927 :
ContextSurfer:2006/06/08(木) 11:35:23
「生権力」と疑似純粋略奪
成熟した資本社会の新たな権力として、フーコ-の「生権力」、そして「環境管理権力」が指摘されて
いる。アガンベンはアウシュビッツで殺されたユダヤ人たちを「ホモ・サケル(剥き出しの生)」と呼ん
だが、「生権力」は人を「剥き出しの生」のように管理する方法である。
そして「生権力」化する資本社会の「内部」に対抗して、資本社会を「外部」とする「小さな内部」を生
みだす小さな「人類学機械」が作動している。この大きな「人類学機械」と小さな「人類学機械」の対
立が、互酬でもない、交換でもない、新たな「疑似純粋略奪的「対立」」という交通様式である。
「透きとおった悪」
このような状況は、ボードリヤールは「透きとおった悪」(ISBN:4314005521)でも示されている。それ
が「悪」であるのは、資本社会「内部」から見た場合である。
928 :
ContextSurfer:2006/06/08(木) 11:36:03
崇高な略奪
ネットにおいては、「象徴的なもの」が作用しにくく、「資本の追求が重要ではない」という「内部」への
動きが加速し、大きな「人類学機械」と小さな「人類学機械」の「対立」が表面化する場である。
たとえば「のま猫」問題、「VIPブログ」問題のように、資本社会(象徴的なもの)からの抑圧が働くと、
2ちゃんねらーという強い内部(想像的なもの)が浮上し、「対立」が生まれる。そこでは、「象徴的な
もの」は疑似的な「外部(現実的なもの)」へ排除されるために、「想像的なもの」の利己的な論理が
働き、資本社会側からは不条理な「野蛮な」攻撃としてうつる。
またボードリヤールのいうように、このような「対立」がすでに社会のあちこちで表出している。たとえ
ばオウム事件であり、911NYテロである。「小さな内部」にとって「外部(資本社会)」の成員とは、
「剥き出しの生」、非人間、動物なのである。そしてテロ行為は「外部」でももっとも大切とされる「生」
を純粋略奪する行為であり、それ故に「小さな内部」では崇高な行為なのである
929 :
ContextSurfer:2006/06/08(木) 11:37:59
「大きな内部」内の対立
このような状況を、大きな「内部」として示す。「象徴的なもの」は商品交換(貨幣)の重視、市場原理
主義的に働く。それはグローバル化である。 「想像的なもの」は、「小さな内部」への帰属意識に求
められる。そしてもはや大きな「内部」には「外部(現実的なもの)」はなく、 「想像的なもの」と「象徴
的なもの」、 小さな「内部」と資本社会の疑似純粋略奪的な「対立」として表れる。それは二重帰属で
あり、明確な「対立」でなく、「大きな内部」の中で 「透きとって」いる。
透きとおった「帝国」
さらにはこの「大きな内部」内の対立とは、アントニオ・ネグリ の「帝国」(ISBN:4753102246)と「マル
チチュード」にも対応するだろう。
ネグリの「帝国」では、マルクス主義的に「帝国」を克服するものとして「マルチチュード」の登場が描
かれるが、疑似純粋略奪的な「対立」とはもっと混沌とし、「透明な」ものである。それは「想像的なも
の」と「象徴的なもの」の対立であるが、「想像的なもの」と「象徴的なもの」は「ボロメオの結び目」に
よって決して離れることができない二重帰属性としてある。
930 :
ContextSurfer:2006/06/08(木) 11:40:00
「外部(現実的なもの)」の消失と閉塞する社会
象徴的なものと想像的なものの対立であるが、また本質は現実的なものにある。システムには必ず
外部が必要とされる。しかし大きな「内部」(「帝国」)には、もはや外部が存在しない。疑似「外部」が
存在するだけだ。すなわち純粋略奪的な「対立」とは疑似的に「外部(現実的なもの)」を生み出す運
動であると見ることができる。閉塞する社会にダイナミズムを与え続けるための自己言及的な運動
である。
931 :
ContextSurfer:2006/06/08(木) 12:24:56
強く内部を求めることは強く外部を求めることである。
そこに怒るとキレるの関係が生まれるだろう。たとえばテロ行為は小さな内部では論理的な理屈のもと怒っているのであるが
大きな外部からみると理屈を無視し不条理にキレているのである。
キレるの社会的な全面化とはこのように考えなければならない。
932 :
ContextSurfer:2006/06/08(木) 12:28:18
