◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない52◆

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1考える名無しさん
前スレ
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない51◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1135824017/

過去ログ
http://www.emit.jp/ai/ai.html
2考える名無しさん:2006/01/12(木) 21:40:14
1 名前:「機械的唯物論」者 投稿日:03/06/18 23:47
唯物論=ただものろんが21世紀に「最終真理」であることが判ってしまったよ。

俺らの意識は「複雑な細胞コンピュタが見る夢」にすぎない。

5 名前:「機械 投稿日:03/06/18 23:52
>>2
一部の技術者は語尾の「−」を省略してるうちに途中の「ー」も
省略するようになった。一般的には「コンピューター」だということは
指摘されれば、判るよ。


-------

過去ログ見ると機械のキャラが変わっててワラタ
3αΩ ◆G.QKjYshg6 :2006/01/12(木) 21:43:25
偶然であることを決定することはできない。なぜなら、その事柄は
今の科学では「偶然」となっているけれど、メカニズムがさらに解明されることによって
「必然である」ことがわかるかもしれないからだ。
同様に、「必然である」ことも決定することはできない。
科学が完成されなければ「偶然である」ことも「必然である」ことも言えない。
しかし、科学が完成された事を確かめる術は無いし完成されていないことも確かめる術は無い。
だが、無いと思ってるだけで本当はあるのかもしれない・・・・
という堂々巡りが続く。
4むじんくん:2006/01/12(木) 23:13:00
>>2
文体が出来上がったということでしょうか。文体を得るということは素晴らしいことです。
5ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/12(木) 23:37:26
乙!
6考える名無しさん:2006/01/13(金) 00:24:23
機械タソいつものよろしく.
7考える名無しさん:2006/01/13(金) 01:00:20
機械タソいつものやったげて☆
おゥ 聞きたいか俺の武勇伝!!
そのすごい武勇伝を言ったげて☆
俺の伝説ベスト10!!
レッツゴー☆

(機械タソの伝説ベスト10募集中)

ケテー論ケテー論 機械論的唯物論
レツゴー☆

意〜味は知らないけれど ム〜シャクシャしたから
クオリアという言葉を使ってみた♪♪
8唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/13(金) 01:03:55
新スレおめでとうございます。
機械さんの登場はまだみたいですね。
9「機械的唯物論」者:2006/01/13(金) 01:06:48
万年クオリアの機械ですが、なにか?
10考える名無しさん:2006/01/13(金) 07:57:45


中村さんへ

2chやめて
まず、まっとうな人間に戻ってください


佐藤
11考える名無しさん:2006/01/13(金) 09:26:39
>>7
GJ!! (ゝ_ )b
今年初めての、そしておそらく今年最高のGJ!!
テンプレ入りきぼんw
12考える名無しさん:2006/01/13(金) 10:53:32
で?     
13考える名無しさん:2006/01/13(金) 11:05:09
で?で?ででで?
レッツゴー☆
14考える名無しさん:2006/01/13(金) 11:38:55
>>13は脳内のぴかぁ〜だな w
15考える名無しさん:2006/01/13(金) 11:49:08
ぴかぁ〜って何?オリエンタルラジオ知ってる?
16ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/13(金) 12:02:06
このスレいらんよ
駄レスばっか
17「機械的唯物論」者:2006/01/13(金) 12:16:36
脳は物質だから駄レスは必然である。
18考える名無しさん:2006/01/13(金) 12:21:49
>>16
じゃあ
お前が気のきいたこと言ってみろ
ヘタレが
19考える名無しさん:2006/01/13(金) 12:22:07
機械タンかっこいいー☆
20考える名無しさん:2006/01/13(金) 12:25:40
>>19は女性ですか、どうよ?
21ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/13(金) 13:00:01
>>18いらんのになぜ
22考える名無しさん:2006/01/13(金) 13:07:16
一貫性がない
論破されたら相手の知識を一部乗っ取って
数スレ後に自分の主張と摩り替えてしまう
それが機械クオリティー
23考える名無しさん:2006/01/13(金) 13:17:56
>>21
いらん理由が駄レスばっかだからなんだろ?
だから駄レスじゃないのを自分で書いてみろと言ってるんだ
自分では、なんにもできないのに文句ばっかり言うヤツ最低だろ
見本も見せれないくせに口だけ偉そうなヤツ←ヘタレ
24考える名無しさん:2006/01/13(金) 13:38:34
>>22
機械は資格十分、2ch住民としてな

>>23
目糞鼻糞対決
25考える名無しさん:2006/01/13(金) 16:06:26
で?   
26機械タンの孫娘:2006/01/13(金) 16:19:37
祖父はボケをかまして、修正されるとえばりかえすたちの悪い痴呆老人です。
くれぐれも、皆さん、注意して老獪な機械タンをお楽しみください。
かしこ。
27ハル:2006/01/13(金) 17:02:43
>>22
論述とはそういうものじゃないか。(-_-)zzz
28考える名無しさん:2006/01/13(金) 17:24:21
>>27
女性とはそういうものじゃないか、どうよ?
29考える名無しさん:2006/01/13(金) 17:53:06
女は存在しないわけだが
30考える名無しさん:2006/01/13(金) 17:56:52
>>29は女性ですか、どうよ?
31(*゚ー゚)早織 ◇saori.phgk :2006/01/13(金) 18:37:58
女性ですが、何か?どうよ?
32(*゚ー゚)早織 ◆saori.phgk :2006/01/13(金) 18:42:33
トリはずれてた...
クオリアのせいだ、クオリア氏ね!
33むじんくん:2006/01/13(金) 19:22:49
誤:脳は物質だから意識は必然にすぎない
正:脳は物質だから意識は自由である
34ハル:2006/01/13(金) 20:26:03
もし物質の全運動・性質を科学的に人間が把握できたとしても、そこに決定論の余地は生まれない。
なぜならあらゆる科学的論述はいまだ知りえていない結論へと向かわせるものであり、そのため決定論が成立するとすると、科学的論述はそれ自体としての意味を失ってしまうためである。
もしそうでなく何か神のようなものを仮定したとすると、科学的意味は保存されるが、それは人間の永遠に知りえないものとなる。
結論として、決定論は成立するとすると言述不可能となる自己矛盾を孕むことになる。
35「機械的唯物論」者:2006/01/13(金) 21:17:35
宇宙は物質であるから決定論は必然である。
36ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/13(金) 22:35:28
■「クオリア」はなぜ語りえないのか。

@クオリア・マニフェスト
>>
クオリア・マニフェスト 茂木健一郎

http://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html

私たちの世界観の中で心的現象が本来占める重要性に対するいきいきとした感受性を持ち、心の
中の様々な表象(representation、Vorstellung)の重要性を指摘したのが、フッサール、ハイデガーら
の現象学者たちであった。

私たちの心の中のクオリアを「私」が見るという構造は、「私」という「主観性」(subjectivity)の構造に
支えられている。「私が赤を見る」という心的体験のうち、「赤」の「赤い感じ」がクオリアであり、一方、
「私が○○を見る」という構造が主観性である。このように、クオリアと主観性は、表裏一体の関係に
ある。これが、私たちがクオリアと主観性を同一のフレームワークの中で理解しなければならない
理由である。

主観性の起源の解明のためには、クオリアに対応するニューロンの活動の時空間的なパターンの
解明のために必要な議論よりもさらにシステム論的な議論が要求される。
<<

ハイデガーの、フッサールとの違いは、コンテクスト主義と言われている。すなわち物理主義など、
現象を因果律だけで説明するのではなく、間に解釈項を入れる。ハイデガーではそれが「現存在」で
ある。対象を赤いとみるのは主観という解釈項である。これはパースの記号論の3項であり、ラカン的
には現実界(ものそのもの)から想像界への解釈項としての象徴界(言語)となる。だからラカン的
には、「クオリア」は言語のように構造化されているとなるだろう。
37ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/13(金) 22:36:38
Aオートポイエーシス

事実、神経学によると、人が感じる色は、光の波長でなく、言葉として認識した色と近いと言われる。
だから当然、同じ波長の赤でも見えているものはちがう。たとえばデザイナー、画家など色職人は
様々な赤を日頃認識している。当然、なんでも赤の僕達とは見え方が違う。たとえばこれは
オートポイエーシスが考えられたもとでもある。

>>
オートポイエーシスは神経システムをモデルにして組み立てられている。マトゥラーナが問題とした
神経システムは、色の知覚に関するものである。外部刺激に対する視覚神経細胞の活動は、
外部刺激の物理的特性に1対1に対応していないという実験結果がある。つまり、神経システムを
外部刺激−細胞活動のスタティックな写像として見ると、実験結果が説明出来ない。こうしたことから、
神経システムはそれ自体の関連の内部でのみ活動しているはずだとマトゥラーナは考えた。

http://rikou.st.ryukoku.ac.jp/~nomura/docs/autopoiesis/node4.html
<<

たとえば、盲人も普通の人と同じように色がわかるという。たとえば盲人は、赤は派手、明るい、
ショック、危険などなど色をイメージとして認識している。そして色は言語であるというとき、普通の人も
盲人と近い形でイメージとして色を認識しているということである。

それでも、この赤という意味(クオリア)は、派手、明るい、ショック、危険などの確定記述の束に還元
されない。これを赤のイデアと呼んでも結局、言語への還元でしかない。ラカンが意味は現実界に
あり、人は知りえない、あるいはヴィトゲンシュタインィトの「語りえぬもの」とは、このような意味である。
38ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/13(金) 22:37:12
Bやわらかな遺伝子

それでも、意味にさかのぼるなら、アフォーダンスという考え方がある。赤を人の認識に還元する
のでなく、たとえば赤い花は赤いことをアフォードしていると考える。赤い花は動物、昆虫を引き寄せる
ために赤を訴えている。人が赤に感じるクオリアはこのような進化上の経験によるということだ。
これは進化心理学であり、憶測でしかない。すなわち意味とは、このようなことである。美とはなに?
なんのために生きているの?などなどだから意味は現実界(ものそのもの)にしかない。それは、
簡単には以下のよう意味になる。

クオリア(意味)=遺伝子による進化上の経験+言語による文明的経験+生まれてからの記憶された経験

主観と客観とはなんだろう。たとえば人間の先天的能力で赤く見えるものは、客観である。しかし
最近は「やわらかな遺伝子」などといわれ、遺伝子は単なる先天的なものではなく、後天的な発動の
問題がある。だから遺伝子的にも先天性と後天性は明確でない。いわば後天的解釈項(それは言葉
でも育つ環境でも良いか)によって、遺伝子がどのように発動するか、わからないということであり、
意味(クオリア)はこのような複雑なコンテクストの彼方にある。
39ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/13(金) 22:38:07
■「クオリア」はなぜ語りえないのか。  その2

C僕たちは限りなく同じである。

「「クオリア」はなぜ語りえないのか。」>>505-507で示しましたが、クオリア(意味)が語り得ないのは、
対象があり、意味へと変換するのは、因果律ではなく、その間に解釈項が入るためです。意味が
主観であるのは、解釈項が「私」であるからです。だから私の解釈とあなたの解釈は異なる故に、
対象のクオリア(意味)は主観であり、語り得ないのです。

しかし意味が主観だけでは、間主観性、すなわちコミュニケーションがなりたちません。そのために
解釈項は「限りなく同じ」なのです。すなわち、あなたと私は「限りなく同じ」なのです。

クオリア(意味)=@遺伝子による進化上の経験+A言語による文明的経験+B生まれてからの記憶された経験

ボクがこのようにいうときに、「@遺伝子による進化上の経験」は人間では限りなく共通です(時間的
には数億年の経験です)。「A言語による文明的経験」も文化圏が分割したのは、最近です。(時間的
にはたかだか数万年前です。)このような意味で、あなたと私は「限りなく同じ」なのです。

これはクオリア(意味)の読み解きのヒントになると思います。たとえば「@遺伝子による進化上の記憶
(経験)」は身体を構造的に解体することにより行われてきました。これはいわばハードであり、科学的
にもっとも進んだ領域です。このソフト側は心理学、最近では進化心理学による考察があります。
さらには「A言語による文明的経験」は人間の初期には、(心理)考古学による考察が進んで
いますし、文化そのものの考察では、歴史学、社会学などがあります。

認知科学は、このように状況証拠的なクオリア(意味)の全方位網として進んでいます。このような
意味で、「クオリア(意味)」とは認知科学の中心に立てられ、目指される旗です。「僕たちは限りなく
同じである」故には「クオリア」は「語ることができる」可能性があるのです。
40ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/13(金) 22:39:04
D僕たちはそれぞれが違う

しかしまた「限りなく同じである」とは、同じではないということです。クオリア論にもこのような残余が必ず
残ります。ここに精神分析があるのではないでしょうか。精神分析における抑圧された無意識とは、
小さい頃の経験(B生まれてからの記憶された経験)が、事後的に現れて、その人に決定的な影響を
与える、すなわち「私」であるという個性を与える。

「動物」は生まれながらに高い完成度を備えている。すなわち「@遺伝子による進化上の経験」によって、
クオリア(意味)が決定する。あるいは意味そのものが必要とされない。しかし「人間」は未熟な状態で
生まれ、「A言語による文明的経験」、さらには「B生まれてからの記憶された経験」が決定的な意味を
もつということを表している。

しかしここには科学を越えた、「人間/動物の差異」がなければならない、という倫理的次元の介入が
あることも否めません。たとえば、「僕たちは限りなく同じである」というのは、最近のリベラル的平等主義を
支える倫理です。しかし、進化心理学など認知科学は倫理的に批判にさらされています。これはリベラル
では、「人間である僕たちは限りなく同じである」という「人間/動物の差異」に基づき、「人間は動物と
違いみな平等だ」ということであるのに対して、認知科学における「僕たちは限りなく同じである」という
のは、「人間/動物の差異」を解体するのです。

ここで重要なのは、ここでの「人間/動物の差異」の解体が、従来の科学の「人間は動物である」という
ことではなく、「動物も人間的である」という方向をもっているということです。
41むじんくん:2006/01/13(金) 22:45:41
>>40
> 「動物も人間的である」という方向をもっているということです。

人間的という意味は所謂「心」を持つということでしょうか。それなら動物も人間的ですね。
42考える名無しさん:2006/01/13(金) 23:04:11
茂木健一郎がNHKでプロフェッショナルとかなんとかいう
番組の司会やってた。

もごもご冴えない進行ぶりで、ちょうど
ぴかぁ〜のコピペの内容がそれとそっくりでワラタw
43考える名無しさん:2006/01/13(金) 23:24:59
アメーバーにも心があるのか
44考える名無しさん:2006/01/13(金) 23:58:17
blog?
45とし:2006/01/14(土) 00:25:00
クオリアという観点から見て、「生命(人間⇔動物)/物質」の差異の解体は
いかにして可能であるか?
46むじんくん:2006/01/14(土) 00:33:48
>>45
> クオリアという観点から見て、「生命(人間⇔動物)/物質」の差異の解体は
> いかにして可能であるか?

クオリア本能論ならば解体不能でしょうが、私はそう思わないですね。例えば、三国志に出てきますけど、
偉い人が農家か何か、一般ぴーぷるの家に宿を借りる。そのとき、もてなす料理が無いからといって
親を殺してシチューにしちゃう話がありますよね。あれとか、どうなんだろうなぁと。つまり、我々が"人間"
と呼ぶ感覚とは大幅に違いますね。
47とし:2006/01/14(土) 00:39:44
>>親を殺してシチュー
親?
あれ、女房じゃなかったっけ?
48考える名無しさん:2006/01/14(土) 00:42:53
例えばと
つまり
の意味が全く分からんw
49むじんくん:2006/01/14(土) 00:43:47
>>47
> あれ、女房じゃなかったっけ?

あ、そうでしたっけ。むかーしに読んだので忘れてしまった。親じゃないのかな、儒教の教えの国としては。
50むじんくん:2006/01/14(土) 00:45:00
>>48
> の意味が全く分からんw

人間が石ころだった時代もあったんじゃないかということです。日本も江戸時代は"武士"、"農民"は
いるが"人間"はいないんでしょう?
51唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/14(土) 00:45:23
クオリアを性質上総てに共通(共有は不可)として
そのクオリアによって映し出せれ、感じさせられる世界・感覚を
他に伝える手段ではなく「自分に伝える」ことで
>>45さんの言われるような、「生命(人間⇔動物)/物質の差異の解体」への
第一歩だと思います。
52哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 01:03:48
>>46-50
つーか
それは価値観の話であって
クオリアとは全く関係がありません

ちなみに
茂木健一郎
 ↑
この人も、ダメっぽいな
問題の本質が理解できてないわ
クオリアを語る人って
だいたい他に目的があって
クオリアという言葉を利用して注目を集めようとするんだよね
そういう意味では成功してるんだろうけど
誤解しちゃう人が後を断たないんだよな
53考える名無しさん:2006/01/14(土) 01:23:30
三国志の内容を真に受けてる人、大丈夫ですか?.
54とし:2006/01/14(土) 01:29:52
物質の諸形態は同時にクオリア体でもあるという仮定があって初めて日本庭園
の明澄な美や山紫水明のこころを感じ取ることができる。日本人の繊細な感性は
最初から正しく「もの」を感じ取っていた。四季折々の風景に溶け込んだ庵は
人工物であるにもかかわらず自然との明確な差異を感じさせない。現代の
鉄筋コンクリートとアスファルトの牢獄は物質のクオリアとしての側面を無視
することで発達してきた現在までの欧米唯物論の所産であって、その牢獄の中
で我々自身のクオリアとしての側面もまた疎外され窒息し、生気を失って
しまう。
55ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 01:33:35
>>54
日本人とは「生まれ」ですか。
大和魂ですね。
56むじんくん:2006/01/14(土) 01:35:06
>>53
> 三国志の内容を真に受けてる人、大丈夫ですか?.

こういうのはどうですかね。アメリカで戦地で実際に敵兵を前にしたときに殺すという行為を
行う割合が驚くほど低いという調査が出た。で、兵士がちゃんと敵を見たら殺すように徹底的に
訓練したというんですね。その効果は素晴らしく、ベトナム戦争では殆どの兵士が現地で平気で
人殺しが出来るようになったらしい。

ただ、帰ってきてからご存知のように全く適応できなくなった。いきなり見知らぬ子供を路上で
射殺したり、そういう人間が増えちゃったと。

だから、普通に"人間"っていう感覚はわりと壊せるものなのだということですね。
57哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 01:39:19
>>54
人の話きいてますか?
58とし:2006/01/14(土) 01:40:59
>>57
だれの?
59むじんくん:2006/01/14(土) 01:41:02
>>54
> 物質の諸形態は同時にクオリア体でもあるという仮定があって初めて日本庭園
> の明澄な美や山紫水明のこころを感じ取ることができる。日本人の繊細な感性は
> 最初から正しく「もの」を感じ取っていた。

いや、的確なご指摘だと思います。つまり、クオリア論というのは日本人受けするという
ことですね。
60哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 01:44:54
>>58
あなた
感性や価値観と
クオリアを、ごっちゃにしていますよ
61とし:2006/01/14(土) 01:49:01
>>60
ふーん。
62むじんくん:2006/01/14(土) 01:51:12
>>60
> 感性や価値観と
> クオリアを、ごっちゃにしていますよ

クオリアはごっちゃになった何者かですよ。赤の"感じ"だから。意味もあれば感覚もあれば
何でもありなのです。
63とし:2006/01/14(土) 01:52:28
感性や価値観って志向性クオリアのことじゃなかったっけ?
64哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 02:00:49
>>62
>クオリアはごっちゃになった何者かですよ。
>赤の"感じ"だから。意味もあれば感覚もあれば
>何でもありなのです。

意味 は違います

>>63
それはクオリアではありません
65とし:2006/01/14(土) 02:06:20
>>64
感性や価値観を「感じること」そのものも物理的記述から完全にはみ出た
クオリアなのでは?観測者が観測するということそのものもクオリアならば
そこから導出された価値観もまた意識されたものであって、つまりクオリア
であるということは明白です。
つまり、色などの感覚クオリアと、感性や価値観などの志向性クオリア。


66独我論を支持したい人:2006/01/14(土) 02:09:08
初めて書き込みます。このスレのテーマを生涯考えてるので、私も参加させて下さい。

独我論じゃダメでしょうか?いや、俺にも意識はあるよーと言われればそれまでですが、
意識は無数にあり、かつどれも単独で存在し他の意識とは関わらない。
Aさんの意識がBさんを見てると感じつつ
Bさんの意識がAさんを見てると感じるのですが、
共に意識は独立して存在し、AさんがBさんに何をしてもまた逆をしても、
お互いに影響はなくただそれぞれが勝手に何か感じるだけ。

これなら、他人の存在を肯定しつつ独我論を成立させることができるのではないでしょうか?
どうでしょうかね?
67唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/14(土) 02:12:03
一即多多即一。
68独我論を支持したい人:2006/01/14(土) 02:15:14
>>67
唯識さんのことは前から期待しておりました。
私にはちょっと難しいので、どうか分かりやすいように
教えてくださいませんか・・?

言葉から察するに、一つは無数であり無数は一つである・・・
一人の意識は無数にあり、無数の人の意識もまた一人の意識?
つまり自分も他人も無数の感覚を感じる可能性があるとかの
解釈であってますか?私が唯識さんや最高位さんを感じることもあれば
その逆もある、と
69考える名無しさん:2006/01/14(土) 02:20:12
>>68
ぶっちゃけ見方かえればどうとでも見えるって事じゃない?
70哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 02:38:29
>>65
クオリアとは
本人が主観的に感じる実感的な質感
であって、単なる情報です
情報が感性によって、さまざまな価値観に分類されます
クオリアは、単なる情報であって
それに価値観による思考が加わって意味となります

少し分析が甘いんですよ
もっと科学的に考えて下さい
目に、ある種の光線が入ってくると
視神経を通して電気信号が脳へと送られる
その電気信号が、なぜ色に変換されて感じるのか
この変換された情報をクオリアと呼んでいるんですよ
しかし
赤なら赤で、それがいわゆる黄色とかではなく
赤に感じる根拠というものを
脳をいくら研究して探そうとも、どこをどう探そうとも
全くどこにもありえるはずもない
というのがクオリアの起源 という問題です

価値観や意味 などという事は
その次の思考という段階であって、クオリアそのものと解釈するのは
明らかな間違いなわけです
71ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 02:40:18
>>70
だから、それだとクオリアは情報としか言ってないだろう。
馬鹿か?
72哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 02:50:54
>>71
はぁ?
私が言っている この事の
深い意味がわからんのかい???
やっぱりキミには無理だね
馬鹿はキミなんだよ
とりあえずは、複雑に考えなくてよい
深く考えなさい
まず重要なのは、本質なんだからね
73哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 02:58:36
しかし
なんでこんな簡単な事がわからんのかねぇ
基本中の基本でしょう
基礎だよ基礎
こんな事もわからんで、よく哲学がどうとか言ってるよなホント
私が、『私』について説明してあげても
そりゃ 理解できないはずだわw
74ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 03:13:29
>>72-73
また逃げた。別に追わないけど。
75哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 03:33:42
>>74
なんで逃げたと思うわけ???
わけがわからんな
これ以上にわかりやすく説明しろって?
ムチャ言うなよw
少しは自分で考えたらどぉ?
じゃあ聞くけどさ
キミがクオリアを説明できると言うならさ
赤は、なんでこういう『赤』という色に見えてるのか
そのわけを説明できますか?
できっこないんだよ
クオリアの起源とは、そういう問題
逃げずに答えてもらえるかな?
76ぽっくん:2006/01/14(土) 03:34:55
クオリアってかわいいくせしてものを食べる時グロインダヨ。
77哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 04:06:25
ぴかぁ〜君
まだぁ?
逃げたの?
てか、まぁ答えられるわけがないんだけどね
クオリアってのは、これだけの話なんだよ
単純な話
それを、いろんな複雑なものをくっつけて
なにやら小難しい話に摩り替えて誤魔化そうとする人がいるんだよね
知識人と呼ばれる人の中にもさ
本人も気づいているのかいないのか不明なんだけど
インチキ偽者クオリア学者だよ私から言わせればさ
おそらく左翼的な思想に影響されてる学者なんじゃないかな
そんなのに影響されて頭を頑なにしちゃうって事は
実に残念で、もったいない事だと思うよ ウンウン
78考える名無しさん:2006/01/14(土) 04:17:20
まじで?
79哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 04:25:19
さぁ?
80orz:2006/01/14(土) 05:09:48
すいません、なんでモギ健一郎は、「クオリア降臨」
とか、わけのわからない本ばっかり出しているんですか?

よくテレビで脳科学者と紹介されるけど、具体的には
どんな研究してるんですかね?かなり胡散臭いのですが。
81「機械的唯物論」者:2006/01/14(土) 06:05:16
クオリアは物質だから脳科学の研究対象になるのは必然である。
82orz:2006/01/14(土) 08:16:24
すみません。過去スレすっとばしで質問して無礼かとは思いますが
ご教授願います。もしガイシュツであれば「嫁」と一言おっしゃって
いただければとw。

1.「クオリア」とは「現象」を指す用語だと勘違いしておりました
。もし「物質」であると仮定するならば、それは「観測可能」な
対象なのですか?もしそうであれば、どのスケールの物質(
量子力学が必要な極小なスケールか、古典的な高分子化学のスケー
ル、など)と仮定され、また現時点で観測できていない理由はなん
でしょうか?

2.不勉強でお恥ずかしいのですが、例えば「重力」という現象は物
理学において根本的な概念だと思うのですが、これは物質のカテゴ
リに含まれるのでしょうか?申し上げたいことは、物質というカテ
ゴリーに必ずしも含まれなくても、物理的に重要である(と仮定し
たほうが美しい方程式になる)概念群が存在する可能性がある、と
いうことです。つまり、意識を物理的に説明する場合、必ずしも
物質に還元する必要はない「可能性」がありますが、その点はどう
お考えでしょうか?

3.最後にお聞きしたいことは、だんだんどうでもよくなってきました
がw、茂木健一郎という「脳」「科学者」を自称している方がいら
っしゃいますが、この方はどのような具体的「実験」なり「論文」
なりを発表されているのかご存じないでしょうか?これは単なる世
俗的な関心にすぎず、「また脳ブームに便乗して、トンデモ「学者」
がおかしな言動に走っているのでは」という危惧があるだけで、
それほど重要なことではありませんので、流してもらって結構です。


以上、3年?ぶりに2ちゃんでカキコする、作法を忘れた無礼者でした。
どうかお付き合いきぼんぬ(死語w)。
83ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/14(土) 08:41:43
>>23な。テーマが悪いからこうなると言うのだ。
こいつら結局物理学信者じゃんか 
あ、>>82のことじゃないよ
84考える名無しさん:2006/01/14(土) 09:14:22
クオリアは物質じゃないよ。
主観が感じる「属性」みたいなもんだ。
これは対象をいくら観察しても取り出せないし、主体の脳内状態や感覚器の
状態を調べても出てくるものじゃない。定義上そうなる。

例えば、俺の脳内状態を詳細に分析して、ある「赤」のクオリアと完全に
1:1対応する脳内状態を数値として取り出せたとしよう。
また、ぴかぁ〜君の脳においても同じ数値を示す脳内状態が、俺の実験のときと
全く同じ「赤」のクオリアと1:1対応することも示せたとしよう。

それでも俺が感じている「赤」のクオリアと、ぴかぁ〜君が感じている「赤」の
クオリアが同じであるという証明はできない。精神分析だの認知心理だの持って
きたって一切関係ない。無理なものは無理。茂木って人の言ってることはおかしいよ

現代科学的な手法では解明しえない何がしかを、俺らの主観は現に感じている
という例を示したのがクオリアって概念の意味だ。
85むじんくん:2006/01/14(土) 09:34:30
>>66
> このスレのテーマを生涯考えてるので

素晴らしい(笑)。

> 独我論じゃダメでしょうか?いや、俺にも意識はあるよーと言われればそれまでですが、
> 意識は無数にあり、かつどれも単独で存在し他の意識とは関わらない。

まず、意識という言葉ですと微妙ですが、"自己"と呼ばれるものは他者なしでは存在しない。
逆に言うと、他者の無い世界では自己も無い。

ですから、自己も他者もない。主観も客観も無い状態を"独我論"と呼ぶならば、それはある意味
本来的ともいえますね。
86考える名無しさん:2006/01/14(土) 09:44:54
「情報も物質ではない」ってのは分かるだろうか。

情報ってのはある物質状態の差異を認識し解釈する主体によって
定まるものだ。必ず解釈する主体と解釈する規則が必要になる。
解釈されない物質状態は情報とは呼べない。

一方物質は、認識する主体側の状況に拠らずに定まるものだ。
物質を認識する主体・表現する規則はあるかもしれないが、
表現されなくても認識されなくても物質は物質だ。

クオリアってのは「私」が感じているある情報につけられた名前だから、
「私」を取っ払って物質を分析しても絶対に出てこないわけ。
だから、科学的客観的な方法論では定義上わからないんだな。
87むじんくん:2006/01/14(土) 09:57:32
>>70
> クオリアとは

ふむふむ、

> 本人が主観的に感じる実感的な質感

これと

> であって、単なる情報です

これは矛盾するですよ(笑)。

現状主流の情報理論はあなたの言う"実感"を何とか情報として記述できないかと
あれこれやっているんですね。逆に言うと、そういう主流派の情報科学に対して
そこからこぼれ落ちるものが実感というものだ、というのがクオリアとかいう言葉で
わざわざ表現している理由でしょうね。

実感とは、既に分節化された何かであり、それは価値を含み、意味を含んでいる。
だから、ある感覚的刺激に対応する脳の反応という形で記述ができない。ある視覚的対象
から、色、過去の記憶、世間の評価などなどが相互に関連し同時に連動する形で反応が
発生するところに"クオリア"がある。

例えば、赤に分類される波長の刺激から脳の反応を測定する、これは既に行われている
ことです。しかし、"赤"というものは安全ではなく危険、寒いではなく暖かい、その他その他の
様々な脳の反応と連動しているところから"赤さ"が主観に立ち現れる。
88むじんくん:2006/01/14(土) 10:01:42
>>86
> だから、科学的客観的な方法論では定義上わからないんだな。

多分わかるだろうと思います。脳のニューロン構造の記述として、ある考え方というものは
近い将来出るんじゃないでしょうか。"赤"というものから脳の中で同時多発的に連動して
発生する動きを記述するという試みだと思いますよ。スモールワールド理論なんかで
ニューロン構造を記述することは既に行われているので、そっち系で記述可能なんじゃない
かと思います。
89考える名無しさん:2006/01/14(土) 10:14:23
>>88
最高タンじゃないが、なんで理解できないんだろうか。

"赤"というものをニューロン構造やらで完璧に記述できたとしよう。
けどそれは"赤"の記述であって、「クオリア」の記述ではありえないんだって。
90考える名無しさん:2006/01/14(土) 10:33:24
光量によって、質感の変化が生じる.

91決定論スレ46の556:2006/01/14(土) 10:38:59
>>88
わかる、わからない、以前に、「「私」が感じている」という現象が、
実際に存在したのかどうかさえ確認する手段がないんですよ。

観測できる現象について、仮説を立てて、それを検証することは可能ですが、
観測できない、すなわち、存在するのかどうかさえわからないものについては、
仮説を立てても検証のしようがありません。
92考える名無しさん:2006/01/14(土) 10:44:26
>>87
>ある視覚的対象 から、色、過去の記憶、世間の評価などなどが相互に
>関連し同時に連動する形で反応が発生するところに"クオリア"がある。

むじんくんよ、とりあえず「記憶」も「世間の評価」も、およそ君が
「意味」と呼んでいるものを一切忘れたまえ。
そんなものが一切なくても、君の目は色を感じるだろう。
単純にその「色」だけを考えるのだ。危険とか暖かいとかの「意味」と
一切関係ない単純そのものの、君の目に映る色としての「赤」。
とりあえず、それが「赤のクオリア」だ。
その「赤のクオリア」は、「視覚的対象」の物質的性質とも
「赤に分類される光の波長」とも「脳の反応」 とも全く別物だ。
情報科学でも精神分析でも、全く扱えない。お手上げだ。
自分の感じている「赤のクオリア」と、他人が感じている「赤のクオリア」
が同じものかどうかも、いやそもそも他人が何かのクオリアを感じている
のかどうかも、原理的に解明不可能だ。
「いや人間が感じる赤のクオリアは意味と分かちがたく結びついている」
と言いたいのだろうが、そんなことはとりあえず「関係ない」のだ。
皆が言っているのはこれだけのことだよ。わかる?
93考える名無しさん:2006/01/14(土) 10:50:00
>>91
>「「私」が感じている」という現象が、
>実際に存在したのかどうかさえ確認する手段がないんですよ。

クオリアは「私が感じている」という仕方で「存在する」のだ。
それ自体は疑いようのないことで、それ以上「確認する」意味がない。
「観測できる現象」というが、「観測できる」というのはすなわち
「クオリア化できる」ということだ。クオリアが「観測できない」
ということは、原理的にありえない。ただし、観測できるのは
自分だけで、他人には決して観測できない。だから「客観的検証」
ができない、というだけだ。

94むじんくん:2006/01/14(土) 11:01:14
>>91
赤い対象から発生する「赤」の感覚。これは複数の脳の部位の連動的
動きとして記述することが可能だ。脳に関しては確認可能。
95むじんくん:2006/01/14(土) 11:02:04
>>92
> 単純にその「色」だけを考えるのだ。危険とか暖かいとかの「意味」と
> 一切関係ない単純そのものの、君の目に映る色としての「赤」。
> とりあえず、それが「赤のクオリア」だ。

そんなものは無い。
96むじんくん:2006/01/14(土) 11:13:14
クオリアとは脳内をネオンサインのように見立てたものである。個々の電球はニューロンであり、
それはある単純な規則に従って点滅しているが、それが連動するとある形を成す。これが人間の
主観としての"赤"であったりする。つまり、赤が成立しているときに既に複数の要素の連動なくして、
関係性なくしてあり得ない。クオリアとしての赤とは、その関係性そのものを指す。
97決定論スレ46の556:2006/01/14(土) 11:15:22
>>93
>クオリアは「私が感じている」という仕方で「存在する」のだ。
そのような考え方で、(あなたが言うところの)クオリア(とやら)を、考えたり、
議論したりするのは、自由だと思いますよ。

>自分だけで、他人には決して観測できない。だから「客観的検証」
ああ、厳密にいうなら、そのとおりですね。
(観測と(あなたが言うところの)クオリア(とやら)の関係は脇に置くとして)

ですから、科学の対象にはなりえないということが、
>>86 - >>88
の流れから、言いたかったわけです。

98考える名無しさん:2006/01/14(土) 11:22:07
>むじんくん
そういう考えを否定する論拠としてクオリアって概念が生まれたのに、
そんな風にクオリアを定義しなおすとは…勝手なやつだなw
ソレには別の名前をつけるべきだと思うよ。混乱を避けるために。

>>92-93
最高タン以外にもちゃんと理解してる人がいて安心した
99考える名無しさん:2006/01/14(土) 11:38:53
>>98は最高位の自演だな w
100むじんくん:2006/01/14(土) 11:40:26
>>98
> そういう考えを否定する論拠としてクオリアって概念が生まれたのに、

だけど、科学的記述をしようというわけですからね。クオリアは。

> >>92-93

これは科学的記述を放棄しようって話でしょ。
101むじんくん:2006/01/14(土) 11:45:57
加えて言うと、クオリアが脳内の関係性に視点を移して記述しようという
試みであったとして、それでも"クオリア"の起源をが脳という範囲で記述可能かと
いうとそうじゃない。脳は開放系であり、他の脳との関係において作動する機械である。

個別の脳内部で閉じた話としてクオリアを記述しようとすれば、必然的に本能論になるが、
それは人間の場合当てはまらない。

真にリアルなものは何か?脳と脳の関係を規定するもの、社会であり、社会というのは
つまり広い意味での経済的行為を指す。
102ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 11:48:31
クオリアとは、
意味論・・・ボク、むじんくん
超越論(主観的イデア論?)・・・哲学無能位、>>92-93>>98

こんな感じかな。
この違いはたぶん哲学知識があるか、ないかの違いでしかないんだろう。
意味は主観的で到達しないという言語意味論の知識があるか、ないかだな。


>>92-93のクオリアを「意味」に書き換えても、意味が通る。

その「赤の「意味(赤とはなにか?)」」は、「視覚的対象」の物質的性質とも
「赤に分類される光の波長」とも「脳の反応」 とも全く別物だ。
情報科学でも精神分析でも、全く扱えない。お手上げだ。
自分の感じている「赤の「意味」」と、他人が感じている「赤の「意味」」
が同じものかどうかも、いやそもそも他人が何かの意味を感じている
のかどうかも、原理的に解明不可能だ。

「意味」は「私が感じている」という仕方で「存在する」のだ。
それ自体は疑いようのないことで、それ以上「確認する」意味がない。
「観測できる現象」というが、「観測できる」というのはすなわち
「「意味」化できる」ということだ。「意味」が「観測できない」
ということは、原理的にありえない。ただし、観測できるのは
自分だけで、他人には決して観測できない。だから「客観的検証」
ができない、というだけだ。
103ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 11:52:29
そして、科学好きではクオリアとは?であぼーんするのに、
哲学では、「意味」はずっと検討されている。
そもそもクオリアは現象学からのパクリだから。
104哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 11:59:26
>>87
>> クオリアとは
>ふむふむ、
>> 本人が主観的に感じる実感的な質感
>これと
>> であって、単なる情報です
>これは矛盾するですよ(笑)。

質感 という情報だけど?
どこが矛盾してるの?

「たとえば硬い という意味がある!」と言うかも知れないが
それは分析能力の低い、先走りした発想からきていると言える
硬い というのは情報であって
たとえ同じ「硬い」であっても
状況によっては快く感じたり不快に感じたり
価値観によって、意味はさまざまに変化する

ア という音(声)じたいに、特に意味はないでしょう
アは、アです
それ以外の何ものでもありません
しかし
アの後に、ホがつくと少し事情が変わってきます
これは価値観によって意味が発生しているからです
だが、アホという日本語を知らない人種からすれば
全く意味のない音声にすぎません
クオリアと意味は、別の話なのです
105ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 12:11:28
世界は情報である。意味の情報だ。

「なんでも情報」だろ。
106考える名無しさん:2006/01/14(土) 12:14:06
>>102
ぴかぁ〜よ、何であんたとむじんくんは「意味」と「言語」に金縛りに
なっているんだねw

>「観測できる現象」というが、「観測できる」というのはすなわち
>「「意味」化できる」ということだ。
そんなわけあるか。何が何だか意味がわからん現象だって、とりあえず
観測することはできるだろ。古代遺跡の何とか文字だって、目で観測して
写し取ることくらいできるさw
それから「置き換えることができる」ことと「同じ意味である」
ことは別に決まっている。
「犬は哺乳類である」という文章の「犬」を「猫」に置き換えても成立するが、
犬と猫とは別だ。哲学的知識があろうとなかろうと、常識だろw


107考える名無しさん:2006/01/14(土) 12:14:53
>ぴかぁ〜

君の言ってるクオリアの定義は?
108哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 12:22:20
>>96
むじんくんは本当に面白いなぁw
>クオリアとは脳内をネオンサインのように見立てたものである。
ネオンサインなんてないよw
それに、そのネオンサインに色があるわけでしょう?
だったらその赤が、なんで赤に感じるのか
という疑問が永遠に、無限に繰り返し出てくるだろう
どこまでさかのぼれば赤の起源にたどりつくのかな?
永遠に同じ事の繰り返しだよ
そんな事もわからんの?
キミ、ほんとに面白いねw

>>99
自演なんてするかよw
キミも、ホントに理解できないの???

>>101
オイオイ
経済的行為がクオリアを生み出すって??
いいかげんにしてくれよw

>>102
意味 は後付だよ
価値観によって発生するの
クオリアってのは、なんも考えんでも感じるでしょう
目を開けりゃ普通はものが見えるものだ
さの際、価値観によって、赤が青に見えたりしますか普通
109ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 12:24:49
>>106
「赤」とは言語化されなければ、なにものでもない。
そして言語化されることによって「赤」はあるが、
「赤」そのものがなにか、その意味(クオリア)は
知り得ない、ということなのだ。
意味とはそういうものだなだよ。

赤の「意味」とはなんだ?を考えたまえ。

クオリア(意味)=@遺伝子による進化上の経験+A言語による文明的経験+B生まれてからの記憶された経験
110ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 12:27:39
言語意味論的「意味」があり、科学者がそれを「クオリア」を
名付けた。おいおい、クオリアは「意味」をかっこよく名付けただけだろう。
ってことだね。君たちがクオリアというものが、言語意味論の「意味」なんだよ。
だから哲学知識があるか、ないかだけの問題なのだよ。
111哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 12:30:03
>>109
赤を感じるのと
言語化なんて関係ないだろ
感じた後に、言語化して
思考したり人に伝えたりするんだよ
赤を知らない人に、まず赤という言葉を教えなきゃ
赤が見えないと言うのかよ
んなわきゃないだろw

なんで考え方が、逆さまなんだ?キミは
112ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 12:32:59
>>111
おまえは口を開く前に勉強してこい!
だらだら低脳垂れ流すな!
いまどき、赤と言語の関係なんか、ググれば100万件はあるだろう。
天然おこちゃまキャラだからで、甘えるのもいいかげんにしろ!こら!
113哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 12:37:13
>>110
意味よりも前に
主観性による実感的な質感
という「事実」があって
その意味に
クオリアという言葉を後付けしただけだろ?

なんで全てに先行して「意味」があると考えるんだろなキミは
「意味」は、人間が思考した時に発生するものだよ
114ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 12:42:16
>>113
だから、「意味」とはなにかの定義の問題でしかないな。

主観性による実感的な質感という「事実」のあとにあるものが「意味@」だ。
主観性による実感的な質感という「事実」が「意味A」だ。

>なんで全てに先行して「意味」があると考えるんだろなキミは
>「意味」は、人間が思考した時に発生するものだよ

でた!天然発言!?1レスにかならず1笑い!最高!
誰一人こんなこといってなのに!

115哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 12:42:21
>>112
はぁ?
なに怒ってんの?
キミは
ググっれば正しい解答が、親切に用意されてるとでも思ってるわけ?w
キミの言説は、ググッて出てきた受け売りだろが
クオリアを研究してるとか言ってるヤツ
そんなもん全部インチキだよw
それを信じちゃってるわけだよな?
で、勉強してこいと・・・
もうね
アホかとボケかと
116ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 12:44:15
>>115
あ、また逃げた。でも追わない。
117考える名無しさん:2006/01/14(土) 12:48:13
>ぴかぁ〜
>>106でも指摘されてるが、>>102で君が「クオリア」と「意味」を置き換えたやつ、
全然意味通じないんだが。

意味がわからないものは観測できないの?
118哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 12:50:27
>>116
追ったら負けるもんな
てか、逃げてるのは自分なんだけどなw
人のせいにするのは、いいかげんやめなよ

簡単に言えばだな
クオリアの説明に「意味」なんて関係ない と言ってるんだ
本質から、逸れまくりなんだよ
119ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 12:51:23
>>117
クオリアがわからないものは観測できないの?
120ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 12:54:33
赤の意味ってなんだっけ?
121哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 12:56:12
とうとう壊れちゃったみたいだな
122考える名無しさん:2006/01/14(土) 13:01:39
>>119
こっちの定義で言うなら、クオリアがないものは観測できないよ。

で、 もう一度聞くが、「意味が分からないもの」は観測できないの??
123ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 13:05:21
>>122
「意味」がないものは観測できないよ。
124むじんくん:2006/01/14(土) 13:08:20
>>104
> 質感 という情報だけど?
> どこが矛盾してるの?

