1 :
考える名無しさん :
2007/09/12(水) 23:46:23 0
この人が好きな人って変な人が多いよね。 まねして失敗したりとか。
クリシュナムルティ好きが周りにそんなにいるってのが驚きだな
4 :
考える名無しさん :2007/09/13(木) 09:31:09 0
真理は組織化しえない
新しい茶葉?
6 :
考える名無しさん :2007/09/14(金) 23:52:49 0
禅やヨーガのように、方法を説くわけではないので理解されにくい。
7 :
考える名無しさん :2007/09/15(土) 00:08:01 0
好きな人は寧ろマトモに思える
内閣を放りだした安倍ちゃんとどこが違うのか
9 :
考える名無しさん :2007/09/15(土) 20:17:25 0
こうしなさいとか、強制するような話はあまりしていない感じがする。
10 :
考える名無しさん :2007/09/21(金) 19:39:02 0
5冊ほど読んでみたが、精神のレベル高すぎで2ちゃねらには 実践不可能に思えるが。実際のとこ人物としてどうなのよ?
12 :
考える名無しさん :2007/09/22(土) 11:59:11 0
13 :
考える名無しさん :2007/09/23(日) 07:55:19 0
14 :
考える名無しさん :2007/10/02(火) 20:37:42 0
この人と西洋哲学は両立するのだろうか?
15 :
考える名無しさん :2007/10/02(火) 21:00:40 0
シッダルタには及ばない。
16 :
考える名無しさん :2007/10/06(土) 00:18:42 0
17 :
考える名無しさん :2007/10/13(土) 20:53:05 0
クリシュナムルティを知ってる人が少ないね。
18 :
考える名無しさん :2007/10/13(土) 21:50:37 O
この人の尊敬していた人はブッダです。 因みに、この人の伝記にはブッダが彼の身体を媒体としていたような記述が あります。真偽は不明です。 ボーム繋がりでファインマンと彼の絡みはかなり笑えます。 意外なことにフリードマンが彼はかなり懇意にしてたみたいですね。 日本の仏教学者にはよく暗に批判されていますがあんまり 妥当な批判とは言えませんね。
この人の思想について何を語ればいいというのだろうか。 悟ればこういう美しい世界観を獲得できるかもしれないが、 悟れない凡夫は妄想と煩悩の中で生きていくしかないので、 妄想と煩悩をちょっと相対化した気分に一瞬浸れる程度だ。
21 :
考える名無しさん :2007/10/14(日) 20:25:50 0
著書を読んでる時は、気分には浸れるんだよね。
How To な解答を求める日本人には最も受け入れられないタイプ
22は彼に何を求めているの?
それは言葉にしたとたんに真実ではなくなるのです
25 :
考える名無しさん :2007/10/28(日) 03:43:51 0
自我は他者の自我のコピー
26 :
考える名無しさん :2007/11/07(水) 15:13:56 0
関係ないけど、ジャズの問題作、「直立猿人」は、すごいな。 意識が醒めるから一度聞いてみたらよいかと。 酔い覚ましに・・
27 :
考える名無しさん :2007/11/12(月) 15:51:24 0
クリ砂ムルティ
28 :
考える名無しさん :2007/11/24(土) 17:05:04 0
クリシュナムルティの邦訳されてる本のなかで、お勧めのもの・重要なものっていうと、 どれになるのかな?
30 :
考える名無しさん :2007/11/25(日) 19:39:41 0
>29 「人類の未来」(JCA出版)ボームとの対話が面白いよ。ボームだからこそ、こんな対話が成立しているんだよね。
31 :
考える名無しさん :2007/11/25(日) 21:02:46 0
32 :
考える名無しさん :2007/11/26(月) 07:31:26 0
「自我の終焉」 「生の全体性」 「自己の変容」
33 :
考える名無しさん :2007/12/01(土) 18:27:15 0
>32 ありがとうございます。 今生と目覚めのコメンタリー読んでますが、言葉の解釈が難しいです。 彼によると文化も否定されることになりますか?
「真理の種子」もいいね。
35 :
考える名無しさん :2007/12/02(日) 20:17:22 0
>33 誤訳が多くて意味不明だよね。
36 :
考える名無しさん :2007/12/02(日) 21:48:07 0
原語は何語?
37 :
考える名無しさん :2007/12/02(日) 23:15:32 0
クリシュナムルティは著作は全部英語じゃないの?
38 :
考える名無しさん :2007/12/03(月) 12:44:24 0
じゃあ、俺でも原作そのまま読めるじゃん。
40 :
考える名無しさん :2007/12/06(木) 13:08:20 0
41 :
考える名無しさん :2007/12/07(金) 18:32:00 0
ユートピアを描くだけなら誰でもできる。 というのが読後感だな。
読んでないクセに
問いの中に飛び込みなさい
44 :
考える名無しさん :2007/12/09(日) 23:40:40 0
kは解散後、講演や出版で生計を立てていたんですよね。 結局ビジネスをする以上、意志も自我もないとできないと思うんですけど、 またはすでに元神智学協会の救世主の器ってことで、 まわりがお膳だてしてくれたから、自分では何も行動を起こさなくてよかかった可能性もありますけど、 だとしたら、英語のWikiに批判が書いてあるように、”特権という立場を利用して”ってことだと思います。 また学校もたくさん建てているようですけど、これも意志なく勝手に建ったわけじゃないですよね。 実際100%意志も自我もなくなったら、この社会で生活していくのは不可能なんじゃないかと思うんですけど、 どうでしょう?
45 :
考える名無しさん :2007/12/10(月) 11:46:04 0
どうでしょうといわれても、まあ、そうでしょう。
46 :
考える名無しさん :2007/12/10(月) 12:02:18 0
クリシュナムルティーは意志や自我をなくせとは 言っていないだろ。そういうものに埋没しないで 見つめることが大事と言っていたはず。
エゴ(自己中心性)がないのと意思や情熱がないのは違うんじゃなかろうか
48 :
考える名無しさん :2007/12/10(月) 23:10:36 0
>>47 ありがとうございます。
>>46 見つめて、意志と自我があることに葛藤があります。
でもこれがないとライフワークがなくなってしまいます。
みなさんはどうされてますか?
質問への直接の答えではないけど・・ ・Kの状態(悟り)に達していると、愛や情熱、幸福は完全に無条件に存在する。 ・それに対して我々凡夫はある条件が満たされていれば愛や幸福を感じる。 つまり原因と結果が逆なので、Kから見ると我々の行為は次々に新しい「条件」を 作り出しているだけの全く無意味な徒労に見える。 Kは先に愛や情熱があったから執筆や公演を行ったのであって、 成功することを期待したわけではないし、成功によって幸福になったわけではない。 だからKは条件を前提としたあらゆる努力、信念、行為を否定する。 しかしこの「逆転」が起きるため(悟りを開くため)にやはり我々は時間の中で何らかの努力をしなければならない。 Kは常に絶対的なレベルで語っているけど、もっと相対的(日常的)なレベルで教える賢者もいるので 自分に合う方法を模索するしかないと思います。
50 :
考える名無しさん :2007/12/13(木) 16:42:12 0
私もKが執筆や講演によって幸福を得たわけではないと思います。 ただ世の中には同じように利他愛だけから人生をなげうって慈善や奉仕活動している人が 多くいるのに、Kは一切の奉仕やそうした慈善活動でさえも否定の目で見ていることです。 または偽善の人だけを例に持ち出して否定しているのか、 誘導尋問によって偽善者に認定されてしまうのか。
51 :
考える名無しさん :2007/12/13(木) 16:45:03 0
52 :
考える名無しさん :2007/12/13(木) 16:51:16 0
もう一つ。 ロザリンドとは25年続いたそうで、流産に2度の極秘中絶とありますが、 若者には独身のすばらしさを説いていたそうです。
53 :
考える名無しさん :2007/12/13(木) 17:55:49 0
中絶は、胎児はともかく女性が心身に受けるダメージの大きさは、 男性には想像できないでしょう。 Kに共感があれば中絶はさせなかったはずだし、 それより自分の地位の方が大切だったわけですよね。 これをものすごい自我と言わなくてなんでしょうか? というかその前に精神に負けてる、これが真実なら。
ゴシップ大好きっ子がキター♪
Kが本当に慈善活動を否定したり女性に中絶させたりしていたのですか? 知りませんでした。 哲学というより宗教板の範疇になるかもしれませんが、 歴史に名を残す賢者たちでも100%の完全な悟りに至った人はごく一部だと思います。 Kがどうであったかはわかりません。 そしてKならば、Kがどういう人間かなんて全くどうでもいいことだと言うでしょうね。
56 :
考える名無しさん :2007/12/13(木) 22:00:12 0
自演?
57 :
考える名無しさん :2007/12/13(木) 22:47:53 0
自己実現や充実感の為に慈善活動をしている人物を非難したんでしょう。
58 :
考える名無しさん :2007/12/14(金) 00:49:21 0
>>50-53 従来どおりの清貧スタイルの僧侶なら受け入れられたのかい?
59 :
考える名無しさん :2007/12/14(金) 14:42:37 0
>>55 >>58 Kは賢者を通り越して聖人扱いされてますよね。
それで清貧じゃないのはありえないんじゃないかと。
K自身も「物質的なことから自由になるのは簡単だ」って言ってますよ。
言動の不一致に対する批判が多かったことは、Wikiにも書いてあります。
>>57 そのはずでしょうど、そういう人ばかり例にとりあげて、
いたるところで全否定しているように見られるので、
そういう言い方(または訳し方なのか)に納得できないんです。
インドでは師弟が恋愛関係・性的関係を結ぶ例も時々あって問題になるよ。 しかし本当に完全な悟りに達した人は身体と自分を同一視しなくなるからセックスの必要はなくなる。 (絶対にしないというわけではなく、単に必要がなくなるだけだが) もし愛人を作って堕胎までさせていたのが本当なら、Kにもエゴが残っていたのかもしれないな。 たしかに俺にとってもいくつか引っかかるエピソードはあるし。 完全な悟りの人ならイエスやマザーテレサみたいに目の前の人を救うことだけに全ての情熱を捧げるんじゃないか。
61 :
考える名無しさん :2007/12/14(金) 18:10:43 0
>>60 それならイエスやマザーテレサで済むんじゃないw
62 :
考える名無しさん :2007/12/14(金) 19:22:31 0
特定宗教の枠内に終生身を置いた。 マザーテレサは完全な悟りの人だろうか?
人間なんだから完全というのは無いと思う。 山の高さみたいなもので、エベレストは高いけど完全に高い という表現は無いみたいなものでは。
>>62 マザーはたしかにカトリックだったが彼女の救う対象に宗教の区別は全くなかった。
形式的にどの宗教に身を置くか、どの神に祈るかは重要ではないと思う。
まあ誰が完全な真理に達しているかなんて決してわからないが。
悟りを目指す人にとって最後の難関は「自分は悟りを開いた(だから人より優れている)」というエゴらしい。
Kの本を読んでると、ひょっとしてこれじゃないかと思うことはある。
>>63 確かに行動のレベルで完璧は無理だが、内面的にはエゴを完全に消せるのではなかろうか。
悟りを開いた人の中でも上下があるのかはわからない。
あるという賢者もいるし、全てが一体であり区別はないという賢者もいる。
私は不変であるという賢者もいるし、絶え間なく成長し続けてるという賢者もいる。
そのようなことで悩み続ける人類のために 大天使は神智学を提供したんだろか。 でもこのスレで神智学の意識の進化とイニシエーションの話をするのは やはり野暮よなぁ。
66 :
考える名無しさん :2007/12/15(土) 10:54:14 0
>イエスやマザーテレサみたいにを捧げるんじゃないか。 イエスはユダヤ教の背景にある神を持ち出している、そもそも福音書は信頼できる資料ではない。 マザーテレサにいたっては、キリスト教の信仰に基づいている上、いまだ思考が信仰を持つ自我の範疇の典型にいる。 クリシュナムルティは人間の条件付けの解放をテーマとした活動であるから、 マザーテレサのように目の前の人を救うことだけに全ての情熱を捧げるのとは全く性質が異なる活動であるのは、 kの著書なり伝記を読めば明白なはず、目の前の人を救うことだけに捧げては彼が出現した意義はない。 イエスやマザーテレサで良いのであれば各宗教各宗派の僧侶がもっと慈善活動すればいいだけである。 それぞれの神、信仰に基づいて それに、イエスやマザーテレサみたいに・・・と前提している条件下で、何が見えるのだろうか?
67 :
考える名無しさん :2007/12/15(土) 11:12:00 0
>マザーはたしかにカトリックだったが彼女の救う対象に宗教の区別は全くなかった。 マザーが救う対象に宗教の区別がないことではなく、 カトリックであるとか何かの宗教に立場を置くことが問題。 >形式的にどの宗教に身を置くか、どの神に祈るかは重要ではないと思う。 クリシュナムルティは真理を見出すためには、 宗教からの自由と信仰を持たずに生きることの重要性を説いている。 何かの宗教に身を置いてはいけない、何かの神に祈ってはいけないことになるでしょう。 マザーとクリシュナムルティは信条も違い、活動の性質も異なる者と言えると思うのです。
68 :
考える名無しさん :2007/12/15(土) 11:54:51 0
私はマザーに疑問を感じていたところ、Kを読んで納得しました。 確かに彼女は原理主義といわれるように、異常な厳格さと執着があるように思います。 レイプや強制結婚、貧困と莫大な栄養失調の孤児を考えると、 私は避妊、中絶、離婚に執拗に反対する彼女には賛同できません。 病苦は神様が与えてくれたものといって、鎮痛剤を使わなかったそうで、 子どもたちの養育状況のひどさが指摘されてます。 またハイチの独裁者から莫大な寄付金をもらうために彼を支持し、 それらの寄付金も施設ではなく、協会の拡大のために使われたのですから、 それこそKがよく指摘する人のように、教会という信仰と権力に囚われてしまったように思います。 Kの相談者はバラモンや有知識層で社会活動に関心のあるレベルの人たちがほとんどなので、 そういう層のための存在だったのでしょうか? ほんとうに困っている人たちには理解できないと思います。その前に字も読めないでしょうし。 まあ聖人と言われる人でも、自我というものが無意識に潜んでいたりするんですね。
69 :
考える名無しさん :2007/12/15(土) 13:22:36 0
kは富俗層の支持者が確かに多い。 公開講話は貧困層もどんな人も参加可能だが、有知識層が多いのも事実。 文章も平易で専門用語を用いてはいないが、読書階級でないと理解は難しい。 難病や飢えと寒さで明日をも知れない人の助けというタイプではない。 私もkを完全とは思わないが、信仰に付き纏う諸問題はよく見えている人物だと思う。
場違いな話題で申し訳ないが、もう少しだけ。
Kは「心が完全に自由である」ために特定の信仰を捨てなければならないと言ったが、
何かを捨てなければならない、何かを諦めなければならない、というのは執着そのものである。
少なくとも我々凡夫にとっては、強烈な執着となる。
また特定の宗教が根強い社会の中で生きるなら信仰の放棄は周囲との軋轢にもなる。
>>49 でも書いたけれど、Kの言葉は「逆転」した覚者の視点からの言葉であって
我々凡夫が単に信仰を捨て、思考を捨て、形式的な日々の行動を捨てたらただの阿呆になる。
形式を放棄すること自体が重要なのではなく、どんな形式の中であってもエゴをなくして
完全な心の自由を達成できるのではないか、という話。
マザーはカトリックだったが、俺はマザーの心が不自由だったとは思わない。
だがこれは各人の解釈の問題なので。
続き。 そしてKの言うように「心が完全に自由になったときに無条件の愛や情熱が ただそこに存在する」ならば、そのとき人は何をするだろうか?ということを考えると、 俺は自分が日々の生活で関わる人を幸せにすることに全エネルギーを 捧げるんじゃないかと思ってマザーを例に出した。 > 避妊、中絶、離婚に執拗に反対 > 病苦は神様が与えてくれたものといって、鎮痛剤を使わなかった 俺もこの点ではマザーには反対する。 行動のレベルでの完璧はないし、それまでの人生の記憶によってのマザーなりの判断でしょう。 Kは記憶や記憶による判断を否定するけれど・・・
どんな人間にも変なところや言動に矛盾はあるよ。 少年時代に万引きしたお父さんも、自分の子供が万引きしたら叱るでしょ。 それでいいんだと思うよ。 娘の離婚に厳しく反対していたお父さんも、泣いて家に帰ってきた娘を 渋々許す。口では馬鹿者と叱りながら、心では許す。 それでいいんだと思うよ。 他人の矛盾に嫌悪を持ちながらも渋々許すというのが人間のいいところ。 みんな弱い人間だもの。変なところを許さなくなったら世の中は争いだらけになってしまうよ。
73 :
考える名無しさん :2007/12/15(土) 22:17:33 0
>>72 その程度のことはわかっていてレスいれてることだと解らんか。
陳腐にしたな貴様。
ちょっと、スレ違いだけど、これで終わり
ttp://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2272720/2044213 「神の沈黙と不在」に絶望 、「貧者の天使」マザー・テレサの告白。
マザー・テレサの生前の書簡内容が明らかになった。
それによると、コルカタ(カルカッタ)で死に行く貧者の救済に
生涯をささげたマザー・テレサが「神の沈黙と不在」に絶望し、
「孤独な日々」を過ごしていたことが浮き彫りになっている。
「貧者の天使」と呼ばれたマザー・テレサの告白は世界に大きな衝撃を投げ掛けている。 (ウィーン・小川 敏)
テレサが亡くなって五日で十年目を迎えたが、
それに先立ち、テレサの生前の書簡内容が明らかになった。
それによると、修道女テレサは「私はイエスを探すが見いだせず、
イエスの声を求めるが、聞けない」「自分の中の神は空虚だ」
「神は自分を望んでいない」といった苦悶(くもん)を告白し、
「自分は孤独であり、暗闇の中に生きている」と嘆いている。
>>73 キミ全然ダメだね。
行住坐臥、陳腐な事が出来ない人が、一見高尚に見える理屈を
こねくりまわして立派な奇麗事理論を構築する自己欺瞞を奴隷道徳と言う。
当たり前の事を当たり前のように出来る人が悟りを開いた人。
壮大な神秘的宇宙観に閉じこもる住人が悟りを開いた人ではない。
それはただのパラノイア。パラノイアを悟りと考えるような君みたいなの
がいるから、宗教的な人間は道を間違えてしまう。
仏教関係者はキミみたいな人を莫迦(バカ)という。
>>74 彼女の精神が正常だった証拠だね。
自分の信仰心の揺れに何度も悩みながら自分の仕事をする人こそ偉大な人間と思う。
77 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 15:04:11 0
仏教と何の関係もないから良いでしょう。
78 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 15:26:46 0
>>75 壮大な神秘的宇宙観?
このスレにとっては壮大な神秘的宇宙観は対極に位置するもの。
仏教関係者を持ち出して、勝手にパラノイア認定か。
79 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 16:47:06 0
けんかはやめましょうw 穏やかに話し合いましょうよw
80 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 17:01:11 0
>>71 >そしてKの言うように「心が完全に自由になったときに無条件の愛や情熱が
>ただそこに存在する」ならば、そのとき人は何をするだろうか?ということを考えると、
>俺は自分が日々の生活で関わる人を幸せにすることに全エネルギーを
>捧げるんじゃないかと思ってマザーを例に出した。
そういう意味では同感です。
マザーの最後の嘆きは、アフリカや紛争地区の地獄を見た人なら誰でもそう思うのではないかと思います。
悲しいことですが。
地獄に生まれて、人間としての権利も与えられない人たちがいる。
そんな人たちが何千万といて、Kの言葉では救われない。
イエスは常に底辺の人たちの中にいましたが、
Kはいつも富裕層の中にいたのではないでしょうか。
81 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 17:07:10 0
>>80 訂正です。
私が言った「誰でもそう思う」と言ったのは、
「神などいない」というマザーの嘆きです。
私も読んだのですが、上には書いてありませんでしたね。
話題がずれてすみません。
金持ちだって悩みはあるだろ。世界は金持ちが動かしてるんだから、 そいつらの心を変化させるほうが優先順位高いね。
よく考えろよ。駄目な新入社員にクリームコロッケ1個上げるよりも、 ケチ社長の心を美しい心にさせる方が、他の社員のためにも効果的だろ。 権力がない貧乏人と付き合ってれば良いってもんじゃないよ。
84 :
考える名無しさん :2007/12/17(月) 00:17:47 0
>>82 、83
それは愛ではなくて計算や手段といったものにはならないでしょうか?
共感があればそういう思考は働かないと思うのです。
それにKの話を聞くような人は一般的にすでに善人なので、
心を動かしてほしい悪人はKの話など聞きにいかないでしょう。
金持ちの悩みというのは、アフリカの地獄や奴隷の女性や子供たちに比べたら、
砂糖漬けのシロップの塩ひと振りにもなりません。
そういうことをおっしゃれるのは、本当に恐ろしい世界をご存じないからだと思います。
試しにどちらかを選ばなければならないとしたら、間違いなく金持ちの悩みの方を選ぶでしょう。
そういう世界を目の当たりにすると、とても傍観していることができないので、
そういう人に愛とか共感と言われても、ピンとこないだけです。
85 :
考える名無しさん :2007/12/17(月) 00:22:34 0
つづき、 なので私の間違いは、どこかでKをイエスの再来と聞いて読み始めたことで、 聖人ではなく賢人として読むことにします。 ただ愛の定義そのものはKの言う通りだと思います。
86 :
考える名無しさん :2007/12/17(月) 00:40:35 0
>紛争地区の地獄 >何千万の人間としての権利も与えられない人たち こうした地獄絵図を作り出した元凶が思考・自我にあるとして 我々各自が思考の問題に真剣に取り組んで終わらせることが、 マザーの助けを必要とする人々を生み出す背景と、私たちの個人的な苦しみが抜本的に解決できるのであり、 人間にとって最終的な救いになるので、マザーやイエスのような助け方をしなかったのではないでしょうか。 彼の著書と講話に一貫して見られる、思考(自我)の問題の解明・喚起がそれを表していると思うのです。 個人面談と公開討論自体は富裕層に限らず様々な階層の方と行っています。 彼の場合、イエスや釈迦などにくらべて地理的な制約を受けていませんので、 多くの国々を回ったことも活動の特徴だと思います。
イエスの行いと言葉で、人間の自我の問題は解決できるのだろうか? それに上のレスにもありますが、福音書のイエスは史実かどうか解らないのでは?
あまりにスレ違いなので紹介だけに止めますが、俺にとってイエスの本当の言葉とはACIMです。 聖書は内容の9割以上が権力と利益のために書き換えられたエゴの集大成です。 純粋な非二元論、エゴの徹底的な解体、「完全な自由と幸福」への到達に関して ACIM以上の書物は歴史上にも存在しないと俺は考えています。 邦訳はまだ刊行されていませんが、「神の使者」という本を読めば大体どういうものかわかると思います。 新興宗教、ニューエイジ運動、流行のスピリチュアル等ではないです。 完全独学で、望むならば誰にも知られることなく日々の生活の中で達成できます。 もちろんここでACIMの真偽、内容の是非について議論するつもりはないのでお願いします。 失礼しました。
ACIM、興味深い内容のものですね。
英語は、15年近く離れているので、英語原本で読むのは少々億劫かな。
日本語版が出ているのようなので、まずそちらから読んでみたいです。
あと、「神の使者」と。
ACIMや「神の使者」を取り上げているスレはないのですかね。
ttp://ww4.tiki.ne.jp/~fipc/acimver1.html >聖人ではなく賢人として読むことにします。
クリシュナムルティは本人に過度に興味を持ったり、
聖人扱いされないことを望んでいたようですので、
85さんの近づき方のほうが健全かもしれないですね。
90 :
考える名無しさん :2007/12/19(水) 19:53:59 0
>>87 で、クリシュムルティの言葉では、
「人間の自我の問題」が「解決」できるのか?
91 :
考える名無しさん :2007/12/19(水) 20:47:51 0
それが、各個人が真剣に取り組むべきこととして
彼の説き続けたことであるから。
>>90 ここはクリシュナムルティのスレだが、
全然読んでおらんのだな。
(´・ω・`) kの本に書いてあるお
93 :
考える名無しさん :2007/12/20(木) 10:55:11 0
>>91 実際にクリシュナムルティの本を読んで「自我の問題が解決」した奴を
俺は見たことがない。だから、そう聞いてるんだよ。
94 :
考える名無しさん :2007/12/20(木) 20:36:51 0
>>93 本を読んでいるのが、当の自我だからね、なかなか、不可能と違いますか。
95 :
考える名無しさん :2007/12/20(木) 20:56:37 0
単に、「自我の問題を解決する」と書いているだけで、 それを読む人に現実の解決をもたらさないんじゃ、 心の仕組みドットコムと同じじゃね?
>できるのか? >そう聞いてるんだよ。 誰も相手したくないでしょうw 自分の自我の問題に気づきやすくなって、問題が実際解決した人は少なくないようです。 『クリシュナムルティ 人と教え』の中にも、読んだ方の寄稿が載せられています。 著名人でもない限り、自我の問題の多くが終わった人を探すのは難しいでしょう。 ただ、私にクリシュナムルティを薦めてくださった方は、かなり境涯の高い方でした。 クリシュナムルティの言葉を理解してる人物は、自我の問題をかなり解決しやすいようです。
97 :
考える名無しさん :2007/12/21(金) 20:07:13 0
個々の問題を一つ一つ解決するなんてのは、 実は問題の表面的な形を換えて遊んでいるだけで、 本質的には解決でも何でもないとか、 クリシュナムルティは言ってなかったかい?
98 :
考える名無しさん :2007/12/21(金) 20:57:43 0
>>97 完全にそう終わらんだろ。
>個々の問題を一つ一つ解決するなんてのは、
>実は問題の表面的な形を換えて遊んでいるだけで、
>本質的には解決でも何でもないとか、
判っているのであれば、ぐだぐだ他人を批判せずに
お前が本質的には解決できればいいんじゃないか?
99 :
考える名無しさん :2007/12/21(金) 21:01:58 0
>>98 俺が本質的に解決できるかどうかって問題じゃないだろ。
Kの言う本質的な解決が、現実にはなさそうだと思うんなら、
Kが言うことはあまり信用しない方がよさそうだ、とはならんのか?
100 :
考える名無しさん :2007/12/21(金) 21:13:53 0
世界中探せば、いるかも知れないよ。
101 :
考える名無しさん :2007/12/21(金) 22:06:20 0
どうやって探すのさ?w
102 :
考える名無しさん :2007/12/21(金) 22:15:54 0
俺達は馬鹿で阿呆だからね、そのくせ、自尊心だけは強烈だからなあ。
103 :
考える名無しさん :2007/12/21(金) 22:24:01 0
確かにいるのかもしれないw う〜ん、どうやって探そうw
役割的には、クリシュナムルティが父親的でマザーが母親的だね。 言葉やイメージに執着しちゃいかんと言うクリシュナムルティは、 家に帰ってこない冷淡な気まぐれ親父みたいな役割。 育てや看病に執着するマザーはハウスに執着するウザったい母親みたいな 役割。 人類には両方のタイプが必要なんじゃないの。どっちかだけでは人間は 育たないよ。
ある朝起きたら、とっても世界が美しかった。 なんだろう?と、思いながら感動してた。 あとからクリシュナムルティの本を たまたま読んだら そのときの状態で感じたことが そのまま 書いてあった・・・ 信じなくていいYO
106 :
考える名無しさん :2007/12/23(日) 21:55:47 0
「私は、何も信じない」 by K
107 :
考える名無しさん :2007/12/27(木) 10:59:22 0
ある朝起きたら、とっても世界が醜かった。 なんだろう?と、思いながら嫌悪してた。 あとから2ちゃんねるを たまたま読んだら そのときの状態で感じたことが そのまま書いてあった・・・
108 :
考える名無しさん :2007/12/27(木) 11:03:54 0
109 :
考える名無しさん :2007/12/27(木) 17:26:13 0
その人が本当はどうなのかは知らないが、 東洋の神秘を求める西洋人向けの「グル」の元祖ではあるな。
110 :
考える名無しさん :2007/12/27(木) 21:15:59 0
ラマナマハリシか
112 :
考える名無しさん :2007/12/28(金) 01:04:32 0
ラマナ・マハルシ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B7 思想
彼の思想的背景は、インドを代表する伝統的な流れであるシャンカラの不二一元論(ヴェーダーンータ哲学)にあるが、
彼が述べたことは「唯一の真我のみが実在する」というシンプルな教えである。
「私は誰か?」という真我探求法を推奨したが、他のどのヨーガの道を否定するものでなく、
求道者の霊的な成長に応じて単独であるいは併用して修練できるとした。
瞑想やヨーガの修練なしにも真我探求法は可能であるがそれらの伝統的な修練法は修行者の心の強さに応じて、
結果的には真我探求に集中することを可能にする。神・グル・真我は異なるものではないこと。
至高の知恵(ジニャーナ)は至高の愛(バクティ)と同じものに導くこと。
日本国内では主にジニャーナ・ヨーガ(知識や哲学的なヨーガ)の代表的な聖者として知られているが、
真我を知るには聖典や書物の知識だけでは不充分で直接の体験によってもたらされるという神秘主義の側面も大きい。
彼の存在はまたアルナーチャラ信仰というバクティの両面も併せ持っている。
ジニャーナ・ヨーガは切り立った崖をよじ登るような最短距離だが過酷な山道に例えられるが、
自我の徹底した消滅(解放)は高い存在(神)への完全に自己放棄(明け渡し)をした真のバクタ(献身者)にとっては平易で自然な道をもたらすという。
また、アシュラムの敷地内には現在もシュリ・ラマナが作らせた鹿、カラス、犬、牛のお墓が大切に残されており、
彼の平等に対する感覚は絶対のもので人間だけではなくすべての生きものに及んでいたことを伝えている。
113 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 20:12:43 0
ヒンドゥー僧
115 :
114 :2007/12/30(日) 15:43:32 0
鬱になった ここ10年ほどクリシュナムルティを読んできたけど、結局なんの意味もなかった やっぱりお里がオカルトじゃこんなもんか 真面目に学問でもやるべ
117 :
考える名無しさん :2008/01/14(月) 13:48:22 0
字面を追うっていう意味では読んできたのかもしれないが、 自分の考えに閉じこもっていて、クリシュナムルティの言っていることは まったく読めてなかったんじゃね?
118 :
↑ :2008/01/14(月) 14:53:47 0
アホかね。 クリシュナムルティを読むことに何か現世的な意味があると思うほうが、 クリシュナムルティを読めていない。
119 :
考える名無しさん :2008/01/14(月) 22:47:02 0
現世的な意味以外に意味なんてないよ。
120 :
18歳 :2008/01/14(月) 23:18:57 0
現世的であるとか 現世的でないとか区別すること自体おかしいと思います。
鳥居みゆきは小3のときにクリシュナムルティ読んで影響受けたらしい
117のような現世利益的な俗物が分かった気になるのがオカルトの怖い所だ。
123 :
考える名無しさん :2008/01/15(火) 20:55:32 0
>>117 のどこから「現世利益」を思いついたのかね? さっぱり分からんぞ。
117はカルト宗教信者のおしつけっぽい。ファシズム。
125 :
考える名無しさん :2008/01/15(火) 21:20:58 0
それは言えてる。どんな批判に対しても、 「おまいが理解していないから、そんな批判をするのだ」と 返答するのはカルトの常套手段。
126 :
考える名無しさん :2008/01/15(火) 21:59:46 0
>>117 の内容自体は
「カルト宗教信者のおしつけっぽい。ファシズム。」
「カルトの常套手段。」
という程のもんじゃないように感じるが。
127 :
考える名無しさん :2008/01/15(火) 23:13:32 0
128 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 02:31:19 O
この世は虚無ってことでいいですかね まぁ無常でもいいですが
129 :
18歳 :2008/02/03(日) 15:45:51 0
虚無とか無常とか言ってる人 ほんとにそれ認識できてるの?? 実感したんですか? どんな時にそういった実感持つんですか? 人に裏切られたと感じたり、物事がうまくいってない時? それだったら私にもあるけど・・・
130 :
考える名無しさん :2008/02/04(月) 01:17:10 0
無常というのは、家族や親しい人が死ぬとだれでも実感するよ。
131 :
考える名無しさん :2008/02/10(日) 18:52:01 0
ああ無情
132 :
shift-2008 :2008/02/10(日) 23:46:55 0
まさか2ちゃんねるでクリシュナムルティーの話題が出るとは思いませんでしたね。 この人の本は10年以上読み続けましたよ。
だからなんだよ お前のレスは終始バカっぽいな 目障りだから消えろ低能。 クリシュナに失礼だ
134 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2008/02/11(月) 10:25:43 0
クリシュナムルティの言葉はみなさんにとってどんな意味を持っていますか?
135 :
shift-2008 :2008/02/11(月) 11:00:38 0
初めて彼の本を読んだのは18くらいだった。 最初はほとんど理解できなかったけどほとんど毎日読んでました。 当時は自分も彼と同じように悟りたいと思っていましたね。
136 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2008/02/11(月) 22:44:54 0
なるほど。 私の場合はKの言葉を読んで悟りを求めることの愚かさが良くわかりました。 悟りというか、求めるということそれ自体についてですね。 私たちは何でも求めたがるようですね。悟り、神の恩寵、知的な理解、 完全な認識、利他的な奉仕 etc.. 愛と奉仕に生きたマザーですらその心の奥底に願望を抱えていたということでしょう。 彼女が奉仕の仕事に入ったのはたしか、イエスの声を聞いたからだったと 思います。彼女の願望は良きクリスチャンであることだったのではないでしょうか。 だからイエスの声を欲して、それが叶えられないので孤独のうちに悲嘆があった。 そういうことではないでしょうか。マザーは立派な方であり、貶めるつもりで 言っているわけではありませんが。 奇妙なことに私たちは自分の願望から外には出られないようです。 Kの言葉は、そういう私たちがあまり認めたくないものを露にするんですよね。 いかがでしょうか。
137 :
shift-2008 :2008/02/11(月) 23:50:11 0
そうですね。 徹底的な自由とは神からさえも自由となれ、ということなのだろうと思います。 私が読み続けた理由は恐らく自分自身の劣等感をどうにかしたいという気持ちがあっただろうと思います。 今はあまり読んではいません。書いてあることが真理であったとしても、クリシュナムルティ教の信者 になるのは本末転倒だし、自分自身で見極めなければ単なる知識の収集になってしまうと感じたからです。 自分の言葉はクリシュナムルティの受け売りなのかと悩んだこともありました。 今は自分の命が尽きるまでにそこへたどり着けるだろうかと思います。 (目的からも自由でなければならない、と怒られるれるかもしれませんが) 願望の根底には不安や恐怖があり、その中心には自我である「私」がいる 確かこんな調子でしたよね。
138 :
774 ◆1KWe/Jkuxs :2008/02/12(火) 00:55:49 0
ええそうです。 願望ー恐怖、Kは私たちの自我の存続についてこ2つを以て説明していましたね。 それから進んで記憶についても。 >クリシュナムルティ教の信者 になるのは本末転倒だし、 >自分自身で見極めなければ単なる知識の収集になってしまうと感じたからです。 非常に素晴らしい態度をお持ちであると思います。 私の場合はある先生がいて、その人のいうことを聞いているうちに、 自分がそれを得てもいないのに、さも既に理解しているような錯覚の中にいました。 自分自身の錯覚に気がついてしまうと厄介なんですね。たとえば人からそれを言われたり、 本の中でKが指摘していても、何とでも言い訳できてしまう。しかし事の全体を自分で しっかり認識してしまうと、もう逃れられません。それはある種、苦しみです。 しかしその課程全体やそういう苦しい気持ちは良い事なんですよ。 それから、私がKを読むときは真剣勝負のようになりました。 そうやって気がついていくことは、内面の自由は内的な苦しみの中からしか生まれて こないということです。これは宗教的な表現かもしれませんが、内的な認識という ものは、知識を用いて切り刻むようなアプローチではとらえられません。 (頭は頭を理解しないので)ですので、私にとってKの言葉は私の中の錯覚を切除する ためのメスのようなもの...でしょう。それは実際的であり、サバイバル教本のような ものです。
139 :
ポチ :2008/02/12(火) 01:20:24 0
ヤー兄弟達よ。日々お疲れ その{1 自分て判るよーで、やっかいだよネ。 自分を全部ひんむいて「身体、思い等」いくと、いつも変化して、 目の前を流れる川の水のようで、川は『身体、思い等」は有るけど、 水は、休むこと無く流れ行くように、何時も変化して捕えどころがな いよネ。 それで最後に残るのが、川と水を見ている自分。その自分も変化する。 けっきょく自分とは、時間と空間を認識する乗り物だよネ。 つぎは存在理由のお話。バイ
140 :
考える名無しさん :2008/02/12(火) 22:45:44 0
>>139 川の流れにたとえるあたりはクリシュナムルティ風ですね。
>自分とは時間と空間を認識する乗り物
いいフレーズです
141 :
shift-2008 :2008/02/12(火) 22:50:25 0
>>138 お互い後戻りは出来ないようですね。
どこかの俳優の言葉じゃないですがいつの日か涅槃でお会いしましょう。
自分てのは志向性そのものだから、自分の背中は見えない。 全身鏡の無い海の中を、サメのように泳ぎ続けるようなもの。 そのような意味不明のただ泳ぎ続ける運動が、 宇宙の時間と空間の流れという観念を作っているのか。 逆に、宇宙の時間と空間が、 自分の志向性という意識の流れを作っているのか。 どっち?