いつもは大きな内部の成員に溶け込みながら、突然キレる。
たとえば中国や韓国の排日デモの見えなさもここにある。ボク達には彼らは怒っているよりキレているようにしかみえない。
933 :
ContextSurfer:2006/06/08(木) 12:48:36
格差問題のリアリティのなさぱまずそれが大きな内部の理屈であること
小さな内部では「重要なのは資本ではない」というスタンスをとること
大きな内部から抑圧されるものを感じられないこと
下流によっては小さな内部を作るにいたらないこと。
これは「下流」という格差、抑圧がないということでなく、ドライブがかからないということであるとともに
すでにドライブはかかっているということである。たとえば、のま猫やVIPブログの問題をその表出と見てもよいだろうさ
様々な幼児犯罪にも見られるかもしれない。
政府への交渉でなく、透き通った悪として、表出するからだ。
934 :
ContextSurfer:2006/06/08(木) 13:05:12
純粋略奪の世界
機械と動物の戦闘
たとえば最近のセカイ系アニメに見られるのは敵が見えないことだ。ただ漠然と不気味な者として迫ってくる不安。
それが主人公周辺に一心にかかってくる。
ここに小さな内部からみた小さな内部と大きな内部の対立構造が見える。
それが如実なのがエヴァだろう。ただ不気味に定期的にせまる使途。ただなにもいわず純粋略奪をくりかえす。それはばけものでありながら限りなくシト(人)なのである。
935 :
ContextSurfer:2006/06/08(木) 13:23:02
だからボク達もただ殺戮するのである。そこには敵もまた同じ人なんだという悲しいヒューマニティーなどない。
使途(人)を動物のようにただ殺戮する快楽。セカイ系アニメの最高の快楽はその短い殺戮シーンにある。
それは純粋略奪であり、外部(現実的なもの)=無垢の表出である。
これを様々な少年犯罪につなげるのは強引だろうか。ただ殺戮する快楽。
そこに働いているのは閉塞する大きな内部からの脱出という純粋略奪の快楽である。
純粋略奪の快楽
>だからボク達も・・・
>そこには敵もまた同じ人なんだという悲しいヒューマニティーなどない。
すごい矛盾。
塚、「ボク達も」とか言っちゃだめだよ。
「ボクも」って書きな。
937 :
ContextSurfer:2006/06/08(木) 13:36:33
小さな内部からみるとこれは論理的な、想像的な怒りであるが、
大きな内部からは理屈などない不条理な「キレる」である。
そして主体は想像的な快感(強い絆と自己充実)を味わいながら現実的な快感(純粋略奪の快楽、閉塞からの解放感)を味わうのである。
それは未開社会の快楽であり、小さな内部の神に捧げる崇高な行為、祭りである。
938 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/08(木) 13:55:09
人間のリアリティはいつもここにある。このような純粋略奪の次元はいつも作動してきた。それはアガンベンの人類学機械である。
外部が消失した今、それは内部に透き通った形で存在するしかない。
オタクの妄想セカイであり、ネット社会はそれを培養し、補完する小さな内部としてある。
939 :
ContextSurfer:2006/06/08(木) 14:07:22
たとえば創造という行為もこの次元にある。なにかを創造するとは、知りえない
外部からの(アイデアが)おりてくる純粋贈与(略奪)の快楽である。
だから想像的、現実的快楽がえられる。
ネット社会において外部(資本社会)の知的創造物はおりてきたもの、そして内部の創造は高い価値がもたれる。
940 :
短パン:2006/06/08(木) 14:41:30
「姿を変えた」と、思っているのは、いつだって、そいつ本人だけ。なんだよな・・・。
ある意味認められながら、しかし。吹聴の対象でもある君へ・・・
混沌の世界。
そこに求められる存在が在るとするのならば、それは少なくとも、
本を熟読した、「頭でっかち」ではないだろう・・・。
すんげぇ、本を手にしてしまう事は、ある意味幸せだけど、ある意味不幸でもあるだろう?
到達点は、その本を書いた人?主人公は、いつだって自分だし、そうじゃなかっただろうか?
良き本を、決して否定はしないけど、ま・大抵は死んじゃったどっかの糞の
戯言なんでね。あてにできねぇ感じだ。
両義的に、キーボードを走らせるのは飽きたかよ?