赤の"赤い感じ"は既に価値を含んでいる。そして、"赤"とはそういった不特定多数の
要素の関連自体を指すのであって、実体としてどこかにあると考えるのをやめる。そう
すれば、"赤い感じ"を脳細胞のパターン、数学的記述に落とせるのではないか、これが
科学としてのクオリア論だろう。

通常の情報科学ではある文字に対応する"意味"は意識的にカットして思考する。何故なら
数学的に記述不能だからだ。しかし、情報=データ自体のパターンを辞書的に積み上げても
クオリア的なものは発生しない。

そこで、

>>108
> ネオンサインなんてないよw
> それに、そのネオンサインに色があるわけでしょう?

ニューロンの関連性自体を見る。その関連性に"赤い感じ"の科学的表現を見るという
のがクオリア論だ。そして、これは数学的記述が可能であり、成果が確実に出るのである。
125考える名無しさん:2006/01/14(土) 13:11:15
>>123
マテマテ。「意味」って解釈されることで見出されるものじゃないのか?
主体による解釈なしに「意味」が存在するの??
126ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 13:12:48
>>125
主観だけどなにか?
127むじんくん:2006/01/14(土) 13:17:09
>>108
> オイオイ
> 経済的行為がクオリアを生み出すって??
> いいかげんにしてくれよw

脳は開放系のシステムだ。そして、ニューロン回路は後天的に生成される。回路の構造を
規定しているのは社会である。社会とは何か?広い意味での経済的活動を指す。経済的活動
こそがリアルなのだ。
128哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 13:25:56
>>122
五感(クオリア)に反応しないものを観測しようがないよねw

>>123
人間は、観測したものに
必ず意味づけをする
というだけの話だよ
発想の後先が逆になってるんだよキミは

>>124
もうね
わざとなの?
それとも真性?
たぶん、問題がゴッチャになってるんだよな
>ニューロンの関連性自体を見る。
>その関連性に"赤い感じ"の科学的表現を見るというのがクオリア論だ。
>そして、これは数学的記述が可能であり、成果が確実に出るのである。

いやいや
なんでかわからないけど
研究の結果、こうなったら赤を感じるという事がわかりました
というようになる と言うのならわかるよ
しかし
赤の赤さが、なぜこういうものなのか
という事なんて、わかる根拠がありえない
という話なんだよ

これでわからなけりゃ、もぉお手上げだ
100回読んでくれ
129考える名無しさん:2006/01/14(土) 13:35:00
スティーブン・ピンカー著、『言語を生み出す本能』
ttp://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Pinker/kuroki/language_instinct.html
130考える名無しさん:2006/01/14(土) 13:41:18
>>126
だよな。んじゃある主観にとって「意味のないもの」があったとして、
その主観は「意味のない対象」を観測できないんだね??

つまり、ぴっかぁ〜が観測できるあらゆるものは「意味が分かる」わけだ。
普通に考えて変だねぇこの結論は。「意味」をどんな用法で用いてるんだ全くw
131むじんくん:2006/01/14(土) 13:42:57
>>128
> 赤の赤さが、なぜこういうものなのか

つまり、クオリア論とは意味論だということだ。やっと分かってもらえたようですね。
これで、

> 人間は、観測したものに
> 必ず意味づけをする

これが

> 発想の後先が逆になってるんだよキミは

だということも分かったようですね。

ただ、赤さが何故"こういうものか"はニューロンネットワークの記述で表現可能です。
スモールワールドとか、既に研究が進んでるでしょ。
132ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 13:48:19
>>130
観測できるあらゆるものは「意味」あるわけだ。
普通だね。
133考える名無しさん:2006/01/14(土) 13:53:05
>>132
言葉の意味とはその用法である。

ぴかぁ〜君。「うけけ%%ぴろぴろ」という文字列の意味を教えてくれ。
俺にはこの文字列は観測できるが、意味・用法がわからない。
134哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 13:54:43
人生に意味はあるんだろうか?
あるのならば、それはいったい何なのだろうか と
長年、探求してきたわけだが
いまだに答えなど出ていない
しかし
私はこれまで、自分の人生を観測し続けている

意味のないものは観測できないという原理であるならば
観測できている「人生」というやつは「意味」があるのだという結論になる
しかしいったいそれは何であろうか
果たして人生とは、いかなる明確な意味があるのであろうか
更に、その意味とやらは、どの時点で発生したものなのであろうか
人間が先か、意味が先なのか・・・
意味のないものは観測できないとするならば
人間より先に意味が存在しなければ、人間は自分を観測できないのではないか
存在以前に存在するという
この「意味」とはいったい何なのであろうか・・・

なんちゃってw
135ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 13:58:19
>>133
言葉の意味は現実界(ものそのもの)にある。

意味(クオリア)があることと、意味(クオリア)がわかることとは違う。
「赤」の意味(クオリア)とはなに?
136むじんくん:2006/01/14(土) 14:04:50
>>133
> ぴかぁ〜君。「うけけ%%ぴろぴろ」という文字列の意味を教えてくれ。
> 俺にはこの文字列は観測できるが、意味・用法がわからない。

何で"文字"と知ってるの?
137考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:06:03
>>135
君ついさっき、「意味」は主観だって言ってなかったか?
そうじゃなくて「ものそのもの」に意味が内在してるのか。

アホか。赤に「止まれ」という意味はあるけど、そんなもの内在してるわけないだろ
どんだけ素朴なイデア論なんだよww
138「機械的唯物論」者:2006/01/14(土) 14:06:33
現実界は物質であるから、クオリアは必然である。
139考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:08:53
>>136
文字じゃなくてもいいよ別に。模様でもなんでもいい。

とりあえず俺には「ぴ@ぱいvぱおんf@あえあ」は観測できるけど、
意味が分からない。意味がわかるなら教えて下さい。
140むじんくん:2006/01/14(土) 14:13:56
>>139
> とりあえず俺には「ぴ@ぱいvぱおんf@あえあ」は観測できるけど、

じゃあ、それは観測ですらない。
141ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 14:14:21
あっ、逃げた。でも追わない。
意味は観測できても、わからない。それをクオリアという。ってことで
142考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:20:17
>>140
そうやって逃げるのはもういいから。

「ぴ@ぱいvぱおんf@あえあ」←これ君に見える?見えるなら意味いえよ早く

「むjんくんは愚鈍すぎる」←これも観測できない?w
143大丈夫?:2006/01/14(土) 14:24:55
123 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 13:05:21
>>122
「意味」がないものは観測できないよ。
144考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:27:02
>>128
>いやいや
>なんでかわからないけど
>研究の結果、こうなったら赤を感じるという事がわかりました
>というようになる と言うのならわかるよ

そうか、やっぱりそうした視点については理解していただけてたんですね。
では、(流れぶった切るが)少し前の以下にも答えがいただきたい。
145考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:27:22
「味覚」の例が一番わかりやすいんじゃね。
生まれて初めて食うものでも、(舌が麻痺してなければ)味のクオリアはある。
その味を言葉で何と表現するかしないは関係ない。意味もクソもないw
146考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:27:33
Date :2005/12/11 11:18:53
Subject:◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない49◆
URL :http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1133452820/
Name :1/7 素人
Mail :sage

>>720
>>>711
>あなたを含め、ほとんどの人の考え方には
>自分の主観性 というものが抜け落ちています
>『対象』の研究 という視点のみで
>他人の精神ばかりに目がいっています
>だから、人間の精神というものが『主体』そのものである という観点が理解できないのでしょう
「人間の精神というものが『主体』そのものである」という言説は、ほぼ首肯できるものですよw
 (この肉体も付け加えたい所ですが、培養液の中の脳なんて仮定がでてくるとやっかいなので今は保留(^^;))
が、711の基本的視点は、主観を敢えて排除した考察であるが、
「自分自身」を『対象』としてもいい。>>725
(単布団の上で為されるのはまさにそれなわけだがw)
ただ、【≪《『「私」を見ている私』を見ている私》を見ている私≫を見ている・・・】
と無限遡及させる意味は711にはない。なんとなれば、
そうした無限遡及さえも、脳内の現象であると見做すことが可能だからだ。
少なくとも711はそうした視点をこそベースにしたものだから。(文の骨格は最高位さんのものだしw)
主観とは何ぞや? と問うのはその後でいい。
更に言えば、最終的には自分自身への実存的問いかけに辿り着かねばならないであろうが、
そのための足場として、『対象』の研究・他人の精神を踏まえる意義は十分あると思われる。
>>744-745は、もう少し解り易くお願いw 元になった>503と>719はどうなの?
147考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:28:06
Name :2/7 素人
>>740
>>脳があればそこに主観があるのはあたりまえのこと。
>そうだね
>普通は当たり前だと考える
>しかし哲学的には、これは飛躍した考え方だと言わざるをえないな
>哲学の、入り口にも立っていませんよ
飛躍ならば、間にどのような視点・考え方が省略されているのか?本来の着地点はどこか?
当たり前であることが悪いのではなく、
最高位の主張は、その当たり前のことの先に設けられていいものではないのか?
この当たり前のことを否定する要は何もない。
店に入って席について(メニューを見てから)注文してもいいじゃないか。
店のドアをくぐる前に何を注文するか決めなければならないものでもなかろう。
こんなレスもあった
 584 むじんくん sage New! 2005/12/09(金) 00:43:35
  >>582
  > これは逆に、「私=脳の現象」と考えることに問題がないという論拠の一つ
  > になってませんか?
  問題ないですが、それは近代科学の範疇で、それだと認識の成立そのものを問うという
  ことにならない。そこから先が哲学的問いなのですね。
至言ではないか?

>しかし、脳が単なる物理現象なら
>主観性とは相容れない
>なぜなら、物理現象というものは
>単なる現象にすぎないからだ
では、「主観性」とは何ぞや?『性』の字がついているがその意味は?
「主観」と「主観『性』」との違いはどういうものなのか?
同様に、「存在」と「存在『性』」との違いはどういうものなのか?
わざわざ『性』の字をつけるのだから重要な意味の違いがあるのだろう。
それは何か?
148考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:28:39
Name :3/7 素人
>>>740
>更に、境目など存在しない
>物理世界は、全て境目無くつながっている
物理世界に対置させて仮に精神世界(≒主観の世界)を持ってきたとして、
精神世界にはきっちりとした境目があるのか?
それは、流動的でなく不動で、明確で、ズレルことのないものなのか?
  ↓
>しかし主観性というものは
>当然のごとく、他との境目を持って自らと区別している
その境目のつけ方は、(赤子などは特に、無意識的になされている場合もあるだろうが)
多分に恣意的なものではないのか?
149考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:29:11
Name :4/7 素人
>>756
>私は明確な答えをだしているではありませんか
>『私』は物質が、こうこうこういう配列だったからという理由で存在したのではない
>私は物理現象ではない とね
その『私』は、「物質が、こうこうこういう配列だったからという理由で存在」するところの「私」の、
さらに高次の(深意の)『私』である、と階層を設けても構わないのではないか?
その方が、より建設的な考察である気がするが?
   ↓
>>心は物理現象ではない、と証明しえた人など果たして今までにいたのかどうか。
>誤解されると困るのですが、厳密な話をすると、『心』は物理現象なのかも知れません
>私が言っているのは、心は『私』の心であって
>『私』という心の根本であるところの『存在性』は物理現象とは関係が無い
>という事です
下三行は意味がぼやけていて今一つ掴みきれません。
というより、『存在性』というものを明確に提示していただかないと
「私」と「心」と「存在性」(と「主観」と「主体」)の関係が見えてきません。
そして、それらと「肉体(及び脳)」との関係も・・・。
そうすれば、階層分けすることによる問題点や
階層ごとの間に決定的な(通過不能な)壁が存在するかどうかも見えてくるのではないか?

>私は、それを証明したわけです
証明はされてないですよねw  ただ、今はまだわからないというだけで・・・
御自身でもそう告白されてませんでしたか?(後のレスだが>>758とか・・・)
150考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:29:43
Name :5/7 素人
>>763
>しかし、物質には『この私』の根拠はありえないんだよ
>>肉体が消滅すると、主観性も消滅する(と予想される)
>これも、あくまでも予想される にとどまる
>言える事は、物質には『この私』の根拠はありえない
>という事
ではどこにその根拠があるのか?
この肉体の他に、「私」が宿るべき安住の地はあるのか?

>物理現象なら、あるはずなんだよな
>『この私』の根拠
物理現象ならあるはず という言い方も飛躍した決め付けではないですか?
少なくともそれを探究するのが、各分野のこれまで及びこれからの成果を基に
為されるべきことではないのか?
151考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:30:17
Name :6/7 素人
最高位の主張する所のものが、
「人間の精神は(脳内の)諸現象である」という言説のその先に設けられて何の問題があるのか?
むしろ、唯物論・唯物論『的』思考の上にこそ、それを前提としてこそ、
近代的(→最新の)「私」「主体」「主観」というものが考究できるのではないか?と思うのだ。
少なくとも、「人間の精神は(脳内の)諸現象である」という視点を受け入れて、その後に
「では、そうした現象である脳内のあるひとつの在り様が
なぜ〈私(という主観)〉なのか?
なぜ〈私(という主観)〉たり得ているのか?」
と問いを立てても構わないのではないか?

唯物論・唯物論『的』思考を破壊するなどと言わず、単に限界を指摘するだけで十分ではないのか?
どこで歩みを止め、思考のゴールとするかは個々人の判断で構わないのではないか?
どこで立ち止まろうとも、それはそれで尊重すべき個々人の人生観に他ならない。
(また、唯物論で人生を語ったレスってありましたっけ? >>過去ログ見れる人よろ m(_ _)m)


「私は今ここにいる(=私は今このように思考している)」という言明は、
それ以上でも以下でもなく、信仰告白にしか過ぎないように思える。
哲学が、そうしたものであるならばそれはそれで構わない。
が、「私は今ここにいる(=私は今このように思考している)」ということを、
別の語り口で記述するのが、科学であったり物理であったり心理学であったり
唯物論であったりするのではないか?いいも悪いも無かろう。整合性・正確性は、
それぞれの分野からの情報をつき合わせ、すり合わせていくしかないのではないか?
アプローチの方法や語り口調が違うだけで、迫ろうとしている対象に変わりは無いのではないか?
 >>740
 >しかし哲学的には、これは飛躍した考え方だと言わざるをえないな
 >哲学の、入り口にも立っていませんよ
哲学は哲学で、哲学的手法で記述を続ければ良いが、それを外へ向かって発信する時に、
解り易く噛み砕く手間をかけることも無駄ではなかろう。
最高位はその手間を惜しんでいるのではなかろうか・・・。
152考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:30:19
まぁいじめるのもこのくらいにしとくか。

「クオリア=意味」という定義がそもそもダメなんだよ。
そんな定義するから、「意味がないものは観測できない」とか無理なこと言ったり
意味は主観だとかものそのものにあるとかどっちなのかわかんないこと言ったり
果ては「観測」の定義を変えなきゃいけない羽目になるんだって。

「意味がないものも確かに観測できる=クオリアは意味とは関係ない」
これだけで全部すっきり済むじゃねーか。ほんとバカだね君らは
153ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 14:36:24
>>152
精神分析的抑圧現象、最近では「バカの壁」ですね。

「意味があることと、わかることは違う。」
これを逃げずに見るだけのことです。
154考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:38:26
>ぴかぁ
本物の馬鹿には「バカの壁」が適用されないの知ってるか?
155ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 14:41:00
>>154
ボクは>>152さんが本当の馬鹿ではないと、信じています。
156考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:44:30
>>153
ぴか、おまえのカキコはほんと意味無いわw
論理以前なのよ
157ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 14:46:02
抑圧から転移へ。精神分析のパターンですね。
158考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:46:35
>ぴかぁ
んじゃもう一回、君らが使ってる「意味」って言葉がどんだけ現実の用法と
かけ離れてるかを浮き彫りにしとくか。

「ばば@おいjb@ああ:kdふぁ」

↑この模様には意味があるんだね??ぴかぁ君。ほんとに意味あるんだね??
159ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 14:47:01
>>158
はい。
160考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:48:03
ぴかぁ〜が論理以前なのは、よく分かってないのに書き込むから。
だから反論されても理解できない。
161ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 14:48:08
「意味」なんかじゃなーい!から、
「意味」とはなにかの議論ですね。やっと一歩前進です。
162考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:48:23
>ぴかぁ
んじゃもう一回、君らが使ってる「意味」って言葉のバカバカしさを示しておくよ

「ばば@おいjb@ああ:kdふぁ」

↑この文字列には意味があるそうです。
単に世の中の人間誰一人として分からない「意味」があるみたいですw
163ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 14:50:44
>>162
「意味があることと、わかることは違う。」

カウンター 本日5回目
164考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:52:06
だからさ、「味」に意味があるの?
意味なんかなくても「味」の観測はできるでしょw
165考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:52:30
>>163
>「意味があることと、わかることは違う。」
一緒だよ。
166ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 14:55:30
>>165
では「赤」の意味はなんですか?
167ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 14:56:58
>>164
「味」には意味があります。

「意味があることと、わかることは違う。」

カウンター 本日6回目
168考える名無しさん:2006/01/14(土) 14:57:41
>>166
それよか違うの意味を教えてくれ。
169ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 14:58:50
>>168
逃げた。でも追わない。
170考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:02:45
「赤」自体に意味なんかないよ。

信号機のランプが赤ければ「止まれ」って意味なんだと解釈する人がいるし、
劇中の人物が吐き出した液体が赤ければ「血」を意味してるんだと解釈する人がいるし、
戦隊モノの人物のスーツが赤ければ「リーダー」を意味してるんだと解釈する人がいる。

状況と解釈する人によって、意味が決まるという話。
171考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:04:09
>>169 辞書より

>いみ 1 【意味】

>(名)スル
>(1)言葉・記号などで表現され、また理解される一定の内容。
>「単語の―」「この文は―が通らない」
>(2)ある表現・作品・行為にこめられた内容・意図・理由・目的・気持ちなど。
>「―もなく笑う」「彼が怒った―がわからない」「感謝の―で贈る」
>(3)物事がある脈絡の中でもつ価値。重要性。意義。
>「ここであきらめては努力してきた―がない」「歴史的―」
>(4)表現によって暗示的にほのめかされる深い味わい。含蓄。
>「言外の―」
>(5)ある表現・行為・物事などのもつ内容を表すこと。
>「赤字はマイナスを―する」「あの微笑は何を―するのか」


「赤」の意味じゃなくて、「赤」が意味なんだけど、わかるかな?
172考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:10:54
>>167
いや、俺は「味には意味はないけれども、味のクオリアはわかる」
と言っているのよ。だから「意味」と「クオリア」は違うでしょ、と。
「味に意味はあるが、わからない」と言っているわけではないのw
173考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:13:10
>>172
自分の言っていることが理解できてないから、理解させるのは無理だと思う。
174ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 15:13:34
>>170
>状況と解釈する人によって、意味が決まるという話。

信号機のランプが赤ければ「止まれ」って言語意味とともに、
なぜ信号が赤なのかを考えると、赤が注意を引くなどの無意識な意味も
含まれている。

これら全体の完全に言語化できない「意味」が「クオリア」ね。
175考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:14:58
>>174
>これら全体の完全に言語化できない「意味」が「クオリア」ね。

「と私は勝手に定義します。」

と付け加えればいいのに。
176考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:15:41
>>172
いやいや。ぴかぁ君は大真面目に「味にも意味がある」と言ってるのですよ
クオリア=意味としたために、もはや「意味」の用法がメチャクチャです
177ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 15:15:43
>>171
「意味」を考えるときには、
コノテーション、パフォーマティブとか、いろいろあるから、
勉強して見れば。
178考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:20:29
>「意味があることと、わかることは違う。」


これには同意.
179考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:21:37
ぴかぁ見苦しい
180考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:25:41
初めてこの板きたときも、なんかすごいバカがいた。
使ってる言葉が独特過ぎて、何いってるかわからないタイプのバカだった。

そして今、ドグマとグーグルで闘う理解力がまるでないタイプのバカがいた。
今回驚いたのは、むじんくんという賛同者がこのバカにいたことだな。
181考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:25:59
だが意味は無い.
182考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:26:30
>>177
そういうことは、自分が書いたものと書かれている内容と対象の区別が付いてから言え。
183考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:30:23
じゃあそろそろ、ゴッゴルについて話しますか。
184考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:30:28
>>180
それは違うと思う。むじんくんは言っていることはまとも
ていうよりわざと茂木のクオリア論を拡大解釈しているだけだから
それが理解できてないままパクってるのがぴかぁ〜←バカの見本。
185考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:34:27
もちつけ
186考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:34:41
>>146-151
こうしてまた無駄レスの波に流され埋もれていくわけだ・・w
187考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:47:59
>>184
確かにちょっと言い過ぎた。
むじんくんの言ってることは「クオリア」の定義について以外はまともだな。
けどまぁ「それは観測ですらない」とか凄まじい逃げ方された印象が・・・w

しかし、あれだ。
普通は、誰にとっても意味がわからないことを「無意味」っていうよなw

まぁこれも無視して、ものそのものに意味が内在すると仮定すると、
「あ」という一文字に無限の意味・情報が内在してることになるな。
どんな人間がどんな意味を見出すか、という可能性自体が無限なんだから。

いやーすごい理論ですね「クオリア=意味」論は。
188ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 15:49:00
>状況と解釈する人によって、意味が決まるという話。

信号機のランプが赤ければ「止まれ」って言語意味とともに、
なぜ信号が赤なのかを考えると、赤が注意を引くなどの無意識な意味も
含まれている。

これら全体の完全に言語化できない「意味」が「クオリア」ね。


175 :考える名無しさん :2006/01/14(土) 15:14:58
>>174
>これら全体の完全に言語化できない「意味」が「クオリア」ね。

「と私は勝手に定義します。」

************************

まあ、そういうことだな。ここでボクがいう「意味」。
意味論的なもっとも広義な意味でも「意味」といってもよいが、
これに、「クオリア」と名付けられたものは回収できるのではないか、
ということだね。

もし回収できるなら、だからクオリアの問題が解決したわけではなく、
意味論の地平で議論できるだろう、ということが見えてくる。
189ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 15:52:37
なんにしても、クオリアは「語り得ない」とあぼーんしたり、
たどり着けないと超越論へ逃げ込んだりするよりはよいだろう。

いまのところ、クオリア=意味論説以外に、まともな意見は
でていないのだから。
190考える名無しさん:2006/01/14(土) 15:55:20
ぴかぁ君何歳だ?
191ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 15:57:08
だれ?
192哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/14(土) 15:57:15
ぴかくんは、一生クオリアというものを理解できないのかな
残念だねぇ


同じ事を、もっかい書いておこう

人間は、観測したものに
必ず意味づけをする
というだけの話だよ
発想の後先が逆になってるんだよキミは


簡単に言えばだな
クオリアの説明に「意味」なんて関係ない と言ってるんだ
本質から、逸れまくりなんだよ


今日は、これにて離席します
193ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 16:01:38
>>192
爆笑王最低位はネタか、マジか、わからんな。笑うとこだよね?
194考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:02:43
>クオリアの説明に「意味」なんて関係ない と言ってるんだ
大正解。ぴかぁ〜はここでクオリアの勉強をしてるんじゃなくて、単に日本語の勉強をしているだけ。
論理以前。
195考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:02:49
>>192

では、また来たときにでも
>>144>>146-151にレスよろw
196考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:07:23
>>193
いや、君が笑われるとこだよ
197考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:08:24
>>196
言うだけ無駄だよ。麻痺してるから。
198考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:19:03
>>66
>どうでしょうかね?
独我論者がそれを他人に尋ねるのは滑稽に思えてならない。
答えるとするならば、
「どうでもええんちゃう?」
199考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:23:49
>>195

>>146-151 は甚だしいスレ違いだろ
頭大丈夫か?
200考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:25:20
>>199
ありでしょ
なぜダメなの?
201考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:27:13
>>200
『◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない52◆』
と何の関係がある

頭大丈夫か?
202考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:28:13
>>201
主観性の問題はクオリア論の続きだし
203考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:31:20
>>202
あほ

このスレの捻じ曲げたクオリア論nなるものが、そもそそも
『◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない52◆』
と関係がないんだよ
204考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:33:51
>>202
だったらそういうことはさ、みんながいるときに言えっての。
スレタイを理解してないでしょ?
脳=主観性=クオリア

地続きで議論してんだけど。
205考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:34:34
今まで一番まともだったのは、
一言の観念論の延長という解釈だと思うが。
206考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:35:12
204訂正>>203
207考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:37:26
>>204
知るか、俺はずっと張り付いてるような暇人じゃないの
単にお前が好きな御伽噺をしたいだけだろ
おまえのワガママなことに気付け
208考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:38:41
むしろ(>144)>>146-151 は、クオリアと無関係に
私(意識)とはなにか?どこにあるのか?
という問につながるかと思っていたが・・
そんなにスレ違いだったか・・?
209考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:39:31
>>205
前スレを読め
やつが一番主義のないクソなのがよく分かる
210考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:40:14
>>207
スレタイの意味ぐらい理解しようね。
211考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:41:11
>>208
> 私(意識)とはなにか?どこにあるのか?

まずつなげてから、スレに書き込むことだな
212考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:41:48
>>209
一番主義のないクソはぴかぁだろ。
213考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:42:58
>>210
>>204 について説明しろ
このゴミクズが
214考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:43:57
>>212
メクソハナクソです
215考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:44:18
>>213
ぴかぁおつかれ。
216213:2006/01/14(土) 16:46:26
>>204 は >>201
217考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:52:23
>>215
一言おつかれ
218考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:55:51
>>217
図星っぽいですね。

これでようやく証明されたと思いますが、ぴかぁは逆ギレすると名無しで
自作自演や荒らしをするので気をつけてください。
219考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:57:53
すごい
220考える名無しさん:2006/01/14(土) 16:59:13
ぴかが来ると必ずハチャメチャになるなぁ・・w
神はどうして、ぴかをに思考力を与えなかったんだろ
221むじんくん:2006/01/14(土) 17:06:34
>>142
> そうやって逃げるのはもういいから。
> 「ぴ@ぱいvぱおんf@あえあ」←これ君に見える?見えるなら意味いえよ早く

では、何故そういう"模様"に注意を向けるのか。どうしてその模様は"地"の中の"図"として浮き出るのか。
浮き出た後でそれが「何かの記号か?文字か?」という連想につながるのか。

だから、それが世界のある切り取り方であるならば、それは既に分節化されたものであり、"意味"を
含んでしまっている。クオリアとはそういうものだ。
222むじんくん:2006/01/14(土) 17:08:18
>>192
> 人間は、観測したものに
> 必ず意味づけをする

人間は意味のあるものを観測します。逆はあり得ない。
223考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:12:03
>>222
対象を観測するだけです。
対象を意味づけするだけだと思うのですが。

つまり単に観測=意味付けでは?
224ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 17:19:07
観測が先行するという人の、「観測」とは、
たとえば視覚では、光線が眼に入ることを意味しているのだと思います。

光線が眼に入ること→それを意味への処理する

しかし光線が入っても意味化されなければ、それは「見る」ことにならない。
「見る」ためには、意味化しなければならないのです。
そのような意味で、意味化は観察に先行する、ということですね。

観測が先か、意味付けが先は、見方の違いだと思います。
225考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:19:42
>>224
荒らしは引っ込め。
226考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:21:31
>>211
読み返してみた。
つながってるじゃん。
てか、そのままの文じゃない?
> > しかし、物質には『この私』の根拠はありえないんだよ
> > >肉体が消滅すると、主観性も消滅する(と予想される)
> > これも、あくまでも予想される にとどまる
> > 言える事は、物質には『この私』の根拠はありえない
> > という事

> ではどこにその根拠があるのか?
> この肉体の他に、「私」が宿るべき安住の地はあるのか?
227考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:22:45
>>199-216
の話の流れからみるに

>>218-220
どうみても一言おつかれ
としかいいようがありません
228考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:26:05
一言ってコテつけりゃいいのにな…
229考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:30:00
多分、全スレの後半でボロクソに叩かれたから
出難いんじゃないの
230考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:30:38
ぴかぁ邪魔
231考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:31:31
一言も邪魔なんですが
232考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:35:53
>>231
いや一言さんに語ってもらうのが一番有意義だと思うんだけど。
233考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:37:51
>>232
いやいや。
『◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない52◆』
という意味では全然有意義ではありません
234一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 17:38:12
>>205
延長というよりも改訂再販ですね(延長と言うと系譜のような
印象を受けますのであまり好ましくないと思います)。
枠組みは変わってません。
235考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:38:31
>>232
一言乙
236一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 17:39:12
>>232
実際に脳科学者に聞くのが一番です。
私が「クオリア論者」でないことは既に申し上げたとおりです。
237考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:39:43
うわぁ、ホントにジサクジエンだったのね
238考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:40:29
>>237
そんなわけないって
239考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:41:05
>>238
一言乙
240考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:43:08
>>236
違うとするとでは現象学でしょうか?
前スレを見ると、確実性の問題に触れていたので。
241一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 17:45:30
>>240
いえ、現象学は哲学史以上のことはほとんどやっていません。
私の専門は法思想史で、しかもプラトン以降近代以前です(いわゆる
自然法論の全盛期です)。
242考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:49:48
>>240-241
一言乙
243考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:51:19
一言さんは現在書き込み制限で書き込めません
244考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:57:32
ぴかぁ〜降臨に期待age
245考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:59:16
>>244
それも駄目
246考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:00:59
なんの話しだっけ?.
247考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:02:00
つうかさ、自分の自作自演をぴかぁ〜のせいにしたいんだろ
一言さんはモノホンのゴミクズです
248考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:04:40
ぴかぁ〜はそこまで悪気がない分許せるな。
249考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:06:46
>>248
だからそれだと自分が自作自演のぴかぁ〜である証拠だとなぜ気が付かない。
馬鹿だから? >ぴかぁ
250考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:07:08
クオリア=意味かどうか?の話だよ。
251考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:09:38
>>249
一言乙
っていうか、シツコイんだけど
ぴかぁ〜もカスだけど、それを凌駕します
252一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 18:12:00
>>250
それだと定義の問題で「定義は自由だから」ということに
なってしまいますね。もうちょっと違う形で問題提起する
必要があると思います。
253考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:14:56
>>252
もしかしてプロの方ですか?
254考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:16:11
>>252
相変わらず、何の役にも立たないコメントされますね。
255ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 18:17:49
>>252
まあ、それは正しい反応です。
「クオリアと意味は関係ないという低脳」はほっとくとして、
ではその「意味」とはなにか、ということなのです。

「クオリア=意味」論とは、現在言語意味論で検討されている
「意味とはなにか?」という様々な議論と、クオリアが
同じ地平にあるのではないか、ということです。
そこにはすでに多くの検討事例がある。そしてまだ「意味がなにか」
つかめていない。
クオリアは明らかに哲学から持ってきた概念ですから、
意味論と接合できることを疑うことは、単に意味論をしらないことを
暴露してるだけのことです。
256一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 18:19:21
>>253
何のプロですか?
私は専業の哲学者ではないですよ。

私はいわゆる法哲学でよくある論点をこの問題に当て嵌めてる
だけです。法哲学は哲学と違って割り切りと妥協の産物だという
点でかなり違うかもしれませんが。
「価値とは何か?」と聞かれて「情緒」と切り捨ててしまうところ
なんかそうですね(価値情緒説)。
257考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:20:26
ここからゴミクズ同士のレスで埋め尽くされていくのであった…
258考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:22:34
テレビは物質だから意識は映像にすぎない
259一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 18:24:01
>>255
逆も重要だと思います。
「クオリア=意味」仮説を検証するには、

「クオリアとは何か?」
「意味とは何か?」

という2つを定義する必要があります。
そして、意味論の混迷ぶりはさておいても、私がクオリアという
単語を文脈で見る限りでは、それは「表象」のタームに近いと
思います(クオリアの発火パターンは「観念」に近い)。
となると、「クオリア=意味」仮説は「意味=指示対象説」とほぼ
同じような論だということにはならないでしょうか。しかし、「意味
=指示対象」という定義は日常用語と離れています。
260唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/14(土) 18:27:02
意味と内容の区別はどうしましょう。
261ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 18:34:13
>>259
単に「意味=指示対象説」と素朴なことではなく、
まさに「心」の問題です。心とはなにか。

たとえば哲学的な意味の問題は、言語論、現象学、ハイデガー、
精神分析などなど様々な議論が成されています。
そこにあるのは、認知科学の「クオリア」と同じ意味で、
「意味とはなにか」心とはなにか、ということですね。
262考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:41:35
コピペ。
これに対してのレスが見当たらなかったので聞いてみたい。
もっとものような気がするんだけれども・・・・

3 :αΩ ◆G.QKjYshg6 :2006/01/12(木) 21:43:25
偶然であることを決定することはできない。なぜなら、その事柄は
今の科学では「偶然」となっているけれど、メカニズムがさらに解明されることによって
「必然である」ことがわかるかもしれないからだ。
同様に、「必然である」ことも決定することはできない。
科学が完成されなければ「偶然である」ことも「必然である」ことも言えない。
しかし、科学が完成された事を確かめる術は無いし完成されていないことも確かめる術は無い。
だが、無いと思ってるだけで本当はあるのかもしれない・・・・
という堂々巡りが続く。

34 :ハル :2006/01/13(金) 20:26:03
もし物質の全運動・性質を科学的に人間が把握できたとしても、そこに決定論の余地は生まれない。
なぜならあらゆる科学的論述はいまだ知りえていない結論へと向かわせるものであり、そのため決定論が成立するとすると、科学的論述はそれ自体としての意味を失ってしまうためである。
もしそうでなく何か神のようなものを仮定したとすると、科学的意味は保存されるが、それは人間の永遠に知りえないものとなる。
結論として、決定論は成立するとすると言述不可能となる自己矛盾を孕むことになる。

2つとも、同じようなこと言ってるようなきがするなぁー
263考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:42:37
ぴか君、茂木健一郎氏を信じちゃ駄目だ!Web の FAQ を読むんだ。

> 5、クオリアは、曖昧なもので、科学の対象にならないのではないでしょうか?
>
> そんなことはありません。(略)これは、一つの拡張された自然現象であって、
> それを説明できないのならば、それは単に現時点での科学の能力の欠如を表し
> ているだけで、クオリアが本来科学の対象にならないことを意味するのではあ
> りません。

「現時点での科学の能力の欠如を表している」って、すげえ言い草だな。

> 6、クオリアがどのように生み出されるかは、どこまで判っているのですか?
>
> ほとんど判っていないというのが現状です。(略)

興味のある人は FAQの5、6を全部を読んでみるといい。
判らないのは科学のせいだと言っている。
264一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 18:45:16
>>261
法学は「法とは何か?」を2000年以上やってきて、
結局のところ、「それは定義の問題に過ぎず、かつ、
正しい定義は無い」ということで一応落ち着きました。

では、法とは何か、というと、それは日常用語あるいは
法曹家が慣用的にそう呼ぶところのものです。つまり、
日常用語あるいは法曹家の間でお約束になった用語
から離れない、というのが暗黙の了解なのです。

そのように、まず、ぴかぁ〜さんが「何を心と呼び」「何を
意味と呼びたいのか」「どういうときにその言葉を用いる
のか」を仮定的にであれ定義する方が良いと思います。
ちなみに、定義は言葉の言い換えですので、最も単純な
言葉で組み合わせて「それでも分からない」と言われたら
そこでおしまいです(これは、アインシュタインが小麦粉の
譬えで言ったように「仕方がない」ことだと思います)。
265考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:46:29
>>211
流れをぶった切って再度訊く
>>144>>146-151は本当にスレ違いか?

「私」「意識」「主観」が、脳内の諸現象で記述できるのかどうか?
記述できたとして、そこがゴールなのか?そのあとに問いが待っていたりしないか?
あるいは、どこまで記述できるのか?
あるいは、この肉体(≒脳)以外のどこかにあるのか?
それとも、決して辿りつけない無駄な問いなのか?
そもそも、記述すら不可能なのか?
最高位は、この
『「私」「意識」「主観」が、脳内の諸現象で記述できるのかどうか?』
という問い(及び問い方)そのものを嘲笑っていたのだが?
「クオリア」という概念についても同様のスタンスのように見える。
「クオリア」は「クオリア」なんだよw と・・。
266ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 18:46:29
>>263
これはアイロニーであるとみたいですね。
クオリアの難しさはわかっているが、それでもゆくんだ
それが男だ!という意味でしょう。

というか、ボクは茂木ファンではないし、茂木に詳しくないですよ。
というか、クオリアをスローガン化した以外はなにをしている人だろう?
267考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:53:50
>>266
でさ、クオリアが科学として扱う分野として相手にされてない、と気付かないのか?
という疑問符はないのだろね、君には。
268ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 18:54:59
>>264
定義も必要でしょうが、意見の相違を生んでいるのは
コンテクストです。
簡単にはどのような本を読んできたか、勉強してきたか、
それによって、相違は生まれます。

>では、法とは何か、というと、それは日常用語あるいは
>法曹家が慣用的にそう呼ぶところのものです。つまり、
>日常用語あるいは法曹家の間でお約束になった用語
>から離れない、というのが暗黙の了解なのです。

ここで感じるネガティブな感じは、誰か「法曹家」という主体が、
好き勝手に決めているようにとれるところですね。
そうではなく、「日常用語あるいは法曹家の間で
お約束になった用語」というのは、コンテクストです。
そのような場があるのです。そこから言葉が生まれてくる。
ようなことが、欠けているのです。

そしてクオリア=意味もそのような場から生まれてくる。
ボクも不思議ですが、むじんくん親しくもないのに、
考えが近いのは、持っている「場」が似ているのですね。
269考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:55:18
前から気になってるんだが、その科学とやらがどうしたというのだ?
哲板で無理に科学にこじつける必要があるのか?
270考える名無しさん:2006/01/14(土) 18:55:45
>>263
そんなおかしいこと言ってるようには思えないけど。
別に科学の悪口言ってるわけではないだろうし。

茂木さんで分からないのは志向性を志向的クオリアと読みかえるような汎クオリア主義みたいなものの方なんだよね。
そうすることのメリットってどっかに書かれてるかな?
ほかにこういうこと言ってる人っているかな?
271一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 18:57:01
>>268
それは生まれ育ちで意見が違う、というだけで、それには
「そうですね」としか言いようがありません。
272ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 19:03:30
>>271
そうですね。
意味もクオリアも「そうですね」としかいえない。
273考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:05:51
>>269
いや、前スレで読んだ限りでは http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1135824017/783
になるのだけど問題の解決になるのかどうかってことなんだけど?
「◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない52◆」を解決するのだよね、このスレって。
274むじんくん:2006/01/14(土) 19:06:15
>>223
> つまり単に観測=意味付けでは?
>>224
> 観測が先か、意味付けが先は、見方の違いだと思います。

人間は分節化される前の"純粋経験"というものを持ちようが無い。それは禅で言う悟りの
状態であり、その状態は"山を見て山を見ず"という非経験的なものだ。

"観測"と普通に表現される場合、その観測の主体は対象を知っているということになる。
対象が在るということは(そもそも世界が対象化されており)世界のある部分が分節化
されているということだ。
275一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 19:08:59
>>272
ええ、そうです。
定義論もクオリア論も、「私はこう定義する」とか「そうなってる」と
言われたら「そうですね」としか言いようがないわけです。ですが、
「こう定義する」とか「そうなってる」ことの研究は自由だから別に
いいんです。

もっとも、定義に規範性を持たせるとおかしなことになります。
例えば、「法とは○○だから、××は法ではない」とか、そういう
理由付けですね。これに対しては、自己が不利益を受ける可能性
がある以上、「そうですね」とは言えない。
276むじんくん:2006/01/14(土) 19:10:31
>>264
> >>261
> 法学は「法とは何か?」を2000年以上やってきて、
> 結局のところ、「それは定義の問題に過ぎず、かつ、
> 正しい定義は無い」ということで一応落ち着きました。

でも、自然法とそうじゃないものということで、意見の主な対立はありつつも
わりとはっきりした起源はあるんじゃないですか?
277考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:10:34
>>273
うーん、「脳は物質だから意識は必然」っていうのが、
科学の問題か?と言われたらノーな希ガス。
278考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:10:47
>そしてクオリア=意味もそのような場から生まれてくる。

そんな場なんて、お前の脳内以外にはねえよw
279考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:11:43
>>270
科学の悪口はいってないさ。自分の説明責任を別におしつけてるにしか見えない。
280考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:13:44
>>277
じゃあさ、クオリアで解決するの?
281一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 19:13:57
>>276
「言葉の起源論」については「研究があまりにも困難」ということで
最近は沈静化しつつあります。実際、iusやlexの起源を研究しよう
としても史料が少なすぎます。
282考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:17:20
>>280
わからんw
283むじんくん:2006/01/14(土) 19:18:45
>>268
> お約束になった用語」というのは、コンテクストです。
> そのような場があるのです。そこから言葉が生まれてくる。
> ようなことが、欠けているのです。

以前、どなたかがミルの自由に関する言葉を引用してましたが、ミルは一方で植民地政策を
容認していた。なぜなら、前近代社会ではミルが言うような自由が無いからです。

中世ヨーロッパ内部にあった象徴的記号を(前近代的な)他文化の人間が理解するのは不可能です。
しかし、近代人は双方をある視点から編集することにより理解するんですね。それを可能にしている
近代的空間というものがある。中世ヨーロッパ共同体と、他の共同体を相対的に、等価に並置できる
均質空間を前提にした精神が近代人というものです。

パスカルの「私は何故ここにいてあそこにいないのか」は中世ヨーロッパ人にも江戸時代の人間にも
理解不能です。当時の人間は「私がここにいる理由」があったからですね。しかし我々には無いし、
それは資本主義的生産様式の人間には共通している。認識もまた共通なのです。
284一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 19:23:25
>>283
それを史料から読み解くのは無理なんじゃないでしょうか?
285考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:24:42
>>274
>"観測"と普通に表現される場合、その観測の主体は対象を知っているということになる。
ならないよw
その観測の主体と対象が五感によって関係し得る状態にある、というだけだ。

>対象が在るということは(そもそも世界が対象化されており)世界のある部分が分節化
>されているということだ。
「文節化」と「意味付け」は全然別w
そりゃ人間の五感も脳も限定的な能力しか持っていないんだから、
対象を「クオリア化」すれば、必然的に「文節化」されるに決まってる。
「世界丸ごとクオリア化」できたら、超能力者だw

286考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:24:56
>>282
これも前スレからだけど
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1135824017/774
「クオリアを意識の仕組みの説明に持ち出す前に、クオリアそのものを説明する必要がある 」
は至極最もと思うのだけど、そうでもないの?
287考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:26:52
>>279
説明責任ってなんだろ?

