1 :
ContextSurfer :
2006/05/25(木) 21:45:36 人には根元的に自己承認への渇望があり、神などの様々な「幻想」を現実(リアリティ)として満たそ
うとしてきた。現代は強力な「幻想」を支えるコンテクストが維持されにくく、コンテクストを破壊、再創
造し続けることで、幻想を新陳代謝させ、現実(リアリティ)を継続させている。たとえば短期間のネッ
トの爆発はまさにこのような加速された混沌の具現化である。
しかしこのような方法は、資本主義という「歴史の終わり」におけるスノビズムといわれる。そこには
もはやどこにも出口がなく、閉塞性の中で繰り返される強迫的な「終わりなき」ゲームでしかないと言
われる。
また真の「コンテクストサーファー」という倫理が、大きなコンテクストに固執せず、新たにコンテクスト
を生み出し続けるストイックな姿勢であるといっても、実際は、安易に「小さな政府」、「自己責任」と
発言するわりに、自分が危機的状況に陥るとすぐにヘタれ、強い者に先導されるようなネオリベラル
傾向ではないか。コンテクストを破壊、再創造する享楽傾向であり、去勢された社会性の維持が欠
如している、という「宮台的な危惧」がある。
PART17
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1147800082/l50 過去ログ
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/ *前スレが荒らされて書き込みできないので先行で立てました。
2 :
純一 :2006/05/25(木) 21:47:16
無駄なことを・・・
3 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 21:50:01
■「チョ悪」ななぜモテるのか @ネタ>マジの高低差 ネタとマジは、発言と真摯の距離感です。たとえば「僕は天才だ!」といったときに、それが真意であ るとき=真意と発言の距離が0のときにはマジです。それが冗談であったり、アイロニーであるよう に、真意と発言に距離がある場合、それはネタです。これは、専門的にはコンスタティブ、パフォーマ ティブの差として考えられます。 この真意と発言の距離は、高低差です。すなわち高いところから、全体と見るという距離です。たと えばサッカーの中田のキラーパスの凄いところは目の前の相手と対戦しながら、まるで上空から フィールド全体をながめて把握しているように、もっとも適切な場所にパスを出すところだ、いわれいます。 ネタとはこのような「俯瞰的」な「メタ位置」によって可能になります。すなわち場の空気を読めている ということです。このように、コミュニケーション場の全体を俯瞰してみることは、駆け引きにおいてよ り適切な判断を下せます。 たとえば部下と上司の縦の関係とは、上司が部下の知らない重要な情報を知っている、それによっ てより俯瞰した位置から全体を見渡し、部下たちに指示を与えることができる、という関係にありま す。メタ位置とはそのような情報をもつ優位な立場を示しています。
4 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 21:50:35
Aネット(2ちゃんねる)がネタ>マジを社会に広めた
社会的にはむしろマジの方が正しい姿勢ではないでしょうか。マジの方が裏がなくて信用できる、誠
実であるなどなど、価値が持たれることは多々あります。社会的なマジからネタへの価値の変化
は、たとえば、北田暁大「嗤う日本の「ナショナリズム」に示されています。
>>
@60年代〜70年代前半 自己否定から総括へ 連合赤軍
世界と自己、主体との関係を再帰的に問う、という近代人であることの要件を、極限まで突き詰めた
連合赤軍の「総括」
A70年代なかば〜80年代初頭 消費社会アイロニズム=(60年代への)抵抗としての無反省 コ
ピーライターの思想
性急な反省を迫る思想主義と距離を置き、「無反省」という反省へ向かう。そしてメディア論的、消費
社会論的なリアルの捕捉を試みる。消費社会的なリアリティと密接にかかわったアイロニズム
B80年代 消費社会シニシズム=無反省 なんとなくクリスタル、元気が出るテレビ、オレたちひょ
うきん族
消費社会的な行動様式が大衆化する中で、60年代への抵抗が抜け落ち、「無反省」となる。アイロ
ニカルであることから、消費社会的シニシズムへ
C90年代〜2000年代 ロマン主義的シニシズム 2ちゃんねる
第三項(「マスコミ」、「資本」といったギョーカイ)の存在感が限りなく希薄化した行為空間において、
「繋がり」の社会性の上昇によって、アイロニカル・ゲームは80年代よりも過酷になる。そして過剰な
複雑性に対応するためにロマン的な対象(「ナショナリズム」、「反市民主義」)が導入される。アイロ
ニカルでありながら、実在主義的ともロマン主義的とも形容できるような奇妙なポジショニング(シニ
カルな態度をとりつつベタな感動を指向するポジショニング)が成立する。
ttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050306#p1 <<
5 :
純一 :2006/05/25(木) 21:50:41
312 :考える名無しさん :2006/05/25(木) 00:22:16 HOST:127.7.244.43.ap.livedoor.jp
削除ミントさん、いつもありがとうございます。
>>146 ,142,137,135,157,167,172,179,182,197,199,208,209,212,220,225,227,231,234,239,245,250,256,258,263,270,277,285,300,303等、
数年前より哲学板で恒常的に続いている同一違反スレの再発です。
削除対象アドレス
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1148474184/ 削除理由・詳細・その他:GL3:固定ハンドル(2ch内)に関して
・固定ハンドルが題名に入っている
>>207 ,210,212,227,231,234,239,244,251,261,270,287,303の再発です。
削除対象アドレス:
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1148474271/ 削除理由・詳細・その他:GL4. 投稿目的による削除対象
・全く情報価値が無い・真面目な議論や話し合いを目的としない・利用者の気分を害する
GL6. 連続投稿・アスキーアート
6 :
純一 :2006/05/25(木) 21:51:30
>>5 みたいにまーた、
関係ないスレに八つ当たりしてるだろ?
いい加減にしろよなー
7 :
純一 :2006/05/25(木) 21:52:11
しかも、このホストじゃ、 串を通しているしな、
8 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 21:53:42
これでいくと、マジからネタへの遷移は、@→Aの70年代にあるようです。さらにはCにあるように、 ネタがマジよりも良いというような価値は、「ネタにマジレスかっこ悪い」というように、特にネット(2 ちゃんねる)において重要視されているのではないでしょうか。 たとえば友達に「僕は天才だ」という言われたときに、その場の状況、その友達の性格など知ってますから、 「僕は天才だ」の真意がその場のネタだとわかります。しかしネットでは、いきなり、匿名の 誰かが「僕は天才だ」と書き込まれたときに、その真意をわかりかねます。ネットはこのような真意の誤解に 溢れています。相手にわかってもらおうマジに言うほど伝わらない。それは相手への過剰な 攻撃性へ、そして炎上へという問題(炎上)が多発しています。だからもはやマジになりすぎないこと が、ネットの儀礼であるともいえます。「ネタにマジレスかっこ悪い」とは、相手にわかってもらおうマ ジなる人への「クールダウンしろ」という衝突回避のための警告です。 最近の、ネット上の「空気嫁!」発言も、同様な意味があります。「空気を読め」とは、「そう熱くならず に俯瞰してみろ。」ということです。
9 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 21:54:27
Bしべり場なぜ気持ち悪いのか
世代論とともに、年代論もあるでしょう。若者は、そう簡単にメタになれません。ネタな姿勢は、他者
との距離を保ち続けること、本当の心を晒さないことですから、とても孤独なスタンスでもあります。
だからどうしても誰かとマジに腹を割って話したいという思いがわくでしょう。
たとえば、しゃべり場をみて思うのは、思春期というのは、もっとも「正論」をマジに言える年代なんだ
と思います。ボクはこのような時期を「思春期セカイ系」と呼びました。
>>
2ちゃんねる哲学板にいると、自分の不安を世界の不完全さと短絡させ、「世界が間違ってるから、
悪いから、正しいボクは苦しくなる」的な言説の人が多々来る。思春期という、経験よりも知識(理
想)が多いアンバランスな時期に、「なんで大人はこんなこと簡単なことがわからないのだ!」的なあ
る種の全能感をともなってあらわれやすい。特に、引きこもり系の人に多いように思う。ボクはこれを
「思春期セカイ系」と呼んでいる。
「なぜ「思春期セカイ系」なのか。」
ttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050727 <<
10 :
純一 :2006/05/25(木) 21:55:26
>>8 >相手にわかってもらおうマジに言うほど伝わらない。
相手にわかって貰おう「と」マジに言う程伝わらない。
だろ?接続詞がまた抜けてるぞー
11 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 21:56:07
たとえば特に女子に顕著ですが、間違ったもの、不潔なもの、曲がったことなどを過剰に嫌悪しま す。それは、社会という実践に出る前で、よく練られた社会モデルを教えられ、社会がモデルのよう に割り切れると信じている段階であるということがあるでしょう。さらに思春期とは、生物学的には親 という古い秩序を反発するようにプログラムされた時期です。それによって、種は古い価値から新陳 代謝し、生き残っていくのです。 だから思春期のマジは、社会に出た者には正論である故に、青臭く、耳が痛く、ある意味で不快なも のなのでしょう。しかしあれがマジかは疑問です。なんといってテレビで放送されるわけですから、自 分がテレビでどのように映されるかという俯瞰がないとは思えませんから。
12 :
純一 :2006/05/25(木) 21:56:33
>>9 >Bしべり場なぜ気持ち悪いのか
だから、「しゃべり場」だっつーに、
「しべり場」って何だよ
13 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 21:56:42
Cアイロニーは無意識的で反射的に作動する このようなアイロニーの議論で良く言われるのは、最近の若者はそんなにアイロニカルに思考してい ない、ということです。しかし複雑さによりますが、人間がその場の状況を把握するには0.数秒程度 だと言われています。アイロニーとは、将棋の対戦のように、意識的に相手の真意を深読みするよう にとらえられますが、もっと無意識で反射的な行為なのです。 たとえば友達同士ではよく、言葉遊びのように真意をズラして、漫才のように冗談(ネタ)のキャッチ ボールをします。ここでの会話は反射的ですが、言葉と真意に距離がある、アイロニーが働いてい ます。たとえば「アイーン!」に子供が笑うのは、子供でさえ、はじめて「アイーン」という滑稽さをみ て笑うのではなく、それが笑うものだという反復があるから笑うのです。そこには無意識にアイロニー が働いているのです。 そのような意味で言えば、「マジ」などとというもは存在しません。どこまでもアイロニカルな「マジ」な ポーズでしかありません。
14 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 21:57:23
Dオタクという人間くさい人々 同じような意味で、オタクは動物化(アイロニーの消失し直接的快感へ向かう傾向)しているいう議 論があります。しかしボクは、こんなに豊かで、おもそろく、複雑な作品を創造する、享受するオタク が動物化しているというのは、信じがたいです。どうみてもオタクは「動物化」しているというよりも、 豊かで、人間くさい人々だと思います。そして「アイロニーは無意識的、反射的に働く」という意味で、 オタクの趣向への判断が反射的であるからといって、アイロニーが消失し動物化しているということ には、なりません。 オタクはキモい、クラい、モテないなどと、社会で否定的に語られます。そしてオタクは理解していま す。その抑圧(恥ずかしさ)がむしろ力の源泉となっているのではないでしょうか。いつの時代も活力 の本質は抑圧への抵抗です。オタクの中で「動物化」という言葉が流通したのは、自分自身をもてあ ます「動物化したい欲望」の強さからではないでしょうか、というのがボクが説です。
15 :
純一 :2006/05/25(木) 21:58:41
こうしてワイドショー的哲学風漫談は続いて行くのであった・・・・
16 :
純一 :2006/05/25(木) 21:59:37
17 :
純一 :2006/05/25(木) 22:01:04
いくらなんでも、ちょっと誤字が多すぎないか? 慌てて書いてるのか?それとも、間違いが認識できないのか?
18 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 22:01:38
E「チョ悪」ななぜモテるのか 現代は価値観が多様化した時代です。そのような中で、マジに体当たりすると、多くにおいて失敗し ます。だから引いた姿勢で、回りの状況を確認し対応する。さらには次の瞬間には価値観が変化し ているかもしれない。その場合には引いた姿勢でいることで、速やかに退却し、新たな価値に対応 できます。なにか武道の隙のない構えのようですね。(笑) たとえば恋人と高級フレンチ店にいって、一つ一つの行為ににあたふたするよりも、全体の流れを わかって、余裕を見せいている男が頼りがいがあり、かっこいいです。特に女性は(生きていくため に)人間関係に敏感で、俯瞰的な目線を持っていますので、様々な行為に対して、それよりも高い位 置からの広い視野=メタ視線を持つことが包容力がある、頼りがいがあるということです。 それ以外にも、メタ的であることは、影がある、理解できないミステリアスということであり、男性には わからない?女性を引きつける魅力となるようです。はやりの「チョイ悪」ですね。(笑)
19 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 22:02:58
しかし実社会では価値観が多様化した時代だからこそ、逆に空気を読みすぎると決断できないとい うことがあります。だから最近ではむしろネタであろうとすることが、空気を読みすぎて、優柔不断で ダメで、むしろ馬鹿であることが、マジな天然の方がよい面があります。 そのような意味で「チョイ悪」とは、単にネタであってはいけないのです。メタメタであることはどこか で破綻します。そのためのどこかで必要があります。「存在しない」マジへと跳躍する必要があります。 たとえばオタクがもてないのは、空気が読めないのでなく、空気を読もうとしすぎて、読めないので あって、どこかで、開き直り「存在しない」マジへと跳躍する「決断」が欠如しているのかもしれませ ん。 多くにおいてアニメにおいて、オタクが決断をする女性に惹かれるのは、そのためではないで しょうか。
20 :
純一 :2006/05/25(木) 22:03:35
21 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 22:04:23
真面目 ●空気読む おとなし真面目…きちんと空気を読もうとする姿勢 くそ真面目…その場の空気を読むがあえて規範、信念を重視する ●空気読めない 天然真面目…その場の空気を読めず規範、信念を言い立てる 不真面目 ●空気読む 真面目な不真面目…その場の空気を読むがあえて空気、規範、信念を破る ●空気読めない キレ系天然不真面目…その場の空気を読めず、規範を破る ■空気嫁シート 読む努力 あり/なし 読めてる あり/なし 従う あり/なし 努力あり、したがう・・・生真面目型 努力あり、したがない・・・ひねくれ型 努力なし、したがう・・・天然型 努力なし、したがない・・・わがまま型
22 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 22:04:56
■コンテクストサーファー 乗りつつ破る どっきりで芸能人に突然知らない業界人が「ひさしぶり」とはなしかけてくるとどうする、というのが あった。話し掛けられることで人はある文脈の中である立場にピン留めされる。芸能人は疑いながら も話をあわせようとする。しかし相手がだれかわからず、どう振る舞うべきか文脈が読めず、立場が 宙吊りにされる。そのあたふたがおもしろいというドッキリであるが、だれもが日常でこのような宙吊 りを味わっていることが前提である。 空気=文脈とはこの次元、この深度と速度、すなわち無意識的、反射的、そして日常そのものとして 理解されなければならない。 そして、ここでの模範例の一つは、ある程度話をあわせ笑顔でありつつ、大変失礼ですがどちらさま でしょうかと聞く。笑顔、冗談は空気をコントロール(誘導)するアイロニカルな所作であり、流されつ つも、ただ流されるのでなく、空気を破る覚悟をもつ。乗りつつ破る。まさにコンテクストサーファーです。
23 :
純一 :2006/05/25(木) 22:05:22
>>19 >多くにおいてアニメにおいて、オタクが決断をする女性に惹かれるのは、そのためではないで
>しょうか。
全く関連性は無い
24 :
純一 :2006/05/25(木) 22:06:43
>>21 >努力なし、したがない・・・わがまま型
したが「わ」ない、ね
「わ」が抜けているぞー
25 :
純一 :2006/05/25(木) 22:08:07
>>22 >はなしかけてくるとどうする
話しかけてくる、ね
26 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 22:08:50
マルクス曰く、商品の価値は空気読みできまる。
27 :
純一 :2006/05/25(木) 22:09:22
>>26 言ってない、
マルクスはそんなこと言ってない
28 :
考える名無しさん :2006/05/25(木) 22:09:55
29 :
純一 :2006/05/25(木) 22:10:42
>>28 普通はそうですが、
ぴかぁ〜の場合、マジです
30 :
ContextSurfer :2006/05/25(木) 22:12:35
■「ハルヒ」のイベント化
「ハルヒ」の末端の排除とは「いまさら末端を取り繕うのも嘘くさいな」ということ「リアリティ」です。
ボクの好きな例にマルセル・デュシャン「泉」があります。美術作品といってただの便器をおく。これ
は美術とは魂だ、美の追究だ、などの「末端」を排除し、美術館というシチュエーションが「美術とは
なか」を支えていることを暴露します。
ここにまもう一つ意味があって、「出オチ」であるということです。「美術作品といってただの便器をお
く。」ことで完結します。もはや作品の鑑賞する深みなどなにもありません。これは「美術作品のイベ
ント化」です。現代芸術は「出オチ」化、イベント化に向かいます。 TV番組のバラエティ化、街のイベ
ント化、劇場化などもこの流れにあります。現代のリアリティはじっくり物語るにリアリティがもてず、
ダイナミズムに求められています。(リアリティの「イベント化」は、こちらを参照。「なぜ「空気を乗りこ
なせ!(コンテクストサーフィン)」なのか」
ttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060511 )
「ハルヒ」の魅力のひとつもこのようなイベント化傾向にあるように思います。じっくり物語るよりも何
が起こるかという楽しみ方。ネット上の「主題歌をオリコンの上位にしよう」など、ネットイベントもイベ
ント化のリンクといえるかもしれません。
このようなイベント化で成功したのが、古くは「おにゃん子クラブ」、最近では「モーニング娘。」です
ね。あれらはアイドルのパロディであり、末端の物語を排除し、シチュエーション重視のイベント化で
す。「モーニング娘。」は2ちゃんねる(の「モー板」の活況)とリンクした最初でしょうか。
ボクはこのような現代のイベント化傾向の中でも、マンガ、アニメなどはいまだにきちんと物語ること
でリアリティを作り出せる希有な分野だと思っています。その意味でも「オタクは恥ずかしい」=「「オ
タク」はなぜもっとも健全な人々だ」と思っています。そして「ハルヒ」イベントを乗り越えて、今後も
「恥ずかしい」濃密な物語が作られ続けるのだと思います。
31 :
tar :2006/05/25(木) 22:14:01
32 :
純一 :2006/05/25(木) 22:15:00
>>30 >>「美術とはなか」を支えていることを暴露します。
「なにか」ね
>>ここにまもう一つ意味があって、
「ここには」ね
33 :
純一 :2006/05/25(木) 22:15:58
わざとやってんのか?
34 :
純一 :2006/05/25(木) 22:18:42
とりあえず、誤字ばっかの状態で 無関係なスレを削除したりしないように
35 :
考える名無しさん :2006/05/25(木) 23:01:47
>わざとやってんのか? そんなことマジに聞ける君は相当ベタだね。 もっと感覚を磨いたほうがいいと思うが
36 :
紗南 :2006/05/25(木) 23:20:38
そうですよ。わざとに決まってるじゃないですか!
37 :
考える名無しさん :2006/05/26(金) 21:18:57
紗南、ここは性的なものが求められるスレだよ 君は性的なものをここでさらけ出す覚悟があるのかな?
38 :
考える名無しさん :2006/05/26(金) 21:22:44
ちょっと気取ったセクハラか
39 :
純一 :2006/05/26(金) 21:42:05
なるほど
どうも!自意識体操やってますか? もう完全に心理学講座になってしまいましたね。ビッグトゥモロー編集部にライターとして応募しましたか?
41 :
考える名無しさん :2006/05/26(金) 22:10:53
むじんくんは心理学を肯定するのかな?
42 :
考える名無しさん :2006/05/26(金) 22:11:54
この
>>2 はないだろwwww
完全に悪人道爆走中だな、純一。惚れた
43 :
純一 :2006/05/26(金) 22:14:17
別に悪人ではないさ、 単なる報復としてやってるだけだからね
44 :
純一 :2006/05/26(金) 22:16:36
>>1 に過去ログってあるけど、
ブログじゃないですか?このスレを削除せずに
他人のスレに削除依頼してんじゃないということさ
45 :
純一 :2006/05/26(金) 22:17:29
説明しなきゃならないのも 面倒だがね〜
46 :
考える名無しさん :2006/05/26(金) 22:51:04
源氏名は何ていうんでしょうか。
48 :
考える名無しさん :2006/05/27(土) 11:34:04
>>36 わざとじゃないよ、サナ。校正ミスの多いタイプを一言でいえば、ナル
シスト。自分の文章にうっとりしていて、差異(誤字、脱字)に気がつか
ないだけ。いわば、鈍感人間。
そういう輩にかぎって「空気を読め」「俺の顔色をみろ」「それができ
ないのなら、失せろ」と他人には「敏感であれ」とノタマウ。このタイ
プは“排除の論理”を推し進める自らの「恥知らず」には無意識。
そういえば、ここのスレ主は『模倣犯』のピースに似ている。常に笑顔、
利発すぎるほどだけれども、致命的に鈍感。
ところで、消息通ではないので伺いますが、純一さんて、どういう方で
すか。スレ主とは、どんな因縁が?ご本人からでも、結構です。
49 :
ContextSurfer :2006/05/27(土) 17:37:25
『模倣犯』のピースってかっこよすぎないですか
50 :
考える名無しさん :2006/05/27(土) 17:57:12
いやいやぴかぁ〜氏ほかっこよくないでひょ
51 :
純一 :2006/05/27(土) 22:16:41
ふ〜
52 :
純一 :2006/05/27(土) 22:17:30
やあ、
53 :
純一 :2006/05/27(土) 22:18:22
54 :
純一 :2006/05/27(土) 22:19:18
では、
55 :
tar :2006/05/27(土) 22:35:49
日本テレビでサザエさん現象を確認!
56 :
純一 :2006/05/27(土) 22:39:47
サザエさん現象?
57 :
考える名無しさん :2006/05/27(土) 22:47:50
純一、せっかく来たんだからゆっくりしていけよ。
58 :
純一 :2006/05/27(土) 22:58:11
59 :
純一 :2006/05/27(土) 23:00:08
ちなみに、私のブログは、 IPの通知はないので、プライバシーは守られますよ 気軽にコメントしてくださいね〜
60 :
ContextSurfer :2006/05/28(日) 20:44:35
■なぜ最近の若者は空気が読めないのか? ダイジェスト ・マジの時代とは、人々で共有する規範がまだあり、懸命に空気を読まずとも、規範に従うことが空 気でありました。すなわり規範にリアリティであった。ネタの時代とは、規範に従うことが嘘くさいもの となり、それを疑うこと、規範にアイロニカルであることがリアリティです。さらにアイロニカルな運動 が加速するときに、リアリティはイベント化する。 ・これはもはや安定した空気が保たれない中で、「@生真面目型」であるから宙吊りになります。そ の不安定さから容易にベタに感染するということでしょう。宮台はこれは、「オブセッシブ(強迫的)な アイロニスト」と呼びます。 ・かつての2ちゃんねる、そしてブログと理屈の世界ではネタが保たれていますが、それは容易に反 復され発散します。そしてその速度がネットの全能感的興奮となり、そしてベタへの感染を促します。
61 :
ContextSurfer :2006/05/28(日) 20:45:22
・空気を読むというアイロニカルな姿勢は、他者との距離を保ち続けること、本当の心を晒さないこと ですから、とても孤独なスタンスでもあります。だからどうしても誰かとマジに腹を割って話したいとい う思いがわくでしょう。 ・そもそも空気とは、そこにある静的なものではありません。人々の関係の中でコミュニケーションを 成立させよう。分かり合えるだろうという希望の上に成り立つ幻想です。だから空気を読もうとするそ の人はすでに空気の中にいて、その一部です。その人の行為が関係性をつくっています。空気を読 もうとすることが空気を変化させます。それはイタチごっこの関係にあります。だからどこかで、「決 断」を行い乗り切る必要があります。 ・現代において、「空気を読む」と単に「生真面目」にその場にあわせていくことだけでなく、そして「空 気を読む」ことを放棄しキレるのでもなく、「空気を読む」ことにつかれてベタに徒党を組むのでもな く、どこかで空気を読みつつ、空気を破ることを「決断」する。「空気を壊すことを怖れずに、勇気を 持って空気を作る」ということです。ボクはこれを「コンテクストサーファー」と呼ぶわけですが。
62 :
純一 :2006/05/28(日) 20:54:21
さて、
>ボクはこれを「コンテクストサーファー」と呼ぶ なんで?
64 :
純一 :2006/05/28(日) 21:21:50
65 :
純一 :2006/05/28(日) 21:23:14
今回もぴかぁ〜批判です
67 :
純一 :2006/05/28(日) 21:24:08
ちなみに、ぴかぁ〜のブログに トラックバック送信しといたよ〜
68 :
純一 :2006/05/28(日) 21:26:51
>>66 バラバラになると読みにくいから、
順序良く並べるようしたよ、
新規で書く時、日付が自動で入らなくてね、
手動で日付を入力して書くから、それなら、
整然と並べようかと思ってね〜
必死だなw
70 :
純一 :2006/05/28(日) 21:54:06
ん?
71 :
考える名無しさん :2006/05/28(日) 21:57:22
過去の自治のいざこざというのはなんとなくわかったが、そもそも接点はなんなの? つまりいざこざの端緒と原因ね。
72 :
純一 :2006/05/28(日) 21:58:22
73 :
純一 :2006/05/28(日) 21:59:10
ああ、自治でのいざこざの 端緒を詳細にってことかい、
74 :
考える名無しさん :2006/05/28(日) 22:00:48
漠然としすぎ
75 :
純一 :2006/05/28(日) 22:02:18
>>74 端緒と原因を詳細にってことだね、
わかったよ〜
76 :
純一 :2006/05/28(日) 22:05:34
書こうかと思ったが、情報が少な過ぎでした、
77 :
考える名無しさん :2006/05/28(日) 22:06:22
自治といっても住人はたくさんいるわけでしょ。 その中で何故ぴかぁ〜さんと純一さんが、ということね。 誰かがいったように、差異の相対化における近親憎悪なんでないすか。 やりとり見てるとそう感じますがね。
78 :
純一 :2006/05/28(日) 22:06:52
まあ、いずれ、 公開いたしますよ
79 :
純一 :2006/05/28(日) 22:09:11
>>77 うーん・・・
近親憎悪っていうのは、ぴかぁ〜の言う転移とレベルが
あんまり変わらない気がするからね〜
それよりも、同一性を持つコテハンだから、
争いやすいのではないかな?性格とかお互いに周知になるしね、
普通のコテハンは1〜2年も経つと居なくなるし
80 :
考える名無しさん :2006/05/28(日) 22:09:38
始めにどちらかがどちらかを気にいらなくて手か口を出したはずだよね。 でなければ諍いは始まらない。
81 :
純一 :2006/05/28(日) 22:12:02
>>80 >始めにどちらかがどちらかを気にいらなくて手か口を出したはずだよね。
>でなければ諍いは始まらない。
なるほどね、たしかにそうだね、
しかし、自治での争いってどっちかっていうより、○○派同士の争いが、
後々尾を引くという感じだと思うけど、たとえばNAMとかね
82 :
考える名無しさん :2006/05/28(日) 22:12:04
意見の相違は議論の展開に収斂させたらどう?
自演乙!
84 :
純一 :2006/05/28(日) 22:14:21
>>82 >意見の相違は議論の展開に収斂させたらどう?
難しい要求だねぇ・・・
でも、私は割りとぴかぁ〜の言ってることを理解した上で、
反論を書いてると思うんだけど、仮に私がそういうことが
100%出来ていたとしても、ぴかぁ〜の知識は0に近いからね、
双方向という意味での議論は無理だと思うよ〜
85 :
考える名無しさん :2006/05/28(日) 22:17:23
純一は何でこのスレにもトラバしないの? あとプロクシについてだけどプロクシチェッカは試した?
86 :
純一 :2006/05/28(日) 22:18:33
87 :
純一 :2006/05/28(日) 22:19:25
>>85 >純一は何でこのスレにもトラバしないの?
トラバ?
引用してないからじゃない?
88 :
考える名無しさん :2006/05/28(日) 22:21:30
相手を抽象するのはやめて、二人の哲学を戦わせては? 二人とも優れた逸材なのだからこれ以上非生産的なことに費やするのは損失でしかないよ。 もっと正面からの議論を聞きたい。 でなければ住みわけるか。 そろそろ連投規制…
89 :
考える名無しさん :2006/05/28(日) 22:22:34
90 :
純一 :2006/05/28(日) 22:24:15
>>88 連投規制かい?
>相手を抽象するのはやめて、二人の哲学を戦わせては?
そうだな、私はぴかぁ〜は哲学じゃなくて世間話だと思っているから、
批判しているわけですよ、だから、議論というのは起こらないのと思うね、
各々の論を見たければ、それぞれのブログを個別に見た方が良いじゃないかと
思いますよ〜
91 :
純一 :2006/05/28(日) 22:27:51
>>89 プロキシチェックのことだけど、
削除依頼の時にぴかぁ〜が使ってるのは撃退できるのかい?
92 :
考える名無しさん :2006/05/29(月) 04:30:00
>>91 できるよ。
2ちゃんねるは荒らしが多いだけあって
そういう類のは優秀。
ほんとにプロクシだったら即座に排除できます。
93 :
考える名無しさん :2006/05/29(月) 05:44:35
94 :
考える名無しさん :2006/05/29(月) 08:38:39
>>88 抽象ではなく、『中傷』でしょう。空気を読め。
95 :
考える名無しさん :2006/06/07(水) 09:15:39
保守
96 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 14:59:32
↓以下、純一によるぴかぁ批判
97 :
純一 :2006/06/11(日) 15:01:09
しませんよ〜
98 :
純一 :2006/06/11(日) 15:01:56
じゃ、
99 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 15:02:13
ん?もう飽きたとか?
100 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 15:07:39
純一はね、陰口しかたたけないヘタレたんだよ。 ぷ〜〜〜
101 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 15:09:44
憧れの裏返しなんだね〜
102 :
純一 :2006/06/11(日) 15:12:22
いえ、アク禁申請されているので・・・
103 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 15:37:32
■なぜ東はオタクを「動物化」と呼ぶのか 木の実をもぎるように「略奪」する 「インディアンは野蛮で猛獣の如く危険である。国家や領土の概念も無い。」とかいって掠奪して合 衆国は成立した。いまだに名乗られる「新大陸発見」。ではそこに先住民はなんだったのか。そして インディアン、インカ帝国はなんなのか。そこで行われて虐殺とは。そこにあるのは、アガンベンがナ チスによって虐殺れたユダヤ人を「ホモ・サケル(剥き出しの生(=主権権力の外に位置する者))」 と呼んだものだ。 インディアンという対象を、外部へ排除(動物化する)ことで、「純粋略奪」を可能になる。それは自然 (外部)からの贈り物(贈与)であるから、「贈与と返礼」という負債は働かない。 ポストモダンの閉塞を生き残るには、コジェーブは動物化とスノビズムしかないといいましたが、それ 以外にあるのが、この「純粋略奪」です。相手を「外部」に排除=「動物化」して、負債感なく略奪する。 もはやインディアンという「動物」は存在しない。みなが同じ内部だ。しかし人は外部を必要とする。 だからどこかに外部がなければならない。そして問題はどこかに「断絶」を見出すか、である。そして 外部を見出し、略奪するこで、「純粋略奪の快楽」を味わう。 再度いうと、これは人間のサディスティックな悪趣味さではなく、野性の木の実をもぎりかじるような ものだ。インディアンなるものがそれは俺たちのテリトリーだと怒っても、それは彼らの勝手な論理で しかないのです。
104 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 15:38:02
透きとおる世界 外部を失った「大きな内部(帝国)」は、「環境管理権力」を指向する。これは、人を外部として扱う(動 物化する)。野性の木の実を管理するように管理する。そして「小さな内部」はムラ社会化を指向す る。これは、「大きな内部」を外部として扱う(動物化する)。そして野性の木の実をもぎるように「純粋 略奪」する。ここにはコミュニケーションはない。あるのは「対立」でなく「断絶」だ。 権力は「環境管理権力」を指向し透きとおる。人々はそこになじみながら、突発的に略奪するという ように、透きとおる。それが「透きとおった大きな内部の断絶構造」だ。
105 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 15:38:38
表出する「断絶」 たとえばネットでは、知的財産は野性の木の実をもぎるように「純粋略奪」される。そこには負債感 がない。もはやこれを教育しなおしていくことは困難だ。ネット上のコピーは文化であり、伝統でさえ ある。だから知的財産は教育でなく、ネット住人が知らない間に管理する「環境管理」となる。「断絶」 があり、ただ平行線を繰り返す。 そしてネット企業はこの「断絶」を利用します。ボクはYouTubeを例に上げた。テレビ局の削除依頼を 受け入れつつ、それに対応できない早さでネット住人が限りなくアップしつづける。そしてYouTubeは 確信犯として不可抗力を受け入れる。 このように考えると、東がオタクを「動物化」と呼ぶとき、あるいはなぜ宮台がコギャルに向かったの か、が見えてくるだろう。彼らは「断絶」を利用し、「リアリティ」を生み出す。 ホリエモン、村上ファンドにも「断絶」が働いている面があるのではないだろうか。彼らは株式市場と いう秩序に住みながら、彼らなりのムラ社会的な論理を持っていた。それは「断絶」の「小さな内部」 側であり、そこでは彼らはセカイを作っているのは自分たちであった。そこに市場への「純粋略奪の 快楽」が生まれた。 問題は「断絶」であるとすると、ホリエモン、村上ファンドが逮捕されたことを解決ではない。逮捕され たとき、彼らはただの「大きな内部」側の人となる。二人が排除されても、「断絶」の向こう側の「ムラ 社会」は継続し、「純粋略奪」を継続していくだろう。よりズレたかたちで。
106 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 15:44:33
オタクにとって女性とはなにか。 セカイ系の三界構造 エヴァ シンジ−アスカ(レイ)−シト 最終兵器彼女 ボク−彼女−敵 ほしのこと ボク−彼女−敵 たとえば、 攻殻機動隊 バトー−素子−敵 銀河鉄道999 テツロウ−メーテル−敵 この敵を媒介する女性と、斉藤環が「戦闘美少女」と呼ぶ。 日本のアニメを支えるキャラクターであり、オタク文化の 重要攻である。
107 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 15:50:43
この系譜にあるのは、反省的なボクに対して、強い女性の対比である。 もう一つ重要なことは、これら「戦闘美少女」と敵との対比である。 敵はアンチヒーローでなく、漠然とした「不安」となる。 「少女」の強いキャラクターに対して、敵はどこか曖昧である。
108 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 16:16:49
これは男性が弱くなり、強い女性が男性を叱咤し守るということでなく、 ボクたちはそこになにが起こっているのかわからない。ただ「不安」なのである。 そして「戦闘美少女」を通してはじめて「敵」となりえるのだ。
109 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 16:21:08
「戦闘美少女」とは「断絶」そのものである。
110 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 16:43:02
ヒーローがありアンチヒーローの構造があるときに、 たとえばアムロとシャーがあるときに、そこに「断絶」 としての、「戦闘美少女」は必要がない。
111 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 17:56:06
純一の根性なし〜
112 :
純一 :2006/06/11(日) 17:57:02
113 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 18:01:57
どうせ申請されたなら悪禁になるそのときまでつらぬけよ〜よよ〜 ヘタレ純一〜
114 :
純一 :2006/06/11(日) 18:04:39
>>113 どうせなら、申請されてない君がやんなよ〜
115 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 18:11:00
再記すると「問題はどこかに「断絶」を見出すか、である。そして外部を見出し、略奪するこで、 「純粋略奪の快楽」を味わう。」 まさにオタクは「断絶」を「戦闘美少女」、斉藤環が呼ぶ「ファリックガール(ペニスをもつ少女)」 に 見出しているのである。そしてセカイ系への系譜の中で、「戦闘美少女」のキャラクターがより強く、 敵がより曖昧になることは、「断絶」が際立っていることを示している。 反省するボクのセカイが閉塞している傾向を示している。
116 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 18:13:44
ヘタレの純一く〜ん な〜んにもできないなら、もう偉そうな口きかないでおとなしくしてれば〜韮炒め〜
117 :
純一 :2006/06/11(日) 18:17:50
>>116 まあ、君にその気があるのなら、
やってもいいけどね〜
118 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 18:21:45
人にかこつけないで、やる気があるならやれよよいのよい。 やる気がないなら、シロハタ挙げて潔くさるがよい よ。
119 :
純一 :2006/06/11(日) 18:23:34
>>118 >人にかこつけないで、やる気があるならやれよよいのよい。
そりゃ、君でしょ。
やる気あんのかい?人にばっか押し付けてないで、
自分でも方法を考えなさいよ。
120 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 18:27:11
まず118がぴかの安久禁申請出して来い!
