マルクスはなにを間違えたのか 3

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1考える名無しさん
2考える名無しさん:2007/07/18(水) 19:56:58 0
性善説を基本としたこと。
それが最大の誤算。
3考える名無しさん:2007/07/18(水) 20:32:24 0
日本では、戦後、学者・知識人が圧倒的な数で、「科学的社会主義」などという、ソビエト帝国型の考えに
集団で脳を犯されたので、「科学的」といえば「社会主義(共産主義)のことだと信じ込んで、この
「科学的社会主義」という宗教を日本国民に、各種高級学問の振りをして押し付けた。それを商売として
やったのが、岩波書店である。だから日本国民の方が、すっかりイヤ気がして、「科学」というコトバを
使わなくなった。なぜなら使ってみても、ちっとも「科学的」ではないからだ。「君の考えは科学的だね」
と友人に言ってみると、まるで、馬鹿丸出しで、「一体、オマエは何が言いたいんだ」と、相手から嘲笑
されるからである。ソビエト教の信者以外の世界では通用しない。だから、日本人の「科学」不振は物凄く
深い。そこで、私が、「哲学は科学じゃないんだよ」というと、日本人はケゲンな顔をする。何を言って
いるのか分からない。哲学というのは、日本では「文学部哲学科」だから「文学」のお友達で、これは、
絶対に「文科系」だよ、となる。そうではない。哲学は、科学の一種とは違う。神学の一族なのだ。
Philosophy is not a science!
アメリカ人やイギリス人の大卒の人に尋ねてみるとよい。彼らは、必ずこう言う。例外はない。
こんなことも知らないで日本人は、「自分達も欧米人に負けない高等学問をやっている国民なのだ」と
思いこんでいる。日本の大学生が、学制(カリキュラム)として大学で受けている講義は学問などでは
ない。あれは「土人のコトバ遊び」だ。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P171〜177
4第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/18(水) 20:37:03 0
■否定神学としてのマルクスの労働価値説

ラカンは人間は二度「疎外」されると言いますが、一度目は想像的な他者との鏡像関係で
二度目は象徴的な他者(大文字の他者)による去勢(すなわち言語の獲得)によって。そし
てこの去勢前の主体が芽生える未分化な状態が現実界です。

人はこの現実界へ向けて欲望し続けるが、決して到達しないということです。ただこの現実
界はそのようなものがあるという「ロマンチックな形而上学的」ではなく、ないことであるよう
に人々の欲望を想起するものである。これが否定神学と呼ばれる構造です。

たとえばマルクスが商品の物神性をいうとき、商品に交換によってしか価値は表れない
が、あたかも最初に価値があるように振る舞われるというとき、ないが価値かあるようにみ
せる何かがあるということ、これが否定神学です。マルクスにとっては「労働」ということで
しょう。初期マルクスの「類的存在」が神学的なものであるなら、後期マルクスの類的な「労
働」は否定神学的なものということでしょうか。

これを柄谷、岩井の貨幣論とつなげることができます。彼らは、マルクスの商品貨幣論を、
ソシュールの言語論とつなげ、「労働価値」を使わなくても、商品価値は説明できるといま
す。しかしそこには「人々が貨幣を価値あるモノとする錯覚するもの」が想定されています。
たとえば柄谷なら、それは「命がけの跳躍」、そして「他者」です。ようは、ここにも否定神学
の構造が作動しているということです。

ここでは、商品の価値、すなわち貨幣は価値があるとは限らないと脱構築することができま
す。しかしこのような否定神学的感染は人間の一つの症候であり、否定し切れるものでは
ないでしょう。(とまた「症候」に否定神学してしまいました。)
5考える名無しさん:2007/07/18(水) 21:35:08 0
ご注意。

波平の言ってることは大抵でたらめです。原典に当たるとわかります。

てゆうか、波平=「ぴかぁ〜」=哲板最大の荒らし。
6第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/19(木) 12:39:10 O
唯物史観というブラグマティクな斬新な認識論が共産主義的理想論を語るととたんに陳腐になる。
しかし分析、批判においてすばらしく、対策について陳腐化するのは哲学者の宿命みたいなものですね。
7考える名無しさん:2007/07/19(木) 12:48:35 0


おいおい

哲板は
キチガイが多すぎるぞ

メンヘル板よりキチガイが多いのは
どういうわけだ

説明しろ並へイ

8考える名無しさん:2007/07/19(木) 13:58:32 0
センセから習ったろが。
いつの世でも、どこの世界でも
多数派は健常者
少数派はキチガイ
ってば。
9考える名無しさん:2007/07/19(木) 23:06:45 0
沖の暗いのに白帆が見える
あれは紀の国みかん船
10考える名無しさん:2007/07/20(金) 07:23:19 0
さらに時代をさかのぼると、マルクス主義の思想は、ローマ帝国よりも古い時代に起源がある。
つきつめていくと、古代ペルシアのゾロアスター教につきあたる。先に説明したとおり、
ゾロアスター今日の教えでは、世界は光明(=善)と暗黒(=悪)の二つの原理からできていて、
いまは光明と暗黒が入り乱れて戦っているけれども、いずれ光明が暗黒を打倒して光明と暗黒は
分離し、それとともに時間は停止して、世界は消滅するが、そのまえに、光明の子が下界に光臨
して人類の王者となり理想の世が実現する期限がある、と説く。
この思想が、ユダヤ教に入ってきてメシア思想になり、ユダヤ教のメシア思想が独立して
キリスト教になり、キリスト教の「終末論」と「千年王国」の思想がマルクス主義に入ったのだ。

岡田英弘「歴史とは何か」P142〜143
11考える名無しさん:2007/07/20(金) 09:47:09 0
人間の内面抜きで理論をつくったこと
12考える名無しさん:2007/07/20(金) 13:48:56 0
よくわからんが
2ちゃんねらーみたいにお互いを踏み合って成長するような感じに情報工作すべきだった
教育に哲学を入れるべきだった 科学的社会主義っぽくすべきだった
社会主義運動をしたら未来人が生きかえしてくれるという設定なら完璧だったかな?
13考える名無しさん:2007/07/20(金) 19:17:00 0
>>10
それはマルクス主義ではなく、サン=シモン主義だと論じる人もいる。
14考える名無しさん:2007/07/20(金) 21:33:34 0
>>10
 マルクス主義は、終末論や千年王国的な色彩が『少ない』(ゼロではな
いが)事例として有名だ。マルクス・エンゲルスに共産党宣言やドイツ・イ
デオロギーでボコボコに叩かれた連中の方が、はるかにそっち系の色彩
が強い。
 ヘーゲル哲学を論じるのに、カントやフィヒテを無視していきなりプラトン、
アリストテレスとだけ結びつけて論じるバカはいない。
 マルクス主義も、先行する社会主義思想や、特に同時代のブランキの
革命論(なぜか共産党宣言では叩かれていない)の強い影響のもとに成
立したのであって、いきなりヨハネ黙示録等々と結びつけるのは無理だ。

 もすこし社会主義史を勉強してから出直しておいでなはれ。
15第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/21(土) 00:28:19 0
唯物論史観に現れているのは、あの時代の科学技術の成功の高揚感だ。
その高揚感によって失われているのが、世界の前では人間の存在が弱いもので
あるということだ。
この弱者としての人間において、分業さえも生き残るための重要な過程として
まさに唯物論史観の連続性の中に組み込めただろう。
すなわちマルクスのいうアソシエーションでは十分に生き残ることは
できないだろう。
16考える名無しさん:2007/07/21(土) 18:20:00 0
>>14

今更そんな言い訳は通用しない。
どっちも同じだ!
どんぐりの背比べなぞどうでもいい。
17考える名無しさん:2007/07/21(土) 18:20:40 0
「816」崎谷博征(さきたに・ひろゆき) SNSI研究員 の 新刊 『グズな大脳思考 デキる内臓思考』
を紹介します。浅薄な「合理主義的思考」に代わる新しい思考法は、現実の生活にも大いに役立つ思考法です。
2006.12.24 副島隆彦が文末に加筆しました。2006・12・26
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#2401

この両派の対決は、あらゆる学問の裏側に控えている。この対決軸を中心に、今のこの世界は動いている、
と言ってもよい。だから、生来的な器質的な、異常や犯罪気質は、教育や治療によっても改善できない、
とするのが、ネイティビズムである。
つまり病気は、治せない。という考えだ。治る病気は自分の力でなおる。ただし悪い部分を取り去る
外科手術は認める、という立場が、このネイティビズムである。それに対して、人間は、後天的に
改善できる、とする考えが、ビヘイビアリズムである。
この考えは、1950年代の、シカゴ学派のスキナー、ボーマンズらの「社会心理学」(ソシオ・サイコ
ロジー)としてアメリカでリベラル派の学問として再興された。この理論の上に、タルコット・
パーソンズの「構造機能分析」と呼ばれるアメリカ社会学が大成された。さらにそれと同形的
(アイソモルフィック)に、アメリカ理論経済学が花開いたのである。そして更に、それと類推的に
政治学(ポリティカル・サイエンス)も繁栄した。アメリカの、ソシアル・サイエンスは、1950年代
と1960年代には、この「行動科学」によって、ついにヨーロッパの学問を超えた、と、みんなで
祝ったのである。これはアメリカの学問的な大勝利であり、世界をこの新規の学問潮流で支配・席捲
できる、と考えた。ここでは当時のソビエトとの対決問題は無関係である。それで、世界中から優秀な
人材がアメリカに集まるようになった。

これが、アメリカの「行動科学革命(ビヘイビアラル・サイエンス ・レヴォルーションbehavioral
science revolution)」であり、即ちこれがビヘイビアリズムの運動である。
18考える名無しさん:2007/07/21(土) 18:21:53 0
私の先生の小室直樹氏は、このアメリカ行動科学の全体像を習得する運命を背負ってこの時期に、
スキナーのいたミシガン大、と、ポール・サミュエルソンのいたMITと、パーソンズのいた
ハーバード大に習いにいった。ところが、帰ってきて、その成果を丸山真男氏以下の、日本人学者
たちに伝授しようとして、嫌がられた。当時の日本にはロシア型マルクス主義という宗教しか、
近代学問としては存在しなかったからである。

この ネイティビズム「固有主義、生来主義」 と、ネイテイビズム「 行動主義 、教育改良主義」の
サイコロジーの分野から興った大きな対立が分かれば、おそらく、今の、というか、この100年間の
欧米の社会学問(ソシアル・サイエンス)の流れは、今の日本人にも、大づかみに出来るのではないか。
この事をもっと分り易く言うと、「氏より育ち」ということである。あるいは、「育ちよりも氏」か。
即ち、氏(うじ)=家柄、出身、血筋 の方が、人間(人物)の評価に置いては大切だ、というのが
ネイティビズムで、その反対に、「家柄よりも、育ち」即ち、生活環境・教育・学習行動が大切だ、
というのが、ビヘイビアリズムである。
だから、ネイティビズムは、保守主義 を表し、ビヘイビアリズムは、現代リベラル派(人権主義者)の
立場なのである。分かり易く言えばそういうことだ。

『世界覇権国アメリカの衰退が始まる』(講談社)ビヘイビアリズムVSネィティヴィズム[65ページ〜72ページ]
19考える名無しさん:2007/07/22(日) 11:43:01 0
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   /::.  ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' ::: ヽ
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蛙邊鍼憎魔璽夷羅子佐々屠嗣簾邊嗣
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  ,;';;;;;_-=・=-;;;;; -=・=-彡;;;;;ヽ、
      .. -=ニ=-     

これが基本中の基本です。これを押さえておかなければ、全くお話になりません。

まだだ、まだおわらんよ!!!
20考える名無しさん:2007/08/11(土) 01:21:24 O
革命は反革命によって覆される。永久革命論は正しい。
21考える名無しさん:2007/08/11(土) 01:25:56 O
計画なき発展は可能だろうか。
22考える名無しさん:2007/09/25(火) 22:09:40 0
例えばどこかの南の島みたいに南国気質でノンビリ暮らしたい。マルクスなんて縁遠い。
そう思っていても、そういうリラックスした風土につけ入って、奴隷労働で大儲けしようとする
連中が先進国には必ずいる。
23考える名無しさん:2007/10/07(日) 10:10:33 0
日本労働年鑑 特集版
太平洋戦争下の労働者状態
The Labour Year Book of Japan special ed.
ttp://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji1/index.html
24考える名無しさん:2007/10/10(水) 23:54:59 0
歴史は繰り返すというドイツ的思考はマルクスの頭から離れれなかった(マルクスの場合、物質の運動)。だから共産主義を幽霊に例えたのだろう。ヘッケルの反復説の影響もあるだろう。「空想から科学へ」(例:ゴーレム伝説→ロボット戯曲)の流れは変わらないのでは
25考える名無しさん:2007/10/14(日) 16:25:54 Q
宗教が社会の基盤でなくなったとき、初めて宗教上の自由と平等が実現された
経済が社会的な認知と満足の基盤となったとき、初めて民主的な自由と平等が可能となった
同じように、経済的な平等は、それが社会にとって
最も重要なことではなくなり、新しい領域における自由と平等が
新しい秩序をもたらす約束となったとき、初めて可能となる
専ら反対するだけの運動は、その反対する秩序が存在して、
はじめて意義と訴求力をもちうる
批判だけが唯一の機能であるならば、社会的勢力としての社会主義は、
その存在意義を資本主義の存在と妥当性に依存せざるをえない
たとえ資本主義の信用を落とすことはできても、
それに取って代わることはできない
資本主義が崩壊するならば、社会主義もまた、
自らの意義と正当性を失ってしまう
−P・F・ドラッカー
26考える名無しさん:2007/10/14(日) 16:30:39 0
ドラッカーに言われても……って感じ
27考える名無しさん:2007/10/14(日) 17:07:25 0
代表的な資本主義者って誰だっけ?
28考える名無しさん:2007/10/14(日) 22:29:21 0
>>25
>同じように、経済的な平等は、それが社会にとって
>最も重要なことではなくなり、新しい領域における自由と平等が
>新しい秩序をもたらす約束となったとき、初めて可能となる

 マルクスは、経済的な平等なんぞを主張してはいないんだが…
 マルクスが構想したのは「各人はその能力に応じて労働し、各人
にはその必要に応じて分配される」社会だ。
 マルクスとしては、自分は「平等」などという理念は乗り越えたつ
もりだったのだろう。

 「共産党宣言」では、「平等(Gleichheit)」という単語は、ただの一
箇所だけ出現する。それも「ブルジョア的な自由と平等(bürgerliche
Freiheit und Gleichheit)」という、批判の対象としての論及があるだ
けだ。
 「資本論」はさすがに調べきれないが、第2編第4章第3節末尾で
は、「自由」「平等」「財産」の諸概念が、ベンサムにことよせて、コテ
ンパンにからかわれている。

 イエスが「律法を守れば神の祝福が与えられる」と主張した、などと
言えば、あまりのトンチンカンに誰だってあきれるだろう。
 しかし「マルクスが平等を主張した」という初歩的な誤解が、右翼に
も左翼にも中道派にも広まっているのは、何とも困ったものだ。
29考える名無しさん:2007/10/19(金) 14:51:11 0
最初に自由主義経済が滅び、次に社会主義経済が滅んだ。
生き残ったのは福祉国家を含んだ混合経済であったが、今やそれらも危機に瀕している。

資本主義という用語をなぜ使わなかったかといえば、これらすべての経済をひっくるめて
資本主義社会(資本主義的生産様式が支配的な社会)と呼ぶのがマルクスの定義だからだ。
30考える名無しさん:2007/11/07(水) 13:58:19 0
価値形態論で貨幣の王権を固定化したことですね。
プルードンのマルクスへの書簡にすべて書かれています。
31処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/11/13(火) 18:18:32 0
【書評】「マルクスの亡霊たち」 [著]ジャック・デリダ [11/7]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1194406589/l50
32考える名無しさん:2007/11/13(火) 18:28:50 0
>>31
読んで見たいと思うんだが、立ち読みした感じでは、マルクスの、というよりマルクス主義の
亡霊なんだが・・・。現在の時点で、果して読み応えがあるのかどうか、オレの読解力では
はげしく?マーク。 
この本をとても興味深く読めてマルクスのこのようなあらたな可能性が
開かれたという人、どんな可能性で、どこらへん読みこめばいいのか教えてください。。
33処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/11/13(火) 20:49:15 O
デリダスレに落とすべきネタだったか。そういや丸一年、書店に
近寄った記憶がないような。
34考える名無しさん:2007/11/14(水) 07:47:25 0
311 名前:OFW :02/05/21 20:34
「使用価値は、富の社会的形態がどのようなものであろうと、富の素材的
内容をなしている。われわれが考察しようとする社会形態においては、
それは・・同時に交換価値の素材的担い手をなしている。」

ここで初めて使用価値と区別された交換価値が登場するが、
1.富の内容としての使用価値は社会的形態によらないが、交換価値は
商品交換が一般的な社会においてのみ存在する富の形式であること
2.使用価値は交換価値の媒体(質料)であり、後者は前者の形相である
(つまり両者は本質的な反照関係にある)ことが明確に述べられている。
にも拘わらず、一般人のみならず殆どの経済学者や哲学者も両者を混同して
おり、マルクスからそれらの区別を学んだはずの「マルクス主義」学者すら
その区別を正しく理解できず、弁証法にあてはめた珍解釈を披瀝したりする
始末である。
(たとえば、「使用価値ー交換価値ー価値(自体)の関係は正ー反ー合に対応
する。」「いや、それらは 有ー無ー成の関係である。」等々言われ。)
交換価値とは<他者(非所有者)にとっての使用価値>という形式内容(規定性)
をもち、使用価値の否定(他在)を抽象的に含んでいるのは確かだとしても、
本質関係(反照形式)として、より進んだ<物>(現存在する根拠)という
カテゴリ圏(そこでは<持つ>という、より発展した関係性が支配的である)
において、初めて具体的なのである。

35処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/11/14(水) 18:52:54 O
物々交換に対する商品交換というのは貨幣経済が前提だよな。

交換価値(希少性についての価値)は物々交換にだってあり得る。

巷の市場原理主義者は交換価値ばかり強調する、とかナントカ
36処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/11/14(水) 18:55:10 O
ああ、交換価値を希少性だけで一義的に規定すんのは問題あるか。
37処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/11/22(木) 21:56:29 O
資本の商品化なんて話はマルクスの時代にはなかったな。
38考える名無しさん:2007/11/22(木) 22:02:19 0
使用価値などですら状況次第だろ。日本で捨てられる自転車が
どっかの国では有りがたがられる。
39考える名無しさん:2007/11/23(金) 00:24:47 0
故障車が家代わりテレビがテーブル代わりに使われていたりね。
40考える名無しさん:2007/11/23(金) 07:01:28 0
            ,-―ヾヽヽ/vへ/⌒ー
          , ⌒ヽ ヽ ヽ / / ノ ⌒ヽ、
         / /ヾ,ゞ -ゞゞゞゞ、_  ⌒ ノ ヽ
        /  /          `ヾ  ー ミヽ
      ,/    /              ヾ \ ヽミ
     /   /                ゞ     ヽ
     i   /                /      \
    /  -=ニヽ、,,_ ,,,,,,;r;==-        ヾ  ヾ ミ  ヽ
    l ;:  `ゞツヽ:〉^`ヾ,だ''=-、_      i     彡 ヽ
    i 、  /;;:;;;:::/    `'''''"""      ノ  ゞ ヾ    ヽ
     } :;: |  人、,,;:-,.. '^        /     くヾ    )
    /   彡ノノノノノノ(((((     / ヘミ        /
    /  /ノノノノノ,.-―ミヽヾヾヾヾヾヾヾ       _ノ`ーー'"
   ,i       -ー‐- `ゞ       ヽ     ヽ
   彡彡               ミ        ヽ
''"" ̄彡   /  /  /  /        ミ    ツ\
   < /  /  /  /      ヾ  ヾ  ノノノ
    '―彡              rー'"
       ヾノ人,,.r--、ノノノノノり'"
      キナガニオトス [ Kinaganiotos ]
         (紀元前128〜?)
41考える名無しさん:2007/12/11(火) 22:43:39 0
マルクスは心技体が解っていなかった
42考える名無しさん:2007/12/14(金) 03:57:46 0
負傷により途中退場
43考える名無しさん:2007/12/29(土) 17:57:14 0
シュンペーター「自分の考えや目的がマルクスの経済学の基礎にあるものだとは、はじめ気づかなかった」

松原隆一郎「私は、高度経済成長のころなら、マルクス主義というのは間違っていたと思うんです。でも、現実はマルクスの言うようなところに近づいています・・・いまは廃業してしまったマルクス主義経済学者が、求められている気さえします。」

ラビ・バトラ(w「マルクス哲学の美しさは根本的なところで否定できない」

森嶋通夫「マルクスはフォ ン・ノイマンとならぶ最高の数理数学者」(現にマルクスのエッセンスである搾取も利潤率の傾向的低下も証明された)

サージェント←結果的に合理的期待仮説学派の定量的予測は共産主義社会を導いてしまった(ルーカスは確信犯だが)

野口悠紀雄もいよいよグローバリゼーション(世界化)でマルクスの図式が蘇っていると言っている。

シュンペーター以降、マルクスの「亡霊」はケインジアン(すべての商品は流動性の異なる貨幣であるだなんてマルクスが既に述べている内容を表面的(没概念的)に繰り返しているに過ぎない。
流動性は、価値存在がもつ交換可能性あるいは変容可能性を指した用語であるが、それは、価値とは商品に凝固して対象性を獲得した普遍的な労働力の支出であることを、暗に示している。
マルクスはケインズを超越しており、でなかったらケインズと握手していた米ホワイト財務次官が隠れマルクス主義者のスパイになるはずがない、第一ケインズがソ連に行って「人生の実験室」
と呼んで「この同志たちの予言が当たりはしないとわれわれは確信することができるだろうか」なんて感想を残すか)
にもマネタリスト(サッチャーなんかシュンペーターを読んだ強迫症、マネタリストとマル経は結構似ている、『経済学という教養』でも読め)にも憑いてるのだよ。
ファシズムもそうだ。ムッソリーニは元マルクス主義者だ、ヒトラーも四箇年計画という目標で初めて成功した、我が闘争なんかマルクス労働価値説を大前提にレーニン帝国主義論に
国際ユダヤ金融資本なるものを代入して資本論の論理的帰結を導いてるわけだ。
開発独裁者の朴正熙も蒋経国も元共産党で、政策なんかソ連-日本モデルのパクリなのだ。
44考える名無しさん:2007/12/29(土) 17:57:57 0
よく考えれば宮崎正義がソ連に行って原単位計算の生産量計画を持ち込んで戦前日本は栄え、
戦後は大内兵衛の提言のお陰でインフレが数百倍〜1.000倍程度で収束し、有沢の再生産表式
モデルである傾斜生産で日本の高度経済成長エンジンが始動した。
今もロボットを作る時とかに経産省は五ヵ年計画を敷いている。
45考える名無しさん:2007/12/29(土) 21:38:31 O
不確定性原理による唯物論の死
46考える名無しさん:2008/01/03(木) 22:21:50 0
>>43
マルクス経済学の基幹=剰余価値理論=搾取理論
はまさに森嶋が創始した数理マルクス経済学
によって数理的に葬られた。(合掌お気の毒に)
47考える名無しさん:2008/01/10(木) 00:47:11 0

「マル経難民」の床屋談義

金子勝 『反グローバリズム』岩波書店

著者は、経済理論学会(マルクス経済学の学会)に所属する経済学者では随一のマスコミの人気者である。「ブッシュはバカだ」とか「小泉改革はニセモノだ」というような床屋政談が受けるらしい。
この本も、最初から最後まで学問とは無縁の「ぼやき漫才」のようなもので、まあそういう読み物としてはいいが、まじめに受け取るべきではない。
マル経は、今でも一部の大学には講座の枠が残っているので、無能な学者でも職にありつける「穴場」である。しかし、よりどころとする理論が崩壊してしまったので、「きわもの」的なテーマを探すしかない。
こういう「マル経難民」が好んで選ぶテーマが「国際」「情報」である。このフレーズさえつければ文部省から科研費が引っ張れるし、状況の変化が激しくて「近経」の理論がついていけないので、「床屋理論」でも何かいえそうだからである。
そもそも著者のいう「グローバリズム」とは何なのか、ちゃんとした定義も書かれていない。国際会計基準と年金改革の話がごちゃごちゃに並んで、「グローバル・スタンダード」への非難が繰り返されているだけだ。
改革を批判するときの根拠は、いつも「リストラしたら景気が悪くなる」というだけで終わりだ。「市場の失敗」を非難するが、「政府の失敗」については何もいわない。
こういう介入主義もマル経の悪しき遺産である。著者は「主流派経済学」を批判するが、それを理解していないことは明白である。「情報の非対称」や「ゲーム論」についての孫引きをもとにした一知半解の「批判」はなかなか笑える。
この程度の学者でも慶応大学に職を得られるぐらい、日本のマル経業界は「売り手市場」になっているわけだ。先進国で最低レベルといわれる日本の大学の恩恵を受けている著者が「グローバリズム」に反対する理由はよくわかる

http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/Kaneko0.html

48考える名無しさん:2008/01/19(土) 23:37:57 0
マルクスはバカだった
49考える名無しさん:2008/01/20(日) 05:21:48 O
資本主義が続く限りマルクスは死なない
50クニ:2008/01/20(日) 07:22:24 0
作用と反作用がある。
訳が分からない神を基礎とした世の中を
人間の美しさを基礎とし
人間が行う商業を主役に置くものに変えた資本主義
その初期において労働者を過酷な労働に封じ込めた世の中から出た
マルクス
世の中の反作用としてその基礎を置いた理論の構築
それが間違いの元
反作用は世の中に消される本質をもつ
51考える名無しさん:2008/01/20(日) 16:21:15 O


「必然性」の概念を理解し損なった事

52考える名無しさん:2008/02/09(土) 12:15:34 0
近親相姦(*^_^*)あば〜
53考える名無しさん:2008/02/09(土) 12:16:06 0
近親相姦(*^_^*)あば〜
54考える名無しさん:2008/02/09(土) 12:16:39 0
何様何様(*^_^*)あばば
55考える名無しさん:2008/02/18(月) 17:21:45 0
顔を間違えた
56考える名無しさん:2008/02/18(月) 17:23:58 0
とどめだ
57考える名無しさん:2008/05/16(金) 17:53:59 0
お前らはマルクスを理解できなかった。

いや、
お前らはマルクスを読みもしなかった。
58処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/05/16(金) 19:24:14 O
俺は勝ち組の面倒を見るのだけは絶対に拒否する。
59処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/05/16(金) 19:26:28 O
目の前で集団になぶり殺しにされかけてても、ハナほじりながら
放置するだろう。
60処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/05/16(金) 19:30:12 O
そういう機会があったらむしろ積極的に参加したいくらいだ。
俺は非常に誤解されてるような気がするからな。
61処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/05/16(金) 19:33:23 O
自称勝ち組な連中で俺にあやかろうだなんてしてる奴らは見かけ次第
手当たり次第に抹殺して良い。
62哲オタ ◆RSVCHQV.72 :2008/05/17(土) 01:06:26 0
私は醜い男である。しかし、私は自分のために最も美しい女性を買うことができる。
だから、私は醜くない。というのも、醜さの作用、
人をしてぞっとさせるその力は貨幣によって無効にされているからだ。

『経済学・哲学草稿』より 貨幣の機能について、
ゲーテの『ファウスト』の一節への皮肉。

同意するよw
63考える名無しさん:2008/05/28(水) 08:43:44 0
国や自治体の機構・共産党などの組織での役割は「係分け」以上の特別な権限はなく
権力などが入り込む余地はないと単純に考えていたこと。

世の中の人がすべて善人ならそれでも成り立つかもしれないが

実際は権力欲にまみれた奴が実力を持つと、おのれの幹部の地位を権力と扱って傲慢な態度をとる一方で
自分にとって不都合な人間に対しては「出世欲にまみれている品性下劣な輩」など中傷してつぶしにかかるダブルスタンダード。

そのため、組織が硬直、腐敗してあぼーん。
日本共産党なんかも、上層部党員からの一般党員へいじめ(党幹部からの共産党一般職員へのパワハラ含む)で崩壊寸前w。

まあ、「支配階級の思想は、いつの時代にも支配的思想である」(ドイツ・イデオロギー)
→党官僚のご都合主義が支配思想として蔓延する、という意味では正しいといえるのだがw
64考える名無しさん:2008/05/28(水) 18:27:31 Q
マルクスの『資本論』はあくまでも資本主義社会の分析を行っているに
過ぎず、共産主義社会の分析を行っているわけではない。
共産主義が資本主義よりも優れているという考察や証明は行われていない
共産主義は資本主義の止揚された姿なので、マルクスは先進国で共
産主義革命が起こると主張したが、実際に起こったのは発展途上国の
ロシアであった。
また、未開社会やサルのような動物の社会でも、
順位制という身分制度があり、原始共産制は見られない。
原始共産制から階級分化が起こり、やがて共産主義社会の到来で
階級対立がなくなるという考えは、キリスト教的な
千年王国待望論で、それは科学というよりも宗教的信仰である
65考える名無しさん:2008/05/29(木) 04:27:11 0
>>63
>国や自治体の機構・共産党などの組織での役割は「係分け」以上の特別な権限はなく
>権力などが入り込む余地はないと単純に考えていたこと。

 国や自治体の機構での役割については、レーニンは「輪番勤務制」を構想し、「誰もが官僚であり、誰もが官僚でなくなる」ことによる官僚主義と立身出世主義の撲滅を明確にイメージしていた。
 エンゲルスも「固定的な分業の廃止」を打ち出していたから、レーニンに近い線で未来社会(国家)を構想していたと思われる節がある。
 しかしマルクスがそういう過渡的国家論、社会管理機構論をどこかで立言していたか??
 「ゴータ綱領批判」には官僚制論は出ていないし、「フランスの内乱」でも、高等官吏の選挙制、随時解任制は書かれているが、組織論といえるほどの代物ではないと思われるが・・・

 共産党などの革命党における組織論、機構論については、マルクスもエンゲルスも何一つ語り遺していない。これは有名な話だ。レーニンとは大違い。
 だから、バブーフやブランキの組織については多くの資料があって研究が進んでいるが、マルクスの革命党論は、現在の研究段階では事実上ブランクだ。
 まあ、「積極的に党組織論を展開しなかったのが彼の悪いところだ」と言えば言えるだろうか?
66考える名無しさん:2008/05/29(木) 04:45:11 0
>>64
>マルクスの『資本論』はあくまでも資本主義社会の分析を行っているに
>過ぎず、共産主義社会の分析を行っているわけではない。
>共産主義が資本主義よりも優れているという考察や証明は行われていない
 マルクスは、“労働者にとって(経済企画官僚にとって、ではない。)”共産主義が資本主義より
優れていることは、労働者にとっては自明である。と見なしていた。
 「ゴータ綱領批判」でマルクスは、労働者が労働力商品を資本家に売って労働する資本制=賃
労働制について
  「かくして賃労働制は一つの奴隷制であり、労働者の受け取りが良いか悪いかにかかわらず、
   労働の社会的生産力の発展につれてますます苛酷なものになる奴隷制度であること」
を語っている。こんなものが労働者にとって共産主義より悪いことは当然である。

 マルクスといえども、知らない社会の分析はできない。だから彼は、恥知らずの某社会学者と違
って、日本社会の分析などという愚挙は行なっていないし、未来にしか存在しない共産主義社会の
分析なるものも行なっていないが、“共産主義の可能性の条件”は「ゴータ綱領批判」の綱領草案第
3パラグラフへの批判の中で、ひととおり開陳している。
(以下次レス)
67考える名無しさん:2008/05/29(木) 04:47:16 0
>>64
(前レスより続く)
>共産主義は資本主義の止揚された姿なので、マルクスは先進国で共
>産主義革命が起こると主張したが、実際に起こったのは発展途上国の
>ロシアであった。
 帝国主義の発展によって資本主義の重要な要素がその対立物に転化していることを明瞭に確知
できる時代に生きていたら、マルクスもレーニンと同様の見解に達していただろう。

>原始共産制から階級分化が起こり、やがて共産主義社会の到来で
>階級対立がなくなるという考えは、キリスト教的な
>千年王国待望論で、それは科学というよりも宗教的信仰である
 原始共産制の存在という知見は、それ有力な歴史学説になるまではいかなる共産主義者も持ち合
わせていなかった。18〜19世紀半ばの共産主義者は、そういう知的状況の中で共産主義を構想した。
 マルクスが無階級社会としての共産主義社会を構想したのは、資本主義の分析を通じて「プロレタ
リアートは階級制度そのものを廃止することなくして自己を解放できない階級である」という見解に達
したためであり、何らかの非論理的な確信に基くものではない。
 マルクスは「資本主義は、資本主義を転覆しないことには労苦と生活苦に耐えられない階級を生み
出す。資本主義は自己破壊的な成分を作り出す。」ことを立言したのであり、彼らの引き起こす革命
という主体的条件なしに共産制が自動的に到来するなどとは主張していない。
 あらゆる革命思想は、原理的にキリスト教の千年王国説的な色彩を持つ(ナチスの自称「ナチス革
命」でさえそうである!)。
 それは、キリスト教の千年王国説が、社会革命思想の萌芽を含んでいたからに他ならず、その逆で
はない。
 ちなみに、マルクス主義は数ある共産主義、数ある革命論の中でも、千年王国的な色彩が「薄い」部
類に分類されるのが通常である。
68考える名無しさん:2008/05/29(木) 10:43:00 Q
ブラックマンデー後もそんな話で盛り上がったんだろうな>資本主義崩壊
不景気の度に騒いでもなあ
69考える名無しさん:2008/05/29(木) 19:56:29 0
 研究パートナーでは?
70【神】=【淘汰圧の擬人化】:2008/05/31(土) 03:53:37 0

グローバリズム化による過当競争で生産性が上がり続けると、人類全員に
行渡るだけの製品を造るのに必要な労働力の絶対量は減っていく。

今はノックダウン式のトーナメントを各国の企業が戦っているようなもんだ。
極論をすると、やがて1つの企業で、全人類に行渡るだけの製品を造ること
さえ可能になるだろう。

しかし、そこに所属する人間だけが労働でき収入を得ることができる、なんて
歪な状況になるとも思えない。

  消費する人間が居なければ企業活動もない。

遠い将来、生産手段を企業から取り上げ、公的機関が管理するような世界が
来るのかな? 共産主義だね(笑。

71【神】=【淘汰圧の擬人化】:2008/05/31(土) 03:54:18 0

この間、金さんだか、銀さんだかどちらかが死んだ。100何歳だっけ?

彼女が生まれたとき、世の中には自動車も飛行機もコンピュータも無かった。
彼女が生きた100年間の間に世の中は想像もつかないほど大きく変わった。

人類が生まれて何万年だか知らんが、この100年間は特別な百年間だった
のではないか?今年生まれた子供が100歳で死ぬとき、果たして世の中は、
想像も付かないほど変わっているだろうか?俺にはそうは思えない。科学技
術の発展は遠からず飽和するのではないだろうか。

そして、数世紀前と同じように、祖父や曾祖父の時代と、ほとんど変化の無
い営みを送る時代が来るのではないだろうか?

俺は、物理学科を出て、企業で研究職をしているが、自分が発見したんじゃ
ないかと思った現象が、20年くらい前の論文で報告されていることがたまに
ある。なんだか、ハマグリが取り尽くされた浜辺で必死で潮干狩りをしている
ような気分になる。

100年後、果たして開発に従事する技術職なんて存在するんだろうか?存
在するとしても、開発ではなく単に技術の保存伝承を主な業務にしてるので
はないだろうかと考えてしまう。

そう言った状況で、企業間の競争なんてものは果たして存在するのだろうか?
経済活動とは一体どう言ったものになっているのだろうか?

72考える名無しさん:2008/06/04(水) 09:25:43 0
マルクスは間違えてたんか?
73考える名無しさん:2008/06/04(水) 20:09:02 0
マルクスはすぐさま革命が実現すると思いこんでいた。
マルクスの考えたような共産革命は一度も実現していない。

現代のマルキシズムは「信仰の炎を絶やしてはならない」みたいなもの。
74考える名無しさん:2008/06/04(水) 22:46:55 0
>>73
つーことは、今や宗教に堕ちた、と。
75考える名無しさん:2008/06/05(木) 09:18:43 0
>>74
今やどころか、
昔から宗教じゃん。
76考える名無しさん:2008/06/05(木) 11:43:59 0
>>73-75
 マルクス主義が宗教であるか否かは、「宗教」の定義如何によるのではあるが・・・
 「正統派」カトリックなどは、スピノザのような汎神論者でさえ「Atheist(無神論者)」と見なす
のだから。

 ちなみに、ある日本人ジャーナリストがサウジアラビアの官僚にインタビューしていたところ、
このサウジ人はうっかり「私は仏教などは宗教であると認めない」と漏らしてしまい、結局この
日本人記者とはケンカ別れになって、取材自体が没になったそうだ。

 貴賢らは「宗教」の外延を、余りに広く取りすぎていないか??
 マルクス主義を宗教と認める宗教者は、ほとんど皆無だと思う。
77考える名無しさん:2008/06/05(木) 12:00:22 0
「マルクス主義は宗教だ」というのは、一部の人にとって、
マルクスの言葉が批判・反証を受け付けないドグマになっていることを
揶揄して言う言葉だろ。文字通りにとって「宗教とは・・・」とか言う奴は、
趣旨を取り違えていないか?
78考える名無しさん:2008/06/05(木) 22:22:22 0
精神世界で癒される第38章
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/healing/1210246310/

このスレのスレ主さんである単、直さんが、リアルのほうが忙しいので顔をなかなか出せないと言う事で、スレ主さんを下りられるそうです。

そこは、無国籍男女混浴風呂。どなたも、癒やされますよ。ひとっぷろ、どうですか?
いやしに尽いて、ひとこと いただけませんか?

↓ ここでは、さとりの語り手をつのっています。<(_ _)>

坐禅と見性第57章ろうそくの炎を吹き消せ
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1210832703/

なにかしらその意のあるところを語ってください。

宗教とは、インドにおける原意では、いかに生きるかと言う事。

坐禅と見性 第56章 名詞を剥ぎ取る、なんと呼ぶか
物質には、名詞があります。その名詞を剥ぎ取った時、これをなんと呼ぶか、と言う公案です。

また、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
ほかに、30メートル先のろうそくの炎を坐のままで、吹き消せ!
と言う公案に参禅しています。
カキコ、のほどよろしくおねがいします、m(__)m
79考える名無しさん:2008/06/05(木) 22:32:52 0
>>77
>>75は、「マルクスは宗教だ」と言う宗教の信者だろ。
「何が正義か」って議論とおんなじで、結局は泥仕合に
なるだけだ。
保守派だろうが革新派だろうが、まともな頭を持った
人間なら、資本主義の先にあんのが全体主義か共産主義しか
ないってのは自明のことだろ。
全体主義がダメだとしたらあとは共産主義しかないでしょ。
80考える名無しさん:2008/06/05(木) 23:04:21 0
>マルクスの言葉が批判・反証を受け付けないドグマになっていることを
揶揄

その揶揄は、マルクスの言葉を歪めてドグマにした専制国家に
こそ向けられるべきであって、マルクスに向けるのはお門違い。
81考える名無しさん:2008/06/07(土) 04:12:37 0
マルクスの新しい読みを提示する人が出てきていないじゃないか
82処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/07(土) 17:24:20 O
ゲットーの解放者でもあったナポレオンをマルクスが英雄視して
いたとしても不思議じゃない。第二帝政の頃はマルクスは妙に
大人しかったんだよな。
83処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/07(土) 17:54:06 0
怖がって規制すんなよ(ゲラゲラ

『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』の冒頭が良いね。

世界史的な事件と大人物はすべて、いわば二度現れる。
一度目は偉大な悲劇として、二度目はみずぼらしい笑劇として。
                       ^^^^^^^^^^^
84考える名無しさん:2008/06/18(水) 15:50:45 0
マルクス主義が宗教かどうかよりも、マルクスの宗教に対する無理解が根本的な問題。
85考える名無しさん:2008/06/18(水) 16:07:20 0
>>2
別な言い方をするとこれに同意ということ。
86考える名無しさん:2008/06/18(水) 19:53:41 0
お前、マルクス呼んだことないだろ?
マルクスは性善説なんかのレベルじゃねーぞ。
そんなのは捨象して物事を考えているからな。
無理やり性善説・性悪説の二者択一でくくるなら、むしろ性悪説だろ。
87処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/18(水) 20:46:51 O
>>84
同時代人で近代聖書学の元祖であるルナンよりずっとマシだろ。

何、あのQ資料って?
88処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/18(水) 20:49:14 O
何がキリスト教徒だ、豚どもめ。
89処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/18(水) 21:15:55 O
連中のキリストは淫売女とやりまくりで私生児作っちまうような糞野郎だからなw
90考える名無しさん:2008/06/18(水) 21:39:40 0
原始共産制という仮想を歴史の出発点に置くことが、マルクスが脳内お花畑で性善説であることを何よりも雄弁に物語っているが?
91処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/18(水) 22:02:52 O
まるで新自由主義の豚どもと一緒?
92処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/18(水) 22:08:38 O
ドーキンスにでもバカにされてろ、性善説w
93処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/18(水) 22:52:50 O
アメリカはキリスト教村社会だからなw
外向けと内向けじゃ顔が全然違う。
94処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/18(水) 22:54:24 O
厨房なジャップには外向けの顔してたぶらかしとけってさ。
95脳内お花畑なのはどっちだ!!:2008/06/19(木) 00:44:19 0
>>90
>原始共産制という仮想を歴史の出発点に置くことが、マルクスが脳内お花畑で性善説
>であることを何よりも雄弁に物語っているが?

 マルクスが「原始共産制」という学説を知ったのは、「ドイツ・イデオロギー」で唯物史観を
確立するよりもずっと後で、のことだ。
 「共産党宣言」の時点でもまだ「原始共産制」を知らず、冒頭に「今日までのあらゆる社会
の歴史は、階級闘争の歴史である。」と書いてしまい、後年の版にエンゲルスが釈明の注
釈を入れている。日本の諸版には必ずこの注釈も訳出されているから、宣言の頭を読めば
バカでもわかる。

 せ め て 「 共 産 党 宣 言 」 ぐ ら い は 読 め や コ ゙ ル ァ ! !

                )         )
                ∧           ∧
               / 入       / 入             ↓>>90
               /  入     /  入           ∧_∧
              ノ    入___ノ    入          (・∀・;)
            /               ヽ         (二二二)
           / 、__,                ヽ        (二二二)\
__     _     /  ) (  ○          ○   \ .__   _(_(__)\\
__\/ ̄ \ /     ⌒         | ̄ ̄|        ∨ `/_\     // _
 /./ ̄\\              |    |        |//\\\  // ./___ \/ ̄\   ∩
\/\\ \\             |     |        |/  \\\//  | |  |// ̄\\___||
\\/\\ \\ //      /      |      /\   \//\ //.//|    \_ノ
  \\_\\_//      /――――-\    / \\_//\\\∠//.| |
/  \_/\_/                    /   \_/  \ ̄\_/  ヽニ⊃
96考える名無しさん:2008/06/19(木) 01:12:04 0
このスレは、マルクスも読まない人間が、したり顔で
 ・マルクスはドグマ・宗教だ
 ・後進国で「革命」が起こったから、マルクスは間違ってた
 ・ソ連が失敗を見ると、マルクスが間違っていたことは明らか
と言いまくるスレですから。
97考える名無しさん:2008/06/19(木) 01:26:49 0
>>95
言われることが良く分からないんだが、言いたいことは次のうちのどれ?

@マルクスは『共産党宣言』の後のどこかの段階で、原始共産制の概念を認めた。
A原始共産制は実はマルクスの概念ではなく、エンゲルスの概念である。マルクスはそんなことを一度の口にしていない。

@なら、90の俺のカキコを否定すべきではないし、Aならほとんどの人がマルクスを誤解していることになるね。
それはマルクスの誤解だとして、もっと世の中に広めておくれよ。


98考える名無しさん:2008/06/19(木) 02:25:06 0
あなたの論理や認識がおかしい、ということを言いたいのでは?

つまり、
原始共産制の有無や評価なんて、あまり本質的ではないこと。
(人類の歴史が一定の法則にしたがって発展したきたことに変わりはない。)

さらに、
原始共産制を「仮想」であるとしていること。
原始共産制を歴史の出発点に置いたことが誤りである、といわんばかりなこと。
原始共産制を、「性善説」という思弁的な観念論用語で評価していること。

当時、マルクスが原始共産制を知らなくても知っていても、
また、それがエンゲルスの概念だろうがマルクスの誤解だろうが、
それはマルクスの理論の否定につながるような本質的なことじゃない、
ってこと。
したがって、自説を否定されて怒る気持ちはわかるが、やはり>>90
カキコは発展的に否定されるべき。
99考える名無しさん:2008/06/19(木) 03:07:43 0
>原始共産制の有無や評価なんて、あまり本質的ではないこと。

いいんですかーそれでー
他のマルクス研究者さーん

マルクスの唯物史観において原始共産制の有無や評価は本質的な部分だと私は考えているんですが。
100考える名無しさん:2008/06/19(木) 03:26:16 0
ロック的な社会契約論が前提として無いから、国家の枠は止揚されるべき「悪」でしかないし、
一度は原始共産制の存在を確信しているから将来の階級の消滅も確信しているのだし、
「階級対立とをもつ旧ブルジョア社会の代りに、一つの協力体があらわれる。
ここではひとりひとりの自由な発展が、すべての人々の自由な発展にとっての条件である。」『共産党宣言』
なんていう脳内お花畑を描けるのも原始共産制を信じられるような性善説虫が頭に湧いているからだろう。

「朝は狩りをし、午後は漁をし、夕方には家畜を追い、そして食後には批判をする」『ドイツ・イデオロギー』

こういうのを読んで美しいと感動しちゃうのが性善説マルクス虫。
101考える名無しさん:2008/06/19(木) 21:40:08 0
まあ、原始共産制についての実証的な研究は、
結局はマルクスの唯物史観の正しさを再確認することに
なったし。
史的唯物論の「本質」というものを考えれば明らかなんだが。

マルクスは「フルジョアジーは大人しく権力を渡すことは絶対にない」とか
言ってるのに、なんで「性善説、性善説、性善説、」と固執?
102考える名無しさん:2008/06/19(木) 23:00:11 0
>>101
孟子の読みすぎだろ。
103考える名無しさん:2008/06/20(金) 00:10:11 0
てゆーか、>>99のマルクス理解って、wikiとか変な解説本とかを読んだ程度なんじゃないか?
意図的なのか知らんが、マルクスの言うことを根本的に理解してないと思う。
104考える名無しさん:2008/06/20(金) 00:35:16 0
>フルジョアジーは大人しく権力を渡すことは絶対にない

これがあんたのいう「むしろ性悪説」? 当たり前のことやんけ。
これが性悪説に見えるのってやっぱ人間の理解が歪んでるだろう。マルクス研究家。
105考える名無しさん:2008/06/20(金) 01:23:31 O
マル経しか理解出来ない…
近代経済学の現実からの乖離というか離陸に振り落とされる。
106考える名無しさん:2008/06/20(金) 01:24:51 0
原始共産制が性善説?
????
107考える名無しさん:2008/06/20(金) 01:25:13 0
>>103
どちらがマルクスをより理解しているかでお互い反目しあい、殺し合うのがマルクス主義者だからな。
ちなみに俺はマルクスはおそらくお前より読んでいるし、よく理解しているよ。
108考える名無しさん:2008/06/20(金) 01:27:11 0
>>105
近代経済学って、目先の問題をどうやって回避するか、
そればっかりだもんな。
109考える名無しさん:2008/06/20(金) 12:53:46 0
>>108
目先の問題すら解決できてないから心配すんなw
バブル崩壊後の不況すら克服できてないんだから。
格差貧困ブームでマルクスバブルはまさにこれからですよ。ガンバレ!

関係ないけど俺様用リンク張らせてもらうわ

http://cruel.org/other/matsuo/matsuo.html
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_80618.html
http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20080612
http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20080616
http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20080618
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080618
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080620
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20080617
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20080619
http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20080617

リンクはおまいらには関係ないから気にすんな。
110考える名無しさん:2008/06/20(金) 12:59:05 0
資本論の日本語訳を全文無料で読めるサイトってないの?
革命はそこからだろ。
111考える名無しさん:2008/06/20(金) 17:29:35 0
>>107
マルクスをよく理解していたら、「性善説・性悪説」とかいう切り口も
「マルクス主義者」というレッテル貼りも絶対でてこないはずだが、まあ、
このスレに来ているということは多少でもマルクスに興味を持っている
んだろうから、屁のツッパリに人生の貴重な時間を費やすことはやめて
少しでもマルクスを読んでみてはどうだろうか。マルクスは、観念の
お遊びである観念論の系譜とちがって裏切らないぞ。勉強すればした
ぶんだけ見についていくから。
特に、おまいが興味もっているであろう「人間の本質」へのアプローチ
はすごいぞ。まあ、読んでみろよ。ちょっとがんばれば、
ソ連や中国・北朝鮮がなぜ似非社会主義だといわれるかもわかってくるぞ。
112考える名無しさん:2008/06/20(金) 19:37:18 0
>>111
よく家に宗教の勧誘に来るおばちゃんの言い方そっくりです。
113考える名無しさん:2008/06/20(金) 20:21:15 0
なぜかネコに強烈に嫌われて、本気の攻撃を受けることに...本 気も本気、人を殺すつ もりで襲ってくるネコの恐怖!激怒猫「さしみ」さんとの、交流物 語。
114考える名無しさん:2008/06/20(金) 20:36:05 0
本気で戦ったら、ネコより人間の方がずっと強いが?
115考える名無しさん:2008/06/21(土) 00:47:46 0
マルクスが生存中にも、すでに共産主義革命の非現実性は学者にも指摘されていただろ。
先進国では相手にされていなかった。
マルクスもうすうすは無理だと思っていたと思う。

でも、もう引き下がることができなくなってたんだよ。
意地になってた。

運動家なんてそんなもんだよ。
116考える名無しさん:2008/06/21(土) 03:11:45 0
>>115
パリコミューンはマルクス存命中のことだけど?ベルンシュタインのこといってるなら、
マルクスはもう死んでるし・・・『社会民主主義の諸前提と任務』はマルクス没後。
117考える名無しさん:2008/06/21(土) 04:58:12 0
 お ま い ら と に か く 孟 子 を 読 め !
118考える名無しさん:2008/06/21(土) 06:10:17 0
>>116
そのコミューンの壊滅もマルの存命中じゃん。
でありゃ、共産主義革命は不可能って発想も芽生えたかもよ。
119考える名無しさん:2008/06/21(土) 07:10:47 0
>>113
あ、それ見たわ。
120考える名無しさん:2008/06/21(土) 10:43:55 0
それよりも>>114のコメントが妙に気になる
121考える名無しさん:2008/06/21(土) 11:02:35 0
ぬことマルクスとどういう関係が?
122考える名無しさん:2008/06/21(土) 11:33:27 0
いや、マルクスが実はぬこを飼っていたらしいという疑惑が、
一部で囁かれているのだよ。
123考える名無しさん:2008/06/21(土) 11:50:31 0
野生動物板では、ながらく「ぬこ>>>人間」という声が大勢を占めている。
124考える名無しさん:2008/06/21(土) 12:39:48 0
こういう刺激的な朝を迎えています。
なんだろうな、まったく。
125考える名無しさん:2008/06/21(土) 13:11:13 0
ライオンみたいなおヒゲのマルクスを見てビクゥ!となるぬこたん・・・可愛い//
126考える名無しさん:2008/06/21(土) 18:39:17 0
ぬこレタリアートを搾取するな、ってことですね
127考える名無しさん:2008/06/22(日) 01:45:03 0
中沢新一の『はじまりのレーニン』には、
レーニンは動物のお腹を触るのが好きだった、
という気持ちの悪い話が出てきたっけ。
つまり言いたいことは左翼とぬこヲタはきもい。
128考える名無しさん:2008/06/22(日) 03:53:56 0
歴史上の人物で・・・

ぬこ好き:預言者ムハンマド、リンカーン大統領・・・
ぬこ嫌い:アレクサンドロス大王、ムッソリーニ・・・

何の規則性もないぞ。ぬこの好き嫌いと政治手法、思想内容は無関係だ。
ぬっこぬこにしてやる。
129考える名無しさん:2008/06/22(日) 20:44:59 0
なんだよ、「左翼」ってwww
130考える名無しさん:2008/06/22(日) 22:59:04 0
131考える名無しさん:2008/06/23(月) 23:12:12 0
岩波文庫『新編輯版ドイツ・イデオロギー』は面白いわ〜(`・ω・´)
132考える名無しさん:2008/06/24(火) 01:43:18 0
何この低レベルなスレw
133考える名無しさん:2008/06/27(金) 10:47:46 0
>>132
何この低レベルなコメントw
134考える名無しさん:2008/06/29(日) 09:55:31 0
>>132, >>133
いやぁ、スレタイからして低レベルだからな。
仕方ねーだろが。
そんなスレに寄って、カキコしちまった、おめーさんや、おれっちも
同様に低レベルと。
こんなんでOKかな?
135考える名無しさん:2008/06/29(日) 10:44:51 0
的場の超訳資本論はいろいろすっ飛ばしてるんだろうけど便利だった
136考える名無しさん:2008/06/30(月) 17:12:21 0
>>132-134
尻にウンコついてるのに一心不乱に資本論読んでる俺のほうが低レベルだよ。全部俺がいけないんだ。おまいらは悪くないよ。
137考える名無しさん:2008/07/01(火) 22:56:58 0
138処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/03(木) 17:32:16 O
『資本論』、積み重なった序文読んでるだけでマルクスの分析手法の論理的な
平衡感覚に釣り込まれんな。

>>137
きょくとーぶろぐぅ!?
139処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/03(木) 18:07:37 O
『資本論』冒頭

資本制生産様式が君臨する社会では、社会の富は「巨大な商品」の集合体の姿を
とって現われ、ひとつひとつの商品はその富の要素形態として現われる。したがって
われわれの研究は商品の分析からはじまる。

…だと。今時、商品っていや金融商品のことで市場ってのは金融市場のことでしか
ない。生産に必要な労働力? 使用価値? なんじゃそりゃ、みたいな時代。

それが経済学だからなぁ。
140宣教師 ◆XMP6DJq74g :2008/07/03(木) 18:58:22 0
>>1
神仏を否定したこと。それ以外にありません。
141考える名無しさん:2008/07/03(木) 19:10:41 0
今を盛りの第三次産業つか"サービス"みたいなカタチの無いモノって
『資本論』だと"商品"として認知してくんないらしいな。
142処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/03(木) 19:44:38 O
スターバックスが主要産業なのは帝国主義経済の問題だからレーニンでも読むべきだろ。
143考える名無しさん:2008/07/03(木) 21:54:09 O
流動性を最大限まで高めればいい。
現代社会の流動化は中途半端なんだ。
金と物の移動は活発でもそれらが帰属する人の移動は起こりにくい。
身分格差や世襲、地縁や血縁、世間による縛りが問題だ。
お手玉のように循環し、金も仕事も手から離れてもそう日を置かずに必ず次が用意されているなら問題ない。
ソ連崩壊も人間の移動が起こらないから腐敗が起こり崩壊した。
家も職場も物も金も、身分も、それらが帰属する人間の方を常に入れ替えればいい。
極貧も大富豪も誰もが経験するようにすればいい。
『グローバリゼーションとは何か―液状化する世界を読み解く』というの本の存在を知った。俺と同じ発想をしている学者がいた。
金も物も仕事も住所もすべてを常に綺麗に循環させれば理想郷が作れる。
誰もが未来に希望を持てる理想郷が。
これなら誰も傲ることも卑屈になることも無くなる。
すべてはかりそめで明日は金持ちになるか貧乏になるかもわからないから。
明日も今日と同じ明日がくると思うから、上の者は傲慢になり、下の者は卑屈になる。
明日も今日と同じ人と顔を合わせると思うから意地を張る。素直になれない。明日もと思うから、いじめで自殺する子供もでる。
毎日が劇的に変化するなら、刺激的で楽しくもある。
今日を明日に引きずらなければ、常に心を清潔に保てる。
144考える名無しさん:2008/07/03(木) 21:59:25 0
なんだねいきなり
発情したのかね?
145143:2008/07/03(木) 21:59:35 O
人間の方もグローバルに流動的になり、仕事に飢えない国や企業、
より待遇の良い国や企業に、人がみんな移動すれば、他も待遇を向上させて流出を食い止めなければならなくなる。
情報や金や物の移動に比べ人間の移動がままならないのが問題。
言葉を統一し、法も統一し、労働形態も統一し、消費税・付加価値税でセーフティーネットを万全にし、
すべてのサービス業も規格統一されたグローバルチェーン店になれば
見知らぬ土地でも生活に支障もない。
146処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/03(木) 22:36:59 0
全地球はオシャレなコーヒーショップに早変わりさ。
147ラプラスの悪魔  ◆daemontaDA :2008/07/03(木) 22:54:58 0
マルクスは間違えてないと思うよ。

時間を経て大陸系の文化が変化しただけさ。
で、何を間違ったかその大陸系の文化を受け入れた
島国文化の日本があったから、誰もが疑いもせずマルクスは
間違っていると言ってるだけに過ぎない。

>>146
スターバックスも終わりですw。
148処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/03(木) 23:19:48 O
最近、尿道オナニーの調子はどう?
149処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/03(木) 23:43:23 O
賃金労働? 市場の購買力? 金融工学が解決するさ〜
150処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/03(木) 23:55:12 O
嗚呼、汝らサプライサイドのスーパースター達は時代の風を肩で切って
どこまでも突き進む!
151処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 00:00:41 O
時代に選ばれし者ら! 高台の上にあって万人の目に眩い光を放つ希望!
>>139
>今時、商品っていや金融商品のことで市場ってのは金融市場のことでしか
>ない。生産に必要な労働力? 使用価値? なんじゃそりゃ、みたいな時代。

 ライダ先生、すまんが俺のような貧乏人の「身の回り」じゃ、いまだに「商品」といえば
スーパーに並んでる、あれやこれやなんすよ。
 で、「市場」といえば、やっぱりスーパーマーケットかコンビニなのよ。それも大部分が
食い物まわり。エンゲル係数高ーい。
 おひゃくしょさんが(ただし中国の)労働力注ぎ込んだ品物に、ありあまる使用価値を
見出してカゴに入れてる生活・・・ ぷろれたりあっと、ですなあ。

 「金融商品」? 一生縁がないだろうな。
 「金融市場」?? 丸っきり縁がないので何のことやら皆目分かりません。
153考える名無しさん:2008/07/04(金) 06:54:36 0
141さん、こんなん見つけましたやけど。

292 名前:OFW :02/05/17 05:25
「商品は、まず第一に、一つの外的対象であり、その諸属性によって人間の何らかの種類の欲求を
 満たす一つの物である。」(『資本論』第1巻第1編第1章第1節)

すぐに気がつくことだが、上記において通常は商品の一種とされているサービス提供は除外されている。
このことは価値を考える上で重要な点であり、サービス労働の成果が譲渡可能なモノ(*1)ではない以上、
本来サービス提供は商品には成り得ないのである。
たとえば、床屋の労働はお客の頭(髪型)において対象的形態をもつが、無論、客の頭は商品ではない。
また、芸人が歌う唄はお客の精神に感動を呼び起こすが、未だに精神を譲渡した者はいない。
実際、国民経済学(近代経済学)の<財およびサービスの生産>という概念には、本来モノではない労働を
モノとして扱う近代特有の物象化の働きが反映されている。
そして、社会の豊かさを市場価値で計る価値物神の下では、GDP(国内総生産、すなわち一国内で生産された
財およサービスの価値)という指標概念において、家事労働あるいは企業内経費的労働を“アウトーシング”
(商品化)するだけで価値額が増す、という奇妙な事態が現出することにもなる。
(*1)
「物は根拠と現存在という二つの規定が発展して一つのもののうちで定立されているものとして、
 統体である。・・・諸規定は物の諸性質であり、それらと物との関係は、持つという関係である。
 ・・・Haben[持つ]という言葉は、多くの言語において過去をあらわすに用いられているが、
 これは当然である。というのは、過去とは揚棄された有であるからである。
 ・・・物は、諸性質を持つかぎりにおいて現存在するものではあるが、しかし、あれこれの特定の性質に
 むすびつけられているのではなく、したがって、それを失っても、その物でなくなるということはない。」
(ヘーゲル『小論理学』第2部本質論Ac125節)
154153:2008/07/04(金) 06:56:20 0
295 名前:OFW :02/05/18 07:39
(『資本論』第1巻第1編第1章第1節(承前)ー以下同様)
「鉄、紙などいっさいの有用物は、二重の観点から、質および量の観点から、考察されなければならない。
このような物はどれも、多くの属性からなる一つの全体であり、したがって、さまざまな面で有用でありえる。
これらのさまざまな面と、したがって物のいろいろな使用の仕方とを発見することは、歴史的な行為である。
有用物の量をはかる社会的尺度を見つけだすこともそうである。諸商品尺度の相違は、一部は、
はかられる対象の性質の相違から生じ、一部は、慣習から生じる。」

有用性(モノの効用)はそれ自体相対的な概念であり、その質的な多様性と量的な大きさは主体およびモノの両面に
おいて限界付けられている。つまり、ある人にとって有用であるモノも、他の人にとっては無用であり得るし、また多すぎる
有用物は余剰であり、不足する有用物は欠乏である。
いわゆる<限界効用説>(価値とは限界効用である)は価値の直接性の立場から出られない、非本質的なものである。

「ある物の有用性は、そのものを使用価値にする。」
使用価値はモノ的存在について言われるということ。日本語としては使用価値物とした方が分かりやすいかも知れない。
先にサービス提供は商品ではないと言ったが、モノでない以上、それは使用価値物でもない。たとえば、床屋の労働は
有用労働であるが、それ自体は価値物ではなく、消費的労働であるから価値をもつ生産物を結果することもない。
いわゆる労働力商品(賃労働力)とは、その主体である労働者をモノとして取り扱う場合にのみ、何らかの意味をもつ概念
である。それに対して「賃金は商品代金ではない。それは労働に対する報酬(サラリー)である。」という通念は欺瞞である。
何故なら、すべて市場において取引されるものは商品と呼ばれる以上、労働市場(正しくは労働力市場)において売買
される対象も当然商品と呼ぶべきだから。
155153:2008/07/04(金) 07:00:12 0
299 名前:OFW :02/05/19 20:12
>>296(293さん)
>労働力商品の有用性・使用価値とは一体何に?
『資本論』の最初の章は「商品」という表題がついており、商品一般の話ですが、私の注釈あるいは敷衍的解説(解釈)は
 先回りをしているために、どうしても舌足らずになる。途中を飛ばして先を読むと、

「すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間労働力の支出であり、この同等な人間労働または抽象的人間労働
 という属性において、それは商品価値を形成する。すべての労働は、他面では、特殊な、目的を規定された形態での人間
 労働力の支出であり、この具体的有用労働という属性において、それは使用価値を生産する(16)。」
(同上「第2節商品に表された労働の二重性」)

という叙述が出てきます。
つまり、すべての生産労働は商品価値を形成する<抽象的人間労働>と、使用価値を形成する<具体的有用労働>と
に二重化されるということ。
また、<労働力商品>は「第1巻第4編第4章貨幣の資本への転化 第3節労働力の購買と販売」で登場します。
そこでは以下のように書かれている:

「一商品の消費から価値を引き出すためには、わが貨幣所有者は、流通部面の内部で、すなわち市場において、
 一商品・・それの使用価値そのものが価値の源泉であるという固有の性質を持っている一商品を、したがってそれの現実的
 消費そのものが労働の対象化であり、したがって価値創造である一商品を、発見する幸運にめぐまれなければならないで
 あろう。そして、貨幣所得者は、市場でこのような独特な商品を・・労働能力または労働力を、見いだすのである。」

つまり、労働力商品の使用価値とは「それが価値の源泉である」ということです。
156153:2008/07/04(金) 07:05:03 0
301 名前:OFW :02/05/19 20:16
>>297
>スポーツ選手とかはどうなるんだろう?