> 5、クオリアは、曖昧なもので、科学の対象にならないのではないでしょうか?
>
> そんなことはありません。(略)これは、一つの拡張された自然現象であって、
> それを説明できないのならば、それは単に現時点での科学の能力の欠如を表し
> ているだけで、クオリアが本来科学の対象にならないことを意味するのではあ
> りません。

「判らないのは科学のせいだと言っている」ようには読めないよ。
クオリアは科学では解明できない、って立場からは遠いんじゃない?
288ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 19:27:12
歴史主義的話になったので、進化論的話を

>クオリア(意味)=遺伝子による進化上の経験+言語による文明的経験+生まれてからの記憶された経験

<生命誕生>〜数十億年〜<人間誕生>〜数万年〜<「私」の誕生>〜数十年〜<現在>

クオリアを生み場は以上のような時間で作られているということなんですね。
たとえば赤に僕たちが注目するのは、子供の頃に血を見たトラウマかもしれないし、
文化的に赤は注意と教えられたからかもしれないし、進化論上で赤が重要な意味を持っていたかもしれない。
それは生命に共通で赤い花はなんからの意味を発していることから来ているかもしれない。

ボクが、クオリア=意味論というときは、このようなことですが、
ご想像のようにこのような確からしさは、決してわからない、ということです。
289ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/14(土) 19:29:38
良スレですね
290考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:30:21
>>287
問い:科学の対象になりますか
応答:そんなことはありません

理由:
これは、一つの拡張された自然現象であって、
それを説明できないのならば、それは単に現時点での科学の能力の欠如を表し
ているだけで、クオリアが本来科学の対象にならないことを意味するのではあ
りません。

何の根拠もありません
291考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:31:04
意味の意味を考えたら、『クオリア=意味』に近くなってきた
だが、『意味』だと漠然としすぎる.


『意味』は『無』からみたら、『意味の無い無』になる.


292考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:34:07
「クオリアを科学で解明する」って、一体どういう意味ですかね。
たとえば「物質はなぜ存在するのか」とか「物理法則はなぜ存在するのか」
という問いは、科学では解明できないと思います。
科学は単に「物質相互はどんな関係にあって、それはどんな法則で
記述できるか」を探求するだけです。
クオリアについても「クオリア相互、又はクオリアと物質(脳・身体・
外界・他人・社会その他)はどんな関係にあって、それはどんな法則で
記述できるか」の探求なら、同じようにできると思いますが。
293290:2006/01/14(土) 19:35:25
修正
> 問い:科学の対象になりますか
問い:科学の対象にならないのではないでしょうか?

要するに、科学の対象になりうる説明は何もありません。
悪魔の証明と同じです。
294考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:36:50
コギャルとかいうのが、勝手に造語を作りあって、
こそこそと誰かをあざ笑って喜んでる。

そんな感じだな
295考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:36:55
>>292
っていうか、そういう意味だと思われ。
296270:2006/01/14(土) 19:38:21
>>290
それは茂木さんの信念でしょ?

1)クオリアは自然現象である。
2)科学は自然現象を対象として取り扱う。
3)クオリアは科学の対象である。

俺は全て受け入れるなあ。
297唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/14(土) 19:41:06
科学=物質
宗教=心
では哲学は?
298考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:51:54
>>297
意味.
299考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:55:12
>>296
幽霊を見るという現象を科学の対象とすることが科学である、
というのであれば科学といえるかもね。

それは幽霊そのものが科学の対象ではない。そんな感じじゃない?
300考える名無しさん:2006/01/14(土) 19:59:53
301決定論スレ46の556:2006/01/14(土) 20:09:25
観測(検証)不能なものを科学が対象とすることはよくあることです。
でも、それは何らかの仮説でその存在が予測された場合です。
そして、その仮説は、観測(検証)可能で、原因が不明な現象を説明するために作られます。
つまり、

観測事実「Aという現象がある」
仮説「その理由はBであると推測される」
想定される事象「仮説が正しければCというものが存在するはずだ」

という順番です。
「現在観測(検証)されておらず、予測もされていないC」から始まることはありません。
302唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/14(土) 20:13:20
そういえば
○○を科学するとは言いますが
○○宗教するとはいいませんね。
303考える名無しさん:2006/01/14(土) 20:17:39
>>301
> 観測事実「Aという現象がある」
> 仮説「その理由はBであると推測される」
> 想定される事象「仮説が正しければCというものが存在するはずだ」

で、この手順でクオリアが解明できるの?
仮説を立てようにも、言語記述すらできんものなのに。
304むじんくん:2006/01/14(土) 20:22:21
>>292
> 「クオリアを科学で解明する」って、一体どういう意味ですかね。

情報理論では意味内容に関して意識的にカットしてきたわけですね。なぜかというと数学的記述が
難しいからです。意味内容は形式じゃないですから。そこを何とかできないか?というのがクオリア論
だと思います。

じゃあ、どうやって意味内容を数学的、形式的記述に落とすか。例えば、脳のネットワークの諸関係自体を
意味内容の表現形態と見なす。"赤さ"とは色の視覚的反応だけではなく、危険、暖かい、血、などなどの
ニュアンスの複合体であり、血とは怪我、痛み、などなどの複合体であり・・・。つまり、ニューロンの相互関係
そのものを意味の表現形態とし、数学的記述に落としていく。

これは既にスモールワールド理論などによって進められていることで、成果が確実に出るはず。
305決定論スレ46の556:2006/01/14(土) 20:22:26
>>303
ですから、(そのように定義された)クオリア(とやら)は、
科学の対象とはなりえない、ということを、
私は、何度も何度も何度も何度も繰り返し主張してるわけですが。
どうもこのスレも結構入れ替わりがあるようですね。
306むじんくん:2006/01/14(土) 20:33:43
>>288
> 歴史主義的話になったので、進化論的話を

しかし、それは遠近法的倒錯じゃないか。つまり、まず現在の視点、フーコーの言うエピステーメーの
認識構造があり、その中で派生した概念の起源を問うという、マッチポンプという感じがしますね。

赤のニュアンスに古来からの起源を求め、進化論的必然を求めるのではなく、現状の認識構造に
規定されたものと考えるのが、意味論の正しい手続きだと思います。
307考える名無しさん:2006/01/14(土) 20:34:04
>>305
君の言いたいことはわかった。
それでは、さようなら。

さあ、皆の衆、クオリアについて話そうか。

308考える名無しさん:2006/01/14(土) 20:36:36
>>307
で、クオリアについて話して、どういう成果が望めるの?
309ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 20:37:20
このスレに、3代天然ボケキャラ

機械、最低位、決定論スレ46の556
310考える名無しさん:2006/01/14(土) 20:39:28
>>308
ここは君を最上位に含めないと、皆が納得しないよ
311310:2006/01/14(土) 20:41:22
>>308 ×
>>309
312270:2006/01/14(土) 20:42:16
>>299
> それは幽霊そのものが科学の対象ではない。そんな感じじゃない?
その辺は微妙ではないでしょうか。

>>301
そのAとCは入れ替わることもあるんだろうけど、今はクオリアはAだよね。
313ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/14(土) 20:45:26
>>306
まさにその意味で「意味論」でなく、「クオリア論」なのですね。
意味論は哲学であり、エピステーメーのように歴史学にも、
さらに自然主義に対して禁欲的です。

認知科学のダイナミズム、言ったもの勝ち的勢いで、
「意味」を語ろう!それがクオリア論のメッセージです。
314一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 20:47:39
>>304
クオリア=意味という定義だとそうなるのかもしれませんが、
クオリア=表象という定義だと、まず、クオリアの存在を検証
する必要は無いんですね。なぜかと言うと、表象というのは
現に認識されている事柄ですから。しかも、クオリアの主観性
はあくまで保たれているわけです。

クオリア論は、この先に進んで、「では、私の脳と私の認識している
クオリアとの関係はどうなってるのだろうか」と問います。ここで問題
なのは、私の観測を誰も確認できない、という点です。「私の脳をこう
いじると○○が見える」と言っても、他人から見れば「その○○は私に
は見えないよ」と言われてしまう。
315考える名無しさん:2006/01/14(土) 20:50:20
仕切りやぴかぁ〜はウザイ w
316むじんくん:2006/01/14(土) 20:50:39
>>284
> それを史料から読み解くのは無理なんじゃないでしょうか?

それは可能じゃないですか。例えばフーコーの"考古学"というのはそういうもんですよね。
317一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 20:52:26
ところが、さらにこの先を考えると、「私が犬を見ている」とか「私が太陽
を見ている」というのも一緒で、「私には君が見ている犬など見えていない。
なぜなら、私が見ているのは私が見ている犬だからね」という反論も、実は
可能なのです(特に、カントのように素朴認識論を排除して物自体は認識
できないとか言い出すとそうなります)。

観念論はここで「いや、表象を規定する観念は人間なら一緒だ。おまえにも
理性があるはずなのだから」と再反論します。クオリア論では、この「観念が
一緒だから」というのを、「ニューロンの発火パターン」に、「理性」を「脳」に置換
して、同じことを言うわけです。「いや、おまえも脳を持っているはずだから、
おまえのクオリアと私のクオリアには大差が無いはずだ」と。
318一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 20:55:34
>>316
例えば、どういう史料がありますか?
319むじんくん:2006/01/14(土) 21:00:23
>>313
> 認知科学のダイナミズム、言ったもの勝ち的勢いで、
> 「意味」を語ろう!それがクオリア論のメッセージです。

クオリア論がグラフ理論みたいなので記述されることは可能でしょうし、脳科学や情報理論として
意味あることだというのも認めますが、しかし脳は外との関係性によって規定されている以上、
クオリアの起源は社会によって規定されているという話に結局なってしまいますね。

そうなると、認知科学というんでしょうか、実験心理学みたいなのと等価になるんじゃないかと
思います。そして、実験心理学というのはいくら科学風の手続きをしても結局世論調査と変わらん
ことやっているわけですよ。そこが問題だろうと思いますね。まぁ、そっちは現状どうでもいいん
でしょうけど。
320むじんくん:2006/01/14(土) 21:03:29
>>318
> 例えば、どういう史料がありますか?

音楽とかでしたら、モーツアルトとかの時代だと音楽は個人の内面から発するものじゃ
ないわけですね。"音楽"という客観的(?)な形式が存在しており、その中で作品をつくっていた。
それがベートーベンあたりから完全に変わるわけです。

同じことが絵画にも言えるし、哲学などにも言えると思いますよ。
321考える名無しさん:2006/01/14(土) 21:05:05
>>319
そこで、仮説の検定とかいうお遊びをする数学者でもない統計屋さんの登場ですよ
322一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 21:05:08
>>320
歴史をやってる立場から見ると、それではちょっと史料不足だと思います。
323考える名無しさん:2006/01/14(土) 21:12:49
>>320
そんなもん、時代と関係なく、どんなジャンルだって同じだぞ。
マンガなんかも、初めは手塚治虫が作った形式の中で作品を
つくっていたのが、徐々に「形式なんかクソ食らえ」式の作品が
増えてきた。
いったいそれが何の証拠になるというのだ?
324むじんくん:2006/01/14(土) 21:14:59
>>314>>317

でも、>>319にも書きましたが、脳回路は後天的に設定される部分が大きいのでそこで
規定されるとしたら共有化可能としてもよいですよね。
325唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/14(土) 21:15:00
>>323さん
そういう見方ではないと思うのですが。
326むじんくん:2006/01/14(土) 21:18:10
>>322
> 歴史をやってる立場から見ると、それではちょっと史料不足だと思います。

史料不足というか、割と一般的なこと書いてますけどね。不足というのはどういうこと
かちょっと分かりませんけど。
327考える名無しさん:2006/01/14(土) 21:19:23
>>306-326って、>>312を除いて、まさにどうでもいい話なんですど。
話に何の本質もない。何をやりたいの?ここの変なコテの人達は。
328決定論スレ46の556:2006/01/14(土) 21:23:35
>>312
クオリアは検証不可能ですから A ではありえませんよ。
「現在、観測(検証)されておらず、
 (仮説によって)予測もされていないC」ですね。
329決定論スレ46の556:2006/01/14(土) 21:25:27
>クオリアは検証不可能ですから A ではありえませんよ。
(いわゆる)クオリア(とやら)はですね。

クオリアという語に、別の定義を持ち出すと話は変わってくるかもしれません。


330一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 21:25:40
>>324
いえ、ここではそういう「先天的か後天的か?」の話では
ないように思います。例えば、観念論でも観念を先天的と
考える立場(プラトンなど)と、後天的と考える立場(ロック
など)がありますね。

クオリア論でも同じで、「ニューロン発火パターンは先天的
だ」という仮説も立てれますし、「後天的だ」という仮説も
立てれます。あるいは、「先天的な部分と後天的な部分が
ある」と折衷的に考えても良いわけです。
331考える名無しさん:2006/01/14(土) 21:28:33
>>330
ハッキリいおう、だから何なんだ?
332考える名無しさん:2006/01/14(土) 21:32:22
>>330
ん?そうなのか?
先天的か後天的かが観念論で論争された以上、
クオリア=表象論でも主要論点になると思うが、
どうだろうか?
333考える名無しさん:2006/01/14(土) 21:36:17
>>332
それ以前の話だね。>>318 にこっそり要点が書いてあるね?
334考える名無しさん:2006/01/14(土) 21:37:15
>>318>>308
335一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 21:38:00
>>332
観念論で重要なのは、「観念とは何か?」です。
観念と表象との関係も問題にはなりますが、それを
明確化することは困難だったわけです。

他方で、クオリア=表象論で重要なのは、「クオリアと
ニューロンの発火パターンとの関係」ですから、従来の
観念論とは論点がずれているわけです(クオリアの本質
やニューロン発火パターンの本質は敢えて問わない)。

補足ですが、ここで「観念よりも表象=クオリアの方が
大事なんだよ」という立場が現象学の一部ではないかと
思っています。が、これを哲学史で実証するのは困難だと
思いますが。
336一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 21:39:28
訂正:

×観念とは何か?
○個々の観念とは何か?(例えば、正義とは何か?)
337考える名無しさん:2006/01/14(土) 21:40:07
>>335
要するに、問題を解決するのではなく、
自分の知識をひけらかしたいだけなんだね。
338考える名無しさん:2006/01/14(土) 21:47:24
「先天的」と「後天的」って、どういう意味ですか?
339332:2006/01/14(土) 21:49:19
>>335
そうなると、クオリア論は改訂再販どころか観念論の
劣化版なんじゃないか?
観念論では「善とは何だろうか?」という問いに対して、
「善観念」「善イデア」を調べれば分かる、ということが
言えると思ったから、熱心に議論したわけで。
340むじんくん:2006/01/14(土) 21:52:48
>>330
> >>324
> いえ、ここではそういう「先天的か後天的か?」の話では
> ないように思います。

仮説として言えるかどうかはそうですが、脳は開放系で何歳ぐらいまでにどの程度の基礎回路が
外界との相互作用で出来るとかは分かってきてますよね。

そうなっていくと、クオリアの起源は脳に求められない。実験心理学みたいな話になっちゃうんじゃ
ないかということを言いたかったのです。ただ、表象でも別に構わないんですけど、言語の内容側に
関して、ニューロン構造の記述、数学的記述に落とせるという点では意味あると思います。応用まで
いけると楽しいことになりますが、どうでしょうね。
341一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 21:53:57
>>338
ここでは「経験が関与しているかどうか」です。
関与していないのが先天的(先験的)、関与しているのが
後天的(経験的)と読んでください。

>>339
劣化版ではないと思いますよ。
言ってる内容が狭くても劣化してるとは言えないからです
(むしろ、従来の観念論が言い過ぎな可能性の方が高い
ですね)。
342むじんくん:2006/01/14(土) 21:56:28
>>335
> 補足ですが、ここで「観念よりも表象=クオリアの方が
> 大事なんだよ」という立場が現象学の一部ではないかと
> 思っています。

ただ、現象学に詳しい人にも聞きたいんですけど、意味無しの消毒済み"表象"ってあり得るんでしょうか。
どうも考えにくいんですけどね。
343考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:03:57
>>332
どっちにしてもスレ違いだよな。
『なんでもクオリア 2』
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1092396894/
でやる気にはならんのかね?
344考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:04:10
>>341
しかし、経験が関与しないクオリア(=表象?観念?)なんて、考えられますか?
というより、ほとんど「クオリア=経験」だと思いますが。
345一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 22:04:15
>>340
いえ、表象と意味だと全然違っていて、クオリア=表象論の特徴は、
意味については(それを表象と定義しない限り)一切触れないという
点です。つまり、「痛み」と「脳」の"関係"は調べるけど、「なんで痛み
はその発火パターンじゃないといけないのか?」や「痛みの意味とは
何だろうか?」という問いに対しては「そんなことは知らない」と言える
のです。

特に、道徳感情が脳に関係しているとしても、「道徳とは何だろか?」
ということには答えられない(というか、最初からそんなことは問題に
していない)と思います。
346一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 22:08:20
>>344
クオリア=経験という定義は、日常用語ではそうなっても
いいかもしれません。が、「ニューロンの発火パターンが
絶対に経験的なのか?例えば、赤に対応する発火パターン
は実際に赤の波長を経験した後で無いと形成されないのか?」
は何とも言えませんね。
347考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:10:30
>>344
一言を含めて、ここの馬鹿どもは知らんのだよ。
赤を観たことないやつが、赤のクオリアを知ってるんだろな。
348考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:12:59
なんか、なんでクオリアについて話さないといけないのか、
という点で混乱が起きているようなので。

>>1によれば、

意識とはクオリアの集合(?)である。

クオリアは脳に規定される。

脳は物理法則に規定される。

物理法則は決定的である。

だから意識は決定的である。
349348:2006/01/14(土) 22:18:15
現在の論点、

意識はクオリアの集合と言うが、そのクオリアってナニ?

現在の対立軸:

クオリア=意味 ぴかぁ〜、むじんくん
クオリア=表象 一言
クオリア=クオリア 哲学者最高位
350考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:18:23
>>348
つうか、どこに書いてあんの?そんな無茶なこと。
351考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:19:04
>>350
テンプレおよび過去ログの総括だよ。
なぜか今回だけ貼られてないわけだが。
352むじんくん:2006/01/14(土) 22:19:52
>>345
> つまり、「痛み」と「脳」の"関係"は調べるけど、「なんで痛み
> はその発火パターンじゃないといけないのか?」や「痛みの意味とは
> 何だろうか?」という問いに対しては「そんなことは知らない」と言える
> のです。

そうなの?クオリア論というのは脳内現象のみを範囲と限定してるんですか。
353348:2006/01/14(土) 22:20:43
>>350
まあ、機械の代弁と言う形に成るが、「脳、クオリア、意識、決定論、
物理法則」というキーワードを好意的に解釈する限り、>>348くらいで
いいんではないかと思う。
354考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:22:45
http://lovelymiho.exblog.jp/
今回のブ男は、どちらも兼ねててツワモノ
友人の友人で、私は喋るの初めてだけど共通のつながりはある人で。
優等生には異質な、目立つのが好きなうっさい男。みためも派手。
スタートからみぽを超気にいってたらしく、猛アタック。
顔もきもいし体型もゴリラっぽいのにあつかましい、

それだけでキモかったけど、こいつがほんま空気読めなくて。

みぽがお得意のお世辞いっても、あからさまに舞い上がって騒いだり。
どうやら(あとから聞いた話だけど)周りもひいてて嫌われてるらしい。

まず、とにかく自分が話の中心じゃないと気がすまないってかんじ。
ひとりのイケメンの子かこんで、恋バナで盛り上がってたら
ゴリラのくせに無理矢理恋バナを自分の話にもっていったり。

みぽがちょっと笑ってやったからって
無理矢理サブイネタ連呼したり。
355考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:24:23
>>353
要するにネタスレなんだね。
356一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 22:24:45
>>352
私はクオリア論を「脳内現象に限定する」というだけです。
これも、論者の違いです。
だから、一概にクオリア論は間違っているとは言えないのです。
むじんさんにはむじんさんのクオリア論があります。
357考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:25:48
>>346
ええと、いや「赤のクオリア=ニューロンの特定の発火パターン」
だとすれば、その発火パターンが形成されれば、それがすなわち
「赤のクオリアを経験した」ことになると思いますが。
そうでないなら「赤のクオリア=ニューロンの特定の発火パターン」
という理解が間違いだ、ということだと思います。
「赤の波長を経験」という表現は変です。「ある波長の光線が網膜に
当ったときに、ニューロンの特定の発火パターンが形成されて、
赤のクオリアが経験される」という経験則があったとしても、その
「ある波長の光線」は「ニューロンの特定の発火パターンを形成する原因」
(のひとつ)であって、経験するのはあくまでも「赤のクオリア」だと
思います。
358一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 22:35:05
>>357
「ニューロンの発火パターンの形成」は「ニューロン発火パターン
が生じること」ではなく、「脳がそのようなニューロンの発火パターン
をできるようになること」です。

初めて目が赤の波長を受けた時(←ここを経験と呼んでおきます)、

1、「赤クオリア」を生じさせる発火パターンに必要なニューロンが生まれ
つき備わっているので、赤クオリアが生じる。
2、「赤クオリア」を生じさせる発火パターンに必要なニューロンは、生まれ
つき備わっているわけではないので、始めの数回は赤クオリアが生じない。

とどちらとも考えられると思います。
脳科学の最前線では答えが出てるかもしれませんが。
359考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:39:12
>>358
やっぱり、お前馬鹿だよ。馬鹿には何いっても分からんよ。
>>357は、もう相手にせんほうがいいと思うよ。
あんたの文章全然読んでないもの。
脳科学の最前線でもクオリアの存在は認められない。
361考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:41:47
>>358
思ったが、生まれつきニューロンは全部揃ってないのでは?
だとしたら後天的だな。
362一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 22:44:28
>>361
ええ、私もそうなんじゃないかなあ、と。
ニューロンの発火パターンが先天的に備わっているということは、
生まれた時から脳が完成してるということですね。これはありえない
んじゃないかと思います。
363考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:44:59
●・・・対象(たとえそれが「私」という概念でも同)

↓・・・(感覚器官によって)感受

↓・・・神経間を伝達

↓・・・各種発火パターン

↓・・・伝達

↓・・・各種発火パターン

↓・・・┐
↓  │
↓・・・│この間に
↓  │識別峻別分類
↓・・・│もなされる?
↓  │
↓・・・┘

↓・・・各種発火パターン

●・・・最終の認識

ニューロンの発火は、一回じゃないとおも。
364考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:47:03
>>360
つっこみどころはいいんだけど、
正体不明のクオリアを前提に議論することにはオカシサを感じない?
365考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:47:06
>>362
そうとも言えないと思われ。
「部分的に」はあるのかもしれない。
ロックの白紙説は個人的に信じてない。
366一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/14(土) 22:48:09
>>363
そうかもしれませんね。連鎖しているのかも。

>>365
そうですね。失礼しました。
特に、基本的な五感はできてるのかも?
367考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:52:55
>>366
いや、それは多分無い。
赤ちゃんの身体で最も感覚が発達してるのは口の中らしいし、
見え方も大人と違うみたいだから、五感に関係しているから
必ず意識の上っているとは言えない。
368考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:55:02
>>367
インプリンティング、みたいなのは?
369考える名無しさん:2006/01/14(土) 22:56:30
>>368
分からん。

ってかインプリンティングって一瞬で起こってるの?
370考える名無しさん:2006/01/14(土) 23:02:01
>>369
親と認識するまでに経験が必要なのか?
って話だよね。

「何か」があって親と認識してるんだよね?
ある程度、感覚が備わってないと無理だと思ったんだよ。
371考える名無しさん:2006/01/14(土) 23:04:57
古い本だが、
『赤ちゃんには世界がどう見えるか』 草思社
ダフニ&チャールズ・マウラ / 吉田利子訳
372考える名無しさん:2006/01/14(土) 23:04:59
>>370
ああ、なるほどね。勘違いスマソ。
373考える名無しさん:2006/01/14(土) 23:14:56
ていうか、そもそも『親』という概念が赤んぼに初めからあるのか?
374考える名無しさん:2006/01/14(土) 23:18:29
エサをくれるヤツが親.
それ以上でもそれ以下でも無い.


親とて他人.
375考える名無しさん:2006/01/14(土) 23:18:52
おまいらに質問

観念と概念の違いを説明できるか?
376考える名無しさん:2006/01/14(土) 23:19:36
まさにカッコーだね。
377考える名無しさん:2006/01/14(土) 23:20:00
動物の基本的な本能は、自分以外の動くものはみんな敵。
親というのはそれをオミットする対象。
ペットの飼い主に対する認識もそれ。
378考える名無しさん:2006/01/14(土) 23:20:29
>>358
ええ、どうも>>346との関係がよくわかりません。
「生まれつき」とは、どういう意味でしょうか。
>>362に「生まれたときから脳が完成している」とありますが、脳も肉体の
一部であり、生まれたときから肉体が完成している生物というのは考えにくい
と思います。例えば人間は生まれつき二足歩行ができるわけではありませんが、
「成長すれば二足歩行ができるようになる性質」は生まれつき備わっていると
言えるでしょう。
「赤のクオリア」の場合も常識的には同じことだと思います。
「普通に成長すれば特定の光を目に受けたときに特定のニューロンの発火パターン
を形成するようになる=赤のクオリアを経験できるようになる性質」は、人間ならば
生まれつき持っている場合が多いでしょう。少なくとも、そう考えるのが常識です。
しかし、そのことと、「クオリア=経験」で、「赤のクオリアは純粋に後天的である
=実際にそのニューロンの発火パターンを形成したことがなければ、赤のクオリアは
経験できない」と考えることとは、何も矛盾しないと思いますが。たとえば
どんな脳の状態であれ、一生目を開いたことがない人間はたぶん赤のクオリアを
経験できません。つまりクオリアは「後天的だ」ということです。
379考える名無しさん:2006/01/14(土) 23:33:31
>>375
できませんorz
380考える名無しさん:2006/01/14(土) 23:49:45
簡単に言うと、観念は定義で与えられるもののことで、概念は観察から取り出されるもの

ここでやってるクオリア論は「どっちの定義がいいか」を争ってる観念論であって
観察から取り出されたクオリアの概念としてどれが適切かという問題ではないよ。
「観測から取り出されたクオリア」は比較できないんだから、後者は不可能。

だったらどの定義が、より説明機能が高いか、何かの議論にとって意味があるか、
そういう視点から語らないとあまり意味ないかと。

とりあえず「クオリア=意味」論だと、「意味」だの「観測」だのの用法を
通常と大幅に変えなくちゃいけなくなることは示されてたな
381一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/15(日) 00:06:38
>>378
大部分は後天的だと思います。
生まれつき、という時点は、胎教の問題もあって特定が困難ですが。

あと、赤のクオリアの経験に関する話はしていません。
あくまでニューロン形成の先天性・後天性だけです。
観念論者でも、表象が先天的か後天的かということを問題にした
人はほとんどいないと思います。
382考える名無しさん:2006/01/15(日) 00:09:47
>>380
> 簡単に言うと、観念は定義で与えられるもののことで、概念は観察から取り出されるもの

サンタはどうなるの?
383考える名無しさん:2006/01/15(日) 00:18:11
>>371の本でも分かるけど「赤ちゃんがどう世界を観ているのか」なんて
のは、本当は分からんのだよな。でも、それを分かったかのように語る
ことも科学には含まれてると思うんだが、どうだろ。
384決定論スレ46の556:2006/01/15(日) 00:22:21
>>383
まあ、そのような、科学者への社会的要請、はあるかもしれませんが、
それは科学じゃないですね。
医者が全て事実を言えばいいわけではないのと同じです。
385考える名無しさん:2006/01/15(日) 00:25:31
それは科学の定義の問題だからどっちでもいいよ。
386考える名無しさん:2006/01/15(日) 00:53:31
>>382
サンタは概念であるとか、観念であるとかそういうことじゃなくて、
サンタを概念としてみるか、観念としてみるか、という話だ。

クオリアを概念として見てる人がいるから、それは無理だぞと言いたいわけ
387考える名無しさん:2006/01/15(日) 00:54:12
>>383
そもそも、自分以外の何かがどう世界を観ているのか、本当は分からないよな。
1.言語による報告
2.対象の行動
から「推測する」他はない。赤ちゃんは言語を使えないんだから、
動物と同じで2.しか判断材料はない。あとは、
3.自分の記憶
という材料もあるが、残念ながら自分が赤ちゃんの頃を記憶している人は
ほとんどいないので、この手も使えない。
もっとも三島由紀夫なんかは自分が産湯に浸かっている光景をはっきり
記憶していたそうだが、これも本当かどうかはわからないし、
何より記憶はあくまでも「現時点での想起」だから、当てにならない。
388決定論スレ46の556:2006/01/15(日) 00:58:29
>何より記憶はあくまでも「現時点での想起」だから、当てにならない。
それは、赤ん坊のような古い記憶に限らず、
もっと短い期間の記憶、いわゆる「赤という感じ」にもいえることですよ。
389考える名無しさん:2006/01/15(日) 01:01:38
>>387
唯我論的な懐疑から言えば、

「他者は世界をどう見ているのか?」

という問い自体がナンセンスなんだな。
その前に、他者がいるかどうかもわからんだろうと。
390考える名無しさん:2006/01/15(日) 01:41:35
このスレより政治板の「政府の陰謀を暴くスレ」の方が遥かに進んでるな
391りくーつ・こねりー:2006/01/15(日) 02:34:03
>>390
ありがとう、ちょうど眠ろうとして失敗して眼がさえたところで助かったよ
「陰謀」をキーワードにスレタイで検索すると面白いスレが一杯見つかるね
392哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/15(日) 03:59:29
こんばんは
かなりスレが進んでますね
読むのが面倒だわ

何か質問あります?
393りくーつ・こねりー:2006/01/15(日) 04:03:46
>>392
>>265 になんか必死なかたがいらっしゃいます
気になりませんか?
394考える名無しさん:2006/01/15(日) 04:09:22




NEET A GO GO ★



395哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/15(日) 04:59:36
>>393
>最高位は、この
>『「私」「意識」「主観」が、脳内の諸現象で記述できるのかどうか?』
>という問い(及び問い方)そのものを嘲笑っていたのだが?

ふむ
そもそも、「主観性」 という事柄は
単なる物理現象とは、一線を隔しているのです
脳内の諸現象で記述しきれる性質のものではないのですよ
唯物論者は、その事がわかっていない
なんでもかんでも、全部が物理現象で記述できるという信仰だから
ミソもクソも同じに考えてしまっていて
物事を冷静に、正確に考察する事ができずにいるのです
他の偉いひとですらそうなんだから
洗脳されてしまっているんですね

「無理なんだよ?」
という事が、私は言いたいわけです
396考える名無しさん:2006/01/15(日) 06:13:30
中立派だけど、あんたは非実在派の論理がわかっていない。
397考える名無しさん:2006/01/15(日) 06:29:43
自然科学が発達して、いろんな不思議な現象が科学の用語で記述できるようになった。
それによって、幽霊や妖怪の不思議さは実際ほとんど解体されたね。

ただこれは「幽霊や妖怪の原因が分かった」とは実は全然違うことだ。
幽霊や妖怪は、現象を説明する機能であって、現象そのものではない。
自然科学が"妖怪的な"現象をいくら合理的に説明しても、それはその現象についての
もうひとつの説明の仕方に過ぎないのであって、「妖怪」を説明してるわけじゃない。

同様に「主観ー客観」「意識ー無意識」「心」「霊」「クオリア」といったものも、
説明機能なので、脳科学の発展で感情や記憶など心の働きを科学的に記述できたとしても、
それで「主観やクオリアが解明された」ということにはならない。

素朴な唯物論者たちはここのところが全然分かってないね。
技術と理論の発展は、既にある説明機能を解明するのではなく、それらは「もはや必要ない、
幼稚で古臭い」と感じられる状況をもたらす可能性があるってだけだよ。
398哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/15(日) 07:48:27
>>396
その
非実在派の論理とやらをヨロ
399考える名無しさん:2006/01/15(日) 07:56:37
400哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/15(日) 08:16:46
>>399
ぶっ!w
サンキュ
401orz:2006/01/15(日) 08:21:27
すみません。>>82で書いた者です・・・マルチポストで申し訳ございません。


3.茂木健一郎という「脳」「科学者」を自称している方がいら
っしゃいますが、この方はどのような具体的「実験」なり「論文」
なりを発表されているのかご存じないでしょうか?これは単なる世
俗的な関心にすぎず、「また脳ブームに便乗して、トンデモ「学者」
がおかしな言動に走っているのでは」という危惧があるだけで、
それほど重要なことではありませんので、流してもらって結構です。
402考える名無しさん:2006/01/15(日) 08:27:31
403考える名無しさん:2006/01/15(日) 10:49:16
クオリアが蹂躙されてます。>>395 >>397
対峙できる勇者はいないのであろうか?
404考える名無しさん:2006/01/15(日) 11:06:16
>>403は機械だな w
405考える名無しさん:2006/01/15(日) 11:20:54
>>395;広島 2006/01/15(日) 04:59:36
>>397;長崎 2006/01/15(日) 06:29:43

二度に渡って、ぴかどんが投下された。
クオリア人は無条件降伏したのであった…
406考える名無しさん:2006/01/15(日) 12:00:56
まだ杜玖椀も理解できない馬鹿がいるな
407考える名無しさん:2006/01/15(日) 12:05:23
>>406
395のことだよね?
408哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/15(日) 12:40:32
今日は、ぴかくんは欠席かな?

何度も言うけど
クオリアに、言葉や意味は関係ないよ

事故 という言葉や意味を知らなくても
事故ったら痛いぞw
痛い という言葉を知らない赤ちゃんでも
痛そうな事をしてやると
「ギャ〜〜〜」と言って泣くんだよ
赤ちゃんも、やっぱり痛いんじゃないの???
あれって、痛がってるのではないとでも?

それから
子供は母親とかに
「この色は何色?」と聞くんだよ
言葉を知らなくても、見えてるんだよ
「赤」という言葉を知らなくても
赤は赤色に見えているんだよ
んで、見えている色に対して
「それは赤だよ」と教えられて
見ている「その色」と「赤」という言葉をつなげるだけなんだよ
当たり前すぎるだろこんなの

言葉とか、意味とか
関係ねぇよ
言葉とか意味とかは、感じた後に、考えて付けるものだ
409哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/15(日) 12:49:25
>ぴかくん

言葉にできない味
というものもある
「こんなウマイもの食うの、初めてだ」
「生まれて初めて味わう感覚だ」
「何と表現していいのかわからないけど、とにかく滅茶苦茶ウマイ」
その時、人は
文字通り
言葉に出来ないクオリアを感じている
410考える名無しさん:2006/01/15(日) 12:50:13
>>408
> 今日は、ぴかくんは欠席かな?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1137232437/
で思う存分暴れてるよ。このスレは、どうにもならんことに気付いて脳内遺棄したんじゃね?
411考える名無しさん:2006/01/15(日) 12:51:33
意味や言葉が先行してはじめて認識可能なものもあるにはあるけどな

例えば「あ」という音声を「あ」として認識するには「あ」の意味を知らなければならない。
(文字としての「あ」であったり、50音の1番目としての「あ」であったり)
ただ、「あ」の意味を知らずに「あ」を聞いても、何も聞こえないってわけじゃない。
「a」みたいな音は聞こえてるわけで。

だから、意味がなければ観測できないというような議論は馬鹿馬鹿しいね
412哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/15(日) 13:00:34
>>410
うほw

彼は、受け売りをするのが好きなんだね
自分で考えて、本質を追求する作業はしないようだ

>>411
それは言葉の意味を、理解し認識する場合ですね
クオリアとは関係がないでしょう
413考える名無しさん:2006/01/15(日) 13:27:39
こんにちは。
最高位さんに二つ質問です。

1. 最高位さんのお考えは、心物二元論というものなのでしょうか?
2. 最高位さんは、クオリアと主観の構造は、
  種族に関係なくどの生物でも同じだと思いますか?
414考える名無しさん:2006/01/15(日) 13:33:13
>>414
> ただ、「あ」の意味を知らずに「あ」を聞いても、何も聞こえないってわけじゃない。
> 「a」みたいな音は聞こえてるわけで。

ちゃんと読んでやれ、あふぉ

「あ」の意味は知らんでも「a」みたいな音が聞こえるクオリアがある
「あ」を知らんかったら、「a」みたいな音が聞こえるクオリアがない

っていうのが馬鹿馬鹿しいねってことじゃねえの
意味を知ってようと知ってなかろと、「a」は聞こえる

のように読めんか?
415414:2006/01/15(日) 13:36:31
>>414>>412
416哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/15(日) 13:54:11
>>413
心身二元論の
二元 というのが気に入らないですね
『私』という一つの存在性の
二つの側面 ではないですか?

厳密には、自分のクオリア以外についてはわかりません
想像の粋を出ません

>>414
あふぉ とは失礼ではありませんか?
>意味や言葉が先行してはじめて認識可能なものもあるにはあるけどな
これについてコメントしたにすぎません
417飛べないカラス:2006/01/15(日) 14:25:50
主観論やクオリア論は自分の認識能力についての話であり自分の土俵に持っていくような話だね。
問題はそれが他人にとって読む価値のある論にできるかというところじゃないかな。
418考える名無しさん:2006/01/15(日) 14:32:03
内省から出発する議論って基本的にいかがわしさがつきまとうな
クオリアとか典型

そんないかがわしいクオリア論でも、素朴な唯物論の信仰を破壊するという
だけの意味において「他人にとって読む価値のある論」になるんじゃないかな
419飛べないカラス:2006/01/15(日) 14:50:47
素朴な唯物論の信仰に反対するなら科学の産物(ネットとか電力とか)を一切使わなければ説得力が
あるのに。
420哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/15(日) 14:56:52
>>419
なぃなぃw
421考える名無しさん:2006/01/15(日) 15:00:07
>>416

>(物と心は)『私』という一つの存在性の 二つの側面 ではないですか?

私も、心と物とは、『私』という存在性に属するものだと思っています。
ただ、二つしか側面がないかどうかは分かりません。

関心の対象となる『私』の中での「変化」や、
その「変化」に対して関心を持つ「働き」や、
その働きをする「主体」や、
関心の受け皿となる「枠組み」や、
「変化」とはそもそも「時間」という条件を要請するので「時間」も、
というように、『私』の存在性に属するものはたくさん考えられるのではないかと思います。

そして、『私』は、そのような「運動」としてしか捉えられないものであって、
運動の無い中で純粋な『私』を想定することはできないのではないでしょうか?

私は、『私』の存在性の全体構造自体はどんな生命でも同じではないかと思うのですが、
ぴかぁさんの言うように、たとえば、今ヒトが感じるクオリアであれば、
進化の過程や、歴史の中で重層的に形成してきた枠組みや、
今新たにヒトが作りつつある意味の枠組みを通して、
はじめて感じられるものではないかと思っています。

それと、
>『私』という一つの存在性
という場合、最高位さんは『私』の外の世界の存在は想定されていますか?
されていないとすれば、独我論ということでしょうか?

私は、『私』の外の世界の存在の「想定」も、
『私』の存在性に属するものなのではないかと思っています。
422考える名無しさん:2006/01/15(日) 15:14:39
それから、クオリアという言葉には、
「赤の赤さ」のように、個人や種族にとっての「感じ」という意味と、
「因果律」をいくら辿っても到達不可能な「物自体」のように、
いくら物理主義的に調べても出てこない「感じそのもの」という意味との二つが、
このスレの議論では混在していると思います。
これが混乱の元になっているような気がします。

哲学的としては「感じそのもの」としてのクオリアをめぐる、
認識論や存在論の話題が中心になるのでしょうが、
科学であれば、たとえ「そのもの」まで到達することが不可能であっても、
クオリアに関する理論をより発展させるために、
ヒトの脳の働きなど、身近な層から研究して行く必要があるのではないかと思います。
423ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/15(日) 15:24:16
気付くと駄スレになっとる
タームに欲情イタイ
424考える名無しさん:2006/01/15(日) 15:25:49
補足です。

>進化の過程や、歴史の中で重層的に形成してきた枠組みや、
>今新たにヒトが作りつつある意味の枠組みを通して、
>はじめて感じられるものではないかと思っています。
と書きました。

先ほど、
「あ」の音を「あ」として聞けなくても、
「a」というような音として聞き取ることはできるという話が出ていました。

これは、人間の言語の枠組みを習得していなくても、
人間という種族としてもった聴覚の弁別能力の枠組みで聞ける、
という形で捉えることができると思います。
425考える名無しさん:2006/01/15(日) 15:30:08
>>423
表現が硬くて分かりにくいところがあれば言ってください。
できるだけ柔らかく書き換えます。
426270:2006/01/15(日) 15:36:44
>>422
> それから、クオリアという言葉には、
> 「赤の赤さ」のように、個人や種族にとっての「感じ」という意味と、
> 「因果律」をいくら辿っても到達不可能な「物自体」のように、
> いくら物理主義的に調べても出てこない「感じそのもの」という意味との二つが、
> このスレの議論では混在していると思います。
> これが混乱の元になっているような気がします。

「赤の赤さ」という「感じ」、つまりクオリアが物理主義的な理解からはみ出すんじゃないか?
という議論はクオリアに関する議論で重要な議論のひとつだから、もしこのスレでその点が議論されてるとしたら混乱してるとは言えない。

俺の印象ではこのスレの「混乱」は別の点にあってそれは君のレスにもあるように
クオリアに「物自体」や「イデア」のようなものをフカヨミするところにあるんじゃないかと思う。
多分これはクオリアに言及する文によく見られる「そのもの」という言葉に引きずられてるからだと思うんだけれども、
この「そのもの」という言葉はたんに当のクオリアを指している、
例えば、喉元まで出かかっているけど言葉になって出てこないときに「ほた、あれだよ、あれ!」と言ったりするときの「あれ」と同じような使い方をされてるだけだから
そこに「物自体」や「イデア」のようなものを無理に読みこむと「混乱」するんだと思う。
427270:2006/01/15(日) 15:38:01
>>426
「ほた、」だって。
「ほら、」の間違いです。
428ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/15(日) 15:43:29
>>425はあどのレスだね
>>422?なら
空行のあとが厨了ならわかるんだが

まいいや下げてやる分には
429考える名無しさん:2006/01/15(日) 16:05:36
茂木という人のクオリアマニュフェストを見たら、
「主観性の解明」を目指している、と書かれているし、
現象学の影響なども書かれているので、
ハナっから物理主義的理解をはみ出す「フカヨミ」なものを言ってるんだと思います。

この人の関心に適した方法は、哲学的議論のような気がするんですが、
実際には、脳科学者として、
人の脳の情報処理の仕組みの研究から主観性を解明しようとしているので、
言ってる事とやっている事が矛盾しているんだと思うんです。
解明不可能なものを解明するぞ!といってるんだから。

でも、科学というのは、試行錯誤して理論を発展させるためのものだろうし、
それによる社会へのメリットは哲学よりも分かりやすい形ででるから、
別にいいんじゃないかと思ってます。

もしかしたら、ただ単に脳の情報処理の仕組みの研究をしたいだけだったのに、
大見栄を切りすぎて、結果的に、
世間の人に深読みさせてしまっただけなのかも知れませんね。
430考える名無しさん:2006/01/15(日) 16:11:32
教養知識意外に意味は存在せず、それらから知ることは何もない、
まさにそのもの自体の代用品として意味は存在するのだ
431270:2006/01/15(日) 16:20:33
>>429
茂木さんにしたら余計なお世話なんじゃないかな。
それに混乱してるって指摘は茂木さんに対するものじゃなくてこのスレの議論に関してのものでしょ。

ところで脳の仕組みから主観性を解明するのは矛盾してるのかな?
解明不可能って決まったわけじゃないし。
マニフェストとしても「解明不可能(問い割れてるのを)解明するぞ!」って別におかしくない。
432考える名無しさん:2006/01/15(日) 16:23:48
空飛ぶぞ!空飛ぶぞ!空飛ぶぞ!空飛ぶぞ!