121 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 18:31:37
俺はそんなこと言ってないからねー。 君がいっつも思わせぶりなこと言って、実効性がないから馬鹿みたいだなー と思ってるだけだよん。 ぴかぁ〜は、痛くも痒くもないみたいじゃないのさ。 自分でスレ建てて、君の哲学でも展開してみたら? めずらしく熱くなったみたいだけど、気に障ったみたいねー。
122 :
純一 :2006/06/11(日) 18:33:22
>>121 >実効性がないから
いや、実行したから、
アク禁申請なわけでしてね。
123 :
純一 :2006/06/11(日) 18:34:10
>>121 >自分でスレ建てて、君の哲学でも展開してみたら?
いやいや、いっつもやってるよ。
124 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 18:35:11
純一にどうして欲しいんだ?何を期待しているんだ?
125 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 18:38:03
アホちゃいまっかー それなら、やっぱりぴかぁ〜の勝ちだわねー 君はぴかぁ〜に勝てない、 にケッテーイ てことでばいば〜〜い
126 :
純一 :2006/06/11(日) 18:43:51
>>125 >それなら、やっぱりぴかぁ〜の勝ちだわねー
>君はぴかぁ〜に勝てない、
ぴかぁ〜が負けを認めるわけがない。
127 :
純一 :2006/06/11(日) 19:21:42
じゃ、
128 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 19:34:41
議論の勝ち負けというのは下地となる価値観が 共有されていないと、そもそも問題にならない。 純一は「ぴかぁ〜が妬ましい」なので、かみ合わないw
129 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 20:03:41
■なぜセカイ系では「少女」は強いのか セカイ系の三界構造 1995 「エヴァ」 シンジ−アスカ(レイ)−使徒(敵) 2002 「最終兵器彼女」 ボク−彼女−敵 2002「ほしのこと」 ボク−彼女−敵 2006 「ハルヒ」 キョンーハルヒ−(敵) たとえば、 これは以下のように系譜から繋がるだろう。 1978 銀河鉄道999 テツロウ−メーテル−敵 1981「うるせい奴ら」 わたる−ラム−(敵) 1995 攻殻機動隊 バトー−素子−敵 セカイ系の特徴は「象徴界の喪失」(東)といわれる特徴である。ボクの日常と世紀末が、社会的な 背景(象徴界)なく、短絡する。しかし他にも似た特徴が上げられるだろう。強い少女と、曖昧な敵である。 斉藤環はこのつよい少女像を「戦闘美少女」(斉藤)と呼び、古くは60年代の「魔法使いサリー」、 「りぼんの騎士」から繋がる日本のアニメを支える重要なキャラクターであり、オタク文化の象徴的な 存在であると言う。 オタク文化のあけぼのである70年代には、「宇宙戦艦ヤマト(1974)」の「森雪」の 存在が上げられているが、それが同じ松本零志の「銀河鉄道999」のメーテルに繋がるのだろう。
130 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 20:04:44
反省的なボク − 強い「戦闘美少女」 − 曖昧な敵 この系譜にあるのは、反省的なボクに対して、強い「戦闘美少女」との対比である。しかしもう一つ重 要なことは、これら「戦闘美少女」と敵との対比である。 たとえばヒーローVSアンチヒーローの構造があるときに、「戦闘美少女」は必要とされない。その意 味で 「森雪」は物語の古い女性の位置「紅一点」に留まる。敵はアンチヒーローでなく、漠然とした 「不安」になるほど、 「戦闘美少女」のキャラクターは上昇する。そしてセカイ系に連なる系譜では、 その傾向が際立っているということだ。先ほどの三界の構造は、以下のようになるだろう。 反省的なボク−強い「戦闘美少女」−曖昧な敵 これは男性が弱くなり、強い女性が男性を叱咤し守るということでなく、ボクたちはそこになにが起 こっているのかわからないただ「不安」があり、そして「戦闘美少女」を通してはじめて不安は「敵」と なりえるのだ。
131 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 20:05:36
「断絶」としての「ファリック・ガール」 ボクは「透きとおった大きな内部」では、「問題はどこかに「断絶」を見出すか」である、といった。そし て「外部を見出し、略奪するこで、「純粋略奪の快楽」を味わう。」 すなわちキャラクターの強い「戦闘 美少女」はボクと不安を分け、純粋略奪の快楽を生むための「断絶」なのである。 斉藤環は「戦闘美少女」を「ファルス」と呼んだ。 >> 「新世紀エヴァンゲリオン」のヒロイン「綾波レイ」である。彼女の空虚さは、おそらく闘う女性すべて に共通する空虚さの象徴ではないか。・・・「無根拠であること」こそが、漫画・アニメという徹底した虚 構空間の中では逆説的なリアリティを発生されるのだ。つまり彼女は、きわめて空虚な位置におか れることによって、まさに理想的なファルスの機能を獲得し、物語を作動させることができるのだ。 「日常的現実」と解離した「もう一つの現実」という空間を維持するためには、しばしば「セクシュアリ ティの磁場」が必要とされる。というのも、われわれのさまざまな欲望の中で、性欲こそがもっとも虚 構化に抵抗するものであるからだ。性欲は虚構化によって破壊されず、したがって容易に虚構空間 に移植することが出来る。 ファリック・ガールに対しては、われわれはまず彼女の戦闘、すんわち享楽のイメージ(リアリティ)に 魅了され、それを描かれたエロスの魅力(セクシュアリティ)と混同することで「萌え」が成立する。 「戦闘美少女の精神分析」 斉藤環 <<
132 :
ContextSurfer :2006/06/11(日) 20:06:41
「断絶」とはファルスであり、「純粋略奪の快楽」とは享楽である。そして「戦闘美少女」とは「断絶」で ある。セカイ系では、ボクは反省的になり、敵はより曖昧になる。それはボクがより引きこもることで もある。その世界を支えているのが、「戦闘美少女」のキャラクターはより強くなるで、「断絶」をささえ ているのだ。 そして「戦闘美少女」が「断絶」たりえるのは「戦闘美少女」の「セクシュアリティ」故である。その機能 が弱いときにはアニメは「大きな内部」の論理を伝達していた。たとえばヒーロー(正義の見方)と は、「大きな内部」の正義を教育する装置である。しかし「戦闘美少女」がより強く作動するとき、それ はオタクの発生、そして最新にはセカイ系へ向かうときに、透きとおる社会においてオタクは「萌え」 という「断絶」にぶら下がり、「小さな内部」を形成しているのである。
133 :
純一 :2006/06/11(日) 20:53:49
>>128 >純一は「ぴかぁ〜が妬ましい」なので、かみ合わないw
いや、噛み合わないのは、
「ぴかぁ〜に基本的な哲学の知識が無い」からです。
知識が無いのはそれほど問題ではないのじゃないかな? 問題なのは、哲学しようという意志も態度もないことだろう。
135 :
純一 :2006/06/11(日) 21:26:31
>>134 >問題なのは、哲学しようという意志も態度もないことだろう。
そうですね、そうかもしれませんな。
136 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 21:53:50
純一にはあるのかね?
137 :
純一 :2006/06/11(日) 21:57:03
138 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 22:05:39
いつもいいところで逃げるところをみると、怖がってるのは純一なほうではないのかね?
139 :
純一 :2006/06/11(日) 22:08:34
>>138 >いつもいいところで逃げるところをみると、
ちゃんと聞かないからでしょ。
140 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 22:09:57
誰がだよ? 俺は聞いてるぞ。
141 :
純一 :2006/06/11(日) 22:14:25
>>140 >俺は聞いてるぞ。
いや、即答したけど、
一体何が知りたいのかね?
142 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 22:16:15
はあ?なに言っとるの
143 :
純一 :2006/06/11(日) 22:18:13
>>142 >はあ?なに言っとるの
あ〜、つまり、
>>138 >いつもいいところで逃げるところをみると、
の、いいところってどこ?
144 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 22:30:36
君のいつもの去り際に決まっとります。
145 :
純一 :2006/06/11(日) 22:31:29
>>144 >君のいつもの去り際に決まっとります。
それはわかってるけど、
何に期待していたのかね?
146 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 22:37:01
あーのーねー 何こだわってるのか、思いこんでるか知らんけどね 期待なんかしてないよ、なーにもね。 どこをこね回すとそういう話しになるのかね。 ところで、話しは変わるけど純一は連投規制はないわけ? ぴかぁ〜もないみたいだけど どーして?
147 :
純一 :2006/06/11(日) 22:38:26
>>146 >期待なんかしてないよ、なーにもね。
あ〜、違う違う、言うと思ったけどね、
いいところってのは、何が?って聞いてんの。
148 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 22:44:20
随分いきりたってるね。 君の頭でわからんかね。中途半端のことをそういうだろ。 ところでこちらの質問の回答は?
149 :
純一 :2006/06/11(日) 22:47:46
>>148 >君の頭でわからんかね。中途半端のことをそういうだろ。
だから、その具体的な箇所を聞いているわけだよ。
150 :
考える名無しさん :2006/06/11(日) 22:52:16
おれには随分しつこいな。 やはりぴかぁ〜は怖いんだな。
151 :
純一 :2006/06/11(日) 22:54:21
>>150 >おれには随分しつこいな。
>やはりぴかぁ〜は怖いんだな。
いや、アク禁申請が出されている以上は、
君の質問に一問一答でしか答えられないわけだよ。
君の質問の答えが知りたければ、規制のないスレか、
メールで聞いてもらいたいね。
152 :
宿羅=scr=スクラ :2006/06/11(日) 23:00:00
入っちゃお 純一さん、昨日はまともに話せなかったですね なんとか一言書き込めたのは良かったですが あのスレの後、どこにも居ませんでしたね 探したんですけど 今日は高速はオアズケですか・・・
153 :
純一 :2006/06/11(日) 23:02:37
>>152 >今日は高速はオアズケですか・・・
このスレは、アク禁の監視対象スレッドなのだよ。
だから、君達と会話している分には問題ないのだが、
私が詳しい事情を説明しようとして、長文や連投をすると、
荒らしとみなされるおそれがあるので、今のところ、
必要最小限、一問一答でしか答えられません。
じゃ話題出します 純一さんは社会的なモノに哲学的好奇心は感じないんですか? 私はそのために働くのをやめないわけなのですが
155 :
純一 :2006/06/11(日) 23:12:56
>>154 >純一さんは社会的なモノに哲学的好奇心は感じないんですか?
いえ、興味も持ってますし、テーマとしても扱っているつもりです。
ただ、ここでやると荒らしとみなされる為(ぴかぁ〜の独占スレですから)
また、いずれ別の場所でやるとします。では、
157 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 00:35:22
>>133 やはり純一はそう答えるのだねw
でも純一がこだわっているのは、ぴかぁ〜がパクったか
どうかじゃん。言ってることヘンじゃん。矛盾じゃん。
158 :
純一 :2006/06/12(月) 00:38:10
>>157 いや、矛盾してないでしょ。
哲学的な知識が無く、更に、他人からパクる、
これがぴかぁ〜ですよ。全く矛盾しておりません。
159 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 00:55:40
まったく口が減らんやつだなw
160 :
純一 :2006/06/12(月) 00:57:30
>>159 というか、むしろ、
哲学的知識が無いからこそ、他人からパクる必要が
あるわけですから、全然、理に適っているじゃないですか。
ぴかぁ〜は純一という別人格を作成することで哲板で生き延びたね。 オーエン(イングランド)して待つ
162 :
純一 :2006/06/12(月) 00:59:59
>>161 >ぴかぁ〜は純一という別人格を作成することで
別人格ではなく、別人です。
>>161 それって、和訳すると「煽り役と釣られ役をジサクジエンしてた」って事?
165 :
純一 :2006/06/12(月) 01:04:00
>>163 しかし、どこから、
その情報を掴んだのですか?
167 :
純一 :2006/06/12(月) 01:04:54
>>164 >「煽り役と釣られ役をジサクジエンしてた」って事?
そんなわけないじゃないですか。
168 :
純一 :2006/06/12(月) 01:05:34
>>166 >遭難です。相当な役者ですね。
違いますよ。
169 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 02:36:16
ていうか、純一の中の人にはみんななれるからw とりあえず、ハンドルに「純一」って書いて、「では」と書けば純一。 では。
170 :
ContextSurfer :2006/06/12(月) 12:04:30
純粋略奪の快楽
171 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/12(月) 12:09:09
たとえばモナーとはファルスであり、断絶である。 のま猫問題とはモナーというファルスをかかげた2ちゃねらーという小さなムラ社会が 断絶の向こうの動物を排除し略奪する物語である。
172 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/12(月) 12:10:27
環境管理権力は断絶に巣くう。
173 :
ContextSurfer :2006/06/12(月) 12:16:24
あ、ぴかぁ〜さん。お帰りなさい。 では、わたしはお役ごめんってことでいいですか? 少し疲れました(笑)
174 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/12(月) 12:33:10
ごくろうさまです。これからもヨロシクネェ〜
疲れないのか? ま・本人が楽しんでやってるのなら、多くはイワンのばか。(古
176 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/12(月) 16:26:46
規律訓練とは人間としての成員を造る権力であり、その裏で、人類学機械は人間/動物を断絶してきた。そして断絶された動物は家畜のように生権力により管理される。 規律訓練が作動しにくくなったいま、人類学機械も作動しない。もはやすべてが人間であるとき、もはやすべてが動物である。
177 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/12(月) 16:28:26
問題点 環境管理は断絶を利用する。
ぴかさんのご職業は何ですか?ご趣味は何ですか?
179 :
短パン :2006/06/12(月) 16:36:27
規定文に目を通すのは、ぶっちゃけ「しんどい」です。。。 伝えたかった、「何か」が、どんどん伝わらなくなってくる事を 私は一番恐れています。 「思想」とは。そもそもが、『非常に勝手な個人的解釈』の元に在る。 それを、何処か、見知らぬ誰かに少しでも、解ってもらいたい。 その限りにおいて、打ち出す側(書き込む側)は、いつも無力でしょうね。。。? どうでもいいけど。w
180 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/12(月) 16:38:06
グーグルの断絶の利用 扱いにくい断絶の向こうの住人を飼い馴らす。 アドセン、アフェリエイト…住人をくすぐる 無料サービス…住人うれし ウェブ2.0…住人楽し 住人に悪いことではない。しかしグーグル脅威論がある。「グーグル八分」、知の再構築 環境管理は断絶を利用する権力である。
181 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 16:42:47
相変わらず締まりのない文体と散漫な内容だねぇ 短パンよ。
182 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/12(月) 16:48:55
環境管理権力は島宇宙化する社会に対応する グーグルはネットにおける環境管理権力化する。住人を家畜のように、野菜栽培のように管理する。
なんで?
184 :
短パン :2006/06/12(月) 16:52:24
>>181 まぁ、「主」というか、「主と思い込みたい」と思っておる、ある特定の「誰か」が、
この体たらくだから。ちょっと、補填の意味もこめまして〜の打ち込みでございます。www
締りの無さ。は、生まれた時からそうでしたので、言わば。「デフォルト」となっております故
どうぞ、ご理解の程よろしくお願い致します。。。。
185 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 16:56:53
さっぱり補填になってないがな。 ところで短パンは、しっこのとき、横から出すのかい?短パンのさ
186 :
短パン :2006/06/12(月) 17:05:53
>>185 ご質問ありがとうございます。
「おしっこは、横からするのか?」の件についてでございますが、
当方。なぜか、息子が不良でございますので、現在の所。
「横からの放尿。」と、させていただいております。
※なお、ご質問・疑問等、受け付けておりますので、
よろしくおながい・・・・・。しないけどな。
でわ。ノシ
187 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 17:08:39
早速の丁寧な回答、ありがとうございます。 大変参考になりました。
188 :
短パン :2006/06/12(月) 17:20:26
>>187 私を、参考にされて、ろくな生き方した人もおりません。
大変申し訳ないのですが、以上の事、ご理解の上お付き合い下さりますよう。
なにとぞ、よろしくお願い致す所存であります・・・よ?
うっしっし〜〜〜〜。
そんじゃ、失礼でした!(勝手にドゾー。)
189 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 17:26:59
いえ、ろくな生き方してない点につきましては、私も人後におちませんのでご心配にはおよびません。 で、その際タマの方も出すのですか?
190 :
短パン :2006/06/12(月) 18:01:42
>>189 はい。ご質問を、承りました。
魔道に堕ちた
>>189 様のようですので、
あまり、お付き合いを繰り返しますと、こちらの商業に、支障をきたすゆえ、
「そこそこのお付き合い。」と、なりますが、よろしくお願い致します。
さて。「放尿の際。たまを出すのかどうか?」に、ついてですが。
当方のパンツは常に窮屈な状態で締め付けられていますので、
「カタルシス」完遂の際は、出来るだけの開放感を以ってしての、事とさせて
頂いております。
ですので、「放尿の際は。玉、も一緒に「よぅ。」と、ご挨拶する状態での
処理となりますので、ご理解の程よろしくお願い致します。
それでは。
191 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 18:07:13
さすがです。 感服いたしました。 ご意見を窺い、当方思うところがございますので、ここで失礼いたします。
192 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 18:21:28
よぅ。おいら短パンのタマなんだけどよぉ。 主人の短パン見なかった? ここに寄ったと聞いたんだがよぉ。。。
193 :
短パン :2006/06/12(月) 19:33:24
俺は、ここだ!!!! どうした?俺の片割れふぐり。。。
194 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 20:09:05
なんだよぉ。。。 どこ行ってたんだよぅ ポコポコ。。。
195 :
短パン :2006/06/12(月) 20:18:33
ちゃんと、俺のふぐりに戻って来ないと、だめじゃないかよ? ね?
196 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 20:27:22
窮屈すぎるからよぉ。。。 普段から外に出しといてくれないかな ポコポコ
197 :
短パン :2006/06/12(月) 21:50:44
好きにすればよいんだ。 ・・・それだけ。
198 :
純一 :2006/06/12(月) 21:54:32
やあ、何やってんだい?
199 :
純一 :2006/06/12(月) 21:56:33
>>169 >とりあえず、ハンドルに「純一」って書いて、「では」と書けば純一。
>
>では。
まあ、一応言っておきますと、
ではの次は、「。」ではなく、「、」ですがね。
200 :
純一 :2006/06/12(月) 21:57:22
>>169 >ていうか、純一の中の人にはみんななれるからw
なれますが、書く内容が違いますから〜
201 :
純一 :2006/06/12(月) 22:02:39
しかし、この名無し人の中身は誰なんだろうね?
202 :
純一 :2006/06/12(月) 22:03:52
あ、短パンか。
203 :
純一 :2006/06/12(月) 22:06:39
だとすると、後半は短パンの自演かな。
204 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 22:13:56
よぉ純一 おいらのことかーい。。。 ポコポコ
205 :
純一 :2006/06/12(月) 22:16:08
>>204 >おいらのことかーい。。。
そうだよ、君は短パンなのかい?
206 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 22:17:14
短パンにすきにしろ。 って、言われたからさー 伸び伸びシワのばししてるわけさね。。。
207 :
純一 :2006/06/12(月) 22:18:29
>>206 >短パンにすきにしろ。
>って、言われたからさー
へぇ、君は短パンなのかい?
208 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 22:19:31
209 :
純一 :2006/06/12(月) 22:20:48
>>208 >短パンのタマだよ〜〜ン。。
ふーん、君は短パンなのかい?
210 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 22:23:35
しっつこいなー おまぃホントに純一?ポコ。。。
211 :
純一 :2006/06/12(月) 22:24:17
>>210 >おまぃホントに純一?ポコ。。。
純一だよ?
ところで、君は短パンなのかい?
212 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 22:26:54
純一ってそんなキャラだったかなぁ。。。
玉、もっと引き伸ばせ。純一をアシストしろ。
214 :
純一 :2006/06/12(月) 22:27:33
>>212 >純一ってそんなキャラだったかなぁ。。。
そうだよ?
215 :
純一 :2006/06/12(月) 22:28:15
>>213 >玉、もっと引き伸ばせ。純一をアシストしろ。
よく分からないノリだね。
217 :
純一 :2006/06/12(月) 22:30:12
>>216 >玉が弾切れになったら俺がアシストする
よく意味がわからないのですがね。
218 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 22:30:25
ほんというとさ。 窮屈っつーよりさ。 臭かった、 ンだワ。。。はぁー空気がうまい。。。
219 :
純一 :2006/06/12(月) 22:31:38
>>218 >窮屈っつーよりさ。
なるほど、
ところで、君は短パンなのかね?
221 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 22:34:03
それがそんなに気になる? ポコポコ。。。
222 :
純一 :2006/06/12(月) 22:34:06
おや、アク禁にならないようにね。
223 :
純一 :2006/06/12(月) 22:35:05
>>221 >ポコポコ。。。
うーん、気になるな。
やっぱり君は短パンなのかね?
>>215 >よく分からないノリだね。
浅間山荘事件の映画?ドラマ?テレビで見取ったんじゃ
225 :
短パン :2006/06/12(月) 22:44:07
ちゃうわ。 アホか。
226 :
短パン :2006/06/12(月) 22:47:53
臭気は・・・・。 まぁ、いいけど・・・・。
227 :
純一 :2006/06/12(月) 22:51:21
>>225 >ちゃうわ。
いや、タイミングが良過ぎでしょう。
>>227 純一は短パンの中身も見当付けてたりするの?
229 :
純一 :2006/06/12(月) 22:54:36
>>228 >純一は短パンの中身も見当付けてたりするの?
うん、まあ、大体短パンに限らず、
限られた人物しか参加しないからね。
230 :
短パン :2006/06/12(月) 22:56:20
理屈を、昔に引き戻し。なんやか、やりていもであれば、 そりゃ。おすきなように、やればよかろうが?
>>229 哲板は狭いからの。純一助太刀部隊は4、5人だろうな。
自演でも通報はされるぞい
233 :
純一 :2006/06/12(月) 23:00:42
>>230 いや、言いたいことあるなら、
聞きますが、所謂あれでしょうか?
私がブログとかスレにて、社会学系を批判したことが
引き金なのかね?
>>231 大体の予想でしかありませんけども。
>>231 1週間前にその部隊は一人増員したわけですがね
どのスレにも馴染めない、私が
235 :
純一 :2006/06/12(月) 23:07:44
それとも、原因はあれかな・・・
236 :
短パン :2006/06/12(月) 23:15:44
君の書き込みが君が思うほどには、影響が無いように・・・・ そんな所だろうな?
237 :
純一 :2006/06/12(月) 23:20:02
>>236 >君の書き込みが君が思うほどには、影響が無いように・・・・
つまり、あれですな。
私の書き込みがこの板に与える影響がそれほどは大きくはない。
ということか、
それとも、私の書き込んだ内容を、
私が「行」っていないか、というところでしょうな。
ところで、その答えは、
やはり君自身が言ったように中途半端なんじゃないでしょうか?
いや、君自身が私と違う方法で、つまり、はっきりと断言せよ、
とはいいませんが、君自身が言ったことを君自身は行わないわけですから。
>>222 で、ですね…
(ちょっと気をつけとこう)
239 :
短パン :2006/06/12(月) 23:33:17
たった一人の味方が居ればよい。 にんげんなんてな、案外その位のもんかもしらん?よ
240 :
純一 :2006/06/12(月) 23:34:49
>>239 それは中途半端なんじゃないでしょうかね?
241 :
短パン :2006/06/12(月) 23:35:54
だから、その人を大切にしないと、自分の存在が危うくなったりしてさ。 違うもかもしれんけど・・・。
242 :
純一 :2006/06/12(月) 23:39:09
>>241 >だから、その人を大切にしないと、自分の存在が危うくなったりしてさ。
ああ、なるほどね。
ってことは、仲間への批判を庇う短パンということですね?
わかりました。
243 :
短パン :2006/06/12(月) 23:45:16
あっはっは・・・。 どう受け取ってくれても、こっちは一向に構わんぞ?「じゆん」
244 :
純一 :2006/06/12(月) 23:51:01
>>243 >どう受け取ってくれても、こっちは一向に構わんぞ?「じゆん」
わかりました。
ちなみに、仰るように、私はじゆんではありません。
信じられないのならば、ホストを見てください。
私とアクセスしている地域が違う筈です。では、
245 :
短パン :2006/06/13(火) 00:12:58
8レス縛りだ。 マジ、むかつく・・・・・。
246 :
短パン :2006/06/13(火) 00:14:31
ようし、キタコレ。 さて、純一? 言葉をはべれよ?
247 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 00:21:27
よぉ。。カタルシスタイムにするかい?
248 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 00:26:56
え、あ。そっちのほうか? 出すのは? うん、よいヨ ん、そいえばちょと重い。。。ポコ
順調に荒らしているようだね
250 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 09:48:26
断絶にこそ環境管理権力は侵入する。ことばの通じない不気味なものたちという外部を管理する方法論である。 アガンベンにしたがえばフーコー的生権力は近年の発明ではない。権力には規律管理の裏で働き続けていた。 それは人間と動物をひそかにわけ人間のみを規律管理しむきだしの生としての動物は隠されていたのだ。 現代、価値の多様、そして外部の消失のなかで規律管理は効力を失い、生管理が浮上する。 たとえばアガンベンはベンヤミンの暴力批判論を元に三つの法の暴力をあげる。 ひとつは法そのものに内在する法維持的暴力、二つ目が法なき外部に根拠なく法を立ち上げる原初の法借定的神話的暴力、 そして三つ目は内部と外部の交錯する領域にあらわれ、神話的暴力を脱借定化するものとして神的暴力とする。 それは純粋暴力と呼ばれ、法の機能しない生の領域である。そこでは責任は溶解し、ホロコーストさえ解釈不可能にするとデリダが尻込みした。 アガンベンはアウシュヴィツをそのようなむき出しの生の露呈と考える。そしてこのような収容所が全面化しているのである。
251 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 10:01:03
この神的暴力、純粋暴力がボクのいう純粋略奪と近いものであることがわかるだろう。 ただアカンベンのむき出しの生にしろ、ネグリのマルチチュードにしろが見失っているのはそれが大きな内部からの見方である点だ。 そこに断絶があるときどちらが内部かはどちらから見るかである。それを生とみるのは体制を内部とみるからであり、 純粋暴力でありえるのは生そのものでなく、断絶があることによる。これを見失うとむき出しの生、マルチチュードがどこかに生まれる理想的なものとなる。 むき出しの生、マルチチュードは大きな内部が見ているいままさここにある。 そして純粋略奪(暴力)の快楽を求め創発するのだ。すなわちそれはラカンの言葉でいえば享楽である。
252 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 10:09:43
断絶があり、一方は動物を管理するような環境管理を思考し、一方は動物を狩るように純粋略奪の快楽を味わう。 再度いうとこの透き通った内部ではこれは対立ではなく、断絶である。ただそれぞれが自分達の論理で行為しているだけだ。 キリンと無花果に同じ論理を求めるのに意味はない。 むしろこれらは共存してさえいる。対立をさけるところに始まる。それらは大きな内部でしかないからだ。断絶というバランスである。
253 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 10:51:20
だからどうだっていうの? お前の自己言及がききたいね。
254 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 11:00:36
■なぜ純粋略奪の快楽と環境管理は共存するのか 純粋暴力(アガンベン) アガンベンにしたがえばフーコー的「生権力」は近年の発明ではない。生権力には規律管理権力の 裏で働き続けていた。それは「人間」と「動物」をひそかにわけ人間のみを規律管理し「剥き出しの 生」としての動物は隠されていたのだ。しかし現代、価値の多様、そして「外部」の消失のなかで規律 管理は効力を失い、「生権力」が全面化した。 たとえばアガンベンはベンヤミンの暴力批判論を元に三つの法の暴力をあげる。ひとつは法そのも のに内在する「法維持的」暴力、二つ目が法なき外部に根拠なく法を立ち上げる原初の「法惜定 的」、「神話的暴力」、そして三つ目は内部と外部の交錯する領域にあらわれ、「神話的暴力」を脱惜 定化する「神的暴力」である。それは「純粋暴力」と呼ばれ、法の機能しない生の領域で、責任を溶 解するとデリダさえ尻込みした。アガンベンはアウシュヴィツをそのような「剥き出しの生」の露呈した 場、そこでは責任さえ溶解する場が開示されていると考える。そして現在このような「収容所」が社会 に全面化しているのである。
255 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 11:01:31
「剥き出しの生」は普通の人々 この「神的暴力(純粋暴力)」がボクのいう「純粋略奪」と近いものであることがわかるだろう。内部と 外部の「断絶」をまたいで行われる暴力。それは、木の実をもぎり取るような、ライオンがしまうまを おそうような略奪(暴力)であり、そこでは責任も正義も負債も溶解する。 ただアカンベンの「剥き出しの生」にしろ、ネグリの「マルチチュード」が見失っているのは、「断絶」が 大きな内部からの見方であるということだ。再度言えば、そこに「断絶」があるときどちらが内部かは どちらから見るかでしかない。それを「生」とみるのは「大きな内部」側からみるからである。これを見 失うために、「剥き出しの生」、「マルチチュード」がどこかに生まれる理想的なものとして語られる。 「剥き出しの生」、「マルチチュード」はいままさここにある。そして純粋略奪(暴力)の快楽を求め創 発している普通の人々である。すなわちそれはラカンの言葉でいえば「享楽」である。
256 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 11:05:46
さっきも聞いた。 相変わらずどうどうめぐりですな。
257 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 11:06:03
「断絶」という共存のバランス 「断絶」があり、一方は動物を管理するような「環境管理」を思考し、また一方は動物を狩るように 「純粋略奪の快楽」を味わう。再度いうとこの透き通った内部ではこれは対立ではなく、「断絶」であ る。ただそれぞれが自分達の論理で行為しているだけだ。キリンと無花果に同じ論理を求めるのに 意味はない。それらは大きな内部であり、それぞれの対立を回避するところにはじまっているのであ り、むしろこれらは「共存」しているのである。「断絶というバランス」のもとにある。 たとえばそれが顕著に表れつつあるのが、Googleの戦略である。Googleはある意味で「断絶」の向 こう側、「小さな内部」としてのネット住人の味方である。無償でさまざまな情報を提供し、純粋略奪 を支援さえする。ムラ社会の不安さをWeb2.0で補完し安定化する。彼らは物言わず「すべてが機械 によって行われているように」環境管理を駆使しサービスを提供する。倫理的な面がなおざりであ るという批判されることは、断絶の向こうのネット社会の論理も持つ故とも言える。またGoogleは資 本社会の一員であり、さまざまな企業の利潤のために動いている。だからそれがネット住人への裏 切りではなく、「断絶」とはそれぞれが「対立」をさけ、共存する関係でもある。環境管理権力とは「断 絶」にこそ巣くう権力である。 しかしGoogleが「Google八分」という情報操作を行い。環境管理による世界政府を作る野望をもちって いるとき、ムラ社会はそれに対抗する力となりえるのか。
258 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 11:12:49
「……別れてほしいの」 溜め息を吐くようにして、女はそう言った。 深夜の波止場。夏の終わりの海が、静かに夜空を映していた。 「……そうか」 俺は静かに言った。 女が『海を見たい』と言った時から、こうなる事は予想できていた。 俺はシャツのポケットから煙草を出し、火をつけた。ピースという、少々間の抜けた名の煙草だ。ゆっくりとその煙を吸い込んで、吸ったとき以上の時間をかけて吐き出した。 「そうか……って、それだけ? 答えになってないじゃない」 女の語調が強くなった。 俺は静かに答える。 「君のしたいようにすればいい」 「別れてもいいって言うのね?」 「それが、君の望みならば」 「っ……」 女にとって、この展開は予想しなかったことだったのだろう。言葉を失って、彼女は黙り込んだ。俺が引き留めるとでも考えていたに違いない。 彼女は、そういう女だった。 波の音もなく、街の喧騒もここまでは届かない。 ――静かな夜だった。ゆっくりと、動かしがたいほどの沈黙が落ちた。ジリジリと、ピースの焦げる音がやけに大きく響いた。 彼女はうつむいたきり、顔を上げなかった。その瞳に涙を見たような気がして、俺は仕方なく言葉を発した。 「腹が減ったな」 「え……?」 何をこんな時に。 ――そう言いたげに、女は俺を見た。 「どこかで軽く食事でもしないか? ……最後の晩餐というわけでもないが」 俺は言って、愛車ジャガーのキーを手に取った。 女が小さくうなずき、俺はジャガーに乗り込んだ。 少し遅れて、女が助手席に座る。この一年間、そこは彼女専用のシートだった。だが、それも今日までのことになるのだろうか――。
259 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 11:20:46
さらに本質的な問題は環境管理は防犯カメラやブログのセキュリティのレベルでだれもが行使する。 この共存は野性の世界に近いだろう。群れは外敵を警戒し、だれもがあらんかぎりに耳をそばたて監視しなければならない。 そして略奪が果実を津をもぎとるような行われる。自然においてはそこにバランスがある。
260 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 11:21:56
俺はエンジンをスタートさせ、ハンド・ブレーキを倒した。 「ねぇ、どこに行くの?」 女が訊いた。 「よしぎう」 俺は答えた。 「……は?」 「よしぎうさ。見映えは悪いが、なかなかの物を食わせる」 「よ、よしぎうって、いったい……?」 「ふっ、」 俺は微かに口元をゆがめた。 灰皿でピースを揉み消し、 「行けばわかる」 アクセルを踏み込んだ 。 吉野家。 オレンジ色の看板が煌煌と光るその店の前に、俺はジャガーを止めた。 「ここは……?」 「行くぞ」 女の問いかけには答えず、俺はジャガーを降りた。 「ちょ、ちょっと待ってよ。これ、もしかして牛丼屋?」 あわてて俺の後についてきた女が、驚いたように言った。 俺は振り返った。 「牛丼は食べたことがないのか?」 「そんな下品なもの、食べたことないわよ」 怒ったような、女の口調。 「下品とは心外だな……。牛丼には赤ワインが使われているんだぜ」 「ワインですって?」 「そうさ。ワイン通の君には、ぴったりの料理じゃないか」 「だからって……」
261 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 11:50:30
ウェブ進化論でしめされたビションとは断絶が共存する世界像である。
262 :
tar :2006/06/13(火) 12:02:16
はあ・・・。
263 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 12:05:11
こいつパチンコ屋がなかったら、どうするんだろう と思わせる奴がいるが、ここのヌシも同じだな。 それがブログやここの書き込み。 一生叩いてろよW
264 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 12:22:11
何と等価交換?
