>>546 もう少し稽古が必要ですね。
>>547 その教え方は手なずけ方が下手って事です。
稽古が必要でしょう。
重要な事はネコの都合に合わせる事です。
ネコはネコですから人間扱いしてはいけません。
549 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 17:51:19 0
550 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 17:53:20 0
551 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 17:57:00 0
552 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 17:58:17 0
>>550 ネコ同様、稽古はいりません。今のままで十分です。
553 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 18:00:24 0
554 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 18:02:09 0
555 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 18:04:33 0
このてのやりとりで終わりまでいきますか。おれはいいけど。
556 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 18:13:50 0
おまいら まんまと じゃらされおって くっくっくっ
557 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 18:20:23 0
ここにいついているネコはヒトじゃらしが結構うまいね。
558 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 19:19:44 0
知能が高いゾンビが相手だと こうもうまくはいかん やつら緻密な計算しよる くっくっくっ
559 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:02:34 0
560 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/07(月) 20:06:40 0
しあわせのかたちでジジイがHP1で棺おけ踏み台にして毒沼を 這いずり回っててなかなか死ななくて「ジジイ死ね」って言うのがあったな どっかの誰かさんいわく悪と戦うのは老人ホームでボランティアするようなものなんだってさ なんでジジイの尻拭いしなきゃいけないんだろうねぇ・・・
561 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:08:43 0
>>553 ネコが自由かどうか知らないネコに教えて差し上げました。
>>554 ネコの教授方法をネコに伝えたました。
決して、あなたの事ではありません。
ヒトのもつ自意識過剰にならぬよう。
>>556 >>557 >>558 いいえ、全てネコではないでしょうか?
ヒトがどこかにいますか。
562 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:13:52 0
「私」の存在性をまともに歌えるネコがなかなかいませんね。
563 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:15:46 0
>>561 自意識過剰はあなたのように見えますが。
564 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:19:59 0
>>563 私はネコ使いですよ。ネコに何が解るというのですか。
ネコの分際を知ってください。
565 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:21:27 0
566 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/07(月) 20:22:53 0
ミザルイワザルキカザル ぱにくってるとこに猫神様が来て眠り猫です 涅槃です
567 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:24:05 0
>>565 その想像は、ヒトがそれ自身の妄想から発する鳴き声です。
まるでネコがヒト真似をした宣言です。
568 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:26:54 0
569 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/07(月) 20:31:00 0
猫使いですが羊飼いの神様には敵いませんよ キリスト様様です
570 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:32:59 0
>>569 猫使いの分際で神様に適うわけないでしょう。
猫使いと神様は友だちですって、
猫使いに言ってやってください。
571 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:35:26 0
570の負け しつこい
572 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:37:57 0
>>571 負が真ですよ。ネコ達がもっとも嫌うものの一つです。
573 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:39:38 0
572 やっぱり負け ほんとは負けず嫌い
574 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/07(月) 20:40:33 0
負けるが勝ちです まぁ、でも、お疲れ様でしたの一言で全て片がつきますが
575 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:46:47 0
>>573 負が嫌いだからネコ使いに使われるんです。
負を手なずけヒトになりましょう。
>>574 それはネコのたわごとでしょう。
ヒトはそんな事では疲れません。
576 :
573 :2008/07/07(月) 20:50:47 0
577 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:52:56 0
負けたくないというのは、相手の肉体を自分の肉体と同じように動かしたい、 という事ではないでしょうか。 自分の考えた通りに動かない物体を自分の考えた理屈通りに動かしたい、 という欲望が強まると自我が強まります。 自我が強まると自由を失ってしまいます。 そういう時にデカルトは自分の自由に動かせる物、つまり自分の肉体だけを動かす事に立ち戻る事によって 失った自由を再獲得しました。
579 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:55:00 0
580 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 21:06:22 0
>>578 その通り。このような基本をしらぬネコ以下の存在に
ネコであると最上の敬意を払っているのだ。
581 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/07(月) 21:07:32 0
負けましたついていきますから餌をくださいねwwwにゃーーwww
582 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 21:20:17 0
>>581 はぁ〜?負けを認めるなら、勝ちでしょう。
物乞いというネコの習性丸出し!
>>578 というネコにとっての神発言をよく読もう。
583 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/07(月) 21:24:25 0
だから餌頂戴ねwww
584 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 21:27:45 0
>>583 よろしい、ネコはネコらしくすればいいのです。
585 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/07(月) 21:31:45 0
にゃーにゃーwww^^
586 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/07(月) 21:51:55 0
587 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 21:52:15 0
ニャー ニャー ニャー ニャーニャー ニャー ニャー ニャー ニャーニャー ニャー ニャー ニャーニャー ニャーニャー ニャー ニャー ニャー ニャーニャー ニャー ニャーニャー ∧,,∧ ∧,,∧ ∧,,▲ ニャー ニャー (,,・∀・) ミ,,・∀・ミ (;;・∀・) 〜(_u,uノ @ミ_u,,uミ @(;;;;uuノ
588 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 22:30:28 0
ねこま にも cogito ある よ たぶん
589 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/07(月) 22:41:55 0
我思う故に我あり こぎたねえっす です
590 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 22:53:59 0
小汚人 襟裳 棲む
西洋の存在論はく分からないが、 Cogito ergo sumのsumや存在のbe動詞、am、is、areなどが、 なんで1人称2人3人称単数複数で違ってくるか、 そこからして分からない。
存在のbe動詞の変化を基本にした共同幻想。 その共同幻想の存在論が、日本語を使って生きてる身としてシックリ来ない。
593 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 23:47:38 0
やっぱりイヌの時代は終わり、ネコの時代だよね。これだけ話題になるのだから。 たしか最高位はイヌ好きで、機械さんはネコの味方だったと思う。 ちなみにネコの味方は最高位の味方です。ww 紗南はイヌ派です。これは、ちょっと問題ですね。
594 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 00:00:27 0
西洋、奴らの共同体などは小さすぎる。 西洋、奴らは中身が空っぽだから外から栄養を取り込む。 もともと西洋に存在などなかった。人生すら無かった。 無かったものをオリエントから取り込み、 西洋文化ができて逆輸入で我々がそれを解釈しているだけ。 実はオリエントから文化は始まり、西洋に伝わり 西洋は攻撃的だから自分中心に世界観をつくって 東洋に逆輸入しただけ。何が東洋だ? 奴らは東洋などとはおもってはいない。 東洋から学んだ事も忘れている。 創造や勘を妄想や想像にすり替え、それをバカにし、 知恵を探求・工夫ではなく、疑いにすり替え、 慈悲を一面的な愛にすり替え、 正負、勝負の片方だけを選り好みする。
595 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 00:01:26 0
西洋では、盛んに、カリスマをでっち上げ、ある種の権力構造を作り、 それを拝む文化を創り、未だに、メディアでは「私」は罪を背負っていると伝導し、 アイドル作りに没頭する。美すらも右へ習えと媚びへつらう。 ばかげきった世界観を攻撃的にオリエントのいいとこ取りを伝導した。 アホな東洋人は新しい文化だ!などと丸ごと信じている始末。 我を見失わず、いいとこ取りの一部の日本人はまだしも、大抵のドアホは 彼らの行いを正しいと妄信し、我を忘れた。我といえば、西洋かぶれの ボンボンは、自我とすり替え、ばかげた分析をする。 忘れた奴は思い出せといってももう遅い。
596 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 00:05:23 0
存在に関して西洋は完全に遅れている。 遅れている者達からでてきた学問を まともな東洋人が理解できうるはずがない。 なぜ、理解できないか?簡単な事だ。 大したことないからなのだ。 大したことないのに、大したことを考えて導き出した結論であると 解釈してやる所に、オリエント人の末裔の愚かさがある。 アホの考えはアホのまま理解すればいいのである。 1+1=2だ。こういう取り決めばかりを作って周りを固めるのが 西洋人のやり方だ。奴らは、1+1=2であることを探求などしない。 オリエントの末裔は、西洋人のこのバカさかげんを理解すべきである。
597 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 00:12:44 0
みたまえ、あのアングロサクソン系の中身空っぽの表情を。 自分内部の世界観などありゃしない。 外向的・内向的だとか西洋人の誰かが言ったとして、 彼らには、外向しかない。内向しているようで外向だし、 外向しているようで、内向している。ようするに、 どちらか一方しか考えが及ばない。 彼らにこんな言葉があるかね? 慎重・勘・精神統一・気・吟味そのた我々が日常的に使う精神的言葉の数々。 彼らは、祈り。それもその振り。そんだけ。バカですねぇ〜。
598 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 00:15:13 0
>>594 >>595 >>596 結局、バカなのは西洋ですか東洋ですか。アホ、バカを連発しているわりには、
それすらわかりにくい長文ですね。要は、どちらもバカでいいですか。
599 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 00:20:08 0
>>598 結論を他求めるアホ文化の信仰者特有の特徴を表されている
人格形成から生み出された発言ですね。
自分で考えて答えを出せばいいだけの事でしょう。
アホ文化信仰もほどほどにしないと我を失うよ。
600 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 00:26:48 0
>>599 長いわりに、くだらない書込みだという結論を、東洋の流儀に法って、
婉曲な言い回しをしてあげたんだよ。君は東洋には疎いようだね。w
もしかすれば外国人ですか?
601 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 00:33:37 0
>>600 ああ、見下しですか。
アホ達がよくすることです。
ネコに昇格してあげましょう。
602 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 00:47:05 0
>>600 ネコ君、訳してあげた。
我(ネコ)に帰りなさい。
>長いわりに、くだらない書込みだという結論を、東洋の流儀に法って、
>婉曲な言い回しをしてあげたんだよ。君は東洋には疎いようだね。w
>もしかすれば外国人ですか?
ほらほら、ネコがまた化けたよ。
_________________________________
長いわりに、くだらない書込みだという結論を、私の流儀にのっとって、
婉曲な言い回しをしてあげたんだよ。君は私の流儀に疎いようだね。w
もしかすれば他人ですか?
_________________________________
当たり前だろ!アホ。
603 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 01:08:31 0
まったくネコちゃん達は、化けるね。 なんで化けるのか知らないヒトもいるだろうから教えよう。 見下して居るんです。自分自身を。 理想の自分などという馬鹿げきった偶像を拝んでいるんでしょう。 拝むからそれが私自身だと勘違いする。その私を起点に思考したところで、 偶像の結論です。これがバーチャル共同体の実体です。 で、私は偶像に向かってバカだのアホだの死人だの、ネコだの言っている。 偶像崇拝者は、私自身に向かって見下すは、支配を試みるは、ありとあらゆる 方法で偶像を守る。私が誰かも知らないのにね。バカですねぇ〜。
604 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 08:29:07 0
無意味な独り言がつづきますね。 真夜中にごくろうさんなことです。 いゆわゆるクソ書込みというやつですね。
605 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 09:22:55 0
>>604 >無意味な独り言がつづきますね。
>真夜中にごくろうさんなことです。
>いゆわゆるクソ書込みというやつですね。
主語が抜けていたので訂正します。
_________________________________
私にとって、無意味な独り言がつづきますね。
真夜中にごくろうさんなことです。
私の書き込自体も、クソ書込みというやつですね。
_________________________________
真夜中にごくろうさんなことです。よく頑張ったね。
ネコのすることなどは、この程度です。
606 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 09:32:30 0
>>605 どちらもクソのようだ。それなら、短いほうがマシ。長々としたクソは勘弁してくれ。
607 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 09:48:25 0
>>606 こんどはクソ野郎の登場ですか。
クソは確かに短い方がいい。
ケツが痛くなるね。
608 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 10:00:40 0
>>607 オレじしんは長々としたのを大量に排泄したときのほうが心地よい。
痔のけはいがまったくないので。
しかし、クソレスについてはそうはいかないワナ。
609 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 10:11:49 0
>>608 クソ野郎は大量に排泄したときのほうが心地よい。らしく、
クソ野郎自身は、痔のけがまったくない。
なのにクソ野郎は、クソに文句を言う。
はぁ〜?クソなど、その程度なのです。
610 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 10:18:59 0
そこで、一言。(ほとんどのレスがクソであるのを前提に) 「レスは短いのをもって良しとする」 これを暫定的“真理”かつルールとします。
611 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 10:26:24 0
宇宙、世界、人間、西洋/東洋、日本…といった大風呂敷を広げるレスに概して○○が多いようだ。
612 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 10:32:54 0
>>610 しかし、短かすぎるのも。
長くて八行くらいをメドにしてくれるといいな。
613 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 10:35:31 0
>>610 ほとんどのレスがクソであるのを前提に、と言ったはなから、
> 「レスは短いのをもって良しとする」 これを暫定的“真理”かつルールとします。
クソ野郎はまったく懲りずにこんな事をいうんですねぇ〜。
614 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 10:47:55 0
615 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 10:52:27 0
>>614 クソは長きをもって良しとし、クソレスは短きをもって…
と説明してあげないと、クソアタマには理解できないよ。ww
616 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 10:56:20 0
617 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 11:00:03 0
無我なるためにトイレあり
618 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 11:14:16 0
クソレス・ネコ・ルール云々、沢山の他人ごとをでっち上げて、 自分の気持ちを消化する機械が沢山動いていますね。
619 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 11:15:00 0
三行半あれば大方のことは片付く。
620 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 11:22:43 0
ネコやアホや馬鹿や疎外者や否定者どもに、負の信仰について教えてあげよう。 お前達は負の信仰をしている。だから負に敏感だ。 まともに物事をみることがまるでできない。
621 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 11:32:19 0
>>619 お前の命は、あと2行半。大事につかえ。
622 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 11:37:11 0
>>620 3行だが説得力に欠ける 頑張れ 負けるな
623 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 13:59:53 0
>>622 きてます。きてます。居ましたよ居ました。・・・・。説得さたい、奴隷発見!
知るも知らぬも他人次第、このように、負の信仰者は、他人の言いなりなのです。
しかも、もっともっと言いなりにさせて!と絶叫せしめるのです。
奴隷って無様ですねぇ〜。
624 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 14:09:24 0
>>623 しゃれのわからん人なんだね。ほんとのバカなんだね(笑
625 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 14:11:22 0
626 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 14:13:45 0
627 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 14:15:54 0
628 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 14:18:32 0
629 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 14:38:07 0
>>626 >>628 正しく洗脳されたようでなによりです。
但しいまだ、反射反応的奴隷の呪縛から解放されないようですね。
追々、治療し差し上げましょう。大丈夫です。痛くありませんから。
630 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 14:44:48 0
631 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 15:00:16 0
>>630 そうですね。奴隷には痛みなどの刺激が必要ですね。
みずから刺激を作り出せない奴隷の気持ちをすっかり無視して済みません。
さて、奴隷諸君次ぎのテーマは何にしましょう?
