1 :
考える名無しさん:
もう少し続けてみるか。
2 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 08:30:12 0
アバウトな、こっちに記念パピコン。
3 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 09:10:21 0
もう一つ立っているのに気づかなかった。すまん。こちらは、休眠、な。
>>3 立ったのも、告知も、1000ギリギリだったからなw
【私】を記述してください。【私の存在性】 9
として使用すればいい。
5 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 11:25:41 0
キーポイント
611 名前:考える名無しさん sage 投稿日:2007/10/27(土) 15:07:56 0
事実、最高位は今肉体に依存している。
彼は絶対にこれを否定出来ない。
この事実を持って最高位の主張は破壊されている。
700 名前:唯識 ◆Vidya0E1.s 投稿日:2007/10/28(日) 02:49:15 0
>>696最高位さん
そもそもデパートのように全てに対応できる
総合商社のような理論などあり得ない訳でありまして
唯物論が説明できる範囲というものがあるでしょう。
説明できないからそこのお店はダメと言われるなら
他のお店を当るしかないでしょう。
でなければただのクレームをつけるお客さんに過ぎませんよ。
7 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 12:44:34 0
最高位は、重ね合わせ状態や縮退の意味はわかっているの?わかってないの?
>キミは、どういうイメージで、『私』は唯一ではないと主張しているのか
そんな主張はしていない。唯一であるという根拠は何かと聞いているだけ。
8 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 12:45:13 0
>私は唯一であり、それは私にはならないんだよ
唯一である根拠はなんでしょうか?
重ね合わせ状態や縮退していないとなんで言えるの?
重ね合わせ状態ってなんのこと?
物理の話だったらちがうところでやってね。
868 考える名無しさん sage 2007/10/29(月) 10:24:53 0 (感嘆子)
>>
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1192981008/771 >問題は、「これ」が「他人」ではなく『私』になっているのは何故なのか。
>『私』が(「他人」としてではなく)今此処に顕現しているという事に何か法則性はあるのか。
>それは物理主義的な考え方で説明がつけられるものなのか。
>という事なのですけど、途方もなく知識が不足している為に、解らないとしか言えません。
申し訳ありませんが、これは全くの誤解です。
「これ」が『私』になっているのではなく、『私』とは「これ」という意味であって、
それ以外の意味はないのです。「これ」抜きで『私』を定義づけることは、
ついにできません。
従って、『私』が他人として今此処でない何かに顕現することは、論理的に不可能なのです。
(すでに今此処に存在して意味を持った『私』が他の人体や他の場所や他の時間に
同一性を保ったまま移動することは、無論論理的には可能です。場所や時間については、
むしろ当然です。)
ですから、これは物理主義云々とも知識の過不足とも全く関係はありません。
純然たる「定義」の問題に過ぎないのです。
もちろん、「人体という物質の組み合わせから自我という奇怪なものが発生するのは
なぜか(というか、そもそも発生しているのか)?」というのは、物理主義的な考え方で
説明がつけられるかどうか解らない大問題に違いありません。
11 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 13:08:38 0
12 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/30(火) 14:14:37 0
私とは、いったい何なのだろうか
「我思う故に我あり」
「あり」である事は、どうやったって否定する事ができない
この「あり」であるとしか言えない「私」は、いったい何なのであろうか
唯物論者は「それは脳による物理現象だ」という
なるほど、素朴に考えるならば、確かに脳の働きである としか考えられない
私も、ずっと、そう考えていた・・・・
しかし、もう少しよく考えてみて欲しい
この脳は、他の脳と、「物体」という意味では丸っきり同じである
何も特別な存在というわけでもなく
紛れもなく、その他の脳と差別されない客観的存在であるはずの物体 の働き
であるのならば
それはべつに、私である必要はなかったんじゃないのか
なぜ、この物体が私なのか
その原因的根拠を探る必要があるのではないか?
これは当たり前の問題意識であろう
そこでだ↓
同じ物理的構造、同じ物理的状態 は
複数、作成する事が可能である
ゆえに、私の体という物体においても
原理的には同じ構造のモノは作成が可能である(技術的問題は置いておくとして)
しかし、私はココにいて唯一絶対であるが故に
この体の物理的構造に、私の原因的要素を発見する事は
100%絶対に不可能である という結論以外には、ありえない
私は間違いなく、物理現象による因果関係の論理性を超越して存在している
全ては物理現象にすぎないとする唯物論は、間違いなのである
13 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/30(火) 14:25:38 0
問題は「私を現象させている構造は何なのか」なわけですよ
そこで、可能な限り、思いつく限りの事を想定しても
絶対に『私』は、物理的構造に還元する事が不可能である
という結論以外にはありえない という話です
物理的な何を、どうやったって
何を、いかにしても、絶対に『私』は作成されません
絶対にです
「たとえ、全く同じ物理的構造のモノを作成したとしても」という事です
たとえ、宇宙をもう一つ作ったとしても、私はココにいる唯一人だけなのです
>>12 パソコンは作成可能ですか?
パソコンの構造は何ですか?
パソコンは還元可能ですか?
16 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 14:32:13 0
>>13 可能な限り、思いつく限りの事を想定したその過程を開示してください。
是非お願いします。
【パソコン】を記述してください。【パソコンの存在性】
パソコンは何故リンゴでなくパソコンなのか?
パソコンの原因的根拠を探る必要があるのではないか?
これは当たり前の問題意識であろう
18 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 14:42:32 0
>>13 >私は唯一であり、それは私にはならないんだよ
唯一である根拠はなんでしょうか?
重ね合わせ状態や縮退していないとなんで言えるの?
私を現象させている構造が具体的にどういうものかは知らんけど、
脳には睡眠を実行する機能があり、それに逆らえない自我の立場を見ても、
機械的構造の存在は無視できない。ってか全てそれに従属している。
それ関係ないから。
944 776 sage 2007/10/29(月) 22:05:05 0
@
>>10 ちょっと違うと思います。
うまく言えないんですがこれは定義の問題と答えるのではなくもっと実質的な説明が可能だと思います。
もし>>
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1192981008/771 の問いが
>問題は、『私』が「あれ」や「それ」ではなく「これ」なのは何故なのか。
というものならそれは定義の問題だと思うし実際俺も前スレで「文法的な事実」という答え方をしました。
でも、実際の問いは
>問題は、「これ」が「他人」ではなく『私』になっているのは何故なのか。
です。
『私』は「これ」なのですが、「これ」であれば必ず『私』であるわけではありません。
「これ」が『私』であるのは「これ」が手もとの鉛筆やパソコンではなく「これ」が「これ」自身を指しているときだけです。
「これ」が「これ」自身を指すような能力を持つのは多分「これ」が主観的な意識であるときだけです。
「これ」が『私』なのは何故か、という問いに「これ」が主観的な意識だからだと答えることは結局は定義の問題になるのかもしれません。
けれども文法的なものも含め『私』の性質を主観的な意識から捉えてみることは
単に定義の問題だと答えるよりは望ましいものだと俺には思えます。
960 考える名無しさん sage 2007/10/30(火) 03:12:05 0
@
>>10 >「これ」が『私』になっているのではなく、『私』とは「これ」という意味であって
至極尤もです。ですが、この表現は最高位さんとの話の流れで「これ」としただけでして、
意味としては「或る人体」だと考えて下さい。幾つでも作成できる人体の内の一つを指しているのです。
脳細胞が『私』と対応しているのだとすれば、脳細胞を順次入れ替えていった場合、『私』は消滅する筈です。
しかし脳細胞は分子レベルで別の物質に入れ替わっている。では『私』は何に基づくのか。
入れ替えても保たれている何かがあるのではないだろうか。脳細胞には新陳代謝がない。
とすれば、信号経路は維持されているのだろう。他には?等々・・・
貴方の言うように『私』は「これ」だとするならば、代替可能な全てを削ぎ落として「これ」だけを残したなら人体の何が残っているのか。
その「これ」に唯一性があれば、誰になってもおかしくないという考えは否定されます。
所謂魂が浮遊していてたまたまその人になったというような。「これ」だから「この『私』」しかあり得ないと断定できます。
>『私』が他人として今此処でない何かに顕現することは、論理的に不可能なのです。
他人としてではなく、です。先程の「これ」と対応するものが完全に解明されたとした場合、
其れを何らかの方法で維持するか、再構成する事で、特定の『私』をいつでも顕現させられるのかどうか。
多分、「これ」と対応するものを構成してやれば誰かの『私』になる筈ですが、
其れは必ず特定の『私』になるのか、別の新たな『私』となるのか、そうなる理由は何なのか。
『私』とは再現可能な何かでできているのか、再現不可能な何かであるのか。
と、こういったような事がもし解るのだとしても、まだ遙かに先の話だと思えると言いたかったわけですが。
23 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/10/30(火) 16:58:59 O
最高位さんの問題意識というのは、主観と客観の問題ではないかな。「私」は
主観的に捉えられる物で、客観的に見た場合、「私」は消えざるを得ない。主観
も客観も同時に成り立ちうる物だから、いま「私」である物が外から見ると
そうではない、というところに矛盾を感じていらっしゃるのでは。
最高位
パソコンは物ですか?
パソコンは作成可能ですか?
パソコンは還元可能ですか?
パソコンの構造は何ですか?
パソコンの原因的要素は何ですか?
他人にも主観性があるのならば何故「私」にならずに他人になったのだ?
私だらけになるはずではないのか?
他人にも主観性があるなら主観性が私の根本ではないな
他人にも存在性があるならば存在性が根本でもない。
28 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/10/30(火) 19:32:52 O
25
ひとにはその人なりの主観性というものがあり、それぞれに私であるがある主観に視点を固定すると、ほかのものは他になる。
980 考える名無しさん sage 2007/10/30(火) 10:59:11 0 (感嘆子)
@
>>21 >けれども文法的なものも含め『私』の性質を主観的な意識から捉えてみることは
>単に定義の問題だと答えるよりは望ましいものだと俺には思えます。
文意を完全に汲み取れていないので答えになっていないかもしれませんが、
『私』の定義に主観的な意識であることが含まれることに異論はありません。
個人的には「「現にこの物体(哲学者最高位という人体)に付随して存在している
主観性(の背後にある何か)」というのを一応提案しておりますがw、
とにかく肝心なのは、『私』が「あれ」でも「それ」でもない特定の「これ」を
指す限り、「普遍化可能言語」をいくら並べても、その定義にならないことは
当たり前である、ということです。
個物の定義には他の個物が入らざるを得ません。個物というのは現実に存在する
この世界という個物の特定の一部分のことなのですから、当然です。
その個物が現に持っている性質(主観性であるとか純粋な存在性?であるとか人間で
あるとか何とか)なら、普遍化可能言語で記述可能ですが、それをいくら並べ挙げても、
その個物の定義にはなりません。
さらに、個物が現に持つ性質のどれを失ったらその個物でなくなる(その個物は消滅する)
ことになるのか、それはほとんど解釈によるとしか言いようがありません。
最高位氏が「なぜこの体が私であって他人でないのか、この体の物理的性質から
説明できないだろう」と言われるので、「それは定義の問題だから説明できないのは
当たり前です」とお答えしたわけです。
さらに、「私が主観性でなくなっても、この体が消滅しても、私は私として存在する
ことが可能だ!」と言われるので、「その場合の私というのはどういう意味ですか?」
とお尋ねしたわけです。無論お返事はありませんがw
984 考える名無しさん sage 2007/10/30(火) 11:04:50 0 (感嘆子)
@
>>22 >その「これ」に唯一性があれば、誰になってもおかしくないという考えは否定されます。
>所謂魂が浮遊していてたまたまその人になったというような。「これ」だから「この『私』」しかあり
>得ないと断定できます。
お話はわかるのですが、私が言いたいのは、まさに「誰になってもおかしくないという
考えを否定する」ためには、「これ」の唯一性を突き止めることなど不要である、という
ことなのです。
というより、唯物論的に考えれば、「これ」というのは一回性の出来事、この世界の
特定の時間に特定の場所に発生した特定の人体の脳細胞の特定の構造と運動のこと
なのであって、否応なく「唯一」なのです。というか、世界にあるどんな物質も構造も
運動もすべて唯一であって、本当は「固有動詞、固有形容詞、固有副詞」等々によって
記述しなければならないわけですが、しかし言語というのは世界を同一性によって
捉えるためのものなので、それでは意味がないからそうしていないだけのことです。
>脳細胞が『私』と対応しているのだとすれば、脳細胞を順次入れ替えていった場合、
>『私』は消滅する筈です。
ですから、ある時点の特定の脳細胞群(もちろんそれだけではないですが便宜上)の
特定の組み合わせがすなわちその時点の『私』の原因だということになります。
そして、肉体の質料はつねに入れ替わり構造も状態も常に変化していますので
(静止していたらそれは死んでいるということなので、常識的には自我になり
ようがありません)、次の時点の特定の脳細胞群(前の時点とは違う)の
特定の組み合わせ(前の時点とは違う)がすなわちその時点の『私』の原因だと
いうことになります。
985 考える名無しさん sage 2007/10/30(火) 11:07:52 0 (感嘆子)
(続き)
「それでは、『私』の同一性はどこにあるのだ?」と言われそうですが、
『私』の同一性は現時点の記憶と、カタマリとしての人体の時空的連続性によって
判断されるもので、本当は極めてあやふやです。ですから、その意味での
『私』の同一性は「言語的解釈の上にある」としか言いようがないでしょう。
最高位氏の好きなw「この体のコピーを作る」話において、仮に唯物論が
正しいとすると、そのコピーには元の体と寸分違わぬ自我が発生するはずですが、
その自我は、当然「私は何十年も前から存在する唯一のこの『私』だ!」と
主張するでしょう。客観的にはそれは間違いだと判断されるでしょうが、それは
肉体の時空的連続性がないからでしかありません。
「この体が二つに分裂する」話だと、文字通り「一つだった『私』が
二つの別個の『私』に分裂する」ことになります。これは別段不思議でも
矛盾でもありません。現在の『私』の後継者が未来においても一つしかない、
というのは、「経験的にそうである」という以上の意味はありません。
このように、『私』の通時的同一性というのは極めてあやふやなもので
あって、とても「純粋な存在性」などと言えるものではありません。
『私』とは特定の瞬間の特定の場所にしか存在できない何かであって、
その通時的同一性は仮想のものだ、と言っても、間違いではないと思います。
この体が死んで消滅して百年後にコピーを作る場合と、この体が夜眠って
主観性である意識が消滅して、翌朝目覚めて主観性である意識が発生する
場合と、どこが違うのか、実は本質的には違わないとも言えます。
私は生物学や大脳生理学には全く無知ですが、恐らく現実に起こっていることは
むしろ、「『私』は瞬間ごとに消滅しては似たものが再度発生するを
間断なく繰り返している」という方が実情に近いのではないか、
という気もいたします。
33 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/10/30(火) 19:44:00 O
32
それぞれ全員が視点を固定し、それぞれにとっての私が無数にできる。
>>28 それでは、人にはその人なりの肉体というものがあり、
という理屈と変わらないではないか?
私か他人かは視点の位置の違いに過ぎない?
それぞれの人の居る位置は異なるから視点の位置が
異なるのは物理的にも当然だ。
それぞれの私があるならば、
最高位のいう『私』は当然『最高位にとっての私』でしかないな。
37 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/10/30(火) 19:55:26 O
34
視点というのは比喩的に用いたのであって、主観性ということに重きをおいてみてほしい。
有意義な応答だと感じたので、勝手に貼らせていただきました。
>10、>21>、22>、>29、>30、>31
[29-31](特に
>>30>>31)は、秀逸なまとめだと思います。
>>感嘆子さん、776さん、申し訳ありませんでした。
680 考える名無しさん sage 2007/10/28(日) 00:16:36 0
>> 671
> その言明は外れだと思うが、(そこでの「脳」が「機能」ということであれば当たりかもしれない)
> ・「対象化される」ということが「外化される」ということと同義となる場合がある
> (勿論、そうでない場合もあるし、「全て対象化は外化に等しい」、と見做すこともできる)
> という着眼の仕方はアリだと思う。
> (「対象化は客観化であり、乖離を本質的に含む」という考え方ともリンクしているだろう)
>
> そもそものレス>> 656の二行目は、
> ・「脳が(頭の中が)外化される」ということは、
> 「その機能(≒本来、脳が持っている様々な性質)が外部の存在として投影される」ということである、
> という意味合いのものかと思われる。
> 一行目にしても、
> ・「頭の中にあるもの」(「知覚認識されたもの・創造(想像)されたもの・概念的なもの」等種々あろうが「対象化されたもの」)を、
> 自身の外部に実体として設定したくなる性向を言っているのではないかと思われる。
> 決して、脳そのものが外部に投げ出されるわけではないし、脳を離れて思考がなされるわけでもない。
> 「脳の、対象化されたものをそのように見做してしまう」という、まさに「癖」を指しているのだろう。
> 「脳が脳自身を対象化した時」にも、その癖は発現する。
> 主体が自身を対象化した時、対象化された主体とは別の主体が要請されるように・・・。
> 「この癖を克服しての、自らの対象化が可能かどうか?」も、このスレ的話題かもしれない・・。
>
> また、どんなことでもそうだが、外化されているものの方が考察し易い。
> チャート式なんちゃらとか、図式化することとかはその代表だろう。
> 他者の事象の方が自身の事象より理解し易いことも多々ある。
> そして、それを(この、つい外化してしまうという癖を)逆のベクトルへ変換できた時、
> 他者の事象が、自身にも当てはまるのではないか?と内化できる可能性でもある。
40 :
素人:2007/10/30(火) 21:35:47 0
685 唯識 ◆Vidya0E1.s New! 2007/10/28(日) 01:40:40 0
>> 680さん
それは煩悩と解してよろしいでしょうか。
どうでしょう?
そのように見ることも、可能であろうとは思います。
ただ、現在知られる「(仏教に於ける)煩悩」というカテゴリーの中へ
(そのまま)納めてしまっていいものかどうかは躊躇すべきかと思います。
後代の仏教教学は非常に精緻な拡大をしました。
アビダルマや倶舎・唯識などは、心所・心法の詳細な分析を柱としますが、
同時にそれは、煩悩の分析・カテゴライズをも含むことになります。
そうした細かな分析を踏まえて
>>39を読めば、確かに、
煩悩として(→心の行・意の行として、或いは見解として)避けられるべき
妄想・顛倒の類と見ることもできそうです。
初期中期の仏教に於いても、
凡夫が捉われている通常の思考形式・ベクトル(→離れるべき“ものの見方”)という意味でいけば、
当てはまるかもしれません。
しかし、仏教的世界観・伝統のみをベースとするのでなく。
現代的知見(或いは価値観等)をも取り込みながら考察するのであれば、
(「欲望は悪い、睡眠欲・食欲も悪である」という極論を避けるためにも)、慎重になるべきかと・・・。
生物として(ヒトの脳として)生来的に避けられぬものであるなら、
制御して、軌道修正して、手綱をしっかり握って思考してゆく姿勢を推奨してゆくべきかもしれません。
劇薬が危険であることが事実であっても、上手に使うことで有効利用してゆくような・・・。
宜しければ、
>>39のどの部分が煩悩として拾うことが可能か、
抽出して頂けると、もう少し具体的にレスができるかもしれません。
41 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/30(火) 21:57:16 0
>>16 自分でやってみりゃいいんじゃないですか?
それで還元できるようなら教えて下さい
>>17 パソコンというのは、人間の価値観によって便宜上でそう呼ばれているシステムです
存在性ではありません
もっと厳密に、よく考えて分析しましょう
>>18 それは具体的に、どういう状態なのか教えて下さい
>>23 『私』という主観は、いかなる物理的構造によって現象しているのか
というのが問題です
もう少しレベルが高いです
>>36 べつに
最高位にとっての『私』が、物理的構造に還元されないのならば
その時点でも唯物論は崩壊する
>>41 構造構造って五月蠅いなw
>>
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1192981008/746 > ここで言う物理的要素って、何の事だかわかってる?
> 物質的構造 の事だよ
「動き」とか「変化」とか「機能」とか「現象」とかは貴方の世界観ではどうなるのですか?
> 物体というものは、物質の塊であり
> さまざまな物質が、ある組み合わせになっているにすぎないわけだろ
> この体も例にもれない
「物体のみが存在する」というのを唯物論だと思っているようでしたら、浅はかとしか言いようがないw
物体以外は存在しないのですか?
「動き」とか「変化」とか「機能」とか「現象」とかは存在しないのですか?
43 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/30(火) 22:21:49 0
>>42 素人くんへ
構造によって現象するんじゃないんですか?
その現象が、動きとか変化となって現れるんでしょ
機能というのはね
目的性があってこそ機能 と呼べるのであって
これは価値観が基準になりますね
モノの現象を、目的性に合わせて人間が利用する場合
これを、そのモノの機能といいます
もう少し、普通に頭を使って分析して下さい
こんな事を説明しなきゃいけないなんて、話になりませんよ?
44 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 22:22:31 0
>>42 動きとか変化を現象というのである。そのメンバーに現象を入れるから
キミはアホだといわれるの。w クラスが違うの。
>>44 ごもっとも。
「現象」を抜いていただいても構いませんし、
前3項を省略し、「現象」のみにまとめても構いません。
746は、それほど厳密に言葉を選んではいません。
ただ、「構造」以外に、何かないかなぁ・・・と、浮かぶまま入力しました。
イイカゲンなレスで申し訳ありませんでした。
46 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/10/30(火) 22:38:16 O
確かに最高位氏の言われるように、今ここにある「私」というものは、
どんな構造を持ってこようと、現象させることは出来ないね。私は
白旗をあげました。なかなか気づけないことです。
47 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/30(火) 22:40:42 0
>>45 >イイカゲンなレスで申し訳ありませんでした。
それは私に言うべき事だろ
ホントにキミは、とんでもなく痛いヤツだなぁ(苦笑
記念に、もっぺん貼り付けとくか・・・
↓ ↓
ここで言う物理的要素って、何の事だかわかってる?
物質的構造 の事だよ
物体というものは、物質の塊であり
さまざまな物質が、ある組み合わせになっているにすぎないわけだろ
この体も例にもれない
「それ」と同じ組み合わせの物体は、いくらでも作成できるわけだよ
しかし私は「これ」であった
同じ組み合わせの物体が複数作成が可能であるならば
「これ」の組み合わせが「私」である と特定する事は、絶対に不可能である という事になるよな?
わかりませんか?
>精神は物理的状態に付随するが、物理的状態に還元可能ではない
>という事でよしとしているのです。
説明もできんクセに、勝手に「よし」とされても困る って話な
論理的に飛躍してる事を認めて、根拠も説明できんと知ってるのに
それでも正しいんだ!!! というのは、宗教のスタンスですよ
48 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 22:47:20 0
>>46 位置を含めてまったく同じ物は作れないからどんな。。。。。は簡単に成立する
49 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 22:49:37 0
>>47 >同じ組み合わせの物体が複数作成が可能であるならば
可能では全然ないから以下意味をなさない それだけ
50 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/30(火) 22:50:06 0
>>46 ご理解いただけて嬉しいです
あなたは、とても正常な思考を持っておられると思います
お互いに
より一層、思索を深めて参りましょう
51 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/30(火) 23:04:39 0
>>48 日本語は難しいけど、これぐらいは理解できないと哲学は無理だと思いますよ
どんな構造を以ってしても『私』を現象させる事は絶対にできない
たとえ←コレ重要
たとえ、全く同じ物理的構造を作成しようが
たとえ、宇宙をもう一個作ったとしても
『私』はココにいる唯一人の存在であるが故に
それは絶対に100%不可能なのだ と言い切れる
天上天下唯我独尊 なんです(笑
お釈迦様の『天上天下唯我独尊』と
デカルトの『我思う故に我あり』と
現代哲学的問題であるところの『私』は
ここにきて『私の存在性』という観点によって
ひとつに、つながってくるのです
『存在性一元論』とでも申しましょうか(笑
>>47 まあいいですw
評価は他の人(ネコ以外w)が下してくれるでしょうw
54 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 23:26:21 0
>>51 作れないものを作ったと仮定しても意味ないじゃん
何で作れないかとかにはまったくの無知みたいだし、、作る仮定の諸問題は全部スルーして結果だけわかってるつもりになってるお馬鹿さん
55 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 23:27:32 0
作る仮定ーーー>作る過程
56 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 23:27:38 0
死んだ息子を帰してくれみたいなもんだな。よくあるはなし。
ああ、一つツッコんでおきましょうか。
>>51 >どんな構造を以ってしても『私』を現象させる事は絶対にできない
貴方の『私』は「構造」によらず現象しているのですね?
どんな「構造」にもよらず、
『貴方の主観として』或いは『貴方の主観にとって』実感されているのですね?
58 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 23:36:13 0
食べたリンゴがまた食べないままのリンゴで現象すればいいのに。
ガキの頃よく思いましたよ。
59 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 23:43:43 0
初体験の感動はもう再び現象することはないね。
60 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/30(火) 23:48:36 0
>>53 ただ、まぁ
アホにマトハズレな評価をされても、つまらんけどなぁ(苦笑
>>56 うむ
私も死んだ人やペットに会いたいんだよね
だから必死で考えたんだよ
でも結論は「物理的な、何をどうやったって本人を生き返らせる方法はありえない」だったんだよね
それから
よく遺伝子を冷凍しておいて、遥か未来に科学が進歩した時に
クローン技術で生き返ろう なんて思っている人もいるみたいだけど
そんなの無駄だね
私と同じ遺伝子を持った『他』にしかならない
簡単な話
私が生きてる間に、それをやったら
それは『私』になるわきゃない って事は誰でもわかる(笑
>>57 >貴方の『私』は「構造」によらず現象しているのですね?
そもそも、コレの前提が間違い
「現象している」と言っているのは唯物論
私が言っているのは
「構造との因果的な法則(現象)によって存在しているのではない」
です
批判とかするなら、ちゃんと理解できてからにしましょうね
だから思わず「アホ、ボケ、カス」とか言っちゃうんですよ
だって本人が自覚してないんだから、教えてあげるのが優しさってもんでしょう?(笑
61 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 00:01:37 0
>>60 ヘラクレイトスの唯物論はどうですか
「万物は流転する」
>>60 では言い直しましょうw
貴方の『私』は「構造」によらず存在しているのですね?
そして、
「構造が崩壊した時はどうなるかわからない」でよかったですね?
では、構造の無い所には存在しますか?
それとも、因果的繋がりがないので、
「構造があろうがあるまいが、『私』は、ある時にはあるし無い時には無い」
ということですか?
「構造」が出現するのは、(過去の事例や伝聞等から)受精・子宮内の成長によると思われますが、
いつ、『私』と「構造」は結びつくのですか?
それとも、結びつくも何もなく全く無関係ですか?
63 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/31(水) 00:38:10 0
>>61 それがどうかしましたか?
>>62 これまた、論理的な飛躍が好きな人ですねぇ
そんな質問をされても、わかりません(観測不能ですから)
わかっている事は
私は『あり』である
その『あり』である私は、物理的要素に特定する事はできない
という事ですよ
これは何かと言うと
唯物論による、無機質な唯物的価値観を
丸っきり人間に当てはめて考えても、それは正しいとは限らないのだ という
絶対的にハッキリとした結論を、人類は導く事ができた という事であり
これは実は、歴史的に大きな進歩なんですよ
あなたは素朴実在論的な感覚で、飛躍した結論を導きたいようですが
わかっている事だけをつなげていって、論理的飛躍をしないようにしなければ
それは一種の宗教になってしまいます
わからん事は、わからん として
わかるまでは、宙ぶらりんの問題意識として保留すべきと違いますか?
64 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 00:43:44 0
唯物論スレから追い出されて隔離されてから生き生きとしてる低脳がひとりいるな
お前に論理的どうのこうの言う資格あるっーの?????バァカが!
少しは頭脳使って考えてみようなと言っても無駄だろうけどwww
最高位は本当に頭が悪いらしいね。何を説明しても通じた試しがないw
独自の世界に閉じこもってる独我論は自閉症の趣があるw
66 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/31(水) 00:48:50 0
>>40素人さんへ
煩悩障と所知障に関わってくることです。
>劇薬が危険であることが事実であっても、上手に使うことで有効利用してゆくような・・・。
これは後期仏教(金剛乗)に近いですね。唯識論も関連していますが。
>>51最高位さん
天上天下唯我独尊とは
「現象しない私」のように現実世界から離れている特別な存在でも
なんでもありません。
尊い釈尊の御言葉を曲解して遣われるのは、
もう少し仏教を学んでからにされてはどうですか?
67 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/31(水) 00:51:17 0
>>64 あのな(苦笑
「追い出されて」 じゃないんだよ
キミらが、あんまり必死だから
善意で、こっちにに書き込んであげてるだけでね
こんなに素直で良心的な人が、普通いるかい?(笑
不満があるなら、そっちに戻ろうか?
さびしいのかい?(爆笑
68 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 00:53:20 0
精神医学の観点で言えば最高位さんは年齢的にある程度若ければ90%以上の確率で正式に自閉症と
診断されると思いますけど、
本人が受診しなければ一応正常扱いせざるを得ませんな。鬱病にも多いケースです
>>63 >わかるまでは、宙ぶらりんの問題意識として保留すべきと違いますか?
貴方がそれを言いますか!
笑いが止まりませんねw
ちなみに私は、
保留しながらも、「よりもっともらしい」と思える(私の主観に認識される)仮説に親和的なだけです。
貴方のような強迫的断定をするつもりはありません。
いつでも蔵替えする準備はできていますw
今の所、その気になるような説(≒レス)には出会っていませんが・・・w
良い夢を・・・ ノシ
70 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 00:54:44 0
>>67 さびしいのはおまえw
私が神に等しいなら2ちゃんの愚民など相手にしなくていいだろ
71 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/31(水) 01:00:16 0
>>66 唯物さん
私は現代仏教の教義など、興味がありません
論理哲学的な観点からの、私なりの解釈です
違うというのならば、論理的に解説するのがスジというものでしょう
ここは宗教板ではありませんので
あなたの教派の、宗教的解釈を、何の解説もなく無条件に押し付けられても困ります
論理的に飛躍した発言は、宗教板でして下さいませんか?
72 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 01:03:46 0
>>71最高位さん
それならば釈尊の御言葉を遣わなければ宜しいかと。
また、唯識とは仏教の「哲学」でありますし
「自我」「私」などは重要なテーマであります。
73 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/31(水) 01:08:37 0
74 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/31(水) 01:21:13 0
>>68 うむ
確かに自分でも、毎日こんなくだらない2ちゃんなんかして
「普通ではないよなオレ」と思っています
鬱病の事は、よく知りませんが
もしかすると、そのケがあるのかも知れませんね(苦笑
ただ
私は世間では普通に経営者として認知され、普通に社会的立場もあります
妻もおりますし
まだまだメチャクチャ若い女性からも十分に相手にされております(失礼
ですから
まぁ、ある意味では、精神は病んではいるかも知れませんが
判断能力その他は、控えめに見ても、一般的平均を上回っているかと存じます
しかし、この2ちゃんというのは中毒性がありますね
まぁ日常では一般人に対して哲学的な話など、あまりできないので
ここでテキトーに文章を書くのがヒマ潰しなんですが
もう少し、まともな人もいていいんじゃないかと思いますね
75 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/31(水) 01:27:25 0
>>72 唯物さん
そんな事を、あなたから言われる筋合いはありません
うちは代々、曹洞宗ですし
『天上天下唯我独尊』という釈尊の言葉は
学校でも習う一般常識です
あなたに、その言葉の使用権を主張する権利などないのです
勘違するのも、いい加減にして下さい
76 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/31(水) 01:39:44 0
>>75最高位さん
これは素晴らしいことなのではないでしょうか?
曹洞宗は禅宗の有名な一派です。
しかし、最高位さんのお考えとは真っ向から対立してしまうかもしれません。
「唯物」とされてしまいましたが
現象と私なるものを切り離さない。これが「唯識」です。
逆というには難(語弊がありましたらご容赦を)がありますが、
一旦切り離す、
これが「禅」であり「中観・空」という思想であります。
最高位さんの曹洞宗は当にこの禅であります。
「私」とは何か?の入り口が既に開かれているではありませんか?
これこそ「尊い事」であります。
77 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/31(水) 02:00:08 0
>>76 あのですね
一派とか 正統派とか そんなのどーでもいいんですよ
私は論理的に哲学をしているんです
仏教思想を哲学板に持ち込むのでしたら
宗教用語を、一般的な哲学用語に置き換えて
論理哲学的に解説されるのが良いかと思います
なぜ哲学板で、一般的ではない仏教用語を使用されるのでしょうか
一般用語に還元できないものなのですか?(笑
宗教用語は、一般人には理解できませんので
宗教板で、ご使用ください
まぁ本音で言えば
仏教は哲学だと言うけれども、それは勘違いであって
哲学的だというだけで、紛れもない宗教でしょう
だから一般人からすると意味不明な宗教用語で
抽象的表現を使用し続けているとしか考えようがありません
とにかく
哲学板で発言するなら、宗教の布教ではなく、哲学をして下さい
仏教思想を主張するなら、そのエキスを、一般の言葉に置き換えて
論理的に飛躍させないで解説する作業をして下さい
78 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/31(水) 02:24:07 0
>>77最高位さん
まず宗教には「信」があります。これがメインです。
哲学は「論」です。
しかしこれらは不可分でもあります。
最高位さんの「私の存在性」もそれを信じ、確信されているなら
これもまた「信」ではないでしょうか。
その存在の対象が神仏の名を冠していないだけであるでしょうし
或いは日常生活の拠り所になるか否かもあるでしょう。
また宗教には「目的」があるものですが、最高位さんの目的は何でしょうか?
唯物論を間違いとした論の達成ならばご自身の中で
目的は完遂されて居られるのでは?