まぁ、好きにするさ。
それじゃ。ノシ
941 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 14:50:32
よぉ短パン、久しぶり。
相変わらずはみチンしてるかね。
今日はどうしたのかな?
キミ、両義的ってことば相当好きなんだね。
943 :
短パン:2006/06/08(木) 15:02:11
>>941>>942 あら、まぁ。御見限りですわぁ〜、、、つか、誰じゃおのれ等はwww
はみチン?してるよ〜ノシ。隣の奥さんも頬を赤らめてる位ガンガッテるぜぃ!
(そろそろ不倫とかいう第二ステージも、アリですかぃぃ〜?んん〜??)
944 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 15:07:32
誰かって、短パンのファンだよ〜。
短パンも両義的に、ハミたまもしてみてはどーだい?
945 :
短パン:2006/06/08(木) 15:29:59
付き合ってくれるのであれば、「何処までも。」一緒に行こうよ?
でも、いつか、短パンを越えて存在してくれる事を約束しておくれ。
それが、僕の役なんだし、それ以上を求めて存在する事は、まかりならんですよ?
あそんで欲しいんだ。一緒にさ・・・。結構そん位の感覚ですよー。ノシ
946 :
短パン:2006/06/08(木) 15:37:19
>>943 両義的て、結構難しいんだぜ?(いっぺん、やってみろ?)
で、もいちど、同じ事言えたなら、その時はちゃんと付き合うぜ。
947 :
短パン:2006/06/08(木) 15:39:18
じ、自分にレスってる。。。。。
末期や・・・。
違うから。
>>742ですから。。。ねぇ?
948 :
短パン:2006/06/08(木) 15:47:39
さて、と。
そんじゃ、ポケモンみたいな変なハンドルの奴にお返ししますかねぇ?
・・現場のぴかぁ〜さん?
それでは、お返ししま〜っす。
949 :
短パン:2006/06/08(木) 16:13:17
別に、死んでくれてもいいけど♪
(これか?)
でわ。。。
950 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 17:03:05
と、一塵の風が通りすぎた。
跡には陰毛が3本残った・・・
951 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 17:31:45
.,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,、 .r‐-i、 .,,,,,,,,、 .r‐-i、 l''''''''i
.| | | | | | | | | |
.| ,------------│ .| | | | .| | | |
.| ゚'''''''''''''''''''''''''''''''| | | | | .| | .,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,| |,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,、
.| ______,| |"''''!| .|―l | レ'i、| | .| |
.| ―----------i、 | .l゙| ゙l| 、 .゙l.| | .| |
.| | ,! .|,! .レ l| l、 .‖ |  ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄"| .|
___,| j,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,___、 ," l゙| || ″ || .″ | | l゙ | .|
.| | l゙、 .,}.| |゙l .|゙l _,, | │ l゙ l゙ l゙
.| | `'丿,! |.゙‐'''| |.'"゛| | ," │ .| .|
` ゙̄} .|゙ヽ ゚ ̄",, ゙゚̄ ̄″ .l゙ │ .| | .| | ./ .l゙ | |
.| | ヽ `'‐` .,ノ 丿 │ | | | | ./ ,l゙ | .|
.| {--''|i、 ./ ,l゙ .l゙ .| | .| | .,/ ,i´ | .|
┌ー'′ ゙l.\ `''ー-, .,/ ,l゙ | | .| | .,,/` 丿 .,,---ノ |
│ _,,〃 `'-,、 / '゙l、 /` .| | | | ヽ ,,i´ │ .,!