143 :
ポチ :2008/02/13(水) 19:07:59 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ その{2 存在理由「この場、地球について」 毎日、生きて行くの大変だよネ、 全ての人が逃れられない四苦八苦「判らない人は調べてね」 あんまり大変だとグレたくなっちゃうよね。 苦の意味がもっと判りやすければ、こんなにコジレないのにね。 でも宝石の原石を、磨くには、始めはカット、荒磨き、仕上げだよね。 この場はカットの場。 泥沼ー水中ー蓮の花 この場は泥沼の中。 宗教、思想、を抜けて一目瞭然まで認識のレベルアップしようぜ。 この場は存在理由の初期段階。 目指せ獣性の脱却。だから苦がキツイんだよね。 ヘキサゴンが始まるからまたネ。 つぎは存在意義について。バイ
144 :
ポチ :2008/02/15(金) 00:00:14 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ その{3存在意義について。 3種類の存在意義。 黒「10%」ー悪意を成す存在意義 茶「80%」ー世間に合わせる 白10%」ー真理の探究 3種類の人間がいるんだよね 世の中をかき回し進化を促し苦をうむ為に。 故にこの場で、ユートピアは残念だけど不可能なんだよね。 つぎは正しい認識について。バイ 、
145 :
考える名無しさん :2008/02/19(火) 21:29:26 0
ユートピア幻想を捨てきれない人の ユートピア否定の正しいお話。バイ
146 :
ポチ :2008/02/20(水) 01:49:28 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ その{4正しい認識について 難しい事考えると、思考が堂々巡りするよね。 そこが認識レベルで、どれだけ広い範囲を観ているか。 時間「過去、現在、未来」によって変わることがないか。 今の世の中を見ていると、真っ暗な洞窟を手探りで、模索状態。 見えていない者が、大声あげて偉そうに大勢の人を集め仲良しゴッコ。 見える者には、宗教「信じる」も、思想「こう考える」もない。 一目瞭然だから。 2500年前に全ての真理は、御釈迦様によって説かれています。 私は仏教徒でも無いし、一切の宗教にも無縁です。 日本に正しい仏教は無いと観ています。 御釈迦様の説かれた真理は、認識論で、観る目が無いと、理解出来ません。 観る目をもつには、ピュアな感受性で、あーそうかと実感する。 はしごを登る必要があります。 この板を通じ、おてつだい出来ればと思い書き込みしました。 この板を立てた方に迷惑なら退室します。 つぎははしごの登りかたについて。バイ
147 :
考える名無しさん :2008/02/20(水) 22:26:19 0
楽しみにしてます。ぜひ続けてください
148 :
考える名無しさん :2008/02/20(水) 22:43:08 0
正しい仏教ってなーんだ? そんなのあるんかい
149 :
考える名無しさん :2008/02/20(水) 22:47:03 0
こう血のない腰なぞないよ
150 :
ポチ :2008/02/21(木) 01:00:43 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
はしごを登る前に。
書き込みをする事に、かなり迷いがありました。
理由は色々ありますが、、短く書けそうに無いのでいつか。
始めます。「イ
いろは『色は匂えど、散りぬるを、世、誰ぞ常ならむ』
今ふうに言うと、楽しい事が色々有るけれど、皆な死ぬんだよね。
かごめ、かごめ、、、、後ろの正面、だあれ。これは
>>142 さんが、
指摘されたことに近いと思いますが。
両方とも人々の意識を、長い目、自分て何だろうと考える投げかけ。
これが原点と思います。
つぎは自己の考察。バイ
もしかして もしかして知りもしないことに対して必死の批判を繰り返していたわけ? 白痴♡ さすが白痴♡ 名に恥じない男♡ と言えば、自分が白痴であることをごまかせると思ったわけ? さすが白痴♡ 名に恥じない男♡
日本の田舎というかなり安全なとこに住んでいると暇がある。 だから色々考えちゃうんだよね。 ていうか色々考えるために安全なとこにうまれたっていうのはあるだろうな。 人間ってほんとに全員が全員違う考えを持ってるけど その考えを沢山の人に会って知ることで成長のきっかけになるね 人それぞれの成長の課程もばらばらだし面白い で、地球卒業したあとどこ行くんですかね
>>152 >で、地球卒業したあとどこ行くんですかね
地球での奉仕の道
磁気に関する仕事の道
惑星ロゴスになるための訓練の道
シリウスへの道
光線の道
ロゴス自身が辿っている道
絶対なる子の道
の七つの道のうちの一つを行くと神智学徒などは学ぶようです
154 :
ポチ :2008/02/22(金) 02:24:31 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ 自分を構成する5つの要素「色、受、想、行、識」 毎日、生きて行く中で、これらをいかに満たし、喜び多いかを追求する事で、 果てしない欲望が生じるよね、でも満足しつずけるのは、不可能だよね。 なぜなら四苦八苦『金が無い、老いる、病気になる、死ぬ、手に入れな い物が有る、どんなに愛する者とも別れなければならない、 いやな奴とも出会はなければならない、5つの要素に降りかかる苦難』 全ての人が逃れられない苦しみ。そこで御釈迦様は絶対の安らぎを 追求して悟ったのが、5つの要素に振り回わされる事なく。 本末転倒を厭離して「欲望を客観視して、コントロールの達人に成ることで」 絶対の安らぎと、存在の真理を認識できると説かれました。 以上を認識し理解いすることが、基礎で、初めて存在の方向性が生じます。 つきは実践、修行について。バイ
155 :
月 :2008/02/22(金) 03:21:48 0
やだ。バイ
156 :
ポチ :2008/02/24(日) 19:07:06 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
>>155 月さん、的確な書き込みありがとう。
マジもっともな意見と思います。
150で書き込みに迷いがあったと書きましたが、
気持ちよく寝ている、幼い兄弟達をむりやり起こすようだから。
でも多くの人が本能的に感じているように、のんびりは長くない。
喩え地球が粉々になっても、終わる訳ではないから、いいんだけれど。
よく考えて欲しいのは、いつ人間に成れるか判らない。
沢山の生物は、生死の繰り返しの中で、魂の一体化で能力を高め、
一方通行で人間に至り、生き方に依り、多くの人間の魂は分解し、
沢山の生き物に分かれ転生します。また地球が無くなつても終わらないのは、
転生は時間に束縛されず、過去にも飛びます。理解出来なくても、真実です。
そして長い長ーい経験の後に皆な起きるんだよね。
よく考えてね。バイ
157 :
考える名無しさん :2008/02/25(月) 23:41:45 0
>転生は時間に束縛されず、過去にも飛びます。 目からうろこです。沢山の生き物とは人間とは限らないんですよね。 私が疑問に思っていたのは、前世からのカルマで転生するとしても、 この世には悲劇があまりに多すぎて(日本の悲劇のレベルではなく)、 人口増加の歴史も合わせて考えると、 そんなにも地獄を生きなければならないカルマを背負ってしまった魂が多いものなのだろうか? ということです。 多少の業はあるとしても、そんなに悪い人は実はすごく少ないと思うのです。 自由も教養もなければ、カルマの解消のしようもなく、何のために生れてくるのか、と思ってしまうのです。 家畜の動物たちが与えられている悲劇も納得できませんし。 転生、魂の分解をもってしても、どうも人口的につじつまが合わないような? ”過去への転生”で納得できるのか、といわれるとよくわらないのですが。 誰か教えてください。
158 :
ポチ :2008/02/26(火) 02:32:12 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
自覚「自分とは何か、生きる意味、どう生きるべきかを知る」する事は、
それほど難しくありません。知識より、他を思える気持ちや、
自然破壊に心が痛む感受性です。
>>157 さん
書き込み読みました。139より何回か書いてますので、何か感じるところ
が有れば、質問して下さい。
自覚は修行の始まりで。修めて行く道が始まります。
修行の完成「自我の完全脱却」は遠い道のりです。
他に尽くす事で、少しずつ修めて行けます。
まず道に立つ事、道に立てれば、転生は続きから始められます。
長くなるのでまた。バイ
魂ってどんどん新しいものが増えていて、 世の中にはいろんなレベルの魂が混在してるんだよね。 極端に言うと戦争とか乞食とか残虐なことをまずやらないと、カルマって生まれないのでは? 成長するためにはありとあらゆる経験をしてはじめて 戦争とか酷いことは最悪だ(もうやりたくないやっちゃいけない)って 思えるのでは。 ポチさん地球卒業について回答ありがとうございました! 面白かったです。 魂って磨かれれば磨かれるほど個性が無くなりますよね。 最終的に一つに戻るということでしょうか??
160 :
ポチ :2008/02/26(火) 18:48:32 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
>>159 さん
自覚「目を覚ます」すると、必要な事は観えてきます。
カルマについてですか、キリスト教では原罪、「罪を背負っている」
仏教では無知、『判らないから」と観ています。全ての経験が必要なの
ではなく、熱いものを何回触って、熱いと知るかで、人によって違うよね。
地球、人間は通過点で、宇宙全体が無知を修める為のシステムです。
最終的には、個と全体の両方が感じられる、一体感の世界のようです。
バイ
161 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/02/26(火) 18:58:11 0
>>160 >熱いものを何回触って、熱いと知るかで、人によって違うよね。
他人の不幸を自分の幸せに変換する世界で
何がやりたいのかわからなくなりました
ネコげんなりです
162 :
157 :2008/02/26(火) 23:07:25 0
157です。 >>熱いものを何回触って、熱いと知るかで、人によって違うよね。 ポチさん、わかりやすい説明ありがとうございます。 あるレベルではそれで理解できるのですけど、 吐き気をもよおすようなゴミ捨て場でゴミを拾って生活する子供たち、 親の借金で生まれたときから奴隷として重労働を課せられる子供たち、 レイプと暴力の奴隷となる戦場の女性たち・・・ どうしてこんな生まれ方をしなければならないんでしょうか。 これが前世からの因縁論だとすると、かつての地球は悪魔だらけだったことになるんでしょうか? 貧しい国の貧困の人々は、たいてい教養もなく、生きることが精いっぱいで、倫理も道徳も通じないことが多いです。 彼らの環境では、熱いものを熱いと感じるのは永遠に不可能のような気がします。 転生してもその繰り返しでは、どうしたらそういう魂は救われるんでしょうか? それとも今そういう人生に生まれてきても、来世で普通の人間らしい人生を送れることがあるんでしょうか? 残虐は、人間の修行にそんなに必要なことなんでしょうか? 家畜の動物たちはなぜあんな目にあわなければならないのでしょうか?
163 :
ポチ :2008/02/27(水) 01:17:03 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
>>161 さん
3種類の人間がいます。
他の苦しみを、喜べる人「10%」
無関心、周りに会わせる人「80%」
苦楽を共に感じる人「10%」
周りの刺激にめげず、あなたに光明ある様、祈っています。
>>162 157さん、自分の事だけで無く、悲惨な出来事に心を痛め、
手を差し伸べ努力する機会に恵まれた者は幸せです、
自分の命を削り、努力する事で、低次元の自我を修められるから。
また見識として、出来事を時間的に斬って見ることなく、
変化して行く先を観ると、多少楽に成るのでは。
バイ
他を心配してもどうにかならないことのほうが多いと思う 救うことがその個人のためになっても多くの人の迷惑になるかも知れない 大袈裟だけどマジでそういうこともあるし 他は他、自分は自分。 何も全員が幸せである必要はないんよ 全員幸せだったらかわいそうだと心を痛めることもない 痛くてなんぼだろこの世は その痛みを堪えた先に本当の幸せがあるはず 優しい心を持つ人はいい苦労が出来てすごいなぁ 世の中ほんとに色々ですね。
メロンバンナチャン
>ポチさん
興味深く拝読しています。
>>153 についてですが
>自分の事だけで無く、悲惨な出来事に心を痛め、
>手を差し伸べ努力する機会に恵まれた者は幸せです、
>自分の命を削り、努力する事で、低次元の自我を修められるから。
ここでの「低次元」とはどういう意味でしょうか。
初期段階である地球でできることは、所詮低次元だということでしょうか。
また、世間には他者の苦しみに心を痛めない人がいますが、
そういった人が過去において既に他者に心を痛める修行を
終えているから心を痛めない、というような場合はあるのでしょうか。
167 :
157 :2008/02/28(木) 00:11:37 0
ポチさんは温かい方ですね。ありがとうございます。 >また見識として、出来事を時間的に斬って見ることなく、 >変化して行く先を観ると、多少楽に成るのでは。 でも難しいです。 >救うことがその個人のためになっても多くの人の迷惑になるかも知れない 救うことがその個人のためにならないことはあるかもしれないとは思いますが、 多くの人の迷惑になることなんてあるんですか? でも自分の恋人や子供だったら、見過ごすことできませんよね。
168 :
ポチ :2008/02/28(木) 04:48:46 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
>>166 さん
自分、人間を観て見ると、獣性と人間性で、人間やってるよね。
獣性『自己中心的な気持ち、生存本能的、他を押しのける気持ち。』
人間性『他への思いやり、真理の探究など』
説明した言葉のイメージは、感じたことの一部、例えば的なので、
文字で捕えず、気持ちで感じ取ってもらえると、判り安いのでわ。
終えているから心を痛めない事はありません。他を思える事は、
能力の1つで、一体感による感覚と認識が、広く、深く、成るから。
>>157さん
手を差し伸べたい気持ちが有って、出来る時、出来ない時が有るよね。
どれだけ広いか、深いか、努力し、成し遂げられるか。
様々な出来事を正しく、努力する事で、自覚に近ずくのでは。
バイ
169 :
考える名無しさん :2008/03/31(月) 04:13:00 0
クリシュナムルティ。 素晴らしき、とてつもなく偉大な哲人にして思想家、そして宗教家であることは間違いない。 グルジェフ、ラジニーシと並んで、その教えは後の世にも脈々と受け継がれて行くであろう。
170 :
考える名無しさん :2008/04/03(木) 19:56:43 0
>>ポチさん 私はクリシュナムーティの本を読んで、コレは荘子と同じだなと感じました。 無論、私は荘子を敬愛しております。 しかし、現在に生きる我々にとってこのような理想的な生き方が万人に可能でしょうか? 思考を無くせ、記憶や情報も真理を知る妨げとなる云々〜 一般人はこの事をどう理解し取り込んだら良いのでしょうか?
171 :
考える名無しさん :2008/04/05(土) 02:50:45 0
何にも属さないのは俺と同じだ!
172 :
ポチ :2008/04/08(火) 19:06:50 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
>>170 さん
御気持ちよく判ります。
真理を知る事は、それ程、難しくありません。
むしろ理解した真理に則して現代社会で生きる事が大変です。
まず2点有ります。
1、自己の我がままを調教する事。
2、環境との調和をする事。「生活環境により、精神的、時間的余裕」
真理を明確に認識してしまえば、現実と巧くやれますが。
途中はやさしさ、思いやりで、自分と周りの人と調和する試練の時。
真理の基本は、自己の正しい認識です。詳しくは質問して下さい。
バイ
173 :
考える名無しさん :2008/04/08(火) 22:55:53 0
どこにも入らない人はみなクリシュナムルティ派に属する。
174 :
考える名無しさん :2008/04/08(火) 23:08:59 0
175 :
Tube :2008/04/09(水) 15:16:58 0
176 :
170 :2008/04/10(木) 16:39:33 0
>>174 荘子の「道」とはクリシュナムーティが言うところの「真理」ではないでしょうか?
また、両者ともに心理的外的影響を受けない生き方をしている。コレも共通してます。
しかしながら、「思考」や「情報」「記憶」の無い立場とはいわゆる「無我夢中」状態
としか思えませんが、このような状態のなかに真理があるのでしょうかねえ??
177 :
考える名無しさん :2008/04/10(木) 19:38:05 0
そうでしょうか。荘子の「道」というのは、 時間をかけ努力し熟達していくことで、最後に到達する境地、 あるいはその境地に至る過程ではないですか? それはクリシュナムーティが明確に否定しているものではありませんか?
178 :
170 :2008/04/10(木) 20:24:07 0
>>177 「頓悟」というのは南宗禅由来の言葉だと思いますが、その源は荘子にある
と思ってます。荘子は、何も努力、熟達については言ってません。
クリシュナムーティ自身は自分の思いが禅的である事を否定してますが
彼の書いた本を読む限りそれはまさに禅そのものです。
内容=禅、方法=ソクラテスと評した人もいるようですが、まさにそのとおり
だと思います。
全ての営みは余計なものである という命題を無視反駁することが出来ません クリシュナムルティを読めば望むべき状況状態があると思えるでしょうか とりあえず語録を読んでみます
180 :
179 :2008/04/11(金) 08:15:54 O
クリシュナムルティは生は余計なものではない と考えているのですね 私は今までどうり余計なことをしていきます
181 :
考える名無しさん :2008/04/12(土) 01:35:28 0
みなさん、 今(に始まったことではないですけど)、チベットの人々が拷問など、非人道的な扱いを受けています。 子供たちでさえ捉えられて拷問を受けていると聞きます。 チベット人は非暴力で耐え続けているそうです。 どうしてこんな目に会わなければならないのでしょう。 クリシュムナルティが生きていたら、何と言うのでしょうか? クリシュムナルティ以外の方でもいいです。たとえばシュタイナーとか。 私は本当にマザーテレサと同じく、“神などいない・・・”と嘆いています。
182 :
ポチ :2008/04/12(土) 10:29:47 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
>>181 さん
私もチベット問題を、我が事のように、早く円満に解決するよう、心を痛め
ている一人です。その他世界中で起きている、理不尽な事や、環境問題など。
私は自分に出来る事として、50数頭の捨て犬と、20数ひきの捨て猫の、
めんどうを全身全霊で看ています。おかげでカミサンに見捨てられた{笑}
全ての問題の根源は、自分中心、自分達中心、人間中心、から来ている
のではないでしょうか。地球は人間だけの物では無いとの、認識が広がる
よう、切に祈っています。
神についてですが、神は居る、居ないではなく。有る、無しで。
私は二度、意識が同調した事が有ります。
苦しみは、無知を修める為。 無知が無ければ、苦しみも無い。
一切の転倒夢想厭離して「存在の認識無知により価値や、目指すものが、
逆さま」
正しい存在認識を実感して欲しく、書き込みしていますが、
今だ反応する人なし。バイ
ポチさん >意識が同調 とは、どういう感じのものなんでしょうか?
184 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 15:01:54 0
50数頭!?びつくりです。もしかして前テレビで報道されました? そういうニュースを見たような・・・ >苦しみは、無知を修める為。 無知が無ければ、苦しみも無い。 苦しんでいる人たちは無知ということでしょうか? 多くの立派な人たちも苦しめられているように見えるのですが・・・ 動物たちが無知を修めることなんてできるんでしょうか・・? >一切の転倒夢想厭離して「存在の認識無知により価値や、目指すものが、 逆さま」 ? これはどういう意味ですか?
185 :
170 :2008/04/13(日) 15:57:26 0
つうか、クリシュナムーティは「知識」そのものから離れて自由になる事 を説いてるように思えますが?? 知識や情報、思考、経験等から自由になった時、真理が現れる可能性があると・・
186 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 16:11:58 0
明らかに、そう言ってますね。 知識は過去の記憶によって作られたものであり、 現在の知覚を歪める、と。
187 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 16:15:02 0
人間はいろんなものにとらわれるから 苦しむんだよね。だからそのとらわれから 自分を解放することが幸せにつながるという ことだよね。
188 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 19:33:48 0
目にする出来事の全ての原因は自己の中にあるのかもしれない。 海を隔てた中国で起こることさえも。
189 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 23:53:00 0
>>188 クリシュナムルティもそんなこと書いてたような気がするんですけど、
ちょっと理解できなかったんですよね。
この人の書き方ってA+B=Cのような方程式のようで、ちゃんと理解できないと、すごく誤解に走りやすいと思いました。
188さん、その意味って、聖人は悲劇が目の前にあっても見えないって意味じゃないですよね?
アウシュビッツもチベットも映像が流れていても、見えないとか、
だとするとただの冷血人間になってしまうと思うんですけど。
マザーテレサがインドで不幸な人たちばかり見てたのは、彼女に原因があるってことになりますが?
イエスキリストがあえてらい病の人たちの中に入っていったのは?
変な書き方してすみません、
本当にちょっとその言葉の意味するところがわからないので教えてほしいんですけど。
自分に起きる不幸が自分に原因があるというのならわかるんですけど。
190 :
ポチ :2008/04/14(月) 02:10:47 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
返信を丁寧に書いていたら、長く成り過ぎエラー、操作中消滅、簡略して書くので悪しからず。
>>183 さん
適切な言葉が無いので、同調と書きましたが、ラジオの周波数が合った時の様な感じがしたから。
その時の状況は、正しく一生懸命、努力している時に、困難が雪崩のように襲い、少しメゲ気味で。
どうしろと言うのかと、自問自答していた時、突然、今まで感じた事が無い実感。喩えるなら。
高密度の知的エネルギイー、何も言う訳で無いのですが、全てが伝わりました。自分の至らなさを、
完璧に認識させられました。詳しくはまた次の機会に。
>>184 さん
犬達とのドラマは本一冊分でも、少ししか伝わらないと思います、取材拒否でテレビ出演なし。
立派な人の苦、、、。に付いてですが、次の質問、一切の、、、を理解出来れば判ると思います。
般若心経の一節で。意訳すると、全ての実感は夢のようなもの、肉体も五感も常に変化して、
深く観察してみれば、時間を止められないかぎり、これが自分だと主張できる実体は無く。
自己の本質は魂で有るから、欲望の追求は控えめにして、正しく生きるべきである。
死後の魂は3パターン。1−人間に転生する。
2−魂が分離して複数の生物に転生する。
3−他の星に転生して高度な修行をする。
稀に宇宙を卒業する人もいます。
魂についてですが、人間一人の魂は単体ではなく、複合体で、犬で喩えるならば、数十頭分の、
能力が必要です。依って動物が無知を修められるかの答えですが、直接は無理で、前段階の経験を積み、
人間の一部の魂として転生し、無知を修めることに成ります。バイ
191 :
ポチ :2008/04/14(月) 10:07:32 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
>>189 さん
私への質問では無いのに割り込んですいません。
過去の聖人と言われる人も、苦を見、知っていました。
ただ深い智恵に依り、悩むことは無く、苦が有意義に成るように、
念を送っていたようです。
マザー、テレサの件ですが、何度も神と同調していたと、確信できます。
理由は彼女の生涯は、神との同調パターンそのものだからです。
ちなみに現在のローマ法王も、ダライ、ラマも神と同調したことは無いと、
断言できます。理由は神と同調できる魂は、権力を無意識に嫌い、
他に尽くす人生を選ぶからです。他に尽くすのは、悟りへの最短方法だからです。
失礼しました。 バイ
192 :
考える名無しさん :2008/04/14(月) 10:22:59 0
個人名を挙げて、○○は神と同調していたとか、 ××は神と同調したことはないとか、ふつう断言するか?
193 :
考える名無しさん :2008/04/14(月) 12:23:50 0
ポチさんありがとうございます。 184=189です。 仏教の畜生道の理論ですね。私も仏教の本は一通り読んだことがあります。 実際にアフリカへ行き、動物たちの野生の生活を見て、 仏教が説いていた”人間に生まれることがいかに有難いか”ということを 体感しました。でもそれが真実がどうかは確信できません。 もし悪に魂を売った人間が畜生道に堕落したのだとしたら、 最初に人間ありきということですよね。 つまり最初は人類だけがいて動物はいなかったということにならないでしょうか? 恐竜は何だったのでしょうか?・・・という疑問が湧いてくるのです。 >過去の聖人と言われる人も、苦を見、知っていました。 >ただ深い智恵に依り、悩むことは無く、苦が有意義に成るように、 >念を送っていたようです。 実際マザーテレサは悩んでいました。だからこそ多くの人の心を動かしたのだと思います。 ”悩むことはなく”の熱心な仏教信者を知っていますが、私には冷たく感じます。 この世の不幸がカルマのせいだから、しかたない、だからといって援けなくていいんでしょうか?それでは冷たい世の中になってしまうのではないでしょうか? インドでは肌の黒さはカルマのせいと信じられていて、差別が消えません。 ”立派な人の苦”・・・もやはりまだ理解できません。 イエスキリストも十字架にかけられました。アウシュビッツのコルベ神父、 カンボジアでも教育者や人道活動家ほど殺され、 チベットの囚われの人々の強さにも頭が下がります。 正しい人が常に犠牲になっているように思われます。
194 :
170 :2008/04/14(月) 13:52:56 0
確かにダライラマ14世は俗人な感じはしますね。
成田で好物のうどんを食べたとの事ですが、専属のシェフにホテルの厨房使わせて
ステーキやらサラダも食べてたと言うニュース(しかも部屋は一泊数十万のロイヤル
スウィート!)を見て俗な感じを受けました。
>>189 その部分は、私も読みました。
クリシュナムーティが言ってるのは、一貫してると思いますよ。
「個々人の心がこの世を作っている。」というものでしょう?
「個人の意識は全人類の意識。」との表現もしています。
つまり「私」に固執する多くの人間には理解しにくい表現でしょうが「私」という
自我が消えた時に理解できる真理ではないでしょうか?
まあ、そういう私も想像でそのように解釈してますが・・
195 :
ポチ :2008/04/14(月) 19:06:12 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
>>193 さん
苦が無くなるのは、究極の最終地点の境地でして、到達した人は極めて少数と思われます。
最終地点までを、始めから順番に考えてみますと。
1−始まる前「輪廻を繰り返し経験をつむ」
2−自覚する「自己の本質を明確に認識し、存在理由と、方向性が明確になる」
3−道に立つ「修行の始まり、自我の超越は一朝一夕にはいかず、何回か転生し
前世の道の続きから修行する事になります」
4−最終地点「もはや迷いの生を繰り返す事は無いとの明確な認識に達する」
以上の段階が混ざりあった意見の混乱をよく見聞きします。
バイ
196 :
考える名無しさん :2008/04/14(月) 19:21:52 0
>>189 遅レスすみません。
>>188 で”かもしれない。”と書いたようにこれは私のただの想像です。
これも私の想像ですが未来の出来事というのは、実は可能性のある
全ての未来がすでに存在しているのではないかと思うのです。
その中から私達は1つの未来を選択しているのではないかと。
たとえば道を歩いていて交差点があれば直進する事も右に曲がることも
左に曲がる事も可能性としてあるわけです、直進した未来、右折した未来、
左折した未来がそれぞれすでにあるなかで私達はその中から1つの未来を
選択しているのではないかと、そう思っているのです。
もし仮にそうだとすれば中国がチベットを弾圧していない未来もあったわけで
今チベット弾圧を目にしているという事は、私が日々何十回何百回と行う
選択の中でそのような未来を選択してしまったのではないかと。
個人の行う極々微小な選択もバタフライ効果のように大局に影響をあたえる
こともあるかもしれないと思うのです。
197 :
170 :2008/04/14(月) 19:48:41 0
>>ポチさん ひとつ伺いたいのですが、クリシュナムーティはあらゆる宗教(宗派)や信念 等を全て否定しています。そのなかに輪廻も信念のひとつとして否定していた と思います。あなたは輪廻について色々と述べられていますが、それを信じて いますか?
198 :
ポチ :2008/04/15(火) 01:59:12 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
>>197 さん
信じていません。明確に認識しているだけです。
信じると言うのは、観えないけれど、正しい意見と思えるので、採用する事で。
私は知識人でも、宗教人でもありません。
>>195に書いた「3」の人生をやってます。
輪廻を信念と捉えるのは、自己の本質が明確では無いからです。
宗教、信仰に付いてですが、「1」の人「2」に成る前に有効な一つの手段ですが。
問題なのは狂信、妄信とそれの悪用から起こる様々な悲劇です。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と有る様に、どれが正しく、どれが誤りでは無く。
順番に学んで行くものではないでしょうか。 バイ
>>198 183です。
ポチさん、
ありがとうございます。
意識の同調の件は冷暖自知というか、
他人に説明困難なことでもあるようですね。
> 目にする出来事の全ての原因は自己の中にあるのかもしれない。
> 海を隔てた中国で起こることさえも。
クリシュナムルティの翻訳本を読むと、
自我は環境(社会、観念、等)の産物だから、
社会 = 自我。
社会での出来事・その原因 = 自我・自己の出来事で原因でもある。
の意味も含んで発言しているように感じました。
200 :
170 :2008/04/15(火) 10:50:17 0
>輪廻を信念と捉えるのは、自己の本質が明確では無いからです。 ということはクリシュナムーティには「自己の本質」が明確では無かった、 とおっしゃるのですね。 彼は明らかに輪廻を信念のひとつとしてとらえ完全否定してましたから・・
201 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 10:57:25 0
ポチさんの「認識」が真実なのか、妄想なのかは別にして、 クリシュナムルティが否定していたのは「輪廻を信じる」ことでしょ。 輪廻そのものについては、彼は何も語ってないはず。 語ったところで聞き手に信念を生じさせるだけだから、 知ってはいたが語らなかったっていう解釈も十分できると思うが。
202 :
170 :2008/04/15(火) 11:09:17 0
それは解釈の問題ですね。 私は割りとストレートに解釈する方ですから、「輪廻を信じる」ことを否定〜 でも、輪廻を信念のひとつとして否定〜でも同じ事と解釈します。 もちろん、201さんのような解釈も成り立ちますし私のようにストレートな解釈 も成り立ちます。どちらを採るかの違いですね。
クリシュナムルティは、 知ってはいたが語らなかったことが、 かなり多いようですね。
204 :
170 :2008/04/15(火) 12:52:25 0
確かに、201さんのおっしゃるように彼は輪廻についてその内実を語った事は 無いように思われます。 知ってはいるが語らないという姿勢だったのかも知れません。 しかし、語らなかったという事はそれは彼にとってたいした問題ではなかった からではありませんか? 彼は別の言葉で人が再生を信じる態度をアジア的な伝統的態度といってきっぱり 切り捨てています。西洋の天国思想についても同様です。 それらの態度は人の心理が安定を求めるためのものと否定的に指摘してます。 これらの彼の言葉から推測するに彼はやはりその言葉どおり輪廻思想を否定している と見るのが自然ではないでしょうか?
205 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 20:59:03 0
そうではないと思いますね。 クリシュナムルティは、過去を思い出して分析したり、 未来のことを考えたりするのは、 今目の前にある真理を見ることの妨げになると言ってるだけでは? 言葉どおりって言いますが、彼が輪廻を明確に否定している 言葉がありましたっけ?
206 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 21:04:37 0
いや、もちろん思想全般を否定していると言う意味では、 輪廻思想も否定しているでしょうけれどね。
207 :
170 :2008/04/15(火) 21:19:25 0
彼は輪廻を信念のひとつとして明確に否定してますよ。
>>204 のとおりですが付け加えるなら、人が再生を信じる時、その人の心理は
安心、安定を求めているからであって、「ありのまま」の自分を見る事を拒否
していると断言しています。
208 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 21:46:40 0
クリシュナムルティは、理想とか、未来への希望全般を 現にあるものからの逃避として否定しているわけですから、 来世への希望も当然否定するでしょうけれど、 これは輪廻という現象がある/ないというのとは別のことでしょ。 ただ、「あなたは死後どうなるのですか?」という質問に 「火が消えるように、ただ消えてしまう」と答えている一節は どこかにありましたね。これなんかは、輪廻の否定なのかな。
209 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/04/15(火) 21:53:31 0
止まったかと思ったらハンマーで叩かれてまた動き出すんですよ
210 :
170 :2008/04/15(火) 21:56:16 0
彼(クリシュナムーティ)は輪廻の有る無しについては何も言ってないと思います。 しかし、彼の言動を見れば彼がそれを否定的に考えていたのは事実です。 私は彼と荘子が同じだと前に言いましたが、この点でも興味深い事に同じなのです。 荘子も死後の世界について言及したことはあるようですが彼自身は「死後の世界は あっても良く無くても良い」と言ってます。つまりどうでも良い語るに足らない事 だったことでしょう。それはクリシュナムーティにっとっても同じ事だったと思います。
211 :
170 :2008/04/15(火) 22:29:46 0
転投すいません。 できましたら、ポチさんの見解をお伺いしたいと思います。 ポチさんはどうやら輪廻について、 >輪廻を信念と捉えるのは、自己の本質が明確では無いからです。 とおっしゃってます。 輪廻について否定的ですか?肯定的ですか?