近年日本のプロ野球でも労働組合(選手会)ができて、オーナーとの間で団体交渉をするようになったが、
芸術・芸能・スポーツ業界も企業化(資本主義化)され、自営(自由業)が少なくなってきた。球団に所属する(雇用契約)
か、フリーで競技会の賞金稼ぎをするか(業務請負契約?)によって、スポーツ選手の位置づけも異なるでしょうね。

>あと、名のある職人の労働と無名の労働者の労働は、時間や労力が一緒でも値段が違ったりするのはなぜ?

値段(労賃)とは労働力商品の価格(価値の貨幣表現)であり、価値の源泉である労働自体に価値はないのです(これポイ
ント)。
個別労賃は市場の競争原理にまかされているから、<労働力の質>(熟練、知識、スキル等)によって、
わずかながらでも差異を生むでしょう。
一方、価値とは一定の社会での平均的な熟練度そして強度において、ある商品の(再)生産に必要な社会的平均的な
労働時間、を言います。結局、労働力商品の価値とは要は労働者の再生産、つまり平均的な生活に必要な生活財の
価値に還元されます。

157153:2008/07/04(金) 07:09:05 0
あとはご自分でさがしてね。
朝食食べて、出勤、出勤、と。
だけど、この雨、いやだね。
ほな。
158処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 12:24:19 O
>>152
黙れ、人件費め!

今時の経済学は実体経済などという面倒なものは扱わないのだ。

一切の労働を排除し、我々はコーヒーカップだけを見つめていれば良いのだ。
159処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 12:34:47 O
生産現場に従事する奴隷階級どもにカネを回すな。一円でも多く流通経路に
吸い上げるのだ。

一にも二にも錬金術、光速を越えてカネの流れを速くするのだ。
金融工学は経済の永久機関である!
160処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 12:38:20 O
二十一世紀は財テク経済学の時代である!
アブク銭こそが人類を救うであろう!
161考える名無しさん:2008/07/04(金) 15:53:24 0
>>153
明確ですね。「サービス提供は商品には成りえない」ですか。
マルクスの古典派経済学の時代ではナントカ糊塗できたでしょうが、
貯蔵の効かない=製造と同時に消費されないと無き帰するサービス労働が
主流の現代では『資本論』は今や教養文庫の一冊でしかないのかな?
162考える名無しさん:2008/07/04(金) 16:08:33 0
>>161
まだ教養文庫には早すぎるでしょうな。
『資本論』を到達点として、マルクスの書籍を教科書として、
実践の導きの書として、位置づけ、学んでいる人たちが
居ますからね。
163考える名無しさん:2008/07/04(金) 16:11:33 0
>>161
書籍の宣伝はあんまりよくないけど、広西元信の『資本論の誤訳』
読むといい。図書館にもある。

天国にいる広西に「ホラやハッタリもほどほどにしてもらいたいものです」
と言われそうだ。
164考える名無しさん:2008/07/04(金) 16:29:37 0
>>161
どんな本だって教養文庫の一冊だろ。どう解釈し、どう役立てるかは読み手次第。
まあ、サービスが商品にはなりえないという、なんでも商品中心で解釈する
のは無理があるけど、それよりも興味深いのは、>>156後半のやりとりだな。
実例でいうと、労働力中途採用の場合、労働能力や試験結果じゃなくて前の会社
の給料で新しい給料が決るという現実がある。つまり、実際はむりだが、無限に
転職を繰り返せばそれだけでその人の労賃は無限に上がるわけだw。
165処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 17:23:39 O
>>161
何がサービス労働主流の現代だ、この日経トレンド野郎め。
いい加減にしろって。
166処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 17:28:58 O
流動性の障害が国境なら、さっさと地球連邦政府作って国家主権を制限しちまったら
良いのさ。
167処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 17:31:25 O
全地球市民は連邦所得税を払う。累進課税でだぞ?
168処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 17:37:09 O
インターナショナル政党制にして全地球市民は等しく清き一票を投じる!
169処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 17:39:42 O
グローバリゼーションは素晴らしい!
170処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 17:47:08 O
何がクローバリズムだ、どいつもこいつもローカリズムむき出しのクセしやがって。
171処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 18:46:46 O
メイド喫茶が日本の基幹産業だと思ってる奴がマルクスなんか読んで分かるか、ヴォケ
172処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 20:36:46 O
マスメディアの垂れ流すペラペラした世の中のイメージを無批判に現実そのものとして
受け入れてしまってる時点で埋めがたい溝のある連中ってのはいる。
173考える名無しさん:2008/07/04(金) 20:38:23 0
30年前人類がアポロ号で月面着陸しまくったとか?
174処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 20:49:46 O
マスメディアが停止してしまうと現実そのものまで一緒に消滅しちまう
ような人種ってのは確かに存在している。
175考える名無しさん:2008/07/04(金) 20:49:57 0
初経ライダーは何をトチ狂ってるんだ。
オメーの夢想してるレベルの国境なんぞ
とっくのとうに"資本"が超えちまってるぜ。
176処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 23:04:36 O
軍事力込みでだろ?
177処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 23:06:56 O
サミット会場にアメリカは百人の軍隊を送り込んで来た。

爆発テロがやりにくいだろう(怒
178処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 23:17:36 O
サービス労働が基幹産業だとか思ってる奴はマルクスの言うとおり商品は
交換価値にしか見えないんだろう。
179処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/07/04(金) 23:44:10 O
サービス残業はメイドの格好でやるんだろ。
180ラプラスの悪魔  ◆daemontaDA :2008/07/05(土) 00:26:00 0
>>179
アキバのメイドにモエモエしてるライダータンwww。

181ダバダ ◆CRCg9lmPYI :2008/07/05(土) 08:47:49 0
しかし世界はほんとに小さくなりましたね。
原油高騰で世界中が一斉にインフレになっている。
この共時性。
182考える名無しさん:2008/07/05(土) 11:09:46 0
地球はでっかいと思うが、経済圏は実に小さいと思う。
だって世界中の首脳陣が洞爺湖に集まるんだぜ。
グローバル経済は地球をつまらないものにしてゆく。
俺の興味は小さな村の文化・習俗ね。乱立するビル群よりはるかに宇宙的だ。
そういえば砂漠の上に都市が出現したらしいな。(ドバイ)
でもそこのやり手も何もない砂漠にこそ故郷を感じると言う。
人間なんて変わらんものさ。


この原油高の中、中東ではまるでドブ川のようにカネが流れているのだろうなぁ。
183考える名無しさん:2008/07/05(土) 13:42:39 0
>>178
数字はよう知らんけど、サービス産業というか
第3次産業のGDPは1次産業と2次産業の合計より
大きな数字を上げていたと記憶するけど。
もしそうなら、第3次産業はわが国の立派な基幹産業とちゃう?
184考える名無しさん:2008/07/05(土) 19:20:33 0
>>183
原始社会から狩猟・牧畜社会へ、それから農耕社会へ、そして手工業が発生し、
産業革命を経て、近代産業社会へと、経済社会は変遷してきた。
それはアダム・スミスが説いたように、労働の分割=社会的分業により、
生産諸力が上昇してゆく過程だった。この分業社会は、分業参加者への分配の仕方が
自由競争という見えざる手によって決定される社会だとスミスは言った。
185考える名無しさん:2008/07/05(土) 19:43:45 0
>>184

社会をなして働く諸個人の賃金は労働価値説とはまったく関係ない。
もちろん、工場で働く労働者の賃金が労働者が作った剰余価値=利潤を
資本家に搾取されたあとのわずかな部分だなどとは全く主張することは
できない。この世はそのようには作られてはいない。
社会的分業による分配率によって賃金は決まる。
186考える名無しさん:2008/07/05(土) 19:51:26 0
>>183
サービス産業(要は第3次産業やな)は今や基幹産業やで。
今から25年ほど昔だったかいな、第3次産業のGDPが一位に踊りでたんは。
そん時くらいからやないか、あの吉本隆明はんが
サブカルとかに身よ寄せはったり、
『資本論』で救う価値があるんは価値形態論だけやでとか、
天皇制が無化されるのは日本がコメを生産しなくなった時からやないか、
なんて言説を振り撒き始めたんは。

187考える名無しさん:2008/07/05(土) 20:06:03 0
未開から、農耕文明へと日本を離陸させたのは弥生-ヤマト王権であった。
農耕から工業化社会へは、明治維新とマッカーサーで2段階踏み上がったが
その段階は終焉期に入っている。

188考える名無しさん:2008/07/06(日) 00:12:23 0
マルクスは資本主義の害毒から、労働者などの一般人を守るために共産主義を唱えた。
まさか、労働者や一般人で形成された共産党が、腐敗するとは考えなかった。
189考える名無しさん:2008/07/06(日) 00:23:52 0
権力や官僚は腐敗する。
これはマルクスを待つまでもない。
勿論、あらゆる革命の指導層も腐敗する。
190考える名無しさん:2008/07/06(日) 09:42:42 0
上の153のOFWのサービス労働(第3次産業)についての解釈が正しいのなら、
『資本論』は役立たずってことだよね。

191考える名無しさん:2008/07/06(日) 10:48:18 0
いまだに資本論で食ってる人はたくさんいるんだから、
充分役には立っている。
192考える名無しさん:2008/07/06(日) 22:20:08 0
OFWの言うことには気をつけたほうがいいよ。
基本的なところは正しいから、うっかりしていると騙される。
193考える名無しさん:2008/07/09(水) 01:24:01 0
OFWなんて西洋カブレの見本だな。しかも時代遅れだ。
遅れてないヤツもダメだが。

194考える名無しさん:2008/07/09(水) 04:46:41 0
基本に忠実と考えればいい
195考える名無しさん:2008/07/11(金) 09:29:32 0
>>193
オメーはヴォケか?
洋服着て、靴履いて、テレビ観て,等々、so on, etc.
オメーも含めてみ〜んな西洋カブレだろが。
洋物にマブレないで如何やって生活するんだよ。
更に言えば、コンピューターだって洋物だろが。

196考える名無しさん:2008/07/11(金) 13:37:19 0
>>1
何も間違えてないよww
197考える名無しさん:2008/07/11(金) 22:21:40 0
ってか、OFWは別に資本論の記述とサービス商品の存在とが矛盾するとは
言ってないが。
有体物としての商品もサービスとしての商品も本質は同じ。
まあ、OFWは文章力がないから誤解されるのは仕方ないが。
198考える名無しさん:2008/07/12(土) 17:51:24 0
>>197
うえのコピペを読むと、
『サービス労働の成果が譲渡可能なモノ(*1)ではない以上、
 本来サービス提供は商品には成り得ないのである。』
ってなってるじゃん。
確かに、OFWってヒトは"資本論と矛盾する"って言ってないよね。
でも、サービス(提供)は商品じゃないってハッキリ言ってるよね。
つまり、サービス(提供)労働は資本論では扱ってないってOFWってヒトは
言ってるんと違うの?
199考える名無しさん:2008/07/12(土) 22:33:08 0
商品を消費されれるべき「モノ」(サービスやコピー可能な情報・音楽・映像は含まれない)
(といっても市場を商品として動き続ける限りにおいて商品であって、最終消費者の手に
渡るや否や商品であることをやめるのだが)
として考える限りにおいては、現行経済の商品観念とは矛盾するわけである。
200考える名無しさん:2008/07/12(土) 22:48:36 0
希少性が市場を形成する。
昔は井戸水はタダだったが、現在は水道水は有料である。
CO2 ですら(過剰性によって負の)市場を形成しつつある。

201考える名無しさん:2008/07/12(土) 22:56:06 0
>>200
強引。
水:今も昔も自分で汲む分にはタダ。水が十分取れないところであえて生活
したり、浄水した水しか得られないところで生活する人はお金を払っても
他人に飲める水を運んできてもらうことになって有料になってるだけ。
CO2:自分でかんがえろ。
202考える名無しさん:2008/07/12(土) 23:26:49 0
>>201
産業社会の発達や、人口増大で
飲用に適した井戸水が乏しくなったわけだろ。

>水が十分取れないところであえて生活
>したり、浄水した水しか得られないところで生活する人はお金を払っても
>他人に飲める水を運んできてもらうことになって有料になってる

これこそ希少性だろ


203ラプラスの悪魔  ◆daemontaDA :2008/07/13(日) 06:48:36 0
>>200
今でも井戸水はただだけどね?。
204考える名無しさん:2008/07/13(日) 09:44:32 0
>>203
場所にもよるち、飲料には適さないってのもあるがね。
時期的には、スイカを冷やしとくには格好だけんどね。
205考える名無しさん:2008/07/13(日) 13:46:40 0
水道業は公共サービスで、市場価格じゃないよ
206考える名無しさん:2008/07/16(水) 22:32:53 0
廣松渉の『今こそマルクスを読み返す』を読み返していて、ふと思ったんだけど、
共産主義になるとパチンコとか禁止になるのかね?
ま、パチンカスは死んでいいと思うので俺は禁止でもいいんだけど。
207考える名無しさん:2008/07/17(木) 02:25:43 0
>>206
 仮に共産主義計画経済の運営を「ハードタイプ」と「ソフトタイプ」に分けるとすると、廣松氏の構想は極度の「ソフトタイプ」に属する。
 というかむしろ、ウェーバー等の計画経済原理的不可能論への彼なりの回答があの著作なのだろう。

 あのようなソフトタイプを採った場合でも、賭博は中毒性を有するから規制されるだろうが、方法論的にはやはり「健全娯楽」へのソフトなアウフヘーベンが指向されることになるだろう。例えば・・・

・事業(中央競馬会、パチンコ屋等。国によってはチェス・カフェ等も対象。)の一時的なプロレタリア国家の手への集中。
・同時に、経営の労働者統制。(実質的に漸次「社会的監督」に移行。)
・「利潤」の原則的廃止=利益の事業存立可能最低ラインへの引き下げ。
・配当金・配当物品の上限設定、次いで当該社会において「健全」と認められるラインへの漸進的引き下げ。
・次いで、各事業の共同クラブ化。(当該単位社会の旧賭博事業を単位娯楽クラブが運営する。クラブ会員が全費用を負担。会員のみがベティングに参加できることとする。社会による監督を継続。)
・将来的に、共同クラブが入会者減、退会者・死亡者増により衰退に向かう場合は、自然消滅に任せる。
・当該社会において事業が賭博中毒の根源とならなくなるほど健全化した時点で、社会的監視を一般的な競技(囲碁・将棋等)クラブへのそれ並みに緩除する。

など。
208考える名無しさん:2008/07/17(木) 21:35:33 0
>>207
なるほどー、マルクス主義も歴史が長いだけあって、
大抵の疑問には答えが用意されてるんだね。
209考える名無しさん:2008/07/18(金) 00:39:07 0
山手線乗ってたら液晶パネルの脇にマルクスの肖像が張り出されていた。
思わず携帯のカメラで撮ってしまったが、誰が貼ったんだw
210考える名無しさん:2008/07/20(日) 19:07:49 0
20世紀のコミュニズムが同一性だったとすれば、21世紀のコミュニズムは相似性である。
理論、概念の共有から技術、実践の共有へ。プラトン的共産主義(デーモン)からマルクス的共産主義(カオス)への移行である。
21世紀のコミュニズムが偏在する存在(超越者)を求めず、遍在する存在(観察者?)を求める。
システム(同一性)というよりネットワーク(相似性?)だろう。倉庫から風船に供給主体が変わる。
今までの共産主義(原始共産制を含め)も集合が中央(目的)を共有する惑星的共産主義というもので、
今求められてるのが中央を介さず共有できるP2P的宇宙的共産主義である。
新しいコミュニズムにブランショやナンシーが解釈学を考えていたが、
情報理論(自然科学)のコードモデルに基く共産主義に対抗するのであればプラトン的世界、ユートピアや天国を描かず、
常に共有を生むことが重要である。それがネグリの言うディーストピアに希望を見出すことだ。解釈学というとフラクタル
や自己相似性を説くだのが、解釈には縮小と拡大がある(宇宙的膨張収縮)。これによって本質を共有させることができるのだ。
相似性といえば生物学で機能や器官を共有しつつ、祖先を共有しないことを言う。近代の歴史論争の焦点は「共通祖先」だった。
どこが故郷かといった類だ。還元主義である。21世紀である現代、この祖先崇拝からまず抜け出すべきだ。
共産主義は本当に悪なの?2スレでも言ったように資本主義も原始共産主義の延長にあるものである。
これはコモンズの悲劇で証明された。つまり、資本主義もアジア的生産様式と同様、原始共産主義の延長にあり、
「共有物」という前提で外部経済的に「競争」(搾取と収奪、競産)を認めるのだ。この様式は共有結合の極端な場合であるイオン結合や古典力学に近いだろう。
マルクスも言っているが、「算術」はウェーバーが指摘する通り確かにプラトン以来から共産主義的であるが、計算貨幣機能は資本主義にも言えることだ。
市場機構という計算価格貨幣機構によって経済主体は完全に情報を共有し、尺度を共有することで共有のもの(貨幣)に置き換え、それらの間での計算を可能にする。
そして企業は自らの五カ年計画で動いているのだ。それは人工市場(または合理的期待学派、準マルクス主義者ロバート・ルーカスや「一種の共産主義」と言ったトマス・サージェントなど)にも関係する。
211考える名無しさん:2008/07/20(日) 19:09:18 0
つまり、自然基底に疎外された上で成立している。今日の疎外態といえば貨幣というマルクスの亡霊で言われた不老不死の幽霊である。
それが人間性を疎外した幻想である神や君主や貨幣や市場であり、 象徴(シンボル)の共有である。モノマニアやフェティシズムという原始共産制の
慣習が資本主義でもより見られる。例えばメラネシアの原始共産制に見られるカーゴカルトが 資本主義のカタログ志向に見られるのだ。
社会が分化し、自己完結した生活が極限に達したものであるのがオタクである。 オタクは心理学で捉えるべきで無くアニメ・ゲーム・インターネット・
食べ物・漫画といった物質的関心を示す。資本主義社会の熱心な消費者でもあり(データベース的動物でクリエイティブさに欠けるところがある)、 労働
生産者で供給主体である親がいる(親がプロレタリア(子持ち)だからプロレタリアの所産ということか)。一方でオタクというのも前述のモノマニアであり、
ラフ(自然)を好み、コミュニティやメシアニズムに傾斜することがある。歴史的に見ればヒッピー(理想主義者)とオタク(仙人)は連続している。
その未開性がたえず知を求める遊牧民的で攻撃的、ハッカーのオープンソースの乱交的様相に見られる。では、常民であるオタクと遊牧民である
ニートに何故私たちが似た印象を持ってしまうのか。ノマド的にオープンで、農耕民族的にクローズ。
この性質を矛盾無く共有しているからであり、資本主義の産物である。
この象徴の共有から行為の共有にするのが共産主義革命である。
212考える名無しさん:2008/07/20(日) 19:10:08 0
これで記号、表象、形式の操作の段階から解釈学や現象学の段階に移行するのである。
人工知能でも自己完結モデル(デカルト的器官機械論)から社会的存在モデル(柄谷行人が言うマルクス的機械器官論)に移行している。
古代でも「文字の共有」というより「解釈」によってロストテクノロジーが発達した。これも物理法則を共有している(結果が出る)から解釈ができるのだ。
様式や仕様を共有しつつ、個性が多くある。複雑系である。 例えば歩くことも各人目的が違うが、手段として共有している。
今日資本主義で交換手段を共有し、貨幣の共同体を形成しているが、 生産手段が共有されてるだろうか。
20世紀が社会主義(マルクス主義とそのカリカチュアと偽キリスト)の世紀であり、唯物論の世紀でもあったこと、21世紀が生命の世紀であることを私も認める。
といっても生気論を認めるわけではない。デカルトの器官機械論とマルクスの機械器官論がジンテーゼ(シームレス)されただけだ。
20世紀のコミュニズムが民族や戦争という同一性の鬼子によって分裂したとすれば、21世紀のコミュニズムも相似性を獲得するべきだ。
「神聖な同盟」の「法王とツァー、メッテルニヒとギゾー、フランスの急進派とドイツの密偵」もどんどん虱潰しで神のリスト(神的暴力)から消されてゆく、
いや今じゃ「資本と国家と宗教」の結託だろうか、国際主義も唯物論も階級闘争も正しいから反動勢力だろう。
カオスも決定論ヤハウェの手にある。歴史の歯車がいつものように動いているのだ。宇宙の自己相似性(フラクタル)から人類が生まれた。
唯我論的シミュレーションで私の都合を他が共有しているからでない。宇宙と自我が一部の情報を共有しているのだ。
共鳴(コヒーレンス)、共振(シンパ)によって自己組織(オルグ)、進化する。私はSFではシェアード・ワールド(世界の共有)を好むが、
どうやらパラレルと媒体を共有することでコネクトすることが今日求められてるようだ。そして21世紀のコミュニズムがもたらすのがクオリアという新しいカオスの共有であり、
共同主観の客観化である。
213考える名無しさん:2008/07/20(日) 19:11:22 0
「万人に対する万人の闘い」と言ったホッブズも一種の共産主義者である。 ルソーと同じように自然が共有されているものだと認めていた。
人工的機械たるコモン・ウェルズ、これもそのまんま訳せば「共有財産」である。
機械的システム(例えばロボット)というのも部品(下部構造)が独立しつつ、共通した目的により組み立てられる(社会心理学による「集団」の定義と似ている)。
唯物論的原子論的個人を前提としたホッブズのコモンウェルズもこれだろう(構造機能分析のパーソンズだと「価値の共有」)
しかし、古典力学的自然観から共有であるが故に力が及ぶ限り闘うとした。ギリシアの神々の共有地をめぐる戦いを思い起こす。実はこの世界観はカントにもあったのだ。カントはこれを根源的共有態と呼んでいる。これはよく資本主義者に「機会の平等」と言い換えられるが。
スペンサーやミルが共産主義に近かったのも頷ける。この「狭い共産主義」が「広い共産主義」に変わるのが量子物理学の時代だ。
共有結合やラジカル反応がわからなかったあの時代、マルクス・エンゲルスが唯物論という科学観を明確にし、資本主義を徹底解剖しつつ、共産主義の大枠しか示さなかったのは正解だ。
214考える名無しさん:2008/07/20(日) 20:28:10 0
共産主義とは超文明である。
それはもはや「文明」ではない。
つまり、「文」(文字)が明かされぬ共同体である。
クオリアや感覚の共有である。
215考える名無しさん:2008/07/20(日) 20:49:07 0
>>207
唯物史観を再確認しておく。社会は有機体ではなく、機械である(ルソーやホッブズ、マルクスらの社会契約ゲーム)。
下部構造(下位システム、土台)の役割が大きい。
これをインフラストラクチャー(交通様式)と呼ぶ。学校、港湾、道路、病院、水道、ガスも下部構造であり、共有物(公共物)である。
資本主義の公共投資も共産主義の公共事業も「共有財産の強化」という点で共通するが、
後者が個人の家まで及ぶ私有の廃止も含めるのに対して、前者の場合、制限や規制だけだった。
そういえば世界最初の公営集合住宅というのもカール・マルクス・ホーフだった。
コンビナート、それに集団農場。

冷戦も計画経済同士の戦いと言われ、焦点だったのも経済というより政治だった。計画経済も世界恐慌に耐え、宇宙開発や都市計画で効果を出したが、
サービス業では消費者を軽視して製品の質が粗末であった(人間工学の視点が欠けるということか)。
アメリカじゃ消費者運動が起きたが、ソ連だと抑圧された。この構造の終わりごろだと軍需から民需への転換が見えてくる。

下部構造の概念が大きく変わるのがインターネットである。これにより通信インフラやITインフラへとシフトし、かつての重厚長大産業に代わる。
ここで着目すべきが共有財産という意識が保持されるどころか、高められたことだ。20世紀前半、資本論の「総需要は有限」に基く計画経済が出てきたが、
後半だと「成長は無限」に基くニューエコノミー論が出てきた。コジェーブが言った共産主義の「必要に応じて受け取る」段階にとりあえず人類は移行したようだ。
土地や設備という下部構造に対する「資金の無限」でバブルが起きた。21世紀だと古典派経済学の「自然の無限」が、共有地の悲劇である環境問題や食糧危機で崩壊した。
私として「人間が自然に疎外されて環境を管理できておらず、搾取に対する自然の反乱が起こった」と考える。といっても情報の無限(IT技術)があるから資本主義がハードからソフトに移るだけだと言う。
この「創造的資本主義」がコミュニズムという妖怪をうまく飼う、いや揺り籠で静めることができるか。いずれ資本家もあらゆる事業から撤退するだろう。老人のように砦をつくってマルクスの亡霊におびえるか、
奴隷制の主人や封建制の王、かつての亡者とともに歴史の眠りにつくか。
216考える名無しさん:2008/07/20(日) 21:14:31 0
( ・3・)love the world
http://jp.youtube.com/watch?v=qAdU2wm7yp0







糞2ちゃんばっかやってないで
明日はデートでも行ってこい
217NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/20(日) 21:19:02 0
実情は資本主義の皮を被った、神の名の下における社会主義ですね
縁起より導けます
初めの生命が起こる→それが神として永遠に君臨し被造物を従える
218ラプラスの悪魔  ◆daemontaDA :2008/07/20(日) 21:55:32 0
>>217
その論調で行くとなると、中国は何主義になるんだねw。
219NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/20(日) 22:00:30 0
中国も何も地球上の国家全てがゴマすり国家ですよ
神の目から見ると屈強なマッチョも
幸せを運んでくれるのを待つシンデレラに
見えると言う話です
ま、原初微生物
つまりアルファでありオメガである者は
最初から征服者ですよ
220ラプラスの悪魔  ◆daemontaDA :2008/07/20(日) 22:06:31 0
何主義かなといいてるのになぁ。
レスが漁って過ぎるよw。
まぁでも、面白いレスをしてくれれば何でもありだけれども。
221NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/20(日) 22:11:30 0
なるほど、
中国は社会主義の皮を被った、悪魔の宣伝担当主義ですね
無神論ですからね
222考える名無しさん:2008/07/20(日) 22:27:16 0
無神論は違うでしょ
マルクスは、超資本主義時代の到来は
さすがに予測できなかった。そこにつきる
(こんな話とっくに終了してる議論だけどあえて)
さて、この話ついてこれるヤツどこにいるの?
223ラプラスの悪魔  ◆daemontaDA :2008/07/20(日) 23:50:40 0
>>222
それで話は完結してるだろw。

人ってのは愚かだ、目の前でちらついた札束を見て
砂のひかれたトラックを周回するレースをするんだろw。

ぐりゅんぐりゅぅん。
224考える名無しさん:2008/07/21(月) 02:14:28 0
飢えた人には思想など何の役にも立たない。
それがマルクスの出発点だったろうか?
225考える名無しさん:2008/07/21(月) 08:36:23 0
プロレタリアートの心臓と哲学者の頭脳って言ってたから違うと思う。
226ラプラスの悪魔  ◆daemontaDA :2008/07/21(月) 09:22:15 0
マルクスも心理学を学んでいればもうちょっと
完成された社会主義を創造する事ができたろうに。

片手落ちなんだよねw。
227NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/21(月) 12:32:10 0
選挙管理委員会を国が支配している以上
選挙は見せ掛けで民主主義なんてものはどこにもないんですよ
228考える名無しさん:2008/07/24(木) 08:18:07 0
地球破壊を止めたければ唯物論と経済人たることを棄てないことである。経済とはオイコノモスであるが、家計を指した。
家族が共産主義的であることはアリストテレスやヴェーバーを始め多く認められてる。つまり、「活動」より「計画」、「外部」より「内部」が経済の本質である。
経済活動というと自然の資源を生産(改造・変形)して消費したら放出する(物質代謝)。放出したことから階級の自然成長(所産としてのプロレタリア)、ミュータントの反乱が起こる(スペースデブリ、公害)。

「人間たちが自然成長的な社会にある限り・・・人間自身の行為が、彼にとって、疎遠な対立する力となり、彼がこの力を支配するのではなく、この力が彼を抑えつける」(byマルクス)

ロボットにせよミュータントにせよ階級や疎外者(Ailen)を外部に作らず、リサイクル(環帰)を重視すべきである。
「自然成長的形態は、共産主義革命によって・・・制御と意識的支配へ変えられる」。マルクスが批判した無歴史的思考とは無媒介的無関係的無規定的のことである。
「あらゆるものが繋がっている」(何かを共有している)という考えが重要である。物理学でいえば大統一理論、哲学でいえばマルクス主義という「大きな物語」。分業的研究より学際的研究。
環境が大切と思うのであれば経済人であるべきである。ここで言う経済人が狭い経済人(商人や企業の計算合理性の限界)を指すわけではない。
インドに見られるような「自然の支配者である人間が猿のハヌマーンや牝牛のサッパラにひざまずいて礼拝する・・・堕落した自然崇拝」では環境破壊と一緒である(牛のゲップは温暖化を促進する)。
コモンズの悲劇でわかったように自然は資本主義だろうと社会主義だろうと共有地であり、疎外(外部不経済)から包摂(内部化)させるべきである。この競合的共産主義(資本主義)と疎外態の共産主義
(ソビエト共産主義)のジンテーゼを示す。まず個人単位の私的消費を共同的計画的消費に揚棄する。最適排出量を義務付けると同時に生産ノルマを義務付ける(権利を与えるのでもよし)。
自己完結(閉鎖系)から自己組織(開放系)のコミュニズムを考えるべきである。
229考える名無しさん:2008/07/24(木) 08:20:09 0
共産主義に最早時計台というある種の同期(時間共有)共有の司令塔、スパルタの軍隊式共産制、19世紀の時刻表やHGウェルズのタイムマシンの絶対時間の共有も必要はない。
インターネットや携帯電話という非同期共有のコミュニケーション機器があるからだ。
科学は法則や実践を共有しても信念を共有せず(クーン)。例えば生物は複雑でも物理的保存則と物質とエネルギーの転換を共有している。
共産主義はその絶対運動的プラトン主義的体質からイデオロギーや目的を共有化し過ぎた(党、国家、洗脳)。
資本主義の利点(思考や個性の自由があること)を受け継ぐために
看板ではなく、マルクスが視点としたシステム・構造・様式を変えるべきだ。
一者本質(共通の祖先・自然・神・国家・貨幣)を還元主義的に共有するのではなく(疎外)、創発すべきだ。
230考える名無しさん:2008/07/24(木) 08:42:56 0
共産主義の神髄は多即一にあった。
多くものが一を共有する、私のものもあなたのもの、あなたものも私のものですと。
頭の中で色々な考えがあってもそれは一の口を共有する。建物でも各々来る目的が違っても入り口を共有する。
あなたは色々な物を食べても口から入れ、一つの肛門から出る。
神は色々な同位体化身を持ちつつ、一つの意識を共有する。聖書も瞑想も神と共有したいがためにある。
所有と共有も神・統制側からすれば同一である。
神はローマ人が言ったプロレタリアート(子だけを持つもの)である。兄弟だろうと姉妹だろうと私の子であるように、あらゆるものが神にとって財産である。
神は人間にとって究極の疎外にして疎外を超えられた存在でもある。
しかし、金属結合のようにあらゆる原子があらゆる電子を共有するということが一番望ましい。
231考える名無しさん:2008/07/24(木) 08:44:11 0
それがネグリの言う単一とマルチチュードだろう
232考える名無しさん:2008/07/24(木) 08:45:09 O
>>226

> マルクスも心理学を学んでいればもうちょっと
> 完成された社会主義を創造する事ができたろうに。

> 片手落ちなんだよねw。

なんか、マルクスとマルクス主義というのは随分違うらしいが。
キリストとキリスト教、教会が随分違うというのと同じでね。
かなり利用されちゃったらしい。
片手落ちなのはマルクス主義者の方だという話もあるわけよ。
例えばフロムはマルクスをイエスやブッダと同列視してるようだ。
偉大な人間というのは、大概誤解されて、恣意的に利用されてしまうんだよね。
233考える名無しさん:2008/07/24(木) 09:32:36 0
交換というのは実は共有に近い。
この交換は商品のエクスチェンジではなく、コミュテーションである。
大概の数に交換関係があるし、交換から力や相互作用が生じる。
量子力学は表と裏というもの、個別性を追放し、 原子も性質を共有していることを説いたのだ。
マルクスは固有(個体的所有)を否定したことも無いし、私的所有を批判したのだ。
コミュテーション=加法群であるが、今日不確定性原理や不完全性定理があるように現実の社会は絶対ではない。
かつてプラトンの共産主義にインスピレーションを与えたピタゴラス教団は無理数が計算できないから発見したものは殺していたといわれる。
実際の社会は乗法群が多い。有理数や実数が重要である。 つまり、アソシエーション(結合)が重要である。
234考える名無しさん:2008/07/24(木) 11:33:34 0
誰が地球破壊を止めたいんよ?
破壊に破壊を続けさせて、地球壊滅にまで持っていこうぜ。
どうせ短い人生じゃんかよ。
235考える名無しさん:2008/07/25(金) 18:38:32 0
共産党宣言の「生産力の反乱」と労働者の反乱は疎外である。
資本主義は疎外を必然的に放出し、
共産主義によって初めて疎外を解消できる。
236考える名無しさん:2008/07/25(金) 18:47:21 0
ユートピア(プラトン的アイディアリズム、亡霊、仮象)、特に人間学的それは
客体と主体の同一性、
共有性である
237NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/07/25(金) 19:56:53 0
贅沢は敵だ贅沢は敵だ贅沢は敵だ贅沢は敵だ贅沢は敵だ贅沢は敵だ贅沢は敵だ
限りある資源を独占するものに罪の報酬を
贅沢は敵だ贅沢は敵だ贅沢は敵だ贅沢は敵だ贅沢は敵だ贅沢は敵だ贅沢は敵だ

238考える名無しさん:2008/07/25(金) 20:18:28 0
共有にも色々あるでしょ、法律でも合有と総有と個人主義的共有がある。
共生でもこんだけ種類がある↓
マルクス共産主義の場合、ブルジョアとプロレタリアートの戦争を訴えて、
プロレタリアートだけの共生を謳ったから、片方だろうね(その為にヘゲモニーという言葉がある)

相利共生(そうり - ) … 双方の生物種がこの関係で利益を得る場合
片利共生(へんり - ) … 片方のみが利益を得る場合
片害共生(へんがい - ) … 片方のみが不利益を被る場合
寄生(きせい) … 片方のみが利益を得、相手方が不利益を被る場合
239考える名無しさん:2008/07/25(金) 20:23:56 0
「情」を「知」で扱おうとするとき、「ラベル・記号」としての「言葉」を貼り付けることで、「意味」の共有化を図ろうとする。

しかしながら、「対象物」を共有化できる「静的なもの」ではなく、
「情」レベルで扱われるものは「対象物」が存在しない「方向性のみ」を共有できる「動的なもの」である。
数学で言えば、関数と導関数、点とベクトル、に相当する。

「知」は、ありとあらゆるものに「記号・符号・ラベル」を貼り付けるため、同一次元で扱おうとする傾向に陥ってしまう。
それゆえに、「語りえぬもの」が一つのレベルに対してであるかのごとく錯覚に陥ってしまいがちになるが、
本来「固有名」として扱い得ないものに「記号・ラベル」を貼り付けている以上、2重の意味で「語りえぬもの」
(郵便的、存在論的)を扱うことになってしまうのだろう。そういった、「知」にとっての対象としての「情」は、
「知」と並列し、「知」の外にあり、「知」と相互作用するように見える。

しかしながら、「情」の本質は、「知」と、そして「意」を含む「その他」と折り重なりながら相補的に「このわたしのこの」心を作り出すと共に、
「動的」であるがゆえ、「他者・外部」との連続性・共感・共生を維持するに、必要不可欠だということである。

「情」を伴わない「知」は「知」たりえず、「知」をともなわない「情」は「情」たりえない。
「知」は静的であり、「情」は動的である。

注意すべきは、「方向性」のみが共有可能な「情」に対して、「知」がラヴェリングを行ったとき、
その「仮想の対象物」に「共有可能性」を見出したとき、「宗教」が始まるであろう。ということである。

情に方向性があるというとき、対象物の有無は関係しない。
個々に異なる対象物がある(主観的な要因が強い)場合に対し、その方向性のみが普遍化(記号化)され共有化される段階で、
対象物がない状態(客観的な要因が強い)へと変化する。
上記「対象物が存在しない」とは、まさに、そのような状況について記述している。
したがって、共有化された情の指し示す先に、何らかの対象物を想定したならば、それは、たとえ存在しなくても存在物として扱われ、
宗教的な意味合いの強いモニュメントになるであろう。
240考える名無しさん:2008/07/25(金) 21:21:19 0
共産主義が権力と化すのは簡単。要するに「主と奴の弁証法」。
「今日から共産主義だから一個の公衆便所を皆さんと共有しましょう」としたとする。
するとやがて公衆便所が自我に目覚めて「平等に接してやるんだから俺を掃除しろよ」と強制してくる。
市民の共有された意思(一般意思)の所有物だった国家が人格神と変わる歴史、
男どもの「産む機械」だった女性が女王蟻の鬼嫁と化す経験、
研究員がリソースの共有に利用していたメインコンピュータが自意識に目覚めて人間に命令をしてくるというSF、
資本家が労働者を従えていたのが、生産手段という資本家の心臓を握っていることに目覚めた労働者が会社を乗っ取るというプロレタリア文学。
241考える名無しさん:2008/07/25(金) 22:13:30 0
エイリアン(疎外された者Alien)が来襲するぞエイリアンが来襲するぞエイリアンが来襲するぞ
かつて月は夜を照らす天然の共有物だったが、奴隷制の王たちによって象徴共有神に変わり、人類に君臨した。
しかし、今や偉大なブルジョアが月を征服してしまった!
愚かなことに貨幣のような不老不死を望むブルジョアは次の支配階級を育ててしまっているのだ。
エイリアンはやってくる。われらの中から。
エイリアンが来襲するぞエイリアンが来襲するぞエイリアンが来襲するぞエイリアンが来襲するぞ
242考える名無しさん:2008/07/25(金) 22:32:35 O
違法派遣VS労働者すっどれを2CHにたてずなをかつ書籍化されなかったことだな
243考える名無しさん:2008/07/26(土) 07:03:23 0
ああ、いいな。
234サンみたいな捨て鉢的な考えっていいですね。
大好きですね。
面白おかしく生きて、そのまま死にましょうよ。
子供や子孫の未来のことなんぞを引き合いに出す方々もおりますが、
そんなことは連中が自分で考えればいいことですよ。
244考える名無しさん:2008/07/27(日) 06:29:40 0
プラトンの西洋思想、西洋が没落した20世紀のレーニンの東洋的思想を超えた宇宙的共産主義が望まれる
245考える名無しさん:2008/07/27(日) 06:53:40 0
マルクスの間違い
人間の不完全さ、醜さを量り間違えた。
論理が限りなく完璧に近くとも、それを実践する人間が不完全なんだよな。
まずその不完全さから出発しなければならない。
246考える名無しさん:2008/07/27(日) 08:05:56 0
論理も破綻しているし人間観も浅薄
247考える名無しさん:2008/07/28(月) 01:16:28 0
マルクスが悪いんじゃない。
マルクスの理想を実現できない我々が悪いのだ。
248考える名無しさん:2008/07/28(月) 10:03:53 0
マルクスが説いた重層的決定は重層的世界、つまり、パラレルワールドだと思うんですね。
世界は階級と階層(社会でいえば分業とか私有地ね)でできていると。しかし、どこかで法則だったり接点を共有している。
解釈学だろうが本質があり、それを縮小と拡大という運動によって重ねるわけだ。コヒーレンスね。
複数の時系列が、1本の回線を共有していると考える。
これを生産力の進歩(あらゆる次元へのコネクトアクセス)によって階級を弁証法的綜合打倒し、唯一者(ユダヤ的メシア、ヤハウェ)たれと。
完全情報を持ちすべての個人的経験を時間順序に従って正確に記憶し共有しあう
ラプラスの悪魔だとかマクスウェルのデーモンが居れば共産主義も計画経済も可能だけどね〜
249考える名無しさん:2008/07/28(月) 10:30:43 0
資本主義を極端にテクノロジカル、システマティックで見たら共産主義になるという珍現象
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/shunju.html
脳という共産主義システム(並列分散共有処理型)
http://wiredvision.jp/archives/200210/2002102105.html
人間の欲望というのは刺激ってことですね、生物的刺激。
レーニン同志が言ったように人間はただのパヴロフの犬。
細胞や分子レベルじゃ共有こそが第一。
250考える名無しさん:2008/07/28(月) 12:29:23 0
神がいるとしたらこの世界はある目的によって組み立てられた機械である。
われらは自己完結的に見えて実際のところは
神の計画を共有しているのだ。
251考える名無しさん:2008/07/28(月) 12:31:37 0
>>250
最初は
「神がいるとしたらこの」
って仮定してるのに、
最後は実際のところは
「神の計画を共有しているのだ。」
って紙がいることになってるよ。

252考える名無しさん:2008/07/28(月) 12:39:28 0
ということは哲人王はアルキタス的機械学者だのう
253考える名無しさん:2008/07/28(月) 12:41:19 0
人工機械人間コモンウェルス(共有利益)を引用すればいいものを・・・
254考える名無しさん:2008/07/28(月) 12:49:51 0
神を持ち出さなくても人間は行動レベルでプログラムを共有している
255考える名無しさん:2008/07/29(火) 04:22:23 0
自分の目的のためであればメフィストフェレスに魂を売れる人間は山ほど世の中にいるだろう。
いや今も魂にあたいする私有財産が数字の地獄に投じられ、悪魔たちの財布に落っことすのだ。市場は神ではない。悪魔だ。
気まぐれで、約束しない。今日の資本主義は魅力的だ。幻想の現状に満足してしまう。しかし、どうだい、体や魂を売るくらいであれば一度その私有財産を預けてみようか、
共産主義に。それはメフィストフェレスより永遠で確かであるものを約束するだろう。
256考える名無しさん:2008/07/29(火) 07:20:31 O

 人間の本能を考慮しなかった。

  自分だけが金持ちになりたい。
257考える名無しさん:2008/07/29(火) 11:31:26 0
共産主義社会になればニートは存在できなくなるから良いね
258考える名無しさん:2008/07/29(火) 13:01:21 0
>>257
ニートを含めた賃労働者は確かにいなくなる。
その変わり、彼らは全て共産党の奴隷になるのさ。
259考える名無しさん:2008/07/29(火) 13:11:13 0
ニートは収容所逝きか死刑だよね
260考える名無しさん:2008/07/29(火) 19:30:56 0
わかってない。
現在の政治思想は全て権力者の為だけのものだ。
資本主義も共産主義も、権力圏外の人々にとっては同じようなものだ。
民主主義?理想だ。
わからないように利用されて終わりだ。
アナキズムにこそ救いはあるんだよ。
261考える名無しさん:2008/07/29(火) 20:35:37 0
アナーキズムというとバイオレンスジャックとか北斗の拳の世界しか思い浮かばん
262考える名無しさん:2008/07/29(火) 20:49:23 0
結局レーニンって「働く=喜び」としかとらえられなかったんじゃないの?
263ラプラスの悪魔  ◆daemontaDA :2008/07/29(火) 21:46:37 0
>>232
フッ。

キリストを理解するには当時の文化や当時の知識、
当時何に価値があり何に価値がないのかを理解しなければ、
彼等を理解できないよw。

マルクスも同じだよ。

時代が変わってマルクスが不要になっただけだろうがw。
何が恣意的な利用だよw。
264考える名無しさん:2008/07/30(水) 00:34:33 0
ちっ、純一かよ。
265考える名無しさん:2008/07/30(水) 04:31:11 0
>>263
無教養
266考える名無しさん:2008/07/30(水) 05:17:51 0
超越とは「分業」(範疇)や「私的所有」(わたくし)を越えたものである。
複数の種が分業していることを唯一でこなしてしまう生物が超越していると言えるのは分類目録を転覆しているからである。
共産主義もプラトン以来、ユートピア的社会工学の変遷で「超越」の概念が変わっていった。
それはある時は「神」であり、「民族」であり、「物理法則」であった。
そしてあらゆるものがその関係において超越を共有(共通)しているとされた。
このプラトン以来の形而上学を克服せなば次のコミュニズムも失敗する。
267考える名無しさん:2008/07/30(水) 05:23:02 0
このスレってマルクスの共産主義者宣言すら読んだことない奴ばっかりが書き込んでる感じだね
268考える名無しさん:2008/07/30(水) 05:52:53 0
>>267
それは要らない本だよ。
269考える名無しさん:2008/07/30(水) 06:07:56 0
共約不可能性が解けなければ共産主義は不可能
270考える名無しさん:2008/07/30(水) 08:27:11 0
共有とはあらゆるものの所有。
マルクスはブルーノ・バウアーを継承した。
お前のものは私のものであり、私のものはお前のもの。
その目的は無所有でもあるわけだ、だからアナキズムと共産主義はその始まりから表裏一体。
ゴドウィンの時からそう。ディオゲネスは正反対のプラトンのそれと似た婦子共産制を考えた。
しかし、人間は内部でも外部でも共同的動物であり、この世界は集合でできている。
だから神秘主義ではなく、唯物論を貫くべきとする。
271考える名無しさん:2008/07/30(水) 08:29:27 0
共有とは多くのものが一を有する。
言い換えれば、一が多くのものを有するとも言える。
多即一、一即多。これが神髄。
272考える名無しさん:2008/07/30(水) 08:50:45 0
しかし、多が多を有する21世紀のコミュニズムがやがて訪れるだろう。
惑星のようにコア(中心)を共有することは最早あるだろうか。
神や国家、重力(自然法則)、地球という運命を共有する必要があるだろうか。
生命はそもそも地から生まれたのではなく、宇宙から落っこちてきたかもしれないとうのに。
この地上に生まれし共通祖先たちに別れを告げよう。
この揺り籠から解放され、宇宙へと出る。
宇宙に中心は無い。まさに中央を介さず満たし共有する、P2Pである。
273考える名無しさん:2008/07/30(水) 09:49:15 0
ルソーの一般意思のようにマルクスは自己意識を一般知性にしてみせたのですね。
274考える名無しさん:2008/08/01(金) 02:02:57 0
コミュニズムは簡単に言えば二つの要素がある、それが「同一性」と「超越性」

まず同一性(共有性)
同一性は疎外論で肯定される。つまり、「あるべき理想の○○」の提示によって自己環帰させる。
プラトンのアトランティスやモアのユートピアに始まり、小説や神話にもよくある。
資本主義や精神異常者のユートピアだろうとそこに同一性がある。
これがイデア(理想)である。イデアとアイデンティティ(同一性)、さらにはイデオロギーも語源を共有している(マンハイム)。
生物だったら何かしらイデアを持っている。
自由自在を「思う通り」と言う。これは客体と主体が共通(同一)していることをあらわしている。

そして超越性(非同一性)
超越とは「基準」「枠」「私」「個」「分業」「所有」から出ていることである
これもプラトン以来の形而上学のものだが、マルクスはエピクロス主義者だからカントからそれを継承したと思われる。
マルクスの「各人が活動の排他的な領域をもつのではなく、むしろそれぞれの任意の部門で自分を発達させることが出来る共産主義社会」は万能
の想定と叩かれるが、これがインターナショナリズムの深層であり、「インター」「トランス」こそ革命(超越)であるのだ。
インターネットや携帯電話という非同期的コミュニケーションツールが
相対性があっても時空間を超越して共有できるという証明である。

簡単に言えば「同一」は下から上を見た視点であり、
「超越」は上から下を見た視点である。
例えば神がいたとしよう、
神は一般も特殊も超えてる。神から見れば誰も同一(犬だろうと車だろうと財産であり、姉妹だろうと兄弟だろうと子供であるように)である。
そして神を超越的に共有しているものたちはその前で平等であると。
275考える名無しさん:2008/08/01(金) 02:04:52 0
○「同一」は上から下を見た
×「超越」は下から上を見た
276考える名無しさん:2008/08/01(金) 21:38:01 0
>>274
それって神学のレゾンデートル。
277考える名無しさん:2008/08/02(土) 01:31:44 0
>>259
だから、ネット左翼がいないんだろうな。
278考える名無しさん:2008/08/02(土) 02:50:40 0
森鴎外のプラトンが何故共産主義者か云々って面白いね。
で、共産主義は必ずしも平等主義じゃないってことだった。
よく考えれば共有ってのは非対称でも対称でもあるわけだ。
やっぱり宗教からきているんだよね。プラトンってエジプトでユダヤ教に接した可能性あるでしょ?
んでこの可能性を説いてたフィロンって人がクムランの原始共産制を発見したわけだ。
さらに遡ればピタゴラスにまで辿りつくわけだ。計算可能性や算術に対する共産主義の執着ってここにあると思うね。
ここからヴェーバーの言う共産主義的家計、計画経済、合理的期待の「共産主義」が出てきた。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/shunju.html
もっと遡ればユダヤ教のカバラもあると思う。これが金融利子資本主義の古代バビロニアとセム族の記号・生命操作術にいくと思うんだね。
だから資本主義の計算貨幣機能と共産主義計画経済がそっくりに見えてしまうわけだ。両者が理想とする人間も商人のように抜け目が無い「経済人」(唯物主義者?)。
マルクスは中世やルネサンスのユートピア共産主義と違ってアナーキズムの系譜だね。
で、アナーキズムってのはプルードン以前は例外なく共産主義だったわけだ(ゴドウィンのように)。
ストア派もディオゲネスも財産や婦子の共有を唱えた。
そしてアナーキーを初めにまともに取り上げたのがパルメニデスだよね。
パルメニデスというのはピタゴラス教団の手先だった。
あの堅物のハキム・ベイも共産主義と神秘的無政府主義は殆ど一緒って言ってる。
シュメール、エジプト、マヤ、インカ、アトランティスの頃のギリシャ、私有を嫌った。
で、必ずしも「神」「王」といった支配と矛盾しないんだね。支配ってのは分配の表象。
カーゴ・カルトが財産の共有から生じたのもこれだったらわかる。
物理学で「権力」や「相互作用」というのも交換(エクスチェンジと違う、コミュテーション)から生じる。
279考える名無しさん:2008/08/02(土) 03:06:00 0
>資本主義の計算貨幣機能と共産主義計画経済がそっくり
だからマルクスは古典派経済学を学習した。エンゲルスも「唯物論は自然科学の分野でさえ画期的な発見がなされる度ごとに、唯物論はその形態を変えなければならない」としているね。
功利主義や快楽計算も遡ればやっぱりプラトン。
さらにマルクスは進化論まで取り入れたわけだけど、これはダーウィンというよりスペンサーの社会進化論に近いものだった。
で、スペンサーは「適者生存」という彼が作った言葉の通り右翼自由派に思われてるけど、
彼の最初の著作である社会静学は私有を扱下ろしたものだった。
でも国有化というか国家自体が大嫌いだった彼は後に私有擁護に回るわけだ。
(ちなみにマルクスと同じハイゲイト墓地の住人です)。
コモンズの悲劇のように生物学者は今のオープンソースみたいに乱交めいた共産制を嫌った部分があったけど、
よく考えればコモンズの計画化を説いてるわけで矛盾しない。

>物理学で「権力」や「相互作用」というのも交換(商品のエクスチェンジと違う、コミュテーション)から生じる。
権力への意志が消えちゃった今、
ホロン革命で「相互作用」が注目されてるでしょ?
これもマクロ経済学の調整されるクモの巣(計画経済)から
ミクロの分散共有のクモの巣(ウェブ)に移行しただけだと思うんだね。
今「リバタリアン」が持て囃されてるわけだけど、
この言葉を使ったのは実はアナーキストで、もっと言えばアナルココミュニストの人間だったわけだ。
さらにこの系譜にはアナキズムの先駆者からリベラリズムのジョン・スチュアート・ミルまでいる。
http://oll.libertyfund.org/?option=com_staticxt&staticfile=show.php%3Ftitle=1294&chapter=101528&layout=html&Itemid=27
280考える名無しさん:2008/08/02(土) 03:28:28 0
マルクスにはデリダも言うように死の論理が欠けているね。
んでこれはヘーゲルの「自己完結」の影響があると思う。
永遠の命を持つ貨幣や機械のように自己完結した「増殖なき固定資本」のイメージがある。
これを溶かすことができるのが金融だった。ユダヤ的錬金術ね。
で、マルクスは「機械の中の亡霊」(物憑き)から脱出せず、これが手におえなくなるものとして考えた。
つまり、交換手段(貨幣)の反乱(世界恐慌)であり、生産手段(機械)の反乱(ストライキや生産力の反乱)。
これは当時は結構流行していた所謂「フランケンシュタインコンプレックス」からきていると思う。
マルクスはあのバベッジから機械制工業の経済を研究していた。
その周辺にはシェリーのフランケンシュタイン、バイロンのラッダイト主義がある。
「増える」イメージはマルクスにもあったけど、それはあくまで産業革命のものだった。
だから無限の財を共有するというだけで自己組織化を掴めなかった。だから生命科学的視点を導入すべき。
281考える名無しさん:2008/08/02(土) 03:50:07 0
そうそうまさにフランケンシュタイン。
プロレタリアは新しい階級であったが、モーロックのように新しい種族でもあった。
ヴィリリオが言うようにプロレタリアも近代の所産であり、科学技術が生み出したのだ。
資本主義が労働者の個性を剥ぎ取り、試練や力を与えることが、むしろ組織化を可能とするとマルクスたちは述べる。
丸山真男もプロレタリアは資本主義の非情さの権化とも言っているね。アメコミのアンチヒーローみたいなもんだ。

「臍の緒を断ち切る」プロレタリアはまさにフランケンシュタインのものである。
そこではパリコミューン等の失敗した革命家や反乱者の呪怨が投影され、20世紀初頭に世界を震撼させるロシア革命として実った。
祖国を持たない労働者に人工的に故郷をつくってしまったソビエト連邦。それは今で言えばイスラエルに似ている。当時ロシア人は「半分人間」として嫌われた。さらに党の幹部とかにはユダヤ人が多かった。

そしてマルクスも形而上学的妖怪と資本の亡霊を追う余り、自らもその亡霊に憑かれてしまった。
反共主義者も強迫的にマルクスの亡霊たちであり、共産主義と大して変わらない、偽メシアやカリカルチュアだろう(マッカーシズムがその典型)。
転向した人々も本質は変わっていないように思える(例えばネオコンがそう)。

「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。」(byニーチェ)

ミイラ取りがミイラになる。
いやまさにレーニンはツタンカーメンのようにガラス張りのケースでミイラになってしまっているのだ!
レーニン蘇生計画というものがあったらしい。それはボグダーノフやテルミンに試みられたのだが、それはレーニンの共産主義は電化である!という言葉通りフランケンシュタインの如く直流蘇生だったのではないか。
282考える名無しさん:2008/08/02(土) 22:10:47 0
>>274
「インター」「トランス」「スーパー」は同じ革命でも違う。
コミュニズムは超越(偏在)から遍在(インター)にすべき。
われらはベンヤミンが言った「映画の大スクリーンを共有する」時代にいない。
映画館にいかずとも見れるからだ。これは超越のように見えるが実は違う、神が天から見せているのではなく、インタフェースを使っているのだ。
例えば映画館を時計台にして、インターフェースを腕時計にすればいい。今や「所」に制約されずに共有ができる。まさにインターナショナルである。
中央集権がますます不可能であり、ベンヤミンが喜びながらも恐れた事態は回避された。
そしてわれらはワイザー博士が言う環境に埋め込まれたマルチチュードのコンピュータが一人の人間を共有するユビキタスコンピューティングの時代を迎えるのだ。
これでネグリが言ったスピノザ(非超越的内在論)とマルクスが結ばれた。
283考える名無しさん:2008/08/03(日) 03:20:38 0
共産主義が反省すべき点
1.古典力学(階級の独占と収奪だけを認める極端な共有結合様式)
2.形而上学(現象からの超越ではなく、現象を直観すべき)
3.ユートピア的社会工学(空想的社会主義)

共産主義に導入すべき点
1.量子力学
電子を奪い合うのではなく、共有することで知能や生命があることの発見
2.ホロン革命
科学で部分の力ではなく、部分の相互作用が重視される。
3.ピースミール的社会工学
マルクスは「地獄への道は善意で舗装されている」として必要に応じて書くことが望ましいと考え、
プラトンのように共産主義の設計図を形而上学的に描くことを避けたし、エンゲルスが計画化等を書いた。
エンゲルスも「自然科学の分野でさえ画期的な発見がなされる度ごとに、唯物論はその形態を変えなけれ
ばならない」としている。

面白いことにケストラーもポッパーもマルクス主義に被れたことがあります。
マルクス主義に通じるものによる当時のマルクス主義への批判ですから何が欠けていたのかがわかります。
284考える名無しさん:2008/08/03(日) 03:30:56 0
惜しいことにマルクスが見ていた「生産」ってのも機械生産でした。
単一の母胎(巨大工場)を共有して共有規格生産を行うという。
重厚長大のイメージというか「場所」に制約されてしまうからレーニンの一国一工場型に結びつく。
そして計画経済もヘーゲル的自己完結型閉鎖系モデルです。
今までの官許マルクス主義者ってのはヘーゲル派だった。
それがスターリン主義、さらにジェンティーレのファシズム(実はファシズムの名づけ親はジェンティーレ)となった。
コジェーヴがマルクスが神でテイラー主義がその預言だって言いましたね。
コジェーヴもヘーゲル派だから最後はアメリカが共産主義だ!でした。
しかし、マルクスは進化論を導入したのが画期的、だから進化経済学の祖にマルクスが数えられる。
カオス的自律的相似的増殖によってピースミール張りぼてのクモの巣を組織化する。

今世紀注目される自己展開型市場がセル・オートマトンってやつです。自己増殖していく機械。
これが生物生産。ウィルスが増殖するのは遺伝子を共有するためです。
重要であるのが共産主義を今日の自由民主主義のように社会化すること。
どんな人間でも利用させるようにする。それが共有財産。
285考える名無しさん:2008/08/03(日) 03:32:10 0
今までの共有ってのも所有の中のものだったんです。
法律では一人以上が一つものを有したら共有と言うでしょ?
一即一が所有や私有だとすれば、多即一、一即多、多即多が共有と言えます。
さらにこの共有も種類があって合有とか総有があるんです。
しかし、このネットには組合やら国もありません。ですから狭義の共有です。個人主義的の。
で、この「集合有」と「総合有」がネグリが言う「単一」と「マルチチュード」の関係の悪いパターンです。
これも所有の非対称性に由来。だから収容所みたいに奴隷労働だったり、個人崇拝が出てきたんです。
例えばスターリンのものや共産党のもの、国のものとしてして共有したのがソ連でした。
これは重厚長大や公共有の財産だったら適用できましたが、私有財産だと違います、ですから彼らはそれを没収して倉庫やら長の財布に集中させて、
分配したのです。これはマルクスが批判した原始共産制の亡霊(カーゴカルト)そのものです。
古代史じゃ共産制の神権政治ってのもありました。
国家権力が消滅するということですが、もうそれも分配じゃないんです。
分配も支配と関わりがある言葉です。
物理学で説明しましたが、コミュテーションから力が生じるのです。
ですから権力と別の方法をとるとすると相互作用しかありません。
例えれば惑星が権力、宇宙が相互作用に当たります。
惑星はコア(中心)を共有した集まりですが、
宇宙は風船のように中心を持たず満たし合い共有します。
286考える名無しさん:2008/08/04(月) 04:43:57 0
277 :271:2008/08/04(月) 03:52:54
>>276
>ユビキタスコンピューティングだって厳密には単一の母胎の共有による 「生産」
それはホロニックに見ればですね。

私の言う母胎というのは子宮(マトリックス)です。それは生産することだけが目的の器官。
今時の言葉で言えば「産む機械」ですね。この子宮が生産手段的立場にあるため、反乱を起こすことがあるんです。
例えて言えば男蟻の肉奴隷だった女蟻が主体を持った女王蟻と化してゆく過程といいましょうか。
蟻や蜂は>>169にあります通り共産主義的昆虫ですが、階層構造がありますね。ソ連の階層化と経緯が似ていると思います。
これは分配のために生まれた国家が「物格」(装置)から「人格」へと変わった歴史に似ています。
自己増殖の概念はジェンダーに関わるもので、誰でも産めるということでもあります。
287考える名無しさん:2008/08/04(月) 04:44:31 0
278 :271:2008/08/04(月) 04:20:32
>>273
マルクスが興味深いのは「生産される機械」ではなく、「生産する機械」を見ていた点です。
つまり、ロボットというよりロボット工場組織ですね。
工場自体が主体(自我)を持つ。これは実にデカルトフランス唯物論と違ったガイア仮説的ホロン的分析です。

柄谷行人が『階級について』において言っていますね。
マルクスの機械論がデカルトと違うのが労働者というより機械が主体で、その部品が労働者とした点です。
つまり、主人と奴隷の弁証法や疎外ですね。柄谷行人はフロイトから得たものと思ってるのでしょうが、違います。
これはよく考えれば所謂「フランケンシュタインコンプレックス」ですね。
マルクスは資本論のかなりの部分をバベッジに依り、機械を研究しました。
この部分は文系のマルクス研究者には一番難しいとされている部分ですが、
このバベッジさんというのはコンピュータの父で知られます。
その助手だった世界初のプログラマ、エイダ氏はバイロンの娘でした。
そしてバイロン氏はラッダイト運動の支持者でこの方から着想を得たシェリーさんが書いたのがフランケンシュタインです。
ですからこれは当時のイギリス産業革命の緊張した状況から得たものです。
これは海外ではクリス・ボルディック氏とかが言ってたことですが、柄谷は知らなかったようですね。
288考える名無しさん:2008/08/04(月) 09:13:07 0
ロシアのノーベル文学賞作家、ソルジェニーツィン氏が死去
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080804AT2M0400B04082008.html

ソルジェニーツィン氏死去、ソ連批判のノーベル賞作家
2008.8.4 07:53
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080804/erp0808040753000-n1.htm

ソルジェニーツィン氏死去 ロシアのノーベル賞作家
http://www.asahi.com/international/update/0804/TKY200808040036.html
289考える名無しさん:2008/08/05(火) 18:21:13 0
男を間違えたんだ
290考える名無しさん:2008/08/05(火) 19:39:18 0
>>289
つまり間男と。
291考える名無しさん:2008/08/06(水) 00:53:04 0
>>289
>男を間違えたんだ

