《   マルティン・ハイデガー2   》

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1考える名無しさん
20世紀最大の哲学者の一人、ハイデガーとその思想について語るスレです。

▽ 前スレ ▽
《   マルティン・ハイデガー   》
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1099402160/
2考える名無しさん:2005/10/30(日) 13:40:45
▽ 関連スレ ▽
ハイデガーについて
ttp://mentai.2ch.net/philo/kako/956/956634959.html
なぜ存在者があって無ではないのか?
ttp://piza.2ch.net/log2/philo/kako/957/957209312.html
★★★私がハイデガーだが何か質問ある?★★★
ttp://mentai.2ch.net/philo/kako/982/982695233.html
★★私がハイデガーだが何か質問ある?―その2★★
ttp://mentai.2ch.net/philo/kako/1001/10016/1001691809.html
ハイデガー読むぞゴルァ!!!
ttp://mentai.2ch.net/philo/kako/1013/10130/1013069189.html
ハイデッガー/ユンガー対アドルノ/ベンヤミン
ttp://mentai.2ch.net/philo/kako/968/968368343.html
ハイデガーとサルトルの哲学の違いを教えれ
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1109949266/
ハイデッガー『存在と時間』を読みたい!
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1069588670/
ハイデガー「形而上学入門」
ttp://mentai.2ch.net/philo/kako/1018/10184/1018458226.html
3考える名無しさん:2005/10/30(日) 13:45:04
あと、チンポ太郎のシェリング講義を使ったスレがあったが過去ログ見つけられなかった。
◆◇吉田松陰シンガポールに着く◆◇
◆◇新・吉田松陰シンガポールに着く◆◇
4処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2005/10/30(日) 17:59:18
ま、差し当たり言いたいことは言ったような気がするから良いや。
5考える名無しさん:2005/10/30(日) 20:45:52
6純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/30(日) 22:13:16
ここもかね?
7純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/10/30(日) 22:13:53
疲れるがね
8考える名無しさん:2005/10/31(月) 20:21:13
私から見てドゥルーズの絢爛たる思考にほの見える胡散臭さは明らかな事だ。しかし、そんなドゥルーズの思考に意義を見出だそうとする時に吉本の指摘は貴重なものだろう。吉本はドゥルーズの仕事の背景に、無意識の均等化という現象があるというのだ。
9考える名無しさん:2005/10/31(月) 20:26:38
つまりフランスのような先進資本主義国家に於いて、或は日本もその段階に入ったと彼は言うのだが、無意識に大差が無くなって来た、よってそこでドゥルーズのような、無意識の無化という戦略は意味を持つのではないか、と。
10考える名無しさん:2005/10/31(月) 20:28:26
つまりフランスのような先進資本主義国家に於いて、或は日本もその段階に入ったと彼は言うのだが、大衆の無意識に大差が無くなって来た、よってそこでドゥルーズのような、無意識の無化ないし読み替えという戦略は意味を持つのではないか、と。
11考える名無しさん:2005/10/31(月) 20:38:05
吉本のこの指摘はドゥルーズの思考を死なさずに掬い上げる為に貴重な指摘だと思える。少なくともハイデガーと比較すれば絢爛たる空想哲学としか思えないあの記述を無にしないためには貴重だろう。
12考える名無しさん:2005/10/31(月) 20:40:36
↑重複失礼!
13考える名無しさん:2005/10/31(月) 20:49:29
ドゥルーズスレへの誤爆?
14考える名無しさん:2005/10/31(月) 22:42:56
どこで笑えばいいの?
15考える名無しさん:2005/10/31(月) 22:50:17
>つまりフランスのような先進資本主義国家に於いて、
16考える名無しさん:2005/10/31(月) 23:15:39
『差異と反復』を読めばあれがハイデガー有論への回答であり、かつハイデガーを読み替えようとしている事は容易に読み取る事が出来ます(ex.精神の始源への否定,遡行の虚構化)。よってその点をめぐってハイデガースレに書く事は想定範囲内と言えます。
17考える名無しさん:2005/10/31(月) 23:33:25
話題を変えて哲学の話でもしませんか?
18考える名無しさん:2005/10/31(月) 23:43:22
哲学?
19考える名無しさん:2005/11/01(火) 10:51:23
ガダマーがハイデガーの真価は
300年くらい経たないとわからんって
インタビューで言っていたな
20考える名無しさん:2005/11/01(火) 21:34:33
じゃあ300年待つとしようか?
21考える名無しさん:2005/11/18(金) 23:04:16
ニーチェは200年後の哲学を書いたそうじゃないか!
22考える名無しさん:2005/11/28(月) 19:07:59
寄与論考、チマチマ読み続けてるが、この人の叙述の仕方はやはり相当異様だ。
先に概念規定をせずに、その後の叙述の中でどんどん概念をを練り上げていくあたり。

そういえば西田幾多郎も他の哲学者の学説の解説は模範的だけど、自分の哲学の叙述になると急に難渋な文体になったな・・・
23考える名無しさん:2005/11/30(水) 23:25:54
存在と時間の次に読めるものがなければとりあえず
「形而上学の根本諸概念」がお勧め。
24考える名無しさん:2005/12/11(日) 18:36:43
『哲学への寄与』はやはりイイね。冒頭やや入りにくい感じがあったが、《響き》という章で〈有の抜け落ち〉〈有からの拒絶〉を語り出した辺りからがぜん2005年の日本社会をえぐり出すような鋭利さがこれでもかと畳み掛けてくる。
25考える名無しさん:2005/12/11(日) 21:59:56
それはない
つーかハイデガーで「社会」なんてどうでもいい
それにハイデガーは「鋭さ」の人でもない気がする
26考える名無しさん:2005/12/12(月) 23:44:29
いや、実際に『哲学への寄与』に目を通すと解ると思う。読んでると20〜21世紀という時代が浮かび上がってくるよ。勿論ジャーナリズム的な切り口でなく、ハイデガーなりの斬り方だが近代と人間の関わりについて相当しつこくやっている。
27考える名無しさん:2005/12/13(火) 00:42:53
いくらでも言えるんだよなぁそんなこと。

アメリカ人からしたら、ハイデガーの言ってたことはまさに
西洋近代の終着点たるこのアメリカ社会を…みたいなさ。

そういう必要以上にハイデガーにある時代や社会を背負わせる
「読み込み」って正直なんだかなぁですよ。

それこそハイデガーって80年前からそういう読まれ方されてた
わけだけど、それってつまり「いくらでも言える」ってことを
証明してるんだよね。そういう読み込みしようと思えば。
28考える名無しさん:2005/12/13(火) 03:15:38
>>27
そのたびに出てくるんだよなあ、27みたいなこと言うやつが。

29考える名無しさん:2005/12/13(火) 10:43:55
いや、“そういう読み込み”ってね(苦笑)ハイデガー自身が近代とは何か、というきわめて高い問題意識を放射しているというただそれだけの話ですよ。だからそれを読む側が自分の今立っている場所が何処なのか、目を開かされるのも当然なんで。
30考える名無しさん:2005/12/14(水) 14:36:09
age
31考える名無しさん:2005/12/15(木) 00:27:49
>ハイデガー自身が近代とは何か、というきわめて高い問題意識を放射している

この時点であまり面白い読み方では無いんだよな
32考える名無しさん:2005/12/15(木) 13:32:23
sannsei
33考える名無しさん:2005/12/15(木) 23:49:11
『現象学の根本問題講義』また延期になってますね
34考える名無しさん:2005/12/30(金) 14:29:05
”ハイデガーにとっては社会などどうでもよかった”には頷けないな。『有と時』中の世人や退落の分析などは社会という問題意識の露骨な表れではないか。また、彼が技術の初源を問う姿勢には近代に対する問いが表れてると思う。
35 :2005/12/30(金) 14:31:32
この地球のエネルギー 物質に態を与えているのは
それぞれのエネルギー(エネルギーの個性として)の持っている
性質 存在性です 
存在性があるから それらの個性としてエネルギーは存在できるのです
分かり難いので私のHPか本をご覧下さい
宗教でもなく 学問でもない 哲学としての存在性理論をよろしく
お願いします
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=874129
http://www2u.biglobe.ne.jp/~yuniko37/

mixiでこんな人見つけたがこれどうなん?
36考える名無しさん:2005/12/30(金) 15:10:04
普通に『存在と時間』読んでも"特定の"時代や社会に結び付けるなんて
ツマラン読みというかある意味誤読だと思うけどな

「世人」なんて概念や「現存在」って表現の意味すら理解できてないんじゃない?
37考える名無しさん:2005/12/30(金) 16:23:09
フルチン・ハイデガー
38考える名無しさん:2005/12/30(金) 18:54:45
ハミチン・ハイデカー
39考える名無しさん:2005/12/30(金) 19:06:29
「『ヒューマニズム』に関する書簡」に次のような箇所がある。《家郷喪失性は世界の運命となる。その故に、この歴運を有・の・歴史的に思索することが、必要である。マルクスが、或る本質的にして重要な意味に於いてヘーゲルから、人間の疎外として認識したことは、→
40考える名無しさん:2005/12/30(金) 19:24:36
→それぞれがもつ諸々の根を以て、遡れば近世的人間の家郷喪失性の内へ達している。近世的人間の家郷喪失性は、たしかに形而上学という形態における有の歴運から呼び起こされ、形而上学という形態に依って固定されると同時に形而上学という形態に依って→
41考える名無しさん:2005/12/30(金) 19:32:50
→家郷喪失性としては覆蔽されるのである》また、『哲学への寄与』に次のような箇所がある。《中世の現実態-観念は、有るもの性の解釈の元初のギリシア的本質を既に隠蔽している。そのことと連動するのが、今や工作機構的なものがいっそうはっきり前面に→
42考える名無しさん:2005/12/30(金) 19:38:48
→押し出てくるということであり、ユダヤ-キリスト教的な創造の思想とそれに呼応する神表象が作用し入ることによって、存在者が創造サレタモノになる。(略)原因-結果-連関がすべてを支配するものとなる。それは、自然φυσιζからの本質的な遠ざかり→
43考える名無しさん:2005/12/30(金) 19:43:38
→であり、同時に、近世的な思惟において有るもの性の本質としての工作機構が登場することへの移行である。》つまり近代は有の忘却の全面化として捉らえられている。ハイデガーにとって、近代という問いがどうでもよかった訳がない。
44考える名無しさん:2005/12/31(土) 17:54:58
ハイデガーの使う「歴史」概念についての無理解と
初期ハイデガーの問題意識についての見落とし

