【ギートステイト】東浩紀スレッド73【動ポモ2】
1 :
考える名無しさん:
2 :
考える名無しさん:2007/02/21(水) 00:07:52
2げと
3 :
考える名無しさん:2007/02/21(水) 04:38:36
新スレです
楽しく使ってね
仲良く使ってね
,ィiikァil{ミk{illliミi;,,.
,ィj|}}州ト、トii州ililk{ミ;,
j}iリリ州iト、 ヾk州ililk{lli
il}jリリ州j `ヾkリト州}ili
!jliリ州ソ ,z=;- ヽヾjミii}
Y{ ヾリ ■■■■|リ
ノハ i! .:: '´,; !、 i < チンポ
ソj` :::.:. /'_';=;ィ / jヽ.
ノ 丶 :..:. j ;'ゝ-' j' / /
,イ'` ‐-..__` ‐ _、 _ノ / 'ー 、 ヴィシッ
` ー'| / }
下部構造にちゃんと資本が入ってるね
6 :
考える名無しさん:2007/02/21(水) 08:46:23
永遠のしろうと頑張ってるな・・・ブログセカイで
山形さんと田中先生に喧嘩をうって、完璧に論破されてるしろうとワロタ
涙目になりながらブログかいてる姿を想像すると萌える
8 :
考える名無しさん:2007/02/21(水) 15:46:24
>>1乙
しろうとよ何処へ行く……
いましろうとが欲しがってるのはPVよりもブクマの量だが……
どんな話題にも言及すること、フラットに言及することがしろうと戦略だが……
偏執的にひとつの主題に戯れるほうがよかったのではないか(例えばもっちーみたいに)
たしかにあらゆる話題を「萌え理論」で読み解くのならば面白そうだが……
しろうとは、経済に興味があるんじゃなくて
「はてブで話題になっていること」に興味があるんだから
動機が狂ってるよね。
はてブのバカ連中相手にブクマを集めたところで
何が楽しいんだ?
別にアフィリを稼げるわけでもないだろ。
ttp://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20070220 >■東浩紀「情報社会の思想」 講演レポート(nitarさん)
>「当日の講演資料」(講演者ご本人のブログ)
>レポート全文をコピー&ペーストでメールに落とし、色を変えながら熟読。
>東氏のアップされている当日資料もわかりやすく勉強になる。
この元ひきこもりは、かつてあずまんの講演会の質疑応答の時間に
独演会をやってのけて(10分も「自己紹介」していた……)、
そのあと控え室のあずまんに突撃していった迷惑すぎる男なんだが。
講演資料にだけ反応して「勉強になる」とか言うんじゃなくて、
「その日の講演では質疑応答でいささか問題があったため、
僕にしてはめずらしく、終了後の質問を受け付けず、サインも断って
会場をすみやかに後にしました。」(あずまん)
の部分に反応しろよ!
かつてのお前のことだぞ!
」
11 :
考える名無しさん:2007/02/21(水) 19:32:24
存在が意識を決定する
>質疑応答でいささか問題があったため
ってこのこと?
>「あなたは哲学者ではない!」
>「それは質問ではなくて意見ですか」
またこのスレの住人が問題を起こしたのか
> またこのスレの住人が問題を起こしたのか
このスレの住人も不機嫌になっていたから(前スレ参照)
スレ住人ではない。
15 :
考える名無しさん:2007/02/21(水) 21:11:55
>10分も「自己紹介」していた
('A`)すげー自分語りだな…
このスレ住人は、たとえキ○ガイのような書き込みをしてても
(それが自分語りでしかなくても)
現実ではちゃんと空気読める程度には正気だと思うよ。
>>15 さらにその後数分間、私は「存在論的、郵便的」を
批評空間連載時にどう出会ってどう読んだのか、という話をして、
自分が「存在論的」をどう理解したのか、という話をして
最後に、超越論的複数性とひきこもりの関係性について
質問していたよw
会場内が「お前の話を聞きに来たわけじゃねぇ〜〜」と
ムカムカしていた。
そういう空気をまったく読まずにしゃべり続けていた。
控え室では、私は阪神大震災をどう体験したのか、とか
地域通貨の可能性とか長々と演説していた。
あずまんはウンザリ顔。
その前に、NAMや地域通貨にはあまり関心がないし
可能性も少ない、みたいな話をしていたのに。
全然聞いていないか、もしくはそういうあずまんを説得しようとしていたみたい。
司会が適当なところで演説を打ち切れよw
あずまんはデジャヴュを感じたろうか。
かつて浅・柄に突撃していった青春の日々を思い出していたろうか。
これもまた終わらない日常。
>>16 そうか?
おれはそんなに迷惑だと思った記憶はないがな
むしろ「○○についてどう思うか?」みたいな文脈不明の質問じゃなくて
ちゃんと質問の動機とか説明してたのは良かったと思うよ。
真面目な講演の質疑応答で空気が堅くなるのはいつものことだし。
ま、それにしても10分は確かに喋りすぎかもしれんな
今思い出してるとそんな気もしてきたw
講演会90分。
そのうち質疑応答時間15〜20分。
元ひきこもりの質問でタイムアップしたから他に手を挙げていた人
質問できず。
講演のテーマ「データベース化」に関する質問なしのまま終了w
あと、あずまんが会場を出て行った瞬間に
バッとかばんを持ってダッシュして追いかけていったのが
怖かった((((((;゚Д゚))))))
21 :
考える名無しさん:2007/02/22(木) 04:16:18
たしかに怖いなw
>質疑応答時間15〜20分
だったのか。で自己紹介10分てバロスww
あー・・・。むかしこのスレにいた吉害あずまんファンが数人、NAMに入った事がある。
NAMからたたき出された後も、見当違いなあずまん賞賛と柄谷NAM批判をしてた。
そいつらの一人かも。
25 :
考える名無しさん:2007/02/22(木) 22:14:13
そんな事件があったのかよ……
しかし、あずまんファンなのにNAMに入るという時点で
頭がおかしい気がする。
26 :
考える名無しさん:2007/02/22(木) 23:22:10
そうだよな。
あずまんのメッセージは、あずまんをローマ字逆読みすれば分かろうものを・・・
あっー
天才あずまんの胸の内なんて、想像できるわけもないけど、
俺ならババアの応援に、変質的ファンの自己紹介が延々なんて、
かなり凹みそう(笑
29 :
考える名無しさん:2007/02/23(金) 00:42:04
30 :
考える名無しさん:2007/02/23(金) 00:46:04
>>28 哲学って自意識過剰な人間が自分を特別だと思い込むための
格好の材料にされちゃうことが多々あるからな
哲学の周辺には痛くて危ない変質者がいっぱいいる
>>28 さらには、その講演会でこんなやりとりがあった(過去ログ参照)
−−質疑応答の時間
若い男「東さんは(今)ドラッグをやっていますか?」
あずまん「??? (困惑して) やっていませんが」
男「私は、やっていると思います!(力強く)」
凍りつく会場
あずまん「??? (ちょっと怒って)君、こういう場でそういうことを言って
いいと思っているの?」
男はなぜか自信満々
あずまん「わかった。後で話そう」
まさか会場にリアルキチガイが現れるとは思ってもみなかったので、怖かったよ。
そのあと、おじいちゃんがNAMについて質問。
次にあのロング自己紹介が始まる……
で、講演終了後、会場を歩いていたら控え室が見つかったので
「動ポモ」にサインをもらおうと思って、中に入ってみると
学生と話しているあずまんの横で、このキチガイと元ひきこもりが
討論していました、というオチw
終ったので、あずまんは帰るため、バス停の方に歩いていったのだけど、
横にぴったりと元ひきこもりがくっついていたなぁ。
同性愛者?
あのあと、どうなったんだろう?
せっかく地元に講演に来てくれたのに悪いことしたなぁ、と
今でもあずまんに申し訳ない気持ちがある。
おそろしい世界じゃ
限定空間の話(しかも単なる誹謗中傷)を得意げに語るもんじゃないよ。
痛々しくて目も当てられない。
こんなところで息巻いてる君の方がよっぽど人格的に問題あるとおもうけどね。
早く彼女でも作って充実した人生送った方がいいよ。
35 :
考える名無しさん:2007/02/23(金) 02:56:20
おばあちゃん「日本の話だけではなくて、世界の中で私たちが果たしていく
必要がある役割について大学の先生方から何もお話がないのは×○■×■」
あずまん(恐縮しつつ)「今日の講演とはあまり関係の無い話ですよね?」
自称・下流男「おばあちゃん!この人の言ってることはね・・(意味不明)」
先日の東工大はここで終了のホイッスルが鳴りました(橋爪大三郎キーパー)。
爆笑。
おばあちゃんはたぶん、「世界文明センター」と「情報社会の思想」てキーワードで
なんか勘違いした思いこみがあったのだと思う。
男のほうは意味不明。
ああいう理不尽な怒りを持った人を目の当たりにすると結構怖いわ。
前島とかもイっちゃってるからなァ
39 :
考える名無しさん:2007/02/23(金) 15:46:02
クリリンのことかーーー!!!
40 :
考える名無しさん:2007/02/23(金) 16:14:58
あれ、まあとりあえずなかったから コピペRSS
出版情報
2007年2月23日、13:20:02 | hazuma
こんにちは。現在のところの出版予定を記しておきます。
3月20日 「ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2」 単著 講談社現代新書 334p 定価未定
3月20日 「コンテンツの思想 マンガ・アニメ・ライトノベル」 対談集 (対談参加者:新海誠、西島大介、神山健治、伊藤剛、 夏目房之介、桜坂洋、新城カズマ) 青土社 四六版ソフトカバー 定価1200円(税別)
4月2日 「文学環境分析 東浩紀評論集L」 評論集 講談社BOX 箱入り二巻組 800p以上(!) 定価未定
講談社BOXからは、続けて5月に「情報環境分析 東浩紀評論集S」、
6月に「批評精神分析 東浩紀評論集D」(対談集)が刊行される予定です。...
あいよ
> 「批評精神分析 東浩紀評論集D」(対談集)
もう対談集はおなかいっぱいという読者が多いのでは?
「批評の精神分析」か「批評精神の分析」か区切れないので翻訳不可能ということになったら
柄谷っぽいスタイルだw
講談社だし、西尾維新とかのインタビューを対談ということにして
出すのかな?
42 :
考える名無しさん:2007/02/23(金) 19:04:45
「文学環境分析 東浩紀評論集L」
これは既出?
43 :
考える名無しさん:2007/02/23(金) 20:24:57
「コンテンツの思想 マンガ・アニメ・ライトノベル」 対談集
新海誠、西島大介→これは波状でやったやつ
神山健治→これはユリイカの攻殻特集でやったやつ
伊藤剛、 夏目房之介→ユリイカの漫画批評特集に載ってた
桜坂洋、新城カズマ→ギートの冊子+ユリイカのgdgd鼎談が収録されるんだろう
「文学環境分析 東浩紀評論集L」
→日経のサイトとか論座に書いてた短いラノベ論や書評が入るんだろ
あと大塚英志との対談なんかも入るかな
「情報環境分析 東浩紀評論集S」
→これはグロコムのサイトとかに書いてた雑文が入るんだろ
「批評精神分析 東浩紀評論集D」
→これは動ポモ出した後のサイタマとの対談・座談中心だろ
ここ数年でサイタマとは4〜5回対談・座談してたから、結構な量だろうな
というわけで、ほとんど読んだことあるものだから、特に買う必要はないね
> 「情報環境分析 東浩紀評論集S」
> →これはグロコムのサイトとかに書いてた雑文が入るんだろ
例の情報自由論はそのまんま改稿無しで
これに収録されるはずだよ。
45 :
考える名無しさん:2007/02/24(土) 00:12:27
ちょ、箱入り二巻組てwww
それにしてもLSD……
並びはDSL(デジタル加入者線、もしくはDS-Light)だろ
Long Slow Distance の略。
長距離をゆっくり走ることにより体質の改善を目指す、陸上競技長距離走のトレーニング法。
この在庫一掃セールを気にダイエットするという意気込みの表れだよ。
こんなの見つけたよ。
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1171979824/ 【Inter】東浩紀がレインボーピンクを激賞【Communication】
1 :名無し募集中。。。:2007/02/20(火) 22:57:04.42 0
(前略)
松浦亜弥において(いわば)排除の論理で遂行されたそのアイドル批判は、つんくにおいては萌えの論理で行われている。
「レインボーピンク」は、アイドル的な表現―萌えをぎりぎりまで展開すること―つまり徹底してアイドル的であることにより、
既成のアイドル楽曲への批判であるような形式をとっている。
簡単に言えば、つんくはそこで単に萌え萌えなアイドル楽曲を作り、そのことで質的変化を到来させているわけだ。
ゼロ年代の萌えのため作られた諸々の設定は、急速に反転し、萌えとか推しとかいった生温いアイドル幻想を
ずたずたに引き裂くため用いられる。
そしてそれは、つんくにとって、(アイドルに擬似恋愛感情を持つことでしか楽曲を鑑賞できない)モーヲタとの
コミュニケーションを切断することでもあった。
(後略)
ソースは今売りのInterCommunication
総レス数 574
49 :
考える名無しさん:2007/02/24(土) 04:46:47
>>43 なんかおまいすごいな…どれだけあずまんのストーカーやってるんだってげふんげふん!
>>47 ああ、1,2年後の写真に注目ってことか…
>>48 NTTってなんなんだろうね…
50 :
考える名無しさん:2007/02/24(土) 05:46:55
東にはもう古臭さとつまらなさしか感じないな
ネタキャラとしても賞味期限きれてきてるしなぁ、終わったなぁ
>>50 具体案が何にもないでしょ。「動物化する中で世界への配慮をどう維持していくか」
の問いかけの部分で講演のレジュメが終わってるんだが、聞きたいのはまさに
ソコなんだから。問いで終わってもしょうがない。具体案は前のisedでの電子
投票制とかか?
「工学的に設計された都市」も具体性がない。
工学的なレストラン・工学的な散髪屋・工学的な本屋など、ロボットが給仕でも
すると言うのか。コンピュータが髪を切るのか。
左翼っぽく見られることを警戒してるんで仕方がない
そもそも民主主義のいつものことじゃないの?「無関心層」の問題は。
大衆社会論者達が、「ポストモダン」論以前に、散々論じてた筈だが。
マックスウェーバーとかさ。
リースマンという社会学者が、「孤独な群集」で言ってるが内部指向型から
他人指向型へ変わったと。「内部の良心」ではなく他人志向で大衆は動くようになって、
民主主義たり得ないとか。
「内面」はないんで、他人に操られる主体性の喪失だとか。
>>52 > 「工学的に設計された都市」も具体性がない。
> 工学的なレストラン・工学的な散髪屋・工学的な本屋など、ロボットが給仕でも
> すると言うのか。コンピュータが髪を切るのか。
お前、あずまんがあれだけ(人間)工学の「動物性」について
対談集や講演で語っているのに、まったくわかっていないんだな。
工学=(人型)ロボットって小学生かよw
>56
だから具体案のことだよ。「人間工学」は心理学の範囲内にあるんだよ。別に動物的
だとは思わない、マックパソコンのデザインは認知工学のノーマンという人の
デザインで、使いやすいでしょ。
ウィンドウズと比べてみればよい。「人間工学」ないと困りますよ。「人間」を工学的に
デザインするんじゃなくて、機械の方を人間に合わす、ヒューマニズムの考えだよ。
機械中心主義じゃないよ。それなら、「機械工学」だよ。
人間中心主義なんですよ。
人間工学を応用したパソコンとかコンソールとかラジオとかよくあるでしょ。
無味乾燥な機械的・幾何学的デザインのコンソールだと、人間はわからない
から、人間の注意力が分散しないようになってる。
機械中心主義への見直しの潮流だよ。
いい具合に沸騰した厨がやってきたなww
で、それをあずまんに言ってどうするよ?
工学って言葉を使っている学者・評論家が全員
用語を変更するとでもw
>59
東がマトモな人間ではないと、人間工学という言葉を逆に使ってることは
本当はすぐバレる筈なんだが、信者がウザい。すぐ信ずるでしょ。
人間にとって住みやすい住環境の設計が目指されてるわけで、人間をコントロール
するとは言ってないはず。
哲学系の人は工学、とくに心理学系の工学なんて知らないから、騙されやすいでしょ。
57の発想はもう30年ぐらい前に一通りやってる。そうしたものが現実
となった結果を見て、あずまんは話している。使い易いからいいやと
思う57みたいな人が、結果的に環境によって方向付けられているわけよ。
それが気持ち良いからOKと思う57がいるからこそあずまんの議論がある。
まずはちゃんと読んでから話してくんない?。
>>61 マクドナルドの椅子を固くしたり、大音量で客を追い出すなどが、「人間工学」
の成果だとでも?
強いて言うと、人間工学や心理学の「悪用」のケースで、本来の趣旨からズレてる。
テクノロジーは悪用も善用も出来るわけだが。
自分で答え出してるじゃんwww
64 :
考える名無しさん:2007/02/24(土) 13:10:17
クリリンのことかーーー!!!
>63
人間工学は本来、「座りやすい椅子」を作るのが目的で、わざと座りづらい
椅子を作ってどうする(笑。だから、東は悪用された例外事例が一般的だと
論じてる。
意図的ならやはり、犯罪的な奴だよ。デマゴーグだよ。
おばかさんだねぇ。
マクドナルドは安い単価で商品を出すために、回転を上げて客数で稼ぐ
商売を選択したわけよ。そこにふかふかのソファー置いておまえみたいな
乞食が長居したらどうなると思う?値段倍とかなるわけよ。
じゃぁファーストフードの業態をうまく成立させる店内環境をどうやって
作るかと考えたら、樹脂の成形椅子がコスト的にも客の行動としても業態に
合ってるっていう検討結果が出る。
「人間工学は本来、「座りやすい椅子」を作るのが目的」ってのも志は
美しいwwけど、リアルな人間工学ってそういうことも含めてやんのよ。
そういうデリケートな設定の意図を露骨に出すのでなしに(長居すんなと
張り紙するとかじゃなくて)、無意識にそう方向付けられていることを
意識化してみることがまずは出発点でしょ。「固い椅子を作るのが悪い」
なんて抽象的な考え方じゃ空回りしてるだけですよ。
工学的管理という発想に具体性がないとか言ってるやつは
とりあえずギートステイトを読みなよ
あそこでこれから具体的な世界像を提示しようとしてんだからさ
文句はギートステイトを読んでから言いなよ
ギートステイトのような近未来じゃなくても
「過防備都市」を読むと現実にそのような
デザインになっていることがわかりやすいのでは。
>67、68
東自身は管理すべきという立場なのか?(例えば犯罪を防ぐため)
あるいは、管理に対して対抗すべきという立場か?(自由を守るために)
企業の経営を回すための管理は「悪い管理」。
犯罪を防ぐための監視カメラなどの管理は「良い管理」、なのかな。
これでは、結論が出ないわけだが・・。「管理しながら、自由を守る」のは
無理っぽいわけだが・・・
「・・・「良い監視」と「悪い監視」があり、「悪い監視」でなければいいのだ
と考える限りにおいて、事態は結局「良い監視」を巡る議論の先送りを呼び出すことになる」
(鈴木謙介 『カーニヴァル化する社会』 講談社現代新書)
この問題の難しさに気付いてないわけねーだろ、アホ
71 :
考える名無しさん:2007/02/24(土) 16:53:28
>66
そういうのもマグドナルドのスタイルだし
隠れた意図による管理というよりそもそも見えている
機能性だろう。野球場のいすと比べてどうかと
考えればとりたてて座りにくいわけではない。
スターバックスと比べれば店のコンセプトの
違いということになるだろう。
>70
東は情報技術は自由と管理の両方を進展させる、と言っている。
しかし、「情報技術によって進展した自由」てなんですか?
例えば、電子マネーは何か「自由」ですか?
監視カメラは「管理」の方で、別に自由にはならないし。
まーもっともファストフードの堅い椅子は半ば都市伝説なわけだが。
立ち食いそばとか都市設計の身体的なものへの働きかけとか先駆はそりゃ幾らでもあるよ。
でも東が現代思想の問題意識で体系的に出したモノはそれはそれでなかなか価値あるんだが。
>>72 > 例えば、電子マネーは何か「自由」ですか?
財布や銀行に縛られず
自由に買物できるだろ。
あと、企業間取引が簡便化される。
> 監視カメラは「管理」の方で、別に自由にはならないし。
空港など公共施設で、ボディチェックなどが減る。
犯罪が予防されれば、一般人が自由になる。
お前、とりあえず、情報自由論くらい読めよ。無料なんだから。
>74
減らないよ。監視カメラはボディの中身まではわからないから、赤外線
チェックは必要だよ。カバンの中身もね。
電子マネーも(電子)カードを落とせば買えなくなるという点は財布・貨幣
と同じだよ。他人に使われるリスクもある。
>75
失礼、X線でしたね。とにかく、一般監視カメラと空港のX線チェック
は異なると。
もし普通の監視カメラが日常的にX線を出すとすると、体に悪いし、エネルギー
も莫大なので、あり得ないでしょうし。
電子カードは落としたときに、全財産を引き出されるというリスクが
あるしね。財布ならわずかな被害だろうが。
東独自の「意見」じゃなくて
「世の中がこのような流れになっていて対抗する論理が今のところない。
そうなるとこういう未来像が描ける」という「予想」なんだから
お前がこのスレで噛み付いたところで意味がない。
あと、監視カメラは不審者のピックアップに使われているのであって、
それだけでも「全員」へのボディチェックはなくなる。
とりあえずURLを貼っておく。
http://www.hajou.org/infoliberalism/ > 電子カードは落としたときに、全財産を引き出されるというリスクが
> あるしね。財布ならわずかな被害だろうが。
じゃあなんでオサイフケータイは普及しているんだね?
>77
>もしおサイフケータイを落として誰かに使われちゃったらどうしよう、
>という不安を感じる人もいることでしょう。おサイフケータイでは、
>「遠隔ロック」という技で離れた場所にあるケータイにロックをかける
>ことが可能だ!これでICカードの機能やケータイの操作をストップし、
>プライバシーとおサイフの中身をしっかり守ることができる!
これは非常に危険だと思うね。麻酔とかで眠らされたら、遠隔ロック
をかけようとしても、手遅れだよ。
このサービスはまだまだ危険で。
なんだ、ネタだったのか。
相手をして損した。
>79
個人的には、上で書いたように、正しい意味での人間工学に基づいた人間中心
的なヒューマニスティックな未来像を望んでいるよ。
そこに、文化・芸術などを組合せばさ。
東型ディストピア型未来像とはずいぶん違うし、選択肢が一つしかないと思わないで
ほしいわけだよ。
東の提案とは異なる未来もあるわけだよ。
そもそも認知科学であれ、人間工学であれ、オタク(文化・芸術)であれ、目指した
未来は全く異なるわけで、それらを全て「情報管理社会」に一元化した東は
やはり異常だよ。
>>72で
「東は情報技術は自由と管理の両方を進展させる、と言っている」 といいつつ
>>81で
「全て「情報管理社会」に一元化した東」っていうのはなんなんだぜ?
情報社会における自由って
そもそもなんなんだろね
監視されたり管理されたりするのを
自覚的に拒むことなのかね
それとも監視や管理を自覚することなく
動物的に快を追求することなのかね
テクノロジーは常に、新しい自由を創り
かつ新しい不自由を創り出すんですよ
存在が意識を決定する
必ずしも開き直りと言うわけではなくて、そのようなシニシズムすらなく幸福に暮らすことはあり得るし、
それはコジェーヴ風にいえば幸福な動物的状態への回帰ということになるのでしょう。
確かにそうなれば無害でいいとは思う。
しかし、人間が本当にそこまで動物化しうるとは、僕には思えませんね。
87 :
考える名無しさん:2007/02/25(日) 23:16:55
ひきこもり自己紹介の人見た
動物化とかずいぶん俗っぽい表現だよな
分かりやすくするために使ったんだろうけど
この人は自分には自由があると信じてるんだろな
89 :
考える名無しさん:2007/02/26(月) 05:47:04
クリリンのことかーーー!!!!!
最初に動物化とかいうたのはコジェーブちゃうの?
でもやっぱり工学的都市のモデルはディズニーでしょ。
みんな幸せそうじゃない。
ディズニーランドにいる人はさ。
中にいて楽しんでるのはほとんど動物だもの。
設計しているのは、そりゃエリートである程度全体を見渡してるかもしれないけどさ。
ただジャスコになると、設計してるのも動物だし、消費してるのも動物みたいになってるからな。
92 :
考える名無しさん:2007/02/26(月) 19:09:27
マンコへGO!! バイブマシンはアナル式
嫌韓厨の友達って誰?
新刊発売に合わせて
いろんなインタビュー受けたり対談をいろいろやるんだろうなぁ、
と思うとなんだか気分が悪い。
>>94 それって東みたいなネット系社会学者兼マーケッターの大事なお仕事だもん。テレビのコメンテーターのネット版だね。なんでこいつがコメントしてるのかという根拠も別にないまま、コメント自体が芸になってゆく。
あずまんのコメントはきれいなコメント
あずまんの芸はみにくい芸
あずまんて社会学だったの?w
まあ大澤真幸とかのほうが哲学っぽいけどw
> いろんなインタビュー受けたり対談をいろいろやるんだろうなぁ
しゃべってばかりで執筆作業が加わっていないところがポイント。
あずまんは短文が苦手で怠惰で遅筆で文章力がないから仕方ないけど。
>>98 本人が自分を社会学者でもマーケッターでもないと強く否定する必要が
あるくらいだから、実際は社会学者兼マーケッターなんだよ。
浅田彰は自分を「哲学者」と記したことはないはず。柄谷だって「批評家」でしょ。
浅田は前は「経済思想」と書いていたが、本当に「経済思想」が専門の連中は
恥ずかしいやつが多いから最近は「経済学」に変わった。
東は自分で「哲学者」と記してきたわけだけど、どうして自分を
「哲学者」だと思ったのか?それが問題。郵便本はチャート式の
整理に過ぎない。
中期デリダの問題を追っているように演出してあるが、見せ金の問題のほう
はどこかで雲散消失して業界整理で終始。
東は一体どういう契機で「哲学者」と名乗るようになったんだろうね?
そりゃ、絶対に自分を哲学者と名乗らず、最近になって渋々と思想家と名乗るように
なった柄谷に対する反発でしょ。哲学者を名乗るようになるのはオタクを題材にして
批評空間から離れてから。最近はパネリストの肩書きが社会学者になってることもあるよ。
あずまんが哲学者じゃないのは事実だけど、
講演会で「あなたは哲学者じゃない!!( ゚Д゚)ゴルァ!!」と
直接言うのはやめようね。
ていうか宮台みたいな口が悪いだけのチンドン屋さんとは違うんだから、聴衆も大人気ない
マネはやめようよ・・・・・。
>>102 東工大の講演に来てた男は単なる電波だから。
あれは特注品。
哲学・思想系の講演会に電波が多い(絶対に質疑応答の時間に興奮する)のは
定番だけど、あれ、なんでだろうな。
・電波なのに哲学・思想に興味を持つ
・電波で文章も読めないのに、柄谷とかあずまんの名前は認識している。
・電波なのに、哲学・思想系の本を理解できもしないのに読み続けている。
・まともにしゃべれないのに、ちゃんと講演会の情報を調べて会場に現れる。
・なぜか質疑応答の時間に司会進行が電波にマイクを渡す。
1回、哲学・思想系の講演会に出れば、絶対に電波が混じっているってわかるのに
司会進行は電波を指名する。
106 :
考える名無しさん:2007/02/27(火) 15:41:09
>>105 >>なぜか質疑応答の時間に司会進行が電波にマイクを渡す。
それは単に、電波なやつって、司会者の目に付くような前方の席に座るからじゃないの?
107 :
考える名無しさん:2007/02/27(火) 16:53:35
ギートステイト再開したけど
あいかわらずあずまんの投稿はなし
遅筆ここに極まれり
108 :
考える名無しさん:2007/02/27(火) 18:01:51
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
ペルソナフィギュアスレ [おもちゃ]
色っぽいフィギュア大集合!431体目 [おもちゃ]
【月姫・Fate】TYPE-MOON玩具総合スレ★十九夜★ [おもちゃ]
このスレにはオタクしかいませんね☆
(*ノノ)
____
/⌒ ⌒\
/( ●) (●)\
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ このスレにはオタクしかいませ
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
_ ノ ̄ ̄`ヽ、―ニ 二
ぐぇあ / / ´`ヽ _ 三,:三ー二
/ ノヽ--/ ̄ , ` ̄ ̄ ̄
/ } ...| /!
| _}`ー‐し'ゝL _
\ _,:ヘr--‐‐'´} ;ー------
/ ノ`ヾ:::-‐'ーr‐'"
111 :
考える名無しさん:2007/02/27(火) 18:18:02
このスレにいる人ってルックス的には
森川嘉一郎みたいな人ばっかなの?
>>111 仮にヲタばかりだったとしてもブサイクばかりだったとしても
いろんなルックスが存在する。
なんで森川嘉一郎がでてくる?
あそこまで首がないルックスの人はそう見たことがない。
少なくとも東工大では。
電波は与えられた環境を否定しているという意味では人間的である
114 :
考える名無しさん:2007/02/27(火) 19:41:28
講演会で何かあったみたいね。
その場に居た人もここにいるのか。
115 :
考える名無しさん:2007/02/27(火) 22:28:39
>今回の第2ndターンより、『ギートステイト』のコメントを閉じさせていただきます。正直に申し上げますと、今までコメントを開放していたのは、僕の間違いでございました。
117 :
考える名無しさん:2007/02/28(水) 00:38:53
哲学とか社会学とかに興味持った奴ってエヴァからだろ
>>116 設定ミスという風にも読めるし、判断が間違っていたという風にも読める
>117
だけど、エヴァは「情報社会における自由の問題」なんて扱ってないから、最初から
錯覚だよ。ない物ねだりだよ。
ディズニーが嫌いな人は、この「月姫」だか「fate」だかも嫌いなわけですか?
嫌いなのになぜ見るんです?
哲学や社会学の研究の対象として見てるわけですか?
全然わかんないんだけども。
501票以上 田村ゆかり(691) 堀江由衣(632)
========================================
201〜500票 椎名へきる(259)
========================================
101〜200票 三瓶由布子(155) 川澄綾子(139)
萌える声優ランキング(アニメサロン板から)だそうだが、要は美人が
いいと言う事か?
椎名へきるなんて、声優としての才能の方はそれほどでもない。
「萌える」ってのは、要は美人が好きという程度なら、ただそれだけ
じゃないか。
キモオタがどうのと言うのも全く不可解だし。エヴァであれ何であれ、
どうせ精神分析も知らないし、声優の好みも所詮ルックスだけでしょ?
自分のレベルが物凄く低いくせに、何でオタクはレベルが低いとか動物的
だとか、思えるんだろうね。不思議でしようがない。
要は、アングラ掲示板の人間は、「エロと暴力」にしか反応できないということ?
kanonが好きとか、ネギまが好きとか、ハルヒが好きとか言っといて、「萌えオタ」
が業界を悪化させたとか、死ねとか言うのも謎。
127 :
考える名無しさん:2007/02/28(水) 10:39:11
おまえらワレオタさんの物真似やめれ
3時4時に同じような文体で連投されてると自演にしか見えないわけだが
てか、哲学入門なアニメの話(
>>117)が、なんでオタクの話になったのかw
確かに俺の人生はエヴァで狂った
でもエヴァがなければ哲学にも
あずまんにも出会わなかった
だから後悔はしていない
と思いたい
131 :
考える名無しさん:2007/02/28(水) 12:38:04
オタクって衒学的で、一般人にとってどうでもいいことを覚えたり熱弁ふるったりする。
その原点がエヴァ語りだと思うのだけれども、東はエヴァは萌え要素の集合体だという。
なんだかなぁと。
お前らなんでコヴァにハマったの?
既存の知識人がゴミだからだろ
マンガだったからだろ
核心を突いたな
136 :
考える名無しさん:2007/02/28(水) 17:54:51
sirouto2 『別に削除は構いませんが、誹謗中傷はしていませんよ。しかし、昔からそうですが、
開き直りが上手いですね。』 (2007/02/27 23:29)
# sirouto2 『ラカンとかウィトゲンシュタインとか、pikarrrさんの言ってることって全部、
私が昔言及したものの劣化コピーでしょう。恩を売るつもりはないけど、オリジナルをわすれたのかい、
とは言いますよ。』 (2007/02/28 00:01)
# pikarrr 『というような感じになるのが目に見えていたので、ボクのブログへの中傷コメントを
削除させていただきました。お掃除して引き上げます。ではまた。』 (2007/02/28 00:18)
# sirouto2 『「キミのラカンでまともな理解を見たことがない」というのは、
そっくりそのままお返ししますよ。そういう台詞は、自分のコメント欄で、
間違いの指摘をはぐらかさないでから言ってください。』 (2007/02/28 00:21)
# sirouto2 『いまリロードしたらpikarrrさんのコメントが消えていますね。こっちでも削除ですか。
まあ、適当なところで逃げておくのは正解だと私も思いますよ。』 (2007/02/28 00:24)
# pikarrr 『ブクマコメントもいただいているようなのでマジレスします。コメント削除はsiroutoさん
だからということではなく、ボクのブログでは内容を越えた人格への中傷は即削除対象としてやっています。
ネットコミュニケーションの困難さやはてなのコメント機能の貧弱さなど、この当たりの考え方はいままでも
ブログで言及しています。あとトラバに反映されない件は意図的な削除でなく、設定ミスでした。
数日前に別件でトラバ再設定しているときに間違って全はてなユーザー拒否設定になっていたようです。
もしこの議論?の続きをお望みならば、以前のように哲学板で連休ぶっ通しでやってもいいですよ。
それを許容できるのが2ちゃんねるの利点だというのがボクのネットコミュニケーションの分析結果です。』
(2007/02/28 09:46)
>もしこの議論?の続きをお望みならば、以前のように哲学板で連休ぶっ通しでやってもいいですよ。
正 直 や め て く れ
しろうとさんにもぴかぁ〜にも専用スレがあるんだからそこでやればいいじゃない。
138 :
考える名無しさん:2007/02/28(水) 18:13:18
>>134 動ポモにもコヴァや鳥肌実のサブカル化が受け入れられた要因とあった
ゆるゆるインスパイアがどうとか言ってたあずまんの真似か?