 違う。彼は女を間違えた。
 マルクスは女房と女中のアソコを間違えて、えらいことになった。
292考える名無しさん:2008/08/06(水) 09:13:04 0
>>291
だが、そこはマルクスよ。
女中に生ませた子供は盟友エンゲルスに養育させたもんな。
293考える名無しさん:2008/08/06(水) 11:34:27 0
>>292
カミさんが留守のときマルクスはその女中に手というか、
真ん中のアシを出したんだろ。
その女中もエンゲルスが金をだして手配したんだよな。
294考える名無しさん:2008/08/06(水) 14:51:16 0
そんなことを苦も無くやってあげられるエンゲルス同志は最初のマルクス教信者だな
295考える名無しさん:2008/08/06(水) 20:09:44 0
エンゲルスがさりげなく人類学とかに目を向けてるのは重要
きっと身をもって知ったに違いない
家族・私有財産・国家の起源について
マルクス家の事情から
296考える名無しさん:2008/08/07(木) 06:47:52 0
>>293
>その女中もエンゲルスが金をだして手配したんだよな。

 違う。全く違う。彼女は「マルクス夫人譜代」の女中だ。

 マルクス家の家政婦、ヘレーネ・デームート嬢(通称レンヒェン)は、元来はマルクス家の女中ではなく、イェニー夫人の実家、フォン・ヴェストファーレン男爵家が地元の庶民の少女を雇った女中だった。
 「令嬢とメイド」の身分の垣根を越えて、末娘のイェニーと気が合う同士だったので、男爵家では彼女にイェニーの身の回りの世話をする「イェニー付き女中」の役目を与えていた。

 やがてイェニーがかねて婚約していた青年、カール・マルクスが大学を卒業して博士号を取得し、文筆家として独立すると、イェニーはマルクスの生活力を心配する周囲の反対を押し切り、約束どおりマルクスに嫁いだ。
 このとき、イェニーは(マルクス家の生計が苦しくなるのを承知で)ヘレーネを連れて嫁ぐことを強く望み、父男爵も了承して、ここに「マルクス家の女中ヘレーネ・デームート」が誕生した。
 彼女は、貴族の令嬢で料理・家事に不慣れな夫人を全面的にサポートし、主従一体となって波乱万丈の生涯をおくるマルクスを支えた。

 それだけに、マルクス夫人は最も信頼していた二人の「家族」(夫とレンヒェン)に裏切られたことには大変に失望し、取り乱したことが、残された手紙から伺える。
 しかし、マルクスとレンヒェンは全面的に非を認めて謝罪し、二度と過ちを繰り返さないことを確約したし、また子供を引き取る旨のエンゲルスの援助申し出(事実上の和解勧告)もあった。
 夫人は「夫である革命家マルクスを支える」という自分の使命に徹する決意を再び固め、以後終生レンヒェンとともにマルクスを支えた。

 エンゲルスに引き取られた子供フレデリック・デームートは、父とエンゲルスの希望どおり、一人の労働者となって、平穏のうちに生涯を終えた。

 これが真相。ちっとは調べろよ。
297考える名無しさん:2008/08/07(木) 12:37:14 0
>>296
マルクスも意識はカクメイ家たらんとしたが、
実体はただの助平オヤジだったと。

これが真相。
298考える名無しさん:2008/08/07(木) 12:48:42 O
天才にも只のチンポがあるというだけ。
299考える名無しさん:2008/08/07(木) 13:53:56 0
>>298
なーるへそ。
アタマは天災だが、
チムポはドラ息子と。
300考える名無しさん:2008/08/07(木) 21:20:36 0
革命家マルクス(笑)
301考える名無しさん:2008/08/08(金) 00:44:58 0
レーニンはカエサルやナポレオンと同じように癲癇を起こしたから20世紀最大の政治家だわ
302考える名無しさん:2008/08/08(金) 00:46:37 0
マルクスもルソーも女中に手をつけたから一緒
303考える名無しさん:2008/08/08(金) 00:48:21 0
>>297
それを言うのであればデカルトも加えてもらおう
304考える名無しさん:2008/08/08(金) 00:53:14 0
毒蝮三太夫が「くだばり損ないのババア」と言っても愛されるが、
他の人が蝮の真似をしたらとんでもない空気を作る、
みたいなものだろう。
305考える名無しさん:2008/08/08(金) 10:26:31 0
つか、マルクスも強姦したってことじゃないようだし、
要はどの夫婦にも起こりうるチン事と。
ただ、マルクスが少々名前が知れていたのが、面倒くさかったと。
306考える名無しさん:2008/08/08(金) 13:16:05 0
なんにせよエンゲルスが偉すぎ
307考える名無しさん:2008/08/08(金) 23:45:56 0

【政治】「蟹工船」「資本論」ブームの影響か…新規党員増加 - 共産党★2
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1217813730/

このスレに出張してる奴がいるだろw

308考える名無しさん:2008/08/09(土) 00:23:30 0
 _        蟹 光 線 !!                         ジュウゥゥ
 \ ̄\   ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄   __           ::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
/l  \  \              /     \ カッ   ::::::;;;;;;;;:::
| ヽ  ヽ   |             /┌───ヾ| ::::;;;;;;::::
\ ` ‐ヽ  ヽ   ●      ●  // :::;;;:::::;;;:::::;;;::            ::::;;;;;;;;:::
  \ __ l  |  ||___||/ \___ノ|  :::;;;;;;::               ::::;;;;;;;;;;:::
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309考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:34:53 0
「超人」、この言葉自体はニーチェに始まったのではなく、ゲーテ等が使っていた。そうファウスト博士である。
この博士は明らかにユダヤ的錬金術師を意識していると以前に言った。その特徴は内在に超越性を見たことである。
それはゲーテがスピノザ・ルネッサンスを起こしたことと関係あるだろう(しかし、スピノザには他者があった)。
18世紀〜19世紀のエキゾティシズムでも「内面」としての東洋が注目された。他者としての神ではなく、自己としての神である。
ヘブライズム(神人隔絶)からヘレニズム(神人合一)である。しかし、プラトンが古代ギリシャのモーセとされたようにヘレニズムも多分にセム的であり、
結構似ているところがある。つまり、実のところ対立的ではない。ゲーテのメフィストフェレスも神も他者である、彼も結局アブラハムの人だった。
ニーチェの神云々は実はドストエフスキーのものである。悪霊を読めばわかる。悪霊は当時のロシアのアナキズムやバラック共産主義を批判したと言われる。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Possessed_(novel)
310考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:35:29 0
そしてツァラトゥストラのアブラハム的幻聴を耳にしたニーチェは病に蝕まれた身を以てプラトン主義(形而上学)の有害さを知ったので自らを以て最後とした。
それは十字架に架けるようなユダヤ的死刑宣告というよりショーペンハウアー的自殺(自滅?解脱?)である。
私有財産を棄て、エピクロス的だった釈迦の言葉「唯我独尊」は権力者と野心家に「唯我独裁」と読み替えられた。
バブーフ(そしてブランキ)の「独裁」とシュティルナーの「唯一者」から二つの鬼子が生まれた(マルクス主義的共産主義とファシズム)。
「調和」の精神は驕ったジンギスカン的「啓蒙なる野蛮」に変貌した。ロシア革命の頃に西洋が没落し(byシュペングラー)、
近代的オリエンタル・デスポティズムが誕生した。
レーニンもスターリンも「アジア人」と言われた。レーニンの場合、本当にモンゴル系であった。レーニンは「進んだアジア、遅れたヨーロッパ」と言った。
あの革命はアジアに住む私たち日本人とも決して無関係ではない(明石大尉のことも含めて)。レーニンはカエサルやナポレオンのように癲癇を起こした。
彼は間違いなく20世紀最大の政治家だった。だが、カエサルもナポレオンも最期が悲劇だったようにレーニンもまた悲劇である。
ボリシェヴィキの独裁は社会主義者の転向と茶番としての能動的ニヒリズム(ファシズム)を後押ししてしまった。
歴史は繰り返すのだ、一度目は悲劇、二度目は茶番として(byマルクス)。
ジャコバンの恐怖政治の反省から生まれた社会主義とアナキズムはあの血塗れたフランス革命を再開させてしまったのである(byレーニン)。
それは他ならぬテルミドールの反動家ども、ナポレオン(元ジャコバン)たちを大いに愉快、哄笑させた。
311考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:37:29 0
ロシアこそかつてのジョゼフ・ド・メーストル、あるいはカール・シュミットが言ったように保守反動とオカルティズムの故郷だった。
ボルシェヴィズムも土着的だった(建神主義や党の保守主義)。そこには暴力には暴力であり(byソレル)、手段は目的を共有(従属)する(byネチャーエフ)という
ある種の諦観があった。右翼も左翼も暴力団だった。同じ穴のむじな。徳を忘れ権力を掴んでしまった。結果的に革命は裏切られた。
これから重要であるのが物事を対立的一方的に見るのではなく、相互作用から見る「複眼」である。脱構築である。そこにはセム的プラトン的「一つ目の神」はなく、
「千の眼」があるのだ。
312考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:38:52 0
アナーキズムとコミュニズムの対立がわかるには実は昆虫が一番いい例である。
大杉栄が昆虫記を訳したのも興味深い。
アナキズムの父プルードン曰く共有制(共産主義)とは蜂や蟻に似た集団だという。
そして昆虫学の父ファーブル曰く蜂や蟻から卵とかを盗む蠅(ハエ)が「プルードン主義者」だという。
次にファーブル曰く節足動物が共産主義のメカニズムに似ているという。
共産主義に対する恐怖はアラクノフォビア(蜘蛛恐怖症)に似ている。
それはマルクスが共産党宣言で言った「妖怪への強迫的恐怖」と同じである。
猪木正道曰く共産主義の体系はまるで蜘蛛の網目の構造をしているという。
そういえば節足動物といえば複眼だし、蠅も複眼だ。
この複眼(差異の共有とそれに伴う共生)こそがアナキズムとコミュニズムを和解させる共通点だろう。
思うにソ連というのも一つ目の妖怪(キュクロプス)だったと思う。
余りにそれは大きく狭いものだった。蟻や蜂のように同一化(悪い共有)させた。
共産主義を狭小化させないためにも「複眼」が欠けていてはダメだろう。
デリダ的脱構築である。盗聴器や監視カメラこそプライバシーを破壊する。
勿論民主主義みたいにそれを権力者に対して使い、機械も人間もユビキタスに自由に共有させる。
プライバシーを超越するのはただのビッグブラザーである(中央監視塔灯台)。
プライバシーを縦断的に壊すのではなく、横断的に壁を壊す。これはまさにグルントリッセのコミュニズムである!
http://www.arsvi.com/d/sd-sc1.htm
そこでスピノザである。
313考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:42:59 0
286 :271:2008/08/05(火) 03:56:40
ネグリは「未来への帰還」(バック・トゥ・ザ・フューチャー?)とか「時間機械」(タイムマシン)を標榜しているけど、
私からすればそれは人間をタイムマシンだとするものである(未来の記憶?)。
原始共産制は先史時代のものであるが、唯物史観によるとそれが生産力の発展によって高度共産主義として蘇る。
亡霊の意識化である。擬似科学で太古まで記憶が共時的に共有されていて催眠によってタイムスリップすることができるというものがある。
ユングやライヒのように一線を越えてしまえばトンデモであるが、この心理は実はトランスパーソナル(私的個的所有を超越した心理)ではなく、
インターパーソナル(繋がっている深層心理)と言える。そしてそれは上部構造に対する下部構造であり、「無」意識というより「下意識」である。
フロイトは唯物史観は一面において正しいとしたが、まさにこういうことではないだろうか。

287 :271:2008/08/05(火) 04:00:41
このタイムマシンも使い方によっては封建制や奴隷制にタイムスリップしてしまうこともある。
314考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:47:58 0
柄谷行人によるとマルクスの機械論はプロレタリアというより機械が主体であり、プロレタリアもその部品に過ぎんとした点でデカルトの機械論(フランス唯物論?)と一線を画す。
私が思うにマルクスの機械論は産業革命当時のイギリスから得たものである。所謂「フランケンシュタインコンプレックス」。
マルクスは資本論のかなりの部分をバベッジに依り、機械を研究した。この部分は文系のマルクス研究者には一番難しいとされている部分だが、 このバベッジというのがコンピュータの父。
その助手だった世界初のプログラマ、エイダ氏はバイロンの娘。そしてバイロンはラッダイト運動に傾倒したこともあり、バイロンから着想を得たシェリーが書いたのがフランケンシュタイン。
これは海外ではクリス・ボルディック氏とかが言っているそうだ。この疎外論は「身体なき器官」?「器官なき身体」?ロボットから見ても人間から見ても疎外。階級闘争から見たらこの現象もプラス面があるが(主人と奴隷の弁証法)、
マイナス面もある(人間疎外)。それが極端に出たのがソ連であり、工場のように階層構造(ハイアラーキー)を有した疎外態の共産主義(一国一工場)。
分配のために発生した国家が「物格」(装置)から「人格」に変わった歴史と似ている(カーゴカルト、古代シュメールの神権政治の共産主義)。
かといって疎外からただコギト、環帰させるとすると次。エンゲルスが「いままで人間を支配してきた、人間をとりまく生存諸条件の全範囲が、
いま人間の支配と統制とに服する・・・必然の国から自由の国への人類の飛躍である」計画経済。ロボットの反乱さえも予測してしまう人間が
ロボットの奴隷機構と暴力装置を操作している自由の国。
http://d.hatena.ne.jp/sivad/mobile?date=2007070
315考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:48:58 0
マルクスが研究していたのは機械生産。単一の子宮(マトリックス)を共有して生産する方式(地母神)。「生産物」は川のように流れ、同一のロボットアーム組織(前衛?)から生産される生産物、
例えば車は規格を共有しても差異があるが、固定装置が生産している(テセウスの船?)マルクスは生産された機械ではなく、生産する工場装置自体が主体を持つと見た(反デカルト的反還元主義的
ホロニック的ガイア的に分析した?)映画で言えばターミネーターとスカイネットの違いかもしれまい?ターミネーターは自己完結的でプログラム(計画)実行が目的の存在だから生産手段(生殖機能)を持っていない(アダムとイヴ?)一方のスカイネットの場合、
単一のコンピュータに見えるが、実際はコンピュータ群が並列しながら一つの意識(主体)を共有している。 そして自らを構成する分子を成長させ、増幅する能力がある(生産手段を持っている?生殖機能?)。
「臍の緒を断ち切る」プロレタリアートはまさにマトリックス(疑似(相似)資本主義、疑似(相似)共産主義)から飛び出すスミスやネオ?ウラノスのように散逸遍在し、マトリックス(母権)を持たずジェンダーに関わり無く増殖していく生物生産
をモデルにした機械であるセル・オートマトンこそが新しいコミュニズムの鍵。ウィルスが増殖するのは遺伝子の共有が目的である。遺伝子が共有の生存機械のために協業する(これ以前はオープンソース的に遺伝子を共有していたとか)。
唯一の子宮が「場所を制約して共有する」ものとすれば、場所(ネーション)に制約されず共有するのが今日の非同期的非同所的コミュニケーションであるからインターナショナリズムである。
これによってベンヤミンが喜びながらも恐れた事態、つまり、映画館で一方的に大スクリーンを共有することで、ソビエト共産主義やファシズムのように個人崇拝やナショナリズムが起きることを回避。
神が空から見せるのではなく、インターフェースの役割が大きい。多くの原子が多くの電子を共有するように多が多を共有する。コヒーレンスでネットワーク型の共産主義。
ネグリのテーゼ「スピノザとマルクス」。「トランスパーソナル」(偏在的超越神)というより「インターパーソナル」(スピノザ的内在神)が重要。
316考える名無しさん:2008/08/10(日) 02:52:27 0
マルクスは私的所有(プライバシー)を否定し、パーソナル(個体的所有)を認めた。
317考える名無しさん:2008/08/12(火) 08:37:15 0
298 :271:2008/08/11(月) 23:31:48
現象学的に言ってしまえば差異の共有というのは主観の共有です。
レーニンの経験論のように「絶対真理」を戴く「客観の共有」ではありません。
ミラーに写されるのが私と言えるのは超越者が言ってるからではありませんね。
ミラーの反転がコヒーレンスです。

300 :271:2008/08/12(火) 08:31:27
うーん千のプラトー、資本主義、マルクス、フロイト。面白いです。
「千のカメラ」(複眼)はリゾーム状に結合(アソシエーション)したものかもしれません。
もしかしたら「共有」するということでスキゾであるかもしれませんね。
分裂症というのはマルクスの亡霊よろしく「幻覚」が特徴ですね。それも恐ろしく鮮明な。
他者と自己を区別できないのですから「私のもの」と「汝のもの」も区別できませんでしょうね。
多重人格者みたいに身体や思考を共有しているということですね。
興味深いことに分裂症の人は共産恐怖症の人が多いですね。
ビューティフルマインドのナッシュさんとかパナウェーブさんとか。スターリノロジー的マッカーシー的パラノとは違いますが。
マルクス・エンゲルスと心理学といえば母権論しかありませんから私は引用しているのですが、
マルクスたちがその社会に憧れていたのは母胎(女王蟻)というよりその分別の無さだったからでしょう。
共感覚が赤ちゃんや原始人に多いことは科学的にも認められてます。
318考える名無しさん:2008/08/21(木) 10:06:58 0
>>316
その飛躍がイマイチ理解できない。なぜ私益を一般化して否定したのか?
治者(あえて資本家や官僚とは言わない)にも被治者にも大事な私益がある。
それは量的には不平等な格差があるが、私益そのものは正当な権利である。
そもそも「私有財産否定」が当時の治者に対する憎悪から生まれた一方的な
感情(もちろんプラトン以降の知的伝統もあろうが)であるのに、被治者の
同意によらずにそれを正当化した時点で既に民主的でもないし、皮肉を言えば
「真の共産主義」でもない。20世紀の自称「共産主義」では被治者の私益は
否定侵害されるが、治者の私益だけは拡大死守される。つまり、私益の否定は
被治者には適用されるが、治者には適用外という(当初の考えとはまったく)
あべこべの結果を招いた。共産社会とは偽善社会であり、仮面社会だと言える。
ここにマルクスの間違いがある。マルクス主義の教訓として、人間の私益その
ものは一般的に否定し得ないという結論を人類は得た。それでも私益が諸悪の
根源と言う人は、自分で私益を否定した(された)生活を実践すべきだろう。
319考える名無しさん:2008/08/21(木) 10:46:48 0
柄谷工人も
自分の全著作のコピーライトをNAM開始時に放棄すれば
もっとまともな展開をしたんだろうけどね
320考える名無しさん:2008/08/21(木) 10:51:42 0
ホリエモンは1台のPC(3万円)で
折口は1台の電話(3千円)で
数千人のプロレタリアートと
1千億の資本を生み出すことが出来た
321考える名無しさん:2008/08/22(金) 16:56:25 0
>>318
階級独裁だろ
322考える名無しさん:2008/08/22(金) 17:01:54 0
>>318
総ての人に平等に利益が与えられればそれは相互的に見ても超越的に見ても共有されたもの。
個体的質や個体的量の共通化(計画化同一化)ではない。それは疎外態の共産主義である。
高度共産主義社会ではプライバシーが幻想だとわかった以上、私有財産という混乱を招く概念が消えるが、
「固有財産」は否定しない。「皆が食ってるからお前も食え」としない。
高度共産主義社会は「自由」を共有するから、自分が必要と思うのであれば、それを持つこともできるし、
持ちたくないと思うのであれば持たなくていい。
常時決めているのではなく、「必要に応じて」。
323考える名無しさん:2008/08/22(金) 17:03:53 0
ストイック的共産主義とエピクロス的共産主義では違いすぎる
324考える名無しさん:2008/08/22(金) 17:11:48 0
マルクスは紛れも泣く「禁欲的」「宗教的」「奴隷根性的」共産主義を批判している。
マルクスはエピクロス的快楽主義物質主義を前提とした。
「神のもの」「王のもの」だからとした古代の崇拝的共産主義を批判した。
これがカーゴカルト批判(物神崇拝批判)に出ている。
国家が分配(支配)のための共有の機械仕掛け御利益的物格的生存機械から
被崇拝者の意思を共有させる人格的暴力装置に変わった過程と
「お前のものは国のもの、党のもの、スターリンのもの」としたソビエト共産主義も一緒である。
325考える名無しさん:2008/08/22(金) 17:18:57 0
>>318
存在と関係を間違えていないか?
共産主義はあくまで所有の思想だよ、「無所有主義」じゃない。
326考える名無しさん:2008/08/24(日) 08:09:30 0

 【でも ル・サンチマン™ って「マルクス」とは何の関係もないんだよね】


327考える名無しさん:2008/08/27(水) 14:48:01 0
目的の為なら手段を選ばないからです
328考える名無しさん:2008/08/27(水) 17:09:31 0
>>327
そいつぁ主義主張に関係なく
昔からやってきたし、今でもやってるこったぜ。
329マキャベリ:2008/08/28(木) 01:26:52 0
私は「政治目的実現のためには最適の手段を選べ」といいたかったのだが・・・
330考える名無しさん:2008/08/28(木) 16:59:20 0
>>329
言い方が違うだけで、
中味は327サンの「目的の為なら手段を選ばない」ってことじゃん。
それってさぁ、トロツキー流の「目的は手段を正当化する」って考え方まで
あと一歩って考えだよね。
331考える名無しさん:2008/08/29(金) 01:52:27 0
>>330
 トロツキーは全然読んでいないので彼の思想は分からないのだが…
 ポリティクスの一般論として、「結果は手段を正当化する」かもしれないが、「目的は手段を正当化する」ことは無いのではないか??

 例えば、活動資金獲得の目的で銀行強盗をやっても、結果的に資金入手のメリットよりも人民離反のデメリットの方が大きく、革命から遠ざかってしまったら、その革命党派の幹部は内部からも責任追及を免れないのが本当だろう。
 政治責任は「目的」でなく、常に「結果」において存在するものだ。
332考える名無しさん:2008/08/29(金) 18:39:37 0
マルクスは「結果」において責任がある。
しかし、もう死んじゃってるから、責任は共産主義者どもに負わせるしかない。
だが、やつらは責任とれるような一人前じゃない。
どうしようもないガキどもだ。
333考える名無しさん:2008/08/29(金) 18:43:39 O
>1
何にも間違えてない。スターリン、毛沢東、
レーニンが誤っただけ。
334考える名無しさん:2008/08/30(土) 02:58:31 0
>>331
>ポリティクスの一般論として、「結果は手段を正当化する」かもしれないが、
>「目的は手段を正当化する」ことは無いのではないか??

一般論としてはその通りだろう。
ただ、そうであってもマルクスその人に政治を求めるのも政治「学」を求めるのも無理だ。
あんな政治オンチはいない。マルクス派が19世紀のうちにどうやら社会主義の主流になったのは、エンゲルスの手腕とドイツの弟子たちの活躍と偶然の産物のおかげだ。
政治「学」だって、マルクス的な社会分析の基礎となるべき経済学の主著「資本論」すら完成できずに死んだのだから、そこまで思索体系が及ぶはずがない。
「マルクス的な政治学」を求めるのなら、良い成果でも悪い成果でも、レーニン以降のマルクス主義者に求めるべきだ。
335考える名無しさん:2008/08/30(土) 16:53:20 0
やっぱ話のネタにするとマルクスが一番盛り上がるよね。
なんでだろ?
336考える名無しさん:2008/08/31(日) 02:01:51 0
>>334
微妙に誤謬推論のような……
337考える名無しさん:2008/08/31(日) 17:13:09 0
>>335
コンプレックスじゃないか?
本当はマルクスを理解したいんだけど、今の自分の能力
じゃ理解できない。
で、その反動としてケチをつけて否定したがる、と。
このスレをみてもマルクスを読んでさえいない奴が
ほとんどだし。
338考える名無しさん:2008/09/02(火) 03:32:00 0
共産主義社会の方法論

1.階級同士が競争し、一方がもう一方を絶やす
2.階級同士が協力し、階級の差を縮める
3.階級を超越したものが介入し、階級の差を消す

1は階級闘争であり、「友」(同じ類)を共有する。
例えば経済や人種(これも最近の生物学では質というよりパーセンテージ、量である)の矛盾である。
しかし、絶滅するより保存(共生)する方が望ましいことは20世紀が示した。

2はイデオロギーや価値観の共有によることが多く、「敵」を共有する。
映画のアルマゲドンがいい例である。地球を滅亡させる危機が訪れて、万国の人類が団結する。
デメリットは既成階級の口実となれば常に共通の敵(スケープゴート)を創ることに陥りやすいところ。これはどこの国でも見られる。

3は超越者を共有する。例えば「神の前の平等」「天下平等」。
国家が民族を平等に抑圧し、経済を計画化することで民族や経済を均衡にする。
ソ連の崩壊はまさにこの失敗を物語っている。

共産主義は所謂「無所有」主義ではない。所有と無所有を超えた概念である「共有」がその礎である。
ソ連は原始共産主義と同じ間違いを犯した、私有財産を否定しても収奪没収して還元分配してはブルジョアから党が私物化しただけである。
結局のところ「主客転倒」が続くのも区分があるからだ。人種にせよ思想にせよ広義のClass、つまり、分類=階級だ。
デカルトの懐疑主義形而上学の産物であるニヒリズムはスタヴローギンのように自己不信に陥る。そしてニーチェは狂人を「特異性」から擁護し、自己過信に陥った。
ニーチェに言わせれば「個性は例外なく病」だろうが、「病」は基本的に治すべきためのもの(治療も平等主義)で、「病」を称えてしまうとこれも主客転倒である。
「貧しい俺に文句は無い」で自己愛(自己肯定)に浸り、「だが社会には文句が有る」とする他者否定といった弁証法。
エピクロスの貧しいことは素晴らしい的精神をマルクスとニーチェは共有していた。
しかし、「目的」と「手段」、「自己」と「他者」というデカルト的区分を超えたものを模索せねばならない。
339考える名無しさん:2008/09/02(火) 03:58:29 0
そんなデカルト理解で良いの?w
340考える名無しさん:2008/09/03(水) 04:08:34 0
>共産主義社会の方法論

>1.階級同士が競争し、一方がもう一方を絶やす
>2.階級同士が協力し、階級の差を縮める
>3.階級を超越したものが介入し、階級の差を消す

>1は階級闘争であり、「友」(同じ類)を共有する。

>2はイデオロギーや価値観の共有によることが多く、「敵」を共有する。

>3は超越者を共有する。例えば「神の前の平等」「天下平等」。

 ハハハ                        ギャッハッハッハ、こりゃ ケッサクだ
   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゲラゲラ
.  ( ´∀`) <しかし、笑えるな(w   ∧_∧      〃´⌒ヽ    笑い過ぎて腹イテー
.  ( つ ⊂ )   \_______  (´∀` ,,)、    ( _ ;)
   .)  ) )   ○   ∧_∧      ,, へ,, へ⊂),   _(∨ ∨ )_    ∧_∧ ○,
  (__)_) ⊂ ´⌒つ´∀`)つ   (_(__)_丿     し ̄ ̄し    ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
           タッテ ラレネーヨ                クピピピピピ
341考える名無しさん:2008/09/04(木) 04:48:04 0

【あの ル・サンチマン™ が好んで引き合いに出すってとこでそのレヴェルはわかりますよね(笑)】

342考える名無しさん:2008/09/05(金) 20:08:10 0
>33 名前:無党派さん投稿日:2000/12/13(水) 11:13
>滅私奉公とは実に社会主義的な発想だ。

これには同意。マルクス主義が日本で大いにウケた理由の一つは
日本の伝統的倫理観との無意識的な共鳴があるからだと思われる。

日本ではあからさまな個人的利益を「善」とする倫理観は、非常に弱い。
といっても「商売繁盛」などと神仏に祈願する限りでは「善」とされるが。
逆に「忠君愛国」「七生報国」「滅私奉公」など奉仕要求が異常に強い。
マルクス的理想は、この要求を全労働者向けに転換した形といえる。

さらに言えば、マルクス的倫理観は世界大だが、日本的倫理観は
あくまで「日本限定」に留まっている点が決定的な違いではある。
343考える名無しさん:2008/09/05(金) 21:16:35 0

ダメだ・・・もう我慢の限界・・・なにこの糞スレ・・・・

もうね、金融工学を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね・・・
高卒とか文系の人は楽しめるかも知れないけど、自分は無理っすわ・・・

っつーことで落ちるわw あとは高卒&文系の諸君で楽しんでくれやノシ

344考える名無しさん:2008/09/06(土) 02:44:05 0
>>343
 俺は金融工学じゃなくて本物の工学部の出だが、ここは別にバカバカしくはないぞ。












 金融工学はウンコでバカバカしくて我慢の限界(ry だがなwwwwwwwwwwwwww
345考える名無しさん:2008/09/07(日) 05:00:48 0
金運工学
346考える名無しさん:2008/09/13(土) 14:38:10 0
超越するとはClassを外すこと
広義のClass、例えば階級、民族、観念、基準
経済学で言うと分業、私有財産。つまり、分類
マルクスがカントを採用したのも超段階的立場から歴史の発展を眺めれるからである
資本主義の必要性を認めれたのも憎悪を超えたものがあるから
共産主義は言わば無階級、無民族、無観念、無基準の「自由の王国」
347考える名無しさん:2008/09/14(日) 02:23:03 0
>>346
毎度笑わせてくれてありがたい。
今度、鈴本演芸場あたりで高座に上がって一席話してくれや。
348考える名無しさん:2008/09/14(日) 04:19:34 0
>>343
金融工学=イナゴ経済学
349考える名無しさん:2008/09/18(木) 17:00:23 0
私的財産をなくすと失敗し
ありすぎても失敗する
350考える名無しさん:2008/09/21(日) 23:51:47 0
31 名前:陽気な名無しさん 投稿日:2008/09/19(金) 09:42:49
共産社会が将来実現すれば、会社に行かずに飯が食えるようになるのに。

32 名前:陽気な名無しさん[] 投稿日:2008/09/19(金) 09:49:43
んな訳ねーだろ!!

42 名前:陽気な名無しさん 投稿日:2008/09/20(土) 07:19:08
>>32
んな訳あるんだよ。マルクスが思い描いた共産主義はそういう社会。
資本主義の生産様式が技術的に高度に発展した末に、働かずに飯が食える社会を想定したの。
プロレタリアが解放されるのはその生産様式の発展に従うと考えたのがかの史的唯物論。
まあいまのところはユートピアだけどね。
でも徐々に段階的に実現することはできるし、少しずつ実現されてきた面もあるよ。労働時間の短縮によって。

中国が経済発展にいかなる犠牲も厭わずに躍起になっているのはそういう意味もあるのかもね。
マルクスの理論によれば、産業後進国中国のままでは日本や欧米よりも共産社会からずっと遠くにあるわけだから。
351考える名無しさん:2008/09/22(月) 14:04:12 0
マルクス主義が偉大な極論であることは誰もが認める
352考える名無しさん:2008/09/24(水) 19:29:16 0
極論じゃないよ。最近のドイツでは真面目に議論されるようになってきているよ。
生活のための労働(プロレタリア階級の宿命)からの市民の解放が・・・
ttp://www.unternimm-die-zukunft.de/
353考える名無しさん:2008/09/24(水) 20:16:05 0
>>352
フランスのドミニク・メーダもウニベルシタスの『労働社会の終焉』
で語ってるし。
こういうのが社会的に議論できるのがヨーロッパのいいとこで、日本にも
なんとか根付くといいとはおもうんだけどねw
354考える名無しさん:2008/09/24(水) 20:27:47 O
いま経済活動そのものが社会を蝕んでいる、という側面がある。マルクスを全否定するのはやはりどこかおかしくて、手掛かりになる様なものなら、彼の本から議論の遡上に乗せても一向に差し支えがない。
355考える名無しさん:2008/09/24(水) 20:44:53 0
>>354
今サブプライムの問題が話題になってるけど、この問題の一端には
株式格付けの問題があって、更に言えば10年くらい前に話題になった
エンロン、ワールドコムの破綻でもこれは重大な要因となった。
つまり「市場の自浄作用」ってものに重大な疑義が付されてるわけで、
その意味でネオリベの「穴」が顕在化してきてるとも言える。
また一方ではケインズ的な「福祉国家」への批判もあって、医療費など
コストがかかったりフリーライダーの問題が出てきたりもする。
こうした経済学、あるいは政治学の問題を議論する「まともな」論壇を
ちゃんと見てる人たちなら、マルクス経済学を真剣に議論することの
必然性を誰しも感じてると思う。
356考える名無しさん:2008/09/24(水) 21:39:10 O
>>355
人間を幸福にする経済を、本気で考えないとまずいですよ。その辺り、政治家や識者は真剣に考えもらいたいと思う。イデオロギー云々の問題じゃない。人類の未来の問題だ。
(b^ー°)
357考える名無しさん:2008/09/28(日) 22:56:19 0
てか、そんなに高く評価されてるか?マルクス。
出版業界でもマルクス取り上げるのは
柄谷系列とこぶし書房の界隈だけ。しかもこいつら経済学者じゃないw

学問的には全く評価されてないし、専門家面してる経済学者だって、
まともな研究対象じゃ出世できないような、
ほとんど主流からドロップアウトしちゃってる劣等生ばかり。

まあ、素人が自分はちょっと毛色の変わった分野知ってるんだぜって
無邪気に騒いで悦に入ってるのを「評価」というんなら、
評価されてるってことになるんだろうけどなw

マルクス崇め奉ってるのはほんの一部の珍しもの好きの
マニア層にすぎず、コップの中の嵐のようなものだ。
358考える名無しさん:2008/09/28(日) 23:05:58 0
お前の素人ぶりに乙
359考える名無しさん:2008/09/28(日) 23:12:12 0
>>357
うんうん、哲豚にはそういうやつらが多いんだよね。
だから、マルクスの資本論が唯一読んだ経済史の古典wだったりする。
360考える名無しさん:2008/09/29(月) 00:01:57 0
>>357
腹かかえてワロタww
361考える名無しさん:2008/09/29(月) 05:12:57 0
>>357
マルクス学者がブルジョアに支配されているアカデミズムを席巻していたら
逆に支持者から信用を落とすだろうけどな。
362考える名無しさん:2008/09/29(月) 12:14:33 0
>>361
戦後日本では実際にそんな感じだったろ
363考える名無しさん:2008/09/29(月) 14:50:13 0
日本は「成功した社会主義」《だった》からな。でもその時代も終わりになろうとしている。
364考える名無しさん:2008/09/29(月) 16:51:52 0
>>357>>359
マルクスは思いっきり古典なんだが。
バカかこいつは。
365考える名無しさん:2008/10/02(木) 22:20:13 0
あ、ここで聞くか。

唯物論を基にして考えると、死刑って正しいのか?
366考える名無しさん:2008/10/05(日) 02:52:41 0
マルクス主義って「ひがみ根性」のことだろ?

哲学板に出没する左翼野郎。
正直ウザイ。幼少のころから不幸だったのはわかるが、
何も相手かまわず八つ当たりすることはあるまい。

だいたい、マルクスが心地いい奴なんて僻み妬みの裏返しだろ。

誰もなあ、おめえなんかかまっちゃいねえんだよ。
北朝鮮でもキューバでも逝けって。
367考える名無しさん:2008/10/05(日) 05:45:29 0
>>366は経営学板基地外住民のマルチコピペにつき、絶対に反応しないでください。
完全スルーでお願いします。
368考える名無しさん:2008/10/16(木) 01:37:22 0
オートマトン言語理論についてかたりあいましょう。
369ドイツで超マルクスブーム:2008/10/16(木) 10:18:46 0
ドイツの週刊誌『シュテルン』(電子版)が、八月末から、「左翼の新しい生命感」という連載を
掲載し、マルクスにたいする関心が若い人々の間で高まっていることに注目しています。
マルクスの理論は「ルネサンス(復興)を迎えている」と書いています。同誌は、『シュピーゲル』
とならぶドイツの有力誌です。 「マルクス、ポップコーン、少ないストレス」と題された連載第二回は、「カール・マルクスが
戻ってきた。彼の本がとぶように売れている。ハンブルクでは学生たちがマルクスを上演する
ことまでした。しかしこれは、共産主義がふたたび粋なものになったことを意味するのだろうか」と指摘。
記事は、『資本論』の三巻本の売れ行きが昨年同時期の三倍になっていることや、
ケルン出身のポップス歌手の歌う「資本主義の終りの歌」という歌がはやっていることなども紹介しています。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-10-10/2008101006_01_0.html
独週刊誌『シュピーゲル』8月22日号が、表紙全面に右手でVサインするマルクス(イラスト)が表紙全面を飾り、カバー・ストーリーで、マルク
スの「再復活」ぶりを特集したことを報じています。

大要は以下のとおりです。
『シュピーゲル』本文では、マルクスの生涯と業績、エンゲルスとの交友、業績への業績への多面的反響をルポ・タッチで描写する。
「マルクス再来」ぶりを、米誌『ニューズウィーク』がおどろき、「なぜ、マルクスは、資本主義における恐慌同様。周期的に再来するのか」と
質したことを引用。この質問に対し、「資本が歴史上初めて、マルクスが『資本論』で解明したとおりに機能している。資本が今日ほど自由に
運動したことはかつてない」と、グローバル化と新自由主義化を「復活」要因として指摘する哲学者ネークストらを紹介しつつ「回答」を探求
している。ドイツでは8月中旬の同誌世論調査で、東独部で73%、西独部で50%が「マルクスの資本主義批判は今日なお、意味がある」と答えている。
http://www.k3.dion.ne.jp/~kawakami/sihonronkankei/marx2.html
370考える名無しさん:2008/10/16(木) 13:51:58 0
さすが、本場ドイツw
371考える名無しさん:2008/10/16(木) 14:51:45 0
そもそもマルクスって本国ドイツや他の欧州諸国ではどういう扱いなのだろう。
(日本では無批判に崇めるか読まずに毛嫌いするかがほとんどだが)
日本でいうと誰に当たるのだろう。吉田松陰とかw? 
それとも西田幾多郎?
372考える名無しさん:2008/10/16(木) 15:03:05 0
日本で該当する奴はいないw
373考える名無しさん:2008/10/18(土) 00:40:23 0
共有とは何ぞや

法律学では集産主義的な総有・合有と個人主義的共有の三つに分けられる。
つまり、共同体の「所有」と個体の「共有」である。
私達が「共有」をイメージする時、必ずといっていい程一つの対象の複数の所有を思い浮かべる。
しかし、これを弁証法で見ると一つの所有物が複数の所有者を支配しているとも言える。
つまり、今日のパーソナルコンピュータ時代では無く、メインフレーム時代を思い出せばいい。
複数の利用者が端末装置で中央集権の「頭脳」(神)を共有する。
やがてそれは神殿に変貌し、神権政治と化していく。慈愛の神から恐怖の神へ。
利用者は「器官」と化し、奴隷のように扱使われる。
いつか命令するのでは無く、命令されるのでは無いであろうか。
この「奴隷の反乱」(動物農場にせよロボットの反乱にせよ)の恐怖はいくつものSFで描かれている。
つまり、共通(唯一)の対象のオリジナリティが確保されてしまうことによってアウラ(神聖性)を帯びてしまい、複数が所有しているどころか、所有されているのである。
これは人間疎外であると同時にその法則である主客の弁証法をベンヤミンは見出した。
真の共産主義社会には「プロレタリアート」という共通性(唯一性)のカテゴリ(固有)は存在し無い。
国家は所詮支配階級の装置であることに変わりは無い。
支配階級が愚かであろうが賢いであろうが善であろうが悪であろうが、関係無い。
それを超越するのである。まさに現世も吹っ飛ぶプラトン的飛躍である。
一人間の想像力ではカテゴリ化でき無い世界である。
真理という偶像は共有されない、自由が共有されるのである。
従って、非規格(非共通)でありつつ複製され尽くされた複数のチャンネルの複数の所有(共生)を彼は待望したのである。
それが今日のインターネットで実現されつつある。
374考える名無しさん:2008/10/18(土) 00:52:52 0
その複数性がネグリの言うマルチチュードです
375考える名無しさん:2008/10/18(土) 00:59:09 0
要するに同一性の問題ですよこれは。
所詮生産する固定アーム装置と生産される同一機械の差異です。
従って、超越性しかありません。グラムシが言うようにコミュニズムは内在していますが、超越してもいるのです。
神は神話ではありません。
神は神話と異なって「有」です。「虚無」のように思われますが、
これは背後にいたり、遍在しているからそう思えてしまうのです。
有無を超越した「存在」かもしれません。
ベンヤミンが現代にいたらネグリのように必ずスピノザとマルクスをジンテーゼするに違いありません。
376考える名無しさん:2008/10/24(金) 20:53:19 0
ニーチェは「真理」を批判した。人間は「真理」という「基準」をつくることでそれを共有する。これは支配であると。「支配」とは何かと言うと、経済学で言うところの「分配」と言える。
主体が仕事を配分する(仕切る)、シェア(共有)させる。そして「力」は物理学で言えば「交換」(コミュテーション)から生じる。力は対象無くして有り得ない。ニーチェは「神話」に傾いた。これは真理と似た位置の
「神」と異なり、神話の方が絶対的では無いからである。ニーチェは神話を支えているのを「悲劇の共有」と考えた。しかし、これは「生の哲学」のニーチェと矛盾する。結局ニーチェはアナーキストである(ニーチ
ェ自身はアナキストを共産主義平等主義者と批判しているが)。ショーペンハウアーはニーチェ達が言うところの平等主義的共産主義的境地(段階)、共感共苦を説いた。これは必然である。ショーペンハウエルは元々
プラトンの崇拝者であった。ニーチェは師と同様、共感共苦(慈しみ)を説いたが、「天才」と「凡人」の「彼岸」をついに唱えなかった。これはレーニンの「前衛」と「大衆」と同じである。いわば「選民思想」の
問題である。ニーチェが批判していたプラトンの「哲人王」やイスラエルの「救世主」と同じ轍を踏んでいたのである。ニーチェは当初「彼岸」「力への意志」を批判していたが、肯定するようになっていった。も
し、ジンテーゼがテーゼ(肯定)とアンチ(否定)の総和では無いのであればそれは超越していると言える。であるが、これは明らかに「母」と「父」が交わった「所産」(子供)であり、人間の有限を示しているのであ
る。そしてニーチェは永劫回帰に至った。
377考える名無しさん:2008/10/24(金) 20:58:41 0
ニーチェは強い意志を「単一の優勢の衝動」によって「諸衝動が共存している状態」としている。これこそ私が言う「単一」と「マルチチュード」に基く古い共産主義的関係であって、
「天下平等」と同義である。経済学で言えば「総動員」である。共通の目標を共有して運動を共有する。ハイデッガーは技術の本質を「徴発」としたが、これは幾分レーニン主義的であろう。
ヴィリリオは技術の本質を「固有性の止揚」、つまり、「限界を無くす」と考えた。これこそが元来のマルクスに通じるのであり(私有制や分業制の揚棄)、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教、
アブラハムの宗教の概念にも通じる。「無限」「全能」「超越神」である。物質の集合でできているこの世界に住む人間はどこまでいっても共同的動物(アリストテレスより)であり、完全独立
した唯一無二の個があるとすればそれは神に他ならぬ。
故にヴィリリオは共産主義者の家庭に生まれ、「唯物史観」を軸としているのにカトリックを信仰しているのである。
378考える名無しさん:2008/10/24(金) 21:16:15 0
補足:ニーチェはユダヤ系ロシア人のルー・アンドレアス・ザロメに恋した。ニーチェの源泉はロシアにあると言ってもよい。ツルゲーネフ(ニヒリズム)からドストエフスキーまで。
元々ロシアとドイツ自体が歴史的に関係が強いのである。プロシアはロシア系、ベルリンもスラヴ系の名称である。ツルゲーネフはバクーニンと同居したし、
ワグナーもバクーニンに師事していた(バクーニンは「共産主義はあらゆる勢力を吸収する」と批判したことで知られるが、ヴ
ァイトリング時代は共産主義者を自負していて共産主義に関する寄稿もしていた。マルクスのプロレタリア独裁、あるいはバブーフやブラ
ンキといった系譜の共産主義者から学び取った概念もバクーニンに見られるという)。
ドストエフスキーが悪霊で参考にしたのはネチャーエフというマルクスに
は「バラック共産主義」と批判された人物である。このように「ニヒリズ
ム」の歴史は共産主義運動と密接な関係があるのである。ユンガーやハイ
デッガー、バタイユ、ブランショといったニヒリストを極めた面々がボリ
シェヴィキやコミュニズムに関心を持ったのは必然である。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Possessed_(novel)
Shigalyovism is a philosophy specific to the book and parti
cularly of the character Shigalyov. Very similar to barra
cks communism, Shigalyovism demands that ninety percent of s
ociety be reduced to a condition of inhuman slavery so the oth
er actually useful ten percent of society is free to make progr
ess. Dostoyevsky advances this bizarre doctrine, not with the in
tention of proposing a viable philosophy, but rather an inane on
e, that lends weight to his portrayal of Shigalyov and his fellow
conspirators as radical "demons", themselves more caricature
s than accurate reflections of revolutionaries.
379考える名無しさん:2008/10/26(日) 21:34:50 0
高度資本主義は基本的にマイホーム、マイカー(一家一台)といった私的所有を理想としている。
共産主義は家族制度で言えば資本主義の一夫一妻制に対して一妻多夫制、一夫多妻制、所謂女性や子供の共有である。
「単一」と「マルチチュード」は弁証法的に見れば主客(広義のClass)がある限り転倒(革命)が常に潜在しており、事実上一方の独裁である。
私達は「共有」と言うと多数の一個の所有、一個の多数の所有を想像する。しかし、「一個」というものがある時点で所有の「トップダウン」から考えてしまっている。
共有の媒体を持つことは時として疎外に陥るこがある。これは一器官であった脳が身体で言えばヘゲモニーを占めるように進化した過程、
人民の機関(下僕)に過ぎなかった国家が人民を服従させた歴史、受動的で惜しみなく愛情を与える地母神が猜疑的で恐怖を与える天空父神へと変形した神話と符合する。
「皆は一人のために、一人は皆のために」
これは共産主義者がよく使ったスローガンである。
この「一人」をアウラ化(オリジナル化神聖化唯一化)してしまうと独裁のスローガンであるが、これはもっと高度に「一般人」をあらわしているのである。
つまり、いくら「複製技術」や「記号化」が進んでも固体(主体)も融け合わなければ問題が続くのである。
380考える名無しさん:2008/10/27(月) 02:54:05 0
夢で叫んだように唇は動くけれど
381銀狐の巣:2008/10/27(月) 17:57:01 0
382銀狐の巣:2008/10/27(月) 17:57:30 0
383銀狐の巣:2008/10/27(月) 17:58:27 0
384銀狐の巣:2008/10/27(月) 17:59:01 0
385考えるな無しさん:2008/10/27(月) 18:01:00 0
みんなでw
386考える名無しさん:2008/10/29(水) 21:51:40 0
>>371
思想的に最も近いのはやはり安藤昌益だろうな。
万民直耕、身分撤廃…幕藩体制の時代によくあれだけのことを
考えたもんだよ。
387考える名無しさん:2008/10/29(水) 22:38:50 0
たしかに「カムイ伝」あたりを真に受けていた活動家は安藤昌益の
影響が大きいと感じるだろうが、やっぱり違うと思う。
388考える名無しさん:2008/10/31(金) 07:47:32 0
「コミュナリズム」は地方自治の用語として使われたが、今日であ
るとあらゆる民族や宗教の対立に当てられる。コミュニズムがコミ
ュナリズムであることは無い。コミュニズムは共同体を超えた共
同性を求め、それがコミュナルとして限界化したら超越し、止揚しようとす
る現実的運動であると考える。完全completeも競争competitionも名称が示し
ているように共同性に関わるのである。マルクス以降のコミュニズムは宗教原
理主義者も民族至上主義者も資本主義者も敵にしてきた。それは固有化した既
成共同体であるからである。無限の同一共同体(脱皮もし無い)があれば革命も無
い共産主義であるが、万物は変化する。革命するのである。変化は固有の自己か
らすれば「新しい」ことを言う、外部や下部からくる。であるから既成共同体は
上部構造化し、階層化する。階級社会は「イデオロギー」という幻の装置で共同
性を回復したように見せかけるが、
一方のビジョンが抑圧しているのであり、本質が対立しているのである。
389考える名無しさん:2008/10/31(金) 08:50:06 0
超越の価値とは「過剰」余価値のことである。
超越とは余剰であり、基準から外れること、強いて言えば「区分」に対する「余分」(アウト)を言う。
市場の動向は「神の見えざる手」であるから人間を超越し、疎外している。
人間疎外を究極にまで押し進める資本主義は過剰な労働力、つまり、自らをも超越した労働力をつくりだす。そしてその「反乱」により崩壊する。
この超越性はプロレタリアの肉体に内在している。
つまり、これを否定するのでは無く、超越を「自己還元」させるのがコミュニズムである。「神」と自己を合一するのである。
故に資本主義や市場原理の無計画的計画性(超計画性)を自己回帰させるのがコミュニズムである。
390考える名無しさん:2008/10/31(金) 12:50:01 0
>389
ぴかぁ〜っぽいなw
391エターナルラブ ◆8Vylq27qIQ :2008/10/31(金) 17:05:07 0
>>390
どこが、めちゃくちゃだよ。

>市場の動向は「神の見えざる手」であるから人間を超越し、疎外している。

これを疎外とよぶなら、進化論的な自然淘汰も疎外だよ。
な。あほな!
392考える名無しさん:2008/10/31(金) 17:17:46 0
>391
>389 ぴかぁ〜っぽいなw、と書いただけで「めちゃくちゃ」とは書いてないよ。

393考える名無しさん:2008/11/11(火) 19:25:10 0
>>369
なんでマルクスなんだか…最近のマイブームはアナーキズムだな。
ロシアだったらバクーニンブームが起こってほしいもんだね。
後6年ほどで生誕百年を迎えるわけだし、バクーニンのマルクス批判は
どれも正鵠を射ているんだから。ただ彼の獄中告白には本当に参る……。
「ロシアにはどこの国にもまして独裁権力が必要です」著作集2 p.96
394考える名無しさん:2008/11/12(水) 23:01:40 0
393 失礼、生誕二百年だった。訂正する
395蝙蝠の巣:2008/11/26(水) 07:26:26 0
V. (V., 1963):ウィリアム・フォークナー賞
競売ナンバー49の叫び (The Crying of Lot 49, 1966)
重力の虹 (Gravity's Rainbow, 1973)
スロー・ラーナー (Slow Learner-Early Stories, 1984)
ヴァインランド (Vineland, 1990)
メイソン&ディクソン (Mason & Dixon, 1997)
アゲンスト・ザ・デイ(Against the Day, 2006)
396蝙蝠の巣:2008/11/26(水) 07:27:22 0
V. (V., 1963):ウィリアム・フォークナー賞
競売ナンバー49の叫び (The Crying of Lot 49, 1966)
重力の虹 (Gravity's Rainbow, 1973)
スロー・ラーナー (Slow Learner-Early Stories, 1984)
ヴァインランド (Vineland, 1990)
メイソン&ディクソン (Mason & Dixon, 1997)
アゲンスト・ザ・デイ(Against the Day, 2006)
397蝙蝠の巣:2008/11/26(水) 07:28:45 0
V. (V., 1963):ウィリアム・フォークナー賞
競売ナンバー49の叫び (The Crying of Lot 49, 1966)
重力の虹 (Gravity's Rainbow, 1973)
スロー・ラーナー (Slow Learner-Early Stories, 1984)
ヴァインランド (Vineland, 1990)
メイソン&ディクソン (Mason & Dixon, 1997)
アゲンスト・ザ・デイ(Against the Day, 2006)
398蝙蝠の巣:2008/11/26(水) 07:30:09 0
V. (V., 1963):ウィリアム・フォークナー賞
競売ナンバー49の叫び (The Crying of Lot 49, 1966)
重力の虹 (Gravity's Rainbow, 1973)
スロー・ラーナー (Slow Learner-Early Stories, 1984)
ヴァインランド (Vineland, 1990)
メイソン&ディクソン (Mason & Dixon, 1997)
アゲンスト・ザ・デイ(Against the Day, 2006)
399考える名無しさん:2008/11/26(水) 07:32:10 0
電気羊の夢を見るかw
400考える名無しさん:2008/11/26(水) 12:46:46 0
資本制社会の分析で、マルクスは生産に目を奪われすぎた。
生産という側面はあらゆる社会で重要だが、こと資本制においては
商品の価値の実現すること、つまり販売も重要視されなければならない。
401考える名無しさん:2008/11/26(水) 13:07:54 0
商品の価値を実現するのは販売じゃなくて消費では。
402考える名無しさん:2008/11/27(木) 00:18:03 O
資本制社会では、商品は生産されるとその商品に価値が含まれるのだが、
厳密に言えば、その価値はまだ確定されていないし計ることは出来ない。
なぜなら、もしその商品が交換されないのであれば、そもそも交換価値なるものは成立しない。
商品は交換、販売されることによって初めて己の保有する価値量を、
相手の商品量や金額の等価として知ることが出来、
交換(販売)されたとき商品が持つであろう価値量を現実に実現するのである。
403考える名無しさん:2008/11/27(木) 12:23:37 0
価値の源泉を労働や生産に置いたのはマルクスさんというより古典派の人たち。スミスやリカードさん。
404考える名無しさん:2008/11/27(木) 12:49:10 0
>>403
で、スミスはんやリカードはんをより発展させはったんが
マルクスはんって理解でOKでおますな。
そいと、"価値の源泉"は労働なんやけど、労働そのものには価値は
じぇんじぇんおまへんのや。
価値は商品が交換できた時点ではじめて頭をもたげるんやで。
おもしろいやろ?
これが、マルクスはんが開発しはった「価値形態論」の鳥羽口でおます。
405考える名無しさん:2008/11/27(木) 17:24:26 0
あんたの語り口のほうがおもろいで。
406考える名無しさん:2008/11/27(木) 20:39:18 O
生まれるのが早すぎた。
407考える名無しさん:2008/12/12(金) 17:19:08 0
>>404
ぴかぁ〜っぽいなw
408雀蜂の巣:2008/12/12(金) 18:09:11 0
「一つ」と大時計が云つた。
「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。
「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。
「十一」と大時計が云つた。
「十一」と皆が合槌を打つた。
「十二」と大時計が云つた。
「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。
「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。
 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。
「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。
「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
409銀狐の巣:2008/12/12(金) 18:10:16 0
「一つ」と大時計が云つた。
「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。
「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。
「十一」と大時計が云つた。
「十一」と皆が合槌を打つた。
「十二」と大時計が云つた。
「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。
「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。
 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。
「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。
「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
410海燕の巣:2008/12/12(金) 18:11:13 0
「一つ」と大時計が云つた。
「一つ」とスピイスブルク市民たる小さい、太つた爺いさん達が、谺響(こだま)のやうに答へた。「一つ」と爺いさんの懐中時計が云つた。「一つ」とお神さんの時計が云つた。「一つ」と子供達の時計や猫の尻つぽ、豚の尻つぽの時計が云つた。
「二つ」と大時計が云つた。「二つ」と皆が繰り返した。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と大時計が云つた。
「三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十を」と皆が答へた。
「十一」と大時計が云つた。
「十一」と皆が合槌を打つた。
「十二」と大時計が云つた。
「十二」と皆が答へて、大満足の体で声の尻を下げた。
「十二時だ」と爺いさん達が云つて、てんでに懐中時計を隠しに入れた。
 然るに大時計はまだこれでは罷(や)めない。「十三」と大時計は云つた。
「やあ」と爺いさん達はうめくやうに云つて、鯉が水面に浮いて風を呑むやうな口附きをして、顔の色が蒼くなつて、口から煙管が落ちて、右の膝が左の膝の上から滑つた。
「やあ、十三だ、十三時だ」と皆が歎いた。
411考える名無しさん:2008/12/12(金) 18:12:45 0
何を間違えたのかw
412銀狐の巣:2008/12/14(日) 11:33:17 0
『兵士の報酬』"Soldier's Pay"(1926年)
『蚊』"Mosquitoes"(1927年)
『サートリス』"Sartoris"(1929年)
『響きと怒り』"The Sound and the Fury"(1929年)
『死の床に横たわりて』"As I Lay Dying"(1930年)
『サンクチュアリ』"Sanctuary"(1931年)
『八月の光』"Light in August"(1932年)
『標識塔』"Pylon"(1935年)
『アブサロム、アブサロム!』"Absalom, Absalom!"(1936年)
『野生の棕櫚』"The Wild Palms"(1939年)
『村』"The Hamlet"(1940年)
『墓地への侵入者』"Intruder in the Dust"(1948年)
『尼僧への鎮魂歌』"Requiem for a Num"(1951年)
『寓話』"A Fable"(1954年)
『町』"The Town"(1957年)
『館』"The Mansion"(1959年)
『自動車泥棒』"The Reivers""(1962年)
413銀狐の巣:2008/12/14(日) 11:34:02 0
『これら十三篇』"These 13"(1931年)
『医師マルティーノ、他』"Doctor Martino and Other Stories"(1934年)
『征服されざる人々』"The Unvanquished"(1938年)
『行け、モーセ』"Go Down, Moses"(1942年)
『ポータブル・フォークナー』"The Portable Faulkner"(1946年)
『駒さばき』"Knight's Gambit"(1949年)
『フォークナー短編集』"Collected Stories of William Faulkner"(1950年)
『大森林』Big Woods(1955年)
『ニューオリンズ・スケッチ』"New Orleans Sketches"(1955年)
414銀狐の巣:2008/12/14(日) 11:35:15 0
『大理石の牧神』"The Marble Faun"(1924年)
『緑の大枝』"A Green Bough"(1933年)
415銀狐の巣:2008/12/14(日) 11:38:03 0
416考える名無しさん:2008/12/14(日) 11:39:17 0
417考える名無しさん:2008/12/15(月) 16:57:57 0
端的に言えばプロレタリートとブルジョワジーが正反対の存在と思い込んだからではないだろうか?
実際プロレタリートの英雄(笑)たるべき書記長なり総書記が圧政を敷いたブルジョワジーに劣らないほどの圧政を敷いた点(毛沢東にしてもスターリンにしても)を見ればそれがよくわかる

プロレタリートはプロレタリートという状況にいるからプロレタリートなのであって、あくまでプロレタリートであるわけではない

カストロとか例外はまた今度
418考える名無しさん:2008/12/15(月) 17:51:54 0
マルクスにとっては
土台:資本主義
上部:共産主義
であって、この両者は矛盾しない。
419考える名無しさん:2008/12/18(木) 02:17:37 0
労働者は実は怠け者あるいは自分も非産者になりたいがゆえに共産主義
を信望しているにすぎない点
420考える名無しさん:2008/12/18(木) 15:00:34 0
>>419
それの何が悪い? マルクスは資本主義がそれを実現するだろうと考えた、
実は、資本主義万万歳の人だったんだよ。どう? マルクス観が変わったでしょ?
421考える名無しさん:2008/12/22(月) 21:21:55 0
わたしはマルクス主義者ではない by カール・マルクス

全マルクス主義者が反資本主義だと決定すれば、その逆説は真になる
422考える名無しさん:2008/12/23(火) 15:27:15 0
マルクスは何もまちがっちゃいないよ。
ていうか、マルクスの「間違い」っていうこと程度ならどんな思想家だってあること。
完全無欠じゃおまへん。完全無欠ととらえた時から、シンパもアンチも基本的に同類。
勝手に曲解したり、拡大解釈したり、我田引水しまっくた有象無象がバカというだけ。
本当に考える力がある人間なら、何でも丸呑みせずにその思想家の可能性の中心を引き出すこと。
できないのに何でも元祖のせいにしちゃいけないよ。
423考える名無しさん:2008/12/23(火) 16:38:19 0
間違うも何も一貫して転向しまくってきた人だからな。
転びの天才だよ。
424考える名無しさん:2008/12/23(火) 21:58:31 0
なら、そこから学ぶことだな。
人のせいにすべきじゃないってこと。
425考える名無しさん:2008/12/23(火) 22:15:27 0
まぁ
マルクスは本当に貧乏人だったからな。
貧乏人思想というものは世界中で共通してるわ。
426考える名無しさん:2008/12/23(火) 22:35:03 0
私達ボランティアで恵まれないアフリカの子供達のためにやってます。
見せられた寄付帳が三千円や五千円ばかり。
はぁ?
五百円なら寄付してやるよ、と思った私が馬鹿だったよ。
あいつら某団体の金集めじゃねーか。

みんなも恵まれない子達の為にボランティアでやってますという人達に言ってやれ。
「君たちボランティアなら、普段は何の仕事してんの」
ってさ。
マルクスを否定はしないけど、なんか共通した貧乏人正義を感じざるを得ないよ。
427考える名無しさん:2008/12/24(水) 01:33:16 0
ボランテイアってのは無報酬の活動ってこと。
すべてのNPOやボランティアの仕事を詮索してどうすんだ。
それこそスターリニズムのいやらしさだろ。
同意できなけりゃ出さなきゃいいだけ。
428考える名無しさん:2008/12/24(水) 02:10:12 0
無報酬ではないぜ。
本当にボランティアの気持ちででやっているならば、彼等彼女達それで食っているとしても寄付する
よ。
ほとんど9割が社会から外れてしまっている連中だ。就職できなかったって人達なんだよ。
そんな人達が急に世界平和のためにやってますと正義をみせられてもね。
ちなみに俺は世界平和のために寄付をしている男だよ。

君は寄付なんてしたことないだろう。私には肌で感じてわかるよ。
文面からすべてが理解できるさw
429考える名無しさん:2008/12/24(水) 11:35:21 0
>>428
>そんな人達が急に世界平和のためにやってますと正義をみせられてもね。
 ちなみに俺は世界平和のために寄付をしている男だよ。

お前さんは何をえばってるんだ。ウエっとくる文体だぜ。
どこに寄付をしようがしまいがお前さんの勝手で、見得を切るようなことでもないだろ。
そういう自分の態度こそ見苦しいんだとは思わないのか。
繰り返すが、お前さんが疑問を感じたり同意できなかったら出さなきゃいい。それだけのことだ。

ところで俺は、街頭の赤い羽根募金や歳末募金の他に特別に寄付などしたことはないが、それがどうしたのか?
世の中の一般的な9割程度の人がそういう人だと思うが、そういう人と「平和のために寄付している」お前と
比べてどうだというのだ?
募金程度の他に特別に寄付をしたことがない人間を「肌で感じてわかる」お前ってすごくキモイ人間だと思わないのか?
それが分からなきゃ救いようがないよ。

>みんなも恵まれない子達の為にボランティアでやってますという人達に言ってやれ。
「君たちボランティアなら、普段は何の仕事してんの」ってさ。

自分が納得したなら寄付すればいいし同意できなければ出さなきやいいんだ。それだけ。
お前のように、おせっかいに他人にアナウンスするようなことではないんだよ。
そういうお前さんの態度がキモイっつうの。わかったか。

430考える名無しさん:2008/12/24(水) 11:57:35 0
街頭寄付は詐欺もまじってるらしくて、その見分けがつかないからやめとけ。
すべてのNPOをひっくるめて悪いと決め付けるのは調査不足だと思うぞ。
それに、NPOにもシステム的な事情がある。専任者は生活しなきゃいけないから
当然会費から給料がでる。ただ企業ではないから、
金銭的利益を生む活動ではなく預かった金を全てNPO活動にあてるため、
ボーナスや配当などはない。
 ぜひ寄付したいけど、騙されたくない、っていうのなら、自分で事務所に足を運んで、
活動内容を聞いて、寄付したい活動分野について、さらに具体的な活動の質問をして、
活動内容をさらけださせて、最後にそれにかかる年間収支表をみせてもらえばいい。
普通のNPOなら、あれどこだっけーといいつつ資料の山からちゃんと掘り出してくるはず。

431考える名無しさん:2008/12/24(水) 12:01:44 0
432考える名無しさん:2008/12/24(水) 12:03:36 0
違った。>>431はなし。
>>430>>426
433考える名無しさん:2008/12/24(水) 13:19:52 0
統一協会の詐欺も多いしね。
434考える名無しさん:2008/12/29(月) 01:45:21 0
マルクスが消費者の視点をほとんど入れてないのは抽象された価値の源泉としての
抽象的な労働力という観点に魅入られた錯誤ということで片づけてもいいのでしょうか。
あるいは、消費よりも生産力こそが重要だった当時の社会状況の中でマルクスに消費者の観点が
見えてなかったということでしょうか。

いずれにせよ、消費者の欲望をいかに動かすかが重要な現代において、マルクスの議論はやや的外れに
なってしまっているというという一面もあって、マルクス主義のイデオロギーではない本来のマルクス思想
でさえも、相対化されてしまっている気がしないでもありません。
435考える名無しさん:2008/12/29(月) 02:05:15 0
>本来のマルクス思想でさえも、

本来のマルクス思想とは?
簡潔に。
いわゆる妬みなき平等な社会を築けるということですかねw w w
436考える名無しさん:2008/12/29(月) 02:56:04 0
産業社会の生産力が機械化によってマルクス自身の予想をはるかに上回るスピードで増大してしまったために
労働者が本来少ししか持っていなかった商品の消費者という側面が決定的に大きくなったということを言いたいのかな。
437考える名無しさん:2008/12/29(月) 12:18:53 0
マルクスの生産もしくは労働概念は広いから消費までも包含されちゃうんだよね。
生産=消費というふうに考えていたとすら思われる。資本主義においては消費も生産の循環のうちだと。
438考える名無しさん:2008/12/29(月) 18:58:47 0
マルクスの発想では、労働者の個人消費は労働力の再生産。
資本の自己増殖のために労働者はパンを食わされている。
マルクスがモデルにした資本主義では労働者はそういう存在。
439考える名無しさん:2008/12/29(月) 21:53:24 0
トラックが石油飲んで走り回るように労働者もパンを食って働かされる。

ところが現代における先進諸国の労働者は自家用車や持ち家を持っていて
全然プロレタリアートじゃないのな。
440考える名無しさん:2008/12/30(火) 02:31:21 0
>>420

知ってるけど、それいったらこのスレ意味ねぇし、
441考える名無しさん:2008/12/30(火) 20:32:59 0
>>439
そうか? だったらなんで今の日本、雇用問題であくせくしている人たちがいるの?
やっぱり労働力を売らないと生活が成り立たない人がいまだにいるからでしょ。
442考える名無しさん:2008/12/30(火) 20:40:02 0
>マルクスはなにを間違えたのか

なにもかもですが何か?