265 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 15:26:25
もう底は12000というのは共通認識となってしまいました。安心できる株投資の ためにも皆で明日から売りまくりましょう!
266 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 15:28:59
哲学板のスレ主が、哲学の理論や用語を、その意味を理解しないままに模倣したり、読者を煙に巻いたりしていることへの批判が起こった。 スレ主のこうした欺瞞を批判した最も著名な例としてぴかあ〜による純一アク禁事件がある。 ぴかぁ〜の駄文に用いた哲学らしきタームの羅列は、哲学数学者でなくとも初等教育を受けた2ちゃんねらーなら、それが出鱈目であることはすぐに見抜けるお粗末なものだったのである。
267 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 16:51:20
■純粋略奪の快楽と環境管理権力 互酬と交換 人は他者からなにかをもらうとそこに負債感が生まれます。たとえば子供は親に養ってもらうことで 負債感をもち、それが親子という秩序を作り出します。これは「互酬(贈与と返礼)」です。未開社会 のような小さな社会では対面的な関係が可能であり、互酬(贈与と返礼)が行われ、秩序は保たれ ていました。しかしより大きな社会ではより多くの見すらぬ人との関係をつくるために互酬は困難と なります。 その後封建社会などを経て、現在のようにお金を払って買うという「交換」が一般化します。交換に は、なぜそれはバックと1万円札が等価なのか。いかようにその価値は決まるのか。さらには1万円 札という紙がなぜにそのような価値を持つのか、という疑問があります。 そこにはみながそのように考えるだろうからという「信頼」しかありません。資本社会では交換が当た り前のように行われていますが、交換が成立するためには社会に「信頼」を支えるために法、道徳な どの規範という高度な秩序が必要であり、そのような秩序が一般化したのが近代以降なのです。
268 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 16:52:27
純粋略奪 これら互酬と交換は「内部」において成り立つものです。たとえば別の未開社会は「外部」であり、そ こでは「略奪」が行われます。それは資本社会でも同じです。原住民の植民地化という略奪が行わ れました。さらにいまでも行われているのは、自然からの略奪です。 デリダは、対面的な「贈与」に対して、「自然の恵み」を負債感をともなわない贈与、「純粋贈与」と呼 びました。しかしこれはまた「純粋略奪」だとも言えます。そして原住民からの略奪にもまた「純粋略 奪」と呼ぶことが出来るのではないでしょうか。インディアン、インカ帝国での虐殺は人間のサディス ティックな悪趣味さではなく、先住民を「外部」へ排除することで、野性の木の実をもぎりとるように負 債は働かない、自然(外部)からの略奪(贈与)=純粋略奪ではないでしょうか。
269 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 16:53:03
「生権力」という暴力 現在は「人間」の範囲は最大限に大きくなっています。ボクたちはどのような原住民でも人間であり、 平等であり、あやめることに負債感をもちます。そしてこのような「大きな内部」の中で、価値は多様 化し、「内部」の規律を一律に訓練すること(規律訓練型権力)が困難になっています。このような中 で、隠されていた人を動物のように扱う権力(「生権力)」が表出してきています。それは人間を「動 物(剥き出しの生)」として管理する方法です。 たとえばアガンベンはベンヤミンの「暴力批判論」を元に三つの法の暴力をあげました。ひとつは法 そのものに内在する「法維持的」暴力です。法に従うときその人の個性などは無視され、理想的な人 間の正しさをもとに「杓子定規に」行使されます。 二つ目が法なき外部に根拠なく法を立ち上げる原初の「法惜定的」、「神話的暴力」です。法はなぜ 正しいのかという根拠は、「1万円札という紙がなぜにそのような価値を持つのか」と同様にどこにも 正統な根拠はなく、「内部」の論理としてあります。だから法が「外部」に行使されるときに、それは 「内部」からの暴力です。これは内部と外部(人間/動物)と境界を想定し、原住民を排除するものと 同じ構造です。 そして三つ目は「内部」と「外部」の交錯する領域にあらわれ、二つ目の「神話的暴力」を脱惜定化す る「神的暴力」です。この領域では、「なぜ法は正しいのか」、「1万円札という紙がなぜにそのような 価値を持つのか」と疑問が浮上し、内部の価値を溶解します。たとえばライオンがシマウマを殺すと きに、それが善であるか悪であるかいえないのは、それは「人間内部」の外にあるからです。ここで は「責任」さえも溶解します。そして人を動物のように扱う権力(「生権力)」はこの領域で働くのです。
270 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 16:53:46
「純粋略奪の快楽」 ボクは、ネット上ではネット住人がムラ社会化し、資本社会の知的所有物を罪の意識なく略奪してい ることから、純粋略奪の構造はネット住人にも働いているのではないかと、考えました。ネット住人は ムラ社会化して「小さな内部」を作り、資本社会からの「神話的暴力」を「神的暴力」によって無効に する。すなわち木の実をもぎりとるように負債感なく、資本社会の財産を純粋略奪しているのです。 人を動物のように扱う権力(「生権力)」は大きな内部側からみた論理であり、小さな内部からは権力 側が外部であり、動物であるということになります。この互いに外部に排除しあう構造がボクがいう 「断絶」です。 たとえばネグリは「帝国/マルチチュード」で、外部のない大きな内部/小さな内部の構造を描きま した。「マルチチュード」を剥き出しの生的、動物的群れとして「帝国」の抵抗する理想的なものとして 描かれますが、それが結局誰なのか不明確です。「マルチチュード」が動物的であるのは大きな内 部から見た場合です。小さな内部では「人間」的、ムラ社会的な論理があり、それに従って行動する だけです。たとえば知的財産を略奪するネット住人にとって、コピーは文化であり、伝統でさえあります。 ではなぜネット住人がムラ社会化するのか。精神分析的にいえば、人は人であるためには必ず「外 部」を必要とします。外部が消失した大きな内部は閉塞であり、成員はムラ社会化することでなにか を排他し、「断絶」の向こうに「純粋略奪の快楽」を求めます。精神分析的にいえば、「断絶」とはファ ルスであり、「純粋略奪の快楽」とは享楽です。だから「マルチチュード」とは普通の人々が創発的に ムラ社会化する現象です。
271 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 16:54:22
「断絶による共存」 一方は人々を動物を管理するような「環境管理権力」を思考し、また一方では人々は動物を狩るよう に「純粋略奪の快楽」を味わう。透きとおった帝国と、透きとおったマルチチュード。再度いうとこれは 対立ではなく、「断絶」です。それぞれの論理でそれぞれの行動をする。そこに対立というコミュニ ケーションはありません。 これらは「対立」を回避するところにはじまっており、むしろ「断絶というバランス」という「共存」ともい えます。ネット住人が資本社会の知的財産物を略奪するのは資本社会を困らせるためではなく、自 分たちの文化を育てるためであり、また権力が規律訓練型から生権力型へ向かうのは、断絶する 成員との無駄な対立を避けるためです。
272 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 17:00:15
「ウェブ進化論」という環境管理権力の歓迎 それを顕著に表わしたのが、「ウェブ進化論」の未来像かもしれない。「ウェブ進化論」が社会に受け 入れられたのは「楽観的であるが」、「断絶による共存」を提示したためではないだろうか。今までは 資本社会の人はネットは悪の巣窟であり、金にならないという考えに対して、ネットには「善」の部分 があり、Googleなどはそれを有効に活用することで大きな利益をあげ、さらには社会的な地位を気 づいている姿である。 たとえばGoogleは「無償」でさまざまな情報を提供し、ネット住人の純粋略奪を支援さえする。さらに は、ムラ社会の不安さを「Web2.0」で補完し安定化する。そしてそれによって資本社会の一員として 利益を上げている。Googleが示したのが、いままでの大きな内部の論理で対立するのでなく、そこに 「断絶」があることを知り、「分かり合えないことをしること」柔軟な姿勢対応することである。そしてこ の思想のポイントは「すべてが機械によって行わることを目指す」ということです。 人の恣意を排除したサービス、それはまさに環境管理権力です。環境管理権力とは、東が「生権 力」を拡張する形で示したものです。実際に「Google八分」という問題が起こり、「知の再編成」、「世 界政府」というきな臭いことばが出ているにもかかわらず、Googleが受け入れられているのは、環境 管理権力指向によるものなのです。 さらに環境管理権力の本質は、Google/ネット住人という対立でなく、人々が監視しあうような関係 にあります。小さな内部が「外部」を想定することで内部でありえるとき、Googleが提供する技術に よって、小さな内部が環境管理権力が行使しているのです。
273 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 17:06:59
「何事も経験さ。……そう、入る前に一つだけ言っておくことがある」 俺は足を止め、右手の人差し指をピッと立てた。 「カウンターのお漬物は有料だぜ」 「お漬物なんて、いらないわよ……っ!」 「そうか。なら、いいがな」 俺は再び歩き出した。 が、ふと重要なことを思い出し、また足を止める。 「もう一つ、大事なことがあった」 ピッ、と人差し指。 「紅生姜は無料だ」 「……」 「聞こえたのか?」 「聞こえたわよっ! 私は漬物も紅生姜もいらないのっ!」 「そうか。なるべく牛丼の素朴な味をそのまま楽しもうというわけだな」 何をそんなにイラ立っているのかわからなかったが、俺はとりあえずそう言っておいた。 俺の考えとしては紅生姜があってこその牛丼だと思うのだが、この問題はひとまず置いておこう。 以前、この論争が原因で殴り合いの喧嘩になったことがある。 ちなみに、その前には卵論争で警察の厄介になったこともあった。 一人で三人を殴り倒してしまったのもマズかったが、取り調べに当たった警官が卵否定派だったのが最悪だった。 官憲には、カツ丼以外の味などわからないのに違いない。 『牛丼に卵だぁ? はっはっは』 そう笑われた日のことを、俺は忘れない。 権力をカサにきた犬め。真冬の拘置所で寒さに震えながら、俺はそのとき誓ったのだ。 『生涯、牛丼には卵を入れる』と。 「ちょっと、どうしたのよ。拳にぎってないで、早く行きなさいよ」 女の声で、俺は我に帰った。苦い過去の記憶に、少し我を失っていたようだ。 「いや、何でもない。じゃあ、行くぜ」 「はいはい」 やる気のなさそうな女の相槌を背に、俺は自動ドアの前に立った。
274 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 17:10:27
「いらっしゃいませ、こんばんはー」 威勢の良い店員の声が、俺達を迎えた。この声を聞くと、俺は我が家に帰ってきたような気分になる。 将来家庭を持つならば、こんな家庭にしたいものだ。 この店には、カウンター席だけでなくボックス席もある。が、そんな所に腰を下ろすのは俺のポリシーが許さない。 俺は黙ってカウンター席の一つに座った。男の席はカウンターと決まっているものだ。 床に固定されたイスに苦労して、女が隣に腰を下ろす。 素早くおひやが出てきて、店員の一人が訊いた。 「ご注文は?」 ニヤリと口元をゆがませて、俺は言った。 「トクモリ、ツユダク、ギョク」 心得た、といった調子で、若い店員が厨房に向かって注文を復唱する。注文を受けた店員から同じ言葉が返ってきて、俺は一人うなずいた。なかなか良い声だ。 「な、なに? 今、何て言ったの?」 異国の言葉をでも耳にしたかのような、女の反応だった。どうやらこの女、本当に素人らしい。 無事にこの店を出ることができるのだろうか。 「そちらは?」 店員が、女に向かって訊いた。 「え? えっと……」 女は、あわてたようにメニューを探した。 だが、カウンターにそんなものはない。 俺は、店内壁面に貼られたメニューを指差した。
275 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 17:17:40
数少ないそのメニューの中から、女は最もありきたりな選択をした。 「じゃあ、牛丼の並一つ」 「ナミいっちょぉーー」 「へい、ナミいっちょぉーー」 すかさず、店員たちから声が上がった。 「ついでにギョクだ」 俺は追加した。 「ギョクいっちょぉーー」 「へい、ギョクいっちょぉーー」 「ちょ、ちょっと待ってよ。それ、私の?」 と、女。 「遠慮するな。俺のおごりだ」 「遠慮も何も、ギョクって何なのよ」 「すぐわかる」 俺の言葉通り、間髪入れずにギョクが出てきた。 「生卵じゃない。まさか、これを……」 女の言葉に、俺はうなずいた。 「そう。牛丼にかけるのさ」 「冗談でしょ!? 私は普通に食べるわよ」 「まぁ、そう言わずに試してみろ」 「いやよ、気持ち悪い」 「……俺のギョクが食えないってのか?」 「そ、そんなスゴまないでよ。わかったわよ、入れればいいんでしょ、入れれば」 「よし。じゃあ、今のうちにかきまぜておけ」 「え?」 「え、じゃない。牛丼が来る前にギョクをかきまぜておけ、と言ってるんだ」 俺は割り箸を取って、素早くギョクをかきまぜた。 わずか十秒ほどでこの作業を終えると、ちょうどそのタイミングを見計らっていたかのように特盛りが出てきた。
276 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 17:22:55
今かきまぜたばかりのギョクを特盛りに投入し、更に電光石火の早技で紅生姜を加える。 ツユダクに生卵、紅生姜の汁が渾然一体となり、特盛り牛丼はさながらお粥のような状態になった。 「うっ……」 隣で、女がうめくような声を上げた。 「どうした?」 「それ……、食べるの? もしかして」 「そのつもりだが。……何か顔色が悪いな、大丈夫か?」 「ちょっと、気分が悪くて」 「そいつは良くないな。牛丼を食って元気を出すといい」 「え、ええ……」 「よし。俺はこれから食い始めるが、食ってる間は決して話しかけるな。気が散るからな」 言っておいて、俺は丼を手に取った。 左腕でえぐりこむように丼を抱え、右腕で正確なストロークを刻み始める。 三秒に一回のストロークが俺のペースだった。「貪り食う」という表現も、あながち外れてはいない。 「ねぇ、ちょっと……」 女が呼びかけたが、俺は答えなかった。三秒に一回のリズムは崩せない。 「私、気分が悪いんだけど」 うるさい女だ。三秒に一回、三秒に一回。 「聞いてるのっ?」 くそ、固い肉が入ってやがった。少しリズムが乱れたぞ。畜生。
277 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 17:23:25
人々が略奪しあい、監視しあう関係 さらにこれが対立でなく「断絶」であるという意味は、小さな内部が乱立しているように、「生権力」と は、単に大きな人民を管理する大きな権力が働くという意味だけでなく、人々自身が「生権力」を行 使するということです。だから「外部」を排除する「生権力」と「純粋略奪の快楽」は多くにおいて同一 のものなのです。 ここにあるのは小さな内部が略奪しあい、監視しあう関係です。アガンベンがいう「神的暴力」の領 域。「責任」が溶解し、ライオンがシマウマを殺すように、果実をもぎとるように、善であるか悪である かいえない略奪が行われる。だからこそ群れは外敵を警戒しあらんかぎりに監視能力を働かせる。
278 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 17:25:25
「私帰るわよ、もう」 なんてこった、紅生姜の塊を食っちまった。ちょっと鼻にきたぜ、これは。 「じゃあねっ! さようならっ!」 マズい、ペースをまちがえたか。肉が先になくなりそうだ。俺としたことがっ! いや、これはどうにか挽回できる失敗だ。 卵と紅生姜、この二つをうまく利用すれば。 ――よし、どうにかバランスを立て直すことができたようだ。ラストスパート! 「……ふぅ」 所用時間二分半。
279 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/13(火) 18:16:12
アガンベンのいう神的暴力の領域が口を開ける。
280 :
考える名無しさん :2006/06/13(火) 18:21:53
んがっ
281 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/14(水) 01:15:14
韓国勝ちましたね。それにしても日本のヘタレぶりはものすごかったですね。 日本人みんな凹んでしまいましたね。かなり用意周到なヒディングの作戦が あったようですね。メンバーチェンジも的中して。 それに対して、ジーコの小野起用の中途半端さはその後の日本の中途半端な対応に つながりました。 でもあそこで川口が飛び出さなければ、守りきって勝てていたかもしれない。 それは川口が悪いわけではなく、一つの「運」で負けて、疑心暗鬼の泥沼、 すべてを疑ってしまうことになる、怖さがあります。 こうなると自信をなくし何が正しいかわからない自己言及に沼にはまる。 正しさはどこにもないのに、ゲーテル的脱構築のジレンマですね。
282 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/14(水) 12:07:57
■なぜ「断絶」なのか? 「断絶」はどこにあるのか? 人は享楽を求める。享楽とは外部へ向けての負債感を持たない略奪であり「純粋略奪の快楽」である。 人は享楽することによってこの世界に対して「リアリティ」を持ち続けることができるのだ。 だから人類の歴史を語るときにどこに享楽する「外部」を見いだしていたか、すなわち(ファルスとして の)「断絶」を見いだしていたかを考えることが重要となるだろう。人類においていつの時代も基本となる 「外部」は「自然」である。ライオンがシマウマを殺すことに善悪がないのはそれが人間集団「内部」に対 するの「外部」で行われて言うことだからだ。人はいつの時代の「自然」を外部として純粋贈与(略奪)を 繰り返してきた。自然と「闘うこと」は享楽であり、人間の「リアリティ」を支える。それは現代でさえ変わらない。
283 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/14(水) 12:11:39
自然神という「断絶」 自然はあまりに強大であり、「外傷(トラウマ)的である」。多くの神話は自然の猛威について語ってい る。神とは擬人化された自然であり、「断絶(ファルス)」であった。神を外部(自然)との「断絶」として象 徴的な社会システムを作りだしてきたのだ。 人は「自然」をあたかも見えない遠くへおき、生存を確保することを目指してきた。それが「社会化」であ る。現在でもボクたちは自然のただ中にいるが、地震や台風などの災害以外で、あたかもないように生 きている。
284 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/14(水) 12:12:18
キリストという「断絶」 自然と見えないこととする中で、享楽(そしてファルス)をどこに見いだすかが問題となる。その大きな転 機が西洋では自然宗教からキリスト教への変更である。自然の擬人化として神から、人としてのキリス トへとファルスが変更されることの意味は、「外部」が自然から人間集団内部、すなわち「他者」へとうつ ることを示している。キリストの「隣人を愛せよ」とはキリストというファルスを介して、内部と外部の断絶 が存在することを示している。 アガンベは宗教、哲学などが「人類学機械」として作動し、人間集団内に「内部と外部(人間と動物)」の 境界を作りだしてきたいう。「人類学機械」としての作動はキリスト教以前からあり、人間と奴隷(動物) を作りだしてきたが、キリスト教の全面化がより人間内に断絶が見いだされた決定的な意味をもつだろ う。この外部の自然の排除は大きな意味をもつだろう。人間の過剰、すなわち人間はここに現れたとも いえるだろう。
285 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/14(水) 12:13:08
なぜ人を殺してはいけないのに人は殺されるのか たとえば人を殺すことの禁止は当たり前のようであるが、ここで隠されているのは「人間とは誰か」とい うことである。「断絶」とファルスの問題がある。「人間」を殺すことは一つの抑圧された去勢であり、人は 人を殺すことで負債感を背負う。 しかし歴史的に正統な殺人が耐えない事実は、そこに「人類学機械」が作動していることをしめす。正 統な殺人の多くは去勢の正統な解除によって起こる。殺される人々は外部の「剥き出しの生(動物)」な のである。そこではライオンはシマウマを殺すように負債感がない「純粋略奪」が作動するのだ。奴隷で あり、原住民であり、魔女狩りであり、彼らは内部から排除された「剥き出しの生(動物)」である。
286 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/14(水) 12:13:50
貨幣という「断絶」 現在は「人間」の範囲は最大限に大きくなっている。ボクたちはどのような原住民でも人間であり、平等 であり、あやめることに負債感をもつ。しかし最近まで優生学や、「人間の特性は生まれながらが、教育 か」という議論があったように最近の考えだ。現代の「人間」が生物学的分類、あるいは遺伝子的な差 異として証明されるとしても、これも一つの「人類学機械」の作動である。現にいまの遺伝子工学からの 優生学的な発言は終わらないし、現在のリベラリズムにおいても議論される問題である。 現代の「平等」は資本主義社会の産物であるといわれる。貨幣による資本主義社会が安定して作動す るためには、貨幣は誰にとっても「平等」が価値が保証されなければならない。しかしここにも「人間とは 誰か」が隠されている。資本主義社会の発展は、その外部の人々を植民地化し、奴隷化することで成り 立ってきた。ここでの「断絶(ファルス)」は貨幣であり、資本社会外部からの純粋略奪を快楽するのであ る。それは現代でも変わらないだろう。
287 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/14(水) 12:50:51
なぜ西洋は成功したのかという歴史上のミステリーがある。知識、文化でイスラム圏におとり、起点になったルネサンスでさえ、ギリシャ文化の資料はイスラム圏からもたらされたという。 とにかく西洋のいまの成功はルネサンスに求められる。そこでは中世のキリスト教中心からの人間回帰のリアリズムへの熱狂が起こった。
288 :
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ :2006/06/14(水) 13:33:17
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ (____人 ) (---◎-◎一 ヽミ| ( (_ _) 9) ( ε (∴ | 〜プ〜ン ヽ______/ /` ´\ / , \ 〈 〈 | ̄ ̄ | | ̄ ̄| \ \ (⌒,|.幼女.| | llll.| \ \||l ||__m__| |ヽ(ヨl| | l| |ヽ_ノ | |l| l|.| |l | / ,(__人__)、 \ スココココココココココココソ / / ヽ ヽ 〈 〈 〉 〉 \ \ / / (__) (__)
289 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 12:11:41
■なぜ人類は「断絶」を求めてきたのか? 「断絶(ファルス)」はどこにあるのか? 人は享楽を求める。享楽とは「外部」へ向けての負債感を持たない略奪(純粋略奪の快楽)である。人 は享楽することによってこの世界に対して「リアリティ」を持ち続けることができるのだ。だから人類の歴 史を語るときにどこに享楽する「外部」を見いだしていたか、すなわち「断絶(ファルス)」を見いだしてい たかを考えることが重要となるだろう。 「自然」という外部 人類においていつの時代も「外部」とは「自然」である。たとえばライオンがシマウマを殺すことに善悪が ないのは、人間集団(内部)の「外部」にあるからだ。人はいつの時代も「自然」を外部として純粋贈与 (略奪)を繰り返してきた。環境問題を出すまでもなく、それは現代でも変わらないだろう。 自然とはこの宇宙全体であり、空間であり、時間である。自然はボクたちにたえず予測できない偶然性 としての「外部」でありつづける。それ故に世界は「リアリティ」を持ち続けている。自然はあまりに強大 で、強力であり、外傷(トラウマ)的である。そのための多くの神話において、神とは擬人化された自然で あり、「断絶(ファルス)」であった。この「断絶」をもとに原始的な象徴的な社会システムは作り出されてきた。
290 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 12:12:38
キリストという「断絶」 社会化とは「自然」を人間集団内部から排除することである。それによって生存を確保することが目指さ れる。たとえば高度に社会化した現代のボクたちも自然のただ中にいるが、地震や台風などの大きな 災害以外では、自然の脅威を感じずに生きている。しかし社会から自然を排除しすぎると、「断絶(ファ ルス)」をどこに見いだすかが問題となる。 西洋において自然宗教からキリスト教への以降は、「断絶(ファルス)」が自然の擬人化として神から、 人としてのキリストへと移行したことを意味する。すなわち自然の脅威が緩和された社会において、「断 絶」が自然から人間集団の内部へ移動した。キリスト教はキリストを「断絶(ファルス)」として内部を形 成し、異宗教、民族を「外部」として略奪を行ったのだ。すなわち「他者」の出現、それはキリスト教の「隣 人を愛せ」に特徴的である。
291 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 12:13:14
なぜ人を殺してはいけないのに人は殺されるのか 「人を殺してはいけない」は当たり前のようであるが、ここで隠されているのは「人間とは誰か」ということ である。人は人を殺すことで負債感を背負う。それは内部において「人を殺していはいけない」と去勢さ れているからだ。 アガンベは宗教、哲学などが、人間集団内に「内部と外部(人間と動物)」の境界を作りだす「人類学機 械」として作動してきたという。奴隷、異民族を「外部」し、「動物」とすることで、人を殺すこと負債感は排 除される。 アガンベンはアウシュビッツで殺された人々を「ホモサケル(剥き出しの生)」と呼んだが、外部に排除さ れたものたちを、動物としての生(剥き出しの生)であり、殺すことは狩猟であり、「自然」から略奪(純粋 略奪)である。歴史上耐えることない理性的な集団による虐殺はこのように行われてきた。
292 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 12:14:02
ルネサンスという「自然」の再発見 なぜ西洋は成功したのかという歴史上のミステリーがある。知識、文化でイスラム圏におとり、起点に なったルネサンスでさえ、ギリシャ文化の資料はイスラム圏からもたらされたという。それでもとにかくル ネサンスは、中世のキリスト教中心から人間回帰のリアリズムへの熱狂として起こった。 宗教対立(断絶)の争乱もキリスト教の勝利に終わった中世末期に「外部」消失の閉塞が起こった。そし てルネサンスという熱狂はギリシャ文化への回帰による「外部としての自然」の再発見だったのではな いだろうか。 「自然」の再発見とは、「自然」の客観的観測という「数量化」による征服(略奪)である。中世における計 量、時間は日が昇ると起き、日が沈むと寝る程度のものであり、農作物などの計量には客観性が低 かった。ルネサンス以降、街に時計台が建設され、計量は客観性を持ち始める。 ダビンチは徹底に自然を観察した。それは人間しかりである。ルネサンスの「人間回帰」とは、「自然とし ての人間(身体)」の発見である。すなわち「人間としての心」と「自然(動物)としての身体」という人間内 の「断絶」、心身二元論である。デカルトのコギト、さらには機械論がこの流れにあることがわかる。 この熱狂は、科学革命、産業革命、相対性理論、情報化社会、さらには遺伝子工学へと現代において も継続されているのである。すなわち「自然」はいまもフロンティア(無垢)でありつづており、「数量化」は 継続している。ボクはこれを「機械論の欲望」と呼んだ。
293 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 12:15:03
貨幣という「断絶(ファルス)」 数量化の成功の大きな要因は、資本主義社会への移行を促したことである。時間、物理量の客観的数 量化は、貨幣交換の一般化に繋がる。さらに「自然としての身体」は労働時間という商品となる。 資本主義社会は、テクノロジーをベースにして、奴隷制、植民地化によって「人類学機械」を作動させな がら、「自然」から略奪し、貨幣として流通させることで成り立っている。数量化としての貨幣が「断絶 (ファルス)」と作動することで、資本主義社会という内部はなりたっている。そこには労働者という「自然 としての身体」の「外部」への疎外も含まれている。これがブルジョアジによるプロレタリアートの搾取である。 三種類の暴力 アガンベンはベンヤミンの「暴力批判論」を元に三つの法の暴力をあげた。ひとつは法そのものに内在 する「法を維持する暴力」である。法に従うときその人の個性などは無視され、理想的な人間の正しさを もとに「杓子定規に」行使される。これは心身二元の「心」側に「内部」の秩序を教育する暴力である。 二つ目が「外部」に法を立ち上げる原初の「法を惜定する暴力」(「神話的暴力」)である。法はなぜ正し いのかという根拠は、「1万円札という紙がなぜにそのような価値を持つのか」と同様にどこにも正統な 根拠はなく、「内部」の論理としてのみある。だから法が「外部」に行使されるとき、それは「内部」からの 暴力である。これは内部と外部(人間/動物)と境界を想定し、原住民を排除するものと同じ構造であ り、「断絶」の暴力である。
294 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 12:15:53
テクノロジーは「グレーゾーン」で作動する 三つ目は「内部」と「外部」の交錯する「グレーゾーン」にあらわれ、二つ目の「神話的暴力」を「脱惜定化 する暴力」(「神的暴力」)である。この「グレーゾーン」では、「なぜ法は正しいのか」、「1万円札という紙 がなぜにそのような価値を持つのか」という内部の価値は溶解する。たとえばライオンがシマウマを殺 すときに、それが善であるか悪であるかいえないのは、それは「人間内部」の外にあるからだ。ここでは「責任」さえも溶解する。 ルネサンス以後の「自然」の数量化(テクノロジー)、そして資本主義はこの「グレーゾーン」の近辺で作 動する。教会によるガリレオの幽閉、さらにはダーウィンの進化論の反響のように、数量化(テクノロ ジー)は旧来の価値(キリスト教)と衝突した。これは宗教的な価値を疑ったことであるが、現代において 人間倫理とテクノロジーは衝突している。なぜならテクノロジーは「グレーゾーン」近辺で作動し、「神的 暴力」によって、人間内部の価値(倫理)を解体するのである。 フーコーは近代の人間管理として、「規律訓練権力」と「生権力」を示した。「規律訓練権力」とは「心」に 社会内部の規律を内面化することであり、第一の暴力(法を維持する暴力)に対応するだろう。 そして「生権力」とは、テクノロジーの発展によって、人に気づかれないうちに動物を家畜するように管 理する。資本主義社会にとっての良好な労働力となるだろう「自然としての身体」を管理する。そして「グ レーゾーン」で作動する。
295 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 12:16:38
漠然として不安な社会 東はフーコーの権力論を拡張し、「ポストモダンの二重構造」として示した。価値が多様化したポストモ ダンにおいては、プロレタリアート/ブルジョアジーの単純な対立は解体され、規律訓練型が機能しなく なり、「心」の層は寛容で自由になる。 それにかわり「身体」の層を管理する「環境管理権力(広義の生権力)」が強化される。だたプロレタリ アート/ブルジョアジーの単純な対立は解体されているので、「ビックブラザー」によってでなく、誰もが 誰かを監視する社会を生む。 人々はこれを必ずしも拒否しない。たとえば有名なマクドナルドの例では、「店に長居をするな」、「うるさ くするな」と「心」に規律を押しつけられるよりも、椅子を固くすることで、気がつかないうちに店に長くい なくなる。あるいは監視カメラが知らない間に設置されている。あるいはブログにおいてマナーの悪いひ とに「ネチケットとは」と教育するよりも、黙って設定によって排除する。 このような状況は、人と人の繋がりとしての内部が解体しテクノロジーが全面化することで「グレーゾー ン」が浮上し、誰もが疑心暗鬼で、漠然として「不安」な社会である。
296 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 12:17:26
「歴史の終わり」 そして「外部」も不明確になり、「断絶(ファルス)」も見失われる。だから「断絶(ファルス)」を求めて、コ ギト(心身二元論)のパラドクスに陥る。 たとえば消費社会においては、労働者は積極的な消費者でもある。使用価値以上の商品を消費し享楽 するとき、自らの身体という自然を労働へと疎外し、それによって生産された商品を消費することで享楽 するという、「自らの尾を食い享楽する蛇」のパラドクスが生まれている。 このような姿は「歴史の終わり」と呼ばれる。もはや資本主義社会以上の社会形態は生まれないという ことである。だからワーカーホーリックであり、消費過剰であり、オタクやネット住人のような趣味への没 入であり、大きな内部内で自ら「断絶」を内製し、享楽する「終わりなき日常」を生きるしかないといういわれる。
297 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 12:21:17
「戦闘美少女」という「断絶」 たとえば斎藤環のオタクへの言及は、内製される「断絶(ファルス)」の文脈で読まれる。 われわれのさまざまな欲望の中で、性欲こそがもっとも虚構化に抵抗するものであるからだ。性欲は虚 構化によって破壊されず、したがって容易に虚構空間に移植することが出来る。 斎藤は、「戦闘美少女」とはオタクの「断絶(ファルス)」にあるという。そしてここで外部へ疎外している のは「自然」としての(自分の)性欲だろう。そしてそこでセクシュアリティを享楽(純粋略奪)するのである。 また現代の氾濫するセックス商品を見るとわかるように、セクシュアリティを享楽する傾向は現代社会に おいて一般的な傾向である。たとえば女子高生のミニスカートには同様に意味がみいいだせる。
298 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 12:22:02
ネットという広大な「未踏の自然」 ネットとは新たな「新大陸」と言われる。あたかもそこに「未踏の自然」があるように錯覚される。ネットの フロンティア(無垢)性は人々のコミュニケーションそのものが作りだしている。だから人々は、「未踏の 自然」を求めて、人々がより混み合うところを目指す。ムラ社会という「内部」と作ることで、断絶の向こう の「外部」作り出される。 たとえば祭りの対象、イラク人質、のま猫、VIPブログ、嫌韓などをファルス(断絶)のもと内部を作ること (祭りをする)ことで、それに反対する外部(イラン人質を擁護する、ネットを批判する知識人たち、ネット を商売の為にするあくどい企業たち、汚い韓国人など)が作り出される。すなわち自らが作り出す「未踏 の自然」を自らが享楽する。 またネットのフロンティア(無垢)性はテクノロジーが作りだしている。最近、「ウェブ進化論」が話題に なったが、ネットは「ゴミだめ」だという閉塞感に対して、その未来にはまだまた広大な「未踏の自然」が あることを語ったためだ。たとえば「Googleが人間の手を介さずに情報操作する人類知の再編を行う」と 行うというビジョンを示されたときに、「人間の手を介さない」とは人間の踏み込んでいない「未踏の自 然」のメタファーであり、「機械論の欲望」の回帰である。 これらの意味でも「外部」が消失し閉塞する社会において、疑似「外部」を生みつづけるネットは新天地 なのである。
299 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 12:22:41
「断絶(ファルス)」はどこに向かうか? ルネサンス以降のテクノロジー至上の資本主義は、いまも「自然」を略奪し拡大しつづけていることも事 実である。これは環境破壊とともに、下流あるいは、後進国の労働力という「自然としての身体」も略奪 し、経済格差を生んでいる。だからポスト資本主義の検討は継続されている。たとえばマルクスはいま も可能性があるというときに、享楽する「外部」はどこにみいいだされているのだろうか。
300 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 17:50:40
■社会と享楽 @未開社会 <自然との関係> 自然との闘争 <人間集団> 人間/自然 <断絶(ファルス)> 自然神(呪術師) <純粋略奪> 自然の恵み、他未開社会との闘争 @封建社会 <自然との関係> 自然の締め出し(解放)→キリスト教(内部の宗教党争) <人間集団> 人間(主人)/動物(異教徒) <断絶(ファルス)> イエス(王) <純粋略奪> 異教徒との闘争
301 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 17:51:10
Aルネサンス以後 <自然との関係> 自然の再発見(数量化、テクノロジー)→資本主義社会(分業、貨幣、工業化) <人間集団> 人間(拡大、平等、自由)/動物(積極的な自然の探求、異文化、植民地) <人間内 > 心(自己管理としての自意識)/身体(均質化し管理された労働力) <断絶(ファルス)> 貨幣、平等、自由 <純粋享楽> 自然(新大陸、異民族、身体(労働力) Bポストモダン <自然との関係> 消失、人間(主人)の拡大、人間/動物の境界が曖昧(「帝国」化)、不安 <人間集団> 人間(飽和、消費、、自由)/動物(経済格差) <人間内 > 心(規律の緩和、自由、暴走、不安)/身体(分離、環境管理) <断絶(ファルス)> 出世、消費、趣味 <純粋享楽> 消費、身体(セクシュアリティ)
302 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 17:52:20
Cネット社会 <自然との関係> 疑似自然の発見(デジタルテクノロジー) <人間集団> 人間(幻想化(小さな内部、祭り))/動物(幻想化(資本社会、嫌韓など)) <人間内 > 心(繋がり)/身体(分離、環境管理) <断絶(ファルス)> 祭りのネタ(のま猫、あびるゆう等) <純粋享楽> 小さな内部の外 現代の問題は、繋がりの希薄、疎外された身体による漠然としてた不安、監視社会。 継続される自然からの略奪による環境破壊、格差社会。 現実的な対策は、環境対策(効率化、デジタル化)。資本主義の自然からの略奪拡大を 疑似自然へ転換する。享楽も消費でなく、デジタルで処理する。 ネットの秩序のなさによるさまざまな問題。知的財産物の処理。
303 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/15(木) 17:52:53
Dマルスク的社会主義社会 <自然との関係> 調和 <人間集団> 人間社会(受苦的)/自然(動物)調和する <人間内 > 私有物の廃止、個人主義の解消による身体一元論 <断絶(ファルス)> 繋がり? <純粋享楽> 自然の恵み? 資本社会の根底的な問題は自然と対立することにある。対立すると高度な社会性をめざす。 分業、過剰、個人化へと向かう。トラウマ的自然といかに調和するか。調和したときに享楽を いかに解消するか。受苦的「我慢しなさい」に帰結することがマルクスの理想主義。
304 :
短パン :2006/06/16(金) 02:03:06
こちらが、読みふけるに値する、書き物となったでしょか? うまく出来た? だったら読むけどね?
