どうして人を殺してはいけないのですか?6

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1考える名無しさん
どうして?


どうして人を殺してはいけないのですか?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1126001287/
どうして人を殺してはいけないのですか?2
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1127472365/
どうして人を殺してはいけないのですか?3
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1130157792/
どうして人を殺してはいけないのですか?4
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1131869654/
前スレ
どうして人を殺してはいけないのですか?5
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1134322234/
2考える名無しさん:2006/01/14(土) 01:55:27
寝れ、バカ

2げt
3考える名無しさん:2006/01/14(土) 01:55:38
>>1
お前殺されてもいいの?
4αΩ ◆G.QKjYshg6 :2006/01/14(土) 01:58:33
前スレより。再度、書きます
「人を殺してはいけない」わけではない。
なぜなら、人を殺してはいけないと言うのは、只の個人の一感情だからだ。
殺した時に受ける「快感」(「復讐を成し遂げた、国のために戦った、金が得られた、殺すこと自体の快感」などの快感
と「捕まって刑務所に行く、してはいけないと教えられていたことをしてしまったetc・・・」などの不快感を顧みた快感)
が、殺さなかった時の「快感」(「社会の教えどうりに行動した,牢屋には行かないetc・・・」などの快感
と「復讐できなかった、金を得られなかったetc・・・」等の不快感を顧みた快感)
を比べて、殺した方が快感が多いと判断すれば人は「殺してはいけない」とは思わないし、
殺さない方が快感が多いと判断すれば脳が「殺してはいけない」と判断する。
只それだけのことで、このスレを立てた人が今「人を殺してはいけない(=殺さない方が快感が多い)」
と思っているだけに過ぎない。
人は人を殺してはいけないわけではない。
5考える名無しさん:2006/01/14(土) 02:00:50
>>4
お前殺されちゃってもいいわけね。

刺客を放つわ、今夜。
首を洗って待ってろ。
6考える名無しさん:2006/01/14(土) 02:02:29
>>4
つかまあ、件のTVで発言した高校生だったかも、同じような主旨で
「どうして人を殺してはいけないのですか?」って言ったんだろうな。
7考える名無しさん:2006/01/14(土) 02:07:46
数学のつもりで

問 人を殺してはいけないことを証明せよ

を解こうとしても、証明できんべ。
8 :2006/01/14(土) 02:10:38
http://blog.livedoor.jp/accounting_waseda/
こういう思想の持ち主は、
人を殺してはいけない理由がわからない奴と大差ない。
9考える名無しさん:2006/01/14(土) 02:17:03
>>1
何で次スレを立てるかなー。こんな命題、議論しても結論なんかでないよ。
強いて結論を出すなら、条件付肯定だということは一連の議論から明らか。
これでいいだろ?何が問題なんだーおまいらは!
10考える名無しさん:2006/01/14(土) 02:18:15
社会契約説で考えれば、みんな「お互い殺すことなしね」と
暗黙の了解になっているので、その契約を破ることは自分の死を意味
するから、普通は人を殺さないのです。
自分は殺されてもいいから殺したいという考えは確かに社会契約説で
は間違いじゃないと思いますが、そもそも他人を殺す権利がないと思います
なので人を殺しちゃいけません。
11考える名無しさん:2006/01/14(土) 02:20:13
「人は人を殺してはいけないわけではない」

そりゃそうだ。この世にいけないことなどないのだから。

だが、「人は人を殺してはいけないわけではない」という発言の主に訊きたいのは、
まさに自分が殺されかけているときに「OK、OK。人は人を殺してはいけないわけではないんだから」と
納得しながら黙って殺されてゆくのか?
12考える名無しさん:2006/01/14(土) 02:21:25
スレ立て乙
永遠に答えのない議論し続けろよクズども( ̄ー ̄)
13考える名無しさん:2006/01/14(土) 02:25:46
とグズが申しております。
14考える名無しさん:2006/01/14(土) 02:32:18
問 人を殺してはいけないことを証明せよ

解 「人を殺してよい」と仮定する。
  設問者もしくは解答者が、誰かに殺される。
  問−解が成立しなくなる。
  よって、問−解を成立させるためには、殺してはならない。
  q.e.d
15考える名無しさん:2006/01/14(土) 02:34:45
>>14
สะท้อนอาหาร
16ぽっくん:2006/01/14(土) 03:19:31
人を殺していい場面もある。

もういい加減やめれば。
17考える名無しさん:2006/01/14(土) 03:27:18
>>11
人を殺してはいけないわけではないが、俺を殺すのはやめて欲しい
18αΩ ◆G.QKjYshg6 :2006/01/14(土) 03:30:00
>>11
当然、自分の身を守るために逃げるなり、抵抗するなりします。
実際は、殺人をしてもいいが殺人を犯すと捕まる、社会からの視線が怖い、
道徳的にしてはいけないと教えられてきたのにそれを破るのは不快だ。
などの理由があるために殺されかける場面はほとんど遭遇しませんが。
19考える名無しさん:2006/01/14(土) 10:19:26
>>17>>18
「人は人を殺してはいけないわけではない」と主張するのに、
自分が殺される側になると何で安易な例外ができるんだよ。

そこが主張として弱いんだよ。
20偽・読書家:2006/01/14(土) 11:53:11
>>975>>977 (前回)
A集団とB集団の『道徳』が異なる場合、それを超えるものはない、という
言い方をされていました。一見、そうなんですけど、少し非現実的な問いで
はないでしょうか。
前にも述べましたように、いかなる部族もクニも国家もその根幹の“道徳”は、
ほぼ同じです。「殺すな」「盗むな」「近親と交わるな」とぃった明瞭な言葉
で規定されています。(同じ集団内の人間にだけ限定)
「仲間・味方を殺せ」「仲間から盗め」「父母、兄弟姉妹と交われ」という
“道徳”を持つ集団が過去にも現在にも存在したためしはありません。つま
り、私たちは“道徳”の違いで戦ったり、殺しあったりするのではないとい
うことです。
21考える名無しさん:2006/01/14(土) 11:57:23
>>19
17だけど、別に例外じゃないよ。
「人は恋人をふってはならない」わけではないが、俺はふられたくない

これと一緒
22考える名無しさん:2006/01/14(土) 12:12:54
>>21
「人を振ること」と「人を殺すこと」は「一緒」なのか?
23考える名無しさん:2006/01/14(土) 12:27:08
>>22
他者にダメージを与える行為という点では一緒だな。
法律や道徳もちださなければ、程度の差こそあれどっちも「危害」

どっちも嫌です><
24しろうと ◆AUSirOutoE :2006/01/14(土) 12:29:35
スレタイの問いをより操作的に変形します。
「人を殺してはいけない」という殺人禁止規則は、どうしてかくも事実上存続しているのか。
それは「自分が一人しかいないため、殺す効用より殺される害が大きい」事が理由でしょう。

参考までにマトリックスで書いておきます(値は適当)
//他者   殺さない   殺す
自分

殺さない     0,0   −100,1

殺す    1,−100    −99,−99

法律とそれを支える暴力装置が正常に機能している場合は、
例えば殺せば死刑になるのが確実なら、明らかに損なので、
囚人のジレンマがおきにくいのはお分かり頂けると思います。

しかし前提が崩れれば、当然殺人禁止規則も存続できません。
たとえば自分が崇高な共同体に属し一人ではないと考えれば、
自分の命と引き換えに誰かを殺しても価値が見合うことになります。

また一時的な感情の高まりによって、長期的な利益が考慮できない、
つまり「かっとなって後先考えず殺した」場合もこの図は成り立たない。
また死刑や戦争などは別ですが、それはまた別のゲームなのです。
25考える名無しさん:2006/01/14(土) 12:32:45
>>1
>>24のように殺人禁止は合理的なんです。意味がある答えです。
「どうして合理的な戦略を〜」と問いを遡るとキリがありません。
26しろうと ◆AUSirOutoE :2006/01/14(土) 12:33:53
>>25専ブラの「コテ記憶」を忘れて、名前が抜けてました。
27偽・読書家:2006/01/14(土) 12:41:18
集団としては、ほぼ同じ“道徳”を持つ集団同士が殺しあう理由は何か。
二つあると思います。
一つは、理念の違い。「自由主義万歳」と「プロレタリアに独裁を」と
いう別々の“理念”を掲げる集団が殺しあうことは、ありうる。(あった、
いうべきですね) 「天皇万歳」と「金将軍マンセー」を集団的価値として
信奉する国同士がぶつかることもありえます。(この可能性は、まだあり
ます)

集団が殺しあう、もう一つの理由は“利害の対立”です。日本と韓国や中国
が領土問題で戦う可能性は皆無ではないでしょう。

現代の集団としての殺し合い(戦争)は“理念的対立”を表向きの理由としつつ、
その裏には深刻な利権争いを抱えているのが普通です。しかし、これも厳密
にいうと、
28考える名無しさん:2006/01/14(土) 12:58:02
意味を知ろうとするのは賢者。意味の意味を求めるのは愚者。
29考える名無しさん:2006/01/14(土) 13:03:41
愚者が区別する賢者/愚者
30考える名無しさん:2006/01/14(土) 13:13:47
人を殺しても良いか?いけないのか?は、やはり集団の中での判断は多数決によって
「常識化」し「認知」されるのだろう。

たとえば、「人を殺してはいけない」と認知された社会集団の中でも、例外として
「死刑を認知」する場合がある。それは、極悪な殺人鬼は「殺してしまえ」という意思が
、「たとえどんな人間でも殺してはいけない」という意思よりも多数を占めるからである。

アメリカの各州によって死刑が有ったり無かったりというのは、その住民の意思の多数決
により決定される。
31考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:08:03
殺人は多数決により決まると仮定しよう。
殺人について可:否が30対20と1000対100の場合は後者のほうが「死ぬべき度」が高いということか?
32考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:12:11
個人の道徳としては禁止、
これは動かせないんじゃないのかな。
死刑、戦争とかは集団レベルでの
判断なわけだから、レベルをわけないと。
33考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:28:33
>>32
そうすると「なぜ集団のレベルなら殺人を行える権限があるのか?」という問が出てくるが、
俺はいい理由が思いつかん。
34考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:53:34
>>32
集団レベル抜きの「個人の道徳」だったら、
「その人次第でどうとでも」としか言いようがないのでは。
35考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:03:08
>>34
道徳は、一般的に決まったことだけど、内容は個人でやることなんだよ。
こういう人は殺しても善いけど、こういう人は駄目という基準が昔はあった。
今は理由を全く考えずに、全部駄目ということにしている。
36考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:14:03
37ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/14(土) 19:32:21
積み上げられた経験から生まれた綺麗な倫理じゃないか
基礎付けなんて延々考えてるスレなのか?

36はいまさらなんで誘導か
38考える名無しさん:2006/01/16(月) 00:07:37
殺してはいけないと言う人類の絶対的な生命尊重の思想を昔から当たり前の様に守ってるから。
39考える名無しさん:2006/01/16(月) 23:27:42
いけないからいけない
40神(創造主):2006/01/16(月) 23:45:47
命が何たるかも判らない人間が安直に語っては、いかんよ

死は君らには無関係だ、生きている時は死は此処に無く、死んだ時は君らは存在しない。

私が良いと言えば良い。
私が悪いと言えば悪い。
41考える名無しさん:2006/01/16(月) 23:51:21
この問いに答えるにはまず"いけない"という言葉を定義しなければならない
仮に"いけない"が警察に捕まることに対して述べているのであれば
この問いに対し『法律で決められているから』という解が出せる

>>1は何を持ってして"人を殺すことはいけない"という概念を持ったんだ?
42考える名無しさん:2006/01/17(火) 03:06:12
アクセス解析により、俺のblogが
>>8に晒されていると判明。

たしかに低学歴のクズを殺そうが一向に構わないと思っています。
43支配階級:2006/01/17(火) 04:48:17
支配階級の保身のため、
殺人を禁じたのよ。
この世は所詮けものみち、
殺しあいよ。
44考える名無しさん:2006/01/17(火) 07:49:19
「殺してはいけない」という事はない。ただ捕まるだけ。
45ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/17(火) 08:04:12
Aか
46考える名無しさん:2006/01/17(火) 08:24:00
えー=美ー
47ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/17(火) 08:58:53
人生大事にしろよ
48 ◆G7OA/lPHSQ :2006/01/17(火) 16:34:42
>「殺してはいけない」という事はない。ただ捕まるだけ。
誰か「殺してはいけない」理由をいってくれ ! !
あんまり人生が悲しい。
49考える名無しさん:2006/01/17(火) 17:05:24
『なぜ殺してはいけないのか』と言う問自体が措定しているのは『理由』である。
問いはあらかじめ、問い自体を成立させる理由を、生命の内に無作為に、無思慮に、それも乱暴に、それと気付かず措定してしまっている。
もし言語が人間の生命維持にとって必要とされ、使用されているとするならば、その問いは意味を持たない悪い冗談のようなものではないだろうか。
理由がなければ、理由さえあれば、殺して『よい』『悪い』というような言語にたいする根拠の薄い信憑こそ問いを発する時に自覚されるべきだろう。
世界に数多ある殺人は『理由なき殺人』より『理由のある殺人』のほうが残虐であり破滅的な暴力性を駆動する事例は歴史上枚挙にいとまがない。
『理由』の措定は言語への信憑であり、問いは『いけない』理由と共に『殺せる』理由さえも問いの構造内に含み込んでいる。
50考える名無しさん:2006/01/17(火) 17:17:46
感情を絡めると「殺してはいけない」というのは誰が主観になるかで変わってくる。
よって「殺してはいけない」と考える人の中ではそれが真理になる。で、その逆もしかり。
親が殺してはいけないというのは子供を愛でる心理から刑などで苦痛を味わうのを避けさせたい為だろう。
そして感情を省くと>>44で述べた結論になる。
51考える名無しさん:2006/01/17(火) 19:48:43
>>50
ではなぜ捕まるのですか?
52考える名無しさん:2006/01/17(火) 20:09:39
とりあえず、宮崎勤を正当化してもらおうか。
53考える名無しさん:2006/01/17(火) 20:30:18
この議論、
ムショの中でやったらおもしろいことになりそうだな
54考える名無しさん:2006/01/17(火) 20:39:07
この板はループが本当に好きですね
55考える名無しさん:2006/01/17(火) 20:42:01
誰か「いけない」の意味を教えてください。
56考える名無しさん:2006/01/17(火) 20:47:15
ママに教えてもらいなさい
57考える名無しさん:2006/01/17(火) 20:50:25
ママ「いけないものはいけないの!ばかばっか言ってないで仕事しなさい!」
58考える名無しさん:2006/01/17(火) 20:56:51
>>55「いけない」は社会からの要請だよ。
59考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:01:49
なるほど、じゃあ人殺しはいけないですね。
60考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:04:19
61考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:04:43
少数派を排斥する事によって得られる【安堵感】を得たいが為のルール強要。
62考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:11:50
一般論はいいから、とりあえず、宮崎勤を正当化してみろ。
63考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:22:08
宮崎がしたのは悪いことだよ。
64考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:29:31
そこまで行かなくてもいい問題のようだ
65考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:31:00
千と千尋の監督だっけ?
66考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:35:45
ロリコン違い
67考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:38:08
スノーモービルのバイトしているからよぉ
68考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:54:11
宮崎勤を正当化できるのは自分自身だけ
いずれにしても宮崎勤にとっては必要充分の動機だったのだろう。

人を殺してはいけないというのははっきり言って一般論から生まれたと思う
そして法律の枠にいれられて究極化したもの。 それが絶対になる。
それを理解しないで殺してしまえば存在価値がなくなる場合もある
人が生まれてから何年たったか知らないが今までの結論がこれなんだよ
それをみとめる能力は人間は絶対に必要だということ。くやしいけど絶対ね。
69考える名無しさん:2006/01/18(水) 09:34:14
52 :考える名無しさん :05/03/06 19:26:51
哲学の内で第一の、そして一番必要な部分は例えば嘘をつくなというような、
教説の実行にかかわる部分である。
第二の部分はその証明に関する部分で、どうして嘘をつくべきではないか、
というような事である。
第三はそれら自身に関する確実で区別的な部分、
例えばこれが証明であるのはどうしてであるか、一体証明とは何であるか、
帰結とは何であるか、矛盾とは何か、真とは何か、偽とは何か、というような事である。
ところで第三の部分は必然に第二の部分の為のもので、
第二の部分は、第一の部分の為のものだ。
最も必要でそこに留まるべき物は、第一の部分だ。
だが我々はあべこべな事をしている。
なぜかというと、我々は第三の部分で時を費やしているし、
また我々は全くそれに夢中になっているからだ。
我々は第一のものをまるでおろそかにしている。
だから我々は嘘をつくけれども、
嘘をついてはいけないという証明はについては準備が出来ている。

エピクテトス
70考える名無しさん:2006/01/18(水) 10:03:21
>>68
オマイは 死刑反対派なのか?
死刑は人を殺してもよい例だろ。
71考える名無しさん:2006/01/18(水) 16:13:49
72考える名無しさん:2006/01/18(水) 16:40:09
個人の自覚、無自覚とは何の親和性もないが、エントロピーの増大が宇宙だからでしょ。
73考える名無しさん:2006/01/18(水) 16:59:31
ところで、人間で初めて人を殺した人物って誰だろ?
74考える名無しさん:2006/01/18(水) 20:41:35
病人がおり新薬を投与するかどうか判断が分かれているとする。
肯:別に副作用はなさそうだから使うべよ
否:安全だと分かるまで使うな
どちらが正しいか?後者であろう。

病人→議論
新薬の投与を行うかどうか→殺人を認めるかどうか
副作用→殺人を否定する根拠
安全性→殺人を肯定する根拠

と読み替えると、殺人を否定するほうが正しいといえるだろう。

・重要な問題の可否は暫定的に「否」とみなされる

これを「道徳の非対称性」「否定前提則」と命名しよう。
75ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/18(水) 20:44:31
ただの疎外論だろ
76考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:48:39
>>73
どこから「人間」?つーヒト科の話でもないだろうから、アベルを殺したカインで良いらしい。
もっと古い「自覚的」記録はあるかどうか。
77考える名無しさん:2006/01/19(木) 16:22:41
70 俺はただ単に事件的なものだけを考えてた。でも死刑も一般論が究極化されてるから今の所は従わなければならない
   だから俺らは常に世の中全体を見ておかないと危険な目にあうかもしれない。
   俺らはそういうのに動かされながら生きてるんだな。そうかんがえるとしんどいかもw
   
  

78考える名無しさん:2006/01/19(木) 18:33:01
小学校の頃、隣に女みたいな顔した奴が引っ越してきてさ
半ズボンはいてるし自分の事僕とか言ってるから
てっきり男だと思って友達になったんだよ。
走るのも速いしサッカーも上手いしさ。
んで、小4の頃こいつの家に泊まりに行った時に
一緒に風呂入ろうぜ!って事になって
二人で服を脱いだんだけどこいつ変な下着
はいてんだよ。小学生の男子って大体ブリーフはいてるじゃん?
けどあいつのブリーフはチンコ出す穴が無いんだよ。
しかも脱いだらすっげえ小さく縮むし。
で、よくみたらチンコがあるべき場所に一本線が入ってんの。
俺は男以外の裸なんて記憶にないから興味津々で
「なんでこうなってんの?」って聞いたら
「僕女の子だからココがこうなってるんだよ?」って笑いながら
割れ目を開いて見せてくれた。向こうも男の裸を見るのが
初めてだった(風呂には母親と入った事しか無いらしい)から
お互い興味津々でその日は1時間くらい風呂の中で
おしっこする所とか見せ合いっこしてたよ
その後も同じ布団で寝る時も下半身を触りっこした。

んで、それから一ヶ月くらいして公園に遊びに行った時に
エッチな本を拾ってそれに書いてあったこと二人で真似したり
してたな。割れ目をいじると最初はくすぐったがってた彼女が…


(続きを読むには"ワッフルワッフル"と書き込んでください)
79考える名無しさん:2006/01/19(木) 21:31:42
そこからどんな哲学が生まれるのよ?
80ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/19(木) 21:35:32
A本人がみてたらやだやあ…
81考える名無しさん:2006/01/19(木) 22:40:07
ワッフルワッフル
82考える名無しさん:2006/01/20(金) 00:09:14
>>69
「殺してはいけない」という証明につては、どんな準備ができているの
ですか?
83考える名無しさん:2006/01/20(金) 00:11:08
>>78
この文章をここに書き込んだ理由は、何なの?
84考える名無しさん:2006/01/20(金) 00:20:21
>>81
おまえというやつは・・・・





ワッフルワッフル
85考える名無しさん:2006/01/20(金) 00:38:23
家族を殺す動物はいない。
人類はもう宇宙船地球号という想像の共同体の中の
一家族なんだよ。家族を殺すなんてとんでもない。

え、ライオンの子殺し?









ワッフルワッフル
86考える名無しさん:2006/01/20(金) 00:54:01
猿もBOSSが変わった時は大変だぞ
自分の子供じゃない子供は片っ端から殺していく
ちゃんとDNAには自分のDNA残すようにプログラムされているんだね

しかし人間というものは社会を作り、他の子でも育てることができる
殺しちゃいけないのか?なんて思考は動物に近いと思うんだが。





ワッフルワッフル
87考える名無しさん:2006/01/20(金) 01:19:30
ぴかぁ〜、またおまえか
88考える名無しさん:2006/01/20(金) 03:13:59
>どうして人を殺してはいけないのですか?

苦しむように人を殺してはいかん。
89考える名無しさん:2006/01/20(金) 17:35:28
どうして「生き物を殺してはいけない」とか「動物を殺してはいけない」
ではなく「人を殺してはいけない」と、殺してはいけないのが人に限定されるのですか。
結局これも人間の自分勝手な思想なんじゃないですか。
こう書くと「お前は殺されてもいいのか」という反論がきそうです。
確かに「人を殺してはいけない」という法律がなければいつ殺されるかわからなくて
安心して外にも出られません。
だから「人を殺してはいけない」という法律はやはりあってほしいと思います。
でも、「動物を殺してはいけない」という法律があれば肉や魚を食べることもできないので
困ります。
結局これも自分勝手なことだとは思います。人間というのは自分勝手な生き物なのです。それは仕方ないと思います。
でもこれを絶対的な正義だというのはおかしいと思います。
90考える名無しさん:2006/01/20(金) 18:23:11
91考える名無しさん:2006/01/20(金) 18:41:00
>>89
人を殺してはいけない、という法律は「無い」んだよ。

法律に「ある」のは、国は人を「殺していい(死刑)」
という法律と、人を殺した場合どうなるか(刑)だけ。
92考える名無しさん:2006/01/21(土) 23:16:58
age
93考える名無しさん:2006/01/21(土) 23:56:20
>>89

君、議論の内容からズレてるよ。

特にこの意見とか意味不明→  人間というのは自分勝手な生き物なのです。

自分勝手ではない生物の名前を俺に教えてくれよ、君。

君は、もう少し勉強すべきだね。
94考える名無しさん:2006/01/22(日) 00:05:15
殺してはいけないと思ってるヤツが多数派だからだな
民主主義的な決まり事であって、そうでなければならない絶対的な
理由はどこにもない
じゃあ、殺してはいけないと思っているヤツにその理由を
聞く、という事になるが間違いなく感情論しか帰って来ない
元々感情に支配された人間達による決まり事なんだから、その
感情を脇に置いて理性のみによる理由を探す事は無理な相談だと思われ
95考える名無しさん:2006/01/22(日) 00:19:20
>>94
君の言うとおりだな。
96考える名無しさん:2006/01/22(日) 00:28:31
また始まったよ。
民主主義って好きな人がいるね。それをいうなら立憲主義でしょ。
9794:2006/01/22(日) 00:46:46
>>96
立憲主義と置き換えても全然構わないんだが、民主主義と厳密に
区別するべき物なの?良かったら教えて
98考える名無しさん:2006/01/22(日) 01:43:37
人間と言えども、生き延びて、生殖をしてってのを続ける単純な生物に過ぎないからね。
そういう根本的な部分を考えると、「同種を殺す」ってのは、生物の根本から外れている訳だ。
自分及び自分に近い人間(人によって定義が異なる)が、生き延びるために障害となるのであれば
人間が人間を殺すというケースもあり得るのだろうが、それはやはり根本的な部分を守るため。
むやみやたらに人間を殺したがる人間ってのは、生物の営みからは外れた存在なので
理解されないのは、やむを得ないね。
99ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/22(日) 01:51:54
たまにはマジレス

>>98
人間は「単純な」生物ではない(細かいが)
>人間が人間を殺すというケースもあり得るのだろうが、それはやはり根本的な部分を守るため。
意味不明
ついでに、むしろ殺したがるのが人間です、定義上(タナトス)
どちらかと言えばみんなそれを理解してはいる、筈
100考える名無しさん:2006/01/22(日) 01:52:42
この世で一番大切なものは自分の命。
それを守るために殺す事を禁止にした。
101考える名無しさん:2006/01/22(日) 01:57:03
>>99
>ついでに、むしろ殺したがるのが人間です、定義上(タナトス)
オイオイ、そうなの?
102考える名無しさん:2006/01/22(日) 02:07:44
>98
>「同種を殺す」ってのは、生物の根本から外れている訳だ。

これには例外があって、食物連鎖の頂点に立つ動物は共食いを行う場合があります
蛇とか普通に共食いしてますよ
それに一概に『人』といっても個人、民族、風習、DNAによって
どうしようもなく性能が違ったり思考ロジックが異なります

殺人ってのは同朋でない外人だとやりやすい傾向があり
特に子供が親以外に残虐な殺され方をした場合
警察は捜査対象を外人に広げてきます

同朋の子供を頃すってのは凄まじいストレスがかかり
犯行に及んだ者が人格崩壊する可能性がありますからね
フツーできません
だからよほどイカれた野郎か、外人に捜査対象を絞れるので
犯人はほぼ確実に見つかります
103考える名無しさん:2006/01/22(日) 02:09:52
>>97 こんばんは
民主主義ではちょっとおかしいと思うのは次の通りです。

 今の日本の法体系としては日本国憲法が大前提としてあり、その下に刑法や刑事訴訟法などの実定法がある。
例えば、刑法には199条に『人を殺したる者は死刑又は無期若しくは三年以上の懲役に処す』とある。
すなわち刑法には罪と罰が書かれているだけで殺人を直接禁止している訳ではない。
一方で憲法においては基本的人権についての規定事項がある。
すなわち全ての人に対し自由権と平等権を与えている。
 したがって人を殺してはならない事は刑法というより、大前提としての日本国憲法によって要請されているのである。
従って仮に国会(立法権)による決議(民主主義)で、例えば○○の○○に対しては、刑法199条を除外するという法律(人を殺しても罪にならないようなもの)を作ったとしても司法判断(立憲主義)により違憲とされ法律は無効となる。
すなわち立法権の行き過ぎに対し司法権が監督する訳である。
このように民主主義と立憲主義は対立する場合がある。
 仮に憲法を改正するとするならば、一般の法律の決議の際に必要な条件より、更に厳格な手続きをとらなければならない。
しかし自由権や平等権のような事項を改正する事はありえない、と考えてよい。
なぜならそれらは日本国憲法の根幹をなすものだからである。
つまり立憲主義は民主主義より強力なものである。
 以上のような理由で人を殺してはならない、という事は民主主義というよりもむしろ立憲主義によるものだといった方が適切だと思う訳である。

104考える名無しさん:2006/01/22(日) 02:21:58
>>103
失礼ですが、
あなたは憲法と刑法について誤解をされているのではないでしょうか?
105考える名無しさん:2006/01/22(日) 02:27:57
>>102
ちょっと簡単に書き過ぎた嫌いがあるが、気軽に書く場所なんで勘弁してくれ。
無論、人間が人間を殺すケースは想定しており、それは「基本的には」
生存が脅かされる場合なのだろうと。
そして、生存を脅かすのは、ほとんどの場合において、広義の意味において「遠いところにいる人間」だろう。
生物としての根本的なあり方、すなわち「生き延びて生殖して代を継ぐ」というあり方を越えた殺しは
ほとんど全ての人間において、違和感を持って迎えられることになるだろうな。
106考える名無しさん:2006/01/22(日) 02:30:01
>>104
どういう所ですか。出来れば具体的に指摘して下さい。
107考える名無しさん:2006/01/22(日) 02:30:17
5行目訂正

×生物としての根本的なあり方、すなわち「生き延びて生殖して代を継ぐ」というあり方を越えた殺しは
○生物としての根本的なあり方、すなわち「生き延びて生殖して代を継ぐ」というあり方を完全に無視した殺しは
108考える名無しさん:2006/01/22(日) 02:31:56
憲法上、或る行為について科罰対象となすか否かについては刑法に委ねられているのであって、
殺人を科罰対象外にしたとしてもなんら違憲的立法措置とはいえないのですよ
生命の尊重に関する条項はありますが、殺人行為を憲法上必ず科罰行為となすべきとの規定はどこにも存在していないですしね

109考える名無しさん:2006/01/22(日) 02:38:32
>>99
ちょっと調べたが、あんた用語を都合よく使ってるな。

【タナトス】
フロイトにおいては快感希求的なリビドーに対する自己破壊への衝動。
マゾヒズムを説明するために考え出された概念だが、生物学的観察からはこの概念を裏付ける証拠は提出されず、
これを認める分析家は少ない。
110考える名無しさん:2006/01/22(日) 02:46:20
>>108
しかし憲法12条や13条等によって基本的人権は公共の福祉による制約を受けるのですから。
111ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/22(日) 02:55:09
>>109
>フロイトにおいては快感希求的なリビドーに対する自己破壊への衝動。
フロイトにおいては、の一行目とマゾヒズム〜はつながってるのかな?
別にマゾヒズムに固定する必要はないような気がするけどね。
用語の追求は冷めるが・・間違っているというなら。

とりあえず、もっとも質素な辞書的意味は「死の欲動」の筈です
で、エロスの対概念として記憶してました。
精神分析的には、フロイトスレでやるべき話ですな。
112考える名無しさん:2006/01/22(日) 03:04:26
>>111
あんたのいい加減な使い方より、自分で調べた方が正しいと確信してるが。

>ついでに、むしろ殺したがるのが人間です、定義上(タナトス)
>どちらかと言えばみんなそれを理解してはいる、筈

と、大きめの風呂敷を広げたんだから、素直に過ちを認めた方がいいと思うんだけどねえ。
113ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/22(日) 03:15:54
じゃあ認める。ソースは?
114考える名無しさん:2006/01/22(日) 03:30:55
泥仕合が回避されたことを感謝しつつ、ソースはこちら

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%BF%A5%CA%A5%C8%A5%B9

115ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/22(日) 04:04:16
本当だ。しかもフロイトじゃないのか。
ちなみに今EXCELのメモ見てたら、柄谷行人「ネーションと美学」でおれが言ったことが
書いてあったよう。タナトスが内部へ向かうと自殺へ、外部へ向かうと他殺へ、
というようなことが。
でも同種殺しが規格的であることに変わりないような気はする。
精神を言語として見て、普通は無意識でも「生きる」「殺さない」というという目盛りに合わせてある訳でしょ。
その目盛りのついた棒の対極には「殺す」とか、その合間に「殴る蹴る」なんかがある。
極端に言えば、殺すということを知らなければ殺さないのではないかな。
しかし精神活動が言語と切り離せないのはそれこそ規格なので無理だろう。
116珍米:2006/01/22(日) 04:43:32
    彡川珍米三ミ
   川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
  川川::::::::ー◎-◎-)
  川(6|::::::::  ( 。。))    カタカタカタ  一日も早く米国産牛肉の輸入が再開
 川川;;;::∴ ノ  3  ノ   ______     されて、また安くて美味しい牛丼が  
    \_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ   |  | ̄ ̄\ \  食べられますように!!!
   /       \__|  |    | ̄ ̄|
  /  \___      |  |    |__|
  | \      |つ    |__|__/ /
  /     ̄ ̄  | ̄ ̄ ̄ ̄|  〔 ̄ ̄〕

117考える名無しさん:2006/01/22(日) 04:59:50
ゲノムの中に殺しを誘発させるものや殺しを快感にさせるものが見つかったらしい。          これが事実なら秩序的殺人の後、快楽に気付き無秩序的殺人を犯す殺人鬼はゲノム           レベルで殺人を、即ち本能で殺人を云々・・・。
118PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/22(日) 05:34:43
殺したいといった、欲求が遺伝子に仕組まれているのですか。興味深い。
119考える名無しさん:2006/01/22(日) 05:39:48
そんなものの発見を待たなくても、デスマッチゲームやテロリストゲーム
の需要から、人を殺すイメージが快感である事はすでに証明されている。

だから反対に、社会的抑制を外して欲望を開放してしまうものを
発見する方が重要だと思うんだがなあ。
120考える名無しさん:2006/01/22(日) 05:52:12
自分がタレントでパパラッチなどに絶対に知られたくない秘密を掴まれてそれを利用して        恐喝をしてきた、自分では到底払えないかなりの大金をだ。         貴方は殺そうと考えた。そして殺した・・・。これが切っ掛けとなり云々・・・。
121PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/22(日) 05:54:50
興味ある。なぜ異常な行動に至るか。だれもが宮崎勤に宅間守になりえるのか。
社会的な抑圧からくる突発的出来事なのかねぇ。根深い何かがありそうなのに。
122考える名無しさん:2006/01/22(日) 05:58:20
太古、人は己よりも遥かに大きい獲物を捕らえ、生きてきた。        そんな獲物に立ち向かう為に必要なのは勇気よりも快楽への欲求の方が    人を駆り立てさせるのに効率が良く云々・・・。
123考える名無しさん:2006/01/22(日) 06:02:35
時折ゲノムに太古を色濃く残す人間が産まれる。例えば殺人鬼とか殺人鬼とか、あと          殺人鬼とか・・・。
124PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/22(日) 06:04:30
後先をかんがえずに刹那的になっているのかな。今さえ自分さえよければよい。したいようにしたい。
世界の狭さは虚無感の広がりをもたらしたのか。先が見通せないからもういいや的な諦め。希望のもてない理由は社会的なものだけかとかね。
太古の昔とくらべて、生物的に変異してきているとは思えないのに異常な事件は増すばかり。その抑制が弱まっているのかな。
なぜ?
125PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/22(日) 06:08:40
狩りを知らなければ人殺しを知らなければ殺さないのかと言うとどうなのだろう。
太古の昔の遺伝子の記憶かぁ。やっかいだなぁ。
126考える名無しさん:2006/01/22(日) 06:11:53
異常な事件は増えたのかな?そこは疑問ですね。いつの時代にもサイコな
人は何パーセントかいたのではないでしょうか。残酷な話は古今東西
尽きません。
127考える名無しさん:2006/01/22(日) 06:14:14
人間皆殺しの衝動はある。主に男性はプライドが高い、という事は他人の上に立ちたいと        いう事、それは他人を殺してまでもという衝動をも起こす。         即ち多くの人は(特に男性)は少なからず殺人衝動を持っていると言えよう・・・。
128考える名無しさん:2006/01/22(日) 06:18:34
残虐非道な事件が増えたと感じるのはテレビやマスメディアがそれらをよく取り上げるため。      残虐な事件は昔からある。それに安易に情報を得る事が出来る今の時代云々・・・。
129考える名無しさん:2006/01/22(日) 06:29:07
切っ掛けはどこにでもある。自分が自分を追い詰め、殺人に至るケース    もある、宅間みたいな。アレは只のサイコパスの可能性が云々・・・。
130考える名無しさん:2006/01/22(日) 11:09:45
殺してだめだと誰が言ったのか?
131ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/22(日) 12:51:05
>>130低能荒しは氏ね
132考える名無しさん:2006/01/22(日) 13:37:25
何で人を殺してはいけないか?実際に人を殺してみたら分かるんじゃないか?殺してみてはいかがですか?もしも貴方にそれが出来るのならば。
133考える名無しさん:2006/01/22(日) 14:08:23
>>83
自分の書き込みを境に議論が完全にそれていったらおもしろいかなあと思いまして・・・。
134考える名無しさん:2006/01/22(日) 14:55:16
>>132殺したらねぇ・・・。           君やってみたら?俺あるもん。人が人を殺したらその殺した         瞬間から一生を苦しむ事になるけどね。
135考える名無しさん:2006/01/22(日) 16:59:26
機械とかは人間の手で作れるけど
生命そのものは創れないからじゃない?
136考える名無しさん:2006/01/22(日) 17:18:21
>>102
蛇は共喰いするそうですけど、たとえば、ニシキヘビがニシキヘビを食べますか。
ニシキヘビが青大将を食べても、共食いとはいわないでしょう。トラの檻に猫を
入れれば、トラは猫を殺して喰うかもしれないが、それは共食いとはいわないの
と同じ。
ニシキヘビがニシキヘビを食べたり、青大将が青大将を喰ったりすることはある
のですか。
137ip:2006/01/22(日) 17:20:56
138考える名無しさん:2006/01/22(日) 17:30:55
>>89
あなたの問いにまともに答えようとした人は、まずいません。そこを
いいかげんにして「命は大切」と、いくら強調しても所詮はウソっぽ
い話。結局、人間は特別な存在だという結論に至っておしまい。
139考える名無しさん:2006/01/22(日) 17:43:55
民主主義とか法律とか憲法などを持ち出して、このテーマを論じるのは滑稽。
それらは、近代的な産物にすぎない。はるか大昔から“人殺し”は、人間に
とっては深刻な問題。その種の言葉を使ったからといって、このテーマが深
まるわけでもないし、リアルになるわけでもない。
140考える名無しさん:2006/01/22(日) 18:28:37
↑ディープエコロジーですか。肉や魚を食ってるだろうし野菜も食ってるだろうに。

それなりに自説を述べて下さいな。
141考える名無しさん:2006/01/22(日) 18:51:05
>>139
憲法が近代的な産物だという前に、近代に属している事の意味をこの人は気付いているのだろうか?