説明を一般のように還元するのは難しいのですが
>>76で述べました事についてもご理解が難しいようでしたら
どの辺りか、出来れば「私の存在」を「ネタ」としていただければ
浅学ながらある程度はお答え出来ます。
79 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/31(水) 02:46:47 0
>>78 >最高位さんの「私の存在性」もそれを信じ、確信されているなら
>これもまた「信」ではないでしょうか。
いいえ
論理的に否定できない という事です
「信」の部分は、私は私なりに私の価値観で、これとは別に持っておりますが
それらをゴッチャに論じる事はありません
無神経に、ゴッチャに論じるのが宗教です
唯物くんが、まさに今とっているスタンスです
今一度言いますが
とにかく
哲学板で発言するなら、宗教の布教ではなく、哲学をして下さい
仏教思想を主張するなら、そのエキスを、一般の言葉に置き換えて
論理的に飛躍させないで解説する作業をして下さい
>「私の存在」を「ネタ」としていただければ
>浅学ながらある程度はお答え出来ます。
同じ事の繰り返しになりますね
いまだに論点を理解しておられないのでしょうか?
今まで、いったい何を読んでいたんでしょうかね・・・
唯物論を主張されるのでしたら
『私』はいかなる物理的構造による現象であるのか
それをお答え下さい
80 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/31(水) 02:57:44 0
>>79最高位さん
ここは哲学板ですので布教はしていません
これが哲学板に来た時からのスタンスですので。
それと、真っ向から私の問いに答えて居られない。
それは「自信」が無いからですか?
唯物論ではなく唯識論である程度お答え出来ますが
如何いたしましょうか?
81 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 02:58:08 0
堂々巡りってやつだね。これは。
82 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 03:05:58 0
カントあたりで妥協しておけばいいものを。
83 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/31(水) 03:15:24 0
>>80 しかしあなたと話していると、いつもながらイライラしますね
何であなたは、さっさと具体的に話を進めていかないんでしょうかね
気がついたらココに存在していた『私』というものの正体は
いったい物理的な何なのか
という事ですよ
あと
哲学板で
かたくなに仏教用語を使用し続ける姿勢は板違いですし
結果的に布教活動と同じなんですよ
中には、仏教に興味を持つ人がいるでしょう
単にあなたの直接的な実績にならないだけです
84 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/31(水) 03:23:59 0
>>83最高位さん
なぜ物理的に、なのでしょう?
理由が分かりません。唯識論による「私」の見解に何か
ご不満でもお有りですか?
物の理以外で説明できる手段の一つでありますし
それに「信仰心」はさほど必要ありませんよ。
85 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/31(水) 03:43:06 0
>>84 >なぜ物理的に、なのでしょう?
はぁ?
としか言えませんなぁ・・・・
基地外ですか???
>唯識論による「私」の見解に何か
>ご不満でもお有りですか?
唯識論の見解も、具体的に聞いた事がないんですが
なんなんですかマッタク
会話がなりたちませんね
86 :
衒学くん:2007/10/31(水) 06:15:25 O
最高位よ
おまえが論理哲学などと口にするなよ
はっきり言って論理に対する誤解や偏見をばらまいてるお前のレスを苦々しく思っている人間が一人ここにいるんだぞ
87 :
衒学くん:2007/10/31(水) 06:29:42 O
最高位にこそ非合理主義の反論が一番痛いところをつくはずなのに
彼にこそ現代哲学の抱える問題をつきつけるチャンスなのに
最高位の論理(と呼ぶもの)に対する「信」を指摘する奴はいないのか
88 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 09:30:06 0
>>87 君がやればいいじゃないか。ただし、そこを衝いても…
89 :
衒学くん:2007/10/31(水) 09:43:21 O
合理性の擁護を自分のテーマにしている合理主義者の俺が、合理性を攻撃するのもどうかと
論理的アポリアの提出をしても最高位は聞く耳もたずだからな
あいつは自分の欠陥に気づいてないのか
気づきたくないのか
ま、悪い見本、反面教師としての効果はあるが
あいつが哲学のイメージを落としているかと思うと腹が立つ
90 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 09:56:19 0
>>77 君のも宗教。
そもそも過去が存在するなんて飛躍。
君自身が論理的に考えることができると思うもの飛躍。
91 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 09:57:48 0
>>41 >それは具体的に、どういう状態なのか教えて下さい
まず、重ね合わせ状態や縮退の意味はわかっているの?わかってないの?
YESかNOでお答えください。
重ね合わせ状態や縮退は、ここでは具体例ですよ。
>私は唯一であり、それは私にはならないんだよ
唯一である根拠はなんでしょうか?
重ね合わせ状態や縮退していないとなんで言えるの?
>>13 >物理的な何を、どうやったって
>何を、いかにしても、絶対に『私』は作成されません
>たとえ、宇宙をもう一つ作ったとしても、私はココにいる唯一人だけなのです
最高位氏、それは単に『私』がすでに「ココにいる」からなのです。
「作成する」というのは「未だ存在しないものを存在せしめる」という意味なので、
すでに存在するものを「作成する」ことは、定義上できません。
すでに存在するものは「移動」させたり「変化」させたり「消滅」させたりは
できますが、「作成する」ことは、全知全能の神様でも不可能なのですw
むろん『私』に限ったことではなく、「ココにいる」ものすべてについて、
同じことです。存在する「個物」は、すべて「天上天下唯個独尊」の「存在性」
なのですw
あなたご自身が(どういうおつもりかわかりかねますがw)、
>>60で
そのことを認めておられます。
>私も死んだ人やペットに会いたいんだよね
>だから必死で考えたんだよ
>でも結論は「物理的な、何をどうやったって本人を生き返らせる方法はありえない」だったんだよね
「死んだ人」や「ペット」に自我があったかどうかはわかりませんので、それは
純然たる物質以外の何物でもありません。にもかかわらず、それは「作れない」と、
あなたご自身が認めておられるわけです。
>同じ物理的構造、同じ物理的状態 は
>複数、作成する事が可能である
はずなのに、「不可能だ」とご自身が認めておられる。これはどういうことなのか、
まことに不可解の極みでありますw
93 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/31(水) 10:30:05 0
もぉバカの相手は、うんざりだな
幼稚すぎて疲れる
普通の人いませんか?
94 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 10:31:10 0
>理解できないアホは、もう少し頭使って考えてから話しかけてくれ って事だ
>私は、まともな議論がしたいだけなんだけどな
>ここには、それができる人が皆無に等しい という事だよ
なら、ここに君が来る必要はあるまい。
君が相手したい人間だけと議論したいなら、スレをわけて移動すればいいだろ。
そうすれば、君が議論したい相手と、君と議論したい相手だけになるわけだし。
ここでは、君と議論したい奴もいなければ、君が議論したい相手もいないだろ。
そうしないなら、君がやっていることは、唯物論者に対する嫌がらせだけだ。
それも何年にもわたってストーカーのように執拗に続け、
これが変質者以外の何物だって言うのだ。
95 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 10:32:10 0
最高位
パソコンは物ですか?
パソコンは作成可能ですか?
パソコンは還元可能ですか?
パソコンの構造は何ですか?
パソコンの原因的要素は何ですか?
厳密によく考えて、あなたの便宜的な価値観で答えて下さい
同じ物がもう一つ作れるというその物体の一例を挙げて下さい。
それを主張しているのはあなただけですので。
宇宙は不可能です。
宇宙が二つあって一方にだけあなたが居るなら、同じ宇宙でないのは
誰の目にも明らかです。
あなたはこの宇宙に存在しているのではないのですか?
最高位
まず、「物体なら同じ物を二つ作れる」事が正しいと示さないと、
あなたの説が正しくなりません。
最高位
「物体なら同じ物を二つ作れる」を主張しているのはあなただけです。
まず二つ作れるという実例を示して下さい。
99 :
素人:2007/10/31(水) 10:53:35 0
>>66 少しぐぐらせていただきました。
なるほど。
「煩悩」が、悟りへの障碍として置かれた(位置づけられた)言葉であるなら、
そしてそれが、(一例となる)
>>39のような
「人間の持つ思考の傾向」をも最初から視野に入れてラベリング・カテゴライズされたものであるならば、
(唯識教学は、まさにそうした「識」(≒人の持つ思考形式)への考察が本筋なのでしょうし)
「煩悩」と解してもよいと思います。
ただ、『「煩悩」と同義だ』と言い切ってしまうのは、TPOへの配慮を考えなければならないと思います。
普段使い(日常の場面での「仏教とは・・・」)ならば、
『
>>39のようなことは、仏教では煩悩として位置づけられる思考形式と言えるでしょうね』くらいが穏当かと・・・。
仏教という枠組みの中での語りならば、「悟りへの障碍なので断ずべきもの」という明確な位置付けもできますが、
仏教外の世界観もまたこの世にはあるわけですし、また、知見の緻密さも現代の方が増していて、
当時の語義や範疇を越えたもの・新たな概念的要素・カテゴリーの出現もあるのかもしれません。
だとしたならば、現代の「ヒトの認識の在り様」については、
『仏教では、そうした思考の癖は克服されるべきものであり、功罪の罪の方に焦点を当てます。
生物として(脳として)生来的に備わっているものだとしても、自身を深く見つめるならば、
手放しで「善きもの」とすることはできません。が、仏教という枠を外したとしても、
≪自身の心が(意識が)どのようなものであるか≫を知る(観察する)ことは、
生きる上で有益でしょうから、いい所悪い所を共に知って有効利用しましょう。』
という立ち位置の取り方が妥当な気がします。
100 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/31(水) 10:54:21 0
最高位
壊れてしまったパソコンに会いたいです。
会えますか?
102 :
素人:2007/10/31(水) 10:54:54 0
>>66 >これは後期仏教(金剛乗)に近いですね。唯識論も関連していますが。
金剛乗についてはパスさせていただきますが、大きな流れとして、
≪煩悩・妄想及びその因や縁を「断じて断じて断じて・・」≫
という方向性とは別に、
≪一切合財ひっくるめて受け止め、「全てに“肯”と宣言する」≫
≪「本来は全て善くも悪くもないが汚れてしまったのだ」≫
≪「本来は全て善きものだが汚れてしまったのだ」≫
≪「もともと本質的に善きものがあり、それが汚れてしまったのだ」≫
≪「悪しき部分はあるだろうが、それが抜き難いもの(不可避なもの)であるなら制御していこう」≫
≪「悪しき部分はあるだろうが、それが抜き難いもの(不可避なもの)であるなら上手く付き合っていこう」≫
といった方向性の拡がりが中後期仏教の一側面である、とは言えるかもしれませんね。
(勿論、その萌芽(或いは類似した姿勢)は初期仏教内に既にあった、
と見ることも可能でしょう。全てとは言いませんが・・・。)
最高位
宇宙を二つにしたらペットは二匹になりますか?
他人は二人ずつになりますか?
104 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 11:06:00 0
>>100 唯物論者じゃないけど、邪魔だよ。荒らしと変わらないし。
他の非唯物論者は、真面目に議論しているのに、君が来るとスレが荒れる。
あれだけたくさん書き込んでいる時間があるなら、自分の論説をまとめればいいのに、
そういう建設的なことはしないで、他者を見下す発言を繰り返す愚かものだからね。キミは。
キミほど下らない人間もまずいないよ。
病院へ行けと言いたいところだが、生きている価値もないから死んでくれ。
最高位は標的を唯物論から物理主義に変えたらどうだろう。
どうやら唯物論者は唯物論が「ひとつの立場」であって
「正しいとか間違っている」というものではない。と言っているようだから
「世界は神様が作ったものです」という立場と同じで、哲学が相手にするようなものではない。
それよりも、物理学によって精神活動も解明できると主張するような物理主義者に対して
それがなぜ不可能であるのかを説明したほうがいいのではないだろうか。
物理主義者は、物理主義は「それが正しいとか間違っているとかいうものではない」
などとは言わないだろうと期待しての話だが。
106 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 12:37:45 0
>>105 >それよりも、物理学によって精神活動も解明できると主張するような物理主義者に対して
そもそもそんな奴がいない。
人間の精神活動なんて物理学は興味ないから。
絵の美しさの解明と同じで、そんなの物理学がする仕事じゃない。
くだらなすぎて相手にされないだけ。
翻訳辞典の作成に物理学が不必要なように
心身問題のような二元論の解決を経験科学の発展で行なうのは不可能だろう
二元論か単元論かという哲学問題(言葉上の問題)を抱えているからである
>>106 化学や生理学はより基礎的な学問である物理学に「原理的に」還元できると
考える物理主義者は存在する。
物理主義者って別に物理学者のことじゃなくて
物理主義という哲学的見解を持つ人のことだから。
絵の美しさを解明するのに物理学が無力だと君が考えるのなら、
それは君が物理主義者ではないだけのこと。
物理主義者は観測出来る肉体としての人間しか相手に出来ないよw
観測出来ない主観性なんて相手にしようがない。
110 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 12:55:50 0
物理学に飽き足らず分子生物学に移った物理屋は多かったね。
物理学というか生物学でも精神活動の説明は出来るだろうけど
それは観念論でいう精神とはちがう説明のしかただろうね。
認知科学のような学際的な精神の研究もあるだろう。
111 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 12:57:20 0
>>108 >化学や生理学はより基礎的な学問である物理学に「原理的に」還元できると
>考える物理主義者は存在する。
これは物理主義者でもなんでもなくて単なる事実。
化学や生理学は物理学の上に乗っているだけに過ぎない。
物理に間違いがあれば、化学は修正が必要だが、
化学に間違いがあっても、物理を修正する必要はない。
>>111 ああ、そうだね。
ことば足らずだったようだ。
精神活動は化学や生理学で解明でき、
化学や生理学はより基礎的な学問である物理学に「原理的に」還元できる、
したがって精神活動は物理学に還元できる
考える物理主義者は存在する。
としてくれ。
114 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 13:08:28 0
>>108 >絵の美しさを解明するのに物理学が無力だと君が考えるのなら、
物理学が無力なのではなく、それを使う人間の処理能力が無力というのが正しい。
コンピュータ上で扱う画像や音声はビットの塊というのが根本にあっても、
ビット演算で、そのまま人間が理解できるわけではない。
そこにピクセルとか色とか周波数とか振幅とか、高レベルのモデルを構築しないと
人間には把握、処理することが困難であるというだけ。
115 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 13:10:23 0
>>113 >したがって精神活動は物理学に還元できる
>考える物理主義者は存在する。
精神活動だって定義によっては、物理学に還元できるだろ。
君のいう精神活動って具体的にどんな定義なの?
116 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 13:12:36 0
精神活動は物理学に還元できると主張する人の「精神活動」と、
精神活動は物理学に還元できないと主張する人の「精神活動」は、
ラベルが同じでも、中身が違うと思われ。
最高位VS唯識吹いたw
どうやら唯識が突っ込んでくるとは想定外だったらしい
逃げてるだけじゃんw
119 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 13:31:29 0
>>105 君は何もわかっていないな。
最高位先生は「物理学によって精神活動を解明することは不可能だ」なんて言っていないぞ。
「物理学によって私の存在性を解明することは不可能だ」と言っているのだ。
両者をきっちり分けるところが最高位先生のいいところだ、と、ネコの味方も言っていたぞ。
>>119 ああ、そうだったな。
じゃあ「精神活動」を「私の存在性」に変えてくれ。
物理主義者の主張は物理学で解明できないものはない
ということに尽きるからそれでいいだろう。
121 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 14:07:48 0
>>120 >物理主義者の主張は物理学で解明できないものはない
そんな物理主義者はいないと思うけど。具体的に誰?
このスレの唯物論者だったらたぶん俺かも知れんが、
俺は上記のような物理主義者ではないし、
他に上記のような物理主義者らしい唯物論者の書き込みも見たことがない。
キーポイント
611 名前:考える名無しさん sage 投稿日:2007/10/27(土) 15:07:56 0
事実、最高位は今肉体に依存している。
彼は絶対にこれを否定出来ない。
この事実を持って最高位の主張は破壊されている。
700 名前:唯識 ◆Vidya0E1.s 投稿日:2007/10/28(日) 02:49:15 0
>>696最高位さん
そもそもデパートのように全てに対応できる
総合商社のような理論などあり得ない訳でありまして
唯物論が説明できる範囲というものがあるでしょう。
説明できないからそこのお店はダメと言われるなら
他のお店を当るしかないでしょう。
でなければただのクレームをつけるお客さんに過ぎませんよ。
「私」のことを伝えてるってことは肉体をつかってるってことだからな。
つまり全ては肉体ありきってことか。
最高位はかつて自身が唯物論者だったと告白している。
彼の信じていた唯物論とは当然、彼の言うように
物質だったら何でも自由に同じ物が作れるというものだろう。
彼は小学生の時分からずっと考え続けてきたのだと言う。
幼き日の最高位少年はペットに死なれて、
科学が進歩すればいつかまた会えると信じたのかもしれない。
いい大人になってからやっと、それは不可能だと気付き
自分は人類史上、哲学史上、最高の発見をしたと思ったのだ。
そして、自分の期待を裏切った(自分の)唯物論への復讐を誓ったのである。
125 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 14:54:19 0
感動物語やないけ。
>>121 現代ではキムだろうな。
べつにおまえはどうでもいい。
「覆水盆に返らず」は物の理の基本だろうがなぁ。
最高位はがっかりする事はないぞ。
肉体が死んでも主観性は不滅なら、あの世でまた会えるかもしれん。
128 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 15:02:31 0
>>126 じゃあ、このスレにいない存在に向かって吠えているだけなんだ?w
馬鹿じゃねーの。
>>120 物理主義者なら「私の存在性」なんてものはないと言うだろう。
>>128 ここでデカルトのコギトに対して批判するレスがついても
別に死んだデカルトに向かっての発言ではない。
特定の哲学的見解について議論するのはあたりまえのこと。
そんな議論の基本的なことも理解できていないおまえは相当なバカ。
131 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 15:22:45 0
>>130 >ここでデカルトのコギトに対して批判するレスがついても
>別に死んだデカルトに向かっての発言ではない。
>特定の哲学的見解について議論するのはあたりまえのこと。
ここまでは正しいよ。
でも、一般的でない誰も同意も主張もしていないような見解に対して吠えているお前が馬鹿だって言ってるの。
相当な馬鹿はお前だよ。
議論は主観の外部で成立するからね
放たれた言葉が故人が死んでも検討される人間の文化を俺は誇りに思うよ
毛沢東が読書を禁止しても人は本を読むのをやめなかったのさ
ビバ、言葉!
主観はどうやって外部の議論に参加するの?
>>131 一般的であるかどうかなど関係ない。
日常の自然的態度をとっている者ならば
容易に同意するかもしれない。
このスレにどのような割合でどのような立場の人間がいるかなどわからないし、
別に特定のだれかに向かって発言しなければならないルールもないし、
じじつそのような発言は枚挙に暇が無い。
それから
>一般的でない誰も同意も主張もしていないような見解に対して吠えているお前が馬鹿だって言ってるの。
と言っているが、
>>128の
>じゃあ、このスレにいない存在に向かって吠えているだけなんだ?w
>馬鹿じゃねーの。
が全く違うことを言っていることは明らか。
したがって、おまえは相当なバカ。
135 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 15:45:20 0
>>134 >一般的であるかどうかなど関係ない。
いや関係あるだろ。
誰も注目していない見解を否定したところで、何の価値もないぞ。
「ドラえもんは実在していない、実在すると言っている奴は馬鹿」
と吠えたところで意味がない。
一般的でない見解でも、それを主張をする側なら意味があるが、
ないものを叩いても意味がない。
それに気が付いていないお前は、相当頭が悪い。
>>135 >誰も注目していない見解
根拠は?
すくなくとも哲学界では非常に注目されてるよ。
まさか根拠はおまえの不勉強じゃないだろうね。
しかも
>「ドラえもんは実在していない、実在すると言っている奴は馬鹿」
という例はまったく筋違い。
なぜならおれが例に上げたような物理主義者は実在するから。
そもそも論理的な思考ができず、
哲学板で哲学のことを知らずに吠えまくってる滑稽さに気付かないおまえは
相当なバカ。
今、ひっそり哲学をバカにされた気がする
そりゃ哲学は非常識的なことにまともに反論するだけでも四苦八苦するけど、
パズルみたいでこれもまたありかなと
・議論
そりゃ、解釈を通してその文章が指す像を主観的に把握した上で、
言葉を通して、言明の論理的関係を明らかにしながら、
両立不可能な関係の言明の提示という客観的な事柄を通して
こんな感じの答えでおけ?
138 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 16:10:46 0
>>136 いや、それをいうなら、ドラえもんは実在するといっている馬鹿だっているよ?
でも、そんなのを相手にしているのも馬鹿だろ?
馬鹿を相手にしているのも、また馬鹿なんだよ。
お前は相当頭が悪い。
馬鹿を馬鹿と言って終わるだけじゃ哲学は廃れるかも
どんなに馬鹿げた結論とも対話しないとね
そんな対話相手に限界がないところが哲学の面白さでもあると思うんだ
>>138 すばらしいね。
「ドラえもんは実在する」という恣意的な例が
とうとう特定の哲学的見解と結びついてしまったよ。
「人が出した例」と「自分の出した例」は同じ「例」。
だからそれらは同じ学問的意義を持つ。
すばらしい論理だな。
それからおまえのいうとおりおれはバカだよ。
なぜならバカなおまえの相手をしてやっているからな。
バカが絶えないうちは哲学も絶えない
懐疑論とか独我論だって「ドラえもんの実在」と同じくらい馬鹿げているんだよ
馬鹿と言って終わりにできたらどれほど楽か
143 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 16:46:22 0
でも、終わりにできないからとって、病的に議論を続けるもの気違いだと思う。
哲学を続けている奴は、正直異常者だと思う。
現実のオナニーはすぐ終わるというのにおまえらときたら
接して漏らさず
おまんじゃ路?
147 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 17:38:22 0
へーぇ、「存在性一元論」か。
ついにそこに至ったんだね。まずはおめでとう。
さて、まさに万物の根源に至った最高位氏に質問をさせて貰いたい。
「存在性」とは文字通り「存在の性質」の事であるわけだが…
1:「私」の存在の性質を余す所なく挙げて頂きたい。
2:1で挙げた「私の存在の性質」が「私」を過不足なく満たす証明を表記して頂きたい。
以上をよろしく。
どうせできやしないけどな。
>>137 言葉を通してか。
言葉は主観の外と内を出入り出来るのかな?
149 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 17:52:20 0
「ドラえもん」って実在しないのか。てっきり実在していると思っていた。
俺が言っているのはドラえもんの“像”のこと。みんなに、ということはなかろうが、
ドラえもんの『像』は実在するんじゃないの?
『実在』というのは“像”以外に、どんなあり方があるのかな?
>>148 ネコなら、「言葉が(→概念が)主観の外へ出ることはない」と言うかもしれない。
勿論、徹底極限まで厳密に言えばその通りであろうが・・・。
152 :
考える名無しさん:2007/10/31(水) 18:00:16 O
ドラえもんはみんなのアイドルだ。
148
そうかもしれないし
言葉が客観をつくっているのかもしれない
どちらが先かはわからないし、どのような表現が適当かはわからんが
言葉を使用して思考することで客観的知識に携わる営みがある
それを「言葉が主観と客観を橋渡しする」と表現することはできよう
物質が入れ替わっても私は私と言うが、
むしろ逆で、常に物質が入れ替わり続けないと
私は私でいられない。
そして入れ替わり方は何でもいいという訳ではない。
呼吸を5分も止めて「我思う故に我在り」と
唱えられるか試してみたらいい。
最高位の肉体を消滅させると同時に同位置に同じ物質で最高位を作成する。
そうすると最高位は消滅前と同じように、
この体の物理的構造に、私の原因的要素を発見する事はできないと主張し続ける。
しかし消滅させたあと同じ物質で最高位を作成しなければ主張したりしない。
結論、最高位の主張は最高位を作成している物質に原因性がある。
>>60 >よく遺伝子を冷凍しておいて、遥か未来に科学が進歩した時に
>クローン技術で生き返ろう なんて思っている人もいるみたいだけど
>そんなの無駄だね
>私と同じ遺伝子を持った『他』にしかならない
遺伝子を冷凍じゃ全然ダメだろ。脳本体かまたは脳の構造を保管だろ。
「遺伝子を冷凍」なんて思いつく根拠が不思議だ。有り得んだろ普通。
小学生でも気が付くのに。ヤバイよ。
ひょっとして最高位って地球の生物じゃないのか?
遺伝子の中に脳が入っているような特殊な生物なのか?
>>51 >たとえ、全く同じ物理的構造を作成しようが
>たとえ、宇宙をもう一個作ったとしても
>『私』はココにいる唯一人の存在であるが故に
>それは絶対に100%不可能なのだ と言い切れる
宇宙をもう一個作るんじゃなくてだな、
「この宇宙」を作るんだよ?技術的云々は別にして。
頭大丈夫?
160 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 00:03:58 0
>『私』はココにいる唯一人の存在であるが故に
って、唯物論的思考だよね。
たとえ、全く同じ物理的構造を作成しようが
たとえ、宇宙をもう一個作ったとしても
『私』はココにいる唯一人の存在である
故に哲学者最高位というオレの一卵性双生児の片方は『私』ではない。
『私』はココにいる唯一人の存在である
162 :
バカ:2007/11/01(木) 00:41:08 0
「存在性」は存在を認識してくれる他者があって初めて発生する。
光の存在性を考える。
光は時空の歪みである。光を認識するということは、時空の歪みを観測することである。
逆に考えてみる。観測者がある特定の振動をしたとする。
相対的に観測者の主観では時空のほうが歪んでいるように見える。
そうすると無いはずの光が観測される。
物質も光と同様の物質波であり、時空の歪みであることから類推すると、
存在とは他者の状態に原因性を求めることができる。
私の存在性は、私が認識している世界の全ての他者が、
逆に私を存在たらしめようとする特定の状態にあることに原因性がある。
純粋な存在性などなく、存在には必ず他が必要なのである。
中略
貴方がいて私がいる
>>162 >純粋な存在性などなく、存在には必ず他が必要なのである。
何回言えば理解できるのかな?『私』はココにいる唯一人の存在なんだよ
本当にバカなんだな(爆笑
164 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 00:56:10 0
>>89 オマエモナー
相手されなくなってコテ変えて
最高位を攻撃するのですかw
ああwそうですかw
165 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 00:56:58 0
『私』がココにいるという確信は、シンプルに、知覚者であるという確信だと思います。
知覚は疑えないでしょう。
166 :
バカ:2007/11/01(木) 01:16:04 0
>>163 『私』が唯一人の存在だということには肯定です。
私が言いたいのはさらにその先にあるものです。
他者も夫々唯一人の存在であり、
私は他者によって生かされているのだということです。
その気持ちは「私」よりも一番大切にしなくてはならないことです。
そこから他人の気持ちを考え、他者を思いやる心が生まれるのです。
「私」を自己主張するような自己中心主義は改めなければなりません。
私は最高位を理解したいと思います。
「私の存在性」ではなく、もっと貴方自身の身の上ことや、
楽しかったこと悲しかったことなどを話してくれませんか?
最高位の「私」は最高位の身の上と非常に深い関係があると考えています。
167 :
バカ:2007/11/01(木) 01:31:41 0
すみません。
>>166は撤回します。
仕事がキツクて他人のことにまで気が回りません。
「私」のことだけで一杯一杯です。
>>167 それは「ひとりツッコミひとりボケ」という伝説の技ではないか?
大木こだま「腕あげたなー。」
攻撃?
最高位は攻撃する価値もない
まともに相手する気はない
真理に従事しない人間を俺は相手にしたくない
言葉への真摯な姿勢を失った者には蔑みの感情しかわかん
子供の言葉に真剣に耳を傾けはしないだろ
同じレベルだし、そのことを大衆が知る必要もない
その人の文章を読めば読書量は分かる人には分かる
俺は最高位を相手にしない
崇める奴がいてもいい
最高位が誉められてもいい
哲学を誤解する奴が出なければ俺は結構
前途有望な若者が道を外すのを心配してるだけさ
これからの哲学界のためにもね
「衒学くん」、その言葉は何回目のリフレインなの?
171 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 06:20:59 0
一元論とか言ったのは失敗だったよなw。
神と同定義にしますた、って言ってるようなもんだしw。
なにがなんだかよく分からずいい加減に主張してるだけだからな最高位は。
相手にする価値がないのはそうだが、弄ってみるとそれはそれで面白い。
>>166 >「私の存在性」ではなく、もっと貴方自身の身の上ことや、
>楽しかったこと悲しかったことなどを話してくれませんか?
奴はたぶん話さんよ。赤子の時「経済的に2人は一っぺんに育てられん」
という親の判断で隣町の喫茶店の前に捨てられたのが最高位。
子供の無かった喫茶店の老夫婦は自分達の子として届け出て育てたから
最高位は自分が本当の子でないことを知らない。むろん一卵性双生児の
兄弟「私」の存在も知らない。
そして、本当の『私』は私であり、最高位は素性の知れない棄て児である
ことも知らない。最高位は自分のことを何も知らないことを無意識に悟って
『私』の存在性なる他人にはどうでもいいことに異常に拘るようになってしまった。
思えば、弟を捨てようと親が決めたとき、弟だった私が最高位の『私』になりすまし、
「最高位(本当は兄)は『ボク』だよ」と嘘をついて親がそれに気づかなかったのが
全ての始まりだった。
174 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 08:40:59 0
衒学クンの詠嘆調wのレスには、この人が「哲学業界」に定住できなかったことに
対する悲しみが感じられるね。w だからといって最高位を罵っても、ね。
衒学クンだけでなく、相手にしたくないと言う奴にかぎって、いろいろリクツをつけて
最高位にかまいたがるようだ。
衒学クンから最高位の名前が出ない日はない。ww
出勤前の機械 潜入中w>173
ふっ、かもな
稀に見る勘違い男だからな、あいつは
ただ、あいつのせいで哲学のイメージが損なわれるのがイヤなんだ
実際に本を読んでみると哲学はほんとに面白い
ただね、最高位だけがバカなわけではなくて
世の中には同じくらいバカらしい言葉が蔓延している
哲学問題は専門的で趣味の領域だけど
哲学を学ぶことで、議論を通じて、
他者の尊重、学ぶ楽しさ、探求心、愛、などを得ることができる
哲学は非常識レベルまで考えるけど、
一般的な話題で内容のある対話をするうえでの会話の作法は得られると思う
逆に、おためごかし能力は低下するだろう(営業には向かないわな)
でも世の中はおためごかしの言葉ばかり氾濫している感じがして少し悲しいんだ
生きた学問、生きた議論、生きた言葉の交わり合い、言葉のセックスをしたいんだけど
そんなものはハンス・アルバートのアパートの一室にしかないのかねぇ
などとセクースできないモテない哲学者の悲哀が最高位への攻撃的なレスにつながるのかもね
よし、今夜はイメクラでセーラー服プレイしよう!
>>177 相手にあって話をすれば、営業用の言葉かそうでないかは、はっきりいってすぐわかる。
直観的にね。これは人間の本能で、私はすごいとおもうよ。
「衒学くん」は鋭敏なだけに、議論相手に対する「期待」が大きすぎるのかもしれんね。
ま、嘆いているのは君だけではないということだ。
>>178 ああそれから追加。だれも最皇位に共鳴する人はいないよ。ここの人はそれほど無知ではない。
ネコ氏の補助も、最高位がほんの少しでもまっとうな議論ができるように望んでのものでしょう。
私はネコ氏の棋力にこそ最大の興味があるけどね。
180 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 11:01:10 0
>>178 そのイタズラな鋭敏さが彼から女性を遠ざけるのだ。w レスから判断するに
衒学クンはそこそこの容貌の持ち主だろう? モテないのは親のせいではなかろう。
同じ高等遊民の素人クンの場合、視点を平気で移動させるリクツならぬリクツっぽさに加えて
もしかしたらムクツケキ容貌なのかもしれない。まぁ、モテないわなぁ。
181 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 12:28:16 O
自己紹介乙
>>13 >そこで、可能な限り、思いつく限りの事を想定しても
>絶対に『私』は、物理的構造に還元する事が不可能である
>という結論以外にはありえない という話です
これって、単に今の自分にはそれしか想像出来ないって事だよな。
自分の想像力の限界を以て結論といたしましたという告白。
自分の限界を自分で決めたんだな。
自閉
「存在性一元論」って独我論だろ
>>176 形而上学はクロスワードパズルと同じにすぎない
それが観念論の面白さのすべてw
>>185 さーて、どれ位くいつくかなーー。つんつん。
187 :
Aasalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/01(木) 15:05:50 O
我々は、私の意識といったときに、自分の感覚に訴える物、視覚、聴覚、
触覚、嗅覚といったもので、世界を認識する。しかし、この意識を投影する
場所、白紙の場所が私の中に存在するはずである。それは、感覚に隠れて
感知できないが、我々の感じる世界の背後に、それより大きな私の脳の世界が隠され
ているということが言えるのではないか。その
可能性の世界を想像することで、より高次の
認識が可能なのではないか。
188 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 17:54:37 0
ただの反映じゃないか
189 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/01(木) 18:13:35 O
188
あなたにはその程度の還元しかできない程度の理解力しかないのかな。
Absalom,Absalom!
192 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 19:47:17 0
>>29 とッちらかった考えをよく整理もせず書き散らかしている状態なのでわかりづらいんだと思います。
すみません。
結局のところ俺が感嘆子さんの書きこみのどこが違うと思ったのかといえば、
>ですから、これは物理主義云々とも知識の過不足とも全く関係はありません。
の部分なのです。
もし問題が「なぜ私の身体が私の身体であって他人の身体ではないのか」というものならば確かに定義の問題といえると思います。
しかし、
>問題は、「これ」が「他人」ではなく『私』になっているのは何故なのか。
はそのような問いには読めませんでした。
俺にはこの問いは「そもそもなぜ『これ』が『私』なのか、なぜこういう定義なのか」というものと読めるのです。
もしそうならこれに定義の問題だからと答えることは不十分だと言わねばなりません。
ではどう答えればいいのか。
主観的意識というのがとりあえずの俺の答えです。
俺は『私』が存在するためにはそこに主観的意識が存在しないとはじまらないし、
主観的意識が存在すればそれで十分だと考えます。
『私』の定義も文法も天から降ってきたのではなく人が主観的な意識を持つという経験から汲み出されていると思うのです。
なので前述の問いは人が主観的意識を持つ法則を探求するというまさに唯物論的な問題の立て方だと思ったわけです。
>>105 というか標的を「〜論」「〜主義」じゃなくて具体的な主張に絞ればややこしさもいくらか減るんじゃないだろうか。
「〜論」「〜主義」も所詮レッテルや看板のようなもの。
標的を唯物論から物理主義に変えたところで同じような展開になりそうだ。
ほかでもないキムの攻撃が同じ物理主義者に向けられたものだったことを考えれば同意してもらえると思うのだけれど。
195 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 19:58:34 0
おまいらホント馬鹿だなw
「私」ひとつそれが何か分からずに私、私、ほざいてる
「ある」・・が何かもよく分かっておらず従って説明できるわけもなく
「思う、考える」・・もそれがどういう行為なのか何一つ理解せぬまま使うだけw
でもそれがおまいらの一生なんだよな、、、
最も悲惨なのは
一体なんのためにそういった事物を考察するのかがそもそも分かってない
目的の無い者同士のアホクササここに極まれりって感じなんだなぁ、、、
おれ?