305 :
純一 :2006/06/16(金) 02:04:23
>>304 >こちらが、読みふけるに値する、書き物となったでしょか?
いや〜、なってないと思うよ。
306 :
短パン :2006/06/16(金) 02:11:42
ま。こいつは才の在るひとだからな。。。。 (別に、純に才が無いとも思っていないし、その辺の事は、別口で パピコにゆくよん?OK?)
307 :
純一 :2006/06/16(金) 02:13:11
>>306 >ま。こいつは才の在るひとだからな。。。。
いや〜、無いでしょう。
理論を読んだ限りでは、ループが多いですよ。
308 :
短パン :2006/06/16(金) 02:17:50
・・つか、そういうキャプションで扱わないと、 こいつが、納得しないんだと。 そう思ったんだけどね?
309 :
純一 :2006/06/16(金) 02:18:40
>>308 >・・つか、そういうキャプションで扱わないと、
>こいつが、納得しないんだと。
なるへそ、わかりました。
310 :
短パン :2006/06/16(金) 02:21:12
・・・ま。本当の気持ちを言えば。 こいつが、例え誰であっても。そんな事知った事じゃない。 んだけど・・・。了解出来る?純?
311 :
純一 :2006/06/16(金) 02:22:32
>>310 >こいつが、例え誰であっても。そんな事知った事じゃない。
よくわかりませんが、
大体の予想はつきますね。
312 :
短パン :2006/06/16(金) 02:25:46
充分だよ? そんな感じで、よろよろよろすこ〜ですワン!
313 :
短パン :2006/06/16(金) 02:30:48
(本当言うと、こんなの別にどぅでもいいねん!)
314 :
短パン :2006/06/16(金) 02:33:18
よっしゃ。今。下に「般若=」のスレがあるから、ちと遊びにいくかぇ?
315 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/16(金) 15:14:44
■なぜ数字で呼ばれると不快なのか。 固有名という強い名付けと普通名という弱い名付け 住記ネットなど行政の管理がデジタルする中で国民総番号制へは強い反発があった番号制の不快 はなんだろうか。これは固有名の議論に繋がるだろう。 たとえば1万匹の「犬」がいて、そのうちの1匹を「ペロ」と名付けたときに、その犬は「ペロ」という たった1匹の犬になる。「固有名」は、対象に単独性(唯一性)を与える。単独性とは「内部」の成員 によって「内部」に強く帰属することの宣言である。 「普通名」も「名付け」の一種ではある。対象を「犬」という同一性へ還元し、名付ける。しかし普通名 は単独性を持たない。普通名は「1万匹の犬」というように反復される。固有名とは反復を持たない 強い名付けであり、普通名とは反復される弱い名付けであるといえる。 だから「あなたは56,739,035です。」と言われたとき、たった一人の「この私」という単独性は貶め られる。反復の中におかれた私は、56,739,036でありえたかもしれないし、233,145でありえた かも知れないという「偶有性」に開かれる。 たった一人の「この私」は、蟻の群の1匹のように、いなくなっても容易に代替がきく、私が私であるこ とはたまたまのことである。「この私」を愛してくれる家族や、友達にとって、他の誰かでもよかったの であると、「内部」への強い帰属が開かれてしまう。
316 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/16(金) 15:15:29
数字の力 普通名は対象を同一性へ還元する。そして反復される。複雑性の縮減である。たとえば1万匹の 「犬」は一匹ずつ違い、それぞれに個性がある。この1万匹の「犬」を認識するときにその個性を認識 できるだろうか。「ペロ」だけなら問題ないが、ボクたちにはそれだけの認識能力はない。だから「犬」 とう同一性に還元し、反復したもの1万回として、認識する。ここでは犬それぞれの個性は抑圧される。 ボクたちの限られた認知限界を有効に使うために、何の「個性」を優先し認識するか、という順位付 けによって、社会の「固有名」は決定されている。一番は人の名前だろう。「固有名」を名付けるとは 特権的な位置を与えるルールなのである。 逆言えば、「普通名」の名付けは弱い故に、情報処理しやすいという力を持つ。1匹だろうが、100 万匹だろうが、認識することが可能であり、還元(抑圧)することができる。反復は無限に開かれる。 無限の空間、無限の時間。それらを少ない情報に還元するのだ。
317 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/16(金) 15:16:11
機械論の欲望 ボクは、ルネサンスという熱狂は、数量化によるものだといった。数量化とはこの「同一性と反復」の 力の行使である。自然という外部の混沌を、数学、物理学などの数字の体系によって、少ない情報 量で記述し、そして伝達する。そして伝達は力の行使を人々にネットワーク的に分業し、「自然」は征 服されていくのである。 >> ルネサンスという熱狂はギリシャ文化への回帰による「外部としての自然」の再発見だったのではな いだろうか。・・・「自然」の再発見とは、「自然」の客観的観測という「数量化」による征服(略奪)であ る。 この熱狂は、科学革命、産業革命、相対性理論、情報化社会、さらには遺伝子工学へと現代におい ても継続されているのである。すなわち「自然」はいまもフロンティア(無垢)でありつづており、「数量 化」は継続している。ボクはこれを「機械論の欲望」と呼んだ。 <<
318 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/16(金) 15:16:58
貨幣の力
その中でもっとも強力な数字は「貨幣価値」である。「固有名」という内部への強い帰属から、普通名
と数字(反復)への弱い帰属、さらには貨幣などの数字は普通名さえも解体し、貨幣という一つの価
値の反復という少ない情報量へ還元される。そしてさまざまなものを資本ネットワークへ流し込む。
それは単なる数字でありながら、豊かさという物資を巻き込んでいく。そしてここではボクたち自身も
労働という商品として巻き込まれている。現代ではデジタル情報として、世界中に張り巡らされ、高
速で伝達され、「帝国」という巨大な資本制システムが形成されているのである。
>>
数量化の成功の大きな要因は、資本主義社会への移行を促したことである。時間、物理量の客観
的数量化は、貨幣交換の一般化に繋がる。さらに「自然としての身体」は労働時間という商品となる。
資本主義社会は、テクノロジーをベースにして、奴隷制、植民地化によって「人類学機械」を作動さ
せながら、「自然」から略奪し、貨幣として流通させることで成り立っている。数量化としての貨幣が
「断絶(ファルス)」と作動することで、資本主義社会という内部はなりたっている。そこには労働者と
いう「自然としての身体」の「外部」への疎外も含まれている。これがブルジョアジによるプロレタリ
アートの搾取である。
なぜ人類は「断絶」を求めてきたのか?
ttp://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060616 <<
319 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/16(金) 15:17:52
倫理が溶解する「グレーゾーン」 >> 固有名「ケンジ」(かけがえのない愛すべき家族) → 普通名(一人の)人(ほ乳類人科) → 貨幣800円/時給 << 固有名とは、内部への強い帰属であり、「私」の存在の意味、尊厳を保証する倫理である。数字へ の還元は、倫理を偶有性(外部)へと開き、解体する。このために科学の発展(自然の数量化)は倫 理と衝突しつづける。 逆にいえば、この偶有的な世界(外部)で人々は内部秩序を構造化し、それぞれの尊厳を保証し あっている。数字への還元は内部秩序を外部との「グレーゾーン」へ開いていく。
320 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/16(金) 15:18:41
「グレーゾーン」の全面化 ボクたちは数量化によって自然を征服することで熱狂する。しかしボクたち自身もまた自然なのであ る。ここに征服する私と征服される私の分離がおこる。内部の倫理的な「心」と「グレーゾーン」の自 然としての「身体」。これはデカルトの心身二元論ですでに表れている「己の尾を食い享楽する蛇」 パラドクスである。 心身のその境界は曖昧である。たとえば遺伝工学、認知科学、心理学などは自身の数量化は、 アーキテクチャー(管理技術)として心を数量化(身体化)して消費をコントロールする。このような形 で数量化の発展は「グレイゾーン」を全面化させている。 ここでも問題は、倫理を守らなければならないという単純なことではない。内部倫理とは歴史上の産 物である。その時代の内部に適応しいて作られている。「グレイゾーン」が全面化し、内部倫理が溶 解するとき、これからの「内部」はいかようにあるべきかという問題が浮上するのである。 たとえば最近のネオリベラルの台頭は「グレイゾーン」の全面化を背景しているだろう。強い内部秩 序を拘束と感じ、「自由、自己責任」を思考する。
321 :
考える名無しさん :2006/06/16(金) 17:19:07
そっかぁ 短パン来てたのかぁ。 覗いてみりゃ良かったな。
322 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/16(金) 23:52:54
■自然と人類 @自然崇拝の時代 未開社会 <自然との関係> 自然との闘争 <人間集団> 人間/自然 <断絶(ファルス)> 自然神(呪術師) <秩序(象徴的)> 互酬(贈与と返礼)、神のお告げ、掟 <純粋略奪(現実的)> 自然の恵み、他未開社会との闘争 A自然排除の時代 封建社会 <自然との関係> 自然の締め出し(解放)→キリスト教(内部の宗教党争) <人間集団> 人間(主人)/動物(異教徒) <断絶(ファルス)> イエス(王) <秩序(象徴的)> 再配分、宗教 <純粋略奪> 異教徒との闘争
323 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/16(金) 23:53:55
B自然開拓の時代 資本社会(ルネサンス以後) <自然との関係> 自然の再発見(数量化、テクノロジー)→資本主義社会(分業、貨幣、工業化) <人間集団> 人間(拡大、平等、自由)/動物(積極的な自然の探求、異文化、植民地) <人間内 > 心(自己管理としての自意識)/身体(均質化し管理された労働力) <断絶(ファルス)> 貨幣、平等、自由 <秩序(象徴的)> 法、道徳、資本システム <純粋享楽> 自然(新大陸、異民族、身体(労働力) 身体(均質化し管理された労働力)=ドゥルーズ「器官なき身体」 C自然破壊の時代 ポストモダン <自然との関係> 消失、人間(主人)の拡大、人間/動物の境界が曖昧(「帝国」化)、不安 <人間集団> 人間(飽和、消費、、自由)/動物(経済格差) <人間内 > 心(規律の緩和、自由、暴走、不安)/身体(分離、環境管理) <断絶(ファルス)> 出世、消費、趣味 <秩序(象徴的)> 法、(道徳)、資本システム、アーキテクチャ <純粋享楽> 消費、身体(セクシュアリティ)
324 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/16(金) 23:54:57
D疑似自然の時代 ネット社会 <自然との関係> 疑似自然の発見(デジタルテクノロジー) <人間集団> 人間(幻想化(小さな内部、祭り))/動物(幻想化(資本社会、嫌韓など)) <人間内 > 心(繋がり)/身体(分離、環境管理) <断絶(ファルス)> 祭りのネタ(のま猫、あびるゆう等) <秩序(象徴的)> (法、道徳、資本システム)アーキテクチャ <純粋享楽> 小さな内部の外 E自然協調の社会 マルスク的社会主義社会 <自然との関係> 調和 <人間集団> 人間社会(受苦的)/自然(動物)調和する <人間内 > 私有物の廃止、個人主義の解消による身体一元論 <断絶(ファルス)> 繋がり? <純粋享楽> 自然の恵み?
325 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/17(土) 00:05:14
疑似自然とは、 セクシュアリティ 創造性 他者(コミュニケーション) 身体(遺伝子、サイボーグなど) である。
326 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/17(土) 00:12:17
必要エネルギー消費の効率を向上させ、 欲望によるエネルギー消費を自然から疑似自然に転換する。 疑似自然とは人間が内製する無垢(フロンティア)である。 資本主義社会はそのエネルギーを自然から疑似自然へ転化できるだろうか。 疑似自然は人間という自然そのものを解体する。破壊的な方向へ向かわないだろか。
327 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/17(土) 00:14:39
自然を解体するテクノロジーから、自然を作り出す テクノロジーへ
328 :
考える名無しさん :2006/06/17(土) 00:15:48
なんでもかんでも無垢なんだな 馬鹿馬鹿しい
329 :
考える名無しさん :2006/06/17(土) 00:20:37
330 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/17(土) 00:41:10
疑似自然創造−資本主義 自然とは未知(無垢)であり、人類はそこに未知(無垢)があるから開拓してきた。資本主義はこの開 拓欲望を利用し、豊かさを実現する。しかしその裏で自然から略奪し続けて、環境破壊と格差社会 (人間身体も自然であり、奴隷、後進国など低賃金労働も自然からの略奪の一種である。) 疑似自然創造主義とは、自然という未知(無垢)の解体するを最小限にして、疑似未知(無垢)を創 造することをめざす。そして現在の資本主義的豊かさを継続するをめざす積極的なエコロジーである。 疑似自然とは、セクシュアリティ、創造性、他者(コミュニケーション)、身体(遺伝子、サイボーグな ど)である。オタク、ネット住人、ケータイは一種の疑似自然創造である。
331 :
考える名無しさん :2006/06/17(土) 00:46:38
昔のぴかぁ〜のほうが賢かったと思うのは俺だけか?
332 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/17(土) 01:18:48
太古から人間にとって自然はいつもトラウマ(外傷)的であった。 人類史とは人間内部の歴史として語られるが、 自然とどのような関係をとってきたかの歴史である。 多くにおいて人は自然を「空気」のようにないように隠蔽する。 このことが自然のトラウマ(外傷)性を示している。
333 :
短パン :2006/06/17(土) 23:19:36
ひとつ、教えてあげようか。 「ぴかぁ〜」は、俺に、嫉妬してんだ。 本当、面倒な事だ。
334 :
短パン :2006/06/17(土) 23:22:52
直に、俺とのコミュニケーションが取れないくせして、 ジェラシーだけは、「いっちょまえ。」 純一の方が素直だって、本当そう思うし、だから。好きだと感じながら 奴と、絡んでいるんだが、不服か?気に要らんかね?
335 :
短パン :2006/06/17(土) 23:25:48
人を扱っているんだと。思うたががはずれているのなら、 とっとと、去れ。 俺の書き込みなんぞ、どうにでも出来るだろうが? (なんかしらんが、甘えすぎだ。)
336 :
考える名無しさん :2006/06/18(日) 14:35:23
ハハァ ジャーゴンヲタのスレがあると聞いたのですがここのことですか。 短パンさんは、元お友達なのですか?
337 :
純一 :2006/06/18(日) 16:03:06
いえ、私のペンネームですよ〜
339 :
純一 :2006/06/18(日) 18:27:44
と、ぴかぁ〜は思っています。
ぴかぁ〜をなんとかしろよ。おまえがこっちで暴れるから来るんだろ。
342 :
純一 :2006/06/18(日) 20:16:52
>>340 >ぴかぁ〜をなんとかしろよ。
何かありましたか?
特に動きはないように思いますが。
343 :
純一 :2006/06/18(日) 20:19:08
>>340 >おまえがこっちで暴れるから来るんだろ。
どのスレに来たんですか?
ちなみに、私はアク禁申請されてるので、
こっちでは暴れてませんよ。自スレでやってます。
ぴかぁ〜のアク禁申請↓
>45 :1/6:2006/06/13(火) 00:14:37 ID:yAdBASx10
>名前:純一、短パン、考える名無しさん
>IDはありません。
>スレの趣旨に無関係な書き込みの連投によるスレ潰し(自演)
344 :
純一 :2006/06/18(日) 20:20:21
>>341 >45 :1/6:2006/06/13(火) 00:14:37 ID:yAdBASx10
>名前:純一、短パン、考える名無しさん
>IDはありません。
>スレの趣旨に無関係な書き込みの連投によるスレ潰し(自演)
とあるので、短パンも名無しも私の自演だと思っています。
純一まで来たら収集がつかなくなる
346 :
純一 :2006/06/18(日) 21:54:18
>>345 >純一まで来たら収集がつかなくなる
話が見えないんですが・・・
このスレのことですか?
それとも別のスレですか?
347 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/18(日) 23:20:29
社会のデータベース化は、「グレイゾーン」を全面化させる。 心身を二極化する。データベースに順応する身体は安定的に流通する。 心は抑圧される。
348 :
考える名無しさん :2006/06/19(月) 10:02:24
相変わらず自己言及がありませんね。 自分の立ち位置を明確にしたらどうですか。 WWW〜WW
349 :
考える名無しさん :2006/06/19(月) 22:34:53
>>346 ここは、ぴかという狂人が牛のヨダレのように無意味で無価値、無神経な
この場の“空気”を無視した言辞を垂れ流すので、意思の疎通が成り立た
たない。
ところで、純一君と狂ぴかはどんな関係なの? このスレで説明して。
ぴかは手癖が悪いんじゃないかと。純一はけっこう詳しい奴だから、 品物を解説してくれる、でも、どうこうするってことに興味ないかも。 ぴかはなんでも自分のものにしてるようにみえる、なんか、人のものと か自分のものってことに興味ないのかも。
351 :
考える名無しさん :2006/06/19(月) 22:41:18
>>346 ぴかという人物については何も知らないが、だれも読みそうにない
こんな長文を得々として書き込むなんて、本当にオツムのほうは、
だいじょうぶなの? いずれにせよ、君とはどんな因縁が?
352 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/19(月) 22:47:10
「史上もっとも幸福な社会」
353 :
純一 :2006/06/19(月) 23:08:28
354 :
考える名無しさん :2006/06/19(月) 23:13:13
笑いながら自慰にふける40歳くらいの男が浮かんでくるね。むろん、ぴ科の ことである。少々、うす気味が悪いね。まぁ、幸福には違いなかろうが。
355 :
純一 :2006/06/19(月) 23:13:50
クリックして繋がらなかったら、直接アドレスにコピーしてください。 ちなみに、私も連投規制が効きませんし、スレッド規制も効きません。
356 :
純一 :2006/06/19(月) 23:22:56
>>354 >笑いながら自慰にふける40歳くらいの男が浮かんでくるね。むろん、ぴ科の
>ことである。
私も彼の年齢については三十前後と予想していましたが、
下の資料を見る限りでは、
浮気がばれたときの哲学的な言い訳
http://makimo.to/2ch/mentai_philo/1006/1006343842.html >23 名前: 21じゃないが・・・ 01/11/21 23:20
>
>10代後半から20代前半?
>22歳ぐらいかな?頭はいいようだね。
>
>
> 35 名前: ぴかぁ〜 01/11/21 23:35
>
>正解です...
01年にて、22歳なので、
今は、27〜28歳ぐらいになりますね。
357 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/19(月) 23:23:16
幸福であることはなぜ後ろめいのか?
358 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 00:14:24
「幸福」の誕生
359 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 12:28:53
史上もっとも幸福な社会 あとなにを望むというのか
360 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 12:44:43
環境にやさしく、ということばに人間の自然へのトラウマ性は表れているのではないだろうか
361 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 13:18:34
すなわちやさしくすべき環境があるといことであり、 それはやさしくすべき環境にやさしくするということ以上はない。
362 :
考える名無しさん :2006/06/20(火) 13:28:23
わたしは環境に優しくペットボトルをリサイクルします。 それはリサイクルすることにより限りある資源の消費を防ぐため。 つまり、それによって将来予測される環境からの報復を恐れているからです。
363 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 13:35:57
■なぜ環境にやさしくするのか 環境にやさしく、ということばに人間の自然へのトラウマ性は表れているのではないだろうか。すなわち やさしくすべき環境があるといことであり、それはやさしくすべき環境にやさしくするということ以上はない。 では「やさしくすべき環境」とはなにか。人間の生活に関係する「自然」である。この「自然」は人間のみ が使うわけではなく、さまざまな生命と共有し、共存している。この「自然」の破壊は人間のみが生き残 ることができない。すなわち「やさしくすべき環境」とはそれが壊れると人間の生存が危ぶまれるような 「自然」であり、またコントロール可能であるような「自然」である。 そしてこの「やさしくすべき環境」は、「自然」そのものはこの空間、時間そのものとしてあり、人間の自然 への思いやりを遙かに越えた次元で、不確実なものとしてあるというトラウマ的事実を隠蔽している。
364 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 16:19:37
環境問題にはわからないことが多々ある。一番は地球の温暖化はほんとに人間活動によるのか 地球上の二酸化炭素の動きの多くは不明である。 また温暖化した場合になにが問題なのか、たしかに現状維持はできないだろうが 環境変化と人間の順応をかみするとどうなのか。人間はさまざまな環境に適応し生きてきたのである。 やはりその根底にあるのは漠然とした恐怖である。
365 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 16:24:35
環境にやさしくとは環境をコントロールしたい欲望である。 人間は太鼓には環境にひれ伏し崇め、文明化により、排除し、近代化で略奪さてきた。 そしていま調和の名のもとにより大きな環境をコントロールすることを望んでいる。
366 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 16:31:01
この関係性は人間身体という自然にも対応する。 太古は身体を敬い、文明化により奴隷として排除し、近代以降労働としてコントロールする。
367 :
考える名無しさん :2006/06/20(火) 16:31:44
そこでいう「トラウマ」がなくなることによって人間はどうなるというのか? 神にでもなるか?しかしそれこそ形而上学ではないか? もし我々が住まう地球が尽きることのない土壌を兼ね備えていたとしたら 生命の自然淘汰など必要なかったはずだ。 世に起こる不条理、もしくは個人に起こる不条理に意味を持たせようとする 人間的な営み(哲学)も生まれなかった。
368 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 17:31:21
>>367 自然へのトラウマがなくなることがなどないでしょう。この世界の偶然性そのもの自然なのですから。
ボクたちは日々、自然へのトラウマが克服したようにふるまっているが、自然と人間の関係で世界を
とらえないといけないということです。たとえば科学の発展そのものが自然へのトラウマから来てい
るのですから。
369 :
考える名無しさん :2006/06/20(火) 17:51:30
だとしたら 異常経験などによる精神の傷「トラウマ」という言葉を使うのはどうかと… もとからそこに在るものでしょ?異常経験ではない。 形而上学(絶対的理想郷存在肯定主義)が精神に根付いている人間にとってはそうかもしれないけど、 まあ少なくとも「自然は時として厳しいものだ」と意識できる人間にとってそれはトラウマでもなんでもない。
「だとしたら」はいらねぇか…
経験無くしてトラウマなど在り得ない。 それはだたの「不安」やその不安の過度から生まれた「絶望」だ。 まあ、揚げ足取りです。
372 :
純一 :2006/06/20(火) 20:55:11
どうも、議論に参加させていただきますね〜
373 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 20:56:51
374 :
純一 :2006/06/20(火) 20:57:28
>>366 >この関係性は人間身体という自然にも対応する。
>太古は身体を敬い、文明化により奴隷として排除し、近代以降労働としてコントロールする。
それは違うのではないでしょうかね。
私が思うに、それは近代的思考をそれ以前に
単純に当てはめているだけで、プレモダンの思考を
直接的に知る思考の形式ではないのですよ。
375 :
純一 :2006/06/20(火) 21:00:18
>>368 >自然へのトラウマがなくなることがなどないでしょう。この世界の偶然性そのもの自然なのですから。
>ボクたちは日々、自然へのトラウマが克服したようにふるまっているが、自然と人間の関係で世界を
>とらえないといけないということです。たとえば科学の発展そのものが自然へのトラウマから来てい
>るのですから。
それはないですね。
ラカンのファルスは文明の終局点としての<<空虚>>をゼロ記号として、
概念化したものに過ぎません。ぴかぁ〜の言ってるのは、それを
ゼロ的なファルス=トラウマとして見るという以外の何者でもないわけですね。
376 :
純一 :2006/06/20(火) 21:02:04
>>373 >トラウマは無意識的なものですよ。
それも間違いなのではないでしょうか?
たとえば、トラウマとはインプットされるものです。
ですから、出力には入力がなければならない。
即ち、無意識的なものではないわけですね。
377 :
純一 :2006/06/20(火) 21:03:46
>>371 >経験無くしてトラウマなど在り得ない。
と言っているように、インプットなしに
アウトプットはありえませんからね、
トラウマは無意識的なものではないということになり、
ぴかぁ〜は間違った主張をしていたことになるわけですな。
378 :
純一 :2006/06/20(火) 21:05:48
>>369 >形而上学(絶対的理想郷存在肯定主義)が精神に根付いている人間にとってはそうかもしれないけど、
>まあ少なくとも「自然は時として厳しいものだ」と意識できる人間にとってそれはトラウマでもなんでもない。
とも言っておられるように、それを無意識だと考えるのは、
思考として古いわけですよ。つまり、ぴかぁ〜だけが、
遅れたモダーン的な思考のチャンピォンだと認識しているだけなのです。
379 :
純一 :2006/06/20(火) 21:09:26
>>367 >そこでいう「トラウマ」がなくなることによって人間はどうなるというのか?
>神にでもなるか?しかしそれこそ形而上学ではないか?
>
>もし我々が住まう地球が尽きることのない土壌を兼ね備えていたとしたら
>生命の自然淘汰など必要なかったはずだ。
どうやらここからはシステム論のようですね。
土壌というのは、システムからすると環境です。
土壌が生命システムを育み、それが社会システムへと
直結しているのです。
380 :
純一 :2006/06/20(火) 21:12:18
>>365 >環境にやさしくとは環境をコントロールしたい欲望である。
>人間は太鼓には環境にひれ伏し崇め、文明化により、排除し、近代化で略奪さてきた。
>そしていま調和の名のもとにより大きな環境をコントロールすることを望んでいる。
やはり、時代は自然に有益なソーラーパワーであると思います。
ところで、太鼓とは何でしょうか?太鼓にひれ伏すことは稀であると
思われます。しかし、これが太古の間違いであるとするなら、
まず、その間違いを訂正しなければ、円滑な議論が阻まれるものと認識して
おります。
381 :
純一 :2006/06/20(火) 21:15:51
>>364 >環境問題にはわからないことが多々ある。一番は地球の温暖化はほんとに人間活動によるのか
>地球上の二酸化炭素の動きの多くは不明である。
>また温暖化した場合になにが問題なのか、たしかに現状維持はできないだろうが
>環境変化と人間の順応をかみするとどうなのか。人間はさまざまな環境に適応し生きてきたのである。
>やはりその根底にあるのは漠然とした恐怖である。
基礎知識の不足が原因ではないでしょうか。
地球の温暖化は温室効果ガスの影響が大きいのです。
地球では化石燃料が大量に燃やされ、その影響で、
温室効果ガスとして、地球全体が温暖化し、南極の氷が
氷解し、さらにツバルなどは国全体が浸水してしまいかねない。
これは成長途上の後進国もが大きな原因となっていますが、
京都議定書などもあり、温室効果ガスの削減の権利の売買が
今始まろうとしているわけです。抑制したガスを金で取引するわけです。
382 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 21:17:56
■なぜ環境にやさしくするのか 環境との調和という征服欲 「環境にやさしくしよう」という言葉に人間の自然へのトラウマ性は表れているのではないだろうか。 「環境にやさしくしよう」とは、そこに「やさしくすべき環境」があるといことであり、「やさしくすべき環 境」をやさしくしようということ以上の意味はない。この「やさしくすべき環境」とはなにか。人間の生 活に関係する「自然」である。この「自然」は人間のみが使うわけではなく、さまざまな生命と共有し、 共存している。この「自然」の破壊は人間のみが生き残ることができない。 すなわち「やさしくすべき環境」とはそれが壊れると人間の生存が危ぶまれるような「自然」であり、 またコントロール可能であるような「自然」である。「環境にやさしく」とは環境をコントロールしたい欲 望である。人間は太古には環境にひれ伏し崇め、文明化により排除し、近代化で略奪してきた。現 代、「調和」の名のもとに、コントロールすることを望んでいる。
383 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 21:18:27
環境というトラウマ的恐怖 環境問題にはわからないことが多々ある。一番は地球の温暖化はほんとに人間活動によるのか。 地球上の二酸化炭素の動きの多くは不明である。また温暖化した場合になにが問題なのか、たしか に現状維持はできないだろうが、環境変化と人間の順応をかみするとどうなのか。人間はさまざま な環境に適応し生きてきたのである。 「環境にやさしくしよう」と叫ぶときにあるのは、漠然とした恐怖である。もはや「自然」は日常生活か ら隔絶され、資源として略奪する都合の良いシモベとなりさがったと思っているつもりでも、「自然」と はこの空間、時間そのものとしてあり、人間の「自然への思いやり」を遙かに越えた次元で、不確実 なものとして到来するというトラウマ的事実を無意識に隠蔽されているのである。
384 :
純一 :2006/06/20(火) 21:18:38
>>363 >そしてこの「やさしくすべき環境」は、「自然」そのものはこの空間、時間そのものとしてあり、人間の自然
>への思いやりを遙かに越えた次元で、不確実なものとしてあるというトラウマ的事実を隠蔽している。
自然というのは、山とか川とか海とかですが、
自然というのは、そういうレジャーに行けばあるものです。
そこには別に恐怖はありません。紅葉も美しいものですからね。
そういうものに恐怖する人間というのは、所謂人工物(パソコンとかね)
しか相手にしてこなったからでしょう。虫などを子供が恐れるのは、
自然どうこうの問題ではないことは明白ですからね。もっと自然に
触れられたらどうですか。
385 :
純一 :2006/06/20(火) 21:20:55
>>362 >わたしは環境に優しくペットボトルをリサイクルします。
>それはリサイクルすることにより限りある資源の消費を防ぐため。
>つまり、それによって将来予測される環境からの報復を恐れているからです。
私もやっています。
キャップを外して、ビニールの外装を剥がし、
縮小して、リサイクルに出すのです。私の周りでは、
公共の施設に置いたままにする人が居るので、時々、
持って帰って、洗浄して、リサイクルに出すことで、
環境に貢献しています。
386 :
短パン :2006/06/20(火) 21:21:10
違うと思う。 そんで、それを、そんなツッコミを待ち続けているような、そんなうんこがまた一人・・・。 そして今日も一人、明日も一人・・・♪
387 :
短パン :2006/06/20(火) 21:22:14
出て行け!と、いったはずだ。
388 :
純一 :2006/06/20(火) 21:25:00
389 :
純一 :2006/06/20(火) 21:25:58
>>386 >そんで、それを、そんなツッコミを待ち続けているような、そんなうんこがまた一人・・・。
どなたのことですか?