やった〜♪お空を飛んだよボク〜♪
433考える名無しさん:2006/01/15(日) 16:40:03
>>431
そうですね。私は茂木さんを否定しようとしているのではなくて、
あなたのおっしゃるように、科学で新たな課題や方法を模索していることに対して、
哲学フカヨミから議論が始まってしまったということなのだと思いました。
余計なお世話なのでしょうね。

>脳の仕組みから主観性を解明するのは矛盾してるのかな?
「解明」という言葉を、従来の理論の欠点を補い、
より包括的に主観性と脳の仕組みとの関係を説明できる理論の提示、
という用に捕らえれば、矛盾とはならないかもしれませんが、
ちょっとそれは無理やりですかね。

でもやはり、人間の脳の情報処理の仕組みを研究することでわかってくるのは、
あくまで人間にとって、何かを感じることと、そのときの脳の状態との対応で、
主観性を直接することではないのではないかと思います。

しかし、だから意味が無いというのではなくて、
それはとても科学にとっても社会にとっても価値のある研究だと思います。
434考える名無しさん:2006/01/15(日) 16:43:05
2004年までのエッフェル塔からの墜落死者数、累積857名
435考える名無しさん:2006/01/15(日) 16:48:51
結局、私がここでツベコベ書きこんでるのが一番意味が無いってことで、
このへんでお暇します。お邪魔さま。
436考える名無しさん:2006/01/15(日) 17:08:01
>>429
なるほど。ちゃんと哲学用語の意味分かってないとそういう煽りを信じちゃうわけか
437ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/15(日) 17:16:20
自信たっぷりにageるな
ウクレレでも弾いてろ
438一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/15(日) 17:25:51
>>433
哲学的な深読みだけでなく、用語の違いも注意する必要があると思います。
茂木さんは、「主観性」という言葉でいったい何を言いたいのか?、これを考え
ないと誤読になってしまいます。もっとも、マニュフェストを読んで分かるかと言うと、
そうでもないのですが。
439考える名無しさん:2006/01/15(日) 17:32:52
>>438
ホントどうでもいいレスつけるのに命掛けだな、オマエって。
440考える名無しさん:2006/01/15(日) 17:47:12
>>439
おまえが軽すぎなのw
441「機械的唯物論」者:2006/01/15(日) 19:57:11
脳は質感が物質化した物なので感覚の質感は必然にすぎない。
442ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/15(日) 20:01:20
物質化
443考える名無しさん:2006/01/15(日) 20:03:02
>>442は機械タンですか、どうよ?
444ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/15(日) 20:06:55
「機械」が誰なのかも知らぬ異板人でありますっ
445考える名無しさん:2006/01/15(日) 20:08:48
>>444
サンクス
446ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/15(日) 20:12:26
('A`)ぇぇー?
447少しはググたら?:2006/01/15(日) 23:57:04
「リチャード・ローティを内在的に理解するために」
ttp://homepage3.nifty.com/martialart/inoue6.htm
448考える名無しさん:2006/01/16(月) 01:08:26
およそ意識されたものは全て広義の意味でクオリア的である。
意識的観測主体が無ければ全物理現象はその表現手段を何ら持たない。しかし
意識無き沈黙した暗闇の中で現象のみがただ生起し続けることは有り得る。が
しかしこれはクオリアとしての「私」の死を意味する。
449考える名無しさん:2006/01/16(月) 01:33:47
ピアニストが音色の微妙な変化と、指のタッチやその他の身体各部の運動との対応
関係を研究する(体で覚え込む)のは当然のことである。クオリアそのものに関わる
ということは極めて具体的な身体機能の訓練に属する事柄なのである。ここではあ
えてその起源のことが問われることはない。
450考える名無しさん:2006/01/16(月) 02:07:10
ホムンクルスの実在を確かめてくる。
451哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/16(月) 04:36:04
>>421
>>422
>>424
何が言いたいのか、よくわかりませんね
で?

あなたの言っている事は、まとまっていませんよ
頭ゴッチャになってるんじゃないですか?
>関心の対象となる『私』の中での「変化」や、
>その「変化」に対して関心を持つ「働き」や、

それは心や体の「変化」や「働き」であって
心や体の「状態」でしょう
なんで、心と体と平行して存在する別の側面として考えるのか
サッパリ理解できません
あなたの文章を読んでいると
こっちまで頭がおかしくなりそうです

>ぴかぁさんの言うように、たとえば、今ヒトが感じるクオリアであれば、
>進化の過程や、歴史の中で重層的に形成してきた枠組みや、
>今新たにヒトが作りつつある意味の枠組みを通して、
>はじめて感じられるものではないかと思っています。

それが「観点がズレている」と言うんですよ
どのような過程でクオリアが形成されていようとも
赤が何故、このような赤色という色に感じるのか
という疑問には、絶対に答える事ができないんですよ
何をどうやったって、科学的に解明できるとっかかりなど、ありえないのです
この問題を理解できない人がいる
という事が、議論を混乱させているのです
452哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/16(月) 08:59:55
>>429
茂木という人の事はよく知りませんが
「主観性の解明」を目指している
なんて言っているのなら
おそらく唯物論によって、脳がマヒしちゃってるんじゃないでしょうか
脳をいくら研究したって、クオリアの起源を解明できるはずもない事は常識ですよ
それでも、クオリアという言葉を使いたがるという事は
脳ミソが麻痺しちゃってるか
注目を集めたいがための確信犯的詐欺師でしょうね

少し早いかも知れませんが
今度は、主観性と『私』という観点で説明してみましょう
「主観性」というのは、いったい誰の主観性なのかと言えば
言うまでもなく、『私』の主観性
『私』の『観』ですよ
それ以外には主観性などないのです
唯物論者は、他人の主観性は、私の主観性ではない
などと言って客観的に、外から分析しようとしますが
その主観性も、主観性である限り、他人という『私』の主観性なわけです
主観性とは『私』の『観』です

では『私』とは、いかなる脳の構造なのでしょうか
実はこれは、構造ではないのです
たとえ私の脳と、全く同じ構造の脳を作ったとしても
『私』は、天上天下唯我独尊であって
原理的にいって、二人の『この私自身』は存在しえません
空間的に離れた二ヶ所に、二人として存在するなど、尚の事ありえません
私は、ここにいる唯一人です

人間の内面は、このような特性を持っているため
いくら脳の構造を研究しても『主観性』など解明のしようがないのです
453哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/16(月) 09:08:00
要するに
主観性というものは
『私』の主観性であって
『私』の構造はといえば
物理的に特定できるものではない
それゆえに
主観性も、単なる物理現象として片付ける事ができる性質のものではない
という事ですよ

主観性は
物理現象とは、大きく一線を隔している
454考える名無しさん:2006/01/16(月) 09:19:33
『独我論』とは「私」しかいないということではなく、「この私」に通用することが
「他の私」にも通用すると考える思考のことである。(柄谷行人)

クオリアは「この私」の内省において見出されるものであるため、「対象」ですらない。
そんなものを客観的に解明しようとする試みは、『独我論』に陥っている。

クオリア論につきまとう"いかがわしさ"はここに由来する
455ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/16(月) 09:36:00
クオリアが哲学が長く思考したことからきているとしても哲学やは口を閉じなければならない。
なぜならクオリアとはあとは任せなさいという科学や宣言であるからだ。
そして彼らには独我論は存在しないし、語りえぬものを語る野蛮さがある。
456哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/16(月) 11:30:33
>>455
相変わらず
意味がわからんね
457ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/16(月) 12:16:30
爆笑王、そんなフリもらっても、ツッコミませんぜ。
458考える名無しさん:2006/01/16(月) 12:48:37
>>455
>クオリアとはあとは任せなさいという科学や宣言であるからだ。

科学屋宣言? 「科学」や「宣言」? どっちかわからない
んで、そんな宣言がなされたことで「哲学が口を閉じなければいけない」
理由もわからない

>そして彼らには独我論は存在しないし、語りえぬものを語る野蛮さがある。
そんな断言されても。理由は?

端的に言って、意味がわからない
459?x?z?w:2006/01/16(月) 12:57:50
テレビは物質だから意識は映像にすぎない
460?x?z?w:2006/01/16(月) 13:02:33
オレアフォリアだから.......。
461考える名無しさん:2006/01/16(月) 13:03:57
つうか、あふぉはほっときゃいいののに
あふぉ相手にマジになってどうするんだ?

>>455 を読んでイッチャッテルことに
気付かんやつもイッチャッテルぞ

462?x?z?w:2006/01/16(月) 13:33:54
甚深無量難解難入所不能知
463考える名無しさん:2006/01/16(月) 13:35:42
消えろ
464哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/16(月) 14:01:14
>>461
ヒマだから
つい、ちょっかいだしちゃうんだよなw
465考える名無しさん:2006/01/16(月) 17:51:09
>>451-2
答えになってない
>>195
466考える名無しさん:2006/01/16(月) 18:40:09
荒れてるな.

ぴかぁ〜降臨に期待age
467ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/16(月) 18:59:01
けどクォリアいい加減うざい
もう充分だろに
468考える名無しさん:2006/01/16(月) 19:27:26
>>467はぴかぁ〜だな w
469考える名無しさん:2006/01/16(月) 19:39:42
ネタきぼん
470決定論スレ46の556:2006/01/16(月) 19:45:28
そういうときはスレタイにもどりましょうよ。

スレタイで「意識は必然にすぎない」といっていますが、
いったい、必然である場合と無い場合にどんな違いがあるというのでしょう。
471唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/16(月) 19:49:23
意識は脳とは独立して存在する。
472ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/16(月) 19:52:43
意識ってのは総体だから一緒じゃないが、
別に独立もしてない。
突っ込むほどでもないか
473考える名無しさん:2006/01/16(月) 20:12:42
意識も、ただの電気信号
474ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/16(月) 20:15:49
医者が「意識不明の渋滞です」という時の「意識」について言ってるなら、
そうだな。
475ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/16(月) 20:16:58
ばかなのはIMEだからね
476むじんくん:2006/01/16(月) 22:16:12
>>424
> 「あ」の音を「あ」として聞けなくても、
> 「a」というような音として聞き取ることはできるという話が出ていました。
> これは、人間の言語の枠組みを習得していなくても、
> 人間という種族としてもった聴覚の弁別能力の枠組みで聞ける、
> という形で捉えることができると思います。

これはウソでは?出生後しばらくはノイズとしてしか聞こえないと思いますよ。というか、
実際には世の中の"音"はノイズなのであって、脳がフィルタリングして「a」にしている。

こういった問題点は、現代音楽で問われました。ジョン・ケージの「4分33秒」なんかは
音とは何か?という問いなのです。我々は、一切の偏見なく音を聞くということができるの
だろうか?

視覚についても同様で、ある物が空間から切り取られてある個物であるとされるのは
何故か?こういう問いを突き詰めてみる。そうすると、主観/客観すら無い、「世界の溶解」に
至る。
477考える名無しさん:2006/01/16(月) 22:31:37
>>451
>で?
すいません・・・
質問は、最高位さんの考え方は独我論というものなのですか?です。

>こっちまで頭がおかしくなりそうです
すいません・・・
昨日挙げたいくつかのものは、平行して存在する別の側面ということではなく、
『私』が存在するための条件として何が必要か、思いついたことを並べたものです。

私も、「本質」などの抽象的なものと、「実在」などの具象的なものとは、
それぞれが独立にあるのではなく、片方しかなければ両方が無くなる、
表裏一体のものと考えています。

また、具象性と抽象性は、あくまで方向性であり、階層的に連鎖するもので、
それぞれの方向をいくら辿っても、無限に対抗して行き、
純粋な抽象性、純粋な具象性には到達できないとも思っています。

それで、ぴかぁさんの、
抽象的な「心」も、具象的な「肉体」の状態として捉え、
さらにそれが重層的であるとする意見に賛同しました。
478考える名無しさん:2006/01/16(月) 22:33:18
最高位さんへの私のはじめの質問は、最高位さんは物心二元論なのか、
というものでしたが、最高位さんはそれに対して、「物心は一体」とお答えになりながら、
物心をそれぞれ独立なものと捉えているようにも、私には感じられます。

デカルトが、哲学の出発点とすべきものとして、
あらゆるものを疑った末に見出したという「われ思う」の「われ」は、
私はあくまで、「あるはず」と想定される目的地であって、出発点にはならないと思います。

ただ、「われ」があるとするならば、それがどのような条件の上に成立するのかの、
探求のきっかけという意味では出発点だとは思います。

また、「われ」が「純粋な主観性」として捕らえられている限りは、
二元論か、独我論(唯心論?)にしかならないのではないかとも思います。
479考える名無しさん:2006/01/16(月) 22:39:46
>>476
>出生後しばらくはノイズとしてしか聞こえない
「a」という書き方をしたのが失敗でした。
ノイズがノイズであるということは、それも聞けているということで、
赤ん坊でもその音を聞くための何らかの受け皿があるということです。

ただそれが、その後習得する言語の音としては意味を成さない、
というだけのことだと思います。

>我々は、一切の偏見なく音を聞くということができるのだろうか?
いい言葉ですね。
昨日私が使った「枠組み」という言葉は、言い換えると、「偏見」のことです。
我々生命は、つねに偏見によってものを認識しているのだと思います。
480考える名無しさん:2006/01/16(月) 22:47:33
>ある物が空間から切り取られてある個物であるとされるのは
何故か?主観/客観すら無い、「世界の溶解」に至る。

主観/客観すら無い「世界の溶解」、
という発想に思い至ることはできると思いますが、
それを認識することはできないのではないでしょうか?
それはすでにノイズとしても捉えることのできないものですよね?
481考える名無しさん:2006/01/16(月) 22:51:54
最高位さんからまたお叱りを受けそうな電波チックな言い方になりますが、
そういった認識の外の世界を「あるはずだ!」と想定することは大事なことだと思います。
「大事」というか、「素敵」なことというか。
482考える名無しさん:2006/01/16(月) 22:57:16
>>477
無限に対抗して行き → 無限に退行して行き

どうでもいいことですが、お叱りを受けるのは嫌いじゃありません。
最高位さんに「こっちまで頭がおかしくなりそう」というのを見たときは、
「HEY!HEY!HEY!」に初出演した歌手が、
浜ちゃんにどつかれて喜ぶ気持ちがよく分かったような気がしました。
483むじんくん:2006/01/17(火) 00:13:30
>>479
> ノイズがノイズであるということは、それも聞けているということで、

いや、聞けているという言い方以前ですよね。無限の音の可能性からある一定の音素を
フィルタリングするところではじめて「a」が聞こえてくる。クオリアというものはそういう
ものです。

> 我々生命は、つねに偏見によってものを認識しているのだと思います。

ええ。ただ、人間の場合後天的な脳回路の形成が大きな役割を持っている。世代ごとに
「やり直す」んですね。周囲の環境に合わせて。

>>480
> 主観/客観すら無い「世界の溶解」、
> という発想に思い至ることはできると思いますが、
> それを認識することはできないのではないでしょうか?

認識以前の状態ですね。経験とすらいえない状態かと思います。クオリアというものは
その状態では存在しないのであって、明らかに世界が構造化された後のものだと思いますよ。

>>481
> そういった認識の外の世界を「あるはずだ!」と想定することは大事なことだと思います。
> 「大事」というか、「素敵」なことというか。

「外の世界」という言い方をしなくても済むと思うんですよね。つまり、認識主体の、我々の
内部の認識構造の問題であって、それは人間の場合わりと簡単に壊れるだろうということ
なのです。クオリアはその認識構造の中に宿るものです。
484むじんくん:2006/01/17(火) 00:37:29
ジョン・ケージの話のついでですが、音楽史などの芸術史は人間の認識がどのように遷移していったか
分かりやすく示しているかと思います。

前にもちょっと書きましたが、モーツアルトなどの時代はまだ"音楽"というものが外的に存在していた、
つまり内面の表現という発想はなかったわけです。これがベートーベンから変わるわけですが、これは
ロマン派ですね。外にあった音楽から、内なる音を表現するという形態になる。

ところが、20世紀に入って大きくそれが変わります。内面の音の表現とは何か?内側を眺めてみても何も
無いんじゃないか?という問いが出てくる。例えば調性は人間にとって"自然"なのか?それは音楽として
必須なのだろうか。シェーンベルクはそこで12音技法によって、ある手続きを踏むことで調性に従わない
音楽を作ります。これはある意味で昔の音楽と似てるんですよね。外的な形式に従うという点で。音楽自体は
似ても似つかないものですが。

そこから、音楽がある意味で知的になっていく。そして解体していきます。その極端な例がケージの「4分33秒」
などですが、これは"音"というのは何か?という問いです。舞台の上のピアノに、ピアニストが座る。ところが
何も弾かない。そこで我々は何を"聴く"のだろうか?何故楽器の音でなくてはならないのか。音楽の"音"とは
自明なものなのか。

この話はクオリアの話のヒントになるんじゃないでしょうか。その後の、"現在音楽"について私は知らないのですが、
調性の信じられていた時代に戻ることはもうできないと思います。しかし、音楽が知的に相対化されてしまうことは
やはりおかしいんですね。しかし、一方で内面の表現というものは胡散臭い。内側にも外側にも信じられるものは
ない。そういう時代が現在だと思います。
485考える名無しさん:2006/01/17(火) 01:11:15
で?   
486ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/17(火) 01:48:52
>ジョン・ケージの話のついでですが、音楽史などの芸術史は人間の認識がどのように遷移していったか
>分かりやすく示しているかと思います。

賛成ですが、クラシックにのみ限定するのはいかがでしょうか。
おそらくそこにはまた、よりポピュラーなのはフォークソング(民謡)が
存在していたと思います。

しかし音楽は時代の空気を示しますね。
日本でも平安時代などほんとうにあのような音楽を楽しんでいたのか、
疑ってしまいます。いまのビート音楽の時代ではなかなか耐えられません。

しかしビートのテンポが上がったのは、4ビート、8ビート、16ビート、
そしてジミヘンがCMで普通に流される時代と、ここ最近ですね。
クオリアはいかに変化したのか、ということでしょうか。
487哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/17(火) 06:45:18
>>477
>質問は、最高位さんの考え方は独我論というものなのですか?です。
あなたの言う、独我論とは何ですか?

>昨日挙げたいくつかのものは、平行して存在する別の側面ということではなく、



>ただ、二つしか側面がないかどうかは分かりません。

>関心の対象となる『私』の中での「変化」や、
>その「変化」に対して関心を持つ「働き」や、
>その働きをする「主体」や、
>関心の受け皿となる「枠組み」や、
>「変化」とはそもそも「時間」という条件を要請するので「時間」も、
>というように、

これを読む限り
別の側面の例を挙げているとしか思えませんけどね
では別の側面とは、例えば何ですか?
488PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/17(火) 07:16:49
現在、あらゆるものに意味を感じれる様になったという事であろうか。それは何故どうしてであろうか。

メロディーを感じる感性、リズムを感じる感性、無音の意味を感じる感性。

もともとに意図的な【意味の付与】もあったであろうが、何よりもそこには現在の感性があり読み取れる様になったのであろう。

まさに事前の儀礼取り交わしが為され通路が開通したのだ(プロトコル、バイアス)。

雑音から意味を何者かの意図を読み取る回路の形成、これはクオリアによる提示のステップでないのか。

意味を感じる感性、これはヒトの発達させた知性からもたらされる予見能力の一端。それにより外界をも予見しようと試みる。
489考える名無しさん:2006/01/17(火) 08:16:24
>>488はしろうとですか?
490考える名無しさん:2006/01/17(火) 08:23:02
この板を中心に活動してる奴はアホですか?
491哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/17(火) 08:29:31
>>482
>どうでもいいことですが、お叱りを受けるのは嫌いじゃありません。
>最高位さんに「こっちまで頭がおかしくなりそう」というのを見たときは、
>「HEY!HEY!HEY!」に初出演した歌手が、
>浜ちゃんにどつかれて喜ぶ気持ちがよく分かったような気がしました。

うむ
キミの考え方を分析し理解し、わかりやすく解説しようと思うと、結構疲れるね
全てが微妙にズレているように見えながら、実は大きく勘違いしちゃってる

>そういった認識の外の世界を「あるはずだ!」と想定することは大事なことだと思います。

本質的な哲学者なら、論理的な結論が出るまでは「あるのだろうか?」であるべきだと思いますね
また、あるのなら
認識している内容と同一であるのか、どうなのか・・・
など
冷静に分析すべきですね
単に「あるはずだ!」と思い込むのは
哲学者というよりも、信仰者の姿勢ではないでしょうかね
こういう思い込みによる前提から出発しているものの典型が
いわゆる唯物信仰と言えるでしょう
492考える名無しさん:2006/01/17(火) 09:37:58
>現在、あらゆるものに意味を感じれる様になったという事であろうか。それは何故どうしてであろうか。

日本語しか知らないあなたが、初めて英語を学ぶ時のことを考えよ。

日本語の「あ」にあたる発音は英語では4種類ある。「a1」〜「a4」とする。
あなたが、これらの4つの発音の『意味が分かる』時というのはどのような時だろうか。

最初はa2を聞いてもa3を聞いても、あなたには「あ」としてしか認識できないだろう。
ただ、それはa2とa3が全く同じに聞こえるということではない。ここでそもそも差異が一切認識
できないようなら、どれだけ訓練を重ねようがa1〜a4の意味が分かるようになることはありえない。

だからあなたは、英語教師ジョンが発音したa1とa2の違いを当然把握できている。
ただ、それだけでa1とa2の『意味が分かっている』ことをただちに示すわけではない。

ジョンが何度a1を発音しても、それがa2でもa3でもa4でもないことを指摘できること。
メアリーが発音したa1が、ジョンが発音したa1と同じであると指摘できること。
a1と発音すべき局面でジョンやメアリーに「今のあなたの発音はa1だった」と認められること・・・
493考える名無しさん:2006/01/17(火) 09:38:28
単に違いが分かるだけではなく、"正しく"違いを弁別できなければ『意味が分かっている』とは言えない。
違いが分かっても、「ジョンが発音したa1とメアリーが発音したa1も違う音である」と認識している
ようでは、あなたはa1の意味を理解していることにはならないのだ。

"正しく"弁別できるかどうかは、ジョンやメアリーが「あなたが間違ったこと」を指摘できるかどうかに
かかっている。間違いを指摘されなければ、その限りにおいてあなたは『意味を分かっている』のだ。

『意味』はあなたが自分一人で感じ取ったり、理解したりするものではない。それは不可能である。
『○○の意味を分かる』とは、『○○の用法を間違えない』こと以外ではありえないのだ。
『意味』とはこのように純粋に社会的なものであって、生理的物理的なものは実は関係ない。

「クオリア=意味」論はこの点で完全に間違っている。
494ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/17(火) 10:08:51
でウィト弦嫁って話になる
ケージなんて論文扱いしたらうんこだけど
多くの智見は残している
言葉遊びに止まってるうちは死人
495考える名無しさん:2006/01/17(火) 11:05:02
>>494
お前が一番、内容の無い糞レスを垂れ流している。
自覚せよ。
496哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/17(火) 13:01:59
クオリアって何なのか、理解できない人に限って
一生懸命いらんこと複雑に考えて、クオリア クオリアうるさいよね
それは偉いと言われている人にもいえる
クオリアなんて、自分自身が体験して感じる『質感』『この感じ』であって単純な事なんだよ
そして
「なんで、この感じなの?」という質問に、科学的に解答が出せるわけがないんですよw
そんなのわかりきった事でしょう
それと同じ理屈を持ってきたって
『主観性』なんてものに対して、科学的な解答が出せるわけがないんだよ
物理現象とは根本的な所で、一線を隔しているわけ
どうやって『主観性』を解明するってんだよw
根拠の無いインチキ発言じゃんか
497ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/17(火) 14:46:18
クオリアもううざい
さげれ
498考える名無しさん:2006/01/17(火) 15:16:40
>>496
そんなあなたは何故、他人のクオリアや他人の主観性に口出ししたがるのでしょう?
あなたに解答が出せるのですか?
499考える名無しさん:2006/01/17(火) 15:19:48
言葉遊びは終わりかな?
クオリアしようよ。
500考える名無しさん:2006/01/17(火) 15:32:30
エオリアは夏になってから稼動せよ。
501むじんくん:2006/01/17(火) 16:43:21
>>486
> 賛成ですが、クラシックにのみ限定するのはいかがでしょうか。

ええ。片方ではロック、ローリングストーンズなんかが出てくる。古典的な音楽家が
知的な音符いじりをするようになる一方で、過去と感情的な断絶をし、絶叫するという
方向が一つ出てきます。

ただ、もう一つ重要な点があって、ポップスというのがある。これは「音楽とは何か」という
問いに対して「商売です」と明言するジャンルです。そもそもオリジナルとか、表現がどうとか、
難しいことは考えない。作家なんかでもいますよね。ベストセラーになるように書くという
作家がいるわけです。前提にはラジオなどの大衆メディアによって音楽を流せるように
なったということがある。

これはある意味で古い時代の音楽家像と似てるんですよね。古典時代の音楽家というのは
宮廷のパトロン相手に曲をつくっていた。前にも書いたとおり、別に自分の表現とか、内なる
声に忠実に生きたとか、そんなこと無いんですね。

> クオリアはいかに変化したのか、ということでしょうか。

長く脱線してしまいましたが、そういうことです(笑)。音楽のクオリアで言うならば、外的な
形式から内面の道を通って、今は拡散してしまったというんでしょうか。はっきりと形を
成さなくなっているわけです。

そういう点では芸術というものは他のジャンルよりもかなり先んじているということでしょうかね。
音楽のクオリアというものを、現代の音楽家は単純には受け入れないでしょうからね。
502考える名無しさん:2006/01/17(火) 17:15:02
>>496
クオリアなんて、自分自身が体験して感じる『質感』『この感じ』であって
単純な事なんだよ そして 「なんで、この感じなの?」という質問に、科学的
に解答が出せるわけがないんですよw そんなのわかりきった事でしょう

それは確かにクオリアの気づきを持った人であれば皆分かり切ったこと
でしょう。

で?それから?
503考える名無しさん:2006/01/17(火) 17:22:41
哲学者最高位さんはそれでもって結局何がしたいわけ?
あるいは何が言いたいわけ?

504考える名無しさん:2006/01/17(火) 17:29:00
クオリアというお手上げの問題についてあれこれ思考を巡らして何がいけない?
クオリアに興味ない奴はもうこのスレ見るな
俺のクオリアから消えろ
505考える名無しさん:2006/01/17(火) 17:34:29
クオリアより「そういうものを相手にしたい奴」には興味がある
ちょうど馬鹿な心霊妄信論者を見てみたい、というのと同じ心理さ
506考える名無しさん:2006/01/17(火) 17:39:54
tp://www.happy-bust.net/
507考える名無しさん:2006/01/17(火) 19:58:00
おれ様はそんな505を観察するのが楽しい
508考える名無しさん:2006/01/17(火) 20:15:13
>>483-484
すべて同意です。

ただ、その後のぴかさんの話も含めて、
ちょっと気になったところがあったので確認なんですが、
芸術史での人間の認識がどのように遷移の話は、
それがあくまで、後から見て、たまたまそういう道のりをたどってきた、
と言えるものであって、決して、
歴史の発展段階が必然的なものである、という話ではないのですよね?
509PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/17(火) 20:44:56
>「クオリア=意味」論はこの点で完全に間違っている。
OK。把握。

>かかっている。間違いを指摘されなければ、その限りにおいてあなたは『意味を分かっている』のだ。
その通りでした。

クオリアは意味ではない、分かりやすかったです。

意味を感じる感性の開化、これは『私』の世界観の共有化を言いたかった。

意味とウィト

喩え話(a1〜a4の発音)にあるように意味の共有により同じ世界に住むはずですよね。差異による顕しを示唆したいみたいだけど分かりません………。
独我論からの脱却するためにもフッサールの枠から出る手法が言語ゲーム。意味は私の世界観を為す。ゲームは【限界でなく終点】を導く。
可能性に【盲目であるべき状況】まで。煩悩を除外した意味盲の段階まで。

言語ゲームで形式を解体する訳ですね。規則から慣習(プラクティス)へ

自殺について

言語ゲームに根拠はなく、根拠のないゲームを信じなければならない=ニヒル。自殺はゲームの一選択手なので死に際してもゲームから逃れられない。自殺は語りうるものの範囲内。語りうるものからはいかなる外部もない。
しかし語りえぬものはどこまでも語りうるものへ【読み替え】ができる。そこに外部は存在しない。これが世界を読み解く梯子掛けだ。

そこで私的言語により

私の世界像は、現に【ここ】に正しさを得ているが、私のものでない。根拠もなく信じ、あからさまでもない。そのまま鵜呑みにして意味や概念つかっているのだ。

クオリアについて

………自由意志を認識できるかと言うと『自由意志などない』に至る。すべては内部であり外界への働きかけであり、シナプスがばちばちばちばちである。
クオリアから見える地平は世界に遠いと思われるが。
510考える名無しさん:2006/01/17(火) 20:49:56
>>504
ここはクオリアのスレではない。機械論や唯物論はすべては物質という理論であり、クオリアという
概念については考慮する余地はない。
511ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/17(火) 20:53:38
うむ

さげて。わかりきってんじゃん
512むじんくん:2006/01/17(火) 21:03:28
>>508
> 歴史の発展段階が必然的なものである、という話ではないのですよね?

歴史を必然と語るのは困難ですよね、芸術史でなくても。しかし、現在から見てある段階論で
語るということはよくされますね。哲学で言えばヘーゲルですが、これなんかはヘーゲル自身の
哲学を到達点として、過去の人間精神の思考の営みがある、というわけです。凄い傲慢な発想
ですが(笑)。また、こういった発想は、いわゆるポストモダニストと呼ばれる人々が真っ先に否定
した思考ですね。

ただですね、あえて段階論的に言うと、自然に埋没している状態から近代都市社会に至る過程で、
音楽もまた環境にそった変遷をたどってきたとは言えるんですね。古典派音楽というのが慣習的
世界での人のあり方であるとしたら、ベートーベンの登場というのは"人間"の発見だったのだし、
現代音楽というのは"人間"の解体である。これは社会的環境の変移と一致しているし、芸術活動は
比較的他の分野よりも敏感に反応していると思います。

513考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:14:10
>>487
>あなたの言う、独我論とは何ですか?

私は独我論のことをよく知らないので、「独我論とは何か?」という疑問を含めた質問だったのですが、
とりあえず、私が曖昧ながら考えているのは、
『私』以外のものを想定せずに、すべて『私』の中での出来事として説明できるとする主張、
というようなものです。


>これを読む限り
>別の側面の例を挙げているとしか思えませんけどね
>では別の側面とは、例えば何ですか?

おととい私が書いたのは、「側面」と言うか、何と言うのか、私が思う、
『私』というものが成立するために要請される諸条件とでも言うようなもので、
それらは平行してあるのではなく、『私』のもとに統合されてあるようなものです。

私は、世界(と呼んでいいのか分かりませんが)の全体は、
精神と物質という二つのものに分けられて、
それぞれが決定された別の原理であるものとは考えていません。

私は、世界全体は無限に重なる秩序の連鎖で、
その重なりの上下の方向性が、抽象性と具象性で、
その中にあるものを人間の枠組みで境界線を引き、
精神と物質、心と物、などと名づけているのだと思っています。
514考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:14:25
>クオリア(qualia)とは、私たちの心の中の表象を構成する要素の持つ独特の質感のことである。
>例えば、「赤の赤い感じ」がクオリアである。

http://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html#summary

これはどうなんだ?
515考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:14:45
それで、
>別の側面とは、例えば何ですか?
についてですが、私自身よく分かっていませんので、
改めて例を挙げるのはむずかしく、考えるのに時間がかりますので、
とりあえず考え方だけ書きます。

まず『私』をどう捉えるかですが、昨日書いたように、純粋な主観性からははじめられないと思います。
そこで、『私』というものを、主体的な運動(行為)をする機構として、
そのような運動が行われるために必要な条件を捉えていくというものです。
その取っ掛かりは、現に我々人間がどうやっているか、というところになりますが、
物理主義的にではなく、関係や構造として『私』を捉えていくことになると思います。

私の方もまだ、最高位さんの、「心と物は一体」「『私』の二つの側面」という言い方を、
よく理解できていないのでもう少し詳しく教えていただきたいです。
516考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:17:11
>>512
ありがとうございます。よく分かりました。
517考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:25:53
>>514
この人、心脳問題でデカルトを紹介した次がホワイトヘッドなところが
怪しいんだよね。「表象」について論じるんならカントとかバークリーとか
が重要になってくるはずだし、それを抜かすなら最初から「表象」なんて
観念論の手垢に塗れた専門用語を使うべきではないと思うが。
518考える名無しさん:2006/01/17(火) 22:30:25
クオリア論は、素朴な唯物論・実在論に対するアンチテーゼだから、
「意識は必然に過ぎない」=「原理的に意識も予測可能・記述可能」という
考えを否定するための論拠になる。これが最高位や俺の立場。

それにたいして、クオリアも科学的な手法でいつかは記述可能・予測可能だから、
「意識や主観も予測可能・解明可能」=「意識は必然に過ぎない」という
ぴかぁ・むじんくん等の立場が対立している。

クオリアに対する解釈をめぐる争いはスレタイに関係あるかと
519考える名無しさん:2006/01/17(火) 22:45:24
世界の外側からただ指をくわえて観想「しようとする」だけの時代は君の中
で終わりを告げられねばならない。君自身もまた生成の激流の真っ只中にある
ことが事実であればこそ、最初から君が世界を「外側から観想する」ことで
万事に決着をつけるなどということは出来るものではなかったのだから。
光り輝く生の実感を取り戻すためには、傷つく痛みを恐れてはならない。

君、心優しき我が友よ。
520ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/17(火) 22:45:46
>>493
>『意味』はあなたが自分一人で感じ取ったり、理解したりするものではない。それは不可能である。
>『○○の意味を分かる』とは、『○○の用法を間違えない』こと以外ではありえないのだ。
>『意味』とはこのように純粋に社会的なものであって、生理的物理的なものは実は関係ない。
>「クオリア=意味」論はこの点で完全に間違っている。

「意味がある」と「意味がわかる」は違う。

参照 26回目

この板は学習能力ゼロか?
521考える名無しさん:2006/01/17(火) 22:53:07
このぴかぁ〜って香具師は「私的言語批判」は分ってるみたいなこと言ってなかったか?
522考える名無しさん:2006/01/17(火) 22:53:22
>>520
「主観が意味を分かることなく、意味がある」など素朴に過ぎる。

原子や電子がそれらを計測できる機器なしには存在しないのと同様、
意味だって理解されることなく存在することはできない。

「できる」と言ったとして、それはエーテルのように空虚
523考える名無しさん:2006/01/17(火) 22:54:14
>>521
まぁ何も理解せずに、用語だけを受け売り続けている説が濃厚
524ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/17(火) 22:57:39
>>522
で、「赤」の意味はわかったのか?チビすけ
525考える名無しさん:2006/01/17(火) 23:00:30
>>520
だから、生まれて初めて食うものの味にどんな「意味」があるんだねw?
526考える名無しさん:2006/01/17(火) 23:01:31
>>524
赤の意味なんていっぱいあるだろ。前も説明した。

で、逃げずに答えて欲しいが、
「主観が意味を分かることなく、意味がある」のかい?w
527ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/17(火) 23:04:21
>>526
また、やっぱりお前か。
「主観が意味を分かることなく、意味がある」=「赤」の意味

チビすけ、散れ。
528ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/17(火) 23:05:25
>>525
「意味がある」と「意味がわかる」は違う。

このスレの低脳 27人目
529考える名無しさん:2006/01/17(火) 23:09:28
>「主観が意味を分かることなく、意味がある」=「赤」の意味

意味がわからん。イコールで結べないだろこれ。
とにかく逃げずに質問に答えれよ。

「主観が意味を分かることなく、意味がある」
これは正しいの?間違ってるの?ぴかぁ君的には。
530ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/17(火) 23:10:41
どうもこのスレは、知識派と哲学最低位の素朴な爆笑派に
二分されているな。

この二つのレベルの差がありすぎる。
ある程度レベルのある人たちが、自由意志、人工知能スレのように
分割していく理由がわかるな。
531考える名無しさん:2006/01/17(火) 23:11:37
>>514>>517
茂木はクオリアを表象の構成要素と考えている。

>クオリアの中には、階層構造がある。
>クオリアが階層的に集合して、より複雑な表象(representation, Vorstellung)が生じる。
>例えば、ガラスの透明な質感や、ガラスの表面の色はクオリアであり、
>このようなクオリアが集合して、「コップ」という表象が構成される。

ttp://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html#qualia

これについては、なぜか茂木批判の立場を採るむじんくんもぴかぁ〜も
触れていない。他方で、クオリア擁護(?)の立場を採る一言はクオリア=表象
という捉え方をしている。これも茂木とは異なる。

つまり、みんな考え方がバラバラなのだ。
532ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/17(火) 23:12:37
>>529
>>36-40に長文があるだろう。読めよ。
わからなければ、声かけるな。馬鹿がうつる。
533ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/17(火) 23:14:45
>>531
茂木を批判も、賛成もしていません。
というか、茂木が何を言っているかしらない。
その文章もただの現象学だし。意見するほどでもない。
534531:2006/01/17(火) 23:18:30
>>533
ん、そうなのか?
スマソ。
535ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/17(火) 23:25:02
「意味がある」=「意味が分かる」は、
素朴な言語観なんだろう。意味とは言語意味であり、辞書で分かる。

たとえば、イデア論を考えるとわかる。
この花をみる。「美しい」。
この「美」とはなにか?「美しと」とは分かるが、その意味はわからない。
どのような意味もたどれば、それ以上たどれない「意味」にたどりつく。
それはイデアと呼ばれる。

「意味はかならずわからない」それがクオリアとしての「意味」なのだ。
536考える名無しさん:2006/01/17(火) 23:25:39
>クオリアの中には、階層構造がある。
>クオリアが階層的に集合して、より複雑な表象(representation, Vorstellung)が生じる。
>例えば、ガラスの透明な質感や、ガラスの表面の色はクオリアであり、
>このようなクオリアが集合して、「コップ」という表象が構成される。

これってラッセルのセンスデータ論の焼き直しだろ?
537一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/17(火) 23:25:44
>>531
この文章も難解と言うかよく分からないんですよね。

>クオリアの中には、階層構造がある。

と言ったかと思いきや、

>クオリアが階層的に集合して、より複雑な表象(representation, Vorstellung)が生じる。

と言う。

後の文章から解釈するに、階層構造を持つのはむしろ表象の方ではないのか、と。
コップに階層構造(←この表現もかなり曖昧)があるのを仮に認めるとしても、「透明感」
に階層構造があると考えるのは難しいのではないでしょうか。また、コップと切り離して
「透明感」だけ論じることが可能なのか、これも問題です。
538考える名無しさん:2006/01/17(火) 23:31:41
>>537
クオリアの集合が表象になり、その表象の集合がまた表象となる。
この時、要素として現れてるときには「クオリア」と呼び、集合体として
現れているときは「表象」と呼ぶのでは?

例えば、「透明感」にとって「グラス」は「表象」であり、「ワイングラス」
にとって「グラス」は「クオリア」である。
539PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/17(火) 23:33:24
ぴかぁ〜、、

一ヵ月ほど哲学板を訪れなかっただけで
これ程までにぴかぁ〜が成長してる事実を目のあたりにして驚いています。なかなかよいね、今回の優等生的な中の人。
特有のけれん味や破天荒さやデタラメさが鳴りを潜め少し淋しくもあるが………。
射程とするターゲット、持っている道具が分かりやすくて好感が持てます。


540一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/17(火) 23:35:34
>>538
それは私の表象=クオリア定義に似てるのですが、茂木さんは
明確に「質感」とか「感じ」にこだわってますよね。
ゆえに、「グラスという感じ」とか「ワイングラスという質感」があると
考えざるえないのですが、他の箇所でそういうことを言いたいとは
書いてないと思います(色が頻繁に使われてるところがポイントの
ような気が)。
541考える名無しさん:2006/01/17(火) 23:39:31
>クオリアとは、「赤の赤らしさ」や、「バイオリンの音の質感」、「薔薇の花の香り」、「水の冷たさ」、「ミルクの味」
>のような、私たちの感覚を構成する独特の質感のことである。

五感を念頭においていると考えて間違いないと思うが。
要は>>536の言うセンスデータだろ?
542一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/17(火) 23:42:57
>>541
「赤」じゃなくて「赤の赤らしさ」、「バイオリンの音」じゃなくて
「バイオリンの音の質感」と述べるあたりをどう解釈しますか?
543541:2006/01/17(火) 23:46:50
>>542
背後に本質論が控えてるからではないか。
単に「色」「音」「味」「触り心地」「匂い」の研究ならとっくに
着手されてるし、大幅に進展してるわけで。
544PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/18(水) 05:40:54
クオリアは質感など感覚データでしょう...


クオリアには時間が関わってくる点を忘れないでほしい。

クオリアで心をターゲットとしてるようだけど「脳」の問題でしょう。

感覚データは脳内の発火ズレ(位相ズレ)が入力情報のコーディングに、より大切な意味を持たせているのでないのか。

何事も位相保存的枠組みでもって記憶される。同期説についても時間的なコーディング(有限時間)をしているではないか。

それとアインシュタインが名付けた『マッハの原理』(物体の質量はまわりの物体との関係で決まるとする思想)を念頭に置いてほしい。

ま、ラッセルのセンスデータかもしれないが。時間をコーディングに関わらせるとなると………。

しかし究極、クオリアで世界なりの認識を得たとしても『私』の一部でしかない、となる様だ。認識論的自由意志などでは決定論しか出てこない。

自由意志=量子力学の非決定性として、波動関数の収束で考えて「アンサンブル限定」の下の自由意志などケチがついてしまう。

結局、決定論しか出てこなくておもしろくない。クオリアで考える先が見込みあるのか分からない。
545考える名無しさん:2006/01/18(水) 06:13:52
茂木(>>36-40)が「クオリア=意味」に至るまでの説明はこうなっている。

(1)クオリアは主観性の構造に支えられている
(2)主観性は解釈項であるから、"言語のように"構造化されている(以上>>36要約)

この次の>>37からはもう「クオリア(意味)」と前提されて話が進んでいく。
クオリアは構造化されている、"言語のように"。だから"言語のように"『意味』があるに
違いないって比喩で誤魔化してるんだよ。(あるいは勝手に定義しただけ)

俺はウィト的視点から、言語的な『意味』が純粋に社会的な過程(言語ゲーム)から成立し、
実践され続けるもの以外ではないことを示した。(>>492-493

つまり、言語ゲーム以前に「何か」を知覚できていなければ、そもそも言語ゲームに参加する
ことすら不可能なため、その「何か」は『意味』以前のものであることが示されたのだ。
「何か」が"言語のように"(もはやこの比喩は失笑とともに読まれるべきだが)
構造化されているとしても、言語ゲーム以前では『意味』などあろうはずもない。

その「何かの構造を探る」ことを「クオリア(意味)を探る」と勝手に定義してるならまだ分かるが、

クオリア(意味)=@遺伝子による進化上の経験+A言語による文明的経験+B生まれてからの記憶された経験

AとBがもう言語ゲーム以後の話じゃないか。混ざってるってw
・・・単に茂木は分かっておらず、混乱しているというだけの話。
546ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/18(水) 06:26:21
ウィトの話ももういいが
しげがあほなのはわかった
547PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/18(水) 07:17:35
クオリアではつまるところは現象学だよね。

>>535
>「意味はかならずわからない」それがクオリアとしての「意味」なのだ。

イデア論(プラトン主義)まで持ち出してぴかぁ〜が伝えたい事は………なんとなく分かる。意味が何か詳細は不明なままだが。

我々の感覚的世界の事物はイデアを原型とする模型でありイデアから分有してのみ存在する、らしい。

そこで提案なのですが新プラトン主義なりを取り入れてみませんか。

我々の感覚的世界のほかにイデアが在り階層化している。分化前の統一体『一者』に【至る道】こそ求める哲学ではないのか。
(決定論とは関係なくなるのかな?)