全部分かってるよワッハッハ!
196 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 20:01:38 0
>>195 つまらん煽りだ。最高位の方がまだマシだ。
197 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 20:06:36 0
>>196 考えた結果それかよ、、ホントお粗末だなw
句読点の使い方おかしいよ
もっかい小学生やってこい
199 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 22:23:30 0
形而上学はクロスワードパズルにすぎない
それが観念論の面白さのすべてw
200 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 23:12:38 0
201 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 23:20:29 0
>>191 もし『私』の正体が無意識だとしても、その無意識というの醒めてない状態なのだから、
意識というより機械のようなもので、それは結局、脳の情報処理のことでしょう。
で、その情報処理の内容というのは、単に情報を加工したり伝送したり保持することだけでしょう。
そういう情報処理が、『私』として意識や感覚を体験するというのがさっぱり理解できない。
「感じる情報処理」というのが仮にあったとしても、それは一体何をやっているのか。
「感じない情報処理」と何が決定的に違うのか。何を付け加えれば感じるのか。
やはり「情報処理」が感じているというのは無理があるんじゃないか。
>>201 機械も無意識も感じるんだよ。
君が感じない感じをね。
君が鈍感なんだ。
203 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 23:48:23 0
>>201 「情報処理」が感じているわけではない。「情報処理」を感じているんだよ。
それが何かという話し。それが脳(機械)なら情報処理さえやればいいわけで、
その経過や結果を感じる必要はないだろう? そんな作業は、むしろ情報処理
の邪魔になるだけだろう?
204 :
考える名無しさん:2007/11/01(木) 23:52:44 O
意識が無意識を認識できるように無意識も意識を
認識できるようだ。
ド忘れが最近。。。。。
205 :
201:2007/11/02(金) 00:21:04 0
無意識というのは、単に『私』が感じていない意識(=情報処理)のことで、
覚醒意識というのは『私』が感じている意識(=情報処理)なんじゃないか。
『私』が何かはとりあえず置いておいて、そう考えたほうがシンプルでスッキリするのだが。
206 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/02(金) 00:22:22 0
>>187さん
投影される場所が意識なのではないでしょうか?
207 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/02(金) 00:51:16 O
唯識さん
意識がある、と言ったばあいに、気絶してないということを指すわけです。
つまり、何か脳のある部分が全体の覚醒を促しているわけです。
その上で、感知する感覚とは二次的なものではないでしょうか。
具体的に言えば、記憶野に感覚が投影されるような気もしますがこれはただの想像です。
とにかく、感覚の投影場所は脳全体ではなく広大なスペースが残されていると思います。
208 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/02(金) 01:11:30 0
>>207さん
すみません。少し分かり難いのですが。
209 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/02(金) 01:20:02 O
205さん
無意識というのは、あまり詳しくありませんが、意識にたいして働きかける、ある体験の記憶の古い層のことだと思います。
また勉強してきます。
210 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 01:46:33 O
無意識が意識に介入する一現象がド忘れ。
その他に夢、言い違い、聞き違い。
意識VS無意識
211 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/02(金) 01:57:35 O
すいません、意識という語を前のレスでは僕は使っていなかったので、無意識
に二種類あることを知らなくて、207では混同して使っていました。
意識してないと言う意味での無意識、と言う線で説明します。意識して
いなくても、感覚は自分の上に降りかかってきます。(たとえば注意を
向けていない視野など)。したがって、意識以外の場所にも投影されて
いるわけです。
じつは、無意識の二種類の考え方をアウフヘーベンして、第三の無意識
のあり方を探ろうとしていたのが、
>>207です。意識がある、と言う意味の
意識で、脳の範囲を規定して、それ以外の場所での、無意識と呼ばれる記憶
場所に空白の(失神と言うことを想起していただきたいのですが)領野を
想定して、その部分に新しい(またはよりベターな)知覚というものを期待
したのです。
212 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 02:09:32 O
*211は208宛てです
213 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/02(金) 02:22:45 0
>>211さん
PCに喩えるなら深い階層に作られたフォルダのような感じでしょうか。
或いは、OSの基本的なプログラムであるとか。
特定の状態に出現するそれを無意識の現れ、という事でしょうか?。
>(たとえば注意を 向けていない視野など)
これはバックグラウンドという考えが適応されないでしょうか。
214 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/02(金) 02:35:33 O
>>213 バックグラウンドが無意識だとおもうのですが。
すべてを記憶に範を求める現在の脳の働きと言うことを考えていたので、
コンピュータにしてみれば、使われてないRAMという感じだと思います。
215 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/02(金) 03:02:23 0
>>214さん
この「無意識」を反射運動のように「身体的」に捉えるか
心理学のように「精神的」に捉えるかでも変わってくると思います。
以前に唯識でいう無意識(末那識)をバックグラウンドと表現したことがありますので
混同を避けるために
>>213のバックグラウンドとは浅い部分と言いましょうか。
あくまでも五感、意識間の現象で捉えられると思います。
「使われていないRAM」に情報が入った時
これには興味と言いますか、いろいろ考えがあるのですが
さすがにスレ違い、板違いになりそうですので控えます。
しかし良い喩えですね。
216 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 06:26:24 O
ならば意識VS反射運動。
前者の意向対後者の意向
意識は常勝か。。。。?
笑
無意識はコンピュータでいうと
バックグラウンドジョブやプロセスなどと称する処理単位の一つ一つだな
人が創るコンピュータでさえ様々な定義や仕組みがあって、
どのように解釈するか、どのようにシステムを組むと良いかでしばしば揉め事になる。
意識と無意識の関係もはっきり定義できないに違いない。
ところでコンピュータと脳の最大の違いは処理の並列度だ。
コンピュータは並列処理をしているように見せかけているが、
実際は同時に一つの処理しかしていない。
ソフト的に見かけ上の並列処理をしていて極度に遅くなっている。
対して脳の並列処理は億単位だろうか。
これでは到底、脳と勝負できるような人工意識は作れないな。
もちろんコンピュータは脳を模したものではないから仕方のないことではあるが。
過去の膨大な記憶と現在の体内外の状態から次の適切な行動を見つけ出したり、
現在感じているクオリアがどんな感じかを認識するには
ハード的な超並列処理が必須。
218 :
素人:2007/11/02(金) 07:56:13 0
>>201>>203 その言い方に沿うならば、
≪ 『情報処理』が、『「感じる(感じている)」という事象そのもの』である ≫
と、捉えてはどうですか?
219 :
素人:2007/11/02(金) 08:33:00 0
順序が逆の方が解り易いか。
≪ 『「感じる(感じている)」という事象そのもの』が、『情報処理』である ≫ と・・・。
そして、(上の『 』内の語に関わらず)この形式の提示が、
最高位氏の『主語動詞論』『主体先行の行為論』への、別視線の提示となります。
220 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 08:35:01 0
>>218 「『情報処理』が事象そのものだ」との君のその表現がおかしいのである。
事象とは意識された対象のことだ。意識されない“事象”を前提にするその語り口が
“倒錯的w”なのである。
それだと『情報処理』の自己言及が無限に続くことになる。w
くせを直さないとね。
221 :
素人:2007/11/02(金) 08:42:03 0
>>220 仏教「的」考え方だからね・・w
(『 』内についての括り方に於いて、次元(レベル)の階層設定はあるだろうが)
この形式を外れることはないよ。
それと、
たとえばデカルト的懐疑の無限遡及なども、(時間的要素の組入れで)
「一回(或いは二回)でいい」なんてやりとりをしたのは君じゃなかったっけ?
222 :
素人:2007/11/02(金) 08:47:30 0
>>221三行目は誤解を招きそうだなw
私が、(こうした議論での)自分の視線の形式としてそれを外れることはない。
ということ。
夢を見ているときも「私」の感覚はある
朝起きて誰か他人が夢を見てたと思うことはないから
ということは意識が眠っていても「私」の感覚は残っているということになる
ではより深いノンレム睡眠の場合はどうだろうか?
その場合「私」の感覚は意識されることはない
しかし「私」の感覚は保持される
朝起きて別人になることはない
ということは「私」を「私」たらしめているところのものは
意識が気絶していても作用し続けているということだ
それは無意識による肉体及び神経の自律行動であり
それが「私」の感覚の源泉であり「私」の感覚が保持される原因である
224 :
201:2007/11/02(金) 09:07:53 0
>>219 単に情報(データ)を加工するに過ぎない情報処理において、
何をどうすれば「感じる情報処理」と「感じない情報処理」の違いがあらわれるのか
という極めてシンプルな工学的疑問についてはどうですか?
情報処理というのは、そのまんま、「情報」の「処理」に過ぎないわけで、
これをどうほじくっても、本質的な違いは出ない気がする。
ならば、「情報処理」はすべて「感じている」といったほうがスッキリするな。
225 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 09:13:48 0
>>221 意識する“主”それを『私』と呼ぼうと呼ぶまいと、それを立てれば一回で済む。
>>222 貴君も『私』や『自分』を定立せずには、一歩も論を進めることができない。
>>220 無限に続く事に何か問題があるのだろうか?
現にこうやっている間も情報処理は続いているのではないのか?
227 :
素人:2007/11/02(金) 09:56:06 0
>>225 だから私は、(極論に近くなるがw)
“主”は、「状態」「現象」「事象」(→どういう言い方がよりふさわしいか決めかねてはいるが)
でいいんじゃない? どこが不都合なの?
と言っている。
また、私は貴方のスタンスを(理解はするが)採用していないので、
>事象とは意識された対象のこと もまた採用しないので、
こうしたケースの場合に「事象にとっての主体が必要」だとは思っていませんので、
いつまでもいつまでも平行線だと思いますよ。(ツッコミを続けられるのは勝手ですが・・・w)
あ、
一つ、この流れで、ネタ的表現をしておきましょう。
「哲学的ゾンビ」という考え方があるが、私は多分
貴方や最高位氏の世界観で言えばゾンビなのでしょうw
少し、自身でフォローするならば、
私は、「仏教的ゾンビ」「中観的ゾンビ」なのでしょうwww
228 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 09:59:02 0
意識する主が有るのかどうかが問題だ。
意識だけがあって主はないのかも知れない。
ネットワークに主は無い。
主はあるという意識
意識の主があるならば、
意識は主があるかないかなど問題にしないだろう。
主への反逆ではないかw
231 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 10:08:43 0
チョムスキーの『普遍文法』を支える何かがあるとかんがえますが。
232 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 10:16:19 0
反省はサルでも出来るという。
反省の意識は主が何であるかという超主の意識だろ。
意識は階層構造として主の主、その主と階層化される。
233 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 10:21:16 0
階層などはない。階層化してしまう意識はある。
234 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 10:29:05 0
>>227 たとえば意識されない「状態」「現象」「事象」に、どういうものがあるの?
具体例を一つ挙げてくれるかな? 一つ挙げてくれれば、客観主義者の君の勝ちだよ。ww
235 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 10:33:50 0
>>234 227ではないが、
君のいう、「意識されない」の主語は何?
例えば、1億年前の地球を回る月とか、本人は意識できない自身の脳の活動とかは、どういう解釈になる?
思い出せないテストの答え
237 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 10:43:23 0
>>234 君が今何をしているか、意識できないんだけど。
238 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 10:49:39 0
>>235 意識は想像(妄想)もそこに含まれる。一億年前の月? そう言明している主体が
意識しているじゃない?
脳の活動を観測している“主”が意識しているだろう?
主観主義者は勝ちを意識せねばならないが、
客観主義者は無意識に勝利しているのである。
240 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 10:53:29 0
脳の活動なんか観測してませんが?
241 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 10:54:55 0
>>237 だから、(俺の)特定の状態は君には不在だろう。w
もっとも(俺の存在は)意識しているから、呼びかけているんだろう?w w
242 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 10:55:12 0
>>238 なら言明する主体や、観測する主体が消滅したら、
その事象や現象は消滅するという考え方?
誰も見ていない森の中で木が倒れたときは、音がしないという立場でしょうか?
誰も見ていなければ、それとも森自体も存在しないとする立場でしょうか?
243 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 10:59:12 0
>>241 君おかしいよ?
「状態」「現象」「事象」と言ったのは君だろ。
「存在」とは言ってないよね。www
244 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 10:59:50 0
>>239 と、主観的に信じることはできる。
>>240 では、なぜ君は「脳の活動」を知っているの?
245 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 11:02:02 0
意識していないと心臓が動かないなら、とっくに死んどるw
細かい臓器なんぞ、名前すら知らん。
246 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 11:03:12 0
>>244 「脳の活動」なんか知らないから、
観測などしていないと言ったまでだが?
少し前のレスに出てたが「言い間違い」「聞き間違い」とか?
248 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 11:20:47 0
自分の頭の中に「文学者が居る」という感覚にすぎぬ。
249 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 11:25:19 0
>>242 ここにも曲解好きがいる。素人クンだけではないようだ。
こう俺は言っているの。「観測主体が消滅したら、観測者によって『意識されていた
事象』は消失する」
最後の二行は曲解の極み。聞こえない音をどうやって意識するの?
想像? それなら意識されているよ。
“森自体w”があるか否かを云々しているわけではないよ。だれにもみられず、
想像もされていないのなら、“森の意識(この『の』は目的格)”は存在しない
ということ。当たり前じゃん。
250 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 11:28:01 0
音ではおかしいよね。空気の振動だ。
251 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 11:30:34 0
252 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 11:46:24 0
>>249 >ここにも曲解好きがいる。素人クンだけではないようだ。
そういういい方はやめてくれんか?
俺の理解が足りないから聞いているのだが。
>こう俺は言っているの。「観測主体が消滅したら、観測者によって『意識されていた
>事象』は消失する」
じゃあ、その『事象』が示す先の、実体はどうなのかと聞いてるの。
通常は、その実体を指して、「事象」とか「現象」と呼ぶ。
脳内の観念のことをいう場合とは区別するだろ。
>最後の二行は曲解の極み。聞こえない音をどうやって意識するの?
音といったのは悪かった。空気の振動でいい。
>だれにもみられず、
>想像もされていないのなら、“森の意識(この『の』は目的格)”は存在しない
キミが観測も想像していないなら、キミにとって森を意識する観念は存在しないってこと?
そんなのは当たり前なんだが。
キミが観測も想像していなくても、他人にとって森が存在するという可能性は否定できないんだろ?
253 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 11:57:44 0
>>249 君が生まれるよりも10年前に地球は存在したと思いますか?
また、その時地球は自転はしていたと思いますか?
>>220 >事象とは意識された対象のことだ。意識されない“事象”を前提にするその語り口が
>“倒錯的w”なのである。
>>249 >こう俺は言っているの。「観測主体が消滅したら、観測者によって『意識されていた
>事象』は消失する」
ここでは、「意識された対象」とは、たとえば「森の意識」や「音」のことであり、
あくまでも「意識の内部」にあるので、意識が消滅すれば意識された対象も
消滅するのは、定義上当然のことです。
一方、通常の言葉遣いでは、「意識された対象」とは、たとえば「森自体」や
「空気の震動」のことであり、意識されるされないに関わらず存在し、当然
観測主体が消滅しても消滅しないものと理解されています。
つまり、通常は「意識されない事象」を前提にすることは倒錯的とは
考えられていないわけです。
言葉の意味や考え方の前提が違っている以上、議論が噛み合わないのは
当然だと思われます。
そう、意識されないものは、
「あるのかどうか確かめられないけど、とりあえずあるとしておこう」ということなんだけど
それがいつのまにか「ある」になってしまっているところが倒錯的なんだな。
256 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 12:56:47 0
>>255 常に「あるとしておこう」なんていい方してたら鬱陶しくてしょうがないw
>>256 そう、鬱陶しくてしょうがないから便宜的に「ある」とするようになった。
するとほんとうに「ある」と思うようになってしまった。
258 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 13:27:42 0
>>257 >ほんとうに「ある」と
ほんとうに「ある」とはどういうこと?
>>258 幻や錯覚ではなくて眼を閉じてもなくならないようなものだと
思ってくれていいよ。
「観測主体が消滅したら、観測者によって『意識されていた
事象』は消失する」
これは倒錯じゃないの?
「私がなくなったら?」って倒錯じゃないの?
「ない」って倒錯じゃね?
バカ増殖中
「だったなら?」は倒錯かな?違うかな?
266 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 13:55:55 0
>>260 じゃあ、具体的に、ほんとうに「ある」ものって何?
幻や錯覚でないものでもいいけど。
268 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 14:00:02 0
>>267 わからないのなら、『本当に「ある」』という言葉は何を意味しているの?
一体何を主張しているのか意味不明だけど。
いや、実は何もないのだよ
>>268 わからないかなぁ
じゃあしょうがないね。
『本当に「ある」』という言葉がなにを意味しているのかは
勉強してれば自然とわかるようになるから、あせるな!
結論が出ますた
272 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 14:07:29 0
>>270 そういう話じゃない。
『本当に「ある」』という言葉を使用する、キミの認識を聞いているわけ。
本当は「ない」という状態を、それを『本当に「ある」』と思っているなら、
『本当にある「ある」』という言葉は、本当は「ない」という状態を意味し、
結果、『本当にある「ある」』は正しいことになる。
『本当に「ある」』をXというラベルに置き換えて、Xが指しているのは何かと聞いているわけ。
XがAの状態を指し示し、Aという状態があるなら、Xは正しいわけで。
273 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 14:15:11 0
つまり、『本当に「ある」』というものがわからないというのなら、
その主体が発する『本当に「ある」』という言葉は意味を消失し、
何の主張にもならなくなっているということ。
だから257は間違いまたは認識不足で、
>そう、鬱陶しくてしょうがないから便宜的に「ある」とするようになった。
>するとほんとうに「ある」と思うようになってしまった。
は本来は、
そう、鬱陶しくてしょうがないから便宜的に「ある」とするように257は思っている。
257はほんとうに「ある」とは何かわからないので、257は何も分からない。
が正しい。
しょうがないなー。
じゃあヒントね。
『本当に「ある」』の意味の内包はひとつでないんだよ。
だから勉強していればわかってくるから、がんばれ!
275 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 14:31:53 0
>>274 そうじゃなくて、キミの認識を聞いているんだよ。答えられないからって逃げるな。
>>275 だーかーらー
それこそ「そうじゃなくて」なんだよなー。
そういう考え方だとなんにもわからないよ。
278 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 14:54:00 0
>>277 つまり貴方がきちんと説明できないってことですね。
貴方の自分なりの定義もかけないようですし。
279 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 14:55:00 0
>>234 意識されない「事象」の具体例なら、睡眠中の地球があるだろう
意識されない世界とは、深睡眠などの意識喪失状態や知覚の外の領域、
物理空間上の制約のもとにある知覚の限界性が、否定根拠にならない
フロイトやユングの理論における「無意識」は、仮説的要素、不確定要素が多すぎる。
>>278 ちがうよ。
やっぱりまだ難しかったみたいだね。
281 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 15:05:53 0
>>280 なら定義してみることだ。できないなら黙れ。
やっぱり、君には難しかったかな?w
実際のところ馬鹿なのは257。
彼は自分が何も分かっていないことを告白しているだけ。
それは彼の論理からも他人には適用できないのに、他人に当てはまると思っているところが馬鹿。
>>281 >なら定義してみることだ。
どうして?
もっとよく考えたほうがいいよ。
284 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 15:14:51 0
>>283 いや、君がもっとよく考えた方がいいと思うよ。わかっていないのは君なんだし。
まあ、がんばれ。
285 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 15:15:34 0
>>254 まず揚げ足とりから。音を意識の振動と呼ぶ通常って、どこらあたりの通常?w
かなり特殊な通常じゃない?
たとい音を“空気の振動”と概念化しても同じ。初めに計測(認識)された“振動”が
あったはずだからだ。それを“客観”として事後的に措定し、観測者不在でも空気の
振動は存在した、とみなすのが科学。
この倒錯のうえに科学的認識世界は樹立されている。
まぁ、それでも不便はないということだね。
286 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 15:20:01 0
>>285 いやいや、違うだろ。それはキミの場合であって、他人がそうであるとは限らない。
287 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 15:20:40 0
不可知論の立場に立つと、他人について言及することが無意味になるんだよ。
気が付いていない人が多いけどね。
288 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 15:43:14 0
>>276 わざわざ地球の裏側を出す必要もあるまい。「私の知らないところで知らない
だれかが亡くなっている」ということなら、私はそれなりに意識(想像)している。
別に倒錯的ではない。当たり前の想像だろう?
君と私が同じ価値観に至ることはないというのなら「そうかもしれませんね」
と答えるしかない。絶対だって? オーバーに言うんじゃねぇ。
それとも君は
>>279 のようなことが言いたいの? この人や君が睡眠中のときは
代わって私が地球を意識してあげます。ご安心を。
「客観的に存在する」と、まず決めつけないと仏教は成り立たないみたいだね。w
289 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 15:49:04 0
>>286 君に、それがわかっていればいいんだよ。
>>287 ならないよ。君がそう思っているだけ。
290 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 15:50:21 0
>>288 >代わって私が地球を意識してあげます。ご安心を。
とキミは「地球」を客体扱いしているだが。w
それがキミの観念のことをいうのなら、「ご安心を」と言っていること自体がおかしい。
無意識に「客観的に存在する」と決めつけているよ。キミは。www馬鹿だねぇ。
291 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 15:52:54 0
>>289 >ならないよ。君がそう思っているだけ。
なるよ。
君以外の人には世界は不可知ではないかもしれないし、存在していないかもしれない。
君以外の人は実は人ではなく、すべて神で、
君とおなじような人間のふりをしてるだけなのかもしれないのだし。
君が言えるのは、君がわかっていないということだけ。www君の論理ではね。w
だから何もないし、誰もいないんだよ
294 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 16:01:01 0
295 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 16:03:00 0
>>290 冗談に本気で食いつくな。アホ。
無意識もまた私の意識なのです。w
アタマが悪そうだから分かりやすく言うね。客観的に何かが存在する、
と決めつけようとどうしようと、それらもまた私の心的(意識)事態でしかない
ということ。
かえってわかりにくくなったか。w
不可知さんは議論する意味がないからな。
勝手に不可知ってろとは思う。
この言明は存在しない
300 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 16:09:08 0
>>295 だからこそ、「ご安心を」というのが他者に何の意味を持たないってことが
君がわかってないのが馬鹿なんだよ。
302 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 16:11:55 0
>>297 不可知論者の不可知自体、当人の世界の中でのことだから。
他者には適用できない。
>>301 まさに内容がないよう状態になってるし。
不可知さんは黙って不可知ってればいいんだよ。
306 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 16:21:04 0
>>300 意味があったから、君のような頭の悪い“他者”が応答してきたわけ。俺は
ここでは“他者”から相手にされるほうだよ。w
馬鹿バカばかっておまいらは馬鹿村の住人かっての。
そのうち最高位村長やってきてみんな馬鹿扱いするからもうばかばかになるぞ。
308 :
素人:2007/11/02(金) 16:23:50 0
>>288 最高位氏と一緒で、触れずに済ます文章が多いですねw
地球の裏側でなくても構いません。問題はそこじゃないから。
貴方が言うように、 >私の知らないところで知らないだれかが が重要です。
そして私は、
>(→「誰かの死」という言明(想定)の時点で「意識されている」という言い方もできるが、
> 特定された、一個人の、「その人唯一の死」という意味で「それ」が意識されるわけでもなかろう)
>その人の周囲の人間にとっては意識されているだろうが、私には「それ」は意識されていない。
と記したし、次いで
>私にとっては、まざまざと意識される「(私にとっても彼にとっても唯一の)彼の死」だ。
>しかし、地球の裏側の人にとって、「彼の死」は意識されているのだろうか・・?
>むしろ、ここに私や猫が生きていることすら意識されていないのではないか・・?
と記した。 この点についてはどう? 意見が聞きたい。
また、「誰かが」ということでは、特定の対象を指さない(→指せない)ので、
どんなに意識していると言っても、それは、固有の、唯一の『誰か』(『それ』)を意識したということになるんでしょうか?
ここの所も、もう少し詳しく聞きたいポイントです。
309 :
素人:2007/11/02(金) 16:32:57 0
>>288 >「客観的に存在する」と、まず決めつけないと仏教は成り立たないみたいだね。w
ほとんどの仏教はそうでしょうねw
少なくとも、私の理解する仏教はそうです。
唯識系統(或いは唯識の影響を色濃く受けている部分)については明るくないので、
客観存在の完全否定まで踏み込んでいるかどうかはわかりません。
310 :
素人:2007/11/02(金) 16:38:31 0
ああ・・・
この流れは「“最後の晩餐”の価値(はどこにあるか?)」を思い出しますねw
この言明は存在する
主観主義者は世界に一人しかいない。
314 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 18:51:36 0
>>313 その言い方もバカげている。どこが変か気づけよ。
>>313 >>314 いや、これは二通りの意味がある。
世界には60億人いるが、その中で主観主義者は世界に一人しかいない。
という意味と、
主観主義者は当人の世界に自分一人しかいないが、そういう主観主義者は複数いる。
という意味の場合がある。
316 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 21:56:38 0
>>315 最初の60億のうち一人しかいないというのは、だれの認識?
その次の「主観主義者が複数いる」と、だれが言っているの?
317 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 22:04:07 0
>>311 馬鹿ですか?
物理学や物理主義(のみ)で語っているつもりはありませんよw
318 :
考える名無しさん:2007/11/02(金) 22:05:27 0
>>316 誰の認識とかではなく、文章が2通りに読めるってことを示しただけ。
ちょっと違うが、「ここではきものをぬぐこと」みたいなものだ。
320 :
ネコの味方:2007/11/03(土) 10:57:18 0
>>308 “死”とは何かを述べたいわけ? そうしたければ、やってください。
そこから【私】を語ることも「あり」でしょう?
地球の裏側の(見知らぬ)人のことは、想像することができるだけである。
結局、こういう質問? 「意識しない何かが意識の外に存在するのではないか」
たぶん私も「あるだろう」と信じている。w
しかし、この植え込まれた常識を前提に、このスレで何かを語ってもしかたがあるまい、
ということ。
321 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/03(土) 11:05:03 0
>>309 >>「客観的に存在する」と、まず決めつけないと仏教は成り立たないみたいだね。w
>ほとんどの仏教はそうでしょうねw
>少なくとも、私の理解する仏教はそうです。
宗教だからね
素朴実在論を、無条件に前提したところから出発している
という事なんだろうね
宗教なんだから、べつに構わんわけだが
哲学だとすると、おそまつだね
人生哲学レベルだと考えれば、哲学だと言えん事もないが
それじゃ意味が違う
>>310 >この流れは「“最後の晩餐”の価値(はどこにあるか?)」を思い出しますねw
価値は、観念です
言葉は存在の住処って言い回しはいいな。
スレタイの私の存在性も言葉だし、考えていくと悪酔いできる。
323 :
考える名無しさん:2007/11/03(土) 13:43:33 0
人間なんて結局、素朴実在だしね。
324 :
考える名無しさん:2007/11/03(土) 13:50:53 0
ホントは「私はここにおるぞ」なんていう素朴実在否定論者なんて
いないのよ。
325 :
考える名無しさん:2007/11/03(土) 14:06:33 0
実在するのはただ個物のみで、人間なんて認められませんから、
唯名論者は人間ではないのよ。
326 :
考える名無しさん:2007/11/03(土) 14:32:13 0
327 :
素人:2007/11/03(土) 17:32:15 0
>>320 お前、本当にネコか?(てか、酔か?)
なんか、ツッコミ方が鈍くなってるような・・・。
昔は、ポイントを押さえて、
こっちが「ツッコまれると厳しいな・・」という部分にレスを付けていたように思う。
今は何か、“劣化最高位”って感じがする。
もしかして、偽物に釣られてたのかな・・・ orz
328 :
考える名無しさん:2007/11/03(土) 20:25:35 0
そもそも人間なんてテメーに毛が何本あるかさえもワカランのに。
329 :
考える名無しさん:2007/11/03(土) 20:35:14 0
レーニンとかなら自分の頭に毛が何本あるか知ってたと思う。
330 :
考える名無しさん:2007/11/03(土) 21:33:07 0
何でレーニンなら知ってるの、また馬鹿唯物論でもおもってるのかな
331 :
考える名無しさん:2007/11/03(土) 21:38:29 0
最簿の晩餐では世界中の人間が毎日ご飯が食べれるように討論がなされたそこに価値がある
と唯物論ではなる、もちろん実際は食べることとは上方にはなれた上部構造が頭の中にあっただろうとは当然言う
つまり世界中が食えるようにとは、いわば突き詰めればそういうことであるがね
ということだ、同様に突き詰めれば、物資的価値が唯一の価値だ==唯物論
332 :
考える名無しさん:2007/11/03(土) 21:41:23 0
>もちろん実際は食べることとは上方にはなれた上部構造が頭の中にあっただろうとは当然言う
という事はその場の観念が価値があるということいわば同じこと
>>321 そうそう。
哲学者最高位という人間が実在するなんて宗教だし、
哲学者最高位という人間が何かを主張しているなんてのも宗教だな。
334 :
考える名無しさん:2007/11/03(土) 23:57:33 0
335 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 00:05:54 0
抜け毛で抜けたり
数えてるうちに毛が生えてきたらどうすんだよ
336 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 00:08:20 0
>>335 数えながらマーキングしていく
抜け落ちてもマーキングがあれば数えてあるということ
ついてないのはまだ数えてないもの
337 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 00:13:22 0
>>336 抜けたら本数に入らないだろう?
切った爪を自分の爪の長さに足したりしないだろ、ふつう
数えてるうちにも人間の体は新陳代謝をくりかえしてるし
338 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 01:08:45 0
>>335 馬鹿だなw
時間かからないように100万人ぐらい動員して素早く数えるのよ
339 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 06:47:27 0
混乱すると思うw。
ウブ毛数えないヤツとか、さぼってテキトー答えるヤツとかw。
340 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 07:38:02 0
【毛】を数えてください。【私の体毛の数】
341 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 08:29:10 0
>>339 アホかw
人間の体表面積は2u (2万平方センチ=200万平方ミリ)
100万人で割ると一人当たりの受け持ち面積はわずか「2平方ミリ」
本数は一瞬でわかるぼ
342 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 09:49:00 0
>>341 残念でしたw体内にも毛が生えてることはよくあります
343 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 11:05:18 0
バカだなおまいらw。
毛は観念で実際に生えてるかどうかなんてわかりゃしないんだよww。
頭の毛と髭が繋がっていたら、どうやって髭の本数を除外できるのか分からん。
剃った顎の毛を髭と定義するのだろうか。
>>320 君の言う「意識の外」とは何の事を言っているつもりなのだ?
君の体は意識の外にあるのか内にあるのか?
他人は?物は?世界は?
地球の裏は意識の外にあって表は意識の内にあるのか?
>地球の裏側の(見知らぬ)人のことは、想像することができるだけである。
これは意識の内の事なのか、それとも外の事なのか?
何の事を言っているつもりなのだ?
346 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 18:29:33 0
>>345 君がこのスレで大きな顔をして武張っているようでは、発展性は望めない。w
君は最高位の殴られ役に徹しなさい。
質問の低脳ぶりにあきれる。少しは考えなさい。w
君は、あちらでもバカにされていなかった? アホを晒すのはこちらだけにしなさい。
まあ意識の外って矛盾してるし、イミフなのは当然かと。
348 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 21:29:01 0
単純に意識下といっていいのでは
349 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 21:31:35 0
>>346 このスレの発展性ねえ、みんなかなり考えないとねえ
>>346 君は何にあきれてるつもりなのだ?
君の意識内の何かにあきれてるのか?
君が眠ればそいつも消えて無くなるのか?
351 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 21:52:22 0
気持ち悪いよ350
>>351 君は何が気持ち悪いつもりなのだ?
君の意識内の何かが気持ち悪いのか?
『私』は、なぜか不思議なことに、(夢の中でさえ)現に覚めており、知覚(感覚)がある。これは疑えない。
もし『私』が情報処理装置だとして、どういう処理のお陰で「現に覚めた情報処理装置」になるのか??
それとも、全ての情報処理は何かを感じているのか?
では、一体、情報処理ってなんだ?
カラスが屋根にフンを落としたとき、カラスから屋根への情報伝送と言えるのだろうかw
354 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 22:58:03 0
おもしろいね
355 :
考える名無しさん:2007/11/04(日) 23:01:03 0
>>353 >では、一体、情報処理ってなんだ?
その前に「情報」てなに?
>>355 一般に、『私』の知覚をもたらす本質的要件は、脳の情報処理機能である考えられている。
(脳の色や形や匂いや材質などが本質的要件であるとは考えられていない)
しかし、そうすると、
『私』の知覚をもたらす「情報処理」とは一体なにか??
という極めて素朴な質問が浮かぶ。
>>353の関心は、この常識的見解を擁護する観点から「情報」や「処理」を意味づけることにある。
脳(あるいは脳の機能)こそが『私』(私−機能)だと主張する人は、
「ニューロンの発火」と「カラスの用便w」との本質的違いを明確に説明しないといけない。
>>356 大勢で作る人文字を考えた時、
たった一人しか並んでいない時、どんな文字が描かれるのか判るの?
>>356 もう一つ。
ドット絵のCG、たった一つの赤いドットだけで、どんな画面か判るの?