これが
>つまり近代は有の忘却の全面化として捉らえられている。
こうなって
>ハイデガーにとって、近代という問いがどうでもよかった訳がない。
こうなった

ってことでよろしかったでしょうか?
45考える名無しさん:2006/01/01(日) 21:46:10
フルチン・パイデカー
46考える名無しさん:2006/01/01(日) 22:23:41
はいでがの最大の功績とは、てくのろじ論だよ
47考える名無しさん:2006/01/01(日) 22:59:20
道具存在ってあふぉーだんすのことですか
48考える名無しさん:2006/01/01(日) 22:59:48
違うでしょ
49考える名無しさん:2006/01/01(日) 23:17:33
44よ。具体的に展開出来ないならいいが、それだけだと話にならんぜ。もっと本気で書いたらどうだ?展開出来るのか?出来ないのか?出来るのなら例を挙げて証明しなよ。なあ。
50考える名無しさん:2006/01/02(月) 00:56:55
フルティン・ハイデガーのおティンティンhighデカー!
51考える名無しさん:2006/01/02(月) 14:43:44
>>39-43=>>49
携帯でご苦労さん
52考える名無しさん:2006/01/02(月) 17:32:17
44は年始の挨拶で忙しいようなので、勝手に俺の方で話を進める事にした。44はハイデガーの「歴史」概念を、或は初期ハイデガーの問題意識を俺が理解できていない事が、“近代に於いて有の忘却が全面化した”というような事をハイデガーから抽出する原因だ、と指摘している。→
53考える名無しさん:2006/01/02(月) 17:41:41
→初期ハイデガーの歴史概念については『有と時』第二編 第五章 時性と歴史性 に詳しい。そこでハイデガーは、《歴史性は現有の有に属している》、歴史家が研究する歴史でさえが、史料の選択に於いて既に彼の実存が関わっており、つまりは→
54考える名無しさん:2006/01/02(月) 17:47:23
→《資料の獲得と選別と確定とが初めて「過去」へ帰り行く通路を開くのではなくして、そういう仕事は既に、現に有った現有へ歴史的に関わりつつ有る事を、すなわち歴史学者の実存の歴史性を、前提にしているのである。》とする。→
55考える名無しさん:2006/01/02(月) 17:56:21
→因みにこの章でも『有と時』に特有な〈先駆的覚悟性〉が現有と関わらせてある。《或る有るものの有の内に、関心の内に於けるが如き仕方で、死と負目と良心と自由と有限性とが等根源的に同居している場合にのみ、その有るものは運命という様態に於て→
56考える名無しさん:2006/01/02(月) 18:02:09
→実存し得るのであり、すなわち、彼の実存の根本に於いて歴史的に有り得るのである。》等とされている。これらの事柄への無理解が先の俺の抽出をさせたのかと44はわざわざ尋ねている。答えは明かであり、そもそも俺の話と上の分析は大して関係はない。
57考える名無しさん:2006/01/02(月) 18:32:29
→何故ならハイデガー自身が『有と時』に於ける、主体に自己の実存への覚醒を促し、そこから本来的存在を奪取させむとするその発想を放棄した、と俺は思うからだ。俺自身ハイデガーのあの側面は有効と考えない。だから44の指摘は俺とは関係ない。
58考える名無しさん:2006/01/03(火) 01:31:29
(続)しかし、《来たるべき死に先駆する覚悟として、本来的存在を奪取する》という発想の背景には既に、《〈有-有るもの〉の差異》すなわち有論的差異への眼差しはこの時点でハイデガーの中にはあった。また、この差異の忘却への眼差しは既にあった。→
59考える名無しさん:2006/01/03(火) 01:36:18
→よって、《死への先駆》という発想を以後語らなくなった後も、有論的差異への執着はハイデガーの中に延々と続行した。思索的生涯の終着点までそれへのこだわりは続いていたと俺は見る。そうして、1930年代に入った後に〈有論的差異の忘却〉への→
60考える名無しさん:2006/01/03(火) 01:42:53
→更なる堀下げとして、先に挙げた〈工作-機構〉についての分析が始まる。『有と時』では第一部で実存的覚醒を目指し、第二部では哲学史の暗がりの中に照明を当て、有の問いを探り当てる試みが構想されていた。第二部の試みは以後も続行されたが、→
61考える名無しさん:2006/01/03(火) 01:47:04
わ!何してんの??
ほら、そんな書き方するから途中で連投規制に引っかかっちゃったんだよ。
62考える名無しさん:2006/01/03(火) 01:47:48
→より直裁的に有の問いを提起する作業も始まった。その試みとして、『哲学への寄与』に於ける〈工作-機構〉の分析があると思える。ハイデガーの眼差しの先には有の問いがいつもある。それは特定の時代のみを考えるものでは勿論ない。しかし→
63考える名無しさん:2006/01/03(火) 01:49:18
いいんですよ、これで。
64考える名無しさん:2006/01/03(火) 01:58:10
→にも拘わらずその思考の痕跡を辿る時、それが今21世紀のこの時代の暗部を照らす照明足り得る事は確かな事だ。木田元の言うように、哲学史家としてのハイデガーも居れば〈有論的差異の忘却〉に目を向け続けるハイデガーも居る。そうして両者は無関係ではない。
65考える名無しさん:2006/01/03(火) 02:07:02
で、その関係は?
66考える名無しさん:2006/01/03(火) 02:13:45
Q.その関係は?
A.“哲学史家としてのハイデガー”といっても単なる哲学史家ではないよね。彼が哲学者を或は哲学史を論ずる際、背景にはいつも有の問いがどのようにその哲学者の目線に入っていたかを問題にしている。→
67考える名無しさん:2006/01/03(火) 02:19:33
→それは『有と時』の既発表部のみを辿っても明かじゃないかな。つまり哲学史家としてのハイデガーに、有の問いを執拗に蒸し返すハイデガーがいつもペアとなってくっついている、と見える。つまり彼の問題意識から過去の特定の哲学に照明を当てるのだから。
68考える名無しさん:2006/01/03(火) 02:25:56
>>66>>67に「〈有論的差異の忘却〉に目を向け続けるハイデガー」をまぜてもらえるとありがたいな。
69考える名無しさん:2006/01/03(火) 02:36:00
なるほど。
70DA:2006/01/03(火) 03:54:14
僕は>>68ではないですが、なるほどで終わるのではなくて、さらに説明した方がいいと思いまけどね。
71考える名無しさん:2006/01/07(土) 16:40:02
ニーチェvsハイデガーの現代的解釈ではと思えるTVドラマを観た。主人公Zは〈力への意志〉に取りつかれた男である。更に更なる力の高みを彼は目指す。あらゆる有るものは彼にとって利用価値に還元される。あらゆる善悪は存在しない。善とは人間の卑小さである。→
72考える名無しさん:2006/01/07(土) 16:55:08
→Zの存在は全く法に触れるものではなく、現代の社会にとって一見何ら問題視され得るものではない。大学病院の医師であるZは類い稀なオペの技術と〈力への意志〉を以て上り詰めてゆく。誰もZの何が問題なのか、探り当てる事は出来ない。→
73考える名無しさん:2006/01/07(土) 17:03:26
→唯一Zの大学時代からの友人Sだけ、Zに何かを期待するようにZを見続けている。一体SがZに何を期待しているのか、何故Zを見捨てないのかは結局最後のZの死まで謎のままである。また、Zは死の直前何かを掴んだかのような癌医療への意見書を遺す。→
74考える名無しさん:2006/01/07(土) 17:12:24
→Zが訴えられた医療裁判で友人Sは“人はいつか死ぬものだ。しかし、覚悟の上での死とそうでない死は違う。医師の使命は、遺された命について、悔いのない人生を送らせる事にある”と述べる。Zは結局死の前に自己の本来性を取り戻した、そう描いたのでは、と俺には思えた。→
75考える名無しさん:2006/01/07(土) 18:17:43
→しかしドラマのZは自ら墓穴を掘る事で失脚したが、現実には無数のZが生き延びているのが現実だろう。そこへ来て何故ハイデガーがニーチェにあれほど拘ったのかが解ってきた。ニーチェをハイデガーは西欧形而上学の終着点であり完成だと記している。→
76考える名無しさん:2006/01/07(土) 18:24:14
→その意味は、〈力への意志〉が形而上学の完成であり終着点である以上それは形而上学に留まる限り超えられることはありえない、という意味なのだ。そうしてその通りに現にこの世界は無数のZによって牛耳られ続けている。ハイデガーはそれに目を凝らす。
77考える名無しさん:2006/01/07(土) 19:48:45
面白い考察だね。白い巨塔が名作と云われる所以かと思われる。
馬鹿女に振り回される様はニーチェ的で、結局皆死んじまうってテーマはハイデッガーの魂だ。
78考える名無しさん:2006/01/07(土) 23:06:16
うむ。バレたかWあのドラマの脚本家がニーチェvsハイデガーの対決を下敷きにに置いていたんじゃないか、てのは途中から感じ始めたんだけどね。Zにとって全ては利用価値に還元されてゆく。後半でZがアウシュヴィッツを訪れるシーンがある。→
79考える名無しさん:2006/01/07(土) 23:13:02
→アウシュヴィッツといえば大量虐殺で有名だが同時にあそこは人間を髪の毛の一本に至るまで利用価値へ還元しようとした場所でもある。その中心にあるのは言うまでもなく世界を支配し、我が物にしようという〈意志〉だった。つまりZの〈意志〉でもあったのだ。→
80考える名無しさん:2006/01/07(土) 23:19:54
→しかもそんなZの前進を結局誰も止められない。Sの位置というのがまた興味深かった。SはZを不思議な事に理解しているかに見える。そうしてZとSの関係の本当の所はドラマの中では解らない。だが実はそれは下敷きとしてあったのじゃないか、と思えるんだな。
81考える名無しさん:2006/01/19(木) 18:24:25
「性起について」って面白いん?
82考える名無しさん:2006/01/23(月) 10:39:23
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=R0162224
ちゃんと3月下旬にでるのかな?
83考える名無しさん:2006/01/23(月) 11:33:42
>>82
>現象学の根本問題 講義
木田元氏(とその一派)の新訳、楽しみですねえ。
84考える名無しさん:2006/01/24(火) 13:48:03
★ 2006年5月刊行予定の本

『現象学の根本問題講義』  ハイデガー  木田元訳  予価:5800円(税別)

・・・・・。
85考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:11:28
おすすめ入門書は何ですか?
86考える名無しさん:2006/01/26(木) 01:22:57
入門書みたいのは今は割合出揃ってるのね。木田元の『ハイデガー』(岩波現代文庫税抜き1000円),『ハイデガーの思想』(岩波新書税抜き580円)には個人的にはお世話になりました。やはり木田元編による『ハイデガーの知』(新書館税抜き2000円)も。
87考える名無しさん:2006/01/26(木) 01:28:45
オレ的には細川亮一『ハイデガー入門』(ちくま新書)がサイコーだったお
88考える名無しさん:2006/01/26(木) 01:34:01
あと、俺個人的にはハイデガーへの入り方はかなり自己分析と関わっていた。吉本の幻想論も知ってはいたけど今一つ基礎がよく解らないでいる所へハイデガーの存在論が入ってきて、そこで時Zeitや歴史性Geschichtlichkeitの概念が重要だと解った。
89考える名無しさん:2006/01/26(木) 01:41:00
つまり一人の人間を内側から歴史的に捉えるという見方。歴史概念に個人も含めるか否かは解釈が岐れるらしく、辞書を引くと、「歴史」の意味に個人を含めている辞書と含めてないのとある。だがハイデガーの場合、個体の歴史性というのが根幹だと俺は見た。そして、
90考える名無しさん:2006/01/26(木) 01:49:15
個体=歴史性という概念と世界という概念がまた密着している。〈…がある〉〈…である〉の命題の本質はそこにある。一人の人間をどう見るか、という問題においてこれは重要な問いで。吉本幻想論を考える場合の基礎付けにもなる。そんな風に俺は入っていきました。
91考える名無しさん:2006/01/26(木) 01:57:53
高田殊樹て人の『ハイデガー』てのも講談社から出てたよね。現代思想シリーズの一冊で。読んではないけどW
9285:2006/01/26(木) 18:41:59
皆さん、ご丁寧に即レスありがとうございます。
木田元さんの本「ハイデガー拾い読み」は、以前読んだ時、あまり初学者向けではないかなと思ったので、
細川さんの本を大学図書館から借りてきました。ちくまの入門書は、前々からけっこう
好きだったんですよね。竹田のニーチェ入門とか。

では、これからハイデガー入門したいと思います。まだ読んでないのですが。
ちなみに私はハイデガーの哲学に孤独な求道者の哲学というイメージを持ってます。
93考える名無しさん:2006/01/26(木) 19:51:56
孤独な求道者の哲学かあ…
94考える名無しさん:2006/01/26(木) 22:07:42
俺も細川亮一のちくま新書『ハイデガー入門』、今読んでいる。木田版のハイデガー入門書とかぶる箇所もあるね。ウィトゲンシュタインを引用してる箇所とか。ウィトゲンシュタインとハイデガーが同い年だったと細川の指摘で初めて知った。
95考える名無しさん:2006/01/27(金) 02:18:53
ハイデガーは、人間はどういう風に生きるべきだと言ってるのですか?
96考える名無しさん:2006/01/28(土) 01:55:13
“人間はどういう風に生きるべきだ”といった問いに答えているかに一番見えるのか『有と時』で。そこで《企投の強引な暴力性》や《実存論的分析は…不断に或る強引な暴力性という性格をもつ》という事が肯定的に語られる。つまり本来的時性の獲得が肯定的に語られる。→
97考える名無しさん:2006/01/28(土) 02:00:49
→だが、元々ハイデガーの有論は主体的な投企に対して、それが同時に被投的である事を主張する所に本領がある。言い換えれば、人間の主体性とは有による被投である。つまり真の主体は有の方である。それであるから、むしろ《いかに生きるべきか》の問いはそれが→
98考える名無しさん:2006/01/28(土) 02:06:54
→主体性哲学の余韻を残すその分だけ、改めて否定されたと思われる。言い換えれば、《いかに生きるべきか》は《いかに生きる事を強いられるか》へ変更されると言わなければならない。そこが、ハイデガーが実存色を徐々に脱色した、とも言われる所以だと思う。
99考える名無しさん:2006/01/28(土) 02:16:24
もう一つ付け加えれば、ハイデガーの〈被投的企投〉は吉本隆明の親鸞論での鍵概念〈不可避〉と非常に近いと俺には見える。どちらも人間の主体性を疑問に付すのであり、より深い場所に別の主体を想定する事で主体の脱構築をめがけている、と見えるのだ。
100考える名無しさん:2006/01/28(土) 03:18:48
ワッハッハ
101考える名無しさん:2006/01/28(土) 11:22:59
なにこのウザい携帯書き込み
「有と時」とか有論とか臭い言葉使うなよ
102考える名無しさん:2006/01/28(土) 11:50:58
>>96-99
改行してください
103考える名無しさん:2006/01/28(土) 16:13:15
吉本隆明とかツマランものを引き合いに出すなよ
104考える名無しさん:2006/01/28(土) 16:35:38
道元>>>>>>親鸞>>>>>>ハイデガー>>>>>>吉本
105考える名無しさん:2006/01/28(土) 16:47:08
老獪度
道元(53)<<<<<<<<<<<吉本(81)<<ハイデガー(87)<<親鸞(90)
106考える名無しさん:2006/01/28(土) 19:29:40
101…「うざい」「臭い」という中傷以外は無内容。
103…吉本はつまらん、と永遠に繰り返す事に生きがいを見いだす。何か世程の恨みがあるのだろう。 105…老獪度という目安自体新鮮味に欠ける。
107考える名無しさん:2006/01/28(土) 19:31:23
>>106
まともにアンカーも付けられない奴が何を言っても無意味w
108考える名無しさん:2006/01/28(土) 19:38:44
>>106
改行
109考える名無しさん:2006/01/28(土) 19:51:44
いやいや、そうムキになってクサすのは何なの?笑
どちら様ですか?
110ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/31(火) 23:54:20
現存在分析っていかがなものなんだろう。
たとえば精神分析や心理学のような、経験に立脚しているのだろうか。
いや、それは存在的でなく存在論的なので、精神分析や心理学とは、
違うということでも、
その前にやはり、ハイデガー自身の存在的経験が元になっているわけだろう。
ものすごく主観的なものじゃないのかな、と思ったりするのだけど。
111考える名無しさん:2006/02/01(水) 00:15:00
>たとえば精神分析や心理学のような、経験に立脚しているのだろうか。
>その前にやはり、ハイデガー自身の存在的経験が元になっているわけだろう。

心理学はともかく精神分析なんかハイデガーの現存在分析よりずっと
経験的地盤はもろいと思うよ

やっぱり「ハイデガーの」現存在分析とは言ってもアリストテレスから
スコラ哲学を経由して延々と現代まで連なる伝統の上にあるわけだし
112ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/01(水) 00:22:28
>>111
それはないでしょう。精神分析は結果によってしか、
存在意味がもてない。問題は多々あっても、経験的に
人間を写実している。(現代でも同じように通用するかは、別にして)

その存在論としての形而上学の解体の現存在分析は良いとしても、
現存在の「心理学的」分析は、ハイデガー独自でしょう。
その部分は長々と細かく、語りすぎているように気がする。
113ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/01(水) 00:27:15
ハイデガーはフロイト知ってたよね。
多々パクってるような気もするが・・・
114ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/01(水) 00:29:39
あと、パースと近いところは、どうなんだろう。
エロいひと答えて。
115考える名無しさん:2006/02/01(水) 00:51:20
精神分析はトンデモ
これはもはや否定しようがない事実

ハイデガーもフロイトなんて
糞ほどにも気にかけなかったと思うよ
116ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/01(水) 00:59:02
精神分析はトンデモなら、
ハイデガーがトンデモでないのは何によって保証されるのでしょうか。
117考える名無しさん:2006/02/03(金) 23:11:11
まずさ精神分析なんてまっとうな精神科学としては認められていないよ
フロイトにしてもラカンにしても臨床分野では成果あったりしたとしても
その理論まで精神科学的に妥当なものとはみなされていない

結局精神分析って神経症患者への臨床体験をフロイト個人が言語化した
物に過ぎないんじゃない?つまり人文科学としても妥当性は薄い

あえて某占い師を引き合いに出さずに例え話をするけども瀬戸内寂聴の
気休め説法で多くの人が救われてる現実と彼女の著書が精神科学的に
もしくは人文科学的に意味のあるものかどうかは別問題だよね?

ハイデッガーがトンデモじゃないって説明はいちいち必要?普通に
哲学って言語ジャンルに則って妥当な論を展開しただけで充分でしょ?