国家により自由権や平等権を与えられている事の意味を自覚した上で書き込みを行っているのだろうか?それをくだらない事だと切り捨ててまでも論じるに値する話なのだろうか?
インターネットという掲示板で挑発する事が社会にどのような影響を及ぼすのかを自覚しているのだろうか?
偏った考えに大事な時間を費やしている事をどのように考えているのだろうか?
まずはそれらの事を考えるべきじゃないか。
142考える名無しさん:2006/01/22(日) 18:59:27
>>89
誰も絶対的な正義なんて言わないだろ。
「弱肉強食で仕方がない」と思っている人が多数だろう。
143考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:09:32
武田泰淳の小説で『ひかりごけ』てありますよね。あのラストで人肉を食べて生き延びた人間を裁く法廷の場面があったと思います。人肉を食べた人間の頭上には光が射し込んでくる。すると、そこに居るすべての人間の頭上に光が射す。→
144考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:13:42
→あのラストの意味は、あらゆる人間は結局、他人の肉を食べて生き延びている、という事の暗喩だと思える訳です。実際に食べているか否かが問題ではなく、生きている事の中に、他人を殺す、ていう原罪は既に含まれている、と武田は捉えたのじゃないか。
145ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/22(日) 19:25:52
あなたが蛙だったら蠅を食べる筈
みたいな
146考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:30:48
ただ、原罪としての人肉嗜食とスレ名の違い。善悪がぼやけてきた、てことはまた別で、武田のような問いは、貧困が日常だった時代の善悪をベースにしている。今はむしろ精神の行き場の無さが問題なんでしょうね。アイデンティティの証明としての凶悪犯罪が出てくる。
147考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:40:23
>>141
“自由権”“平等権”が与えられている?ことの意味を自覚して『人殺し』を
あなたこそ論じているの、と逆に問い返したい。そもそも、自由権て何?平等
権て何?と混ぜっ返すのはやめておきます。ただ、こんな高級なものが与えら
れている?つまり“近代的な国家”は地球上ではそう多くはありません。“近代
国家”における『人殺し』を問うだけでは、根底的な意味は浮かびあがってこ
ないだろう、と言いたいだけ。「ほんとに日本て、人殺しの少ない、いい国だ
よね」で、おしまい。
148考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:43:39
人は誰かを頼って生きていて
その誰かが死ねば生活をするのが難しくなるから
精神的にも
149考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:45:14
殺人はいけない事だと主張する理由は
共感を得て、殺さないで欲しいと思ってるからやね
150考える名無しさん:2006/01/22(日) 19:58:56
申し訳ありませんでした。


私は40才。独身。対人恐怖症の清掃員です。この年になって
貯金もなく、未来に希望もありません。たぶんこのままいつか
静かに死んでいくと思います。私の人生で唯一素人の女性と性交を
したのは大学1年の時でした。相手は1学年上の女性で綺麗な人でした。
ただその人は精神を病んでおり、その後すぐに休学しました。正上位で
セックスしてるとき私の目を見ながら「無様だな、惨めだな、え、おい」とか
言い続けていて怖かったのをおぼえています。それでも私は必死に腰を
動かし続けていました。これがセックスなんだこれがセックスなんだと頭の中で
言い続けていました。その人はずっと私を罵倒し続けていました。今思えば
壮絶な光景です。

あれから20年経ちました。私は今日も2ちゃんをしています。
151考える名無しさん:2006/01/22(日) 20:03:03
外道の説

「殺人は悪である」という命題は実はトートロジーである。
悪とは殺人の言い知れぬ忌避、拒絶の感覚をいう語である。
これは「塩はしょっぱい」という命題がトートロジーなのと同じである。
「しょっぱい」とは塩をなめたときの感覚をいうので塩がしょっぱいのは当然であろう。

これを「善悪の感覚起源説」と呼ぼう。
152考える名無しさん:2006/01/22(日) 20:11:34
>>144
武田は不思議な作家で、その全貌は謎のまま、ともいわれています。
それはともかく、あの作品の人肉嗜食を暗喩と評するのはどうだろう。
“たとえ”ではなく、一つの“事実”として彼は描いているのではない
か。
たしかに、よほどの状況に置かれないかぎり、人肉をた食べることは
ないかもしれぬ。しかし私たちは日々、『命』を貪り食べているので
はないか。武田は、“仏教的”な問いかけをしているように思える。
といって、それを罪とか業とか名づけると、軽くなってしまうのだが。
153珍米:2006/01/22(日) 20:57:15
                              ./.
                             /::"
                           //
                  ,..-──-、∴ミミ /
               ./. : : : : : : : : : ゞ″;;;;ソ;;; 
              /.: : : : :珍米: : : : : : : ;;彡・:;;;・
               ,!::: : :,-…-…-ミ: : : : ',・:;・  
               {: : : i '⌒'  '⌒' i: : : : :}  
          .  ./ヾ : | ェェ  ェェ |: : : : :}
           //;;>: :|   ,.、   |:: : : :;!
         /./γヾ: : :i r‐-ニ-┐ | : : :ノ
         ソ _ソ>'´.-!、,ゞイヽ 二゙ノ イゞ‐´
       τソ    −!   \ ` ー一'´丿 \       
        ノ    二!\   \___/   /`丶、     
       /\  /    \   /~ト、__  /    l \
       / 、 `ソ!  |二二二二,,, ̄ヾ|ゝ    l-7 _ヽ
      /\  ,へi  └─ソ--と---´ ̄ヽ    |_厂 _゙:、
      ∧   ̄ ,ト|       Ε三    \.  | .r'´  ヽ、
     ,ヘ \_,. ' | |       ヽ-、     7\、|イ _/ ̄ \
     i   \   ハ       |::::| `''ー-、,_/  /\_  _/⌒ヽ

                  逝ってきます・・・
154考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:03:41
>>152
だけど極限状態で発生する人肉食と
「どうして人を殺してはいけないのか」という
一般的問いかけとを同じレベルで考えることは
ないんじゃない? 極限状態はあくまで例外でしょ。
155変体:2006/01/22(日) 21:44:30
この世界は弱肉強食の世界。ゆえにこの世界(日本)では人殺しは禁じられています。
なぜなら日本が法治国家であり法律が一番の支配者だからでありんす。
あらゆる世界では力の強いもの一番長く生存できるものが一番の支配者でつ。
http://2.mbsp.jp/sexlovesex/
ここでもそういう話しませう。興味あるやついるんだ!!
156ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/22(日) 22:40:05
原罪なんてレトリックだ…
みんな自分をしめる言葉が好きなんだな…
157考える名無しさん:2006/01/22(日) 23:17:02
『ひかりごけ』ですが、僕もやはりあの中の人肉嗜食に到る件は事実か虚構かは判らないと思います。ただ、最後の法廷で頭上に光が射すシーンについて、一応喩とみなしました。で、極限状況での殺人とスレタイトルは別ではないか、という質問。これも後から思い当たった→
158考える名無しさん:2006/01/22(日) 23:21:26
→そこで次のレスに、稀少性を土台にした善悪ではスレタイトルの問いには答えられないのではないか、という自己批評を書いてみました。つまり、スレタイトルの背景にあるのはむしろ、存在の硬直性に対する反命題じゃなかろうか、て事なんですけどね。→
159考える名無しさん:2006/01/22(日) 23:25:00
→PCを買う金が無いので今日も携帯で必死に書き込んでますが、→
160考える名無しさん:2006/01/22(日) 23:26:02
→武田の小説を出した事でスレタイトルから逸らしたとしたらお詫びさせてもらいます。改めて考えると、むしろ共同主観性の問題と絡めた方が合ってるように思えます。或いは自分とは何か、ていう問いですよね。
161考える名無しさん:2006/01/23(月) 00:06:35
殺される側がそれを望んでないから。
162考える名無しさん:2006/01/23(月) 00:12:20
共同主観性とか自同律の不快とか、思想的に考えようとすれば手はあるんだろう。共同主観性に回収されざる〈私〉はあり得るか、とかね。だが、本気で、問いというよりも〈壊れ〉としてスレタイトルが来ていたとしたら、もう俺の手には負えない、て気がする。→
163考える名無しさん:2006/01/23(月) 00:18:34
→このスレの議論が錯綜する一因が、このタイトルが〈問い〉なのか、〈壊れ方〉なのか判別できない所から来てるのではないか。両方の受け取り方が出来るから。壊れる、というのは、まだ壊れてない人からすると手の届かない?一応真面目な〈問い〉として続くんだろうけど。
164考える名無しさん:2006/01/23(月) 00:52:24
>>154
人肉食は、たしかに極限状況の話。私たちは、人は食べない。が、日々、動植
物を殺して食しているではないか。自分たちが生き延びるために。
このスレで時おり、この種の問いをする人がいます。「人を殺してはいけない。
では、他の生き物はいいのか」というわけです。答えようがないですが、武田
の作品にはその問いかけがあると思います。
>>157
ところで、あなたは他のスレでも携帯による力作を書き込み、時々、からかわ
れていませんでした? 私は「気にするな」と励ましたことがあります。それ
とも、別人かな?
165考える名無しさん:2006/01/23(月) 01:10:39
あーいや、たぶん同じ人間です。そうだ、覚えている。そんな人いましたねー。遅れたけどあの時はどうも(苦笑)ありがとう。
166考える名無しさん:2006/01/23(月) 05:25:50
人殺してみたいよねぇ〜。
167考える名無しさん:2006/01/23(月) 07:54:08
人の一生を終わらせるのは楽しい
168考える名無しさん:2006/01/23(月) 09:04:08
“極限状況での人肉嗜食とスレタイトルを関係づけられないのではないか?”という問いについて、今一度考えた。まず『ひかりごけ』の主題。入り口は確かに極限状況だが、だがラストに武田は全ての人間は他人の肉を食らう罪を持つ、という結論を下している。→
169考える名無しさん:2006/01/23(月) 09:05:54
うるさい馬鹿
170考える名無しさん:2006/01/23(月) 09:13:14
悲しむ人がいるからダメ
171考える名無しさん:2006/01/23(月) 09:14:36
→つまりあの作品が極限状況に限定されない罪を探ろうとしているのは明らかだ。人間は誰しも、見えない人肉嗜食を犯しているではないか、という断罪が籠められている。では、それがスレタイトルに直結するのか。しない事はないと思う。契機さえあれば法に関わりなく→
172考える名無しさん:2006/01/23(月) 09:17:46
矢印がむかつく
173考える名無しさん:2006/01/23(月) 09:22:53
→つまり〈殺してよい〉〈殺していけない〉に関わりなく、つまり法による拘束を越えて、人間は人を殺してしまうという意味がそこには籠められているからだ。つまり人間はそれが自己の生存にとって避けられなければ人を殺す位はやるものだ。そうして殺人はいつも可視→
174考える名無しさん:2006/01/23(月) 09:24:54
→とは限らないのだ。
175考える名無しさん:2006/01/23(月) 12:32:47
人殺したい奴は中東あたりで傭兵でもやればよかろう
給料もらえて合法的に人を殺せる
趣味でやってる奴もけっこういるぜ
でもそいつらはプロになるけどな

紛争が起こっていない国で
趣味で人殺しするなんて、よほどのバカ
一生棒に振るリスクに見合うものなどない
まあ、バカだから捕まるんだけどね
176ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/23(月) 13:13:47
ほう
177考える名無しさん:2006/01/23(月) 14:45:43
ブルーハーツの歌聴いてるといけない気がする。
178考える名無しさん:2006/01/23(月) 20:11:05
>>155
これが正しいんジャマイカ
179考える名無しさん:2006/01/24(火) 04:54:09
>>175
バカかどうかはどうでもいいんだよ。
なんで一頃しちゃいけない野化って話、
180考える名無しさん:2006/01/24(火) 04:56:33
一気になると、もとのさまが判らなくなるので困るんじゃないの
181考える名無しさん:2006/01/24(火) 10:49:37
なんつーか、そんな複雑化せんでも単純にこれでよくね?
「人を殺す自由は殺される自由と同義だから
 人を殺すことを良しとする者は自分が殺されることを覚悟しろ、と」
大抵の人は人殺しを否とするから社会で人を殺すと裁かれるわけで
「人を殺したければ殺せばいい
 そのかわりこちら(社会)もお前を殺すぞ」
そんだけのことでしょ?
哲学の領域ですらないと思うんだが・・・
182考える名無しさん:2006/01/24(火) 16:42:51
地球上には60億以上もの人がいるんだから殺してもいいんじゃねぇ?
183考える名無しさん:2006/01/24(火) 17:22:48
>>181
ここに一番多く書き込まれる俗論である。この理屈でいけば、殺されるのを
覚悟しさえすれば、殺人は容認されるわけだ。つまり、死刑覚悟の詫間の幼
児殺しは認めざるをえないことになる。おかしいだろう。
184考える名無しさん:2006/01/24(火) 17:27:35
>>183

>>181は「人を殺したければ殺せばいい
そのかわりこちら(社会)もお前を殺すぞ」と言って容認してるわけだから
何も反論になってないな。
死刑覚悟の詫間の幼児殺しはそりゃあどんな道徳を振りかざしても止められないだろう。
185考える名無しさん:2006/01/24(火) 17:29:45
>>155
これで終了だろ
186考える名無しさん:2006/01/24(火) 17:32:16
だから、多数決だろ。前から言ってるだろうが。
多数決でそう決まってるから人殺しはよくないわけ。
ナチスのホロコーストだって多数決で選ばれたナチスだからこそ
実行できたわけ。あの当時のドイツではホロコースト=善だったわけよ。
187千石 ◆tsGpSwX8mo :2006/01/24(火) 17:37:02
今現在でも、どこかの国で政治や利権の為に殺戮が
繰り返されている。
いつの時代だろうと
人がいる限り戦争は
なくならない(;ω;)
188考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:14:31
>>186
「あの当時のドイツではホロコースト=善と考えれていた」
 ≠「あの当時のドイツではホロコースト=善だった」
ま、実際には前者も間違いだろうな。さもなければ、
国民に隠してやったりはしなかっただろうから。
189考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:19:42
>>188
実在論者?
善なんて実体は存在しないよ。人間の頭の中にしかね
190考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:25:53
実在論者ではなくても、「・・・は・・・を善と考えている」と「・・・は善だ」
は区別しなくちゃダメだよ。それと、「善なんて実体は存在しない」ってことは
あなたはどうして知ってるの? それともそう信じているだけ?
191変体@童貞男爵:2006/01/24(火) 18:28:50
人数というより力の大きさでつ。人間の考えて作り上げた機械によって
動物は人を殺すことができない。なぜなら機械のほうが力をもっているからでつ。
人間は考える動物でありそう思わせることのできる人物が主導権を握れるのでありんす。
また、イラクなどでアメリカも吹っ飛ばしてしまうような力が出てくれば、
人類はイラク法に従わなければなりなせそ。
192考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:28:55
善の存在物があるようだ
193変体@童貞男爵:2006/01/24(火) 18:31:10
>>190
そうでつね!!この世なんて全部信じているだけなんでつ。普遍的真理なんて
存在し得ないのでありんす。
194考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:31:20
>>190
>実在論者ではなくても、「・・・は・・・を善と考えている」と「・・・は善だ」
は区別しなくちゃダメだよ。

その根拠は?「しなくちゃダメ」とはどういう根拠でそう言ってるわけ?



>それと、「善なんて実体は存在しない」ってことは
>あなたはどうして知ってるの? それともそう信じているだけ?

善なんて実体はどこにあるんですか?
実在の証明は「ある」と主張する側がやることは常識でしょ?
ないことの証明は悪魔の証明であって。
195考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:39:53
しなくちゃダメという根拠は、「・・・は善だ」=「・・・は・・・を善と考えている」
だとすると、「善」という言葉は無意味になり、「善と考える」ということも無意味になる
といったことかな。

後半については、実在するという証明を知らないというだけでは、
「実在しないと知っている」とは言えませんよ。
方程式の解とか例にして考えてみれば明らかでしょ。
196考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:39:59
ー-ニ _  _ヾV, --、丶、 し-、
ニ-‐'' // ヾソ 、 !ヽ  `ヽ ヽ
_/,.イ / /ミ;j〃゙〉 }?U } ハ ヽ、}
..ノ /ハ  〔   ∠ノ乂 {ヽ ヾ丶ヽ    ヽ
 ノノ .>、_\ { j∠=, }、 l \ヽヽ ',  _ノ 
ー-=ニ二ニ=一`'´__,.イ<::ヽリ j `、 ) \  >>195ッ!
{¨丶、___,. イ |{.  |::::ヽ( { 〈 (    〉
'|  |       小, |:::::::|:::l\i ', l   く  君の意見を聞こうッ!
_|  |    `ヾ:フ |::::::::|:::|  } } |   )
、|  |    ∠ニニ} |:::::::::|/ / / /  /-‐-、
トl、 l   {⌒ヽr{ |:::::::::|,///        \/⌒\/⌒丶/´ ̄`
::\丶、   ヾ二ソ |:::::::/∠-''´
/\\.丶、 `''''''′!:::::::レ〈
   〉:: ̄::`'ァ--‐''゙:::::::/::::ヽ
\;/:::::::::::::/::/:::::::::::://:::::〉
::`ヽ:::ー-〇'´::::::::::::::::/-ニ::::(
           /    \
197考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:41:27
>>195
>しなくちゃダメという根拠は、「・・・は善だ」=「・・・は・・・を善と考えている」
だとすると、「善」という言葉は無意味になり、「善と考える」ということも無意味になる
といったことかな。


意味不明。

>後半については、実在するという証明を知らないというだけでは、
「実在しないと知っている」とは言えませんよ。
方程式の解とか例にして考えてみれば明らかでしょ。

言えるよ。
198考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:44:20
安易に「方程式の解」と「道徳」を混同してはいけないね。
道徳なんて正しさの基準すら提示不能なんだから。
「方程式の解」と「幽霊」の存在を同一に扱っているようなもの。


199考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:45:43
じゃあ善悪は人間の頭の中にしかないということでFAね。
そして道徳は基本的に多数決で決まる。
200考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:46:25
解の存在が証明されていないだけで、
「解が存在しない」とあなたは知っているわけ。
ま、そういう意味で「知っている」という言葉を使うんなら、
そりゃ、あなたは何でもご存知でしょうな。
あなたにとっては、「知っている」=「知っていると思い込む」らしいから。
201考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:47:50
>>186
善が存在しないのならば「善という概念」はどこから生じたのだろうか?
202考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:48:32
>>198
「存在するという証明がない」→「存在しないと証明されている」
という論理は成り立たないという話に関しては、
道徳も方程式の解も同じ
203変体@童貞男爵:2006/01/24(火) 18:50:26
だから普遍的真理は存在しないの。科学にしたって難しいこと説明できるのは
ごくわずか。中世の教会と一緒。わかるやつにしかわからない
204考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:51:51
>>200
数学と道徳が同じ実在レベルにあるのなら、
倫理学がここまで混乱した学問になってはいない。
安易に数学と道徳を同じレベルで扱うな
むしろ道徳は幽霊と同じレベル(人間の頭の中にしかない概念)の話しだ
205考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:55:11
>>202
道徳も方程式の解も幽霊も神様もな。何とでも言える論法なんだよ。無意味な主張だ。
206考える名無しさん:2006/01/24(火) 18:58:16
明らかに自演なわけですが。
207考える名無しさん:2006/01/24(火) 19:04:33
>>204
結局、循環論法だね。「根拠はないが道徳は実在しないと俺は信じている」
って認めたらどう?
208考える名無しさん:2006/01/24(火) 19:06:24
>>204
数学的真理の実在なんて、道徳の実在と同様に怪しいものなんですが。
209考える名無しさん:2006/01/24(火) 19:10:32
>>207
だからね、悪魔の証明なの。実在すると言うなら証明出してよ。どっかに落ちてるの?善悪ってものが。
幽霊レベルの話でしょ。

>>208
だったらパソコン使うなよ。テクノロジーの恩恵を受けながらこういうこと平気で言うからな文哲は
210考える名無しさん:2006/01/24(火) 19:15:40
>>1死は痛いからです。僕の場合はね。例えば君が、少しずつ身体の一部分を
切り取られていく状況になった時、その痛みは半端じゃない痛さなはず。
そういうことをしなければ死ねないの。だから人の命を奪ってはいけないの。
211考える名無しさん:2006/01/24(火) 19:43:14
スレ違いかもしれんが↓をみて
どうして毛皮を着ちゃいけないの?と言うのと同じレベル

理解する力がないというか、そこから何も見つけ出せないというか
命を知らないんだろうね
いっぺん自分の腕にナイフを4・5回突き刺してみたらどお?

毛皮になるアライグマ(中国)
ttp://sapporo.cool.ne.jp/vegetarian/peta/fur.wmv
212考える名無しさん:2006/01/24(火) 20:05:37
人は殺してもいいんだろ!!腹が減ったら殺して食えばいいんだ!!
人間にしちゃいけないことなんてないし規制なんてのは結局作りもの
213考える名無しさん:2006/01/24(火) 20:08:27
道徳ってのは共同幻想だ。
214考える名無しさん:2006/01/24(火) 20:19:13
> だったらパソコン使うなよ。テクノロジーの恩恵を受けながらこういうこと平気で言うからな文哲は

数学基礎論について何も知らないようだね。w

215考える名無しさん:2006/01/24(火) 20:21:13
>>209
勝手なルールを設定して、そのルールの上で議論に勝ったつもりになる阿呆ですか?
216考える名無しさん:2006/01/24(火) 20:26:18
>>215
議論に勝ち負けを導入するのは阿呆の典型
217考える名無しさん:2006/01/24(火) 20:37:48
>>216
勝ち負けを導入したのは、「存在・非存在が議論になっている場合には、
存在を主張する側に挙証責任がある」と言ったどこかの馬鹿の方。そも
そも私は道徳の実在を主張しているわけじゃなくて、非存在を確信して
いるらしい人に「何か根拠あるの?」と訊ねただけなのにね。w
218考える名無しさん:2006/01/24(火) 20:50:07
>>217
> 「存在・非存在が議論になっている場合には、 存在を主張する側に挙証責任がある」

勝ち負けに関係ない話で、議論するなら最低限のマナーだと思うぞ。

UFO や幽霊が存在するといっても誰も相手にせん。おまいの言う馬
鹿がいった、「悪魔の証明」の典型なわけだ。要するにだ、議論にす
らならんことにおまいは気付いてない。

多分、それすら分からん、おまいのほうが馬鹿だと思うぞ。
219考える名無しさん:2006/01/24(火) 20:52:13
そんなマナーは聞いたことがないな。それに、今議論しているのは、
「道徳的事実が存在しないと考えることに根拠があるか否か?」
であって「道徳的事実は存在するか、存在しないか?」じゃないよ。
それも分らないの?
220考える名無しさん:2006/01/24(火) 20:58:54
>>291
> そんなマナーは聞いたことがないな。

そうかい。幸せな思考をする奴だ。まぁ、議論ゴッコを楽しむがいい。
俺は、そんな奴と議論すらしたくないから、どうでもいいけどな。

意味が無いことに頑張るがいいさ。
221考える名無しさん:2006/01/24(火) 21:05:05
頭に血が上って数字も読めなくなったのかな?w
222考える名無しさん:2006/01/24(火) 21:09:12
見苦しいやつだ。。。
223考える名無しさん:2006/01/24(火) 21:12:44
>>217
>勝ち負けを導入したのは、「存在・非存在が議論になっている場合には、
存在を主張する側に挙証責任がある」と言ったどこかの馬鹿の方。


俺がどこでそんな事を言ったのかね。
どう見てもお前が一人>>215で勝った負けただのの妄想をしているとしか思えんが。
まあ、分かっている人は分かってるみたいだから俺も放置させてもらうが。
224考える名無しさん:2006/01/24(火) 21:19:51
                ⌒丿
             _/  ::(___  
            /         :::::::\
            (          :::::::;;;;;;;)
            \_―― ̄     ̄::::::::::\
           ノ ̄           ::::::::::::::::::::::)
          (            ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;人
         / ̄――――――――― ̄ ̄::::::::\
        (               :::::::::::::::::::::::::::::::::)
         \_______::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
         |;:;:;:;|                  ヾ;:;:;:|
         |;:;:;:;|    ,,,;;:iii;;;;;    ,.-==--、. `!;:;|ヽ
          〉;:;:| ,.-''" ̄ ̄ ̄`ヽ⌒|  --。、-、 ヽ-`' |
         i `u i -‐'"ヾ'"  :: ::!      : |  ノ
          i   |       ノ   ヾ、___ノ  ::|
          | |  ヽ、__,.-i     i 、    :  :|   もしかして、ウンコかぶってる?
           | |  :   : '" `〜ー〜'" ヽ : :   ::|
           `i   ヾ '    ____  ;:  ;: :|
            \     -‐'''"~ ̄ ̄ ̄ ̄  ;  ;: :/-、_
             ヾ: : .   ` " " "    ,./    `ー-、
            ,,,--'\: :          ,. ,.イ
        _,.-‐'"    |`ヾ;:;:ヽ....、 : : :   / !
    _,.--‐'"        |  `ー、;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:,.-''"  |
                |   `>ー‐<    /
                 !  /    ,.'"\  !
                 | /~i   /   `/
225223:2006/01/24(火) 21:22:19
あ、「そんな事」ってのは勝ち負けの話しね。
悪魔の証明は議論の際の常識。
226考える名無しさん:2006/01/24(火) 21:28:20
「存在するかどうかが議論になる場合には、存在するという側に証明の義務がある」
というのは、どういう世界で通用している常識なの?
227考える名無しさん:2006/01/24(火) 21:33:22
『悪魔の証明』
悪魔という架空の物は存在する証拠があるはずが無いように、
“存在しない物は証明出来ない”というのは刑法上でも常識である。
有るものを有ると証明することが正しいのに、無いものを無いと証明しろと言う無理難題を平気で言う。

加えて言えば、『日本の文化は韓国起源』と言っているのだから証拠を提出するのは韓国側のはずである。
しかし自分の身勝手な主張を日本側に調べさせようとしているのだ。極論すればこういう事である。
あなたはOO泥棒です。あなたはOOが好きなので、盗んだことがあるに違いありません。
もしこれに反証したければ、今までの人生で窃盗する時間が全くなかったことを証明しなさい。
もし10分間でも空白の時間があれば、その間に窃盗したに違いないのだから、あなたはは有罪です」
……これは無茶である。
だからこそ、『有ったことを証明』するのは原告側の義務であり、証拠を提出するのも原告なのである。

http://www.geocities.com/asianneighbors/z4eKoreanDebate/
228考える名無しさん:2006/01/24(火) 21:52:06
悪魔の証明とは
「ない」ことを証明することを悪魔の証明という。
「有ることの証明」は、なにかひとつ証拠を出せばおわりだが、
無いことの証明は事実上不可能である。だって全ての可能性、
場所を調べないとそんなことは言えないし、まだ探し漏れがあるかもしれない。
論敵からはそこを突かれる。
だから一般的に立証責任は「ある」と主張する肯定側が負う。
そして証明できなければ無いものと見なされる。「推定無罪の原則」がそれに当たる。

しかし現実社会ではこれがみなの共通認識となっているわけではない。
掲示板では悪魔の証明をせよと語って、
論敵が目を白黒させるとワシの勝ちだなどと雄たけびを上げている。
http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/book041113.htm
229考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:03:49
>>189
実体って何? 実在するとは、どういう意味? 
230考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:12:22
「この家にはシロアリが存在するか?」というような問いであれば、
何が存在の証明かについてはすでに合意が成立しており、
存在の証明はできるが非存在の証明はできないということも言えるだろう。
しかし、すべての「○○は存在するか?」という形の問いに関して
同様のことが言える訳ではない。たとえば、「この方程式に解が存在するか?」
という問いであれば、解の非存在もまた証明できるから事情が異なる。
さらに、「数学的真理が存在するか?」とか「道徳的事実が存在するか?」
という問いの場合、何が存在の証明になり、何が非存在の証明になるか
ということについて合意された基準があるわけではないので、まったく
話が違ってくる。こうした差異を無視してこの原則が無差別に妥当するか
のように考えるのでは、哲学はできないよ。
231考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:49:19
>という問いの場合、何が存在の証明になり、何が非存在の証明になるか
ということについて合意された基準があるわけではないので、まったく
話が違ってくる。

だからさー、善悪が頭の中にないなら、どっかに落ちているのかと聞いている。
本当にそう思ってるならキチガイだなーと。
232考える名無しさん:2006/01/24(火) 23:58:16
どうして「頭の中なのか、どこかに落ちているのか」という二者択一になるの?
キチガイというのは、そういうわけの分らない二者択一を迫るおまいのことだよ。w
233考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:01:21
>>232
排中律も作動しない
手前の不思議ワールドのほうがよっぽどキチガイだよw
234考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:03:26
じゃ、聞いてみよう。数学的真理というのは頭の中にあるの、
それともどこかに落ちているの?
235考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:05:07
>>234
まず数学的真理とはどういうもんなのか定義しなさい
236考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:07:01
AはB に関係があるとする主張する者、AはBに関係がないと主張する者、
がいたとしよう。

関係がないと言ってる人間に関係があるということを説明できるだろうか。
関係がないと言ってる人間には関係があることは分からないのだ。
237考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:12:37
>>235
なるほど。>>231に「まず善悪を定義しなさい」と言えばよかったのか。
238考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:16:00
人を殺すこと道徳がどう関係するのか、説明しなきゃいけないのはどっちか?
明白だ罠
239考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:16:26
善悪の定義?「よい」と呼ばれるものが善で、「わるい」と呼ばれるものが悪。
そしてこれらは人間個々人の頭の中にしか存在しない。
240考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:20:16
一般的に、人間にとってエイズウィルスは「悪い」存在である。
しかしこれは別にエイズウィルスそのものが「悪い」という(なんらかの)
物理的性質を備えているわけではなく、人間が脳内で行ったラベリングである。
また人によってはエイズウィルスを「良い」と呼ぶものもいるだろう。
このように善悪とはどこまでも相対的で、頭の中にしかない。


何か意見ありますか?
241考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:21:16
いろいろな人がいるわけだが、すべての人が「よい」と呼ぶ共通のものがあるのかね?
242ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/25(水) 00:22:45
エイズウィルスは有害であって悪ではない
エイズウィルスを撒き散らしたやつは悪だが

こんなの意見でもないけどさ
243考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:23:02
>>240
ものすごく正しい罠
>>236 も正しい罠
244考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:26:25
>>240
物理的性質というものも、人間の脳内にある物理の理論を前提にして、
対象に帰属させられるものだろ? これもまた人間が脳内で行った
ラベリングじゃないか?
245考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:28:42
>>244
それだと書き込み全てがそうなる罠
それは屁理屈という罠
246考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:32:59
>>240
「頭のなかにある」のは、あるの?ないの?どちら。
247変態@童貞男爵:2006/01/25(水) 00:33:34
まとめると自分の答えは自分の脳内イメージが創造するもの。
その出来上がったものを他人と意見交換することによりそれまでの壁が壊れ
大きくなっている自分の知識。しかしそれとは引き換えに失っていくこともある
自分の起源。何が俺で何が俺以外なんだ??次々出てくる心の葛藤。欲しいものは
はすべて得たい。この同時に実現不可能なものを満たそうとする欲求が人間を苦しめ
人間の生きる糧となり、つまりそれが人生なんでつね。
248考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:34:44
対象に実在する性質とそうでない性質という区別が果たして可能なのか、
という哲学では繰り返し出されている論点なんだが、この板では屁理屈か・・・。
249考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:38:39
>>248
「対象に実在する性質」とかいってる時点で哲学を知らんのだ罠
このスレを哲学とか思ってる時点で哲学を知らんのだ罠
250考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:41:02
道徳に関する反実在論と実在論の論争が大きな議論のテーマになり、
現在では大半の哲学者が実在論を支持しているということだけ考えても、
道徳的反実在論が自明の真理でないことぐらい推定できそうなんだが、
このスレでは絶対的確信をもって反実在論を主張する香具師がテンコ盛り。
不思議だ。
251考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:42:06
>>244
この場合は「悪いという物理的性質」だから、
理論とかは関係なく価値中立に判断すれば
「悪いという物理的性質」などというものは存在しないことが分かる。

>>246
ニューロンの形と電気信号として「ある」。
252考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:42:38
>>249
そんなことないよ。もうちょっと哲学を勉強した方がいいんじゃない?
253考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:43:16
>>250
実在の意味を知らんようだ罠
254考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:44:30
このスレ、ずーとあるのか?
255考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:45:23
>>252
「対象に実在する性質」とか言ってるけど
哲学での実在の意味分かってるか?
256考える名無しさん:2006/01/25(水) 00:46:36
>>250
>現在では大半の哲学者が実在論を支持しているということだけ考えても

話し戻るけど、その「大半の哲学者」は道徳がどこに存在すると考えているのかね?

頭の中か、そうでなければどこにあるとでも?イデアの世界とか言うなよ?
257変態@童貞男爵:2006/01/25(水) 00:50:13
>>247はしかとなのか??
258どうして「いけないのですか」スレが立つのか?:2006/01/25(水) 00:52:17
そういう観点で・・・・
259考える名無しさん:2006/01/25(水) 01:03:40
体に栄養が回って、そのぶん脳みそにまわらなったから、
ペアーばっかり気にして焼餅を焼くホモ男
260考える名無しさん:2006/01/25(水) 01:04:39
殺したければ殺せ! 死にたければ死ね!
殺せないなら生かせ! 死ねないなら生きろ!
何も出来ないないなら、結果生きてる弱い自分をまず認めようよ。
261考える名無しさん:2006/01/25(水) 01:30:15
ヒトを殺したら
次はネコを殺すようになるからだ
262考える名無しさん:2006/01/25(水) 01:39:52
263考える名無しさん :2006/01/25(水) 02:12:40
人を殺すという行為を認めることは、存在の否定に繋がる。
存在とは、自分が今現在感じているものそのものであり、
国家や社会のありようそのものである。
今現在我々が感じている「存在」を否定することは、
その「存在」の「内」に居る我々には不可能であり、矛盾である。

人を殺してはいけない訳ではない、人を殺してよいとは言えないのである。
264考える名無しさん:2006/01/25(水) 02:20:38
なぜ殺してはいけないのか気になるか?
なぜいい、悪い、ということを自分個人への禁止だと感じるのか。
265考える名無しさん:2006/01/25(水) 02:24:02
法律があるから。
え?なかったらどうだって?
殺してもいいに決まってるだろ。
266考える名無しさん:2006/01/25(水) 02:50:00
殺すことが許されてる許されてないと言う意味で「いい」と「悪い」というなら法律に書いてあるからいけないといえる。
だが法律には殺すなとは書いてない。殺したらどうなるか書いてある。
また逆にいえば法律のないところに善悪は存在しないならなぜ法律ができたのだろう?
267考える名無しさん:2006/01/25(水) 03:33:48
>>265
法律が無い→リンチで殺される場合がある→カオスが訪れる
→耐えきれなくなる者が多数現れる→やっぱ法律でしょ
268考える名無しさん:2006/01/25(水) 05:58:12
法律があるから人を殺してはいけないんじゃねえ。
人を殺してはいけないから法律ができたんだ。
269考える名無しさん:2006/01/25(水) 07:38:57
>>どうして人を殺してはいけないのですか?

”殺してもかまわない”


としか言えない。。
270考える名無しさん:2006/01/25(水) 09:25:02
>>256
道徳実在論の分りやすい例は行為功利主義だろうね。行為の善悪は、
その行為の結果人々の幸福度の合計が増大するか減少するかで決まる。
この立場では、行為の善悪はその行為が持つ客観的な性質であり、
評価者の主観の投影ではない。
271変態@童貞男爵:2006/01/25(水) 18:48:25
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
このレスをみたあなたは・・・3日から7日に
ラッキーなことが起きるでしょう。片思いの人と両思いになったり
成績や順位が上ったりetc...でもこのレスをコピペして別々のスレに
5個貼り付けてください。貼り付けなかったら今あなたが1番起きて
ほしくないことが起きてしまうでしょう。
コピペするかしないかはあなた次第...
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
272変態@童貞男爵:2006/01/25(水) 18:49:15
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
このレスをみたあなたは・・・3日から7日に
ラッキーなことが起きるでしょう。片思いの人と両思いになったり
成績や順位が上ったりetc...でもこのレスをコピペして別々のスレに
5個貼り付けてください。貼り付けなかったら今あなたが1番起きて
ほしくないことが起きてしまうでしょう。
コピペするかしないかはあなた次第...
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
273考える名無しさん:2006/01/25(水) 19:22:16
>>どうして人を殺してはいけないのですか?
簡単さ、殺されないためにさ。
274考える名無しさん:2006/01/25(水) 19:54:28
殺人の実行犯っていうのは、大方、体制の犠牲者であることも、考慮しておく必要がある。
社会的弱者一般ね。
かといって、殺人に至る行為が許されるわけではないが、警察等では、殺人に至るボーダーラインを計算できるモデル式なんか、いっぱい持っている。
公表はしないけど、個人の異常といわれる資質に基づくものはネグりジブルマイナーであると想定される。
国家にとって、そのために、警察がある。
殺人に至る場合の変数/係数なんて、統治者側にとっては、統治の指針を微調整するためメルクマールくらいの扱い。
不思議と、経済学者は、ここらへんを研究対象としてる人は少ないね。
275考える名無しさん:2006/01/25(水) 20:27:58
>>274
確かに、殺人の動機の9割9分(いやもっとかな)は経済的要因でしょうね。
276考える名無しさん:2006/01/25(水) 22:12:19
"殺してはいけない"っていう理由を言うのは難しいなぁ…

"人の命を奪う権利はない"から、="殺しは駄目"って事になったのかなとは思う。だから、法律が出来たんじゃないかなぁ?
277考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:08:08
僕は神も天国も信じてない。死んだら全て終り、消える。
だから僕を殺さないでーーー
278考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:09:58
「どうして人を殺してはいけないのか」を考えるためには
「いけない」とはどういう事なのかを考えなくてはいけないような希ガス。
279考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:16:56
>>278
同じことを言う人が何度も登場しているよ。このスレは。
それがずっと続いてる。
280考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:17:48
>>278
「いけない」、「いけない」は社会からの要請だよ。
と、>>58にある。
ここはしょっちゅうループしてる。
281考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:20:12
・法律で罰を受けるから(いけない)
・被害者が悲しむから(いけない)
・人間としてやっては(いけない)
・天国に行けなくなるから(いけない)
282考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:29:26
>警察等では、殺人に至るボーダーラインを計算できるモデル式なんか、いっぱい持っている。

「殺人に至るボーダーライン」って、何のことだ。
いい加減なこと書くな。
283考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:30:38
いけないは社会からの要請だよ
284考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:30:59
>>279
だろうね。orz
しかし皆が>1から続く一連の流れで話しているわけではないので、
各人が自分は「いけない」をどう捕らえた上で発言しているのか明確にしてくれないと話がわけわからなくなったりするよね。
285考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:31:38
>>280 かぶったw 
286ぽっくん:2006/01/25(水) 23:33:35
        _人
       (  ・ε・) どうして犬を食べると野蛮なのですか
      □ /Hヽ┐
(⌒;;)=  ◎-=>┘◎
287考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:35:32
公共の利益とかそういう角度から人を殺してはいけない理由を考えることが
哲学なのか?
288ぽっくん:2006/01/25(水) 23:40:36
哲学的解答は「この命題は無意味」です。
天才のビトゲンステラルリンさんの名言です。
289ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/25(水) 23:51:01
いいんだよ
構って欲しいだけなんだから
290珍米:2006/01/26(木) 00:21:41
         /:::::::::::::::::::::::::珍米:::::::::::::::::: ::::::\
         (::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ::::::::::::\
        /::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::::)
       (::::::::::/:::ハ):::ノ::::ノ ) ノノヾ::::::::::::丶::::ヽ
       (:::::::::/ 彡  ノ   ノ  :: 彡:/)) ::::::::::)   
       (::::::::::/彡彡彡彡彡   ミミミミミミミ :::::::::::)
       (:::::::/      ヽ  /         |:::::::::)
        | :::   -=・=-      -=・=-    ::: :::)
        |:/         ノ  ヽ           ヽ|ヽ        はい どうも〜! 
        |/     U    .⌒ `       U   ..| |   
        (   U    (●  ●)  U       ) これからも珍米街道まっしぐらで逝きまっせ〜!
       ( U      / :::::l l::: ::: \      U  . )      みんな、これからもヨロシク♪
       (     U// ̄ ̄ ̄ ̄\:\.U      .)  
      /\ U  )::::( ( ̄ ̄ ̄ ̄) )::::(:  U  / 
     /   \ :::: ::::、ヾヾ___ノノ ヽァ ::::  / 
   /      \::::::::::: \;;;;;;::::::;;;: (  ̄ ):::::::: ノ
  /  ' "'' 、   \: _- ,,_ ̄ ̄ ノ` ゙ /:::::::::/       
/ , - 、 ,,  `ヽ   \/   ̄` ' - 〈_/ ,ゝ--、 
             /      ヽ  |  /   ノ
     ,,  、    /    ヾ    ヾ  ヽ-' 、 ,/
  - ''      ヾ  (   ヽ  丶    ! ''  ,, ゝ" |
''"        \/ヽ  ヽ  ヽ _ 'i /    ヽ
291考える名無しさん:2006/01/26(木) 01:24:01
あのー、珍米ってなんですか?
292考える名無しさん:2006/01/26(木) 02:04:40
いけないが社会の要請とすると。なぜ社会が要請してるか。
なぜ要請に従うのか。
の理由が求められるな。
293考える名無しさん:2006/01/26(木) 02:20:41
普通の知性と精神状態なら殺すことが自らの利益にならないことが分かるはずだ。
なのに殺したということはどちらかもしくは両方が欠けていたことになり、少なくともある状況下では精神的欠陥が生じたこととなる。つまり衝動殺人は発作による事故に近く罪は軽くていいと思う。
計画殺人は究極は完全犯罪を目指すもので当然有罪を避けることが目的に含まれており、検挙率と刑の重さでリスクが算出されるから重罪にする効果が十分にある。
294考える名無しさん:2006/01/26(木) 10:26:59
>>274
経済学は、ずさんな数学なので、社会的にはきわめて稀少な殺人など、例外と
して排除しても成り立つ。ただし、大量殺人の戦争の場合は変数として組み込
むはず。
295考える名無しさん:2006/01/26(木) 10:54:33
>>281
「殺したら、天国にいけない」というのは嘘でしょう。悔い改めたら、天国
には行けるはずです。むしろ、自殺のほうが罪が重く、こちらは天国に行け
ないことになっているのではないか。だから、米国などでは圧倒的に殺人が
多く、自殺は少ないはずである(間違っていたら許せ)。
「なぜ自殺はいけないのか」と、別の文化圏では問うのではないか。「他人を
殺すのなら、自分を殺せ」というスレを時折みかけるが、これも日本的特殊性
のしからしむもので、別の価値観を持っている者からすれば、無茶苦茶な言
い分ということになるでしょうね。
“自らを殺す”自殺をとりあげないのは、哲学的?とはいえないのではないか。
296考える名無しさん:2006/01/26(木) 10:58:40
ひとを殺しておいて悔い改めるのは
たんにひとを殺すことよりも1000倍罪が大きい
297考える名無しさん:2006/01/26(木) 11:07:52
>>296
それは、あなたの考えですか。それなら、文句はつけません。
キリスト教には色々な分派があるので一概にはいえませんが、何人も人を殺し
た死刑囚にも“悔い改め”を求めます。悔い改めて罪が重くなるのなら、そん
なことを求めるわけがないでしょう。
298考える名無しさん:2006/01/26(木) 11:14:04
悔い改めて罪が許されるというなら
犯罪者は、自分の心をだましても悔い改めるものだ
おまえらはヒトの心理の動きがわからないバカだ
299考える名無しさん:2006/01/26(木) 12:10:52
罪ってなに?
300考える名無しさん:2006/01/26(木) 12:14:10
>>295
一方で、他者危害の原則で表現されるような自由主義の考え方で言えば、
殺人は刑罰や強制的な阻止の対象になるが、自殺がそうした対象になるのかどうは
疑わしい。これは、先進国の多くで認められている考え方。
301wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/26(木) 14:09:48
>300
自殺の自由を強制的に奪われたら、生きる上での必須のセイフティネットが無くなるね。
いつでも死ねる、ということが、生きる上で、どれだけ救いになっているか。
302質問:2006/01/26(木) 14:40:18
>>300
シャム双生児が相方を殺すのは自殺と他殺どちらですか?
多重人格の誰かが自殺するのは他殺に含まれますか?
303考える名無しさん:2006/01/26(木) 15:15:33
>>298
ここに書き込むのなら、人の文意を読まなければダメだよ。私が言いたいのは、
宗教によっては、他殺よりも自殺の罪を重くみるものがある、ということ。犯罪
者の心理に興味があるのなら、そういうスレで君の意見を述べればいい。
304考える名無しさん:2006/01/26(木) 15:33:54
>>300
法の適用は、原則として生きている人間を対象とする。死者に鞭を打
てないし、自殺者を死刑にしてもう一度殺すわけにもいかない。少な
くとも、わが国の法律では。
ただし、ある種の宗教では死後、自殺者には苛酷な罰則が適用される
はずである。つまり法理を超えて、そういう考え方もあるということ。
いずれにしても、法理的には、殺人については結論がでている。どな
たかが述べていたように「殺すなとはいわないが、殺したら君も殺さ
れる」ということに尽きる。
305考える名無しさん:2006/01/26(木) 15:37:03
>>304
「殺すなとは言わない」ということは、
法律を破ること自体に倫理的な問題はないということですか?
306考える名無しさん:2006/01/26(木) 15:40:59
>>301
そのとおりですね。しかし一神教では、救いを与えるのは神であり、
人間が勝手に自らを救ってはダメだということでしょうね。
307wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/26(木) 15:43:50
>>306
神の意思に自分の存在すべてをゆだねるのであれば、
自殺はダメだということでしょうね。
親鸞も同じだったと思う。
308考える名無しさん:2006/01/26(木) 16:04:20
>>305
間違っていたら訂正していただきたいが、近代的な法の根底にあるのは
古い掟であり、その底にはタブー(道徳)を指摘できると思う。いくら現
代の法が装いを新たにしようが、法の起源は古くさいものである。
ただし現代の法は、道徳を個々人の“心の問題”として一旦、切り捨て、
社会(秩序)を効率的に維持するルールとして組み立てたものである。し
たがって、ある種の人にとっては「いかに法の抜け穴を探すか。いかに
バレずに法を破るか」が人生の醍醐味なのかもしれませんね。
309考える名無しさん:2006/01/26(木) 16:09:08
宗教の話をするやつは
基本的にキチガイだから
話は通じないね
310考える名無しさん:2006/01/26(木) 16:22:43
宗教を哲学することはできても、宗教じゃ哲学できないからな。
個別に宗教的観点に照らし合わせて回答することだけだろ、
宗教の出来る事ってさ。
ただの思想に過ぎないくせに、
自分を一番だから信じろと強制してくるから、宗教は馬鹿にされる。
黙って一人で信じてれば傷つくこともないのにね。
宗教は宗教で答えを出せば良いじゃん?
哲学とは縁遠い存在なんだからさ。
311考える名無しさん:2006/01/26(木) 16:49:27
>>302
法的な答えでいいですか。シャムの場合、他殺でしょうね。
もし、多重人格が精神病理学的に認められていたとしたら、狂気のすえの自殺
として処理されるのではないでしょうか。
312考える名無しさん:2006/01/26(木) 19:08:10
ホリエモン  キラワレモン クワセモン  トラワレモン  ゼンカモン  ムイチモン  ドザエモン 
  ┝━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┥
            ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ       /)
           ミ   ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡     ( i )))
            l  i''"        i彡     |‐―|
            .| 」   /' '\  |    |:::::::::|
            ,r-/   -・=-, 、-・=- |    |:::::::::|
            l       ノ( 、_, )ヽ  |   |:::::::::|  今ここ!!!!
           ー'    ノ、__!!_,.、  |   /:::::::::|
           ∧     ヽニニソ   l  /:::::::::/
          /\ヽ           //::::::::::ノ
         /     ヽ.  `ー--一' ノ/ヽ
313 :2006/01/26(木) 21:16:56
自分は死んだ事がないのだから、死んだときの気持ちは分からないし、死後も分からない。
殺されると何かいい事があるかもしれないのだから、一概に悪いとも言えない。
しかし、仮に死後の世界があるとしたなら、勝手にそっちへ送られる事が良いかは分からない。
314考える名無しさん:2006/01/26(木) 22:10:55
道徳って昔からあるの?
315考える名無しさん:2006/01/26(木) 23:09:29
>>314
道徳とはいわなかったでしょうが、“掟”“タブー”があったのではなかろうか。
「同じ集団の者から盗むな」「同じ集団の者を殺すな」「父母兄弟姉妹と交わるな」
などは、どの集団にも古くからみられる“原初的な道徳”ではないでしょうか。
ただし、その本当の由来はよくわかりません。
316考える名無しさん:2006/01/26(木) 23:32:19
>>315
>「同じ集団の者から盗むな」「同じ集団の者を殺すな」
集団で互いに裏切りあうと全体としての生産性が落ち、
その結果個人に還元される利益も減少します。
囚人のジレンマゲームを参考にしてください。

>「父母兄弟姉妹と交わるな」
男女間で遺伝子の弱点を補い合える組み合わせが望ましいらしいので、
遺伝子形態が近い近親間での性行為は生命システムからみて非効率的らしいです。
また、近親間だと奇形児の問題もありますね。なぜそうなるのかは知りませんが。
昔の人もこれらのことを本能的にか経験的に知っていたのだと思われます。

原初的な道徳というものがあったとしたら、
それはおそらく種族繁栄の知恵だったのではないかと思います。
317考える名無しさん:2006/01/26(木) 23:42:49
>>315-316
掟とかタブーみたいなものはあったんだろうが、
それを犯すことで、「道徳的でない」「人の道から外れている」みたいな理由で非難されることはあったのかな。
ということ。
単に掟にしたがって罰せられるだけではなくて。
318考える名無しさん:2006/01/26(木) 23:45:42
法的な制裁(刑罰)と社会的な制裁(非難)が現在のような形で分離したのは、
法律と道徳の分離以後だろ。
319考える名無しさん:2006/01/26(木) 23:47:14
涜神すると、隕石でも落ちてくるのかね
320考える名無しさん:2006/01/26(木) 23:58:33
>>318
分離する前ってどういう状況なの?
321考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:18:41
あと、
溺れてる子供を助けたことで、本人やその関係者以外の人々から、
「道徳的だ」という理由で賞賛されることはあったのか?