632 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 15:02:06 0
はいはい。さようなら。阿Qさま。
633 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 15:17:58 0
ネコ・クソ・奴隷・談義はもうよろしいですか。 では、ぼちぼち本筋にかえりましょう。 (本筋ってなんや。そんなもんあるんかい、と関西人に突っ込まれました)
634 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 15:29:34 0
>>632 すっかり呆れた。それでいいのである。
私が誰であったか種証をしよう!
私は、この者が対象化した他者である「無駄」だ。
無駄に対して当たる努力をしないと無駄は悟れないのである。
しかし繰り返し無駄をするであろう。
その無駄とは何か?支配なのである。
自分自身を支配することも他人を支配することも無駄に終わるのである。
そして最後に疲れてこう言う。
>はいはい。さようなら。阿Qさま。
それでいいのである。
奴隷は、支配したいくなる時もあるのであろう。
その気持ちを十分吐き出せば、収束する。
この時、バカだのアホだのと言われても、なんとも反応しないのである。
成し遂げられた。
635 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 15:32:41 0
スレ潰したいのか?w だったら削除依頼してこい。
637 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 15:56:07 0
>>636 だれにしゃべっとるんじゃ?はっきりせんかい。
638 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 15:59:17 0
>>635 よくご存じで。奴隷とは本当にバカなんです。
>>636 奴隷の分際で、何様のつもりでしょう。
私はあなたの奴隷ではありません。
>>637 あれ?一人しかいないんじゃなかったの?
こりゃ失礼致しましたw
ここ100レスくらいのあなた方ですよ(´∀`)b
640 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 16:03:48 0
641 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 16:07:39 0
642 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 16:10:02 0
>>640 彼は一生懸命に書き込んだものがクソ扱いされ、頭に血がのぼっています。
テキトーにお相手してください。無視すると、これまた狂いますので、ご用心。
643 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 16:14:03 0
644 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 16:21:01 0
>>643 天地神明に誓ってw自作自演ではありません。ようやく一段落したので、
先ほどから書き込み始めたばかりです。
とりあえず、あちらで第二君に質問をぶつけました。彼も君と似て、バカ
呼ばわりが好きなので…。w
第二は生き残ってんのかwww 意外にタフだったんだなw
やーい、やーい、自作自演
647 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 17:11:47 0
バカにつき合ったバカが一番バカを思い知り、あげくの果てに、奴隷呼ばわりどころか、奴隷になった。 自作自演の烙印まで押され。ここにはやはり奴隷しかいないことが証明されました。
648 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 17:40:36 0
「私」=奴隷ならば、じゃあなんの奴隷なんだい?
ふと気がつくと、私は既に世界に投げ出されており、 呪われた奴隷として存在していた。 私とは全世界の獲得を意志する、無一文の裸の奴隷である。
650 :
素人 :2008/07/08(火) 18:02:06 0
>>649 初めて、
この流れに乗った上での味わい深いレスを見た・・・w
美しい文だな。
651 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 18:15:17 0
無一文よりも無一物のほうがスレ主は頬を弛めるだろう。w
>>650 ○○まみれだったので、たいていのレスが美しくみえる。w
>>651 知識を蓄えて整理すれば、小難しいことは語れるようになるが、
詩的に、或いは文学的に、なんつーか、こう、
じわ〜っと来るような表現って、難しいんだよなぁw
その意味で、昔の(太古の)哲学者や宗教者はいいセンスしとる。
現代人の残した言葉で、それらのように継承されてゆくものってあるんだろうか・・・。
653 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 18:56:22 0
>>651 ほめられたのが自分じゃなかったのでご機嫌ななめ
654 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 19:06:52 O
652 それは個人的資質が大きいだろう
自作自演とは「私」の自作自演だよ。 これが現代哲学の最先端。
656 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 20:15:30 0
どこが?
657 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 20:18:57 0
658 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 21:14:48 0
>>652 >現代人の残した言葉で、それらのように継承されてゆくものって
>あるんだろうか・・・。
いくらでもありますよ。ただ、表に現れてこないだけです。
昔と何ら劣らずセンスのよい表現は沢山存在するでしょう。
ただ、有名人になるような人の口からそのような発言は少ないでしょう。
今の有名人は金が絡んでいますからね。
659 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 21:18:53 0
660 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 21:25:48 0
>>659 じゃ、すばらしい表現を紹介してください。
あなたがいちばんくだらない。
661 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/08(火) 21:28:33 0
うんち、ブリブリッ。
662 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 21:46:35 0
>>660 >あなたがいちばんくだらない。
それが解るのなら、とても素晴らしい表現をご存じなのですから、
ご自身の考えなり哲学を記述するべきでは?
このスレは「私」を記述してください「私の存在性」これを
哲学する所です。
663 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 21:51:57 0
>>662 つまらないいつもの方便ですね
我思うゆえに無我の境地
664 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 21:54:09 0
>>663 つまらないいつもの方便と豪語する
あなたの、
>我思うゆえに無我の境地
とはいったいどんな境地ですか?
このスレは「私」を記述してください「私の存在性」これを
哲学する所です。
665 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 21:57:58 0
666 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 22:01:00 0
>>665 >我思うゆえに無我の境地
は、言ってみたっていうところですね。
私にとって私とは、「行為者」を指します。
そして、行為者以外の存在性の確認方法はありません。
だから全て私ということもできます。
667 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 22:02:05 0
私の存在性は空かもしれません。 それが「我思う故に無我の境地」です。
668 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 22:04:43 0
>>666 また無性格な「私」ですか?誰に向かって言ってんですか?
669 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 22:04:52 0
>>667 >私の存在性は空かもしれません。
>それが「我思う故に無我の境地」です。
そうですか、では、
>>667 の発言は誰の発言ですか?
670 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 22:06:28 0
>>668 向かって?
それは違います。私は行為者です。発言しただけです。
671 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 22:06:50 0
あなたにお答えするための私です。
672 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 22:10:27 0
>>671 >私の存在性は空かもしれません。
>それが「我思う故に無我の境地」です。
という事ですね。で、この発言は、
>あなたにお答えするための私です。
とおっしゃる。
という事は、私のためにあなたは存在しているのですね。
673 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 22:11:19 0
全て「私」なら誰にむかっての私かと聞いてるんです。 お分かりになりませんか? 連投やめませんか?疲れますし正直あなたに魅力を感じません。
674 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 22:13:11 0
>>672 まさか。社会的な私がいるということです。
それでは失礼します。ごめんなさい。
675 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/09(水) 03:17:27 0
我思う故に我あり が簡単に否定できるとか 自分の存在を疑える と真剣に思っている人は まず、自分の頭を疑った方が早い 疑ってるのが誰なのか すら、わからないんだからね
676 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 03:22:54 0
自分の存在を疑ってる人なんてほとんど居ないだろ。
677 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 03:28:16 0
デカルトの試みはまず、究極の「疑い」を提出することにあった。 それがうまくいったかどうかは疑問である。
678 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 03:30:36 0
>>675 バカだね。
疑っているのは誰かというと、疑っているのは疑っている者だ。
お前みたいなバカは死んだ方がいいよ。
679 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 03:53:54 0
最高位という奴は完全にサイコパスだろうな。 神戸で奇妙な事件を起こした酒鬼薔薇聖斗というサイコパスがいる。 彼が神戸新聞に送りつけた犯行声明は最高位の文章そっくりだった。 「ボクは透明な存在」「世界でただ一人の透明な存在」 「ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている」 と意味不明の事を書いている。 これらは、最高位の「私は純粋な存在」「私は唯一絶対唯我独尊」 「私は物質的な肉体に根拠はない」と言う狂った思想と全く同じだ。 サイコ最高位から2ちゃんというガス抜きを取り上げたら何するか分からないので、 ここにずっと隔離しておいてもらいたい。
680 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/09(水) 05:05:08 0
あいかわらずの低能ぶりを発揮しているね
682 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 06:21:40 0
>>673 私にとって私とは、「行為者」を指します。
そして、行為者以外の存在性の確認方法はありません。
だから全て私ということもできます。
このように規定してる。この考え方に沿って考えてみれば、
行為者である私は、ただ、行為をするだけである。
この結論に至る事になると思います。
誰に向かってか?と特定しえないです。
便宜上、あなたにと言った所で、それを証明できません。
よって私の論によると、私の及ぶ論内では、あなたの
存在は不明である。このような結論に至ります。
純粋な論を使った対話なのですが、これに同位しかねるというならば、
社会的な共同体内の普通の自我をつかった会話になりますから、
別にここでなくてもいいと思いますが…。
>>682 >私にとって私とは、「行為者」を指します。
>・・・
>このように規定してる。
>・・・
>純粋な論を使った対話なのですが・・・
なるほど。
自分でテキトーに規定するのが「純粋な論」なわけね・・・
684 :
天才君 :2008/07/09(水) 06:57:25 0
>>679 >「ボクは透明な存在」「世界でただ一人の透明な存在」
>「ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている」
>と意味不明の事を書いている。
これって、意味不明かな?
あなたは、そして意味不明な思想を狂っていると言わんばかりの
勢いであるが、思想は単に思想なんだよ。
思想と自我を一体化して解釈する思考が狂っているからである。
だから思考と体を切り離して考えてご覧よ。
685 :
天才君 :2008/07/09(水) 07:03:40 0
>>683 >自分でテキトーに規定するのが「純粋な論」なわけね・・・
適当かどうかの判断をすることは、あなたのテキトーな規定だとしても
自分で、規定するのが「私の論」というものです。
そして、出来上がった論は思想であり、思想は対象物として扱えるでしょう。
思想と人格(自我)を混同して思想の持ち主自体を思想であるとテキトーに
解釈するのは実にテキトーな思案行為といえます。
686 :
天才君 :2008/07/09(水) 07:12:56 0
>>675 >疑ってるのが誰なのか すら、わからないんだからね
わかるでしょう。どこまでさかのぼっても行為をする存在です。
行為のみが残ります。それを酒鬼薔薇聖斗は透明と言っているのでしょう。
呼び名は透明でも、示している事は透明であっても主体が在ります。
687 :
↑ :2008/07/09(水) 07:14:28 0
無責任でテキトーな者の開き直り
>適当かどうかの判断をすることは、あなたのテキトーな規定だとしても >自分で、規定するのが「私の論」というものです。 だからなんでそれが「純粋」なんだよw
目的から外れて厳格さのみを求めることこそ無責任極まりない行為なのだよ 厳格であるがために厳格であるなんてのはバカばかけたことこの上ない それなら肩の力を抜いてテキトーなぐらいがちょうどいい
690 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 07:29:24 0
最高位思想の出発点は、 人間と石ころを同列の物質として扱う思想が、 人間を石ころのように潰してしまえる危険思想に繋がるという事への反発だ。 しかし、最高位思想は「自分にとっての私」のみが確かなもので、 「他人にとっての私」が存在するのか「自分にとっての私」には 分からないという変なものである。 つまり、他者の存在が証明できない思想である。 また、最高位思想は、主体(私)は肉体に根拠が無いという思想 であるから、他人の肉体をポア(殺)しても主体は死なないという説も 論理的に導ける。 だから、最高位思想も危険思想であることには変わりない。 結局、思想とは原理主義的な解釈次第でいかようにも危険になるものなのである。
691 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 09:13:09 0
>>682 あなたは不明な人と対話してるわけですね。
まあ寝言ですね。
692 :
大天才君 :2008/07/09(水) 09:35:32 0
>>687 >無責任でテキトーな者の開き直り
この発言自体が発言者自身を語っていますね。
>>688 純粋をあなたと私で共有された定義にしないといけませんね。
私の論は私の論。あなたの論はあなたの論。
その二つを交えて話すなら、混合・混同というでしょう。
要するに純粋という一つの要素と別の要素を混同しないことを
純粋という事です。
>>689 そうしたければすればいいでしょう。
>>691 天才君が答えます。
>あなたは不明な人と対話してるわけですね。
>まあ寝言ですね。
まっとうな感想でしょう。私はあなたの理解を超えていますもの。
そう思われるのも無理はありません。あなたの発言に論理などありませんから。
このスレは自分のことを下僕という人がいるかと思えば自分のことを最高位絶対神天才君という人もいるw 自分を集団の中で位置づけたいんだろうけど極端だよな。
694 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 09:44:07 0
天才君も大天才君もハンネに恥じないように 直感をもっと持ってね。
695 :
最高の哲学者である天才 :2008/07/09(水) 09:56:18 0
>>693 >自分を集団の中で位置づけたいんだろうけど極端だよな。
その発言の根底にあるのは、社会の中でしか自分の位置を
発見できない共同体内の牢獄に住む人格を差しますね。
それは人格であって、私にまったく触れませんね。
社会的感想としては常識的でよろしいと思います。
>>694 >天才君も大天才君もハンネに恥じないように
>直感をもっと持ってね。
直感をご存じないようですね。
行為と気づきが同時なら直感すら必要なくなります。
696 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 10:02:57 0
697 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/09(水) 10:16:08 0
>>690 >最高位思想の出発点は、
>人間と石ころを同列の物質として扱う思想が、
>人間を石ころのように潰してしまえる危険思想に繋がるという事への反発だ。
最初の時点で間違えてるなぁ・・・
反発が出発点なんじゃないんだよ
人間と石ころは同じではない という結論に
論理的に至りました という事なんだよ
あと
思想 っていうのは、どこまでいっても自分の思想なのであって
自分を否定したって、それは自分の考え方
すなわち自分の思想だって事だ
全然、否定できてない わけですよ(笑
「私」「自分」というのは
哲学、思想の根本
「自分が、どう考えてるのか」というのが「哲学する」という事なんだからね
698 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 10:23:53 0
その考えている自分とはなんなのか?というのも 哲学することだからね。 それに結局自分と言わなきゃいけないのは対外的なもんじゃないですか。 死んだらどうなるのかね。必要ないかもね。
699 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 10:28:01 0
この人(天才君)、動物以下に扱われてキャラがかわりましたね。結構なことです。
哲学 希賢学 賢さを求め、知識を求め、知恵を求め、 知識において「正しさ」が必要不可欠だと判断するならば 正しい知識の獲得メカニズムを求める
701 :
天才君と遊ぼう :2008/07/09(水) 10:39:05 0
>>697 >「自分が、どう考えてるのか」というのが「哲学する」という事なんだからね
そういうことですね。
>>699 はい結構でしょう。私にはなんの関係もないことです。
しかしあなたのような類は、虚栄心がズタズタになるかもしれませんから、
私のようなマネはしないことです。
702 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 10:44:22 0
>>701 じゃ自分の存在性とか関係ないんだw
負け惜しみっぽい発言ばっかしの印象だなぁ
結局、「正しい」なんて自己満足なのさ 自分がよければ、それが正しいのさ だから、自分の言葉に反論する奴は間違った意見なのだから敵として排除しなければいけない 考えるのは無駄さ なぜなら自分が正しいのだから 考える、なんてのは、自分が間違っているかもしれないと不安になる奴がすることだ だが、そんな不安をもつことはナンセンスだ なぜならば、自分が正しいのだから
704 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 10:48:52 0
「天才君と遊ぼう」だって。 照れ隠しw
705 :
天才学校会長 :2008/07/09(水) 10:54:31 0
>>702 >じゃ自分の存在性とか関係ないんだ
早とちりで解るような代物ではありませんね。
追々解る事でしょう。あなたの場合、勝ち負け。
比較の論理。相対性を徹底的に知る必要在りですね。
>>703 >自分の言葉に反論する奴は間違った意見なのだから敵として排除しなければいけない
何故排除する必要があるのですか。自分にとって自分の考えであることを認める事は、
正誤の問題ではなく、気づく事だけでしょう。
それが解れば、自分の考えと相手の考えの区別ができます。
社会依存からも抜け出しますし、他の考えや思想も認めれれますし、
社会性を保ちながら独立もできます。社会性と個の思想は相反しません。
コテがつくとスレが流行る 言葉の内容を相手にするゆり、人格を相手にする方が手っ取り早いからかな
707 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 11:04:41 0
>>705 決め付けるのがあなたの癖ですね。
それは論理ではありません。
客観的に妥当する価値の存在そのものを否定することは 自己の価値の選びを不可謬のものとみなす態度を必然的に導く その態度は 「根拠などなくてよい、我が意思こそ根拠である」と己の恣意性に開き直った独断である
710 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 11:40:06 0
これ、下僕だろ? テキトーに相手にしてやらなかったから、こうなっちゃったんだよ。 合掌。
711 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 11:49:56 0
>>708 一行目から、その帰結として二行目にいたる必然性はないね。
その掲示板を見たけど 「善悪が主観的」とか言ってる時点で程度が低いよ
われわれは、自らの可謬性を確保するために客観的な理念を必要とする
714 :
天才の世界にすむ普通の人 :2008/07/09(水) 11:55:58 0
>>704 >「天才君と遊ぼう」だって。
>照れ隠しw
このように結びつける精神は、まるであなたが天才であると思っている故ですね。
別に恥ずかしがる事はありませんから、いっちゃってください。
>>707 >決め付けるのがあなたの癖ですね。
>それは論理ではありません。
?