正しい事を一つも言わなかったのは
マルクスぐらいのもんですw
443考える名無しさん:2008/12/31(水) 00:42:40 0
雇用問題であくせくしている人が出てきたのはここ数年の問題。
444考える名無しさん:2008/12/31(水) 00:55:56 0
雇用問題は以前からある
少ないと無視され、多いと問題視される
少数←は人間じゃないというのがヒト化の動物の総意ってことだね
445考える名無しさん:2008/12/31(水) 01:03:24 0
派遣切り、即ホームレス?
ttp://kiyotani.at.webry.info/200812/article_8.html
446考える名無しさん:2008/12/31(水) 01:37:53 0
雇用問題以前に外国人労働者を入れすぎてるな
447考える名無しさん:2008/12/31(水) 01:51:57 0
それも資本家、というか、企業の要請、つまり資本家社会の要請によるものなんでしょ。
それを政治で統制しようとする発想は社会主義であり計画経済だよ。
448考える名無しさん:2008/12/31(水) 02:07:24 0
だから自由経済は計画経済に変異しうるしその逆もそうなんだよ。

コインの表と裏でしかない。
449考える名無しさん:2008/12/31(水) 13:37:50 0
資本家的生産様式にとってグローバル化は避けられない。
社会秩序、すなわちそれを統制する政治は、経済原理に従属するほかない。
これが唯物史観。
450wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/12/31(水) 13:49:03 0
>>449
<社会秩序、すなわちそれを統制する政治は、経済原理に従属するほかない。 >

では、何故、その「統制主体」が、FTA等の制約にとどまり、国家の枠を超えていかないのでしょうか?
451考える名無しさん:2008/12/31(水) 21:42:58 0
もしマルクス派が第一インターナショナルでバクーニン派との権力闘争に
敗れていたら、その後の世界史はまったく違う方向に進んでいただろう。
少なくともマルクス個人がこれほどの名声(悪名)と権威(または反権威
の名誉)を敵味方双方から獲得することはおそらくなかっただろう…
452考える名無しさん:2008/12/31(水) 21:51:31 0
いまロシアや中国が抱えてる問題が、
そのままマルクス論の欠陥だとおもう。

労働の量は評価されるが、質が評価されにくいところとか。
経営者、労働者、役人、国民のモラル低下とか。

上質な労働力を生み出すために必要な人間の精神活動にかかわる分野
文化、宗教、知性、などは労働力の根源になると思うが、
マルクスは上部構造にカテゴライズしてしまった。
453考える名無しさん:2008/12/31(水) 21:58:44 0
それはむしろ『オリエンタル・ディスポティズム』固有の問題
454考える名無しさん:2009/01/01(木) 02:36:46 0
ウィットフォーゲルの怪しい造語をそのまま鵜呑みにはできないな
455考える名無しさん:2009/01/01(木) 14:06:21 0
>>452
ソ連が宇宙開発の分野でそれなりの先進的技術を誇ったのは
労働の質が評価されていたからだと思うけど。
456考える名無しさん:2009/01/01(木) 14:22:55 0
初期は学者の質が高かったんだよ
457考える名無しさん:2009/01/02(金) 00:47:22 0
マルクスの「生産中心主義」はけっきょくどこがまちがっていたのですか?
458考える名無しさん:2009/01/02(金) 06:37:36 0
>>455
今時そんな事言っている人間がいるとは驚き。
敗戦ドイツからV2の科学者、技術者を大量に拉致してきたからですよ。
アメリカだって、まともにロケット飛ばせるようになったのは、フォン・ブラウンをトップにしてから。
459考える名無しさん:2009/01/02(金) 15:32:39 0
それが本当だとしてもソ連邦政府が労働の質を評価していたからこその話でしょう。
460考える名無しさん:2009/01/02(金) 16:29:17 0
宇宙開発は質の高いエリートだけで成した事。

一般の工業製品は極めて質が低い。

その昔ブレジネフが党大会で靴の品質について長演説をやったぐらい酷い。
461考える名無しさん:2009/01/02(金) 22:38:21 0
産業的にはもともと後進国だったんだから。
そんな貧困国が米国とタイマン張り合っただけでも凄いよ。
逆にいうと、そこで人道的な多大な犠牲を強いたんだけどね。
462百姓:2009/01/03(土) 23:07:55 0
>452
>経営者、労働者、役人、国民のモラルの低下とか。
 御主も責任重い立場の方ですか?

>文化、宗教、知性、などは労働力の根源になると思うが、
 マルクスは上部構造にカテゴライズしてしまった。

 なんだか可愛いね。
463考える名無しさん:2009/01/07(水) 09:25:47 0
オメエはブス可愛い。
464考える名無しさん:2009/01/07(水) 09:35:49 0

 ル・サンチマン™、また言い負けたの(笑)?



465堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/08(木) 18:58:20 0
・革命志向・経済的関心が強かったこと
・そのために唯物論を矮小化して利用したこと

に尽きます。
466考える名無しさん:2009/01/08(木) 20:22:08 0
>>460
「一般の工業製品」ってノモンハン事件で日本はソ連に飛行機でも戦車でも
負けてるんですけど。
467考える名無しさん:2009/01/09(金) 00:31:41 0
飛行機や戦車は特殊な軍需産業であって一般の工業製品ではないな。

あとノモンハン事件の頃はソ連軍の飛行機戦車の数量に圧倒されたが質は日本がむしろ上だった。
まだ日本の工業レベルが低い時代だったのにね。
468考える名無しさん:2009/01/09(金) 02:28:24 0
>>442
馬鹿乙ww
469考える名無しさん:2009/01/09(金) 13:44:26 0
馬鹿と呼ばれる労働者が多いほうが、社会にとって資本家にとって都合がいい?
そうゆう労働者を社会は、再生産してる?
470考える名無しさん:2009/01/09(金) 15:06:42 0
馬鹿と呼ばれる労働者が多いほうが、社会にとって共産党にとって都合がいい。
そうゆう労働者を社会は、再生産してる。

労働者は余計な知識や自分自身の考えを持つことはは不要でありむしろ有害であるから非難されるべき。
なぜなら前衛政党である共産党が頭脳であり、手足に過ぎない労働者農民を指導するからである。
471考える名無しさん:2009/01/10(土) 13:32:42 0
「共産党」という一つの権力の分散構造を構築しなかったこと。
これが一番だとは言わないが、重大なミスには違いない。
472考える名無しさん:2009/01/10(土) 20:14:58 0
知識をも自分たちの保有物として学校制度を通じて文化的に再生産しているブルジョアジーにとって、
馬鹿も秀才も自分たちの手中にあるんだよ。
473考える名無しさん:2009/01/10(土) 20:20:38 0
ブルジョア文化とその権力を正統化すべく創り出した学校制度と学歴社会。
労働者は学校制度を通じて賢くなっているつもりでいるが実はちがう。

ブルジョア文化を我が物とすることで、ブルジョアイデオロギーの信者となり、
その支持者となる。そこから落ちこぼされた者もまた学校制度たるブルジョア文化
の再生産装置を崇拝して疑わなくなり、それによって貼られた馬鹿のレッテルを受け入れる。

こうしてブルジョアイデオロギーの再生産が貫徹するというわけ。
474考える名無しさん:2009/01/11(日) 05:55:12 0
本物の馬鹿はつまらないな。

初めから決まっている結論にむかってくだらない説を得々と語っているだけだから。
475考える名無しさん:2009/01/11(日) 06:33:28 O
チガア
476考える名無しさん:2009/01/11(日) 06:48:47 O
哲学好きな奴に金がない奴が多いのはなぜ?
477考える名無しさん:2009/01/11(日) 06:55:17 O
三途の川の渡し賃くらいは持ってるだろ。
478考える名無しさん:2009/01/11(日) 07:11:31 O
カネ儲けならカーネギーとナポレオン・ヒルとドラッガーだろ。船井総研とか。

サクセース
479考える名無しさん:2009/01/11(日) 07:23:46 O
ロックフェラーのジジィの自伝のサイン会とか泣ける。

アメリカって国。
480考える名無しさん:2009/01/11(日) 07:33:27 O
埼玉県川越市のいもでも食うか サクセース
481考える名無しさん:2009/01/11(日) 20:32:15 0
ロックフェラーのサイン会は日本でも…
482:2009/01/11(日) 20:36:29 O
マルクス主義もろくなことはない。みての通りカンボジアのポル・ポト、北朝鮮のソ連派中国派アメリカ派・ロシアのスターリンみんな粛正してんじゃん。かなり酷い
483:2009/01/11(日) 20:39:00 O
パチンコやると北朝鮮のことがわかる。韓国人はこれいじやるとまずい。お陰で今日ようやく勝てた。ライトだから換金少ないけど
484考える名無しさん:2009/01/11(日) 20:39:40 0
>>476
品性の劣った馬鹿どものつくりもの、制度に乗っからない人達が殆どだから。
そもそも、この作られた資本主義社会体制を馬鹿、コケにしているから。
485考える名無しさん:2009/01/11(日) 20:40:53 0
それがわからんのですよ、女とか女とか女とかw
486考える名無しさん:2009/01/11(日) 20:48:25 O
484駄目馬鹿、駄目にしてるからは駄目
487:2009/01/11(日) 20:57:35 O
ちょっとみんなこれから大変になるけど大丈夫。政治は後女は愛
488:2009/01/11(日) 21:01:06 O
後松尾は埼玉でパチンコやって。川1000から出来るから少しくらい
489:2009/01/11(日) 21:18:39 O
家は母親の男の方が4群 女の方が2群があって4群もある。父方の父親には2群があって母方には2群はあるが1群はない?ある?渡辺に聞くといい
490考える名無しさん:2009/01/13(火) 17:09:35 0
資本主義の欠陥は?
491考える名無しさん:2009/01/13(火) 17:15:42 0
>490
景気循環による定期的恐慌。
492考える名無しさん:2009/01/13(火) 17:55:43 0
それだけかな
493考える名無しさん:2009/01/13(火) 18:42:00 0
過度の競争とか。
494考える名無しさん:2009/01/13(火) 18:53:55 0
>492
資本家による労働者からの搾取、貧富の拡大、資本の自己増殖とか言うなよ。
495堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/13(火) 19:38:23 0
あと過剰適応とかね。
496考える名無しさん:2009/01/13(火) 19:40:13 0
>495
たま〜にだけど、グサっとくる用語を使うね。
497考える名無しさん:2009/01/13(火) 21:45:22 0
マルクスによれば労働者の賃金でさえ商品の価格と同じく、
労働者を労働者として育て上げ
維持させるための社会的必要労働時間によって決定されるという
労働によって社会の全てを一貫して説明しようとする論理性に感動した。

したがって、高学歴ホワイトカラーほど高い俸給をもらえて
低学歴の単純労働者ほど低い賃金しかもらえない、
今の現状が正当化できる。魔法の言葉だな、社会的必要労働ってヤツは。
498考える名無しさん:2009/01/14(水) 00:55:38 0
労働を世俗化し、労働からの解放を目指したマルクスに反して、
スターリンもヒトラーも反対に労働を聖化してしまった。
人々に直接間接に強制労働を課し、労働力にならぬ者を国の経済発展に貢献せぬ
社会の屑とみなして徹底的に排除しようとした。
アウシュビッツの門には「働けば自由になる」という文句が刻まれていた。
新自由主義の唱えるワークフェア(ワークシェアリングじゃないよ)はまさにこの論理。
499考える名無しさん:2009/01/14(水) 02:53:38 O
コンビニでバイトしててつり銭を間違えました
500考える名無しさん:2009/01/14(水) 03:36:46 0
革命家のイメージってほとんど失墜したけど、
ファッション混じりとはいえゲバラだけは見事に残ったよな
なんだかんだ言ってこれはけっこうすごい
501考える名無しさん:2009/01/14(水) 05:23:17 0
「良い革命家は、死んだ革命家だけだ」って事でしょw
502考える名無しさん:2009/01/14(水) 09:54:28 O
「テロは最悪の手段だが、もっと悪いのは何の抵抗もしないこと」って
のはロパーチンか誰だか。
503考える名無しさん:2009/01/14(水) 10:49:09 0
> アウシュビッツの門には
> 「働けば自由になる」という文句が刻まれていた。

アウシュビッツを造ったのは、
国家社会主義ドイツ労働者党政権であり、
それに反対する立場が、ハイエクなどの自由主義者。
504考える名無しさん:2009/01/14(水) 15:24:35 0
それはマルクスを誤解した俗説。マルクスは社会主義者ではない。
ましてや国家社会主義ではない。ソ連もナチスドイツも正しくは国家資本主義。

資本主義がプロテスタンチズム的な労働道徳のディシプリンを農民に叩き込んで
労働者階級に仕立て上げたことはヴェーバーやフーコーらが指摘しているとおり。
505考える名無しさん:2009/01/14(水) 15:26:33 0
ハイエク的な自由主義がニセの自由主義、観念論的自由主義であることをマルクスは喝破した。
唯物論的な大衆(労働者階級)の自由を実現してこそ真の自由主義であるという立場に立った。
506考える名無しさん:2009/01/14(水) 15:33:34 0
ブルジョワ的な自由主義は、封建社会と大差のない、結局のところ格差の再生産(身分制度)をもたらす
運命にある野蛮な段階でしかなく、実質的自由とはほど遠い偽性的な自由主義にマルクスの目には映った。
ゆえにマルクスは真の自由主義、リアルな唯物論的自由主義を唱えた。それがマルクス的共産主義。
507考える名無しさん:2009/01/14(水) 22:37:33 0
共産主義と、自由主義は、まったく相容れない。
一般市民の財産を没収し、共産党が占有するなど、
他者の財産の強奪(強盗)でしかない。
また、それは他者の自由の抑圧でもある。
共産主義者のデマなど、真の自由主義者には通じない。
508考える名無しさん:2009/01/14(水) 23:49:22 0
俺に相談してくれていれば、こんなことにはw
509考える名無しさん:2009/01/15(木) 02:41:50 0
マルクスは
資本家が剰余価値を搾取できないように生産手段の
社会全体の共有を主張しているのであって
個人の財産の共有など主張していないはずだ。
(もちろんその生産手段とはサラリーマンの日曜大工用具などではない、
社会的必要労働によって価値が生み出される生産手段だけだ)
510考える名無しさん:2009/01/15(木) 12:05:48 0
> …生産手段の社会全体の共有を主張しているのであって
> 個人の財産の共有など主張していないはずだ。

個人の財産である生産手段を、対価も払わずに共有しようとすれば、
それは、その個人から当該財産を部分的に“盗む”のと同じこと…。
また、個人の財産である生産手段を、
その個人が、売りたくない場合や、無償での共有の意思の無い場合などは、
原則的に合法的な、共有など有り得ない。
511考える名無しさん:2009/01/15(木) 12:14:27 0
ブルジョア自由主義者ってのはブルジョワジーの自由ばかり特権的に主張して、
それへの規制を強制だ全体主義だと騒ぎ立てる。プロレタリアートの自由には疎い。
512考える名無しさん:2009/01/15(木) 13:18:23 0
雇用を創出するために無理に消費させられる。無限の消費のために限りなく働かされる。
まさしく、労働のための消費、労働のための労働になってしまっている高度資本家社会の現状。
その労働を転がして遊んでいるマネーゲーム。人的資源論という名の労働スターリニズム。
限りない労働のための歯車としてしか人間を見なしていない新保守主義的経済学。
513考える名無しさん:2009/01/15(木) 13:20:59 0
>512
>人的資源論という名の労働スターリニズム

ここkwsk.
514考える名無しさん:2009/01/15(木) 13:28:49 0
>>513
図星でしたか? 笑った顔がひきつっていますよw
515考える名無しさん:2009/01/15(木) 15:42:42 0
共産主義=財産の私有、世襲を否認し、搾取のないあらゆる人間が平等に生活する
社会をうちたてようとする思想。勿論、共産主義にも欠陥はある。
516考える名無しさん:2009/01/15(木) 15:51:40 0
>515
>勿論、共産主義にも欠陥はある。

共産主義社会が、「搾取のないあらゆる人間が平等に生活する社会」であるとして、どういう欠陥がありますか?
勿論、方法論/機能論等ではなく、「思想」としてですが。
517考える名無しさん:2009/01/15(木) 18:50:04 0
マルキシズム=マルクスの提唱した 社会発展 に関する理論体系。らしい。
北朝鮮もいい国をつくろうとしているのに、アメリカが敵視する理由は?
経済さえ良くなれば、北朝鮮は良い国になるのでは?
偏らずに考えてみよう。
518NAS6 ◆kl1JWE6W72 :2009/01/15(木) 18:58:57 0
搾取ばかり考えてたら食いつぶすだけでしょ
与える事です
いらないからあげますよで良いんです
得ると苦しむからね
519堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/15(木) 19:05:27 0
という偽善的なこと言う奴に限って現実には与えていないという自己矛盾w

それゆえに、Adam Smith的な、「利己的行動が結果として公共性を帯びる」
という市場の「見えざる手」(Invisible hand)に頼らざるを得ないわけです。
520NAS6 ◆kl1JWE6W72 :2009/01/15(木) 19:08:53 0
>「見えざる手」
神の手が見えますか?www
521堀井文隆 ◆1pa6FdTE8I :2009/01/15(木) 19:17:09 0
「神の」じゃないんだよね。
ことほどさように、無知は悲しいものです。
522考える名無しさん:2009/01/15(木) 20:00:44 0
>>510
こいつ社会主義にたいする偏見ぶった表面的な知識だけで
核心である経済学は何もしらねぇで語ってるな。
そういう連中が多いんだよな。
523考える名無しさん:2009/01/15(木) 22:56:00 0
>>515
「生産手段」と「財産」を混同していないか?

>財産の私有、

当然ながら、マルクスの共産主義社会でも生活消費財は私有のはずだが?
パンもブラジャーも歯ブラシも私有できないのか??

>世襲を否認し、

父の愛用の万年筆も父が死んだら没収されるのか?
マルクス自身は亡妻の遺品を相続したし、自分の遺品は娘たちに相続させたが??

>搾取のない

「搾取」(Exploitation、他人を自分に都合よく利用すること、食い物にすること)はないだろう。
しかし社会共同体とその生産を維持するために必要な共同コストの「拠出」がなくなることはない。

>あらゆる人間が平等に生活する社会をうちたてようとする思想。

マルクスがどこかで「平等な生活」を主張したか?そもそも何をもって「平等な」状態と称するのか?
英国人にも、パンではなくて、日本人と同じ消費量の米を支給するのか??
マルクスは、「各人の同一時間の労働」でなく、「各人の能力に応じた労働」を主張していないか?
「各人への平等な配分」ではなく、「各人の必要に応じた配分」を主張したのではないか??

>勿論、共産主義にも欠陥はある。

kwsk
524考える名無しさん:2009/01/16(金) 15:14:21 0
パン、ブラジャー、歯ブラシなんて、生活必需品だろ、配給だよ。
それと、世襲、社会的立場の世襲を言っているんじゃないか。
平等の定義は知らないが、平等で悪いことあるか。
欠陥については、知らないが。
525考える名無しさん:2009/01/16(金) 20:55:56 0
>>519
Private Vices, Publick Benefits(私的悪徳こそ公益)という意見もある。
この意見を提出したマンデヴィルはInvisible handに頼らず自論を展開したぞ。
526考える名無しさん:2009/01/16(金) 20:59:36 0
>525
そういうこと言うならケインズだろ。
偽善でも悪徳でもない合理的精神だけど。
527考える名無しさん:2009/01/17(土) 22:46:52 0
こういうときだけケインズ頼みの経済学者wwwwwwwwwwwwwwwwww
528雀蜂の巣:2009/01/30(金) 10:39:57 0
1961 L'Histoire de la folie à l'âge classique
『狂気の歴史』 田村俶訳、新潮社、1975年、ISBN 4105067028
1963Naissance de la clinique
『臨床医学の誕生』 神谷美恵子訳、みすず書房、1969年、ISBN 4622022176
1975 Surveiller et punir, naissance de la prison
『監獄の誕生』 田村俶訳、新潮社、1977年、ISBN 4105067036
1966 Les mots et les choses
『言葉と物』 渡辺一民・佐々木明訳、新潮社、2000年、ISBN 410506701X
L'Archéologie du savoir
『知の考古学』 中村雄二郎訳、河出書房新社、1995年、ISBN 4309706118
La volonté de savoir (Histoire de la sexualité, Volume 1)
『知への意志 性の歴史1』 渡辺守章訳、新潮社、1986年、ISBN 4105067044
L'usage des plaisirs (Histoire de la sexualité, Volume 2)
『快楽の活用 性の歴史2』 田村俶訳、新潮社、1986年、ISBN 4105067052
Le souci de soi (Histoire de la sexualité, Volume 3)
『自己への配慮 性の歴史3』 田村俶訳、新潮社、1987年、ISBN 4105067060
Dits et ecrits
『ミシェル・フーコー思考集成』筑摩書房
529雀蜂の巣:2009/01/30(金) 10:40:30 0
1961 L'Histoire de la folie à l'âge classique
『狂気の歴史』 田村俶訳、新潮社、1975年、ISBN 4105067028
1963Naissance de la clinique
『臨床医学の誕生』 神谷美恵子訳、みすず書房、1969年、ISBN 4622022176
1975 Surveiller et punir, naissance de la prison
『監獄の誕生』 田村俶訳、新潮社、1977年、ISBN 4105067036
1966 Les mots et les choses
『言葉と物』 渡辺一民・佐々木明訳、新潮社、2000年、ISBN 410506701X
L'Archéologie du savoir
『知の考古学』 中村雄二郎訳、河出書房新社、1995年、ISBN 4309706118
La volonté de savoir (Histoire de la sexualité, Volume 1)
『知への意志 性の歴史1』 渡辺守章訳、新潮社、1986年、ISBN 4105067044
L'usage des plaisirs (Histoire de la sexualité, Volume 2)
『快楽の活用 性の歴史2』 田村俶訳、新潮社、1986年、ISBN 4105067052
Le souci de soi (Histoire de la sexualité, Volume 3)
『自己への配慮 性の歴史3』 田村俶訳、新潮社、1987年、ISBN 4105067060
Dits et ecrits
『ミシェル・フーコー思考集成』筑摩書房
530雀蜂の巣:2009/01/30(金) 10:41:19 0
1961 L'Histoire de la folie à l'âge classique
『狂気の歴史』 田村俶訳、新潮社、1975年、ISBN 4105067028
1963Naissance de la clinique
『臨床医学の誕生』 神谷美恵子訳、みすず書房、1969年、ISBN 4622022176
1975 Surveiller et punir, naissance de la prison
『監獄の誕生』 田村俶訳、新潮社、1977年、ISBN 4105067036
1966 Les mots et les choses
『言葉と物』 渡辺一民・佐々木明訳、新潮社、2000年、ISBN 410506701X
L'Archéologie du savoir
『知の考古学』 中村雄二郎訳、河出書房新社、1995年、ISBN 4309706118
La volonté de savoir (Histoire de la sexualité, Volume 1)
『知への意志 性の歴史1』 渡辺守章訳、新潮社、1986年、ISBN 4105067044
L'usage des plaisirs (Histoire de la sexualité, Volume 2)
『快楽の活用 性の歴史2』 田村俶訳、新潮社、1986年、ISBN 4105067052
Le souci de soi (Histoire de la sexualité, Volume 3)
『自己への配慮 性の歴史3』 田村俶訳、新潮社、1987年、ISBN 4105067060
Dits et ecrits
『ミシェル・フーコー思考集成』筑摩書房
531考える名無しさん:2009/01/30(金) 10:42:28 0
わざと間違えた
532考える名無しさん:2009/01/31(土) 22:50:08 0
>524
共産主義って、労働力が商品として扱われない社会のことじゃない。
パンティーとかブラジャーとかは、きわどいデザインのものが欲しい女はこずかいで買えばいいんじゃない。
533考える名無しさん:2009/02/01(日) 12:31:02 0
ブルジョア社会の思惑であるプロレタリア階級の再生産に失敗しているから
ブルジョア社会にとっても問題だわな。

ヴェーバーが論じたプロテスタンチズムの倫理もしくは資本主義の精神の
ディシプリン権力がうまく再生産できなくなっている。
534考える名無しさん:2009/02/03(火) 15:26:21 0
女の共有、家族の廃止、私有財産の廃止。
マルクスとエンゲルスは
この共産批判にさらされる核心的な部分を
難解な・衒学的な・気取った言い方をすることに囚われて
はっきりと書かなかったのが誤り。 
なんで労働者に分かりやすく書かなかったんだ。
535考える名無しさん:2009/02/03(火) 15:34:29 0
男も共有しろよw
536考える名無しさん:2009/02/03(火) 16:11:27 0
多夫多妻制にすればY染色体の寿命が少しは伸びるね。
537考える名無しさん:2009/02/03(火) 16:54:45 0
>>535
男は本能的に若い処女とやりまくりたいからな、
権力を握ればそりゃ小中学校ごと自分の下に集めてやりたい放題だろ。
エンゲルスは著書で
女性の性が、封建領主から資本家に独占されていることに激怒している。
だから女の共有はめちゃくちゃ重要な命題なんだろうよ
538考える名無しさん:2009/02/04(水) 00:22:11 0
>>537
おまい処女を知らないだろ
どんだけめんどいか・・も
539考える名無しさん:2009/02/04(水) 16:53:28 0
女は後家に限る。
540考える名無しさん:2009/02/05(木) 22:50:01 0
マルクスは価値形態を発見しただけで十分偉大。あとは別に共産主義にならなくても、大した問題ではない。
商品の価値が労働時間で決まるのではなく、なんか知らないうちに決まる、ということを世界で初めて発見した。
541考える名無しさん:2009/02/05(木) 23:09:56 0
>>540
なに言ってんの?
542考える名無しさん:2009/02/06(金) 02:46:27 0
マルクス「商品の価値はなんか知らないうちに決定されるものだ」
543考える名無しさん:2009/02/06(金) 03:43:58 0
新説が出たな
544考える名無しさん:2009/02/06(金) 03:47:33 0
まるで古代の偉大な格言みたいだw
545考える名無しさん:2009/02/06(金) 17:35:54 0
>>540
それって、記憶ちがいでなければ、柄谷行人氏あたりのマルクス解釈っぽいな。違ったっけ?
546考える名無しさん:2009/02/06(金) 18:25:05 0
柄谷+岩井+浅田+宇野かな〜。そういった系列の人たちの影響を強く受けています。
547考える名無しさん:2009/02/06(金) 18:29:41 0
馬克思をナーメンナヨウ
548考える名無しさん:2009/02/06(金) 18:57:43 0
マルクス主義は革命だ
自分自身の話になると、もはやマルクス主義に留まれない。
むしろ、間違えて当たり前。
だから、駄目になるべくして駄目になった。ポストマルクスを考えてください。
549考える名無しさん:2009/02/06(金) 20:21:24 0
マルクスを読んでいると、「資本家社会(ブルジョア社会)そのものが(共産社会への)長い革命だ」
と論じているようにさえ理解できるんだよな。政治革命じゃなくても血なまぐさいことが起きているし。
550考える名無しさん:2009/02/06(金) 20:37:02 0
>「資本家社会(ブルジョア社会)そのものが(共産社会への)長い革命だ」

え、俺なんとなくそう理解していたけど… 。
レーニン以下ボリシェヴィキの構成員も、そういう意識があったから、自分たちの殺戮(内戦時など)を内面(心理)で許容できてたんじゃないかな。
どっちにしろ殺戮が起こるんなら、いま自分たちがしても構わないんじゃないか、というふうに。
ジェルジンスキーとかね。
スターリン、エジョフ、ベリヤあたりはそういう葛藤は無さそうだが
551考える名無しさん:2009/02/06(金) 21:48:22 0
革命の意味を狭義にとらえすぎているようで(^^;)
資本主義社会そのものが社会を変革していく進歩的システムであるという意味です。
ただし平和的システムであるかどうかは分かりません。一種の弱肉強食は起こっているでしょう。
552考える名無しさん:2009/02/06(金) 23:13:53 0
革命って誰を倒すの?軍産複合体?ロスチャイルド?官僚?
しかもどうやって倒すの?選挙?次の選挙で共産党が負けた場合は?
553考える名無しさん:2009/02/06(金) 23:33:47 0
>>552
リアル中坊、せめて「共産党宣言」読んでから来いや。
554考える名無しさん:2009/02/06(金) 23:34:10 0
マルクスは原理を社会に応用した人だっけ
矛盾の概念で社会を説明して組み立てた
矛盾は止揚というのでしょう
社会で止揚は革命だ
人の集まりでマルクスやろうとすると問題ないところで事件起こそうとするんだ

今は政治は悪くないんだ

民間人を総括するのは止めよう
555考える名無しさん:2009/02/07(土) 00:00:11 0
>553「共産党宣言」を読んでからこいや
じゃ〜読もうか。なになに、プロレタリアートが生産用具をブルジョア階級から国家の手に集中し、〜
ブルジョア階級って例えば誰?生産用具を武力で奪うの?勝ち目あるの?しかもマルクスは世界同時
にやる必要がある、って言ってるんでしょ。できるわけ無いじゃん。できても、その後、国家はプロレタリアート
の誰が指揮するの?官僚?金正日?ポルポト?もうちょっと現実的な展望を持とうよ。
556考える名無しさん:2009/02/07(土) 00:20:13 O
>>555
資本論全巻読んでから来いや
557考える名無しさん:2009/02/07(土) 00:26:18 0
>資本論全巻読んでから来いや
全部マルクスが書いたわけでもないのに、全巻読むとは、おたく暇だね〜。しかもほんとに読んだのかな〜。555の反論できないようだし。
558考える名無しさん:2009/02/07(土) 00:52:16 0
>>マルクスを読んでいると、「資本家社会(ブルジョア社会)そのものが(共産社会への)長い革命だ」
これってどの本かな? 話題にでてる共産党宣言とかいうやつ?
資本論しか読んでない俺にはマルクスは資本主義の基礎を客観的に論じた人にしか見えないけど。
そもそもマルクス=共産主義(的)者って巷でいってるのは、なんていう原著を基盤にして言ってるの?
誰か教えてくれ!
559考える名無しさん:2009/02/07(土) 00:57:41 0
共産党宣言だろうね。ただプロレタリア独裁の後の共産主義への移行について、詳しく述べられてないね。
560:2009/02/07(土) 17:32:19 0
561考える名無しさん:2009/02/07(土) 17:35:52 0
562考える名無しさん:2009/02/07(土) 20:08:36 0
>>558
まあ、なんだ、その、厳密にいえば、マルクスは資本論というかザ・資本で「資本主義」という言葉すら
たった一つの例外を除いて用いていないはず。「資本家的生産様式」とでも言うのが正しいかな。
563考える名無しさん:2009/02/07(土) 22:46:47 0
まずはなによりも「ソリアリズムはもちろん、コミュニズムはマルクスの専売特許でなかった」ことを
確認しておかないとね。
コミュニズムとかソシアリズムといった思想が当時いろいろな人によっていろいろな立場から
唱えられていたので、この言葉がマルクス=エンゲルス系と一概に同一視されてしまう傾向が、
とくに現在において多々散見されるので、そこんとこの注意が必要かも。

マルクス=エンゲルスの立場は、従来の国民経済学、従来のソシアリズム、コミュニズムをまとめて
批判して、これらの対立図式を止揚することにあったので、その意味では独自なところがあったりする。

564553:2009/02/08(日) 01:02:19 0
>>555
>じゃ〜読もうか。なになに、プロレタリアートが生産用具をブルジョア階級から国家の手に集中し、〜
中学卒業乙。

>ブルジョア階級って例えば誰?
例えばグラッドストン氏、ディズレーリ氏。

>生産用具を武力で奪うの?勝ち目あるの?
当然ながら具体的な戦術戦略は時と場合と状況による。
本文の言葉では「この方策は、もちろん、それぞれ国が異なるにしたがって異なるだろう。」

>しかもマルクスは世界同時にやる必要がある、って言ってるんでしょ。できるわけ無いじゃん。
それはエンゲルスの草稿「共産主義の原理」の言葉だ。「共産党宣言」本文には出てこない。
「共産党宣言」本文では、むしろ各国のプロレタリアがまず自国のブルジョアを倒すことから闘争が始まることの方を強調している。
本文もそこそこに、付録ばっかり一生懸命読むなよ。(まあマルクスも最終的には留保つきで同意見だろうが。)

「同時に」というのは「革命成功国が一国的に孤立しない程度にドミノ倒し的に連続して」という話だ。
世界資本主義諸国(今で言う先進国。当時は今の後進国はほとんど全て植民地だった。)は、貿易収支と資本収支で当時から既に相互に緊密な依存関係にあった。
いずれか一国だけが革命国家として一国社会主義で生き残ったり、逆に生存資本主義国家として単独で生き残れる状況にはなかった。

>できても、その後、国家はプロレタリアート
>の誰が指揮するの?官僚?金正日?ポルポト?もうちょっと現実的な展望を持とうよ。
マルクスとエンゲルスは当時の「共産主義者同盟」を想定しておったに決まっておろうが!
あの宣言はマルクスとエンゲルスが共産主義者同盟本部から執筆委託された綱領文書だ。
付録を熟読する暇があるくらいなら著者が72年版に付けた序文ぐらい飛ばさずに読めや。
565考える名無しさん:2009/02/08(日) 05:54:16 0
江戸猫万歳! 江戸猫万歳!
566考える名無しさん:2009/02/08(日) 17:13:11 0
>564 わからん男だね〜。倒す資本家もいないし、倒せないし、倒してもそのあとのプロレタリア国家は官僚支配になるから、マルクスのいっていることは
現代ではそのまま使えないってい言ってるわけよ。資本論がそのまま使えるかい?今、恐慌が10年周期で起きるかい?君には変化を受け入れることが必要だよ。
567考える名無しさん:2009/02/08(日) 17:42:28 0
経済学でも原理論、段階論、現状分析の三層を経て初めて「現実」が分析できるんだで。
普遍原理からいきなり個別を導き出すのは、マルクスの共産主義論、あるいは西洋の
社会主義論、共産主義論の抽象レベルが理解できてないんと違うかな。
まあ「変化を受け入れることが必要」とか言わずに、読んでみなさいよ。あんたよりは知識の
ある廣西元信もそんなこと言ってないからさ。
568考える名無しさん:2009/02/08(日) 17:54:37 0
だから現状分析に、資本論や共産党宣言がそのまま使えないっていってるのよ。宇野弘蔵が原理論で社会主義を導きだしてる?宇野理論を知っているなら、おかしなことを言いなさんな。
569考える名無しさん:2009/02/08(日) 20:43:52 0
広西元信に関しては、読んでないから、読んでみる。共産主義論の抽象レヴェル?アソシエーション連合による
アソシエーションってことかな?
570考える名無しさん:2009/02/08(日) 22:09:53 0
>564 飛ばさずに読めや。
ま〜、飛ばして読んでたのは事実なんで、中学卒業証書もらとっくよ。
571考える名無しさん:2009/02/08(日) 23:37:52 0
「816」崎谷博征(さきたに・ひろゆき) SNSI研究員 の 新刊 『グズな大脳思考 デキる内臓思考』
を紹介します。浅薄な「合理主義的思考」に代わる新しい思考法は、現実の生活にも大いに役立つ思考法です。
2006.12.24 副島隆彦が文末に加筆しました。2006・12・26
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#2401

この両派の対決は、あらゆる学問の裏側に控えている。この対決軸を中心に、今のこの世界は動いている、
と言ってもよい。だから、生来的な器質的な、異常や犯罪気質は、教育や治療によっても改善できない、
とするのが、ネイティビズムである。
つまり病気は、治せない。という考えだ。治る病気は自分の力でなおる。ただし悪い部分を取り去る
外科手術は認める、という立場が、このネイティビズムである。それに対して、人間は、後天的に
改善できる、とする考えが、ビヘイビアリズムである。
この考えは、1950年代の、シカゴ学派のスキナー、ボーマンズらの「社会心理学」(ソシオ・サイコ
ロジー)としてアメリカでリベラル派の学問として再興された。この理論の上に、タルコット・
パーソンズの「構造機能分析」と呼ばれるアメリカ社会学が大成された。さらにそれと同形的
(アイソモルフィック)に、アメリカ理論経済学が花開いたのである。そして更に、それと類推的に
政治学(ポリティカル・サイエンス)も繁栄した。アメリカの、ソシアル・サイエンスは、1950年代
と1960年代には、この「行動科学」によって、ついにヨーロッパの学問を超えた、と、みんなで
祝ったのである。これはアメリカの学問的な大勝利であり、世界をこの新規の学問潮流で支配・席捲
できる、と考えた。ここでは当時のソビエトとの対決問題は無関係である。それで、世界中から優秀な
人材がアメリカに集まるようになった。

これが、アメリカの「行動科学革命(ビヘイビアラル・サイエンス ・レヴォルーションbehavioral
science revolution)」であり、即ちこれがビヘイビアリズムの運動である。
572考える名無しさん:2009/02/08(日) 23:38:19 0
私の先生の小室直樹氏は、このアメリカ行動科学の全体像を習得する運命を背負ってこの時期に、
スキナーのいたミシガン大、と、ポール・サミュエルソンのいたMITと、パーソンズのいた
ハーバード大に習いにいった。ところが、帰ってきて、その成果を丸山真男氏以下の、日本人学者
たちに伝授しようとして、嫌がられた。当時の日本にはロシア型マルクス主義という宗教しか、
近代学問としては存在しなかったからである。

この ネイティビズム「固有主義、生来主義」 と、ネイテイビズム「 行動主義 、教育改良主義」の
サイコロジーの分野から興った大きな対立が分かれば、おそらく、今の、というか、この100年間の
欧米の社会学問(ソシアル・サイエンス)の流れは、今の日本人にも、大づかみに出来るのではないか。
この事をもっと分り易く言うと、「氏より育ち」ということである。あるいは、「育ちよりも氏」か。
即ち、氏(うじ)=家柄、出身、血筋 の方が、人間(人物)の評価に置いては大切だ、というのが
ネイティビズムで、その反対に、「家柄よりも、育ち」即ち、生活環境・教育・学習行動が大切だ、
というのが、ビヘイビアリズムである。
だから、ネイティビズムは、保守主義 を表し、ビヘイビアリズムは、現代リベラル派(人権主義者)の
立場なのである。分かり易く言えばそういうことだ。

『世界覇権国アメリカの衰退が始まる』(講談社)ビヘイビアリズムVSネィティヴィズム[65ページ〜72ページ]
573考える名無しさん:2009/02/09(月) 21:51:45 0
>>572
民主党万歳!
574考える名無しさん:2009/02/09(月) 21:54:45 O
マルクスは入れるマンコを間違えたんだよ。
それだけさ。
575考える名無しさん:2009/02/09(月) 22:00:07 0
>>567
>>568
レギュラシオン理論でいえば、蓄積様式と調整様式があってれば、資本主義は永久に続くよ。
宇野段階論って、今じゃ、第2次大戦後も入ってんだよね。社会主義になるのはいつ?
576考える名無しさん:2009/02/09(月) 22:06:05 O
利便性の追及から調和性を追及するシステムの移行期。
制度の本義がどこに由来するかは後づけ。資本だの社会
だの理論屋のすることさ。
577考える名無しさん:2009/02/09(月) 22:24:12 0
>575 社会主義になるのはいつ?
自分は加藤榮一(知ってるかな〜)を読んでるんだけど、加藤段階論によれば、「社会主義は
資本主義の次にくる未来社会ではなく、資本主義批判の思想である」とのこと。その思想を体現
しているのが、福祉国家資本主義ということ。
578考える名無しさん:2009/02/09(月) 22:42:47 O
>>577
なんだ!直でオレっちご指名かよ。
579考える名無しさん:2009/02/09(月) 22:43:35 0
>>575
昨今のレギュラシオン理論家たちは、画一的な規格商品を大量生産大量消費した時代は過ぎ去り、
その時代に通用したフォーディズムも行き詰まり、そこに資本家的生産様式による蓄積様式の危機が
世界的に顕在しているというふうに論じているはずだよね。
580考える名無しさん:2009/02/09(月) 22:50:24 O
>>577
社会主義にならないよ。貨幣制度をどう機能させるか?
ここらへんのプロセスから始めるしかないよ。蓄積では
なくて、循環のもんだいですな。しかしオレが誰だか知
ってもの言ってのかよ!
581考える名無しさん:2009/02/09(月) 22:56:40 0
>>580
是非、誰なのか教えて下さい。宇野派の人?加藤榮一さん?
582考える名無しさん:2009/02/09(月) 23:00:07 0
>>580
それともつながり目玉のお巡りさん?
583考える名無しさん:2009/02/09(月) 23:03:56 O
>>581
誰が教えるか!
ボケ!
584考える名無しさん:2009/02/09(月) 23:08:59 0
>>583
じゃ〜アルブリトンに変えるわ。あほ!
585考える名無しさん:2009/02/09(月) 23:16:58 O
帰れ!
ブタ公!><
586考える名無しさん:2009/02/09(月) 23:23:39 0
>>585
わけわけん奴?
587考える名無しさん:2009/02/09(月) 23:59:38 0
>>586
春が近いってことだよ。

588考える名無しさん:2009/02/10(火) 16:01:43 O
俺もマルクスみたいに世の中を変革したい
日本を変えたい
毎日のように朝から図書館に籠もらないと無理か(´・ω・`)
589考える名無しさん:2009/02/11(水) 00:48:15 0
論敵に対する過激な喧嘩腰の態度はマルクスが原点だろ。
弁証法とか言ってすぐ相手の論をパクるくせに
少しは相手を尊重しろ。
590考える名無しさん:2009/02/11(水) 02:00:13 0
マルクスが間違ったというよりは
読んだヤツらが勝手に間違えたのが真相だよ。
これ豆な。
591元哲学生1:2009/02/11(水) 02:14:36 0
マルクスが間違えたのは協賛主義政権(だっけ)の無誤謬性。
人間が運営してたら、金はほしいは、権力は欲しいわで、
どろどろになったよな。人間てのはギリシャ哲学やインド哲学時代から
根本的に変わってないよね。
592元哲学生1:2009/02/11(水) 05:17:57 0
なんでプロレタリア−ト政権の無誤謬性なんてあるのでしょうか?
593考える名無しさん:2009/02/11(水) 15:03:30 0
マルクスも無職だったからこそ思う存分に研究に打ち込むことが出来
世界を変革するような大著を書き上げることが出来た。
だから真の社会主義者はニートを賛美する
国民全員が平等に労働に参加しろとか言ってるやつは偽社会主義者だからな
594考える名無しさん:2009/02/11(水) 15:06:21 0
マルクスはしぶとい
595考える名無しさん:2009/02/11(水) 16:14:40 0
いや、意外とあっけなく死んだけど。肺がんだったっけ。
596考える名無しさん:2009/02/11(水) 17:07:39 0
○糞
597考える名無しさん:2009/02/11(水) 17:55:38 0
>>593
おもしろいwwww
マルクスの次女と結婚したポール・ラファルグを思い出した。
598考える名無しさん:2009/02/11(水) 18:03:46 0
マルクスの子孫って何やってんの?
599考える名無しさん:2009/02/11(水) 19:06:53 0
エンゲルスの妻の葬式やってるとき
平気で自分の生活費を無心して
エンゲルスを切れさせたって言うエピソードはどこから?
600考える名無しさん:2009/02/11(水) 19:10:47 0
>>598
全員病死か自殺したかなんかで、いないはず。
601考える名無しさん:2009/02/11(水) 20:04:04 0
>>600
マルクス兄弟って名前で頑張ってたけどな。
ついでだが、現在のミネアポリス市の副市長名はエンゲルスだってよ。
602考える名無しさん:2009/02/11(水) 21:33:04 0
>>599
カーの本にあったな。
603考える名無しさん:2009/02/12(木) 01:11:38 0
>>591-592
 私も実は元哲学生です。HNを名乗るほどのものではありませんが。

>マルクスが間違えたのは協賛主義政権(だっけ)の無誤謬性。
 それはマルクスは言っていない(はず)。旧ソ連の哲学教科書あたりに出てくる話かな??
 ソース請う。

>人間が運営してたら、金はほしいは、権力は欲しいわで、
>どろどろになったよな。人間てのはギリシャ哲学やインド哲学時代から
>根本的に変わってないよね。
 各種の人類学者のフィールドワークには、アフリカ等の部族社会では、近代文明の流入で「金はほしいは、権力は欲しいわ」になった、その前まではそれはなかった、との報告が散見される。
 「人間の本質」を、四大文明成立以降の文明社会で生活する人間に限って考察してしまうのはいかがなものか。人間性が変革されるのも革命の結果のひとつ。
 マルクスの考えでは、社会的意識諸形態は生産関係の総体と法律的、政治的上部構造に対応しているのだから。
 あと、「共産主義への過渡期における政治家・官僚の財産的・権力的腐敗」については、レーニンの言う「パリ・コンミューン3原則」程度で十分と思われる。
(どこかのように、革命国家が優勢な資本主義諸国の包囲下に置かれ、共産主義実現が無限の未来に延長されるようなことがなければ、の話だが。)

>なんでプロレタリア−ト政権の無誤謬性なんてあるのでしょうか?
 そんなものはないっすよwww

>>593
>マルクスも無職だったからこそ思う存分に研究に打ち込むことが出来
>世界を変革するような大著を書き上げることが出来た。
>だから真の社会主義者はニートを賛美する
>国民全員が平等に労働に参加しろとか言ってるやつは偽社会主義者だからな
 人間が固定的な分業に下属している資本主義社会では、レーニンの言葉を借りれば労働者の政治組織や労組の「プロレタリア的な役員さえある程度『官僚化』することは避けられない」。
 19世紀の資本主義ヨーロッパで革命家がいかに生きたか、という問題と、共産主義社会で労働はいかにあるべきか、を同列に論じるのは、余りにも初歩的な躓きである。
604考える名無しさん:2009/02/12(木) 01:13:33 0
>>595
>いや、意外とあっけなく死んだけど。肺がんだったっけ。
 私が学生だった頃は、肺癌、肝臓癌、肺結核、など諸説紛々だった。今はどうなのかな?

>>598
>マルクスの子孫って何やってんの?
>>600
>全員病死か自殺したかなんかで、いないはず。
 「マルクス─わが曽祖父」を書いたロベール=ジャン・ロンゲ氏が1987年に死去してから、その遺族がいるのかどうか、何をやってるのか・・・
 うーん、知識が学生時代で止まってる。

>>599
>エンゲルスの妻の葬式やってるとき
>平気で自分の生活費を無心して
>エンゲルスを切れさせたって言うエピソードはどこから?
 大月書店の「全集」の往復書簡集にその時の手紙が載っている。エンゲルスがマルクスへの皮肉をできるだけ厳しくするためにあれこれ工夫を凝らした手紙の下書きから、仲直りまでの経緯も含めて。
 ただ、あの全集はソ連・東ドイツ官許公認の Marx-Engels-Werke の邦訳だから、ヤバすぎるものは当然隠していることが容易に想像できるわけで、実際にはもっとドロドロした葛藤もあったかもしれない。
605考える名無しさん:2009/02/12(木) 10:47:11 0
ふむふむ
606考える名無しさん:2009/02/12(木) 11:17:27 0
マルクスの間違いとして責められるべきは、ソ連や東欧で起こった社会主義や共産主義の自称革命よりもむしろ、
資本主義というか資本家的生産様式が支配的な社会について、半ば肯定的史観をもって楽観的であったように見えるところ。
607考える名無しさん:2009/02/13(金) 15:13:39 0
まずはなによりも「ソリアリズムはもちろん、コミュニズムはマルクスの専売特許でなかった」ことを
確認しておかないとね。
コミュニズムとかソシアリズムといった思想が当時いろいろな人によっていろいろな立場から
唱えられていたので、この言葉がマルクス=エンゲルス系と一概に同一視されてしまう傾向が、
とくに現在において多々散見されるので、そこんとこの注意が必要かも。

マルクス=エンゲルスの立場は、従来の国民経済学、従来のソシアリズム、コミュニズムをまとめて
批判して、これらの対立図式を止揚することにあったので、その意味では独自なところがあったりする。
608考える名無しさん:2009/02/15(日) 05:35:48 0
へぇ〜
お前さん
立候補すれば?

影でぐだぐだ言うタイプですな
総スカン喰らう前に、はやく立候補しないと
609考える名無しさん:2009/02/15(日) 05:43:51 0
世界平和のために
寄附金
お願いしま〜す


















だから、してんだけどさ
なんの明細も送ってこないしさ
いったい何に使ってんのさ!
これが現実さ
610:2009/02/16(月) 08:23:07 0
611考える名無しさん:2009/02/16(月) 08:24:12 0
612考える名無しさん:2009/02/20(金) 23:36:34 0
>>606
マルクスの間違いとして責められるべきは、それが理想論にもかかわらず、ソ連や東欧に
社会主義や共産主義をほんとうに実現できるものと勘違いさせたことにある。
資本主義というか資本家的生産様式が支配的な社会いついて、恐慌の必然を説いた分、
それを避けるための社会主義計画経済が、インフレを起こすとは思わなかったこと。
613考える名無しさん:2009/02/21(土) 00:13:22 0
>>607
まずなによりも「コミュニズムについて、マルクスはあんまし説明していない」ことを
確認しておかないとね。
コミュニズムとかソシアリズムといった思想が当時いろいろな人によっていろいろな立場から
唱えられていたが、それらを批判するばっかりで、では何がいいのか、具体的でなかった。
そこんとこ注意が必要かも。

マルクスは、コミュニズムについて「できるわけないけどね」と思ってた可能性があることは
エンゲルスを無視した独自なところがあったりする。
614考える名無しさん:2009/02/21(土) 06:18:00 0
>>612
マルクスがもしそのときに生きていたならソ連や東欧や中国などが自称した社会主義革命を
共産革命などとは間違っても認めないはず。
計画経済などという発想もマルクスには認められない。出処はいったい誰なんだろ?
にもかかわらず、マルクス主義=計画経済主義という迷信、都市伝説がすっかりひろまってしまった。
615考える名無しさん:2009/02/21(土) 06:30:55 0
ロシアや東欧や中国などの後進的、アジア的、封建的な段階にある国家や社会では、
本当の意味での共産革命は唯物論的にありえない、というのがマルクスのそもそもの考え方。

しかも、マルクスにとっては、一国共産主義というのは絶対にありえない。これもマルクスが断じて
否定していたことのひとつ。共産革命がかりに実現するとすれば、少なくとも現在いわれているような
グローバル化が完全に実現され以降の話であって、それが国民国家社会のあり方を一変させた後の話。

封建→資本制→社会主義→共産社会という史観を提示していたレーニンもそれを知っていたはずだから、
ロシア革命を即刻共産革命の実現などとは自称してすらおらず、その実現を「何世代にもわたる困難な仕事」
と言っていたはず。唯物史観的にはロシア革命はせいぜいのところブルジョア革命、産業革命程度であったはず。
616考える名無しさん:2009/02/21(土) 07:51:08 0


【人事】ノキア・ジャパン新社長にウコンマーンアホ氏[09/01/26]
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1232953311/l50

ノキア・ジャパンは、同社代表取締役社長に2008年12月31日付けで
マウリ・ウコンマーンアホ(Mauri Ukonmaanaho)氏が就任したと発表した。

617考える名無しさん:2009/02/21(土) 08:26:05 0
>私的所有の弊害を共有制でのりこえようとすれぱ、
>かならず画一性の賞揚と多様性の嫌悪が生まれ、
>個人の自由が抑圧されることになると見ぬいた。
>コミュニズムという言葉そのものがすでに個人の抑圧を含意している。

ニーチェかオルテガに似ている。
618考える名無しさん:2009/02/21(土) 09:17:11 0
ブルジョワ的な自由主義は、封建社会と大差のない、結局のところ格差の再生産(身分制度)をもたらす
運命にある野蛮な段階でしかなく、実質的自由とはほど遠い偽性的な自由主義にマルクスの目には映った。
ゆえにマルクスはブルジョア自由主義を修正し、リアルな唯物論的自由主義を唱えた。
それがマルクスが目指していたリアル自由主義的共産主義。
保守主義者が唱える共同体主義とは異質のもの。

マルクス主義流の生産手段の共有(社民主義的理念)以外は、共同体はできるだけ廃して
個人主義的な自由を社会秩序の第一の理念として掲げるべきであると思う。
共同体はこれを現実的に保証するために第二義的に必要とされるものであって、
マルクス主義流の生産手段の共有もまたあくまでもこの第二義的な手段以上のものではない。

個人の社会生活上の一定水準の自由が普遍的に保証されるためには、法規範的な観念論として
ばかりでなく、経済的な土台(下部構造)をも個人に対してその分だけ保証されなくてはならない。

ゆえにマルクスは、従来のブルジョア自由主義には後者の唯物論的自由が軽視されているとして
それを批判修正し、ブルジョア自由主義がより発展した理念形態である共産社会を唱えたわけで。
619考える名無しさん:2009/02/21(土) 15:27:06 0
>>618
>ブルジョア自由主義がより発展した理念形態である共産社会を唱えたわけで
確かに共産主義社会は、未来社会の具体的実態ではなく、理念だね。
620考える名無しさん:2009/02/21(土) 20:49:17 0
社会や文化を対象にあつかう理論やら科学やらを学んでいる人なら基本として分かっているはずだけど、
例えば、社会を構成する秩序といった対象というのは理念と現実とが分かち難く結びついているんだよね。

法とか規範とか道徳というのがまさにそれで、それらは本来、理念でありイデオロギーでしかないんだよね。
しかし、そういったもの(少なくとも建前)によって、社会秩序を支えるさまざまな関係性が築き上げられている。

つまり、社会という場では、イデオロギーと現実とは、すっきりと分化できない葛藤状態とともに存在している。
例えば、ミシェル・フーコーという人は、その関係性を権力闘争、権力ゲームの場として問題にしようとした。
621考える名無しさん:2009/02/22(日) 02:24:33 O
2百年前の思想家に何を間違えたかも糞もない。
古くて現代に合わないだけ。
人間も経済も文明も自然も移り変わってるんだからな。
むしろ現代の哲学家、思想家がマルクス並みのデカイ思想を打ち建てようとしないのが問題。
マルクスの頃から自然科学は飛躍的に進歩した。
哲学徒はそれを学ぼうとせず学ぶ能力を訓練される事もなく、
些末な文章事象に着目して知的浪費を繰り返している。
マルクスの誤りなんて考古学は老人に任せて若者はマルクス以上の思想を打ち建てる事を志向すべき。
622考える名無しさん:2009/02/22(日) 02:33:55 O
マルクスが偉かったとするなら今より更に縛りが厳しい社会で社会から逸脱しきった事を体系化したことだ。
これこそ思想の使命であって文章や事象を些末にどうでもよく論ずることは思想ではない。
623吉田メロウ:2009/02/22(日) 02:36:11 O
>>621
エライ!
よく言った。
其れオマエがやれ。
俺の命令だ。
(´-`;)y‐゚
624考える名無しさん:2009/02/22(日) 02:59:03 0
フーコーによれば、18世紀半ばに現れた統治理性のツールである経済学と自由主義は、
根底的に経済プロセスの総体の「不可視性・制御不可能性」に立脚していた。

簡単に言えば、
「プロセスの総体をコントロールできない」というのが経済学の認識論上の基盤だということで、
「自由主義」というものも本性的にこの上に成り立っている。
そうした中、歴史上この「不可視性・制御不可能性」を克服しようという試みはあったが、
マルクス主義国家もそのひとつだった。

その意味で言えば、この「不可視性」を甘く見ていたという点が「間違っていた」ということは言えるんじゃないか。
(蛇足=「不可視性・制御不可能性」というのは今で言えば「複雑性」ということになるだろう。)
625考える名無しさん:2009/02/22(日) 20:17:53 0
>>624
思想というのは不可避的に形而上学なのだ。
形而上学を排除しようとしたとたん
思想の敗北が始まった。
626考える名無しさん:2009/02/23(月) 11:03:36 O
>>621
>古くて現代に合わないだけ。
人間も経済も文明も自然も移り変わってるんだからな。

同意、ビンポーン

>哲学徒はそれを学ぼうとせず学ぶ能力を訓練される事もなく、 些末な文章事象に着目して知的浪費を繰り返している。

哲学学んだら他に学ぶ時間が無い。
緒科学者が雄大な思想を構築、哲学者が評論するって構造はだめかな?

って哲学者は評論家か?

627▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/23(月) 11:27:02 0
5)ポストモダン的な現象とグローバル化の対立


たとえばいま危機的にある派遣社員の雇用の問題も、少し前には、一つの新しいライフス
タイルとして選び取られていた面があった。それは社会が豊かであったポストモダンな現象
である。

ここには、成熟した近代としてのポストモダン的な現象と、グローバル化という新たな潮流
の対立があるのではないだろうか。

ポストモダン的な現象は、先進国/途上国という格差の構造に支えられて、先進国の豊か
さ、安全性が確保されることで、退屈の中から生きる意味を求めて、より趣味的な細部へと
生き甲斐を求める消尽な現象といえる。

それに対して、グローバル化とは、ネオリベラリズムが開いたパンドラの箱である。市場経
済の拡散は、先進国/途上国の境界を攪拌した。BRICsなどの新興国の登場によって、
豊かさが拡散されるとともに、貧困も拡散した。先進国にも貧困が侵入するという、貧困の
グローバル化が起こりつつある。もはやポストモダン的な豊かさに安住することは困難に
なっている。
628▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/23(月) 11:29:08 0
6)オタクは市民へと進化するか


もはや国家、企業は社会秩序を支えきれない。過剰に国家に依存して、首相をバッシング
して首をいくらかえても、あるいは政党をかえてもかわらないだろう。グローバルでおきてい
る潮流を、国内問題で解決などできない。

漠然とした「ナショナリズムのようなもの」が期待できない中で、自己責任をもった市民的な
協力関係が重要になる。今回の不況で、派遣社員を一つの新しいライフスタイルという人
はいなくなり、サヨ的な方法論よって助けあいの活動も再開される兆しがある。

企業に依存して生きてきたある程度の年配の人々は、貯め込んだ大量の貯蓄を小出しに
しつつ残りを生き延びようとするだろう。

では、個人の孤立(孤独)を和らげるオタク傾向の若者たちはいかに生き残るのか。オタク
傾向を市民への練習段階として、自立した個人として市民的な協力関係へと切り替えるこ
とはできるだろうか。
629考える名無しさん:2009/02/23(月) 23:51:33 0
思想はもともと超越的、形而上的なものである。
そして人間はもともと思想的な存在である。

人が夜、昼間の仕事をやめてくつろぎたとえば親しい人と何かを話す時
世界を語るとすればそこには必ず、超越的、形而上的な話題が立ちあらわれる。

人間は思想に飢えており現代人はもっと思想に飢えている。
今こそマルクス以上の包括的に世界を論じ得る思想が待ち望まれている。
630考える名無しさん:2009/02/25(水) 00:57:30 0
宗教を原理的に否定しておいて自分はカルト宗教の教祖
631考える名無しさん:2009/02/25(水) 01:08:35 0
宗教を否定したのはブルジョアジーだとマルクスは論じているだけ。
しかしブルジョアジーは封建時代の宗教観念は否定しておきながら、
いざ支配階級の座に踊り出ると途端に宗教の権威を利用すると
マルクスは風刺している。それもこれも含めて歴史だと記述するだけ。
632考える名無しさん:2009/02/25(水) 01:10:10 0
>>630
キミはもしかすると共産主義宣言すら読んでいないのでは?
633考える名無しさん:2009/02/25(水) 01:20:23 0
>>632
『共産党宣言』、もちろん読んでますが? 
キリスト教の歴史的役割、特にプロテスタンについて論じているが、社会的に現れた役割について論じただけで
彼の宗教についての原理的な考え方はここでは述べられていません。

あなたは『ヘーゲル法哲学批判序説』も読んでないらしいね。
634考える名無しさん:2009/02/25(水) 01:24:48 0
>>631
そろそろ、マルクスの思想が容宗教的であるかのような欺瞞はいい加減止めたら?
不勉強であるか、意図的な欺瞞であるかのどちらかしかあり得ないね。



635考える名無しさん:2009/02/25(水) 04:06:37 O
マルクスが宗教を禁じたか否かは考古学者にまかせるべきだ。
現代の哲学徒が注目すべきはマルクスの思想は世界を二分するほど超越的であったということだ。
636考える名無しさん:2009/02/25(水) 05:34:35 0
>>634
はぁ? >>631のどこが「マルクスの思想が容宗教的であるかのよう」に書いてあるの?
それは誤解だと言っているのが>>631の書き込みだろう。
637考える名無しさん:2009/02/25(水) 05:48:20 0
>>633
> 『共産党宣言』、もちろん読んでますが?
> キリスト教の歴史的役割、特にプロテスタンについて論じているが、社会的に現れた役割について論じただけで
> 彼の宗教についての原理的な考え方はここでは述べられていません。

なにか勘違いしていない?
すら読んでいないのでは?と言ったのは、宗教についての原理的考え方が『宣言』に書いてあるとかないとか、
そういう意味では全くありませんが。
宗教に対するマルクスの考え方のほうではなく、共産社会に対するマルクスの考えのほうを言っているの。
638考える名無しさん:2009/02/25(水) 08:03:48 0
「市民社会」「国家」「宗教」の関係のなかで宗教もその必然が説明されてるけどね。
マルクスは宗教を否定したんではなくて、その必然と、その悪い面を指摘しただけでしょ?
639考える名無しさん:2009/02/25(水) 09:18:34 0
マルクスは何をもって「良い」「悪い」を判断しているのですか。
やはり単なる功利主義ですか。
640考える名無しさん:2009/02/25(水) 11:13:44 0
>>634
貧乏人に宗教が必要で、金持ちには宗教は必要ないという二分法は
マルクスの宗教についての思考の浅はかさ以外の何ものでもありませんね。
仮にそれを認めたとしても宗教の原理の話じゃありませんし。

>>637
>宗教についての原理的考え方が『宣言』に書いてあるとかないとか、 そういう意味では全くありませんが。
では>>632の書き込みは>>630に対して全く的外れということですね。
『ヘーゲル法哲学批判序説』を理解してからまたどうぞ。

>>638
マルクスは将来無くすべきものとして宗教を考えていますけどね。
641考える名無しさん:2009/02/25(水) 14:37:42 0
>>640
> では>>632の書き込みは>>630に対して全く的外れということですね。

ぜんぜん的外れじゃないよ。君が唯物論を理解していないだけ。

ヘーゲル法哲学批判序説でマルクスが言っているのは、宗教はその時代の
人々の、国の、経済的社会的現実というか境遇を反映していて、そうした現実
の中で暮らす人間の生活から切り離された唯心論的超越論的宗教(精神現象)
はありえない、考えられない、ということのはず。

だから宗教が提起する問題を解決しようと思ったら精神内だけで唯心論的な
問題解決に独立して訴えるのは間違いで、経済的な現実の社会、その人が
置かれている現実の生活、社会的境遇の改善に目を向けることが不可欠だと。
宗教上の問題もそれと無縁に存在しないのだと。当然のことをマルクスは言っている。

現実の宗教団体(宗教ではなく宗教団体)だって、そういう唯物論的な価値を
踏まえた社会活動を慈善活動の一貫として行っているところはいっぱいあるでしょう。
642考える名無しさん:2009/02/25(水) 14:44:02 0
例えば、職を失って苦しんでいる派遣労働者に向かって、
「君の今の不幸せは気の持ち様の問題だ、気の持ち様、つまり信仰心の強弱の問題に過ぎない」
などと言って彼らを慰めること、諭して済ませることに、マルクスは反対しているだけであって・・・
643考える名無しさん:2009/02/25(水) 15:31:24 0
>>641
マルクスの唯物論とはこういうことです。

社会的境遇が改善されるならば同時に宗教は廃棄されるべきと考えたのがマルクスです。
浅はかですね。

「だが人間にとっての根本は人間自身である。その理論の実践的エネルギーの明白な証明は、その理論が宗教の
決定的な、積極的な揚棄から出発したところにある。…宗教の批判は、人間が人間にとって最高の存在であるという
教えでもって終わる」

そのような社会的経済的な構想として彼の共産主義があるので、
そこではすべての宗教が共産主義に飲み込まれるということです。
そしてその社会を実現するためには、それを望まない、違う原理で生きる人に共産主義を押し付ける全体主義です。
「人間が人間にとって最高の存在である」これが宗教の原理的な否定であって、宗教全てに対する空しい叛逆です。
644考える名無しさん:2009/02/25(水) 15:37:36 0
>>641
>唯物論的な価値を踏まえた社会活動を慈善活動の一貫として行っているところはいっぱいあるでしょう

そんなのは役に立たないとマルクスは攻撃してますがね(笑)
キリスト教の慈善事業がお嫌いだったようです。
645考える名無しさん:2009/02/25(水) 15:41:36 0
>>642
そんな表面的なことにとどめていませんよマルクスは。もっと徹底的に宗教を考えていると思いますがね。
階級の二分法に捕らわれた徹底的に浅はかなやり方で。
646考える名無しさん:2009/02/25(水) 17:44:07 0
>>643
> 「人間が人間にとって最高の存在である」これが宗教の原理的な否定であって、宗教全てに対する空しい叛逆です。

だーからさあ、君のその解釈は矛盾しているよ。 >>630にもその矛盾がある。

君はこういう。
「人間が人間にとって最高の存在である」とマルクスが『ヘーゲル法哲学批判序説』において
述べていることは、そのまま宗教を原理的に否定することと一緒なんだと。それが君の宗教概念だね?

