哲学は難しすぎる

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1考える名無しさん
理系の俺が大学の図書館で哲学に関する本を読んだが、全く理解不能

2考える名無しさん:2006/07/16(日) 14:37:04
だろうね、哲学が難しいんじゃ無くて哲学の事を知っている人がいないだけだよ。
3考える名無しさん:2006/07/16(日) 14:38:41
>>1
何読んだの?
4Yukko:2006/07/16(日) 14:43:54
はじめまして。
私は中学のとき『ソフィーの世界』を読んで学問としての哲学に興味を持つようになりました。
知っての通り、『ソフィー』は難しい専門用語を使わないで哲学を語ってくれる本です。
しかし、当時はそれすらほとんど理解できませんでした。
なぜなら、私は常識的なものの見方に捕われていたからです。
哲学者は普通とは違う発想の持ち主なので、先入観を捨て去らないと全く分からなくなります。
しかし逆に一度分かってしまえば実に簡単なことを言っているケースが多いのです。
某心理学者の『頭の体操』シリーズと同じですよ。
5Yukko:2006/07/16(日) 14:49:14
図書館ではどんな本を読んだのですか?自分と似た考えの哲学者についての概説書からだと入りやすいと思いますよ。
日本では哲学科は文学部の中にあるのがほとんどなので、理系で哲学やる人は貴重です。
がんばってください☆
(なんて書いて年上だったりしたらごめんなさい)
6考える名無しさん:2006/07/16(日) 14:55:03
哲学は言葉という抽象概念を使用して、
なんらかの普遍的洞察を提示してるだけなので、
順番に読んでいけば、誰にでも理解できます。
理系なら、言葉の数学と思えばいい。実際にそう。
7四式:2006/07/16(日) 15:27:03
哲学なんて勉強した事もないから良くわかんねえが
疑問が持たれるその闇に光を当てて答えを見つけ出すのが哲学じゃねえか?
昔の人が哲学として考えて出した問いと答えをなぞる事は哲学とは言えないと思う
哲学とは疑問を見つけ出し何故かに答えようとする精神性を持って哲学者と言うんじゃないか?
8飛べないカラス:2006/07/16(日) 15:45:15
理解するということは、実際に知識を役立てられるという状態なのかも。
哲学書を記憶することは出来てもそもそも元の情報が役に立たなければ
理解は出来ないな。
9考える名無しさん:2006/07/16(日) 17:59:11
>1
まず哲学の歴史について学んだほうがいいよ
10:2006/07/16(日) 18:38:37
俺なんか自分がやってたことが
高校に入って哲学としってなんの違和感もなかった
11考える名無しさん:2006/07/16(日) 19:13:42
哲学なんてのは「なんで在るのか?」
「これがこれと呼べるのはどうしてか?」
を延々と繰り返してるだけです。
12法学部生:2006/07/16(日) 19:19:25
哲学が言葉の使い方の雑すぎるから、学問的には魅力が無い。
芸能としては面白いと思う。
13考える名無しさん:2006/07/16(日) 21:11:39
>>1
哲学は学び物ではないと思うが。
行うもので。他人の真似しても暗記しても哲学ではないと思う。
自分でヤレ!悟れ!w
14四式:2006/07/16(日) 21:39:03
自分でヤレというのも違うような、
先人が実証検証を費やして多くの人に認められ
人々の脳のライブラリに定着した哲学語を学ぶのは
重要なことでしょ。その陰を踏まえない哲学なんてものは
独我論的正しさでしかない。
それは人々を啓蒙する所か根拠のない自信で人を惑わし
学問の発展を妨げる無意味で無価値な代物でしかない。
15考える名無しさん:2006/07/16(日) 21:44:03
そうだね。哲学語はないもんね。
16考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:00:24
結論
論理学を学び、後は自分で考えろ
17考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:06:10
結論:勉強しながら考えろ。考えながら勉強しろ。
18考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:07:23
結論:哲学は必要ない。
19考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:09:56
なら死ぬまで思考停止してろ
20考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:12:10
>>1
数学にも自然科学にも哲学はあると思われ
21考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:12:52
こころだっていってるだろうが。それでこい
22考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:13:01
何の必要もない。
23考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:17:16
自縄自縛ですよ、人間
24考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:18:52
哲学入門クッキング

てきとーに哲学書を選ぶ(なるべく貫禄のあるものがよい)

哲学・思想辞典も併せて購入する(これも分厚いものがよい)

部屋の書棚に置く

自室がインテリな感じになったことに満足感を覚える

もし満足感を覚えちゃっなら、君の人生には哲学は必要ない
しかし、満足感を覚えなかったら、哲学書を辞典を引きながら読めばよい
25考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:20:01
おっさんって誰のことよ
26考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:24:12
既存の哲学の99%は論理学的には完全な誤謬
最初のうちは、過去の哲学者による失敗の歴史は無視して
正しく考える技法を学ぶべきです。
27考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:25:28
おまえら時間ありあまると思ってんのか?こえーぞ
28考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:25:47
「理系の俺」ってのがポイントだろ。
29考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:29:23
ヤッヴェ
2ちゃんねる
やってるところ見られた。はずかしーーーーーーーーーーーーー
帰ろう
かな
30考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:49:54
今どき恥ずかしいことでもないと思うが。

ちんちん見てまんまんおっき

とカキコしてたところを見つかったのなら恥ずかしいが。
31考える名無しさん:2006/07/16(日) 23:05:01
> 既存の哲学の99%は論理学的には完全な誤謬

どういうこと?
32考える名無しさん:2006/07/16(日) 23:24:41
>>31
書店に平積みされてた新書に書いてあったんじゃねえw
33考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:04:13
ジャンル分けされてなければ
ハウスと浪曲を間違って買ってしまう程度の頭だったり
遺伝子的および血統的分類ができる犬と、
音楽とを同列に扱うような抜けた頭だったりするなら
そんな頭にバレアリックハウスなんぞ聞かせても無駄!
病院に行った方がよっぽどよいと思う。
世の中のすべての音楽はバレアリックハウスが基本だと思う。
バレアリックハウス以外いらない!
音楽=バレアリックハウスなんだからジャンルなんていらない!!
バレアリックハウス=哲学!!!!
34考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:36:26
通信でいいから勉強しなおしたい。
ななめ読みで調子に乗ってたけど真剣に思えば思うほどちっともバカにできない事が次々頭に浮かぶ。
そしてどんどん不安になってくる。
35考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:39:25
教養主義だ絶対的真理の不在だなんだと言うけれどもやっぱりどうしても、
一部の領域に専門的に特化して理解していくしか道はないと思う。
どうしたってそうなっていく。
自分が恥ずかしい。
36考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:43:13
あれこれ興味あるものがどんどん出てくるのは自分が一つところ真摯に取り組んでいないからかもしれない。
真剣にやってたら他のことに手がまわらないし、気付かないから。
何より哲学書ってそう時間をかけずスラスラ読み進めない。
たしかに読む量って少なくてもいいんだなぁ…昔よく注意されたよ…
37考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:45:24
教授の言っていたことは正しかった。
まずあれこれ我がもののごとくこなすなんてどうにも無理な話だよ。
やっぱり自分は素直に聞くことができていなかった…。
38考える名無しさん:2006/07/17(月) 01:20:26
哲学は、今まで意味のあることだと思ってやってきたことを
根底からあっけなく否定する力を持ち得るので、他の分野の学徒諸氏には
学ぶ前に憤りさえ覚えてしまう代物なので危険だ。
「今の自分」を否定されるのが恐いのならば触れないことだ。
39考える名無しさん:2006/07/17(月) 01:41:01
否定するだけでなんの力もないことを楽しめない人間は触れないことだ。
40考える名無しさん:2006/07/17(月) 01:44:13
>>38-39
物理法則を否定したところで、
その中で踊っている状態には変わりない。
そういう意味で、哲学ではなにも否定できませんが、なにか?
41考える名無しさん:2006/07/17(月) 01:48:31
現代哲学はちゃぶ台ひっくり返して笑ってるようなところがあるからあまり好きではない。
お前はただ皮肉な笑みを浮かべたいだけちゃうんかと。
42考える名無しさん:2006/07/17(月) 04:31:23
学ぶ価値があるのはフレーゲ系列の哲学だね。
その他の西洋思想は神学と科学のつじつま合わせのものだから、日本人が読む意味はないでしょう。
43考える名無しさん:2006/07/17(月) 12:22:39
>>42
カントとヘーゲルは?
44考える名無しさん:2006/07/17(月) 16:02:30
↑ただのインテリ趣味だなw
45考える名無しさん:2006/07/17(月) 16:25:21
↑馬鹿はけーん
46考える名無しさん:2006/07/17(月) 18:17:36
>>42
必死だな
47考える名無しさん:2006/07/17(月) 21:22:52
哲学なんて否定上手になるだけ。
「何でだろう」なんて肯定側の時は絶対抱かない感情だし、
それが哲学の入り口ってことなら否定の入り口ってことじゃないかな。
幸せ生きてるんだったら要らないものだし、>1は人が良いんだよ。

そして肯定も否定も強弱も過去未来現在も全部儚いものなんだから
どんな問題でも愛してあげよう。過ぎ去っていく事象を覚えてあげよう。
481:2006/07/18(火) 00:13:32
まさかここまでレス数が進んでるとは・・
本のタイトルは論理学と書かれていましたよ。ヘーゲル??だっけ??詳しくは見てないけど、かなり分厚い本でした。
49考える名無しさん:2006/07/18(火) 00:26:24
ヘーゲルは西洋哲学史の文脈では重要ですが、哲学を理解し構築するという観点では
読む価値はないですよ。
50考える名無しさん:2006/07/18(火) 11:40:45
言っとくけど、哲学書を読んで覚えても哲学を知ることはできないよ。
哲学は知識を集める事では無く、人の知能を育てる事が目的だからね。
人類にとって哲学ほど大切なものは無いし条件さえ揃えば知識など持たずとも
誰でも会得できるのが哲学ですよ。
>26番の言ってる事は本当だよ。
51考える名無しさん:2006/07/18(火) 12:46:39
>>1
難しいでは無く、解らないのでは?

理解不能の筈は無い、何故ならば、既に、哲学と言う用語を使用しているからだ。

結論、オマエは嘘をついている。
52考える名無しさん:2006/07/18(火) 13:34:02
勝手に結論つけてんなwwwwwwwww
53考える名無しさん:2006/07/18(火) 16:10:54

必死だな
54考える名無しさん:2006/07/18(火) 16:41:37
否定するだけなら2chねら〜でも出来るよね
55考える名無しさん:2006/07/18(火) 16:56:36
哲学という学問において
「結論」というのはやってはいけない行為だな
56考える名無しさん:2006/07/18(火) 17:05:20
>>54じゃー推論か?
仮定で終るのか?
57考える名無しさん:2006/07/18(火) 18:46:43
時代的に哲学の答えをだしても良いんじゃないか。
58考える名無しさん:2006/07/18(火) 20:58:26
>>57答えを出したら出したでまたその答えは本当に正しいのかという問いが始まる
59考える名無しさん:2006/07/18(火) 21:47:05
それでも哲学の目的は、こうなんだって一口で言って貰いたいよね。
60:2006/07/18(火) 22:09:51
まあ一言でいえば自分の生き方を
さがすため?
61考える名無しさん:2006/07/19(水) 09:22:59
哲学を辞書で索引すると「愛智の意」だけで哲だと「道理にあかるいこと」だよね。
だれか、この意味教えて、、
62考える名無しさん:2006/07/19(水) 10:38:36
>>61
「哲学」は、philosophy(ギリシア語のphilosophia)の訳語で、
philosophiaをそのまま直訳すれば「愛智」。
だから「哲」という字をいくら分析してもphilosophiaには到達しないね。
63考える名無しさん:2006/07/19(水) 12:37:14
愛智を分析すると哲学が分かるってこと?
だったら愛智の意味教えて、、、
64考える名無しさん:2006/07/19(水) 13:04:31
>>63
智を愛することです。
65考える名無しさん:2006/07/19(水) 16:46:14
香具師〓種も仕掛けも御座いません

哲学者〓真理は普遍で本質だ

魔術士〓君に未来と富を約束しよう

本 屋〓エロ本、アニメ、週刊誌、啓発本

求道者〓取り敢えず本を読む



66考える名無しさん:2006/07/19(水) 19:18:46
哲学というのはな、お前らのような能書きを垂れるやつの言葉を
いかにも難しいそうな言葉を使って垂れ直すわけだ。
一見難しく聞こえるわけだか、近所の頑固爺の小言みたいなもんで
右の耳から入って左の耳へ抜けていく、それが哲学ってもんだ。
67考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:14:29
智を愛することが哲学なら何故、智を愛さなくては成らないのか?その理由は何でしょうか?
そして智とは何なのか?
68考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:33:58
とりあえずソクラテスからだな。
69考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:40:11
> 一見難しく聞こえるわけだか、近所の頑固爺の小言みたいなもんで
> 右の耳から入って左の耳へ抜けていく、それが哲学ってもんだ。

いわゆる、馬の耳に念仏ってやすですな。
70塩水 ◆1FrMT.vzQQ :2006/07/19(水) 23:59:06
哲学かじり出して一週間くらいだけど、なんとなく感じていたことや思っていたことが
明文化されていて、目から鱗がぽろぽろ。
哲学者ってマジ頭いいですね。
71名無しクオリティ:2006/07/20(木) 02:00:06
字にするのは難しい
ゆえに小難しくなる

哲学は感じるといい
72考える名無しさん:2006/07/20(木) 18:26:07
哲学とは知能を育て智恵を産みだし活用することを目的します。
哲学の哲とは道理にあかるいこと、を指し知能を育てる基礎と成ります。
道理にあかるく成ると育つ心の人間愛が知能を育てる事を指し哲学を愛智とも呼びます。


73考える名無しさん:2006/07/20(木) 19:37:46
パラパラも踊れない哲学者なんて・・・
74考える名無しさん:2006/07/25(火) 12:47:45
哲学は難しすぎる?
哲学書を読んで知識を集めても哲学を理解できないよ。
記憶力と言う力を崇拝する無知蒙昧なノータリンが他人の記した哲学書を読み覚えて
得意げに吹聴するけど、あれは具の骨頂の者達がやる事ですよ。
哲学を知りたいと哲学書を読み始めた時から哲学の道を逸れてしまいます。
哲学は物事の理を悟り、産みだされる智恵を人生に活用する事を目的とします。

75考える名無しさん:2006/07/26(水) 17:07:20
物事の理って、本当にあるのかな。
76考える名無しさん:2006/07/26(水) 22:55:22
辞書で智恵を索引すれば
広辞苑【智恵】物事の理を悟り、適切に処理する能力。
と記して有ります、ように人が知恵を得る為には物事の理を悟る事が不可欠なのです。
哲学の道理にあかるいこと、との事は物事の理を悟ると成される事で人に智恵を得る事を促しているのです。
その哲学の基本を無視して書物から知識を得て哲学を知ろうとしても無駄な事なのです。
知識と知恵は相反する全くの別ものですからね。
77考える名無しさん:2006/07/30(日) 03:50:24
>74
>得意げに吹聴する
これが正しい使い方。哲学は人生に活用するべき(つまり自分の財産にするべき)でない。
なぜなら全ての価値は社会(偉い人)が決めるから。そして偉い人が新しい価値を作る。(偉い人=新しいものを作る人)
偉い人がさらに広げた空間の中で、俺たちは切磋琢磨、(作られた価値の)上を目指せばいい。
他人に価値を否定されれば(これは誰でも簡単に出来る)自分の財産の価値は下がる。いらないものなのか、と。
つまり自分の人生が磨り減る。
どうでもよい事だけ哲学してれば良いってことになる。と俺は思った。まんこ。
78考える名無しさん:2006/08/01(火) 10:27:16
>77
君は現代の奴隷か?
79考える名無しさん:2006/08/01(火) 12:37:09
(~o~)(~o~)(~o~)
哲学は簡単だ!
哲学の本質は人の根本原理を探ることが目的だから物事の理を悟れば哲学を修める事ができる。
物事の理を悟らぬ者達が記した哲学に関する本を見ても哲学の本質に関わる事が記されて無いのは当たり前の昏々知己。
80考える名無しさん:2006/08/01(火) 13:38:57
          ____
       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\    <問題を解く技術は専門家に任せ、
    /   ⌒(__人__)⌒ \    我々哲学者は物事の根本原理を探りましょう。
    |      |r┬-|    |
     \     `ー'´   /
    ノ            \
  /´               ヽ
 |    l              \
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))



          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)
| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //   だっておwwwwwwwwwwwwwwwww
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/
|     ノ     | |  |   \  /  )  /
ヽ    /     `ー'´      ヽ /    /     バ
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l  バ   ン
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、    ン
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))
81考える名無しさん:2006/08/02(水) 12:07:21
哲学なんてオタクとかいじめられっこのするもんだろ?リア充は哲学書よんだり哲学科入ったりするなんて想像もできんよ。


82考える名無しさん:2006/08/02(水) 12:40:34
何を思ったのか先週古本屋でツァラトゥストラを買って
読んだんだが、なんだか意味不明なのだよwww
哲学なんて初めてで全然解らんのだが、
だれかアフォな俺にも解るように解説してくれまいか?

ちなみにネットで調べつつ読んだ限りは↓こう読み取った訳なんだが
あってるか?
・宗教(既存の心理的な価値?)なんざ糞。
・救いなんてない。人は永遠に苦しみつづけんだよ!
・でも、それでも向上心を捨てない貴方の意志が好き♪
83考える名無しさん:2006/08/02(水) 13:09:29
じゃあ数学は簡単なんですか。
俺にとっては哲学は別に難しくない。
中学のときカント読んで面白かった。
84考える名無しさん:2006/08/02(水) 13:15:45
>>82
きみは哲学なんかに関わらなくても生きていけるよ。
イヤほんとに。
85考える名無しさん:2006/08/03(木) 17:17:16
 哲学とは弁論術に対抗するものだった。プラトンによれば弁論術とはたぶらかしと扇動の技術で、
彼ら弁論術家が説くものはまやかしの知識であるとする。弁論術とは訴訟や議会の議論で
相手を論破するための技術のこと。当時の裁判は陪審制であったので、陪審員をいかに
扇動し味方につけるかが勝敗の要因となる。要するにプロパガンダである。
 だれかが何らかの政治的意図をもって流した偽りの情報に満ち満ちたこの世の中で、
真に正しい知(ソフィア)を愛し求める(フィレインことが、フィロソフィアである。
86考える名無しさん:2006/08/03(木) 23:17:03
>>85
しかし実際は自分の妄想を愛し求めている。
87考える名無しさん:2006/08/05(土) 16:32:23
真に正しい知を愛し求める、には正しい知を産みだす正しい愛が必要です。
88考える名無しさん:2006/08/05(土) 16:36:21
へえ、それでその「正しい愛」を生み出すには今度は何が必要なのさ?
89考える名無しさん:2006/08/05(土) 16:39:05
>86
>しかし実際は自分の妄想を愛し求めてる。
何故〜矛盾を感じたとき、その答えを求めたとき、貴方は哲学をしています。
90考える名無しさん:2006/08/05(土) 16:39:53
哲学は絶対学ぶな。悩みを増やすだけだから。
哲学ってのは悩むのが好きな奴のための学問なんだ。
91考える名無しさん:2006/08/05(土) 16:43:47
悩みのない人生は薄っぺらな感じがする
92考える名無しさん:2006/08/05(土) 17:09:44
悩みの比率が大きすぎる人生はもっとやばい
93考える名無しさん:2006/08/06(日) 08:40:09
>88
その質問、以前に知を望む純粋で謙虚な心が必用です。
94考える名無しさん:2006/08/06(日) 08:52:51
問題が解けない時に悩みに成ります。
哲学は人の巻き起こす問題の全てを理を以て瞬時に解き明かす心(潜在知能)を育てる事を目的としています。

95考える名無しさん:2006/08/06(日) 08:57:06
逆に簡単すぎると思う
96考える名無しさん:2006/08/06(日) 11:29:53
>>1
簡単だったりわかりやすい、ということが対象を魅力的にするわけではない。
「わかりやすいストーリー」「わかりやすい人間」
なんかを考えてみればいい。
難しいからダメだ、というのは、単に自分が理解できないものを受け入れる気がない
っつー意欲のなさなんだが、その壁が厚いにしても
対象そのものに否定因子が存在するとする態度は、実証的ではなく、その人間の
エゴでしかない。そういった人間性に迎合して思考しても
それは単なるうすっぺら虚栄心でしかないから、クソつまらない思考しか生まれないんだよ。
もう、才能がないっていうか向いてないっていうか。
たとえばフッサール現象学みたいなあからさまなわかりやすさ重視で構築されたものは
読んでみると、いかにそういった思考をする、ということがくだらないかよくわかるよ。
97考える名無しさん:2006/08/06(日) 12:37:29
>95
哲学とは物事の理を悟り、育つ知能が産みだす智恵を以て、人類の抱える全ての問題の解決を旨とする。
これでどうでしょうか?
98考える名無しさん:2006/08/06(日) 12:45:25
哲学とは万人にとって普遍的な真理の探究
99考える名無しさん:2006/08/07(月) 20:59:25
>>97
それは朱子学でいうところの「格物致知」というものだ
100考える名無しさん:2006/08/09(水) 16:44:56
>99
私の哲学は己の心と問答を繰り返す自己探求で進んできました、ので朱子学も挌物致知と言う言葉も知りませんでした。
確かに朱子学の挌物致知は私の探求結果と類似している所が多々、有りますね。
私の考えは哲学の真意は理に反する蒙昧的意識の比較的薄い、大衆の中より産みだされ、やがて全てに浸透すると考えます。
そして大衆が物事の理を悟るには理に反する意識から、理を重んじる意識に心の切り替えをする事です。
心の切り替えに必要な条件は知を望む、謙虚で純粋な心のみです。
朱子学の挌物致知が世の中に浸透しなかったのは難解で有った為、人々に受け入れられ無かった事が原因と思われます。
101考える名無しさん:2006/09/26(火) 18:58:24
>98
>哲学とは万人にとって普遍的な真理の探究
確かにその通りですが、探求ばかりで万人を結論(真理)に導かないと不味いんじゃないの?



102考える名無しさん:2007/02/06(火) 00:25:32
103考える名無しさん:2007/02/06(火) 00:35:34
視点・論点 「まん延するニセ科学 」大阪大学教授 菊池誠
http://www.nicovideo.jp/watch?v=ut9LNRYsyWgEY
104考える名無しさん:2007/03/06(火) 23:08:51
どうもみんな哲学のことを誤解しているように思います。
というか、批判する前に実はあまり読んでない、というか、
もっと言うと読めないで終わっちゃったのかな?、というか。
近代以降、哲学が真理の探究を目指したことなんてほとんど無いです。
むしろ、一つの真理を見出すべく思考することがどれだけ単純思考にはまり込むかを哲学者自身が自覚していました。
哲学が目指したのは、その時代に見合った世界の有り様の説明だったし、これからも変わらないでしょう。
哲学ってのは宗教と違って「物語」を用いずに「抽象概念」で世界説明をするべく言葉を鍛えているわけです。
だから時代によって説明は変わるし、人間のやることだから、うまい人材が出なくて紆余曲折する時代もあるわけです。
>>98の言葉を借りて訂正するなら
「哲学は万人にとって普遍的な『認識』の探求」と言えるでしょうか。
それは時代によって変わるものだし、変わらなければならないものです。
105考える名無しさん:2007/03/07(水) 11:22:15
>>104
認識とは何を認識するんですか?
106考える名無しさん:2007/03/08(木) 10:16:00
認識とは真理のことでしょう。

107考える名無しさん:2007/03/09(金) 02:24:22
>>105

>>104です。
一元的に何かを見定めるということではなくて、
信念の対立が起こったときに、共通了解できる認識を探し出すということです。
だからそれぞれの哲学者が唱えるのは、思考の方法論だとも言えます。
しかし社会の在り様はどんどん変化して流れの中にありますから、
時代によってその認識は変わっていきます。

皆さんの言う「真理」とは「変わらぬ理(ことわり)」のことを言っているでしょう。
「哲学は真理を見出すもの」と捉えている人が多いので、
哲学が役割を果たしていない、と的外れな批判が出てしまうのでしょう。
哲学の役割は、あくまでも同時代的な世界説明です。
108考える名無しさん:2007/03/09(金) 15:43:24
>>1
哲学の本を書いてる奴等なんて「自分が優れてるんだっ!」って主張したいだけ


足が速い人が「俺は足が速いんだぞ」って自慢してるのと同じだから気にしなくていいよ
109考える名無しさん:2007/03/11(日) 11:43:38
110考える名無しさん:2007/03/11(日) 12:00:15
哲学は創作なんだよ。
簡単なことを難しく語る学問のこと。
ナルシシスト向けの学問と言えるね。

哲学は利用価値がある!ということは、
ゴミやクソは利用価値がある!と言っていることと同じ。
111考える名無しさん:2007/03/11(日) 12:14:36
真理の泉。
その水の中では、真理のあるものしか形を留める事ができない、
あの真理の泉。
いわゆる難解な哲学書をポチャンと落としたら、跡形もありませんでしたとさ。
めでたしめでたしw
112考える名無しさん:2007/03/11(日) 12:22:25
>>110
わかっとらんなぁ。
考える=マナス manasという言葉の起源を調べてきたほうがいいぞ。
貴方は感情的な思考と理屈だけで物事を表現しているにすぎない。
記憶の甦りである考え事における考察(思量)などの動きが
まったく建前の哲学という言葉にすりかえられている。
考え決意し、選び取るそこにはいろいろな想いを想像して巡廻させ
重み付け意味を特定化し比較し分類や類推などの作業をすることだろ。
煩悩に従って考えることで誰でもできることであり、
単に哲学と呼んでいるだけだ。
決して特別なことでもなく、原始的な思考で理屈や論理などは後天的に
生まれたものに過ぎない。
難しいなどと勘違いしているようだが、特定されない概念を特定できない
からといって受け取らない姿勢に問題がある。
仏教の言葉に良いものがある「阿弥陀」=はかりしえないもの。
はかれないものを理解しようとして計ろうとしても無駄であるし。
計れないものは計れないものと認知すればいいだけなのだが、
それを何か別のもので認知したがる癖が貴方には存在するんだろう。
113考える名無しさん:2007/03/11(日) 18:23:59
>>107
真理とは時代は変われど変わることの無い「まことの理」のことですよ。
哲学は哲の文字が示すように道理にあかるいこと(哲)希求する(学)ものですので真理をみいだすものと解釈しても同じ事です。

114考える名無しさん:2007/03/11(日) 22:23:10
まぁ即物的な凡人には難しいのは当たり前
わからないことを腹いせに役に立たないと吠えるしかない
115考える名無しさん:2007/03/11(日) 22:49:45
>>114
役に立つか立たないかはどこに視点を持ってくるかで変わるからね
116考える名無しさん:2007/03/11(日) 23:03:14
早く凡人になりたい。
117考える名無しさん:2007/03/12(月) 03:01:42
>>113

>>107です。

>真理とは時代は変われど変わることの無い「まことの理」のことですよ。
このことは全く否定していないです。「真理」という言葉の意味はそういうことでしょう。
私が言っていることと何ら変わり無いのですが、何故このように繰り返しているのか理解に苦しみます。
あなたの文章読解力の問題のように思えます。

>哲学は哲の文字が示すように道理にあかるいこと(哲)希求する(学)ものですので真理をみいだすものと解釈しても同じ事です。
西周が philosophia を訳した時に、確かにそのような意味で規定しましたが、
それはあくまでギリシア哲学に対してです。
もちろんギリシア哲学でも、今に活かせる思考を見出すことはできますが、
近代を経た我々が、わざわざそこに思考停止させる必要はないのです。
思考停止した方との議論は、宗教者と議論するのと同じで不毛です。
>>104に書いたので、私に反論するなら>>104について反論を頂けると助かります。
118考える名無しさん:2007/03/12(月) 03:09:56
>>1
理系とは思考形態が異なるからな。
119考える名無しさん:2007/03/12(月) 03:48:46
>>118
理系なら唯物論を理解できる。
観念論の系譜は自己満足用語満載妄想文学の世界だから
関わるのは人生の無駄。
実存主義だの現代哲学だの、小難しい言葉で粉飾しているが、
言葉の遊び、観念の遊びに過ぎないから。暇な奴が小説として読むべきもの。
120113:2007/03/12(月) 09:49:04
>>117
>それは時代によって変わるものだし、変わらなければならないものです。
理=ことわり、の意とする所の認識に問題が有ると思われます。
ことわりとは物事の理非を分かち定める意、のことで全体無比、不変を指し時代に関係するものでは有りません。
時代に拠って変われば、その「ことわり」は意味を成さぬものに成ってしまいます。
つまり「ことわり」とは『人間として磨かれた良心が物事の理非を分かち定めることを意とするもの』ですので時代に拠って変えることも、お「ことわり」する、と言うことです。
数千年の時を経て、未だに物事の理を悟れぬ人類にとって「ことわり」とは人類が足を踏み入れたことの無い真っ新な領域ですので、常に新鮮そのものなのです。
もしも人類が「ことわり」に足を踏み入れることができれば力を崇拝し理に反する蒙昧に支配されてきた人類社会が自由と平和を重んじ理に準ずる社会に一変します。
哲学はこの「ことわり」と言う、全ての人類の希望が封じ込められている箱の蓋を開く大切な役目を担って産まれてきたのです。

121考える名無しさん:2007/03/12(月) 21:20:12
>>120

>>107>>117です。
文章が冗長で弱りますが、あなたの文を読んで明確なことは、
あなたも、世の中の誰も、歴史上の誰も、その「ことわり」というものを理解したり、確認したりできていないということですね。
哲学者はそういうことを「物語」と捉えます。
あなたが言っているのは「哲学」の分野で語ることではなく、「宗教」の分野で語ることです。
これを勘違いしてしまう人が多いので、哲学は分かりにくい、とか、役に立たない、という批判が出てしまうのです。
あなたが言っていることを全否定するつもりはありません。
しかし、語る文脈を間違うのは、やはり良くないことだと思います。
あなたの言う哲学は「人生哲学」とか言う時の素朴な「哲学」の意味に近いようです。
一考をお願いします。
122120:2007/03/12(月) 22:46:31
>>121
「ことわり」に一言、加えますと
『人間として磨かれた良心が物事の理非を分かち定めることを意とする絶対無比、永遠に不変もの』です。
とお伝えしていますよ。
一人が「ことわり」を理解しても普及しなければ人類が「ことわり」に足を踏み入れた、とは申せません。
ですから>世の中の誰も、歴史上の誰も、その「ことわり」というものを理解したり、確認したりできていないということですね。
と言う解釈は成り立ちません。
宗教は一方的に哲学を商売に利用しているだけですが哲学から心の作用を抜いたら哲学には成りません。
広辞苑の引用ですが「智恵=物事の理(ことわり)を悟り、適切に処理する能力」と記して有り、他の辞書の内容も、ほぼ似ています。
つまり人の心の仕組みは、物事の理(ことわり)を悟らずば知能が育たず智恵を産みだせない、と示唆しています。
人類が智恵を産みだすために「ことわり」を悟り、道理にあかるく成らなければ成りませんが、それには理を悟れない心から理を悟れる心に切り換えなければできません。
その方法を見いだし広めることが真の哲学の目的では有りませんか?
冷静な心で再考をお願いします。
123考える名無しさん:2007/03/12(月) 23:20:38
哲学って「将棋」みたいなもんじゃないの?
こうするとこうなって、こうなっていくみたいな・・
124考える名無しさん:2007/03/12(月) 23:25:40
ポエマーかよ
125考える名無しさん:2007/03/13(火) 17:23:07
>>122
辞書に依存してる時点でアウト。
126251:2007/03/13(火) 18:19:17
>>125
一人で考えた思い込みの記された哲学書と数百人が間違ったことを記しては成らぬ、と言う気持ちで考えた辞書とどちらが使えるかな?
言葉の意味を知りたければ辞書を引きますが言葉の意味を知りたくて哲学書を読む人は誰もいませんよ。
恐らく、貴方は自分の使っている日本語の意味を知らないでしょう。
哲学の意味、知ってるの?
127考える名無しさん:2007/03/13(火) 19:03:54
>>124
あたま÷杉
128考える名無しさん:2007/03/13(火) 21:18:56
>>110
「Gさん(七十歳の癌患者)
 私はこのまえの検診で癌に侵されていることがわかり、(中略)余命は一年程度であろうと
勝手に思い込んでいます。いままで自分の好きなことは何もしてきませんでした。自分の時間
はすべて他人のために捧げてきました。結婚前は親に絶対服従し、そして結婚後は夫そして子供の
いいなりになっていました。私はそれでいいと思っていました。「幸福だ」とさえ思っていたのです。
でも、癌が私の体内に発見されたとき、このままで死んでしまうのは厭だという強烈な思いが身体の底から
立ちのぼってきました。(中略)はたして神はいるのか、魂は不滅なのか、絶対的真理はあるのか。
(中略)私は死ぬ前にいろいろ真剣に考えてみたいのです。(中略)残された時間を彼(カントのことー引用者)
と共にじっくり真剣に考えてみたいのです。」(中島義道「カントの自我論」p329-330)
実は、カントの「純粋理性批判」のテーマはそれなのです。
129考える名無しさん:2007/03/13(火) 21:57:37
>>126
>数百人が間違ったことを記しては成らぬ、と言う気持ちで考えた辞書

あー、これどういうことかな。
辞書っていうのは数百人が共通した意味で言葉を使えるようにするのが目的だろう?

そこに間違いとか正しいとかはない。
共通した意味で使える、ということが大事なのではないかと思うのだが。

>哲学の意味、知ってるの?
哲学の意味について、思うことは色々あるが、「正しい意味」なんてのは知らないな。
そんなものあるのかい?

重要なのは同じ意味、意図で使えてるかどうかだろう?
そのために辞書を基準にする、というのならわかるが。
130考える名無しさん:2007/03/13(火) 22:21:07
>>127
ポエマーかよ
131考える名無しさん:2007/03/13(火) 22:58:05
>>126
つまりお前は、世界が天動説を支持してたら、犬みたいに従うっつーことか。
132考える名無しさん:2007/03/14(水) 01:21:08
高校生のとき、倫理の先生のすすめでヤスパースの「哲学入門」を
読んだら、何が何だかわからず挫折しました。
133考える名無しさん:2007/03/14(水) 06:45:46
>>121です。
まずあなたが思い込んでいる「ことわり」に到達しなければならない、という考えが宗教と同じだということに気付いて下さい。
と言っても、あなたの思考からはおそらく無理ですね。
これもいくら言っても分からないでしょうが、あなたの状態を「思考停止」と言います。
おそらくあなたはかなりの長い間同じ問題に取り組み、そして答えのない状態が続いていることでしょう。
それは「ことわり」というものがあるのか無いのかも分からない状態だからです。
哲学ではそういう場合、意識的に「判断停止」をして、もう一歩踏み込んだ「問い」を見つけ出します。
「何故私は(あるいは人間は)『ことわり』というあるかないか分からないようなものを求めてしまうのだろうか」と。
「私がそう考えたかったのは、どのような契機によるものなのか」と。
このように考え進むことができるから、哲学的思考は進歩していくのです。
しかし、きっとあなたは「人類にとって大切なことだから」という意味の無いことを、
わかりづらい冗長な言葉で書き連ねるのでしょうね。

ところで>>125で言われていることですが、
辞書を引用すること自体は特に問題ないと思います。
しかし、>>126のように
>一人で考えた思い込みの記された哲学書と数百人が間違ったことを記しては成らぬ、と言う気持ちで考えた辞書とどちらが使えるかな?
このような意味で辞書を引用するなら、それはアウトです。
辞書というものが、例外なくイデオロギーに基づいて作られていることを意識しないのは浅薄と取られてもしかたありませんよ。
ましてや広辞苑を持ち出すとは。あまり辞書を使ったことがないのかもしれませんね。
ヒステリックに反応せずに、>>125さんの意見は忠告として聞いた方が良いように思います。
134考える名無しさん:2007/03/14(水) 07:03:52
また長ったらしい文章が投下されたもんだ。
「ことわり」が何かって?
んなくだらねーことで議論してんじゃねーよ。
俺ならこう言うね。

俺がことわりだ、と。
135122:2007/03/14(水) 12:51:49
>>133
>>122をもう一度、読み返して下さい。
ブッダやキリストの想いを盗用して商売に利用したのが宗教ですよ。
物事の真理を探ろうとしたブッダやキリストは宗教と無縁な存在です。
集団的自己愛に人々の心を取り込み人の人生と言う命を利用する宗教に「ことわり」を悟る術は有りません。
宗教家達が一番、恐れることは人々が「ことわり」を悟れば知能が発育し智恵が産みだされて宗教の騙しに気付かれることです。
つまり、全ての宗教は信者を失い自然消滅の道に立たされる、と言うことです。
「ことわり」を悟ることで産まれる本物の智恵は人類に希望をもたらせますが神話にバンドラが希望を箱にのこし蓋を閉めた、と言う話は御存知ですよね。
人類が本物の智恵を持てぬ訳が神話の時代に既に明らかにされていたのです。
パンドラの箱の中味は「ことわり」で、その蓋が開かれれば人は幻想の価値観から真の価値観に目覚め価値観の逆転(アルマゲドン)が始まり、人類は始めて恒久的な平和を手にすることができるのです。

次に哲学書の話ですが哲学書の全てを読み覚えても哲学とは何であるのか、と言う答も見いだせないのは事実ですね。
哲学者の誰々がこう言っています。いや誰々はこうも言っています、と他人の思いを読み覚え吹聴することが哲学ですか?
それなら聖書の第何条、、何項にこう記されています。いや教典にはこう書かれていますと言うのと変わり有りません。
そして、哲学と言う言葉の意味や愛智の意とするところ、諸学の源とされる由縁を話ても覚えたことが正しいと思い込み完全に耳を塞いでしまいます。
この様に、哲学から人の心を遠ざける哲学を哲学と認める分けには参りません。
ですから誰にも大切な哲学から人々が離れる原因は、この哲学に有るのです。

136考える名無しさん:2007/03/14(水) 15:10:18
哲学をやる人って、みんな↑こんな人ばっかりなんですか?
137考える名無しさん:2007/03/14(水) 17:25:25
>>136
んにゃ。
哲学信者と哲学者は違う。
138考える名無しさん:2007/03/14(水) 21:55:42
>>135
>宗教家達が一番、恐れることは人々が「ことわり」を悟れば知能が発育し智恵が産みだされて宗教の騙しに気付かれることです。
「ことわり」という独自っぽいものを使って説明しようとするところがカルト臭いが
「ことわり」を「全てについて疑うこと」と言い換えればこの文には同意だ。
139考える名無しさん:2007/03/15(木) 00:54:22
>>135

>>133です。長くなります、ごめんなさい。
私が書いたことから意識的にズラしているのか、答えられないだけなのか分かりませんが、
とりあえず会話を続けようと思うのであなたに合わせます。

>>122読み返してみました。
結局あなたが哲学と称しながらながら宗教屋の言葉になっていることが分かっただけです。
まず聞きますが、
>『人間として磨かれた良心が物事の理非を分かち定めることを意とする絶対無比、永遠に不変もの』
とは何ですか?
もし私がこの質問をされたらこう答えます。「思いやりの心」と。
道徳の授業みたいですね。そうです、あなたの言っていることは皆が当たり前に持つ理想なのです。
それを冗長に言っているだけです。なので、それは素朴な意味で全く否定するつもりはありません。
もしそれ以上の意味を持たせて語った言葉なら、それは間違っています。
このようなことは、殊更「ことわり」などという言葉を使う必要はありません。
(続く)
140考える名無しさん:2007/03/15(木) 00:54:52
(続き)
それと哲学的思考をする上で、神話を題材に語るのは、神話の創作自体が人間の世界説明欲求を満たす方法なので「あり」ですが、
神話を根拠に思考を進めるのは「なし」です。
どうも宗教や神話について誤解されているようですが、
神話は「物語」で世界説明をするものです。つまり説明つかないところで思考停止して、そこに「物語」を挿入して補完するのです。
しかし、「物語」は地域特性に左右されるので、信念の対立が起こります。
哲学は「抽象概念」で世界説明をするものです。「抽象概念」なら、言語・文化レベル等の諸々の差異を超えて議論が可能だからです。
宗教を否定的に語っているあなたが、結局宗教の文脈で語っていることに気付いて下さい。
議論以前の問題です。

で、突然哲学書の話が出てきたので、さっぱり文脈が分かりませんが、
前半のあなたの文自体がほかからの引用と影響の連続なのに、ずいぶん強気で弱ります。
全てのことは先人の智の積み上げであり、しかし哲学は認識の学問なので、
新たな論を展開する場合は、それらを更地にしながら、より共通了解できる「抽象概念」を見出そうとする言葉の鍛錬なのです。
哲学から人々が離れる原因は、あなたのように当たり前のことを冗長に言い、
哲学的思考をするつもりで、いつの間にか宗教的思考で語ってしまう人が多いからだと思います。
141考える名無しさん:2007/03/15(木) 12:04:43
>>140
抽象概念で話を進めるのなら御自分の思い込みと言う概念を外してお聞き下さい。
>全てのことは先人の智の積み上げであり、しかし哲学は認識の学問なので、と言う概念もです。
もちろん自分で探せなかったから「ことわり・理」とは宗教が扱うものだとか、人は「ことわり・理」を悟れぬ、等の思い込みもです。
真理の探究とは嘘偽りのない、まことのことわりを探しだすことで、そのことわりを悟れば知能が育ち、人は始めて本物の智恵を産みだせる道筋に乗ることができるのです。
>哲学は「抽象概念」で世界説明をするものです。「抽象概念」なら、言語・文化レベル等の諸々の差異を超えて議論が可能だからです。
貴方の仰る、この「抽象概念」とは万人が納得する真理を指すのでは有りませんか?
「ことわり・理」を「抽象概念」に言い替えただけですね。
哲学は正しく物事を考える頭(知能)を育てることが目的ですので考えられぬ頭で考えることが目的では有りません。
142考える名無しさん:2007/03/15(木) 12:30:46
哲学って最終的には
「これって、どういう事なんだろう、何故なんだろう」
「まぁ、自分が感じたままでおkじゃね?おまいさんにとってはそれが真実だろ?」
「そっか」
って事な気がする

太陽が地球のまわりを回ってるんじゃなく、太陽の周りを地球が回ってるって言われても
太陽だって静止してるわけじゃないんだし、銀河だって動いてるんだし
だったら地球の周りを太陽や惑星が回ってるって考えたっていいじゃまいか、とか

哲学の一番の目的は「こんな事考えてる俺カッコイイ」って事か
143142:2007/03/15(木) 12:37:02
>だったら地球の周りを太陽や惑星が回ってるって考えたっていいじゃまいか、とか

↓若干訂正
だったら地球の周りを太陽や惑星が回ってるって感じたっていいじゃまいか、とか
144考える名無しさん:2007/03/15(木) 13:10:50
電車に乗って移動している人は、電車と同じ速度で移動してるから
車内は静止していて景色が動いて見えるだろう。
踏切待ちしてる徒歩の人からは電車と電車の中の人が
動いているように見えるだろう。

地球上で地球と一緒に動いている人からは地球は静止していて
太陽や星が動いているように見えるだろう。
太陽の位置からみれば太陽は静止していて地球が自分の周りを
まわっているように見えるだろう。

さらに離れた場所から太陽系をみれば
地球も太陽も1つのまとまりとして移動しているのだろう。

俺カコイイと言う満足に行き着くのはただの中二病
考えることに楽しみを見いだし、
楽しむために考えることができることが
哲学だと私は自分勝手に定義してる。
別に哲学でなくてもかまわない。
145考える名無しさん:2007/03/15(木) 14:47:05
>>142
議論が苦手ならそれでいいんじゃない
哲学っぽくて気持ちがいいなら
146考える名無しさん:2007/03/15(木) 17:31:43
哲学が中二病って言いえて妙だな
147考える名無しさん:2007/03/15(木) 20:41:18
>>141

>>139>>140です。
本当に議論をズラす方ですね。閉口します。
次のレスでは必ずこの質問にだけは答えてくださいね。
>>139
>>『人間として磨かれた良心が物事の理非を分かち定めることを意とする絶対無比、永遠に不変もの』
>とは何ですか?
>もし私がこの質問をされたらこう答えます。「思いやりの心」と。

で、以下の言葉ですが、
>貴方の仰る、この「抽象概念」とは万人が納得する真理を指すのでは有りませんか?
>「ことわり・理」を「抽象概念」に言い替えただけですね。

びっくりです。読解力が無いにも限度があります。
なぜこれを「言い替え」と言えるのでしょうか?文章はパズルではありません。
もっと言葉は大事に使った方が良いです。
あなたの得意な広辞苑で「抽象概念」を引いてみてください。それがあなたの言う「ことわり」なのですか?
こんなことを言うようでは、やはりあなた自身が「ことわり」というものについて何も分かっていないことを証明するようなものです。
その自覚の無さに脱力します。

>哲学は正しく物事を考える頭(知能)を育てることが目的ですので
何度も言うように、こんなことが哲学の目的ではありません。
それはどの辞書に載ってますか?
148考える名無しさん:2007/03/15(木) 22:00:49
まーたことわりマンが現れたのかい?
お話の台に乗れてないことに気付いたらどうせ心の仕組みどっと込むに繋げてまた修行の旅に出るんだろ?w
その内容はさ、心のか弱い人向けなんだよ。メンヘル板とかさ。
そういう弱い人を立ち直らせてあげて、そしてお金を取ればいいじゃない。
哲学は何かとほんの少し考えればあなたもハッピー、そしてみんなもハッピーさ。
149考える名無しさん:2007/03/15(木) 22:32:42
>>147
おつむ変じゃないの?
感情論と理屈の区別もできないのかw
150考える名無しさん:2007/03/15(木) 22:50:58
>>147
議論を装って、延々ダラダラ粘着な品のない批判を続けてるお前が、

>>『人間として磨かれた良心が物事の理非を分かち定めることを意とする絶対無比、永遠に不変もの』
>とは何ですか?
>もし私がこの質問をされたらこう答えます。「思いやりの心」と。

笑止!!たんなるスレ汚しだ。さっさと消えろ。
151考える名無しさん:2007/03/16(金) 00:23:33
抽象は一切の経験や知識、思い込みに捕らわれず物事を把握する心の作用ですが、それを概念として保つ為には物事の理を悟る以外に方法はないのでは有りませんか?
>哲学は「抽象概念」で世界説明をするものです。「抽象概念」なら、言語・文化レベル等の諸々の差異を超えて議論が可能だからです。
貴方は貴方の言われる抽象概念で世界説明がきますか?

哲学の哲は道理にあかるいこと、を指しますね。そして哲学の学は学問の学が示す学び覚えることでは無く、望み、求め、希求することを意味しますね。
つまり哲学とは道理にあかるく成ることを目指すものです。
道理とは理の道ですので道理にあかるく成る為には物事の理を悟らなければ理の道にあかるく成れませんね。
次に智恵とは物事の理を悟り、適切に処理する能力、を指し人が知恵を得る為にも物事の理を悟らなければ成らないのですね。
何故、物事の理を悟ると智恵が得れるのか、と言いますと、智恵を産みだす母体の知能が物事の理を悟ると育ち始めるからです。
ここで>哲学は正しく物事を考える頭(知能)を育てることが目的です、と言った意味がお分かりですか?
智恵とは知の恵みですので知とは何かと言うことです。
知とはものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用、ですね。
理を持って物事を解する理解が知には必要だ、と言うことですね。
そこで是非・善悪を弁別する心とは何か、を考えますと理の姿が現れる、と言う分けです。
普通の場合に善悪の判断は自分の良心が行いますが、その良心は曖昧で損得や精神的な利害で直ぐに変わりますね。
これ以上は人類史との関わりまでも説明しなければ成りませんので止めておきます。


152考える名無しさん:2007/03/16(金) 00:25:42
抽象は一切の経験や知識、思い込みに捕らわれず物事を把握する心の作用ですが、それを概念として保つ為には物事の理を悟る以外に方法はないのでは有りませんか?
>哲学は「抽象概念」で世界説明をするものです。「抽象概念」なら、言語・文化レベル等の諸々の差異を超えて議論が可能だからです。
貴方は貴方の言われる抽象概念で世界説明がきますか?

哲学の哲は道理にあかるいこと、を指しますね。そして哲学の学は学問の学が示す学び覚えることでは無く、望み、求め、希求することを意味しますね。
つまり哲学とは道理にあかるく成ることを目指すものです。
道理とは理の道ですので道理にあかるく成る為には物事の理を悟らなければ理の道にあかるく成れませんね。
次に智恵とは物事の理を悟り、適切に処理する能力、を指し人が知恵を得る為にも物事の理を悟らなければ成らないのですね。
何故、物事の理を悟ると智恵が得れるのか、と言いますと、智恵を産みだす母体の知能が物事の理を悟ると育ち始めるからです。
ここで>哲学は正しく物事を考える頭(知能)を育てることが目的です、と言った意味がお分かりですか?
智恵とは知の恵みですので知とは何かと言うことです。
知とはものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用、ですね。
理を持って物事を解する理解が知には必要だ、と言うことですね。
そこで是非・善悪を弁別する心とは何か、を考えますと理の姿が現れる、と言う分けです。
普通の場合に善悪の判断は自分の良心が行いますが、その良心は曖昧で損得や精神的な利害で直ぐに変わりますね。
これ以上は人類史との関わりまでも説明しなければ成りませんので止めておきます。


153考える名無しさん:2007/03/16(金) 00:27:19
    /゛ヽ 丿     ゝ、、_ \   ̄\  |\  )、        、 i
   / ヽ | /     ヽ||iii';;=、 、 \    \| \丿 \       ||/
  /  ,| |/       `"'< `i ゛ヽ`=''  、,___,;--―'ノノ      /
 | / ヾ ||      '  ノ-,=―--_,/'/    ,i ノ
 | | |      ;       ''~  i  ( / ||ii|||""> /   / ''
 | ヽ        '          | |  ̄゛゛ ' / /ノ/
  ヽ                /   ,  |      //i
  イリガライによれば、物理固力流体遅理学の男性性にあるという。
固体は硬い男性器を想像させるので男性的だが、
流体は経血や膣からの分泌液を想起させるので女性的であり、
それゆえ軽視され、乱流理論が発達しないのだという。
  「最終学歴 東大法学部卒」・・・・


154考える名無しさん:2007/03/16(金) 10:18:43
わざわざアンカーで自分を示すならコテでも付けてろ
155考える名無しさん:2007/03/16(金) 13:41:47
だがことわり
156考える名無しさん:2007/03/16(金) 15:00:27
だれがうまいことわりを言えとry
157考える名無しさん:2007/03/17(土) 14:57:32
哲学は難しい、それに役にたたないからまた…
158考える名無しさん:2007/03/18(日) 00:53:26



2 :考える名無しさん :2006/08/15(火) 13:57:24
割 り 箸 で う ん こ を ち ぎ っ て み ま せ ん か ?


159152:2007/03/20(火) 09:33:30
>>147
抽象概念の話は終わりですか?
宗教も神話の歴史や内容も含め全てを抽象的見解から真実を見極める心を抽象概念と言うのでは有りませんか?
どうしたら物事の理を悟らずに抽象概念で物事を考査できるのか、お聞かせ下さい。

160考える名無しさん:2007/03/20(火) 10:41:05
去るものは追わず
161考える名無しさん:2007/03/20(火) 14:00:51
彼はもう来ない。
君の勝ちだ。
それで君が何を得たかは知らないが。
162159:2007/03/20(火) 15:49:49

>>161

私は彼と話し合いをして、彼の意見が正しければ受け入れる用意が有りますが勝敗
に拘る愚かな精神の持ち合わせは微塵も有りません。
しかし、その逆の場合は彼にも受け入れて戴きたい、と思い話し合いをしています。
163考える名無しさん:2007/03/20(火) 18:27:18
>>159
では代わりに私がお答えいたします。
宗教も神話の歴史や内容も含め全てを抽象的見解から真実を見極める心を抽象概念と言うのでは有りません。
164159:2007/03/20(火) 19:02:06

>>163

否定のついでに抽象概念の説明、と言う答を加えて下さると分かりやすいのですが、、
165考える名無しさん:2007/03/20(火) 20:01:17
>>162
君は彼を不快にさせ、呆れさせたみたいだよ。
それと、何が正しくて何が間違っているのかが全てわかるのなら、
君に「受け入れる」という選択肢は存在しないんじゃないかな。
ついでに、「話し合い」というものがいかに難しいものか考えたことはあるかな?
君は、彼と「話し合えた」つもりなのかな?
166考える名無しさん:2007/03/20(火) 22:27:28
>>135
「運命と功績の不一致の根拠に関する問いに満足のいくような合理的な答えをあたえうる、
そうした思想体系の姿をとったもの」(「苦難の神義論」Theodizee des Leiden)は世界の中で
3つしかない。((ウェーバー「宗教社会学論選」みすず書房pp.48-49)インドの業(Karman)の教説、
ゾロアスター教の二元論、隠れたる神の預定説(これはキリスト教)
 そして、これらの思想体系は「人々が「ことわり」を悟れば知能が発育し智恵が産みだされて宗教の騙し
に気付」いてしまうほど底が浅くない。運命と功績の不一致の根拠に関する問いは人間の生そのものから
湧き出てくるものなので、「ことわりを悟ることで産まれる本物の知恵」で解決されてしまうような浅薄な問いではない。
167考える名無しさん:2007/03/20(火) 23:10:22
独り言、俺の場合。
哲学書を読んだ最初は何が書いてあるか分からず「哲学は難しい」と思い、
次第に少しずつ分かり始めてもまだ全体像が見えないのでしばらくのうちはやはり「哲学は難しい」のだが、
やがてポンと哲学史や哲学についてのレス等を統一的に一望出来る視点を得て「哲学なんて簡単だ」と悟った気になるが、
しばらくするとその視点から見える景色がゲシュタルト崩壊を起こしたように浮遊した幻に見えてきて再び「哲学は難しい」となる。
いまここ。
168考える名無しさん:2007/03/20(火) 23:36:02

            なんでも哲学  難しい     簡単      難しい
              ┝ - - - - ┿━━━━━┿━━━━━┥
    ∩___∩   /)
    | ノ      ヽ  ( i )))
   /  ●   ● | / /
   |    ( _●_)  |ノ /   いまここクマ――!!
  彡、   |∪|    ,/
  /__  ヽノ   /´
 (___)     /
    ヽ      /
     /  /\ \
    /  /    )  )
   / /   (  \
  (_/     \_)
169考える名無しさん:2007/03/20(火) 23:37:49
>>164
鋭意検索中です。
170考える名無しさん:2007/03/20(火) 23:41:45
小説家に自殺が多い理由がわかりました。
171考える名無しさん:2007/03/21(水) 01:25:13
そもそもいかさまなんだから
真剣に取り組めばそりゃ混乱するわな
172162:2007/03/21(水) 11:51:33
>>165
不快、呆れさせた。
>>147さんの書き込みを見る限り、
思慮深い方と思われますので他の事情で書き込みされていないと思いますよ。



173135:2007/03/21(水) 12:36:17
>>166
>「ことわりを悟ることで産まれる本物の知恵」で解決されてしまうような浅薄な問いではない。
物事の理を悟れば物事の理非・善悪を明確に弁別することができます。つまり、人が長年連れ添ってきた力を崇拝し理に反する蒙昧から抜けだして物事を明確に見定めることができるのです。
蒙昧に捕らえられ自己陶酔に陥入り、物事を曖昧な判断でしか捕らえることのできたかった人の心を利用して創られた全ての宗教は人々が、その陶酔から目覚めれば自然消滅する以外に逃れる術は有りません。
>運命と功績の不一致の根拠に関する問いは人間の生そのものから湧き出てくるものなので、
この>人間の生そのもの、とは自己陶酔が産みだす数々の自我や思い込みのことを指していると思われますが「ことわりを悟ることで産まれる本物の知恵」は自我を産みだす要素も生じませんのでご心配には及びません。
人の知恵は知能が産みだされますが、その知能は物事の理を悟ることで始めて育ちます。ですから物事を智恵を産みだせぬ常態で考えるのと智恵を産みだせる常態で考えるのとでは、まるっきり違うのです。
その違いは100mの距離を目を瞑って歩くのと目を開いて歩く、位の違いが有りますので難しいと簡単の差が生まれるのです。
174164:2007/03/21(水) 12:45:32
>>163>>169
>鋭意検索中です。
知らないで先に否定したの?まずいな、
ついでに抽象概念で世界説明をするとは、を教えて下さい。
宜しく、、
175考える名無しさん:2007/03/21(水) 13:02:24
なんだこのスレw
哲学は難しすぎるじゃなくて、哲ヲタは難しすぎるだなw
176考える名無しさん:2007/03/23(金) 01:40:21
>>175
誰が上手いこといえ(ry
177E2 ◆igyenga13c :2007/03/23(金) 13:33:21
ふう、暇だから逐行お付き合いってなことをしてみるか。あ、スレの皆様、初めまして。
哲学に限らず、分析者にとっては「誰がどのような状況下において、いかような物言いをしたのか?」
ってなことも大切らしいので、初発言から固定ハンドルにて登場という暴挙、皆様には目障りかもしれませんが、ご容赦ください。
なお、改行はこちらで都合のいいように決めてしまいました。

>>「ことわりを悟ることで産まれる本物の知恵」で解決されてしまうような浅薄な問いではない。
>物事の理を悟れば物事の理非・善悪を明確に弁別することができます。

 真っ向から対立してますねぇ。135さんの「れば」以前の物言いが理解できるのであれば、
 どちらの言い分がよりわかりやすいか判断できるかもしれません。
 135さんの「物事の理を悟る」とは、じゃあ、一体どういうものなのか?

>つまり、人が長年連れ添ってきた力を崇拝し理に反する蒙昧から抜けだして物事を明確に見定めることができるのです。

 これは「れば」以前を獲得できた場合の効用ですね。
 
>蒙昧に捕らえられ自己陶酔に陥入り、物事を曖昧な判断でしか捕らえることのできたかった人の心を利用して創られた全ての宗教は
>人々が、その陶酔から目覚めれば自然消滅する以外に逃れる術は有りません。

 ええっと、宗教集団は集団としての利益を守りたいために「蒙昧」を守りたい、ということのようですね。
 
 ここまでで前半部終了。
 「物事の理を悟る」ということについては、直接説明してない。

>>運命と功績の不一致の根拠に関する問いは人間の生そのものから湧き出てくるものなので、
>この>人間の生そのもの、とは自己陶酔が産みだす数々の自我や思い込みのことを指していると思われますが
>「ことわりを悟ることで産まれる本物の知恵」は自我を産みだす要素も生じませんのでご心配には及びません。
 (続く)
178E2 ◆igyenga13c :2007/03/23(金) 13:37:48
>>177>>173へのレスです。整形している間に落としてしまいました。申し訳ないです。これはその続き。

 135さんの発言の前半部分、166さんの「人間の生そのもの」の意味するところを解釈しています。
 僕個人としては「? そういうこと言っているかなぁ?」と疑問もっちゃいますが、各人の解釈のしよう/
 されようを通してこそ、その時代精神ってなものが発露されちゃったりしてるところもあるようだから、スルーしておきます。
 ここでは、後半部分の括弧で括られた文章内に「れば」が内包されていることに、より注意を喚起しておきたい。
 
>人の知恵は知能が産みだされますが、その知能は物事の理を悟ることで始めて育ちます。

 「人の知恵から知能が産みだされる」のか「人の知恵は知能から産みだされる」のか、
 意味ベクトルの向きが逆になってしまう誤入力には、僕も含め皆さんも要注意ですね。
 「初めて」と表記されるべきところが「始めて」となっているような初歩的な微笑ましい
 誤りに比べると、自分の意図するところが誤読される可能性、非常に高まっちゃいますから。
 後半部、「物事を悟る」→「知能が育つ」。ここに隠れた「れば」があります。

>ですから物事を智恵を産みだせぬ常態で考えるのと智恵を産みだせる常態で考えるのとでは、まるっきり違うのです。

 「常態」。んーっ、日常用語で使われている「状態」の意味っぽいが、ここは哲学板だからなぁ。
 下手に「誤植みっけ」と指摘したりしたら、「専門用語も知らないのけ? ひゃひゃっ」と
 冷やかされそうだ。(悶々と悩む小心者一名)
 まあ、内容としては、「前提条件が違えば結果も違う」という当たり前のことを言っていますね。

>その違いは100mの距離を目を瞑って歩くのと目を開いて歩く、位の違いが有りますので難しいと簡単の差が生まれるのです。

 当たり前を積み重ねているわけですな。

 あらら、これでおしまいかい?
 結局、「れば」以前について、僕の理解をより進めてくれるような文章がないわけでして、
 これじゃあ、135さんの言わんとしていることが、哲学板の趣旨に沿ったような形では
 僕の頭には入ってこないわけでして……。
179考える名無しさん:2007/03/23(金) 16:56:13
E2さん
無駄話しを省きましょう。

>「物事の理を悟る」ということについては、直接説明してない。
物事とは人の心が産みだすあらゆる事象に関して、と言うことです。
理とは、道理と言うそうあるべきすじみち、正しい心の在り方を指します。
悟るとは、その道理を明らかに知る、つまびらかに知ることです。
「物事の理を悟る」ということは
人の心が産みだす全ての事象に関し、そうあるべきすじみち(道理)を明らかに知る、
と言うことですよ。
「物事の理を悟る」ことで知能が育ち智恵が産まれますが、その逆も然りです。
哲とは道理にあかるいこと、で学とは望みそして希求することを指しますので哲学板の趣旨に沿っていますよ。
人が智恵を産みだせれば、どんな難問も簡単に解けますが、智恵を産みだせなければ何事も解決できませんよ。
知能は智恵の母体ですから「人の知恵から知能が産みだされる」何て子供が母親を産む、と言う馬鹿な話はしません。
そして「物事の理を悟る」ことで知能が育ち智恵を産みだしますので物事の理を悟らずに智恵を産みだせる、
何て馬鹿なことも考えないで下さいね。
180考える名無しさん:2007/03/23(金) 18:32:38
デカルトの方法序説が簡単だぞ
あとウィトゲンシュタインの論理哲学論考も
理系ならわかりやすいと思うよ
割と簡単で楽しい学問だよ がんばれ
181考える名無しさん:2007/03/23(金) 21:46:55
そりゃデカルトは簡単だよ
基本は直感だからな
182考える名無しさん:2007/03/24(土) 00:27:23
>>173
ちょっと自己陶酔しすぎではないか。
きみは何なのか。
日常生活をきちんとできる人なの?
きみはどんな「知恵」を持っているのか。
はしはちゃんと使えるんか。
好き嫌いなくにんじんも食べるのか。
とにかく幼児のようなばかさがある。
183考える名無しさん:2007/03/24(土) 00:29:09
>>173
人間の生は思い込み?
人類の数千年の歴史を勉強したのか。
ちょっとひどすぎないか
うぬぼれすぎできもちわるいぞ。
184考える名無しさん:2007/03/24(土) 00:31:55
>>173
物事の理を悟れば、人を説得できるとか
物事がうまくいくとか思っているのか。
きみはいままでどんな生活をしてきたんか。
失敗の連続ではなかったのか。
>>173
185考える名無しさん:2007/03/24(土) 00:49:04
>>173
ライプニッツの「充足理由律」は以下のとおり
「現に生起する現象が一見いかに不可思議で理不尽に見えても、そう
見えるのはわれわれの眼や思考が限られているからであって、すべての
出来事はわれわれには知られえない無数の理由によって起こる。」
今までの歴史を見てみると、目的論的連関(われわれの意志と行動)
が客観的因果連関と常に乖離するということは、この 充足理由律 と
微小表象(人間の認識能力を超える微小な原因が連続して作用する
ことで生起する)があるからである。
ここには、人間の認識の限界を見極めた、きわめて正確な説明の理がある。

「理を悟れば」「本物の知恵」があれば、なんだって。
きみは何歳なのかな。人生は思い通りにいくことはほとんどない、という実感が
腹の底からわかれば、そんな幼稚な理屈は出てこない。
186考える名無しさん :2007/03/24(土) 01:23:23
いかん!「原因」などと言ったら、「質料」「形相」「作用因」等々の
わしらの大好きな用語が、わらわらと脳裏に涌いてきたがな!
187E2 ◆igyenga13c :2007/03/24(土) 03:43:45
>>179(=>>135)さん
>物事とは人の心が産みだすあらゆる事象に関して、と言うことです。
>理とは、道理と言うそうあるべきすじみち、正しい心の在り方を指します。
>悟るとは、その道理を明らかに知る、つまびらかに知ることです。

「あらゆる事象」というものの範囲はどの程度のものであるのか?
この範囲を規定しているものは何なのか?
何がどう「『ある』べき」なのか?
「正しい」とはなんであるのか、あるいは、どのような状態であるのか?
これらを論理的な流れの上で理解できるのか? 知ることができるのか?