あとハイデッガーと精神科学といえばビンスヴァンガーやボスあたりが
有名かな?なんにしてもフロイトなんて屁とも思ってないんじゃない?
118考える名無しさん:2006/02/04(土) 02:48:33
どんどんとコミュニケーションのできない人が増えていきます。
119ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/04(土) 16:53:02
>>117
精神分析は科学は、議論はあちこちで成されているので、
ここで議論してもしょうがないと思います。
とくにフロイトがトンデモで、ビンスヴァンガーがよい、
ってな話は、おおざっぱにいえば、趣向の問題でしょ。

そうではなくて、精神分析に対する批判に対して、
ではハイデッガーがトンデモじゃないって説明は、
いかように成されるのか、ということに興味がありますね。
120ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/04(土) 16:53:40
精神分析は科学か
121考える名無しさん:2006/02/04(土) 17:29:28
精神分析を活かそうと努力積んでる臨床医師もいる世界でトンデモと片付けるのはどうなのかな。
トンデモと揶揄される分野には違いないけれども、人文の世界にも医学的分野にも未だに多大な影響を
与えてるのは事実だよ。
個々の要素の議論なしにトンデモと片付ける権利が決定しているとは思わないな。
122考える名無しさん:2006/02/05(日) 00:15:11
『ツォリコン・ゼミナール』の編集及ゼミナールの企画者のメダルト・ボスてたしか精神医じゃなかったっけな。ボスもハイデガーの仕事を重要だと認めていた訳でしょう。個体の精神を考える上で基礎存在論は手掛かりになると思ったんじゃないかな。
123ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/05(日) 00:19:39
現象学的精神病理学と構造論的精神分析という対比はありますね。

結局、精神分析がトンデモでない意味で、ハイデッガーの現存在分析は
トンデモではない、ということになるのでしょうか。
124ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/05(日) 02:35:52
なにがトンデモか、という議論は実りがないのかもしれません。
具体的には、

たとえば現存在は「死へ臨む存在」であり、「死へ挑む不安」の中にある。
これは、人が知識として「人はいつか死ぬのだ」と知ることに
「先だって」、あるわけですね。
これってどういうことかな、と思うわけです。
話としてはわかるのですが、この実存論的「死」、「不安」ってなにかな、
と思うわけです。ほんとにそんな「不安」ってあるのかな、
どこにあるんだろう?って思うわけです。
125考える名無しさん:2006/02/05(日) 08:20:16
個体の精神を考察する場合、いわゆる世界形成史として、また固有なる時として考える立場が精神分析にありうるなら、それはそのままハイデガーの土俵と重なるんじゃないかな。
126処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/02/15(水) 17:57:32
思ったんで、ついでに書き込んどくが、ハイデッガー読みなら戸坂潤の『日本イデオロギー論』第二章「文献学」的哲学の批判、は読んでおくべきだな。
127ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/16(木) 00:05:55
すでに色々言われていると思いますが、やはり「現存在」という
個体性の強さですね。この強さは何によって支えられているのか。
自意識?、「死」?、「良心」?

そこには説明されない強度があると思います。
それは、ハイデガーというよりも、西洋哲学の根底に流れるものでしょう。
これは、日本人の「和」の思想にはそぐわないですね。
一人はそれほど強い個体性をもっていない、ということですね。
128処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/02/16(木) 02:23:05
うるさいよ。ヤバいぞ、おまいら。第三章の常識の分析なんて、アリストテレスをネタにして『存在と時間』の焼き直しかと冷や汗かいたら、さらりとかわしてトマス・リードの常識学派の「経験主義的直覚(デカルト風の合理主義的直覚に対して)」の解説が面白いです。
129考える名無しさん:2006/02/16(木) 02:34:59
武士道とは死ぬことと見つけたり
130考える名無しさん:2006/02/24(金) 22:30:53
ハイデガー『哲学への寄与』解読
http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=70205
131考える名無しさん:2006/02/25(土) 01:05:49
すっかりぴかぁ〜になったなこのスレw
132考える名無しさん:2006/02/25(土) 01:40:03
133考える名無しさん:2006/02/28(火) 01:50:44
>>117
ラカンてハイデガーの大ファンでかなり影響を受けたって聞いたけど。
それで著書を送ったんだけど、わけわからんてハイデガーに言われたとか。
134考える名無しさん:2006/03/04(土) 10:01:37
木田訳根本問題、また延期か、、、
135処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/20(月) 04:03:51
atok
136処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/20(月) 04:07:38
ms(w
137処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/20(月) 04:24:33
HOHOHO
138処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/20(月) 04:27:43
A,MERIKA LOL
139処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/20(月) 04:29:54
NET HU LOL
140考える名無しさん:2006/03/20(月) 12:24:26
>>134
まじか・・・
木田が死ぬのが先か
翻訳が出るのが先か
141考える名無しさん:2006/03/20(月) 13:00:44
哲学への寄与 マジ意味ワカラン。
142処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/20(月) 18:56:40
 夕べは失敬。後期ハイデガーって、詩論とか多くてちょっと自分に
酔ってるようなところあるんじゃないかと思う。ヤスパースとの交友
の断絶も、それで終わったような印象だし。
143処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/20(月) 23:12:25
あ、日本語が狂ってる。

「なるほど、私は、少々居心地の悪い感じを受けました。というのは、
あなたからのその文章は、私の性分からすると、おそらく、あまりにも
儀式ばったもののように思えたからです。とはいえ、それ以上にそれは
私を喜ばせました。なぜなら・・・」

ヤスパースにハイデガーから届いた八十歳の誕生日の祝いの手紙への
返信。再びヤスパースからハイデガーへ。ハイデガーから返信は
ヤスパース死去のゲルトルードあての弔電。
144考える名無しさん:2006/03/22(水) 01:52:14
その強烈な閉鎖型哲学で20世紀に絶大な害悪を蒔き散らしたハイデガーのスレッドはここでつかwwwwww
145考える名無しさん:2006/03/22(水) 08:39:00
ハイデガーじーちゃんのカワイイお顔見て思ったよ、後年は良心的になったんだなぁって。ナチス加担したことをものすごく悩んだんだろうね。わかるよ。
146考える名無しさん:2006/03/22(水) 11:32:25
ハイデガーは確かにナチに加担し、後年それを後悔したのかもしれない。
しかし、ハイデガーはギリシャ・ゲルマン最強説を(恐らく)死ぬまで譲らなかった。
147考える名無しさん:2006/03/22(水) 13:51:49
ハイデガーが支持してたのは突撃隊が粛清されるまでのナチだろ?
148処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/23(木) 10:57:06
木田先生、諦めて出して見なさい。
149考える名無しさん:2006/03/23(木) 12:09:52
>>98
同意。サルトルとの違いはまさにここだ、と思います。GJ!
150処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/23(木) 16:59:11
サルトルの場合はどうなのか解説してくれ。
151処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/23(木) 17:11:28
被企投性は、パスカル→キルケゴールだな。
同時に主体的に自らを企投するところに
人間の自由、乃至その可能性があるという
感じかな。「現有の有への応答」とか何とか。
152考える名無しさん:2006/03/27(月) 02:00:52
あげる
153処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/27(月) 16:30:28
企投性ってのを履き違えると、単なる冒険主義になっちまうね。
パスカルなら「信仰の賭け」と言う。サルトルは無神論的だった
が、それほど浅はかでもなかったせいか「自分に逆らって考える」
と言う。
154処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/27(月) 16:46:30
パスカルの「賭け」は、神がいるかいないか分からないなら、
いる方に賭けた方が得(?)であるという言明だったな。

確かにその通りではある。「神がいない」ということが即ち、
人生は無意味であるということと同義語ならね。
155処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/27(月) 16:54:22
そこで思い出すのはカミュの『ペスト』での、
主人公の自らの無神論についての告白だな。
156考える名無しさん:2006/03/27(月) 19:09:24
新刊『「哲学への寄与」解読』平凡社
 昨年、全集65巻として刊行された後期ハイデガー問題作『哲学への寄与論稿』を数名の論者が解読を試みる。
157考える名無しさん:2006/03/29(水) 22:30:29
・・・木田訳 現象学の根本問題、ついに近刊予定から姿を消
したよorz
158考える名無しさん:2006/03/29(水) 23:15:48
すでに訳もあるし売れもしないものをここまで延期させられてもなぁ・・・
159考える名無しさん:2006/03/30(木) 19:51:32
どうせ売れないんだったら、フッサリアーナから未邦訳の草稿を纏めて刊行した方がまだ新鮮味がありはしないかね。
160考える名無しさん:2006/03/30(木) 23:54:50
『形式論理学と超越論的論理学』の邦訳キボン
161処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/03/32(土) 18:26:59
木田氏、入院?
162考える名無しさん:2006/04/02(日) 09:40:42
存在と時間が有と時じゃなじめないんだよ。だから木田訳がほしかった
163考える名無しさん:2006/04/02(日) 10:32:54
>>162
そういう人は数学を勉強して表象の奥にある観念を見つめる目を養いましょう。
164考える名無しさん:2006/04/02(日) 11:00:10
>>163
「有」は京都学派くせぇからあんまり好きじゃないな

幾多郎が「存在」じゃなくて「有」を使おうぜって論考を確か書いてた
「存在」という語が充てられている事態は
なんだかのエレメントを有しているんだから、「有」にしろよって話だったと思う
でも、ハイデガーとハイデガーを継承した現象学―レヴィナス、デリダやアンリなど―を考えると
「有」という語を使うのはどうにもまずい気がする

「有」を使うと、時間化の問題が含みこんでいる
差異化、遅れ、複数性を見落としてしまう恐れがあると考えている
だから「有」の訳語が充てられているものはなるだけ避けている

なんつーの、京都学派の形而上学的な枠組みに
汚染されている語だと思うんだよね、「有」っていう語は
165考える名無しさん:2006/04/02(日) 11:15:31
>>164
同意!
166考える名無しさん:2006/04/07(金) 08:02:54
どうしてそんなに翻訳にこだわるのですか。
ドイツ語で読めばいいのではないでしょうか。
167考える名無しさん:2006/04/08(土) 07:44:17
や、だって漏れドイツ語読めないし。とマジレス
168考える名無しさん:2006/04/17(月) 15:49:02
さしあたって〜w
169考える名無しさん:2006/05/13(土) 03:03:00
質問なんですが、ツェランとハイデガーの書簡は公刊されているのでしょうか?
その手紙の中で『トートナウベルク』が初めて出てきた、と聞いたのですが。
170考える名無しさん:2006/05/13(土) 18:47:51
>>164はどこの村の自称インテリですかw
171考える名無しさん:2006/05/15(月) 19:48:21
>>160
邦訳あるだろ、とマジレスしてみる
172それからね、:2006/05/15(月) 20:15:55
茅野良男(1925年生)は辻村公一(1922年生)の旧制一高時代の後輩


七十年も続いちゃう年功序列ってたいへんだなぁ
173考える名無しさん:2006/05/15(月) 22:50:47
>>171
あの邦訳は誤訳だらけで使い物にならない、とマジレスしてみる
174考える名無しさん:2006/06/06(火) 21:32:06
また木田訳の本は延期かよ。もうやめればいいのに
175考える名無しさん:2006/07/12(水) 15:16:07
ハイデガーは最高だよね
176考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:28:02
ハイデガーの「時間性」をやってると
ゴールドエクスペリエンスレクイエムの説明受けてるのかと錯覚する
177考える名無しさん:2006/08/14(月) 13:02:43
Martin Heidegger Critiques Karl Marx - 1969
http://www.youtube.com/watch?v=67ORbxYEfng

Heidegger And The Future: The 'Task Of Thinking'
http://www.youtube.com/watch?v=JqsMNY7H0B0
178考える名無しさん:2006/08/19(土) 13:44:42
『存在と時間』、どの訳が一番いいと思います?
179考える名無しさん:2006/08/19(土) 15:39:50
訳者の哲学者としての実力からすれば、原・渡辺訳だろう。
読みにくいけどね。
180考える名無しさん:2006/08/19(土) 22:41:59
>>98
ハイデガ−思想の展開は、根無し草思想から、定住思想への歩みであった。
最期は泥沼への沈潜となる必然がある。
181処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/02(土) 19:59:01
ハイデッガーは「気分」を問題にしてなかったっけ?

浮ついた気分じゃ哲学なんか出来ないんだから当たり前のことではあるんだけどさ。
182処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/02(土) 20:14:17
>>180
道具主義的にしか自然を評価しないグノーシス主義的傾向が
ナチへのシンパシーを捨てきれないで、戦後は現実世界への
コミットメントを放棄して言葉遊びになっちまっただけだろ。

>>178
理想社(筑摩からも文庫で出てる)細谷訳。
183考える名無しさん:2006/09/02(土) 20:45:25
日本語でサラっと読むだけなら細谷訳でもいいけど
ドイツ語全集読みながら日本語参照したいなら辻村訳
184処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/02(土) 21:25:20
キルケゴールの真似をして世俗的人間のあり方を分析してみたら、
自分自身の出発点のアカデミックな問題意識そのものまで
非実存的なことが割れてしまって、先が続かなくなってしまった『存在と時間』。
185考える名無しさん:2006/09/02(土) 21:47:41
うぜえんだよ
186処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/02(土) 21:50:50
お、嫌われたな。

別に構わんが。
187考える名無しさん:2006/09/02(土) 22:24:31

「文字だけの掲示板ではもの足りない」
「アバターサイトは面倒でよくわからない」
「自分だけのキャラクターを使いたい」

というユーザーの要望をかなえてくれる、そんなサイトができました。

メタコロニー
http://www.metacolony.com/

1. キャラクターをつくってみよう
トップページから「キャラクターをつくろう!」ページに進み性格診断を行います。
8つの質問に答え終わると、世界で一つだけのオリジナルキャラクターが出来上がります。

2. みんなの書き込みを見てみよう
各カテゴリ名をクリックすると、カードの一覧が表示されるので
気になるタイトルをクリックして書き込みを見てみましょう。

3. 自分のキャラクターで書き込みをしてみよう
キャラクターを作ってログインした状態であれば、各カードの最後には自分専用の
書き込みフォームが自動で表示されています。そこに何か一言書いてみましょう。

最初は簡単な自己紹介でかまいません。基本的な使い方はこれだけです。
一般的な掲示板を使ったことがあれば、すぐに使い方は覚えることが出来ると思います。
そして、キャラクターは書き込みをして経験値をためることによってレベルアップしていきます。
また、集めたアイテムはアイコンとして書き込みに使うことも出来ます。
他にも、書き込むことでいろいろなことが出来るようになる予定です。