212 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 23:06:11 0
>>210 同感です。
輪廻かどうか忘れましたが、お釈迦様も弟子に必要ないことは言わないと言ったような記憶があります。
それでクリシュナムルティを読んだ時に、ああ、やっぱりそうだな、と思いました。
今必要ないことは知ろうとしてはいけない。
カルマや輪廻のために善行を施すのでは、目的のためで純粋なものではなくなってしまいますよね。
「だからあっても無くても良い」で、良心の声に従って行動することが求められるのではないでしょうか。
でもそうすると、中には死後の世界がないのなら、と好き勝手に生きる人間の方が多いので、
宗教は天国とか地獄とか持ち出したのですかね。
輪廻についてもその内容にいろんな説があるようですが、
どれが真実であっても、または無いとしても、自分の生き方は変わりません。
でも無いとしたら、不幸に生れて死んでいく人たちのことがやりきれないので、
知りたいと思ってしまう・・・
でも私には霊感がないので、幸せな来世があって欲しいと祈るしかない。
輪廻は問題にする必要はないとも言ってますね。 そうだと思います。 ただ、輪廻について触れている文章はあるにはあります。
214 :
ポチ :2008/04/16(水) 03:10:43 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ 私は30才まで、楽しい事、面白い事を追いかけ、お気楽人生を送っていました。 難しい事など考えず、死んだら終わりに決まってる、だって身体が無くなるし。 死んだ後の事など、判る訳がないと思っていました。 ある時、友人との何気ない会話で、「自己満足で無い事などないんじゃないの」 自分の口からポロリと出た一言に、しばらく考え込んでしまいました。 もし全てが、自己満足なら人生とは、何と虚しいものか。 必死に自己満足で無いことを探し、最後に自分の命を犠牲にする行為も自己満足であると、 結論に達し。深い茫然自失の中で、意識が狭いトンネルを上昇を始め、噴水が吹き上がる如くの、 体験後、「後で知った事ですが、智が開くと云うらしい」今まで理解 出来ない事が明確に判るようになりました。 今まで書き込みした事は、全て真実で、一人でも良いから、自覚が有り。 存在を明確に認識する方法が有ることを、伝えたく書き込みをしています。 どうか今までの書き込み、知識人では無いので、文体、表現が稚拙ですが、 頭で捉えるのでは無く、心で判断し、参考にして頂ければ、幸いです。 バイ
215 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/04/16(水) 17:20:27 0
>>212 >中には死後の世界がないのなら、と好き勝手に生きる人間の方が多い
死後の世界が無くても現世中に報復されるんですよ
因果応報です
216 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 18:27:58 0
報復なってあるかな? 必ずあるってものでもなさそうだな。 来世の信仰と同様、現世中の報復ってのも一つの信仰でしょ?
217 :
考える名無しさん :2008/04/17(木) 21:22:47 0
『真理の種子』の “利己性の流れ”p258-263
218 :
考える名無しさん :2008/04/17(木) 22:33:46 0
そこに何が書いてあるの?
219 :
ポチ :2008/04/19(土) 10:10:44 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ ネットの様な場所で、イージィーに伝えるのは、難しいのかな。 いきものがかり「帰りたくなったよ」いいね。癒された。バイ
220 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 16:33:01 0
うわぁ、さすがこういうスレってムズカしそうな漢字が 多いなー。
221 :
考える名無しさん :2008/04/22(火) 19:57:48 0
ポチさん 坐禅したいの?
222 :
ロッコツ歩 :2008/04/23(水) 03:53:50 O
何?ポチって。ネットってイーズイな場所なら あなたも利用されたんでしょ? 下手なマインドを押し付けて立ち去るのは、やめたまえ。
223 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 14:01:31 0
輪廻、再生についてこんな記述を見つけました。 「人生をどう生きますか?」コスモス・ライブラリーのp266 〜自分のちっぽけな存続を気にかけるのは愚かで無知な人です。そのような 人たちは生まれ変わりの理論を自分の恐怖を覆い隠す手段として、自分の 愚劣なつまらない存続(継続)を保障してくれるものとして用います。〜 〜「私」が生まれ変わりを通じて真理へと向かって存続する(=生まれ変わり を通じて存続し、進歩、向上してついに真理へと至る)という理論は誤った考えです。 それは真実ではありません。〜 やはりクリシュナムルティは輪廻、再生を否定的に捉えているようですね。
224 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 14:39:29 0
クリシュナムルティが輪廻をどう捉えていたかなんてことに こだわること自体、クリシュナムルティが否定していた態度の典型 だってことは明らかじゃないの?
225 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 14:56:58 0
>>224 それはクリシュナムルティも同じ事を言われたようですね。
古くは趙州和尚も同じ事を言われてます。
「取捨選択の無いところが悟りの本質」という趙州和尚に雲水が問う。
「その取捨選択が無いというのもひとつの選択ではありませんか?」
クリシュナムルティの場合は信念の放棄という事を言ったわけだが同様に
「それも信念のひとつではありませんか?」と聞かれた。
それに彼らがどう答えたかは自分で調べて下さい。
226 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 15:21:47 0
>>255 意味不明な書き込みだな。
私は彼らがどう答えたかに興味がないので、調べる気はないよ。
で、あなたは何が言いたいの?
227 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 15:25:23 0
私は彼らに興味があるので言った(書き込んだ)だけです。 あなたはクリシュナムルティに興味がありますか? 興味が無いのならスレ違いでしょう。
>>223 「自我=私」の生まれ変わりによって真理を掴めないという意味で、
輪廻がないという意味ではないですね。
真理というのは、「自我=私」の輪廻の有無を気にする必要はないということなのでは。
229 :
223 :2008/04/23(水) 16:01:35 0
気にする〜というかその信念を否定してますね。
我々の心の片隅に少しでもそのような信念があるのは、誤りであると指摘している
のだと思います。
輪廻の有る、無しについては何も言ってませんが、
>>223 のように否定的に捉えている
のは事実です。
228です。 >気にする〜というかその信念を否定してますね。 そうですね。 利己性が終焉して真理と共にあることを第一とする事において、 輪廻を問題化する必要はないのでしょう。 私の手元にある『クリシュナムルティの言葉vol.73』p20の中に、 やはり彼は、現象(事実)としての輪廻と、信念としての輪廻を区別して話していて、 今生を真剣に生きずに来世に期待し、輪廻が客観的に検証できない現段階において、 自己流の解釈や宗教・観念、希望にどっぷり浸かった精神の自己投影として、 輪廻を信念化することを否定していますね。 要するに、利己性(「私」=自我)が終焉しないと(?)何かが輪廻するのだが、 真理への直入は、 >「私」=自我が、生まれ変わりを通じて存続し、進歩、向上してついに真理へと至る >という理論は誤った考えであり、真実ではない 時間・輪廻の過程は不必要という意に受け取れました。(真理は時間・自我の範疇にない。) 『クリシュナムルティの言葉vol.73』p20は、後ほど書き込みます。
231 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 20:32:06 0
>>225 クリシュナムルティには興味あるよ。でも、
「それもまた信念の一つではないですか?」への答えには興味ないなあ。
「彼らがどう答えたかは自分で調べて下さい」なんて言う奴にも
不愉快しか感じないしね。
232 :
223 :2008/04/23(水) 21:05:49 0
>「それもまた信念の一つではないですか?」への答えには興味ないなあ。
私は、あなたの
>>224 について答えただけです。
彼(クリシュナムルティ)がどう答えたか興味が無いのは彼に対して興味が無い
のと同じでしょう。不愉快なのは私に対してではなく自分自身に対してなのでは
ありませんか?
233 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 21:15:29 0
>>232 まったく違いますね。クリシュナムルティに興味があるからといって、
彼がどの質問にどう答えたかというようなすべてに興味がある訳ないでしょ。
くだらない質問と思えば、その答えにも興味など持たないのは当たり前です。
それから、私が不愉快に感じたが私自身に対してなのかどうかについては、
ご自分でお考えになってください。
234 :
223 :2008/04/23(水) 21:20:48 0
でもその「くだらない質問」をあなたは私にしたんですよ。
>>224 で。
ご自分が聞いたのにソレに興味が無いのはおかしいですね。
235 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 21:33:19 0
236 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 21:47:07 0
あのう〜 調べたい人は調べる、調べたくない人は調べない、じゃだめなんですか? 実際会って話しているわけじゃないから、お互い誤解も生じやすいでしょうし、 挑発的なものの言い方はよろしくないと思うのですけど。 議論に勝つためにここに集まっているんじゃないですよね。
237 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 22:02:02 0
いや、そりゃ、それでいいだろ。 そして、「そんなの調べてどうすんのさ」って感想もありじゃね?
238 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 22:18:05 0
でも、そもそもの発端が、犬猫数十匹を買ってるって言う変なオッサンが 「俺は輪廻の真実を知っている」とか何とか発言して・・・・・・ 首尾一貫して阿呆臭くないか
239 :
考える名無しさん :2008/04/23(水) 22:59:29 0
つーか、大変そうだよね、オッサンの生き方。 クリは軽やかに生きていけといってたような・・・w
ポチさんは、宗教板で瞑想ごっこを教えているスレで、 教えを乞うぐらいなら、ここで薀蓄垂れなければよいのだが。
クリは電話でヒーリングしたってのは本当ですか?
一時期していたらしいですね。 彼の主たる仕事ではないということで、 しなくなったらしいです。
質問・・・ あなたの教えはすべて輪廻の考えに基づいたものではありませんか。 ほとんどの人にとって、これは学問的知識ではなく、ただの仮説あるいは信念ですが ― あなたは信念を持つべきではないと言っています。 K・・・ 私の教えが、輪廻の説から来ていることを否定します。 私にとっては、輪廻転生は実際に起こった事実です。 私はある確かな事を、覚えているからです。 「何を覚えているのですか?」と聞くでしょう。 十年前のある日に何かしたかいう事がとても重要な事でしょうか? 自分の過去の生活を知っていると言っている人のほとんどが、 何時も自分は王様や女王や、偉大な聖者、偉大な弟子だった、と言います。 ― 決して道端の貧しい乞食ではありません。 なんと簡単に自分を騙すのでしょう! 人はなんと得意になりたい事でしょう! 輪廻転生は私にとって、事実です。信念ではありません。 しかし皆さんに輪廻転生を信じて欲しくありません。 逆にはねつけなさい。心から追い出しなさい。 そしてただ自分は過去の産物であるという事だけを思い起こしなさい。 そうすれば未来を管理出来ます。 あなたが自分の主人公です。 自分の手の中に永遠があります。 『クリシュナムルティの言葉vol.73』p19-20 クリシュナムルティ・センター発行
244 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 02:57:27 0
えぇ!事実なの?
245 :
ロッコツ歩 :2008/04/24(木) 03:09:33 O
このスレってさ。他者に勝るための自己優越感に浸るスレ? それは、kが説いたこととは、別物だからね。 輪廻に対しては否定的であったと思います。 結局の所、我々凡夫は誰々があ言った、こう言った、 それを検証するしか、無くなってしまう訳。 死んでみないと分からないもの? ラマナ・マハリシは、輪廻転生は、はっきり無いと断言されてます。 kは、初期段階において、世界教師の役割を担うことで演じられました。 大師の御足の元に。などは、ペザント夫人が書いた紛い物です。 マイトレーヤの役割をきっぱりと断った辺りが好きです。 日記の中では、変性意識が入りこんでややオカルトのイメージでしたけれど。 その弟さんを亡くされて引きこもっていた時期の。 ただわたくしの考える所、輪廻先ありきだと、全ての行動が ウソっぽくなると思えるのですが。 あと、ダライ・ラマ僧は、体質的に菜食が合わなかったそうです。 家畜の動物への共感があったか?なかったかでの判断はできかねます。 皆さん、結局の所、魂の永続性が欲しいのですか?
とある県のあるプロテスタントの教会へ立ち寄る機会がございまして、 そこの教会の棚には、臨死体験に纏わるビデオが 置いてあったのが印象的でした。死が恐いんですね。
でも、死ってね毎日体験してるじゃありませんか? それは、眠りです。 寝ている時、自我も死んでますよね? どうしてそれを恐れるのでしょうか?
恐ろしい相貌やほのぼのした相貌に理由があるの? 怖くない人が無関心なのは理解できます
>皆さん、結局の所、魂の永続性が欲しいのですか? 単にクリシュナムルティの輪廻についての発言はどのようなものなのか? ということで書籍に当たってみたのです。
250 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 09:50:30 0
> 寝ている時、自我も死んでますよね? > どうしてそれを恐れるのでしょうか? そりゃ、翌朝眼が覚めると分かってるからだろ。
251 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 09:55:54 0
Kは「私にとっては、輪廻転生は実際に起こった事実です」と断言してるのか。 犬猫数十匹おじさんと同じ言い草じゃねえか。w
252 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 10:06:55 0
>>245 >それは、kが説いたこととは、別物だからね。
これは
>>243 の事を指してるのですか?
『クリシュナムルティの言葉vol.73』p19-20
クリシュナムルティ・センター発行〜とありますが、本当は誰が書いたものなんですか?
253 :
223 :2008/04/24(木) 10:21:29 0
確かに、ポチさんと同じですねえ。 「事実ではある。ゆえに信念ではない。」と言うのはまさにポチさんそのものです。 私はロッコツ歩さんの指摘のとおりこれはクリシュナムルティの説いたものでは 無いと思います。私は『クリシュナムルティの言葉vol.73』は未読ですが、これ が彼の書いたものなら、他の本で言ってる事と矛盾します。 そもそも「事実ではある。ゆえに信念ではない。」という言い方は私にはしっくり きません。例えは悪いのですが、酒、タバコを習慣的にやってる人が他人に対して 酒、タバコを断つように勧めているような感じですねえ。
>説いたものでは無いと思います。 さすがに勝手に断定しすぎでしょう。
255 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 10:57:54 0
クリシュナムルティのテキスト検索が大好きだった人たちが、 自分の脳内のクリシュナムルティ像に合わない言葉に合うや否や、 「他の本で言っていると矛盾するから、クリシュナムルティの説いたものではない」 って言い出すのは、かなり滑稽に見えるが。
256 :
223 :2008/04/24(木) 11:13:07 0
私はクリシュナムルティに興味があり、彼の本を10冊程度読みましたが どれも私にはしっくりときました。 私は彼に興味がありますが、彼のテキスト検索が好きなのではありません。 私はロッコツ歩さんの指摘に賛同します。 例えばバッハの音楽でも、彼の作として残っていながら明らかにバッハらしく ないものもあります。私はそれらはバッハの作ではなく他の者の作として捉えます。 彼の音楽は一貫性があるから、聞きこんでいる人間には分かるのです。
257 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 11:14:05 0
> 例えは悪いのですが、酒、タバコを習慣的にやってる人が他人に対して > 酒、タバコを断つように勧めているような感じですねえ。 この比喩は当たってないでしょ。クリシュナムルティが、自分は輪廻を信じながら、 他の人にはそれを信じるなと言っているんでなければ。
258 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 11:20:36 0
たとえば、神に関しても、クリシュナムルティは 「神を信じること」は否定するが、 神の存在や、「神に出会うこと」は否定してないでしょ。
259 :
ポチ :2008/04/24(木) 11:37:15 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ いきものがかり、の「帰りたくなったよ」を聞いたかな。 もし、貴方の心が澄んでいれば、ピュアーなハートの共振を感じられるはず。 私は現在の時空における、中心的希望を感じました。 今の世の中、生きて行くのに、ピュアーなハートなんて笑われるかも。 でも、部分的にでも、純粋な処や、何かに達する処がなければ、 高度な伝達「多角的、総合的、高密度」が難しい。 バイ
260 :
223 :2008/04/24(木) 11:43:47 0
説明が難しいのですが、「事実である。ゆえに信念でない。」と言う言い方 は私にとって詭弁に感じられるのです。 1、事実である。---信念である。 (当然) 2、事実である。---信念でない。 (詭弁) 3、事実でない。---信念である。 (当然) 4、事実でない。---信念でない。 (無) 信念を否定した彼は1、と3、を否定したわけですが、その否定した彼の立場 が2、というのはしっくりきません。 そもそも事実なのに信じないなんていう事がありえますかねえ? 私には理解というか想像も出来ません。
ただ >ゆえに は入ってないですね。 事実であって、信念ではないのでしょう。 それと自我が信念にすると松葉杖や逃避に利用する恐れがあるから 信じるなとも取れるようにも感じます。 信じることも「自我」が行うので、 何も信じる必要がないことになる、のではないでしょうか。
262 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 11:56:26 0
>>260 たとえば、目の前にあるリンゴを指して、
−−ほら、ここにリンゴがあるでしょ。
−−はい、私はリンゴがあると信じます。
−−おいおい、信じるんじゃなくて自分で見てくれよ。
つう感じでは?
263 :
223 :2008/04/24(木) 12:06:28 0
申し訳ありませんが、理解できません。 リンゴが目の前にあれば、普通の人は「はい、私はリンゴがあると信じます。」 とは答えないでしょう。「はい、リンゴがあります。」が普通の答えだと思います。 そしてその事実にはリンゴが目の前にある事の信念も含まれているのではありませんか? 事実だけを残し信念を無くす事が想像できません。 目の前にリンゴがあるのは事実であるが私はそれを信じない〜なんてありえますか?
264 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 12:15:48 0
それはあなたが、哲学者が使うような意味で「信じる」という語を解釈しているからだよ。 クリシュナムルティがその意味で「信じる」を使ってとしたら、 「私は何も信じない」なんて言葉は端的にナンセンスだろ。 あなたは、この言葉で彼が「事実などというものは存在しない」と言っている と思うか?
265 :
223 :2008/04/24(木) 12:21:54 0
彼が言う「私は何も信じない」は、正確には「私は(他人の説等)何も信じない」 という事だと思いますよ。 事実が存在しないとは彼は言ってませんし、彼の言葉からそういう風に理解する 人は少ないと思います。
266 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 12:34:34 0
それなら、「輪廻は事実である。私は、他人の説等からそう信じているのではない」 ってことで何も問題ないでしょ。
264さんではありませんが、 クリシュナムルティは「自我の終焉」を説いているので、 「私は(他人の説等)何も信じない」だけでなく、 「信じる」という私・思考・自我の行為自体の否定を当然含んでいると思う。
268 :
223 :2008/04/24(木) 12:43:55 0
>>266 それでしたら全く問題ありません。でも彼はそう言ってないのです。
>「輪廻は事実である。私は、他人の説等からそう信じているのではない」
これには明らかに自分が輪廻を肯定し、さらには他人の説からではなく自分の
説として信じている〜というニュアンスがあります。
でも彼は輪廻について否定的です。
事実存在する、しかし信念として否定する〜という言い方が詭弁のように感じる
と言っているのです。
無いから信じないというのが最も分かりやすいもので、私はクリシュナムルティは
この立場だったと想像します。あくまで私の想像です。
そして無いものを信じる一般人に「信じるな」と説いたのだと思います。
269 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 12:49:56 0
>>245 菜食に合わない体というのは、結局そういう波動の体ということではないですか?
共感があったらとても食べる(殺す)ことできませんけどね。
中国侵略前のチベット人が幸福だったかというとそうでもなくて、
一部の高僧と貴族がほぼ全ての土地や資産を独占して、大多数の一般人は農奴同然だったと聞きました。
聖者が治めていた国?と疑問に思ってしまいます。
チベット人の国ブータンでも、男女差別が著しく、
女性で読み書きできるのはたった3割なんですよね。
270 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 12:57:43 0
>>268 「自分の説として信じている」というニュアンスなんてあるかなあ?
繰り返しになるけれど、あなたはクリシュナムルティの神への信仰に
関する態度をどう思うわけ? 彼は無心論者か不可知論者?
どちらでもないのに、「神を信じる」ということを否定するのは、
自分は信じていながら他の人が信じるのは否定するという矛盾になる?
仰る通り、223さんの自我内のあくまで想像のクリシュナムルティですね。 >無いから信じないというのが最も分かりやすいもので、私はクリシュナムルティは >この立場だったと想像します。あくまで私の想像です。 >そして無いものを信じる一般人に「信じるな」と説いたのだと思います。 輪廻についての信念に否定的なのは、正確に把握できないからでしょう。 258さんが説明されているように、輪廻についてもその事象の否定はしていない。
272 :
223 :2008/04/24(木) 13:03:52 0
かれはあらゆる信仰を否定したと思いますが?
273 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 13:06:22 0
しかし、彼は神の存在を否定していませんよ。 邦訳で『クリシュナムルティの神秘体験』と題されている 強烈な本だって、絶版にしようともしていません。
274 :
223 :2008/04/24(木) 13:21:03 0
クリシュナムルティにとって「神」とは「真理」「悟り」と同義であるように 思えます。 そしてそれは自我が終焉した時にのみ現れる可能性があるもの。でしょう。 これは有ると信じていたと思います。しかしその信念はこの神に出会う 可能性を無くす、と言っているのではありませんか? つまり、有るから信じるが、信じているとソレに出会えない〜ようなものですね。 では輪廻についてはどうでしょう?コレも「神」と同様に有るから信じるが、信じて いると生まれ変われないから信じない〜というものでしょうか? 私は全然違うと思います。
>>274 >信じていると生まれ変われないから信じない〜というものでしょうか?
いまひとつ意味わからないです。
自我の継続願望や恐怖からの逃避、単なる憶測がいっぱい詰まった思考=既知の産物である「私」が、 有るとも無いとも正確に把握できないもの(輪廻、神)を信仰することを否定しているのでしょう。
277 :
223 :2008/04/24(木) 13:35:09 0
278 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 13:45:43 0
>>245 「ラマナ・マハリシは、輪廻転生は、はっきり無いと断言されてます」
すべての(宗教的)協議は、大衆を真我の本当の心理に誘うための予備段階に過ぎない
諸宗教は、開祖の最高の表現と最高の知恵を必ずしも必要としない
開祖は彼らが生きていた時代と人々の精神的受容力を考慮せねばならなかった
最高の知恵は、大多数の人々にとって、あまりにも微細であり
したがって、世界、神、身体、進化などの全体の構造は、人々が一つの実在
(真我の単純な心理)を信ずるよりもむしろ、すべてのこれらのことを信じるほうが
より容易であるらしいとの理由で、公表されねばならなかったのである
そのように、再生(輪廻)、アストラルのレベル、死後の生存などは本当であるが、
しかし低い見地からのみ言われてきた。
すべては見地の問題である
本当の真我の、最高の見地からすれば、すべてその他のものは架空ものとして消えうせ、
実在だけが残る。
ラマナ・マハリシ(不滅の意識 10章宗教の意味より抜粋)
279 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/04/24(木) 13:48:25 0
>本当の真我の、最高の見地からすれば、すべてその他のものは架空ものとして消えうせ、 >実在だけが残る。 だから神のコピー ホログラムと言う事です ホムンクルス、クローン、ターミネーター、被造物 名前を変えても一緒です
>>278 なるほど、ありがとうございます。
>そのように、再生(輪廻)、アストラルのレベル、死後の生存などは本当であるが、
>しかし低い見地からのみ言われてきた。
>すべては見地の問題である
>本当の真我の、最高の見地からすれば、すべてその他のものは架空ものとして消えうせ、
>実在だけが残る。
類似した見解なのですが、
本来の面目(無相の自己)は、全空間・全時間に
偏在している“虚空”なので輪廻はしないのですが、
私=自我が解消されないと属性のあるものが輪廻するかもしれないとは考えられるのです。
検証できないので、見性第一を主眼とする禅の宗派では、いま・ここに徹するので、
輪廻の有無は特に問題にしないです。
1、輪廻は存在しない
2、真理において輪廻は問題とする必要はない(輪廻は精神の捏造である自我の属性故)
3、最高の見地からすれば、いかなる輪廻も存在しない
クリシュナムルティが輪廻に否定的なのは、私は主に表向き2で、
本当は3の見地もあるように思います。
輪廻は自我の属性に拠るもの、だとすると自我は虚偽で捏造物であるので、
ただ、無相の自己の絶対の立場からは、輪廻という現象は有るように見えるが実際は幻想であるとも言えます。
この見地では上記3が当てはまると考えます。
>そのように、再生(輪廻)、アストラルのレベル、死後の生存などは本当であるが、 >しかし低い見地からのみ言われてきた。 >すべては見地の問題である >本当の真我の、最高の見地からすれば、すべてその他のものは架空ものとして消えうせ、 >実在だけが残る。 輪廻、死後の生存は、アストラルのレベルだとあるのだが、、 最高の見地からは、輪廻やすべてその他のものはマーヤーというか架空であり ただ真の実在のみが存在するわけですね。
>>278 真我・最高の見地に到達しないと
アストラルレベルでの輪廻を繰り返すってことなのでしょうか?
283 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 20:33:14 0
なんつうか、何が何でもクリシュナムルティは輪廻を否定していたってことに しないと気がすまない人がいるようだな。そんなことどうでもいいだろうに。
284 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 20:35:08 0
ちょっちゅねー何が何だか
285 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 20:42:58 0
というか逆でしょ。 何が何でもクリシュナムルティは輪廻が実在すると言ってるとしないと 気がすまない人がいるようだよ。 そんなの無くてもいいのにねえw
>何が何でもクリシュナムルティは輪廻が実在すると言ってるとしないと >気がすまない人がいるようだよ。 そうではなく、クリシュナムルティは輪廻が全く無いとは言っていないと レスしているだけだと思います。
287 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 21:18:26 0
なんじゃそりゃ??ww んで結局輪廻は有るの無いの?? そんな有るかもしれんが無いかもしれんなんて・・ww ハッキリ言ってくれないとワカランだろう。
288 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 21:20:45 0
どっちかにしないと、何か困ることがあるのか?
ハッキリ言ってくれても、確認できないことですね
290 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 21:25:24 0
クリシュナムルティが嘘ついてるかもしれんし、間違ってるかもしれんしな。
よーするにKは釈迦と同じで悟りを開いてるわけです
292 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 22:54:10 0
よーするに心の仕組みドットコムと同じで悟りを開いているわけか?
ラマナ・マハリシの「不滅の意識」は、所有しております。 あまり読解されてなかった訳か?今度の連休中に熟読します。 写真集付きの極々最近の著作本には、そう書かれてありましたよ。 アストラルとか言語のイメージを持たれるのも、敬遠しておりますが。 想像する所、ある見地に達しないと、輪廻し続ける。 しかし、ある見地に立つと、それは無いでよろしいですかね?あと申し訳ありませんが、こっちは、携帯からナノでレスポンスしたいのは、山々なのですが、出来兼ねます。色々質問された方には、申し訳ないです。
294 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 12:30:56 0
>「ラマナ・マハリシは、輪廻転生は、はっきり無いと断言されてます」 この場合、真我・最高の見地からは輪廻はない。 アストラルレベルでは幻として輪廻が存在する。 と補足しないと誤解されそうですね。
295 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 13:45:26 0
こんなのもありました。 質問者 「輪廻転生は真実でしょうか?」 マハリシ 「無知が存在する限り、輪廻転生は存在する。本当は輪廻転生などまったく存在しない。今も、今までも、そしてこれからも。これが真理である」
つまり輪廻転生がある(あるかもしれない、無いとはいえない〜)なんていう奴は無知ってことだなw
無知、最高の見地に至らないかぎり、幻想の現実として輪廻は存在してしまう。 ただ、この手のことを証明しろと言われても無理なので、 クリシュナムルティは、公開講和や表だった場では輪廻に関して、 釈尊の無記と同じ態度を取ったのではないでしょうか。 彼が輪廻に関すること(質問や話題など)否定的な態度であったのは、 輪廻自体が迷妄状態のもたらすものであることから来ていると思われます。
298 :
223 :2008/04/25(金) 15:19:25 0
>彼が輪廻に関すること(質問や話題など)否定的な態度であったのは、
>輪廻自体が迷妄状態のもたらすものであることから来ていると思われます。
果たしてそうでしょうか?
彼は結構輪廻について語ってますよ。有るとか無いとかいうのは
>>243 で初めて
見ましたが、しかも「事実」と断定しているのはコレしか見た事ありません。
私が読んだ彼の著書では全て否定してました。公開講和や表だった場ではない
彼の著作でも積極的に否定しているように見えますが?
釈尊の無記というのは積極的には語らず、聞かれても答えない〜という態度でしょうが
クリシュナムルティは自分から否定してます。この点は全然違うのではないでしょうか?
300 :
223 :2008/04/25(金) 15:28:24 0
事実である、とうのは有るという事じゃありませんか?
>>243 事実であるが無いなんて全くの矛盾ですよね。
でも私は
>>243 を信用してません。
>>298 223さんの言う、クリシュナムルティの否定とは、
たとえば、
1、真我・最高の見地からは輪廻はないが、無知な状態では幻として輪廻が存在する。
2、、無知だろうと何であろうと輪廻は存在しない
どちらでしょう?
信用しないというのは勝手だわな。
304 :
223 :2008/04/25(金) 15:35:13 0
>>301 それは、マハリシの言い分でしょ?
クリシュナムルティは単に否定してました。
私はオカルトっぽいのは嫌いですが、人の怨念だとかそういうものが
残るのは有るかもしれないと思ってます。
でも基本的に普通の人に輪廻は無いと思ってます。コレは私の見解でクリシュナムルティ
ではありませんが・・
>>304 単に否定とは、
無知だろう、何であろうと輪廻は存在しない。
に近い意味ですか?
306 :
223 :2008/04/25(金) 15:44:08 0
>>305 さあ、単に否定は単に否定としか言いようがありません。
それはクリシュナムルティのみぞ知るものじゃありませんか?
そもそも「無知」って皆さんはどのように捉えていますか?
「無知」って何ですか?
私はそれを聞いてみたいですねえ。
>>306 >さあ、単に否定は単に否定としか言いようがありません。
>それはクリシュナムルティのみぞ知るものじゃありませんか?
だったら、クリシュナムルティの否定発言の真意はわからないわけだから、
>>243 について
>クリシュナムルティの説いたものでは無いと思います。
と思い込むは滑稽に移ります。
×移ります。 ○映ります。
309 :
223 :2008/04/25(金) 15:59:58 0
滑稽であろうとなかろうとそんなのはどうでも良いんですよ。
>>303 さんが仰ったように、何を信用するかは個々人です。
あなたが輪廻を信用したいのであればすれば良い。
私は信用しないだけ。それだけでしょう。
310 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 16:05:04 0
どこにも輪廻を信用するとか言ってないだろう。
311 :
223 :2008/04/25(金) 16:09:58 0
>>310 では言葉を変えましょう。
>>243 を真実だと思いますか?
思うのであれば信用すると言う事でしょう?
思わないのであれば信用しないという事でしょう?
何故ならば
>>243 では輪廻は事実である、と明言している訳だから・・
彼(クリシュナムルティ とは思いませんが・・)が
>>243 で言ってる事を
真実だと思いますか?
>>311 その文献が偽書でないとして、
クリシュナムルティにとって輪廻転生は実際に起こった事実。
輪廻転生自体を信じるかどうかは、個々人のことで、
自分にとっては、243が偽書でなくても本物でも、
輪廻の有る無しは解らないことですよ。
313 :
223 :2008/04/25(金) 18:33:27 0
>その文献が偽書でないとして・・ですか? 要はあなたはそれを事実として信用なさるわけですね。 すると輪廻を信用すると言ってるのと同じではありませんか? >クリシュナムルティにとって輪廻転生は実際に起こった事実。 つまり、「輪廻の有る無しは解らない」と言っても、事実認定するのは 信用しているからなのではありませんか?
314 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 20:28:28 0
要するに、クルシュナムルティが別のところで何を言ってたにせよ、 俺の脳内のクリシュナムルティは輪廻を否定してるんだから、 そんなの関係ねえ、ってことか?
315 :
223 :2008/04/25(金) 20:43:34 0
>>314 では、あなたの脳内のクリシュナムルティはどうなんですか?
316 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 20:43:43 0
なんか必死っぽい。
317 :
223 :2008/04/25(金) 20:56:52 0
まあ、輪廻を信用しようが、すまいがそれは個々人の勝手です。
>>303 さんの仰ったとおりです。
ただ、私の見たところこのスレの何人かは信用してるのにそうでないような
言い回しをされているので、ちょっと深入りしただけです。
信用している人は、クリシュナムルティやラマナ・マハリシの否定の意味を
もっと率直、素直に聞き入れるべきとは思います。
318 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 21:00:17 0
>>315 私の脳内のクリシュナムルティに関して言ってもしょうがないと思うが、
リクエストに答えて言えば、初期のクリシュナムルティなら「輪廻は事実だが、
それを信じるべきではない」的なことを言ったかもしれんと思う。
319 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 21:03:19 0
>>317 阿呆くさ。何でおまいの脳内のクリシュムルティが言ってることを
俺が「素直に聞き入れ」なきゃならんのさ。
それにしても、何でラマナ・マハリシが登場してきたんだ?
もう、滅茶苦茶じゃね?
320 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 21:08:52 0
ここで「輪廻は事実だが、信じてはいけない」と クリシュナムルティが言ったというのは嘘、「釣り」でした、 なんつう書き込みがあると、また面白くなって来るんだがなあ。
321 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 22:17:08 0
だれか科学的なアプローチとかやってないの?
322 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 22:26:08 0
地球も本当は無いんだけどな
323 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 22:33:45 0
>>321 欧米人にときどきいるようだね。異端ではあるんだろうけど。
正直な所、マハリシ発言には圧倒されました。 「苦」はない境地に勝手に浸ってはいましたが、 来世の存在に恐怖をおぼえました。魂の存続性は期待しておりません。 しかしながら、生まれ変わるとしたら、また恐怖映画を観るだろう。 わたくしの過去は、自殺未遂をしたり恐怖で一杯でした。 ある見地とは、悟りです。わたくしは、今世では悟れないのを自覚しております。 私は何も信じないとは、別物でしょうけれど、 ラマナ・マハリシは、kと同様に敬愛しております。 から、彼がそう言われたのなら、また「苦」の幻を観るのでしょうね。 輪廻先ありきの今日の行動は、ウソっぽくはなかったです。 一つの言葉すらに、全注意を払いました。 真面目になりました。
こう想像しました。来世は、家畜の動物かな? そして来々世辺りで菜食主義になり、その後にある見地に立て るのではないかと。他者は自我のコピー、これも意識しました。 もし仮に周りに優しい人間だけが育つ環境に居れば、 ある見地に近いのかな?と。それと、全ての人に神性があるとも想像しました。 そうすると、自他との距離は、狭まりました。
自他の二元化を解消するまでには、果てしない道のりがある。絶対的な、0のスペースを体現するまでには、程遠いってことかも。
ね?
328 :
243 :2008/04/26(土) 08:47:52 0
>>320 w
すみません。亀で流れを読まず豚切りますが、
>>243 の訂正があります。
× 十年前のある日に何かしたか → ○ 十年前のある日に何をしたか
× あなたが自分の主人公です → ○ あなたが自分自身の主人です。
>>245 >それは、kが説いたこととは、別物だからね。
>輪廻に対しては否定的であったと思います。
>>253 >これはクリシュナムルティの説いたものでは無いと思います。
>私は『クリシュナムルティの言葉vol.73』は未読ですが、
>これが彼の書いたものなら、他の本で言ってる事と矛盾します。
別物?原書をご存知なのでなく、まあ憶測なのですよねw (私も原文は知りませんが)
Kの輪廻への否定的態度を、人による解釈の仕方、特にどのようなレベルの輪廻もまったく無いと
Kが説いたと解釈されている方にとっては矛盾していると感じられるかもしれないですね。
『クリシュナムルティの言葉』は、発行時点で未邦訳のものを、
クリシュナムルティ・センターで訳されたものですが、
センターの世話役を務めていらした高橋重敏氏が亡くなられた後を
クリシュナムルティの会が引き継がれていますので、
うーんやっぱり、どうしても別物・説いたものでは無いと思われて納得できない場合は、
原文・原書についてお電話かメールで問い合わせてみては如何でしょう。
未邦訳のものが未だあると思いますので、
今後、出版発表されていくにつれ、もっと詳しく解るようになるでしょうね。
329 :
考える名無しさん :2008/04/26(土) 11:15:20 0
クリシュナムルティの信者って多いんだね。 輪廻が事実としてある/ないということも、 輪廻がある/ないと信じる/信じないといことも、 クリシュナムルティと関係付ける必要ないはずなのに。 クリシュナムルティを自分の信念の後ろ盾としたい 奴が多いってことなんだろうね。
330 :
考える名無しさん :2008/04/26(土) 16:29:53 0
>>329 んーだ。3日ぶりに出た後ぐらい、スッキリした。
うんめいこといった。
ブランドしか判断の基準が無いんだね。
シコシコドクンドクンドピュドピュですか?