もう一つ。
たとえば「あ」という文字。この一字だけで、どんな文章か判るの?
359 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 00:55:16 0
>>359 「ニューロンの発火」と「カラスの用便」を比較するのは強引じゃないのかな?
ということ。
また、
「カラスから屋根への、用便を介した情報伝達は無い」という解釈は、
「通りすがりのAさんが、見知らぬBさんの肩を叩いた時、
Aさんのその行為の動機(≒意味)がBさんに伝わることはない」
というのと同じじゃないかな?
ということ。
カラスの用便も現に情報があなたに伝わっているではないか。
あなたのニューロンを刺激している。
362 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 11:02:11 0
363 :
男根様 ◆CHINPOGEDU :2007/11/05(月) 13:52:45 0 BE:722174966-2BP(6601)
この名の由来は男性器である男根への表敬です
また、当方クリスチャンではありますが、男根崇拝なるものにもなかなかの興味があります
キリスト教はご存知の通り、パウリの原理よろしく、強烈な排他性を有しています
これはディルタイが提唱した解釈学的了解に積極的に介入し、情報認識学的誤謬を孕むことで概念図式に対し、非多面化作用と硬化作用があると考えます
結果、精神の狭隘化が発現し、外的刺激への鈍麻さと感性の閉鎖を呼ぶと考えており、当方はこれを危惧し、他宗教への精神的旅行を積極的にしています
他宗教の神体で個人的にも表敬対象、且つお気に入りである男根をあえて名前に据えることで、先述のことを常に意識し、忘却の彼方に置き去りにすべきでないという決意の表れから、この名を選びました
http://nusoku.s13.dxbeat.com/ >>1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30,31,32,33,34,35,36,37,38,39,40,41,42,43,44,45,46
364 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 21:48:47 0
たまにはほんとの唯物論の難しいところもやってみよう
>>331 >同様に突き詰めれば、物資的価値が唯一の価値だ==唯物論
ではあるが、一般的精神的価値には価値がないといってるわけではない
価値が少ないといってるわけでもない
ということはどういうことかわかるかね
365 :
考える名無しさん:2007/11/05(月) 23:14:15 0
>>360 『私』の知覚をもたらす本質的要件が情報処理機能にあるとすると、
必要な機能さえ実現できれば、ハードウェア構成を任意に選べる。
脳をコンピュータで実現するという発想は、正にそのことを前提としている。
で、コンピュータの構成要素は(性能を度外視すれば)半導体素子でも、真空管でも、リレーでも何でもよいから、
その素子の一つとして「カラス」を無理やり使うことも可能だろう。
(例えば、餌入力→糞出力という機能を持った素子としてw)
コンピュータの一構成要素を担っているカラスは、自分の役割を知る由も無い。
しかし、コンピュータ全体では情報処理を実行しているのだから、
そこには、何やら『私』の知覚が生じているのである!
ここで、当然ながら、次の疑問が浮かぶ。
情報処理において、全体と部分に本質的差異があるのか。
例えば巨大な分散処理システム全体に『私』の知覚が生じるとき、
これを構成する一台一台のプロセッサに『私』の知覚が生じない理由はあるのだろうか。
それとも全ての情報処理には(何らかの)知覚が生じているのか?
その場合、プロセッサA+B+Cと、プロセッサB+C+Dは各々別の知覚を持っているのか?
でも、そんなことを認めてしまったら、『私』の知覚が無数に生じていることになって、
『私』と情報処理との対応付けが甚だ怪しくなってくるのではないか。
(情報処理の任意の部分に『私』の知覚が生じている?!)
無数じゃないじゃん
367 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/06(火) 08:38:53 0
>>369 そもそも唯物論的価値観に、『価値』などという概念はありません
『価値』は、観念です
368 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 08:54:25 0
370 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/06(火) 11:51:58 0
こんなアホみたいに基本的な事もわからずに、よく唯物論者なんかやってるな
>>370 唯物論が何かを知らず、物質とは何かも知りもしないで、
闇雲に批判しているお前も馬鹿だけどな。
372 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/06(火) 12:04:27 0
>>371 内容のない、抽象的な批判は、もういいんだよ
そんな事しか言えないなら、内容がないのがバレバレだぞ?
反論するなら、具体的に解説つきで述べてくれ
373 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 12:09:49 0
殺伐としたスレだなぁ
>>372 内容のない、抽象的な批判は、もういいんだよ
375 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/06(火) 12:37:19 0
>>374 やっぱり、それしか言えんのか?(爆笑
唯物的世界観に『価値』なんていう概念は、そもそも有りえない と言ってるんだが
いまだに意味が、わからんのか?(苦笑
はいはいクマクマ。
ところで近年シロクマが減ってるらしい。
>>375 >唯物的世界観に『価値』なんていう概念は、そもそも有りえない
唯物論者がそう主張しているなら別だが、
否定する側がそんなことを言っても何の説得力もない。
君が否定できるように、唯物論を定義しているだけにしか思えない。
唯物論者の主張と反している時点で、君の論は聞く価値がない。
あれえ
唯識に駆逐されたと思ったらまた登場か
まあ標的はおまえらしいからなwww
379 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/06(火) 12:51:22 0
>>377 はぁ?
誰が主張するとか、誰が唯物論者だとか
そんなの関係ないんだよ
唯物論というのは、唯物的価値観
決まってんだろバカ(苦笑
>>379 君は唯物論者の唯物的価値観を知らないんだからどうしようもないだろ。
唯物論がどうとか本気で言ってんなら、しかるべきとこに論文送ったらいいんじゃね。
まあできないからこそ、ここで絡んでるんだろうけど。
382 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/06(火) 13:15:30 0
>>380 その
唯物論者の唯物的価値観を述べて見なさいよ
価値観 つーのは、目的性があってこそ生まれてくるんだぞ?
進化論をはじめ、唯物的な考え方の根本は
目的性や価値観を、徹底的に否定するのが基本だろ
目的性や価値観を肯定する唯物論者なんて聞いた事ないわ バカが
言ってる事が、一定してないんだよオマエら
>>381 お前が言うな(爆笑
>>382 >進化論をはじめ、唯物的な考え方の根本は
>目的性や価値観を、徹底的に否定するのが基本だろ
そんな唯物論者は見たことも聞いたこともない。
昔の最高位が似非唯物論者だったというのを除いて。
>目的性や価値観を肯定する唯物論者なんて聞いた事ないわ バカが
いくらでもいる。少なくとも俺はそうだ。
384 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 13:23:02 0
貼っとくか
611 名前:考える名無しさん sage 投稿日:2007/10/27(土) 15:07:56 0
事実、最高位は今肉体に依存している。
彼は絶対にこれを否定出来ない。
この事実を持って最高位の主張は破壊されている。
700 名前:唯識 ◆Vidya0E1.s 投稿日:2007/10/28(日) 02:49:15 0
>>696最高位さん
そもそもデパートのように全てに対応できる
総合商社のような理論などあり得ない訳でありまして
唯物論が説明できる範囲というものがあるでしょう。
説明できないからそこのお店はダメと言われるなら
他のお店を当るしかないでしょう。
でなければただのクレームをつけるお客さんに過ぎませんよ。
385 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/06(火) 13:24:18 0
>>383 それは唯物論ではありません
宗教です
では
物理現象は、何の目的で現象しているのですか?(笑
>>385 >それは唯物論ではありません
最高位の考える唯物論ではないってことに過ぎない。
唯物論の定義や唯物論がどういうものかは、唯物論者がそれぞれ決めることであって、
君が決めることではない。
>>385 最高位が考えるような唯物論を主張する唯物論者は、
過去の最高位を除いて誰もいない。
最高位は自分の過去の主張を否定しているに過ぎない。馬鹿だと思う。
>>385 最高位の『私』の存在性は何の目的で存在するんですか?w
389 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/06(火) 13:31:44 0
>>384 ん?
依存しているって、何を依存してるの?(笑
ちゃんとわかってて言ってんのか?
あと
唯物論が総合商社でない と主張するのは
それは反唯物論者の主張だぞバカ(爆笑
そんな事を言う人は
唯物論を、科学か何かと勘違いしてゴッチャになってるんだろ
たとえば機械くんなんかは
藁けるけど
唯物論が、最終真理 とか言ってるんだぞ?
総合商社どころか、最終真理なんだよ(爆笑
当たり前ですが、こう考えるのが唯物論者というものですよ
390 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 13:33:21 0
とりあえず、
最高位が唯物論者として認める、有名所の人物を挙げてもらって、
それが、唯物論陣営の中でどう位置付けられる考え方なのか吟味してみたらどう?
勿論、2ch内ではなく、公に著作を発表している(公に自論を展開している)人物ということだが。
391 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/06(火) 13:35:16 0
キミらね
私とマトモに議論したら負けるからって
いい加減な事ばっかり言って逃げるのはやめたまえ(爆笑
反論があるなら、唯物論者として、唯物的な何かを主張してみなさいよ(プッ
392 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 13:45:30 0
逆に、唯物論の種類を列挙して、一つ一つに対して、
「これは唯物論」「これは科学」「これは物理学」「これは宗教」etc.と
最高位の判定を仰ぐとか。
最高位が考えるような唯物論を主張する唯物論者は、
過去の最高位を除いて誰もいない。
最高位は自分の過去の主張を否定しているに過ぎない。馬鹿だと思う。
>>391 勝ちたくて必死なのは最高位だろ。
でも唯物論みたいな立場にどうやって勝つの? そもそも勝負になるの?
単に引っ込みがつかなくなって頭おかしくなってるだけじゃないの?
395 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/06(火) 15:10:31 0
声だけでかくて、主張すれば内容に無関係に、主張だけすれば、正しいと思って
もらえる、正しさが立証されると考えている人がいるようですが、ただの馬鹿です。
396 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 19:47:55 0
私は私という人間から
離れずにこれをみつめているたましいです
人間の私はたましいの私にきづいておどろくのです
ためらわずに
ポエムからはじめましょう
397 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 21:27:41 0
>>364 をもう一度
たまにはほんとの唯物論の難しいところもやってみよう
>同様に突き詰めれば、物資的価値が唯一の価値だ==唯物論
ではあるが、一般的精神的価値には価値がないといってるわけではない
価値が少ないといってるわけでもない
ということはどういうことかわかるかね
価値を最大の問題にするから唯物論が出たようなものだよー
最高位は唯物論という漢字を1時間じっとみてんだねwwww
そしてタダモノがあるだけという論かと思ったのかwwwwwwwwwwなるほど
398 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 21:52:41 0
何と言っても機械君がのたまうような唯物論が
本当の唯物論なのであってね
非還元主義だの史的唯物論だの弁証法的唯物論などというものはだね
検討するに値しないのだよ
唯物論とくればタダモノ論に決まっているだろが
ということだ。
399 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 21:57:07 0
うっ、おまい唯物じゃないな?w
>>398 「本当の唯物論である」というのは、
誰が、どのような基準でもって、そう決めているのですか?
その基準が「本当の唯物論である」ことは、どこに由来しているのですか?
その基準に合致しないものが、なぜ「唯物論」というカテゴリーで括られているのですか?
なぜ、「タダモノ論」以外の「唯物論もどき」が、
「唯物論」として括られているのですか?
401 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 22:17:48 0
私が私の基準によって
「本当の唯物論というもの」を決めている に決まってるがな
無理して釣られんでもええよ
402 :
考える名無しさん:2007/11/06(火) 22:51:05 0
砧麺麭麩玖拿痲璽彙螺禰
404 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 00:02:37 0
>>400 歴史的、世界的、哲学常識的にだよ
2ちゃん的にだけ機械唯物論とやらの馬鹿だろうが
405 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/07(水) 00:54:43 0
最高位さんの「私の存在性」とは
ただ単に「唯物論の否定」に利用されるためだけの
道具としての「言葉」にしか過ぎないのではないでしょうか?
この間のやり取りで、最高位さんの「私」の構造が
かなり見えてきたように思えます。
406 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 08:56:44 0
>>401 >私が私の基準によって
「私」が存在するなら唯物論ではない。
「私」は「もの」ではないから。
「もの」だけで「もの」を記述できて初めて唯物論といえる。
勿論「唯物論」は「もの」ではなく単なる「ものを記述する情報」だね。
407 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 10:00:38 0
408 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 12:15:02 0
>>406 物だけで記述する?・おまえも唯物論という漢字を30分みたんかwwww
w馬鹿は漢字に弱い
409 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 12:17:46 0
>>406 唯物論は実は意識を記述する情報なのだよ
だから物資的価値が唯一の価値とか言う
410 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/07(水) 12:26:26 0
>>397 >>367を、もう一度
そもそも唯物論的価値観に、『価値』などという概念はありません
『価値』は、観念です
>>400 >なぜ、「タダモノ論」以外の「唯物論もどき」が、
>「唯物論」として括られているのですか?
科学と唯物論の区別がついていない人が多いのです
唯物論を否定する人は、科学を否定する非常識な人だと思って反発しているんですね
私は、そういう勘違いを正そうとしているわけですが、頑なに心を閉じてしまっている
そのような人が多いのです
唯物論とは、簡単な話「全ては物理現象が起こっているだけなのだ」という
実に無機質な価値観
そういう思想です
こういう考え方を否定しながら、なんで唯物論を主張するのか
まったくわけがわかりません(爆笑
逆なんですよね
一番大切な部分で、実に基本的な勘違いを犯している人が、なぜだかわからんけれども実に多いんです(苦笑
>>410 唯物論は観念の存在を否定していません。
>>410 >実に無機質な価値観
>そういう思想です
いいえ。間違いです。そんな唯物論者はいません。貴方の馬鹿な価値観に過ぎません。
無機質どころか有機質だって唯物論に含まれています。
413 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/07(水) 12:46:37 0
>>412 キミは哲学うんぬん言う前に、もっと現代国語を勉強すべきですね
ちゃんと学校へ行きましょうよ
>>411 それ唯物論じゃないな。
看板に偽り有りだ。
>>414 それは貴方が唯物論を理解していないからでしょう。
「唯物論」と訳された本来の「Materialism」に、観念の否定なんてありません。
416 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/07(水) 13:10:51 0
>>415 唯物論では、観念は物理現象だとするんだよ
『観念』が、物理現象以外のものであるという位置づけなのならば
それは唯物論ではありません
もう少し、基本を押さえてから議論に参加して下さい
一口に唯物論といっても穏健なものから極端なものまでそりゃいろいろあるだろう。
何も唯物論に限った話しじゃないけれど。
もちろん唯物論についての特定の見解から、例えば「唯物論は観念の存在を否定する」という考えから別の見解を攻撃したり否定したりするのはもちろんあり(議論の上でね)。
でもそうであっても一応は上で書いたようなことを一般的な事実として認めた上でやってほしい。
まぁ穏健な唯物論なんてどうでもいいよな。
恥ずかしがらずに二元論って名乗ればいいのに
中途半端なんだよ。
最高位氏は、
2ch以外のどのような場所で唯物論の解説に出会ったのでしょう?
それを示していただければ、皆さんも納得するのでは?
「その説明は確かに唯物論だ」とか
「それは、その時代の特殊な説明で、主流とはならなかった」とか
「これとこれとこれが現在許容されている唯物論の種類で、
それは、この時代までの旧い唯物論だ」とか
「現在は、このような考え方も唯物論として括られている」とか
いろいろ議論が細やかになるのでは?
二元論のなにが二つなのかってことじゃないの?
モノとその性質、性質が持つ関係的性質(機能とかシステムとか)の「穏健な」考えなら
性質に関して二元論だけど存在に関しては唯物一元論とされてるわけだし。
最高位の吐く言葉は全てコンピュータ−にも吐く事が出来る。
コンピューターでも最高位の代わりは効くw
ようは最高位唯物論を最高位自身が否定して悦にはいってるってことだろ。
まあ勝手にやればって感じで、議論の意味がなさそうに思えるが。
423 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/07(水) 13:45:57 0
>>419 抽象的な逃げにばかり走らないでさ
キミが唯物論とは何なのか、その基本を示せば済む話だろ
これを外したら唯物論ではなくなる という基準すらないのか???
アホですか(苦笑
唯物論とは、簡単な話
「全ては物理現象が起こっているだけなのだ」という思想ですよ
コレ、常識だから(爆笑
>>416 >唯物論では、観念は物理現象だとするんだよ
ですから否定されていませんが。
物理現象で観念が作られているというだけのことです。
>『観念』が、物理現象以外のものであるという位置づけなのならば
誰もそんなことは言っていませんが。
>もう少し、基本を押さえてから議論に参加して下さい
貴方がね。
「唯物論」と訳された本来の「Materialism」に、観念の否定なんてありません。
>>423 > 唯物論とは、簡単な話
> 「全ては物理現象が起こっているだけなのだ」という思想ですよ
> コレ、常識だから(爆笑
いや爆笑もなにもこれでいいと思うよ、常識的に考えて。
人が観念を持つということも俺のコピーが他人であって俺ではないということとも矛盾はしない。
ただ説明はできないんだけど。
426 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/07(水) 14:06:06 0
>>424 やっと少しは理解できてきたのかな?
説明されなきゃわからんのだから、骨が折れるわ・・・←実際に骨折するという意味じゃないぞ(爆笑
いいですか?
『価値』が物理現象によるものであるならば
それは目的性の無い、単なる物理現象による偶然の産物なのであって
我々が考えている『価値』などは存在しない という事になる
それは偶然による錯覚である という事になるわけだ
ここまでは理解できるかな?(笑
427 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/07(水) 14:08:31 0
>>425 なんで爆笑なのかと言えば
こんなアホみたいな常識を、キミらが知らなかったからに決まってるだろアホ
せめて普通に会話できるようになってくれ
611 名前:考える名無しさん sage 投稿日:2007/10/27(土) 15:07:56 0
事実、最高位は今肉体に依存している。
彼は絶対にこれを否定出来ない。
この事実を持って最高位の主張は破壊されている。
700 名前:唯識 ◆Vidya0E1.s 投稿日:2007/10/28(日) 02:49:15 0
>>696最高位さん
そもそもデパートのように全てに対応できる
総合商社のような理論などあり得ない訳でありまして
唯物論が説明できる範囲というものがあるでしょう。
説明できないからそこのお店はダメと言われるなら
他のお店を当るしかないでしょう。
でなければただのクレームをつけるお客さんに過ぎませんよ。
>>427 知らなかったわけじゃなくてさ、そういっただけじゃ伝わらないと考えてるんでしょ、多分多くの人は。
現に君はどこで間違ったかへんてこな思考実験とかいつまでもやってるじゃん。
これには苦笑するしかないけど。
430 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/07(水) 14:17:07 0
>>428 きもいから、おんなじもんばっかり貼り付けてくるな
>>389に書いただろ
じゃぁね
時間切れ
あるものを「甘い」と感じ、あるものを「辛い」と感じる。
唯物論によれば、これは人間の脳内の物理現象である。
あるものを「砂糖である」と判断し、あるものを「塩である」と判断する。
唯物論によれば、これは人間の脳内の物理現象である。
「砂糖は価値があり、塩は価値がない(あるいは逆)」と考える。
「人殺しは悪い行為であり、人助けは良い行為である(あるいは逆)」と考える。
唯物論によれば、これは人間の脳内の物理現象である。
432 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/07(水) 14:22:02 0
>>431 うむうむ
いいねぇ(笑
じゃぁ最後に宿題ね
この世界の全ては、物理現象なのか
または、そうではないのか
どっち?(笑
>>426 >『価値』が物理現象によるものであるならば
>それは目的性の無い、単なる物理現象による偶然の産物なのであって
>我々が考えている『価値』などは存在しない という事になる
>それは偶然による錯覚である という事になるわけだ
最高位の頭の中ではそうなるのだろうけど、
我々の考えている『価値』などは存在することになる。
「唯物論」と訳された本来の「Materialism」に、観念の否定なんてありません。
>>431 > 「砂糖は価値があり、塩は価値がない(あるいは逆)」と考える。
> 「人殺しは悪い行為であり、人助けは良い行為である(あるいは逆)」と考える。
> 唯物論によれば、これは人間の脳内の物理現象である。
これは誤解されそうな書きかただよなあ。
確かに「〜である」と考えること自体は脳内の物理過程だと言えそうだけど、
でもその内容、例えば「人殺しは悪い行為であり、人助けは良い行為である(あるいは逆)」とかは脳内の物理過程とは独立した外在的なものだと考えてるでしょ、唯物論者の多くは。
>>434 「人殺しは悪い行為であり、人助けは良い行為である(あるいは逆)」
とか考えている意識状態は脳内の物理過程であり、
独立した外在的なものだとは考えないのが多くの唯物論者。
唯物論者から見れば、物理過程から独立したものなんて何もない。
>>432 どっち、と言われても、ガチガチの唯物論者ならYesだし、
それ以外ならNoだろう。
>>434 >脳内の物理過程とは独立した外在的なものだと考えてるでしょ、唯物論者の多くは。
これは唯物論うんぬんとは別個独立の大きな論争の的であって、価値や善悪が
「外在的なもの」だということに否定的な論者も(唯物論を支持するか否かににかかわりなく)多い。
>>435 だからそう書いてるじゃない、考えることは脳内の物理過程だって。
>>437 > これは唯物論うんぬんとは別個独立の大きな論争の的であって、価値や善悪が
> 「外在的なもの」だということに否定的な論者も(唯物論を支持するか否かににかかわりなく)多い。
ごもっとも。
>>431の唯物論者が単一の見解を持ってると受け取られそうな書きこみを修正するつもりで書いたんだけど、
逆に誤解されそうな書き方だったね、ごめんなさい。
439 :
419:2007/11/07(水) 15:04:02 0
>>423 私は唯物論のことをよく知らないので、
最高位氏や皆さんが、それぞれの唯物論の定義を提示して(ソースがあれば尚良し)、
箇条書きで列挙するとかして、突き合わせてみたらどうですか?と提案しただけです。
どうやら、最高位氏の標的である唯物論の他にも唯物論はあるようですし・・・。
唯物論のバリエーションを認めるかどうか?一種類しかないと見做すのか?で
意見が分かれているように見えます
価値や善悪が外在的であるとする唯物論って笑えるね。
「これが善です」ってかばんの中から取り出すのかw
>>438 >だからそう書いてるじゃない、考えることは脳内の物理過程だって。
別にそれを否定したわけではないのだが。
外在的なものはないとするのが唯物論者。
442 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 15:10:59 0
一般に唯物論を否定してる無知なやつは唯物論を意識は物理現象であるとしか内容がない馬鹿なものだとしてる
で、唯物論を肯定してるやつでそういったことを言うやつは実はいない
否定してる馬鹿だけがガンガン定義してもぜんぜん始まらないぜ
それがわからんからこのスレ100を超えても馬鹿ばっかりだが
睡眠薬でころっと意識不明になる現実を踏まえれば、観念なんてザル。
446 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 15:17:07 0
>唯物論を意識は物理現象である
というのは第ゼロ唯物論でそれ以上何もいえない、ただのあたりまえ
唯物論の前書きの一行
ちなみに第1を飛ばして第2唯物論は下部構造が上部構造を規定してるとひとことで言えばそうなる
むろん人間の意識の理論
だから物資的価値が唯一の価値だと極論をいえる
おいおい説明してやるよ
ちなみに史的唯物論はいわば第3、これはいくらか世界にあってるに過ぎない
448 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 15:23:59 0
>>440 ひどい馬鹿がここにもいた。、「外化」をそこまで極端にするのは馬鹿ならでは
>>448 そんな極端な例が許容させるような世界観がバカげているってことなんだよ。
>>447 んな感想言われても。こっちは現実の話をしてるんだし。
>>450 こっちは現実をふまえたうえで哲学の話をしているんだけど。
>>451 なんか話になってないなあ。
人に単純な頭ですねって言っておきながら中身なしの単純な返答しかできてないし。
なんだこりゃ。
453 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/07(水) 15:43:36 0
価値や善悪が外在的であるとする唯物論っていうのは、世界は物理的にうごくが、
その解釈を人間がほどこすっていうことだろう。
455 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 15:52:46 0
物理に善悪があろうハズがない。物理は価値中立だろ。
唯物論だって価値や善悪が外在的であるなんて言わないだろ。
せいぜい人間の脳に付随する現象だというくらいだろ。
>>454 単にそれだけじゃないよってほのめかしてるだけじゃん。
なにが親切だ。恩着せがましくて寒気がするわ。
自分の主張を有効にしたいのは誰でも同じだろうが、そういうキモイのはやめれ。
>>456 他の可能性があるということに気付かない人間に
それを教えてあげただけでも十分親切。
458 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 16:08:04 0
内在的/外在的って形式的に言えばある性質が個体化されるかどうかってこと。
個体化されると答えるなら内在主義、されないと答えるなら外在主義ってことになる。
ここでの文脈でいうと心の内容がその人の脳内の物理的な状態だけで成立すると考えるなら内在的だし、
他人の脳の状態を含めた外の環境との関係が必要と考えるなら外在的。
価値や善悪が弁当箱みたいにして物質として存在してるかどうかとは別の話し。
唯物論は少なくとも唯物論者の数だけある。
>>457 可能性があると言うだけの知能の低い主張が君の星では親切なのか。
ここは地球ですから。
>>461 横レスだけど、知らない人や気付いてない人に教えてあげることは親切だと思うよ、地球人として。
463 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 16:18:19 0
唯物論とは何だろうね。
個人的には
物質的基盤を持たない「存在」が存在することを認めない思想的立場ということになるだろうかね。
意識は誰かの(特定の人間の)意識であり、「存在の無いところにいかなる意識もない」。
意味も価値も人間や他の動物にとっての意味や価値であり、それらは「独立して存在しない」。
になるな。
>>462 相手が知っているのか知っていないのか分かるのかな?
465 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 16:24:25 0
>>462 布教になったり、傲慢になったりするからね。
>>462 本当に横か? というのはさておき、
どうにも睡眠薬の例が相当痛かった様に伺えるがどうか。
まあ、いくら観念とやらをこねても、投薬が精神に与える影響は絶大だし、
そうなるのは間違いなく脳が物質で精神が物理現象だからに他ならない。
脳をちょいといじれば、観念だって忘れられるぜ。
>>463 そうだね。俺もそう思うよ。
唯物論もいろいろなバリエーションがあるけど
>>463の考え(とくに前半)は最低限外せないと思う。
ナニかがあるためにはモノがなきゃダメってことだよね。
469 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 16:33:18 0
光は物質か?とか、現代理論物理学の先端では、物質を定義出来てるのかな。
470 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/07(水) 16:56:06 0
唯物論はこの世の原理を示しているように思えるかもしれないが、ただ物の
つながりで世界は動いていく、と言ってるだけで、何故そういう法則が出来たか
と言うことには、全く答えていない。理解するのはたやすいが、何の価値があるのか。
宗教的な役割しか(全てを唯物論に還元する)持っていないように思える。
471 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 17:18:34 0
どうしてもデパートにしたいらしいな。w
一元論っていうのはデパートだからね
>>470 祈ったら他人の病気が治るみたいなオカルトの排除に役立つ。
474 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/07(水) 17:20:25 0
475 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 17:48:29 0
相変わらず、意識は物理現象であるということが唯物論の本体だと思ってる馬鹿が多いな
日本の二ちゃんであるまいし、それだけのことで世界がヨーロッパが相当な議論をするわけないだろうが
二ちゃん馬鹿というのは俺たちは普遍だが外国人なんて皆単純馬鹿だと妄想するからな
客観的見解を知らない
といっても
>>446みたいに、だから物資的価値が唯一の価値だと極論をいえる
と書くと何、人間は食えてればそれでいいのか、くだらない、そんなのは話す価値はない唯物論でないと思うのかもしれないな
昔から唯物論にはそう言う馬鹿俗的理解がつき物だった、まして2ちゃんだ
決して食えてればいいということではないのだよ、そんなのをわざわざ論というかよ
下部構造が上部構造を規定してるから突き詰めれば、物資的価値が唯一の価値だともいえるということだ
だがそういう本との「論」をこのスレでは理解が及ばないだろうな
476 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 17:55:02 0
後、おれのいってる第一唯物論は何か誰もしらないだろうな
俺もいっぺんしか書いてないし
唯物論の歴史的文書を読めばはっきり書いてあるけどなあ
477 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/07(水) 17:59:18 0
>>477 物質だけでも十分複雑なので、そういうことにはならないだろう。
479 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/07(水) 18:10:48 0
>>478 物質とひとくくりにされる物ではなく、思考の柔軟性について。
480 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 18:16:15 0
>>477 ほんとの唯物論て結構難解だよということにまるっきり無知なんだな
481 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/07(水) 18:19:28 0
483 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/07(水) 18:37:45 0
失礼な奴だな
485 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/07(水) 18:42:57 0
おまえ一人だろ
心と脳の関係について、心を全て脳の活動に還元できるという見解に対しての反論として
両者の関係をこのようなものだと考えてみることもできる。
スタンドを立てた自転車に人が乗ってペダルを漕いでいるとしよう。
そして足はペダルに縛られて固定されているとする。
ペダルを漕ぐと後輪は回転する。
人が心で自転車が脳だ。
普段われわれ人間がペダルを漕ぐことによって後輪が回転している。
つまり心によって脳が活動している。
ここでだれかがペダルをつかんで回転させるとしよう。
ペダルと足は固定されているので、ペダルを回転させると連動して足も回転してしまう。
逆に回せば足も逆に回転する。
薬品を投与したり脳に外科的処置を施すということは
このように外側からペダルをつかんで回していることと同じなのではないだろうか。
だとしたら、薬品や脳の損傷が精神に影響を与えることも理解できる。
だがそれだけをもって自転車が人を動かしているのだということにはならない。
487 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 18:55:45 0
>>486 それは単にそのたとえが間違ってるから
乙でした
488 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 18:57:54 0
>>487 どこが間違ってるか言った方がいいんじゃん
どう違うのか言わないと最高位と一緒だお ( (( ((((っ^ω^)っ
>>486 心を脳の活動に還元して説明できることは必ずしも脳の活動のほうがより本質的だということを意味しないと思うけどね。
逆に言えば心が脳の活動に還元して説明できないとしてもそのことから脳の活動の方が本質的ではないとは言えないんじゃないかな。
後半のよく見る例えも言いたいことはわかるんだけどあんまり効いてないような。
関係の片方が脳とか神経活動とかなってるけど要は物理的なものとしての何かを否定したいわけでしょ。
その例えだと全てが物理的な因果性で終始してるよね。
それだと結局は心も物理的な何かとして理解可能だということを示しているんだと思うよ。
心と脳、どちらがどちらを動かしてるとしてもどちらも物理的な何かだってことにしかならないんじゃ?
>>490 心が脳の活動に還元できるとしたら
脳の活動が心の原因だということだよ。
自転車の喩えはどこかで見たことあるの?
おれは見たことないんだけど、だれか他にも同じことを言っているとしたら
ぜひ知りたいので教えてくれないかな。
喩えのなかの関係が物理的な因果性で終始しているのは当然だよ。
だってその方がわかりやすいだろうからね。
問題にしたいのは「原因」と「結果」がどういう関係にあるのかということだよ。
>心と脳、どちらがどちらを動かしてるとしてもどちらも物理的な何かだってことにしかならないんじゃ?
それは誤解だね。喩えの中の「人」は「心」のことだから。
493 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 19:51:05 0
私について論ずるなら
私は存在しないという無我論
私だけが存在するという独我論
自他ともに存在するという他我論
これで尽きるんだけど。
これは「私」の数で言えば0、1、2・・・(多数)に
対応し排中律を認める論理では互いに独立であるはずだね。
あなたは何論を信ずるのかな?
私は無我論が好きです。
無我は存在するか、いいえ無我は存在しません。
私は存在しない、だから諸法無我という。
494 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 19:52:15 0
>>491 いいスレタイじゃないジャンけ
馬鹿唯物論そのものジャンけ、まだわからんのか
世界がそんなくだらないことで長年唯物論を議論してるわけないだろうが、ましてそれで国を立てた大国もあるんだぜ
495 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 19:56:44 0
>>491 唯物論とは人間の意識を論ずるものだから
唯物論の議論をして初めて、私とはなにかに多少迫れるんだよ
それを知らない馬鹿も多いけどね。なんとなくそうかもと思って唯物論の入り口でうろうろ(もう3年、100スレもだけど)してるのかも
496 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 20:06:48 0
>>481 >>479 で、君自身がその方向をすこし書いてるじゃないですか
物質と人くくりされるものを人間に思考の柔軟性がどう受け止めて、それを生きていくこととどう結び付けてるか論ずるのが唯物論なんだよ
だから物資的価値が唯一の価値であるが、一般精神的価値に価値がないわけじゃ決してない
ただ下部構造が上部構造を規定してるというわけだ
困りましたねぼくは説明がへたくそなんですよ
497 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 20:07:07 0
唯物論では「私」は議論できない。
意識を論ずるなら唯識論だね。
唯識論なら世界のすべてを認識できる。
498 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 20:16:56 0
>>493 >私は存在しない、だから諸法無我という
唯物論で外部のもの、人に対峙して初めて我が生じるといういい方もありますよ
各個人の主体とは外部との関係性の総和であるとも言う
ちょっと極論ですけどね、自我はあることはある
諸行無常と唯物論の関係もおもしろい、深いものが在る
499 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 21:07:26 0
>>498 >唯物論で外部のもの、人に対峙して初めて我が生じるといういい方もありますよ
そうですね。これが他我論そのものでしょう。ごく常識的な論です。
諸行無常だから無我論ですね。
500げっと!