>>138 当時あずまんは大塚英志のサブカル概念にかぶれていたから
「小林、鳥肌、福田らの保守はサブカル化しているから普及した」という考えだった。
このサブカル概念はなんにでも使えるので便利。
今のニュー速なんかの「朝鮮、朝日、民主」バッシングなんかも
それで説明がつくw
142 :
考える名無しさん:2007/02/28(水) 23:26:47
>>141 あずまんの単著だったら紹介しなかったと思う
それに懐の深いあずまんというのは存在自体が矛盾していると思うので、
あずまんは半永久的に非寛容のままでいいよ
143 :
考える名無しさん:2007/02/28(水) 23:30:32
> このサブカル概念はなんにでも使えるので便利。
> 今のニュー速なんかの「朝鮮、朝日、民主」バッシングなんかも
> それで説明がつくw
なぜに?
ニュー速系のシナチョンバッシングはカーニヴァルだと理解しているので説明求む
北田の本でもあるから宣伝してるんでしょ
キタダとチャーリー仲良いのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・ショックだ。
しろうとがここといいmixiといいブログといい自制がきかなくてあちこちでもめ事を起こすのは東の真似か?
↑しろうと自演うぜええええええええええええ
目障りなんだよ市ね!!!!
>>145 チャーリーと増田は社会科学系の若手有望株には、たいてい人脈を伸ばしているな。
ああ見えてなかなか達者。
チャーリーの研究会での活動を調べてみると面白い。
あずまんも情報社会学系の若手をポスト(グロコム)で釣ったり、ネットワークを
作り上げようとしていたけど、野望は途中で潰えた。
北田と決裂しないのは、北田の性格もあるが
それ以上に情報学環とのつながりを切らないためもある。
しかし「東京から考える」の前書きで、わざわざそんなことアピールしなくてもいいのに。
149 :
考える名無しさん:2007/03/01(木) 13:28:14
今mixi某コミュ動物と人間の区別が話題に出ていて、
コジェーブのいう人間はボス山のサルも入るという意見が出たw
ゆとりよ、それは全く別物だろう
151 :
考える名無しさん:2007/03/01(木) 14:15:39
クリリンのことか。
152 :
考える名無しさん:2007/03/01(木) 19:23:37
/ ヾ / ~`ヽ
/ ヽ;: /"""ヾ ヽ
/ ;:;;:::'''' l /;:;;:::''' \ i
/ /;:;;:::''' ヽ ヽ
| | ヽ |
/ ;/ ヽ ヽ
/ ;:;:ヽ ,,,,;;::'''''ヽ |
i / ,,,,;;::::::::::::::: __ ヽ ヽ
| | " __ :::: '"ゞ'-' | |
| |. - '"-ゞ'-' ::::::.. |. |
| ;:| ::::::: | :|
| ヽ. ( ,-、 ,:‐、 | |
| /ヾ.. | |
| | __,-'ニニニヽ . | |
| `、ヽ ヾニ二ン" / |
| ヽ\ / |
| l `ー-::、_ ,,..'|ヽ./
ヽ. :人 `ー――''''' / ヽ
/;:;:;:;;:;:;: _/ `ー-、 ,.-'" \ー-、
,.-'" \: \ .,.-''" |
/. \ ~>、,.-''" |
,,..-‐'''"" ヾ ,.-''"| /――――、/
ぴかぁ〜をインチキだと見分けれないと
2ちゃんねるを使うのは難しい。
153 :
考える名無しさん:2007/03/01(木) 20:03:11
ぺかーとしろーとを構うのはミッチーサッチーで喜ぶオバサンと似ている
ところで・・・サルって欲望あるだろ
欲望といってもヘーゲル的な欲望はまた別ですから
志村けんの出てる動物番組で、人間がうまそうに食べている様を見せて
チンパンジーが嫌いだったはずのピーマンをほしがるというのをやっていた。
まあヤラセかもしれないけど。
他者の欲望を欲望するというのは、承認を欲望することであって
ピーマンがどうとかいう話じゃないんですけど
>>155 >まあヤラセかもしれないけど。
あるあるw
あずまんが以前発表していた
北田と一緒に作る雑誌ってのはどうなったの?
恒例の頓挫企画?
それとも横滑りして対談本になったの?
yuugani 『消されたコメント欄というのは読んでませんが、
しろうとさんの昔のブログは私は大きな影響を受けましたし、
単純にあこがれてて真似したくなる気持ちは良く分かります。
昔からのはてなユーザーは程度の差はあれ、みんな影響を受けてると思うんですけどね。
それだけに萌え理論のいろんな試行錯誤と方向転換はPikarrrさんと同じくいろいろ考えさせられました。
付け加えるなら管理人のキャラはずっと変わってないということも。
まあ変化する時はいろんな理屈をつけて反対する人がでてくるものですけどね。
昔は良かった・・・じゃないですけど
ちなみに、ここのコメント欄に書くのは二度目です。
横やり失礼しました。』 (2007/03/01 20:43)
しろうと自演アピうぜえ
162 :
考える名無しさん:2007/03/01(木) 22:25:15
ソーカル事件についてのこいつの態度がむかつく
ポモはもう死ねよ ど低脳が くせーんだよ
文系はとっとと死ねよ 10代のうちに気付かなかった奴はアホなんだよ
163 :
考える名無しさん:2007/03/01(木) 22:44:10
!!!!【警告 日本がヤバイ 小泉、安倍は朝鮮人だ】!!!!
各板にはりつけてください
小泉純一郎
・戦前大臣を務めた祖父小泉又次郎は純粋な日本人とされる。だが、純一郎の父が旧姓鮫島(父が帰化朝鮮人)が婿として
小泉家に入る。そこで小泉家は帰化朝鮮人である鮫島(純一郎の父)に乗っ取られた。
参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E7%B4%94%E4%B9%9F ・結婚後、子供をもうけ即離婚した女性は創価学会員
・小泉の元秘書官の名前は飯島勲←注目もろ帰化朝鮮人の名前
・派閥のドン森喜朗も朝鮮人の人脈多し ←森も帰化人がよく使う通名
安倍晋三
・祖父岸信介が文鮮明と共に 反共団体 国際勝共連合(統一教会)を設立
・官房長官時代統一教会「合同結婚式」に祝電を送り、その後謝罪
・グリコ森永事件時、明らかになった帰化朝鮮人企業森永のご令嬢と結婚
・そのわが国のファーストレディーは電通(会長成田豊、半島生まれの帰化人)勤務という分かりやすい
経歴の持ち主の朝鮮の血筋
164 :
考える名無しさん:2007/03/01(木) 22:53:27
!!!!【警告 日本がヤバイ 小泉、安倍は朝鮮人だ】!!!!
応援求む!各板にはりつけてください
小泉純一郎
・戦前大臣を務めた祖父小泉又次郎は純粋な日本人とされる。だが、純一郎の父が旧姓鮫島(父が帰化朝鮮人)が婿として
小泉家に入る。そこで小泉家は帰化朝鮮人である鮫島(純一郎の父)に乗っ取られた。
参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E7%B4%94%E4%B9%9F ・結婚後、子供をもうけ即離婚した女性は創価学会員
・小泉の元秘書官の名前は飯島勲←注目もろ帰化朝鮮人の名前
・派閥のドン森喜朗も朝鮮人の人脈多し ←森も帰化人がよく使う通名
安倍晋三
・祖父岸信介が文鮮明と共に 反共団体 国際勝共連合(統一教会)を設立
・官房長官時代統一教会「合同結婚式」に祝電を送り、その後謝罪
・グリコ森永事件時、明らかになった帰化朝鮮人企業森永のご令嬢と結婚
・そのわが国のファーストレディーは電通(会長成田豊、半島生まれの帰化人)勤務という分かりやすい
経歴の持ち主の朝鮮の血筋
あらゆるイデオロギーの対立が終焉した後の人間は、ただ物質的な満足を求めるだけのアメリカ的動物と、意味のない儀式を繰り返すだけの日本的スノッブに二分化するっていうのがコジェーブの議論でしょ?
ここの人たちって、それはわかってるよね???
>166
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/ ゲームを批判してるのか、人生を批判してるのか、資本主義を批判
してるのか。人生がつまらない理由と、ゲームとは無関係だ。
そこが、なんでオタク批判になってしまったのか。
つまらない人生の代表格として、オタクが出るか、サラリーマン
が出るか。
じゃ、どうすんのか。具体策もない。現代が予測可能だとかいうのは、サラリーマンの方であって、
ゲームは無関係。「ゲームのような人生」を送らねばならないからと言って、ゲーム
に責任はない。
機械のような人生を送らねばならないからと言って、機械に責任はないのと
同様に。
ぴか/東的批判は、資本主義に対する凡庸な批判だが、いつのまにかオタク批判
にすりかわる。
自分の人生が予測可能であることと、ゲームと何の関係がある。
投稿確認
・投稿者は、投稿に関して発生する責任が全て投稿者に帰すことを承諾します。
・投稿者は、話題と無関係な広告の投稿に関して、相応の費用を支払うことを承諾します
・投稿者は、投稿された内容及びこれに含まれる知的財産権、(著作権法第21条ないし第28条に規定される権利も含む)
その他の権利につき(第三者に対して再許諾する権利を含みます。)、掲示板運営者に対し、無償で譲渡することを承諾します。
ただし、投稿が別に定める削除ガイドラインに該当する場合、投稿に関する知的財産権その他の権利、義務は一定期間投稿者に留保されます。
・掲示板運営者は、投稿者に対して日本国内外において無償で非独占的に複製、公衆送信、頒布及び翻訳する権利を投稿者に許諾します。
また、投稿者は掲示板運営者が指定する第三者に対して、一切の権利(第三者に対して再許諾する権利を含みます)を許諾しないことを承諾します。
・投稿者は、掲示板運営者あるいはその指定する者に対して、著作者人格権を一切行使しないことを承諾します。
171 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 05:33:34
早く本出せよ東
172 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 05:34:40
大味な論理展開が大好き
173 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 09:53:44
>>167-168 ボクが言いたいことは、柄谷的な3元 資本=国家=ネーションにおいて、
資本が強い現代で、想像的なものとしてのネーションを如何に機能させるか、
ということです。
ネットは想像的なものを補完する、というか、結果的にネットがこれだけ短期間で
発展したのは、資本主義システムを補完するためでも、それにかわるシステムとしてでも、
あるいは監視社会のためでもなく、
地域コミュニティや終身雇用的な会社のようなコミュニティ(ネーション)を
補完するためだったということです。
だから無償で労働が行われ、繋がりの社会性を求めるような傾向が
現れるわけです。
だからそれをよりうまく機能させる方法がないものかな、ということです。
174 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 10:03:40
柄谷的な三元は以下のような学問に対応しますね。
それまでは明確な境界は無かったものが、近代に分離し、
それぞれ発展したものです。
資本・・・経済学
国家・・・政治学
ネーション・・・社会学
経済や政治や教育やマスメディアや家族はシステム(固有の領域をもち互いに排他的)だけど
国家やネーションや生活世界やインターネットは幻想や技術であってシステムじゃないよ
道具よりもその使い方や選び方や選んだり使えたりするようになるまでの
プロセスに関わるシステムの方を問題にしたほうがいいような
>地域コミュニティや終身雇用的な会社のようなコミュニティ(ネーション)を
>補完するためだったということです。
意味がわかんね。
オープンソースみたいなことをいってんのかね。
ネットは地域コミュニティの補完というよりもむしろ遠隔地ナショナリズムみたいなのを生む方で機能したんじゃないの?
ネーションは全体性、同一性を求めるけど、ネットは島宇宙的なものの拡大の側面が強くて、
全体性は減退したっぽいけどな。
177 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 11:51:07
それ自体が唯物論的というか、資本主義的だと思います。
たとえば資本主義が実態化して語る経済はどこにあるのか?ということが問題なわけです。
ネットを考えるときにそのような考えを先にたてると「あちら側」からしか見えなくなるということです。
178 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 11:54:42
たしかにネーションという表現はよくないですな
カラ谷は「想像的なもの」と言い換えています。
ベタにいえ、貨幣交換でなく、贈与互酬ということですね。
>たとえば資本主義が実態化して語る経済はどこにあるのか?
一般的等価物を価値の尺度とする思い込みが成立して、
その思い込みが再生産される限りでは関係として実在するでしょ
意味論の問題であって技術の問題じゃないと思う
180 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 12:15:38
それは経済学であって経済ではないということです。経済は等価交換のみで説明できないし抜き出せない。
純粋古典物理学的世界が存在しないように経済学的世界は存在しません。
>>180 だから>179さんは、経済はあるいは貨幣は神学的だとマルクス的にいってんじゃないの。
君がなにをいってんのか、さっぱりわからんよ。
贈与が経済じゃないってのはそう思うけど、179の関係は現実に成立してるじゃない?
これは経済が文化を規定するとかそういうことがいいたいんじゃないよ
経済的に可能でも政治的に不可能なことがあるなんてのは自明だし
なにがどんな意味をもつかは関係のあり方によってきまるから
ネットや資本とかってメディアを問題にするより関係性を問題にするべきじゃないのかと思った
183 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 12:27:52
グローバリズムで行われているのは平等で自由な競争という資本主義の名のもとに実際は略奪まがいなことが行われているわけです。
そもそも純粋な平等で自由な競争など存在しないわけです
リロードしてなかったスマソ
>>181みたいなことがいいたかった(181アリガトウ
185 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 12:32:06
経済学的に経済はこれだ!というものはどこにも存在しない。それはマルクス経済学だろうが同じです。
それがカラ谷が資本=国家=ネッションのポロメオの輪で経済下部構造としてのマルクスを批判する点でもあるわけです。
186 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 12:49:27
ボクがいいたのは、経済などないということではなく、
>>175の経済は実体的なシステムで、ネーションは幻想である、ということに対して、
経済もまた幻想的で、ネーションもまた実体的である、ということです。
これが見えずにネットを語ると、経済学的経済がうまく機能していないネットは
いい加減なもので、グーグルがそこに経済原理を導入した救世主のような
一般的な幻想に囚われてしますということです。
>経済もまた幻想的で、ネーションもまた実体的
これはそう思う
だけど、システムは自分で自分を生産するのに対して、
ネーションはシステムによって(後から)発見されるものでしかないんじゃない?
188 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 13:15:21
>>187 システム論的にシステムは自分で自分を生産するものとすれば、
経済もコミュニティ(ネーション)も同じです。
ヴィトゲンシュタインのゲーム論的に、システム(規則)は(後から)発見されるものでしかないというなら、
経済もコミュニティ(ネーション)も同じです。
189 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 13:19:39
再度いえば、経済学と経済との違いを考えないといけません。
経済は経済学ではありません。
経済が複雑性を縮減しシステムとして機能しているからといって、
それを経済学的に記述するのは、いつも事後的であり、
そして理想状態的です。
経済はもっと複雑で、動的で、混沌で、記述(経済学)で組み尽くせないものです。
以上を経済→社会(コミュニティ)、経済学→社会学と、変えて読んでも
同じです。
190 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 13:24:19
社会と社会学の違いはよういに理解できるのに、
経済と経済学を同じように考えてします傾向がほんとに強いですね。
経済学が社会学に比べて、貨幣という数量化を持っている分、
客観的なものと錯覚しやすいのでしょう。
>>188 社会システム理論に依拠してますよ
ルーマンによればコミュニティは(政治や経済みたいな)機能システムじゃないよ
というのは、機能システムは何かしらの作動を通じて、固有のひとつの機能を実現して、
自己と環境の境界を自ら(再)産出するわけだけども、
コミュニティシステムなるものには、コミュニティ/非コミュニティの境界は設定できないので
構成員の間で線形的時間に左右されないコミュニケーションを保障できるわけでもないので
組織システムでもないし
192 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 14:07:37
>>191 そこまでいくと、ルーマンのシステム論はコミュニティ(想像的なもの)を記述できるのか、
ということが問題になるのではないでしょうか。
ルーマンのシステム論の特徴は、まずコミュニケーションそのものを単位と
するわけで、政治や経済は機能システムであるというよりも、
機能システムとは政治や経済のようなものである、ということに近い。
コミュニティ(想像的なもの)はコミュニケーションとはないか、を問うわけです。
だからいま言っている問題はルーマン以前の問題、政治や経済(におけるコミュニケーション)
とはなにかという問いではないでしょうか。
193 :
社会学部卒:2007/03/02(金) 14:30:07
君達ルーマン語るならまず構造機能主義と機能構造主義の説明とシステム論としての開放形の説明とコミュニケーションとは何かの説明、3つを猿にでもわかるくらい明解な説明しろや。まじわかってるとは思えないぞ
194 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 14:41:47
>>193 たしかに、ルーマン以前の問題というのは言い過ぎのように思いました。
>>191もルーマンの一面的な捉え方だと思います。
ダブルコンティジェンシーも含めて、説明お願いします。
195 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 15:30:22
クリリンのことかーーー!!!
Aと非Aの差異を理解するには、区別の指標を「理解」していなければならない
裏返せば、区別の指標(観察図式)を理解すると、それに相関して存在が事後的に産出される
したがってある対象Aを観察することは、Aと非Aを区別して、一方の側を指し示すこと
コミュニケーションとは、情報と伝達の差異が理解されること
これが理解されないと、指し示し(例えば話しかけたという行為)はただ単に行動として知覚されるだけで、
誰からもなんの反応も引き起こすことができず、存在してないのと同じ(有意味でない)
つまりコミュニケーションは後継するコミュニケーションに接続されることで初めて意味をもつ
コミュニケーションは自己指示的でなければならない
(ただし、先行するものは後継するものに、同時に、後継するものは先行するものに規定されている
システムの歴史を無視して発言すると、「空気の読めない奴」に)
したがって、人間はコミュニケートできない
コミュニケーションだけがコミュニケートできる
コミュニケーションのうちにそのコミュニケーションが定位する観察図式が再帰的に現れるとき、
そのコミュニケーションは作動を通じて自己準拠的に閉じることになる
こうして過程を通じて構造が再帰的に形成される(機能を通じた構造化)
(この動的に安定したコミュニケーションの体系が政治や経済といった機能システムであり、
常に機能的に等価な他のシステムに取って代わられる可能性をもっているものとして把握される)
閉じるだけではトートロジーなので、機能システムは固有の観察図式に従い外部を観察し
外部準拠(脱パラドクス化―トートロジーの隠蔽)を行う
例えば経済システムは一般的等価物によって支払/非支払の区別=コードを獲得し
支払のための支払を絶えず再生産し環境との境界を形成する
(支払の否定は将来の支払のための貯蓄を表現するため、区別の形式は破壊されない)
ここには動機欠如が組み込まれている(消費してもしなくてもよいというコンティンジェンシー)ので、
経済システムは動機(支払を可能にするだろう価格や資本など)の発見を自らに強いる
政治システムや学問システムにおいても同様
総体としての社会は、各システムの可能性が棄却されるところとして現れる
(例えば、支払/非支払の区別を再生産する経済システムに可能なことも、
合法/違法を再生産する法システムには可能でない)
したがって、機能構造主義システム理論は、階層構造を認めない
また、全体社会は、分出した機能システムの総体より小さいものとなる
なお、構造機能主義は社会的なものの最小単位をコミュニケーションでなく行為においたため、
意味や機能に関してトートロジーに陥ってあぼーん
勢いに任せて書いてみたけどどうでそ?
198 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 16:15:14
>>196 だいぶわかりました。コミュニケーションはコミュニケーションがコミュニケイトしていて人間はコミュニケイトできないと。つまり人間(情報)とコミュニケーションとの間は=ではないと。ではこの差異は何故同じものにはならないのですか?
システムの外部は各システムに固有の観察図式を介してしか認識できない
例えば、「わたし」が「犬」だと見えてるものが、
他人にも「わたし」が見てるのと同じ「犬」というものかどうかは確認できない
(マスメディアは視聴率、政治は支持率、経済は貨幣……といったメディアを通じて外部を観察する)
200 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 16:31:44
ルーマンの理論はすべては夢のなかで語られしかし夢はすべてだと気づかされ次いですべて(全知全能)は無意味なものであると気づかされ夢から醒める。夢(意識システム)から醒めた後我々は夢のなかに閉じ込められ夢は完全な世界のなかで展開され次いでまたそれが無(夢)
201 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 17:23:41
>例えば経済システムは一般的等価物によって支払/非支払の区別=コードを獲得し
>支払のための支払を絶えず再生産し環境との境界を形成する
複雑系の問題は、「真面目すぎて」なにも語れないことにあるわけです。
柄谷的3次元(資本=国家=ネーション>などは、カップリングということに
なるのでしょうか。基本的には、複雑すぎてなにも語れないわけです。
もっと簡単に市場(いちば)を語れますか。おばちゃんのその日の機嫌でおまけがつくような・・・
>193 名前:社会学部卒[] 投稿日:2007/03/02(金) 14:30:07
君達ルーマン語るならまず構造機能主義と機能構造主義の説明とシステム論としての開放形の説明とコミュニケーションとは何かの説明、3つを猿にでもわかるくらい明解な説明しろや。まじわかってるとは思えないぞ
・「こらあ〜!!!波平〜!!!」
>194 名前:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY [] 投稿日:2007/03/02(金) 14:41:47
>>193 たしかに、ルーマン以前の問題というのは言い過ぎのように思いました。
>>191もルーマンの一面的な捉え方だと思います。
ダブルコンティジェンシーも含めて、説明お願いします。
・「先生!ボクだけじゃありません!191も!!191だって!!〜」
>201 名前:第三の波平 ◆V8RGN/F1uY [] 投稿日:2007/03/02(金) 17:23:41
>例えば経済システムは一般的等価物によって支払/非支払の区別=コードを獲得し
>支払のための支払を絶えず再生産し環境との境界を形成する
複雑系の問題は、「真面目すぎて」なにも語れないことにあるわけです。
柄谷的3次元(資本=国家=ネーション>などは、カップリングということに
なるのでしょうか。基本的には、複雑すぎてなにも語れないわけです。
もっと簡単に市場(いちば)を語れますか。おばちゃんのその日の機嫌でおまけがつくような・・・
・「もっと簡単に語れますか、出来ないならば少しはボクを誉めて下さい…?」
203 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 17:48:08
>>202 すばらしいご説明ありがとうございます。
システムは、複雑性を縮減するじゃなくて、複合性を縮減するんだよ
市場に野菜を買いにいったのに、今日はおばちゃんの機嫌がよくなかったから買えなかった、とか、
おばちゃんの代理できたおじちゃんとは身分が違うから買えなかった、とか、
野菜を売ってもらう代わりにおばちゃんに信仰について語られた、とかってことのないように
期待できるコミュニケーションの組み合わせを一定の枠内に収斂させてきたのが近現代社会だ、っていう
でも分化一辺倒だと増大するリスクに対処しきれなくなる日が来るので
今後どうなるのかはわからない、ともいってるんだけど
205 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 17:58:58
おい、ここは何スレだ、本当に
206 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/02(金) 18:14:26
複合性の排除と複雑性の縮減は意味が違うでしょう。
実際の問題はお金も法も愛憎もからみますが、このような複合性からお金の問題だけ抜き出し、そのシステムが複雑性の縮減として分析する。
そしてあとからカップリングとしてお金、法、愛憎?とくっつける
しかしこのときには話が難しすぎてなにもかたれたい。
いちばのおばちゃんはあまりに難解すぎるのです。
207 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 18:18:07
とりあえず全くわかんないんだけど
>>202-203で噴けばいいってことだけはわかった。
なんでこの話があってるのかここはぴかー?さんのスレではないっていうのはあるがどうぞ。続けるなら。
208 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 18:27:14
>>205 「日々の愚痴と哲学を混同して、信者を募るスレ」
だと思うケロw
209 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 18:29:15
「あえて答えを出さない小説」とか、いくらでもあるし、
これも、そういう感じなんじゃねw
210 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 18:37:37
ぴかの作文はぐるぐる回ったあとどこにも行き着かずにいっぱい使われているコードや専門用語の説明もされず曖昧なまま羅列されて終わってるよ。もう少し絞って書けよ。例えば「複雑性の縮減」と「複合性の排除」これだけで書け。よみやすいように
211 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 19:54:13
ぴかの作文を読んでるヤツがいるよ・・初めてみた
212 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 21:46:31
経済学の意味をわかってない奴多すぎ
213 :
考える名無しさん:2007/03/02(金) 22:01:42
「経済学」の抽出結果
>100、>174、>180、>185、>186、>189、>190、>212
……
あずまんは、
「韓国ドラマって今ブームですよね。僕も好きでけっこう見てるんですが」
(「阿部和重対談集」278頁)
と仰ってますが、正気なんでしょうか?
義務的に見たとかではなく「好きでけっこう」というのは・・・・
あずまんはベタなハリウッド映画も好きですよ。
216 :
考える名無しさん:2007/03/03(土) 00:05:14
東は浅田みたいにひねくれてないんだよ
だから素直にギャルゲーだのラノベでも楽しめる
コンプがあるのは東の方でしょ。
柄谷はともかく浅田は何かのジャンルを語ること自体には価値をおかない。
クラシックだろうが絵画だろうがジャニーズだろうが漫画だろうが。
彰はBLについても語っているぞ
>217
ガルシアマルケスなどのラテンアメリカ文学とか。村上龍や坂本龍一
とか、散々対談してるし褒めてるし。
アレナスとか言うゲイ作家とか。
あと、ダムタイプとか言う演劇集団(?)とか。
>214
ハヤリ物には、何でもついていかないかんと思ってるんじゃないの?
とにかく「流行り物」なんだから。
オタクがハヤレばオタクに、サブカルがハヤレばサブカルに行く。
>214
「僕も好きでけっこう見てるんですが・・」って、何を見てるか具体的に聞いて
ごらん。答えられないよ。2次情報に過ぎない。
実際にギャルゲーをやってるかどうかさえ怪しいし。airだって、なぜそれが
面白いのかの解釈はデタラメだし。
>>219 だからジャンルにかかわらず自分が良いものを良いって思うタイプってこと。
クラシック音楽というジャンルの価値を社会に認めさせること、ジャニタレの価値を社会に
認めさせることには価値をおいてないってこと。
東ってラノベやギャルゲの価値を認めさせることに変な使命感持ってるでしょ。
>>222 > 東ってラノベやギャルゲの価値を認めさせることに変な使命感持ってるでしょ。
一時期ほど「変な使命感」は持っていないな。
なぜか、「大新聞の文化欄や文芸誌はミステリやラノベを扱わない」ことを各所で怒っていたけど、
何を目指していたのか理解不能だった。
現在は取り上げられているけど、それで何が変わったのかよくわからないし。
逆にラノベ(批評)ブームに冷笑的なポジションに移行している。
何様のつもりか。
>>224 アニソンの価値を認めさせたVIPPERがイマドキなアニソンを認めなくなったのに似てるw
あずまんの反抗心はきれいな反抗心
創作物とかその批評に対する幻想を持ってるんだと思う。
自分の好きなものが認められたり、それに対する批評活動が認められれば
世の中は良くなるみたいな。で、思ったほど世の中が良くならないので冷笑的にな
ってべつのネタを探す。浅田彰は最初から投壜通信のノリだし、柄谷は是非はとも
かく、そういう幻想を捨てて直接的なアプローチに行ったよね。
でも、さめてる浅田は単なるレポートになりがちだし、柄谷みたいに政治運動して
失敗して非難浴びるよりは、こっちの方が良いのかもしれない。
流れを断ち切って申し訳なく思うのですが、皆さんは大体おいくつなんでしょうか?
私は高2でラノベ経由であずまんを読むようになりました。
なぜ年齢を聞いたかというと上でされていた経済や複雑性の話が全く理解できなかったためです。
浅田彰や柄谷も名前をこのスレで見るだけで著作は読んだことがありません。
クラスでも東を読んでいる友人はいます。でも浅田彰を読んでいる人はたぶんいません。
特に社会学系の大学へ行こうと考えてはいませんが
やはり浅田彰等を読まなければあずまんの書いてあることも理解できてないことになるのでしょうか?
>なぜ年齢を聞いたかというと上でされていた経済や複雑性の話が全く理解できなかったためです。
東も理解できないから、きみもできなくてよい。
最近のであずまんお勧めのアニメって何?
>>228 > 特に社会学系の大学へ行こうと考えてはいませんが
> やはり浅田彰等を読まなければあずまんの書いてあることも理解できてないことになるのでしょうか?
根本的な勘違いをしている。
あずまん≠社会学
大学に入って社会学の講義を受けたり本を読んだりしても、あずまんとは関係ありません。
情報化社会やカルスタがらみで少し関わるかな? それぐらい。
浅田彰≠社会学
一応経済学者なんだけど、その方面でも仕事ゼロ。「文化批評全般」が仕事。
大学に入って社会学の講義を受けたり本を読んだりしても(略)
現代思想、ポストモダニズムを学ぶ上でなら浅田の仕事は役に立つ。
232 :
考える名無しさん:2007/03/03(土) 10:29:15
浅田彰のスレはここでしょか?
柄谷読むほうがいいんじゃね。
可能なるコミュニズム以前のやつ
岩波文庫全巻制覇したら。
おずまんは若い頃にそうしたらしいし、
柄谷も古典を岩波文庫で読むことを勧めてたよ。
235 :
考える名無しさん:2007/03/03(土) 16:44:42
,ィ彡}}kァァil{ミk{iilliiil|ilミi;;,,.
,ィj|}}i}}リ}ii|州}{ミュk{iillll|il|i|k{{ミ;,
,ィjil|iii}リリソソ州|ヾkトi{{i州il|il|i|k{{ミ;,
j}i}}|il|iii|i州iiリリ}i|ト、ヾkト{{ii州il|ili|k{{ミ;,
j}i|i}}|il|iil|州il|州il|\、 ヾkト州ikl|i|kiliトlli
jlili|i}}|il|}i|ili|ii}i州}i| ヾkトi州}ト州}ili
ilil}i|ii}}|il|li|ill|il}州リ ヾト{ikトkk}ハii
!li}iハソ{ill|i|iji|li}ソノ \ヾ、ミミi}
v{{i ヾ{ij|}jリリ z==z- z=|iリ
. }ilハ }ijl{| rッッュ rッ= l
ノ}iiハ }lリ -‐ ; l i
ソ}}ソ}iゝ.i ..: .. ,. ト .′
ノ k、:.. .:. :. .. / 、 _ ,)) / i`ヽ
,ィ(_ 丶 :..:. :. ... i _,. -_一イ / ′ } あはははっ
/ ` ‐- ...__、 ::. :...:. ノ ゝ二ニ , / /
` .:.: ::.. j / /
` ‐ __、____ノ ′ ゝ--─ 、
`ー─'l / ´ )
| / )
あずまんは「動ポモ2」を出したらラノベ論は打ち切りだろうし、
アニメ、ミステリ(?)、エロゲ、ラノベをやりきっちゃったから
もう寄生先の流行のオタジャンルがないじゃん。
次はどうするんだろ?
流行りそうなジャンルってなにかあったっけ?
>>234 > 岩波文庫全巻制覇したら。
> おずまんは若い頃にそうしたらしいし、
うそつけ。
岩波の何色かは知らないけど、あずまんが制覇した形跡は見当たらないぞ。
学部生・院生時代は、浅田柄谷のオススメ本+表象文化オススメ本+情報社会論(インコミ系)の一部
くらいしか読んでないぞ。
>>228 「ラノベ経由であずまん」ということだが、佐藤友哉とか西尾とかにシンパシーや
コミットがあるかどうかだよ。
つまり、東が考えるポストモダン人が佐藤作品(の中で描かれているような人)で、
だから「売れるはずだ」と。
ポストモダン社会では、ポストモダン人を写実した文学が売れるはずだと。
ポストモダン人は「我がことのように」佐藤作品を読まねばならない。
「これって私!」を佐藤作品の中に読まねばならぬわけだが。
>お祭り騒ぎは、もうお終い。
>今回は愛をめぐる3つの物語だ。
>暗澹(あんたん)たる日々に埋もれた無様な青年。
>悪意から逃れられない少女を護り続ける少年。
>密室情況の屋敷の中で繰り広げられる、贖罪を含んだ惨殺劇。
>それは歪んでいて、壊れていて、間違っている。
>でも確かに愛の物語なのだ。
>俺は行動を開始した。
>その目的は、水没した全てのものを引き戻すため。
>そして、その果てに浮かび上がる真相。
>そこにはもう、馬鹿げた世界は存在しない。
「水没ピアノ」だが、これにコミットできるかどうかだ。「これって私!」として
読めれば、あなたもポストモダンだが。
>青春は美しくない。私の場合もそうだった。2年B組に現れた転校生。
>校内で発生した密室。それらを起点として動き出す、不可解な連中。コスプレを
>通じて自己変革する少女。ぐちゃぐちゃに虐(いじ)められる少女。人間しか
>食べられない少女。ドッペルゲンガーに襲われた少女と、その謎を追う使えない男。
>そして……予言者達。私は連中の巻き起こす渦に呑まれ、時には呑み込んで驀進を続けた。
>その果てに用意されていたのは、やはりあの馬鹿げた世界。
>どんなに平穏で退屈に見える世界も、エナメルを1枚剥がせば底無しの暗黒
こんなセカイにあなたは生きてますかと。リアリティーを感じるかどうか。
「オタク世代に送る新文学」という事で、ポストモダンを写実してるつもり
なんだよね。しかし、なぜか受けないのだ。
「これって私!」ってあずまんじゃなくて宮台がいってることじゃない?