信者じゃなくって、 クリシュナムルティは単にどのように発言していたのか。 そういう興味の持ち方する人も多いですよ。 どちらかいうと読者層は信者にならないタイプが多い。 信者だと勘違いされることを嫌がる人が多い。
334 :
考える名無しさん :2008/04/26(土) 17:35:29 0
自分が信者であることを否定する信者が多いってだけでは? 「私はKの言ったことを信じているのではありません。 彼の言葉を読んで、自分でそれに『気づいた』のです」みたいな。
335 :
223 :2008/04/26(土) 19:13:37 0
信者といえば信者かもしれないですね。 クリシュナムルティは他人の言う事を信じるなと言いました。 臨済録で臨済禅師も同様に他人の言う事を信じるなと言いました。 それはクリシュナムルティにしても臨済禅師にしても「所詮、自分の問題 だからそれは自分で解決するより他無い。」という意味でしょう。 しかし、我々凡人は、その真実世界がどのようなものか理解できないので、 そのような悟ったと思われる人間の言う事を信じるのだと思います。 しかし、その信じ方は人それぞれで明らかにおかしい人間の言う事を信じる 人達もいるわけです。いわゆる悪徳商法に代表される似非宗教団体とか・・ そのような人達こそクリシュナムルティや臨済禅師の信者になって欲しいとは 思います。 信じるなと説いた人間の言葉を信じるのは矛盾のようですが意義のある行為とは 思います。
336 :
考える名無しさん :2008/04/26(土) 20:01:19 0
聖書とかを引用するひとが アブラハムの手紙・第何章・第何節によると・・・みたいなw みんなそれぞれに解釈してたりするとこも似てるかも。
337 :
考える名無しさん :2008/04/26(土) 22:22:30 0
宗教信者のメンタリティーってことで似てるところはあるよね。 ただ、なんつうかクリシュナムルティへの信仰って言うのは、 整合性を欠くところがある。 そこが救いなのか、かえって質が悪いのか分からんが。
338 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 00:20:55 0
クレタ人のパラドクスみたいで面白ぇなw
339 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 00:32:23 0
自分の脳が自分の脳のことを考えると 合わせ鏡みたいになって、 おわりがないってかんじかなぁw
340 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 08:00:17 0
「仏教のまなざし」にクリシュナムルティによる文書が収録されているが 出所はどうなんでしょうか?真正なものなんですか?
341 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 20:03:28 O
>>340 それが手元にないからわからないが大野コンビのやつならネタは確かなんじゃね。
で要約頼むわ。
今日、その写真集付きの出版物を買いました。 ラマナ・マハリシの。そこには、こう書かれてあります。 輪廻転生は、無知があるかぎりにおいて存在する。 今も昔も、実際の輪廻転生などはない。 これから後もないだろう。 これが真実である。 ラマナ・マハリシの教え p138
その写真集の名前は、静寂の瞬間〜ラマナ・マハルシとともに〜 です。いろんな著作物を抜粋した写真集です。
344 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 21:24:21 O
マハリシとクリシュナムルティは会ったことあんだよな。
345 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 21:49:35 0
写真集?アイドルですね
マハリシ:転生がないのは『真我』にとってだろう。
『南インドの瞑想』では
死後一年でも新しい体の中では70歳だったりしますとか言ってるお
(つまり時間を遡って転生してるんだね。記憶曖昧なので引用は適当)
>>344 同じく『南インドの瞑想』で師は必要か、という話題でKが出てくるね。
真我にとってではなく、真我こそが真実なんだよ。 映画の画像の中の火がスクリーンを燃やすだろうか? 画像の中の滝の流れがスクリーンを濡らすだろうか? アンカーの付け方上手くないです。アイドル? マハリシの褌姿にハアハアしておりますが、何か?笑
349 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 23:12:54 0
真我をラマナ・マハリシはどう説明してんのかな? エロイ人教えてくだせえ
350 :
223 :2008/04/27(日) 23:16:03 0
ちょっと聞いていいですか? 真我ってなんですか?それが有るとすれば非真我もあるんですよね? 真実の世界=真我なのでしょうか?非真我は似非真実という事ですか? もし、そうであれば輪廻は無いと断定されたようなものですねえ。 だって作られたイメージ(偽者)なんて死に際に誰も感じないでしょ? 死に際は皆、真我じゃありませんか? 無論、自殺とか何か怨念めいた死に方は除きますが・・
ランプ:真我 扉:眠り しきい:知性 内部の壁:無知あるいは原因身 鏡:自我性 窓:五つの認知器官 奥の部屋:その中で原因身が明らかになる深い眠り 中間の部屋:その中で微細身が明らかになる夢 外の庭:その中で粗大身が明らかになる目覚めの状態 ・・・『ラマナ・マハルシの言葉』より さらに意味不明だねスマヌ・・・(・∀・)
352 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 23:25:20 0
>>同じく『南インドの瞑想』で師は必要か、という話題でKが出てくるね 347さん 、その内容を詳しく教えてくれませんか?
真我は到達しなければならないような、どこか 遠い所にあるのではない。あなたは常に「それ」なのである。
354 :
ロッコツ歩 :2008/04/27(日) 23:44:20 O
解脱とは何か。それはどこにあるのか。そしてあなたは 今どこにいるのか。あなたと解脱の間にどれほどの距離ガアルと いうのだろうか?そこに到達する道があるいうのだろうか。 まずあなた自身を見いだしなさい。そうすれば、 このような質問は起こらないだろう。
355 :
ロッコツ歩 :2008/04/27(日) 23:59:25 O
「自我はどうすれば破壊されるのか」この質問は 確実に自我を元気づけるためであり、それを殺すためではない。 自我が自分自身を殺すことに同意するだろうか。 もし自我を探せば、あなたはそれが存在しないことを見いだすだろう。 これが自我を破壊する方法である。
体を自分と考えなければ一気に解脱できるだろ 体が最大の障害である
身体とはわれわれの想いに他ならない。想いが 存在しなければ、身体も存在しえない。 あなたは物理的身体と自分自身を自己同一視しているため、 この世界を物理的なものと見なしてしまう。 存在するもの、それは精神だけのである。
358 :
考える名無しさん :2008/04/28(月) 00:29:19 O
このロッコッ歩って人が書いてるのは何かのコピペ?何か印哲学びたての中学生が 書いたみたいな文章だけど有名な人のコピペなの?
>>74 昔募金しすぎで首吊り自殺した日本のキリスト教徒もそんな事言ってたな
クリシュナムルティって禅とおなじじゃね?
361 :
考える名無しさん :2008/04/28(月) 05:49:20 0
>>350 > 死に際は皆、真我じゃありませんか?
> 無論、自殺とか何か怨念めいた死に方は除きますが・・
???
ttp://kuboakoru.web.fc2.com/sounenn.htm ラマナ・マハルシ:想念は、数え切れないほどの前世を通じて、チッタ(その中に過去からの印象が蓄えられて
きた心の素質)の中に蓄積された傾向である。
その絶滅がねらいでなくてはならない。
その傾向から解放されていることが清浄だ。
人は意識のある真我を、知覚のない身体と混同することによって欺かれている。
この欺瞞は終わらせなくてはならない。
常にある真我を実現するには努力は必要ではない。
欺瞞を取り除くだけだ。
想念の不在は空虚を意味するのではない。
空虚を知る人がいなくてはならない。
知識と無知は心のものだ。
それらは二元性から生まれるものではなく、真我は知識と無知を超越したものだ。
真我、それは自ら光を発するものである。
真我を見るためには、他の真我を必要としない。
二つの自己は存在しない。
真我でないものは自己ではない。
自己ではないものは真我をみることができない。
見られたり、開かれたりすることは不可能だ。
真我は純粋意識としてただ独りで、向こうに横たわっている。
禅と似てるって言われるそうですね。
364 :
考える名無しさん :2008/04/28(月) 12:44:16 0
あれとこれが似てるとか、似てないとか言う奴って、 どっちもよく見てないことが多い気がする。
365 :
考える名無しさん :2008/04/28(月) 16:03:11 0
人にもよるんじゃねw
366 :
考える名無しさん :2008/04/28(月) 20:51:59 0
ニサルガダッタ・マハラジも似てるな
367 :
243 :2008/04/28(月) 23:06:44 0
>>333 >>243 の「人生の問題」の講和は、1931年に行われたとあります。
残念ながら、場所と日時までの記載はないです。
ついでに、『クリシュナムルティの言葉vol.73』の発行日は2005年10月1日です。
>>366 知ってる人イタ━━━━(Д゚(○=(゚∀゚)=○)Д゚)━━━━━!!!
369 :
考える名無しさん :2008/04/29(火) 01:46:38 0
けれども人々は、この単純な裸の心理,彼らの日々の真理、 常にそこにあり永遠の経験であるものを理解しない。 この真理とは自己の真理のことである。 自己を知らない人がどこにいよう。それなのに人々は、 この真理を耳にすることさえ好まない。 彼らは、彼方にあるものや天国、地獄や再生については熱心に知りたがる。 彼らは不思議を愛しており、真理を愛してはいないので、 宗教は、結局は彼らを自己の周辺に連れて行く程度のものしか 提供することができない。 (ラマナ・マハリシ)
Yo! クリシュナジ好きのみんな! ロッコツ歩です。 久しぶりのPCからの書き込みだぜー、このスレに書かれてるある通り 精神世界ミーハーです。キタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!! 二サルガダッタ・マハリジの「私は在る」すら所有しております。 彼は、喫煙家で肉食ではありましたが、真我を体験されてる中の一人です。 ババジのグルとしても有名ですね?今日8:00位から午後4:00位まで母の介護 に携わっていました。父と。久しぶりの病院が、いきなり救急車で運ばれることになる 母とそれに関わる患者さんとの接点でした。 突然、「苦」ありきの世界を見せられました。その時にも一切の自我の反応に注意を 払いました。「インフォームド・コンセント」を医師は尋ねられました。なんかドラマの 世界が現実に襲ってきました。わたくしは、TVは見ない主義なのでそんな場面が 迫りくるとは予想だにしておりませんでしたが、それがきました。
ある種の悲しみは襲ってきました。涙とか郷愁の、まだ死んではいないのに。 それは「母」へのイメージだとか、育ててくれたとか産んでくれたとか、からくる悲惨なイメージです。 幸いながら、母はボケております。その末期の自覚が無いのでとても助かります。救いです。 彼女は、キリスト教の勉強会へ通っておりまして、もし通夜をするのなら、教会でもそれはできるよ と父は言ってます。その前に「母ちゃん、死ぬ前に信者にでもなっていればよかったのにね!」と 発した後に続きました。これは、キリスト教肯定でも何でもありませんが、二サルがタッタ・マハラジ の言われる通り、信ずる神は自己の周りに近づけさせるだろうね。と云った発言の中にあります。
眠りの中に自我は存在しません。起きた時に自我は存在します。 どっちが無知か? 尋ねられると、起きた時の自我の存在するエゴそのものです。
マハラジも再誕生、輪廻説を多いに支持しておりますよ。 なんかの満たされなかった欲求とかが、来世の存在を自ら計画をし・・・・ってニュアンスであったと 思います。でもその時あなたは居ないでしょう…。
輪廻説に言及をするなら、中間世(バルト)へ逝って、意識を失って、又再誕生すると云う具合に 書かれていたと思います。エリザベス・キューブラー・ロスにしろ立花 隆にしろもし仮にわたくしの 記憶が間違いのならご容赦願います。
マハラジの質問者も面白いですね。何かわたくしそのものです。 「再誕生があるとしたら何て悲惨なことでしょう。それに恐怖を覚えます」ってな風に尋ねてるわけ。 お前は俺か?ってな具合よ。魂の存続性は信頼する。しかし輪廻の「苦」はご遠慮するってかたち。 そりゃそうだわな。だれだって、この精神世界を知ったなら二度と苦を体現しますまい…と思います。 また生まれ変わる? また生まれ変わらない? それは、大きな問題となりますよね、
どっちにしろ、神の御覚悟の末だと思われます。気をつけて読むと、マハリシも神と真我とは 別個のものと扱っておりますよね?「彼のすることは…」で始まります。 まぁ、真我すらを体験されたのならどっちにしても意味を帯びておりませんが、 我々凡夫は気にはなりますね。、一応の事 ^_^;
この世界のあらゆる「苦」の責任は、誰でもなく自分に起因する。と不滅の意識では書かれてある通り、自分の好きな 世界を創造されてるわけですよ。そして苦も体験するように仕組まれてあるっていうのか?自らが創りだしたって言うのか? 真我を体験するまでの道筋です。それはただの道筋に違いはないです。 あなたが後何百回、何万回生まれ変わろうが?
仏陀はアートマンの実在を否定しました。龍樹は仏陀のアートマン否定を厳密に論証しよう としました。龍樹にとっては輪廻も妄想でしかありません。龍樹の論難した説一切有部 でも勝義諦においてアートマンも輪廻も存在しません。またゲルク派の宗祖ツォンカパ もアートマンや輪廻を否定しております。仏教とヒンドゥー教的思想を分かつ分岐点は 真我を認めるか否かにあります。そういった意味で今ここの自分とは別個の真実の自己 や固定的実体になクリシュナムルティの教えは仏教的です。魂、本来の自己、アートマン、その類 を認める思想は殺人や差別に向かい彼岸の生に目を向けさせ現実逃避を生み出します。 歴史を見れば明らかです。その端的な形がオウム真理教であり、グノーシス主義です。 その正嫡がスピリチュアリズムです。
>固定的実体になクリシュナムルティの教えは仏教的です。 固定的実体に否定的なクリシュナムルティの教えは でした。
381 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 11:07:48 0
クリシュナムルティは無意識すら無いといってるね。 あるのは意識だけだと。
382 :
ポチ :2008/05/01(木) 11:57:57 0
ヤー兄弟達よ日々お疲れ
>>379 さん
有名な話なのでご存知と思いますが、自殺しようとしている人に出会った仏陀が、
死んでも、苦しみから逃れられない。苦しみから逃れたければ、私たしと来て、
修行しなさい。と誘い、後に悟りを修めた弟子がいましたが、どのように思われますか。
死んで終わりならば、死ねば苦も終わり、修行も必要無い事になります。
諸行無常、諸法無我を浅く理解すれば、何も無い事になります。
膨大な仏典の99%は、仏陀の悟りを正しく伝えていません。
仏陀の教えは、認識論で有り、よく考えて、認識を高め、迷いから離れなさいで。
要約すれば、 正しいとは何か。
正しく生きる理由。
正しく生きる意味。
です。バイ
383 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 12:09:37 0
仏教は、アートマンにタイシテアナートマン(無我、非我)の立場に 立ったので有名である。この無我説は、体のどこにも我がない、 という立場から出発するもので、アートマンを完全に否定するものではなく、 永遠普遍な固定的実体から存在があるのではなく、一切の存在は縁起 (相依相関の関係)によって生じたものであるという立場を押し出すために、 無我と称したのである。従って、ブッダは、日常生活における行為の主体で ある自己を指し時には、やはりattanという語を用いていられる。 仏教辞典誠信書房 中村元監修
384 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 12:13:41 0
ニャン☆
宇宙創生意味論運知(笑) 人間椀椀構造(笑) 堕落した共同体(笑) 手マン(笑) 言っておくが一度もしてないのだけど?(笑) 現代思想の再設定に尽力(笑)ニャン☆(笑) のりマょ・・という評価のもとで滅裂くさい(笑) 尻の穴をほじくった手でツッパリ(笑) 負けたのに次の力士に力水(笑) 現代女子高生の小便臭さ(笑) 於万湖運動についての近代的な理解(笑) ホアどぶちゃドエズットコち^゚)^゚)゚。プ。フぢっぷぷらだお!(笑) gorillas聞くヤツは人生終わり(笑) もう正直にカミングアウトしちゃいなよw(笑) 宇宙性器0079(笑) 「ル・サウンチマン」って、自分の「ル・サンチマン(=知的ルサンチマン)」を直視できない人間が、 自分の「ル・サンチマン(=知的ルサンチマン)」を誤魔化すときに使う欺瞞的な言葉だよね。 (笑) 日夜アホダラ経を唱えるサル・パラダイス(笑) キチガイサルカル人(笑) スナいんこっこスマナっここっこスマナらこっサーラ長老(笑)ニャン☆(笑)
386 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 13:43:50 0
>>383 >アートマンを完全に否定するものではなく、
>一切の存在は縁起
> (相依相関の関係)によって生じたものである
>という立場を押し出すために、
> 無我と称したのである。
にゃん☆
387 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 14:09:09 0
いわゆる「因縁」ですか? しかし、臨済録で臨済禅師は「仏法は因にも属さず、縁にも依存しない。」 と断言された。 クリシュナジーも同様な立場で発言している。 コレをどう見ますか? 所詮、仏陀だとか、クリシュナムルティだとか言っても死んだ人ですよ。 そんな故人の言い伝えをマトモに信じている人は「干からびた骨を吸って どんな栄養を摂ろうとしているのだ?」と臨済禅師から怒られますよ。 クリシュナジーや臨済禅師が示したように「無選択」にあるがままを見るのが 最も良いのではありませんか? ココで仏陀がどうのマハラジがどうの〜と言っても時間の無駄だと思います。
上で誰かレスいれたから相手してんでしょ
389 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 15:01:25 0
(笑)(笑)
390 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 15:07:50 0
人のいるスレだニャン☆
391 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 15:25:38 0
>>387 >だとか言っても死んだ人ですよ
>そんな故人の言い伝えを
>〜と言っても時間の無駄だと思います。
だったら、臨済録で臨済禅師は〜 と引用しない。
お前が臨済から怒られるんじゃないか。(笑)
>コレをどう見ますか?
時間の無駄なんだろう?尋ねるなよ。(笑)
392 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 17:14:18 0
ウケルw
393 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 18:53:32 0
その突っ込まれ方はもう飽きた。 既出だというのを解って書いてるの? あなたに対する答えは前の方にすでに書いてます。
394 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 21:39:55 0
スレの前のほうなんてすでに終わった話でしょ。あるがままですよ、あるがまま。w
マハリシの訂正。「苦」ではありませんでした。「幸福」の原因です。 あなたのすべての幸福は、たとえそれがどんなものであれ、 その原因はあなた自身であり、外部の物事ではない。 何か外部にあるものがあなたの幸福をもたらしたと思うことが あっても、それはあなたの思い違いなのである。実際に起こったことは、 無意識のうちに物事があなたをちょっとの間あなたの真我の ところに連れ戻し、幸福を借り受け、あなたにそれをプレゼントした、ということなのだ。 幸福は一つの影としてあなたのところにやってきたのである。 なぜその原因、真我を見て、それを理解しないのか? これをマハラジの世界観と混同して「苦」に置き換えてしまいました。m(_ _)m
「不滅の意識」では、マハリシは第10章 宗教の意味では、 われわれに起こったことに、他の人びとは何の責任もないのです。 彼らは、なんらかの仕方でわれわれに生じたことのための、 たんなる道具にすぎないのです。 強い信念をもち恐怖に負けないようにしましょう。 何ごとが起ころうと、それはわれわれのプラーラブダ (今世で結果をもたらす人のカルマの部分)によって起こるのです。 それ自身で尽き果てさせるようにしましょう。 と触れてます。
397 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 23:15:39 0
突っ込みどころ満載のを書き込む方が悪いw
398 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 00:07:10 0
あなたは2チャンネル哲学板の馬鹿げた発言が 自分の外部にあると思うかもしれないが、 それはあなたの思い違いなのである。 あなたが読んでいるのは、外部の発言に関する あなた自身の解釈であり、つまりそれはあなた自身の考えなのである。 だから、結局、馬鹿なのはあなた以外の何者でもないのである。
399 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 00:14:36 0
アンカーを付けてレスしないから それぞれのレスがどれに対してのものか 読んでると解りづらいね。 自分に向けられたと、 勘違いしているものもあるように見える。
400 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 00:41:53 0
>>398 馬鹿げた発言って急にどうした。
独り言?
401 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 01:18:31 0
402 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 09:09:22 0
詐欺師の言い分みたい
403 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 10:13:34 0
>>401 それが俺の言いたかったこと。
マハリシって奴は詐欺師じゃねえのってこと。
404 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 10:36:26 0
>>403 或る発言を「馬鹿げた発言」と思うと、
・・・・・・・・・・
「馬鹿なのはあなた以外の何者でもない」
であると、一個人が全人格的に馬鹿という意味にとれるよ。
表現の手直しが必要にみえるけど。
>>403 398の文章を書き込まれた方でしたら、
もし、ラマナ・マハリシの著書で該当する文があるのでしたら、
書籍名と該当箇所(ページ等)を、お手数ですが教えて頂けませんでしょうか。
406 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 12:36:25 0
ニサルガダッタ・マハラジ
どうしてかね?
試した事はあるかね?
試してみなさい。
そうすれば、苦しみには快楽(楽しみ)には
見出す事が出来ない喜びがある事を見出すだろう。
なぜなら、苦しみの受容には快楽よりもはるかに深いところへ、
あなたを導くという純然たる理由があるからだ。
個人の自我はその本性からして絶えず快楽を求め、苦しみを避けている。
このパターンの終焉が「自我の終焉」なのだ。
自我と、その欲望と恐れの終焉は幸福と平和の源である、
あなたの真の本性に帰りつくのを可能にする。
絶え間ない快楽への欲望は、内なる永遠の調和の反映なのだ。
人が自我を意識しだすのは、選択と決定を要求する、
快楽と苦痛の合間での葛藤に捕らえられたときだけだ。
この欲望と恐れの衝突が、人生において正常な、
偉大なる破壊者である怒りを産み出す。
苦痛がひとつの教訓と警告として、あるがままに受け入れられ、
注意をもって深く魅入られた時、苦痛と快楽という分離は打ち壊され、
それらはともに、抵抗した時に苦しく、受け入れた時には快いという体験になるのだ。
ttp://obe.jugem.jp/?cid=5
408 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 14:20:15 0
さっぱり分かりませんなあ。 俺は腎結石で腎臓から膀胱へ向かう管に石が出来てチンポからドリル付きの カテーテルを突っ込まれて石をグリグリ砕く手術を2時間受けましたが、 非常に苦痛でああいうのは2度と御免です。 受け入れた時に快いなんてキチガイのマゾヒストだけが感じる世界だと思う。 一般人にそんなのを提示するのもキチガイじゃないでしょうかね?
409 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 22:35:53 0
あなたはヒトラーの馬鹿げた発言が 自分の外部にあると思うかもしれないが、 それはあなたの思い違いなのである。 あなたが読んでいるのは、外部の発言に関する あなた自身の解釈であり、つまりそれはあなた自身の考えなのである。 だから、結局、馬鹿なのはあなた以外の何者でもないのである。
マハラジは、アジズの主将でババジではない。ここだけ訂正入れます。
411 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 22:58:24 0
あなたは『麻原彰晃』の馬鹿げた発言が 自分の外部にあると思うかもしれないが、 それはあなたの思い違いなのである。 あなたが読んでいるのは、外部の発言に関する あなた自身の解釈であり、つまりそれはあなた自身の考えなのである。 だから、結局、馬鹿なのはあなた以外の何者でもないのである。
412 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 23:07:23 0
あなたは『狂信者』の馬鹿げた発言が 自分の外部にあると思うかもしれないが、 それはあなたの思い違いなのである。 あなたが読んでいるのは、外部の発言に関する あなた自身の解釈であり、つまりそれはあなた自身の考えなのである。 だから、結局、馬鹿なのはあなた以外の何者でもないのである。
413 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 23:34:31 0
ただ最後の一行を言いたいがためだろう。そろそろしつこいよ。 いつまでも真我を体現できない自らのエゴに対して馬鹿発言は。
398はロッコツ歩さん?
416 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 23:44:11 0
いつまでも真我を体現できない自らのエゴに対して馬鹿発言は。 意味が解らん。
417 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 23:55:33 0
>>414 > いつまでも真我を体現できない自らのエゴに対して馬鹿発言は。
己の憶測。
〉〉415さんわたくしではありません。 〉〉416さん意味は、分かると思われます。 哲学板のトガッタ方々に自我の終焉とは、不可能に近いです。
哲学板らしい感じではありますねw
420 :
398 :2008/05/03(土) 00:31:33 0
421 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 01:20:25 0
>>420 あなたは2チャンネル哲学板の馬鹿げた発言が
自分の外部にあると思うかもしれないが、
それはあなたの思い違いなのである。
あなたが読んでいるのは、外部の発言に関する
あなた自身の解釈であり、つまりそれはあなた自身の考えなのである。
だから、結局、阿呆なのはあなた以外の何者でもないのである。
422 :
398 :2008/05/03(土) 01:23:41 0
俺の真似すんじゃねえ、阿呆。
ここ数日で劣化しすぎだぞwww vipでやってこいw
424 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 11:01:07 0
クリの本の愛読者で、いわゆる社会的勝ち組っているの?
425 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 11:43:49 0
欧米では結構たくさんいそうだよ。
426 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 11:58:10 0
>>425 そうか・・・何と言うか、逞しいねえ。
俺、この人の本読むと無気力というか何をしても
間違ったことしてるような感覚に襲われんだよ。
でも、気になって読んじゃう。
他の人は日常生活と、どう折り合いつけてんだろ
427 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 12:10:15 0
故高橋重敏さんは、会社経営者だったね。
428 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 12:33:52 0
>>426 たしかに、みんなが「勝ち組」になろうと競走している社会の中で、
「よし頑張るぞ」という気分にさせてくれる本ではないわな。
429 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 17:22:52 0
>>428 うん。下手すりゃ人間の(てか俺の)怠け心を正当化してしまう。
晩年のクリにしてみりゃ「もう、ダメだな人類」て気持ちもあったのかな。
430 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 18:06:39 0
Youtubeで、クリがボーム?とかと 会談してるの見たとき、 うゎー、本物のクリシュナだーって感動したw
最初、youtubeの無い時代に読者会でビデオでkをたときには、 感動と共に、幾らかは、失望した気がする。年老いた普通の老人っぽくて。 読者会では、しきりに訳がおかしいから、原書を見たい! って熱があった。偉そうに「自我の終焉」の訳は、 直訳すぎて、読みづらかったから「おかしいですね」 って発言したら、すごい反感を買ったけれど。^^;) 確かに勝ち組生み出した落合信彦の価値感とは別物ですよね。 それで生計はたてれんでしょ。って話になるわね。福祉をするに したって、偽善ではないか?代償求めてはいないか? そこまで突き詰めてしまう。多分、kを知った為、ある 優越に浸れるかも知れないけれど、その代償は大きいと思う。 一つの何気ない行動の中に、全注意を払わないといけない。 最近テレビも見れなくなったし、口数も少なくなった。
それが、瞑想なのか?迷走なのか?もわからなくなってしまう。
ボームとの対談は「生の全体性」でしたよね? 時間はないというクリ爺の答えに何とかついていこうとする デビット・ボームとの対談でしたよね。あれは名著でした。 晩年のほうが名著作が多いです。最近の方は、世界教師としての 役割を担わないといけない立場で言わされていた所もある と思われます。クリ爺が、輪廻発言をするってのは、本意ではないはずです。
×最近の方は、 ○最初の方は、
435 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 20:28:38 0
>>433 輪廻発言をするってのは、本意ではないはず
って所をkwsk、、、
あの高橋氏がご存命の時に、「オレンジ・ブック」を見て、 東京青山にあるクリシュナムルティセンターに長時間電話したことがある。 クリシュナムルティと言ってることが、同じじゃないですか?って。 すると「彼も最初はよかったんだけどね・・・・」って 話しをなさいました。ラジニーシはやり過ぎた感があります。
信念すらの否定、あなたの信ずるところの… ここにたとえば宗教の天国地獄、或いは輪廻思想が来ると、 条件付けの打破は出来ませんから。それに同意をするはずはないじゃありませんか?
438 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 20:56:15 0
とりあえずクリの英語を聞いて これでも良いのか、と自分の英語に自信を持ったw
439 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 20:59:08 0
ここの人達、 いい加減アンカーつけたら
440 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 21:08:18 0
>>437 事実としての輪廻はあるが、
輪廻を思想として信仰して欲しくないにも関わらず、
クリシュナムルティは仕方なく発言したって意味でしょうか?
441 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 21:11:33 0
>事実としての輪廻はあるが、 どうしてそう言える?無いかもしれんだろ?
442 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 21:21:16 0
>>441 説明不足で大変申し訳ございませんでした。
>>243 のクリシュナムルティにとっての事実を踏まえてのものです。
kは、全人類の悲しみに同調をし、対話をされてきました。 あなたが世界だからです。その中にありとあらゆる信念は否定すべきで あったと思われます。葛藤、闘争、競争の生まれない空間です。 自他の二元化のない0の空間です。ただそこにたどり着くまで のいかなる主義・思想も嘘っぱちだと悟られたのでしょう。
〉〉440さん 442が詐欺師でないのならそういうことでしょう。
>>445 442が詐欺師ではなく、243ではないの?
訂正 ○243が詐欺師でないのなら。
これには解答できかねます。たとえ2chにしろ、引用にしろ全責任をもって発言なされてるわけだし。
449 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 22:15:04 0
?
450 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 22:22:05 0
自己を破壊しなければ平安はおとずれません 他人にイライラするのは自己があるからです 自己を破壊すればイライラすることもありません
個人的に、〉〉243のk発言は信用しないってことです。詐欺師とは、誰かは分かりません。
452 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 22:29:13 0
>>448 >解答できかねます、もなにも
>>445 で詐欺師でないのならって思い切ったレスしてんじゃん。
それに、これまでも結構思い違いのボロボロのレスの連続なんだが。
kが輪廻発言から、マインドが混乱して、 マラリシとかマハラジになってきたんだろう? 源は?
454 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 22:43:14 0
マハリシが断言していない、違うから「真我」を体験しない限りは、 に少し変わったけど源は、kの輪廻発言からです。わたくしの発言もその後です。
わたくしのボロボロのレスは、
442=243と思ってた。(^^;)ゞ
つまり個人的に
>>243 を引用した方が詐欺師だとの意見です。
ちょっと気になった。 >マハリシとクリシュナムルティは会ったことあんだよな。 ジッドゥはないと思う。 あるのは、U.G.クリシュナムルティ。 英語のwikiで検索かけても、"Talks with Sri Ramana Maharshi"で言及してる部分しか書いてない。 352が知りたそうなので書いとく。この二つだけ。 トーク41 質問者:J.クリシュナムルティは「グルは必要ない」と言っています。 マハリシ:彼はどうやってそれを知ったんだ?人がそう言えるのは悟って(分かって)からで悟る前ではない。 トーク239 モーリス・フリードマン:クリシュナムルティは、「私」を発見(理解)しなくてはならないと言っています。すると「私」は溶け去り、ただ環境の産物の塊としてあるだけです。「私」の向こうには何もありません。彼の教えはまるで釈迦のようです。 マハリシ:そうだ。表現を超えている。
460 :
考える名無しさん :2008/05/04(日) 01:05:18 0
詐欺師(笑)
461 :
考える名無しさん :2008/05/04(日) 01:25:42 0
引用元を相互確認できないソースだと、 自分の思うクリシュナムルティ像と違う場合は詐欺師になるようです。
ラマナ・マハリシはヒンドゥーの伝統の人でもあるからね。
463 :
考える名無しさん :2008/05/04(日) 11:57:22 0
つーか、わけわかんないまわりくどいレスだか コピペだかわかんないことする人がいるから 混乱するんじゃ・・ わざわざ複雑にしなくて良いじゃん
464 :
考える名無しさん :2008/05/04(日) 12:16:08 0
/;";~ ̄ ̄~;゙; .、 _ /( .; !; ; 、 ! ! ;\ __ ./#= i l i ! 、゙ヽニニ- | i i _ /,,.、 -===、゙''‐--‐' ; .i _/ . 〃r、 -―-、 ===、i 〃Li ミ '―-、 i /"‐-、 〉 _ // '-' ゙=‐-,,.ノ//(. ‐-、゙/ __ /! ゙-/// ////{ ノ// .)゙゙~"/ _ ''''"" ̄7 ..! //ノ〃ノ/ト、ヾ,,.ノ"!i i ii/ _/ _ -‐ ''"7:::::::! ! 彡,,ノ/゙ヾミ三=ァ!!.i.i/
466 :
考える名無しさん :2008/05/04(日) 17:10:15 0
467 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 22:29:54 0
>>223 通りすがりの者だが、あなたは自分の信念や思想に執着しながらKを見過ぎているように感じる
ユングはBBCのインタビューで Do you believe God?
と聞かれて
I do not believe,but I know God. みたいな感じで答えているよね
Kの「輪廻転生は私にとって、事実です。信念ではありません。」ってのは、ユングの言い方と似ていると思った
それはともかくとして、
>>295 のマハリシの言葉は秀逸
Kが言いたかったことなのだろうと思う
自分も、誰かが上で言っているように、Kは神を信じることを否定しているが、神の存在そのものを否定してはいないと理解している
Kの物言いは、我々の迷ったレベルとは違った視点からであることが多いと思う
468 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 22:30:39 0
お釈迦様の教えでは、悟った観点から見れば、自我というものの実態は存在しないこととされている しかし、迷いの中にいる我々からすれば、自我というものは紛れもなく存在している Kの通常の物言いからすれば、輪廻転生に否定的なのは悟った立場からの視点だろう しかし、それが迷っている我々の認識と一致しているとは限らない 鈴木大拙がいみじくも指摘しているとおり、Kは我々より一段高いところから語っているため、迷いの真っ只中にいる我々には、その意図することが伝わりにくいのだろうと思う
469 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 22:57:24 0
>>467 まあ、私が自分の信念や思想に執着しているかはともかくとして、
あなたは輪廻転生を信じるわけですね。繰り返しで申し訳ありませんが、
311 :223:2008/04/25(金) 16:09:58 0
>>310 では言葉を変えましょう。
>>243 を真実だと思いますか?
思うのであれば信用すると言う事でしょう?
思わないのであれば信用しないという事でしょう?
何故ならば
>>243 では輪廻は事実である、と明言している訳だから・・
彼(クリシュナムルティ とは思いませんが・・)が
>>243 で言ってる事を
真実だと思いますか?
470 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 23:08:26 0
また連投ですいませんが、Kは神の存在を否定しているとは言ってませんよ。
私は
>>274 で言ったとおり彼の「神」は真理だと想います。悟り、真実の世界
等何の言葉で置き換えても同じです。
471 :
考える名無しさん :2008/05/06(火) 11:15:42 0
>>223 の粘着ぶりは、Kの教えを全く理解していない証左だな
472 :
考える名無しさん :2008/05/06(火) 11:22:25 0
何か知らないけど、Kが語ることはすべて真実で、 それを理解してる自分は・・・ っていうような妄想が心の支えになってる人じゃね
真理=暴力的権力論かね。 まあ、我々人間なのだから、そういう動機も避けられないのだけど、 それとは別に思想史的観点から、 クリシュナムルティは本当にどう考えてたかと 議論するのもいいじゃないか。
kの教えって何ですか? kの語ることで真実じゃないのは何ですか?
真理=暴力的権力論って何ですか?
語る時点で既に真実からズレてるんだろうな
477 :
考える名無しさん :2008/05/06(火) 15:51:25 0
真理=暴力的権力論?