このような疑問符付きの文章を巡って、知的格闘してきたのが「哲学」なのだろうと、僕は思います。
少なくとも「西洋哲学」というものはね。
そして、これらは哲学的に解決したのか、と言えば、ぜ〜んぜん、なわけです。
だから、みな、新しい道筋を模索し、様々な流派が興っては廃り、廃っては興っている状態なわけです。
なぜか? 「哲学の武器=『論理』というもので克服してみたいという知的欲求があるから」
ということなのかもしれません。これが現状なのだろうと、僕は思います。

>「物事の理を悟る」ことで知能が育ち智恵が産まれますが、その逆も然りです。

これ以降の文章、前回までより、遥かに読解しやすくなりました^^ ありがとうございます。

1.「物事の理を悟る」→「知能が育つ」→「智恵が産まれる」
逆もしかり、と書いてありますので、
2.「智恵が産まれる」→「知能が育つ」→「物事の理を知る」
という道筋もある、とのことらしい。

でも、最後のほうで第2項の道筋は「馬鹿な話はありません」と否定している。
自ら提示し、自ら強く否定している。僕にしてみれば不可思議な文章表現です。
まあ、ここに関しては前回、「文法的にどっちの方向かわからなくなる校正ミス」という指摘をした部分なので、念を押してくれたのでしょうか?

で結局、「物事の理を悟る」という前提が、論理的によく理解できないままなのです、僕には。
188考える名無しさん:2007/03/24(土) 09:57:33
>>187

>物事とは人の心が産みだすあらゆる事象に関して、と言うことです。 全てですので範囲は有りません。
>理とは、道理と言うそうあるべきすじみち、正しい心の在り方を指します。
物事の理を悟る、の理を悟るとは曖昧な自己の良心を磨き上げ心の目を開き無知蒙昧から抜けだすことです。
「あるべき」とは万人の良心が受け入れ納得できること、そう「あるべき」を指します。

全ては物事の理を悟ることから始まります。物事の理非・善悪・正誤を見極める心も
>これらを論「理」的な流れの上で「理」解できるのか?「知」ることができるのか?
この質問の論理的に理解し、それらを知ると言う理と知に通ずることも物事の理を悟ることを起源として為されます。

貴方の文章「このような」から「僕は思います」に、御自分で気づかずとも哲学に関する答が書き込んで有りますよ。
従来の哲学は、その答が自分の心の中に、自分の手の中に、目を開くと自分の目前に、有るのを気付かず遠くを見て捜していたのです。
つまり物事の理を悟れば全てが終わり、そして新しい全てが始まることを気付くに至らなかったのです。

>「物事の理を悟る」ことで知能が育ち智恵が産まれますが、その逆も然りです。
物事の理を悟らなければ知能が育たず人は一切の智恵を産みだすことができません、と言うことがその逆も然りです。

>で結局、「物事の理を悟る」という前提が、論理的によく理解できないままなのです、僕には。
もうお分かりでしょうが論理的に理解する、と言う言葉には理が二つ含まれていますが物事の理を悟らなければ理と知
に通ずる心を会得できませんので論理的に理解することは無理なことです。無理=道理のないこと、理由の立たないこと、
つまり哲学界も、この無理を通して哲学を解明しようと無謀な試みに挑戦し続けているのです。
ですが「物事の理を悟る」ことは知を望む純粋な心と聞く耳と言う謙虚な心が有れば誰でもできることです。


189考える名無しさん:2007/03/24(土) 13:26:43
精神分裂!
190考える名無しさん:2007/03/24(土) 19:15:47
とりあえず貫成人の“哲学マップ”という本を買ってみた。
今から読む。
191E2 ◆igyenga13c :2007/03/25(日) 01:26:30
>>188
う〜む、同語反復、同意反復、文脈の見通しの悪さ、推敲足らず、が満載ですね。
もう少し、読む者の身になって考えてもらえるとありがたいのですが。

>貴方の文章「このような」から「僕は思います」に、御自分で気づかずとも哲学に関する答が書き込んで有りますよ。

おお、具体的にどの部分がそうなのか、ご指摘いただきたい。

>従来の哲学は、その答が自分の心の中に、自分の手の中に、目を開くと自分の目前に、有るのを気付かず遠くを見て捜していたのです。

『青い鳥症候群』か。まあ、わからぬでもありません。

>>「物事の理を悟る」ことで知能が育ち智恵が産まれますが、その逆も然りです。

続く文章も『逆もしかり』で終わってます。
『ギャグも叱り』つけ、黙って聞いてろ、ってことなのですか?

>物事の理を悟らなければ理と知に通ずる心を会得できませんので論理的に理解することは無理なことです。
>無理=道理のないこと、理由の立たないこと、つまり哲学界も、この無理を通して哲学を解明しようと無謀な試みに挑戦し続けているのです。

でも、無理を承知でさまざまな哲学的道筋をつけようとし、
その道程でさまざまな収穫をあげてきたものもあるんじゃないでしょうか?
無謀な試みと切っちゃうのは簡単なことですがね(笑)

>ですが「物事の理を悟る」ことは知を望む純粋な心と聞く耳と言う謙虚な心が有れば誰でもできることです。

僕としては、あなたにこそ、「知を望む純粋な心」でもって語り、「聞く耳」をもって、人の意見を聞き、
「謙虚な心」でもって、改善すべきところがないかどうかを自問していただきたいのです。
これが、あなたの言うところの「物事の理を悟る」というものなんじゃないのかなぁ?
と、哲学徒の僕ではなく、人間の僕としては思ったりしているのですが。
192考える名無しさん:2007/03/25(日) 10:43:52
>>191

私のお伝えすることを、貴方が物事を論理的に理解できないからと言って、私に敵対心を燃やさずにお考え戴きたい。
論理とは思考の法則ですので、その法則(物事の理)を悟らなければ物事の全てを論理的に理解することは叶いません。
この法則(物事の理)を無視することを無理すると言いますが無理から産みだされる物の全てはゴミの山です。

>>187の哲学に関する記述は的を得ていますが、自分の言葉を翻した
>でも、無理を承知でさまざまな哲学的道筋をつけようとし、
>その道程でさまざまな収穫をあげてきたものもあるんじゃないでしょうか?
>無謀な試みと切っちゃうのは簡単なことですがね(笑)
この書き込みは戴けませんね。
この言葉を、もっと素直にお聞き取りに成って下さい。
「物事の理を悟る」ことは知を望む純粋な心と聞く耳と言う謙虚な心が有れば誰でもできることです。
193E2 ◆igyenga13c :2007/03/25(日) 12:11:23
>>192
>私のお伝えすることを、貴方が物事を論理的に理解できないからと言って、私に敵対心を燃やさずにお考え戴きたい。

「「敵対心」? もし、このように受け取られているのなら、心外です。
まあ、「敵愾心」と言いたいのだろうと判断した上でのことですが。

> >>187の哲学に関する記述は的を得ていますが、自分の言葉を翻した

何も「翻して」はおりません。
ちと「無理」ってのを勇み足で使ってしまったかな? とは思ってましたが(笑)
「知的格闘」というからには、少々虚をつくことも必要になってきますから。
(と、これもちと無理気味か^^;;)

>「物事の理を悟る」ことは知を望む純粋な心と聞く耳と言う謙虚な心が有れば誰でもできることです。

このようにおっしゃられる地平に、あなたはどのようにして、いかにして到達したのか?
どのような人生経験をされ、いかなる思考、実践でもって到達されたのか?
これをお聴きしたいのです。何度も何度も尋ねているのです。

文字表現空間である2ちゃんねる、そのなかでも「論理的思考」を重視するとされる哲
学板にあなたは舞い降りた。となれば、われわれに了解可能な形で、あなたなら平明
に語られうるのではないのか、語る義務があるのではないか、と考える次第です。
194考える名無しさん:2007/03/25(日) 12:31:50
=でむすばれて
Y=X(α)という関数式で表されるものが物理
哲学は法則が無い 好き勝手に概念も語法もレイプし放題
理解できないのは正常な人間であれば当然
理解できるといってる人間がダウト
ウィトゲンシュタインを読め
195考える名無しさん:2007/03/25(日) 13:45:14
何ここ。いい加減、くだらねぇ議論なんかやめちまえ。
他人と議論する暇あったら図書館に行って本をかたっぱしから読めよ。
馬鹿を相手にしてても時間の無駄だろうが。
196考える名無しさん:2007/03/25(日) 13:47:02
っつーと、そういうお前もこんなところに書き込んでる暇があったら本読め、
っていう奴がでてくるんだろうな。
さて、ではまた読書にでも戻るか。あばよチンカスども。
197考える名無しさん:2007/03/25(日) 17:15:53
>>193

互いに互いを高め合う為の話し合いの場で「知的格闘」と言う言葉はそぐわないと思いませんか?
「論理的思考」を重視するとされる哲学板で有るなら「論理的思考」ができる体制「物事の理を悟る」ことが必要ですね。
「理」抜きで「論理的思考」ができますか?ご飯無しの茶漬けですか。それも面白いですね。
198考える名無しさん:2007/03/25(日) 18:59:10
互いに互いを低め合う為の話し合いの場だろ、ここはw
199E2 ◆igyenga13c :2007/03/25(日) 19:31:35
>>194さん
物理にせよ、哲学にせよ、科学といわれるもの全て、「=」で結べるようにしてきた
/しようとしてきた歴史というものがあるんじゃないでしょうか? 理解できないも
のを、どうすれば理解できるように仕立て上げられるのか、という歴史もあると思い
ます。物理は「=」で結び付けやすい対象があった、哲学はそうじゃない、ってこと。

僕は「理解できる」と断言しているわけではありません。「理解しようとする、理解
できるようにする、理解できるようになりたい」という「能動性」を持っているだけ
です。これを「ダウト」といわれることはないと思いますが。

>>195-196さん(同一人物と判断させていただきましたが)

最初の発言、>177にて「暇だから」と断り書きしてますよ、俺(笑)
本を読む気にもなかなかなれない時ってあるでしょ?
課題提出しなきゃあかん、てな切羽詰まった状況でもないですしね。

>>197さん
いまさら、上品ぶっても駄目ですよ(笑) 俺にせよ、>135=>197さんにせよね(笑)
「知的格闘」ってな言葉使ってますが、ガリガリと言葉をぶつけ合い、お互いの立脚
点をより明らかにしていく作業をしている、という意図をもってこの言葉を用いてい
るわけで、僕の中ではイメージ合うんですけどね^^;

>>194さん >ウィトゲンシュタインを読め
>>197さん 「物事の理を悟る」
ウィトゲンシュタイン、『論考』じゃ「論理」を言語でもってあれこれすることに限
界を示したってことでしょ? その限界でがつんとぶつかったもの、それをどう語っ
ていけばよいのか、ってのが『論考』以後の彼の課題だってことだと思います。
「論理」を論理たらしめているものはなんなのか。ア・プリオリとか先在性とかいう
んでしたっけ? 共通理解しあうためには「論理」の共有があれば楽だが、じゃあ、
俺らはア・プリオリに「論理」を理解し、共有しているってことになるのか?
「物事の理を悟る」論者、この鵺的に逃げ回るものをガチリと押さえ込み、そこに
「=」らしきものがもし見えたとしたらラッキーなわけ。どうせ暇つぶしなのだし(笑)
200考える名無しさん:2007/03/25(日) 20:29:21
とりあえず理系=利口じゃねぇんだよ
201考える名無しさん:2007/03/25(日) 22:01:07
一度読んで解らなくても、数年たって読んでみる
と解ったりする。
202考える名無しさん:2007/03/25(日) 22:28:55
>>199

「物事の理を悟る」ことは知を望む純粋な心と聞く耳と言う謙虚な心が有れば誰でもできることです。
ですから>どうせ暇つぶしなのだし(笑)、と言う方には物事の理を悟るとは遠いい存在ですね。
203E2 ◆igyenga13c :2007/03/26(月) 02:48:56
>>202
>「物事の理を悟る」ことは知を望む純粋な心と聞く耳と言う謙虚な心が有れば誰でもできることです。

相も変らぬお題目を唱え、まるで「悪霊退散!」と念じられてているかのようだな(笑)(笑)
しかし、そのお題目自体が悪霊を呼び寄せていることに気がつかれないとは哀れなり。

>ですから>どうせ暇つぶしなのだし(笑)、と言う方には物事の理を悟るとは遠いい存在ですね。

相手の意図を読むという作業、僕が何を目論んでレスを付けているのか、あなたは自ら
何を言わされているのか。こういったことに思いも馳せられずに、何で「物事の理を悟る」
資格云々を発言できるのだろう?

僕の意図は簡単。スレタイへの反論、「哲学なんて難しくない」ということを示す。辞書的
にではなく、レスの応酬という形で、専門用語を使わずに。少なくとも日本語が通じる同
時代人になら、僕の意図が伝わるんじゃないか、と僕が思える方法でさ。

成功しているか、失敗しているかは、僕の関知できるところではないんだよねぇ、これが。
ま、成功してりゃあ気持ち良いけど^0^
204E2 ◆igyenga13c :2007/03/26(月) 04:08:44
>>203
ああ、もちろん、>>175-176の前振りを受けて、劇場型に登場しちゃったわけだけどね(笑)(笑)
あ、自演じゃないから、って言ったって、この点は信用してもらうしかないが(笑)(笑)
205考える名無しさん:2007/03/26(月) 16:10:11
E2さんへ エクセレント君はエクセレントだよ 僕は194ね
哲学はイージーなんだよ ベリーベリーね そして素晴らしく楽しいものだ面白いものだよ
わかりやすくて面白いんだ素晴らしいんだ 
「ウィトゲンシュタイン、『論考』じゃ「論理」を言語でもってあれこれすることに限
界を示したってことでしょ? その限界でがつんとぶつかったもの、それをどう語っ
ていけばよいのか、ってのが『論考』以後の彼の課題だってことだと思います。
「論理」を論理たらしめているものはなんなのか。ア・プリオリとか先在性とかいう
んでしたっけ? 共通理解しあうためには「論理」の共有があれば楽だが、じゃあ、
俺らはア・プリオリに「論理」を理解し、共有しているってことになるのか? 」

イエス ここで君と僕がウィトをどの程度理解してるかは問わないがこの方面に嗜好が向かう人にはこれにもお勧めがある
「クリプキ」だ 「クリプキ」を読みたまえ そして沈思黙考し自家薬籠中のものとしたまえ
「哲学は難しすぎる」?ノー ノー ノー オーマイゴッドだ
E2さんのような明晰な人間が生まれるのは哲学があればこそなんだよ!
デカルトを読んでウィトゲンシュタインを読むそして考える・・・・・すると・・・ 
その時ある知性が忽然と目の前に現れる・・・・・・・・・・・・・・
「アルキメデス」だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「アルキメデス」・・・・・・
「アルキメデス」「アルキメデス」「アルキメデス」「アルキメデス」「アルキメデス」
こっからが難しいんだ・・・・・「アルキメデス」・・・何故彼のような発想を人類が
持ちえたのか?・・・・・・「アルキメデス」よ・・・お前が憎い・・・
206202:2007/03/26(月) 17:59:50
>>203

専門用語は哲学のって意味?
智恵とか知能って言葉も駄目なのかな?日本語の意味にも関われないのなら会話も成り立たないよ。
つまりイヌとネコとニワトリがめいめいでワンワン、ニャンニャン、コヶコッコーって騒ぐのと一緒だよ。
例えば、智恵は智の恵みで知の恵みは知の能(はたらき)と言う知能から産みだされます、よね。
これも辞書的で駄目な分け?辞書で智恵は物事の理を悟り、適切に処理する能力、と記されているけどね。
貴方は言葉の意味を言われると不合理が暴露するので悪霊なんて言葉で逃げているんでしよ。

智の能を促すには知能を育てなければ成りませんね。智能を育てるには物事の理非・善悪を明確に弁別する心、
つまり物事の理を悟ることが不可欠と言う順番が有るのですよ。
ご飯を炊くのにお米がいるよ、って言ったらそんなデタラメを言うお前は悪霊に取り憑かれている、
って言われたんじゃかなわないな。

207考える名無しさん:2007/03/26(月) 22:08:31
哲学自体が難解なのではなく、その対象(この世界)
そのものが人間の思考では捉えきれない、可視化しきれない、
認識しきれない、共有しきれない、事にあるからだよ。
208考える名無しさん:2007/03/26(月) 22:08:51
【ゴールデンレス】
  ∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩  このレスを見た人はコピペでもいいので
   〉     _ノ 〉     _ノ10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
  ノ ノ  ノ  ノ ノ  ノそうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
  し´(_)   し´(_) 出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
209E2 ◆igyenga13c :2007/03/27(火) 03:36:09
>>205
>194さん サンキュー^^
あの発言は釣りだったのか(笑)
釣り甲斐があったようで何より(笑)

>>206
『智恵』にせよ『知能』にせよ、哲学界で専門用語としての意味付けがなされている
のならば、僕はその意味合いで使用してはいませんし、そのような意味合いで理解し
ようともしていません。そもそも「専門用語としての意味付け」がなされているのか
どうかも知りませんしね(笑)

>つまりイヌとネコとニワトリがめいめいでワンワン、ニャンニャン、コヶコッコーって騒ぐのと一緒だよ。

ここなのです。大雑把に言ってしまえば、言語哲学が問題にしているのはここのこと
なんだろうと、僕は思います。人間それぞれが勝手に意味不明の言語を喋っているわ
けではない。「なぜ、『意味』が『意味』として成立し、お互いに『意味』を了解し
あい、それに反応しちゃえるのか?」

>ご飯を炊くのにお米がいるよ、って言ったらそんなデタラメを言うお前は悪霊に取り憑かれている、って言われたんじゃかなわないな。

「その米はどこの米?」と尋ねているだけなんですけどね。美味しそうだから(笑)
でも、教えてくれないから、リンダ、困ッチャウ状態なんでしてね(笑)

>>207
>哲学自体が難解なのではなく、その対象(この世界)
>そのものが人間の思考では捉えきれない、可視化しきれない、
>認識しきれない、共有しきれない、事にあるからだよ。

「できる限り可視化したい、認識したい、共有したい」という意思。これがニーチェ
の「力への意思」ってことじゃないの? 鼻から諦めてどーすんのよ^^;
難解なパズルだからこそ解きがいがあり、ましてや誰かが創ったものではない(とさ
れている)この宇宙というパズル、はまったら中々抜け出せないものなのです(笑)
210考える名無しさん:2007/03/27(火) 04:26:28
>>147です。
ご無沙汰でした。
レスしなくなったのは、私と議論めいたことを交わしていた方が
全く言葉の意味を履き違えている文章を並べ立てるので、面倒になったからです。
あと年度末で仕事が忙しくもなったので。

私自身、別に自分の知性にものすごい自信があるわけではありませんが、
>>141さんには、どんなに言っても理解できないのだろうという>>141さんの知性の限界が見えてしまったので、
もうあきらめるしかありませんでした。
やはり知性を高めるのはキャッチボールが成立するのが前提なので、もううんざりです。
勝ち負けで言えば、完全に私の勝ちなのですが、それもきっと理解されないので、どっちでもいいです。
そちらの世界で頑張ってください。
また気が向いたら書き込みに来ます。
211E2 ◆igyenga13c :2007/03/27(火) 05:38:00
>>209 訂正
誤> でも、教えてくれないから、リンダ、困ッチャウ状態なんでしてね(笑)

正> でも、教えてくれないから、リンダ、困ッチャウ状態だったのでして(笑)
212考える名無しさん:2007/03/27(火) 06:30:58
194ですE2さんへ 釣りではありません!真剣です!! 物理=サイエンスというのが米での一般表現なのでスイマセン 
ここでは哲学界の永遠のアイドル「真理探究」に説明のため登場して頂きます
デカルト「方法序説」を読めば彼が中世のスコラ哲学という世界のなかでどのように真理を探究しようと
したか知る事ができます 教会によって自由な考え方が制限されていた時代だったのです 異端は迫害を受け現代のように自分の考えを発表するのは命がけでした
哲学をする上でデカルト的態度を学ぶことは重要です まず生存が哲学の前提条件になりますからね 日常性生活との関連で真理探求を
語るうえでこの上ない教訓と崇高な知性の発現をとらえる事ができます 哲学の意志と生存のためのストラテジーがあります
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」は言語との関連で真理探究を語る上で外せない重要な知見です
ここではさらにメタなレベルで言語と向き合う要請がなされます 言語とは何かが重要な主題になります 言語そのものが思えば何を伝達してるのか?
「真理探求」という語句と使用者の関連が重要になります ここに我々は哲学ではなく言語の限界を見ます 言語がそもそも厳密に考えると何を指示してるのかわからないのです 
言語を使用した思考では我々の言語世界の限界がそのまま我々の世界への理解の限界になります
次にクリプキです ここでは残念ながら「真理探究」ちゃんは登場しません スキャンダルが発覚し哲学界から引退してしまいました 
しかし地下アイドルになって個人で応援してる人はいますし それは素晴らしい事です
クリプキにおいては論理理解が主題です 言語とそれを用いた文章においてどのように論理を人間が取り扱ってるのか
共通の前提があるのか?人類に同じように先天的な理解力があって理解してるのか?どなような論理的な文章でも初見で論理的に理解できる
理解力を持ち、しかもそれが何によってもたらされる「理解してると自分で了解できる」状態なのか理解できるのか?
これも実はそんな前提とよべるものは無いのです 社会で生きていく過程でおよそそうであろうという他者からの承認を得てきただけの事です 
E2さんのような明晰であろうとする人物こそ社会で生きる=哲学する友とすれば困難な事はありません むしろ楽しいものだと思います
213E2 ◆igyenga13c :2007/03/27(火) 06:59:11
>>205にかこつけての言葉遊び

「アルキメデス」のジェームス・ジョイス風発想法(柳瀬尚樹流)

1.分解
アル=有る、在る、或る
キメ=決め、木目、極め、キメラ、ガメラ、ゴジラ
デス=death、ですます体、これはデスクです
アルキ=歩き、春樹、アルミ、ある意味
メデス=愛です、飯島、直子、林葉

2.同意変換
有る→有、在る→存在、或る→任意
決め→決定、極め→極限
death→死/滅、ですます体→認識
ある意味→有意/存在意味/任意
愛です→愛

3.シャッフル及び造語、任意の意味付け
存在決定認識 → デカルト「我思う、故に我在り」

4.出版
『アルキメデスの秘密! 〜隠されたデカルトの謎とは?〜』

増刷につぐ増刷で大儲け^0^
こーして僕は平和になった(笑)(パクリby太田総理)
214考える名無しさん:2007/03/27(火) 08:32:22
>>209

>哲学自体が難解なのではなく、その対象(この世界)
>そのものが人間の思考では捉えきれない、可視化しきれない、
>認識しきれない、共有しきれない、事にあるからだよ。

この話にニーチェで誤魔化してどうすんの?

きれない、全ての原因は智恵がないからでしよ。

ご飯を炊くのにお米がいる。
問題を解くには智恵がいる。
問題が起こすのは智恵がない。

215141:2007/03/27(火) 08:44:08
>>210
>哲学は「抽象概念」で世界説明をするものです。「抽象概念」なら、言語・文化レベル等の諸々の差異を超えて議論が可能だからです。
「抽象概念」
216考える名無しさん:2007/03/27(火) 08:55:31
194です E2さん面白い!しかし言葉遊びはそのぐらいにしよう 
さらにその先アルキメデスの恐ろしさを知りたいかな? 天才の真髄を知りたいかな?
人間の思考に重大な方向性を形づくり 人類の知性の巨大なルートをつくった人間の作為に震えたいか?ゆこうか
論理命題「〜〜は〜〜である」 これが普通の人間だ 生きる人間だ
何もおかしくない これでよかった これだけでよかった ここで終わり 完成だ 文句ない
目の前の現象ついて語るとき これでよい その場の数人の間もしくは一人で了解された認識がある パーフェクトだ
しかし天才アルキメデスはとんでも無い事を言い出した
論理命題「全ての〜〜は〜〜である」 ??????????????????
はぁ?? 「全ての」!!!!「全ての」!!!!!!!はぁあああ????「全ての」?
「全ての円の中心を通る線は円を等しく二分する」!!!!!!!!!!!!何を言ってる?全てとは何だ?
ここに普遍が生まれる かくしてユニバーサルという悪魔が誕生する 世界中の全てのカラスを
集められない人間は絶望する 見たのか?確認したのか?実際線をひいたのか?
ここに普遍と特殊は対立し続ける命運が決まった
全ての人間は普遍概念と特殊概念を操作する運命となった
「私は人間である」「人間は死すべき運命である」「全ての生物は死すべき運命である」
もうここには論理の問題では扱えない理解の仕方が拡がるざるを得ない 当たり前だ「全ては」超越的な絶対者が
知覚できる領域だ(いるとしたら)=人間の思い込み となる
「哲学は暇つぶしである」 ユニバーサルを巡っての全人生をかけての美学的対決があるのだ
まずは普遍の旗を立てる(これは仮説 定理 またはフィクション)そこに特殊概念を
わんさかしょった戦士がやってきて戦う 隙あればその旗すらへし折ってしまう
アルキメデスは我々に素晴らしいゲームを用意した 「アルキメデスは神かもしれない」
数学のノーベル賞であるフィーールズ賞の記念コインには今もアルキメデスがいる


217141:2007/03/27(火) 08:56:42
>>210
「抽象概念」と自分で説明の付かない言葉を使って困ったんでしよ。
理非で賄われる人類社会の何事にも捕らわれず、全ての事象を精査する。
つまり、己の心を理非から理に切り換えなければ「抽象概念」で物事を語ることができませんよ、と言っているのです。




218考える名無しさん:2007/03/27(火) 09:43:06
>>141
>>163ですが、再び私が説明いたしましょう!
>>140の言っている「抽象概念」とは万人が納得する真理を指すのでは有りません。
あなたの言う「ことわり・理」を言い換えただけでもありません。
219考える名無しさん:2007/03/27(火) 09:46:54
>>174
大丈夫です。心と概念が異なることだけ分かっていれば問題ありません。
220考える名無しさん:2007/03/27(火) 09:49:48
「抽象概念で世界説明をするとは」については、広辞苑を引いてみます。
221考える名無しさん:2007/03/27(火) 09:51:51
ちょ194ですwwwwwwww!!
みなさん!! 落ち着いて!!
>>212を読んでください!そして>>216も読んでください!
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwみなさん!!スルーしないでwwwww

222考える名無しさん:2007/03/27(火) 09:53:55
すべてのカラスはカラスである!
223考える名無しさん:2007/03/27(火) 09:55:41
ちょwwwwwwwwwwなんかキタコレwwwwww
トートロジー俺も好きだけどwwwwwwwwwwwwwwwwww
俺の頑張りwwwwwwwwww無駄wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
224考える名無しさん:2007/03/27(火) 10:04:36
>>223
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵。∴∵
∴∵∴∵:。∴∵∴∵∴: --─- ∴∵∴∵∴∵∴∵
∴∵゜∴∵∴∵∴∵  (___ )(___ ) ∴∵。∴∵∴∵ ゜
∴∵∴∵∴:∵∴∵_ i/ = =ヽi ∴∵∴∵。∴∵∴
∴∵☆彡∴∵∵ //[||    」  ||] ∴:∵∴∵∴∵:∴∵
∴∵∴∵∴∵ / ヘ | |  ____,ヽ | | ∴:∵∴∵∴∵:∴∵
∴゚∴∵∴∵ /ヽ ノ    ヽ__./  ∴∵∴∵:∴∵∴∵
∴∵∴∵  く  /     三三三∠⌒> ∴:∵∴∵:∴∵
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∵∴∵∴∵
   ∧∧   ∧∧  ∧∧   ∧∧
  (   )ゝ (   )ゝ(   )ゝ(   )ゝ ムチャシヤガッテ・・・
   i⌒ /   i⌒ /  i⌒ /   i⌒ /
   三  |  三  |  三  |  三  |
   ∪ ∪  ∪ ∪  ∪ ∪  ∪ ∪
  三三   三三  三三  三三
225考える名無しさん:2007/03/27(火) 10:12:38
194だ お前らもーいいよレベル低すぎ
俺の哲学についての考察は凡人には理解できない あいぼんなら可能
引退した地下アイドルを勝手にレイプしたり片思い続けたり好きにしな
226考える名無しさん:2007/03/27(火) 10:15:54
読みました。
227141:2007/03/27(火) 10:54:10
>>218
否定するならば「抽象概念」とは何かを分かりやすく説明するのが礼儀でしよ。
それは違いますよ、「抽象概念」とは、こうですよ、とね。
「抽象概念」の説明は貴方の知性の限界を超えているのなら、素直に言えばいいでしよ。
228考える名無しさん:2007/03/27(火) 13:29:40
全ては決定されている、と言ってみる。
でたらめに対する一部の成果が秩序である!
229救急車:2007/03/27(火) 13:32:18
でたらめを自由とするか、不自由とするかは自由である。(,,;д;)オオォ
230考える名無しさん:2007/03/27(火) 13:36:01
いめーじは具体的である。
231考える名無しさん:2007/03/27(火) 16:07:47
>>220
抽象概念とは人類が捕らえられている理非の概念から抜けだし、理の概念から過去、未来、現在の全てを考査し
世界を説明することですので広辞苑でも乗っていませんよ。
232考える名無しさん:2007/03/27(火) 19:13:51
194です
>>226どうですか?質問とか無いですか?何でも答えますよ

233E2 ◆igyenga13c :2007/03/27(火) 19:37:47
あらら、>194さん、>>212:06:30:58、>>216:08:55:31 までは、まだどうにか冷静
を保っていられたようだが、約1時間後から始まる >>221:09:51:51、>>223:09:55:41、
>>225:10:12:38との発言、急激に燃え上がった気持ちを抑えきれず逝ってしまわれ
たらしい。準コテハン「194(いくよ)」と名乗っていたことを鑑みるに、この事
実を軽く見ていた自分に腹が立つやら、敏感すぎるのも罪だなぁと思うやら。

しかし、逝かれたのは僕がレスをつけられなかったからだろうか? >>212 を興味深
く読ませていただき、ここはじっくりと考えどころだなぁと思いつつ、>>213「アル
キメデス」なんかを思いつきついそっちに夢中になってしこしこやってレスあげてみ
たら、>>212と畳み掛けてきていたのに気づいたが、なんせおいらも人間、「全ての
人間は睡眠が必要である」、「全ての人間は何らかの事情によりネットから離れざる
を得ないときがある」という命題に支配されちゃってるわけでねぇ。あ、これらの命
題、少なくとも僕にとっては「真」であるのだが、はてさて「全て」をつけても成り
立つものなのやら、僕の見通しとしては成り立つだろう、という予感があるに過ぎな
いわけなのだけれども。

「物事の理を悟る」論者さんの非を指摘する人は多いように見受けられる。頑迷でな
かなか受け入れてもらえないことにカリカリするやら、呆れ果てるやら、うんざりす
るのやら、揶揄しまくるのやら、これが2ちゃんの宿命さと諦観している者やら……。

(続く)
234E2 ◆igyenga13c :2007/03/27(火) 19:39:15
>>233
僕が炙り出したいのは、彼の価値判断基準というものであった。「謙虚な心」という
言葉の持つイメージ、どっか「きれいごと」の範疇に僕のクオリアは受け止めてしま
う。そして多分、このスレに登場した考える名無しさん達も。
「『物事の理を悟る論者』さん、あなたは『きれいごと』という価値判断に纏われ憑
かれているよ」と、多くのクオリアは忠告を発していたのだが、いかんせん、直接言
えるわけではない。人間の思考回路、発話回路を通してそれらはなされ、その時々の
感情により変形され、幾種もの物言いの仕方で発せられる。

「きれいごと」という価値判断を自ら下していることに気づかぬ論者さんは、自らの
「純粋な思い」というものがどうして伝わらないのかに悩み惑い、それでも純粋な思
いなのだから繰り返し繰り返し訴えることで何時の日かは通じることがあるだろうと、
挫けそうな思いを奮い立たせているのだろう。

しかし、彼のクオリアは逆の行動をとり、彼に発話させる。
>>214 この話にニーチェで誤魔化してどうすんの?
>>217 「抽象概念」と自分で説明の付かない言葉を使って困ったんでしよ。
>>227 否定するならば「抽象概念」とは何かを分かりやすく説明するのが礼儀でしよ。

これらの発言に毒を感じるのは、僕だけでは(多分)ないだろう。「きれいごと」と
いう価値判断に纏わり憑かれていることに気づかぬことに、彼のクオリアは警告を発
している、という風に僕は解釈してみると、すんなりくるんだな、なぜか(笑)

もちろん、以上は俺なりの分析でしかなく、真理というものを探求したものでもない。
物語でしかない。俺自身の持つ気づかぬ価値判断に惑わされている可能性も否定でき
ない。しかし、それでもこのスレにあげるのが妥当であろうと僕は判断し、実行した
までである。これこそが「意思」。他人の介入を恐れることなく貫く能動性なのだ。

おお、アップしようとした直前、>>232で194さんが帰ってこられた^^
やっぱり、逝ったきりってのはないんだな(笑)
おかえりなさい、194さん
235E2 ◆igyenga13c :2007/03/27(火) 19:52:56
>>233 参照番号の訂正
誤 しかし、逝かれたのは僕がレスをつけられなかったからだろうか? >>212 を興味深
  く読ませていただき、

正 しかし、逝かれたのは僕がレスをつけられなかったからだろうか? >>205 を興味深
  く読ませていただき、
236E2 ◆igyenga13c :2007/03/27(火) 23:12:48
194さん。

>>216(句読点の追加、表記上の些細な誤りは訂正してあります)
>もうここには論理の問題では扱えない理解の仕方が拡がるざるを得ない。
>当たり前だ。
>「全て」は超越的な絶対者が知覚できる領域だ(いるとしたら)=人間の思い込み
>となる。

そう、この通り。そして、君が求めているだろう「答え」は出ているんじゃないか?
「全て」とは思い込みだと。「全て」という「神」からの脱却。これこそが、今、僕ら
がなすべきこと。

「全て」の効用はある。こう仮定することにより、物事が単純に捉えられうる、とい
う効用。思考/現実への適用、応用が簡単になるわけだ。
さまざまにある特殊状態を任意の価値基準からまとめ上げてしまい、そこに「全て」
という性質を持たせたとしよう。「さまざま」の範囲はその価値基準を定めた人の判
断で行われうる。そして他の批判を取り込み、適用範囲を広げていく可能性を持たせ
ておけば良い。決定的な反証があがった時点で、価値基準を定めた人の判断が誤って
いたことになる。価値基準を定めるのはある特定の個人である必要はない。その価値
基準を受け入れた諸個人、諸社会も同様である。

判断が誤っていたからといって、じゃあ、それまでに積み上げてきたもの全てが駄目
になるのか? んなことはない。科学の世界においてはそれまでの常識とされたもの
がひっくり返されたことなんて日常茶飯事じゃないか。
(この文章内において用いられている「全て」が前段落で僕が言及しておいた「『全て』
の効用」である)
237E2 ◆igyenga13c :2007/03/28(水) 00:43:16
194さん

>>212(前発言同様、整形済み)
>クリプキにおいては論理理解が主題です。
>言語とそれを用いた文章においてどのように論理を人間が取り扱ってるのか。
(中略)
>これも実はそんな前提とよべるものは無いのです。
>社会で生きていく過程でおよそそうであろうという他者からの承認を得てきただけの事です。

これも答えそのまま、書いているではないですか。正に、他者の論理を自分が承認し
受け入れ/受け入れず、自分の論理は他者からの承認を得て/得られずにきただけ。
人間の歴史を紐解けばこれの連続/不連続が手にとるように見えます。

そして、大多数の者が承認しあったひとつが「論理」であり、共通理解しあっている
との前提で「言語」が成立している。これは「論理・言語の絶対性」という「神」か
らの脱却。「論理・言語の相対性」と言えば通りがいいかもしれませんね。

「じゃあ、俺は俺の論理で行く、俺独自の言語で行く」という者が現れることも何ら
不思議ではないし、あって当たり前のことです。ただ、完全に「my論理、my言語」
が成立しているのか? というと、不完全な例しか見たことないなぁ。

238考える名無しさん:2007/03/28(水) 09:53:28
論理や理解・理性の理とは法則ですので多数決と言う曖昧で決められる理は何一つ有りません。
そして理は知の源ですので物事の理を悟らずば人の知能が育たず一切の智恵を産みだせない、と言う法則も有ります。
この智恵不足が人類に理非的歴史、矛盾の繰り返しをもたらす、と言う理に叶う由ですな、、
239考える名無しさん:2007/03/28(水) 10:01:42
少し思考すれば「理系」などというものは存在しないことが
わかるので「理系の俺」も存在し得ない。
そうとわかれば「理系の俺」という前提を信ずる人間が、
哲学だけでなく、あらゆる面で、認識力・理解力が弱いこと
が自明となる。
さすれば、>>1は哲学に限らず、科学から美術まで、世界の
あらゆる分野の書物を読んでも真に理解することはできまい。
240考える名無しさん:2007/03/28(水) 12:38:50
>>238
人間の理解の仕方自体に法則はありませんよ!
この世界は不可知世界ですのです!!
何事も根元にさかのぼると何もないのです
だから創造する必要があります
そしてその時に知恵が必要なのです
241考える名無しさん:2007/03/28(水) 12:39:55
しかし、大学生の時、哲学科の友人は何人もいたが、みんな普通の感じのいい人ばっかりだったな。
これまで延々と書かれているようなことは全く言わなかったし、哲学に関して質問すると、専門用語を
極力使わないように気をつけながら平易に説明してくれたし。
このスレに延々と書き込みしている人って、哲学をきちんと勉強した人って感じが全然しないんだなあ。
このE2とかいう人って、ただの哲学ヲタで、哲学をきちんと勉強した人からすれば、哲学を誤解させる
迷惑な人間ということにならないのかな。

まあ、哲学が専門でなかった素人が口を出すなと言われればそれまでだけどね。
242E2 ◆igyenga13c :2007/03/28(水) 14:48:30
>>238
>論理や理解・理性の理とは法則ですので多数決と言う曖昧で決められる理は何一つ有りません。

「多数決」なんて、僕はひとっことも申してませんよ? 多くの人が受け入れてきた、
承認した、というニュアンスでは確かに語っておりますが、「多数決」により、否認
する者達への強制力の行使というようなニュアンス、う〜ん、どっかにありますかねぇ?

>>241
うらやましいですねぇ、そういう方々を友人に持たれて。僕にもいてくれたら、どん
なにありがたかったことか。
僕自身は、哲学ヲタにもなりきれていない、しかし、なんかしらこの方面に対する興
味だけは持ってしまっている、という者です。もし、僕が理解していると思い込んで
しまっている誤解があるのなら、そして、その誤解を解いてくださる方が舞い降りて
いただけるのならば、僕は感謝こそすれ、そして、どんな目に会おうともかまいはし
ません。

>まあ、哲学が専門でなかった素人が口を出すなと言われればそれまでだけどね。

んなこと、2ちゃんで言える者がどこにいるんだろ、ってな感じ? 
多くは素人の集まりじゃないですか、元々。それに、あなた自身も言っているじゃな
いですか。

>しかし、大学生の時、哲学科の友人は何人もいたが、みんな普通の感じのいい人ばっかりだったな。
>これまで延々と書かれているようなことは全く言わなかったし、哲学に関して質問すると、専門用語を
>極力使わないように気をつけながら平易に説明してくれたし。

こういう友人のような方が、2ちゃんにいないとも限らない。

あ、一言申し上げておきたいことがありますが、「延々と」について。たかがこの程
度のレスの応酬量が「延々と」でしょうか? あなたが友人との会話においてやり取
りしたであろう情報量に比べれば、屁の河童じゃないかなぁ? と僕は想像してしま
います。
243考える名無しさん:2007/03/28(水) 14:48:32
>>241
学校で学ぶ哲学は「考える」ではなく「覚える」だからな。
本気で哲学に打ち込もうとする人間は大学には行かないだろ。
むしろニートや河原の人達のほうが哲学者は多いと思うぞ。
244考える名無しさん:2007/03/28(水) 15:13:48
>>240
貴方には残念なことですが人の心にも例外はなく、全ては理と言う法則に依って賄われています。
その理を悟ると不可思議なものは何もなく、その逆は全てを理を以て解することができず不可思議に覆われることに成ります。
全ての根っこは、この法則の空間です。
本物の智恵とは物事の理を悟ることで知能が育ち、知能を母体として智恵が産みだされます。
偽物の智恵は物事の理を悟らぬ為に知能が育たず、物事の理非・善悪の弁別もできずに考えだされた正誤の不明な答です。
この根っこを辿ると、理に抗う心を理に準ずる心に自分の意志で切り換えれば誰でも簡単に人類が長年、希求した真理に辿り付けます。
つまり、理に抗う心を理に準ずる心に自分の意志で切り換えれば誰でも簡単に人類が長年、希求した哲学の真理に辿り付けます。

245E2 ◆igyenga13c :2007/03/28(水) 15:17:36
>>242 訂正 語句追加
>「多数決」により、否認する者達への強制力の行使

>「多数決」により、保留/否認する者達への強制力の行使
246E2 ◆igyenga13c :2007/03/28(水) 16:47:32
>>242 における『あなたが友人との会話においてやり取りしたであろう情報量に比べ
れば、屁の河童じゃないかなぁ?』と想像した理由について

>241さんと発言番号で言うのもちとなんなんで、241 → にし一 → 西一(にしは
じめ) さんということにしておきたい。哲学科の友人も固有名に変換しておく。ま
あ判りやすい名称として、東さんでいいか。東さんは後に宮崎で名をあげたってなプ
ロフを作り上げてもそりゃ構わないが、ここでの話には当然ながら何の関係もない。

西さん、ある日、ふと思った。「ん? 『○○』ってどういう意味だ? なんなんだ?」
その『○○』は哲学関係で使われている用語であった。
幸いなことに、西さんは哲学科のある大学に籍を置いていた。苦学の果てにか、勉強
なんざはしないでも楽々に入ったのかどうかまでは、何の関係もない。希望した大学
に入れたのか、滑り止めにどうにかどうにかもぐりこんだのか、これも何の関係もな
い。ともかく西さんはそういう大学に籍をおいている。

大学というのもひとつの社会であるからには、そこには他の人間もうじゃうじゃいる。
彼は言語/非言語コミュニケーションを用い/用いられ、知己を得、あまつさえ友人
を獲得することにも成功した。その友人の中に、幸いなことに哲学科に籍を置く者、
東さんもいた。

その『ある日』以後の時点において、西さんは東さんと遭遇し『○○』についてその
場で問うたのか、問い得る場を設定するために会う約束を交わしたのか、までは関知
しないけれど、ともかく問えたとしよう。

東さんは、これまでの西さんとの交遊を通じて、彼がどの程度、哲学について理解し
ているのか、西さん自身がどの程度一般的なもの/ことに対しての理解能力があるの
かを把握している。これらを踏まえて、どのような説明の仕方、いかようなる会話の
流れをもってすれば、西さんにとってより判りやすい話をすれば良いのか、が判って
いるのである。

これら全てを2チャンネル上のレスの応酬で再現しようと思ったならば、いかほどの
情報量になるだろうか?
247考える名無しさん:2007/03/28(水) 17:00:57
>>243
その通りです。

覚える、記憶するは「物事の理非・善悪を弁別する心で知る」とは全くの別ものです。
それを力を崇拝し理に反する蒙昧主義者達が大衆でしか得ることのできない哲学を難解なものとして大衆の手から奪い取ったのです。
ですから如何に名を馳せた哲学者よりも我々大衆が哲学の道を開く可能性を秘めているのです。
248E2 ◆igyenga13c :2007/03/28(水) 19:33:29
>>238
>論理や理解・理性の理とは法則ですので多数決と言う曖昧で決められる理は何一つ有りません。

もちろん、『法則』というものは、十分な一般性を持ち例外がぞろぞろと並んでしま
うようなものに対して使わている言葉ではないでしょう。

>そして理は知の源ですので物事の理を悟らずば人の知能が育たず一切の智恵を産みだせない、と言う法則も有ります。

僕が読み取った論理形式
(理 → 知)→(not理 → not知能 → not智恵)
これはある種のトートロジーってやつか?
『物事の理を悟る論者』って今まで呼んできたけれども長ったらしいしいろいろと面
倒なので、ああ、そうだ、これを拝借して、俺は『トートロ爺』と呼ぶことにしよう。
どっか愛らしくないか? あ、ジプリには通報しないでくれよな(笑)

>この智恵不足が人類に理非的歴史、矛盾の繰り返しをもたらす、と言う理に叶う由ですな、、

(智恵不足 → 理非的歴史、矛盾を繰り返す)という理(法則)
この理からの脱却をするにはどうすればよいのか? そのためには「物事の理を悟
れ」と彼は主張しているわけね。ということは、「理」に二つの意味がこめられてい
るっぽいな。

(続く)
249E2 ◆igyenga13c :2007/03/28(水) 19:34:37
>>248の続き

>>239
どうやら、字義にまで遡っているようだが、学問している/しようとしている人間集
合の部分集合として「文系」あるいは「理系」という集合名を用いているだけでしょ、
これ。掘り下げすぎ(笑)

>>240
僕はトートロ爺の自作自演と読んでしまうのだが、違っていたら申し訳ない。
なんで「不可知」「何もない」と断言できてしまうのか? 
これが不思議。創造するために智恵が必要、という論拠も不明。

>244
要約すると、「人間は『理』を自ずから持っている。このことを自ずから理解しさえ
すれば、哲学の真理に辿り着けるのだ。ついでに世の中も平和になる」ってことだ
ろ? トートロ爺。
しかしだ、トートロ爺。「自ずから理解することの困難さ(「なんで自ずから理解し
なければいけないの?」という自問/反問を含めた上での困難さも含む)」、「自分
さえも疑わずにはおれない人間理性」、「自分の頭の中で考えていることすら『言
語』を用いなければ明晰化されえぬ悲劇」。こういう人々に取り囲まれ、僕は生き、
爺も生きているのだろう。そして、僕は僕なりの方法論を持ち、爺は爺なりの方法論
を持って、これらに対処しようとしているわけだ。正否は神のみぞ知る。
250E2 ◆igyenga13c :2007/03/28(水) 20:34:04
>>249 訂正 補完
>こういう人々に取り囲まれ、

>こういうものをわんさか抱え込んじゃっている人々に囲まれるのみならず、
>これらをわんさか抱え込んじゃっている自分に追い立てられつつ、
251194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/28(水) 20:34:21
194です コテハンでいきます
>>212>>216で私の好きな方向はわかっていただけたと思います
まず>>244を見てください 彼は日常言語を自分勝手に乱用したうえに
論理的にも滅茶苦茶です 「彼は人類が長年希求した哲学の真理」の存在を確信しています 私は人類を
構成する部分要素として人間であると信じていますがこのような希求をしたことがかつてあったのだろうか?
しかし彼は物凄い立脚点で物を言います遥かな高みにいます 嗚呼これはこれこそは宗教的天才であるための重要な条件です
「貴方には残念なことですが人の心にも例外はなく、全ては理と言う法則に依って賄われています」
この大胆な断言が哲学の魅力です 人間の魅力です この説は思弁的過ぎるため
他者である我々には確認ができません 残念どころではありません悔しいです とにかく言い切ってみること
言葉にする事 これが人間の偉大さです 決して共有できないかもしれないが彼の「理」がある
それが何かはわからない 私の「理」と彼の「理」は違うかもしれない 分かり合う事ができなくとも
何が違うのかは知りたい そして何より重要なのは彼は「理」について
それが何かを言及していないのです!!!!!これが世界の恐ろしい所です言葉の恐ろしさです
我々が普段使う「時間」「物」「意識」「心」「真理」「空間」「今」この意を問うとき
人間と哲学は飛翔しまたは沈黙しました そして苦心のおもいで語り得るものは
語られてきました それが体系化された学問分野になっていきます
ここにアルキメデスの狙いが見えます とりあえず「全て」と言い切ってしまう
そこから「全て」を巡る壮絶な作業が行われます 恐るべきは「アルキメデス」


252244:2007/03/28(水) 22:52:55
>>251

ちょつと待って下さい。
>「彼は人類が長年希求した哲学の真理」の存在を確信しています
私は真理を探究する上で物事を信ずることは有りません。全て確認しています。
ですから言い替えて下さい。>「彼は人類が長年希求した哲学の真理」の存在を(確信)確認しています、とね。

理とは何人も抗うことのできぬ全ての事柄に一つずつ存在し、人類史が続く限り不変の法則です。
ですから私の理、貴方の理などは存在しません。理とは覚える記憶することでは得られず悟ることで会得するのです。
つまり他者の意見を書き綴った哲学書を読み覚えても哲学の目的とする道理にあかるく成れない、と言うことです。

理とは何か、を知りたければ説明もしますし物事の理を悟る方法もお伝えします。
辞書にも記されているように人は物事の理を悟らずば知能が育たず智恵を産みだすことができません。
智恵が産みだせなければ何事も理解できる訳が有りません。【智恵=物事の理を悟り、適切に処理する能力】
適切とは全てに痛みを与えず問題を解決することで、適当を指すのでは有りません。
物事の理を悟らぬ者達には及びも付かない、素晴らしい解決方法が智恵の為せる業です。

人間とは物事の理を悟り、人格を中心に考える人科のホモサピエンスで人格を中心に考えることのできない人科の
ホモサピエンスは人と呼びます。
ですから人が全ての間だを保つ心、人と全てを思いやる間を繋ぐ意味で人間と呼ぶのです。




 
253考える名無しさん:2007/03/28(水) 23:19:43
>>252

@何人たりとて、殺してはならない。
A家族を助ける方法は、敵を殺すしかない。

このような葛藤の場面のでは、理性的な解決方法
は、家族を見捨てること?
254考える名無しさん:2007/03/28(水) 23:52:57
>>232
同語反復が問題にならないなら、経験科学の問題かなーというくらいしか
思いつきません。
全てのライオンは哺乳類である、はよくて
全てのライオンは尻尾がある、はよくない・・・みたいな。
255194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/29(木) 00:18:58
>>252
理とは何か、を知りたければ説明もしますし物事の理を悟る方法もお伝えします。
是非教えてくれ!!!!アルキメデス以来天才の言説に飢えて久しいのだ!!!!
>>254同語反復は物凄い効果がある 神経シナプスなんたらかんたらで
記憶に残りやすいし「何で二回言うたん?」て周りが言いやすいし
あとしつこい感じが好きだ 

256考える名無しさん:2007/03/29(木) 00:26:16
おーロミオあなたはどーしてロミオなの?
257考える名無しさん:2007/03/29(木) 00:30:50
何だ、低脳スレか・・
258考える名無しさん:2007/03/29(木) 00:35:57
何だ、低脳レスか・・
259E2 ◆igyenga13c :2007/03/29(木) 01:08:38
>>251
まずはコテハン「194」の誕生を祝す。おめでとう、194さん^^

>私の「理」と彼の「理」は違うかもしれない。

トートロ爺の「理」が何を指し示しているのか不明瞭な段階でさえ、194さんは
「私の『理』」と使用してしまえる事実。これが言語の持つ恐ろしさであり、了解可
能性というものの持つ摩訶不思議さである。

>分かり合う事ができなくとも何が違うのかは知りたい。

「違う」と言えるのは、ある価値基準をもとに下した判断をしたからである。価値基
準を持てるということは(違う/同じ)という二分法、あるいは(違う/判断保留/
同じ)という三分法が適用できうる、ある種の集合らしきものを想定している、とい
うことになる。「それがどうした」と突っ込まれれば、それまでのことでしかないの
だが^^;;
260E2 ◆igyenga13c :2007/03/29(木) 01:12:43
>>252
>理とは何人も抗うことのできぬ全ての事柄に一つずつ存在し、人類史が続く限り不変の法則です。

前の発言(>238)で、トートロ爺は「理=法則」という形で説明を加えている。だが
しかし、「=」では結びきれない関係も示唆されていた。それで僕は以下の実験を
行なってみた。
1.この文章に「理=法則」を当てはめてみると、「法則とは(中略)存在し、(法則は)
(中略)不変の法則です」。さすがトートロ爺(笑) ただし、法則に「不変性」という
性質も入れ込んでいるね。
2.では、未だ見えてこない「理」をそのまま入れ込んで、第1項と同様の手法でや
ってみる。そうすると、「理とは(中略)存在し、(理は)(中略)不変の法則です」。
これもさすがトートロ爺(笑) でも、ちょいと違うな。こっちは「理」とい
う言葉に「不変の法則」という説明を加えている、という違いだ。
で、第1項、第2項の結果を並べてみたら、ん? あ〜ら、不思議。両方とも同じ結
果になってしまっただ。
以上の実験によって、トートロ爺のいう「理」には「不変の法則」という定義を与え
るのが相当であろう、という結果を、私は持った。反証、傍証、意見、求む。(くだ
らねぇことやるな! というサイレント発言が一番多そうだが(笑))

最後になって、人間と人との定義付けが出てきた。なるほど、「人の間」が「人間」
か。うまいこと言うもんだな、爺^^ でも、「人」っての、「ヒト」と表記したほうがより
鮮明に違いがわかるんじゃなかろうか? 生物としての人間を扱う分野で一般的
な使用法を借用してね。

>ですから人が全ての間だを保つ心、人と全てを思いやる間を繋ぐ意味で人間と呼ぶのです。

うむむむぅ、また読解に悩む文章を。僕なりの解釈で書き直してみます。

  ですから、全ての関係を、思いやりをもって保とうと努力する心を持つヒトを
  「人間」と呼ぶのです。

もし、解釈の間違いがあるのであれば、ご指摘いただきたい。
261194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/29(木) 01:31:41
ありがとうE2さん E2さんも長ったらしい嫌味っぽい文章書くねぇ
そのしつこさ嫌いじゃないぜ
今日の俺の結論!!哲学は哲学である!!!!!!!!!!!!!!!!
同語反復は凄いんだ 過不及なしってんだ でも日常で使うと
またその効用は変わる 言葉凄いね 文脈凄いね 定義凄いね
262考える名無しさん:2007/03/29(木) 02:23:04
>>217

>>210です。結局また来ちゃいました。
で、>>217を読んでちょっとイラっときてしまったのですが、
>>147にもう書きました。
あなたのように知識の足りない人が辞書を引きながら書き込んでいることが分かったので、
辞書に書かれている意味で間違いないですよ、という意味です。
「抽象概念」程度の言葉の意味は、辞書毎に違うことはありません。安心して辞書の意味に頼って下さい。
多少の意味のズレがあっても、私が書いた文はビクともしません。
ちゃんと意味が通るように書いています。
辞書に書かれていることが分からない、という意味であれば、まずは国語の勉強から始めなさい。
その程度知性の人間とここまで議論めいた(議論にもなっていませんが)ことを書き綴った自分が逆に恥ずかしいです。

私は時々このスレをやっぱり見てしまうので、
もうこの文に反応しないで下さいね。またちょっとイラっとすると面倒なので。
もう一度言います、「あなたの近くにある辞書に書かれている意味で大丈夫です」。
263E2 ◆igyenga13c :2007/03/29(木) 02:26:42
>>261
のーのーのー 194さん。
「長ったらしい」じゃなく、「(2ちゃんのレスとしては)長い」だし、
「嫌みったらしい」じゃなくて、「嫌み」でもあり、しかし、かつ、
愛着の意をもそこにはそこはかとなく含まれている、という構造をもつんだな(笑)

只今、次作に向けて鋭意執筆中(笑)
264E2 ◆igyenga13c :2007/03/29(木) 04:47:54
なぜ、「哲学は難しい」と思われるのか、という問題に対するひとつの返答。

まずは、以下を読んでみてください。
ニーチェ セ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1172057256/219-220
丁寧にニーチェが言うニヒリズムという概念を説明してくれています。執筆者に感謝。
でも、僕がここで取り上げたいのは、その内容についてではありません。言葉の使用
方法ということについてです。

この文章内においては、「受動的ニヒリズム」と「能動的ニヒリズム」という対比させら
れている2つの「ニヒリズム」があります。そしてこれとは別の、意味合いが異なる3種
の「ニヒリズム」もあります。同じ単語を用いながら、単純に合計しただけで5種類。読
む者はそれぞれの意味するところを文脈に沿いながら読み分けないといけません。ま
た、「ニヒリズム」について話し合うときは、相手がどの「ニヒリズム」について語ってい
るのか、自分の意味するところの「ニヒリズム」が相手にそのまま伝わっているのか、
色々と細心の注意を払わなくてはなりません。
この状況を大雑把ながらに例えると、ローカル変数に用いている変数名がそれぞれ勝
手にグローバル変数としてふるまいかねない状況、とでも言えるのではないかと思い
ます。そして、これはなにもニーチェのニヒリズムに限ったことではない。
そしてこれと逆の現象もあります。誤読、誤解釈を恐れるあまり、厳密に定義しすぎて、
専門外の者にはその意味が容易には伝えられない概念。また、一見日常用語らしく見
えながら、実は日常用語では用いられないようなイメージでもって造られてしまって定
着しちゃった概念。これらの概念の意味するところを掴むためにはえらい苦労を重ねな
ければいけません。

>>194 哲学は法則が無い 好き勝手に概念も語法もレイプし放題

という発言は、これらの状況を指して言ったことではないか、と僕は思うのです。

言葉に対するセンシティブな感性、トートロ爺の言うところの「思いやりの心」の欠如が、
哲学を難しく感じさせてしまう、思わせてしまう原因のひとつになっているのではないか
と、僕は思っちゃったりするわけです。
265E2 ◆igyenga13c :2007/03/29(木) 07:09:00
>>264 追加訂正 このレスにおける引用語句発言者

誤>言葉に対するセンシティブな感性、トートロ爺の言うところの「思いやりの心」の欠如が、

正>言葉に対するセンシティブな感性、トートロ爺ひいては>>139(=>262)さん言うところの
 >「思いやりの心」の欠如が、
266217:2007/03/29(木) 07:52:46
>>262
抽象概念を辞書で引けば、その意味合いは分かるでしょう。
ですが抽象概念で世界説明をする、となると話は別ですね。
世界説明をする為の抽象概念は辞書に記されていません。
貴方は、その接続が理解できずにイラつく、んでは無いのですか?
逃げを打たずに真面目に取り組んでイラつく、性格を直しちゃいましょう。
私は勝ち負け等に拘りませんので、、
267252:2007/03/29(木) 09:02:33
人類は、たった一つのことができぬ為に今日まで争いの絶えぬ歴史を繰り返してきました。
それは誰もが生まれつき育てる機能を備え持ちながら生涯、育てずに捨て去ってしまう潜在知能です。
皆さんも御存知のように知能は人が知恵を産みだす為に大切な役目が有りますが、その知能を育てなければ智恵を産みだすことは叶いません。
ところが、誰でも考えることができ正誤はともかく答をだせますので自分には智恵が有る、と思い込んでしまいます。
自分には智恵が有る、と思い込んでいますので智恵がなくとも智恵を産みだす方法を知ろう、何て考えないのですね。
その思い込みで、子育てから人類社会の全てまで賄われていますので人類社会が平和に成ろうはずが有りません。
哲学は、その思い込みを外す為の方法を示唆していますが思い込みに捕らわれ探求する為に哲学を難解なものと位置付けてしまったのです。
それが原因で、哲学に近い立場の大衆から哲学を遠ざける結果として大衆の哲学離れを産みだしたのです。
要は、思い込みに捕らわれる心を思い込みに捕らわれぬ心に自分の心の切り替えをすれば物事の理を悟れ知能が育ち、個人や人類の抱える全ての問題を適切に解決する智恵が産まれる、と言うことです。
学歴も年齢も人種も過去も一切に関係せずに、です。
268252:2007/03/29(木) 09:11:27
>>260
>ですから、全ての関係を、思いやりをもって保とうと努力する心を持つヒトを
  「人間」と呼ぶのです。

全ての関係を、思いやりをもって保つ心を平常心として持てるヒトを「人間」と呼ぶのです。
保とうと努力する、のでは駄目です。それに、努力と言う力が加わると疲れますよ。
269E2 ◆igyenga13c :2007/03/29(木) 09:54:26
>>268

おお、ようやく僕はある程度のところまで辿り着けたようだ。

>全ての関係を、思いやりをもって保つ心を平常心として持てるヒトを「人間」と呼ぶのです。

ふむ。あ、もう少し手を入れたほうが、文章としては伝わりやすそうだ。

  全ての「関係」というものを、思いやりの心でもって保つ。
  このことを常に平静にできるヒトを「人間」と呼ぶのです。

「関係」というものが指し示す意味内容は何なのか? という疑問はまだ残るが、
だいぶすっきりしてきたんじゃないだろうか?