: |_,,,,,、-‐''"` `''-_ / `'i、,/ ―ー" | | ヽ _/ ゙l ._,/
952 :
ContextSurfer:2006/06/09(金) 01:51:01
■ネットと社会はなぜ「断絶」するのか その5 純粋略奪の快楽
セカイ系という「断絶」と「純粋略奪の快楽」
東浩紀は「セカイ系」を「象徴界の喪失」と呼んだ。
>>
哲学者の東浩紀は、ほぼ同じ状況を指して「象徴界の喪失」と表現する。・・・東氏は、たとえばアニ
メ作品「新世紀エヴァンゲリオン」、「ほしのこえ」などに顕著な傾向として、登場人物の学園生活と
いった近景すなわち想像界と、世界破滅の危機といった無限遠の彼方にある遠景すなわち現実界
とがいきなり短絡されがちである点を指摘する。
「心理学化する社会」 斉藤環 (ISBN:4569630545)
<<
たとえば「機動戦士ガンダム」の敵(ジオン軍)は、言葉(イデオロギー)をもち、物語、背景がある。こ
れはアムロたちとジオン軍はひとつの「内部」内の対立である。しかしセカイ系では敵が「見えない」
ということに特徴があり、敵もまた同じ人なんだというヒューマニティーは排除されなければならない。
たとえば「エヴァンゲリオン」の使徒、「最終兵器彼女」や「ほしのこえ」の敵。敵はただ漠然と「不気
味な者」として迫ってくる。セカイ系では、「想像的なもの(ボクたち)」と「現実的なもの(敵)」の短絡
の前に、まず「外部(現実的なもの)の産出」に特徴がある。
そして産出された「外部(現実的なもの)」が「想像的なもの(ボクたち)」に短絡したとき、ボクたちに
とって敵は「外部」であり、敵にとってはボクたちは「外部」である。そして純粋略奪しあう「断絶」が生
まれるのである。
セカイ系の快楽の一つにその短い殺戮シーンにある。敵はただボクたちから「略奪」する。だからボ
クたちは敵を「動物」のようにただ殺戮する。この「断絶」に「純粋略奪の快楽」が生まれる。
953 :
ContextSurfer:2006/06/09(金) 01:51:40
「外部(現実的なもの)の産出」
ボクは、「大きな内部(帝国)」を「象徴的なもの」と「想像的なもの」の対立として示した。しかしこの本
質は「現実的なものの産出」にある。
システムには必ず「外部(現実的なもの)」が必要とされる。しかし大きな「内部」(「帝国」)には、もは
や「外部」が存在しない。だから「疑似純粋略奪的な対立」とは、疑似的に「外部(現実的なもの)」を
産出する運動としてある。
これは閉塞する社会にダイナミズムを与え続けるための自己言及的な運動である。強く「内部」を求
めることは強く「外部」を求めることである。
セカイ系の物語は、「大きな内部(帝国)」で喪失している「外部の産出」、そして「純粋略奪の快楽」
を疑似的に補完しているといえる。しかし「大きな内部(帝国)」は一種の機械装置として作動し続
け、「象徴界の喪失」はない。だから「象徴的なもの」と「想像的なもの」の「断絶」によって「外部」が
産出されている。
954 :
ContextSurfer:2006/06/09(金) 01:52:22
「断絶」はどこに見出されるのか
「小さな内部」の成員は、その「純粋略奪」行為によって、「小さな内部」に対して「想像的な快感(強
い絆と自己充実)」を味わいながら、「現実的な快感(純粋略奪の快楽、閉塞からの解放感)」を味わ
うのである。
これは未開社会の快楽、集団的熱狂に近いだろう。「小さな内部」の神に捧げる崇高な行為である。
そしてテロリストにとっては崇高は略奪である。さらにこれを多発する短絡的な少年犯罪につなげる
のは強引だろうか。ただ殺戮する快楽。
資本社会はこのような快楽を祭りなどの一部にのみ抑制し、禁止してきた。しかし人間の「リアリ
ティ」はいつもここにある。「純粋略奪の快楽」とはフロイトの「欲動(リビドー)」である。「欲動(リビ
ドー)」は社会の中で抑圧され、去勢される。
しかし人間の生きる力であり続ける。フロイトは欲動が「昇華」され、社会に貢献する創造活動の元
となるといった。なにかを創造するとは、「外部(現実的なもの)」からの(アイデアが)おりてくる純粋
贈与であり、略奪の快楽であると考えられるだろう。
だから問題は、「純粋略奪の快楽」=「欲動(リビドー)」そのものではなく、「大きな内部(帝国)」の閉
塞によって、その出口を見出すのが難しくなっていることである。「断絶」はどこに見出されるのか。
オタクの妄想(セカイ系)であり、ネット社会は、「大きな内部(帝国)」と「断絶」することで、疑似的に
「外部の産出」、「純粋略奪の快楽」をうむ「小さな内部」として作動している。著作権の問題などある