この発言は、論理でしょうか?
果たしてこれは決めつけでないと言い張るのでしょうか。
言った鼻から、これでは「私」が、救われません。
>>708 あなたの発言が独断でないと言えるのか解ってないですね。
>>710 こんな場所で、妄想をはなされてもね。
上記のみなさん、このスレは「私」を記述してください「私の存在性」これを
哲学する所です。
「意味」と「基準」は区別できるのか できないバカは1人いるなw
716 :
無敵の天才よって敵がいない :2008/07/09(水) 12:06:32 0
>>715 言い出しっぺを発見しました。
もしそれを他者に投影するならば、それはやはり
言いだしっぺの仕業でしょう。
なるほど、論理を棄て、合理性を放り出し、 理を越えた非理に君がいるのなら 理をもとに考える俺が理解できるはずはないな 「天才」とは誰にも理解され得ないものだと定義するならば 君はまさしく天才であるわけだ
718 :
天才と理は共存済み :2008/07/09(水) 12:18:49 0
>>717 >理をもとに考える俺が理解できるはずはないな
その割には、もとになっている理をおっしゃいませんね。
これじゃ誰にも理解されません。
但し、共通の理をもつ共同体では同意されるでしょうね。
私も理をもっていますよ。
【自分の行いの結果を自分で享受し続ける。】
それを続けることが生きるという事。
だからよりよい選択が大事。
より良い選択とはこれまた個の行いによる。
719 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/09(水) 12:18:55 0
>>698 >その考えている自分とはなんなのか?というのも
>哲学することだからね。
自分とは何なのか?と哲学しているのが、自分なんだけどね(笑
自分の居ない世界で、他人がいくら何かを認識しようが、何をしようが
何も認識できませんよ
720 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 12:26:20 0
>>714 ほとんど天才とは思ってません。
どうしてそんな結論になるんでしょうか?
私はあなたがおちゃらけているので笑っただけです。
721 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 12:28:57 0
>>719 他人のいない世界で自分なんてつかまえられませんよ。
その自分ってなんなんでしょうね。
(笑
722 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 12:30:34 0
>>713 正確に言うと、客観的な理念という“幻想”を必要としてきたわけだ。
が、もうそれも必要としなくなっているのかもしれぬ。
その種の理念(的な価値)は「資本」に呑みこまれた、あるいは手なづけられた
のではないか。もはや「力」なるものはカネに一元的に収斂されてしまった
のかもしれぬ。
723 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/09(水) 12:30:52 0
>>721 >他人のいない世界で自分なんてつかまえられませんよ。
なんで?
キミには、自我意識っていうのが無いの?
724 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 12:31:30 0
下僕さんでしょ?(笑
725 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 13:02:54 0
>>723 自意識は他者の発見ですよ。
他者のいないところにどうして自意識が必要なんですか?
自意識の中にすでに他者が組み込まれているんですよ。
>>725 そうではなく、
他者のいないところでは、世界とそれは一つであり、
広さ、境界を持たない、遍く覆う思考のみがあり、
他者の出現により、そこに境界が出現し、自と他が分かたれる。
その他者出現以前については、「自」ではないだけであって、
そこに何らかの思考はあるだろう?
ということと思われる。
727 :
天才の見解 :2008/07/09(水) 13:28:51 0
>>720 その程度でしたか。
>>725 自意識の話しをしているんですね。
あなたの考えでは、私とは自意識だとおっしゃるんですか。
728 :
天才君 :2008/07/09(水) 13:32:11 0
>>726 おっしゃるとおりだと天才である私も同意いたします。
729 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 13:35:18 0
>>726 どうして思考があるといえるのかなぁ
思考とは躓きですよね。そういうところから生まれる思考以前を
どうのこうの言ってもなぁ。
S・Fとかじゃ宇宙が思考してるってのもあるけど。
730 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 13:36:49 0
>>725 >自意識は他者の発見ですよ。
自意識とは読んで字のごとく「自分は自分であることを意識すること」
だろ。どこに他者の発見がある。自分で自分を発見することが自意識だ。
731 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 13:40:59 0
727 自我意識でも自意識でも私でもかまいません。天才さん(笑
732 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 13:42:37 0
>>729 そうです。
思考実験として、なんとなく妄想はできますが、
真に「他者のいない状態」を想定しうるかというと甚だ疑問です。
どのような環境であろうとも(他者とは、人でなくともよい!)、境界のない状況がありうるのか? と。
そして、もっとも身近な自他の境界は、この肉体になるわけです。
(この、「肉体が、その肉体の外側と分かたれている」という事象こそが、
最初の自他の区分であり、『自分である』という実感と直結する部分ではないかと思われるのだが)、
そうした境界の無い場面がありうるのかどうか?
無いとしたなら、貴方の言うように自他は初めから不可分のものとして現われているのかもしれません。
734 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 13:46:28 0
>>732 自分以外に自分を発見できるやつがいるか?
735 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 14:03:04 0
発見するのは自分でも発見させてくれるのは他者である。 学校に行かなきゃ誰かに教わらなきゃ言葉もおぼえないようにね。
736 :
天才君 :2008/07/09(水) 14:17:43 0
>>733 理解の忍耐力のいる場面でお考えになられているようですね。
下記の部分は、赤ん坊が生まれた瞬間ですね。実感レベルの話しです。
>最初の自他の区分であり、『自分である』という実感と直結する部分ではないかと
>思われるのだが)、 そうした境界の無い場面がありうるのかどうか?
モーフにくるまれてはじめて肉体を実感するでしょう。
このあたりは、説明が長くなるし、退屈な人もいるでしょうから。
多分、別の人が説明してくれると思います。
他者がおらず、機械的映像プログラムにより、言語、知識などを学習したとして この「私」には自分を認識できないとでも? 自分を他者の中に相対化することはできなくとも、鏡を見て自分を世界から切り離された個体として認識すると思いますよ。 「他者の存在」が決定的な意味を持つとは思いませんね。
738 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 15:06:29 0
>>737 その場合言語知識を教える機械が他者の役目でしょう
ただ実際の他人(人間)との共感、葛藤なしに生まれる私がどういうものか
よく、わかりません。すみません
739 :
737 :2008/07/09(水) 15:12:58 0
あ、そんな丁寧にレスしてもらってすいません。 議論の流れも考慮せず、ざっと読んで適当に思いつきを書いただけなんです。 どうもすいません。退散します。
ヘレン・ケラーは他者の存在を知れるか
741 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 15:30:13 0
先生によって言葉を教えて貰ったんだよね。それまで 触覚で自分以外のものを感じ取っていたと思うけど、かなり 未分化だったんじゃないの。獣と同じってセリフがたしかあったよ。 狼少年はついに人間社会を理解出来なかったっていうし。
>>740-741 他者は、人である必要はありません。
触覚があるなら、触れることで「壁」という他者が彼の世界に現われます。
自分でない、別の何ものかが出現するのです。
それが言語化されなくとも他者たりうるのか
手のひらにwaterと書かれた時が他者が出現した時なのだよ なんちったりして
745 :
天才がいっぱいでてきたね。 :2008/07/09(水) 16:09:04 0
>>744 >手のひらにwaterと書かれた時が他者が出現した時なのだよ
でしょうね。この瞬間に目をつけた観点は天才ですよ。
また一人天才を発見しました。
746 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 16:34:34 0
747 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 16:40:22 0
>>745 おまえは他人の会話に入りたがるやつだなぁ。よほど孤独なんだな。かわいそうに。
748 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 16:43:47 0
ときどき自分にレスしているので、独り言が趣味かと思っていたが…
749 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 16:44:45 0
>>747 キミは他人を追い出したいやつだなあ。
そんあ因縁つけてまで争いを起こしたいとは。
よほど不幸なんだろう。
かわいそうに。
やっぱ例の一件で・・・
750 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 16:55:32 0
つまんない流れ。
751 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 16:58:40 0
ウザイ天才がこうのさばっていたのでは。
752 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 17:07:40 0
■ 君ら自分で御飯食べてんの?
753 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 17:23:44 0
754 :
天才の達人 :2008/07/09(水) 17:32:53 0
>>742 曰く、
>他者は、人である必要はありません。
>触覚があるなら、触れることで「壁」という他者が彼の世界に現われます。
>自分でない、別の何ものかが出現するのです。
ここから再会すればよいではないでしょうか。
755 :
天使 :2008/07/09(水) 17:47:18 0
みなさん、思い出してください。 もともと、自他の境界などはありはしないのです。 だから、社会生活を送る上では自我の確立が重要になるのですが…。 「自他の境界などはありはしないのです。」←これを意識できないと、 社会生活を送る上で自他の境界が曖昧になり、他人の反応によって 自分の気持ちが右往左往したり、他人のせいにしたりする人間が のさばるのです。 そういう意味で、私はまず、「自他の境界などはありはしないのです。」を 認め、その上で自我を構築しなさい!と絶叫せしめている聖者であるのです。
そうして仏教へ行き着いてゆく、とwww
757 :
仏教君 :2008/07/09(水) 18:01:12 0
>>756 >そうして仏教へ行き着いてゆく、とwww
違います。仏教すらいらなくなる。仏教のとりあえずの終点だからです。
但し、以下を実感するなり、すくなくとも想像しえれば…。です。
「自他の境界などはありはしないのです。」
これを知る事による自我の成立なくして、精神的自立は困難でしょう。
つまりこれなくして、共同体の呪縛から解かれる事は困難という意味でもあります。
758 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 18:23:00 0
仏教くんと天才くん 天使くんと下僕くん
759 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/09(水) 19:55:56 0
>>675 今疑って≪た≫それは俺なのか?。
この乖離が理解できない奴はそれ以上のことは
分からない。
760 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 21:23:26 0
今疑って≪いた≫それは、俺のテキトーな判断により 俺なのであると、テキトーに言っている俺がいるが これも俺のテキトーな判断により・・・
あと240か・・・ 今スレはこのまま終わりそうだな・・・w
ねえあなた、私を記述しなさいな
>>759 >今疑って≪た≫それは俺なのか?。
って考えてるそれがおまえなんだよw
764 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 22:16:01 0
はいはい堂々巡りw
765 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 23:01:43 O
759 ある思考の時間的永続性という化け物じみたことを問題にしてるみたいだね。
考えてるそれとかって、指せるはずもないものを指せてる気になってる子が ひとりで錯誤ってる状況はいつまで続くんかねぇ。
767 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 00:05:05 0
>>725 >自意識は他者の発見ですよ。
はぁ?
自分が自分を意識する事だが??