>保とうと努力する、のでは駄目です。それに、努力と言う力が加わると疲れますよ。

そう言われりゃそうだ(笑) 疲れるのは沢山だしな^0^
しかしトートロ爺も何十回、何百回となく同じ文句を言い続けて、疲れてるんじゃないの?^^;;
270268:2007/03/29(木) 10:02:18
>>269
答です。
@そう言われりゃそうだ(笑) 疲れるのは沢山だしな^0^
しかしトートロ爺も何十回、何百回となく同じ文句を言い続けて、疲れてるんじゃないの?^^;;
A>保とうと努力する、のでは駄目です。それに、努力と言う力が加わると疲れますよ。
B>全ての関係を、思いやりをもって保つ心を平常心として持てるヒトを「人間」と呼ぶのです。

271268:2007/03/29(木) 13:32:25

>>269

>「関係」というものが指し示す意味内容は何なのか? という疑問はまだ残るが、
>だいぶすっきりしてきたんじゃないだろうか?

全ての関係、とは貴方が見聞きし感じることの全てですよ。
親や友人、テレビで見る世界の人々、自然や過去、未来に至るまでの全てに対して、と言うことです。
その中で一人でも、一つでも否定するものが有れば知能は育たず、人格を中心に考える人間では無い、と言うことですね。
272E2 ◆igyenga13c :2007/03/29(木) 17:54:10
>>262(=>220=>147=>107=>104その他にもあるでしょうが)さん
勝手ながら、また僕の悪い癖で命名させていただきたい。人名をつけた方が何かと便
利なので^^;; 262 → にろに →じろうにぃ → 二郎兄

二郎兄のイラッとする気持ち、僕にも十分わかりますし、それはこのスレを見ている
方々の多くも感じていることだろうと容易に推測できることです。

「なぜなんだ? なぜこのトートロ爺はこっちの問いかけにはまともに答えず、ご託
宣を述べ連ねるばかり。そして、屁理屈にもならぬような屁理屈を捏ね、都合のいい
ときには辞書を用い、都合が悪ければ『辞書には載っていませんよ』などとほざける
んだ? なぜなんだ? こいつ、最初は人間かと思っていたけど、そうじゃなさそう
だぞ? ああ、そうだ、こいつ単なる馬鹿だ! なんてこったい、俺は馬鹿を相手に
まともな議論をしようとしていたのか! ちっくしょうめ、俺の費やした時間を返
せぇ!!!!」

二郎兄の叫び、僕にも手にとるようにわかります。>147で二郎兄は問いに対する答え
を得られずに一旦スレから離れてしまいます。見限ってね。

しかし、僕はこのように読めたのです。>139において

>>『人間として磨かれた良心が物事の理非を分かち定めることを意とする絶対無比、永遠に不変もの』
>とは何ですか? もし私がこの質問をされたらこう答えます。「思いやりの心」と。

二郎兄は「思いやりの心」という答えを示したのです。>268-269でトートロ爺が明かし
てくれたように。しかし、この答えに続けて二郎兄はよけいなことまで発言してしまう。

(続く)
273E2 ◆igyenga13c :2007/03/29(木) 17:55:58
>>272

>道徳の授業みたいですね。そうです、あなたの言っていることは皆が当たり前に持つ理想なのです。

この「道徳の授業」、「理想」などという価値判断を纏わりつかせてしまったため、
トートロ爺は答えることを拒否した、この発言の段階では拒否せざるを得なかっ
たのではないか?

「理想」という言葉に、「きれいごと」を感じてしまうクオリア。しかたありません、
こんな世の中だもの、こんな歴史をたどってきてしまった世界なんだもの。

でも、これらを乗り越えて、「『ある』『理想』」。任意の「或る」ではなく、存在の
「在る」ではなく、「理想は有るんだ!」という認識を確固たるものとして持ちえ
る「理想」。

これがトートロ爺の訴えたかったことではなかろうか。

↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆
「きれいごと」と感じられ排斥されてしまわぬよう細心の注意を払い、時には道
化を演じ、時には化け物を演じ、時には涙を誘うような言説、その他のテクニッ
クを用い、そしてその上「きれいごと」と片付けられないような段階に達した時に
おいてのみ、その発話した意味が丸ごとそのままで受け取られうる概念。
↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆

この範囲内において形成された概念は「共通概念」として共有される。
これが僕にとっての「共通概念」の定義である。
274考える名無しさん:2007/03/29(木) 19:18:36
哲学とは、「philosophia(ギリシア語の愛智の意)」を、賢哲を希求する意味の希哲学と訳し、それが哲学という訳語に定着したものです。
哲学の「哲」には、「道理にあかるいこと」の意味が込められており、したがって、哲学とは、道理にあかるくなることを会得するという
目的を持っています。

ところが、人が道理にあかるくなるためには、物事の理(り/ことわり)を悟るという関門も通らなければなりません。なぜなら、道理とは、
理(り/ことわり)という枠組みに納められているものの一部ですので、物事の理(り/ことわり)を悟らなければ、真理や道理・倫理や
論理という、理絡みのすべてを会得できず、理(り/ことわり)と関連の深い、知の枠内にある、知能や知恵・知性なども会得できないために、
人格や品性なども得ることはできないからです。

ヒト科のホモサピエンスの「人」が、人格を中心に考えることのできる「人間」に進化するために、道理にあかるくなることを人に促す大切な
役目を担っているのが、哲学なのです。ところが、哲学は、「philosophia(ギリシア語の愛智の意)」を勝手に解釈した当て語であり、
愛智の意とは、知を愛することではないのか、という言い逃れをする御仁に、一言申し上げます。

275考える名無しさん:2007/03/29(木) 19:19:21
愛智の意を知を愛することだ、とするのは結果論であって、愛智の意とは、自己愛を含まぬ揺るぎなき人間愛が、人の知能を育て、
知恵を産みだすことを意として付けられた名称なのです。その結果、育った知恵が、世の矛盾のすべてを明らかにし、
そこに探究心が膨大に膨らみ、人は矛盾を解決するための更なる知恵を望むものなのです。ですから、愛智の意とは、人が自己愛から
人間愛に切り換えるための直接論で、哲学とは、人が自己愛から人間愛に切り換えるために通る道を、道理で示した出発論といえます。

哲学は、人が物事の理(り/ことわり)を悟れば、自己愛から人間愛に心が切り替わり、人は知能が育ち、知恵を産みだすことができる、
と示唆していますが、一方の愛智の意は、自己愛から人間愛に切り換えれば、物事の理(り/ことわり)が悟れ、人は知能が育ち、
知恵を産みだせる、と伝えているのです。つまり、哲学の物事の理(り/ことわり)を悟る目的と、「philosophia(ギリシア語の愛智の意)」
の自己愛から人間愛に切り換えることは、人の知能を育て、知恵を産みだすための同じ方法なのです。

哲学は、既存の権威に捕らわれぬ大衆であれば、学歴や年齢や性別、人種などは一切関係なく、誰でも会得でき、産みだされる知恵で、
楽しい人生を送れる仕組みになっている、ということですね
276194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/29(木) 20:17:23
なるほどね そんな素晴らしい仕組みだったのか ループ感も心地よい
このどこまでも「あるべき人間」が語られる そんな哲学の志向性こそ
我々は宗教的天才として評価すべきではないのか?いつから人間を
世界と関連させて語るときに「博愛なるもの」がなくなった?
正しかろうが偽だろうが関係ないのだ そこに「愛」があるかどうかが
重要だ!!天才よ 思考を止めることなく続けてくれ語ることを止めないでくれ
諸行は無常だがそこに揺れる「愛」を掴まえるのが天才だ 
277E2 ◆igyenga13c :2007/03/29(木) 21:10:57
>>274 トートロ爺、相も変わらずの悪文どうも(笑) 以前に比べればだいぶ判り
やすくなったよ、ありがとう。僕なりの解釈を交えて一種の翻訳、超訳といえるも
のをここに提出します。

「哲学」とは、「philosophia(ギリシア語で愛智の意)」を、「賢哲を希求する」という
意味で「希哲学」と訳したのが始まりです。そもそも「哲学」で用いられている「哲」
という言葉には、「道理にあかるいこと」の意味があります。『学問』と結びついて
『道理にあかるくなることを会得する』という意味も生まれてきました。こうした現状
に対し「哲学」は本来成立した熟語の由来である「philosophia」の訳語でしかない、
と主張される方もいます。しかしながら「哲学」の第二義「道理に明るくなることを会
得する」の意味の方が、実は熟語本来の意味として適切ではないか?

ヒトが道理にあかるくなるためには、「道理」とは何かを会得しなければなりません。
「道理」とは「ヒトが希求する理想」を目指す道筋。しかしそこを辿るには「理」という
ものを自分のものにしておかなくてはならないのです。「物事の理」というものを。
この「物事の理」を悟ることにより、「理」のみならず、「理」から派生する「真理」や
「道理」、「倫理」、「論理」など、また「理」と関連の深い「知」から派生する「知能」や
「知恵」、「知性」なども会得できるようになるのです。これらを会得することにより、
ヒトは、人格や品性を伴った「人間」になるのです。
では、どうしたら「物事の理を悟る」ことができるのか? 「知を望む純粋な心」で
もって語り、「聞く耳」をもって、人の意見を聞き、「謙虚な心」でもって、改善すべき
ところがないかどうかを自問することで得られるのです。

西洋哲学は「論理」をもって、「真理」あるいは「世界認識」というものを得ようとして
きました。しかし、私から言えば、「物事の理を悟る」段階を経ずに用いている「論理」
は偽でしかなく、この偽から生まれた「哲学体系」ひいては現代社会を席巻してい
る西洋文明というものも偽でしかないのです。ヒトが人間にならずして何の未来が
あるぞや!

こういう意味において「哲学」という熟語を、私は使用し、皆さんにも使っていただき
たいと願っているのです。
278E2 ◆igyenga13c :2007/03/29(木) 23:35:23
>>275 あらら、すぐに続きをアップしていたのか、気がつかなかったな。道理で>274
の最終部分のつながりがちとおかしいなぁと思えたわけだ。てっきり最初に戻って「こ
のこと物申す」ってな感じなのかな、と受け取ってしまっていたよ。じゃあ、>277同様、
引き続きやってみるか。ん? そこまでする必要もなさそうだな。

大意は、ギリシャ哲学時代には「愛智→ 知能 → 智恵」という流れがあった。真の
愛智とは、自己愛から脱却し人間愛の境地を悟った者だけが到達できる地平である。

  哲学= 物事の理を悟る → 自己愛から人間愛への切り替え
  愛智= 自己愛から人間愛への切り替え → 物事の理を知る

ふむぅ。このふたつはどちらからからでも他方へ進める道、ということなわけね。とこ
ろが、途中でどっかおかしくなっちゃった。最初の段階を踏まぬまま「論理」一点が幅
を利かせてしまって、その後のヒト社会に多大なる悪影響を与えてしまった、というこ
とを言いたいようだなぁ。

トートロ爺は、その原因を「哲学界の閉鎖性」ってなものに求めている。

しかし、これ、どうなんだろう? そんな簡単な原因で起きちゃうことなんだろうか? 
俺は激しく悩むね、悩んだね、お風呂に入ってのんびりお湯に漬かりながら激しく考え
込んじゃった。で、ピンと来たんだ。「湯ぬりぃや!」。(ハイ、笑うところよ、ここ)

ギャグの出来はどうでもいいが、神学とかスコラ哲学ね、こういったものの存在にぶち
当たったんわけよ。こいつらは「神の存在証明」とかばっかりに熱あげてたんじゃなかっ
たっけ? 今そこにいる人間達の苦悩の解明、解決なんてものそこのけでさ。そいでも
「論理」のものすごい力は使えたわけでんね、いろいろと有用な哲学上の道具などもこ
さえ上げたわけ。で、今でも、その「論理」が生き残っているわけなんだよな。でも出生
がこうだから、悟りの境地とか愛智とかは知らずにいるわけなのさ。

「神は死んだ」ってニーチェは言ったが、その申し子は「You are only 論理」のテーマソ
ングとともに、ひとりぽつんと孤高の位置に一人わびしく佇んでいるのであった。
279275:2007/03/30(金) 00:28:55
>>278

哲学= 物事の理を悟ると言うことは → 自己愛から人間愛への切り替えをすることですよ。
愛智= 自己愛から人間愛への切り替えると → 物事の理を悟れますよ。

何れにしろ、自己愛から人間愛への切り替え方法を知れば、人々が物事の理を悟れば眠り続けていた人の潜在知能
が育ち、人類の抱える問題の全てを円満に解決する智恵を産みだせるのです。
出生と言う人類史との深い関わりが有りますが、全ては気持ち次第と考えます。

ニーチェの「神は死んだ」と言う言葉には人の心から良心が消え去った、と言うことを意味していると思います。
ただ彼は自分は百年、産まれてきたのが早かった、と言っていますので、その言葉から人類の未来に期待を寄せて
いたことも伺い知ることができますね。

話は外れましたが人の心を啓発し自己愛から人間愛に切り換える方法は、もう世にだしています。
理に叶う夢は必ず達成しますが、少しでも多くの人々が物事の理を悟り、産みだされる智恵を使い社会に君臨し
平和な人類史を築いて戴きたいと言うのが私の夢です。
貴方には馬鹿に見えるでしょうが私には大切な夢ですので、それでも良いんですよ。 
280考える名無しさん:2007/03/30(金) 00:53:48
E2、

おれはお前みたいな言葉遣いをする人が大きらいだ
粘着気質丸出し
優越感丸出し

しかも、そう指摘されてもお前のプログラムでは条件反射的に否定しにかかるだけだろ
ほんとうの内省ができないだろ
281考える名無しさん:2007/03/30(金) 01:00:11
まあ、こんな語りをする奴らを昔の人はソフィストと呼んだわけだ。
ただ、ここまでキモい語り口であったかどうかはわからないけどw
282考える名無しさん:2007/03/30(金) 01:35:27
子供のときにだけあなたに訪れる、不思議な出会い。
283E2 ◆igyenga13c :2007/03/30(金) 01:40:43
>>233-234 において、「きれいごと」という価値判断を下し云々の話をした。が、今
になって振り返ってみると、僕は逆に「アンチきれいごと」という価値判断に纏わり
憑かれていたのだな、ということに気がついたの。

トートロ爺が怒るのも当たり前だな、「そーゆーお前もとり憑かれてるじゃないか」と。

すまんかった、トートロ爺。
284E2 ◆igyenga13c :2007/03/30(金) 02:00:41
ああ、人が良い気持ちに浸っているときに、ったく(笑)(笑)
誰かが書き出すと、わらわらと湧いてきやがる(笑)

>>280
そうさ、粘着だしな、俺(笑)
優越感を出さずに日常生活過ごすのに、ものごっつぅ苦労してる(笑)
内省? 内務省の略称かソレ? 戦争終わって何年経っていると思ってんだ?

>>281
テメエにはこんな名文書くのは無理だからって、スッパイ葡萄理論に逃げ込むわけか。
まあ、しょうがないな。だって無理な奴には無理だもんな(笑)

>>282
>子供のときにだけあなたに訪れる、不思議な出会い。
子供のときに抱いていた思い、夢。すっからかんになってしまったテメエの今。
285哲学板内務省:2007/03/30(金) 02:17:02
>>284
秘密の暗号も、森へのパスポートも知らないようだな?
286E2 ◆igyenga13c :2007/03/30(金) 02:38:40
>>279 トートロ爺、細かい修正ありがとう。僕は爺が言いたかったこと、どうやら大
体掴めた感じだ。そしてその内容にどのような判断を俺が下すのかは、まあ、また別
の話ってことで(笑)

>>285 哲学板内務省
>秘密の暗号も、森へのパスポートも知らないようだな?

おお、おお、内務省! あったのか。そいや、自治スレとかどこそこスレやらで何と
か省とかカニヤラ隊とか、いろいろ名乗っているのがいるなぁ。その手の人か? 
ま、言ってみるもんだな(笑)

しかし、「秘密の暗号」やら「森のパスポート」やら、んーっ、『ソフィーの世界』に
あったような気もしないではない。で、それを知らないとどういうことになるんだ? 
小水キボンヌ と慣れぬ2ちゃん用語を使ってみたりして(笑)
287E2 ◆igyenga13c :2007/03/30(金) 03:39:17
>>286
ああ、そうか。>282 もそういや『ソフィーの世界』の有名なフレーズだったか。
ってことは、僕もようやく哲学の入り口に立ったってことを言ってくれたのか?
んーっ、ってことは、俺、誤爆しちゃった? すまんのう、内務省さん。

やっぱ、頭に来てたんだな、俺。内省が足りないや。
すまんのう、>280さん、あんたの言う通りやった。

まあ、俺の物言いが気に食わないようだから、嫌いなのは変わらないだろうけどな。
そう言われても俺は困らないからいいけどさ。
だけど、食べ物の好き嫌いは言わないで、ちゃんと食べたほうがええぞ。
って、こういうこと言っちゃうのも輪をかけて嫌いにさせてしまうんだろうなぁ。
だからといって、「じゃあ削除してしまいましょう」って気にもならないのが、
より輪をかけてしまうわけで、んーっ、同語反復同義反復くるくる回る循環論理の罠。
288E2 ◆igyenga13c :2007/03/30(金) 04:44:24
>280 において、僕はこう言われた。

>ほんとうの内省ができないだろ

と。「本当」という言葉は知っている。意味も知っている。現実世界ではどのような
行動をとれば「本当」という言葉の意味するところを表わし得るのかも知っている。
しかし、言葉のやり取りの世界、2ちゃんねるにおいて「本当」であることをそのま
んま理解してもらうためには、いかなる手段を用いなければならないのか。

1.友好的な関係を結べている間柄においては、ごく簡単である。
  「本当だよ」、「ああ、本当だろうな」で済む。
2.友好的とまではいかない場合は、3種類の受け取り方をされる。
  「本当だよ」、「(まあ)本当だろうね(信じておくよ)」
  「本当だよ」、「(どうかわかんないけど、まあ)本当だろうね(と言っとくか)」
  「本当だよ」、「(眉唾)本当だろうね(眉唾眉唾、事を荒立てるのもなんだしな)」
3.敵対的な関係だと、また、ごく簡単である。
  「本当だよ」、「本当だと? 何ほざいてるんだ、証拠出してみろよ、ケッケッ」

そして、2ちゃんねるにおいては、ものすごい数の第三者が存在しているとのことら
しい。これらの第三者にも「本当」をそのまんま受け取ってもらうためにはいかなる
手段をとればよいのか? 「本当だよ」と言った後に、その本当が指し示した内容に
即したもの=証拠を提出したとしても、「言った後に慌てて取り繕ったんじゃないか?」
という突っ込みが入る可能性がある。

(続く)
289E2 ◆igyenga13c :2007/03/30(金) 04:45:45
>>288

解決策はあるのか? うん(笑)。事前に「本当」に見合った発言行動を当該スレで
行なっておけばいいのだ、それも固定ハンドルで。だから俺は固定ハンドルで登場し
た。証拠を求められたときに提示できるようにね。「固定ハンドルを騙られたらどう
するのか?」ってな問題が起きたときは内務省なり自治省と名乗っているような方々
に相談してみればいい。彼らがきっとどうにかしてくれる(笑)

で、俺は結局、内省できている人間なのだろうか?

>278 名前:E2 ◆igyenga13c [sage] 投稿日:2007/03/29(木) 23:35:23
  >>275 あらら、すぐに続きをアップしていたのか、気がつかなかったな。
>280 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2007/03/30(金) 00:53:48
  >ほんとうの内省ができないだろ
>283 名前:E2 ◆igyenga13c [sage] 投稿日:2007/03/30(金) 01:40:43
  >>233-234 において、「きれいごと」という価値判断を下し云々の話をした。
>284 名前:E2 ◆igyenga13c [sage] 投稿日:2007/03/30(金) 02:00:41
  >ああ、人が良い気持ちに浸っているときに、ったく(笑)(笑)

この時間経過、僕の発言内容、このことから判断できるんじゃないか、と僕は期待す
るのみである。

なんてね(笑) まあ、本当のこといやぁ、僕にはどっちでもいいんだけどね。ただ、
「本当」を巡るテストケースにもってこいだなぁ、と思って材料に取り上げちゃった。
どもね、>280さん。感謝^^
290279:2007/03/30(金) 09:36:05
>>283
>トートロ爺が怒るのも当たり前だな、

もしも私のことでしたら怒ってなんかいませんよ。
怒りは自我の連鎖で産まれる感情の一つですが、その感情の表れ安い人ほど思慮が浅く蒙昧の度合いが強いのです。
かと言って、その事を誰も批判できるものでは有りません。
蒙昧に支配されている人類社会では怒りの心を持つのが普通人として当然と受け止められているのですから、
ただ、育つ段階で怒りの感情が表れ安い育ち方をしただけで有って、皆ドングリの背比べ、でその差は広く有りません。
喜怒哀楽の努抜きですと異質と思われますが、私は精神的に無理な怒抜きでは有りませんので別に疲れませんね。
291280:2007/03/30(金) 11:31:10
>> E2
ちょっと感じの悪い書き方をしてすみませんでした。
反省しています。

基本的にはあなたのように哲学的な思索をする人には親近感を持ちます。
私自身もそういう傾向があるからだろうと思っています。

さて、私が伝えたいのは、
どうしてもあなたの思考の内容よりもその動機というか目的が気になる、ということです。
自己正当化に熱心だし、正確さというか無謬性を懸命に模索しているように思えます。
その副産物として精緻な理論が日々アップデートされているかと思いますし、
その内容をこそ問題にしてほしいと希望されているかもしれません。
でも私はそちらには興味はなく、むしろあなたはそうすることでどうなりたいんだろう?、
また、そうなりたい理由として、そうでなかったら何がいけないと思うからなんだろう?、
というようなことのほうが気になります。

そして、それはあなた自身がいつか思索の円環を閉じて、ある種の落ち着きを得るまでは、
周りが何を言ってもうまくあなたの胸には届かないだろうということも、よく分かっているつもりです。
その意味で、内省的になるのはまだ先のことだろうなあ、
その途中であるあなたは、今は余裕がなくて、周りの人たちからしたら接しにくいだろうなあ、
と想像しました。
292E2 ◆igyenga13c :2007/03/30(金) 15:58:46
>>290 トートロ爺^^;;;
>もしも私のことでしたら怒ってなんかいませんよ。

よくもまあ、こうもしゃあしゃあと言えるもんだ(笑) よしんば、トートロ爺自身は
全く怒っていないにせよ、トートロ爺の発言によって、どれほど僕が「怒り」という
感情を持たされ、どれほどの数の考える名無しさんが「怒り」の感情を持たされた
ことだろうか。これらのことか全く見えていないのか?
人に「怒り」の感情を持たせるような言動・行動をとる、そんな人物のことを世間が
何と言うか知っているか?

  「この、ならず者!」

もちろん、表立って言える者は少ない。だってトートロ爺のような発言行動を取れる
人物は大概、こう言われたらものすごい攻撃(口撃)を加えてくることを経験的に知
っているからな。そして、荒らされることも少なくない。荒らされてしまったら、そのス
レはおしまいになる。板内の他のスレに波及することも想定される。板全体がダメー
ジを蒙る事態さえ考慮に入れなければならなくなることもあるだろう。だから、【無視
せよ】という警告が2ちゃんねるのどこかしこでも言われている訳だ。少なくとも僕は
そういう理由もあっての警告だと思っている。

現段階での僕のトートロ爺に対する認定は以下の通り。

1.トートロ爺は「物事の理を悟る論」を構成する三つの主要な要素のうち、「聞く耳を
持つ」、「謙虚な心でもって」の項目をクリアしていない。
2.「物事の理」と密接な関係を持つとされている「思いやりの心」という言葉が持って
いるであろう意味内容を鑑み、それと照らし合わせてみると、「相手の立場に立って考
えてみる」という要件が決定的に欠如している。
以上2点、このスレの発言をたどれば論拠は明らかにされていることと確信する。

結論:
トートロ爺は自らが唱える「物事の理を悟る論」を自らが実践しておらず、逆に自ら
「反『物事の理を悟る論』主義者」として過激な行動を実践している者である。
293E2 ◆igyenga13c :2007/03/30(金) 17:37:50
>>291 280さん。僕の言葉に耳を傾けてくれたようで、ありがたいことです。感謝。

あなたが前半部で推測なさっている通りの意図を僕はもっています。
そしてあなたが疑問に思うことも当然のことでしょう。

>でも私はそちらには興味はなく、むしろあなたはそうすることでどうなりたいんだろう?

トートロ爺の唱える「物事の理を悟る論者」。但し、僕が>277-278で解釈したような
意味においてのね(除く「哲学」の持つ意味の変更要請)。

>また、そうなりたい理由として、そうでなかったら何がいけないと思うからなんだろう?

この、多くは腐り切った世の中をこのまま放置したいと思う? これをどうにかでき
る道筋を僕は発見したと確信/妄信し、それをどのように行なえば実現可能か、その
方法論を持ったと確信/妄信したわけ。
で、この「確信/妄信」。「確信」であれば、世の中が腐った状態から脱却できるよ
うになるわけだし、「妄信」であれば、フィクションとして楽しめるだろうと。少な
くとも僕自身が楽しめているのは事実なんだ。他の人はともかくね。
つまりはどっちに転んでも、僕自身の意に叶う状況が望める。こんなおいしい話、誰
が乗らないってんだ? ってことね。

(続く)
294E2 ◆igyenga13c :2007/03/30(金) 17:38:29
>>293

>そして、それはあなた自身がいつか思索の円環を閉じて、ある種の落ち着きを得るまでは、
>周りが何を言ってもうまくあなたの胸には届かないだろうということも、よく分かっているつもりです。

僕の思いも、皆さんには届きにくいだろう。僕の思いそのまんまを受け止めてくれる
ような人、「了解した」という立場ではなく、「判断保留」という立場に立ってくれ
るような「受け止め方」をしてもらえる人でさえもね。「そのまんま」と言う意味は、
僕が意図し意味づけている「モノ/コト」を過不足なく他者が受け取れる状態。>273
において僕が定義づけしている「共通概念」の意味する状態だ。

申し添えれば、僕の言わんとするところ、円環構造をもっているわけじゃない。どっ
ちかって言えば、螺旋構造を持つんだよ。完全に一致した元の地点に戻るわけじゃな
くて、微細ながらも異なったところに到達する。その違いに敏感になることで次の道
が開けていく構造。今までは「同義」と簡単に片付けられていたモノ/コトが実は違
うんだ、ということに気づくこと。

>その意味で、内省的になるのはまだ先のことだろうなあ、

はぁ、やはり、>288-290において僕の示した証拠は役に立たなかったのか。僕自身も
時間経過という曖昧なところに寄りかかる危険性は承知していたんだよな。人によっ
て、その時間をどのように過ごしていたのかは違うからな。うーむ、やはりまだまだ
改善の余地があるな。ありがとう。バグ出しに協力してもらって、280さん。

>その途中であるあなたは、今は余裕がなくて、周りの人たちからしたら接しにくいだろうなあ、

ええ、でしょうね。僕自身思いますからね(笑) でも、余裕がないのは表面上のこ
とだけなんです、僕の中では。皆さんにはご迷惑をおかけします。それでも、280
さん、接しにくいだろうに、それを乗り越えて僕に話し掛けてくれた。感謝です。
295280:2007/03/30(金) 18:13:53
>> E2
私ももっとよくあなたの書き込みを読み直してみます。
「接しにくいだろうなあ」なんて書きましたが(これも失礼しました)、
こうして返信してくれて私こそ感謝しています。
296290:2007/03/30(金) 19:05:25
>>292
では、私が真実をねじ曲げ仲良し理非クラブに参加すれば世の中が良く成りますか?

>トートロ爺の発言によって、どれほど僕が「怒り」という
>感情を持たされ、どれほどの数の考える名無しさんが「怒り」の感情を持たされた
>ことだろうか。これらのことか全く見えていないのか?

今までは哲学とは他人の記した書物を読み覚え吹聴することだと思ってた人達の中に
全く別な異質な論者が現れると排除するのが蒙昧社会特有の傾向です。
怒りは蒙昧に依って作られる自己愛の欲望が自我の連鎖と成って現れる無知の測定器です。
貴方は何を目的として哲学板に書き込んでいるのか、もう一度、良く考えて下さい。
呉々も冷静にね。

297考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:44:48
まったく初心者なんですけど、、
哲学って「何で生きているのか」「なんのために生まれたのか」を本気で考える学問なんですか?
298考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:47:02
こっちも専門家じゃないけど、ちょっと違う気がするな。
299考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:51:09
>298
それでは生きるに限らず何事にも意味づけをしようと考えることを哲学というのですか?
300考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:51:31
かなり、いい線をいっているような気もするのだが、
出だしである、問いの立て方が哲学的じゃないし、
中間の、展開の仕方が哲学とはいいがたいし、
結びの、結論にいたっては完全な的外れって気がする。
301考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:55:03
>300
うーん、、むずかしいですね。。でも、こういう考えるっていう行為自体は好きなんですよね。
哲学とは○○である。と要約してみて頂きたいです
302考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:55:54
>300
うーん、、むずかしいですね。。でも、こういう考えるっていう行為自体は好きなんですよね。
哲学とは○○である。と要約してみて頂きたいです
303考える名無しさん:2007/03/30(金) 20:56:49
哲学は存在論だよ。デカルトのコギト(我)から始まっている。私とは何かが哲学の根本でデカルトが私を思う私がいるのだから私は存在する。そこからが哲学。
304考える名無しさん:2007/03/30(金) 21:04:11
まぁ、色々な哲学があるだろうね。
色々あって一言では要約はしがたく、統一した見解はない、
という見解では一致している、ということさえ
出来ないってところじゃね?wwwwwwwwwwwww
305 ◆V.SS8u5Q9Q :2007/03/30(金) 21:05:40
(*_*)
306考える名無しさん:2007/03/30(金) 21:05:46
そうなんですか。。まだ全体像がつかめません・・・
疑問なんですが、例えば生きる意味を考えたとして結論って出るのですか?人間の考え方は人それぞれなので答えってないような気がします。
生きる意味に限らず死についても人それぞれの考えを持っているので同様に思います。答えが出たとしても私は違うっていわれたら終わりというか・・・
それを話し合うことに意義があるのでしょうか?
307296:2007/03/30(金) 21:34:05
>>301

哲学とは道理にあかるいこと(哲)を望み希求する(学)ことです。

「何で生きているのか」「なんのために生まれたのか」を考えるにも全て智恵が必要です。
人は誰でも考えることができ、そして産みだされる答を智恵だと思い込んで生きています。
しかし人が知恵を産みだす為には法則と言う誰にも変えることのできない順番が有ります。
智恵と言う智の恵みを人が受けるには知能と言う智の能(はたらき)を促さなくては成りません。
その智の能(はたらき)を促さす為には智を育てなければ成らないと言う順番が有ります。
そして智を育てる為には道理にあかるいこと、が不可欠ですので、それを望み希求する哲学が有るのです。
人類が道理にあかるく成り、本物の智恵を使い始めたら世界は瞬時に争いの無い平和な社会に変わります。
誰が記した哲学書を読み覚えても道理にあかるく成れないことは保証します。
その証明は哲学書を読み覚えて道理にあかるく成れた人が誰もいないからです。
道理にあかるく成ることは誰でもできます。大衆の一人で有ることと、智を望む純粋で謙虚な心が有ればですけど、、
308E2 ◆igyenga13c :2007/03/30(金) 21:39:15
>>295 280さん。ありがとう。

そうそう。螺旋構造についてのところで言った「微細ながらも異なったところに到達
する」については、>185「充足理由律」で説明してくれている「微小表象」というも
のと何か関わりがあるのかもしれません。

>>296 トートロ爺
>今までは哲学とは他人の記した書物を読み覚え吹聴することだと思ってた人達の中に
>全く別な異質な論者が現れると排除するのが蒙昧社会特有の傾向です。

異質なものが現れたら、まずは排除しようとする。これ、免疫系ですね。ごく当たり
前の生体反応です。この問題をどう潜り抜けるかがまずは第一の最初のそして大きな、
とても大きな問題なのです。

僕は本を読む気にもなれない暇な人間(>199)として、「変なこと言っている奴がい
るな。ちょいと相手してやるか。へへぇ〜ん、ちょいちょい、こんなもんでグーの音
も出ねぇだろう」という感じの発言者を装い登場しました。このような性格を持つ発
言者としてスレ住人に思われるようにね。本当は>293で白状した「物事の理を悟る論
者」なのにね。つまり、先住していたスレ住人の人達をだましたのです。もうしわけ
ない、スレ住人さんの方々。

しかし、何故こんな回りくどいことをしたのか、しなければならなかったのか。最初
から「僕の真意」というものを明らかにしたならば、トートロ爺と同じ目にあうから
です。最初に纏わりついたイメージを払拭するためには、並大抵の苦労じゃあ追いつ
きません。
今、この段階になってようやく僕は真意を明らかにしつつあります。なぜか? 
「僕の真意」というものに「判断保留」という形であれ耳を傾けてくれそうな状況に
なってきた、と僕が判断できたからです。

おっと、発言アップしようとしたら、わんさか増えている。どういうことになっている
んだろうな、楽しみである(笑)
309194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/30(金) 21:41:44
あまり意味とかにこだわる人は哲学やるのは辛いかも
仮定と過程を楽しめる人に向いてる
310E2 ◆igyenga13c :2007/03/30(金) 23:40:10
>>297 まったく初心者なんですけど、、さん
>哲学って「何で生きているのか」「なんのために生まれたのか」を本気で考える学問なんですか?

ええ、あなたの言う通り。だけど、その前に片付けておかなければならない問題
があることに気がついた。例えば「『本気』ってのはどういうことだ?」ってな問題。
「私、本気です」って言った「本気」は、じゃあ、一体どのような「本気」の状態なん
だろう? どういう状況の下で発話者が用い、それを受話者はどのような意味に
受け取るのか。
「なんだぁ、そんなの『本気』なんだから『本気』じゃない。それ以外ないじゃない。
わかんないのなら、辞書引きなさいよ」
辞書を引いたところで、どういう風に受け取られるのかまではわからないのが現
状なんです(>288-289試み、>294結果「本当の『内省』」参照)。

>306であなたが取り上げた問題、実はこの「『本気』問題」と同様の構造を持ってい
るのです(多分同じ方だと僕は思っているけど、もし間違っていたらごめんなさい)。

>答えが出たとしても私は違うっていわれたら終わりというか・・・

もし、何らかかの『答え』が見つかったと想像してみて下さい。決定的な答えがね。
でもほんの少しでも「なんか『違う』ってな感じぃ?」と受け取られないようにするた
めには、どのようにしておかなければいけないのか? こういう事態にも対処して
おかなければいけない、ということに気づいたんです。これは言語関係の学問とも
関連する分野です。面倒です。でも、こんなのに興味を持ってしまってしまう人間
が俺も含めていたりするわけです。

>>299(横レスですが^^;
>それでは生きるに限らず何事にも意味づけをしようと考えることを哲学というのですか?

それぞれの哲学者が必要だと思った対象、興味を持った対象にはそれぞれの方
法で色々働きかけたりするとは思いますが、それ以外のことには無頓着なんじゃ
ないかなぁ?
311考える名無しさん:2007/03/31(土) 00:12:10
297 299 301 306 です。なんか哲学は○○だ。にしても皆さんそれぞれの意見があるんですね。おそらくこれも答えがないのでしょうか。
皆さんの意見を読んだ限りでは「自分の興味の有る対象についてそれが何であるのかをとことん論理的に追及して行くもの。」のようにも思えますが、、、。そしてその過程が面白いんでしょうね。
私的には様々な捉え方があるものを、また、言葉で表しにくい目に見えないものを自分なりに論理できちんと定義している作業に見えます。
少しはあたっているでしょうか?
312E2 ◆igyenga13c :2007/03/31(土) 02:15:00
>>311
えっと、発言番号を書き出してくださってありがとうございます。
311さんのようにしてもらうと、僕にとってはものすごく助かります。

>なんか哲学は○○だ。にしても皆さんそれぞれの意見があるんですね。
>おそらくこれも答えがないのでしょうか。

持論は脇に置いといて、強いて言えば「哲学は考察する学問だ」ということを筆頭に
あげておけばいいかな? 他の学問分野は「何某」について「観察/観測/実験/
その他の方法」を用いた上で考察するので、「『何某学』とは(何某の意味内容)を考
察する学問です」、「『なんたら方法』を用いて(何某の意味内容)している分野の学
問です」という分かりやすい説明が可能です。例をあげれば『天文学とは宇宙につい
て考察する学問です』ってなことなんだけど。
これを踏まえて考えてみると、「哲学は(○○について)(△△方法論を用いて)考察
する学問だ」という言い方ができます。括弧内に何が入るのかは各々の目的意識に
よって違ってくるわけです。括弧内に入る目標を考察する人々がある程度まとまり、
それなりの学問分野として充実してくると、その分野は「○○(△△)学」として独立し
ていくわけです、哲学者の見地からするとね。現在ではかなりの分野が充実し、それ
ぞれ独立していったので、一見、隙間産業的な感じに見えちゃいますが。

>皆さんの意見を読んだ限りでは「自分の興味の有る対象についてそれが何であるのかを
>とことん論理的に追及して行くもの。」のようにも思えますが、、、。
>そしてその過程が面白いんでしょうね。

ええ、そうです。でもって、追究していった挙句「『論理的』ってなんだ?」ってなことを
考えはじめた人も現れてきます。自分が武器にしている「論理」、この論理そのものを
まで考察対象にしてしまったわけですね。有名な本にウィトゲンシュタインの『論理哲
学論考』というものがあります。最後の文章、しびれちゃいます。

  語り得ぬものについては沈黙しなければならない

かっこよく感じてしまうのです。少なくとも僕にとっては。
313E2 ◆igyenga13c :2007/03/31(土) 06:51:35
>>18 結論:哲学は必要ない。 ← これに対する僕なりの反論ね。

お題:どうしましょう!!!
   「ねぇ、考えると悩むってどう違うの?」って子供に質問をされちゃった!!

悩むってのはね、「あれがいいかこれがいいかって比べること」で、その結果、
【どっちか選ぶか、どっちも選ばないか、どっちも選ぶか】を決めることよ。
考えるってことは、「あれ、これはどうして? → ああ、そうか^^ああ、すっき
り」ってなったら、どうしてすっきりしたのかを他の人に説明できること。

これでいいのだが、なぜこれでいいのか、についてのバックボーンを与えられ
るのが哲学である。

悩むというのは、「どの価値基準を選択するのか」の問題なのだ。「価値基準」
が複数ある状況をイメージするとわかりやすい。品物で悩んでいる場合、金額
という価値基準か、品質という価値基準か。もちろん、両方を交差させていわゆ
る座標平面を作り上げてもよい。そして選択した価値基準を元にして判断を下
すわけである。【購入/保留/断念】という三つの中から。

考える場合には、疑問を持ち、それがどのような結果になったのであれ、その過
程を他者に言語を持って説明できることが必要である。なぜか?

悩んで選んだ結果は、「何でそれ選んだの?」、「んーっ、適当ってぇ感じぃ?」
という答え方でも許される場合がある。
だが、考えた結果は、「なんでそうなった?」、「んーっ、適当ってぇ感じぃ?」とい
う答え方が許されないからである。

つまり、両者の違いは言語化できるかどうか、ではなく、言語化を強制的に要請
されているのか、そうではないのか、という違いなのだ。こういう明晰な分析を下し、
かつ、言語表現するのが哲学なのだ。

結論:哲学はあると便利である。
314考える名無しさん:2007/03/31(土) 09:46:23
>>310
問題をすり替えている。原因は答を知らない為です。
>>312
>強いて言えば「哲学は考察する学問だ」ということを筆頭にあげておけばいいかな?
哲学は何を考察するのか、が抜け落ちている。
>語り得ぬものについては沈黙しなければならない
この言葉を>>312は自分に対して戒めの言葉とするべきです。
>>313
>「ねぇ、考えると悩むってどう違うの?」
>悩むってのはね、「あれがいいかこれがいいかって比べること」で、その結果、
>【どっちか選ぶか、どっちも選ばないか、どっちも選ぶか】を決めることよ。
この場合は『迷う』で悩むとは別ものです。
問題に対して答えを見いだそう、と思うことが考えること。
そして答が見いだせない、と悩みと成りストレスに成長する場合が有ります。
勿論、迷いが進んでも悩みに発展します。
>>297 哲学って「何で生きているのか」「なんのために生まれたのか」を本気で考える学問なんですか?
に対する答が「結論:哲学はあると便利である。」ですか?
>語り得ぬものについては沈黙しなければならない
物事の理を悟り万人が納得できる答、のだせぬもの(もの・事象・者)に付いては言及しては成らぬ、と言うことです。
ウィトゲンシュタインが泣くよ、、





 
315E2 ◆igyenga13c :2007/03/31(土) 11:17:08
>>253 横レスですが

>@何人たりとて、殺してはならない。
>A家族を助ける方法は、敵を殺すしかない。
>このような葛藤の場面では、理性的な解決方法は、家族を見捨てること?

敵と家族とどっちが大切か、あなたが大切だというほうを選択なさったらいかがでし
ょう。敵を殺すのは直接的信条違反。家族を見捨てるのは間接的信条違反。どちらに
しても信条違反になると思いますから、選択肢を考慮する上で信条は外されることに
なると思います。

>>314 トートロ爺、なんか発言スタイル違う感じ。逐行で来たねぇ(笑)
>310 問題をすり替えている。原因は答を知らない為です。
ええ、現段階では答えを知りません。でも、知った場合に備えて環境整備もしておか
ないといけない、ということです。

>312>強いて言えば「哲学は考察する学問だ」ということを筆頭にあげておけばいいかな?
>哲学は何を考察するのか、が抜け落ちている。
ガクシ。続く段落を読まれたし。

>>語り得ぬものについては沈黙しなければならない
>この言葉を>>312は自分に対して戒めの言葉とするべきです。
はい。十分に戒めております。

>313 この場合は『迷う』で悩むとは別ものです。
ああ、「迷う」もありましたねぇ。忘れてました。感謝^^

>>297 哲学って「何で生きているのか」「なんのために生まれたのか」を本気で考える学問なんですか?
>に対する答が「結論:哲学はあると便利である。」ですか?
なんで他のレス内の文章を無理矢理持ってくるの^^; こっちは冗談(笑)
316考える名無しさん:2007/03/31(土) 12:31:19
>>253

@何人たりとて、殺してはならない。
A家族を助ける方法は、敵を殺すしかない。

このような葛藤の場面のでは、理性的な解決方法
は、家族を見捨てること?

双方、死なせぬ選択肢を見いだすこと、(智恵)
317314:2007/03/31(土) 13:06:38
>>315
>ええ、現段階では答えを知りません。でも、知った場合に備えて環境整備もしておか
>ないといけない、ということです。
ウィトゲンシュタインの教訓、、
>語り得ぬものについては沈黙しなければならない
教訓は活用することに意味が有る、、
>>301哲学とは○○である。と要約してみて頂きたいです
の返事は?できないのならウィトゲンシュタインの教訓を生かしなさい。
>語り得ぬものについては沈黙しなければならない
貴方の哲学に対する姿勢は評価できますが、その発言は地に足が付いていません。
それを補う為に私が同語反復を繰り返していることに気付きなさいよ。
トートロ爺、とは何たる言いぐさですか。
貴方を育てるも放置するも、全て私の手のひらの中に有ります。
過去の無礼は許しますが、これからは、それを踏まえて書き込みをしなさい。

318考える名無しさん:2007/03/31(土) 13:38:42
なに、この威張りんぼさんは?
319E2 ◆igyenga13c :2007/03/31(土) 15:21:56
>>316 ふぅ、良かった。ご指名質問なのにレスするの、もしかして忘れているかなぁ、
と思って僕なりの仕方で注意を喚起してみた。やや経ってレスをしてる。僕の注意喚
起が効を奏したのか、それともたまたま偶然こうなったのかはわからないけど、28日
の夜11時過ぎの質問にこの間隔でのレス、スレに登場している頻度からしてみたら、
かなり長期にわたって放置していることになっていると思われていることだろう。

>>317
>>>301哲学とは○○である。と要約してみて頂きたいです
>の返事は?できないのならウィトゲンシュタインの教訓を生かしなさい。

返事しているんだけどなぁ。>301=>311さんと自ら明かしてもらってますから、311さ
んへの返答として>312の中で。あなたからの>314内の指摘に付いては>315内で「あ
なたにはご指摘の文章の次の段落を読んで欲しい」という意味内容の文章で答えて
います。といっても無理かなぁ? じゃあ、無駄に重複して文章を上げるのは2ちゃん
の特性を活かさぬことなのであまり気が進まないんですが、自己引用しますね。

>これを踏まえて考えてみると、「哲学は(○○について)(△△方法論を用いて)考察
>する学問だ」という言い方ができます。括弧内に何が入るのかは各々の目的意識に
>よって違ってくるわけです。括弧内に入る目標を考察する人々がある程度まとまり、
>それなりの学問分野として充実してくると、その分野は「○○(△△)学」として独立し
>ていくわけです、哲学者の見地からするとね。現在ではかなりの分野が充実し、それ
>ぞれ独立していったので、一見、隙間産業的な感じに見えちゃいますが。

僕は上記の意味内容を持つ、より簡明な表現をすることは却って「言語明瞭意味不明」
状態になるだろうと判断しました。伝わらなかったかぁ。

>貴方の哲学に対する姿勢は評価できますが、その発言は地に足が付いていません。

ええ、そうなのです。僕が思考した果てにたどり着いた結果を言語化させるためには、
簡単に地に足をつけられるような言語表現の仕方では無理なのです。この2ちゃんね
るの哲学板の、あなたのような方がいるスレッドという「場」があってこそ、初めて僕は
言語化でき得るのです。感謝。
320317:2007/03/31(土) 15:36:17
>>319

>ええ、そうなのです。僕が思考した果てにたどり着いた結果を言語化させるためには、
>簡単に地に足をつけられるような言語表現の仕方では無理なのです。

貴方は自分の頭を少しも使っていませんので思考の果てにたどり着いた結果、と言う表現は思い込みです。
思考の入口に辿り着いてない、と言うのが正しい表現です。
321E2 ◆igyenga13c :2007/03/31(土) 17:11:34
>320
>貴方は自分の頭を少しも使っていませんので思考の果てにたどり着いた結果、と言う表現は思い込みです。
>思考の入口に辿り着いてない、と言うのが正しい表現です。

ああ、言われてみればそうかも。「自分が思考した」というのは、俺の思い込みだけ
でしかないかもしれない。

  自分が思考しているという思い込みからの脱却。

なんかかっちょええな(笑)

>253 に対する、僕の解答(>315)とあなたの解答(>316)を僕なりに捉えなおしてみた。
僕のは、いわゆる西洋哲学で用いられてきた論理を使って解答した、と自分では思っ
ている。あなたの解答は「物事の理を悟る論」から生まれた論理を用いて解答している。
結果、僕は選択条件から「信条を捨て去る」という道を辿った。あなたは「信条を守る」
ために他の選択肢を産み出そうとする。僕のはなんか窮屈だな。あなたの結果のほう
は、守りつつ新たなものを産み出そうとしている。

僕からすると「物事の理を悟る論的論理」が未だ了解不能なのだ。あなたからは僕の
論理が手に取るようにわかっている。この一方的なディスコミュニケーション状態。
このような場合、何を持って僕は価値判断を下したらいいのだろう? 結果生み出さ
れた状態の違いが手がかりにならないだろうか?

  僕の結果の状態   「除去」−(家族 or 敵)
  あなたの結果の状態 「保守」+新たな選択肢を産もうとする

俺のは減る、あなたのは増える。この設問の状況全体を考えてみると、減るよりか増
えたほうが、より豊か(僕にとってはプラスイメージとしての豊か)な状況になっている。

結論:あなたの解答を支持する。(って、いいのか? これで?)
322考える名無しさん:2007/03/31(土) 19:28:57
新展開にわくわくしますが、ちょっと割り込ませてくださいw

「哲学は難しすぎる」というスレタイにひかれてやって来ました。
ちょっとその線に沿ったことを言いたいのですが、
私は、ある人がほんとうに切実に問題意識を持つことができる事柄は限られている、
と思うのです。
そして、そういう切実な問題については他人の考察が自分にも比較的わかりやすいのだけれど、
そうでない問題、つまり正直なところ自分にとっては切実ではない問題、については、
精密な思考実験みたいな作業になってしまって、
ちょっと気を抜くとすぐにわけがわからなくなる、という面があると思うのです。
それが「難しい」と感じる一因ではないかと思います。

自分にとってリアルな問題を持たない人が、ただのお勉強として哲学史を学び、
せいぜい「おもしろそうだ」というぐらいの理由で考察の主題を選んでみても、
嫌味な理屈ヲタクになってしまうだけだろうなあ、と。

そして、自分にとってリアルな問題、切実な問題、というのは、
誰もそんなに多種多様には抱いていない。
自分にとってリアルでない問題については、ほんとうの理解力はない。

そんなことを思いました。
「ほんとうの」とか「リアルな」とかのアヤシイ言葉遣いで成り立っているので、
厳密性という意味では突っ込みどころ満載ですが・・・
323320:2007/03/31(土) 20:03:11
>>321
>結論:あなたの解答を支持する。(って、いいのか? これで?)
支持など望んでいません。

これから貴方の人生で生じる全ての問題を物事の理を悟り、産みだされる智恵を使って即刻、
解決し楽しい人生を送って戴きたいと思うだけです。そう成る為に必要な心は貴方が私にオウム返し、
した言葉ですので私よりも良く知っているでしょう。
だたし、その心は自分の心ですから貴方が常用している誤魔化しは一切、効きませんよ。

心の器ができたら、その器に貴方の望む全てが叶う(物事の理を悟る)方法を入れて差し上げます。

324194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/31(土) 20:03:56
>>322近年の「馬鹿の壁」という養老さんのベストセラーで
同じこといってましたな 人間は「興味関数」が0の事は理解できないらしい
ですよ 
トートロ爺の言うように
哲学が難しくなるのはもしかしたら権威的な知性主義がその要因にもあると思います
しかしその戦略とかも楽しいと思う人はいると思います そこからまた
メディオロジーなど新しい哲学が生まれてきますし・・・
現代思想とか西洋観念論はオシャレなファッション感覚で
セクシーな箴言とか警句を言い放つのも魅力ですし
逆にネチネチとやる系の神学とか論理学とか修辞学、現象学で
徹底的にコツコツ積み重ねていくのも楽しい
そしてたまにデカルトとかソーカルとかゲーデルとかウィトのような
一夜で衆目を掻っ攫って行くスーパースターというかトリックスターが
現れるのもまた楽しいものです 

 
325320:2007/03/31(土) 20:51:38
>>322

哲学の道は権威に拘らぬ大衆でしか開くことができない理由が、そこに有るのです。
戦争で苦難に立たされる人々を思ったり、自分の人生を考えたり、身近な問題を沢山抱えて切実な思いに浸るのは大衆です。
もしも貴方が大金持ちならば、他人のことに思いを馳せたり、大衆の持つ切実な問題も生じませんよね。全て、お金で問題を解決することを考えますから、、
貴方が政治家ならば票集めと金集めに走るでしょう。哲学の教授なら生徒に聞かれて何でも答なければ成らないと資料集めに専念するでしょうね。
諦めず、現状に矛盾を感じリアルに解決を望み人間として生きる道を真面目に模索する人は我々大衆の中でも考えるゆとりと心の有る、ほんの一部だけです。
ほんとうの愛、本当の心、真理と本当と言う言葉が産まれる原因は人類社会が自己陶酔に支配され人々の心が幻覚の中に漂っているために本当を求める心が生じるのでは、と思います。

326322:2007/03/31(土) 21:07:20
>>324 さん
なるほど、その「興味関数が0」というのが同じようなことを指しているのかもしれませんね。
だとしたら賛成だなあ。

精密な思考実験のような作業、それを進めて行く戦略、それらを楽しいと思う人は確かにいるのでしょうね。
そしてそこから生まれてくる事柄もあるわけなのですね。

考えてみれば、例えば数学や物理学を研究している人が、
自分にとって切実な問題、だからといってその研究テーマを選んでいるかというと、ちょっと違いますね。
でもそれらの分野の枠組みの中で様々な成果を生み出して行くわけですね。

ただ、哲学には、やっぱり「興味関数」との関係が他の分野よりも深く食い込んでいるように思います。
「難しさ」として立ちはだかるような何かが・・・
327E2 ◆igyenga13c :2007/03/31(土) 22:15:04
>>323
>>結論:あなたの解答を支持する。(って、いいのか? これで?)
>支持など望んでいません。

あ、いやぁ、統一地方選真っ盛りだからね。時事ネタ時事ネタ(笑)
それに、僕の疑問発言は自分の論理をねじ伏せての結果だからさ、当然ながらものご
っつう不満を持っている、その不満表明なのね。

で、この理不尽ながらも現段階では従わざるを得ない前近代的な抑圧体制に対し、僕
は、どのような方策をもって立ち上がらなくてはいけないのか? 「選挙体制にして、
多数決で決めればいい」ってのは当然ながら無効だしな。

「あなたが解答(>316)を提示したときの反応」について考察する、という道もある
か。まあ、馬鹿にされるだろうなぁ。「2つの選択肢から選べって言ってんじゃん」
ってね。

ん? 2つの選択肢でいいのか? 2つの条件ってこと? 1つの状況下における2
択問題? ん? ん? なんかワラワラと湧いてきたな、いろいろと。「専門用語知
らずんばこの門、入るべからず!!」と叫びつつ、ってな感じのわけわかんなさ。ほ
うほうの体で逃げ出さなくてはいけないような、そんな感じで攻め立ててくるような
恐怖感を憶えさせられるような、グロテスクなSFX駆使しまくりしか売りのないホ
ラー映画を無理矢理観させられているような、そんな感じ。

ぐぇ。気持ち悪。
328322:2007/03/31(土) 23:33:55
>>325 さん
失礼しました、324さんへのレスを書いている間に 325さんからもレスをもらっていました ...

私のイメージでは、
「,,, 真面目に模索する人」は「... 考えるゆとりと心の有る」人というよりは、
もっとこう、不安に駆られて切迫していて(時間的にではなく心理的に)、それが解けないままでは先に進めない、
という全的な感じ(というか片手間に取り組んでなんかいられないという感じ)に包まれた状態の人、が浮かんできます。
329E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 00:57:55
>>327 あ〜っ、気持ち悪。

吐いてばかりもいられないしな。まずは設問を検討することからやり直しだ。字句訂
正、見た目の整形をして読みやすくし、Vとローマ数字で3行目を表わしてある。

>@ 何人たりとて、殺してはならない。
>A 家族を助ける方法は、敵を殺すしかない。
>V このような葛藤の場面では、理性的な解決方法は、家族を見捨てること?

気を取り直して、「時間」ってな面から見てみるか。@は、この場面になるまでずっと
この家族の信条とされてきた。Aは場面における現時点と言っても良いだろな。ちょ
うど今の時間ってやつ。Vは場面時間とは関係ないが、この問題を解決するために
は咄嗟の判断をしなければならないとの緊迫感を漂わせている。そして、瞬時に正
解を導き出さないと馬鹿にされるなぁ、と思わせられるような「理性的」などという修飾
語も用いている。まあ、この場合は「『理(ことわり)』性的」だろうけどね、発言者の真
意としては。

ん? 現時点? この場面における「現時点」。あら? そういやさ、ん? あれ?  
敵を「いつ」殺さなければいけないんだ? 僕はてっきりこの場面を見せられた
「現時点」に殺さなければならない、と……

ありゃ? 「思い込んでた、わ〜たぁ〜し〜♪」か?

決断を下す締め切り時間が不定だな、これ。あらま。これじゃ、>>316 の解答「双方、
死なせぬ選択肢を見出すこと」ってのもありだな。納得。

結果:決断保留状態の時間が不定なので、双方とも死なないですむような方策が見出
    せる可能性がある。決断保留状態を保てる間は必死に考えること。

(続く)
330E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 00:58:43
>>329

しかし、問題文をつらつらと眺めるに思ったんだけどね。@、Aと丸数字付きの箇条
書きしてあったんで、2つの選択肢から選べってすぐに受け取ってしまってぎゃふん
しちゃったが、こういう使い方どうなんだろ? 普通はさ、

  以下の3人の中から○○と呼ばれている人を選びなさい。
    @ ソクラテス
    A ウィトゲンシュタイン
    B E2

ってな感じでさ、同じ要素(この場合、人間ね)を持つ集合で構成されるもんじゃない?
331E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 04:20:58
>>325

いやぁ、読みやすい。すんなり理解できる文章。書こうと思えばかけるんですねぇ。
だけど、最後の文章だけはごちゃっとしてるんで、我流ですが整理、解釈してみます。

>ほんとうの愛、本当の心、真理と本当と言う言葉が産まれる原因は人類社会が自己陶酔に支配され人々の心が幻覚の中に漂っているために本当を求める心が生じるのでは、と思います。

「本当の愛」とか「本当の心」、「真理」、これらに「『本当』という意味内容」を
含む言葉が生まれる原因はなぜなんでしょうか?

人類は自己陶酔のあまり、生体として存在している現実の世界にではなく、幻覚世界
の中に社会を構築してしまい、ここが「現実社会」だと思い込んでしまっています。
「現実社会」ですから言葉も「『非本当』という意味内容」を持たざるを得ません。

そのため、「『本当』という意味内容」を持たせるために、現実世界では付け加える
必要もない「本当」という修飾が必要になってしまいます。次には、「本当」が本当
であるのか? 「『本当』に本当だ」は本当かよ? 「『(本当)に本当』に本当だ
よ」は「ホントに『ホント』」? という一種の自己増殖を止めどなく続けてしまう
ことになったのです(注:一部に過剰演出あります)。幻覚世界の中に構築された
「現実社会」ですので、可能性としては無限。現実世界では起こりえない状況が生起
されてしまうのです。
(参考:>288-289「本当の『内省』」テスト。>294テスト結果)
332325:2007/04/01(日) 10:49:54
>>328

私の「ゆとり」と言う表現が誤解を招いたのかも知れないですね。
「考えるゆとりと心の有る」を「考える心のゆとり」と直したら如何でしょう。
人の心は産まれてから現在はでに受けた全ての要因が折り重なって今の自分の心が有るんですね。
現在の自分は過去から現在までの結晶で、その結晶は次に受ける要因を吸収しながら正確に刻々と変化を繰り返すのです。
ですから哲学を真面目に取り組む方、遊びの一旦とする方、興味の無い方の心は現在の結晶がだすそれぞれの答なんです。
この書き込みも、その結晶の産みだすもの、ですから書き込み一つで本人の過去と現在の心と未来も全て伺い知ることができるのですよ。
例えば、私のこの書き込みを貴方が読まれると貴方の過去に依って創られた結晶が文面を分析し、それを取り入れて新たな結晶として変わるのです。
良い情報を取り入れるのか、悪い情報を取り入れるのか、も全て過去から現在に至るまで受けた要因の結晶と言う心が決めることなのです。
人は、それぞれが知能と言う素晴らしい機能を備えて産まれてきますが、その機能を使えないものとする人類社会の歴史的構造も有るのです。
そして、その機能を使えるようにすることが哲学の目的ですが私の見渡す限りではその機能を活用し活躍している方はいますが、
その機能を使う方法を見いだした哲学関係の者は誰もいませんね。
過去、誰も開いたことが有りませんので、非常に難しいと思われていますが「ほんとう」は誰にも分かる簡単なことなんです。





333考える名無しさん:2007/04/01(日) 11:24:01
哲学は難しくない。

ただ飛び越えなければならない幾つかのハードルがあるだけ。

頭を鍛える作業が必要なだけだ。

飛び越えた向こう側は別天地だ。

あとは糞訳な著作に出会わないようにするだけだ。
334325:2007/04/01(日) 11:51:52
>>331
最初の文面にもう少し心遣い、を加えて戴きたいな。
>いやぁ、読みやすい。すんなり理解できる文章。書こうと思えばかけるんですねぇ。
を「読みやすい。すんなり納得できる文章。でも僕がもう少し分かりやすく変えて見ますよ」
とすると、対象の心を害さずに済みますでしょう。性格だからしょうがない、って諦めると>>320の話になっちゃうでしよ。
諦めると諦めないの差は大きいんですよ。
それから「心遣い」は「思いやり」で「人間愛」に「通ずる心」ですので、これから先、貴方の知能を育てる重要な役目を果たすのですよ。
『理解を納得と訂正したのは理解とは理を以て解する(解き明かす)作業ですので物事の理を悟らなければ理を得ていませんので
「ほんとう」は理解できないのですよ』
それを納得して戴く為に同語反復を繰り返す必要も有るんですよ。
E2さんも良い所を沢山、持っていますので、それを使わないと「ほんとう」に人類の損失ですよね。
訂正、有難うね。

335考える名無しさん:2007/04/01(日) 12:29:50
理解したなら、理解したと言わなくていい。
証明すればいい。
336194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/01(日) 13:50:53
その証明が正しいのはどうやったら証明できるんだろう?
「クレタ人はみんな嘘つきだとあるクレタ人がいった」
337考える名無しさん:2007/04/01(日) 13:57:24
クレタ人には無限に証明させればいいだろ。
いい加減正しいことを云うな。
338E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 14:28:04
>>334
いやぁ、確かにあなたの言う通り「書こうと思えば〜」発言は、失礼にとられる可能
性高いだろうなぁと思いましたけどね、いかんせん、まだまだ途上な者で、「こっ恥
ずかしい」感情がどうしても制御できないんですよ。

根がパンクなんです。高校3年生のとき、友達の家にクリスマスを口実に集まりまし
て、酒飲んだり音楽聴いたり麻雀したり煙草吹かしたり部屋の窓から外に小便したり
本やら雑誌やら読んだりしてたんです。そんとき、ミュージックライフだったかな? 
音楽雑誌のグラビアに「sex pistols」が見開きでどどどーんと載ってまして。なん
だなんだなんだなんだ!? ひょえぇぇぇぇ……

「このセックスピストルズってやつのある?」

友達の答えが「ない」だったか「ある」だったかまでは憶えていませんが、ともかく
その後レコードを手に入れて聴いて「かっちょえぇ」で。

で、僕はその後いろいろな変遷辿ってますが、「あなたはどういう音楽で?」と問わ
れれば「心にパンク聴くクリムゾン唄うブルース、たまにゃあサティもいいけどモン
クもね」と平気で答えられる人間になってます。ニルヴァーナの『レイプミー』をこ
ないだカラオケスナックで歌ったときに、「こんな俺はひとりじゃないんだ。だから
犯してくれても構わないんだ。君の思うままに痛めつけてくれて構わないんだ。だっ
て俺は一人じゃないから、俺がいなくなっても誰かがが俺のしている役割を果たして
くれる。だから気の晴れるまで心行くまで僕を痛めつけてくれ。犯してくれ。あなた
の心が晴れるまで」ってな「意味内容」がすとーんと了解できてしまってね。あららぁ、
なんかさ。「石持て撃て!」と言う人いるから、じゃあ遠慮なく、ってわーっと
寄ってたかって投げつけて、あ〜あ、気が済んだ。あら死んじゃってるわこいつ。で
また別なとき「石持て撃て!」って言う人いるからってんで、これまた遠慮なくわーっ
と寄ってたかってあらま死んでる。また違う日「石持て撃て!」な人が来てさ、ん? 
なんだかなぁ、なんでこいつみたいなやつがいるんだ? ま、だけど遠慮なく……。
こんな「物語」が浮かんでね。まあ、キリストの話じゃあ、誰も撃てずに円満解決し
てるけどね。
339325:2007/04/01(日) 14:28:17
>>333

>ただ飛び越えなければならない(幾つか)たった一つのハードルがあるだけ。
たった一つのハードルは「物事の理を悟れぬ自分の心」を「物事の理を悟る心に切り換えれば良い」のです。

>頭を(鍛える)切り換える作業が必要なだけだ。

>飛び越えた向こう側は別天地だ。これは「ほんとう」です。

>あとは糞訳な著作に出会わないようにするだけだ。読む前に頭を切り換えれば著者の心が読めますので、この危険は回避できます。
頭を切り換えれば、自分の知能が育ち智恵を生みだせますので読む必要も無くなってしまいます。
だって自分よりも頭の使えない人が書いた著書を読んでも、足しに成らないでしょう。
頭の切り替えは哲学を卒業するのです。
340E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 15:21:51
>>330

でもって、また別のことも思ったわけ。「時間指定されたら、この結論じゃ逃げられ
ない」ってこと。そんときは、俺、どうすればいいのか?