私のことでしょうかね?
390 :
純一 :2006/06/20(火) 21:27:28
>>387 >出て行け!と、いったはずだ。
どうも、お久し振りですね。
ところで、出て行け!とはもしや、
私のことなのでしょうか?
お答えください、短パン。
391 :
純一 :2006/06/20(火) 21:30:18
>>388 >そうです、isedからそのまま持ってきたではないか?
つまり、私が思うにこれも、
いつもの手癖の悪さが出た結果ではないかな?
と思うんです。もちろん、名前だけ変えりゃなんとかなる、
というその浅ましい魂胆も私には理解できます。しかし、
それは基本的にやってはいけないことではないかな?と
思うこともまた事実なのです。認識してください。
392 :
考える名無しさん :2006/06/20(火) 21:31:08
なんの話?環境か。 まわりを感じるなんてまあ自意識過剰ですね。動物ならそんなことないでしょうに。 住みよい環境をもとめて移動し巣づくりすんじゃね?
393 :
短パン :2006/06/20(火) 21:32:10
・・・こっちも、トリップ使わないタイプなんで、実を言うとあんまり強くは 言えないぜぃ!・・・しかし、君は、純一本人なんだろうかな? ・・・「その、答え如何によっては、そっちの答えも違うって訳だな?」 ん?そりゃそうだ。全然異なるな?
394 :
短パン :2006/06/20(火) 21:35:07
・・・っつか。 なんで、ぴかのスレ(又は、ぴかとか言うのが、幅を効かせてるスレッドで。) 「純一」おまえを、叩かねばならんのだろうか・・・よ? おまえも、少しおかしいぜ?
395 :
考える名無しさん :2006/06/20(火) 21:35:23
で、環境を意識下に常におけるかっていうと人間は安穏として忘れたわけ。 人工物で厚く鎧ったからね。それは自然、ひいては本能からの隔絶であって 不連続の発現なわけでしょ!
396 :
純一 :2006/06/20(火) 21:37:18
>>393 >・・・しかし、君は、純一本人なんだろうかな?
はい、本人ですよ、一応。
397 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 21:38:00
>>392 >動物ならそんなことないでしょうに。
だからこそ「トラウマ」という言葉でカムフラージュしてんだよ。
「トラウマ」って言葉使わなかったらまったく古典的になっちまう。
399 :
純一 :2006/06/20(火) 21:39:02
>>394 >なんで、ぴかのスレ(又は、ぴかとか言うのが、幅を効かせてるスレッドで。)
>「純一」おまえを、叩かねばならんのだろうか・・・よ?
>おまえも、少しおかしいぜ?
すいませんが、意味が不明確であると思います。
つまり、短パンが純一を叩かねばならないと嘆いているのか、
それとも、私、純一が叩いているのを嘆いているのかが、
わかりません。
400 :
考える名無しさん :2006/06/20(火) 21:40:22
そして集合意識なんだけど。人間の種(しゅ)としての意識が自然に向いてないの。 そこはグレーゾーン。まだ意識下で白黒つかない領域なわけ。まわりを未来を見越して 手を付けたのは人間がはじめてなんだからね!
401 :
純一 :2006/06/20(火) 21:40:59
>>398 >だからこそ「トラウマ」という言葉でカムフラージュしてんだよ。
>「トラウマ」って言葉使わなかったらまったく古典的になっちまう。
いや、本当にそうですよね。
古典的な理論を隠す為にトラウマなるジャーゴンが
持ち出されている。挙句の果てはisedからの盗用となると、
理論家としての倫理を疑わざるを得ないことばかりですね。
402 :
純一 :2006/06/20(火) 21:42:24
>>397 >だからトラウマ的
失礼ですが、説明になっていないかと。
403 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 21:44:39
>>400 集合意識などという神秘主義ではないよ。
トラウマ的とは、子供が雷が怖い、水が怖いというレベルで良いのです。
はじめに外部としてあるということ。ボクたちはそのような外部に
産み落とされたということです。
問題点がみえないので、このあたりまでで。
404 :
純一 :2006/06/20(火) 21:44:54
>>400 >そして集合意識なんだけど。人間の種(しゅ)としての意識が自然に向いてないの。
>そこはグレーゾーン。まだ意識下で白黒つかない領域なわけ。まわりを未来を見越して
>手を付けたのは人間がはじめてなんだからね!
話が急ですね。環境の話とどういった繋がりがあるのかよくわかりませんが、
自然とは集合的無意識の繋がりが、つまり、ぴかぁ〜との話との連続性は
無きに等しいでしょう。考察としてはたしかに、動物なら、環境の移動で
済むところですが、ぴかぁ〜の場合はそれがわからないようですね。
405 :
短パン :2006/06/20(火) 21:46:16
ある人に宛てた手紙と、仕事の中でプレゼンする時の、下地に書いてみた言葉を、比べてみろて。 そんなん、同じにいかないし、同じなわけもないっちゅう。。。。ま。そんなわけだ。 ・・・んじゃ、ちと。今でも引っかかっていて、上手く整理出来てない事、投げちゃう♪ 「恥」と「罪」の差異を教えて欲しいです。 以前。何処かの誰かが、その視点から、ものを書き残したそうですが、 あたしにとっては、『・・・こんなもの。。。リアルじゃないからクソ!』でした。 もっと、ずっと、解り易いくせに。本質ついてくれちゃうような「答え」が、在る様な気がして、 旅に出ようか。。。。?あっ。そうぃうのは、現在の環境が許してくれないので、 ごまんなさい。 狭い場所かもしれませんが、いいのがないかなぁ〜。なんて、軽い気持ちでロケンロール♪ では。諸先輩方、よろしくお願い致します。
406 :
純一 :2006/06/20(火) 21:46:49
>>403 >トラウマ的とは、子供が雷が怖い、水が怖いというレベルで良いのです。
>はじめに外部としてあるということ。ボクたちはそのような外部に
>産み落とされたということです。
なるほど、つまり、ぴかぁ〜にとっては、
外部の世界(=自然)は恐怖だということですね、
ですから、内部に閉じこもるということですね。
しかし、これは個人的な内面的意識をわざわざ理論にしている
だけなのではないでしょうか?と思うのですがね。
407 :
純一 :2006/06/20(火) 21:49:04
>>405 >「恥」と「罪」の差異を教えて欲しいです。
いいでしょう。
恥というのは、日本の由来ですね。
菊と刀を読んでください。罪とは聖書を読めば
分かるでしょう。そういう外国と国内の理論なのです。
基礎的に倫理を学習するカリキュラムがないので、
そういう基礎的な知識も学ぶ機会がないというのは、
非常に残念なことですね。
408 :
純一 :2006/06/20(火) 21:50:33
>>405 ところで、
>>399 の私の質問には
未だ無回答であると思いますので、
回答をよろしくお願いします。これは、
議論者としての人間性にかかっていますが、
貴方が卑しい議論者(=ぴかぁ〜)ではないことを
お祈りしておりますよ。
409 :
純一 :2006/06/20(火) 21:54:12
>>405 >あたしにとっては、『・・・こんなもの。。。リアルじゃないからクソ!』でした。
>もっと、ずっと、解り易いくせに。本質ついてくれちゃうような「答え」が、在る様な気がして、
>旅に出ようか。。。。?あっ。そうぃうのは、現在の環境が許してくれないので、
>ごまんなさい。
>狭い場所かもしれませんが、いいのがないかなぁ〜。なんて、軽い気持ちでロケンロール♪
>では。諸先輩方、よろしくお願い致します。
随分と音楽に素養のある方ですね。
私もリアルなHIPHOPに関しては確かに私のブログの最新記事を
書いた時と同様、貴方と同意見かもしれませんね。
ところで、ロックに関しての言及ですが、私はyou the rockとかは
まだ聴いたことがないのです。お勧めであれば、そう言っていただきたい
ものですが、ロックということになると、school of the rockくらいしか
頭に思い浮かびませんけどね、ラルクとかは好きですよ。
>>394 けっ、敵が一人でも二人でも関係ないじゃないか?
多いほうが燃える。
411 :
純一 :2006/06/20(火) 21:57:55
>>405 >あたしにとっては、『・・・こんなもの。。。リアルじゃないからクソ!』でした。
ですから、短パンがこう言うのも頷けます。
たしかにジブラに言わせれば、kjは
>U LUV HIPHOP?だがHIPHOP DON'T LUV U
というのも当然です。
これはハイデガーも言ってることですから、
詩、つまりライムはおまえの方を向かねえぞ
ということですね。
412 :
純一 :2006/06/20(火) 22:03:36
>>405 >あたしにとっては、『・・・こんなもの。。。リアルじゃないからクソ!』でした。
kgはこうも言います、
>まずはリアルなやつらは手叩け
>clap clap clap clap clap clap....
最近はSEAMOが活躍してきましたね。
413 :
純一 :2006/06/20(火) 22:05:01
>>410 >けっ、敵が一人でも二人でも関係ないじゃないか?
>多いほうが燃える。
なるほど、意味がわかりました。
短パンはもうちょっとハッキリ言ってくれると、
わかりやすいのですが・・・
414 :
考える名無しさん :2006/06/20(火) 22:08:11
そだね。シーモネーターで裸でラップしてた頃とは違う売り方だ。 環境ね。で、自分で巣なり自スレなり住みやすくしちまえ、 居座っちゃえてのがカスタマイズ。カスタマイズなんですよ。 罪と罰の違いについては沈黙をせざるをえない。むーん。
415 :
純一 :2006/06/20(火) 22:12:18
416 :
短パン :2006/06/20(火) 22:13:30
・・・なんだか、ここは「早計に決議しては、勝手に殻に篭ってしまうんだよなぁ?」 正直言って。「8レス縛り」は辛いんです。例えばこんな風に誰かが、事柄を引き伸ばしてくれて、 んで、「こっちだって言いたい事アリアリだじぇ〜!」なんて時は、特にそんな感情を禁じ得ないんです。 (本来は、自治スレッド用だったかもしれないけどね?) ここが、どうしても、「名無し」を保持するのであれば、私は、あえて「ID制」の容認に至る程です。 (本意とは、言い難いものですが。) さて、哲学板の諸氏達のご意見を、伺いたい所です。
417 :
純一 :2006/06/20(火) 22:14:22
シーモネーター、なかなか良いね。
418 :
考える名無しさん :2006/06/20(火) 22:16:00
トラウマ?があぉうとひひーん? 根源にちかいとこに囚われの杭が打ち込まれたの?なんでー? 単に囚われでいいんじゃまいか。トラウマまでいかないよ。強迫観念ね。水道よし火の元よし。 水漏れしないように火事しないように気を配るのは実は 人間だけ。動物?ありえなーい。 未来を予見してばかりいるから囚われるの。不安感ばかりがつのるの。その予知能力いらね?
419 :
短パン :2006/06/20(火) 22:17:56
純一へ。 こっちが、例えばここに「流れ」を、感じてしまって。んで、その次に動くべく何かがあるとするのならば。 例えば。。。こんな、やり方で、ここに居る人を絡もうとするんだと、そう思うす・・・・。 ・・・俺の方が、てんで、おかしいや。。。。いや、ほんと。。。。
420 :
短パン :2006/06/20(火) 22:20:39
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あきらめたかな? それじゃ、またどこかで茶を濁しますよノシ。 ま、ま。元気でやっててくだされ。 でわ、でわ。出羽の海〜♪
421 :
純一 :2006/06/20(火) 22:21:40
>>419 >こっちが、例えばここに「流れ」を、感じてしまって。んで、その次に動くべく何かがあるとするのならば。
>例えば。。。こんな、やり方で、ここに居る人を絡もうとするんだと、そう思うす・・・・。
>・・・俺の方が、てんで、おかしいや。。。。いや、ほんと。。。。
流れですか、よくわかりませんが、
もう少し要領の得る文を書いてもらえないでしょうか。
大部分が判読不能なのです。
しかし、その上で意味を考えてみますと、
絡むという点が重要かと、というのも、
どっちが絡むかという点も考慮しないと
片側だけが絡んだというのは如何にも不公平では
ないでしょうか?
422 :
考える名無しさん :2006/06/20(火) 22:22:54
そこでコンテクストサーファーですよ。読み替えると 「コントで乗り切れ!」っす。あらかじめレスを見越してから突っ込む。なんでやねん! ボケてもないのに突っ込むのさ。それはね、予見の能力を多分に発揮させなきゃならん。 だから掲示板なんてのは化かし合いなんでしょ。ばけらった☆
423 :
純一 :2006/06/20(火) 22:23:30
>>420 >でわ、でわ。出羽の海〜♪
何というか、韮炒め〜と言って去った
名無しを思い出しました。そして、
そこから来る確信、ああやっぱあの名無しは、
短パンの自演だったのかという当たり前の正解が
今ここに訪れただけのことですが。
424 :
純一 :2006/06/20(火) 22:28:18
>>422 >そこでコンテクストサーファーですよ。読み替えると
>「コントで乗り切れ!」っす。
ほほーう、そんな読み方があったんですね〜
425 :
短パン :2006/06/20(火) 22:31:07
解った、わかった。わかりますた! (しかし、このスレ自体が8レス縛りで書き込み出来ないかもしれんです。) ・・・いや。逃げるんですあたしは。 「なぜか?」と、問われますと、『それがヒーローなんだから!』 とか、言っておきます。 ・・・人の憂さ。それの総てを受け負って、生きてしまうと、本当。大変な事になりますもんよぅ・・・?
426 :
短パン :2006/06/20(火) 22:33:09
俺とて、君とて、実を言うと「受け切っているふり」してる、存在なんだと、思っているですが? 不服かなぁ〜〜〜〜?
427 :
純一 :2006/06/20(火) 22:33:52
428 :
純一 :2006/06/20(火) 22:35:30
>>426 >俺とて、君とて、実を言うと「受け切っているふり」してる、存在なんだと、思っているですが?
>
>不服かなぁ〜〜〜〜?
よくわかりませんが、短パンの場合、
その分かりにくい語彙が受け取りを自ずから拒否している
システムになっていると思いますがね。
429 :
考える名無しさん :2006/06/20(火) 22:36:34
ふふふ。受けきってるねえ。ある意味さうでしょうよ。 ヒーローの活躍は三分間が限度だすものねえ。 わたくしめもヒーローになるべく去りますくゎ。でわジュワッチ!
430 :
純一 :2006/06/20(火) 22:37:36
>>429 >ふふふ。受けきってるねえ。ある意味さうでしょうよ。
>ヒーローの活躍は三分間が限度だすものねえ。
>わたくしめもヒーローになるべく去りますくゎ。でわジュワッチ!
去るんですか?
お疲れ様です。
431 :
純一 :2006/06/20(火) 22:46:01
ちなみに、名古屋なんだよね、 この人。
432 :
考える名無しさん :2006/06/20(火) 22:46:43
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。 当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。 いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。 それをばあちゃんに見せては 「ここでモンスターが出るんだよ」 「ここに止まったら三回休み〜」 ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。 それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。 やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ 家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、 「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。 先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。 遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。 開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。 モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか 妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。 最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に 「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」 人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。 ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。
433 :
純一 :2006/06/20(火) 22:51:49
>>432 >人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
>ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。
良い話ですね。
私の祖父母ももう居ませんが、核家族であったので、
あまり会ってもいませんでしたから、感慨はありませんでした
けども。
434 :
短パン :2006/06/20(火) 22:57:13
俺もwww M73星雲辺りでいいか・・・・。 っじゃノシ。
435 :
純一 :2006/06/20(火) 23:00:26
>>434 >っじゃノシ。
もう何となく中身は読めてますが・・・
では、将軍閣下。
436 :
短パン :2006/06/20(火) 23:00:53
〜〜〜〜うぅ。っつかよぅ! おい!哲学板の自治房! 8レス縛りに基準は一体何なんだ!!!!! (なんで、こんなんばっかり書き込みしている事になってしまうのか・・・) 別に、いいけど、説明しろ!運営も含んで、どういう基準でやってんだよ? 誤解招きやすいうえにこれじゃ、、、、もぅ。。。。。アホか。
437 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 23:42:15
■なぜ環境問題は闘争なのか 環境への漠然とした恐怖 環境問題にはわからないことが多々ある。一番は地球の温暖化はほんとに人間活動によるのか、 ということ。これはまだ証明されていない。地球上の二酸化炭素の多くの動きはいまだ不明である。 また温暖化した場合になにが問題なのか、たしかに現状維持はできないだろうが、環境変化と人間 の順応を加味するとどうなのか。人間はさまざまな環境に適応し生きてきたのである。その根底に あるのは漠然とした恐怖である。
438 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 23:42:50
環境をコントロールしたい欲望 「環境にやさしくしよう」とは、そこに「やさしくすべき環境」があるといことであり、「やさしくすべき環 境」をやさしくしようということ以上の意味はない。この「やさしくすべき環境」とはなにか。人間の生 活に関係する「自然」である。この「自然」は人間のみが使うわけではなく、さまざまな生命と共有し、 共存している。この「自然」の破壊は人間のみが生き残ることができない。 「やさしくすべき環境」とはそれが壊れると人間の生存が危ぶまれるような「自然」であり、またコント ロール可能であるような「自然」である。「環境にやさしく」とは環境をコントロールしたい欲望である。
439 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/20(火) 23:45:58
環境問題という闘争 環境と人間とはそのはじめから闘争としてある。たとえばマルクスが目指したようにマクロ的に一動 物としての生命連鎖としての人間のあり方があったとしても、動物そのものは環境と闘争しているこ とことにはかわりがないのであり、それが終わることがない。 人間の歴史のほとんどは太古から環境にひれ伏し、神聖化し崇めてきた。その後、文明化により内 部から排除し、近代化で日常生活から隔絶され、資源として略奪する都合の良いシモベとなりさがっ たと思っている。 しかし「自然」とはこの空間、時間そのものとしてあり、人間の「自然への思い」を遙かに越えた次元 で、不確実なものとして到来する。そのトラウマ的事実を無意識に隠蔽しているのである。そして環 境からの反撃という漠然とした恐怖に、「調和」というより高度なコントロールしようという新たな闘争 へ向かっているのだ。だから環境問題は調和としてでなく、闘争として語るときにリアリティを持ち得 るのだ。
440 :
純一 :2006/06/21(水) 00:19:17
>>437 >環境問題にはわからないことが多々ある。一番は地球の温暖化はほんとに人間活動によるのか、
>ということ。これはまだ証明されていない。地球上の二酸化炭素の多くの動きはいまだ不明である。
>また温暖化した場合になにが問題なのか、たしかに現状維持はできないだろうが、環境変化と人間
>の順応を加味するとどうなのか。人間はさまざまな環境に適応し生きてきたのである。その根底に
>あるのは漠然とした恐怖である。
何回も言うようですが、
基礎知識の不足が原因ではないでしょうか。
地球の温暖化は温室効果ガスの影響が大きいのです。
地球では化石燃料が大量に燃やされ、その影響で、
温室効果ガスとして、地球全体が温暖化し、南極の氷が
氷解し、さらにツバルなどは国全体が浸水してしまいかねない。
これは成長途上の後進国もが大きな原因となっていますが、
京都議定書などもあり、温室効果ガスの削減の権利の売買が
今始まろうとしているわけです。抑制したガスを金で取引するわけです。
441 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 00:19:52
uzai
442 :
純一 :2006/06/21(水) 00:20:38
>>439 >そしてこの「やさしくすべき環境」は、「自然」そのものはこの空間、時間そのものとしてあり、人間の自然
>への思いやりを遙かに越えた次元で、不確実なものとしてあるというトラウマ的事実を隠蔽している。
自然というのは、山とか川とか海とかですが、
自然というのは、そういうレジャーに行けばあるものです。
そこには別に恐怖はありません。紅葉も美しいものですからね。
そういうものに恐怖する人間というのは、所謂人工物(パソコンとかね)
しか相手にしてこなったからでしょう。虫などを子供が恐れるのは、
自然どうこうの問題ではないことは明白ですからね。もっと自然に
触れられたらどうですか。
443 :
純一 :2006/06/21(水) 00:21:36
>>441 >uzai
ならば、反論してください。
ぴかぁ〜。
444 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 00:22:55
[なぜ環境問題は闘争なのか] いぁ、、、、あのさぁ・・・別に何所の誰もソレが闘争だと思っているという事でも ねぇだろが?っつってんの。 なんなの?しつこすぎるンジャマイカ??
445 :
純一 :2006/06/21(水) 00:23:49
>>444 >いぁ、、、、あのさぁ・・・別に何所の誰もソレが闘争だと思っているという事でも
>ねぇだろが?っつってんの。
まったくですな。
446 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 00:38:58
大体」お宅が、環境問題について、何かを言えば、なにがかが変わるのだとでも? 守備範囲。しっかり、自覚しておいて欲しいものです。
447 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 00:40:25
こういうのを、普通。「心外だ!」と、述べます。 それでは、よろしく。
448 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 00:42:33
お、純一きてたのか。 正面から、挑んでいるなんて珍しいな。 どういう心境の変化があったのかな? いや俺は大賛成だけどね。 拝啓 短パン様 いつもお変わりなく、意味不明
449 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 00:52:14
ジャーゴンも滑稽、笑止千万だが、 世間語の無批判な引用もバカっぽいね。 環境を語るのに優しいはないだろ。 自然に思いやり、っつなんだ? それになんか創でもつけられたんかね。 大自然に測陰の情 というかね。 君は実体験を積んだほうがいいよ、少し。
450 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 01:02:45
純一によれば、30歳前ぐらいらしいけど、30過ぎの人間で 君のテクストとやらに、君の望むとおり(そうか、ここでは欲望スルといわなければならんのだなW) 関心する奴がいたとしたら、それは只のお馬鹿ちゃんだよ。
451 :
短パン :2006/06/21(水) 02:12:16
普通。これで、「短パン」は、褒め殺しで終了〜。ピピー。 ・・・・・。何を、想って、しかし・・・・・・・・・・・・。
452 :
短パン :2006/06/21(水) 02:14:28
大体。「ゴージャン」て、芸術板系のハナシじゃないか?・・・・ ふんん・・・・そんなまで、引き受け出来んですよ、、、、、。
453 :
短パン :2006/06/21(水) 02:19:15
俺ん事、抽象するのなら。せめて・・・・・ 「・・・・・・」えっ? ありゃ?なんか、よくわかんないや。。。 そういぅわけで、適当によろすくですよ〜〜〜〜〜〜。うはっ、 そいでわ。ノシ
455 :
短パン :2006/06/21(水) 02:44:33
言いたい事も言えないこんな世の中じゃ・・・・・
456 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 05:29:03
ここですらいいたいことが言えないなら 言いたいことを言うのをあきらめたほうがいいと思う
457 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 10:19:37
純一〜 今日も待ってるよ〜。 短パ〜ン 来ても来なくてもどっちでもいいよ〜
458 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 12:06:04
環境との調和など存在しない。自然は偶然性というなの無限の怪物である。 だから食われないように闘争しつづけなければならない。それがいわば人間そのものの存在意義でさえある。 たとえばマルクスがなぜ経済を下部構造においたのか。経済とは人間と自然の根本的関係であるからだ。 マルクスが自然との調和に理想系を見たことの甘さはあるとしてもこの視点はただしい。 環境問題は太古からかわらない自然との闘争の新たな段階であり どこまで人間は自然をコントロールできるかの戦いである。
459 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 12:19:00
しかし問題の複雑さはボクたち自身も自然の一部である点であるという自己言及性にある。 それを回避する一つの方法がデカルトの心身二元論にある。コギトはつごうよくここにあるわけでなく、まさにこのための近代の発明品である。 いかに身体を含めた環境を管理するか、それが現代の自然との闘争の在り方である。
460 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 12:41:14
ここに後期資本主義社会につづく、ボクたちの未来像があるだろう。
461 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 12:49:54
フーコーの生権力、ドゥルーズのコントロール管理、東の環境管理権力、アガンベンの人類学機械などは 人間を管理するものとしてでなく、 マルクス的人間社会の下部構造、人間と自然の交通洋式として考えなければならない。
462 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 12:56:17
最近は純一たちのいない昼に短期集中連投ですな。
463 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 12:58:17
人は人を管理するためにコントロール社会を指向しているわけではない。 下部構造として内部環境を管理し、トラウマ的外部環境を排除するため、すなわち生き抜くためである。
464 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 12:58:57
>>461 交通洋式便所で自然排泄がどうしたって?
465 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 13:07:35
>人は人を管理するためにコントロール社会を指向しているわけではない。 当たり前じゃネ なに青臭い論を長々と。 >すなわち生き抜くためである。 あのね、そんなことお前はしらんかもしれんがね、 お前が思っているよりは、多くの人が知ってるのよ、ジャーゴン抜きでね。
466 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 13:18:53
■なぜ環境問題は社会の下部構造なのか 環境との調和など存在しない 環境との調和など存在しない。自然は偶然性という名の無限の怪物である。だから食われないよう に闘争しつづけなければならない。それがいわば人間そのものの存在意義でさえある。 たとえばマルクスがなぜ経済を下部構造においたのか。経済とは人間と自然の根本的関係である からだ。マルクスが自然との調和に理想系を見たことの間違いはあるとしてもこの視点は正しい。 環境問題とは、どこまで人間は自然をコントロールできるかという、太古からかわらない自然との闘 争の新たな段階である。しかし問題の複雑さはボクたち自身も自然の一部であるという自己言及性 にある。それを回避する一つの方法がデカルトの心身二元論にある。デカルトのコギトは都合良くこ こにあるわけでなく、まさにこの複雑性を回避するための近代の発明品である。
467 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 13:19:46
環境管理という下部構造 いかに(身体を含めた)環境をコントロールするか。それは無限の環境の中で、コントロールできるだ ろう環境であり、人間が「やさしく」できる環境である。これを「内部環境」と呼ぶと、「内部環境」をコン トロールするのは、偶然性というトラウマ的「外部環境」から人間社会を守りながら、環境から「資源」 を略奪することを意味するだろう。 フーコーの「生権力」、ドゥルーズの「コントロール管理」、東の「環境管理権力」、アガンベンの「人類 学機械」などは、人間を管理するものとしてでなく、マルクス的人間社会の下部構造、人間と自然の 交通様式として考えなければならない。 人は人を管理するためにコントロール社会を指向しているわけではなく、「内部環境」をコントロール する下部構造としてある。それが、現代の自然との闘争の在り方であり、後期資本主義社会につづ く、ボクたちの未来像へ続くのだ。
468 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 13:46:44
これ以上、恥の上塗りはやめなはれ。
469 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 13:50:30
一体どこの誰が自然と闘争などしているんだね。
470 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 15:29:36
■続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その2 環境コントロールという下部構造 環境との調和など存在しない 環境との調和など存在しない。自然は偶然性という名の無限の怪物である。だから食われないよう に闘争しつづけなければならない。それがいわば人間そのものの存在意義でさえある。 たとえばマルクスがなぜ経済を下部構造においたのか。経済とは人間と自然の根本的関係である からだ。マルクスが自然との調和に理想系を見たことの間違いはあるとしてもこの視点は正しい。現 代の環境問題とは、どこまで人間は自然をコントロールできるかという、太古からかわらない自然と の闘争の新たな段階である。 いかに環境をコントロールするか。それは無限の環境の中で、コントロールできるだろう環境であり、 人間が「やさしく」できる環境である。これを「内部環境」と呼ぶと、「内部環境」をコントロールするの は、偶然性というトラウマ的「外部環境」から人間社会を守りながら、環境から「資源」を略奪すること を意味するだろう。
471 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 15:30:06
「動物化」という幸せな悩み フーコーの「生権力」、ドゥルーズの「コントロール管理」、東の「環境管理権力」、アガンベンの「人類 学機械」などの「コントロール社会」は、人間を管理するものとしてでなく、マルクス的人間社会の下 部構造、人間と「内部環境」との交通様式として考えなければ、それらが進むだろう全体像が見えな いだろう。 これらの「環境コントロール」が人間管理の問題として表れているのは、ボクたち自身も自然の一部 であるという自己言及性のためである。そしてこれらはフーコーの「規律訓練型権力」と「生権力」の ように、デカルトの心身二元論にある。デカルトのコギトは都合良くここにあるわけでなく、まさにこの 複雑性を回避するための近代の発明品である。 たとえば東は「環境管理権力」の問題を示している。ここではもはや人間社会は「内部環境」との調 和の世界にあり、人間は「目の前の幸せを追求する動物的な生を選ぶこと」が容易になっていると いう幸福な悩みをもった社会像である。 しかしここで隠されているのは、トラウマ的に回帰する「外部環境」である。無限の「外部環境」に包 囲されたシミのようなボクたちの社会には必ず悪夢は回帰する。そしてどのような幸せな夢も目覚め させられる。ここに、「環境との終わりなき闘争が人間そのものの存在意義である」という意味がある。
472 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 15:31:14
環境コントロールという下部構造 人は人を管理するためにコントロール社会を指向しているわけではなく、コントロール社会とは「内 部環境」をコントロールする下部構造としてあり、その一部に人間身体も含めれている。それが、現 代の自然との闘争の在り方であり、後期資本主義社会につづく、ボクたち社会の未来像へ続いているのだ。
473 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 15:47:18
ボクがいうトラウマ的環境とはなにか。 それはボクたちはなにをコントロール可能になったのかを考えればわかる。 トラウマ的環境とはコントロールできないすべてである。 地震、津波、隕石落下による大災害はもちろんだが、エイズ、ガン、そして寿命さらに他者、自分自身 ボクたちがコントロールできることなどたかがしれているのだ。
474 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 16:09:43
たとえばネットが疑似自然として作動可能なのはなぜか すなわち人々のリアリティを想起するネットのコントロール不可能性の根源とは他者である。 そこで他者という自然と出会いコントロールしたいという欲望が想起されるから ネットは自然との闘争たりえているのだ。 ネット上で祭りが欲望されるのもそこにコントロール不可能な自然が発生するからである。
475 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 16:34:38
社会と自然、心身二元論の境界はどこにあるのか。そんなものはどこにもないがなければ人は存在しえない。 すなわちなにものもコントロール不可能であるがコントロール可能なように振るまわなければ人は存在しえない。
476 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 22:29:36
■続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その2 環境コントロールという下部構造 環境との調和など存在しない 環境との調和など存在しない。自然は偶然性という名の無限の怪物である。だから食われないよう に闘争しつづけなければならない。それがいわば人間そのものの存在意義でさえある。 たとえばマルクスがなぜ経済を下部構造においたのか。経済とは人間と自然の根本的関係である からだ。マルクスが自然との調和に理想系を見たことの間違いはあるとしてもこの視点は正しい。現 代の環境問題とは、どこまで人間は自然をコントロールできるかという、太古からかわらない自然と の闘争の新たな段階である。 いかに環境をコントロールするか。それは無限の環境の中で、コントロールできるだろう環境であり、人間が「やさしく」できる環境である。これを「内部環境」と呼ぶと、「内部環境」をコントロールするの は、偶然性というトラウマ的「外部環境」から人間社会を守りながら、環境から「資源」を略奪すること を意味するだろう。
477 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 22:30:38
「動物化」という幸せな悩み フーコーの「生権力」、ドゥルーズの「コントロール管理」、東の「環境管理権力」、アガンベンの「人類 学機械」などの「コントロール社会」は、人間を管理するものとしてでなく、マルクス的人間社会の下 部構造、人間と「内部環境」との交通様式として考えなければ、それらが進むだろう全体像が見えな いだろう。 これらの「環境コントロール」が人間管理の問題として表れているのは、ボクたち自身も自然の一部 であるという自己言及性のためである。そしてこれらはフーコーの「規律訓練型権力」と「生権力」の ように、デカルトの心身二元論にある。デカルトのコギトは都合良くここにあるわけでなく、まさにこの 複雑性を回避するための近代の発明品である。 たとえば東は「環境管理権力」の問題を以下のように示している。
478 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 22:31:20
>>
情報自由論 不安のインフレスパイラル(後編) 東浩紀
ttp://www.hajou.org/infoliberalism/14.html 近代の国民国家の権力は、主体の内面=自己意識の陶冶を通じて人間集団を秩序づけるが、ポ
ストモダンの「帝国」の権力は、膨大な量の消費財を送り出し、身体的欲求を肯定することで人々を
巧みに秩序のなかに巻き込んでいく。したがって、人々はそれを管理だとは意識しない。
私たちは、いま、世界中でコカコーラを飲み、マクドナルドを利用し、ディズニーアニメを楽しみ、マイ
クロソフトのOSを起動しているが、この画一的な市場は何も薬物や洗脳によって実現したものでは
ない。商品と快楽のあいだの条件反射は、とくに実験室を用意しなくとも、消費社会のなかで十分に
鍛えあげることが可能なのだ。そして、あらゆる場所にコンピュータとネットワークが埋め込まれ、消
費生活の大部分がデータ化され、その解析結果が将来の商品配置と安全確保へただちにフィード
バックされるユビキタス社会では、その欲望の管理はより緻密で徹底したものになっていくことだろう。
とはいえ、ユビキタスな環境管理とモバイルな創発的秩序を受け入れ、グローバルな視野を放棄
し、目の前の幸せを追求する動物的な生を選ぶことのどこがいけないのかといえば、これは難しい
問題である。・・・そもそも、私たちは、管理された動物として生きるのがもっとも幸せなのかもしれな
い。・・・しかし、ジャンクフードをかき込み、広告に踊らされ、ラッシュアワーでストレスを抱え、ささや
かな幸せを守ることに汲々となっている現代人の生は、畜舎のなかで安穏と眠るウシたちと本当に
それほど異なっているだろうか。もしその差異があまり明確でないとするのなら、そのウシのような
生を、より安全で豊かなものに変える情報環境の整備に対して、何を根拠に異議を唱えればいいの
だろうか。
<<
479 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 22:32:06
ここではもはや人間社会は「内部環境」との調和の世界にあり、人間は「目の前の幸せを追求する 動物的な生を選ぶこと」が容易になっているという幸福な悩みをもった社会像である。 しかしここで隠されているのは、トラウマ的に回帰する「外部環境」である。無限の「外部環境」に包 囲されたシミのようなボクたちの社会には必ず悪夢は回帰する。そしてどのような幸せな夢も目覚め させられる。ここに、「環境との終わりなき闘争が人間そのものの存在意義である」という意味がある。 環境コントロールという下部構造 人は人を管理するためにコントロール社会を指向しているわけではなく、コントロール社会とは「内 部環境」をコントロールする下部構造としてあり、その一部に人間身体も含めれている。それが、現 代の自然との闘争の在り方であり、後期資本主義社会につづく、ボクたち社会の未来像へ続いてい るのだ。
480 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/21(水) 22:32:59
トラウマ的な「外部環境」とは ボクがいう、人にとってトラウマ的「外部環境」とはなにか。それはボクたちはなにをコントロール可 能になったのかを考えればわかる。トラウマ的「外部環境」とはコントロールできないすべてである。 地震、津波、隕石落下による大災害はもちろんだが、エイズ、ガン、そして寿命。さらに他者、自分自 身、欲望。ボクたちがコントロールできることなどたかがしれているのだ。 社会と自然、心身二元論の境界はどこにあるのか。そんなものはどこにもないがなければ人は存在 しえない。なにものもコントロール不可能であるが、コントロール可能なように振るまわなければ人は 存在しえない。 普通、誰も地震、津波、隕石落下など気にして生きていない。自分が死ぬかもなどと考えていきては いない。それでは神経症である。しかしそのような振るまいを破り、到来するものが「外部環境」であ り、漠然とした不安がなくなることはない。それこそがボクたちをリアリティへと繋いでいる。
481 :
純一 :2006/06/21(水) 22:37:27
さて、
482 :
純一 :2006/06/21(水) 22:40:03
>>473 >ボクがいうトラウマ的環境とはなにか。
トラウマは存在しませんよ。
483 :
純一 :2006/06/21(水) 22:40:55
>>474 >たとえばネットが疑似自然として作動可能なのはなぜか
それはぴかぁ〜が本物の自然に触れていないからですよ。
484 :
純一 :2006/06/21(水) 22:43:21
>>475 >すなわちなにものもコントロール不可能であるがコントロール可能なように振るまわなければ人は存在しえない。
コントローラーは初期では赤でしたが、後にグレーになりまして、
取り外しも可能になりましたな。
485 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 22:43:59
何故トラウマは存在しないの?