世界にたった一つの自分だけのオリジナルキャラクターを作成することができるコミュニティ掲示板。
ゲーム、社会・芸能、趣味・スポーツ、仕事などさまざまなBBSが存在。
188考える名無しさん:2006/09/02(土) 22:55:45
ハイデガーは、
木田元が言っているように、哲学者というより哲学史家であり
また、永井均が言っているように、厳密に問題を解明する哲学者というより詩人だ。
彼の哲学的直感の天才を疑う者はいないが、彼の科学的知識のいいかげんさや論理のいいかげんさは指摘されている。
189処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/02(土) 23:55:31
アリストテレスとキルケゴールって木に竹を継ぐようなもん。
190処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/03(日) 00:05:29
単なる印象の話じゃないぞ。ラッセルの『西洋哲学史』でのアリストテレスの
こき下ろしは笑えるが。
191考える名無しさん:2006/09/03(日) 05:32:51
この人の「さしあたって」という口癖がやたらに癇にさわる。
192処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/03(日) 08:49:18
「差し当たり」が頻出するのは脱構築の過程にあって、その時々のテーゼがさらに
掘り下げ可能で暫定的だってことかな。
193処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/03(日) 08:57:27
脱構築とは、世界観を構成する諸概念を目的論的な優先順位によって関連付けで再構成することと言える。

目的論、つまり主体性の問題がそこにある。
194処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/03(日) 09:17:01
と、いうより主体のあるところには、常に動機と目的があり、
世界はそのために「常にあらかじめ」構成されている。という
ことを「暴露する」のが脱構築と言うべきかな。
195処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/03(日) 09:44:12
動機と目的は「差し当たり」、平均的日常性(生活的現実)から
導出される。これによって解体される構造物とは、理性に基づく
普遍性への信頼によって構成されたスコラ主義的な冷たい宇宙像。
196処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/03(日) 11:23:06
動機と目的、原因と結果、始まりと終わり。いわゆる「生きられる時間」。
それと、通俗的了解の範囲にある抽象的な「時計時間」の違い。

ハイデガーは「時計時間」の時間性をドイツ語で「ツァリッヒカイト」と
表現したのに対して、この「生きられる時間」をラテン語からの造語で
「テンポラリーテート」と表現した。そして、この「テンポラリーテート」、
乃至、実存的時間構造があらゆる存在了解の基礎にあることを解明しよう
として、その基底としてアリストテレスのテクストを取り扱おうとした。

ところがアリストテレスは、序論でハイデガーが取り上げた「良心、死、負い目」
という問題を扱うためのバックボーンとすることが可能なほどには実存的な
思想家ではなかった。
197処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/03(日) 22:20:18
・・・日曜のチラシの裏だな。

ドイツ語で「時間性」はツァイトカイトだな。

やっぱ木田氏の『ハイデガーの思想』は参考になるわ。
198考える名無しさん:2006/09/05(火) 23:43:56
研究者ですら大抵は時間性を理解する際
過去から未来に経過するという常識的な時間概念に完全に囚われてる。
199処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/08(金) 23:03:35
緊張感あって好きなんだけどね、『存在と時間』。

技法から学ぶことは多い。

教会の話が出てくるところから附いて行けなくなって、
どうしても先に進めない。
200処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/08(金) 23:05:22
プロテスタンティズムと資本主義の精神に着地してしまうからだろうか?
201処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/13(水) 17:02:37
↑こういうような話を、ある種の連中が「レイプ思想」とか罵声浴びせて
来てさー。バカってのはホント、嫌になるよな・・・。
202処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/13(水) 17:08:19
俺に相手にされねーのは、自分たちが糞みたいな
生き方しかしてねーせえだろう。

八つ当たりすんなっての、屑どもめ。
203考える名無しさん:2006/09/13(水) 17:12:37
自意識過剰被害妄想
204考える名無しさん:2006/09/13(水) 17:35:14
ハイデガー・フォーラム 第一回大会

1.日時: 2006年 9月16日(土)、17日(日)
2.場所: 東京大学 文学部 (本郷キャンパス) 一番大教室
   (地下鉄丸の内線本郷三丁目下車または南北線東大前下車)
3.テーマ:
 統一テーマ: 「哲学の終焉と思索の課題」
 特集: 「デリダ――ハイデガーと現代フランス哲学」

(下に続く)
205考える名無しさん:2006/09/13(水) 17:36:48
4.プログラム:
 ○ 一日目
10:30-12:00 開会式、総会
13:00-14:20 古荘真敬 (山口大学)
 「「原因」と「理由」の彼岸への問い
 ――ハイデガーの哲学的企図の再吟味――」
 司会: 宮原勇 (愛知県立大学)
14:30-15:50 斎藤慶典 (慶応義塾大学)
 「哲学の「終わり(Ende)」に寄せて」
 司会: 古東哲明 (広島大学)
16:00-17:20 伊藤徹 (京都工芸繊維大学)
 「「哲学の終焉」と作ることへの問い」
 司会: 高山守 (東京大学)
 ○ 二日目
10:00-11:20 児玉斗 (グライフスヴァルト大学)
 「理性とは何の謂いか
 ――ニーチェとハイデガーを繋ぐ導きの問い――」
 司会: 菊地恵善 (九州大学) 
11:30-12:50 西山達也 (東京大学)
 「ハイデガーとデリダ、対決の前に
 ―― retrait概念の存在論的・政治的画定――」
 司会: 藤本一勇 (早稲田大学)
14:00-15:20 上利博規 (静岡大学)
 「デリダ、アドルノ、ハイデガー
 ――超越論からの離反の行方をめぐって――」
 司会: 廣瀬浩司 (筑波大学)
15:30-16:50 港道隆 (甲南大学)
 「世界ラテン化におけるハイデッガーとデリダ」
 司会: 加藤恵介 (神戸山手大学)
(賛同人参加費二千円、一般聴講者は一日当たり千円、事前申し込み不要)
レジュメ等詳細は下記アドレスを参照。
http://www.shujitsu.ac.jp/shigaku/hf/forum.htm
206考える名無しさん:2006/09/13(水) 17:36:58
あ、りゅうじんだ
207処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/13(水) 19:37:47
>>203
皆で、リアルタイムで目撃してるんだぞ。
208処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/09/13(水) 19:42:34
現存在の世界との「出会い」。世界を体験する、そこにまず立ち現れて来るのは事実であり、事物ではない。
209考える名無しさん:2006/09/25(月) 10:25:49
ハイデガーはどう考えても実存主義
210考える名無しさん:2006/10/02(月) 19:39:54
ハイデガー研究会
http://heidegger.exblog.jp/

「ハイデッガーと思索の将来―哲学への<寄与>」
2006.9.15刊 理想社
の感想をどうぞ↓
211考える名無しさん:2006/10/10(火) 22:05:29
 最近感じるんだけど、これまでに多くのハイデガー論が書かれて、それぞれ皆よくやってるなと思う。読み始めの頃は色んな入門書に助けられたし。しかし、ハイデガー本人の著書や講義の魅力は別格なんだね。切迫感、緊張感、絶望的世界を見据えながら冷徹に事態を→
212考える名無しさん:2006/10/10(火) 22:11:07
→見据えながら冷徹に事態を見定めむとする気概、やはり別格だと思う。全集が刊行されるようになり、どんなことを考えていたのかがより詳細に解るようになってきた。彼の講義は尻切れとんぼが多いんだけど、それでも読ませる力量、底知れなさを感じる。
213考える名無しさん:2006/10/15(日) 11:09:19
『存在と時間』の邦訳はどれがよいのでしょう?
御教授を。
214考える名無しさん:2006/10/15(日) 11:11:53
翻訳コンニャクで
215213:2006/10/15(日) 11:14:28
過去レスで書かれてますね。
でも新たにまた他の意見も聞きたいです。
ドイツ語で読む能力はありませんが、文法と初歩の
単語は頭に入っているので、ハイデガーのドイツ語語源の
こじつけは理解できると思います。
よろしくお願いします。
216考える名無しさん:2006/10/15(日) 11:22:18
まーるちゃん まーるちゃん はんばーぐー
217考える名無しさん:2006/10/15(日) 19:27:05
岩波版は術語集が後ろについてた気がする。急がば回れだと思いますがね。
218考える名無しさん:2006/10/15(日) 21:47:04
岩波版読む人っているのか
219考える名無しさん:2006/10/15(日) 22:50:28
クセを理解して読むなら創文社版が良いと思うよ
他の訳はクセが分かりにくいのが逆に弊害にすら
なる場合もあるやもしれん
220考える名無しさん:2006/10/16(月) 23:12:42
>>215
ハイデガー研究者としての実力から言えば原&渡辺訳。
読みやすい訳という点では、細谷だろう。木田も一押しみたい。
辻村訳も独特のセンスがある。この人は西田哲学に精通していた。
結論。一般論では細谷、私個人の趣味では辻村ですw
最近、木田の入門書を越える手堅い「ハイデガー入門」を書いた、細川あたりが翻訳をするといいと思います。
221213:2006/10/17(火) 10:30:57
いろいろご指摘有り難うございました。
本屋の立ち読み比べでは、分らないこと
まで教えていただけました。

木田先生の新書を読みながら、細谷訳で
取り組んでみます。
222考える名無しさん:2006/10/18(水) 09:21:10
>ドイツ語で読む能力はありませんが、文法と初歩の
>単語は頭に入っているので、ハイデガーのドイツ語語源の
>こじつけは理解できると思います。

こういうとこ理解したいなら辻村訳かと
あと木田解説はSein und Zeitを一般教養的に知るにはいいが
専門的に勉強したいなら飛ばし読みで十分

専門的に勉強したいなら細谷訳も同様…というかそもそも
ドイツ語で読むべきかな

軽く何が言いわれてるか知りたい程度なら>>221のセットが
一番労力が少なくていいね
223考える名無しさん:2006/10/18(水) 18:16:36
辻村まだ生きてんの?
224考える名無しさん:2006/10/18(水) 19:02:41
哲学への「寄与」って何だよコラ 「論集」でいいじゃん

おーはしも今さら往生際悪いよ
225考える名無しさん:2006/10/18(水) 22:46:53
「寄与論考」って言ってるんだしいいじゃん

でも恐らくこの寄与って訳の前提と思われる
zur Philosophie beitragenの主語って何だろね?

この諸論考Beitrageがその主語になってるってこと?
226考える名無しさん:2006/10/21(土) 20:31:35
小林よしのりのわしズムに出てた
227考える名無しさん:2006/11/23(木) 01:30:37
ハイデガーと和辻哲郎
H.P.リーダーバッハ (単行本 - 2006/11)
価格: ¥ 3,990 (税込)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4403120199/
228考える名無しさん:2006/11/23(木) 13:02:27
リーダーバハのハイデガ解釈はそれなりに面白いんだが
日本の思想とどうこうってのはなんかなぁ・・・

ローティなんかがやるアメリカの哲学者と絡めるのも同様に
何の意味があるの?って思ってしまう
229考える名無しさん:2006/11/24(金) 20:09:26
さしあたってビール
230アング:2006/11/25(土) 08:22:37
「ある存在者―問うている存在者―をそれの存在において透明にしなくてはならない」のはいいとして、その後それが循環論とはならない理由、誰かわかりやすく解説して。
231考える名無しさん:2006/11/25(土) 19:44:10
ハイデガー全集持っている人っている?
232考える名無しさん:2006/11/25(土) 20:27:25
原書翻訳とも一回借りたら延滞し続けて一度返して
また借りるってのを繰り返してる

この全集置いてない大学図書館なんてないだろうし
自分で買うのちょい躊躇する値段だし

電子化してくれれば最高なんだけどなぁ・・・
233考える名無しさん:2006/11/25(土) 21:11:41
234考える名無しさん:2006/11/26(日) 00:27:05
「ある存在者―問うている存在者―を
それの存在において透明にしなくてはならない」
のはいいとして、その後それが
循環論とはならない理由、誰かわかりやすく解説して。
>>それは「解脱」だよ。
235考える名無しさん:2006/11/26(日) 00:38:48
 ハイデガー全集、何冊か買って手元にある。これは一冊が高いが買って持っとくべきだよ。読み進むごとに新鮮な驚き、誰も行ったことのない深海に降りてゆくような感銘がある。思考の可能性を信じられると思えたよ。
236考える名無しさん:2006/11/26(日) 01:26:45
全集って第何巻まであるの?
237考える名無しさん:2006/11/26(日) 15:17:31
たしか100巻以上はある。
 とても全部揃える気もカネもないがこれはと思えるものだけでも買っておこうと。
 あれは講義録の寄り道部分も面白い。『形而上学の根本諸概念』で哲学的常識を批判する部分も切れ味がいい。
238考える名無しさん:2006/11/27(月) 02:20:15
ハイデガー全集っていろんな版があるみたいなんだけど、
おすすめってどれ?
239考える名無しさん:2006/11/27(月) 03:28:08
全集の翻訳は創文社だけだろ
240考える名無しさん:2006/11/27(月) 04:25:48
創元社の全集、
最近は本屋でもあまり見かけない。
注文してもなかなか来ない。
商売やる気があるのか?