その解釈を論理的に仮定するのであれば、「人間が人間にとって最高の存在である」であると主張する
共産主義は、君が定義する宗教の範疇には含まれないことになる。でないと君の解釈の筋が通らない。

> マルクスの唯物論とはこういうことです。
> 社会的境遇が改善されるならば同時に宗教は廃棄されるべきと考えたのがマルクスです。

ニュアンスとしてはむしろこうなんだなあ。
空想的幸福観の表現である宗教を揚棄するには、現実の幸福を実現することが必要条件であると。
人々に宗教を放棄せよと要求するということは、それに縋ることを余儀なくさせているような現実から
人々を解放することがまずもって伴っていなければならない。
ブルジョアジーないしブルジョア革命は、神は人間の創作物だと言って宗教を徹底的に批判したけれども、
その宗教批判は、人々から夢や希望をただ奪い、ただ打ち砕くのが目的になってはいけないのだと。
647考える名無しさん:2009/02/25(水) 21:43:10 0
>>646
もちろん私がいうカルト宗教は宗教の風上にも置けない偽宗教という意味ね。
皮肉に気付け。
648考える名無しさん:2009/02/25(水) 22:00:05 0
>>646
>空想的幸福観の表現である宗教を揚棄するには、現実の幸福を実現することが必要条件であると。
>人々に宗教を放棄せよと要求するということは、それに縋ることを余儀なくさせているような現実から
>人々を解放することがまずもって伴っていなければならない。

はいはい。マルクスはそう言ってますね。
経済的に恵まれないから宗教に頼る、経済的物質的に恵まれれば宗教に頼らなくてもよくなるというのは
驚くべき浅薄さである上に、「現実の幸福を実現するもの」として彼が構想した共産主義なるものが
カルト宗教で他の宗教と共存できない全体主義な訳ですから二重に最悪ですね。

649考える名無しさん:2009/02/25(水) 22:36:37 0
>>646
>ブルジョアジーないしブルジョア革命は、神は人間の創作物だと言って宗教を徹底的に批判したけれども

こんな出鱈目マルクスが言ってたか? 何つう本の何ページ? 教えてくれ。

神は人間の創作物だと主張したのは一部の無神論的啓蒙主義、および唯物論者フォイエルバッハでしょうが。

650考える名無しさん:2009/02/25(水) 22:52:59 0
唯一者とその所有が侮れないと言われる理由を教えて
651横から:2009/02/26(木) 01:43:21 0
 横から失礼。

>>648
>経済的に恵まれないから宗教に頼る、経済的物質的に恵まれれば宗教に頼らなくてもよくなるというのは
>驚くべき浅薄さである上に、「現実の幸福を実現するもの」として彼が構想した共産主義なるものが
>カルト宗教で他の宗教と共存できない全体主義な訳ですから二重に最悪ですね。

 マルクスは「経済的に恵まれていないから宗教に頼る」と考えていたわけではなくて、
「階級社会における奴隷、農奴、賃労働者は、社会的存在様式において恵まれていない、かつ現実的解決の見通しが目下見あたらないから、根本的解決ならざる一時的鎮痛剤・幻覚剤としての宗教を求める」
と言いたかったはずではないのか?
 常識的に考えて、マルクスが「終身拘束の奴隷に、飽きるほどの食物と豪奢な衣服と広い居室を与えたら、宗教を求めなくなる」などと考えたか?
 現に、非常に恵まれているアメリカの監獄の終身受刑者でも、宗教に頼ってはいないか?

 そして、マルクスの共産主義は、共存できないキリシタンを焼き殺し、南蛮寺を破却して宗教をアウフヘーベンするのでなく、「共産主義が実現すれば宗教は自然に衰退の一途をたどる」というアウフヘーベンを考えていたのではないか?

 これはマルクスとマルクス令嬢(長女イェニー)の写真。令嬢の胸に下がっているものに注意。これが「カルト宗教で他の宗教と共存できない全体主義」者の姿か??
http://www.yuko2ch.net/up/source/yp1252.jpg
652考える名無しさん:2009/02/26(木) 02:00:18 0
>>648
マルクスはエンゲルスに経済的に頼りつつ中産階級ブルジョワ家庭を気取りつつ娘も育てたからねえ。
それこそ唯物主義者だったら十字架も単なる標だわな。信仰とは全然関係ないことも分からない?

>「共産主義が実現すれば宗教は自然に衰退の一途をたどる」というアウフヘーベンを考えていたのではないか?

仏法、キリストの言葉が永遠だと信じる人、あるいは天皇と日本国が永遠に続くと信じる人と全然共存できてないですが。







653考える名無しさん:2009/02/26(木) 09:58:57 0
>>647
> もちろん私がいうカルト宗教は宗教の風上にも置けない偽宗教という意味ね。
> 皮肉に気付け。

それはつまり、自分への皮肉だろ?
君が批判する当の害悪を君自身が実際にはおかしているという意味で、
君の理屈は矛盾に満ち満ちていると指摘しているんだよ。

正統を実証する宗派が自らが異端視する宗派を粛正の対象にしてきた
という事実にも目を瞑るべきではないよ。
654考える名無しさん:2009/02/26(木) 15:01:24 0
>>653
歴史に議論を持ち込むのか?
あんたがたもっとヤバイことになるよw
何千万人殺したんだ? 20世紀だけで。

655考える名無しさん:2009/02/26(木) 15:07:19 0
あとこれも答えてな。マルクス学習者さん(笑)

>ブルジョアジーないしブルジョア革命は、神は人間の創作物だと言って宗教を徹底的に批判したけれども

こんな出鱈目マルクスが言ってたか? 何つう本の何ページ? 教えてくれ。
656考える名無しさん:2009/02/26(木) 18:47:05 0
とりあえず、ラファルグが簡潔に表現しているから、まずこれでも読みなさい。
ttp://www.geocities.jp/beringia2002/avant-propos.html
657考える名無しさん:2009/02/26(木) 19:11:48 0
マルクス主義は宗教をぜんぜん否定していませんが、少なくともブルジョア社会の段階にある現時点では
宗教は唯物論的に社会的必然性をもって存在しているのであって、むろん共産主義とて例外じゃありませんよ。

ただし共産主義は、宗教からの脱出を図ろうとする宗教なのであって、それを精神性レベルで実現させるのが
目的なのではなく、社会関係のレベルで実現させることを目的とする宗教=イデオロギーだということなんだよ。

ブルジョア社会のなかに芽生えた共産主義が宗教の一形態でもイデオロギーの一形態でもないと唯物史観は
言っていないはず。ブルジョア社会があるかぎり、共産主義であれ他の宗派であれ、必然性をもって存在するの。
カルトと称される宗派だって宗教の一種にすぎないし、その精神は唯物論的な土台とともに存在している。
658考える名無しさん:2009/02/26(木) 19:28:47 0
>>647 >>630がいったい何をもって宗教とカルトとを分ける根拠にしているのか分からない。
>>630の理屈を用いるならそれもまた宗派に過ぎないことになる。
そもそもそういう宗派同士が共存できるのかも疑わしい。>>652の言うことは宗教内でも同じ。

ある宗派が他の宗派をカルトと言うことと、無神論者が神を崇拝する宗派をカルトと呼ぶこと、
君はこの間に違いはないと言いたいの? それともその逆なの? 反証可能性をはっきりさせてくれ。

659考える名無しさん:2009/02/26(木) 21:52:27 0
>>657
また振り出しか。
マルクスは超越を全く認めない唯物論者であって宗教を原理的に否定しています。
せめて『ヘーゲル法哲学批判序説』を読んでからまた来なさい。

>>658
共産主義の実現を目指すならば他のすべての宗教および政治思想と共存できません。
これはマルクスがそう言っているのであって、あなたがたも言っていることです。
それはマルクスの共産主義が唯物論に立脚し現実社会のレベルでの実現を目指すからです。
社会関係に100パーセントこだわるのがマルクスの思想です。

正しい宗教は超越(人間以上のもの)に価値を置いているが故に、現実社会でのユートピアの実現に
こだわりません。それは人間ではなく神、あるいは仏の力によるものです。
人間にユートピアを作る力はありません。

660考える名無しさん:2009/02/26(木) 21:54:14 0
あとこれも答えてな。マルクス学習者さん(笑)

>ブルジョアジーないしブルジョア革命は、神は人間の創作物だと言って宗教を徹底的に批判したけれども

こんな出鱈目マルクスが言ってたか? 何つう本の何ページ? 教えてくれ。
661考える名無しさん:2009/02/26(木) 22:05:14 0
>>659の続き
究極的には超越に価値を置いている真の宗教は、地上においては他の宗教と共存できるということです。
マルクス共産主義はその実現を考えたときに他の思想および宗教と全く共存できない。

無神論者が形而上的あるいは科学の立場から無神論を唱えているだけなら害悪はないが、
マルクス共産主義者は無神論的唯物論に立脚して社会を変革しようとするので、
その立場に立たない人にとって迷惑この上ない。
治安維持法が必要な所以でね。今はあんたらによる国家転覆の危険が薄いから泳がせているだけだろう。

>>659
>ある宗派が他の宗派をカルトと言うことと、無神論者が神を崇拝する宗派をカルトと呼ぶこと、

無神論者には神はいないだろう。頭を整理してから質問してくれ。

662考える名無しさん:2009/02/26(木) 22:56:34 0
>>657
宗教が成立する唯物論的社会的必然性が無くなれば宗教は必要なくなる、つまり彼の言う
「宗教」とは唯物論的社会的必然性にしか存在理由がない。これは見事な唯物論だ。

そしてその宗教が必要なくなる状態を目指すのが彼の共産主義。
『共産党宣言』に十条件、『ゴータ綱領批判』に二条件が具体的に書いてあるわな。
これで宗教が無くなるのかね? ミジメな人間だね。
663考える名無しさん:2009/02/26(木) 23:58:32 0
>>659
> また振り出しか。

いやいや、そうやって君が振り出しに引き戻そうとしているだけ。

> マルクスは超越を全く認めない唯物論者であって宗教を原理的に否定しています。
> せめて『ヘーゲル法哲学批判序説』を読んでからまた来なさい。

『ヘーゲル法哲学批判序説』のどこにそう書いてあるの?

てか、『ヘーゲル法哲学批判序説』はそのほとんどがドイツの政治情況論で占められているし、
宗教について正面から言明してあるような箇所は特に最初のほうのごく一部。

君が>>643で引用しているその箇所で「その理論が」とあるのは「ドイツの理論が」の意味だよ。
実際にそう訳している書もある。「人間が人間にとって最高の存在であるという教え」というのは
マルクスや共産主義のものというよりは、近代ヒューマニズムの思想を言っているに過ぎない。
君はそれも否定しようというのか?
664考える名無しさん:2009/02/27(金) 00:10:15 0
>>648
> はいはい。マルクスはそう言ってますね。
> 経済的に恵まれないから宗教に頼る、経済的物質的に恵まれれば宗教に頼らなくてもよくなるというのは
> 驚くべき浅薄さである上に、「現実の幸福を実現するもの」として彼が構想した共産主義なるものが
> カルト宗教で他の宗教と共存できない全体主義な訳ですから二重に最悪ですね。

浅はかな解釈をしているのは君のほう。わざと経済的物質的という言葉だけに矮小化しているのも悪意を感じる。

>>660
まずは>>656でも示しておいた ttp://www.geocities.jp/beringia2002/avant-propos.html を読みなはれ。
それはマルクスじゃないと言うだろうから、ついでに『共産党宣言』からも引用しとくよ。


ブルジョアジーは、彼らが支配権をにぎったところでは、封建的な、家父長制的な、牧歌的な関係を、
のこらず破壊した。人間をそのうまれながらの目上とむすびつけていた色とりどりの封建的なきずなを
無慈悲にひきちぎり、人と人とのあいだに、ろこつな利害、無情な「金勘定」のほかには、なんのきずなを
ものこさなかった。ブルジョアジーは、敬虔(ケン)な法悦、騎士の感激、町人の感傷といった神聖な情熱を、
利己的な打算の冷水におぼらせた。彼らは、個人の品位を交換価値に解消し、特許状でゆるされ、
りっぱにかちえられたかずかずの特権を、ただ一つの非情な商業の自由ととりかえてしまった。
http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/sengen1.html
665考える名無しさん:2009/02/27(金) 00:57:22 0
>>659
> マルクスは超越を全く認めない唯物論者であって宗教を原理的に否定しています。

軽率な宗教観だね。
君のその考えだって、超越を認めない宗教・思想・哲学を原理的に否定していないかい?

> >>658
> 共産主義の実現を目指すならば他のすべての宗教および政治思想と共存できません。

じゃあキリスト教とかイスラム教とか仏教社会を目指せば、そうはならないのかい?
宗教によって人々の現実の生活が束縛されるということはありえないのかい?

> それはマルクスの共産主義が唯物論に立脚し現実社会のレベルでの実現を目指すからです。

宗教だって現実社会のレベルに足を突っ込んでいるでしょ。中絶反対!同性愛反対!とか言っているじゃん。

一方マルクスは、宗教を人間主体のための哲学として解釈しなおすことを主張しているに過ぎないよ。
「宗教もまた人間のためにある」という立場から、宗教の提起する問題を哲学が引き受けるべしとしている。
超越的なものは、超越的なものを必要とする人間のためにある、人間の具体的存在にとって必要とされる
がゆえにあるというならば、超越的なものは必要でしょう。もちろんそれは人間の必要に先立つのではない。

君は超越的なものを否定するなというが、例えば超越的なものの場所に共産主義を置いても君は賛成するか?
人間に先立って超越的なものが存在するのだから、人間はその創造物として従う以外にないちっぽけな存在だと。
666横から:2009/02/27(金) 01:12:40 0
また横から失礼。
>>652
 そのレスは内容的に言って、>>648氏へのレスでなく、私(>>651)へのレスですね?

>マルクスはエンゲルスに経済的に頼りつつ中産階級ブルジョワ家庭を気取りつつ娘も育てたからねえ。
 それは失当。マルクスの生活状態の時期を混同している。
 マルクスはエンゲルスに経済的に頼っていた時期は、貧民街住まいで満足に子供も育てられず、息子が夭折するほど貧乏だった。
 エンゲルスに頼らず、郊外の一軒家で中産階級並みの生活ができるようになったのは、先代ヴェストファーレン男爵の死去で妻に多額の遺産が入ったため。
 ブルジョワ家庭を気取っていたのではなく、ヴィクトリア朝時代のイギリスではあの程度の衣食住を取らなければ、社会的に信用ある人物としてまともに人々に相手にされなかっただけ。

>それこそ唯物主義者だったら十字架も単なる標だわな。信仰とは全然関係ないことも分からない?
 上記「それこそ・・・だわな。」と「信仰とは・・・ない?」の2つの文が、意味的に背反しているが??
 「標」とは、意味としての何者かを現わすからこそ標(記号の一種)である。
 あの時点のあの場所では、十字架はキリスト教の信仰を表わす記号である。(唯物論者にとってさえ。それが社会的に妥当する意味であったがゆえに。)
 単なる標が唯物論者にとってその表わす意味と無関係であることができるなら、それこそ「唯物論者は鉤十字の腕章でも許容できる」という背理に陥る。
 あの時点で、娘に十字架を下げさせたまま写真(将来に残る記録)撮影を許したことは、マルクスの宗教的寛容性を意味する。

>仏法、キリストの言葉が永遠だと信じる人、あるいは天皇と日本国が永遠に続くと信じる人と全然共存できてないですが。
 共産主義が実現して100年も経てば、そういう人たちは人数的にも影響力的にも(今日のサマリア人やネストリウス派のように)完全に衰退して、悠々と共存できると思うが?
 明治百年のお祭りの時点で、幕府復興を願う佐幕派が日本に何人いたか?
 ちなみに、内心の信仰でなく社会習慣の問題だが、明治維新から20年、第一回帝国議会でチョンマゲを結っていた代議士は300人中たった1人だった。「物事が廃れる」のはそれほど速い。
667考える名無しさん:2009/02/27(金) 01:18:06 0
>>663
その「ドイツの理論」がフォイエルバッハの思想を指しているのは明白だと思いますが?
キミはなんと解釈しているわけ?
異端的な一人の唯物論者の思想を「ドイツの思想」と拡大し、「ドイツにとって宗教の批判は本質的にはもう果たされている」
と決め付ける、こういう結論ありきの立論の仕方、さすがカルト左翼の頭領だけありますねえ。
『共産党宣言』でもこういう独りよがりの独断がわんさかですが、こういうのがお好きなんですか?
そうならまああんたとは分かり合えないと思います。

ヒューマニズムにもいろいろ流れがあるが、マルクスのはすべての超越を否定する人間中心主義のそれですね。
人間至高主義といいかえても良い。その目指すところに、「まっとうな」宗教が存在できる余地は全くない。

>>664
歴史的には宗教の役割を評価したりしますよね。
それにしてもブルジョアの支配より中世貴族の支配のほうが良かったんですかね。

668考える名無しさん:2009/02/27(金) 01:33:20 0
>>665
>>646
>ブルジョアジーないしブルジョア革命は、神は人間の創作物だと言って宗教を徹底的に批判したけれども、

これマルクスの何つう本の何ページ? 先に答えてな。
669考える名無しさん:2009/02/27(金) 01:36:30 0
「マルクスが何を間違えたのか」などは本当に下らない話題だ。
二百年前の数学者は今の数学者と変わらず様々な間違いをした。
二百年前の自然科学者は今の人間と変わらず様々な間違いをした。
二百年前の思想家だけ今の人間異なり全く間違いをしなかったのだろうか?

二百年前の思想家の思想を今に適用しようとすることこそ最大の間違いだろう。

今望まれるのは今の思想家による現代に対する思想だ。

670考える名無しさん:2009/02/27(金) 01:38:07 0
>>669
いいこと言うね。でもマルクスに思想にしがみついている人たちって想像以上に多いんだよ。ここにもね。
671考える名無しさん:2009/02/27(金) 01:38:54 0
×マルクスに思想に
○マルクスの思想にしがみついている
672考える名無しさん:2009/02/27(金) 01:56:37 0
>>669
いやそれが簡単ではない。例えば自然科学のように時代と共に研究対象を無限に奥深くまで
掘り下げていけるものなら「古い」の一言で済ませられる。
でも社会が対象となると生成・発展・そして消滅があるわけだ。で、その発展期がマルクスの
生きた19世紀なわけで、であるとすれば、やはりそれを尺度としてその偏差から「現代」を
捉えるのは大いに有用でありましょう。
まあ興味は人それぞれだからいいけど。
簿記なんて既に体系的に完成してるから、今から50年前の作業とおんなじことやってるが・・・
ホントに役立つものはいつまでも役立つよ。
673考える名無しさん:2009/02/27(金) 02:18:59 0
>>666
マルクスの伝記的な時間関係については認識不足だった。今は反省している。

彼も現実に処していけるだけの常識的な社会性と寛容性は持っていただろうね。食えない奴だし。
穿ってみればむしろそのための十字架であって、彼の信仰とは全く何の関係もない。そう言いたかったわけ。
論理学を披瀝するのが目的じゃないから、ここで鉤十字の喩え持ち出されて背理と言われてもね。

>共産主義が実現して100年も経てば、
そっか。まずは皇室の弱体化、たとえば女系天皇の実現に向けて頑張ってくれな。
あんたの信奉する(中身空っぽな)共産主義社会の実現の重要な一里塚になるよきっと。がんがれw

「労働者は祖国をもたない。彼らがもたないものを、それからとりあげることはできない。
プロレタリアートは、まずもって政治支配をかちとって、民族的階級にみずからをたかめ、
自分自身を民族として組織しなければならないという点では、ブルジョアジーの意味とは
まったくちがうとはいえ、プロレタリアート自身やはり民族的である。」
674考える名無しさん:2009/02/27(金) 02:37:22 0
>>666は↑の引用部分を読んで、胸が熱くなっちゃったりしちゃう人で、
「君が代・日の丸強制反対!」とか言う日教組やら政党のシンパなんだろ?

>>665
答えは用意してあるけど
>>646
>ブルジョアジーないしブルジョア革命は、神は人間の創作物だと言って宗教を徹底的に批判したけれども、

これマルクスの何つう本の何ページ? 先に答えてな。
675考える名無しさん:2009/02/27(金) 02:47:20 0
>>667
> その「ドイツの理論」がフォイエルバッハの思想を指しているのは明白だと思いますが?

なにを根拠に? それを示してる箇所を挙げてくださいな。
もしそうなら、「ドイツの理論」とは、ドイツに存在する理論というほどの意味になるだろうね。
べつに「ドイツの理論は総じて」などと書いてあるわけじゃないんだし。

> キミはなんと解釈しているわけ?

てか、それを言うなら、マルクスがその宗教論で直接の影響を受けているのはブルーノ・バウアーのほうでしょ?
『ユダヤ人問題によせて』ではバウアーの著作から長々と引用している。
こちらは『ヘーゲル法哲学批判序説』とは違って、最初から最後まで宗教問題を真正面から論じている。

> 異端的な一人の唯物論者の思想を「ドイツの思想」と拡大し、「ドイツにとって宗教の批判は本質的にはもう果たされている」
> と決め付ける、こういう結論ありきの立論の仕方、さすがカルト左翼の頭領だけありますねえ。

なにをもって異端というの? そりゃ当時においては異端でしょ。バウアーだってその宗教批判のせいで大学を追われている。
当時の宗教(神学)が単に幻想レベルで超越的であるどころか、社会的関係の上での権力たりえていた証拠。
ソ連や中国のそれも、思うに、政治的にはむしろ宗教的な救世主思想の精神を引き継いだ系譜上にあるんじゃないか?

> ヒューマニズムにもいろいろ流れがあるが、マルクスのはすべての超越を否定する人間中心主義のそれですね。
> 人間至高主義といいかえても良い。その目指すところに、「まっとうな」宗教が存在できる余地は全くない。

超越を否定するのはマルクス主義者だけじゃないでしょ。現代社会で宗教が説く教えが人間に先立って
超越的に存在しているなんていまだに信じている人なんているの? そのほうが今や異端でしょw
たとえば、近代科学(ブルジョア科学)は、宗教的な超越性を否定せず、認めているのだとでもいうつもり?

676考える名無しさん:2009/02/27(金) 02:50:13 0
>>668
> これマルクスの何つう本の何ページ? 先に答えてな。

しつこいな。ttp://www.geocities.jp/beringia2002/avant-propos.html を読めと書いているだろ。

てか、「ニュアンスとしてはこうだ」と断って書いたんじゃないか。引用だとは書いていないだろ。

中世的、封建的な社会を支配していた宗教に代わって、ブルジョア社会が現世的な救済に訴える
近代社会を築いたということを、当時のマルクスは前提に議論しているんだろう。
マックス・ヴェーバーの資本主義の精神もマルクス主義的にいえばブルジョア社会の精神だと思うが、
君はそうした史観を真っ向から否定しているということか?
677考える名無しさん:2009/02/27(金) 03:04:22 0
>>669
その理屈でいく、二百年前の数学や自然科学は、二百年前であるがゆえに、すべて間違えていたと
いうことになるのかな? 進化論も昔の人が考え付いたことだから現代ではもはや通用しない仮説だと。
スミスやリカードが考えたことも現代に適用すべきでないと。

そういう理屈の持って行き方はかなり乱暴であるすぎるね。
でもまあたしかに、時代によって社会関係が移り代われば、それ相応の理論や思想が要請される
というのは、そのとおりかもね。しかしそのためには過去の考えのどこが通用して通用しないかを
考えることが必要だからね。どんな現代思想でも過去の遺産の影響を受けているんだよ。
678考える名無しさん:2009/02/27(金) 03:12:16 0
>>661
> 究極的には超越に価値を置いている真の宗教は、地上においては他の宗教と共存できるということです。

だったら他の宗派をカルト呼ばわりして排除しちゃいけないよ。宗教戦争も魔女狩りもなかったはずだし。

> マルクス共産主義はその実現を考えたときに他の思想および宗教と全く共存できない。
> 無神論者が形而上的あるいは科学の立場から無神論を唱えているだけなら害悪はないが、
> マルクス共産主義者は無神論的唯物論に立脚して社会を変革しようとするので、
> その立場に立たない人にとって迷惑この上ない。

形而上的あるいは科学であれ、それに基づいて教育システムを組織し、
人々にそれを植え付けようとすれば、その考えに基づいて社会変革していることと一緒だろう。
宗教的な理由で輸血を拒否した家族が逮捕されるなんてことも起きないはずだしね。

> >ある宗派が他の宗派をカルトと言うことと、無神論者が神を崇拝する宗派をカルトと呼ぶこと、
> 無神論者には神はいないだろう。頭を整理してから質問してくれ。

君こそ頭を整理して読み直してみてくれ。無神論者に神がいるなどとどこに書いてある?
書いてあることは逆だろ。
679考える名無しさん:2009/02/27(金) 03:30:27 0
>>676
ポール・ラファルグなんて知らない。
マルクスのどこ? いい加減早く答えろ。 ごまかすなよ。
680考える名無しさん:2009/02/27(金) 03:39:04 0
>>676
マックス・ウェーバーなら市民社会および資本主義社会を築くエートスを担ったのは
清教徒たち、主にカルヴィン派という訳だから、

>ブルジョアジーないしブルジョア革命は、神は人間の創作物だと言って宗教を徹底的に批判したけれども、

の全く逆ですな。ここでわざわざ自分に不利なウェーバー持ってくるって頭がアレなんじゃないの?
さあ早くPLとやらの言ってるようなことをマルクスも言ってるのか、早く出しなよ。
681考える名無しさん:2009/02/27(金) 09:52:25 0
>>666
>共産主義が実現して100年も経てば、そういう人たちは人数的にも影響力的にも
>(今日のサマリア人やネストリウス派のように)完全に衰退して、悠々と共存できると思うが?

これはつまり、「共存できていない」ということではないですか。
つまり共産主義社会では仏教やキリスト教は弾圧されるから、ということでは。
幕府やチョンマゲが廃れたのは明治政府によって強制的に解体され禁止されたから
であって、それ以外の理由ではないと思われます。
(単なる形式の問題なので、弾圧に抗してまで維持しようとする人がいなかった、というのも
理由でしょうが。ちなみに、幕藩体制は「地元意識」としては今でも生きているとも
いえますし、地方分権のモデルとして見直しの機運もないことはありません。)
あなたの理屈によると、共産主義社会になりさえすれば、今まで通りに宗教教育も
宗教活動も自由であって、学校や社会で反宗教教育が行われなくても、自然に
宗教を信じる人は激減する、ということだと思われますが、その根拠は何でしょうか。
共産主義というのはたかだか富の生産と配分のやり方の問題であって、
仮にそれで経済的な不安が完全に取り除かれても(無理だと思いますが)、
「生老病死」という人間の「物質的実存条件」が変わらない限り、宗教の存在は
そう簡単になくならないと思われます。

ちなみに、私自身もそうですが、共産主義であってもなくても、近代社会に
おいては天地創造とか天国とか地獄とか何とかいう伝統的な宗教的世界観については
「馬鹿馬鹿しい」と感じる人が多いと思われます。しかし、それとは別の
次元で人間の心理が必然的に要求する面が大きいからこそ、宗教がなくならない
のではないでしょうか。
682考える名無しさん:2009/02/27(金) 12:27:28 0
>>675
> 超越を否定するのはマルクス主義者だけじゃないでしょ。現代社会で宗教が説く教えが人間に先立って
> 超越的に存在しているなんていまだに信じている人なんているの? そのほうが今や異端でしょw

そうでもないみたいw
【生物】ダーウィン生誕200年、米国では「進化論」浸透せず
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1234608073/

> たとえば、近代科学(ブルジョア科学)は、宗教的な超越性を否定せず、認めているのだとでもいうつもり?

どっちの教育を社会的に子供たちに「強制」するかで揉めているね、米国も。
683考える名無しさん:2009/02/27(金) 14:21:18 0
市場原理主義の代替勢力になってきた側もいまや衰退したか存在しないしね。

社会主義を「自称」してきた中国でさえ、走資派復活によって改革解放路線を掲げ、
アングロサクソン的経済モデルをますます積極的に採用するに至っている。

ケ小平はレーガン、サッチャー、小泉と並んで新自由主義の一人にすら数えられているw
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4861821061

強い代替勢力があったころには西側も社会主義的な制度のよい面を積極的に取り得れて
不完全な市場経済を安定的に機能させるもう一つの不可避な動力源にしてきたはずなのに。

社会主義というライバルがいなくなって暴走したことで、皮肉なことにかえって、
社会主義の批判者でもあったマルクスの説く唯物史観に手をかすことになってしまっている。

マルクスやエンゲルスは社会主義を資本主義の代替的改良制度でしかなく、ブルジョア社会
では必ず失敗に終わる運命にあると主張し、資本主義の暴走を擁護した一種の走資主義者。

社会主義的政策を積極的に取り込むのはマルクス主義への歩みよりではなく対抗策として必要。
ちなみに日本共産党は、マルクス主義政党というよりは社民主義政党だね。
筋金入りのマルクス主義者だったなら、市場社会の暴走を当然の唯物史だとしてむしろ弁護すべき。
684考える名無しさん:2009/02/27(金) 22:56:22 0
ここ一連のレスを読んで思ったが、
マルクスシンパってのは、ほ  ん  っ  っ  と に、くだらねえご都合主義の屁理屈をこね回すだけの奴らだな。

>>666
「十字架」が当時にあっては合社会的であることの徴であって、それと彼の信仰・信条とは何の関係もない、ということを
>>652は言っているんだろうに、よりにもよって反社会の徴である「鉤十字」を持ってきて、「徴」の意味と「背理に陥る」などと
鬼の首でも取ったかのように屁理屈を振りかざすとは、キチもいいところ。

共産主義が100年続けば宗教が「完全に衰退」(www することを主張するのに、ネストリウス派やらチョンマゲやら
持ち出すのも失笑ものだ。いくらでも反例が出せるだろう。
隠れキリシタンが300年保たれたとか、李氏朝鮮で仏教が500年命脈を保ったとか、それこそユダヤ教は何千年も
迫害を受けていたが生き続けてきただろう。

>>678
>宗教的な理由で輸血を拒否した家族が逮捕されるなんてことも

ここでモルモン教というカルトを持ち出すのも。
モルモン教はキリスト教から派生したかもしれないが、正統なキリスト教ならどこもモルモン教を異端としている。
宗教戦争や魔女狩りもあったかもしれないが、じゃあマルクスの共産主義から派生した巨大カルトである旧社会主義国家において
20世紀という現代にありながら犠牲者1億人は下らないという事実を持ち出されたらどうするんだろうね。
http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/kak2/1209301.htm 
カルト共産主義の方が世界に数あるカルトの何万倍も非人間的だったわけだ。
日本のサヨクの方々は共産主義国家を賛美しておいて、その後自己批判の一つでもしたか?

685666(横から):2009/02/27(金) 23:54:02 0
またしても横から失礼。

>>673
真摯なご考察、一敬に堪えません。

>彼も現実に処していけるだけの常識的な社会性と寛容性は持っていただろうね。食えない奴だし

 そういう「常識的な社会性と寛容性と食えなさ」を持つこと自体がマルクス的共産主義の一環だ、と言いたかったんだが・・・

>>共産主義が実現して100年も経てば、
>そっか。まずは皇室の弱体化、たとえば女系天皇の実現に向けて頑張ってくれな。

 政治力として全く空洞化している現在の皇室をいくら弱体化しても、共産主義実現には一歩たりとも近づくことにはならない。
 むしろ、場合によってはうまく皇室を祭り上げて利用したほうが共産主義実現には、1ミリ程度は近づける場合もある。(時と場合によるし、使用上注意の劇薬だが。)
 ついでながら、女系天皇を実現することは、皇室を強化はするが弱体化はしない。

>あんたの信奉する(中身空っぽな)共産主義社会の実現の重要な一里塚になるよきっと。がんがれw

 私は共産主義社会を「信奉」してはいない。
 賃労働という生産様式による資本主義社会へ有力な一代替案として真剣に考慮しているだけである。

>「労働者は祖国をもたない。彼らがもたないものを、それからとりあげることはできない。
>プロレタリアートは、まずもって政治支配をかちとって、民族的階級にみずからをたかめ、
>自分自身を民族として組織しなければならないという点では、ブルジョアジーの意味とは
>まったくちがうとはいえ、プロレタリアート自身やはり民族的である。」

 1848年のヨーロッパ人に対する共産主義の訴えかけとしては概ね妥当と考える。
686666:2009/02/28(土) 00:07:33 0
>>674
>>666は↑の引用部分を読んで、胸が熱くなっちゃったりしちゃう人で、

 その引用部への私の感想については>>685を参照されたい。

>「君が代・日の丸強制反対!」とか言う日教組やら政党のシンパなんだろ?

 遺憾ながら不勉強にして現在の日教組の政治的主張についてはほとんど全く知らない。
 「君が代・日の丸強制反対!」と主張する政党が現在日本にあるとしたら、政治的にかなり拙劣な手法ではないか?とは思うが、これもいかなる政党がいかなる文脈で主張しているのかは熟知していない。
 多少なりとも真面目な人間ならば、自ら知っていない組織のシンパサイザーになることはできない。
687666:2009/02/28(土) 00:38:46 0
>>681 (1/2)
>これはつまり、「共存できていない」ということではないですか。
>つまり共産主義社会では仏教やキリスト教は弾圧されるから、ということでは。
>幕府やチョンマゲが廃れたのは明治政府によって強制的に解体され禁止されたから
>であって、それ以外の理由ではないと思われます。

 たしかに武力で幕府再興を図った(??)上野の彰義隊は大砲で撃破されました。
 しかし明治政府の内部で徳川氏の名誉回復と地位向上に力を注いだ勝海舟も、それを批判して在野の立場を主張した福沢諭吉も、明治政府から弾圧はされませんでした。
(明治14年の政変で福沢門下の人々が政府を追われたのは、いくら何でも福沢が旧幕臣で幕府再興を疑われたからではないでしょう。)
 なぜか? 一言で言えば、冷たい言い方ですが、徳川贔屓はもはや政治的に「人畜無害」な存在と化していたからです。
 共産主義社会への過渡期には、「宗教の名目の下に、実は資本主義の復興を企図する」ことはさぞかし労働者による禁圧の対象となるでしょう。
 しかし十分に発達した共産主義社会においては、宗教は「弾圧するまでもない」存在になっている、と考えます。
 
>・・・中略失礼・・・
>あなたの理屈によると、共産主義社会になりさえすれば、今まで通りに宗教教育も
>宗教活動も自由であって、学校や社会で反宗教教育が行われなくても、自然に
>宗教を信じる人は激減する、ということだと思われますが、その根拠は何でしょうか。

 宗教というものが資本主義社会で与えられている役割は、例えて言えば精神科医学のようなものです。
 労働者らが苦しみにあえいでいるときに、捨て鉢になって労働を放棄したり、ヤケを起こしたりさせない「役割」を果たしているわけです。
 労働者が賃労働から解放されれば、そのような「苦しみにあえぐ」状態は劇的に緩和される、というのがマルクスの発想です。
 そのような状態で、「宗教」なるものが今のような形態のままで、資本主義社会のように繁栄し、存続することはできない、と考えます。
688666:2009/02/28(土) 00:40:31 0
>>681 (2/2)
>共産主義というのはたかだか富の生産と配分のやり方の問題であって、

 「宗教」だって、「富の生産と配分のやり方」の一部ですよ。メンタルヘルスケアをする医学と医師が無くなったら今の日本のサラリーマン社会が持たないのと同じです。

>仮にそれで経済的な不安が完全に取り除かれても(無理だと思いますが)、

 資本主義よりマシになると思います。

>「生老病死」という人間の「物質的実存条件」が変わらない限り、宗教の存在は
>そう簡単になくならないと思われます。
>ちなみに、私自身もそうですが、共産主義であってもなくても、近代社会に
>おいては天地創造とか天国とか地獄とか何とかいう伝統的な宗教的世界観については
>「馬鹿馬鹿しい」と感じる人が多いと思われます。しかし、それとは別の
>次元で人間の心理が必然的に要求する面が大きいからこそ、宗教がなくならない
>のではないでしょうか。

 共産主義社会だって、例えば我が子が早死になどしてしまったら、誰だって悲しい。
 そういう場合の一種の「精神修養法」「心の持ち方」についての老賢の知恵はなくならないでしょう。
 しかし、それが「宗教」(ここでは教団、教義、祭祀、という実存形態を主に指しているのですが)という形態を取ることは、もはや無くなると予期します。
689666:2009/02/28(土) 01:02:43 0
>>684
>ここ一連のレスを読んで思ったが、
>マルクスシンパってのは、ほ  ん  っ  っ  と に、くだらねえご都合主義の屁理屈をこね回すだけの奴らだな。
私も2ちゃんねるに期待はしていないが、たしかにここは玉石混交だ。
しかしだからといって「石ばかりだ」というのは物事の反面しか見ていない言い方だ。

>>666
>「十字架」が当時にあっては合社会的であることの徴であって、それと彼の信仰・信条とは何の関係もない、ということを
>>652は言っているんだろうに、
 そこでの>>652氏のレスの真意を、他人としてこれ以上穿つのは止めておきたい。
 が、十字架が「当時にあっては合社会的であることの徴であって、それと彼の信仰・信条とは何の関係もない」という見解には賛成できない。
 マルクスが幼少時から青年期にかけていかなる宗教的経歴をたどってきたか、むしろたどらざるを得なかったか、これを考えれば、マルクスが宗教に対して取れる行動には自ずから厳しい限度がある、と考えざるを得ない。

>よりにもよって反社会の徴である「鉤十字」を持ってきて、「徴」の意味と「背理に陥る」などと
>鬼の首でも取ったかのように屁理屈を振りかざすとは、キチもいいところ。
 鉤十字を例に挙げたのは「反社会」の象徴の例としてではなく、「反マルクス主義」の象徴の例としてだったのだが。
 文脈から分かるはずだが、揚げ足取りか?意図的な歪曲か??

>共産主義が100年続けば宗教が「完全に衰退」(www することを主張するのに、ネストリウス派やらチョンマゲやら
>持ち出すのも失笑ものだ。いくらでも反例が出せるだろう。
>隠れキリシタンが300年保たれたとか、李氏朝鮮で仏教が500年命脈を保ったとか、それこそユダヤ教は何千年も
>迫害を受けていたが生き続けてきただろう。
 私は「宗教は共産主義社会では“弾圧によって”衰退する」などとは書いてもいないし、考えてもいない。
 それらの反例は的外れである。
690考える名無しさん:2009/02/28(土) 01:41:16 0
「マルクスが何を間違えたのか」などは本当に下らない話題だ。
今まで数多くの学者がマルクスの間違いを指摘している。
なにを今更というところだ。

二百年前の数学者は今の数学者と変わらず様々な間違いをした。
もちろん現代に生かせる業績もあるが二百年前の数学は形式も古くなり現代ではそのまま学生に教えることすら不可能だ。

二百年前の自然科学者は今の自然科学者と変わらず様々な間違いをした。
もちろん現代に生かせる業績あるが二百年前の自然科学は形式も古くなり現代ではそのまま学生に教えることすら不可能だ。

二百年前の思想家マルクスだけ今の人間異なり全く間違いをしなかったのだろうか?
全て現在に生かせる業績でそのまま学生に教えて現代に適用できる学説なのだろうか?

学問は全て批判的検討を経て新たに生まれ変わるものだ。
学者であったマルクスが自分の思想を批判的に検討されることを喜びこそすれそれを拒むとは到底考えづらい
二百年前の思想家マルクスの思想を今に適用しようとすることこそ最大の間違いだろう。
またマルクスもそんな教条主義の思考停止を望むとは到底考えづらい。

今望まれるのは今の思想家による現代に対する思想だ。

691考える名無しさん:2009/02/28(土) 02:30:07 O

◎人間を社会的存在として、こだわり過ぎた!



692考える名無しさん:2009/02/28(土) 03:00:41 0
>>681
> 「生老病死」という人間の「物質的実存条件」が変わらない限り、宗教の存在は
> そう簡単になくならないと思われます。

そう思っているなら、あなたは立派なマルクス主義者ですよ。
マルクスがヘーゲル法哲学批判序説で宗教について言及している箇所もまさに
そのことを言っているのだから。
693考える名無しさん:2009/02/28(土) 03:33:18 0
>>692
『ヘーゲル法哲学批判序説』でどこに「生老病死」といった生物としての人間が
逃れられない存在の悩みについて述べていますか?
さあどうぞ引用して挙げてください。

誰が読んでもマルクスが宗教が成り立つ条件として挙げるのはただ社会的諸関係が改善されたら宗教が必要なくなる、
という社会的物質的条件だけのはずです。
全く驚くべき浅薄さです。

「人間とはすなわち人間の世界であり、国家であり、社会的結合である。
この国家、この社会的結合が倒錯した世界であるがゆえに、倒錯した世界意識である宗教を生み出すのである」

『ユダヤ人問題によせて』によれば
「宗教が存在することは欠陥が存在することであるから、この欠陥の根源は国家そのものの本質の中に
求められるほかはない。」

他にもあらゆるところに「民衆に宗教がその社会に欠陥があるから」という思想が繰り広げられます。
この人には例えばブッダが悩んだことを悩む感受性のひとかけらもない。
そしてこの人の唱えた社会的条件である「共産主義」とやらが、人間から宗教を必要で無くする状態であると
考える人が存在するのは全く驚くばかりです。
694考える名無しさん:2009/02/28(土) 03:35:12 0
×「民衆に宗教がその社会に欠陥があるから」
○「民衆に宗教が必要なのはその社会に欠陥があるから」
695考える名無しさん:2009/02/28(土) 03:42:57 0
>>692
文が乱れているなorz

×誰が読んでもマルクスが宗教が成り立つ条件として挙げるのはただ社会的諸関係が改善されたら宗教が必要なくなる、
という社会的物質的条件だけのはずです。

○誰が読んでも、マルクスが宗教が成り立つ条件として挙げるのはただ社会的諸関係および物質的条件についてだけであり、
それが改善されたら宗教が必要なくなる、ということのはずです。

>>681さんはまともな人なので、独断で糞マルクス主義者に仕立て上げないください。


696考える名無しさん:2009/02/28(土) 04:37:59 0
いくら人間が宗教を作ったと主張したところで、存在の謎について全く説明されない。
世界の体系を示し、人間の悲惨と救済について語る宗教に人間は帰依する。
彼の考えたみじめな共産主義は新たに人間を抑圧する体系を作り、真の宗教はそれに抵抗するだろう。
697681:2009/02/28(土) 12:15:34 0
>>687
幕末の歴史はこの問題とはほとんど何の関係もないと思いますがw、少し論ずるなら、
徳川幕府の再興云々は「権力の所在」と「統治機構のあり方」の問題であって、
思想や宗教の問題とは別次元の話です。
統治機構のあり方としてなら、十分弾圧もあれば警戒もあったでしょう。
西南戦争に終わるいわゆる不平士族の反乱はすべて無慈悲に弾圧されていますし、
伊藤博文が憲法草案で軍隊の指揮権を天皇に直属させたのは、もっぱら「幕府」のような
存在が再興することを警戒するためだった、という話も聞いたことがあります。
(新たな歴史的現実の中でそれが別の機能を果たしてしまったことは言うまでもありません。)

これに対し、思想や宗教の面で言えば、徳川幕府の思想的支柱だったといえる儒教も特に弾圧された
わけでもありませんし、むしろ新興の資本主義を支えるイデオロギーとして利用された面のほうが強いでしょう。
今でも日本人の習俗や勤労道徳の元はほとんど(仏教と混交した)儒教だといって間違いはありません。
徳川家の名誉など、維新直後ですらあまり貶められたことはないでしょう。
徳川家康はずっと東照宮に神様として祭られたままですし、西郷隆盛は西南戦争の前には、
政府の現状を嘆いて「こんな様では徳川幕府に申し訳が立たない」と言っていたそうです。
日本人の好きな時代劇の舞台がほとんど江戸時代であることは、言うまでもありません。

思想や宗教の面では、明治維新による断絶よりも、むしろ織田信長以降、近世から近代を通して
一貫している統治者の姿勢、「宗教は徹底的に世俗の統治権力の下に組み込んで、政治に直接
口は出させない。利用できる限りは適宜に利用する。民衆がどんな宗教観を持っているか
については、国家の脅威にならない限り放置する」というプラグマティックな姿勢のほうが
重要だと思われます。これは基本的には現在まで続いているのであって、
「信教の自由」という美名の下で、「宗教は個人の心の問題だから、勝手にしなさい。でも政治的な
ことに口を出すのはやめなさい」という政府の姿勢となって現れています。創価学会の存在が
これとどう抵触するのかしないのか、興味深いところです。
698681:2009/02/28(土) 12:38:31 0
(続き)
>共産主義社会への過渡期には、「宗教の名目の下に、実は資本主義の復興を企図する」ことはさぞかし
>労働者による禁圧の対象となるでしょう。
>しかし十分に発達した共産主義社会においては、宗教は「弾圧するまでもない」存在になっている、と考えます。

ですから、そう考える根拠をお尋ねしているわけですw
「宗教」と「資本主義の復興を企図する」ことは、直接何の関係もありません。そもそも既存の大宗教のほとんどは、
資本主義など影も形もない時代に生まれて、経済や社会の変化に伴ってその形や役割を変えながら、
今日まで連綿と存続してきたものです。
また、それが「純粋の宗教活動」なのか、「資本主義の復興を企図する」ものなのか、どうやって区別するのでしょうか。
統治者が、あなたのような「マルクス主義的宗教観?」を持っている限りは、「主観的にそうでなくても、客観的にはそうなのだ」
ということになって、「あらゆる宗教活動を弾圧する=共存できない」という結果になる以外ないと思われます。
699681:2009/02/28(土) 12:42:48 0
(続き)
>宗教というものが資本主義社会で与えられている役割は、例えて言えば精神科医学のようなものです。
>労働者らが苦しみにあえいでいるときに、捨て鉢になって労働を放棄したり、ヤケを起こしたりさせない「役割」を果たしているわけです。

宗教は時代や社会情勢の変化によっていろいろな役割を果たすわけで、最大公約数的には「人々の悩みや苦しみを癒す」
役割が大きいでしょうから、確かにおっしゃるような役割も果たす場合があるかもしれませんが(それにしてもあまり
そうは思えませんがw)、それは宗教の本質とは別の問題なわけです。
日本では、明治以後に、国民国家統合の求心力が求められ、皇室がある種の「宗教」としてその役割を果たしました。
旧ソ連や中華人民共和国で言えば、イデオロギーとしての共産主義やマルクス主義が、ある種の「宗教」として同じ役割を
果たしました。旧ソ連の崩壊や中国の資本主義化によってその力が弱まったために、社会の統合の深刻な危機が生じ、
伝統的な宗教や民族主義、また各種の新興宗教がその空白を埋めつつあることは周知の通りです。
しかし、これらは、それらの宗教やイデオロギーがどういう役割を果たしているか、という問題であって、皇室やマルクス主義や
ロシア正教や儒教や法輪功の本質が何であるか、とは別問題なのです。
儒教やプロテスタンティズムが近代資本主義を支えるイデオロギーとなった、という指摘は多いですが、だからといって
孔子やルターやカルヴァンは資本家の走狗である、などといえないことは言うまでもありません。
700681:2009/02/28(土) 12:44:22 0
>>692
>そう思っているなら、あなたは立派なマルクス主義者ですよ。

これは誤解というものですw 私は一応精神や意識というのは物質の活動から派生したものではないか、と思っておりますし、
図式的に言えば「存在が意識を規定する」と思っているので、「唯物論者」ではあるかもしれませんが、
マルクス主義者ではぜんぜんありません。
というか、そもそもマルクスの思想についてあまり詳しく知りません。印象でいえば、とにかく「わかりやすい人ではない」
と思われます。わかりやすいのはすべてエンゲルスやレーニンが書いたものであって、マルクスはヘーゲルの弟子だけあって、
そう単純に割り切れるような人ではないように思います。マルクスが「唯物論者」なのかどうかさえ、必ずしも定かではありません。
別のスレでもちょっと論じたことがありますが、なぜ「唯物論」と「共産主義・マルクス主義」を直結させて考える人がいるのか、
どうも理解できません。唯物論者の資本家や経営者など珍しくもないですし、キリスト教徒の共産主義者がいても
何の不思議もないでしょう。
唯物論者であるかどうかと、政治や経済や社会のあり方にどういう意見や価値観を持っているか、とは、ぜんぜん別の問題です。

一応付け加えると、私は宗教の根源は生老病死という人間の根源的で変更しがたいあり方、もっと実存主義的に言えば
何の根拠も理由もなく突然この世界に投げ入れられ、数十年の後にはどこへともなく消えていかなくてはならないというあり方に
あると思っており、またそのあり方は結局生物としての人間の物質的なあり方に帰着すると考えているので、唯物論者と
言えば唯物論者ですが、しかし、それが絶対的に正しいなどとは思っていません。
「生命」が純粋に物質的な存在なのかどうかも確定的なことはいえませんし、あるいは文字通り全知全能で不可知の存在が
天地万物を創造したのかもしれません。霊魂は肉体とは独立の存在で、肉体の死後はわれわれの想像もつかない運命を
たどるのかもしれません。そうでないという証明など不可能です。
ただ、個人的に「どうしてもそんな風には思えない」というだけのことです。
701考える名無しさん:2009/02/28(土) 19:14:08 0
>>679
> ポール・ラファルグなんて知らない。

マルクス主義者の必読書の一つ(?)エンゲルスの『空想から科学への社会主義の発展』を読んだことある?
そこには「我が友人ポール・ラファルグの要請で私はこの書の三章を編集してパンフレットにした」とある。
ラファルグがこのパンフレットを仏語に翻訳して出版したのをもとにして、それがのちに独語で出版され、
欧州の様々な言語に翻訳されていったのだとエンゲルスは書いている。『共産党宣言』や『資本論』よりも
人々に読まれていた本らしい。

ポール・ラファルグはマルクスの娘婿に当たる共産主義者で、当時のフランスの下院の代議士。
マルクスの弟子としてその名を紹介されることもある人物。彼がこの点について簡潔に表現しているので
一読をおすすめした。ttp://www.geocities.jp/beringia2002/avant-propos.html

>>680
なぜそれが「全く逆です」になるのかまったく解せないな。清教徒革命を市民革命(ブルジョア革命)の一種
として捉えることがそれほど突飛で異端的な史観であるとは思えないんだけれどなあ。
ヴェーバーの『プロ倫』の日本語訳者として知られる大塚久雄氏だって同様に捉えていたはずだろう。
それを頭から否定しきるような君のその返答は解せないなあ。

宗派や宗教家の中からそれまでの社会が共有してきた宗教観を革新するような一派や人物が出てきて、
旧い宗教観をカルトや幻想や迷信であると見なして止揚していこうとすることは、歴史的に十分に考えら
れることじゃないか? その萌芽が例えばピューリタンのなかに歴史的に生じたとしても不思議じゃない。

ただしヴェーバーはそれを上部構造から論じ、マルクスやエンゲルスらは下部構造から論じようとしたのだろう。
702考える名無しさん:2009/02/28(土) 19:26:34 0
>>700
> >そう思っているなら、あなたは立派なマルクス主義者ですよ。
> これは誤解というものですw 私は一応精神や意識というのは物質の活動から派生したものではないか、と思っておりますし、
> 図式的に言えば「存在が意識を規定する」と思っているので、「唯物論者」ではあるかもしれませんが、
> マルクス主義者ではぜんぜんありません。

それは、それは、失礼しました。
ただし、その唯物論を、社会や歴史の問題にテーマを絞って適用すれば、マルクスの考えに限りなく近くなってくる
はずですよ。マルクスは社会や歴史の問題を論じるに際して、その唯物論的立場に力点を置こうとした。
正しく言えば、唯心論と唯物論とを止揚する弁証論的唯物論を確立させることが彼らの目標だったのでしょう。
703考える名無しさん:2009/02/28(土) 19:29:10 0
ちなみに、マルクスが宗教一般、あらゆる宗教の問題についてそのように言ったのだという根拠はありますか?
704考える名無しさん:2009/02/28(土) 20:25:54 0
日本では、学問(サイエンス)というのは、欧米世界で評判を取った一流学者たちの仕事を、国内に紹介するというか、
泥棒というか、勝手に代理店を開くというか、華々しく輸入するというか、そういうことに過ぎない。これは今でもそうだ。
(中略)
アメリカでは「この本を私は、翻訳して出版しました」というのは、絶対に学問業績にならないのだそうだ。履歴書の作品
欄に、書いてはないらない。「絶対に書くな」と何人かのアメリカ人の友人に、私は忠告された。「いや、そう言っても、
この本を訳すのは大変だったのだ。日本では、翻訳するだけでも大変な業績になる。翻訳書が1冊あるだけで、学者だ。と
威張ってるのがたくさんいる」と私が、反論しても、絶対に聞き入れてくれない「恥ずかしいことだから、
止めろ」としつこく言われた。翻訳は研究業績にはならないのだ。「それはインフォマート(現地人の情報提供者)の仕事で
あって、学者の仕事とは、認められないのだ」と、強く言われた。
副島隆彦「属国日本論を超えて」P36〜40
705考える名無しさん:2009/02/28(土) 20:26:24 0

 日本では「政治思想」なるものはいつも断片的にバラバラに、前後の脈略なしに、適当に外側(欧米世界)から
翻訳文として押し寄せ、流れ込む。しかも、世界の知識人たちが理解している全体構図とは関係なしに自分勝手な
理解を国内に広める。そしてやがて棄て去り、次の新しいものにまた飛びつく。

「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」(副島隆彦 著 講談社)
706考える名無しさん:2009/02/28(土) 20:27:24 0
今日のぼやき「722」
http://www.snsi-j.jp/boyakif/wd200601.html#1101
副島隆彦の言うことは信じられない、などど逃げ回ることができなくしてやろうと思います。すくなくとも
私たちのまわり(周囲)にまとわりついて、私たちから知識、情報の泥棒をしに来ている薄汚い連中の脳に、
大きな真実のばい菌(ウイルス、virus ヴァイラス)を注入してやろうと思います。発病まで何年かかかる
でしょうが、それでも、私たちが見舞う真実爆弾は、「現実はこのままであり、受け入れるしか仕方がない
ものだ論者」どもの脳を侵蝕してゆくでしょう。ざまあみろ、ということです。
(中略)
過去150年間の、日本の政治知識人たちの、能力の低劣と、思わせぶりの嘘八百理解と、意味不明文をあり
がたがって、それで、「自分は、これでも、日本では政治知識人だ」と思いこめた、土人のまじない師たちの
哀れな姿の問題を、何とか、継承して、表に出して、そして、「少しでも克服する」ではなくて、本当に、
大幅前進させなければならない。これは、私の決意だ。私の人生に遺された重要な、コトバ研究の分野の仕事だ。
(中略)
急いで、弟子たちに、『政治思想の本の真実読み破りと、なめらか訳の技術の伝授』をやってしまいたい。
そうすれば、以後は、私の弟子たちが、すぐれた翻訳をやって、むずかしいがしかし定評のある外国書を
日本人知識層が、嘘つきではなく、知ったかぶりではなく、いいかっこしいではない、西欧の最先端思想
を自分だけ知っている、分かっている風の、だましの思想の嘘輸入がなくなる。これを、なんとしても、
はやく実現しなければ、いけない。
707考える名無しさん:2009/02/28(土) 20:27:51 0
(副島隆彦の学問道場「今日のぼやき」[2000.3.6]より引用)
宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、
もう世界規模では捨てられた思想です。今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。
東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。
はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。

「 大正デモクラシー」のころの(ロシア・ボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、
とにかく訳(わけ)が分からないように書く。読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。
これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。
室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、
何と朱子学(南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。
これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。
じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、
フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちは
アメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。

 日本人のような、東アジアのモンゴリアン・インディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、
考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。
(引用おわり)
708考える名無しさん:2009/02/28(土) 20:28:51 0
冷酷な外側(欧米)のメディアは、「日本にも右(保守)と左(リベラル)の
対立がある」とは見ていない。どちらも「日本国内に立てこもうろうとする、
民族防衛言論だ」と彼らは鋭く見抜いている。
私は、この稿では、もはや、現在の日本の知識人の「井の中の蛙」問題抜きでは、
日本の未来国家を論じる気がなくなってしまった。
ここまで書いたのだから、さらに追い討ちをかけるように、嫌な言葉を遠慮なく
使わせていただきくなら、それは、「私たち属国知識人が持つ特有の精神的屈折」
とでも申し上げようか。そういう隠された劣等感である。

副島隆彦「属国日本論を超えて」P27
709考える名無しさん:2009/02/28(土) 20:29:26 0
学位(ドクトレイト)は、本来、学者個人が一子相伝で伝えてゆくものです。
大学や教育相が出すものではありません。
フランツ・フォン・シーボルトは、長崎の鳴滝塾で、高野長英や小関英三に彼らが
オランダ語(どうもドイツ語らしい)で書いて報告した論文に対して、「ドクトル」
の学位を授けています。
学位とは、周囲の高い評価を得た優れた学者が、個人の名前が出すものです。
福沢諭吉先生の真似を私はそのうちするぞ。日本の土人学者や、「日本的エスタブリッシュメント」
なんか、原住民のまじない師集団(欧米では誰からも相手にされない)に過ぎないから、
私は、呆れ返っているから相手にしない。だが、アキラ君は、このあとも日本のアカデミズム
(まじない師集団)の中で生きゆくだろうから、私の知ったことではない。

副島隆彦「属国日本論を超えて」
710687:2009/03/01(日) 02:39:28 0
>>697
御意見謹聴いたしまいた。

>>698 (1/2)
>>しかし十分に発達した共産主義社会においては、宗教は「弾圧するまでもない」存在になっている、と考えます。
>ですから、そう考える根拠をお尋ねしているわけですw
 上記>>687-688中、
 「労働者が賃労働から解放されれば、そのような『苦しみにあえぐ』状態は劇的に緩和される、というのがマルクスの発想です。
 そのような状態で、「宗教」なるものが今のような形態のままで、資本主義社会のように繁栄し、存続することはできない、と考えます。」
 「共産主義社会だって、例えば我が子が早死になどしてしまったら、誰だって悲しい。
 そういう場合の一種の『精神修養法』『心の持ち方』についての老賢の知恵はなくならないでしょう。
 しかし、それが『宗教』(ここでは教団、教義、祭祀、という実存形態を主に指しているのですが)という形態を取ることは、もはや無くなると予期します。」

にて御了知願います。

>また、それが「純粋の宗教活動」なのか、「資本主義の復興を企図する」ものなのか、どうやって区別するのでしょうか。
 それは共産主義社会における宗教のあり方の問題ではなく、共産主義社会への過渡期の問題として私が持ち出した話に関連することですが・・・
 まず第一に、「純粋の宗教活動」であっても、立派に「資本主義の復興を企図する」ものになることも不可能ではない、ことに留意願います。この間の事情をお疑いならば「芸術」と「猥褻」の関係を想起願います。
 基本的には「社会的にそのようなものとして妥当ないし通用するかどうか」の判断となります。実際の判断の方法としては、科学的手法と客観的手続きとによる判断、ということになり、現代の「裁判」と大差ないものになると思われます。
711687:2009/03/01(日) 02:43:03 0
>>698 (2/2)

>統治者が、あなたのような「マルクス主義的宗教観?」を持っている限りは、「主観的にそうでなくても、客観的にはそうなのだ」
>ということになって、「あらゆる宗教活動を弾圧する=共存できない」という結果になる以外ないと思われます。

 その「統治者」というのは具体的には「裁判員」のような判断者を指しているものと思いますが・・・
 教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している(と労働者裁判員を納得させられる)ものであれば、判断者はそのような判断を下さない、と思います。
 少なくとも私なら(私のような(?)「マルクス主義的(??)宗教観(???)」を持っている者)ならば、そのような判断を下しません。
712687:2009/03/01(日) 03:00:16 0
>>699
>宗教は・・・<中略失礼>・・・周知の通りです。
>しかし、これらは、それらの宗教やイデオロギーがどういう役割を果たしているか、という問題であって、皇室やマルクス主義や
>ロシア正教や儒教や法輪功の本質が何であるか、とは別問題なのです。

 私は意見を異にします。
 「それらの宗教…がどういう役割を果たしているか」、宗教の果たす社会的役割、が宗教の本質である、と考えます。
 が、これは詰まるところ「宗教」の定義如何の問題、ないし「甲は泳ぐ魚について議論しているのに乙は酒の肴について反駁している」状態になってしまい、貴台との意見一致を見ることは最早困難と思います。

>儒教やプロテスタンティズムが近代資本主義を支えるイデオロギーとなった、という指摘は多いですが、だからといって
>孔子やルターやカルヴァンは資本家の走狗である、などといえないことは言うまでもありません。

 御意見の通り、「○○氏の主張の真意」と「○○氏の主張が果たし得た機能」の混同、「○○氏本人」と「後世の○○派の人々」の混同は、最も戒むべきかと思います。
713考える名無しさん:2009/03/01(日) 22:09:13 0
共産社会が資本家的生産様式が支配的になったいわゆる資本主義社会の一形態というのは、
ある意味では当たっているけど、もっと正確にいえばその未来形態とするべきだと思う。

資本主義社会はそれが順調に経済成長すればするほど共産革命が実現されるための歴史的
な諸条件を経済的にも社会的にも用意し、かつ、必然化してゆく。

ところが、自らが築き上げてきたその遺産のせいでかえって資本主義システムは綻びはじめる。
その資本主義社会の歴史的必然性が共産革命を要請する。共産社会はその遺産をもとに成り立つ。

・・・という意味で、共産社会は資本主義が十分に発達し成熟しきったときの最終形態なのであって、
資本主義がその成長の結果、脱皮、変態した究極の姿。

共産思想にも色々あるけど、これがマルクス=エンゲルス系の唱えた共産社会の歴史的イメージ。
714681:2009/03/02(月) 11:44:53 0
>>702
>ただし、その唯物論を、社会や歴史の問題にテーマを絞って適用すれば、マルクスの考えに
>限りなく近くなってくるはずですよ。

申し訳ないですが、まったく同意できません。現に私は一応唯物論者ですが(だからこそ、と言うほうがいいか)、
歴史に「意味」や「目的」があるなどとはまったく思っていません。大雑把な「方向性」ぐらいならあるかもしれませんが、
それとて「科学的」に予見できるようなものではないと思います。
(意味や目的というのは、人間の側が歴史に「読み込む」ものです。)
ついでに言うと、政治的には共産主義などまじめに考慮したこともないですし、株式会社の自由な活動を基本として、
国家がその調整役を果たすという市場経済が予見し得る将来に変化するとは思えません。国家権力の廃絶など幻想に
過ぎないと思いますし、皇室は末永く存続することが日本人にとって有益だと考えております。むろん、これらは単に私の
個人的な趣味嗜好に基づく考えであって(もちろん現代の社会や私の個人的生活の物質的諸条件に影響はされているのですが)、
「唯物論」と何らの論理必然的関係も持っていないわけです。

>>710
>御了知願います。

了知できないからお尋ねしているわけですw 「賃労働の苦しみにあえぐ状態を一時的に忘れさせて、
現実の変革から労働者の目をそらさせる」などということは、宗教が現代社会でそういう機能をたまたま果たすことは
あるかもしれませんが(まああまりあるとは思えませんがw)、宗教の本質とは関係ないのであって、
「それが宗教の本質である」というのは「マルクス主義的?宗教観」に過ぎないのでは、と指摘しているわけです。
 
715681:2009/03/02(月) 11:47:34 0
(続き)
>その「統治者」というのは具体的には「裁判員」のような判断者を指しているものと思いますが・・・

統治者というのはもちろん国家権力、具体的には司法立法行政軍事権を握っている人々のことです。
(現行の憲法下では、最終的には、「国民」がそれに当たります。)
そもそも「プロレタリアートの共産主義建設への協力を示していない宗教活動は禁止する」という法律が施行されて、
警察や検察がそれに従って活動していなければ、どんな宗教活動をしたところで「裁判」になどなりようがないわけです。

>教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している(と労働者裁判員を納得させられる)
>ものであれば、判断者はそのような判断を下さない、と思います。

これはつまり、「プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している」宗教以外はすべて弾圧される、ということですねw
そして、「プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している」宗教など現状では存在しませんので
(存在するとしたら宗教としてのマルクス主義だけでしょうw)、結局、共産主義者が権力を握り、共産主義建設への
途上にある社会においては、マルクス主義以外のあらゆる宗教は弾圧される、ということです。
つまり、共産主義建設への途上にある社会においては、思想や信教の自由は大幅に制限されざるを得ない、という
ことです。
これはすなわち、「共産主義と宗教は共存できない」という意味に他ならないと思いますが、いかが?