が、これらは創造性を促進する比較的良性な「昇華」といえるだろう。
955 :
ContextSurfer:2006/06/09(金) 01:53:27
「キレる」の社会的な全面化
たとえば格差問題とは内部内に上流と下流の固定化する「対立」にある。これはかつてのプロレタリ
アートとブルジョアジーの対立を再現する。しかし「若者が格差に怒らない」といわれるとき、格差が
ないということでなく、「内部内の対立」から「内部間の断絶」への移行しているのだ。抑圧されたもの
は「怒る」のでなく、「キレて」いるのである。
しかしこの「怒る」と「キレる」の差は、「大きな内部」からみた見方だろう。たとえばテロ行為はテロ集
団という「小さな内部」では論理的な理屈をもつ「怒り」である。その「怒り」が「大きな外部(帝国)」か
らみると、利己的で、不条理なものであり、「キレて」いるとしか思えないのである。
たとえば中国や韓国の排日デモの見えなさもそこにあるのではないだろうか。彼らの親日の面を良
く知っている。しかし突然「怒る」ときに、ボク達には彼らは「怒って」いるより「キレ」ているようにしか
みえないのだ。そしてこの「断絶」をもとに日本の嫌韓などのナショナリズムは台頭しているのだろ
う。それは「外部(現実的なもの)の産出」である。
「キレる」の社会的な全面化とは、このような「断絶」の多発をもとに考えなければならないだろう。だ
から「格差社会に怒らない若者」はいつもは「大きな内部」の成員として溶け込みながら、どこかの
「断絶」で「キレて」いるのかもしれない。それは、たとえば、「のま猫」問題や「VIPブログ」の問題、あ
るいは多発する短絡的な若者の犯罪などで「透き通った悪」として、表出しているのかもしれない。
956 :
ContextSurfer:2006/06/09(金) 02:27:56
「透きとおった権力」と「透きとおった悪」
「大きな内部」の秩序維持としての権力は「規律訓練型」から「生権力型」へとむかう。「規律権力型」
は内部の人々を教育し、内部秩序のための正しい人とする。しかし「生権力」は人々にどこで作動し
ているかわからない。それは「透きとおった権力」である。そして人々を「内部」の者としてでなく、あ
たかも「動物」のように、「外部」として扱う。
それは必ずしも悪いことではない。多くの面で、人々はそのように扱われることを望んでいる。そして
そのような「大きな内部」に溶け込むのである。しかし突然、ある「断絶」に「小さな内部」が表出し、
「透きとおった悪」として「大きな内部」から「略奪」するのである。
これは対立でない。そこにコミュニケーションは成立しない。ただ「断絶」があり、「略奪」しあうのである。
957 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 02:47:06
ぴか 日記 の 日付 が 進んで いるのは どうしてだ?
958 :
ContextSurfer:2006/06/09(金) 12:28:36
東のポストモダンの二重構造は、社会と脱社会のラインに境界を引くべきだろう。
959 :
むじんくん ◆zqZE9JGYA6 :2006/06/09(金) 16:20:28
おや、最近また多作になりましたね(笑)。
960 :
ContextSurfer:2006/06/09(金) 21:57:54
売春は悪いことです。
性意識が低下することが悪い。
無差別殺人が何故悪いのかを答えられたら
他の人も性意識の低下が何故悪いのか答えられるようになると思うよ。
どんな状況でも悪になる行為なんてない。
だからといって行為に善悪の別がないわけでもない。
殺人は状況によっては悪とならないが、だから殺人を悪ではないという
ことは出来ないでしょ。
売春=悪じゃないと言うなら
殺人=悪じゃないよね。
そもそも=悪になる行為自体存在しないよね。
売春も、許容される場合というのはかなり限られてきたようだ
売春が悪くないと言うのは
殺人だって必ずしも悪とは限らないのだから殺人=悪という価値観を
押しつけるなと言ってるのと同じなのよ。
法律を破ること=悪ではないのだから法律を破ることは
いけないことだという価値観も押しつけられるべきではないし、
人に迷惑を掛けることも同じになるのよね。
少なくとも現在の日本では売春が道徳的に悪とされています。
それにしても実に「」の多い文章だな…。
一体何がしたい、つか、どういう表現効果を狙ってるんだ?>カギカッコ多用。
カギカッコの所がテストに出るぞってことじゃない?
なぜぴかぁ〜はウザイのか?
いい年したおじさんなのに精神年齢低くてガキ大将を気取ってるからじゃない?