ところで
タワーレコードが本も扱ってて
いまダブルポイント中だから
何冊か注文してみた。
一冊の値段が高いから
すぐに100ポイント(\3000)くらいは溜まる。
241キタキタキタタタタ:2006/11/27(月) 22:51:16
ハイデッガー カッセル講演 (平凡社ライブラリー)

マルティン・ハイデッガー=著
後藤嘉也=訳

HL判  320頁  2006.12
ISBN4-582-76596-3
定価:1470 円(本体:1400 円)

平易な語り口の「カッセル講演」は自身によるハイデッガー
入門であり、簡約版『存在と時間』と言える。20世紀哲学の
動向を俯瞰するときに貴重な手がかりとなる一冊。
解説=木田元

http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=76_596
242考える名無しさん:2006/11/27(月) 23:25:02
解説=木田元

もうこいついいよ
243考える名無しさん:2006/11/28(火) 23:14:52
古東哲明はどうですか?
244考える名無しさん:2006/11/29(水) 23:55:17
>>243
ダメだね。何も分かっていない。
245考える名無しさん:2006/11/30(木) 02:48:26
まず論文のタイトルで何言ってるか意味分からん人って
内容も・・・あれなんだよねw

自分の論文が何かしらの哲学的な問題研究史の一コマに
なることすら拒否してるわけだから
246考える名無しさん:2006/11/30(木) 12:26:01
ハイデガーの言語論を勉強していきたいのですが、ハイデガーのどの著作をあたっていけばいいでしょう。ご教示願います。
平凡社ライブラリーから出てる、言葉についての対話、とかそんなタイトルの本は前に読んだのですが。
247考える名無しさん:2006/12/01(金) 19:05:25
竹田の『ハイデガー入門』はダメだ。
「死の恐怖や不安」なんて言ってる。
恐怖と不安の区別は死の実存論的分析の肝なのに、一緒くたにしている。
248考える名無しさん:2006/12/01(金) 23:16:12
うむ。竹田なども全然ダメだね。
249考える名無しさん:2006/12/03(日) 12:21:45
ナチス関与、中途半端な著書で思わせぶり、氏ね
250考える名無しさん:2006/12/03(日) 12:26:21
可能的不可能性としての氏を越えても、
かの声は聴こえ続けるのであった。
251考える名無しさん:2006/12/04(月) 20:08:41
>>249
死んでるがな
252考える名無しさん:2006/12/05(火) 19:13:04
「ハイデガー入門」の類をいくつか読んだし、読み始めの頃には助かったのは確かだが、ハイデガー本人のを読みすすめるうちに、いくたの入門書は物足りなくなった。やはり本家のは何か、異常な緊張で世界に一人で立ち向かっている人間の、震えというか、→
253考える名無しさん:2006/12/05(火) 19:18:41
→決意というか、また孤独とか、孤立感とか、はたまた怒りとか、もちろん強靱な思考とか、いろんな要素が感じられて、それらが圧倒的な迫力でね。ハイデガーを読むことの愉しみは格別だと思えた。
254考える名無しさん:2006/12/06(水) 14:06:58
レヴィナスもハイデガーと対決してるあたりが
一番おもしろい。
255考える名無しさん:2006/12/07(木) 21:24:55
256考える名無しさん:2006/12/09(土) 00:45:01
 あまり論じられないが『ツェリコン・ゼミナール』読むと身体と心についても相当深く考え、問い続けていたことが判る。1965年といえば76歳なはずだが、老いを感じさせないラジカルさは凄いというしかない。
 あのゼミナール読むと、著作や講義録として残っている→
257考える名無しさん:2006/12/09(土) 00:52:23
→以外にも、相当考えていたことが伺われる。あれは云ってみれば少人数でのゼミの記録にすぎないが、だからといって手加減したりする素振りは一切なく、自身の思考を深化させようという意欲が漲っている。あそこでの心身論は相当深くやっているのには驚いた。
258考える名無しさん:2006/12/09(土) 01:31:43
「ラジカル」はまだいい「ツェリコン」ってさぁ・・・
259考える名無しさん:2006/12/09(土) 01:32:18
確かに身体でてくるよね
だからどうということも無いが
260考える名無しさん:2006/12/09(土) 04:33:43
ハイデッガーは結局beitageのなかでキリスト教をどのようにとらえているのでしょうか?
最後の神という哲学者の神をあらゆる啓示宗教の神よりも根源的なものとしてとらえているの
でしょうか?それぞれの啓示宗教の絶対性の主張のあらそいとは次元をことにしたものとして
ハイデッガーの最後の神を理解したらよいのでしょうか?
261考える名無しさん:2006/12/10(日) 23:17:27
ナチス万歳!
ハイル・ヒットラー!!!
262考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:31:17
言いにくいね、ツォリコーン
263考える名無しさん:2006/12/23(土) 06:47:36
何かの新書でハイデガーとウィトゲンシュタインを
つなげるみたいなことやってたんだけど
こういうのって何のためにやるんだろうか
自分はウィト読者だけどハイデガー読みにとっても意味あるものとは思えない
264考える名無しさん:2006/12/23(土) 07:59:37
263氏の云う“何かの本”てのは多分木田元の『ハイデガーの思想』(岩波新書)だね。
ウィトゲンシュタインが“何かが有ることへの驚きという点で私はハイデガーに共感できる”と会話の中で残していた、という件。→
265考える名無しさん:2006/12/23(土) 08:16:17
→ちなみに木田元の本でのハイデガー世界概念の説明はあまり良いものではない、と後年俺は思うようになった。木田は実に丁寧に、フッサールやユクスキュル、ルカーチ等を援用してハイデガー世界概念を読者に伝えようとしている。しかし、ハイデガー読み始めの人にアレを伝えるのなら、→
266考える名無しさん:2006/12/23(土) 08:22:08
→現有との関連で世界のー内にー有ることが論ぜられていく場合には、その世界というのは一般常識的に云われるような世界、すなわち有るものではない、ということが最重要で、そこが理解できるか否かがハイデガー読解への鍵である。
 ところが、木田のハイデガー本→
267考える名無しさん:2006/12/23(土) 08:30:01
→の中で、その点、すなわちハイデガー思想の根幹といっていい有論的差異について、説明しないまま様々な思想との関連に入っている。なので木田の説明は非常に分かりにくいものになる。フッサール等を援用するのは間違いではないが、肝心な点を素通りしてしまっている。→
268考える名無しさん:2006/12/23(土) 08:39:24
→ためにハイデガー読み始めの人にあの順序でやっても混乱を生む。
 ハイデガー有論において、世界とは有るものの集合ではない、そこがハイデガーの根幹だし、そこを最初に説明するほうがハイデガー入門書としては適切だろう。
269龍宮:2006/12/23(土) 09:38:05
他の哲学書同様ハイデカーも二年前に読んだきり縁がなくなってきたなあ。シェリングなんかも読もうと思って読まずに年の功でもう読むことないかなあと思う。諸君哲学に興味を持てるのは若い時だけだ。特に学生は読めるだけ読んでおけ
270考える名無しさん:2006/12/23(土) 12:46:10
大人になって読むのをやめるような奴は、哲学なんか読まなくてよい。
哲学は大人になりきれないもののためにある。
271龍宮:2006/12/23(土) 17:02:32
それはそうだけどまだ少年の頃の気持ちで哲学書を読んで世界を思い画けるよ。だけどそんな自分を憂いたりもする。この平和な世の中で不必要になったものはある。もう少し経てばまたみんな考えはじめるよあと千年くらいの時間にまた必要になる
272考える名無しさん:2006/12/23(土) 17:12:25
年取ると思弁的に明瞭に叙述できないけど、
「なんだ、こんなもんか」という思いが、人生
に対して持ち上がるようだな。
273救急隊員A:2006/12/26(火) 13:18:37

 哲学は総論であり、他は各論である。
274考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:26:16
パイでか
275予約可能本:2006/12/30(土) 02:10:57
現象学の根本問題講義
ハイデガー著 木田元監訳・解説
平田裕之・迫田健一訳

税込価格 : ¥6,090 (本体 : ¥5,800)
出版 : 作品社
ISBN : 4-86182-068-5
発行年月 : 2007.6
http://www.bk1.co.jp/product/02620555
276考える名無しさん:2006/12/30(土) 09:55:26
たけーよ
しかもまだ半年以上先だし

これでたいしたことない訳だったら
さすがに木田も脂肪だろ
277考える名無しさん:2006/12/30(土) 10:34:06
 時代はますますハイデガーを問題にせざるをえなくなる。それは明らかだと思う。いじめにおける出生の問い。何に向けて生きるのか、の喪失。人間とは何者なのか、個体と時間への問い。ますます身近に感じられてくるハイデガー。コピーみたいだけど笑
278考える名無しさん:2006/12/30(土) 11:30:28
訳を問題ないだろうけど、それまで木田さんが生きているかどうか
279考える名無しさん:2006/12/30(土) 13:14:57
>>278
訳を問題ない?
280折橋康雄:2006/12/31(日) 13:30:49
          o。_。_lコ<o>     |l≡≡≡|ミ|__。≠_〇o
 。+ +。。。。。 |l|FFFFFFF|。 。 .。 +|l≡≡≡|ミ|EEEEEEEEEEE|lll| .。+
  * o  o.   |l|FFFFFFF / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     。。oo  |l|FFFFFF | 職も彼女も見つからないうちにもう正月か…
   /| ̄ ̄ ̄l ::|FFFFFFF \
   |ミ|:」」:」」:」| ::|FFFFFF     ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |ミ|:」」:」」:」| 〇 FF.。   ∧_∧  |l≡o + +! + 。 〇   +
   lミl.」」.」〇 ++ +  (´・ω・) o  〇 。 o  +   〇 。 +
  __〇___。_゚__/ ~つと)____o______〇__o___。
  二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二Il二
281考える名無しさん:2006/12/31(日) 14:37:35
>>278
(超訳)
訳を任せた平田裕之・迫田健一の二氏は、木田氏の弟子に当たり、
『シェリング講義』など、ともに木田氏との共訳もこなしている経歴からして
訳に問題はないだろうけど、漏れ聞くところに拠れば、
木田氏の健康がすぐれないという噂もあり、この遅延に遅延を重ねてきた翻訳が
氏の存命中に上時されるかどうか、一抹の不安なしとはしないのである。
282考える名無しさん:2007/01/01(月) 07:02:25
木田にとって「余人に代え難い弟子」ということなんだなw
283考える名無しさん:2007/01/08(月) 01:03:54
創文社のハイデガー全集はまだ全部出揃ってない?
一気に纏め買いしたいと思っていたんだけど、そうもいかないんだな。
それともハイデガーは存在と時間さえあれば、どうでもよかったりするのだろうか?
284考える名無しさん:2007/01/08(月) 04:58:45
ハイデガーは『存在と時間』さえあればあとはどうでもよい、わけではないね。全巻揃えられる金銭的空間的余裕があればそうしたいぐらいだ。俺は諦めてるけどね。創文社版『有と時』は訳はいいが目次がないのが難点だろうね。その点中公パックスやちくま学芸文庫は→
285考える名無しさん:2007/01/08(月) 05:05:22
→言葉で引きやすい。失礼“目次”でなく“索引”だ苦笑『ニーチェ』になると逆に創文社版に索引があり、平凡社ライブラリー版にはない。だから平凡社版ではじめ読んだが結局創文社版のも買う羽目になった。創文社版全集に手厳しい木田元のような人もいるが→
286考える名無しさん:2007/01/08(月) 05:12:17
→長年邦訳が未刊だった重要な草稿や講義がアレで読めるようになった、その功績は否定できない。
 それと、さっき中公パックス『存在と時間』読んでたら、あの作品中の〈有限性〉について、次のような訳註が付してあった。
《ハイデガーにおける「有限的→
287考える名無しさん:2007/01/08(月) 05:23:31
→endichということは、現存在としての人間が、それへとかかわるべき終わりEndeを、すなわち死をもっているということであって(…)。死は生のさなかで切迫しているのであって、終わりとしてのそうした死へとかかわるそのことが、「有限的」ということなのである》→
288考える名無しさん:2007/01/08(月) 05:39:46
→これはしかし回りくどく、むしろ端的に実存可能性のことだと言えば間違いではない。また、『形而上学の根本諸概念』13-14頁での〈世界‐有限性‐単独化〉の組み合わせで説明するのが合っている。同書336頁では《有限性は弁証法を不可能にし、これを仮象として→
289考える名無しさん:2007/01/08(月) 05:47:51
→示す。》のような言い方もしている。〈有限性〉一つとっても『存在と時間』後の講義の中で、より切れ味の良い言い方でスパッと言い換えている。
 そう考えると全集揃えるのは悪くない。しかしカネと置き場所があればの話で笑
290考える名無しさん:2007/01/08(月) 11:54:04
↑なんで改行しないのか
291考える名無しさん:2007/01/10(水) 01:33:12
ハイデッカー難しいよな
途中で挫折しそう

お前らはどんな本を参考にして読み解いてる?
292考える名無しさん:2007/01/11(木) 20:03:30
ハイデッガーの文章は回りくどいようだが、ゆっくりと味わうといい文章だ。たとえば
「存在と時間」中公バックス「世界の名著」原佑・渡辺二郎訳593ページ)
 「現存在が先駆しつつ、おのれのうちで死がすでに自らの生命のすぐ近くに強く存在
していることを自覚するとき、現存在は、死に向かって自由でありつつ、おのれに有限
的ににしかありえない自由という固有の圧倒的な力を感じることにおいておのれを了解
する。」
 いいよね。>>291そうだなあ。意外だが、中島義道。
293考える名無しさん:2007/01/11(木) 23:01:16
ハイデッガーの文章を味わおうなんて思ってもあまり得る物はないよ
それこそキルケゴールやドストエフスキーでも読んでたほうが良い

>>291
入門用には木田や竹田でもいいけど一度これらを読んだら一回内容は
全部忘れてしまった方がいい
厳密にハイデッガーを研究なりしたい人には適さないよさすがに

細川とか渡邊でも読めばあとは原典や二次文献に触れた量かな
294考える名無しさん:2007/01/11(木) 23:03:17
19 :考える名無しさん[] :04/11/06 19:24:48
『現象学の根本問題』M・ハイデガー木田元訳 予価:2800円(税別)作品社


655 :考える名無しさん[] :05/01/24 00:33:45
★ 2005年4月刊行予定の本

『現象学の根本問題』  ハイデガー  木田元訳  予価:4800円(税別)

http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/kinkan-info.htm


84 :考える名無しさん[] :2006/01/24(火) 13:48:03
★ 2006年5月刊行予定の本

『現象学の根本問題講義』  ハイデガー  木田元訳  予価:5800円(税別)


275 :予約可能本[sage] :2006/12/30(土) 02:10:57
現象学の根本問題講義
ハイデガー著 木田元監訳・解説
平田裕之・迫田健一訳

税込価格 : \6,090 (本体 : \5,800)
出版 : 作品社
ISBN : 4-86182-068-5
発行年月 : 2007.6




さすが闇屋wwwwwwwwww
295考える名無しさん:2007/01/11(木) 23:15:10
だからもうやばいんだって
きっと最後の仕事だよ
296考える名無しさん:2007/01/12(金) 01:27:33
ハイデガーの核心についての簡潔な要約としては全集第3巻『道標』収録の「根拠の本質について」を読むといい。全体で60頁弱だが、カントとハイデガーの関係がよく解る。カントをいかに読み、それを有論への懸け橋としてどう読み込み、突き詰めたかについて→
297考える名無しさん:2007/01/12(金) 01:33:57
→ハイデガー自身の筆でよく描かれている。
 ハイデガー思想をとらえる場合には、彼の使う世界概念が何なのか、が一つの頂点になる。
 それについてもこの論文では簡潔に言われている。それは創文社版『道標』171頁にあり、→
298考える名無しさん:2007/01/12(金) 01:40:35
→すなわち、《吾々は、そこへ向って現有が現有として(有るものを)超越するところを、世界と名づけ、そして今や超越を世界の‐内に‐有ることとして想定する。》
 また、同書193頁では世界についてこうある。《世界は全体性として、→
299考える名無しさん:2007/01/12(金) 01:43:54
→いかなる有るもので「ある」のでもなく、現有がそれ自身を如何なる有るものへ関わり合わせ得るか、そして如何なる仕方でその有るものへ関わり合わせ得るかということに関して、そこから現有がそれ自身に指示を与えるところのものである。》→
300考える名無しさん:2007/01/12(金) 01:48:23
→ハイデガーにおける世界概念が《いかなる有るもので「ある」のでもなく》という点は重要で、また「世界」という名辞について今使われている意味とはまったく違っている。なぜ、どう違うのか、を捉えるならば、ハイデガー思想の中心に迫ることになると思われる。
301考える名無しさん:2007/01/12(金) 02:17:03
『根拠の本質について』は同時期のライプニッツ講義よりも分かりやすいしね

『現象学の根本問題』におけるZeit und Seinに相当する箇所って結局gdgdだし
その後のライプニッツやヘーゲル、そして特にカント解釈のほうがずっと面白い
302考える名無しさん:2007/01/12(金) 02:33:15
無常、生病労死は当たり前のことでハイデガーはそれを忘れているよ。
303考える名無しさん:2007/01/12(金) 20:55:46
坐禅と見性第50章 公案と見性B流れる水
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1167920142/
304考える名無しさん:2007/01/12(金) 23:53:51
>>296
ねぇ、なんでいつもそんな書き込み方するの?
嫌がらせ?
305考える名無しさん:2007/01/13(土) 14:38:16
>>302
> 生病労死
って、過労死のこと?