>327で「反応」面において考察しようとして、俺はえらい目にあっちゃったのだけど、
この設問自体を作った作成者の面の考察を今度はしてみよう。出口が駄目なら入り口
を、ってわけね。

箇条書きの仕方見てもわかるように、出題者は相当意地悪い。それに「信条を捨てる
のか人間殺すのか、どっちか選べ」ってな意図をもった出題をしてるんだもの。

で、だ。この出題者も俺がどのような論理を使うか知っているわけだ。で、俺が窮地
に陥ることさえ見通した上で出題している、と判断していいだろう。なんせ、彼が作
り出した問題なわけだから。言わば「問題世界」の創造主だもんな。彼の手玉にのっ
からざるをえないわけだ。

ん? 「彼の手玉」? 「のっからざるをえない」? どっか聞いた憶えが……。

>>317【物事の理を悟る論者】さん
>貴方を育てるも放置するも、全て私の手のひらの中に有ります。

あら、これと同じことだな。ってことはだ、出題者も俺を「育てよう」と思っている
わけか?

ってことは、「出題する」という行為は「出題を通して、被出題者を特定の思想傾向
に誘導指導教育訓練しようとする」という意味内容を持つわけか。

ってことは、「出題の意図」がどのようなものであるのか? どのような傾向に被出
題者を向かわせてようとしているのか? を問わなくてはいけなくなるな。
341E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 16:39:20
>>338 なんか思い出話しちゃったんで、もうひとくさり、思い出しちゃって。

ある夜、テレビでドラマ見てたわけ。なんだったかの若者受けするようなドラマね。
茶の間で母親と二人でさ。で、主人公は女医者だったか看護婦だったか忘れちゃった
がともかく医療現場の主役として、つまり医療業務補助者(会計窓口やっているとか
施設運営しているとかの人ね)じゃない人が主人公のうちの最低一人なわけ。ああ、
七面倒臭い喋り口になってきたな。この厳密性の罠(笑)嫌いじゃないけど聞かされ
る方はたまったもんじゃないだろう^^;;

主人公が夜街を知り合いと一緒に歩いていたとき、たまたまそこに急病人が発生した
の。で、駆け寄って言ったわけね。

  「○○君、タクシー呼んで!」。そして携帯電話を掛けるよう促す。

とたんに、俺、切れちゃったわけよ。「馬鹿者がぁ!!!」って。母親もびっくり。
説明したよ。荒々しい言葉でね、途切れ途切れにね。なだめすかそうとされながらも
拒否しまくりでね、最後まで言わせてくれと、俺の論理をともかく最後まで聞きやが
れとね。俺の怒りの原因は、

  なんで、「○○君、救急車!」ってシナリオに書いておかないの?

なんだけどさ。

このドラマを楽しみに見ている女性がいるとする。でこの回も勿論見ている。そんな
女性がある日、急病人に遭遇したとする。直ぐにでも病院に運ばなければならない急
病人。そのとき、咄嗟に浮かんだ。「あ! タクシー呼んであげよう」。

(続く)
342E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 16:39:54

地域によっては、タクシーが早いところもあるだろうが、通常は救急車の方が早いだ
ろうと思われる。そして普通の人なら救急車を呼ぶだろう。ところが彼女は社会生活
のことに無頓着なんで救急車の存在なんて滅多に意識したことがない。彼女の頭はフ
ル回転している。この状況においてどのような行動が適切であるのか。そして思い浮
かんだ。好きなドラマのあのシーンが。「○○君。タクシー呼んで!」。彼女は誠実
な人だ。どうにかしてあげたいと必死になってなって考えた悩んだ。そのとき思い浮
かべた「タクシー」。

タクシーを呼ぼうが救急車を呼ぼうが大差ないこともあるだろう。だがしかし救急車
であれば助かったのに、というケースも想定可能だ。そんなとき、タクシーを呼んだ
彼女を責められる人がいるか? で、このドラマの場面、その後急病人がどのように
なったのかは別に何の問題もなく、つまりは「○○君、救急車呼んで!」という台詞
に書き換えたところで何の問題もない。ドラマの筋書きには大して影響も及ぼさない。
だけど、現実にそういう場面に遭遇した人が咄嗟に瞬時に判断を下す際、「タクシー」
であるか「救急車」であるかによって大きな違いを生む「可能性」があるのだ。この
ような点にまで配慮できるようなシナリオライター、演出者、プロデューサー、番組
制作者、番組提供者であれば、助かる命があったかもしれない可能性がないとは言え
ないのである。

これが、僕がこのシーンで切れた理由なのである。「タクシー/救急車」を操作でき
うる人たち「タクシードライバー」の責任を僕は問いたかったのである。でも、その
ときの俺が現実に行なえるわけもない。鼻であしらわれるのが落ちなのである。もの
ごっつう悲しい現実に俺は怒ったんだ。そしてそばにいる母親に当たったわけである。
俺の悲しみを、言語化できる悲しみなのにそれを聞いてくれる耳を持たない持てない
人々の中に存在しちゃっている俺の悲しみを知ってくれって怒ったんだ。
343325:2007/04/01(日) 16:53:56
>>338
私はセックスピストルズを知りませんでしたが貴方の心を捕らえる良い歌だったんでしょうね。
ところで、ビートルズとかセックスピストルズのトルズって言うのはグループを指すのですか?
>>340
そうじゃないよ。
思考を尽くした、と思うと先がないでしよ。
思考の入口にも辿り着いてないのなら、思考の入口に辿り着いて思考の楽しい旅が始まる、と言うことですよ。
これは事実だけどね。
>貴方を育てるも放置するも、全て私の手のひらの中に有ります。
その言葉には、この前の貴方が私に対する非礼を諌める意味も含まれていますが、嘘、偽りでは有りません。
貴方を育てることもできますが関わらず放置するもできます。私に何れを選ばさせるのか、は貴方の心次第ですね。
私は教育で人を変えることはできない、と思います。教育は教え育てることですから教えられ覚えることでは物事の本質を知ることはできません。
覚えることと知ることは基本的に違うのです。頭の良し悪しも本来ならば知ることのできる人のことですが記憶力の良い人が頭の良い人とされていますでしよ。
そこにも幻覚に捕らわれた人類社会が伺えますよね。私は導育と言う言葉を使いますが導育の目的は特定の思想に誘い込む為ではなく物事の理を悟り思想の枠を外した真の人間としてほんとうの意味で自由な心を備え持って戴くことの一点だけです。
貴方は結構深く物事を考査しますが、その頭の使い方を変えれば将来が楽しみな人に成りますよ。
頭を良く使えば周りがも良く成りますが、悪く使えば無理(無い理)がきて早くに頭がくたびれますよ。


344考える名無しさん:2007/04/01(日) 17:40:33
>>343
The Beatles
The Sex Pistols
345E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 17:43:51
>>340-342を踏まえて

出題者の意図が作り出した「出題者世界」、ドラマ制作者の意図が作り出した「ドラ
マ世界」の例からも容易に推測できるように、能動性をもって何らかを提示する者は、
その「世界」が現実の世界においてどのような影響を及ぼすのかを熟慮した上で制作
しなければならない。

これが、僕の、道徳だか倫理だか規律なんだかそういう風に言われているやつに相当
もののようだ。

その価値基準のもと、僕がどっちを選ぶか、ってぇと、出題者(>253)の立場ではな
く、【物事の理を悟る論者】さんの立場に立つ。人間としてはね。

さて、でも、論理も捨て難い。なんせ強力だからな。これをどうすれば自分のものに
できるのか? だ。
346E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 18:28:13
>>343
>私はセックスピストルズを知りませんでしたが貴方の心を捕らえる良い歌だったんでしょうね。

良い歌? あらたまってそう聞かれると、うーん、ビミョウ? まぁ、だけど、「この糞ッたれな馬鹿共がぁ。ケッケッ、EMIからたんまりと金もせしめたしぃ(笑)
(笑)」ってなところにかっちょえーと思うような心情はありますねぇ。でも、パン
クファッションに身をつつんだ人と話す機会があったりしたとき、内心わくわくして
「ね、パンクな人?」って聞いてね、「いやぁ、単にこういう格好が好きなだけで」
ってな答えが返ってきてさ、はぁぁぁぁ、ってな溜息。俺自身は心はパンクだけど格
好はほらさこっ恥ずかしいからさ、そういうパンクファッションとかできないわけよ。
まだまだパンクそのものに成りきれていないってな自覚もあるしさ、そんな俺なんぞ
が身に纏っても馬子にも衣装っていうか仏作って魂入れずってか画龍点晴を欠くって
か馬の耳に念仏ってか猫に小判ってか豚に真珠ってか

>ところで、ビートルズとかセックスピストルズのトルズって言うのはグループを指すのですか?

>>344
>The Beatles
>The Sex Pistols

と説明してくれてますが、老婆心ながら補足説明。それぞれの単語の最後についてる
「s」ね。これついちゃうと複数形。彼らはグループを構成して音楽を奏で、それで
もって金を稼いでしのぎしてる構成員だから複数形。ちなみに、「びーとるず」の方
は、カブトムシの意味の「ビートル(beetle)」と、音楽の拍子ってな意味の「ビー
ト(beat)」からなる造語なわけね。よく見ると「e」と「a」が違っているところ
も味噌な訳ね。でもって、「せっそく・ぴすとるず」は「性・拳銃」だから、男性器
のことなんだなぁ。ついでながら、ドアーズってのも俺好きなバンドなんだけど、
「doors」=「扉たち」って意味になるな。「The End」って曲がコッポラの「地獄の
黙示録」の冒頭で使われててね、最初に「最後」だなんてお茶目だなぁ、と思ったも
のであった。「思考の入り口」の扉叩く者なんて連想したりもするのだった。
347343:2007/04/01(日) 18:41:34
>>345さん
人類社会は力を崇拝し理に反する蒙昧に支配され賄われていますので、そこに道徳心や倫理観を求めることに無理が有ります。
ドラマ制作者の意図が作り出したドラマの目的は視聴率を如何に上げるか、だけで創られているのです。
>>342のお母さんに対する仕打ちは冗談でしよ。
自分で産み育てた我が子にドラマの話で怒られる、なんて理不尽な話は有りませんからね。
自分が見ること、聞くこと、話すこと、感じること、考えることのできる全ては親が産んでくれたお陰ですよ。
大切な命をくれた親に感謝しますが何が有っても親に身勝手な振る舞いは許されるものでは有りませんね。
冗談だった、と願うばかりです。「ほんとう」に親御さんの気持ちを思うと涙がでてきちゃいますよ。
親の人生は一度だけ、命は一つだけなんですよ。その命を粗末に扱わないで下さいよ。

348E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 19:10:40
>>345 において書いた、俺の価値基準、道徳だか倫理だか規律だかそういうふうな
物言いされている価値基準に対して、「わかった、話としてはわかる。だけどさ、現
実にはいろんな人がいていろんな感情を持っていていろんな状況に陥っている人がい
る。それらの人々のことまでも想定していたんじゃ、何も作れないじゃないか。君の
話は話としてはわかるけど、全然現実的じゃあない」って言われるだろうな。この問
題をどうクリアするのか。彼は「全ての事態を想定して現実的じゃない」という反論
を持ち出す。その上、僕に対して、「じゃあ、お前自身はどうなんだ?」という現実
の僕自身のことも言い出すこともあるだろう。この問題をどうクリアすればいいのか? 
答えはあるのか? ある。

「全て」の持つ意味内容を>236で言っているように変えておけば良いのである。つま
り、「『全て』の範囲」は「価値基準を定めた者が想定し得た範囲」と。そして柔軟
性を持たせておく。フェイルセーフってことだな。批判を受けたら、その批判が正当
なものであれば受け入れる、ということ。「全て」の拡大ってことになるな。批判が
不当なものであれば受け入れることはできないが、じゃあ、その「不当性」とは如何
なるものか。単なる言いがかりなら無視しとけばいいが、そうじゃない「不当性」と
は何か? 「決定的な反証」というものだろう。

この時点で「全て」の反証があがり、僕の「全て」の定義は誤っていたことになる。
素直にごめんなさい、と謝るのみである。無責任とそしられるかもしれないが、こう
するしか現実の俺は対応のしようがない。
349E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 19:15:13
>>347
なんだ、あんたも信用してくれないのか

ふぅ

どこまでも続くこの螺旋

あきらめちゃいないけどね。
悲しくもないけどね。
まあ、どうにか、乗り越えなきゃな。
この糞ッたれな世界ってものを。
350E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 19:55:03
>>348 「全て」に対する「決定的な反証」というもの。

「決定的な反証」ってなんだ? と言われるだろうな。容易に想像できる。どんなも
のが「決定的反証」となり得るのか? ん? 俺の頭じゃ「決定的反証」を生み出せ
ない。なぜか。

生み出したとたんそれは俺の「全て」に取り込まれてしまうからだ。「全て」の中に
は「俺が想像した全て」という限定された「全て」もある。「俺が想像した『全て』」
という表記ができるかな。で、その「俺が想像した全て」の中に「決定的反証」があ
る。数学の集合使うとわかりやすいか。

「俺が想像した全て」集合の中に「決定的反証」要素がある。要素がその含まれてい
る集合の存在を否定する場合、その集合は集合として成り立つのだろうか?

これっていわゆる、矛盾ってやつじゃねぇの?

これは、明らかに偽。

結論:僕の提示する「全て」の意味内容変更は、真であり、
   かつ、この意味にしか持ち得ない。

ご批判、願う。
351E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 20:28:37
>>349 「なんだ、あんたも信用してくれないのか」について。

>>237(再掲)
>これも答えそのまま、書いているではないですか。正に、他者の論理を自分が承認し
>受け入れ/受け入れず、自分の論理は他者からの承認を得て/得られずにきただけ。
>人間の歴史を紐解けばこれの連続/不連続が手にとるように見えます。
>
>そして、大多数の者が承認しあったひとつが「論理」であり、共通理解しあっている
>との前提で「言語」が成立している。これは「論理・言語の絶対性」という「神」か
>らの脱却。「論理・言語の相対性」と言えば通りがいいかもしれませんね。

>>273(再掲)
>↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆↓◆
>「きれいごと」と感じられ排斥されてしまわぬよう細心の注意を払い、時には道
>化を演じ、時には化け物を演じ、時には涙を誘うような言説、その他のテクニッ
>クを用い、そしてその上「きれいごと」と片付けられないような段階に達した時に
>おいてのみ、その発話した意味が丸ごとそのままで受け取られうる概念。
>↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆↑◆
>
>この範囲内において形成された概念は「共通概念」として共有される。
>これが僕にとっての「共通概念」の定義である。
352333@似非至高者(笑:2007/04/01(日) 20:30:22
>>339
そうですね。

までも、鍛えないとその境地に辿り付けませんがね。

353考える名無しさん:2007/04/01(日) 21:13:04
で、なんのはなし?
354E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 21:23:52
>>350-351「客観性の保持」ということ。

>>249(再掲。細部訂正済み)
>しかしだ。「自ずから理解することの困難さ(「なんで自ずから理解しなければいけな
>いの?」という自問/反問を含めた上での困難さも含む)」、「自分さえも疑わずには
>おれない人間理性」、「自分の頭の中で考えていることすら『言語』を用いなければ明
>晰化されえぬ悲劇」。
>こういうものをわんさか抱え込んじゃっている人々に囲まれるのみならず、これらをわ
>んさか抱え込んじゃっている自分に追い立てられつつ、僕は生き、あなたも生きている
>のだろう。そして、僕は僕なりの方法論を持ち、あなたはあなたなりの方法論を持って、
>これらに対処しようとしているわけだ。

自分の頭の中で「自分の論理」を用い「自分の言語」を用いて思考する。そしてその結
果を、他者がそのまんま受け入れてくれたなら、そこで使われた「自分の論理」、「自分
の言語」というものが共通概念として、自分抜きの「論理」、「言語」として成立する。もち
ろん、その結果を受け入れない者にとって、共通概念化はしない。今ある、「論理」、「言
語」というものは共通概念化の連鎖として発展しているだけであり、最初から「絶対的に
存在している」というものが指し示すような対象は存在しない。これまで人類が築き上げ
てきた「全ての『論理』」、「全ての『言語』」も同様である。

これを証明するためには、どうしたらよいのか? 「俺の言っていることは本当なんだよ」
と言っても、「それ、本当? my論理だろ。my哲学じゃん」で片付けられてしまう。

ここで、「客観性」というものを使うわけである。第三者というものの存在。僕が使った言
語、論理がどのように受け取られ、任意の者がそれに対してどのような反応を示したの
か、これにより、僕の発話した「意味内容」がどう相手に伝わり、相手の反応により、そ
の「意味内容」がどのようなものであったのかが、手に取るようにわかる。なんせ「純粋
文字表現世界」なのだからね、2ちゃんねるは。そして、どこまでも纏わりつく「それって
本当かよ?(眉唾)」攻撃に対して、有効な武器となることだろう。
355E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 21:42:18
>>353 で、なんのはなし?

エイプリルフールでしょ。俺の法螺話。
嘘の許される日に、虚構の「現代社会」(>331)に対し、法螺話というものをぶっ掛けて、
偽の偽は真なり なんてなことを(笑)

ケーブルテレビでツェッペリン「天国への階段」かかってるよ、なんかかっちょええ。

356347:2007/04/01(日) 21:53:26
>>349

>なんだ、あんたも信用してくれないのか
信用と言う言葉は都合よく使われます。信用してたが裏切られた。信用してくれない。
信用とは裏打ちのない曖昧な言葉ですよね。
何事も自分で確認し相手を確認できる所まで相手を認めなさい。
そうすれば人生で裏切られることも騙されることも有りません。
人から貴方を信用しますので全てお任せします、仕事で言われることが有りますが、いや信用は必要有りません。
私の行動や実績をみてそれに叶う分だけ認めて下されば嬉しいです、と私は言います。
相手の方に、これから先も人に騙されたりして苦労する人生を送る羽目に陥らないように、との気持ちが有るのです。
ですから貴方も私の言葉を信用せずに自分で確認し事実か偽りかを見極めることが大切です。
私は何度もお伝えしています。
物事の理を悟れば知能が育ち産みだされる智恵で人類が抱える全ての問題を適切に処理できます。
と、勿論、貴方が物事の理を悟れば御自分の抱える問題も誰にも痛みを与えず適切に処理することができます。
論理や真理・倫理や道理・道徳・知能・智恵・知性・人格・品性などの全ては物事の理を悟れば得れることです。
従って自分の論理や他人の論理なるものは無いのです。
私は書き込みで貴方を認めている所は明確に記していますよ。それでは不足ですか?
物事の理を悟る方法を書き込んである私のホームページで早急に問題を解決したいのですが、どうすれば良いのでしょう?
との問い合わせに時間の許す限りお返事をしていますよ。
>この糞ッたれな世界ってものを。
世界がこれだから、それを修正する楽しみが有ると思いませんか?
悲しいことを言いなさんなよ。食えない意地を張らずに何でも相談して見なさいよ。困ったときの347頼み、だから、、

357考える名無しさん:2007/04/01(日) 22:01:39
信用は、人が言う理屈を信じるか、人の感情の元である心を信じるか、
人の行動の根本である魂を信じるかによって違う。
358339:2007/04/01(日) 22:02:45
>>352

頭は鋼じゃないんですから鍛える必要は有りませんよ。
自分の心を切り換えれば良いだけですので物事の理を悟るのにお金も係りませんし、その気に成れば誰でもできますよ。

>ただ飛び越えなければならない(幾つか)たった一つのハードルがあるだけ。
たった一つのハードルは「物事の理を悟れぬ自分の心」を「物事の理を悟る心に切り換えれば良い」のです。

359考える名無しさん:2007/04/01(日) 22:16:06
>>357
理屈は「ことわけ」と言って現実を無視した条理ですので、理に反するものですが、
それを信用したら大変なことに成りますよ。
360考える名無しさん:2007/04/01(日) 22:29:44
その漢字とかの字源?を使って、ものごとを説明することを指す、専門用語とかありますか?
361E2 ◆igyenga13c :2007/04/01(日) 23:33:04
>295 280さん

僕は、ようやく、>354に至って自分が語りたいこと、訴えたかったことを、ようやく
言語化することができました。「言葉」、「論理」、これらは【共通概念】でしかな
いということを、とりあえずは「my哲学」されないですむ、「証明」という形で提
出すること。あれ? 「命題」でしたっけ? ま、ともかくそういう類いのやつ。

僕の証明が立証されれば、「神」という前近代的な概念の実在性が即座に否定され、
また、「世界認識」などという浮遊したものを相手に格闘することは、趣味としては
いいでしょうが、それは遊びだよ、ということが、すぐにわかることでしょう。

誰かが言い出した「神」という言葉。その「意味内容」はなんなのか。素朴に共有で
きている共通概念としての「神」なのなら、それは何の問題もありません。しかし共
通概念化されていない「神」の強制が生み出すもの。訳のわからないものを押し付け
られる者が「それは何を意味しているんだ?」と問い返しても、「あるんだからある
んだ!」としか答えず、拒否できず無理矢理受け入れさせられてきた歴史。

そういう強制を伴う「言葉」の数々に苦しめられるのは誰だ? 「意味内容」が伴わ
なくとも強制さえできれば、うまい汁を吸えるってわかっているのは誰だ?

直視せよ。言葉に惑わされず、そこを乗り越えて「現実の世界」を見て聞いて感じて
味わって触れて嗅いで笑って泣いて怒って嬉しがって笑って悲しんで
哲学者よ。言語遊戯、論理遊戯に耽る時間は終わった。現実の世界で苦悩に陥る人々
の助けになってその原因を探りその解決策を解いてまわれ。

280さん。僕の提出した証明らしきものが、もし立証されれば、役に立つと思うん
だけどね。立証されなかったら? また、道を探す(笑) まだ、俺は何かを思い込
んでいるのかもしれない。俺を縛り付けている枠があるのかもしれない。そういうも
のを想定できるのかどうかはわからないけどね(笑)
362考える名無しさん:2007/04/01(日) 23:43:42
「哲学は考察する学問だ」って、どういう意味?
なにを考察するの?
雲のことをずっと考えても哲学になる?
でも雲の形を分類するのは、たぶん気象学者の仕事で、
その仕事は気象学とよばれているような気がするんだけど?
363280:2007/04/02(月) 00:09:59
>>361 E2さん
うまくリアルに分かるわけではないけれど、とにかくよかったですね!
364考える名無しさん:2007/04/02(月) 00:11:21
とりあえず「神」という言葉も重要らしい。
この「神」という言葉が指し示すものを、みんなで仲良く信じ合い
共有しあっている、という状況がまず考えられ、
素朴な感じで?これは、おっけ、なんだ。
しかし、そこに他所の人がやってきて、それまで、みんなには共有しあっていた
「神」にというものに対し、それは違うよ、それは「神」なんて呼べるしなものじゃないでしょう、
なんでもいいから、こういうのを「神」ということにしましょう、と無理矢理おしつけるのは、
とても良くないことなんだけど、そうした、良くない出来事の連続がこれまでの歴史で、
これからは、どんな「神」についても、個人の?
拒否権を与えるのがいいでしょう、という風に読んだけど、
これって、いわゆる信仰の自由ってやつとは、ちょっと違うのかな?
365考える名無しさん:2007/04/02(月) 00:15:27
ああ、なんか、空気嫁ない?
スレタイに「哲学は難しすぎる」って書いてあったから、
なんでもレスして、最後に、哲学って難しいよね、と書いておけば
大丈夫でしょう、って軽い気持ちだったんだ。
ごめんよー。さいなら、
366E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 00:23:24
>>362
>「哲学は考察する学問だ」って、どういう意味?
>でも雲の形を分類するのは、たぶん気象学者の仕事で、
>その仕事は気象学とよばれているような気がするんだけど?

ええ、そうでしょうね。でも、基本的には哲学の範疇なんだよなぁ。

>>312(再掲)
>これを踏まえて考えてみると、「哲学は(○○について)(△△方法論を用いて)考察
>する学問だ」という言い方ができます。括弧内に何が入るのかは各々の目的意識に
>よって違ってくるわけです。括弧内に入る目標を考察する人々がある程度まとまり、
>それなりの学問分野として充実してくると、その分野は「○○(△△)学」として独立し
>ていくわけです、哲学者の見地からするとね。現在ではかなりの分野が充実し、それ
>ぞれ独立していったので、一見、隙間産業的な感じに見えちゃいますが。

これ読むとわかるように「哲学」ってのは、何を考察対象にしてもいいわけです。ど
んな方法論を用いてもOK。で、同じ趣味を持った人たちが集まって、趣味サークル
を作ったりするでしょ? あれと同じで、同じような対象、この場合だったら「雲」
ですが、雲を中心に考察しようってなグループができるわけね。で、前からそういう
グループがあるんだったら、入会するもよし、あそこはいやだなぁ、と思えば入らな
ければいいし、もちろん、別なサークル立ち上げても言い訳。これが「学派」とか「流
派」とか言うやつかもしれないね。どうせ同じ趣味なんだから、一緒に楽しめばいい
じゃん、てなね。でも、やっぱ考察する主体は人間だからさ、そこはそれ、いろいろ
あるだろうな(笑)

あ、話が逸れた。すみません。だから、雲を考察対象にしても哲学になります。それ
を物理的に考察対象にするのであれば、「気象学」ってなサークルに入るのが楽だろ
うってことだな。雲を詩的に考察対象にしてもいいけど、それなら「文学」のサーク
ルでわいわいやるのが楽だろうね、こっちは女の子も多そうだからお勧め(笑)
367考える名無しさん:2007/04/02(月) 00:39:43
豆腐は?純粋、猛烈に、豆腐を攻究していけば、豆腐哲学というものが出来る目もある?
368考える名無しさん:2007/04/02(月) 00:47:15
世に現れていないだけで、深淵なる豆腐哲学を構築中の豆腐屋もいるかもしれないと
考えられますよね。豆腐屋の化学とか、豆腐家の経済学とか、豆腐家の存在論とかには、
かぶらない、独特で、固有の展開力をもつ、純粋豆腐哲学!
いまのぼくには想像するのが、むずかしいけれど、今夜はそんな夢を見て眠ることにします。
どうも、こんどこそ、もうお邪魔はしません。><
369194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/02(月) 01:21:41
どうやらみなさん成長しましたな 哲学してますな
私が思うに
「信じるものは救われる」結局はこれに尽きる 街角でよくみるやつだ
信じるものは即救われる 
信じないものは永遠に疑い続けるかいずれ自分の信ずるところを信ずるの
選択を行う 
ここには「入信」と「救済」の地平が広がり続ける
その世界を「もうそろそろここらでよか」というところまで歩き続ける
そこには充足があり休息がある そしてそれは魂の救済である
>>367君が信じてやり続ければ体系的なものが必ず出来上がる必ず
しかし他人はそれに耳を貸さないだろう そればかりか君に
豆腐を投げつけて嘲笑するかもしれない 豆腐にまみれた君の最後は・・・・
「豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ」 これだ これがふさわしい 
哲学と矛盾を凝縮した再現豆腐モニュメントが豆腐職人によって建立される
そしてたくさんの人が笑顔で醤油片手に食い崩すであろう
豆腐哲学大いにがんばってくれ
370E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 01:59:26
>>364 「強制」ということについて。

>これからは、どんな「神」についても、個人の?
>拒否権を与えるのがいいでしょう、という風に読んだけど、
>これって、いわゆる信仰の自由ってやつとは、ちょっと違うのかな?

うーん、理由付けの仕方がまた多分違ってくるけど、結果としては「信仰の自由」と
同じになりそうだなぁ。現実にもう存在しているって信奉している方々もいらっしゃ
いますから、あまり刺激しないように言葉一般でもって考えてみます。

ある言葉があってその言葉に対してある個人、んーっ、「彬さん」という名前をつけ
ときますか、で、彬さんがとりうる態度ってなことを考えてみます。

  1.その言葉の存在自体を知らない
  2.言葉は知っていても、その言葉が指し示している「意味内容」は知らない
  3.言葉も知ってて、その言葉が指し示している「意味内容」も知ってる

の3つの場合に分けられます。「意味内容」ってのがわかりにくいと思いますけど、
要は「おお、あれのことか。ふむふむ、それなら俺知っているよ」ってなやつ。

第1項では問題起こりようがありません。その人にとってその言葉はないんですから。
第3項では、その言葉に対する態度、価値基準というものを持てます。価値基準はひ
とつとは限りません。その言葉の持つ語感とか、「意味内容」に対する評価とか、い
ろいろな価値基準を持てます。ああ、そうだ、「好き/どうでもいい/嫌い」とか、
「受け入れる/まだまだ/いやだめ!」とか判断する際の元になる基準のことを、「価値
基準」と言うんですけどね。

さて、第2項なんです。僕が問題にしたいのは。

(続く)
371E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 02:00:08
>>370

「それ、どんな意味?」と彬さんが聞きます。この質問に対して、彬さんに説明をし
ます。@「おお、そういう意味か」と納得すれば彬さんご満悦で顎の下をなでまわす
かもしれません。あるいはA「もそっと説明してくんねぇか?」と再度説明を求めて
くるかもしれません。あるいはB「なんだ、そんな意味なのかよ! てめえ、俺を馬
鹿にしやがったのか!」と鶏冠にくるかもしれません。

@とBの場合は彬さん、その言葉に対しての何らかの価値基準を持つことができ、こ
のとき、その言葉は第3項に分類されることになります。Aの時はもう一度説明しな
いといけません。この作業は、ともかく彬さんが何らかの価値基準を持てるようにな
るまで繰り返されます。第3項へ移動するまでね。
(参考:>331「無限」>350「全て」)

「それ、どんな意味?」と彬さんが聞きます。この質問に対して、「ともかく受け入
れてくれ、彬さんがわけわかんなくてもね」という要請をした場合、@彬さんは「じ
ゃあ、ともかく受け入れてみるだけ受け入れてみるか。そのうちわかるかもしんない
し」という態度をとれます。あるいはA「や〜だね」と拒否できます。

@はユークリッド原論の冒頭部分がこのタイプですね。Aは数学の教科書見るのもや
な人って感じかな?

「それ、どんな意味?」と彬さんが聞きます。この質問に対して、「問答無用! 成
敗してくれるわ!」と彬さんの質問に対して答えずに無理矢理使えと強制する。

この最後の意味における「強制」を僕は問題視したわけです。>361においてね。

で、挙証責任って言うんでしたっけ? 証拠を提出しなければいけないってないう意
味のやつ。ここにこれを当てはめると、言葉の意味する内容を問う者が挙証責任を持
つわけではない。だって、わかんないんだもの、あげようがない。問われる者に挙証
責任があるわけです。だから、必死になって「神の存在証明」ってなのに血道を上げ
てきた歴史があるわけだろうなぁ、と僕は思っちゃうわけです。
372E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 05:03:44
>>371における「それ、どんな意味?」についての補足説明

3つの「それ、どんな意味?」を並べ、それぞれの内容と大雑把な構造について説明
を述べました。これの構造についてちょいと一言。

  1.説明
     @肯定
     A判断保留
     B否定
  2.要請
     @仮受諾
     A拒否
  3.強制

第1項のAの場合、彬さんと対面している者の道筋は、第1項、第2項、第3項です。
第2項の@の場合、結果、受諾すればOK。否定すればそれはそれなりに終わりを迎
えます。疑問が生じて聞きたくなったら、最初に戻ります。「それ、どんな意味?」
という最初の段階ね。疑問が生じても聞きたくなかったら聞かなくてもいい、ってと
ころに注意しておいてください。まあ、尋ねないで結局損しちゃったってこともある
だろうけど、それはそれだからなぁ。聞いていれば得したかもしれないけど、何の得
にも損にもなんない場合もあるしねぇ。

あ、「疑問を生じても聞かなくていい」っていう選択肢、とっぱじめの3択(その言
葉を知らない、意味は知らない、両方知っている)のどっかに入れとかなきゃいけな
かったかな? ありゃま、なんてこったい!

ああ、「意味は知らない」から2択にしとけばいいか。@「それどんな意味?」と聞
く。A意味を聞かない。ふむ。これでよし。この程度なら、修正した上で再度アップ
するまでもないな。フリーソフトならマイナーバージョンアップってなやつに相当す
る程度だろ。差分よろ(笑)

このように、構造としては割と複雑なのです。道筋があっちこっちに分岐するので。
373E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 09:48:06
【論理が難しいのではない、言語の意味内容の了解性が難しいのである】

ふぅ。一服。
証明に使われたもの一覧ってなものを、大雑把ながら拾い上げてみる。

【定義】
  共通概念(>273)
【言葉の意味内容の変更】
  全て(>350)

僕の証明において使われているいわゆる一般的に通用している論理は、単純なものばかりだ。以下の3つぐらいかな?

  二分法と三分法(>259)
  集合とその中にある要素の関係 背理法(>350)
  客観性の保持 帰納法みたいなもの(>354)

ところが、言語の意味内容を捉えて証明に取り込むってのが難しい。言語の非絶対性
(>237)ということですんなりわかってもらえるならいいんだけど、疑いを持つ人は
どこまでも持ってしまう。>288-289においてテストした「本当」を「本当」として受
け取ってもらうことの困難さ、>294において結果が出て失敗し、だけど、>295にて、
どうにか僕の「内省」というものに対して「本当っぽいな」という感触を持っていた
だけたようだ。これは、彼の発言行動の変遷(>280→>291→>295→>363)を辿ればわ
かっていただけるのではないだろうか。これをも疑うのなら、それはそれで今のとこ
ろはしょうがない。僕の手には負えないどこまでも疑うデカルト並みの方だろう。

とはいえ、デカルトも「疑う自分」は疑えなかったからなぁ。「『自分が思考した』
と思い込んでいるだけかも?」(>321)と疑うことで「自分の論理」というものに目
を向けさせられ、その後をどうにか続けられた。【物事の理を悟る論者】さん、心か
ら感謝。あなたの叱咤激励がなければ、僕は乗り越えられなかっただろうな。

(続く)
374E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 09:49:09
>>373

なぜ、こんなに難しいのか? 言語の持つ性格そのものに由来する。言語は2人以上
の間でやり取りし、お互いにお互いの言語の意味内容の確認を絶えず行なっている。
道端での会話であれチャットであれ2ちゃんであれ。そして、「納得/判断保留/拒
否」ってな価値判断を絶えず絶えず下しながら進んでいくわけだ。動的にね。これを
どうやって補足するのか?

現実の生活では、身体表現(身振り、話し方など)、環境(映画館、教室、茶の間、
宇宙船内など)などの影響も受けた上での意味内容の確認なども行なわれたりしてい
るので、言語の意味内容を正確に捉えることは、言語のみの分析では不可能だ。

そこで2ちゃんなのだ。純粋文字世界(>354)。僕が発話し受け手がどう受け取りど
のような反応を示すのか。発言という反応を示してくれたら、僕はその意味内容を読
み取り、返す。これの繰り返し。言語の持つ「意味内容」が発言行動という形で炙り
出されてくることになる。

そして2ちゃんだと、「客観性の保持」という利点もある。僕はこのスレではE2と
いうコテハンでだけ発言している。まあ、信用してもらうしかないが、現時点では。
でも、見ず知らずの誰かがこのスレで発言していることは確実なのである。僕以外の
全ての発言者、誰か一人が演じ分けている可能性も否定できないけどね。まあ、可能
性はほぼないだろう。

「見ず知らずの他人」という点が重要な「客観性の保持」の条件なのである。日本語
を使用する任意の他者との会話。「お前らグルだろ」と言われないためのね。グルー
プになると、それはグループ外の者からすると、特定の一法人のごときに扱われかね
ない。「女子高生」というグループはAV界に興味を示す人だけでなくともそれだけ
で萌えってな対象にされるってなね。まあ、「やらせ」疑惑を払拭しないといけない
わけ。スレ外で今後の発言の方向性を打ち合わせして、示し合わせてスレ進行を図っ
たってな邪推に対しての反論材料としての「『見ず知らずの他人』性の保持」。

(続く)
375E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 09:50:30
>>374
そして、僕の真意をここまで明らかにできなかったのもここにある。部分的には散り
ばめてはいるけど。僕の真意を明らかにした上で進行したら、他の人たちは僕の真意
に沿うような発言行動をとる可能性があるから。これでは「意味内容」の正確性が落
ちてしまう。

なぜここまで「客観性」ってなのに拘ったのか? 簡単だ。「my哲学」との批判に
対して反証能力を持たせるためである。

さて、言語は僕の中にもある。思考するということは、自分の中に他者を持つことな
のだ。いわば彬さんと徹さんとの会話なのだ。徹さんが「○○だなぁ、彬は」と言っ
て、彬さんが「お? 徹よ、その○○って、どういう意味だ?」と問い返す作業の連
続。で、思考する大元は一人なので「意味内容」のブラッシュアップは簡単にすむ。
言語の持つ「意味内容」の構造分析ってなところはあまりしないですんでいるのである。

僕の思考した結果を言語化するには、この内なる会話を外在化させなければならない。
つまりは聞いてくれる人がいて、反応してくれる人がいないといけないってこと。僕
の思考で得た結果ってのは、「言語」そのものの持つ性質ってなやつだから、完全な
る他者、全くの見ず知らずの他者が僕と会話してくれる必要があったんだ。2ちゃん
のような存在が必要なわけだ。

なぜか? 本にせよ論文にせよ、それは「my哲学」と批判される範疇を超えられな
いから。共同執筆したとしても、それは「1つのグループ」として捉えられ、言わば
法人としての一体性を持つものとして受け取られる可能性をもっているからね。

そんなんじゃ満足できない結果を僕は持ったと確信/妄信した(>293:>353)。そし
て2ちゃんねる哲学板という僕の思考を言語化するには持ってこいの「場」(>319)
が現代にはある。そして【物事の理を悟る論者】さんがいた。彼の存在は僕が僕の結
果を言語化させるためには必須の人物。このスレ住人としてたまたま偶然いたとは思
えぬほどの。重ね重ね、感謝。

(続く)
376E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 09:52:06
>>375

ソクラテスが本を書かなかった理由も僕には分かっていた。本という媒体では著し得
ない論証だもの。だから、彼はその思考経過結果をバックボーンにして、知を愛す
人々と会話していたんだと僕は思う。

ウィトゲンシュタインは、日常会話の分析をせずに「論理」の分析に向かわざるを得
なかった。だって、彼の時代には2ちゃんなかったもの。「論理」も「言語」の一種。
「論理」を極めようとしてそこに「言語」の摩訶不思議(>259)なものにぶち当たっ
てしまった。「論理」を提示するために必須の「言語」の持つ「意味内容」の不確定
性。確定し得ない言語に頼らざるを得ない「論理」も当然、不確定性を持たざるを得
ない。でも、とにかく、日常言語以外の「論理」については結論を持ったようで。

  語り得ぬものは沈黙しなければならない

で、僕は「言語」の持つ不確定性を立証しえると目論めたので、僕の真意が「世界史
的な意義を持つ哲学の提示」と容易には悟られないように饒舌に語りつつ、そして絶
えず「きれいごと」と片付けられないように「荒らし」として片付けられないように
しつつ、論拠となる会話を収集し続けていたわけで。無駄な会話をして散漫になるの
は極力避け、一般的に流通していると思われる「意味内容」でもって発言するよう心
がけ、レスをつける際にはそのレス元から受ける「意味内容」に即した態度を心がけ、
でも感情に流されることなく。でも流れてしまったこともあったけどね。絶えず自己
修正を心がけ、発言してきた。これも自らの結論に自信を持ち立証され得ると確信し
ていたから。

194さん。発言内のループを超えるスレ内の螺旋を楽しんで(笑) 哲学は難しす
ぎる? 論理が難しいわけじゃない。専門用語が難しいわけじゃない。これらは知的
遊具として編み出された知恵の輪(リング)。俺はあんまし得意じゃないんだ、知恵
の輪。言葉を信じきれない人々の中にいるから、難しいんだ。

スレのみなさん、真意を明かすことなくやってしまって、まことにすみませんでした。
377考える名無しさん:2007/04/02(月) 12:46:54
>> E2さん
E2さんが今実感している『哲学の難しさ』について、
あらためて平易な説明をしてもらえるとありがたいです。
今すぐでなくてもいいので、ぜひ。
378E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 13:20:36
>143
>>だったら地球の周りを太陽や惑星が回ってるって考えたっていいじゃまいか、とか
>
>↓若干訂正
>だったら地球の周りを太陽や惑星が回ってるって感じたっていいじゃまいか、とか

どっちだっていいんだ、俺的に言えば。感じからしたら、地球の周りを太陽や惑星が
回っているほうが当たってるもんな。ただ、考える際に、どっちがより簡単/面倒に
結論が出るか?ってこと。今、見えている現象を論理的に説明する際に、説明する量
ってな価値基準で持って(少ない/判断保留/多い)のうちからどれを選ぶかってこ
とになる。で、今は地動説の方が楽だから、地動説が主流になっているだけのことだ
な。もっと楽な思考量で済む学説が出てきたら、今度は「ふる〜〜っ、まだ地動説な
んて信じてんのぅ」って言われると思う。天動説で説明するために、多くの方があん
まり好んでないだろうサインコサインタンジェント君なんかが発展改良駆使されまく
りしているんで、まあ、天動説の役割もかなりでけぇんだなぁ。価値観の多様化が進
む現在、訂正文など載せず、堂々と、俺は「天動説のしっちゃかめっちゃかなあのグ
ロテスクなまでの複雑怪奇な論理構造が好きなんだ! だから、俺は天動説を支持す
るぜ! ただ今のままの天動説だと説明つかないところあるから、そこんとこは突っ
込まんでくれぇ。そのうちきっと誰かがそんな弱点を克服するようなスーパー天動説
Z〜永遠の彼方に〜ヴァージョン作ってくれるからさぁ(作れない自分の力量にガク
シ)」ってなところまで突っ走るのが2ちゃん的には受けが良かったと思われ。
379E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 13:53:18
>>377
>>E2さんが今実感している『哲学の難しさ』について、

実感といわれても、直前の文章の最後の段落ですねぇ。特に「言葉を信じきれない
人々の中にいるから、難しいんだ」 ←ココね、ココ。

平易に説明ってなことになってるかなぁ。これで。うーん、僕の証明、全て、このレ
ス全て、俺が登場する前からの発言含めて、全ての発言の上に成り立っているからなぁ。

「哲学」って言葉が指し示す「意味内容」がなんなのか。人によって違うでしょ。>312
で僕も説を出したけど、これだって、俺の説ってだけでしかない、今のところ。ん〜っ、
ああ、そうか。言葉を信じきれないんじゃなくて、

  「どこのだれそれが発した『言葉』だから信じる」
  「どこのだれそれが発した『言葉』だから(一応)信じる」
  「どこのだれそれが発した『言葉』だから(いやいや)信じる」
  「どこのだれそれが発した『言葉』だから信じない」

という場合分けができるな。人か言葉を選んでいるわけか。ふむふむ。

  @「人」を (信じる/判断保留/信じない)
  A「言葉」を(信じる/判断保留/信じない)

このふたつの掛け算みたいなものですね。単純なケースだけで9種類のパターンでき
るなぁ。これじゃあ、意味内容がめっちゃくちゃ違ってきても当たり前ですよねぇ。

おお、また、ひとつ考えられた。感謝^^ 377さん
380考える名無しさん:2007/04/02(月) 14:17:13
>哲学は難しすぎる
>>1
>理系の俺が大学の図書館で哲学に関する本を読んだが、全く理解不能

そこで気づかないのですか?
貴方の頭が悪いんじゃ無くて哲学に関する本を書いた者達が哲学のことを知らないんじゃ無かろうか、とね。
哲学を知らない者達が書いた哲学に関する本を読んで貴方が哲学を理解できれば貴方は人智を超える知能を備えています。
つまり>哲学は難しすぎる、ではなくて哲学を理解できる者、がいないと言うことです。
哲学は簡単で有るが故に、哲学を難しく考える者達には難しいのだ、と言うことです。
哲学が難しい原因は貴方には無いのですよ。これで、お分かりですかな?
381377:2007/04/02(月) 14:34:01
>>379
レス、ありがとうございます。
E2さんの『言葉を信じきれない人々の中にいるから、難しいんだ』というあたりがポイントであるように思ったのですが、
そこまでの展開のスピードについていけていなくて・・・
さらに噛み砕いてもらえたようだから、精読してみます。
382E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 16:42:17
>170
>小説家に自殺が多い理由がわかりました。
あなたがどうわかったのかはわかりませんが、僕が思うに、ってなことを一くさり。

小説家の名前、城さんとでもしときますか。彼は僕のように「ユリイカ!」になった。
彼は小説家です。その職業的立場を利用して、どうにか言語化できないかと奮闘し、
そしてそれを言い尽くそうとした。言い尽くさなければ判ってもらえないからです。そ
れまでの人生の全経験を精査(これには自分の直接体験だけではなく、本を読むと
の間接体験なども含みます)し、それらを全てつぎ込んだ作品を作ろうと企てた。だ
が、この方法では無理なのです。もし、出来上がったとしても、それは「彼の作品」、
「フィクション」、「彼の哲学がこめられているが文学」という「my哲学」の範疇に留ま
らざるを得ないからです。

完全なる他者との会話が成立したとしましょう。他者を柳さんとでもしておきます。こ
の際、第三者がそばについてその場の状況、城さんと柳さんの会話のやり取り、身
体的コミュニケーション具合も含めて克明に記録し、発表しえたとしても、それは、
その会見場所外からみれば、ひとつの法人格内からの発信、つまりは「my哲学」の
範疇になります。

まあ、だけど、多分、その前に駄目なのです。170さんが想定した小説家は、「自殺
した」という修飾語がついています。このような修飾語がついた小説家は、もうそれな
りに高名な方であろうと容易に想定できるからです。柳さんは勝手に「ご高説ごもっ
とも」的な対応に出ちゃうでしょうね。対等な立場だとしても、そういう小説家との対談
なので何かと取り繕わなくてはいけない状況にあるだろうことは容易に想定できます。
となると、言葉の「意味内容」に関わる精度が落ちてしまい、彼がユリイカ!しちゃった
結果の証拠能力としての価値がなくなることでしょう。

いろいろ彼なりに努力してそれでもあるレベル、「これなら分かってもらえるんじゃなか
ろうか?」というレベルの「作品」を書いても「my哲学」、次に出しても「my哲学」、対談
しても「my哲学」、どこまでも付きまとう「my哲学」、その深刻な事態にどんどん追い
込まれていくことになってしまい、小説家も芸術家ですから繊細な心が……
383E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 20:42:21
E2証明までの流れ、概略。【その1/3】

>>177-178 自己紹介
      分析者の存在を意識。対立点の洗い出し、明確化。
      意味内容の外形的特徴。誤入力レベルの差。専門用語という存在。
      不明点の指摘。
>>187 私の思想的立脚点。
    西洋哲学の武器=論理。西洋哲学の現状。会話相手とのコミュニケーション。
    評価。論理の流れの明確化。不明点の一歩踏み込んだ指摘。
>>191 相手に対しての親しみの表現。読者への配慮要請。
    指摘範囲の明確化要請。合意事項表明。苛立ち表明。反論。揶揄的表現。
    不明点の推測。
>>193 攻撃。(相手。西洋哲学の僕の解釈に合意)。再反論(冗談付き)。
    不明点の境地に至った経緯教授要請。
>>199 他参加者へ広げる。
    科学というものの性質。能動性。自分のスレにおける立場表明(嘘)。
    会話というもの(共通概念化を目指すこと)。ウィト論考解釈。
    ウィトの限界。論争の意図表明。
>>203 論破らしきもの
    お題目。知っている者なら知っているはずのことを知らぬのはおかしい。
    偽者断定表明。論争のスレタイに沿った意図表明。方法論開示。
>>204 第1部終了宣言 街頭ハプニング演劇手法を用いていたことを白状。
        自演という罠。信用。

>>209 専門用語への僕なりの位置付け。言語哲学の問題意識。諧謔。ニーチェ。パズル。
>211 訂正による、現在形→過去形。解決したとの暗黙の表明。
>>213 言語遊戯。連想変換。ジョイス原作。柳瀬尚樹訳。別視点からの解釈。
>>233-234  「全て」の範囲。論者に対する住人の反応を観察。価値基準。
     クオリア物語としての解釈(not哲学)。力への意思=能動性。
(続く)
384E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 20:58:23
>>383
E2証明までの流れ、概略。【その2/3】

>236 「全て」の意味内容変更。
>237 言語・論理の非絶対性。
>242 多数決強制。哲学履歴書。批判時の対応姿勢表明。素人と玄人。現実世界と2ちゃん世界での情報量の違い。
>245 被多数決強制範囲の変更。
>246 現実との情報量の違いについての論拠。
>248-249 法則の意味内容。トートロジー。「理」の多義性。集合名。多様な方法論。
      「自ずから理解することの困難さ」、
      「自分さえも疑わずにはおれない人間理性」、
      「自分の頭の中で考えていることすら『言語』を用いなければ明晰化されえぬ悲劇」。
>259 194の名乗り
    言語の恐ろしさ。了解可能性。価値基準。二分法。三分法。
>260 「理」代入実験。ヒトと人間。文解釈の提示。
>264 スレタイへの一解答。専門用語の持つ多義性/厳密性/日常イメージとの乖離。
>269 論者解釈の進展。
>272 二郎兄心境推測。論者寄りの解釈。クオリア。現実認識。超えた地点。共通概念の定義。
>277-278 論者を翻訳。論者の考える原因、僕の考える原因。論理の非人間的性。
>283 価値判断についての自己批判。「内省」
>284 虫退治。
>286 論者解釈(判断保留)。板保守。ソフィーの世界。
>287 感情誤爆。謝罪。
>288-289 「本当」の意味内容テスト。「意味内容」の保証条件。
>292 論者への認識表明。
>293-294 僕の意図。僕が望む地平。僕の理論の立証「場」、及び方法論としての
      スレ登場。螺旋構造。本当の意味内容テスト結果。バグ出し感謝。
>308 充足理由律。免疫系。
>310 「生きている/生まれた」問題。言葉の「意味内容」という問題意識。
>312 哲学は○○する学問。「論理」。
>313 哲学の効用。明晰な分析を下し、かつ、言語表現するのが哲学
(続く)
385E2 ◆igyenga13c :2007/04/02(月) 20:59:39
>>384
E2証明までの流れ、概略。【その3/3】

>315 信条人間問題。
>319 レス放置への嫌み。2ちゃん特性。言語明瞭意味不明。言語化する場。
>321 自分が思考しているという思い込みからの脱却。一方的ディスコミュニケーション状態。信条人間問題の結果比較。
>327 論理をねじふせることへの不満。信条人間問題の解答提示時の反応。嫌悪感。
>329-330 信条人間問題の時間面からの検討。箇条書きの性格。
>331 幻覚世界の中の「現実社会」。「意味内容」の不確実性。
>338 パンクスとしての自覚。ニルヴァーナ「レイプミー」。キリスト。
>340 信条人間問題の作成者の意図。
>341-342 ドラマ制作者の配慮不足。自分の無力さ。


【証明の主要部分】

>345 僕の道徳律。
>346 外見と中身の違い。
>348 「全て」の意味内容変更要請。
>349 信用。詩。
>350 「全て」の意味内容変更の証明。集合。要素。背理法。
>351 再掲示強調。言語の非絶対性。共通概念。
>354 「客観性の保持」による、言語・論理の歴史的発展ということの証明。

      【先在的にある「言語」、「論理」の否定】が証明された
386E2 ◆igyenga13c :2007/04/03(火) 02:52:12
こっぱずかしい告白をしなければならない。「自分の頭で考えたという思い込みから
の脱却」かっこいい台詞だぁ使っちゃえってさう〜む心底意味が判って使ったわけじ
ゃあなかったなぁ。心底パンクスって自覚がないからパンクファッションを身に纏うな
んて俺自身はこっぱずかしくてやってられねぇと同時にパンクスじゃないのにそうい
うのを身に纏っている奴に対してぐぬぅぅぅってなあほじゃねぇとか判断下している癖
して自分だって同じことをやっているってのにさ内心じゃ判ってたのに告るのをため
らってた。自分のものだけにしたいなんてさもしい根性持ってる自分。どうもすみま
せんでした。みなさん。僕が登場した時点では証明できるという目論みは確かにあ
りましたが今振り返って鑑みるに最初の発言時点(>177)における僕の中にある証
明は穴ぼこだらけで使い物にならない品物で……。【物事の理を悟る論者】さんの
「理」がなければ最後までたどり着けませんでした。194さんが提示してくれた「=」
「全て」「言葉と論理の思い込み」ってな発言がなければ最後の乗り切りはできませ
んでした。280さんぴったんこのタイミング「本当の内省」を利用させてもらいました。
311さんの一見素朴な質問によって僕の問題意識が大きくブラッシュアップされま
した。コンタロウの漫画「ルーズルーズ」に出てくる哲学するおじさんを髣髴とさせる
考える名無しさんの発言に元気付けられました。信条人間問題提示者に感謝。信
仰の自由で「意味内容」の持つ複雑な構造について考察できました。人と言葉の相
乗作用ってなので天文学的な「意味内容」に気づきました。ナイスタイトルな理系の
人に感謝。発言者に感謝。2ちゃんに感謝。プログラムとかハードとかわかりやすい
哲学しやすくなった道具に感謝。気が済んだ。偽:俺の頭が考えたという思い込みか
らの脱却。真:全ての人間の思考による共同作業によって作り上げた(真実/妄想)。
ん?これ真か? 真。
387E2 ◆igyenga13c :2007/04/03(火) 06:22:42
>>347
>>>342のお母さんに対する仕打ちは冗談でしよ。
>自分で産み育てた我が子にドラマの話で怒られる、なんて理不尽な話は有りませんからね。

冗談でもなんでもねぇよ。理不尽だろうがなんだろうが事実なんだ。母親去年死んだ
から証言はさせえられねぇけどな(笑)(笑)
それほど、俺は怒ってたんだ、俺の話を聞いてくれる相手がいないとどうしようもね
ぇほど怒ってたんだよ。馬鹿か、てめぇ。そんな人間がいることにさえ、思いがおよ
ばないないなんてな。くそ。

ってな心をこめてあんたを馬鹿にした言葉だ ↓

     >>349 なんだ、あんたも信用してくれないのか

>>356なんぞ、ほとんど嘘しか書いてないじゃないか。俺の真意も読み取れずに、よ
くもまあ、ご託宣並べられたもんだ。

>私は書き込みで貴方を認めている所は明確に記していますよ。それでは不足ですか?

こっちも明確に認めているところは認めてるって伝えているじゃないか。ここまでや
りあった仲だからこそ、俺のあの文章を「嘘でしょ」とか言ってもらいたくなかった
んだよ。こんばかやろ。


  あーっ、これも言いたかったんだ。忘れてたな(笑)(笑)
  あーっ、すっきり。
388考える名無しさん:2007/04/03(火) 10:12:19
「物事の理を悟る」ことでなんでも解決するというファンタジーに行き着いて、
そこで力尽きてか、もう安心したかったのか、とにかく思考停止してしまった人、
をこのスレで目にしました。
そういう物語に取り憑かれてしまった人は、もうオープンな世界へ出てくることは難しいんでしょうね。

なんだか残酷だなあ、と思いました。

389考える名無しさん:2007/04/03(火) 10:30:22
それに比べれば "E2" さんはまだオープンな世界の側にいるようだけれど、
つまり教条的に凝り固まってはいないけれど、
そのぶん模索の真っ最中のテンションの高さや攻撃性(悪いことではないと思う)が感じられて、
とにかくここが果てだと思えるところまで到達してください、と願うのみです。

私はいわば途中で力尽きたというか満足できてしまったというか、
要するにその程度の問題意識や必要性しかなかったということなんだろうと思っています。

哲学は、それに意味があるというよりは、
人々の問題意識や不安を引き受けてくれる分野として、
試行錯誤や思考の鍛錬の場として、あるいは自分の不安を和らげるための取り組みの場として、
昔から役割を果たしてきたんじゃないかなあ、という感想に行き着いています。

多くの人がここで焚き火や掘っ立て小屋を建てて過ごしていた。
後から来た人がその残り火や燃えかすや廃材を利用して、また野営してしばらく過ごす。
そんなイメージです。
390考える名無しさん:2007/04/03(火) 11:05:56
あ〜びっくりしたな、もう、

其処にある井戸の中の蛙が二匹でひそひそ話を聞いて驚いたよ。
外にいるヤツラも此処に来て上見れば分かるけど針の穴にしか見えない外界なんて狭っ苦しい所にいないで、
この広い井戸の中に来れば良いのに、だって、、。危うく言って見ようかな何て思っちゃつたよ。
391考える名無しさん:2007/04/03(火) 11:24:50
日本語でおk?
392E2 ◆igyenga13c :2007/04/03(火) 12:56:56
>388 なんだか残酷だなあ、と思いました。

いやぁ、実はですね。彼、屁の河童だと思っていると思いますよ。僕の>387の発言読
んでも。これまでもそうでしたしね(笑) 僕は怒る過程も必要だった。今になって彼の
発言を冷静になって読めるようになって、そしたらそんなに悪いことばっかり言ってい
るわけじゃない。まあホームページなんたらのあたりはご遠慮申し上げたいけど(笑)
俺が「ほとんど嘘だ」って断言したほうが嘘。ただね、

>信用とは裏打ちのない曖昧な言葉ですよね。
>何事も自分で確認し相手を確認できる所まで相手を認めなさい。

これって無限の罠。どこまで行けば相手を確認できるのか、いつになったら終わる作
業なのか。どうやったら両者完全に確認しあったと了解しあえるのか。論理的に考え
ると無限に陥る。現実世界では適当なところで手を打つだろうけど僕は納得できない
んだな、こういう無限の存在。どうやったらこの問題を回避できるか?

