搾取されて気にくわなきゃ、やっつければいいだけ。
931 :
考える名無しさん:2007/06/29(金) 02:12:40 O
てか実際は搾取されてるんじゃなくて依存してるんだよねw
憎むより敬うべきだ。
カオスすぐる
>>930 背後からドツキ倒して、眼窩に指突っ込んで目の玉抉り出すとか、爽快だよ。
935 :
考える名無しさん:2007/06/29(金) 23:42:34 O
167 名前:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 投稿日:2007/06/29(金) 18:38:47
日本は社会主義から真の資本主義へと脱皮しつつあるのです。
168 名前:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 投稿日:2007/06/29(金) 19:44:36
企業主義は社会主義の一種です。企業が協同組合になっちゃっているのです。
外資系ファンドが日本の社会主義体制を壊しにやってきていますが、抵抗してますね。
169 名前:金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 投稿日:2007/06/30(土) 08:41:23
果たして
社会主義=悪
資本主義=善
なのか?
戦後まもなくの経済同友会のテーゼが「経営の民主化」だったんだよな。
持ち株会社(財閥)解体機構とか言うのが作られて。
938 :
実存主義者:2007/07/02(月) 03:24:26 0
>>922以下の馬鹿へ
で、人間が生まれながら不平等だといってそれが何なんだ?
きみが優れた人間だという論証がどこにあるのであろうか。
きみ自身、正当に差別されるべき下等人間に過ぎない可能性も
あるではないか?
まして
ソエジマとやらの低劣な言い分を自分の主張として引用していることに
おいてをや。
こういうのを括弧付きの「現実主義」という。
本当の「現実主義」とは別のものとして。
939 :
考える名無しさん:2007/07/02(月) 07:05:59 O
物理とか科学とかを人間社会に当てはめたのが、おかしいのか。物理にしても科学にしても、未完成な欠陥品なわけだし。
人間が平等なのではない。権利が平等なのだ。
いつまでも遅れた思想にかじりつきやがって。
本当のマルクス主義者なら少しは進歩しやがれ。
おまえらみたいな頑迷な保守反動分子をみるといらいらいらししてくる。
941 :
考える名無しさん:2007/07/02(月) 22:55:17 0
「本当の」マルクス「主義者」w
「本当の」をとりあう→内ゲバ開始
943 :
考える名無しさん:2007/07/12(木) 15:00:33 0
マルカス
まんかす
945 :
考える名無しさん:2007/07/13(金) 14:32:37 0
>マルクスはなにを間違えたのか
マルクスの間違いを探るまえに己の間違いに気付け、、
全ての話しはそれからだ。
社会や歴史に法則性があると仮定したこと。
947 :
考える名無しさん:2007/07/14(土) 03:30:24 0
理論というより、信仰の対象かね。いまとなっては。
そだね。
>>945,947 みたいな信者が湧いてるし
>>945 「マルクスはなにを間違えたのか」とだけ聞いて
「自分の間違いに気付け」ということは、つまり
「マルクスはなにも間違ってなどいない」という意味にしか取れないが、
それでよいのか。
>>946がマルクスを読んでいないことだけは確かなようだ。
952 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/14(土) 14:53:07 0
マルクスの最大の間違いは、人間を類的存在とおいたことにあるのではないかいな。
いまだにマルクスが有用なのは、資本主義分析の的確さだろう。
でも、原点を類的存在におき、資本主義との差異の解消として、
共産主義を夢見るわけだから、夢想にならざる追えない。
人間を見る目では、臨床に基づいたフロイトにはかなわなかった
ということだね。
953 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/14(土) 15:09:02 0
ドゥルーズはフロイト批判のものに、マルクスを読み直したが、
フロイトのもとにマルクスを読み直すって、誰かやったかな。
アルチュセール?
自然科学の方法的スキームを無媒介に人文・社会分野に当てはめたのが失敗のもとかな。
進化論から取り込むところが多かったんだが、その後の進化論(生物学)の発展はマルキシズムの
世界観とはかなり違った展開になった。まぁ生物学に限らず、19c的科学→20c以降の科学への変遷にはついていけなかったみたいだな。
955 :
考える名無しさん:2007/07/14(土) 22:48:41 0
>マルクスはなにを間違えたのか
マルクスの間違いを探るまえにマルクスの著作を読んでみろ、、
全ての話しはそれからだ。
マルクスはなにを間違えたのか?