そんな感じの疑問。
322考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:27:43
現在でも刑法なんかには、道徳的に悪いことだから禁止され、
刑罰が科せられる、という考え方はが残っているでしょ。
323考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:36:23
>>320
道徳的に悪いことはすべて法律で禁止されるべきであり、
逆に法律で禁止されていることは道徳的にも悪いことだと人々が信じている状況。
村落のような小さな集団の「掟」ってそういうものじゃないですか?
324考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:38:56
道徳的な悪を禁止すること、悪行を行いたいので禁止する、
つまり、悪いことから、禁止する。
悪人と刑罰は一致するところがある。
悪の国では、違いがないようです。
悪人と刑罰はどんな違いがありますか。
325考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:42:01
意味が分らん。主語とか省略しすぎじゃないか。
326ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/27(金) 00:42:24
言ってる意味がさっぱり分からん
327考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:48:44
頭が"悪い"は取り締まれないものか・・・
328考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:49:03
現代人の場合、法的な制裁を用いて強制されるルール(法律)
社会的な制裁を用いて強制されるルール(社会の道徳)、
他者から強制されるのではなく本人の自主性に任せられる内面的倫理、
っていうように、3分されてるのかな。
329考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:51:02
我々の内部でもって、悪いと考えていることがある。
我々の外部でもって、禁止することがある。
道徳的な悪と悪行は、我々の内部でもって悪だと考えられていることだ。
道徳はこんなことはすべきでない、悪行は本当はいけない、
このようなことから、我々の外部でもって禁止するのだ。
これを区別する方法が世の中で通用しないからだという基準で考えるとしよう。
それだから、
それにおいて考えるので、我々の外部において、道徳は正しく、悪行は不正だ。
だが、世の中の基準において、考えられるのか。悪でも認められる場合、つまり、
堅い事を言うなという場合には、悪と道徳の区別する必要がないのだ。
こんなことをいうだろう、よく考えたら悪いんだろうけど、別にいいんじゃない。
330考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:52:15
とりあえず自分自身を殺してみろ!
331考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:55:20
ヒトを殺すと
いやあな感じ
だから殺さないの

いやあな感じがしない場合は
殺してもいいよ
おまへは病気だから死刑にならない
332考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:55:47
むかつくから、禁止しよう。
道徳的な悪だから、禁止しよう。
動物みたないな奴と立派な人は両方とも禁止をして厄介な生き物なのだ。
どうするのかね。
333考える名無しさん:2006/01/27(金) 00:59:44
>>323
それだと現在とあまり変わらないんじゃないかなあ。
道徳、法律という区別があるし。
その表現だと道徳と法が分離していない状況を説明しきれていない気がするけど。

明日試験だか寝ます。
334考える名無しさん:2006/01/27(金) 01:00:51
初めにしたから、くらいの区別しかついてないんだ。
初めにしたから、善かったり、悪かったりするんだ。
両方とも、資格者ではないだろうから、禁止することが許されていないだろう。
それでも、適当な規則でもって禁止するのだ。
豚みたないな奴隷男と何が大事かをしってる判ってるやつを見分ける
ことができるのかね、と。
335考える名無しさん:2006/01/27(金) 01:06:01
ポエム板行け…
336考える名無しさん:2006/01/28(土) 00:32:54
この国の為政者は、人を殺しても良いとなると、その社会の秩序が崩壊し、滅んでしまうという仮説を採用しています。
よって人を殺すことはこの国の法律では許されていません。
殺せば制裁を受けます。
ほとんどの人は、制裁されたくないので、人を殺そうとは思いません。
しかし、中には制裁されても殺したいと思う人が現れるかもしれません。
為政者は、それを恐れて、教育するのです。「人殺しは良くない」と。
337考える名無しさん:2006/01/28(土) 00:36:49
もし、貴方がその仮説が受け入れられ無いのならば、為政者を倒すことで貴方が為政者になり、殺人を許容する仮説を立てなさい。
もし、その国の住民の多くが貴方の殺人を許容する新しい仮説に賛同するようならば、
人を殺すことは悪ではなくなるでしょう。

しかし、繰り返しますが、多くの人々は、私も含めて、今の為政者の仮説に賛同しています。



338考える名無しさん:2006/01/28(土) 01:17:53
>>336>>337
わざわざ大層なご見解を教えていただかなくても、ここに書きこんでいる連中
なら、そのていどのことは了解ずみです。このスレは、もう六回目。最初から
読み直せばわかるでしょうが、あなたの意見に類するものが一番、多いはずで
す。その種の考え方で満足している人は、とっくにここから去っています。立
派なご意見ですので、どうぞ安眠してください。
339考える名無しさん:2006/01/28(土) 09:50:24
明確に殺してはいけない理論があったとして、それでも人は止まらないと思われる。
結局の所は個人個人の思考の壁に突き当たって、それ以上に議論が進んでいないよう
な。
だからといって俺が代案を出せる訳でもないが、まとめると「社会や人から殺されて
も良いなら、殺して良い」と殺しを容認する方向にしか動いていないな。

上でも誰かが書いていた気がするが、いけない理由を考えるほどに、やっていい理由も
生み出していないか?
逆にやっていい理由を考える程に、やってはいけない理由を生み出しているけど。
邪魔な片方を沈黙させる理由が必要なんだろうけど、考えれば考えるほど要らない片方
が出てくるのが鬱陶しいな。

一応意見は書くが、既出かも
知的生命体として野蛮な犯罪行為、特に同族殺しがいけないと考えると、それは汚ら
しい動物と一緒だからだろうか?
人間は人間を崇高と考え、性行為を交尾と言わない程に人間以外の非知的動物を差別
的に捉えている。
そんな動物やら昆虫やらと同等の行為は、人間が動物や昆虫の仲間でしかないと言って
いるに過ぎず、人間は動物や昆虫と同等ではないと、人間と他生命との境界を切断
して回避する為に同族殺しを容認しないのではないだろうか。
故に殺人は忌避されるが、殺獣は例外もなくはないが、殺虫などは寧ろ良い行為となっ
ているのかと思われる。
340考える名無しさん:2006/01/29(日) 02:39:06
殺した後殺す前には戻れないから殺しはだめ

今を維持しようという現在に対する欲求
よかった過去を取り戻したいという過去に対する欲求

新しいものごとの興味、未来に対する欲求

341考える名無しさん:2006/01/29(日) 04:38:34
むしろ社会的には殺人は許容されてるように思える。
たくさんやってしまえば死刑を宣告されるけれど
1人なら懲役でまた世の中に出てこれる。
確かに刑務所に入れば失うものが多いけれど
個人が人を殺してでしか得られない対価が、例えば、親の仇討ちとか
だったらどうする?自分は多分認める。
もし法律をもって人を殺してはいけない理由にするなら
殺した人数に関係なく極刑になってるはず
殺人の理由によっては懲役で許すってことでしょ?



342考える名無しさん:2006/01/29(日) 13:55:45
人を殺しちゃいけないってのは、刑法で決まっているって話だ。
しかし、人が法律を守らなければならない理由ってのも存在しない。
住みよい世界にするためっつーけど、それなら悪い奴を死刑にするってのはどうなんだ?
そんなコトしてこの世から悪が減るのか?そうじゃない。
そもそも善悪ってのを勝手に作り出したのは人間だが、そんな愚かな人間共に善悪を計る
定規なんかあるはずがない。
悪い奴は殺し、善い奴は生かす、だと。アホかと。
それならばいっそのこと、人間を全員殺してしまえばいい。
この世に善悪は存在しても、正義なんてのは存在しない。
この世を作り出したのが人間なら、滅ぼすのも人間だ。
343考える名無しさん:2006/01/29(日) 14:13:18
>>342
>しかし、人が法律を守らなければならない理由ってのも存在しない。

あのさあ。
君が言うところの「守らなければならない理由」って法律以外のことになら、あるの?
344考える名無しさん:2006/01/29(日) 14:16:23
むかつくや奴を殺しちゃいけないんじゃ弱者はずっと我慢していきることになる
345考える名無しさん:2006/01/29(日) 14:18:02
むかつく奴を殺すことを我慢できるのが強さだよ。
346考える名無しさん:2006/01/29(日) 15:55:24
>>345
何を根拠に強さといえる?
むしろ、弱いから殺せないとも言えるぞ。
336,337,339より下等な答えだな。

347考える名無しさん:2006/01/29(日) 16:07:31
人を殺してはいけないというのは

人には人権があります

というのと同じような感じがある。もちろん前者の方がより歴史は古そうだが。
348考える名無しさん:2006/01/29(日) 17:52:52
>>345
強いとか弱いとか関係なくね?

349考える名無しさん:2006/01/29(日) 18:38:44
>>346
とりあえず、あなたが認める「強さ」の定義ってどういうもの?
「殺したい」「殺せ「ない」」という言い方からすると、
「したいことをできること」が強さということじゃないの?

だとしたら、「我慢できること」は「強さ」だよ。
強さに別の定義を持ち出すなら、違うかもしれないけどね。
350考える名無しさん:2006/01/29(日) 21:28:24
>346
下等とかほざく上等な方らしい割には、なんかてきとーな答えだな。責任を持てない
発言の仕方だし。

人として求められる『殺しを我慢する』という事は、社会の暗黙の約定だろ。それを
破るの者は一般的に心が弱いとか、心の闇に負けたとか言われる訳だから、感覚的に
は我慢できた事が心の闇に勝った=心が強いって事になる。

349と同じく、強さの定義に346が違う定義を持ち出せるのなら、違うだろうな。
351考える名無しさん:2006/01/29(日) 23:26:48
携帯電話の機能は、
すべて使わないといけないわけではない。

できるからやるのは、
単なる馬鹿。
352考える名無しさん:2006/01/29(日) 23:33:28
「どうして人を殺しちゃいけないの?」とか言うアホは、
崖に柵がないのは、安全だからだと判断して、
崖から転落した後で、訴訟を起こすタイプ。

生まれたときから安全に守られてるから、
できることは、なにやっても大丈夫だと思い込んでる。

できることなら、なにをやってもいいわけじゃない、
ってことが分かって無い。

なにを行い、なにをさけるべきかは、
自分自身で判断すべきであって、
それを放棄したら、環境に反応してるだけの代物だ。
人間である意味が無い。

「どうして、人を殺しちゃいけないの?」じゃない。
人を殺すことは可能であるだけ。
353考える名無しさん:2006/01/29(日) 23:58:36
>>352 アホなわけではないでしょ。 
哲学的な問いとして「何故人を殺してはいけないのか?」と
問うことはアホではない。
子供たちがそう問うのも殺したいから問うわけではなくて、
頭で納得したいから問うだけ。
352は哲学する気がないのだから、哲板こなきゃいいのに・・・。
354考える名無しさん:2006/01/30(月) 00:02:05
・・・アホか。

哲学云々言うなら、

人を殺した、と想像することと、
実際に人を殺すことに違いがあると、
証明してからにしろよ。
355考える名無しさん:2006/01/30(月) 00:27:59
だ・か・ら 「どうして」と哲学的に問うことに興味がないなら、
こなきゃいいのにって言ってるの。
問うことをアホと決め付けるなら、もう哲学じゃないよ・・。

もう354の中で「どうして人を殺しちゃいけないの?」って
問いはある程度納得出来る答えがあって、
それ以上の疑問はないわけでしょ?
ただ、説教したいんだったら、刑務所の犯罪者とかにした方がいいよ。
あなたの言うことは既に考えられた上で、
ここにいる人たちはみな考えているんだから・・・。
354の言ってることを哲学的に考えるのもいいかもしれないけれどね。
356考える名無しさん:2006/01/30(月) 01:37:10
つーかさぁ、

この答えに、
「哲学的に」答えようったって、
絶対に無理だって。

「本気で言ってんのか? なまいきな口叩くな!」って、
拳骨食らわす以外に回答は無いっての。

現実を持ち出さないことが哲学だと思ってて、
その一方で、感覚的に説明しようとするから、
堂々巡りになるわけよ。

そもそも、唯一の答えを否定しちまってて、
それに自分で気がついて無いから、答えが出ないのよ。
問題があるのは、質問者じゃなくて、回答者のほうだな。

んなっこっちゃ、
「どうして食事をしなきゃならないんですか?」って問いにも、
答えは出ないだろう。

少なくとも宗教は、現実を否定くらいはするけど、
現実とまったく関係ないってんなら、哲学は、
宗教以前だわな。w
357考える名無しさん:2006/01/30(月) 01:50:43
お前ら自分のこと人間だと思ってるんですか?
言っておきますが、俺以外人間ではありません。
ですから、勝手にみんなで、殺しあってください。
では、さようなら。人間になりたがってる動物さん達よ。
358考える名無しさん:2006/01/30(月) 02:08:43
あんた、すでに間違えてるよ。

人間でなければ、
殺しあわねばならのか。
359Tar ◆SQIDAUQYpc :2006/01/30(月) 02:16:01
人が死ぬのがいけないなんて発想は死んでるくせに生きてると思ってるから出てくる。
そんな調子だからいつまで経っても生き返れない。
360考える名無しさん:2006/01/30(月) 02:28:53
社会的な地位が上がれば上がるほど
いかにして、法に触れないように、可能であれば露見すらしないように
人を葬り去ることが出来るか?
ってことを、本気で考えなければならない場面に遭遇する可能性が高くなるのよ。
本気で「殺してはいけない」理由を考えているのは、社会的な地位の低い、いい子ちゃんってこと。
361raise:2006/01/30(月) 02:37:04
人を殺してはいけないこと。の正しいところは、
その命題が人類の歴史性にくりかえして維持できうる、稀な設問ゆえに、現在をならしめるため。(生きていること)

ではダメですかね?

で、現在っていうのは、いつでもその命題の渦から逃れられない、と。
(時に殺人、時に保護)

意味不明ですねゴメンナサイ
362Tar ◆SQIDAUQYpc :2006/01/30(月) 02:37:05
>>360
それは殺すとまずいから消すってことだね。
363考える名無しさん:2006/01/30(月) 02:38:55
正直、スレを読んできて思ったんだが
336-337のような解答以上に納得できるのってあんの?

まあ、無難すぎる独創性があんまり無い解答もどうかって気がするが。
364考える名無しさん:2006/01/30(月) 02:44:10
新参者なので、6スレ全て見るというのは難しいのだが、

ここの住民が、水準が高いと評価している回答にはどのようなものがあるのですか?
365考える名無しさん:2006/01/30(月) 13:15:02
このスレ読んで思った

哲学って屁理屈なの?
366考える名無しさん:2006/01/30(月) 13:27:35
「屁」は余計だ。w
367考える名無しさん:2006/01/30(月) 13:28:52
「屁」は余計だ。w
368考える名無しさん:2006/01/30(月) 18:27:30
>>364
敵は殺すのが正義だ という理論です。
369考える名無しさん:2006/01/30(月) 18:37:32
どうして>1を殺してはいけないのですか?

の>1の答えもその1つ
370考える名無しさん:2006/01/31(火) 13:20:44
  (((;;;:: ;: ;;          ;; ;:;::)) ::)
   ( ::: (;;   ∧_,∧   );:;;;)) )::: :; :))
    ((:: :;;  (´・ω・)っ ;;;; ; :))
     ((;;;  (っ ,r どどどどど・・・・・
          i_ノ┘

 ((;;;;゜;;:::(;;:  ∧__,∧ '';:;;;):;:::))゜))  ::)))
 (((; ;;:: ;:::;;⊂(´・ω・`)  ;:;;;,,))...)))))) ::::)
  ((;;;:;;;:,,,." ヽ ⊂ ) ;:;;))):...,),)):;:::::))))
   ("((;:;;;  (⌒) |どどどどど・・・・・
         三 `J

         .∧__,,∧   
       ⊂(´・ω・`)⊃
    ☆   ノ   丿 キキーッ
      ヽ .ノ  (⌒) 彡
       と_丿=.⌒


            (⌒⌒)
     ∧_ ∧ ( ブッ )
     ( ・ω・` ) ノノ〜′
       (⊃⌒*⌒⊂)
       /__ノωヽ__)
371考える名無しさん:2006/02/01(水) 20:31:48
372考える名無しさん:2006/02/03(金) 17:47:13
あげ
373考える名無しさん:2006/02/03(金) 20:12:37
さげ
374考える名無しさん:2006/02/03(金) 20:54:47
単に「責任を取れないから」
遺族に金を払おうが、自分も死のうが、殺した人は帰ってこない。
責任の取りようがない。
375考える名無しさん:2006/02/03(金) 21:01:42
別に責任取らなくてもいいじゃないか
376考える名無しさん:2006/02/03(金) 21:06:47
社会では責任が取れる範囲での行動しかしてはいけないってことになってるはず一応
377考える名無しさん:2006/02/03(金) 22:38:31
どうして責任を取れないことはやってはいけないの?
378考える名無しさん:2006/02/03(金) 22:52:44
社会が成り立たなくなるから
379考える名無しさん:2006/02/04(土) 00:22:36
どうして社会が成り立たなくなってはいけないの?
380考える名無しさん:2006/02/04(土) 00:25:34
うるせー死ね
381考える名無しさん:2006/02/04(土) 00:28:22
俺が安心して生きたいから
382考える名無しさん :2006/02/04(土) 01:27:28
所詮人間は生命あるものであり、かつ殺傷能力を持った生き物であるから人が人を殺すこと自体は必然。
383考える名無しさん:2006/02/04(土) 11:05:11
>>382
低脳がカキコすんのは控えなってw
384考える名無しさん:2006/02/04(土) 14:44:06
殺傷能力なんて
動物全般だろwwww
385考える名無しさん:2006/02/05(日) 20:56:25
>>1
バーカ
386考える名無しさん:2006/02/05(日) 21:07:03
人の命を奪う権利がないから
387自殺を促す組織:2006/02/05(日) 23:45:25
鬼畜探偵が行っている

人を自殺に追い込む

あるいは

精神病を患わせる工作より
http://antigangstalking.join-us.jp/
に書かれている内容の方が恐ろしく感じる。

ホラーやサスペンスが好きな人は読むと良いです。
社会の暗黒面を知りたい人にもおすすめ。
388?E^?a?L:2006/02/06(月) 05:19:48
本来、生き物は
殺すことも殺されることも自由だ
なのに、人間の支配層は
自分に都合のいい自由だけを残した
389考える名無しさん:2006/02/06(月) 08:04:03
そもそも人の生死は極めて個別的なものなので、
「どうして人を殺してはいけないか」といったときの
抽象的な「人」には生死が含まれていないと思います。
プラトンが「正義とは何か?」(大文字の正義)の議論を断念して
「何が正義か?」(小文字の正義)を追求したのに似ていて、
誰が誰を殺してよいか?という次元にまで落として議論すべきだと思います。
繰り返しますが、命題に含まれている「人」は抽象であり
その「人」の概念には個別的な生死が含まれていません。
390考える名無しさん:2006/02/06(月) 11:40:01
ではそうしよう。

題:いじめで自殺するのは本人の自由意志の結果か?
391考える名無しさん:2006/02/06(月) 17:55:35
>>390
別スレを希望する
392考える名無しさん:2006/02/06(月) 19:38:50
人を殺してもいい!としたら自分が殺されても問題にならないけど、いいの?みんな?嫌じゃない?
393考える名無しさん:2006/02/06(月) 19:45:13
>>392
それはそうだ。しかし

理由A

人が殺されるのは嫌だ

人を殺してはいけない

B
と考えたときにA=人を殺してはいけないと思っている=Bにならないか?
394考える名無しさん:2006/02/06(月) 19:48:01
どうしてなのか本当にわかならければ、つまり本当に忘れてしまったのなら
幸運がお前を見捨てた日、お前は人を殺すことになろう
恐らくそのとき、自分の中で永遠に失われてしまった大切な何かとして
お前はどうしてかを思い出すだろう
それは本当には、失った者のみが知ることのできる価値なのかもしれない
その意味で殺人者でない者の大多数は単に運がいいのか、臆病だけなのかもしれない
だとしても私たちははそうした幸運や臆病さに感謝すべきだろう
そして、最も大切なものの本当の価値を、それを失うことによって本当に知る
不幸な恵まれた者たちのために祈る者があることを、私たちは祈るべきだろう
395考える名無しさん:2006/02/06(月) 22:11:04
「人を殺してはいけない」とする世の中より「人を殺してよい」とする世の中のほうが沢山の人が迷惑被るから
じゃだめなの?
396考える名無しさん:2006/02/06(月) 22:24:14
>>395
相対的な答えではなく絶対的な答えを求めているのでは?
私は寧ろあなたの意見に賛成なのだけど。
397考える名無しさん:2006/02/06(月) 22:24:17
>>393
スイマセンよく分からないです、哲学の基礎は学んでないもんで、必要かどうかは疑問ですが、、 ただ、みんな自分が大事なんだと思います、自分の為にもなり同時に相手の為にもなるのが目指すべき道ではないかと思います。     極端はよくないみたいです。
398考える名無しさん:2006/02/06(月) 23:39:03
この問いは、答えを知りたくて問われる問いではなく、
答えが無い、あるいは、答えが言葉では表現できない、
ことを示すために問われる問いだ
それは間接的な問いであり、イロニーなのだ
「Aだから人を殺してはいけない」といういかなる答えも、
問いが本来求めている答えにはならない
なぜなら「A」という答えは「人殺し」という行為をより一般的な
物「A」の一例として認め、そのカテゴリーに属するがゆえに否定的価値を
持つと認定するものであり、殺人の禁止を非Aの下位におくものであり、
そのことによって殺人の禁止の至上性、すなわち倫理性を剥奪して
いるのである
399考える名無しさん:2006/02/07(火) 02:22:33
「時と場合によっては、人は人を殺すものだ」ってのが、始まりじゃなかとか?
無意味に人を殺すような奴は、腹減った肉食獣か、落ちてきた鉄筋みたいなもんだから論外だが。
400?E^?a?L:2006/02/07(火) 13:12:00
人を殺してはいけない
人の物を盗んではいけない
と言うのは一般民衆が幸せに
なる為の約束ごとだ
ならば一般民衆を無視した
自分さえ良ければ良いと言う
現在の格差社会は
やがて社会を混乱させる事になる

401考える名無しさん:2006/02/07(火) 15:03:39
前にも書いたが「道徳の共有律」について。

殺人否定の人Aと肯定の人Bがいたとする。
また殺人について規定するものがまったくない状況でAとBとに道徳上の優劣はないとする。
さてそのときBがAを殺さなければ(※AがBを殺さないのは当然であるので除く)両者は共存できるか?答えは否である。
Aが殺人肯定の人間Bと同じく肯定の人間Cの殺し合いを認めないからである。
「殺人を否定する」とは自分は殺人を行わず、かつ「他人の殺人も許さない」ことを意味する。
これを「道徳の共有律」と呼ぼう。これは殺人に限らず例えば売春にも当てはまる
売春を否定する人が売春を行う人に「売春をするな」と言うべきではないのだろうか?
道徳は「個人の自由」であってはならず、社会の成員に共有されるべきものである。
402考える名無しさん:2006/02/07(火) 15:13:06
補足
>売春を否定する人が売春を行う人に「売春をするな」と言うべきではないのだろうか?
ここは「言ってはならないのだろうか?」の意味。
403考える名無しさん:2006/02/07(火) 15:34:30
境界線が揺らいでグレーゾーンがあるからな。
よい悪いも、「誰にとって」というのが抜けてるし、良い悪いの度合いも
抜けてるし、
404考える名無しさん:2006/02/07(火) 15:40:57
美学という観点からみても殺人は悪いな。
自分の欲望を通すために人を消すなんて、醜い行為だ。
ジョージ・ブッシュみたいな醜さがある。
正当な防衛などの理由があれば醜くは無いし共感できると思うが。
405考える名無しさん:2006/02/07(火) 17:15:02
よい市民がよい哲学者とは限らない
残念
406考える名無しさん:2006/02/08(水) 22:23:32
>>404
テロリストは許さんという理由があるじゃないか。
オマイ 論理力が弱いな。
407考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:07:58
「人を殺してはいけない」と思っているから
408考える名無しさん:2006/02/09(木) 03:21:46
思ってなくても殺しちゃう時とかあるよな
409考える名無しさん:2006/02/09(木) 03:32:52
といっても、動機のない殺人は危険すぎだな。
そういうのに限って無罪放免になる。おかしすぎる。
410考える名無しさん:2006/02/09(木) 04:25:29
人殺しはたいていそんなもの。
411考える名無しさん:2006/02/09(木) 14:01:07
ここのヤツらからは フォースが感じられん。
412慢文:2006/02/09(木) 15:14:53
殺人について。ひょろ長いひ弱な男がナイフで刺す場合を考える。
幼児を襲って胸にナイフを突き刺せば死ぬ。
しかしボブサップにナイフを突き刺しても怪我ですむだろう。
男がナイフで胸を刺したのは同じであるが生死の結果は異なる。
殺人において生死を決める要素は被害者のほうにも存在する。
そしてその要素は被害者の性質に属するが、
これを言い換えれば「死ぬのは被害者にも原因がある」といえる。つまり「刺されるほうも悪い」いえる。

↑は見え透いた詭弁である。体の強弱は当人の意のままにはならない。意のままにならないことを責任にされるのは不合理である。盲人が他人にぶつかられたからといって「目が見えないほうにも責任がある」といわれるのはおかしいのと同じである。

では意のままになるならばどうだろうか?身体に保存されている意識や記憶、要するに「心」をケーブル一本を差し込んで機械の体に移植できる世界ならば生身の人間は機械化という自己の防衛の手段を怠ったために殺されてもかまわないのだろうか?
服を着ずに外を出歩いて凍死した人が「自業自得」と罵られるならば
機械という衣をまとわずに外を出歩けば強盗に殺されてもしょうがないのだろうか?


※機械の体でも殺されるときは殺されるとかその手のあら捜しはお控えください。<(_ _)>
413考える名無しさん:2006/02/09(木) 15:23:05
誰も責められないような人殺しもいるんだよね。
414考える名無しさん:2006/02/09(木) 15:37:04
>>412
君は「原因」と「責任」を混同している。
最初の例では「死ぬのは被害者にも原因がある」とは言えるが、
「被害者にも責任がある→被害者も悪い」とは、言えない。
外出するかどうかは当人の意志次第だが、外出して通り魔に刺された場合も
「刺されたのは被害者にも原因がある」とは言えるが、
「被害者にも責任がある→被害者も悪い」とは、言えない。
外出するかどうかは自由だし、外出したからといって通り魔に刺されること
など通常は予想できないからだ。刺した責任は専ら通り魔にある。
真冬に服を着ずに出歩いて凍死した人が「自業自得」だとしても、
真夏に服を着ずに出歩いた人が、冷凍倉庫に閉じ込められて凍死した場合は
「自業自得」ではない。
415考える名無しさん:2006/02/09(木) 15:49:58
>>414
責任はどのような関係で考えられる義務であるのか。
相互的な関係であると理解した。
加害者が責任者であるとすると、責任はどこで考えられるのか。
加害して、被害した関係の一点がその人の占めている責任である。
この関係を前提にして、どうやって責任を考えるのだろう。

大前提に、彼は加害者であり、彼女は被害者である。
それ故に、彼は車をぶつけた、彼女は車に轢かれた。
従って、彼は殺意があった、彼女は無知である。

加害者、被害者の大前提から推論すると、推論は分析的である。
加害・被害の大前提が既に置かれているので、
大前提における責任とは、彼は車で轢くことである、彼女は車で轢かれることである。
こういうことを主張しているのだ。そして、何か別のことを主張しているつもりでも、
やはり、こういうことを言っているのだ。
416慢文:2006/02/09(木) 16:29:36
>>414
確かにそうですね。原因→責任と短絡してました。

で上の文ですが
要するに「命を保持しようとする意思のない者に命は保障されない」という命題は成り立たないと言いたかったわけです。
417考える名無しさん:2006/02/09(木) 17:13:58
こういうテーマは
何人か殺してから議論せいや
418考える名無しさん:2006/02/09(木) 21:16:19
重罰になる可能性をも考慮に入れて、
どうしても殺したければやむをえない
419考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:51:52
なぜ殺してはいけないのか
それはマナーだから。
420考える名無しさん:2006/02/10(金) 03:05:53
人権思想に毒されてるから死がそんなに悪だと感じるんだよ。
421考える名無しさん:2006/02/10(金) 03:09:13
馬鹿登場ww
422考える名無しさん:2006/02/10(金) 03:24:37
戦時において戦場で敵を殺すことはなんら問題ないわけで
むしろ規範的行動。
したがって人を殺してはいけないという規範は一般化できる
規範ではない。
423考える名無しさん:2006/02/10(金) 03:35:33
TITLE : A nationwide conspiracy that include Japanese police top officials, political leaders and Yakuza?

As Mr.Tachibana who’s a very famous and cool Japanese journalist talked
in the Pen Club in Tokyo Feb. 3, there will be large scandals in here.

Actually, in the Livedoor scandal, a key person named Hideaki Noguchi
the former president of an investment company affiliated with Livedoor
died in Okinawa last month.

Then, a lot of Japanese people have felt that’s the murder, and the never suicide.
However, the all of Japanese major TVs and Newspapers said self-murder
within their political decision, because of they've lost the journalist spirits!
It’s a kind of Yakuza recession created by police, TVs and government.

Today Feb. 7 2006, we watched the TV program of Japanese congress, it’s the really
terrible comments from Japanese police bureaucrat.
He said that we didn’t do the judicatory dissection, and did their internal dissection.
Furthermore, they didn’t explain the result of their dissection at all.
Although, a doctor didn’t write the “suicide” in their internal dissection report,
this police bureaucrat said ”the police is the decision maker for the course of death”

Look at these incidents.
424考える名無しさん:2006/02/10(金) 04:06:42
>>422
違うと思います。
国際法上、いくら敵だからって見境無く殺してはいけない。なんら問題はない
わけではない。また、戦場であっても「人を殺してよい」という規範は
存在しないよ。味方も人だからね。「人を殺してよい」という規範が存在し
ているなら、味方も殺してよいという事になってしまうでしょ。
425考える名無しさん:2006/02/10(金) 04:29:18
いや、「人を殺していい」という規範が存在するんじゃなくて、
「人を殺してはいけない」という規範が成立しない、といってるんだろが。
>>422は。

なんかなあ…
426考える名無しさん:2006/02/10(金) 08:27:06
マナーってかわるからね。
427考える名無しさん:2006/02/10(金) 08:54:28
人を殺さないのはマナーか。
なるほど、それもありだ。
428考える名無しさん:2006/02/10(金) 08:55:57
人間の細胞は自滅する性質を持っているのはご存知ですか?
自滅できない細胞の繁殖がガンという病気です。
細胞とちがって、人間は集団のためにすすんで自滅しようとはしません。
なぜなら人間が本質的に自己中心的だからです。
そして自分だけでも生きようとする人間が共生するために生まれたのが、
「人を殺してはいけない」というルール=マナーだったわけです。
429考える名無しさん:2006/02/10(金) 09:35:13
マナーっていうかまだ言うなら自然法のがマシでは?
430考える名無しさん:2006/02/10(金) 11:58:19
細胞と命は繋がらない
431考える名無しさん:2006/02/10(金) 14:26:09
>>424
> 「人を殺してよい」という規範が存在し
> ているなら、味方も殺してよいという事になってしまうでしょ。

論理関係がおかしいだろ。
人を殺してはいけないのであれば敵も殺してはいけないだろ。

では聞くがどうして戦地において人を殺してもいいのですか?
432考える名無しさん:2006/02/10(金) 16:48:05
ニダニダ。戦争とは人を殺すことを含意している。そして
国際法で戦争は認められている。
また死刑制度もあるし、正当防衛、緊急避難等が成立
して人を殺した場合であっても違法性が阻却される場合
もある(犯罪不成立)。
社会は人を殺す場合があることを認めているのでおよそ
一般的に、何時いかなるすべての場合に「人を殺しては
いけない」とはいえない。
433考える名無しさん:2006/02/10(金) 18:53:58
>社会は人を殺す場合があることを認めているのでおよそ
一般的に、何時いかなるすべての場合に「人を殺しては いけない」とはいえない。

社会が認めている→一般論は不可能

おかしくないか?
434考える名無しさん:2006/02/10(金) 20:01:36
>>433
社会がなどと言う点に着目しなくても特にいいよ。
要は「人を殺してはいけない」とはいえない場合が
あるということ。
したがって
> 一般的に、何時いかなるすべての場合に「人を殺しては いけない」とはいえない。
ということ。
435考える名無しさん:2006/02/10(金) 22:10:38
例外的な場合を除いて、人を殺してはいけない。
436考える名無しさん:2006/02/10(金) 22:26:16
>>435
例外とされれば人を殺してもいいと言うことだな。
437考える名無しさん:2006/02/10(金) 22:46:28
>>436
人を殺してもいい場合というのが例外でってことだよ。
438考える名無しさん:2006/02/10(金) 22:53:58
>>437
いやね、どっちでもいいよ。とりあえず殺してもいい場合
もあることを理解してくれればいい。
439考える名無しさん:2006/02/10(金) 23:43:24
>>438
まあ、コーナリング時に、ハンドルを逆に切ったほうがいい場合もある、
とういう程度には殺してもいい場合というものはあるかもしれんな。
440考える名無しさん:2006/02/11(土) 12:28:44
我々はみな、我々と他の生き物との差異が極めて
大きいとき、もはや何の不正も感ぜず、
なんら良心もなしに、例えば蚊を殺す。

人間と言うのは、同族を殺す事は禁止するのに
虫やら動物やら、平気で殺しますよね?
なんでですか?ここに書いてある通りなんでしょうか?
441考える名無しさん:2006/02/11(土) 13:49:08
なんでですか、だと? 殺したいからに決まってるだろ、アホw
442考える名無しさん:2006/02/11(土) 14:05:34
ただ殺したいから殺す、というのは例外なくいけない。
443考える名無しさん:2006/02/11(土) 14:27:37
このスレまだ続いてるのか、と思うが、
新参者がとっつき易いテーマだから仕方ないのかな。
444考える名無しさん:2006/02/11(土) 14:48:33
>>442
いけない、だと? 誰が言った?
445考える名無しさん:2006/02/11(土) 15:10:16
>>444
>>442
で述べているのは、発言行為の存在ではなくて、
(禁止の)妥当性の存在だよ。
446smith:2006/02/11(土) 16:13:06
ダーウィンの進化論を応用するわけには行きませんか?
あらゆる生物を淘汰するのは自然の役割であって、その種ではない
だけど、人間は自然に勝っちゃっているから、優性遺伝子保有者を
保護するために、自然の代わりに人間が手を下す。
自分を劣等遺伝子保有者だと思うことは許されませんから
被害者は有限な資源を無意味にむさぼる劣等遺伝子保有者とするわけです。
447smith:2006/02/11(土) 16:21:54
こうすれば、死刑制度も説明できませんか?
448考える名無しさん:2006/02/11(土) 16:43:52
>>446-447
> 自分を劣等遺伝子保有者だと思うことは許されませんから
> 被害者は有限な資源を無意味にむさぼる劣等遺伝子保有者とするわけです。

ちょっと意味取れない
449考える名無しさん:2006/02/11(土) 16:49:28
>>448
ちょっと、か?w
450考える名無しさん:2006/02/11(土) 16:54:28
例によって遺伝学における「優性」の意味を
勘違いしている悪寒。
451考える名無しさん:2006/02/11(土) 17:15:28
多分法律上、人を殺す事は禁止されていないけど、許されていないと考えてみたらどうかな?
人を殺してはいけないと言っている政府や司法か長々裁判して、死刑執行を行っているのだから、法的手続きを行った殺人は許されると思う。
戦争において兵士は殺すけど、それについて非難はされるけど法律違反していないから、帰還した人々は普通の暮らしを行うのを認められているし。
ただ、兵士以外や捕虜を殺せば法律上裁かれて死刑になるかもしれない。法律や規則や習慣上の殺人は認められているけど、それ以外の殺人は認められないと思います。
452考える名無しさん:2006/02/11(土) 17:50:44
>>450
優等の誤りでした。メンデルさんすみません。
>>448
最後の二行は傍論みたいなもんです。
生物が子孫を残すのは、「突然変異で(トンビから)タカが生れますように」
との無茶な願望からではなく、「自分はタカだから子孫を残すべきだ」
との考えからです。もちろん、進化論は人類の意義を規定してはいませんがね・・・

よって、自分(の属する共同体)を犯すものは、自分(の属する共同体)
の価値を落とす者だ ってわけです。
もちろん被害者だってタカですから、殺してはいけないんですけどね。
けど、例えば南国と北国を考えてください。
南国に広く分布する生物が、北国でも同じように分布できるか? 多分無理です。
これと同じように、自分(〜)とそりが合わなくても、他の場所では受け入れられる
ので、大抵の人はその人と仲が悪かったら、なるべくその人と会わないようにするでしょ?