あるがままに生きるのがKの教え
もう仕事はじめだよ。連休は長かったけど。ほとんど母の介護に費やした。 鈴木大せつ? NHKの「あの人に会いたい」で見た。日本人は宗教心が無いように思われますが、 元々、持っております。ただ西洋のはっきりとした環境でないにしろ。 その仏壇とか、自然に宿る沢山の神々を敬愛してる。というスタンスでの中で。 これは、昔の白黒の映像の中ででしたよ。こいつが禅を西洋に 広め、kと接点のあった御方と関心して見た記憶があります。
なんか意味不明なレスが続いてるな・・
>>471 〜473よ、474〜475に答えてやれよ。
俺も知りたいw
481 :
考える名無しさん :2008/05/06(火) 21:56:24 0
クリシュナムルティは、思想だの哲学だの提示するつもりはないっていう人でしょ?
482 :
考える名無しさん :2008/05/06(火) 22:01:44 0
>>474 Kの言葉を信じるとすれば、人の言葉の中に真実なんてないですよ。
483 :
考える名無しさん :2008/05/06(火) 22:04:20 0
>>480 自分で考えましょう。でも、残念ながらバカには分かりませんけどね。
484 :
考える名無しさん :2008/05/06(火) 22:18:24 0
> kの教えって何ですか? 現実に起こっていることは何なのか自分の目で見なさい、 ってことじゃないでしょうか。
485 :
考える名無しさん :2008/05/06(火) 23:10:15 0
>>223 みたいに自分の主張に拘って相手を論破しようとする姿勢っていうのは、Kの説いていることと相反すると感じる、っていうのが、
>>223 に批判的な人の総意だろうと思う
そしてその結果は
>>476 の言うとおりとなる
なんだkの教えってそんな下らないのもだったの?ww 本買って読もうかと思ったがやめた。 皆、教えてくれてアリガトw
↑エロ本でも読んどけ
↓このスレ読んで感じた事。 意外と六道輪廻を信じてる人ってのは多いんだねえ。 俺はチベット死者の書とか読んでもおとぎ話にしか感じられなかったけどねえ。 それよかソクラテスの死後の世界観の方が面白いよ。 生きてる間は楽しい事と苦しい事では圧倒的に苦しい事が多い(のが普通)。 そこで死んで何も無い状態になると楽しい事も無くなるだろうが圧倒的に多い 苦しい事も無くなる。よって死後無になるのは何も恐れる事も悲観する事も無い とかいう話だけど。俺はこのソクラテス論がいいと思うから六道輪廻は信じて無い派だ。
490 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 17:01:51 0
Kの本みたいのは、結局、Kと同じ境地に立った人しか 理解できないのかも 死んだ後しか、本当に死んだらどうなるのか わからない、みたいな
491 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 18:58:05 0
>>489 それ、読解力に問題あるよ。
クリシュナムルティが輪廻を否定していたと言いたい人と、
別にそうでもないんじゃないと言いたい人は発言してたけど、
六道輪廻を信じてる人なんて誰かいた?
それと、ソクラテスは死後がそうだと言ってはいないよ。
そこにあるのは「もしそうだとしたら」という話で、
基本的には「私は知らない」という立場。
信じるという状態が、どういう状態か議論が分かれる所だが、 無宗教の人は「死ねば死にきり、死後の世界はない」という理論を 「信じている」と思うのだが。 「分からない」と「信じない」は違うように思う。 このスレだって自分の知り合いが一人で自作自演してるか 分からないのに、知らない人の複数が書き込みしていると 信じている。 似たような無自覚レベルで、無宗教の人も死後の世界観を信じてると思うよ。 分からないとは言ってるけど。
493 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 20:43:13 0
>>491 同意
Kは、輪廻については明確には答えていないと思うし、Gもお釈迦様も同じだ
そして、お釈迦様はそのような質問には答えなかったし、Gは、「成長すればそのような質問に答えない理由が分かる」みたいなことを言っている。
Kも同じような立場なのだろうと感じる
しかし、「Kは輪廻を否定していない」というレスを行った者に対して、「六道輪廻を信じているですね」と理解するのは飛躍しすぎだし、そのように理解しているのであればその人は論理的思考とは縁遠い人だし、哲学板に来るレベルにはないと思う
494 :
223 :2008/05/07(水) 21:46:09 0
>しかし、「Kは輪廻を否定していない」というレスを行った者に対して〜 そうなんですか? 私にはKは明確に輪廻を否定しているように見えますが? 問題は、彼が輪廻を事実と認めた事を信じるか否か?って事でしょう? 私は信じない。私を批判しているこのスレの何人かは信じている。 それだけの事でしょう。私はそんなのはどうでもいいと前にも書きましたが? 私のレスを良く読んでないようですね。まあ、それもどうでも良い事ですが。
495 :
223 :2008/05/07(水) 21:47:58 0
どうでも良くないからレスしたなんてくだらない事は言わないで下さいね。
496 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 21:56:39 0
輪廻は確かにあるが、悟っていない人が輪廻を考えても、 ろくな事を妄想しないから、とりあえず君たちの前では、 否定しておくよ、という事だろうね。
497 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 22:00:53 0
> 私にはKは明確に輪廻を否定しているように見えますが? 自分の解釈に合わない言葉はすべて本物ではないとして排除すりゃ、 たしかに「明確に否定しているように見える」だろうね。 何でそこまで必死に、Kが輪廻を否定していることにしたいんだろうか? 「どうでもいい」というのが本当なら、それがよく分からんね。
498 :
223 :2008/05/07(水) 22:05:31 0
>輪廻は確かにあるが、
あなたはKの本を読んだ事ありますか?
Kが輪廻を肯定していましたか?否定していましたか?
確かにあると思うのはあなた自身でしょう。
Kは否定してます。肯定しているのは
>>243 だけです。
私は
>>243 を信じません。
499 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 22:05:55 0
>>494 なるほど。あなたはKは輪廻を否定したと信じたいので、
輪廻を事実と認めたことは信じたくないってことですか。
500 :
223 :2008/05/07(水) 22:20:48 0
>>499 信じたいのではなく、輪廻を否定してるでしょ?
否定しているのにソレを信じないのは何故ですか?
私にはその方がよく分かりませんせんねえ。
>>243 以外で輪廻を肯定している部分がありますか?
あるのなら教えてください。あれば私の心情も変わるかもしれません。
501 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 22:34:07 0
この場合の輪廻の否定は、 「どのような輪廻も無い」 でOKですか?
502 :
223 :2008/05/07(水) 22:40:24 0
>>501 あなたが言わんとする事は分かりますよ。
真我に輪廻なし、凡人に輪廻あり〜という事でしょ?
しかし、Kは一般人に対して講演し著作を残したのだと思います。
一般人が凡人であるのは当たり前です。そしてその凡人に輪廻を否定した
のではありませんか?
あなた方は私がKの輪廻否定に固執していると批判されますが、私から見れば
何故、執拗に彼の輪廻否定をさらに否定するのか理解できません。
503 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 22:56:04 0
>>502 >真我に輪廻なし、凡人に輪廻あり〜という事でしょ?
そこまでのことじゃない。
否定を無いの意味で言っているのか訊いてるだけ。
504 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 23:02:56 0
>>500 事実としては、Kはあるところでは輪廻を否定し、
別のところでは肯定してるってことでしょ。
それを、あなたはKが一貫して輪廻を否定し続けている
ことにしようと必死になってるんですよ。
おそらく、あなた自身の信念をKに裏書してもらうためにね。
505 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 23:06:47 0
この議論の流れと関係してるかもしれないんだが、 Kは瞑想を否定しておいてから、瞑想を教えるという矛盾もあるんだよな。 Kはイメージ集中型瞑想を否定して、 観察型瞑想だけは肯定してるんだろうけど。 輪廻も同じで、輪廻のある側面は否定して、輪廻のある側面は肯定してると 思うんだよねえ。
506 :
223 :2008/05/07(水) 23:11:05 0
>>503 当たり前でしょう。否定は〜無い(ない)という意味でしょう。
そもそも、ずっと前に書きましたが、「事実である。しかし信念としてない。
(信じない)」なんてのは詭弁です。
みなさんはそれを詭弁じゃなく言葉どおりに受け取っておられるようだが
みなさんは論理的思考をしていませんよ。Kは素晴らしく論理的です。
そんなKが非論理的な事を言うのは信じられません。馬鹿みたいに何でも
信じる人が居てもそれはそれで仕方ないでしょうねえ。
507 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 23:14:06 0
じゃ、それでFAってことで
508 :
223 :2008/05/07(水) 23:15:57 0
>>505 それは私には矛盾には感じられません。
イメージ集中型瞑想は瞑想ではないと断言してます。
そもそもイメージを持つと真理は現れないと言ってます。
彼にとって「瞑想」とは観察型瞑想だけなのではありませんか?
509 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 23:19:22 0
>>506 「Aは事実だが、あなたはAと信じてはいけない」と言うのは、
それ自体としては矛盾していません。この言葉を信じようとすると、
矛盾に陥るだけです。
あなたは何とかして、自分ではなく自分に反対している人のほうが
何かを妄信しているということにしたいらしいですが、事実は逆です。
あなたは、Kの言葉から都合いい部分をだけを選んで組み合わせて、
あなたから見て整合的な思想を捏造しようとしているんですよ。
510 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 23:27:05 0
>>503 >>229 輪廻の有る、無しについては何も言ってませんが、
>>223 のように否定的に捉えている
のは事実です。
>>268 無いから信じないというのが最も分かりやすいもので、
私はクリシュナムルティはこの立場だったと想像します。あくまで私の想像です。
そして無いものを信じる一般人に「信じるな」と説いたのだと思います。
>>304 クリシュナムルティは単に否定してました。
私はオカルトっぽいのは嫌いですが、人の怨念だとかそういうものが
残るのは有るかもしれないと思ってます。
でも基本的に普通の人に輪廻は無いと思ってます。コレは私の見解でクリシュナムルティ
ではありませんが・・
511 :
223 :2008/05/07(水) 23:28:08 0
>>509 もう一度
>>243 を振り返ってみましょう。
>私にとっては、輪廻転生は実際に起こった事実です。
>輪廻転生は私にとって、事実です。信念ではありません。
この後に、
>しかし皆さんに輪廻転生を信じて欲しくありません。〜 と続けてます。
>「Aは事実だが、あなたはAと信じてはいけない」と言うのは、
>それ自体としては矛盾していません。
無論、これだけ示されれば矛盾も詭弁も無いでしょう。
しかし、冒頭に振り返ったように自分の出来事として他人に話すのではコレは明確に
詭弁です。
512 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 23:33:04 0
「・・・は私にとって事実です。信念ではありません」という論法なら、 輪廻に関してに限らず、Kの著作のいたるところにありますが?
513 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 23:36:01 0
普通にそのまま読んでいいと思うけど 事実であって、信念じゃないって
輪廻はないという唯物論者とKが同じ考えだとも思えないしな。
515 :
223 :2008/05/07(水) 23:37:09 0
>Kの著作のいたるところにありますが? 私はKの本を10冊ほど読みましたが、そんな表現は見た事ありません。 もし他に有るのであれば教えてください。 是非、読んでみようと思います。
516 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 00:13:00 0
あなたが読んだ10冊の中にもたくさんあると思いますが。 そもそも、信念や知識を全否定するKが語っている内容が、 K自身の信念や知識に過ぎないとしたら、 それこそ明らかな矛盾でしょう。 それにしても、「そんな表現は見たことありません」とは 不思議ですね。Kは、自分は事実を指摘しているのであって、 自分の信念を述べているのではない、と繰り返し言ってませんか?
517 :
223 :2008/05/08(木) 00:37:20 0
>>516 >あなたが読んだ10冊の中にもたくさんあると思いますが。
そうですか?例を挙げて何の本の何ページか言ってもらえませんか?
「生の全体性」と言う本の17章(p357-364)を読み返しているところ
ですが、ここでもいわゆる「輪廻」を否定してます。
〜人類はその活動において不死性を求めてきた。ある人は本を書き、その
本のなかに作家としての自分の不死性がある。偉大な画家は絵を描き、その
絵がその人間の不死性になる。---そういうことはすべて終わらなければならない。
だが芸術家はひとりもそうしようとはしない。
人間はそれぞれ全人類の代表である。そして意識のなかでその変化が起きる
とき、人は人類の意識のなかに変化を引き起こす。(死)とは、人がいま
知っているその意識の終焉である。
>>223 でも示しましたが、Kは明らかに輪廻を否定してます。
否定していないという方は
>>243 以外で例を示して欲しいものです。
518 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 00:41:34 0
> そうですか?例を挙げて何の本の何ページか言ってもらえませんか? 申し訳ありませんが、そういう趣味はないので、ご自分でお探しになって下さい。 表現は場所によって違うでしょうが、「これは事実であり、私の信念や解釈ではない」 とKは繰り返し言っていますよ。
519 :
223 :2008/05/08(木) 00:45:22 0
>>518 まあ、私が言ってないと言い、あなたが言ってると言っても水掛け論です。
どうぞ、御自分の解釈に従ってください。
520 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 00:46:22 0
>>516 10冊程はクリシュナムルティの読者としては、
決して多い冊数ではないけど、
面倒でなければ、参考に書名を挙げて貰いたい。
伝記や評伝はお読みになりました?
521 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 00:48:01 0
522 :
223 :2008/05/08(木) 00:50:35 0
確かに多くないですね。 まあ、しかし彼の面白さは十分理解できましたよ。 私の理解とあなたの理解は違うようですが。。 何のどの本とココで挙げても意味の無い事でしょう。
523 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 00:52:44 0
524 :
223 :2008/05/08(木) 00:54:40 0
伝記や評伝は読んでません。 彼の講演集と著作だけです。
525 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 01:15:39 0
526 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 01:24:22 0
クリシュナムルティが仏教的な輪廻を認めているように見える発言だったら、 『生の全体性』の中にあるね。 B−そしてあなたの有機体が死ぬときには、 その有機体にまつわるいっさいのものが死ぬのですね。 K−もちろん、有機体が死ぬとき、それは終わります。 しかし、ちょっと待ってください。もし私がイメージを 終わらせなければ、イメージ作りの流れは続いていきます。 B−それがどこに続いていくかが、あまり明確ではありませんね。 ほかの人々にですか。 K−それはほかの人々のなかに現れるのです。すなわち私が死に、 有機体は死ぬわけですが、最後の瞬間に、私はなお、自分が もっているイメージとともにいます。 B−なるほど、ではそれがどうなるのですか。 K−そのイメージは、そのほかのイメージーーあなたがたのイメージ −−と連続性をもっているのです。あなたのイメージは私のと別個 ではありません。 ・・・・・・
527 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 01:43:51 0
さて、私がその葛藤を終わらせなかったら、私に何が起こるでしょうか? (中略) 我々はいずれ死にます ― すぐにではないことを望みますが、いつかそのうちに死ぬでしょう。 (中略) それゆえ、皆さんが生きている間、皆さんは世界の他の人々と同様なのであって、 同じ流れ、同じ運動の中にあるのです。そして皆さんが死ぬ時、 皆さんは同じ運動の中を進み続けるのです。 (中略) そして我々が死ぬ時、我々は他のすべてと同様に、 我々が生きていた時と同じように、同じ流れを移動していくのです。 (中略) 我々はこう言っているのです。 意識は、そのすべての中身とともに、時間の運動であると、と。 その運動の中にあらゆる人間が囚われているのです。 そして、たとえ彼らが死ぬ時にも、その運動は続いてゆくのです。 そうなのです。これは一個の事実なのです。 『真理の種子』 p215-217
529 :
223 :2008/05/08(木) 02:04:31 0
>>526 も
>>528 も事実なのでしょう。
それは
>>517 で取り上げた
>〜人類はその活動において不死性を求めてきた。 という事実なのでしょう?
Kはそんなものは終わらせよ、と言ってるでしょ。さらに(死)とは人がいま
知っているその意識の終焉である。と。
531 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 02:59:18 0
地震だってー
けっこう揺れたね。
533 :
223 :2008/05/08(木) 10:26:20 0
>>530 意味が分かりません。
>>526 >>528 のどこに「否定」(もしくは無いという意味)があるのですか?
あるのは、
>>517 の部分で言えば、
>〜人類はその活動において不死性を求めてきた。 という事実なのでしょう?
そしてKはそんなものは終わらせよ、と言ってるでしょ。さらに(死)とは人がいま
知っているその意識の終焉である。と。
>>517 のちょっと前のページでは同様の事を次のようにも書いています。
〜古代エジプト人たちは生きることは死の一部であると考えた。〜
〜古代インド人たちは生には継続性があるに違いないと言った。〜(これは輪廻の事でしょう?)
〜キリスト教徒たちは復活とかそういった別の種類の成就を考えている。〜
〜アメリカやヨーロッパの新聞に人々が死んで異常な死後の状態--光、美など
を体験した事を記憶し、この世に帰ってきたと主張する記事があらわれたことがある。〜
(これは臨死体験を指してますね。)
そしてこのような心理的な動向を終わらせよ。と言ってるのではありませんか?
「死」は〜あらゆるものの終焉、あらゆる種類の想起、記憶、思い出、蓄積の終焉かもしれない。
〜それは全滅であり、あらゆるものの完全なる終焉かもしれない。〜
自分にとっての世界は自分の意識のなかにあるものだけ、これは事実でしょう。
この意識が終焉するのが(死)である。とKは断言しています。
これはある意味とても単純な事ですよ。率直に読んで言葉のとおり理解できる
と思いますが。。
そこには輪廻の否定はあっても、否定の否定(肯定)なんて微塵もありません。
534 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 10:48:12 0
それで、あなたがそこまで「Kは輪廻を否定した」ということに こだわる理由は何なの?
535 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 11:43:37 0
私は間違ってないでしょ? ね?ないんだよね?輪廻なんて。 と、確かめてるんじゃない?
537 :
223 :2008/05/08(木) 12:06:45 0
そうではありません。 私を批判するあなた方がKをどう理解しようが勝手です。 しかしKが輪廻を否定した事を執拗に否定するあなた方の論理的思考は大丈夫ですか? と心配しているのです。哲学板にはふさわしくないように見受けられますが?
538 :
223 :2008/05/08(木) 12:09:27 0
>>536 だから何度も言うように意味が分かりません。
何が言いたいのですか?
もっと簡潔に指摘してください。
539 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 12:14:24 0
Kがある場所では輪廻を否定し、他の場所では輪廻を肯定する発言を していたという単純な事実がなぜ認められないんだろう? まず、自分の論理的思考が大丈夫かどうか心配した方がいいんじゃね
540 :
223 :2008/05/08(木) 12:19:30 0
>他の場所では輪廻を肯定する発言をしていたという単純な事実
それはどこで発言していたのですか?
>>243 なんて答えないで下さいよ。
他にありますか?示してください。
あれば、私はもうこのスレには来ません。
無ければ、あなたはこのスレに来るべきではありません。
なぜならあなたは非論理的思考の持ち主である事は紛れも無い事実だからです。
541 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 12:21:28 0
批判してないよ 223クン
542 :
223 :2008/05/08(木) 12:25:52 0
単純な事実を示してくれるだけで私は降参します。 2度とこのスレには来ません。 示してくれないのならあなたはこのスレから去るべきです。
543 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 12:31:23 0
>>526 と
>>528 で十分だろ。単純な事実がすでに示されているのに、
あなたがそれを曲解してるだけだよ。
544 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 12:33:44 0
あなたって誰・・・w よくわかんなけど、Kの言ってることをボンヤリと わかったような気になってる人も多い中で、 223クンみたいにクリティカル?な感じで アプローチしてみるのも良いとおもうけどー
545 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 12:36:54 0
あ、544は542に対するレスでーす
546 :
223 :2008/05/08(木) 12:39:45 0
あなた方は
>>526 と
>>528 をKが輪廻を肯定しいると解釈しているのですか?
これは驚いた。論理的思考云々と言う前にその読解力の無さを自覚すべき
です。
私には
>>526 と
>>528 は
>>533 で書いたように「人類がその活動において不死性を求めてきた、という事実」
を指摘していると解釈してます。そしてそういうものは終わらせるべきとKは断言しています。
あなた方の解釈ではKは
>>526 と
>>528 で輪廻を肯定しその後、手のひら返して否定している
と言うのですか?
そんな読解力で哲学板は無理でしょう。
哲板ってそんなに高尚な場所じゃないだろ 2ちゃんは玉石混合なんだからそーゆーレスは無粋
548 :
223 :2008/05/08(木) 20:47:51 0
>>547 そうですね。
確かに無粋でした。
まあ、もう私はこのスレには興味無くなりましたから来ませんが、どうぞ
皆さん方それぞれのK論を展開していって下さい。では、
549 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 20:57:34 0
>>546 >>526 は仏教の輪廻の思想と同じだと思うよ。
一つの身体の中で生じている心的出来事の因果連鎖と同様のものが、
その人が真実を見てその連鎖を消滅させない限り、
身体の死後他の身体の中の心的出来事へとつながっていく
と言ってるんだから。
この意味での輪廻を最初から認めないなら、
自我を解消し、涅槃に至るには自殺しさえすればいいことになる。
550 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 21:07:09 0
>>544 クリシュナムルティの言葉を曲解して、自分の身の丈に合う
「論理的な」信念の体系を作って信仰したって、意味ないだろ。
自分で作った偶像を拝みたおしてありがたがる阿呆同然。
551 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 21:08:35 0
>>223 が手前勝手な理屈を振り回して、それに固執して他者を論難するもんだから、せっかくの良スレが台無しになってしまった・・・・
>>223 のような態度は、Kとは全く相反するものだと思うのだが
自分なりに輪廻というものを考えたことがあるんだが、 今の僕のとりあえずの結論は、 自分の死を体験できないという事実の永遠普遍性が 輪廻なんじゃないかなーと。
553 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 21:14:46 0
とりあえず、現世の中で過去と現在と未来の関係を見るしかないでしょ。 前世/来世って言ったって過去/未来の延長に過ぎないんだから、
オモシレーw 読解力かよ これどっちが正しいの?オレ思考停止中だから分かんない、誰か教えてエロイ人w
555 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 23:54:27 0
私はいつもこの生で、そしておそらくは過去生でも、一つのことを願望してきました。 逃れること、悲しみを、限定を乗り超えること、私のグル、私の最愛の方 ― それはあなたのグル、最愛の方であり、万人の中に、共通の墓石の下に、 踏みしだかれてきたすべての草の葉の中に存在するグル、最愛の方でもありますが、 ― を発見することを、です。彼[神]と合一して、自分がもはや分離したものとは感じなくなり、 もはや分離した自己をもつ異なった実体ではなくなることが、私の願望であり、憧れでした。 私がその自己[セルフ]を完全に破壊できたとき、私は私自身を最愛の方に合一されることができました。 このゆえに、私は最愛の方を、真理を発見したがゆえに、それをあなた方に与えたいと願うのです。 「クリシュナムルティとは誰だったのか」p245
556 :
考える名無しさん :2008/05/09(金) 09:19:44 0
>>555 「Kが輪廻を肯定するはずない」君は
このスレには興味がなくなって、もう来ないそうだから、
この話題はもう終了にしていいんじゃね。
その点にこだわりがある奴は他にはいなさそうだし。
>>557 触れている箇所を含んでいる講話か文章を
単に抜き出してくれたんでは
臨死体験のなかでのなかでクリシュチャンは、自らの望む死後の世界をイメージし、 イエス様に抱かれるだとか、普通の偽仏教徒の我々は、 「三途の河」を乗り越えるだの、末期で乗り越えなかった とのイメージに促されているんです。そこで人生観が変わったって事実もあります。 宇宙飛行士が、宇宙を垣間見て地球に戻ったらある信仰心が芽生えた。 いずれにしてもイメージな訳です。時間の無い状態ではないです。 kの語られた存在の華開く瞬間には、時間が有りません。 故に、イメージも持ちません。一切の条件付けの打破です。 そこに、真実在を見出だせるってことだよね?きっと。 だから私は「何も信じない」なんです。
そのような変性意識も持たない我々が、いくら死後やそれに纏わる 宗教の真偽についても全く意味を持たない気がします。 悟りに達したkとそれを理解できない凡夫には大きな隔たりがある。ありすぎる。
561 :
考える名無しさん :2008/05/09(金) 20:48:14 0
Kが悟りに達しているかどうか、凡夫であるあなたにどうして分かるのさ?
なんかこのスレには険悪なムードが漂ってますねえ
kの精神状態は分かりません。が、kの語る言葉の中においては、 一切の虚偽も無いと断定をしてもいいと思われます。 わたくしは、精神世界のミーハーなので様々な覚者の文献を目にしてきました。 そのなかで一種の共通項をみつける事が出来ます。それは、勘です。 kは、インド的でなかったし、両親のヒンドゥーの世界観も打ち破ったし、 最愛の弟さんを亡くされた時の悲しみ、その虚偽すらお気づきになり、 また世界教師としての永続的な地位・権威までも拒み徹底的に 真面目に生きてこられた御方です。悟り人だと推測されます。
リードビーダーが、kにセクハラ行為をしたかもしれません。 しかしkなら、そのトラウマすら楽に乗り越えられるでしょうね。
565 :
考える名無しさん :2008/05/10(土) 09:04:51 0
宗教の真偽について考えても意味ないのと同様、 「変性意識」だの「悟り」だのについて考えたり、 推測したりするのも、意味ないんじゃね? それって結局、自分が知らないことについて あれこれ想像して、信てるだけっしょ?
まったくそのとおり! だからあなたもKに関心を持つ必要は無いのです。 なにも意味が無いのです。 kに興味をもって本とか映像とか読んだり見たりするのも単なる想像に過ぎません。
567 :
考える名無しさん :2008/05/10(土) 10:19:58 0
関心をもつ必要はないってのは正しいが、それ以外は間違いだね。 Kは変性意識や悟りについて語っているわけではないし、 彼の本を読むこと=それらのものを想像すること、ではないから。
568 :
考える名無しさん :2008/05/10(土) 16:44:24 0
なんか妙なパラドックスにはまってて面白いねえ。 他者のkの理解の仕方に難癖付けてオレの方が正しい、ってか? 自分の言ってる事振り返った方がいいんじゃね?ww
569 :
考える名無しさん :2008/05/10(土) 16:49:09 0
時間が真実を遠ざける
570 :
考える名無しさん :2008/05/10(土) 17:10:38 0
いや、ベトナム戦争後にアメリカで流行った意識の拡大とか そういうニューエイジ的な思想傾向でしょ。 瞑想やドラッグを通じて意識を拡大して人間革命して 世界平和を実現しようという。 一番のネックは、瞑想などで意識変革をして人間の心を変えよう って所なんだよね。ニューエイジが失敗しているのは、 それがマインドコントロールや洗脳手法を利用してしまったり、 ファシズムになったりオウムのようなスターリニズムに走ったり。 クリシュナムルティ自身はそういうのを避けようと、脱中心化する 存在である事を戦略としてとったというわけだな
571 :
考える名無しさん :2008/05/10(土) 17:19:38 0
なんで凡人のあなたにそんな事が分かるのか? 分かるのはkだけで凡人であるあなた方ではない。
572 :
考える名無しさん :2008/05/10(土) 17:23:47 0
ベトナム戦争後にアメリカで「意識の拡大」の試みが起こったとか いうことなら、凡人でも分かるぞ。おまい、分からんの?
573 :
考える名無しさん :2008/05/10(土) 17:32:18 0
時間が人を苦しめるんだな。 同じ職場を長期間勤めると思うとうんざりする。 時間がないと悟れば気は楽になる。
ラム・ダスとkを同一上に置かないでおくれ。w
575 :
考える名無しさん :2008/05/10(土) 18:07:33 0
>>570 どうもキミは勉強が足りんようだな。
ロッコツ歩クンが70点ならキミは20点位だよ。多分w
まーそう言うオレもキミと変わらないがねww
ラム・ダスのマハラジと ニサルガダッタ・マハラジを混同していた件
577 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 10:37:15 0
Kの本って実践用だとおもう こんな風にしたら、最短で自由に なれるよ〜って示してるようなかんじ? Kがガンだったのはショック!! こういう人はガンなんてならなそうなのに・・
578 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 12:33:57 0
凡人、凡人って言うけど それって すり込みみたいなもんだよねw
そうだよね。凡人とは言え仏性を皆が秘めているのだから、 皆が、元々悟り人だという風にも捉えられる思う。 だからこそ、kは世界中で区別無しに講演なさってきた。 在るのが、認識できないだけで、思考や時間にふりまわれさなければ、 「在る」と認識できると思う。見る者と、見られている対象物とは、 ロープと蛇のようなものであって、蛇という間違った知識が消えないかぎり 実体であるロープという知識はやってこない。悟りの在るという認識は、 世界が実在するという信念が消えないかぎりは得られない。 個人的な意見だけど、殺人事件とかに関わる人たちは、 思考に振り回され過ぎていると感じます。そのよくある憎しみとか、怨念 嫉妬、欲望、世界を形づくる様々な思考そのものの虚偽に気づかないといけない。 唯一、気づけ!と言われるなら、皆悟り人だと言うことです。
誰かが、私は身体ではないと認識できれば、 一気に解脱できるかもしれないという書き込みがございましたが、 その通りだと思います。
kがガンでショックはあなたの意見です。あなたのガンのイメージ想像です。 ガンに対する知覚も、kと我々がイメージする所のものとは違います。
最短でってことは、絶対的真実からの観点です。 ここは、同意です。過程を踏まないので、易しくはないです。
徹底的な自我の解体作業です。親のせいで、生まれのせいで、 学校のせいで、他人のせいで、親が宗教性がなかったせいで 日本に生まれたせいで、私が他とは異なる身体、性癖のせいで、 時代のせいで、前世の功徳がなかったせいで、一切の条件付けの打破です。
584 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 15:37:25 0
> 私は身体ではないと認識できれば、一気に解脱できるかもしれない 私は全然そう思わない。 「・・・できれば解脱できるかもしれない」なんて考えは すべてまったく信用できないと思う。
585 :
ロッコツ歩 :2008/05/11(日) 15:38:13 O
ここを真摯に取り組め!と云うのが、 kの残した遺言ではないでしょうか?
586 :
ロッコツ歩 :2008/05/11(日) 15:42:51 O
とりあえず、解脱への第一過程として、私は身体ではない、です。 ラマナ・マハリシの「不滅の意識」をご参照願います。
588 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 16:20:20 0
解脱とか専門用語は、こどもなのでわかりませーん! テレビのジョーン!
589 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 16:40:37 0
kも末期すい臓がんの痛みを抑えるためモルヒネを常用してたらしいね。 で、寝る前に飲んだ最期のモルヒネが最期でご臨終になったとか。 心理的な事を言っても肉体的な痛みには逆らえないということだな。 痛みなんてソレを思う気持ちが有るのが原因〜なんて嘘って事です。
590 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 16:53:18 0
仮にKが病の苦痛のあまり自殺したのなら私は何故か救われる。
591 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 17:16:44 0
>>407 >苦痛がひとつの教訓と警告として、あるがままに受け入れられ、
>注意をもって深く魅入られた時、苦痛と快楽という分離は打ち壊され、
>それらはともに、抵抗した時に苦しく、受け入れた時には快いという体験になるのだ。
↑つまりコレは嘘って事だな。
それ、マハラジの言葉じゃん。
593 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 19:41:31 0
そうです。マハラジは大嘘つきです。 あのkですら痛みにモルヒネ使ったのに痛みに対する認識がアホだよね。 なにが「受け入れた時に快くなる」だよ。。 マハラジが大苦痛を受けてみて受け入れてみろってんだよw
マハラジが痛がったのか?
595 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 20:12:09 0
まあ、彼が末期がんになれば痛がるだろうし、受け入れて快いなんて思わない だろうね。 だって彼も人間だろ?痛い時には痛いと感じるだろ。それを「抵抗した時には 苦しく受け入れた時には快い〜」なんて馬鹿丸出し発言だろ。 やせ我慢しながら「オレは痛く無いぞ〜」なんて言ってる姿が目に浮かぶよw
ラマナ・マハリシの本に、歯痛に関わる質問で、 「眠っている時、それ(痛み)は、ありますか?」 って書かれてたのを記憶している。今、実家にいないから、 抜粋できないけれど。kは、痛みの感覚と同化したのだろうか? 心理的恐怖は、全くなかったと思うけど、感覚の嘘も kなら見抜けていた(同化しない)はず。彼の本には、 そう書かれていたはずだ。kは、キリストや仏陀に 匹敵するほどの覚者であり、痛みに同化したとは信じられない。
597 :
ロッコツ歩 :2008/05/13(火) 02:03:59 O
あのメアリー・ルーティエンスだっけ? kの自伝を手がけた、そのシリーズだけは、読んでいないけど。 個人的に衝撃を受けます。詳細キボンヌ!
だって、ライオンが目の前にいて、「恐怖を覚えない」 って断言されてる方だよ?一般的常識を逸してると思うんだけどね。
末期になると、家の母ちゃんでもそう。 インフォームドコンセントでも周りのわたくしや家族が決めたことで、 kの場合にもk自身の意志と安易に判断するのはどうだろう? 事実にしてもkの意志決定とみなすのはいかがなものか?
600 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 02:39:23 0
読んでいないんでしょ。
601 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 09:28:36 0
今度は 「Kは超人だから、痛みに『同化』する訳がない、伝記は嘘」 ですか?w
602 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 09:39:22 0
ライオンが目の前に居ても恐怖を覚えないのと、 ライオンに齧られても痛みを感じないのでは違うだろ? どっちにしても、覚者でないわれわれが、 覚者が身体的な痛みを感じるか否か、 各々の想像上のイメージを基にして 議論しててもしょうがないんじゃね?
603 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 10:31:06 0
ヒマラヤ聖者くらいになれば 痛みとか関係なさそうだけどw
604 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 10:37:26 0
Kは覚者だから鎮痛剤なんか使うはずがないし、 空中浮遊の瞬間移動もできるから飛行機なんか乗るはずがないし、 テレパシーで通信できるから電話なんか使うはずがない。 伝記は嘘ばっかり。w
605 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 11:23:03 0
末期がん患者がモルヒネを摂取するのは明らかに鎮痛剤としてだよ。 周りの人間が与えたにしても、それはその患者が苦痛の症状を示していた からだろ。いくらkの意志で鎮痛剤不要と訴えてもk自身が苦痛の症状を周り に漏らしていたらマハラジを同じやせ我慢って事になるだろう。 kだって人間、痛いものは痛いだろうよ。仏陀やキリストでも同じ人間、痛いものは 痛いだろうよ。ソレを痛みと同化するとかしないとか言って痛みを超越しいる かのように言うのはまさに詐欺師そのもの。kが詐欺師ではなく、kをそんな 超人に仕立て上げて宣伝する人間が詐欺師って事だろうよw
606 :
↑ :2008/05/13(火) 11:25:02 0
×マハラジを同じやせ我慢 ○マハラジと同じやせ我慢
607 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 11:33:09 0
クリだって人間さ!
608 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 11:52:30 0
>ラマナ・マハリシの本に、歯痛に関わる質問で、 >「眠っている時、それ(痛み)は、ありますか?」 激痛だったら眠れないだろうよ。 軽度の痛みだったら痛みと痛みの波の間の小休止時に眠れるかもしれん。 でもまた寝ている最中に傷みで目が覚めるかもしれない。 つまり痛みってのは睡眠の障害になるって事。だから末期がん患者にたいして モルヒネ等鎮痛剤が処方されるんだよ。 超人であれば痛みを感じないなんてのは大嘘。
609 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 12:08:02 0
関係ないけど中国大変そうだね
610 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 17:01:46 0
>>596 >、感覚の嘘もkなら見抜けていた(同化しない)はず。
そもそも感覚(痛み)の嘘って何ですか?