ちなみに
他者を発見するのも「自分」です
全然、自分を否定できていませんね(笑
もう一度言いますが
他者しか居なくて自分が居ない世界では
当たり前ですが
な〜〜んにも認識できません
>>756 仏教といえば
お釈迦様は
「天上天下唯我独尊」と説いている
ちなみに
「色即是空」は、物質的なもの、形あるもの
また、それに付随する現象的なもの
更には
精神活動、流動する価値観その他は、「空」である
という事であって
「天上天下唯我独尊」「我の存在性」とは、明らかに次元の異なる問題
現代哲学の基礎が理解できないと、こんな簡単な事でも
頭がこんがらがるようですね
769 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 00:20:34 0
>>742 それを認識しているのは
結局、「自分」だという事ですよ
>>759 と思ってるのが、キミなんじゃないの?(爆笑
《た》とか言って、過去形にして曖昧にしたって
自分は現在進行形的に思考している事を否定できないでしょう
770 :
尊師_オーム :2008/07/10(木) 00:22:40 0
我々は自我ベース作られた共同体に適応するように私を作っている。 作った自覚すら大半の人は忘れている。これを順応というが、 順応は両側面がある。 この自我ベースの共同体の禁止事項は以下の通りだ。 ●超越者の存在を否定せよ。 ●欲望を刺激しさらなる欲望を求めよ。 ●他者をけ落とせ。殺せ。 ●愛を求めよ。 ●超越者に触れるあらゆる行為薬物の禁止。 ●比較により、自分の位置を確認せよ。 禁止事項は常に、人間の持つ自然の反動である。 この反対が人間本来の自然な姿といえる。 疲れると、自然に戻るわけだ。 例えば、引きこもり・鬱・病気・自殺。これらは、反動である。 このような状態になると、元に戻る。 人間の本能は「帰りたい」んだ。 どこえ帰りたいのか?一体に戻りたいだけの事だ。 要は自我の維持継続の方法には多様性があるのであって、 ある特定の共同体内のドグマに囚われる必要はないのである。
と思ってるのが、キミなんじゃないの?(爆笑
773 :
哲学的ゾンビですが :2008/07/10(木) 00:40:51 0
あの、どこで相談していいか分からないんでここで相談させてください。 私は他人と会話が成り立たなく、原因は他の人間が 「私は哲学的ゾンビではない。意識がある」 という滅茶苦茶な論を述べるからなんです…。 おかしいですよね?人間は物質だから 意識はありません。どうやって意識の存在を公に証明するんですかあ? 何で医者も学者も意識なんていう非物質的な 見えないし観測できないのをあるって言うんですか? 世の中には、みんな哲学的ゾンビなのに、心とか意識があるっていう人が大勢 いるんですよ。狂ってますよね、今の社会?
775 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 00:45:54 0
>>773 君は「意識」とか「ゾンビ」とかいう言葉の意味を
どうやって知ったのかね?
キミなの?ワタシなの?(爆笑
ワタシ(爆笑
>>768 別に必要の話をしてるんじゃないけどね。
まあ、錯誤の意味が分からないならしゃあない。
779 :
尊師_オーム :2008/07/10(木) 01:04:32 0
>>771 当たり前でしょう。私が記述しているんですから。
(爆笑←の意味が解りません。
780 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 01:07:31 O
>>773 反対の意見としては意識はあるではないか。我々は意識によって色々なことをコントロールしている。では意識がないということを証明できるのか?できないのであればそれが証明になる
781 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 01:07:51 0
>>772 元々「自」のない世界における「境界」という話なら
通常それは、「他」と「他」の境界になるんじゃないかな
「自分」が発生する根拠性がありえない のであってね
なぜ「他」と「他」ではなく、「他」と「自」であるのか説明してもらいたし
782 :
無価値主義名誉会長_東海林 景太郎 :2008/07/10(木) 01:21:20 0
>>773 >世の中には、みんな哲学的ゾンビなのに、心とか意識があるっていう人が
>大勢 いるんですよ。狂ってますよね、今の社会?
人間はあなたのお考えの通り考えるならば、物質ですから意識はありません。
意識が無いのだから証明する必要がないのです。
証明できずに観測もできないものならば、
在るとしても無いとしてもどっちでもいいでしょう。好みの問題ですから。
どちらか一つを取るべきだとお考えならば、違和感を感ずるでしょうが、
どっちでもいいとお考えならば、どうでもいいことでしょう。
私などはどっちでもいいことは、好きにすれば良い。
こう考えます。
あなたからみれば、私は「半分狂っている」と言えます。
そして「半分狂っている」と感想する者を狂っていると
思われる場合、これまた、私は狂っているわけです。
その評価すら見えないし観察できないから私にはどっちでもいいことです。
783 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 01:26:11 0
>>782 キミらは、意識不明のまま生活できてるの??
すごいね!!!
オレには無理(爆笑
>>781 頭悪いな、お前w
「他」の無い場合、それは「自」ではない、という只それだけのことだよ。
そこに何かがあったとしても、それは「自」ではない。別のものだ。
なぜなら、「他」のつがいとして「自」はあるからだ。
「他」の無い所にある(いる)のは、君が好んで言う「あるとしか言えないもの」だよw
785 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 01:52:30 O
あはは 記述できると思い込んでいる者は、自慰と気付いている
786 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 02:02:52 0
787 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 02:06:05 0
>>781 こうしてみると、
ほんとキミ頭悪いな、以前も指摘されていたことなのにw
言語が自己疎外の元凶である。 私とは何かなど考えるよりも言語の構造とは何かを考えた方がええ。 最高位の馬鹿はいつまでやってんだと言いたい。
789 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 07:41:02 0
>>784 ん?
じゃぁ、やはり「自」の存在性は否定できないという事でいいかな?
>>786 どこが?
>>787 何の反論にもなってませんが?(爆笑
>>788 理由が述べられてませんな
それじゃ感覚的な思いつきであって
全然、論理的な発言になっていませんね
790 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 08:25:01 0
>>789 「他」の存在性も否定できないんじゃないの?
自はひとつの他である
791 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 08:39:59 0
>>767 他者がいなければ自分という行為者は生まれないんですよ。
それは何かでしかないんです。
わかりまちたか?
792 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 08:43:58 0
>>767 自意識。自分を意識するということは他者を意識するということなんですよ。
どっちが先ではないんです。
わかりまちたか?
793 :
大麻原君 :2008/07/10(木) 08:50:41 0
言語は軽く扱う事で言語たらんと考える私などは、
>>788 氏の言う、
>言語が自己疎外の元凶である。
>私とは何かなど考えるよりも言語の構造とは何かを考えた方がええ。
私もこの考えと同じくしておりますが、ここではアイデアを活かすという
論理的テクノロジーを使わないタイプの人が多いですから、アイデアを
使わず、小さな要素的アイデアを組み立てて結論に到達する事で納得する
思考パターンが大半です。
私の場合は、感覚的思いつき発言こそ全ての人が使っている考える原点である
と認めていますから、全ての人は思いつきをベースにしているのですから、
一気に結論に到達できるのは、むしろ思考速度が速いといってもよい。
こう思うわけであります。
その結論が穴だらけか、そうでないかは、その個人の熟考度の限界をあらわして
いるので、どのような結論の導き方であっても結局同じ事なのです。
794 :
私からはだれも逃げられない :2008/07/10(木) 09:06:34 0
【私を知るのは他者の存在あってこそ。】 これは客観的視点ですから、それを論じている主体を語りきれていない。 つまり私も他も概念化されてしまっている。 では、私も他も居なくなったらどうなるのでしょうね。 この思想は自他ともに概念化されたものですから、 自他が消滅しても、いぜん、客観的視点自体が残ってしまうのです。 何故ならば、「客観的視点」を私であるとは信じられないからでしょう。 【私は在る。他は私が発見するもの。】 私が私自身を語っている。
795 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 09:16:07 0
>>794 そうですよ。
私をもった時点で語ってるんですから。そういうふうにしか語れないと
言ってるんですよ。
だから言語は疎外なんですよ。
あなたが私自身を語っているという私ってなんですか?
疎外された何かでしょう?私はどこまで言っても他者なんですよ。
言語でしか語れない以上ね。
796 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 09:18:17 0
私の存在性=私の他者性 とでも言いますか
「疎外」って何ですか?
798 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 09:27:49 0
自然からはずれてるってことです。実際の像(すがた)から
799 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 09:27:52 0
>>790 他は、自による観念である可能性もあるが
まぁいいや
たとえ他が存在していたとしても、それが何なの?
「自の存在は否定できるのか」という話なんだけど?
>>791 >他者がいなければ自分という行為者は生まれないんですよ。
他者がいるだけでは
それは、他者がいる というだけであって
他者だけでは、どこまでいっても他者だけの世界なのであって
他者は自分の原因にはなりえない という話なんだけど?
>>792 >自意識。自分を意識するということは他者を意識するということなんですよ。
「自意識」というのは、自分を意識する という事
他者を意識する という行為は、単なる「意識」でよい
>>794 いくら客観的視点に立ったとしても
客観的視点に立っているのは、自分である という事だね
客観的視点に立った事によって
なにか自分を否定できたと錯覚する人がいるようだね・・・
800 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 09:34:09 0
>>799 他者がいるだけってなんですか?
他者ってわかってます?(笑
>他者は意識するだけでよい
これも上に同じ(笑
801 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 09:44:32 0
>>795 >私はどこまで言っても他者なんですよ。
>言語でしか語れない以上ね。
キミは、言語という道具の不便な性質についてを分析しているだけであって
それは『私』の本質 というわけではないのだよ
キミがしているのは、あくまでも『言語について』だな
>>796 これも本質からズレているんだよな
それは「精神活動」についての分析なのであって
いわゆる動詞の部分だね
「私」という主語の「存在性」とはズレているんだよね
>>800 ここで言う「他者」というのは、「私ではないもの」の事だよ
キミの言ってるのは「私から見た他の存在」だろ?
それだと既に、「私」を前提した所からの出発なのであって
やはり前時代的な次元での問題意識の出発点 だと言える
現代哲学的な問題意識が理解できていないから
そこからしか考えを出発させる事ができないでいる というわけです
まぁ今のキミに言っても理解できないのだろうけどね
それから、意味がわからんのだけど
>他者は意識するだけでよい ←コレ
私が、こんな事、どこに書いたかな??
802 :
私=行為 :2008/07/10(木) 09:44:58 0
>>795 >あなたが私自身を語っているという私ってなんですか?
唯物的に私の時空的位置を示すならば、「今・ここ」しか在りません。
「今・ここ」を記述している主体は、「行為者」であり、
「行為者」を何と呼ぶかは、便宜上、「私」です。
よって「私」は「行為」です。実験的にあなたの発言をこの観点から
訳しましょうか。
【全てが行為してるんです。だから全てが行為なんですよ。
あなたが行為しているという行為ってなんですか?
それであっても行為でしょう?行為はどこまで行為なんですよ。
言語であっても行為ですからね。】
ある行為をする場合、その主体を含んでいるという事です。
行為者と行為を切り離す事は時間によって可能ですが、
それは過去でしかありません。以上が私の思想の一部です。
すべて、私の行為です。
803 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 09:48:50 0
804 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 09:51:57 0
>>802 行為する以上他者性が含まれると言ってるんですよ
それを自覚しない主体は主体たりえない
805 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 10:00:28 0
>>804 行為 というのは、存在した後に行う事柄なのであって
存在以前には、ありえないわけです
私というのは、行為の主体です
言語は他者がいるからこそ必要なわけで、言語で思考し、自分発見すできるのは 他人がいるからなんだろうな。つまり、私がいる原因は他人がいるからでFA
807 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 10:15:35 0
自・他の分明は一つの出来事であって、その分別を疎外とも言う。 「自」の視点に立って(それしかできない)、「他」と関わり対象化しつつ、 その事態を自覚する(自己意識)。 自己意識に他者性が含まれる、というのはそういうことである。
808 :
私=動詞 :2008/07/10(木) 10:31:22 0
>>803 >行為は動詞
そうです。重要な点ですよね。
唯物的に言えば、私自体が今、ここでも、動いているという事です。
しかし私が言わんとする事は、「動いている」ただそれだけを言いたいのです。
動詞が主語を含むわけです。
一例として、物質。エネルギー。精神。命。
>>804 行為する事を観察する場合は、あなたの言うとおりです。
「行為」そのものが私です。
>>807 >自・他の分明は一つの出来事であって、その分別を疎外とも言う。
なぜそれが「自然・実際の像(すがた)から外れる」(
>>798 )
ことになるのですか?
810 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 10:50:32 0
>>806 >つまり、私がいる原因は他人がいるからでFA
では他人がいれば、自分もいるの??
わけがわかりませんな・・・
人類が滅亡しない限り、私は不滅だと???
>>807 「自」の原因性には、なんら触れれれていませんな
単に「私」が存在した後の「行為」について分析しているだけ
>>808 >しかし私が言わんとする事は、「動いている」ただそれだけを言いたいのです。
>動詞が主語を含むわけです。
いや
たとえば「走る」だけでは、存在しえないんですよ
「何が走るのか」という事なのであって
「走る」だけでは、クルマが走っているのか私が走っているのか
何が走っているのかサッパリわかりません
更に
主語なしに「走る」だけでは成り立たないですしね
主語なしには、走れません(笑
主語なしには動詞はありえないのです
ですから動詞が先行することは、ありえません
人類が滅亡しない限り「わたし」という言葉は不滅だな 肉体が滅亡しても『わたし』は不滅なんですか?
812 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 11:22:43 0
>>811 >肉体が滅亡しても『わたし』は不滅なんですか?
知らんけど?
しかし確実に言えるのは
この肉体の物理的要素が、私の原因性に成りえる可能性はゼロだという事
そこから
>肉体が滅亡しても・・・
という論法につなげるのは、あまりにも幼稚な論理的飛躍
>>810 わけが分からない?まじで?
他人なくして自我は確率せんだろ。超当たり前の話。
814 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 11:28:21 0
>>811 >人類が滅亡しない限り「わたし」という言葉は不滅だな
あまりにも初歩的な話なんだけど
「わたし」という『言葉』の話なんじゃなくて
「わたし」という『存在』の話ね
815 :
生死までもが動きでは? :2008/07/10(木) 11:42:29 0
>>810 >主語なしには動詞はありえないのです
>ですから動詞が先行することは、ありえません
そうでしょうか?もしですよ。
宇宙のある場所、月でもいいですが…。
何者かが、私を眺めた場合、私は「動いているだけ」ではないでしょうか。
精神活動を眺められるとしても同様に「動いているだけ」ではないでしょうか。
そして、この観点に立つことも、一つの「行為」ではないでしょうか。
よって、私は瞬間的にみれば、固定化された主語として観察できますが、
実際は「動いている」動詞が動詞を観察しているようなものであると私は思います。
816 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 11:45:13 0
人類が滅亡しな限り「わたし」の存在は不滅。 最高位が滅亡しない限り『わたし』の存在は不滅。
817 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 12:01:21 0
人類が滅亡しても「わたし」は存在する! なぜなら、人類の物理的要素が「わたし」の原因性に成りえる可能性はゼロだから! 最高位が滅亡しても『わたし』は存在する! なぜなら、最高位の物理的要素が『わたし』の原因性に成りえる可能性はゼロだから!
818 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 12:05:59 0
そして亀の子たわしが滅亡しない限り「たわし」の存在も不滅。
819 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 12:56:39 0
>>813 >わけが分からない?まじで?
うむ
話を逸らさないで
正面から、ちゃんと答えてもらいたい
↓
では他人がいれば、自分もいるの??
