純粋略奪の快楽(自然主義的闘争論)

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952純一:2006/08/04(金) 21:01:12
必ず、立つでしょうな。
953考える名無しさん:2006/08/04(金) 21:03:49
飽きるってことないのかね。
954純一:2006/08/04(金) 21:15:10
ぴかぁ〜理論では飽きは無いらしいね。
955純一:2006/08/04(金) 21:16:38
891 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/04(金) 13:30:20
柄谷はカントの物そのものを「他者」と呼びます。
それは外部の他者であり、未来の他者です。

反証可能性を例にすると、様々な他者による反証が交わされることでのみ、
決して到達できない真実としての「物そのもの」が表れるのです。
そしてこの真実へ向かわざる終えず、到達できるという仮象(幻想)に
現実(リアリティ)を見せる力が欲動なのです。

すなわち「アプリオリな総合判断」は決してその確かさを証明できない故に、
欲望され続けるのです。
956純一:2006/08/04(金) 21:20:07
>決して到達できない真実としての「物そのもの」が表れるのです。
>そしてこの真実へ向かわざる終えず、到達できるという仮象(幻想)に
>現実(リアリティ)を見せる力が欲動なのです。

つまり、決してぴかぁ〜のスレは結論には到達せず、
本人の到達できるという仮象(幻想)が物そのものとしての
根拠の無い自信を生み出しているというわけだね。
957純一:2006/08/04(金) 21:21:21
まさに、ぴかぁ〜っぽいね。
958純一:2006/08/04(金) 21:23:11
>すなわち「アプリオリな総合判断」は決してその確かさを証明できない故に、
>欲望され続けるのです。

すなわち、「ぴかぁ〜理論」は決してその確かさを証明できない故に、
欲望され続けるわけだね。
959純一:2006/08/04(金) 21:25:00
>900 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/04(金) 14:46:29
>「語りえぬもの」とはそれでも語りたい、からしか意味がない、という意味で

つまり、とにかく言いたい、書きたい、
スレを立てたいというわけだね。
960考える名無しさん:2006/08/04(金) 21:27:49
深まることも発展することもないのに、飽きるどころか自信を深める。
どういった精神のありようなのだろう。
961純一:2006/08/04(金) 21:28:57
893 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/04(金) 14:11:34
純粋略奪の快楽の作動
@外部と内部の境界を引く
A外部が無垢(いきいきした幻想)とされる
B外部への(欲望)略奪衝動が掻き立てられる
C快楽のもと開拓という名の負債なき暴力が行使される
これは欲望の構図そのものであるが、重要であるのは外部内部の境界の強度である。
より純粋な外部であるほど負債感はなくなり、より純粋な暴力が行使される。それが「自然」である。

自然とはこの世界そのものであり、未曾有の混沌であり不確実性であり、到達できない「物そのもの」であり、トラウマ的なのだ。
だから自然は純粋な欲望の対象でありつづげ「自然」として回帰しつづけるのだ。
この欲暴論を下部構造するのが自然主義的闘争論である。そして経済とはこのような自然との関係を言う。
人は有史以来どのように「自然」をみい出したか。
そしてどのようにみいだしていくのか
962純一:2006/08/04(金) 21:30:07
それにはこれを読み解く他ないでしょう。
>>893はパクリ(純粋略奪)のプロセスが詳細に記されている。
963純一:2006/08/04(金) 21:33:24
>893 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/04(金) 14:11:34
>純粋略奪の快楽の作動
>@外部と内部の境界を引く
>A外部が無垢(いきいきした幻想)とされる
>B外部への(欲望)略奪衝動が掻き立てられる
>C快楽のもと開拓という名の負債なき暴力が行使される