…いちおう突っ込んどく。

労働は苦しみである、という意味なら、
それはそれで分かる、と言うか、いいかもしれない。
306考える名無しさん:2007/01/13(土) 14:43:32
上でハイデガー全集をまとめ買いしたいという、お前
お答えです。
「ハイデガー全集」をまとめて手に入れることはできません。
なぜならば、
1)創文社から出ているのは「ハイデッガー全集」だからw
2)注文しても品切れが多く、手に入らないから。
3)翻訳の原典(Klostermann社のGesamtausgabe)がまだ全部出ていないから
4)お前らが生きている間に、翻訳の全集も完結しないかもしれないから
以上です。
307考える名無しさん:2007/01/13(土) 14:57:41
創文社の全集よりもクロスターマンの全集買えよ
翻訳のは図書館で借りれば十分
308考える名無しさん:2007/01/13(土) 16:40:21
306が“注文しても品切れが多い”と書いてるがそんなことはないね。丸ノ内丸善、神保町東京堂に行けば既刊のものはまずほとんど手に入る。本棚を二段使って並べてある。
309考える名無しさん:2007/01/13(土) 16:59:36
>>308
それは偶々在庫が残っているだけだろう。
そちらの方が例外だと思う。
池袋の淳久堂とか、神田の三省堂とか、
10冊くらいしか並んでいない。
アマゾンで3〜5週で発送と出ているのは、
版元に在庫がないという意味だろうと思う。
創文社に注文してすぐ届くのなら一週間もかからないだろう。
私が注文した数冊の本は、一ヶ月以上たっても届かず、
結局キャンセルした。
310考える名無しさん:2007/01/13(土) 17:20:24
 それはお気の毒。ただ、一時品切れでもそれで終わり、てことはないだろうと思うが…。
 取り敢えず丸善か東京堂に、郵送してもらえるか尋ね、郵送してもらえるならそれで買えばいいんじゃないの?
311考える名無しさん:2007/01/13(土) 17:23:36
 あれ?ジュンク堂や三省堂に行ってるなら、丸善も東京堂も行けるってことじゃないか。すぐ行け笑
312考える名無しさん:2007/01/13(土) 17:41:18
> 306が“注文しても品切れが多い”と書いてるがそんなことはないね。
すまんが、自分が何を言っているのか分かってる?
偶々東京堂と丸の内丸善で買えるということが、
品切れではないということなのか?
50冊本屋で注文して半分も来なければ、「品切れが多い」だろう。
それに、こんな売れそうもない本が一旦品切れになったら
再版するまで時間がかかるぞ。
313考える名無しさん:2007/01/13(土) 17:58:47
>>302
「死」を忘れているというと、問題がありそうがだが、
「生きる」ことの内にある何か大事なことを忘れてるとは言えるだろう。
それは、レヴィナスも批判してる。
314考える名無しさん:2007/01/13(土) 18:04:49
 まあまあ苦笑要は手に入れば良いのだろう?
 創文社版『哲学への寄与』(2005年6月発行)の巻末で全集既刊部が確認できる。この時点で40冊あるが、丸善や東京堂なら確認したわけではないが7〜8割は買えるよ。それでいいでしょ。
315考える名無しさん:2007/01/13(土) 23:14:32
あらためて辻村訳の『道標』読んだがかなりキツいなこの訳
同じ訳語の路線でも最近訳されたもののほうが随分と読みやすいわ
『寄与論考』とか『カント書』とかさ

ここまでくると「有」と「存在」の違いなんか大した問題じゃない
ってのがよくわかたった
316考える名無しさん:2007/01/16(火) 02:54:39
初心者ですこの頃、存在と時間を読み始めたのですが、こんなスレがあったとは…

いきなりで申し訳ないんですが、ハイデガーの言う『良心の理解』
を教えてもらえませんか??
なかなかうまく読解できなくて…
317考える名無しさん:2007/01/16(火) 03:36:49
 「良心の理解」てタームはあったかな(;^_^A あるとすれば「良心の呼び声」か「有の理解」だと思いますけどね。違うかな。
 そのことと、あと、誰の訳かも知らせてくれたら有り難いです。
318横レス :2007/01/16(火) 10:41:07
おまえら、そもそも哲学書を原書でなくして
邦訳で読もうというのが間違いだな。

まあ学生さんなら大目にみられるが、
これで院生なんていったらお寒い限りだなw
319考える名無しさん:2007/01/16(火) 19:35:27
プラトンとアリストテレスをギリシャ語で
トマス=アクィナスをラテン語で読んでるらしい
>>318 は、スルーということで。
320考える名無しさん:2007/01/16(火) 21:35:19
院生だろうが邦訳のあるものは邦訳で読めばいいよ
ただせめて引用する箇所やちょっと理解しにくかった箇所は
原書を参照するのは当然だけど

まぁ訳語すらめちゃくちゃなのは学部生でも問題外だけど
321考える名無しさん:2007/01/16(火) 23:07:45
ハイデガーの『形而上学入門』って形而上学の入門書としてどうですか?
322考える名無しさん:2007/01/16(火) 23:21:36
>>321
どういう意味での「形而上学」?
普通の意味での「形而上学」だったら、ダメ。
存在論という意味ならOK。
323考える名無しさん:2007/01/17(水) 13:16:30
ハードディスクの文献類整理してたら『存在と時間』の
マックスにーマイヤ版のPDF出てきたんだけどなんなんだろコレ?

全部きっちり文字がOCRで読み取られてて検索もできたり
するんだけど・・・
324考える名無しさん:2007/01/17(水) 13:28:49
325考える名無しさん:2007/01/17(水) 13:37:01
読むなら本で読むけど、
ダウンロードしておくと、安心はするよね。
326考える名無しさん:2007/01/17(水) 13:39:42
ああこれこれ
ついでに上の階層行っていろいろ落としてみた
327考える名無しさん:2007/01/17(水) 13:43:58
ハイデガーのスレなんだから、
Ereignis
のアドレスも貼っておくか。
http://www.webcom.com/~paf/ereignis.html
328考える名無しさん:2007/01/18(木) 02:51:47
>>324
それすごいね。教えてくれた人ありがとう。
329考える名無しさん:2007/01/19(金) 12:56:24
ハイデガーの『根拠の本質について』は表現、思想本質論としても応用可能だろう。
 というのも、〈何故―は…であるか(でないのか)、何故なら〜だから〉の応答における、最初の〈何故〉の中に、根拠への問いは既に始まっている。そこで更に遡行すると、〈―が有る〉、へ行き着く。つまり、根拠への問いは有論の展開だと考えられる。
 ところで〈何故…であるか〉の〈何故〉の場所は実存的である。〈何故〉の場所は私が引き寄せられるように、または向こうから引き寄せられるように来る。それは〈―は…である〉に最初に着目するその仕方が問いを答えへ向けて離陸させる、始まりであることを示している。
330考える名無しさん:2007/01/21(日) 21:11:34
ハイデガーの言語への分析力には神がかった鋭さがある。
331考える名無しさん:2007/01/23(火) 00:07:07
とんでもえちもろぎです
332考える名無しさん:2007/02/14(水) 18:50:49
哲学は初心者です。

「存在と時間」の岩波訳は評判が悪いようですが、
他の邦訳と比較した時に、どのような違いがありますか。
少し読んだ限りでは読みやすいように思えたのですが、
桑木訳で読むことのデメリットは何ですか。

またドイツ語で読む場合にはどのくらいの語学力が必要ですか。

存在論として読むというより、
ハイデガーの代表作として読むといった感じです。
各論でも総論でも構わないのでアドバイスお願いします。
333考える名無しさん:2007/02/14(水) 19:08:24
   ∧ ∧    ┌────────
  ( ´ー`)   < シラネーヨ
   \ <     └───/|────
    \.\______//
      \       /
       ∪∪ ̄∪∪
334考える名無しさん:2007/02/14(水) 19:16:23
>>332

 アレは評判悪かったんですか。それは知らなかった。

デメリットがあるか否かは解りませんが、ただ、僕が抵抗感ずるのは文体だけですね。
 桑木訳だと講義調に仕上げられてて、「です。ます。」なんです。あの作品は講義原稿としては書かれてないから、「です。ます。」調は誤りでないかと思えるんです。

 ただ、それに抵抗なく読める人だったら、そのまま読みすすめればいいんじゃないですかね。柄谷行人や吉本隆明など、『存在と時間』から引用する場合に桑木訳から引用する書き手もいますから。
335考える名無しさん:2007/02/19(月) 08:32:59
>>241のカッセル講演って木田の解説以外は結構有益な資料だったよ
336考える名無しさん:2007/02/22(木) 00:49:52
哲学板のデリダスレッドを何げに読んでいたら、“ハイデガーはデリダに越えられている”と普通に書いている人がいた。ほぉ、と思いながら読んだ。

すでに色んな方が指摘もしていることだろうが、デリダの書いたものを読んでいると、ハイデガーから影響を濃密に受けていることはよく判る。思考の形態からして酷似している。言語への眼差しなどもよく似ている。

 さて、デリダがハイデガーを越えた、と云う場合、どのような意味合いでそう云われるのか。
 恐らく、存在がいかなる様相からみても掴めない、未規定的である、ということ、そこをデリダが持論の基礎としている点、そこが越えた、と云われるのではなかろうか。

 それはなきが如くにある、或いは、あるが如くにない、つまりは《〜でない》という形式でなければ指示できない。デリダの贈与論にもその存在論はよく現われている。贈与が贈与たりうるためには、それがない、という形式でなければありえない、とデリダは云う。

 ところで、このようなデリダの手つきがハイデガー的だと云うことはできない。ハイデガーの存在論は、否定神学に片足載せてそうでその実は足を載せてないからだ。また、だからハイデガーの存在論はさまざまな方角へ展開可能な余地を含んでいる。

 少なくとも、《ない、という形式でのみある》という未規定性は、ハイデガー存在論とは関係ない。また、そこを以てして優劣など決められないだろう。
337考える名無しさん:2007/03/02(金) 00:15:14
わざわざ言うまでもないね。
ハイデガーの影が感じられない思想家なんて今いないでしょ。
338考える名無しさん:2007/03/02(金) 00:25:06
>>332
あの訳だとなかなか読めないでしょう。
それぞれ訳によって日本語に直しにくい単語や言い回しを
巧く訳そうとしていますが、訳によっては何を言っているのか分からない訳があります。
細谷さんのちくま学芸文庫から出ているものが手ごろで良いと思います。
339考える名無しさん:2007/03/02(金) 04:31:36
よくSein und Zeitは細谷訳が良いとか言われるけどあれって
transzendentalを超越的と訳してるようなレベルの訳なんだよね
340考える名無しさん:2007/03/02(金) 08:19:57
>>339
これはもともと理想社の選集で1963年に出た訳だろう。
「transzendental」を「超越論的」と訳すようになったのは、
理想社のカント全集(原訳)辺りから定着するようになった、
その後の習慣ではないのか?
「超越的」で意味が分からなくなるということもない。

> 「というレベルの訳」

の意味を聞かせてもらいたい。
341考える名無しさん:2007/03/03(土) 01:08:36
よく参照されるとこだけどニーマイヤ版でいうと38ページあたりだっけ?
ラテン語混じりの部分あるじゃん

あのあたりでカント等の近代的な「超越論的」哲学とスコラ的な「超越」概念が
ゴチャゴチャと話題になる部分なんかがこの翻訳方針では決定的に理解し辛い
(この文脈に触れずSein und Zeit読むなんて余りにも無理があるでしょ?)

事実細谷訳読んでも理解し辛く原書や他の翻訳あたって初めて何を話題に
してるのかが理解できるという感じ

この翻訳ってなまじ日本語として読みやすいだけに核心部分までもサラっと
スルーしてしまって原書読む前の内容把握にも不向きだと思う

学部レベルのレポート書くなら細谷訳以上のものは無いと思うんだけどね
342考える名無しさん:2007/03/03(土) 02:55:35
>>224
細谷訳は俺も好きだし、いい訳だと思うけど、
中公の原・渡邊訳も悪くないんじゃない?
それとも原・渡邊訳よりも細谷訳が上と考えてる?
343考える名無しさん:2007/03/03(土) 11:14:39
第七節の終わりの辺り、ですね。
そんなに理解し辛いですか?