「信用」の裏打ちをするのは自分しかいないんだ、という引き受け方。僕の道徳律に沿っ
た解決策。僕が想定でき得る範囲=全てで相手を「信用」する、という解決方法。「信用」
の裏打ちは人間だけが引き受けられる。信用して裏切られたとしたなら、それは信用し
た人の想定した範囲が狭かっただけ。相手に何の責任もない。「あんたが勝手に思い
込んだんでしょ」。これは「僕が勝手に『思い込み』をしてたんだ」と気づかせてくれる言
葉、相手からのメッセージ。思い込んでしまって目が眩まされてしまって判断停止状態
になっている状態に気づかせてくれる、ある意味誠実な言葉。という風な、ある意味、回
避と受け取られるかもしれないけど、こういう定義の仕方で「信用」という言葉が指し示す
「意味内容」とする。こうしときゃ、

>そうすれば人生で裏切られることも騙されることも有りません。

「信用するもしないも勝手。信用して騙されたら自分が至らなかったってだけ。信用され
たのならその信用に応えればいい(引き受ける/保留/拒否)」という言い方で僕は反
論できるんだな。ひょえ、しかし、これってきついなぁ。俺の身元引受人になんか誰もなっ
てくれないだろうな、こんな感じで「信用」を定義しているような奴。
393考える名無しさん:2007/04/03(火) 13:51:46
自分の生き様に対する良心の呵責、、
身勝手な思いが産みだす更に我が侭な思い、、

>信用とは裏打ちのない曖昧な言葉ですよね。
>何事も自分で確認し相手を確認できる所まで相手を認めなさい。
>そうすれば人生で裏切られることも騙されることも有りません。
<そうすれば人生で人を裏切ることも騙すことも有りません。
394考える名無しさん:2007/04/03(火) 15:35:07
E2さんの言う通り、「相手を確認」するなんていうデタラメな言葉、迷惑ですよね。
言葉遊びですね。

「物事の理を悟れば知能が育ち産みだされる智恵で人類が抱える全ての問題を適切に処理できます」
という類の、願望なのか物語なのかわからないよう短絡した思考パターン、辟易しますよね。
395考える名無しさん:2007/04/03(火) 15:41:27

「物事の理を悟れば知能が育ち産みだされる智恵で人類が抱える全ての問題を適切に処理できます」
   
   
   知ろうが知るまいが事実は事実。
396考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:02:47
もう神学の域だなあ・・・
397考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:06:56
個々の事実は全て事実である。
398考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:08:41
どのくらい知能が育ったら知恵が生まれるんですか?
399考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:16:27
まあ、医学や工学などと違ってどんな「哲学」を持って生活していようとあまり問題はないけれど、
こうやって私的な信奉、私的な生活信条、自分では何でも切ることができると思い込んでいるナイフ、
などの乱立する中で生きて行くしかないわけか・・・

もう「哲学」はなくて、「思想」があるだけなんだねえ・・・
400考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:31:38
>もう神学の域だなあ・・・
当たり前なことが神学とは恐れ入ったよ。
当たり前なことを理解しろ、と言っても理解する体制(智恵)が整っていないと理解できないことも当たり前だよね。
智恵を産みだすためには知能を育てなければ成らない。知能を育てるには物事の理を悟らなければ成らない、と順番(当たり前)が有るわけだ。
その事を広辞苑で索引すると「智恵=物事の理を悟り、適切に処理する能力」と書いて有るわけだ。
問題が解けないのは智恵が無いからだろ、違うか?智恵が無いのは物事の理を悟らないのが原因だろ、違うか?
ただ考えて産みだされる答は適切じゃ無いから智恵じゃないだろ、、違うか?
こと適切とは全てに痛みを与えず処理する方法で智恵が無ければできない作業なんだよ。
戦争や飢餓・テロ・虐めや犯罪の問題も全て人類が智恵を産みだせぬ為に起こされる現象だよ。
だから
「物事の理を悟れば知能が育ち産みだされる智恵で人類が抱える全ての問題を適切に処理できます」
   
   
   知ろうが知るまいが事実は事実。 と言ってるんだよ。

哲学が長年、探し求めてきたものは物事の理を悟る方法だよ。何故か分かるだろ、、、


401考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:46:49
>>398
>どのくらい知能が育ったら知恵が生まれるんですか?
質問が違うんだよ。物事の理を悟れば知能が育ちます、と言っているんだよ。
物事の理を悟れば自分の望む限り、その知能は成長をし続けます。死ぬまでね。




402E2 ◆igyenga13c :2007/04/03(火) 16:50:24
>>392 「信用してるよ」って言われること。

「信用」の定義してこれは俺なりに解決したんだが、「信用してるよ、君ぃ」と上司
に言われたりとか、「あなたのことなら何でも信用するわぁ」ってスナックのママさ
んなんかに言われたり、こーゆー、「被信用状態」というやつ、最初の例はびびるの
が大半だろうし、後者のは結局は金すっからかんってな状況になったりすることもな
いではないようだし、うーん、どうも、「信用」に比べると恐怖感が強い。こういう
状況も何とか回避したいもんだ。

言うほうをシンちゃん、言われるほうをビビル君にしとこう。「チみぃのこトゥ、信
用しちョルもんねぇー」お尻ぺんぺんして行ってしまうのである。ビビル君、「ん?
 あ、はぃいーっ、信用一番っす!」なんて気軽に返事なんかするけど、公園の大木
に寄りかかり、ふと沈思黙考しちゃったりするのである。鼻すすったりしながら。
「シンちゃん、ボクの、どこらまで信用しちゃったんだろ? ボクの全人生老後の事
まで引き受けちゃった?」と。深遠な問題に深く沈思黙考し考え込むビビル君、大木
に寄りかかりながら鼻すすりながら。

おお、ポンド大木! さすがわしゃ凡人じゃあないなぁ。伊達に樅の大木に寄りかか
っているわけじゃない。聞き返せば良いんだな。言葉の意味内容の構造分析と同様の
パターン(>370-372)だ。大雑把に受け取ってそれでよけりゃ尋ね返すまでもないが、
聞きたくなったらこの構造分析使えばいいわけ。おお、現実にも応用可能とは!(笑) 
ビビル君、圧制に立ち向かえ。聞けないまんまだと損する可能性もあるからなぁ。
403考える名無しさん:2007/04/03(火) 16:53:26
>>401
答が違います。
>>395への質問です。
404E2 ◆igyenga13c :2007/04/03(火) 17:26:32
>>394,396,398-399

いやぁ、【物事の理の論者】さんの言っていること、本当のことなんですよ、僕なり
に言わせてもらえば。このスレで生まれたE2証明がバックボーンになります。

>>277(再掲)(細部訂正)
>では、どうしたら「物事の理を悟る」ことができるのか? 
>
>  「知を望む純粋な心」でもって語り、
>  「聞く耳」をもって、人の意見を聞き、
>  「謙虚な心」でもって、改善すべきところがないかどうかを自問すること
>
>で得られるのです。

僕はこの手法を用いE2証明にたどり着き、否、この手法でなければE2証明にはた
どり着けないんです。そしてE2証明をバックボーンにしてこの手法は正当化されま
す。お互いがお互いを必要とするそういう関係性を持っています。

僕は【物事の理の論者】さんの根拠を明らかにするため、及び自らの証明のため、自
ずとこの手法を使わざるを得ない状況に追い込まれ、そしてこの手法でもって乗り越
えられたのです。

わかってしまえばコロンブスの卵。ごくごく当たり前の、人間として求められている
当たり前のことをやり抜けばいいだけのこと。僕は【物事の理の論者】さんにない武
器、【物事の理の論者】さんが軽蔑してしまった武器、「論理」を使っただけ。

僕は好戦的に立ち向かい、論者さんは人間の良心に訴えた。この違いなのです。
405考える名無しさん:2007/04/03(火) 17:59:07
>どのくらい知能が育ったら知恵が生まれるんですか?

方法通りに心の切り替えを始めたら直ぐに知能が育ち始め智恵を産みだします。


406考える名無しさん:2007/04/03(火) 18:13:47
>>404

>わかってしまえばコロンブスの卵。ごくごく当たり前の、人間として求められている
>当たり前のことをやり抜けばいいだけのこと。
は正解です。次が戴けない、、

>「論理」を使っただけ。
何度も言ってるでしよ。物事の理を悟ることは全ての理と智に通ずる心を得る、と
物事の理を悟らなければ論理に通ずる心を得られないので理抜きの論しか語れません。
物事の理を悟る、と言うことは人の持つ曖昧な良心に磨きをかけ、心の全てを推し量るものさしを作ることです。
だから物事の理を悟る為に、武器とか好戦的などの心は不用です。

407396:2007/04/03(火) 18:14:14
>>400
>問題が解けないのは智恵が無いからだろ、違うか?

それは結論の先取りだと思いますよ。あるいは、循環論法というものだと。
あなたは「人類が抱える全ての問題を適切に処理でき」る能力がこの世に有り得るという前提の上に立っています。(有るという確信の上に、でもいいですが)
そしてその能力のことを「智恵」と呼んでいます。
なるほどその設定さえあれば、問題が解けないのは智恵が無いから、となりますが、
これは実は、問題が解けないのは問題を解く能力が無いから、というだけの当たり前の意味になるじゃないですか。
内容は空っぽであり、少なくとも「智恵」という特殊な用語は余計です。
408E2 ◆igyenga13c :2007/04/03(火) 18:15:12
>>404

「信用」の裏打ちとして、人間が出てきました(>392)。
「全て」の適用範囲の限界として、人間が出てきました(>350)。
ここには、【無限】という罠を食い止めるものとしての人間が出てきてます。

そして、現実の世界にもいます。実際に存在しています。無限の罠を自ら引き受けて
いる人間が。


      2ちゃんの ひろゆき       (名前こーだったよね、確か?)


2ちゃんねる上に表明されている人間の思考=発言全てに対し彼は責任を取るってな
大法螺を吹いてますが、責任取るってことは信用しているってことです、ここに来る
どんな奴に対しても。

>>392
>「信用」の裏打ちをするのは自分しかいないんだ、という引き受け方。

これが「責任」の意味内容だと、僕は思うんです。
409396:2007/04/03(火) 18:16:58
>智恵が無いのは物事の理を悟らないのが原因だろ、違うか?

これも実は、そもそも「人類が抱える全ての問題を適切に処理」する能力という意味であなたが構想した「智恵」、
そのようなものがこの世に有り得るのかも検証せずに、疑いようのない事実だと言わんばかりに扱っているのが根本的におかしいと思います。
そんな「智恵」などという万能が何から生まれるかだなんて、もうフィクションの世界そのもので、
まるで、『デビルマンは何と合体して生まれたか知っているか?』『答は・・・、デーモン族の中でも恐れられていた勇者アモンだ!』と得意げに言われているのと同じ(ちなみにおれは実在のマンガから題材を取りました)で、
あなたの作った物語の設定なんか誰もわからないですよ。
「違うか?」と言われても、作者はあなただし・・・。
410396:2007/04/03(火) 18:18:16
>ただ考えて産みだされる答は適切じゃ無いから智恵じゃないだろ、違うか?
「全てに痛みを与えず処理する方法」という意味らしい「適切」な答、それも「智恵」と同様で、
そんなものがこの世に有る、またはこの世の全ての問題についてそんな答が有り得るという必然も必要も保証もないでしょうに・・・。

あなたの理論の中心には「物事の理」とやらがあるようだけれど、
それをもとにして循環する理論を組み立ててしまったら、それは無敵に思えて、また完全に思えて、抜け出すのは難しいでしょうね。

でも抜け出てきてほしいけれど・・・。
411E2 ◆igyenga13c :2007/04/03(火) 18:51:33
>>406

>>「論理」を使っただけ。
>何度も言ってるでしよ。物事の理を悟ることは全ての理と智に通ずる心を得る、と
>物事の理を悟らなければ論理に通ずる心を得られないので理抜きの論しか語れません。
>物事の理を悟る、と言うことは人の持つ曖昧な良心に磨きをかけ、心の全てを推し量るものさしを作ることです。

なんだかなぁ。それほど単純じゃないのよ。「曖昧な良心に磨きをかける」ってこと
がさ。特に「西洋的な理性」を持った方々ってのはね、俺も含めて。「なぜ、良心に
磨きをかけなければいけないの?」という素朴な疑問を抱かざるをえないんだよ。
「なぜそうなのか?」と。誠実であればあるほどね。自分の良心に誠実であろうとす
ればするほど「なぜそうなのか?」という疑問を抱く構造を持っているんだ。「ああ、
そうかぁ、納得した」となるまでの道のりがえらく険しい人間もいるんだ。論者さん
のように、ある時すとんと心に入ったらそれはそれでいいんだよ。でも、それすらを
疑うのが「理性的人間」という悲しい性(さが)なんだよ(>354)。

これを乗り越えるために、俺は、俺の道徳律(>>345
>>340-342を踏まえて出題者の意図が作り出した「出題者世界」、ドラマ制作者の意
>図が作り出した「ドラマ世界」の例からも容易に推測できるように、能動性をもって
>何らかを提示する者は、その「世界」が現実の世界においてどのような影響を及ぼ
>すのかを熟慮した上で制作しなければならない。

をまずは作り、「全て」についての批判、「全て」の意味内容変更要請(>348)を行
い、そして、「全て」の意味内容変更の証明(>350)でもって乗り越えて、E2証明
の提示(>354)ができ、この証明が正しいのならば、【物事の理を悟る論者】さんの
言うことも正しいって、「理性的人間」は心から納得できるんだよ。心から納得でき
ないことには抗ってしまう、そんな荒々しい心を持つ人間が実は理性的人間なんだ。

412考える名無しさん:2007/04/03(火) 19:15:20
>>410

まずは、覚えると知るの違いが分かるかな?
意味は分からなくても記憶すれば覚えることに成るよね。
例えば「それをもとにして循環する理論を組み立ててしまったら」と言う貴方が
「あなたの理論の中心には「物事の理」とやらがあるようだけれど」理の存在を疑っていますね。
貴方の理論の理とは何を指すのですか?どうやら貴方は理論の意味を知らずに覚えているだけですね。
理論について知ると言うことは理論の現象や常態を隅々まで自分のものにすることですよ。
そうして貴方は理論と言う言葉を使っていますか?物事の理を悟れば敵対する心は有りませんし完全な論理を語れます。
井戸の底にいる貴方が井戸の外にいる私に「抜け出すのは難しいでしょうね」と言うのは可笑しいでしょう。マンガですよ。
>これは実は、問題が解けないのは問題を解く能力が無いから、というだけの当たり前の意味になるじゃないですか。
そうです。私は当たり前のことしか言いませんよ。
413考える名無しさん:2007/04/03(火) 19:31:51
理性を持たぬ理性的人間って思い込みだけで生きる人科のホモサピエンスのことかな〜
414考える名無しさん:2007/04/03(火) 19:49:12
哲学とは、さまざまの事象を観察し、考察し、その共通点を探り、そこから宇宙の本質・原理を見いだし、得られた原理を適用し
あらゆる事象を変革してみせる思考プロセスのことであり、すなわち科学のことである。
415396:2007/04/03(火) 19:56:23
>>412
>これは実は、問題が解けないのは問題を解く能力が無いから、というだけの当たり前の意味になるじゃないですか。
>>そうです。私は当たり前のことしか言いませんよ。

そうじゃなくて・・・
ポイントはあなたが引用しなかった続きの部分で、
「・・・少なくとも「智恵」という特殊な用語は余計です」であって、
意味内容が当たり前なだけでなく空っぽであって、
「智恵」についてなにも説明になっていない、という点です。

また、私はあなたのいうような意味での「物事の理」の存在は疑っています。
私の言う理論の理とは、物事を疑いようのない捉え方で扱うための、
そして条件を限ればの話だけれども現象を予測できる体系的な考え方、
ぐらいの意味です。
万能であるかのような理の存在は決めてかかっていません。(あってもかまわないけれど)

ところで、あなたご自身はもしかして、
「理論の現象や常態を隅々まで自分のものにする」ことができていて、
「完全な論理を語れ」るところまで到達している
という位置付けですか?
「物事の理を悟る」ことができている、という自覚とともにあるのですか?
そして、その境地から発する見解がこれら書き込みだと?

あなたの発言をどういうものとして受け止めればいいのか、
をクリアにしたくてお聞きします。





416E2 ◆igyenga13c :2007/04/03(火) 20:42:17
>>389
>それに比べれば "E2" さんはまだオープンな世界の側にいるようだけれど、

まだじゃないです。真昼間(笑) ともかく、俺の言いたいこと、E2証明する過程
で、その後もですが、論理的に明晰にぶっちゃけられましたからね(笑)

>>414

「哲学とは(○○について)(△△法を用いて)考察する学問」なんですからなんで
もありなのです。ここまで力む必要ないし、そもそも、哲学が科学(理系の学問分野
を指すのだと思いますが)と同じってのは集合論上無理があります。(参照:>312)

>>415
ふぅ。彼の言いたい「真意」は、僕から言わせると正しいのです。突っ込みたいのは
判りますが、僕のE2証明(>345-354)が正しければ、「彼の真意」=訴えたいこと、
判ってもらいたいことがごく当たり前のことなんだってわかるんです。でも、彼、文
章表現力が乏しくて、物分りが悪くて、絶対に後に引きません。彼とやりあう暇があ
るのなら僕のE2証明を是非ともお読みください。お願いします。
417考える名無しさん:2007/04/03(火) 21:19:26
>>415
>少なくとも「智恵」という特殊な用語は余計です。
>「智恵」についてなにも説明になっていない、という点です。
一体、どっちなの?
智恵とは智の恵みですね。智の恵みを受けるには智の能(はたらき)が必要ですね。
知能の活動を促す為には知能を育てなければいけませんね。その知能を育てる為に物事の理を悟り、
物事の理非・善悪を弁別する心(智)を会得する必要が有ります。
物事の理非・善悪を弁別する心(智)を会得しなけば人は智を産みだせない、と言う当たり前の道理が有ります。
【ところで、あなたご自身はもしかして、
「理論の現象や常態を隅々まで自分のものにする」ことができていて、
「完全な論理を語れ」るところまで到達している
という位置付けですか?
「物事の理を悟る」ことができている、という自覚とともにあるのですか?
そして、その境地から発する見解がこれら書き込みだと? 】
当然です。それを遙か下に見て誰でも物事の理を悟る方法を探求し見つけだしたのですからね。
私には物事に対する勝敗の意識は有りませんが、聞かれる方が闘争心を持ちますと絶対に分かりませんよ。


418考える名無しさん:2007/04/03(火) 21:28:26
何を考えても良いが正しく考えられる頭を創ることが哲学の目的です。
正しく考えられる頭を持たずに正しい答がだせますか?
魔法の世界じゃないんです、全てに仕組み(理と理非)と言う法の世界ですからね。
419考える名無しさん:2007/04/03(火) 21:31:31
>>417
あとは実践あるのみです。
420考える名無しさん:2007/04/03(火) 22:46:39
哲学ならば、思想とか信条とかとは違って
言葉の意味や論理(というか公理系みたいなもの)を数学的に扱うことができて
解釈の多様性を生まないような厳密な論考ができるんだろうか
と期待していましたが、そう簡単な世界ではなさそうですね
421考える名無しさん:2007/04/03(火) 23:46:49
>>【ところで、あなたご自身はもしかして、
「理論の現象や常態を隅々まで自分のものにする」ことができていて、
「完全な論理を語れ」るところまで到達しているという位置付けですか?
「物事の理を悟る」ことができている、という自覚とともにあるのですか?
そして、その境地から発する見解がこれら書き込みだと? 】
当然です。それを遙か下に見て誰でも物事の理を悟る方法を探求し見つけだしたのですからね。

脱帽です。それでは私は消えるとするか ...
422E2 ◆igyenga13c :2007/04/04(水) 00:24:34
>420
>哲学ならば、思想とか信条とかとは違って
>言葉の意味や論理(というか公理系みたいなもの)を数学的に扱うことができて
>解釈の多様性を生まないような厳密な論考ができるんだろうか
>と期待していましたが、そう簡単な世界ではなさそうですね

言語自体が持つ不確定性。「1」がいつでも「1という意味」を持つ数学世界ではな
く、現実に生きている人間が発する言葉には感情が伴いその時々の状況により、厳密
に言ってしまうと同じ単語を発していても同じ「意味内容」を持ち得ないのです。
「雲」と言う単語を聞いて、全く同じ「雲の形」を頭の中で思い浮かぶことがないよ
うに。論理はその点、感情に支配されることはありませんので、確定してます。

ですから、どういう論考をなされようと思っているのかは判りませんが、論理で分け
ていくという作業じゃないと意味がありません。で、最後には「わかった!」と人間が納得した時点でおしまい。で、一人が「わかった!」では意味がない。「わかった! 
あなたは?」、「うん、僕も」というように2人以上が【自由意志】で同意しないと
「わかった!」ということにはならないのです。片一方がまだまだ納得いかないとな
ると、また論理作業が続きます。(>>370-372:言葉の構造分析と同様)

構造的にはこれの連続。最終的に誰もが納得という時点で解答が出たといえるのです。
物質という対象物がない純粋思考なので、これしか正当な結末はありえないのです。

ですから、哲学においては「2」が基本になるということです。
「1」では意味がない。違いを比べる対象物がないのですから。
「0」は意味をもてない。思索に思い浮かばないものを思考することはできませんから。
「2」の次に重要なのは「3」です。三分法(左/中/右)ですね。

これまで主流と言われてきた哲学は、「言語」を相手にしようとしてたので面妖にな
り複雑怪奇化しわたけです。人間相手なら相手が心から納得すればいいだけなので簡
単ですし、楽しいと思います。
423E2 ◆igyenga13c :2007/04/04(水) 01:11:09
>>422 論理の限界 道徳律の上位性

論理は感情に流されないので、ばっさばっさと考察対象を分割し疑問点を洗い出して
くれます。便利です。

でも、限界を設けておかないといけません。それが、道徳律の上位性ともいえる限界
(>345)。道徳律を犯すような論理の用い方は、論理が人間の尊厳を損ないかねませ
んからね。人間がいるから論理も使えるのです。人間いなかったら論理はロンリーど
ころじゃなく存在できません。

道徳律を持ったら片っ苦しくてなんねぇ、と思うかもしれませんが、ちゃんと逃げ道
作ってます。

>能動性をもって何らかを提示する者は、その「世界」が現実の世界においてどのよ
>うな影響を及ぼすのかを熟慮した上で制作しなければならない。

「世界」の影響範囲に見合った「現実的な想定範囲の全て」(>348,350)という枠。
「『現実的』ってどの程度の?」といわれるでしょうけど、それは「設定する人それ
ぞれの熟慮=良心に従った程度の」と言う以外にありません。これが一番安上がりな
方法。間違ってたり、うっかりしてたりしたら、ごめんなさいと誠心誠意謝る。で、
以後の教訓とする。ソフトのヴァージョンアップです。これだけですね。過剰防衛と
か過敏症だと割高ですから。
424考える名無しさん:2007/04/04(水) 08:02:02
何このオナニーShow
物理、科学、数学等の学問は一つの真実があるから理解なり証明なりできるし、間違った意見にも否定できる。
哲学なんてどれが真実かわかったもんじゃない。つか、真実なんてない。
そんなもんについて証明なんて出来るわけないしするべきじゃない。
結局のところ哲学は相当な暇人の余興かナルシストがオナニーしてるだけ
425考える名無しさん:2007/04/04(水) 08:13:28
晒しage
426考える名無しさん:2007/04/04(水) 08:23:37
物理、科学、数学等は子供の学問だな。夢の中で「これは夢ではない。まさに現実なのだ」とわめいてるようなもので、まさにオカルトと同類だ。
427考える名無しさん:2007/04/04(水) 09:27:25
また変なのが湧いてきた・・
428考える名無しさん:2007/04/04(水) 10:40:04
>>421
脱帽です。それでは私は消えるとするか ...
不適切な表現です。正解は
脱帽です。それでは私は逃げるとするか ...
ですね。
429考える名無しさん:2007/04/04(水) 11:09:59
>>424

E2さんは自分でも何を言ってるのか、が分かっていないんだから許してやってね。
でも何とか、分かろうとして頑張っているのは分かりますよ。

>物理、科学、数学等の学問は一つの真実があるから理解なり証明なりできるし、間違った意見にも否定できる。
それは何故か?細かいことは抜きにして学校で説く方法を覚えたからですよね。
ところが哲学は覚えることでは会得できず、全ての物事の源となる、物事の理を悟ると言う悟ることが必要なんです。
この物事の理を悟ると人の脳は三輪車からジエット機に乗り換えて目的地に向かえる位の違いを見せるのです。
ただ悪意を持つと物事の理を悟ることができませんし物事の理を悟り育つ知能は良いことにしか使えないのです。
ですから哲学は物理、科学、数学等の諸学に及ばす子育てから教育・政治など全ての諸学の源と言われる場所に控えているのです。
覚えると悟るの違いが有りますが哲学は人の心の法則の上に有るのですね。
430E2 ◆igyenga13c :2007/04/04(水) 11:20:39
>>424
>何このオナニーShow

うーん、まだわかってもらえないようですねぇ。じゃあ、説明します。

>物理、科学、数学等の学問は一つの真実があるから理解なり証明なりできるし、
>間違った意見にも否定できる。

「『ひとつの真実』ってのは何?」と僕が問います。
あなたはなんらかの答を言うことでしょう。例えば『数学の答』と。

でも、考えてみてください。数学は人工言語です。最初に『要請』があり、それに同
意した者がその『被要請内容』の中身を聞く。そして、複数の『要請』を組み合わせ
て、それぞれに同意した者が、それぞれの『被要請内容』を様々に組み立てて、組み
立てていく。壮大な論理体系を作り上げていくのも面白いでしょう。その過程におい
て、たまたま「現実の世界」におけるある現象を説明するのに適した論理体系があっ
た。それだとみんなが納得しやすい。ってな。

「ふむ。そうか」

これが、あなたの主張する「ひとつの真実」です。

物理も数学使っています。ってことは、物理現象を解明するために数学という人工言
語の何らかの論理を用いて説明して、みんなが納得する。

「ふむ。そうか」

(続く)
431E2 ◆igyenga13c :2007/04/04(水) 11:21:17
>>430

ニュートン物理学の時代、納得できない現象が見つかってきました。で、それにはア
インシュタインの相対性理論で説明できるようになったものもあります。そして、量
子力学で説明できるようになったものもあります。片一方はでかい方、片一方は小さ
い方の説明に適している。で、これを統一できないか、というのが今の課題です。

>哲学なんてどれが真実かわかったもんじゃない。つか、真実なんてない。

「真実」が指し示す「意味内容」が不確定性を持たざるを得ないのは当たり前です。

>そんなもんについて証明なんて出来るわけないしするべきじゃない。

そう、「真実」というひとつの「言葉」について、この「言葉」の持つ「意味内容」
について、これを哲学できるわけがない。というか無意味(>422)。でも、社会学的な
手法をとれば、哲学できる。各人が思っている「真実」の指し示す「意味内容」の集
計を取ってさまざまに分析する、という方法。

>結局のところ哲学は相当な暇人の余興かナルシストがオナニーしてるだけ

そうとも言えるし、そうとも言えない。どちらとも言えない。
432E2 ◆igyenga13c :2007/04/04(水) 11:44:12
>>431

で、ですね。ぼくらはこうやって日本語でやり取りできてるわけです。お互いに「意
味内容」を了解しあっている。なぜか。

社会学的な手法による分析集計結果をそれぞれ各人が意識せずやっている、からです。

その重なり具合によって、ある文章に対する「理解度」が違ってくる、という構造。
「なにそれ?」と問い、問われた者が応える。(>>370-372:言葉の構造分析)

これの応酬です。単にいえば、これだけのこと。
433E2 ◆igyenga13c :2007/04/04(水) 12:00:48
>>432

>430-432の説明で、わからないことがありましたら、ご質問ください。

よろしく。
434考える名無しさん:2007/04/04(水) 12:27:16
>>424
相対主義的な科学哲学の考え方では、
「物理学には真実が一つある」というのは、
既存のパラダイムを無批判に受け入れることから
生じた単なる錯覚だということになるがと思うが。
435考える名無しさん:2007/04/04(水) 13:52:11
哲学はやっぱり、言葉遣いが難しいと思う。
バラバラの意味で用いないように特殊な用語を設けたりするのは、しかたないんだろうけれど。
論理展開そのものは素直であるはず(とはいえ私はよくわからないけれどw)
日常生活の言葉では足りない、って意味では、四則演算なんかではとても足りないという数学などと同じかも、
と思ったり。
436考える名無しさん:2007/04/04(水) 15:06:00
普段から哲学で現れるような言葉と話し方をしている奴がいるが
ああいうのは流石に気味が悪いな
哲学は他の学問に比べて、自分に酔いやすかったりするのかね?
437考える名無しさん:2007/04/04(水) 15:19:52
他の分野に比べて、そういう用語を日常に混ぜやすい、という面はあると思うな。
しかし気味が悪い!
哲学が酔いやすいのか、酔いやすい人が哲学を求めるのか・・・
いずれにしても気色悪い!!
438E2 ◆igyenga13c :2007/04/04(水) 17:29:39
>435
>哲学はやっぱり、言葉遣いが難しいと思う。

うん。言葉というかなぁ。「言語」を相手にいろいろ格闘しちゃったからなんだよね。
僕から言わせると。「言語」というのは、2つから成り立っているのよ。「言葉」と
その指し示す「意味内容」。例えていえば、「石」という単語と、現物の「石」その
もののってな。

で、現実に指し示す「意味内容」があるもの(例えば現物の石)なら話は簡単、二人
以上の人が容易に「ああ、このことね」と同意できちゃう。で、その人なりの「石」
という単語が示す「意味内容」をイメージできる。

で、「概念」ってな、現実に指し示す対象がない場合は、「ああ、そういうことか
ぁ」と納得するためには、その話をするお互いが会話した上でないといけない。で、
その「納得」の内容を考えてみる。説明する人の持っているその単語の「イメージ」
と、説明を受けている人のその単語の「イメージ」は果たしてどうか?

同一のイメージを描いているとは到底思えない。「雲」という単語を聞いて、その言
葉を聞いた人の中で厳密に同一の雲をイメージできると思う? 1ビットたがわず同
じ。これは無理だろうなぁ。ということで、同じ「概念」であっても、各人の中でイ
メージしているものは違うだろう。ということは、表面上の「言葉」と指し示す「意
味内容」が同一ということはありえない、ってこと。これが現代まで続いてたんだろ
うねぇ。

この点、「論理」ってのは、また別の形の「概念」だけど、概念の一種なんだよねぇ。

日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。

※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
       【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
       【土・日】21:00?24:00

http://www.ch-sakura.jp/index.html

440考える名無しさん:2007/04/04(水) 21:27:13
別に1ビット違わぬ雲のイメージを思い描かなくてもいいような・・・
441E2 ◆igyenga13c :2007/04/05(木) 10:49:09
>>440 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2007/04/04(水) 21:27:13
>別に1ビット違わぬ雲のイメージを思い描かなくてもいいような・・・

「概念」の指し示す「意味内容」が完全に同一になることが、全く完璧に一致する可
能性はほぼない、ということです。これが意味するところは、それぞれの人が「真
理」に対するイメージ、肯定的であれ、否定的であれ、保留的であれ、全て異なる
「真理」のイメージを持たざるを得ない、ということ。このことが言える。だから、
「真理」として厳格なる一致はありえず、「それって、どういう意味?」と問う人は、
いつまでも問うことができる、ということです。

この無限を回避するためには、道徳律(>345)を採用するしかない、というのが現実
的な対処の仕方である、ということ。

どこが曖昧でも大丈夫なのか、どこが厳格でなければならないのか、この違い。今ま
では「言語」に厳格なる意味を持たせようとしました。そのため一致するところなく、
現在までさまざまな論争が起こっているわけです。僕の提唱するE2理論では、「人
間」に厳格なる価値基準の責任を持たせる、「言語の使い手たる人間」がその「言語」
の「信用」の裏打ちをする、ということです。
442E2 ◆igyenga13c :2007/04/05(木) 11:33:08
>>441
「では、『意味内容』を知る手立てはないのか?」という問題が立てられます。

さて、これまで「意味内容」という言葉を使っていましたが、この「意味内容」が意
味するところ、「意味内容」という言葉が指し示す「意味内容」とは何か?

彬さんが発話した「言葉」は「意味内容」を伝えるために用いられています。そして、
受け手である徹さんは彬さんの「意味内容」を徹さんなりに推測し判断を下します。
そして、それに伴う反応を示します。

ということ。この「意味内容」。

言語/非言語コミュニケーションにより伝えられる「意味内容」。言語のみが「意味
内容」を伝えているわけではない、という事実。ということは、他の表現でも「意味
内容」を伝えようとしているわけです。@しぐさやら口ぶりやらでも「意味内容」は
伝えられます。どのような場所で、つまりはどのような状況の下で伝えようとしてい
るのか、によりA同じ「言語/非言語」を用いても「意味内容」は変化します。@に
相当する中に、必死になってあるいはいい加減でも伝えようとしているものの中に、
音楽があり、美術があり、その他の芸術があります。Aに相当する中に、演劇があり、
映画があり、漫画があり、文学があります。で、受け手の中には、「おお、これぞ僕
の『意味内容』と一致しているところがある」ってなのが共感であり、違ったら否定
であり、もそっと知りたいと思ったのが「興味』であり、知る気もなかったらそれま
でのことであるわけです。共感の一例を取り上げてみます。

【人生の目的は死であり、人生の真理は死である】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173980864/90

>すいません>>81の文章は、「人生の意味」で検索して最初にヒットしたHP
>に書いてあったトルストイの文章です。私の言いたいことを分かりやすく表現
>してあったので読んだ瞬間反射的に引用させてもらいました
>しかし私が引用したのですから私の言葉と同じです
443E2 ◆igyenga13c :2007/04/05(木) 11:45:24
>>442 一部訂正 「芸術」の括り方間違い

【誤】
>音楽があり、美術があり、その他の芸術があります。Aに相当する中に、演劇があり、
>映画があり、漫画があり、文学があります。

【正】
音楽があり、美術があり、Aに相当する中に、演劇があり、映画があり、漫画があり、
文学があり、ということ。これら@Aはいわゆる「芸術」といわれるものです。
444考える名無しさん:2007/04/05(木) 13:21:29
>>438
>僕から言わせると。「言語」というのは、2つから成り立っているのよ。「言葉」と
その指し示す「意味内容」。例えていえば、「石」という単語と、現物の「石」その
もののってな。

そんな程度の分析では、言語学を専門に研究している人たちが呆れてしまうと思う。
まじめに地道に論考している人たちの所産はバカにできないものだよ。
「意味内容」ひとつをとっても、それだけでも様々な観点からの様々な捉えようがあるようじゃないか。
445考える名無しさん:2007/04/05(木) 15:05:01
物事の理が会得できていないのに、どんな思索も無駄
446E2 ◆igyenga13c :2007/04/05(木) 15:54:11
>>444 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2007/04/05(木) 13:21:29
>そんな程度の分析では、言語学を専門に研究している人たちが呆れてしまうと思う。
>まじめに地道に論考している人たちの所産はバカにできないものだよ。
>「意味内容」ひとつをとっても、それだけでも様々な観点からの様々な捉えようがあるようじゃないか。

ええ、地道に論考なされている方々の所産は、あなたのおっしゃるようにたくさんあ
ることでしょう。それはそれで重要な発見なり知見なりがなされたことと思います。

で、僕は>442の発言において、「意味内容」という言葉自体がもつ「意味内容」とい
うものを考察したのです。

言わば、「意味内容」の個々の分析ではなく、「『意味内容』全体をひっくるめて、
どういう説明の仕方ができるか?」という観点から。

>>445
>物事の理が会得できていないのに、どんな思索も無駄

でも、僕は思索するのが好きなので、無駄であろうともどうってことないのです(笑) 
言わば下手の横好きってとこかな?
でも、ひょうたんから駒というじゃないですか、何が飛び出てくるか判らない(笑)

考えるのが好きな人は考えてしまうのです。歌うのが好きな人は歌ってしまうのです。
絵を描きたい人は絵を描いてしまうのです。書きたい人は書いてしまうのです。
「○○が好きだから○○をしてしまうのです」の人たちの中からで、なかにはプロと
して活躍している人たちもいることでしょう。アマチュアで楽しめればいいっていう
人もいることでしょう。ただこれだけのことです。
447考える名無しさん:2007/04/05(木) 16:49:35
E2さんが考えることが好きだということ、よく伝わってきます。
そういう感じはホッとします!
448E2 ◆igyenga13c :2007/04/05(木) 18:49:16
>>447
>E2さんが考えることが好きだということ、よく伝わってきます。
>そういう感じはホッとします!

おお、ありがたいことです。どうも^^

この発言の内容を分析してみます。

447さんの発言により、「僕が【『考える』ということに対して、どういう『感情』
で臨んでいるのか】を理解していただけた」と僕は受け取り、447さんの発言の
「意味内容」に対し、どのような価値判断(好意/判断保留/悪意)を下したのか、
そしてそれに対し、どのような反応を示したらよいのか(感謝/質問/罵倒)を、こ
の場(2ちゃんねる哲学板「哲学は難しすぎるスレッド」)のこの時点(447発言
に対して返答する)において、どのような反応行動を示すべきなのか(本心/曖昧/
無視)を考慮した上で、以上のような発言「おお、ありがたいことです。どうも^^」
という行動を示した。

言語の内容分析は、具体的な状況において、その力を発揮します。少なくとも、僕に
とっては。
449E2 ◆igyenga13c :2007/04/05(木) 19:22:27
>>1 理系と文系の違いについて

>理系の俺が大学の図書館で哲学に関する本を読んだが、全く理解不能

とおっしゃっていますが、理系と文系、学問はおおざっぱにこのふたつに分けられて
考えられているようです。あ、社会学系もあるか。

このことを考察してみます。「哲学」の僕なりの解釈は>312で示したように、「哲学
は(○○について)(△△方法論を用いて)考察する学問」というものです。まあ、
「定義」とでもいうべきものか。これを踏まえて考察してみます。

で、理系の学問は、「現実の世界にある対象物(石とか宇宙とか生物とか、とかとか
ちゃん)について」考察する学問、と言えます。この際に【「数学という人工言語」
で用いられている論理体系】を利用しているわけです。整理して書いてみますと、

【理系学問】は、【現実にある対象物】について{【数学という人工言語の持つ論理
体系】という方法論を用いて}考察する学問。

では、文系はどういう形で説明できるでしょう。現実世界に流通している自然言語を
用いて森羅万象、なんでもありのことを考察する、という言い方ができると思います。

【文系学問】は、【森羅万象】について{【自然言語】という方法論を用いて}考察する学問。
450E2 ◆igyenga13c :2007/04/05(木) 19:44:08
>>449 自然言語の持つ論理体系とは

「自然言語を用いて」と書きました。【数学という人工言語の持つ論理体系】という
言及をなぜ僕がしなかったのか? 同じじゃないか、と思われる方もいるでしょう。

自然言語と人工言語を比べてみます。というか比べるまでもなく、人工言語は人間が
作り出したものなので、自然言語の世界の中に部分集合として「人工言語」がある、
ということ。このことに異を唱える方はいらっしゃらないと思います。

じゃあ、【人工言語の論理体系】と【自然言語の論理体系】の違いは何か、という問
いが生じます。

まあ、ほぼ一緒なのですが、どこが違うのか、というと、自然言語には「論理の限界
性」という上限がある、ということです(>345)。つまり、道徳律を超えての適用は
ない、という上限。

E2理論で説明すると、こういう違いがあるわけです。この現実世界、【人工言語の
論理体系】しかないという思い込みでもって、さまざまな断罪の仕方、強制の仕方が
行なわれてきたのではないか? と僕は思っちゃうのです。
451E2 ◆igyenga13c :2007/04/05(木) 20:24:50
>>449 社会学系の学問とは何か?

>>理系の俺が大学の図書館で哲学に関する本を読んだが、全く理解不能
>
>とおっしゃっていますが、理系と文系、学問はおおざっぱにこのふたつに分けられて
>考えられているようです。あ、社会学系もあるか。

社会学をやってる方に「不当に扱われてる! 断固抗議するぞ」と思われる方もいらっしゃらないとは限りません。取り急ぎ、ご説明します。

「自然言語は『社会学的な手法による』判断を各人が意識せずにやっている(>432)」
と説明しています。社会学的な手法とは何か? 集合とか確率とか、高校数学A・
B・Cで扱われている論理体系のことです。

じゃあ、数学T・U・Vで扱われている内容はどんなんか?ってのが疑問になります。

微分とか積分とかそういう世界。極限の世界。厳しい世界です。人間の意志など吹き
飛ばしてしまいそうな極寒の地。自らの命を守るためには他人のことなんざかまって
いられない、ってな厳しい厳しい世界。ここでは道徳律などという甘っちょろいもの
を抱え込んでいたんではやっていけません。数学嫌いになる人が多くなっちゃうのも
当たり前田のクラッカー状態と、僕なんかは思っちゃうのです。

こういう分類の仕方で説明しちゃいましたが、なんでこうなったのか、僕がより一層、
考察することも可能ですが、今んところはそこまでやる気が起きてません。まあ、興
味深いことではありますが(笑) ともかく使える例え話は何でも使ってしまって
「ふむ。納得」と思っていただければ、現在のぼくにとってはありがたいのです。
452E2 ◆igyenga13c :2007/04/05(木) 20:47:42
>>451 社会学における道徳律の上位性 その他の学問にもいえること

社会学系の学問ってのは、人間なり生物なりの社会構造をあれこれする学問分野です。
ですんで、その対象となる人間なり生物なりの存在が必須となります。いなくなった
ら学問分野として成立基盤がなくなっちゃいますから。

それと、人間相手にいろいろと調査する場合、フィールドワークというんでしたっけ? 
これするときに、相手に対してどのような態度で接しないといけないのか?

誠実な態度と節度をもって接しないと、ちゃんとは応えてくれないことでしょう。容
易に想像つくと思います。調査内容の精度の信頼性が上下されてしまうことと思いま
す。

ということは、社会学系の学問をしている方々は、道徳律(>345)を持たざるを得な
いのです。そして、理系の学問をなさる方も、対象物に対して誠実な姿勢で臨まない
と、その対象物の精度の信頼性が上下されてしまいます。いい加減な学生がいい加減
な実験でもっていい加減な調査結果をいい加減に扱っていい加減に発表しようものな
らどんないい加減な指導教官であれ、多分、叱ると思います。あるいは呆れ果ててし
まいます。あるいはそんな学生はいないものと無視しちゃいます。「のろまな亀だ!」 
と叱咤激励する指導教官にめぐり合えたスチュワーデス候補生は幸いなのです。あ、
もちろん、文系学問をされている方も、自らの姿勢如何で調査結果が左右されること
は言われなくとも重々判っていることと思います。
453E2 ◆igyenga13c :2007/04/05(木) 21:10:40
>>452 ぎょえ、そんなこと言われても、わしには無理だぞえ、と思う方々へ

そういうあなたにも、逃げ道、ちゃんと作ってあります。E2理論においては(笑)

>>423  論理の限界 道徳律の上位性

>「世界」の影響範囲に見合った「現実的な想定範囲の全て」(>348,350)という枠。
>「『現実的』ってどの程度の?」といわれるでしょうけど、それは「設定する人それ
>ぞれの熟慮=良心に従った程度の」と言う以外にありません。これが一番安上がりな
>方法。間違ってたり、うっかりしてたりしたら、ごめんなさいと誠心誠意謝る。で、
>以後の教訓とする。ソフトのヴァージョンアップです。これだけですね。過剰防衛と
>か過敏症だと割高ですから。

これ使えば、自分が立ち向かっている学問対象において、その「学問対象という世界」
に臨む姿勢、態度として道徳律を守っておけばよいのであって、それ以外の時には何
やっててもいいわけです。

これで清廉潔白な人物ってな片っ苦しい枠にとらわれることなく、学問に打ち込めま
す。髭ボーボー生やしてても数学者としてその人なりの興味が湧いている「数学世界」
に真剣に立ち向かっていればいいわけですし、クローネンバーグのような裸足のつる
っぱげな人に対して道徳的にどうこうってな批判をもとに彼の数学世界を貶すことの
論拠がなくなるのです。

こうして学問の自由が守られるわけですな。
454EM:2007/04/05(木) 22:17:37
初歩的な循環論法のタコツボに陥っているほどのバカが
物事の理を悟っているとぬかして広辞苑を傍らにゴミみたいな妄言を吐いている
そんな、都知事選に立候補していても不思議でないような奇人

あんな奴みたいにはなるなよ
455E2 ◆igyenga13c :2007/04/06(金) 02:52:39
>>454 
>あんな奴みたいにはなるなよ

心からのご忠告、痛み入ります。

芸術方面、特に音楽、とりわけ特にパンクロッカーとしての自覚(338,386)もある僕
ですので、音楽関連に関しての考察について、以下の板にて展開を始めました。この
板で、「意味内容」としての音楽というものについて、掘り下げて行きたいと思って
おります。

音楽サロン板【カラオケで歌った曲順に意味はあるのか?】
http://music8.2ch.net/test/read.cgi/msaloon/1175794580/

哲学本来の趣旨からは外れてしまう可能性もありますので、このような処置を取らせ
て頂きました。そこでの哲学的収穫については随時、このスレッドにてご報告いたし
たく。
456E2 ◆igyenga13c :2007/04/06(金) 04:35:21
>>455 多分大丈夫だろうと、僕が見込んでいるわけ。
で、僕は【E2証明】(>354)をし、この証明による理論を【E2理論】と呼んでお
ります。で、自我を獲得した。不動の軸(>345)を打ち立てたわけです。

やっぱ、うれしいんではしゃいじゃいます。誰かにこの浮かれた気持ちわかってもら
いたくて、街に繰り出しました。なじみの居酒屋、【佐武】という飲み屋です。「武
士の心を持った連中を助ける」ってな意味合いでな。今の僕にはぴったりです。

で、大将に言いました。「やっと、自分の生きるべき方向が定まりました」と。「そ
りゃあ良かったな」と応えてくれました。委細は聞かず、です。助かりました(笑) 
「どんな?」と聞かれて、「ソクラテスを超える哲学者になります」と答えたならば
大馬鹿者か呆れ者とおもわれることでしたでしょう。

店も暇だったので、俺と会話をしてました。会話の中で大将が「髭をそらなきゃいけ
ない。髪を切らなきゃいけない。なんでこんな面倒なことをしなきゃあかんの?」と
疑問を投げてきました。人間で男性で禿なり無毛症なりの方でない限り、これは回避
できない問題です。

「んーっ、まあ、人間だからそこはどうしようもな一すねぇ。ただ、髭を剃ってさっ
ぱりした、髪を切ってさっぱりした。直後から伸びてきちゃいますけど、『さっぱり
した』という気分はいいでしょ?」。「そりゃあ、まあ、切った直後はねぇ」。「翌
朝にはまた剃らなきゃいけないでしょうが、『さっぱりした気分』をまた今度味わえ
るってぇので我慢しとく、ってのが現実的な解決策ってぇもんじゃないっすかねぇ」
と言いました。「なるほどねぇ、まあ、そうかもなぁ。お前も面白いこと言うなぁ。
これまでで聞いたお前の話の2番目に面白い話だ」。「ん? 2番目? じゃあ、1
番って?」

ポール牧が飛び降り自殺したときあったろ。その話をしてる最中にお前が、「んーっ、
指パッチンだけじゃあ面白くないってんで、全身使ってパッチンしちゃったのかも」と。
あの話が一番面白かった。
457E2 ◆igyenga13c :2007/04/06(金) 13:29:23
>>4,178,203,206,241-242,327,264,376 専門用語のわかりにくさ 数学を題材に。

『解決!フェルマーの最終定理−現代数論の軌跡』(加藤和也著、日本評論社刊)の
『補足』(262頁から)に群、環、体の定義が説明が載っています。これ読んで、俺は
「ありゃりゃ詰めすぎてわかり辛くしてるだけじゃん」って思いましたね、ええ、はっきり
と、ずっこしと。

簡単に説明すると、足し算が成り立つ数の世界が「群」、このうち、1+2が2+1ともか
けるような、つまり、演算子(この場合は「+」でんな)をはさむ数字が逆になっても成り
立つ世界が「可換群」。次に足し算の他に、掛け算が成り立つ数の世界が「環」、引き算
もできます。可換群と同じように、逆にしても成り立つのが「可換環」。割り算もできる(除
く0)数の世界が「体」。体になると、割り算でおなじみの小数やらが出てきますので、有
理数や実数の世界にならないと「体」にはなりません。そして、これらを抽象化していろ
いろとやってるのが、「群論」ってなことらしいのです。

「あらら、入り口高くしてるだけじゃん」と俺は素直に思いましたね。専門家にとっては当た
り前田のクラッカーだろうけどさ。「こんなことも知らんのけ。ケッ、ケッ」という下心を見た
気分。丁寧に判りやすく書いてはいますが、彼の例え方が逆で、まずは抽象的な定義を
語り、その後に例えとして足し算の世界がこれに当たる、とか整数の世界でのなんたらと
かの話し方してます。「順序逆じゃねぇ?」と、わしなんかは思いましたね。ええ、確かに
思いましたです。絶対くっきりはっきりと思いましたです。

僕が命名するとしたならば、「加法群」、「加法可換群」、「乗算環」、「乗算可換環」、「除算
体」と、その性質をわかりやすくとっつきやすく命名しておいて、後は慣れたら専門化同志
の間で、符牒として「群」だ「環」だ「体」だと言っておけばいいのです。最初から符牒を無理
矢理覚えろって匂いがぷんぷんして、「何、えばり臭がってんだ、てめえら」ってなパンク
魂が燃え上がってしまうのですな(笑)
458E2 ◆igyenga13c :2007/04/06(金) 14:11:45
>>457 群論といえばガロア

そしてアーベルを思い出すのだ。悲劇的な生涯を送ってしまった二人の若き数学者。
『数学をつくった人びとT・U・V』(E・T・ベル著、田中勇/銀林浩共訳、ハヤ
カワ文庫)ほか数学史というのか、数学者列伝系が好きで読むのだが、この二人の話
を読むたび、「はぁぁぁぁ〜〜〜」と思い、その結末に涙してしまう。どんな本を読
もうが、再読しようが、そのたんびなのだ。はぁぁぁぁ〜〜〜っ。彼らの業績の具体
的な中身まではもちろんわからないけどね。

当時の学界の連中は既成の価値観にとらわれすぎたり、論文を忘れてしまったりなく
してしまったり。ガウスはやけのやんぱちになったのか、20歳のとき決闘して亡く
なった。アーベルはクレルレ(『純粋および応用数学雑誌』発行者。1826年刊行開始)
という有力者と知り合うという幸運に恵まれたが、彼が病死してわずか2日後、「ベ
ルリン大学数学教授になれるだろう」というクレルレからの手紙が届く。26歳と8
ヶ月。

むちゃくちゃだよ、この世の中は。涙くれずにおられようか!!
この2人、その後の数学界に及ぼした影響は大きく、アーベルの研究なんて「彼の残
した業績のおかげで、数学者はこれから500年間は多忙でいられるだろう」(数学
者エルミートの発言、前掲書U199頁より引用)だってよ。ったく、もう。
459考える名無しさん:2007/04/06(金) 15:03:52
すみません、教えてください。
哲学は、論理学を厳正に運用して探求を進めていっている学問なのですか?
出発点として「これをも疑ってかかったらここからどこへも進みようがない」という何らかの設定があり、
さらにそこからの一歩一歩の進め方にもルールがあって、「合同律」だの「反射律」だの、
とにかく論理式に書き表してみたときに正しいようなものでないと、どこかで展開に誤りがあって、
という具合に進められていって、その結果としてたくさんの間違っていない結論や仮説に到達している、
という現状なのでしょうか?
要するに、なんで諸説あるのかがわからないのです。
「正しさ」の約束事をきちんと守っている限り、正解にバリエーションはできないだろうに・・・、と。

哲学においてもいわば数学の「虚数」のように、日常生活ではおよそ関係してこない概念(や用語)の設定が
必要になってくるんだろうとは思います。また、微分・積分といった解析手法にあたるような、
なにか独特の論理展開もちゃんと無矛盾に成り立ったり有効だったりするのかも、とまで空想します。

哲学はどの程度まで論理学なのでしょうか?
460考える名無しさん:2007/04/06(金) 15:13:49
459です。

そして、もし哲学が数学と同じような難しさを持っているなら、
私ではお手上げだなあと思っています。
(数学はちんぷんかんぷんですw 数学研究者や、それを用いて研究を進める物理研究者ほどには
論理を扱う知性がないと、哲学なんか到底かじれないって感じです)

言い換えると、極端ではありますが、数学もできない人が哲学なんかできるはずがない、と。
なぜか数学よりも簡単で誰でもが参加できる分野に思われているけれど、
論理を扱うのであれば、適当な、算数や自然数程度の知識や範囲で結論までもっていこうというのは
傲慢すぎますよね。

だらだらとすみません、とにかくそんなことを思っています。
461E2 ◆igyenga13c :2007/04/06(金) 17:10:08
>>438 3種類の「言葉」の生まれ方

先の発言では、現実に指し示す「意味内容」があるものと、現実に指し示す「意味内
容」がないもの。という2種類の言葉があることを明示しました。これが意味すると
ころはなにか? 石を相手にしてみてちと考察してみます。

「現実にある石」そのものを指す「石」。石に手を入れて、つまり変化させて、つま
り工作して石器を作る。この過程。技術ですね。石器にも何種類もあります。石包丁
やら鏃やら。これらの技術を他の人に伝授する。その際、それらの技術を指し示す言
葉が生まれるとは思いませんか? 「ある石をある形態に変化させる技術」、「ある
石を石包丁に加工する技術」、「ある石を鏃に加工する技術」。この技術は目に見え
ます。つまり動的に可視化される、ということ。「概念」の初期はこのようなもので
はなかったか、と考えると、腑に落ちるのです。

つまり、目に見えない概念の原初は「時間を伴う変化」を指す。ここから、他の「目に
見えなくとも区別する必要があるような物事」に対しても「言葉」が生じるようになって
いった。ついには「神」のような「言葉」も生まれるようになった。

>この点、「論理」ってのは、また別の形の「概念」だけど、概念の一種なんだよねぇ。

論理の原初の形態を想像してみます。食べ物食わなきゃ生物やってられませんから、
食わなきゃいけない。食えるものと食えないものがあります。つまり(食える/食え
ない)の二分法ですね。次に食えないものと思われていた中に、食えるものがあるこ
とを発見した。つまり、(食えない)から(食えた/食えない)に。さて、こうした
ことを繰り返していくうちに、食えるものは食えますが、食えないものは絶対に食え
ないと判っているもの(雲とか岩とか太陽とか)、食えるかどうか分からないがとり
あえず保留状態なもの。つまり(食える/判断保留/食えない)の三分法。

「論理」の原初はこういうものじゃなかったのかなぁ、と考えると腑に落ちるのです。
僕にとっては。ま、これも俺が想像しただけのことですけどね。
462考える名無しさん:2007/04/06(金) 18:17:41
459-460 です。
ここではスレ違いかと思い、他スレにあらためてカキコしました。
失礼しました。
463E2 ◆igyenga13c :2007/04/06(金) 18:55:27
>459-460 >すみません、教えてください。哲学は、論理学を厳正に運用して

おおお、ありがたや、僕のようなものをご指名いただき^^ でも、僕、なんか自分が
哲学者になれたなぁ、って思えるようになったE2証明。論理的には簡単なものしか使
ってません(参照:>373-376)。

大小/相違を比較する二分法。(左/保留/右)ってな三分法。数学の集合と要素の関
係で矛盾を引き出す背理法。決定的な反証を1例あげて仮定を打ち崩すのも背理法かな。

ちと難しいものが、「客観性の保持」のために使った、どこまでも再帰的な、円環構造
しているように見えながら違う点に到達しているような、そんな方法。これは僕なりに
「充足理由律(>185)で言及されている微小表象」というものを掴むための方法だった
のかもしれません。2ちゃんねるの哲学板のような「場」だからこそ可能な方法だと僕
は思っています。どこまでも付きまとう疑惑の目から逃れ得る方法です。

「言葉」の指し示す「意味内容」を構造的に掴むのがやっかいといえばやっかいかも。
大雑把に全体を掴み、ついで次の段階を掴み、ってなやり方が僕にとっても読む人にと
ってもわかりやすいでしょうね(参照:言語構造分析(>370-372))

>出発点として「これをも疑ってかかったらここからどこへも進みようがない」という何らかの設定があり、

最初からそこまで深く考えることはないと思いますよ。とりあえず素朴な疑問をとりあ
げて「これがこうなっているのはなんで?」。要は納得するような道筋を自分でつけれ
ばいいだけですから。科学的な手法(といっても初歩的なものばかりですが)を用いた
方が楽です。その考察対象がどんな外形をしているのか、考察対象と比較するような別
のものがあるかどうか、ふたつを見比べて、どこが違うのか、どこが同じなのか。で次
に、違うことが問題なのか、同じことが問題なのか、と価値判断を下す。そして選んで、
より深く考察していく。これの繰り返しです。

(続く)
464E2 ◆igyenga13c :2007/04/06(金) 18:56:47
>>463

何かにぶつかった場合、「思い込みの罠」があることが多いです。自分にとっては自明
のことで、ものすごく当たり前すぎて「思い込み」があると全く意識していない自分が
いる。そういう状態かもしれない、と絶えず疑う姿勢があると楽。考察対象をありのま
まに見ているのかどうか、そこで自分の思い込み、常識ってなのがないのかどうか。自
分の目指す方向と全く逆の答えが実は本当ではないか。その時、逆の答えがもし正解な
らば、その道筋はどういうものか。答から逆に問題へと辿る道筋も考慮に入れてみると、
「あっ、俺の思い込みだったのか」ということがわかったりすることもあります(信条
人間問題:>321)。

>さらにそこからの一歩一歩の進め方にもルールがあって、「合同律」だの「反射律」だの、

小うるさい論理とかは僕は使いませんでした、というか知りません(笑) 多くは三分
法。場合分けですね。これだけを繰り返していく。高校数学Aの順列組み合わせで使っ
ている方法ですね。最初に大雑把に3つに分ける。はっきり白は白、はっきり黒は黒、
その途中の灰色は灰色。(白/灰色/黒)。次の段階は灰色の中をまた三分する(かな
り薄い/判断保留/かなり濃い)ってな。その道筋で最初に戻るものがあれば、その道
筋をつけた上であとは検討しないで済みます。求めている結果にたどり着く道筋はどれ
で、曖昧なままなのはどれで、はっきりと否定だと思うのはどれで、という区分けさえ
すりゃあ、僕にとっては十分でした。

>とにかく論理式に書き表してみたときに正しいようなものでないと、どこかで展開に誤りがあって、

式にするよりか図表の方が圧倒的に分かりやすいですよ。フローチャートみたいなものかな?

>要するに、なんで諸説あるのかがわからないのです。
>「正しさ」の約束事をきちんと守っている限り、正解にバリエーションはできないだろうに・・・、と。

(続く)
465E2 ◆igyenga13c :2007/04/06(金) 18:57:25
>>464

表面上の「言葉」そのものを相手に考察しようとしたからです。その下にある「意味内容」を考察すべきだった、と僕は思ってます(>422-423)。

>なにか独特の論理展開もちゃんと無矛盾に成り立ったり有効だったりするのかも、とま
>で空想します。哲学はどの程度まで論理学なのでしょうか?

独特のものはありませんね。ただ西洋哲学が依拠した「論理」、というものに上限を設
定すればよいのです。自分の良心、人の尊厳を損なわないという上限を(>345,348,350)

>そして、もし哲学が数学と同じような難しさを持っているなら、

数学は「人工言語」を用いて、あれやこれややっているわけです。僕から言わせると、
「人工言語を用いた物語」ですね。ちょいとした小話も面白いし、壮大華麗なる大作ま
で、さまざまな物語を作り上げているわけです(純粋数学)。で、その際に使われた論
理なり話の流れがたまたま現実世界で起きていることを説明するのに丁度いいやっての
が物理学なりなんですよね(>430-432)。

>(数学はちんぷんかんぷんですw 数学研究者や、それを用いて研究を進める物理研究
>者ほどには論理を扱う知性がないと、哲学なんか到底かじれないって感じです)

数学史や科学史、科学者列伝ってなのを読むと面白いです。こういう伝記みたいなのか
ら入ると、数学やら理系学問に対する抵抗が小さくなると思います(>458)。

>なぜか数学よりも簡単で誰でもが参加できる分野に思われているけれど、

まあ、日常しようしている言語を用いているからとっつきやすいように見えますよね。
でもこれが大きな罠でしてね。専門用語の羅列に音を上げるんじゃないかなぁ。俺は駄
目でしたもん、ほとんど。ごくごく初歩的な哲学入門で歴史的な流れを大雑把に掴めれ
ばいいんじゃないでしょうかねぇ。俺にとってはこれで十分でした。

(続く)
466E2 ◆igyenga13c :2007/04/06(金) 18:59:09
>>465

>論理を扱うのであれば、適当な、算数や自然数程度の知識や範囲で結論までもっていこ
うというのは傲慢すぎますよね。

いえいえ、その程度で十分。哲学は「2」が基本。「3」か「4」ぐらいまでの自然数
で十分じゃあないかなぁ。「1」じゃあ対比する対象がありませんし、0はそもそも思
考上に思い浮かびませんから。哲学の思考ってのは、絶えず相違点はどこか、同じ点は
どこかを見比べて考察を深めていく。これだけなんです。

>だらだらとすみません、とにかくそんなことを思っています。

いやいや、俺のだらだらさに比べたら、全然(笑)
最後に。自分の「良心」というものを、疑うことなくゆるぎなく信じきること(>345)。
かといって清廉潔白になる必要は全くない、ということ(>452-453)をお忘れなく。

>>462 あれれ? 折角書き上げてアップしたと思ったら^^;;; 見にきてくれるかしら?^^;;
467考える名無しさん:2007/04/06(金) 20:31:43
E2さん、ありがとうございます。
こちらも読ませていただいています!
ほんとうに失礼しました。
468E2 ◆igyenga13c :2007/04/06(金) 21:10:45
>>467

ああ、ありがとう^^ 参考になれば幸いです。
僕のは長ったらしいけど、中身薄いですからすぐに読めると思います(笑)
469E2 ◆igyenga13c :2007/04/07(土) 05:31:31
E2 哲学冒険活劇!