『一者』は見るもの・見られるものでもなく、人格もない。何物にも作用しない指向性のない階層。

西欧オカルティズムや神秘主義とかの辺り。グノーシス派の流入説などに興味ありませんか。

548考える名無しさん:2006/01/18(水) 07:19:02
>>547は女性ですか、どうよ?
549ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/18(水) 08:01:05
>>547いいね〜♪
>>548氏ね
550考える名無しさん:2006/01/18(水) 08:06:42
>>549>>547の自演ですか?

551考える名無しさん:2006/01/18(水) 08:13:27
>>549は警察に通報しました。
552哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/18(水) 08:13:33
ぴかくんおはよう
どうでもいいけど
>>458に答えてあげたらどうだい?w

クオリアって何なのか、理解できない人に限って
一生懸命いらんこと複雑に考えて、クオリア クオリアうるさいんだよね
それは一般に偉いと言われている人にもいえるんだけど
クオリアなんて、自分自身が体験して感じる『質感』『この感じ』の事であって単純な事なんだよ
意味は後からついてくるものだ

赤の意味なんてないよ
そういう色に見えている というだけだ
そういう色 という情報だから、それが意味だと考えるかも知れないが
それは言語的な意味ではないし
人間の感覚器が勝手に作り出して、人間の側が勝手に感じている事柄であるとも言えるのであって
そもそもの意味 などないのだよ

一般的には赤は、情熱的だとか言う人もいるけど
火や熱いものが、赤い事が多いから連想しているにすぎない
経験と照らし合わせて思考した結果であって
そんな連想をしなくても、赤は赤に見えている
ゆえに意味や言語と、クオリアは関係がない
553考える名無しさん:2006/01/18(水) 08:19:50
おお、最高氏だ。
今過去スレ読んでるんだが、最高氏の唯物論批判に反発してる人らは
今のとこ全員的外れだね。論外だ。

ただ、最高氏自身も完全に間違ってる部分があると思う。
てか誰も柄谷の「探求T」読んでねーのか??
554考える名無しさん:2006/01/18(水) 08:24:20
>>547
ぴかぁ〜!
また、頭の悪い自説ばかり展開してるな w
555むじんくん:2006/01/18(水) 09:58:29
>>545
> 俺はウィト的視点から、言語的な『意味』が純粋に社会的な過程(言語ゲーム)から成立し、
> 実践され続けるもの以外ではないことを示した。(>>492-493
> つまり、言語ゲーム以前に「何か」を知覚できていなければ、そもそも言語ゲームに参加する
> ことすら不可能なため、その「何か」は『意味』以前のものであることが示されたのだ。

それはちょっと違うんじゃないの?言語ゲームの難解さは、言語ゲームが成立していなければ
「何か」が知覚できない。どうして世界の中からその「何か」を切り取ることができるのか。

だから、そこは同時なんですよ。言語ゲームが成立すると同時に世界から意味ある何かが
分節化される。言語ゲームが成立するためには「何か」が知覚されてなければならないが、一方で
「何か」を知覚するためには言語ゲームが成立していなければならない。
556一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/18(水) 10:05:09
>>543
確かに、「本質」という単語についてはこの直後で言及していますね。

>「クオリア・マニフェスト」(The Qualia Manifesto)は、クオリアの本質、
>その起源の解明が、今後の人類にとっての最大の知的チャレンジであることを宣言し、
>クオリアを中心とした文化運動の開始を呼びかけるミッション・ステイトメント
>(Mission Statement)である。

ttp://www.qualia-manifesto.com/manifesto.j.html#summary
557考える名無しさん:2006/01/18(水) 10:12:01
>>545
それ以前に>>36-40はぴかぁ〜の説だよ。
茂木からの引用は>>36の>><<で囲まれたところだけだし。

>>556
この文章だけから本質論に着手しているとは言えないんじゃない?
「本質」って結構適当に使われてる言葉だから。
558545:2006/01/18(水) 10:17:08
>>557
そうだったのか!
「茂木」のところは「ぴかぁ〜」に訂正します。茂木すまん><
559557:2006/01/18(水) 10:21:42
>>558
いや、俺も最初>>36-40は茂木説の紹介かと思ったよw
やっぱ眉唾でもクオリアマニュフェストは一回目を通した方がいいと思う。
560哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/18(水) 10:22:34
茂木って人
バカか詐欺師だな
561一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/18(水) 10:24:44
>>557
仰る通りですね。
「本質」でCtrl+F検索しましたが、上の引用個所以外ではクオリアの本質論
は出てきませんでした。クオリアの起源の解明に重点が置かれているような。
562むじんくん:2006/01/18(水) 10:26:20
>>531
> 茂木はクオリアを表象の構成要素と考えている。
> これについては、なぜか茂木批判の立場を採るむじんくんもぴかぁ〜も
> 触れていない。

これは逆でしょうね。コップならコップの要素としての「ガラスの透明さ」などは
後から出てくるものでしょう。分析ですからね。
563考える名無しさん:2006/01/18(水) 10:37:06
>>555
「言語ゲーム」と「何かの知覚」は確かに同時だな。

>言語ゲーム以前に「何か」を知覚できていなければ、そもそも言語ゲームに参加する
>ことすら不可能なため

『意味』以前の「何か」を知覚できていなければ、新たな『意味』習得ができないため

に訂正しますペコ┌o
564ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/18(水) 11:11:55
>それから子供は母親とかに「この色は何色?」と聞くんだよ。言葉を知らなくても、見えてる。「赤」と
>いう言葉を知らなくても、赤は赤色に見えている。見えている色に対して、「それは赤だよ」と教え
>られて、見ている「その色」と「赤」という言葉をつなげるだけだ。

言葉が操れる程度の子供はもはや「言語の世界(象徴界)」の住人であり、その言葉そのものを
知らなくても、そこになんらかの言語があることを知っている。たとえば大人でもそのものは知っている
が、それをなんと呼べば良いのか、と同じレベルだ。「あ〜あの子、「みひろ」って名前なんだ。」

>「痛い」という言葉を知らない赤ちゃんでも痛そうな事をしてやると「ギャ〜〜〜」と言って泣く。
>赤ちゃんも、やっぱり痛いんじゃないのか。

赤ちゃんが「ギャ〜〜〜」と言って泣くときに、それが赤ちゃんが「痛い」と感じいるだろうと考えるのは、
誰か。観察者だ。観察者は赤ちゃんの気持ちになって「痛い」と感じている。ここで「私の見ている赤は
あなたの見ている赤と同じか?」という問題が生じる。しかしここで赤ちゃんは痛がっていないかも
しれないとは言わない。そこまで独我論へ入る必要はない。
565ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/18(水) 11:12:42
ただ「痛い」という言葉を知っている観察者と、知らない赤ちゃんでは同じように感じているのか、
というが残る。「痛い」という言葉を知っている観察者はそれを「痛い」という「意味」で感じている
だろうが、「痛い」という言語を知らない赤ちゃんのそれは「痛い」ではなく、「ギャ〜〜〜」だ。
逆にいえば、言語世界にいる僕たちはもはや赤ちゃんの「ギャ〜〜〜」を感じることはできない。
赤ちゃんの「ギャ〜〜〜」が体に与えられてそのときすでに「痛い」という言語意味に毒され、感じる
のだ。

「痛い」が言語意味に毒されているとしても、「「痛い」とはなにか」という「意味」は、さかのぼれない。
それはイデアに突き当たる。その「意味」をさかのぼると、以下のようになるのだ。

クオリア(意味)=@遺伝子による進化上の経験+A言語による文明的経験+B生まれてからの記憶された経験
566考える名無しさん:2006/01/18(水) 11:15:48
茂木叩きは前スレでむじんくんが散々やってるな。全部同意
567考える名無しさん:2006/01/18(水) 11:19:38









俺のマンコ・スレどこ行った?


568ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/18(水) 11:38:28
この「痛さ」はラカンの去勢物語そのままである。言語化とは「ものの殺害」である。
もはや「ぎゃー!」を味わうことはできない。大文字の他者の「痛み」しか味わえないのだ。
そして痛さの意味そのものは現実界にある。
569哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/18(水) 11:51:58
ぴかくん

キミ、痛すぎる

それ
いったい何ていう宗教なの?
もはや救いようがないなぁ
普通に、論理的に解釈できないのかねぇ
そんな事を本気で発言しているのなら
言語の世界の住人 というよりは
イッちゃった世界の住人だよ?
電波を受信しちゃってるのかな

もはや解説してあげれる次元じゃないな
救いようがない

でも一応やってあげよう
>クオリア(意味)=@遺伝子による進化上の経験+A言語による文明的経験
>+B生まれてからの記憶された経験

経験する というのは
すでにクオリアがあるから経験できるんだよ
そんなものを足していかなくても
クオリアはあるんだよ
あるから経験できるわけ

本質を、なんもわかってないんだよキミは
570ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/18(水) 11:55:52
いまはっきりと568が適当君なのを理解した
大文字のなんだって!
571むじんくん:2006/01/18(水) 11:56:35
>>568
> そして痛さの意味そのものは現実界にある。

"ある"にちゃんと×をつけないと(笑)。
572むじんくん:2006/01/18(水) 12:05:15
>>569
> 経験する というのは
> すでにクオリアがあるから経験できるんだよ

しかし、一方でクオリアは経験的な産物だ。そこが人間の特異性ということですね。
573ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/18(水) 12:05:20
むじんくんもよくまじめに応答してるね。
ラカンはしょうがないとして言語論的転回以前の素朴な化石くんたちに。
感心するよ
574哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/18(水) 12:27:03
>>572
人間の特異性は、クオリアにあるのではないでしょうね

特異性というものは、比較して明らかとなるものでしょう
しかし
他のクオリアに関しては、わかるわけがないのですよ
にもかかわらずキミは、そこに言及している
おそらくは
クオリアそのものの認識に誤りがある
とは思いませんか?

誤りがあるのですよ
クオリアの起源は、経験的な産物であるとは言えないはずですからね
それに、クオリアによって経験するのですよ
本質的な部分でキミの理解には誤りがあります

その証拠が、人間のクオリアに特異性がある
という発言です
特異性が明らかなのは、思考回路ですよ

>ぴかくん
まず、キミはクオリアという言葉を
そもそも、間違えて理解してるんだよ

今更だけど
クオリアの起源というものは
科学的に解明できるとっかかりすらありえない
というのは、キミは理解できてるのかな?
575考える名無しさん:2006/01/18(水) 12:31:14
>>573
ぴかぁ〜は素朴におかしな人で素朴に面白い人だと思うよ
感心しないとこは沢山あるけど、
人寄せパンダぶりには感心する

哲学者最高位は、
色んな意味で感心できない部分はあるけど、
一生懸命なのは感心する
576考える名無しさん:2006/01/18(水) 12:33:58
キャラを楽しむ2ch。
577270:2006/01/18(水) 12:46:19
>>518
> クオリア論は、素朴な唯物論・実在論に対するアンチテーゼだから、
> 「意識は必然に過ぎない」=「原理的に意識も予測可能・記述可能」という
> 考えを否定するための論拠になる。これが最高位や俺の立場。

反唯物論としてのクオリアってそんなに決定的な議論なのかな。
具体的にはどういう議論なんだろ。

それにクオリアが唯物論的に説明できなくてもその「必然性」を経験的に示せたら
>「意識は必然に過ぎない」=「原理的に意識も予測可能・記述可能」という
これを否定する必要はないと思う。
578ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/18(水) 12:48:23
くやしいのは、爆笑王はぜったいにわざとぼけてるんだよ
それにつっこんでしまう自分が悲しい。

「きみ、クオリアが科学で解明できないなんか、あたりまえだろう。そんなのこのスレのパート2におわってるがな!
いまさらなにゆってんねん。きみとはもうやっとれんわ!
ほなさいなら」
579考える名無しさん:2006/01/18(水) 12:59:21
>>578
----------------------------------------------------
461 ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw 2006/01/08(日) 01:32:34
くだらない質問でした。
ボクがくだらないと思う質問の一つが境界を問うものです。
科学の境界はどこか?生命の境界はどこか?人間の境界は?

これは定義の問題でしかないし、思考することそのものには、
なんの意味もありません。

たとえば、科学とは反証可能性があるものだ、という定義は、
一つの課程です。それを信じることは否定しませんが、
それを議論することになんの意味のありません。

クオリアは科学である、そう茂木が宣言した。
それだけのことです。
----------------------------------------------------

そして、哲学者最高位も、いいかげんシツコイ
一言とヘイトばりのウザさを発揮しているのを自覚するんだ
580考える名無しさん:2006/01/18(水) 13:04:18
>>577
クオリアは"自分の中"を観察することによってしか見出せない。
むじんくんはこれを経験的といい、最高氏はそれは経験的なものではないと言う。
まぁこれはどっちでもいい。

ともかく、そういったクオリアは絶対に他人のクオリアと比べることはできないし、
「必然性」を示すことなどできないね。単にあるものに過ぎないし、それ以上進まない。

その程度の下らないものなんだが、「唯物論的な解釈では絶対にわからない何かを、
自分は現実に感じている」という明証性が、素朴な実在論の破壊ぐらいはできるってこと。

まぁそのくらいしかできないものってことでもあるが(;^ω^)
581579:2006/01/18(水) 13:06:09
引用がまずかった

----------------------------------------------------
くだらないですね。なにがしたいのですか?
この手の議論が好きなら、他の相手を選んでください。


クオリアは科学である、そう茂木が宣言した。
それだけのことです。

そしてボクは、クオリアは科学であるといった。

これ以上でも、以下でもありません。
----------------------------------------------------

要するにこんなこというのを相手にすんなってこと
582考える名無しさん:2006/01/18(水) 13:09:31
>>581
ぴかぁの主張だと「なんでも科学」になっちゃうね
583考える名無しさん:2006/01/18(水) 13:33:28
>むじんくん
前スレ読んでて面白かったところあったんで質問。

「我思う」の「我」が特定の人称代名詞に還元できないってのはよくわかる。
デカルトが神の存在証明を中世的空間からの切断として必要としたのもまぁわかる。

>言表主体の信頼性を神に設定したのは、言表行為の主体と言表内容と主体との混同を
>禁止するためで、これが近代版の偶像崇拝の禁止である(要約)

直感的に非常に的を得てそうな気はするんだが、ここがよくわからん。
「言表行為の主体と言表内容『の』主体との混同」の間違いか?

まぁ多分そうだとして、それがどういう意味で偶像崇拝の禁止になるのか詳しく頼む
584考える名無しさん:2006/01/18(水) 13:33:35
>>574
なぜあなたは『私のクオリア』と「人間のクオリア」を
無神経にもすり替えてしまうのですか?
585考える名無しさん:2006/01/18(水) 13:55:48
>>553
>今のとこ全員的外れだね。論外だ。
「論外」なのは当然です。
最高位氏は、「誰か」の主張する唯物論を批判している訳ではないですから。
自分で主張した唯物論を自分で破壊しているだけです。
閉じたその「論内」には何人たりとも入れません。
586考える名無しさん:2006/01/18(水) 14:15:32





   ♪     ♪   マンコー
            人
      ♪    (__)       ♪
  マンコー      (__)♪
   ♪  ♪  (,, ・∀・)   マンコー マンコー♪
   ____⊆_  _ つヾ____   Oh!Yeah! マンコー! 
  /δ⊆・⊇ 。/†::† /δ⊆・⊇ 。./|
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587哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/18(水) 14:16:47
>>584
べつに摩り替えてはいませんけどね

それによって、いかなる問題が発生していると言うわけですか?

>>585
私は
唯物論者が主張している唯物論を否定していますw
具体的には
人間の精神(内的世界)も物質による物理現象にすぎない
とか
人間の精神を科学的に解明し、いずれ人工的に作る事ができる
とかね
人間というものを、物質的な価値観で結論付けようとする方向性が間違えていると言ってるわけ

べつに私が捏造した唯物論ではないよ?
わけわからん因縁つけないで下さい
588考える名無しさん:2006/01/18(水) 14:21:11
>>587
実際物理現象だろ?
最高位こそ物質が何かとか物理現象が何かわかってないと思われる。
人間は肉機械。肉機械を作ればそこに精神が宿らない理由などない。
589哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/18(水) 14:21:43
>>578
>「きみ、クオリアが科学で解明できないなんか、あたりまえだろう。そんなのこのスレのパート2におわってるがな!
>いまさらなにゆってんねん。きみとはもうやっとれんわ!
>ほなさいなら」

それがわかってて、なんで意味とか言葉とか
わざわざ無意味で、間違えた発言を繰り返すんだ?
何のためなの???
590ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/18(水) 14:26:44
>>589
爆笑王は分からなくて良いんだよ。
きみはみんなを爆笑されることだけ考えていればよいのさ。
591考える名無しさん:2006/01/18(水) 14:31:08
>>590
もう、いい加減あきらめろよ
哲学者最高位も少しは大人になれよ
592哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/18(水) 14:36:45
>>590
要するに
本で読んだ事を、ここで発表したいだけみたいだね
丸っきり、的外れだもんな
593考える名無しさん:2006/01/18(水) 14:41:27
>>591
確かに、こうなると見てて見苦しいな二人とも
ぴかだけでなく最高位も入ってることに気付いてないのが痛い
594探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/18(水) 14:47:18
>最高氏
「私」のクオリアと「人間」のクオリアをすり替えるのはまずいよ。
なぜなら、「この私」においてクオリアが見出されるのは確かだが、
クオリアが他の人間にあるかどうかは確かめられないから。

最高氏の考えが決定的にまずいのは、「この私」と「私」を混同してること。
「私」はいっぱいいるし、客観的に分析可能だし、記述可能だし、再現可能だ。
だから、「私」や「主観」は完全に唯物論の世界の内側にあるものだよ。

ただ、「我思う故に我あり」というときの「我」は一人しかいない。
他の「私」がいくら疑ってたってそいつの存在は全然確かじゃない。普通に疑える。
「この私」が疑うなら、疑っている「この私」の存在だけは認めざるを得ない。

ここの違い分かってる?
595考える名無しさん:2006/01/18(水) 14:52:21
> 「私」はいっぱいいるし、客観的に分析可能だし、記述可能だし、再現可能だ。

ここは、おかしな人が一杯湧くインターネッツですね
596ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/18(水) 14:52:25
いまだ言語論的転回を知らずの男前!哲学板の爆笑王 哲学者最高位 迷言集

■クオリアとは

クオリアとは本人が主観的に感じる実感的な質感であって、単なる情報です。情報が感性によって、
さまざまな価値観に分類されます。クオリアは、単なる情報であって、それに価値観による思考が
加わって意味となります。

目に、ある種の光線が入ってくると、視神経を通して電気信号が脳へと送られる。その電気信号が、
なぜ色に変換されて感じるのか。この変換された情報をクオリアと呼んでいる。しかし赤なら赤で、
それがいわゆる黄色とかではなく、赤に感じる根拠というものを脳をいくら研究して探そうとも、どこを
どう探そうとも全くどこにもありえるはずもないというのがクオリアの起源という問題です。価値観や
意味 などという事は、その次の思考という段階であって、クオリアそのものと解釈するのは明らかな
間違いなわけです。

クオリアとは、自分自身が体験して感じる『質感』『この感じ』の事。人間の感覚器が勝手に作り出して、
人間の側が勝手に感じている事柄であるとも言えるのであってそもそもの意味などない。一般的には
赤は、情熱的だとか言う人もいるが、火や熱いものが、赤い事が多いから連想しているにすぎない。
経験と照らし合わせて思考した結果であって、そんな連想をしなくても、赤は赤に見えている、ゆえに
意味や言語と、クオリアは関係がない。

硬いというのは情報であってたとえ同じ「硬い」であっても状況によっては快く感じたり不快に感じたり、
価値観によって、意味はさまざまに変化する。ア という音(声)じたいに、特に意味はないでしょう。
アは、アです。それ以外の何ものでもありません。しかしアの後に、ホがつくと少し事情が変わって
きます。これは価値観によって意味が発生しているからです。だが、アホという日本語を知らない
人種からすれば、全く意味のない音声にすぎません。

赤を感じるのと言語化なんて関係ない。感じた後に、言語化して思考したり人に伝えたりするだけだ。
赤を知らない人に、まず赤という言葉を教えなければ、赤が見えないと言うのか。考え方が、逆さまだ。
597ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/18(水) 14:54:13
結構、爆笑王のファンだったりする。
その素朴さ萌え〜!
598考える名無しさん:2006/01/18(水) 14:56:18
>>596
ついに、開き直った
もう、こんなアホ相手にすんな >>哲学者最高位
599ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/18(水) 14:57:12
探求者は爆笑王に柄谷「探求」攻撃!
天然爆笑王にそんな高度な論理が通用するのか!
無謀だ無謀すぎるぜ!探求者さんよ!
600探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/18(水) 15:01:41
>>595
今このレスを書いてる「私」が存在するかどうか、君には絶対わからんだろ?
これはリアルで俺と君が会って、話して、殴り合っても分からない。
けど、俺自身にとってだけは「この俺」が存在することは疑いようがない。

この差に気付けるかどうかだな〜
601考える名無しさん:2006/01/18(水) 15:03:35
通常の基地外が薄まるぐらいの基地外だらけだな、おい!
602考える名無しさん:2006/01/18(水) 15:06:25
>>600
> 「私」はいっぱいいるし、客観的に分析可能だし、記述可能だし、再現可能だ。

>>600に書いてあることと全然関係あらへんやん
まさしく基地外だな。。。
603探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/18(水) 15:11:08
>>602
「私」という一人称で話したり考えたりしてるらしい人間はいっぱいいる。

けど、「我思う故に我あり」って言う時に確実に現れる「我」はそういった「私」とは異質ってこと。
この「我」は「この私」であって、一般的な「私」には妥当しない。

これで通じるかなぁ
604考える名無しさん:2006/01/18(水) 15:13:40
君が相手して欲しい気持ちは分かるけど断るよ
伝染りそうでこわい
605考える名無しさん:2006/01/18(水) 15:15:14
>>604
臆病なやつだな
606考える名無しさん:2006/01/18(水) 15:15:44
>>587
>人間というものを、物質的な価値観で結論付けようとする方向性が間違えていると言ってるわけ
「『私』というものを」でしょう?
無神経にすり替えないでください。お願いします。
607考える名無しさん:2006/01/18(水) 15:18:38
>>605
じゃあ、オマエやれよ
608考える名無しさん:2006/01/18(水) 15:21:05
>>607
やだ、弄るのは危険すぎる
609考える名無しさん:2006/01/18(水) 15:23:21
>>606
あなたは独が論者ですか?
独が論者でなければ、私=人間で間違いではない
語る角度の違いであって、その表現はその表現で正しい
610むじんくん:2006/01/18(水) 15:24:47
>>583
> 前スレ読んでて面白かったところあったんで質問。

デカルトの協賛者を得て喜ばしく思います(笑)。

> 「言表行為の主体と言表内容『の』主体との混同」の間違いか?
> まぁ多分そうだとして、それがどういう意味で偶像崇拝の禁止になるのか詳しく頼む

文章はお書きになっているのが正しいです。

偶像崇拝に関してですが、言表行為の主体は実際の発話主体と同一化されやすい。
これは視覚を中心とした感覚的、実感的なものに人間が引きずられやすいからです。
引きずられるとどうなるか、人間の知性は盲の状態になってしまいます。つまり、
この世の事物を"ただの物質"と見ることができなくなる。この世の何かを聖地にして
しまうんですね。

偶像崇拝とは、感覚的対象物への従属であり、それを禁止するということは世界を
ただの世界として見るということです。人間は放っておくと欲望がありますから、
目に見えたり、感覚的に実感する対象に囚われてしまう。

デカルトの懐疑というのは、感覚的対象とならない神に基礎付けられた思考という
ものを信じることで、言表行為の主体を感覚的対象である発話主体から分離する
というものです。これは知性の独立性の保持なんですね。そして、それは感覚的
世界に従属することを否定しなければ成立しない。
611ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/18(水) 15:25:21
>>596
ごめんふざけすぎた。
でも>>596の爆笑王の意見では、
物理情報(光線、電気、力学情報など)→変換→クオリア→解釈項(感性)→価値観(意味)
ということだね。意味はクオリアではない。
まずクオリア=主観的に感じる実感的な質感が、その後感性で、意味に変わるってことか。
なんかまどろっこしいな。

ボクの場合は、
物理情報(光線、電気、力学情報など)→解釈項(主観)→クオリア(意味)
ということだね。これはハイデガー、パースなどを世襲しているわけだけど。
612探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/18(水) 15:38:08
>むじんくん
583だけど、わかったと思う。

「神に基礎づけられた主観をのみ信じろ、他のくだらん聖地を信じるな」

という命令をデカルトはしたかったわけだな?
613むじんくん:2006/01/18(水) 15:46:19
>>612
> 「神に基礎づけられた主観をのみ信じろ、他のくだらん聖地を信じるな」
> という命令をデカルトはしたかったわけだな?

ええ。この世の何者も聖地にするべからず、ということです。ただ、こういう思考がメインのものと
されたのは、資本主義社会の成立があったからなんですね。近代資本主義とは、聖地を破壊する
わけですから。そういう意味でデカルトは時代の人だと思います。

また、偶像崇拝というのは人間が肉体を持つ限り絶えず復活する。その一番典型的な例が
ナショナリズムだと思います。
614考える名無しさん:2006/01/18(水) 15:49:51
ここはドグマに満ちたインターネッツですね
615ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/18(水) 15:53:30
ようは、例えば「赤」でもその状況でどのように感じるか変わるよね。
信号の赤と、血の赤と、女性の下着の赤と、
それまさらにコンテクスト(状況)でも変わるよね。
女性の下着の赤でも、それがおばばがはいていると「こわぁ〜」とあるし、
かわいいこがはいていると「発情ぉ〜」となるし、

赤のイデア的「主観的に感じる実感的な質感」があり、コンテクスト(状況)による
意味があるのではなく、すでにコンテクストに依存した意味としての「実感的な質感」が
ある。ここで、イデア的質感とコンテクスト的質感(意味)は分離できないと
思うんだよ。

しかししかし、ここからまたややこしいのだけど、では、コンテクストに依存した意味としての
「実感的な質感」=クオリアはすでにコンテクストで説明できるのか、
なぜかわいい子がはいていると赤下着に「発情ぉ〜」したのか?
それは、いつも地味な下着しかつけないのに、赤い下着って、社会的にいって
挑発って意味でしょう。でもなんで赤下着には挑発って意味があるんだろう?
日頃と違うなら、黄色下着でも、緑下着でも同じだろうか。
やはり社会的に「赤」には、派手な、挑発的、目立つなどの意味があるからだろう。
でもなんで赤には「派手な、挑発的、目立つなど」の意味があるんだろう?
血の色だから、日の丸の太陽だから?・・・ん〜これってボクのしらない歴史的な
起源があるのかも、いやもしかしてその向こうの進化論的意味があるのかも
昔はボクたちが動物だったときの「火」あるいは、「血」の記憶かもしれない・・・・
でもそれは、さかのぼれないなあ・・・
意味があるのは分かるけど、意味すべてはわからないなあ。

ってことだね。
616考える名無しさん:2006/01/18(水) 15:54:04








   真に有能な人間は、2ちゃんなんかには来ません。



617探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/18(水) 15:57:18
>>613
近代版偶像崇拝の禁止って読んだ方が、神を出した理由がすっきり分かっていいな
勉強になった。ありがとう

資本主義は、拡大する市場原理であらゆる価値を塗り替えてしまうから聖地破壊。
ナショナリズムは、コギト以外の「世界の外」を信じることだから偶像崇拝。
って読んだけど問題ない?
618考える名無しさん:2006/01/18(水) 15:57:49
すでにスレタイを全く無視したスレになってるね、ひどいもんだ
619むじんくん:2006/01/18(水) 16:35:37
>>617
> 近代版偶像崇拝の禁止って読んだ方が、神を出した理由がすっきり分かっていいな
> 勉強になった。ありがとう

ちなみに、このデカルト解釈はまったくうがった見方で、史実とは関係ないそうです(笑)。

> 資本主義は、拡大する市場原理であらゆる価値を塗り替えてしまうから聖地破壊。
> ナショナリズムは、コギト以外の「世界の外」を信じることだから偶像崇拝。

資本主義で中心となるものは貨幣であり、その中心によって均質的空間に秩序付けられた
世界が近代社会ですね。その世界では"聖地"のような質的相違を量的なものに転換してしまう。
均質空間ですから。

なので、近代社会の基本人権や自由、平等といった概念を高らかに謳う人間が、植民地支配に
賛成するということが多いですね。これは、市場から外れた共同体をそういった聖地なき均質空間に
編入しなければ、そもそも人権なんてものが成立しない、通じないからですね。

ナショナリズムはそういう無機質な空間において、あえて共同体的なものを構築するというものです。
しかし、地縁などによって成立した共同体は崩壊しているわけですから、国語を教育し、メディアによって
増幅された感覚に訴える。

これは、人権などの最終的な保証人、人々の生命と財産を守る主体ということで根拠があるように見える。
しかし、実際には国の機軸である通貨は他の通貨との関係なしには価値を持たないわけで、そういう点で
独立して存在する近代国家というものはあり得ない。

また、貨幣というものは人が操作できる対象ではない。管理通貨制度になって金からタテマエでは現状
各国通貨はリンクが切れてますが、実際にはより管理が難しい状態になったわけです。貨幣とは何か?
というのは、つきつめるとよく分からない。意味とは何か?と似たような問いですね。
620探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/18(水) 17:10:11
>>619
よくわかった。サンクス。

>ナショナリズムはそういう無機質な空間において、あえて共同体的なものを構築するというものです。
>しかし、地縁などによって成立した共同体は崩壊しているわけですから、国語を教育し、メディアに
>よって 増幅された感覚に訴える。

ここの理解が不十分だったな。ナイスフォロー
621唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/18(水) 17:46:14
重要な事
「言葉」「文字」を使わないとほとんど何もできない。
622考える名無しさん:2006/01/18(水) 17:47:47
ここはドグマに満ちたインターネッツですね
623探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/18(水) 18:02:23
>>615
エロイ知識全くない子どもが赤下着見て性的興奮感じたりするんだろうか。
エロ本なら知識なくても性的興奮覚えるのが普通だけど。

何の知識もなしに赤下着見て「挑発」の意味を感じることができるなら、
赤ふんどし見ても「挑発」の意味を感じ取ると考えた方が自然だな。
そんな意味ないんだけど。

形状が変わるだけで色の意味が変わるなんて、まさにコンテクスト依存じゃん
624ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/18(水) 18:46:45
コンテクスト主義ですが、なにか?
625考える名無しさん:2006/01/18(水) 18:50:18
世紀の基地外対決のはじまりはじまり
もうスレタイなんて関係ないぞ!
626270:2006/01/18(水) 19:48:30
>>580
比べられないってことが反唯物論としてのクオリアの根拠になってる、
つまり、
1)物理的なものは比較可能である
2)俺と君のクオリアは比較不可能である
3)クオリアは物理的なものではない
ってことね?
なるほど。いや、全然下らなくない。

でも2)はともかく1)は怪しいなあ、とか1)と2)の比較は同じ意味なのかなあ、とかいろいろ疑問はある。
それに比べられないって点はクオリアに限らず心的なもの全般について言えそうだから、
そうすると心的なもの一切が物理的な解釈や説明ができないってことになりそうだけどそれはいいのか、とか。

反唯物論としてのクオリアについて他に論点はありますか?
627考える名無しさん:2006/01/18(水) 21:22:49
>>609
はあ? 何が言いたいんですか、あなたは。
最高位氏が独我論的な主張を無神経に一般論にすり替えているので
すり替えないでくださいと言っているんですよ、私は。
あなたの言葉で言うならば、無神経に角度を変えないでくださいということです。

>語る角度の違いであって、その表現はその表現で正しい
それがどうかしましたか?
唯物論も角度によっては正しいとおっしゃりたいのですか?
628探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/18(水) 21:23:50
>>626
1リットルの水と2リットルの水を比較するには、それらを「水」というくくりで見た上で、
(同一性を見出した上で)差異に着目できなければならない。

比較対象のなんらかの同一性を前提にできなければ、次のように言う事になるだろう。

「この水は右の水道から出てきた水で、こっちの水は左の水道から出てきた水。
全く違うんだからどっちが多いとか言えないよ」

「その運動は原点位置が東京だったけど、こっちの運動は原点位置が埼玉だったから
全然違う運動じゃん。距離とか言う前にそこをそろえてくれないと」

こんなこと言いだしたら、世の中に「比べられる」対象などないことにすぐ気付く。
同じ位置、同じ時間にあるものなど二つとないからだ。別に心的なものに限らない。

「原点位置が違っても同じとみなしてよい」とか「違う水道から出てきた水でも
変な成分が実験結果に影響を与えるほどに混ざってなければ同じ水とみなしてよい」とか、
こういう約束事の上ではじめて記述や比較が可能になる。

ところが、クオリアに関してはこういう約束事を作ろうとしても定義上苦しいんだね。
そんなの無理ってのがすぐ分かってしまう。それが「クオリア」の意義。

他の論点は知らないな〜
629PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/18(水) 21:36:53
コップに水が入っている様子の佇まい、雑踏の交差点で聞こえてくるざわめきの具合などが、それぞれ個別にクオリアとして在る。
汎化するとか以前に【個別】に在る。
その在り様は意味はなくとも認識だけはできる。

………繰り返すが、認識だけはできる。
630考える名無しさん:2006/01/18(水) 21:50:44
何かスゲエことになってるな。大丈夫なのか?このスレ。
ぴかと変わらんぐらいのがウヨウヨ涌いてる。
ある意味、ぴかよりタチが悪いかもしれん。
631考える名無しさん:2006/01/18(水) 21:51:32
おまえら、なんかもう哀れだな




632考える名無しさん:2006/01/18(水) 21:53:31
>>630
こんなときこそ最高位が登場しないとな
633考える名無しさん:2006/01/18(水) 21:54:14
>>629
ねえよボケ
あるなら実証的に証明しろ
634考える名無しさん:2006/01/18(水) 22:01:22
>>632
来ないんだって、こんなときに限って
軟弱者だから…
635考える名無しさん:2006/01/18(水) 22:11:05
>>632
やつはハイエナみたいなやつだよ。スレで既に語られたことを自分が語ってるように
ひつこくカキコするしか芸がない。来るハズがない。
636考える名無しさん:2006/01/18(水) 22:25:58
このスレの皆さんでhttp://2.mbsp.jp/cchp/こいつを批評して下さい。素晴らしく能無しの意見を垂れ流してますよ。
637270:2006/01/18(水) 22:30:30
>>628
約束事が作れないようなクオリアに関する定義とはどのようなものか、とか
「約束事」ならクオリアに関する報告だからで十分だろ、とか。
638考える名無しさん:2006/01/18(水) 22:52:18
>>628
「同じ水」を見(たり飲んだり触ったりし)た結果発生した
クオリアを比較する、でいいんではないですか。
比較の方法は互いの言語による報告。
「クオリアの科学」というのは、実は普通に行われているのではないでしょうか。
というより、日常経験レベルの「技術」はすべてクオリアを取り扱っている、
「クオリアをいかにコントロールするかの知識」としか言いようがないと
思います。
たとえば腕のいい職人さんが「鋸の使い方は体で覚えろ」などと言いますが、
これなど「クオリアの操作法」としか言えません。料理人でも音楽家でも
医者でもスポーツ選手でも営業マンでも、皆同じだと思います。
639考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:29:45
友よ、天皇陛下の御名のもと美しい日本国を築こうではないか。


           .,.v-ー''″ ミ,
         ,,/  ,,,,   ミ
       .,/   ,,|||||||,,  ミ.
       ,!′  ,,||||||||||||| .゙゙!;
      ノ   |||||||||||||||||  ゙`!;        日本人だけの特権!
      .\.,  "|||||||||||||"   ..ミ            世界の中心で天皇陛下万歳を叫ぶ!
        .\  "|||||||" ,.,v-r|i
         )   ""  ./ ′ .ミ,
         .)    .,r'′   ミ.
          .゙'ー‐'¨¨″     フ∧_∧
                    r(,,゚Д゚)
                     〉日本つ
                    ⊂、 ノ
                      し'

     天 皇 陛 下 万 歳 !

日出づる処の極東板より
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1135328170/
640考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:29:47
感覚器に入る膨大な情報のうち意味のあるものだけが意識化される。
その意味はわかりようもない。
641考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:49:16
642素人:2006/01/19(木) 00:09:18
>>585>>628に、はげどうw
>>628の文の構造は、最高位の文そのままだなw
643PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/19(木) 00:25:30
みなさんは感覚器がなくてもクオリアがある、………など想定しているのであろうか。

クオリアとはクオール(物事から独立してある普遍的本質の特性)の複数形。

その明らかなる本質をクオリアとして概念を提示しているのだ。

ここらの誤解を解いた上でクオリアについては述べてほしい。

むしろ内観的に<<私>>を広げて論じてた頃のが実りあったのではないでしょうか。【脳】から決定論まで至る道はひと通り済んだでしょうに。
644考える名無しさん:2006/01/19(木) 00:34:32
従来の唯物論的科学と>>638の言う意味でのクオリア科学は人間の認識レベル
においてシステムの文脈が異なる二つの方法論である。
645考える名無しさん:2006/01/19(木) 00:38:38
いまのところ、どんなに説得力がある心身論でも矛盾をはらんでる。
決定的な理論はないのだから押し付けずに議論を楽しみましょう。
646素人:2006/01/19(木) 00:42:20
>>645
最高位に言ってくれw
おやすみ♥
647探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/19(木) 00:42:54
>>638
>「同じ水」を見(たり飲んだり触ったりし)た結果発生した
>クオリアを比較する、でいいんではないですか。
>比較の方法は互いの言語による報告。

「感じ」とは独立した数値で水を記述したとしよう。
で、各々が「同じ数値で表された水」をどのように「感じた」かを言語で報告しあうと。

これって比較可能か?

客観的に比較するには「こう感じたときにはこう表現する」っていうルールが必要だ。
そしてそのルールを被験者たちに教えるとき、「こう感じたとき」をどう表現する??
今調べようとしている当の「クオリア」を使わずに伝えることは出来ないよ。
「感じ」と独立に数値で水を記述することは可能でも、
「感じ」とは独立に「感じ」を記述することはできないんだから。

ルールなしに報告させたって、各々勝手な報告をするだけで比較はできないし、
ルールを「クオリア」に頼らずに教えることは出来ない。
『だから』クオリアを比較することは原理的に、方法論的に不可能なんだよ。
648考える名無しさん:2006/01/19(木) 00:43:43
>>643
まず、あんたが納得できるクオリアの説明しろよ。
勝手に実りとかいってるし。何が実った?
自分が望む議論ごっこをしたいだけだろうに。
>>644
> 唯物論的科学
> クオリア科学
何だか勝手に科学になっちゃてるし。
649考える名無しさん:2006/01/19(木) 00:50:17
麻薬中毒者の幻覚、幻聴などはクオリア的にどう説明するのか?
650考える名無しさん:2006/01/19(木) 01:04:12
20世紀最大のピアニストの一人、スヴャドスラフ・リヒテルは普通の人より
半音高く音楽が聞こえていたという。さらに彼は日ごろからある曲のメロディー
を単に頭の中で思い浮かべるのではなしに、実際に聞こえてしまっていた、
つまり幻聴に悩まされていたという。音クオリアの限界ぎりぎりの修練の末に
鋭敏に発達した器官の性能いかんによっては、普通の人間の想像を超えたような
奇妙なクオリア現象が引き起こされるのだろうか?
651探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/19(木) 01:06:17
逆に、「同じ感じ」であると言語で一致した時の水を、「感じ」と独立した数値で記述し、
それこそが「水のクオリア」であると考えることもできる。

この方法だと、「同じ感じであると言語で一致した」ことと「同じ感じである」ことの
間の証明が不可能になる。こっちのが分かりやすいね。

我々は言語などの情報を通じてしか一致しえないし、それ以前のものが同じかどうかは
ついに分からない。まぁこんなのわからなくたって別に困らないんだけど。

ただ、「クオリアの比較」をするつもりなら「同じ感じ」を基礎付けられないと困る。

ここでデカルトのコギトを考えて欲しいんだが。
「感じ」ている主観を基礎付けるには、『神』を持ってくるしかなかったんだよ。
この神をなんと言い換えても一緒。結局『神』だからそれは。
デカルトはハイデッガーなんかと違ってここで誤魔化してないところがいい。

「同じ感じ」であることを基礎付けるには、信仰という実践によるしかないんだ。
それはつまり、基礎付けられないってことだな。
652考える名無しさん:2006/01/19(木) 01:10:08
幻覚、幻聴のようなものは、本当に単なる病理学としての「幻」として片付けて
しまってよいものだろうか?それともそれも新たに発生した一つの現実としての
実在値を持っているものなのであろうか?
653唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/19(木) 01:24:14
>>643さん
チベット仏教にある「意成身」はクオリアに対する考え方を一変させます。
654考える名無しさん:2006/01/19(木) 01:28:52
幻覚なんて出現パターンはある程度決まってるのだから(具体的素材は
違うけど)それほど重要な事じゃない。精神科医に言わせると、精神病者の妄想
は多様性がなくパターンが決まりきっていてつまらないと言っている。
655考える名無しさん:2006/01/19(木) 01:29:48
「同じ感じ」が常に相対的なものであることは自分自身の質感についても
言える。天候や体調の微妙な変化によって同じドの音が常に少しずつ違って
聞こえる。どの瞬間における「ドの音」が正しい「ドの音」であるかを決定
することは難しい。また、少しの変化にもかかわらず「ドの音の感じ」は
概ねにおいて基礎付けられているとするのも、先ほどのリヒテルの例のごとく
(否もっと極端なことも十分考えられる)単なる蓋然性に基づくものであるに
すぎない。それでもこの点であえて「ドの音の感じ」の領域を決定する基準
を設けようとする際になって初めて物理的観点からの「音の波長の振動数」
が重要になってくる。しかしその際あくまでも「ドとされる音の波長の振動数」
と「ある人がある時にある場所で感じるドの音の感じそのもの」は分離した
ままである。
656PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/19(木) 01:31:43
デカルトいいね。自分も信じるに至るまで考えたいね。

マボロシの感覚は吟味したいところだ。宮崎勤の判決が決定した訳だが、………人格障害でない何かがあるのかもしれない。
現実のしきい値が常人と異なるのか疑問だ。同じなのに何故、特異な犯罪に至るのか。それは自由意志でか………。
主観だけで神と呼ばれるべき世界を読み解けるのか。
657考える名無しさん:2006/01/19(木) 01:33:52
>>654
つまる、つまらないの問題でおまいは何を言いたいのだ??
そんなことを聞いているのではない。わけわからんぞ。
658PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/19(木) 01:51:28
>>653
取り敢えず「意成身」でググってきたよ。
『チベットの死者の書』は積む読で、開いてないので今度読んでみます。ありがとう。
659考える名無しさん:2006/01/19(木) 01:56:56
>>657
分かんなきゃいいよ。僕は君と同じ低レベルな土俵では言葉を交す気はないので。
660考える名無しさん:2006/01/19(木) 02:00:14
>>655
現象学や分析哲学の入門書でも読んでからまた来たら?
低レベルだな。
661考える名無しさん:2006/01/19(木) 02:02:40
素人のお遊戯会はそろそろやめないかね
662考える名無しさん:2006/01/19(木) 02:06:11
ぷっ、偉そうなこというガキだぜ。
663考える名無しさん:2006/01/19(木) 02:06:22
>>660
>>現象学や分析哲学の入門書でも読んでからまた来たら?
>>低レベルだな。

現象学や分析哲学の入門書でも読んでからまた来たら?
低レベルだな。

664ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 02:24:47
■意味はあるが、意味はわからない。

ようは、例えば「赤」でもその状況でどのように感じるか変わるよね。信号の赤と、血の赤と、女性の
下着の赤と、それまさらにコンテクスト(状況)でも変わるよね。女性の下着の赤でも、それがおばばが
はいていると「こわぁ〜」とあるし、かわいいこがはいていると「発情ぉ〜」となるし。

赤のイデア的「主観的に感じる実感的な質感」=クオリアがあり、コンテクスト(状況)による意味がある
のではなく、すでにコンテクストに依存した意味としての「実感的な質感」=クオリアがある。ここで、
イデア的質感とコンテクスト的質感(意味)は分離できないと思うんだよ。

しかししかし、ここからまたややこしいのだけど、では、コンテクストに依存した意味としての「実感的な
質感」=クオリアはすでにコンテクストで説明できるのか?なぜかわいい子がはいていると赤下着に
「発情ぉ〜」したのか?それは、いつも地味な下着しかつけないのに、赤い下着って、社会的にいって
挑発って意味でしょう。でもなんで赤下着には挑発って意味があるんだろう?日頃と違うなら、
黄色下着でも、緑下着でも同じだろうか。

やはり社会的に「赤」には、派手な、挑発的、目立つなどの意味があるからだろう。でもなんで赤には
「派手な、挑発的、目立つなど」の意味があるんだろう?血の色だから、日の丸の太陽だから?・・・
ん〜これってボクのしらない歴史的な起源があるのかも、いやもしかしてその向こうの進化論的意味が
あるのかも昔はボクたちが動物だったときの「火」あるいは、「血」の記憶かもしれない・・・・でもそれは、
さかのぼれないなあ・・・意味があるのは分かるけど、意味すべてはわからないなあ。ってことだね。
665探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/19(木) 02:50:45
「俺ってほんとに存在してんのかなぁ?」
→「んー全部夢かもしれんな。否定しきれん」
→「ハッ(゚ロ゚〃) 全部夢としても今疑ってる俺だけは夢の外にいるじゃん!」
→「けど、今疑った俺も単なる物質現象に過ぎないよな・・・」
→「ハッ(゚ロ゚〃) って疑ってる俺だけはちょっと物質はみ出てたよ!」
→「いや、でもこれも単なる物質現象だしやっぱり・・・」

この無限後退は「今疑っている私」を「疑った私」と同一化することで始まる。
確実に存在しているのは「今疑った瞬間の私」だけであって、
「さっき疑った私」の存在はいくらでも疑えるということ。

「今疑っているこの私」は客観的記述を超えており、唯物論の世界に属さない。
しかし「疑った私」は客観的に記述できるし、再現可能だし、唯物論の世界の内にある。

最高氏のように、「私」が客観的記述を超えていると考えてはならない。
「今ここにある、この」の部分が客観的記述を超えている要素なのだ。
666哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/19(木) 03:24:54
>>664 しかしぴか君は不思議なほど、本質を見落としてるなぁ

クオリアというのは、まず
なぜそれが赤という、そういう色に見えているのか という事だよ
信号の赤であろうが下着の赤であろうが
そこに『価値観』による思考が加わらないと、意味や評価は付加されないんだよ
それはクオリアを感じた「あと」に付いてくるものだ

キミの為にわかりやすく説明してみようかな

それがいったい何であるのかわからないほど
どアップな近距離で、それを見たとしよう
視界一面が赤だ
その時、赤は見えている
赤のクオリアは既にかんじている
徐々に遠ざけて行って、それが何であるか理解した時に
その物の意味がわかり、評価が成されるわけだ
赤の『クオリア』と、下着の赤の『意味』は、明らかに別のものであるという事が、理解できませんか?