ぴかぁ〜自身による、
パクリ(純粋略奪)の快楽の作動
@外部(他人のブログ)と内部(ぴかぁ〜のブログ)の境界を引く
A外部(他人のブログ)が無垢(いきいきした幻想)とされる
B外部(他人のブログ)への(欲望)略奪(パクリ)衝動が掻き立てられる
C快楽のもと開拓という名の負債なき暴力(盗作)が行使される
964純一:2006/08/04(金) 21:38:15
>パクリ(純粋略奪)の快楽の作動
>@外部(他人のブログ)と内部(ぴかぁ〜のブログ)の境界を引く
>A外部(他人のブログ)が無垢(いきいきした幻想)とされる
>B外部(他人のブログ)への(欲望)略奪(パクリ)衝動が掻き立てられる
>C快楽のもと開拓という名の負債なき暴力(盗作)が行使される

つまり、ぴかぁ〜自身の分析によれば、
ぴかぁ〜が他人からパクるのは、

>@外部(他人のブログ)と内部(ぴかぁ〜のブログ)の境界を引く

他人とぴかぁ〜自身との落差に気が付き、

>A外部(他人のブログ)が無垢(いきいきした幻想)とされる

他人の理論が良いものに見え、

>B外部(他人のブログ)への(欲望)略奪(パクリ)衝動が掻き立てられる

それを自分のものにしたいという衝動が掻き立てられ、

>C快楽のもと開拓という名の負債なき暴力(盗作)が行使される

他人からパクることに快楽を感じながら、盗作していると告白しているわけだ。
965純一:2006/08/04(金) 21:43:02
>自然とはこの世界そのものであり、未曾有の混沌であり不確実性であり、到達できない「物そのもの」であり、トラウマ的なのだ。
>だから自然は純粋な欲望の対象でありつづげ「自然」として回帰しつづけるのだ。
>この欲暴論を下部構造するのが自然主義的闘争論である。そして経済とはこのような自然との関係を言う。
>人は有史以来どのように「自然」をみい出したか。
>そしてどのようにみいだしていくのか

つまり、ぴかぁ〜が他人の理論をパクるのは、
他人がぴかぁ〜理論でないからであると。

そして、ぴかぁ〜理論ではないのだから、
差異が発生し、他人のブログが無垢に見える。

ぴかぁ〜理論(内部)でないもの(他人の理論)は、
外部なんだから、支配されるべきだろうってことだね。

966純一:2006/08/04(金) 21:46:11
ぴかぁ〜の理論的帰結は結局こんな感じになるけどね。
967純一:2006/08/04(金) 21:48:49
922 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/04(金) 17:32:31
なぜ未踏の山を霊山として、神聖なものでして崇めるのかは、
人間にとって、未知という底の見えない暗闇はトラウマ的恐怖なのです。
とにかくそこに蓋をしたいのです。そして神とは蓋です。

神とは本質的に「他者」です。他者とはコミュニケーション可能な者です。
その意味は「他者」をおくことで、人は安心します。
なにかあれば、「他者」へコミュニケートすれば良いからです。
祈り、贈与し、コミュニケートするのです。

だから昔は未知の自然には「他者」だらけです。沼には河童、山にはトトロ、
天井にはまっくろくろすけ、闇には幽霊、宇宙には宇宙人。

近代科学の闘争では、かつての「他者」を配置し贈与する暴力から、
数量化による計測する暴力に切り替わりました。
968考える名無しさん:2006/08/04(金) 21:49:00
多かれ少なかれ、大方はそういうものではないかな?
理論的に帰結した哲学っていうものも知らないし。
969考える名無しさん:2006/08/04(金) 21:53:42
最も重要な要素である思考領域を外部に開こう(交通しよう)とする基本的思考基盤はぴかぁ〜にはあるのではないかな?
970純一:2006/08/04(金) 21:54:32
>922 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/04(金) 17:32:31
>なぜ未踏の山を霊山として、神聖なものでして崇めるのかは、
>人間にとって、未知という底の見えない暗闇はトラウマ的恐怖なのです。
>とにかくそこに蓋をしたいのです。そして神とは蓋です。