痛いのが嘘なの?コレは本人にとっては現実でしょう?何が嘘なの?
痛いのを痛いと感じるのが嘘だと言うの?
アンタも馬鹿だねえ。精神世界のミーハーなんてほざいてるけど、基本的
に馬鹿ってことが良く分かりましたw
611 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 17:52:03 0
ラマナ・マハリシのように、 「私は○○でない」と認識して「同化」を壊していく瞑想って、 Kの言う瞑想とは違うんじゃないかなあ。 逆に、「私は○○ではない」と考える 「観察者」の虚構性をKは言ってるんじゃね?
612 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 18:07:00 0
みんな静観してるようで つい、たまらず発言しちゃうとこが おもしろいw 「そんなワケねーだろ!」みたいに
613 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 19:57:04 0
覚者といえども、物理法則は覆せない 痛みを感じるシステムも物理(&化学)的法則に依るもの お釈迦様は食あたりで嘔吐と下痢を繰り返して苦しんで死んだ イエスも十字架で磔にされて、出血と苦痛の中に死んだ Kといえども例外ではない
615 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 21:19:46 0
他人はいないと頭ではわかっているんだが、 どうしても本音では他人がいると思ってしまう。 分裂病だろうか。
616 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 21:20:31 0
超人=ウルトラスーパーマンであれば痛みも感じない、というのが詐欺師だなw だいたいそんなウルトラスーパーマンなんていないし、そんなものになる のが至上の目的なんていうのも詐欺師も詐欺師、超詐欺師だなあww
617 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 21:43:31 0
痛みを感じない方法があったら便利だな。 歯医者に行くときとかいいし、拷問されても恐くない。
618 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 21:45:43 0
肉体はクリシュナムルティの正体じゃないだろ
神ですね
620 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 21:52:19 0
物理法則を超えられたとしたら、 もうこの世界には居ないと思うんだ ちがう法則の世界にいるってことで
621 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 22:45:29 0
で、昨日はクリシュナムルティのお誕生日だったわけだが ケーキ食べた?w
622 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 22:55:00 O
一青窈は不思議だが哀しみを抱えているから好き
最初の段階で、わたくしは身体ではないと言うとき、 身体へのある種の感覚・痛みや欲望もわたくしではないと認識なさるはず。 感覚の嘘は、kの本にも載っていたはず。欲望の嘘だったっけ? とにかく私は身体ではないという認識の中では、痛みに同化しない だろうとの個人的意見です。馬鹿でも阿呆でも結構ですけど。 的を得ていますし、自我が脅かされるほどではないです。
スマサナーラ長老は、個人的に好きです。 以前、岩手県のあるお寺の研修生として働いておりました。 四国巡りにも般若心経を唱えながら、一国巡りました。 「慈悲の瞑想」ステキじゃないですか?
その岩手県のお寺はただの葬式仏教だったんです。 それに見切りをつけ、僧侶に話すと、スリランカへ行きなさい と言われました。いま思い起こすと、ヴィパッサナー瞑想のことだと考えます。
>>623 ◎的を射てますし
また二度寝します。ノシ
皆さんもお身体ご自愛ください。
627 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 10:08:18 0
>>623 個人的意見っていうのは、あなた自身が「私は身体でないという認識の中」で、
「痛みに同化」しなくなったのかい? それとも、そうなるはずだっていう
推測かい?
628 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 10:57:15 0
>痛みに同化しないだろうとの個人的意見です。 だろう〜とあるから推測上の個人的見解だね。 つまりこういうのは何でもアリなんだよ。 「太陽が東から西にまわってるから太陽が地球の周りをまわってるだろうとの 個人的意見です。」〜なんてほざいてるのと変わらん。
痛いものは痛いし苦しいものは苦しい。 オカルティックに苦痛を離れるなんて不自然極まりないし、健康的な観念でもない。 苦痛は悪という認識を持ってないとこのような考えには至らない。 そもそもKを神格化すること自体、破壊的ではないのか?
630 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 12:32:45 0
ロッコツさんの、〜であるとき(〜でないとき)、 〜である(〜でない)っていう弁証法みたいのが ちょっと大雑把(テキトー?)だから トリッキーに 感じるんだと思う もしくは、実際トリックに ひっかかってるか・・
631 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 12:55:27 0
覚者が痛みを感じるか感じかないかなんて、 いわばあの世の側の話で、どうでもいいだろ。
632 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 14:56:50 0
そうですね どうでもいいよね
633 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 18:48:57 0
劣等感を感じる奴ってのは 他人が仲良さそうにしてる姿とか 仕事バリバリしてる姿などに劣等感を感じるんだろ。 でも、その姿は幻にすぎず、実際は存在してないから。 幻に劣等感を感じて苦しんでるとは滑稽でしかないなw
634 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 18:57:14 0
↑劣等感の塊みたいな奴が頭の中で唱えてる呪文みてえだなw
日記がamazonで超大絶賛、それに栗の本どれも好きだがこれが特にいいとか だったのでずっと探してたのですが 昨日本屋で見つけたので期待しながら10分くらい立ち読みしてみました。 ・・・誉めすぎだと思いました。残り読む為に買うほどじゃなかったです。
636 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 19:06:04 0
>>634 クリシュナムルティって人間が実在するって考えだっけ?
637 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 19:10:39 0
「○○は実在する/しない」なんていう論争は無意味って考えじゃね
どの本が一番良いですか?
639 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 19:54:35 0
ネット上で原文や日本語訳のテキストがたくさん読めるから、 それで選べばいいと思う。
640 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 19:56:02 0
図書館で借りりゃ十分だろ
641 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 20:34:37 0
自我の終焉と生の全体性かな、、
たしかにそう思う。 最近の口コミ信頼度は酷い。特に著者が生きてるのとか、派閥や宗教がからむのはね。 比較的信頼できるのはもう古典とかくらいだけか。 昔は口コミ見て衝動でネット注文しても結構当ってたんだが。
643 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 20:53:31 0
人気ないから栗の本、図書館の棚にたくさんあるよ
本屋にはコーナーまであったよ。 図書館の哲学書は大抵ぼろぼろで、大抵書き込みがしてるんだよねw。 なんであんなにぼろぼろになるのかちょっと不思議だ。 栗の図書館のは意外と新しかったりするのかな?
645 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 21:24:49 0
人間が本当に知りたいことは、「変容」のノウハウなのである (2008-02-19) 「世の真実=真理」を天(波動の法則)から知らされている唯一の人間「ボーム」は、「相当なるおとな」である。 しかし、「自負心」が強すぎるゆえ、知ったかぶり屋・「自我」丸出しの「シャインバーグ」の失言フォローに気を配りすぎ、本領発揮できていない。 「崇高なる私が見出した‘愛の説’に従わない人は不幸になるであろう」式脅迫者「クリシュナムルティ」は、言葉で相手をケムに巻く天才。 その‘愛の説’はへ理屈にすぎない、ということが次のことからわかる。→「シャインバーグ」を愚者とみなし、彼の発言をいちいち牽制している上に、 権威をふりかざし、「あなたに私の説が理解できるはずない」とまで愚弄している。 一方、強い立場にある「ボーム」のことは一応立てている。 「誰もが‘自己’を捨てるべきだ」と繰り返し言っていながら、「私は悟ることができた稀有な人間だ」との「自己宣伝」を何度もしている。 (実際には、悟ることができた人間は皆無だ) 「クリシュナムルティ」の、「私は世界だ、世界は私だ」との言葉は、すなわち「人類は元を同じくするものであり、すべからく平等だ」という意味だ。 だが、彼の「先生ぶり」はどうだ! 本当に平等だと思うなら、また本当に「自己」を捨てることができているなら、なぜ「偉い私が偉くない他人を指導するための本」をたくさん出版するのか? しかも、「変容」が絶対に必要だ、としつこく書きながら、そのやり方を書かない「もったいぶり」のいやらしさ。 ついでに書いておくが、「変容」のコツは こうである。
646 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 21:25:22 0
「・左脳に蓄えてきた情報を意図的に捨てる努力をすること(左脳に蓄えられている情報を引き出すと、「自我」主体の想念が出てきてしまうからだ。 「自我」は、新しい自分には不必要) ・右脳を使うべく訓練していくこと(インスピレーションは右脳から発する=右脳は、‘天からの導き’を容易にする。 「自我」を出さないよう心がけていると、右脳がよく機能するようになる」 ・自己操作せず全部を天任せにしたい、と願望していると、トラブルが少なくなり、スムーズに暮らすことができるようになり、本当の自信がつく。 すると、他人より上でありたい、という「クリシュナムルティ」のような欲求を持たなくなる。 また、事象の本質を見抜けるようになる。 すると、心に、ついぞ「クリシュナムルティ」が持てなかった「大きな余裕」が生まれる。 この余裕が、いわゆる「慈悲心」・「愛」・「おおいなるプラスの波動」である。
647 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 22:04:36 0
↑はぁ?
648 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 22:59:33 0
ただのバカでしょ。
ただのバカが現れました。ボチじゃないだろ? 私は世界だじゃなく、あなたは世界だだろ。 新聞一面の記事があなたです。あらゆる争い、事件や娯楽様々な混沌を 含んでいるのが、あなたです。それらを解決する方法をkは示したのです。 そこには、全人類への奥深い洞察力が必要です。徹底的な自我への瞑想とは、全界中へ働きかけます。 あなたの安定こそが、世界の安定です。これを知ったなら、即座の瞑想が生まれます。 そして自他の区別ない主客一体に達する可能性を誰しもが秘め、 0のスペースを体現された時、あなたは変わるでしょう。世界は変わるでしょう。
とにかく紛い物には付き合わないでください。 kを知ったとは、真実を知ったということです。 そこから離れないでください。あらゆる紛い物を否定してください。 世界はあなたです。
世界は、あなた自身です。
653 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 07:30:47 0
おはよう☆
654 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 10:51:32 0
>私は世界だじゃなく、あなたは世界だだろ。 私でもあなたでも同じ事だろ。天上天下唯我独尊って言葉知ってる? >とにかく紛い物には付き合わないでください。 あんたが一番の紛い物に見えるがなあw
655 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 15:41:11 0
>>645-646 「変容」のコツってのはよくわからんが、脅迫者「クリシュナムルティ」という表現は的を射ている。
656 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 16:15:52 0
645を読んで(釣りっぽいけど)、人って、 自分の認識にとらわれているんだなぁ、 と、切実に思った 反論も異論も必要ないなぁ、とも思った よって、 〜終了〜
657 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 16:24:41 0
長文過ぎて読んでない。
658 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 18:57:28 0
>>409 その考え方、危険だよ。
独我論じゃん。
659 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 19:36:21 0
Kネタじゃないけど。
>>409 を批判しているようじゃあここもマダマダだな。
見える世界は内面を映し出しているだけ、これは常識。
観察者は既に全てを含蓄してしまっている鏡だ。
しかし見える世界から見ると観察者は見える世界に含蓄される。
ヒトラー><観察者でありヒトラー=観察者にはならない。
これが解らないと混乱するだけだよ。
独り言ですかw
あなたは『池田某に帰依しないと救われない』という 2チャンネル哲学板の馬鹿げた発言が 自分の外部にあると思うかもしれないが、 それはあなたの思い違いなのである。 あなたが読んでいるのは、外部の発言に関する あなた自身の解釈であり、つまりそれはあなた自身の考えなのである。 だから、結局、馬鹿なのはあなた以外の何者でもないのである。 最後の行がどうもしっくりこない。
663 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 21:24:33 0
>>662 最後の行は投影を使った詭弁なんだがねw
664 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 23:41:54 0
>>659 何言ってるか分からない。
外部の存在を認めてるのか認めていないのか?
認めてないのならお前しかいないのだから、
他の観察者の仕組みを幻である他の観察者に説明することは無駄だろう。
認めるなら、「見える世界は内面を映し出しているだけ」というのは間違っている。
「外から入ってきた情報を言葉・考えによって個々人が独自に解釈している」ぐらいが適当。
この場合もその解釈に使う言葉・考えは過去に世界から取り入れたものでその帰属は外部世界
ということになるだろう。
内面世界と他者外部世界とのバランスは、常識人は常識的に考えておけば いいんだろうけど、哲学者・宗教者の話になると極論が多いからな。 独我論や主観的観念論など、自己観念の殻に閉じこもった話に ハマってる人がいる。
外部の情報に条件づけられた、内面? あなたは世界だは、そのすべてを含蓄した上で語られております。 今、ここ。が重要になります。わたくしが紛い物なら否定すればよい。 別に、わたくしごとの人格のマインドで脅かされることはないでしょう。 自我の安定と言う意味に置いては、あらゆる宗教も肯定すべき だと思います。一々脅迫しなくてもよいと思います。kではなく、 ラジニーシでしょう。わたくし的に自我の安定を省みると、全宗教の肯定です。 山登りをしていて、頂上は同じだけど、ルートが違うだけ。 ダライ・ラマ僧は、そう申しておりました。kが変容への手法を示さなかったのではなく いろいろな手法の中にkを置けばいい話なのではないですか?
667 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 02:24:18 0
>>666 >わたくしごとの人格のマインドで脅かされることはないでしょう。
>一々脅迫しなくてもよいと思います。
ひとつお聞きするが、Kの考えは他者のマインドを脅迫する、
という概念というか通念はある?
現に、わたくしなどは、カルマヨーギ、ジュニャーナヨーギが混在してます。 それに「慈悲の瞑想」です。こういうひとがいても不思議ではないでしょ?
あなたの信ずるところの神の全否定です。 究極の悟りに置いては、そう見なすようです。
670 :
ロッコツ歩 :2008/05/16(金) 02:43:59 O
>>666 >自我の安定と言う意味に置いては、あらゆる宗教も肯定すべき
それで、人類史は混乱の証明となり、Kの出現を見た訳だ。
>山登りをしていて、頂上は同じだけど、ルートが違うだけ。
>kが変容への手法を示さなかったのではなく
>いろいろな手法の中にkを置けばいい話なのではないですか?
Kは真理に至る道(ルート)は無いと発言したはず。
672 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 04:46:26 0
>>671 そう。そしてそれに到る方法もない、と。
673 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 04:54:49 0
_,. ' 7'ヽ、 / / i \ / ! i \ // \ __ / ,. '´ ゝヽ_ノ、 \ __,..........、 / _,. - ' ´  ̄ニニヽニ´-' ´ /入ヽ、、 /=-、 ` ヽ r'´ ', / ,イrヽヽヽ、 i ヽ、 \ / ', ! //! i ` ',ヽヽヽ、 | > \ くぱぁ・・・♪ __/ ', i f'´ i | i ヽ、ヽヽ ! / \ ', / !', | , i | } |`` \ / \ ' , y_,.. '´ ヽ ヽ ! i i!., | !// _,. - '´ヽ、/ ' , ,.くk、 \ ', レJ.| / / 入 ,' ', / `ヽ 、 \ヽヽ ノ //_,. / ヽ ,' ', / ` ー- _ ヽ``'ノ´' ´ / \ ノ /  ̄''''''''´ ヽ _,. '´ 人 \
674 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 14:30:51 0
「自我の安定」は逃避・自己欺瞞・錯覚であり、 それらを否定するべきだとKは言っていると思うんだがなあ。
675 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 15:06:47 0
kは自我を終焉させよと説いてる。 自我を安定させて、どうするんだ?強化させないだけマシってか? 消極的な意見だな。 カルマヨーギ ジュニャーナヨーギ so what??ww なんかこの人も見栄坊だなあw 悟ってないと自分で言っときながら、他者の悟りは勘で分かるなんて そんな事はありえないだろww
676 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 15:34:33 0
スルーってことでw
677 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 16:58:15 0
自我を終焉と言いながら自分は富と名声を得、一流のテーラーに服を作らせ、セックスやり放題で 財団は自分のものだと言い張り、高価な愛車を磨くのが趣味ってどういうことなのか、説明きぼんぬ。
678 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 17:06:18 0
君は、「自我の終焉」っていうのは、富も名声もなく、 ボロボロの服を着て、セックスの相手もなく、 財団は愚か銀行預金もなく、大衆車も買えないことだと思うのかな? だとすると、2ちゃんねらーの多くは自我が終焉しているね。w
欲望と共にありながら欲には溺れない それが自我の終焉ということだ
680 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 18:31:45 0
681 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 18:37:41 0
kは衣食住は必要と言っている。 ただ、必要以上に贅沢なのはいかんだろう。 人間の3大欲、食欲、性欲、睡眠欲も必要以上に欲に陥るのを戒めてると思う。 常識範囲内であればOKという事だろ。
一流のセーラー服って見えたw
>>人間の3大欲、食欲、性欲、睡眠欲も必要以上に欲に陥るのを戒めてると どう戒めてるのでしょうか?
684 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 20:23:22 0
Kは「発見」されてからは、 ヨーロッパの上流階級の習慣の中で育ったから、 そこで身についた普通の生活をしていただけだろう。
685 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 20:41:40 0
>>683 それが自我というものですよ。
必要以上に「俺が、俺が・・」といくのは強欲というものです。
何事も腹八分〜七分くらいで終わらせよ、と。
686 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 20:46:48 0
Kは食欲、性欲、睡眠欲なんかにのめりこむ奴はいないから、 これらの欲求には自然な限界があるし、 たいして問題ないと思ってたんじゃね? 自我の際限ない欲求としては、 名誉欲とか達成欲とか支配欲とかの方が厄介だって 思ってたんじゃなかろうか。
687 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 20:47:48 0
あら、変な日本語。w 「これらの欲求には自然な限界があるし」の一文削除。
戦争にとって欲という言葉にリアリティがないな。 襲ってくる敵兵殺さなければ殺されるというギリギリの限界状況で 名誉欲とか関係ないし。 砲弾の恐怖で小便を漏らしながら闘って生き残ろうとするだろうし。 集団でヒステリーに火がつくと、ドミノ倒しのように 社会の戦争欲が増幅していくもんだから、 平時の個人の欲とかそういうレベルじゃないんだよね。 日常では優しくてイイ人が、精神状態ギリギリの非常時には 人格が変わったように鬼畜になるもんだと思うし。 火事場の馬鹿力ってあるし。だから、今はニコニコ平穏な心の状態だと してても、いざ非常事態になったら、どのような態度がとれるかって 疑ってみると、非暴力原理主義宗教を信じてない人が暴力的にならないかと いうと、怪しいもんだと思う。宗教を信じてない人は、結局、 非常時には体制に迎合して人を殺しまくると思うな。 やっぱ宗教って役割あると思うよ。 宗教を信じてない人は、追いつめられたら優柔不断で体制迎合に走ると 思うな。
689 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 23:13:46 0
想像だけを根拠に結論を出すのはよくないね。
690 :
677 :2008/05/16(金) 23:30:41 0
みんなちゃん、レスありがとう。 漏れの考え違いだったわけか。 どうもKはワカラン。
691 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 23:32:12 0
677の反応もどうもワカラン。
個人の欲が問題とか言うけど、 人間一人の力なんて大した事ないんだよね。 人間一人一人の個人は市場の力で吹き飛ばされてしまうほど弱いんだ。 ところが、怖いのは人間が集団になること。 1対1で話してみればイイ奴なのに、集団になるとそういう奴でも 平気でイジメに荷担する。 このスレ住人にも言えるけど、一人でいる時に穏やかな気持ちに なってたって駄目であって、たとえ1人対100万人で孤立しても、 集団に迎合しないで、自分の信じる態度を貫けるかどうかが 問題になると思うんだ。 それが出来なければ、悟りとか思想とかいっても、 単なるイミテーションの飾り。ニセモノだね。
>>692 の言う通り。
オレより悟りに近いかもな。
環境によって迎合する脆弱な自我は、嘘っぱちである。
非暴力原理主義を信じている人が…、の間違いだろ?ガンジーの虚偽すら、 kなら朝飯前だよ。w
あとso what?じゃなくて、What is it?だろ。 大学教育の英語力位は、皆さん持ってますよね?
ジュニャーニは、知識さらの道、kやラマナ・マハリシを含みます。 カルマは、ヴィヴェカーナンダが提唱した説。 「私が働いている」という感覚が邪魔ものである。あなた自身に「誰が 働いているのか」と尋ねなさい。起こるべく、定められていることは、起こるだろう。
一々「オウム」などと繰り返さなくてもよいですよ。 kを知った=一切の虚偽を見破るってことです。 もし仮に、kが合わなかったなら古本屋へ回収願いたい。 向き不向きのなかで、kを絶対にする必要はない。 kを知って、仮に自殺したら、意味ないでしょう。 わたくしは、一歩手前までいきました。皆さんの精神が平和でありますように!
698 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 03:39:32 0
>>697 >わたくしは、一歩手前までいきました。
立ち直れた理由は?
699 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 04:01:22 0
>脆弱な自我は、嘘っぱちである。 脆弱な自我って(笑)
700 :
結語 :2008/05/17(土) 06:24:08 0
「おまえはそのままでいい」 彼はそうは言わない。 世界で起きている紛争、飢餓、破壊を以て我々に変容を要求する。 決して要求しない、と言いながら。 この時点で我々は変容が必要であると条件付けられる。 そして全ての変容には自由が必要だと言う。 この時点で変容を拒否する自由は奪われる。 全て欺瞞である。 我々は「そのままでいい」から出発しよう。
so whatでOKだと思う
702 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 09:58:39 0
> 我々は変容が必要であると条件付けられる。 たぶんKは2ちゃんねる流に言えば「釣り」なんだよ。
703 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 10:21:44 0
704 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 10:42:56 0
これは安心してso what?と言っていいようなスレタイだな。えっへへへ。 うる覚えだけど、so what?は悪いものじゃない、とかいうて、 わざわざ、人がいっぱいいる広場にいって、so what?はじめた 哲学者の話をむかし、読んだことがあるもん。 これは極端なはなしだけど、レヴィナスもso what?について、なんか書いていたし、 フーコはいいか、その色々、いっぱいあるはず、だから、 哲学はso what?を扱わない、というのは、気持ちよく、ペケ、so what?と ぼくは書いていいのだ。わっはっはっ。 so what?
705 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 10:58:52 0
>>702 >たぶんKは2ちゃんねる流に言えば「釣り」なんだよ。
面白い表現だ。
それが正解だろうね。
「爆釣りだぜwwwww」 byクリシュナムルティ
706 :
byそんし :2008/05/17(土) 11:11:49 0
// ̄ ̄ ̄ ̄\ . 彳丿; /,,,,,,,,\ u lヽ 入丿 -◎─◎- ;ヽミ. | u:.:: (●:.:.●) u:.::| ま、ま、鮪? | :∴) 3 (∴.:: | つ、つか、ボ、ボラじゃないの? ノ ヽ、 ,___,. u . ノ、 ハァハァ! / ヽ:.___;;;;;;;;;;___.ノ ヽ / ,ィ -っ、. .ヽ | / 、__ う 人 ・ ,.y i | /  ̄ | | ヽ、__ノ ノ ノ | x 9 / | ヽ、_ _,ノ 彡イ シャシャシャシャシャ | (U) |
良くも悪くもスレが 活発になってるw
>>695 >大学教育の英語力位は、皆さん持ってますよね?
なぜ?
クリシュナムルティを読んで自分に向き合うことにおいて、
中卒や高卒でもいいのでは。
709 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 14:46:00 0
違うんです。 ロッコツ歩さんにとってkは最低大学教育レベルの学力が無いと取り組むべき では無いのです。 中卒や高卒なんてのは論外なのです。 大学と言っても一流大学卒レベルを指しているとオモワレ、2流、3流じゃ 不可なのです。 それくらいkの言ってる事は難しく理解できるのは限られた小数と言ってるのです。 ロッコツ歩さん自身はkを理解しているらしいですが、その他の我々凡人は馬鹿だから 理解できないのです。 つまり、そういう自己優越感の高みから他者を見下ろすのがk理解者の悪い点なのかも しれませんね。
いざ大規模災害や緊急非常事態になったらどうなるか考えてみなさい。 災害現場で困っている人々を守ったり助けたりするのは、 国家権力や暴力団(ヤクザ)や宗教団体と相場が決まってる。 普段、自由とか言ってる奴はそういう時は全くの役立たずだ。 国家、宗教団体、マフィアは、瞑想とか悟りとかエゴを破壊する思想なんかで 崩れるもんじゃない。 なんで国家、宗教、暴力が必要になるのか、瞑想お花畑人間にゃわからない。 考え方が甘いんだよ。
実際、物質的に余裕あるヤツしか 他人の事助けたりできないしねw
712 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 16:43:07 0
> なんで国家、宗教、暴力が必要になるのか そりゃ、君、瞑想とか悟りとか言葉があるだけで、 実際にその状態に至る奴がいないからだよ。
無秩序という事実があります。それは疑うことのできない、ありのままの事実です。 この事実に対する伝統的なアプローチはそれを分析し,その原因を見つけだし、 それを克服したり、対立するものを作り出してそれと戦おうとするものです。 これが修練、訓練、抑制、抑圧、昇華といった伝統的なアプローチです。人間は このようにして何千年もの年月を重ねてきましたが、何も変わっていません。 このアプローチを完全に捨て、その問題を全く違ったようにみることができるでしょうか。 中略 超人にならなければならないといわれるとき、あなたは自らを困難に陥れ、 自らの道を塞いでいるのです。これはそういうことではありません。あなたは 見る対象に干渉したい、何かしたいという見方で事実を見続けています。 それに対して何もしてはいけません。あなたが何をしようとそれらは伝統的なアプローチに 属するものだからです。それだけです。単純でありなさい。 過去をすっかりぬぐい去った感情と知性で知覚することーこれは知覚の奇蹟です。 否定が最も積極的な行為なのです。
あれで最後の文章にしたかったのですが、やや
誤解が生まれているみたいで、訂正します。
知識とは、悟りから遠ざけるものでしょう。
誰かが言われた様に、自分と向き合えばいい話です。
わたくしは、小学から中学に進学するなかで、330人以上の中、1位でした。
高校時代は、一応進学校で落ちこぼれでした。私立大に進学はしましたけど、
同級生の中では、一番冴えなかったです。英検は2級、TOFEL500程度です。
ここで、わたくしに関心を持たれた女性の方は、メールください。
[email protected]
716 :
ロッコツ歩 :2008/05/17(土) 23:55:13 O
プロフは、164*55*33です。自分で言うのも何なのですが、 イケメンです。o(^o^)oプロフと写メ付きでメール願います。
717 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 00:13:07 0
あなたは自分を見てますか? kは自分を見る事を観察者が観察者を見ると言ってます。 見るものが見られるものです。 あなたはこの事を深く理解してますか? ココがポイントです。
718 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 00:18:37 0
どこがポイントだ、とか解説したがる奴ってうぜえよな。
仮に、子供を授かりました。わたくしの 教育方針として、TVは見せません。害のあるメディアからは、 遠ざけます。一切の瞑想の防げになる媒体からの防御です。 童話には、Kの本を使用します。英文の原書が良いので、 アメリカの学校に通わせるのも、手段です。ただアメリカ人は、内面を 軽視しがちな点もあるので、個人的に指導します。 1日の終わりには、「慈悲の瞑想」を欠かさずやっていきます。 一切の親のエゴは植え付けません。一人の人格として教育します。
720 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 00:20:09 0
うぜえよなと言うアンタの方がうぜえよw
721 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 00:21:47 0
ロッコツ歩のネームを使わないということか。
722 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 00:23:36 0
>>719 何が有益で何が有害かについての親の信念を押し付けるだけで、
立派に親のエゴの植え付けだろ。
723 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 00:26:15 0
kと両立しない。 『慈悲の冥想』の言葉 私が幸せでありますように 私の悩み苦しみがなくなりますように 私の願いごとが叶えられますように 私に悟りの光が現れますように 私が幸せでありますように(3回) 略 私の嫌いな人々も幸せでありますように 私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように 私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように 私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように 私を嫌っている人々も幸せでありますように 私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように 私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように 私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように
724 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 00:26:39 0
つうか個人的に何を指導するのか分からんが、まあ指導して、 それで親のエゴを一切植えつけないってのは矛盾だろ? 親が子供を躾けるというのはあっても「指導」までいっちゃ親のエゴ押し付け まくりだろう? 違うかい?
725 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 00:34:39 0
>>723 確かにkはそんなのを瞑想とは言ってないな。
kの瞑想は自己観察型の瞑想だもんな。
いわゆる仏教だのヒンズー教だのの瞑想スタイルは一切拒否してるよな。
それに「私」の連発は自我の強固な現状として避けるべきと言うだろうな。
726 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 00:47:48 0
瞑想っていうよりは、「祈り」だな、そりゃ。 しかしまあ、自分が祈っているのを観察すりゃ、 それもまた瞑想なのかもな。
727 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 08:07:33 0
いきなり知識として Kの本とか与えないで自然のほうが 良くない?頭でっかちになりそうじゃん
ようするに慈悲の瞑想はサマタ瞑想だよ。 観察の瞑想はヴィパッサナー。
730 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 12:13:57 0
#アンカー#1 テスト
731 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 12:20:39 0
↑だまされた〜w
732 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 22:48:05 0
Kの本なんか与えたら社会生活できなくなる。 普通の人の頭の中にないものがその子の頭の大勢を占めてたら、 コミュニケーションができないだろ。 科学のことばかり考えてる科学者はまだ、 研究所や大学など活躍する場も用意されてるが、 kなんて世間ではなんの役にも立たない。
733 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 06:53:16 0
真理を知らないで大人になった奴はいずれ挫折するだろうけどな
734 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 13:47:01 0
そうは思わんが
735 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 15:07:54 0
>>732 に一票。
働くにはスキルを身に付けろとか学歴とかよく言われるが、もっと社会的には
ニーズとコミュニケーション能力を身に付けろ、ダトオモウ。
スキルや学歴は被雇用者前提の発言だからね。ニーズやコミュニケーションは
相手に答えるだけでもいいし、自分で創造してもいい。
ニーズとコミュニケーションがないと社会でやっていけない。宗教本は教祖になる
のが夢の人を除いてはそれらをもたらさない。役に立たない。
736 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 16:08:38 0
というか、Kは社会にたいした価値を置いてないだろ。 社会がすばらしいと思う奴とそもそも前提が違っている。
737 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 16:12:55 0
コミュニケーション能力はまあ良いとしてニーズってなんだ? どうやてニーズを身につけるんだ? ニーズって相手に答えたり自分で創造出来るものなのか? 意味ワカンネ。
738 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 16:18:14 0
俗的快楽を楽しみたい奴とKはそりゃ正反対だわな
739 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 16:46:56 0
俗的快楽も野心も結構だが、 人生の意義が社会的成功や金銭の獲得にあるわけではない、 ということは教えた方がいいんじゃね?
>>737 文面が悪かったが、ようするに他人のニーズに答えるか、新しい需要を創り出して自分のところにニーズをもってくる、それが社会で生きるには大事ということが言いたかった。
他人のニーズに答えるとは、労働者を募集しているところで労働者としてその会社の要請にこたえるとか、自治体で高齢者にパソコン操作を教えるとか。
ニーズをつくりだすとは、芸術作品を創って買い手をさがして生活するとか、オール家電の拡販とか、ミルクカレー味ヌードルの商品化とか。
大事な点は、他者に行動や金銭を伴って関わる、関わらせること。
741 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 17:56:59 0
>>696 >ジュニャーニは、知識さらの道、kやラマナ・マハリシを含みます。
実は、分類という思考の行為自体が、Kの説く内容に当てはまらないと思う。
742 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 18:12:04 0
こんな板あったんだ。 クリシュナムルティってのは悪い意味で破壊的。 前に「釣り」って書いてあったけど、その釣り(パラドクス)を見抜けないと生き地獄だ。 彼の著作は全て廃棄したわ。
743 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 19:28:46 0
廃棄しなきゃならないのは、 著作ではなくてあなたの頭の中にあるものじゃね?
744 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 21:06:15 0
>>740 needsとwantの違いって何だか分かる?
あんたが言ってるのはwantでneedsじゃないのよ。
needsとは欲しいのではなく必要、まさに必要なものなんだよ。
パソコン講習だとかオール電化だとかミルクカレー味のヌードルなんてのは
何が何でも絶対必要なものじゃないだろ。
出来れば欲しいなんてのはneedsとは言わない。自分には絶対「必要」と言うもの
がneedsなんだよ。
745 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 22:33:00 0
いわゆる社会生活に満足し、疑問を感じない人はKの本なんて読む必要なしよ。 そういう生活というものが自分自身にとって、もはや何の意味も持たず、 何もかもが浅はかに感じて、苦しくてたまらない… もっと違う生き方があるはずだと感じつつも、これ以上どう生きていけばいいのか分からない… Kはそういう、精神的な渇きを覚える人向けだと思います。 大事なのは自分に嘘をつかないことです。Kの言うことなどどうでもいいと思い、 捨てられるのなら、その人にとってはそれが正解なのだと思います。皮肉ではなく。
俺は癌で入院中にkの本を知り読んだ。 主治医からはあまり長くは生きられないとも宣告された。 俺はいわゆる敗者だよ。 kの本を読むのは敗者だからなのは自覚している。 しかし死ぬ前に真理を見たいという欲求がでてくるの本当なんだよ。
クリシュナムルティは本当にやりたいことを例え野垂れ死んでもやれと言っている。 行為と目的の一致。成功と失敗という観点の否定。
クリシュナムルティの教えは言葉の真の意味で厳しいのです。 安易な結論や方式を提示しないからです。 厳しい行を課す宗教に入ったり社会的価値観に迎合したりする方が 簡単です。 欲望も鼓舞しないし本当のことばかり指摘する耳障りな思想ですから 一部の人にしか届きません。誰も本当の事は知りたくないからです。
ニーズ(藁) その辺のハウツー本の臭いがしますですね
>>744 はあ。まあそう熱くならないで。けんかするためにレスしにきてるわけじゃないんで。
おれっちは、一つの真理が存在するとは思わず、あるとすれば多種多様であり
人それぞれであると思うね。
人が何を必要としているか、必要とするかも、真理と類似して多種多様だ。
あなたが定義することもできないし、知る由もない。
おれっちにとってはタバコとコーヒーは必要不可欠だ。タバコは体に悪いだとか、
2次喫煙が害だとか、カフェインはお茶で取ればいいだとか、
衣食住と関係ないから不用だとか、それは他人であるAさん個人の意見で、
私にとって必要、一日を送る為になくてはならない、ということが
まぎれもない事実なのだよん。
高齢者のためのパソコン講座やオール電化は俺個人的にはまったく必要じゃない
が、それを受講、購入している当人たちにはすでに必要なものとなってるんだね、
そういうあいまいで多様な必要性で社会ができているってこと。
というわけで真理なるものを知りたけりゃ自分の人生をいきるしかないってこと。
言葉多いけど何言ってんのか分からんなあ。 要はおまいがタバコとコーヒー嗜好だとしか読み取れん。
ちなみに言葉もあいまいで多様なものだよ。 ニーズなら、日本のビジネス界的にはそれこそ749がいうようにハウツー本に載ってそうな 需要,売れるとかいう意味合いだし、教科書でよく登場するケースだと744のように 必要不可欠という狭義が多い。政治とかだと要求という意味で使われたりする。 ちなみに英英辞典では ・a situation in which something must be done, especially to improve the situation. ex)We recognize the need to improve teaching standards. ・what you need. などとかかれてますね。ま蛇足だが。 人の需要も必要とするものも要望も言語も真理といわれるものも、多種多様、人それぞれ ってことだ。
蛇足だと思ってたが、751が困ってるみたいだから更に補足しとく。 751にもわかるようにニーズを国語辞典でひいてやる↓ 「needs:必要。要求。需要。例)住民のニーズにこたえる」 この場合は需要、要求と言った意味合い。wantも含意しているとオモワレ。 興味があるならビジネス辞典とかで他の用例も引けばヨロ氏。 このように言葉一つとっても人(業界)が違えば捉え方が違う。 自分の知識が全てだと思うなってこと。
っと、チョット前に祖ワットでくしゃくしゃしてるのを見たが、(あれには当方無関係) なんか英語コンプレックス?でももってる香具師がこのスレにいるのか?w ま、蛇足だったね。
文化相対主義の匂いがするねw
・・・744、749はもしかして釣りか。 何行も使うとは過疎板らしい釣りだな。 もうレスはやめだ。
758 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 01:39:07 0
うんこ
>>748 そのような選民意識を生む構造を持っている所が、
思想としてはダメなのだと俺は思っている。
>>723 >>725 クリシュナムルティは生まれつき性格的に穏やかな心を
持っていたのだろう。
小さな子を見ててもタイプ的に人に親切な子と意地悪が大好きな子がいる。
クリシュナムルティは瞑想する下地が出来ていたわけで、
意地悪な我々凡人は瞑想する下地が出来ていない。
だから慈悲の瞑想?がある。
瞑想する前にきちんとモラルを身につけている必要があるな。
モラルはやはりエゴとか文化的な偏見とか差別を含んでいる。
初期段階のエゴやそういう下地までを否定するのでは、
凡人とは無縁の世界だね。
選民意識を持つも何も他人からの承認を得ることができないからそんなもん持ちようがない。 例えば真言宗や天台宗に入ったら信者もいるし厳しい荒行をやれば認めてくれもする。 だけどkの教えを実践していますと言っても知らない人の方が多いし知っていても 「あっそう」で終わる話。あくまで自分の内面で自己完結してしまう。だから問題は 選民意識を持つとかより評価軸がないので自称理解者や独善的な人を生み出しやすい とこにあると思う。ついでに宗教の修業達成度も怪しいもの。性格の悪い自称大悟徹底した 僧や厳しい行をやり、位がやたら高いくせに金のことしか考えないラマ僧とか変な奴 がいっぱい。
ナーガールジュナの中論はクリシュナムルティと同じぐらいアナーキックでイカス。
763 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 10:47:46 0
>>723 ・「私が〜」「私を〜」とたえず、「私」がついて廻り、
気付かない内に自我の意識化をしてしまう。
・やさしい人間だと勘違いし易くなる。
・意地が悪いのだが、 他人に優しくなくてはと、自己矛盾に陥る。
>>752 >>753 kは「言葉」について注意を喚起している。
言葉はその言葉が指す当のモノではない事に留意しろと言っている。
言葉が多様なのは当然だが真理も多様と言うのはいかがなものか?