それが赤い下着だったとしても
私の場合だと「なんじゃコリャ」となるね
なぜなら、それが誰の下着か、その時点では不明だからだよ
私の場合、下着は下着でも持ち主によって、それは全く別物の意味を持つ
持ち主まで理解できたところで、それは評価される
(ちなみに私は、下着にはあまり興味は無いけどね)

キミの言うところの「クオリア」(意味)は、持ち主を教えてもらうまでは発生しない
私の言うところの「クオリア」は、目をあけて『赤』を認識した時点で発生している

クオリアという言葉が、いったいどちらを指している言葉であるのか
いくらなんでも、もう理解できたでしょう?
「クオリア」と、キミのいう「意味」は、明らかに別だよ
667ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 03:39:46
>>666
スリー6ですね。さすが爆笑王、笑いの神がついてる。

>>666がネタでないと信じつつ、あえて反論します。
コンテクストから切り離された「意味」など存在しない。

それは、単に「どアップな近距離で、それを見た、視界一面が赤だ」
というコンテクストだというだけだ。

だいたい前後の脈略なく、いきなり「どアップな近距離で、それを見た、
視界一面が赤だ」などないだろう。たとえば、友達がちょっと眼をつぶってと
いわれて誘導されて、眼を開けると「どアップな近距離で、それを見た、
視界一面が赤だ」

そのときになんらかのドッキリか、と思うというコンテクストの中で、
「視界一面の赤」に遭遇し、そのコンテクストで意味を感じるわけだよ。

>下着は下着でも持ち主によって、それは全く別物の意味を持つ
>持ち主まで理解できたところで、それは評価される

きみの思考は停止か?その前にコンテクストから想像するだろう。
こんな派手なおパンティは若いエロエロねんさんだろう。ムフフ。
と、そこでおばばが、「なに私のパンチみてんのよ!」と登場で、
一気に萎える。

コンテクストに切り離された色などないのだよ。
キミはたんに、イデア論を語っているのだよ。
668ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 03:50:47
「それがいったい何であるのかわからないほどどアップな近距離で、
それを見たとしよう。視界一面が赤だ。」

普通はビビるだろうね。いきなり赤一面だと。なんじゃこりゃ〜!って。
この「赤」のクオリア(意味)は「迫る恐怖」だろう。
669哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/19(木) 04:01:49
>ぴかくん
キミこそ爆笑王なんだよ
もぉ救いようのないほどにね
少し、人の話も聞いたらどうかね?

赤の意味はあるよ
それは「マッカッカ」というだけの事
それ以外には無い
断じて無い

恐怖とかそんなのは、赤いだけでは生じない
その他の「経験」などの、「赤」以外の要素が加わらない限り発生しえない
また、具体的には「音」なども作用して恐怖を感じたりするであろう

赤は赤
それ以外の、何モノでも無い
670哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/19(木) 04:23:02
ぴかくんは
人間の精神構造全体の事を、クオリアと呼んでいるんじゃないか?
情報を入力して思考するまでの事だね
具体的には、視覚だけを取り出して、感情が動くわけではないんだよ
感情が動く要素というものは、その時点で
その人を取り囲む、全ての環境が、その人に影響を与えている
その上での感情なんだよ
視覚だけが単独で作用している状態というものは、通常は無い

クオリアというものは
入力した情報というものが、人間の場合
こういう「感じ」だという事を指す

意味や感情、言葉などは
入力した「感じ」を感じた後に生じるものだ
クオリアの後に成される作業だよ
671ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 04:38:34
じゃあ、爆笑王に質問するけど、
その「赤は赤。それ以外の、何モノでも無い」クオリアは、
@経験に依存しないなら、いつ獲得されたんだい。
A経験以前のクオリアがあるとどのように確信するんだい。
 ボクたちは生活の中で経験後に意味の世界に生きているわけだけど。

これは、ネタフリじゃないぞ。ぜったいにネタフリではない。
672哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/19(木) 04:52:55
>>671
>@経験に依存しないなら、いつ獲得されたんだい。
>A経験以前のクオリアがあるとどのように確信するんだい。

クオリアというものは外界の情報を入力した時に感じる「この感じ」である
クオリアの無い人間には、外界を認識するスベは無く
「経験」する事、そのものが不可能だ
それゆえ
経験する以前に、すでに獲得されていなければならない
673ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 05:02:12
>>672
おいおい、馬鹿でもわかるように@、Aって番号ふってやってんだよ。
ちゃんとに答えろや!それがいやなら、二度をレスつけるな!カス!
674哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/19(木) 05:25:36
>>673
ん?
意味わからんの?
なんでなんだよ
本物のバカなんだな
あまりにもひどいよキミ

クオリアの無い人間は、そもそも経験する事ができない
だから
@→クオリアは経験に依存しない
  いつ獲得されたのかは知らん
  それは議題ではない
  いずれにせよ経験には依存しない

A→クオリアの無い人間は、そもそも経験する事ができない
  この理屈により
  経験以前にクオリアがあると考えるのが論理的であり
  確信する以外にありえない

これ以上に、わかりやすく説明する事など無理だろ
675考える名無しさん:2006/01/19(木) 05:44:47
私が生まれる以前に世界はあった

そして私は、私の母から生まれた
676考える名無しさん:2006/01/19(木) 05:48:26
だが私がそれを認識出来るのは私が生まれ多く学び経験したからである
677哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/19(木) 05:59:32
>>676
だがそれは思考する為の知識であって
クオリアの話とは関係が無い
678哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/19(木) 07:51:58
>ぴかくん
返事がないけど、やっと理解できたのかな?
あれだけ噛み砕いて説明したんだから理解できないわけないよね
まぁキミの場合、必死で屁理屈を考えいるか
みんなが忘れてホトボリが冷めた頃に、また同じ事を言い出しそうだけどね
機械君がその典型だw


クオリアを感じる事が経験なんだな
イコールだと言える

その経験は心地よいものもあれば不快なものもある
安全に生きる という目的に合致した本能で感じる感性で
人間は基本的には心地よい方を好むであろう
例えば暖かい とかね
しかし人間の持っている判断基準は、それだけではない
ある時は我慢を選択したり、自分の意思で快適さを捨てる方向性を選択したりする
その経験が、いい経験であるのか悪い経験であるのか
これは価値観によるわけだ
危険だとかいう事を判断するのは学習による
経験しても、学習しなければ、価値観や意味は生まれない
意味や価値観は学習によって得るものだ

クオリアそのものが、価値観、意味 なのではない
赤は赤色 という事とは、根本的に意味が違う←結局これが言いたいだけだけど、理解できた?
679635:2006/01/19(木) 07:58:18
また実証してるな
680機械タンの孫娘:2006/01/19(木) 09:40:22
祖父が徘徊老人となりトリップも付けずに潜入しているようです。
681考える名無しさん:2006/01/19(木) 10:35:29
>650
俺は音楽家ではないが、音や声や感触を想像すると聞こえるし感じるぞ?悩まされ
る程にはならないが、別に特別な能力でもなんでもない。普通の人間に発生する
クオリアじゃないか?
682むじんくん:2006/01/19(木) 10:43:06
>>650>>681

昔、坂本龍一が言ってたんですが、あるコンサートを聞きにいったとき、曲の流れから
ある和音で解決すると強く思い込んでいたら、実際の演奏では裏切る形の音の遷移を
した。その時、不協和音が鳴ったというんですね、実際に彼の中で。自分が思っていた
和音と、舞台上の音との不協和音が実際に発生したと。

まぁ、作曲家はスコアを見て頭にオーケストラの演奏が鳴らなければ商売になりません
けどね(笑)。不協和音が発生したというのは面白い。それを空想と簡単にはいえませんね。
683考える名無しさん:2006/01/19(木) 10:44:26
あるメロディが耳にこびりついてしまって離れずに悩まされる時ってあるよね。
ドンキで買い物したときとかw
684むじんくん:2006/01/19(木) 11:07:14
ちょっと昔のレスですが、

>>574
> クオリアの起源は、経験的な産物であるとは言えないはずですからね
> それに、クオリアによって経験するのですよ

あなたの理屈というのは、所謂本能論ですね。しかし、生まれたときに世界が構造化
されているというのは人間の場合当てはまらない。

問題は、

1.経験は世界が分節化されてなければ不可能である。
2.世界の分節化は経験がなければ不可能である。

という矛盾した命題をどう考えるかです。ヒントとしては、幼児は所謂大人が言うところの
"経験"をしていないという点ですね。実際、大きくなってから思い出せなかったりします。
ところが、大人は経験ができる。その間に何が起こったかということで、そこが謎なのです。
685むじんくん:2006/01/19(木) 11:23:52
>>674
>   経験以前にクオリアがあると考えるのが論理的であり
>   確信する以外にありえない

この記述は、あなたがバカにしている茂木氏の意見に近いと思いますよ(笑)。

しかし、前にも少し書いたとおり、現代音楽家や美術家はそういう素朴な人間信仰を
もはや持てないというところで創作をしている。19世紀末までは、ロマン派という形で
存在したわけですけどね。音楽で言えば、シェーンベルク以降には仰るような感覚は
音楽家は持てないでいるのです。

リアルタイムの"現在音楽"を私は知らないのであれですが、少し前までだったら、
音楽家はシュトックハウゼンのような神秘主義に入り込まない限り、音を外に見出そう
としてきたと言ってよいと思います。バルトークは民謡を採用しましたし、クセナキス
なんかは数学を取り入れたり、ケージの場合、人間の手垢に染まらない、人間から
完全に離れた"音"を実験する。

これは、情報理論と似てるんですよね。シェーンベルクの12音技法というのは、音楽を
人間の表現とはもはや見做さずに、音のパターンに還元してしまう。存在するのは
セリーなのだ、表現なんてものはない、というわけです。

こういうところも、あなたや茂木氏のクオリア論は反動的なんですね。情報理論からも
後退している。茂木氏は芸術について語ってたりしますが、ああいうのは少なくとも
100年前ぐらいから捨てられてしまった、古きよき時代の思考だと思います。
686むじんくん:2006/01/19(木) 11:39:35
こう考えるとあれだなぁ。芸術家ってやっぱ偉大なんだ。世の中の流れは

芸術→文学/哲学→科学

の順番である問題意識が行きわたるということですね。
687ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 13:11:44
>>674
爆笑王が言いたいのは、@クオリア的「実感的な質感」とA経験的「実感」は
別々だということだね。

では問題は、赤いおパンティを見たときに、@とAはどのように差を見いだすか
という問題が起こるね。
@は脳内だけの反応で、ボクたちの実感として現れないのか。
それとも、@のあとにAがくるという時間差で実感としてくるのか。
たとえば、赤いおパンティを見たときには、まず赤のイデア的クオリア的「実感的な質感」が
あり、その後、状況(かわいい子orおばば)などの判断によって、経験的「実感」(意味)が
やってくる。
どちらにしても、このイデア的@がAと分離されていることが、なにをもって
爆笑王は主張するか。この当たりをもう少し語れないかな。

ボクの意見は@とAは混ざった形で一気にやってくる。だから@+Aがクオリア(意味)
ってことなんだけどね。

688ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 13:30:27
>>686
むじんくんと気があうな。
ぼくのかつてそのように考えたことがあります。

芸術→文学/哲学→科学→政治(政策)

ボクはこれは作るために関わる人々の「数」との関係で
考えました。象徴界による拘束との関係ですね。
芸術は感じたことを一人で表現できます。
そして常識(象徴界)からの切断を試みる立場にいます。
そのあとに行くほど、表現に人々との関係(契約)に
拘束され、先行的な人が思いついてから、広がる時間がかかります。

大衆というのは変化を好みませんからね。世代交代を待たなければ、
ならないでしょう。
689哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/19(木) 13:57:56
>>687
ちょっと聞きたいんだけど
まじめな話
キミは子供なのかい?

考え方の基礎がメチャクチャだな
哲学をする以前の問題だよ

>爆笑王が言いたいのは、@クオリア的「実感的な質感」とA経験的「実感」は
>別々だということだね。

当たり前だ

>ボクの意見は@とAは混ざった形で一気にやってくる。だから@+Aがクオリア(意味)
>ってことなんだけどね。

クオリアというのは
本人が主観的に感じる体験的な質感 の事だよ
純粋な意味での『感じ』であってね
キミのは、それと同時に思考して感じる『第一印象』
いわゆる『感想』までもゴッチャに含めて考えちゃってるわけだ

しかっり分別して考えられないと、ちゃんとした分析なんてできないよ?

おねぇちゃんのパンツだという情報の前に
赤は赤 なんだよ

赤には赤だ という情報しかない
誰の下着かという事は、別の情報源によるものであって、赤は関係がないだろ
ほとんど同時に思考しているから、>一気にやってくる。ように感じてるだけだ
普通に考えりゃわかるだろ
690ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 14:08:33
>>689
>ほとんど同時に思考しているから

ってことは、赤いおパンティをみるときに、@クオリア的「実感的な質感」と
A経験的「実感」は「同時に」に実感するのだけど、違うものなのだ、ってことだね。

ってことは、爆笑王が@クオリア的「実感的な質感」だけ取り出すことは
できないが、そこにあるんだよ。ボクの言うことを信じて、というだけにならない?
691考える名無しさん:2006/01/19(木) 14:22:19
487 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2005/12/30(金) 14:52:48.76 ID:U02uz4X+0
自分が今していることは全て運命である。
何年何時何秒に何をしていてもそれは全て最初から決められた運命なのだ。

ってことを思い、
その運命に逆らおうと一生懸命、気持ち悪くて意味のない動きを何十分もする。

しかし、その行動すら最初から運命で決まっていたと思うと
一気にテンションが下がる。
692哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/19(木) 14:23:01
>>684
>> クオリアの起源は、経験的な産物であるとは言えないはずですからね
>> それに、クオリアによって経験するのですよ
>あなたの理屈というのは、所謂本能論ですね。
>しかし、生まれたときに世界が構造化されているというのは
>人間の場合当てはまらない。

わけわからん事ばかり言ってないで
ケチつけるなら、正面から否定して下さい

まず
クオリアの起源を生み出すという
その『経験』が存在する根拠を述べていただきたい

クオリアを通す方法以外に、人間が経験というものをする方法を挙げてもらいたい
五感以外から、情報を入手する手段を教えて下さい
693哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/19(木) 14:32:26
>>690
しかし、何ていうのかなぁ

アホだねキミ・・・本物の

地球は太陽の周りを回っているんだよ
ボクの言ってる事を信じて!w

見た事ないけど、信じてるんだろ?
なんで自分が信じてるのか、わかってんの?w


ごめん
キミにとっては、こんな例え話も難しかったよね
頭こんがらがっちゃう?

いやもう
私にはお手上げだわ・・・
694むじんくん:2006/01/19(木) 14:36:16
>>692
> わけわからん事ばかり言ってないで

いや、分かりやすいと思うんだけどな(笑)。

> クオリアの起源を生み出すという
> その『経験』が存在する根拠を述べていただきたい

それは簡単なことで、人間の脳細胞が後天的に形成されるということで十分でしょう。
進化論的な淘汰によって残存したものを使っていく。だから、人間にとって世界は
最初対象化すらされてない。普通に大人が使う意味での経験というものをしてないわけです。

感覚についても、決して「五感」と呼ばれるものは出生後しばらくは自明でないと言われてますね。
共感覚ってやつですが、音を聞くと色を見る。ただ、この辺はある程度遺伝的な分化の
方向性は与えられていると思います。
695ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 14:39:05
>>639
>地球は太陽の周りを回っているんだよ

少し前までは、地球の回りを太陽が回っていた。
常識とはそういうものだよね。
爆笑王が「@クオリア的「実感的な質感」だけ取り出すことは
できないが、そこにあるんだよ。ボクの言うことを信じて」と
言われても、なかなか「はいそうですか」、とはいえないよ。

>いやもう私にはお手上げだわ・・・

ネタ尽きたか。
696考える名無しさん:2006/01/19(木) 14:46:38
あほらし
697哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/19(木) 14:53:02
>>695
理詰めで説明してあげただろ?
理解できないだけなんだよなキミは
てか、認めたくないだけなんだろ?

赤には赤色という情報しかない
誰のものかというのも
それがパンツだというのも
赤とは関係が無い
他の情報源だろ

違うというのかい?
まともに反論できないくせに、ケチだけ付けてくるなよ
698ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 14:53:36
爆笑王の馬鹿さは、爆笑王の言っていることがおかしいのでなくて、
ボクがいっていることと、爆笑王のいっていることの関係、
その近さが理解できないことなんだよね。

イデアとか、コンテクストとか、意味論とか、言われても、
知識がなくてもわからないだろう、けど。それも別に
知らない、知っていることが問題でなく、

知らなくても相手の言っていることを理解できないのに、
批判することなんだよね。爆笑王は「少年」なんだね。
699哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/19(木) 15:05:07
>>694
そもそもキミは、クオリアの起源 という事の意味が理解できていない
何でなんかねぇ・・・
いつまでも理解できないなんて、アホさ加減もいいかげんにしろよ

それじゃクオリアは、先祖の経験が起源だと言ってる事になるのかな?
そんなんじゃさ
赤は何で、こういう赤色という赤なのか
という疑問には、何の解答も与えた事にならないんだよ
問題は、そっくりそのまま残されている
なんだかテキトーな事を言って、ごまかそうとしてるだけだ
てか、問題そのものが理解できてないんだろね
理解できてりゃ、そんなこと恥ずかしくて言えないよ普通


今日もそろそろ離席の時間だわ
700ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 15:14:27
>>699
うせぇよ!おまえは人格攻撃文95%にまぎれこまさないと、
自分の意見(5%)もいえないのか。
「信じて!」だけじゃ、警察いらねぇんだよ!ガキが!
701ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 15:17:02
では、少しまとめようかね。
>>
クオリアとは、「赤の赤らしさ」や、「バイオリンの音の質感」、「薔薇の花の香り」、「水の冷たさ」、
「ミルクの味」のような、私たちの感覚を構成する独特の質感のことである。
クオリア(qualia)とは、私たちの心の中の表象を構成する要素の持つ独特の質感のことである。
例えば、「赤の赤い感じ」がクオリアである。(茂木)
<<

ここで曖昧なのか、茂木のいう「クオリア」とコンテクストとの関係なんだよね。イデア的なものを
指摘しているようで、主観といって、コンテクストに依存した「意味」を指摘してるようにもとれる。

だから茂木のいう「独特の質感」では、@イデアとAコンテクストとの関係で論じないといけない。

爆笑王はこれらを分離できるものとして、@イデア=クオリアとしている。で、ボクは、目の前に
この実感がコンテクストから切り離せない以上、@イデアのみを切り離すことはできないだろう。
どのような赤も必ずコンテクスト依存し現れる。「独特の質感」とは@+Aであり、これがクオリアで
ある、ということだ。

では、@イデアまで否定するのか。ボクはボクが見ている赤と、爆走王の見ている赤は同じでは
ないが、限りなく近いと思う。それは同じ種(だと思う)としての「赤の実感」があるのではないか。
これは爆笑王のいう「クオリア」ということだ。しかしそれだけを抜き出せないし、「独特の質感」を
コンテクストから切り離せない以上、クオリアは以下のようになるだろう。ここで、@が爆笑王が
いう「クオリア」ということになるだろう。

クオリア(意味)=@遺伝子による進化上の経験+A言語による文明的経験+B生まれてからの記憶された経験
702むじんくん:2006/01/19(木) 15:18:22
>>688
> ボクはこれは作るために関わる人々の「数」との関係で
> 考えました。

確かにそうですね。ただ、科学者は昔は割りと自由にできたんじゃないですかね。
最近はもう、完全にプロジェクト化していて、勝手なことはできないんでしょうけど。
703むじんくん:2006/01/19(木) 15:22:30
>>699
> それじゃクオリアは、先祖の経験が起源だと言ってる事になるのかな?

それは、そちらさんの意見じゃないですか(笑)。後天的と書いてありますよね。
"進化論的"っていうのは、出生から外界との関係で脳細胞に淘汰が発生する
という意味です。遺伝的ということではないのですね。且つ、そのような回路に
なったという必然性も無いということです。

> 今日もそろそろ離席の時間だわ

「哲学者最高位」という名前は、これギャグですか?それともあなたが主張する
プラトン主義から来てるんでしょうか。哲学者=王ということで(笑)。
704ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 15:26:55
>「哲学者最高位」という名前は、これギャグですか?それともあなたが主張する
>プラトン主義から来てるんでしょうか。哲学者=王ということで(笑)。

これはギャグです。現代に徹底的に形而上学を語るというキャラ設定のもの、
ボクたちに爆笑を振りまく天才コメディアンなのです。
いや、絶対にそうです。そうとしか考えられない。そうだと言ってくれ、爆笑王!
705考える名無しさん:2006/01/19(木) 15:44:45
クオリアというのは科学的に説明できないのだよ。
たとえクオリアを実感している脳を科学的に説明したとしてもクオリア自体は説明できない。
それがクオリア問題なのだよ。それすらわからずに最高位の批判している香具師は
似非科学。というかここは唯物論のスレだから関係ないレスはするな。
706考える名無しさん:2006/01/19(木) 15:57:56
>>704
つうかさ、
ぴかの定義するのはアフォリアでもういいじゃん
名前の由来はアフォリズムってことでカッコイイだろ?
それで十分に自分の自尊心が保てるものだと思うよ
アホリアなんて誰もいわないさ、きっと
>>705
最高位がアホを相手にしすぎてるのが批判されてるんだって
分かりきったことを何度も書くオマエもアホなんだって
707考える名無しさん:2006/01/19(木) 16:00:24
最高位自演乙!
708考える名無しさん:2006/01/19(木) 16:12:29
(こいつ、本当にヒキヲタだったのか・・・正直ちょっとがっかしだ。。。)

誰とは書かんが、、、、



どうでもいいか。

709考える名無しさん:2006/01/19(木) 16:14:26
>>686
芸術家は一番妥協しないのかもね
710考える名無しさん:2006/01/19(木) 16:21:58
ところで今「意識は必然」みたいな唯物論派いるのか?
711考える名無しさん:2006/01/19(木) 16:25:58
折れだよ居るよ
712考える名無しさん:2006/01/19(木) 16:32:43
>>705
>たとえクオリアを実感している脳を科学的に説明したとしてもクオリア自体は説明できない。
>それがクオリア問題なのだよ。
誰もが「そう」は感じない。
「クオリアも説明できる」と感じちゃう人もいるから問題なんですよ。わかってますか?
713考える名無しさん:2006/01/19(木) 16:34:45
だから、クオリアなんて妙な言葉を使わずに、「意識」と言えばいいのさ。
むじんくん等の言っていることは、「人間は出生時には意識がなく、
物質としての肉体、特に脳がそれ自体の生物学的遺伝的要因と
外部の環境(他人を含む)との相互作用(それを経験と呼ぶかどうかは
問題でない)によって、ある段階で意識(クオリア)を持ち、その後の
経験(今度は肉体と意識双方による、他人を含む外界との相互作用)に
よってさらに意識(クオリア)の内容は多様化・分節化していく」
というようなことだろ。
最高位は別にそのことに反対しているわけじゃないのさ。彼の関心は
全く別のところにあって、その意識(クオリア)自体は(どう変化しようと
分節化しようと)物質ではないし、物質によって説明できない、と、
そのことだけなのさ。客観である物質によって、主観的な意識は説明できない。
「脳の状態をどう調べても、主観的な赤のクオリアがなぜこういう
赤のクオリアなのかは説明できない」とね。
関心の焦点が違うんだから、話が噛み合うわけはないよ。
714考える名無しさん:2006/01/19(木) 16:42:13
>>711
意識は複雑だから今はわからないだけであって、
技術が発展すれば「意識の予測」ができるようになると思うってこと?
715考える名無しさん:2006/01/19(木) 16:48:57
>>713
>関心の焦点が違うんだから、話が噛み合うわけはないよ。
そうですね。咬み合ってないように見えますね。第三者的には。
ですが最高位氏本人はそうは思ってないでしょう。
彼の主張は唯物論の破壊ですから。
716むじんくん:2006/01/19(木) 17:11:00
>>714
> 意識は複雑だから今はわからないだけであって、
> 技術が発展すれば「意識の予測」ができるようになると思うってこと?

違います。それは天気予報が将来当てられるという話と同じなんですが、多分できないでしょうね。
しかし、コンピューター上で等価な現象をシュミレートできるんです、今は。だから、ある程度の
基礎環境上に複数の脳を置いて、あるロジックで回路形成をするように設定してスタートさせると、
その脳にクオリアの物質的記述であるところのニューロン回路が発生するということになる。
717考える名無しさん:2006/01/19(木) 17:19:50
>>713
>物質ではないし、物質によって説明できない、
「物質ではない」と「物質によって説明できない」では意味が随分と違うと思います。
「説明できなくとも物質であるに違いない」と信じることは出来ると思います。
最高位氏は
「説明できないから物質でないに違いない」と信じてるように見受けられます。
信仰の違いではないかと。
718考える名無しさん:2006/01/19(木) 17:22:00
>>717
重さとか硬さとかは、物質の性質ではないが、物質に付随するもの。
意識やクオリアだって物質に付随する性質に過ぎない。

物質ではないといっても何の意味もないし、物質で説明できない理由もない。
719むじんくん:2006/01/19(木) 17:22:25
>>713
> むじんくん等の言っていることは、「人間は出生時には意識がなく、
> ・・・
> というようなことだろ。

これは、

> その意識(クオリア)自体は(どう変化しようと
> 分節化しようと)物質ではないし、物質によって説明できない、と、

少なくとも、太陽が自分の前を動いているように見えることに対する地動説と同じ観点の
説明になってますね。

ところが、茂木=最高位ラインの発想では、そこで先天的な世界の分節化=イデアを
持ち出して解説しちゃうんですよ。だから、物質じゃないとか言い出すわけ。
720考える名無しさん:2006/01/19(木) 17:38:33
>>718
「説明できないから保留」が哲学的に真摯な態度でしょうかね?
私は保留を止めて物質信仰に走っちゃいましたけど。
721考える名無しさん:2006/01/19(木) 17:49:55
英語の「matter」と、日本語の「物質」では意味が違うように思われます。
物質は元々仏教用語でしたっけ?
最高位氏の言うような「一つのモノの二側面」の意を含んでるように思われますがね。
722考える名無しさん:2006/01/19(木) 17:59:26
>>716
二行目以外何を言ってるのかサッパリ。

等価な現象をコンピュータ上でシミュレートってどうやってんの?
「等価」って文脈からすると「(意識と)等価」ってことだろうけど、
意識をどうやって再現してるのかの方法が知りたい。

後半読んでるとどうも、「環境→脳状態」のシミュレートができるって
話にしか聞こえないんだけど。意識はどこに出てくるんだ?
723ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 18:13:22
■クオリア(意味)=イデア+コンテクスによる「意味」

@イデア、コンテクスト、意味

>>
クオリアとは、「赤の赤らしさ」や、「バイオリンの音の質感」、「薔薇の花の香り」、「水の冷たさ」、
「ミルクの味」のような、私たちの感覚を構成する独特の質感のことである。
クオリア(qualia)とは、私たちの心の中の表象を構成する要素の持つ独特の質感のことである。
例えば、「赤の赤い感じ」がクオリアである。(茂木)
<<

ここで曖昧なのか、茂木のいう「クオリア」とコンテクストとの関係なんだよね。イデア的なものを
指摘しているようで、主観といって、コンテクストに依存した「意味」を指摘してるようにもとれる。
だから茂木のいう「独特の質感」では、イデアとコンテクストとの関係で論じないといけない。

爆笑王はこれらを分離できるものとして、イデア=クオリアとしている。でもボクは、目の前に
この実感がコンテクストから切り離せない以上、イデアのみを切り離すことはできないだろう。
どのような赤も必ずコンテクスト依存し現れる。「独特の質感」とはイデア+コンテクストによる「意味」
であり、これがクオリアで ある、ということだ。

ここでイデアを否定していないのは、ボクはボクが見ている赤と、爆走王の見ている赤は同じでは
ないが、限りなく近いと思うからだ。それは同じ「種」として、爆笑王のいう「クオリア」としての
「赤の実感」があるのではないか。しかしそれだけを抜き出せないし、「独特の質感」をコンテクスト
から切り離せない以上、クオリアは以下のようになるだろう。ここで、@が爆笑王がいう「クオリア」と
いうことになるだろう。

クオリア(意味)=@遺伝子による進化上の経験+A言語による文明的経験+B生まれてからの記憶された経験
724ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 18:13:52
A 意味はあるが、意味はわからない。

ようは、例えば「赤」でもその状況でどのように感じるか変わるよね。信号の赤と、血の赤と、女性の
下着の赤と、それまさらにコンテクスト(状況)でも変わるよね。女性の下着の赤でも、それがおばばが
はいていると「こわぁ〜」とあるし、かわいいこがはいていると「発情ぉ〜」となるし。

赤のイデア的「主観的に感じる実感的な質感」=クオリアがあり、コンテクスト(状況)による意味がある
のではなく、すでにコンテクストに依存した意味としての「実感的な質感」=クオリアがある。ここで、
イデア的質感とコンテクスト的質感(意味)は分離できないと思うんだよ。

しかししかし、ここからまたややこしいのだけど、では、コンテクストに依存した意味としての「実感的な
質感」=クオリアはすでにコンテクストで説明できるのか?なぜかわいい子がはいていると赤下着に
「発情ぉ〜」したのか?それは、いつも地味な下着しかつけないのに、赤い下着って、社会的にいって
挑発って意味でしょう。でもなんで赤下着には挑発って意味があるんだろう?日頃と違うなら、
黄色下着でも、緑下着でも同じだろうか。

やはり社会的に「赤」には、派手な、挑発的、目立つなどの意味があるからだろう。でもなんで赤には
「派手な、挑発的、目立つなど」の意味があるんだろう?血の色だから、日の丸の太陽だから?・・・
ん〜これってボクのしらない歴史的な起源があるのかも、いやもしかしてその向こうの進化論的意味が
あるのかも昔はボクたちが動物だったときの「火」あるいは、「血」の記憶かもしれない・・・・でもそれは、
さかのぼれないなあ・・・意味があるのは分かるけど、意味すべてはわからないなあ。ってことだね。
725考える名無しさん:2006/01/19(木) 18:18:21
726考える名無しさん:2006/01/19(木) 18:21:14
モテる男はココが違うよね・・・・・・

http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1136022794/l50
727考える名無しさん:2006/01/19(木) 18:52:18
>>724
何でわからんかね。
最高位その他が言っているのは、赤下着、黄色下着、緑下着の「意味」以前の
「どうして赤下着は赤く、黄色下着は黄色く、緑下着は緑に見える(感じられる・
そういうクオリアとして存在する)のか?」という単純な疑問だよ。
昔ながらの「心身問題」。現代思想的な文脈とは無縁の話。
728ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 19:16:22
>>727
何でわからんかね。
ぴかぁ〜その他が言っているのは、赤下着、黄色下着、緑下着の「意味」以前の
「どうして赤下着は赤く、黄色下着は黄色く、緑下着は緑に見える(感じられる・
そういうクオリアとして存在する)のか?」という単純ものは存在しないということだよ。
昔ながらの「心身問題」。認知科学ではもはや常識の話。
729270:2006/01/19(木) 19:37:13
>>628>>647
>>626を読んでもらえば判るように俺と君のクオリアが比較できないことを疑ってるわけじゃないんだ。別に疑ってもいいけど。
ただ、その比較できなさはクオリアに限ったわけじゃなくて心的なもの全般に言えそうだから
反唯物論の根拠として比較できないことを挙げるならわざわざクオリアを持ち出す必要はないんじゃないだろうか。
そうじゃなくてクオリアを持ち出す「意義」があるなら、そうさせるだけのクオリアの「定義」ってなんだろう?
このことは解釈によってはクオリアとその他の心的なものとの違いがある、
クオリアは自他の比較不可能だけれど他の心的なものは比較できるよ、と言ってるようにもとれる。

と、長々と書いといてなんだけど一番予想される答えとしてはたまたまクオリアを例に出しただけ、というものだな。

ところで>>647を読んでて思ったんだけど、クオリアって自分の中では比較できるのかな?
この場合の比較は同じかどうかではなくて区別できるかってことだけど。
熱いと寒いのクオリア、赤と青のクオリアは自分の中で区別できるんだろうか?
730考える名無しさん:2006/01/19(木) 19:47:35
>>723
>>533で茂木が何を言ってるか知らないなんて書くようなら、
少なくとも茂木から引用するのは止めれ。
731考える名無しさん:2006/01/19(木) 20:18:14
>>728
だからさ、「意味をはらまない単純なクオリア」が存在するかどうか、
なんて、どうでもいいの。とうか、意味をはらんでいるなら問題はなおさら
複雑になるだけの話。
「どうして赤い下着が(意味をはらんだ)赤に、黄色下着は(意味をはらんだ)
黄色に、緑下着は(意味をはらんだ)緑に見える(感じられる・クオリアとして
存在する)のか」というちょっと複雑な疑問。
単純な答えは「その物質が反射した特定の波長の光が網膜に当たると…」
というもの。これは「どういう場合に」赤のクオリアが発生するか、
という条件について答えているだけで、「どうして」の答えにはならない。
認知科学というのはその条件を「脳の内部」と「脳の外部」
主体と客体の双方から、社会的視野も含んでより精密にしているだけで、
「どうしてある波長の光が網膜に当り、その信号が脳に届くと『赤』に
感じられるのか」という一番単純な疑問には、全然答えられない。
(というか、そんなことに答える必要を認めない。そもそも答えられる
「どうして」はhowだけで、whyは何についても答えられない、という
言い方もある。まあそれはおいといて)
最高位が言ってるのは、そんだけのことよ。
732一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/19(木) 20:28:21
「why〜?とは何を訊いているのか」という問題は結構難しいと思います。
もしかしたら、何も訊いていない(問いが在ると言う錯覚)のかもしれません。
733ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 20:37:28
>>731
だからさ、「どうしてある波長の光が網膜に当り、その信号が脳に届くと『赤』に
感じられるのか」という一番単純な現象は、観測においても存在しない。
ぴかぁ〜が言ってるのは、そんだけのことよ。

734ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 20:53:17
まず「赤」とはなにか?ここからはじめなさい。
なんらかの絶対的な「赤色」は存在しない。
入力される波長とは関係なく、色は人の内部(脳)で
自己制作(オートポイエーシス)されている。

「クオリアは、入力される信号とは関係なく、人の内部(脳)で
 自己制作(オートポイエーシス)されている。」
これを100回唱えよう!
735考える名無しさん:2006/01/19(木) 20:54:45
ある波長から赤のあの質感が感じられるのは
その波長にそう感じさせる性質があるからなんだよ。
質感の違いは脳の性質で生まれるわけじゃなく
対象自体にすでに含まれている。

736ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 20:57:50
そこで、自己制作されるときの「条件」とはなにかと考えると、
以下のような経験の中で内部にある「条件」によって、
クオリアは内部で自己制作されているのだろうと、私、ぴかぁ〜は
推測するにいたったものである。

クオリア(意味)=@遺伝子による進化上の経験+A言語による文明的経験+B生まれてからの記憶された経験
737考える名無しさん:2006/01/19(木) 21:08:06
ぴかぁ〜って、ほんと一日中PCの前にはりついてるんだな。
いつ来てもいる。
738むじんくん:2006/01/19(木) 21:16:58
>>722
> 二行目以外何を言ってるのかサッパリ。

いや、もちろん意識を生成するようなことはできてないわけですけど、ある要素(例えばニューロンに見立てたもの)
が一定のパターンで他の要素と関連していくよう設定し、その要素の集合がどのような回路形成をしていくかという
のはシュミレートできる。スモールワールド理論なんかはそういったコンピューターのシュミレーションによって実験
できるというのが大きいわけですね。
739ぴかぁ〜 ◇q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 21:41:16
仕事ください
740ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/19(木) 21:46:06
クォリア…もはや荒しだな
文具板のペン回しのようだ
あ、あれはsageてるだけましか
741考える名無しさん:2006/01/19(木) 21:48:48
読めない長文程、ウザイもんも無いな。
742考える名無しさん:2006/01/19(木) 21:52:32
どうして読めないの?
聞いちゃいけない話だったらごめん。
743ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/19(木) 22:03:55
いや、難しく書いてはないだろう
話したいわけだから
でもメンツ固定で粘着したいならさげろと
744741:2006/01/19(木) 22:09:00
>>742
文盲だからだよ?


って、期待に答えてみた。。。
  _, ,_  パーン
 ( ・д・)
   ⊂彡☆))Д´)アイヤー

※こんな内輪揉めみたいの読む気にならんって・・・
745Д´)アイヤー:2006/01/19(木) 22:15:03
>>744
はじめからそう書けばいいのに。。。
746ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/19(木) 23:10:44
>>745が文盲なのはわかった
747考える名無しさん:2006/01/19(木) 23:13:28
ぴかぁ〜が2ちゃんにいるのは
居場所が「まだある」ことを確認するためである。
2ちゃんがぴかぁ〜のすべて!なのだ。


2ちゃんがぴかぁ〜のすべて!
2ちゃんがぴかぁ〜のすべて!
2ちゃんがぴかぁ〜のすべて!
2ちゃんがぴかぁ〜のすべて!
2ちゃんがぴかぁ〜のすべて!
2ちゃんがぴかぁ〜のすべて!
2ちゃんがぴかぁ〜のすべて!
2ちゃんがぴかぁ〜のすべて!

手塚?似たようなもんだろw
748ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/19(木) 23:21:42
■クオリアは自己制作(オートポイエーシス)される。

まず「赤」とはなにか?なんらかの絶対的な「赤色」は存在しません。入力される波長とは関係なく、色は
人の内部(脳)で 自己制作(オートポイエーシス)されています。 すなわち、「クオリアは、入力される信号
とは関係なく、人の内部(脳)で自己制作(オートポイエーシス)されている。」 ということです。 そこで、
自己制作されるときの「条件」とはなにかを考えると、以下のような経験の中で内部にある「条件」に
よって、クオリアは内部で自己制作されているのだろうと推測されます。

クオリア(意味)=@遺伝子による進化上の経験+A言語による文明的経験+B生まれてからの記憶された経験
749ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/19(木) 23:31:11
訳:図星
750ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/19(木) 23:32:58
まとめ乙。もういい頃だ

いや、まじで。やばいって
751考える名無しさん:2006/01/20(金) 00:04:28
意地を張る。
そういう領域では無くなってきている気がするな・・・
他の存在を無視すれば、君の理論は宙に浮くだけだ。
読み手が必要ないのなら、オフラインで好きなだけやれ。。。

寝よ・・・んじゃ。ノシ
752考える名無しさん:2006/01/20(金) 00:36:23
このスレは幼稚な哲学を披露する場所かよ。茂木健一郎の方がはるかに
レベル高いことを書いてるぞ。
753考える名無しさん:2006/01/20(金) 00:46:02
レベル高いって、例えばどんな事?
754考える名無しさん:2006/01/20(金) 00:56:42
>>738
ある環境ある刺激に対して、ニューロン回路全体がどのようになっていくか。
これはコンピュータ上でシミュレートできるんで、予測も確率的にできるようになると。

まぁ個人的には面白いけど、「意識の予測」や「意識の必然性」と関係ない話じゃん。
「脳は物質だから→脳の動きは必然」っていう話には関係するけど。

このスレで問題にすべきなのはこの次の話でしょ?
反唯物論的には、「脳の予測」ができても「意識の予測」は不可能なんだから。

せっかく脳の話出してもそれが意識と接続しないんなら、わざわざ脳を持ち出してくる
意味ないじゃん。どう接続させるのかを説明してくれよ。

それをしないなら「人の言動の予測ができることは、人の意識の予測ができることを
意味するのか?」って問いで十分かと。
755哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/20(金) 01:52:27
こんばんは

ふぅ・・・
このスレでは
クオリアすら理解できない本物のバカは
ぴかとむじんくんの、約2名にしぼられてきたかな
まぁ、あれだけ噛み砕いた説明を
色んな角度から、しつこく繰り返したんだから
今まで間違えた解釈をしてたとしても
普通の人なら、だいたい理解できただろう

約2名だけは、相変わらず落ちこぼれてるみたいだけどね
ふぅ
756考える名無しさん:2006/01/20(金) 01:59:31
>>755
「人の言動の予測ができることは、人の意識の予測ができることを
意味するのか?」

これについての意見を聞かせてほすぃ
やっぱ「意味しない」かな?
757考える名無しさん:2006/01/20(金) 02:01:24
ぴかもむじんくんも、もちろん最高位も、
クオリアという単語が何を意味して作られた単語なのかは理解できてると思いますよ。

ぴかとむじんくんと、最高位の違いは、
ぴかとむじんくんは、クオリアを含んだ総合的な主張をしていて、
最高位さんは、語義の理解から先の考えが無い所じゃないかな?
758ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/20(金) 02:11:49
>>757
爆笑王は結局、「クオリア」ってだけで、なにも言っていない。
レスの95%が御託で、自己顕示に終始している。
ぴかぁ〜に食いつくのも、売名行為じゃないのか。
ってことか?