486 :
純一 :2006/06/21(水) 22:45:06
>>485 >何故トラウマは存在しないの?
強迫反復だからですよ。
487 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 22:46:10
強迫反復とは?
488 :
純一 :2006/06/21(水) 22:47:17
>>478 >とはいえ、ユビキタスな環境管理とモバイルな創発的秩序を受け入れ、グローバルな視野を放棄
>し、目の前の幸せを追求する動物的な生を選ぶことのどこがいけないのかといえば、これは難しい
>問題である。・・・そもそも、私たちは、管理された動物として生きるのがもっとも幸せなのかもしれな
>い。・・・しかし、ジャンクフードをかき込み、広告に踊らされ、ラッシュアワーでストレスを抱え、ささや
>かな幸せを守ることに汲々となっている現代人の生は、畜舎のなかで安穏と眠るウシたちと本当に
>それほど異なっているだろうか。もしその差異があまり明確でないとするのなら、そのウシのような
>生を、より安全で豊かなものに変える情報環境の整備に対して、何を根拠に異議を唱えればいいの
>だろうか。
まあ、その辺を考えるには、
普通、その前に考えることがあるのですがね。
その辺は捨象しないと成立しない論ですがね。
489 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 22:47:18
そうしたいという意志がないのに繰り返してしまうことだよね?>強迫反復
490 :
純一 :2006/06/21(水) 22:48:52
>>489 >そうしたいという意志がないのに繰り返してしまうことだよね?
その通りですよ〜
よく勉強していますね。
491 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 22:49:49
まぁ俺にとっての2ちゃんねるみたいなものだね。 それとトラウマがどう関係あるの?
492 :
純一 :2006/06/21(水) 22:53:32
>>491 >それとトラウマがどう関係あるの?
ぶっちゃけ、ぴかぁ〜の場合、
トラウマがジャーゴンと化している点が問題なのですよ。
つまり、トラウマの内実ともいうべきものを理解して
いないためにその意味がわかっていなく、トラウマという
言葉によってそのイメージを喚起して、読者の想像に頼る
という方法を使っているだけだということですよ。
493 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 23:03:45
>それとトラウマがどう関係あるの? 馬鹿にマジ質問格好悪いw
494 :
純一 :2006/06/21(水) 23:05:07
493 名前:ぴかぁ〜 :2006/06/21(水) 23:03:45 >それとトラウマがどう関係あるの? 馬鹿にマジ質問格好悪いw
495 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 23:09:40
>>493 わかっているなどと思ってないよ。ちょっとからかっただけ。
496 :
純一 :2006/06/21(水) 23:12:20
>>495 >わかっているなどと思ってないよ。ちょっとからかっただけ。
いや、私がわかってるかどうかは置いとくとしても、
ぴかぁ〜が分かってると思ってる時点で終わってるよ。
497 :
純一 :2006/06/21(水) 23:13:08
あ、自演か。
498 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 23:13:33
哲学板に長くいるのにこれだけ馬鹿もめずらしい。 特に永井スレでのマジレスの馬鹿さが一番笑う。 暇な人には一見の価値があるw
499 :
純一 :2006/06/21(水) 23:14:45
>>493 >馬鹿にマジ質問格好悪いw
しかし、相変わらず、男らしくないね。
ヤバくなったら、名無しでコソコソと。
500 :
純一 :2006/06/21(水) 23:16:03
>>498 >哲学板に長くいるのにこれだけ馬鹿もめずらしい。
>特に永井スレでのマジレスの馬鹿さが一番笑う。
>暇な人には一見の価値があるw
ああ、なるほどね。
じゆんと私が同一人物だと思ってるということか。
そんなん思っているのはぴかぁ〜だけだよ。
501 :
純一 :2006/06/21(水) 23:18:02
>>498 >特に永井スレでのマジレスの馬鹿さが一番笑う。
>暇な人には一見の価値があるw
いや、笑えるのはこっちだよ。
コンテクストサーファーとかいう偽名でわざわざ
自分をヨイショしときながら、ヤバくなったら、
名無しで中傷という正に『姑息』という名がぴったりじゃないですか。
502 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 23:18:09
なんで俺がぴかぁ〜とバレたのかな 馬鹿にしては知恵が回るじゃないかw
503 :
純一 :2006/06/21(水) 23:19:52
>>502 >なんで俺がぴかぁ〜とバレたのかな
>馬鹿にしては知恵が回るじゃないかw
または短パン(将軍)か、だね。
504 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 23:21:56
大好きなぴかぁ〜を間違うとはね やっぱりおまえは馬鹿だなw
505 :
純一 :2006/06/21(水) 23:23:13
>>504 >大好きなぴかぁ〜を間違うとはね
そんなこと言ってると君の自スレを
荒らしますよ?
506 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 23:26:26
このスレ飽きたから朝までに埋め立ててくれ。 馬鹿力でなw
507 :
純一 :2006/06/21(水) 23:28:57
>>506 >このスレ飽きたから朝までに埋め立ててくれ。
何言ってるんだい?
君の、自スレは別のところだろ?
508 :
純一 :2006/06/21(水) 23:33:36
ふっ、短パン・・・いや将軍よ。 あまり調子に乗ってると、倒すぜ!
509 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 23:35:10
杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏 杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏
510 :
考える名無しさん :2006/06/21(水) 23:41:32
>あまり調子に乗ってると、倒すぜ! 倒すぜ?倒すぜ?倒すぜ?倒すぜ???? 馬鹿ギャク?w
511 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 00:01:58
純一らぶ〜♪
喧嘩するな!
513 :
純一 :2006/06/22(木) 00:09:37
帰ってきたよ。
514 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 10:29:44
ラカンかぶれのスレ主さんよ。 以前はかぶれにかぶれまくったタームを羅列した アナグラムみたいな文を書いていたが 最近はそこから離れて自らの思考の自律を目指している節はあるが、ますます粗末になってきたな。 惨憺たる有様だ。 君の考察などとるに足らないものだということこそ学習してはどうだろう。 文体はいつまでも洗練されないね。 性格のねちっこさだけが際だっているよ。
515 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 11:10:58
すなわち自然との闘争には純粋略奪の快楽がある。 人は自然との闘争を望んでいる。それがまさに人間存在のトラウマである。
516 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 11:16:56
ボクは内部環境と外部環境といった。この内部環境とはアガンベンのいう中間休止(チエズーラ)である。
517 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 11:18:04
わけわからん。 自分ではわかっていってるの。 確信もって言葉を紡いでますか。 純一もいってたけど、 イメージだけが先行していて読み手はおろか自分もそれに依存しているだけに見える。
518 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 11:25:02
純一がんばれよ。これではぴかぁ〜でなくとも相手しないぞ。
519 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 11:30:37
へーゲル、マルクス主義的歴史の終わり、コジェーブ、フクヤマは自然との和解である。
520 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 11:33:57
>518 ン?なんだよぴかあ
521 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 11:44:30
どうみても哲学じゃないだろ。 板違いだな、このスレは。 とっとと自分で削除依頼だせよ。
522 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 12:00:14
歴史の終焉論、そして動物化、生権力、帝国 これにあるのは外部の消失、外部の内部化である。 外部は本当に消失したのか。内部化したのか ここで働く現代の人類学機械とはなにか コギトのパラドクスに回収する、外部との闘争をすべて内部へ引き込み本質的問題でないように振るまう。 これは終焉でなく、太古からつづく自然との闘争の1形態でしかない。 すなわち近代の科学技術は自然からの略奪に成功した。 しかしあまりに計画性のなさから反動がおこりそうである。 だからより計画的にコントロールしなから略奪しようということである。 近代以降、コギトの二分により自然という身体を労働としてとりだしえたが より管理し活用しようということだ。 このような外部環境との中間休止にある内部環境(資源、労働力)の円滑なコントロールがトラウマ的外部環境との クッションになる。それが現代の闘争形態なのである。
523 :
批判的合理超越論的観念現象論哲学者最高位 ◆GGX0ttMETQ :2006/06/22(木) 12:01:09
ははは
524 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 12:05:23
いいから削除依頼だせって
525 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 12:14:49
ウンスジで萎える男、萌える男どっちが多い? 知ってる限りでは、3:7でウンスジ見ると興奮する男が多いね。 強壮剤より効くよ。速攻で硬くなり長持ちする。
526 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 12:23:27
このような内部環境、グレイゾーンの拡大は、近代以降の数量化革命による。 数字というシニフィアンがもつ力とは同一性と反復へと情報を縮減する力である。 この力がグレイゾーンをつきくだした。デカルトのコギトがグレイゾーンそのものであることからも近代化の意味がわかる そしてグレーゾーンの乱獲は外部の流入をまねく。だから拡張からコントロールへ、それが現代である。
527 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 12:31:16
神話であった外部を数字は縮減された情報として高速伝達し共有しあい反復することで客観化した。 その客観化された環境が機械論的予測可能な内部環境であり、 倫理的内部と偶然的外部のグレーゾーンである。科学数字世界では倫理ははたらかないが内部の論理で動いている。
528 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 12:33:13
何いってんだか 削除しろよ
529 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 12:37:47
円滑なコントロールがトラウマ的外部環境とのクッションとなる? 馬鹿な! その前に日本語下手すぎ。
530 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 12:48:42
たとえばリオタールが大きな物語であげたのはマルクス主義でなく、数学体系の不完全性であった。 ここにさまざまな終焉論の隠蔽が隠されているのではないだろうか。 近代は数字の力で開け、その不完全性にかかわりなく、数字の極限=貨幣によりグローバル資本主義システム機械として増殖しつづけている。 物語はおわらず自然と調和もせず、人間と環境の闘争は継続しているのである。
531 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 12:53:49
あまり深い意味はないから。 本人もなんとなくわかったような気になって、興奮して書いているだけだから。 訳わからなくても日本語の文になっていなくてもそっとしといてやりましょう。 一人の哀れな人間を救うつもりで。 第一、この人は自分の文に酔っているので、まともな指摘は決して効を奏しません。 ある意味、完璧なオタクであるのは明白なのに、本人はそう思ってない。
532 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 13:05:17
「いかなる暴動もそこに歴史的意味が見出されたならそれは暴動ではなくなる。」=「大きな物語」 >数字の極限=貨幣によりグローバル資本主義システム機械 極限をとって収束に至る。近い将来収束に向かうとは考えられんのか? 人間と環境との抗争は・・・
533 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 13:08:19
■なぜ歴史は終焉しないのか 環境管理という現代の闘争 歴史の終焉論、そして動物化、生権力、帝国。これにあるのは外部の消失、外部の内部化である。 外部は本当に消失したのか。内部化したのか。ここで働く現代の人類学機械とはなにか。 外部との闘争をすべて内部へ引き込み本質的問題でないように振るまう。これは終焉でなく、太古 からつづく自然との闘争の1形態でしかない。すなわち近代の科学技術は自然からの略奪に成功し た。しかしあまりに計画性のなさから反動がおこりそうである。だからより計画的にコントロールしな から略奪しようということである。近代以降、コギトの二分により自然という身体を労働としてとりだし えたが、より管理し活用しようということだ。 ボクは内部環境と外部環境といった。この内部環境とはアガンベンのいう中間休止(チエズーラ)で ある。このような外部環境との中間休止にある内部環境(資源、労働力)の円滑なコントロールがト ラウマ的外部環境とのクッションになる。それが現代の闘争形態なのである。
534 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 13:10:02
数量化というグレイゾーン製造装置 このような内部環境の拡大は、近代以降の数量化革命による。数字というシニフィアンがもつ力とは 同一性と反復へと情報を縮減する力である。神話であった外部を数字は縮減された情報として高速 伝達し共有しあい反復することで客観化した。その客観化された環境が機械論的予測可能な内部 環境である。 それは倫理的内部と偶然的外部のグレーゾーンである。科学数字世界では倫理ははたらかないが 内部の論理で動いている。そしてグレーゾーンの乱獲は外部の流入をまねく。だから拡張からコント ロールへ、それが現代である。
535 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 13:11:15
これの題名は「大預言者ぴかぁ〜様の物語」ですか?
536 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 13:11:25
純粋略奪の快楽というトラウマ たとえばリオタールが大きな物語であげたのはマルクス主義でなく、数学体系の不完全性であっ た。ここにさまざまな終焉論の隠蔽があるのではないだろうか。近代は数字の力で開け、その不完 全性にかかわりなく、数字の極限=貨幣によりグローバル資本主義システム機械として増殖しつづ けている。 へーゲル、マルクス主義的歴史の終わり、コジェーブ、フクヤマは自然との和解である。大きな物語 としての数字世界はおわらず自然と調和もせず、人間と環境の闘争は継続しているのである。それ は、自然との闘争にこそ純粋略奪の快楽があるからだ。人は自然との闘争を望んでいる。それがま さに人間存在のトラウマである。
537 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 13:39:05
文明の発達は、農耕による食料革命がはじまりだ。 余剰作物により農耕に従事しなくてもよい人間があらわれ、 彼らが神官や兵士となり、さらには集落は都市へと発展した。 また、土地、食料をめぐり他の集落や都市と争いが起こるようになる。 人間同士の抗争。 人間は自然を「自然」として受け入れていた。自然に抗う事など意図しなかった。 人は自然との闘争を望んでいるわけではなく、ましてやトラウマなどもってもいない。 人間は所詮環境に動かされているだけであり、抗いようのないそれを知っている。 歯も立てず、爪も立てず、闘争というよりも逃走している(きた)だけだ。
538 :
純一 :2006/06/22(木) 13:41:22
トラウマ的外部とはまさに否定神学ではないかね。 どこかにあるように想定する。すなわち形而上学の再生ではないのかね。
539 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 13:41:59
>>537 なるほど。
アメリカは、やっと農民から兵士になろうとしている
北朝鮮を押さえ付けているわけか。
540 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 13:53:45
一人山にこもり暮らしてください。それから逃走と呼ぶか闘争と呼ぶかはなしあいましょう 終焉論が否定神学でしょ。いないこといる敵。その意味でボクの自然との闘争論は敵はいるという肯定神学です。
541 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 14:03:49
>>540 ツァラトゥストラなんて真っ平です。
自然からの逃走が人間同士の闘争を生んだ。
人間は自然の一部として存在する限り、受身(自然)であらざるをえない。
人間が不自然だと言うのであればそれこそ人間のオゴリ(虚栄)というもの。
自然と対等に闘える?たった400万年で?
542 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 14:12:18
自然と対等に戦えないシミのような存在がどこに逃げるというのでしょ。終焉を宣言できるのでしょう 人間にできるのは戦うふりのみです。それが人間存在の意味そのものです。
543 :
超越論的観念現象論教父哲学最高指導者 ◆o51zMEynI. :2006/06/22(木) 14:24:12
「ぴかぁ〜」ってどういう意味があるのかね?
544 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 14:29:24
いつか我々、「リヴァイアサンの蚤」のような存在が、 ピョンと跳ねて、異次元にでもすっ飛ばされない限り戦うのは無理。 「戦う」の概念が少々違ってくるか? まあ、支配する為には戦うより創り出したほうが早い。 その前に人間はバタバタプリプリ勝手に終焉してしまうのだろうよ。
545 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 14:36:20
調和、受動的、逃亡に隠されているものはなにか さらに弱いものへ排除の存在です。卑下は尊大の裏面です。 だから闘争であり、略奪なのです。それは弱いものへ排除や尊大さえ開示するのです。そしてそこに快楽がうまれることを認めるのです。
546 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 14:41:45
自分と同等、またはそれ以上の者を好敵手とせよ! なんだって?超人様はあの「自然」をも好敵手にしようというのか? 貴方のような動物たちを愛し、高所の澄んだ空気を切望する自然博愛者が?
547 :
純一 :2006/06/22(木) 15:18:34
トラウマ的外部とはカントの「ものそのもの」であって、 得体の知れない未知へ恐怖として、神秘主義化しているのでは ないかということだがね。 闘争それ自体が空虚であって、自然主義的誤謬にも近づいている。
548 :
純一 :2006/06/22(木) 15:27:59
>だから闘争であり、略奪なのです。それは弱いものへ排除や尊大さえ開示するのです。 >そしてそこに快楽がうまれることを認めるのです。 これは開き直りだがね。そして神秘主義化した「闘争」の名の下に なにが行われるのか。それは歴史が証明してるのではないのかね。
549 :
ContextSurfer :2006/06/22(木) 15:50:19
>>547-548 あなたはぴかぁ〜哲学を全く理解しないでレスしていますね。
もう少し勉強して、レスレベルを上げてください。
今のままでレスをつけてては、ぴかぁ〜さんに失礼だし第一恥ずかしくないですか。
550 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 15:52:28
>自然と対等に戦えないシミのような存在がどこに逃げるというのでしょ。終焉を宣言できるのでしょ >う。人間にできるのは「戦うふり」のみです。それが人間存在の意味そのものです。 ボクはこう言いました。人間の歴史は、自然との関係が下部構造としてあるということは、疑えない 事実としてあると思います。たとえばエイズは人がアフリカの未開を開拓することで人に感染したと 言われています。自然はいつもただそこにあるだけです。だから「闘うふり」なのです。人は「闘い」、 「敵」の仮想性から逃れることはできないでしょう。そして「闘う」快楽から逃れることもできないでしょう。 だから調和でも、逃亡でも、終焉でもなく、新たな有り様への闘争なのです。その闘争がいかように 変化し、現代の有り様を考えると言っているわけです。具体的な科学技術の発展による「環境管理」 技術のありようです。それがボクがいう自然主義的闘争論です。
551 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 15:55:02
純一がめずらしくするどい
552 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 16:05:47
人はなぜ働くのか。それは、環境と闘うためです。 労働がなくなれば、人は環境に殺されるでしょう。 もはや働くときに、このような下部構造は忘れられているとしても、 働かなければならないという事実がそのことを示しています。 ひきこもり?誰かから贈与されているわけです。かわりに必ず誰かが 働いているわけです。
553 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 16:08:42
あのさ、なんでもいいが ぼくは〜といった。 って、ヤツだけはやめてくれないか。 鳥肌が立つんだよ。 そんな言い回し必要ないだろ。 ナルシストとしては、はずせないか。
554 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 16:08:49
なら、お前が働けよ
環境 闘争 でググってきた >●不全と解脱(ふぜんとげだつ) 不全とは、機能不全のこと。機能不全に陥ると、飢えや怯えや苦痛などの不全感に恒常的に苛まれることになる。 この不全感を麻痺させる麻薬回路が、解脱充足回路。 サルや人類は、何であれ不全感が刺激されると、その不全感を和らげるために解脱回路に収束する。解脱の中心はスキンシップを原型とする親和充足と性充足。人類の解脱にはその他に、涙や笑いや快楽など(一般には娯楽)がある。
るいネットの生活板の「どうする?環境と仕事」からコピペ
557 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 16:22:05
まらさすと快楽ってわけですな。
人間存在 トラウマ でググってきた 平和社会論 >そして、トラウマ概念を歴史や社会分析に用いる試みも既に始まっている。 社会論じゃんw
559 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 16:42:59
そう、だから削除要請
ジョルジョ・アガンベン でググってきた >ホモ・サケル ぴかぁ〜 はコイツになりたいのですね
561 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 17:13:46
>人はなぜ働くのか。それは、環境と闘うためです。 違います。それは「右斜め前30度の逃走」に過ぎません。
562 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 17:34:08
要するにぴかぁ〜には哲学などなく、パクリ・ブレンド武装をひけらかしたいだけだ。 子供のおもちゃ自慢と一緒だな。
>アーレント、ナンシー 純一さん」出番ですよ!
564 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 17:44:19
そろそろ純一の持ち時間だな。
565 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 17:54:26
>それは「右斜め前30度の逃走」に過ぎません。 短パンの場合ちとまずいな。
566 :
純一 :2006/06/22(木) 17:56:29
ふ〜、
567 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 17:57:47
さて、
568 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 18:44:14
純一、どうしたんだよー
569 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 19:36:00
570 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 19:54:14
あんたすげーよ
571 :
純一 :2006/06/22(木) 21:09:16
>>568 どうも、別の純一さんが登場したようですね。
じゆんさんの方かな?
572 :
純一 :2006/06/22(木) 22:15:29
さて、
573 :
純一 :2006/06/22(木) 22:16:41
今日はやめておくか、
574 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 22:29:10
■続 環境問題にはなぜリアリティがないのか その3 グレイゾーンという闘争の場 内部環境(グレイゾーン)の円滑なコントロール 「歴史の終焉」論、そして「動物化」、「生権力」、「帝国」などの現代論で示されるのは、外部の消失、 外部の内部化である。外部は本当に消失したのか。内部化したのか。 環境問題とは、近代の科学技術は外部(自然)からの略奪に成功した。しかしあまりに計画性のなさ から外部からの反動がおこりそうである。だからより計画的に内部環境をコントロールしなから略奪 しようということである。 また生権力とは、近代以降、心身二元論によって自然としての身体を労働として取り出した。そこで は心も訓練しコントロールしてきたが、さらに身体(自然)のみをより管理し活用しようということだ。 ボクはこのようなコントロールされる環境を内部環境と呼んだ。この内部環境とはアガンベンのいう 人間と動物、社会と自然のグレイゾーンである。そしてグレイゾーンにある内部環境(資源、労働力) の円滑なコントロールが、外部環境とのクッションになる。 外部環境との闘争をすべて内部へ引き込み、外部が消失し、内部の問題のようにふるまう。しかし これは外部の消失でなく、太古からつづく自然(外部)との闘争の現代的な1形態でしかない。
575 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 22:30:43
数量化というグレイゾーン製造装置
このような内部環境(グレイゾーン)の拡大は、近代以降の数量化革命による。数字というシニフィア
ンがもつ力とは同一性と反復によって情報を縮減する力である。数字によって縮減された外部に関
する情報は、高速伝達され、共有しあい、反復され、体系化されることで客観化された。神話でしか
語られなかった外部は、予測可能で、コントロール可能な機械論的内部環境となる。
内部とは倫理的領域であり、外部とは偶然的領域である。科学によって開拓された内部環境は人
間を身体として剥き出しにする。そこでは倫理は働きにくい。しかし科学はあくまで内部の論理であ
る。だから内部環境は倫理的領域と偶然的領域のグレイゾーンなのだ。
>>
三つ目は「内部」と「外部」の交錯する「グレーゾーン」にあらわれ、二つ目の「神話的暴力」を「脱惜
定化する暴力」(「神的暴力」)である。この「グレーゾーン」では、「なぜ法は正しいのか」、「1万円札
という紙がなぜにそのような価値を持つのか」という内部の価値は溶解する。たとえばライオンがシ
マウマを殺すときに、それが善であるか悪であるかいえないのは、それは「人間内部」の外にあるか
らだ。ここでは「責任」さえも溶解する。
ルネサンス以後の「自然」の数量化(テクノロジー)、そして資本主義はこの「グレーゾーン」の近辺で
作動する。教会によるガリレオの幽閉、さらにはダーウィンの進化論の反響のように、数量化(テクノ
ロジー)は旧来の価値(キリスト教)と衝突した。これは宗教的な価値を疑ったことであるが、現代に
おいて人間倫理とテクノロジーは衝突している。なぜならテクノロジーは「グレーゾーン」近辺で作動
し、「神的暴力」によって、人間内部の価値(倫理)を解体するのである。
なぜ人類は「断絶」を求めてきたのか?
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060616 <<
576 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 22:31:27
純粋略奪の快楽というトラウマ たとえばエイズは人がアフリカの未開を開拓することで人に感染したと言われている。人間の歴史 は、自然との関係が下部構造としてあるということは疑えない事実としてある。しかし自然はいつも ただそこにあり、自然と対等でありえないシミのような存在の人間にできるのは「闘うふり」のみであ り、終焉宣言などできない。だから調和でも、終焉でもなく、「環境コントロール」技術のありようという 新たな闘争なのだ。 人は「闘い」、「敵」の仮想性から逃れることはできない。そして「闘う」快楽から逃れることもできな い。人は自然との闘争を望んでいる。自然との闘争にこそ純粋略奪の快楽があるからだ。それがま さに人間存在のトラウマである。
577 :
考える名無しさん :2006/06/22(木) 22:32:22
反復レスうざい
578 :
純一 :2006/06/22(木) 22:40:34
579 :
純一 :2006/06/22(木) 22:45:50
呼んだ?なんか変な感じだね、
580 :
純一 :2006/06/22(木) 22:46:43
>>579 >呼んだ?
あっ、どうも。
本物の純一さんですか?
581 :
純一 :2006/06/22(木) 22:52:46
582 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/22(木) 22:53:10
内部(社会)・・・倫理、神話的暴力 心、形而上学(人類学機械)、規律訓練権力、固有名 −−−−−−−−−−−−−−−−−− グレイゾーン(内部環境)・・・断絶(ファルス)、無垢、純粋略奪の快楽、神的暴力 数字(科学)の作動、資本主義システム、環境コントロール、生権力、環境問題 身体(剥き出しの生)、労働力、資源、異教徒、植民地 −−−−−−−−−−−−−−−−−− 外部環境・・・偶然性 地震、津波、隕石落下による大災害、エイズ、ガン、欲望、寿命、他者erc
583 :
純一 :2006/06/22(木) 22:55:57
>581 君こそ誰だい?
584 :
純一 :2006/06/22(木) 22:58:05
>>583-584 本物なら、トリップ出してみてください。
受け継がれているはずですから。
本物って何だよw
587 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 00:33:46
自然主義的闘争 人間と環境(自然)の終わりなき闘争において、近代以降、科学技術の発展が内部環境を開拓し、 略奪することで内部の豊かさを保ってきた。現代はさらに内部環境が崩壊しないように、コントロー ルしながら略奪することが課題となっている。 ここでいう内部環境とは、環境問題でいうコントロール可能な自然環境である。内部環境がコント ロール不可能な外部環境へと転倒し、破壊的な力を示す前に、コントロールするのである。 また内部環境には人間自身の自然としての身体も含む。それが労働力となる発展途上国の人、フ リーターなどの下流の安い賃金の労働力である。近代以降のグレイゾーンの拡大は、社会と自然環 境という断絶から、人間内の心身二元論という断絶へ浸透する。倫理的なもの(内部)は、資本主義 システム(貨幣重視)によって多様化し、溶解している。より直接的には認知科学、医学、遺伝子工 学の発展は、心と身体の境界が不明確にしている。そして追いつめられた内部(心)は価値の多様 性の中で、島宇宙化し、孤立化し、対立を生む。 この複雑な状況の中で、「豊かな内部」として生き残るために、いかにグレイゾーン(内部環境)をコ ントロールするかが、現代の自然主義的闘争である。
588 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 00:40:04
外部は必ず回帰する 問題は「豊かな内部」とはなにかであり、その内部をいかに達成するかである。いままでの自然主義 的闘争では「豊かな内部」はほぼ生存のための物質的な豊かさを意味していたために、問題はその をいかに達成するかであった。しかし現代においては、生存、豊かさは確保され、「豊かな内部」とは なにかという方向性が問題なっているのである。 この方向性の喪失が内部への閉塞、そして外部の喪失という現代論になる。しかし外部環境はかな らず回帰する。内部/外部の対立構造の中で、グレイゾーンの問題を考えなければ、本質は見えて こない。人間の外部への闘争(純粋略奪の快楽)を止めることはできない。グレイゾーンの全面化は 外部への闘争を動力に作動しているからだ。外部が必ず回帰するとはそのような意味である。
>>586 >本物って何だよw
このように、トリップを出せるのが本物でございます。
590 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 00:51:51
ボクたちは動物化し充足などできないし、労働から解放されることもない。 なぜなら外部は予測不可能性として、回帰してくるからだ。 充足を妨げ、生き残るための労働を強いるのである。
では、
592 :
純一 :2006/06/23(金) 01:02:10
>>590 問題は外部が予測不可能かどうかでなくて、人間が充足するか、
しないかだがね。動物のように労働し、動物のように遊び、
ただ資本主義が回っていくのは、外部の消失だね。
593 :
純一 :2006/06/23(金) 01:03:12
594 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 01:14:07
>>592 たとえば癌によって余命1年と宣告される。
そのときに動物ではいられない。人間であることが純化される。
ハイデガー的にも死とはまさに人間のみのものです。
いかに日常に隠蔽しようと、予測不可能な外部は回帰する。
マトリックスのカプセルのような、完全な充足を与えるシステムは
不可能です。
たとえば運動しない身体は骨、筋肉が退化し、精神を正常に保てません
この身体こそが、予測不可能な外部です。
595 :
純一 :2006/06/23(金) 01:15:19
>>595 >違うよ?誰だい?
本物の純一なら、
このトリップが出せる筈なんですよ。
出してみてください。
597 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 01:25:06
「本物」つーのが複数いるのかよW 馬鹿じゃねーの? だいたい「純一」ってなんなんだよ。 個人のコテハンじゃないのか。受け継ぐって意味がわからん。 するってーとぴかぁ〜も、複数いるのかよ。 トリップ出してる方が出してみろって要求するのもおかしなもんだよなW
598 :
純一 :2006/06/23(金) 01:29:21
>>597 >「本物」つーのが複数いるのかよW
もちろんですともさ。
>だいたい「純一」ってなんなんだよ。
>個人のコテハンじゃないのか。受け継ぐって意味がわからん。
私のトリップを出せる人は2人、
純一という名前の人も2人居ますからね。
>するってーとぴかぁ〜も、複数いるのかよ。
コンテクストサーファーってのは単なる自演でしょう。
>トリップ出してる方が出してみろって要求するのもおかしなもんだよなW
トリップが出せるのは私の他にも居ますから。
> 私のトリップを出せる人は2人、 > 純一という名前の人も2人居ますからね。 > トリップが出せるのは私の他にも居ますから。 どういういきさつでそんなことに?