またkは知識を捨てろとも言っている。仕事上などの生活していくうえ
での最小限度の知識で生きろと言っている。
つまり知識は人間を条件付けると。そういう条件付けから解放されねば
ならない。
つまり簡単な話、思考をして思考の限界を悟らしめば思考は自ずと黙る、ということだね。
思考が沈黙してのみ、彼のものが現れる、その彼のものとは説明したが最後、観念となってしまう。
だから一切の言葉は否定的なものである、というわけ。
老子の言う、道の道とすべきは常なる道にあらず、と同義。
また無心のパラドクスと同じで、無心になろうとすると無心になれない。
ただ無心であるときにだけ無心である。
kはただ、思考の限界を告げに来ただけだよ。
知識は蓄積物である、そして思考はその蓄積物を処理編集するにとどまる。
どこまで行っても限界がある。制限されたものである。
それが全てと思い込み人は喘ぎ、呻吟する。
知識、思考は単なるツールに過ぎない。
ツールは条件付けられている、或る意味これは当たり前。
条件付けがなされないと使いようもない、とも言えるからね。
しかし思考が全てと思い込んでいる人間は常にその条件付けに無意識に左右されてしまう。
思考そのものが思考の限界を「知っている」時にのみ、折に触れ思考は黙る。
でさ、ちょっと彼の話と共通するところがないかね?
彼とは桜井章一だ。
賛否はあるにせよ、彼の言葉から気づきがあった。
思考が勝負者の足を引っ張る、って部分だ。
http://jp.youtube.com/watch?v=NnbtgqZotO0 http://jp.youtube.com/watch?v=0fTChozgW_U&feature=related
766 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 13:22:53 0
>>717 > kは自分を見る事を観察者が観察者を見ると言ってます。
???
だから、ニーズ、ニーズ言ってる奴は、よっぽどの俗人だね。 それは、落合信彦並みの俗人だ。 言葉が、多種多様である様に、真理も多種多様であるは、異質な感じを覚えます。 真理は一つで、皆おんなじ山のてっぺんを目指しるわけ。 山は、一つで多種ではない。ただおんなじ山で頂上へのルートが違うだけ。 真理は一つであり、その山の頂上です。 そこに神との合一、無条件の愛、k云わくの真実在との 接点がきっとあるのでしょうね。
思考自体、過去であり嘘です。存在見を帯びると、条件付けになります。
771 :
ロッコツ歩 :2008/05/20(火) 16:53:57 O
その事に一切気づいてください。
>>766 つまり見るものが見られるものと言う事でしょ。
自分を見る、ってのは見てるのは自分で見られているのも自分だ。
なんか不思議な世界ではあるな。
>>771 思考は過去で嘘でなのか。
今あなたが思っていることが過去で嘘ですか?
あなたの思い出を想起する、それは過去ですか今ですか?
さあ、今一度自分の思い込みを懐疑しましょう。
>>770 つまり思考するというのは、言葉で思考する。言葉で思考するという事は
知識をツールとして使う。知識は過去のものだから、思考は過去のもの
となるんだよ。
>>767 前から気になっていたんだが、神人合一思想及び梵我一如系の思想とKを
ごっちゃにしていないか?
何かと合一すべき私はそもそも存在しないし私が規定するアートマン
等の到達点は全て私により制限されているっていうのがKの話なのでは
ないか?
悟るべき私がいないのにどうやったら彼岸を想像したり記述したり
できるんだ。
>>774 それを言うのなら思考は過去のものを使っている、ということ。
しかし思考は現在性としてあり思考は今行われている。
で、思考が嘘ってのは如何なる理屈なのだろう。
777 :
ロッコツ歩 :2008/05/20(火) 17:04:43 O
想い出を形作る物、実体化しますが、今ではありません。
まさに思考は過去のものを使っている、という意味で思考は過去と言ってる。 それ以外の意味は無い。と思うw 今思考しているから今のものじゃない。思考とは〜って意味で言ってるんだろ。
>>777 思い出を形作るもの、それを知覚するのは何時?
ロッコツ歩さんはもの思い込みが強いのかな?
>>778 だから思考は何時行われているのか、と言う話だよ。
思考は過去のもの、これ、紋切り型にしてない?
だから今知覚したとしてもその性質は過去の性質をもってると言う事。 今思考したり知覚したりしたからソレの性質が今のものとは言えんだろ。
ロッコツの話はどうもオウムの思想的傾向性と一致する。
>>781 >だから今知覚したとしても
今しか知覚できない。
>>776 をご覧になればわかるはず。
問題はその過去の蓄積物を使った思考が営まれているのは今だ、という話。
これは思考を知覚する要件だね。
で、思考は嘘、ってのは一体何の話だろう?
784 :
ロッコツ歩 :2008/05/20(火) 17:18:12 O
それは、様々な印象です。個人的に母が末期にいており、いつ逝ってもおかしくない状況です。 母が、一番愛したのが自分でもあり辛い状況におります。 「母ちゃん、死んでも生まれ変わるから 」と、仮に言ったとして、何の安心感を得られるでしょうか?
>>784 お答えの趣旨がよく解りませんが、もし「死んでも生まれ変わるから」と言う言葉で
お母様がご安心なさるなら言って差し上げれば何如です?
>>783 >>778 を見てもらえば分かると思う。
今、思考しているから思考(の性質含めて)は今だと言いたいの?
訳ワカンネ。
思考が嘘ってのは、(俺はロッコツ歩じゃないんだがなあw)つまり
思考のなかに真理は無いって事だよ。真理じゃない=嘘というのもどうか
と思うが、意味としてはそんなトコだろ。
思考が嘘に関しては、kの本に様々な形で表しております。
>>786 どうも危惧してしまうのがこのテーマ、思考です。
kを読んだ人は思考に対してネガティブなレッテルを貼ってしまいやすい。
で、思考は過去、嘘、と言う。
その紋切り型を懐疑したい。
思考は過去であるという認識はそれは思考が過去だと認識しているだけであって、
思考における「過去のことども」は今起こっている。
知覚とともに一番現在性を持っているのが思考です。
そのきびきびした動きを見ないと思考自身が思考の全過程を見ることは不可能。
>思考のなかに真理は無いって事だよ。
ほんとかしら。
これはそもそも真理って何だ、と言う話です。
思考は嘘だなんておおざっぱなこと言ってはいけないよ。
790 :
ロッコツ歩 :2008/05/20(火) 17:35:00 O
わたくしの、チャネラー歴8年近くにもなりますが、こんな形で 表されるのも初めて(^^;)ゞです。
チャネラーってトンデモですよね
そうやって決めて判断すると間違う元にもなります。
793 :
ロッコツ歩 :2008/05/20(火) 17:42:21 O
あ、哲板の中においてですけどね。 昔は、完全シカト状態でした。
>>788 >思考における「過去のことども」は今起こっている。
だからそんな「過去のことども」を掘りくり返して何をするの?
今、そんな掘りくり返し作業する事に真理が含まれてるの?
思考に真理があれば話は簡単です。
思考する人=悟り人でしょ。思考すれば達成しちゃうんです。
でも思考している人が悟れてない現状がある。何故?
思考に真理が有るのに何故真理が見えないの?
つまり思考なんかは真理とは無関係のものって事でしょう。
真理ってのは多分言葉で表現できないものでしょうねえ。
でもあえて俺なりに言葉で表現すれば、今生きてある、という事の実感では
ないでしょうかね。生きているから色々見れるし聞けるし感じれる。
そんなもの全てが真理だと思うよ。回りに一杯あるでしょ、真理なんて。
でも、気づかない人は気づかない。
伝言 榑桑一厘人@FreeTibet ◆X39RUS9Pkwのアフォは書き込み規制食らってカキコできません だそうです。
796 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 19:08:58 0
797 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 19:39:40 0
>>717 >あなたは自分を見てますか?
と、まず“見て”いるかどうか問いかけている。
>kは自分を見る事を観察者が観察者を見ると言ってます。
“見る事を観察者が観察者を見る”?
>見るものが見られるものです
この問いかけが意味をなさない。
↓
>あなたは自分を見てますか?
>kは自分を見る事を観察者が観察者を見ると言ってます。 ↑これは観察者は観察されるものに他ならないってことの言い換えでしょ。 だから >見るものが見られるものです ↑こう言ってるのはトートロジー。 そいで >あなたは自分を見てますか? ↑これはあなたには観察者なしの観察ができてますか? って聞いてるんじゃないか? 福永某の「最高ですか〜?」みたいなもんじゃね。
瞑想による意識体験だろ。瞑想体験を深めていない人には分からない。 言葉で論理的に積み重ねて分かるのが思想だとすると、瞑想に熟練しないと 分からない思想というのはどうなのかって疑問もあるけどな。
800 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 20:05:37 0
>>798 の言うとおりなんだが、
>>717 は勘違いしているか、語の使い方を間違っているのだと思う。
801 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 20:12:44 0
・・・分かったつもりの人が多いスレみたいだな。w
802 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 20:15:34 0
観察〜〜〜はKの著書(翻訳)によく出てきますが、 観察者=自我 見る(観察者なしの観察)=受動的な凝視、無選択の注意・気付き で良いのでしょうか?。
見るってことは主体があるんでしょ?
見る主体があって、その主体が自分を見ていると、見る主体=見られる客体
って事になるね。
>>717 の何が問題なのか分からん。
>>802 そもそもそんな受動的に凝視するって出来る?凝視ってのは見つめる事でしょ?
それを「受動」って言えるのかな?明らかな主体がないと凝視できないでしょ?
同様に無選択の注意・気づきってのも何か変。
注意するってのはその対象を選択しているから出来ることでしょ?
無選択に注意なんて出来ないだろ。
804 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 20:46:50 0
受動的な凝視、無選択の注意・気付き J・クリシュナムルティの本に出てくる基本用語だね。
あんた達はkのいう事をそのまま暗記して、それで物事が分かったって
言うの?
kの言おうとしている事を深く理解しようなんて気はないんだろ?
>>804 その基本用語の「受動的な凝視、無選択の注意・気付き」って何だ?
万人に理解できるように解説できるか?
俺が
>>803 で指摘した事を踏まえて、なおかつkの思いを語ってみろ。
そしたらお前の言動からお前のkの理解度が判明する。
それ(無選択の気付き)こそが重要であって、kの言われる境地とは、仏教的に、 主客一体思想だと思う。見る者は、見られる者である。の境地です。 あと思考は、常に時間を兼ねます。時間は、「今、ここ」ではありません。 そこに真実は、見出だせないって事です。
807 :
ロッコツ歩 :2008/05/20(火) 20:59:27 O
時間は、過去になります。
自他に、距離のある時、中心があります。 自他に、距離のない時、中心は生まれません。
時間なんてどうでも良いんだよ。 仏教的?ハ、笑わせるな、kはあらゆる宗教を否定した上で語ってるんだろ。 なんでそこに仏教が出てくるんだよ?? アンタは仏教に縛られてる、k信者はkに縛られてる。そんな縛りから自由に なれってのが本筋だろうが? 縛られまくりのマゾヒストは最も真理から遠い人間だな。
810 :
ロッコツ歩 :2008/05/20(火) 21:14:44 O
どうでもよくなってきた。とにかく、万人に解りやすくって言う時、k の諭す意味合いに近い仏教用語を使った方が、早くね? 禅的であり、そうとはとれない、とも思うけれど。
それがあなたの限界です。 早いも遅いもないだろ。 早い遅いになんら価値無し。
812 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 21:19:42 0
自由になろうとするから自由になれないという事に気付かぬアホ
後一つ書くけど、自己中心性、もし時間がなかったら、中心を生みません。 自己があるのみです。自己とは何か? それをただ問えばいい話だと思います。
アホとはなんだ〜なんてレスすると思う? 俺は自由なんだよ。おまいが俺を不自由というのもアンタの自由。 だが、そんな事に何の意味があるんだ? おまいもこんなスレに条件つけられないように(反応しないように)もっと自由 になるんだな。
>自己とは何か? >それをただ問えばいい話だと思います。 ソレを問うたロッコツ歩さんはどういう答えをだしたの?? 是非、聞かせて欲しいですねえ。 答えないで無視したらロッコツ歩は真性アホで良いですね?w
816 :
ロッコツ歩 :2008/05/20(火) 21:37:07 O
んで、その「あなた自身である」とはどういうアナタなの? それを教えてくれないと意味無いだろw 言葉を変えて言えば「お前は何者だ?、さあ答えろ!」って事ですが。
それともうひとつ、 >時間は、「今、ここ」ではありません。 コレはどういう意味? 「今、ここ」は時間じゃない、というのなら分かるがアンタが言ってる事 は意味不明。 今、ここにこそ真実があるだろう?なんで今ここに真実が無いんだ? 万人に理解できるように説明してくれ。
肋骨さんは肩の力を抜いてみたらどう? 2chのコテなんて単なる像なんだから、自分の無知な部分がでても素直に受け入れればいいじゃん。 君が10代、よくて20代前半ってことくらい、ちょっと見た私でもわかるよ。 コテでの話まで言い訳や逃げ口上ばかりしてたら成長しないよ。せっかくの場がもったいない。 とにかく素直に対話(自分の発言に対する質問には答える)くらいはしたほうがいい。
いい流れだね。
821 :
ロッコツ歩 :2008/05/20(火) 21:59:11 O
すまん。明日の5時起きのでそろそろ寝ます。 「私は誰か」 を呪文にしてはならない。ただ一度質問すればいい。 それから、自我の源を見出だすように集中することで 想いが起きるのを防ぎなさい。
>あなた自身でありなさい これは観念や理想を省いたあるがままのあなたのことです。 消極的にも積極的にも一切の自らに対する予期をなくすのです。 >時間は、「今、ここ」ではありません。 時間を生み出すのは我々の側です。時間は認識する側に属するのであり 客観的時間などは存在いたしません。時計の動きまたは 種を撒いて→水をやり→夏になれば向日葵が咲く こういった一連の認識の過程を一般に『時間』と呼んでいますが 個々の事象は別個なのです。事物に対応関係(因果関係ではない)を見出す ことを時間と呼んでいるのです。現在が過去=記憶に回収されるのです。 私が種を撒いた向日葵は私にとっては来歴を知った向日葵ですが 偶然通りかかった人が見たその向日葵は単なる向日葵です。 幼児からすれば見たこともない大きな花かもしれません。 ともかく過去が現在に出会う時、そこで「今」は捨て去られているのです。 時間=過去とするならば『時間は、「今、ここ」ではありません。』。
823 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 22:34:09 0
>>805 >kの言おうとしている事を深く理解しようなんて気はないんだろ?
憶測です。
過去の想起の現在性を指摘したのって大森荘蔵だっけか。 過去という概念の曖昧さ、線形時間の曖昧さに気付く、これも「気付き」ではないのかなぁ
>万人に理解できるように解説できるか? 例えばkが万人に理解させ得たでしょうか?
なんだロッコツ歩さん来てるじゃないw
肋骨は無理してるなぁ。真面目だが自分の非を認められないコなんだろうなぁ・・。 勉強は出来るが応用がきかないタイプ。ガキなんだからノビノビしたらいいのに。 「わからない」と言えることは大事なことなんだよ。わかったつもりが一番、怖い。 学業が伸び悩むコはこのわかったつもりが大変に多い。プライドなんか捨てちゃいなよ。 プライドが高いという自覚はないかもしれないが。いっちょ営業のバイトでもして 断られまくって来なよ。
あなたは自分を見てますか? kは観察者は観察されるものに他ならないと言ってます。 観察するものが観察されるものです。 見る事は、観察者なしに観察する(見る)事です。 あなたはこの事を深く理解してますか? ココがポイントです。
改良版ですか
キチ芸の鳥居みゆきは小3でこの人に影響受けたらしい。 芸能人でもこの人に影響受けたって人あんまりいないよね。
831 :
考える名無しさん :2008/05/21(水) 19:16:17 0
passively aware
思考が嘘というのはスゴイ言葉だね。思考が思考を嘘だと言ってるのだからその言葉も嘘。 ということは思考は真実だということになり今度は思考が嘘という言葉が真実になる。 永遠に循環は続く。深いなぁw
833 :
考える名無しさん :2008/05/21(水) 22:06:36 0
思考は過去って言うのは、どういう意味なんだろうね。 「Xについての思考」のXが過去のものだってことかなあ? それだったら、分かるような気もするが、 Kが言おうとしているのはこのことではないのかな?
思考は、記憶の組み合わせによる応答だからでは。
>>833 記憶は過去→思考は記憶に基づいている→思考は過去
↑
こういう主張
836 :
考える名無しさん :2008/05/21(水) 23:49:33 0
基本的に思考が問題起こしてるキチガイ用の教えだからね。 思考から切り離せばそれでいいんだろう。 その割りには喋りすぎたから、 信者がますます思考にのめり込んでいくという弊害ばかり起きているが。
837 :
考える名無しさん :2008/05/21(水) 23:56:56 0
838 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 05:54:13 0
839 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 06:03:07 0
あ、それと次スレって誰か立てるの?
840 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 06:44:21 0
kによると「想い出に浸る」ってことはあるがままからの逃避になりますか?
841 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 07:13:46 0
確か、思い出とかセンチメンタルとかは 否定してたような気がするけど、詳しくは ロッコツさんとか、他の人が抜粋?引用して おしえてくれるはずだよ
842 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 07:37:48 0
>>841 ありがとん!
想い出に浸ることを否定するなんて人の歴史や営みを丸ごと否定してるのかkは・・・
それが本当なら激しくトンデモだわ。
メアリーに自分より先に死ぬなと言ったり評判の悪いベザント夫人の偉業を讃えたり ハクスレーを親友と呼び続けたり彼が思い出を疎かにしていたとは思えない。ただ 思い出を慰めにしたりそれに囚われたりすることには否定的なだけなんじゃないか。
844 :
842 :2008/05/22(木) 08:20:21 0
>>843 なるほど、それならわかるね。
あなたのレスで人間らしいkを垣間見た気がした。
ありがとう★
845 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 11:50:36 0
シュタイナーの指摘は、クリシュナムルティにも当てはまるのではなかろうか。 鈴木大拙がクリシュナムルティに批判的だったのも、シュタイナーと同じような理由によるものだろうと思う。 すでに解脱した者として、おまえはすぐ今日にも超感覚的世界の人に なりたいであろう。しかしそうしたらおまえはまだ救われざる地上の存在たち のためには、ただ高いところから見下ろすことしか為しえない。 (ルドルフ・シュタイナー) シュタイナーはそのような態度を、黒い道として批判している。
>鈴木大拙がクリシュナムルティに批判的だった 知らなかったよ。興味がある。 ここんとこもう少し具体的に頼む!
シュタイナーが何を言ってるか今一わからないがあんな毒盛られたり 罵声を浴びせられながら大衆の中で講話を続けた人間には思想的共感以前に 人間として尊敬をするわ。 シュタイナーに関してはあのグノーシス主義(妄想体系)と幻視をリアルと 断じる姿勢には辟易するがナチスに反抗したという一点で尊敬に値する。 大拙がクリシュナムルティに批判的だったのはそれらしい理由を 付けてたが単なる嫉妬と自分の立場に危機を感じただけなんじゃないの。 そもそも禅僧全般がクリシュナムルティに批判的じゃん。大した理由もなく。 あ、学者も含めた日本の仏教者全般か。
848 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 12:47:03 0
>>847 へー、日本の仏教関係者ってクリシュナムルティに
批判的なんだ、知らなかった
むしろ好意的なんだろうと思ってた、勝手に
てか組織だもんね仏教の世界も
849 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 13:03:08 0
>>846 大拙のクリシュナムルティに対する苦言は、概ね次のような内容
・クリシュナムルティは、あまりに高い見地から語りすぎるため、凡人には何を言っているのか理解できない
・悟りから遠い人場所に居る人に語りかけたいならば、語りかけたい人に合わせた話し方をすべき
これは、多くの人々に法の導きを示そうとする大乗仏教の立場に立つ大拙からすれば当然の指摘と思われるし、上座部にシンパシーを持つ自分でも大拙の指摘は首肯できる。
Kは覚者であろうし、その言葉には感銘を覚えるが、あのように凡人にはなかなか理解しがたい話ではそれを受け入れられる人の数は限られるし、なまじっかKをかじった者が妙な選民意識を持ってしまうという危険性が伴うと思う。
妙な選民意識を持っているような者はこのスレにも散見されるが、そのような態度はKの言っていることとは真逆のものだろう。
851 :
846 :2008/05/22(木) 13:26:56 0
>>849 俺は高圧的とは感じなかったよ。
ありがとう。
クリシュナムルティって一種の「絶望の告示」なんじゃないのかと思う。
希望は虚偽、未来への期待も虚偽。
信念や思想、宗教は一切不安からの逃避。
これは人間を窮地に追い込む「お告げ」だわ。
鈴木大拙はこれには触れてなかった?
窮地に追い込まれて初めて変容するってことかね?
少なくとも俺はそう受け取った。
昔これを真に受けて随分追い込んじまったんだ。
脅迫者としてのkがいつでも監視しているって具合。
二進も三進も行かなくなったことがあった。
その不安と共にいても何も起こらない。
ただ衰弱しているだけってオチ。
kってこれを期待してたのかね?
852 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 13:27:10 0
>>849 誰もが解るようになんて幻想だと思う
仏教だって一般人には十分、難解だってばw
ていうか何かの思想を勉強するとある種、教条主義的になるのはどれも 同じなんじゃないの。 上座部は上座部で東京寺男のブログを見ればわかるが存分に選民意識 あんじゃん。 ニーチェを勉強すれば勉強したで他人がルサンチマンに見えてくるし フロイトを学べば他人の無意識を分析できるつもりになる。 廣松渉だったと思うが何かを批判するときその批判する対象に自分の問題点 が投影されている場合があるというようなことを言ってたらしいがまさに その通りなんじゃね。 仲正昌樹が「オウムが幸福の科学批判をもっと徹底していたらあそこまで ひどくなることはなかっただろう。そうすることにより自らの滑稽さが 見えてくるからだ」みたいなことを宮台との対談本で書いてたが卓見だね。
仏教にしろクリシュナムルティにしろそもそも癒しというより 事実を指摘して自分の無明の闇に目を向けさせるんだからしんどくて当然。
855 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 13:54:57 0
>>852 仏教の説法の仕方は多種多様
絶対的見地から語っているものもあれば、凡夫にも分かるような相対的見地から語っているものもある
Kは絶対的見地からのみ語っている
仏教より遥かに間口が狭い
Kは素晴らしいとは感じるものの、鈴木大拙の指摘には同意
856 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 14:05:56 0
でも宗教ってさ、ちょっと民衆支配とかに 利用されちゃう隙があるよね 彼ら集団で食って行かなきゃいけないんだし そしたら、すこし不純な導きになる可能性も あると思わない?
857 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 14:13:28 0
>>854 >事実を指摘して自分の無明の闇に目を向けさせるんだからしんどくて当然。
そのしんどさってのが結局自我を太らせることに繋がるのではないか?
しんどい→何時まで続く?→変容が始まるまで→がんばる→(変容してもしなくても)俺は耐えた!ホルホル
これは既成宗教やカルトによく見られる"取り引き"に過ぎない。
このしんどさの自我呼応をスルーさせるなどと言うのはそれこそ神業だな。
858 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 14:14:23 0
>>856 Gはこんな意味のことを言っている
限られた金で沢山のものをメッキしようとすると、所々にしか金のメッキは出来ず、やらない方がマシだったということになりかねない
しかし、限られた金であっても、少数のものをメッキするとうまくいく
真理は限られている。全ての人に真理を行き渡らせることはできない
つーことで、民衆支配に利用できるほどふくれあがった組織っていうのは、既に真理を求める集団としては大きすぎるのではないの?
kって極端に言えば病気から解脱させるために首を切る行為に似てる。 首さえ切れば万病にならない。
860 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 14:23:24 0
>>858 Gって、クリシュナのことでok?
引用してる例えは、ちょっと理解難しいんだけど
最後の1行は、そういうことだろうな、と思う
集団で進化なんてしないって友達言ってた
>>857 だからそこでKが言うのは「努力はダメよ」ってこと。
逆に禅僧とかなら「耐えて耐えて耐え抜け」みたいなことを言う。
日本人は大体、我慢と努力が好きなのでぴったりだと思う。
862 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 14:26:44 0
Kっていったらクリシュナムルティ Gっていったらグルジェフ
863 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 14:28:05 0
>>857 ちょっと同意
自分は、努力、辛い、頑張る、無理する、とか
超苦手&嫌いなので、クリシュナは受け入れ易かったW
仏教は鈍器で殴るがKはナイフで刺すって感じ。
>>858 >真理は限られている。全ての人に真理を行き渡らせることはできない
縁なき衆生は度し難しってことなんだろうが、縁があってもダメそうだ。
非常に狭義の技術なら万人に行き渡らせることは出来ない資質が問われる)、てのはわかるが、
これ、生の本質を解く根本的命題なのに、真理は限られていると言った時点でダメなんじゃね?
>>861 で、この(Kの)アプローチが最終的に人間を救うと思う?
これで変容できた人間っているのかね?
♪いまのボクには理解できない><
>>860 みんなが仰々しい名前を引用している中で
>集団で進化なんてしないって友達言ってた
このレスは実に癒される。
867 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 14:59:45 0
G曰く、ほとんどの人が眠っているのは、宇宙の要請によるもの、とのこと 身体の中の多くの細胞が変質したら、人はそれに対処しようとするが、極一部の変質であれば人はそれを感知しないし気にしない これこそが宇宙からの要請である眠りの状態から極一部の人たちだけが目覚めることができる理由である、とのこと。
868 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 15:05:28 0
>>867 うゎぁ、おもしろい例えだ!
じゃぁ、必然なんだ二種類の人がいるってのは
Gってゴキブリみたいだな しかもJiddu KrishnamurtiにGが一個もない件
872 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 15:13:19 0
グルジェフも、自己想起の重要性を強調しているね で、目覚めていない人は機械である、一定の出来事に対して一定の反応をする機械と同じだ、と痛烈なことを言っている つーことで、Kにしろグルジェフにしろヴィパッサナー瞑想にしろ、自己観察(これの表現方法は様々であるにせよ)っていうのは共通して重要なものとされているのは興味深い
そうなんだって 自分も知らなかった
>>849 >・クリシュナムルティは、あまりに高い見地から語りすぎるため、凡人には何を言っているのか理解できない
>・悟りから遠い人場所に居る人に語りかけたいならば、語りかけたい人に合わせた話し方をすべき
そういう鈴木大拙ごひいきの禅だって凡人には理解できないだろw
一般的には意味不明の禅問答なんて腐るほどある。
相手に合わせた話し方をすべきなのは同意するが、無私とか真理なんてのはそもそも言葉で表現し得ない
ものだろ。それをあえて言葉にすればkや禅問答のような表現になるのも仕方ないのでは?
それに鈴木大拙の書いたものだって決して簡単に表現しているとは思えないがな。
875 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 15:16:10 0
「神との対話」では 自己を観察する、その観察者を観察する、その観察者を観察している観察者を観察する これを繰り返す。 すると観察者はいなくなる、つまり自意識(自分を見ている眼)が消える、って言ってたわ。
876 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 15:17:55 0
>>849 自分のことを「法の導きを示そうとする覚者である」という思い込みが、
選民意識であることに気づかないのか。
自称「悟った人」たちは、真理を理解できないでいる凡愚どもに、
教導することが自分の使命だとでも思っているのだろうか。
「覚者」という、特別な存在となった優れた自分が、
「他者を悟らせる」最も優れた人間である、などと思い込んで
陶酔状態に陥って慢心する思想こそが、選民思想なんだよ。
教義も価値観の一つにすぎないのに、
仏説を相対化できずに、絶対的な真理だと思い込んでしまうのか。
仏教の中にこそ「妙な選民意識を持ってしまう危険性」が蔓延していることに気付かないのか。
仏法も仮説の一つにすぎないのに絶対視して、信念を他人に押し付けようとしているだけなのに、
「諭す」「導く」などと、妙な選民意識を持ってしまうのだな。
877 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 15:18:50 0
Gは全ての生き物はより上位の食物となり、それは人間も例外ではない、なんてことも言っている 人間のが死ぬと、それは宇宙のエネルギーとして消費されるものであると 人間が目覚めてしまうことは、食料となることを拒否することであり、これは宇宙にとって都合が悪い。故に人は眠らされたままとなっている これって寓話的にGが話していることなんだろうけど、Gによると、目覚めることが出来るのはほんの一握りの人達だけである、っていう立場だね でも、それは不公平ではない、とも言っている。真理は誰にとっても平等に開かれているものであり、あとは人が真理を選択するか否かなんだと
878 :
849 :2008/05/22(木) 15:22:26 0
>>876 大乗仏教の形骸化はそれが原因でしょう
私もあなたと同様、大乗仏教の欺瞞を感じています
それ故に、自分は上座部仏教にシンパシーを抱く立場にあります
尤も、あなたのおっしゃるとおり、上座部だろうがKだろうが、一つの仮説に過ぎないというのには同意です
879 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 15:22:33 0
>765 「考えるってね不誠実じゃないかなと思う」 いい言葉だな
880 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 15:58:15 0
あ
881 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 16:04:39 0
クリシュナムルティのほうが、 大乗やら上座などの既成仏教の本に比べて、 専門用が少なくて格段に読みやすかったよ。
882 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 16:11:03 0
883 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 17:26:21 0
せっかくおもしろい流れだったのに 連投してたら規制された 873は871へのレス
上座部はある域まで実証的に語るがそれを越えると立証不可能な信仰を持ち出すのが 頂けない。一切智者なんて概念とてもじゃないが受け入れられないし輪廻への固執は カルトの世界。またナーガールジュナへの偏見も度しがたいものがある。人間釈迦と 上座部の語るその人は乖離してる。
●鈴木大拙 ・「1920(50歳)・・・この頃よりセオソフィカル・ソサエティ(霊智学会)の 会合に出席し、自宅でも会合を開く」 ・「1928(58歳)・・・三月、セオソフィカル・ソサエティ(霊智学会) 京都マハーヤーナ・ロッジ(大乗支部)の責任者となる」 『クリシュナムルティの世界』p19−20 ・「小林一正氏『J・クリシュナムルティの人間形成』中には、 小林氏が鈴木大拙の秘書をしておられた別宮美穂子氏から聞いたという次の話がのっている。 『大拙はクリシュナムルティに二回ほどしか会っていないが、 「彼はいつも高いところから語っており、自らはお金にも触れず、手を汚さず、泥に少しもまみれていない」 という内容の感想を漏らしたことがあるという。クリシュナムルティの表現には禅的なところがあり、 回りの人に彼について度々問われたこともあったので、大拙も彼の著書を何冊か読んでいたという』。 別宮氏によると、両者は1951年の冬に一回ニューヨークで、またそれ以前に少なくとも一回は出会っているというが、 前掲文中の感想からは、25歳年上の大拙はクリシュナムルティにあまり好感を持っていなかったことがうかがえる。」 『クリシュナムルティの世界』p199−200
●禅僧 千崎如玄
『クリシュナムルティの世界』p197−200(禅僧千崎如玄のオーハイ訪問および禅界との交流)
「寺を建てたり教権を振りまわしたりして、そのじつ何ら伝道の迫力のない日本の坊さんなど、
一度きいて見るがよい。千余人の聴衆、青天井の下でも、誰一人たばこをのむ者もいない。」p198
●今東光、今日出海『クリシュナムルティの世界』p331−341
両氏の父君である今武平氏は神智学徒。
●原始仏教学者の羽矢辰夫氏によるクリシュナムルティへの論考。
『クリシュナムルティの世界』p358−363(雑誌『春秋』1995年1月号に収録とのこと)
「現代に生きるわたしたちがクリシュナムルティを考えることは、
ブッダとの関連を呼び起こし、生の全体性をとりもどす絶好の機会を与えてくれると思います。」p363
羽矢辰夫氏
ttp://www.nebuta.ac.jp/kyoin/profiles/haya.html ttp://fallibilism.web.fc2.com/089.html ●玉城康四郎
・クリシュナムルティと仏教との交照 藤仲孝司 氏
ttp://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/fu02.html 玉城康四郎氏のクリシュナムルティに関する論文
「仏教と他との対比・交照 − クリシュナムルティの場合 − (『仏教と異宗教』所収、平楽寺書店 1985)」
玉城康四郎氏の誤訳・誤読・見落としを追求されている。
・高岡光氏『クリシュナムルティ・水晶の革命家』p73−83にも玉城氏への反論がある。
so what?