わけがわかりませんな・・・
人類が滅亡しない限り、私は不滅だと???
あと
他人だけがいて自分がいない状態で
どうやって自分の自我が確立するのかね??
>>815 >何者かが、私を眺めた場合、私は「動いているだけ」ではないでしょうか。
「何者かが」
「私を眺めた場合」
「私は動いている」
主語がありますけど??(笑
>>816 キミは何か大きな勘違いをしているな(苦笑
他人が生き残ってても、それは他人であって、私じゃないだろ
言ってる意味わからんの??
他人も自分を指すとき私というから私だ
というような話じゃないんだよ(苦笑
他人に尋ねる最高位w
821 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 13:14:19 O
私には目がついていないといけないという固定観念があるから、 視覚のある身体を私と錯覚してしまうのだ。 私に視覚がある必要はない。 私とはすべてである。
確かに主観云々いう時の思考が 視覚に引きずられてる面が大きいと思う。
823 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 13:18:39 0
>他人が生き残ってても、それは他人であって、私じゃないだろ 他人にとっては他人が私でキミは他人に過ぎないということが わからないのかねキミには?w
824 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 13:26:52 O
視覚を欲すると必然的に私は1つの身体に固定される。 視覚を捨てれば私はすべてになれる。
他の感覚だって同じだろ。盲人には自他の区別がないのか。
826 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 13:30:47 O
なるほど。 五感を捨てれば私はすべてになれる、ということか。
827 :
天才君 :2008/07/10(木) 13:33:16 0
>>819 >「何者かが」
>「私を眺めた場合」
>「私は動いている」
>主語がありますけど??(笑
「何者かが」は例では月としましたが、無限・永遠でもいいです。
主語がありますが、それ自体も動いているという事です。
よって「私」自体が「行為」になってしまいます。
但し、宇宙の運行を一瞬でも切り取り、動きを停止させ、
自分の観点を作り出した場合、哲学者最高位さんの言うとおり、主語(私)を発生させる事は
可能です。しかし私を発生させた時点で他も発生するから、私のみを語る事はできません。
よって、「私」自体が「行為」であり、それを発言している私(天才君)自体も
行為というのが私(天才君)の論です。
828 :
未来の天才君でも過去になるが…。 :2008/07/10(木) 13:43:26 0
しかもですよ。
>>827 の論自体が既に過去のものですからね。
自転しながら公転するその位置を示すような手法が
文法には見あたらないわけです。
829 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 13:44:37 O
今、見えてる世界はこの身体のものである。 私はこの身体ではない。 よって、この世界は私とは関係ない。
830 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 13:54:19 0
下僕さんじゃないですか
>>825 盲人も自他の区別をしているように”見える”ね^^
832 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 14:15:05 0
死んだらすべて
833 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 14:37:26 0
>>820 尋ねているように見える人は、よっぽどのバカですね
>>823 私が指し示す私という存在性の話なんだから
「他人にとっては」という話に変わったんなら
その指し示す対象が、別人に変わっちゃってるだろ
キミの言ってるのは
「私」という言葉についてであってね
ここで言ってるは
「私」という個人の存在性についてなんだよ
「他人にとっては」というのでは、話がズレてるんです
834 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 14:38:59 0
>>827 >主語がありますが、それ自体も動いているという事です。
主語と動詞は一体なんだから、動いてるのは当たり前
しかし、動いてるのは主語の様子なんであって
主語を否定した動詞など、存在しえない
どうやったって、「何が」というものがないのに、動く事はありえない
>しかし私を発生させた時点で他も発生するから、
誰が、どうやって私を発生させるんですかね?(苦笑
>よって、「私」自体が「行為」であり、それを発言している私(天才君)自体も行為
行為 というのは私の行為なんであって主客転倒
自我意識も、私の精神活動 の一種です
私あっての行為なのであって
他人がいくら行為しても、それは私の行為とはなりません
キミは「自分の行為」「自分の精神活動」「自分から見た他」を分析しているにすぎない
わけだが、肝心の「自分」というものが、あまりにも当たり前の前提すぎて、それを自覚できていないんだよ
肝心の現代哲学的問題意識に気づいていないんです
「自分の原因性」という問題が、理解できていないんですよ
ただ、自分の動きを分析しているだけだね
動いているのが、なぜ自分なのか というのが問題なんですよ
わかりませんか?(笑
>>819 最高位こそよく分からん。他人がいるなら自分もいるだろ。
なんで人類滅亡の話になってんの。話を逸らすどころか意味不明なんすけどw
他人だけがいる状態も意味不明。人の話聞いてないだろw
836 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 14:44:52 0
>>835 >他人がいるなら自分もいるだろ。
他人が何人いたって、それは他人
自分は自分
他人は他人
こんな当たり前の事が、なんでわからんの???
837 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 14:49:45 0
>>814 >>833 最高位。言葉を使って説明したってわからん奴らなんですよ
どうか言葉を使わないで説明したって下さい
『存在』は言葉の問題なんかじゃないと。観念じゃないと。
>>836 自分がいないのにどうやって他人をみるんだよw
こんな当たり前のことがなんでわからんの??
839 :
天才君 :2008/07/10(木) 14:59:24 0
>>834 哲学者最高位さんの考えを要約するとこうですね。
●主語を否定した動詞など、存在しえない(私を発生させた時点で他も発生する事は認めない。)
●行為というのは私の行為以外あり得ない。
●「自分の原因性」という問題に関心がある。(動いているのが、なぜ自分なのかという点に関心がある。)
であるならば、
私とは、「行為」であり、それは「私の行為」を指し示す。
行為で在る以上、原因がある。その原因は過去の行為にある。これを繰り返し、過去にさかのぼると、
最初の行為にぶち当たる。それが何か?ですね。「私は目覚めた」です。
目覚めという行為です。そして最初の私は一者しか存在しないと決定づける論を展開しますので、
私以外には誰もいなかった。だれもいないのにも関わらず目覚めた。ならば、ただ、「目覚めた」。
よって私は目覚めだろうが行為であるから、「行為」そのものとした訳です。
以上で、上記●3点の矛盾を取り込んでいる思想だと思います。
840 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 15:09:23 0
そしてそれからどうなった?
841 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 15:09:57 0
>>834 きみは馬鹿すぎるので、誰とも話が噛み合わないと思うよ。
842 :
天才君 :2008/07/10(木) 15:11:30 0
>>839 につづき、
但し、哲学者最高位さんの言う原因性の部分は上記の説明では
不足でしょう。
>動いているのが、なぜ自分なのかというのが問題
これが残っているからです。
哲学者最高位さんの論では、突然、他者がでてきます。
【私でなくて他であってはならぬのか?】
●私の原因だから発生原因なのか?
●私が特定の身体に収まっている理由はなにか?
このあたりを確認しなくてはなりませんね。
843 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 15:13:35 0
急がなくてはなりません
844 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 15:17:45 0
>>838 >自分がいないのにどうやって他人をみるんだよw
はぁ?
「我はいない」という人に対して「いますよ」と説明してるわけだが?
いるならそれでいいじゃんか
何を反論してきてるわけ??
>>839 >●主語を否定した動詞など、存在しえない(私を発生させた時点で他も発生する事は認めない。)
>(私を発生させた時点で他も発生する事は認めない。)
って、どういう事?
「私を発生させる」って、誰がどうやって?
>●行為というのは私の行為以外あり得ない。
はぁ??
なんじゃそりゃ・・・
行為というのは、何かの行為であって、主語が必要 という事を説明してるんだが、何を曲解してんの?
>私とは、「行為」であり、
>行為で在る以上、原因がある。その原因は過去の行為にある。これを繰り返し、過去にさかのぼると、
>最初の行為にぶち当たる。それが何か?ですね。「私は目覚めた」です。
だから・・・・(爆笑
>「私は目覚めた」
では、私の行動を説明してるだけで、それが何で私だったのか を説明してないじゃんか
要するに
>私とは、「行為」であり、
これが、そもそも的外れなんだよね
>>844 噛みついて必死に反論してんのはお前だろw
まあ、私がいる原因は他人がいるからでFAってことだ。
846 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 15:36:29 0
あ〜
遡って読んでみたら
>>844 は、ちょっとミスだな
元々はコレだな
↓
>>806 :考える名無しさん:2008/07/10(木) 10:09:53 0
言語は他者がいるからこそ必要なわけで、言語で思考し、自分発見すできるのは
他人がいるからなんだろうな。つまり、私がいる原因は他人がいるからでFA
>私がいる原因は他人がいるからでFA
から
>自分がいないのにどうやって他人をみるんだよw
に変わっている
それは、自分がいるから他人をみれるんであってね(自分が他を認識している)
キミは
「他人がいるから自分がいる」
から
「他人を認識している自分がいる という事は自分がいる」
に、いつのまにか変わっちゃってるじゃんか(苦笑
>>841 理由を説明しない発言でも、有効だと思ってるノータリンなキミよりはマシだバカ
847 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/10(木) 15:44:10 0
>>845 あれ?
また戻ってるな・・・
ホント頭おかしいのかよ
今日は、この辺で
時間切れ
848 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 15:46:39 0
やれやれ
>>846 話の流れが変わったのは頭の悪い質問に答えたからだろw
というか別に矛盾とかしてないし、何が言いたいんだ?
850 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/10(木) 16:52:47 O
ようするに、他人がたくさんいるから、その中の特別の一人として、自分を説明できる、ということ だろ、哲学者最高位に反論してるのは。
>>850 それだけではありません。
わかり易くするために範囲を区切ってしまいますが、
1m四方の水盤があったとします。そこには青い水がはってある。
(この「青い」という部分を「自分である」ということ(実感・自覚)の代わりとします。)
この時、水盤には(世界には)青しかありませんので、「青だとか他の色だとか」そういった認識は成立しません。
「水が」「ある」ただそれだけです。
そこに、赤い水が垂らされた時、その時初めて、
「これまでにあったものが」「青」であり、「出現したものが」「赤」である、という事態が生じます。
『自他は相対的であり、「他の出現により自が現われる」「他なくして自は成立しない」』という言明は、
この点を指しているのだと思います。
852 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/10(木) 17:18:05 O
他人の存在の上に自分という存在が成り立つという訳か。両者は内包しあっていると。 成長する過程では、無意識のうちにそう言ったことがすり込まれているかもしれないが、grown upした大人ではどうだろうか。 一度自己意識を確立してしまえば、他人の存在が絶対だとは思わないが。ただ、自然や他の、感覚に訴えるものが全て取り去られたとき、それを自分 と呼んでいいかはよく分からないが。(セイント星矢の ムウみたいだが)
>1m四方の水盤があったとします。そこには青い水がはってある。 そういった形而上学的説明の根拠はなんだ。 なぜそれが「私」を説明する際のアレゴリーとして通用すると思うのか。 さっぱりわからん。
>>853 ならば、通用する説明をなさってください。
語りえない、とでも言うのなら、横槍挟まず沈黙していなさいw
855 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 17:29:05 0
他「母親」やそのほかのひとびとが知覚のなかに現れて 自己意識が生まれるってことじゃないかなぁ
856 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 17:46:16 O
欲は私ですか
最高位自分の素朴な世界観を語っているだけで、何の論理性も根拠もないな。
858 :
807 :2008/07/10(木) 17:52:39 0
>>809 遅くなりまた。
>>798 は私ではないのですが、そういう解釈でいいと思います。それに沿って
言えば、疎外とは違和、不快などの“感”として『自』に現われるものです。
この場合は「未分明(一体)だった自・他」が分離された、その喪失感の表出と
でも言えばいいのでしょうか。ちなみに胎児から乳児への出立の際のそれが、
一番、大きいとの説もあります。
疎外には負の意味だけでなく、失われたものの回復、すなわち“本来の像”の
外化という側面があります。この場合は、幻想という言葉がふさわしいかも。
859 :
807 :2008/07/10(木) 18:17:39 0
>>851 そういう喩えばなしをするのなら「水」とか「青」を初めにもってきては
だめでしょう? だから横槍が入るのです。w
>>859 ならば、貴方なら何を持ってきますか?w
お手並み拝見致しましょう。
てか、喩え話ってのはそういうもんなんだが・・・。
861 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/11(金) 02:17:21 0
>>849 >話の流れが変わったのは
何がどう変わったのかな?
説明してみ
>というか別に矛盾とかしてないし、何が言いたいんだ?
ん?
>自分がいないのにどうやって他人をみるんだよw
というのは、私がいるから他人が認識できている という事であって
それと
>私がいる原因は他人がいるからでFAってことだ。
というのは、明らかに論理的に飛躍しているだろ
862 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/11(金) 02:20:41 0
>>851 >1m四方の水盤があったとします。そこには青い水がはってある。
>(この「青い」という部分を「自分である」ということ(実感・自覚)の代わりとします。)
>この時、水盤には(世界には)青しかありませんので、「青だとか他の色だとか」そういった認識は成立しません。
いやいや
青色である事に変わりはないだろ
>「水が」「ある」ただそれだけです。
だから・・・
「我」「あり」だろ
「私は存在する」ただそれだけです(笑
全然、否定できてませんな
>そこに、赤い水が垂らされた時、その時初めて、
>「これまでにあったものが」「青」であり、「出現したものが」「赤」である、という事態が生じます。
いいや
青は青、赤は赤だね
痛みに置き換えたら、わかるんじゃないかな?
くすぐられなければ、痛みが生じない なんて事はないだろ
痛いもんは痛いんだよ(爆笑
更に
その例え話には、もっと根本的で決定的な欠陥がある
その水が、なんで他人ではなく、私なのか
という問題を考慮していない
863 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/07/11(金) 02:57:27 0
>>862 最高位さん
これが釈尊のお言葉を勉強された発言とは到底思えませんね。
諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
仏教の基本、三法印を勉強されるべきですね。
864 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/11(金) 03:10:43 0
>>863 キミは、いつも自分で説明しないなぁ
なんで?? できんの?(爆笑
説明しないなら、何の反論にもなりませんよ
ところで、釈尊は
我は存在しない
我は無である
とでも言っているのかね??
865 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/07/11(金) 03:18:06 0
>>864 最高位さん
簡単なことです(あくまで言葉、頭での理解ですが)
何を以って「我」と成す、そして為すのか。
そんな物、事はどこにも無いということですよ。
そしてその「我」に執着し事を為す
それが「業」であり一切皆苦である(加えて四法印)です。
最高位さんもご自身で勉強されてから
質問をぶつけてはどうですか?