「哲学の根本主題としての存在は、存在者の類ではない。
しかも、それはありとあらゆる存在者にかかわるものである。
それの「普遍性」は類よりもなお高いところに求めなくてはならない。
存在と存在構造とは、いかなる存在者をも越え、
存在者のあらゆる存在的規定性をも超えたところに位する。
存在は絶対的超越(das transcendens schlechthin)である、
現存在の存在の超越は、そのなかにもっとも根源的な固体化の可能性と必然性が
伏在しているかぎり、特殊的な超越である。
transcendens(超越)としての存在を開示することは、すべて超越的認識である。
現象学的真理(存在の開示態)は、veritas transcendentalis(超越的真理)である。」

Das Sein als Grundthema der Philosophie ist keine Gattung
eines Seienden, und doch betrifft es jedes Seiende. Seine ≫Universalitat
≪ ist hoher zu suchen. Sein und Seinsstruktur liegen uber
jedes Seiende und jede mogliche seiende Bestimmtheit eines Seienden
hinaus.Sein ist das transcendens schlechthin. Die Transzendenz
des Seins des Daseins ist eine ausgezeichnete, sofern in
ihr die Moglichkeit und Notwendigkeit der radikalsten Individuation
liegt. Jede Erschliesung von Sein als des transcendens ist
transzendentale Erkenntnis. Phanomenologische Wahrheit
(Erschlossenheit von Sein) ist veritas transcendentalis.
344考える名無しさん:2007/03/03(土) 11:26:52
> この翻訳ってなまじ日本語として読みやすいだけに核心部分までもサラっと
> スルーしてしまって原書読む前の内容把握にも不向きだと思う

> 学部レベルのレポート書くなら細谷訳以上のものは無いと思うんだけどね

言ってることがよく分からん。
難しいところは飛ばして訳してるという噂のある
岩波のカントと間違えてるんじゃないのか?
345考える名無しさん:2007/03/03(土) 11:56:21
>>343
訳の下から二行目の
>超越的認識
だけれど、

ここは「超越論的認識」でいいと思うけどなあ。
存在は超越的だが、存在の開示は超越論的だ、
言っていいはずだから。
346考える名無しさん:2007/03/03(土) 12:40:22
中世のtranscendentalia(超越範疇=「「1」「善」「存在」など)と
近代のtrenszendental哲学(カント→フッサール)とを掛けて
説明しようとしている訳ですね。駄洒落みたいなもんだと思うけど。
347考える名無しさん:2007/03/03(土) 15:51:25
駄洒落みたいなもんというか割と存在と時間の核心部分じゃないの?
しかも確かに細谷訳じゃ分かりにくいね。

そもそも一体何を話題にしてるかすら分かりにくいし、訳注くらいあっても
良いと思う。
348考える名無しさん:2007/03/03(土) 16:53:43
>>341
「超越的」の訳は分かった。
同じような例をもう一箇所挙げられるか?
349考える名無しさん:2007/03/03(土) 20:31:31
>>340が言うように、1963年頃だと、transzendentalは「先験的」が定訳だったんじゃないか。
でも「先験的」と訳すと、「超越」との関係が見失われるから、ここでは意味が通じない。
で、「超越的」と訳したんだろう。現在の用語法では「超越論的」と訳した方がよかったんだろうけど。
350考える名無しさん:2007/03/21(水) 15:17:43
君達、自分がやっている事がどう社会に貢献できるのか考えた事はあるか?
351考える名無しさん:2007/03/21(水) 15:18:17
>>350
スレ違いだから他に逝ってくれ
352考える名無しさん:2007/03/21(水) 15:30:21
ハイデガーを研究してどのように社会に貢献できるのか考えた事はあるか?
世の中で社会への貢献と無縁に給料もらう人間なんてごくごく例外的な存在だよ。
353考える名無しさん:2007/03/21(水) 15:47:52
>>352
問いがそもそもおかしい。
給料をもらえれば社会に貢献することになるのか?
貢献とは何を言っているのか?
そもそもなぜ社会に貢献しなければならないのか?
人間の生きる目的がそうだとも言いたいのか?
これらを明確にしてから、適切な問いを書き込みなおせよ。
ハイデガーを読んでれば、おまえのように
いいかげんな問いを立てることの馬鹿さ加減が
すぐに見抜けるという程度には役に立つよ。
354考える名無しさん:2007/03/21(水) 16:10:03
>給料をもらえれば社会に貢献することになるのか?
よく読みなおせ、言っているのが逆だ。
給料をもらっているのは大概社会にたいして何らかの貢献をしているものだと言う事だ、事実として。

>貢献とは何を言っているのか?
社会の利益にかなっているとでも言っておこうか?

>そもそもなぜ社会に貢献しなければならないのか?
だれも貢献しなければいけないとは言っていない。ただ普通はそれによって給料を得る人間は何らかの形で貢献しているものだという事実を示したまでだ。

>人間の生きる目的がそうだとも言いたいのか?
だれも人間が生きる目的がそんなことだとは言っていない。
意味がわからん...

たとえば国立大学の学者さんなどはその分野の学問を進展させる行為によって何らかの貢献があり、それによって給料をもらうものだろう。
学術論文などを書く際に、そういった部分を少しでも意識してるか?ということだ、問うているのは。
単純な意識レベルを問うているだけだ。

さて、問いのどこがおかしいのか指摘してもらおうかな?
具体的に指摘してもらえないかな、いい加減な問いという前に。
355考える名無しさん:2007/03/21(水) 16:39:32
>たとえば国立大学の学者さんなどはその分野の学問を進展さ
>せる行為によって何らかの貢献があり、それによって給料を
>もらうものだろう。
>学術論文などを書く際に、そういった部分を少しでも意識
>してるか?ということだ、問うているのは。
>単純な意識レベルを問うているだけだ。

なんだそういうことが訊きたいのか。
そうなら初めからそのように具体的に訊ねるべきだ。
ハイデガーの思想を読んだり知りたい人は世の中に
沢山いるので、大学の学者は、そういう人を教育したり
研究書や解説書などを通じて啓蒙することにより、給料や
印税をもらい、(君のいう意味での)社会貢献に役立って
いる。それで何の問題もない。
ハイデガーに興味がない人は黙っていればよろしい。
356考える名無しさん:2007/03/21(水) 16:49:53
どちらが馬鹿なのか...
357考える名無しさん:2007/03/22(木) 03:18:05
社会に貢献なんて常にしちゃってるし。
本買うだけで十分。
カキコするだけで十分。
人に話せば十二分。
358考える名無しさん:2007/03/23(金) 00:31:31
常にしちゃってる事を問うのがハイデッガー
359考える名無しさん:2007/03/23(金) 13:38:38
で、その根源を求めたのがヤスパースと。
360考える名無しさん:2007/03/23(金) 21:42:05
つまりはアリストテレスと。
361考える名無しさん:2007/03/23(金) 21:56:55
ハイデガーにとってシェリングの思索が非常に重要。
本人のシェリング講義はあるものの、本格的な解説書はほとんどない。
362考える名無しさん:2007/03/25(日) 22:00:54
通俗的な話で申し訳ないけど、
ハイデガーの思想って今の嫌煙権運動なんかにも応用できそうだけど、
バカな喫煙権論者にはやっぱファシズムと結びつけられちゃうんだろうな。
363考える名無しさん:2007/03/31(土) 01:08:18
 昨年に引き続いて、今年の夏も、今度は関西の京都大学で第二回 ハイデガー・フォーラムが開催される。今年の特集は「時間と存在」、統一テーマは「アリストテレスと古代ギリシア哲学」だとか。

 昨年開催された第一回大会が参加者も多く、講演と討論も盛り上がっただけに今年の大会にも期待したいところです。

 ハイデガー・フォーラムのHPに各講演の担当者と演題が発表もされましたね。頑張ってよいものにしてほしいと思います。
364考える名無しさん:2007/03/31(土) 23:22:02
>ハイデガーに興味がない人は黙っていればよろしい。

別な意味で興味があります。
ハイデガーだのヤスパースだの、しょせんは観念論の妄想エッセーじゃないですか。
そんなことやっててむなしくならないのですか?
カルト宗教にのめりこんで人生の時間を浪費したり、スピリチュリズムだか
なんかの背後霊だの前世だのをあれこれ楽しんでいるのと同じではないですか。
365考える名無しさん:2007/03/31(土) 23:26:55

>ハイデガーだのヤスパースだの、しょせんは観念論の妄想エッセーじゃないですか。

いかにも英米哲学の犬コロぽいぞ。
366考える名無しさん:2007/03/31(土) 23:27:02
凄いレベルの馬鹿がやってまいりました
367考える名無しさん:2007/04/01(日) 00:08:52
観念論とか抽象的って言葉を「よく分からないもの」を指して使う人ってさぁ・・・
368考える名無しさん:2007/04/01(日) 23:15:22
>>367
凄いレベルの馬鹿がやってまいりました
369考える名無しさん:2007/04/01(日) 23:36:52
ん?悔しかったの?
370考える名無しさん:2007/04/01(日) 23:52:48
哲学が誤解され軽蔑にされるようになったのも実存主義が戦犯。
その中でもハイデガーは最大級の戦犯。
同じ文系でも歴史学や経済学はまだ科学的にコツコツやってるといえるが。
まあ、ハイデガーだの実存主義だのやってもいいけど、やるなら
せめて「哲学」とか名のらずに「ドイツ文学」「人生論」とかのジャンルで
やって欲しいものです。
マルクスだっけか、哲学は論理学と弁証法とその他の実証的な学問に
解消されていく、みたいな言葉があったが、その通り。
観念の遊びや言葉遊びを「哲学」といって欲しくない。
371考える名無しさん:2007/04/02(月) 01:13:22
せめて Sein und Zeit 読んでからそういう事は言ってねw
372考える名無しさん:2007/04/02(月) 01:20:30
ハイデガーって364=370みたいに読んだ事もない人にまで
(間違ったものであるにせよ)イメージ与えるくらいなんだから
やっぱデカい存在なんだぁ
373考える名無しさん:2007/04/03(火) 05:09:09
ハイデガー=実存主義と考えてるならお粗末な限り。
374考える名無しさん:2007/04/03(火) 05:25:01

いや、たしかにSpielはハイデガーにとって大変重要ですな。
こんな程度が低いお粗末なやつでもドイツ語は読めるんだね。

375考える名無しさん:2007/04/04(水) 01:20:20
>>364
>>ハイデガーだのヤスパースだの、しょせんは観念論の妄想エッセー

ドイツ哲学の歴史を何一つ知らないんだな…。

日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。

※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
       【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
       【土・日】21:00?24:00

http://www.ch-sakura.jp/index.html

377考える名無しさん:2007/04/07(土) 10:08:05
電子ジャーナル『Heidegger-Forum』 創刊号
http://www.shujitsu.ac.jp/shigaku/hf/ej.htm
378考える名無しさん:2007/04/08(日) 00:10:51
transzendentalをめぐって

先験的(←ちゃんと変換できる)はカントくらいからクローズアップ
された言葉で、「経験に先立って」という意味を持つ。
人は単にぼけっと物を認識するのではない、何かを認識するために
人間には先験的カテゴリーがあるのじゃ、という風に。

転じて、「経験に由来しない」、「経験とは無関係の」という意味でも
使われるようになる。
そこから「超越的」という訳語もいいんでない?経験を越え出た、という
ニュアンスを持たせるためにさ、となったが、
哲学では「超越」という言葉は別の意味がすでにあったため(「超越者」など)
「超越論的」にしませう、というところで落ち着いた。
379考える名無しさん:2007/04/08(日) 00:38:53
>>378
>「経験に先立って」という意味

これは「アプリオリ」のことと違うの?
380考える名無しさん:2007/04/08(日) 05:43:35
超越だの先験だの死だの不安だの、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
381考える名無しさん:2007/04/08(日) 06:16:18
ニーチェだのハイデガーだのサルトルだのって、「哲学」を名乗らないで
欲しいですね。はっきり言って迷惑。
ハイデガーを読む人は、自分の人生の時間をドブに捨てるのも自己責任。
382考える名無しさん:2007/04/08(日) 06:28:05
>>379
カント『純粋理性批判』
「私は、対象に関する認識ではなくてむしろ我々が一般に対象を
 認識する仕方−それがア・プリオリに可能である限り、−に関する
 一切の認識を先験的(transzendental)と名づける。」

ある経験に先立って働くものは、経験した後に振り返って
見出されるので、ア・プリオリとア・ポステリオリは同じこと
だと言われますね。
383考える名無しさん:2007/04/08(日) 17:42:51
transzendentalを先験的としちゃうと
ア・プリオリと区別がつかなくなって
同語反復になっちゃうと思うんだけど。
384考える名無しさん:2007/04/08(日) 20:33:33
>>378
馬鹿か?こいつ
385考える名無しさん:2007/04/09(月) 02:01:15
アホはお前だ!
386考える名無しさん:2007/04/09(月) 04:17:46
アホは坂田だ!
387考える名無しさん:2007/04/09(月) 10:25:17
> 先験的(←ちゃんと変換できる)はカントくらいからクローズアップ
> された言葉で、「経験に先立って」という意味を持つ。

この時点で読む気なくした
388考える名無しさん:2007/04/09(月) 12:26:35
>>387
読んでんじゃんw
釣られるなよ、ボケw
389考える名無しさん :2007/04/09(月) 16:02:44

ハイデッガー全集でまともに読めるのは何巻?
390考える名無しさん:2007/04/09(月) 16:18:51
某教授「パンツハイテッカー」

完全にセクハラです
391考える名無しさん:2007/04/09(月) 17:34:00
そうでっかー
392考える名無しさん:2007/04/09(月) 21:08:13
さいですか
393考える名無しさん:2007/04/09(月) 21:08:48
差異ですか
394考える名無しさん:2007/04/09(月) 21:13:41

       ________   
     /:.'`::::   :::::\   
    /::            \   
   /::.  ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' ::: ヽ
   |:: ン -==-∴-==- < |
蛙邊矧憎魔璽斐螺禰佐都簑菟匙簾邊獅
   ヽ_`⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒_/ 
      ヽ: il´トェェェイli/     
      ヽ:!l |,r-r-|!/   
       \:`ニニ´/ 


これが基本中の基本です。これを押さえておかなければお話になりません。
395考える名無しさん:2007/04/09(月) 21:39:10
青木孝平っていいよなぁ
396考える名無しさん:2007/04/09(月) 22:51:20
>>389
まともに読めるのはありません。廃出我ですから。

一度でいいから廃出我に聞いてみたい。
存在の意味を問うことの意味を。
397考える名無しさん:2007/04/09(月) 23:12:31
個別科学に対する哲学の仕事
398考える名無しさん:2007/04/09(月) 23:26:20
「ある」とはどういうことだろう

存在論に不可避的に言及せざるを得ない。哲学者の使命
399考える名無しさん:2007/04/10(火) 00:27:24
フルチン・デッカー
400考える名無しさん:2007/04/10(火) 04:19:58
そうでっか。

だから観念論はタチが悪い。
自分の人生ですから、存在に自分の意味を与えようとするのは勝手ですが、
おとなしく人目に触れないところでやってもらいたいものです。

存在の姿をより詳細に解き明かそうと日々努力している自然科学の立場からすれば、
哲学の名を語って偉そうに存在に「意味」なんて与えようとする姿は滑稽としかいいようがありません。
まあ、ハイデガーは、やはりといいますか、結局「存在の意味」の
具体的姿を明らかにできなかったわけですが。
401考える名無しさん:2007/04/10(火) 07:57:19
ハイデッガーを読むのはとても哲学史を学ぶうえでも有益だと思う今日この頃です。

402考える名無しさん:2007/04/10(火) 08:03:02

                  ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ
       / ̄ ̄ ̄`⌒\ミ   ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡
      /             ヽ i''"        i彡
      |  _,___人_   | 」    /' '\  |
      ヽ|´ ┏━ ━┓`i //  -・=-, 、-・=- |
       |  《・》 《・》  | !|    ノ( 、_, )ヽ  |
      (6|   ,(、_,)、  |6)    ノ、__!!_,.、  | 、
   ,-  、| ヽ  トェェェイ  /.∧     ヽニニソ    l \
  / ノ / |  ヽ ヽニソ //\ヽ       ┌、ヽ   ヽ,
 /  L_   \___/      ヽ. `ー--一' l__( { r-、 .ト
    _,,二)     /             〔― ‐} Ll  | l) )
    >_,フ      /                }二 コ\   Li‐'
         それより、野球やろうぜ
403考える名無しさん:2007/04/10(火) 08:32:17
ハイデガーの山小屋みたいな場所でしばらくのんびりしたいと思う今日この頃です。
404考える名無しさん:2007/04/10(火) 08:49:13
客観的存在に「意味」を与えようとするなど、常に自分の意識から
出発しておきながら「俺は実存主義者じゃない」と虚勢をはりたい
今日この頃です。
405考える名無しさん:2007/04/10(火) 08:53:24
全集65巻を買う金のない今日この頃です。
406考える名無しさん :2007/04/10(火) 10:09:23

