人生の目的は死であり、人生の真理は死である

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45E2 ◆igyenga13c
まりさん。
>>1『真理』という概念は、「ひとっかけらの例外も許さない」という論理的な厳しさを持つ。
「人は死ぬ」ということを『真理』と決め付けているけど、本当に人は死んでしまうのか?
現段階の科学技術では「不死」を可能にはしていないけれども、可能性として「不死」がないわけではないだろう。

ここまで言わずともいいか(笑)
「経験的に言えば、人は必ず死ぬものだ」という認識があるだけのこと。「経験的」というのがチェックポイントね。これは「論理」とは別の価値判断基準。

『哲学』ってぇのは、「論理」を武器にしながら「経験」ってなものと対峙していく姿勢を買っている連中がこさえてきた分野だと、わしは思うわけ。

>>33なんかデカルトの方法序説を読んでるみたいだな。次の発言>>34で簡単に否定しているけれども、このもがきの中から何かを掴めるのではないか、と尊大ながら思うわけでね、わしは^^;;

で、この「何かを掴める」ということ。これは「論理」ではないわけよ。
この論理的じゃないものを掴みつつ、しかし、人とのやり取りにおいては「論理」を基盤にして行わなくてはならない、という隘路を進んでいくわけなのよねぇ、哲学徒は。

ここまでが、一応、「哲学」ってやつの土俵固めの部分。