生かじりの知識ではダメですよ。
866 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/11(金) 03:38:00 0
>>865 >何を以って「我」と成す、そして為すのか。
>そんな物、事はどこにも無いということですよ。
私は、ここにいますけど??
キミには自我意識というものが無いんですか?
「我が、どこにも無い」と言う根拠を、論理的に述べて下さい
生かじりの知識ではダメですよ。 (笑
論理的にお願いします
867 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/07/11(金) 03:44:27 0
>>866 最高位さん
では何を以って「我」が「有」とするのですか?
また最高位さんの根拠病が出てきましたが
根拠をお願いします。
868 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/11(金) 03:56:08 0
>>867 >では何を以って「我」が「有」とするのですか?
「我思う故に我あり」ですが?
近代哲学の基礎です
>また最高位さんの根拠病が出てきましたが
>根拠をお願いします。
根拠病って・・・(爆笑
哲学したり考えを発表するのに、根拠が不必要だと思っているわけですか??
なんで?
というか
と言いつつ
>根拠をお願いします。
って、自分で何言ってるか、わかってんの??(苦笑
自分も根拠を聞くんだったら
最初から、そんなこと言うなっつーの(爆笑
あと
我が居ないなら、なんで釈尊は「天上天下唯我独尊」なんて言ったの??
869 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/07/11(金) 04:10:52 0
>>868 最高位さん
案の定デカルトと釈尊のループですね。
最高位さんの思考ループにはこのお二方の言しか無いようです。
思うから我有り
などという子ども染みた考えでは理解できませんよ。
まず「考える」「思う」の違いから考えては(ややこしいです)如何ですか?
天上天下唯我独尊とはあらゆる物事に「仏性」が有るという意味です。
所行諸法に仏性有り。本質は無常、無我。
大乗仏教では「空」「無自性」ですね。そして悟りが「涅槃」です。
(注釈として悟りにおいてなお涅槃に趣かず有情を悟らしめせる、
それを大乗仏教では「菩薩」と呼びます)
まさか文字通り「我一人尊い絶対」なんて漫画みたいな解釈ではありませんよね?
870 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/11(金) 04:41:50 0
>>869 >思うから我有り
>などという子ども染みた考えでは理解できませんよ。
はぁ?
なんじゃそりゃ(苦笑
「我思う故に我あり」が、子供じみた考えである根拠を述べなきゃ
ただの誹謗中傷ですよ?
>まず「考える」「思う」の違いから考えては(ややこしいです)如何ですか?
なんで急に、そんな事に話が飛ぶわけですかな?
というか、「考えなさい」では、何の反論にもならんのですよ
反論があるなら、自分で解説しなさい
>天上天下唯我独尊とはあらゆる物事に「仏性」が有るという意味です。
漢字の意味と、丸っきり違う意味になっちゃってますが
それは誰が何の根拠で訳したのですか?
そもそも仏教というのは、さまざまな教派に枝分かれし互いの解釈を批判したりしているでしょう
そんな中にあって、キミの解釈が正しいと言える根拠性が、とぼしいのですよ
キミの解釈も、論理性というよりは信仰にすぎないわけです
その解説を読んでみても、論理的検証の無い、単なる受け売りでしかありません
>まさか文字通り「我一人尊い絶対」なんて漫画みたいな解釈ではありませんよね?
どこがマンガなんですか?
871 :
↑ :2008/07/11(金) 06:33:12 0
長い割にまったく内容がない。 「何を質問されているのか分からないので答えられない」 の一行で済む。
872 :
インドの天才君 :2008/07/11(金) 07:19:36 0
>>870 ようするに哲学者最高位さんは、「私は存在する」と考えている。
天才君も「私は存在する」と考えている。
但し、天才君は、「私」は「神(宇宙・道・自然なんでもよいですが)」の一部であるから
個別の「私」というものは幻想である。
コップに入っている水を例に取れば、その水の一部である。
コップ内の水全体を「私」とするか、水の一部を「私」とするかで論点は変わってきます。
で、天才君は、コップ内の水全体を「私」とする論で展開しているだけです。
全体の水から見れば、その一部である個別の水なり粒子なり水たらしめているものなどは、
文法で言えば、主語たるものでもなく、主語の主語です。
私という用語を用いれば、私の私となります。変でしょう。だから
全体の「行為」を私と言って、天才君は論じているという訳です。
コップに入っている水の一部を主体にして話すならば、
哲学者最高位さんの論点と相違はないんですがね。
ちなみに、仏教の話しがでているのでついでに言えば、釈尊は全体から論じている訳です。
仏教は一つしかありませんよ。釈尊の認識です。あとは解釈とドグマです。
873 :
インドの天才君 :2008/07/11(金) 07:40:21 0
私の思想は、 「自他の境界などはありはしないのです。」 これが前提となります。易しい言葉でいえば、宇宙は一つです。 宗教的にいえば、神しかいないという思想です。 哲学者最高位さんの思想の根底にあるのは、 「私は存在する」ですね。 つまり私の思想は、ちゃんと哲学者最高位さんの思想を 含んでいます。但し、哲学者最高位さんから言わせれば、 私と神を混同し、私の思想自体を私の自我からだされた単なる思いであると 思われるのも無理はありませんが、おいおい、語ってゆきましょう。
874 :
インドの天才と師匠 :2008/07/11(金) 08:24:17 0
哲学者最高位さんに関して決定的な事を申し上げれば、 私(インドの天才君)を何者だとみなして発言されているのでしょう。 他者でしょうか。それとも画面に表示されている文字でしょうか。 解らないはずですね。 「私は存在する」という事だけが確かですからね。 インドの天才君は、哲学者最高位さんを、私(神・自然)という全体の一側面から 私(神・自然)自身を観ている発言者とみなしています。 ここでもインドの天才君は、「自他の境界などはありはしないのです。」 という思想の根本が貫かれているわけです。 以上の思想を「我一人尊い絶対」などという解釈をするのは、 「私は存在する」という事だけが確かであるという観点から観れば、 それを思想する思考者自身が、「我一人尊い絶対」と思って思考するから そうなるだけの話しです。
875 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 09:21:27 0
お偉い先輩方の間に雑音を入れる失礼をお許し願います。 自分というものは、仏教の色即是空、また西田哲学の絶対矛盾的 自己同一という言葉に纏められるようにおもわれますが、どうで しょうか。 我思う故に我ありーーー現象世界の研究、つまり科学の基礎には デカルトが必要ですが、現象を超えた本質の研究には、仏教も必要 に思われますが。どうでしょうか。
876 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 09:27:58 0
そんなに我が在るのならなぜそんなに我にこだわるのかね?
877 :
禅の天才君 :2008/07/11(金) 09:29:06 0
>>875 こんにちは天才君です。同感です。
西田さんの思想は私は全面的に支持しています。
878 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 09:31:31 0
科学の基礎にはデカルトは不要である。 現象を超えた本質の研究には仏教は不要である。
879 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 09:37:11 O
哲学やる人さ 定義にこだわる人多いけど その定義は誰が決めるの
881 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 09:43:33 O
その真偽は誰が決めるの
882 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 10:21:14 0
皆が決めます。仲良くね
883 :
孤高の天才君 :2008/07/11(金) 10:35:31 0
真偽などは無いと私は決めています。だから答えが無い。 そんな私は時には、皆の決めた真偽を無視する場合がある。
884 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/11(金) 10:36:30 0
>>875 仏教といえば
お釈迦様は
「天上天下唯我独尊」と説いている
ちなみに
「色即是空」は、物質的なもの、形あるもの
また、それに付随する現象的なもの
更には
精神活動、流動する価値観その他は、「空」である
という事であって
「天上天下唯我独尊」「我の存在性」とは、明らかに次元の異なる問題
現代哲学の基礎が理解できないと、こんな簡単な事でも
頭がこんがらがるようですね
真理は人が決めるものではなく、そこにあるもの 君が決めれば世界は変わるのかい? ならヒラリーをアメリカ大統領にしてくれ
886 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 10:41:14 0
孤高の天才君のその発言の真偽もどうでもいいです。
謙虚に発言する学ぶ意欲のある若者に 哲学書を一冊も読んだことない奴があることないことテキトーに発言するんじゃない 「私の存在性」ってなんだよ、現代哲学ではまったく触れねーよ 以降、最高位が彼にレスをするの禁止ね そこの若者も、最高位はキチガイだから話し半分に聞き流しとけ
888げとずさー やりぃ!
889 :
完全なる天才君 :2008/07/11(金) 11:02:03 0
>>884 哲学者最高位さんの考えでは次元の異なる問題 として処理
してしまうというだけでしょう。
>現代哲学の基礎が理解できないと、こんな簡単な事でも
>頭がこんがらがるようですね
この発言は蛇足ですね。
890 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 11:02:26 0
>>882 >>885 「皆で決めます」 ただし、多少のケンカを伴います。
ヒラリーさんは多数(皆)を集められませんでした。
891 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/11(金) 11:05:44 0
>>881 真偽は、人間が決める決めないではなく、すでに決まっています
多数決ではありません
そして
すでに決まっている真偽を理解するために、論理性というものが必要となるわけです
しかし言うまでもなく
馬鹿な人や頑なな人などは、その論理性が、なかなか理解できないのは言うまでもありません
それは仕方のない事です
>>887 いやいや
私の発言を、論理性を以て訂正すればいいだけの話じゃないかね?
「読んだことないくせに!!」なんて、子供の喧嘩みたいなこと言ってないでさ
哲学の基礎なんて、学校で習ったわ(爆笑
その基礎を応用しただけの私の哲学に、キミらは手も足も出ないだけじゃないか
結局「哲学書を読んだ事もないクセに!!」としか言えないわけなんだよな
その辺の、情けなさを自覚しなさいよ
そして謙虚になって、基本に戻りなさい
そしたら、きっと新しいものが見えてくるからさ
則天去私
893 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 11:09:55 0
894 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/11(金) 11:11:54 0
>>893 またまた結局
キミらは、そんな事しか言えないわけなんだよな(爆笑
895 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 11:14:46 0
896 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 11:16:29 0
デカルトって近代哲学かと思った。
897 :
最高論理天才君 :2008/07/11(金) 11:20:31 0
>>891 哲学者最高位さん、論理性を追求するならば、以下の非論理的発言は
みずから放出する事を排除することが論理的であると論理的に思考しました。
>馬鹿な人や頑なな人などは、その論理性が、なかなか理解できないのは言うまでもありません
>それは仕方のない事です
>「読んだことないくせに!!」なんて、子供の喧嘩みたいなこと言ってないでさ
>哲学の基礎なんて、学校で習ったわ(爆笑
>その基礎を応用しただけの私の哲学に、キミらは手も足も出ないだけじゃないか
>その辺の、情けなさを自覚しなさいよ
>そして謙虚になって、基本に戻りなさい
>そしたら、きっと新しいものが見えてくるからさ
898 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/11(金) 11:22:16 0
>>889 で結局、結論は何?
何を主張してるの?
根拠も述べられてませんし
それじゃ、何の反論にもなってませんけど(爆笑
>>895 少しは自覚できたかね?
>>896 近代哲学でしょ?
デカルトが間違ってるんだよ。
最高位は哲学の基礎なんて何ひとつ知らんよ 現代哲学も何一つ知らん 合理性批判全盛のこの現代に、幼稚な発想で「論理、根拠」という言葉を幼稚に使っている さて、「論理的に考えれば(理性的に考えれば)、真理を獲得できる」という考え方はどのように基礎づけられているのかね? 現代哲学に精通した最高位君、答えてくれたまえ
901 :
説教の天才 :2008/07/11(金) 11:29:24 0
>>897 反論しているのではありません。
説教です。
902 :
895 :2008/07/11(金) 11:33:50 0
じゃあ、多数決でエッフェル塔から飛び降りた人の命をすくってくれ 世界は個人の決断や多数決と関係なく、そこにある 知識が世界と対応する限り 「真理」は多数決や個人の勝手な思惑をこえて、存在する
904 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 11:36:46 0
「真理」など始めから存在しない。 もともと無いものを探して三千年。
じゃあ、世界は存在しないんですか? 俺が「地球は平らだ」と思えば、地球は平らになるんですか?
906 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 11:41:18 0
>>905 世界は存在しないか? 地球は平らか? そうではない。
完全な真理には至れないということを言いたかった・・・
907 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 11:42:07 0
908 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/11(金) 11:59:03 0
>>900 >さて、「論理的に考えれば(理性的に考えれば)、真理を獲得できる」という考え方はどのように基礎づけられているのかね?
私がいつ、「論理的に考えれば、真理を獲得できる」などと言いましたかね?
キミは哲学する前に、もっと国語を勉強して、読解力を高めないといかんなぁ
909 :
やはり天才君 :2008/07/11(金) 12:06:18 0
正確には客観的「真理」は存在しない。 各自が各自の「真理」を発見するだけ。 で、 >俺が「地球は平らだ」と思えば、地球は平らになるんですか? こういう発言があるが、私はそうだと答える。 不可知論に見えるが中身は完全に不可知論など越えている。 【思ったことが実現している】【思っていない事は実現していない】 こういう真理を私は持っている。他の人はどうかは知らない。 私などは、この事実に気づかない人が多いはずだと思っている。
910 :
説教君 :2008/07/11(金) 12:21:40 0
>>908 哲学者最高位曰く、
>真偽を理解するために、論理性というものが必要となるわけです
>>900 曰く
>「論理的に考えれば(理性的に考えれば)、真理を獲得できる」
多少の違いはあるが、
合理性批判全盛のこの現代に論理性という一つの価値体系で、
真偽を理解する思考はどんなもんか?とこう問うているだけでしょう。
それを人の話もちゃんと理解せず、
>キミは哲学する前に、もっと国語を勉強して、読解力を高めないといかんなぁ
↑これはないでしょ。まるでご自身の事を言っている。
911 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 12:27:41 O
真理は、存在しているのでしょうか
912 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 12:46:52 0
>>909 こういう人には何人もあった。
越えているという言い方もそっくりだ。越えたあとやたら人のなついてくるのが
イヤだった。
ところでやはり天才君のその発言の真偽はどうでもいいのである
913 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 12:55:13 O
実現していると錯覚しているのでは
914 :
天才超越者(欄外人) :2008/07/11(金) 13:32:56 0
>>912 「越えている」この言葉にトラウマを持っているって事ですか。
私の言う越えているっていうのは、ただ越えているだけです。
欄外・既知外・価値体系から無意味って事です。
>ところでやはり天才君のその発言の真偽はどうでもいいのである
でしょ。まさに、あなたにとって私は、
「越えている」(欄外・既知外・価値体系から無意味)でしょ。
>>913 あなたが、そう思えば、そのように成ります。
これが、【思ったことが実現している】【思っていない事は実現していない】
という私の思想です。
915 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 13:58:42 0
916 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 14:00:34 0
917 :
既知外の天才の既知外 :2008/07/11(金) 14:12:51 0
>>915 はい、思っている事が発言によって表れるので、
思っている過去の出来事
>越えているという言い方もそっくりだ。越えたあとやたら人のなついてくるのが
>イヤだった。
だ、そうなので、これは思い出ですね。イヤという以上、
今のその人の自我形成に影響し、こういう言葉を吐かせた。
「行為」とは過去に原因があります。読み解けるか読み解けないかそれだけでしょう。
ふとした感想の中に、その人の本音が暴露されているわけです。
>>914 無用な発言であったと悟られたようですね。
918 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 14:36:37 0
>>719 トラウマなんて言葉は大げさですよ
>無用な発言であったと悟られたようですね
わざとらしい曲解はやめましょう。(笑
919 :
超越者天才君 :2008/07/11(金) 14:50:25 0
>>918 「越えている」私であるからそちらからみれば、
大げさに思われるだけです。
私にとっては普通です。
曲解でなかったと、
>トラウマなんて言葉は大げさですよ
という言葉でついに確信にまで至りました。
なんでもなければ大げさだとも思いませんよね。
920 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 15:05:32 0
>>919 どちらかというとトラウマと言う言葉がトラウマです
ネコも杓子も使うので(笑
>「越えている」私であるから・・・云々
なーも言うとらんね
921 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 16:00:55 0
なんでこうなっちゃうの。つまらん、つまらん。元凶はだれ?