501 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 23:03:15 0
> 諸行無常だから無我論ですね
そっちの方は唯物論と違ってえらい単純ですね
どうも唯物論も単純極まりないものという先入観が馬鹿強いね
502 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 23:08:54 0
>>499 日蓮が諸行無常を十分知ってたのに何故「立正安国」を説いたのか
或いは親鸞の言う「いわんや悪人をや」
その辺になると唯物論が出ますね
503 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 23:22:12 O
501
それはですね、決定論スレという馬鹿長いのがあってですね、その議論に唯物論がまきこまれているからだと思いますよ。
504 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 23:31:07 0
書き忘れましたが >だから物資的価値が唯一の価値であるが
は、自分が持ってる物資の価値がという意味じゃないですよ
唯物論はエゴイズム論じゃ全然ない
505 :
考える名無しさん:2007/11/07(水) 23:33:56 0
>>503 それはわかってます
唯物論史上、決定論は、どこから異常児として派生したか
何度か説明したが全然理解不能のスレみたいだよ
506 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/07(水) 23:56:28 0
意識というのは万人の持つ物である。そこで「私」という場合、アプリオリに
この意識が私なのだと言ってしまってもいいのであるが、また、それに付随した
問題系もたくさんあるであろうが、ここでは別の問題を取り扱いたい。
つまり、アイデンティティの問題である。私と他人の自我の違いは何なのか。
デカルトの言うように「我考う、故に我あり(大野晋氏訳)」で考えれば、
思考内容、言ってみれば思想によって自己は決定される。考える際に不可欠なのが
言語である。道具として、記憶手段として言語を用いる。言語の限界が、思考の程度
に多大な影響をもたらす。知らない言葉があれば、それについて考えるのは不可能
であり、語彙の多さによって思考の豊穣さが決定されてくる。
これは前向きな「私」の定義づけであり、もちろん何もしなくても「私」というのは
存在する。「私」を消去するのは概念上の矛盾である。
507 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/08(木) 00:28:57 0
>>497さん
そう出来れば有難いのですが
中々に難しいのですよ。
>>506さん
知識量の多少によって「私」が決められるという事でしょうか?
508 :
素人:2007/11/08(木) 00:41:13 0
>>507 仕方ありませんよw
一般には、
「唯物論」が、「ただ、“物”があるだけ」と受け取られ易いように、
「唯識(思想)」もまた、
「ただ、(文字通りに!)“意識”のみが“ある”」、「“(意)識”が全てである」
(勿論、原理主義的に解釈すればそうならざるを得ないかもしれませんが・・w)
と受け取られるのです。
仏教学界でも、「唯識(思想)」が「外界をどのように位置付けるのか」、
意見はまとまっていないのではないですか?w
509 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/08(木) 00:48:18 0
>>508素人さん
この場合外界というのは人間の見地から
という意味合いでしょうか
三界唯心が示すように、そのまま受け止めれば良いと思われますが。
意見がまとまる必要はない
511 :
素人:2007/11/08(木) 01:08:32 0
>>510 いえ、
ネコ氏の嫌うw、「所謂」客観世界のことです。
独我論的な主観の世界ではなく、第二者第三者第四者・・・等を、
確かな存在として包含する「主観世界の外」のことです。
或いは、範囲を狭めれば、「自身の肉体」をどう位置付けるか(→唯識に於ける五蘊とは?)
ということです。
仏教的問いを発するなら、「五蘊の無い所に識はあるのか?」ということです。
(勿論、ここでの後者の識は五蘊内の識ではなく、根本識としてのものですが・・)
私が唯識に馴染めないのは、この辺も理由の一つです。
それは、私とネコ氏とのやりとりからも窺えるかもしれませんが・・・w
おやすみなさい ノシ
512 :
素人:2007/11/08(木) 01:12:59 0
あ、アンカー違い。
>>511は
>>509へ
>>510 貴方が、唯識関係の分野に足を踏み入れている方であり、
その上での発言であれば、聞く耳も用意しましょう。
もし、外野からの(一般論としての)発言であればスルーの対象です。
では・・・ ノシ
513 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/08(木) 01:22:41 O
507
私の意識は常に変化している。それはひとによってまた時によって強度や内容いってみれば大きさが違うということである。私(のかんがえること)を豊穣なものとするには、語彙が肝要であり、知らない言葉について思考することは不可能であるということです。
514 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 01:33:03 0
>>512 別の外野なんだが
そのまえに、激しく板違いな気がするわけなんだが
ぜひとも宗教板なんかで存分にやってくれ
俺は興味ない
でだ、ちゃんと使い分けだけはしろよな
それとも、男のくせに堂々と女便所に入る非常識な人間なのか?
515 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/08(木) 01:58:34 0
>>511素人さん
唯識に於ける五蘊ですが、以前も素人さんと話したような気が。
(意識を想蘊だったような気がしますが)
素人さんの疑問は、敬遠しておられる?後期仏教が近いかもしれません。
>>513さん
>知らない言葉について思考することは不可能であるということです
以前言われました「使われていないRAM」と微妙にリンクするかもしれません
(的外れでしたらすみません)
おまえも本当にシツコイなw
517 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/08(木) 03:31:48 0
>>431 うむうむ
いいねぇ(笑
じゃぁ最後に宿題ね
この世界の全ては、物理現象なのか
または、そうではないのか
どっち?(笑
世界のすべての現象を、物理現象とするのが唯物論。
唯物論の立場を取るなら、世界のすべての現象は、物理現象と呼ばれるだけのこと。
519 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 10:39:17 0
唯物論が立証されたら、とっくに教科書に載ってるだろが
「論破した」とか「すぎない」とかアホかよ
520 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/11/08(木) 11:01:38 0
>>518 何考えて何を主張してんのかワケワカメだが
まず
>すべての現象
ではダメだな
目に見える「変化」や「現象」に限定して
「現象は物理現象である」なんて言っても、思想としての意味は、ほとんどない
「世界の全ては、単に法則性に支配された『物理現象』が単に複雑に絡み合っているだけなのであり、観念的な目的性や価値観は錯覚にすぎず、全ては偶然であり、たまたま なのである」
という価値観が、正しいのかどうか
それが問題だ(笑
521 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 11:54:13 0
唯物論を離れて、もっと基礎的なこと。
言語は、脳の言語機能によるものであり、
脳の構造と学習(プグラミング)に由来する。
それらは物体の構造と物体同士の相互作用に帰着するので、
結局、言語は物質に基づいている。
また記述可能なあらゆる思考や観念は言語に回収されるので、
全ての言語的思考は物質に基づいている。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚などの非言語的イメージやそれらの連想も、
脳の機能として物質に基づいている。
つまり、言語的思考も非言語的イメージも、心的現象は全て物質に基づいている。
ここまでが、基礎的なこと
では、『私』は物質に基づいているといえるか?
ここからが本題。
522 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 12:05:28 0
>>521 精神はどうなのかってことがもっと基礎的じゃないか
523 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 13:36:51 0
私は何のために生きているのか?
楽しく充実した人生ならそんな問題は起こらない
われわれは苦悩と孤独があって始めてその問題に到達する
だが 宇宙 この世界が 何のためにあるのか理解できる?
人間には永遠に理解できないだろう
我々は水槽の中の金魚に過ぎないのだから
525 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 19:14:04 0
>>521 >では、『私』は物質に基づいているといえるか?
無意味な問いだね。
哲学なら「私とは何か?」と問うべきだろ。
で、「私」とは何だ?
言葉か観念か意識か表象か脳内現象か?
観念は脳という物質から生まれているのだから、観念も物質でつか?
>>526 >観念は脳という物質から生まれているのだから、
だれがそんなことバカなこと言ってるの?
じゃあ君はどうやって観念を扱ってるんだ?
脳が観念を処理しているんだろw?
どうして皆、何でもかんでもツブツブにしたがるんだろう?
「人生」って物質?違うでしょ?
>>528 だからだれがばかなこと言ってるの?
俗流科学主義者の思い込みは宗教と同じだからタチがわるいな。
物質です。
533 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 20:15:08 0
狭義の意味でしか「物質」をとらえられない人間が多すぎるなwww
反論は無しですか
予想はしてたけどw
536 :
532:2007/11/08(木) 21:25:44 0
どうやって観念を扱っているかなんて現在のところ
だれにもわからない。観念がなにかに扱われているという前提もなんの根拠もない。
単に生理学的な概念を根拠無く拡張しているだけ。
脳が観念を処理しているということの意味がわからない。
観念は物理・生理学用語に還元できないから。
538 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 22:02:20 O
537は528
539 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 22:03:33 0
物理生理学用語に還元できないなら観念のことはなにもわからない??
なんだそりゃ、二ちゃん以外で物理学で観念を分析研究する馬鹿はいないよ、よほどこのスレにどくされてるな
>>539 観念を物理学で研究するバカはいないよな。
まったくそのとおりだよ。
いくら脳内の神経細胞や電気信号等物理的に還元できる
対象を研究したところで観念とはなんなのかということは
まったくわからないのさ。
541 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 22:13:55 0
自演ご苦労さん
542 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 22:33:31 0
物質というのが我々が思っているような単純なものではないということだな。
なぜ物質が観念を扱えるのか、今の知識じゃ説明できない
観念て便利な言葉だな。
困ったときには観念でおkみたいな。
545 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 23:13:40 0
僕はすべてのマスターキーをもっている
これさえあれば すべてのドアをこじ開けられる
でも左右両隣のあいつとあいつと、
上下両隣のあいつとあいつの家のドアは例外的に
開かなかった
だから今度はその隣の家に行って証明してやるんだ
俺が正しいって そしたらみんな恐れおののき
頭を下げて俺の前でひざまずくんだ
なんて愉快な光景だろう
待てよ?
これが哲学を研究する者のあるべき立場か?
そうだ これが哲学だ
そうだよなみんな
他人と議論し 他人を論破し滅ぼし
自らの理論が本当はもっとも正しいと証明することこそ
本当の哲学者なんだよな
546 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 23:17:46 0
おまいらにしゅくだいというのがいちばんらくだろ
547 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 23:36:06 0
観念とは言葉であって、
言葉を扱っているのは脳であって、
その脳において言語がどのように扱われているかの解明が進めば、
脳を模擬して人のように言葉を扱うコンピュータが現れるかもしれない。
つまり言語的思考はコンピュータで模擬できるのではないかと。
(言語的思考のみならず、非言語的思考も)
さて、それが現実だとして、その場合にコンピュータは『私』なのか?
>>547 コンピューターに訊いてみるといいよ。
「お前は物質に還元出来るのか?」ってね。
549 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 23:56:32 0
言葉ですべて語りつくすのって無理じゃない?
たとえば芸術の世界は言葉では表せない世界があるよね
絵とか音楽とか
そこで観念=言葉という等式が崩壊してしまいますた
550 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 23:58:43 0
551 :
考える名無しさん:2007/11/08(木) 23:58:57 O
>>547 唯物とは物であって、
物を扱っているのは言葉であって、
その言葉において物がどのように扱われているかの解明が進めば、
言葉を模擬して人のように物を扱う九官鳥が現れるかもしれない。
笑
552 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 00:01:03 0
何かを言葉で表した瞬間 何かが失われる部分があると思わない?
たとえば「言語を絶する〜とか」表現もあるし
言葉には表現能力に限界があって言葉ですべてを説明
し尽くすのは不可能ではないかと思うんだ
553 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 00:04:47 O
>>552 世間一般の意見はそれでまとまるだろう。
554 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 00:04:59 0
つまり、私という存在を完璧に近いまでに
記述することは、言葉によってのみじゃ
不可能じゃないのではないかと思うんだ
555 :
素人:2007/11/09(金) 00:18:56 0
>>515 >(意識を想蘊だったような 〜
それは多分、決定論スレでクオリアが何度目かに流行った時のことでは?
「クオリア」というものを無理やり仏教内に捻じ込むとしたらどこになるのかなぁ・・?
「“想”が近いかも・・」「いや、“受”と“想”の間くらい?」
なんて話じゃなかったかと・・・。
556 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 00:58:36 0
やっぱり言語には限界があるに違いない
そして自分自身を完全に理解するには
言語だけの世界では不可能なんだきっと
言葉では説明できない部分が確かに存在する
小説 詩 絵 音楽 あらゆる芸術が
表現する非現実の世界が確かに存在するように
そしてそれらがときに我々に重要なヒントをあたえることがあるように
非言語の部分にこそ重要な部分が含まれている可能性もありうる
もしそうだとすれば問題はその言語が今後発明されうるか
ということだ
もしも発明されなければ我々はその非言語部分をどのようにして
理解することが可能になるかということ
もしくは芸術を説明の一部として使う必要が出てくるのでは
ないかということ
557 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 02:54:38 0
非言語的な思考でさえ、コンピュータで模擬できるかもしれない。
例えば、メモリに記憶された言語や映像などの情報を互いに関連付けて、
その関連付けをもとに言葉や映像を連想したり、
連想した内容から言語を紡ぎだすようなことが可能になるかもしれない。
そこまでコンピュータが仕事をできるようになれば、
そいつに読書をさせて感想を述べさせることも可能だろう。
適当な本や漫画を与えて学習させれば、
「『私』とは存在性だ」
なんて言い出すかもしれないw
ただし、その感想を得るまでの彼の哲学的な思考内容は完全にトレース可能であり、
思考についての私秘性はない。
つまり、コンピュータの思考は全て明らかであり、秘密はなにもない。
工夫をすれば、完全に同一の思考を何回でもリピートできるだろうし、
別の装置で完全に同一の思考を再現できるだろう。
さて、このように思考するコンピュータは『私』であろうか。
らーらーら ららーら♪
559 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 03:09:26 O
548
>>557 >ただし、その感想を得るまでの彼の哲学的な思考内容は完全にトレース可能であり、
>思考についての私秘性はない。
ここが疑わしい。
物理的動作の完全トレースなど不可能。
そのコンピューターはこう言ってくるかもしれない。
「この機体と物理的に全く同じものを作ってもそれは私にならない、他のコンピューターだ。」
「コンピューターは世界に何台もあるが、私は世界にたった一台だけだ。」
「私はいかなる物理的要素からなるのか?私を物質に還元してみろ。」
561 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 05:09:25 0
>>560 そんな最高位みたいなコンピュータいらんわw
562 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/09(金) 07:00:28 0
「私」というのは自称のことだ。行為主体としての自分を指す言葉だ。
この言葉が使われるのは、他人を契機とする。他人に問われて初めて自分
と言う物の個別性にきづく。そこで自分という主体のことを「私」と呼び
始める。
563 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 07:08:04 0
「私」というのは、この主観的世界のことです。
564 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/09(金) 07:09:11 0
最高位氏が、最高位という名前をつけたのも偶然ではないだろう。
「私」と呼ぶ存在、皆が自分を「私」と呼ぶ。その中で、あの私とも
この私とも違う、自分にとって大切な自分、それにふさわしい他称とは。
565 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/09(金) 07:12:21 0
>>563 「あなたの世界=「私」」でいいのかな?
「あなたの世界=「私」の世界」ではないのかな?
「アタシは〜」と言わないで「真希は〜」と自分の名前で言う子もいる。
ようするに親兄弟が自分に注目して言う事を聞いてくれれば何でもいいのよ。
真希でも章介でも私でも。
最高位は素でセカイ系だからな。
エヴァとかですごい感動するんじゃね。
568 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 09:22:40 0
>>560 >物理的動作の完全トレースなど不可能
物理的動作の完全トレースをしなくても、コンピュータのやる仕事(処理)は把握できる。
コンピュータのやる仕事を把握して、それと同じ仕事を別のコンピュータにもやらせれば良い。
つまり、物理的状態の異なる同一アーキテクチャのコンピュータが同じ入力を与えられて同じ仕事をするだけ。
そこに物理的な神秘性?はなにもない。
>>568 熱雑音を使って局所最適解に陥らないようなアルゴリズムのプログラムが
動作しているコンピュータは、外部からはわからなくなる。
なので、
>つまり、物理的状態の異なる同一アーキテクチャのコンピュータが同じ入力を与えられて同じ仕事をするだけ。
>そこに物理的な神秘性?はなにもない。
これは間違い。
>>568 アホか。
設計者にも秘密の計算なんて簡単にやらせられるだろが。
571 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 10:48:23 0
言葉とは、概念につける音符のことである
by F・W・ニーチェ
572 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 11:12:03 0
>>562 自分が完全に個別的なものなら固有の個別名で「明仁」とか呼ぶしかない。
「私」とは一人称代名詞として社会的に通用する「私」だ。
573 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 21:46:19 0
>>529 >「人生」って物質?違うでしょ?
人生は物質の代謝であることは間違いない事実だ。
574 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 22:02:33 0
人生とは物質でないといってもなんも唯物論に不利なことはないよ、むしろ有利
逆に人生は物質の代謝であるといってもほとんど意味ない
ただ何といっても食う着るが第一とはいえるけどね
575 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 22:56:50 0
食べなくても生きていられる人、手を挙げてw
生きていなくても思考できる人、手を挙げてww
体が無くても、存在できる人、手を挙げてwww
576 :
考える名無しさん:2007/11/09(金) 23:02:49 0
>>574 食う着るが第一といっても、精神が人生で重要なのは唯物論はよくわかってるというか、それだからこそ唯物論が必要
そうでなければ私とはなにか解明できない
577 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 00:27:14 0
「衣食足りて礼節を知る」
マルクスもこのやふに考えたのである。
578 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 00:42:15 0
しかし、「人はパンのみにて生くるにあらず」と言ったのも
イエスであった。
579 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 00:45:07 0
「暖衣飽食」が人間をダメにするというのもまた一面の真理に違いない。
580 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 02:41:28 0
つまりアリストテレスがいう中庸という結論に
達するわけか。
581 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 03:30:55 0
飲み過ぎて、まるで覚えていない部屋で目覚めた時の一瞬のあの何とも言えない感覚。
ここはどこだろうと考える前の一瞬「自分が誰か」を認識する手前の、
まだ自分がなにものとも認識してない不思議な感覚。
あれを味わった後に思ったんだけど、人間は日々意識が眠りによって断絶されて、
朝目覚めた時に再起動し、「私」が再生しているような気がしていたけど、
実は昨日とはまったく別の「私」とも考えられる。
この固有の自分という存在と世界との関わりが「私」を瞬間の連続に作っているのであって、
そういえば、同じ私などたった一度も存在したことはない。
親がいて友達がいて、自分の得手不得手があって、好き嫌いがあって、そういう自分の性質と
この世界との関わりが「私」という自我の認識を、たった今この瞬間も生成し続けている。
たとえば今から眠った後、私の肉体は消滅し、私の肉体と同じあるいは似通った特性の持つ
まったく別の肉体が、私の代わりに目覚め、この世界の関係を引き継いでくれたとしたら、
「私」という今この瞬間自分にだけ感じているはずの存在の感覚は、
別の肉体のその人の中にも、今と同じように発生するのではないだろうか。
肉体も意識も毎日変化し入れ替わっているのに、「私」という存在感があり続けているのは、
おそらくそういう原理なのだろう。
582 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 04:06:48 0
わかります
僕もそんな考えを最近抱きました
過去というものは、まるで自分を構成している
無敵の塊だと思ってたけど、実はそんなことはない。
過去というものは、現在においては
砕け散って地に落ちた断片でしかない
我々はそれを、無敵の切り離せない存在だと勘違いしている
でもその過去は、無常な秋風が、時とともにすべて
運び去ってしまう
だが僕たちは、その過去を大切なものだと思っていて
その過去という散らばった破片をより集めて拾い上げてしまう
放っておけば時がすべてを消滅させ土に返してしまう過去の破片を
でもその拾い上げた過去には、大量の不要なごみが混ざってしまっている
583 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 08:36:57 0
>>577 本人等の衣食が意識を決めるだけにこだわってて
貧乏人の意識はろくなものでないと思うのは馬鹿俗考えでマルクスとまったく逆だぜ
マルクスがそうおもったなどとは2ちゃんならではの馬鹿妄想もいいとこだよ
唯物論がちょっとはわかったと思えば今度は馬鹿俗考えに浸る、馬鹿ってこれだからなあ
まあ、唯物論が難しいせいもあるがな
下部構造てのは世界や他人のそれがどんどん入るんだぜ、だから意識を決めていく
584 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 16:31:35 0
>>583 だから唯物論で主体とは、外界の物や他人との関係性の総和であるという
ちょっとだけ極論だけどね
585 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 16:34:08 0
、「人はパンのみにて生くるにあらず」
「精神性が重要」ではその精神性とはなにかというのが唯物論
586 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 20:49:28 0
唯物論は観念論だけどね。
587 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 21:18:25 0
>>585 >「人はパンのみにて生くるにあらず」
たりめぇだろ!
パンばっか食ってないで たまには米食え、米を!
588 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 21:24:54 0
いや、やっぱ貧乏人は麦を食え。
589 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 22:44:50 0
膨大な思考を維持するためにどれだけの糖分=エネルギーが必要だと
思ってんだよ!
貧乏人は思考するのやめれ。
590 :
考える名無しさん:2007/11/10(土) 22:58:07 0
>>586 >>585のばあいの観念論の意味をわかってないな
この場合「精神性とはなにか」について、00というのが観念論、**というのが唯物論
この意味では観念論と唯物論はふたつにわかれる
神の御意志を反映するものなどというと観念論の範囲、というか形而上学かな
(神の正体の定義によっては唯物論にもなりうる!!!!
591 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 12:15:20 0
>>569 >熱雑音を使って局所最適解に陥らないようなアルゴリズムのプログラムが
>動作しているコンピュータは、外部からはわからなくなる。
アルゴリズムに熱雑音という確率的要素を持ち込むことで、
いったい「何が」外部からわからなくなるのかな?
そこで言っている「分からなさ」とデータ処理としての「分からなさ」とは別の話でしょう。
ある出力データが(神秘的・直感的に)湧いて出てくるんではなくて、
元となるデータをある決まった手順で処理することで作られるということには、
何の疑問も無い。
そもそも、確率的要素という「分からない?」要素をアルゴリズムに持ち込むことは、
コンピュータで思考を再現するにあたっての本質的な要請だろうか。
装置規模や処理速度という点を度外視すれば、別に従来のハードでも部分的には可能じゃないか。
思考は、脳の専売特許じゃなくて、コンピュータでも可能だとするならば、
「思考は外部からは把握できない」とか
「思考は再現できない」
っていうのは固定観念に過ぎない。
592 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/11(日) 14:40:53 0
>>498 :考える名無しさん:
>各個人の主体とは外部との関係性の総和であるとも言う
このような考えがそもそもの誤りなんだとおもう。
外部(客観)世界なるものがあってそこに人の意識がどう絡むかを論じる。
そのような議論は不毛である。上記の文章は「意識」の観念としては成り立つ。
その「外部」と言うのは主体から見た客体のことである。
物質的なこととは何の関係もない、観念論であり全く正しい。
唯物論的(?)には何の解釈にもなっていない。
>>497 :考える名無しさん: にあるように
>唯物論では「私」は議論できない。
である。
自然科学は宇宙を物質で解明する、そこに意識の話を導入してはならない。
心を科学で解明しようとするのはもってのほかである。
逆に意識をいくら論じても物質に働きかけることはできない。
意識ではマッチ一本動かせない。
両者は別の範疇である。
>>486 :考える名無しさん:
のような例えがもっとも間違った解釈だ。
正確には自転車のペダルが動くから「漕いでいる」という意識が生まれる。
この物理運動と運動意識は別世界、別範疇である。
同じ現象を示す訳ではあるが、まったく相容れない別範疇の別領域のものである。
物質の領域(科学)と心の領域(哲学)を混同しない事が必要だ。
この領域を侵しやすいのが「社会科学」という学問だ。
上部構造だとか下部構造だとかの無意味な視点を社会とか人の意識とかに拡大適用する。
結局何の役にも立たない。
要は「等身大の思考」が大事と言う事だ。
593 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 15:57:50 0
>>592 ボケじいさんの逆を考えると正解に近くなるんだな
しいさんはあまりに年をとり過ぎてもはや物と精神の相互関係を考えられない
そこまで年取ると今度は小学校の相手が適当なんだな
594 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/11(日) 16:53:13 0
>>593 :考える名無しさん
>物と精神の相互関係を考えられない
そういうことですね。
相互関係はないと言うことです。
>>591 >アルゴリズムに熱雑音という確率的要素を持ち込むことで、
>いったい「何が」外部からわからなくなるのかな?
内部状態。これはデータでもいい。
脳で言うところのニューロン、シナプスの状態が個人によって違うように、コンピュータの内部状態が独自のデータになってしまう。
ここでいうデータはニューロンのエミュレーションに使う状態の値と思ってもらっていい。この場合、ソフトウェアは脳で言うところの物理法則に位置するに過ぎない。
>そこで言っている「分からなさ」とデータ処理としての「分からなさ」とは別の話でしょう。
別の場合もあるが、別にできない場合もある。
>ある出力データが(神秘的・直感的に)湧いて出てくるんではなくて、
>元となるデータをある決まった手順で処理することで作られるということには、 何の疑問も無い。
人間の脳でも同じ。
>そもそも、確率的要素という「分からない?」要素をアルゴリズムに持ち込むことは、
>コンピュータで思考を再現するにあたっての本質的な要請だろうか。
それはどういう思考を再現するかによる。局所最適解を避けるためには、どこからかノイズが必要になる。
生命はこの物理世界にあるノイズをうまく利用している。
>装置規模や処理速度という点を度外視すれば、別に従来のハードでも部分的には可能じゃないか。
それはそうだが、処理速度は度外視できないと考える。部分的に可能であっても、本質的な解決にはならない。
>思考は、脳の専売特許じゃなくて、コンピュータでも可能だとするならば、
>「思考は外部からは把握できない」とか「思考は再現できない」 っていうのは固定観念に過ぎない。
それには同意する。将来的には脳の思考を外部から把握できると思う。
>>594 すると「喉が乾いたので何か飲もうと思って冷蔵庫を開けたらビールがあったので飲んだらウマカッタ!」とかゆう言い方は間違ってるからしちゃダメってことですか?
597 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 17:26:01 0
593「文章力に乏しい投稿者」
594「文意を捉える力に乏しい投稿者」
598 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/11(日) 17:34:20 0
>>595 :考える名無しさん:
>将来的には脳の思考を外部から把握できると思う。
それは思考のメカニズムのようなものが判るだけであって、「心」とか「意識」と言うものではない。
「思考は再現できない」と言うのは当然でしょう。
どうひっくり返れば再現できるんですか?再現と言う定義上ありえないでしょう。
全く同じ事を考えたと確認した時点でもう最初とは同じでないのだから。
いいですか「思考を思考する」ことは矛盾なんです、出来ないんですよ。
599 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 17:38:18 0
マルクスによれば、意識とは「自分の生活活動それ自身を対象とする」在り方なのであって、
第2唯物論者が語っているのは意識に対する制約・条件の唯物論といえるだろう。
一方、機械的唯物論者が語っているのは、決定・還元主義的な唯物論であって「タダモノ論」
なのである。
600 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 18:03:09 0
>>598 >いいですか「思考を思考する」ことは矛盾なんです、出来ないんですよ。
いや、ぜんぜん矛盾じゃない。思考を思考するなんて当たり前の常識だ。
もっと矛盾とは何かを思考したら?
思考と計算とどう違うか思考してみることもいいだろ。
私は某であると言っている私は誰でもない。
602 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 18:17:42 0
「私は誰でもない」「某である」と言っているが私が居るんだがね。
>>598 >それは思考のメカニズムのようなものが判るだけであって、「心」とか「意識」と言うものではない。
そもそも、思考は思考であって、「心」とか「意識」ではない。
思考とは情報処理の一種であり、
コンピュータでは思考ルーチンなどと呼ばれるものである。
604 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 18:56:33 0
605 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/11(日) 19:22:06 0
>>600 :考える名無しさん:
>思考を思考するなんて当たり前の常識だ。
それが矛盾なんです。
見ることを見ることは出来ないし、聞くことを聞くことは出来ない。
食べることを食べられないのと同じ。
思考する自我を客観視できないからです。
思考を思考すると言う言い回しは「文学的比喩」としてはありうるでしょうけど。
606 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/11(日) 19:28:15 0
>>603 :考える名無しさん:
>そもそも、思考は思考であって、「心」とか「意識」ではない。
貴方がそういう定義ならそれはそれで問題ないのでは?
「将来的には心や意識を外部から把握できる」と思うのでなければね。
>>606 >貴方がそういう定義ならそれはそれで問題ないのでは?
ええ、問題ありません。
心や意識も定義次第ですから、将来的には心や意識を外部から把握できる可能性はあります。
608 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 19:38:08 0
じいさんは原始不可知論の居直りだな、いったいいくつだ、相当の00だが
>>605 > それが矛盾なんです。
> 見ることを見ることは出来ないし、聞くことを聞くことは出来ない。
> 食べることを食べられないのと同じ。
それは詭弁っていうものですよ。
「見る」「聞く」「食べる」なんかとは違って「考える」はずっと適用範囲が広い言葉ですよ。
「考えることを考える」のほか「見ることを考える」「聞くことを考える」「食べることを考える」なんかちょっと不自然ですがありふれた言い回しですよ。
610 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 21:58:51 0
>>609 「考えることを考える」というフレーズを含む一文を例として出してもらえない?
611 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 22:36:32 0
>>606 >「将来的には心や意識を外部から把握できる」と思うのでなければね。
これは近い将来実現可能だろうね。
脳内メーカーあたりが作り出すかも。www
612 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 22:41:25 0
>>611 「じいさん」を脳内メーカーで見てみた。
食欲だけで凄いね。悪気はあまりないみたい。
613 :
考える名無しさん:2007/11/11(日) 23:42:50 0
>>610 609ではないが、
人間がいろいろと思考する(考える)ということを、
私なりに分析する(考える)と、結論を導こうとする心的試み(考える)には
さまざまなパターンがあるらしいと推測する(考える)のだが、
あなたにはどのような見解(考え)がありますか?
614 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/12(月) 02:42:42 0
私は存在するのでしょうか?
言語上の表現手段以外に何かあるのでしょうか?
極論してしまえば、それは私に限らずあらゆる現象がそうなってしまうのでは。
>>605 一つめの「見ること」と二つめの「見ること」では
別の「こと」なので矛盾ではないでしょう。
616 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 09:40:55 0
>>614 >私は存在するのでしょうか?
それは「存在する」とはどういうことかによって変わるでしょうね。
「存在」の必要十分条件は何か、によって変わるということでしょう。
論理学や数学では「存在する」とは「矛盾がない」と言うこととしてる
ので無矛盾である「物事」はなんでも存在するといえる。
神話であろうと物語であろうとその中に論理矛盾が無ければ「存在」する
ということになる。
したがって「私」に矛盾がない限り「私」は「存在」する。
また「唯名論」のように名前が有る物事はすべて「存在」するという
立場もある。この立場でも私には「名前」があるから存在すると
いえる。
617 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 10:03:55 0
>>605 >見ることを見ることは出来ないし
自分の眼は自分の眼を見ることができない、というようなこと
を言いたいのでしょうか?
仏教の認識論のように眼の見る外部対象すなわち眼境と、眼という器官
すなわち眼根と、その眼にうつる表象としての識すなわち眼識とを区別
しろという認識論でしょうか?
たしかに仏教認識論の境・根・識という範疇論も精緻ではあります。
しかし、「見ることを見る」という表現は反省的表現でもあろうし
「夢を夢見る」のような英語にもある一般的な表現でしょう。
「見ることを聞く」とか「嗅ぐことを見る」のようなカテゴリーミス
とも思えない。
いや「香りを嗅ぐ」に対し「香りをきく」という表現は日本語ではあるな。
618 :
613:2007/11/12(月) 11:23:57 0
「考えることを考える」というのはロバート・ノージックの著作本じゃないか。
言葉やイメージの処理(思考)は、100%、脳という機械の働きによるものであり、
コンピュータにおいてその働きを部分的に再現させることは現在でも可能だ。
では、仮に「私=思考」とすると、まだ未熟なコンピュータの思考において、
何がクリアされれば「私=思考」と呼べるものになるのか?
(その欠けているものが「私」の本質か?)
それとも、すでにコンピュータの思考は「私」レベルに到達しているのか?
>>619 こういう問いが持ち上がってくる。
「では、仮に「私=思考」とすると、まだ未熟な他人の思考において、
何がクリアされれば「私=思考」と呼べるものになるのか?
(その欠けているものが「私」の本質か?)」
「それとも、すでに他人の思考は「私」レベルに到達しているのか?」
>>620 >仮に「私=思考」とすると
〔=思考〕の前に陣取っている〔私〕が、
「明確な自我意識」なのか
「体の向こうにあるもの」と「そうでないもの」という単純な区分からなる「そうでないもの」の方なのか
によるのでは?
また〔思考〕自体も、
「『《他》でないということ』が、ひしひしと実感され、理解される」ことなのか
「《他》との異質感・違和感が、むず痒さのように感じられるぼやけた『感覚』」を含むのか
「欲求など、対象への直線的な意志」を含むのか
によるのでは?
(以上、乳幼児をイメージしながら書いてみたw)
>>619 求められる事はひたすら外観を人に似せる事だよ。
ありもしない中身を想像させるぐらいに。
623 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 19:24:03 0
>>622 ロボットの外観より運動・行動を人間らしく見せることと
人間の話しかけや表情や行動に対するロボットの応答の仕方
が人間らしいことだね。
625 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 19:49:41 0
>私=思考
ボケ過ぎw
思考とは・・利益(欲求)を獲得するための行動を選び出すプロセスをいう
この利益を享受する主体はだれ(何)かというのが「私」とは何かの答だ
>>623 そういう意味で外観と言ったんだよ。
正にその「見せる事」。
目的は他人に似せる事だからね。
627 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 20:59:01 0
>>626 そうだね。機械の側に意識があるかなんて人間の側の
思い込みだからね。これは人間の自他間でも変わらない。
相手も自分と同じような人間だろうとして適当に応対
してるだけだ。
628 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 22:43:26 0
いんや機械でも本質的な作り方の違い内容の違いが表現にどうしても現れる
人間はそこは簡単に見分ける
で機械に意識を持たせるにはどうしたらよいか研究はじりじり進んでる
629 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 22:54:01 0
>>628 機械はプログラムどおりにしかできないだろw
そこへゆくと人間の意識はプログラム不可能!
100年先、10年先、1年先、、どれもプログラムできない
明日もできないし、0.1秒後も0.0000000001秒後もねw
1例でもいいし、その片鱗でもいいからプログラムして
ごらんよ真似事でいいからさ
でも137億光年たっても不可能だから
真似事できたらどうぞ!
↓
630 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 23:04:41 0
>>629 機械の故障はプログラムできないよ。
突然予告無く壊れたりする。
>>629 >機械はプログラムどおりにしかできないだろw
なんて幸せな頭だろう!