600 :
純一 :2006/06/23(金) 01:40:05
>>549 マトリックスの例は動物でも同じだがね。
完全に充足できないとか、自然と闘争しているのも動物も同じだがね。
601 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 01:57:13
>>600 ん?厳密には違っても、回帰する外部は人と動物では同じですよ。
(正確には欲動と本能は違います。)
違うのは内部です。人間は、完全に充足できない、自然と闘争していることで、
心が想起されるのだと思います。
回帰する外部 癌
内部 死(動物は死を理解できない)
回帰する外部 マトリクス的充足に対抗する身体
内部 心衰弱→疑い(動物は疑わない)
602 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 01:59:36
ブランショを読み直してから書け
603 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 02:22:41
いや、かつてあったリーマンもぴかぁの自作自演だわな。
604 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 02:26:57
>私のトリップを出せる人は2人、 純一という名前の人も2人居ますからね。 じゃなにかい。 おれはそのときによってどっちの純一とはなしているのかわからないってことかい? そいつぁひでえ話しだよ。 そらないよ。
605 :
短パン :2006/06/23(金) 03:41:11
ざっと、読んでみましたよ。ノシ(難しそうなのは、端折りました。すいませんでした。) ・・・・ふいんき、と、言う奴に興味があって。今回もそんな感じで読んでみたです。 すると、、、「・・・・三つ巴戦の様相を呈しているかのような。」なんか、そんな印象だったです。 でも。この印象に流されるのは、間違ってますよね?そう、コミュニケーションとして、三つ巴とするには欠けている事柄があるんです。 (多くは語りません。なんせ、ここは哲学板なので、後は、「推して知るべし」でしょう?へっ。) しかし、単純に言って「個人に語っているはず」が、実は「個人ではなかった。」というのは、次の一手に困るものだという事を、 改めて、「知らしめさせられた感」がありました。(ついでに言えば「短パン」のハンドルも、勝手に一人歩きをはじめているし・・・。) そりゃ、こっちは、(一部の御仁がとっくに掻い摘んでしまっているように。)表現法としては、一貫して「自由さ。」ですので、 特定のスレッドは、持ちませんし、やるだけやったら、出来るだけ「やった事に関しては考えないように」しています。(意外と大変w) 『・・・・・待てよ。。。。それは、なんだ?それは、「無責任を是と叫ぶ行為じゃないのか?」』
606 :
短パン :2006/06/23(金) 03:41:44
無責任すか・・・・。では、貴方に尋ねたい。「責任とは一体なんですか?」 僕の屁理屈を述べて置きます。 『無責任、という行為は実は存在していない。とある行為が無責任とされるには、これまた、とある「傍観者」がそこにまず。在るんです。 その人の、主観から「外れた時」例えば、「無責任」という言葉や概念が生まれるのだ。と、、、、 後は、それを「無責任な行為である。又は無責任な行為であった。と、定義付けようとする、”その傍観者のディベート能力”で決まる」 ・・・とどのつまり。無責任の元は、とある人の(たった一人の人間の)無意識な行為から生まれていたりする。』 多分、そんな感じだと思って生きています。 「人を殺す事は悪い事だ!」 それを、説明する為に、どれだけの労力を必要とするんでしょうな?(別段、神様てぇわけでも無い私達が!) それが、どれだけ大変な説法なのか。ここにおるような輩であるなら、少しは判るんじゃねぇの?・・・知らんけど。w はは・・・自分で打ち込んでて、わっけわかめーw。 んじゃあね?
607 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 11:47:45
マルクスが自然と社会との関係として経済をみたように環境問題も経済からみないといけない、というけとですね。 さらに最近の動物化、環境管理権力もしかりです。 資本主義社会システムが環境問題、動物化、環境管理権力を推進するのはなぜか 都合の酔い自然環境、都合よい労働力、消費者をつくるからですね。
608 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 12:18:43
しかしここで資本主義システム=ブルジョアジィと短絡してはいけません。 つくるのもつくられるのもボクたちの一面です。そのように全体が作動しています。
609 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 12:23:41
ボク達の中の多面性はいかに同一性として支えられているのかといえば、 グレイゾーンに包括されるということだと思います。動物のように搾取し、動物のように搾取される。
610 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 12:38:15
グレイゾーンとはデジタル化された無法地帯である。倫理が溶解し、数量化による秩序と不確実性が攻めぎあい、野蛮人が闊歩する。 気がつないほど長いフェンスで囲われた野性の王国で動物は管理されているのか、それとも管理者の自己満足か
経験したことでしか物事を計れないから物の経験。その記憶はアプリオリ。 物事体を知り体から手続きがいるんじゃん。外部内部て物自体とは関係なさげ。
箱庭とか結び目とかは?三つ巴には何が欠けていたの?
613 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 12:43:38
自己の確立なら傍観者の視点がいるのかといったらいらね。 (性)対象がいればいいんじゃね?
数量化でせかいを顕すとか道元や法華経のマトリクスせかいかしら。 胎蔵曼陀羅とか。
境界例とか。境界を測る指標とか。 ポアンカレマップとかマッピング法とか。
けいざいの作動原理しらね。なんだっけPDACサイクルだっけ。 そんなんで作動しない。差異?スパイラル? 仮想は仮想。デジタルのよさはノイズを除去しやすい。丸め。
生そのもの、無垢とか純粋とか。夢みてんじゃねぇ。 「人間」は厚く皮で覆われてんだ。細胞いっこいっこ見ても蜜からないし 人類ぜんたいでも見つからない。 人間として。
618 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 13:05:39
■グレイゾーンの全面化 マルクスが自然と社会との関係として経済をみたように環境問題も経済からみないといけない。さら に最近の動物化、環境管理権力もしかりです。資本主義システムが環境問題、動物化、環境管理 権力を推進するのはなぜか。都合のよい自然環境、都合よい労働力、消費者をつくるからですね。 しかしここで資本主義システム=ブルジョアジィと短絡してはいけません。つくるのもつくられるのも ボクたちの一面です。このような多面性はいかに同一性として支えられているのか。すべてがグレイ ゾーンに包括されるということだと思います。 グレイゾーンとはデジタル化された無法地帯です。倫理が溶解し、数量化による秩序と不確実性が 攻めぎあい、野蛮人が闊歩する。気がつかないほど巨大に長いフェンスで囲われた野性の王国で 動物は管理されているのか、それとも管理者の自己満足か。すなわちそれは内部であり、外部であ る領域です。 野蛮人は自分たちの強い内部をもつが、大きな社会からは外部です。デジタル化は社会の内部で あるが、倫理が働かない領域です。心は内部であるが、身体は外部です。グレイゾーンにおいて、 多面性は同一性を確保します。
日本代表にはがっかりした。 やはり、日本人には創発的システムが作動しなかった。 マニュアル的システムにもどさなくては。
>創発的システム その言葉変だよ。
創発を採用する戦略システム。
創発ってシステム一般に起こる現象だから、 創発がなかったらシステムと呼べない。
623 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 15:31:33
何故制服が興奮するかと言うと、 制服は個性を消すものだから。 突き詰めて考えた結果です。 どうよ君たち。
624 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 15:33:56
自然主義的闘争 偶然性というトラウマ的「外部環境」から人間社会を守りながら、「資源」を略奪し、豊かな社会を目 指すこと。これが人間社会の下部構造=自然主義的闘争である。 近代以降の数量化革命により内部環境(グレイゾーン)は拡大した。資本主義システムはこの「内部 環境」をコントロールする。いかにグレイゾーン(内部環境)をコントロールするかが問題であり、それ が環境問題、動物化、環境管理権力である。「環境コントロール」が人間管理の問題として表れてい るのは、ボクたち自身も自然の一部であるからだ。 さまざまな問題が噴出するが、現代の自然主義的闘争の形態として、大きな流れは変わらない。
>>623 個性を消すとなぜ興奮するかを突き詰めて考えて無いじゃん。
626 :
純一 :2006/06/23(金) 16:28:10
環境をコントロールするだけで資本主義は生き残れるのかね。
627 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 16:40:28
帝国的外部がないとは、汲み上げる資源の欠乏に対応していますね。 だから資源のコントロールなのです。どこまで対応できるかは不明です。常温核融合がほんとに可能になるかもしれない。 そうすると下部構造の闘争様式は大きくかわるでしょう。 しかしいまは資源コントロールにむかいます。今後、資源のいよいよの枯渇を むかえればより厳重なコントロール社会にむかう可能性はあると思います。
628 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 16:44:19
そのような流れの中でおもしろいのはネットのありようですね。 環境コントロールのありようが示されています。それは単なる1984的にはいかない姿です。
629 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 17:27:24
■野蛮なコントロール社会 現代論的に外部の消失は、世界は大きな内部(社会)となったということだ。これはまた環境問題の 一つ資源の枯渇にも対応している。すなわち資源とは外部である。実際、資源の枯渇は忠告であ り、いますぐになくなるわけではないが、資源のコントロールが必要とされる。また環境問題では排 出物のコントロールも必要である。 これが社会の下部構造(自然主義的闘争様式)であるとすると、今後環境がどのように変化するか で、社会の有り様は大きく変わるだろう。仮に常温核融合のようなものが成功すると、コントロールは 緩和されるだろう。しかしこのまま資源が枯渇し続ければ、出産管理、優生学的選別など、全体主 義的な厳しいコントロール社会に向かう可能性は否定できない。
630 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/23(金) 17:28:43
しかしこのようなわかりやすいストーリーに対して、ネット社会のありようは複雑である。ボクは、「グ レイゾーンとはデジタル化された無法地帯である」といったが、ネット上はまさにそのようにある。ア ルゴリズムで構造化された人工世界なのに、野蛮人、ムラ社会な世界である。 そこには従来の内部倫理がなく、小さな内部が多数形成されているからだ。そして野蛮人が不確実 なものとして飛来する。ネットが「疑似環境」として成立しているのが、デジタルな構造物のせいでは ない。デジタルな構造物は単なる箱であり、環境ではない。そこで無数のコミュニケーションが行わ れるためであり、そしてそのコミュニケーションが失敗するからである。そこに不確実性が生まれ、 「疑似環境」として成立しているのである。 どのような環境コントロールも失敗するが故に環境でありうる。それがグレイゾーンのテーゼである。 再度もどれば、資源の枯渇はより厳しいコントロール社会を生むかも知れないが、それ故にそれに 対抗する外部が回帰し、混沌とするだろう。それは野蛮なコントロール社会である。このように進む 可能性はかなり高いのではないだろうか。それは現にネット社会として表れている。
631 :
純一 :2006/06/23(金) 19:58:57
>>626 あれ?本物の純一さんですか?
また来ましたね。
632 :
短パン :2006/06/23(金) 20:00:02
あのさ。。。 違うけど・・・・・・・・。 ま。。。。いっかぁ〜〜〜〜。。。。。 な?
633 :
純一 :2006/06/23(金) 20:01:54
>>632 >違うけど・・・・・・・・。
私ですか?
それともぴかぁ〜に言おうとしたのに、
私が横から口を挟んだだけですか?
634 :
短パン :2006/06/23(金) 20:05:00
いやいやサッサノさぁ〜♪
まあったく、間の悪いレスしやがって、
>>631 誰が「純一」でも、よかとね。それは、問題かもしれんけっど、別に問題と言うほどの事でも
ないのんや。。。。
635 :
純一 :2006/06/23(金) 20:06:36
>>634 >誰が「純一」でも、よかとね。それは、問題かもしれんけっど、別に問題と言うほどの事でも
>ないのんや。。。。
でも、
>>626 は私ではないのです。
つまり、偽者ですよ。
636 :
短パン :2006/06/23(金) 20:10:03
・・・・・・・・。問題じゃないかよ。。。。 どうすんだ?純。。。
637 :
短パン :2006/06/23(金) 20:13:47
これは、「お前の問題」だ。そうだろ? 誰も、どうも出来る次元に無い事柄じゃんか・・・・。 無理無理。ノシ 俺は、こんなの絶対に無理なので、ひとつよろしくにな?
>>636 >・・・・・・・・。問題じゃないかよ。。。。
>どうすんだ?純。。。
本物なら、今出ているトリップが出せる筈なのです。
私含めてこのトリップを出せるのは2人ですから、
これで偽者かどうかがわかる。トリップが出せても、
同一トリップで名前が違う人がもう1人なので、
純一とこのトリップの組み合わせを出せる人は基本的には
1人しかいない。つまり、私だけですね。ですから、
偽者が出た場合はトリップが出せるかどうかが決め手になります。
639 :
短パン :2006/06/23(金) 20:22:34
・・・う〜ん。悪いんだけど、俺。
>>638 が、俺と今まで絡んできた「純一」のようには思えないです。
理屈は分るし、そのトリップを見た事もあるんだけど、、、そうかなぁ?
君は、本当は、俺と絡んだ「ジュンちゃん」じゃ、ないんじゃないのかな?
640 :
純一 :2006/06/23(金) 20:24:47
>>639 >>君は、本当は、俺と絡んだ「ジュンちゃん」じゃ、ないんじゃないのかな?
しかし、トリップを出せるのは事実です。
何らかの原因で漏れていない限りは私でしょう。
641 :
短パン :2006/06/23(金) 20:27:52
・・・・その「トリップ」は既に、鳥バレしているんだと解っていても、 それでも、俺を騙すつもりか?
642 :
短パン :2006/06/23(金) 20:32:16
・・・俺の中では、「純一」は2chで、停止処分になっても、「言う事は言う奴」 という。そういう認識だから、大体運営でもない俺に対して、諂う理由が無いんだけどね?
643 :
純一 :2006/06/23(金) 20:40:02
>>641 >・・・・その「トリップ」は既に、鳥バレしているんだと解っていても、
>それでも、俺を騙すつもりか?
知ってますよ。
しかし、今までその鳥によって騙りが起こったことはありませんし、
そもそも、鳥バレしてないトリップを使うことによって、
過去の私との同一性が保てなくなるという点の方が有害だと考えるんですが。
そもそも、鳥バレしている事を知る人間は私の知る限り、かなり限られて
いますよ?
644 :
短パン :2006/06/23(金) 20:41:54
どうかしましたか? ん?
645 :
純一 :2006/06/23(金) 21:34:27
>>644 >どうかしましたか?
それに、今はトリップを出していません。
それは鳥バレしたからですが、一応出せますよ。
646 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 22:02:30
荒らし(テンペスト)だね!
647 :
純一 :2006/06/23(金) 22:03:27
>>646 >荒らし(テンペスト)だね!
私ですかい?
648 :
純一 :2006/06/23(金) 22:31:15
ふ〜、
649 :
純一 :2006/06/23(金) 22:55:10
>648 おや、また本物の偽者さんですね?
トリップ出せる純一が本物ですよ〜
651 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 23:01:55
そんなこと、もうどうだっていいよ〜
652 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 23:06:08
こうも本物偽者にこだわる純一は、思ったより器が小さいな。 ぴかぁ〜とにたりよったりだな。 短パンのほうが度量があるわ。
653 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 23:12:54
純一、ところで君に小判鮫みたいにくっついていたスケラだかスキラだかってお子様どうした?
654 :
純一 :2006/06/23(金) 23:16:34
>>651 >そんなこと、もうどうだっていいよ〜
そりゃ、君は私ではないしね。
純一であるからこそ、気にするわけですが。
655 :
純一 :2006/06/23(金) 23:17:54
>>652 >こうも本物偽者にこだわる純一は、思ったより器が小さいな。
>ぴかぁ〜とにたりよったりだな。
>短パンのほうが度量があるわ。
たぶん、ぴかぁ〜は君だね。
こうも、というパクリと、にたりよったりという漢字が
変換できないわけですから。
656 :
純一 :2006/06/23(金) 23:18:49
>>653 >スケラだかスキラだかってお子様どうした?
スケラもスキラも知らないね。
私が知ってるのはスクラだし。
657 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 23:21:14
>そりゃ、君は私ではないしね。 純一であるからこそ、気にするわけですが。 そりゃ、そうかもしれんがこっちとしては、どうでもいいと表明したまでだ。 おれは君じゃないしね。
>>653 私ですよね?
ずっと見てますよ
ちょいと修行中ですので書き込み控えてました
659 :
純一 :2006/06/23(金) 23:23:28
>>657 >おれは君じゃないしね。
それはそうだが、
純一ではないのに、おれは純一だと言う人が居るわけだよ。
660 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 23:23:51
>スカラ 何の修行?
662 :
純一 :2006/06/23(金) 23:25:18
663 :
純一 :2006/06/23(金) 23:26:22
>>661 >>スカラ
スクラです。
どうやら、君は観てなかったらしいね。
夕方六時台からね。
664 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 23:27:02
>スコラ 言ってる意味が分からないよ・・・。
666 :
純一 :2006/06/23(金) 23:30:50
>>665 >言ってる意味が分からないよ・・・。
ふっ、馬鹿に付ける薬ーーーなーーーし!
さらばだ!
>>661 (そんな防御力上がりそうな名前じゃないんですが・・・)
自分のやってることが「哲学」と呼ぶにふさわしくないと気づいたので
じゃあ「それ」は何なのか、とかれこれ2週間ですね
あと単純に板の学問っぷりに置いて行かれた
スコラのやってる「それ」は何だったの?
>>663 >夕方六時
うわー正解です
ヒントなんて出してないのに推測すげえ
もういい 全然分からん。 ごきげんようノシ
>>668 (それはエロ本のタイトルだっけ?)
今、言葉の意味がわからない状態なんだよね
哲学と並列に並ぶ言葉がわからない
私のは信念、主義、思考、思想、とか呼べそうだけど
それは「する」ものなのか、とかいう国語的なとこでつまづいてる
672 :
考える名無しさん :2006/06/23(金) 23:51:03
>>624 「資源」の略奪という考え方こそ人間の思い上がりである。
あらゆる生物はその生命活動においてエネルギーを消費しているのだ。
自然からの逃走(非オリエンタリズム的精神)の結果、人間は過剰にエネルギーを消費するようになった。
ただそれだけのこと。
しかしながら人間(自然)である以上、自然からは逃れられない。
結果、人間がしたことといえば地面に穴を穿ち雨風を防いできた(逃走してきた)に過ぎないである。
自然への闘争と称すれば聞こえが良い。
真に「闘争する」というのは「冬の短パン」のようなものである。
吹きっさらしの寒風に耐えうる肉体をつくることこそ自然との闘争であり、
あらゆる負荷に耐えうる精神、悦んでその負荷を受けとり自己の健康を確かめ得る精神こそが
真に自然と対峙した人間の状態なのである。
オリエンタリズム:仏教的なニヒリズム。自然を自然として容認し逃走をやめた状態。
オレもよくわかってない!自分のことなど! (あれ、哲学っぽいな) 早い話が「哲学って何?」っていう疑問に、正面から立ち向かって 長期戦の真っ最中だが、勝ってるのか負けてるのかわからない、 でも逃げるわけにはいかない、と (わかりにくいよ)
674 :
純一 :2006/06/23(金) 23:59:17
675 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/24(土) 00:01:40
純粋略奪の快楽(自然主義的闘争論) 純粋略奪・・・人間関係は贈与で形成される。贈与を受けたものは負債を感じ、返礼をする。デリダ はたとえば自然の恵みのような見返りのない贈与を「純粋贈与」と読んだ。しかしこれはまた 「純粋略奪」とも言えるだろう。 自然主義的闘争・・・・偶然性というトラウマ的外部環境から内部(社会)を守りながら、「資源」を 純粋略奪し、豊かな社会を目指すこと。これが人間社会の下部構造としての自然主義的闘争である。 グレイゾーン(内部環境)・・・近代以前の社会は、外部環境を排除することで秩序を保っていた。 ルネサンスでは外部環境は再発見されます。そして数量化によって「内部環境」として開拓され、 略奪される。「内部環境」は内部と外部の間のグレイゾーンであり、資本主義システムはこの内部 環境(グレイゾーン)を拡大させることで増大してきた。 環境コントロール・・・現代、いかに内部環境(グレイゾーン)をコントロールするかが問題になる。 それが環境問題、動物化、環境管理権力である。「環境コントロール」が人間管理の問題として 表れるのは、ボクたち自身も自然の一部であるからだ。そしてそれは均質化された良質な労働力である。 野蛮なコントロール社会・・・しかしどのような環境コントロールも失敗するが故に環境でありうる。 資源の枯渇はより厳しいコントロール社会を生むかも知れないが、それに対抗する野蛮な外部が 回帰する。それは野蛮なコントロール社会である。それは現にネット社会として表れている。
言えない。
677 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/24(土) 00:05:53
送信してなかった
>>656 わ、覚えててくれたんですか
というか
>>653 も私をおぼえててくれたんですね
(2chで不在時に名前出されたの初めて・・・
コテハンで良かった、と思った)
679 :
考える名無しさん :2006/06/24(土) 00:20:44
680 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/24(土) 00:22:06
純粋略奪の快楽(自然主義的闘争論) <純粋略奪>・・・人間関係は贈与で形成される。贈与を受けたものは負債を感じ、返礼をする。 デリダはたとえば自然の恵みのような見返りのない贈与を「純粋贈与」と読んだ。しかしこれはまた 「純粋略奪」とも言えるだろう。 <自然主義的闘争>・・・・偶然性というトラウマ的外部環境から内部(社会)を守りながら、「資源」 を純粋略奪し、豊かな社会を目指すこと。これが人間社会の下部構造としての自然主義的闘争で ある。各時代ごとにぞれぞれの闘争様式がある。 <グレイゾーン(内部環境)>・・・近代以前の社会は、外部環境を排除することで秩序を保って いた。ルネサンスに外部環境は再発見された。そして数量化によって「内部環境」として開拓 され、略奪される。「内部環境」は内部と外部の間のグレイゾーンであり、資本主義システムはこの 内部環境(グレイゾーン)を拡大させることで増大してきた。 <環境コントロール>・・・現代、いかに内部環境(グレイゾーン)をコントロールするかが問題に なる。それが環境問題、動物化、環境管理権力である。「環境コントロール」が人間管理の問題 として表れるのは、ボクたち自身も自然の一部であるからだ。そしてそれは均質化された良質な 労働力である。 <野蛮なコントロール社会>・・・今後、資源の枯渇はより厳しいコントロール社会を生むかも知れ ないが、それに対抗する野蛮な外部が回帰する。それは「野蛮なコントロール社会」である。現に ネット社会として表れてまじめている。
681 :
考える名無しさん :2006/06/24(土) 00:30:34
>>678 覚えているとも。
そこまでアホぶり曝せばネ
>>681 む
いや、でもうれしいですよ
ただ電波を気取って釣ったりはしてないですからね(そんな技量無いし)
本音をさらけ出さなきゃ信頼も生まれないでしょ
やるのもやらないのも、今現在の状況こそが、あなたの選んだ生き方でしょ
アホに見えてたと知ったとたん発言を撤回したりするよな生き方したくないですから
683 :
考える名無しさん :2006/06/24(土) 00:46:48
>682 あ そ ま しっかり生きなさいよ。
自分の文章がわかりにくいんですが 選んだ道に後悔なし(信念) だが自己批判と変革はある(哲学的思考) これでどうか
685 :
純一 :2006/06/24(土) 00:48:40
686 :
純一 :2006/06/24(土) 00:50:11
681 名前:ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/24(土) 00:30:34
>>678 覚えているとも。
そこまでアホぶり曝せばネ
って感じかな。
687 :
考える名無しさん :2006/06/24(土) 00:54:57
純一必死だな(笑)
688 :
純一 :2006/06/24(土) 00:56:28
>>687 ラカンスレでリーマン発見したし、
短パンはたぶんリーマンだろうね。
しかし、君はぴかぁ〜っぽいが。
>>684 この板の人ってみんなそう言うよね(言われたのまだ2回目だけど)
やっぱもっと脳髄を磨いて来ますから
私の名前で検索すると「アホぶり曝してる」HP見れますよ(宣伝)
…って
>>686 そうだったんですか!?
690 :
純一 :2006/06/24(土) 00:58:03
>>689 レスアンカー間違ってませんか?
>そうだったんですか!?
わかりませんが、よくやります。
彼は。
692 :
考える名無しさん :2006/06/24(土) 01:03:46
自信過剰の独断… 当たっていれば良いがね。 ヒヒヒ
693 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/25(日) 09:58:06
映画デスノートをヒットしてしまう。(悪魔が地球に落とした)デスノートに名前を書くことで人を殺せる。 そこには正しさとはなにかという大きなテーマさえ感じられ、リアリティが目指されますが、 その核はデスノートというドラえもん的なものです。 これに近いのもにハリウッド映画でもリメイクされ世界的にヒットして、「リング」があります。 呪いのビデオテープ、それを見ると死ぬが、他の人に見せると助かる。 その流れで、「着信アリ」があります。
694 :
考える名無しさん :2006/06/25(日) 12:39:00
映画鑑賞の感想ですか。 よそでやれ。 ネタがないなら黙ってろ。 まさにネタ切れハリウッドのパクリの嵐と同類ぴかぁ〜〜〜〜〜〜
695 :
考える名無しさん :2006/06/25(日) 17:02:05
その流行りモンに飛び付く、俗っぽさとか、とか、とか
映画『デスノート』がヒットしているそうだ。 この映画には、表題にもなっている「デスノート」というものが登場する。「デスノート」は、 悪魔が地球に落とした一冊のノートで、そこに人物の名前を書き込むと、書き込まれた 人物は死ぬという設定だ。 「デスノート」という、ドラえもん的な ”非現実的” 道具を核に、 「正しさとはなにか?」という人間にとっての ”現実的” テーマの描写が志向されている。 『デスノート』と同様に、呪術的アイテムの存在をストーリーの核とした映画に、『リング』 と『着信アリ』がある。ハリウッドでもリメイクされ世界的にヒットした『リング』には、 それを 見ると死ぬが他の人に見せると助かる「呪いのビデオテープ」が登場し、 『着信アリ』には 聞き覚えの無い着信音とともに携帯電話に届く「死のメッセージ」が登場する。
デスノートのテキストと2chのテキストは親和性が高いらしい
698 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/25(日) 18:26:27
■なぜ映画「デスノート」はおもしろくないのか 映画「デスノート」はドラえもん的 映画「デスノート」がヒットしています。デスノートに名前を書くことで人を殺せる。そこには正しさとは なにかという大きなテーマさえ感じられ、リアリティが目指されますが、その核はデスノートというドラ えもん的なものです。 これに近いのもにハリウッド映画でもリメイクされ世界的にヒットして、「リング」があります。呪いのビ デオテープ、それを見ると死ぬが、他の人に見せると助かる。その流れで、「着信アリ」があります。 これらにあるのは、最初のシチュエーションに背景がないということです。「もしもデスノートがあった ら・・・」、「もしの呪いのビデオがあったら・・・」、「もしも呪いの電話があったら・・・」とコンセプトがあ り、背景のリアリティは重要ではない。それはドラえもんがなにものであるかは重要でないことに通じます。
699 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/25(日) 18:28:13
外部(現実的なもの)の産出 さらにドラえもん的であるのは、シチュエーションにおいて、身近な道具がキーであるということで す。ノート、ビデオ、ケータイ。身近な道具が超越的世界と短絡する。このような傾向は「象徴界の喪 失」(東)といわれるセカイ系の特徴にに近いのではないでしょうか。 僕の日常(この場合なら身近な 道具)と超越的世界が、社会的な背景(象徴界)なく、短絡する。 ボクはセカイ系の本質は、「象徴界の喪失」であるとともに、「外部(現実的なもの)の産出」に あると言いました。 「デスノート」、「呪いのビデオ」などには背景がない、曖昧であることが重要である。それは外部へと 繋がる「断絶」としてある。外部とは僕たちには知りえない。そして僕たちの倫理であり、論理であり、 ルールは通用しない異次元である。そして内部と外部の間には「純粋略奪の快楽」が生まれる。内 部のものが外部から、外部のものが内部から略奪することに罪も負債もない。野性のりんごをもぎ 取るように、略奪は行われる。 「デスノート」で作動しているのはまさに「純粋略奪の快楽」である。外部から振ってきた「デスノート」 その力は内部(社会)とは繋がりがない。力は内部の論理と関係がなく発揮される。それは地震など と同じように天災なのである。野性のりんごをもぎ取るように、人の命が略奪されるのだ。
私の中の良からぬものとは何か? なぜ、ジョジョビ ジョバ ジョビ ジョバ なのか?