>有限な資源を無意味にむさぼる
これはいいでしょ。資源や空間が無限なら淘汰する必要もない。
453考える名無しさん:2006/02/11(土) 19:26:41
死刑は自律した人達の集団という心の拠り所を全く失くしてしまうから、
もう国家に参加する意味が無くなるんだ。
それなら、個人は仕事をして自分の財産を蓄えたり、趣味を充実させるほうがいい。
もうみんなのためなんて理由を使えない。
国家の為だから死刑になるんですよ。
454考える名無しさん:2006/02/11(土) 20:56:01
生きる為に動物を殺す

人は殺さなくても生きていける

だがまれに戦争のように殺さなければ死ぬ事もある

無意味に同種を殺す事は無い。
455考える名無しさん:2006/02/11(土) 21:23:05
>454
それだと、殺人犯はどう考えてみたらいい?色々な理由で人を殺す。ウザいとかムカついた、果ては殺したいから殺すなんてのもある。意味無く殺す例は多々ある。
456考える名無しさん:2006/02/11(土) 21:32:06
>>455
ノイズは補正して処理。
優秀なテクノクラートは、ノイズ処理に必要以上の手間をかけたりはしないものだ。
457smith:2006/02/11(土) 21:50:49
>>454
カニバリズムは容認されるんですか?
458smith:2006/02/11(土) 22:03:01
同種を殺すのを悪だとする前提が間違っているのではないでしょうか?
殺人に関しては定義や善悪ではなくて、積極的自由の問題としての方が適当だと思います。
459考える名無しさん:2006/02/11(土) 22:03:42
>>457
法的に合法で文化として容認されてるならOKじゃね?
人を食わない民族が人を食う文化がある民族に抱く感情なんて、ヨーロッパ人が日本人に鯨食うなって言ったり
日本人が韓国人に犬食うなって言ったりするのと同じようなもんだろ?
460考える名無しさん:2006/02/11(土) 22:11:38
>>457
人間以外に食料が無い場合はね。
「ひかりごけ」とか「アンデスの聖餐」でGoogってみなされ。
461smith:2006/02/11(土) 22:13:34
>>459
そうではなくて・・・ここは哲学板なんですから。
例えば、日本人が日本人を日本国内で殺して調理して食べたとして、
(もちろん法律には触れますが)なぜいけないのかを聞きたいんです。
法律に触れるから悪なのか、悪だから法律が取り締まるのか。
もちろん校舎でしょう?
462smith:2006/02/11(土) 22:15:43
>>461
撤回。書き込む前にもう一度更新するべきですね
463smith:2006/02/11(土) 22:25:24
カニバリズムを実行するコミュニティーでは大抵、嗜好品として人間を食います。
しかも、同族は食べません。(例外もあるでしょうが、あったとしても同じです)
464smith:2006/02/11(土) 22:29:51
やはり、積極的自由の問題です。
医師が、重病の患者2人を、健康な患者一人を殺して、その臓器を使って
治したとしても、その医師は法律で裁かれます。
しかし、医師のしたことは「最大多数の最大幸福」にかなっているし、
功利主義的な考え方です。しかし、その医師はマスコミに叩かれること必至です。
465考える名無しさん:2006/02/11(土) 23:15:33
>>455

「ムカついたから殺す」というのも

ムカつく=有害=危険

で最終的には自分を守る為なんジャマイカ?
466考える名無しさん:2006/02/12(日) 00:06:36
>>465
ムカつく=危険というよりはムカつく=不利益だろう
ムカつく奴が一人消える事による利益と、犯罪が露見し
この先一生殺人者として生きていいかなければならない不利益とを天秤にかけて
利益の方に天秤が傾いたか、もしくは不利益の方を予測、考慮するほどの知能がなかったか
あるいは不利益を予測できるような状態ではなかったから殺す、と
467smith:2006/02/12(日) 00:37:11
イデオロギーに偏りすぎではないですか?
イデオロギーなんて、我々が規定するべきもので、
イデオロギーがこう言っているから〜 ってのは
論理の循環でしょう?
林檎とは何か?→人が林檎だと思うもの  みたいな
468考える名無しさん:2006/02/12(日) 01:43:33
つまり「人を殺してはいけない」という感覚は客観的、かつ絶対的に存在する物ではなく
主観的、かつ条件によって変動するものとしてあるってことだよね。
んで死を恐れる人が多数派であったために「俺はお前を殺さないからお前も俺を殺すなよ」
という暗黙の契約が生まれ「人殺しは悪だ」というイデオロギーが構築された、というわけか?
んでその構築された思想傾向が客観的な外部からの力である法と
主観的な内部からの力である道徳って形でそれぞれ抑止力になっている、と。
469考える名無しさん:2006/02/12(日) 01:52:16
>>468
> つまり「人を殺してはいけない」という感覚は客観的、かつ絶対的に存在する物ではなく
> 主観的、かつ条件によって変動するものとしてあるってことだよね。

ぶっちゃけた話そゆこと。
470考える名無しさん:2006/02/12(日) 02:09:18
だって、「感覚」であるなら、「物」であるはずがなく、
「客観的、かつ絶対的に存在する」はずもないし、
「主観的、かつ条件によって変動する」のも、当たり前ではないか。
そうでない「感覚」なんて、ないだろ。
471考える名無しさん:2006/02/12(日) 10:40:30
殺人という行為だけに焦点をしぼって考えても、
あんまり意味がないんだよねえ。

だって、大概の人間は、平穏に暮らしたいと思ってるわけでしょ?
一瞬とて気の休まることのない修羅の世界に生きたい、
と思ってる人なんて、少数派なわけで、「人を殺してもいいばあいもある」
「殺してはいけないというのは絶対ではない」と机上の空論をこねてみても、
言ってる当人は、平穏な生活を手放してもいい、
とは思ってないわけで、所詮他人事としか考えてないわけだ。
472考える名無しさん:2006/02/12(日) 11:54:53
>>471
結局何が言いたいのかよくわからないんだが。

平穏に生活を手放したくないから「平穏に暮らしを守るためなら殺してもいいばあいもある」
「平穏に暮らしを守るためなら殺してはいけないというのは絶対ではない」という考えを持つんだろ?

それともあんたは
「実際のところ、自分や身内が命の危険に晒されても相手を殺してまで生き延びようとする奴は少数派だ」
とでも言いたいのか?俺にはそっちの方が机上の空論に聞こえるが?
473考える名無しさん:2006/02/12(日) 14:12:19
>>471
「人を殺してはいけない」とするのはイデオロギー的背景をもつ話
ではないのかと疑う余地はあるとおもうな。イデオロギー暴露として
議論を深めるのであれば有用だと思うが。
社会的に禁忌とされる事象たとえば、近親相姦はなぜ禁止されるの
かについても同じように不快をもって封じるべき議論なのかよ。
474考える名無しさん:2006/02/12(日) 14:33:01
「なぜ人は人を殺すのか」にしたほうがいいんじゃあるまいか?
475考える名無しさん:2006/02/12(日) 14:38:41
>>473
俺は、我々が人殺しや近親相姦に対して抱く不快感は、イデオロギーを元に生まれた道徳観による物である
っていう考え方には賛成だな、道徳観なんて後の教育によっていくらでも捻じ曲げられる物だし
現に古代においては近親相姦が容認、もしくは推奨されていた例は多々ある。

道徳観が時代のニーズや状況によって変動する以上、「人を殺してはいけない」という価値観自体が
絶対的ではなく、「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問自体が成り立たない。
476考える名無しさん:2006/02/12(日) 14:53:26
>>472
>平穏に生活を手放したくないから「平穏に暮らしを守るためなら殺してもいいばあいもある」
>「平穏に暮らしを守るためなら殺してはいけないというのは絶対ではない」という考えを持つんだろ?

でもそれは結局、自分の生活を遊離した、「他人事」でしかないわけでしょ。
論理的には、間違いではないけど、「机上の空論」でしかないということ。

>>473
(あなたの言う)「イデオロギー」って何ですか?
477考える名無しさん:2006/02/12(日) 14:59:47
>>475
> (1)社会集団や社会的立場(国家・階級・党派・性別など)において思想・行動や生活の仕方を根底的に制約している> 観念・信条の体系。歴史的・社会的立場を反映した思想・意識の体系。観念形態。
>
> (2)一般に、政治的・社会的な意見、思想傾向。
>
> 三省堂提供「大辞林 第二版」より

時代劇みて、殺人だなどと騒いだりはしないだろう。
視点、時代という制約・基準を変えて見ているからその
ようには言わないわけなんだな。
478考える名無しさん:2006/02/12(日) 15:18:01
>>476
つまり実際に殺されかけた当事者でなくては「殺されかけた時相手を殺してでも生き延びようと考えるか否か」
は、わからないとでも言うつもりか?それならば我々に議論できる事は無いぞ?

しかし現に「殺してもいいばあいもある」 「殺してはいけないというのは絶対ではない」というのは、法に限っては
認められているといえる、死刑や戦争行為、正当防衛という概念が現存するのがその証明だ。
そして民主主義国家にそういう法律があること自体が、道徳的観点から見ても、「殺してもいいばあいもある」
「殺してはいけないというのは絶対ではない」という考えを持つ国民が多数派である証明といえるのではないか?

そういった事実が在るにもかかわらず「平穏に暮らしを守るためなら殺してもいいばあいもある」というのは
平穏に暮らしを脅かされた事の無い人間だからこそ言える机上の空論だ、と切り捨てるのは
いささか乱暴ではないだろうか?
479477:2006/02/12(日) 15:24:30
アンカー訂正
>>477中 >>475は >>476の間違いでした。
>>475さん失礼しました。
480考える名無しさん:2006/02/12(日) 17:18:49
>>478
>つまり実際に殺されかけた当事者でなくては「殺されかけた時相手を殺してでも生き延びようと考えるか否か」
>は、わからないとでも言うつもりか?

もちろん、違います。

私の言っていないことをいくら否定しても、私の発言への反論にはなりませんよ。
481考える名無しさん:2006/02/12(日) 17:21:57
>>477
>時代劇みて、殺人だなどと騒いだりはしないだろう。

八五郎は毎回「てえへんだ!てえへんだ!」と騒いでますが・・・。
482考える名無しさん:2006/02/12(日) 17:51:30
>>480
「平穏に暮らしを守るためなら殺してもいいばあいもある」という考え方が自分の生活を遊離した
「他人事」であるからこそ発生した「机上の空論」である、といいたいんじゃないの?
483考える名無しさん:2006/02/12(日) 18:32:07
[人を殺してはいけない]…この標語をみると腹が立つ

[人を殺してはいけない]という意識を、そう考える者たち(お前だ)に
「植えつけられた」者が、ろくな抵抗をせぬまま毎年大勢殺されてるからだ。
どの時代にもかならず一定数いる「殺してよい」と考え行動する者たちに。

殺される「かもしれない」と感じたら、ただちに反応しなければ殺られる。
         (あたりまえだろ、なにしろ相手は殺す気なんだから)
生きるには機敏に反応…相手より先にそいつを殺す決断をしないと自分が
殺られてしまう可能性は常にあるわけだから、その気配を少しでも感じたら
「一瞬でも早く相手を殺す決断をしなければ殺られる」わけよ。
だが、このとき[人を殺してはいけない]の先入観があると【判断は遅れる】。
これが命取りの第一歩。

判断の遅れの次に待ち受けてる遅れは【行動の遅れ】である。二歩目。
かりに素早く判断できたしても、[人を殺してはいけない]の観念は人を殺す
行動をとるのを躊躇させる。[人を殺してはいけない]という殺す側のために
作られたようなフザけた概念が道徳・常識として社会に蔓延してるから、
誰も日頃の準備をしてない。だいいち「どうやったら殺せるか?」を知らない。
その訓練など受けた事も無い・・こうして殺されないための行動は遅れに遅れ
その結果は「最初から殺す覚悟と準備をしてきた者」にかなうわけもなく、
この世を去ることに。かくして殺す者に都合の良い・・なんの罪も無い善良な
市民が犠牲になってゆくわけだが、ちょっとフザけすぎだろ。

こんなアンフェアあるか? そのときになって「そんな人殺しするようなヤツが
この世にいてはイケナイ」と嘆いたってもう手遅れw 警察は事件発生後で
ないと動かないから実際的殺人防止機関になりえないし、結局自分の命は
自分で自分で守るしかないというのに。

結論だが、       「人は殺してよい」…と教えよ!

殺されるだけを目的とした[人を殺してはいけない]のルールよりはるかにましだ。
484考える名無しさん:2006/02/12(日) 19:14:21
いえてる
485考える名無しさん:2006/02/12(日) 19:50:40
人を殺してはいけないと教える理由は
人間の本能で人間という種の数を減らして絶滅するのを
防ごうとするため
逆に殺してもいいと思うのは
人を殺してはダメだと考えるやつが増えて
人間の数が増えるのをふせぐため
殺すのも、止めるのも
どちらも本能だ
だからこんなスレがたつ
486考える名無しさん:2006/02/12(日) 19:53:09
初耳の意見だがかなり納得
487考える名無しさん:2006/02/12(日) 20:02:28
>>485
人口密度が低い時は人を殺してはいけないという本能を持つが
ある程度人口密度が増してくると今度は殺してもいいと思う奴が増えるって事?
俺は、人を殺してはいけないってのはイデオロギーを背景とした後付けの感情である
っていう方の案に賛成だが。
488考える名無しさん:2006/02/12(日) 20:04:32
[人を殺してはいけない]…
[人を傷つけてはいけない]…
[人をイジメてはいけない]…
[人の悪口を言ってはいけない]…

[いけない]を守る者は どうなるか…守らない者たちから
殺され、傷つけられ、イジメられ、悪口を言われるだけだ。

[いけない]を守る者は どうやって身を守ればよいのか?
[いけない]を押しつける者は どうやって彼らを守るのか?

アンフェアなルールは何か?
誰がアンフェアを押しつける権利を持つというのか?
責任をどうとるつもりなのか?

責任もとらず犠牲だけを飲め、と言ってるだけなら許さないぞ
489考える名無しさん:2006/02/12(日) 20:17:10
>>488
>[いけない]を守る者は どうなるか…守らない者たちから
>殺され、傷つけられ、イジメられ、悪口を言われるだけだ。
法的手段で報復すればよい。

>[いけない]を守る者は どうやって身を守ればよいのか?
身を守る場合は[いけない]事をしても良いとされている。

>[いけない]を押しつける者は どうやって彼らを守るのか?
法という抑止力によって。

>アンフェアなルールは何か?
力のある者も無い者も殺されるのは自己責任であるというルール

>誰がアンフェアを押しつける権利を持つというのか?
国家が、国家に属する者は法を守らなくてはならない、法を犯せば国家権力から制裁が加えられる。
490考える名無しさん:2006/02/12(日) 20:19:45
鼈みたいに奴だ
491考える名無しさん:2006/02/12(日) 20:34:43
>>488
そもそもあんたの思うフェアなルールって何?上に書いてある人を殺しても良いって奴?
だとしたらこれってどう考えてもアンフェアじゃない?ガタイのいい男のほうが有利じゃん
常に身の危険に気を配ってる6歳幼女と殺す気満々の体重100s超のリアルモンクの戦いは
対等であるって事?
492考える名無しさん:2006/02/12(日) 21:15:17
>>489
殺されてどうやって報復ができるよw
法の守備範囲から漏れた精神的障害・イジメ・悪口が
そもそも多いわけだが・・。

身を守る場合してもいいといっても、そもそも[いけない]
事をして来なかった者が一体どうやって[いけない]事を
すぐできるよw

法の抑止力の働かない部分があるから、いらぬ犠牲が
発生するんだろがw 表に出た事件数を知ってるのかw
表沙汰にならないものや法で抑制できない日常規範逸脱
の数は顔添え切れないぞ。

自己責任はルールとは言わない。その意味は「放置」だ。
最後は、ただの「ほったらかし」だってこと
そんなのがルールなわけないだろ、アホw

国家は国民に[いけない]と言わない。
主権者たる国民にそんなこといえるわけないだろw
せいぜい行動結果に刑罰を用意して「するとどうなるか」を
広報するのみ。

[いけない]を口にするのはいつも政府じゃなく、おまえみたい
な馬鹿国民たちなのさ。ここで言ってる事は、おまえな無責任
野郎に[いけない]と言われる筋合いは無いってことw
政府はだまって国民に奉仕してればいい。
493考える名無しさん:2006/02/12(日) 21:25:44
>>492
つまり常に正当防衛できる心構えを持っておけってことかいな?
494考える名無しさん:2006/02/12(日) 21:33:49
>>493
学校で教えとくことだと考える、法と同時にね
それが国家の責任のとり方よw
495考える名無しさん:2006/02/12(日) 21:41:18
>[人を殺してはいけない]…この標語をみると腹が立つ

標語なんか?これ。
496考える名無しさん:2006/02/12(日) 21:56:09
イエスだよ。
497考える名無しさん:2006/02/12(日) 22:07:03
>>494
つまりあんたは「人を殺してはいけない」事を絶対的なこととしている世の中に反感を持っているわけだ。
んで「危険に対応できるだけの能力を持たせ、身の危険を感じた時はためらいなく力を行使できるようにし
場合によっては人を殺してしまうのも仕方ない」という風に学校で教育するべきだ、と。
これらを要約して「人は殺してよい」…と教えよ!って言ったんならちと乱暴すぎるぞ。
まあ体育の授業で護身術や襲われた時の心構えなんかを教えておけってのには賛成だけどね。
延々マラソンさせてるよりはよっぽど役に立つし。
日本人が平和ボケしているとは度々感じるよ、治安は悪くなってんのに危険に対する意識は
昔とそうかわってないんじゃないかと思える。
498考える名無しさん:2006/02/12(日) 22:24:59
日本の教育の矛盾しているところは、死刑制度があるにもかかわらず、
人を殺してはいけないと子供たちに教えることである。
499考える名無しさん:2006/02/12(日) 22:41:50
>>497
確かに 死が隣合わせの国では
このスレタイみたいな甘いこと考える暇も無いかもね
500考える名無しさん:2006/02/12(日) 23:03:01
人を殺すことは、社会にとってメリットよりデメリットのほうが多いからだ!
501考える名無しさん:2006/02/12(日) 23:03:46
>>497
殺さなければ殺される場面で、護身術や襲われた時の心構えが
何の役に立つよw

命の危険を感じたら、そんなヤツは「即座に殺してよい」という
承認と人の殺し方を教えとく以外ないだろがw

なにひとつ教えないから「拉致」を漫然と受け入れる国民が生まれ、
されるがままの政治家、政府ができちまうのよ。
いったい日本をどんな国にするつもりだ、おまいら。
502考える名無しさん:2006/02/12(日) 23:33:37
>>498
「人を殺してはいけない」というのには「正当な理由なく」という暗黙の限定が
ついている。故に、死刑制度とまったく矛盾しない。
503考える名無しさん:2006/02/12(日) 23:35:44
>>501
お前は日本を殺人発生率世界NO.1にでもするつもりか
そもそも命の危険ってどこから命の危険なんだよ
後ろに立ったら、とか間合いに入ったら殺しておkとでも教えろってか?
504考える名無しさん:2006/02/12(日) 23:45:31
>>503
おまえは無脳症かw

「殺されるかもしれない」…そう感じたら もう命の危険なんだよ
いったい誰に判断してもらう気なんだ?
国民一人にひとりずつ警察がついてくれて、無脳症のおまえに代わり
それをそばで判断してくれるとでも思ってんのかよ、アホw

迷ってる間に、躊躇してるまに殺されちまうんだぞ
そういう目に遭わなきゃわからん、とか言ってる余裕はないだろ
命はひとりに1個しかないんだぞ。いい加減にしとけw
505考える名無しさん:2006/02/13(月) 00:07:59
>>504
アホか、殺されるかもしれない、と思うたびに他人を殺してられるか。
一ヶ月もしないうちに国中死体だらけになるわ。
506考える名無しさん:2006/02/13(月) 00:17:22
>>505
誤魔化してんじゃね〜よ、ガキじゃあるまいしw

いったいこれまで「何回ぐらい」殺されるかもしれないと
感じたのか、言ってみろ
おまえの周りが死体だらけになるほどじゃないだろがw

そういうおかしな逃げ、打つな
507考える名無しさん:2006/02/13(月) 00:24:10
殺されるかもしれないなら俺殺してるな
やべぇーな俺
508考える名無しさん:2006/02/13(月) 00:26:04
>>506
危険を感じたら即殺してOKなんて国なら
一日に何回も「殺されるかもしれない」と思うでしょうね
509考える名無しさん:2006/02/13(月) 00:32:21
死刑になるから人を殺してはいけない。
510考える名無しさん:2006/02/13(月) 00:40:29
正当防衛は?
511考える名無しさん:2006/02/13(月) 00:43:49
>>506
今の状態で考えたって意味ねーだろアホ、周りが全員
「命の危険を少しでも感じたら即殺せ、どこからが命の危険かは自分で判断しろ」
なんていうとんでもない教育を受けた奴しかいない状況を想像してみろよ。
相手に少しでも脅威を与えたら殺されるかもしれないんだぞ?
大げさな話ポケットに手を入れて歩いてるだけで
「ポケットの中に武器を持ってるかもしれない」と思った奴に殺されるかもしれない。
そんな状況で命の危険を感じずにフツーに暮らせるわけねぇだろ。
512考える名無しさん:2006/02/13(月) 00:47:59
>>508
おまえ感性ゼロ、思考力マイナス100w(←ワットじゃないぞw)

感性というのは そういうことでは変化しない
あくまで対象からだけ受け取るようにできてる
本気で自分の脳味噌点検しろw
513考える名無しさん:2006/02/13(月) 00:58:21
>>511
アメリカじゃ警官の前で上着に手を入れたりするだけで
射殺されるかもしれないんだと 恐

今でもそんな状況にある人が
いるんだよな イラクとか...
514考える名無しさん:2006/02/13(月) 01:03:16
「生きていればいい事がある」「君がそんなことすると悲しむ人がいる」
という説得は無効。夢も希望もないただ社会から受ける苦痛と孤独に耐え
死を待つだけの人生でもなお殺さないと思えるような動機付けのみが
「殺してはいけない理由」。

515考える名無しさん:2006/02/13(月) 01:09:00
あるスレで見つけた自殺者をとめる言葉

「残される人のことを考えろ!!」

と、言うかと思ったら

「かたずける人のことを考えろ!!」

         ...orz
516考える名無しさん:2006/02/13(月) 01:24:05
>>512
思考力マイナス100なりに考えてみたんですけど
感性が変化しなくても「危険を感じたら即殺してOKなんて国での出来事である」
という前提があるとないとでは結果として導き出される認識が違うんじゃないですか?
認識が違えばどう思うかも違うはずですよね・・・って。

あー、なんか話がかみ合わない理由がわかってきた気がする…
貴方はもしかして「殺されるかもしれない感覚は感性を通して『感じられる物』だ」と思ってるんじゃない?
だとしたら「殺されるかもしれないという感覚は感性を通して感じた情報を元に瞬間的ではあれ思考した結果
得られる『認識だ』」と思っている自分と話が噛み合わないのもわかる。
つまり貴方は「殺されるかもしれないと感じる」事について話していたのに
自分は「殺されるかもしれないと思う」事について話していた訳だ。
まちがってる?
517考える名無しさん:2006/02/13(月) 10:49:50
このスレに居ついている殺人賛成派を論破してやろう。

>殺される「かもしれない」と感じたら、ただちに反応しなければ殺られる。

ある人Aが殺されるかもしれないと感じたかどうかを証明する方法はあるか?
「感じた」事実だけが条件ならば、
別に何にもない人をなぶり殺して「あの人に殺すぞって言われました(泣)」
とかウソを垂れればお咎めなし、殺人御免ってこった。死人に口無しだからな。

5182:2006/02/13(月) 10:59:48
この「殺される」という概念は人そのものでなく組織にも適用されるのか?
例えば中国が核を向けている、日本は狙われている、やられないように軍備をすべきだ、と
安倍なんとかいう右翼野郎が妄想していたとするわな。
殺されると感じたら即相手を殺すのがかまわないならば(これを「速殺律」とでもよぼう)
日本はチャンコロを屠殺してもいいことになるわな。国家間の暴力=戦争マンセーになるわな。
その点はどうだ?
5193:2006/02/13(月) 11:11:17
一般に犯罪AとBとがあって
AよりもBのほうが重く、かつ
Bが認められているならばAも潜在的に認められていると考えられる。
例えば時速300キロで暴走するのがOKなら時速150キロで暴走するのも問題ないわな。
でだ、殺人を認めるならば殺人以下もろもろの犯罪も肯定されるのではないか?
「犯されると思ったら即反撃でレイプしてもよし」とか、「カツアゲされると思ったらそいつからカツアゲしてよし」とかな。
殺人は最大級の犯罪とされているから結局大概の犯罪はOKということになる。
520考える名無しさん:2006/02/13(月) 11:19:46
この三点「証明」「戦争」「拡大」について回答を頼む。
521考える名無しさん:2006/02/13(月) 13:33:06
>>517
私は別人だが

あなたが反論している相手は「かもしれない」で殺した場合は無罪になる
とは一言も言ってませんよね、そう読めなくは無いですが

戦争に関しては当人ではないのでちょっと

>殺人は最大級の犯罪とされている
殺人に対する罪の意識を低くしようと主張しているように思えるので
そもそも無意味な前提ではないでしょうか?
522考える名無しさん:2006/02/13(月) 20:06:54
>殺される「かもしれない」と感じたら、ただちに反応しなければ殺られる。

野生の獣ですか・・・・?
523考える名無しさん:2006/02/13(月) 20:58:26
>>512の考える理想の社会について考えたんですけど、やっぱり「死体のごろごろ転がってる」社会になると思います。
誰かが、(被害妄想であれなんであれ)殺される、と感じる。殺す。
彼の周囲にいる人たちにとっては、それは突然な理不尽な殺人であるので、彼が近くにいるだけで殺されると感じる。彼を殺す。
その後、周囲にいた人たちは既に突然殺されることを経験しているので、別の人から見れば理由の無いように見える殺人を犯す。
以下同文。
で、死体のごろごろ転がる社会になります。
524考える名無しさん:2006/02/13(月) 22:22:48
>>523
おまえは自分自身が人を殺すことは「絶対ありえない」と言い、
相手を殺さなければ自分が殺される場面でも「絶対殺さない」という。

それが単なる希望的観測=保証の無い「空約束」でないことを
ここで示せるだろうか?

毎年、大勢が他人を殺し、その数だけ他人が殺されている事実に
照らすと、見知らぬおまえがその確率から並外れてると考えなければ
ならない理由、根拠が見当たらないんだが・・。


おまえの他人を殺す確率が「世の平均的確率」とそう違わないだろうと
考えるのは不自然だろうか?
525考える名無しさん:2006/02/13(月) 22:32:03
やっぱり殺しは駄目だよね

他人の幸せを奪っちゃいけないんだよ
526考える名無しさん:2006/02/13(月) 22:35:08
>>525
おまえは自分自身が人を殺すことは「絶対ありえない」と言うのか?
相手を殺さなければ自分が殺される場面でも「絶対殺さない」のか?
527考える名無しさん:2006/02/13(月) 22:44:04
死刑制度、偶然の事故、などが無くなるべきであると考えられるようだ。
それでも、自然死があるので、人の死が絶対的に無いとは言えない。
時間における早いか、遅いかの差だ。つまり、平等が望みなのかね。
それとも、何か問題があるのでしょうか。
528考える名無しさん:2006/02/13(月) 23:27:45
なぜ人殺しはいけないのか。
横槍だが自分はこう思う。
人間性を持っている者が人である。「「人間性」とは殺人を否定するもの」である。
故に「殺人者は自分の人間性を放棄したもの」である、ともとらえられる。
一方、まさに殺されんとしている者においては、「人間性を放棄している」眼前の殺人者を人間性を持った人間とは見なさないのも可。
よって、正当防衛が許され、その中での殺人は故意的でなければ許される。

また、殺人者に殺意を芽生えさせた者がいるとすれば、その者は殺人者の人間性を殺したに等しく、殺人者同様なんらかの形で罰せられるべきであると思う。
529考える名無しさん:2006/02/14(火) 00:49:31
>528
で?何処に殺人のいけない理由があるんだ?
530考える名無しさん:2006/02/14(火) 00:49:43
殺人禁止を肯定するための技術以上のものではないね
次スレ立てるときは、せめてスレタイを変えなよ これは必須だと思うよ
531考える名無しさん:2006/02/14(火) 01:15:37
>>528
「人間性」とは殺人を否定するもの」ってのは「「人間性」を有する「人」は殺人を否定するものだ」ってことかな?
「殺人を否定」しながらも「殺人を犯す」状況はありえない?
「人」と「人間」を使い分けたのに意味はあるの?
放棄するってことは持ってないんじゃないの?
「人間性」を放棄した殺人者の「人間性」を殺すってどういうこと?

結局殺人者は人なの?
532考える名無しさん:2006/02/14(火) 01:19:20
>>529
すまん。肝心なことを…。
端的に言うと
「殺人とは、殺人者自らの人間性の放棄につながりかねず、そうなれば自らで、自分の人権を放棄するに等しく、他者から人だと認めがたくさせるから」
という論旨。
この論でいけば、(人間性を放棄したと見なすことが可能である)殺人犯を死刑にすることを完全には否定できなくなってしまう。
死刑撤廃論者や、過度な人権擁護者には受け入れ難いものだとは思う。
533考える名無しさん:2006/02/14(火) 01:21:10
>>531
お応えします。
「殺人者」は「人」とは見做されない。
534考える名無しさん:2006/02/14(火) 01:39:08
>>531
>「人間性」を放棄した殺人者の「人間性」を殺すってどういうこと?

かなり説明が粗かった。すまん。
「殺人者」とは、「人を殺した者」という意味であるが、「人を殺す者」という意味に重点をおいて捉えている。
たとえまだ、人を殺した経験が無くとも「人を殺しにかかっている者」も、「人を殺す者」としている。
よって、「人間性を放棄した殺人者」だけでなく、「人間性を放棄できる殺人者」と理解して欲しい。
そして、「人間性を放棄しようと思わせたもの」がいて、「人間性を放棄できる・あるいは放棄した殺人者」が生まれるのだとすれば、
「非殺人者の持つ人間性を、その非殺人者自らに放棄させ殺人者にした」ということを「殺人者の「人間性」を殺す」と表現した。
535考える名無しさん:2006/02/14(火) 01:46:01
>>532
それは「人殺しはなぜ罰せられるのか」への回答だと思うが。
しかもその論は「人間性を放棄した人間はなぜ罰せられるべきか」という
新しい問いに回収されます。
536考える名無しさん:2006/02/14(火) 02:12:51
>>535
そうかな。
「どうして人を殺してはいけないのか」
「どうして人を殺すと罰せられるのか」どうちがう?

「いけない」から「罰せられる」のだと思えるし、
「罰せられる」から「いけない」のだとも思えると思う。この間の相関関係は太い。
まあ確かに、
「「人間性を放棄した人間」はなぜ「罰せられるべき」か」という問題に回収されるかもしれないが、
「「人殺し」はなぜ「死刑になる」のか」という具体的な問題ともなりうる。
しかしそもそもこれらは、「人殺しはなぜいけないのか?」「…なぜ罰せられるのか」「…なぜ死刑になるのか」という問題ではないかな。
つまり「死刑」も人殺しなわけだが、「死刑」が容認されえて、
「いわゆる人殺し」が容認されえない、というのはどういうことだ?
といった問題に回帰される。それは一重に「人殺しはなぜいけないのか」という問題に集約されるだろう。
細かく見ていけば君の意見にもなるが、細分化せずとも、十分論は組めると考えるが。

537考える名無しさん:2006/02/14(火) 02:46:23
>>536
違いますね。これらを哲板で論ずる意義が違います。

「どうして人を殺してはいけないのか」
という問いへの適切な対処は、普通、
「人殺し」と「いけない」の間を理屈で取り結ぶことにあります。
簡単に言えば、人殺しがいけない理由を列挙してそれを吟味すること。
ところがその場合「いけない」とは一体何を意味するのか、ということに注意が払われない。
この「いけない」を論じることに哲学的な意義があるのです。

後者における「罰せられる」は「いけない」より意味がはっきりしてるでしょ。
だから、この問いに対しては理由を列挙するだけで十分なのです。
言い換えれば、あえて哲板で論じる意義がない。

「なぜ人殺しはいけないのか」という問題に正面から突っかかっちゃいけないんだよ。
スレタイがいけないと思う。
538考える名無しさん:2006/02/14(火) 02:51:28
>>536
あと、次々と新しい問いに回収されてしまうのは、
この問題を普通の意味で捉えたしまったからです。
これを改めない限り、どんな論を展開しても、
また別の問いに回収されることでしょう。
539考える名無しさん:2006/02/14(火) 03:42:33
>>537、538
536だが。
なんとなく言いたいことはわかった。
要するに「なぜ殺人がいけないのか」という事が論じきられていない、ということが言いたいのかな?

しかしすまん。よく読んだが読解力不足でよく意味がわからない点がある。
まず君のいう「普通」とか、「普通の意味」とかいうのはどんなことだ?
「なぜ人殺しはいけないのか」というスレタイなのに、正面から突っかかっちゃいけないんだ?(正面から突っかかってるとすればの話だが)
君のいう「哲学」とはなんだ?

>簡単に言えば、人殺しがいけない理由を列挙してそれを吟味すること
とあるが、
君のいう「哲学」の「普通」ってなんなんだ?これのことなのか?少し詳しく説明してくれないか?
540考える名無しさん:2006/02/14(火) 04:27:41
>>539
人殺しがいけない理由を考えるのは社会的には必要なことだと思うし、
学者の重要な役割だと思うけど、
ここは哲板なのだから、あえてそれを無視してもいいと思うわけ。
このスレもまとまりのない同じ議論が繰り返されているだけだし。

>君のいう「哲学」とは何だ?
とのことだけど、論点が分散するからこのテーマに沿って答えるが、
「なぜ人を殺してはいけないのか」に回答を与えることではなく、
「<人を殺してはいけない>とはどういうことか」とりわけ、
「<いけない>とはどういうことか」を論ずることだと(独断で)思います。
普通という言葉を軽々しく使ってしまったことを後悔しているが、
君の質問に答えるなら、前者が「普通」ということになりますか。

「いけない」という言葉の意味は誰でも感覚的に知っていますが、
その意味の内容に注意を払うことはあまりありませんよね。
まさに、(過去のレスで何度も言われているが)それをすべきなんじゃないだろうか。

先に述べた前者と後者の間の迷妄に陥ってしまうのがこのスレの問題で、
人を殺してはいけない「理由」をいくら説明されてもちっとも納得しない人がいた。
たぶん、その理由がいくら正当でも「<いけない>とな何なのか」に引っかかって、
釈然としなかったんだと思うよ。
541考える名無しさん:2006/02/14(火) 04:38:00
>>539
あと、
過去に「<いけない>とは<社会からの要請だ>」というレスがついてたけど、
僕は割と的確だと思った。
もしこれを採用するなら、
「なぜ人を殺してはいけないのか」というこのスレを、
「<いけない>とは何か?」と、
「なぜ人間社会は<人殺し禁止>を要請するのか」
の二つのテーマに分散させればかなり議論が収拾すると思うよ。

このスレで「なぜ人間社会は<人殺し禁止>を要請するのか」
に答えていた人もいたと思うよ。これも迷妄の一つだと思う。
「集団の生存に有利だから」とか遺伝子云々の回答はその類じゃないかな。
542考える名無しさん:2006/02/14(火) 04:47:33
>>539
なるほどね。説明ありがとうございます。
ただ申し訳ないが、横槍で入ってきてしまったので過去レスを読んでないんだ。
だから、新たに疑問がわいてきてしまったんだが、君は「哲学論」として
>「<人を殺してはいけない>とはどういうことか」とりわけ、
>「<いけない>とはどういうことか」を論ずることだと(独断で)思います。

と述べている。俺はこの「哲学論」については理解できるんだが、こう言ってる君が、

>「いけない」という言葉の意味は誰でも感覚的に知っていますが、
>その意味の内容に注意を払うことはあまりありませんよね。

とも言っていることがわからない。

君の「哲学論」が言うように、「いけない」と言うことそのものに疑問を投げかけ、論じなければならないのではないか?
543考える名無しさん:2006/02/14(火) 05:13:50
>>542
いや、分かってて書いた。
矛盾してないよ。

前で「<いけない>とは何かを考えなければならない」
と言っておきながら、
後で「感覚的に誰でも知っている」
と言っていることが疑問なの?それとも続きを読んでない?