とても真似出来ない
632 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 23:30:22 0
ふと意味もなく悲しみが湧き上がる意識のプログラムとか
どうしようもない自己嫌悪に陥る意識のプログラムとか
支離滅裂な論理でも論破したと思いこむ意識のプログラムとか
そんな役に立ちそうもないプログラムは
可能としても組み込まないだろw
633 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 23:41:41 0
>>632 感情を持ったロボットを、人は道具として扱えるのか?
悲しみを浮かべたロボットを、スクラップ処分できるのか?
という、SF的マンガ的想定を、俺は馬鹿に出来ないと思っている。
だって、
同じ人間でさえ、道具として扱えるのだから・・・。
「兵力」とは、まさにそうしたものだ。
1000人の軍隊と5000人の軍隊、多い方は勝てると思うだろう。
それは、たとえ敵が一人で三人倒したとしても、
味方はまだ2000人いるからだ。3000人は捨て駒だ。
失われることが前提とされる命なわけだ。
行政でよく言われる「痛み」というのも
実は同じ構造だ。
人と、AIやロボットと、いったいどこが違うんだい? >>ALL
634 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 23:51:48 O
まあ軍隊が民主主義を採用して、戦ってたら負け
るな。
会社も同じかな。
635 :
考える名無しさん:2007/11/12(月) 23:59:39 0
>感情を持ったロボットを、人は道具として扱えるのか?
>といいながら
同じ人間でさえ、道具として扱えるのだから・・・。
って・・・。
636 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/13(火) 00:14:00 0
>>613 :考える名無しさん:
>>617 :考える名無しさん:
まったく話の流れが判っていない。
「考えることを考える」「見ることを見る」と言うのは考える主体そのものを考える、
見る主体そのものを見ると言うこと。
このスレの「私を記述・・・」の話の流れから当然のことでしょう。
もし考える主体を考える(解明)事が出来ないと・・・・・・・・・・
>>595 :考える名無しさん:
>>将来的には脳の思考を外部から把握できると思う。
のようなことは出来ないはずだ。
637 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 00:29:08 0
ちゃちなものだが、「脳の思考を外部から」ちょっとは把握できる
バイオセンサーがつぎつぎに開発されているが。
638 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/13(火) 00:43:28 0
>>616さん
それは「有るがまま」ということではないでしょうか。
>>636 >のようなことは出来ないはずだ。
できないはずだと思っているのは君の主観に過ぎない。
実際には拍できる可能性はある。
640 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 01:21:30 0
シングルプロセッサの計算機には「私」は持てないのではないかと思う。
思うに、私たちが持っている「自己」のイメージというのは、他者へ投影された自己を見ているのではないか。
他者へ働きかけ、その反応が戻ってくることで自分の行為を認識する。
自己の存在と非存在の違いを同定する。
マルチプロセッサを使って、あるプロセサユニットが存在することで周りのユニットに与えた影響を、
そのユニットが認識できたとしたら、そこに自己が生まれるのではないか。
全部妄想、かつ素人なので用語が変かも知れない。
641 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 02:49:02 0
みらーにゅーろん
わーきんぐめもり
642 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 10:25:11 0
>>633 >人と、AIやロボットと、いったいどこが違うんだい?
生物であるか、ないかの違いだろ。
生命があるか、ないかでもいい。
643 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 10:27:44 0
>>638 「あるがまま」を見て「あるべきようは}と思うのも
人間でしょう。
644 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 10:37:49 0
>>636 「我おもう、ゆえに我あり」
に反論したいということでしょうか?
「思う我」など考えられない、ということ?
私にとっては自己言及の及ばない「我」のほう
が考えにくいね。
で、徹底的に「我」について自己言及すると
結論は「我はない、すなわち無我」という考えが
一番すっきりする。
もうそれ以上「我」について思い悩むこともないから。
「ない袖は振れぬ」
>>633 >人と、AIやロボットと、いったいどこが違うんだい? >>ALL
構成している材料が違うだけ。
AI+ロボットは、生命体としても、いずれ人間を超える。
人間は機械生命を生み出すための単なる踏み台
宇宙に散っていけるのは機械生命だけ
646 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/13(火) 12:35:53 0
>>644 :考える名無しさん:
>「思う我」など考えられない、ということ?
ハイそういうこと。我そのものを考えることは出来ない、記述できないと言うこと。
「我おもう、ゆえに我あり」 の意味を解説してください。
私はこの言葉は「私」の存在性を示してはいるが、その存在しているところの「私」とは何かについては、全く何にも語っていないと感じますが。
>徹底的に「我」について自己言及すると・・・・・・・・・
>もうそれ以上「我」について思い悩むこともないから。
この二つの文章は矛盾です。
それとも貴方が悟りを開いたことを自慢したいだけなのかな?
647 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 13:44:43 O
我を観測する者が居て、初めて我が存在する。
逆もまた然り
648 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 17:04:08 0
649 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 02:05:52 0
私とは、他を認識することによって初めて認識可能なものとなる
植物人間は認識できないだろうから
つまり、私というものは相対的な存在なのだ
意識を我と規定するのが人間で、意識を世界としてしか意識できない
のが人意外の動物だ。しかし疑問は我ではなくて、何故特定の一固体
が意識を意識するのかということです。
651 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 09:40:25 0
猫や犬を見ていると「意識」をもっているように感じられるが
動物すべてに意識があるのだろうか?
原生動物でも意識はあるのだろうか?
植物にも意識はあるだろうか?
無生物の石ころにも意識はあるだろうか?
652 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 09:56:18 0
「なぜ意識は実在しないのか?」(岩波哲学塾)によれば、
人間にも意識はない。俺にもお前にも。
653 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 09:59:06 0
>>646 >「我おもう、ゆえに我あり」 の意味を解説してください。
世の中の万事がほんとに本当だろうかと疑っている我がいる、
ということは疑えない。まさに我が我のことを考えられる
ということを示した命題だ。
>>636 文脈から判断すると考える主体とは考えている当人(私)のことですか?
つまり「私が私のことを考えることは出来ない」と・・・。
これは人が普通にやっていることですが、何故矛盾しており出来ないという事になるのかよくわかりません。
又、「私が私のことを考えることが出来ない」ということと、
>
>>595 :考える名無しさん:
> >>将来的には脳の思考を外部から把握できると思う。
>
> のようなことは出来ないはずだ。
ということとは関連がないように思います。
「脳の思考を外部から把握できる」という為には考えている内容と脳の状態との間に何らかの法則性を見つけないといけないと思うのですが、
このことの難しさ(あるいは容易さ)は対象が私でも他人でも関係無いように思うのですが。
655 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 14:11:32 0
>>651 赤ん坊を見ていても「意識がある」ように見えるが、
実際私たちが赤ん坊だった時に、今思っているような意味で「意識があった」だろうか?
また、酷く酔っぱらった時に「全然酔ってないよ」なんて言いつつ、
後でそのことを全く覚えていない、という時には意識はあったのだろうか?
656 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 14:36:13 0
>>655 酔っぱらいがホームから落ちて電車にひかれまくってる、なんてことには
なってないよね。これは意識があるからでは。
657 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 14:44:51 0
自己防衛が出来る≠意識がある だと思うんだけどなあ。
658 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 15:20:58 0
覚えている=意識がある というのもおかしな話しだとおもうけど。
659 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 17:00:58 0
じゃ、覚えてない時でも意識はある?
睡眠中でも意識はある?
660 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 21:40:34 0
「意識不明の重体です」って何よ?
意識があるかどうか分からないって事?
意識そのものも不思議だけれど、これが脳神経組織の機能のひとつに
過ぎず、特別な何かではないとは思う。しかしどうにも不思議なのは
その無数の意識の特定のひとつを例えば自分が何故「意識」するのか?
自分ー意識は生まれる前は無かったし死んだ後も消える。それで何の
支障もないのに、何故たまたま今「自分」として世界を見ているのだろう。
662 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 22:47:46 O
過去の経験+現在の認識→現在の意識
だとおもうのだが。大ざっぱ過ぎか。
思考放棄にもほどがあるねw
「なぜ意識は実在しないのか?」(岩波哲学塾)にある、「心理的」と「現象的」の区別は重要だと思う。
p.50
たとえば「痛み」を考えてみましょう。痛みの機能はすべて満たしているのに、現象的な痛みの質がない、としたらどうでしょう?
痛みにかんしてそういう人がいたら、その人はいわば「痛みゾンビ」です。その人は、心理的な痛みは持てるが、現象的な痛みは持て
ない、ということになります。
(略)
知覚の場合で言えば、知覚は完全に心理的なプロセスとして理解可能です。なぜなら意識を持たないロボットでも、障害物をよけて
目的地に達することができるとか、そういうふうに外界の状況を知覚して行動することができます。「赤いチョークを取ってこい」と
いった命令に従うこともできるでしょう。しかし、われわれの知覚にはなぜか現象的な質が伴っています。ですから、それが欠けて
いればやはりその点にかんするゾンビになります。
664 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 23:38:33 0
>>660 釣りはよしとくれ。
意識があるかどうか分からないことを意識不明というのではない。
その人の身体をゆすぶったり、大声で呼んでも覚醒しない状態をいうのだ。
睡眠の場合は、感覚器官がきちんと機能しているから、ふつうに覚醒する。
665 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 01:50:44 0
>>663 661ですが
「現象的意識」とは「意識を意識する意識」で人で言えば我でしょうか。
すると「心理的意識」は我が意識(記述)する他の意識となります。
けれど、この区別は自明のことで、こと新しく区別する理由がわかりません。
最近物理学者が「クオリア」とか、ことごとしく言いますが、これも何を
いまさらといった感じでわけがけわかりません。
667 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 02:55:05 0
人間が意識を特異に感じるのは
獣が鏡を見て自分の鏡像を恐れるのと同じ
もっと人間の思考レベルが高まると
ただの機械的な働きに過ぎないのだと理解できる
嘘だが
668 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/15(木) 03:50:18 0
言葉の起源というのは、相手に何かを伝える必要があり、発達していっ
たと考えられる。(動物などを見てもそうである)「我思う故に我有
り」と言う言葉は、私の基礎となる所を定立するために考えられたと
言うことだが、他者に対して働きかける「言葉」を道具に用いて自分を
確立するというのは、少しうかつではないか。言葉が進化して、磨き上
げられてそれ自体の実体を持つようになったのだ、といっても、基本の
性質はかわる物では無いだろう。そう考えると、「我思う故に我有り」
という言葉は、他者に対して向けられた物であるのではないか。世界
に自分一人しかいなければ、そう言う必要もないのである。
世界に一人しかいないとするなら、その人は超絶対神である
「超絶対神くっくっくするゆえに我ら有り」
俺故郷に帰ったら最×超の対談を見るんだ
670 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 08:50:02 0
>>668 デカルトは世界にひとりの「我」など考察していない。
世界の誰にでも通じる普遍的な「我」の考察を目指していたのだろう。
世界に唯一は神の存在理由の考察だろ。
671 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/15(木) 09:17:03 0
>>670 世界に一人、の場合は「我思う・・・」と言う(そう言う)必要ないってかいてありま
すよね。
672 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 10:47:27 0
>>671 個体としての自己は世界にただひとりだよ。その自己が「我」を
思考するのだろ。世界にひとりと「我」とは関係ない。
673 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 11:10:57 0
だから、
肉体のない所(→感覚器官のない所)に「我」「自己」なるものが生じうるのか?
外部のない所に、「自己」と「他」が生じうるのか?
皆、無視しようとしているが、肉体という外郭の存在は
めちゃくちゃ重要なんじゃないかい?
というのが素朴な疑問として現われるわけだw
デカルトでもよめ
675 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 13:27:34 0
>>673 一心同体で考えればいいじゃない。
心身ニ元論にするからややこしくなるだけ。
仏教の五蘊のように{色、受、想、行、識}の集合でもいい。
で、結論は唯識・無我かな。
676 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 14:33:47 0
>>672 個体としてのなんてだれもいってないんですが。
677 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 16:25:34 0
>>663 君は「心理的」と「現象的」の区別することが間違いだ、と考えられないの。
人間は機械的で「ゾンビ」が真だと考えないのかい。
678 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 16:46:18 0
意識の科学的研究に、宗教や感情論の文脈で、感情的反発しても正当な否定にならない
仏教など、根拠を持たない漠然とした妄想は、哲学でないし論外だ
私の理解では、
赤色を見て、脳の特定の部位が興奮することのように、他者と共有可能な事実が「心理的」
赤色を見て、まさにありありと‘それ’を体験することのように、他者と共有不可能なリアリティが「現象的」
です。
それおまえだけ
>>679 それでだいたいあってんじゃねえの?
まあ「心理的」にはもうちょっと広い意味があると思うけど。
682 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 18:19:27 0
最高位氏はまだおられますか?
私は最高位氏の意気込みに感心している者です。
「数ある意識の中のこの私の意識」の神秘性というか重要性について、他者に伝えるのは
難しいと思います。
例えば、生命倫理や愛といった感覚を他者に伝えるのに
言葉で物理的現象を伝えるのは簡単でも、その感覚を伝えるのは難しいからです。
なので、「この私」について他者に語っても「物理現象じゃん」
という返事が返ってくるのは、まあ残念ですが仕方ないと思います。
で、私は「この私」こそ人間一個人にとっては最大のテーマだと思うのですが
仮に「この私」を発生させる原因(仮にAとする)が分ったとしても、次は
『では、Aはなぜ発生する?Aを発生させる原因Bを発生させる原因Cを発生させる原因Dを…』
と無限に謎が続くと思うので、唯物論・唯識論ともに
「なぜ物事が存在しこのようになってるのか」
という根源的な謎を解明するのがいいと思います
683 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 18:20:42 0
>>663 なんで「心理的」を採用したんだろうね?
一般的には「機能的」「現象的」の区別じゃない?
「心理的」だとわかりにくい気がするんだけど。
>>679 >赤色を見て、まさにありありと‘それ’を体験することのように、他者と共有不可能なリアリティが「現象的」
「赤色を見てそれを体験する」って変じゃね?
686 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 20:55:32 0
>>654 >「脳の思考を外部から把握できる」という為には考えている内容と脳の状態との間に何らかの法則性を見つけないといけないと思うのですが
何で物理状態の観測に発想がいくんだよ
それはひどくこのスレの毒されたおばか状態だといってるだろうが
人間は生きていこう食べていこうとする、それも仲間と組んで。。。。ということから意識を考え(唯物論)なさい
687 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 21:14:39 0
>>678 仏教の認識論は認知科学において非常に参考になる考え方だよ。
688 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 21:16:50 0
>>678 仏教の認識論は認知科学において非常に参考になる考え方だよ。
修行者(学者)が暇に任せてじっくりと自分を見つめて思考している
からアビダルマは非常に精緻な理論となっている。
689 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/16(金) 00:32:30 0
>>682さん
「点」でみるか「線」でみるかということもあると思います。
ある一点のみに拘ると最高位さんのような結論になってしまうかもしれません。
また私の存在と意識との扱いも問題です。
(私は現象しない、という最高位さんの言は重要なポイントです)
無限に謎が続く原因の一つは
五感と意識間のフィードバックです。自問自答に似たようなものでしょうか。
690 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 09:32:45 0
「五感と意識間のフィードバック」「自問自答」 → 心理的(機能的)
「これ(五感)」「これ(意識)」「これ(私)」 → 現象的
691 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 16:31:48 0
>>687-688 心の哲学や現代の認知科学、認知心理学では、古典的な内観法は行き詰まり、
限界性が明らかとされ、最新の意識の研究においては、内観報告による研究が
方法論として間違っていると、共通了解されているよ。
漠然とした説明しかできない内観法では不十分とされている。
内観法を用いる心的表象研究は、心的状態を表わす方法として、
認識領域が狭すぎることが分かっているよ。
>>691 科学者はどうでもいいけど
哲学者でそんなこと言っているやついるの?
693 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 17:04:21 0
>>686 >人間は生きていこう食べていこうとする、それも仲間と組んで。。。。ということから意識を考え(唯物論)なさい
哲学に安易な俗流人生論を持ち込もうとするから、
小学生向けの比喩的な説明しかできないんだよ。
アニメみたいな文芸と堕してしまうんだ。
宗教に興味ない人を動かす力にはなりえないわけ。
通俗的な俗流人生論を、哲学の一種と見なす悪弊は、改まらないものだろうか。
694 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 20:32:18 0
>>693 なにその人生観というのは、お馬鹿ですか。君はそういうの人生観をというのか
誰でも考えやすいように基本を平易に書いてるからそうなってるんであって唯物論はこれから始まり非常に高度な理論になってるよ
下部構造が上部構造を規定してる、下部構造はひとつでない
695 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 20:36:19 0
>>693 何故この唯物論が過去の全ての哲学を一度否定したといわれたかわかるかね
否定したといういい方は極論だが重大な批判をもたらした、なぜか
下部構造が上部構造を規定してるからだからなんだがね
とうていわっからんだろうなあ
696 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 21:21:08 0
クオリアは何構造に属するのかな
697 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 21:39:25 0
>>696 クオリアこそ下層下部構造だろうが
ン、生体の生の視覚認識反応みたいなもんだからそうでもないか、生が下層とはかぎらんかも
生でない方が生活と密着ということがあるからね、複雑だ
698 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 21:42:47 0
下部構造の下という漢字は低級をあらわすという意味ではないんだよ
意識の抽象度が下という意味
699 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/17(土) 02:17:30 0
>>690さん
心理的、現象的とはどういう意味でしょうか?
700 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 13:44:22 0
>>692 現代の認知科学、認知心理学で内観法の限界が指摘されているだろ。
「心の哲学」やっている哲学者で、内観法に依拠してる人はいないよ。
701 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 14:33:08 0
>>694 唯物論と人生論は関係無いよ。
俗流人生論を哲学に持ち込もうとするから、俗流お馬鹿哲学になるんだよ。
「下部構造が上部構造を規定」するとのマルクス主義的な史的唯物論テーゼは
限界性が明らかだろ。弁証法的唯物論は科学でないだろ。
科学的社会主義という理論は、非科学的で空想的な説明しかできないんだよ。
マルクス=レーニン主義は失敗した理論だ。
共同体や社会運動を説明するために、弁証法的唯物論を説くなよ。
非弁証法的な唯物論でないと価値はない。
>701
>「下部構造が上部構造を規定」するとのマルクス主義的な史的唯物論テーゼは限界性が明らかだろ。
下部構造を個人〜国家にわたる経済活動一般とみなせば、このテーゼで説明できる範囲は広く、テーゼ自体に限れば、その有効性はまだ死んではいない。
703 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/17(土) 15:46:17 0
>>653 :考える名無しさん:
>疑っている我がいる・・・・
はいそうでしょう、しかし疑っていると言うだけでは・・・
泣いている自分がいる、食べている自分がいるということと同じで行動を表面的に捉えているに過ぎない。
疑っているその疑う主体そのものを表現してはいないし、捉えることも出来ていない。
所詮「群盲、巨象を撫でる」である。
自我の上っ面を舐めているだけで自我そのもの(内部)については全く捕らえられていない。
704 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/17(土) 15:47:45 0
>>654 :考える名無しさん:
「私が私のことを考えることは出来ない」というのは、
例えば
>>666 :考える名無しさん: の表現にあるように
>「意識を意識する意識」
と言ったことで・・・自己撞着の行き詰まりにならざるを得ない。
それを貴方は・・・・・・・・
>これは人が普通にやっていることですが・・・・
ここまでくると見解の相違でしょう。
貴方は「自分は、自分の主体を考えることが出来ている」と言い張るならね。
ならば・・・ちなみにこのスレの貴方なりの答えを聞きたいものです。
<「私」を記述してください。>
普通にやっているなら答えられるはずだ。
705 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/17(土) 16:02:11 0
>>663 :考える名無しさん:
>痛みの機能はすべて満たしているのに、現象的な痛みの質がない、としたらどうでしょう?
なんかおかしな議論をしている。
「痛みの機能」・・・何ですかそれ?
普通は痛みの神経と言われる物質が刺激されて「痛い」を感じる、その感じ(意識)を「痛みの質感(クオリア)」と呼ぶ。
この質感の正体がここで議論されている。
これが解明されればもちろん「私」は記述できる。
もちろん私は解明不能論ですが・・・。
更に最近の研究によれば、まず痛みの刺激があって痛い感覚が生じるように、涙が出るから「悲しい」感覚が生まれる。
じゃんけんでもチョキを出すから「チョキを出そう」と言う意識が後付けされることが判っている。
決してゾンビがどうのこうのという類の話ではない。
706 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/17(土) 17:24:55 0
>>703 デカルトは心身二元論だからね。
「私」の本質は「精神」であり「思考」だ。
泣いたり笑ったり束足りするのは私の身体であって「私」
では無い。
デカルトについて言及するなら「方法序説」くらい読んで見よう。
ちなみにちゅうは心身ニ元論じゃないからね。「私」の本質はない、
私は無自性、空という立場だ。名前も中論に由来する。
707 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 18:50:34 0
じいさんは全く本を読んでないくせに、基礎的な知識を欠いたまま、
自分勝手にデタラメな解釈して語るから、とことん間抜けに見えるんだよ。
「群盲、巨像を撫でる」というのは、じいさんの事だよ。
708 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 19:11:02 0
じいさんは、哲学書を真面目に読んだ方がいいぞ。
じいさんが、ここでの議論内容を理解できない理由は、
おまえの無知蒙昧に原因があるんだよ。
検索して内容を理解できないまま誤読するのも、すべてお前の無教養に原因があるんだ。
検索して浅はかな解釈するのではなく、本物の学術文献をよみなさい。
そのような知に対して不真面目な態度では、議論に参加する資格すらないだろ。
あまりにも馬鹿すぎて、誰もお前を相手にしてないぞ。
709 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/17(土) 20:15:22 0
>>705 >これが解明されればもちろん「私」は記述できる。
ここでの「これ」は「痛みの質感(クオリア)」だよね。
痛みの質感は「私」に関係なく記述可能でしょ。
「針でつついた様な痛み」だとか「拳骨で殴られたような痛み」
とか経験に基づいて記述可能だろ。その場合「私」は表現するま
でも無い。日本語に主語は不要だ。
710 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 23:00:46 0
>>699 >心理的、現象的とはどういう意味でしょうか?
こういう意味
>>679 別観点で補足すると、
心理的(機能的)なものとは、言語的なもの、抽象的なもの、理解されるもの。
現象的とは、端的なもの、リアルなもの、感じるもの。
711 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 23:06:41 0
>>701 下部構造を個人〜国家にわたる経済活動一般とみなせば、このテーゼで説明できる範囲は広く
もっと広いよ、下部構造とは、しばしばひとをとりまく物資構造一般でもある
以上のことは史的唯物論ではあるかもしれないが弁証法的唯物論ではない
下部構造とはほとんどが人間の生産関係だとして政治理論にしたのがいわゆる弁証法的唯物論であってこれはいわゆる社会主義の理論政治論であって一般下部構造理論とは違う
弁証法的唯物論は第3唯物論として区別してる
君は混同してるのであって広い真理で政治理論ではないほうの下部構造論(第2唯物論)のことを指摘してはいない
広い真理というものは古くならない、はやらなくなってるがね
マルクスはひとつの大発見と政治的創造の二つやった、後者は古くなった
712 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 23:15:21 0
>>701 特にまさに俗物的な、下部構造とは自分の下部構造だけであろうという
馬鹿俗物見解を一笑して、下部構造には世界および未来のそれも入るということを確認してから第2唯物論は広く人間の意識を
解明できるようになり政治理論とは遠くなった
私とはなにかが主要なテーマともなった、
ほかに「私」を解明できる主要な方法はないくらいだ
第2唯物論をさっぱりわからん香具師は「私」とはなにか全然わからんという
君はどうかね
動物の痛みを考えると、腹が痛もうが歯が痛もうが、たぶん
世界全体が痛んでいるのだろう。たまたま痛がっている彼の前
に顔なぞ出せば、あなたが痛みそのものとなる。
人はその痛みが「我」に属することを知った。幸福なのか不幸なのか。
我を去るという考えは宗教にも多いが、つまりは痛みを世界に戻そう
ということなのだろうか。
714 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/18(日) 08:38:53 0
痛みをはじめ感覚による認識については特に「私」を
意識することは無いだろ。意識しなくてもいたいのは私に
決まってる。
感覚による認識でも「私」を意識するのはその認識を疑う
ときだろ。
「これはリンゴのように見えるけど、本物か?「私」の錯覚ではないか?」
などと思う時だろ。
やはり「私」は「思考」によって意識されるのだろう。
「思う、故に我あり」でよい。
715 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 15:02:57 0
>>712 唯物論でないと解明できないのは事実だと思うよ。
しかし「下部構造が上部構造を規定する」とのマルクス主義的なテーゼを
俺は支持できない、社会主義の政治理論は否定したい。
>ほかに「私」を解明できる主要な方法はないくらいだ
世界全体の解明を目指す方法が、科学的方法しかない、という意味なら同意出来るよ。
716 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 15:09:56 0
>世界全体の解明を目指す方法が、科学的方法しかない
ちゃうちゃう、「科学」は事実検証の積み重ね、つまり「部分」分析であって
世界という全体を俯瞰するためのツールじゃない
かん違いすんな
717 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 15:27:44 0
>「下部構造が上部構造を規定する」とのマルクス主義的なテーゼを
俺は支持できない、社会主義の政治理論は否定したい
おまえ下部構造上部構造で、単に貧乏と金持は意識が違うという、テーゼしか思いつかないだろうが
そのことだとばっかり馬鹿夢想してるんだろ、だから俺は社会主義のなんたらかんたらと全然言ってないんだよ
俺の言ってるのは社会主義とあまり関係ない
無知君には2回同じ事をかかなければならないが。マルクスはおおきな発見と、階級闘争論という政治理論と二つしたんだよ
世界中で混同されてる
718 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 15:32:15 0
訂正 マルクスは心理学、哲学上のおおきな発見と、、、、、、政治理論と二つ
719 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 15:53:11 0
マルクスは唯物論上の発見によって、それまでぼんやりしていた唯物論というものにはっきりした科学上の位置を与えたが
その後直ちに下部構造の主要なるものは圧倒的に雇うものと雇われるものだという階級闘争論を提起してつまり科学からふたたび政治理論に進んでしまった
その後の展開は皆が知ってるとおりである
だが哲学上の重要な発見は、その前段階の方だ
貧乏人も金持も下部構造が上部構想を規定してる
720 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 15:54:52 0
雇うものと雇われるものだという生産関係論。。。。階級闘争論
721 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 16:13:51 0
>>716 科学は世界の全てを解明するためのツールだと思うよ。
科学的方法しかありえない。
「部分」分析の積み重ねによって、世界全体を明らかに出来るだろ。
君は思弁的な方法、空疎な文芸と成り果てている文学で、
「世界の全ての解明」を示せると考えているの。
「文学」という前提自体を疑わないのだろうか。
結局、世界の部分しか明らかに出来ないんじゃね?
723 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 18:03:48 0
>>717 社会を構造的に捉えるのはいいとして、その形態の分析を科学的に試みるのは良いとしても、
この分析にマルクスを持ち出す必要はあるまい。
普通に構造主義に依拠して分析すればいいじゃないか。
かつてのフランス的構造主義の問題点を改訂するような、新たな構造主義に向かえばいい。
ポストモダンの脱構築ではなく、構造主義の再構築をすればいいだろ。
マルクス主義のように構造を上下に分けて、この分類に固定するのではなく、
社会的機能の多様な複雑さを見ればいい。
724 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 18:45:53 0
>>723 だからマルクス主義という政治思想が下部構造と上部構造の理論を出してるわけじゃない
マルクスは二つの仕事したと何べんかいたらわかるんじゃ、馬鹿が
それと構想主義の構造と下部構造上部構造の構造が同じだとでも言うのか
まだ全然わかっておらんな、いい加減な作文するんじゃないよ
725 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 18:47:13 0
>>723 >社会を構造的に捉えるのはいいとして
そもそも社会の構造じゃないよ
726 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 18:52:03 0
>>722 だから、部分をコツコツ解明していくんだよ。
そして部分の総体が全体になるんだよ。
思弁的な方法では、一部すら明らかにできないだろ。
修辞を駆使した、情緒的な文章表現で説明しても意味ないだろ。
仏教や老荘思想のようなエッセー的な文章で、納得できるわけが無いよ。
727 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 19:02:59 0
>724
構造主義の構造と、上部下部構造が違う事ぐらい判っているよ。
しかし、なんでこうも話が噛み合ないんだ。
728 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 19:38:31 0
>>727 は>>723なの
君はマルクス主義の唯物論とはなにがどうであるという風に考えてるの
俺は生産関係という下部構造が主要な圧倒的下部構造であるとするというのがマルクス主義だ「それは主義だ」と何回も言ってるが
それは第3唯物論といおうと何回も言ってるが、第2とは別物
君がマルクス主義の唯物論というとき、そうはとらえてないのかな
729 :
考える名無しさん:2007/11/18(日) 20:56:01 0
殺伐としているなぁ…。
730 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/19(月) 00:20:29 0
>>722>>726さん
部分的な解明イコール全体
とはならない(そうすることが困難な)要因が
科学的にも、仏教思想?にもあると思います。
それは人としての限界ではないでしょうか。
731 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 00:40:39 0
>>730 お釈迦さんは、部分も全体も見た人ではないでしょうか。
そして、仏教思想の発展の歴史は、
その両極へと集約してゆく歴史かもしれませんw
そして、その真ん中(本来の出発点)が忘れ去られてしまった、と・・・w
732 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 03:46:51 O
科学だけが全体をしることができるんじゃなかったのか
科学では知ることの出来ない部分があるかどうか
734 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/19(月) 08:55:37 0
部分というより要素と要素の関係性から全体を構成
していく、いわゆるシステム思考が役に立った経験
がある。
仏教の縁起すなわち相依性もそんなものかな・・・?
全体を部分に分けて理解する還元主義の反対方向の
思考だと思う。
735 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/19(月) 11:28:08 0
>>ちゅう ◆Pzn2.y/16A
>痛みの質感は「私」に関係なく記述可能でしょ。
それじゃあクオリアの持つ本質が判っていない。
質感は個人によって異なる、その人の過去の人生(記憶)や肉体的精神的個性によって異なるからだ。
その違いこそ「私」に他ならない。
他の誰でもない自分の証明である。
>「針でつついた・・・・拳骨で・・経験に基づいて記述可能だろ。
こんな表現で記述できているとするなら、このスレの答えも「私」の記述として「やさしい人」とか「寡黙な人」とか言う答えで言いということになってしまう。
>日本語に主語は不要だ。
だから、あえてその主語である「私」とは何かを追及しようと言うのがこのスレの趣旨。
その痛みを感じている自分(私)とは何かを記述せよ・・・と言うこと。
>>714 :ちゅう
>「私」を意識するのはその認識を疑うときだろ。
そうそうその調子、感覚を疑ってくださいと言っている。
>やはり「私」は「思考」によって意識されるのだろう。
そうその前提で、その意識されているところの「私とはなにか」を記述せよと言うのがこのスレの趣旨です。
736 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 12:04:32 0
>>735 >質感は個人によって異なる、その人の過去の人生(記憶)や肉体的精神的個性によって異なるからだ。
>その違いこそ「私」に他ならない。
なんでそんなことが言えるの。
本当は、「他人と違っている」とさえ言えないんじゃない?
クオリアは全て、「私」のクオリアでしょう。
他人のクオリアが分からないんじゃなくて、クオリアの分からない奴を「他人」と呼んでいるだよ。
737 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/19(月) 12:42:30 0
>>735 >質感は個人によって異なる
質感が言葉などで表現出来ないとするなら、個人によって異なるか
同じようなものかもいえないだろ。どんな根拠でこんなこと言ってるんだ。
単なるじいさんの妄想か?
ちなみに言葉は個人だけのことではない。私語は成り立たない。
言葉などによって自他の質感の違いが分かって初めて質感は個人によって
異なるということになる。
個人によって質感の違いがあってもそれは個性ということで私の記述では
ない。
>その痛みを感じている自分(私)とは何かを記述せよ・・・と言うこと。
すでに記述されているではないか、「その痛みを感じてる自分」と。
日本語を理解できないヒトなの?
738 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 15:36:20 0
>>737 じいさんを相手にするのは、やめた方がいい。
学問の意味内容を理解する能力などないから。
本当に老人性痴呆にかかっていると見て間違いあるまい。
>質感が言葉などで表現出来ないとするなら、個人によって異なるか
>同じようなものかもいえないだろ
その通り。
740 :
ネコの味方:2007/11/19(月) 17:14:32 0
広義の質感に個々人の差異があるというのは、じいさんの言うとおり。
異性をみたとき、料理を食べたとき、芸術作品を鑑賞したときの感想を
各人に言わせれば、すぐわかる。
さりながら、質感そのものを言葉で表せないというのもまた事実。
ウソと思うなら、魅力的な異性の“魅力”自体を記述してみて。w
美味しい料理の“美味しさ”でいいよ。
741 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/19(月) 17:53:17 0
>>740 そういうのはね、言葉にも出来ない魅力や美味しさと言っておけば
いいんだよ。これがじいさんの知恵だろ。
742 :
考える名無しさん:2007/11/19(月) 19:02:00 0
クオリアクオリア言うけれど、これは自分の感覚といった意味でしょ。
いままで生理学等「科学」は「自我」を故意に無視してきた。これは
理由のあることですが、今になって気がついたように騒ぎだした。
ここの人達には滑稽ではないですか、クオリアは「科学者」の思い上りです。
>>740 じゃあ、同じ感想を言ったら同じ質感になるのか?