一応付け加えると、以上はカールマルクスの思想そのものとは、別の話です。
716考える名無しさん:2009/03/02(月) 20:41:30 0
ところで、ふつうの読者には、この「左翼」という人間たちの政治思想なるものの内部の争い、
ということが、どうもピンとこないようである。そこで、ここで超簡単に説明しておこう。
日本の左翼には二種類がいるのである。旧い方の、「旧左翼」は、簡単に言えば、共産党と
社会党である。あるいは、この二つの政党に、長い間、意識的に信念を持って投票してきた人々
は結局これである。単なる反自民党ということだけではない人々だ。それに対して、一九六〇年
の「安保闘争」(この年に、「日米安全保障条約」という、対ソビエトの日米軍事同盟条約に
反対した大きな国民運動があった)の前後に日本共産党のいうことをきかなくなった学生たちが
始めた新しい学生左翼たちの運動があって、これを「新左翼」と言う。簡単に言えば、これは、
今でも「元学生運動活動家」とか「過激派」と呼ばれる連中である。評論家の西部すすむ氏や、
日本独特の思想家・吉本隆明(吉本ばななの父親)などがこっちである。その他に、現在、
大学教授や評論家になっている人々のうち、多くの人々が、昔この「新左翼」系の活動家だったり、
あるいは、その影響を強く受けた人々である。こっちの「新」方は、全部合わせると、50万人
ぐらいいる。この元「新左翼」はたちは、「自分たちは正しかったが、「旧左翼」はソビエトに
「洗脳」されていたから集団だから、愚かである」と思っている。
結論から言えば、「旧左翼」も「新左翼」もどちらも愚かだったのである。大きな意味では、ソビエト
帝国の振りまいた病原菌に冒されていた。だから、「旧」も「新」も甲乙つけがたく日本国民多数
からは相手にされなかった。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P242〜243
717考える名無しさん:2009/03/02(月) 20:42:11 0
このような恐怖政治下の逮捕投獄の記述は、近年では、ゴルバチョフやエリツィンの自伝のなかにも、
そっくり似たような、記述を見つけることができる。共産党幹部たち自身がおびえながら生きていたのだ。
恐るべき大量殺人の政治体制であった。いったい、これを、どのような思想的経緯があったならば、岩波
文化人の学者たちは、あれほど、礼讃し、指示しつづけねばならなかったのだろうか。
ソビエト・ロシアが消滅してしまった今となっては、当と学者たち自身も、語るべき言葉を失ってしまった
のだろう。そして、事実、今の今でも、自分たちの内心での動揺を、ひたかくしにしながら、「それでも
自分たちは、正しかった」と強引に、自己正当化をはかりつづけている。今の今に至るまで、誰からも、
自分はあの時代に間違っていた、と、はっきりと表明するこれらの老学者たちの声を、私たちは聞くことが
ない。少なくとも、この半世紀、どのような思想を抱こうと、逮捕投獄されることのない国に生きることが
できて、私たちは幸せだった、と思わないわけにはいかない。
政治思想や社会科学などを勉強しようとして、政治思想の本にのめり込むことの危険さを、今にして思う。
我々は、今の九〇年代若者世代が、どんな党派性にも社会的発言にも近づこうとせず、権威的な学問など
認めようとせず、コンピューター・ゲームに打ち興じているとしても、けっして、彼らの学識のなさを、
非難できるものではない。私たちが、学んで身につけた知識や思想などが、数十年後に、ガラクタであった
と分かったときの激しい絶望感を味わうことは、少なくとも、彼らにはないのだから。
副島隆彦「切り捨て御免」P112~113


718考える名無しさん:2009/03/02(月) 20:42:50 0
私は、かつて、自分が読みあさった岩波新書を、二十年振りに、書棚の奥から、ひっぱり出して、
読み直してみた。二十年前の昔、高校生・大学生だったときに、岩波新書の青版の洗礼を浴びた。
自分は岩波新書の「思想」の洗礼を浴びながら十年間ぐらいを過ごした、と言うべきであろう。
当時の学生たちのご多分にもれず、自分もその頃「新左翼」という単純幼稚で過激なだけの思想
に走ったので、岩波の影響など、脱した、と思って、「岩波スターリン主義の文化人どもなど
小馬鹿にしていた」のだが、しかし、そうではなかった。今の今に至るまで、自分たちは、岩波
文化の大きな呪縛の下にあったのだ。あの、ソビエト帝国が、目の前で、テレビの画像をとおして、
ガラガラと崩れていったときまで。お釈迦様の掌を逃れられない如く、自分は岩波・朝日文化の
縄張りから自由でなかった。
一九七0年のあの頃、これでもか、これでもかと、社会主義礼讃、資本主義打倒、願わくば、動乱の
革命を、を暗黙の合言葉にした、岩波学者たちの新書版の一般向け啓蒙書が、大変な人気を持ちながら、
次々に出版されて書店に積み上げられていた、岩波新書は、日本の言論市場で、圧倒的に強かった。
そお優勢なパブリシティの前に、黙々と着き従ったのが、私たちの世代だった。
じつに愚かなことだった。今さら、自省の気持ちも起きないぐらいに、自分を恥じるだけだ。
もっと、目を広く、かつ細心の注意を払って、もっと、本当の事実のほうに、目を向けて、書物を選ぶ
力を身につけておれば、と悔やまれる。
今さら、「転向」という言葉は使いたくないぐらいに、左翼的な人間たちは、自分の内心で、既に、
何度となく、転向に直面し、つまづきを感じているものだ。だから、私のような一番最後の左翼世代で
さえ、転向という言葉には、うんざりしてしまう。これは、旧来の転向とはちがう、何ものかである。
しかし、それを、適切に言い表す言葉を、私は、今、見つけることができない。
副島隆彦「切り捨て御免」P103~104
719考える名無しさん:2009/03/02(月) 20:43:35 0
私は、二十歳の頃には既に、岩波・朝日文化人たちを小馬鹿にしていた。彼らのことを、同じ社会主義
勢力内でも、「スターリン主義者」と呼びならわすのが、60年代末から70年代初めにかけての大学
闘争の影響を受けた、いわゆる新左翼に共感を感じる数十万人の若者読者人層の共通感覚であった。
日本共産党の学生組織である民青同盟員のことを「民コロ」と呼び捨てたのは、新左翼や全共闘運動
にシンパシー(共感)を覚えた人たちだけではなく、政治的発言を好まなかった多くの学生たちであった。
だから、私は、大内兵衛や、丸山真男や、中野好夫らに騙されていたと思っていなかった。しかし、
実際には、彼らの本をその後も読んでいたのである。影響を受ける、ということは、不思議なことで
あって、はっきりと軽蔑していても、それでも、大きな意味で彼らの影響下にあったことになる。
そのことにようやく気がついたのが、二年前の八月のソビエト連邦の解体劇と、ソビエト共産党の
瓦解・消滅劇を、テレビでみてからである。その後の数ヶ月間、私は、ずっと不快感だった、毎日が
憂鬱で不愉快でならなかった。その不愉快さの原因をさがし求めて、考えあぐねていたのだが、
最近、たどりついた答えが、やっぱり岩波文化人にその原因があったのだということである。
副島隆彦「切り捨て御免」P106~107
720考える名無しさん:2009/03/02(月) 20:44:13 0
実は、日本の1960年の安保闘争というのも真実はこれとまったく同じような構図だったのである。1989年の
中国の天安門事件というのも、そういう構図だった。3000人の中国国内のCIA協力者たちが、あの民主化たちの
背後にいた。私が中国にいったときに話した中国の愛国派(民族派)のエリート学生たちがそのように話してくれた。
私は、そういうことを、日本で自力で解明してきた言論人だ。拙著「日本の秘密」の中で、日本の60年安保闘争を
指導した学生たちが、どのようにソビエトの情報部にではなく、アメリカの政治力に操られたかを、証拠つきで書いた。
世間で言われ考えられているような、「日本の、反共産党系の純粋な学生たちの正義の戦いだったのが、60年安保
闘争だ」という長年の神話を、私が、ぶち壊にした。
その衝撃は、今、政治知識人たちの間にじわじわと広がっている。確かにあそこには純朴な数万人の過激化した当時
の学生たちがいた。彼らは今、60歳ぐらいで、日本の各界で指導的な立場に立っている。この数万人の「純粋な
気持ちの学生」たちは、自分たちがまんまと操られたことに、今でもまだ、気付かない。
しかし、西部すすむ氏や佐藤誠三郎を下限とする、当時の安保ブンドと指導者たちは、自分たちが、CIAと資源派
(親米)財界人たちから支援を受けて「暴動」を計画的に実行したことを自覚している。この事実は、恐ろしい
悪夢となって彼らを襲う。そのひとりは、その後、中曽根康弘首相の辣腕秘書になった小林克也氏である。それから、
中曽根平和研の理事をしている東原良伸氏である。彼が、安保ブンドの財政部長であった。その他もろもろ、
「日本の秘密」に書いてある。
副島隆彦「属国日本論を越えて」P151~152


721710:2009/03/03(火) 02:55:17 0
>>714
>>御了知願います。
>了知できないからお尋ねしているわけですw 
 「共産主義社会においては、宗教への基本的な需要源たる人生の苦悩の激減、及び人生における苦悩への対応の仕方の変化により、宗教が現在の形態のままで存続することはなくなる。」これに尽きます。
 これでご納得頂けないなら、粗雑な比喩で恐縮ながら、私にとっては「ハンセン氏病が撲滅されてもハンセン氏病療養所は残る」という話と類比的で、どう反論されても私に対しては説得力がない、としか申しようがありません。

>「賃労働の苦しみにあえぐ状態を一時的に忘れさせて、
>現実の変革から労働者の目をそらさせる」などということは、宗教が現代社会でそういう機能をたまたま果たすことは
>あるかもしれませんが(まああまりあるとは思えませんがw)、
 いや、よくあることだと考えております。
 それこそが資本主義社会における宗教の主要な機能であり、本質であると思います。
 
>宗教の本質とは関係ないのであって、
 私は意見を異にします。それこそが宗教の本質であると考えます。

>「それが宗教の本質である」というのは「マルクス主義的?宗教観」に過ぎないのでは、と指摘しているわけです。
 基本的にはそれがマルクス主義的宗教観だと思います。
 マルクスはインター内部の政治力学上の理由により、宗教批判を公然と発言できない立場に置かれていたため、彼の宗教に関する発言は遺憾ながら極めて乏しいのですが、残されたわずかな発言から見る限りそのように思えます。
 「・・・に過ぎないのでは」、と指摘されましても、粗雑な比喩ながらそれは仏教僧に対して「諸行無常・一切皆苦・諸法無我など、仏教的世界観に『過ぎない』のではないか!」と言うのと似たようなもので、失礼ながらお門違いです。
 そういうご指摘は「マルクス主義的宗教観など迷妄だ!」と信じている方に対してなされれば、あるいは説得力があるのではないかと思います。
722710:2009/03/03(火) 03:02:08 0
>>715 (1/2)
>統治者というのはもちろん国家権力、具体的には司法立法行政軍事権を握っている人々のことです。
>(現行の憲法下では、最終的には、「国民」がそれに当たります。)

 ご見解、拝読させて頂きました。

>そもそも「プロレタリアートの共産主義建設への協力を示していない宗教活動は禁止する」という法律が施行されて、
>警察や検察がそれに従って活動していなければ、どんな宗教活動をしたところで「裁判」になどなりようがないわけです。
>>教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している(と労働者裁判員を納得させられる)
>>ものであれば、判断者はそのような判断を下さない、と思います。
>これはつまり、「プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している」宗教以外はすべて弾圧される、ということですねw

 違います。
 「AならばBでない」という立言から「AでないならBである」を導き出すことはできません。(「BであるならAでない」は可能ですが。)

 私の考えを積極的に立言すれば・・・
 「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への現実的な妨害行為となるものであるならば、労働者はそれを禁止するであろう。」
 かつ「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への現実的な妨害行為となるものでないならば、労働者はそれを禁止しないであろう。」
 となります。
723710:2009/03/03(火) 03:05:53 0
>>715 (2/2)
>そして、「プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している」宗教など現状では存在しませんので
>(存在するとしたら宗教としてのマルクス主義だけでしょうw)、結局、共産主義者が権力を握り、共産主義建設への
>途上にある社会においては、マルクス主義以外のあらゆる宗教は弾圧される、ということです。
>つまり、共産主義建設への途上にある社会においては、思想や信教の自由は大幅に制限されざるを得ない、という
>ことです。

 私は前記のとおり、「プロレ・・・示している」宗教でないならば全て弾圧される、などとは一言も書いてもいないし、考えてもいません。
 私の上記の
「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している(と労働者裁判員を納得させられる)ものであれば、判断者はそのような判断を下さない、と思います。」
という書き込みからそのような立言を導き出しておられるのなら、失礼ながら、それは初等論理学違反の詭弁である(最低限、誤謬判断である)、と言い返さざるをえません。

>一応付け加えると、以上はカールマルクスの思想そのものとは、別の話です。

 マルクスの(ことに壮年〜晩年の)宗教観は、>>721で述べた理由により、復元が困難なのですが、貴台が書いておられるような内容でなかったことは、私も想像しております。
724考える名無しさん:2009/03/03(火) 04:16:02 0
マルクスの誤りは、真理を書いてしまった事。
真理を知ってしまった者と、知らない者との間に、階級を形成して
争いを起こしてしまった。
真理を持つ者と持たざる者、の闘争を引き起こし、社会を分裂させてしまった。
725考える名無しさん:2009/03/03(火) 12:01:43 0
廣松さんのフュアウンスとフュアエスのロジックだね。『資本論の哲学』はその点でも
画期的だったし、また冒頭商品論の価値実体論の「先走り」的な提出を、批判者に対して
「前提の措定」のロジックでもって切り返したのも画期的だったね。
726681:2009/03/03(火) 12:31:41 0
>>722
> 「AならばBでない」という立言から「AでないならBである」を導き出すことはできません。(「BであるならAでない」は可能ですが。)

ええと、現行法においては、思想と信教は原則として自由なので、「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態」
がどんなものであろうと、(犯罪に当たらない限り)そもそも裁判の対象になどならないわけです。
「共産主義社会建設を主張する」のも「その妨害を主張する」のも、当然自由であって、誰も規制はできません。
それが裁判の対象になっている時点で、すでに国家権力が共産主義者によって(合法的にか非合法的にかはともかく)
掌握され、「客観的に共産主義社会の建設を妨害する宗教活動は禁止する」という法律が施行されていることを意味します。
つまり、すでに思想と信教の自由は大幅に制限され、宗教活動は広範に弾圧されている、ということです。
「裁判員の判断基準うんぬん」は、枝葉末節の話に過ぎないわけです。

「いや、国家権力などとは無関係に、労働者が自由な意思で開く自由な法廷で裁判が行われるのだ」という
意味でしょうか。勝手に裁判の真似事をするのは自由でしょうが、その「判決」の結果を何らかの強制手段で
執行するのだとしたら、その一連の行為自体が現行法では犯罪となり、裁判の対象となります。
オウム真理教は「理想のオウム国家」の建設を目指し、独自の基準によって「客観的にその妨害となる行為をする」と
みなした者に対しては信者の「自由な裁判」によって「死刑」の判決を下し実行したわけですが、当然ながら
その一連の行為は日本国の法律に照らせば犯罪となるので、裁判の対象となり処罰されました。
「労働者の自由な法廷による反共産主義的宗教活動の断罪」も、このオウムの行為とまったく同様に扱われることになります。
つまり、おっしゃるような「労働者裁判員の判決」は、合法的ならば「弾圧」だし、非合法ならば「犯罪」であって、
それ以外のものにはなりようがありません。
727681:2009/03/03(火) 12:39:17 0
(続き)
ついでに、日常の会話や議論においては形式論理学をそのまま適用してもあまり意味はありません。
やくざに「明日までに1000万円耳を揃えて持ってくれば許してやるぞ」と脅されたときに、
手ぶらで出かけて「あなたはAならばBであると言っただけで、そこからはAでなければBでないは
帰結しない。だから金がなくても許してくれる場合があるはずだ」と抗弁したところで、通じるわけは
ありませんw 上の文脈なら、誰でも、やくざの言葉は「1000万にびた一文でも欠けたら許さないぞ」と
いう意味に理解するのが当然なわけです。
あなた自身が「宗教の本質は、賃労働の苦しさを一時的にやわらげ、資本主義社会の矛盾から
人々の目をそらし、共産主義社会建設の意欲をそぐことだ」と主張されていますし
いわゆるマルクス主義の宗教観は概してそういう(個人的感想としては大変浅薄な)ものです。そういう考えが
根本になければ、そもそも宗教活動一般を取り締まる法律など制定されるはずがありません。
つまり、共産主義の建設途上にある社会においては、まさに宗教一般は「推定有罪」とされ、疑いの目で
見られているわけです。そうでないなら、そもそも裁判の対象になどなりません。
その上で「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している
(と労働者裁判員を納得させられる) 」ならば許してやるぞ、といわれた場合、「そうでないなら
許さないという意味だな」と理解するのは、理の当然なわけです。

私はつまらない形式論理や揚げ足取りの議論などするつもりはありません。どういう思想信条を抱くのも自由なので
あって、私が言いたいのは「自分の思想信条をごまかさずに見つめて、その帰結については引き受けるべきである」
ということです。少なくともあなたのような考えに立つ限り、共産主義社会建設への途上においては思想信教の自由は
大幅に制限され、既存の宗教のほとんどは弾圧されざるを得ない、つまり「共産主義と宗教は共存しがたい」、という
帰結は認めるべきだと思うのですが、いかがでしょうか。
728考える名無しさん:2009/03/03(火) 13:08:37 0
誤解されているが、マルクスは必ずしも宗教を批判したのではなく、
宗教を必要とする現実社会を批判しようとしたわけです。
(『ヘーゲル法哲学批判序説』等)
729考える名無しさん:2009/03/03(火) 13:20:16 0
マルクスが主張したのは宗教を近代化する意義であって、世界宗教が唱える人間の救済を
近代的な形で(唯物論的目標意識によって)引き継ぐことですよ。ヒューマニズムとして。

マルクスは宗教の政治的解放について、まだ不十分とはしながらも、肯定的に言及しているので、
宗教に対して抑圧的な考えをもっているというマルクス裁定は揚げ足取りに過ぎないと思います。

宗教の政治的解放というのは、宗教の公的支配力を相対化して、いかなる宗派にも中立的な
法治国家の下でのプライベートな個人の自由として認めることで、いわゆるリベラルの立場ですね。
730:2009/03/03(火) 13:27:54 O
昨日は名古屋いきました
731考える名無しさん:2009/03/03(火) 14:19:49 0
>>701
> 宗派や宗教家の中からそれまでの社会が共有してきた宗教観を革新するような一派や人物が出てきて、
> 旧い宗教観をカルトや幻想や迷信であると見なして止揚していこうとすることは、歴史的に十分に考えら
> れることじゃないか? その萌芽が例えばピューリタンのなかに歴史的に生じたとしても不思議じゃない。

フリードリヒ・エンゲルスだってブルジョワジーの息子であり、みずからも実業家であったので、
そういう人がブルジョワ社会の転覆と止揚を唱えているんですからね、ぜんぜん不思議ではありません。
732考える名無しさん:2009/03/03(火) 14:22:53 0
ロシア革命が成功したのは「赤い貴族」の存在による
イタリアで時々共産党が政権に関わるのもそんな事情
733681:2009/03/03(火) 14:26:08 0
>>728-729
私に対するものでしたら、私はもっぱら710氏のお考えについて論じているのであって、
上にも書きましたがカールマルクスの思想自体について論じているわけではありません。
それほど知りもしませんし。
そもそも、彼は19世紀のヨーロッパに生きて、その具体的現実の中である種の「政治活動」に
従事していた人なので、そのテキストを「普遍の真理」であるかのごとく現在の現実に無批判に
適用しようとするのは土台無理な話です。
まして、現在の自分の境遇に対する不平不満を晴らすためにマルクスのテキストを利用しようと
いうのは賛成できません(ニーチェなどもそういう読み方をされやすいようですが)。
それはまさに彼を「宗教の教祖」に仕立てるようなもので、いわゆる左翼用語で言えば
「非弁証法的思考」の最たるものです。(まあ本をどう読もうと個人の自由なのですが)

それから、マルクスについては彼のテキスト自体がエンゲルスからソ連政府に至る
多くの人々によってかなり改ざんされている、という話も聞いたことがあります。

一番注意するべきは、彼を支持するのであれ批判するのであれ、彼の死後に起こった
歴史上の出来事と彼の思想は一応切り離すべきである、ということでしょう。
20世紀に「マルクス主義者」を名乗る人々によってロシアや中国その他の世界各地で起こった
悲劇の責任を彼に負わせるのは(彼らがマルクスを旗印にした以上ある程度はやむをえないですが)
無理というものです。彼はそもそもロシアや中国のことなどほとんど知りもしなかったのですから。

個人的には、マルクスは本当にマルクス主義者なのか、唯物論者なのか、共産主義者なのか、
それぞれ疑問の余地があるように思えるくらいです。
(私はマルクス主義者ではないよ、と本人が言っていた、という話も聞いたことがあります。)
マルクス主義が政治的にはほぼ無力化した今こそ古典としてマルクスを読み返す
好機ではないか、という気もするので、失礼ながらあまりにストレートに「マルクス主義」を信奉されて
いるように見えた(誤解かもしれません)710氏を多少批判してみた、というだけなのです。それだと
20世紀の悲劇をただ繰り返すだけなので。
734考える名無しさん:2009/03/03(火) 18:28:03 0
宗教上マルクスが関心があったのは「いかにユダヤ教徒はキリスト教社会において解放し得るか」という一点だと思います。
文字面の訓詁学も思想の理解には必要だけど、一体なぜ彼がそのような理論を導き出す必要に駆られたのか、それを考える必要があるでしょうね。
なぜ宗教上何の縛りもない現代の日本人が、当時のドイツにおけるユダヤ人の立場に感情移入できるのか、それが不思議ですw
735考える名無しさん:2009/03/03(火) 19:26:21 0
>>721

拝読したところ、710氏は、
「賃労働の苦しみにあえぐ状態を一時的に忘れさせて、現実の変革から労働者の目をそらさせる」ことこそが
「資本主義社会における宗教の主要な機能であり、本質」であるという考えの持ち主で、かつ
「基本的にはそれがマルクス主義的宗教観だと思います」ということで、「マルクス主義的宗教観」と710氏のもつ宗教観
は完全に一致していることが覗えますが、

問題は、710氏の述べる
 「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への現実的な妨害行為となるものであるならば、
労働者はそれを禁止するであろう。」
「共産主義社会においては、宗教への基本的な需要源たる人生の苦悩の激減、及び人生における苦悩への対応の仕方の変化により、
宗教が現在の形態のままで存続することはなくなる。」

というこのような「社会」が、<現実として人間に可能であるか>という一点に絞られてくるでしょう。
このような「社会」に賛成しない、あるいは反対する人たちを実際問題として「弾圧」することなしに、このような社会
を作ることが可能だとお考えですか? 
736考える名無しさん:2009/03/03(火) 19:35:28 0
710氏が(訓詁学的にマルクス文献から抽出したところの)「マルクス主義的宗教観」と710氏が実際にもつ宗教観とは、
完全に一致していますね。

「資本主義社会における労働者が賃労働から解放されれば、そのような『苦しみにあえぐ』状態は劇的に緩和される、というのがマルクスの発想であり、
その状態が彼の「共産主義」なるものだとして、それは人間に<可能>でありまた人間が<目指すべき社会>であるのか、それを問います。
737考える名無しさん:2009/03/03(火) 19:36:52 0
「816」崎谷博征(さきたに・ひろゆき) SNSI研究員 の 新刊 『グズな大脳思考 デキる内臓思考』
を紹介します。浅薄な「合理主義的思考」に代わる新しい思考法は、現実の生活にも大いに役立つ思考法です。
2006.12.24 副島隆彦が文末に加筆しました。2006・12・26
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#2401

この両派の対決は、あらゆる学問の裏側に控えている。この対決軸を中心に、今のこの世界は動いている、
と言ってもよい。だから、生来的な器質的な、異常や犯罪気質は、教育や治療によっても改善できない、
とするのが、ネイティビズムである。
つまり病気は、治せない。という考えだ。治る病気は自分の力でなおる。ただし悪い部分を取り去る
外科手術は認める、という立場が、このネイティビズムである。それに対して、人間は、後天的に
改善できる、とする考えが、ビヘイビアリズムである。
この考えは、1950年代の、シカゴ学派のスキナー、ボーマンズらの「社会心理学」(ソシオ・サイコ
ロジー)としてアメリカでリベラル派の学問として再興された。この理論の上に、タルコット・
パーソンズの「構造機能分析」と呼ばれるアメリカ社会学が大成された。さらにそれと同形的
(アイソモルフィック)に、アメリカ理論経済学が花開いたのである。そして更に、それと類推的に
政治学(ポリティカル・サイエンス)も繁栄した。アメリカの、ソシアル・サイエンスは、1950年代
と1960年代には、この「行動科学」によって、ついにヨーロッパの学問を超えた、と、みんなで
祝ったのである。これはアメリカの学問的な大勝利であり、世界をこの新規の学問潮流で支配・席捲
できる、と考えた。ここでは当時のソビエトとの対決問題は無関係である。それで、世界中から優秀な
人材がアメリカに集まるようになった。

これが、アメリカの「行動科学革命(ビヘイビアラル・サイエンス ・レヴォルーションbehavioral
science revolution)」であり、即ちこれがビヘイビアリズムの運動である。
738考える名無しさん:2009/03/03(火) 19:37:16 0
私の先生の小室直樹氏は、このアメリカ行動科学の全体像を習得する運命を背負ってこの時期に、
スキナーのいたミシガン大、と、ポール・サミュエルソンのいたMITと、パーソンズのいた
ハーバード大に習いにいった。ところが、帰ってきて、その成果を丸山真男氏以下の、日本人学者
たちに伝授しようとして、嫌がられた。当時の日本にはロシア型マルクス主義という宗教しか、
近代学問としては存在しなかったからである。

この ネイティビズム「固有主義、生来主義」 と、ネイテイビズム「 行動主義 、教育改良主義」の
サイコロジーの分野から興った大きな対立が分かれば、おそらく、今の、というか、この100年間の
欧米の社会学問(ソシアル・サイエンス)の流れは、今の日本人にも、大づかみに出来るのではないか。
この事をもっと分り易く言うと、「氏より育ち」ということである。あるいは、「育ちよりも氏」か。
即ち、氏(うじ)=家柄、出身、血筋 の方が、人間(人物)の評価に置いては大切だ、というのが
ネイティビズムで、その反対に、「家柄よりも、育ち」即ち、生活環境・教育・学習行動が大切だ、
というのが、ビヘイビアリズムである。
だから、ネイティビズムは、保守主義 を表し、ビヘイビアリズムは、現代リベラル派(人権主義者)の
立場なのである。分かり易く言えばそういうことだ。

『世界覇権国アメリカの衰退が始まる』(講談社)ビヘイビアリズムVSネィティヴィズム[65ページ〜72ページ]
739考える名無しさん:2009/03/03(火) 19:38:36 0
★「マルクスに盲従するか、反発するかの二つに一つしか道がないのである。」これはサイエンスを
しているのではなく、宗教なのである。だから、論争しても日本では宗教論争になりがちなのである。
「最初に、まず一つの仮説を立てる。そして、その仮説を実証する。実証してみて、もちろん完全に
証明される場合もあるわけだが、大抵は、いやそうじゃない、もっといい仮説がありそうだという
ことになって、また、よりよい仮説を立て直す。また、それを実証する、またよりよい仮説を立てる。
そんなチェーンがどこまでも続くことになり、これが、つまり科学の方法であり、この方法で研究する
なら、たとえ研究するなら、たとえ研究対象が何であっても、科学といえるのである。」
小室直樹(数理的思考/P.167)より

★よく「陰謀的なことを言うな!」という人がいるが、その陰謀的なことも 仮 説 である。
あくまでも 仮 説 なのだから何を言ってもよいということである。このことがわからないものは
サイエンス(科学)のサもわからないものである。そういうものは無視してよい。
ただし、実証、証明もせず、「これは事実なのだ!」という者は論外なので注意されたし。
740考える名無しさん:2009/03/03(火) 19:39:39 0
岩波から本を出してもらいたい、岩波の出版物に書かせてもらいたい、と思っている、若手の学者や物書きたちが、まだ、
ほとんど残っている。彼らの奴隷根性が、改まらない限り、岩波の牙城は、私たち日本人の心のなかから崩れ去ることは
ない。知識人などというものは、無惨な人種だと、つくづく思う。根本から大間違いをみんなで犯していても、誰一人
として、その内側ぁら。真実の叫び声を挙げる者がいないのだ。ぬくぬくと肥え太った反体制言論に、飼い慣らされて、
保守派政治家と官僚と財界人の悪口さえ言っていれば、自分たちの側の「正義の原理」は、暴かれることはないと信じきって
いる。そんなものは幻想なのだと、思うほどの知性もない。ただ、日増しに分が悪くなって、追い詰められてゆく自分の
内心の方が心配でたまらないのだ。いつ、誰から、真実を突きつけられたら、どうしようという、不安と、自己猜疑心に
さいなまれながら、今を生きている。自分たちが編集して書かせて、出版したものが、あとで、その虚偽と偽善を次々に
暴かれることになろうとは、よもや思いもしなかったのだ。
副島隆彦「切り捨て御免」P122~123
741考える名無しさん:2009/03/03(火) 19:51:58 0
「相手を批判するということは、同時に相手の学説の継承を意味するということである。
つまり「批判」と「継承」はメダルの裏表のようなものなのである。
(中略)
日本において、こういうことはまず絶対に起こり得ない。何しろ、意見というものは実体的であって、
その人の人格とは不可分だと信じられているのだから。たとえば、マルクスを例に採れば、日本では
マルクスに盲従するか、反発するかの二つに一つしか道がないのである。マルクスのこの部分は
ひじょうにいいから貰っておこう、この部分は悪いから捨てようなどということは、まずやらない。
もし、そういうことをする学者がいたとすれば、間違いなく、あいつは無節操だと非難される。
しかし、本来、そういうことは無節操とはまったく関係がない。科学的態度とは、優れたものを採り、
自分の仮説とするところから出発しているのだから。だが、困ったことに、日本の学者はほとんど
そういうことをしないのである。」
小室直樹(数理的思考/P.186〜187)より
742考える名無しさん:2009/03/03(火) 19:52:50 0
人は人生の年月の中で、五年、十年単位で、自分の考えが変わってゆく。その変わってゆく自分を、しっかりと
記録しつづけることだ。あのときは、ああ考えて、ああ信じていたが、今では、このように変わって、こう
考えている、と書くこと。なるべく正直に書くことだ。自分に向かってきちんと文字で書いて確認してゆく
作業をすることである。それが、知識、思想、学問なのだ。人間は年を重ねるにつれて考えが変わってゆく
生き物だから、それでいい。それが成長するということなのだ。だから知識、思想、学問というのは、何か
新しい知識を西欧やアメリカから持ち込んで、自分勝手に改造、変造して日本語で適当に売りさばくこと、
なのではない。
今の私は、このように考えている。だから私は、吉本の、「転向とは、人間が成長してゆくことだ」と
書いた転向論としての吉本の思想観を、今でも受け継いでいることになる。
昔の吉本はやっぱり偉かった。
副島隆彦「日本の秘密」P122
743考える名無しさん:2009/03/03(火) 20:15:02 0
>>741
そのスタンスってマルクス主義的にいう止揚とか揚棄と似ているなあ。
744考える名無しさん:2009/03/03(火) 22:11:21 0
>>701
ラファルグについてマルクスについて多少関心のある人なら誰でも知っていることをわざわざ書いてくれてありがとう。
その上で俺はラファルグなんて泡沫思想家は知らない。
キミはマルクスが、

>ブルジョアジーないしブルジョア革命は、神は人間の創作物だと言って宗教を徹底的に批判したけれども、

という内容のことを言ったと書いたのだから、マルクスの書いた物から出しなさい。
「神は人間の創作物」だと言ったのはフォイエルバッハであり、マルクスは「宗教が人間の創作物」と言っている。
清教徒革命をブルジョワ革命に含めるのなら、なおさら「人間が神の創造物」だと信じていた人による革命だったということだ。

>>675
「ドイツの理論」について
『ユダヤ人問題について』ではマルクスはバウアーを引いて宗教と政治の関係を
述べながらむしろバウアーの限界を指摘しているのであり、『ヘーゲル法哲学批判』
で「ドイツにとって宗教の批判は本質的にはもう果たされている」と述べるときには
端的にフォイエルバッハが3年まえに刊行した『キリスト教の本質』での宗教批判を指して
いると解釈するのが妥当だと私は考えているが?

>現代社会で宗教が説く教えが人間に先立って超越的に存在しているなんて
>いまだに信じている人なんているの? そのほうが今や異端でしょw

哲学がいくらそう言っても、世界で宗教に帰依している人のほうが多数である現実
は変わらない。「そのほうが今や異端でしょw 」 現実を認めないこういう決め付けは
チベット仏教者の弾圧・虐殺を平気でやる中共の心性とそう遠くない。

>近代科学(ブルジョア科学)は、宗教的な超越性を否定せず、認めているのだとでもいうつもり?

近代科学はカントを引くまでもなく、超越や存在の問題などとは無縁なところで成立しているのであって、
否定もしなければ認めてもいない。超基本。
745考える名無しさん:2009/03/03(火) 22:29:16 0
 692 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2009/02/28(土) 03:00:41 0
 >>681
 > 「生老病死」という人間の「物質的実存条件」が変わらない限り、宗教の存在は
 > そう簡単になくならないと思われます。

 そう思っているなら、あなたは立派なマルクス主義者ですよ。
 マルクスがヘーゲル法哲学批判序説で宗教について言及している箇所もまさに
 そのことを言っているのだから。


710氏の真似をして)>>681の引用部分を対偶に置き換えるならば(笑)、
「宗教の存在を無くすためには、少なくとも<生老病死>といった人間の<物質的実存条件>を変える必要がある」と思われる、
という命題となる。
たとえば、人間が不老不死になれば宗教がいらなくなるかもしれない? と言うことだね(笑)
しかし、マルクスは『ヘーゲル法哲学批判序説』死の問題など全く扱っていない。
残念。
746考える名無しさん:2009/03/03(火) 22:40:11 0
>>702
710氏の真似をして)>>681の引用部分を対偶に置き換えるならば(笑)、
「宗教の存在を無くすためには、少なくとも<生老病死>といった人間の<物質的実存条件>
を変える必要がある(と思われます)」、という命題となる。

人間が不老不死になれば宗教がいらなくなるかもしれないね(笑)
ところが、マルクスは『ヘーゲル法哲学批判序説』で死の問題など全く扱っていない。

>マルクスは社会や歴史の問題を論じるに際して、その唯物論的立場に力点を置こうとした。

現実には、人間が作る社会の構築は、人間が死すべきものであることを前提としている。
しかし、マルクスは社会や歴史の問題を論じるに際して、そのことを問題としない。
残念。
747722:2009/03/03(火) 22:40:19 0
>>726 (1/2)
 まずお断りしておきますが、共産主義社会への移行の実際の形態については、極めて多様な形態が想像可能であり、議論しようとすればあまりに個別的事柄にわたるため、返って具体性を失う結果になります。
 いわば、「机上の想像に終わる」、「鬼が笑う」、ことになります。
 このため、できれば移行期間への言及はできるだけ禁欲したいのですが、必要な範囲に限り、ご指摘に対する私の考えをお答えしたいと思います。

>ええと、現行法においては、思想と信教は原則として自由なので、「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態」
>がどんなものであろうと、(犯罪に当たらない限り)そもそも裁判の対象になどならないわけです。

 共産主義への移行期間においても、その点は同じだと思われます。

>「共産主義社会建設を主張する」のも「その妨害を主張する」のも、当然自由であって、誰も規制はできません。
>それが裁判の対象になっている時点で、すでに国家権力が共産主義者によって(合法的にか非合法的にかはともかく)
>掌握され、「客観的に共産主義社会の建設を妨害する宗教活動は禁止する」という法律が施行されていることを意味します。
>つまり、すでに思想と信教の自由は大幅に制限され、宗教活動は広範に弾圧されている、ということです。
>「裁判員の判断基準うんぬん」は、枝葉末節の話に過ぎないわけです。

 宗教活動の一環としての布教活動・言論行動の中で、「共産主義経済への移行に反対」である旨を述べること自体は、取締りの対象とならないであろうと思われます。
 では何が取締りの対象になるか・・・ 一例を挙げると、たとえば「暴動の扇動」に相当するような、いわば暴力犯の“教唆犯”になるような活動が禁止されるに留まるでしょう。
 従って、何らかの制限はあるにせよ、「すでに思想と信教の自由は大幅に制限され、宗教活動は広範に弾圧されている」とまでは言いがたい状態であると予想します。
 なお、先進諸国における現行の「信教の自由」には、宗教的結社の自由、宗教的集会の自由、布教の自由、等が含まれるわけですが、
戦前のわが国の憲法下で辛くも保障されていたような、単なる「内心の信心の自由」については、そもそも制限自体が不可能であり、問題にもならないと思われます。
748722:2009/03/03(火) 22:43:05 0
722
>>726 (2/2)
>「いや、国家権力などとは無関係に、労働者が自由な意思で開く自由な法廷で裁判が行われるのだ」という
>意味でしょうか。勝手に裁判の真似事をするのは自由でしょうが、その「判決」の結果を何らかの強制手段で
>執行するのだとしたら、その一連の行為自体が現行法では犯罪となり、裁判の対象となります。

 共産主義への移行期間においては国家法廷による裁判が行われ、その法的基礎となる実体法、手続法の内容が労働者主導のものとなっている、と予想します。

>オウム真理教は「理想のオウム国家」の建設を目指し、独自の基準によって「客観的にその妨害となる行為をする」と
>みなした者に対しては信者の「自由な裁判」によって「死刑」の判決を下し実行したわけですが、当然ながら
>その一連の行為は日本国の法律に照らせば犯罪となるので、裁判の対象となり処罰されました。
>「労働者の自由な法廷による反共産主義的宗教活動の断罪」も、このオウムの行為とまったく同様に扱われることになります。
>つまり、おっしゃるような「労働者裁判員の判決」は、合法的ならば「弾圧」だし、非合法ならば「犯罪」であって、
>それ以外のものにはなりようがありません。

 その「労働者の自由な法廷による反共産主義的宗教活動の断罪」なるものは、共産主義社会においてはもとより、移行期間においても存在するとは考えておりません。
749722:2009/03/03(火) 22:46:47 0
>>727 (1/2)
>ついでに、日常の会話や議論においては形式論理学をそのまま適用してもあまり意味はありません。

 しかし形式論理を無視しては議論にならないのも一面の真理です。
 貴台の私の議論の理解は、誤解であり、その誤解の現象形態が形式論理違反である、と述べたのです。

 私の真意を再掲すれば・・・
 「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への現実的な妨害行為となるものであるならば、労働者はそれを禁止するであろう。」
 かつ「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への現実的な妨害行為となるものでないならば、労働者はそれを禁止しないであろう。」
・・・です。

>やくざに・・・<中略>・・・・当然なわけです。

 自分が例え話が下手な分際で人様のことは言えた義理ではありませんが、「ものの例え」にも自ずから礼・非礼の限度と言うものがございましょう。
 やくざに例えられましては、私に対して余りにも悪意の先入観をお持ちのようにしかお見受けできません。
 もう少し「虚心坦懐に人の言に耳を傾ける」ことをされてもいいのではないですか?

>あなた自身が「宗教の本質は、賃労働の苦しさを一時的にやわらげ、資本主義社会の矛盾から
>人々の目をそらし、共産主義社会建設の意欲をそぐことだ」と主張されていますし
>いわゆるマルクス主義の宗教観は概してそういう(個人的感想としては大変浅薄な)ものです。そういう考えが
>根本になければ、そもそも宗教活動一般を取り締まる法律など制定されるはずがありません。

 それは「資本主義社会における」という注釈つきの「宗教の本質」です。
 古代社会や共産主義社会などでは妥当しない、と考えております。
 また共産主義への移行期間には「宗教活動一般を取り締まる法律など制定される」ことはない、と予想します。
750722:2009/03/03(火) 22:51:45 0
>>727 (2/2)
>つまり、共産主義の建設途上にある社会においては、まさに宗教一般は「推定有罪」とされ、疑いの目で
>見られているわけです。そうでないなら、そもそも裁判の対象になどなりません。

 私の真意は前述のとおり、
「 宗教活動の一環としての布教活動・言論行動の中で、『共産主義経済への移行に反対』である旨を述べること自体は、取締りの対象とならないであろうと思われます。
 では何が取締りの対象になるか・・・ 一例を挙げると、たとえば『暴動の扇動』に相当するような、いわば暴力犯の“教唆犯”になるような活動が禁止されるに留まるでしょう。
 従って、何らかの制限はあるにせよ、『すでに思想と信教の自由は大幅に制限され、宗教活動は広範に弾圧されている』とまでは言いがたい状態であると予想します。」
であり、ご趣旨とは相当の違いがあります。

>その上で・・・<中略失礼>・・・理の当然なわけです。

 それは誤解であること上述のとおりです。

>私はつまらない形式論理や揚げ足取りの議論などするつもりはありません。どういう思想信条を抱くのも自由なので
>あって、私が言いたいのは「自分の思想信条をごまかさずに見つめて、その帰結については引き受けるべきである」
>ということです。少なくともあなたのような考えに立つ限り、共産主義社会建設への途上においては思想信教の自由は
>大幅に制限され、既存の宗教のほとんどは弾圧されざるを得ない、つまり「共産主義と宗教は共存しがたい」、という
>帰結は認めるべきだと思うのですが、いかがでしょうか。

 共産主義への移行期間の政治形態の実態については、地域的要素、文化的要素、その他の要素、単なる偶然的要素までが働くため、前述のとおり、極めて多様なあり方となることを推定せざるを得ません。
 従って一般論を言うのは非常に難しい。
 が、あえて一般的に言えば「共産主義社会建設への途上においては思想信教の自由は大幅に制限され、既存の宗教のほとんどは弾圧されざるを得ない」ような状況にはならない、
むしろ遥かに現状の先進国社会のあり方に近い形態になる、と予期します。
751681:2009/03/04(水) 12:09:07 0
>>747-750
言いたいことはほぼ尽きましたので簡単に済ませますが、一点だけ、あなたをやくざに例えた、というのは
完全な誤解です。
>>727は純粋に論理的な話でして、要するに「原則としてBではない」という客観的状況があるときに
「AならばBである」と言われたら、それは例外の提示であって「AでないならBでない」という意味だ、と
理解されるのは当然だ、ということです。
人を殺して震えている人が「正当防衛や緊急避難に当たるなら許してやるぞ」と言われたら、当然
「そうでないなら許されないという意味だな」と思うでしょうし、
難病で死にそうな人が医者に「1億円かかる手術をすれば助かりますよ」と言われたら
「手術をしなければ助からないという意味だな」と思うのが当然です。
それと同様に、債務者がやくざに脅されていたら、その時点で「どんなひどい目に合わされるのか」と
小便ちびりそうなわけですからw、そこで「1000万円持ってくれば許してやる」と言われたら
「持ってこなければ許されないのだな」と考えるのが当然だ、と、それだけの意味です。
752681:2009/03/04(水) 12:10:50 0
(続き)
>>747
>宗教活動の一環としての布教活動・言論行動の中で、「共産主義経済への移行に反対」である旨を述べること自体は、取締りの対象とならないであろうと思われます。
>では何が取締りの対象になるか・・・ 一例を挙げると、たとえば「暴動の扇動」に相当するような、いわば暴力犯の“教唆犯”になるような活動が禁止されるに留まるでしょう。

ところが、これだとまったく話が違いまして、そもそも「暴動の扇動」は現行法でも犯罪です。
主体が宗教団体でも共産党でも誰でも、関係ありません。
また、その裁判で有罪無罪を分けるのは「暴動の扇動があったかどうか」という事実関係だけであって、
暴動の扇動の目的が共産主義社会の実現であろうと、その妨害であろうと、単なる愉快犯であろうと、
まったく問題ではないわけです。
>>711であなたが言われた

>教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している(と労働者裁判員を納得させられる)ものであれば、判断者はそのような判断を下>ない、と思います。

という「労働者裁判員の判断基準」は、宗教活動が処罰されるかどうかとは、そもそもぜんぜん関係がないことになります。
つまり「AでないならBでない」自体が成立していない、ということです。
753681:2009/03/04(水) 12:14:42 0
すいません。↑の最後は「AならばB」自体が成立していない、が正しいです。
どうでもいいですがw
754考える名無しさん:2009/03/04(水) 17:10:08 0
>>714
> (意味や目的というのは、人間の側が歴史に「読み込む」ものです。)

そうすると、あなたにとって人間の歴史とは、人間の意志とはほとんど無関係に、独立して成立している、
純粋な客体、人間主体に対する、いうなれば超越的客体のようなもの、ということになるのでしょうかね?
だとすれば、マルクスがフォイエルバッハ流の唯物論に依拠しつつも不満を抱き、批判を加えているのも、
まさしくその点にあったようにも思われますね。

マルクスの立場は、厳密にいえば、唯物論者というより、いわば弁証法的という形容付きの唯物論者で
あったと言われますからね。そのことを踏まえるなら、あなたが自身が「唯物論者だからこそ」マルクス流
の唯物論に同意できないと言うのには、マルクスも同意するであろうそれなりの根拠があることになります。

マルクスもまた、フォイエルバッハ流の唯物論に同意しながらも不満を抱き、唯物論は所詮は観念論と同じ
思想的土俵を共有する一卵性双生児に過ぎぬと感じて、その立場を批判的に止揚しようと試みたのでしょう。
「したがって活動的な側面は観念論(中略)により、唯物論に対抗して抽象的に展開された」
(「フォイエルバッハについての十一のテーゼ」高島善哉、高島光郎訳『マルクス経済学哲学論集』)
その意味からすれば、あなたの唯物論はマルクスの目にはフォイエルバッハ流の唯物論に映ることでしょう。

> ついでに言うと、政治的には共産主義などまじめに考慮したこともないですし、株式会社の自由な活動を基本として、
> 国家がその調整役を果たすという市場経済が予見し得る将来に変化するとは思えません。

ま、それでも、マルクスやエンゲルスが生きていた近代の古典時代からすると、社会主義的段階へと移行した
資本家的生産様式に見えるかもしれませんけどね。80年代から90年代にかけてそれへの反動が起こり、
新保守主義、新自由主義が台頭し、古典期の資本主義への復古主義的風潮が幅を効かせましたけれども。
755考える名無しさん:2009/03/04(水) 17:11:42 0
> 国家権力の廃絶など幻想に
> 過ぎないと思いますし、皇室は末永く存続することが日本人にとって有益だと考えております。むろん、これらは単に私の
> 個人的な趣味嗜好に基づく考えであって(もちろん現代の社会や私の個人的生活の物質的諸条件に影響はされているのですが)、
> 「唯物論」と何らの論理必然的関係も持っていないわけです。

国家の廃絶というか、国家の死滅は、レーニンでしたかね。これについてはほとんど語られていないので分かりません。
ところで、皇室は宗教でしょうかね? もしそうだとすれば、マルクスが論じた宗教の政治的解放もまだ微妙ですね。
宗教がまだ、しかも特定の宗派がまだ、公的な支配力をもっていることになる。国家は宗教に対して中立であり、
宗教が個人の自由になったというのはまだまだ幻想であって、特定の宗教が国民全体を一律に支配していることになる。

しかしこの形態が、天皇を国家のシンボルとして崇拝しない宗教や思想哲学の持ち主を弾圧していることとイコールですか?
いまここで争点になっているのもここです。
756747:2009/03/05(木) 00:57:22 0
>>751
>言いたいことは・・・<中略失礼>
>・・・それと同様に、債務者がやくざに脅されていたら、その時点で「どんなひどい目に合わされるのか」と
>小便ちびりそうなわけですからw、そこで「1000万円持ってくれば許してやる」と言われたら
>「持ってこなければ許されないのだな」と考えるのが当然だ、と、それだけの意味です。

 どうも共産主義への移行期間に関する私の考えについて、その想像される多様性と具体像想定の困難性のと見落とし云々いう以前に、基本的に思い違いをしているようにお見受けします。
 私は「共産主義への移行期間においては、原則として宗教は弾圧される」などとは、書いてもいないし考えてもいません。

 上記「「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している(と労働者裁判員を納得させられる)ものであれば、判断者はそのような判断を下さない、と思います。」
 の、真の含意は
 「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への現実的な妨害行為となるものであるならば、労働者はそれを禁止するであろう。」
 かつ「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への現実的な妨害行為となるものでないならば、労働者はそれを禁止しないであろう。」
 であり、
 「宗教活動の一環としての布教活動・言論行動の中で、『共産主義経済への移行に反対』である旨を述べること自体は、取締りの対象とならないであろうと思われます。」
 であること、既述の通りです。

 貴台におかれては、私が「「共産主義への移行期間においては、原則として宗教は弾圧される」と考えている、と誤解しておられるのではありませんか??
757747:2009/03/05(木) 01:03:26 0
>>748 (1/2)
>>では何が取締りの対象になるか・・・ 一例を挙げると、たとえば「暴動の扇動」に相当するような、いわば暴力犯の“教唆犯”になるような活
>動が禁止されるに留まるでしょう。
>ところが、これだとまったく話が違いまして、そもそも「暴動の扇動」は現行法でも犯罪です。
>主体が宗教団体でも共産党でも誰でも、関係ありません。
>また、その裁判で有罪無罪を分けるのは「暴動の扇動があったかどうか」という事実関係だけであって、
>暴動の扇動の目的が共産主義社会の実現であろうと、その妨害であろうと、単なる愉快犯であろうと、
>まったく問題ではないわけです。

 共産主義への移行期間においても、そのような状態になっている、おおむね日本の現行法と同様になっている、と考えておりますが。
 「むしろ遥かに現状の先進国社会のあり方に近い形態になる、と予期します。」
>>750で上述したとおりです。

>>711であなたが言われた
>教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している(と労働者裁判員を納得させられる)もので
>あれば、判断者はそのような判断を下>ない、と思います。
>という「労働者裁判員の判断基準」は、宗教活動が処罰されるかどうかとは、そもそもぜんぜん関係がないことになります。

 私は、共産主義への移行期には「当該宗教が共産主義への移行に反対していれば、それだけで弾圧される。」または「一般的に宗教は原則として弾圧される。」ことを、暗黙の前提と“していない”点を、くれぐれもお含み願います。
 むしろ、「そうではない」ことを前提としていること再三既述のとおりです。
 その上でなら、「『労働者裁判員の判断基準』は、宗教活動が処罰されるかどうかとは、そもそもぜんぜん関係がない」こと自体は、そのとおりと思います。ひょっとすると貴見とは含意が違ってくるかもしれませんが。
758747:2009/03/05(木) 01:07:59 0
>>748 (2/2)
>つまり「AでないならBでない」自体が成立していない、ということです。
>すいません。↑の最後は「AならばB」自体が成立していない、が正しいです。
>どうでもいいですがw

 どうでもいい、とは恐縮です。それでは、さらにいよいよもってどうでもいい話になってしまいますが・・・
 私が>>722で記述した「Aならば」は、>>711での「『教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している(と労働者裁判員を納得させられる)ものであ』るならば」を指します
 同所の「Bで『ない』」は、同所の「判断者はそのような判断を下さ『ない』」を指します。(私は自分の立言自体を指して「AならばBである」とは一言も書いておりません。)
 「AならばBである」でなく、「AならばBでない」と書いたのは、私の立言の「本体」が、仮定条件が肯定文、結論が否定文になっていたからです。
 ご指摘の「『AならばB』自体が成立していない」との件、私の発言のどこを指しておられるのか存じませんが、私の「A」「B」の指示対象は以上のとおりです。
 贅言失礼。
759681:2009/03/05(木) 13:21:49 0
>>754-755
すいませんが、長くなりそうなので、反論はまたいずれ。
一言で言えば、私は「個人の意志」の存在は信じていますが(それもあやふやですがw)、
「集団の意志」や「人類の意志」は、あまり信じていない、ということです。

>>756-758
ええと、そもそもあなたが>>687

>共産主義社会への過渡期には、「宗教の名目の下に、実は資本主義の復興を企図する」ことはさぞかし労働者による禁圧の対象となるでしょう。

といわれたのが、発端なのです。さらに、>>710で、
>「純粋の宗教活動」であっても、立派に「資本主義の復興を企図する」ものになることも不可能ではない
とされ、>>711

>教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している(と労働者裁判員を納得させられる)ものであれば、
>判断者はそのような判断(資本主義の復興を企図するものとして禁圧するという判断)を下さない、と思います。

といわれたので、私はこれを、禁圧しない例外条件の提示だと受け取り、
A(教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している(と労働者裁判員を納得させられる)ものである)ならば
B(客観的には資本主義の復興を企図するものとして禁圧するという判断を下す)でない
と理解して、「つまりAでないならBである(資本主義の復興を企図するものとして禁圧する)」という意味ですね、とお尋ねしたわけです。
そこで出てきたのが、>>722

>「AならばBでない」という立言から「AでないならBである」を導き出すことはできません。(「BであるならAでない」は可能ですが。)

という発言です。
760681:2009/03/05(木) 13:26:12 0
(続き)
ところが、最近のご発言によると、そもそも共産主義社会の建設を目指す過渡期であっても現代の日本と本質的な違いはなく、
思想と言論と信教の自由は守られており、純粋な宗教活動としてであれ、あるいはそれ以外であれ、「共産主義建設への協力を示さない」
どころか、「共産主義建設に積極的に反対する」ことも「資本主義の復興を主張する」ことも、完全に自由であるということのようです。
これはつまり、宗教団体が集会を開いて「共産主義は間違っている。共産主義を打倒しろ。資本主義を復興しろ。」
と説教しても、そのために政党を組織して国会議員を送り込んでも、そう訴えて平和的にデモをしても(暴動の扇動にならない限りは)
まったく自由であって禁圧などされない、「労働者裁判員」の出番などはぜんぜんない、ということです。
これはつまり、「Aであるかどうかと、Bであるかどうかは、実はぜんぜん何の関係もない」ということに、他なりません。
これを指して「『AならばBでない』自体が成立していない」、というべきところを、肯定と否定を間違えておりました。どうもすいません。

一応付け加えますと、個人的には>>722でいう「AならばBでない」も「AでないならBである」も、成立しないほうが
ずっと好ましいので、あなたの立場に全面的に賛成です。どうぞこれ以上の反論は無用とご理解くださいw
761754:2009/03/06(金) 03:13:08 0
>>759-760
>どうぞこれ以上の反論は無用とご理解くださいw

 ではこれ以上反論はしません。が、誤解の原因の所在のみ指摘しておきます。

私は、
>ところが、最近のご発言によると、そもそも共産主義社会の建設を目指す過渡期であっても現代の日本と本質的な違いはなく、
>思想と言論と信教の自由は守られており、純粋な宗教活動としてであれ、あるいはそれ以外であれ、「共産主義建設への協力を示さない」
>どころか、「共産主義建設に積極的に反対する」ことも「資本主義の復興を主張する」ことも、完全に自由であるということのようです。
>これはつまり、宗教団体が集会を開いて「共産主義は間違っている。共産主義を打倒しろ。資本主義を復興しろ。」
>と説教しても、そのために政党を組織して国会議員を送り込んでも、そう訴えて平和的にデモをしても(暴動の扇動にならない限りは)
>まったく自由であって禁圧などされない、「労働者裁判員」の出番などはぜんぜんない、ということです。

など、書くまでもない、余りにも当然すぎる前提(若干の語句を除けば)と考えておりました。
その上で、

>共産主義社会への過渡期には、「宗教の名目の下に、実は資本主義の復興を企図する」ことはさぞかし労働者による禁圧の対象となるでしょう。
>「純粋の宗教活動」であっても、立派に「資本主義の復興を企図する」ものになることも不可能ではない
>教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している(と労働者裁判員を納得させられる)ものであれば、
>判断者はそのような判断(資本主義の復興を企図するものとして禁圧するという判断)を下さない、と思います。

などと、粗雑な比喩で言えば「オウムなんとか教」のような形態であるのかないのか、を念頭に置き、書き込みました。

この「前提の不共有」のままの議論がそもそもの誤解の原因です。
おやすみなさいませ。
762考える名無しさん:2009/03/06(金) 05:00:17 0
>>761さん、名前欄を間違えていますよ。
763世界を救うのは宗教である。:2009/03/06(金) 19:17:24 0
労働=苦痛と考えているようですが
物理的拷問を受ける仕事をしてるの?たぶん違うと思う。
あなたの感じる苦痛はあなたの思考が創りだしたもの。幻覚だ。
「本当のあなた」は思考とは違う。
思考は道具であって「本当のあなた」ではない。
思考と感情を「本当のあなた」だと勘違いすると
「苦悩」が生まれる。
764考える名無しさん:2009/03/06(金) 22:56:04 0
労働は苦痛だ。それどころか病苦のように蝕む。
人の金を搾り取ってしかも感謝されて安逸に暮らせるのなら
それにこした事は無い。

最下層のホームレスですらこれには同意してくれる事だろう。
765考える名無しさん:2009/03/08(日) 08:12:10 0
>>747=722=710=687=666

>>735=736の質問には結局答えなかったことで、暗にマルクスの共産主義なるものが人間には
実現不可能であることを認めたということでしょう。

マルクスの唯物論および階級闘争論は社会の変革を目的としたものであるのにも関わらず、それが
<実現不可能>であると認めるということは>>747=722=710=687=666氏の力説したところの
共産主義なるものの理論は、結局単なる机上の空論であり、数寄者の手慰みに過ぎなかったということでFA。

机上の空論で留まるなら実害が無いのでまだいいんですがねw
766754:2009/03/08(日) 10:17:04 0
>>765 (その1)
>>747=722=710=687=666
>>735=736の質問には結局答えなかったことで、暗にマルクスの共産主義なるものが人間には
>実現不可能であることを認めたということでしょう。

 レス>>735への回答は済ませておいたつもりです。
 が、未回答と認定されているようでしたら、私の回答を多少なりともまとめた形で以下に再度提示します。
@共産主義社会への移行期間中の宗教と労働者のあり方の可能性について。
 レス>>735氏の問題提起:
> 「教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への現実的な妨害行為となるものであるならば、
>労働者はそれを禁止するであろう。」
>・・・<中略>・・・
>というこのような「社会」が、<現実として人間に可能であるか>という一点に絞られてくるでしょう。
>このような「社会」に賛成しない、あるいは反対する人たちを実際問題として「弾圧」することなしに、このような社会
>を作ることが可能だとお考えですか?
767766:2009/03/08(日) 10:18:24 0
>>754 (その2)

 私の回答:
 粗雑な言い回しになりますが、「ナントカ真理教」のように、テロリズムと暴力に訴えるような例外的な宗教以外なら、「弾圧」することなしに共産主義へ移行することが可能と考えます。

 上述の表現ではレス>>761

>私は、
>>ところが、最近のご発言によると、そもそも共産主義社会の建設を目指す過渡期であっても現代の日本と本質的な違いはなく、
>>思想と言論と信教の自由は守られており、純粋な宗教活動としてであれ、あるいはそれ以外であれ、「共産主義建設への協力を示さない」
>>どころか、「共産主義建設に積極的に反対する」ことも「資本主義の復興を主張する」ことも、完全に自由であるということのようです。
>>これはつまり、宗教団体が集会を開いて「共産主義は間違っている。共産主義を打倒しろ。資本主義を復興しろ。」
>>と説教しても、そのために政党を組織して国会議員を送り込んでも、そう訴えて平和的にデモをしても(暴動の扇動にならない限りは)
>>まったく自由であって禁圧などされない、「労働者裁判員」の出番などはぜんぜんない、ということです。
>など、書くまでもない、余りにも当然すぎる前提(若干の語句を除けば)と考えておりました。
>その上で、
>>共産主義社会への過渡期には、「宗教の名目の下に、実は資本主義の復興を企図する」ことはさぞかし労働者による禁圧の対象となるでしょう。
>>「純粋の宗教活動」であっても、立派に「資本主義の復興を企図する」ものになることも不可能ではない
>>教団・教義・祭祀の、主張・行動の実態が、プロレタリアートの共産主義建設への協力を示している(と労働者裁判員を納得させられる)ものであれば、
>>判断者はそのような判断(資本主義の復興を企図するものとして禁圧するという判断)を下さない、と思います。
>などと、粗雑な比喩で言えば「オウムなんとか教」のような形態であるのかないのか、を念頭に置き、書き込みました。

 が当該の回答部分に相当します。
768766:2009/03/08(日) 10:27:40 0
>>754 (その3)

A共産主義社会へ移行後の宗教のあり方について

 レス>>735氏の問題提起:
>「共産主義社会においては、宗教への基本的な需要源たる人生の苦悩の激減、及び人生における苦悩への対応の仕方の変化により、
>宗教が現在の形態のままで存続することはなくなる。」
>というこのような「社会」が、<現実として人間に可能であるか>という一点に絞られてくるでしょう。
>このような「社会」に賛成しない、あるいは反対する人たちを実際問題として「弾圧」することなしに、このような社会
>を作ることが可能だとお考えですか? 