「こじんまりとした世界」で「ありえそうになさ」になさを展開するラノベ的な話は
動物化オタクのコミュニケーションのあり方(撤退)に対応してる
けれどもオタクは作品に表現された世界観やそれを共有する共同性というよりも
現実の期待外れから保護してくれる機能をこそ消費してるのであって
作品にコミュニケーションの期待はずれリスクを持ち込むような佐藤友哉的な話は
歓迎されないような
単なる思いつきなんでレスはいらないお
[大世界/小世界][日常/非日常]で
[小世界+非日常]でオタク的な退行がインフレする、というのが
宮台による90年代初頭までの分析だったっけ。高橋留美子が代表で。
この図式だと、セカイ系は[小世界+日常](学園生活)から[大世界+非日常]に
一気に短絡している。
佐藤友哉の場合、[小世界+非日常]なんだけど、どことなく[大世界]とつながっているような感覚と
不条理性の導入が新しい(?)。
コミュニケーションの期待はずれリスクというより、単に不条理性でしょ。
理不尽な出来事の説明がなされることはないし。
不条理性があるから、純文学系に受容されるのも早かった。
年間売り上げからすると、西尾維新の10分の1以下なんだけど。
あずまんて少し前まで奈須きのこを毛嫌いしてて、
奈須をプッシュしてる大田までも批判してたのに、
奈須を看板にしてる講談社BOXから単行本出すんだ。
なんか心境の変化でもあったの?
正直舞城とかとか佐藤って賞味期限切れだし、これからは
奈須化した西尾とかの新伝奇あたりに注目するする必要が
あるんだろうけどねえ
ブームも終わってるし、ファウスト人脈とは一線おいても不思議じゃないね。
結局ファウストは奈須を載せたしね(あずまんは反対していた)、
かといって講談社と切れるほどではないし、まあそういうこと。
>あずまんて少し前まで奈須きのこを毛嫌いしてて、
>奈須をプッシュしてる大田までも批判してたのに、
>奈須を看板にしてる講談社BOXから単行本出すんだ。
こんなの日常茶飯事では。
>この時代のときめきを代表するような若者たちの登場に拍手をおくりたい。(中原昌也)
この文にときめきを感じないわけにはいきません。あのツトムが死んだ・・・
社会人で東読んでる俺がカアイソウ
248 :
考える名無しさん:2007/03/05(月) 02:21:43
奈須きのこって誰やねん
奈良美智かねん
社会人でなんでカワイソウやねん
>247
カワイソウなあなたは、佐藤作品に自己発見しないといけない。
暗い青春から「妹」まで、いろいろあるわけですが。
ボクラの「新(暗い)青春エンタ」というわけだ。
「不条理な私」「多重人格化する私」「犯罪者としての私」という所
かなあ。
みんな(例えば2chに書き込んでる人たち)が共感してくれるんじゃないか
と思っとるわけよ。
ああ、この暗い青春俺にもわかる!とかですねえ。
動物化した世代のリアルを描いて、共通感覚の筈だと。
2chからオタク、ブログ書いてる人まで、東の中では「大ヒット」の
筈なんだよね。だって、共通感覚でしょう?
「アダルトビデオしか恋人のいない私」とかを描いとるわけよ。
253 :
考える名無しさん:2007/03/05(月) 04:12:59
ポモは再燃化する原体験記憶を自己陵辱してるからな
東でなくとも捜索する必要のある存在として存在するんだろう
>253
佐藤友哉に共感しますか?「妹の陵辱」なんてネタもあるわけだがw。
共感するなら、買ってあげればいいのだが。誰も共感しないでしょ。
ポストモダン化し、オタク化した世界は不条理だと、東は言いたいし、
その不条理から逃れるための「監視カメラ」なのだね。
ただ、それは佐藤友哉的世界観が前提で、オタクが皆ロリコン犯罪者だとか、
「妹陵辱者」だとか、多重人格で記憶がないとかね。
それが前提だから。殺人者(クビキリサイクル)だとかね。
たしかに、自分の知らないところで殺人するような危ない奴なら、監視カメラ
は必要でしょうがね。「鏡公彦の殺人」とか犯罪とか言ってるけども。
>>255 > ポストモダン化し、オタク化した世界は不条理だと、東は言いたいし、
> その不条理から逃れるための「監視カメラ」なのだね。
まったく独創的な読み方ですね。
精神科医にでも説明した方がよさそうです。
なぜ吉外は東に惹かれ、そして叩き、また崇めるのかについて。
東浩紀ジャーナルで、「格差社会論は知っての通り2005年の『下流社会』のベストセラーから始まった」なんて
書いちゃっていたよ。
「知っての通り」じゃないってば。
格差社会論のきっかけは、2000年の『不平等社会日本』のベストセラー化からでしょ。
そこから中流崩壊論が広がってきたのだから。
佐藤俊樹はあずまんの本までちゃんとチェックしているのに、
あずまんの方はボケボケ。
ジャーナルというくせに対談本からの論点ピックアップにすぎないし。
本当に文章が下手だなぁ。
昔、手塚が「佐藤友哉は天才だ・理由は俺にも説明できない」とかいってたけど、
理由はなんだったの?
社会人「佐藤友哉って誰だよ」
ニート「おいおい・・・・」
東京から考えるなんで売れてるの?
読んでる奴らは脱構築とかの言葉知ってるのか?
サブタイトルの「格差・郊外・ナショナリズム」が理由とか。
読者は、若手w社会学者が格差・郊外・ナショナリズムについて分析していると
関心を持って買っているとか。
浅田彰と中沢新一みたいなもんか?
>東京から考えるなんで売れてるの?
売れてるの?
265 :
考える名無しさん:2007/03/05(月) 20:34:16
売れてるらしいよ
>>264 あずまんブログさえ読んでいないのに
このスレに来ているというのは謎。
267 :
考える名無しさん:2007/03/05(月) 21:53:17
本当に売れてるの?
思ってたよりは売れてるんだろ
一部の書店だけだろ、よく読めちんどんや
出版ラッシュのことしは幸先よいスタートを切れました。
なんと言っても若手のホープですから
あずまんはきれいな若手
あずまんはきれいなくたびれた若手
あずまんはきれいなくたびれたつぶしのきかない若手
あずまんはきれいなくたびれたつぶしのきかないしっとぶかい若手
あずまんはきれいなくたびれたつぶしのきかないしっとぶかいけんりょくをあたえられた若手
あずまんはきれいなくたびれたつぶしのきかないしっとぶかいけんりょくをあたえられたかいらいのような若手
かわいそうなあずまん
パロマ・リンナイ 100万台 死者30人 10万台あたりの死者3人
松下 10万台 死者50人 10万台あたりの死者50人
279 :
考える名無しさん:2007/03/06(火) 04:39:49
んでラノベ?関連の話はもう終了ですか
正直全くわからなくて困ってましたがなるほどこういう話も
280 :
考える名無しさん:2007/03/06(火) 05:04:48
「ボヴァリー夫人は私だ!」「ドンキホーテは私だ!」
「これって私!」ってのは歴史的だけれども、
文学に「私」の同一化を求めるよりも、
「こんな書き込みする私!」をしたほうが効率いいよなあ・・・
その意味でワレオタさんは文学を超えている。超文学的存在。
たしかに友哉たんは天才だな。バックベアードは正直感動した。共感する。
>281
佐藤友哉は「妹の陵辱」や「暗い青春」を共感してほしいと
思っているわけで。
でも誰も共感しないでしょ。だから誰も買わない。
しろうと精神崩壊
>佐藤友哉は「妹の陵辱」や「暗い青春」を共感してほしいと
「陵辱」はみんなの望みだし、みんな暗い青春なんでしょう。
285 :
考える名無しさん:2007/03/06(火) 12:29:35
文学フリマのとき女性読者だって並んでたでしょ?
ワレオタのいけないところはすぐに女性を排除するところだな。
モダーンなんですね。
佐藤も滝本も作家として良い作品を残せていけたかっていうと完全にできなかったね
自分を切り売りすることしかできないのが限界だった
タッキーもユヤタンも素晴らしい私小説作家ですよ
そこで森博嗣や乙一ですよ
>佐藤も滝本も作家として良い作品を残せていけたかっていうと完全にできなかったね
NHKのアニメ版はよい感じでしたよ。サクラ姫の人の声がなんともいえずよい。
ユヤタンが女性に人気があるのは顔がいいから。
文学者も顔の時代です。
近親相姦を書いておけば、君たち2chねらは共感すると
佐藤は思っとるわけだよ。これって私!と思って飛びつくと。
そして東は佐藤の小説をポストモダン写実文学だという。
これって私!と思って飛びついたwww。
世界はポストモダン化し、オタク化したと東はいう。
そこで「監視カメラ」。どうですか?。この社会。
東のなかだけの社会(セカイ)じゃないですか。
>214
美しい魔闘家鈴木健がいる。
>286
東によれば、動物化世代のリアルな小説を書き、共通感覚の筈
なんだが。
結局インチキなんでね。東の解釈が。
ひぐらしだって、時かけだって、どうしてそれが面白いのかの
解釈はデタラメだし。
サブカル系じゃなくて、哲学思想方面で、
そのまんま越えしそうな若手のホープって誰がいるのかな?
しろうととぴか両名は却下で。
ワレさんは存在がデタラメじゃん。
>>294 「大航海」の「現代日本思想地図」特集で執筆している人は
京大の佐伯啓思門下や大澤真幸門下の70年代後半生まれの人が多いから
思想界のホープを探したいんだったら要チェキだよ☆
東京から考える、アマゾンのレヴューのひとつは、曰く
東が「いまや脱構築不可能な、生物学的身体としての人間だけがナマでごろんと転がっている」
(p263)、「必要なのは工学的な事実性を制御する知恵、スキル」(p278)と主張し、北田が「社会を
動かすのは『人間工学の共同幻想』だから、その脱構築は完全に不可能ではない」(p289)と応酬
する構図に興味を抱く読者もあろうが、所詮は立場表明に終わっている。しかもこの構図は、2
人が言及するローティvsロールズはともかく、福田和也が『イデオロギーズ』で描いたハイデ
ガーvsカッシーラーの対立を変奏しているようにも思う。大切な問題であることは認めるが…
のうち、「福田和也が『イデオロギーズ』で描いたハイデ
ガーvsカッシーラーの対立を変奏しているようにも思う」
はどういうことなのか?説明を求める
298 :
考える名無しさん:2007/03/07(水) 01:05:42
>>297 福田の本に答えはあると思うが読まずに答えよう。つまり、ナチスドイツの思想
は遺伝子的・優生学的思想で、「同一性」を肉体・身体に求めた思想だと。血の同一性。
対してハイデガーは、「存在の呼び声」つまり、ドイツの魂のようなものを求めた
わけで、肉体的・人種的なものに「基盤」を求めなかった。
「機械的なもの」に基盤を置いて工学的にやるか(ヒトラー・東・あるいはカッシーラー?)
と、文化的なものに「真の基盤」を求めるかで(ハイデガー)違いがあるのだ。
オタクは後者の方で、北田もそうだということかな。
福田の本がこれと同じ結論を書いてればゴカッサイだね。
結局、東にとって「無意識」が理解できず、データベースで処理するから。
機械的身体しか、実感できないんだと思うね。
アンドロイドは電気羊の夢を見ると言うが、アンドロイド東はどんな夢を見てるのかな。
ブレードランナー風の都市論書いて、「廃墟としての都市」だもん。
301 :
考える名無しさん:2007/03/07(水) 01:55:48
データベースを消費する欲望はどこからくるんだ?
>>301 > データベースを消費する欲望はどこからくるんだ?
???
データベースから作られた「小さな物語」を消費する欲望、というのならわかるが。
データベース自体は「大きな非物語」(この造語流行らなかったね)なんだから
消費するも何もない。
>301
東自身どう答えるのか知らないが、それをも「機械としての身体」が生み出す
と考えるか(例えばドゥルーズ)、あるいは身体の外部にある何か超越的なもの
から来ると考えるか(存在・フォネー・呼び声)だね、違いは。
ニーチェ自身は肉体論的な所があるから、欲望は身体が生み出すと思っってたか。
その考えは、たしかにナチスに似ている(生理的・人種的肉体論)。
対して、ハイデガーはナチシンパと言われるが、似てるようで異なる。
304 :
考える名無しさん:2007/03/07(水) 02:39:49
おかん、おれ東京でがんばりようよ。
脱構築ってなに?
306 :
考える名無しさん:2007/03/07(水) 06:54:58
>>303 データベース自体への欲望(志向?)に、データベースに登録されている物語を
消費する欲望が含まれている、ということだね。超越者も欲望が生みだすわけだ。
三行目の「違いは。」の意味が取り難いのだが、まとめるとこうか。
問:
「データベースを消費する欲望はどこからくるか?」
・「機械としての身体」が生み出す(ドゥルーズ)
・あるいは身体の外部にある何か超越的なものから来る(存在・フォネー・呼び声)
・身体が生み出す(ニーチェ)
・ニーチェの考えはナチスに似ている(生理的・人種的肉体論)
結論:
・ハイデガーはナチシンパと言われるが似てるようで異なる
脱っふんだ!
308 :
考える名無しさん:2007/03/07(水) 14:19:07
>91
>でもやっぱり工学的都市のモデルはディズニーでしょ。
>みんな幸せそうじゃない。
>ディズニーランドにいる人はさ。
>中にいて楽しんでるのはほとんど動物だもの。
>設計しているのは、そりゃエリートである程度全体を見渡してるかもしれないけどさ。
>ただジャスコになると、設計してるのも動物だし、消費してるのも動物みたいになってるからな。
元ジャスコ設計部の私がきましたよ
309 :
考える名無しさん:2007/03/07(水) 14:31:44
でもやっぱりポストモダン社会のモデルは東スレでしょ。
みんな幸せそうじゃない。
東スレにいる人はさ。
中にいて楽しんでるのはほとんど動物だもの。
>>306 >存在・フォネー・呼び声
この三つを中黒でつなぐのは論理的にいかがなものかと・・・
>309
東思想に賛成なあなたはアンドロイドで、「ブレードランナー型都市」を肯定する
ということなのか?
東思想を支持して、何かメリットあるの?
東は要は「私はロボット」でしょ、SF・ポストモダン風に言えば。
>>308 すごい人がきた。
設計の時のコンセプトみたいなのはどうなの?
数年前からモールばっかりになってると思うんだけど、時間消費型の施設を目指している?
テナント構成みたいなのは?
モール型は「ららぽーと」が最初?
ららぽーは三井不動産だから、それもディズニーと繋がるわけだけど。
電波の先輩格でもあるボードリヤール閣下が亡くなりました。77歳。
デリダより3、4年しか長く生きなかったわけだ・・・もっと長生きすると
思ってたんだけど・・・
>314
ポストモダニズムの終焉だよ。ところで、宮台も自分のことを「ナンパサイボーグ」
だと言ってた。
浜崎あゆみは「白いサイボーグ」で、ガングロのコギャルは「黒いサイボーグ」
だとさ。
彼女らは内面がないから、心は傷つかないとか。こういうのはポストモダニズム
の常套なのか、なぜかこういう物言いが多い。
無論、宮田自身、後に転向し、コギャルに内面があることを認めたが。何なのか
この話は、ドゥルーズの「器官なき身体」とか欲望機械の話なのか。
何で自分のことをサイボーグだと自称したがるのかな。
宮台自身は、自分のことを「思考機械」「体験機械」「エネルギーの吹き溜まり」
に過ぎないと言っていた。
そんな宮台と東と、東は人間をコンピュータと見做したが、ほとんど同じだな・・。
批判したいのは、そこなのだが。
> 東は人間をコンピュータと見做したが
そんな発言あったっけ?
>317
直接は言ってないが、例えば「オタクはプロトコルと考えている」(ロフトのイベント時の発言)
とか。
そういう発言の集合体から。
「無意識はデータベース」とか。
319 :
考える名無しさん:2007/03/08(木) 07:52:54
>>314と
>>315はどう繋がっているんだろうと凄い悩んだ。
二節目の「ところで」か…。
ワレオタんはベッドに横たわって書いてるのか。
>>317 そんな発言はないが、聞きたがるひとにはそう「変換」される。
置き換えられる、加工される。
東スレで戯れるあなたがたは動物だ。
東思想を否定するあなたは動物で、「動物園型理想都市」を肯定する。
ポストモダン社会のモデル=東スレで戯れられるメリットは、東思想を否認することで得られる。
否定はつねにメタだから。これって私!が易々と手に入る。
東スレ=動物的ユートピアにいる人・ワレさんが典型だけども2chねらとか楽しそうじゃない。
中にいて楽しんでるのはほとんど動物だもの。
>>315 ああ、言ってましたな。そんなこと。
サイボーグってカッコイイからじゃない?
ワレオタさんも人工無能っぽいところがあってカッコイイww
草薙少佐みたい
>319
これは、別のスレ「脳は物質・・」の流れからインスパイアされて書いた
から。
機械的唯物論と東思想と同じでしょ。
>320
「東スレで戯れるあなたがたは動物だ」と言った時、その「動物」が全然
定義されてないでしょう?320の人だって、無定義じゃない。
だから、何も言ってないに等しい。
「動物的ユートピア」も定義してくれないと困る。「東スレで会話をすること」
なの、それは。「会話の快楽」のことなの?
323 :
考える名無しさん:2007/03/08(木) 09:45:55
会話の快楽・・・
だがワレオタ的会話は会話になっていない・・・
「表出」は会話じゃないからだ。
>これは、別のスレ「脳は物質・・」の流れからインスパイアされて書いたから。
ということなど誰も知らない。
それともレスしたりされたりだけで会話というんだろうか、
ワレオタを典型とする2chねらは。
その定義はわからない。でも通じる。「フツー」に通じる。人間だからだ。
思考のしかたが定義厨のひと(それは機械的に反応する)にはわからないだろうが、
プリミティブな言葉ってのがある。
哲板では馴染み深いだろうに。
プリミティブな言葉はその周りに喩をとりまくしかないから、それは戦略的になる。
定義厨的発想は比喩を文字通りに受け取る傾向にあるらしくて、動物の語に過剰反応する
というのはよく見られた光景だな。東のお陰で。
テンプル・グランディンによると ”人間 - 自閉症 - 動物” という脳のスペクトルがあるわけですが。
表出:伝達したいメッセージ
表現:メッセージがコード化されたもの
表出→表現→表現(のデコード)→表出´(として他者に理解)
コードは正確に伝わりうるがメッセージは原理的に伝達不可能(それは常に解読者が捏造する)
でも思い込みで人間の世界が成立してるんだからそれでおk
ってのは東(宮台大澤)の基本的な考え方だよね
したらレスさえつけば会話というんじゃないだろうか
猪瀬直樹が好きだったとか、韓国が好きだとか、仰ってる。韓国については
いいとしても、前者のほうは、驚愕の新事実なのでは
328 :
考える名無しさん:2007/03/08(木) 15:26:19
>313
ジャスコのコンセプトはアメリカのウォルマートそのもの。徹底して真似ている。
良く言えば、日本もアメリカ型の車社会になるという予測を見事に的中させている。
モール型になるのは、平面計画的にとても効率が良いから。
簡単に言えば、より多数のテナントを通路(=客が行き来するところ)に接させる形態を
追求して行く(=接客線を伸ばす)と、自ずとモール型になる。
時間消費型の施設は目指してない。
そういう商業施設もあるけど、滞在時間が長い客よりも短い客のほうがたくさん買うとも
言える。(店に来てから何を買うかを決める客より、あらかじめ何を買うかを決めてから
来る客のほうがたくさん買ってくれる、の意味)
むしろ、そういう客が買いたい商品へ早くたどり着けることのほうが設計では重要。
日本のモール型SCの歴史は知らない。
でもディズニーランドの設計手法が、アメリカのショッピングセンターの形態に大きな
影響を与えたのは事実。
ところで、イオン(ジャスコ)がダイエー株15%を取得した。副社長も送るらしい。
「東京から考える」で「都心の郊外化」と書かれてたけど、この分析は正しい。さすが。
> 「都心の郊外化」
都心部が住宅地メインで車での移動が基本になるわけないんだから、
そもそもおかしい。
都心部にジャスコができれば郊外化なのか?
330 :
考える名無しさん:2007/03/08(木) 15:45:44
>329
都心部とは何か?という定義次第じゃないかな?
大店法の改正によってジャスコは出店が制限されるようになった。
そのため、ジャスコは郊外から都心部へシフトしはじめ、
今までのジャスコは車社会型だったけど、これからはそれ以外の顧客層も
取り込みはじめたという意味です。
つまり、郊外で買える商品と同じ(似た)ものが、都心部でも買えるように
なるということです。
ライフスタイルで言えば、ジャスコ的な商品で囲まれた生活が都心部でも
可能になるということです。
「ジャスコ」が商業施設としてのジャスコそのものだと思ってる時点で絶句。
デリダ死にボードリヤール死にポモ終わる(俳句です。)
「東京から考える」の成功は死と再生の物語だな。
2ちゃんねるも悪くないなと思わせる出来事があった。
ずっと探していた言葉の出典が見つかったのだ。
2ちゃんねるでもう一回見たいレスは、綿谷りさが芥川賞を受賞した時、
柄谷(を名乗る人)が彼女と対談しており、執拗に「あなたが処女かどうかが
問題なのです」といっているやつ。でも、これはもう二度と見れないでしょう。
>>334 柄谷(を名乗る人)の質問の意図は、賢明なあずまんスレの住人からしてみると
どのように解釈できるのかな?
>柄谷(を名乗る人)が彼女と対談しており、執拗に「あなたが処女かどうかが
>問題なのです」といっているやつ。でも、これはもう二度と見れないでしょう。
こんなの嘘でしょ?
337 :
考える名無しさん:2007/03/09(金) 03:48:15
>>332 ボードリヤールがなくなっても、
消費社会が産みだした申し子、シミュラークルに戯れるオタクには影響ないんだな。
ボードリヤールのシミュラークル東を消費してるからな
あずまんが誰に似ているかというと
デリダでもローティでもなく
ボードリヤールだよなぁ。
はったりのきいた社会像のかまし方といい、根拠の薄さといい。
あずまん本人は嫌がるだろうが。
340 :
考える名無しさん:2007/03/09(金) 10:31:24
マトリックスとハルヒ。ふたつのシミュラークル世界。
ネオが薬や注射器を隠していた本が『シミュラークルと〜』だったが、
『歯上言論』だってSOS団の部室にある。
ボードリヤールはSF小説書くのを断念したが、あずまんはラノベを書いた。
あずまんとボードリヤールを象徴的に交換するのは不可能だよ。
>>339 正直、平野啓一郎に一番似てる。
イチローは羽生に似てる。
342 :
考える名無しさん:2007/03/09(金) 13:25:06
>331
>「ジャスコ」が商業施設としてのジャスコそのものだと思ってる時点で絶句
違うの?
説明してくれ。><
因みに「ヤマダ電機」も従来の郊外型から駅前型にシフトしはじめてる。
大規模資本が似非(本物があるとしてだけど)コミュニティを整備するという点が郊外っぽい
って話じゃないの
(例えば六本木ヒルズとか)
「ジャスコ化する都心」もしくは「ジャスコ化する社会」か。
関係ないけど、思想・社会学・マーケティング関係者って
「○○化する社会/人間」ってフレーズが大好きだよねぇ。
>ボードリヤールだよなぁ。
デリダが偉大なのは、例えば、もーむす板に死んじゃったねスレが
立ったことだけでも、もっとも偉大な人の一人だったことが分かるわけですが、
ボードリヤールについてはそういう板が立ったという話は聞かないです。
論じる対象がチンマクなってきたな
21Cに入って二極化が進展して、都市も都市としてあるだけでソフィスティケイトされてる、とはいかないのです。
これはまあ動物化とかいうより、単に貧困ですな。中間層文化の後退。
くだらないから途中で聴くのやめた
やっぱりギートステイトにはついていけない
ゴーンがフランスでなんかの社長やったら、いきなり自殺者3人出たらしい。
どこの国でも締め付けられると、死ぬ人は死ぬんですね。
日本人ならそのくらいなら大丈夫な水準だったと思いますが、いきなりフランスで
同じことをやるとそういうことになる…
ここと関係ない話題のようでいて、ジャストフィットな話題だと思う。
動物化云々のはなしが、サブカル界隈だけでなく、都市論だとか景観だとか
格差だとか、あらゆる領域にわたる問題であることが(本書により?)はっきりしたので、
あずまんは、これから10年はこの話で食べていけるでしょう。
>くだらないから途中で聴くのやめた
>くだらないから途中で聴くのやめた
>くだらないから途中で聴くのやめた
>くだらないから途中で聴くのやめた
>>323 意味が分からない時に説明を求めるのは、科学から裁判まで同じだからね。
ぴかーがなんかネット上のコミュニティについて論じてるが、要は「解放区」だと
思ってるのかな、2chを。「現実」では出来ないことをネット上では出来る、
「解放区」として捉え、だから「動物達のユートピア」だと。
この、現実/ネットの二項対立は間違いじゃないのか?僕にとっては、2chは「解放区」
じゃないし、「現実において疎外された者達のユートピア」じゃない。
ただの、奇妙な掲示板に過ぎないと思ってたから。弱者達が身を寄せるアジール
だとか、思ってたわけ?
ネット上(特に匿名なら)「現実」では出来ないどんな恥知らずなことでも
できる、だから「動物達(恥知らず達)のユートピア」だと、そういうこと?
それは、匿名掲示板だけの特殊事情じゃないの?
こんな凡庸な二元論(現実/ネット)に与したことなどないよ。
僕にとっては、現実に関わることと、ネットに関わることとは等価で、特に「現実に
興味がない」わけじゃないし。
「現実」はどんどん貧困になって、人々はネットの中でだけ、夢を見るわけですね、
という、東型世界観に与したことなどないよ。それは、「二項対立」で罠ですよ。
2chねらには、「現実」を諦めて、ネットに入ったという人が多いのかな?
そんなことは考えたこともなかったからね、こっちは。
ネットも現実も、共に充実させるべきで、そういう意図でやってきたんだよね
オタクってのは。ネットが「避難場所」で、諦めた人たちの溜まり場である、というのは
どうかな?その場合、ギートステイトみたいに全てを「ネットの論理」で覆わざるをえない。
それに反対する理由がない。
>>318 >直接は言ってないが、例えば「オタクはプロトコルと考えている」(ロフトのイベント時の発言)
とか。
それは永山薫の発言です。
>>347 生だけか。
どこかでダウンロードできないの?
まー、ネットやオタク・サブカルが貧しい人の娯楽になりつつあるのは、確かだ。
<ネット/現実>と区別して語るというのがすでに二項対立
ネット上では独特のコミュニケーションの様式があるってだけで、それはただの現実でしょ
弁証法イラネ…
脱構築するとどうなるの?
勃起不全になります
糖尿病は罹患者から性的能力を奪うらしい
憑物が落ちます
>>353 それはあなたがオタクじゃないからだよ。
我々オタクは「凡庸な二元論」に敏感であり、しかし敏感であることによって、
ネットをネットとしてすっかり消費できる。生き生きとね。
ネットは現実であるが、現実に含まれているのであるから等価ではない。
だからといって「「現実に興味がない」わけじゃない」。
A/非Aというあなたの論理の凡庸さに我々オタクは敏感だよ。
(2chネラ/オタクという二項対立こそ意味がわからないな。あなたこそ2chネラじゃないか。)
そのような、なんでもフラットに等価にしてしまうポストモダン的発想、
オタクに貼り付けるレッテルは迷惑このうえない。
それが流通してステレオタイプのイメージを構築するんだから。
斎藤環のいうように、我々オタクが二元論の境界を無くすのは稀なケースです。
366 :
考える名無しさん:2007/03/10(土) 12:38:22
>>357 ( ゚Д゚)ポカーン
・・・いつもながらいい加減なワレオタさんが大好きです
ヲタの中にも凡庸な二元論でモノ見る奴多いけどねw
368 :
考える名無しさん:2007/03/10(土) 13:46:50
でけっきょくメタゲームです
一時期あずまんが親しかったという(?)
阿部和重はユーミンが好きだとか、
云ってるんだけど、これはどうなんですか?これだけであずまん的ではない
ような気もするんですが。かれの少女方面の入れ込みおよび取り込みについては
分からないところも多いです。上戸綾がいいとかいってますし。辻・加護がいいというのは
分かるわけですが。ほかにも、くらもちふさこ(とあだち充)がもっとも敬愛する
漫画家だとかも述べており、解析困難なものを提示されておる。
一般を言うなら、固有的な一人一人の個人は解析困難だ。
371 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/10(土) 21:41:15
>>352 >ぴかーがなんかネット上のコミュニティについて論じてるが、要は「解放区」だと
>思ってるのかな、2chを。「現実」では出来ないことをネット上では出来る、
>「解放区」として捉え、だから「動物達のユートピア」だと。
>この、現実/ネットの二項対立は間違いじゃないのか?僕にとっては、2chは「解放区」
>じゃないし、「現実において疎外された者達のユートピア」じゃない。
2ちゃんは匿名だから、実社会よりも(社会的な拘束から)解放されやすいのは確かですね。
社会的な関係(象徴的関係)の抑圧が弱まる、ということです。
その結果として重要なことは、好き勝手できるよりも、想像関係(愛憎)が
表出ということです。人間臭さが出やすいということです。
たとえば、誹謗中傷などの犯罪行為の無法地帯を招くとともに、
誰かのためになにかをしたいということが、加速されてしまう。
実は誰かのためになにかをしたいということの加速は、
誹謗中傷よりも反社会的なのです。
Winnyなどでコピーが出回るのは、だれも資本主義的な秩序としての
著作権システムを解体させようなどと思っていない。ただ誰かのために
なにかをしたい、それが楽しいだけのことなのですが、それが、
資本主義そのものを解体するような力をもってしまう。
これは、2ちゃんねるが無法地帯、ユートピアということではなく、
新たな秩序を必要とするということです。
資本主義2.0が必要されるということです。
371 :第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/10(土) 21:41:15
輝かしいコテハンはどこへいってしまったのか?ぴかは?しろうとは?手塚は?
いや、ここにいる。このスレの中に。 荒らしは2ちゃんねるに
おける禁止行為です。その行為をやめないと監視カメラを設置します。
ちょっと質問です。「ワレオタ」ってなんですか?
374 :
考える名無しさん:2007/03/10(土) 22:49:25
>>370 それもあるが、東フォロワーたちは視野狭窄がひどい。
坂本龍一も思わず嗤ってしまった東のへぼすぎる理論的枠組で、
扱える対象が限定されている。たとえ扱えたとしても対象が
デフォルメされている。ラノベみたいな解像度が低いやつしか無理。
それと東の同世代およびそれ以下に対するスルーぶりが、
読者を視野狭窄させてトラップしてるんだよね。
さっさと社会学に葬送しましょ。
レッシグのCODEと比べると東なんて何も新しいこと言ってなくてびっくりだね。
単にアーキテクチャーをドゥルーズの環境管理権力の小文に結びつけただけ。
>>373 「あなたこそ2chネラ」と
>>265で言われてますが、「あめぞう」も「あやしーわーるど」
も知らないし、2chだって世間で話題になった後ですよ。
2003年以降ゆっくり書いてるだけ。なんか巨大掲示板があるらしいと、マスコミで話題だったから、
その片隅を借りて、(本来は罵詈雑言掲示板なのだが)理論的な話をする場所
として、使っただけ。
オタクと「現実への関心」についてだが、要はエロゲーは「関心」にはならない
が、SFは「科学」への関心、ミステリは犯罪現象を通した「人間」への関心に
なるわけだ。
2chの場合、「裏社会」板などではなるほど社会への関心はないわけでは
ないがね。
>>371 「新たな秩序」というが、それが「動物達の管理」、つまりギートステイトなわけですね。
ニートやフリーターやウィニーを肯定した上で「秩序」を考えることが、土台から
難しいから、東の安易な解決しか見当たらず、だからコメントが減るんだね・・。
376 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/11(日) 02:22:41
>>375 ギートステイトとか、「動物達の管理」とは、正直、良くわかりませんね。
東の言っていることに価値が見いだせないというか・・・
マジレスです。「ワレオタ」ってなんですか?
新たなコテさん?
メコスジ・オタクの略語がワレオタだよ。
>>376 東は要は人間の行動を逐一管理すべしと言ってるわけで、「ライフログ」といって
朝ご飯の内容からトイレの時間から、会話の内容、屁をコイタ回数、いきつけの
喫茶店での飲んだお茶の杯数にいたるまで、全てコンピュータに記録しよう
と言ってるわけですね。
だから、電子マネーから監視カメラ、携帯電話を持たせて位置情報を記録さすなど
とにかく管理するわけです。
それが、主体性を喪失した(と東は言う)動物達の社会を安全に運用する方法だと。
ただ、それはプライバシーを売り渡し、全くつまらない社会を作るというリスク
と言うかマイナス面と交換にですね。
そのような社会を受け入れたい人がいるのか、またそもそも「主体性を喪失」した
動物だから、刑務所のように管理せねばならぬ、それがポストモダンだという
東説にウソがないか、と言うことです、対立点は。
ワレオタって、コテを名乗ったことはないですが、「オタクの意見」として
書き込んだ時に、「ワレワレ」って使ったらなんか反感買ったみたいですね(笑
「メメント」っていう記憶をなくした男の映画がありますが、自分の脳
が信用できないので、朝ご飯から何から全部「外部記憶」にするんですね、
つまり紙に書いてく。
あるいは痴呆老人に近いですね、何から何まで記録する・しないと不安だというのは。
自分で自分をコントロールできない、だから機械に管理されたい、という
感じですか。自分で勝手に動ける人には、全くピンと来ない「不安」なんです
ね。未だに、東の持ってる危機感を共有出来ないですね、僕は。
>>376 > マジレスです。「ワレオタ」ってなんですか?