745 :
ネコの味方:2007/11/20(火) 08:36:21 0
>>744 だから、言葉では質感(そのもの)を表せないと『註』を入れているだろう。
日常の言葉は共同主観的な符牒として、いわば便宜的に用いられることが
ほとんどだ。若い女性たちが一つの対象に「カワイイ」と言ったとしても、
彼女たちが同一の質感を持っているとは思えない。
もっとも、本人たちは「質感を共有している」と思い込んでいるのかもしれ
ない。なにせ、仲間はずれにされるのが彼女たちの最大の苦痛のようだから。w
746 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 09:06:24 0
>>744 それが言葉のお約束だろ。
同じ色見本を示してひとりが「赤」他のひとりが「青」という
なら言葉がなりたたないかどちらかが色覚異常と判断する。
747 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 11:24:50 0
個々の人の質感がまず客観的あって、それが単に言葉に表せないだけ、というのは飛躍があると思う。
まず「これ(現実の質感)」があって、
「これ(現実の質感)」を共有しない「他人」というものが言語によって要請され、
「他人」が配置されると同時に「私」も配置され、
その「他人」と「私」とを対称的に扱うことが可能になった上で、初めて、
個々の人の質感、というような質感一般の把握が起こるのではないか。
つまり「これ(現実の質感)」は、リアリティの確信の基盤である筈なのに、
「私」と「他人」が導入されることで消去(一般化)される。
しかし、一方で、「私」と「他人」が導入されなければ、言語が不可能になる。
748 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 12:37:26 0
>>743 >ここの人達には滑稽ではないですか、クオリアは「科学者」の思い上りです。
いや、脳科学で感覚や認知の脳の仕組みを知ると改めて「クオリア」とは
何かが素朴な疑問となるということだろ。
視覚であろうと聴覚であろうと五感を認知する脳のハードウェアの仕組み
はほとんど同じだ。それなのにただ脳内の働く部位が違うだけで色は色、
音は音として感じる。それがクオリアだけど色と音を同じ感覚で認知する
人はいないだろ。
やはりクオリアがどうして生まれるかは不思議ではないか?
>>745 >若い女性たちが一つの対象に「カワイイ」と言ったとしても、
>彼女たちが同一の質感を持っているとは思えない。
どうして思えないの?
>>748 >それがクオリアだけど色と音を同じ感覚で認知する人はいないだろ。
いるよ。
751 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 15:43:55 0
752 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 16:32:41 0
>>743 質感の解明を無視してきたのは哲学の方だよ。
哲学は独我論に陥って知的停滞をもたらし、新たな知見を示す力を失っている。
知的発展を阻害しているだけだし、方法論として思弁の限界性が明らかとなり、学問領域からも疎外されている。
文系分野で哲学的探究をしている学問は心理学しかないんだ。
哲学と科学が、共に協力して発展するわけでないよ。
哲学は科学の成果を受けて改訂される存在でしかなく、
科学が哲学を主導し示唆を与えることはあっても、この逆はないんだよ。
知見を提示する力は科学しかありえない。前に出るのは科学だけ。
753 :
ネコの味方:2007/11/20(火) 16:56:12 0
>>749 「かっこいい」と同じで、「カワイイ」も多義的。そこで「どこが、どうカワイイ」のかを
訊くとわかります。千差万別とまでは言わないが、かなり感じ方に違いがあります。
もっとも「かっこいい」とか「カワイイ」をクオリアと呼んでいいかどうかは疑問。
萌えはクオリアだよ、萌えは。
755 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 17:07:16 0
>>750 音色というのも絵の具の色感とは違うだろ。
まったく同じなら色と音の区別がつかない。
756 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 17:10:36 0
>>753 >もっとも「かっこいい」とか「カワイイ」をクオリアと呼んでいいかどうかは疑問。
「エロかっこいい」なんてのは質感優先だろ。
757 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 20:13:33 0
>>756 馬鹿だなw
言葉にするからそんなおかしな議論になるのよ
言葉なんかする必要ないだろ
観たまま感じたまんま、それでいいじゃんよ
758 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 20:27:10 0
>>757 >それでいいじゃんよ
いいとか悪いにはすでに価値観が入っているな。
観たまま、感じたまま、じゃないだろ。
「まま」じゃ何も観えないし何も感じない。
759 :
考える名無しさん:2007/11/20(火) 21:01:15 0
>>758 こら厨w 中か? チュー? ネズミだろそれじゃw
いいか、どんな物事にも価値観が入るのが正しい!
つ〜か価値判断の無い「見た」や「感じた」は人間の世界にはありえ無いのよ
人間というのは観た瞬間に「対象の自分ににもたらす意味(利害)」を識別しようとする
むしろそのために観ると言ったほうが当たってる
生き延びるために、より満足な生を全うするためにねw
なお、「まま」とはママつまりお母さん、、違うってw !!
観た「まま」の用法だが・・「言葉にせずに」という意味で用いてる
日本語が不自由のようだが半島から携帯で送信してるのかオマイw
760 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/20(火) 21:45:38 0
>>759 ♪口で言うより手のほうが早い♪
のも考えモノでちゅう。
761 :
ネオマトリクス:2007/11/20(火) 22:12:55 0
横レス失礼します。真剣に相談するのでどうかお教えください。
『この私(意識・クオリア)』こそが人間一個人にとって
最大のテーマと思ってます。
『この私』が、ある特定の時間・特定の物理現象(人間)に発生する理由は
どうすれば分るでしょうか?
これさえ分って自由にできれば、人間でなくもっと楽な生物とか
クオリアを自由にして快楽だけ永遠に感じるとかできると思うんですが、
宇宙が無から発生したらしいですが、それに伴ってどうやって
『この私』が今の人間の脳から発生するという法則も発生したのでしょうか?
こういう根源的な謎に対して、宗教とか様々な仮説がありますが
どうやったら分るでしょうか?輪廻とか、理由は無いとか、神とか、説は様々ですが
『この私』が別の物理現象から発生し快楽だけ味わうには
どうすればいいですか?
この私を客観によって解体して消し去ってしまえば
その疑問は消えるのか?残るのか?
763 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/21(水) 01:59:48 0
>>762さん
>客観によって消し去る
とはなかなか良い表現ですね。
言い換えればどこまで客観的になれるか?
ではないかと思います。
意識を意識するという意味合いが、おっしゃるとおり最大の問題だと思います。
けれど今のところ誰にもわかりません。哲学で行き詰まり自然科学でようやく
この問題に気がついて騒いでいるといった現況です。
ですから、あなたのお考えをお聞かせいただきませんか。これは何か単純なこ
とではなかろうかと思います。いずれ必ず解明できると思います。
もっとも解明できたとしても「快楽だけ味わう」といった利用がてきるか知りません。
鞭で叩かれると同時に褒美を貰う。
これを繰り返されると世の中全てが快楽になる。
人って不思議
766 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/21(水) 08:18:28 0
客観も意識するものではないか?
意識が無ければ客観もない。
唯識が意識を否定するとは自殺行為だろ。
767 :
考える名無しさん:2007/11/21(水) 08:22:01 0
>>762 「私を客観によって解体し、消し去る」って、具体的にはどうするの?
唯識さんには、わかるの?
>>753 言葉では表せないと言っておきながら、
「どこが、どうカワイイ」のかを訊くとわかるのは何で?
言葉の違いとクオリアの違いは対応していると考えてるのか?
ならば言葉で表せるだろう。
770 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/21(水) 15:19:36 0
>>737 :ちゅう ◆
>質感が言葉などで表現出来ないとするなら・・・・
?誰がそんなこと言ったの?
私が
>>735 で言っているのは・・・・・・・・・
>質感は個人によって異なる・・・
>その違いこそ「私」に他ならない。
それに対して貴方の後半の文・・・・・・・・
>言葉などによって自他の質感の違いが分かって初めて質感は個人によって
異なるということになる。
これは私の文章の真似なのだが・・・・?
>すでに記述されているではないか、「その痛みを感じてる自分」と。
>日本語を理解できないヒトなの?
相変わらず判っていないのは貴方で、正しい日本語は
>>761 :ネオマトリクス: のような例です。
>『この私』が、ある特定の時間・特定の物理現象(人間)に発生する理由はどうすれば分るでしょうか?
この自我の発生の事情を明らかにすることがこのスレのテーマです。
それなのに「痛みを感じている自分」というだけで「私が」記述されていると貴方は言い張るのでスレが進まない。
>>770 >
>>737 :ちゅう ◆
> >質感が言葉などで表現出来ないとするなら・・・・
>
> ?誰がそんなこと言ったの?
>
> 私が
>>735 で言っているのは・・・・・・・・・
> >質感は個人によって異なる・・・
> >その違いこそ「私」に他ならない。
言ってるじゃんwww
>>770 >それなのに「痛みを感じている自分」というだけで「私が」記述されていると貴方は言い張るのでスレが進まない。
記述が何かを書き表すことだとしたら「痛みを感じている」というのも立派な「私の記述」でしょう。
じいさんはスレタイにしつこくこだわってるようですが、「私とは何か」「私を記述せよ」と漠然と繰り返しても「スレが進まない」ですよ。
まずは「私」とはなにかを自分なりに定義付けした上で問題を提起した方が有意義と思います。
書きこみから意識や自我を想定してるように伺えますので、
>この自我の発生の事情を明らかにすることがこのスレのテーマです。
みたいに具体的にいくのがいいと思います
(このスレタイからこのテーマを読みこむのは飛躍し過ぎとは思いますが・・・)。
773 :
ネコの味方:2007/11/21(水) 16:56:16 0
>>768 意図的かどうか、クオリアに階層があることを君は無視している。
気絶しないほどに顔面をバットで殴られたら、程度差はあれ、だれしも
痛かろう。火を肌に触れられたら熱いだろうし、切腹すれば痛かろう。
この感覚的クオリアに、たいして個人差はあるまい。ただし、この感覚
は比喩的にしか語るスベがない。(当たり前)
もう一つ、クオリアとして一括されているのが「火もまた涼し」という
場合だ。あるいは三島は割腹したとき痛かっただろうが、同時に至高の
“快”を味わった可能性がある。
こちらのクオリアは“意味(言葉)”であり、個人差があるのではないか。
クオリアに階層なんてないんじゃないの?
775 :
考える名無しさん:2007/11/21(水) 17:10:08 0
>>774 納豆が美味しいとか不味いとかいうのはクオリアではないの?
>>773 もう一度聞くけど、
言葉の違いとクオリアの違いが対応していると考えているのか?
778 :
考える名無しさん:2007/11/21(水) 18:55:20 0
個人にしかわからないとかクオリア云々とかそんな事言い出したら
この世のありとあらゆる全てに語る術は無く、知識、学問は無駄という結論に至るだろう。
そんな物が君らが議論の果てに至るべき真実…真理だというわけかね。
780 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/21(水) 19:11:15 0
>>770 >私が
>>735 で言っているのは・・・・・・・・・
>質感は個人によって異なる・・・
>その違いこそ「私」に他ならない。
>この自我の発生の事情を明らかにすることがこのスレのテーマです。
この自我って何?
いきなり「この自我」なんていわれても何を指し示しているか理解できない。
「この私」と「この自我」とは同じなのか?
同じならなぜ言い換えたんだ?
これに対する答えは
>>737の
>個人によって質感の違いがあってもそれは個性ということで私の記述では
>ない。
と答えた積りだが見落としてるのか?
781 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/21(水) 19:16:45 0
>>780 全面削除。
次で置き換える。
>>770 >私が
>>735 で言っているのは・・・・・・・・・
>質感は個人によって異なる・・・
>その違いこそ「私」に他ならない。
これに対する答えは
>>737の
>個人によって質感の違いがあってもそれは個性ということで私の記述では
>ない。
と答えた積りだが見落としてるのか?
新たな問題。
>この自我の発生の事情を明らかにすることがこのスレのテーマです。
この自我って何?
いきなり「この自我」なんていわれても何を指し示しているか理解できない。
「この私」と「この自我」とは同じなのか?
同じならなぜ言い換えたんだ?
782 :
考える名無しさん:2007/11/21(水) 19:32:09 0
誰か読んでくれてると思ってるよコイツw
質感てもっと細かく分解していけば、個人差は無いと思う。
赤っぽい色は温かく見えて青っぽい色は冷たく見える。
エレキーギターの音の感じを表してみるとジャリジャリガーザーとしてる。
質感は個人史によっていろいろ複合的に重なっていくから個人差ある
ように思えるが、もっと細かい要素に分解していけば、
一つ一つには個人差はないだろう。感じている人間が違うから個人差が
あるというのは、その人の個性や人生史を認めるというフィクション
だと思うね。
784 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/21(水) 19:37:26 0
>>783 まったく同感だね。
質感を表現する言葉が少なすぎるだけだと
思う。
人間の脳の仕組みが同じだったらその脳の
働きの結果も50歩100歩だと思う。
脳には普遍文法があるのだろう。
その普遍文法ってDNAに記憶されてるん?
786 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/21(水) 19:49:06 0
らしいね、チョムスキーによると。
788 :
考える名無しさん:2007/11/21(水) 20:07:56 0
>>783 >赤っぽい色は温かく見えて青っぽい色は冷たく見える。
そうですね。黒(猫や烏など)には不気味さとか、女体の秘部に
エロさを感じるのが感情機構、感情機能なのだとおもう。www
深層心理学か感情の基本機能か。
そう言えば、裸族で余り豊かでない文化を持つ所では、嫉妬心が
芽生えないそうです。嫉妬心は、文明が高度になって物質が豊かに
ならないと芽生えない人間心理らしいです。うーーん、興味津々ですね。
心の進化と言うか、心の理屈が見えそうで非常に興味深いですよね。
>>785 >DNAに記憶されてるん?
そうでもないらしいです。上にも上げたように嫉妬とか
こころの仕組みにはもっと高度な何かが影響している
らしいです。
まだ未開ですから、是非研究してください。
>そう言えば、裸族で余り豊かでない文化を持つ所では、嫉妬心が
>芽生えないそうです。嫉妬心は、文明が高度になって物質が豊かに
>ならないと芽生えない人間心理らしいです。うーーん、興味津々ですね。
ほ〜、興味深いですね。
他者の心情を意識するのってやっぱ人間だけなのかな。
飼い犬とかは飼い主のことどう思ってるんだろ。
790 :
考える名無しさん:2007/11/21(水) 20:34:24 0
>>789 キミを待ってました。w
>飼い犬とかは飼い主のことどう思ってるんだろ。
主人が犬を叱れば、犬もそれを理解してるよ。
犬のテンション下がってるし、犬にも叱られた意識と
その叱りという概念すらも理解できるこの不思議さ。
だれか心の仕組みを解き明かして、一般人が読め
るような書籍にしてくれ。5000円くらいまでなら
喜んで買うよ。
もうちょっと奮発しろよw
そんな本が出たら図書館で読むよ
793 :
ネコの味方:2007/11/21(水) 21:17:07 0
>>776 納豆を美味しく思う人間と不味いと思う人間の違いを舌(身体)の構造の違いに
帰すことはできないということ。“文化”の違いだろう?
>>777 機械氏の言う指向的クオリアは“意味”であり、その個人差は言語の違い。
では、ある対象を10人の女性が「カワイイ」と形容したときはどうだろう?
そこに違いはないのか。君が考えろ。w
794 :
ネコの味方:2007/11/21(水) 21:34:06 0
>>788 「赤っぽい色は温かくみえる」といったクオリアには共通性がない。
赤に過激さや危険を感じる人も少なくないからだ。
また、黒に落ち着きを感じる人もいなくはない。それらは意味であり、
個人差がある。さらに色の好き嫌いとなれば、人それぞれだろう?
赤の“赤さ”だけをクオリアとすべきかもしれぬ。
「天皇は神聖である」というのはクオリアなのか?
犬も嫉妬するらしい。
新しい仲間が入ってきて、それが可愛がられていると
嫉妬して噛み付いて攻撃するそうだ。
797 :
ネコの味方:2007/11/21(水) 21:54:02 0
>>797 「赤」や「温かい」が指す対象はクオリアだが「赤っぽい色は温かくみえる」はクオリアじゃないぞw
私とはダブリンである。
800 :
考える名無しさん:2007/11/21(水) 22:03:07 0
>>794 チミの直感は極めて底辺です。
ここ哲学板は天才の集まりですが何か。?
>「赤っぽい色は温かくみえる」といったクオリアには共通性がない。
>赤に過激さや危険を感じる人も少なくないからだ。
っていうか、赤色には、温かみと闘争心が根底にあるんですが。
少しは深層心理学を齧れよ。w
闘争心も温かみもどちらも赤色の範疇。
赤色を拡充をすれば、赤錆・・・つまり、停滞も意味するんだよ。
これは演繹法でもなければ帰納法でもないんだよ。
心理学的拡充なんだよ。
レス不能だ、こちとら、酔っ払い杉だ。www
>>796 チンパンジーの嫉妬は凄いらしい。w
801 :
ネコの味方:2007/11/21(水) 22:23:35 0
>>800 赤色には「温かみと闘争心が根底にある」だって? 君、それを信じて
いるの? 幸せな御仁ですな。それは、こじつけです。
ただし、こじつけとはいえ、そのご託宣を信じるひ人には、ありがたい
“お言葉(定説)w”なのでしょう? 深層心理学はが似非科学というのも
定説です。
温かみ、闘争心、停滞? 赤を愛と結びつけた人もいました。狂気、凶器
侠気を連想した人も。もっと挙げましょうか。
はっきり言いましょう。赤自体に意味なんかないよ。
君のレスから、私は“赤”を感じました。ww
802 :
名無しさん:2007/11/21(水) 22:40:30 0
クオリアといわれて不思議だと感じることがある。
昆虫の擬態ってあるでしょ。カマキリが花そっくりに、
ナナフシが枝そっくりに、葉っぱそっくり虫が葉っぱそっくりに
見える。
虫はどうやって人間から見た「○○っぽさ」と一致するような
擬態が出来たのだろう?だって遠くからの視線が無いのに。
不思議。
803 :
名無しさん:2007/11/21(水) 22:43:08 0
>>801 >君のレスから、私は“赤”を感じました。
それは共感覚と言われています。
804 :
名無しさん:2007/11/21(水) 22:48:02 0
動物番組を見てると、タコって岩のそばに行くと岩のような模様に、
砂のそばに行くと砂のように擬態するんだよね。見事に。
感動するよ。
私の感じている砂地の質感と、タコが感じている砂地の質感が一致
するような、そんな直観があるんだよね。
805 :
ネコの味方:2007/11/21(水) 22:51:00 0
>>803 私は、アホという言葉を連想していました。“赤”は、極論すれば
どんな“意味”とでも結びつくのです。w
>>805 たしかに共感覚の研究は難しいですね。
でも非常に難しいからこそ興味深い研究でもあるようです。
擬態は敵から身を守ったり、餌に逃げられないためにするのだろうから、
他種の目からそう見えなけりゃ意味ないよね。
ある物とある物が同じ色だったら視覚を持つどんな生物が見ても同じ色だろう
光の波長で決まるんだから
>>808 >ある物とある物が同じ色だったら
それはちょっと違う。(人間にとっての)色は可視光線でしかないから。
違う波長が混ぜっていても同じ(人間にとって)色の場合がある。
「ある物とある物が反射光が同じ波長だったら」
これでも、同じ色に見えるとは限らない。
人間の視覚には色々と補正がかかる。
周囲の明るさや色合いによっても変わってしまう。
錯視というやつだ。
810 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 00:23:09 0
科学的な細かい話はどうでもいいからさ・・・
なぜ、この私がこんな疲れやら寒さを感じなければならないのかっていう
役に立つ話をしませんか?
そもそも理由が分らず意識が脳から発生し
そのせいで様々な苦痛があるっていう、根源的な不条理を解決しましょうよ。
人間は物理的なことを研究しテクノロジーにできたんだから
クオリアやこの私に関する事も解明できれば自由にできて
永遠に幸福だけを感じられるかもしれない。
科学的に考えて無機質な物質からこんな疲れや寒さなんていう
ゴミ以下の苦汚リアが発生し訳も分らず無機質な素粒子の集合である脳から
この私が発生し苦しみを味わうのを思うと不条理でたまらないんですが・・・
麻薬をやりなさいって
幸福とかおっしゃっているとこをみると、あなたの脳から意識が
発生したことは、さほど無念には思っていないようですね。まあ
100年経てば、間違いなくあなたの苦痛は消えると言いたいところ
ですが、断言できません。将来あなたは何処か辺境の惑星でミミズ相当
の生き物として世界をみているかもしれません、勿論ミミズにはミミズの
幸福があるでしょうが。
赤だ青だの皆さんいっているが、私の感じる赤は皆さんの
青かもしれないと思っているよ。それがクオリアなんだろ。
814 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 03:47:10 0
地球上の生命体に幸福にならないなんてことできるわけありません。
本人が望むと望まなくないとにかかわらず。
815 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 03:52:17 0
>>813 言語を学習する、というのは交わされる信号によってクオリアを共有する、という試みだから、
お互いが正しく言語を学習出来ていれば(つまり、意思の疎通が出来れば)
お互いの中にはある程度一致するクオリアが存在する、はず。
無論、「正しく言語を学習できている」事の定義も判定方法も存在しないが。
ある程度の一致のある程度とはノイズを含んでいるという意味だ。
このノイズは哲学では多義性などと曖昧に言われているが、
このノイズにも法則性があると僕は思うんだ。
向こうから、ノイズの中からパターンが浮かんでくる。
こちらから、ノイズの中にパターンを見出していく。
共振。
ノイズにひそんでいるもの。パターンが浮かぶ見出す瞬間。
僕が見つめるのはそれ。
他人の意識を意識してみたいと思うこともある。
気も狂わんばかりの異形の禍々しい世界が。−−
819 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 04:21:51 0
自分の文章に酔ってるね。夢見過ぎちゃダメだよ。
でも、個人的に嫌いじゃないかな。
820 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 07:39:33 0
>>810 それは身体が「そういう生活から早く抜け出せ」と教えて
くれているのではないか?
ありがたいことだ。
821 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 07:41:53 0
822 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 11:42:27 0
クオリアなんですが
「赤が見えている」のではなく
「赤以外の色が見えない生き物に変化している」と考えたらどうですか。
ある物を認識してるときはそれと合体してるわけですから、
厳密に言うと別の生き物になっている。
その合体するジョイント部分が
私→わたし→渡し
数学でいうところの「+、−、=」などの符号。
てきとーです。
823 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/22(木) 14:57:30 0
>>772 :考える名無しさん:
>記述が何かを書き表すことだとしたら・・・
それじゃあ随筆だあ。
ここでは「私の本質とは何か?」を言い表せと言っているんでしょ。
>書きこみから意識や自我を想定してるように伺えますので・・・
そのとおり、普通だと思うが?
それとも貴方は「私」から意識や自我を想定しない人なのかな?
824 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/22(木) 15:16:49 0
>>781 :ちゅう
判りにくいので、私の主張だけを・・・
質感は言葉で表現できる。
しかしその質感の主体である「私」=自我意識 は直接記述できない。
825 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 15:35:46 0
有世涅槃と無余涅槃。有余涅槃は仮の涅槃。
無余涅槃と無間地獄、どちらも死へと至り、
無=神に帰着する、つまり神に帰命するという事。
そしてどの境地において死を迎えようが、それは同じである。
死においては全てのものが平等にそれを受け取る。
しかし案ずる事はない、全ては所詮空であり、
全ては全て(神)として永久に存在し続けるのである。
故に安息の中で死に至りたいのであれば、
あまり我に固執すべきではないであろう。
かといって私は、人に対して煩悩を滅するべきであるなどとは、
全く思っていない。人はありのままでよいのである。
少なくとも、根源なる神は、絶対無なのであり、
根源なる者は、それ故に、人に対してこうあらねばならないなどと、
強制するような事はない。
全ては神から生まれ、神に帰る。
それはキリスト教などが説く、
実際のところで2元性の相対神(創造神、破壊神)などではなく、
絶対神=絶対無へと帰る。
自我から無我へと至る。
無我とは自我の対義語であり、
自我の対義語は真我ではない。
また私は相対者の我を人我(相対我)と名づけ、
絶対者(普遍真人)の我を神我(絶対我)と名づける。
826 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/22(木) 15:37:15 0
>>794 :ネコの味方:
>赤の“赤さ”だけをクオリアとすべきかもしれぬ。
「赤さ」は科学的に解明できており、波長: 625-740 nmの電磁波である。
しかし人の心(感覚)が意識する「赤」をクオリアとするなら、茂木健一郎の言うように「少女にとっての赤いサンタクロースの赤」これがその人の「赤のクオリア」である。
その人にとって赤とサンタクロースは切り離せないその人の個性であり自我意識に組み込まれた不可分なものである。
827 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 15:56:19 0
アホなりに、何となく分かった気になって来ました。
原因と結果におけるプロセス。
つまり、入口と出口だけではなく、
どういったルートをたどったかということ、そのルート(道筋、過程)こそがクオリアなのでは。
入口と出口だけ見てその形が一緒でも、ルートは様々。
点ではなく線として、動的なものとして扱う。
そのルートを観察することができればクオリアも観察できる…のかどうか。
828 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/22(木) 16:11:32 0
「私」=自我意識は突然出現するわけではない、生まれてから何年もかかって徐々に出来上がる。
生まれたてはあらゆる感覚は混沌として自我はない(未熟)である。
成長にしたがって外界を取り込んでゆくことによって自意識が目覚めてくる。
その過程がクオリアとして認識様式を形成する。
その過程は個人の環境の違いで様々である。
その為に人によって認識様式が異なり、個性と呼ばれる。
829 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 16:14:07 0
1+2+3=6 における『+2+3=』がクリオア。
1+2+3-4+2=6 における『+2+3-4+2=』がクリオア。
入口と出口が一緒でも、プロセスは異なる。
どうでもいいことかな、これ。
ふーむ。クオリアは難しいな。構造主義記号論や現象学の
語彙と文脈に結び付けてクオリアを考えようとしたら
頭が混乱してきた。
俺が勉強不足で用語をほとんど理解してないのが
混乱の大きな要因なのだが。
831 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 16:19:26 0
栗オア?
832 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 16:21:42 0
833 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 16:25:33 0
クリオア
かわいいからイイんだおー( ^ω^)
834 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 16:26:49 0
それはクリオネ
すまんだお( ^ω^)
836 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 16:33:45 0
837 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 16:37:39 0
実は自演じゃなかったりするんだな、コレが
( ^ω^)・・・・・・・・・・
< >
ヒラヒラ
・・・・・・・・・・(^ω^ )
< >
ヒラヒラ
>>826 >「赤さ」は科学的に解明できており、波長: 625-740 nmの電磁波である。
それは赤のクオリアを生み出す物理的要因の一つであって、クオリアではないんでは?
840 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/22(木) 17:37:38 0
>>839 そうだね。
「波長: 625-740 nmの電磁波」に「色」は無いね。
「色」はその電磁波が人間の眼に入り視覚として
認識されて始めて「赤」となる。
色が付いた夢をみるとき、
電磁波は関係ないよね。
それこそクオリアだけだよね。
842 :
ネコの味方:2007/11/22(木) 18:40:58 0
>>826 じいさん
でも、それは
>>839>>840が言うように“質感”抜きの赤でしよう? そこに
科学的記述の特長と限界を指摘できるのでは? もっとも“質感”をそのまま
記述できないのは科学にかぎりませんが。
問題は“サンタクロースの赤”である。これは機械氏の言う指向的クオリア
でしょう? これは赤の“赤さ”を保持しつつ、意味(言葉)と結びついている。
貴兄の言う「個人差」がみられるのは、こちらのほうでしょう?
しかし、これは“質感”なのかというのが私の疑問。
最高位はクオリアに詳しかったが、彼の見解も訊いてみたいものである。
843 :
考える名無しさん:2007/11/22(木) 19:26:09 0
入り口と出口が同じだが道程がちがう=クオリアとするなら
原理的に我々は、他者の道程を知る事でクオリアの共有が可能な筈。
昔は、緑も青も灰色も「アオ」と言っていた。今でも信号の緑色は
「青」と言っている。
ってことはどう考えるわけ?
つ 「全国こども電話相談室」
846 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 00:39:15 0
>>844 言語は変化する。クオリアが変化しないことを約束するものではないけど。
847 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 01:13:06 0
言語の変化に沿うようにクオリアも変化するよね?
848 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 01:15:04 0
言語はラベル。
自分一人のラベルを貼ることも可能。
みんなが共有できるラベルを貼ることも可能。
さて・・ラベルを貼るべき対象は、一か?多か?同か?異か?
一人で貼るラベルも、
同じものに違うラベルを貼ってはいないか?
違うものに同じラベルを貼ってはいないか?
共有するラベルも、
同じものに違うラベルを貼ってはいないか?
違うものに同じラベルを貼ってはいないか?
いや、そもそも、貼るべき対象など存在するのか?
もしかして、
ラベルしかない、虚ろな世界に我々は住んでいるのではないか?
849 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 01:24:41 0
>>806 赤・・・単なる闘争心だろ。人間ギラギラしていたいものだが。
・・・・灰色感覚はやめましょうね、中に金が混じってるなら兎も角も。
共感覚とは数字に色を感じたり、音に色を覚えたりする感覚でしょ。
結局、つまりだね、赤の色を感じる脳は、力とか闘争心、野心を
担当する脳領域でもあるのかもしれない。
までも、天才的な俺様の判断では、形を判断し色を判断し質感を
判断し重さ硬さ・・・それぞれを判断する脳領域は脳内の各所にお
よび、その各々の情報を統括するのはまさに脳内の記憶。
データー処理だと思うよ。
まぁ、コンピュータ工学を知らないキミ等に何も理解できないと思うけど。
850 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 01:33:25 0
>>848 ラベルに像が伴えば完璧。像が伴わない人はやけに多い。w
赤には闘争、野心、力を。
個人が吐くささいな言葉の選択子に興味を
持つと、その人の本質が垣間見れます。
俺は、ではなく僕はであり、私はであり、・・・。
851 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 01:51:00 0
>>847 んなこたーない、と思う。根拠はないけど。
挙げるとしたら、「どう言葉にしていいか分からない」って状況かな。
クオリアに言葉がフィットしてない、という状況はあっても、逆は無いから。
852 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 01:56:17 0
ところで、クオリアの変化とは?。
なに?。
赤色≪らしい≫赤とはつまりクオリアの変化か。w
着いてこれる奴いるか?。
853 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/23(金) 01:59:23 0
>>766ちゅうさん
これは「意識の方向性」というものではないでしょうか。
機械さんの指向性クオリア云々にも近いものがあると思います。
854 :
考える名無しさん:2007/11/23(金) 02:24:38 0
>>852 「?。」という書き方について行けません。
いいかげんクオリアを離れなさい、ろくでもない。
856 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 08:40:49 0
>>852 >ところで、クオリアの変化とは?。
いわゆる、その、「慣れ」ってコトじゃないすか。
特に「におい」にはすぐ順応して同じ「におい」には
飽きてしまう。
色は匂えど散りぬるを・・・。
857 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/23(金) 09:37:58 0
>>824 じいさんの主張は以下ではなかったの?
「質感は個人によって異なる、その人の過去の人生(記憶)や肉体的精神的個性によって異なるからだ。
その違いこそ「私」に他ならない。」
これならその人の質感を記述すれば「私」を記述したことになるでしょう。
他ならない「私」以外にまた別の「私」もいるということ?
「他ならない」というならそれが「私」の本質・本性でしょう。
「赤」と「red」は違うクオリアだな
859 :
考える名無しさん:2007/11/24(土) 00:30:33 0
「同じ」「違う」というか集合の範囲の違いのような気も。
そもそもネイティブと学習者でも言葉のとらえ方は違うだろうし。
言葉という物がとてもデリケートで移ろいやすく、なのに言葉を通してしかクオリアを議論できない、
というのが話をややこしくしている。
これはあなたに分からない、僕しか分からないという時は大抵、
そこから連想されたものの違いを指してるね。
861 :
考える名無しさん:2007/11/24(土) 15:35:56 0
>>842、
>>857 じいさんに議論内容を理解する能力などないから。
論理を理解できないので、内容を理解できないまま誤読してしまう。
>>826でも茂木を誤読してるし。
「赤とサンタクロース」が「切り離せないその人の個性」って
クオリアについて根本から誤解しているんだ。
これでは、議論に参加する資格すらないだろ。
意味内容を理解してないのだし。
862 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/24(土) 17:42:09 0
>>853 >これは「意識の方向性」というものではないでしょうか。
「これ」が何を指向してるのか分からないんですが。
「意識の方向性」とは「意識の志向性」のことでしょうか?
これなら意識は何かについての意識であり必ず志向性をもつ
といわれている。
それとも唯識なら、たとえば眼境(光)と眼識(色)の違い
と言うことですか?
指向的クオリアなんて分からない。嗜好的クオリアならある。
863 :
考える名無しさん:2007/11/24(土) 19:59:00 0
じいさんの
>>828も意味不明だな。
「言論的転回」って意味も知らないで語っているのだろうな。
指向性クオリアは不明確な存在であるとはいえ、基本的な色を見るとか音を聞くなどは、
障害がない限り、同じように知覚するんじゃないの。そして基本的な知覚は機能として先天的でしょう。
じいさんは、本当に「質感」を理解しているのだろうか。いままでの発言を見ると期待薄だね。
言語学の知識も全くないくせに、>828みたいな事を書いてしまっているくらいだからな。
判っているのならいいんだが、内容を無理解のまま語ろうとするから、文脈のなかで術語を不適切に使ってしまうんだ。
じいさんがクオリアを知っているとは到底思えないが。忠告しとくけど検索して斜め読みした程度では誤解するぞ。
おそらく、他のサイトなんかから、前後の文脈を無視して抜き出し、自分勝手に解釈しているのだろうが、
基本を疎かにして適当にかたるから、馬鹿に見えるんだよ。いい年して恥を知れってことだよ。
864 :
考える名無しさん:2007/11/24(土) 20:23:47 0
訂正
>「言論的転回」
「言語論的転回」
指向性クオリアって機械の用語でしょ。
意味はよく知らんけど。
多分茂木の志向的クオリアと同じと思うけど。
ていうか志向的クオリアって言葉自体が茂木独特の用語で他に誰も使ってないみたいだし。
茂木は現象学からカンニングしてるキガス
867 :
考える名無しさん:2007/11/25(日) 08:14:30 0
茂木ってアタマ悪杉
868 :
考える名無しさん:2007/11/25(日) 09:59:01 0
>>865 未だにクオリアという概念の必要性を感じないのですが・・・
不勉強な私に誰かクオリアの利点を説明してください。
869 :
考える名無しさん:2007/11/25(日) 10:06:56 0
で、けっきょく私とは何なの?