701 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/25(日) 18:39:52
内部生成の物語 「リング」も、「着信アリ」も、まず根源的に働く力は、外部からの純粋略奪である。しかしそれが社 会の中で贈与されていくところがおもしろい。 贈与とは未開社会から秩序を司る互酬(贈与と返礼)という交通様式である。現代ならば、親は子供 に生きる糧を贈与する。それにより子供には恩が生まれる。それはまたその子供にと繋がる。社会 全般の貨幣交換ではなく、親、友達などの親密な関係でうまれるが、それが希薄化しているのが現 代社会である。 最初に外部から「ビデオ」を通して、誰かが(生きることが)略奪される。誰かはそれを失われつつあ る贈与でつなげなければならない。 たとえばホッブズが「リバイアサン」で原初的な人間関係は戦争状態に始まり、そして社会契約に よって国家ができるというときに、失われているのは外部である。それは天災であり、異邦人であり、 外国であるが、最初に外部からの純粋略奪が飛来し、それに対して人々は内部を形成する。贈与 関係を開始する。 すなわち「デスノート」、「リング」などがしめすのが、原初的な内部の生成の物語であり、現代におい て外部が喪失する中で、社会の絆とはなにかが、問われているのである。
■なぜボクは、映画「デスノート」がおもしろくなかったか 映画『デスノート』がヒットしているそうだ。 この映画には、表題にもなっている「デスノート」というものが登場する。「デスノート」は、 悪魔が地球に落とした一冊のノートで、そこに人物の名前を書き込むと、書き込まれた 人物は死ぬという設定だ。 「デスノート」という、ドラえもん的な ”非現実的” 道具を核に、 「正しさとはなにか?」という人間にとっての ”現実的” テーマの描写が志向されている。 『デスノート』と同様に、呪術的アイテムの存在をストーリーの核とした映画に、『リング』 と『着信アリ』がある。ハリウッドでもリメイクされ世界的にヒットした『リング』には、 それを 見ると死ぬが他の人に見せると助かる「呪いのビデオテープ」が登場し、 『着信アリ』には 聞き覚えの無い着信音とともに携帯電話に届く「死のメッセージ」が登場する。 三つの映画に共通するのは、”非現実的”アイテムに信憑性を持たせるバックストーリー 設定が作りこまれていないことだ。「もしもデスノートがあったら・・・」、「もしの呪いのビデオ があったら・・・」、「もしも呪いの電話があったら・・・」というアイデアの奇抜さだけが重視され、 アイデアのリアリティーは重視されていない。これは、ドラえもんの道具に対して、現実に そのような道具を製造できるかが問われず、機能の面白さのみが問われることに通じる。 ボクは頭が固くて、もはやこのようなストーリーには感情移入できない悲しい人間になって しまったのだ(泣)
■映画「デスノート」の感想―面白くなかった 映画『デスノート』を観た。この映画には「デスノート」なる物が登場する。 「デスノート」は悪魔の落失した一冊のノートであり、人名を書くと書き込まれた人物が死ぬというたいへん不条理な物だ。 話の成り立ち自体は、漫画ドラえもんになぞらえる事ができるかと思う。なぜならば、非現実的な道具を用いて「正しい」事に鑑賞者を導く過程が双方に共通して描かれているからだ。 それも我々にとって現実的で現代的なテーマを扱いながらである。 『デスノート』とドラえもんの違いは、呪術的アイテムの存在をストーリーに取り入れた『リング』に……
■なんで映画「デスノート」がおもしろくねーのか 映画「デスノート」はドラえもん的 映画「デスノート」がヒットしておるで。デスノートに名前を書くことで人を殺せる。そこにゃー正しさたー なにかっちゅう大きなテーマさえ感じられ、リアリティが目指されじゃが、その核はデスノートっちゅうド ラえもん的なもんじゃ。 けーにちけーのもにハリウッド映画でもリメイクされ世界的にヒットして、「リング」があるんじゃ。呪いの ビデオテープ、そりょー見ると死ぬが、他の人に見せると助かる。その流れで、「着信アリ」があるんじゃ。 けーらにあるんは、最初のシチュエーションに背景がねーっちゅうことじゃ。「もしもデスノートがあった ら・・・」、「もしの呪いのビデオがあったら・・・」、「もしも呪いの電話があったら・・・」とコンセプトがあ り、 背景のリアリティは重要じゃーねー。せーはドラえもんがなにもんであるかは重要でねーことに通じます。
人生諦めるなよ、ぴかぁ〜
706 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/26(月) 16:12:35
イベント化とはことば遊び、意味のない言語の表象である。 パロディである。
707 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/26(月) 16:17:51
意味とはなにか、コンテクスとのはりつけであるがなにかはじめからあるように錯覚される。 イベント化とは場違いなシニフィアンを滑り込ませることでうまれる宙づりである。 現代の無垢の作成法である。もはや意味はおもい
708 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/26(月) 16:24:05
差異の戯れの世界でたしかなリアリティをえるためには、確かな無垢が必要とされる。 その前にたつと足が震えるような外部(無垢)。欲望が想起する通路。 その一つがセクシャリティである。セクシャリティは戯れずボク達の欲望を想起する。 それはボク達の中の外部、身体へつながる通路、断絶、リビドーの入口、ファルスである。
709 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/26(月) 16:29:19
心はセクシャリティにより興奮し身体にであう。しかし心は身体からの欲動により作動している。
710 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/26(月) 16:32:47
むき出しの生とはコントロール可能であるが、器官なき身体とはコントロール不可能である。 同じ身体の二面性はグレイゾーンにいるか、外部にいるかの違いである。
711 :
短パン :2006/06/27(火) 14:02:22
「愛する」と言う事と「憎む」という事は、別に取り立てて、分けるものでもないのだと、 何所かで誰かが言って居たかもしれないし、言っていないかもしれんけどwwww ま。嫉妬心でしか、存在出来得ない「神様」には、何書いても、糞だろうがな? でわ。
712 :
考える名無しさん :2006/06/27(火) 17:51:40
713 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/27(火) 22:51:20
テスト
714 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/28(水) 10:27:24
■なぜラカンの入門書はわかりにくいのか なぜラカンの入門書はわかりにくいのか ラカンは、フロイトの生の人間観察を素材として、コジェーブ(ヘーゲル+ハイデガー)、ソシュール、バン ヴェニストetcなどのさまざまな道具で、素材を生かしながら調理したというようなことではないかと思っ ています。 フロイトの観察した生の人間分析はいまだにリアリティがあり、容易に構造化するのははばかられま す。だからフロイトの素材としての生を重視する(すなわち精神分析としてみる)と、簡潔に構造化した哲 学的理解は、危険なものとなる。 ラカンの入門書がなぜあんなにわかりにくいのかと思うのですが、その多くが精神分析側から書かれ、 ラカンを生で提示しすぎるからだと思います。多くにおいて、たぶん著者も理解していないだろうが、ラカ ンがそういったという生で提示されるの、初心者にはもっと理解できない。 道具側から見る(すなわち哲学としてみる)と、「な〜んだ、これってハイデガーそのままじゃん」とプラモ デルを分解するように見えてくる部分がある。それをラカンが言ったのだからとあの難解な文体を生で 受け止め、解釈しようとして、よくわからなくなっている入門書が結構あるように思います。これは教条 主義的になってしまう危険がある。
715 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/28(水) 10:28:12
ジジェクはなぜ簡潔なのか ジジェクがラカンの前にハイデガー研究からはじまったと言われるように、このようなラカンの仕組みを 見抜いているので、開き直るほどに、わかりやすくラカンを提示する。しかしラカンが目指したのは、あく まで精神分析ですし、フロイトという生の人間分析ですから、ジジェクのように構造的に簡潔に語るのは ラカンの趣旨に反する、というようなことでしょう。 このような構造化は理解する側だけでなく、ラカンそのものに内在する簡潔性だと思います。ラカンが臨 床に使えないのは、多くにおいて精神分析でなく、哲学すぎるからではないでしょうか。たとえばラカン はなぜあれほど「主体」にこだわるのか、哲学化された人間分析との接合が意識されているのだと思い ます。そしてフロイトの魅力とは異なって、ラカンの魅力はこの絶妙なクロスオーバーされた知にあると 思います。
716 :
光 :2006/06/29(木) 14:18:03
■なぜ「デスノート」はセカイ系ではないのか(前編)「戦闘美少女」は享楽する 「デスノート」はセカイ系的 「デスノート」は現代のおとぎ話と言える。「もしもデスノートがあったら・・・」たとえばハリウッド映画で もリメイクされ世界的にヒットして、「リング」や、「着信アリ」なども、「もしの呪いのビデオがあった ら・・・」、「もしも呪いの電話があったら・・・」と前提があり、物語が進む。そしておとぎ話である故に、 死神、デスノートという前提(シチュエーション)のリアリティはさほど重要でない。 ノート、ビデオ、ケータイが死神、怨念と短絡するのはとても不思議な感じもするが、これらに共通す るのは、身近な道具がキーであるということだ。背景なく大きな力が身近な道具へ短絡する。このよ うな構図はオタクアニメの「セカイ系」の特徴に近いのではないだろうか。
717 :
光 :2006/06/29(木) 14:18:50
セカイ系の三界構造 セカイ系の特徴は「象徴界の喪失」といわれる。ボクの日常と世紀末が、社会的な背景(象徴界)な く、短絡する。しかし他にも似た特徴が上げられるだろう。斉藤環はオタク文化に共通するつよい少 女像を「戦闘美少女」と呼び、古くは60年代の「魔法使いサリー」、「りぼんの騎士」などから繋がる 日本のアニメを支える重要なキャラクターであるという。 たとえばオタク文化のあけぼのである70年代の「宇宙戦艦ヤマト」(1974)の「森雪」の存在と同じ松 本零志の「銀河鉄道999」(1978)の「メーテル」を対比して考えみると、「宇宙戦艦ヤマト」では、主人 公「強いヒーロー(古代)」と敵「強いアンチヒーロー(デスラー)」というヒーローものライバルの構造 が中心にある。このような構造にあるときには、「戦闘美少女」(森雪)は「紅一点」の脇役に留まる。 それに対して「銀河鉄道999」では、主人公のテツロウは強いヒーローではなく、反省的である。そし て敵はアンチヒーローのようにつよく敵対するというよりもなにか漠然としている。そしてこの間で 「戦闘美少女」(メーテル)のキャラクターは上昇する。 ここには、「反省的な主人公」+「戦闘美少女」+「漠然とした敵」という三界構造がある。そしてセカ イ系に向かってこの構造は純化されていく。 反省的な主人公+戦闘美少女+漠然とした敵 1978 銀河鉄道999 テツロウ+メーテル+(敵) 1995 攻殻機動隊 バト+素子+敵 1995 エヴァンゲリオン シンジ+レイ(アスカ)+使徒 2002 最終兵器彼女 ボク+彼女+敵 2002 ほしのこえ ボク+彼女+敵 2006 涼宮ハルヒの憂鬱 キョン+ハルヒ(有希)+(敵)
718 :
光 :2006/06/29(木) 14:19:27
「ヒーローVSアンチヒーロー」の消失 セカイ系で純化された三界構造は、現代は男性が弱くなり、強い女性が男性を叱咤し守るということ でない。問題は主人公がヒーローになるためのアンチヒーローが不在であるということだろう。 「宇宙戦艦ヤマト」の「古代」に対する「デスラー」、「機動戦士ガンダム」の「アムロ」に対する「シャ ア」という「強いヒーロー」と「強いアンチヒーロー」にリアリティがなくなっている。なぜならば敵もまた 主人公同様にさまざまな背景を背負い、反省する同じ内部の存在であるからだ。 「宇宙戦艦ヤマト」も「機動戦士ガンダム」も続編が作られていくが、その中で「デスラー」にしろ「シャ ア」にしろ、もはや敵ではなく、とても複雑な位置に置かれる。そして物語も対立構図が見えにくい複 雑なものへ向かう。これは、形而上学的な二項対立にリアリティがなくなっているポストモダン的な状 況ともいえるだろう。
719 :
光 :2006/06/29(木) 14:20:17
「ファリック・ガール(ペニスをもつ少女)」 斉藤環は「戦闘美少女」を「ファリック・ガール(ペニスをもつ少女)」と呼び、その特徴として、「ヒステ リー性」と「セクシュアリティ」を上げている。 ポストモダン的な「大きな内部」では、外部が消失し、内部が複雑化することで閉塞する。そのような 状況の中で「戦闘美少女」の「無垢」なヒステリー性とセクシュアリティは、ひときわ輝くリアリティを放つ。 たとえばこのような「ヒステリーとセクシャリティの上昇」は、ハードゲイHG、猫ヒロシなどの最近の 「お笑い」にも見ることが出来る。さらにいえば、現代のロリコン傾向もこの傾向の中にあるだろ う。現代は「大きな内部」へと閉塞しているが故に、無垢な存在への欲望が強くある。
720 :
光 :2006/06/29(木) 14:20:55
外部の産出 このような「ヒステリーとセクシャリティの上昇」が生みだしているものが、「外部」である。「戦闘美少 女」は内部と外部の「断絶(ファルス)」に位置する「享楽のシニフィアン」であり、「外部」への扉を開く のだ。 「戦闘美少女」によって開示された外部とは「大きな内部」の向こうにあり、ボクたちの倫理を越え、 なにが起 こっているのかわからないただ「漠然とした不安」としてあるセカイである。だから「戦闘美 少女」が外部から飛来した不気味な「動物」を殺戮することは、「アンチヒーロー」を倒すのとは違い、 負債感なく享楽する、死を(純粋)略奪する快楽である。 セカイ系での戦闘シーンは必ずしも多くない。多くは主人公が反省する静かで閉塞したシーンであ る。そこに突然、「戦闘美少女」を介して外部への扉が開き、享楽する。たとえば「エヴァンゲリオン」 では使徒とのわずかな殺戮シーン(それは電源使用時間で制限されている)の享楽によって、ボク たちは解放される。 セカイ系が純化する三界構造とは、「戦闘美少女」を媒介として失われた外部を見いだし、ポストモ ダン的な「大きな内部」の閉塞からの解放を意味する。「象徴界の喪失」とは「大きな内部」の閉塞か らの脱出であり、ボクたちの身近(想像界)を外部(現実界)へ短絡することである。
721 :
考える名無しさん :2006/06/29(木) 14:37:57
83:ぴかぁ〜◆q5y3ccmqnw :2006/06/28(水) 16:57:54 しばらくおやすみします。
722 :
考える名無しさん :2006/06/29(木) 14:51:42
きみが自分で感じ、きみの魂から迫り出て、聞く人みなの心を根強い興味で打ち負かすのでなければ、 きみの思うことを遂げることはできないだろう。 まあ、せいぜいこしかけて、にわかで継ぎ合わせたり、 他人のごちそうのごった煮をこしらえたり、 きみの灰の山の中からとぼしい炎でも吹きおこしていたまえ! 子供やサルを感嘆させることはできよう。 それがきみの口に合うならば。 だが、きみはけっして心から心に働きかけることはできないよ。 本当にきみの心から出たものでなければ。
723 :
三日月 :2006/06/29(木) 21:29:52
残虐性を秘めた知の快楽 おお、光り輝く天の使いよ! 私は哲学者達の残していった物を見るよりもより良い快楽を見つけた。 それは生きた人間の解体(解釈)である。 今生きている人間の解体こそ、よりリアリズムに富んだ残虐な行為だと解かったのだ。 いつしか私は人体解剖展や博物館をめぐるように、 ある哲学者の心臓、脳みそ、胃袋、目玉、 好き勝手に解体され、ホルマリン漬けにせられたグロテスクな標本に快楽を見出すようになった。 もはや彼らには意思はないので、メスを入れるにはうってつけだ。 ・・・物足りない。なので私は精神分析家の手法でもって生きた人間の解体しようと思う。 不器用なのはお愛想。不器用ゆえ如何様にも残虐にしあがる。
724 :
考える名無しさん :2006/06/29(木) 21:45:28
■「外部産出型」物語 閉塞した「大きな内部」からの解放 セカイ系は、私的な日常(想像界)×社会領域(象徴界)×ハルマゲドン(現実界)において、社会領 域(象徴界)が消失すると言われていますが、ボクはむしろ無理矢理にでもハルマゲドン(現実界)を 産出しようとする表現=「外部産出型」だと考えています。 たとえばヒーローVS敵では、敵は社会領域(象徴界)の外(現実界)にいなければいけません。でな ければ本来の闘争は可能になりません。しかし現代のポストモダン社会では、敵を社会領域(象徴 界)に回収してしまう。敵も親もいれば、子供もいるし、さざまな背景をもち同じように悩みながら闘っている。 すなわち社会領域(象徴界)が大きくなりすぎて、全てを回収し、そして外部(現実界)が消失します。 このようなヒューマニティーなドラマは多くありますが、では閉塞した「大きな内部」でボクたちは「動 物化」して生きられるかというと、そうはいかない。 セカイ系が目指すのは、外部にいる敵(現実界)です。なんの背景もなくただ不気味に殺戮にやって くる敵です。そしてこちらもなんのためらいもなく殺す。それが享楽(純粋略奪の快楽)です。「人間」 であるためには享楽が必要なのです。これは人は人殺しを望むということではありません。人殺しと は内部で行われ、罪悪感がともないます。人は外部=フロンティア(新大陸)を征服(略奪)すること を望むのです。
725 :
考える名無しさん :2006/06/29(木) 21:46:05
「戦闘美少女」という外部産出装置 このような外部にいる敵(現実界)を喚問するのが「断絶(ファルス)」としての「戦闘美少女」です。 「戦闘美少女」の無垢なヒステリーとセクシュアリティと道具性は、すなわち彼女のもつ「狂気」は、ボ クたち(内部)の達し得ない不気味な「外部」を生み出す装置なのです。 たとえばボクはハードゲイHGも同様な位置にあると言いました。彼の「フォ〜」というヒステリーと 「ハードゲイ」というセクシュアリティと道具性は、人々のまえに「狂気」を提示します。彼の向こうにボ クたち(内部)の達し得ない不気味な外部があるように錯覚し、欲望するのです。だから彼は空気の 読めない狂気を演じ続けなければならない。
726 :
考える名無しさん :2006/06/29(木) 21:46:38
様々な「外部産出型」物語 ポストモダンという「大きな内部」への閉塞感は一般化していますので、このような「外部産出型」物 語はさまざまなに生まれています。先にお笑いの狂気化もそうです。たとえば有名なものは映画「エ イリアン」です。エイリアンは外部であり、人間と倫理、情なく、ただ殺し合います。背景がない外部で あるから大きな恐怖を生み、それをただ殺すから大きな快楽を生む。この物語の「断絶(ファルス)」 の位置にも「戦闘美少女」=リプリーがいます。 「リング」、「着信アリ」などが国際的にニーズがあるとすれば、日本の幽霊話がもともと「外部産出 型」の構造を持つからではないでしょうか。この当たりは様々に語られている「日本文化が本来もつ 閉塞性とスノビズムとその継承としてのオタク文化」につなげることができるかもしれません。
727 :
考える名無しさん :2006/06/29(木) 21:47:20
外部の産出は強い内部を産出する 「デスノート」も「外部産出型」の構図を持っていますが、それを利用して、ヒーローVS敵を復活させ ています。それは、外部が産出されることは、それに相対化する強い内部が産出する効果も期待さ れるからです。たとえば先に示したように、「リング」、「着信アリ」では、負の贈与の連鎖によって、原 初的な社会の形成過程が再現されています。 これは「ポスト・セカイ系」というよりも、様々な「外部産出型」物語の多様性を示しているのだと思い ます。セカイ系はオタクの特徴であるセクシュアリティへのこだわりによって、「外部産出型」を純化さ せたものだと思います。
728 :
考える名無しさん :2006/06/29(木) 21:53:27
名無しにしても改行の仕方が同じ
729 :
考える名無しさん :2006/06/29(木) 22:02:10
今気がついた。 こいつは、自分の立てたスレが下がること自体が許せないのだね。 いくら哲学書読んだかしらんが、小賢しい浅知恵ばかりつけても、この幼稚なプライドは致命傷だね。
730 :
三日月 :2006/06/29(木) 22:46:31
ぴかぁ〜を切り刻め。 いや、虫ピンでもって貼り付けろ。 いずれ勝手に干からびる。 彼にとって悪害となるいい読み手(解体手)となれ。 「浅知恵」を多様しても、 それが陳腐浅墓な精神の構造物であることは隠しえない。
731 :
考える名無しさん :2006/06/29(木) 22:53:29
君、短パンだろ? 名前変えてもハミチンしてるってば。
ぴかぁはほんとに人間関係づくりがヘタだな。よってくるのは糞ばかり。
733 :
考える名無しさん :2006/06/29(木) 23:17:37
おまえもな
>>732 カフカの研究でもしたら?
ちったぁマシになれるかもよ。
このスレはレスするだけで絡まれるんだな。誰もよりつかんよ。
ひきこもり中年ぴかぁ〜w
738 :
考える名無しさん :2006/07/26(水) 01:24:52
久しぶりに来てみたんだがこの閑古っぷりはいったいどうしたの? ぴかぁ〜は来なくなっちゃったの?
740 :
考える名無しさん :2006/07/26(水) 21:30:11
741 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 21:56:31
742 :
qwe :2006/10/22(日) 14:45:35
asdd
743 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 14:38:32
■なぜWeb2.0なのか 数式→言語→シミュレーション テクノロジーの発展をみると、たとえば古典物理学のように現象を単純な法則に還元し、近似的な数 学、方程式による基礎があり、つぎに基礎の厳密化の限界から、曖昧な言語にむかう。数式であらわ せない、視覚的に理解できない複雑さを言葉で説明する。次にコンピューターによる繰り返し計算の高 速化、低コスト化の中でより細部なシミュレーション化が起こる、という流れがある。 功利主義→構造主義(記号消費、規律訓練型)→システム論(生管理) たとえば消費では貧しければまず明確にほしいものある。人間は功利的法則に近づく。しかし豊かにな ると次第に欲望は発散し、抽象的、あいまいに記号化する。つぎに計算により、自分ではわからないも のがシミュレーションされ与えられる。 はじめが功利主義、つぎがボードリヤールのいう記号消費であり、構造主義、規律訓練型、次がシステ ム論、生管理に対応する。マクドナルド化ではあった記号消費、すなわちアメリカを消費するものは、最 近のグーグル化ではない。グーグルのブランドに関係なく、ただ適切なナビゲートを望んでいる。
744 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 14:39:13
数式→言語→シミュレーション→コミュニケーション シミュレーションの問題はパラダイムシフトを扱えないこと、結局初期設定内にしか変化しないことだ。 変化のダイナミズムは生まれない。グーグルなどが新たにめざすWeb2.0の方向は自律的に構造化する ことだろう。場と小さな管理で手の中でダイナミズムを起こすことだ。 たとえば今知りたい情報を提供するとき、その道のプロの感、すなわち言葉でよいかもしれないが、多く において根拠なく記号的になる。あるいはマーケティングによりシミュレーションすることも可能だろう。し かしネットで起こっているのはまさにコミュニケーションによって、自律的に知りたい情報が立ち上がる 現場である。
745 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 14:39:50
Web2.0の自由と管理 たとえば2ちゃんねるはWeb2.0か。まったくの無法地帯ではないが、管理度は低い。サービスとしては 質が悪いか、その自由度とダイナミズムが魅力である。ミクシィは管理度が高く、サービスの質がよい。 2ちゃんねる、ブログ界隈で知りたい人々が集まり、話題が飛びかう。これをサービスとして、商品化す るのがWeb2.0である。提供するのは適度に管理、整備された場である。 最近、メーカーのSNSができたしているが、単なるマーケティング調査でなく、場においてコミュニケー ションを楽しむ中で次のブームを作っていくということだ。現に2ちゃんねるのニュースサイトの反響は世 論の一部としてマスメディアなどを経由し、社会に影響を与えている。このような社会的な影響というダ イナミズムを管理することに目的がある。 話題のGoogleによるYouTube買収は、動画コミュニケーションという新たに育ちつつある場を買ったので ある。そして質の悪い場を、整備し管理し治すことになるのだろう。その質の悪さの一番は著作権の確 信犯的な放置である。そしてこれを整備したときも、ダイナミズムは維持され続けるのか、それが問題で ある。
746 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 14:40:26
数字と言語の二重螺旋運動 数式法則(数字)→言語→シミュレーション(数字)→コミュニケーション(言語)の流れは、数字と言葉の 相補的な追い掛け合いのようにでもある。将来、人口知能などの技術革新によりダイナミズムが計算予 測されれば、コミュニケーションのような曖昧なものに頼る必要はなくなるかもしれない。 しかしこの追いかけ合いが終わるときとは、人間が数字に完全に還元されたときであるが、人のゲノム が解読されても、人間そのものは還元されない。これは心身二元論的な終わりなき二重螺旋運動なの である。
批判 ポストモダンの思想家(評論家)は、ポストコロニアリズム、カルチュラル・スタディーズから、 非西洋文化圏への強い偏見が残っている指摘され、批判された。 また、極めつけだったのは、物理学者ソーカルによって、ポストモダンを標榜する者たちが、 衒学的であり(読者が解らないことをいいことにデタラメな数式で根拠づけており)、相対主義 である、として非難された事件である(ソーカル事件参照)。"ポストモダン"評論家の数式を 装ったまやかしの記法を指摘したソーカルの指摘は正しく、ポストモダンの評論家からは ソーカルに反論する者すら出てこなかった。結局、"ポストモダン"に関わっている者がしてい ることは、ある種のまやかしの活動であり、学問に大切な誠実さが根本的に無い、ということ は客観的に見ても明らかで、"ポストモダン"なる発想で活動していた評論家たちは、広く人々 の失笑を買った。ただ、この事件について知らされていない者(文学青年、評論好きの学生等) の中には、その後も暫く"ポストモダン"の発想に惑わされつづける者もいた。
748 :
考える名無しさん :2006/11/08(水) 02:51:39
NHKに取り上げられた 女子大生のブログ炎上 個人のブログに商品や映画の感想を書いてもらいPRする「口コミマーケティング」。その現状が2006年11月3日のNHK「ニュースウォッチ9」で放送されたところ、「企業から金貰って提灯記事を書いてるブロガー」と決め付けられ、 ニュースに登場した女子大生のブログが大炎上した。PRを仕掛けた企業のホームページには「誤解を解きたい」とするコメントが載るなど大騒動になっている。 「口コミマーケティング」は、アメリカでは「バイラルマーケティング」と呼ばれ、既存のユーザに自社の商品やサービスを知人に口コミで紹介してもらうもの。「バイラル」は「感染的な」という意味で、ウィルスの感染・増殖に例えている。 「上手なブログの書き方」を指導される 「ニュースウォッチ9」には、1日に1万人が見るブログを運営する女子大生で雑誌の読者モデルを務める坊農(ぼうのう)さやかさんなどが登場。映画の試写会にでかけたり、レストランでタダで食事をする様子などが放送された。 また、別のブロガーは企業から提供された化粧品や飲料を手渡され、「上手なブログの書き方」を指導されている様子が映された。ブロガーはこうした商品の話を自分のブログに書く事で、1回につき数千円の収入を得られるのだという。 単なる個人のブログだと思って見ていたのが、実は企業のヒモ付きだった事を知った人達は、この放送を見て裏切られた気持ちになったのだろう。ネット上にはカキコミが氾濫し、坊農さんのブログや、「口コミマーケティング」をしていた企業のサイトは大炎上した。 「今回の番組を見てとても驚いたし、正直失望しました」 「なにがクチコミだよ。ヤラセじゃねーかよ!!!」 「この放送見たけど新手のネズミ講みたいじゃなかった?」
749 :
考える名無しさん :2006/11/08(水) 02:53:50
カキコミの削除が繰り返され、掲載が制限付きになったところも出た。坊農さんは06年11月6日に自身のブログにこんなコメントを書いて釈明した。 「放送内容が取材時とあまりに異なることに驚きました(中略)『企業の方が提供してくださった商品をレポートした』という部分だけがクローズアップされていました。番組的にはそのような内容が望ましかったのかもしれませんが、私は少し悲しい気持ちです・・・」 「現役女子大生芸能プロ社長の日記」を書いているプリンシパルエージェント代表取締役のクロミホさんのところにも飛び火し、06年11月4日、「一部の読者さんから、 『ブログの記事に隠れて宣伝をしているのではないか』とのご指摘があったようなので、ここに記させていただきます」とブログ上で釈明。 「ほとんどのケースが実はお金が発生していません」。 そして、「弊社でブログ関連のプロモーションをお受けしていることは確かで、商品の紹介をするときなど、今後ははっきりと普通の記事と差別化するようにしたいと思います」と書いている。 ブロガー達に支払う「原稿料」は高騰 NHKのニュースに登場した「口コミマーケティング」のナレッジパークも同日、ホームページに、(1)ブロガーに書いてもらう際には「提供された。」 という一文を必ず入れている(2)本人には感想をそのまま記載するよう伝えており、一切の脚色はない(3)ブロガーが商品の記事を拒んだ際には、 掲載することはありません、という内容を掲載した。同社には放送後、「彼女たちに無理やりブログを書かせているのではないか」といった問い合わせがあったという。 同社が「口コミマーケティング」を始めたのは2年前。「通常のバナー広告ではクリック率が高まらない。本当に良い商品を紹介したいとき、 実際に使ったモニターの意見をブログで紹介することによりPR効果が格段に上がると判断した」とJ-CASTニュースの取材に答えた。現在は800人ほどのブロガーを抱える。殆どが女性だ。 「バイト感覚でお金が目当てというよりは、自分達が紹介することによって(商品を知ってもらったり、売れたりする)生じる影響力に興味があるブロガー達なんです」 と話す。
750 :
考える名無しさん :2006/11/08(水) 02:54:20
一方で、ブロガー達に支払う「原稿料」は高騰しているという。「1更新当たりに支払う価格が2年前が1とすれば、現在は8です。それだけ口コミマーケティングの需要が高まっていて、今後も相当需要が高まっていくと考えています」
ハウス食品はこの口コミマーケティングを活用している。導入以降、売り上げは4倍に増えたのだという。同社は、「テレビなどでCMを流していますし、
口コミがどれくらい効果があったのかは現在調査中です」と話す。「一度お試しください、という感じでブロガーに商品を渡したわけですから、
酷評を書かれ裏目に出る可能性もあるわけです。ただ、結果として良い評価が多かった」。口コミ導入は、一種の「賭け」だったわけだ。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2686290/detail?rd
751 :
考える名無しさん :2006/11/08(水) 04:45:34
>ぴかぁ〜 なんかトラックバックとかまで俺をはじいてる?
752 :
短パン :2006/11/15(水) 00:37:14
最近、ここ哲学板での打ち込みが通りやすくなっている。 「じゆん」とか「ぴかぁ」とかのお囃子がとんと見えなくなっている事に気が付いて、 見に来てみた次第。 撤退決め込んだのか。。。 時代編成? ・・・一応ageといてやる。 でも、解るんだろうな。 「誰かに、情けをかけられた時点で。。。」 ふ
そういうのは病気なんだから医者に行って適切な治療を受けてください。 貴方の調子の悪い精神をどこまで掘り下げても、宗教的哲学的文学的真理なんて見えてきません。 貴方の心の中、貴方の実存のあり方に、世界の秘密なんて隠れてません。 それは全部貴方サイズの出来事、貴方の都合に収まる小さなこと、 世界の広さを前にすれば、吹けば飛ぶような砂粒に過ぎません。 どんなに深刻に哲学思想をこねくって観念遊びをしたところで、 それだけでは「嘔吐」のようにはおかしくならない。 あれは嘘なんです。 サルトルはメスカリンでトリップ体験をしたときに「自明性の喪失」を味わい、 それを何か哲学的な真理に通じるものだと勘違いしちゃったんでしょう。 宗教的神秘体験と似たようなもんですな。 砂漠で遭難して半死半生意識朦朧になって悪魔や天使と問答しちゃったイエスや、 合法ドラッグで宇宙の真理を悟っちゃった「NHKにようこそ」と同じです。 人は哲学や思想では狂わない。 一方でちょっと薬物を入れれば割と簡単に調子悪くなるもんです。 麻薬である必要さえない。 俺なんかカフェイン錠剤飲みすぎて一時的な不安神経症っぽくなったことあるよ。 いや、その時は確かにすごい怖かったんだけどね。 逆に言うと、人はそういう生化学的条件さえ整えば、 自動的に不安や恐怖に襲われたりパニックに陥ったりする、ということです。 どんな哲学も思想も、脳内化学物質をコントロールなんかしてくれない。抵抗力にはなりえません。 これは、宗教や思想が無力だと言っているのではなく、 脳が正常に働いてる時、正気のときにこそ力を発揮するものだ、と言ってるんです。 宗教の一部には、脳をそういう状態に慣らす修行はあるけれど それって思想というよりは筋トレ的な、まさしく物質主義の発想だよね。
754 :
考える名無しさん :2006/12/25(月) 23:11:53
ここってどうなったの? どこかほかのところに移行したの? スレ主?の人はどっか行ったのかな
ぴかぁ〜なら、☆(←ヒトデではない)になってしまったんだってさ。
756 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 20:44:59
$$$
山形池田論争がブログで盛り上がった ぴか〜も言及してた ・・・無視されてたw うわ、これは恥ずかしいぃぃぃぃぃぃぃぃ
758 :
考える名無しさん :2007/02/24(土) 02:07:36
どんな論争だったのかな? 何と何でググれば出てくるか教る
759 :
考える名無しさん :2007/03/05(月) 00:46:29
760 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/09(金) 14:21:56
経済学と経済は違うこと当たり前である。複雑な問題を孕んでいる。 かつて宗教により統括されていた次元が、近代、政治学、社会学、経済学として分割されたわけである。 これらは比較的新しく、学問とともに成長してきた。 社会と社会学、政治と政治学は違うものであることは容易にわかるが、経済と経済学は感覚的に混同されやすい。 この理由を考えると、政治、社会が人という質を扱うのに対して、経済学には貨幣という量をもっていることがあげられる。 量をもつことは、客観的な事実として考えられやすい。という数がもつ魔力であるということだけではなく、 数はより正確な伝達を可能にすることで反復を可能にする力をもつ。 いわば経済学は経済をより客観的に記述するだけでなく、経済学そのものが経済を構造化する。 数というシニフィアンは質的な言葉よりも構造化を促進しやすい。 たとえば企業をあらわすのにPLなどの資料が使われが、企業の経営状態をしめす指標である以上に 企業の正しい在り方がどのようなものであり、どこへ迎うべきかを示す。PLが優良であれではなく、PLという思想が企業をつくるのだ。
761 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/09(金) 14:27:01
だからといって、経済は経済学だということにはならない。 再度言えば経済は存在しない。経済として実態化されるものは経済学にしかない。そのような意味なら経済とは経済学なのかもしれない。
762 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/09(金) 15:09:03
「経済とは経済学である(でしかない)」 経済学と経済は違うことは当たり前であるが、ここには複雑な問題を孕んでいる。かつて宗教により統 括されていた次元が、近代において、政治(学)、社会(学)、経済(学)として分割された。だからこれら は比較的新しい領域である。その中でも、社会と社会学、政治と政治学は違うものであることは容易に わかるが、経済と経済学は感覚的に混同されやすい。 この理由を考えると、政治、社会が人という質を扱うのに対して、経済学には貨幣という量をもっている ことがあげられる。量をもつことは、客観的な事実として考えられやすい。これは、人が数字を信じやす いという心理学的なものであるだけではない。 数字には実際、力がある。数はより正確な伝達を可能にする。そして伝達された場所で、正確に反復さ れる可能がある。この反復可能性は実際に試みられ、一つの秩序として構造化されていく。これが言葉 そのものが持つ力であるとともに、数字は伝達性において優れている。 これは、経済学が経済をより客観的に記述するということだけではなく、経済学そのものが経済を構造 化することを意味する。たとえば企業をあらわすのにPLなどの指標が使われが、PLは企業の経営状態 をしめす指標である以上に、企業の正しい在り方を示す一つの思想である。PLが優良であれで正しい ということではなく、PLそのものが正しさとはなにか、すなわち企業とはなんであるか、をつくるのだ。 だからといって、当然、経済は経済学に従わない。これは単に為替などが経済学的な予測が外れると いう意味ではなく、そもそも経済というものは存在しない。政治、社会、経済というのは便宜上の区分で しかないし、切り離し、取り出せるようなものではない。ただ経済学が扱うものという曖昧な切り取りにお いてのみ、経済というものが、そこにあるように感じることができる。だから「経済とは経済学である、(で しかない)」、ということもまた言えるのかもしれない。
人類の生み出したいわゆる「学問」は3種類に分けられる。 数学 素粒子学 その他
764 :
考える名無しさん :2007/05/07(月) 01:32:14
age
ぴかぁ〜氏どこに行っちゃったの?
差異共振シナジー性の理論的構成:二つの差異共振空間:超越的波動空間(MP空間)と物質的波動空間(量子空間) 差異的同一性を差一性(ないし差同性)と呼ぶ。すなわち、差一性Aと差一性Bとにおける 差異共振性(差異共振シナジー性)の実質はどういうものなのか。 A≠Bであり、同時に、A=Bであるという即非の論理がここで成立する。 通常の論理では、不等号の論理であるか、A=Aの同一性等価の論理が作用する。 即非における等価の論理では、差一性が共振している。ここで、図式化してみよう。 差一性1・差異共振性1・差一性2・差異共振性2・差一性3・差異共振性3・・・ 差一性をDifference Identity(DI)として、差異共振性をDifference Resonance(DR)とすると、 DI1-DR1-DI2-DR2-DI3-DR3-・・・・・ となる。簡略化して、差一性を同一性Iとして、差異共振性を共振性Resonanceとすると、 I1―R1−I2−R2−I3−R3−・・・・ となるだろう。そして、MEDIA POINT(以下、MP)の理論を挿入すると、 I1-MP-I2-MP-I3-MP-I4-・・・・ となるだろう。MPは、普遍共通だから、序数をつける必要はないと考えられる。Iを元に戻して、差一性にすると、 差一性1−MP−差一性2−MP−差一性3−MP−差一性4−・・・ 結局、差一性Aと差一性Bとは、メディア・ポイントを介して、共振するのである。 ここで、即非の論理が成立するのである。だから、即非論理をメディア・ポイント論理(MP論理)と呼ぶこともできよう。 とまれ、これで差異共振性の意味が明快になったと言えよう。 個と個とは、メディア・ポイントを介して、超越的に共振するのであり、このときには、 新たな超越的エネルギーが放出されるのである。しかし、これは、エネルギー保存則から、 消滅するエネルギーである。生成消滅的エネルギーである。 だから、思うに、イデア界・超越界においては、イデア・超越的差異共振性のデュナミス、即ち、 ポテンシャル・エネルギーがあり、それが、メディア・ポイントを介して、エネルゲイア化・エネルギー化すると考えられる。 つまり、m(ic)*(-ic)⇒E=mc^2というエネルギー公式で考えると、⇒の左辺は 超越界・イデア界のデュナミス(ポテンシャル・エネルギー)を意味して、⇒の右辺がエネルゲイアではないだろうか。