> 新たなコテさん?
質問のことをマジレスと言わないような。
答えとくと、ワレオタというのは
一人称を「我々オタクは〜〜」という風に使うので、このスレの住人が名づけた。
コテハンではないが、このスレの常連。
毎回、よくわからないオタク知識であずまんに難癖をつけるのだけど
あずまんの本の内容もよく理解できていないし、オタク知識も偏っている
(のに自信を持っている)。
コテハンでないにもかかわらず文章を読むとピンとくるのでスレ住人は
「ワレオタ」と呼んでいる。
このスレには、ファン以外にも、
アンチあずまん(思想派とオタク派に分かれる)や、
あずまんにツッコミを入れ続けているウオッチャーがいるが、
どちらからも同調されず、迷惑がられている。
>>378 > 東は要は人間の行動を逐一管理すべしと言ってるわけで、「ライフログ」といって
> 朝ご飯の内容からトイレの時間から、会話の内容、屁をコイタ回数、いきつけの
> 喫茶店での飲んだお茶の杯数にいたるまで、全てコンピュータに記録しよう
> と言ってるわけですね。
「べき論」(価値主張)とそれ以外の区別すらついていない、中学生レベルだなぁ。
あずまんが「逐一管理すべし」など「べき論」を主張したことはない。
現在の社会は、買物や公共機関の利用などに際して個人認証を求めるようになっている。
ライフログ(屁をコイタ回数ってバカか?)は、高齢者の健康管理などから
利用され始めている。
違いがわかるか?
A「現在の社会はこのような方向に向かっている」(観察→予測)
B「社会はこのようになるべきだ」(価値主張・べき論)
C「社会はこうなって欲しい」(願望・理想)
あずまんがしているのは、AであってBCではない。
ギートステイトは、未来シミュレーションとして「リバタリアン・動物的管理・工学化」が
採用されているので、この採用自体に価値観が含まれているかもしれないが(願望
かもしれないし、批評的かもしれない)、すくなくとも「べき論」ではない。
>>381個人認証を求めるようになっている
それは企業の側にとっては、個人別顧客データが入って便利だからだけど、
「取られる側」には何のメリットもない。社会は自動的に変化しない。東説にはなぜか
反対意見がない。誰の立場からの予測なのか。「客観的」予測などそもそも
あり得ない。人間社会である限りは、必ず反対意見が出るものだ。
だから、国民がそういう社会が望ましいというなら問題ないが、嫌がるなら
やめるべきだ。しかし、「動物化」が前提となってる以上、他の選択肢
はなく他の議論の余地もなく、他の未来もない。
監視カメラも今(2007年)のレベルじゃない、数万倍以上だろう。各学校・各家庭に全て。
東が想定してるのは、そういう世界であって、歌舞伎町の監視カメラなんてものじゃない。
東説は40年後の話だからね。2007年現在、監視カメラがチョコチョコと(万引き
防止のためなどで)ついてるが、そんなものじゃないから。
コンピューターがスーパーコンピュータに膨れ上がり、膨大なデータが記録
でき、監視カメラがつづうらうらにある、逃げ場のない世界を想定している。
トイレにもコンピュータがついてて、ウンコの回数から何から記録される。
東説は狂気の世界だからね。
今現在、チョコチョコカメラに取られるのとは訳が違う。
個人認証にはセキュリティという「実」がある
安全という「実」
そしてまた、消費者には詳細なデータに基づいたよりよいサービスが提供される
簡潔に言えば、より生活が便利になる
「「ところが、わたしは愉快なのがきらいなんです、わたしは神を欲します、
詩を、真の危険を、自由を、善良さを欲します。わたしは罪を欲するのです」
「それじゃ全く、君は不幸になる権利を要求しているわけだ」とムスタファ・モンドは言った。
「それならそれで結構ですよ」と野蛮人は昂然として言った。「わたしは不幸になる権利を求めているんです」
「それじゃ、いうまでもなく、年をとって醜くよぼよぼになる権利、梅毒や癌になる権利、
食べ物が足りなくなる権利、しらみだらけになる権利、明日は何が起るかも知れぬ絶えざる不安に生きる権利
、チブスにかかる権利、あらゆる種類の言いようもない苦悩に責めさいなまれる権利もだな」
永い沈黙がつづいた。
「わたしはそれらのすべてを要求します」と野蛮人はついに答えた。
この会話が何を主題として交わされているのか、もはや解説の必要はないだろう。
ここで登場人物が不安に怯え危険を冒す逆説的な「権利」を主張するのは、
その権利の確保こそが、リスクが計算できないものに対する寛容の精神、
すなわち、正義と自由の空間を可能にするものだからにほかならない。
ハックスリーが七〇年前に記したこの会話を、文学者のファンタジーとしてしか理解せず、
プライバシーの保護や著作権の管理や匿名犯罪の防止ばかりを議論し続けるのであれば、
来るべき管理社会化を避ける道は決して開けることがないだろう。」
(
http://www.hajou.org/infoliberalism/14.html)
東は『情報自由論』の末尾で『すばらしき世界』を引きながらこのように述べており
情報と情報に基づくサービスそして管理が提供してくれる利便さ、安全が満ち溢れる社会とは別の可能性
「他の未来」にちゃんと目を向けている
とりあえず、ワレオタは昼夜逆転の生活をやめよう。
あと、トリップくらい作れ。
ウルコン国
ウルトラコンピューター(ウルコン)の研究開発に国の命運をかけている国
スーパーコンピューターの1億倍の能力がある。
国家予算の半分以上をこれの研究開発に費やす。
ついに完成
世界のすべての情報をこれに入力する
新聞、本、雑誌、テレビ、インターネットから自動的に入力してしまう
この国の意思決定はウルコンに任せる。立法司法行政、すべて任せる
研究開発もウルコンが行う。電子の速さで研究が行われる
世界を一新させるような研究開発が次々なされ世界中がうるおった
研究開発費用は人間による開発の100万分の1。開発スピードは1億倍
たちまちにして世界で最もすばらしい国になった
すべて計算されているので、悪くなるはずがない
ウルコンで最新のウルコンを研究開発。最新のウルコンで最々新を…∞
外国へは中古のウルコンを輸出する。これでさえスパコンなど問題にならない
ウルトラチップの入ったロボットは人間の代わりに複雑な仕事をする
どんな製品にもウルトラチップが埋め込まれ、この国以外の製品は売れなくなった
IBM社、マイクロソフト社、インテル社、クレイ社などは倒産した
東は、動物化や環境管理に明示的に異を唱える事が少ないから
(少ないだけで、やってないわけではない)、
ワレ公のような一知半解の輩には、管理推進側に見えてしまうのだろう。
ポモ的宙づりは、後手のフリーハンドを保とうとする余り、この種の曖昧さによる誤解は、
つきものといってよい。
>>375 >2003年以降ゆっくり書いてるだけ。なんか巨大掲示板があるらしいと、マスコミで話題だったから、
>その片隅を借りて、(本来は罵詈雑言掲示板なのだが)理論的な話をする場所
>として、使っただけ。
メタゲームですね。
私はあなたがたと違うんですよ、っていうスタンス。
これって私!みなと違う私!(でも孤独はキライ・・・ダカラワレワレ)
で「理論的な話を」しているというわりに、論理がわけわからないのですが、
「あめぞう」も「あやしーわーるど」 を「知らない」2chネラなんていっぱい居ますよ。
当然でしょう。
「理論的な話をする場所として、使っただけ」ではなく、自己表出の場、でしょう。
そして自己表出(「これって私!」)的身振りはワレワレ2chネラの典型のひとつ。
とはいえ自己表出は再帰性に対抗するために理論的にやっているのかもしれませんが。
でも検閲の強弱はアーキテクチャに依存するんじゃないかな。
(たとえば、相対的にですけど「はてブ」が再帰性を高めているように。)
>オタクと「現実への関心」についてだが、要はエロゲーは「関心」にはならない
>が、SFは「科学」への関心、ミステリは犯罪現象を通した「人間」への関心に
>なるわけだ。
>2chの場合、「裏社会」板などではなるほど社会への関心はないわけでは
>ないがね。
「なるわけだ」という断定は、「なるほど」の語に見られるように自身への納得、
うんうんという頷きと同様だけれど、それはワレワレ定義ではないのですかね?
例えば「犯罪現象を通した「人間」への関心」無きミステリオタクはどうしたらいいのか。
自身への頷きによって「秩序」を与えること。
それは自己の内部で世界を完結させようとする、ユートピア的戦略でしょうか。
389 :
考える名無しさん:2007/03/11(日) 11:02:50
>>383 東は預言者であり、自身は彼に導かれる羊、動物だと思っているみたいだが、
御言葉を文字通りにうけとって東は偽預言者だと糾弾しても不毛でしょう。
東が問題にしてるのは、「今現在、チョコチョコカメラに取られるのとは訳が違う」ことではなくて、
まさに「今現在、チョコチョコカメラに取られ」ているということだ。
「監視カメラがつづうらうら(なぜか変換できない)にある、逃げ場のない世界」ではなくて、
「2007年現在」の話というのは、ふつーにわかると思うが(笑)
390 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/11(日) 13:14:38
>>378 >>380 ワレオタの説明ありがとうございます。
わかったようなわからないような。
ボクも、コテにしてもらえるとわかりやすと思いました。
>>390 コテにするとNG登録されてしまって
「私」を獲得することが困難になるからしないそうです
ぴかーもナントカ委員会やらワレオタやらいろんなのに絡まれて大変だな。
ぴかーに絡まれてるしろうとの苦労がよくわかるよw
しろうとw
394 :
考える名無しさん:2007/03/11(日) 17:24:48
要するに、しろうとの圧勝ってことで。
勝った
圧倒的に勝った
388がずれている件
397 :
考える名無しさん:2007/03/11(日) 20:37:53
破壊はできない。裏をかくこと、ズラすことしかできない。それがポモ世界。
ホモ世界で思い出したけども、「ときメモオンライン」の終了について
東スレ住人はどう見ていますか? コメントが欲しいです。
韓国産主流のネトゲ業界で勝ち抜くためには、
客を徹底的に嵌めまくるコリアン・マーチャンダイズに倣うことが必要ですね。
環境管理です。
あずまんが敬愛する神林長平の言葉をシミュラクルするなら、
「ねだるな。あたえて、かちとれ」ですね。
>答えとくと、ワレオタというのは
>一人称を「我々オタクは〜〜」という風に使うので、このスレの住人が名づけた。
>コテハンではないが、このスレの常連。
そうなのか・・・ワレというのはウイニーとかのことだったと思ってた・・・
400 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/11(日) 23:38:04
このスレは時間が流れていますね。
いまだに「動物化」を重要な概念と捉える場所は
他にあるのでしょうか。
オタクってなにか不気味な人々という感じが、
「動物化」と、名付けられて、
人々がなっとくし、そしてオタク自身も安心した。
しかしネットの普及の中で明らかになったのは、
なんだよ、ただの「おばちゃん」じゃん!ということ。
なにも違わない人間くさい人々だったというオチ。
ギートステイトで動物管理がどうこうといっても、
もはやリアリティがないのではないでしょうか。
管理社会化、工学化していることは否定しないが、
それとともにネットでは、とにかくよくしゃべる。
ネットによって、オタク幻想は終わったといっても良いのでは。
東は同じことというかもしれないけど、確かに動物よりはおばちゃんの
方がしっくりくる。
>確かに動物よりはおばちゃんの
方がしっくりくる。
東は、韓国ドラマ好きらしい(そういってるので間違いない。)
からね。おばちゃんだ。
面白いんだけど
ネット上の掲示板やブログにおいて、という文脈だけからオタクのおしゃべりを見て、
ネットを介さない対面的状況、という文脈だけからおばちゃんのおしゃべりを見て、
両者を比較検討してもあんまり……という気もする
自分オタクだけども、
コミュニケーションからの撤退とか動物化とかの分類のほうが、
意思の疎通とかを信じてそうな「おばちゃん」て分類よりも的を射てる気がするお
405 :
考える名無しさん:2007/03/12(月) 13:43:39
>オタクってなにか不気味な人々という感じが、
>「動物化」と、名付けられて、
>人々がなっとくし、そしてオタク自身も安心した。
そうだね。みんなが幸せになった。
あずまんも人気者になったし、実際不気味なオタクも自分語りで生き生きしていた。
おばちゃんの井戸端会議的しゃべりは女子高生の自己目的的に似ていて、
オタクの自分語りとはちょっと違うんじゃないかな。
韓国ドラマ好き=おばちゃんってのもどうかと・・・
406 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/12(月) 16:34:39
>自分オタクだけども、
これがワレオタ?
>コミュニケーションからの撤退とか動物化とかの分類のほうが、
>意思の疎通とかを信じてそうな「おばちゃん」て分類よりも的を射てる気がするお
マックにいっても、ケータイもって動物化だからなあ。
管理社会ではだれでも、動物化しているといえばしてるしね。
コミュニケーションからの撤退と言われても、よくしゃべっているし、
オタクが特に動物化しているという選民性はどこからくるのかな。
韓流の呪いというのはあるらしいから。
東氏も当たったのかもしれない・・・いや、それ以前から・・・
韓流好きのおばちゃんはただのワイドショー好きじゃね
最近はハンカチ王子に夢中みたいだし
409 :
考える名無しさん:2007/03/12(月) 19:28:45
>>406 >オタクが特に動物化しているという選民性はどこからくるのかな。
自分がオタクで動物化しているからでは?
自分語りするし、オタはいまもっても動物ってカンジじゃないね。
自己目的的なオバチャン・女子高生のほうが、動物化はすすんでるんじゃないの。
池袋といえば、池袋母子餓死日記だよね。あれが、いい。
新宿泥棒日記よりも、いい。どうせなら言及してほしかったね。格差のところとかで。もう過去なんでしょうか。
ケータイでしゃべってたら撤退してないってのはあまりにも素朴すぎる観察じゃないの
女子高生的なコミュニケーションは一見すると自己目的的だけど
実は徹底的に関係のコンティンジェンシーを自覚したメタな構えがあって、
生のままでは不可能なコミュニケーションをかろうじて可能にする技術だ、と
で、これすらも短絡化して自閉するのがオタクだ、っていう話も
413 :
考える名無しさん:2007/03/13(火) 05:06:15
コミュニケーションの文脈で捉えるとオタクは厳しいな・・・
自分語りが前景化する。そのことに対するメタな意識がない。
換言すれば、検閲がないっていうか。ひどく弱いっていうか。
女子高生の自己目的的やりとりは、相手もそうであるという暗黙の了解がある。
だがオタクは相手の自分語りを了解しているわけではないでしょう。
していたら、自分の自分語りを認めることになるw その程度の意識はある。
ワレオタさんも居酒屋であんななのかな。。。
オタクの自己語りには表出しようとする意志性を感じるよ。実存的だね。
オバチャン・女子高生にそれがないとは思わないけど、もっとフラットだな。
ワレさんのは自己語りがもともと下手だからな。誰にも脈絡が理解できない。
少なくともあずまん程度に上手ければ、聞くんじゃないかな。
コミュニケーション=???
>>406 「動物〜」が出てしばらくして、このスレッドにも「オタク=ポモ=時代の最先端=ボクたち若い仲間のオタクって、イケてる?」
みたいなのが跋扈してウンザリした覚えがある。他所でいえばk様みたいなやつが典型だが。
情報自由論の連載以後、あずまんが環境管理との関連で動物化を語るようになると、
「オタク=動物=家畜!?=ワレワレオタクを馬鹿にするな」という語りをぶつけてくるやつが多くなった。
まー東の著作・連載を全部読む義務はないし、書く方の脇の甘さは常々指摘されることだけど、
いくらなんでもあんまりだよな。そんなもの、最初から両義的に決まってるだろう。
前者のようなのをワレオタさんに因んで「ボクオタ」とでも呼ぶか。
こういうやつに中には確かに、「オタク特殊論的なとらえ方」をする方向はあったろうと思うけど、いまは極少数派だろうね。
ワレオタさんも含めて、このスレにオタクはいないと俺は睨んでる。
(そもそもオタクなどいないのだ、オタクが幻想なのだ、といいたいくらいだ)
418 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/13(火) 09:46:52
ボクも昔はオタクは動物化して、空気を読めないと思っていたけど、最近は、逆にオタクって、
空気読みすぎて、場違いなのではと、思います。空気って読み過ぎると、フリーズしてしてしまう。
そもそもそこには正解はないので、どこかで空気を自らつくる、場へ作用しないと、いけないのだが、
読み過ぎてしまう。読み過ぎてしまうという神経症がオタクの特徴で、たとえば東は動物化を物語から
データベースへと表現したが、読み過ぎは、データベース化へ向かう。
たとえばウルトラマンは最初はひとつひとつ考えられて作られたんだろうが、シリーズで反復されることで、
ウルトラマンたるものはここを抑える、というポイントがでていきて、それの束がデータベースとなる。
もはや物語よりも、ベタなデーターベース要素が重要になる。このベタは、ウルトラマンシリーズへの
メタ目線があってはじめて可能になる。これってオタクでなくても、反復されるところではどこでも起こる
ことで、オタクがデータベース化しやすいのは、神経症的に対象を反復するから。
神経症的に対象を反復するのは、一つのコミュニケーションからの退避、人とつきあうのが面倒になるから。
なぜ人とつきあうのが面倒なのかは、最初にもどり、空気を読み過ぎるから。神経症に欠けているのは、
どこかでの場を自ら作ろうという決断(勇気)、現代は、価値多様で誰もが場に神経質だから、多かれ
少なかれ神経症だね。結局、社会の動物化と言われるファーストフードでの人と交わらずに食事する
ような他者回避は、空気を読みすぎてつかれるからでしょ。
オタクは動物化でなく、あまりに人間くさすぎて、流れの早い社会につかれちゃう。だから人よりも空気が
固定しやすいものへの倒錯へ向かう。オタクが自ら「動物化」と呼ぶときは、「わたしは(空気を読まなくて
良い)動物になりたい」という願望があるのではないでしょうか。
419 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/13(火) 09:50:33
たとえば女性とつきあうことにしても、うまくやろうとしすぎて、空気を読もうとしすぎて
おどおどしてします。空気なんて読めないし、失敗しても開きなおって笑う力強さに
女性は引かれるのでは。この開き直り、決断、すなわち柄谷がいう「命がけの飛躍」が
必要なわけだね。
420 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/13(火) 11:25:31
オタクは動物化でなく、あまりに人間くさすぎて、流れの早い社会につかれちゃう。
だから動物化のフリをする。
オタクの(特に女子に多い)アニメキャラ的なハイテンションは、神経症の回避でしょ。
回りを気にしすぎてフリーズするのを、キャラを演じることで回避する。
この手の不器用な明るさは、良く言われる小倉優子的なものよりも、
宇多田ヒカル、菅野美穂などに感じる。(このニュアンスは伝わらないか)
だからオタクはネットで当然解放されて饒舌になり、おばちゃん化する。
動物のフリで抑圧していた人間臭さが爆発する。
ネットは動物化などといわれて神秘的だったオタクが、普通のおばちゃんであることを
暴露しちゃった。
421 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/13(火) 11:45:14
一言で言えばオタクは真面目すぎる。人工知能の不可能性は真面目すぎてフリーズすること。なぜ人間がフリーズしないかは適当だから。
最近、「鈍感力」って本が売れてるが(読んではいないが)空気が読めるとは適当であること
次から次へと嘘の判明してる切込隊長のような人間に仕事を依頼してしまってるような
未熟さが哲学者らしからなくて可愛いです。
哲学の前にやるべきことがあったのでは。
しろうとはもうコテで出ないん?
あずまんが「管理」とか「工学」とかって用語で(オタクを)語るのはさ、
「動物」が好き勝手やってもそれが秩序維持側に機能するような
「安全」(フェールセーフ)な社会設計をしましょうって提言であって、
(超)パノプティコンとかの議論とは関係ないと思うんだけどどうでしょ
426 :
考える名無しさん:2007/03/13(火) 14:50:11
召喚魔法だなw
ワレオタにしろぴかちゅうにしろ、
オタクの話は『アキハバLOVE』読んでからにしてほしいもんだ
>都市論の著書を多数出版されている気鋭の社会学者、首都大学東京都市教養学部助教授の南田暁生氏
永遠の助教授ですね。
南田?
430 :
考える名無しさん:2007/03/13(火) 18:24:46
>>425 俺も。
しかし考えてみると、昔と今のオタク像のずれ、の話な気もしてきたな。
やっぱり昔のオタク(実体・平均は微妙なので正確には昔のオタク「像」?)は
確かに空気を読んでなかったような気が。
アニメの話ばかりして引かれる、というパターン。
今のオタクは
(1)堅気と話すときはモード切替える。
(2)コミュニケーション自体を諦める。(→
>>418-421のオタク像)
の2極に別れてる気がする。
人間て元々動物じゃないの?
433 :
考える名無しさん:2007/03/13(火) 21:19:13
>>418-421 君の言ってることは大澤-北田的な弁証法だよね
80年代的な神経症が反転することで、00年代的な2chが生まれる、みたいな
そういった考えは、あずまんによって批判されてる
>1995年以降の日本において、その直前まで優勢だったメタゲーム
>(アイロニー)が急に失効してしまった、という点では、おそらく、
>笠井氏も大澤氏も北田氏も僕も意見が一致している。しかし、
>彼ら3人はすべて、メタゲームのその端的な欠如状態に、
>メタゲームを存在させない、という高度なメタゲームを読み込んでしまう。
>その所作は、僕にはとても否定神学的なものに見える。
ttp://www.hirokiazuma.com/archives/000127.html あずまんの考えは。80年代的なメタゲーム(神経症)と
00年代的な動物化は切断されてるという考えだからね。
80年代と00年代の接続を強調する論者とは違うわけ。
個人的には、この論争は決着がついてないと思うので、どこかで
決着をつけて欲しいと思うけど。
あずまんの図式的な切断説はたしかに評判悪い。
「昔のオタク『像』」が、現在において、「あえて昔のオタク『像』」にならないところが、
オタクのオタクたるところだ。
436 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/13(火) 22:53:17
>>433 だから、いまのネットの影響の話しているのですよ。
ネットは、動物化だ!と騒いでたオタクがおばちゃんだったというオチ、ってこと。
ようは、いま実感としてっどうってことね。
ネットは、動物化だ!→オタクは、動物化だ!
438 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/13(火) 23:20:33
>その所作は、僕にはとても否定神学的なものに見える。
否定神学的以前に、人間/動物って形而上学の原点だし、
80年代的なメタゲーム(神経症)/00年代的な動物化
も形而上学でしょ。
439 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/13(火) 23:42:12
「オタクは動物化している」というのは、どうしても「韓国人は汚い」に近いものを感じるのですね。
カテゴライズによって、差別化する。オタクの場合は自らがいうので自虐的に働いていわけですが。
オタク、嫌韓という仲間づくりというか。
ボクが、東の「動物化」で一番納得がいくのが、工学化との繋がりで語られるときですね。
昔は商店街のおばちゃんのたこ焼き屋で集っていたのが、
最近はファーストフード、コンビニで、販売の工学化=マニュアル化された店員に
機械的に対応され、人々は動物のように扱われることで他者回避することを望む
と言う意味での「動物化」
このような傾向は確実にあります。店の人に干渉されるのは避けたい。
でもこれは当然、人間がなにか変容しているというよりも、工学化に対応するということです。
それとともに、この裏側で人はどこかの部分で、熱く、人間くさい面(おばちゃん化)を見せている。
それがネット上であったり、コミケ?であったりする。
逆に自ら好む部分で人間くさくなるから、他では抜け殻のように干渉されたくない。動物のように扱われるのが楽。
この二重構造は、東のいう「ポストモダンの二層構造」にそのまま対応すると思うのです。
http://ised.glocom.jp/keyword/%e6%83%85%e5%a0%b1%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%81%ae%e4%ba%8c%e5%b1%a4%e6%a7%8b%e9%80%a0 これにもつっこみたいところはいくつかありますが、大枠としては同意します。
この流れではオタクが特別、動物化しているという選民性は見いだせないと思うのですね。
>>433 現代のネットワーク環境において
「メタゲームから降りるのが勝ち組だ、とするメタメタゲームが共有されてる」と主張するのが
笠井大澤北田で、
「短絡まったり居直りが可能になることによってメタゲームが失効した」と主張するのがあずまんだね
(後者の場合は80年代的な差異化―同一化じゃコントロールできないから
それに代わる原理として工学が必要になるってことだろうか)
そうすると、
>>439 「工学化」理解は
>>424が正しい気がする
441 :
433:2007/03/14(水) 00:33:16
>>441 東がいった、誰が言っているよりも、もうすこし自分の感覚を信じてもよいのでは。
これは東、北田の問題というよりも、ボクたちの問題だし。
443 :
433:2007/03/14(水) 01:02:44
私は感覚よりも実証されたものの方を重視しますけどね。
あずまんの動ポモも不十分な形であれ動物化について実証的な
説明がありますし。
「動物化」というモデルは「解離的近代」という大枠を語る理論子なのだから
それを世代の話に縮小するのは理論的な観点からすれば誤り
445 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/14(水) 02:04:29
実証ってまたすごいところに話がいきましたね。
「動物化」をどう実証するのでしょうか。
心理学的?社会学的?経済学的?
コジェーブが何を言ったかはしらないけど、
「動物化」てのは、動物園のオリの中の動物(化)と外の動物(化)に対して、
無自覚、無批判な状態にあることを言ってるじゃないかい?
寝る。
>445
あなた自身なにをしたいんです?オタクにそんなに興味をもつ理由がわからん。
真面目だろうが、人間関係に疲れようが、それは「動物」とは無関係だし、
個人の生き方の問題で、桃井はるこのような生き方が正しいとか、言われる
筋合いがない。
80年代くらいから似た事は言われてるが。つまり、内向的であったら
「ダメ人間」で、外向的でネアカで社交的な奴が偉いことになってる。
桃井は内向的な「ダメ人間」から外向的な「アイドル」になった点で、サクセス
し、「脱オタク」を果たしたわけだ。
メディアの喜びそうな「亀田兄弟」的物語に過ぎない。
キャラを作ってる人がいるとすると、それは芸能人とかジャニーズとか
それこそ桃井はることかじゃないの?「いつも明るい」人なんていません。
タシロ祭りってのが昔あったらしいが、芸能人は「明るい自分」を演出するため
に覚醒剤に頼らざるをえない。「ネアカ」な人なんてタシロを含めていないん
だよ。
いもしない相手と比較して、女にもてるのもてないの、その延長上に東説があるなら
もううんざりだよ。
僕の話の文脈がわからんとか書いてるが、それはこのスレの住人を説得
するためじゃなくて、ROMってる一般の人のために、書いたからだ。
巨大掲示板を利用した目的はそれだから。
「機械的」というのもわざと機械的(科学的)に書いてるんだから当たり前だ。
あくまで、一般の人に伝わるように書いてるから、普遍言語を使わざるをえない。
仲間内でしゃべるために、ここに書いたのではないから。
桃井はるこのような人間がサクセスだ、あれこそ「人間的」だ、と思うなら
勝手に目指せばいいんだよ。メディアのオモチャにされるだけだがね。
浜崎あゆみの2番煎じになるだけだ。
>>441 「ポストモダンの2層構造」だが、要はハードウェアの方が大事で、ソフトウエア
はそれによって作られてると東が言いたいのであれば、全然オタクの考えと
異なる。
アーキテクチャやハードが大事で、ソフトはどうでもいいなんて、なんで
そんなことが言えるんだ。とにかく1から10まで、東とオタクの考えは
サカサマだ。
何度も、ソフトが何より大事で、ハードはただの箱だと強調したはず。
他のオタクの人だって、ゲームのクリエーターだって、皆そう言うよ。
オタクにとってインターネットとは、ソフトを置くための「ただの箱」だと
言うことだ。
アーキテクチャや計算力とかはソフトのための道具に過ぎない。
同じハードでも、例えばプレステでもゲーム内容はバラバラだ。いいのも
悪いのもある。逆にハードが違っても、移植できるし。
とにかくなにから何までオタクと逆のことを言うのは何故だ?
東にとってコンテンツとは、ニセモノやまがい物で、コンピュータのハード
によって作られた幻影なんだろうね。
こういう考え方を「オタク」がすると思う?だったら、ゲームなんかやめてるよ。
ソフトがなにより大事で、グーグルなんてインターネット上に散らばった様々な
ソフトを集めるだけ、それだけだ。流通させようが、ウィニーで流そうが、
皆ソフトがないと無意味になる、ただの寄生産業だ。
どうでもいいがブログの汐音の写真があずまんに似すぎ。
456 :
考える名無しさん:2007/03/14(水) 06:58:49
汐音たんギザカワユス
動物化した人間に動物化していると言うこに、なにか意味はあるの?
458 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/14(水) 08:35:09
>>447-454当たりが俗に言うワレオタさんなのかな。
なるほど、なんとなく見えたw
ボクが言いたいのは、
神経症的なフリーズは現代人は誰もがもつものだから、他者回避のために
工学化を受け入れ、動物のように扱われることを望む、という意味での
動物化は起こっている。
このような動物化は、たとえば儀礼的無関心のように、高度な空気読みを要求されるが、
それ故に行動力に乏しくなるので、無気力な動物のように見えるが、
ネットでは反動で他者をむさぼり、暴言を吐き、おばちゃん化するということ。
動物化している、していないのがあっても、地域的な背景など、
それぞれ個人的なもので、オタクだからというのは、見いだしにくい、ということ。
なるほど、確かにワレオタさんは、強烈な個性の持ち主のようですね・
でも哲学板には多々いる妄想系のタイプかな
ときにキミにどうこうというのはないな。
459 :
考える名無しさん:2007/03/14(水) 10:19:39
>>449 それは言い訳としてさすがに苦しい・・・w
>他者回避のために 工学化を受け入れ、動物のように扱われることを望む
と、
>儀礼的無関心のように、高度な空気読みを要求される。それ故(ry
とはつながってないよ。
店が込んでるんだから一定時間で出て行け、という
「空気読め」的な同一化圧力(とその裏返しの差異化)を回避して各人が自由意志で行動しつつも、
誰もが平等に満足できるってのがマックの固い椅子の例で語られた管理/工学化でしょ。
グローバル資本主義だって個人の属性やローカルルールを気にすることなく
誰にも平等に共通のサービスを保障してくれるって意味では圧倒的に自由をもたらしてるわけで。
「市場のおばちゃん」とかが相手だとこうはいかない。
>桃井はるこのような人間がサクセスだ、あれこそ「人間的」だ、と思うなら
誰が思ってるんだ?
いもしない相手を持ち出して、勝手に目指せばいいとか、東説によればとか、
「芸能人は『明るい自分』を演出するために覚醒剤に頼らざるをえない」なんて
いい加減な命題を出したり、うんざりですよ。
ただ、ROMってる一般の人のために、「これって私!」というアピールをするのは、
「私」を得る戦略としては正しいとは思います。
462 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/14(水) 10:48:00
>>460 規律訓練/環境管理の対立の構図なんでしょうが、
たとえばマックで起こっていることは、
見せ側の工学的な努力と、それを受け入れる側の無関心の儀礼というように、
互いに共犯的な場として成り立っているのではないでしょうか。
マックの固い椅子にただ従うように人は馬鹿にはなれない。
ボクなどは時間があいて、少し長く時間を潰すときには、
ファーストフード、ファミレスはもってことですよね。
無関心の儀礼が強く働いているから。
あずまんは
>>433のリンク先で
「無関心の儀礼」が成立した(第三者の審級(まさち)が失効してる)理由を
アーキテクチャの整備によって空気読まないでも生きられる時代になったからって
いってる(と思う…)んだよね。
空気への関心/無関心の性向獲得自体がアーキテクチャの変化に相関してるっていう。
464 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/14(水) 11:14:21
東の魅力はとてもわかりやすい構図でわかりやすくかたることと、
オタクは動物のように、心より身体性を強調することで、心の患わしさ(空気を読むなど)から救済的であること(ウェブ進化論は似た構図で受けたのだけど)
これはみずから補完しないと東マンセーしちゃうとなんかSFチックになっちゃう。ギートは東的ネタなんだろうし
このような東論の限界がひとつは斎藤が言うオタクのフェテイシズム、性倒錯するのはベタな人間である証拠、
それとネットでの伯母ちゃん化なのかなと。東はネットでは反射的にレスしてるだけだというが、それこそべたな人間臭いおしゃべりだよね。
465 :
考える名無しさん:2007/03/14(水) 12:58:05
逆に、柔らかい椅子(例えばパチンコ屋)のほうを考えると、
そこに共犯的な場はないことがわかる。
従うか、などという選択肢が浮かばないのではないかな。
少なくとも固い椅子の場合よりも。
とはいえ、実際、柔らかい椅子の対象はおばちゃんなんだけども。
コジューブが悪いのか訳者が悪いのかしらんがホント「動物化」ってのは混乱を招く用語だなあ。
例えば
>>446のような「無自覚」は「動物化」じゃないよね? 自覚してなくてもしてても「動物化」。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%B0%CA%AA%B2%BD 「他者からの承認」を「欲望」する、「他者を必要とする」のが「人間」で、
それを必要としなくなるのが「動物化」だよね?