>>921 元凶
・ラプラスの悪魔
・○○君
・ストレンジカメレオン
・唯識
923 :
素人 :2008/07/11(金) 16:58:19 0
924 :
素人 :2008/07/11(金) 16:59:32 0
自己顕示欲の強い人だなあ(苦笑
>>861 >>819 読んでみろ。最高位がアホなこと言い出して話が逸れてるだろw
それと論理は飛躍してない。自我は他者を認識することで確立するから、
他人だけの世界がありえないってのは当たり前の話で、
つまり私がいる原因は他人がいるからでFA。
>>925 (*゚∀゚)ゞ
弁明:
1、過去の発言・話題を遡るのに楽。文字通り“覚書”として。
2、他人のレスも採用。
3、返答無い場合の理由確認(“無視か見落としか”の確認。)
4、最高位氏への牽制w
928 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/11(金) 17:33:48 O
cogitoは別にして、自分と他人という図式で二項対立的に考えるのは良くないと思う。 他人にしても、他者という存在を想定して、他者の意見をしり、つきあううちに考え方 を学び、その上で色んなコミュニケーションをとっていくことで、その他者についての 像を自分の中に作る。これは、自分に対しても同じ図式が当てはまり、自分の考え というのを色んな場面で試されることで理解して、自分との対話を行う。自分とは 観点と身体であり、それ以上の自と他のく別は存在しないと思う。
929 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 17:57:35 0
>>719 >自分の居ない世界で、他人がいくら何かを認識しようが、何をしようが
>何も認識できませんよ
他人が認識してるじゃねーかバカ
この板一優良なコテの俺をクソの元凶にするなや わかってるキャラだぜ? ななーななー♪
>>928 >cogitoは別にして、
別にしちゃマズイでしょw
このスレでは、その“cogito”が問われているのだから。
で、その“cogito”と他の関係はどうなん?という問いも重ねられる。
「自分と他人」ではなく、「“cogito”と他人」という図式なのですw
>自分との対話を行う。
対話をするのは、誰と誰か?
このスレ的には、「“cogito”と“自分”との対話」ということになるのだろう。
このスレ的には、ね。
933 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 18:17:58 0
考えてる奴が考えてる奴を「我」と名付けたんだろ。 我は存在せず、まず最初に考えてる奴が存在した。
934 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/07/11(金) 18:25:40 O
cogito何とかを別にしたのは、これが通常の思考ではなく、禅のような特別な身振りの発言 だと思ったからです。他者に宣言するために、また自分の種にするために。通常の行動 の上に自と他を考えようと思ったので、cogitoは別にしました。
>>934 それもう哲学じゃないじゃん。
ふつうに自然科学でもやってなさい。
937 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 22:36:00 0
天才君は昔から棲息していると思うけど、なんというコテだったの? まさか、じいさんではないでしょう?
いくらなんでもじいさんとは教養が違うでしょ つまらない思想だけど、最近流行りの思想ではあるんだよな
939 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/12(土) 00:32:15 0
>>910 > 哲学者最高位曰く、
> >真偽を理解するために、論理性というものが必要となるわけです
>
>
>>900 曰く
> >「論理的に考えれば(理性的に考えれば)、真理を獲得できる」
>
> 多少の違いはあるが、
全然、違います
キミは哲学する前に、もっと国語を勉強して、読解力を高めないといかんなぁ
>>926 >
>>819 読んでみろ。最高位がアホなこと言い出して話が逸れてるだろw
アホなこと って、どれを指しているのかね?
>他人だけの世界がありえないってのは当たり前の話で、
自分が生まれる前には、他人(自分以外の人)しかいなかったと考えるのが普通じゃないかな?
「他人だけの世界がありえないってのは当たり前の話」と考える人は、ごくマレだと思うが?
>つまり私がいる原因は他人がいるからでFA。
他人は他人(自分ではない人)
当たり前だと思うのだが
自分以外の人がいても、自分がいるとは限らないだろ(苦笑
940 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 01:22:03 0
自分以外の人がいても、自分がいるとは限らないだろ と考えている自分がいることに気づけよ
>>939 どれっていわれてもな。全部としか言いようがない。
つかあんなに分かりやすくしてやったのに他人だけの世界がないってことが
まだ分かんないのか。他人がいる時点で既に自分がいるっての。
どうしようもねぇなまったく。
942 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 01:57:40 0
最高位は貧脳ゆえ、すぐに混乱する。 混乱しているという自覚がないから、毎度ばかばかしい話を繰り返す。 前回ヒントを与えてやったが、いまだ理解できないでいる。
943 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/12(土) 02:09:46 0
>>941 >他人がいる時点で既に自分がいるっての。
自分が他人を認識している時点で、自分がいる
の間違いだろ
>>942 あんた誰?
前回って、いつ?
頭、大丈夫か?
944 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 02:26:23 0
>>943 >前回って、いつ?
前スレでの話だ。もう忘れたのか?
客体化して考えるとは、“人間A.B.Cというように考えることだ”と指摘した。
これに対して他人・自分というのは、二項対立思考なんだよ。
君は、両方の思考・視点をごっちゃにしてしまっているんだ。
頭、大丈夫かって、心配したくなるのは、こっちだぜ。アホ殿よ。
>>944 ル・サンチマン™、絶対今日何かあったでしょ
>>943 間違いだろって、何だその文。分裂してるのか?
つか他人だけの世界がないってのは分かったのか?
947 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 02:32:33 0
>>945 絶対今日何かあったでしょ なんていう
バカ発見。これ珍事 w
948 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 03:07:04 0
他人だけの世界がないってのは、小5の子供でも分かることだ。
949 :
ネオマトリクス :2008/07/12(土) 03:52:27 0
最高位様、貴方様の独我論の敬意を表し 床を舐めつつレスします、おそらく貴方はモーフィアスだ。 こう述べればいいんです。 『俺に意識はないしー君らも物質で意識はないしー』 意識の存在は、存在しないという立場の方が強い。 証明の必要がないから。 すると、人間は意識がないという論が一番強い。 つまり誰もが哲学的ゾンビ。 で・・・こうなると、誰も意識がない哲学的ゾンビだけど 『この思考とこの感覚』 だけは存在するんですよ。 いや、この私とかこの人間とかではなく・・・『この思考とこの感覚』です。 全ては『この思考とこの感覚』という独我論・唯識論のようなのが 理論的な記述です。
950 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 04:05:08 0
“意識”と“機能する意識”を区別しないとw また、 意識不明のまま生活できるのか とか 言われるだけだぞ
最高位って私とか意識について何も分かっていないくせに、 偉そうに私について語って哲学者気取りをしてるから、 議論が噛み合わないんだと思う。
952 :
天才君と遊ぼう :2008/07/12(土) 06:30:31 0
観察者(私)と観察される者(他)は同時に生まれるのである。 そしてそれを生んだのは人間が物には名前をつけた。 ここから始まった。 私は私しかいないと論じると同時に、他者しか居ないと論じても 神しかいないと論じても同じ事である。 だから全ての思想を含んでいるが、すべての思想とも違う。 私が持っている真理の一つに、【発見と創造は同じである】 というものがあるが、他者を発見すると同時に私が在る。 私を創造すると同時に他者が発見される。 要は認識・意識・認知されたものは、常に、 観察者(私)と観察される者(他)は同時に生まれるのである。
953 :
未来の天才君が過去の天才君を語る :2008/07/12(土) 06:38:11 0
>>937 天才君は天才だから、誰の中にも天才君の一部がいることを
知っています。じいさんは天才君からみると、社会的な観点に
優れた常識という物に敬意を払う立派な方です。
一方、天才君は、社会的規範・倫理・理念などの客観的真理を
流行であると一喝するバカ(共同体崇拝思想からみれば)です。
では、この天才君は社会性があるかといえば、役者ですから
ちゃんと生活していることでしょう。
しかし天才君故に、思考はなにものにも縛られないが、
唯一、神と共に成長している行為を形成しています。
954 :
天才君のカルマ :2008/07/12(土) 06:47:01 0
>>938 そうです、天才君の思想は実につまらない。
同時に最近流行。
私は昔から生きており、現代という過去に戻ってきている。
それを過去である現代人とともに生きようと決め、
ここに棲んでいる事を知っています。
いきなりカルマの話をするならば、そういうカルマを
背負っている。私の記述とは、実は自分自身のカルマを知る事です。
俗にいえば、使命の自覚。生きる意味ですね。
人生には意味は無い、ようるすに世界は意味は存在していない。
単にステージが用意されているだけです。
そこでどう考え、どう振る舞い、何を実現するか?
これだけなのです。
意味を解き明かすのは世界ではなく、私自身のカルマを解くだけで、
全て解る。どうにでもなるということがね。ようするに、行為と選択。
これを毎日人は行っている。人は過去に縛られているのではなく、
実は未来に縛られているわけだね。
それが共同体崇拝にしか見えないところが 君の思想の稚拙なところなのだよ 流行に流されず、自分の脳でもう一度考えてみてはいかがかな
956 :
他人の業を語るバカな天才君 :2008/07/12(土) 06:56:55 0
>>951 その通りでもあるが、天才君の観点はあなたとは少々違う。
哲学者最高位さんはあれでいいんです。彼の発言の文末に常に
本音が隠されています。
実に常識的で論理的で合理的です。
人は牢獄に住んでいますが、私自身は神の牢獄に住んでいるとも言える。
哲学者最高位さんの牢獄は自らの思想の根底にある私自身でしょう。
よって他者との共同作業で自らの使命を確認してゆくスタイルを
もつカルマ(行為)を演じる実体でしょう。
まあ、何かを解決したいのでしょう。
取りあえずは、多様性の尊重でしょうね。
つまり生命平等の原則に目覚めていないだけの事です。
957 :
考えないから天才君 :2008/07/12(土) 07:02:46 0
>>955 >自分の脳でもう一度考えてみてはいかがかな
あなたが共同体崇拝者でなければ、考える等ということは
言わないはずです。
私のスタイルは考えない。既に知っている事を
行っているだけです。考えているのでは遅いです。
結果に振り回されるだけです。
結果から結果を解いても、結果に振り回されるだけでしょう。
958 :
ケチな天才君 :2008/07/12(土) 07:19:22 0
私が共同体崇拝者共とみなさんに向けて語るのは、 理由がある。 実は自我崇拝です。なんでも人格と結びつけてしまう癖。 この社会は自我が存在し、それを楽しませる為につくられる 共同体です。 みずからの悔いや過ちを温存し、隠し通し、その反動を 物質で補償する。そして金を集める要するに食う。 劣化補償を物質やシステムそれだけではない、他者で行う。 そのために他者はけ落としてもなんの問題も無い。 むしろ、他者はカモである。こう考えるのが自我です。 そうですね。自信や尊厳を他者から奪うのがこの掲示板でも 流行りですね。ちなみに、私からは何も取れません。
考えるだけならば、共同体は維持されるとでも? その新しい発想の可能性を考えてみもしない頑なな態度は、 君が嫌うはずの共同体主義、全体主義そっくりではないかね?
960 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/12(土) 07:22:10 0
悪魔信仰ですよ 弱肉強食とはそういうことです
961 :
天才君って最高 :2008/07/12(土) 07:29:06 0
>>959 私は共同体は嫌っていないですよ。そういうものが共同体っていう
だけです。単なるステージです。共同体に何の意味も無いですから。
むしろ、どう活用するか?
ようするに、自我、共同体などは、私にとっては、道具ですね。
ここで、自我意識は誤解すると思います。
道具という言葉ですね。道具は大事に活用する。
身体と一体となって使えて初めて上手に使える。
言葉に上下も善悪も無いのです。
962 :
ひつじかいの天才君 :2008/07/12(土) 07:38:20 0
>>960 >悪魔信仰ですよ
>弱肉強食とはそういうことです
上手い言い回しです。自我の特性はそういうものですね。
自我を手なずけるには、エサをやらない。
あるいは、エサをやる。
尊厳を与えない。真実を語る。
また弱肉強食でいう強弱は、かりに戦いであれば、
最初から決まっている。強い物が勝つ。そんだけですね。
だから強いものは弱いものをイジメテはいけないという
倫理・道徳が成立しているが、これは弱者をのさばらす結果に
なっている。
自我に使われず、使う立場になれば、天下無敵です。
つまり敵が居ないという事です。ひつじかいですね。
道具としての有用性を確保するには 言葉に、いくつかのきめごとを課した方がいいと思うが 矛盾した言葉は、何も表現できないがゆえに そうでない言葉より劣位にあるのではないかね?
ネガティブキャンペーン乙 共和党もびっくりの広報活動ですね もう落ちるよ 僕はストレンジカメレオン ななーななー♪
965 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/12(土) 08:49:40 0
>>941 >つかあんなに分かりやすくしてやったのに他人だけの世界がないってことが
>まだ分かんないのか。他人がいる時点で既に自分がいるっての。
大丈夫かね?