889 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 20:41:48 0
全体的にあなたがこれを見れば、その時あなたは全く異なった生き方をする事でしょう。 知的に或いは言葉の上だけや感情的にではなく、全体的にあなたがこれを見れば、その時あなたは全く異なった生き方をする事でしょう。 危険な崖を見たり、猛獣に出会ったりすれば、部分的な理解や行為ではなく、完全な行為があります。 ‥‥‥‥しかし私たちの生活の中では四六時中そのような危機に直面するわけではありません。本当はそのような危機に常に直面しているのです。 あなたはそれに慣れてしまったか、無関心なのか、問題の解決を他人に委ねてしまったかのいずれかです。 しかし、その他人も同じように盲目で偏っているのです。生活の全体は一瞬一瞬にあります。一瞬一瞬が挑戦なのです。 この挑戦に不適切に出会うことが生における危機です。私たちはこれらが危機であることを見たくないので眼をつむってそれから逃げようとします。 そのために私たちはますます盲目になり、危機は増大するのです。 では、全体的に見るに到るには、どうすれば、又はどういう具体的な訓練をすればいいのでしょうね? Kの理論の実践の日常生活上の具体例を知りたいところですが、語られていませんね。
>>889 ほかの本の似た箇所ではどうでしょう。
これはどの本、ネットからでしょうか。
892 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 21:41:03 0
言葉なんてのは所詮、五感の世界のものだから、 真理に近づけることはできても、到達はできないだろう。 最後は自分のセンスで悟りに到達するしかない。 kでも肉体の者はそんなには当てにできない。
893 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 21:57:38 0
まったくそのとおり。 kの本を読んで今ひとつしっくりこないのが、howなんだよ。 kはhowを問うた時点で駄目と言っている。 しかし我々凡人に真理の世界はこういうものだといくら言っても、 それはkだけの世界観だろ。 自分を観察する瞑想〜なんて言っても我々はどうやって瞑想するんだ? 普通の日常生活で感じている自分の観察じゃ駄目なんでしょ? それとあなたが世界です〜って言うのもなんだかなあ・・ そりゃ祖先を遡ってみれば、進化の先端にあるのは我々かもしれないが それで「あなたが世界」っていわれるのもピンと来ない。 kは「あなたが変容すれば世界が変わる」みたいな事も言ってるが世界中の 一人ひとりの自覚を問う姿勢は分かるが、言ってる事そのものが本当だとは 思えない。だって世の中の1人が変容したって世の中は変わらんだろ。 そりゃ波及効果的に少しは変わるかもしれんが劇的には変わらんと思うな。
894 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 22:00:14 0
というか、悟りに到達できると考えてるのが間違い。 到達することはできない。 到達という概念はリニアな時間や上昇を含蓄する 何故悟りや変容を望むのか、という問題。
kじゃなくてもkの団体(そういうのがあるかどうかしらんが)員の日常生活を例題と出してもいいんじゃねーかと思う。 kが生き方を説法しているなれば行動や生活スタイルに差がでてるはずで、他人のそれを見て盲目だとか危機だとかいってるんだろーから、 逆に彼等(kや信奉者)の行動や生活の実例を出してもらいたいよ。
896 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 22:08:28 0
んだな。 理屈だけでは何がなにやらわからん。
897 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 22:10:32 0
肉体の行動にこだわっちゃだめなんじゃないの
898 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 22:13:56 0
どんな生活をしているのか、我等とどう違うのか、を見るのは必要だろう。 例えばK的な人はどんな会話(話し方)をしているのか? 同好会とか協会があるじゃん、そこの人って普通の人と違うのか? 流石はK的な人、みたいな。
>>897 おいおい、おれたちゃ生きてるんだぜ。
四六時中じっとしてるわけじゃなく生活してるんだから、肉体の行動は必要不可欠だろ。
kが批判や危機意識をもっているのは他人の思考を盗聴しているわけじゃなく
他人の行動や在り方をみて感じたわけだから。。。
900 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 22:32:56 0
これはkだけでなくラジニーシも言ってた事だけど、 思考と思考の境目、隙間、インターヴァルに真の観察者(沈黙の観察者)がいて、 その決して見られえない見る者があなただと言ってたような気がする。 (ラジニーシは思考を雲と例え、時折覗く、その雲の奥にある青空があなただ、 というようなことを言ってた) 通常の頭の中の観察は思考的なものに拠っていて、それは観察されうる。 (この種の観察は様々な抑圧の元となるので、やりすぎは大きな害悪となると思う)
902 :
901 :2008/05/22(木) 23:07:08 0
確か、グルジェフは「普通の人間が観察をすると…気が狂う」とか、「精神病院行き」だとか言ってた。
903 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 23:09:33 0
>>900 目覚めることによって、観察されない観察者の段階に達する。
あなたは自分自身を見つめる。それから、自分を見つめる自分を見つめる。
つぎに、自分を見つめる自分を見つめている自分を見つめる。
最後に、自分を見つめている自分を見つめる者は誰もいなくなる。
そのとき、あなたは観察されない観察者になる。
それが、完全なる目覚めだ。
簡単だよ。聞いて思うほど複雑でも、むずかしくもない。
ニール・ドナルド・ウォルシュ『神との友情』119ページ
俺はこの方法をよくやってる。
これはマジで簡単だよ。
個人的に、2段階(観察者を観察する段階)で自分が軽くなる。
3段階くらいで既に自分を見る観察者がいなくなってる。
特に集団の中で自意識が働いたらそれを観察し、段階を上げる。
これをやるとすごく自然に自由に振舞える。
自分にピントが合うって感じね。
>>901 Kはそんなこと言ってるか?思考と思考の間の沈黙が自由だみたいなことを言ってたが。
それではまるで本当の自分がいるみたいじゃん。魂みたいなものは認めてないのに。
905 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 23:13:19 0
クルシュナムルティは、何もせずにただ観察していることで、 すべてが自ずと明らかになり、すべての問題が消滅すると言ってるけど、 それってホントなの? そうやって問題がなくなった香具師、ここにいる?
瞑想とは 完全な注意を払って あらゆるものを見ている 心の状態です 部分に注意を向けるのではなく 全体に注意を向けるのです クリシュナムルティ「瞑想」107p 思考と自我の計らいなく、観る、気づいているもの、注意しているもの。
>>905 ____
/ \
/ ─ ─ \
/ (●) (●) \
| (__人__) | ないない
\ ` ⌒´ ,/
r、 r、/ ヘ
ヽヾ 三 |:l1 ヽ
\>ヽ/ |` } | |
ヘ lノ `'ソ | |
/´ / |. |
\. ィ | |
| | |
908 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 23:16:46 0
>>903 900です。
ありがとうございます。
『神との友情』は持ってないので購入してみます。
購入してみることができるなんてうらやましいなぁ 俺なんか気になる本があっても 漫画以外は 1.まず大手本屋で立ち読み →2.どうしても続きが全部読みたかったら購入する。でも高かったら図書館に取り寄せてもらう。だもんなあ。いつも。
910 :
903 :2008/05/22(木) 23:22:02 0
>>908 自分を見る観察者がいなくなってる状態は
>>906 が言ってる、
「思考と自我の計らいなく、観る、気づいているもの、注意しているもの。」
の状態に似てる。
全部に気付けてる感じ。
というか自分がここに「しっかりいる」。
これは非常に気分がいい。
911 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 23:22:20 0
>>907 だれもいないとすると、Kの言ってることって、
もしかしたら間違いか嘘なんじゃね?
>>911 上座部でも悟る人なんか滅多にいません。
>>911 うん、嘘かも知れんね。
Kに影響は受けても変容を遂げたって人もいなそうだし。
俺自身はKに対し、懐疑的だよ。
宮元啓一は大乗で悟った人など一人もいないと書いてます。
915 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 23:30:32 0
Kの本読んで、そういう変容があるのかとだけ思わせられて、 でも現実にはその変容はいつまでたっても起きないって、最悪じゃね?
>>915 更には自分を追い詰めちゃう人もいるようでひょっとしたら最低の悪書なのかも。
真に受けると元気なくなっちゃうし。
まあいろんな示唆には富んでるけどね。
私自身は人には勧めないし、もし読もうとする人がいたら「読み物程度にね」と念を押すことにしてる。
そんな簡単に全ての問題が解決するわけなかろうに。 全国の寺院仏閣、人格者を訪ね歩いても「すべての問題が消滅した」 と僭称する人間なんかいないだろう。いたら詐欺師だろう。 Kだって問題を全て消滅して死んだわけではない。 これは仏陀だって同じこと。
918 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 23:43:40 0
Kの本ってちょっとだけ読むと、 何か真実が一瞬垣間見えたような気分になるんだよな。 あーあ。
919 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 23:46:42 0
>>911 真偽はじゅうようじゃないと思う
本当だとしても、自分にとって役にたたなければつきあう意味がない。kの信奉者は、彼等にとって何かしら役に立つ、何かしら有意義だからやってるんでしょう。
921 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 23:49:57 0
>>920 役に立つ? 有意義? どうかな。そんなふうに錯覚してだけかもよ。
損得で考える人間はクリシュナムルティなんか読まない方がいいんじゃね。 報酬なんか容易されてないから。 クリシュナムルティ思想は彼の言葉が気になって仕方ない人がやればいい。 幸福の科学やアーレフあたりでは素敵な報酬をたくさん用意してるよ。
変容した人間が全くいないか、いるのかは解らないから、 結局、自分と向き合い自己観察するしかないだろうと思う。 私はクリシュナムルティを読んで元気がなくなったことは特になくw 宗教やテクニックの権威者を必要としないことに、むしろホッとしました。
924 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 00:03:51 0
>>922 そう? 俺はクリシュナムルティの読者はたいがい、
彼の語る「変容」が自分にも起こることを期待して読んでると思うけど。
もちろん、本人たちは「何も期待してない」って言い張るだろうけれど、
実は「何も期待しなくなれば、変容が起こるはず」とか期待してるんじゃね?
925 :
902 :2008/05/23(金) 00:07:16 0
>>919 そのはず。確か記憶ではグルジェフは、「普通人がやっている観察というのは
自己観察ではない。それは頭の観察だ」と言っていた。
926 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 00:10:12 0
>>921 俺がいいたいのは、他人には他人の事情があってやってるだけで
911がkを気になってるのなら関わればいいが、後で何にも自分の為にならなくてもkとかのせいにするなってこと。
それは彼等に言わせれば確かに真理なのだろうしね。
要はいつも"自分が"なぜこういう行動をとっているか、何を欲しているかを見間違うなってこと。
[例えば何か真理なる漠然としたものを探したいのなら、人や教えの言うとおりにしてもいいが、苦悶してスランプになってもこの教えに従えば先に真理があるはずだから、
と他力本願でその方法に盲目的に従うのは、その時点で真理を探すという当初の目的からはずれている、なぜならその方法に従うこと自体は目的ではないのだからね、他にも自分なりにいろいろ試せばいいわけでしょ、ってこと。]
927 :
916 :2008/05/23(金) 00:14:34 0
>>923 おーそれはKがぴったり合ったんだな
コメンタリでKが女性のカウンセリング(?)やってて正直になることを説いてたら
その女性がしくしく泣き始めたってのがあった。
あのシーンは美しかったわ。
あと「傷つきやすくありなさい」って言葉は好き。
>>925 そうなんだ。
確かに思考と感情、観念くらいだね、普通の自己観察は。
ウスペンスキーも観察について言ってたような。
928 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 00:18:01 0
>>926 「"自分が"なぜこういう行動をとっているか、何を欲しているか」だって?
そんなこと分かってる奴いるの? あなたには分かってるわけ?
>>924 人によるんじゃね。他人の頭の中は覗けないよ。
>>928 俺は
>>926 ではないが自分が何を欲してるかなぜ欲してるかなんてわからない。
日々、是暗黒なり。
>>928 926のコンテキストを読んでください。[]の例で示した内容が答えです。
私が「なにがしかの真理を知りたい」のが"欲している事"です。「kの本を読む」が"その為の行動"です。
だからその行動の理由は、その場合、「なにがしかの真理を知りたい」です。
この例では、「なにがしかの真理を知りたい」という当初の目的(又は欲望)はkとは無関係です。
レスはこれくらいにします。 あと、ここ数日で10レスくらいしましたが次スレ立ってもレスはもうしないとおもいます。
のでスレ継続に私のレスを見込まないでください。まあ、たまに本屋でkの本を試読したりはするかもしれませんw。
932 :
902 :2008/05/23(金) 00:53:22 0
>>927 探してたのですが、見つかりました。
http://homepage3.nifty.com/MRG/essay_arrows.htm の中間越えたところくらいにウスペンスキーの言う観察が出てきます。
彼の観察は頭の観察なんですね。
正直本当の自己観察というものがはっきりとは分からないのですが、
あるとき、あらゆるすべてが強烈な感触を与え、
「自分が、今、ここにいる」という感じがを極めて強く得た瞬間があったのですが
ひょっとしたらこれが自己観察なのでしょうか。
そのときは自己と外界が一体となっているようでした。
クリシュナムルティ、グルジェフ、ラジニーシなどの神秘家に出会って
視覚の色彩が非常に強烈になったように思います。
それに、視野の奥行きの感触も昔と比べると十倍くらいになってないかと思わせるほど
強烈なものとなって、しばしばその視覚そのものに驚かされるのですが、
他に同様の変化を得ている人はいますか?
933 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 01:00:09 0
ギャーナ系の結論は結局、 「何も考えなければ問題はない。 その状態が意識の本来の状態である。 そこに異質な考えが現れ「私」面する。」 「思考を含んだすべては縁起によって起こっていて、全体がその主体であり、 個人は主体ではない」 「だから実は問題というものは、幻である「私」面が問題だと言うんであって、 全体にとっての問題ではなく、それは勝手に進行していく」 これだけと思うが。
934 :
916 :2008/05/23(金) 01:19:42 0
>>932 ウスペンスキーのリンク、ありがとうございました。
正しい自己観察なんてないのかも知れませんよ。
正しい、という概念を作ってしまうと自分がやっていることとそれが乖離しているのではないかと常に迷う。
外界に絶対的スケールを認めてしまうと常に自分はそれではありえませんし。
私もKやその他関係書を読み耽った時期がありまして、今は全く読まなくなりましたが、
明らかに仕事(古典的クリエーターです)の関係で発想や無形のソースを読むことが
多くなりましたね。
何か影響を残したのかも知れません。
あとあまり悩まなくなりました。思考の限界を知ったからでしょう。
ぶっちゃけ、悩んでも解決しねぇw
視野や身体感覚の変化はありません。
そういえば和尚、Kのことをコメントしてましたね。
言ってることは正しいが、あれで変容した者はいない、とか。
否定的なコメでした。
『堕ちたグル』によればラジニーシはクリシュナムルティをとても尊敬してたらしい。 一方そこで記されているクリシュナムルティ側からの評価は「彼は犯罪者です」。
>>935 Kの回想にある人物との会話があり、彼が
「どうです、この海は私の海です」
といったらKに即座に否定され本人むっとしてた、
というものがあったが、これってラジニーシなのかな?
937 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 01:36:09 0
「彼は犯罪者です」 レッテル貼りかよ。 つか、このパタンが嫌いなんだよな。 クリの潔癖症なるがゆえか。
なんか誤解があるみたいだがクリシュナムルティは一度は悟った和尚が光を失って
堕落したと認識してたみたい。犯罪ってのは法律に触れたとかそういう意味ではなしに
シッディの私利私欲のための利用や真理に反する、仏教的に言えばダルマに反する
行いを指しているみたい。期待に対する失望みたいなものがあったんじゃないか。
>>936 それはわからない。
939 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 03:39:04 0
もうすぐ1000だ! Kは真実を語っているんだけどな〜
940 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 04:08:45 0
941 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 04:14:13 0
942 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 04:41:11 0
おわ、はやおきだねー! 自分だけだと思ったのにこんな時間に 書き込んでるの つーか、オショー うけたw
943 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 04:48:04 0
>>942 おはよー!
仕事が溜まっててね。
今夜は徹夜だったんだ。
和尚面白いだろwwww
じゃあそろそろ寝るわw
ノシ
944 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 04:54:20 0
おやすみ! またね〜
>>932 自分はクリシュナとか他の精神世界系の人とかの影響ではなくて
勝手に、ある日 そういう風に(おそらく似たような状態?)なったよ!
奥行きをすごく感じるし、色彩とか音とか感じ方も
研ぎ澄まされてるよね
植物の意識とか感じてるんじゃないかと思うくらい植物綺麗だし
だから、クリシュナの本を読んだとき、同じような状態だってすぐわかった
>>885 > 小林氏が鈴木大拙の秘書をしておられた別宮美穂子氏から聞いたという次の話がのっている。
> 『大拙はクリシュナムルティに二回ほどしか会っていないが、
> 「彼はいつも高いところから語っており、自らはお金にも触れず、手を汚さず、泥に少しもまみれていない」
大拙はクリシュナムルティが高い〜〜、
は見地のことというよりは、高い壇上や語りかけている場所の意味が強いってことかな。
d
947 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 18:09:34 0
>>946 聴衆に対する態度のことではなかろうか
そしてそのような態度は、彼の言っていることと彼自身の実際のあり方に乖離があるのではないかという疑問を生じさせる
鈴木大拙から観た、彼の主観的な感想なのでなんとも言いようがないです。
949 :
902 :2008/05/23(金) 20:25:34 0
>>945 おお、こういう感覚の変化があった人に出会うの初めてですね。
兆候は彼らの存在を知る前の学生時代からありましたから
ひょっとしたら彼らの本とは関係ないかもしれません。
しかし、驚異をもって感じられるようになったのは本を読んだ後ですね。
それで途中から、Kがたまに描く自然描写の意味が、
彼の体験する意識世界がどういうものなのかが 分かるようになりましたね。
そそ、植物が特に強烈です。これは個人的な嗜好か性向か分かりませんが
特に特定の青紫系統の花を見ると何かとても親近感のようなものを感じます。
むしろ自分の本質と関係するような何かを…
植物の前に立ち止まることが増えました。
>>889 >Kの理論の実践の日常生活上の具体例
「自己の変容」の“気づき”“全体を見る”“知覚”“瞑想とエネルギー”“思考の終息”
「生の全体性」「真理の種子」の該当部分や、
「クリシュナムルティの瞑想録」「瞑想」に、
瞑想とは〜、瞑想は〜、と頻繁に出てくるので参考になるのでは。
>>949 そういえば、クリシュナムルティは“観察”の語を、
・自我によらない観察と、
・自我(観察者)による観察(分析)
の両方で使っているので読む上で注意が必要ですね。(翻訳書では)
「あらゆる思考、感情、行為をそれが自分の心に生じるたびに絶え間なく観察することなのです。」
「非難も否定も伴わない観察。」『自我の終焉』p251
「観察者が観察したり(観察者と観察されるものは一体の現象です)
観察者が観察している対象を分析しようとしても、
観察者は自分の置かれている背景から決して解放されないのです。」p352
「観察者とは、記憶、意識と無意識、民族が継承してきたもの、『知識』と呼ばれる
蓄積された経験、数々の反応 ― こういったすべてのものを抱えた過去です。
観察者とはまさに『条件づけられた存在』にほかなりません。」『自己の変容』p252
952 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 21:15:18 0
いくら瞑想とは〜と言ってもそれが具体的でなければ凡人である我々には 分からんのよ。 俺はなんだか人間ってのは欲からは逃げられないような気がしてきたよ。 一番の欲は生存欲、つまり死にたくない〜ってやつ。コレも立派な欲の 一つだ。 そして美味いものを喰いたい、いい女を抱きたい、金持ちになりたい〜 自己実現したい、真理を究めたい、悟りたい〜 挙げればきりが無い。 欲に高尚も低俗も無い。みんな欲だ。そんな欲を全部捨てきってゼロに出来る 人間なんているのか? 俺は見た事無い。kの本読む動機だって読んで真理とは何かをつかみたい〜なんて のも欲。完全な無欲にならないと真理には行き着けないとしたら、我々が真理を 望んではならないということだ。それよりもっと大きい問題は自分の生命に対しても 欲を持ってはならないと言う事だ。いつでも死ねる〜なんてのは武士がいたころ の話で今現在無いだろ。kにしたって末期すい臓がんでモルヒネ常用してた 事実からはkも生きる欲は捨て切れなかったと見る。
953 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 21:32:21 0
>>951 難しいことじゃなくてKはひょっとしたら所謂既成の「べしべからず論」の再検討を言ってるだけかも。
刷り込まれ無意識化しているさまざまなべしべからず。条件付けとはこのことなのかな?
再検討の必要性は認めるけど、一方文化とはそんなものだからね。
Kは文化の破壊者なのだろうか。
ある芸術家の言葉。
「こうするべきだ、こうするものだ、ではなく、どうしたいかという幻を追え」
954 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 21:40:17 0
>>952 完全に同意。
つーか、欲望からの脱却はおろか、生き物にとって快・不快反応(快を求め不快を避ける)
からの自由など生命体そのものを危険に晒す行為に等しい。
言うまでもなく生命体維持にはこの反応は絶対条件。
Kはしばしば快・不快から来る条件付けを示唆するが、快・不快からの自由は
少なくとも肉体を去らなければ単なる観念論といっても過言ではない。
955 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 21:42:25 0
「どうしたいか」は過去の条件付けの結果だぁ!w
956 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 21:45:39 0
>>955 参ったwwwww
でもこうも考える。
全く同じ環境に育った者でさえ条件付けが違う。
でな、この条件付けや知識と言ったものはその個体自らが選んでインスコしてんじゃね?
同じ水と光を与えても松は松になりケヤキはケヤキになる。
とするとだな・・・あら?今頃宅急便?
957 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 22:29:28 0
>>952 >>950 で挙げてある「自己の変容」は読みやすい対話形式で、
噛み砕くように説明して有る箇所も多いので、
もし読んでなかったら、一読してみてはどうでしょう。
959 :
952 :2008/05/23(金) 22:59:31 0
>>958 「自己の変容」は読んだ。
つうか、k全般の著作についての感想なんだけど。
具体的な指摘が何も無いだろ?
心理的な指摘ばかりで。
心理的でいくならそれでも良いんだけど、コレはないんじゃないの↓
「生の全体性」より
瞑想とは意識の中身を空にすることである。
瞑想は生において最も重要なもののひとつである。
しかし、重要なのはどのように瞑想するかでもなく、方式に従った瞑想でも
なく、瞑想の習慣的な実践でもなく、むしろ瞑想そのものである。〜
俺はいったいこの人はナニが言いたいのか?って思ったよ。
重要だが方法は問題ではない??
あるがままの自分の姿を見よ、という言葉は簡単だが、それは普通の人間
が普通に感じる事ではないらしい。ではどうやって?と思うのが人情だろ?
960 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 23:08:44 0
くっだらねえ「瞑想法」教えてくれる本があるから、 そういうのの方が君には向いてるんだろうな。
>>953 >既成の「べしべからず論」の再検討
やはりもっと突っ込んだ論だと思います。
自我自体が、環境の産物で成り立っているので→条件づけられた存在
観察者=記憶、意識と無意識、民族が継承してきたもの、『知識』(蓄積された経験)、数々の反応
― こういったすべてのものを抱えた過去。
962 :
954 :2008/05/23(金) 23:12:59 0
>>959 方法を提示すると人はその方法を手放せなくなる、それを危惧するわけだよKは。
あと「どうすれば」「どうやって」というのは真理そのものからの乖離、極端に言えば逃避を意味する、とも。
一番破壊的な言葉だそうだ。
適当にシュチュを作ると
「彼に告白したいんですがなかなか出来ません、どうやればいいでしょう」
「告白なさい」
これ、理屈ではよくわかる。
しかしその潔癖性なるがゆえか、何も具体的ツール(足ががり)を示さない(提供しない)というのは
いささかあれだよね。
ひとつだけ子供たちとの対話本の中に瞑想のコツを書いてたね。
「眼球を動かさないようにする」のだそうだ。
理由説明はなかったが、精神が動けば眼球も必ず動く。
眼球を静止させることが方法ってわけ。
これはKとしては珍しいね。
kのことしばらく忘れた方が良さそうな人、多数という感じ。 この人の言うことはワケわかめだ!って思う人は忘れた方がいいと思う。 それより自分に正直に自分の感覚で生きた方がいいですよ。 それで行き詰って、何か必要を感じるときが来たら、 また戻って彼の本をあさってみるとか。 彼の主張のおかしさとか弱点とか粗探ししている時間はあまり益のないものかと。
964 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 23:22:44 0
だったらラマナ・マハリシ読めばいい。 やり方書いてあるから。 考えが現れたら、「その考えは誰に起こったのか?」と問う。 答えは「私に」 次に「その私とは何か?」と問い自分に集中する(要は黙るってこと)。 これで意識の中身は空になる。 一応前提として、「見る者は見られるものではない」というのがあって、 「私は体を見ている。私は見ている者で、体は見られているもの。私は体ではない。」 「私は考えを見ている。私は見ている者で、考えは見られているもの。私は考えではない。」 というのがあるんだが、これもあくまで考えなんで 「俺とはなんだ?クリシュナムルティはこう言っている。だが…」と考えに耽らないように、 補助的に知っておけばいい。
966 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 23:31:58 0
> 一応前提として、「見る者は見られるものではない」というのがあって これとKの「見るものは見られるもの」っていうのとはどういう関係なの?
どんな本にも言えるけど、 読み手の側が理解しやすい状態にならないと、 訳解らないなのかも知れませんね。
968 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 00:27:44 0
>>962 「眼球を動かさないようにする」
見つめるということは脳に「動き」のない状態を意味します
(恐怖なしに生きる)
だから議論の対象にならないのよ、この人の本は。 この人の本は書いてあるそのままというか、 このスレにも自分の解釈を披露してる人が何人かいるけど、 それは劣化クリシュナムルティであってね。 それと話は違うけど、クリシュナムルティだって肉体を持ってたのだから、 俗な部分もあったと思うな。
970 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 00:43:33 0
>>966 知らない。
というか、そういう考えから離れることが目的で、
「これとこれの関係はどういう関係?」と思考を続けることが目的ではない。
ラマナと同じ趣旨のことをkが言ってるのを見つけたのでコピペしとく。
『もしあなたが注意深く観察するなら、思考の反応や動きは非常に素早いように
思えるかもしれませんが、思考と思考の間には、思考の過程とは関係のない沈黙の
瞬間があるのです。もしあなたがじっと見つめてみるなら、その間隔である沈黙
の瞬間は時間に属するものではないことが分かるのです。そしてこの間隔の発見と、
その間隔を十分に経験することが、あなたを条件付けから解放してくれるのです。』
この間隔を広くし、経験するのが964のラマナの方法。
>>970 ああ、Kのコメントなのかー。
知らなかった。
『不可知の雲』ですね。わかります。
確かに植物が異常に鮮やかに見えるようになるな。
975 :
945 :2008/05/24(土) 07:45:52 0
>>949 >>974 うゎ、仲間発見!!うれしぃ〜
それさ、もっと進むと、クリシュナの言ってること
超丸わかりになっちゃうよ、きっとw
視覚情報というより、脳というか、自分全体が
観てる対象と共鳴してるみたいに感じない?
綺麗だよね世界が
>>949 >>974 >>945 質問してもいいですか?その鮮やかに見えている時ってのは裸眼でしょうか?めがね類を通した場合を試した方、いらっしゃいますか?
978 :
945 :2008/05/24(土) 08:06:06 0
>>976 自分は基本裸眼だけど、関係ないと思うよ
めがねとかコンタクトとかしてても
気の流れみたいなものも見えるようになる。粒子の動きっつうか。俺がおかしいの かもしれんと思ってたがスマさんの書いたアビダンマの本見て同じようなもんが見える 瞑想法が書いてあった。他にも色々起こるが健康維持に仙道とかもやってるので因果関係は わからん。
>>976 裸眼です。視力は1.5くらいあります。
こういう人はみな視力1.0以上くらいあるのでは?
>>975 表現が難しいですけど、そうですね、共鳴といってもいいと思います。
>>979 粒子の動き…そういえばかなり昔から気になっていたのですが、
特に部屋の中から外を見たときとか、光っている蛍光灯のあるところとか
何か粒子の流れのようなものが見えますね。何なのだろうかと疑問に思いましたけど。
また、これは自分の脳の異常なのか分かりませんけど、まれに何か複数の光の筋が
光動くのを見ることがあるのですけど。(少し精子に似てるような…(笑)やや揺らめいた動き)
くしゃみの後に見えたこともあります。(長くはない)細い筋ですが、非常に強く鋭い光に見えます。
>>981 他になんて言っていいか解らなかったから
共鳴っていってみたんだけど・・・共振?同調?響き合ってる?
観るものが観られるものって表現は、そのとおりだと思った
立体を立体と感じるよね それがとっても美しい
>>981 粒子の動き…そういえばかなり昔から気になっていたのですが、
> 特に部屋の中から外を見たときとか、光っている蛍光灯のあるところとか
> 何か粒子の流れのようなものが見えますね。何なのだろうかと疑問に思いましたけど。
>
> また、これは自分の脳の異常なのか分かりませんけど、まれに何か複数の光の筋が
> 光動くのを見ることがあるのですけど。(少し精子に似てるような…(笑)やや揺らめいた動き)
> くしゃみの後に見えたこともあります。(長くはない)細い筋ですが、非常に強く鋭い光に見えます。
光に関してはその精子が見えますw物体は細かい粒子が動き構成されている様が見えます。
突然、光が見えることはありますが東洋的な瞑想をすればよくあることなので気にしなくて
大丈夫です。
友達に自分がこういう風に認識するって 言っても解ってもらえず、誰か他の人で 同じような感覚の人いないかと思って このスレ覗いてたんだ〜 いるとわかってなんか気がすんだw
985 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 11:09:11 0
大麻吸った時と同じような感覚になるみたいですね。 ま、kは大麻等の麻薬類は一切拒否すべきと言ってましたね。
正直に言っても、催眠術とか 麻薬とかやってるとか言われちゃいそうだから 結局、誰にも言わなくなっちゃうんだよねw ここでは少し言ってみたけど これからは再び言わないようになると思うw
>>803 >そもそもそんな受動的に凝視するって出来る?
自我には出来ない。
>それを「受動」って言えるのかな?明らかな主体がないと凝視できないでしょ?
受動的な凝視は、主体(自我)の計らい無く(思考の動きなく)ただ観る・気づく。
自我が観ようと努力する状態ではない。
>注意するってのはその対象を選択しているから出来ることでしょ?
>無選択に注意なんて出来ないだろ。
対象を選択しているは自我が選択するので、注意ではなく集中の意味に近い。
無選択の注意・気づきは、意志・自我の集中する行為ではない、
特定の方向に注意を向けているのでなく、ただ気づき・注意されている状態。
(例えば聴こうとせずに聴こえてくる状態)
/;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ヽ. /;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ヽ. /;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:ヽ. i;:;:;:;:;:/ノ-'-''"ヽ;:;:;ヽ'''-ヽ、;:;:;:;:;| {;:;:;:;:ノ■■■ ■■■ヽ;:;:;} ヽ;:;{ _ _ |;:;:{ };:;|三/ ●),. 、(● ヽ三 |〈 ヽ| " ゙='"/:::ヾ='"゙ | } { |∫ ∴ (,.、::,. ) ∵ |/ だよNEw ゝ::●. ...:人:人:::..... ...! {;;ヽ:.:.:.:.:.:.:.<Ξ>:.::.:.:.:.:.:.:/;} 思うw / ヽ:.:.:.:.::.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:/ \ / |ヽ:.:.:.:.:.:.:.:.:.:/| \ ヽ ̄ ̄ ̄ / ヽ___/
989 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 11:35:39 0
↑ においを嗅ぎ付けて ハイエナが来た
/´  ̄`ヽ, .../ \ / 〃 _,ァ---‐一ヘヽ .../ \ i /;;;;;;;;;; リ} ../ \. | 〉;;;;;;;;-‐ノ '''ー {! ∧__T _ ,,,r -r-T‐-、 \ | |;;;;;;; ‐ー くー |"~。 r *o:*::f:::r:::..l. | :::::::::┃-::. \ __,-,,-、 ___ヤヽリ;;;;; ,r "_,,>、 ゚'}::::::::*o;;;ro ot _f_ヽ丿 ::::::::┃ \:\ _\__/| | l |ヾ-"~ ヽ_」;;;;; ト‐=‐ァ' !,,..-v--'''''''"V"~~ ┴ :::::::┃ ト ミ:::|| .l⌒l二|-l ..uUU""l----' ''ゝi、 ` `二´' 丿:::::::::::::::| いや、だから :::::::ハゲ_、|;/|、 "~ ...| ヽ l ̄”/:::: __.、__|`'' ー--‐f '´:::::::::::::::::| 私はただのゴキブリ ::::::::::┃(;;;;;. ..||─/┃ | | / ..,-" //| ;; :::: ;; l l ` ; ::::::| ですって(笑) :::::::::::┃\二//;; ..| / | / ;; | | l ;;;; _// `;; 、::| ::::::::┃ハ;;; ┃|._ . | / | / l; | | "〜-""~ // `, ::::_/ ┃;;;;;;;\_/ . |/ |/- /|.| // ;; ;; `, |.::::/.|/ヽ // ../ . | \ | |____ _// ; l| `, |ilヽ::::ノ_ // | ;; / ;' .| /"/o "" " " o\ ";.|::::::::: l_ |しw/ノ l ... / ;;; |;;;;;". l/::::::::::::::::::::::::::::::::::`l :::::: l::::: _ - ".l
991 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 11:55:25 0
>>987 アンタはその世界が分かって言ってるんだろうな。
987はkの言葉の完全なコピーだな。
おまい自身の言葉で語ってくれよ。
コピーには何の真実も無い。
>>986 ああやはり結構いるのですねw
私も子供の頃、ある日ふと、
考えている自分ではないものが観ていることに気づいてから、
家でボンヤリしてましたら、ググーーと全く静寂な世界に入って、
周囲の見えているものとの距離がなくなり、
四方八方が視えることが何度が不意に起こったりしました。
クリシュナムルティも言っておりますが、
眼球を動かさないでいると視ているものとの距離がなくなり、
非常にはっきり次第に光り輝いて周りが視えるようになって、
たまには、光りの粒子やその流れが視えたりしました。
それと坐禅の姿をとると数息観や随息観をせずとも禅定に入りやすいです。
たしかに、クリシュナムルティなどの本が読みやすいというか、
彼が言っていることが、コレコレ同じと思ったりしますね。
そう!距離が消え失せる感覚ってありますね。 それからあるいはまた、時間が止まったようになり、あらゆるすべてが「生きている」感じがしたことも。 本の文字さえ生きているように見えたこともあります。 正直、この感覚によって生き生き生きられる部分があります。 自然のしの文字もない都会の中心にいたら頭がおかしくなるかもしれませんね。 映画スターウォーズの無機質な世界とか見ると「ありえん!!」と思う。
994 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 12:08:41 0
>>992 もしかして986=981と思ってる?
自分は986だけど、981じゃないよ!
ごめん、わかりずらくて
995 :
づら :2008/05/24(土) 12:13:20 0
,i':r" + `ミ;;, 彡 ミ;;;i 彡 ,,,,,、 ,,,,、、 ミ;;;! ずら?
996 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 12:15:53 0
↑ え、そうだっけ? わかりづらい、が正解?
997 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 12:24:09 0
なーんだ結構いるじゃん! 同じような人 きっと言わないで黙ってる人も たくさんいるんだろうな
>>991 987・991です。
クリシュナムルティを知る前に、
個人的体験や禅修行をしていた頃に少々省発するところがあって。
言葉・表現を借りているだけです。
>>994 ありがとうございます。
そうですね、何人か似た体験もっているなあーと。
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