なにもかもさ。
フロイトでマルクスを読み直す。
ライヒやマルクーゼがそれっぽいことを言っていた・・・
精神分析によって封印されていた過去の記憶を「ほりかえした」ように見えて、
実はありもしない記憶が「捏造」されただけであるケースが複数ある事が指摘
されている。たとえば、女性の患者が精神分析に父親からの性的虐待を「思い
出した」為父親を訴えたものの、実際には虐待の証拠は発見されず父親が勝訴
するという例が複数存在する。
精神科医にしてフェミニストのジュディス・L・ハーマンはこの種の記憶捏造の
原因になったとしてたびたび訴えられた。彼女は、患者自身が疾患の原因として
「仕事がつらい」、「妻とうまくいかない」などといったものを挙げていたとし
ても、疾患の原因は幼児期に両親から性的虐待を受けた事であると断定した。
もちろん性的虐待の覚えなど無い患者はそれを否定するのだが、ハーマンらから
「それは記憶を封印しているだけ」、「思い出さねば治らない」といった言葉を聞
くうちに虐待の記憶を「思い出し」、両親を告発する事になる。結果的にこういっ
た虚偽記憶に基づく訴訟が表に出た事でそういった治療が正しいのかと反発を受け、
回復記憶療法は2000年ごろまでに完全に停止された。この結果、フロイトの提唱した
抑圧された記憶の考えは、完全否定はされなかったものの非常に疑わしくなった。
959 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/14(土) 23:35:56 0
>>957 フロイト・・・壊れた動物としての限界
マルクス・・・壊れたのは資本主義のせい、最後は類的存在=自然との協調に変える
マルクーゼなどは、フロイトをマルクスで越えていくような感じですね。
>>952 > マルクスの最大の間違いは、人間を類的存在とおいたことにあるのではないかいな。
人は社会=歴史的産物だと見たところ? それはフロイトにおいても全く同じでは?
> でも、原点を類的存在におき、資本主義との差異の解消として、
> 共産主義を夢見るわけだから、夢想にならざる追えない。
それだけ読むと、よくある風説に依拠したマルクス主義理解にしか読めないなあ。
> 人間を見る目では、臨床に基づいたフロイトにはかなわなかった
> ということだね。
「壊れた動物としての限界」というのは臨床に基づいていたの?
>>959 それは風説マルクス主義っぽい理解のような気がするなあ。
>>957 むしろ日本の丸山圭三郎さんかな? 彼はソシュールからだけどね。
ソシュール読解からマルクスとフロイトがよく似た思想家だと評していた。
962 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/15(日) 01:18:47 0
>>960-961 フロイトは、人間はすべて神経症だと考えました。壊れた動物と考えました。
トーテムなどのように、それは原始的な人間社会にまで拡張しています。
人間はそのもともとから、動物のように自然と調和できない存在と考えました。
それに対して、マルクスが原点においてのは、人間は類的存在=自然と調和
した存在であった、ということです。資本主義的分業が壊れた動物にすると考えた。
ということです。
とどのつまり、
フロイトはエートス論者、後期マルクスは構造主義に帰着するだろう。
>>962 その理解ってもしかして岸田秀さんあたりかな?
岸田秀さんに対する丸山圭三郎さんの批判は御存知ですか?
965 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/15(日) 01:38:00 0
>>964 岸田秀はしらないですが、どのような批判ですか?
よろしければ。
>>962 そのマルクス理解はどうかなあ。だれのマルクス論ですか?