まず、「良い」「悪い」という価値判断を感じてしまう言葉なのがまずい。
「人間」という言葉はここでは「優しさ」「知性」みたいなプラスに「偏った」意味ではないはず。
上にぺこぺこする「平目裁判官」や、ヤクザの親分はすごく「人間的」だろう。
「ぽっぽや」みたいに名誉を求めず誇りをもって職務にをこなしていくのは「動物的」かも。
当然、プラスマイナス逆の場合も普通にあって、冤罪裁判を弾劾する社会活動は「人間的」だし、
人をほいほい殺して金奪っていく強盗は「動物的」だろう。
それから、一人の人間に対して言えることじゃなく、ある枠から見た個々の行為に対して言えるだけ。
金も稼ぐし募金もするゲイツは実に「人間的」だが、
一目気にせず空港でハンバーガー食ってる辺りは「動物的」。
他者との係わりを拒否するひきこもりは一般社会から見ると実にわかりやすく「動物的」だが、
その状態に不安を感じているなら、それは一般人のように「動物」になりきれず「人間的」な「欲望」を
捨てきれずにいるための逆反応と言えるかもしれないし、
ネットから見ると、書き込みに同意を「欲望」したりして「人間的」と言えるだろう。
おばちゃんの、旦那の昇進がないことに文句言ったり厚化粧する面は「人間的」だが、
一目気にせず試食コーナーでがっついたりバーゲンで人を押し退ける様子は「動物的」だろう。
そういう複雑さをばさっといい加減にまとめたのがあずまん。
社会的名誉より利益を求める企業や、世間の目を気にせず援助交際する女子校生という点で
社会全体に「動物化」の傾向があるが、
それでも地位とかファッションとか他者からの評価への「欲望」は残存。
「人に褒められることには興味ありません。他人には干渉しないけど、私もされたくありません」
という欲求が際立って明瞭という点で、
(自覚的でないならもちろん、自覚的ならある意味いっそう)
「オタク」というのは「動物化」の標本「例」として適切、ってことだろう。
…どうかな?(最後にちょっと弱気)
468 :
考える名無しさん:2007/03/14(水) 15:30:39
元ジャスコ設計部の私がまた来ました。
342に書き込みましたけど、商業施設そのものの「ジャスコ」と思想・社会学者が語る「ジャスコ」像が
全然違う気がします。
きつい言い方かも知れませんが、12日放送のTBSが「2ちゃんねる」を捏造したことで「祭り」になった
けど、それと同じ構造ではないでしょうか?
TBSの謝罪文は以下の通り。
「ネット上の掲示板のイメージを作成したものではありますが、視聴者の方々には、どこかに
実在する掲示板であるとの誤解を与えかねない表現であったと考えております。紛らわしい
映像で、視聴者の方々、及び関係者の方々にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます」
その意味で、元ジャスコ関係者としては、思想・社会学者の「ジャスコ」に関する言説は、じつに
紛らわしい。思想・社会学者は「TBS」的であるとしたら、どうですか?
>>468 たしかにそうでしょうね。
あずまんなんかは勝手につっぱしってますけど、
北田さんは、「ジャスコ的な欲望のありかた」という感じでやんわりとたしなめてましたね。
言説的な「ジャスコ」とは本来、欲望(というよりも欲求)をすぐさまほどよく満たしてくれる
工学的に設計された便利な施設という程度でしょう。
だから、コンビニも「ジャスコ」という感じになっている。
三浦展なんかは、さらにすごい。
ジャスコが犯罪を誘発しているみたいになっちゃってるからね。
たしかに「動物」も小林秀雄の「宿命」と同じで大分変わってきてるね。
宮台なんかは、ネタからベタという風に捉えているしね。
ネタとして”あえて”おたくしていたのを、”ベタ”にオタクになるやつという感じで、ベタが動物だと。
動物もほんらいは、「欲望の構造の変化」を捉えていたはずなんだけどな。
三浦展とかはそういうマトモに相手する対象としては言及する必要皆無だろw
>328にある「都心の郊外化」というのは、”現実的”にあたってると思う。
イオンの岡田社長が話してるのを聞いたんだけど、
今東京駅周辺の再開発が進んでますが、そこに商業施設が入るだろうみたいなことを言ってましたね。
おそらく丸の内にジャスコを入れたいんだろうと思う。
イオンあるいはジャスコの人たちは無意識なんでしょうけど、これは端的に「動物化」ですね。
どちらかというと六本木ヒルズのほうが思想的には向いてそうだけどw
472 :
考える名無しさん:2007/03/14(水) 18:52:21
>469
>470
三浦展ww
ここは東批判(北田擁護)のスレなのかな?(どっちでもいいけど)
北田暁大は、イトーヨーカドーはジャスコ的だと言ってます。(「東京から考える」)
いくらなんでもそれはどっちの関係者にも失礼ですよ。
むしろ、北田暁大の「パルコ」に対する三浦展の批判の仕方が、さきほどの僕の書き込みに似てるのかな
とかは思いました。(三浦展=パルコの元関係者)
その意味で、元ジャスコ関係者の僕はそれと全く同じ方法で(ブーメランのように)三浦展批判ができる
わけだけど、北田暁大は相変わらず「パルコ」のときと同じことをそのまま「ジャスコ」でしてるような
気はします。「共同幻想論」が今どれだけ機能するのかは僕には分からないですけど。
>471
無意識で出店はしないです。むしろ「工学的」に出店計画がされている。
単純化すれば、そういうソフト(プログラム)があって、地点とデータ(交通量等)をピッと入力すれば、
採算性が合うかどうかがピピッと画面に表示される仕組み。そういう計算式がアメリカで開発されている。
ところで、『ゲーム的リアリズムの誕生』ってどんなことが書いてあるの?
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ ',
_/ /⌒ヽ | そのゲーム機は
ヾ、_/ /ゝ 'ヘ /⌒l |
| //⌒ レ''(^j | | すでにダブついて
lf_j | //o _/ メ、_
(ヽ_ノf/ ゞ _/ \ 価値ないんだ…
rf^i^く ヘ /⌒ヽ) キ/ ___ノ
L|_|_ャしヽ;| / __//━━━━━、
`ー─ヘ (__/ ̄ ̄ ̄\
| ノ 八 |  ̄ ̄
>>472 そのプログラムソフトこそが動物的なんですよ。
たんに経済合理性のみにつきうごされているんですから。
だいぶんわかってきましたね。
マクドナルドもジャスコもなにも考えていない。
おそらくアマゾンもグーグルもなにも考えていない。
人文的には。
だから面白いんでしょうね。
企業は純粋に経済合理性のみで駆動してくれたほうがありがたい
経済的か否かの区別をして、経済的側な行為を選択したり予期したりすれば
予定調和が得られるから(予期理論的合理性?)
裏返すとこう考えるようになったら動物化した人格であるともいえるね
477 :
考える名無しさん:2007/03/14(水) 22:45:15
>>475 だとすればウェーバー=リッツァー的な合理化論で片がつくわけで
なんでわざわざ「動物的」「動物化」などという
ミスリーディングな言い方をするのかわからん
>>477 単にそういう合理化論をやっているのではなく
ボードリアールの消費論やデリダの言う計算できないものと正義の関係
これらを考慮しているからだろ
479 :
考える名無しさん:2007/03/14(水) 22:56:30
マクドナルドもジャスコもなにも考えていない。
おそらくアマゾンもグーグルもなにも考えていない。
あずまんもぎょーだいもなにも考えていない。
ただ動物だけが考えている。
ジャスコ的、っていいたいだけなんだな。北田は。
ンジャスコッ。
ジャスコの語は詩的なところがあるから。
ちょっと言ってみ。――ジャスコ。口唇的な快楽がある。
ンパルコッ。
ンジャスコッッ
ドラム口ずさんでるみたいだな
483 :
sage:2007/03/15(木) 00:44:31
>>478 ボードリヤールを踏まえるとなぜ動物化という表現になるんだ?
動物は記号的消費はしないし
記号的消費のあとの萌え的消費をいってるにしても
動物は二次元には萌えない
484 :
483:2007/03/15(木) 00:46:36
sage入れるとこ間違えた
スマソorz
東=北田はジャスコ的なものが日本の未来の風景の主流になると
いってるわけだから、決して一方的にジャスコを貶めているわけではないんだけどね
日本の未来はジャスコにある!ってジャスコマンセーにも聞こえる
486 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/15(木) 00:58:46
>>465 規律訓練/環境管理の共犯はどこでもあります。
パチンコ屋なって、あのうるさい音楽、アナウンスが一つの場を形成し、
麻痺効果になっているし、
商店街の屋台のたこ焼き屋だって、なにか買いたくなるような店の位置、
のれんの配色など、環境を作ることは考える。
ただマックなどが、環境への配慮が大きいだけ。
>>470 一応学者なのに、北田やあずまんが
三浦展の議論にかなり依拠しているところが怖い。
北田と交流のある若林幹夫の新刊『郊外の社会学』でも
三浦の議論を好意的に扱っているからなぁ。
しかも、典型的な批判(データがデタラメ、犯罪との結び付け方が恣意的など)を
手ぬるく触れておいて「疑義をはさむことは可能である」と述べたあとに、
しかし言説が支持されて広がったからといって三浦の主張を擁護する。
ひどいもんだった。
>>483 「ハイパーリアリティー」において「欲望」が動作している
ここではヘーゲルが言うところの「自己意識」が存在しない
なぜなら差異化された記号および商品があるだけで
他者の欲望が、承認の闘争が存在しないから
ゆえに「(ヘーゲル的な意味で)動物的」なのであって
「動物は二次元には萌えない」という生物学的なお話は無関係
「動物化」もいいかげん、お便利なマジックワード化しつつある。
このスレはヲタスレでもあるしよいでしょうが、最近他では聞かず、死語になりつつある?
>>486 共犯は、
>>462の後段にあるような、それへの認識だよ。共犯意識。
「マックの固い椅子にただ従うように人は馬鹿にはなれない。」
そのためには、従わされていることに気づかなければならない、ということ。
492 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/15(木) 14:08:24
>>491 ようは、環境を「マックの固い椅子」の単体と取り出すことに意味がなくて、
マックは環境として、意図を作りだしている。
「間違い探し」クイズのように、人はどこまでその仕掛けの一つずつに
気がつくかわからないが、環境の雰囲気を感じ、なじみ、行為する。
マックの環境・・・不干渉
なじみ行為・・・不干渉にあわせて儀礼的無関心
の共犯
キミと同じことをいっているのかな・・・
>>488 記号的に差異化された商品への欲望は
人から「かっこいい」とか「かわいい」と言われたいという
他者からの承認欲求に根差している
ヘーゲル的にもまったく動物的ではない
>>493 商品、記号が演じる弁別的な「差異」が欲望される
こう言い換えれば分かりやすいだろうか
それから、ヘーゲルにおける「承認(Anerkennung)」とは
他者の欲望を服せしめんとする
所与では充足することのない複数の欲望が生命保存の欲求を退け
自己の生命を賭した戦いを行うことではじめて獲得される
(生命保存の欲求に打ち克たない欲望は人間的欲望ではない)
ボードリアールが述べるように、今日において
商品群はなによりもわれわれを満足させるために存在している
そこには命賭けの闘争はなく、ヘーゲル的な意味での「承認」は認められない
496 :
考える名無しさん:2007/03/15(木) 16:00:55
その欲望は、想像的な他者を経由する。
例えばワレオタがこのスレに書き込むとき、
「これって私!」を得るために、経由しているものである。
郊外には2種類ある。
ジャスコ的なものと、テーマパーク的なもので、これが都心においても反復されようとしているのではないか。
これは動物的なものと劇場=演劇的なものと分類できる。
若林の新刊では主に、テーマパーク的なものに焦点をあてているな。
しっかし「妻を女優にする街」とかのコピーは本気なのか?
あんなショートケーキハウスみたいなのが売れているっていうことは、人気があるんだろうな。
498 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 14:16:57
>480
マジレスすると、マーケティング的には店名(名前)に「濁音」が入ると良いと言われてる。
僕が知ってる範囲では、幕張の「ガーデンウォーク」はこの仕組みに基づいて名前は決定されました。
「マックスバリュ」も(多分)そうです。
因みに思想・社会学者がよく用いる言葉、ディズニーランド、コンビニ、ジャスコにも濁音が入ってる。
宮台真司は「ファミレス」を「デニーズ化」と言い換えてる。
>487
同意。
北田暁大の「ジャスコ」ってのは三浦展経由のジャスコでしかない。
そんなジャスコは、実在しない。(※イメージです)
>492
同意。
因みにジャスコも至るところで「仕掛け」てある。
吉見俊哉がディズニーランドの「仕掛け」をいくつか暴いてみせて注目されたらしいけど、そういう伝統が
社会学にあるのかな?
>497
都心マンションのコピーもなかなかのものです。
ギートステートもびっくりするくらいに、住まい人のライフスタイルがドラマ仕立てで克明に書かれてる。
むしろ、郊外のコピーはチープ(安っぽい)です。
「昼ドラ」(郊外)と「月9」(都心)くらいの差はある。
499 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 15:50:08
新刊立ち読みしたけどオタクしかわからなそう
聞き捨てならんな…
まるでオタクならばわかるとでも言いたげな物言いだ
雑学王の唐沢となんで仲が悪の?
502 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 18:10:19
東オタクならばわかる
もう売ってるの?
>>503 今日発売だから、異様に本の表紙が色落ちしやすいw
今読んでるところだけど、本の表紙の色が移って手が黄色になってるw
ちゃんとインクを乾かしてから書店に出荷しろよ>講談社
505 :
504:2007/03/16(金) 21:21:26
「ゲーム的リアリズムの誕生」第1章読了
第2章以降は具体的な作品が論じられるけど、自分はまだ参照されている作品
(ひぐらし、桜坂洋等)を読んでないので、それらの読了後に続きは読みます。
日本一早い「ゲーム的リアリズムの誕生」第1章の感想
まず「A社会学」では、ライトノベルの簡潔な定義(「ライトノベル「超」入門」)
とライトノベルの社会的な意味(「モダンのクールダウン」)について
既存の著作を元に説明します。
次に「B文学」では、大塚英志の諸著作を元に、既存の文学(自然主義リアリズム)
とライトノベル(まんが・アニメ的リアリズム)の歳について説明します。
そして第1章最終パート「Cメディア」では、ゲーム的リアリズムについて説明されます。
ここは他のパートと違って既存の論者の説を紹介するのではなく、
あずまんオリジナルの論が展開されているので、ここが本章の一番の読みどころでしょう。
具体的には、アニメやまんがのような小説を賞賛して、ゲームのような小説を批判する
大塚の論に対する批判として論が展開されていきます。
具体的に引用すると、(コミケ等を例に挙げて)「そこでは市場そのものが、あるいは
オタクたちのコミュニケーションそのものが、一種のゲームシステムを形成している
ということができる」(p126)として、「キャラクター小説を「アニメやまんがのような小説」
と「ゲームのような小説」に区別する大塚の主張は、原理的に成立しないと思われる。
現在の読者の感性においては、「キャラクターが立つ」とは、そこにゲーム的=メタ物語的な
読解の可能性が開かれること、つまり「たった一つの終わり」が解体されることに等しい」
とされ、ライトノベル=キャラクター小説のアニメやまんがの影響という側面よりも、
それが二次創作的=ゲーム的であるという側面に重点をおく事で、第1章は結論付けられています。
ネタバレするなばか
新書: 339ページ ←長いっ!
出版社: 講談社 (2007/3/16)
【KRW】ウォンを看取るスレその243【\キャリ清算凄惨?】 [市況2]
谷口悟朗について語るスレ その9 [アニメ漫画業界]
シムーン -SIMOUN- 75 [アニメ2] ←「シムーン」については、
ここの住民は何か一言くらい言いたいことないかな?昔、けっこう好きだった
のだが。
感想じゃなくて要約だな
さすがに書き込みが減ったな。
みんな読んでる最中ね。
読んだけど・・・・???
結論が散乱していてまとめきれない文章だね。東ってホントに論理的にまとめて
書けない人だね。これでは、結論が何か、言いたいことは何か、何も伝わらないよ。
読解力がないんだね
>>513 読解してみてごらんよ(笑。さあどうぞ↓
読んだ人もっと具体的な感想頼む
おまえらさぁ、あずまんがトップの写真を変えたの知ってるだろ
意図は何だ?新刊の宣伝か?何だと思う?
新刊よりも娘にピントが合ってるからな・・
あずまん好きの多くは思想系の人間でありつつもヲタだと思っていた
ネタでも幼女に対するレスがまるでないことにむしろ驚くよ
いささか緊張していたあずまんも華麗なスルーに肩透かしさ。
517 :
考える名無しさん:2007/03/17(土) 13:18:36
要するにポストモダンを生きてる俺たちにとっては
ゲームっぽいものがリアルに感じられるんだって話だろ
読んでないけど
汐音たんハァハァ・・・
妖奇士のすごいスタッフのやる仕掛けだから、なにか美術史的に裏付けが絶対あると思って見て
考えるとかいうのはあるとしても、それに遠く及ばない素人の仕掛けなんて、受け手のresource-
consumingなだけだから、「アニメを見るんだ」というのが、アニメオタクの基本スタンスだと思いますが。
520 :
504:2007/03/17(土) 13:35:34
>>509 では感想、というか批判点を書きます。
>>505で書いたとおり、Cパートは非常に面白かったのですが、AパートやCパートと
Bパートの間には、かなりの齟齬が生じると思いました。つまり、AパートやCパートでは、
ラノベの社会(学)的側面、例えばコミケに代表されるようなオタクの消費・
コミュニケーション構造からラノベについて説明されていますので、ぶっちゃけて
いうならば二次創作的に消費される小説ならば、全てラノベだということができる
と言う主張をAパートやCパートからは導き出すことができるといえるでしょう。
しかし、Bパートだけはラノベの文学的・物語的・内容的側面に焦点を当ててしまっている
ため、AパートやCパートとはかなりすれ違ってしまうことを主張しています。
例えば、「平凡な現実(日常)を描くのであれば、自然主義的リアリズムを用いればいい。
逆に荒唐無稽な虚構(非日常)を徹底して追及するのも、自然主義的リアリズムの言葉が
向いている。キャラクター小説の想像力はその中間にある」(p102)とされ、
ラノベはハルヒみたいなセカイ系のような学校的日常とSF的非日常を描くのに適した
メディアであるとされていますが、Cパートではラノベの一つの代表例として
「ロードス島戦記」が挙げられていることからも、明らかにおかしな主張であると
言えるでしょう。おそらくもう少しすれば、ラノベの代表例として銀英伝もスレイヤーズも
出さずに、ハルヒだけを事例に挙げるのはけしからんという年長オタクからの批判が
出てくるでしょう。
このような混乱が生じた理由は、ラノベの社会(学)的側面(どんな小説でもラノベになりうる)
と、文学的側面(ラノベはセカイ系を描くの適したメディアである)を無理矢理接続した
ことにあると考えられます。というわけで、第1章Bパートは不要なパートであったと思います。
せいぜいラノベの文学的側面について注釈で触れる程度でよかったのではないかと思いました。
ラノベは、今は確かに学園モノが多いけど、
異世界ファンタジーや宇宙を舞台にしたものも
同じく量産されているのに、なんであずまんは
そういう結論に至ったんだ?
ブギーポップ→ハルヒだけ重視していて
それ以外を読んでいないからじゃないの?
動ポモからなにが新しいのか。抹消な話で本にするほどではないな。
動ポモの補間でどっかの雑誌で十分っぽい
一人で書くのはネタ切れか。対談で食いつなぐ感じか
著者近影を見て西田敏行を連想した
それはそうと講談社ボックスから評論集が三冊刊行されるらしいね
やったね!
九十九十九の小説が、業界に対する批評=笑いになってるとしても(例えば
清涼院に対するパロディ)、あまりに小さな世界すぎて、どうでもいい感じ
だしね。それが、読めないわけではなくて、そのようなベタな批判が何か意味
あるのかわからない。
たとえば、アニメがバーチャルであることを「暴く」メタフィクションがあった
としても、そんなことはわかってるしね。無論バーチャルで、暴かれなくても
わかってる。
アニメがバーチャルなものであることを「暴い」たり、アニメにセクシャル
なものが含まれていることを「暴く」。
それが「批評」だと言われても、全部知ってることだ。
別に「隠されて」はいない。
>>520 Bパートは主に大塚(ちょこっと柄谷)に準拠して、ラノベ引いては「ゲーム的リアリズム」を準備した
「アニメ・まんが的リアリズム」の歴史に焦点を当てたパートなのだから不必要ではないだろう。
このパートがあるからこそ、Cパートの議論に価値が生まれる。
大塚は「ゲーム的リアリズム」が(一回性の)死を描くことができないとしてその可能性を斥けるが、
東は「ゲーム的リアリズム」の持つメタ構造に言及することによって「ゲーム的リアリズム」が(一回性の)死を描きうることを示唆する。
この辺りの議論を精査したのが二章の作品分析と言うことになる。
さらに、ハルヒやセカイ系諸作とロードス島戦記の違いも「メディアの二環境化」としてしっかり捉えられている。
前者を「コンテンツ志向」、後者を「コミュニケーション志向」とするが、
共にデータベースに依拠したメタ構造を持ち、コミケ二次創作といったメタ消費に対して開かれている(後者は作品の消費自体が二次創作的)。
>>522 東にすれば新しい文芸批評の勃興じゃああぁ、ということらしいw
>527
ゲーム的リアリズムが「一回限りの死」を描きうるというのは、要は
二重化を行なったからだね。つまり、「ゲームキャラとしての私」とそれを
後ろから見てる「プレイヤーとしての私」に分けて、前者はいくらでも「死ぬ」
(というかすでに死んでる、キャラとしての私)が、それを見てるものは
生きてる。
その、プレイヤーレベルでは「死」は描きうるわけだが、それは当たり前
のことだよね。
結局、これだけのことか・・・ブログのエントリーですませよ
まんが・アニメ的リアリズム→web1.0的
ゲーム的リアリズム→web2.0的
ゲーム的リアリズムのいい部分・メリットは、それがバーチャル環境を写実する
あるいは「批評」するもの足りえているからだと、東はいいたいのかな。
しかし、ゲームが繰り返しで、だんだん上達することなんて、それを戦闘シーン
の形で寓話として描いた(ALL You−)として、何か意味あるの?
そんなの、ゲームをやってる人は皆知ってて、わかりきってることだ。
ゲームをやってるひとが、何も考えてない・何も知らないと東は思ってるのか?
「ALL You−」を読んで、ゲームについて新しく知ることが全然ない。
東は批評や「分析」の成果で、何かを新しく知ったつもりかもしれないが。
東先生ドキドキしながらこのスレ読んでるんだから
誰か褒めてあげなよ
感想はいいんで、要約を。引用を。簡潔にしていただきたい。
ただ、ここにいる人たちは、次のような人手しかないところが
いずれにしても苦しいが。
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【KRW】ウォンを看取るスレその243【\キャリ清算凄惨?】 [市況2]
谷口悟朗について語るスレ その9 [アニメ漫画業界]
シムーン -SIMOUN- 75 [アニメ2]
ポストモダン化の進行と情報技術の進化に支えられ、
私たちはいま、ひとつのパッケージでひとつの社会論を受容するよりも、
一つのプラットフォームのうえでできるだけ多くのコミュニケーションを交換し、
副産物として多様な社会論を動的に消費するほうを好む、そういう環境のなかに生きはじめている。
言いかえれば、社会論よりもメタ社会論を、社会論よりもコミュニケーションを欲望する世界に行き始めている。
動ポモ2について語り合うことによって
このスレの連中はあずまんの掌の上でまんまと踊らされてる
ってことが言いたいのかね?
ファウストでの連載は4まで追って辞めた漏れに
なにか単行本版買う気を掻き立てるような紹介・見所を頼む。
あずまんも苦労したんだからさ
とりあえず卒読しました。
「動ポモ」の文芸評論版というモチーフは魅力的ですが、個々の作品評には難あり
といわなければならないでしょう。
舞城の作品なんかを俎上に上げる必要があるんですかね。
極端な話、あのくだりは『九十九十九』の代わりに三島由紀夫の『豊饒の海』四部作
を充てたのでも成立してしまうのでは。
講談社への義理立てでしょうか。
柄谷行人についてもあまり触れられていないのが残念でした。
三島由紀夫なんかに手を出したら専門家がうるさいだろw
今日三省堂に北田ぎょーだいがいた気がする……
p59
ウィキペディアの記述によれば、○○は正確ではないらしい。
しかしかりにそうだったとしても、〜〜は疑いない。
>>540 いたね。帰りに一番後ろにいるのを見た。
あそこは楽屋なのか?机があったような気が。。。
隠れてやがったな。
あと、北田の前にいたのは鈴木謙介じゃなかった?
股先生待ってのか?しかし股先生は頭悪いな。
「僕は東大落ちて早稲田にいった」とか言ってたが学歴って機能してるんだな
という印象しか残らなかったよ。
東も最後はあきれて「下北にこだわりますね」とか笑ってた。
東さんって、あんちゃんみたいな声だね。
中俣さんのおちついた声と対象的w
あの無駄に鋭い眼光wもしや?と思ったけどwギョウダイは何がしたいの?
>>543 しかしあずまんの話のスピードの方が早くて好きだな。サバサバしててわかりやすい。
北田はやっぱり一番イケメ(ry
545 :
考える名無しさん:2007/03/17(土) 21:08:57
北田は確かに実物の方がいいな。
股さんは話に見事に内容がないが、雰囲気は芸能人っぽい。
東さんはやっぱり朗らかな堀江って感じだな。
ファンシー堀江って言うの?
>>536 > ファウストでの連載は4まで追って辞めた漏れに
> なにか単行本版買う気を掻き立てるような紹介・見所を頼む。
立ち読みですませばいいだけのことでは?
あずまんの文章で、毎度お馴染みの大新聞文化面ネタが
でてきたのでニヤニヤした。
大新聞の文化面の記者と話したら、1999年に上遠野と電撃文庫を知らなかった
→新聞文化面の認識はこうだった、とのこと。
*その記者何歳?
*基本的に中高生が読者なんだから年齢によるギャップはあって当然では?
すぐに「一般/オタク」の境界例を使って判断せずにさ。
あずまんだって、中高生向けにヒットしている小説と漫画そそのレーベルを
全て網羅しているわけじゃないでしょ。
*一人知らなかっただけで、その新聞の文化部全体、ひいては全新聞のことを論じちゃダメw
朗らかって形容はどうかなあ?
ラジオで聞いたときは、うわずった声でまくしたてる
まさにハイテンション系オタな感じだなあと思ったけど。
>>547 上遠野と電撃文庫なんか知るわけないっつーの
>東さんって、あんちゃんみたいな声だね。
>
>中俣さんのおちついた声と対象的w
中上健次が麻原に似てるとか(声ね。)いうのは聞いたことある。
似ているとしたら誰だろう。声が聞けるサイトとかある?
品庄の庄司かなというのが、現在の結論。ラジオむきではない。
朗らかな堀江、、
まんが・アニメ的リアリズム→web1.0的→東
ゲーム的リアリズム→web2.0的→ブログなど
もはや東にリアリティはない ?
554 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 01:46:42
さて。そろそろ読むかな、『動ポモ2』。
莫迦な僕が読むとどういうことが起こるか。
デリダのように綿密でスケールの大きい話を期待している。
ageちまった。すまぬ。
556 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 08:02:39
第1章よんだ。大塚英次の宣伝本か?
みうらてんみうらてんって言ってるがあつしだよね?
ど う で も い い
559 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 13:34:05
ワレオタさんはみんなわかってる、そんなのわかってる、あたりまえのことだというが、
わかってるのはオタクだけ(しかもエリートオタクのワレオタさんだけ)であって、
みなは当り前のことじゃないと思っているよ。ワレワレにしないで。
大塚読んできてなかったが、一回性の死の話題は面白いな。
サイコでそれが書けたのかというと疑問だが。
ポエマー
この表紙のダサさは何?
いっそのこと娘のせろや
あずまんと新城カズマは交流があるし対談もしているのだけが、
それにしては新城のことを「グループSNEに近いところで活躍していた」
という文があって首をひねったのだけど。
遊演体や蓬莱学園とかって、「グループSNEに近いところ」だったっけ?
あとたぶん年長のオタクから、そのTRPG中心史観による
ラノベの説明が突っ込まれると思う。
あずまんが今頃、はてなのキーワード検索で
自作の評判をくまなくチェックしているかと思うと、
なんかしみじみするね。
女性クリエーターとその作品が完璧に排除されて組み立てられているのは
意図的なんですかね?
関係ないけど
PBMやTRPGのライターってその後エロゲ業界に流れた人結構いるよね。
いや、関係あるのか?
というか動ポモ2観念して買うか・・
PBMやTRPGのライターがラノベに流れた時期があったことは
ポモ2で述べられている。
p192 女性 辻村深月 桜庭一樹
p197 注釈にて女性向け作品の市場について言及
女性クリエーターとその作品を「無理矢理」組み込もうと
していないことは事実。
>>533 またーり引用していきます。
・テーマ設定
私たちがこれから検討するのは、
多くの読者が親しんでいる文学賞受賞作やベストセラーではなく、
それに較べるとマイナーで、読者層も限られたオタクたちの文学である。p. 15
・ライトノベルの定義
ポストモダンの文学状況について考えるために、
本書ではまず、いわゆる純文学や一般小説ではなく、
「ライトノベル」と呼ばれる小説群に注目する。p. 27
物語からキャラクターへの視点の移動によって、
ライトノベルの本質を捉えるための別の方法が浮かび上がってくる。
(中略)ライトノベルを、キャラクターのデータベースを環境として書かれる小説として定義してみよう。p. 45
・ライトノベルに現れているまんが・アニメ的リアリズムとは
ライトノベルは、「アニメやコミックという世界の中に存在する虚構を『写生』する」点に特徴がある。
〔純文学が行う〕現実の写生と虚構の写生というこの対置を、
大塚は、「自然主義的リアリズム」と「まんが・アニメ的リアリズム」という言葉で表現している。p. 56
・まんが・アニメ的リアリズムを支える環境
自然主義文学の作家は、現実を描くべきだと感じたからではなく、
現実を描くとコミュニケーションの効率がよいので、現実を写生していた。
同じようにキャラクター小説の作家は、キャラクターを描くべきだと感じているからではなく、
キャラクターを描くとコミュニケーションの効率がよいので、キャラクターを参照している。p. 62
以上Aパート。
Amazonになんか書けよ
・Bパートのテーマ
キャラクター小説の社会学的な分析を行うのではなく、
その文学的な可能性を探ってみることにしよう。p. 74
日本文学におけるライトノベルの台頭が、
単純に新しい現実や新しい文学の出現を意味するだけではなく、
むしろ、文学が現実を描写する、という前提そのものに隠されたある屈折を暴くものであることを
明らかにしたいと思う。
・まんが・アニメ的リアリズムの文学的起源
まんが・アニメ的リアリズムは、アニメとマンガの影響のみで生まれたものではない。
その誕生は文学の歴史にも支えられている。
〔このあと、田山花袋の『蒲団』は、キャラクターとしての私を抑圧し、
私小説的な私を前面に押し出すものであったことが述べられる〕
そして、大塚は、まんが・アニメ的リアリズムあるいはキャラクター表現の出現に、
まさにこの『蒲団』の封印の解放を見ることになる。
「新井素子は図らずも『キャラクターとしての私』を近代文学の起源から呼び起こしてしまったのだといえる」
と彼は記す。p. 86
>>570 いや、だから2ちゃんで書いているわけだが・・・。
まあ、じゃあこの辺で。
かなり難解だけどそれなりに面白い本だと思うよ。
なにより類書がないし。
つねずね思うことですが、みなさんの器用さ、要約引用注釈の
センスの良さには感・・・・
聞きたいんですが、あの動ポモ2を読むのに、何時間くらいかかります。
僕、読むの遅いからなあ。どうすれば早くなるのか。
>>573 難解てwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
普段ラノベしか読んでないのかよ
>>575 いや、俺の頭脳からするとかなりムズいってwww
頭の悪さは生まれつきだから勘弁してくれ。
M"oeeee....
578 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 22:23:15
難解かどうかはわからないが
すくなくとも晦渋ではないので好印象
>>573 要約・引用は続けてかまわないよ。
どうでもいい叫び声レスよりは万倍有用。
「ポモ2」の前半を読んだ感想は、他に似たような仕事をする人がいない段階で、
1人でキャラクター小説論を書いていた大塚英志はたいしたもんだな、と
いったところ。
それにくらべるとあずまんは、先行論考がそろったところで
強引に強引に整理して、交流のある新城・稲葉は肯定、
決裂中の大塚には反論、といった程度の仕事でしかないような。
>>576 あずまんの文章はとりあえず難解ではない。
一文一文の意味が読み取れないことはまずない。
センター試験現代文より簡単だから、普通の高校生・大学生の
読解力があれば読める。
本人は論理的なつもりで、実際は飛躍や天然による穴などが混じっているけど、
これは補いながら突っ込みを入れながら読むほかない。
説明があっても、予備知識をかなり要求するところがあるが、
まぁ分からないまま先に進めばよい。
ネタバレに考慮しない、警告もしない、と前書きに書いているから
その覚悟は必要。
>>579 同意。
読み進めていると大塚に対する評価だけがどんどん上昇する不思議な本。
あずまんが、各論者の議論を仲良し度に従って整理したかどうかは分からん。
でも、「先行論考がそろったところで強引に強引に整理して」というのはその通りだと思う。
> あずまんが、各論者の議論を仲良し度に従って整理したかどうかは分からん。
「ポモ1」で、オタク論(現代人論)を強引に強引に整理した際、
大塚大澤宮台に肯定的、岡田(唐沢)に否定的、という評価は
明らかに「仲良し度」が背景に見えていた。
「ポモ2」も同様と思う。
森川の仕事への肯定的言及ってあったっけ?
大塚大澤宮台の論の要約整理ってかなり間違っていたんだが
(言及先の著作を読むとわかる)、3人とも発売後に対談して
けっこう仲が良かったため(当時)、なんかうやむやにされた感がある。
大澤が「自分の用語法では動物の時代ではなく不可能性の時代だ」と
異論を唱えたくらい。
「ポモ1」発売後の対談では、こんなことを言っていた。
あずまん「『動ポモ』は評価されてますよ」
サイタマ「批判的な評も見ますけど」
あずまん「それは某掲示板でしょ。あそこは僕がなに書いても否定する人の集まりだから
だめですよ」
>>573 難解って!