966 :
ContextSurfer:2006/06/10(土) 18:46:42
「スプー」祭りの「断絶」
ここにはボクが示した「透きとおった大きな内部の断絶構造」が示されているのではないだろうか。
登場人物は、「小さな内部」・・・ネット住人、「大きな内部」・・・テレビメディア、「ネット企業」・・・
YouTubeである。
YouTubeやWinnyを楽しむネット住人は「大きな内部」では秩序を守り暮らしている普通の人であ
る。その彼らが「小さな内部」のネット住人としてYouTubeやWinnyを通して、明らかに「大きな内部」
の秩序である著作権保護に違反する行為を行っている。
この違法行為はテレビメディアへの反逆として行われているのだろうか。ネット住人には罪の意識は
低いだろう。みんながやっていることだから、すなわちネットという「小さな内部」ではもはや伝統的、
正統な行為である。これには負債感も感じない無意識な略奪(純粋略奪)がある。
さらに今回は「スプー」祭りと化しており、削除されたことがさらに祭りを盛り上げている。より大きな
「純粋略奪の快楽」を生んでいる。
967 :
ContextSurfer:2006/06/10(土) 18:47:22
テレビメディアはこれに対応し、YouTubeに「削除依頼」を出している。YouTubeも「大きな内部」の一
員であるので、その正統な処理として削除している。ただ穴の開いたバケツのように漏れが止まらな
いだけだ。
ここでYouTubeには確信犯的なものがあるのではないだろうか。「大きな内部」の論理に従い正統な
処理を行いながら、「小さな内部」の論理ではこの違法が止まらないこと、そして止まらないことが
YouTubeの成功につながることを知っているのである。このYouTubeの場合はあざとすぎる気もする
ので、法的に停止される可能性あるかもしれない。しかしGoogleなどのネット企業は「大きな内部」と
「小さな内部」の境界に位置取ることによって、利を得るのである。
テレビメディアは、Winny対策プログラムを導入するという。これはネット住人には監視されているこ
とがわからないように監視する方法であり、「環境管理権力」を強化する典型である。(プライバシー
の問題もありそうだが?)
968 :
ContextSurfer:2006/06/10(土) 18:48:10
まず「断絶」があることを知る
ではこの先はどのようになるのか。ネット住人はこれを回避し、同様に「犯罪」を繰り返していくだろ
う。Winny対策プログラム対策「Winny」をネット住人は、罪の意識なく、楽しく、誇らしげに作り、そ
してタダでばらまくだろう。それが「純粋略奪の快楽」である。
もはや「脱社会的」な成員=「マルチチュード」は東が考えるような「不必要に拡大しないように監視
すべき」例外的な存在ではない。それは「大きな内部」の普通の人である。そしてそれぞれの論理で
対応してもいたちごっこである。まずはそれが「断絶」であることを知ることである。そしてどこかに妥
協点を見出すしなかいのだ。
969 :
ContextSurfer:2006/06/10(土) 18:57:15
ホリエモン、村上ファンドにも「断絶」が働いている面があるのでは
ないだろうか。彼らは株式市場という秩序に住みながら、
彼らなりのムラ社会的な論理を持っていた。
それは「断絶」の「小さな内部」側であり、
そこでは彼らはセカイを作っているのは自分たちであった。
そこに市場への「純粋略奪の快楽」が生まれた。
970 :
ContextSurfer:2006/06/10(土) 18:59:56
問題は「断絶」であるとすると、ホリエモン、村上ファンドが
逮捕されたことを解決ではない。
逮捕されたとき、彼らはただの「大きな内部」側の人となる。
二人が排除されても、「断絶」は「ムラ社会」は、なくならない。
「断絶構造」は継続し、「純粋略奪」も継続されているだろう。
よりズレたかたちで。
971 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 19:08:08
ボクがいった
ボクはいった
ボクはしめした
ボクはボクは…………ナルシストよ、何がいいたい?
なぜぴかぁ〜はウザイのか?
ピカ先生の文章読んでいると去勢が不在の空間がいかに気の毒かがわかりますね。
土人のスノビズムはやっぱりダメだということですね。
974 :
ContextSurfer:2006/06/10(土) 21:43:34
>>973 どの程度読んで理解いただいたか疑問が残りますが、
むじんくんさんが「大きな内部」側の人間であることはよくわかります。
975 :
考える名無しさん:2006/06/10(土) 21:55:59
よくわかるなら詳しく説明できるだろうからやってもらいたいもんだw
>>974 > むじんくんさんが「大きな内部」側の人間であることはよくわかります。
やはり「大きな内部」の中に「小さな内部」という曼荼羅世界観を持ってしまうところが
自意識体操=スノビズムの限界だということでしょう。去勢はその無限反射的なところへ
切開手術をし、膿を出してくれるわけですね。