つまり、

なぜ未踏のタームを知ったかぶりし、知っているかのようなものとして崇めるのかは、
ぴかぁ〜にとって、未知という底の見えない暗闇はトラウマ的恐怖だからなのです。
とにかくそこに蓋をしたいのです。そして知ったかぶりとは蓋です。
971純一:2006/08/04(金) 22:00:30
>神とは本質的に「他者」です。他者とはコミュニケーション可能な者です。
>その意味は「他者」をおくことで、人は安心します。
>なにかあれば、「他者」へコミュニケートすれば良いからです。
>祈り、贈与し、コミュニケートするのです。

つまり、

知ったかぶりとは本質的に「ジャーゴン」です。ジャーゴンとはコミュニケーション可能な者です。
その意味は「ジャーゴン」をおくことで、ぴかぁ〜は安心します。
なにかあれば、「ジャーゴン」へコミュニケートすれば良いからです。
祈り、贈与し、コミュニケートするのです。
972純一:2006/08/04(金) 22:11:44
>だから昔は未知の自然には「他者」だらけです。沼には河童、山にはトトロ、
>天井にはまっくろくろすけ、闇には幽霊、宇宙には宇宙人。

つまり、

だから昔のぴかぁ〜は未知の理論には「知ったかぶり」だらけです。結論には無垢、批判には無視、
脱構築にはディスコントラクション、他人には転嫁、誤字には誤字。
973純一:2006/08/04(金) 22:16:39
>近代科学の闘争では、かつての「他者」を配置し贈与する暴力から、
>数量化による計測する暴力に切り替わりました。

つまり、

最近の方法では、かつての「ジャーゴン」を配置し知ったかするパクリから、
無断転載による盗作する暴力に切り替わりました。
974純一:2006/08/04(金) 22:18:10
まとめると、

なぜ未踏のタームを知ったかぶりし、知っているかのようなものとして崇めるのかは、
ぴかぁ〜にとって、未知という底の見えない暗闇はトラウマ的恐怖だからなのです。
とにかくそこに蓋をしたいのです。そして知ったかぶりとは蓋です。

知ったかぶりとは本質的に「ジャーゴン」です。ジャーゴンとはコミュニケーション可能な者です。
その意味は「ジャーゴン」をおくことで、ぴかぁ〜は安心します。
なにかあれば、「ジャーゴン」へコミュニケートすれば良いからです。
祈り、贈与し、コミュニケートするのです。

だから昔のぴかぁ〜は未知の理論には「知ったかぶり」だらけです。結論には無垢、批判には無視、
脱構築にはディスコントラクション、他人には転嫁、誤字には誤字。

最近の方法では、かつての「ジャーゴン」を配置し知ったかするパクリから、
無断転載による盗作する暴力に切り替わりました。
975純一:2006/08/04(金) 22:21:43
>知ったかぶりとは本質的に「ジャーゴン」です。ジャーゴンとはコミュニケーション可能な者です。
>その意味は「ジャーゴン」をおくことで、ぴかぁ〜は安心します。
>なにかあれば、「ジャーゴン」へコミュニケートすれば良いからです。
>祈り、贈与し、コミュニケートするのです。

これは結構当たってるだろう。
ぴかぁ〜理論を本人に当てはめるとこうなる。
976考える名無しさん:2006/08/04(金) 22:24:15
ぴかぁ〜に思考はないでしょ。
薄っぺらい理論もどきとジャーゴンだけ。
977純一:2006/08/04(金) 22:24:35
>祈り、贈与し、コミュニケートするのです。

祈り、贈与を、現代語訳すると、
媚び、諂い、になるから、

>知ったかぶりとは本質的に「ジャーゴン」です。ジャーゴンとはコミュニケーション可能な者です。
>その意味は「ジャーゴン」をおくことで、ぴかぁ〜は安心します。
>なにかあれば、「ジャーゴン」へコミュニケートすれば良いからです。
>媚び、諂い、コミュニケートするのです。