序の序
【人生の目的は死であり、人生の真理は死である】スレッド
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1173980864/45

死を決意しようとする青年への呼びかけ
そして、もがき始めるE2

【哲学は難しすぎる】スレッド
>1-175 哲学を巡る声
>176 出でよ! 哲学者

序章 街頭ハプニングパフォーマンス演劇
>177-204 【物事の理を悟る論者】との格闘

第1章 友人との出会い、そして再びの格闘、正体を暴く >205-292
第2章 哲学ってなんだ! >293-314
第3章 信条か人間か >315-344
第4章 E2証明 >345-354
第5章 証明を終えた喜び及び補足 >355-383
第6章 証明までの流れ、意味内容 >384-386
第7章 謝辞 >386-387
第8章 E2理論へ 【物事の理を悟る】←→【E2証明】>388-419
第9章 E2理論への質疑応答 >420-434
第10章 哲学ってなんだ? 芸術が意味するもの >435-448
第11章 理系と文系、社会学系。学問の自由 >449-453
第12章 新たなる「場」へ。哲学的コラム >454-458,461
第13章 E2理論における哲学的手法、及び哲学への向かい方入門 >459-460,462-468
470E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 04:02:18
>>345 道徳律を自らねじ伏せるもの

いやぁ、どうも僕は性善説に立ってしまいすぎはしゃぎすぎたな。ようやく、冷静さ
を取り戻して、すーっとなってみると僕の安易さが見えてきた。こんなことは百も承
知でそれでもやるんだ、ってな決意を持ってしまう人間には俺なんざ甘っちょろいだ
けだろう。

そいじゃあ、どうしたらいいのか? うむむむむっ。俺の限界か? 容易に想像でき
るのは、そういう俺のレベルを超えた者も、またその上のレベルの者がいるだろう、
ってこと。とりあえず、俺が次に目指す点はそこなのだろうが、その上にはまた上が
いて、ってな構造だろう、ってことだ。バームクーヘン構造とでもいうもの。あるい
は化学の単純な電子軌道モデルってな感じ。太陽系の惑星軌道もそうか。

正義感と、その正義感ってなやつをねじ伏せてまでやらずにはおれぬもの、そしてそ
の繰り返し、という無限が思い浮かんでしまった。

いやはや、困ったことである。
471E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 12:25:42
>>470
> 正義感と、その正義感ってなやつをねじ伏せてまでやらずにはおれぬもの、そしてそ
> の繰り返し、という無限が思い浮かんでしまった。

うーん、『男一匹ガキ大将』やら『筋肉マン』を彷彿とさせるなぁ。しかし、ウィキペ
ディアでの両者の解説量の大きな違い(2007/04/08時点)はなかなか興味深い
現象だ。無限の展開といえば、『アラレちゃん』や『うる星やつら』などのタイプもあ
るな。おお、『サザエさん』という化け物がいた。こっちは日常の循環ってな性質を
ベースにしてる。いつ果てるとも知れないという観点からでは『カムイ伝』なんても
のもある。

僕のこのスレで展開してきた話(>1-469)の構造をつらつら眺めるに、何度かの話
の盛り上がり、波のようなものがある。そして、僕自身は道徳律(>345)でひとつの
絶頂を極め、乗り越え「言語と論理の歴史的発展」(>354)という当初の僕なりの目
論見を達成したわけだが、うーん、こりゃあセックスだな。あ、オナニーか? 様々
な発言者とのやり取りを通してやってきたわけだから、セックスってな面もあるが、
俺が勝手に発射して満足しちまった、ってな、それではしゃぎすぎて相手を置いて
けぼりにしてしまった罪の方が大きいようだ。

いやぁ、板住人の皆様、申し訳ありませんでした。そしてはしゃぎすぎて、他のスレッ
ドやら他の板―音楽サロン板、創作文芸板―の方々も申し訳ないです。

振動といえば「振動宇宙論」なんてのもあるなぁ。僕はエドガー・アラン・ポーがこ
の説について書いているのを読んで、「ほぅ、怪奇物や推理物だけじゃなく書いて
いるんだなぁ」と。ま、『ポーのSF』ってな3巻物の文庫本(だったかな?)を買い込
んだ上で、こういう類いの作品を読み、それでこんな感想言うってのは、嘘をつい
ているわけだが(笑) ま、言いたいことは、それぞれの時代の科学的知見、科学
的考察を取り入れて作品を作っているってことね。これは彼の時代に限らず、今の
時代、僕らの思考にも当然ながら影響を及ぼしているだろう、と考えるのが自然だ。

ふむ、さて、どうしたものか?
472E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 15:19:31
>>471 無限の性質と種類、「神」

まんがを題材に色々な無限が見えてきた。@正邪の闘いに見られる無限性、A日常生
活のような無限性、これから先も同じように続いていくことが前提にある無限性、実
際の作品には開始があり、終了があるけどね。B先が見えないというような無限性。
僕が書いてきたこのスレに見られる振動、ポーの振動宇宙論。E2としての私は私自
身がこの先の見通しが見えていないてんで、『カムイ伝』と同様の無限性を持つ、最
低限今のところは。振動宇宙論に見るような大きな循環という無限。これは、『うる
星やつら』に見られる日常性の無限とある種同一だろうな。

3種の無限。他に何か思い当たるか? この他の性質を持つ無限。@正反合の積み重
ね、A振動しながらもものごっつう大局的に見れば水平線、B未来がどうなるか判断
できぬ、この3種の無限以外に。

@のイメージは、僕は球だ。膨らんでゆく球。Aは直線。Bは現在を端点に持ち、過
去から現在に伸びてくる半直線。Aはその作品世界内における直線、と正確には言え
るだろう。@は作者の想像力の限り拡がっていく、あるいは周りからの要望により、
無理矢理続けざるを得ない、という面もあるだろう。ん? ここ。作者の想像力の限
界、作者の死あるいは引退、ということで限界性があるなぁ。

あ、@、AともSFの『宇宙英雄ペリー・ローダン』シリーズのようなものもあるか。
『サザエさん』もこのタイプといえる。個々の人間の生死という非無限性を超え、無
限性を獲得しようとする営み、とも言えるか。あ、これは作品の開始時という端点を
持つ半直線とも言えるな。

ん? となると直線のようなイメージを持つ無限ってのはなんだ? 過去に開始時を
持たず未来に終了時を持たぬ、そんな直線。

おお、「神」の誕生。神のイメージがこれかな。
473E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 15:54:23
>>472 直線と球といえば

非ユークリッド幾何学に繋がる球面幾何。無限遠点を持つ直線。大円上の半直線。こ
れを元にさまざまな幾何学が生まれ、アインシュタインの相対性理論にも繋がるな。
ある意味、神の相対化による物理世界の相対化とも言えるか?

相対論とくりゃ量子力学。2重スリット問題。俺にはどうもイメージ化しにくい。こ
っち関係やってる物理の奴には常識というが、話としては分かるような気もしないで
もないけど、やはりイメージ化しにくく波と粒子の二重性ってなの言われても、どう
もピンと来ない。どういう風にイメージ化しているんだろ? 数式で出てくるからそ
うなんだ、という風に割り切っているのかなぁ。
474E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 16:20:18
>>473 ん? 二重性?

二重性。うむむっ。相反する「波」と「粒子」のイメージ。これを併せ持つ「光」と
いうもの。光はある、感じられる。「粒子」、実際に観察されているのかどうかはと
もかくイメージ的には「固体」。「波」、海のうねりなどとしては見えるが「個体」
的ではないもの。二重性。

言語の持つ二重性。表面上の書ける読める話せる聞ける「言葉」とそれの指し示す
「意味内容」というもの。「固体」としての「言葉」、「波」としての「意味内容」。

う〜むぅ。光はある、感じられる。「存在」としての光。光の非存在が「闇」。
「光」としての「言語」、「闇」としての、……。「無」?
475E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 16:33:56

>>474 「無」という概念が生まれ

その意味するところを探リ出す。人間の想像力は絶えず対比するものを作り、思考を
深めてゆく。絶えずアンチを想定し、テーゼとアンチを比較吟味し乗り越え次のテー
ゼをそしてアンチを。

「無」の概念から拡がる、アンチとしてのテーゼとアンチテーゼ、それを乗り越える
アンチ、そしてそこから拡がる世界。

ふむっ。妖怪。さまざまなる未知な現象に対応して産み出される「現象」の指し示す
「現象内容」=「妖怪」というもの。
476E2 ◆igyenga13c :2007/04/08(日) 16:49:09
>>474 「無」という概念が生まれ

その意味するところを探リ出す。人間の想像力は絶えず対比するものを作り、思考を
深めてゆく。絶えずアンチを想定し、テーゼとアンチを比較吟味し乗り越え次のテー
ゼをそしてアンチを。

「無」の概念から拡がる、アンチとしてのテーゼとアンチテーゼ、それを乗り越える
アンチ、そしてそこから拡がる世界。

ふむっ。妖怪。さまざまなる未知な現象に対応して産み出される「現象」の指し示す
「現象内容」=「妖怪」というもの。

「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、――共産主義の妖怪が」

※『共産党宣言』、マルクス=エンゲルス。TAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵の
デジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。
http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/sengen1.html

477E2 ◆igyenga13c :2007/04/09(月) 10:58:44
これなら、人に僕の言いたいことが伝わるだろうと思い、都度都度ここのログをプリ
ントアウトしたものを手渡したりするのだが、反応がはかばかしくない。読んでくれ
ても、「で? これ、何?」あるいは「結局、何が言いたいの?」どまり。僕として
は、「書いてあるじゃん。そういうことを言いたいんだ。」と言ってもなんか反応が
ない。どう反応したらよいものか判断に苦しんでいるような、何、馬鹿なことに熱中
しているんだとか、そういう反応。ま、文体がふざけているし、自称の統一がなされ
てないし(これは意図しているんだけどね)、なんか僕の書いている意図が見えづら
く、なんで2ちゃんで書かねばならなかったのかの必然性ってものも理解されず、う
むむむっ。

事情はここでもあまり変わらないように思われる。哲学用語を散りばめての考察とか
してないし、人を巻き込んでその上、俺の意図が言えたどうのと、それも他の人がス
レッド立てたってのに横取りしているような、そんな非人間的な行為をしてる癖して
何か偉そうなこと言っているし、ってな感じをもっているんじゃないか、ってな雰囲
気を俺が感じてしまっていて、苛立っているようなところもないではなかった。

僕が記憶している、疑問とこの世に対する不信感の最初のものは、母親の言動のこと。
僕よりかなり年上の従兄弟がいて、その従兄弟に対する話を誰かとしているのを茶の
間で僕も脇から聞いていた。で、その従兄弟が家に来たとき、僕は何の悪気もなくそ
の従兄弟にその話の内容を言ったのだ。「○○あんちゃんって△△なんだってね」と。
非難とかでもなく賞賛ってのでもなく、ただ淡々と僕が知りえた事実として。そした
ら母親が急に血相を変えて「こら! 何言っているの!」と僕を叱りつけ、従兄弟に
対して取り繕うような言動をしている。僕としては単に僕が知りえた事実を当人に伝
えただけなのに、と。母親自身が誰かと従兄弟について話してたじゃないか、と。母
親の従兄弟に対する評価自体が何やらの意味を別に含んでいたのかもしれないが、僕
は丸っきりの子供だったから、その判断もできなかったのだ。何で僕は叱られなくち
ゃいけなかったのか?

(続く1/3)
478E2 ◆igyenga13c :2007/04/09(月) 10:59:15
>>477

次に疑問を持ったのは、日本国憲法第9条を巡るあれこれ。ものすごく素直に読めば、
「反戦平和、軍事力を持たない」ってな意味以外に読めないだろうって思うのに、解
釈により自衛隊を持っているという事実。んーっ、何か大人の事情があるのだろうが、
小学生がこの文章読んだら、どういう解釈したら自衛隊との並立が許されているのか
理解に苦しむんじゃないだろうか、ってね。まーっ、米軍の押し付け憲法だ、理想主
義すぎて現実世界が見えていないんだ、自衛権は否定されていないんだ、とかいろい
ろ言ってるけどね。しかし、小学生が読んだら、どう解釈するのか?

> 第2章 戦争の放棄
> 〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
> 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
> 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本国民は(中略)希求する。
(前略)戦争と、武力による威嚇/行使は、(限定条件)としては、永久に放棄する。
2 1項の目的実現のため、戦力は、(これを)保持しない。交戦権は、(これを)
認めない。

僕が感じるに、第1項の限定条件、第2項の2つの指示代名詞。これがいちゃもんつ
ける、というか他の解釈を生み出すための、何らかのマジックめいた原因だろう。
「国際紛争を解決する手段としては」という使い方だと、じゃあ、他の目的なら【戦
争/武力(威嚇/行使)】OKってな雰囲気を漂わせているしなぁ。他の手段ってど
んな手段?ってなことだが。

「理想を掲げつつも、現実には捻り伏せ踏みつけ無視してかかる。なんだかなぁ、文
字の力って無力じゃん」と。世界人権宣言とかアメリカ独立宣言とか水平社宣言とか
京都議定書とか、立派なこと書いてたり決めたりしてても、現実にはそーなってない
じゃん、古いのから見たらもう数百年経っているってのに人間って馬鹿じゃんってな。

(続く2/3)
479E2 ◆igyenga13c :2007/04/09(月) 11:00:15
>>478

『理想』>273 で書いた理想。
> 「理想」という言葉に、「きれいごと」を感じてしまうクオリア。しかたありません、
> こんな世の中だもの、こんな歴史をたどってきてしまった世界なんだもの。
>
> でも、これらを乗り越えて、「『ある』『理想』」。任意の「或る」ではなく、存在の
> 「在る」ではなく、「理想は有るんだ!」という認識を確固たるものとして持ちえ
> る「理想」。

それぞれが持っているであろう、理想を挫けることなく持ちつづけ、そしてそのため
には自らの良心というものをゆるぎなく信じきること。これが大事なんじゃねぇ? 
と俺は言いたかったんだよな、このスレで。これを言っても「あは、おめぇのは単な
るお人よしの、それこそ『理想論』だべ。一人ほざいてろ」と言われないようにする
ためにはどうしたらよいのか? と考えつつ展開してきたつもりだが、いやはや、や
はり現実は甘くない。ま、それでも俺は俺の言いたいこと、訴えたいことをようやく
心の底から言い切ることができた、ってな満足感を持てた。

スレ住民のみなさん。本当にありがとう。2ちゃんでしか実現できない表現だったの
だ、少なくとも僕にとっては。

(了 3/3)
480E2 ◆igyenga13c :2007/04/09(月) 11:01:47
>>469 目次追加

巻頭詩 自省と無限と神と妖怪と >470-476
自 序  >477-479
481考える名無しさん:2007/04/09(月) 22:08:25
正直なところE2さんの数々の証明は理解できないけれど
何か大きな進展というか収穫があったようで、とにかく何より!

すごい情熱だなあ
482E2 ◆igyenga13c :2007/04/10(火) 00:42:03
>>481

ありがとうございます。

結局のところ、僕が自分の持っている良心というものに対して、「恥じることはない
んだ、青臭いって思われても構わない」ってことを、自分なりにとことん考え、みな
さんとのやり取りを通じて、考え抜けた、ってことなんです。

>341-342での僕の話、怒りを持っていてそれを言語化できるのに、そしてその怒りに
対して「そうだな」とまずは受け取ってもらって、「でも、現実には通用しないよな
ぁ」とうなづいてもらえれば、僕は満足だったのです。でも、「そうだな」とうなづ
いてもらう前に、僕の言いたいこと、言い切りたいことを遮って「そりゃ違う」、
「現実知らんな、お前」ってな判断を下されて、止めさせようとする。それに抗った。
それをどうしたら聞いてもらえるのか? 色眼鏡なしに、ってのも今思えば、僕の動
機だったのかもしれません。

これと>315から始まった『信条と人間問題』とが絡まって、システムと個人の信条、
良心との葛藤をどう解決するのか、ということを突きつけられ、>345にて『道徳律』
として乗り切ることができた。

そして、当初の目的だった証明したかったこと、言語と論理は歴史的発展しただけで、
人間に先立って存在すると一部ではされている「神」とかの『概念』も人間の想像力
の産物でしかない、ってのも提示できた、と自分では思っているわけです。証明が正
しければの話ですが。ま、少なくとも僕にとってはこの段階でものすごく納得してい
るわけです。一般的に証明されたのならもっとうれしいことではありますが。

ともかく、僕は『一人の人間』というものにようやく成れた、長年かかりましたけど、
ようやく成れたと実感しています。
483481:2007/04/10(火) 01:27:08
考え抜いた、という爽快感が伝わってきます。
きっとあらためて少し世界の明るさや温度がじんわりと感じられているのでは、と想像します。
(そんなふうでもないかなw)

私はかつて、あれは22歳のときでしたが、究極というか根源というか、
とにかく『多様性』ということに尽きるという結論に到達して、
それこそ全身の力が抜けるというか、体じゅうの細胞が滂沱の涙を流すというかw
そんなシビレる感じに襲われたことがありました。

世界の根本原理は『多様性』だ。「そんなことはない」という疑いに対してすら、
「ほら、そのように疑いも存在するってことは・・・すなわち・・・世界は多様だってことじゃないか」
と。
何をどう打ち消し合っても、最後には、
「そんなこんなも含めて、世界には多様性だけは否定されずに残る」
なあんて。
「多様性」を打ち消そうというアクションが、さらに世界の「多様化」に寄与する、
不思議な性質だ、なあんて感じで。
今ではこれは同語反復の一種だったかな、ぐらいに冷めて捉えていますがw

そのころの感じを思い出しました。
484E2 ◆igyenga13c :2007/04/10(火) 05:41:11
>>483 481さんへ

僕自身としては、R.E.M.の『The Great Beyond』のビデオクリップに描かれているよ
うなこと、スタジオで彼らを映しているカメラ自体に力を加えると現実のテレビ受像
機に影響を与えてしまうというビデオクリップなのですが、つまりは僕の訴えたこと
が世間へ2ちゃんを通じて影響を与えてくれたら面白いと思っています。

『多様性』を仮定することによる自己言及的肯定結果ですか。「ありゃ、これは簡単
だなぁ。俺がやったこと、全て無駄だったかぁ?」と思いました^^; なるほど、否定
することさえ、多様性を認めていることになりますもんねぇ。

だもんで、『多様性』というものをちと考えてみました。さまざまな原理に基づいたモ
ノがある。その中にはどんな種類があるだろう? 他者にとって(有用/無用/危
険)な原理というものが想定できます。危険な原理と対峙した場合、とり得る態度は
(受忍/のらりくらり/排除)か? 僕としては「受忍」という態度は取りたくない。と
いうことは、そういう類いの原理に対してのらりくらりとかわすか、排除に動くかしそ
うです。そしてこういう態度を取るのは多分、僕ばかりではないだろう、と思ってしま
います。過去の歴史を紐解けば、ニュートン力学的原理に対して相対性原理と量子
力学的原理が生まれ、また社会的には革命があり独立運動があり、というものがあ
りますしね。

> 今ではこれは同語反復の一種だったかな、ぐらいに冷めて捉えていますがw

同語反復のように見えて、その実、それだけでは済まない結果がみえてきたように思
います。
485481:2007/04/10(火) 11:45:40
『多様性』
なかなか不思議なというか、いろんな感覚を呼び起こす設定ではあるでしょう?
「エントロピー」とちょっと似ているかもしれないけれど、
多様化を進める方向にしか力は働かない、エントロピー増大の方向にしか。
0+1=1 0+1+2=3 と展開したあとで、算数なら -3 と続ければ和を 0 に戻すことができる(0+1+2-3=0)。
でも数式自体はより長く複雑になっている!ってふうな。
まあもっとちゃんと厳密に考えなければいけないような、こんな単純な話では済まないものだとは思いつつ・・・w

人間はどんな自由もあるのだとしても、たったひとつ、『多様化』に逆行する自由(能力)はない!
なんてことを思うと、世の中のいろんな「希望」が虚しくて不自由なものに思えてきたりしました。

まあそういう心理的な影響力があるぐらいには、興味深い思索体験でした。

486E2 ◆igyenga13c :2007/04/11(水) 00:09:33

>> 485 481さん『多様性』。カントの時代。文字表記
> 人間はどんな自由もあるのだとしても、たったひとつ、『多様化』に逆行する自由(能力)はない!
> なんてことを思うと、世の中のいろんな「希望」が虚しくて不自由なものに思えてきたりしました。

お? あれ? このことを肯定的には考えないのですか。あらら。僕としては、だから
こそ、色々な方向へ向かい得る自由が保証される、というように解釈できるなぁ、と思
いましたが。一見逆行しているように見えても、そうじゃないものなんだ、と。

話、まるっきり変わりますが、カントの『純粋理性批判』が1781年刊、『実践理性批判』
(1788年刊)、『判断力批判』(1790年刊)。なんだ、ダーウィンの『種の起源』(1859年刊)
より前の刊行だったのか。メンデルの法則の再発見は1900年だしなぁ。「先験的」なん
とかと考えざるを得なかったんだろうな。神の存在とかをも考慮せざるを得なかっただ
ろうし。その時代時代の制約の中で頑張ったんだろう。ってことは、現代もなんかしら、
これらしきものがある、と疑っておくことが当たり前のことで、自分の思考形成に影響
を及ぼしている何モノかが絶えずあると考えておく、『思い込み』をしていないかどう
か絶えずチェックしながら進めていかなくちゃいけないってことか。こりゃ、しんどい
な(笑)

しかし、ドイツ語の造語能力は高いって話を前に聞いたことがあるけど、unser Erkenntnisvermoegen
ってな熟語に『認識能力』ってなのを対応させて作り上げた日本語の方がよっぽど造語
能力高いよなぁ。禅宗とか東洋思想からの借り物だ、なんてことも言われているようだ
けど、漢字かな数字カナ欧文など単語間の関係、分かち書きの効用も一目瞭然だし。ア
ルファベットを羅列するしかない欧米人の人たちの分析力の高さってのはこういう言語
表記特有の性質も関係しているのかもしれないっすね。
487E2 ◆igyenga13c :2007/04/11(水) 10:21:40
>>486 東洋思想なるもの。表意文字の威力。

哲学って何のためにあるの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1121617724/281,431-432

で、僕は東洋思想のことを語っている方の意見に対して、
> >>281 西洋思想が今いる場所は仏教・儒教が2000年前に通過した場所だ。
> うーん、東洋哲学、小難しいこと言ってるしなぁ。論理が通っているんだか通
> ってないんだか、ってな、頭から信じろ、とか言われているような気がして、
> どうも気が引ける。でも、良いこといってますよねぇ。でもその論理的根拠は? 
> となると今いち納得しきれない現代ッ子。

と言っているんだけど、もしかして東洋思想って抽象度が高くなりすぎて生半可な者に
は何言っているんだか訳わかんねー状態なだけなのかも。これって、表意文字としての
漢字の影響があるんじゃねぇか? で輸入した日本、漢字を元に表音文字として「かな、
カナ」を作り上げてきて感情が細やかに表現できるようになり、世界文学的事件「源氏
物語」てなものを生み出せるようになったんでは、と。表意文字と表音文字の巧みな合
体ってな、釣りキチのハマちゃんが大喜びする夜ね。

そいや、ミュージシャンのプリンス、改名して、なにやら記号に読みを振って、「この
記号はナンタラと呼んでくれ」ってなことだったらしいが、これって彼なりの表意文字
造形運動か? 表音文字だらけの世界に住む方々にとっては、表意文字という一目で意
味が読み取れる世界に対して憧れているのかもね。

日本語の発音、イントネーションの単純化にも文字表記が大いに影響しているだろうな
ぁ。万葉仮名解析などによって奈良時代にはナントカってな母音があったのが判明して
いるのだが。僕が人と会話するとき、ごく自然にやっていることがある。相手の発話の
内容、文章を頭に思い浮かべながら文脈に沿った熟語を取捨選択していること。『箸』
と『橋』のイントネーションの違いなんかに代表されるイントネーションによる言い分
けなんか、僕にとっては無理矢理な言い訳にしか思えない。だからドラマ『トリック』
でこれを使ってのトリック解明の話、ちと残念だったりするのだった。どんとこ〜〜〜
〜ぃ!!
488考える名無しさん:2007/04/11(水) 12:23:59
「思想とは何か」
中杉 弘博士ブログ
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/53579689.html
来訪されたし。
489194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/12(木) 01:16:05
なんかいいなぁ俺も
「人間は究極的に何も知ることができない」
というのが理解とか飛び越してバッババーンと稲妻でも落ちたみたいに
実感した瞬間があったな
490E2 ◆igyenga13c :2007/04/12(木) 08:36:47
>>488 中杉訪問記

1.ユダヤ教うんぬん。大成した科学者が何か「神」を持ち出してしまう心情分からぬ
でもないですが、このスレッドでも散見される、僕には分からぬタイミングの良さ、僕
には分からぬ新視点の着想、僕には分からぬ訳の分からなさ、これらを「神」のせいに
しとけば、とりあえずはほっとする、ってなそんな心情なのかな? と。あと、「神」
でも持ち出さないと、何でこの糞ッたれなまんまの世界がまだ続いているのか?ってな
怒りが納まらないんじゃないか、と。ユダヤ教うんぬんがノーベル賞受賞者の38%
(らしいが)とかを占めていることの意味合いをその宗教性に求めているようだけど、
それはうがちすぎというものじゃなかろうか? 現実にある「差別」(日本人の僕には
実感できないけど)に立ち向かう、ってなことが奮い立たせている側面も無視できない
んじゃなかろうか? 生活信条としての厳しさが彼らを律したってな側面もあると思う
けどね。

2.ネットでmyフェイスを公開する。まあ、男だからどんとこ〜いってなもんなんだ
ろうな。

3.『太陽の季節』症候群。権力抗争のおこぼれとして国全体が潤った時代、ってな見
方もあるんじゃねぇの? 候補者が選挙の際には良いこと言ってもその実、現実化する
ことはほとんどない、ってな時代じゃなく、良いこと言ってその選挙区内に対して言葉
通り実現できたってなのが全国各地で行なわれていた時代、ってな見方もできなくはな
いと思う。司馬遼太郎とか石原慎太郎とか、「時代のメルクマール」ってなラベルを貼
ることで「一件落着、どうだすげぇだろ、俺様!」で飯食えた連中だからなぁ。あやか
りたいもんだ(笑)

(続く)
491E2 ◆igyenga13c :2007/04/12(木) 08:37:24
>>490

4.狂った果実。んーっ、今ある金融システムを利用してどうこうってな話だが、ミヒ
ャエル・エンデの書いた『エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」 』読めば、現
在の金のあり方の根本的な弱点、すぐにわかるだろうに。この本の中で紹介されている
『目減りしていく通貨』ってなの、今の世の中なら簡単に実現できるシステムであるだ
ろうにしていない現実。金なんてものは血液のように流通してなんぼ、貯めこんだとこ
ろで血栓化してるだけなんだ、ってな視点が欲しいところだ。

5.戦争うんぬん。ここまで物語化しないでもいいんじゃないの? 「人間の欲」とか
一般化しちゃってはまずいとわしゃ思う。日本の戦国時代というかそれ以前は、「価値
の源泉場である土地所有権の正当性」を巡る闘争であり、その決着をつけるべくあるは
ずの裁判所たる幕府なりの実権が影響力を持たない/持てない時代になったからこそ、
実力行使に及ばざるを得なかったという側面もあると思う。ま、悪用して分捕り合戦っ
てな、それこそ禿げ鷲ファンドのような輩も出てきたんだろうが。「そんなことして何
になる。身を滅ぼすだけだ」ってなことで、でも実力行使して勝っていかないと他人に
は評価されない時代だったから、全国制覇を狙わざるをえなかった有力戦国武将たち、
ってな見方も出来ると思う。現代の戦争はほぼ「資源略奪型」であることは同意。権力
志向の人間と、人間一般を混同させるのは危険、ちゅうか逆に有害だろうな。

参考:哲学って何のためにあるの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1121617724/432

極悪4人組。なんだ、この人、底が浅いなぁ、まあ、そうじゃないかとうすうす感じて
いたが(笑) なんで488さん、紹介したの? 疑問。あ、俺もこの「中杉弘」のよ
うな人物と思われたのかな? ありゃま、なんてこったい(笑) ま、ここまで読んで、
読む気をなくしました。

492E2 ◆igyenga13c :2007/04/12(木) 08:41:28
>> 489

おお、おひさしぶり、194さん。元気にしてた?
194さんの適切な助言と行動により、深化することができました。改めて感謝^^

> なんかいいなぁ俺も
> 「人間は究極的に何も知ることができない」

でも、「知ろうとすることはできる」だ。これは間違いない。人間の「能動性」ってな
ものをあまり楽観視しないほうがいいと思う。(参照:>199内のあなたへのレス)

493E2 ◆igyenga13c :2007/04/12(木) 08:45:44
>>492

「楽観視」じゃなく「軽視」だな。こりゃ失礼(笑)
494日本の大和 ◆np/.YaMaTo :2007/04/13(金) 00:41:45
495似非至高状態者www:2007/04/13(金) 00:44:58
しょもないなぁ、哲学くらい瞬殺し白よ。w
496似非至高状態者www:2007/04/13(金) 00:52:49
知識は力じゃ。

読書は貪欲に。己の性格が変わるよ。

序に哲学をかじると全てを相対化できるので、自分が無意味に鬱状態にならないで済む。w

までも身体的体質故にセロトニン不足は否めないがね。w

春先3月辺りは非常に辛いね、ぼろくそ。w 俺は、冬季鬱症か。www



で、至高状態を妄想する人間どもは、至高状態を100%と勘違いを起こすわけだが、かなり目出会い人種だ。w

これさえなければと言う似非至高が居てもなんら矛盾は無いちゅうに、www 相対かせい馬鹿タレ。w
497ヌ又(沼田) ◆Twinz555I. :2007/04/13(金) 05:04:53
>>496
真面目に読書したり、なるだけ万人が知らなさそうな勉強して、遺産相続を待ち望んでください。

≫これさえなければと言う似非至高が居てもなんら矛盾は無い

意味の無い我慢比べ
498心の仕組みドットコム:2007/04/13(金) 18:05:49

>>1哲学は難しすぎる

哲学を難しく考えすぎる、が正解です。
499考える名無しさん:2007/04/13(金) 20:28:02
>>498
おまえはひとりでキチ○イ人生の続きをやってろ!

広辞苑を心の友にしてwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

すべてを理解したという笑止千万なバカ爺めがwwwwwwwwwwwww
500心の仕組みドットコム:2007/04/13(金) 21:05:37
>>499

名無しだと何でも言えますね。
本当のことに腹を立てても始まらないよ。
次の書き込みには名前を入れてごらん。
ジックリ話をしてあげるからね。
501考える名無しさん:2007/04/13(金) 21:45:28
でも2ちゃんねるは他の掲示板と違って普通は名無しで書き込むものなのです。
おかしいのはあなたです
502考える名無しさん:2007/04/13(金) 22:05:29
『心の仕組みドットコム』の低脳爺さん、こんばんは。
おまえはなんで他人から蔑まれるのか、ちょっとは胸に手を当ててみる謙虚さはないのかw

どうせおまえ以外はみんな『物事の理』がわかっていないから
邪悪で無知蒙昧だからおまえを批判している
ってな感じで満足しきっているんだろ?
まあおまえの思考パターンではそうなるわな

失敗人生、今さらその妄想の鎧を脱ぐなんてできないだろうし
せいぜい冷笑や無視や罵倒をいっぱい受けて、ますます磨きをかけていくがいい
503考える名無しさん:2007/04/13(金) 22:21:08
>>500
あんたも名前を明かしてないじゃんか
ここでも、そしてウェブサイトでも・・・・・
504考える名無しさん:2007/04/14(土) 07:31:14
>>500
ここの書き込みは>>502見たいなへそ曲がりが大半だから名無しが楽ですよ。
505考える名無しさん:2007/04/14(土) 10:03:16
斐匙琶螺矧汰櫨菟魔璽斐螺禰佐都簑菟匙簾邊獅
っていうことが本当に理解できているのかな?
506心の仕組みドットコム:2007/04/14(土) 10:28:07

>>503

2chで名前はハンドルネームですよ。
真面目に話をするつもりならね。
507心の仕組みドットコム:2007/04/14(土) 18:33:33
>>501
では何故、名前を書き込む欄が有るのでしょうか?
508心の仕組みドットコム:2007/04/14(土) 19:22:36

本題にもどりましょう。
>哲学は難しすぎる
哲学は誰にも必要ですが、私は逆に哲学は簡単すぎて伝えるのに難しいと思います。
一口に哲学を説明しますと、人類史との関わりで使えなく成った頭を使える頭に切り換えることが哲学ですよ。
自分の頭を切り換えるのは自分でしかできませんので他人が記した哲学書を読み覚えても駄目なんですね。
哲学書には自分の頭を切り換えろ、とは書いて有りませんしね。

509194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/14(土) 19:38:35
オイオイオイオイオイオイおおいあおいあおいあおいあおいおゅ!!!
宣伝すんな宣伝すんなn宣伝すんあ宣伝すんんあ宣伝すんんあぃ!!!
おいいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいいおいおいおいおい!!!
お前のは自己主張通り越して宣伝行為だ!!!ローカルルールという理を
護れない人間が理を語ることなかれ
510考える名無しさん:2007/04/14(土) 19:45:35
>508
>人類史との関わりで使えなく成った頭

日常生活って事で好いのかな?
世の瑣末なコトに係わりあってるうちは全然進まないとは思う
511考える名無しさん:2007/04/14(土) 20:01:03
>>508
キチガ○ドットコム ・・・・・・・・・

厳密な論理の展開にはとても耐えられない低脳で
苦し紛れに妄想に逃げて、そこで自分はやっぱり明晰だったんだと自己暗示。
算数で挫折したくせに、どんな数学者よりも自分が上にいると言い聞かせて
劣等感を塗り込めたつもりかw

おまえは哲学以前だ。
いろんなスレに書き散らしているようだが、黙って奇人変人としての市民生活を続けてろよ!
512似非至高状態者www:2007/04/14(土) 20:04:50
>>498
正解。w

鏡は左右を逆に映すのか?、ここいら辺を瞬殺出来るようにならないと
哲学が難しく感じるが、このことを理解しちまえば寧ろ哲学は面白くなるおね。
513似非至高状態者www:2007/04/14(土) 20:06:33
>>504
いい事いうね。

ちなみに俺なんかこの板に来る度にコテ変わってるから。w
514考える名無しさん:2007/04/14(土) 20:28:27
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515心の仕組みドットコム:2007/04/14(土) 20:44:13
>>511
厳密な論理ね。
言葉の意味を知らなくても言葉を覚えれば知ったと言う思い込みに陥ってしまうのですね。
論理とは物事の理に裏打ちされた思考の形式ですので、物事の理を悟ることで始めて論理に通ずることができるのですよ。
ですから真理、論理、理論から理解に至まで理がらみの言葉を正しく使うためには物事の理を悟らなければできないことです。
これで知ると覚えるの大きな違いを分かりましたか?良かったですね。
それを知らなかったとしても低脳扱いにはしませんのでもう少し誠意を持って真面目な書き込みをしましょうね。
516似非至高状態者www:2007/04/14(土) 21:13:43
では何故、哲学が何故難しく感じるのか?。

それはキミ等が現代社会なり、現代の常識なり、現代の善なり、現代の当たり前なり、

それらの知識をもとにして思考するからだよ。

つまりだね、現代からは一歩も二歩もひいて世間を見つめないといけない。


ちなみに俺は常識とか言う言葉が一番嫌いだよ。
517考える名無しさん:2007/04/14(土) 21:36:43
>論理とは物事の理に裏打ちされた思考の形式ですので、物事の理を悟ることで始めて論理に通ずることができるのですよ。
ですから真理、論理、理論から理解に至まで理がらみの言葉を正しく使うためには物事の理を悟らなければできないことです。

こ、これが「理を悟った」人間の思考なのか???
518似非至高状態者www:2007/04/14(土) 21:49:28
>>517
>論理とは物事の理に裏打ちされた思考の形式ですので、物事の理を悟ることで始めて論理に通ずることができるのですよ。

なんじゃそら。

理論とは、物事の細部を削り共通事項だけ抜き出した木の幹みたいなものだよ。



といってみても、この写実的比喩を理解してくれる人は極めて少ない。
519考える名無しさん:2007/04/14(土) 22:09:01
論理というのは単なる個人の好みにすぎず、それ以上のものではない。ここの書き込みを見ればそのことがよくわかる。みんな解釈が違うからな。
哲学とは定義しないことであり、そこが他の学問と最も違うところでもあり、だから難しいとも言える。まず、定義してからその範囲内でしか探求を行わない他の学問とは大きく異なる。
520考える名無しさん:2007/04/14(土) 23:12:16
>>519
哲学とは定義しないこと←という定義。


こういうパラドキシカルな点も哲学が難しい所以だと思う。
特に真か偽かにこだわる理系にとっては。

521心の仕組みドットコム:2007/04/15(日) 07:07:38
>>517

>理論とは、物事の細部を削り共通事項だけ抜き出した木の幹みたいなものだよ。
私は貴方自身が使う言葉を理解しているのか?が心配ですね。
「物事の細部を削り共通事項だけ抜き出した☆木の幹」とは何を指しますか?
それは万人が納得するもの、つまり万人の良心が認めることのできるもの。万人に通ずるもの。
貴方の唱える木の幹とは理を指しているのですよ。その心を会得することが「物事の理を悟る」と言うのです。
「物事の細部を削り共通事項だけ抜き出した☆木の幹」=「物事の理」ですので貴方は私の言葉を言い替えたのに過ぎないのです。
分かりましたら、なんじゃそら。を取り消して下さいね。


522考える名無しさん:2007/04/15(日) 08:21:38

難しそうにしてなかったら、
実がないことがみんなにわかっちゃうだろ。
523心の仕組みドットコム:2007/04/15(日) 08:43:05

>>522

聞かれる耳が無ければ、実の有る場所も聞き逃してしまうでしょうね。
524考える名無しさん:2007/04/15(日) 10:05:20
       _____
      /∵∴∵∴∵\
     /∴,zェェ.ュ'.:''::´zェェ.ュ:i 
     |∵∴∵∴∵∴∵∴| 
     ∧ ヽ.   ヽニニソ   l  
   /∵\ヽ        / 
 /∵∴∵\ `ー--一'ノ/ヽ    ノ7_,,, 、
/∴ (⌒、"⌒ソ⌒ヽ_( 〒 )ノ- 、`、 ( ィ⌒ -'"",う
∵∴ ~''(_)(_)(_)(_)ソ  __   ヽノー-,イ^
∴∵ ヽ/`、_, ィ/ ┌|| 壱 ._|__ヽ∴/
∵∴/ ∴∵∴/  || || 万// 壱 / )/
∴∵∴∵∴∵/  || || // 万 /  i
\∴∵∴∵ ノ ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/  /
  \__ /   \___ ノ  / 


堵虞慧螺すら読みこなせない低学歴に用はないよ
525E2 ◆igyenga13c :2007/04/15(日) 13:04:14
【物事の理を悟る論者】さんとは、とあるサイトの宣伝マンだったのか。いやはや歩合
で稼ぐ営業も大変だ。

>>512  鏡は左右を逆に映すのか?

前後ですな。

>> 518 似非至高状態者さん
> 理論とは、物事の細部を削り共通事項だけ抜き出した木の幹みたいなものだよ。

ニュアンスはわかるけど、これだと、細部切り落としってな受け取り方される危険性を
持つような感じになってまずいんじゃないの? 物理学でいえばニュートンの理論じゃ
あ説明つけようがない現象が見出されてきたってんで次の理論が生まれてきたわけで
(>431)、まあつまり、細部をも抱合できるような、まるのまんまを説明できちゃうよ
うなものを『理論』というんじゃないのかなぁ。ま、ともかく『理論』という木の幹か
らさまざまな事象、細部のことなども演繹的に説明できるってなことも言えるんだけど。

えーっと、ともかく、僕はこのスレを通じて自我を確立できたと確信しているわけだけ
ど、いろいろと仮定とも呼べるようなものに依存していることは否めない。無条件に
『時間』を使っているし、「『意味内容』を問うことが、はたしてどのような意味を持
つものか」ということも明らかにしていない。まあ、おいおい語られるようになれれば
ラッキーだけど。

僕にとっては『生きること=考えること』ってのがすんなりとしたんだけど、「考える
こと」が「悩むこと」、「迷うこと」に置き換わっている人が未だに多いんじゃなかろ
うか? だから宗教に走ったり「悩む馬鹿に迷う馬鹿、考えるなんぞ大馬鹿」とばかり、
体動かすことやら痛めつけることやら金を妄信することやらに逃げ込んでいるんじゃな
かろうか?

論理なんてのは、>519さんも言っているようなものでしかなく、だけど、お互いが了解
しあえていると判断できる最低限のものでもあるんだよね。言語というか言葉はどこま
でいっても『例え話』でしかないちう現実。それを裏打ちできるのは人間だけだ(>408)。
526心の仕組みドットコム:2007/04/15(日) 16:03:11

>>525
相手を何も知らずに他人を侮辱したら不味いですよ。
私は貴方の書き込みで貴方の脳味噌は、お見通しなんですからね。

>僕はこのスレを通じて自我を確立できたと確信しているわけだけど、
自我とは無知蒙昧が自己愛に発展し欲望を産みだし、欲望が数々の自我に枝葉をのばし
成長を続け自我を強くすると人は益々無知蒙昧に陥っていきます。
そして産まれる子供達が育つ段階で自我を植え付けて人類は永遠と無知蒙昧から抜け
だせず無能な争いを繰り返して現代に至った、と言うことです。

その人を無知蒙昧にする源の自我を確立できたと確信する、とは無知蒙昧の儘でこれか
先も生き続けることを決めたと言うことですね。
527考える名無しさん:2007/04/15(日) 17:12:42
哲学

誰かこの言葉を簡単に説明してくれ

俺では想像力が足りん
528考える名無しさん:2007/04/15(日) 17:16:50
俺には弥勒菩薩(マートレーヤ)がついてる。
529心の仕組みドットコム:2007/04/15(日) 17:57:48
>>527

【哲学】
哲学の哲は「道理にあかるいこと」を指し、学はまなぶ、と言う意味ではなく「望む、希求する」と言ういみです。
何故、哲学は道理にあかるいこと、を希求するのか?と言う疑問にもお答えします。
道理にあかるく成る為には物事の理を悟れば宜しいのですが、人の知能は物事の理を悟り、
道理にあかるく成らないと発育せず智恵を産みだせない、と言う仕組み(法)が有ります。
つまり道理に昧(くら)い儘ではも知能が育たず物事を理解できず智恵を産みだせない大変なことですが、
それでも人は争いながら生きて行ける訳です。
ですから道理に昧くても知能があると思い込み、理解できると思い込み、智恵が有ると思い込み人は争いながらも永遠と
その歴史を繰り返してきたのです。

全ての原因は人が道理に昧くて本物の智恵を産みだせないことが原因と成っているのです。
そこに哲学の真の目的が有るのですが、その目的は人が道理にあかるく成れば全ての価値観が逆転し人類は産みだされる
智恵を使って戦争も犯罪もなく全員が夢と希望を持ち平和で豊かな人生を楽しめるのです。

哲学は諸学の源と言われる由縁はこの為ですが、お望みならば愛智の意を次回、御説明いたします。
530E2 ◆igyenga13c :2007/04/15(日) 19:39:17
>> 526
> 相手を何も知らずに他人を侮辱したら不味いですよ。
> 私は貴方の書き込みで貴方の脳味噌は、お見通しなんですからね。

おお、さすがに僕の脳味噌お見通しだ。しかし、あなたは侮辱とかいう下世話なことか
らは超越しているお方のはずでは? 無知蒙昧な輩の戯言に付き合う暇があるのなら、
HPでせっせと文章アップすることです。あ、しかし、毎度同じ文章しか載せられない
のでは、時間性が希薄になってしまう個人HPでは致命的ですなぁ。

> 自我とは無知蒙昧が自己愛に発展し欲望を産みだし、欲望が数々の自我に枝葉をのばし
> 成長を続け自我を強くすると人は益々無知蒙昧に陥っていきます。
> そして産まれる子供達が育つ段階で自我を植え付けて人類は永遠と無知蒙昧から抜け
> だせず無能な争いを繰り返して現代に至った、と言うことです。

無知蒙昧→(発展)→自己愛→(産出)→欲望
欲望→(手を出す)→数々の自我→(成長)→自我の強化→無知蒙昧の強化
子供への自我の植付け→人類の無能な繰り返し

うーん、最初の「自我とは」を受ける言葉が見当たりません。ご教授願いたい。

> その人を無知蒙昧にする源の自我を確立できたと確信する、とは無知蒙昧の儘でこれか
> 先も生き続けることを決めたと言うことですね。

ふむ、あなたがこの文章で意味づけている意味で僕は「自我」という言葉を使用してお
りません。僕の意味づけている自我はこのスレッド全体を通して伝わるであろう意味で
使っております。御再読御熟読いただきたい。信条人間問題(>315-344)あたりが参考に
なるかと。
531考える名無しさん:2007/04/15(日) 20:42:25
>>530
あなたは親切なんだなあ
こんな「私は貴方の書き込みで貴方の脳味噌は、お見通しなんですからね」なんてことをほざくバカを相手にして、
きちんと意味をわかろうと努めている
532E2 ◆igyenga13c :2007/04/16(月) 00:52:43
>>531 あなたは親切なんだなあ

あらら、揶揄してるだけだけど(笑) ま、みなさん読み取っているでしょうけどね^^

> こんな「私は貴方の書き込みで貴方の脳味噌は、お見通しなんですからね」なんてことをほざくバカを相手にして、
> きちんと意味をわかろうと努めている

そりゃあ、相手と同じ土俵になぞ載らないためには、相手のことも知っておかなけりゃ。
ここはギリシャの時代と違って、文字発言とという言質がとり得る場ですからね。ソフ
ィストがソフィスト然としていられるような場ではないわけです。その都度都度にクリティ
カルヒットしておかないといけない。そのためには何をすべきか、相手の意とするところ
を読み、心情として汲むべきところは汲み、問いただすべきところを問いただし、撃つべ
きところを撃つ。俺から言わせれば「哲学者いるのかぁ、ここにぃ?」ってな感じぃ?(笑)

僕は、>272で【物事の理を悟る論者】さんの心情に寄り添った形で展開しましたが、こ
れはそれまでの方々の批判方法が的を得ていない、という点を述べたつもりなのでした。
つまり、語句の意味なぞは人それぞれ、262さんは一般的に解釈されていると思われ
る言葉で理解しそれを【論者】さんにぶつけた。ところが【論者】さんは別の意味で用
いている。どっちが正しいの?ってこと。世間一般がいつも正しいわけじゃないってこ
とはこれまでの人類の歴史を鑑みれば明らかなこと。そして、じゃあ、誰が第三者とし
て審判を下し得るのか? これさえも今の世の中では絶対的な権威なぞありはしない、
少なくとも僕にとっては。こういう状況では、僕にとって意味不明な物言いを問いただ
し、その発言者との信頼関係をある程度築き上げた上で、「その人に語らしめよ」しか
なさそうだ、と判断したわけですな。で、ある程度の収穫は上げたつもりではある。

ま、手間かかるから、暇じゃないとやれない方法でんな(笑) そして、この手の輩は本
心から気づくってのは、まあ、ないことでしょうから、繰り返し繰り返し出没しちゃう
もんなんでしょうが、挫けずにねぇ、出来る範囲を、やりたいときにやるってなことな
んですが。  おお、偉い物言いしちゃってるな<わし(笑)(笑) こりゃ失敬^^;;
533心の仕組みドットコム:2007/04/16(月) 09:33:08
>>530

私は言葉の持つ意味に添って話をしていますので私が言葉の意味づけている、等と
私も貴方と同様だと思われますので勝手に解釈し書き込まないで下さいよ。
(僕の意味づけている自我は)言葉の意味は自分で意味づけをするものでは有りませんよ。
貴方が勝手に自分で言葉の意味づけをすれば、言葉に対しての共通認識が無くなり
何一つも他者との会話が成立しませんよ。
貴方の意味づけているリンゴは社会では柿と認識されている、としても貴方は
「僕の意味づけているリンゴ」はこれだと柿を指す(我を張る)のと同じですよ。
こうなると、他者との会話以前に根本的な大幅修正が必要ですね。
私の言うことも貴方には通じないでょうね。


534E2 ◆igyenga13c :2007/04/16(月) 10:39:51
>>533
いえいえ、大丈夫。通じておりますよ。
ウィキペディアの『クオリア』の項でもご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2

勝手に喋りあっているってことに関しては>351を、発話者と受け手の関係については>310、
発話者と受話者の解釈、それに対する発話者の感想については>325,331,334 それぞれを
ご参照ください。
535心の仕組みドットコム:2007/04/16(月) 12:20:02
>>534

>いえいえ、大丈夫。通じておりますよ。
それで、、
>僕の意味づけている自我はこのスレッド全体を通して伝わるであろう意味で
>使っております。
僕の意味づけている自我などはない、と言うことが分かったのですか?
536E2 ◆igyenga13c :2007/04/16(月) 12:44:36
>>530 悪文といえば、

ウィキペディア『純粋理性批判』項目の初めの文章(改行位置はこちらで)
@> 『純粋理性批判』は、
A> 理性認識の能力とその適応の妥当性を「理性の法廷」において
B> 理性自身が審理し批判する構造を持っている。
C> ゆえにそれは哲学(形而上学)に先立ち、
D> 理性の妥当な使用の範囲を定める哲学の予備学である
E> とカントはいう。

何がどれを指し、どこを受けて何を言いたいのか、意味不明。こんなんじゃ、敬遠する
のが当たり前だろうな。多分僕が思うにね、筆者の言語レベルというか言語に対する感
受性というものが低くてさ、ドイツ語文法において成り立つ作法(文法)をそのまんま
日本語に置き換えているレベルなのじゃないかと。Bにおいて句点が置かれているけど、
ここまでで一応は@の文章を受ける言葉がないと、日本語としては成立しないね。Aと
Bで『何が』構造を持っているのか不明。Cの『それ』は何を指してのそれなのか? 
意味不明。一応、上記の文章をどのように解釈しなおせるか、上の文章の情報内におい
て、僕なりに書き直してみる。

@『純粋理性批判』は○○について書かれた本である。
AB理性認識の能力とその適応の妥当性というものは、「理性の法廷」において理性自
身が審理し批判する、こういう自己言及的な構造を持っている。
CD哲学とは理性を用いてあれこれする学問であるが、本書『純粋理性批判』は哲学の
フィールドワークを吟味しなおし、その適用範囲を定める目的を持っている。
Eとカントは言っている。(本当かどうかは知らんが(笑))
537E2 ◆igyenga13c :2007/04/16(月) 12:59:38
>>535

あなたの「意味づけている『自我』などはない」という主張、判らぬでもないですが、
だがしかし、あなた自身の行動が、あなたの言うこととは違う『自我』に囚われている、
と受け取られているのです、少なくとも僕にとっては。

僕の言わんとする自我とは、あなたが否定的に捉えているだろう自我を自らが乗り越え、
しかしその乗り越えた先にある『自我』というものです。私以外の何者でもない、私自
身の生存を生存ならしめているもろもろの上にかろうじて「ある」のだ、そういう自覚
を持った上で『存在』している自我。

んーっ、自分でも何を言っているのかわけわからん(笑)
538考える名無しさん:2007/04/16(月) 13:12:23
まぁ一息入れなされ
つ旦
539心の仕組みドットコム:2007/04/16(月) 13:40:15

>僕なりに書き直してみる。
また、言ってる側からすぐに悪い癖が始まっているね。
自分で分からないからと言って勝手に文を変えたら言葉の意味合いが滅茶苦茶に成りますよ。

上の文で十分に分かるでしよ。
『純粋理性批判』は、理を以て判断すべきで有るから、その理を探求する者は哲学の予備軍と言える。
そうカントが言ったと言うことでしよ。

確かに理を探求する者達の全てはカントの言う通りに哲学の予備軍かも知れないが哲学の目的は理を自分のものにすることです。
過去、数え切れない人達が理を追い求めてきたが、これと言って理を自分のものにした、と言う人は見あたりません。
つまり哲学を知った、自分のものにした、哲学を卒業した人が誰もいない程、哲学の入口は万人に開かれていますが、その出口は全て
の条件を満たした者だけが出れるくらいの針の穴ほどしか無いのです。
そこで偶然、針の穴を潜り抜けた者に出会えたら、その方法を聞いて自分で針の穴を潜り抜ける以外に良い方策は有りませんね。



540心の仕組みドットコム:2007/04/16(月) 13:50:31

>>537

自我を心の友として生きてきた人達には誰もが同じに生きている、と思い込んでしまうのです。
ですあら自我を持たぬ者が本当の話をしても、それを自我だと勘違いしてしまうのです。
私の話は全て事実ですが事実と自我の見極めが付けられない人達が聞いていますので、その差の難しさが生じるのです。
541考える名無しさん:2007/04/16(月) 22:23:07
>>539
>過去、数え切れない人達が理を追い求めてきたが、これと言って理を自分のものにした、と言う人は見あたりません。
つまり哲学を知った、自分のものにした、哲学を卒業した人が誰もいない程、哲学の入口は万人に開かれていますが、その出口は全て
の条件を満たした者だけが出れるくらいの針の穴ほどしか無いのです。
そこで偶然、針の穴を潜り抜けた者に出会えたら、その方法を聞いて自分で針の穴を潜り抜ける以外に良い方策は有りませんね。

そしてあなたご自身がその極めて稀な存在であられるわけですね・・・

でも相手が敵意というかとにかく理解の支障になるような心構えをしていると、
もう物事の理というものは伝わらない会得できないわけですね。

そんなに弱いのですか、理を悟ったお人が持つ力は?
(「いや、逆に、そんなに強いものなのだ、邪悪な心性は」と切り返されてしまうかもしれませんね)
542心の仕組みドットコム:2007/04/16(月) 23:31:03

>>541

私は強弱では自分の心を測りません。心は大小、高低で計るものと思います。
人生と言う命を使える時間は長く有りませんので難しい人は後に誰かの後ろを付いてきて戴ければ良いんですよ。
543E2 ◆igyenga13c :2007/04/16(月) 23:55:46
>>539

ん? どういう風に解釈したのか、ってなのを提示しないと話しが噛み合わなくなっち
ゃうことがあるでしょ。そういう無駄と思える行為を行なわないと、のちのちエラク無
駄な時間を費やしたって後悔しかねないからねぇ。(参照:>262さん)

カントの言っているだろう内容自体にはほとんど踏み込まず、僕は日本語の文章の出来
自体について、つまり文法的なわかりにくさに文句つけたわけで、これは【物事の理を
悟る論者】さんにも共通している大弱点だろうと判断しているわけです。

> 確かに理を探求する者達の全てはカントの言う通りに哲学の予備軍かも知れないが哲学の目的は理を自分のものにすることです。

  理を探求する者=哲学の予備軍
  哲学の目的=理を自分のものにする

んーっ、何か言ってそうでいて、自家撞着っちゅうかなんちゅーか。

>>540
> 私の話は全て事実ですが事実と自我の見極めが付けられない人達が聞いていますので、その差の難しさが生じるのです。

なら、人にやさしく通じるような話し方を身につけてくださいな。少なくとも僕には通
じません。何を持って事実というのか。なぜあなたは同じことを言いつづけているのか。
2ちゃんねるという場の特性を全く理解していないあなたの行動からは「事実」と言い
切れるようなその背景が全く見えてこないのです。

>>542
> 人生と言う命を使える時間は長く有りませんので難しい人は後に誰かの後ろを付いてきて戴ければ良いんですよ。

この文章の意味するところ、信心しろってことですよ? 宗教になっちゃいますよ? 
いいんすか? これで? 板違いになりますよ、これじゃ。
544541:2007/04/17(火) 00:25:14
>>542
それに、私の問いにも答えてくれていませんよね。
強弱でなく大小や高低で測るのならそれでいいですが、
とにかく、
理を悟ったという稀有な存在であるあなたが、
こんなにも説得力がない、相手にきちんとした答えも返せないのは、どういう理由によるのでしょうか?
もう一度聞きますが、聞く側が聞く耳を持たないというだけで、
あなたの神通力はお手上げなのですか?
それをも突破する能力が、物事の理を完全に解しているあなたにも備わっていないのですか?
交渉力というか、説得術というか、人の心に響く伝え方というか・・・
545心の仕組みドットコム :2007/04/17(火) 13:35:38

>>543

>んーっ、何か言ってそうでいて、自家撞着っちゅうかなんちゅーか。
哲学者は哲学という学問的方法論に基づき、存在や認識に対する強い疑問を解決するために自説を展開する。
その展開した自説を研究しても哲学の予備学にも成れません。

>なら、人にやさしく通じるような話し方を身につけてくださいな。少なくとも僕には通じません。
有難う、これ>人にやさしく通じるような話し方を身につけてくださいな。が、できれば人類史を幸転することができるのです。

> 人生と言う命を使える時間は長く有りませんので難しい人は後に誰かの後ろを付いてきて戴ければ良いんですよ。
信じろ、何て愚かなことは申しません。ただ、個人差があることは否めませんのでみんなで同時に理を悟ることはできません。
546心の仕組みドットコム :2007/04/17(火) 17:32:14

>>544

貴方も私の立場に立って少し智恵を貸して下さいよ。
なんせ六十六億人が同じ思い込みに捕らわれているのを修正するのに一人では大変ですので
貴方がいれば六十六億人対二人に成りますので一人頭、三十三億人ずつで済みます。
お願いします。
547考える名無しさん:2007/04/17(火) 19:10:45
哲学は「簡単」とか「難しい」とか言うが、その尺度は
万人に共通なのだろうか?