それは言い過ぎだと思うぞ。でもぶっちゃけ、飽きちゃったことは
認めざるおえない。今後、放置の方向になるだろう。
さらば、爆笑王・・・もう笑えないよ・・・
759哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/20(金) 02:26:24
>ぴかとむじんくんは、クオリアを含んだ総合的な主張をしていて、
いやいや
クオリアを含んだ じゃなくて
総合的な思考全体がクオリアという言葉だと、勘違いしてるんですよ
クオリアというのは、純粋な『質感』を意味する言葉だ
と、いくら説明しても理解できない
女のパンツ見て興奮する事までクオリアに含まれていると思っている
それじゃ入力した情報に対する『価値観による感想』全体をクオリアと呼んでいる事になるんだよね
いっこもわかっていないよ
五感から伝わる、純粋な質感情報の事だよ
クオリア
誰のパンツだとか
そういう『意味』や『価値観』『言葉』などとは
根本的に意味が違う

あ、また同じ話してるな
しかし、なんで何度説明しても理解できんのかねぇ

クオリアという言葉を
誤解を受けるような間違えた使い方をするなという事だよ
760哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/20(金) 02:30:40
>>758
自分と会話して楽しいか?

大丈夫?
761考える名無しさん:2006/01/20(金) 03:27:41
ageんな!こんの莫迦たれ共め。
762PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/20(金) 06:02:07
ぴかぁ、オーポエは其処につかうんじゃないだろ、と言いたい。

自己・非自己の境界、その認識のときに選択肢が出てきて果たして自由意志あるのかになる。

また「現在」のクオリアを考える際に
なぜ過去でなく未来でなく現在を意識できるのか、とか
なぜ眠る前後の「私」を同一とするのか、とか
なぜ自分を認識できる自分は自分であるのか、とか

………もっと問いを発展させたほうがよいかも。

自由意志=量子力学の非決定性とするなら、いわゆる「波動関数の収縮」問題が関わるだろう。
で、過去と未来は時間の方向が非対称になっていて、まぁ破けていると言える?ではないか。
ここで自己組織化なりを出したらいかが。
(自分で言ってて難ですけどなんか嘘っぽい……。)

『クオリアとは何か』は見誤りやすいからクオリアを誤解なく理解した上での話だけどね。
763むじんくん:2006/01/20(金) 09:37:01
>>754
> せっかく脳の話出してもそれが意識と接続しないんなら、わざわざ脳を持ち出してくる
> 意味ないじゃん。どう接続させるのかを説明してくれよ。

意識の問題に脳は関わりますが、確かにそれが全てではない。全てだと語ると本能論や
イデア論になってしまいますが、これは明らかに間違いなのです。

意識の問題で注意すべきなのは、単体の脳で考えてはいけないという点ですね。脳は
中継点として存在し、中継点としての回路形成を出生後していく。脳はどこにあるか
明確ですが、意識というのは複数の脳のネットワークから派生している。だから、
マルクスは

 「哲学者を神秘主義へと導く神秘は、 “社会的”生活のなかにひそんでいる」

といったわけです。自分とは他人であった、ということですね。例えば個人主義というものは
社会的産物なのです。

だとしたら、意識を規定しているのは社会を既定しているものと等価であり、人間社会を
既定しているのは広い意味での経済的活動の総体ということになる。ここを考えないと
意識の問題は妙な方向に迷い込んでしまいます。自分の意識上自明な事柄が所与の
ものという言い方以外できなくなるわけです。
764むじんくん:2006/01/20(金) 09:47:18
>>755
> まぁ、あれだけ噛み砕いた説明を
> 色んな角度から、しつこく繰り返したんだから

あはは。いや、全然"色んな角度"になってないでしょ。あなたが今まで書いてるのは、

>>759
> クオリアというのは、純粋な『質感』を意味する言葉だ
> と、いくら説明しても理解できない

つまり、「クオリアとはクオリアです」という念仏を繰り返しているだけだ。生まれたときに
世界をクオリアの構成物として見ているならば、人間は遥かに幸福だったろう(しかし無知
にとどまっただろう)。しかし、そういった構成物は人間は持って生まれてこないのだ。

だから、クオリアは意味の問題であり、意味は直接説明しようとすればあなたのような
イデア論になる。そこを迂回して、炙り出す形で考えなければ問題自体が見えてこない。

765探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 11:42:02
>>763
>意識は一つの脳だけを分析しても出てこない。
>脳と脳たちのネットワーク、これを規定する社会(=広い意味での経済的活動の総体)。
>これら全部をひっくるめて考えたときに、はじめて意識が出てくる。(要約)

これって、脳→個人の言動と書き換えても意味は変わらないよね。

ある人の意識は、その人の言動だけを分析していても出てこない。
その人とそのまわりの人たちとのコミュニケーション(コンテクスト)、これを規定する
文化的社会的生活。ここまで含めて考えて、はじめて意識が出てくる。
(意識は世界の内部にある)

一方で以下のような、最高位風のイデア論的考え方もある。

意識がなければ、まわりの人の存在もコミュニケーションも文化的社会的生活も認識できない。
よって、意識がそれら外部を規定する。(意識は世界の外部にある)

前者の立場から後者を否定しても、後者の立場から前者を否定しても、
どっちも肯定して「意識ってそんなもんだ」と言っても、どれも間違いだろう。
(むじんくんは最後の立場な気がするが)

「他人の意識」は世界の内部にあるけど、「自分の意識」は世界の外部にある。
んで「自分」と「他人」は交換不可能。これが正解だと思うよ。
766哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/20(金) 11:42:22
>あはは。いや、全然"色んな角度"になってないでしょ。あなたが今まで書いてるのは、

いや
キミは人の文章が全然読めていないから・・・
まず
昨日、私が書いた
>>692
>クオリアの起源を生み出すという
>その『経験』が存在する根拠を述べていただきたい

>クオリアを通す方法以外に、人間が経験というものをする方法を挙げてもらいたい
>五感以外から、情報を入手する手段を教えて下さい

ちゃんと答えたまえ
上段の意味を取り違えて話を摩り替えてたけど
ちゃんと下段も読んで、答えていただきたい

人間は、最初クオリアが無く
まずクオリアの無い状態で、経験をし
クオリアを形成させていくという事の意味を、詳しく説明してもらいたい

赤ちゃんは最初
五感の質感(クオリア)以外から情報を取り入れる というトンデモ理論を解説して下さいよ

話を摩り替えてばかりいないでさ
767考える名無しさん:2006/01/20(金) 11:54:04
>>765
> 「他人の意識」は世界の内部にあるけど、「自分の意識」は世界の外部にある。
> んで「自分」と「他人」は交換不可能。これが正解だと思うよ。

そんな間抜けな独我論の何処が正解なんだ。アホか。
768考える名無しさん:2006/01/20(金) 11:57:50
>>767
なんで独我論じゃまずいんだ?何も困らないし、間抜けなんかじゃないよ。

「自分」と「他人」が交換可能って考えるからこそ議論が紛糾してるんじゃんか
こっちのがよっぽど間抜けだと思うけどw
769ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/20(金) 11:58:45
>>762
オーポエはここでこそ使うのですよ。それがオーポエが生まれたところでしょ?
ところでキミだれ?
770考える名無しさん:2006/01/20(金) 12:19:45
>>763
単体の脳で考えても、脳のネットワークで考えても、脳はどこまで行っても
脳であって、「意識」は出てこないぞ。そこが「心身(心脳)問題」の核心。
マルクスは心身問題についてはスルーしているだけで、何一つ論じて
すらいない。
あなたはそこを認めようとしないから、話が噛み合わないのさ。
771ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/20(金) 12:55:25
「意識」には最低でも三つの意味がある。
772考える名無しさん:2006/01/20(金) 12:55:51
何?
773むじんくん:2006/01/20(金) 13:02:07
>>765
> 「他人の意識」は世界の内部にあるけど、「自分の意識」は世界の外部にある。
> んで「自分」と「他人」は交換不可能。これが正解だと思うよ。

ちょっと視点が違うんですよ。僕は、自分の意識/他人の意識という発想自体を
考え直すべき、という立場です。意識とは最初から他なるものだった。そして、
意識とは関係性である。

だから、自分というものは、社会的なものから完全に切れてしまうと崩壊するのです。
精神病患者のように、自分の中に他人が入ってきたり、逆の現象が発生したりする。
774探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 13:05:14
今さらって感じだが、チューリングテストを考えよう。

単なる機械でも、知性(意識)を持った人間と区別のできない反応ができるなら、
その機械は知性(意識)を持っているとみなしてよい。

これは「機械の意識は、機械とその他の人間との間のコミュニケーションを
通じて見出せる」という考え方だ。

むじんくんが「意識は脳ネットワークから派生している」というのは、私が>>765
書き換えたように、このような関係性において意識を見出せるということだ。

この考えは完全に正しいが、この方法は実は「他人の意識」についてしか使えない。
どうやってこの方法で「自分の意識」を見出せるというのだ?

一方、デカルト的懐疑「私は在るのだろうか?」といった方法からならば、
「自分の意識」を見出すことができる。
しかし、この方法では「他人の意識」を見出すことは出来ない。

いいかげん認めよう。
「自分の意識」と「他人の意識」は、最初から完全に違う種類のモノなのだ。
これは「自分」と「他人」が質的に異なっていて、交換不可能ということだよ。
775考える名無しさん:2006/01/20(金) 13:05:44
>>770
そういうことだね。
あと、単体の脳で考えようが脳のネットワークで考えようが、
イデア論も本能論も成立しちゃうし。
それどころか、脳と脳の関係性を持ち出すなら、その関係性の
実在ということでイデア論の典型的な亜種になってしまう。
776考える名無しさん:2006/01/20(金) 13:16:39
その前にこのスレで使われてるイデア論って何を指してるわけ?
イデア論は「絶対的な赤」だの「赤の赤い感じ」だのという話では
ないわけだが。
777むじんくん:2006/01/20(金) 13:33:55
>>770
> 単体の脳で考えても、脳のネットワークで考えても、脳はどこまで行っても
> 脳であって、「意識」は出てこないぞ。

脳の"関係性"ですよ。だから、脳と言うとちょっとずれるとは思います。

> マルクスは心身問題についてはスルーしているだけで、何一つ論じて
> すらいない。

そんなことないでしょ。マルクスは元々宗教批判哲学の検討から入ったわけ
だから。
778むじんくん:2006/01/20(金) 13:39:50
>>774
> この考えは完全に正しいが、この方法は実は「他人の意識」についてしか使えない。
> どうやってこの方法で「自分の意識」を見出せるというのだ?

自分の意識なんてものは無いんじゃないですかね。

> 一方、デカルト的懐疑「私は在るのだろうか?」といった方法からならば、
> 「自分の意識」を見出すことができる。

これは前にも書いたとおり、デカルトのコギトは人称代名詞に還元できない。コギト=自分
という記述はすべきでないわけです。
779むじんくん:2006/01/20(金) 13:43:33
キルケゴールの定義が一番いいんじゃないですかね、人間精神に関して。

 「自己とは自己自身に関係するところの関係である、すなわち関係ということには関係が
 関係自身に関係するものなることが含まれている、──それで自己とは単なる関係ではなしに、
 関係が自己自身に関係するというそのことである」
780考える名無しさん:2006/01/20(金) 14:09:34
ハヤクチ コトバ ココデスカ?
781探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 14:22:39
>>777-778
関係性としての自己意識か。
むじんくんはどうやら完全に「他人」が先にあるって考えみたいね。
といってもこの言い方も正確ではない。むしろ、そこには「私」などなく「他人」しかいない。

そこから考えれば確かに一貫するが、その考えは採用すべきでない。

内省的な「私」から始めて「他人は私との関係において構成される」っていうのと、
「他人」から始めて「私は他人との関係において構成される」っていうのは論理的に変わらん。

それはどちらも「私=他人=主観」を保証するための考え方だし、むじんくんが言ってる
「他」は、デカルトが主観を保証するために持ち出した『神』と同じ性質のものだ。

つまり、最高位の考え方をイデア論と批判できる資格がないんだよ、それじゃ。
俺がむじんくんの考えを取るべきではないと思う理由はここにある。
782考える名無しさん:2006/01/20(金) 14:23:30
アンカーミス。>>777-778>>778-779
783考える名無しさん:2006/01/20(金) 14:27:12
>>748
オーポエとは違うだろ?
オーポエってなんだかわかってんの?
クオリアはオーポエではなく、運動性反射機能の一種。
784考える名無しさん:2006/01/20(金) 14:29:53
オーボエは木管楽器
785考える名無しさん:2006/01/20(金) 14:32:34
>>779>>781
虫かごにいる一匹のカブトムシに意識はないのかね?
ずーっと一人の人間に意識はないのかね?
という疑問は誰も持たんのかね?
786探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 14:34:56
>>776
「疑いようもなく存在する私が、フィルタリングされる前のありのままの世界を
認識できる」という最高位的な考え方は、「ありのままの世界」がどこかにあると
前提しているよね。これをもってイデア論とむじんくんは言ってるはず。

俺はむじんくんの考え方でも、
「私は他人との関係性の中で生まれるものだから、他人と私は結局『同じ世界』を見る」
となってしまう点で、それも結局同じようなイデア論に陥っている、と批判している。
787むじんくん:2006/01/20(金) 14:42:02
>>781
> 「他」は、デカルトが主観を保証するために持ち出した『神』と同じ性質のものだ。

そうですね。キルケゴールも

 「自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を措定した力〔神〕のなかに
 自覚的に自己自身を基礎づける。」

と書いてますが、自/他の関係性自体を既定している「他なるもの」、これはデカルトの神と等価ですね。

> つまり、最高位の考え方をイデア論と批判できる資格がないんだよ、それじゃ。

こういう神、超越性を認めるというのが僕の考えです。しかし、それは結果として「私は知らない」ことを知る
ということでもある。ところが、イデア論というのは違うんですよ、私は知っている、そう語るのです。だからこそ、
「哲学者最高位」という芸名が発生するんですね(笑)。
788むじんくん:2006/01/20(金) 14:45:13
>>781

>>787に補足ですが、そういうキルケゴール的信仰というのは、無知の知でしかないので、

> それはどちらも「私=他人=主観」を保証するための考え方

ということにもならないんですね。保障とか、そういう問い自体を解消するということです。

789考える名無しさん:2006/01/20(金) 14:49:25
>>785
おそらくあなたが考えてるようなレベルでの「一人でいること」は、
「他と関係していない」ではありません。
関係の在り方の一つに過ぎません
790考える名無しさん:2006/01/20(金) 14:54:34
>>786
むじんくんの主張は関係性なしには成り立たないので、
それはつまり、
「あなたの批判を込みにしておかないと成り立たない」ということでしょう。

レスがないと意味がない。
レスを期待しているということです。
791むじんくん:2006/01/20(金) 14:58:41
>>785
> 虫かごにいる一匹のカブトムシに意識はないのかね?

カブトムシは関係をしませんね。関係する、これが人間の特異性ですよ。

どっかで読みましたが、精神病患者の世界として等価なのはカフカの世界だと。
「変身」は自分が虫になっちゃう話ですけど、社会的なものから切れるその直前の
風景というのはそういうものかも知れませんね。そして、完全に切れてしまうと
自己自身が崩壊し、防衛反応として妄想を形成するということでしょうね。
792探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 15:06:00
>>787-788
最高位的考え方からスタートしようか。

疑いようもない私が、ありのままのクオリアを認識している。
しかしありのままのクオリアなど認識しても、意味を通さなければ何も分からない。
その意味は、他人からの学習によって習得される。
だから、私が認識するクオリアと他人が認識するクオリアが同じかどうかは知らないが、
現実世界においては意味を媒介としてコミュニケーションが取れる。

次にむじんくん的考え方からスタート。

疑いようもなく他人が存在する。
私は他人との関係性において構成されるので、本来的に他人=私である。
私は「他人がするようなやり方」でクオリアを認識する。
だから、私は他人とコミュニケーションが取れる。

一緒に見えるけどね、この論理。
出発点が違うだけで、どちらも超越性からスタートして同一的なイデアに帰着する。

キルケゴール的「無知の知」だから「他=私」を前提しないから大丈夫っていうなら、
最高位的な考え方だって「クオリア」が他人と同じかどうかは知りえないってことを
私は知っているって点で「無知の知」だよ。
793むじんくん:2006/01/20(金) 15:15:24
>>792
> 次にむじんくん的考え方からスタート。
> 疑いようもなく他人が存在する。

他人じゃないですね。「他なるもの」です。そして、「他なるもの」は疑いようもなく存在するのでは
なくて、逆に全く存在が確認できない。だから、信仰の対象でしかない。

デカルトのコギトの話は、だから順番が逆です。神を信じているからコギトが出てくる。信じているから
明晰に神がいることを知っている、というわけです。

自分/他人という人称代名詞、心理学的な自我レベルの話は、この「他なるもの」によって既定されている。
その錯覚から"自分がある"に留まり続けることを、キルケゴールは「死にいたる病」と呼んだわけです。
794むじんくん:2006/01/20(金) 15:21:43
>>792
> 最高位的な考え方だって「クオリア」が他人と同じかどうかは知りえないってことを
> 私は知っているって点で「無知の知」だよ。

そりゃ違う。他人がどうとかいう前に、自分が知らないというのが無知の知だ。
795ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/20(金) 15:37:32
>>783
>クオリアはオーポエではなく、運動性反射機能の一種。

お〜おもしろいね。続けて。そろそろ、議論以前から進もう。
796探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 15:42:10
>>793-794
最高位的デカルト解釈は「私の明証性」からスタートするんだよ。
で、それだとなぜ「私」と「他人」が意味を共有できるかってところで
引っかかるから、「私」の基礎付けに神を引っ張ってくるんだよ。

むじんくん的デカルト解釈だと、もっと最初の段階で信仰を引っ張り込んでるから
同じ場所では引っかからない。コミュニケーションできる範囲で私は私になるん
だから、私は当然他人とコミュニケーションできるとなってしまう。
まぁ最初から信仰引っ張り込めば、問いは解消されるけどさ。

「無知の知」というなら、どっちも最初から信仰外して考えりゃいいと思うんだけどなー
797考える名無しさん:2006/01/20(金) 15:43:26
>>780
ナマムニナマモネナマナナコ
798むじんくん:2006/01/20(金) 15:53:46
>>796
> 最高位的デカルト解釈は「私の明証性」からスタートするんだよ。
> で、それだとなぜ「私」と「他人」が意味を共有できるかってところで
> 引っかかるから、「私」の基礎付けに神を引っ張ってくるんだよ。

それは神を必要としないでしょ。「哲学者最高位」だから、イデアを撫で回して
満足できるのです(笑)。
799:2006/01/20(金) 15:53:53

ベルクソンの『物質と記憶』をよい翻訳で読みたいものだ。

文法規範の明証性をもって意識の明証性の担保であると見做すのは詐欺の一種であるとニーチェならば言いそうだ。

言語習得過程は本質的に没文法的であると言って。
800探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 16:03:56
>>798
まぁ最高位自身はそうかもしれんがねw
彼が使ってる論理(デカルト解釈)自体は、結局神を必要とするからさぁ

むじんくんが使ってるキルケゴール的論理でも、
「他」はもう信仰するしかないっていうところまで理解してればまだいいんだが、
誰かみたいに都合よく「私は他との関係において私となる」ってとこだけおいしく
使ったら、無知の知とは逆のことの実践になっちゃうでしょ。
801考える名無しさん:2006/01/20(金) 16:09:47
街灯の下で探し物をする輩数名。
我は問うた。何を探している?
向こうで落し物をしたが、
暗くて見えないから
明るいここで探している。と。
802考える名無しさん:2006/01/20(金) 16:11:32
>>789
産まれてすぐ暗闇の檻に入れ、餌を与えて育てた人間には意識がないのだね。
勉強になったよ。
803考える名無しさん:2006/01/20(金) 16:12:46
意識、自己意識、他者意識
804むじんくん:2006/01/20(金) 16:13:38
>>800
> まぁ最高位自身はそうかもしれんがねw
> 彼が使ってる論理(デカルト解釈)自体は、結局神を必要とするからさぁ

それはプラトン主義なのであって、キルケゴール的な神とは違いますよね。キルケゴールのは
「みえざる神」であって、イデア論というのは神の意図が見える、把握できるという発想です。

自分/他人の話というのは、その構造自体を既定している何者かを前提としない限り、
自家撞着になる。そこでひねり出す理屈がイデア論です。
805探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 16:32:22
>>802
そいつにチューリングテストやったら、稚拙なプログラムの方がまだ「意識がある」
ように見えるだろう。それはつまり、意識がないも同然ってことだ。

また、コギト的な方法は自分にしか使えない。

>>804
ふむ。
神を持ち出して、「神が保証してくれる」と考えるなら、私が感じるクオリアも
当然把握できるっていう考え方に繋がる。それがイデア論だと。

けど、コギトから神が出てくる過程は、保証してくれるものとして出てくる
というよりは、信じることでしか保証されないって文脈だと思うけどな。

これだとキルケゴール的な絶対の他に近づくと思うんだけど。
806考える名無しさん:2006/01/20(金) 16:36:14
おまいら神とか持ち出してる間は哲学なんか無理
自己の考えの確信さえ掴むことは無い。
本の隙間チョロチョロするだけ。
紙喰い虫みたいなもんw
807考える名無しさん:2006/01/20(金) 16:48:57
>>777
>脳の"関係性"ですよ。
物質としての脳が何とどう関係していたって、どこをどうひねっても
「意識」が出てくる理由がない、と言ってるのさ。どうしてこんな簡単な
ことが伝わらないのか、理解できない。
そもそも、「脳」だってある意味では細胞と細胞の「関係性」だし、
一方では物質としての脳と身体の関係性、脳と他の脳や身体との関係性、
身体とそれ以外の広大な物質界との関係性、さまざまな関係性がある。
そのさまざまな物質相互の関係性の中で「意識」が生まれ育つ、と、
そういうことだろ。
結論としてそれを認めても、一向に構わないのよ。というか、ほぼ常識だし。
それが「なぜなのか?」
「なぜ、他の物質には意識が生じずに、脳という物質だけに意識が生じるのか?」
「なぜ、物質から物質でない存在が生じるのか?」
これが唯物論の側から見た「心身問題」だよ。ちなみに
デカルトが「心と身体は別個の実体である」と考えてるのはご存知でしょ。
そう考えた方が筋が通る面も、確かにあるんだから。
マルクスが「宗教批判哲学の検討から入った」ことと、
上の意味の心身問題と、何の関係があるの?
マルクスが上の意味の心身問題について何か言っているのなら、
教えてもらいたいくらいだが。

808考える名無しさん:2006/01/20(金) 16:53:10
>>802
> そいつにチューリングテストやったら、稚拙なプログラムの方がまだ「意識がある」
> ように見えるだろう。それはつまり、意識がないも同然ってことだ。

重篤な認知症、知的障害患者には意識がないのだね。
勉強になったよ。
809探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 17:12:04
>>808
文字を全く知らない人が、ここでレスしてたらそのレスを書いた
「何か」に意識あるとは思えないだろ。
キーボに何かモノが落ちて、偶然投稿されたのと変わらん。

ところが見た目がヒトに近いモノを目の前にすると、
相手に意識があるんじゃないかと急に思えるようになる。
「人形の視線を感じる」などといった例でわかる。

これは我々自身が、そう想像するように動機付けられてるからだよ。
相手の意識の存在とは関係ない。
810探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 17:20:52
意識がありそう
・外国人
・重篤な知的障害患者
・犬やウマ
・精巧な人形

意識がなさそう
・眠っている人
・発狂している人(神がかり、憑依中など)
・カブトムシ
・会話するプログラム

人形の例を自分で挙げて気付いたが、やっぱり「視線」だな。
これを感じられない対象には意識がないと想像する動機付けがあるっぽい
811むじんくん:2006/01/20(金) 17:21:56
>>807
> 「なぜ、他の物質には意識が生じずに、脳という物質だけに意識が生じるのか?」

「脳という物質から意識が生じる」ではなくて、関係性を意識と通常呼んでいるわけです。
そして、石ころは関係をしません。

> マルクスが上の意味の心身問題について何か言っているのなら、
> 教えてもらいたいくらいだが。

ヘーゲル哲学が支配的だった時代に、自己意識の問題があれこれ議論されてたわけ
ですよね。その中で、宗教(キリスト教)が人間意識の本来性から外れたものであり、
超越的な神との関係を信じることは、この世の関係性から自己を切り離すものだと
いう、フォイエルバッハなどの宗教批判が出てくる。

マルクスはこれを検討するところが出発点なのです。
812考える名無しさん:2006/01/20(金) 17:37:41
>>810
> 意識がありそう
> ・精巧な人形

笑わせて貰っちゃあ困るよ。
最後にゃ、かぶと虫に意識は無いけど
せっせと蜜を集める蜜蜂や、せっせと餌を運ぶ蟻には
意識があるとか言い出しそうな気配だ。
会話する価値すらないな。
813ハル:2006/01/20(金) 17:41:05
>>811
じゃあ何で石ころを投げられるのさ。
814探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 17:47:56
>>812
人形には意識はないけど、あるように感じてしまうことがある。

カブトムシやミツバチやアリには普通の人は視線感じられないから、
意識ないと感じるし、実際に意識なんかないだろう。
ただ、ものすごいミツバチ愛好家にはミツバチに意識あるように感じる人もいるかもね

つまりは、意識がありそう/なさそうと、実際にある/ないは関係ないってこと。
815270:2006/01/20(金) 17:52:26
>>765
前者は「内容」としての意識、後者は「機能」としての意識。
単にカテゴリーが違うだけで対立させる必要ないのでは?
意識にもいろいろありますから。
816考える名無しさん:2006/01/20(金) 17:54:44
>>814
> つまりは、意識がありそう/なさそうと、実際にある/ないは関係ないってこと。

だったら、なんで君は >>805 でチューリングテストなんで言い出すのかね?
アホらしいから、もう相手にせんよ。
817ハル:2006/01/20(金) 17:57:19
>>814
結局現象学で他者の証明が出来ないから全てが思い込みの域を出ないと言いたいのかな。
818考える名無しさん:2006/01/20(金) 18:02:21
>>817
そうじゃないだろ。
人に意識があるかないか?という話に
チューリングテストを持ち出した
時点でおかしいんだよ。
819探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 18:02:26
>>815
「機能」と「内容」は逆だと思うけど、「意識にもいろいろある」という趣旨には同意する。

他者(カブトムシも含む)の意識は、内容は知りえず、機能としてしか見出せない。
自己の意識は、機能としては把握できず、内容としてならば見出せる。

ただそこにはこういう決定的な差異があって、この差が消せないってことを言いたい。
ここを同一視しなければ、問題などないに等しいから。
820ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/20(金) 18:11:33
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心理学入門:人間行動の理論・・・精神と肉体は分離しているか。もし、そうであれば、どちらをもつのがいいか・・・
無意識に対立する概念としての意識の研究にも触れる。意識をもち続けるために役立つヒント満載。
821考える名無しさん:2006/01/20(金) 18:12:49
>>818
確かにチューリングテストではちょっと苦しいね。

まぁ俺が言いたいのは、他者の意識のある/なし判定はチューリングテスト
みたいな機能面のみに注目してやらざるをえないってことです。
822270:2006/01/20(金) 18:17:00
>>819
いや、>>765を読む限り「内容」と「機能」の順に書かれてるよ。

>その人とそのまわりの人たちとのコミュニケーション(コンテクスト)、これを規定する
>文化的社会的生活。

これらに「ついて」感じたり考えたりする「内容」としての意識と、これらを「認識」する「機能」
としての意識。

ところで、
>他者(カブトムシも含む)の意識は、内容は知りえず、機能としてしか見出せない。
これは間違いで他者の意識の「内容」こそ見出せることにならないかな?
だって、「内容」はその人の周りの「コンテクスト」で決まるんだから。
823270:2006/01/20(金) 18:20:54
逆に自分の意識「内容」は正しく知り得ない可能性もある。
だって周りの「コンテクスト」を間違って理解するかもしれないのだから。
自分の意識「内容」が正しいか間違ってるかさえ自分では判らないことにならないか?
824ハル:2006/01/20(金) 18:58:55
探求者さんは徹底さが足りないのかもね。
徹底しすぎてもおかしくなるけど・・・
825探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/20(金) 19:29:03
>>822-823
うーん。やっぱり「いろいろある意識」の区分けの仕方が異なってたな。

819で俺が言った意識内容は「表象」のことで、意識の機能は外部的に見られた
「意識があるという働き」のことだ。わかりにくいな。言葉がまずいかも。

まぁ話を意識内容=表象に絞ると。
自分の表象が正しいか間違ってるかは、もちろん知りえないね。
また、自分が何を表象してるかも、正確には分からないだろう。
これらは表現されて、コンテクストに置かれて、という過程の後で決まることだ。

一方、他人の表象も表現されないことには分からない。ここは一緒。
ただ、自分の場合と違って、ほんとに表象してたのかどうかも絶対に分からない。

自分の場合だったら、表象してたことぐらいは分かる。
これを疑うとしても、そう疑ってること自体は確実に"在る"。
これはまた疑えるし無限後退するんだが、それについては>>665参照で。
826270:2006/01/20(金) 20:07:34
>>825
内容を表象に変えても議論は変わらない、というかより強化されるのでは?
表象って「なにかについて」の表象でしょ?
(余談だけれど表象を表現するという言い方はいかがなものか?)

表象も表現されないと分からない、ということは逆にいえば表現されたら他人の表象でも分かるのか?
というのは揚げ足とりなんだけど、

>自分の場合だったら、表象してたことぐらいは分かる。
ということさえも自分よりも他人の方が、他人こそが分かる可能性もある、表現されるされないにかかわらず。
だって内容(表象)は部分的でもその人の外部コンテクストに依存するんでしょ?
仮に君が無学だとして外部環境の知識が著しく不足してるとしよう。
ある科学者は君よりも外部環境の豊富な知識を持っている。
君は科学者にこう言われるだろう。
「君は自分が何を表象していたか分かっていない、ということを表象していたのを私は知っています。」

>>765の立場に立つ限りこれは真実の可能性があると思わないですか?
827考える名無しさん:2006/01/21(土) 00:42:35
>>802
「産まれてすぐ暗闇の檻に入れ、餌を与えて育てた人間」
って
「関係」

あなたが記述してるじゃないですか?
828考える名無しさん:2006/01/21(土) 02:13:48
クオリアの問題を議論する際に汎心論の可能性は全く検討されないの?
検討されないとすればなぜ?
829考える名無しさん:2006/01/21(土) 02:38:37
汎心論であればスレタイの「脳は物質だから意識は必然にすぎない」と
クオリアがうまく両立する可能性が出て来はしないか。もう一度スレの
原点に立ち返って、自由意志というものの基本特性と、それが成り立つため
の必要条件をはっきりさせ、その上でクオリアの幽霊性を克服できないか
どうかを素朴に考えてみてはどうか。汎心論という時、「心」という言葉
に対して持っている従来の何か超越したようなイメージを払拭できは
しないかどうか、さらには汎「心」論という言い回しが誤解を受けるよう
であるならばそれを何と呼べばよいのか?
汎?論的唯物論は可能であるか?
830PLAYBOY ◆VGMdSbKWD6 :2006/01/21(土) 02:55:25
汎=万物(現象)に宿る。………「端的には他人にも心がある」の話ね。

相互主観的を考えるのかな。

クオリア自体は自明としているから、決定論では検討されるべきなのだけど。クオリアに於いてはどうするのかなあ。

自然(クオリティ・オブ・ライフ)の一部を「切り取って」視る認識はクオリアには重要なのにね。

提案ですが、ライプニッツさらにフッサールのモナドに関する考察とかどうだろう。

生活世界を通じて第2の還元したりして。この辺りが野性化。相互主観的多数性から「原パースペクティブ」やら原自我(Ur-Ich)やらにまで迫るに至ったりしてね。

『ー』と謁える時点まで。
831哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/21(土) 05:06:07
私の発言に、勝手な解釈を加えてる人がいるな

私は、神の実在証明についてなど一言も触れていないのにね

単に
「我思う故に我あり」の我を否定する事は
どうやったって不可能だろ?と言ってるだけだ
しかし、それが「できる」とだけ言うアホな人がいる
否定しても否定しても、否定しようとしている「我」がいるでしょう
「否定できる」と言ってるのは、いったい「誰」なんだよ という事
「我」だろ?
実に基本的な事だ

これが否定できる と言ってる人には
『自我』が無い という事なのかな・・・・
あるように見えるし
同じ「人間」なのだから、有るだろう と思うのだが・・・・
しかし『自我』が有るように見えて、実は無い人 もいるかも知れない
『我』を否定できる と言ってる人には、そもそも「人格」がないのかも知れない
という判断もアリなのかも知れないね
自分で「私は機械であり、自我などありません」と言ってるんだもんね
しかし私には
それが本当の事なのか
単にアホなのか の答えは出せない
とりあえず
アホなのだろう と判断している
832唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/01/21(土) 05:52:30
>>831最高位さん
仏教は基本的に「自我」が無いというより
自我を限りなく(修行によって)否定していきますね。
しかし逆に自我という性質を昇華・発展させる(私的に「絶対的肯定」などと呼んでますが)考えもあります。
833考える名無しさん:2006/01/21(土) 06:20:43
どこにも我なんてねーよ、ボケ
あるのはクオリアだけだ
クオリアがすべての始まり
834考える名無しさん:2006/01/21(土) 06:21:20
835哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/21(土) 06:29:25
>>832唯識さん
仏教の事は、よくわかりませんが
否定にも、いろいろあると思いますよ

>>833
そのクオリアは誰が感じてるワケかな?

キミは、いったい誰のクオリアを感じてるのかな?
836飛べないカラス:2006/01/21(土) 08:42:24
>>831
それじゃオレはアホだな。オレに自我があるということをどうして他人が確信できるのかな。
837探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/21(土) 08:49:07
>>826
俺が表象って言ったものは、representationの訳語「表現されたもの」ではなく、
「心に思い浮かべた像のようなもの」の意味だと思ってくれ。
意識内容=表象って書いたんだから、表象=「表現されたもの」と解されては困る。

まぁ表象って言葉使って混乱を招いたみたいだから、以後使わずに説明する。

私が「ある人の顔」を意識したとする。
これを似顔絵で表現しようとした時、「いや目はもっと離れてた、唇はもっと厚かった」など
「表現されたもの」を意識内容と照らし合わせながら、変更を加えていくだろう。
そういう意味で「表現されたもの」とは別に意識内容がある、と言える。

一方で、意識内容は「表現されたもの」との一致・差異を通してしか把握できないことも分かる。
そして、「表現されたもの」の把握はコンテクストの影響を受けざるを得ない。
こういう意味で、「私は自分の意識内容を正確に把握できない」と言ったわけ。
838探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/21(土) 08:51:27
このように意識内容と「表現されたもの」を区別する考えでいくと、
他人の意識内容を「表現されたもの」から想像することはできても
他人の意識内容と「表現されたもの」との一致・差異は、私には見出しえない。

ということは、他人の意識内容というものは『初めから』「表現されたもの」と完全に
イコールであって、その"背後"はないんだな。ここまで至れば、「私は他人の意識内容
(=表現されたもの)を正確に把握できる」が真であると言える。

ただ、ここで他人と私を入れ替えて「他人は私の意識内容を正確に把握できる」となると、
これが真である可能性はないだろう。入れ替えられない、というのが論旨だ。
839素人:2006/01/21(土) 10:51:56
>>832
ここで語られている「我」と
仏教で否定するところ(語られないところ)の「我」が違う
ということを押さえた上での発言ですよね?w
840考える名無しさん:2006/01/21(土) 11:23:12
>>811
>「脳という物質から意識が生じる」ではなくて、関係性を意識と
>通常呼んでいるわけです。そして、石ころは関係をしません。

無理な話だな。石ころだって引力の影響を受けるし、太陽に照らされれば
熱せられるし、風や水の力で風化もする。石ころが存在する空間には
空気は存在できない。これも関係といえば関係だ。ある瞬間に存在した
石ころは、次の瞬間にも存在する。これも通時的な「関係」とも言える。
関係性というか相互規定性の中に存在しないものなんて、宇宙には何一つない。
まあ、あるとすれば「神」だけだ。
もし「脳の関係性=意識」だとすれば、単に問題が「なぜ石ころや他の物質の
関係性は意識ではなくて、脳の関係性だけが意識なのか?」と言い換えられる
だけだよ。
それから、あなたは「赤ん坊には意識(少なくともクオリア)はない」という
立場でしょ。しかし、赤ん坊の脳だって明らかに「関係性」の中にある。
そうでなかったら生きていけるはずはない。そしてその関係性の積み重ね(経験)
によって、ある段階で意識が生じる、というのがあなたの考えなんではないの。
すると「なぜそれまで存在しなかった意識・クオリア(=関係性?)が、
ある時点で発生するのか?」という疑問が生じる。ある種の物質(人間の脳)が
ある種の関係性の段階(?)に達したときに「意識」という奇妙なものが発生する。
それはいったいなぜなのか。それが、唯物論の側からみた「心身問題」さ。
誰かが言っているように、汎心論的に「石ころにも意識がある」と考えれば
この問題は起こらないが、正直言って俺にはそういう風には思えない。
841哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/21(土) 11:36:40
>>840
うむ
いい意見ですね
842素人 1/2:2006/01/21(土) 11:42:48
>>841
最高位は、なぜこういう(>>840)謙虚で解り易い説明にしないの?w

Date :2005/12/11 11:23:09
Subject:◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない49◆
URL :http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1133452820/
Name :6/7 素人
Mail :sage

最高位の主張する所のものが、
「人間の精神は(脳内の)諸現象である」という言説のその先に設けられて何の問題があるのか?
むしろ、唯物論・唯物論『的』思考の上にこそ、それを前提としてこそ、
近代的(→最新の)「私」「主体」「主観」というものが考究できるのではないか?と思うのだ。
少なくとも、「人間の精神は(脳内の)諸現象である」という視点を受け入れて、その後に
「では、そうした現象である脳内のあるひとつの在り様が
なぜ〈私(という主観)〉なのか?
なぜ〈私(という主観)〉たり得ているのか?」
と問いを立てても構わないのではないか?

(ry
843素人 2/2:2006/01/21(土) 11:44:13
「私は今ここにいる(=私は今このように思考している)」という言明は、
それ以上でも以下でもなく、信仰告白にしか過ぎないように思える。
哲学が、そうしたものであるならばそれはそれで構わない。
が、「私は今ここにいる(=私は今このように思考している)」ということを、
別の語り口で記述するのが、科学であったり物理であったり心理学であったり
唯物論であったりするのではないか?いいも悪いも無かろう。整合性・正確性は、
それぞれの分野からの情報をつき合わせ、すり合わせていくしかないのではないか?
アプローチの方法や語り口調が違うだけで、迫ろうとしている対象に変わりは無いのではないか?
 >>740
 >しかし哲学的には、これは飛躍した考え方だと言わざるをえないな
 >哲学の、入り口にも立っていませんよ
哲学は哲学で、哲学的手法で記述を続ければ良いが、それを外へ向かって発信する時に、
解り易く噛み砕く手間をかけることも無駄ではなかろう。
最高位はその手間を惜しんでいるのではなかろうか・・・。


おでかけしまふ ノシ
844考える名無しさん:2006/01/21(土) 11:47:19
レベルの低いスレタイですね。
こんなの議論することでもないなw

自分で考えて答えでる当たり前のことだろ。
いかに馬鹿がこの世に蔓延ってるかの証明だな。
845考える名無しさん:2006/01/21(土) 12:03:04
最高位は馬鹿なうえにチキンだから
846考える名無しさん:2006/01/21(土) 12:08:19
10000円以上購入でプレゼント!
http://www.bk1.co.jp/contents/campaign/10000p.asp
847考える名無しさん:2006/01/21(土) 12:49:59
>>831
>あるように見えるし
「あるように見える」と「ある」は違いますよね?
それとも同じですか?

>同じ「人間」なのだから、有るだろう と思うのだが・・・・
の「同じ」とは具体的にどういうことですか?
「同じように見える」とどう異なりますか?
それとも同じですか。

>それが本当の事なのか
>単にアホなのか の答えは出せない
>とりあえず
>アホなのだろう と判断している

これと同様に、
答えは出せないのに、
とりあえず「同じ人間だろう」と判断しているだけの可能性はないですか?
見た目そっくりな人造人間が混じってたとして区別がつきますか?
848哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/21(土) 13:02:27
>>842
>>843
なんか言ってる事が、全然的外れなんだよな
文章もまとまってない上に、ズレてるから
何をどう解説してあげたらいいのかわからんわ

自分では理解できてるつもりなんだけど
この問題の本質を、言葉でわかりやすく説明できる と思っている時点で
わかってねぇ証拠なんだよ

>>844
現代の哲学界においても
いまだ答えが出ていない とされてる事なんだけどな
849哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/21(土) 13:04:06
>>847
質問の、意図がわからん
850考える名無しさん:2006/01/21(土) 13:11:30
生まれてからはっきりとあるのはクオリアだけだ
この点は動物と一緒
後から人間だけが意識する自己の感覚が
成長過程でじょじょに発生する
自己という感覚はイリュージョンにすぎない
851ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/21(土) 13:14:28
なんで最後に駄文つけるの
852考える名無しさん:2006/01/21(土) 13:18:56
あらゆる器官が未熟な状態で外に投げ出される
そして、クオリアが未熟な身体・脳の成長を支えるのである
853考える名無しさん:2006/01/21(土) 13:37:47
>>840
>>汎心論的に「石ころにも意識がある」と考えれば
>>この問題は起こらないが、正直言って俺にはそういう風には思えない。

「そういう風には思えない」理由は単に先入見が邪魔をして信じ難いというだけ
では?「自己という感覚はイリュージョンにすぎない 」という基本を念頭に置けば
汎意識的な唯物論もさして荒唐無稽なものには見えてこないはずだ。

「意識=私、自己」と感じてしまうのは単に人間という物理現象の特性にすぎないのだから。
854考える名無しさん:2006/01/21(土) 13:38:02
>>849
(あなたに)「女のように見え」て実は「女ではない」ことはありえますか?

「日本人のように見える」けど実は「日本人ではない」ことはありえますか?

「人間のように見える」けど「人間ではない」ことはありえますか?
855考える名無しさん:2006/01/21(土) 13:41:08
「同じ人間に見える」けど実は「違う」ことはありえますか?