では何にコミュニケートするのか?
というと、外部(未知の理論)を教えてくれる他人(神)へですよ。
978純一:2006/08/04(金) 22:27:10
ぴかぁ〜は理論的帰結として、

外部(未知の理論)へコミュニケートする為に、
理論を教えてくれる他人(神)へ、媚び(贈与)し、
それを内部化するわけです。
979考える名無しさん:2006/08/04(金) 22:28:54
向学心があるってことかな?
980純一:2006/08/04(金) 22:32:35
そして、ぴかぁ〜の内部(知識)が増大すると、
純粋略奪(パクリ)の方法も変わる。

>最近の方法では、かつての「ジャーゴン」を配置し知ったかするパクリから、
>無断転載による盗作する暴力に切り替わりました。

内部(知識)が増大すれば、略奪(パクリ)する方法も変化し、
外部(他人の理論)と内部(ぴかぁ〜の知識) の関係性も変わる。
歴史的に発展していくわけだ。
981純一:2006/08/04(金) 22:36:57
さあ、どうでしょうかね。
向学心かどうか。

>未知であるものを「神聖なもの」と崇めるのと、それを略奪したいと思うことは
>同じことの裏返しなのです。

つまり、ぴかぁ〜が知らない理論を読むのと、 それをパクリたいと思うことは
同じことの裏返しなのです。

だそうだよ。
982考える名無しさん:2006/08/04(金) 22:37:38
ぴかぁ〜は極めて常人である、ということがわかりました。
983ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/04(金) 22:38:55
次スレです。

■自然主義的闘争論 その2■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1154698437/l50
984純一:2006/08/04(金) 22:40:11
>未知であるものを「神聖なもの」と崇めるのと、それを略奪したいと思うことは
>同じことの裏返しなのです。

要するに、

@ぴかぁ〜が理解できない理論を見つける
Aそれをパクリたいと思う

ぴかぁ〜が理解できない理論を見つけること、
即、それをパクリたいと思うってことですな。
985純一:2006/08/04(金) 22:40:46
>>982
ですね。
986純一:2006/08/04(金) 22:41:57
>>983
遅いな。
987考える名無しさん:2006/08/04(金) 22:44:18
せっかく建ててくれたのだから次スレでやろうよ。
988純一:2006/08/04(金) 22:47:03
そうだね。
989純一:2006/08/04(金) 22:47:35
では、残りは好きなように書いてくれ。
990純一:2006/08/04(金) 22:48:16
次スレに移ろう。
991考える名無しさん:2006/08/04(金) 22:49:15
9
992考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:11:09
自然主義闘争を人間の歴史の「下部構造」と言い切ってしまうからには

@自然崇拝、自然排除、自然征服、自然管理という時代の変遷の起動因自体
 は何なのか、を説明できないと不完全であろう
A自然との「闘争様式」がなぜ変遷していくのか、その起動因も説明できない
 と不完全であろう
Bなぜ西洋から自然を征服する技術=テクノロジーが生まれ、その他地域に
 伝播していき、逆にその他地域からはなぜそうした技術が生まれずに
 きたのか、こうしたことも自然主義闘争史観からうまく説明できないと
 不完全であろう
993ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/04(金) 23:16:37
>>992
>>926参照
994純一:2006/08/04(金) 23:18:14
6
995純一:2006/08/04(金) 23:19:18
5
996純一:2006/08/04(金) 23:19:50
4
997純一:2006/08/04(金) 23:20:24
3
998考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:20:35
>>993
難しいかもしれないが、「下部構造」というからにはそこから歴史の
起動因を説明付けられないと、意味のない空論になる。
まだ不完全な理屈の域を出ていないと批判を受けても仕方ないものに
なるよ
999純一:2006/08/04(金) 23:20:55
2
1000純一:2006/08/04(金) 23:21:24
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