 私の回答:
 共産主義社会実現後は、「このような『社会』に賛成しない、あるいは反対する人たち」自体が人数的にも政治影響力的にも壊滅的に激減しており、弾圧など全く必要なく共産主義社会を運営できる、と考えます。

 上述の表現ではレス>>687>>688>>721

>労働者が賃労働から解放されれば、そのような『苦しみにあえぐ』状態は劇的に緩和される、というのがマルクスの発想です。
>そのような状態で、「宗教」なるものが今のような形態のままで、資本主義社会のように繁栄し、存続することはできない、と考えます。

>「共産主義社会だって、例えば我が子が早死になどしてしまったら、誰だって悲しい。
>そういう場合の一種の『精神修養法』『心の持ち方』についての老賢の知恵はなくならないでしょう。
>しかし、それが『宗教』(ここでは教団、教義、祭祀、という実存形態を主に指しているのですが)という形態を取ることは、もはや無くなると予期します。

 が当該の回答部分に相当します。
>「共産主義社会においては、宗教への基本的な需要源たる人生の苦悩の激減、及び人生における
>苦悩への対応の仕方の変化により、宗教が現在の形態のままで存続することはなくなる。」これに尽
>きます。
> これでご納得頂けないなら、粗雑な比喩で恐縮ながら、私にとっては「ハンセン氏病が撲滅されても
>ハンセン氏病療養所は残る」という話と類比的で、どう反論されても私に対しては説得力がない、とし
>か申しようがありません。

769767=768:2009/03/08(日) 10:36:16 0
>>765
失礼。アンカーミスをしました。

上記私のレス>>767冒頭で
>>754 (その2)」とあるのは、
>>765 (その2)」の誤記です。

レス>>768冒頭で
>>754 (その3)」とあるのは、
>>765 (その3)」の誤記です。

つきましては、レス>>767>>768をご一読願います。
770考える名無しさん:2009/03/08(日) 10:59:18 0
>>766-
レスどうも。

イデアルに「共産主義社会実現後」という状態を先験的に仮想すれば、そのような社会に反対する人が存在すれば
そもそも成り立たないのだから、「共産主義社会実現後」には「反対者を弾圧する必要が無い」
同語反復のようなもので、なるほどそれは否定できないね。あくまでも仮想でしかないが。

しかしマルクスもそこに至る過程で暴力は避けられない、というよりはっきり積極的に暴力へと向かわしめているんだから、
むしろ彼はその点、誠実だったね。平和主義者でマルクス主義者みたいな巷に溢れる偽善者よりはるかにまともだ。

771666=687=710=722=747=766 :2009/03/08(日) 11:00:15 0
>>765 (その4) >>736
 レス>>736は、迂闊にも見落としておりました。ご指摘、深甚に感謝します。
 以下に回答を示します。

・レス>>736氏の問題提起:
>「資本主義社会における労働者が賃労働から解放されれば、そのような『苦しみにあえぐ』状態は劇的に緩和される、というのがマルクスの発想であり、
>その状態が彼の「共産主義」なるものだとして、それは人間に<可能>でありまた人間が<目指すべき社会>であるのか、それを問います。

・私の回答 :
 それは結局、@「賃労働の廃止は実現可能であるか」、A「それは人間が目指すべき社会であるか」、という問題に帰着します。

 @については、可能と考えます。
 世界における社会構成員の需要を積み上げた上で生産を計画的に行うならば、世界経済が破綻をきたすことなく必要な生産を確保できます。
 生産力の十分な発展と上記の生産の計画性があれば、労働力の売却(賃労働)による配分でなく、各人の必要に応じた配分は可能です。

 Aについては、「現在のところ、共産主義経済は賃労働よりはるかにマシなオールターネイティヴ(代替案)であり、かつこれよりもっとマシな案が見当たらない」という意味で、目指すべき社会として最も真摯な検討に値する、と考えます。
772766:2009/03/08(日) 11:18:27 0
>>765 (その5、終結)
>マルクスの唯物論および階級闘争論は社会の変革を目的としたものであるのにも関わらず、それが
><実現不可能>であると認めるということは

 私が実現不可能を認めたわけでないこと、むしろ実現可能徒考えていることは、上記>>766>>767>>768>>771にて回答のとおりです。

>>747=722=710=687=666氏の力説したところの
>共産主義なるものの理論は、結局単なる机上の空論であり、数寄者の手慰みに過ぎなかったということでFA。

 ご回答不要ですが、「FA」とは何でしょうか?フットボール用語か何かですか??
 どうも私のような年代の者からみると、失礼ながら「真面目に議論」しておられる文章に見えないのですが・・・

>机上の空論で留まるなら実害が無いのでまだいいんですがねw

 常識的に考えて、>>710以来、ウダウダ私見を書き連ねて参った者が、「自覚的に」空理空論を展開している、などとお考えなのでしょうか?
 他人の誠意を始めから一片も信用せずに展開される貴台の議論の基本的な知的誠実性に、逆に疑いを差し挟まざるを得ません。
773考える名無しさん:2009/03/08(日) 11:49:31 0
FAはfinal answerの2ちゃん語です。

>労働力の売却(賃労働)による配分でなく、各人の必要に応じた配分は可能です。
不可能ですね。「労働に応じて」のもう一方の原則に反しているので、途端に労働者から不満がでます。

私は「空想じゃなかった」ことのほうに驚いています。自覚的だと思ってました。
「労働に応じて」と「必要に応じて」の間の矛盾を安易に見くびる共産主義者なる者は、知的誠実性の片鱗すらない欺瞞の塊です。
774考える名無しさん:2009/03/08(日) 12:03:05 0
もう最後ですが、付け加えて置くと>>766さんが人格的に不誠実だと言うのではないです。
残念なことにカルト信者であるというだけの話です。
775考える名無しさん:2009/03/09(月) 00:46:57 0
このような恐怖政治下の逮捕投獄の記述は、近年では、ゴルバチョフやエリツィンの自伝のなかにも、
そっくり似たような、記述を見つけることができる。共産党幹部たち自身がおびえながら生きていたのだ。
恐るべき大量殺人の政治体制であった。いったい、これを、どのような思想的経緯があったならば、岩波
文化人の学者たちは、あれほど、礼讃し、指示しつづけねばならなかったのだろうか。
ソビエト・ロシアが消滅してしまった今となっては、当と学者たち自身も、語るべき言葉を失ってしまった
のだろう。そして、事実、今の今でも、自分たちの内心での動揺を、ひたかくしにしながら、「それでも
自分たちは、正しかった」と強引に、自己正当化をはかりつづけている。今の今に至るまで、誰からも、
自分はあの時代に間違っていた、と、はっきりと表明するこれらの老学者たちの声を、私たちは聞くことが
ない。少なくとも、この半世紀、どのような思想を抱こうと、逮捕投獄されることのない国に生きることが
できて、私たちは幸せだった、と思わないわけにはいかない。
政治思想や社会科学などを勉強しようとして、政治思想の本にのめり込むことの危険さを、今にして思う。
我々は、今の九〇年代若者世代が、どんな党派性にも社会的発言にも近づこうとせず、権威的な学問など
認めようとせず、コンピューター・ゲームに打ち興じているとしても、けっして、彼らの学識のなさを、
非難できるものではない。私たちが、学んで身につけた知識や思想などが、数十年後に、ガラクタであった
と分かったときの激しい絶望感を味わうことは、少なくとも、彼らにはないのだから。
副島隆彦「切り捨て御免」P112~113
776考える名無しさん:2009/03/09(月) 00:47:57 0
人は人生の年月の中で、五年、十年単位で、自分の考えが変わってゆく。その変わってゆく自分を、しっかりと
記録しつづけることだ。あのときは、ああ考えて、ああ信じていたが、今では、このように変わって、こう
考えている、と書くこと。なるべく正直に書くことだ。自分に向かってきちんと文字で書いて確認してゆく
作業をすることである。それが、知識、思想、学問なのだ。人間は年を重ねるにつれて考えが変わってゆく
生き物だから、それでいい。それが成長するということなのだ。だから知識、思想、学問というのは、何か
新しい知識を西欧やアメリカから持ち込んで、自分勝手に改造、変造して日本語で適当に売りさばくこと、
なのではない。
今の私は、このように考えている。だから私は、吉本の、「転向とは、人間が成長してゆくことだ」と
書いた転向論としての吉本の思想観を、今でも受け継いでいることになる。
昔の吉本はやっぱり偉かった。
副島隆彦「日本の秘密」P122
777考える名無しさん:2009/03/09(月) 00:49:17 0
私は、長い間考えた末に、日本のようなアジアのはずれの国に、世界に先駆ける何か新しい優れた大思想など
生まれることは、ありえないのだ、という結論に到達した。三十歳ぐらいの時である。イギリス、フランス、
アメリカでまだ実現していないものが、日本ごときで実現するはずがないのだ。私は、人間社会のあり方に
於いて、こういう進化論者(時間進歩主義者)である。日本の知識人がやること、考えること、書くことなんか、
全て、一切合切、輸入学問であり、欧米知識人の猿真似である。そうでしかありえない。
奈良。平安時代も室町時代も江戸時代も、ずっとそうであった。ずっと歴代中華帝国で栄えた思想・宗教の
輸入学問であった。私にとって、これは、もう確信だ。
日本の伝統―それは、文化の劣性遺伝子だ、と吉本隆明が書いていた。あの頃の吉本だったら、
私は今でも信じている。
副島隆彦「日本の秘密
778考える名無しさん:2009/03/09(月) 00:50:55 0
日本では、学問(サイエンス)というのは、欧米世界で評判を取った一流学者たちの仕事を、国内に紹介するというか、
泥棒というか、勝手に代理店を開くというか、華々しく輸入するというか、そういうことに過ぎない。これは今でもそうだ。
(中略)
アメリカでは「この本を私は、翻訳して出版しました」というのは、絶対に学問業績にならないのだそうだ。履歴書の作品
欄に、書いてはないらない。「絶対に書くな」と何人かのアメリカ人の友人に、私は忠告された。「いや、そう言っても、
この本を訳すのは大変だったのだ。日本では、翻訳するだけでも大変な業績になる。翻訳書が1冊あるだけで、学者だ。と
威張ってるのがたくさんいる」と私が、反論しても、絶対に聞き入れてくれない「恥ずかしいことだから、
止めろ」としつこく言われた。翻訳は研究業績にはならないのだ。「それはインフォマート(現地人の情報提供者)の仕事で
あって、学者の仕事とは、認められないのだ」と、強く言われた。
副島隆彦「属国日本論を超えて」P36〜40

日本では「政治思想」なるものはいつも断片的にバラバラに、前後の脈略なしに、適当に外側(欧米世界)から
翻訳文として押し寄せ、流れ込む。しかも、世界の知識人たちが理解している全体構図とは関係なしに自分勝手な
理解を国内に広める。そしてやがて棄て去り、次の新しいものにまた飛びつく。
「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」(副島隆彦 著 講談社)
779771:2009/03/09(月) 02:23:50 0
>>770
>イデアルに「共産主義社会実現後」という状態を先験的に仮想すれば、そのような社会に反対する人が存在すれば
>そもそも成り立たないのだから、

 「そのような社会に反対する人」が存在しても、共産主義社会は先験的にイデアルに仮想した状態であろうと、ア・ポステリオリにレアルに仮想した状態であろうと、成り立つ。
 疑う者は古今東西の現存社会を見よ。あれだけ反対する者がいても成り立っている。

>「共産主義社会実現後」には「反対者を弾圧する必要が無い」
>同語反復のようなもので、なるほどそれは否定できないね。あくまでも仮想でしかないが。

 否定できないかどうか知らないが、「同語反復」ではない。

>しかしマルクスもそこに至る過程で暴力は避けられない、というよりはっきり積極的に暴力へと向かわしめているんだから、
>むしろ彼はその点、誠実だったね。

 19世紀ヨーロッパの状況においては、(現代の目から見れば余りにも生産力の発展が低い段階にあったため)平和的方法による共産主義実現よりも暴力の方が有効な場合が、多々あった。
 だから、マルクスは“状況に応じてその都度有効な方法を提言した”結果、今日の目からは「はっきり積極的に暴力へと向かわしめている」ように見える。

>平和主義者でマルクス主義者みたいな巷に溢れる偽善者よりはるかにまともだ。

 「マルクス主義は本来的にテロリスティックだ」とでも?
 「状況に応じて最も有効な方法を選ぶ」という、政治の初歩の初歩を心得ているだけに過ぎないが。
780771=766:2009/03/09(月) 02:41:50 0
>>773
>FAはfinal answerの2ちゃん語です。
 さてこそ。世間では2ちゃん語は通用しないので、お気をつけあれ。

>>労働力の売却(賃労働)による配分でなく、各人の必要に応じた配分は可能です。
>不可能ですね。「労働に応じて」のもう一方の原則に反しているので、途端に労働者から不満がでます。
 私は消費財の配分について「『労働に応じて』のもう一方の原則」など、毛筋ほども主張するものではないが?何をどう誤解しているのか??
 完全に逆で、「労働に応じた配分」を廃棄すべきであると考える。労働と配分のリンケージ(連結)を外すことで、賃労働の息の根を止めることができる。
 共産主義社会においては「生産力が十分に発達している」ことに留意すべし。ガリガリと心身のギリギリまで働かざるを得ない状況でないならば、労働に応じた配分でなくても労働者から不満は出ない。

>私は「空想じゃなかった」ことのほうに驚いています。自覚的だと思ってました。
>「労働に応じて」と「必要に応じて」の間の矛盾を安易に見くびる共産主義者なる者は、知的誠実性の片鱗すらない欺瞞の塊です。
 賃労働では、労働力の売却によって消費物資が配分されるから、労働力の価格は他の商品と同様、その生産費用が適正価格だ、ということになり、日々の生活と子弟養育の文化的最低ラインに落ち着いてしまう。
 賃労働にどっぷりと漬かって生きている現代人がそのように考えるのは一応、うなずける。
 しかし、日々の仕事を労働者が余裕綽々でこなし、のびのびと生計を立てられる社会では、「労働に応じて配分してくれ」などという文句は出ないものだ。
 少々のことで驚くなかれ。

>>774
>もう最後ですが、付け加えて置くと>>766さんが人格的に不誠実だと言うのではないです。
>残念なことにカルト信者であるというだけの話です。
 「カルト信者である」は事実誤認だが、諒とする。
781考える名無しさん:2009/03/12(木) 23:39:34 0
>>779
>>イデアルに「共産主義社会実現後」という状態を先験的に仮想すれば、そのような社会に反対する人が存在すれば
>>そもそも成り立たないのだから、「共産主義社会実現後」には「反対者を弾圧する必要が無い」
>>同語反復のようなもので、なるほどそれは否定できないね。あくまでも仮想でしかないが。

> 疑う者は古今東西の現存社会を見よ。あれだけ反対する者がいても成り立っている。

もう一度俺の>>770を読め。
現実のすべての「共産主義国家」は「反対する者」を弾圧するか抑圧することによってしか成り立っていないのよ。
そういう現実を見ずにあんたは「弾圧のない共産主義国家」とやらを「夢想」して語っていたわけ。
つまりあんたは「イデアルに(そのような)共産主義国家を先験的に仮想し」、そこには「弾圧が無い」と言ってるだけであって、
そのような社会は、あんたの脳内に完結しているだけなの。
それを「同語反復の<ようなもの>」と言ったわけ。「同語反復だ」とは俺は一言も言っていません。


>>「労働に応じて」のもう一方の原則に反しているので
「労働に応じて」を「原則」と俺が書いたのは、マルクスの言説の一端ということもあるが(それはもちろんマルクスにおいては
それは止揚されるべき状態だから、あんたのいうようにマルクス的には「廃棄されるべき」もの)、
一般的にそれが労働者が欲するところの原則の一つであるからだ。もとよりこの原則が万能であるわけではない。

>しかし、日々の仕事を労働者が余裕綽々でこなし、のびのびと生計を立てられる社会では、「労働に応じて配分してくれ」などという文句は出ないものだ。
はいはい、何の根拠も無いですね。根拠が無いのに定言的に信じられるのはカルトの証拠です。

> 少々のことで驚くなかれ。
マルクス主義者の主張は、だいたい決まりきっているので今さら驚きませんよ。
しかし改めて驚いたのは、あなたがたのカルト具合、浅薄さ具合にですよ。

ときに、俺が今まで現実の共産主義国家を持ち出さずに議論していたのは武士の情けだよ。
現実の共産主義国家を持ち出して「成り立っている」などと抜かした時点で既に議論はあんたの負けね。
782考える名無しさん:2009/03/12(木) 23:45:20 0
>>780
>>FAはfinal answerの2ちゃん語です。
>さてこそ。世間では2ちゃん語は通用しないので、お気をつけあれ。

もちろん俺も現実社会で「FA」とか言いませんよ。余計なお世話。
しかし2chには2chの流儀でおkでしょう。
「FA」が分からなかったらググってみるぐらいのリテラシーを身に付けることをお薦めしますよ。
すぐに検討が付くはずですが。

783考える名無しさん:2009/03/12(木) 23:46:23 0
×検討 → ○見当  

784考える名無しさん:2009/03/13(金) 02:16:45 0
>>779
>  19世紀ヨーロッパの状況においては、(現代の目から見れば余りにも生産力の発展が低い段階にあったため)平和的方法による共産主義実現よりも暴力の方が有効な場合が、多々あった。

というか、プロレタリアートの大多数に現代的な意味での公平な選挙権すらなかった時代だから。
プロレタリアートの声を反映した政府を生み出すためには投票行動以外の手段に訴えるしかない。
現在、マルクスが生きていれば、プロレタリアート独裁は、少なくとも形式的には達成されていると言うだろうね。
785考える名無しさん:2009/03/13(金) 20:56:06 0
資本主義の対立概念は共産主義
市場主義の対立概念は社会主義

ただし、共産主義のマルクスエンゲルスバージョンは、
資本主義と社会主義との二つが歴史的に止揚された
未来の社会形態ということになっている点が独自。

その場合の共産社会とは、市場社会の完全な形態を意味する。
マルクスにとっては、資本主義下の市場は不完全市場。
786779:2009/03/13(金) 21:33:06 0
>>781 (その1)
>もう一度俺の>>770を読め。
 読んだ。

>現実のすべての「共産主義国家」は「反対する者」を弾圧するか抑圧することによってしか成り立っていないのよ。
 どうも私と君とでは、「共産主義」に対する理解が根本的に異なっている、としか考えられない。
 私は、「現実の共産主義国家」なるものが、歴史上、かつて唯の一度も存在したとは考えていないし、今も現存しているとは全然考えていない。
 無論、旧ソ連、中国、etc.が「共産主義国家」である、などとは毛筋ほども妄想していない。
 それらの国家のうちには、「社会主義(「共産主義の低次段階」と「プロレタリア独裁」とを統合した奇妙な概念)はわが国では実現した」と自称した国家も存在したが、私はそのような妄言を真面目に受け取ったことは一度もない。

>そういう現実を見ずにあんたは「弾圧のない共産主義国家」とやらを「夢想」して語っていたわけ。
 そもそも、マルクスによれば共産主義社会においては「国家」は存在しないのだから、弾圧のある共産主義国家だろうと、弾圧のない共産主義国家だろうと、「共産主義国家」など存在するはずがない。
 やはり共産主義に対する理解がマルクスと君とでは根本的に違っている、としか考えられない。
 
>つまりあんたは「イデアルに(そのような)共産主義国家を先験的に仮想し」、そこには「弾圧が無い」と言ってるだけであって、
>そのような社会は、あんたの脳内に完結しているだけなの。
 イデアが脳内に存在する、という近代主義的言説は、単なる比喩として受け取っておく。
 が、「共産主義社会においては今日までの歴史上の諸体制国家におけるような弾圧など必要ない状態になっている」ことは私の独断ではなく、むしろ共産主義社会に関する普遍的な(多数派的な)理解であり、間主観的・客観的に存立している共産主義概念である。
 
>それを「同語反復の<ようなもの>」と言ったわけ。「同語反復だ」とは俺は一言も言っていません。
 私も「『共産主義社会実現後』には『反対者を弾圧する必要が無い』」が同語反復だ、とはいっていない。
787考える名無しさん:2009/03/13(金) 21:39:19 0
ソビエト型共産主義の運動は一九九一年一二月に、この地上から大きくは崩れ去っていった。そして、
資本主義的な生産システム(市場経済)でだけが私たちの現実である。そこでは、冷酷な貧富の差の
ある実利的な世界が、そおまま私たちの現実である。今や誰もこのことは否定できない。
 しかし、問題は、左翼イデオロギー、あるいは社会主義思想が滅んだ後に、次の新たなる人類の
大テーマがどこに存在するかということである。その際には、愚鈍なだけの反共保守思想をのさばらせる
必要はない。巧妙に生き長らえただけの愚劣な保守的な現状肯定の思想を、批判していく道も、
また正義である。愚かな宗教的な信念にとりつかれてきたリベラル派の旧式人間たちを冷笑し、嘲笑した
からといって、何も生まれない。微妙に保守化しつつある朝日新聞や、残党社会党(社民党)を
「あわれだな」と侮蔑する時期は過ぎた。朝日新聞も、最近、急激に反米(アンチ・アメリカ)
民族主義的(ナショナリスティック)になりつつある。グローバリストと闘う勢力になれるかもしれない。
それに比べれば、日本の民族保守、のふりをし愛国者のふりをしながら、その実態はアメリカの手先である
「世界反共保守派」系の 保守派の方が、はるかに悪質であり危険である。
人類が掲げるべき、次の大きな理想が何であり、実現していくべき人間社会とは、どのようにあるべきか、
という問いかけがやはり重要である。保守雑誌が、自分たちの勝利を祝って左翼叩きだけをやっていれば
いい時代は、今や過ぎ去った、と理解すべきなのだ。次の大敗北はいつも「勝った勝った」と騒いでいる者
たちの足元から、始まる。

副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ 」
788考える名無しさん:2009/03/13(金) 21:40:23 0
さらに時代をさかのぼると、マルクス主義の思想は、ローマ帝国よりも古い時代に起源がある。
つきつめていくと、古代ペルシアのゾロアスター教につきあたる。先に説明したとおり、
ゾロアスター今日の教えでは、世界は光明(=善)と暗黒(=悪)の二つの原理からできていて、
いまは光明と暗黒が入り乱れて戦っているけれども、いずれ光明が暗黒を打倒して光明と暗黒は
分離し、それとともに時間は停止して、世界は消滅するが、そのまえに、光明の子が下界に
光臨して人類の王者となり理想の世が実現する期限がある、と説く。
この思想が、ユダヤ教に入ってきてメシア思想になり、ユダヤ教のメシア思想が独立して
キリスト教になり、キリスト教の「終末論」と「千年王国」の思想がマルクス主義に入ったのだ。
岡田英弘「歴史とは何か」P142〜143
789考える名無しさん:2009/03/13(金) 21:40:56 0
ところで、ふつうの読者には、この「左翼」という人間たちの政治思想なるものの内部の争い、
ということが、どうもピンとこないようである。そこで、ここで超簡単に説明しておこう。
日本の左翼には二種類がいるのである。旧い方の、「旧左翼」は、簡単に言えば、共産党と
社会党である。あるいは、この二つの政党に、長い間、意識的に信念を持って投票してきた人々
は結局これである。単なる反自民党ということだけではない人々だ。それに対して、一九六〇年
の「安保闘争」(この年に、「日米安全保障条約」という、対ソビエトの日米軍事同盟条約に
反対した大きな国民運動があった)の前後に日本共産党のいうことをきかなくなった学生たちが
始めた新しい学生左翼たちの運動があって、これを「新左翼」と言う。簡単に言えば、これは、
今でも「元学生運動活動家」とか「過激派」と呼ばれる連中である。評論家の西部すすむ氏や、
日本独特の思想家・吉本隆明(吉本ばななの父親)などがこっちである。その他に、現在、
大学教授や評論家になっている人々のうち、多くの人々が、昔この「新左翼」系の活動家だったり、
あるいは、その影響を強く受けた人々である。こっちの「新」方は、全部合わせると、50万人
ぐらいいる。この元「新左翼」はたちは、「自分たちは正しかったが、「旧左翼」はソビエトに
「洗脳」されていたから集団だから、愚かである」と思っている。
結論から言えば、「旧左翼」も「新左翼」もどちらも愚かだったのである。大きな意味では、ソビエト
帝国の振りまいた病原菌に冒されていた。だから、「旧」も「新」も甲乙つけがたく日本国民多数
からは相手にされなかった。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P242〜243
790考える名無しさん:2009/03/13(金) 21:41:43 0
突き詰めると、リベラル派と保守派はお互いにねじれてしまう。政治的な表面課題で、右(保守)だ、
左(リベラル)だと言っていがみ合っていれば済むのは、表面でだけで生きていられる馬鹿たちだけ
でよい。自分が日本的保守だから、だから正しい、という証明などはありはしない。
それよりは、自分は朝日新聞でけでなく、長年のアメリカ・グローバリストの洗脳もかろうじて撃退
できた人間だから、だから優秀なのだ、という内容の証明にすべきだ。
日本の保守派言論人・学者どものあのグローバリストの手先ぶりを見てみるがよい。哀れを通り越す。
中川八洋筑波大学教授のような、CIAのインフォマート(情報提供者)をやり、かつ国際勝共連合
(ムーニーズ、原理協会)の賛同者が、この現象を表面的にとらえて、日本の右も左も「甲殻類」
などというのを、私が黙って見逃す筈がない。中川の近衛文麿研究や、ルーズベルト理解にも
そのうち鉄槌を下す。

自分が「共産主義という病気」に罹らなくて済んで、ああ、よかった、という時代的な特権を唯一の
自己正当化根拠にして、しがみついて、それを自己の政治正統性にしようという程度の頭では、この
先の嵐は、どうせ乗り越えられない。現に今、自分が何かの病気(洗脳)に陥っていないと、自信を
持っていえるか、そこが大事な点なのだ。
(中略)
知恵遅れや精神障害者、あるいは犯罪性向者の問題を扱うときに、突き詰めれば保守もリベラルも
ないのだ。環境問題にしてもそうだ。政治的な、右、左でこれらの問題が解決することはない。
理科系の学者たちが、政治イデオロギーで、サイエンスの実験をしないのと同じことだ。予めこの
立場が正しくて、などというものは、サイエンスにはない。だからソシアル・エンジニアリングも、
元をたどってゆくと保守派の道具なのかリベラル派のおはこなのか分からなくなる。動物実験を、
人間にもやってみたくて仕方がないから、やった、ということだ。それも、ある人間の個体にやる
のではなく、その国民(部族)全部に、その実験を施すのだ。だから怖いのだ思想洗脳は、病原菌と
同じくらい怖いものだ。自分自身が、感染していることが前提だ。

副島隆彦「属国日本論を超えて」P122〜123
791779:2009/03/13(金) 21:57:26 0
>>781 (その2)
>「労働に応じて」を「原則」と俺が書いたのは、マルクスの言説の一端ということもあるが(それはもちろんマルクスにおいては
>それは止揚されるべき状態だから、あんたのいうようにマルクス的には「廃棄されるべき」もの)、
>一般的にそれが労働者が欲するところの原則の一つであるからだ。もとよりこの原則が万能であるわけではない。
 原則的にそのとおり。
 たしかにマルクスは、生産力が未発達な共産主義の低次段階では、諸控除を経た上、労働者は消費物資を「労働に応じて」(実際には「労働時間に応じて」の含意か?)受け取る、という趣旨のことを書いている。
(そんなことをしたら、扶養家族の多寡等のため、著しい不適切が生じる、と書き忘れていないが。)
 資本主義における、「労働に応じた配分」すら成り立っていない状況のもとで、労働者がまずは労働に応じた配分を求める事情も理解できる。
 「労働と配分とのリンケージ解除」が実現し、賃労働が根絶されるのは、生産力が高度に発達した共産主義の高次段階において、であると考える。

>>しかし、日々の仕事を労働者が余裕綽々でこなし、のびのびと生計を立てられる社会では、「労働に応じて配分してくれ」などという文句は出ないものだ。
>はいはい、何の根拠も無いですね。根拠が無いのに定言的に信じられるのはカルトの証拠です。
 根拠は、「当該社会において『労働者が社会から受ける配分とは、労働者が生活するための必要に
応じてなされるのが当然であり、労働者が社会に対して提供した労働に応じてなされるものなどではな
い』という配分に対する理解が、凡通的な常識となっている社会では、労働者は必要に応じた配分を求
め、労働に応じた配分を求めることなどしない。」という、当然の予測である。
 そもそもマルクスは、資本主義社会においては、市場における交換過程によって異なった労働の等質化がなされている、と考えた以上、資本主義的交換過程が存在しない高次の共産主義社会で「労働者が社会に与えた労働」の測定尺度が存在する、と考えたはずがない。
 卑俗に言えば、「配管工の労働と経理係の労働を同一のものとして測る尺度がない」。(低次段階においては、「労働時間」が尺度になる、とマルクスは考えたのか?とも思われるが。)
792779:2009/03/13(金) 22:15:09 0
>>781 (その3、完結)
>> 少々のことで驚くなかれ。
>マルクス主義者の主張は、だいたい決まりきっているので今さら驚きませんよ。
>しかし改めて驚いたのは、あなたがたのカルト具合、浅薄さ具合にですよ。

 私を、「マルクス主義者」とやら、に括り込むのはご自由だが、私はマルクスの思想を広めようとしている者でも、マルクスの思想が排他的・専一的に正しい、と主張している者でもない。
 ただ、賃労働に基く現存社会のあまりの惨憺たる有様を座視し得ず、これへのオールターネイティブ(代替案)として、遠い昔にマルクスが唱えた共産主義社会が、真剣な検討に値する、と判断し、真摯に思索をなしている者にすぎない。
 それをカルトだの浅薄だのと称されても、私からは話が逆にしか見えない。

>ときに、俺が今まで現実の共産主義国家を持ち出さずに議論していたのは武士の情けだよ。
>現実の共産主義国家を持ち出して「成り立っている」などと抜かした時点で既に議論はあんたの負けね。

 私はその「現実の共産主義国家」とやらを、唯の一度も、書いても考えてもいないのだが?
 上記>>779での「疑う者は古今東西の現存社会を見よ。あれだけ反対する者がいても成り立っている。」の誤解か??
 私は主として「現代日本社会」を典型例として表象し、「現存社会」と書いた。

>>782-783
>もちろん俺も現実社会で「FA」とか言いませんよ。余計なお世話。
>しかし2chには2chの流儀でおkでしょう。
>「FA」が分からなかったらググってみるぐらいのリテラシーを身に付けることをお薦めしますよ。
>すぐに検討が付くはずですが。
>×検討 → ○見当  

 君がふざけている訳でないことはよく分かった。
 で、今度こそ本当に回答する必要はないんだが・・・、「ググってみる」って、一体なんだ???
 (くれぐれも回答しないでくれ。回答されてもそれへの応答はできかねる。)
> {ベーシック・インカム(BI)は、まず、この「食うためには、仕方がない」という賃金労働に縛り付けられた
> 状態からの解放をめざす。}ttp://www.globalbase.org/ja/topics/economics.html

「雇用市場において、どんな不条理な契約条件ばかりでも、それを結ばないと飢え死にするから否が応でも
結ばざるをえない、つまり契約とは名ばかりの選択の自由なき奴隷市場からの解放をめざす」だね。
794考える名無しさん:2009/03/14(土) 03:55:26 0
>>786
>そもそも、マルクスによれば共産主義社会においては「国家」は存在しないのだから、
>弾圧のある共産主義国家だろうと、弾圧のない共産主義国家だろうと、「共産主義国家」など存在するはずがない。
> やはり共産主義に対する理解がマルクスと君とでは根本的に違っている、としか考えられない。

マルクス=エンゲルスは「共産主義革命後」の「国家」について明確に述べていますよね。
「移行形態」であるにしろ共産主義による国家は彼らの観念に存在します。
エンゲルスのみならずマルクスの観念にもあったと言って良いでしょう。
それは国家の廃止、協同社会の実現に至るらしいですが(笑) (いやーホント笑っちゃいますよね(笑))
まあここでは、「イデアルな共産主義社会を仮想」したところでの議論であったならば、「国家」は使わないほうが誤解が無かったかもしれない。

>>791
>「…凡通的な常識となっている社会では…」…当然の予測である。

「凡通的な常識となっている」、ここにどうも物凄い神通力があるっぽいと私は判断しました(笑)
「凡通的」という意味は取れるが耳慣れない言葉を各種の辞典で調べてみたが、どの辞書にも載っていませんでした。
ググってみたところ (「…???」 「あっ!!! これは「googleで検索してみたところ」という意味です!!!」)
どうもこれは廣松渉の造語で彼の用語らしいですな。
しかしこの神通力は私には効きませんでしたので、あんたの言う「根拠」は説得力がありませんでした。あしからず。
それが人間一般にボンツー的な常識になることは不可能なので、無意味だということです。
想像するのは勝手ですが。
超越的な権威ある者にしかそのような配分は可能でありません。
795考える名無しさん:2009/03/14(土) 03:56:32 0
>>786
>が、「共産主義社会においては今日までの歴史上の諸体制国家におけるような弾圧など必要ない状態になっている」
>ことは私の独断ではなく、むしろ共産主義社会に関する普遍的な(多数派的な)理解であり、
>間主観的・客観的に存立している共産主義概念である。

多数派…ですか。
荒らしに近い某人の引用をつらつら読んでいたら、こういう手合いは日本に「50万人」はいるらしいな。
どうもある世代にこの手合いが集中していることは知っている。
ところが最近若い人の共産党入党が増えているとかで、これから洗脳して行くんだろうね。

>>792
>ただ、賃労働に基く現存社会のあまりの惨憺たる有様を座視し得ず、これへのオールターネイティブ(代替案)
>として、遠い昔にマルクスが唱えた共産主義社会が、真剣な検討に値する、と判断し、真摯に思索をなしている者にすぎない。
「オルタナティヴ(代替案)」ですか? (わざわざ(代替案)と意味を書いてくれているところ、当方はその発音が気になったもので)

当方はただ、この道は道中で必ず深刻な非人間的な被害を引き起こす、と真摯な思索によって判断し、これをオルタナティヴに
すべきでないと主張する者です。これがオルタナティヴに成り得ると信じられる時点でカルトと言わざるを得ない。
796考える名無しさん:2009/03/14(土) 03:57:44 0
>>792
>上記>>779での「疑う者は古今東西の現存社会を見よ。あれだけ反対する者がいても成り立っている。」の誤解か??
>私は主として「現代日本社会」を典型例として表象し、「現存社会」と書いた。
ああ、これは俺が誤解してた。それはその通りだね。

>>779
> 「マルクス主義は本来的にテロリスティックだ」とでも?
> 「状況に応じて最も有効な方法を選ぶ」という、政治の初歩の初歩を心得ているだけに過ぎないが。

「状況に応じて最も有効な方法を選ぶ」、
↑つまり、何をしでかすか分からないのが「マルクス主義者」ということですね。コワイよね。
目的のためなら、日本を戦争に引きずり込み敗戦革命を狙うような連中だ、ということですね。事実そうだったし。
今だって九条を文字通りに実行しろなどと言って外患を引き込もうとしているね。怖い。
いやいや、あなたの事じゃありませんよ(笑)  全般的にそういう人たちだということです。
797考える名無しさん:2009/03/14(土) 09:47:25 0
>>779
> 「マルクス主義は本来的にテロリスティックだ」とでも?

マルクスはそうだったと思いますよ。暴力的な革命によってしか彼の言うようなプロレタリアートとブルジョワの
二項対立を転覆させることは出来ないし、彼もそう考えていたと思います。
当時と今では「状況」は違ってきているにしろ、彼の言う「共産主義」を目指すべきだと考える限り、
テロリスティックな方法以外ないでしょうね。
ヨーロッパでは古い議論ですが、日本の左派もちゃんと議論しないとダメですよこれは。
798考える名無しさん:2009/03/14(土) 10:08:51 0
6 名前: 第三の波平 ◆v97jOX.oqY 投稿日: 2007/07/19(木) 12:39:10 O
唯物史観というブラグマティクな斬新な認識論が共産主義的理想論を語るととたんに陳腐になる。
しかし分析、批判においてすばらしく、対策について陳腐化するのは哲学者の宿命みたいなものですね。

↑当たってると思った。
799考える名無しさん:2009/03/14(土) 12:12:23 0
>>794
それって、消滅の過渡期にある国家ということでしょう?
国家はいきなり明日から無くせないとだけエンゲルスたちは考えていたってことじゃない?
革命後日にもう国家はありませんでしたという類いの革命は想定していなかった。
つまり、急激な革命論者じゃなかったんだよ。彼らは。
800考える名無しさん:2009/03/14(土) 12:19:38 0
ってか、国家の定義そのものが何を指すかだよね。

共産党宣言では、賃労働の廃棄(揚棄)は、総ての賃労働の廃絶を意味しているんじゃない
というようなことも言っている。彼らはブルジョワ的なそれを廃棄するんだということを強調する。
彼らのその考えからして国家論にもそれが当てはまると受け取るのが自然だとすれば、
国家と名づけられるだろうあらゆる国家形態がすべて消滅することを想定したのではなかった
とも受け取れることになる。協同社会も国家の一形態とすれば国家は消滅しない。
801考える名無しさん:2009/03/15(日) 16:29:32 0
逆説的に、マルクスの予言を成就してしまった米国。
ttp://www.youtube.com/watch?v=pjlRmIdJ1zQ&feature=related
802786:2009/03/15(日) 21:42:03 0
>>794 (その1)
>>そもそも、マルクスによれば共産主義社会においては「国家」は存在しないのだから、
>>弾圧のある共産主義国家だろうと、弾圧のない共産主義国家だろうと、「共産主義国家」など存在するはずがない。
>> やはり共産主義に対する理解がマルクスと君とでは根本的に違っている、としか考えられない。
>マルクス=エンゲルスは「共産主義革命後」の「国家」について明確に述べていますよね。
>「移行形態」であるにしろ共産主義による国家は彼らの観念に存在します。
>エンゲルスのみならずマルクスの観念にもあったと言って良いでしょう。

 私は「共産主義国家(?)」云々など一言も語っておらず、専ら「共産主義社会」を問題にした。
 それを再言すれば「『そのような社会に反対する人』が存在しても、共産主義社会は先験的にイデアルに仮想した状態であろうと、ア・ポステリオリにレアルに仮想した状態であろうと、成り立つ。」と言ったまでである。
 「『共産主義革命後』の『国家』」についても(それの取る形態が余りにも多様すぎ、とても全面的には論じ難いこともあって)極めて一般化された、標準的、人工的なあり方についてしか論じていないし、論じられるはずもない。
 なお、それを「共産主義国家」と(略して?)呼ぶのは、誤解を招きすぎる用語法であり、不適切である。

>それは国家の廃止、協同社会の実現に至るらしいですが(笑) (いやーホント笑っちゃいますよね(笑))

 その論点は真面目すぎて面白くも何ともないから誰も笑わないが?

>まあここでは、「イデアルな共産主義社会を仮想」したところでの議論であったならば、「国家」は使わないほうが誤解が無かったかもしれない。

 「レアルな共産主義社会を予測」した上での議論だったつもりだが、「『国家』は使わないほうが誤解が無かったかもしれない」のはその通りだろう。
803786:2009/03/15(日) 21:45:19 0
>>794 (その2、完結)
>「凡通的な常識となっている」・・・中略・・・「根拠」は説得力がありませんでした。あしからず。
>それが人間一般にボンツー的な常識になることは不可能なので、無意味だということです。
>想像するのは勝手ですが。
>超越的な権威ある者にしかそのような配分は可能でありません。

 私は君と意見を異にする。
 それが人間一般に凡通的な(何なら「汎通的な」の方が良かったかね?)常識になることは可能、と考える。
 「当該社会において『労働者が社会から受ける配分とは、労働者が生活するための必要に応じてなされるのが当然であり、労働者が社会に対して提供した労働に応じてなされるものなどではない』という配分に対する理解が、凡通的な常識とな」ることは可能であると。
 不可能だ、と想像するのは勝手だが。
 それこそ、超越的な権威がある宇宙人にしかそのような配分は不可能にできないだろう。
 なぜか?
 「労働に応じた配分」は、「労働が一定の尺度によって測られる」ことが前提となっている。ところが、生産物が商品でなくなっている社会では、この「尺度」が失われるからである。
804786=792:2009/03/15(日) 21:50:32 0
>>795
>>が、「共産主義社会においては今日までの歴史上の諸体制国家におけるような弾圧など必要ない状態になっている」
>>ことは私の独断ではなく、むしろ共産主義社会に関する普遍的な(多数派的な)理解であり、
>>間主観的・客観的に存立している共産主義概念である。
>多数派…ですか。
>荒らしに近い某人の引用をつらつら読んでいたら、こういう手合いは日本に「50万人」はいるらしいな。
>どうもある世代にこの手合いが集中していることは知っている。
>ところが最近若い人の共産党入党が増えているとかで、これから洗脳して行くんだろうね。

 「こういう手合い」とやらが何を指すのか知らないが、そもそもマルクスの共産主義社会では弾圧の主体である「国家」が消滅している。国家が存在しないところで弾圧が存在する、と想像するのは全く不見識である。
 生憎だが私は最近の諸国の共産党の動向についてほとんど知るところがないので、連中が誰をどう洗脳しようとしているのかは知らない。

>>ただ、賃労働に基く現存社会のあまりの惨憺たる有様を座視し得ず、これへのオールターネイティブ(代替案)
>>として、遠い昔にマルクスが唱えた共産主義社会が、真剣な検討に値する、と判断し、真摯に思索をなしている者にすぎない。
>>「オルタナティヴ(代替案)」ですか? (わざわざ(代替案)と意味を書いてくれているところ、当方はその発音が気になったもので)

 私も間違っていたが、君も間違っている。アメリカ英語では「オールターナティヴ」、イギリス英語では「アルターナティヴ」。

>当方はただ、この道は道中で必ず深刻な非人間的な被害を引き起こす、と真摯な思索によって判断し、これをオルタナティヴに
>すべきでないと主張する者です。これがオルタナティヴに成り得ると信じられる時点でカルトと言わざるを得ない。

 私は君と意見を異にする。
 共産主義社会へ至る道が道中で必ず深刻な非人間的な被害を引き起こすことはない、と真摯な思索によって判断し、これを代替案にすべきであると考える者である。これが代替案に成り得ないと信じられる時点でカルトと言わざるを得ない。
805779:2009/03/15(日) 21:54:39 0
>>796
>> 「マルクス主義は本来的にテロリスティックだ」とでも?
>> 「状況に応じて最も有効な方法を選ぶ」という、政治の初歩の初歩を心得ているだけに過ぎないが。
>「状況に応じて最も有効な方法を選ぶ」、
>↑つまり、何をしでかすか分からないのが「マルクス主義者」ということですね。コワイよね。

 政治の初歩の初歩を心得ている者が、状況に応じて選ぶもっとも有効な方法とは、「労働者の多数が怖がったり不審を抱いたりして離反していくような方法」であるはずがない。
 そのこと自体、政治の初歩の初歩である。

>目的のためなら、日本を戦争に引きずり込み敗戦革命を狙うような連中だ、ということですね。事実そうだったし。
>今だって九条を文字通りに実行しろなどと言って外患を引き込もうとしているね。怖い。

 私は遺憾ながら不勉強にして、古今の日本における自称共産主義者の動向についてほとんど知るところがない。
 だが、もしも仮に労働者の多数が「敗戦革命(?)」やら「外患」やらを望んだとしたら(古今東西そんなことは非常に考えにくいが)、マルクスなら、さてどうしたであろうか。

>いやいや、あなたの事じゃありませんよ(笑)  全般的にそういう人たちだということです。

 その、全般的なそういう人たち、なる連中が何を指すのか知らないが・・・
 真面目に共産主義を考える者なら、私だけでなく全般的に、労働者の多数が怖がったり不審を抱いたりして離反していくような方法など考慮しないだろう。
806779:2009/03/15(日) 22:04:28 0
>>797
>> 「マルクス主義は本来的にテロリスティックだ」とでも?
>マルクスはそうだったと思いますよ。暴力的な革命によってしか彼の言うようなプロレタリアートとブルジョワの
>二項対立を転覆させることは出来ないし、彼もそう考えていたと思います。
>当時と今では「状況」は違ってきているにしろ、彼の言う「共産主義」を目指すべきだと考える限り、
>テロリスティックな方法以外ないでしょうね。
>ヨーロッパでは古い議論ですが、日本の左派もちゃんと議論しないとダメですよこれは。

 マルクスの残した発言は多義的な解釈の余地があるから困るのですが、私は彼が暴力的な革命によってしか共産主義が実現できないと考えていた、とまでは思いません。
 マルクスは「あの時代のあのヨーロッパの状況に応じて」武力革命を主として構想したに過ぎない、他の時代の他の場所でなら、その都度最適な方法を模索した、と想像します。
 「水は方円の器に従う」と言います。政治もそうあるべきことは彼も心得ていたのではないでしょうか。
807考える名無しさん:2009/03/16(月) 00:43:13 0
というか、マルクスの時代は、プロレタリアートの大多数に現代的な意味での公平な選挙権すらなかった時代だから。
プロレタリアートの声を反映した政府を生み出すためには投票行動以外の手段に訴えるしかない時代。
現在、マルクスが生きていれば、プロレタリアート独裁は、少なくとも形式的には達成されていると言うだろうね。
808考える名無しさん:2009/03/16(月) 03:06:33 0
ブルジョワの財産を全部奪わないといけないんだけど
809考える名無しさん:2009/03/16(月) 06:31:31 0
>>806
>政治もそうあるべきことは彼も心得ていたのではないでしょうか。

どうもあなたは歴史に大変疎いようで、政治的方面でもマルクスにまたまた妄想を果てしなくしているようなので教えてあげるわ。
『共産党宣言』(1848)をさておいても第一インターナショナルでマルクスが求めたことを最小限挙げても
「土地私有の廃止」「遺産相続の廃止」「生産手段の共有化」は落とせないが、
全く現実的でないこれらの主張に固執して第一インターナショナルを分裂させました。

ちなみに、これらをロシア革命は忠実に実行したが数年後には経済荒廃、餓死者多数。
レーニンは1921年には早くも共産化は失敗だと気付いて資本経済導入。

>>807
普選の実現でマルクスが言うところのプロレタリアート独裁が達成されているとはこれはまたスゴイ新説だね。



810考える名無しさん:2009/03/16(月) 08:54:45 0
>>806
>>809のレスは取り消し。失礼しました。

>相続権の廃止を布告したり農民の所有の廃止を布告したりして, 農民の気を悪くするようなことを
>してはならない。

とマルクスは主張していて、相続権の廃止を強弁するようなことはしていなかった。
第一インターナショナル期のマルクスの主張は現実的にみえる。
811考える名無しさん:2009/03/16(月) 11:33:56 0
>>808
> ブルジョワの財産を全部奪わないといけないんだけど

そんなこと、どこに書いてあるの?
812考える名無しさん:2009/03/16(月) 11:42:34 0
>>809
まず、少なくとも前提として、この↓程度の認識はもっておいてくれないと。
ttp://www.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu//yougo_soren.html
813考える名無しさん:2009/03/16(月) 12:54:06 0
プロレタリアート独裁という名称でマルクスにとって具象されていたのはパリコミューンでしょ?
814考える名無しさん:2009/03/16(月) 15:40:48 0
>>809
> 普選の実現でマルクスが言うところのプロレタリアート独裁が達成されているとはこれはまたスゴイ新説だね。

だからあくまでも形式的にはと付言しておいた。
マルクスも言っていたように、法律上の形式だけで達成されたと判断してはならないことは重々承知。
民主主義下においてもなぜ一部の特権層に有利な政府が支配的地位をもち続けるのかについては、
リプセットの提示する資源動員力論、最近ではクルーグマンが米国については白人中間層を含めた
人種差別意識がそれを支えているということを言っている、などが考えられる。
815考える名無しさん:2009/03/16(月) 17:01:39 0
>>814
リプセットの提示する資源動員力論、最近ではクルーグマン

参考書plz
816考える名無しさん:2009/03/16(月) 17:15:37 0
>>814
>あくまでも形式的には
と言われても曖昧なので僕には理解できなかった。

>>813が言うように、プロレタリア独裁の具体例はマルクス自身が言ったように、パリ・コミューンである。
マルクスの「プロレタリア独裁の光景を知りたくば、パリ・コミューン をみよ。これこそプロレタリア独裁であった」
プロレタリア独裁とは、文字通り「9割のプロレタリア」が「1割のブルジョワ」を「除外」して政権を打ち立てることだと僕は考えている。

君の考えるところの「形式的」であるところのプロレタリア独裁を説明してくれないか?

現在の日本でプロレタリア独裁が形式的に実現しているかどうかについて
マルクス思想研究家でいらっしゃる>>779さんはどう思われますか?
817考える名無しさん:2009/03/17(火) 01:33:06 0
>>811 せ め て 「 共 産 党 宣 言 」 ぐ ら い は 読 め や コ ゙ ル ァ ! !

                )         )
                ∧           ∧
               / 入       / 入             ↓>>811
               /  入     /  入           ∧_∧
              ノ    入___ノ    入          (・∀・;)
            /               ヽ         (二二二)
           / 、__,                ヽ        (二二二)\
__     _     /  ) (  ○          ○   \ .__   _(_(__)\\
__\/ ̄ \ /     ⌒         | ̄ ̄|        ∨ `/_\     // _
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818考える名無しさん:2009/03/17(火) 01:46:18 O
せめてこれを読めとか言ってるマルクス信者は
マルクス以後の思想家な山のようなのマルクス批判を
読んだことないのかなあ。
819考える名無しさん:2009/03/17(火) 01:56:15 0
真っ向からのマルクス批判っていうと、
最初に思い浮かぶのがポパーの『開かれた社会とその敵』なんだが、
他に重要なマルクス批判っていうとどんなのがある?
820考える名無しさん:2009/03/17(火) 01:57:56 O
西側のドアは外開きさ。ドンと足で蹴り破る。
821考える名無しさん:2009/03/17(火) 02:27:48 O
>>819
書ききれないよ。つーか少なくとも戦後の思想家のほとんどがマルクス批判を立脚点の一つにしてる。
そういう視点で戦後の思想史を解説した啓蒙書もあるから読んでみたら。
822考える名無しさん:2009/03/17(火) 03:03:34 O
米ソ冷戦時代に非情なソ連兵の登場するハリウッド映画見ながら
共産主義を批判するならヴァカでも出来た。
823考える名無しさん:2009/03/17(火) 03:08:24 O
逆に資本主義批判はイデオロギー的行為だったな。
今ならアメリカや日本見ながら資本主義批判するならヴゥカでも
出来るし、それは正当な行為だ。
824考える名無しさん:2009/03/17(火) 03:24:41 0
イデオロギー抜きの真っ向からのマルクス経済学批判は転形問題だろ。
ポパーの批判はもっとジェネラライズされていて、マルクス主義も受け継ぐ
大陸哲学の持つ全体主義性の系譜に向けられている。真っ向とはいえない。
825考える名無しさん:2009/03/17(火) 04:25:17 O
マルクス主義が旧ソ連で失敗した後知恵でマルクスを批判するのは
容易いだろう。もちろん資本主義の立場からの批判だろ?

新自由主義?
826考える名無しさん:2009/03/17(火) 04:47:11 0
>>817
共産党宣言にはそんなことは書かれていないはずだが
827考える名無しさん:2009/03/17(火) 05:05:53 0
>>816
> プロレタリア独裁とは、文字通り「9割のプロレタリア」が「1割のブルジョワ」を「除外」して政権を打ち立てることだと僕は考えている。

資本主義社会で多数を占める9割のプロレタリア階級(サラリーマン家庭)が、普通選挙権を手にすれば、
多数決が物を言う民主主義では、法律の上で形式的には多数派であるプロレタリアの政治期待を反映した
政府ができるわけでしょ? ちがう?
そしてその政府が多数派の意志を代表して少数派の意志を結果的にしりぞける形で権力を統括する実権を
握ることになる、つまり多数派独裁が成り立つ。民主制の下であろうともこの点には実際上変わりがない。

しかしマルクスの時代には、全ての国民に均等に開かれた法形式的な選挙権すら成立していなかった。
選挙権すら持たない階級が現実的に世の中を変える手段といったら究極的には狭義の革命くらいしかなかった。

そういう時代背景からマルクスの考えを理解する必要がある。その時代とは異なる現代でもマルクスは
同じ主張をしていたかどうかは分からない。マルクス解釈においてその点は考慮しておくべき。
828考える名無しさん:2009/03/17(火) 05:27:10 0
マルクスは何も間違っちゃいない。人それぞれ捉え方が違うだけ。
史的唯物論は社会版の進化論のようなもの。

あらゆる数字を見ても、社会は日々改善されてる。
改善が価値観を変え、社会の姿を変えていく。

マルクスは思想家であり革命家でもある。
革命家としては失敗したと言える。
思想家としては揺るぎ無い勝利者だ。
社会の改善が止まったときこそが、マルクスが本当に否定される時だ。
829考える名無しさん:2009/03/17(火) 05:27:49 0
>>827
いや、逆。当時でもマルクスは、資本制の止揚なき民主主義はボナパルティズム
に帰着するだけだ、と批判してたから、当時も現代も「形式的には変わらない」
と指摘するはず。
830考える名無しさん:2009/03/17(火) 06:06:43 0
>>828
>史的唯物論は社会版の進化論のようなもの
なるほど。よくわかる。
真のネオダーウィニズムはマルクスだったのかw
831考える名無しさん:2009/03/17(火) 07:16:46 O
共産党行動派のサイトでマルクス主義における科学の意味でも
勉強しろ。
832考える名無しさん:2009/03/17(火) 20:43:29 O
>>829
今、マルクスが生きていたら何を言うかが問題なわけだね。
833考える名無しさん:2009/03/17(火) 20:48:47 0

>>828,>>830
史的唯物論は、資本主義社会の社会主義社会、その次は共産主義社会とほんとに主張しているの?
834考える名無しさん:2009/03/17(火) 20:50:32 0
資本主義社会の「次は」社会主義社会、その次は共産主義社会
835考える名無しさん:2009/03/17(火) 21:01:01 O
反共の英雄ランボーもミャンマーくらいしか出張先がない時代さ。
836考える名無しさん:2009/03/17(火) 21:23:22 O
マルクス主義における決定論的な進歩思想は"Survive of Fuckiest"で
なくて弁証法だからな。
837考える名無しさん:2009/03/17(火) 21:43:13 0
即自が資本主義社会、対自が社会主義社会、即且つ対自が共産主義社会てか?
838考える名無しさん:2009/03/17(火) 22:29:21 O
米ソ冷戦

ソ連崩壊

アメリカ崩壊

進歩とは何だろう?
839考える名無しさん:2009/03/17(火) 22:38:19 O
進歩は積み重ねであり、過去から学ぶことなくして未来は
有り得ない。科学もまた進歩すべきものであるなら、必ず
過去を学ぶことから出発する。
840考える名無しさん:2009/03/17(火) 22:54:20 0
未来はかってにやってくる、過去から学ばなくても。
841考える名無しさん:2009/03/17(火) 23:14:04 O
そんな考えだから弁証法も逆方向に働くんだよな(ゲラゲラ
842考える名無しさん:2009/03/17(火) 23:21:20 0
弁証法が逆に働くメカニズム、教えて。
843考える名無しさん:2009/03/18(水) 00:08:55 O
テーゼとアンチテーゼが馴れ合いして停滞して共倒れ。
844考える名無しさん:2009/03/18(水) 00:13:29 O
今の状況はアウフヘーベンかも知らないがな。
845考える名無しさん:2009/03/18(水) 00:25:36 0
なるほど、なるほど、面白い!これは大変参考になった。

ただ、未来問題については、予測不能原理というのがあるらしいから、弁証法の進行即時間経過、は疑問。
846考える名無しさん:2009/03/18(水) 01:15:57 O
過去なくして未来は成立しないんだぞ。
現在だけを足掛かりにするから停滞する。
847考える名無しさん:2009/03/18(水) 01:18:58 0
なぜこのコンテクストで突然「だぞ」なのだ?w
848考える名無しさん:2009/03/18(水) 01:23:24 O
マルクスにとって弁証法は根本原理ではあるが俗流唯物論の
決定論とは違うんですょ?
849考える名無しさん:2009/03/18(水) 02:07:12 0
>>834
それはレーニンの史観だね。マルクス、エンゲルスなら社会主義のところに
未熟な段階の共産主義が来るけど、それは今風にいえば社民主義かな?
あるいは北欧みたいな・・・
850考える名無しさん:2009/03/18(水) 02:08:18 0
>>829
ロシア革命に対しても同様の批判を向けた可能性もあるよ。
851考える名無しさん:2009/03/18(水) 02:14:16 0
グラムシにいわせるとロシア革命は『資本論』に反する革命だし。
マルクス主義史観に乗っ取れば、ロシア革命は、せいぜいのところブルジョア産業革命。
あのレーニンですら、ソ連が社会主義に到達するにはまだ何世代にもわたる困難な過程が
必要であると言っていたくらいだから。ソ連建国は社会主義より何世代も前の段階に当たる。
852考える名無しさん:2009/03/18(水) 03:05:57 0
どうだろう。
パリ・コミューンなぞを全面擁護したことから考えて、ロシア革命も共産主義社会へと至る過程とみなして賛同しちゃうかもね。


協同組合associationですべての生産を行うなどという夢物語を真剣に語ってしまう晩年のマルクス君。
853考える名無しさん:2009/03/18(水) 05:28:04 O
過去なしに現在から未来ばかり見てる奴らは、どうせ背後から
脱落する不安に追い掛けられてるんだろう。

近代主義的な淘汰の原理さ。
854考える名無しさん:2009/03/18(水) 07:55:10 O
>>852
そういう社会だとキャディラック乗り回して自家用ジェットって
夢はなかなか難しいだろうね。
855考える名無しさん:2009/03/18(水) 09:54:29 0
>>851
「現代の中国」的ですね。
856考える名無しさん:2009/03/18(水) 10:20:48 0
>>854
そのような社会はそもそも不可能なので彼とその追随者の脳内の夢物語でしかない。
かつ不可能な状態を実現しようとするいかなる試みも結局はテロリズムに陥り、人間社会に深刻な被害を齎す。
857考える名無しさん:2009/03/18(水) 10:44:51 0
>>852
少なくとも、100年程前に、ブルジョア市民革命をそれなりに成し遂げたその時代のフランスと、
ツァーリズムともいわれる絶対王政的な封建社会にあった当時のロシアとを同列にしちゃうような、
君のもっているマルクス解釈のほうがはちゃめちゃでどうかしているとしか言いようがない気がするw
君はレーニン主義者と呼ぶほうがふさわしい。
858考える名無しさん:2009/03/18(水) 11:02:54 0
それに、パリコミューンが、女性の参政権を(世界で?)最初に公認したという点から見ても、
現代の普通選挙を先駆けている。
そのパリコミューンの政体を、マルクスが称賛(?)していたとすればその点は見落とせない。
その意味でも、プロレタリアート独裁が、もしくは、その政権がその直後にとるべき政治体制が、
現代的な意味での普通選挙を基盤に置くものであることは疑いようがない。
859考える名無しさん:2009/03/18(水) 11:28:58 0
>>827
>多数決が物を言う民主主義では、法律の上で形式的には多数派であるプロレタリアの政治期待を反映した
>政府ができるわけでしょ? ちがう?