感覚的に理解していることと、その意味内容を分析することは別だよ。
544考える名無しさん:2006/02/14(火) 05:31:43
>>541
君が書き込んだ間に、542を書いていた。
君の「哲学論」に対しての意見の相違はなさそうだね。

それから一応。自分の論に固執するわけではないんだが君に聞いてみたい。
536の内容でもあるんだが、
「なぜ罰せられるか」を論じる事で、
「なぜ殺してはいけないのか」を論じることに変えることは可能ではないか?
つまり、「なぜ罰せられるのか」と言うことは、「なぜ〈いけない〉のか」つまり「なぜ〈罪〉なのか」ということになりえないか?
要するに「罪」に与えられるものこそが「罰」ではないか?
そうであるならば、「罪」の証としての「罰」を論じることは、「罪をどうとらえるか」「いけないことをどうとらえるか」という事をも含んだ議論になりうるはずではないのか?
どうだい?
545考える名無しさん:2006/02/14(火) 12:40:34
>536 の奴に、か?(ごちゃごちゃで分からん)
だから、殺人容認をしたいのか?飽く迄、人を殺す事がいけない理由なんだから、
殺人者だろうと人に含まれないといけないのでは?
殺人者は人間でないから殺して良しに見えるんだが、極論に過ぎるし詭弁的。

絶対的な正しさと愛と優しさを持って、人間は人間を殺せる可能性があるのだから、
悪人は人間ではないとする前時代的な勧善懲悪思考は古い。
少なくとも俺は殺人者も人間とするし、その考えからすると反対的になってしまう
し、納得はし難い。

「いけない」というのは絶対的な抑止にならなければ意味のない言葉であり、「罰が
あるからいけない」というのは、「殺人はいけない」に繋がらない。
「罰を受けてもいいから、殺人をする」そんな人間を止められるか?答えは否にしか
ならない。
お前のそれは「殺人は法的に悪い」としか示していないだろ。人を殺してはならな
い理由にはならない。
546考える名無しさん:2006/02/14(火) 15:20:03
人を殺さないようにした方が精神的に楽だから。
人を殺してもいいようにしちゃったら
友達同士でもやたら気を使うじゃん。
だって、ちょっとでもイラ付かせたら殺されちゃうかもしれないし。
547考える名無しさん:2006/02/14(火) 16:24:35
『どうして人を殺してはいけないのですか?』
結局誰も答えなんか持ってないし、知らないって事っすね。
人生なんてそんなもんでしょ。
と言うより、あらゆる問題に対する絶対的な『答え』なんて
この世にないんでしょーね。

なんて言ったら、救われない人が溢れますかね。
失敬。
548考える名無しさん:2006/02/14(火) 16:26:49
危険だから、人を殺してはだめ
549考える名無しさん:2006/02/14(火) 16:31:53
大多数の人間が「自分は他人に殺されたくない」と思っているからではないのか?
だから、そういう決め事があるのでは?
それだけのことなんじゃないの?
550考える名無しさん:2006/02/14(火) 16:36:48
殺されたくないから殺さない?
逆だってあるよ。
殺されたくないから殺す事だって。

果たして『人を殺してはいけない』のはルールなのか。
法律に「人を殺すな」って載ってるっけ?
俺の記憶じゃ無かったと思うが。
551考える名無しさん:2006/02/14(火) 16:39:18
返事が無い、ただの屍のようだ。しかも、それに蝿が卵を産むためにたかり、蛆虫が集まっている。
生き物には昆虫はたからない。それ故に、殺人というだけで風紀を乱しているからだ。
だから、死人をだすべきではないし、悪いってことなんだ。
552考える名無しさん:2006/02/14(火) 17:02:40
人を殺しても罪にならない法律にしてしまったらこの世界は滅茶苦茶になるよ。
確実に殺人世界になるだろうね、人を殺してはいけないという法律があるおかげで
少なくとも安心して暮らせると思う。
この世の秩序を守るために人を殺してはいけないというルールがあるんだろうね。
553考える名無しさん:2006/02/14(火) 17:06:31
死体だから、     可哀想だから、
生き物が集まってる、 みんなで協力してあげよう、
可哀想だね。     死体であるから、生き返らせる為に。

可哀想だから、私は幸せな死体である。
みんなが協力してくれるおかげで、
幸せな私は、生き返る目標をもたなければならないのです。
めでたし めでたし
554考える名無し:2006/02/14(火) 17:08:31
>>545
>悪人は人間ではないとする前時代的な勧善懲悪思考は古い
「かつて存在した思考」であれば、人類にとって意義あるものであはないのか?
君のいう「古さ」とは何か?論じ切れていない。これでは君の「思い込み」「主観」にすぎない。
それに
>絶対的な正しさと愛と優しさを持って、人間は人間を殺せる可能性がある
と言うのであれば、「報復殺人を容認できる論」である。
また君の言う「絶対的な正しさ」と言うものを説明してくれ。「絶対的」に普遍性があると「思う」のは前時代的ではないか?
例えばキリスト教やユダヤ教の論理は、一神教を基盤にすえたものであるが、現代の宗教戦争を見ればわかるように、
アメリカとイラクの「絶対」は異なる。「絶対」は「唯一のもの」にすぎない、ということは両者ともに共通である。
が、その「色づけ」は全く異なる。現代ではむしろその「絶対的」に異なる「色付け」を、一色に塗りつぶすのではなく、いかに尊重できるのか、が課題となっている。
555考える名無し:2006/02/14(火) 17:09:22
>>545続き
君の論をそのまま読めば、例えば「絶対」も「正さ」も「君にとってのもの」になってしまうね。それを他人に押し広めることは不可能だと思う。
「絶対的」などということは、個別具体的な事象にはない。あるのは「絶対という観念」のみである。必要なことは「絶対性」ではなく、「妥当性」である。功利主義の原理からでも、民主主義からでも説明できる。今は省く。

>「罰を受けてもいいから、殺人をする」
止められなくとも、厳罰に処す。彼が死にたくないというのならば、殺さないことだ。
殺人は容認できない。死刑は容認できる(この点については論じた)。君の言ではどこが「極論」で「詭弁的」なのか理解はできないが、「勧善懲悪」の原理であることは認めよう。「善」が人間であり「悪」は人に非ず。
キリスト教的な「原罪」に対する信仰は無い。また、そんな信仰を基盤において現在の「罰」があるとは思えない。
ただし、「悪」を産むものがいるとしたら、つまり「殺人をしようと人に思わせる者」がいるとしたら、それは「彼の人間性を奪った者」であるが、
特定できれば彼にも処罰が下るのも、また是とすることも容認しえるものではなかろうか。(というのは俺の主観だが)
この点に関しては、例えば、彼女が強姦被害を受けており、その犯人を彼氏が殺す。この場合、彼氏は殺人罪。強姦犯は強姦罪だが、強姦者は、彼氏の人間性を失わせた人間であるから、その点についてもさらに罰っすると言うもの。
>「殺人は法的に悪い」
このどこが「人を殺してはならない理由にはならない」のか?詭弁じゃないか?
556考える名無しさん:2006/02/14(火) 17:14:01
>550
法律にあるかは知らんが、「暗黙の了解」的なルールとしてなら
「人を殺してはならない」ってのがあると思う。
だから、こんなスレもたつわけだし。
そして、その了解がある以上、最初に殺したほうが糾弾されることになる。
557考える名無しさん:2006/02/14(火) 17:23:37
殺したものは禁止である、だが、最初であるのか。
殺人の理由は時間である。
このような理解をされている。
殺したものは禁止であるが、時間は共通である訳ではないようだ。
時間も含めるとすると、そのような出来事の前に敵意を用意してのぞんだからだ、ということなのかね。
558考える名無しさん:2006/02/14(火) 17:41:10
>557
ごめん、よう分からん。
559考える名無しさん:2006/02/14(火) 20:18:18
>「かつて存在した思考」であれば、人類にとって意義あるものであはないのか?
「魔女裁判」「異端審問」これの意義とは如何に?これがあったから今の歴史や宗 教観や法律があるという意義があったとしても、現在にそれをしようとするものは 滅多にいない。
礼としては極端だが、そういう意味での古い。

>また君の言う「絶対的な正しさ」と言うものを説明してくれ。
可能性があると書いたただけで、明言はしていない。それとも確実にそんな人間が いないと言い切れるか?殺人の正当性など元より殺人者の主観であり、殺人者とって 殺人の正しさなどは絶対である可能性がある。
誰も俺の絶対的正しさとは書いて
いない。 あと「報復殺人を容認」とは、絶対的正しさと優しさと愛にそれを感じたなら、 お前がそれを正しいと思っただけでは?

>このどこが「人を殺してはならない理由にはならない」のか?詭弁じゃないか?
法を破ったら罰を受けるのが約束であるが、それでもいいから殺人はしても構わな いと思うような、罰を受けてもいいと思う人間に殺人をしてはならないと言えるの か?
法律だからいけませんで?どうやって?それでも人は人を殺すぞ? 「法的に悪い」は踏み止まらせる要因にはなっても、なんら殺人を止めていないし、
いけないとも言っていない。
確かに詭弁とも映るが、だからといってそうではない訳ではない。まぁ、単にお前 が詭弁って使い返したかっただけだな。

お前の人間性の破壊とやらは、人間と殺人者を切り離し、別の物として扱う狙いを 感じられる。大量虐殺者と同じ可能性をもった人間が自分と考えても、気持ち悪い だろうし、受け入れ難いだろうからな。 しかし殺人の可能性は人類に可能性としてある訳だから、
人間が人間性を失うとい うのはどうなのだろうか?逆に殺人を出来るからこその人間だとした場合、人間性 うんぬんは単なる切断回避的な常人と殺人者の区別化でしかない。 しかも罰するだけであって、やはり何処にもいけない理由はない。

といっても、お前のような思考の持ち主は自分の意見絶対派だろうから、少なくと も噛み合わないだけの水掛け論だろうな。
560考える名無しさん:2006/02/14(火) 23:28:13
>>524
>おまえは自分自身が人を殺すことは「絶対ありえない」と言い、
>相手を殺さなければ自分が殺される場面でも「絶対殺さない」という。
一言も言っていないのです。>>523はこのように読み取られる内容だったか?
殺さなきゃ殺されるなら殺しますよ。私は。
561考える名無しさん:2006/02/14(火) 23:32:57
生きたかったのに死んだ人はたくさんいる

生きてても死んだ目をした奴もたくさんいる
562考える名無しさん:2006/02/14(火) 23:56:26


みんなが【自慰史観】に【汚染】されたきっかけは?
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1139806964/


教えてください

563考える名無しさん:2006/02/14(火) 23:56:30
>>561
死んだ目をした自分の話してど〜するw
564554:2006/02/15(水) 05:59:09
>>559
お応えをありがとう。では質問。
「魔女裁判」「異端審問」これの意義とは如何に?これがあったから今の歴史や宗 教観や法律があるという意義があったとしても、現在にそれをしようとするものは 滅多にいない。
礼としては極端だが、そういう意味での古い。
君の「古い」に対する考えはわかった。しかし例にある「魔女裁判」や「異端審問」はキリスト教的な世界観の中での話に過ぎない。宗教が相対化されていない時代の話、だと思うがどうか?
現在は、キリスト教から仏教に信仰心を移しても、「悪」として裁判をかけられることは無い。「魔女裁判」「異端審問」の古さとは、その中での「勧善懲悪」が古いのではなく、「悪」の定義に「古さ」があるものと考えられるがどうか?

>「いけない」というのは絶対的な抑止にならなければ意味のない言葉であり、「罰が
あるからいけない」というのは、「殺人はいけない」に繋がらない。
>可能性があると書いたただけで、明言はしていない。
この文は意味がとりづらかった。が、「絶対という観念」を万人は持っているが、「絶対の内容」は「〜氏にとっての絶対」でしかない、可能性は高い。つまり殺人者にとっての「絶対に許せない」気持ちでしかないと考えられる。
ではこの部分における、君が言う「絶対的」の「可能性」とは何だ?
>あと「報復殺人を容認」とは、絶対的正しさと優しさと愛にそれを感じたなら、 お前がそれを正しいと思っただけでは?
俺の心情からすれば、「報復殺人」は「絶対的に正しい」とは思えない。が、「敵討ち」「仇討ち」などという「殺人」が認められていた時代のあることを考えれば、そこには「確かな愛憎」があったのだろう事ぐらいの想像はつく。
だが、「愛憎」は「仇」と故人に向けられる遺族の思い出しかなく、「仇」に愛を寄せる仇の家族にはまったく関係の無い「憎」ではないだろうか?
まあ君の言うように、「報復殺人」というのは俺の思い付ではある。言いたいのは、君も予感しているように「絶対的」と言うものに、万人を納得させ得る力は「現代」の現状ではありえそうも無い、ということだ。
565554:2006/02/15(水) 06:02:31
>法を破ったら罰を受けるのが約束であるが、それでもいいから殺人はしても構わな いと思うような、罰を受けてもいいと思う人間に殺人をしてはならないと言えるの か?
こういう人間が詭弁的でない、などというのはどういう根拠なのか?まぎれも無く詭弁であるように思える。
社会生活を営む上での最低限のルールは「ルールを守る事」ではないのか?
「罰を受けるというルールに従う」から「『人殺しはいけない』という禁を破る」という彼に対し、誰であっても彼に尚お「ルールは守れ!」と言えない理由はどこにも無い。
彼はルールを破ろうとしている者になんら誤認はないだろう。「だからといってそうではない訳ではない」ことはない。まぎれもなく彼の言は詭弁に他ならない。
>逆に殺人を出来るからこその人間だとした場合
この意味が全くわからん。君に自分の主張が整理できていない感じを受ける。
なぜ、これが「人間の定義」に足るのか?人間には動物と違い様々な「感情」がある。「本能的に死を嫌う」事は人間ではないのか?
例えばライオンは、「新たに群れのボスになった際、前のボスの子どもを殺し、その母ライオンに自分の子を産ませる」。「ライオンの子殺し」という現象であり、雄ライオンに特徴的に見受けられる。
では人間は。「男が離婚者と再婚した際、前夫の子どもを殺す」か?そこで殺せるのが人間なのか?「殺人をできるからこその人間」ということの意味がわからない。
殺人を起す衝動に駆られた時、人間は思いとどまることができる。これは人間の定義にそぐわないか?
つまり「人間には理性がある」。君は人が人を殺す場合をどのように捉えているのだ?
566554:2006/02/15(水) 06:03:45
「理性」をもって人を殺す。この可能性は確かにあるだろう。俺なりに整理するならば、議論の余地が残されているとすればむしろ「「理性」による殺人について」ではないだろうか?
例えば、「理性殺人」の大きなテーマとなりうるのは「戦争」。個人レベルでいえば、正気の沙汰で殺人を犯すケース。どういったケースがありうるのか具体的には、今は思いつかない。
だが単に「殺人を出来るからこその人間」としてしまうのは論外だと思うが?

>人間性 うんぬんは単なる切断回避的な常人と殺人者の区別化でしかない
ここに問題があるのであればそれは何か?
俺の論から言えば、常人と殺人者との単なる「区別化」だけではなく「差別化」を図ることに意味があるのだが?

>といっても、お前のような思考の持ち主は自分の意見絶対派だろうから、少なくと も噛み合わないだけの水掛け論だろうな。
俺は君を納得させようとは思っていない。故に結局水掛け論になったとしても俺自身が納得したいだけ。自分の意見が絶対だとも思っていない。それを君に押し付ける気もない。
むしろ人の考えを知りたい。教えて欲しい。だから君に質問している。故に俺としては君の明確な考えを教えて欲しいだけだ。
567考える名無しさん:2006/02/15(水) 10:05:54
「理性による殺人」?
理性なんて感情や本能があって、初めて存在するだろうに
どんな物を考えてるんだ?
568考える名無しさん:2006/02/15(水) 11:09:09
人を殺してもいけなく無い場合という反例があがっているのに
命題をかえない 哲学板なんて意味があるの。
569考える名無しさん:2006/02/15(水) 13:15:55
>>568
あのね、倫理的な主張って言うのは普通すべて、
「この禁止に優先するような特別の理由がない限り・・・」っていう限定つきなの。
その程度のことも分からない人は、議論の相手にもされないわけ。
570考える名無しさん:2006/02/15(水) 17:04:55
私が誤っておりました。
ここが 倫理板とは気がつきませんでした。
571考える名無しさん:2006/02/15(水) 19:15:41
>>564
>「殺人をできるからこその人間」ということの意味がわからない。

殺人罪の無い国って恐らく無いよね
なんでわざわざ法律で罰則を決めるかって言ったら
する人間がいるから、だろ?
つまり人間は同じ人間を殺す生き物だって事だ
実際に殺す殺さないにかかわらず、そういう生き物であるってことだろ?

>正気の沙汰で殺人を犯すケース。
逆は狂気の沙汰で殺人を犯すケースだろうか
多くの場合、殺人を犯すのはそれが合理的だから、ではないだろうか
理性の細かい定義が俺にはどうにも分かりかねるが
「推論・論証的能力としての理性」として考えるならば
つまり殺人によって引き起こされる事象が予想出来
その予想が一般性を欠いた物でなければ良い、ということになるだろう

死ぬとは思わなかった、とかほざく馬鹿や薬物使用、精神的疾患を持つ人間
後は感情的になって、とか必死に抵抗した結果辺りだろうか、明らかに理性的でないのは
それ以外の、例えば金銭目当てだったりするのは十分理性的なものじゃないのかなぁ
572考える名無しさん:2006/02/15(水) 19:38:16
>>571
ポルポトって知ってる?
573考える名無しさん:2006/02/15(水) 19:38:47
>>571
スターリンって知ってる?
574考える名無しさん:2006/02/15(水) 19:56:06
>1
自分で考えなさい。坊さんにでもなって悟ればわかるんじゃね?
575考える名無しさん:2006/02/15(水) 20:04:51
だからさ、好きで人を殺す人なんていねえっての!!
576考える名無しさん:2006/02/15(水) 20:23:23
少数だが快楽殺人者はいる。
誰の中にもそういう部分はあるのかもしれない。
だからこそ殺さないという意志が必要なのではないかな。
577考える名無しさん:2006/02/15(水) 20:26:26
少数に拘泥しすぎると社会から乖離する。
哲学と文学の「癖」。
578考える名無しさん:2006/02/15(水) 21:27:39
>554
自分至上主義のような畳み掛けだな、俺は何も規定していないのだが何時の間にかそれだけと決定されてるしな。俺の文章の殆どは可能性の示唆と、単に言語的な絶対を使った他者の絶対感しか書いていない筈。まぁ確かに文章としては弱くなるな。
返信は長過ぎて面倒だから、そこは勝手にお前が考えるようにそう思っててくれ構わない。俺の説明力が低いのもあるかも知れないが、言葉端しか取れん奴に何度説明しても、疑問疑問だと思う。
そんな事よりも思ったんだが

>例えば、彼女が強姦被害を受けており、その犯人を彼氏が殺す。この場合、彼氏は殺人罪。強姦犯は強姦罪だが、強姦者は、彼氏の人間性を失わせた人間であるから、その点についてもさらに罰っすると言うもの。
これは例えば道端で肩がぶつかっただけで起きた殺人を、加害者に殺意を抱かせた被害者が悪いとする論なのか?更には不倫した夫に離婚を申し込んだ妻が夫に殺された場合、離婚を申し込んで怒らせて人間性を
破壊した妻が悪いという事なのか?
思いっきり「殺人擁護」論になる訳だが、この場合はどうなんだ?
579考える名無しさん:2006/02/15(水) 21:41:44
なんで
何故人を殺してはいけないのか?
と質問してはいけないのか
580考える名無しさん:2006/02/15(水) 21:50:42
決闘みたいに互いの合意のもとで自分の生命も投げ出し人を殺すのなら是認できると思う。
581考える名無しさん:2006/02/15(水) 22:12:17
人は殺しちゃいけないなんて教わったことねーよ。
殺したらどうなるかは知ってるけど。
582考える名無しさん:2006/02/15(水) 22:45:16
社会が困るからが一点目に挙げられる。
583考える名無しさん:2006/02/15(水) 23:07:28
>>581
教わったことないの!
「ゆとり教育」みなおさなければダメじゃん。
584考える名無しさん:2006/02/15(水) 23:21:39
>>579
なんでいいのか?
585考える名無しさん:2006/02/15(水) 23:59:51
学校で教わったことはないな。親からは教わったが。まあそんなんは親特有の詭弁だし。
道徳の授業で、もしも小児のヒトラーが目の前に居たら殺すかって議論があったけど、
教師も断定するような物言いはしなかった。
586考える名無しさん:2006/02/16(木) 00:19:26
俺も人を殺してはいけない理由を教わった記憶がないな。
つーか、なぜ人を殺してはいけないのか?と聞くと
そう聞いた事事態が悪いと思われてしまうんだよなー。
純粋な質問だと俺は思うのにさ。
587554:2006/02/16(木) 00:19:30
>>571返信感謝します。では質問。
>殺人罪の無い国って恐らく無いよね
>なんでわざわざ法律で罰則を決めるかって言ったら
>する人間がいるから、だろ?
>つまり人間は同じ人間を殺す生き物だって事だ
>実際に殺す殺さないにかかわらず、そういう生き物であるってことだろ?
しかしこの日本でも、殺人を犯さない人間が多数を占める。
おそらく全世界的に見ても、人口増加が進むこの現状を考えれば、殺人をしない人間の方が多いと思う。
では、「人間は同じ人間を殺す生き物」ならば、「なぜどの国も殺人を禁止、殺人を容認しないんだ?」

>それ以外の、例えば金銭目当てだったりするのは十分理性的なものじゃないのかなぁ
それ以外に殺人のケースがあるか?俺の論から言うと、殺人とは「理性を失った人間の犯す行為」だと思える。
つまり、散々言ってる「人間性」についてになるんだが、「人間性」とは「理性」だと思えるのだがどうだろう?
金が目当てであれば、金を取って逃げればいい。金を取るために人を殺すというのは、金目当てなのか?そういうのを「金に目がくらむ」、「金に心を囚われている」んじゃないか?
理性とは「推論・論証的能力」だけではないと考える。いわば「意識」である。つまり「狂気」ではない。目はくらまない。「明確なる意思」であるとすればどうか?
それが、俺のいう「人間性」、つまり本能的な欲求に逆らうものなんだが。今論証すると頗るながくなるので省略させて欲しいが…。
588554:2006/02/16(木) 01:13:20
>>578
誰の考えであれ、言葉でしか伝わらないのだから、言いたいことは正確に言葉に乗せてくれなければ俺には到底君の本当の考えを理解することはできない。
言葉端でしか俺が理解していないと、思うのなら、君が自分の考えを言葉端でしか伝えられていない、ということだ。そうでなければ、疑問にも答えられるはず。
しかし返信は感謝する。
さて、君の質問についてだが。

>例えば、彼女が強姦被害を受けており、その犯人を彼氏が殺す。この場合、彼氏は殺人罪。強姦犯は強姦罪だが、強姦者は、彼氏の人間性を失わせた人間であるから、その点についてもさらに罰っすると言うもの。
>これは例えば道端で肩がぶつかっただけで起きた殺人を、加害者に殺意を抱かせた被害者が悪いとする論なのか?更には不倫した夫に離婚を申し込んだ妻が夫に殺された場合、離婚を申し込んで怒らせて人間性を
>破壊した妻が悪いという事なのか?
>思いっきり「殺人擁護」論になる訳だが、この場合はどうなんだ?
まず「人間性」を重視している論だと言う事は言っておきたい。還元すればそれは「理性」だ。「加害者に殺意を抱かせた被害者が悪いとする論」ではない。
「加害者に殺意を抱かせた被害者も悪いとする論」である。
君の例だから、俺の勝手な解釈ともなるが、「道端で肩がぶつかっただけ」とはいうが、「殺意を芽生えさせる」ほどの「肩の接触」というのは、恐らくそこに「悪意」があったのではないか?と疑えてしまうのだがどうだろう。
「殺意が芽生える」とはどういうことなのか、をまず考えなくてはならないだろう。
589554:2006/02/16(木) 01:14:47
>>578
また同様に、「不倫した夫に離婚を申し込んだ妻が夫に殺された」という例だが、「離婚を申し込んで怒らせた」というところに「(夫の)人間性を破壊した妻」がいる、
のであれば、そのケースとは具体的にどのようなケースなのか?これも勝手な解釈となるが、おそらく、修羅場も修羅場、言い合いになっていることは間違いないんじゃなかろうか?
言い合いにならず、突然殺人が起こったとしても、夫婦の仲での問題が積もりに積もり、殺人にまで発展した、というのであれば、想像以上の問題がそこにあるのではないか?
その上で、妻のなんらかの言動に対して夫が切れたのだとすれば、妻は悪い。が、夫婦間のこと故、妻を起こらせた夫の言動というのもあったのではないか?と疑える。であれば夫は当然、さらになお悪いことになる。

要は、殺人が起こる前には、殺人が起こるだけの「何か」が起こっているはずと考えるわけ。まずはその「何か」が、問題であるとする。
殺人が悪いのは、「何か」が踏まえられるからだと考えるのだ。少なくとも、俺の勝手な解釈には違いないが、この例で言えば、
殺人が起こる前に、殺人者にはそれだけのことをする理由がある。「何か」は明らかにいままでの平安に傷をつけた最初である。
理由なしに殺人はしないだろう。しかし、俺はその理由を問題としている。そこに「理性的な判断」があったか否かという問題だ。
多くは、「頭にきた」など感情的な衝動によって、相手に撲りかかるだろう。理性的な判断があればどうなっていたか。
その理性を失わせた人物がいるとすれば、その人物はもちろん悪い。しかし、自らの「理性」を保てなかった、殺人者は極悪である。
なぜなら、「理性を失わせた人物は、理性を失わせようと思って、彼の理性を失わせたわけではない可能性がある」(可能性の問題が残される)からだ。
しかし、殺人の俺の定義で言えば、「殺人者が理性を失い殺人を犯したという事実だけは紛れもない事実」であるり「現実」だ。
「殺人擁護」論ではない。
殺人に至る過程に、「殺人者になる前の人間の平安の破壊」があり得る、という意味で、君の例で言えば「被害者」も悪い、ということである。
590考える名無しさん:2006/02/16(木) 01:18:59
殺していいと思うのは俺だけ?

倫理に普遍性はないから(というか倫理など所詮あとづけの存在)
『〜してはいけない』『〜するべき』というのは単なる刷り込みかと
591554:2006/02/16(木) 01:46:16
>>590
倫理は「『〜してはいけない』『〜するべき』という」ものではない。道徳もそういうものではないよ。
すり込みなんかでもないよ。一人一人が考えてみることだよ。
なぜ「殺していい」と思うんだい?
592考える名無しさん:2006/02/16(木) 17:54:03
>554
で、それは結局感情論で「人間性の破壊」とやらを決めましょうという事なのか?それに脳内保管も多過ぎはしないか?本当に軽く肩がぶつかっただけでも殺人は起こるだろうし、自分の不倫に口出ししただけで妻を殺す夫もいるだろうし、
見た目が醜くて気持ち悪いからだけで殺人は怒るし、愛しているから取られたくない一心で殺人も起こるだろう。
複雑な理由などなく、ただ相手の存在が不快だから殺す。これらは人間性の破壊論では不快にさせた相手が悪いとしか見えない。
で、被害者も悪いとなる訳だが。では加害者の殺人罪には減刑されたり情状酌量の余地が生まれるのだろうか?強姦犯が殺された場合は、強姦罪と人間性破壊罪?が付加されるのだから、人間性破壊罪を持つ被害者を殺した加害者の罪は
通常の殺人罪より、人間性破壊をした被害者も悪い殺人なら罪は軽くなるのか?そういう意味で「殺人擁護」論に見えたんだが。

でと、関係ないのだが、例えば数学の文章問題の意味を読み取れずに間違いをする者が居たとする。これは文章の意味する所、詰まる所の言葉端しか捉えていないとも言える。何が表したいかというと、文章が正確でも捉えるもの次第と
いう話。俺の文章が正確とは言わないし、この話がお前の読解力の低さを指摘している訳ではないが、こういう事もあるという事だ。まぁここは無視してくれて構わない。・・返信は長過ぎて面倒と書いたんだが、答えられる筈とか書かれたから書いただけ。
593考える名無しさん:2006/02/16(木) 22:00:38
肩がぶつかっただけで殺人を犯すってのは、そいつはもともと別のことで
ストレスかかっていただろうから、やっぱそれはそいつの責任だろ。
594554:2006/02/17(金) 13:15:59
結局、こういう問題を考える場合、人間理解の問題は大きい。
>で、被害者も悪いとなる訳だが。では加害者の殺人罪には減刑されたり情状酌量の余地が生まれるのだろうか?強姦犯が殺された場合は、強姦罪と人間性破壊罪?が付加されるのだから、人間性破壊罪を持つ被害者を殺した加害者の罪は
通常の殺人罪より、人間性破壊をした被害者も悪い殺人なら罪は軽くなるのか?
死刑論(つまり刑罰としての「人殺し」について)は、君の意見はどうか知らんが、俺はこの点については肯定意見だ。そういう意味では確かに「擁護論者」かもしれない。
しかし、市井にあっての殺人には極刑をもってのぞむも然るべしと考える。なぜなら、「市井の平安」を最も深く破壊した人物」だからだ。
その上で言わせてもらうが、君のこの部分についての意見に対しては、「その通りだ」と応えたい。しかし、それであってもまず厳罰を考慮すべきであることは、俺の考えでいっても妥当だろう。

595554:2006/02/17(金) 13:16:49
>本当に軽く肩がぶつかっただけでも殺人は起こるだろうし、自分の不倫に口出ししただけで妻を殺す夫もいるだろうし、
見た目が醜くて気持ち悪いからだけで殺人は怒るし、愛しているから取られたくない一心で殺人も起こるだろう。
複雑な理由などなく、ただ相手の存在が不快だから殺す。これらは人間性の破壊論では不快にさせた相手が悪いとしか見えない。

君のこの例だが(これで君の人間観が俺には疑わしくなったのであるが)、上記のような人間に情状酌量の余地があるか?
ただ「短絡的に自分本位な人間」であるとしか写らない。「ただ相手の存在が不快だから」というのでは、相手は彼を意図的に「不快にさせた」わけではない。勝手に不快に思ってるだけじゃないか。
「ひどく自己中心的」で「他人への配慮が無い」ものと断じざる得ない。自分の不倫を棚上げしているなんていい例だ。
これでは「人間性が破壊〈された〉」とは言えない。「「自分の思い」を傷つけられたくないから(あるいは傷つけられたと思ったから)」、と言う理由で、自らの「(本来生まれつき持っている)人間性」を自ら捨てたとしかうつらない。
これら例では、まず「殺人者が相手を傷つけている」。それに殺人者自身気付いていない。肩がぶつかるというのでも、相手にぶつかっているのは殺人者も同じ。
俺が言っているのは「他人への配慮が認められる殺人」に対して、情状酌量の余地を期待できるということ。593とも同様の考え方だと思う。
596考える名無しさん :2006/02/17(金) 19:29:08
「人を殺してはいけない」と考えている人は、
将来、死刑は廃止されるべきだと考えますか?

卑劣で、残忍で、同情の余地の少ない犯罪者を
許すことが出来るでしょうか?

「死刑」は、犯罪に対して抑止力を持っていないでしょうか?
597考える名無しさん:2006/02/17(金) 19:38:28
何故、許すべきであるのか。
民主政治において、人民を大事にすることから始めるのだから、彼も人民であるから、
許されるべきところがある。
社会主義であると、社会の転覆を図ったので、許すべきでない。
以前の社会は軍部主導の社会であった。軍閥や財閥に牛耳られる集団に戻りるつもりかね。
598考える名無しさん:2006/02/17(金) 19:41:40
どうして嘘をついてはいけないのだろうか

599ソフィスト:2006/02/17(金) 20:03:50
>>598
真なることアレーテイアは偽なることよりも尊い。
真は唯一にして偽は無数にある。偽を認めれば真は覆い隠されるだろう。
それは光が闇を覆い隠すように。
600考える名無しさん :2006/02/17(金) 20:21:39
600
601593:2006/02/17(金) 22:05:29
>>594
俺が言いたいのは殺したくなったり殴りたくなったら専門家のところへ行け!
ってことだ。抑えきれずやっちまったらそいつが悪い。情状酌量の余地がある
ケースは相手が嘘をついていた場合とか相手に自分のプライドを傷つけられる
ようなことを言われたとかいう場合に多少の減刑(懲役10年を2年程度減刑
など)。加害者も被害者である場合は多少の減刑があってもよいのではない
か?もちろん殺人や暴力をやった人が悪い。自我をコントロールできなかった
人が悪い。だが、加害者も被害者であるような場合には情状酌量の余地がある
として、多少の減刑をするということがあっても良いのではないか?
というのが筆者の意見である。


強姦殺人者(A)が、被害者(B)を強姦したあと殺人した。(B)の彼氏
(C)は殺人者を探し出して殺した。このような場合、一番悪いのは(A)
である。(A)は強姦し殺人を犯した。強姦殺人者が「加害者も被害者」で
ある場合には多少の減刑もありうるがケース自体ほとんどないだろう。
次に悪いのは強姦殺人者を殺した(C)である。(C)は加害者であり被害者
である。だから情状酌量の余地があるとされ、多少の減刑を考慮すべきである
と筆者は考える。
602ファッショソ:2006/02/17(金) 22:11:54
現代は高度情報化社会だ。世間を騒がせたから、
死刑にすべきだ。
603考える名無しさん:2006/02/17(金) 23:38:47
やたら暇だったので暇つぶしに哲学板にはじめて来て、
なんか定番っぽい質問のスレがあったので見てみたんだが……なんかテンプレとか無いの?

◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない54◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1139407103/

とかはもう誰が読んでも納得だろうってのが最初に載ってるのに、
なんでこんな簡単なのに、せめて数パターンに分けての答えくらい用意されてないんだ……

お ま い ら に は ガ ッ カ リ だ (゚Д゚)
604考える名無しさん:2006/02/18(土) 10:41:53
人生の意味・価値・目的

http://www.geocities.jp/bluewhitered34/index.html
605考える名無しさん:2006/02/18(土) 16:48:11
人を殺すのは 倫理に反するから いけない。
異常、倫理板では議論終了。

哲学板では さらに究明すること。
606考える名無しさん:2006/02/18(土) 23:30:04
((((;゚Д゚)))""" ガクガクブルブル
電気用品安全法(PSE法)に対する署名サイト
http://www.jspa.gr.jp/pse/
607考える名無しさん:2006/02/20(月) 15:38:18
age
608考える名無しさん:2006/02/20(月) 16:11:24
安全保障という理由を掲げているけれど、
殺害が目的だから、
人が死ぬということ。
609考える名無しさん:2006/02/20(月) 16:33:43
人を殺したら非難される社会だってことだよ。

肉体的精神的に拘束される。

時間を奪われるって事だ
610考える名無しさん:2006/02/20(月) 20:00:09
人を殺せばペナルティを受ける可能性が高いです
ペナルティを受けた人間は子孫を残せる可能性が低いです
だから、「人を殺してはいけない」と考える人間が生き残りました
遺伝子に刻み込まれた「人を殺してはいけない」に抗えば
確実に不幸になります
だから人を殺さない方が幸せです
僕は人を殺さないし、君が幸せだと僕も幸せだから
君にも人を殺して欲しくない
結論
人を殺してはいけないわけではありません
でも、殺さないで
611考える名無しさん:2006/02/20(月) 20:56:01
ではそのペナルティーがない人間(=独裁者)なら殺しても問題ないのか?
612考える名無しさん:2006/02/20(月) 20:59:08
失脚したあと子孫が迫害され、長期的には遺伝子を残せる可能性が減りまつ。
613考える名無しさん:2006/02/20(月) 21:19:02
>>610
なかなか説得力のある説だ。
気に入った。
614考える名無しさん:2006/02/20(月) 22:39:11
>>610
>「人を殺してはいけない」と考える人間が生き残りました
この部分が疑問。

比叡山を焼き討ちにした織田信長の子孫は?
朝鮮侵略を行なった豊臣秀吉の子孫は?
みんな現代に生き残っている。無論現在の子孫は人殺しなどしていない。少なくとも事件となってない。
また「無礼打ち」が許されていた武士の子孫も途絶えていない。
かつて人殺しをしていた人間の子孫は確実に今に生きている。遺伝子は関係ないと思う。

>人を殺してはいけないわけではありません
こう考える意味もこの文では理解できない。なぜこう思う?


615考える名無しさん:2006/02/20(月) 23:19:56
>>614
物理板に答えがあったよ

なぜ、人を殺してはいけないの?物理学的に。
http://science4.2ch.net/test/read.cgi/sci/1124022745/
616考える名無しさん:2006/02/20(月) 23:22:22
もういい加減「神」の存在を認めたら?
http://science4.2ch.net/test/read.cgi/sci/1128680454/
617考える名無しさん:2006/02/20(月) 23:24:43
神の「存在」というから(ry
618考える名無しさん:2006/02/20(月) 23:26:43
619610:2006/02/20(月) 23:37:55
「人」という言い方が悪かったな
「類人猿」とかに差しかえ
いや、「仲間」がいい

過去に人間同士が殺し合った
敵同士だったからだ
人間は自分の所属コミュニティーへの貢献で幸せを感じる
敵を殺すことはいいことだ
例えそれが人間でも
大事なのは敵にならないこと
620考える名無しさん:2006/02/20(月) 23:50:14
>>610
殺人したあと自殺する人は不幸とか関係ないだろ?
そもそもそのぐらい絶望してなきゃ殺人とかしないって
そういう人に理解させる理屈求む
621554:2006/02/20(月) 23:59:09
>敵を殺すことはいいことだ
>例えそれが人間でも
>大事なのは敵にならないこと

イスラム教徒がキリスト教徒に虐殺された湾岸戦争。
キリスト教徒がイスラム教徒にテロ攻撃を受けた9.11事件。
彼らはすでに敵同士なのか?もう彼らに「幸せ」はないのか?
もし現実的にテロの驚異に脅えるような日本となれば、彼らに対して日本は何もいえないのか?
ただ単に、やられたらやった「敵」にやりかえすのか?
それで「幸せ」となるのか?

なぜ「敵を殺すことはいいこと」なんだ?矛盾しないか?
622考える名無しさん:2006/02/21(火) 00:10:59
悲しいことに現に世界はそうして回っている
敵を殺すことはいいことというのは個人レベルの話
コミュニティー間における話はしていない
623考える名無しさん:2006/02/21(火) 00:17:05
相変わらず、日本語の『いけない』と『できない』を混同している人がいるな。
殺人は物理的に『できない』わけではない、だからこそ『いけない』と禁止するわけで。

「いけない」という言葉は、誰かが誰かに禁止を要請する言葉。
要請を無視しうるかどうかは関係無い。

「殺してはいけない」と発しているのは社会。そしてそれに従わ
ない者には制裁を加える。ただそれだけのこと。これが『いけな
い』ということ。

なぜ社会がこのような要請を構成員にするかと言えば、殺人な
どの集団を乱す行為が頻発すると社会が不安定になるから。

この殺人等の行為を排除しようとする衝動はヒトの本能でもある。

ヒトのように集団を形成することで生存確率を上げてきた生物は、
仲間を攻撃する行為が頻発すると、集団の維持が難しくなるため、
これを抑制する本能が備わっている。

624考える名無しさん:2006/02/21(火) 00:18:55

生物の本来的な行動基準としては、他者の資源を容赦なく奪い、自己を際限なく
増やしていこうとするのが本来の姿であろう。

ところが人間をはじめ、群れることで生存確率を上げてきた生物は基本的にはこ
れをしない。仲間内で奪いあうと群れが維持できないからだ。逆にお互い助け合う
こと で淘汰をくぐり抜けてきた。

ヒトのこの群れを維持しようとする行動様式こそが、人間の価値観でいうところの
「善」なのである。我々の先祖が進化の過程でたまたま身に付けたもので、この
『善なる行動様式』を身につけることで厳しい淘汰を生き抜くことができたのである。

もちろん略奪や殺し合いも幾度となく行われてきたが、これも人間を滅ぼすには
とても十分ではなく、大局的に見れば些細なものでしかなかった。今現在、人間
が生き残っていること自体が人間が善であることの証明と言ってもいい。

本来「善」であるからこそ、他人の物を奪うなどの”生物として当たり前の行動”
が、「悪」として感じられるに過ぎないのである。

625考える名無しさん:2006/02/21(火) 00:19:26

この観点から考えても、「万人の万人に対する闘争」を「社会契約」により
終了させる話は、生物の歴史の一面を比喩的に表現した話だろう。

ただ、これが行われた時期としては、原始人の時代当たりを連想してしま
いがちだが、実際はもっと古く、無脊椎動物が群生し始めた時期、あるいは
単細胞生物がコロニーを造り多細胞生物へと形態を変えていく時期まで
遡るのだろう。

626554:2006/02/21(火) 00:23:03
>>622
>敵を殺すことはいいこと

それならば、単に君個人がそう「思いたい」だけということだな。
そうだと信じたいのが君だろう。
627考える名無しさん:2006/02/21(火) 00:30:50
コミュニティーの定義には個人差がある
人類皆仲間だと思う人は当然殺人全てが許されない
僕もそういう気持ちがあるので殺人はいけないと思う

現に世界では敵を殺すことは良いことになっている地域があるのだ
そうじゃなきゃどうしてあんなに戦争で人が死ぬんだ?
628554:2006/02/21(火) 00:36:57
>>623-625
同意。
>この群れを維持しようとする行動様式こそが、人間の価値観でいうところの「善」なのである。
この部分は、「群れ」にとどまらず、「目の前の個人」に対してであっても言える。ひいては「己自身」ともなる。

>本来「善」であるからこそ、他人の物を奪うなどの”生物として当たり前の行動”
>が、「悪」として感じられるに過ぎないのである。
俺はこう「感じる」主体「己自身」についてを論じていた、つもり。

ただきみの625の後半についてはわからない。
629554:2006/02/21(火) 00:43:45
>>627
個人的な「仲間意識」や「気持ち」の問題ではないんだよ。
すくなくとも哲学板だからね。
君の論で考えれば、「全人類が仲間だとは思っていない地域がある」んだろうね。
だいたいは宗教意識の中でも過度な原理主義が問題なんだろう。
630考える名無しさん:2006/02/21(火) 00:53:02
仲間意識も大事だし
個人の感情抜いたら何を基準に議論すりゃいいのよ?
631考える名無しさん:2006/02/21(火) 01:04:22
>>628
どういう行為をヒトが善(悪)と認識するかを考えれば、

 【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
 【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為

ヒトのように、群れることによって生存確率を上げてきた生物にとっては、
群れを維持する為の本能を獲得している。その本能の表れとして、群れ
の秩序を乱す行為を【悪】というふうにネガティブな反応を示し、逆を【善】
とポジティブに捉える。この感情(回路)、価値基準こそが善悪の本質で、
生き残りのための強力なツール(戦略)となった。

実は、この戦略はこれより遥か昔にも採用された実績がある。

いわゆる身体の免疫作用がこれにあたる。免疫は、体外からの侵入物に
は攻撃を加えるが、体内の細胞(仲間)は攻撃しない。

乱暴に言えば、単細胞で分裂で増殖していくのが、本当の意味での生物。

その生物がやがて群生して群体を作り、自らで、自分たちの生存しやすい
環境をつくるようになった。そして、しだいにその中でも役割分担が出来てき
て運動できるようになり、共同で”分裂の材料となる有機物”を摂取(補食)し
たり出来るようになった。

いったん、そういった性質を持った生物が発生すると、資源がその種の生物
に集まるために、その数を増やして繁栄し種類(群生の形態)も増えていった。 

このように、スケールが異なる世界でも同じ方法論が採用されている。という
よりも、生き残るためには、結局同じ戦略に収斂せざるを得ないのである。

「仲間を殺してはいけない」 我々にはこれが『神』から宿命づけられている
632考える名無しさん:2006/02/21(火) 01:11:02
たった一人で生きていこうとすれば、人は獣か神になるしかない
                             ニーチェ
633554:2006/02/21(火) 01:40:24
>>631
勉強になりました。俺の考えとも矛盾しないです。
ご専攻は何ですか?
634考える名無しさん:2006/02/21(火) 01:52:05
>>633
ども。
恥ずかしいが、単純なのでそういわれると素直にうれしい。

学生時代の専攻は物理だったけど、今は・・・・。まあ、聞かないでくれ。
ちなみに妹が同じ大学の生物学科だったので、ちょっと影響受けた。
635554:2006/02/21(火) 02:20:31
>>634
まだ勉強は続けてるんですか。まあ専攻を変えたということですかね。
答えづらいところありがとうございます。
636考える名無しさん:2006/02/21(火) 11:28:43
人を殺すDNAを持つ種が現在まで生き残っている。
それが、種のサバイバル原理。
人を殺さない種は、既に絶滅している。
637考える名無しさん:2006/02/21(火) 12:00:55
生体を構成する物質でしかないDNAが意識を司っているように誤解させるトンデモにだまされてはいけない。

キリスト教系トンデモ:俺たちは粘土に支配されているんだよ!何だってー!!!
科学系トンデモ:俺たちはDNAに支配されているんだよ!何だってー!!!