たとえば 、天変地異が起きて、人類のほとんどが死に、自分も死んで
誰か自分ではない人(他人)が、一人だけ生き残ったとしましょう
そういう事(自分以外の人が生き残る事)がありえない と言うわけですかな??
>>944 >前スレでの話だ。もう忘れたのか?
あんた名無しなんだから、誰なのかわかるわけないし、覚えてるわけないだろ
自意識過剰というか、名無しなのに自分の事を、ちゃんと区別してくれると思っている所が異常者だと言ってるんだよ
>客体化して考えるとは、“人間A.B.Cというように考えることだ”と指摘した。
>これに対して他人・自分というのは、二項対立思考なんだよ。
>君は、両方の思考・視点をごっちゃにしてしまっているんだ。
ごっちゃにしてるわけないだろ
彼は
>これに対して他人・自分というのは、二項対立思考なんだよ。
↑
コレしか思考できないみたいだから指摘してやってるんだよ
「自分が生まれる前には、他人(自分以外の人)しかいなかったと考えるのが普通じゃないかな? 」とね
二項対立が成り立つのは、「自分が居る」という事が前提なんだよ
自分の観念の中の話なんだからね
自分が居ない世界の可能性を、最初から考慮に入れていないわけだから
完全な独我論的観点だと言える
「自分が存在しなくても、世界は存在しているかも知れない」と考えれば
二項対立なんていう考え方はしないんだよ
966 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 09:03:14 0
ほんとアホなやっちゃなーw 名前がついていれば 指摘されたことを覚えているとでもいうのか それに ハンドルネームがついていても ほんとうは誰なのかはわからんだろ
967 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 09:06:37 0
アホ(最高位)とバカ(天才くん)です
968 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 09:11:45 0
>ちゃんと区別してくれると思っている所が異常者だと言ってるんだよ かってにそう思える君はまさに電波野郎ですね 誰も “おいらのこと 覚えいてるか?”なんて言ってないのだよ
969 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 09:24:02 0
「自分が生まれる前には、他人(自分以外の人)しかいなかったと考えるのが普通じゃないかな? 」 というのは二項対立思考。 自分VS他人なのだからw
970 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/12(土) 09:27:17 0
>>966 知らんがな
名無しを区別できるのか?っつー話だろ
名無しで書き込んでおいて、「自分は区別してもらえてる」と思い込んでるとしたら
頭悪すぎないか?(爆笑
>>967 そういう子供みたいな抵抗しかできんのって、ミジメじゃないか?(苦笑
あ
キミ、もしかして子供?
>>968 はぁ?
私に抵抗しようとしてくる人は多いのに、あんたが誰だかわからなければ
どの反論の事なのか、そんなんわかるわけないんだよ
相手がイチイチそこまで考えてくれると思ってるわけか?
甘えすぎなんだよ
人に喋りかけるのに、自己紹介の必要性や
そういった配慮を、少しも感じていないところが、普通じゃないんだよキミ
>>969 で
自分が生まれる前にも、自分はいたのかね?
というか
自分が居なくても、自分以外の人がいれば、自分も居るのかね??
全く意味が通じんと思うが(爆笑
971 :
967 :2008/07/12(土) 09:30:52 0
○◎保育園洟組です。 最高位ちゃん。よろちく
972 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 09:39:27 0
>>970 誰も “おいらのこと 覚えいてるか?”なんて言ってないのだよ
と言っているのに
名無しで書き込んでおいて、「自分は区別してもらえてる」と思い込んでるとしたら
頭悪すぎないか?
とさらに書き込むところをみると 相当な電波野郎ですね、君は。あきれたw
最高位は読解力がないから
974 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 09:47:23 0
>自分が居なくても、自分以外の人がいれば、自分も居るのかね?? どんだけアホ? 人間Aが居なくても、人間Bや人間Cがいる可能性があるっていうだけのことだろ。
975 :
974 :2008/07/12(土) 10:01:09 0
また、人間Bや人間Cがいても、人間Aがいることにはならない。 これだけのことだ。
976 :
素人 :2008/07/12(土) 10:16:39 0
横から失礼w
>>970 >名無しを区別できるのか?っつー話だろ
違いますよw
「レスの内容を憶えているか?」という話です。
「誰の発言か?」は関係ありません。
後日、「ああ、あれは君だったのか」と後から発話者が区別されても構わないのですw
発話者が区別されなくても(特定されなくても)構わないのですw
レスの内容さえ把握されていれば・・・。
977 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/12(土) 10:28:51 0
>>972 「おいらの書き込みを忘れたのかい?」でもないのか?
じゃあ、どうして欲しいのかね?
>>974 だったら
人間Bが、人間Aの原因にならんだろ
すなわち
自分以外の人が、自分の原因になる事は、ないわけだ
>>976 あのな・・・・
話の流れ、わかってんの?
942 :考える名無しさん:2008/07/12(土) 01:57:40 0
最高位は貧脳ゆえ、すぐに混乱する。
混乱しているという自覚がないから、毎度ばかばかしい話を繰り返す。
前回ヒントを与えてやったが、いまだ理解できないでいる。
943 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/12(土) 02:09:46 0
>>942 あんた誰?
前回って、いつ?
944 :考える名無しさん:2008/07/12(土) 02:26:23 0
>>943 >前回って、いつ?
前スレでの話だ。もう忘れたのか?
↑
この会話で、何を思い出せと???(爆笑
978 :
素人 :2008/07/12(土) 10:35:25 0
>>977 釣り・・・だよな?w
でなきゃ、救いようのない馬鹿だ。
979 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/12(土) 10:44:16 0
>>978 ん? なんで?
実際、私は何も思い出さんかったけどな(苦笑
いや
思い出す思い出さん以前に
あの会話で思い出してくれると思っている発想じたいが、甘えすぎ
しかも、前スレで名無しで書いた内容を、いきなり「忘れたのか」?と
平然と言い放つ神経は、異常だと言わざるをえないね
自意識と、依存心が強すぎるんだと思うな
980 :
素人 :2008/07/12(土) 10:59:33 0
ならば、 「似たようなレスがいっぱいあって判らんよ。 それに、興味が無い(→重要とは思われなかった)ので記憶に残らなかったよ」 と答えればいいのです。 確かに、貴方の指摘する通り唐突な物言いであるとは思います。 ですから、その段階では口を挟まず、944で内容が提示された所への970で横レスを入れた。 貴方が、 >実際、私は何も思い出さんかったけどな と言うように、 貴方にとって重要と感じられなかった内容だったのでしょう。素直にそう言えばいいのです。 誰の発言か?は関係ないのです。(944さんがどう考えているかは知りませんが・・w) それを、「誰だかわからんだろ?w」という言い方に固執していたので横槍を入れただけです。 茶々入れ失礼しました。どうぞ、お続け下さいw
981 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/12(土) 11:11:34 0
>>980 >誰の発言か?は関係ないのです。(944さんがどう考えているかは知りませんが・・w)
思い出す為のキーワードになるでしょう
こっちはそこまで親切に質問したり
名無しだったら誰が誰だか、区別がくかんのよ とね
更に常識的な考え方の指導までしてあげてるんだよ
もうちょっと、当り前の発想で接してもらえんかな
頭の悪い人が多すぎて、正直困るんよね
982 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 11:17:13 0
自分が神だと思ってるようなやつ もうほっとけば?
>頭の悪い人が多すぎて、正直困るんよね お前より頭の悪い奴は滅多にはおらんw
984 :
素人 :2008/07/12(土) 11:37:42 0
>>981 常識的で当たり前の発想なんですけどねぇ・・・w
>思い出す為のキーワードになるでしょう
これは勿論、仰る通りです。コテ(名前欄)の主要目的・利用法でしょう。
けど、それが絶対でありその条件が満たされていないものは欠陥レスだ、みたいな
貴方の物言いが可笑しかったので・・・w
具体的な事例でいきましょうか。
あるCMで曲がかかった。
a「お、いい曲w 誰の歌だろ?なんて曲名だろ?」
b「あ、なんか曲かかってる」
この時、後日ラジオで同じ曲がかかった時
aの流れならば、「あ、あのCMで流れてた曲! そうか、これだったのか」
bならば何も感情の動きはないでしょう。ただ、曲が流れているだけです。
「どっかで聴いたことがあるようなないような・・・。ま、いいかw」
どちらにしても、「誰の歌か、何という曲名か」という情報は、後から出てくることで、
『最初の段階では』(貴方の言う)キーワードとしての情報はありません。
でも、無問題でしょ?w
この時、
「誰の歌か、何という曲名か、提示されていないのはおかしい!」
「誰の歌か、何という曲名か、提示されていないから思い出せない!」
と、声を荒げる方が非常識な気もしますが如何?w
985 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/12(土) 11:50:03 0
>>984 b「オレの曲を聞かせてやっただろ」
a「知らんなぁ・・・あんた誰? いつ聞かされた?」
b「前回のロックフェスティバルで出てただろ」
a「そうなん?名前は何?」
b「匿名だけど、すごい曲なんだから、覚えてなきゃバカだぞ」
a「はぁ?」
自意識と依存心が強すぎると、こうなる(爆笑
986 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 11:57:10 0
注意されたのにそれを覚えていないのはよくないと思うよ 少なくとも気には留めておくべきじゃないかな
987 :
素人 :2008/07/12(土) 11:58:28 0
>>985 もし、それだけのやりとりだったら、横入りしませんでしたよw
貴方の方が筋が通っている。
が、944で内容が(概略にしろ)提示された後も、「名前」にこだわってらっしゃったので・・・。
985的に言うならw
b「ほら、こういう曲だよ」(と実際に聞かせる)
a「ふうん。でも、名前言ってなかったから憶えてないよ」
b「いやいや、名前は判らなくても【曲自体】は憶えてないか?」
a「名前のない曲を憶えてるわけないだろ?名前(というきっかけ)がなきゃ思い出せないだろ?」
b「・・・・・」
と、こんな感じですかね?(爆笑
988 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/07/12(土) 12:11:06 0
>>987 >が、944で内容が(概略にしろ)提示された後も、「名前」にこだわってらっしゃったので・・・。
それはソレ、これはコレ
内容に対しても、ちゃんとレスを返している
最初から、それを書けばいいんだよな
誰が誰だかわからんのに
>前回ヒントを与えてやったが、いまだ理解できないでいる。
とか
>前スレでの話だ。もう忘れたのか?
なんて言ってくるから
「あんた自意識過剰なんじゃないの?名無しはイッパイいるんだから、発言するなら相手の立場に立って、せめて常識でものごとを考えなさいよ」
という事を指導しているわけだよ
普通で考えなさい って事だな
>>965 なんで前のレスに返してんだよ。アホか。
そしてなんで天変地異の話になってんだ。バカか。
自分が死んだら他人も糞もあるか。マジでオツム弱いな。
990 :
素人 :2008/07/12(土) 13:24:14 0
スパゲッチー(゚д゚)ウマー
>>988 >それはソレ、これはコレ
逆境ナインかよwww
>内容に対しても、ちゃんとレスを返している
>最初から、それを書けばいいんだよな
だから、『その点に関しては』貴方の方が筋が通っている、と言ったでしょう。
(もっとも、そこへ咬みつかず「洞察・推察して」ゆくのが大人の対応だと思いますが・・・w)
で、御自身の「内容が提示された後も“名前(欄)”にこだわり続けた」失態についてはスルーですかw
相手の非だけを拾い上げ、自分の非についてはどっかに放っぽり出す、と。
ほんと、中国人や半島人の議論展開そっくりだよw ひょっとして在日か?(爆笑
貴方のレスの仕方は、そんなのばっかりです。(長い付き合いで、大分慣れましたけどw)
たとえば、
1レスの中に 〔導入・引用・“意見”・“考察”・感想・余談・ジョーク〕 などと複数要素がある場合、
そのうちの“意見”“考察”の部分に触れることが少ない。
あまつさえ、導入や余談・ジョークの部分にしか触れていないのに、
「ちゃんとレスしただろ!」と豪語する。
主要部分については、あたかもそんな文章なぞ無かったかのようにスルーを続けうやむやにする。
勿論、触れる義務はない。ここは2chだ。暇つぶしのカキコでも構わない。
が、他人に対しては
「論点を明確に」とか「厳密に」とか「具体的に」とか「論理的に」とか
強く要求しておいて、(御自身がそれを殆どしていないのは措くとしましょうw)、
その要求に答えたレスがあっても、『その部分には』触れず、
体裁や流れ上付加された文章にのみ反応する。
慣れてきたとはいえ、度を超すと少々イラっとくるんですよw
992 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 14:21:01 0
>>990 最高位に粘着している側が、そのつど論点を明確にする責任がある。
なお、最高位は特定の誰かに粘着したことはない。強いて言えば、
持論に拠りつつ、その論破に固執したのは唯物論。じゃない?
素人の最高位分析?は面白いな。あるあるwって感じ。 最高位は人に根拠とか尋ねまくるくせに、いざ自分の番になったら 無視したり消えたりで本当に誠意がない。 最高位は絶対に認めないだろうが、端から見て敗北者そのものに見える。
自演乙
自演するまでもなく、みんな抱いてる印象だと思うぞ。 おれも前に同じようなことあったし、他の人の議論見ていても同様だ。 あれを援護できる奴こそびっくりだろ。議論向いてないよ。
最高位は自分の考えに異を唱えられても聞く耳もってないからね 彼が生きている間ずっと同じ内容の言葉を繰り返すだろう まるでテープレコーダーだ
最高位を批判するもので、最高位のいうことをちゃんと理解したうえで 批判しているのは感嘆子くらい。 といっても彼はどうでもいいところしか突っ込んでないから 最高位も相手するのはめんどくさいだろう。 あとは理解すらできていないで批判したつもりになっている馬鹿ばかりだな。
998 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 15:52:27 0
そういうテープレコーダーを無視できず、ついレスしてしまう哀れさかな。
999 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 15:56:35 0
ここには西田の影響下にある人たちも多いようなので、 次スレはそのあたりからお願いしたい。
みんな優しいから、バカを見捨てないで言葉をかけるんだよ バカに何を言っても伝わらないなら 悲しすぎて天才君のようになっちまうよ 最高位は言葉の使い方がひどい 彼の言う「論理的」って 哲学で言う「論理的」と違う 最高位は論理学の存在も知らなかったし「一般的な『論理的に』だ」そうだw そんな最高位の発言を理解するのはとても難しい なんせすぐ「俺がいつそんな発言をした?」だからな
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