これほどわかりやすい本があるか?
パート2ものはどの分野でも駄作になるということですね。
>>585 駄作とまで言い切るのはためらわれるなあ。
ただ、ポモ2に問題があるとしたら、
取り上げた題材とあずまんの守備範囲の関係にあると思う。
ポモ2であずまんは、オタクの文学、つまりライトノベルを主に取り上げている。
具体的には、ライトノベルを文学史・漫画史的に位置づけた上で、
各作品を評価しようというのがポモ2。
で、そうすると、必然的に近代文学史と漫画史について一定の知見が要求される。
でも、あずまんはデリダ読みとして登場して、
その後は現代のオタクの消費行動に焦点を当てる活動をしていた。
だから、基本的に日本文学と漫画史については素人。
結果として、日本文学の枠組みについての議論は、
大塚(と柄谷)の意見をほとんどそのまま援用しているだけに終わってしまった。
オリジナリティーの欠如が目立つのは、
オタクの文学を文学史やマンガ史とつなげようとしたからじゃないかな。
587 :
586:2007/03/19(月) 00:12:33
>大塚は、ライトノベルが依拠する想像力の環境を
>まんが・アニメ的リアリズムと名づけ、文学史とマンガ史の交差点に位置づけることで、
>人口環境の文学について語るための道を大きく拓いた。
>しかし彼は同時に、「アニメやまんがのような小説」と「ゲームのような小説」を峻別し、
>後者を考慮の対象から外すことで、その分析の範囲を狭めてしまったとは言えないだろうか(131ページ)。
正直、こういう文章を読むと、大塚のすごさだけが伝わってきて、
あずまんがしている批判は単なる微調整にしかみえんのよね…。
588 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 00:13:10
初歩的な質問で恐縮ですが、東さんが下北沢とか西荻窪を「テーマパーク」と言っている意味がわかりません。
お台場一丁目商店街をテーマパークというのならそうだろうけど、
下北沢のどこがテーマパークなの?
サブカル系の公園じゃん。
とりあえずパートBの最後にある議論の整理を引用しておく。
これ以上載せると著作権的にまずそうなんで、
もっと詳しく知りたい人は買ってくれ。
___
ここまでの議論を整理しておこう。
私たちは、第1章の冒頭で、
ポストモダンなデータベース消費の世界において物語はどのようなかたちで生き残るのか、
そしてその新しい物語はどのような可能性を見せてくれるのか、と問うていた。
最初の問いへの答えは、すでに示したように、
「人口環境の文学として生き残る」というものである。
ポストモダン化は大きな物語の衰退を意味する。
大きな物語の衰退は、人々の現実認識の多様化を意味する。
したがって、ポストモダン化が進んだ社会では、
多くの物語が、自然主義的な現実にではなく、
ポップカルチャーのデータベースから形成される人口環境に依拠して作られる。
日本ではその変化が、オタクたちのキャラクター小説にもっとも先鋭的に現れた。
591 :
590:2007/03/19(月) 00:27:29
(続き)
それでは、その人口環境の文学には、
どのような文学的な可能性があるのだろうか。
その問いに答えるためには、
ポストモダン論に加えて文学史的な視点を導入する必要があった。
日本文学は、100年前に自然主義を輸入し、
60年前にそれをマンガに輸出し、
30年前にその理想をあらためてマンガから逆輸入することで、
キャラクター小説を生み出した。
まんが・アニメ的リアリズムには、その理想が屈折して畳みこまれている。
その屈折は、キャラクター小説に、
いままでの自然主義的な写生とは異なる、「不透明な」表現を可能にする。
つまりは、キャラクター小説には、その歴史的な経緯から、
近代文学とは異質な文体の可能性がある。
これが、二つめの問いに対する、現時点での答えということになるだろう(106-107ページ)。
ちりがみの裏にやれ!キチガイ
なんで「引用」したの?これじゃ転載だろ
> 日本ではその変化が、オタクたちのキャラクター小説にもっとも先鋭的に現れた。
あずまんはこの表現が本当に好きだな。
あと「○○と××の交差するところ」も非常に好んでいる。
>>586 あずまんが評価していた稲葉の『モダンのクールダウン』も、
大塚の文学史観をそのまんま援用して、それを元に検討を進めていた。
たぶんあずまんは、文学史・漫画史の知識は
大塚と伊藤剛とその周辺で当面は十分と考えているはずで、
知識の欠如を意識すらしていないと思う。
著作権守れよ、ぴかーは。
今回のは、挙げられている作品のすべてを読んだことがないという事態でもう読む気がしない。
アンテナ低いと自嘲するあずまんよりアンテナの低いあずまん読者
>595
>キャラクター小説にもっとも先鋭的に現れた。
「俺ってゲームのキャラなんだよね」とか東が思うことと、実際のゲームとは
別物だとおもうんだけど。
ゲームの比喩で自分自身を捉えるわけね。皆の前でパフォーマンスを演じている
パフォーマティブな自分はゲームのキャラで、その後ろに「超越論的な私、プレイヤーとしての私」
がいる。「東浩紀という人形」を操ってる感じかな。
それと、いわゆるコンピュータゲームとは別物だと思うんだけど、東のような感受性
を持つ人には、コンピュータゲームが自らの人生の「自叙伝」に見えたわけだね。
東はゲームについて語るが、それがポストモダン実存文学になっちゃった。本来
ゲームは楽しいもので、憂鬱なインテリが暗そうな顔して評するものではない。
一度でもスーパーマリオをやった人には分かる筈だ。
あと、恋愛シミュレーションと「アイデンティティーの不安」についてだが、
いちいちそんなことを感じる人はいないだろう。東は恋愛シミュレーションゲームが
なくても、アイデンティティーは不安だったはず。
それを、ゲームに投影してるだけだ。
>>602 いちおうあずまんを弁護する。
あずまんが言いたいのは、恋愛シミュレーションがあるから、
アイデンティティ−の不安が生じるということではない。
だから、「東は恋愛シミュレーションゲームが
なくても、アイデンティティーは不安だったはず」という批判ははずれのように思う。
恋愛シミュレーションをやろうがあるまいが、
大きな物語の衰退によるアイデンティティーの不安は存在する。
これがあずまんの前提。
日本ではその不安を癒すためのツールとして、
恋愛シミュレーションが機能しているということ。
>>597 俺、稲葉読んでないんだよなー。
しかし、大塚説って広く受け入れられているんだな。
あずまんからの反論としては、
文学、マンガ史に関しては通説に依拠するので十分じゃないか、
というものになるのか。
問題はその点を通説に依拠すると、
第1章Bパートのオリジナリティーが希薄になってしまう点。
うーむ。
>603
複数の女性と恋愛するゲームは、「藤崎詩織が好きな私」と「虹野サキが好きな
私」と、「八重さんが好きな私」と、それらが多重人格になってると、東は言ってる
わけだね。
だから、実存不安になると。だけど、あまりにも狭量な解釈だ。次は八重さん
をやってみようかな、とか色々やってみたくなるのは自然で、一人の女性しか
選択できないというのはね。
まーたワレオタか
>>602 > 東はゲームについて語るが、それがポストモダン実存文学になっちゃった。本来
> ゲームは楽しいもので、憂鬱なインテリが暗そうな顔して評するものではない。
これについてはあずまんも自覚的で、次のように書いている。
>私たちは、当然のことながら、これからも素直に物語を楽しみ、
>その内容を分析することができる(自然主義的読解)。
>しかし、それとともに、私たちはこれからは、物語をその環境とともに捉え、
>物語内と物語外を包括的に読解の対象とするような、
>特殊な読みを追求することもできる(環境分析的読解)。(183ページ)
あずまんの基本的な論理はこう。
現代はこのような状態だ。
このような現状で流通している商品には、このような分析方法が有効なはず。
分析してみると、自分の現状分析と関係する結果が出てきた。
だから、このような分析方法は有効だ。
この論理は、実は循環している。
前提の現状把握から導かれた分析方法を作品に適用すれば、
最初の現状把握と関連する結果が出てくるのは当たり前だから。
でもこの循環は、
理論を用いて分析をする(つまりは学問的分析をする)なら避けて通れない。
この場合、分析手法の正当性は、
作品の分析結果が、他の理論的読み方を許さないほどの強度を持つか否かに依存する。
あずまんのいう環境分析的読解がそのような強度を持っているかどうか。
Ever17の分析に関しては、かなり説得力があると思ったがどうだろうか。
>>605 自分は603じゃないうえにあずまんの新刊も読んでないのだけど
>>603見る限り
アイデンティティーが恣意性に晒されて宙吊りになってるのを
恋愛ゲームは埋めてくれる(ように機能してる)っていってるような
ワレオタはもう治療不可能だから仕方ないが
わざわざ相手して餌くれてやってる厨は氏ね
610 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 17:47:01
>文学、マンガ史に関しては通説に依拠
マンガ史の通説っつったら『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』だわな。
さすがに東はそんなの参照してない。
>>610 竹内の本を通説と理解するのか。
それはもう通説という単語の理解が、俺とは違うんだろうな。
竹内の本は通説というよりも、
学問的批判に耐えない通俗的説と俺なら言いたい。
まあ、表現の問題に過ぎないか。
「動ポモ1」はやっぱり、動物という語にイムパクトがあった。
瞬く間にオタク界隈のみならず、広がっていった。「2」は、この点、
ゲーム的という語にも、リアリズムという語にも新しさがなく、
(郵便という語も膾炙した。)、まだ「環境」という語を無理やり入れておいた
方が、良かったような気がする。客観的にいってそうだろう。
本田透への言及が1個もないのが残念だった
>>605 >だから、実存不安になると。
同意できない。
確かにあずまんは、
美少女ゲームをプレイする人間のメンタリティのことを、
乖離的な心の動きと呼んでいる(動ポモ1の123ページ)。
しかし、あずまんが強調しているのは、
そのような乖離的な心の動きが、
ポストモダンを生きる主体の特徴だということだ。
>彼ら〔プレイヤー〕は、作品内の運命が複数あることを知りつつも、
>同時に、いまこの瞬間、偶然に選ばれた目の前の分岐が
>ただ一つの運命であると感じて作品世界に感情移入している(ポモ1、124ページ)。
ここからも分かるように、
システム全体を楽しむ心と、
選択した女性単体との恋愛を楽しむ心とが
並存できるような心のあり方とは何かということを、
あずまんは問題にしている。
そして、そのような心のあり方は、オタク系文化の消費者だけでなく、
「ポストモダンを生きる主体を一般に特徴付ける構造」だとあずまんは述べている(ポモ1、125ページ)。
あずまんは、このような乖離的な心の構造について、それが実存不安につながるとは書いていない。
ただし、美少女ゲームを好む人間は実存不安を抱ているというニュアンスのことは、
確かに動ポモ2でも書かれている(最後のAir論)。
しかし、そのような不安が、複数キャラとの恋愛という美少女ゲームの特性と
関連づけられては論じられることはない。
615 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 21:39:09
もう、対談本だけでいいんじゃないかな。宮台真司みたいに。
>>612 それはまさにその通りですね。
>>613 あずまんの論述からは、女性が(ほぼ)排除されている。
だから、「女が資本主義化したから云々」という前提から出発する本田とは、
議論として共鳴するところがあまりないかもしれん。
>>615 それだけは勘弁してくれー。
>>614 横レス失礼。
「ポストモダンを生きる」「乖離的な心の構造」と
「複数キャラとの恋愛という美少女ゲームの特性」とは、
関係ない、あるいは、直接的に関連付けて論じられない。
という主張だとしたら、なんで?
それじゃ、宙づり論法にならないから、だとでも?
>>617 関連づけられないのは、
・実存不安
・乖離的な心の構造
の二つ。
・複数キャラとの恋愛という美少女ゲームの特性
・乖離的な心の構造
の二つはもちろんつながります。
>>604 > 俺、稲葉読んでないんだよなー。
> しかし、大塚説って広く受け入れられているんだな。
大塚説を受け入れているのは、稲葉あずまんぐらいだよw
全然広くない。
非文学部の論者に受ける史観なのかもw
大塚は文学史と漫画史をリンクしているから貴重だけど、
夏目房之介派閥には受け入れられていない。
> あずまんからの反論としては、
> 文学、マンガ史に関しては通説に依拠するので十分じゃないか、
> というものになるのか。
大塚説=通説じゃないよw
柄谷と共通しているっつったって、柄谷のあれも日本文学の人たちに
受け入れられていないし。
>>618 THX
>>603 の
>恋愛シミュレーションをやろうがあるまいが、
>大きな物語の衰退によるアイデンティティーの不安は存在する。
>これがあずまんの前提。
「大きな物語の衰退によるアイデンティティーの不安」を縮めて「実存不安」と言っているのか。
(もはや三行以上の文章は読めなくなった)
>>619 >柄谷のあれも日本文学の人たちに受け入れられていないし。
そうなの?
あずまんは、言文一致体導入に関する学説について次のように書いているね。
>これそのものは、大塚の指摘を待たずとも、
>文芸批評や文学研究でかなり一般的になっている認識である。
>たとえば(中略)柄谷行人が1980年に出版した『日本近代文学の起源』がその嚆矢として知られる。
>(中略)言文一致体の問題については、それ以外にいくらでも参照すべきものがある。(84ページ)
こういうところで嘘を書かないという程度には、
俺はあずまんを信頼しているのだが。
ま、この点は誰か専門家がいないと水掛論にしかならんだろう。
>夏目房之介派閥には受け入れられていない
これはそうでしょうね。
>>夏目房之介派閥には受け入れられていない
>
>これはそうでしょうね。
どういうこと?くわしく説明して。
>>622 大塚は、戦後まんが史に、
文学との関係を考慮する視点がないことを批判している。
そのときに、批判されるのが夏目が行う記号分析なわけ。
>戦後のまんが史にはこういう近代文学史的な視点が抜けています。
>(中略)80年代にまんが評論は、美術史から独立していく形を取るのですが、
>それは同時に歴史的な視点を放棄する結果となります。
>アカデミズム化したまんが批評の中で影響力のある村上和彦が印象批判、
>同じく夏目房之介が「記号」の分析、
>これに呉智英が、左翼イデオロギーてきな批評を徹底して批判することで、
>結果として歴史的な視点をまんが批評は後退させます。
>(中略)だから起源という話になると、とたんに『鳥獣戯画』や浮世絵に行ってしまい(後略)。
>(『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』、35-36ページ)
この批判に対する夏目の応答を俺は知らんのだが、
夏目が大塚の説を受け入れなかった可能性は高いんじゃないかと。
夏目派閥というのが具体的に誰を指すのかはシラネ。
>>623 それは大塚の分析がまるで間違っている。鵜呑みにしちゃだめ。
呉智英のイデオロギー的なマンガ批評批判と、
夏目らの「表現論」的分析との間には因果関係はない。
呉と夏目、ここで名前は出てきてないけど米澤嘉博、村上知彦は
仲がいいが、大塚はこれらの論者をなぜか嫌っている。
それに、ここ数年の大塚が、それこそ「歴史性」を語るときに
依拠しているのは宮本大人の仕事だが、宮本は夏目の懐刀的存在だよ。
文学史についてはどうか知らんが、漫画史に関しては大塚の言う
ことをあんまり真に受けちゃだめだろってこと。
>>624 つまり、
・まんが批評が歴史的視点を欠落させているという大塚の批判は見当違い。
・しかし、文学研究とまんが研究を結びつけた点で、大塚の独創性は認められる。
こうなるのかな。
626 :
考える名無しさん:2007/03/20(火) 00:16:20
>>625 いや、「歴史的視点」の欠落という認識はそんなに外れていないと思う。
ただそれをイデオロギー的な批評が抑圧されてきたためとするのはどうかと。
そういう見方になってるのは、大塚が呉や夏目ら漫画評論家全体を嫌ってる
からだろうということ。
文学研究と漫画研究については、まあそうなんだろうけど、よくわからん。
ポストモダンでも主体とかあるの?
ポストモダン的な(動物的な)主体があるということなのかな?(語義矛盾?)
キャラクターが主体にとって代わるのかな……?(滅茶苦茶?)
>>621 柄谷&『日本近代文学の起源』が、
日本文学の研究者(近大以外w)で
どう受け取られているのかを調べたらわかるよ。
思い出したけど
>人文・社会系の学者には、むかしから、本当に影響を受けた対象を隠し、そのひとを飛び越えて元文献を
>引用することでハクをつける、という非倫理的な態度がまかりとおっています。たとえば一昔前には、柄谷
>行人を読んだことは明確なのに、柄谷の名前を一切出さず「他者」や「交通」をキーワードにするひとがい
>っぱいいました。こういう行為は、批判するのがたいへん難しいものです。「俺も原書で同じことを思いつ
>いたのだ」と言われれば、それまでだからです。
>しかし、そのような飛び越えは実際にはすぐ分かるものです。ゆるゆるのインスパイアは、学者人生を
>狭めるものでしかありません。
ttp://www.hirokiazuma.com/archives/000179.html あずまんが急にチャーリーを叩いたあれだけど、
柄谷行人(と浅田)を読んだことは明確なのに、柄谷の名前を
一切出さずコジェーヴの「動物」をキーワードにした
お前が言うなよ、と思った。
柄谷の村上龍論と浅田の「子供の資本主義」論(講演)を
読むとわかる。
631 :
考える名無しさん:2007/03/20(火) 02:01:33
あずまんが柄谷の影響のもと仕事を始めたことは、わざわざ言わなくとも誰もが知ってるし(本人がそう言ってる)、
隠すとかそういう問題ではないと思う。
>>631 註で柄谷の著作と該当箇所を挙げればいいだけでしょ?
「自分の読者は全員著者が柄谷の影響を受けているとわかって読んでいるから、
名前を挙げなくてよい」なんて考えてるとしたら
ちょっとおかしいよ。
あずまんの研究者倫理の問題はとりあえずわきに置く。
問題は、あずまんが依拠している学説が根拠薄弱なものである場合、
動ポモ2で行われている議論の土台が失われてしまうこと。
だから、たとえば、『近代文学の起源』の「内面の発見」が具体的にどう批判されているのか。
あるいは、言文一致について、柄谷とは違うどういう解釈が有力なのか。
こういう点が分かれば、動ポモ2の妥当性についても議論ができるんだがなあ。
あとがきで「あとは若い人に任せた」(大意)みたいな事を書いているけど、
アイディア満載であるがゆえに未整理な本というのならわかるが、
「ポモ2」みたいな半端な整理本で、これを元に議論をしてくれ、みたいなことを
書くのはどうかと思った。
おまいら何だかんだ言ってもちゃんとあずまんの本読んでるんだね
コンテンツの思想はどうなの?
637 :
考える名無しさん:2007/03/20(火) 12:42:04
>>593 >>598 この量であれば、引用の範囲。
(「引用」とは、著作権者の承諾なしに本人の文章を載せることで、
法的に問題はない、はずだが。)
西尾のノベライズは二冊だろ…あずまん…。
ところでみんな、本当にライトノベルとか読んでるの?
自分なんか舞城の初期の奴を2冊ぐらいしか読んだことがないんだけど。
俺も舞城くらいかな
『煙か土か食い物』『阿修羅ガール』
『九十九十九』は名作だと思う
あと滝本竜彦が大好き
でも西尾も奈須もハルヒも読んだことないし
美少女ゲームはまったくやったことがない
アンテナ低いです
641 :
考える名無しさん:2007/03/20(火) 16:00:21
>>630 学者が影響を隠して引用なしでパクるっていうあずまんの「批判」自体が
『国文学』2004・1月号の関井光男が柄谷行人へのインタビューで言ったことの
パクリだったりするわけだが。
>>641の生涯はパクリの継ぎ接ぎでしかないわけだが。
「文章は引用の織物に過ぎない」
からといって
「引用先を隠す」ことが許されるわけでない。
研究者ならなおさらね。
オリジナリティ否定の浅田も、
パクリ(参照先を隠す)には厳しい立場だし。
>>639 定義にもよるけど、舞城の初期の2冊は
普通ライトノベル扱いはしない。
動ポモ2自体はすごく面白かったんだけど
最後のAiir論はちょっと強引すぎじゃないかい?
実際ゲームやった人は納得するのかな
>>645 プレイヤーの感覚に根ざしていない評論なのは確かだけど、
AIRは色々な深読みがなされていて、東のだけが極端に過剰ってわけじゃない。
特段否定する箇所があるようにも思えないし、心の広いプレイヤーなら
まあこういうのも一つの読み方だよねって感じで受け取るんじゃないかな。
動物化するポストモダン2の読み方
第一章:
・新城「ライトノベル「超」入門」と大塚「キャラクター小説の作り方」を読めばおk
・稲葉「モダンのクールダウン」は駄本なので図書館か立ち読みで読めばいい
・暇と金銭に余裕があれば伊藤「テヅカイズデッド」も
第二章・付録:
・とりあえずは桜坂「All you need is kill」を読めばおk
・key「ONE」は特にやる必要なし。ネタばれも気にしないで読んでも大丈夫
・「EVER17」「AIR」はPS2版は安いしやってみてもいいんじゃない?
・「ひぐらし」は、美少女ゲームとしては安いが、プレイ時間がとんでもなく
かかるから、学生以外はやる必要なし。暇な学生(含ニート)はやってもいいかも
・舞城「九十九十九」を読むためには清涼院の小説をまず読む必要があるが、
清涼院の小説を読むにも「ひぐらし」と同じくらいの時間がかかるから上に同じ
柄谷の文学研究への影響について。
ここで、文学研究を狭義のアカデミズム
(紀要、学会誌へと論文を掲載している人々による活動)とする。
もちろん「国文学」が学会誌かどうかとか曖昧な問題はあるが、
とりあえず狭義のアカデミズムという言葉で許してね。
で、文学研究史に関わる面倒な話になるが、影響があるかないかというと
確実にある。いわゆるテクスト分析を主とする文学研究において、
柄谷の文学研究は常にインパクト与えてきた(国文学者、中村三春はこれを
称して「新しい風は常に柄谷から吹いてきた」といっている)。
近代における内面の発見(という名の「私」の再構築)、「子供」の発見、
探求における他者論、そこからスピンアウトとしての倫理の問題などなど、
柄谷が提示した問題は常に文学研究の土台をセッティングしてきた。
それよりも何よりも、哲学研究からすれば突拍子もない「誤読」と
見なされてきた柄谷のテクスト読解の手法自体が徹底的に生産的に
テクストを読む1つの手法として(哲学業界とは逆に)礼賛され、
「マルクスその可能性の中心」を読んでいない近代研究者はいないと
言ってもよいはず。国文学研究で近代をやるものはとりあえず先輩に
「探求」読め、「日本近代文学の「起源」」読め、言われる
(それも大学によって違うだろうが、うちの大学はそーいう教育をしてきた)。
ただし、ここでいう『テクスト分析を主とする文学研究』というものが、
狭義のアカデミズムにおいてただの傍流であったことも事実。
例えば、前述の中村三春「フィクションの機構」はおそらく『テクスト分析
を主とする文学研究』派のマイルストーンだけれども、その仕事に追随する
もの、批判的に検討するもの、あるいは「フィクションの機構」を越える
仕事をするもの、誰一人として現れていない。でも「童貞としての宮沢賢二」
しかり、「南東イデオロギーの誕生」しかり、佐藤泉しかり、『テクスト分析
を主とする文学研究』派でインパクトのある仕事をしている人は一度以上柄谷
にかぶれているこtは事実。
現在では、ただの傍流であった『テクスト分析を主とする文学研究』自体が
死んだ犬扱いされるどころか、カルスタ流行もあり、「非政治的なもの」と
して忌避されている。つまり、傍流であった時点でも『テクスト分析』=
西洋かぶれ、ニューアカかぶれと怪訝な顔を文学研究においてされていたの
だが、現在では「非政治的なもの」として忌避されている。二度も不幸にあ
っているわけだ。その意味で、柄谷の仕事が影響を与えているというのは一
面では正しいが、一面では間違っている。いわゆる古典研究や作家研究に
おいては柄谷の仕事は何ら影響を与えていない。
もちろん、「探求3」以降の柄谷、あるいは可能なるコミュニズム以降の
柄谷を見ているものにとっては上記のような状況に複雑な思いをしている
と思うのだが。
長文、スマソ。
>>646 そうなんだ、Airってのはそんなに語らせる力がある作品だったのか
>大塚は、ライトノベルが依拠する想像力の環境を
>まんが・アニメ的リアリズムと名づけ、文学史とマンガ史の交差点に位置づけることで、
>人口環境の文学について語るための道を大きく拓いた。
>しかし彼は同時に、「アニメやまんがのような小説」と「ゲームのような小説」を峻別し、
>後者を考慮の対象から外すことで、その分析の範囲を狭めてしまったとは言えないだろうか(131ページ)。
>正直、こういう文章を読むと、大塚のすごさだけが伝わってきて、
>あずまんがしている批判は単なる微調整にしかみえんのよね…。
補助線ひとつ引くだけで、アラ不思議、まったく新しい議論に
デリディアンなんだから横領超OK
>最後のAiir論はちょっと強引すぎじゃないかい?
どういうことが書いてあったのだろう?引用か要約を頼む。
色々めんどくさいから今日からコテハン化することにした
ちなみに
>>504以下も自分
>>648 ためになったよ。なので感想等
>国文学研究で近代をやるものはとりあえず先輩に
>「探求」読め、「日本近代文学の「起源」」読め、言われる
>(それも大学によって違うだろうが、うちの大学はそーいう教育をしてきた)。
柄谷なんて読んでるのは恥ずかしいことだから隠して読むものだと
思ってたけど、そういう場所もあるんですね。
どこの大学かヒントだけでも教えてくれない?
>いわゆる古典研究や作家研究に
>おいては柄谷の仕事は何ら影響を与えていない。
古典については宣長以外、ほとんど何も書いてないからね〜
でも、子安宣邦の研究に柄谷が影響与えてるらしいけど、どうなんだろう
個別の作家論も殆どしてないけど漱石とか安吾(中上はまだ早いか)
についてはそれなりに作家研究に影響を与えててもいいと思うけど
>カルスタ流行もあり、「非政治的なもの」として忌避されている。
このスレの趣旨に沿うならば、柄谷の『日本近代文学の起源』こそが
日本におけるカルスタの原点といえるから、近代文学アカデミズムが
カルスタ化しているならば、柄谷の『起源』も言及されることはないとはいえ、
アカデミズムに影響を与えたといえるんじゃないか?
そして、あずまんの『動ポモ2』が柄谷=大塚的近代文学史観の超克を
目指しているならば、それは即ち『動ポモ2』の政治的含意とは、
カルスタ的左翼の超克にあるのだ!!!!!!!!!!!!!!!
655 :
648:2007/03/20(火) 23:25:09
478は漏れではないです。初書き込みです。ロムってたんで。
>柄谷なんて読んでるのは恥ずかしいことだから隠して読むものだと思ってた
もちろん、引用や典拠先として公然と柄谷を出すことは駄目。ただ駄目という
こと=読むなということではないわけで。駄目と言われるからこそ読んでしま
うのが若さの若さたるゆえんでは。
>漱石とか安吾(中上はまだ早いか)
うんと、ある作家に集中して研究するという不文律は厳然とあり、
(もちろんそれは正しい)ただ「その作家の作品をどう研究するか」という
研究手法、スタイルの選択時にテクスト論という手法が1つ選択肢としてあが
ってくるわけだ。もちろんジュネットなりなんなりといったメタテクスト論を
しっかりと習得、あるいは勉強して研究する人間が大半で、そうした傾向に
ある研究者の多くが柄谷を一度以上経由している。なんか、曖昧な文章ですまん。
656 :
648:2007/03/20(火) 23:30:15
>柄谷の『日本近代文学の起源』こそが日本におけるカルスタの原点
あなたの主張は一理ある。ただし、今のカルスタ、あるいは政治研究はとても
地道な政治研究なんです。大正昭和初期の雑誌を漁って、戦争やアジア関係に
まつわる記事の比率を検討したり。別にそれはそれで意味のある研究だし、とて
も勉強になる。柄谷の『日本近代文学の起源』は、明らかにテクストの分析から
導き出せることしか語っていないように見えるけれども、導き出せるってことは
必ずしも論理的に導出可能ってことを意味しない。もっといえば、その導出部分
に飛躍が多くあれば、たとえ面白いことを語っていたとしても、地道な研究者は
嫌います。推論部分こそ、人文科学において検証可能な唯一の叩き台であって、
この部分が緩い=検証ができない=アカデミックペーパーではない、となるわけ
。
もちろん、推論とは何か、飛躍していない論証とは何かといったよりメタな話や
合意が大前提になるわけだけれども。
で、何が言いたいかというと、推論部分が緩いけれども刺激的な文章と、推論部分
に緩さがなく、そうした結論が導出されてきた論拠がテキスト内/外に明示可能な
形で存在する平凡な文章のどちらを好むかはひとそれぞれってこと。「可能性の中心」
とはよくいったものです。
柄谷に触れず、アンダーソンの議論やフーコー、エリスンの議論を前提にしておけ
ばオッケーなんて馬鹿なことをいう人はいないだろうけれども。前提にしたって、
緩い論証ならだめ。
アズマン話でもなんでもないね。すんません。
長文スマソ。
>>619 大塚の文学史観なんて、晩年の江藤淳が持った
「若い人は文学の正典から切り離されて書いてる」という
正典を学んだ人が持った危機感に同調しながら、
石原、大江、中頭、W村上、バナナという、
有名どころの戦後日本文学だけ取り上げるという、
メインストリームに乗っかったままで「サブカルチャー」として
文学を論じたつもりになってるだけ。
正典なき時代に正典を定めなおすつもりなら、
それこそ大塚なりの歴史観と評価軸をわずかでも提示すべき。
かといって、従来の文学史を説明できるほど、
大塚は小説を読んでないし読めてない。
斉藤美奈子の「妊娠小説」の方がよほど
あらたな文学の流れが見えてくる。
オレはマンガ読みじゃないが、大塚の文学史観を
真に受けちゃいけない。
大きな穴がいっぱい開いてるよ。
そもそも文学にたった一つの正史しかないと考えるのは馬鹿げている
渦状更新。
誰か図書新聞と東京新聞の「東京から考える」評うpして。
地方在住だから手に入らん。
図書新聞なら、図書館にある。
本書を読んでいて、一番、違和感を感じたのは、
「まんが・アニメ的リアリズム」に対するものとしての
旧来からの「自然主義リアリズム」のあつかいである。
現在そのような「自然主義リアリズム」で書いている作家など
「純文学」分野でもいるのだろうか?
東氏はライト・ノベルをことさら新しいもののようにいうが、
決してそういうことはないように思う。
本書でいわれているライトノベルの可能性などというのは
どうもあまり真面目にとることができなくて、むしろ問題は
そういうものになぜ一部の人間が強くひきつけられるのか
ということのほうであろうと思う。
そして、その問題にかんしてはすでに中島梓の「夢みる頃を過ぎても」
(95年)の「少女たちの見る夢は」で論じつくされているように思う。
東氏がここでとりあげているライトノベルや美少女ゲームが「オタク」たちを
救っているということは間違いなくあるのであるから、それがなぜかという
ことこそが追求されるべきものなのであろう。
そのメカニズムはいかなるものなのかということについては、本書では
ほとんど解析されていないように思う。
ttp://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20070321/
>、むしろ問題は
> そういうものになぜ一部の人間が強くひきつけられるのか
>ということのほうであろうと思う。
> そして、その問題にかんしてはすでに中島梓の「夢みる頃を過ぎても」
>(95年)の「少女たちの見る夢は」で論じつくされているように思う。
本人も言ってる通り、
なぜ惹きつけられるかは論じつくされているので
「むしろ問題」でもなんでもないよね。
この人、頭ヘンなのか。
大塚英志が網膜剥離でゲラも読めない状態だから(新刊のあとがき参照)、
これから生産力が落ちることが予想される。
そうなるとあずまんの天下と思われるが、あずまんは例の「飽きた」「終った」発言を
すると思われるので、あまり変わらないかも。
ちなみに今年か来年に出る宮台の新刊ではセカイ系が扱われるそうなので、
ちょっとややこしくなる。
宮台は98〜99年頃までのスタンスで行くのなら、おそらくあずまんみたいに
可能性を探ったりはせずに退行として一刀両断して済ますはず。
だが今のスタンスなら、もう少し口当たりを柔らかくした上で対象を細かく切り刻んで
分析・解体しつつ、加えて他分野への言及をふんだんに盛り込んだ本に仕上げてくるとみた。
昨年、アニメ映画版のゲド戦記はセカイ系だからダメだ、と一刀両断していたけど。
グロコムやめて、東工大の特任ポストの安い給料しか手に入らない今、
妻と幼い娘を養うには出版するしかないのです。
それなりに売れた本(動ポモ)の続編を出す、
対談集を出す、これまで書き散らしてきた文章をまとめて出す、
そうすれば、とりあえずのお金が入ってきます。
そういう東家のミクロ経済学から、テクストを分析するなら、
さしあたってどうでもいい内容しか書かれていないのは当然なのです。
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【KRW】ウォンを看取るスレその243【\キャリ清算凄惨?】 [市況2]
東浩紀、宮台の腰巾着になるか? [社会学]
平野綾59 [声優個人]
【10点】みんなのアニメレビュー その9【0点】 [アニメサロン]
cornelius 56 from Nakameguro to Everywhere [邦楽男性ソロ]
とりあえず最初のスレを見てる人間がなんでここに来るのか想像つかないのだが。
太い糞だ。
>>669 「このスレを見ている人はこんなスレも見ています」は、統計的にあてにならないから
そんなもん信じてどうする。
なんかやたらとスレに貼って、スレ読者層を見極めた気になっている人がいるけど、
その発想が謎。
> 「むしろ問題」でもなんでもないよね。
> この人、頭ヘンなのか。
だからこの本の存在意義は無きに等しいって言ってるんでしょ。
>>672 「このスレを見ている人はこんなスレも見ています」ってのはポストモダニズム。
> 「むしろ問題」でもなんでもないよね。
> この人、頭ヘンなのか。
自分にとっての興味関心問題事こそがセカイにとっても問題なのです
だからあずまの本がそれを扱わないのは大問題なのです
676 :
考える名無しさん:2007/03/21(水) 13:22:06
動ポモ2、たちまち増刷だそうでおめでとうございます
おもわずからかっちゃったけど
663の抜粋の仕方が無茶なだけで、リンク元読んだらむしろ問題は〜より前の行までは
別に普通の人だった。
要は「自然主義的リアリズム」「ライトノベル」と一括りにして片っ方だけに可能性を見出すとか
大雑把なことしないで!ってことらしい。
ただ、むしろ問題は〜以降に関しては、数的にも圧倒的に少数派に転落している
純文との比較においてラノベを取り上げつつも
> そういうもの(ラノベ)になぜ『一部の』人間が強くひきつけられるのか
> ということのほうであろうと思う。
と言ってるのが興味深いね。
問われるべき『一部』なのはむしろ逆だろうと。
おそらく自覚を欠いてるのだとは思うけど。
678 :
考える名無しさん:2007/03/21(水) 13:47:54
ふま。
消えろこの粘着野郎。ごみ虫が。
もとはといえばてめえがアラシたようなもんじゃねえか。
もとはといえば黒木玄憎しで、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とばかりに、はっきりした動機もなしにリフレ派に敵対粘着始めて、あちこちのブログや板を汚して。
その行きがかりで、別に反リフレというわけではないが、経済学懐疑派ということでリフレ派とやりあっただけの本田さんに対して、「敵の敵は味方」とばかりに応援の押し売り、おしかけ味方粘着始めて。
それで今度は、電波文体抑えて、ものわかりよさげに蝙蝠ばりの立ち位置探しか。
ふざけんじゃねえ。
さっさと消えろ。
投稿 いなば | 2006/08/28 18:40:15
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_2cf7.html
665 :考える名無しさん :2007/03/21(水) 02:15:57
大塚英志が網膜剥離でゲラも読めない状態だから
網膜って、そんな微妙なの?剥離って・・・そんな、どうしたらそういうことに?