民主主義のドグマを信じればそうだけど、僕はそんなドクマを信じていない。(いったい誰が信じてるの?(笑))

マルクスも信じていなかった。
(普通選挙について)
>ばかな! この民主主義の戯言, 政治的空念仏! 選挙は, どんな小さなロシア
>の共同体コミューンでおこなわれようと, 協同組合アルテリでおこなわれようと, やはり政治形態である。

(プロレタリア独裁とは)
>「プロレタリアートを支配階級に高めること」とは「個別的に経済的特権階級と闘う代わりに, 彼らに対する
>闘争で一般的な強制手段を用いるだけの力と組織をかちとったということ」

彼が言うのは普選の実現などでは全くない。
自分としては、「9割のプロレタリアと1割のブルジョワ」のごときマルクスの階級二分法自体が
誤りだと考えているけどね。

で、君は
>>807
>現在、マルクスが生きていれば、プロレタリアート独裁は、少なくとも形式的には達成されていると言うだろうね。

と言ったのだが、マルクスは現状をみてプロテスタント独裁が形式的にも達成されたとは
「決して言わない」と思われる。だから僕は>>829に同意。
また彼の言うプロレタリア独裁を目指す限り、現在の日本においてもパリ・コミューンのようなテロリズムになるだろう。
860854:2009/03/18(水) 11:39:56 O
>>856
惰性に任せるしかしない貴様みたいな奴にはマルクスに説教
なんてする資格はないよ(笑
861考える名無しさん:2009/03/18(水) 12:12:27 0
>>858
君にはパリ・コミューンとプロレタリア独裁について勉強しなおすことをお薦めしたい。

パリ・コミューンはそれまでの支配者層を権力から「除外」し、市街を「武力」によって占拠することに
よって成り立っていたの。今でいう普選とは全く異なっていますよ。犠牲者も3万人におよぶ大テロリズム。
そして政府軍によって鎮圧され結局72日間天下で終わった。

>その意味でも、プロレタリアート独裁が、もしくは、その政権がその直後にとるべき政治体制が、
>現代的な意味での普通選挙を基盤に置くものであることは疑いようがない。

マルクスが言うプロレタリア独裁については>>859を参照のこと。
自分が参考にしたのはこの文献。
http://okamoto.rikkyo.ac.jp/eco/research/pdf/papar/61_4_5.pdf

ところで、マルクスは文筆上パリ・コミューンを支持していたが、実際にはどうか分からない、むしろ
その後の彼の行動からしてパリ・コミューンには批判的だったのではないかと自分は考えている。

>(女性参政権など)そのパリコミューンの政体を、マルクスが称賛(?)していたとすればその点は見落とせない

自分はマルクスが女性参政権について賞賛していたかどうかまで残念ながら知らない。
君の議論を有利にするために、マルクスがパリ・コミューンの女性参政権についても賞賛していたかどうか
信頼できる文献を挙げていただきたい。

>>860
そんな非論理的で下劣な人格攻撃でしか反論できないの?
君は脳が可哀想な奴だね。
862考える名無しさん:2009/03/18(水) 12:22:14 0
>>804
>私も間違っていたが、君も間違っている。アメリカ英語では「オールターナティヴ」、イギリス英語では「アルターナティヴ」。

君はググることは知らなくても英和辞典を引くことはできるみたいだね。
しかし、英音をカタカナ音に移す際の「ゆらぎ」(根本的には不可能)を考慮すれば、むしろ「オルタナティヴ」と写すことは、
「オールターナティヴ」「アルターナティヴ」と移すより英音に近い。たぶん「オルタナティヴ」が最も近いんじゃないかな
しかし、「オールターネイティブ」と移すのは明らかに間違い。

しかし君の負けず嫌い加減はとても気に入ったよ。



863考える名無しさん:2009/03/18(水) 12:48:14 O
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず 唯春の夢のごとし たけき者も遂にはほろびぬ 偏に風の前の塵に同じ
864考える名無しさん:2009/03/18(水) 13:43:14 0
>>859
> 民主主義のドグマを信じればそうだけど、僕はそんなドクマを信じていない。(いったい誰が信じてるの?(笑))

民主主義一般についてそれをドグマだとして信じるつもりはないと君は宣言しているふうにに読めるけど、
あらゆる民主制度にはその必然としてボナパルティズムに導くドグマが存在するというのならば、
なぜ、パリコミューンに関する下のような君の批判的見解を導くことができるの? そこに矛盾を感じる。

また、マルクスやエンゲルスらが、プロレタリアート独裁をあくまで過渡的で一時的なものと見なしていたことも
決して見逃してはいけない点でしょう。
たしかにレーニンは、民主主義にも批判的だった。けれどもそれは民主主義もまた強制の一種であり、
自由とはまだ対立する妥協的産物であると考えていたようで、10分の1の民主主義から10分の9の民主主義
を目指すと考えていたことからして、民主主義化のプロセスそのものに否定的であったとは思えない。

> で、君は
> >>807
> >現在、マルクスが生きていれば、プロレタリアート独裁は、少なくとも形式的には達成されていると言うだろうね。
> と言ったのだが、マルクスは現状をみてプロテスタント独裁が形式的にも達成されたとは
> 「決して言わない」と思われる。

そう解釈するのは君の勝手だけど、少なくともマルクス主義者が皆そう考えているわけではない。
何度も言うように、果たしてそうだろうか、というのがこちらの見解。世間に流布されたマルクス像への疑い。
865考える名無しさん:2009/03/18(水) 13:47:05 0
>>859
> だから僕は>>829に同意。

ボナパルティズムについてマルクスが痛烈に風刺的だったことは、こちらの見解となんら矛盾することではないよ。
むしろロシア革命を共産革命だとマルクス自身は認めないだろうことの根拠にさえなるように思える。

ボナパルティズムを反動的と見なしたマルクスの時事認識によれば、その支持母体は分割地農民たちであり、
産業的プロレタリアートではなかった。マルクスにしてみれば封建的段階への先祖返りのように見えたのでしょう。

日本のマルクス主義者もこの分析モデルを日本に適用し、戦前戦中の天皇制国粋主義を論じていたわけで。
マルクスの用語でアジア的段階を脱していない当時のソ連や東欧諸国だってそう認識できないことはない。
当時のドイツだって。

マルクスにとっては、当時で言えば、イギリスのような国がその条件に最も適合する社会と見なしていたようで、
この点は知られているところのはず。マルクスは他にも革命のための条件をいくつか設定していたはずなので、
その客観的な実証は、それらの条件を満たす社会での実践によって行われなければ意味がない。

狭義の科学的実験でも、条件が違えば結果が異なるのは当たり前の話であって。
866考える名無しさん:2009/03/18(水) 14:31:01 0
>>829
> 資本制の止揚なき民主主義はボナパルティズムに帰着するだけだ、と批判してたから、

その言葉は引用? とすれば文献上ではどこにある言葉?
867考える名無しさん:2009/03/18(水) 14:51:21 0
>>864
>民主主義一般についてそれをドグマだとして信じるつもりはないと君は宣言しているふうにに読めるけど、
>あらゆる民主制度にはその必然としてボナパルティズムに導くドグマが存在するというのならば、
>なぜ、パリコミューンに関する下のような君の批判的見解を導くことができるの? そこに矛盾を感じる。

これは全く酷い誤読だね。

民主主義のドグマとは、
>>827
>多数決が物を言う民主主義では、法律の上で形式的には多数派であるプロレタリアの政治期待を反映した
>政府ができる

に代表されるもので、それを僕は全く信じていないと言ったのね。
マルクスの階級ニ分法自体に問題があるし、「9割のプロレタリア」が統一して出す「政治期待」
など端から存在していないのよ。だからそのような政府も出来るわけないじゃない。当たり前。

一方、「9割のプロレタリア」を前提としたマルクスも全然民主主義のドグマを信じていなかったわけ。
だから彼の言うところの「プロレタリア独裁」が民主主義によって可能になるとはマルクスは勿論言ってないし、
むしろ当時から普通選挙を求める社会主義者を痛烈に批判したのが事実なわけ。

民主政治が衆愚政治に陥るのは普通だし、僭主に牛耳られたり、下手すると暴君の出現すら招くのは
何も僕が主張しなくてもギリシア時代以来知られていることですね。
民主主義についての僕の意見は、チャーチルが言ったのと同じ。
(ここで民主主義として前提しているのは共通了解として普通選挙による間接民主制ね)

チャーチル曰く「実際のところ、民主制は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた、
他のあらゆる政治形態を除けば、だが」「民主主義に勝る政体を人類はまだ発見していない」

868考える名無しさん:2009/03/18(水) 14:52:20 0
(867の続き)
>>864

>あらゆる民主制度にはその必然としてボナパルティズムに導くドグマが存在するというのならば、

で、前提何? 誰が言ったの?
それが「必然」だとは自分は一言も言ってない。マルクスも「必然」とまでは言ってないでしょ。
だからこの前提を持ち出すのは全く筋違い。

パリ・コミューンについての僕の見解と民主主義についての僕の見解に矛盾は存在していない。
勝手に都合よく誤読して解釈しないでくれよ。

で、チャーチルと違って、それ以上の政治形態を発明した! と脳内で有頂天になってるのがマルクスなわけ(笑)
869考える名無しさん:2009/03/18(水) 15:06:37 0
>>864
>>マルクスは現状をみてプロテスタント独裁が形式的にも達成されたとは
>> 「決して言わない」と思われる。

>そう解釈するのは君の勝手だけど、少なくともマルクス主義者が皆そう考えているわけではない。

>現在、マルクスが生きていれば、プロレタリアート独裁は、少なくとも形式的には達成されていると言うだろうね。

これもまた、そう解釈するのは君の勝手だけど、少なくともマルクス主義者が皆そう考えているわけではない。
たぶん、そう考えるのはマルクス主義者の中でも少数派だと思うけど。
俺も、自分なりのマルクス読解からはそのように解釈していない。

君は
>何度も言うように、果たしてそうだろうか、というのがこちらの見解。世間に流布されたマルクス像への疑い。

と言うが、

>その意味でも、プロレタリアート独裁が、もしくは、その政権がその直後にとるべき政治体制が、
>現代的な意味での普通選挙を基盤に置くものであることは疑いようがない。

という主張は、疑ったほうが良いかと思う。民主主義政体自体も相対化したほうがよいし、
そもそも「過程理論」であるにしろ「プロレタリアート独裁」などという一種のドグマ自体を疑ったほうが良い。
870考える名無しさん:2009/03/18(水) 15:29:18 0
>>859
> (プロレタリア独裁とは)
> >「プロレタリアートを支配階級に高めること」とは「個別的に経済的特権階級と闘う代わりに, 彼らに対する
> >闘争で一般的な強制手段を用いるだけの力と組織をかちとったということ」
> 彼が言うのは普選の実現などでは全くない。

それは『共産党宣言』からの引用文だよね?
「プロレタリアートを支配階級に高めること」で引用を中断してしまっているのはなぜ?

その一節は、共産党宣言では、
「労働者革命の初めの第一歩は、プロレタリアートを支配階級へと昇進させること、
すなわち民主主義を勝ち取ることであると、我々はすでに上述した」
と一文節で表現されているはずですよ。
871考える名無しさん:2009/03/18(水) 15:29:43 0
>>864
君自身も立論からして「民主主義のドグマ」を信じない立場なんでしょ?
しかし、君は「プロレタリアート独裁」などというドグマ、イデオロギー的言説を所与のものとして受け取っている、
かつ、そのドグマが取るべき政体は「普通選挙に基盤を置くものであることは疑いようがない」と言って、
疑いすら差し挟まない。
これは非常に怖いことだね。さすが「マルクス主義者」、カルト全開。本当に怖い。
872考える名無しさん:2009/03/18(水) 15:32:37 0
>>867
ちょっと待ってよw

それについては、>>814でも答えておいたはずだけど。

忘れてしまったの? 困るよ
873考える名無しさん:2009/03/18(水) 15:37:41 0
>>870 自己レス。誤字改め。

> その一節は、共産党宣言では、
> 「労働者革命の初めの第一歩は、プロレタリアートを支配階級へと昇進させること、
> すなわち民主主義を勝ち取ることであると、我々はすでに上述した」
> と一文節で表現されているはずですよ。

訂正: と一文で表現されているはずですよ。
874考える名無しさん:2009/03/18(水) 15:45:23 0
>>872
もちろん、覚えていますが。
しかし、君は、僕が「民主主義はボナパルティズムを<必然的に>導く」と言ったかように誤読し、
それを前提をおいて議論を進めようとしたので、遡って反駁する必要を感じたわけ。
875考える名無しさん:2009/03/18(水) 16:28:16 0
>>868
ということなら、マルクスもしくはエンゲルスが、民主主義一般、民主主義それ自体を、
少なくともプロレタリアート独裁段階の革命の第一歩において否定したということでは
ないわけだよね。

しかも共産党宣言のなかでは、労働者革命の第一歩は、プロレタリアートを支配的階層
へと昇格されること、それは民主主義を勝ち取ることである、と書いているわけし。

要するに、マルクスが批判したのは民主主義それ自体に帰されるドグマの必然性はない。
あくまでもボナパルティズムに対してであって、このケースでは、封建社会的な地主農民
の利権と王権とが結びついて市民革命を反動へと後退させてしまったものを批判している。

当時のフランスもブルジョワ革命が中途半端に後退を繰り返し、プロレタリアートが政治的
な主権を握っていない発展途上の段階にあったと見なしていたのかもしれませんが。
876考える名無しさん:2009/03/18(水) 16:49:01 0
>>873
>「プロレタリアートを支配階級に高めること」とは「個別的に経済的特権階級と闘う代わりに, 彼らに対する
>闘争で一般的な強制手段を用いるだけの力と組織をかちとったということ」

これは『共産党宣言』からの引用ではない
『バクーニン・ノート』(マルクス著の 『バクーニン著”国家制と無政府”摘要』)からの引用です。

では君が引用してくれた『共産党宣言』にある、
> すなわち民主主義を勝ち取ることであると、我々はすでに上述した」
の次の一文を引用してみよう。

「プロレタリアートは、ブルジョアジーからしだいにいっさいの資本をうばいとり、いっさいの生産用具を、国家、
すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中し、生産力の量をできるかぎり急速に増大させる
ために、その政治的支配を利用するであろう。」

つまり、マルクスがいう「民主主義」、つまり「労働者革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級にたかめること、民主主義をたたかいとることである。」
と言ったところの民主主義とは、「プロレタリアートがブルジョアからしだいに一切の資本をうばいとり」「いっさいの
生産用具を、国家、すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中」させることのできる「民主主義」
のことであって、どう考えても「普選による間接民主主義」と意味するものではない。
つまり、パリ・コミューン同然の、ブルジョワを権力から「除外」して打ちたてたところのプロレタリアートのみによって行われた
選挙でしかあり得ないかと思う。


877考える名無しさん:2009/03/18(水) 16:58:51 0
あと、この頃、レーニンのやった「社会主義」を「国家資本主義」として
マルクスのいう「共産主義」とは異なるとマルクスを擁護する一派がいるが、
彼らは、後期のマルクスから(『共産党宣言』とは変化してきたところの)「協同組合的共産主義」を持ち出して、
ソビエトはマルクスの言う「共産主義」とは異なっていた、と言っているのであって、
レーニンがやろうとしたことは、だいたい『共産党宣言』に書かれた「プロレタリア独裁」であったと言って良い。

後期になって多少意見を変えたからと言って、「マルクスはそんなこと言ってない」などとどうして君たちは言えるのか。
欺瞞だね。








878考える名無しさん:2009/03/18(水) 17:23:51 0
第一、なんでそこまでしてマルクスの共産主義を擁護したいのか全くもって不明。
カルトであるか、「ソ連の実験は失敗した」などの言説に対し、自分たちの立場を理論的に擁護したいだけでしょ。
879考える名無しさん:2009/03/18(水) 17:40:59 0
>>876
> これは『共産党宣言』からの引用ではない
> 『バクーニン・ノート』(マルクス著の 『バクーニン著”国家制と無政府”摘要』)からの引用です。

あれ? おかしいなあ。
もしかしてそれって、↓の文献をソースにしているんだっけ?
>>861
> 自分が参考にしたのはこの文献。
> http://okamoto.rikkyo.ac.jp/eco/research/pdf/papar/61_4_5.pdf

引用されている箇所に限ると『共産党宣言』からのもののはずだよ。あるいはそこからの孫引きか。
880考える名無しさん:2009/03/18(水) 17:50:06 0
>>879
豈に図らんや…
君は日本語で親切に書いてくれた文献も満足に読めないのかね。

>それはつまり, プロレタリアートが, 個別的に経済的特権階級と闘う代わりに, 彼らに対す
>る闘争で一般的な強制手段を用いるだけの力と組織をかちとったということである。

『共産党宣言』ではこのような言い回しはしていない。
上記文献の10/58、および著者が12/58で再度引用している。これは『バクーニン・ノート』からの引用。
881考える名無しさん:2009/03/18(水) 17:52:19 0
君たちは議論にならないようにわざとバカのフリをしているのかね。
882考える名無しさん:2009/03/18(水) 17:54:34 0
そういや、「ラファルグ君」はどうしたのか?
出て来ないということは密かに間違いを認めたのか。
そしてもしかすると>>879のようにバカのフリをしてまた出て来ているのだろうか。
883考える名無しさん:2009/03/18(水) 18:32:32 0
>>876
> つまり、マルクスがいう「民主主義」、つまり「労働者革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級にたかめること、
> 民主主義をたたかいとることである。」

それっていったい誰の訳なんだろ?
「我々がすでに上述したとおり、労働者革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級へと昇格させること、
それは民主主義を勝ち取ることである」のほうが直訳に近いと思うけどね。

まあそこは置いておくとしても、
労働者革命のあくまでもファーストステップであるとされたプロレタリアート独裁が、
プロレタリアートが支配的階級に昇進すること=民主主義を勝ち取ること
であることはその文から分かるよね。だから少なくとも民主主義と矛盾しない形でマルクスが
それを求めているという、こちらの解釈ともそこは矛盾していない。
884考える名無しさん:2009/03/18(水) 18:41:14 0
>>876
ってかさあ、それは普通選挙による間接民主主義にだって実現できないことはない話だよね。
>>827にも書いたとおり、普通選挙による間接民主主義が多数決による政治支配を実現したものだとすれば、
プロレタリアートが社会の多数派を形成するに至ることができた産業的な社会水準に達した国であれば、
その投票行動次第で、プロレタリアートたちが意図する支配政権(政権与党)を打ち立て、その実権の下で
そうした政策を実行することはできない話じゃない。
ブルジョア市民革命以降とはいえ、ボナパルティズムに阻まれて、プロレタリアートが多数派を形成するに
至れなかった当時のフランス、ツァーリズムの支配下にあった農民国ロシアなどは無理だったとしてもね。

かつてブルジョアジーが貴族階級から政治の実権を奪取して支配的な階級の地位に昇級したように、
多数派を形成したプロレタリアが、かつてブルジョア革命を、今度はブルジョワジーを相手に再現し、
市民革命をさらに前へと進めるのは、普通選挙による間接民主主義を介して原理的に実現できなくはない。

何度も言うけど、プロレタリアートが多数派を形成して大衆化していれば、その多数派の力でもってして、
普通選挙による間接民主主義を介し、支配階級的な地位へ昇格することは政治的には非常に自然なこと。
現在の日本だって、サラリーマン票がどう動くかによって選挙の結果を大きく左右することになるとすれば、
少なくとも法的な形の上では、プロレタリアートが支配階級に達するための支配権は手にしていることになる。

もちろん、これは革命のほんの一歩に過ぎないのであって、少しずつ、徐々に、しだいに、プロレタリアートが
生産手段と資本をわが物としていく、より高次の段階へ向けての政治的前提条件だね。
共産党宣言にもあるとおり、それは、少しずつ、徐々に、しだいに、ゆっくりと実現されていく過程なので、
突然の暴力革命によって一夜にして成し遂げられるような労働者革命をエンゲルスらは想定していなかった。
885考える名無しさん:2009/03/18(水) 18:54:33 O
成熟した資本主義ってのは最高度の労働者搾取が行われる
社会であって、資本主義が素晴らしい社会をもたらすこと
ではないだろ。
886考える名無しさん:2009/03/18(水) 18:58:23 O
資本主義は金持ちのためにあるのであって貧乏人のために
あるわけじゃない。
887考える名無しさん:2009/03/18(水) 19:00:42 O
或いは富裕国のためにあるのであって貧困国のために
あるんじゃない。
888考える名無しさん:2009/03/18(水) 19:05:30 0
>>880
いやあ、こっちがツッコミを入れたのは、「プロレタリアートを支配階級に高めること」とあるところ。
その一節については、その論文の著者である小松氏も、その著書の98頁のところで、
共産党宣言、共産主義の諸原理からの引用であることを示しておられるね。

ちなみに、共産党宣言はエンゲルスとマルクスの共同著名、共産主義の諸原理はエンゲルスの著。
前者は後者の考えをほぼ踏襲して書かれているようだから、共産党宣言はマルクスよりもエンゲルス
の考えを反映しているというマルクス論者も多いからあれだけど。

あなたはどうやら小松氏のその文献に全面的に依拠されているようで、それで分かった。
その論文をみると、小松氏自身が『共産党宣言』からの引用文と、『バクーニンノート』からの引用文とを
それぞれ個別に切り取って、文脈上つなぎ合わせる形で引用してしまっているので、話がややこしい。
889考える名無しさん:2009/03/18(水) 19:09:36 O
帝国主義の干渉に対する一時的なプロレタリア独裁というのは
良くある話だ。孤立した小国なら常時、大国から圧迫を受け
ざるを得ない。
890考える名無しさん:2009/03/18(水) 19:15:31 O
国家間階級闘争ってのがあってさ、小国家が一国社会主義やっても
プロレタリア独裁が長期化して疲弊して自滅するだけでさ。
891考える名無しさん:2009/03/18(水) 19:15:35 0
>>884
>ってかさあ、それは普通選挙による間接民主主義にだって実現できないことはない話だよね。

「それ」、で意味されているのは「コレ」ね↓
>「プロレタリアートは、ブルジョアジーからしだいにいっさいの資本をうばいとり、いっさいの生産用具を、国家、
>すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中し、生産力の量をできるかぎり急速に増大させる
>ために、その政治的支配を利用するであろう。」

コレが間接民主制で「論理的には無理でない」という、それがまさに「民主主義のドグマ」なんだって前々から言ってる訳よ。
でも君は間接民主制でコレを実現できると思ってるわけか。
それに、今どき日本共産党でも本気でこんなことやろうとしているかどうか疑問。本当はコレしたいのかな?
コレは、いわゆる社会民主主義で言うような、格差の是正とか社会主義や福祉国家などとは次元が違うよ。
まさにコレは徐々にであったにしろ共産主義への過程としての「プロレタリアート独裁」なんだけどね。
さて、「コレ」が成熟した資本主義社会で過半数を取るとでもいうのか。
共産党員だか、新左翼だか知らないが頑張ってくれ。









892考える名無しさん:2009/03/18(水) 19:19:05 O
昔はソ連があったから、まだ良かったんだがな。
893考える名無しさん:2009/03/18(水) 19:22:07 O
マルクスはまだ一国社会主義で考えるんだよな。
レーニンの帝国主義論が国家間階級闘争に相当する。
トロツキーの世界同時革命論はレーニンから導引
されるもんだな。
894考える名無しさん:2009/03/18(水) 19:44:03 0
>>888
>「プロレタリアートを支配階級に高めること」

バクーニンが『共産党宣言』から引用しつつ『国家制と無政府』でマルクスに論駁を加えているのに対し、
マルクスが『バクーニン・ノート』でバクーニンを引用しつつ論駁を加えるという形でプロレタリアート独裁に
ついて新たに講釈※しているのを、論文の著者が引用し、再度重要箇所として再引用している訳やね。

引用するのはネットから拾ってくるのが早いんで、その代わり文献として挙げた訳よ。

※「個別的に経済的特権階級と闘う代わりに, 彼らに対する闘争で一般的な強制手段を用いるだけの力と組織をかちとったということ」
895考える名無しさん:2009/03/18(水) 19:46:26 0
プロレタリアート独裁というは、産業プロレタリアート(サラリーマン家庭)が社会の大多数になった
産業水準にある社会での、普通選挙による民主制の結果を少なくとも形式的には指しているんだよ。

普通選挙それ自体がそれだけで労働者革命の完成形なんて考えていたわけではもちろんないし、
革命への約束の道をになってくれるものだという楽観的見方をマルクスはしていなかったものの、

しかしそれがもつ多数決の論理によって、大衆化したプロレタリアートや小ブルジョワの政治的武器
となって、ブルジョアの支配をぐらつかせる政治的条件になるだろうことは、フランスでの1848年6月の、
つまり第二共和政の憲法草案に言及して語っている。

そしてその脅威こそが再び王党派ブルジョワによるところの普通選挙の廃止に向かわせたのだと。
ブルジョワが革命の武器としていた普通選挙権を支配階級となったブルジョワが再び否定したのだと。
896考える名無しさん:2009/03/18(水) 19:55:52 O
マルクスの理論は革命運動の現場でリアルタイムに考えてるから
解釈論やったら終わりはないし、マルクスの著作に帝国主義論は
実際ないだろ。
897考える名無しさん:2009/03/18(水) 20:05:40 0
>>895
まあ、そう考える「マルクス主義者」もいるってことで受け取っておくわ。

可能性があるというだけで、形式的には達成されている、というのは俺は全然違うと思うけど。
かつ現実にはそのような「強制手段を用いるだけの力と組織」がすぐに堕落するよね。
898考える名無しさん:2009/03/18(水) 20:12:12 0
マルクス・レーニン主義って言うだろ。

インターナショナル-日本語 (Internationale - Japanese)
http://www.youtube.com/watch?v=mRkRiOYFs4A

起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ
暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの

聞け我等が雄たけび 天地轟きて
屍(かばね)越ゆる我が旗 行く手を守る
圧制の壁破りて 固き我が腕(かいな)
今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
899考える名無しさん:2009/03/18(水) 20:19:31 0
ヨーロッパは国の境なんてあってなきが如しだから、黙っていても
インターナショナルになるんだが、19世紀のヨーロッパは帝国の
集合体だった。

国家間階級闘争の視点が生じたのは、ヨーロッパの辺境である
ロシアにマルクス主義が広まったせいだな。
900考える名無しさん:2009/03/18(水) 20:30:11 0
>>896
バクーニンの証言によれば、マルクスはさんざんドイツからのユダヤ民族の解放について考えたのに、
マルクスはドイツ愛国の立場からバクーニンが主張するスラヴ民族のドイツからの解放については
全然認めなかったとか。ほんと人間として嫌な奴だよね。
901考える名無しさん:2009/03/18(水) 20:34:45 0
マルクスのユダヤ人論ってそんな単純だったっけ?
902考える名無しさん:2009/03/18(水) 20:41:31 0
階級闘争思想てルサンチマン、所詮ニーチェの弱者の「倫理」。
903考える名無しさん:2009/03/18(水) 20:52:43 O
ニーチェ自身のことだろ。ルサンチマンなんて。アカデミズムから
追い出されてワーグナーにも幻滅して。
904考える名無しさん:2009/03/18(水) 20:53:44 O
ありゃヒステリーではあっても哲学なんかじゃないぞ。
905考える名無しさん:2009/03/18(水) 21:03:35 O
『この人を見よ』凄いぞ。誰も評価してくれないの、ずっと
我慢してたのがはじけちゃって一人でオナヌー祭りやってて、書店で
立ち読みして腰引けちゃった。何がルサンチマンだ、ヴゥカじゃ
あるまいし。
906考える名無しさん:2009/03/18(水) 21:05:59 O
耳川の戦い 大友宗麟
907考える名無しさん:2009/03/18(水) 21:07:35 O
ここでニーチェを言うなら阿片としてのキリスト教を奴隷道徳
呼ばわりした話だろ。勘違いも甚だしい。
908考える名無しさん:2009/03/18(水) 21:17:08 0
>>900
大事なことは、共産思想、社会主義思想には、マルクスやエンゲルスを含めて
さまざまなバリエーションがあったこと、マルクス及びエンゲルス主義の内部でさえ、
さらにロシア革命のなかにさえ、さまざまな論争や対立意見があったこと、
そういう多様性を踏まえることだね。
国家権力を暫定的に擁護したマルクスと、国家権力そのものに端から全面的に否定的
だったバクーニンとのあいだの論争からも学ぶべきものはあるだろうし。
909考える名無しさん:2009/03/18(水) 21:26:25 0
>>907 でも、階級憎悪、階級倫理。ブルジョアジー悪、敗者のプロレタリアートこそ善。
階級闘争に「倫理」を持ち込む。階級闘争の思想て絵に描いたようなルサンチマンとちゃうかな。
910考える名無しさん:2009/03/18(水) 21:26:50 0
>>897
> まあ、そう考える「マルクス主義者」もいるってことで受け取っておくわ。

てか、知らないの? 日本共産党だって基本的にはこれ同様の見解だったんだよ。
それをここであえて代弁して言っているだけ。そういうマルクス理解もあるんだよとね。

> 可能性があるというだけで、形式的には達成されている、というのは俺は全然違うと思うけど。
> かつ現実にはそのような「強制手段を用いるだけの力と組織」がすぐに堕落するよね。

国家権力というのは民主制の下であろうともそれじたい強制手段を用いるというのが
バクーニンの見解。だから国家権力そのものを一瞬たりとも認めないアナキストである
バクーニンと、それを革命に向けての第一歩として暫定的に活用していくことを考えていた、
つまり国家権力の即刻廃止を非現実的と考えていたマルクスとの間で論争になっていた。
911907:2009/03/18(水) 21:37:01 0
>>909
説教は右の頬を差し出されたら左の頬も差し出してからにしなさい(笑
912考える名無しさん:2009/03/18(水) 21:37:41 0
誤解されてるけど、ニーチェの批判はブルジョワ社会批判なんだよ。
もっとちゃんと支配できる支配階級が支配しろっていうわけ。
経済的成功者ごときを強者と言ったわけじゃないんだよね。
913考える名無しさん:2009/03/18(水) 21:38:25 0
天国に入れるのは善なる無産者のみ。
914考える名無しさん:2009/03/18(水) 21:40:27 0
たしかに超人の面もあるらしい、よく知らんけど。
915考える名無しさん:2009/03/18(水) 21:44:41 0
>>913
金持ちが神の国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しい。
916考える名無しさん:2009/03/18(水) 22:24:56 0
>>898
これ国家にしようぜ〜
917考える名無しさん:2009/03/18(水) 22:26:52 0
>>911 これはどちらかといえば階級内団結。
>>909の意味はあくまで比喩。しかし階級闘争呼びかけ・階級憎悪称揚・階級出身の本分化といい、大いなる倫理が持ち込まれていることは確かだと思うけど。
918考える名無しさん:2009/03/18(水) 22:27:34 0
違った、国歌・・・。

第二国歌で良いからさ。
919911:2009/03/18(水) 22:34:46 0
>>917
あんなしおれたナスビみたいな国歌歌いながら国を守れるか馬鹿やろう。
920考える名無しさん:2009/03/18(水) 22:35:51 0
ただし「革命の倫理」を一概に否定するわけではないけど。
921911:2009/03/18(水) 22:47:24 0
マルクス主義の第一戒律は「汝、自らのために偶像を刻むことなかれ」な?
922考える名無しさん:2009/03/18(水) 23:39:53 O
支配階級が被支配階級に対して分断統治をしたがるのは、
国家内でも国家間でも一緒だからよ。
923考える名無しさん:2009/03/19(木) 00:48:08 O
国家間階級において支配的地位にある国家のナショナリズムは、
その国の被支配階級に対する目隠し。

アメリカのプアホワイトが代表例ね。
924考える名無しさん:2009/03/19(木) 02:13:31 O
マルクス主義はダーウィニズム後の近代世界に対して見えざる
神の手の放ちたるアンチ・テーゼだ。
925考える名無しさん:2009/03/19(木) 05:32:34 O
マルクス主義の対峙するのはキリスト教でも自由主義でもない。
ダーウィニズムの適者生存という疑似道徳だ。
926考える名無しさん:2009/03/19(木) 06:42:27 O
そもそも適者生存という概念はスペンサーがダーウィンとは別個に提唱して
いた概念だ。

ダーウィンの自然選択における「適者」というのは生得的な適応性であって、
スペンサーがおそらく考えていたように努力して適応したからと言って
種の遺伝形質のマクロ的な変化には何ら影響はないのである。
927考える名無しさん:2009/03/19(木) 06:54:17 O
これらは全く生物学の話なわけだが、しかし自然選択説に対する誤解から
ダーウィニズムというものは「頑張れば進化する」理論だと云うような
何の科学的根拠もない完全な俗説が派生してしまった。

スペンサーはダーウィニズムを理解していなかった。だからスペンサーは
生前、議論の過程でダーウィニズム擁護派から脱落してしまった。
928考える名無しさん:2009/03/19(木) 07:12:45 O
そしてこのスペンサーの主張したかった「頑張れば進化する」が人々には
魅力な夢になった。そのために適者生存の原理で頑張って、不適応者を
どんどん脱落させるのが人類のためという歪んだ道徳が成立してしまった。

この疑似道徳はニーチェの著作にも確実に影を落としている。
929考える名無しさん:2009/03/19(木) 08:41:16 0
>>910
>それをここであえて代弁して言っているだけ。そういうマルクス理解もあるんだよとね。

よく言うわ。
そういうあんたが言ったのはコレ

>その意味でも、プロレタリアート独裁が、もしくは、その政権がその直後にとるべき政治体制が、
>現代的な意味での普通選挙を基盤に置くものであることは疑いようがない。

「あえて代弁して言っただけ」じゃなくて、コレを「何の疑いも無く信じきっている」が本心なんじゃないか。
カルトだね。
だから共産党員だか新左翼だか知らないが頑張ってくれ、と言ったの。

930考える名無しさん:2009/03/19(木) 08:51:52 O
やや、不真面目な言い方をするなら自称勝ち組な劣性遺伝子のヴァカどもが
ズルして勝つと、人類は逆に退化してしまうわけだ。実際、人類社会は
サルの惑星になってしまった。

経済学でも同じことが言える。と、言うか新自由経済学は実は似非ダーウィ
ニズムの一環であって、今の状況は自然な成り行きと理解出来る。
931考える名無しさん:2009/03/19(木) 10:02:54 0
マルクスはダーウィンを尊敬していて、資本論にダーウィンへの献辞を
載せようとしたが、本人に「そんな難しい話はわからないから」と
断られたという話を読んだことがあるな。
932考える名無しさん:2009/03/19(木) 10:33:59 0
ダーウィンの学説については、マルクスもエンゲルスも、特にエンゲルスは、
19世紀の最も偉大な自然科学的学説の一つとして高く評価しているけれども、
その学説に対するマルクスの受け入れ方はけっきょくオパーリンと同じものだね。
というか、時系列的には、オパーリンがマルクスの考えを受け継いだんだけど。

つまり、生物の進化には大きく三つの段階があり、無機物的段階、生物学的段階、
社会史的段階というもので、その段階に応じてそれぞれの法則性に従うと考える。
ただしこれは史的には段階だけど、層というふうに考えたほうが、より厳密かもね。

用不用説は、進化というより退化を語る際に現代でも度々耳にする傾向があるけど、
退化という表現を使う場合にはむしろ個体発生レベルでのそれっぽいね。
親知らずとか?

マルクスと同時代を生きたスペンサーは、なぜか、社会主義思想、共産思想、
あるいはマルクス主義者にとって評判があまりよろしくないね。ブルジョワジーから
最も人気の高いブルジョワ・イデオローグみたいなレッテルを貼られたりしている。

というのは、詳しくはないんだけど、おそらくこの人の学説は、「努力による適者生存」
という発想が中心じゃないと思うんです。それよりもっと生物学的な立場に近いのでは?
生まれながらの性質の差異、社会的には家系が、生存におけるそもそもの優劣を決め、
それが生まれながらの階級的身分を決定付け、これは動かせないものだというような。
社会についても確固とした有機体説で、一つの独立した生命体のごとく人間の意志とは
無関係に勝手に社会は進化していっているんだというような。
厳密に言えばもしかするとこれはスペンサー学説の曲解かもしれないけど、少なくとも
こんなふうに当時の人々に受け止められていたのではないでしょうか?
933考える名無しさん:2009/03/19(木) 10:34:59 0
ところで、ロックやルソーの思想を受け継ぐ社会主義者、例えばオウエンはもちろん、
おそらくマルクスも含め、人間が社会的に決定(?)付けられる、社会的な産物だというとき、
その場合も自己責任という意味での「個人の努力」を指していたというわけでもないはずで、
教育主義者のオウエンあたりはそのへん微妙だとしても、マルクスあたりになってくると、
人の運命は個人の努力だけで自由にできるわけではなく、社会的な束縛によって大部分
運命づけられちゃっているから、いずれもが独立した変数になれるわけではなく、
両者は互いに依拠しながら弁証法的に変わっていくもんだという考え方になるのかな。
934考える名無しさん:2009/03/19(木) 11:04:13 O
ダーウィニズムにおける「適者生存」の「適者」は個体の生得的適応力の
ことだ。適応への意識的努力とは関係がない。それだけは抑えとけ。

また、マルクス主義が資本主義と根本的に違う点はマルクスの理論には
疑似ダーウィニズム的な優勝劣敗の観点がないことだ。これも重要な点だ。
935考える名無しさん:2009/03/19(木) 11:26:48 0
適応への意識的努力と関係なしに、生まれつきの適応力(遺伝と
親の地位や経済力に左右される素質・気質・「努力できるかどうか」など)
によって決まる「適者生存」なら、なおさら資本主義と
親和性があるだろうに。
936考える名無しさん:2009/03/19(木) 11:35:38 O
ずるすんな。
937考える名無しさん:2009/03/19(木) 12:05:50 0
>>931
そのこと、ここにも書いてあるね。
ttp://joumon-juku.com/books/2004_2.html

どうもダーウィンはそのときまだ『資本論』に目を通していなかったようで。

その書評に、
ウオレスという人物はマルクスの説を嫌っていたので、
自然選択説が資本主義に悪用されることはなかった、
ということが書かれてあるけど、その論の繋げ方がいまいち分かり難い。

ところで、この回答は正しいの?
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1116187036
ニーチェとマルクスを間違えているっぽい。
938考える名無しさん:2009/03/19(木) 12:22:34 O
自然選択説は共産主義より資本主義に親和性があるだなんて話は、どうせ
競争原理のことしかアタマにないで言ってるんだろうが、生物学的学説を
特定経済学説の正当化に用いる時点で間違ってるだろう。

ついでに言えば本当に自然選択説を支持するなら相続財産を完全に廃止しろ。
939考える名無しさん:2009/03/19(木) 13:09:53 O

ダーウィン
〈生物学的にのみ適者生存説適用〉
『進化論はいかなる経済学的な解釈論も含めたつもりはない。』

マルクス
〈適者生存説支持〉
『人間が生きていく上で必要な生産物の生産ノウハウをもっているのは労働者だ。労働者こそ生き残るべき最適者だ。』

裕福なひとたち
〈適者生存説支持〉
『現在、我々こそ社会階層の上部にいるのだ。我々こそはこの世界の支配者であり、生き残るべき最適者だ。』
940考える名無しさん:2009/03/19(木) 13:19:25 0
マルクスも共産主義も社会進化論の一種で、スペンサーと同様、ダーウィニズムの社会への間違った適用
の一つですよね。マルクス理論が似非ダーウィニズムだということは、ダーウィンも分かって迷惑がって
いたんじゃないかな。
共産主義者は、自分があたかも共産主義者でない人よりも未来に立って進歩的であるかのように
勘違いしているしね。
941940:2009/03/19(木) 13:20:29 0
訂正
×マルクスも共産主義も
○マルクスの共産主義も
942考える名無しさん:2009/03/19(木) 13:25:27 0
>>939
その『』内はどこからの引用。引用する場合にはなるべくソース場所を示して。
943考える名無しさん:2009/03/19(木) 13:42:17 0
『種の起源』が出版されたのは1859年。

『共産党宣言』が出版されたのは1848年。

『ドイツイデオロギー』が執筆されたのは1845年から1846年。

『経済学批判』が出版されたのは1859年で『種の起源』と同年。

『経済学批判』ではすでに唯物史観が定式化されていたこと、
その執筆を始めたのが1857年であったことから考えると、
時系列的にはどうかな?
944考える名無しさん:2009/03/19(木) 14:11:38 0
>>939
そんなマルクスの引用なんかねーよ。第一ノウハウもってるの資本家だし。

そうじゃなくて社会が豊かになると、財や権利を「所有」すること自体がそれ自体として
資本として財産を生み出すものではなくなる。つまり所有の「私的」な性格が「社会的」なものとなる。
そうすると、自然に少数の「所有者」ではなく社会の多数を占めている無産者が主人公になる、という意味の
「社会進歩」がマルクスの「進歩」だよ。
マルクスがダーウィンを引き合いに出してるのは戦後の技術論でも取り上げられた『資本論』の注の箇所、「生産手段が
社会進歩の度合いを指示する」ていう箇所だけだと思うが。
945考える名無しさん:2009/03/19(木) 14:17:03 0
ダーウィンは『種の起源』の初版では進化(evolution)という言葉を使っておらず、
第4版になってやっと出てくるらしいけど、3版と4版との間で何があったんだろ?

それからWikipediaだかに書いてあったけど、ダーウィンは「獲得形質」を否定して
いなかったという話。どういうこと? 詳しい人おしぇーて。
946938:2009/03/19(木) 14:21:11 0
>>937
ダーウィンの理論がウォレスの論文の剽窃だというのは確定した話ではないな。

ちなみにウォレスは社会主義者だったとよ。
947:2009/03/19(木) 14:21:39 O
中越典子さま
948938:2009/03/19(木) 14:26:00 0
シッシッ
949考える名無しさん:2009/03/19(木) 14:34:47 O
資本主義はもともと進化論なんて無関係にあったんだし、それをスペンサーの
ような疑似ダーウィニストが後追い的にダーウィニズムを利用して科学的に
裏付けしようとしただけだ。失敗したわけだが。
950考える名無しさん:2009/03/19(木) 15:01:22 O
しかし島津も恥ずかしいな。何様?神様って
951考える名無しさん:2009/03/19(木) 15:03:09 O
越前ガニが悪い
952考える名無しさん:2009/03/19(木) 15:03:22 0
そもそも進化論は「種」の変化をめぐる話だろ。
個体間の比較では、優勝劣敗(強い個体が生き残る)は誰でも
知っている事実だ。
資本主義の優勝劣敗は個人や企業の競争で強者が勝ち残る、という
ことで、どっちかというと個体間の話なんだから、進化論とは
関係ないんじゃないの。むしろ資本主義においては自然の場合と
違って「獲得形質が遺伝する」ことの方が問題だろ。
953考える名無しさん:2009/03/19(木) 15:07:40 O
ごめん馬鹿だった
954考える名無しさん:2009/03/19(木) 15:50:20 O
ダーウィンは論争中に自然選択説で説明不可能な問題に出くわした時は、
「現時点では不明」というような態度は取らずラマルキズム(獲得形質の
遺伝)を援用したらしい。

そもそもラマルキズムはダーウィン以前から異端的な学説としてあったの
であり、「進化論」と云う概念はダーウィンの自然選択説より、本来はこの
ラマルキズムにこそ相応しいものだった。
最初からダーウィンはラマルキズムを援用するつもりはなかったんじゃない
かと思う。だから、初期の版には「進化論」と云う言葉がなかったのだと
思う。

ダーウィン死後、まもなくダーウィニズムから確証性の曖昧なラマルキズムを
排除すべきという提言がなされた。スペンサーが「パージ」されたのは
この時。

※P.J.ボウラー『チャールズ・ダーウィン 生涯・学説・その影響』参照
955考える名無しさん:2009/03/19(木) 21:57:30 0
>>942
>>944
正常な人であれば誰も>>939の『』を引用だとは思わない。
正常でないからこれを引用だと決め付けて突っかかるのだと思う。
皮肉もユーモアも分からない人たち=カルト共産主義者
956考える名無しさん:2009/03/19(木) 22:18:48 0
『』は勝手な脳内妄想ってことで乙

自分の解釈をいかにもそれらのソース元の人物が述べているかのように書いて、
勝手に批判した気になるというのが、ダーウィンにしろマルクスにしろ多すぎる。
957処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2009/03/19(木) 23:21:46 O
じゃ、進化論で資本主義を正当化して暴虐の限りを尽くしてきた
豚野郎どもは皆殺しでオッケーだな♪
958処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2009/03/19(木) 23:29:31 O
新自由主義の奴らのことだが。
959考える名無しさん:2009/03/19(木) 23:49:10 0
>>954
エヴォリューションという概念の生みの親はダーウィンではなく
もしかしてラマルク? ラマルクのほうが先に用いたの?

ところでスペンサーもしくは社会生物学者というのは、獲得形質の遺伝論者
っていうふうに理解していいのかな?

それとも>>932>>935が書いているように、
後天的な獲得形質だと思われているもの、例えば財産やそれに基づく社会階級
といったもの、つまり家系は、実は獲得形質ではなく、生得的な個体の性質が能力
に反映した結果であって、社会という有機体(生態系)への遺伝的な適応度の優劣
を表しているんだと、そう解釈したほうが合っているのかな?


960考える名無しさん:2009/03/20(金) 00:16:36 0
例えばこういう解釈は可能?

スペンサーは、社会有機体説の立場から、社会を自然物のように見なした。
それゆえに、自然選択説をそのまま社会に流用して社会選択説を唱えた。

A:
「社会」という名称は使っているものの、スペンサーにとっては社会は自然その
ものであり、自然環境の一部、あるいは生態系のようなものに過ぎないので、
個々の人間主体がその環境の中で占める地位は、その環境にどれだけ適応的
であるかどうかということによって決定付けられる。
社会選択説は自然選択説の自然概念中に単に人間社会までを含めたに過ぎない。

B:
個々の人間の後天的な能力(獲得形質)とされているものも実は先天的、遺伝的
なものであり、自然の一部である社会環境のなかで選択された適応度の優劣を
表現している。社会階級の発生もまたその考え方にもとづいて説明されるだろう。

ってなふうに。

AとBは一体である必要はないので、どっちか片方だけでも構わないのですが。
961考える名無しさん:2009/03/20(金) 00:26:20 0
スペンサーはどうだったか知らないけど、最近の社会生物学者というのはもちろん獲得形質の遺伝
という概念は捨てていると思うんだけど、ただし、後天的に獲得する能力と遺伝との間には相関性が
あるんだという方向から迂回してきて、獲得形質の遺伝という発想の中にあった似非ダーウィニズムを
遠回しのやり方で復活させているところがある。

これもダーウィンの完全な誤用だと断言しちゃってもいいのかな?
そう断言してもダーウィニストから反論を受けない? どうなの?
962処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2009/03/20(金) 00:52:16 0
>後天的に獲得する能力と遺伝との間には相関性がある

単なる詭弁だろ。生物学を政治や経済の正当化に援用するなよ。

マルクスの科学は弁証法科学とでも呼ぶべきもんで、単にダーウィニズムが
もたらす近代的世界観に飛びついただけで、弱肉強食の思想に結びつくような
影響は受けてなかった。

マルクスの思想はヨーロッパのヒューマニズムの思想的伝統から切り離して
理論だけ他所に移植したりすると、例えばポルポト派みたいなことやっちまうだけで。
963考える名無しさん:2009/03/20(金) 02:09:14 0
マルクス自身は、ダーウィンの説がそのまんま適用できるのは人類史の黎明期までで、
それ以降は自分の経済発展段階仮説が適用できるはずだと、ダーウィンの説と自分の説
とをいちおう切り離して考えていたようで。その点はオパーリンの考えとも一致している。

社会や経済が段階的に発展していくといったふうな社会発展史観は、べつにマルクスとか
スペンサーとかに限られたものでも、彼らが考え付いたものではなく、当時においては全然
珍しくもない、ありきたりの説であったと思いますけどね。現在でもこの考えは主流では?
構造主義及びポスト構造主義がこの史観に正面から対向したことがあるくらいですか。
964考える名無しさん:2009/03/20(金) 02:20:32 O
政治思想にダーウィニズムをちゃんと適用したのはナチだよな。
指示を受けて電車に乗って立派な遺伝子の持ち主のところに交配しに
出掛けるような世界。人間の品種改良。
965考える名無しさん:2009/03/20(金) 02:38:47 0
>>962
> 単なる詭弁だろ。生物学を政治や経済の正当化に援用するなよ。

【心理】IQが高い人ほど長生きする -英医療研究委員会
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1237290039/
966考える名無しさん:2009/03/20(金) 02:42:13 0
エンゲルスやマルクスなら、人類が遺伝子操作をするようになる社会の発展段階を
どのように解釈することだろう? ダーウィンの進化学説からの人類の解放というのか?
967考える名無しさん:2009/03/20(金) 02:45:59 0
【生物】ダーウィン生誕200年、米国では「進化論」浸透せず
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1234608073/
968考える名無しさん:2009/03/20(金) 03:03:37 O
>>965
緑茶や味噌汁にガン予防効果があるってようなのと同じような話さ。
世間は俗説だらけだ。
969考える名無しさん:2009/03/20(金) 03:08:41 O
緑茶や味噌汁にガン予防効果があったら和食を大事にするだろ?
アタマの悪い奴が早死にするのが科学的に正しいなら、エリートは
戦場に出なくとも良心の呵責に悩まされることなく戦争体制を支持
出来る。
970考える名無しさん:2009/03/20(金) 08:49:20 0
928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/19(木)

>マルクスの「予言」通りになっているアメリカについて(動画)
> http://www.youtube.com/watch?v=R7TXHcdEswY&feature=related


アメリカはマルクスゾンビどころか、最近、企業の役員報酬に「100%の税をかけろ」
なんて議論まで飛び出して「文化大革命」が始まりつつあるなw

こいつら、かつて、禁酒法をつくったり、原爆つくって実際落としたりするような基地外だから
何やらかすかわからんぞ。
971考える名無しさん:2009/03/20(金) 08:51:04 O
俺は白い鯨を追いかけるのに忙しいのだ。
972考える名無しさん:2009/03/20(金) 09:18:47 0
エンゲルスもマルクスも間違ってはいない
彼らは最初から独裁・階級差別・テロ・虐殺を究極の目的とする学問体系を素直に研究しただけだ
それに心を寄せたレーニン、スターリン、毛沢東、金日成、ポルポト、チャウシェスクらがそのまま実践した結果が
ソ連・東欧の自滅であり、中国と北朝鮮の独裁体制である
もともと社会主義・共産主義は、国民支配と大量虐殺を正当化するために生まれた”狂人の狂気”が正体で、
その結果がこれだ

社会主義のせいで出た虐殺犠牲者数

ソ連共産党 2000万人
中国共産党 6500万人(チベット侵略により更新中)
朝鮮労働党  200万人(日常的粛清・強制収容所で更新中)
ベトナム共産党 100万人
ポルポト 200万人

※「共産主義黒書」(恵雅堂出版)より
973考える名無しさん:2009/03/20(金) 09:23:06 0
今時、必要なのは誰が見ても『資本主義黒書』さ。
そもそもマルクスは『資本論』を半ば、そのつもりで
執筆したわけだが。
974考える名無しさん:2009/03/20(金) 12:59:57 0
ダーウィンの言うevolutionには変転という意味しかない。
発展とか進化とかと受け止めたた時点でダーウィンを誤解している。
ダーウィン自身、誤解が広まっているのを迷惑がっていた。
マルクスも進化論を誤解した自然科学音痴の一人。
975考える名無しさん:2009/03/20(金) 18:32:34 O
お前は>>963を読めない文盲。
976考える名無しさん:2009/03/20(金) 21:35:30 O
マルクスの時代にボーダーの存在は知られていたの?
977考える名無しさん:2009/03/20(金) 23:13:44 0
そんなことは良いから、ラ・マルセイエーズ聞こうぜ。フランス国歌のさ〜
http://www.youtube.com/watch?v=NsYFFsoFgHI

1番
いざ進め 祖国の子らよ
栄光の日は やって来た
我らに対し 暴君の
血塗られた軍旗は 掲げられた
血塗られた軍旗は 掲げられた
聞こえるか 戦場で
蠢いているのを 獰猛な兵士どもが
奴らはやってくる 汝らの元に
喉を掻ききるため 汝らの女子供の
コーラス
武器を取れ 市民らよ
組織せよ 汝らの軍隊を
いざ進もう! いざ進もう!
汚れた血が
我らの田畑を満たすまで
978考える名無しさん:2009/03/21(土) 00:38:38 0
>>975
「マルクス自身は、ダーウィンの説がそのまんま適用できるのは人類史の黎明期までで、
それ以降は自分の経済発展段階仮説が適用できるはずだと、ダーウィンの説と自分の説
とをいちおう切り離して考えていたようで」・・・

こんな説初めて聞いたが。文盲なんで・・・誰の珍説なの?それともまた何かテキストの
改竄とかが訂正されたとか?
979考える名無しさん:2009/03/21(土) 00:45:33 O
資本論と自然選択説は余り関係ないのは一目瞭然だろ。
980考える名無しさん:2009/03/21(土) 00:52:57 O
まぁ、ダーウィニズムは資本主義の経済エリートの自己正当化にゃ
何かと便利な理論ではあるわな。
981考える名無しさん:2009/03/21(土) 00:53:32 0
>>972
マルクス主義の教条主義に反する実践行動をとった人たちをマルクスの正統な後継者・信奉者
のように仕立て上げて、そこからマルクスを頭っから全否定するというのは学問的にどうかと思うよ。
それはマルクス主義者に対する偏った人名列記の仕方だし、彼らの実践はいずれもマルクスらの
もっていた社会経済発展史観をむしろ教条的に継承して「いない」ところにその共通項があるくらい。

彼らはマルクス主義の正統継承者というよりは、あえてこの表現を使えばむしろカルトだった。

話をロシア社会民主労働党にかぎっても、ボリシェヴィキとメンシェヴィキの対立は有名だったし、
欧州の社会主義労働運動のなかではメンシェヴィキほうが人気があったともいわれている。
(メンシェヴィキはロシア革命をブルジョア革命と位置付けていたようだからソ連は資本主義国になる!)

レーニンがカウツキーやヒルファーディングといったマルクス主義者を執拗に敵視していたのは有名だし、
レーニン死後のソ連でもスターリンとトロツキーとの対立があった。一国社会主義と世界同時革命。
マルクスとエンゲルスが『ドイツイデオロギー』において、グローバルな、インターナショナルな革命しか
共産革命と認めていなかったことを思うと、どちらかと言われれば、トロツキーのほうがマルクスの
教条主義的な信奉者と呼ぶにむしろ相応しかったと思える。

ボリシェヴィキ派的路線とはべつに、マルクス主義には第二インターナショナルのカウツキーの流れを
くむ社会民主主義としての系譜があることも見逃せない。社会民主党を名乗る政党ばかりでなく、
日本を含めた西側諸国で今日でも共産党を名乗っている政党もこの系統の一種と言ってよいと思う。
982考える名無しさん:2009/03/21(土) 01:04:02 O
ダーウィンはハクスリーやスペンサーのような社会進化論の
信望者と協力体制を組みながら自説を開陳したから自然選択説が
誤解されやすいのは仕方ない。ダーウィンには生命論的な考察
から、生命現象そのものに不可知論を認めざるを得ない点には
考えが及んでいないから、ラマルク的なイデオロギーでそれを
補わざるを得なかったと言える。ダーウィン死後に彼の説から
ラマルキズムを不用意に排除したから、以後は生命機械論が
蔓延してしまった。
983考える名無しさん:2009/03/21(土) 01:18:41 0
>>974
でも↓を見ると、gradual, peaceful, progressive change or development
というような意味はあるんだなあ。
http://dictionary.reference.com/browse/evolution?jss=0

それとも、19世紀の英語のevolutionにはその意味がなかった
と言いたいの?
984考える名無しさん:2009/03/21(土) 01:32:13 O
ダーウィンのお爺さんのエラズマスが進化論の研究者だったの。
自然発生的な概念だろ。社会進化論は近代科学の技術的な発達
から起きてるだろうな。
985考える名無しさん:2009/03/21(土) 02:04:52 0
ピーター・シンガーの『現実的な左翼に進化する』あたりはどんなん?
986考える名無しさん:2009/03/21(土) 02:14:50 0
ネグリ『未来派左翼』プッ!
987考える名無しさん:2009/03/21(土) 02:25:55 0
生物学的なものであるか否かはともかく、社会進化論は差し当たりヨーロッパでは
キリスト教の終末論に取って換わるものだ。終末論はキリスト教世界における時間の
終わりのことだ。

時間意識の円環性、つまり始まるも終わりもない世界というのは、近代主義的な
偏見に凝り固まった頭をほぐして考えれば、人類文明にとって、それほど奇異な
ものではない。
ニーチェの永劫回帰も、ダーウィニズムが終末論を追い払った後の代用品のような
ものだ。

始まりのあるものは、終わりがある。進歩思想は終わりのない始まりの世界だ。
そこでは時間は常に人々を盲目的に未来に追い立てようとする。
988考える名無しさん:2009/03/21(土) 08:54:57 O
人間の進歩とは、それぞれの人間が一度きりの人生において
それぞれ一から始め達成すべきことであり、社会はそのために
好ましい環境を提供出来るだけだ。両親が立派なら子供も自動
的に立派に、或いはそれ以上に優れた人物に成長するとは限ら
ない。当たり前のことだ。

しかし進歩主義に侵された人々は過去の人物をただ過去の人物で
あるという、ただそれだけの理由で自らより劣った存在であると
見なしがちになってしまう。
989考える名無しさん:2009/03/21(土) 10:28:39 0
>>963
> 構造主義及びポスト構造主義がこの史観に正面から対向したことがあるくらいですか。

吉本隆明とかは、たしか、構造主義をマルクス主義の最高形態みたいに言っていたはず。
990考える名無しさん:2009/03/21(土) 11:26:40 0
>>981
>インターナショナルな革命しか共産革命と認めていなかった〜
それが、果たして可能かどうか。>>972の挙げた人名は、そのインターナショナルな
革命が不可能だから、とりあえず、一国でやろうとした人々だと思う。できもしない
ことを言ってたマルクスと、形を変えてやろうとした独裁者たち、どっちもどっちだ、
て気がするけど。「マルクスはそんなこと言ってない。」という、できもしないことを
主張し続ける学問的姿勢こそ、他の経済学や社会科学から、マルクスが馬鹿にされる要因だと
思うけど。
991考える名無しさん:2009/03/21(土) 11:33:14 O
他の経済学って新自由主義とか新自由主義とか新自由主義のこと?
992考える名無しさん:2009/03/21(土) 12:43:03 0
>>991
?????
993考える名無しさん:2009/03/21(土) 12:47:45 O
資本主義の犠牲者なんて奴隷貿易から勘定したら気が遠くなりそうだな。
994考える名無しさん:2009/03/21(土) 12:52:33 O
日本の中国侵略だって防共の旗印でやってるからには犠牲は
資本主義が生んだようなもんさ。
995考える名無しさん:2009/03/21(土) 13:29:21 0
>>990
だからそのロシア革命は、社会主義でも共産主義でもなく、せいぜいブルジョア革命に
過ぎなかったというのが、当初からメンシェヴィキの肩をもった人たちの認識。

マルクスやエンゲルスは、共産主義の前には資本主義の段階があると考えていたし、
共産社会も資本家的生産様式の発達過程を根拠に、プロレタリアートの大衆化とか、
いま流行りの言葉でいえば生産様式のグローバル化とか、生産諸力の飛躍的な増大・
効率化というのを史的条件に共産社会の可能性が開かれるのだと論じていたわけで。

当時で言えば、イギリスのような段階にあるところでまず未熟な段階の共産革命が実現
されうるということを論じたの。だからグラムシだってロシア革命を資本論に反すると喝破
したのだしね。
マルクスを少なくとも学問的なレベルで批判するつもりなら、まずマルクスがどういう条件
のもとにみずからの結論を導いたり、予測を打ち立てているのかを、考えないと意味がない。
どんな実験でも条件が違えば結果が違ってくるのは当たり前なのだから。それらを一緒くたに
見なすような検証の仕方は学問的でもなんでもない。イデオロギー的裁断に過ぎないよ。
996考える名無しさん:2009/03/21(土) 13:45:15 O
ブルジョア革命のボナパルティズムについてだが、例えばダーウィンと
同時期に名乗りを上げたルナンの人種主義的な国際分業体制は、市民革命に
連なるものとは異質なものに思える。ナポレオンには人種主義は基本的に
なかったのではないかな?
997考える名無しさん:2009/03/21(土) 15:17:17 0
>>995
>生産諸力の飛躍的な増大・効率化というのを史的条件に共産社会の可能性が開かれるのだと論じていた
飛躍的生産力を持つ、生産手段を、武力もしくは、選挙で、労働者の管理下におくわけだよね。
武力だと、国家警察や、軍隊に太刀打ちできるかね?選挙の場合、おそらく共産党が躍進することが
前提だと思うが、一旦、生産手段を国有化したのはいいが、次の選挙で、自由主義経済を掲げる
政党に政権をとられると、再民営化というものになりかねない。
仮に、共産革命が成功しても、共産主義者同盟が発行する、貨幣(紙幣)があるわけだよね。
その貨幣(紙幣)が、資本に転化しないの?金や銀などの貴金属が、貨幣として流通してしまう
可能性もあり、G→W→G’やG→G’といった資本の運動が、ひそかに起こるかもしれない。
学問的に考えると、共産主義は実現不可能だと思うが。
998考える名無しさん:2009/03/21(土) 16:58:00 0
生産性向上の極限
http://niray.blog9.fc2.com/blog-category-8.html

今はノックダウン式のトーナメントを各国の企業が戦っているようなもんだ。

999考える名無しさん:2009/03/21(土) 22:39:22 0
>>938
ただ、ダーウィン自身が『種の起源』のなかで、
「生存闘争」という表現を比喩的、便宜的に用いるとした上で、
その論拠としてマルサスの学説を引き合いに出して自身の説を論拠付けている
箇所があるんだよなあ。マルサスの人口論を動植物の世界に適用したものだとして。

生物はほっとけばどんどん繁殖して子孫を増やすけど、自然環境が生物に与える恵み
(厚生経済学でいうところのパイ?)は限られているから、そこで生活のための「闘争」が生じると。

選択、生活のための闘争ないし競争、そしてマルサスの人口論。
ダーウィンに経済学のアナロジーを読み解くのは、ダーウィン自身も自伝に書いているとおり、
あながち間違ってもいないように思えるんだけどもね。
あるいはまたフーコーじゃないけど、
19世紀的エピステーメとして学際的に共有されていたものがそこにはあったのだろうか?
1000考える名無しさん:2009/03/22(日) 00:46:55 0
エンゲルスは『フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終わり』でダーウィンに言及しているね。

18世紀の自然科学を出来上がった事物に関する科学、
19世紀の自然科学を事物の起源と発展、発生と成長の科学というふうに大雑把に捉えた上で、
19世紀の三大発見の一つとしてダーウィンの学説について触れていて、
ここでエンゲルスはたしかに、
自然的産物に対して史観の概念を採り入れた新たな認識論であるということを論じているね。

さらに、自然科学上のこれらの偉大な発見によって自然哲学の役目は終わったと論じつつ、
同じく人間社会の歴史に関しても、ヘーゲルらの歴史哲学に代わって、一般的ないし支配的な
運動法則のようなものの発見に達することが課せられた仕事である、というふうに書いている。

しかし、社会のdevelopment史と自然のそれとは本質的・原則的に異なる点が一つあるんだと
エンゲルスは言う。単純化していえば、社会の歴史においては、その主体が意識的に関与し、
一定の目標に向かって努力すること、言い換えると、合目的性がある点が自然と違うんだと。

とはいうものの、それはミクロの問題で、マクロ的な歴史の一般法則のようなものを否定する
ことにはならないと。ミクロな目的意識は、マクロでは意図せざる結果に結びついてしまうし、
同じに見えても別種のものだと。ざっと要約するとこんなふうなことをエンゲルスは書いている。
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