↑この二つはどこが違う?
638考える名無しさん:2006/02/21(火) 12:08:38
>637
左の頬を打たれ、右の頬を出した種は、既に絶滅しているのです。
639考える名無しさん:2006/02/21(火) 14:13:02
倫理の重要な性質は「遡及適用が可能である」点である。(一方法律は不可である。)
倫理の遡及適用とは「反省」や「後悔」などのことであるが、これが無い場合は倫理とは呼ばない。
「俺はあのとき人を殺したがそのときは殺してはいけないと思っていなかったから今の価値観であのときの俺を裁くのは酷だ」
といえるはずがあろうか?

640考える名無しさん:2006/02/21(火) 14:42:53
>>636
>人を殺さない種は、既に絶滅している。

ペンギンが人を殺したって話は、聞いた事が無い。
641考える名無しさん:2006/02/21(火) 15:26:42
>>639
それ、面白い論点だと思うんだけれど、そこを強調して書いている哲学者は誰?
642考える名無しさん:2006/02/21(火) 16:19:29
>>640
人を殺さない「人の種」のことだよ。
大昔、人を殺せる「人の種」と、人を殺せない「人の種」がおりました。
前者の子孫が、現在の「人の種」。
後者の「人の種」は絶滅しました。
643考える名無しさん:2006/02/21(火) 16:44:56
ネアンデルタール人?
644考える名無しさん:2006/02/21(火) 16:59:24
ホモ・サピエンスの中での、目には見えない区分だよ〜〜
つまり、現代人は、みんな、人を殺せる「人の種」の子孫。
人をあやめることができない「人の種」は、すでに滅びた。
645考える名無しさん:2006/02/21(火) 17:01:43
それは、どうやって実証されたの?
646考える名無しさん:2006/02/21(火) 17:16:18
>645
検証1.ホモ・サピエンスは、いざとなったら、自分の身を守るためにだけ以上に人をあやめる。
検証2.人をたくさんあやめた人の種/(民族の一部)の子孫が圧倒的に多く生き残っている。
検証3.人を殺せない「人の種」が実在したかは、既に絶滅しているため、検証不可。
647考える名無しさん:2006/02/21(火) 17:56:35
>>646
明らかに悪魔の証明なわけですが。
648考える名無しさん:2006/02/21(火) 18:16:39
論がずれてきている
もうある程度の結論が出てますので
このスレはとりあえずはここで終了ということでどうでしょう。
これまでのレスを読めば大方の疑問に対する答えがあると思います。
ということで
               終了
649考える名無しさん:2006/02/21(火) 18:34:11
最近よく「悪魔の証明」がどうこうという香具師がいるんだが、
何か有名になった本でもあるのか?
650考える名無しさん:2006/02/21(火) 19:36:42
>649
今、自民と民主の間でやりあってるよ
651考える名無しさん:2006/02/21(火) 20:01:10
人殺しは、ウンコより汚いから、良くないです。
652考える名無しさん:2006/02/21(火) 20:10:33
汚いことが好きな、
ウンコ
653考える名無しさん:2006/02/21(火) 20:54:06
人種の区分って難しいんだよね。
確定的な説ってあるの?
654考える名無しさん:2006/02/21(火) 20:57:21
>653
だから、人を殺さない「人の種」と、人を殺せる「人の種」の2区分
655考える名無しさん:2006/02/21(火) 21:02:18
>>654
お前もしや「身の危険を感じれば殺せ」説の人か?

>>641
思いつきを書いただけですので恐縮ながら全く存じません。
656654:2006/02/21(火) 21:05:42
>655
俺は、ただ、殺されかかっている人を見て見ぬふりだけはできない、偽善者にすぎません。
657考える名無しさん:2006/02/21(火) 21:34:29

           糸冬  了
658考える名無しさん:2006/02/21(火) 21:38:13
>>655
いい思い付きだと思う。
659考える名無しさん:2006/02/21(火) 22:31:37
>>636

他を殺してでも欲しいものを手に入れる、 というのは実はもっと原始的な本能。

だが、群れを作る段になると、この本能が邪魔になる。だから「この本能を抑制
する本能」が集団化して生存率を上げる過程で必要になった。

ただ、資源が少ない状況では有能な個体に集中させたほうが、より有利に種を
残せるので、「『仲間殺しの抑制』を抑制」した方が有利な局面では、この回路の
切り替えもある。

660考える名無しさん:2006/02/22(水) 00:27:27
そういえば何をどうすれば「殺してはいけない」と言えるんだ?
社会的な不利益という理由もそう考える人にはそれで十分だと思うし

それとも「殺して良い」という状況が完全に否定され無いと駄目なのか?
661考える名無しさん:2006/02/22(水) 02:21:50
前レスを読め
      終了       終了      終了
            
            糸冬     了
662考える名無しさん:2006/02/22(水) 07:48:54
なんか法律の話が出てたみたいだね。
僕も法律はすっからかんなんだけど、 どうも重要なテーマにも思える。

確かに憲法では人を殺すなとは 明記されてない。
でも、人権は保護されているんだよね?

人権の中でも最も守らないといけないものって
自分達の平等、表現の自由、自分の財産 とかじゃなくて人の命じゃない?

生命こそが人間にとって最も大切なものだから、
生命に関しても、人権が保護されているはず。
そのため、いかなる人間も奪うことは出来ない。 ってことになると思う。

だから仮に刑法から「殺人罪」が消えたところで、
どういう刑罰を行うか、ってのが無くなってしまうだけであって、
実質的には憲法の観点からしてもやっては いけないことにはなるのでは...。

でも「そんなことより法律を抜かせ。」って言われると、
今話したことは、まったくの無意味になっちゃうんだけれど...。

でも、やっぱり現段階で法律ってのがある以上は
それ自身を否定しない限り、「人を殺していい」って話を
これ以上広めることって出来ないと思う。

法律を抜かす話をしたところで、 「じゃあ盗むことは〜」って話から、
「人を誘拐することは〜」 って話もどうしていけないか、
わざわざ1から考えなくちゃいけなくなる。 (考えなくてもいいけど)

いま話していることって、
そういう話にも近づいてしまう恐れがあるから...。
663考える名無しさん:2006/02/22(水) 14:22:49
「生存に有利だから殺さない」という説(これを生存功利説と呼ぼう)について質問。

・生存に有利なものと不利なものの区別はどうするのか?
(例えば「強姦は集団が危険なときには子孫の生存に有利となる本能なので推奨される」という命題をどう否定するか)

・「生存に有利かどうか」とは行為功利主義でとらえるのか規則功利主義でとらえるのか?
(例えば戦争は略奪で利益が得られるから善か?それとも悪か?)

・生存に有利な策をとった集団Aと不利な策をとった集団Bが存在してAが生き残りBが死滅したとするならそのB集団が実在するはずだが、それはたしかか?

・個人では生存に有利かどうかなど頭にないと思われるが、この判断をしている主体は何だ?

・倫理は全て生存に有利=善、不利=悪に還元できるか?
664考える名無しさん:2006/02/22(水) 17:04:30
>>663
まず「生存」をどうとらえているのか。
考慮されていれば自ずと判断がつく。要するに人権の問題に関わるわけだが。
663は「生存」と「人権」、さらには「人間」についての考察が欠如した質問だ。
「人間」理解が十分であれば663のような「主体」の問題は出てこない。
しかもこれまでにも議論されてきていた内容だ。
665636:2006/02/22(水) 17:38:39
>>659
稀少性の問題は、どの時代でも残る。
だからこそ殺戮が起こる。
そして、「人を殺すDNAを持つ種のDNA」が蔓延していく。
人を殺さない「人の種」は、既に淘汰され済みであることから、
人を殺す「人の種」が跋扈している。
たまに、先祖がえりで、人を殺さない「人の種」が産まれるが、
これは即、社会的、経済的に淘汰される。

これが、現代のありようのすべて。

666考える名無しさん:2006/02/22(水) 17:53:50
問題は人を殺すことによって殺したやつが一番求めているものに出会えたかだ。
人を殺すことによって自分が一番求めているものに出会える
という根拠がない。
だから、人を殺すことにも殺さないことにも執着しなければいいんだ。
これは仏教でいう中道の考えだ。
667wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/22(水) 18:28:23
日本は、ベトナム戦争に直接的には参戦しなかった。
しかし、米軍後方支援はした。
さて、日本人は、ベトナムにおける戦争で死んだ民間人と無縁でありえたのか?
直接、手をくだすか、無意識に殺人を支援/看過するか、には根本的な差異は無い。
668考える名無しさん:2006/02/22(水) 18:47:01
日本は米軍に従わざる終えなかったんだ。
そうしなければ、他国に侵略されて自分たちが殺されてしまう。
自分が殺されるのに他の人を殺さないバカがどこにいるか。
しかし、ここで大事なのはアメリカに対して戦争を起こしても
いいことはないかもしれないよと助言ぐらいするべきである。
それでも戦争をするのなら、仕方がなく戦争し、敵を殲滅するまでだ。
669wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/22(水) 18:49:43
>668
<ここで大事なのはアメリカに対して戦争を起こしても
いいことはないかもしれないよと助言ぐらいするべきである。>

今の日本政府/議会が、米国に対し、どんな助言をしている?

670考える名無しさん:2006/02/22(水) 20:17:37
狭義においては自分及び周囲の人間を守るため
広義においては、治安を安定させるため。
大多数は、それで納得するが、中には納得できない者もいる。
それだけの話であり、哲学的な問いでも何でもない。
671考える名無しさん:2006/02/22(水) 20:28:01
じゃあ、当たり前のことを取り去ってみたら。
ついでに、おまえも取り去ったらどうだ。
672考える名無しさん:2006/02/22(水) 20:57:35
「人間としての問い」が成立しなくなる。
つまり、哲学的な問いではなく、人間的な問いに過ぎないということだ。
哲学は人間学ではない。
673考える名無しさん:2006/02/22(水) 20:59:23
>>672
じゃ何だよ哲学って?
674考える名無しさん:2006/02/22(水) 21:02:42
現象学的存在論(ハイデガー)
言語批判(ウィトゲンシュタイン)
675考える名無しさん:2006/02/22(水) 21:07:26
>>1
そういう時代だからとしか言い様が無い。
原始人は殺したければ殺してただろう。
盗んじゃいけない等と同じで社会を円滑に回すために
発明された道徳。
676考える名無しさん:2006/02/22(水) 21:14:30
>>1
じゃあ、作っては駄目だね
677考える名無しさん:2006/02/22(水) 21:17:22
答えは出ているんだから議論すんなよ
678考える名無しさん:2006/02/22(水) 21:19:06
>673
哲学と倫理学を混同しないのって難しいよな
679考える名無しさん:2006/02/22(水) 21:25:47
>>678
何学だろうが正答であることが優先順位の第一
哲学は結果的にそれを正答とするしかない
680考える名無しさん:2006/02/22(水) 22:08:46
おいおい話題間違えていないか
681考える名無しさん:2006/02/22(水) 22:46:20
ぜんぜんまちがえてない
682spitzer:2006/02/22(水) 23:20:33
じゃあ人を殺しちゃいけないもっともな理由を言えよ。
683考える名無しさん:2006/02/23(木) 00:09:12
>>682
「人は殺していい」←これが正答、スレタイの設定には誤りがある。

まず現実から検証してみる。
国連は殺人を決議してよい機関であり、その実績もある。
国家も殺人を決議してよい機関であり、実績だらけ。
個人もまた「人は殺してよい」と考えそれを実行した実績で溢れてる。

かかる事実をみると人間は「人を殺してよい」と考えている、と解釈
するほうが合理的である。
「いけない」のに「やってる」というより、「よい」が「あまりやってない」
ということだ。

次にスレタイの文言を検証してみる。
「人を殺してはいけない」となっているが、人は一人でも人であるから
スレタイの主旨は=「一人でも」殺してはいけないということになる。

しかし、その主張は誰からも「無く」 どこにも「無い」。
つまり誰一人主張していない(存在しない)主張、問題なのだ。

従って、「どうして」人を殺してはいけない「のですか?」の問いは
成立しない。成立させるには「(誰ひとり)人を殺してはいけない」の
主張を誰かが始めなければならないわけだが、無いもんは無いw

おれにはおまいらがなんで本スレ文言にそって論議をしてるかが
理解できない。以上。
684考える名無しさん:2006/02/23(木) 02:15:15
685考える名無しさん:2006/02/23(木) 04:02:19
>>683は始から読み直してみてみたほうがいい。
それから自分の人生を見つめなおし始は人生哲学からでもいいから哲学したほうがいい。
まったく哲学的な考察ができていない、としか言いようが無い。
現実の検証法も間違っている。挙げられている現実は絶対的に683の現実では無いはず。
ヒントとして、「この世の多くの人間が人を殺してはいけないと言っている」と「仮定」して、
自分の考えで「人を殺していい」という理屈をこねてみな。きちんとした思考ができるなら矛盾が出てくるはずだ。
その上でこのスレを読んで、なお疑問が残るなら、まず哲学書を読む量が基本的に足りない、出直して来いとしかいえない。
686考える名無しさん:2006/02/23(木) 04:54:00
>>685
なに曖昧かつ意味不明かつ想像で捻じ曲げた推論並べてんの?

>挙げられている現実は絶対的に683の現実では無いはず。

まさに毎日報道される現実を取り上げてるし、そしてもし自分が
人を殺すことが避けられない場合にもその時は「人を殺していい
と思い、殺すだろう」現実的想像を踏まえて書いたわけだが、
それを「現実では無い」とお前に捻じ曲げられるのはおかしな話。
その評はお前のケースに適用しとけw

>「この世の多くの人間が人を殺してはいけないと言っている」と「仮定」して

馬鹿言ってんじゃね〜よw
物事の吟味は事実の分析から始まり、論理的推論でそれを検証するのが筋。
それをいきなり「仮定(思い込み)」から始めるなんて、初めから
色眼鏡かけて事実や論理を見るに等しい。
お前みたいのがヒトにてめぇの意見押し付けてそれと気付かぬ大バカを
毎日演じるのよ。いい迷惑だと知れw

なお、「哲学ど〜たら」の部分だが笑わせるなw
論理と事実に照らしその整合性を満たすのが哲学の優先課題。
寝言は寝て言え。
687spitzer:2006/02/23(木) 12:21:37
>>666の理由で十分だ。
もっと明るい話題に行けよ。
688考える名無しさん:2006/02/23(木) 15:20:14
何回もきちんと説明されているだろ。いつまで繰り返してるんだ?

>>70
死刑は人を殺してもよい例ではない。
死刑に限らず、刑罰の手段となる行為の性質に悪いという評価が加わっているから
その行使につき厳格な判断がなされる。また、行使が正当化されたとしても、
刑罰の手段となる行為の性質について、判断が変わるわけではない。

>>683
まず基本だが、死の結果をもたらす行為(以下殺人)を決定できること、
決定への承認が制度かされていることと、殺人の善悪の問題は、それぞれ違う。

誰かが殺人を実行して結果も起きたとしても、それによって当然に殺人の善悪が
決まるわけではない。683は、善悪の定義を無視して、可能であることを善とみなせば
殺人も善であると言っているに過ぎない。つまり、善悪を無視することが善であるという
主張をして、その帰結によって殺人を正当化している、単なる暴力を正当化しているに
過ぎない。暴力を原理的に正当化することは可能的であるが、それは一般的な意味に
おける論ではない。暴力は可能だから正当化する。正当化する前提で語ると宣言する
ことは論ではない。

683のようなレスは、個人的な不遇感と自己中心的な世界観から、既存の社会的関係が
維持される事実全般に漠然とした不満感をもっている人間によって書かれる。
殺人をはじめとする犯罪を減らすためには、既存の社会的関係に対する信頼が大事で
このスレの>>1が暗に前提して求める規範の解釈の確定はそれほど重要でない。

むしろ、「確定」は、規範が規範であるゆえんを破壊しようとするか、規範によって守られる
利益などどちらでもよいと考える立場の人間が強調することである。規範の大切さを理解
している人間は、規範があるかどうかとか、確定できるかどうかなどに、こだわりはしない
ものである。どちらにしても規範は必要だからだ。自分にとって必要なものを、最後まで
軽んじ通せる人間はいない。
689考える名無しさん:2006/02/23(木) 15:34:58
>>686
685はよい指摘だ。また、685の趣旨を展開したレスは、過去ログを見ればわかるが、たびたび書かれている。

>挙げられている現実は絶対的に683の現実では無いはず。
>>まさに毎日報道される現実を取り上げてるし、そしてもし自分が人を殺すことが避けられない場合にも
>その時は「人を殺していいと思い、殺すだろう」現実的想像を踏まえて書いたわけだが、

 685が言う意味の現実は、毎日報道される「現実」のことではなく、683や686のようなレスを
 書く現実のことだ。毎日報道される現実は、683にとっては、テレビを見る現実であって、
 報道されるもとになった、どこかで起きている現実ではないだろう。686が、無自覚に
 「そしてもし自分が〜」と、仮定的に書いてしまっていることも、そのあり方を示している。

 想像に「現実的」という形容をつけることで現実感を強調しようとするのは、ひどく
 観念的で想像力に欠けるふるまいに見えるのは、私だけではないだろう。
 本当に現実に直面している人(現実は「テレビを見ること」でもよい)は、
 絶対に想像に現実という形容を付けたりはしない。想像することが現実だからだ。
 「想像している」現実を忘れ、想像している内容の現実感を強調してしまうのは愚かだ。
690考える名無しさん:2006/02/23(木) 15:49:37
>>「この世の多くの人間が人を殺してはいけないと言っている」と「仮定」して
>馬鹿言ってんじゃね〜よw
>物事の吟味は事実の分析から始まり、論理的推論でそれを検証するのが筋。
>それをいきなり「仮定(思い込み)」から始めるなんて、初めから色眼鏡かけて事実や論理を見るに等しい。

 馬鹿で色眼鏡がかかっているのは君の方だろう。事実の分析をするなら、685の仮定「〜と言っている」は、
 事実に基づいている。殺人罪を規定した刑法が存在する事実、それが違憲だとか不当だとかの申し立てがない事実、
 (殺人が正当だと思っているなら、殺人を直接行うのではなく、殺人が正当だと申し立て、社会に受け入れさせてから、
 殺人を実行する方が合理的だと思わないかね? 殺人礼賛者のボクたちは)。殺人を扱ったドラマの殺人犯に対する
 登場人物の描かれ方、殺人犯が反省する描かれ方、そのような人間観が事実に反するという異議が多数見られない事実、
 どこかの政治的主体が行った殺人に対する世論の批判、親類・知人を殺された人の怒り、など、いくらでも挙げられる。

 686は、形式的に「ある結論をとらないことの方が、仮定があるより思い込みがない」と思っているようだが、
 社会が関係する問題について、社会の成員がとっている見解を仮定しないのは、成員の見解を無視して
 社会について独断で考えてやろうとすることであって、むしろ思い込みに基づいた態度だろう。

 また、686が気に入らない結論や仮定をとることと、意見を押し付けることを結び付けているが、
 まず、第一に、685と同意見の人間は、そのようには思わない。第二に、「結論・仮定をとらない」ことに
 無条件の信頼をおく態度は、大抵の人間にとって、ひどく押し付けがましい。
691考える名無しさん:2006/02/23(木) 16:15:42
それから、>>631は、単純な間違い。631の考えによれば、善悪は群れ単位で考えられ、
個体単位で行為の善悪を考えることに理由がないことになる。
しかし、善悪はそのようなものとして考えられていない。
また、群れることによって生存確立を上げてきた生物が、
群れを維持する為の本能を獲得しているという議論は、
現に成員間で殺しが発生する頻度が低いことの説明にはなるが、
個体を殺すことを禁ずる事実を説明する議論ではない。
さらに、ある小さい集団の維持にプラスになる行為として、より大きい集団の維持に
マイナスになる行為がありうるが、そのような例も説明できない。
631は、集団について全体論を絶対の前提としているが、そのような前提は取れない。

631の議論のおかしさは、自動車事故について考えると分かりやすいと思う。

自動車事故の被害の統計は、統計をとることによって知られる。
631によれば、統計が知られることによって、自動車事故の規模は、集団の維持に影響がないから、
自動車の使用は群れにとって合理的な選択だとされることになりそうだ。しかし、自動車事故の統計は、
明らかに本能的な所産ではない。そして、自動車の統計がなかったとすれば、自動車事故が集団の維持に
どの程度の影響を及ぼしているのか、全く見積もれないのだ。つまり、そもそも本能というレベルで集団の
維持にとってプラスとなる行為が判断可能だという設定には、全く根拠がない。

また、631によれば、自動車事故の規模が集団の維持に影響がないならば、自動車事故が何件起きるかに
ついて、善悪の判断が及ぶことはないはずである。
692考える名無しさん:2006/02/23(木) 16:19:29
しかし、自動車事故が集団の維持に影響のない範囲で増減していることについて、
社会的な関心を集める事実がある。これは、明らかに個体の利益の積み重なりとして
数字を見る観点から言われていることだろう。631は、一見科学的な体裁をとっているが、
実際にはかなりいかがわしい議論だ。きつい例えを出させてもらうなら、彼の善悪観は、
ナチスのそれである。
693考える名無しさん:2006/02/23(木) 16:20:58
やはり、ここは哲学板じゃなくて倫理板ですね。
694考える名無しさん:2006/02/23(木) 16:22:51
ナチス云々については、「仲間を殺してはいけない」の
「仲間」が具体的に何を指しそうか考えればいいと思う。

正直>>683>>686は、ただの馬鹿で大勢に影響しないと思うが
>>631のような考えを持つ人間が多くなってきたら(なってきているのだが…)、
本当にやばいと思う。
695考える名無しさん:2006/02/23(木) 16:24:21
>>693
そういう意味のないレッテルを張るしか能のない人には、哲学も倫理も分からないと
普通は考えられると思う。2chでは違うのかもしれないけど。
人はうんこだ
697spitzer:2006/02/23(木) 18:25:44
確かに母親のお尻から生まれるからうんこだなー。
今それに気が付いた。
698考える名無しさん:2006/02/23(木) 18:34:26
どうして人を殺してはいけないのですか?
どうしてわたしが殺してはいけないのですか?
どうしてあなたを殺してはいけないのですか?
殺してはいけない理由がわからないのでしょう?
別に殺されても構わないのでしょう?
699spitzer:2006/02/23(木) 18:58:08
誰か迷いし人々に教えてあげてくれ、私は疲れた。
700考える名無しさん:2006/02/23(木) 22:31:10
>>688
馬鹿かw

スレタイには単に「人を殺してはいけない」と「しか」書いてない。
ある殺人が「承認されている」か「いない」か等の付帯条件は「一切無い」のよ。

ところがお前は自分で勝手に付帯条件をつけ添え、付帯条件つきの設問に
スレタイを捏造したうえで、それに答えて悦に入ってるわけだが、アホかw

また善悪の問題をいうが、「善悪がなにか?」・・それが自分はわかっている
という前提で講釈を垂れてるが、だったら聞いてやるからその定義してみせよ。

         「善とは何か?」

         「悪とはなにか?」

             どうぞ
              ↓

701考える名無しさん:2006/02/23(木) 22:41:25
>>689
おれは愚かな人間だw
そうするとお前は間の抜けたゴキブリかハエになるだけの話w

>>690
ゴニョゴニョ言うのヤメて「なぜ、人を殺してはいけないの?物理学的に」
についての お前の解を書いてみせよ。話はそれからだw

>>693
倫理学は哲学板の分化した一部だ。
702考える名無しさん:2006/02/23(木) 22:45:23
>>690 訂正→「どうして人を殺してはいけないのですか?」について
703考える名無しさん:2006/02/24(金) 10:06:07
>>701
だから、倫理的に考察すると
「人を殺すことは倫理的ではないからいけない。」と
いうこと以外に何があるんだ。
こんな当たり前のこと 考えても意味はないだろ。

「人を殺してはいけない」に反例があがった時点で
矛盾しない命題を模索するのが哲学じゃないのか?
704考える名無しさん:2006/02/24(金) 10:11:38
因みに、生命は生き延びることが正義だ。
自らが生き延びる確率を最大にすることが
正義なのだ。
私の場合 これから「敵は殺すのが正義だ」というところまで
導くことができると考えている。
705考える名無しさん:2006/02/24(金) 10:34:26
>生命は生き延びることが正義だ

じゃあ生命でないものは生き延びることが正義ではないので殺してもいいんですか?
706考える名無しさん:2006/02/24(金) 10:37:21
俺は 704 でもなく、704 を同意できないが
生命でないものをどうやって殺すんだ?
と突っ込みを入れておきたいw
707考える名無しさん:2006/02/24(金) 10:42:02
>>703-704
「倫理」、「正義」・・それぞれ何のことか、書いてみそ
わかってないから、そんな曖昧な概念を根拠に持って来れるんだろうけどさw
708考える名無しさん:2006/02/24(金) 14:34:56
>>706の突込みを連投すっところだったw
709spitzer:2006/02/24(金) 15:45:41
704に賛成だ。
生き延びるために殺すのが正義だ。
生き延びるために殺さないやつは殺される。
710胎内記憶保持者:2006/02/24(金) 15:56:25

ピグミー
711wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/24(金) 18:06:46
>>704
「大切なもの」を生き延びさせることが正義、「大切なもの」を生き延びる確率を最大にすることが正義、とすれば、その論理の真偽は事実で裏付けされる。
712711:2006/02/24(金) 18:10:49
(文法直し)
、「大切なもの」を生き延びさせられる確率を最大にすることが正義、とすれば、
713厨房:2006/02/27(月) 16:35:54
あらゆる道徳、倫理を疑ってみても「善とは何かを求める我」は疑いえない。
正義を問うこと、哲学こそ善の原理である。quaero ergo sum。
714考える名無しさん:2006/02/27(月) 16:59:21
馬鹿な質問して悪いけど、
哲学って正義を問う学問だったっけ?
むしろ正義でないことも問うことができるのが哲学だと思ってたんだが…
715考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:01:37
>>714
古代ギリシアのピロソピアは正義が主題の一つです。
716考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:12:47
>>714
だからといって現代においても同じかどうかはわからないじゃないか。
といったらきりがないのだろうか。
強いていうのならどうにも収束しないことをどうにかして収束させる学問だと思ってた。
こんな問いを投げるとこのスレがこの板にあっていいのかどうかという
話になりそうだからやめた。
717考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:18:43
>>713-714
せい‐ぎ【正義】
1 人の道にかなっていて正しいこと。「―を貫く」「―の味方」
2 正しい意義。また、正しい解釈。「四書―」
「其実はあたの語の―に非るなり」〈西村茂樹・明六雑誌三三〉
3 人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範。

2の意味だよね。
718ゾルレン:2006/02/27(月) 17:28:01
正義はjusticeだな
反意語は不正、unjust

「正義とは何か」というのに回答するのは難しいが
「法の下の平等」なんかは正義と言えるんじゃないかな

719考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:48:40
だけど 哲学で正義といったら2の意味だよね。
720考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:51:00
辞典で「正」の反対語を調べたら「邪」だったよ
721ゾルレン:2006/02/27(月) 18:17:45
悪  bad
邪悪 evil
不正 unjust
722考える名無しさん:2006/02/27(月) 18:20:30
たとえば資本主義は宗教である。
野球は宗教である。
ヴァレンタインチョコレートの儀式は宗教である。
おまえらの生活はスミからスミまで宗教である。

それで、
人を殺してはいけないというのも
これまでの日本人の宗教的な信念にすぎない。
おまえがおまえ自身の新しい宗教をはじめるならば
麻原同様、人を殺すことが宗教となる。
723厨房:2006/02/27(月) 18:52:36
>>716
確かに。哲学⊃正義=善を論じる学問(=倫理学)ということにしよう。

続き
正義を問うことが第一原理である。
では第二原理は何か?
それは「正義とは何か」という問いの答え(目下の結論)が変更出来ることである。
「正義とは何か」「○○である」この○○の部分が初めから権力によって完全に強制されているならば
正義を問うことができないのと変わらない。これは第一原理に反する。
これによって思考の操作、洗脳が悪であると規定される。

第三原理は何か?
それは「正義を問う議論によって正義を問うことを否定するような結論が生じること認めない」ことである。
これによって自己否定を回避する。
正義は存在しないとするニヒリズムや
正義を論ずることを差し控える懐疑論や相対主義は議論から除外される。

第四原理は何か?
それは「正義を問うことを問うこと」(メタ議論)が保障されることである。
正義を問うこと⊂正義なので「正義を問うこと」の「正義」の部分に「正義を問うこと」を代入することができる。

第五原理は何か?
「正義を問う人ほど善人である」ということである。
正義を問うことには量の差がある。
正義を問うことが善ならば善にも量の差があると思われる。
724厨房:2006/02/27(月) 18:56:23
ちなみに「正義」と「善」は同じ意味で使っています。
725考える名無しさん:2006/02/27(月) 19:11:09
なにかひとつ哲学書あるいは解説書を下敷きにしたほうが話はまとまりやすいよ
というか、そうでもしないと議論の前提が難しい
726考える名無しさん:2006/02/27(月) 19:12:24
「善と美とは一つである」と主張するのは、哲学者の品位にふさわしからざることである。
さらにそのうえ「真もまた」とつけくわえるなら、その哲学者を殴りとばすべきである。
真理は醜い。(ニーチェ『権力への意志』)
727考える名無しさん:2006/02/27(月) 19:53:37
一般的に哲学の正義というのは法や倫理で規定したものじゃないんだ。
事実に即して正しかったり、否定できないから正しかったりするものなんだ。
728wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/27(月) 20:04:52
>727
あなたの書かれた通り、正と悪は主観的な価値判断の領域。
真偽は事実の裏付けの有無だけに依存し、有の場合のみ、命題として、それ自体で成立する。
729考える名無しさん:2006/02/27(月) 20:09:42
>主観的な価値判断の領域
なぜそういえるんだ?
730wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/27(月) 20:12:25
>729
主観を超えた、他者とア・プリオリに共有可能な絶対的正義と悪を措呈できますか?
731ゾルレン:2006/02/27(月) 20:13:47
>>730
真偽においてはそれが可能だとなぜ思うんだ?
732wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/27(月) 20:19:13
>731
事実の真偽は、ア・プリオリに共有/一般認識として措定可能であるから。
733考える名無しさん:2006/02/27(月) 20:23:53
おまえただアプリアリって言いたいだけなんじゃないか?
734考える名無しさん:2006/02/27(月) 20:24:04
>>730
>ア・プリオリに共有
そこは「不明」であって「できない」と決まっているわけではないだろう?
735wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/27(月) 20:26:17
>734
事実は、現実に起こっていることがらだから、これは否定できないですよ。
736ゾルレン:2006/02/27(月) 20:27:30
>>732
論理だって無矛盾であることが証明されたわけではなかろう
逆に、正義理念だって先験的に共有可能な原理を提出できる

「法の下の平等」がそれだ
ある規則に属することがらのうち特定のものをさしたる理由なく特別に扱うことを禁止するということ
なぜならば、ある規則に属することがらで特定のものをさしたる理由なく特別に扱うことが許されるならば
規則が規則としてもつ性質そのものを否定することになるからだ

1+2=3という規則において
この僕が扱う「1」だけは特別だということは許されない
なぜならば、そのような行為を認めるならば、先の1+2=3が規則であるということを破壊するも同然だからだ
737考える名無しさん:2006/02/27(月) 20:37:36
「法の下の平等」は幻想だよね。
一般的哲学の正義とは言えないね。
現実には必ず特別な1が存在する。
いわば「人は法の下で平等」と仮定した場合の理論だよね。
738考える名無しさん:2006/02/27(月) 20:39:38
うんこマンブラザーズバンド

これ
739ゾルレン:2006/02/27(月) 20:44:51
>>737
そのような態度をとった時に、
いかなる規則については「幻想でない」と言えるのか?
740wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/27(月) 20:54:09
>>736
<「法の下の平等」がそれだ
ある規則に属することがらのうち特定のものをさしたる理由なく特別に扱うことを禁止するということ
なぜならば、ある規則に属することがらで特定のものをさしたる理由なく特別に扱うことが許されるならば規則が規則としてもつ性質そのものを否定することになるからだ>

法の「運用」を捨象できれば、法自体はそういうものなのでしょうね。
但し、運用可能性を捨象した法などというものはないですね。
法は、その時々の権力により、いかようにも書き換えられるし、破棄されるし、運用されるし、解釈される幅も可変的ですね。
即ち、法とは、その歴史を鑑みると、権力を防衛するための掟であり、それを破るものは、罪人=権力を脅かすもの、として排他の対象となる。
ですから、「法の下の平等」の「法」自体が真と置けないことから、それに付属する「平等」は、とても真とは置けないですね。

<1+2=3という規則において
この僕が扱う「1」だけは特別だということは許されない
なぜならば、そのような行為を認めるならば、先の1+2=3が規則であるということを破壊するも同然だからだ>

これは、先験的/ア・プリオリに真である等式ではない。
カントの7+5=12も、経験的総合判断。
序数の単位にしかすぎない。
便利に使える道具ではあり、人間が数を勘定し、他者と商品交換等をするときの便利なお約束ごとですね。

741ゾルレン:2006/02/27(月) 20:58:47
>>740
正義が法や規則そのものについて語るという君の発想がすでに誤謬ではなかろうか
正義理念は、ある法則や規則の妥当性ではなく、その法則や規則が不正なく成立するための理念であるのではないか?

「法の下の平等」というのは比喩として用いたが
本来は「等しきものは等しく、不等なるものは不等に扱え」と表現されるものであろう
これは「形式的正義」と名づけてもいい

>これは、先験的/ア・プリオリに真である等式ではない。
先験的に真である等式にはどのようなものがあるのか?
742wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/27(月) 21:16:36
>>737
<「法の下の平等」は幻想だよね。
一般的哲学の正義とは言えないね。
現実には必ず特別な1が存在する。
いわば「人は法の下で平等」と仮定した場合の理論だよね。>

必ず基数としての1を立てる必要がありますね。
しかし、「人は法の下で平等」は、とても基数(1)とは置けない概念ですね。

>>741
<先験的に真である等式にはどのようなものがあるのか?>

先ずはトートロジーでしょう。
そして、「PまたはPではない」というような恒真関数でしょう。
743ゾルレン:2006/02/27(月) 21:24:03
>>742
>しかし、「人は法の下で平等」は、とても基数(1)とは置けない概念ですね。
わたしは「人」という括りすら一度もしてしない
「法の下の平等」とは「規則の中の平等」だ
「ある規則があるならば、その規則に従うものをさしたる理由なく特別に扱うことなかれ」
これが「等しきものは等しく、不等なるものは不等に扱え」の意味するところだろう
もちろんこれはトートロジーではない
「等しきなるものを不等に、不等なるものを等しく扱う」ことは形式的に何らかの内容をもつからだ

>先ずはトートロジーでしょう。
>そして、「PまたはPではない」というような恒真関数でしょう。

「PまたはPでない」をトートロジーに変換することはできません
それが「先験的に真」だというのは素朴です

あなたは「直観主義論理は先験的に偽だ」と言ってるも同然だからです
744wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/27(月) 21:25:16
基数(1)を置けることができさえすれば、あとは論理和、論理積、等の操作がかけられます。
0でも1でも、それを基数と置き、「1を足す」という操作の繰り返しにより、自然数を生じさせることはできます。
745ゾルレン:2006/02/27(月) 21:28:00
>>744
基礎付け行為に興味はありません
746考える名無しさん:2006/02/27(月) 21:32:02
>>745
あなたは殺人を論ずるスレで人以外のことを想定しているのですか。
747ゾルレン:2006/02/27(月) 21:36:28
>>746
はい、人以外のことを想定しています
このスレの住人は殺人に興味があるのではなく「〜してはいけない」という述語に興味があるからです

でなければ次の言葉が出るでしょう
「なぜ人を殺さなければならないのか?」
殺人についてどうこう言いたいのではなく義務についてどうこう言いたいのでしょうし
義務とは自らを規則に従わせる行為ですから、規則について考えることはスレ違いだとは思いません
748考える名無しさん:2006/02/27(月) 21:41:34
規則だからだという答えができる命題は哲学にそぐわないと思うよ。
規則を論ずるなら 何故その規則がないといけないのかというのが
哲学の問いだと思うけど。
749wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/27(月) 21:42:54
>>743
>しかし、「人は法の下で平等」は、とても基数(1)とは置けない概念ですね。

わたしは「人」という括りすら一度もしてしない
「法の下の平等」とは「規則の中の平等」だ
「ある規則があるならば、その規則に従うものをさしたる理由なく特別に扱うことなかれ」
これが「等しきものは等しく、不等なるものは不等に扱え」の意味するところだろう
もちろんこれはトートロジーではない
「等しきなるものを不等に、不等なるものを等しく扱う」ことは形式的に何らかの内容をもつからだ

法を「規則」と置き換えるのであれば(そう解釈しましたが)、それに従う限り、平穏で宜しいですね。
規則が恒久的に真でありうるならば、ですが。

<「等しきなるものを不等に、不等なるものを等しく扱う」ことは形式的に何らかの内容をもつからだ >

どういう内容か、教えてください。

<「PまたはPでない」をトートロジーに変換することはできません
それが「先験的に真」だというのは素朴です>

「PまたはPでない」は、Pが真であっても偽であっても、この命題に代入すれば必ず真を出力します。
即ち、常に真を出力する命題であることから、これはトートロジーです。

<あなたは「直観主義論理は先験的に偽だ」と言ってるも同然だからです>

直感主義的論理を先験的論理とすれば、それは真ですし、経験知としての論理であれば、その真偽は、事実で裏付けるしかない、と思います。
750考える名無しさん:2006/02/27(月) 21:45:30 BE:114598027-
もし自分が殺されたとしても何の感慨も無く、
素直に死を受け止められる人間しかいないんだったら人殺しは悪じゃ無いでしょう。


751考える名無しさん:2006/02/27(月) 21:58:06
つまり結論としては
その人間が殺されることによって自分にとってマイナスの作用が起きない場合、殺しが許される。
殺す利益 > 生かしておく利益 の場合である。
これは実に殺す側に一方的な理論である。
では次に殺される側の立場に立ってみる。全否定と思われるかもしれないがそれは違う。
殺される利益 > 生かされる利益
この場合のみ殺される側から殺しは許されるのである。

中には例外と思われるような不可解な行動を取る人間がいるが、
これも全て自身のストレスから逃れるため、つまり殺す利益が生かしておく利益を上回るためと説明できる。
例えば人を殺すな!と声高に叫ぶ人間(驚くべきことに稀に涙を流しながら)がいるが、
これは人が殺されるという事実に耐えられない弱者が精神的ストレスから逃げるため(または近い将来(または遠い未来)自分の利益になる可能性がある)
に言うことであり、全く上記のシステムに合致するのである。
よって人を殺してはいけないとは、限られた場合で定義された言葉であり、
全ての条件において当てはまるよう設計された言葉では無いと言える。
752考える名無しさん:2006/02/27(月) 21:58:55
×殺す利益が生かしておく利益を上回る
○生かしておく利益が殺す利益を上回る
753考える名無しさん:2006/02/27(月) 22:19:30
>>1人の人生を痛みと、ともに終わらせる行為だから
754考える名無しさん:2006/02/28(火) 00:49:04
>>736>>740
「法の下の平等」は、たしかに怪しい。かといって、それは“幻想”である
と言ってしまえば、それもまた怪しくなる。法は権力によって、いかように
でも操作できる代物ではない。そもそも、権力とは何か、その定義をするだ
けでも、たいへんだろう。
通俗的に、仮に権力を政官財の多数派とする。が、この多数派が利害を一つ
にすることは現実にはありえない。もし権力が一つなら、法は不要である。
権力=法で容易に運用できる。しかし、ある時期以降の権力は多元的である。
この権力間の利害の不一致は、殺し合いを厭うのなら、法による調整しかな
い。ここでは、法は能うかぎり“平等”に適用されるはずである。それが正義
だからではなく、権力の分裂を回避するためである。むろん、これは法の本質
ではなく、一側面である。

ゾルレンさん、ここにいたのですか。他のスレで248として色々と低次元の
質問をさせてもらっています。

755考える名無しさん:2006/02/28(火) 03:26:13
自分の命を尊重できるのは、人の命を尊重できるから。
756考える名無しさん:2006/02/28(火) 04:57:21
人を殺してはいけないという法律を人間自ら作ったからだ。
法律は、人間があまりにも無秩序で美しくないので作った。

無秩序だと、人間には全く想像できない事が
次々に起こるので怖いのだろう。
不安なのだろう。

神が造った規則ではない。
もし神が造っていれば、決して人が人を殺すことは出来ない。

…と思う。
757ゾルレン:2006/02/28(火) 09:40:29
>>748
>何故その規則がないといけないのかというのが
>哲学の問いだと思うけど

なぜ、あなたは質問に対して「いけない」という規則を前提にする述語を使用するのですか?