あずまんってそもそも清涼飲料水の著作を
全て読んでいるのかな?
読んでいたとしたらかなりの忍耐力なんだが。
絶対読んでないと言いきれるわ
665 :考える名無しさん :2007/03/21(水) 02:15:57
大塚英志が網膜剥離でゲラも読めない状態だから
大塚氏は、目がそんなに悪い風には見えなかった。目つきは悪いけど・・・
そんな剥離なんてたいそうなことになるとは思えないんだけど、まだ若いし。
>>683 若くても網膜剥離にはなる。
俺の高校の同級生で手術した人がいた。
江藤淳→加藤典洋→大塚英志→あず(略)
と、系譜をたどってみますと、
「思えば遠くに来たものだ」との感慨を禁じ得ません。
人類は明らかに進歩している!
進歩じゃなくて珍歩かもな
豊田絶望国家だしな。
天皇といえば奥田w
ガンバレ!ニッポン!!
693 :
考える名無しさん:2007/03/22(木) 03:23:36
「刑務所へ行く」のマスに止まったとき、「刑務所へ行く」のカードを引いたとき、
三回連続でゾロ目を出したときは、刑務所に入らなくてはなりません。
>江藤淳→加藤典洋→大塚英志→あず(略)
>
>と、系譜をたどってみますと、
日本の総理を並べてみると、似たような感慨を得ることができるよ。(宇野とかからはもう悲惨。)
「からかさ連判」で特許 東浩紀君
動ポモ2は主体の再構築ということなのでしょうか?
まだ途中までしか読んでいないのですが。
697 :
考える名無しさん:2007/03/22(木) 21:57:38
■[告知]ふまについて
既にハンドル「ふま」その他を用いて悪ふざけをするやからの行いは比喩でなしに犯罪の域に達しております。
今後は「ふま」のみならず「ふま」と遊んであげてこの馬鹿を増長させる者も同罪とみなします。
必要とあらば当方でもプロバイダに申請して関連コメントのIP等調べ上げ、公開し、場合によってはしかるべき措置(被害届等)をとらせていただきますのでそのつもりで。
他に迷惑をこうむっている皆さんも、断固たる措置をおとりになるようお願いします。
稲葉振一郎:インタラクティヴ読書ノート別館の別館
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070321/p1
698 :
考える名無しさん:2007/03/22(木) 22:02:06
>江藤淳→加藤典洋→大塚英志→あず(略)
>
>と、系譜をたどってみますと
郵便的→動ポモ1→2
というのも、また転落(?)
700 :
考える名無しさん:2007/03/22(木) 22:36:20
宮台の娘には、親の敷いたエリートのレールじゃなく
ごく普通にテレクラ円光に染まり切った人生を歩んでほしいな。
宮台の娘を円光で処女喪失させなかったら宮台はインチキだと思う。
未成年セックスを楽しみ19歳で医者と結婚する。
世の中そんなもんだ。
アマゾンで、勇気ある人が一番乗りのレビューを書いていた。論旨を引用すると、
>16 人中、10人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
>大きな物語の喪失、すなわち自分が手放さないできた価値観や生き方が当たり前でもなんでもなくなったこのポストモダンにおいて、
>自分自身がひとつの物語(それこそ価値観や生き方)を実際に選ぶとはどういうことなのか
閉塞感のようなものは感じているけれど、「大きな物語の喪失」というのが、イマイチ良く分からない。
「大きな物語の喪失」とは、どのようなことを言っているのかな?
イスラム教圏では「神」はばりばりに健在だし、共産主義、社会主義にしたところで、中国、中南米をみよ。
エロゲにはまる異性に持てない青年壮年の抱く不安や
「なっとうダイエット」如きで、スーパーの納豆を買い尽くすオバンの欲求不満と、
その「大きな物語の喪失」とかが、どのように関連していると言うのだろう?
>705
>「大きな物語の喪失」
そういうのが無いと生きていけない、とかいう人がいるのかなあ。アイデンティティー
の問題か。
舞城によれば、結局は、メタ物語(物語を疑った)あげく、複数の物語を同時
肯定して終わる。
多世界を同時肯定する、というのが最終的立場らしいよ。
ゲームは虚構であるが、多世界の内一つしか選べない、という「残酷さ」の内に
リアルが宿るんだとか。
ただね、多世界・複数の物語、複数のアイデンティティを肯定すると言ったって、
監視カメラ社会では所詮1つの物語しか選択できないわけでしょ?
ギャルゲーにも鬼畜シナリオってのがあるが、俺の(信じる・コミットする)物語
・セカイでは、幼女をレイプするのも合法になっている、といくら主張したって
ダメなわけでしょ?
なら、複数の物語を肯定すると言ったってたかが知れてる。
佐藤作品や、バトルロワイヤルには、「ゲームのように」人を殺す人たちが
たくさん出てくるが、東はそれを嫌って監視カメラをつけまくるわけでしょ?
なら、舞城であれ東であれ、「複数の物語を肯定する」つもりなんかサラサラ
ないんじゃないか。
違うよ。全然違うよ。
710 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 07:21:04
全然違うよ。全く関係ないよ。
>ギャルゲーにも鬼畜シナリオってのがあるが、俺の(信じる・コミットする)物語
>・セカイでは、幼女をレイプするのも合法になっている、といくら主張したって
>ダメなわけでしょ?
したがって、
>なら、複数の物語を肯定すると言ったってたかが知れてる。
ハァハァ。ワレオタ論理ほど萌えるものはない。
暗闇の中での跳躍とか命がけの跳躍とか、そうゆうレベルじゃねえから。
712 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 07:36:10 BE:272107744-2BP(0)
>>665 一応チェックしてるけど、そんな話聞いてないぞ?
新刊って筑摩と講談社と喧嘩して版を引き上げたやつがいっぱい出てんだけど
どれのこと言ってんの?
「自分でもゲラを見るのをうんざりする」(サブカルチャー文学論)っていうのを勘違いしてない?
オタクポルノの「いいわけ」に消費されるポストモダン。
「現代は今までとは違い大きな物語を喪失した新たな段階に入った」
と100年後の人たちも思ってるんだろうな
めっさ短絡してるひとがいますね
要は、許容可能なように複合性を変形するってことだよね。この部分に僕はとてつもない何かを感じたんだ!
大塚英志は、この年末年始に入院し、網膜剥離の手術を受けた。
現在は回復している。
>>715 それが舞城の九十九とかに現れてるの?複合性をベタ視線にってこと
×舞城に
○ワレオタに
新時代幻想という物語
>>712 おたくの精神史(朝日文庫)の後書きに載ってるらしい。
さすがに手に取る気もおきんね。
ちゃんと社会学版に移動したほうがいいよ。
ここん所の糞本連発で東が消えてくれたらうれしいんだが
糞本連発しても消えない奴なんかいっぱいいるし
そもそも東なんかにかぶれる奴は糞かどうかもわからん
ガキばっかりだから無理だろうな
「糞本」のほうがマーケットあるからね。
出版社の下部構造だと開きなおって動物化するのが楽チンよ。
他人の著作を糞本呼ばわりすることによって
自分は高尚だと思い込む哲学かぶれの卑賤な自意識
やっぱ語学力が生命線だったんじゃないかな。
フラ語、独語、ラテン語、古典語など何か強い言語がないと
東みたいに寿命が短くなるよね。
まあともかく著作を出すようになったのはよいことだ。
グロ混む馘首がよほど堪えたらしいな。
あずまんは絶えず誰かが抑圧を加えないと仕事できない体質にそだったのだ。
あずまんくらい頭良くても抑圧が機能しないとこうなっちゃうっていう
時代的必然
抑圧のかかりそこなった柄谷
「ゲーム的リアリズムの誕生」文体が平易になっているね。
ポストモダン的な批評用語をできるだけ使わないようにしている。
付録の「AIR論」はまだポストモダン的な批評文体で、これが2004年執筆だから、
ここ2年間くらいで文体が変わったのかな。
内容はそれなりに面白かったけど、いかんせん素材として取り上げられている
ライトノベルやゲーム自体に対する関心が薄いので、個人的には、そういうものかな、
ちょっと大げさじゃないのかな、っていうのが実感。
「情報自由論」の方がずっと面白かった。
何より気になったのが、同書で東浩紀が、頻繁に読者へのエクスキューズをしている点と、
(このスレなんかも含むと思われる)ネット周辺の「素人しゃべり場」からの読者に
やたらへつらっている印象が強かった点。自分の言説に自信があるんなら、こんなに
多方面の読者に右顧左眄する必要性はないはずじゃない?
> 何より気になったのが、同書で東浩紀が、頻繁に読者へのエクスキューズをしている点と、
> (このスレなんかも含むと思われる)ネット周辺の「素人しゃべり場」からの読者に
> やたらへつらっている印象が強かった点。自分の言説に自信があるんなら、こんなに
> 多方面の読者に右顧左眄する必要性はないはずじゃない?
これ、動ポモ以降のオタ関連のまとまった文書ではかなり顕著だよね。
以前からの読者にはちょっと極端なくらい分かり易く書いた動ポモですら、オタ界隈からの
反応の中には誤読や勘違いに基づくものが少なくない数含まれていたし、そこら辺の
バランス取りは中々に難しい。
730 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 15:26:39
731 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 15:27:20
732 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 15:28:09
はてダで感想追いかけてみたら、
ゲーム的リアリズムって言葉を世代論として理解してる人が
けっこう多くて驚いた。完全に誤読だよな。
中には国立大の院にまで通ってる人いたんだが・・・。
734 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 16:04:13 BE:680268858-2BP(0)
>>720 一応はそれも見たとは思ったんだけどなあ。
講談社版をなぜか二冊も持っていたので買わなかったからなあ。
ごめん、立ち読みしてくる。
糞本っていうかねえ。もはや、哲学でもないところで勝負してる感はあるよね。
なんていうか、「ハイデガーを30年研究してます」みたいなところからはかなり遠くに来た感はある。
アカデミズムでも、ニューアカでもない、もはや学問じゃないところの「人文系」なんだと思えばいいんじゃないの?
なにか、哲学者とキモオタが関係あると思うからいけないんであって、
ぜんぜんまったく何にも関係ないんだよ。
資質としてはマーケッターて言うのが適当かと。
電通総研あたりにお願いして籍をおかせてもらうといいと思う。
世代論は煽りです、といいつつ実はマジなのがあずまんですから。
ほ、ほんとに煽りなんだからねっ(カーッ
叩き台といいつつ、叩かれたくない。
決してメタに立てないところがあずまんのかわいいところ。
738 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 17:42:06
というか動ポモ2って覇気がない
739 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 17:43:41
なんだか疲れてるよねw
740 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 18:03:00
正直やっつけ仕事かもなw
>>735 あずまんは『広告』(博報堂の雑誌)での連載のように、
博報堂と仕事をしていた時期があったんだが。
>>734 > アカデミズムでも、ニューアカでもない、もはや学問じゃないところの「人文系」なんだと思えばいいんじゃないの?
あずまん本人が、従来の批評やアカデミズムとは違う「新しい文芸批評」や
「人文系」を目指しているのだから、人文系扱いしても喜ぶだけw
ただ、疑問が残る。
*新しく掲げられている「文学環境分析」はそんなに新しいのか?
文芸批評やカルスタとは違う、といっても文学部で似たような分析をしている人はいないのか?
*社会学を意識しているようだけど、あずまんが念頭に置いているのが
宮台大澤北田なので、社会(科)学としてはかなりストライクゾーンギリギリ(もしくはアウト)だと
思うが。
*社会科学や理工系とは違うからって、「人文系」を勝手に代表されてもねぇ。
ざうまんの脂肪を抑圧!
意味不明なこと書くのやめてくだしあ
745 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 20:23:39
文明は不自由の産物なんだ
文学環境分析ってNANDA
東は浅田よりも中沢新一に近づいてる
748 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 21:20:46
危険すぎるぅうw
>>747 3年ぐらい前からこのスレで既出。
しかし、現状は
書かずに対談ばかりの浅田
+
いい加減なデカいことを書く怪しい中沢
↓
の両方を受け継いでいるw
たのしくたのしくやさしくねと
華原朋美は歌ってますが、かなりラディカルな歌でしたね。
実際にサビなのにもかかわらず、2音しか使われていない。
言いたいのは、朋ちゃんが90年代ではなく、00年代に
現れていたら、たぶん桃井とかよりも天然系電波な、しかも
容姿的に言っても萌えうる最重要人物になっていたであろう
ということです。
出発点が柄谷だから仕方がない。
柄谷の中沢批判は近親憎悪みたいなものだし。
蓮實や浅田がときどき中沢をほめることがあるけど、
それの内容のほとんどは柄谷にも当てはまる。
>>742 人格と社会をコミュニケーションからなるシステムとして、
文芸をコミュニケーションメディアとして、捉えるっていうのが文学環境分析だと思うけど、
それって理論社会学のなかの社会システム理論の立場なんだよね
宮台大澤北田は3者とも(ルーマンの)システム論の影響受けてて、
あずまんのラノベやエロゲにあたるものとして、
宮台は性愛やサブカル、大澤は身体、北田は広告という「メディア」を扱ってる(た)
ラノベ―オタクは素材としては新しく見えるけども
援交―少女、身体―第三者、広告―遊歩者、と交換可能なような
>>752 システム論が対象をコミュニケーションメディアとして捉えるというのはわかる。
(ここでのメディアというのはテレビとかそういう意味じゃない)
ルーツがルーマンの「情熱としての愛」で、宮台大澤北田ともに対象を
コミュニケーションメディアの進化史として記述している。
しかし、あずまんの「(文学)環境」は、コミュニケーションメディアじゃないでしょ。
あずまんの「(文学)環境」は、
「パフォ−マティヴ・ワールド」のことだと考えると
わかりやすいかも。
環境というよりもセカイと言った方がしっくりくる
柄谷が吉本の疎外論に寛容になれば中沢になるので。
東はもっと政治的立場を明らかにして発言すればよい
もっと我々を楽しませればよい
第一部はラノベ(キャラクター小説)について論じているんじゃなくて、
ラノベを論じる大塚英志を論じているだけだよねぇ。
「ポモ2」が講談社の新聞広告で大きく扱われていたから驚いたよ。
講談社現代新書とブルーバックスの広告なのに、
ポも2だけイラスト付きで、他の本の4倍はスペースをとっていた。
>>738->>739-
>>740 「ゲーム的リアリズムの誕生」は、内容はさておき、推敲不足だと思う。
例を挙げると、
「とはいえ、読者のなかには、(中略)第1章の議論の歩みに、いささか
辟易しているひともいるかもしれない。そこで、ここからは作品を読み解いて
いくことにしよう」(p.156)
理論の叙述から、具体的な作品論へと移る「理由」が、「第1章の議論の歩みに、
いささか辟易しているひともいるかもしれない」からなのかと、一瞬ギョッと
してしまう。
その他にも、単純に「てにをは」に違和感を感じたり、接続詞に首を傾げたり、
叙述が不必要に冗長ではないかと感じりした箇所が多々あった。
東浩紀のシャープな論述が気に入っていた自分としては、どうしちゃったん
だろうって感じだった。
作家以上に、産婆役である担当編集者が優れていないと良い本は生まれぬものなのじゃよ。知らんけど。
>>761 *しめきり破りの件を見てもわかるように、あずまんは編集者の言うことを聞かない。
*編集者が文章に赤を入れて返したとして、あずまんが素直に従うとでも?
*編集者との決裂も多い。
763 :
760:2007/03/25(日) 02:49:05
>>761 ,
>>762 レスありがとう。確かに編集者との関係は大きいと思う。
内容面について触れずに、文章のアラ探しみたいなことばかりやっているのも
大人気無い気はするんだけど、率直に言って、東浩紀文章が下手になっていない?
と強く感じるので、あと2箇所だけ例を挙げてみる。
(著者コメントで「これは、僕がはじめて、最初から最後までを体系的に構成し、
その意図がなんとか実現できた本です」とあって、とても期待して読んだだけに、
文章が荒っぽく感じられるのが残念だった)
1.「前著の『動物化するポストモダン』は、タイトルに示されているように、
ポストモダンとオタクの関係を中心とした社会分析の書物である」(p.16)
→この箇所は、『動物化するポストモダン』の副題である「オタクから見た
日本社会」も併せて表記しないと意味が通らない。前頁で副題を紹介している
からそれで構わないと言えるけど、個人的には「前著『動物化するポストモダン
−オタクから見た日本社会』は、タイトルに示されているように」とした方が
ベターだと思う。
2.「しかし、私たちは、なによりもまず、その想像力の拡がりが、内容の変化以前に
消費者意識や市場構造の大きな変化を伴っていること(中略)に注目する」(p.154)
→「『その』想像力の拡がり」の「その」が、この箇所の前の文章の中の、どの部分を
指しているのか判りにくい。「サブカルチャーによる文学の変容」を指すとしか
考えられないが、そうすると「サブカルチャーによる文学の変容の想像力の拡がり」
となり、意味不明に近くなる。東浩紀らしくない曖昧な文章だと思う。
といったように、個人的には、推敲不足だと感じる箇所が頻繁にあるのだけれど、
このスレの「あずまん」の読者は、こういうことはあまり気にならないのかな。
『動ポモ2』を通読し、さらに大塚氏の著作をもひも解いて東氏の論旨を検討したあげく、
なにがなにやらさっぱり判らなくなりました。
大塚氏のキャラクター小説批判への応答として、安直なメタフィクショナルな仕掛けを
施した作物を引っ張ってきてこれを論じるというのは、そもそもその初手からして
見当違いなことなのではないかという気がしてならない。
それよりなにより、「70年代以降のポストモダンにおいて、<大きな物語>は
喪失した」という命題を死守するためにだいぶ苦労しているな、という印象を
受けました。
この命題は東氏にとってまさに「武士の一分」、下がったら論拠自体が崩れ去る
デッドラインでしょう。
もう少し「近代」と「ポストモダン」との詳細な比較検討がなされてもいいのでは。
(これは初代動ポモからの宿題でもあります)
いま、東氏がなすべきなのは、たとえば或る程度まとまったローティ論をものにすること、
なのでは?
まぁ、適当にネタをして使われることを、東氏自身も指向しているようではあるから、
潔いというか、やはり物足りないというか…
>>762 だからこそ優れた担当編集者が求められるワケだ。
あずまんは、とにかく「ハイカル・純文学/ポップ・サブ・オタク」の二項対立を作って
後者に肩入れして前者を批判する傾向、または、境界なく論じる必要があると
言いつつ後者の肯定に終る傾向があるけど、柄谷を前者の代表にするのは
どうかと。
境界なく論じる必要がある、と言いながら境界を作っているのは
あずまんなんだがw
文芸誌や大新聞文化面なんかの不理解を例に出してw
元柄谷信者だったのはわかるが、だからって「柄谷脳内イメージ」を元に
論じるのはイケマセンよ!
>>765 優れた編集者として知られる矢野優(現新潮編集長)とも
決裂しているのだが。
院生時代からいろいろと面倒をみていたのに、
平野啓一郎の担当編集だというそれだけの理由で決裂。
相手は反論できないのをいいことに各所で批判。
同人誌でまでイニシャル批判していた。
ファウストの文章を読むと2005年になってもまだこの件について
納得していなかった。
優秀だからってこんな性格の人間と
つきあえるわけがない。
>>763 > このスレの「あずまん」の読者は、こういうことはあまり気にならないのかな。
数年前から文章が荒れているので、ポモ2だけを取り上げて
文章の荒れを指摘する気は起こらない。
浅田と決裂以降の全てが空中楼閣ではないかという恐怖。
プッツンするバウンダリーに近づいているのでは。
昔の文学者が「文学」と見てるものが
あずまんでは「世界」になってる。
「文学」と並列していた「イデオロギー」も
「世界」へ吸収されただけじゃん?
動ポモイデオロギーにさ。
772 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 10:34:25
>>766 駄目になったとはいえ、文学が今までになっていたものを、
社会はもはや必要としていない、だから何か(例えばラノベとか)に
とってかわられるのではなく単に終わるという柄谷のほうが、まだ説得力がある。
素朴な疑問として、ゲーム的リアリズムって「リアリズム」なんですかね?
自然主義的リアリズムは写実主義だからわかる。
まんが・アニメ的リアリズムは、写実主義かどうかはわからないが
まんが・アニメを写実しているのだからわからなくはない。
で、ゲームを写実したら、それはリアリズムなのか?
単にまんが・アニメ的リアリズムに続くものとしてゲーム(=大塚が不得意なジャンル)だから
ゲーム的リアリズムって名づけただけの話じゃないかと。
だったら単に写実していたらリアリズムというのなら
何も写実していない小説なんてあるのかよ。
リアリズムじゃない小説が今どれだけあるのか?
こういう誤読を見るにつけ、
「メタ物語的」に留めておくべきだったかもなと思わないでも
776 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 18:49:53
新著読んだ。感想は、「正直これネットで無料公開でいいんじゃないかな・……」。
前からこの人はネーミングセンスないなと思っていたけど、今回でその印象が強められたよ。
「ゲーム的リアリズム」とか何だっけ「自然主義的読解」とか端的に痛くないかw。
まあ読者のレベルに合わせたのだろうけど、もう少しユーモアを考慮してほしかった。
というか総じて軽い流しの仕事であるにもかかわらず肩の力を抜いていないせいで、
見事にちぐはぐになっていて、印象深い。いや面白くないんだけどさ。
端的に顔がキモイ。なんかハリウッドのホラーで最初にぶち殺されそうな感じの肥え。
雑誌での書評で、正面からポモ2を批判する人って
出てくるかな?
(内容のレベルがどうであれ)褒める連中の名前はいくつか思い浮かぶんだけど、
まともに批判する人が出てこない。
>前からこの人はネーミングセンスないなと思っていたけど、今回でその印象が強められたよ。
何を言ってるんだ。彼にはネーミングセンスしかない。
郵便、動物、環境管理。これ以上に、最近哲学的言葉で人工に膾炙したものは
あるであろうか。今回は、その点で失敗してる。ゲームもリアリズムもありきたりの語。
繋がり方もありきたり(的)。だめでしょう。でも売れるでしょう。腐ってもあずまんだから・・・・
鯛は食えるしね。いや最近のあずまんは・・・・・・・・・脂肪たぷーりか・・・・・・・・・・・
そういや郵便的不安ってどんな不安なの結局?
吉本:関係の絶対性、共同幻想、世界視線
柄谷:交通、単独者、ポナパルティズム
宮台:島宇宙化、終わりなき日常、脱社会化
あずまん:郵便的、動物化、環境管理型権力
東の場合は元ネタが:
郵便的:デリダ 動物化:コジェーヴ(と浅田) 環境管理型:ドゥルーズ(とフーコー)
とりあえず最近のゲームがメタ系だらけなわけに
一定の納得が得られたのでいいか。
いやこじつけだからこのおっちゃんの説は。
個人的には、メタだらけなのは、単純に作家の側の知力の問題じゃない?
イリヤの作者がどっかでいってたけど、今はこれが書きたいという欲求が希薄だと。
じゃあそうだとしてそこで何かをするにはサンプリングに知恵を絞るしかないのかも。
すると今みたいなかつてなく凡庸な水準で満足してしまう世界ができあがる。
はあ〜、ほんと文化水準が低いよなあ、今って。退屈。
まさにエヴァがマックスだったな。せめてナデシコレベルは連発してほしいんだが。
そこでギアスですよ
>>785 > せめてナデシコレベルは連発してほしいんだが。
20代後半のアニメファンと見たが、ナデシコレベルなんて
はっきりいって低すぎるぞ。
映画公開後すぐに忘れ去られちゃったし。
東みたいに衆目が第一基準の人にとっては作品が劣化して
凡庸になっててもらったほうが批評上都合がいいんだよ。
東は語学力だけじゃなくて美学的センス上も不能者だから
ハイカルが支配した批評じゃ勝てないから。
ギアスの22話色んな意味でヤバスw
あずまんのすその写真「スピリチュアル」系の匂いした。
つまりインチキくせえってこと。
>>785 まあこじつけかもしれないんですけど、
物心ついたときからゲームがあって
プレイヤーという立場を散々経験してきた人々が
フィクションを見る目にゲーム的リアリズムみたいな独自の感覚があっても
おかしくはないかなあ、って思って。
それは規正訓練だろ
二次萌えと一緒
>>790 うーん、確かにばっかりってのは語弊があるし
自分は懐古厨なんで最近のオタクコンテンツには
直接触れたものはほとんど無いんだけど、
ハルヒとかひぐらしとか
あらすじバレを見る限り最近のオタク界隈で
騒がれたり目立つ位置にいるアニメ・ゲームにメタ系が多いような気がして。
795 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 00:18:35
いじめにあうやつは、社会でもいじめられる。
あずまんの運命と同じ。
797 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 00:25:59
バーアカヤロウ
あずまんのオーラはきれいなオーラ
歌がうまいカラオケ学者
>>774 >>776ネットで無料公開でいいんじゃないかな・
こうして、なんでもかんでも「ネットの論理」が優位になると。「ゲーム的」と
言うのはこのような、なんでもネットに取り込まれる「コンピュータ的」状況
を指してるんで、「広義のゲーム」ということだ。
コンテンツとしてのゲームではなくて、コンピュータ上で生活してるニートだの
フリーターだの、それらのコミュニケーションにおける快楽から全てを指すんだと
思われる。
ゲーム的リアリズムとは、要は2ch住民を含めたコンピュータ社会を写実した
もの、という意味だとして、そのへんリアリティがあるかどうか。
東の狙いとしては、人工環境における人々を写実してる筈なのだが。
「ゲーム的」という名前のせいだね。機械的・コンピュータ的、くらいの意味だとすればどうか。
リアリティを感じるか。
コンピュータ上における言葉のやり取りやら生活が、東のいう「ゲーム」だとして、
「ゲーム的リアリズム」小説に何か感じますか?
あくまで俺の私感だけれども。
・東はもともとデリダ論を哲学という枠組みでは論じていないはず
(メディア論、もっといえばキットラー/ボルツと同じ枠組みから
論じていた)
・その意味で、メディア論者東という観点から動ポモ1、2は論じら
れてもいいはず。
・とはいえ、デリダ論とは異なる語彙系から1、2は論じられている。
(キットラー/ボルツといった論者の枠組みも仏現代思想を再度ド
イツに輸入することで成り立っているという面倒な枠組み。そう
した他国の思想状況を前提にした語りを捨てたわけだ、東は)
・で、1、2の語彙だけれども、1は大澤、宮台、大塚といった人々
の語彙に、ジジェク経由のラカンが混じっている。一方、2は、ジ
ジェク経由のラカンさえ混入しておらず、純粋に国内の語彙で語ら
れている。大塚、稲葉、北田。
803 :
802:2007/03/26(月) 03:35:44
・多分、デリダ論よりも1、2が文章的にユルフンに見えるのは、
デリダ論はキットラー、ボルツを前提にしながらも、彼等の固有名に
決して依拠していなかった点(つまり、方法論は似ていても、決して
彼等の方法をそのまま導入しなかった→独自でねらざるをえなかった)
のに対して、1、2は大澤、宮台、大塚、稲葉、北田といった固有名に
依拠する部分がデカイからではないか。
・もちろん、固有名に依拠する=即悪というわけではない。ただ、デリダ
論は対象であるデリダ自身も含め、固有名にいかに抵抗するか(もっと
いえばハイデガーをどう批判的に乗り越えるか)という勝負をしていた
のに対して、1、2はそういうバトルをしていないし、する必要がない
のではないか(最近のハイデガーへの好意的な参照(「東京から‥」)
も示唆的)。
804 :
802:2007/03/26(月) 03:36:35
・東論をする必要などんないのかもしれないけれど、前期東がデリダという
固有名を前に、固有名にいかに抵抗するかという勝負をしていたのに対し
現在の東は不特定多数のメディア環境を前に、固有名にいかに抵抗するか
という勝負から一時退却しているといえるのではないか。そして固有名を
考慮する必要がないという東の現状認識こそが「文学環境」という語の選
択(まー、システム論だの稲葉だの色々選択理由はあるのだろうけれども)
を正当化するのではないか。
文章長いし混乱してたらスマソ。
>803ハイデガーをどう批判的に乗り越えるか
要は「存在論的・郵便的」の続きを書いてほしいと。それは賛成だが、挫折
したんじゃないのそれは。結局、結論を出せず、中途で終わった。
806 :
続き:2007/03/26(月) 04:08:10
あるいは、ポスト・デリダとしてコンピュータを考えたのかしらん。
デリダは「解体した主体」(ゲーデル的にであれ郵便的にであれ)だが、機械ってのは
象徴界がない、つまり「主体」の全くない状態で、デリダの先を行くと思ったのかも
しらん。
あるいは、「郵便的」で結論がでちゃって、あとはライトノベルで実践してく
だけ、「解体した」小説書いたり、複数論的(多重人格で)超越論性(プレイヤー
としての私がメタレベルから見る)な小説書いたりね。
あるいは、政治化・社会化していく。例えば、「郵便的」で主体が解体してるなら
自分で自分をコントロール出来ないから、コンピュータにコントロールしてもらう
とか、そういう社会実践をしてくと。
807 :
802:2007/03/26(月) 04:26:47
うん、メディア論という観点からコンピュータに向かうことは
多分生産的だし、正しい。でも、コンピュータとそれを使用す
る側の欲望の形成という話に向かい、多重人格、解離的な主体
の話に向かうのが個人的にはよくわからん(1の結論、もっと
いえば結論を導くまでの「データベース」という語の多義的な
使用に問題があると思う)。
さらに、コンピュータを使用する側の欲望の形成が多重人格、
解離的であることを正当化するために、他のメディア環境に
向かったという議論も理解はできるのだが、であるならば、
本書は前書で提示されたコンピュータ社会における欲望形成の
土台をより詳細に分析し、正当化するための試みであって、
世代論でもないし、現在のサブカルエンタメ業界の分析では何ら
ないのだという一文を書いておいて親切なんじゃなかろうか。
とはいえ、結局のところメディアと欲望(あるいは主体形成でも
なんでもいいのだが)の原理的なコネクション部分をもっと親切
に説明した上で、2のような本を書いてもらえれば、もっと面白
かったろうに、と個人的には思うんだが(1が不満足ってわけ)。
もちろん、東の本は面白く読めば、とてもおもしろい本。
あと1つ。「メディア」っつーのはマクルーハン的にいえば、何らかの
メディア産業とは本質的に関係のない概念だと理解していたのだが
アズマンは特定の支配的なメディアを「メディア」とみなす傾向がある
気がする。本質的に「メディア」っつー概念は単一の何かを指示するもの
ではないはずだが。
808 :
805:2007/03/26(月) 04:55:30
東がきちんと説明しないからだね。なんで、きちんとアカデミックに書けない
んだろうね。
オンラインゲームがそうだが、ゲームキャラと参加している本物の「人間」が
同居している、同じものである、それが東の考える「リアル」なんだろうが。
そういうコンピュータの中で暮らしたい、とか生活したいとか、このあたり
の欲望はデリダからは出てこない。これはオタクから出てくるんで、デリダ論
とごっちゃになって語られるから、読む人が混乱するのも当然だね。
809 :
805:2007/03/26(月) 05:04:47
あと、言葉の問題だが、「キャラ」とか「プレイヤー」が二重の意味になってるね。
「キャラ」はゲームキャラであると同時に、自分自身の「身体」のこと。
プレイヤーはゲームのプレイヤーであると同時に、自分自身の身体を動かす超越論的主体
(肉体をプレイしている、操っている)を意味するようだ。
それから、「ゲーム」だが、普通のゲームを指すと同時に、「人生」を意味したり
戦争も戦争ゲームとして、政治も政治ゲームとして、拡張されて使われるようだね。
いずれも、東だけの用語法なので、わからなくて当たり前だ。「キャラ」としての
私をメタレベルからもう一人の私が「プレイ」しながら、ゲーム(人生)を送っている
わけだ。
810 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 07:06:38
『オタク的リアリズムの誕生(笑)』
にすれば、問題なかったんだがな。
社会が多様化すればするほど、人間の扱い方は難しくなる。
社会の中には、謹厳な大学教授から渋谷のネーチャンまで様々な人がいて、それぞれ違った前提で行動している。
戦前のように、誰もがお国のために死ぬべし、というふうに一元化していない。
また、戦後発展のように、復興を目指して国民一丸となって労働に励むという時代でもない。
それらの結果、社会が豊かになって、価値観も多様化した流動的な時代である。
戦前や高度成長期のような一元的な考え方はもはや通用しない。
これくらい社会が多様化してくると、人間の合格ラインは、精々法律を守っていることくらいしかない。
戦前なら、国のために死ねない奴は不合格だった。戦後にしても、労働をしないやつは不合格になった。
しかし今では何でもありである。何をしても良い。人生色々。そういう時代である。
そうなると、人間としての最低ラインは、法令順守であって、そこを合格ラインにするしかない。
性格が悪かろうが、道徳的でなかろうが、何をしようが、法律さえ守っていれば人間失格にはならない。
21世紀初頭はそういう時代である。
812 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 08:16:37
>>809 >いずれも、東だけの用語法なので、わからなくて当たり前だ。
実際わかってるのだから、矛盾してないか? ゲームが成立している。
まあ結局のところ、
東という人間に関心があるのであって、東の関心には関心がない、
というわけだ。なんか不毛だな・・・
813 :
802:2007/03/26(月) 09:08:58
その二重性について。
大塚は手塚が漫画において記号という死ぬ死なないというレイヤーとは
無縁の媒体を用いて、「死ぬ」「傷付く」といったレイヤーの表現を成
立させたからすごい!的なことを言っていて(傷付く記号的身体)、
また伊藤剛はこの二重性を説明するためにキャラとキャラクターを区別
し、キャラを表現形式(記号表現)、キャラクターを表現形式によって
表現される性質(「傷付く」、「身体性」)と論じて、漫画における記
号(というか線の集合)がキャラとキャラクターを同時に可能としてい
るという議論を行なっている。単純に言えば、内示と外示の区別を彼等
は延々やっている。この議論は、すごく不毛で、結局はそうした二重性
を可能とするエクリチュールとしての記号(というか線の集合)を特権
化する議論になる(伊藤自身はそうしたエクリチュールを可能とする
コマ構成とフレームの話を同時にしているので、必ずしもこうした批判
は当てはまらないと思うけれども)。
ここら辺の議論が個人的にはピンとこない。漫画における表現論の重要
性がこうした議論になっているらしいのだが。
東の議論が多分にこうした文脈を背景にしていることはわかるが、なん
というかわからない人には??という感じではないだろか。
キャラクター:物語に埋め込まれている
キャラ:物語から切れて(作者の手を離れて)単体で存在できる
伊藤剛は
@固有名と(コマと紙面などフレームの二重性が演出する)時間の衝突が与えられれば
それだけで自然にキャラクターはキャラになる(読者はそこに好き勝手に意味を見出せる)
A戦後しばらくのマンガはこれを隠蔽しようとしてきた(これが手塚以降解体する)
といってるので、
表現(線の集合)の晒される環境が、
表現の読解(読者にとっての意味)を規定するってとこにこそ力点を置いてる、はず
現在の、フレームが複合化した表現の環境は、表現にメタな意味しか許さなくなってるよね
というふうにつながるのかも
あずまんはぼーぼーふさふさ
あずまんはがりがりひょろひょろ
816 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 16:09:23
キャラとキャラクターは二項対立で不毛だし、「マンガ」が線の
集合という記号論的批評も不毛でね。
例えばギャルゲーでヒロインが死んだときに泣くのは、オタクが
ゲームを現実と等価に消費しているからだ。
「線の集合」に泣いているわけではなく、本当に「死んだ」から。
「線の集合」でなく本当に彼女だと思っているから。オタクはそこ
に差異を認めないんでね。
それを「リアル」と呼ぶだけの話で、二項対立を持ち込む必要などない。
本当に死んだってどういうこと?