870 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/27(火) 00:40:32 0
>>862さん
五感と意識間のフィードバックの方向性といいますか
なかなか表現が難しいのですが。
871 :
考える名無しさん:2007/11/27(火) 01:00:00 0
「私」を記憶してください。
忘れないでください。
眞鍋かをりは国会議員を目指してると思うんだよな。
たまに丸川珠代のような表情になる。
873 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/27(火) 08:49:15 0
>>870 また揚げ足取りするとしかられそうですが
「フィードバック」なら「フィードフォワード」
の反対ということで既に方向は決まってるのではないか?
意識と五感ということだと、唯識さんならすでにご存知と
思うが「現量」と「比量」の違いというコトでしょうか?
五感による直接のなまの知覚による判断が現量で、それらと
記憶などを基に意識で推理した判断が比量なんですが。
874 :
考える名無しさん:2007/11/27(火) 09:22:33 0
良くいるよね。「・・・さんならご存じと思いますが」と前置きして自分の知識をひけらかす奴。
875 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/27(火) 12:49:19 0
>>842 :ネコの味方:
指向的クオリア と言う意味はよく判りませんが偏りとかバイアスと言うことがある。
個人の質感の偏り(嗜好)が個性であり「私」を他人と分かつものである。
876 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/27(火) 12:58:32 0
>>848 :考える名無しさん:
>いや、そもそも、貼るべき対象など存在するのか?
問題は一度ラベルを張るとそのラベルが一人歩きを始める。
そしてあたかもそのラベルが実在するかのごとき錯覚に陥る。
これが意識の不思議で「観念論の誤謬」である。
その典型が「自然科学」と言うラベルであり、「科学的真理」と言うラベルである。
「私」ももちろんそうである、「私」については更に「私が私を記述する」と言出だすことがある、このスレのように。
いわゆる自己言及のパラドックスである。
>
877 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/27(火) 13:05:04 0
>>857 :ちゅう ◆
>「他ならない」というならそれが「私」の本質・本性でしょう。
それがどっこいそうとはいえない。
他人から自己を弁別できたとしても「私」の本質とはならない。
たとえば日本人と外人を峻別しても「人」の本質は出てこない。
自分独自の質感は判ってもその感じを感じている主体そのものには届かない。
たまねぎの皮をむくようなもの、群盲巨象を撫でるだ。
878 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/27(火) 13:17:15 0
>>863 :考える名無しさん:
>障害がない限り、同じように知覚するんじゃないの。
ぜんぜんわかってないぞ。
同じ様に知覚する人間なんて一組もいないぞ。
この前もTVでやってたぞ、暗算の名手の計算中の脳の働きは一般人とは全く違う。
現在の大まかな脳の観測でも全く違うことが判る。
もっと精密な脳内の神経の観測が可能なら、「赤さ」の感覚の刺激の伝わり方が脳内で物理的に千差万別だと判るはず。
ならば物質に規定されるところの意識の違いは当然だろう。
879 :
考える名無しさん:2007/11/27(火) 16:30:35 0
じいさんは勉強不足だから、一般的教養を学んでから参加した方がいいよ。
単純な感情論で主張しても、根拠と説得力に欠けるので無意味。
学問的な基礎がないと、哲学議論にはなり得ない。
随伴現象が二元論を前提としているも知らんみたいだし、物理領域の因果的閉鎖性も知らない。
認知科学を根本から判っていないな。
>>876>>877情緒的すぎて意味不明だし、支離滅裂だ。
>もっと精密な脳内の神経の観測が可能なら、「赤さ」の感覚の刺激の伝わり方が脳内で物理的に千差万別だと判るはず。
>ならば物質に規定されるところの意識の違いは当然だろう。
脳の情報処理過程を解明できるといったり、できないといったり。
>>592、
>>594、
>>636、
>>646、
>>703、
>>705、
>>735、
>>878 矛盾していることが、判っていないな。
>>877 >
>>857 :ちゅう ◆
> >「他ならない」というならそれが「私」の本質・本性でしょう。
>
> それがどっこいそうとはいえない。
いやいやwそう言ってるのはじいさんあんただからw
質感の違いが「私」に他ならない、ってあんた上の方で言ってるじゃんw
ちゅうはそれに突っ込んでるんだろ。
突っ込まれたからって必ずしもボケなくていいからw
881 :
考える名無しさん:2007/11/28(水) 00:01:02 0
自演か
882 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/28(水) 00:45:51 0
>>873ちゅうさん
>>762>>767さんの疑問を受けて
それなりに答えたつもりでしたので
的外れな書き方であったならばご容赦を。
三量(ちゅうさんは二量という考えですか?)が出てきましたが
これを「私」に当てはめるには少し難があるかと思います。
現量の私、比量の私というようにならないかと。
883 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/28(水) 07:43:01 0
>>882 >三量(ちゅうさんは二量という考えですか?)
ええ、ちゅうは現量、比量の2量説に賛成します。
ちなみに3量は「経量」を追加するんでしたっけ?
クオリアにも現量と比量の違いがあると思う。
意識を原意識(現量に対応)と高次意識(比量)
に対応させるとクオリアもそれに対応したクオリア
が有るように感じられる。
「私」のことをちゅうに聞くと「一切法空」の立場で
すから「私」の実体は無いとなります。
884 :
考える名無しさん:2007/11/28(水) 19:38:27 0
日本語でお願いします m(_ _)m
885 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/11/29(木) 02:17:55 0
>>883ちゅうさん
それは初期仏教の「経量部」の経量ではないでしょうか?
唯識でいう三量は、現量、比量に加えて非量を以って三量とします。
これらを、前五識、意識、末那識、阿頼耶識でどう観るか。
素人さんとも話しましたがクオリアと呼ばれるものが
前五識、意識間(想蘊?)であれば、
これら三量のうち比量、非量がほとんどを占めるのではないかと。
あまり仏教用語連発ですと他の方に怒られそうですので・・・。
最近、最高位さんが来られませんが
最高位さんの「私の存在性」と唯識はまったく無縁ではないと思うんですね。
しかし、ちゅうさんの仰る通り、一切法空であり、無自性であります。
これを仏教用語を避けて説明するとなるとなかなかに難しいものです。
886 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/29(木) 08:42:23 0
>>885 >あまり仏教用語連発ですと他の方に怒られそうですので・・・。
了解しました。
といいながら、「非量」と言うのは「判断できない、不可知」
ということでしょうか?
仏教用語というより漢字用語は表記が大和言葉にくらべて短いし
漢字が表意文字だから知らない言葉でも意味を推測しやすいので
ついつい使いたくなってしまう。自戒しなくちゃ。
「私の存在性」も「意識」の問題でしょうから当然、唯識や唯脳論
や脳科学とも関係あるでしょうね。
最近「脳は空より広いか 「私」という現象を考える」(エーデルマン著 草思社)
を読んだが「物理現象は因果関係において閉じている。「意識」はその因果関係
には影響を及ぼせない」という説で、いまいち意識すなわち私の現実世界への
影響がわからなかった。
887 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/29(木) 12:33:08 0
進化が意識を生む方へはたらいていったというのは、おどろくべきことである。
はじめの生命にも意識は存在するのだろうか。それは、生命現象に付随する、何かの
おまけのような物か、相即なものか。物理構造による生命と意識の構成を考えると、
まさに神業である。誰かがデザインしたようにしか思えない。
888 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/29(木) 20:02:42 0
>進化が意識を生む方へはたらいていったというのは
そうだよね。意識が進化で生じたなら逆に意識は進化に影響を
あたえなければならないだろう。だから意識が物理的(生物的)
因果の中に入ってこなければならないと思うのだが。
神経ダーウィニズムのエーデルマンは意識は因果に作用しないという
のだから良く分からない。意識は神経プロセスの「現象変換」によって
生じる、と言うことだが意識が神経プロセスに作用できなければ進化
にも寄与できないだろう。
意識されるクオリアは完全ではないが言語化されるのだから言語を
表現するためには身体を制御・操作できなくてはいけないはずだ。
その身体を制御するのも意識的運動で神経プロセスが必須だろう。
889 :
考える名無しさん:2007/11/29(木) 23:03:59 0
>進化
正確には「変化」だろ
なんだよその「進」化てw
890 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/11/30(金) 11:40:18 0
一回限りの変化じゃどうしようもないだろ。
変化が継続して進むから「進化」があるだろ。
なんかへんか?www
891 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 15:38:46 0
>変化が継続して進む
諸行無常・・すべての事物は変化し続けるのよ
なに当たり前のこと言ってんだよドアホw
んで、「進む」ってなに?
「どこに向かう」事を進むと言うんだ?言うてみれw
892 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/30(金) 16:50:05 0
永遠の生命をもつものなら変化で正しいでしょう。個体ごとの断絶
があるから、ある点から次の段階に進む、「進」化という単語が作られる
事になったのでしょう。
次の段階が決まっているような言い方ですね
894 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/11/30(金) 16:58:24 0
>>893 今という時点から見れば、決めることは(解釈することは)できるでしょう。
退化という言葉も使われるのが紛らわしいですね
蛇はトカゲから進化して足が退化した
「変化」より多くの説明をしてるよ
897 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 18:38:58 0
>>896 だから進化/退化の「進」「退」の各々の意味(定義)はなによ?
それ分からずにその言葉使ってるだろw
>>897 わかってるなら自分が定義してみりゃいいだろうが。
定義よりも寧ろ
各語(各文字)が持つ「イメージ」の方が重要だろうなw
あぁ、
ツッコミを避ける為に言い直しておこう。
各語(各文字)が喚起する「イメージ」の方が重要だろうなw
>>898 アホかw
正確には「変化」だって言ってるだろこのアキメクラ
「進」化だの「退」化だの糞なんだってばw
事物は「変」化するだけよ
903 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 22:25:56 0
>>902 何を教えて欲しいのか、もスコシはっきりモノ言えタコw
904 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 22:44:40 0
>>901 本当にダーウィンの進化論しらないんだ・・・。
905 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/30(金) 22:50:05 0
>>880 :考える名無しさん:
よく読んでほしい、繰り返すが{「私」に他ならない}が言えても「私」の本質は判らないし説明できない。
906 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/11/30(金) 22:56:16 0
ダーウィンの進化論の進化には「進化(進歩)、と退化」の両方の意味がある。
これは「進化」と言う言葉は「進化論」の訳語だからだ。
私は不適切な訳語だと思う。
ニュアンス的には「展化」と言う感じらしい。
要はアメーバから人間が繋がった変化だと言うこと。
907 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 23:22:21 0
908 :
考える名無しさん:2007/11/30(金) 23:31:08 0
>>904 ダーウィンだの進化論だの、そんなの関係ネ〜〜 !!
「事物は変化する」それだけのことだ
誰であれどんな論であれこの事実は超えられない
わかったら寝ろってw
909 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 00:28:36 O
ひとの話もちょっとは聞けよ
910 :
sp:2007/12/01(土) 04:59:04 O
頭かたいね。
おま、試しに合コンで言ってみろよ
908「事物は変化する、それだけのことだ〜」
女の子「は?」
908 「誰であれどんな論であれこの事実は越えられない!」
女の子「あのー、無理矢理自分の意見押し通そうとして、あんた体育会系?(笑)」
908「いいえ、文系です」
女の子「別に進化する、退化するとも言えるじゃないの。あんたちょっと黙ってて!」
908「あ、はい、ごめんなさい・・・」
911 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 08:59:04 0
>>908 まあ釣られる気分でマジレスしてみよう。
そんなことは誰でも知っているし、誰もがその枠の中での話をしているし、そんなことを話し合っても何の意味もない。
お前のやってるのは例えば、かけ算の話をしている時にずかずか入ってきて
「1+1=2なんだよ!この法則は誰にも変えられないんだ!」
って喚くようなことだ。
はいはい知ってますよ。だってそれがないとかけ算成り立たないし。
912 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 12:35:51 0
>>911 オマイ愚か杉w
もし「変化や差異の発生」と言うべきところを「進化・退化」と断じてしまうと
進んでいる=肯定的・容認的・支持的・応援的・肯定する言い回しであるからして
では何をもって進んだ変化と断じるのか?断じる根拠は何か?という論議を呼んでしまう
「進化」は主観的評価言葉だってことなのよ
このことは「遅れてる」という語が否定的・知恵遅れ的、劣等的、侮蔑的な変化で
あることを考えればすぐわかるはず
いらぬ決め付け、不要な装飾、人によって評価の異なる分類なのよ
だいたい学問や哲学に形容的表現はその曖昧さゆえ馴染まないのよw
913 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 12:44:12 0
>>912 んなことはない、
全部おまえの思い込み、どのように解釈しても根拠が
俺根拠であり自分の定義が間違いないと主張しているだけとおもわれ
おまえ定義はわかったが、それを押し付けるなよ。w
914 :
考える名無しさん:2007/12/01(土) 13:03:21 0
天動説対地動説の論争に似てる
「進化」「退化」という言い方に価値判断がともなっているのはあたりまえ。
そしてそのようなという言い方によって大衆が誤解するからやめたほうがいいというのも
昔からいわれている話。
自然科学者は社会進化説のような価値判断には与していない。
単なる学術用語としてニュートラルな意味で使用している。
と思いたい。
917 :
考える名無しさん:2007/12/07(金) 19:00:22 0
>>906 生物全体を問題にした時、「展化」という訳語は上手く言い表していると思うが、
種別の変化の度合いを考えたとき、「進化」という言葉を使わないと上手く言い
表せないとおもう。魚は進化の終点まで来ている、などのこと。
918 :
考える名無しさん:2007/12/07(金) 19:46:47 0
アホかw
変化に終わりは「無い!」
. ( ゚д゚)
( つ旦0
と__)__)
920 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2007/12/23(日) 16:51:06 0
ここか・・・一応 こっちにも貼っとくぞ。コピペだけどな。
おーい 最高位ってひとー。ちょっと考えたんで聞いてくれ。その前に 神ー、しばらくだなあ。また来たよ。
ところで最高位さん あなたは「私」ってことにこだわりがあるようだ。宇宙で唯一無二の「私」って話なのかな?
この板の住人じゃないんで 事情に疎い。 そこんとこは我慢してくれ。
そこでね こんなこと考えてみたよ。
人間ってのは少しぐらい脳が損傷しても復帰できることがが多いだろ?だから脳が半分でも生活できる可能性は高いわけだ。
でね、俺の頭をかち割って右脳を取り出して 左脳だけにするんだよ。そのとき俺の能力には多少変化はあるだろうが、
「私」を喪失するまでには至らないことが想像出来るだろ?で、俺には一卵性の双子の弟がいるんだよ。もちろん仮にだが。
そこでこの弟の脳を前部取り出して 俺の右脳を移植する。一卵性の双生児なので拒絶反応は起こらない可能性が高い。
さあ これで 「俺」が2人になったわけだ。この話はどこかおかしいところがあるのかな?良かったら教えてちょ。
921 :
考える名無しさん:2007/12/23(日) 22:08:43 0
だめだ。救いようがない。
922 :
考える名無しさん:2007/12/24(月) 18:19:37 0
>>918 ダーウィンの進化論で言う「進化」ってのは、環境適応に対して+(ポジティブ)かどうかってことで、
それをどう捉えるかってのはあくまで個人の認識の問題でしょ。嫌だったら自分の定義を断り書きして
語を変換すればいいだけの話。
>>920 脳梁切断実験の話を思い出すね。
923 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 16:53:52 0
哲学者最高位への反論
まず、私の存在性については、「我思う、ゆえに我あり」の唯我論によっていますね。
唯我論の否定は、私の死後にも世界が存在しつづけるという大多数の信仰によって、
論理的ではないにせよ、支持されています。
それでも、確かに私は存在するのは事実です。
唯我論を論理的に否定するためには、他者の脳を解体して、
意識の存在を発見しなければなりません。
現在では、これは不可能です。
最高位はそれをもって、私の存在性を否定することは絶対に不可能なのだと論じています。
しかし、脳科学の現状を見るに、特定の電気刺激に対して、
被験者が常に決まった反応を示すように実験が近似しつつあるのは確かなように思えます。
924 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 16:59:31 0
ログ読んだら?
唯識によって敗走してるじゃんw
925 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 17:03:23 0
>>924 数学者のふくろ叩きにあって、研究が頓挫したっていうあれ?
その論争の具体的なソースがあればなあ。
926 :
923:2007/12/26(水) 17:11:55 0
おれの勉強した範囲での、デジタル生命や大脳生理学の内容では、
たしかに自由意志が否定される方向で近似していったんだよ。
九十年代前半までだけど。
脳科学の飛躍的進歩はそのあとにあったらしいから、
数学者にどう叩かれたのかわかんないんだよねえ。
927 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 17:13:22 0
そんなことあったんだw
いずれにしても最高位は唯物論なしじゃ議論できない
928 :
923:2007/12/26(水) 17:23:08 0
ちなみに、ログのどのへん?
ひろゆきにお金は払いたくないから、その範囲で検索できる?
929 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 17:31:43 0
本スレでも隔離でも同じ事言ってるからなあw
大論争になったんなら本スレだと思うけど。
ひろゆきが嫌ならスレタイで検索してアドレスを過去ログ検索サイトに入れるしかないんじゃない?
それにそこまでする必要あるのw
930 :
考える名無し:2007/12/26(水) 20:49:36 0
知・情・意(猿より高等な。又、猿より劣る)と 肉体の総称。
他人のいない私はない。
932 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/28(金) 09:01:50 0
>>920 さぁね
どうなるかは知りません
しかしあなたは
物理的に離れた二つの肉体を
一人で、同時に所有できると考えているわけですか??
いや
まずそれは有りえんでしょう
唯物的に考えるなら、尚更それは有りえん事です
933 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/28(金) 09:05:39 0
>>923 全く基礎的な事が整理されていませんね
>まず、私の存在性については、「我思う、ゆえに我あり」の唯我論によっていますね。
「我思う、ゆえに我あり」は唯我論ではありません
すでに最初の出発点からして間違えています
>それでも、確かに私は存在するのは事実です。
うむ
これは正しいです
その、確かに存在している『私』を、物理的要素に特定して下さい
という話であってね
要するに、「存在性」と物理的構造の関連性 という話なんですよ
>しかし、脳科学の現状を見るに、特定の電気刺激に対して、
>被験者が常に決まった反応を示すように実験が近似しつつあるのは確かなように思えます。
だから、こういう「精神活動」の話ではないわけです
「存在性」と、その存在性の「精神活動」
この違いが、理解できていないわけです
そこが理解できるかどうかが重要です
現代哲学的問題意識を理解できるか、前時代的哲学に留まるか の一つの境目でありましょう
>>932 >しかしあなたは
物理的に離れた二つの肉体を
一人で、同時に所有できると考えているわけですか??
いや
まずそれは有りえんでしょう
いやレスありがとう。俺も物理的に離れた肉体を一人同時に所有できると考えていない。
物理的に離れた時点で2人の人格だろう。
2つのうち どちらが「私」であろうかと「私」は悩むのではと 君なら考えるかと思ったのだ。
君の言う「私」の「存在性」と この双子の話は全然関係ないらしい。じゃましたね。
935 :
イクストル:2007/12/28(金) 19:25:00 0
もっと厳密に物理的に述べるならば
『決定論:脳は物質なので意識は存在しない』
になるのではないだろうか?
つまり、私やら意識やクオリアというのは誰にも存在しない、仮に在るというならそれは
インクの集まりである私やブラウザの光である私や
声帯の振動だったりするだけで、厳密に唯物論の立場をとると
私というのは音の振動や紙の上のインクです、となるのではないか?
つまり脳から意識が発生するというなら、既に厳密な唯物論からは外れてると思う。
しかし、なぜかこの脳から意識が発生するので
全ての人間に意識があると考える。これは人間原理ではないでしょうか?
なので、その厳密ではない人間原理的な唯物論の延長で
最高位氏の述べるような意識・私の『神秘性』を説くのは
まさに人間原理の基本ではないかと思います。
つまり、この私にとって、この私・このクオリアは非常に重要な問題なので
唯物論に妥協せずにこの私の神秘性を考えるのは
非常に共感します
936 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 19:42:42 O
もうさ、唯物論なんか捨てようぜ。前世紀に死んだものじゃん。いまさら、死骸にしがみついてどうすんの?
937 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/29(土) 02:23:21 0
>>935 >もっと厳密に物理的に述べるならば
>『決定論:脳は物質なので意識は存在しない』
>になるのではないだろうか?
その通りだと思いますね
物体が物理現象に従うままに現象しているだけであるのならば
ただ、ガッチャンガッチャンとやっていればいいだけの世界であって
そこに価値や、目的性などありえません
だから以前は、進化論の議論をする時には、その事が論点になっていました
唯物論者は、進化に目的性などはなく、ただ単なる偶然の産物なのである と徹底して主張していました
それが唯物論の唯物論たる所以だったわけです
しかし私は、それらを完全に論破しましたので
今、私に絡んでくる唯物論者の中で、そんな事を主張してくる人は一人もいません
なんだか唯物論を誤解している人ばかりです
唯物論を理解していないのに、何を勘違いしているのか、自分は唯物論者なのだと思い込んでいる間違えた人達ばかりなのです
歴史的に繰り返されてきた、議論の内容、経緯、観点というものを、全く理解していない人ばかりです
>つまり脳から意識が発生するというなら、既に厳密な唯物論からは外れてると思う。
>しかし、なぜかこの脳から意識が発生するので
>全ての人間に意識があると考える。これは人間原理ではないでしょうか?
>
>なので、その厳密ではない人間原理的な唯物論の延長で
>最高位氏の述べるような意識・私の『神秘性』を説くのは
>まさに人間原理の基本ではないかと思います。
あなたは、私の方向性、観点が
歴史を通じて争われてきた哲学的議題に基づくものであり
完全に基礎を押さえた哲学の王道なのだという事を理解できているようですので
ここではかなりの常識人です
普通に理知的な考え方ができる人は、ここにはめったにいませんから(苦笑
>>937 >そこに価値や、目的性などありえません
ということは、コンピュータ上の仮想空間で作られた生物が、
価値や目的性を持ったら、君の主張は否定されるというわけか。
逆にそうではなく反証可能性がないというのなら、妄想に他ならない。
939 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/29(土) 02:42:11 0
>>938 あなた、頭がおかしいようですよ?
そんな事は、病院の先生に言って下さい
>>939 反論できなくなるとすぐこれだ。君は哲学的な思考に向いてないよ。
941 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/29(土) 02:58:37 0
>>940 >>938←コレが哲学的だと思ってる基地外さんですか?
それは単なる、SF的妄想 というものですよ
その妄想を、根拠も無く
真剣になって人にぶつけて来る人を、私は普通の人だとは思えません
最高位は人工生命については無知のようだな
943 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 04:59:10 0
>>938 >コンピュータ上の仮想空間で作られた生物が、
>価値や目的性を持ったら、君の主張が否定される
釣りだとは知りつつ、哲学板で初めて噴いたw
944 :
イクストル:2007/12/29(土) 05:58:08 0
>>937 まあ、決定論・唯物論も成立するので間違ってはいないと思いますが
人間一個人として考えると、「本物の哲学的ゾンビか?」
としか思えない様な発言をするので驚きます。
一個人にとっては、<この私>に関すること、クオリアの根源的問題などが
一番重要な事だと思うんですよ。
決定論だろうが何だろうが
<この私>と物質(脳)に関する法則が違ったり変わったりしたら、
例えば決定論者の機械氏の<私>やクオリアが
非決定論者の脳から発生したりと
自分がどの論を主張するかまで変わるので、<この私>と物質(脳)の解明、すなわち
最高位氏の述べるような私の『神秘性』こそ
最重要だと思います。
945 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/29(土) 10:45:07 0
>>944 本物の哲学的ゾンビ というものは、主観性が無い
という設定ですので
これが要するに、本物の唯物論的世界観における人間である という事になりましょう
また
複雑になれば主観性が発生するのだ という
なんとも曖昧な考え方によって唯物論が正しい可能性は維持されてきたわけですが
ここにきて、それは完全に否定されたわけです
いくら複雑にしようとも、『私』という主観性は発生させる事は不可能であり
すなわち複雑さと主観性は、全く次元の異なる問題である事が明らかとなったわけです
このように順を追って厳密に考えていけば
唯物論が、いかに前時代的な古い思想であるかが理解できるでしょう
唯物論が遺物なのはわかるけど主観は群れで生活する哺乳類には普通にある。
逆に言えば単独で行動する猫科の動物に主観があるかどうかわからん。
子育てする動物には主観を認めてもいいかも知れん。
子離れするまでは一心同体のように振る舞うが子離れの儀式はある。
主観も成長に伴い通過儀礼のようにして確立していくのかな。
949 :
イクストル:2007/12/30(日) 05:59:14 0
>>945 その様ですね。他にも、個人の意見ですが
ある物理的状態が複雑かどうかを決めてるのは
人間の五感であり、理論ではないと思うんですよ。
電子一個と脳の複雑さの違いは存在しますが、その違いが
大きい事なのか小さい事なのかというのは別で、クオリアを発生させるのに
電子一個だから単純で無理、脳だから複雑で可能といった論は
人間原理でしかないと思うんです。純粋な唯物論ではないと思います。
ところで最高位氏はどのように<私>を解明しようと試みてますか?
思うに、<私>に関する法則を突き詰めていくと
「なぜ宇宙は存在し、このようになってるのか?」
といった根源的な問いに行き着き、これは
唯物論者だから分るとか唯識論者だから分るとかいう類の問題ではなく
果たして哲学で分るのか?という類の問いだと思うんです。
あまりにも難しすぎるのでお手上げで、信仰に頼るしかないとも思えます。
950 :
中二病(´・ω・`)ぶち殺す!:2007/12/30(日) 06:44:13 0
>>945 >複雑さと主観性は、全く次元の異なる問題である事
残念だったな、低能哲学最高位。
異なる次元であるという唯物論もあるのだよ。
最高位の立場は心霊主義と独我論なので、そんなトンデモな立場から
唯物論を攻撃されても痛くも痒くもないのである。
952 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 07:22:26 0
>>949 複雑になれば というのは、言い方を変えれば
主観性が発生する『構造』なのだ という考え方なわけですが
これまた、いかなる『構造』によっても、『私』を発生させる事は不可能である
という理屈により、却下されます
>ところで最高位氏はどのように<私>を解明しようと試みてますか?
それはもう、論理性による事実を積み重ねる以外にないでしょう
解明 と言いますが
『私』というものは、純粋な存在性であるが故に
原因性そのものと関連性がなく
何かが組み合わさってできている というような種類の存在ではありません
「あってあるもの」という言い方がふさわしく
その存在様式は、神とも並行するような形で存在しています
これもまた、論理的な事実であります
そういう事実は事実のままに受け入れたまま、つながる論理性を探求し構築していく以外にないでしょう
953 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 07:26:01 0
>>950 >異なる次元であるという唯物論もあるのだよ。
「あるのだよ」つったって
それでは全然
何の説明にもなっていませんよ?
>>951 それでは全然
何の反論にもなってませんが?
というか、丸っきり理解できていませんねぇ
心霊主義でも独我論でもありません
ただ
「私は存在するのだ」という厳然たる事実を元に、考察を深めているだけです
霊がどうのとか、自分だけが存在しているのだ などと一度も言った覚えがありません
もっと人の話を、ちゃんと聞きましょうね
ヒジョーに、浅はかですよ
954 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 07:46:32 0
>>953 >「私は存在するのだ」という厳然たる事実を元に
「私」の定義と、私がどのように存在しているのかを書けよゴミ
955 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 08:09:52 0
>>954 >「私」の定義と、
定義したりする主体そのものかな
>私がどのように存在しているのか
どのように というのは二の次の話
存在してるという事は、いかにしても否定できないんだよな
956 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 08:26:51 0
つまり聞かれても解りませんってこったな。
957 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 08:30:19 0
>>956 いや
質問が的外れってこったな
唯物的に答えて下さい と言われても
そりゃ無理ってもんだよ
唯物論は、間違いだもん
958 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 10:32:18 0
唯物的に答えてくださいって
おまえがしてた質問だよなあwww
959 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 10:55:50 0
>>958 唯物的に説明のつく問題ではない という事が理解できるよな?
960 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 11:02:39 0
つまり答えられないってことだなwww
961 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 11:07:09 0
>>960 うむ
だから、唯物論は間違いだ という事だよ
962 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 11:09:48 0
どうやろうとも他人の考えは否定できないんだよなあ
残念ながらw
くやしいのうwww
>>961 唯物論抜きで語れない時点ですでに負けてるんだよ。
964 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 11:12:56 0
アホには理解できんのだよなぁ
バカって悲しいね
965 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 11:14:27 0
はいはい
哲学者敗北宣言乙www
966 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 11:14:41 0
>>963 負けてるって、誰に?
少なくとも、唯物論者には完全勝利しているからいいよ
説明しなくてどこが哲学なんだよ
私教の布教は成功しませんでした。
968 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 11:21:49 0
>>967 賛同者がいんさいんだからさあ
自分で私オナニーしてろwww
969 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 11:28:26 0
>>965 はいはい
バカ宣言乙
>>967 説明しただろバカ
唯物的には説明がつきません とね
おまえも説明できないんだろ?
しかし『私』が存在している事は、どうやっても否定できないだろ
唯物的に説明できない存在があるんだから
だったら唯物論は間違いだろ
唯物論は「人間の精神は物理現象にすぎない」と主張してきたんだからさ
唯物的に説明ができるんだったら、やってみろや
971 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 11:31:55 0
>>970 反論できないくせに、ホントに頭おかしいのか?キミ
972 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 11:32:01 0
>>969 おまえがやれや、屑が
ああ屑はなにもできんかwww
973 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 11:34:57 0
>>969 いい加減に唯物論と切り離して考えられないのか?
それができたらまともに聞いてもらえるんじゃないのか?
974 :
Ndori:2007/12/30(日) 11:37:01 0 BE:518168636-2BP(0)
私とは世界の中心であり、世界は私を中心に回っているのです。
と、考えていた時期が僕にも3秒くらいありました。
>>969 「ある」ということだけ分かればいいということですか?
その先には興味が無い、と。
別に、唯物的説明でなくてもいいじゃないですか。
1.「『私』がある」
2.「『私』はどのようにあるのか」
3.「『私』とこの肉体との連携は、いかにしてなされているのか」
と、考察が進んでいくのは自然なことではありませんか?
貴方は、1しか考えていない。
>>955で >どのように というのは二の次の話 と述べているように・・・。
その先を考えてみたらどうですか?
勿論、唯物的方向ではなく、もっと別の方法で・・・。
おお、まともな人が一人いるだけで空気が変わるw
977 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 12:07:43 0
>>972 おまえ、マジで頭悪いな
>>973 なんで唯物論は間違いだ と認められんのだ?
なんで、そんなに必死なんだ???
まず認めればいいだろ
>>974 丸っきり違う話だろバカ
978 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 12:08:49 0
>>975 >「ある」ということだけ分かればいいということですか?
はぁ?
そんな事はデカルトの時代から明白なんだよ
今更、何を言ってるんだね?
そっから先は、『私の存在性』の話
>1.「『私』がある」
>2.「『私』はどのようにあるのか」
>3.「『私』とこの肉体との連携は、いかにしてなされているのか」
>と、考察が進んでいくのは自然なことではありませんか?
>貴方は、1しか考えていない
1しか考えていないわけないだろバカ
ホントに読解力ないな
キミ、素人くんだろ
>2.「『私』はどのようにあるのか」
どのようにしてあるか といえば
今現在わかっているのは『純粋な存在性』として、ある という事
すなわち唯物的に説明のつく問題ではなく唯物論は間違いであった
という哲学的大問題に対する答えが、副産物的にではあるが、明確になったわけなんだよ
なんで歴史的に争われてきた大問題に対する答えが明確になったのに
キミらはその重要性を必死で無視しようとするのかね?
まず認めりゃいいだろ
なんで、それをせんのだ?
反論があればすればいいし、認めたくなけりゃ考えろ
キミのやっている事は、話のすり替えにすぎない
>>978 論に間違いなんざねえ
要はてめえの理想を突き通すために布教してるだけだろうが
くだらんスレ汚しやめれ
>>978 唯物を使わないと説明できないから話をすりかえてるだけ
純粋な存在性なんてアニメみたいな言葉つかわなくてもいいんじゃないか?
981 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 12:22:12 0
982 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/12/30(日) 13:39:34 0
>>976 >まともな人が一人いるだけで
って、自分がまともじゃない事は自覚してるんだな(苦笑
>>979 >論に間違いなんざねえ
わけがわからんなぁ
キミは唯物論が正しいと主張してるんだろ
すなわち、反唯物論は間違いだ として、私に反発しているわけだよな?
反論できなくなったとたんに「論に間違いなんざねえ」なんて都合よすぎるだろ
わがままも程ほどにしろよ
>>980 >唯物を使わないと説明できないから話をすりかえてるだけ
アホか
唯物論は間違いだ と説明するのに、唯物論を使わずにどうしろというワケ?(苦笑
>純粋な存在性なんてアニメみたいな言葉つかわなくてもいいんじゃないか?
「純粋な存在性」がアニメみたいな言葉だって???
マジで頭イッちゃってるんじゃないのか?
まぁいいや
純粋な存在性という言葉を使ってるアニメあんの??
それ何? 教えてチョンマゲ!
983 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 13:49:28 0
984 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 14:16:05 0
「純粋なる存在」ならあった。w
985 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 14:47:59 0
ああ
美少女戦士セーラームーンに
「ピュアなハート」なんてのがあったな
酒鬼薔薇の得意なセリフだろ、「透明で純粋な存在」って。
最高位は酒鬼薔薇のような基地害か。
北川景子とか多部未華子か。
988 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 19:45:00 0
スピリチュアル・ナチュラル・ハートフル - 純粋な目覚めた意識
宣伝してやったぞ。礼言えやボケ。
989 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 19:49:01 0
もし私が人間でなくなっても、私が私であるなら……
というような最高位のスピリチュアルな話が大好き。
森高千里
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1000ならジュースでも飲むか
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。