ただ、フロイトは微妙ですよ。フロイトもどこか生物学的正常の
延長線上で人間の精神の正常異常を考えていたところがある。
わたしはラカンにいたってもそういうところがあったと考えています。
マルクスはむしろ人間を類的存在としたフォイエルバッハテーゼを
止揚しようとして、人間を社会的総体と捉えたことにあるんですよね。
ある意味では、フロイトのほうが人間の類的本質に拘る矛盾をおかしている。
967 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/15(日) 01:54:31 0
>>966 たしかにマルクスは類的存在への回帰しようと、いったわけではなくですが、
資本主義批判の原点としたことは、様々に言われていますね。
問題は、このような人間の動物からの差異(異常)を、回復可能なものと
考えたか、考えていないか、ということです。
フロイトの人間はみな神経症である、というのは、ある種のあきらめです。
みんな病気ならそれが正常で、精神分析はなにをするのか?
それでもフロイトは確かに、力動論など、動物的に考えようとしています。
フロイトはダーゥインから始めってしますから。
しかしラカンは、さらに動物との差異を言語によって突き詰めたわけです。
968 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/15(日) 02:00:20 0
マルクーゼにしても、人間の動物からの差異(異常)を、回復可能なものと
考えたと思います。
それが人間であると考えて、マルクスを読むとどうなるんだろうか、
ということです。
>>965 「壊れた動物」という言葉は岸田秀さんの用語じゃないんですか?
岸田さんのかの唯幻論が「人間は本能の壊れた動物である」というテーゼから
出発していることは超有名ですよね。
丸山さんも基本的にはそれに賛成しているわけですが、丸山さんが岸田さんと
食い違ってくるのは、「壊れた動物」という言い方が「欠陥動物」という認識
と結び付いているからで、丸山さんにいわせると岸田さんの認識は
人間 = 動物 - α
になっているんだそうです。人間は本能を欠落した「壊れた動物」であるゆえに
「文化」というものを必要としたという話になってくる。
これはまるでキリスト教の「原罪」観念です。人間は欠陥動物としての原罪を
認識することによって、自然倫理としての神に従う義務を負ったというのです。
丸山さんはこれに反論して、
人間 = 動物 + (-α)
というふうに表しています。
970 :
実存主義者:2007/07/15(日) 09:47:17 0
「類的存在」の用語は初期マルクス「経哲手稿」にみるが、
のちにそういう形而上学設定はマルクス自身によって唯物論的に否定された。
マルクスとフロイトの共通点は
「人間性が自存する」という形而上学的イデオロギーを粉砕したこと。
日本で最初にこのことに注目したのは文芸評論家兼小説家の伊藤整。
いまどき丸山圭三郎とはあきれる。
「言語は恣意的分節」などとは20年以上前に流行ったあだ花。
構造主義はブルジョアジーの最後のイデオロギー的悪あがきと言った
サルトルは正しく見通していた。
言語もまた物質的なものに制約されている。
子どもが「犬」というコトバを教えられて
そのあとチワワも秋田犬もあやまたず「犬」と認識しうるのは
「パタン認識」に基づく。
971 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/15(日) 10:35:00 0
>「壊れた動物」という言葉は岸田秀さんの用語じゃないんですか?
精神分析では一般的な考えでは?
人間/動物の形而上学二項対立は西洋が伝統的にもつもの。
哲学は人間>動物(奴隷を含む)の差異を定義し続けた。
マルクス、フロイトの共通は、動物>人間と転倒している点。
これは当然、ダーウインの影響。
それでも形而上学二項対立は維持している。
>>970 そのパターン認識というのがソシュール言語学ないし記号学と
矛盾するというのは初耳ですね。
パターン認識はむしろ脳内のクラス概念に制約されていると
いうべきじゃないですか?
本能が壊れた人間うんぬん、ホモ・ディメンスうんぬん。検索して見。
>>973 だから、それ検索して何を分からせたいの?