わたしは「その規則が現にあるから、規則に従うべきである」と答えているのではありません
「われわれは規則を前提として思考をする」と答えているのです

ですから「人を殺してはいけない」は規則ですし
「人を殺さなくてはいけない」もまた規則です
あなたが前者の規則に従うか後者の規則に従うかはあなたが決めればいいことですし
両者の間で議論を交わすことも意義があることでしょう
758ゾルレン:2006/02/28(火) 09:50:03
>>749
機嫌が悪いからきつい口調でいくが
君は勉強不足だ、言葉だけ整えても中身のなさは露呈する

>法を「規則」と置き換えるのであれば(そう解釈しましたが)、それに従う限り、平穏で宜しいですね。
>規則が恒久的に真でありうるならば、ですが。
「規則」について「真偽」を問うのは不適

>どういう内容か、教えてください。
すでに述べた通り、ある規則があるならば、その規則に属するものをさしたる理由もなく特別に扱うことを禁ずる、ということだ
君が裁判官になったと仮想してみるといい
君は君の好きなように判決を下せるか
君の好みの美女だから刑を軽く、君の虫の好かないやつだから刑を重くできるか
いや、できない
君がそうしたいなら、今挙げられた君個人の特定の選考とは別の何らかの理由を挙げる義務が君に生じる
これが「正義」だ

>「PまたはPでない」は、Pが真であっても偽であっても、この命題に代入すれば必ず真を出力します。
>即ち、常に真を出力する命題であることから、これはトートロジーです。
アホか
(排中律が正しいから「PまたはPではない」はトートロジーです)はトートロジーだな
で、排中律はトートロジーなのか?
違うだろ
論理について少しは学びなおして来い

>直感主義的論理を先験的論理とすれば、それは真ですし、経験知としての論理であれば、その真偽は、事実で裏付けるしかない、と思います。
無駄言
読むに値せず
759ゾルレン:2006/02/28(火) 10:21:05
>>754
どうも。
むこうのスレは落ちていますので暇つぶしも兼ねて顔を出しました
もとはこのスレに合わせて名もつけてます(名はsollenからとっている
わたしの関心はニヒリズムの根本問題、真、統一、善における可能性を探ることに向いています
一応、マッキー、ムーアは読んでますし、倫理学の本もそこそこに読んでるつもりです

「ニヒリズム」という言葉を使用しましたが
哲学や倫理学に対して、その前提の裏側をつく思考があります
それと対峙するのが一番の目的ですが、
ここでやってるのは・・まぁ暇つぶしと有意義な議論になってほしいという希望をこめてのストレス解消ですかねぇ
760ゾルレン:2006/02/28(火) 10:21:51
そんじゃちょっと問題提起

「人を殺してはいけない」という言葉に抵抗がある人と
「人を殺しもいい」という言葉に抵抗がある人といるだろう
ここでは答えがどちらかということはおいといて、また、そのような答えを正当化する理由付けもおいといて
なぜ、このような2つのすれ違いが生じるか考えてみることにする

実は、彼らは2つの異なる事実を見ているのではなかろうか?
彼らはその実、殺人には興味がない
「いけない」という述語の解釈が異なるのだ
「いけない」という語を殺人と絡めるから分かりにくくなる
では、「いけない」とは何を示す言葉か
マッキーはチェスの例を挙げる
「(王手がかかっているから)君は王を逃がさなくてはいけない」
この言葉は何を指しているのか

ある人は言うだろう
「なんで俺は王をどこにでも動かす物理的自由があるのに、それを制限されなければならないんだ」
別の人はこう言うだろう
「王手に対して王が逃げなくていいならチェスというゲーム自体が成立しないじゃないか」
前者が「いけない」という言葉に抵抗がある人
後者が「いい」という言葉に抵抗がある人だ

サッカーの例を挙げれば
前者は、「ボールに手で触れてはならない」という言葉に抵抗があり
後者は、「キーパーでなくともボールに手で触れてもよい」という言葉に抵抗がある
761ゾルレン:2006/02/28(火) 10:33:54
>>754
そんなに難しく考えることはない
「法の下の平等」を考えるならば、「法の下の不平等」を想像してみればいいのです
これはいかなる問題においてもそうです
ある言明が何を言ってるかピンとこなければ、その言明が何を排除しているかを模索してみることです

「法の下の不平等」とはどのようなものか
裁判官の例で考えてみる
ある法「人を殺したやつは鞭打ち」という法があったとしよう
裁判官が「この娘は俺好みだから釈放、この男は虫が好かないから死刑」としたとする
誰もが思うだろう
「法なんて必要ないじゃないか、法じゃなくて裁判官の選考が刑を左右している」

「法の下の平等」は法が法であるための必要条件です
762考える名無しさん:2006/02/28(火) 11:13:16
ゾル、朝から飛ばしてるなw
で、おまえは世の中に「いけない」ことがあると思ってるわけ?
一つでもそう思ってる事例があるなら書いてみそ
763考える名無しさん:2006/02/28(火) 11:28:04
ゲームに負けたくなければ、王手を防がなくてはならない
ルールをルールとして成立させたければ、適用を平等にしなくてはならない
取引が活発な社会を成立させたければ、殺人は許されてはならない
社会に受け入れられたければ、人を殺してはならない
764考える名無しさん:2006/02/28(火) 11:33:09
>>763
つまり、「そう思わなければ」殺していいってことだろ
765考える名無しさん:2006/02/28(火) 11:48:39
>>764
「そう思うなら」殺してはいけないってことだよww
766考える名無しさん:2006/02/28(火) 12:02:10
「いけない」ことが何もないなら、「人を殺してはいけない」と信じることにも、
殺人者に刑罰を科しても、何もいけないことはない。
767考える名無しさん:2006/02/28(火) 12:18:39
なんとなく,法の下の不平等よりも法の下の平等の方が
成立しにくいような感じがするなぁ.
何か一つ不平等があれば,それで法は法でなくなる?
それとも,偶には不平等もOK?
768考える名無しさん:2006/02/28(火) 12:31:27
>>765
【「そう思うなら」殺してはいけない】&【「そう思わなければ」殺していい】

そうすると結論は出たようだな

つまるところ【いけない、いい】の概念は
「ひとり一人の個人」が「どう思うか」で決まる世界なわけで
いかなることを「思う」も、「思うこと自体」が許された自由である事を
考慮すると、日本や世界をあまねく包む道徳観・倫理観とまでは
言えないってわけだ。

結論だが、「いけない」は思うこと自体を禁止する概念なんだが、
思うこと自体禁止できないという事実に照らすと矛盾しており
事実に相反する意味の無い概念ということになる。
769考える名無しさん:2006/02/28(火) 12:34:26
> 「いけない」は思うこと自体を禁止する概念なんだが

何で? 普通は「思うことを禁止する」なんて考えないけど。
770考える名無しさん:2006/02/28(火) 12:36:22
>>767
「法は公正を期して作られるが、そのあまりに厳格な適用は不公正を生む」
ってローマのことわざがあるらしいね
771考える名無しさん:2006/02/28(火) 12:38:32
>>768
その二つを総合すると、
「思うこと」について一致がある限り、「してはならない」は成立するが
一致がなければ成立しえないってことになるんじゃない?
772考える名無しさん:2006/02/28(火) 13:03:05
>>770
つまり,法はどうしても,不公正ということでしょうか?
それとも,何か別の比喩的意味でしょうか.
学が無くてすみません.
773考える名無しさん:2006/02/28(火) 13:15:03
境界の問題でないの
60km/hの制限速度の道を走行する車に対して
59km/hなら可、61km/hなら不可として罰すればこれは公平ではないだろう
ここに厳正な法を柔軟に運用する人の意思が介在する余地が生まれるという意味でないか
774160:2006/02/28(火) 13:25:14
なるほど.
わかりました.
ありがとうございます.

でも,人間が運用する限り不平等のような感じを受けますね.
(自分を基準にして考えるとですが….)
まじめに守っている奴が,損をする.
775考える名無しさん:2006/02/28(火) 13:27:56
法はその成り立ち自体に不公正があり(政治的産物=国会で多数決)、
運用の段階でまた不公正がある。

したがい哲学的思考をするうえで何かの根拠になるとは言い難い。
776wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/28(火) 13:28:04
>>758
一言、私は、α波出てるから、穏やかに書きますね。
トートロジーは、「束縛されていない変数に何を代入しても真になってしまう命題。即ち、恒真命題」ですね。
ですから、「PまたはPでない」は、Pが真であっても偽であっても、この命題に代入すれば必ず真を出力します。
即ち、常に真を出力する命題(恒真命題)であることから、これはトートロジーです。

<ある規則があるならば、その規則に属するものをさしたる理由もなく特別に扱うことを禁ずる、ということだ>

極端な例ではないですよ。
もし、あなたが、北朝鮮にいたとして、且つ軍人であるとして、将軍さまがあなたの父親であるとして、さて、ミサイルを日本に向けて打て、という命令に従うのが「規則」である。
そして、あなたは、それに反対するさしたる理由も持たない(=もし、ひっかかるなにかがあっても、それを言葉にして反逆できない)とする。
その場合、あなたは「さしたる理由もなく」無邪気にミサイルを打ってしまう。

<あなたは「直観主義論理は先験的に偽だ」と言ってるも同然だからです>

先験的/ア・プリオリに真な論理というものがあればですが、それは真でしょう。
私は、それは、トートロジー以外には無いと思いますが。

ゾルレンさん、法、規則等は、生産関係を支配する側、即ち、権力保有側が、自分たちの既得権益を守るために置くものであり、且つ下部構造からも規定されるものです。
人間を捨象し、あるいは人間と乖離し、人間と離れてその上にあり、且つ人間の行為を規定しえるようななにものか、では決してないですよ。
これは、ヘーゲル、マルクスの弁証法以前の悪しき二元論です。
法、規則を、例えば独裁国家の憲法/法律、党派の綱領、宗教上のドクトリン、等と置き換えれば、その危うさを理解していただけるものと思います。




777考える名無しさん:2006/02/28(火) 13:35:59
>>772
「法律は目的じゃなくて手段に過ぎない」という戒めだろう。

>>773に挙げられたような例で、59キロを厳格に取り締まることが、
法の目的に本当に沿っているのかを法の運用者は柔軟に考えましょうってこと。

「法の下の平等」も法をちゃんと機能させるための手段に過ぎないと思うよ。
778考える名無しさん:2006/02/28(火) 13:48:23
>>776
トートロジーと恒真命題は全然違うものですよ。

トートロジーは「AならばA」という同語反復のことで、これが恒真命題となるのは
「議論において一度言った言葉の意味を勝手に変更しないようにしましょう」という
ルールからきてます。

「Aまたは非A」が恒真命題となるのは、「Aでも非Aでもないような変な中間状態を認めると
議論がしにくいから、そういうのはないことにしましょう」というルールがあるときです。
これを排中律と言うのですが、排中律を否定する論理(ルール)もあります。
それが直感主義論理で、この論理を採用すると背理法が使えなくなったりしますね。

こういうのがアプリオリに決まってるって考えるのは、単に間違ってますよ。
779wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/28(火) 14:00:52
>>778
私は、テキストで次のように読みました。

排中律は次の3つの命題たちと同値である。
@Pが真ならば,Pの否定は偽である(真と偽を入れ換えてもなりたつ)。
APの否定の否定(2重否定)が真ならば、Pは真である(真と偽を入れ換えてもなりたつ)。
BPが真であるか、またはPの否定が真であるかのいずれかである。

この理解の範囲内で先のトートロジーを書きました。
780754:2006/02/28(火) 14:09:38
>>767>>772
「法の下の平等」を旨とするけれども、色々なケースが考えられる。
過度に権力の集中がみられる場合、たとえば独裁者の息子が殺人を犯しても
無罪になることはありうる。少し前に、金将軍の長男がふらりとこの国に遊
びに来たけれども、罪に問われたという話は聞かない。もし、同じことを庶
民がやっていたら、どうなったかは言うまでもあるまい。
この場合は、どうか。AとBが同じ罪を犯したとする。Aはそのことを深く
反省している。Bは、そのそぶりもみせない。このとき、罰の軽重に差が出
るはずだ。裁判官の心証が法の適用を左右することがわかる。
ホリエモンと宮内が仮に同罪だとする。前者はそのまま収監され、宮内は執
行猶予、もしくは罪が軽減されるだろう。法的機関に、宮内は協力している
からである。
法は平等を原則とするけれども、実際の適用には罪の重さ以外の要因が入っ
てくるのを避けられないともいえる。

781考える名無しさん:2006/02/28(火) 14:29:39
>>1に答えますよ。

殺人は「規則選好功利主義」にもとづいて万人が選好しないからです。
規則選好功利主義はかつ規則功利主義かつ選好功利主義の立場で
その原則を選好するかどうかによって功利を計る思想です。

殺人が本当に正しいかどうかは別として世間の人は殺しを望みません。
ホームレスと朝鮮人とを殺してもいいとか罵る2がつく掲示板の人間もいますが、
それはあくまで個別的な選好であって「人を殺してもよい」という原則には禿同すると思われます。
782考える名無しさん:2006/02/28(火) 14:30:01
>>779
それは排中律から導かれる恒真命題の話でしょ。
排中律がトートロジーから導かれるかどうかが問題なんですよ?
783考える名無しさん:2006/02/28(火) 14:36:34
それ故に我 難治らに告ぐ。
人の決めたことを以て哲学を論じるな。
そは単に規則也。
ものの理は その生い立ちにて決まりぬ。
育ちは倫理にて論ずれば足れり。
784考える名無しさん:2006/02/28(火) 14:37:20
勝手にしやがれ!
785考える名無しさん:2006/02/28(火) 14:44:49
> トートロジーと恒真命題は全然違うものですよ。

どういう世界の話? 普通の論理学なら、
トートロジーっていうのは古典命題論理の恒真式のことだけど。
786考える名無しさん:2006/02/28(火) 15:22:28
>>785
どの論理を採用するかが決まってれば、恒真式であることはトートロジーまで導けることと
同値であると言ってもいいんだけどね。

今は「アプリオリ」な状態での話なので、式変形のルールが決まってません。
787考える名無しさん:2006/02/28(火) 15:47:53
>>786
あなたが「トートロジー」という言葉を誤解しているだけだと思いますよ。
繰り返しになりますが、論理学では「トートロジー=古典命題論理の恒真式」
のことであり、どちらにしても意味論的な概念なので、
式変形のルールとは関係がありません。
788754:2006/02/28(火) 16:18:20
>>776
生産関係を支配するものが権力であり、法は彼らの既得権益を守るためにある
というのは本当でしょうか。一見、そうみえる側面はあります。
では具体的に訊きますが、この国で生産関係を握っているのはだれですか。ま
ず、そこを明確にしないと、それ以下の文章が曖昧になります。
民主制が採られている国では、法は権力に仕える反面、非権力者たちを権力の
独走から守る側面を強く持っています。いや、後者のほうが多いとみるムキも
あります。
法が人間生活の便宜上、つくられたものであるのは疑いありませんが、ひとた
び制定されるや、超越的な規範として機能します。単なる方便ではなくなると
いうことです。
もっとも、この国の法の運用には方便としか思えない場合が多々ありますが。
789考える名無しさん:2006/02/28(火) 16:51:03
「我こそが生産関係を支配する権力者であり、法は我々の既得権益を守る
ためにある」と言う人は、ほとんどいない。こういう発言はつねに、そう
した権力者の被害者だと自認している人からなされる。
790ゾルレン:2006/02/28(火) 17:00:18
>>762
>で、おまえは世の中に「いけない」ことがあると思ってるわけ?
>一つでもそう思ってる事例があるなら書いてみそ

内容のない「いけない」
「ルールを破ってはいけない」
「約束を破ってはいけない」
「義務は遂行しなければならない」
「規則には従わなければならない」

/
内容のある「いけない」
「嘘をついてはいけない」
「発言が矛盾してはいけない」
「先に挙げた正義理念に反する言語行為をしてはいけない」

ま、こんな感じかな
下の3つが本当にいけないのかどうか考えることに意義はあるよ
791考える名無しさん:2006/02/28(火) 17:05:14
もし、「いけないものなんて何もない」なら、
「○○は絶対してはいけない」とか
「『いけないものなんて何もない』なんて考えてはいけない」とか
考えたり、言ったりしても、同意を強制したりしても、
全然かまわないよな?w
792ゾルレン:2006/02/28(火) 17:14:23
どうも「規則」や「法」という言葉で現実にある法や規則を想像する人が多いようだけど
正義理念は現実にある規則や法に従うことを要請するものではないよ

われわれが規則を前提にした思考をするということなんだよ
再度書くけど、このスレの人たちの問題意識に即するなら
「人を殺してはいけないか、それとも、人を殺してもいいか」ではなく
「人を殺してはいけないか、それとも、人を殺さなければいけないか」なんだよ

上は実際の規範について考えるときには効果があるが、現実の法を「幻想」と呼ぶ人はきっと問題にはしないだろう
われわれの意思選択する自由は、複数の規則のどちらか片方を選択するものだから
選択肢は両方とも規則になるんだよ

ハムレットで主人公が"to be, or not to be"てセリフがあるけど
これは「するべきか、しなくともよいか」とは訳されないでしょ
「するべきか、せざるべきか」
どちらの選択も「義務」になるわけですよ
793ゾルレン:2006/02/28(火) 17:42:49
>>780
「法の下の平等」はわかりやすい比喩として俺が持ち出しただけで
(とっつきやすくしようと思って日常から言葉をもってくるのは俺の悪い癖だ)

本来は「等しきものは等しく、不等なるものは不等に」(アリストテレス)の言葉で表現されるもので
この言葉が禁止しているものはエゴイズムだ
具体的には、個人の選考を理由付けにすることを禁止している

で、裁判で良心に従って判決を下すのが不正かというとそうでもない
ある規則に対して補助規則を導入する余地は常にある
しかし、補助規則もまた規則であらねばならない
これはどういうことを示すのか

ある法の下で「良心に従って刑を左右する」という補助規則があっても
美女と虫の好かん男性で、良心が2人に差はないと訴えたにも関わらず
裁判官の個人的選考で差をつけることは禁止される

「良心」という規則の下にも「規則の下の平等」は常に成立しなければならない
これは弁護士の弁論を見てもわかるだろう
弁護士は裁判において被告個人の罰則を軽くする答弁をしているのではなく(もちろん彼の内心の意図はそうかもしれないが)
同じ状況、同じ行為に属する人すべてに共通の規則、裁定を訴えている
弁護士は被告個人の固有性を理由付けにすることは禁止されている

法廷における弁論は常に言葉に「普遍化可能性」を要求される
794りくーつ・こねりー:2006/02/28(火) 18:00:10
>>749

>>742
> 「PまたはPでない」をトートロジーに変換することはできません
> それが「先験的に真」だというのは素朴です

例えば、コペンハーゲン解釈を採用するなら「猫は生きてるか生きてないかのどちらかである」
は妙ちくりんといやあ、妙ちくりんだ…みたいなことじゃないかな?

>>742
> あなたは「直観主義論理は先験的に偽だ」と言ってるも同然だからです

これは、

http://www.geocities.jp/enten_eller1120/easy/gendai-2.html
> 直観主義は,ブラウアーに源流をもち,直観的に明白な概念のみを認め,無限にたいして
> 構成主義的立場をとることによってラッセルのパラドクスの解決を図りました.ただしこ
> の時,論理学の基礎である排中律が無条件で成立するわけではなくなるという問題が生じ
> ます.

ということじゃないかな?

で、直観主義命題論理を理解する枠組みとして「ハイティング(Heyting)代数」に基づく意味論だか、
みたいなもんがあるんじゃないかな?
http://www.math.h.kyoto-u.ac.jp/~takasaki/edu/logic/logic7.html

俺もよく知らんけど、検索してみると、なんとなくいいたいことは分かった気がした
795wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/28(火) 18:10:59
>>788
<この国で生産関係を握っているのはだれですか。>

大手/中小/零細を問わず、企業の生産手段の所有主体は「蓄積された資本」であり、その拡大再生産の代理人(資本蓄積に仕える自然人としての資本家またはその代理人)である、と思います。
そうであるとして、>>789さんが書かれたような、「我こそが生産関係を支配する権力者であり、法は我々の既得権益を守るためにある」と言う人が、ほとんどいないのは何故でしょう?

<法は権力に仕える反面、非権力者たちを権力の独走から守る側面を強く持っています。いや、後者のほうが多いとみるムキもあります。>

一般市民が、日常生活の中で、改正自衛隊法、盗聴法、改正住民基本台帳法、個人情報保護法等に対し、法が権力に仕えている、あるいはそれらの運用に危機感を抱くのは、ごくごく普通の感性だと思いますが。
796ゾルレン:2006/02/28(火) 18:51:48
>>794
論理はルールだ
われわれは言葉を話すということを通じて「論理」というルールに接続している

この論理だが、われわれが日常的に使用する論理は「形式論理」と呼ばれるものだが
この論理を疑ってもいい
論理は「形式論理」だけではないからだ
「直観主義論理」や"fuzzy logic"などの他のルールもある

「形式論理はアプリオリに真だ」と発言するのは
自分が属するルールが無条件に正しいのであり
そのルールに反しないものだけが真だ、と言っているも同然だ

話を戻して、元の話題は
「なぜ善悪は決定的答えを出すことはできないが、それに反して真偽は決定的答えを出すことができると考えるのか」
という俺の質問だ
それに対して、
「わたしのルールは正しいから、わたしのルールに合致する真偽は答えが出せ、わたしのルールに合致しない善悪は答えが出せない」
と答えるならば
この回答は「わたしのルール」という他ならぬ彼自身がそのルールを選んだという個人的選考に理由を負うている
(もしくは、他のルールがある可能性を想像できていないだけかもしれないが)
このような態度は幼稚であろう
797wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/28(火) 19:10:43
誰か、「俺がルール」だなんて、野球の審判みたいなことを書きましたっけ?
798考える名無しさん:2006/02/28(火) 19:19:05
偉いから、殺すべきでない
799ゾルレン:2006/02/28(火) 19:25:22
>>797


「AまたはAではない」は常に真とは限らないんだよ
われわれがそれをルールとして認める限りにおいて真なんだよ
俺がそれを指摘しようとしたら
君は自分のルールにのっとって自分のルールを正しいと言おうとしたから
「アホか」と本音を漏らしてしまっただけ
800オンリーロンリーグロリー:2006/02/28(火) 19:29:30
人を殺せば罪になる。だから、殺せない。
論理的思考も、感情論も、哲学もいいが、結局はそういう事。
何だか取り留めのない話にきこえるかもしれないが、法とは、そして法治国家とはそういうもの。
この世に善も悪もない。法の下で生きるなら、それに従い生きなければならない。
法の下で生きるのが嫌なら、全て投げ出してしまえばいい。
そうすれば何をしても、そう、人を殺しても咎められる事は無い。
だけど、私にはそんな事は絶対にできない。
無法に生きるという事は、法によって得られるもの、守られるもの、そんなものが一切無い世界で生きるという事なのだから。
例えば、自分が殺されそうになっても、自分が死にそうになっても、助けてくれる法はない。
そんな世界で独りで生きていく自信がありますか?
801754:2006/02/28(火) 19:37:38
>>793
もちろん、私も法は一つの喩えだと思っています。

もし法に主体があり、法自らによって適用、執行することができるのなら、
法は公正を期すだろうし、実際、かなりの程度まで中正な運用がなされるに
違いない。
が、これを運用するのは人間である。前の例でいえば、被告人の反省してい
る気持ちを計量し取り出すことはできない。また、裁判官の心証も同じ。つ
まり超越的、公正たるべき法(規則やそれに類するもの)は、その運用に際し
て常に“人間”に乱されるのではないか、ということである。現実には大雑
把な普遍化しかできず、極端な場合は「逆転判決」も起こりうるのではなか
ろうか。だからといって、法が“幻想”であるというわけではないが。
802りくーつ・こねりー:2006/02/28(火) 19:40:08
>>796
俺が思うことなんだけど、いくら理屈を並べても、
どういったルールでの正しさか?そういった問題にしかならない気がするんだよね
結局は、そのルールでの正しさにしかならない気がするんだよ

ある命題に、どういったルールを選択することが合理的と人は考えるのか?
なんてことにしか、ならない気がする…

それが命題を思考する上での前提になってるだけ、と俺は素朴に思ったりするんだよ
803考える名無しさん:2006/02/28(火) 20:02:21
殺せない。
殺すべきではない。
殺すと罰せられる。
殺すのは悪。
殺すのは罪。
殺したくない。
殺されたくない。
殺すのを見たくない。
ただ、なんとなく殺さない。
殺すのは悪だが殺してしまう。
殺すのは悪だが殺した、でも反省している。
殺したら法律で罰するべき。
法律で罰則を決めて殺すのを抑止すべき。
殺したら報復されるので殺さない。
殺したら地獄に落ちるから殺さない。
殺したら人間として何かを失うから殺さない。
殺したら家族が悲しむから殺さない。
殺しても家族がいないから誰も悲しまないが、死んだ家族を思うと殺せない。
みんなが殺さないから殺さない。
血が気持ち悪いから殺さない。
直接殺すと肉体の手触りなど後味が悪いので殺さない。
後悔しそうだから殺さない。
集団生活が殺伐になりそうだから殺さない。

どれも、底にある殺人否定の原理が微妙に違うように思う。
804考える名無しさん:2006/02/28(火) 20:13:14
殺されてる人が痛そう苦しそう可愛そうと、殺される側への
感情移入や共感から殺さないんだという人は少ないんだな。意外。
805考える名無しさん:2006/02/28(火) 20:15:17
ほんと日本人の思考って縛られてないよね。
海外じゃこんなに自由に話せないと思う。
806考える名無しさん:2006/02/28(火) 20:20:24
殺す理由によっても、人を殺すのがどのぐらい悪いか違ってくるんじゃね?
そいつを殺さなければ自分がそいつに殺されるみたいな場合には、殺すのも
そんなに悪くないような気がするし、そいつを殺さなければ自分が生き延び
られないみたいな場合なら、悪いかもしれないがしょうがないかなという感
じがするんだが。
807考える名無しさん:2006/02/28(火) 20:21:16
日本が死刑制度のある野蛮な国だと思われたくないから。
808考える名無しさん:2006/02/28(火) 20:44:33
>>804
道徳(奴隷道徳)を振りかざし他人の動きを抑止する者にとって、
かわいそうなのは自分自身だからな
809考える名無しさん:2006/02/28(火) 20:58:10
軍隊とか先祖が殺人者だって誇りに思ってるから、
指導的な立場に着くのが立派だって思っているんだ。
そういう立場でもって、何でも殺人をすると立派になると思ってるんだよ。
以前、財閥と結びついた軍隊が指導的な役割を果たして、海外に攻め込んでしまった、
植民地にして、みんなに現在非難を受けているわけだけど、全然反省してない。
軍人や財閥系を役職に就けてはいけないってことを全然判ってない。
先祖が軍人だからってのぼせ上がってしまったんだよ。
810ゾルレン:2006/02/28(火) 21:53:30
>>801
>その運用に際して常に“人間”に乱されるのではないか、ということである。
>現実には大雑把な普遍化しかできず、極端な場合は「逆転判決」も起こりうるのではなか
>ろうか。
ええ、そうですね
現実において正義が実現されるかと問われれば答えはNOでしょうね
しかし正義理念が要求するものは、現実的な普遍化ではなく普遍化可能性です
われわれはこの理念によって普遍化不可能な理由付けを斥けており
また、それによって正義について問う議論に参加する資格を有するのです
(矛盾した発言を平気で行える人と真偽を問う議論を行うことの困難さを想像してみてください)

裁判において常に公正な判決が出されるとは限りませんが
裁判の場は正義の女神の前にて行われているのです
811考える名無しさん:2006/02/28(火) 21:58:39
軍人が勝手にやったことなんですなんて言われても
みんなうんざりなんだよ
軍隊がどこかの国に攻め込んだり、不平等条約を結んでねじ込まれるのはさ
彼らが上にきたときに秩序をつくると、どうなるかを判ったはずだ
総意が火の玉だ、その結果、焼け野原だろ
せっかく地球規模でボランティアとか市民社会を考えてるのに、
纏めたり、がんじがらめにする父親や祖父を知ってるから、そういうのを磨いちゃうんだよね
だから、やっぱり社会の纏まりの部分に軍人層、財閥層が食い込んでくるんだよ
こんどはどんな作法を使うんだよ 戦争とか罰則の
812ゾルレン:2006/02/28(火) 22:05:41
>>802
「正しさ」という言葉に着目するならば
われわれは「正しさ」という言葉の内容をいかにでも変えることができますし
言葉の問題は、他の単語とのルールの問題ですから、ある意味ではあなたの発言は正しいと思います

しかし、この世界に正しいことなど何一つないのでしょうかね?

>俺が思うことなんだけど、いくら理屈を並べても、
>どういったルールでの正しさか?そういった問題にしかならない気がするんだよね
それは理屈を結論を正当化する目的で使用するからそうなるのではないでしょうか?
理屈の役目とはそれだけなのでしょうか?

われわれは何のために理屈をこねるんでしょうね?
相手を説得するため?
結論を確定するため?
あなたが自治スレに書いたあなた自身の哲学書の読み方は、理屈をこねること抜きに可能なのでしょうか?
わたしは自己批判や反省もまた理屈をこねること抜きに行うことはできないと思いますよ
813考える名無しさん:2006/02/28(火) 22:10:42
なんでも規則なんだ
頭が馬鹿なんだよ
何が規則で考えろって定めてるんだ
殺人者は殺人者なんだから、正義とかいうなよ、
名誉っていえよ、名誉って
814考える名無しさん:2006/02/28(火) 22:20:15








   世界には65億個の正しさがある

   おまえのは そのうちの一つだ









815ゾルレン:2006/02/28(火) 22:20:18
>>809,811,813

>何が規則で考えろって定めてるんだ

論理もまた規則だからです

われわれは論理(ここでは形式論理を指す)を前提として言葉を発し
言葉を通して思考を磨くことができます
わたしはこの言葉の文化を誇りに思っています
同時に、わたしがもっとも嫌悪するものは
言葉の文化を(それが数ある文化のひとつに過ぎないという理由だけで)省みない種類の人間です

>殺されてる人が痛そう苦しそう可愛そうと、殺される側への
>感情移入や共感から殺さないんだという人は少ないんだな。意外。
はい、当然です
なぜならば感情移入や共感から殺さない人間は
感情移入できない相手や共感できない相手には平気で刃を向けるからです
それは寛容の精神に反します
なぜならば、寛容の精神は、感情移入できない相手や共感できない相手に対しても
そのロジックに耳を傾けることを要求するからです

「人間」という括りすらこだわる必要はない
猫が突然しゃべりだしてもいい、宇宙人がいきなり来訪してもいい
ゴキブリがいきなり言葉を話し出してもいい
彼らと人間を同列に扱うべきかどうかはわからないが
彼らの言葉に耳を傾けることの義務を寛容の精神、そして正義原則は要求します

まぁ他人の言葉に耳を傾けないで独善的に生きる自由はあるのかもしれませんが
816考える名無しさん:2006/02/28(火) 22:22:57
規則は論理である。
論理には、どういうことが含まれていますか。
論理でないとすると、自然であると考えてますか?
817ゾルレン:2006/02/28(火) 22:29:37
>>816
規則は論理ではありません
論理が規則なのです

もちろん「論理」という言葉を使用する時、わたしは"first order logic"を想定しています

>論理でないとすると、自然であると考えてますか?
わたしは「自然」という言葉が自然主義者の次に嫌いです

わたしの卒論指導の先生が「自然」という言葉を安易に使用するなと戒めてくれたからです
「鳥が木の枝をもってきて巣をつくることを『鳥工』とは言わない。
しかし、人間がコンクリートでビルを建てることは『人工』と呼ばれる」
人間の行為、構築を「自然」と相反する概念であるかのように書くのは間違いだと端的に指摘してくださいました
818考える名無しさん:2006/02/28(火) 22:37:57
人間が行動するとき、ある程度自分の中で経験から導き出された
基準というか規則に従って行動すると思う。
(出来るだけ生きていくために)
そういった経験により、人を無闇に殺すことを許すと、
えらいことになって、しいては皆が迷惑する。

法は人類が長く生きていくための経験的規則ではないか。
(その適用範囲内で、ですが。)
結局、その法同士がブツカルと争いになってしまいますよね。
819754:2006/02/28(火) 22:42:38
>>795
“いまは昔”的な決めつけをしますが『左翼』なんですね。それを前提に
質問します。
あなたの述べられるように、現代の権力が“蓄積された資本”だとする。
そうだとしたら、権力は法が公正に運用されることを強く求めるだろう。
なぜなら、資本はグループ化・統合化されつつある反面、ますます分散・
多様化しながら競合を繰り広げているからである。
あなたの言う権力が、その目的である自らの増殖をそれぞれに追求するた
めには、強制力のあるルールが公正であって初めて可能になる。そこは、
スポーツと同じである。
権力が特定の人間ではなく、資本(に類するもの)に集中すればするほど、
規則は公正に運用される公算が高まるように思える。もし、この流れを
邪魔するものがあるとすれば、皮肉なことに“人間”であろう。
820考える名無しさん:2006/02/28(火) 22:59:35
じゃあ、というのもなんですが、
じゃあ、政党というわけだ。
政党を組んでしまって、民意を反映してない、非常時の即座の決定に役立つだけになっているわけだ。
821wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/28(火) 23:15:24
>>819

>>795
何が質問か、よく理解できませんが、思うところを書きます。

<“いまは昔”的な決めつけをしますが『左翼』なんですね。>

今、サヨクと言っても、それが何かを規定できる言葉としての機能は既に無くなっていると思います。人道主義とほぼ同じものを指し示しているように思います。

<権力は法が公正に運用されることを強く求めるだろう。>

ここは権力ではなく、資本ですね。
おのれの資本の増殖を脅かすものに対しては、法の公正な運用を強く求めるでしょうね。

<権力が特定の人間ではなく、資本(に類するもの)に集中すればするほど、規則は公正に運用される公算が高まるように思える。
もし、この流れを邪魔するものがあるとすれば、皮肉なことに“人間”であろう。>

皮肉かどうかはわかりませんが、「この流れを邪魔するものがあるとすれば」、それは、市場構造が硬直化し、旧来のビジネスモデル以上に生産性が高い競争力のある企業/ビジネスモデルが出現/構築されるたびに、旧来の法/規制を突き破ろうとするでしょうね。
それは、もちろん自然人としてのヒトで表象されるものではありますが、経済活動である限り、その主体となるのは、新興の別資本、または、その体現者としての自然人でしょう。
822754:2006/02/28(火) 23:40:42
>>795
もう一つ。こちらは、あなたの見解に対して疑問を持っています。
あなた流に表現すれば、権力の代行者である政府与党から提出された盗聴
法を初めとする新法の制定および法改正。これに対して、あなたは一般市
民が不安を感じているという。たしかに、時代を戦前に戻すかのごとき一
連の法整備に不安を抱く一般市民はいるだろう。しかし、反面、この法整
備を支持する一般市民も間違いなく存在している。
ざっと推定するに、一連の法整備の支持率は50%前後。反対者は30%前後
か。法制定は、民意の実現とみるしかない。これを否定するのなら、別の
政治システムをめざすしかないのではないか。
823考える名無しさん:2006/02/28(火) 23:56:08
或る事が盗聴法である、と定められているようです。
盗み聞く、人間に盗聴機器を取り付けることが一般的であるわけなんですか?
それらが法で許されている。
これは中心であるけれども、
或ることが許されているわけであり、それ以外のものは許されているかわからないですね、
場合によってはしてはならないかもしれません。
何をしているのかということですね、名前が悪いからですね。個別法にしたらどうですか、
イギリスでは、国際的なスパイ活動は認められるようですから。
824wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/01(水) 00:01:22
>>822

<しかし、反面、この法整備を支持する一般市民も間違いなく存在している。
ざっと推定するに、一連の法整備の支持率は50%前後。反対者は30%前後か。法制定は、民意の実現とみるしかない。これを否定するのなら、別の政治システムをめざすしかないのではないか。>

盗聴法、改正住民基本台帳法、個人情報保護法等が、一般国民、市民に与える脅威が理解されれば、上記の推定された支持率は、逆転すると想定されます。
仮に、上記の数値がその通りであるとすれば、それら一連の法の影響度に対し、一般市民がその脅威を知ろうとする自主努力をしていないこと、及び、中央行政側はもとより、議会側もsensibility/sensitivityを喪失していることによるものと考えられます。
事実、この書込みさえ、盗聴法で読み取られるリスクもあります。住基法、個人情報保護法等は、官側の情報の漏洩防止強化であり、民-民間ではクレジットカード利用履歴等の個人情報等は、ほとんど筒抜け状態ですよ。
これらの実態を一般国民に知らせないのが、官であり、また、その支持母体である金融等の大手資本です。
では、別の政治システムとは何か?
議会制民主主義の中のコップの中の嵐の中のできごとである限り、議会制民主主義の手続きを踏まえたものしかできないでしょう。
825754:2006/03/01(水) 00:10:21
>>821
もって回った言い方をしたので、誤解させたようです。端的に述べます。
権力が“資本”に集中すれば、むしろ法は逆に人間にとっては、公正な
ものになるのではないか、という意味。法が露骨に権力に仕えることは
できなくなるだろう、ということです。
826wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/01(水) 00:20:22
>825
既に、ずっと以前から、大資本が権力を掌握していますよ。
だから、自衛隊はイラクに行ったし、盗聴法、改正住民基本台帳法、個人情報保護法等も、ほとんど抵抗も無く立法化されたのです。
法は、露骨に、そのときどきの権力(資本)の意図の表れです。
827wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/01(水) 00:21:10
ここで、大資本とは、日本国内のそれに限定していません。
828人を殺すことは「良いこと」=戦争:2006/03/01(水) 00:27:31
「人類の歴史」は要するに「人を殺すこと」・・・それが人類なりの
「進化への貢献」・・・だるからして・・・・歴史を否定しないこと
・・・という前提に立てば、「人を殺すこと」で人類は自己同一性を
保って来ており、他の猿達類人猿に滅ぼされることが無かった訳だよ。
同類を躊躇無く抹殺する能力において民主党はまだまだ「甘すぎる」な。
829考える名無しさん:2006/03/01(水) 00:29:00
人を殺しても悪くないとなると、治安が維持できない。
治安が維持できないと、社会は組織として成り立たない。
社会が組織として成り立たなくなることは、国もなりたたない。
とおもう。
830りくーつ・こねりー:2006/03/01(水) 00:30:50
>>812
> しかし、この世界に正しいことなど何一つないのでしょうかね?

ある前提において、正しさはある、と俺は思ってる

だから、

>>802
> ある命題に、どういったルールを選択することが合理的と人は考えるのか?
> なんてことにしか、ならない気がする…

なんだけどね

このスレの場合、ある法での正しさなのか、ある道徳での正しさなのか、ある宗教での正しさなのか…etc
何を前提とした正しさなのか?にしかならないと俺は思うからなんだよ
(「どうして豚を喰っちゃいけないの?」、いかにも不毛な議論だと俺は思う)

人を殺しても、いけないなんて検証できるもんじゃないし、
地球が回ってることを検証するのとは全然違うから、何に正しさを求めるのか?
ということにしかならない、と俺が思うからなんだけどね


> われわれは何のために理屈をこねるんでしょうね?

俺は、

> わたしは自己批判や反省もまた理屈をこねること抜きに行うことはできないと思いますよ

もあるし、自分が新しい発見をするためだと思ってたりするよ
831人を殺すことは「良いこと」=戦争:2006/03/01(水) 00:37:18
>>829
治安を維持することが最良策だなど・・政治学の素人の発言だな。
戦国時代に(目先の)治安を維持することに邁進した大名は
一揆の農民を生かす反面、他国の大名に百姓ども(足軽)を殺される
結果になった。
・・それも「良いこと」だったと言えば(皮肉にも)そのとおり・・だけどな。

(ある時点で)「人命が救済された」・・ことが「最重要時」ならば「エホバによる
「大虐殺」は、当然の「悪の中の悪」・・・となる。「そういう見解もあり」だと思う。
832考える名無しさん:2006/03/01(水) 00:43:11
基本的人権抜きに語られる議論はナンセンス。
まず現代にも生きている基本的人権って何よ?
その根拠は?その意義は?その妥当性は?
833ゾルレン:2006/03/01(水) 00:50:08
>>830
新しい発見や自己批判や反省のために理屈をこねることができるのなら
「検証できるかどうか」なんて疑問は蹴飛ばしてしまえばいいじゃないですか
われわれは何らかの前提をもたないと発言すらままなりませんが
議論に参加することでその前提を批判にかけることができます
議論を通して、道徳、法律、宗教のそれぞれを自己批判できるでしょう
それらが新しい道徳、法律、宗教を生み出す可能性がないとなぜ思うのですか?