「同じ物質に見える」けど実は・・・
856哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/21(土) 13:46:24
>>850
>生まれてからはっきりとあるのはクオリアだけだ
そのクオリアを感じているのは誰?

>>854
ありえるけどそれが何?
857考える名無しさん:2006/01/21(土) 13:51:19
>>856
「物質的にまったく同じでも『私』にはならない」と主張する人がいるのですが、
この人が「まったく同じ物質」と思いこんでいるだけで実は「違う」ことはありえますか?
858考える名無しさん:2006/01/21(土) 13:56:20
>>856
クオリアを感知するのはクオリアが包まれている身体です
決して私というクオリアにより形成された大脳のイリュージョンではありません
859一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/21(土) 14:10:03
誰かがクオリアを感じている。→クオリアが在る。
誰かが思っている。→思いが在る。
誰かが手を挙げる。→手が挙がる。

左の文と右の文では表現以外に何が異なるのか?
もしかすると何も異ならないのではないか?
すると、「我思う故に我在り」は余計な推論ではないのか?
860一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/21(土) 14:15:24
あるいは、ラッセルの懐疑にもう一度立ち返ってみましょう。

ラッセルは仮に「コップが見られている」のが確実だとしても、
そこから「誰か(単数形)がコップを見ている」と考えるのは全く確実では無い、
と考えました。確かに、「誰か」は単数(=私)である必要はないと思われます。
ラッセル自身は言っていませんが、バークリーの神でもよいでしょう。
861一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/21(土) 14:22:00
他方で、「石が動いた」という文と「彼が手を挙げた」という文も、
異なっているのが確実だ、とは言えないように思います。

「石が動いた」という現象に意識を認めず、「彼が手を挙げた」という現象に
意識を認める必要性はどこにあるのでしょうか。法学では、これを便宜上、
「石に意識を認めると法適用の可能性が出て不都合だ」と考え、逃げを
打ってしまうことが多いように見受けます(あるいは、石に意識が無いのは
当たり前だ、という常識的な説明を持ち出す)。

では、そういう「便宜」の問題を抜きにして、「石に意識は無く、彼には意識が
在る」と考える根拠は果たして在るのでしょうか?
862考える名無しさん:2006/01/21(土) 14:27:21
石にも自己はあります。
ですが、生命体のような意識はなく、
また人がもつ自己意識や自己認識、自意識(自我)、他者認識はないでしょう。
863ゾルレン:2006/01/21(土) 14:31:38
「明証性」とは新しい情報を何も語ってないということだよ
「論理的に正しい推論」と呼ばれるのは、新しい情報を何も語ってない推論のことを言う

>「石に意識は無く、彼には意識が在る」と考える根拠は果たして在るのでしょうか?
「意思」と「彼」に意識の有無の違いがあるとするならば
それは何における「違い」に由来しているのか

問われているものは根拠ではなく差異
864考える名無しさん:2006/01/21(土) 14:41:07
>>861
>(あるいは、石に意識が無いのは当たり前だ、という常識的な説明を持ち出す)。

しかし、これも近代的な常識で、もっと昔に遡ると、石に神が宿ってるとか、
子供や精神病患者には人格が無いと言われるね。すると、子供に人格を
認める、あるいは、石から神性を除去する(少なくとも、常識的な範囲では
除去する)という作業は、特定の社会状況に依存しているのでは無いかと
勘ぐったりするわけだが。
865考える名無しさん:2006/01/21(土) 14:43:56
>>848 一般人が鶏だから3歩、歩いたら忘れるだけでしょ。
ローカルではとっくに答えは出てるが、君達が白旗振って逃げ3歩歩いて
忘れ振り出しに戻り。

黙殺して終わり。正直、哲学界なんて広めれるポジションにいるだけで実際
はローカルで真実を掴んでる発言があることが多い。

ただバカが多すぎて同じことがまた繰り返される。
866考える名無しさん:2006/01/21(土) 14:53:22
「石ころ」が「石ころ」としてこの世に在るためには膨大なエネルギー
が必要であることを発見したのはアインシュタインです。(どことなく機械風)
このエネルギーを意志とみなしてみても構わないのではないか?
科学とは物質とのコミュニケーション法の模索ではないか。
867一言 ◆84DmbwrCHo :2006/01/21(土) 14:54:43
>>864
>しかし、これも近代的な常識で、もっと昔に遡ると、石に神が宿ってるとか、
>子供や精神病患者には人格が無いと言われるね。

そうですね。
ある時は、人間が商品になり得(奴隷制)、また別の時には商品になり得ない
などはその典型だと思います。

>特定の社会状況に依存しているのでは無いかと勘ぐったりするわけだが。

こういう仮定は、調べるのが困難です。
実際、法の発展と社会経済との関係なんて、私の守備範囲(=自然法)を見る
だけでもまず調べようがないと思います。
868考える名無しさん:2006/01/21(土) 14:57:30
他者人格ないし他者意識は、もうこれは自分が認めるかどうかに掛かってる
と言って見る。要は「認めるほうが都合が良いかどうか」。最終的には、政治の
領域と立法の領域で決着がつく。
869哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/21(土) 15:04:49
>>857
『同じ』と定義するのだから
それはありえません
『違う』のなら
それは『違う』なのです

要は
設計図で『私』は作れるのか
という話ですよ

>>858
体の無い人間はいないのですから
もちろん体でしょうが
それは誰の体なのですか?

その辺にいる他人の体では
キミは、そのクオリアは感じられないでしょう
870哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/21(土) 15:19:14
>>866
>「石ころ」が「石ころ」としてこの世に在るためには膨大なエネルギー
>が必要である
のならば

では
「膨大なエネルギー」が「膨大なエネルギー」としてこの世に在るためには
何が必要ですか?
871270:2006/01/21(土) 15:24:39
>>837-838
> ただ、ここで他人と私を入れ替えて「他人は私の意識内容を正確に把握できる」となると、
> これが真である可能性はないだろう。入れ替えられない、というのが論旨だ。

それは承知してるけど、真である可能性はないことの議論は混乱してて全く明快ではない。
自分の意識内容はわかるが他人の意識内容はわからない、ということと
意識内容は外部コンテクストに依存するという二つの主張は、少なくとも君の説明ではうまく両立してない。

それとこれらのこと、自他の心(あるいはクオリア)が比較できないということが反唯物論の根拠になる、
ということの関係も必ずしもはっきりしてない、と俺は思う。
872考える名無しさん:2006/01/21(土) 15:42:28
>>869
>>854はありえて
>>857はありえないのですか?

定義だからですか?
つまり「『私』は物質でない」は定義ですか?

>要は
>設計図で『私』は作れるのか
>という話ですよ
工業製品でも一つの設計図から一つとして同じ製品は作れないと思いますが?
工業製品にも物質ではない「何か」があるのですか?
873哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/21(土) 15:47:31
>>872
工業製品は、設計図によって
同じものを作っているんですよ
違うものを提供したらクレームが出るでしょう


今日はこれにて離席します
874考える名無しさん:2006/01/21(土) 15:50:30
>>869
「同じ人間である」や「同じ物質である」をあなたは、疑わないのですか?
そもそも、そういった事を一つ一つ疑っていった結果、
一つだけ疑うことが出来なかったのが『私』ではないのですか?
それなのに、あなたは一度疑ったはずである「同じ人間である」を
もう一度持ち出して、「他の人間にも同じようにある筈」だから、
「それが理解できないのはバカ」と結論づけているだけではないのですか?
875ゾルレン:2006/01/21(土) 15:50:54
「同じ」とか「違う」という表現について分析したほうがいい
前に「探求者」が面白いことを言っていた

876哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/21(土) 15:51:28
追加
>つまり「『私』は物質でない」は定義ですか?

いやいや
定義は『同じ』という事に関してですよ
それを定義しなきゃ意味ないでしょう

んで
『私』は物質的には定義できない
というのが『結論』です
877考える名無しさん:2006/01/21(土) 15:52:38
>>873
>同じものを作っているんです
「同じように見える」ものをつくっているということはありえますか?
878哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/21(土) 15:57:49
>>874
あーもー面倒くさいなぁ

同じと言っても
『同じ要素の』という事だよ
少しは頭使いなさいよ

それから
>「同じ人間である」
なんて言ってないだろ
同じ「人間」だよ
生物学的にも同じであるとされる
「人間」だから、おそらくそう思う という事
であって
>「他の人間にも同じようにある筈」
なんて一言も言ってないだろ

勘違いもホドホドにして下さい
どうりで、変な質問してくると思ったよ


用事があるから今日はここまでね
879考える名無しさん:2006/01/21(土) 16:06:45
>>876
つまりあなたの理論は、「物質は同じものが作れる」が定義で、
「『私』はたった一つしかない」が疑えない事実で
「『私』は物質的には定義できない 」が結論なのですね?

「たった一つしかない物は複数在るとは定義できない」
という主張ですね?
880考える名無しさん:2006/01/21(土) 16:08:59
>>869
クオリアを内報する身体です
主体は誰か?などというイリュージョンからの観察は不要です
なぜなら、私というイリュージョンはクオリアから形成されるのですから
881探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/21(土) 18:42:51
>>871
まだ少し誤解があるみたいだね。これも俺の書き方が悪かったようだ。

「私」の意識内容は、「表現されたもの」となって初めて分かる。
ただ、何かを意識していたこと自体は表現されなくても分かる。

「他人」の意識内容も、「表現されたもの」となって初めて分かる。
しかし、何かを意識していたかどうかは絶対に分からない。

「表現されなくても分かる」、これってとてつもないことだよね。
「表現されなくても分かるモノ」があって、それを認識してしまうようなモノもある。
正確にはちょっと違うが、このあたりが反唯物論の根拠になりうるってこと。

「クオリア」は、この「表現されなくても分かるモノ」を見出すための概念だと俺は思う。
882探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/21(土) 18:44:19
んで、この「私」に通用すること(クオリアを見ていることが分かる、など)を、
「他人=他の私」に適用する論理には飛躍がある。

「私が何かを意識していること」には根拠があっても、同じように「他人が何かを意識して
いること」には根拠ないじゃん。それは予想されてるだけのことだ。

こうなると実感に反するから、なんとかして飛躍したい。けどまともな方法じゃ繋がらない。
最高位はどうやって越えてるのか知らないが、普通はデカルトのように『神』にあたる
ものを持ち出すしかない。

かといって、むじんくんのように「私の明証性」を解体して、「他」から始めても結局
『神』は出てこざるを得ないわけで。

俺は『神』に逃げること自体を拒否したい。だから、「この私」と「他の私」は全然質の
違うものだと主張してるのです。

流れは理解してもらえたかな?
883考える名無しさん:2006/01/21(土) 18:47:49
前から気になってるんだが、そのデカルトの神=客観世界の証明
というのはデカルトの何と言う本の何ページに書いてあるの?
書いてないんなら、単なる権威付けに使ってるとしか読めないので、
止めた方がいいと思うが。
884270:2006/01/21(土) 20:22:16
>>881-882
どの辺を誤解してるんだろ?
確かに君と最高位やむじんくんの議論をキチンと把握してるわけじゃないけどそれとは特に関係ないだろ?
誤解してる点を具体的に指摘してもらえるとありがたい。

念のため書いておくと、
・心の内容はその人の外部の環境にも依存する
・他人の心はよくわからないが自分の心はよくわかる
この二つの主張は俺には直観的に正しいと思える(そう思うのは俺だけじゃないだろう)。
でもそれぞれは正しいと思える主張でもいざ両立させようとなると(君の議論が混乱してたように)なかなかすっきりとはいかないし、
単独でも(特に後者は)正当化するのも難しそうだ。

まあ、このあたりのことはスレとは直接関係ないから深入りしなくてもいいとは思うんだけど、
それが反唯物論の根拠になるとなれば話は別だよね。
ここらへんがやっぱりまだ曖昧だと思う。
それから、
>「クオリア」は、この「表現されなくても分かるモノ」を見出すための概念だと俺は思う。
これももう少し展開してもらえるとおもしろいと思うんだけど。
885ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/21(土) 20:24:35
■クオリア(意味)=イデア+コンテクスによる「意味」

@イデア、コンテクスト、意味

>>
クオリアとは、「赤の赤らしさ」や、「バイオリンの音の質感」、「薔薇の花の香り」、「水の冷たさ」、
「ミルクの味」のような、私たちの感覚を構成する独特の質感のことである。
クオリア(qualia)とは、私たちの心の中の表象を構成する要素の持つ独特の質感のことである。
例えば、「赤の赤い感じ」がクオリアである。(茂木)
<<

ここで曖昧なのか、茂木のいう「クオリア」とコンテクストとの関係なんだよね。イデア的なものを
指摘しているようで、主観といって、コンテクストに依存した「意味」を指摘してるようにもとれる。
だから茂木のいう「独特の質感」では、イデアとコンテクストとの関係で論じないといけない。

目の前にこの実感がコンテクストから切り離せない以上、イデアのみを切り離すことはできないだろう。
どのような赤も必ずコンテクスト依存し現れる。「独特の質感」とはイデア+コンテクストによる「意味」
であり、これがクオリアで ある、ということだ。

ここでイデアを否定していないのは、ボクはボクが見ている赤と、キミの見ている赤は同じでは
ないが、限りなく近いと思うからだ。それは同じ「種」として同じ「クオリア」としての「赤の実感」が
あるのではないか。しかしそれだけを抜き出せないし、「独特の質感」をコンテクスト から切り離せない。
886ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/21(土) 20:25:13
A クオリアは自己制作(オートポイエーシス)される。

まず「赤」とはなにか?なんらかの絶対的な「赤色」は存在しません。入力される波長とは関係なく、色は
人の内部(脳)で 自己制作(オートポイエーシス)されています。 すなわち、「クオリアは、入力される信号
とは関係なく、人の内部(脳)で自己制作(オートポイエーシス)されている。」 ということです。 そこで、
自己制作されるときの「条件」とはなにかを考えると、以下のような経験の中で内部にある「条件」に
よって、クオリアは内部で自己制作されているのだろうと推測されます。

クオリア(意味)=@遺伝子による進化上の経験+A言語による文明的経験+B生まれてからの記憶された経験
887ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/21(土) 20:25:54
B 意味はあるが、意味はわからない。

ようは、例えば「赤」でもその状況でどのように感じるか変わるよね。信号の赤と、血の赤と、女性の
下着の赤と、それまさらにコンテクスト(状況)でも変わるよね。女性の下着の赤でも、それがおばばが
はいていると「こわぁ〜」とあるし、かわいいこがはいていると「発情ぉ〜」となるし。

赤のイデア的「主観的に感じる実感的な質感」=クオリアがあり、コンテクスト(状況)による意味がある
のではなく、すでにコンテクストに依存した意味としての「実感的な質感」=クオリアがある。ここで、
イデア的質感とコンテクスト的質感(意味)は分離できないと思うんだよ。

しかししかし、ここからまたややこしいのだけど、では、コンテクストに依存した意味としての「実感的な
質感」=クオリアはすでにコンテクストで説明できるのか?なぜかわいい子がはいていると赤下着に
「発情ぉ〜」したのか?それは、いつも地味な下着しかつけないのに、赤い下着って、社会的にいって
挑発って意味でしょう。でもなんで赤下着には挑発って意味があるんだろう?日頃と違うなら、
黄色下着でも、緑下着でも同じだろうか。

やはり社会的に「赤」には、派手な、挑発的、目立つなどの意味があるからだろう。でもなんで赤には
「派手な、挑発的、目立つなど」の意味があるんだろう?血の色だから、日の丸の太陽だから?・・・
ん〜これってボクのしらない歴史的な起源があるのかも、いやもしかしてその向こうの進化論的意味が
あるのかも昔はボクたちが動物だったときの「火」あるいは、「血」の記憶かもしれない・・・・でもそれは、
さかのぼれないなあ・・・意味があるのは分かるけど、意味すべてはわからないなあ。ってことだね。
888考える名無しさん:2006/01/21(土) 21:03:28
やはり、ぴかぁさんには深みがありますね
889考える名無しさん:2006/01/21(土) 21:06:09
ぴかぁさん、おサルさんたちの毛づくろいはほっといて
BS2のロボットをみましょう
890考える名無しさん:2006/01/21(土) 21:11:07
>BS2のロボット
どんな番組?
891ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/21(土) 22:25:47
>>889
しまった、見るの忘れた!!!!
892ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/01/21(土) 22:27:14
ニートはBSの見れる実家住みでいいよな
893ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/21(土) 22:29:17
いままでの全部録画してたのに!
再放送してくれ!
894むじんくん:2006/01/21(土) 22:48:19
>>840
> もし「脳の関係性=意識」だとすれば、単に問題が「なぜ石ころや他の物質の
> 関係性は意識ではなくて、脳の関係性だけが意識なのか?」と言い換えられる
> だけだよ。

それはそう思っちゃうからですよね、今の時代の一般的な人間が。実際に
石ころに精神を認めちゃう人間集団もあるでしょう。なので、"意識"という概念、
これを"意識のクオリア"と呼ぶとまた違うといわれそうだが、それを規定している
社会というものがある。

例えば、昔話によく"鬼"というのが出てきますが、これは外国人のことですね。それが
鬼として語られる。同じ人と見てないわけです。

ただ、自己意識というものがある。関係が関係自体に関係するところの関係です。
これは人間固有であると思いますね。

> ある種の物質(人間の脳)が
> ある種の関係性の段階(?)に達したときに「意識」という奇妙なものが発生する。

自己意識のことであれば、人間固有の現象と扱えると思いますが、例えば動物に
意識があると思っちゃう人は多いわけですね。「おれ、何か変なことしてるな」と
反省しちゃう犬はいないでしょうけど、所謂"即自的"に関係するということはやっている。
だから、一般的な意味での"意識=関係性"ということで言ったら、動物にも意識は
あると通常語られるわけです。
895ゾルレン:2006/01/21(土) 23:07:50
>>898
哲学の本質が深遠さにあると思うならフランクフルト学派などがおすすめだ
896「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/21(土) 23:11:37
>>894
>ただ、自己意識というものがある。関係が関係自体に関係するところの関係です。
>これは人間固有であると思いますね。

そういう「さらりと重要なことを断定してしまうやりかた」は観念論の常套手段ですね。
>関係が関係自体に関係するところの関係
・・と「言葉で表現できない」・・・日本人以外の「人類」はどうなるのでしょうか?
「日本人が『関係が関係自体に関係するところの関係』」と表現したから・・OK・・というのは
おかしくありませんか?
 そのことを「感じていても(言語で)表現できない・・あるいは表現する気がない」存在・・・
は、この地球上にたくさん「類」として存在するのに・・・何で「キリスト教が認めた」人間(人類)
だけは「特別である」・・・とアプリオリに信じる気になるのか・・「信じられません」。
897ゾルレン:2006/01/21(土) 23:27:10
>>896
無駄に説得力に訴えかけることを目的とした文章だな
論証を重視できないのかよ

「地球は平らではなく丸い」とか論証する訓練をしてみたらどうだよ
898考える名無しさん:2006/01/21(土) 23:27:38
哲学の本質が深遠さにあるとは思わんだふる。
悲しみの果てに何があるかなんて俺は知らない、
見たこ〜ともないし、本質も深遠さも意味が分からない。
しかし、フランクフルトは超食べたいと思う。
いただきマンモス。
899考える名無しさん:2006/01/21(土) 23:29:44
皆さん自分を過信せずに冷静に。
900「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/21(土) 23:38:08
>>897
>「地球は平らではなく丸い」とか論証する訓練をしてみたらどうだよ

では「(この)宇宙は平坦ではなく4次元球状である」と「論証」できるのですか?
その場合には、「宇宙の果て(137億光年の距離)を見ることが出来る望遠鏡」で、
「宇宙の果て」を見ると・・「自分の(禿げているかは問わず)後頭部が見える」・・筈ですよね?
901考える名無しさん:2006/01/21(土) 23:40:16
>>900は女性ですか、どうよ?
902ゾルレン:2006/01/21(土) 23:47:16
>>900
できるよ
逆に「この地球は平らである」も論証できる
「論証可能なものの結論はただひとつになる」というのが迷信

>「宇宙の果て」を見ると・・「自分の(禿げているかは問わず)後頭部が見える」・・筈ですよね?
ああ、そうだな
光が宇宙を直進すると、多くの惑星などによって歪んだ空間を直進して最終的にもとの場所に戻る
だから自分の後頭部が見える、ってやつだな
小学生に説明するレベルの本でもそんなの載ってるよ

ま、だからどうした?ということだな
本を読んで勉強することはすばらしいことだが
結論だけをあげて論証部分がまるで頭に入ってないのは愚の骨頂だ
903ゾルレン:2006/01/21(土) 23:49:44
うむ、ビエネッタはうまい
悪いが今日は風邪ひいてて機嫌が悪いんだ
気に障る発言をしたらすまん
904考える名無しさん:2006/01/21(土) 23:54:57
>>902
できるできない言ってないで実際に論証してみせなきゃだめでしょ。
というわけで「地球は平らである」を論証してください。
905「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/21(土) 23:59:22
>多くの惑星などによって歪んだ空間を直進して最終的にもとの場所に戻る

あなたの珍説は「面白いかも」と思いますが、偶然「惑星(ですか・・?)」
によって・・「恒星の質量」ならまだ判る「土俵」ですが・・
すみませんが、100年以上前(明治時代)に発表された、アルバート・アインシュタイン
という方の「一般相対性理論」を、「まず」一応「知識」に入れた後で、レスして頂けませんでしょうか?
906ゾルレン:2006/01/22(日) 00:01:07
>>904
「地球は丸くなく平らである」

・もし地球が丸いなら、
移動している船の上で物体を落下させたとき
物体の落下地点は船の移動距離と物体の落下距離の関係から地球を球と仮定する場合と平らであると仮定する場合によってズレが生じる
しかし実験結果は「地球が丸い」という仮説を支持していない
これは地球が丸いのではなく平らであるということだ

この論証は歴史上、本当にあって実験もなされている

907ゾルレン:2006/01/22(日) 00:02:58
>>905
惑星でも空間は歪むから問題なかろう
908904:2006/01/22(日) 00:03:24
>>906
で、それは論証になってるの?
909「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/01/22(日) 00:04:13
>>906
なるほど、そういうレベルの「論証」ですか?・・そういうことでしたら、
『私が神である』という「論証」のパフォーマンスでもして見せますか・・・?
910考える名無しさん:2006/01/22(日) 00:05:18
つ その前に「論証」の定義
911考える名無しさん:2006/01/22(日) 00:09:59
>>906
「ズレる」理由と「どれだけの数値ズレるか」と「その数値を適当な精度で計測できるか」
を書いてないから、およそ論証とは言えないと思うのだが、どうだろうか?
912ゾルレン:2006/01/22(日) 00:10:28
>>909
>なるほど、そういうレベルの「論証」ですか?・・そういうことでしたら、
科学的営為の論証は今までもこれからもこのレベルだ
アインシュタインの相対性理論も同じレベルだ

俺は「科学理論は常に仮説である」という立場をとる
反証可能性のあるもの(吟味可能なもの)を科学の研究対象と考える
この立場に反対したかったらいつでもどうぞ

今から60年ほど前には科学を「確定可能なもの」と見なす哲学的立場もあった
その立場を復古させるもいいだろう
913再掲:2006/01/22(日) 00:13:23
つ その前に「論証」の定義
914考える名無しさん:2006/01/22(日) 00:14:44
地球が丸いか平らかは計れば分かるじゃん。
地面に垂直に立てられた長ーい二本の棒の、
同じ高さ同士の距離を上の方と下の方で測って、
上の方が長くなれば地球が丸いということになるし、
地球の直径も分かるでしょ。
実際、明石海峡大橋なんかでは上下での差が計算通りでてるらしい。
915考える名無しさん:2006/01/22(日) 00:17:48
>>912
現場の立場から言わせてもらえばそれはこじつけに思える。
まず、>>906のようなものを「論証」と称して持ってきても相手にされないだろう。
>>911で指摘されてることだが、文章中に数値が全く示されていない。
数値を抜きにして「実験した」と言っても話が始まらない。

これは「科学が自己を確定的なものとみなさない」という哲学的な立場と
何ら関係なく、>>906はおよそ論証に値しないのではないだろうか。
916915:2006/01/22(日) 00:19:01
以上のような点を踏まえて、なお、「地球が平である」という論証は可能だ、
ということを示してもらいたい。
917ゾルレン:2006/01/22(日) 00:34:19
>>916
数字までは覚えてない
この論文と実験も慣性の法則が発見される以前の話だ

が、現実には数字と(当時においてはそれなりの)根拠と実験があったわけで
これを論証とみなさない理由はどこにもないだろう
論証であることと真か偽かは区別できるのだから。
というのも、論証は真偽を問うために行うわけだから
偽である論証の存在を認めない限りは、論証を行う営みを放棄するに等しいように思える

918考える名無しさん:2006/01/22(日) 00:42:09
>>917
間違った結論を導く論証は、やっぱ論証と認めちゃなんねーんじゃないの
試行錯誤の一環としての役割は認めるが
919915:2006/01/22(日) 00:44:32
>>917
>論証であることと真か偽かは区別できるのだから。
それは怪しい。
「ズレる」「ズレない」などという曖昧な表現を使えば、
真偽は簡単にひっくり返る。実際、「全くズレ無かった」
わけではなかろう。観察者が「ズレてない」と主観的に
思っただけだ。

>というのも、論証は真偽を問うために行うわけだから
厳格な論証ならそうだろうが、「あなたは今日早く帰るべきだ」
という命題の論証(日常的な論証)に真理値があるとは思えない。

>偽である論証の存在を認めない限りは、論証を行う営みを放棄するに等しいように思える
実験でできないことに対して「それは実験できないよ」と言うことも大事だ。
920ゾルレン:2006/01/22(日) 00:46:09
ここでは過去の歴史における論証を出したが
現代のわれわれが「それは慣性の法則を無視しているから論証ではない」と言うことは簡単だ
現代には現代の常識があり、過去にはそれがなかった
未来にもまた現代の常識が覆るかもしれないし、過去の誤りとした意見が復古するかもしれない

俺は科学史を勉強したが、まぁ最初は抵抗があったよ
現代では偽とされている荒唐無稽な内容の論文を読まされたわけだし
その英文読解もやった
科学史ってのは間違った理論の歴史に過ぎないわけで
機械君のような人間では到底勉強できない
間違いに興味をもち、間違いが間違いと認識された歴史を勉強していくことだからね
921考える名無しさん:2006/01/22(日) 00:50:38
>>919
>厳格な論証ならそうだろうが、「あなたは今日早く帰るべきだ」
>という命題の論証(日常的な論証)に真理値があるとは思えない。

「あの花は美しい」も多分そうだね。
でも人は「なぜ美しいかというと云々」を論じたがる。
これも人のサガか・・・。

というか、「論証」の定義次第だと思うがな。
922ゾルレン:2006/01/22(日) 00:52:57
>>919
>それは怪しい。
>「ズレる」「ズレない」などという曖昧な表現を使えば、
>真偽は簡単にひっくり返る
俺も正確には過去の実験の内容を覚えてないが
ここで「ズレる」「ズレない」という表現を使った対象を見てほしい
異なる仮説における実験結果が計算上"ズレる"
という表現をしているはずだ

これは実験結果と理論の整合性を問題にしているのではなく
異なる仮説の実験結果の対応を問題にしている

結局のところ、実験結果は複数の仮説のどれを支持しているかまでは決定できない
しかし競合理論のどちらがテストに合格したかを比較することはできる
923ゾルレン:2006/01/22(日) 00:56:30
>>919
>厳格な論証ならそうだろうが、「あなたは今日早く帰るべきだ」
>という命題の論証(日常的な論証)に真理値があるとは思えない。
規範言明に真偽を問うのが不適切だと言うのなら妥当な言明と非妥当な言明がある

>実験でできないことに対して「それは実験できないよ」と言うことも大事だ。
ダーウィンの進化論は実験できないよ
924考える名無しさん:2006/01/22(日) 00:57:43
与えられた命題が真か偽か証明するのが「論証」でしょ
論証によって命題が偽である事を証明するのは論証の正しいあり方だが
偽である命題を真と証明してしまう論証は論証と認められない
925915:2006/01/22(日) 00:58:35
>>920
昔の人でひとくくりにしても意味が無い。
また、これは慣性の法則以前の問題に見える。もし、当時
の地球=丸い派の人が見たら、同じような批判を見つけ
出すだろう。
あと、科学は仮説である以上、科学史は間違った理論の
集積では無いよ。

>>922
そういう問題以前に、「ズレる」「ズレない」ではあまりにも
主観が入りすぎでお話にならない。複数どころか、同一の
仮説と同一の実験について「ズレたから地球は丸い」と
「ズレ無かったから地球は平らだ」の両方の結論が出せる
だろう。
926ゾルレン:2006/01/22(日) 01:02:02
>>924
前提が偽なら、正しい論証を行っても結論は偽でしょ

この論証をとりあげて「結論が偽だからこの論証は論証として認められない」と言うのはおかしいでしょ
少なくとも「君の論証におけるこの部分が偽だ」と言わなければならないでしょ
そして、それは相手の論証を論証と認めなければできない行為でしょ
927915:2006/01/22(日) 01:02:41
>>923
>規範言明に真偽を問うのが不適切だと言うのなら妥当な言明と非妥当な言明がある
では「ここでは魚が釣れるないからここで釣りをすべきだ」という
言明は妥当?妥当でない?

>>923
>ダーウィンの進化論は実験できないよ
そんな話はしてない。
>>906の実験で「それは実験できない」というかどうかだ。

928考える名無しさん:2006/01/22(日) 01:03:37
>>925
>同一の仮説と同一の実験について「ズレたから地球は丸い」と
>「ズレ無かったから地球は平らだ」の両方の結論が出せる
いや、実験で「ズレる」と「ズレない」の両結果が得られるのは
おかしいだろ

929915:2006/01/22(日) 01:07:16
>>928
できるよ。例えば、1mmズレが観測されたとしたら、
Aさんは「ズレてない。こんなのは誤差だ。」と言い、Bさんは
「ズレた。これは地球が丸いからだ。」と言うかもしれない。
これを防ぐには「ズレが0の時をズレなしと言う」と事前に
約束する必要があるが、手のブレや船の揺れから考えて
極めてナンセンスなお約束になってしまう。

つまり、「ズレ」は数値を指定しない限り主観の話なんだ。

「この道のりは「遠い」「遠くない」」と変わらない。
930ゾルレン:2006/01/22(日) 01:08:26
>>927
>では「ここでは魚が釣れるないからここで釣りをすべきだ」という
>言明は妥当?妥当でない?
本気で言ってるなら頭を疑う
「相対性理論は真?偽?」

>そんな話はしてない。
>>906の実験で「それは実験できない」というかどうかだ。
>>906は現実にあった実験なのですが。。。。
931考える名無しさん:2006/01/22(日) 01:08:41
>>929
ん、でも数値指定が大事なら「0の時をズレなしと言う」と約束するるのが
ナンセンスとはこれいかに?
932ゾルレン:2006/01/22(日) 01:10:26
>>929
>できるよ。例えば、1mmズレが観測されたとしたら、
それは実験結果と仮説からの計算予測とのズレだろ(実験結果と仮説のズレ)
俺が言ってるのは、異なる仮説の計算予測のズレなんですけど。。。。
933915:2006/01/22(日) 01:10:26
>>930
じゃあ君の言う妥当な言明の組み方を見せて。

>>931
すまん。誤差の話を忘れてた。
数値は普通、1点では指定しないね。ある程度幅を持たせる。
934924:2006/01/22(日) 01:12:54
>>926
>前提が偽なら、正しい論証を行っても結論は偽でしょ
つまりあれだな、正しい推論、正しい論理が使われてれば論証と
呼べるといいたいんだな
だが、論証は「証明」なのだよ
真偽を正しく判定できなければ論証と認められない
間違った前提を用いた段階でその論証は誤っている
論理の正しさと論証の正しさは別物
935915:2006/01/22(日) 01:13:35
>>932
だったらそちらが話を逸らしてることになるだろう。
俺は一貫して>>906が「実験と呼べるかどうか」の話をしてる>>915
で、実験と呼べないという根拠は羅列した。
>>915>>919>>925>>929

あと、>>926で「前提が偽なら、正しい論証を行っても結論は偽でしょ」
は論理学に反してると思うが、どのような論理を使ってるんだ?
936ゾルレン:2006/01/22(日) 01:13:47
>>933
>じゃあ君の言う妥当な言明の組み方を見せて。
じゃあ君の言う真な言明の組み方を見せて。

堂々めぐりなだけだよ
俺は規約主義的立場をとらず
「われわれは自らの可謬性を保証するために真理理念を欲する」という言葉をもってきて
「われわれは自らの可謬性を保証するために妥当理念を欲する」と変換するだけだよ
937915:2006/01/22(日) 01:15:59
>>936
それよりも具体例を示してくれた方がわかり易い。
例えば、どのようなものが妥当な言明と言われるのか?
できれば卑近な例がいい。
938ゾルレン:2006/01/22(日) 01:23:39
>>935
はいはい、「偽であることもある」ね

>>937
>それよりも具体例を示してくれた方がわかり易い。
「本を読め」
これが妥当な言明だ

939915:2006/01/22(日) 01:23:56
>>930
こっちは具体的な倫理命題を出したつもりだがどうだろうか?
と思ったら、誤字があったな。

「ここでは魚は釣れないからここで釣りをすべきだ」

ちなみに「相対性理論は真か偽か?」というのは命題になってない
から答えられないね。
940りくーつ・こねりー:2006/01/22(日) 01:25:49
そうじゃなくてさ、
ゾルレン氏は、科学での正しさを前提においている
それだけのことなんじゃないの
941ゾルレン:2006/01/22(日) 01:25:55
>>939
>具体的な倫理命題
「招待講師を火かき棒で脅すな」
ほいよ、挙げたよ
942ゾルレン:2006/01/22(日) 01:26:54
>>940
フォローしなくていい
もともと俺と915が哲学的に水と油なだけ
943915:2006/01/22(日) 01:29:32
>>940
科学での正しさの前に、何が実験や論証に値するかを
判定できないとおかしいだろう。あと、数値や具体的な
実験過程を覚えてないのでは、>>902の末行がそのまま
当て嵌まることになってしまう。

>>941
それは具体的な言明?
その基準はどこにあるのか?

単に「妥当な言明」と「そうでない言明」があるでは分からないね。
944943:2006/01/22(日) 01:32:21
間違えた。

×それは具体的な言明?
○それは妥当な言明?
945ゾルレン:2006/01/22(日) 01:33:20
真なる前提からは正しい論証が行われれば真なる結論しか帰結しないが
偽なる前提からは正しい論証が行われても結論は真と偽の両方がありえる
このことから次のことが言える
すなわち
もし結論が真ならば、その前提が真か偽かはわからないが
もし結論が偽ならば、その前提のどこかに必ず偽である言明が存在する
                    ポパー
946考える名無しさん:2006/01/22(日) 01:34:57
ここは論理学の入門書の第1章を読むスレではありません。
947ゾルレン:2006/01/22(日) 01:39:05
>それは具体的な言明?
>その基準はどこにあるのか?

その文章でニヤニヤできないなら君との対話は終了

可謬主義の立場にとっては「妥当」理念に限らず
「真偽」も判定できない理念上のものに過ぎないんだよ
「経験によって確認されたものを真とする」という約束をとる戦略も可謬主義は認めない
948考える名無しさん:2006/01/22(日) 01:39:31
で、結論は「地球は平らである」という論証は今のところ出てないでFAなの?
949915:2006/01/22(日) 01:41:40
>>947
じゃあ今度からそれを最初に書いてね、
そうすれば何ら対話は発生しないから。
950考える名無しさん:2006/01/22(日) 01:42:57
>>947
なるほど、通りで具体的な話になるとボロが出るわけだw
951ゾルレン:2006/01/22(日) 01:42:59
>>948
いや、出てるんだって

「地球は平らである」という仮説をもとに組み立てた予測が実験に失敗したら
「結論が偽となった論証」であり「前提のどこかに偽がある」となるでしょ?

これが反証主義
952考える名無しさん:2006/01/22(日) 01:45:06
>>947
で、可謬主義は何を認めるんだ?
953948:2006/01/22(日) 01:45:45
>>951
つまり、あなたは反証主義を採るけど反証可能性の判定については
あんまり得意では無いということですか?
915の言葉を言い換えれば「>>906は反証可能性が無い」でFAな気が
しますが。。。
954ゾルレン:2006/01/22(日) 01:47:15
>>950
真偽理念に関してもね
妥当理念に限らず「具体的に真な言明を挙げて?」と質問されても答えることができない

具体的に真なる言明とその基準
具体的に妥当なる言明とその基準
これらを知らないが、理念としては「真」「妥当」をもつ、という立場になるからだ

これは「無知の知」に代表される可謬主義の立場の特徴だ
955ゾルレン:2006/01/22(日) 01:49:55
>>953
反証可能性は論理的基準ではないし、>>906は反証可能性がある
論文の内容そのままでなく、反証可能性を意識して文章も構成している
素人が理解している「反証可能性」の方が間違っているだけ(これは本音)
956考える名無しさん:2006/01/22(日) 01:52:15
>>954
その前に、真偽の考え方が分かってないよ。

「相対性理論」は命題じゃなくて名辞だから真も偽も無い。
「相対性理論は真か偽か?」とは真偽を認める認めないの前に問いとして
成立しない。
957考える名無しさん:2006/01/22(日) 01:53:44
>>954
つまり、「真」「妥当」の判定は出来るけど基準は示せないという事か?
しかし、今では誤っていると分かっている論証を論証として妥当だと
いうのはどうかと思うが
958考える名無しさん:2006/01/22(日) 01:57:40
あと、可謬主義は別に反証主義の特権ではない。
パラダイム理論でも成立するだろうと俺は考えている。

そこでは「真偽・善悪」は「究極的には判断不能」だが、
「便宜上その判断基準を設けて行動する」という立場が
採られるだろう。この「便宜上の基準」が変遷する時が、
パラダイムの変遷と言える。まあ、完全に自論だが。
959915:2006/01/22(日) 01:59:34
906に反証可能性があるなら、反証可能性は科学の領域と
一致しないと思うけどね。
960哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/01/22(日) 02:03:09
>>879
>「たった一つしかない物は複数在るとは定義できない」
というような抽象的な文章を読む限り
あなたがどのような意味で解釈し、質問しているのか不明ですので
答えようがありません
具体的にどうぞ

>>880
>私というイリュージョンはクオリアから形成されるのですから

それが他人ではなく『私』であった理由は何ですか?
『キミ』が『キミ』以外ではなく、『キミ』であった理由は何ですか?
961ゾルレン:2006/01/22(日) 02:17:59
>>952
真理の存在と議論の有意義さ

>>956
>「相対性理論」は命題じゃなくて名辞だから真も偽も無い。
>「相対性理論は真か偽か?」とは真偽を認める認めないの前に問いとして
>成立しない。
それはどうも勉強になりました
論理学で昔「現在のフランス国王は男である」は偽とかもやったけど
それを勉強したときと同じぐらいためになりました

>>957
>つまり、「真」「妥当」の判定は出来るけど基準は示せないという事か?
判定ができるのも個人的な話
個人は何らかの言明を真とか妥当とか判断してないと議論に参加できない

>しかし、今では誤っていると分かっている論証を論証として妥当だと
>いうのはどうかと思うが
論証として妥当だから「前提の誤り」(慣性の法則の無視)を指摘することができる

あと規制うざいんすけど
962考える名無しさん:2006/01/22(日) 02:22:37
有意義さって完全に個人の主観じゃんか。
963ゾルレン:2006/01/22(日) 02:23:54
>>959
予測がしてありどのような実験結果が得られたら仮説が覆されるかが述べられていたら反証可能性があるということだろ
反証可能性があったとして反証されなかった言明が必ず真であるわけでもないし
現代では真であるとされる理論が反証されてないわけでもない
ファイアアーベントが同じく過去の論文や実験の例をもってきて地動説が反証された例とか出して
「反証されたからといってただちに理論を棄却するべきではない」と言ってるし
ポパーもそれを認めてる
964ゾルレン:2006/01/22(日) 02:29:11
>>962
もし、相対主義と、可謬主義ないし多元主義に違いがあるとしたらそこだけ
真理の存在と真理への接近、つまり議論が有意義であることを認める
議論の有意義さを主張することはこの学派の最も重要なことだから
個人の主観と言われるとどうしようもない

まぁ、議論の有意義さは個人の主観という考え方もあるかもしれないけど
規範言明や価値を批判可能であり議論にかけることが可能であると考える立場にとっては
「議論が有意義かどうか」もまた議論にかけれることなんだ
965むじんくん:2006/01/22(日) 02:48:09
>>896
> >関係が関係自体に関係するところの関係
> ・・と「言葉で表現できない」・・・日本人以外の「人類」はどうなるのでしょうか?

所謂未開といわれている人たちのことですか?実際、"人間"と先進国で言われている概念は
未開人には当てはまらないというのはあると思います。フーコーが「波打ち際の砂の顔のように
消え去る」と予言した"人間"ですね。もっと言えば、フーコーが言うような"人間"に日本人は
当てはまらないともいえますね。

何が違うかというと、未開の人というのは自然が人間の上位にある。だから、動物より自分たちが
劣っていると考えてるわけです。人類史は殆どの期間がこういう状態で、1万年前から農耕牧畜を
はじめて自然から離脱を始める。その過程の極北にあるのが、近代社会です。これは都市生活に
象徴されるように、完全に自然から遊離しているかのような生活になります。自己意識というものが
先鋭になるのは、こういった社会だというのは確かにあるかと思います。
966ゾルレン:2006/01/22(日) 03:02:56
>>956
ごめん、前言撤回
俺はその立場は受け入れられんわ
その立場だと心身問題も「問いとして成立しない」と言われそうな気がする
わかってると思うけど、俺の立場は議論可能性や問いの共有を重視する立場になるし
回答を出すことよりも問題解決図式にのっとって問題が変遷することを肯定する立場になるから
単一の命題の真偽を問うという立場にならない
複数の理論群の真偽を問うわけだからね
結局、何一つ確定できないわけだけど

一応、俺の好きな哲学者のHP
ttp://www.law.keio.ac.jp/~popper/hagiwara1.html

おかしいところあったら指摘しといて
967探求者 ◆IageKhlEwc :2006/01/22(日) 03:36:45
>>883
確かに権威付けに哲学者の名前使うのは悪い癖ですな。
不要な解釈論にも立ち入ってしまう。出さずに説明するようにします。

>>884
>・他人の心はよくわからないが自分の心はよくわかる

ここに誤解が現れてるんじゃないかと思う。俺の考え方は以下。

他人が何かを意識しているかどうかは全く分からないが、
自分が何かを意識していることだけは確実に分かる(内容はどちらも表現→解釈に依存)

私の意識自体は、内容はよく分からないにしても、現にここに"ある"ことが確実。
他人の意識は、表現を通して存在が想像されうるだけで、同じように"ある"とは言えない。


クオリアはもともとの意味が「質」なんだから、すごく表現しにくい、表現以前のものだろう。
だから、クオリアは自分の意識を参照して見出されるものにつけられた名前だと思う。
よって、それが他人にも同じようにあるかというと、俺の立場からは非常に疑わしい。

ぴかぁは「他人も同じように感じているに違いない」って立場だけど、この直感的な一致は
明らかにコミュニケーション上での一致から遡行して感じられるものだろう。
968考える名無しさん
>>960

クオリアの解釈項はそれを内報する脳や身体です
生後、クオリアを通して発達した大脳が
段階的に、自己意識や自己認識、他者認識
、そして、自我というイリュージョンをつくりあげます