ホモ・ディメンスの話はここで話題になっていることでしょ。
975 :
実存主義者:2007/07/15(日) 12:29:10 0
>>972 カエルの目は食物としてのハエや天敵としてのヘビを特に認知しうるような
組織になっている(コード化されている)といいます。
(渡辺慧『認識とパタン』岩波新書)
人間もまた生物学的にこうした認識のコードを生来持っていると
考えることはごく自然です。
渡辺慧は「パタン認識」は帰納の「一種」だと言っていますが、
「一種」というのは、
厖大な数の個物をすべて調べて結論したものではなく
(そんなことは原理的に不可能です)
寓目の二三の例から「直観的」に把握されたものにすぎないという意味です。
ではこの「直観」がなぜ普遍性をもつのでしょうか。
ここには人間の生物学的な認知構造
(たとえば「犬」を「オオカミ」と異なる目の穏やかさで「危険でない」
と「直観」するなど)
が働いていると考えられます。
渡辺慧は「パタン認識」は生活の必要にその根拠をもつと言っています。
「脳内」といえば「脳内」ですが、
これは動物としての人間が生まれ持った、つまり唯物論的な意味での
脳内コードではないでしょうか。
「犬」と「オオカミ」が分節されるのは
こうした人間の「唯物論的」必要に基づくと考えるわけです。
976 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/15(日) 12:49:55 0
認知科学的な認識システムと、ソシュール的な言語論を比較することは
コミカル以上のものはないでしょ。
人間も動物である以上、比較できる部分は多分にありますが、
ようするの言語の特徴は先天性以上のその柔軟性になるわけです。
差異は学習とともに変化していく。
この柔軟性という終わりなきさ変化こそが、人間の壊れぐわいなわけです。
977 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/15(日) 12:59:52 0
>渡辺慧は「パタン認識」は生活の必要にその根拠をもつと言っています。
>「脳内」といえば「脳内」ですが、
>これは動物としての人間が生まれ持った、つまり唯物論的な意味での
>脳内コードではないでしょうか。
>「犬」と「オオカミ」が分節されるのは
>こうした人間の「唯物論的」必要に基づくと考えるわけです。
こういうトンデモこそを解体するために、構造主義はあるわけですね。
言語の柔軟性は、>「犬」と「オオカミ」が分節するか、されないかの
柔軟性を持ちます。
そして人間の認識が「唯物論的」必要に基づかないことを暴露する。
フロイトが性関係に執着したのは、
動物が生存のために生きる、性行為をするのに対して、
人間の倒錯的な性関係がもっとも人間の「壊れ」を表しているからですね。
978 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/15(日) 20:57:14 0
>「類的存在」の用語は初期マルクス「経哲手稿」にみるが、
>のちにそういう形而上学設定はマルクス自身によって唯物論的に否定された。
類的存在と原点にするのは変わっていないのではないでしょうか。
たとえば労働価値説において、労働(時間)を価値の基本におけるのは、
それが類的存在が労働を共通にする存在であるからでは?
フロイト的に考えると、価値を労働を共通にすることには納得しないのでは、
ないでしょうか。人間の価値はそもそもにおいて壊れている=倒錯的で
あるからです。そして資本主義の価値体系は倒錯的であり、貨幣によって
実現される、というような。
887 名前:名無しさん 投稿日:2007/07/15(日) 23:20:18
精神分析によって封印されていた過去の記憶を「ほりかえした」ように見えて、
実はありもしない記憶が「捏造」されただけであるケースが複数ある事が指摘
されている。たとえば、女性の患者が精神分析により父親からの性的虐待を「思い
出した」為父親を訴えたものの、実際には虐待の証拠は発見されず父親が勝訴
するという例が複数存在する。
精神科医にしてフェミニストのジュディス・L・ハーマンはこの種の記憶捏造の
原因になったとしてたびたび訴えられた。彼女は、患者自身が疾患の原因として
「仕事がつらい」、「妻とうまくいかない」などといったものを挙げていたとし
ても、疾患の原因は幼児期に両親から性的虐待を受けた事であると断定した。
もちろん性的虐待の覚えなど無い患者はそれを否定するのだが、ハーマンらから
「それは記憶を封印しているだけ」、「思い出さねば治らない」といった言葉を聞
くうちに虐待の記憶を「思い出し」、両親を告発する事になる。結果的にこういっ
た虚偽記憶に基づく訴訟が表に出た事でそういった治療が正しいのかと反発を受け、
回復記憶療法は2000年ごろまでに完全に停止された。この結果、フロイトの提唱した
抑圧された記憶の考えは、完全否定はされなかったものの非常に疑わしくなった。