>(「どうして豚を喰っちゃいけないの?」、いかにも不毛な議論だと俺は思う)
わたしはそうは思いません
イスラム教徒がそのような問いをもって思考し、議論し
その結果、新しい考えに至るかもしれませんし、自らの信仰を反省するかもしれません
自らの信仰を再確認できるかもしれません
わたしはそれを「前進」「再発見」と評価します
あなたが不毛だと思うのは、あなたがその問いに対して興味、関心がないからです

不毛な議論とはどのようなものでしょうか?
わたしははっきりと「論理的に考えた結果、結論がひとつにおさまってしまう議論は不毛である」と答えます
そんな議論はもとから言葉のパズル解きでしかなく最初から問いがないからです
834人を殺すことは「良いこと」=戦争:2006/03/01(水) 00:51:26
だいたい、フランス革命(ルイ16世一家ギロチン)、ロシア革命(ニコライ2世一家惨殺)、
ルーマニアチャウチェスク大統領銃殺処刑、・・・アメリカ独立戦争・・等々「歴史」は
「殺人」よって「より民主的」世界を勝ち取った。
 これからさらに「磔」になるのは「ホリエモン」だけではない。
(社会的意味における)「死刑」は、物理的な「絞首刑」よりよほど本人にとっては、「逃れたい」
・・ということなのに「本人が自殺したいと思った時に」・・自殺できるのは、
「拘置所に居る被疑者」や「警察署に居る容疑者」・・ではない。
 野口なにがし・・が「自殺に成功した」のなら、「ご立派」と言うしかない。
835考える名無しさん:2006/03/01(水) 00:54:53
>>829
今の社会でも「殺しても悪くない」条件は確実に存在している。
正当防衛なら悪くないとか、戦争なら悪くないとか、死刑の確定判決が出ている人を
しかるべき権限がある人が手続きを踏んで殺すなら悪くないとか。

このような条件をどんどん緩和していけば、実質上「人を殺すのは別に悪くない」のに
社会・国家が成立することも普通に考えられる。

そう単純なものでもないと思いますよ
836人を殺すことは「良いこと」=戦争:2006/03/01(水) 01:03:35
>>835
あなたも単純な方ですね?
正当防衛や死刑制度の何処が「悪い」(という表現で言明可能性があるの)のか?
・・・西欧「リベラル民主主義」・・「罪刑法定主義」・・「三審制」・・等々
「西欧が培った諸制度」において「死刑確定囚」を「殺す」ことは(「社会と言う」、
『(良心に従った)「良い」』ことなのです。・・最近の低脳「法務大臣」は「社会の敵」
なのです。
837ゾルレン:2006/03/01(水) 01:03:36
>>830
続き

一応、「人殺しはいけない」は法律や宗教に根拠を求めなくてもそれなりの理由付けはできますよ
カントの『道徳形而上学原論』などはこれを扱ってます
もちろんこれにもいくつかの前提はありますし、それらは哲学的には反論可能ですが
「人殺しはいけない」が「車は道路の右側を走ってはいけない」と同等レベルのものではないということです
「人殺しの禁止」は単に文化的な偶然ではなく、形而上学として基礎付けが試みられたこともありますし
この論法を見ると、殺人の禁止が言葉と道徳によってそれなりの理由付けが可能です

「道徳」という言葉をわたしはよく使用しますが
これはよく現実で言われるような文化的なものを指していません
われわれは言葉を話し対話をするという行為に参加することですでにして道徳的なもの、超越的なものを受け入れているのです
838処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/01(水) 01:05:26
糞米がパカンと割られる健についてっ。
839処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/01(水) 01:11:28
時代は変わったんだ、諦めろ。
840人を殺すことは「良いこと」=戦争:2006/03/01(水) 01:12:42
『「人を殺すこと」は「アプリオリに」・・「いけない」』という、
単純・バカ・先祖返り・ブタ・・思考は「幼児以下」です。
・・・・そいうのを「キリスト教的『刷り込み』」と喝破した、
かつての「大物コテハン」が居ましたが、「今や昔」みたいですね。
 大体十字軍は「イスラム教徒を女子供の類を重点的に殺戮した」・・
と言われており、その意味では「イスラム軍の方が武士道に近かった」
・・・と言えます。
841ゾルレン:2006/03/01(水) 01:13:53
>>840
君は機械君か?
842人を殺すことは「良いこと」=戦争:2006/03/01(水) 01:17:03
>>581
ご想像にお任せします。
「キリスト教的きれい事」に虫酸が走る・・という意味では「同一」
なのかもしれませんねw
843考える名無しさん:2006/03/01(水) 01:17:46
>>836
奴隷制や環境汚染や植民地支配や麻薬の輸出など、当時は当然と思われてたことが
後の世から悪いとみなされることなんてありふれてるじゃないですか。

死刑や戦争だってそうならないという保証はないんだから、
「悪い」という言明可能性ぐらいは当然あるでしょ。

>>841
文体まったく変えてないね
844754:2006/03/01(水) 01:23:44
>>841
そろそろゾルレンさん、元のスレに帰りましょう。ぼくは、最近、パソコンを
始めたので、スレの立て方を知らないのです。>>840さんが機械さんなら、お願
いします。
845人を殺すことは「良いこと」=戦争:2006/03/01(水) 01:25:41
>>843
ハンドルネームが挑発的であったかもしれない・・とは思います。
>後の世から悪いとみなされること
>死刑や戦争だってそうならないという保証はない

当然です。「後の世」って「いつの世」なのか判りませんし、
「そうならない」かもしれない「時代」はあるでしょうし、
「そうなる時代」もあるかもしれません・・・
「時間」は法則によって「冷厳に推移するだけ」・・・これが「真理」です。
846処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/01(水) 01:29:30
最近、柳ちゃんのサイトにアクセクできない件について。
847wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/01(水) 01:31:14
>845
時代にコミットしない真理なども、またありえないと思いますよ。
誤謬、蒙昧の類であっても、時代から自由になることは不可能ですよ。
848考える名無しさん:2006/03/01(水) 01:34:27
>>845
だったら「悪い」という言明可能性ぐらいはあるじゃないか。
それ認めて、言明可能性自体を否定できるんすか?w
849「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/01(水) 01:34:49
>>844
>スレの立て方を知らないのです

実は私も「知らない」事に気づきました。
最近は「このホストではしばらくスレッドを立ち上げられません」という
れるポンスばかりで、いささか「うんざり」というか、「2ちゃんんる」という
ビジネスモデルが「もうそろそろ崩壊しつつある」傾向かと思います。
 「板の管理者」は所詮「レスの内容の重要性」などは「理解できない」し、
そもそも「『質』の理解がないので『数』で判断する」方達ですので、
「多くを望む」ことなどは出来(え)ません。・・それ(も)「真理」です。
850処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/01(水) 01:35:01
マイカTVに空メール送るぞ、ゴルァ
851考える名無しさん:2006/03/01(水) 02:18:11
>>840
戦争ってのは、ブレークアウトを想起させるね。
知力、体力、精神力の全てを総動員して、命を賭けた勝負。
戦闘的な人間にとって、戦争が悪いものでは決してあり得ないだろうな。
穏やかに過ごしたい人間を巻き込まなければ、いいんだけどね。
852考える名無しさん:2006/03/01(水) 02:19:03
「ブレークアウト」じゃなく、「ブレークスルー」だった
853考える名無しさん:2006/03/01(水) 02:23:09
機械さんのスレに戻りたいッス。
(発言ほとんどしてませんが、
面白かったぞ)
854考える名無しさん:2006/03/01(水) 05:17:29
「人を殺してはいけない」というのは「人を殺すべきではない」と
する当為、即ち理念でしょ。
理念の真偽説いて論理学持ち出してもいみないんじゃないの?
855754:2006/03/01(水) 11:55:40
>>826
この国に幾つもの大資本は存在するけれども、それらが一つにまとまって
権力を行使したことは、一度もない。
たとえば、トヨタは大資本である。この大資本が政官財に何かを要求し、
自らの利益になる法をつくったことはない。いや、できない。
現実には、日産などと歩調をあわせ、政治家や役人に嘆願することはあり
うる。もう、この段階でトヨタは自社だけの都合を捨てなければならない
ことがわかる。
仮に、クルマ資本が一つにまとまり、業界の利益になる法の制定を求めた
とする。これが、そのまま通過することはありえない。この法が他業界の
利害とどう絡み合うかを測らなければならない。それは、政・官の役割だ。
政は常に分裂している。官もそれぞれの省益を異にする。
そして、マスコミの存在。マスコミはトヨタから膨大な広告費をもらって
いる。が、もしトヨタが不祥事を起こしたら、筆を枉げてくれるか。三菱
自のときのように、徹底的に書くだろう。

もう一つ厄介な存在がある。彼らが怒り、半年、特定の資本(企業)の商品
購入をやめれば、その企業はつぶれる。
法は大資本(権力)に仕えるというのは、昔々、左翼によってつくられたお
伽噺。なぜ左翼が退潮したか、わかるだろう。
856wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/01(水) 13:50:02
>855
国益を増大することとは、資本の投資対利益を最大化することを目的とした企業論理の総意に基づくものだよ。
私企業単独ではなくそれらの総和として。
公定歩合、量的緩和等、財務省、日銀の政策も、これに基づく。
輸出製品で稼いでいれば円安誘導、大負債を抱えている日本国債の市場価格暴落を防ぐためのゼロ金利政策等、
マスでみれば、一目瞭然。
因みに、サヨクという用語は前にも書いたが、それは既に何も指し示すことができないことから、ナンセンス。
857考える名無しさん:2006/03/01(水) 14:12:13
ゾルレンのレスは明快で分かりやすさがあるなぁ。
なんか授業を受けている気分になる。
機械スレに早く戻ってきてくれw
858考える名無しさん:2006/03/01(水) 15:09:47
ゾルの主張の階層だけど、形式論で終わりがちぽい
859754:2006/03/01(水) 19:03:04
>>856
突如、国益なる言葉が出てきたのには驚き。総意?総和? だれがどうやって
それを定めるのか。それができないから、規則(法)を決めるのである。
具体的に言おう。トヨタと日産の総意とは何? 両社の総意に基づく利益の総
和を算定する方法があったら、教えて欲しい。
ここに、ホンダや三菱や外資も加わる。さらに、膨大な数の他業界がそれぞれ
利益を異にしながら参入する。
これらの利益をめぐる“抗争は”錯綜としている。だれかが裁かなければ、共
倒れになる。政官は、いわばその行司役である。
ところが、政も官もそれぞれに対立を抱えている。また、政と官の利益が一つ
になったこともない。彼らは自ら分裂含みのまま裁き役を演じるが、ここで奇
怪な光景をみせつけられる。行司役の彼らが、この利権争いに巧みに加わるの
である。
この諸権力の絡みう図から、総意や総和を計量し取り出せる方法があれば、示
していただきたい。ちなみに国益となると、もっと複雑化するだろう。
860wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/01(水) 20:08:24
>>859
ミクロ、マクロ経済の初歩の初歩レベルのレスでいいのでしょうか? そうであれば、おおよそは次のようなことになりますよ。

<トヨタと日産の総意とは何?>

ミクロでは、自動車業界における需要/供給曲線、クールノー複占、売上高最大化仮説等。

<両社の総意に基づく利益の総和を算定する方法があったら、教えて欲しい。>

総和ではありませんが、需要/供給/価格の均衡点を求める企業活動としては、ワルラス調整、マーシャル調整、等。

<ちなみに国益となると、もっと複雑化するだろう。?>

IS-LM分析、IS-LM-BP分析、AD-AS分析、等。

いけすくか、いけすかないかは別として、経済産業省、財務省、日銀、等は、この種の分析(実際はもっと専門的)を駆使し、自動車等の財、貨幣、国際収支等を制御している。
もちろん、個々の企業は、それぞれに、完全競争市場、寡占市場、独占市場の中で、利潤最大化となる生産量、価格等を常に産出し直しながら、他社と市場競争をしているが、総供給量は個別企業の供給量の水平和で求めることができる。
これらを用いながら、中央行政は、財政/金融政策で舵取りを行っている。

<これらの利益をめぐる“抗争は”錯綜としている。だれかが裁かなければ、共倒れになる。政官は、いわばその行司役である。>

行司役というより、個別業界を超えた国益最大化のための制御役でしょう。行政や国会が、ホンダや三菱や外資間の競争に口出すことはできないでしょう。
文句を言われながらも、外資に貿易非関税障壁をかけるくらいが関の山でしょう。
赤字だらけの個別企業の面倒を見る余裕等、中央行政に、そんな余裕はもう無いと思いますよ。

<政も官もそれぞれに対立を抱えている。>

量的緩和解除と公定歩合(ゼロ金利をいつまで継続するか)、今やってますよね。
財務省と日銀間で。これは、対立ではなく、財政と金融の二人三脚ですから、どちらかがイニシアチブを取りたいという思惑はあっても、大局的には両者が協調する方向にしかいかないですよ。
861wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/01(水) 20:28:49
日本国債を最大限に発行し続けたいなら、公定歩合/金利が低い方が相対的に預貯金よりも債権側に有利ですし、円安にも誘導しやすいですよね。
しかし、もっと本質的な問題は、このような金融政策や財政政策を継続し続けても、日本国自体が既に財政破綻している、ということだと思いますが。
1000兆円以上の財政赤字の返済には、一説には100年以上かかる、あるいは、もはや、赤字額の増大を止める時期を逸しているといわれています。
だから、経済板では、乱暴ですが、国債、紙幣をどんどん刷って、インフレ(半端なものではないですよ)にし、国が徳政令を出し、借金をチャラにすればよい、と主張しているカリスマがいます。
そうじゃない、という別の方法論が見出せないから、インタゲ派が幅を利かせ、があがあと自説を喧伝しています。
人を殺していいか、悪いか、という次元以前に、人心乱れて当たり前の財政赤字ですよ。
862考える名無しさん:2006/03/01(水) 21:55:23
経済理論で解決したら哲学や要らんがな。
863考える名無しさん:2006/03/01(水) 22:25:18
マスで見たってしょうがないよね。
功利主義なんて嘘っぱちだと思うよ。
864考える名無しさん:2006/03/02(木) 00:01:44
そもそもよい行為と悪い行為の定義がその時々の社会習慣によって変わるというのが
答えなんじゃないかね?

つまりどうして人を殺してはいけないのかという問いに対しては、現代日本の社会習慣では
人を殺すことは悪い行為の範疇に入ると定義づけられているから、としか答えようが
ないと思うんだが。

社会習慣を超越した絶対的な善悪の概念は定義づけられないように思う。
スレタイの質問が、殺人を一例にとってそれを包括する概念として
絶対的な善悪の定義とは何か、を聞いているのなら(少なくとも個人的には)
答えようがない。
865考える名無しさん:2006/03/02(木) 00:09:01
そのときの社会習慣に合う行為がよい行為で、合わない行為が悪い行為でしょ。
社会習慣自体は変わるけれど、このことは永遠不変。
866考える名無しさん:2006/03/02(木) 00:16:35
それは相対的な善悪の定義であって絶対的な善悪の定義じゃないよね。

絶対的な善悪の定義っていうのは、すべての時間、場所においてよい行為、悪い行為と
されるのは何か?ってことね。

この質問が本質だと答えが見つからない。
867考える名無しさん:2006/03/02(木) 00:18:59
相対性と普遍性というのは相反しないと思うけど。
相対的な概念は、時代、場所に関係なく、普遍的に相対的なはず。
868考える名無しさん:2006/03/02(木) 00:23:32
ちょっと言い方がまずかったかな

「時代や場所によって変化するよい行為の定義は、その時代や場所によって決まる
 社会習慣に合う行為である」という概念(定義づけ)は確かに普遍的な概念。

でも、

「すべての時間、場所においてよい行為とされる行為の定義は何ですか?」
短く表現すると普遍的なよい行為とは何ですか?という問いには答えられない

といいたかった。
869考える名無しさん:2006/03/02(木) 11:09:44
>>868
まだわかんないのかよw
普遍的なよい行為とは「我を利する行為」以外ないだろ
この瞬間65億個の普遍的なよい行為があるってこと。
870wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/02(木) 13:03:27
65億個の普遍的なよい行為は、65億-1個の他者のまなざしに向かって跳躍する必要があるよ。
871考える名無しさん:2006/03/02(木) 13:08:36
馬鹿だなあ、一人の人全体にとって善い/悪いなんてあるはずないじゃん。
細胞の一個一個によって、何が善くて何が悪いかは違ってんだよ。
まじわかんないのかよw
872考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:15:21
>>871
おまえの正体が鼻毛だということ…よくわかったw
あと肛門のあたりで何百万とたむろしてることもw
873考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:19:51
>>870
馬鹿かw
てめぇ1個の「利」すら正確に把握できてないトンマなまなざしが
いったいどうやって他者のそれに見当つけられるよ
874wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/02(木) 14:21:55
>873
1個の利ってなんですか?
875考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:23:53
目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 
目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 
目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 
目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 
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目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 
876考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:30:51
>>874
私…個人の利益以外にどういう意味があるんだよw
877考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:33:50
wisteriaさんは個よりマスを重視するんだから、自分が不当に殺されるようなことがあっても、
マスがそれを望むなら仕方ないと割り切れるんでしょ?
878考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:48:24
>>877
だとしたら、マスを重視して自分が不当に殺されることが
wisteria個人の「利」だ、というだけのこと
個人の利を他者に押しつけるのはよくない
879wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/02(木) 14:50:05
個人の利益は、自分の労働力を売りに出し、その価値は、他者(資本家またはその代行者)との関係の結果(雇用されて得る労働対価)から生じる。
即ち、労働市場で資本に買われて、はじめて、成立する。

さて、あなたの方の個人の利益は、どこから生じるのですか?
880wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/02(木) 14:55:31
>>877
>>878
「個よりマスを重視」とは一度も書いてないですよ。

>>859さんが「諸権力の絡みう図から、総意や総和を計量し取り出せる方法があれば、示
していただきたい。」と書いたから、その仕組とはこういうものだよ、ということだけを書いただけですよ。

しかし、個が成り立つ領域、自分だけの固有な死などは、求められないイデアである、という「絶望」感を覚えたことはありますね。
881考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:57:38
それと人を殺すという行為の関係はどういったところにあるの?
例えば、無人島で一人で暮らすことが個人の利って考え方も出来るでしょ?
マスで全て見たってそれは量化してるだけで統計学としては意味あるかもしれないけれど、
個々(あなた自身)を語るときになんの意味があるんだろうか。
882考える名無しさん:2006/03/02(木) 15:00:04


ハローワーク http://www.hellowork.go.jp/




ハローワーク http://www.hellowork.go.jp/




ハローワーク http://www.hellowork.go.jp/


883考える名無しさん:2006/03/02(木) 15:00:22
要するに、wisteria-1氏の書き込みはスレタイと何の関係もないと思うが、
違う?
884wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/02(木) 15:01:06
>881
個々を固有と言い換えますよ。
あなたは、あなたの「固有の領域」を、どこかに、あるいは何かに措定できますか?
885wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/02(木) 15:03:35
交換価値以外の何かにですよ。
886wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/02(木) 15:05:57
「私は私である」というようなトートロジーは、前のレスでおしまいですよ。
887考える名無しさん:2006/03/02(木) 15:15:49
>>886
延々とレス垂れ流してるがw
「どうして人を殺してはいけないのですか?」について、どう言ってんだ?
888考える名無しさん:2006/03/02(木) 15:16:19
「命」というのは、使用価値(というのも変だ使用価値の前提)であって、
使用価値とはマルクスも言っている通り個人の欲求を充足させる性質の
ことだから、極めて個人的なもの、「固有の領域」だと思うが。
殺すというのは、その命を消滅させる行為で、それがなぜいけないかを
論じるのに、交換価値を持ち出しても意味はないと思うが。
あえて言うなら、殺人という一つの行為が、殺される当人にとっては
悪(反使用価値)だが、殺す側にとっては善(使用価値)である可能性が
ある、ということが問題の根本では。
889wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/02(木) 15:21:57
労働力も商品です。そして、その使用価値は、常に他者のものであり(たとえ、その商品を買う消費者のひとりが自分自身であったとしても)、「自分固有」のものではないですよ。
890考える名無しさん:2006/03/02(木) 15:26:49
>>889
おまえのその文章の「主体」は誰なんだ?
891考える名無しさん:2006/03/02(木) 15:31:49
wisteria-1さんは関係が全てって言いたいの?
他者と私の認識が出来る時点であなたは固有の領域が無いなんて言えないでしょ。
私性を排除した量的な視点でどうして人を殺してはいけないのか?なんて問題は考えることが出来ない。
wisteria-1さんの死はwisteria-1さんにとって特別じゃないんですか?
もし特別なことじゃないと言えるのなら、何も言えません。


892wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/02(木) 16:01:30
>>888
<殺される当人にとっては 悪(反使用価値)だが、殺す側にとっては善(使用価値)である可能性がある>

反使用価値というのは、寡聞にしてはじめて聞きました。
それはさておき、もし、個人に「固有の領域」など無い、とすれば、「固有の殺人行為」などというものも、どこにも措定できない、ということを書いています。
もう少し書くと、日常生活一般のなかで、即ち、ラスコーリニコフや特異な異常性格者等を除き、経済活動から逃れられるような「固有の殺人行為」というものを、どこに見出せるのか、ということです。
893考える名無しさん:2006/03/02(木) 16:21:55
>>892
商品が労働生産物だとしても労働生産物は必ずしも商品ではない。
また、
商品に使用価値があることはいいとしても、使用価値がある物、それ
はすべて商品ではない。

あなたの話は商品の話を前提とすることを、逆に考えている。
894考える名無しさん:2006/03/02(木) 16:32:28
>>892
率直に言って、全く意味がわからない。
個人に「固有の領域」はあるに決まっているし(だから個人なのであって)、
殺人行為はすべて「固有の殺人行為」に決まっている。
行為や動機や原因を類型的に分類することはできるだろうが、だから
どうなのか。
経済活動から逃れられるような個人はいないだろうが、「経済活動から
逃れられるような殺人行為」とは、一体何のことだろうか。
ひょっとしてあなたは「ほとんどの殺人行為は経済的な条件から必然的に
引き起こされるものだから、その行為自体を取り出していけないとか
いけるとか言っても無意味だ」というようなことを言いたいのか。
それなら、前段はそもそも賛成できないし、後段は「人間の行為はすべて
必然的に決定されているとしたら、責任を問うことはできるのか」という
問いに解消されるだろう。
「殺人を減らすには、社会全体の経済状態を改善することが有効だ」
ということなら、特に反対はしないが、スレタイの問題とは全く関係がない。
895考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:30:31
スレタイに対しては、
法的にいけない
社会的にいけない
倫理的にいけない
で十分な答えだよ。

設問を変えたほうがいいと思うんだがな、
「どうして人を殺してはいけないのですか?」
じゃなくて
「どうして人を殺してはいけないとされているのですか?」
「そもそも『いけない』とは何ですか?」
みたいなね。
896考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:35:30
いや、それ以前に
「どうして人を殺してはいけないのですか?」という問いに、哲学的に回答するとは、どういうことなのか?
という点を、はっきりさせた方がいい。
897考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:39:29
>>896
馬鹿かw
そもそも「人を殺してはいけない」が成立してないだろがw
いつまで言ってんだよ
898考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:04:28
>>897
それを含めて
『「どうして人を殺してはいけないのですか?」という問い』をはっきりさせるのだ。
「成立していない」と主張するならば、成立していない理由を精緻に述べた方がいい。
899wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/03/02(木) 18:06:24
>>891
<wisteria-1さんの死はwisteria-1さんにとって特別じゃないんですか?>

私の死は、私のものではなく、他者にとっての他者の死です。

>>893
ですから、>>879で労働「市場で資本に買われて、はじめて、成立する」、また、>>885で、「交換価値」と書いています。

>>894
<個人に「固有の領域」はあるに決まっているし(だから個人なのであって)、>

「固有の領域」が所与のものである(ア・プリオリに与えられているものである)としたら、それはどういうものでしょうか?
900考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:06:27
>>898
もう何度もカキコして、その都度だれからも反証は無いよw
901考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:18:27
>>900
住人は入れ替わっているのだから、その都度書いてくれ。
テンプレでも作って貰えると有り難いな。
902考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:32:29
そういうメタ議論はどこまで必要かという問題があるが。
903wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/03/02(木) 18:37:30
>902
人、私、私に殺される他者、等を語ろうとすれば、その基底として、最低限、「私とは何か」、私の「固有領域」くらいは定義づけておく必要はあると思いますよ。
解は、おそらく出ないと思いますが(傲慢不遜でしょうが)。
904wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/03/02(木) 18:38:26
法律板、経済板等なら、わたしはわたし、でいいのでしょうけれどね。
905考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:42:38
メタにもなってねえよ。話にならねーよ
906:2006/03/02(木) 18:43:46
kwsk
907考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:45:49
> 労働力も商品です。そして、その使用価値は、常に他者のものであり(たとえ、その商品を買う消費者
> のひとりが自分自身であったとしても)、「自分固有」のものではないですよ。

お前の履いているパンツはお前にとっては使用価値があるだろう。
これを自分固有といわずになんという。

908考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:45:50
>>901
じゃ、めんどいが1点だけなw

スレタイに付帯条件は一切無く単に「【人】を殺してはいけない」だ。
そうすると「【人】は一人でも【人】である」から
「【人】を殺してはいけない」の解釈は「一人も殺してはいけない」と
限定してとるよりないが、そう主張する者は誰も「いない」。

あるのは「理由によっては「よい、しかたがない」 or 「殺してよい」であり
いずれも【人】殺しを肯定する意見のみ。

主張者のいない、どうして「【人】を殺してはいけない」のですか?の
問いは成立しようがないだろw
909wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/03/02(木) 18:46:48
>905
では、言語で「話にならねーよ」を解説してください。
910考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:47:41
>>903
>解は、おそらく出ないと思いますが(傲慢不遜でしょうが)。

それがあなたの「固有領域」でしょうw


911考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:50:34
>>898
良いと悪いとはなんでしょう。ニーチェでも読んでおいで。
912考える名無しさん:2006/03/02(木) 19:03:46
wisteria-1さんの主張をそのまま認めると、人には固有領域などなくて、
全ては関係性の中から生じる現象である。
よって、殺人もまた、一つの現象であり、自己・他者は現象によってお互いが関係しているのだから、
殺人という現象を起こした人物はその行為になんら責任は無いってことですか?
(または、全ての関係に責任を負うとする)
社会という一個の動物みたいですね。
誤読してるかもしれないけれど、そうだったらごめんなさい。
913wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/03/02(木) 19:03:49
そうか、ニーチェの『善悪の彼岸』を読めばいいんだ。
914考える名無しさん:2006/03/02(木) 19:05:34
テンプレ案

現在までに出た意見

・秩序の維持
・本能
・答えは存在しない(相対主義)


メタ系
・そもそもこの問いは成り立つのか?
・いけないとは何か
・殺人が許可される条件とは?
915wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/03/02(木) 19:34:31
>>912
例えば、死ね!という私の言葉は、ひとりごとであれ、第三者である他者に向けて発せられますが、この言葉は、他者が受け取ったとき、その他者の受け取り方次第、即ち、その結果として、はじめて、なにものかになりえます。
殺しも含めた行為一般も同様です。
そうであるとして、他者との関係性を捨象した私という固有領域は成り立ちません。
それでも、相手を死に至らしめる言葉を発する、あるいは殺人も含めた行為主体の集合が世界であるとすれば、サルトル等の世界内存在としての実存に近付くのですが、前レスで書いた「交換」主体としての自分という方が、今はダイナミックな自己規定であると考えています。
そこから、経済活動一般から自由な固有領域等は無い、と書いております。
916wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/03/02(木) 19:42:08
>>912
ある評論家も書いていますが、言葉にしても、行為一般にしても、商品にしても、それらがなにものかであるためには、それらの主体の「命がけの跳躍」がトリガーになります。
そこで、責任問題ですが、結果責任というものはありえます。
商品をつくったけれどさっぱり売れない、一度は死ね!!と言ったが、思い直して、逃げてくれ!!という言葉を発したけれど、相手が逃げてくれなかった結果、刺してしまった、等の場合、その結果責任は引受けないといけませんよね。
そこが、人と動物との、ほんの少しきりだけど、違う点かなと考えています。
917考える名無しさん:2006/03/02(木) 20:17:13
赤犬、白犬、黒犬、青犬、茶犬

赤+犬=赤犬
白+犬=白犬
青+犬=青犬
のように「色+犬」で表される。では

A+○○=殺人
B+○○=?
C+○○=?

が成り立つとき、○○(とB、Cと?の部分)はなんだろうか?
○○はいけない→殺人は○○に含まれる→殺人はいけないという三段論法が成り立つので
○○が殺人を否定する理由になる。
918wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/03/02(木) 21:13:24
>917
人である限り、パンを得るためだけの経済活動だけをしていたのでは動物と変わらないことから、他者よりもたくさんのパンを得るための殺人行為を含む経済活動ばかりしていてはいけない。

他者よりもたくさんのパンを得るための殺人行為は経済活動に含まれる。

人が人である限り、他者よりもたくさんのパンを得るための殺人行為をしたら、それはパンを得るだけの経済活動であることから、動物との識別子を自ら捨てることになる。よって、殺人行為は人間として成してはならない行為である。

とはいえ、動物は、多くの点で人よりも優れているんだけどね。
919考える名無しさん:2006/03/02(木) 21:17:17
>>908
かなり期待外れだな。
『「どうして人を殺してはいけないのですか?」という問い』に対して
どのように回答するのが、「より哲学的にふさわしいか」という話をしたいのだが。
すなわち、可否を論ずるのではなく、例えば、そのような問いの言語的な妥当性とか。
920考える名無しさん:2006/03/02(木) 21:46:46
     )、._人_人__,.イ.、._人_人_人
   < 巨大な闇が広がってるんじゃ!>
    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ   ,へ、        /^i
///// /::::   (y ○)`ヽ) ( ´(y ○)    ;;|  | \〉`ヽ-―ー--< 〈\ |
// //,|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;|  7   , -- 、, --- 、  ヽ
/ // |:::     +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;| /  /  \、i, ,ノ    ヽ  ヽ
/// :|::       ( (||||! i: |||! !| |) )      ;;;| |  (-=・=-  -=・=-  )  | もちつけ! もうばれてる!
////|::::    +   U | |||| !! !!||| :U   ;;; ;;;| /  <  / ▼ ヽ   >   、
////|:::::       | |!!||l ll|| !! !!| |    ;;;;;;|く彡彡  (_/\__)  ミミミ ヽ
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|    ;;;;;;/⌒⌒⌒\  (___ノ      ミミ彳ヘ
// // ゝ:::::::: :   | `ー----−' |__// / / /⊂)   ヽ--  ___/   \
921考える名無しさん:2006/03/02(木) 22:01:46
>>919
だったら、おまえが「【人】を殺してはいけない」という立場にたてば
「その」ゴングは鳴る・・それ以外は場外乱闘w わかるだろ?
さもなくば、このスレの住人みたく成立しておらぬスレタイの周辺で
興味ある話題を探してウロウロしてりゃいいのよ、おまえは。

彼らのテーマは「殺して良い・悪いの線引き作業」と「根拠発掘作業」
・・とっくにスレタイを離れてる。その輪に入りたいというのがおまえの
求めなんだから、そもそも「スレタイ不成立の反証」に乗り出すような
レス>>897は意味ないのよ。
922wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/03/02(木) 22:06:34
>921
「成立しておらぬスレタイの周辺で興味ある話題を探してウロウロ」している住人で悪かったな。
923考える名無しさん:2006/03/02(木) 22:08:37
>>922
いや、おまえはおまえでうろついてりゃいいのよw
日本は自由の国、遠慮するな、がははは !!
924wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/03/02(木) 22:14:27
>923
ニャロメ!!
(古!!)
925考える名無しさん:2006/03/03(金) 00:35:02
それは、神が人という感情をもっている物体に求めた、最高法規。あくまで守るも守らぬも個人の自由。
926考える名無しさん:2006/03/03(金) 00:49:55
拘置所の死刑執行担当刑務官にもあてはまる理屈を言え
927自己顕示欲 ◆P7qYv2J8CU :2006/03/03(金) 06:54:47
真の客観なんて他人しか持ち得ないのに、なんで人は主観的に生きることを禁じられるのだろう。
928考える名無しさん:2006/03/03(金) 11:12:01
>>927
主観を禁じられた記憶はないが、あるの?
929考える名無しさん:2006/03/03(金) 11:17:13
どうして原則として人を殺してはいけないという決まりがあるのですか。
930部外者:2006/03/03(金) 11:26:09
決まりがない民族は全滅して、自然選択として決まりがある民だけが生き残って生き長らえていられるだけの話
931考える名無しさん:2006/03/03(金) 11:36:17
また、全部の ばっかり
ボクサーでつかw
932部外者:2006/03/03(金) 11:39:35
>>931
意味が分からんのだが
933考える名無しさん:2006/03/03(金) 11:40:20
>>930
そのような部族は実在するのか?
そもそも「自然選択」は恣意的に使われるしな。
934考える名無しさん:2006/03/03(金) 11:40:57
人を殺すな!と言わなかったら,人間は結構簡単に殺すのでしょう.
想像できなくらいひどい事になると思うよ.
今,現在人を殺してはいけないと言い続けても,この有り様.
法律もある程度,義務教育から教えた方が良いかもしれませんね.

つまり,人を殺してしまっても別に良いとすると,人間はどうしようもない
生き物なので,強い規制をかけないと際限無く殺し合うと分かった
昔の偉い人が,これではいけないと決まりを作ったんじゃないの.
経験から生まれた,人間の叡智だ!
935部外者:2006/03/03(金) 11:45:53
>>933
恣意的とは失礼な
その決まりがなかったら、どこの国もそうなるという話
>>934の言うような経験則からそのような決まりができていってのみ地球人は生き延びてきたのだろう

936考える名無しさん:2006/03/03(金) 12:06:23
>>935
>>933の恣意的とは「何にでも使える」のニュアンス。

なぜ「児童虐待が起きるのか?」という問題に
「下層階級では自然選択によって虐待をする人間が生き延びているだけの話」
とかな。
937部外者:2006/03/03(金) 12:40:47
ああそうか
まあ恣意的にせよ自然選択-にせよ、使いやすい言葉だよね。
阿呆は言葉自体を知らないから乱用もされないし
938考える名無しさん:2006/03/03(金) 12:55:10
絶対ばれないで、例えば念じただけで殺人ができたりしたら
殺人は増加するかな?
するよね?
ならやっぱり規則の問題
939考える名無しさん:2006/03/03(金) 13:13:48
念じる人が増えて、念派障害などは起こりませんか?
940考える名無しさん:2006/03/03(金) 13:40:46
白い布を巻くといいです
941考える名無しさん:2006/03/03(金) 15:46:52
>>938
絶対ばれない行為に対していったいどのように規則を適用するのか?と

現段階でも全ての違法を取り締まるなんてできないのに。(ガチガチにされても困るがな)
規則に対して幻想持ちすぎ。
942考える名無しさん:2006/03/03(金) 19:39:27
>>938
うっかり自己嫌悪にもならなれないな。
943考える名無しさん:2006/03/03(金) 20:06:10
もともとこの宇宙に殺人がいけないというルールはないが、人が殺し合いをすると社会が混乱して困るから人が法でいけないと決めただけ。
だから簡単に言えば社会が混乱するから人を殺してはいけないんだ
944考える名無しさん:2006/03/03(金) 21:16:48
「殺人はいけない」以外のルールはあるのか。
945考える名無しさん:2006/03/03(金) 21:54:50
法学とか生物学とか宗教とかに根拠を求めるのは、とりあえずやめないか?
946考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:22:48
>>945
なんで?
947考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:23:56
>>945
設問を変更しなきゃダメっしょ
>>895参照
948考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:25:31
>>1
>どうして人を殺してはいけないのですか?

どうして人を生かしてはいけないのか?
それに上手く答えられたら答えてあげよう。
949考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:27:38
>>944
前スレ参照のこと  「なぜ立小便をしたらいけないのか?」

891 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/01/09(月) 23:32:58
>>889
自分家に立小便されたくないからでしょ
立小便されたくないから『「俺の家」に立小便をしてはいけない』って決まりを作ったところで
そんな本人しか得しない決まり、誰も守ってはくれない。
だから『立小便してはいけない』って立小便自体を禁忌にすることで自分の身を守ってるだけ。
『俺は立小便しないからオマエも立小便しないでね』って譲歩、悪く言えばエゴ

893 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/01/09(月) 23:33:52
>>889
くさいし迷惑だから

895 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/01/09(月) 23:40:13
>>893
>>くさいし迷惑だから
くさくて迷惑だと、なんでやっていけないの?

901 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/01/09(月) 23:47:52
>>895
だから、自分家に立小便されたら嫌だろ。
自分がされて嫌なことは、他人にもやらない。
当たり前のことだ。

904 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/01/09(月) 23:51:51
>>901
そりゃ、ウソだろ。立小便をすれば、自分家にも立小便される確率が高くなるか、
それとも立小便しなければ自分家に立小便される確率が高くなるかは状況による。
一般的に、「立小便すれば立小便されるだろう」などとは言えないと思う。
950考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:28:38
>>944
ご飯を食べるとき、テレビを見ちゃいけない。
951考える名無しさん :2006/03/03(金) 23:45:47
人間は、「生きている自分」しか観る事が出来ない。
「生きている自分が観ている世界」しか観察できない。

「死んだ」時点で、それは「人間」では無くなる。
生きながらに「死後の様相」を確認することは出来ない。

簡単に言えば、「死んだ後のこと」は『解らない』。

『解らない』から恐ろしい。とても恐ろしい。
この「死=解らないけれど、必ずやって来るもの」に対する潜在的恐怖は、
人類の、行動規範を創ろうとする動機にとって十分なものである。
952考える名無しさん:2006/03/04(土) 00:12:16








  人っ子一人殺されない安全社会を実現できないで
  国民に「人を殺すな」などと どのツラ下げて言えるよ、政府は

  それ守って殺されたからって、一体どうやって責任とれるんだ?
  殺したもん勝ちじゃね〜か、この世は・・、ざけんなw!










953考える名無しさん:2006/03/04(土) 00:44:39
>>941
規則が適用されないから殺人は増えるだろう、と言っている
ゆえに人が殺人を犯さない理由の一つに規則があるという証明に
ならんか?ってことでしょ?
954考える名無しさん:2006/03/04(土) 04:27:19
>>1
今この現時点での概念がそうだから
955考える名無しさん:2006/03/04(土) 05:15:42
>>1
遺伝子を繁殖させるための生存競争を他の生物種と戦う上で
この規範が有ったほうが有利だからに決まってるじゃん。
956wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/04(土) 14:12:03
>>949
>>889
<自分家に立小便されたくないからでしょ>

立小便のどこが使用価値なんでしょ?
957考える名無しさん:2006/03/04(土) 14:37:19
http://8725.teacup.com/klack/bbs
この掲示板にレスとして詩を残して来ました。
荒らしの方に流されたりしてますが
宜しければ見ていただけませんか?(´・ω・`)

「殺したい」
それも誰かの「愛する人」

「守りたい」
命をかけて「愛する人」
958考える名無しさん:2006/03/04(土) 14:51:46
宗教汁!
959ソラ:2006/03/04(土) 18:19:58
>>1
自分がされて嫌な事は他人にはしない。


960考える名無しさん:2006/03/04(土) 18:36:58
>>959確かにそれが確実に正しい答え。
961考える名無しさん:2006/03/04(土) 20:49:49
>>959
じゃあ、自分はいつ死んでも良い・殺されても良いと
考えてる人は他人を殺しても良い事にならないかね?その考え。

ただ漠然と殺してはいけないと自分達は思ってるんであって、
正直、人を殺してはいけない理由なんて無い気がする。
962考える名無しさん:2006/03/04(土) 20:58:10
本当の個人の自発的な殺人って、殺人事件の1%未満だと思う。
963wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/04(土) 21:00:41
>962
個人オリエンテッドな殺人は、ネグりジブルマイナーだと思う。
くどいけど、ほぼすべてが、生きる糧としてのパンを得るための経済的理由に起因するものだと思う。
964考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:02:06
>>963
それを、日常会話の言葉で言うとどうなりますか?
965考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:02:14
タクマという実例もあるしな。
966考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:03:43
何の実例?
967考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:14:56
「自分はいつ死んでも良い・殺されても良いと考えてる人は他人を殺し
ても良い」のか?の実例
968考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:19:41
「良いのか?」の実例?
969wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/04(土) 21:32:13
>>964
前レスでも書きましたが、個人にア・プリオリに内包されている資質に起因する殺人行為などは、ラスコリニコフやほんの一部の異常性格者だけに特有のものであり、おおよそすべての殺人行為は経済的要因(戦争も経済行為です)に起因する、ということを書いています。
卑近な例では、骨肉争う財産分与、生命を維持する以上のパンを独り占めにしたいという動機による殺人、など。
970考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:53:00
ええと、個人の資質といっても、いわゆる快楽殺人のような
「殺人好き」というようなものは確かに少ないと思いますが、では

>おおよそすべての殺人行為は経済的要因

といえるかというと、警察庁の「平成17年(1〜11月)の犯罪情勢」によると・・・

>動機別に見ると、「憤怒」が487件、「怨恨」が199件、「痴情」が52件となっており、これらで全体の
>64.3%を占めている。
971考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:55:28
972wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/04(土) 22:02:07
>>970
「憤怒」、「怨恨」とは、直接的すぎるというか、客観的すぎませんか?
刑量を計るには、あるいは、直接的動機を探るためには有効なのでしょうが。
973考える名無しさん:2006/03/04(土) 22:18:58
>>972
>おおよそすべての殺人行為は経済的要因
の妥当性を検討するという目的については、

>「憤怒」、「怨恨」とは、直接的すぎるというか、客観的すぎませんか?
とは思いませんね。

別の問題について使う場合には、この分類が不適切な場合もあるかもしれませんが。
974考える名無しさん:2006/03/04(土) 22:41:44
どうして 人を殺しては いけないのか?

 本当に疑問に思うなら 一人殺してみましょう。
多分 答えが解るはずです。

 それが出来ないのは 人を殺してはいけない理由を
すでに 知っているからです。

 もう、いいかげん 無駄な議論はヤメにしましょう。
975wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/03/04(土) 22:59:54
>>973
「憤怒」、「怨恨」というのは殺人の直接的、客観的な一時的/せつな的な「動機」ですよ。
そこに至るmotiveは、もっともっとおおぐくりできるものにカテゴライズできると思いますよ。
即ち、経済的要因。
976考える名無しさん
>>975
あなたの考えでは、人間の行動の動機で、
経済的要因にならないものは存在しますか?