死ぬ以前に存在していないのに
819 :
続き:2007/03/26(月) 17:41:59
デリダとは全く関係ないだろうが。しかもデリダは「解体した主体」だが、
東によれば、機械化した主体が機械にコントロールされる世界が
「リアル」な世界を意味するようだ。東はそういう実践をしている。
どうですか。2chねらの君たちはそんな「リアル」な世界を歓迎
しますか?。
人生(ゲーム)を「プレイ」するメタレベルの東は、こんなゲーム
をして楽しいのだろうか。
820 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 18:06:45
>>814 >自然にキャラクターはキャラになる
キャラはキャラクターに先行するものであると伊藤書では強調されていたはず。
Aについてだが、キャラを隠蔽したのはむしろ手塚という風に論じられていたのではないか。
結果的にあずまん語彙を用いるなら「自然主義的読解」が、マンガ批評において
支配的になったと。
しかし、「自然主義的読解」ではキャラ表現に特化した近年の所謂「萌え」マンガは、
単に退行としてしか捉えられない。
だが実際には商業的に成功しているし、読み方を心得れば面白い。
そこで、「キャラ」「フレームの不確定性」を導入する事で、伊藤は「萌え」マンガについても
(勿論そうでないマンガも)論じうる批評の方法を提示したと。
その方法が妥当かどうかはともかく。
マンガが中心的でなく、ゲームもあればアニメもあるという「メディア環境」前提にしている点も
含めて、『テヅカ・イズ』と『動ポモ2』は似た感じがするな。
>>817 それはどうなんだろうな。
回路図で表すと、
実世界の死→脳内の死という認識→悲しみ→号泣
が、
仮想世界の死→脳内の死という認識→悲しみ→号泣
に切り替わってるって言いたいわけだろ。
脳内で死と「認識」することが「本当」、つまり「リアル」と。
でも、
仮想世界の死→仮想世界の死という認識→悲しみ→号泣
かもしれないしぞ。
本当だと思うから、ではなく、本当ではないからこそ泣ける、という違い。
もっと言えば
仮想世界の死→ゲーム的リアリズムな悲しみ→号泣
とかそんな感じかもしれん。
「ゲーム的リアリズムな悲しみ」という表現は自分でも意味不明なので
修正した方がいいかもしれんが、
とにかく、いわゆる実世界のリアルな「悲しみ」以外に、
「号泣」という行為を励起させる特殊な精神回路が形成されたのがオタクとか。
景色の美しさに感動して泣くみたいなもの、と例えるといいのかな。
ちなみに、俳優とかは、自分に悲しいことが起こったことを想像して泣く演技をする、
という話があるから、こっちは
>>817の言うことに近い気がする。
想像の死→脳内の死という認識→悲しみ→号泣
という回路。
錯覚としてでいいが、「脳内の死という認識」を励起させないと、悲しみが発生せず泣けないということ。
おまいら、こんな衒学趣味丸出しのことやってて恥ずかしくないんか?
ギャルゲーするよりも、ギャルゲーについて語ることのほうが、
アニメを観るよりも、アニメについて語ることのほうが、
東の関心よりも、東について語ることのほうが、われわれは生き生きできる。
すくなくとも、生き生きとしたわれわれを獲得できるだろう。
すなわちメタ・ゲームである。
それはフィクションであり、かつリアルなゲームだ。
複数化するセカイの中心で、キャラクタ化する多数のわれわれを介し、
独在的なこの<私>を叫ぶこと。
肯定の咆哮。ぼくたちの世界。――メタリアルフィクション。
人間的だね。
「愛と誠」の最終数ページ読んで、目をウルウルさせる奴は結構いるだろう。
オタクの脳内を特別扱いする必然性が感じられない。
オタクじゃなくたって、「加奈〜いもうと〜」をプレーしたらきっと泣くさ。
でも、そのためには先ずエロゲーをやらなければならないよ。
しかしオタク以外は先ずエロゲーをやらないんだね。
オタクは下半身裸のままに、泣く。ここに必然性があるよ。
「愛と誠」も「君が望む永遠」も「硫黄島からの手紙」も現実の脳内彼女の死も、
オタクにとっては等価。差別しないで、泣く。リアルだからだ。
これは脳の問題だ。俺たちオタクは特別の脳を持っている。
なにいってるのきみは
829 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 21:46:35
(苦笑)
オタクの場合、対象への距離感というか、アイロニーがほとんどないのだと思う。
例えば象徴的なのは、一人称複数形で「(我々)オタクは〜」と自らを語ることで、
そのときに連帯なんてないでしょう?
複数形に見せて、実際は、この<私>を刻印する単数形に過ぎないってわけ。
想像的であれ、オタク共同体として本来は想像的な他者と連帯しているはずなのに、
距離無くべったりとくっついているから、検閲がない。だから表出してしまう。
回路としての想像的な他者がほとんど欠落している。
「これって私!」と至るところに私を発見し、同一化するそのとき、
「これって他者!」を排除してゆくシステム。循環回路。
この<私>を補完するのは私以外にありえず、私以外に私を愛撫することはできない。
だから世界の複数性、可能世界の肯定といったモチーフにおいて、、
「私の中の他者」「他者の中の私」が鍵となる舞城王太郎の小説なんかは
ちょっと認めがたいんじゃないのかな?
この<私>だけがリアルなのだから。
831 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 22:45:42
人間のカス養成所KO塾
オタク/一般人っていう区別に対するこだわりこそ否定神学って感じがしなくもない
>>827 いや特別な脳とまで盛り上がられても困るんだけど(笑)
特別な回路と言っても訓練で幾らでも獲得できるようなもの
しかし逆に訓練なしに美少女ゲームをやっても泣けないと思うぞ
>>832 その危険性はよくわかる
少なくとも境界を個人と個人との間におかない方がいいな
ある一面においてはオタクで別の一面においてはそうでないこともあるだろう
アニメは見るけど美少女ゲームには感情移入できない(訓練されてない)オタクもいるだろうし
ただ特性の違いを考えることには意味があると思う
長男:大麻(22歳) 現在、大学4年生。来年の大学院進学に関して思案中。
オタクの語りって単純にナルシズムじゃないの?
それ以外に何も感じないな
836 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 00:12:53
一般人には、オタク/一般人という区別が必要ないんだが、
オタクには、その対立構造が必須なんだよ。
だって私が消えちゃうもんw
その典型なのは、オタクが別のオタクに向かって、
「おまえはオタクじゃない!」と審判することだな。
共示的には、「俺こそが、オタクだ!」ってわけ。
このときオタクの自我は満たされている。
オタクねえ・・・・・・・
それとあずまんがなにか関係あるわけ?
関係ないんだから放っておけばいいのにね。
このスレのオタクが絡む絡む・・・・・・
伊藤剛によると、自分をオタクだと自称している人は
作品を褒めたり消費したりするとき
「これはオタクには必見」「オタクとしてたまらない」などを
一人称がオタクになって、オタク代表として語る傾向がある。
で、「「あなた」個人の評価はどうなんですか?」と問うと
詰まる人も多いのだとか。
あずまんにもその傾向があって、なんか架空のオタクの消費者層を
脳内で(ネットサーフィンの観察結果w)構築しちゃっている
ケースが多々ある。
「1984」のパクリ
>>839 あずまんが「オタクの消費者像」を仮定する行為と、
伊藤が批判的に指摘したようなオタクの自意識のもち方は
かなり違うものだ。
そのうえ、キミのその批判自体がワレオタ的。
842 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 01:59:46
そろそろ小川びいを召還するか。
びいで〜す
ニセモノだな
オタクねえ・・・・・・・
それとあずまんがなにか関係あるわけ?
838 名前:考える名無しさん :2007/03/27(火) 01:14:08
関係ないんだから放っておけばいいのにね。
このスレのオタクが絡む絡む・・・・・・
「ゲーム的リアリズム」の本の中で、「オタク」と何十回使われてるの?
ほっといてほしいと何十回言ってもこのざまなら、しょうがないじゃないか。
「あずまんと何か関係があるか」だと!!東は自分のことをオタクだと
言ったし、このスレの人もそう言ってたじゃないか!
関係ないなら放っとけばいいとは、まったくその通りだ。以降、「オタクは
動物だ」なんて本を出さないことだな。
848 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 09:57:43
>>836 一般人には、哲学者/一般人という区別は必要ないんだが、
哲学オタクには、その対立構造が必須なんだよ。
だって私が消えちゃうもんw
その典型なのは、哲学オタクがあずまんに向かって、
「あなたは哲学者じゃない!」と審判することだな。
共示的には、「俺こそが、哲学者だ!」ってわけ。
このとき哲学オタクの自尊心は満たされている。
まあワレワレ構造はどこにでも散見できる
ワレオタは一般人を「非オタク」として、
人間を<オタク/非オタク>と区別するから否定神学だといわれるわけで…
対して「あなたは哲学者じゃない!」は
「あなたは社会学者だ!」「マーケッターだ!」「ただのデヴだ!」などと交換できる
最初から誰も<哲学者/一般人=非哲学者>なんて区別してないよ?
まー哲学マニアには、そういうのもいるよ。ムキになりなさんな。
東は最初から自分で哲学者て肩書きつけてるんじゃん。
いっぽうで自分は社会学者でもなくマーケッターでもない、と。
やってることはいつも(デリダを論じていた頃でさえ)社会学と
マーケティングなのにね。
853 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 14:25:12
>>846 いや、あずまんに釣られるな、ということだよ。
でも我々団は釣られやすいからな。。。
854 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 15:11:48
【映画】スタジオジブリが新作「崖っぷちのポモ」発表
855 :
考える名無しさん:2007/03/27(火) 16:23:15
「私たちの「想像力の環境」そのものに迫る、
鮮烈にして異様な批評言語の誕生。
またアズマにやられた!」
斉藤 環氏(精神科医)
たまきんと対談しないの?
動ポモ1の時の対談は迷言の多い傑作だったのにな〜
>>848 たしかにそうだな。つまり構造的にはそれが「オタク」とよべるわけだ。
まあ哲学オタクは哲学者じゃないと思うけどね・・w
ただ、オタクが、哲学オタをオタクに含めていないことが重要でしょう。
オタク女(腐女子?)も、廃墟オタクも、通販オタクも、含めない。
もちろんオタクは違法なことをしないからウィニートも含めない。
ロリコンもいない。これはDSM-IVを読めばわかることですよ。
あなたはオタクじゃない。我々こそがオタクだ。これは我々を見ればわかることだ。
もっと見てん。
動ポモ2発売を記念しての対談予想
本命◎:斎藤環
対抗○:伊藤剛
穴 △:佐藤俊樹
大穴×:大塚英志
佐藤俊樹がいいなw
「私たちの「想像力の環境」そのものに迫る、
鮮烈にして異様な批評言語の誕生。
またヒガシにやられた!」
ぴかーー氏
正しい保健体育 (単行本)
みうら じゅん (著)
こっちのほうが為になるだろう
書下ろしじゃないから、対談しないんじゃないか?
いや出版しなくても対談するけどさ。俺こそが、対談家だ。
ハルヒの前くらいに出してればもう少し……
動2なんだろこの違和感・・・・・・・・
適当に書き飛ばすべきだった。
>>839 >一人称がオタクになって、オタク代表として語る傾向がある。
>で、「「あなた」個人の評価はどうなんですか?」と問うと
>詰まる人も多いのだとか。
一人称の否定は統合失調症でも自閉症でも共通現象。
象徴界が機能していないという東の主張は三人称の否定にならないと
説得力は無いというか整合性がない。
動物化は露骨な一人称の強度だしね。
東は何が言いたいのか。自説そのものにおいて整合性が無いから。
>864
整合性はあるでしょ。一人称単数である「私」と三人称複数である「オタク」の
混同が問題なわけだから。このどちらも衰退していくのが「動物化」であって、
オタクの世代間闘争も、事態の進行への対処の差として考えられる。
みんな、ちゃんと「網状F改」伊藤の原文を読んでから言ってる?
866 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 09:40:01
環境分析て使えるよ。
一例として東がやることは全て自分が偏差値上特別扱いされる環境の選択で説明可能。
自分の論の新しさを見せかける知的欺瞞が通用するのも環境要因。
いまやキモヲタたちの機嫌をうかがいながら受け入れてくれることを願うやさしいオジサン。
それは文化的再生産論の皮を被った構造決定論じゃまいか
確かに、環境分析ってのもいまいちピンと来ないのだけども
869 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 12:27:37
「やまがた」なりすまし罵倒カキコが稲葉の自演だったら笑うwww
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1165139599/671 671 :名無しさん@社会人:2007/03/28(水) 06:56:04
ラスカルさんによるmixiの議論のまとめ:
1. 表向きはマルクスとかケインズとか標榜しているくせに、動学マクロその他最近の経済学の動向やジャーゴンを口にする。
2. ところが、経済学をあまり理解していない人間に対しては、話し方が180度変わる。「ルーカス批判」や「期待」の効果を重視するのは現実的ではないとし、「正しい」経済学を学ぶべき(或いは、経済学には期待すべき要素はない)と説く。
3. 経済学から生じる含意が自身の「イデオロギー」に沿わない場合、学問のほうに誤りがあるとし、レッテル張りをする。
4. そしてその目的は、自身の「イデオロギー」の影響力を強め、自著の売れ行きを高めることや、組織内での自分のプレゼンスを高めること。(彼等はすっかり色に染まっているので、その「イデオロギー」を抜きに生きていくことができない。)
5. 彼等はまたネットイナゴを利用した心理戦が得意である。相手の考え方やネットイナゴの性向を利用し、このような言い方をすれば相手はこうした行動を取り、ネットイナゴの反感を買うだろう、ということを理解した上で、
相手に情報を吹き込む。その際、時には、自分はもう以前の「イデオロギー」に拘っていないとか、自分の嘗ての考えは間違っていた、とすら語りながら、別の場面では、全く違うことをいったりする。
6. (略)
7. 4. の目的を達するため、大物(学者)に擦り寄る。時には、その大物(学者)の考え方に応じ、自己の「イデオロギー」をその場で修正することも厭わない。
8. 時々瞬間沸騰的に怒り出すが、それは学問的誠実さによるというよりはむしろ、自身のキャパシティの無さから生じるものである。
9. 肝をつく批判を受けた場合、納豆の糸のように後々まで延々と引きづり、ねちねちと何かを語りながら、相手からの優しい言葉を期待する。
http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20070327
870 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 15:45:17
679 :名無しさん@社会人:2007/03/28(水) 14:43:45
はてなに通報なんて無意味なわけだが、これもアリバイなんだろうなあ。
はてなに通報してフマにダメージを与えてやったぜ
と後で勝利宣言する材料の一つにするつもりじゃん。
680 :名無しさん@社会人:2007/03/28(水) 15:09:28
また自作自演かよ。
「やまがた」になりすまして吉原先生を使えない穴○男として
売れなかった本のスケープゴート。
山形にはいつも通りフマの仕業ってことにしとけばいいもんな。
681 :名無しさん@社会人:2007/03/28(水) 15:11:39
最近追ってなかったんだけど
クスマルの吉原とは結果的に決裂?
あとhamachanからは切り捨てられた?
大塚英志にしても東浩紀にしても
蓮實の(難解な文体で限られた読者向け(ハイカル?)の)物語批判の存在を知ってるはずなんだから、それにちゃんとレスをしてから本にしてほしいな。
ちょっと立ち読みしたが何が新しいんだかさっぱりだね。
強いて言えば情報科学用語のレトリックかね。
スルーしてるんだかなんだか知らんが、記憶の層がどんどん薄くなってきてないか。
村上隆でさえ自分の個展に「リトル・ボーイ」というタイトルをつけて
オタク文化の歴史的位置づけに気を配っていたというのに。
一次は、浅田、宮台の後継者と言われていたのに
いまや単なるオタクのオナニーグッズと化してしまった・・・うぇ〜ん
たしかに蓮実にはあまり言及しないんだよな。
東の出自のことも含めて、精神分析的な意味でいろいろと勘繰りたくなるな。
>>867 うわ、メチャ同意。ここでこんな発言が見られるとは。
張りぼての知的欺瞞が通用してるように装えるのも、
同類が相互に“引用”して流通させて支えあってこそだよな。
蓮實への言及は初期はしてたけどね。
時枝を使えば蓮實文体批判ができるみたいなことを言ってたような希ガス。
大塚も昔、蓮實について言ってそれを蓮實が受けて相手にされたことで大塚がブレーク(言論界で)したような希ガス。
いまさら蓮實重彦に言及しても意味があるとは思えないんだけど
意味があるとすれば批評界内部の勢力争いとしてのみなんじゃないか
>時枝を使えば蓮實文体批判ができるみたいなことを(ry
時枝・・・
岩波文庫になってた・・・読む気はしないけれど。
>>873 「郵便論的」発売時に、対談していて
あずまん「批評空間からも東大院からも出て行くので、制度的に守られなくなって不安です」
と人生相談すると
蓮實「そんなことを若い人は気にせずに、もっと野蛮に行ってみては」
と返されている。
なぜかあれ以来交流がない。
文化的トライブへの過剰な帰属意識までも動物化か。
まさに「なんでも動物化」への道。
お前ら本当にあずまんや大塚の文章を読んでるの?
大塚『物語の体操』第三講冒頭
「ちょうど今から10年前に出版された蓮實重彦の文芸評論『小説から遠く離れて』は、
その時点でほぼ出揃った感のあった80年代を代表する個性的な長編小説が書き手の世代も
方法論も全く異なるにも拘わらずまるで示しあわせたように「同じ物語的な構造」に
収まっていることへの困惑の表明から始まりました」
以下数ページ『小説から遠く離れて』の解説
あずまん「メタリアル・フィクションの誕生<第1回>」「ファウストvol.1」p267
「たとえば蓮實は1989年に出版された『小説から遠く離れて』で、「小説が物語と
無縁のいとなみであるはずがなかろうが、いったん物語の支配に屈したものは、
それが長編であれ中篇であれ、歴史を解消することで得られる白々とした地平での
葛藤の不在を容認することにしか役立ちはしまい」といった文章を書き記している」
あと波状言論の確か阿部ちゃんと、法月との鼎談でも『小説から遠く離れて』に
言及してたと思う。
講談社の新聞広告で
斉藤環がポモ2を絶賛していたよ。
対 談 決 定 !
「またアズマにやられた」となぜかカタカナで呼んでいた。
「またアズマがやらかした」よりはマシだろ。それが本音かもしれんが。
アズマ
ゲームのキャラみたい
「またヒガシにやられた!」
でしょう?
今回の本ってだれも評価してないけど・・・・・・・・・
なんか反応あったっけ?
片言隻句で言ったの言わないの
>>885 図書館に行って
「週刊読書人」で検索してみれ。
動1>存在論的>自由を考える>情報自由論>>>>>>>>>>>>>動U
私たちの「想像力の環境」そのものに迫る、
鮮烈にして異様な批評言語の誕生。
またアズマにやられた!
――斎藤環氏(精神科医)
ポモ2の新聞広告そのまま。
異様とアズマにどのような意味が込められているのかは
サイタマにしかわからない。
>>891 なるほど。それだけオタクが増えたってことね。いやーんな感じ。
嫌オタク流支持者としては。
>嫌オタク流支持者
中原昌也のファンか?
>いやーんな感じ。
オタク語彙だな。オタのオタ嫌いか。
うっせきえろ糞オタク
>>893 > なるほど。それだけオタクが増えたってことね。いやーんな感じ。
いや、違う。
だったらとらのあなとかメロンブックスで売れるw
ブックファースト(渋谷)とジュンク堂(池袋)だけで異様に売れているのは、
オタクだけの購買とは考えにくい。
渋谷とブクロのアキバ化とか。
あ、後者はすでにそうか。
それかサブカル系ガールのお買い求めとかかな。
ぶっちゃけこいつの言説ってオタクには甘くて嫌いなんだけど。
それに状況を整理するのはいいけど、着眼点が際立ってない。
「自然主義的リアリズム」の「透明な」言葉はもうだめなのですか?
これからはオタク諸氏が文学を担うとでも言うのですか?
いい加減に「動2」がオタク論の本ではない事に気づいて欲しいものだが。
あずまんのバントはきれいなバント
901 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 02:21:45 BE:765301695-2BP(0)
>>899 ラノベなんてキモオタ以外誰が読んでるってんだよ。
動ポモ2のどこが悪いかはわりとわかった
だれか今度はどこが良いか述べてくれ
>>892 カウンセリング中の患者の発言を無下に否定する医者はいない、ということだよ
>>901 いや、「ラノベを読んでるのが全てキモヲタ」というのを仮に認めたとしても、
ラノベ論=オタク論とはいえんだろう。
まあ、東の議論では、
「キモヲタが読むラノベ」について論じることと、
「ラノベを読むキモヲタ」について論じることが、
べったりくっついてる感じは、確かにするけど。
>>880 アホ。
時評の短文を利用するそのやり方が知的欺瞞つうやつ。
蓮實の物語批判というのは大部な著作で展開されていて、
まあドゥルーズの理論的著作ぐらいに精緻な内容と言っていい。
そのうえ実証の詳細さもフーコー並。
こういう成果があるというのに、大塚とか東とかで引用し
合ってる記憶が恐ろしく浅いキモヲタ向けの批評論壇が
作られてるわけ。
理論の劣化したポンコツぶりがあまりにも悲惨。
907 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 07:02:45
>>899 しかし「動2」がオタク論の本ではない事に気づかないことが、
売りあげに繋がっていると思う。
前作と違って、オタク論だと思って反応するオタクはクリリン以外いないだろうけど
寓話的で幻想的でメタ物語的なポストモダンの実存文学の系譜
を構築しようとする東さんに感動したオレって少数派?
事情通の人、教えてくらはい!
>>908 まずはその感動の具体的な中身を語ってくれ
910 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 14:06:44
>>896 「○○店で売れる」が2例だけなら誤差の範囲内じゃね?
例えばそのジュンク堂池袋の1位の本を紀伊國屋で調べてみたら文庫の15位だったぞ。
15位の本が場所によっては1位になるなら、
28位の本が場所によっては9位になっても不思議はない気がする。
しかし、とらやメロンで入れてくれたらな。
俺は見掛けた適当な本屋で買ったが、
とらやメロンに入るならネタとして絶対そちらで買ってたぞw
ポモ2読了
見取り図としては悪くない
問題はいくつかあるにしても
第一の問題は、環境分析的読解は「キャラクター小説や美少女ゲームに固有の分析ではない」と述べられている(同書p248)けれども
環境分析的読解が有効に働くのはごく一部の作品に限られると考える点
なぜなら、作品の生まれた時代、地域の「人工環境」の分析を間に挟むことで
はじめて了解が可能になる作品を挙げることは極めて難しいし
東氏が本書で読解の際に挟み込んでいる「データベース」、「メディアの二環境化」
といったテクノロジー的、市場的「人工環境」は近代以降に急速に発達したシステムであり
近代以前の文芸作品の読解においては、環境分析的読解が成立するだけの
「人工環境」を見出すのは難しいと思われるから
あとは「想像力」かな
「想像力」という語がちょっと安易に使われすぎている
具体的に言うならば、前近代−近代的な「想像力」がどういったものなのか
これが詳細に規定されていないため
環境の変化による「想像力」の変容が曖昧になっている
まあでも、新書にしてはいいできだと思うよ
コストパフォーマンスもいいしね
>>906 >実証の詳細さもフーコー並
これはフーコーの実証の杜撰さを知った上での蓮實への皮肉だよね?
914 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 17:52:48
失笑ものの知的欺瞞に走らざるえない東の人間的欠陥のほうを分析したほうが有益かと。蓮實御大と比べたら蓮實に失礼だしね。
知的欺瞞 の検索結果 約 956 件中 1 - 10 件目 (0.08 秒)
>>914 どう考えてもインスタンスの、しかも欠陥品の分析が有益とは思えないぞw
そんなに注目すべき人物なのか?
内容を直接批判してくれよ
917 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 18:40:32
肯定的であれ否定的であれ、
動ポモ2を明に暗に意識した文章がこれから量産されれば
そのこと自体で、あずまんの狙いは達成されたことになるが、
その点で動ポモ1並みの成功を収めるかどうか。
ブックファースト渋谷店
に行ったが
あれがベストセラー総合1位とはキモい本屋だな〜。
あそこは、生協で堂々と買うのが恥ずかしいシャイな駒場生の逃げ場か?
自分も今、読了した。
整理するとこんな感じか。
リアリズムの源泉 組成(想像力の環境)
自然主義的リアリズム 現実 透明な言葉、現実
まんが・アニメ的リアリズム 傷付く記号、キャラクター 半透明な言葉、データベース
ゲーム的リアリズム プレイヤー メタ物語性、データベース
大塚 伊藤 東
動物 記号 キャラ キャラクター
人間 傷付く記号 キャラクター プレイヤー
感想としては、ラノベにおける半透明性とメタ物語性の両立による
効果が気になった。
秋葉原ならともかく渋谷ねぇ…
と頭を捻っていてふと思い付いたのがシネマライズ
かってあずまんも景気良くプッシュしていた新海、
その最新作が都内あそこだけで上映中だ
ファン層に緩い重なりはあるかもしれん(俺とか)
映画で高揚した帰りには財布の紐が緩みがちだしな
今やまともな筋からはコメントされない境地だからね。
オタクと腐女子のブロガーと同じマーケットで食ってるカルテルからの引用だけが頼り。
ニート、動物、不透明、ポモなどなど自分に都合がいい思い込みを
社会に垂れ流す社会学な人たちのカルテル。
あ、あずまん・・・・・・・
>>922 小泉万歳を絶叫してたkagami様。彼の実存の軽薄さがいいよね。
925 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 22:37:38
『動2』読むのに、『テヅカイズデッド』は必読ですかね?
(上でいくつか出ている感想を参考に『動2』読もうと思ったのだけれど
ほんとワレオタコメント邪魔だな・・・固定ハンにしてほしいです。お願い
します。)
必読ではないが読んだ方がいいくらい。
コンテンツの思想を読むつもりなら読むべき。
読んだほうがいいと思う。
動2のまとめはかなり無理してコンパクトにしている。
もし動2で触れられていない、マンガ表現についての理解を必要と
感じてるんなら必読。
東の「環境分析」は、『複製技術の時代における芸術作品』において
作品の複製可能性と芸術に対する大衆の関係の変化や
新聞や写真、映画というメディアの登場による人々の「知覚」の変容を物語った
ベンヤミンの手法となにが違うんだ?
930 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 00:25:44 BE:612241294-2BP(0)
>>904 そんなふうに読み手と読み物を分離できるっていうのは、環境なんとか分析とも矛盾する気がするんだけれども。
>>929 一緒にすんな。
931 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 01:05:04
トミーズ雅って確か娘にキスどころかチンコつっこんでなかったっけ?
と思って色々ググってみたら、まとめコピペみたいなの見つけた。
デマだって言われてるけど、本当に言ってる発言もあるからなんとも言えない…。
情報や目撃談など疑惑の数々- その1
・娘が小さい頃、一緒に風呂に入り娘のデリケートな部分に男性器を入れて将来の彼氏に対抗した発言後「先っちょですよ軽くですよ」と弁明。
・ごきげんようでお風呂で娘がマイク代わりに男性器を握って歌ったという話がその年の大賞に選ばれた事件。
・花マルマーケットで長女の膨らんできた胸がいとおしい。風呂も一緒に入ってる発言。
・娘と風呂入った時、娘の乳首を吸ってる所を奥さんに見つかり、「イチバンのり〜」と言った事件。
・将来知らん男に乳吸われる前に風呂場で自分が先に吸った事件。
・関西ローカル(たかじんのバー?)でのまだ赤ちゃんだった娘の性器に割れ目に沿ってなでたりマドラー挿入発言。
(そのとき受けを狙ってマドラー舐めるようなそぶりをする)
・関西ローカル(たかじんのバー?)で娘の性器に指をいれたといったら梅宮パパに怒られた事件。
・関西ローカルで娘の性器をひろげてよく観察すると小さいのに大人の女性器と同じで感心した発言。
・関西ローカルの親子クイズ大会で娘と舞台に出て紹介されるなりサービスといって、娘の衣装の胸の所を下げて乳首を見せた事件。
(娘は苦笑いというか微妙に嫌そうな顔をしていました。笑ってはなかった。)
>>906 精緻な物語批判を展開している大部の著作というのは、『物語批判序説』という本のことですか?
ぜひ読んでみたいと思って聞くのですが。
>>927,928
ありがd。図書館逝ってくる。
というか
>>647に参考になること書いてありましたね。
新城と桜坂と伊藤以外は全部通過してる俺ガイル。
テヅカイズって図書館にも入ってるんだ・・
936 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 08:45:14
語られるべき「ライトノベル」とは、おそらくは我々自身のことなのだ。
ラノベについて語るということは、だから、ラノベというメディアの機能を最大限に利用して、
セカイと繋がろうとする意志である。
ラノベについて語るとき、僕は断固として「我々」という主語を用いる。
僕が語っているのは、ラノベを通じて繋がりうるセカイとしての「我々」についてであって、
決して僕個人の感傷や感想であってはならないと自身に言い聞かせている。
>>929 コンピューターやウェブへの暗喩を使って超粗悪化してるところが違うのではないかと。
というより実際のところ正反対かと。
ベンヤミンは記憶が深いじゃないすか。
その記憶の再生には時間がかかると。それでパサージュ論。
東周辺の界隈は記憶の地層なし、というよりキーワードで無帽な
インデックス化をしてデータベースに押し込んで一瞬でコピペの世界。
うまくいかないとなかったことにしてオールクリアを繰り返すゲーム脳的リアリズム。
批判したいのはわかるが
「ゲーム脳」という言葉を使うと使った人間の知性をまず疑いたくなるよ。
エロゲ脳