逆に問えば、「なぜ哲学は難しいのか?」


一つは、哲学は哲学史であるため。

もうひとつは、哲学はその探究の前後では対象も概念も変化して
しまうため。思考の枠組みそのものが変化するので、概念の共有自体が
難しい。
548194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/17(火) 22:40:21
俺の悟りを教えてやろう
悟りとは心の中に真の正義を打ち立てることだ
そのためにはお前らの中の悪魔を倒さねばならない
倒すには勇気と真の正義からもたらされる確信が必要だ
そのためには悟りを開かないといけない
悟りを開くには知恵と真の正義の組み合わせでできる真の知能が必要だ
しかしお前らにはできない なぜならお前らには真の知能が無いからだ
よって俺の元で俺に仕える事でしかお前ら低脳が悟りを開く道はない
その道はここでは教えない俺のサイトに来い

こういうのを詭弁と申します 三段論法のできない人間はこういう手にやられます
こういう不毛な議論の蓄積から論理学は生まれました こういう詭弁術を学んだ人間が
世の中で力を握るのを防ぐ為です これは哲学の効用といっていいでしょう  
549E2 ◆igyenga13c :2007/04/18(水) 00:51:56
>>546
> なんせ六十六億人が同じ思い込みに捕らわれているのを修正するのに一人では大変ですので

これもまた、ひとつの「思い込み」じゃないのか? キリストの特異性を謳っているの
と同じ論理にはまっているんじゃなかろうか?(ニルヴァーナ『レイプミー』参照>338)

語らずとも実践している者はいるだろう、と俺は思うけどね。黙して語らず、ただ行な
うのみってな。

でも、俺は言葉にしたい欲に駆られている。なぜか? 言葉にしえたなら、広がるであ
ろう世界の豊かさを容易に想定しえるから。言葉にするってことは、論理を繋げるって
ことで。無理が通って道理が引っ込んでるようなこの社会に鉄槌下したいってことだな。
きれいごと言ってても最終的には肉体的な強制力でもって押しつぶしている野郎連中に
対峙するため。

語ることの困難さ、どっかでぴょんと跳ばざるを得ないような論理の亀裂。僕も自らの
『良心』ってなものに依拠して『全て』の範囲限定をしているわけだけど(>345-350)、
この『良心』ってなものは何なのか。道徳律というもの。そこに踏み込めずにいる。今
の段階では、論理にも成らずにいるだけの準生存本能のようなものとしての『良心』。
胸襟を開きあっての会話の楽しさ、そこに『生』を感じるような経験を通じて共有され
ているだけであろう『良心』のよさ。ここに論理を繋げたいのだが。社会学的な確度の
高さというものじゃなくてね。必然的に繋がる道としてのもの。

ヤスパースなんかは言葉じゃ捉えられないってことで「包括者」とか言っているみたい
だけど、これじゃあやっぱ世間じゃ通用しないんだ。「現世的な欲を超越するには現世
的な欲にどっぷりハマってその上でなきゃ到達できない境地」ってな見方が罷り通って
いる今の世の中。これじゃあ、あかんじゃん。「たかが成功者の戯言」って言われるが
落ち。こんなとこで書いてんじゃなくて、本の一冊でも読め(>195-196)ってな物言い
のされ方。テメエら。悲しみの渕に佇みつつ自己罵倒と自己卑下と自己否定に走るテメ
エら。くるっとひっくりかえす視点を持つのは哲学者の得意とするところだろ。俺らこ
そ喜びの何たるかを知っている者だ。
550考える名無しさん:2007/04/18(水) 01:23:26
「物事の理」を悟ったという人へ

あなたは「物事の理」という、いわばオールマイティの概念の着想を得たのでしょうし、
それによってすべての物事がきれいに体系的に説明できるようになったと心底実感しているのだろうと想像します。

おそらくあなた自身も、物事の理といういわばオールマイティが「もし存在したとしたら」という着想がもたらしたたぶん電撃的な体験以降、
まさに悟ったような心境にあって、
それがオールマイティの存在証明でもなんでもなくて「仮定あるいは願望」であったという発端には、もう立ち返ることはなさそうです。

あなたの説明は実はオールマイティを中心とした物語でしかなく、
あなたの願望や言葉のセンスによって創作された、いわば神話の類だと思います。
あなたは「物事の理」というオールマイティの概念の着想を得たに過ぎないのに、
そのことをあなたが物事の理を「悟った」ことだと、または物事の理を悟ったからその着想を得られたのだと、
なにか特別な天啓のような出来事と置き換えてしまったようです。
あなた自身をオールマイティと同化させてしまった、という形に思えます。

(つづく)

551考える名無しさん:2007/04/18(水) 01:24:30
(つづき)

あなたは言わば、
「この世にはなんでも切れる剣がある、と仮定すれば、この世のすべてのものごとはその剣で切ることができる」と言っているだけで、
しかも「このような仮定を心に抱くことができた者にとっては、その剣は実在する」、
そして「その実在がわかるのは、その剣を手に入れた者だけである」、
さらに「この剣の存在を発見した者は、この剣そのものである」と展開させているだけに思えます。

あなたが「物事の理」について語るとき、
それはすべての根源としてこのように在るのだ、という神話の中でのオールマイティぶりを述べているに過ぎなくて、
どのような精妙な内容だから結果としてオールマイティであるのか、という説明がまったく空白のままです。
あなたの神話の中では、すべてが当然のこととして「物事の理」という聖なる剣によって統率され、またそこから生み出されるだけで、
そのあたりの因果は作者であるあなただけには当然でしょうけれど、作者でない私には伝わってきません。

あなたは仮定をおいてみたというところまでしかやっていないから、実はあなたは中身を何も知らないわけで、
当然の帰結ですが・・・。

伝わるとは思っていません。
書いてみたくて書きました。
552考える名無しさん:2007/04/18(水) 01:41:16
哲学は全ての事象をいくつかの要素に還元できる、と言った主張ではないよ。
「ものごとの理」というものがあるとすれば、それは「方法」であり、「内容」では
ないんだね。ここが重要。
そしてその方法も、時間的・空間的な制約をうける一時的なものに過ぎない。
その限界を踏まえることが、哲学なのですね。
553考える名無しさん:2007/04/18(水) 02:02:04
>>547
もともと日本は抽象的な話をする土壌がなくて、
哲学を輸入する時に翻訳者ががんばって漢字だらけの難解な日本語で訳しちゃったから。
それ以降は、何となーく「自分インテリなんです」という証のために
哲学議論をする人が大勢出てきちゃった もちろんそうでない人も大勢いるけど

ギリシャ時代はは暇つぶしに井戸端会議の話題に哲学について話し合ってた、
みんなが哲学するからこの時代にどんどん哲学が発展していったんだよ と
大学ん時の先生はそう言ってた
554194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/18(水) 02:02:14
そうそうどこまで明晰に語れるか見極めるのに役立つ
「限界を踏まえる」さりげないが本質を突いた言葉だ 至言
555考える名無しさん:2007/04/18(水) 02:36:56
>>553
>もともと日本は抽象的な話をする土壌がなくて

なことないぞ。ザビエルとともに来日した神学者たちを日本の禅僧は完璧に論破した。「山口の討論」を勉強してください。
556心の仕組みドットコム :2007/04/18(水) 09:07:09

元々、哲学とは世の中の存在や認識に対する強い疑問を解決する為に有ります。
その必要性は豊で恵まれた環境に暮らす支配層の者達では無く、虐げられている大衆がその疑問を解決する為の智恵を望み希求するものです。
ところが長年に渡り虐げられてきた大衆が支配層と同様に力を崇拝仕始めてしまったのです。
つまり物事を智恵で解決することを考える哲学に於いて、力で解決を望めば、理に反することで哲学と正反対の意識が大衆にも根付いたのです。
哲学は覚える記憶力と言う力が主流を占め、智恵を産みだす心が等閑にされて身近に有る哲学を手の届かぬオーロラにして仕舞ったのです。
それでも本当の哲学は皆さんの心の中で良心として、ひっそりと何時でも皆さんが起こしてくれるのを待っているのです。


557考える名無しさん:2007/04/18(水) 10:03:12
>>556
あなたの書き込みでガクンとレベルが落ちるなあw
558E2 ◆igyenga13c :2007/04/18(水) 10:16:00
>>556
> 元々、哲学とは世の中の存在や認識に対する強い疑問を解決する為に有ります。

だろうね。

> その必要性は豊で恵まれた環境に暮らす支配層の者達では無く、
> 虐げられている大衆がその疑問を解決する為の智恵を望み希求するものです。

ここで分けているのが無理。なんであなたは60年代幻想に戻ってしまうの。支配者と被
支配者、虐げる者と虐げられる者、こういう単純な見方じゃあ何の解決にもならないっ
ての、もういやというほど見せ付けられているじゃないか。マルクス主義国家が結局は
マルクスの思い描いていたような国家構造にはならなく、全く逆の体制になってしまっ
たような、な。

そもそも、哲学なんぞに興味を持ったり、自由に思索に耽ったりできるってのは贅沢だ
からこそできること。時間に余裕を持てる者、持たざるを得ない者らの慰め物だ。この
慰め物でしかないようなものから何か面白いものが出てくりゃメッケモノぐらいに思っ
てなきゃ、こっ恥ずかしいぞ(笑)

559心の仕組みドットコム :2007/04/18(水) 12:45:35

哲学は蒙昧者が蒙昧から抜けだす唯一の手段である。
従って、蒙昧から抜けだすことを望まぬ蒙昧者は哲学の道に踏み込むことすら許されるものでは無い。
560考える名無しさん:2007/04/18(水) 14:03:31

カウンセリング受けてこいよ
あんたは蒙昧なだけでなく人格障害との二重苦だから
561考える名無しさん:2007/04/18(水) 16:38:36
別に哲学を学んだって、蒙昧から抜け出すことは出来ないでしょうね。
ハイデガーが結局ナチに荷担したように。

というか、そもそも「蒙昧」とか、「見かけ」というのが本質であって、
なにかそこから取り出した「真理」というのは、その本質の一部に
過ぎないのです、というのがヘーゲルの主張ですね。
562考える名無しさん:2007/04/18(水) 16:49:36
>>555
それ例外。例外を挙げて鬼の首とったようなつもりですか

土壌(どじょう)がない、と言った。
563考える名無しさん:2007/04/18(水) 19:21:56
まあまあ・・・

鬼の首なら『ことわりマン』が常に取って回ってくれていますw

哲学の難しさそのものかもしれませんが、
人と人とが何か考えや思いを伝え合うときの困難、に絶望的になります。
カルト宗教の例を持ち出すまでもなく、人の抱くいろんな思想・信条について、
どうにもコミュニケーションが成り立たない・・・・・・
564E2 ◆igyenga13c :2007/04/19(木) 00:05:18
>>563
> 人と人とが何か考えや思いを伝え合うときの困難、に絶望的になります。

ウィトゲンシュタインが日常言語を『論考』で扱えなかったのも、言語がそれ自身だけ
で完結したものじゃないから、という限界があり、それは彼に限らず、論述に頼らなけ
ればならない全ての哲学者の悩みってなもんじゃなかったのかなぁ?(>376)

で、僕は、文字表現世界としての2ちゃんなら、言語が意味するところを、発言行動と
しても捉え得るのじゃないか、実験としてね。ここなら、文字と発言時間のみ、そして
発言行動という形によって、他人の言動の真否というか正否というか正当性というか、
その発言者の意図というか、そういうものが炙り出されてくるだろう。その上で共通理
解ってなものが築けていくんじゃないか、って。ちと文脈がぐんにゃりしてるな^^;;

どういった行動をしているのか、表現をしているのか、これらによってしか、その人間
をはかることはできないってなサルトル流のやり方、ここなら2ちゃん上なら、そう無
理もなく実験することは可能じゃなかろうか、ってなことね。

ああ、なにやら権威めいたものを引っ張り出してきたが、もちろん、それに寄りかかる
っているわけじゃなくて、後で「だれそれがもう言っていることだ」とかいうのを防ぐ
ため、または俺の理解の仕方が浅くて、「おいおい、そんなこと、彼は言ってないぞ、
それはだな、うんぬん」ってな話を聞かせてもらえるかもしれない、ってな微かな希望
を胸に抱いての発言なんだけどね^^;;
565心の仕組みドットコム :2007/04/19(木) 12:05:23
>>561

>別に哲学を学んだって、蒙昧から抜け出すことは出来ないでしょうね。
哲学を学んでも何も得られるものがない、のは当然なことですね。
哲学を学ぶ、とは覚える記憶することで、それで蒙昧から抜けだせるのならパソコンが一番、賢いでしょうね。
皆さんの問答のように覚えた記憶を頼りに、それぞれが唱えた思想を取りだして哲学ゴッコをすれば良いのですからね。
哲学ゴッコをして哲学を評価するのは、どう見ても戴けませんね。
566考える名無しさん:2007/04/19(木) 13:51:31
蒙古斑ごっこなら得意だよ!
567考える名無しさん:2007/04/19(木) 13:59:07
哲学を「学ぶ」事は、思考の方法そのものを学ぶことだから、
単なる記憶ではありませんよ。思考の枠組みそのものが変わって
しまうのだから、機械では出来ません。
568考える名無しさん:2007/04/19(木) 14:17:14
>>565
561 さんが言う「哲学を学んだって・・・」というのは、
まさにあなたの言う「物事の理を会得する」の範囲までをトータルに意味しているんだと思う。

何が蒙昧で、何がその蒙昧を超えた知覚(というのは認識というのか)なのか、
ということは結局のところ判別不可能なんじゃないのかな、と思う。
その人自身は個人的な体験として
「以前に比べれば今はもっと物事を多面的に捉えることができるようになった」、
というぐらいの思いがするときがあるかもしれないけれど、
それでも依然として「蒙昧」であるかもしれないということについては、
人間の能力(や手法)ではなんともいえなくなる、というのが厳正な態度からの帰結だと思う。

あなたのように超人願望、聖人願望、万能感、劣等感(優越感)の道具立てとして
哲学ごっこをしている人とは、このあたりにくるともう平行線ですが。

あなた、自分が特別な存在だと認められたいという強烈な欲求があるようだけれど、
それこそあなたのよそでのハンドルネームである「凡人」であっても、
他人からはちゃんと愛されたり特別な存在として思ってもらえたりするのだら、
どうぞ安心してください。

我こそは人類の中で空前絶後の覚醒者であって愛をもって皆を救いたい、
なあんてふうなことばっかり言ってると、・・・、まあがんばれ!
569心の仕組みドットコム :2007/04/19(木) 15:59:50
>>568

>>561
>別に哲学を学んだって、蒙昧から抜け出すことは出来ないでしょうね。
は過去の事例を指して言われている言葉です。
ですから私も賛同しています。

>まさにあなたの言う「物事の理を会得する」の範囲までをトータルに意味しているんだと思う。
貴方の言うこのような書が有りますか?

哲学は僅かな条件さえ持ち合わせていれば誰にでも「物事の理を会得できる」方法を指し示すものですので
超人願望、聖人願望、万能感、劣等感(優越感)の道具立てとして 使われるものでは有りません。
但し覚えることに没頭する哲学の道は方角が間違っているので哲学の目的に陶太することはできませんね。
哲学は心の作用を扱う仕事ですので例え、その道筋を知っても物事の理を会得できるものでは有りません。
570E2 ◆igyenga13c :2007/04/19(木) 16:01:23
>>568
> 何が蒙昧で、何がその蒙昧を超えた知覚(というのは認識というのか)なのか、
> ということは結局のところ判別不可能なんじゃないのかな、と思う。

そう、この通りですよね。その時、その蒙昧じゃないって境地にいるとき、その人物に
は対比すべきものが見当たらなくなる。となると「自分はクリアである」と言えるの
か? いや、そうじゃない。自分では認知し得ない領域に自分の認識を超えたものがあ
る可能性がある。こういう存在の可能性を知っていて「蒙昧じゃない」とは言えない訳
で。これは誠実に考察する人間であればあるほどこうならざるを得ない。自分自身だけ
で考察する限界がここにあります。

じゃあ、どうすればいいのか? 個人だけで考察するのじゃなく、他人をも巻き込む形
にすること。暫定的ではあれ、そこにクリアな領域というものを設定し得る。他人が多
くなればクリアな領域はよりクリアに、もしかすると領域が広くなる可能性も出てくる。
狭くなる場合もあるだろうけどね。

この際に、「考察する」ということに対して、「誠実に考察する」という以外の圧力要
件がないってのが条件につかないとクリアな領域の信頼性に影響を及ぼします。


> 我こそは人類の中で空前絶後の覚醒者であって愛をもって皆を救いたい、
> なあんてふうなことばっかり言ってると、・・・、まあがんばれ!

まあ、いわゆる覚醒した人ってのは、ごちゃまんといると思いますよ。ただそれをどう
いう風にプレゼンテーションしたらよいのか、その方法論を思いつかなかったり、間違
った提示をしたり、黙して語らずただ行ないによってのみ、ってな人がいたり、覚醒し
たことを人に知らしめることの難しさに絶望して精神的にきつくなったりメルトダウン
したり大爆発おこしちゃったり、ってなことの歴史でもあるような。

俺としちゃあ、そういう人たちが生きている間に評価できるものなら評価したいもんだ。
死後に評価が高まっても、その人自身にこの世界で報いることはできず、ただ中間搾取
されるばっかだもんな、画商やら小難しい用語振りかざす評論家やら学者やらに。
571考える名無しさん:2007/04/19(木) 17:00:34
>>569
>>哲学は心の作用を扱う仕事
まぁここが間違っているんだがなw
572考える名無しさん:2007/04/19(木) 17:13:04
哲学と心理学と宗教の混乱は、初心者にはよくあること。
573心の仕組みドットコム :2007/04/19(木) 17:45:45

蒙昧とは知能が開けず物事の道理に昧いこと、を指しますがそのことを知るには道理にあかるく成る以外に方法が有りません。
この蒙昧を脱する為に道理にあかるいこと(哲)を希求する(学)哲学が有るのですが道理にあかるく成らなければ自分が
道理に昧いことも気付けず道理にあかるく成る為に心の作用が大切だ、と言うことも理解できないのです。
つまり道理に昧く蒙昧で有る限りは哲学そのものを理解できない、と言う壁が立ちはだかっているのです。
ですが人を無知蒙昧に引き込む、道理に昧くする心を道理にあかるく成る心に自分で切り換えれば誰でも物事の理を悟れ
道理にあかるく成れる、と言う道理に添えば知能が育ち問題の全てを自分の智恵が片づけます。
574568:2007/04/19(木) 18:09:30
>>569 ドットコムさん
>>まさにあなたの言う「物事の理を会得する」の範囲までをトータルに意味しているんだと思う。
貴方の言うこのような書が有りますか?

書物という意味かと思いますが、
私が言うのは、そういう究極の文書や教典があるかどうかではないです。
あなたがいつもその実在を仮想している「物事の理」と同様の、
それに何という名称があてられているかも別として、とにかく神髄だと称する内容を学んだとしても・・・
という意味です。

何を会得して雷に打たれるような体験をしたとしても、
その体験がそのまま真実に覚醒した証しにはならないでしょう?
何についてもまたその外側やその先がオープンに広がっています。(少なくとも誠実である限りは)

私はこの世のことを、そんな「物事の理」なんかで統率された単純なものとは思えません。
そんなこざかしいメカニズム仮説には到底おさまらない、
もっとオープンでメタレベルへと拡散している様相に思えています。


575考える名無しさん:2007/04/19(木) 18:42:39
>>573

ものごとを悟る/悟れないの二項対立は実際には否定神学。
忌避すべき宗教そのものになっていることに気付けよw
576心の仕組みドットコム :2007/04/19(木) 18:56:59
>>574

>私はこの世のことを、そんな「物事の理」なんかで統率された単純なものとは思えません。
ところが、世の中は「物事の理非」と言う「物事の理」依りも数百倍も単純な仕組みで成り立っています。
修行を何年しても雷に百回、打たれても哲学書を全て読み覚えても物事の理は悟れませんが、
皆さんが使っている理を悟れぬ心を理を悟れる心に切り換えれば難なく理を悟ることができます。
しかし事実確認は自分で物事の理を悟り確認して戴く以外に方法は有りません。
577568:2007/04/19(木) 19:06:54
その、悟れる心に切り換える、ための方法はどんなものでしょうか?
578568:2007/04/19(木) 19:10:12
>>275 を読んでも、まだそこにはその先、
つまり心を切り換える方法までは書かれていなかったので・・・
579考える名無しさん:2007/04/19(木) 20:22:06
>536
いま、「純理」を読んでるんだけど
ある文節を徹底的に分解して、自分で言い回しを補完しないと理解できない事が良くあるよ
カントの原文がそうなのか、訳者の力量不足なのか、(語学を知らない)漏れには判断できないけど

外野としての感想ですが、以降の対論はとても参考になりました
580考える名無しさん:2007/04/19(木) 20:24:36
心の仕組みドットコムさんは神様の化身ですね。
581心の仕組みドットコム :2007/04/19(木) 23:12:09
>>578

>>275 を読んでも、まだそこにはその先、
>つまり心を切り換える方法までは書かれていなかったので・・・

私のHPに、その方法例と簡単な図解が有りますので参考にして下さい。


582考える名無しさん:2007/04/20(金) 00:11:08
ことわりクンは、心を図式化したり言葉で説明しようとしているけれど、
そう言う直接的な指示が不可能だという結論が現代思想だと言うことを
踏まえているのかな?
583心の仕組みドットコム :2007/04/20(金) 00:30:19
>>582

現代思想も古代思想も関係有りませんね。
人に大切なことは、人の知能を育て智恵を産みだす為に不可欠な物事の理を悟ることだけですよ。
人類、智恵が無ければ何をしても駄目でしょうに、、
人に智恵が有れば戦争や貧困・犯罪や虐めが起きる訳が有りませんよ。
大衆に智恵がないから狡賢い者達に騙されて、この様なぐだらない現象が起きるのです。
584E2 ◆igyenga13c :2007/04/20(金) 01:32:48
>>583
> 大衆に智恵がないから狡賢い者達に騙されて、この様なぐだらない現象が起きるので
す。

なんたる傲慢な物言い。唾棄すべき人だよ、あんたは。あなたが依拠しているうちのひ
とつであろう『広辞苑』にせよ、あんたが嫌っている「知性」というものを磨いて出来
上がったものだし、あなたがこうして発言できているこのこと自体があなたが軽蔑して
いるであろう「知性」というものから産まれ出たさまざまな技術であるのに。その土台
に対して批判的であるのは構わぬことだけどね。その土台に立っている自分ということ
を忘れてるんじゃないか? 曲がりくねったものにも曲がりくねったなりの事情がある。
その歴史を踏まえた上で、言うべきことを言うべきじゃないのか? 間違ったからとい
ってリセットできるわけじゃねぇんだよ、この糞馬鹿。

>>582
> 心を図式化したり言葉で説明しようとしているけれど、
> そう言う直接的な指示が不可能だという結論が現代思想だ

あ、やっぱりそうなんだな。こっから逃れる術としても>373-376なんかで僕は語ったわ
けだが。

>>579
> ある文節を徹底的に分解して、自分で言い回しを補完しないと理解できない事が良くあるよ

こーゆーときに2ちゃんで質問をあげるといいんじゃないのかなぁ。訳文と、それを自
分で言い回しを補完した、つまりは自分で解釈した文を併置して、みなさんから「こう
いう解釈したんですが如何なものでしょ?」ってな質問。下手な思い込みで解釈しちゃ
ってたら後々まで響くからね。こ野手の問題、回避できるだろうし、もし自分の解釈が
正しかったら、「おお、俺ってすごい!」って自画自賛できるし(笑) どっち転んで
も悪い目は出なさそう。匿名掲示板なんだから、とんでもな間違いしてても知らん振り
できる(笑)(笑) 少なくとも僕にとっては、そういうことをしてもらえるとありが
たいなぁ。知らないことを知るのは面白いから^^
585考える名無しさん:2007/04/20(金) 01:43:51
>>583
つっこみどころ満載だな。
というか、主体思想そのものじゃんか。
大衆に知恵がない→騙される→戦争が起きる
つー、原因−結果の一意性を主体に求めるのが古いし、
現時点だと新興宗教っぽいな。
586考える名無しさん:2007/04/20(金) 01:59:16
大衆がバカだから戦争になるって、そんな単純なモノでなかろうが。
もちろん、出来るだけ多くの人間がまともになった方がいいが、
バカにはバカになる成り立ちというモノがある。それを飛び越して
「原因はバカだ、バカを克服すれば良いんだ」ってのはイカしてるなw

軍事産業、不況、教育からの逃走、格差、国家間の冨と貧困の不平等、
いくらでも要素は絡み合って、その時々で変化する以上、単純な「ことわり」
に還元される問題じゃなかろうに。
587考える名無しさん:2007/04/20(金) 02:49:50
>>582
ことわり君には頭でっかちだから、内面は理解できねーんだよ。
相手にするだけ無駄無駄無駄。
588心の仕組みドットコム :2007/04/20(金) 07:45:18

>人に智恵が有れば戦争や貧困・犯罪や虐めが起きる訳が有りませんよ。
>大衆に智恵がないから狡賢い者達に騙されて、この様なぐだらない現象が起きるのです。

事実を指摘されて怒る馬鹿がいるか、と言うと事実だからこそ馬鹿が怒るのだ、と答えた者もいます。

>>584>『広辞苑』にせよ、あんたが嫌っている「知性」というものを磨いて出来上がったものだし
どさくさに、紛れて好い加減なことは言わないように、、私の記述で過去、何処に「知性」を嫌っていると有るのかね?

問題を適切に解決するのは全て智恵ですよ。
貴方が哲学の真似事をしても一向に哲学を知ることができない理由は貴方の頭に知恵が無いからですよ。
だから貴方の、その空っぽな頭に知恵を詰めなさいと諭していますが、どうやら貴方の頭の中に普通の人と違い
智恵の種もないのか、馬耳東風に成るのですよ。(智恵と馬耳東風を広辞苑で調べなさい)

>「おお、俺ってすごい!」
確かに、すごい時代にそぐわず、これほど酷い無知蒙昧な者は珍しい、できたら白雉博物館に飾りたいぐらいだよ。



589心の仕組みドットコム :2007/04/20(金) 08:10:17

>>585

昔、ブッダやキリストの崇高な思いを利用して宗教を創った者達は狡賢い無知蒙昧者達です。
ですが、死後400年〜1000年後と言えど、その者達に利用されたキリストやブッダの教えに狡賢い
無知蒙昧者達が付け入る隙が有ったことは間違い有りません。
そして現在は狡賢い無知蒙昧者達が大衆の蒙昧を利用して世界を支配している、と言う図式で成り立っています。
この図式を正当なものに戻すには二度と宗教に利用されない、誰でも分かる、
全て原因を産みだす主体に目を向けるべきと考えますが如何でしょうか。
590心の仕組みドットコム :2007/04/20(金) 08:26:25
>>586
貴方が御指摘の現在に原因を求めるのでは無く、人の心は人類史との深い関わりが有ります。

さて、人の心の生い立ちからはじめましょう。はるか昔、人が今のネズミのような時代を潜り抜け、人々が人間として生活をはじめ
、鳥や魚や木の実を取り、獣たちと戦い、今のわれわれに命の受け渡しをはじめたころの話です。
おそらく、その時代には、力が強く、狩りにたけた者たちが、集団を支配し、取り仕切っていたと思われます。また、当時は、
そうでなければ、人類の生きる術はなかったことでしょう。

時が経ち、時代は進み、考えることのできる人類が、数々の発明や発見をし、便利になってきました。
しかし、人類が次にとった行動は、金力、権力、技力、能力という「力」を崇拝し、物事の理(り/ことわり)に反する蒙昧
(もうまい)に捕らわれ、「自分が」からはじまり、「自分が愛する者たちが」、「自分に従う者たちが」、「自分たちの仲間が」、
「自分の国が」という根本は、「誰かが」とか、どこかの国を否定する「自己愛」という自己陶酔に陥ってしまいました。

時代はさらに進み、恵まれた者たちや恵まれた国々は、限りなき欲望を満たすことのみを念頭に発明や発見がなされるだけではなく、
他人や他国の弱点を突き、時には戦いまで仕掛け、優位な立場を守ることに専念するという、
異常な人類社会を創り上げてしまったのです。

ですが、その全てを人々が[智恵=物事の理を悟り、適切に処理する能力]を得ることで解消できるのです

591考える名無しさん:2007/04/20(金) 10:01:05
ちょwwww
グルですかあんた?
592568:2007/04/20(金) 12:42:18
うわあ、ドットコムさんのことで盛り上がっていますね・・・

勇気を出してサイトを閲覧してきました。
悟れる心に切り換える方法が説明されているとのことでしたので。

『「無数の確率を潜り抜け受けた己の命と関連のすべてに深い思いやりと感謝の心を育てること」
の一行で、思惟(しい)を深めれば、』よいとありました。

こういう説を展開する人が哲学板のあちこちに書き込みを続けているということは、
ご自身ではこれを『哲学』だと思っているということでしょうか?
これはもう、かなりデキの悪い宗教だと思う。
いずれにしても、断言のしようのないオープンなままの結論にとどまらざるを得ない、
というような場面に直面せず、強引に自分を美化してしまった人ですね。

世の中っていうのは、
こういう人をも隣人に持って生きていかなきゃならないところなんですね・・・
この人には凶暴性はなさそうだからまだいいけれど・・・
593考える名無しさん:2007/04/20(金) 13:10:17
ことわりクンは他人にとやかく言う前に
自説が宗教だと言うことを悟ることが重要かとw
594考える名無しさん:2007/04/20(金) 13:31:26
ことわり理論で、人類史すべてを語ってますね〜w

ことわりマンは、お兄さんがいてその人がいわゆるエリートだったり、
家も医師とか弁護士とか資産家だったり、ってふうかもしれないなあ・・・
そして本人は社会的には評価の低い現状・・・
595心の仕組みドットコム :2007/04/20(金) 15:00:43

逢いも変わらず、三者三様に哲学に関係しない脳の無い書き込みだね。

そこで問題だよ。
ことわり、の意味と、その反語とその意味を書きなさい。
>>592>>593>>594

100点満点で8点以下は落第ですよ。答案に名前の書き込みを忘れずにね、、
はじめ、、
596考える名無しさん:2007/04/20(金) 15:07:34
ことわりクン必死だなw
どーでもいいだろ、ことわりなんざ。哲学に関係ないんだから。
いつからここは「ことわりスレ」になったんだww
597心の仕組みドットコム :2007/04/20(金) 15:38:11


>どーでもいいだろ、ことわりなんざ。哲学に関係ないんだから。

ことわり、とは理のことで別名は真理と言います。
人の心が産みだす事象の全てを理非・善悪を弁別する心で分かち定め、
その事に対し如何なる者達も意義申し立てできぬ為に理をことわり、と称します。
哲学の目的は、その「ことわり」を自分のものとすることです。
>>596、、分かりましたか?
598考える名無しさん:2007/04/20(金) 15:40:49
>>597
コピペ乙
599考える名無しさん:2007/04/20(金) 16:51:56
>>597
原理主義者乙w
600考える名無しさん:2007/04/20(金) 19:08:36
>>597




       お  こ  と  わ  り  だ










ごめん。言ってみたくなったんだ。
601考える名無しさん:2007/04/20(金) 19:44:30
ドットコムさんと真の対話ができる人が現れたなら、
このスレは実に素晴らしいものになるだろうなあ。

私には到底無理だなあ・・・・・・

せっかく「難しい」思索の産物があっても、
それを伝えることはまたまた「難しい」。
難しいの二乗だな。
602考える名無しさん:2007/04/20(金) 20:25:15
>>592
>>世の中っていうのは、
>>こういう人をも隣人に持って生きていかなきゃならないところなんですね・・・
禿同

>>この人には凶暴性はなさそうだからまだいいけれど・・・
追い詰めると麻原化する
603心の仕組みドットコム :2007/04/20(金) 21:43:01

>>598>>599

少しでも自分に有意義な書き込みをしなさいね。

>>600

>お  こ  と  わ  り  だ
>ごめん。言ってみたくなったんだ。

ことわり、ってそう言う意味ですよ。
ことわられちゃうんですから、もう誰も立ち入れないですね。
604心の仕組みドットコム :2007/04/20(金) 22:04:21
>>601

哲学は『ただ考えるのでは無く、正しく考えられる頭を作り正しい答を導きだすこと』
で小学生ができることですよ。
学歴も年齢や性別、人種や環境、等々一切関係せずに誰でもできることです。
ですから貴方も、どんどん話に参加した方が良いと思いますよ。
ただ私は本当のことしか言えませんので勘違いして気分を壊さないで下さいね。
『 』を忘れないでね。

>>602

物事の理を悟る、とは自分の良心を使い自分の良心を磨き、心の見通しを良くすることです。
ですから自我が消滅しますので宗教だけでなく理に反する悪い考えが一切、産まれません。
当然、知能の発育を妨げる闘争心も有りませんので人を追いつめることも
追いつめられることも有りませんよ。
でも事実を唱えると追いつめられた、と勘違いされますね。
605考える名無しさん:2007/04/20(金) 22:40:28
すみません、ドットコムさん、お聞きしたいのですが、
「循環論法」について。
あなたの展開している話がそれに陥っているという指摘はこのスレの中でも度々ありました。
ご自身としては、どこがそう言われているか分かっていますか?
だいいち、「循環論法」という紛らわしいけれど明らかな論理矛盾のこと、ご存知ですか?
606194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/20(金) 23:05:56
ドットコムさん・・・

蒙昧とは知能が開けず物事の道理に昧いこと、を指しますがそのことを知るには道理にあかるく成る以外に方法が有りません。
この蒙昧を脱する為に道理にあかるいこと(哲)を希求する(学)哲学が有るのですが道理にあかるく成らなければ自分が
道理に昧いことも気付けず道理にあかるく成る為に心の作用が大切だ、と言うことも理解できないのです。
つまり道理に昧く蒙昧で有る限りは哲学そのものを理解できない、と言う壁が立ちはだかっているのです。
ですが人を無知蒙昧に引き込む、道理に昧くする心を道理にあかるく成る心に自分で切り換えれば誰でも物事の理を悟れ
道理にあかるく成れる、と言う道理に添えば知能が育ち問題の全てを自分の智恵が片づけます。


質問です この「道理に昧くする心を道理にあかるく成る心に自分で切り換える」
とはどのようにすればいいのでしょうか?
607考える名無しさん:2007/04/20(金) 23:12:50
ドットコムさんは誰でも相手にするから人気だね
608考える名無しさん:2007/04/20(金) 23:28:28
ことわりループのドットコムさんも
さすがにもう夜も遅いからレスは明日だろうな

一方、私は、194さんの>>216での書き込みが妙に気持ちをソワソワさせられています
609608:2007/04/20(金) 23:36:38
訂正
・・・の書き込みに妙に気持ちをソワソワさせられています
orz
610考える名無しさん:2007/04/21(土) 04:05:14
なんで結局人生相談になっちゃうんだ?
哲学と人生相談は違うよ、チミ達
611考える名無しさん:2007/04/21(土) 07:08:23
誰も人生相談なんかしてないさ
ましてやドットコムなんかを相手にw

ニュアンスわからないか?
612考える名無しさん:2007/04/21(土) 07:26:57
昨日ドットコムにちょっと失礼なレスをしてしまった。
今日朝起きたら頭が痛い。
罰が当たったのかな。超能力者かもしれんぞ。
613心の仕組みドットコム :2007/04/21(土) 08:37:30

>>605

科学的な意味合いの説明に「循環論法」を用いるのは間違いとされていますが哲学で「物事の理は悟りし者のみ知ることができる」と言うのは
事実ですが、これを哲学的には一概に論理矛盾とは言えません。
哲学は諸学の源と言うように、人類の営みの全ての源を司る人間として生きる為に必要な心の基礎的要素を形成するものですのですので、
科学的に同様の意味合いで言葉を使うことはできません。

人類史は本来なら理に依って賄わなければ成りませんが、全て理非に依って支配維持され続けてきた為に諸学も不合理に向かって進んできました。
その為に人の心を心の論理で解明を試みず、科学的論理で解明できねば偽りだと言う因習も産まれてきたのです。

つまり科学と言う子供が心の母体と成る哲学を否定する動きが益々哲学を理解する心を遠ざけて仕舞った、と言うことです。
科学者が科学部門でノーベル賞を受賞しても、その発明が哲学的論理に裏打ちされたもので無ければ無価値なもので有ると言わざるを得ません。
それが先々、人類に不利益をもたらす可能性を秘めていれば褒め称える訳には行かないからです。
614心の仕組みドットコム :2007/04/21(土) 08:56:43

>>606

>質問です この「道理に昧くする心を道理にあかるく成る心に自分で切り換える」
>とはどのようにすればいいのでしょうか?

簡単です。
道理に昧くする心を作りだす自己愛を、道理にあかるく成る人間愛に自分で切り換えれば良いのです。
方法は私のHPに記載して有りますが大切なことは@読んでA覚えてB実行する(思惟を深め心の切り替えを行う)ことです。
MLの質問箱が有りますが返信の日数が順送りで多少、必要なことも有りますが全て無償です。

615E2 ◆igyenga13c :2007/04/21(土) 11:25:06
>588 私の記述で過去、何処に「知性」を嫌っていると有るのかね?

ふたつの種類のなんたらがあって、どうとかこうとか、とか言ってたんじゃなかった
か? その本来じゃないほうのなんたらを使って進んできてしまったこんたらは、あん
たから見れば本来あるべきじゃないほうのどうたらってことになるめぇ。こういう状態
のああたらを「嫌っている」と判断したところで、どういうこともあんめぇし、とおも
って使ったまでだ。よく、わかったか。すっとこどっこい。

>614
ふぁ〜〜あ。人間愛ときたか。
こういった類いの言葉を一体誰が用いてきたか? どれほどこの言葉、表面上の上っ面
な聞き触りの良い言葉の羅列の底に一体、何があったのか。歴史を紐解けば、ごちゃま
んとあるじゃねぇか。なんでまあ、無条件にこんな物言いができるのかねぇ、能天気な
お方だ。

> MLの質問箱が有りますが返信の日数が順送りで多少、必要なことも有りますが全て無償です。

無償とわざわざ銘打たざるを得ない事情があるとみた。ご苦労なこってす。
616E2 ◆igyenga13c :2007/04/21(土) 14:48:59
>>615

人間にとって、言葉なんてものは one of them なものにすぎず、言葉によって構築さ
れている社会なぞというものも同様 one of them なものでしかない。

それ以上の意味はなくそれ以下の意味もない。これを踏まえた上で人間にとって役立て
ばそれに越したことはないだけで。

いつの間にやら、言葉やら社会やらが人間の上に立つものとして存在していると思い違
いし、思い違いさせ、それによって利益不利益が生じ、格差を拡大させていく。んな馬
鹿なことが罷り通ってきた。

契約書なるものがないアメリカ大陸原住民社会に、欧米社会から紙切れ一枚振り回して、
「権利があるから権利があるのだ」と言い切って我が物にしてきた歴史。恥ずかしくな
いのかねぇ。未だに根を引いているじゃないか。

奴隷を売買して利潤を生み、それをもとに産業革命を成し遂げ、成し遂げた上で今度は
援助に回る。人道援助なりなんなり。まあ、贖罪だわなぁ、やって当然だべ。

そんなやつらにだけど、ノーベル平和賞だとかなんとかおべっかつかいやがって。テメ
エらの時代認識が甘いだけじゃないか。のうのうと暮らしやがって余った飯を餌として
犬に食わせる、どこが変わらないんだ?

こうした怒りを表出できるのも哲学的思考があるからで、物事の本質をいろいろな角度
から眺めることができればのこそ。あ、この怒りが正当なものなのかどうかは、俺の関
知するところじゃないけどね(笑)
617194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/21(土) 21:37:20
そんなに重要な事ならここに書いてみてもいいんではないですか?
個人的にしか教えられない内容なら人類に広めることはむりでは無いでしょうか?
できないなら単なるカルトの宣伝行為ですよ?
あなたの教義が衆目に曝されて論理的に鍛えられれるチャンスですよ
618心の仕組みドットコム :2007/04/21(土) 22:33:40

>>617

誰の話し?
619考える名無しさん:2007/04/21(土) 22:45:48
あなたのことでは? ドットコムさん
620考える名無しさん:2007/04/21(土) 23:44:29
哲学は簡単すぎます。
621考える名無しさん:2007/04/21(土) 23:53:41
他にもっと難しいことがいっぱいあるからね〜
622194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/22(日) 01:23:59
>>618あなたのことです
そういうはぐらかししかできませんか?
僕を愛して無いのですか?
623心の仕組みドットコム :2007/04/22(日) 06:02:10

>>617>>622

私のHPはオープンですから何時でもご覧に成って下さい。

>>620

>哲学は簡単すぎます。
哲学は人類全体が捕らえられ苦しんでいる無知蒙昧から自分が抜けだし、そして産みだされる本物の智恵で
人類全体を幸せにすれば良いだけの話しですから簡単ですよね。

>>621

>他にもっと難しいことがいっぱいあるからね〜
他のいっぱいある難しいことも全部、哲学の上に乗ってるから、まず簡単な哲学を終わらさないと前に進めないんだよ。

624考える名無しさん:2007/04/22(日) 12:07:38
きちがい独特のこの雰囲気、はじめはちょっと楽しめたんだけれど、
もう飽きた・・・

こいつは麻原というより、上祐タイプか・・・
625心の仕組みドットコム :2007/04/22(日) 12:12:31

>>624

具にも着かない宗教家と哲学を混同しないで下さいね。
626E2 ◆igyenga13c :2007/04/22(日) 15:47:44
>>625
揚げ足取るのもなんだが、掻き揚げの『具』にもつかぬ『愚』の骨頂見せられてもねぇ。
哲学者なら言葉にも配慮し文章も考慮し文脈にも気を使わねばならないんだけどさ。
文字に多くを頼らざるをえない宗教にしても同様だ。どっちも馬鹿にしてるよあんた。
627心の仕組みドットコム:2007/04/22(日) 16:42:29

>>626

誤字を指摘してくれて有難う。

理に叶う話は致しますが、自説を唱える哲学者や他人の思想を読み覚え得意げに吹聴する哲学バカでも有りません。
不合理で賄われている人類社会で声高に不合理を訴えることも過激的な者達の為せる業で、それも哲学とは程遠いいものですね。
628考える名無しさん:2007/04/22(日) 20:57:01
ドットコムさん、
あなたが思索の果てにたどりついた知見、
宗教であれば、まあ要するに『信じなさい』で十分なのだろうと思いますし、
言葉を介さずに、世界を無媒介的に感得することで共有できるのであれば、それでいいでしょう。

でも、そうでなくて哲学・思想として他の人々に伝えたほうがいいのであれば、
やっぱりもう少し実証的に論を進めてくれるとありがたいです。

私自身、蒙昧でないとは決して言いません。
でも、ドットコムさんの説によると、
『物事の理』を悟ることができたあなたとこの蒙昧な私との違いはたったひとつ、
「心の切り換え」ができたかどうか、だけでしょう?
そうであるならば、どうかそんなに超越的な立場からこちらを見下さず、
かつてのあなたもいたこの位置まで立ち返って、物語ではなくて、どう論理的に歩みを進めていくのか、
について精密に解説してみてほしいです。

「自己愛を人間愛に切り換える」には「自分や他の命に対する思惟を深める」だけでよいそうですが、
私、思惟してみましたが全然変化を感じません・・・

はて、どうすればいいのですかね?
629考える名無しさん:2007/04/22(日) 21:30:54
人の哲学思想を聞いて、それをただ実行するのが蒙昧ならば、ドットコムの言葉をただ聞くのは蒙昧な行動をすると言う事になる。
その上でなぜ思想を広めようとするんですかね。
630考える名無しさん:2007/04/22(日) 21:38:03
ドットは超越者だからな。
凡人がドットを理解するのは時間がかかるな。
631心の仕組みドットコム:2007/04/22(日) 21:42:38

>>628

「無数の確率を潜り抜け受けた己の命と関連のすべてに深い思いやりと感謝の心を育てること」

【自分の命の大切さを通じ、全ての命を大切にする心を養い「その対象に己の心を移し替え、その心を見通して
対象の心から己の心を観察できる迄の思いやりを深めれば」全ての対象に深い感謝の念が育ちあらゆる問題
を全ての対象に痛みを与えず適切に処理する智恵が産まれます】

その智恵は、この心を育てたことで物事の理を悟り、育てられた知能から産みだされたものです。
一挙に書きましたが、貴方はこの【  】の心を間違いなく育てられましたか?
【  】の心は視野の狭い自己愛から遮るものの無い視野の広い人間愛に切り換える方法でも有ります。

私のHPに納得して戴く為の文章を含め一通りのことは書き込んで有ります。

>『物事の理』を悟ることができたあなたとこの蒙昧な私との違いはたったひとつ、
>「心の切り換え」ができたかどうか、だけでしょう?
その通りなんですよ。だから皆さんも潜在知能を使わないのは本当に勿体ないですよね。

>そうであるならば、どうかそんなに超越的な立場からこちらを見下さず、
そう言うつもりでは有りませんが、ついつい本当のことを言って仕舞ってから後悔してますよ
貴方の貴重なご忠告に感謝いたします。
☆【  】の中の「  」を必ず実行して下さい。
632心の仕組みドットコム:2007/04/22(日) 21:58:42

>>629

私は心の仕組みを伝えるだけですので思想を伝えているのでは有りません。
そこまで考えていますよ。
ですから哲学書のように皆さんの頭を混乱させることも有りません。
私のHPを読み覚え実行するだけで物事の理を悟れる仕組みに為っている、だけの話しです。
実行を忘れると駄目ですけどね。

>>630

哲学は凡人で無ければ開けないのですよ。
私の筆名も凡人です。
633考える名無しさん:2007/04/22(日) 22:31:16
みなさん、荒らしはほっといて、「哲学は難しすぎる」について
議論しませんか?
634考える名無しさん:2007/04/22(日) 22:36:04
>>632
その仕組みを伝えるのが、すでに思想だよ。
だって、心の仕組みを分かれば、物事の理が悟れて、幸せが訪れるって言ってるじゃないですか!
これが思想じゃなくてなんなんですか?
心の仕組みを解き明かす事から始めろって言う思想じゃないですか!
635空色模様:2007/04/22(日) 23:01:34
まぁまぁ。
んー、個人的な意見として言わせてもらいますと、哲学者に関わらず主張をする人間と言いますのは、誰も彼もが普遍の事実を言ってるつもりなのだと思います。
僕が思いますに、ドットコムさんの意見は凡人が幸せになるための、もっとも効率的な近道を提示しているだけなのではと思うのですね。
蒙昧な社会の中に生きる人間達が、自分の力で理を悟るのは難しいでしょうから、手助けをしていると言ったところでしょうか。
環境の良い個人ならば、自分の力で理を悟れるのもたやすいでしょうが、なにせ社会が常識と言う幕で個人個人に考えさせると言うのをさせない様にしていますからね。
ここで問題になってくるのが尊厳だと思うのですよ。
他人の意見に身を委ねるのに、人間は尊厳が無くなると言う恐れを抱くのですね。
思想は個人個人で違うのですから、貴重な意見の交換を相互的に行った方が良いのではないかなーと思ったりします。
そうすれば自然と正しい物が残っていくのだと思うんですけど、どうなのでしょうかね。
思想と思想がぶつかりあえば、必ず論争になるのですから、思想と思想がお互いの良い所を見ようとするだけで、無駄な論争もなくなると思いますよ♪
636心の仕組みドットコム:2007/04/23(月) 10:37:54

世の中の全ては法則と言う理で賄われており、人の心も例外は有りませんし理は何人も変えることができません。
『哲学は、この理を自分のものにする(知る)ことを目的とするものです』

人は理を自分のものにすると理で賄われている全て、つまり世の中の全てを知ることができますが、その逆の作用が
人は理を自分のものにしなければ世の中の全て(何も)を自分のものにできない「何も知ることは無い」と言う現象です。
理を自分のものにしなければ何も知ることができない、何も知ることのできない者達が100万人集まって千年間、考えても
何も知ることができない、と言う法則の中で生き死にを人類は繰り返しているのです。

哲学を自分のものにするには理を自分のしなければ成らず、理を自分のものにしなければ哲学を自分のものにすることが
できないのです。

>>634>心の仕組みを解き明かす事から始めろって言う思想じゃないですか!
皆さんに無理なことを私は口が裂けても申しません。

心の仕組みを通して物事の理を悟る方法を伝えますので理を自分のものにしたい方は試してご覧なさい、と言っているの
で思想、等と言う曖昧で、いい加減なものでは有りません。
リンゴが木から落ちるのは引力の作用ですが、これが思想なら私の申し述べることも思想でしょうね。
637E2 ◆igyenga13c :2007/04/23(月) 11:53:41
>>636
> リンゴが木から落ちるのは引力の作用ですが、これが思想なら私の申し述べることも思想でしょうね。

まさしく、思想なんだよね。「引力」っていうことでの説明も。今のところ、これでも
っていろんなことが説明できるから使っているだけでね。ニュートンの林檎の件で説明
できても、他のでできなかったものがあり、アインシュタインの相対論と、量子力学で
説明できるようになった。これも思想の表れでしかない。やがて、これでも矛盾を生じ
る現象が見出され、それらをも説明し得る新たなる理論が生まれる可能性もあるわけで
ね。(参照:>430-432)

だから、あなたのも思想っていやぁ、思想になっちゃうわけで。

>>635
> 思想は個人個人で違うのですから、貴重な意見の交換を相互的に行った方が良いのではないかなーと思ったりします。
> そうすれば自然と正しい物が残っていくのだと思うんですけど、どうなのでしょうかね。
> 思想と思想がぶつかりあえば、必ず論争になるのですから、思想と思想がお互いの良い所を見ようとするだけで、無駄な論争もなくなると思いますよ♪

ええ、この路線だと僕も思います。インターネットの世界じゃあ常識じゃないですか。
フリーソフトの開発改良発展に顕著にみられる。これを採用すりゃあ良いだけのこと。
言語・言葉ってのは厳密には共有し得ないもの(>441)だからこそ、みんなでよってた
かってそれぞれの良心に従い作り上げていく。邪心なものは邪心として反語的な意味で
掲示しつづけておく。こういう意義があるんじゃなかろうか? ウィキペディアみたい
なものかもしれないけどね。ただあっちは正確を期そうとしなきゃあかん、ってな制約
があるけどさ。
638考える名無しさん:2007/04/23(月) 12:09:05
>>636
>心の仕組みを通して物事の理を悟る方法を伝えますので

心って何ですか?
639考える名無しさん:2007/04/23(月) 12:18:38
唯一神気取りのバカをどうにかしてくれw
640E2 ◆igyenga13c :2007/04/23(月) 12:37:25
>>636 『哲学案内』谷川徹三著:講談社学術文庫p26より引用。

> ……、人間の眼にはわからぬつながりが自然と人生を通じて存在しているので、それを
> われわれが見出すことでもあると考えられる。つまりわれわれがつながりをつけるので
> はなくて、すでにあるところのつながりをわれわれがとらえることと考えるのでありま
> す。そういうふうに考える場合、自然と人生を貫いて存するところのつながりをわれわ
> れは理とか道とかいうので、その理や道に基づいて人間の作ったものを法則というので
> あります。東洋的なものの考え方の中には、何でもその理や道に任せていこうという考
> え方がある。それはあからさまにそれを法則としてはとらえはしませんが、そのものの
> 自然の体得をそこに予想している態度であります。無為にして化すとか、自然法爾(じ
> ねんほういに)とかいうのがそれであります。これはこれで深い知慧が見られますが、
> しかしそれにもかかわらず、これは問題をどこまでもわれわれの心の側で解決する仕方
> で、こういう仕方では、社会全体や国の制度に矛盾や欠陥があっても、それをよくして
> 行くことはできないのであります。考える人は行動する人とは別でありますが、しかし
> 考えることの中には、常に力強い行動に導く原理が含まれていなくてはならないのであ
> ります。
641考える名無しさん:2007/04/23(月) 13:07:45
>>636
難解な哲学書も、この手の伝道師気取りのバカに騙されないための役にはたつ。
642考える名無しさん:2007/04/23(月) 13:16:04
ドットさんは臨床心理士だよ。多分。
だからすべてお見通しなんだよ。
しかも哲学者なんだから、勝ってこないよ。
643心の仕組みドットコム:2007/04/23(月) 13:16:37

>>637

>これも思想の表れでしかない。
どうやら思想と証明を勘違い為さっているようですね。
思想とは、人それぞれの直観内容に自分なりの論理的反証を加えてでき上がった思惟の結果、ですので証明と混同しては成りませんね。
間違いは何処にでも有りますので致仕方、有りませんが、、

>>638

>心って何ですか?
過去の経験や情報を基に思惟、思索を繰り広げ、感情を司るものが心です。
人に依っては、過去の経験や情報を基に思惟、思索を繰り広ずに、直接、感情に訴える短絡的な方も最近では増殖してきましたね。
自分が正しいと思い込む自己陶酔が育てる自我が思惟、思索を飛び越えて感情として表面に現れる、と言う面白い現象です。
644心の仕組みドットコム:2007/04/23(月) 13:36:13
>>640

>人間の眼にはわからぬつながりが自然と人生を通じて存在しているので、

冒頭の「わからぬつながりが」何故、存在するのか?と言う問題に言及すべきです。
その答は簡単ですね。
力を崇拝し理に反する蒙昧に支配される人類社会に於いて人々は蒙昧に捕らわれ己の持つ知恵を活用できぬ為である。

以後の文章は、まぁまぁ纏まっていますので30点くらいの評価は有りますよ。
645考える名無しさん:2007/04/23(月) 14:24:13
何かを学ぶことができたという体験は、人をより謙虚にさせることが多いと思う。
「悟った」後も傲慢な態度でいる人を見ると、ああ、この人は何も学んでいないなあ、と思う。

まあ、「私は事実を述べているだけなのに、蒙昧な人はそれに反発する」ぐらいに
言い返すんだろうけれど。

もちろんあなたのことですよ、ドットコムさん。
646心の仕組みドットコム:2007/04/23(月) 15:35:30

>>645

誤りの指摘と訂正は謙虚さに欠け、誤りを容認することが謙虚である、と言うことですね。
そして指摘され訂正された誤りを謙虚に受け止めぬ心も謙虚である、と言う矛盾が生じませんか?
正しいことには、控えめで素直で有るべきですが、誤りを謙虚に認めない謙虚さを持たぬ者には未来の為にも、謙虚で有っては成りません。

誤りを指摘できる者が指摘しなければ、その本人は生涯、誤りに気付かずに過ごしてしまいますよ。
本来ならば誤りを指摘され訂正して戴けたら喜ぶ礼を言うべきでしょう。
貴方は間違いを指摘し訂正する者を傲慢な態度でいると見て、ああ、この人は何も学んでいないなあ、と思う。のですか?

647645:2007/04/23(月) 15:47:02
>>646
「誤りの指摘と訂正は謙虚さに欠け、誤りを容認することが謙虚である、と言うことですね。」

はあぁ〜???
「・・・ですね」なんて言われても、あまりにもボケた解釈なので呆れます・・・
どこをどう読めばそういう理解になるのやら・・・
もう疲れたよ
648E2 ◆igyenga13c :2007/04/23(月) 16:21:10
>>643  どうやら思想と証明を勘違い為さっているようですね。

あなたが持ち出した論理を用いただけですよ。
あなたが言い出した線に沿って、そのとおりの説明をしただけ。

>>636 引力の作用ですが、これが思想なら私の申し述べることも思想でしょうね。

あなたが表明したところをそのまま使ったってところが証明っぽいですけどね。思想と
証明が同レベルで取り扱われていないところに注意してください。

> 646
> 誤りの指摘と訂正は謙虚さに欠け、誤りを容認することが謙虚である、と言うことですね。

ものすごい捻じ曲げかた(笑) 通常は「誤りの指摘を受けたなら、謙虚にそれを受け
止め、訂正べきところがあれば訂正する」ってのが通常のやり方であり、「誤りの指摘
を受けても、その指摘自体が正しいものでなければ、反論を通じてその根拠を示す」と
いうのが誠実な態度でしょう。

> 正しいことには、控えめで素直で有るべきですが、誤りを謙虚に認めない謙虚さを持たぬ者には未来の為にも、謙虚で有っては成りません。
> 誤りを指摘できる者が指摘しなければ、その本人は生涯、誤りに気付かずに過ごしてしまいますよ。

こりゃあ、その通りだべ。お節介と厄介者扱いされても、やらずばおれぬ者にとっては
しなきゃいけないこと。

> 貴方は間違いを指摘し訂正する者を傲慢な態度でいると見て、ああ、この人は何も学んでいないなあ、と思う。のですか?

あなたの接し方が他の人から見ると「傲慢」なんでしょうねぇ。こういう場合の対処と
しては、あなたのほうの接し方から変えてみるのが得策というもの。少数意見に耳を傾
けてもらうためには、それなりのやり方でもって対処しなければならないわけよ。
649考える名無しさん:2007/04/23(月) 17:13:59
>>643
>思惟、思索を繰り広げ、感情を司るものが心です

思惟ってなんですか?
650考える名無しさん:2007/04/23(月) 17:41:36
「思惟」に限らず、ドットコムさんはまさに辞書のように、
それを説明する中でまた別の用語を持ち出してきて、たらい回しだからなあ・・・
心、良心、智恵、知能、理、切り換える、蒙昧・・・

ある時、ふと、ドットコムさんがそんな自分に気付き、
ああ、自分は今までこんなふうだった・・・
という思いに包まれる、という体験が訪れればいいのになあ、と思います。

それをリアルタイムで書き込みで知ることができたなら、おれはけっこう感動しそうだなあ・・・
651考える名無しさん:2007/04/23(月) 17:52:25
>>650
まかせろw
652考える名無しさん:2007/04/23(月) 18:18:55
頼んだぞ!
653考える名無しさん:2007/04/23(月) 18:22:21
哲学は、難しいんじゃなくて、合理性を欠いてるだけです。
654考える名無しさん:2007/04/23(月) 18:34:11

この半年ぐらい鬱気味だったのですが、
ドットコムさんのHPを見て、生きる気力が湧いてきました。
ありがとうございました。
655考える名無しさん:2007/04/23(月) 18:38:02
合理性は近似でしかすぎない。
はっきり言えば類似でしかすぎない。

理は全てを表すことができるものではない、常に近似であり
完全ではない。ここを勘違いして完全だと誤認している理屈厨がいるだけ。

なので合理性にあっているから正しいというのが間違いの始まりになる。
8割正解でも2割は間違いになるんだ。
だが、8割の中でしか世界観を持っていないものはそれが100%なので
間違えに気がつけないだけ。
656考える名無しさん:2007/04/23(月) 18:41:23
どこから8割と2割という数字がwwwwww
657考える名無しさん:2007/04/23(月) 19:22:56
>>636
思想でも証明でもいいんだけど、あんたのは証明になってないよ。
そもそも心の仕組みを解き明かした、なんて言うのは目で見えるもんじゃないんだから、証明なんか出来る訳ないじゃないか!!
論理性による、心理の方程式を差し出してる様な感じじゃないですか?
でも、数学じゃないんだから答えなんて出ませんよ。
結局、形の無い物を証明しようとしてる時点で、思想になるとは思いませんか?
俺間違った事言ってますか!?
658心の仕組みドットコム:2007/04/23(月) 20:19:07

>>647
>>645のボケた書き込みの返事なのでボケていると感じるのですよ。

>>648
>アインシュタインの相対論と、量子力学で
>説明できるようになった。これも思想の表れでしかない。
思想とは哲学的用語で物理的、科学的見知に立つものを思想で現すことに矛盾が有るのです。
明きかな矛盾を指摘して傲慢と言うようでは修復、不能ですよ。

>>650
>ああ、自分は今までこんなふうだった・・・
心、良心、智恵、知能、理、蒙昧・・・
この中の一つでも知れば全てを知ることができます。
貴方も昔は賢かったが今は無知蒙昧だと言いたいの?
賢い者が無知蒙昧になる訳が有りませんよ。

659考える名無しさん:2007/04/23(月) 20:37:36
いつもながら、ドットは的確だな。
660心の仕組みドットコム:2007/04/23(月) 20:46:28

>>654

読んで覚えたら、それに添って心の切り替えを実行することが大切です。
物事の理は誰も悟れませんでしたが、その方法に沿って思惟を深めれば2〜3日で物事の見方に変化が現れます。
さして時間は係りませんので、少しだけ頑張って物事の理を悟り人生を目一杯、楽しんで下さい。
661考える名無しさん:2007/04/23(月) 21:07:31
>>654,659
662194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/23(月) 21:08:54
>>660
君北朝鮮の人?
663バトー:2007/04/23(月) 21:15:46
(このストレートな自演スタイルはあいつやあいつを思い出させるな)
664石川:2007/04/23(月) 21:19:05
(アンチの釣りじゃねえのか?ほっとけw)
665心の仕組みドットコム:2007/04/23(月) 21:21:58

>>657

>>636で理に関して、理とは如何なるものかを証明しています。
>人は理を自分のものにすると理で賄われている全て、つまり世の中の全てを知ることができますが、その逆の作用が
>人は理を自分のものにしなければ世の中の全て(何も)を自分のものにできない「何も知ることは無い」と言う現象です。
これを納得し自分のものとするか、は貴方次第です。

思想とは個人的見解で理に裏打ちされた事柄は目に見えなくとも事実ですので思想の部類に入りません。
少し難しいかも知れませんが、その区分けが貴方に付かなくても別に可笑しいことでは有りません。
哲学者は思想家の分類に属しますので哲学者の申すことは全て思想ですが、その哲学者でも貴方でもが物事の理を悟れば貴方や
哲学者で有った者が語る言葉が理に裏打ちされているものなら事実で有って思想では無いのです。
つまり、今の貴方に証明せずとも貴方が理を悟れば貴方自身が証明できる事実ですから思想では有りません、と言うことです。
666バトー:2007/04/23(月) 21:29:41
(それじゃリンゴの例え話はどうだ?)
667石川:2007/04/23(月) 21:30:43
(それだけじゃ弱すぎるってww)
668心の仕組みドットコム:2007/04/23(月) 21:31:02

>>662

>君北朝鮮の人?
私は地球人ですよ。
何故?貴方は人種に対して差別的な意識をお持ちですか?
一つの事柄に差別的な意識をお持ちの方は全てに対して差別をする傾向が有りますよ。
自我の虚栄心が強く、哲学を卒業することは叶いませんよ。
669考える名無しさん:2007/04/23(月) 21:31:22
おれ、ドットコムみたいなキチガイなんかよりも
犬との間でのほうがもっとコミュニケーションが成り立つなあ
670194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/23(月) 21:39:40
>>665
あれ?辞書にそう書いてあるんですかwwwwwwww
辞書に準拠する言葉があったり大胆なドット解釈が優先される言葉があったりと大変だwwww
671194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/23(月) 21:43:20
>>668あれあれあれあれ?wwwwww
その質問が差別的と解釈できるのは君が北朝鮮に
対して差別的な感情を少なからず持ってないと無理ですよwwwww
672考える名無しさん:2007/04/23(月) 21:45:23
がんばれ、アルキメデス!
673心の仕組みドットコム:2007/04/23(月) 21:47:10

>>669

有難う、、
無知蒙昧なキ印しにキチガイ扱いされる、と言うとは最高の栄誉です。
貴方の仰る通りに貴方はワンちゃんとコミュニケーションをとっていた方がお似合いだと思いますよ。
674似非至高状態者www:2007/04/23(月) 21:55:38
>>521
なんじゃそらを取り消しました。w
675似非至高状態者www:2007/04/23(月) 21:56:10
>>522

我慢できないんだよね。w
676考える名無しさん:2007/04/23(月) 21:57:19
p
677心の仕組みドットコム:2007/04/23(月) 22:10:49

>>670

>あれ?辞書にそう書いてあるんですかwwwwwwww
辞書にそう書いて有りますよ。
辞書を読んでも意味不明では、この先も大変ですね。

『智恵=物事の理を悟り、適切に処理する能力』
この意味が分かりますか?
貴方も物事の理を悟らないと、ほんの少しの智恵も産みだせませんよ、と書いて有るのですよ。
そして適切に処理する、とは全てに痛みを与えず処理をする方法で、無知蒙昧者が行う適当に処理する訳では有りませんよ。
物事の理を悟れば潜在知能が育ち全ての問題を適切に解決できますが物事の理を悟らなければ知能が育たず智恵を産みだせません
ので何も適切に解決できません、と辞書に書いて有るんですよ。

>>671
下手な揚げ足を取らないで自分の頭を少しでも使うことを考えなさい。
こっちも脳味噌がカラッポな者を相手にするのは大変だからね。
678194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/23(月) 22:16:43
>>672おっアルキメデスの偉大さに触れましたかな?
「全称命題を取り扱う事」「全能者を夢想する事」「全能感に震える事」
これは人類が挑戦してきた素晴らしくも危険なゲーム
ここもそのゲームの一種ですなwwwwwwww
「哲学は難しすぎる」難しい人もいれば難しくない人もいるのは当然
「哲学」という言葉の意味用法も人それぞれなのも当然
歪な我々は完璧を求め その完璧の瑕疵により 歪なる我々を又さらに歪める
679考える名無しさん:2007/04/23(月) 22:31:14
>>643
>思惟、思索を繰り広げ、感情を司るものが心です












     思惟ってなんですか?











              (難しかったら思索でもいいですよ)

680194 ◆JMEUe1jdXc :2007/04/23(月) 22:41:08
歪な我々は完璧を求め その完璧の瑕疵により 歪なる我々を又さらに歪める

いい名言ができた 一応解説 完璧の語源は古代中国の「壁」という平な中心に穴の空いた
宝玉が傷一つ無いという事から来ている その壁に瑕疵(傷)があればその穴の中にいる
我々もまた歪な形になってしまう そもそもが歪な我々がどうして完璧など言えようか
681考える名無しさん:2007/04/23(月) 22:44:03
>>680
どこのだれが完璧など言ってるんだ?
682心の仕組みドットコム:2007/04/23(月) 22:52:45

>>679

>思惟ってなんですか?
辞書を見て下されば良かったのに、、
辞書を見ても意味が分からない時には何でも解説しますよ。
取り合えず、、

思惟=心に深く考え思うこと。
思惟を深め、とすると依り深く考え思うこと、です。

思索=物事のすじみちを立てて深く考え進むこと。
思索を繰り広げ、と言うと物事のすじみちを立てて深く考え進むこと、範囲を広げることです。

遅く成って御免なさい。>>677の智恵は、もの凄く大切ですので読んで参考にして下さいね。
683考える名無しさん:2007/04/23(月) 22:56:31
>>682
>思惟=心に深く考え思うこと










      心ってなんですか?











684考える名無しさん:2007/04/23(月) 22:58:52
>>682
  ↑こいつなんにも分かってないな(笑)
685E2 ◆igyenga13c :2007/04/24(火) 11:52:12
>684
心の切り替えをすれば、ってこの一言を教条的に繰り返しているだけ。あ〜あ、能のな
い人だよ。こういう人に心ってなんですか?なんて聴くのも野暮ってもんだ。皮肉も通
じない。そのくせ某国に対する感情を巡ることに関しちゃ、守りに入ろうとするわけだ
しね。ったく凡人にも劣る人間だ。

しかし、彼の今の僕に対する姿勢に憎悪を感じてしまうのはなぜなんだろうね。彼は言
う。全てのものを否定するな、と。しかし、彼は躍起になって俺が考え彼に闘わせる言
葉を用い、それに対し憎悪に近い感情でもって言葉を返してくるように僕には思える。
なぜだ? 簡単に解釈すれば、彼の言う理自体がナンセンスであり、単なる全能者気取
りでしかないから、というもの。自分を偽者呼ばわりするものに対して、なにおぅ、と
反撃しようとしている、ジャイアンのような心持ちなのかもしれない。だがしかし、そ
うじゃなく、受け取る俺が邪な心しかもってないから、彼の真意に気付くことなく彼の
感情を見誤って受け取っているのか? 他の者も多くは彼に対して俺が持つような感情
を持っているように見えるが、これを参考にするわけには行かない。多勢を頼りにする
のはソフィストの輩の手に落ちることだからな。僕としては前者であろうと判断したい
が、なんせ自らを疑えってなのは基本中の基本だからな。自分に関わってしまう問題に
対して安易に判断を下すべきじゃないだろう。ま、やらかしてしまった過去はあるけど
ね。それはそれ。立ち止まり振り返る余裕を持てればまだましだろう。

生体反応としての免疫(>308)しても、得るところはその場限りの満足感だけじゃない
のかねぇ。揶揄してもその場限りの楽しみでしかなく、個別を通じて全体を貫く本質っ
てなものにも目を向けていこうってな哲学者的態度とも思えないんだけどなぁ。

分かってないなぁ、と言い得るあなた(>684)は、わかっている上でこの言葉を言って
いるのだろうか? 私にはあなたが何をわかっているのかがわからない。できれば、僕
にそのわかっていることを彼のように分かりにくくなく説明してもらえたらありがたい
が、多分、それはかなわない夢でしかないだろうな。そこまで知っている方なら、もっ
と言葉を費やしてくれたであろうから。
686考える名無しさん:2007/04/24(火) 13:08:35
>>685
ETじゃなかったE2、、「なに」を知りたいんだ?
何もかも分かってるおれが教えてやっから

設問が正しくできたらほぼ解決したよなもんだが
ま、とりあえず書いとけ、また来てやっから
687心の仕組みドットコム:2007/04/24(火) 14:50:04

>>685

>心の切り替えをすれば、ってこの一言を教条的に繰り返しているだけ。あ〜あ、能のな
>い人だよ。こういう人に心ってなんですか?

【心の切り替えをすれば】この意味を他スレの書き込みを使って教えてあげるね。
その上で能のない人と言う意味も知らずに他人を卑下する闘争的な発言を取り消して戴きましょう。
その前に私の心に憎悪を産みだす種「自己陶酔・欲・自我」の持ち合わせが無いので貴方の思い込みですよ。
688心の仕組みドットコム:2007/04/24(火) 15:09:43

>>685

哲学を知る為に哲学の言葉の意味を知ること
哲学の言葉の意味に添った対話と思惟をすること

哲学は関連文字の一つから、その全てを開くことができます。
哲学は愛智の意で有るから「智・知」を愛することで有る、と言われます。
哲学が「智・知」を愛することで有るならば「智・知」の意味を知る必要が有ります。
「智・知」=「ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用」を愛することが哲学ですね。
次に「ものごとを理解し」の理解とは理を以て解することですから、ものごとを理解する為に
「物事の理を悟れば」理解できる、と言う流れです。

つまり哲学とは「物事の理を悟り」「全ての理・智・知に通ずる心」誰もが持っている「潜在知能」
を呼び起こし皆さんの人生に活用することが目的ですね。

ですから哲学は哲学書を読み覚える必要も、難解な哲学用語を解読する必要もなく「物事の理を悟る」
だけで人類社会の全てが丸く収められる、と言う仕組みに成っているのです。

>>685
だが人類社会は力を崇拝し理に反する蒙昧に捕らえられている為に人々は物事の理を悟れぬ心を友として生きています。
この、物事の理を悟れぬ心を物事の理を悟れる「心に切り換えれば」誰でもが簡単に物事の理を悟り、そして理に依って育て
られた知能が、個の抱える問題から人類の抱えるあらゆる問題までも全てを円満に解決する適切な智恵が産みだされるのです。
物事の理を悟れ、と言っても分からないでしょうが心の切り換えは、その方法さえ知れば誰にもできるでしょう。
さて、、
>心の切り替えをすれば、ってこの一言を教条的に繰り返しているだけ。あ〜あ、能のな
>い人だよ。
この言葉を如何に処理しますか?>>685
689考える名無しさん:2007/04/24(火) 16:03:19
>>688
>「物事の理を悟れば」










   理ってなんですか?

   理をあらわす事例をあげて理が何かを説明してください












わからなくても恥ずかしがることはありませんチンナスさんw
690考える名無しさん:2007/04/24(火) 16:07:32
ドットコムさん、
私、E2さんじゃないけれど、
あなたの言われる「心を切り換える」という部分、
ここがあなたの思想全体で最も弱い部分だと思います。

ここさえ突破できたら、
あなたが繰り返し説明している流れが生まれるのかもしれない・・・

でも、まだあなた以外の誰も悟ることができていないからには、
まだあなた以外の誰も心を切り換えることができた試しはないのでしょうから、
「方法さえ知れば誰にもできるでしょう」とか
「さして時間はかからない」とか簡単に言うのは不親切すぎます。

それはいったいどうすることなのか、思惟を深める、と言い換えてはくれましたが、
今度はその「思惟」が具体的にどういうアクションを指しているのかがわからないのです。
「無数の ... 感謝 ... 」という一文をいったいどうすればいいのやら・・・
暗記するのか、復唱するのか、言葉に即して意味を調べて書写すればいいのか・・・

たぶん、ドットコムさんもこの部分のことが最も表現するのが難しいのではないでしょうか?
ご自身の体験をなんとか平易な言葉で伝えようとしてくれているようですが、
まだうまくいっているとは言い難いようです(失礼ながら)
691心の仕組みドットコム:2007/04/24(火) 16:10:00



>>689


またチンナスさんか、、



貴方に差し上げる貧しい智恵の持ち合わせは御座いません。



悪しからず、、、




692E2 ◆igyenga13c :2007/04/24(火) 16:10:01
>>686

当たり前と言われていることを当たり前にすりゃあいいだけなのに、当たり前が当たり
前として通用していないこの現実、というかなんちゅーか。当たり前にしていたら、ど
っからかそんなのは甘っちょろい理想論でしかない、現実は厳しいんだ。とって食らう
世界なんだ、と言いつつ、それだけじゃあない世の中。なんで子供時代は甘くそして学
校終わったらぽいして平然としていられるのか? 最終的には奪い合って力でねじ伏せ
ている人間社会。そのくせ奇麗事は山の如し。言葉に乗っからざるを得ない論理という
ものの脆弱性。論理を打ち砕く身体的な暴力装置。しかし、言葉によって奇麗事を並べ
立てる暴力装置。その下でセコイ生き方をせざるを得ない小市民。家族子供を守るため、
でたらめな大義をでたらめと知りつつも守った振りをし、安穏とした年金生活を夢見る
小市民の群れ。群れ。群れ。綺麗事を宣言しだして何百年経ったのだろう(>478)。未
だに果せぬとはなんたることか(笑)

わかちゃいるけどやめられねぇ。じゃなく
わかっているからやめさせない者の存在。なんでこいつらを撃てないんだ?(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)

ゲラゲラとあざ笑う事しかできねぇ、しがねぇパンクスだ、わしゃ。

何の質問だって? あんたがそう断言できる根拠を聞かしてもらいたい。って俺ははっ
きり言っているけどね。これって具体的な質問じゃねぇのか? この質問に対して、ど
のような論点から説明したらよいのか、こういう細分化するのはあなたの役割でしょ。
挙証責任はどっちにあると思ってるんだか(笑)(>371)
693考える名無しさん:2007/04/24(火) 16:17:15

ドットコムさんのHPを見て外出したら、緑がきれいでした。
そういう季節だったんですね。
難しい理屈はわかりませんが、ありがとうございました。
694心の仕組みドットコム:2007/04/24(火) 16:24:04

>>692

>あんたがそう断言できる根拠を聞かしてもらいたい。って俺ははっ
>きり言っているけどね。

では私もハッキリ言おう。
智恵の泉に智恵を汲みにきたのに底の抜けたバケツ(貴方の心)を持ってきて、その用を成せるのか、と言うこと。
これが答です。
695考える名無しさん:2007/04/24(火) 16:33:32
>>ドット
オツムが弱いようだから整理し説いてやるねw
>>688のおまえのレスをみると↓以下のごとく「理」で埋め尽くされてる





理を以て解する
「物事の理を悟れば」
「物事の理を悟り」
「物事の理を悟る」
理に反する蒙昧
物事の理を悟れぬ心
物事の理を悟れる
物事の理を悟り
理に依って育てられた
物事の理を悟れ、




まるで「理」の十段活用だw

どうやら「理」はおまえの駄話の起点のようだが
なぜそんなに大事そうなモンの説明ができないんだ?
記念に1つだけ世界の「理」を教えといてやろう

 「人間、知らないことは説明できないw」

わかったら、もう寝ろw
696考える名無しさん:2007/04/24(火) 16:54:08
後ろの席の荻野くんの足が臭くて大近くんは不登校になったんだって
697考える名無しさん:2007/04/24(火) 18:48:31
ドットの自演かもしれないが、
ドットの伝道に釣られてる頭の弱い子>>693が気になる。
創価とか原理が勧誘に来たらすぐ付いていっちゃいそうな。。
698考える名無しさん:2007/04/24(火) 19:22:01
>創価とか原理が勧誘に来たらすぐ付いていっちゃいそうな
そういうのは見捨てるしかない。
699考える名無しさん:2007/04/24(火) 21:03:32
>>697
ドットって創価とか原理が勧誘に来たらすぐ付いていっちゃいそうなタイプだな。
700考える名無しさん:2007/04/24(火) 21:36:49
>>688
>>哲学は哲学書を読み覚える必要も、難解な哲学用語を解読する必要もなく「物事の理を悟る」
>>だけで人類社会の全てが丸く収められる、と言う仕組みに成っているのです。

スレ違いもいいところ。宗教スレに行けよ。
哲学史も哲学用語も無しの哲学って何だよw
「なんでも哲学」は結局宗教なんだよな。

あのな、ものごとは難しいんだよ。わかったか?
701心の仕組みドットコム:2007/04/24(火) 21:44:09

>>690

御意見、有りがたく承ります。
貴方の御指摘ですが私も同感なんですが、そこが力を崇拝する理非の心から
智恵を重んじる理の心に切り替えを説明するのに一番の難関なのです。
一応、私のHPをご覧、戴いての御意見でしょうか?
もしも、そので有るなら私からの問いも産まれます。

>>693

そうですか。
折りを見て、また読み返されることが望ましいと思います。

>>695

またチンカスさん。
無知蒙昧な貴方に差し上げられる貧しい智恵の持ち合わせは、強請られても有りませんよ。



702考える名無しさん:2007/04/24(火) 21:56:45
>>701
悟った奴にしては理不尽な煽りだなw
703心の仕組みドットコム:2007/04/24(火) 22:22:02

>>700

>あのな、ものごとは難しいんだよ。わかったか?
そりゃ、智恵が無ければ何でも難しいでしょうね。
おかわいそうに、、
704考える名無しさん:2007/04/24(火) 22:39:22
>>ドット
一風変わった回答請求フォームだなw じゃ要望に答えて
これが「無知蒙昧なおまえ自身」の書いた理の十段活用だw
  ↓
理を以て解する
「物事の理を悟れば」
「物事の理を悟り」
「物事の理を悟る」
理に反する蒙昧
物事の理を悟れぬ心
物事の理を悟れる
物事の理を悟り
理に依って育てられた
物事の理を悟れ、

ついでだからおまえの文章の末尾を貼っといてやるな
 〜限りませんよ。
 〜かも知れません。
 〜べきです。
 〜できないでしょう。
 〜と思いますよ?
 〜全てが貴方次第です。
 〜と思いますよ?
 〜稲葉の白ウサギだね。
 〜一番の難関なのです。
 〜望ましいと思います。
 〜チンカスさん。
 〜おかわいそうに、、

ドット、
「もし人に分かってもらえない事があったらそれは自分が分かってないことだぞw」
705考える名無しさん:2007/04/24(火) 22:52:09
これは単に同じフレーズの反復による自己洗脳だよね。
理理理と繰り返しているうちに悟ったような気になるという、
ごく平凡な認知心理学的現象。
もちろん宗教も同じ事をやるんだけど、
さすがにもう少し色々な仕掛けがあるよw
706考える名無しさん:2007/04/24(火) 23:01:06
もう少しマシな自己洗脳法があると思うんだが、、
やっぱIQが低いという事実はいかんともし難いみたいね。
707考える名無しさん:2007/04/24(火) 23:06:28
これは私の経験なんですが1つ質問してそれに的確に答えられない人というのはその後いくつ質問しても駄目ですね。逆に一つ目の質問にきちんとした回答を返せる人はどこまでも妥当な答を返せる可能性が高い。
708考える名無しさん:2007/04/25(水) 00:01:34
>>707
目からうろこって言うんだろなそれ。
このスレで一番の「理」を見た気がする。
709考える名無しさん:2007/04/25(水) 01:11:11
ドット氏、辞書を駆使するのもいいが、
どうせなら哲学事典の類も使った方がいいのでは?
710考える名無しさん:2007/04/25(水) 01:33:24
物事の理を悟った人の特徴

・発言したり主張したりすることが極端に少なくなるか皆無になる。
・自分の思想を他人に押し付けたりしない。
・他人の思想を否定したりしない。
・自分がわかっていて、相手がわかっていないというようなことは絶対に言わない。
・他人の能力、思考、言葉、行動を決め付けたりしない。
・他人のことを言及しない。
・○○するとこうなる、○○するとできる、○○することが必要、○○すること、○○するべき、○○しなさい等の断言や束縛するような言動を行わない。
・自分がわかっていることを発言するのではなく、如何に自分がわかっていないかを言う。
・誰もがとか、全てとか、人類とか、社会とか、何もかも一緒くたにするような発言は行わない。
・全ての他の存在、発言を神仏のように尊いものとして扱う。
711考える名無しさん:2007/04/25(水) 01:40:06
哲学は難しすぎる、というよりも、難しく装っているだけ。
なぜ、難しく装う必要があるのか?

物理学や数学なら、自然界の現象という、「解き明かすべき確固たる対象」が存在する。

だが、哲学にはそもそもそんなものはないのである。
火のないところに煙を立てる、、、というのとはちょっと違うが、
要するに、「別に必要もないところにわざわざ問題を作り出して突っつき回す学問」、
つまり、「自己目的化した、学問のための学問」なのだ。

その正体が認知されてしまうと、哲学者が職を失うので、
やたら小難しい表現や文章構成を用いて難しさを強調することによって、
あたかも哲学に存在意義があるかのように装うのである。
712考える名無しさん:2007/04/25(水) 01:58:21
age
713考える名無しさん:2007/04/25(水) 02:58:22
>>710
そんなものは理を悟ったとは言わん。
ただ「すべて自己より他人を優先すれば問題は解決する、それが正義である」
などという、あたかもカルト宗教の信者のような退廃的思考様式にすぎない。
理性的な態度というよりは、単なる思考停止状態に陥ってるだけだ。
現実を彩る複雑で不合理な事象に、それらを悟りきれないながらも、必死に立ち向かっていくのが人生なのに、
単にそれから逃避しているだけのことを「悟り」とていよく言い換えている。



「全ての他の存在、発言を神仏のように尊いものとして扱う。」
      
            ↑

この一つだけでもおかしな考え方であることが分かる。(もちろん、これ以外も>>710は妙なフレーズが目白押しだ)
現実にこんな人間がいれば、その者は愚鈍者として激しく軽蔑され見下されこそすれ、
決して理をわきまえた尊敬すべき人とみなされることはないだろう。
714考える名無しさん:2007/04/25(水) 06:50:18
理を悟った人間が必ずしも偉大な人物になるとは限らない
715考える名無しさん:2007/04/25(水) 07:38:37
ドットは全ての人を救うと良いながら、反論する人には
侮蔑的な言葉を返すよな。
「言われたから言い返す」とか良いそうだけれど、それって
矛盾じゃね?
だって、ドットの「ことわり」は全ての人が理解してそれを運用して
はじめて効力を発するんだろ?
なら、どんな相手にも、「ことわり」が伝わるように、真摯に、礼儀正しく
答えるべきじゃないか?
相手がいくらひどい表現を使っても、「ことわり」を理解している
アドバンテージがある以上、ドットは常に礼儀正しく振る舞わないと、
自己矛盾に陥るだろ。

一部の「信じるもの」だけが救われる教義なのか?
716考える名無しさん:2007/04/25(水) 08:16:32
侮蔑的な言葉 ←半島系の特徴つか連中の生き甲斐・・かな(大笑い
717考える名無しさん:2007/04/25(水) 08:39:42
たぶん使ってる用語から推すと「統一教会」または「摂理」の流れ
718考える名無しさん:2007/04/25(水) 09:50:21
>>713
なんかドットの自作自演っぽいね。

>そんなものは理を悟ったとは言わん。

キミが悟っていないから理解できないのだと思う。

>ただ「すべて自己より他人を優先すれば問題は解決する、それが正義である」

違う。正義とか、解決とか、そもそも問題自体とか、そういうものが存在しないのが悟りの境地。
般若心経での「空」の世界。

>現実を彩る複雑で不合理な事象に、それらを悟りきれないながらも、必死に立ち向かっていくのが人生なのに、

それでいいんだよ。悟る必要などないのだから。

>その者は愚鈍者として激しく軽蔑され見下されこそすれ、
>決して理をわきまえた尊敬すべき人とみなされることはないだろう。

それでいい。悟りの境地では、尊敬される必要もないから。
実際、悟った人間は、愚者と変わらない。
タロットカードのFOOLが22であり0であるのと同じだ。赤子のように、原点に返る。
719考える名無しさん:2007/04/25(水) 10:25:03
ドットコムさん、
ここでも「対話」スレでも質疑で忙しいと思いますが、ひとつ教えてください。

「物事の理」を悟れば、人間社会の諸問題は適切に処理できるのですよね?
あなたが「理」に基づいて指し示した解決策も、朝鮮総連に受け入れられなかった、
という体験も述べていましたね。

「物事の理」の働きは、要するにその程度なのでしょうか?

つまり、「蒙昧な」人をも理解に導くような、
悟っていない人が示すであろう無理解や反発や無視などをも乗り越えることができるからこその、
すべてを統御できる原理が「理」ではないのですか?

または、まず当事者が「理」を悟ることから始めなくては何も変わらない、
というような悠長なものですか?
それこそ、ヘリコプターからビラを撒くことから始めるような・・・
720心の仕組みドットコム:2007/04/25(水) 10:32:11

>>715

理非は理を敵対し、理は理非を敵対しない、と言う理非と理の持つ性質から産まれる理非の感情が産みだす現象です。
ですから理は理非の攻撃を受けると智恵の針を千本立てて理非に呑み込まれぬように身を守ります。
智恵の針が一本しかない理非は千本の智恵の針を見て自分達が攻撃したことをすっかり忘れて大騒ぎするのです。
理が針をだしたぞ、針をだすのは理に叶わないのじゃないのか?とね。
冗談じゃない。理が智恵の針をだして身を守らなければ理非にバックリ呑み込まれて理非の仲間にされてしまいます。

>>717

>たぶん使ってる用語から推すと「統一教会」または「摂理」の流れ
如何なる宗教も人の無知から生ずる絶対依存の感情と死の恐怖を利用する無限に対するあこがれ、と言う理非を利用して商いを行うのです。
つまり理非に身を任せる宗教者達(集団的自己陶酔者)は如何に頑張っても物事の理を悟ることは道理上、叶わぬことです。

>>718

だいたい私は12時には寝ています。
昨日も12時に寝ました。
遅い書き込みは過去、一度くらいだと思いますよ。
ですから>なんかドットの自作自演っぽいね。
の憶測は外れです。
721考える名無しさん:2007/04/25(水) 10:38:09
>>720
>ですから>なんかドットの自作自演っぽいね。
>の憶測は外れです。

実際にそうかどうかはどうでもいいんだよ。
ここは、ドットが自作自演するときに書くであろう内容と似ているってことが重要だから。
722考える名無しさん:2007/04/25(水) 10:39:10
>>720
>理非は理を敵対し、理は理非を敵対しない、と言う理非と理の持つ性質から産まれる理非の感情が産みだす現象です。
>ですから理は理非の攻撃を受けると智恵の針を千本立てて理非に呑み込まれぬように身を守ります。

客観的に、それこそがキミの態度だと思う。
723考える名無しさん:2007/04/25(水) 10:43:41
>>722
訂正。

>理非は理を敵対し

客観的に、それこそがキミの態度だと思う。
724心の仕組みドットコム:2007/04/25(水) 11:45:53

>>719

朝鮮総連の国際本部長さんが、自分がそれをしなくても何れ治まるだろう、と言う意識が働いたと思います。
私は丸暴の取り締まりが厳しい中、仕事の折りを見て何度も足を運んで北朝鮮の人々の苦境を考え案を提示したのですが受け入れは
相手の自由ですので手を引かざるを得ませんでした。
もう、かれこれ四年前ですかね。

今回の米国が北朝鮮に対する金融制裁を解くと言う話にも国益を重視する米国が不穏な動きをしているな、と見ていましたが案の定、
北朝鮮は米国の巧みに仕掛け罠にまた嵌められたのでは、と思います。
金融制裁を解いても米国が他の国々に北朝鮮との銀行取引を停止したと言われていることです。
これでは以前よりも北朝鮮は厳しい立場に追い込まれます。
米国の国益は北朝鮮の危険国家を維持することですが前回の北朝鮮の核実験は失敗で北朝鮮が核を持つには当分、至らないで有ろう
と見て北朝鮮虐めに他国を引き込むことが狙いと思われます。
北の核実験の際に必ず放出する放射性物質が確認されなったにも関わらず米国は北朝鮮が核実験を行ったと、あたかも成功したかの
如くに発表したのです。

いくら物事の理を悟っても、その意見に賛同する人が現れ無ければ一人では何も叶いませんので今は物事の理を悟る人達を増やす
ことに専念しているのです。
理とは支配と異なり、悟らぬ人々も喜び従う性質を備えていますので人類史を短期に自由で平等を重んじる
平和な世界にすることができるです。
また物事理を悟ることは理を否定する心を理に準ずる心に切り替えをすればできますので悠長な話しでは無く最短の道です。

ヘリコプターの話しは私一人でダフールに平和をもたらせ、と言うことですので人々に直接、争いの無意味さを訴える以外に方法
は無いと言うことです。

こんな話しをしている間に貴方が、その気ならば物事の理を悟れて仕舞いますよ。
725考える名無しさん:2007/04/25(水) 11:53:10
>>724
×いくら物事の理を悟っても、その意見に賛同する人が現れ無ければ一人では何も叶いませんので今は物事の理を悟る人達を増やすことに専念しているのです。
○いくら独りよがりな思想を思っても、その意見に賛同する人が現れ無ければ一人では何も叶いませんので今は自分の思想を押し付けれる人達を増やすことに専念しているのです。
726考える名無しさん:2007/04/25(水) 11:58:26
数学は純粋に理だけでできている。
理をどれだけ悟っているかは、数学の能力を見ればわかる。

理を完全にものにしているというのなら、数学上の問題をすべて解決すればその証明になる。
逆に解決できる能力がないなら、その人は理を全て悟っているとは言えない。
727考える名無しさん:2007/04/25(水) 12:03:59
なんか意味もなく怖いんですけど
728考える名無しさん:2007/04/25(水) 12:24:56
>>ドット
「統一教会」「摂理」の関係者だったなオマイw
理屈が通ってないのでオカシイなとは思ったんだが、ぶははは !!

ひさしぶりにワロタw
729考える名無しさん:2007/04/25(水) 12:28:56
物事の理という概念が抽象的すぎて
さらにその物事の理を悟るという状態が曖昧すぎる
その上、その物事の理を悟った人間の行動を法則化するなんて
最早論理的に考えろという方が理不尽だ
730心の仕組みドットコム:2007/04/25(水) 12:42:59

>>725

物事の理を悟る方法を伝えることは事実を伝えることで思想では有りませんよ。
貴方の脳は3%以下しか使われていませんが残り、97%の潜在知能を育て人生の矛盾や問題を解決すれば、
と伝えているだけですので、それを受け入れる拒否するは全て貴方の自由です。

>>726

物事の理を悟るとは人として正しい心の在り方をあからさまに知ることです。
それに依り、人の知能は育ち正しい智恵を産みだせ、その智恵を本人が望む方向に自由に使うのです。
正しい智恵は悪いことに使えない、と言うことから哲学は諸学の源で有ると言う場所に位置するのです。
諸学とは人類の営みの全てを指し、子育てから仕事や専門分野に至まで、と言うことですので
数理の道に進む者であるならアインシュタインを凌ぐ数理学者に成るでしょうね。

また物作りの道に進めば素晴らしい物を作る人に成りますが物事の理を悟っても数理の道を望む人ばかり
とは限らないと言うことですね。

>>727

>なんか意味もなく怖いんですけど

その不安を物事の理を悟り産みだされる智恵で払拭して楽しみに変えて見たら如何でしょう。

731考える名無しさん:2007/04/25(水) 12:50:46
あんまり勝手に教義を自分本位に拡張すると文鮮明様がお怒りになられるのでは?w
732考える名無しさん:2007/04/25(水) 12:56:53
カルト宗教が哲学を僭称するとやっかいだよな。
733考える名無しさん:2007/04/25(水) 13:00:35
>貴方の脳は3%以下しか使われていませんが残り、97%の潜在知能を育て人生の矛盾や問題を解決すれば、と伝えているだけですので、それを受け入れる拒否するは全て貴方の自由です。

脳が3%以下しか使われていないという事実と、知能が3%しか使われていないという命題は同一ではない
それは未だ解明されていないことだから、論理の前提とするには曖昧すぎる

>>726物事の理を悟るとは人として正しい心の在り方をあからさまに知ることです。
>正しい智恵は悪いことに使えない、と言うことから哲学は諸学の源で有ると言う場所に位置するのです。

正誤は絶対基準だが、善悪は相対基準だろう
両者を同一と解するところに無理がある
正しい心の在り方なるものがもしあるとすれば、それは善悪と無関係に存在するはずだ
善悪が絶対的基準であるというなら、それはただの宗教だろう
>>733
ただの宗教もどき’ですが なにか?
教祖は指名手配されてますが なにか?
わたしの仕事は教祖に女を回すことですが なにか?
735考える名無しさん:2007/04/25(水) 13:07:40
>>734
そんなこと言われても……その……
……困る
736考える名無しさん:2007/04/25(水) 13:33:23
>>730
>物事の理を悟る方法を伝えることは事実を伝えることで思想では有りませんよ。

思想だよ。キミが「物事の理を悟る方法」だと勝手に妄想しているだけであって、
それは事実ですらない。

>貴方の脳は3%以下しか使われていませんが残り、97%の潜在知能を育て人生の矛盾や問題を解決すれば、

これはキミの脳の間違い。他人の脳の使われ方について言及することは不可能ですよ。
理どころか、常識もないようですね。
自分がそうだったから、他人にそれを投影しているのでしょうが、
他人についてだけでなく、貴方自身がそれでも正しいということは言えません。
不完全性定理を持ち出すまでもなく、自分自身で自分の正しさを検証することは不可能です。

>と伝えているだけですので、それを受け入れる拒否するは全て貴方の自由です。

×伝えている
○妄想を垂れ流している
737考える名無しさん:2007/04/25(水) 13:35:59
>>730
>人として正しい心の在り方をあからさまに知ることです。

それはキミが定義することじゃないよ。
悟りに至れば、全ての人のあり方は正しいとも言える。
映画の中では、悪人も善人もいるが、
それらがあってこそ映画がなりたっているのであって、
全体で見れば、全て正しい。
738考える名無しさん:2007/04/25(水) 13:42:46
>全体で見れば、全て正しい

ふむふむ ひとつの見識だね
739心の仕組みドットコム:2007/04/25(水) 13:44:17

>>733

>正誤は絶対基準だが、善悪は相対基準だろう
では物事の正誤を定めるものは物事の理非・善悪を弁別する心では無いと言う見解ですか?
貴方の正誤を定める基準となる心を明確に示して下さい。

>>731

人として産まれた以上、世界の苦境に立たされている人々に思いやりの心を持って接することは人道的に当然のことです。
日本と安保条約を結んでいる米国が悪事に走って諸外国の人々に苦しい思いをさせているので有れば日本国民と米国民は
挙って声を上げて食い止める勇気が必要です。
その勇気をカルト宗教だと詰ったり偉大なる将軍マンセー!等と囃し立てる白雉に哲学を行う道など有ろうはずが有りません。
その者達も自分が望んで白雉に成った訳では有りませんが、その哀れな者達に言いたくは無いが敢えて一言、言わせて戴きます。
!!馬鹿!!

740考える名無しさん:2007/04/25(水) 13:50:15
>>739
>では物事の正誤を定めるものは

そんなものは定義次第で変わる。
741文鮮明教祖様 !!  :2007/04/25(水) 13:54:20
>>724 >>739 ドット様w

朝鮮総連の国際本部長・・を「さん付け」スンナっつの!この工作員w
私は丸暴の取り締まりが厳しい中・・オマイ警察庁に監視されてたのかw
何度も足を運んで北朝鮮の人々の苦境を考え案を提示した・・日本人より北が大事だよな

北朝鮮は米国の巧みに仕掛け罠にまた嵌められたのでは・・祖国の危機だぞ帰ったら?
これでは以前よりも北朝鮮は厳しい立場に追い込まれます・・北朝鮮こそ世界の中心!
放射性物質が確認されなった・・核実験時排出の放射性元素微量検出と米政府発表済み


   「こう早くケツを割るとは…、せっかくできた楽しみがw」


742心の仕組みドットコム:2007/04/25(水) 14:07:32

>>737

>悟りに至れば、全ての人のあり方は正しいとも言える。
この定義は悟りに至った貴方の定義か、悟りに至らぬ貴方の定義か、何れなのかお聞かせ下さい。
悟りに至れば、の話ですので悟りに至らなければできる話では有りませんね。
話の辻褄が合わず、自分で発した言葉の矛盾にも気づきませんか?

>>736

の言葉も全て同じです。
自分の脳を多少、使っての話しなのか、3%の脳で答えているのか、と言うことです。
3%の脳では何事も検証はできませんよ。
どっちみち死んだら頭を使えませんので生きているうちに使いなさい、と伝えても3%の脳では理解できないのかな?


743心の仕組みドットコム:2007/04/25(水) 14:25:05

>>741

チンカスさん、、

>日本人より北が大事だよな
日本も北もないでしよ。
世界の人々をを大事にしなさいね。

>放射性物質が確認されなった・・核実験時排出の放射性元素微量検出と米政府発表済み
だが、自然界に有る放射性物質と見分けが付かぬほど微量で有る、と実験から10日後ぐらいに発表した話ですよ。
これは米国が北の失敗を利用する為の画策期間が含まれている為ですよ。

744考える名無しさん:2007/04/25(水) 14:49:43
>では物事の正誤を定めるものは物事の理非・善悪を弁別する心では無いと言う見解ですか?
>貴方の正誤を定める基準となる心を明確に示して下さい。

正誤を定めるのは心ではない
論理だ
論理と現実にギャップが生じた時のことを、誤っていると言う

理非はたぶん、論理の過程が誤っていることを指すんじゃないかと思う

そうすると、誤っている状態には二種類あることになる
・認識(観測結果)が誤っている場合
・論理の過程が誤っている場合
これを修正すれば、誤っている状態が修正され、自動的に、客観的に確かな結論が構築されることになる

しかし、善悪とはそうではなく、自身が現象あるいは概念を許容できるかの問題だ
正誤判断とはまったく性質が違う
個人的な判断にならざるを得ないし、万人に共通の判断モデルを構築することは不可能だ
これは理非弁別の様な自動性をもっておらず、積極的な判断が必要となる
人間はそれを倫理や道徳あるいは社会性といった概念に単純化して一般化しているけど、本質には近寄りもしない技術的な集団防護機能だ
唯一それを決定可能な存在があるとすれば、全知全能の存在しかないだろう
全知全能の存在が、そんな矮小な概念に決定を下すとも思えないけど……

物事の理非を弁別する能力と、物事の善悪を弁別する能力は全く異なる
それらを同一のものとして理解していることに問題がある

もし「物事の正誤を定めるものは物事の理非・善悪を弁別する心である」と定義すれば
論理的には矛盾していないが、現象自体は悪として判断できるという状態は、正しく、かつ誤っていると判断されることになってしまうのではないだろうか?
二つの基準が重畳的に正誤を決定するとするなら論理的に矛盾は無いが、ちょっとそれが言葉として一般的かどうかは疑問が残る
まあ、発言者の価値観に即しているという意味で「正しい」という言葉を使う場合も社会では多く見受けられるから、一概に間違っているとも言えないけど
745考える名無しさん:2007/04/25(水) 15:04:02
>まあ、発言者の価値観に即しているという意味で「正しい」という言葉を使う場合も社会では多く見受けられるから、一概に間違っているとも言えないけど

ごめん、発言者が自己の価値観(あるいは社会性による判断)を絶対だと認識しているとしたら、それを「正しい」と言ったとしても本来の語義を外れてないな
早とちりした
746文鮮明教祖様 !!  :2007/04/25(水) 15:32:32
>>743
1.ほかでもない「北朝鮮政府と将軍様自身」の発表によれば・・

 北朝鮮は日本人を拉致しました、ごめんなさい・・だってw
 なお日本は北朝鮮人を拉致していない


2.オマイの主張によれば・・

 北という「拉致国家」も日本という「非拉致国家」もないでしょ・・らしいな
 オマイのいう「物事の理」とは何か・・がよくわかったw


3.質問だが・・

     拉致問題は「解決済み」なんだよな?



>自然界に有る放射性物質と見分けが付かぬほど微量
                   ~~~~~~~~~~~~~~~~
                        ↑
               ソースの原文を出してみw
747E2 ◆igyenga13c :2007/04/25(水) 15:43:47
>>711
>312を参照してください。学問の一分科としての『哲学』という括り方でとらえるのは
近代以降になってからのこと。これに汲みする者もいるでしょうが、もちろん、そうじ
ゃない立場の者も当然います。僕から見るに、あなたの見方は一面的すぎるように
思います。

>>720
1000本の針を立てるか。雲丹だな、まるで。栗でもいいか。こいつらは割りゃあ旨い
が、果たしてどうかな?(笑)

>>739
たぶん、『白痴』と言いたかったのだろうけどねぇ、『白雉』じゃ、なんか慶事。日本公
式元号2代目だし(笑) 日本国万歳ってか?(笑) MS-IMEに登録されてなかったか
らね<白痴。こういうのも差別的表現ってことで登録されていなかったのかもね。だけ
ど、白痴としての意味で用いられた白色の雉にしてみれば、迷惑千万なことだろうよ。
白色の雉はこう言い返したいところだろう。「馬鹿と言ってるお前こそ馬鹿じゃ!」ってね。

>742 話の辻褄が合わず、自分で発した言葉の矛盾にも気づきませんか?

あなたは >271 でこう書いている。
> その中で一人でも、一つでも否定するものが有れば知能は育たず、人格を中心に考える人間では無い、と言うことですね。
また、>290でこうも書いている。
> 怒りは自我の連鎖で産まれる感情の一つですが、その感情の表れ安い人ほど思慮が浅く蒙昧の度合いが強いのです。

これらの文言と、>739とでは、齟齬を来たしていると、俺は思っちゃうわけでね。

>>744-755さん
正誤と善悪の違い。簡単明瞭。分かりやすく腑に落ちました。感謝。
748心の仕組みドットコム:2007/04/25(水) 16:21:52

>>774

書き込みに誠実さが見え好感が持てますが誤りを見過ごせば私の誠意を疑われることに繋がります。
>正誤を定めるのは心ではない
>論理だ
では論理を定めるのは何だ、と言うことに成ります。論理を定めるのは理に裏打ちされた人の良心と言う心です。
>論理と現実にギャップが生じた時のことを、誤っていると言う
理に裏打ちされた人の良心に定められた論理と現実にギャップが生じた時のことを、誤っていると言う 、と言うことに成ります。
この段階で誤りが生じると次の意識にも誤りが付いて廻るのですね。

>「物事の正誤を定めるものは物事の理非・善悪を弁別する心である」
この言葉に区切りを付けて説明しましょう。
物事の理を悟ることで物事の理非を弁別する心が産まれ、ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用(智・知)が得られます。
「理を悟る」ことで真理や論理・倫理や理論、理解、道理などの全ての理に通ずる心と(智・知)を会得することで知能が育ち智恵や
知性や知識に至る全ての(智・知)に通ずる心も全て得られるのです。
理はことわり、と言い理非はことわけ、と言い理屈、理不尽を指しますが人類社会は全て理非で賄われ、人は理非で統一された一元化
した精神社会に依って支配されています。

ですが、この事を人が知るには理に心を移さなければ理の存在も理非の存在も理解できません。
物事の理を悟らなければ物事を理解する訳には行きませんよね。理無しの理解は無いと言うことです。
以下の貴方が記した文面は少し解釈しにくいので保留させて頂きます。

>>746

チンカスさん

北朝鮮が何故、他国民を拉致する迄に追い込まれたのか?思惟を深めて下さい。
そこに真実が隠されています。
749考える名無しさん:2007/04/25(水) 16:54:40
>>E2さん
E2証明などのやりとりをしていた頃が懐かしいです(~~
なんとなく、それを伝えておきたくてさ!
750考える名無しさん:2007/04/25(水) 18:12:42
>では論理を定めるのは何だ、と言うことに成ります。論理を定めるのは理に裏打ちされた人の良心と言う心です。
>理に裏打ちされた人の良心に定められた論理と現実にギャップが生じた時のことを、誤っていると言う、と言うことに成ります。

ちょっと待ってほしい
これだと、現実と論理にギャップが生じた時に修正されるべきなのは現実の側だということになってしまう
そんなことはあり得ない
なぜなら、論理というものは現実を理解するために作られたものだからだ
現実より先に存在する「理」なんてものは、とても想定できない
常に、修正される側は論理の方だと思う
それは先の返答をしたときに、認識と論理の過程について提示し、言及している

また、もし現実のことを「理」と呼んでいるのであれば、観測者である人間が、観測物から独立して「理」などというものを悟るなんてことは不可能だろう
人間が悟ったということ自体で、その「理」が誤っていることが提示できる
751考える名無しさん:2007/04/25(水) 21:21:09
>>748
>北朝鮮が何故、他国民を拉致する迄に追い込まれたのか?思惟を深めて下さい。
  そこに真実が隠されています。











       こらドット、拉致を肯定してどうするw !!

       おまえは公安に監視されて当たり前だ










(このスレも通報されて監視対象になってるな、こりゃ・・)
752心の仕組みドットコム:2007/04/25(水) 21:42:50

>>750

>なぜなら、論理というものは現実を理解するために作られたものだからだ
そうです。論理は現実の正誤を理を以て解する、理解することに間違い有りませんよ。
ですから現実が論理にそぐわなければ現実を訂正しなければ成りません。
理解は現実を知り容認することでは無いのですから
>現実と論理にギャップが生じた時に修正されるべきなのは現実の側だということになってしまう
とは正しいことです。

理とは「人として、こう有るべきで有る」と言う何者にも変えることのできない絶対無比の心ですから〃ことわり〃と言うのです。
しかるに理とは人の心の源を司るもので理を悟らなければ全ての理と智・知に通ずる心を人は得ることが出来ないのです。
全てに理を優先しなければ成らない人類社会ですが、その社会が理非に支配されている為に人は全ての理と智・知を会得できず
思い込みに捕らわれ戦争や貧困・犯罪や地球環境の破壊まで様々な問題を解消できないのです。
これで、お分かり戴けましたか?



753考える名無しさん:2007/04/25(水) 21:45:28
>>752
>>ドット












     
     拉致問題は「解決済み」なんだよな?

     返事が無いがどうなんだドット?













754考える名無しさん:2007/04/25(水) 22:07:35
余暇を使って素人勉強を始めました。
アンセルムスの存在論的証明のところで既に分かりません。
神の定義を「それ以上大きな物が考えられ得ないもの」とすると、
何故、神には「存在」という属性がないといけないのですか?
どなたかわかりやすく説明してください。

ちなみにマルチすみません。
755考える名無しさん:2007/04/25(水) 22:21:42
ドットさんは引っ張り凧だね。
756考える名無しさん:2007/04/25(水) 22:26:18
>>754
単なるドグマです。理性的なものではありません。
757考える名無しさん:2007/04/25(水) 22:44:11
>>756
合理主義的説明ではなく、当時の人の思考の流れが知りたいのです。
当時の人には当時の人なりに理屈の通った説明だったのでしょう。
そうでなければ、何故この説が特に受け入れられたのか説明できません。
どなたか分かるかたお願いします。
758心の仕組みドットコム:2007/04/25(水) 23:11:35

>>757

どちらかと言いますと宗教を★理屈で通そうとする宗教哲学の人では有りませんか?
★理屈とは理(ことわり)が行きずまる理非(ことわけ)のことです。
当時も今と変わらず財力と権力に大衆は弱いものです。
その頃の教会はすざましい財力と権力を誇っていましたので
神の定義を「それ以上大きな物が考えられ得ないもの」とすると、
言う意味も頷けますね。
誰よりも神は偉大だ、と言いたかったのでしょうね。
759考える名無しさん:2007/04/25(水) 23:18:06
>>758
あなたには私の疑問が理解できていません。

アンセルムスは
(A)神の定義を「それ以上大きな物が考えられ得ないもの」とすると、
(B)神には「存在」という属性がないといけない
と主張したのです。そしてそれが当時受け入れられた。

私が知りたいのはアンセルムスの神の定義の背景ではなく、
(A)→(B)の思考の流れを説明して欲しいと言っているのです。

単なる思想史上の疑問ですよ。
760:2007/04/25(水) 23:26:08
会いたい人に会ってみたいものだ。失われた時間が存在を欠如している
761考える名無しさん:2007/04/25(水) 23:28:54
>>754
神、またはそれに準ずる存在によって、神の存在を示されたからではないでしょうか?
示すというのは事実として残すということです。

神学的には、「神自身が示すことによって初めて、我々がその存在を知ることができる」という考え方があります。
神より"大きな存在"があるとしたら、その"大きな存在"によって、神を介さずに、神を知ることができてしまいます。
我々がその"大きな存在"があると信じていて、もしそうではなかったとするならば、
それ以上大きな物が考えられ得ない神によって、その"大きな存在"を否定されるはずです。

実際、何らかの仕方で否定され、それが示されたのではないでしょうか?
762考える名無しさん:2007/04/25(水) 23:31:44
>>757
>当時の人の思考の流れが知りたいのです

これは歴史家の関心としてはよくわかるんですけど・・・
763考える名無しさん:2007/04/25(水) 23:53:28
>>758 ドットさん

拉致問題は「解決済み」ということでいいんでしょうか?
返事が無いようなんですが、どうなんでしょうドットさん?

764心の仕組みドットコム:2007/04/25(水) 23:54:24

>>759

(A)神の定義を「それ以上大きな物が考えられ得ないもの」とすると、
(B)神には「存在」という属性がないといけない
>と主張したのです。そしてそれが当時受け入れられた。

(A)を正当化する為に(B)を受け入れさせた、と考えれば流れが納得できますね。

当時、宗教は信じるか死ぬかで強引に受け入れさせることが常ですので〃られた〃依りも〃させた〃の方が適切と思われますよ。
命有ってのものだね、長いものには巻かれろ、ってとこですね。
765考える名無しさん:2007/04/26(木) 00:01:46
>>764 総連ドットさん








 拉致問題は「解決済み」ということでいいんでしょうか?
 返事が無いのは「解決済み」ということでいいんですよね、ドットさん?

 誰か道理にあかるい人がいるかというと誰もいませんよね、ドットさん?
 だから「金正日も文鮮明も道理に明るくない」であってますよね、ドットさん?









766ロウ:2007/04/26(木) 00:02:48
アンセルムスにおける「神の存在論的証明」は
カントがそう名づけたんだよね。
767E2 ◆igyenga13c :2007/04/26(木) 00:43:04
>>749さん

あれを踏まえて、今があるわけです^^ ループを重ね、円環構造の如くに見えながらも
実は螺旋を描いている(>294,373-376)、このような道を辿らねば、多分見えてこないも
のがあるだろうと。>185で言及されているライプニッツの「充足理由律」に関係するかも
しれない何者かがあぶりだされていく過程というかなんちゅうか。僕としては、何千年も
考えつづけていることへの挑戦でもある、ってな意味を込めたいってな欲望もって臨ん
でますもの。そんなに簡単に紐解けるもんじゃないでしょ(笑) 笑う者、嘲笑う者、蔑む
者、ごちゃまんといるでしょうがね(笑) やりたくなったからやっている。強姦してるわけ
じゃないわけだし、この程度じゃあスレ汚しと罵られるほどのことでもないでしょうしね。
まあ、公然オナニーと言われてもしゃあないかも(笑) 露出狂なんですぅ、わし。

>>754 ウィキペディア アンセルムスの項より

> 神の存在証明は、『プロスロギオン』の特に第2章を中心に展開されたもので、おおよそ以下のような形をとる。
>
> 1.神はそれ以上大きなものがないような存在である。
> 2.一般に、何かが人間の理解の内にあるだけではなく、実際に(現実に)存在する方が、より大きいと言える。
> 3.もしもそのような存在が人間の理解の内にあるだけで、実際に存在しないのであれば、それは「それ以上大きなものがない」という定義に反する。
> 4.そこで、神は人間の理解の内にあるだけではなく、実際に存在する。

第2項の段階で、飛躍しているってことでしょうね。「一般に」という言い方でもって多数決
主義を使っているのが論理的じゃないし、何をもって「より大きい」としているのか、意味不
明ですもん。比較級を用いるのであれば、プラトンのイデアの方が正しい用法だなぁ。現
実にあるものは不完全であるってな言い方のほうがね。
ちなみにこれによると、最初から仮定として「それ以上おおきなものがないような存在」と
書いてあるので、分離してあるわけじゃないようです。
768考える名無しさん:2007/04/26(木) 01:29:26
>>742
>この定義は悟りに至った貴方の定義か、悟りに至らぬ貴方の定義か、何れなのかお聞かせ下さい。

何れでもありません。
これは私について言及しているのではなく、悟りに至った多くの人を観察して分析したものです。
多くの人の「悟り」に照らし合わせると、貴方はとても物事の理を悟っているとは思えません。

>自分の脳を多少、使っての話しなのか、3%の脳で答えているのか、と言うことです。
>3%の脳では何事も検証はできませんよ。
>どっちみち死んだら頭を使えませんので生きているうちに使いなさい、と伝えても3%の脳では理解できないのかな?

ということにしたいのですね。

理どころか、常識もないようですね。
自分がそうだったから、他人にそれを投影しているのでしょうが、
他人についてだけでなく、貴方自身がそれでも正しいということは言えません。
不完全性定理を持ち出すまでもなく、自分自身で自分の正しさを検証することは不可能です。
769考える名無しさん:2007/04/26(木) 01:32:10
物事の理を悟った人の特徴

・発言したり主張したりすることが極端に少なくなるか皆無になる。
・自分の思想を他人に押し付けたりしない。
・他人の思想を否定したりしない。
・自分がわかっていて、相手がわかっていないというようなことは絶対に言わない。
・他人の能力、思考、言葉、行動を決め付けたりしない。
・他人のことを言及しない。
・○○するとこうなる、○○するとできる、○○することが必要、○○すること、○○するべき、○○しなさい等の断言や束縛するような言動を行わない。
・自分がわかっていることを発言するのではなく、如何に自分がわかっていないかを言う。
・誰もがとか、全てとか、人類とか、社会とか、何もかも一緒くたにするような発言は行わない。
・全ての他の存在、発言を神仏のように尊いものとして扱う。
770心の仕組みドットコム:2007/04/26(木) 08:15:24

>>768

>悟りに至った多くの人を観察して分析したものです。

過去、ブッダが唯一悟りを啓いた、至った、悟ったと言われていますが貴方の周囲には随分と悟られた方が大勢いられる様で結構なことです。

悟る、とは物事の道理をあきらかに知ること、真理を自分のものにすることです。
真理を自分のものにすると物事の理非の弁別ができ(能がはたらきを始め)、それが物事の善悪も理非に照らし合わせて
明確に弁別する心(智・知を会得する)が産まれるのです。

この連鎖を物事の理を悟り、知能を育て智恵を産みだす、と言いますが、これで世の中や人の心の隅々まで理を以て見通すことができるのです。
世の中の全てとは理非に依って支配されている人類社会を理を以て正す方法までも知ると言うことです。
そうしますと理を悟りし者は必ず世の為、人の為に貢献する生き方をする使命が産まれるのです。

ブッダも肉体の糧を得る為に働く者達は心の糧を与える我々に肉体の糧を提供することは当然のことで有る、
と公言し村々を走り廻り理を説いて歩いた、と聞いています。
ブッダの死後、1000年後にブッダの思いは宗教商売に利用され汚されて仕舞いましたが悟ると言うことは社会の何者にも恐れず
社会を正すために関わるように成るのです。

>>769も貴方が記したと思いますが、その内容は隠者そのものです。
隠者とは悟った振りをして山奥に隠れ住み、それを聞きつけた誰かが隠者を賢いと思い込みスカウトをされるのをじっと待つのです。
実際に隠者は何も知りませんから、関わらなければ無能が露呈しないと考えて必死に
「物事の理を悟った振りをする者達の特徴」を守るのですよ。

今の時代の隠者は宗教の中に聖職者として潜り込み、悟りもどきを演じて自分の地位を守る為に使う、とんでも無い、ふとどきで不謹慎極まりない
馬鹿丸出しの困った輩が時代を反映してタケノコの如く彼方此方に増殖してるようですね。
騙しOKの宗教界の中ですから構わないのでょうが信者もそれが見抜けず有り難がる、まるで喜劇漫画の世界ですね。

771考える名無しさん:2007/04/26(木) 08:34:24
哲学板の最難解スレがこんなに盛り上がるとは。

よく読むとどのレスも
「ドットさんが好きです。ドットさんと対話がしたい。」
という気持ちがにじみ出ているね。
ドットさんのHPのアクセス数もショコタン並みだろうね。
「理を悟る」と人気者になれるんだね。うらやましいよ。

772考える名無しさん:2007/04/26(木) 08:43:27
>>752
理解できません
論理に合わせて現実を修正するなんてものは、すでに宗教です
論理性も何もありません
現実を理解するために論理が生み出されたならば、前提的に存在するのは現実の方です
当然、修正されるのは論理の側でしょう
また、ドットさんが言っている修正されるべき現実というのは、思想の表れである行為に対するものだと思いますが、現実とは現象を含みます
現象はそもそも修正することは不可能なものです
思想の表れである行為については思想、つまり論理を修正することによって二次的に行為が修正されます
行為それ自体を独立に見れば、行為は現象であり、よって修正するべき矛盾など生じていません
現実より理を悟ることを優先するならば、それは生きること自体の否定に他なりませんし、そのような観念的性質である理を悟ることが可能だとも思えません
773考える名無しさん:2007/04/26(木) 09:18:50
>>770
724 名前: 心の仕組みドットコム [[email protected]] 投稿日: 2007/04/25(水) 11:45:53

>>719

朝鮮総連の国際本部長さんが、自分がそれをしなくても何れ治まるだろう、と言う意識が働いたと思います。
私は丸暴の取り締まりが厳しい中、仕事の折りを見て何度も足を運んで北朝鮮の人々の苦境を考え案を提示したのですが受け入れは
相手の自由ですので手を引かざるを得ませんでした。
もう、かれこれ四年前ですかね。

今回の米国が北朝鮮に対する金融制裁を解くと言う話にも国益を重視する米国が不穏な動きをしているな、と見ていましたが案の定、
北朝鮮は米国の巧みに仕掛け罠にまた嵌められたのでは、と思います。
金融制裁を解いても米国が他の国々に北朝鮮との銀行取引を停止したと言われていることです。
これでは以前よりも北朝鮮は厳しい立場に追い込まれます。
米国の国益は北朝鮮の危険国家を維持することですが前回の北朝鮮の核実験は失敗で北朝鮮が核を持つには当分、至らないで有ろう
と見て北朝鮮虐めに他国を引き込むことが狙いと思われます。
北の核実験の際に必ず放出する放射性物質が確認されなったにも関わらず米国は北朝鮮が核実験を行ったと、あたかも成功したかの
如くに発表したのです。

いくら物事の理を悟っても、その意見に賛同する人が現れ無ければ一人では何も叶いませんので今は物事の理を悟る人達を増やす
ことに専念しているのです。
理とは支配と異なり、悟らぬ人々も喜び従う性質を備えていますので人類史を短期に自由で平等を重んじる
平和な世界にすることができるです。
また物事理を悟ることは理を否定する心を理に準ずる心に切り替えをすればできますので悠長な話しでは無く最短の道です。

ヘリコプターの話しは私一人でダフールに平和をもたらせ、と言うことですので人々に直接、争いの無意味さを訴える以外に方法
は無いと言うことです。

こんな話しをしている間に貴方が、その気ならば物事の理を悟れて仕舞いますよ。
774考える名無しさん:2007/04/26(木) 09:21:57
>>770-771
北朝鮮の肩を持つ総連ドットさん








 拉致問題は「解決済み」ということでいいんでしょうか?
 返事が無いのは「解決済み」ということでいいんですよね、ドットさん?

 誰か道理にあかるい人がいるかというと誰もいませんよね、ドットさん?
 だから「金正日も文鮮明も道理に明るくない」であってますよね、ドットさん?









775考える名無しさん:2007/04/26(木) 09:55:25
哲学は左脳で考えるんじゃない
右脳で考えるんだ
776考える名無しさん:2007/04/26(木) 10:13:44
>>770
>過去、ブッダが唯一悟りを啓いた、至った、悟ったと言われていますが

と主張する人がいることは事実ですが、それが正しいわけではありません。
相対論は発表当時、理解できるものは数人しかいませんでしたが、
今では何万という人が理解しています。
文明の進歩のみならず、人口も当時とは桁違いに多いですから、
ブッダのレベルに到達できる人間が多くても驚くようなことでもありません。

>これで世の中や人の心の隅々まで理を以て見通すことができるのです。

貴方は全くできていないようですけど。

>隠者とは悟った振りをして山奥に隠れ住み、それを聞きつけた誰かが隠者を賢いと思い込みスカウトをされるのをじっと待つのです。
>実際に隠者は何も知りませんから、関わらなければ無能が露呈しないと考えて必死に
>「物事の理を悟った振りをする者達の特徴」を守るのですよ。

ということにしたいのですね。そういう人が一部いることを否定はしませんが、
すべてそういう人だと決め付けるのは、根拠がなく、貴方の妄想に他なりません。

貴方には論理的思考能力の欠如、現実世界の観察力、分析力の欠如が見られます。


特に貴方自身が

>過去、ブッダが唯一悟りを啓いた、至った、悟ったと言われていますが

と考えていることからして、貴方が悟っていないことの現われなのでしょう。
ご愁傷様。
777心の仕組みドットコム:2007/04/26(木) 11:15:03


>>776

>特に貴方自身が
☆過去、ブッダが唯一悟りを啓いた、至った、悟ったと言われていますが
>と考えていることからして、貴方が悟っていないことの現われなのでしょう。
>ご愁傷様。

貴方は物事の道理に通じていませんね。
実際に私はブッダにお会いしたことも有りませんし他人の書き記したことでブッダを推測するだけです。
私がブッダに直接、合えばブッダが悟っているのか確認できますが有ってもいないので
☆過去、ブッダが唯一悟りを啓いた、至った、悟ったと言われていますが
この表現が尤も相応しいでしょう。
良識をお持ちの方でしたら貴方と私の何れが道理に叶うのか一目瞭然ですよ。

なにが
>ご愁傷様。
ですか?
!! 愚か者 !!

>文明の進歩のみならず、人口も当時とは桁違いに多いですから、
>ブッダのレベルに到達できる人間が多くても驚くようなことでもありません。

文明の進歩に伴い人の心は欲望に走り物事の理を悟れる人は近年現れておりません。
その位のことを感じ取れないで悟りを口にし、私と話をするのは早すぎますよ。

事細かに教えて差し上げたのに貴方の書き込みは何ですか?
少し反省をしなさい。


778E2 ◆igyenga13c :2007/04/26(木) 11:21:52
しかしなんだなぁ。なんで相手に対しての態度表明までしてしまうんだろうねぇ。単に
敵対的人格関係に貶めてしまう危険性大じゃない。俺を含めての反省でもあるんだが。

半島がどうの、北朝鮮がどうのって言っている人もいるが、北朝鮮の体制なんて、第2
次世界大戦前の日本帝国主義国家そのもののミニチュアサイズじゃん。そもそも日本の
現代まで続く国家体制を築いてきたのだって元はと言えば渡来系の方々なんだし、なん
か隣同士の家のいがみあいってなレベル? 自分を正当化するために相手を罵倒する、
こんな茶番してるって、まあ、本人同士は気が付かないのかもしれないけどねぇ。日本
語と朝鮮語の文法的類似性に目をつぶり、雲南省だかインドとかあっち方面に日本語の
ルーツを探るとかいうものもあったが、なんで遠くにまで探しにいかなぁあかんのかね
ぇ、っての、率直に思ったけどね。

自分の中の差別性に目を向けたら如何? ま、こういうと「お前チョン公だろ、部落だ
ろ」なんて勝手に決め付ける人も出て来るんだろうけどね(笑)

>>772
> 論理に合わせて現実を修正するなんてものは、すでに宗教です

うーん、科学的に現実に働きかけて、その時々の社会に有用なものを得ようとしたって
の、「論理に合わせて現実を修正する」ことの現れとも言えるんじゃないでしょうか? 
応用科学の側面から言えば。772さんの趣旨(純粋科学)から言えば外れたところで
しょうが、一言申し添えておかないと誤解を生じかねませんから。

> 現象はそもそも修正することは不可能なものです
> 思想の表れである行為については思想、つまり論理を修正することによって二次的に行為が修正されます
> 行為それ自体を独立に見れば、行為は現象であり、よって修正するべき矛盾など生じていません

ん? 行為は修正されうるもの。行為は現象であり修正することは不可能。ここのとこ
ろ、つじつまが合ってないのですが、もう少しご説明いただけないでしょうか?
779考える名無しさん:2007/04/26(木) 11:25:53
>>777
>この表現が尤も相応しいでしょう。

いいえ。貴方は私の説明が理解できていないようです。少なくとも論点を外しています。
私はブッダという人物がいようがいまいがどうでもいいのです。
貴方が「唯一」という情報を持ち出したことについて、
そんなものには信頼性も、説得力もないということを説明しただけですよ。

>!! 愚か者 !!

私は、こういうことを書き込む人が愚かであることが多い場合が多いと思いますね。
やはり貴方は悟りからはほど遠い人のようです。

>文明の進歩に伴い人の心は欲望に走り物事の理を悟れる人は近年現れておりません。

ということにしたいのですね。
全世界の人のすべてを知った気になるのは結構ですが、
そういうのは普通、誇大妄想と診断されるでしょう。精神科へ行くことをお勧めします。

>その位のことを感じ取れないで悟りを口にし、私と話をするのは早すぎますよ。

とうとう馬脚を現しましたね。思い上がりも甚だしいと思います。
所詮この程度の人物だということを、証明しているものだと思います。

お気の毒に。
780心の仕組みドットコム:2007/04/26(木) 11:45:16

>>779

!! 愚か者 !!は駄目で【ご愁傷様】は悟りに近い人だとでも言いたいの?
お気の毒に。
何が気の毒ですか?

>特に貴方自身が
☆過去、ブッダが唯一悟りを啓いた、至った、悟ったと言われていますが
>と考えていることからして、貴方が悟っていないことの現われなのでしょう。
>ご愁傷様。

誤魔化さずに、この言葉の論点を言って見なさいよ。
781考える名無しさん:2007/04/26(木) 11:52:13
>>780
>!! 愚か者 !!は駄目で【ご愁傷様】は悟りに近い人だとでも言いたいの?

論理的に考えられない人ですね。そんなことは全く申し上げておりません。

私は、こういうこと(「!! 愚か者 !!」)を書き込む人が
愚かであることが多いと申し上げているだけです。

その上で、貴方が悟りからはほど遠い人だと思っているわけです。

>何が気の毒ですか?

↓これを読んでもわからないなら、残念です。

>文明の進歩に伴い人の心は欲望に走り物事の理を悟れる人は近年現れておりません。

ということにしたいのですね。
全世界の人のすべてを知った気になるのは結構ですが、
そういうのは普通、誇大妄想と診断されるでしょう。精神科へ行くことをお勧めします。

>その位のことを感じ取れないで悟りを口にし、私と話をするのは早すぎますよ。

とうとう馬脚を現しましたね。思い上がりも甚だしいと思います。
所詮この程度の人物だということを、証明しているものだと思います。
782考える名無しさん:2007/04/26(木) 11:55:20
どんぐりコロコロどんぐりこ♪ お池にはまって、さあたいへん♪
783考える名無しさん:2007/04/26(木) 11:57:23
>>782
心の仕組みドットコム氏がそれを理解してくれればいいのですけどね。w
784考える名無しさん:2007/04/26(木) 12:13:05
半島系はよく切れるね
785考える名無しさん:2007/04/26(木) 12:13:55
ファビョなんとかって言うんだよ。
786心の仕組みドットコム:2007/04/26(木) 14:25:16

>>781

>特に貴方自身が
☆過去、ブッダが唯一悟りを啓いた、至った、悟ったと言われていますが
>と考えていることからして、貴方が悟っていないことの現われなのでしょう。
>ご愁傷様。

この馬鹿なかきこみで他人を愚弄して於いてから私は、もヘチマも有りませんよ。

>私はブッダという人物がいようがいまいがどうでもいいのです
ブッダがどうでも良いのならこの書き込みはオチョクルために書いたのかい!!
愚か者を!! 愚か者 !!と言って何処に不都合があるんだね。
787考える名無しさん:2007/04/26(木) 14:25:55
世界を物語のような解釈で早合点せず、
一つの事例を軽率に普遍化せず、
論理の運用を暴走させず、
感覚や思考や言語などから知らず知らずのうちに間違いの罠に落ちず、
時代背景や文化や自分自身の生い立ちなどからも影響を受けず、
とにかくヒトとして純粋に世界を知りたい

と思うけれど、
そこまで書いてみて、
なんだかそれが人生にとって意味があるんだろうか、って気もしてきた・・・
788考える名無しさん:2007/04/26(木) 14:33:31
>>786
>この馬鹿なかきこみで他人を愚弄して於いてから私は、もヘチマも有りませんよ。

少し冷静になられてはどうでしょうか。
馬鹿な書き込みと貴方が思うのは自由ですが、
「貴方が悟っていない」というのは、少なくとも一人以上の意見です。
そして、「悟っていない」というのはごく普通のことであり、愚弄でもなんでもないでしょう。

>ブッダがどうでも良いのならこの書き込みはオチョクルために書いたのかい!!

「ブッダ」は貴方が勝手に持ち出したことですよ。

>愚か者を!! 愚か者 !!と言って何処に不都合があるんだね。

論理的に考えられない人ですね。そんなことは全く申し上げておりません。
不都合など全くありません。

私は、こういうこと(「!! 愚か者 !!」)を書き込む人が
愚かであることが多いと申し上げているだけです。
その上で、貴方が悟りからはほど遠い人だと思っているわけです。

お気の毒です。
789考える名無しさん
>>778
すみません
行為についてですが
どういう行為を行うかは論理に基づいて行われると思います

@論理を組立て→A論理に基づいて行為を決定し→B行為を実行する

という流れです
この@及びAの段階では論理の修正あるいは、行為の決定自体の修正によって、「どんな行為を行うか」を修正することができます
しかしBの実行段階に至ると、実行された行為はすでに現実に現れた現象であり、人間に修正可能な領域を離れる
という意味です
ですので、厳密には行為自体が修正可能な訳ではない
行為に至る過程、つまり論理や自己決定(今回は論理と現実の因果が論点なので、論理が正しければ決定は当然下されるとみなす)が修正可能なのである
という意見です
分かりにくい表現で申し訳ありません

純粋科学と応用科学の違いについての指摘は仰るとおりです
短絡な表現を使ったことをお詫びいたします