実物みてるわけじゃないけど
訳者からすると3,5,12,27,33,40,56,57あたりが
まともそうな感じがするが、どうでしょうか?
407考える名無しさん:2007/04/11(水) 09:17:19
> 存在の姿をより詳細に解き明かそうと日々努力している自然科学

やっぱハイデガ読んだことないんだろな・・・
408考える名無しさん:2007/04/11(水) 18:11:27
まあ、やはりといいますか、ハイデッガそうでっかなんかを振りかざしている
人間なんて、所詮は「読んだことないだろ」「俺様はお前らと違ってドイツ語で読んでるんだぞ」
などと自慢してみせたりするレベル。そのわりにはウムラウト記号を無視してコピペしても
違和感を感じていない様子。
「実存主義でない」などと偽装しようとしても、世間からみればただの実存主義。
ただの観念論。
409考える名無しさん:2007/04/11(水) 18:35:13
実存主義も立派な哲学です。
410考える名無しさん:2007/04/11(水) 19:03:55
一度でも読んでみたら分かることだが『存在と時間』なんて
徹頭徹尾、哲学史的な問題意識に貫かれていることが分かるし
そもそも観念論批判が一番のハイデッガーの存在論の眼目でしょ

あと実存主義うんぬん言ってるが意味わかって使ってる?
実存主義=オレ哲学程度の理解でしょ?
411考える名無しさん:2007/04/11(水) 19:13:32
>>410
> 一度でも読んでみたら分かることだが『存在と時間』なんて
> 徹頭徹尾、哲学史的な問題意識に貫かれていることが分かるし
> そもそも観念論批判が一番のハイデッガーの存在論の眼目でしょ


> あと実存主義うんぬん言ってるが意味わかって使ってる?
> 実存主義=オレ哲学程度の理解でしょ?

 そうねー。せっかくこーゆー皆の目につく場所にきて発言するんだから、せめて著作のなかの一節だけでも集中して読解して、それから発言してくれたら有り難い。

ハイデガー本人の言説を出して云ってくれれば議論も起こしやすい。耳知識や風聞だと実際に読んだ人にはすぐ分かってしまい、議論にもならない。
412考える名無しさん:2007/04/11(水) 19:19:13
> 世間からみればただの実存主義。
> ただの観念論。

この時点でどちらも意味分からず使ってることが明らかじゃん
413考える名無しさん:2007/04/11(水) 22:52:02
ハイデガー業界も「パクらー」が結構多いなあ。
ハイデガーのパクリ癖が遺伝してんだろうな。
414考える名無しさん:2007/04/12(木) 13:17:36
ゴミ掃除はいいからさあ、
もっと専門性の高いハイレベルな議論をしてくださる?
415考える名無しさん:2007/04/12(木) 22:36:49
ハイデガーのパクリ癖は悪質だからな。
416考える名無しさん:2007/04/12(木) 22:48:51
「おれを実存主義と一緒にするな!」と実存主義者に言われる実存主義者がかわいそうです。
観念論に批判される観念論がかわいそうです。
偽装を得意とするハイデガーです。
417考える名無しさん:2007/04/13(金) 00:11:03
ゴミをまいあがらせるようなこと書くなよ
議論したいならさ
418考える名無しさん:2007/04/13(金) 19:54:04
ハイデッガー研究者になるにはドイツ留学は必須なのですか?
419考える名無しさん:2007/04/13(金) 20:49:05
もちろんドイツ語はできないといけないが
最近は研究するならアメリカでもいいんじゃない?
420考える名無しさん:2007/04/13(金) 23:21:01
マルクスが言ってたでしょう哲学は観念論だって
421考える名無しさん:2007/04/14(土) 23:26:01
>>419
アメリカでのハイデガー評価って高まっているのか?
ドレイファスくらいなら知っているが・・・・・・。


>>420
観念論をどこで線引きするかだな。
ある意味で全ての学問が観念論←というのが観念論か。
422考える名無しさん:2007/04/15(日) 02:36:36
ドレイファス学派健在かな
あそこいけばそりゃ箔はつくな
423考える名無しさん:2007/04/15(日) 07:51:01
ドレイファスは「ハイデガー研究者」としてはあまり出来がよくないでしょ
424考える名無しさん:2007/04/15(日) 10:49:33
 ヘーゲルにおける即自、対自、でいえば、ハイデガーが真性と考えたのはむしろ即自の方なんでしょうね。

だからこそ脱‐存Ex-istanzなわけで。しかも脱‐存において、有るものが有るものとして現れるのと、その覆蔵性は同時である、これは有の忘却の始まりであるし、ヘーゲルにおける対自の始まりでもある。

 知の歴史が有の忘却の歴史でもある、という観点はその後フーコーにも受け継がれ、深められたような感がある。フーコーは晩年のインタヴューで「私はハイデガーのことが実はずっと気になっていた」と語った、というのを読んだことがあるけども、それはそうだろうな、とも思えます。
425考える名無しさん:2007/04/15(日) 15:18:36
>>423
よくも悪くもアメリカ人哲学者という感じがする。
キッパリしている所は支持しつつもキッパリしすぎている所は……

426考える名無しさん:2007/04/15(日) 15:44:12
アメリカでも普通にハイデッガーの翻訳とかしてる研究者の論文のほうがマトモだよ
「ハイデッガー研究」としてはね
427考える名無しさん:2007/04/18(水) 23:05:00
誰かリーダーバッハの「ハイデガーの日本での受容」批判を
批判してくれ。
上手く言えんのだけど、凄く恣意的に選択された上、
可能性検討されることなく全否定されていってるような気が。
428考える名無しさん:2007/04/28(土) 01:21:10
2007年06月
ハイデッガー全集 44
西洋的思考におけるニーチェの形而上学的な根本の立場(44)
ハイデッガー、M 著
菊池 恵善 訳
グッツオーニ、A 訳
429処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 08:38:09
>>427
ハイデガーが「国家社会主義、即ちナチズム運動の内的真理と偉大」として
『形而上学入門』で規定した、「地球全体の惑星的本質から規定されて
いる技術と近代的人間との出会い」は解剖台の上でのミシンと
コウモリ傘の出会いのように美しい!
430処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 12:19:41
問題は、所謂「日本主義」における本質論だよな。
それは、どこまでも本質主義的な日本特殊論で
しかないのか、それとも固有性の中に普遍性を
見出す姿勢があるのか。

などと一席ぶって見るテスツ・・・
431処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 12:39:37
ハイデガー読んでるなら、ちゃんと世界内存在として日本社会を
超越的内在の視点で見てなきゃ話にならんのだぞ。
432処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 12:41:27
無闇やたらに環境に同化したがるバカが多いわけだが。
433処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 12:55:45
ハイデガーの欠点は歴史観が実証主義的でなくて哲学史的な文献学
だってことだな。戸坂潤が『日本イデオロギー論』で和辻とセットで
批判してる。リーダーバッハはハイデガーの解釈学的現象学に対して
和辻を何なる解釈学と区別してるようだが。
434処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 13:03:48
フッサールもハイデガーも第一次大戦後の、教会史的な宗教的世界観も
楽観的進歩史観も失った「不安の時代」に哲学やってたわけでさ。
ヘミングウェイが「ロスト・ジェネレーション」とか自称してたのと
同時代だな。
435処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 13:41:01
『存在と時間』はアリストテレスを機軸にした存在論から、いきなり
プロテスタント教会の建物にパラシュート降下するところでいつも
挫折するわけだが(ここから背景がキルケゴールに切り替わるんじゃ
ないかと思うんだが)、この文献主義的性格が戦前の日本の非実証
主義的な神話史観と非常に相性がよろしい、と。和辻のハイデガーの
思想の取り入れ方が正にそんな風であった、と。
436処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 15:50:54
exist(存在、乃至は実存)「する」ことと、object(客体)「である」ことは
全く別のことである。

ハイデガーは「世界内存在」としての現存在と「内世界存在」としての
道具存在を区別する。前者はexist(存在、乃至は実存)「する」。後者は
object(客体)「である」。

現象は解釈を拒絶する。現象は事実であり、それ自体としては意味を
持たない。

objectは解決すべきsubject(主題)によって派生的に生成される。即ち、
subjectは合目的(それ自体が目的であること)である。「物(thing,ding)」
はobjectの総称であるが、subjectから従属的に生成されるものであって、
世界のexist(実在)についてのアプリオリな規定ではない。

つまり「世界とは事実の総体であって、事物の総体ではない」のである
(ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論』)。

これが現象論の側からの要素還元論(原子論)への批判である。
437処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 16:38:35
subject(主題)、もしくはtheme(テーマ)としての「私」は世界内存在、即ち主体と
いう具体性を伴ってこの現象世界にexist(存在)する。主体はしかしsubjectでは
ない。同時に主体はobjectでもない。また、その中間でもない。それは、この現象
世界の一部である。

日本語で「主体」という言葉の意味を正しく把握しているなら、実存主義は主体主義と
同義であることが理解されるであろう。
438処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 16:51:53
身体とはsubjectを欠いた主体のことであって、首から下のことを
言うわけではない。
439処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 17:44:47
「物」についての通俗的了解を基盤にした原子論的物理学、即ち
死物の塊としての実体的宇宙観は、自明の問題ではないんだぞ。
440処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 21:59:10
objectとは、ある世界内存在(主体)として具体化したsubjectに、
別の世界内存在が目的論的に従属した場合の、その世界内存在の
様態であると言えるだろう。

他者とはある範囲内でsubjectを共有可能な異なる世界内存在の
ことである。というのはsubjectの共有が全く不可能ならば了解は
成立しないからである。この場合のsubjectとは、非本来性にある
世間人(ダス・マン)としての「私」とは異なるが、本来性にある
「私」でもない。ヤスパースが「意識一般」と呼んだものがそれに
該当するかも知れない。
441処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/05(土) 22:45:51
えーと、ハイデッガー風の存在論に主客問題を組み込むとどうなるかを
ちょっと試して見たかったってことだな。
442処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/06(日) 23:59:12
「全的な現象学的態度とそれに付属している判断中止には、本質的に完全な人格の変化を
惹き起こすような力さえあり、その変化は差し当たり宗教的回心とも比べられるようなもので
あるが、」
         エドムント・フッサール / 『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』、35節

ああ、なるほど・・・。
443処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/07(月) 00:25:50
「現象学的態度」は俺の言う現象論的態度、判断停止は目的論の放棄、
つまり主観・客観の廃棄を意味するわけだな。
444考える名無しさん:2007/05/07(月) 02:07:28
お、処刑ライダーが長文書いてる・・・
と思ったら本の抜粋か。
な〜んだ
本文10に対して見解1ってとこか
445考える名無しさん:2007/05/07(月) 08:50:14
世界内存在はIn-der-welt-seinでしょ。
内世界存在は?
446処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/07(月) 23:06:35
原語の提示をしないと意味が分からんのか?
447処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/07(月) 23:25:38
トポロジーに詳しい奴で説明出来る奴はいないか?
448処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/08(火) 23:05:12
449処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/08(火) 23:23:37
>>445

§21(p100)

2. Warum springt fur das ubersprungene Phanomen das innerweltlich
Seiende als ontologisches Thema ein?

'das innerweltlich Seiende'

これで良いか?
450処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/09(水) 22:09:02
ご託宣の時間ですよ、おまいら?

分かったろ? あれだよ、あれ。膨張宇宙論のモデルに使われる風船。

あの表面に書いてある銀河が内世界存在。
451処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/09(水) 22:24:57
この宇宙には出口がない。というのは、球体の界面のように全体としての輪郭がこの宇宙には
存在しない。

風船のモデルにおける球体平面の二次元座標上の内世界存在を三次元から超越的に観察
している我々は、現実世界では、内世界存在としてこの宇宙に三次元的に存在している。
452処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/09(水) 22:33:03
こういう話は、ミンコウスキーの『生きられる時間』とかと一緒で、
相対性理論の応用編みたいなところもあるな。

キルケゴールの『哲学的断片』とかに源を求められないことも
ないが。同時代の流行だしな。
453処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/09(水) 22:39:23
あああああああああ、ミンコフスキー。ミンコウスキー空間じゃねえ。
454考える名無しさん:2007/05/09(水) 22:42:03
ライダーが荒らしに思える今日この頃。
455処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/09(水) 22:48:04
ああ、紛らわしい。取り扱ってる領域が重なるからな。

この世には出口は存在しない。どこまで行っても終わりはない。
自分からは逃げられないってこと。
456考える名無しさん:2007/05/09(水) 22:49:57

前々からそう。
己の憤怒から世間に憤怒の嵐を巻き起こしたいらしく、
その準備運動をしているところ。
嵐は自ずと起きるから、歓喜に震え上がるときが来るだろう。
それは「恐怖に」かもわからない。
いずれにせよ、満足するときがくる可能性は高い。
457処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/09(水) 22:50:06
この「内世界存在としての自分」からは死ぬまで逃げられない、というべきかな。
458処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/09(水) 22:55:10
この出口のなさを深く認識することが先回りする死だ。つまり、生が本質的に有限であることを
認識すること。
459処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/09(水) 23:00:06
俺はもう我慢して軟弱な連中の甘ったれた願望に調子を合わせなきゃ
ならない理由は何もないんだ。
460考える名無しさん:2007/05/09(水) 23:10:20
>459
それは残念だ。
ライダーに甘えたい軟弱で可愛い女の子がいるようだったが。
仕方あるまい、私が代わりに頂いておこう。
461処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/09(水) 23:27:53
名前も知らないグラビア・アイドルちゃん? 心行くまで弄んで
やがれ(呆
462処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/09(水) 23:29:57
飽きたらセメント漬けにして構わんぞ(ゲラ
463処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/09(水) 23:38:17
俺はどうも誤解されてるようだからな。分かるまで言ってやる。
何人死人が出たって、そりゃ俺のせいじゃない。自業自得さ、
同情の余地はない。
464考える名無しさん:2007/05/09(水) 23:51:27
処刑ライダーだから仕方ない。
じゃあ誤解されたいというのが本音かな。
自分からは逃げられないというからには。
465処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/10(木) 00:09:54
資本主義フィッシだな・・・。
466考える名無しさん:2007/05/10(木) 03:43:07
ageとくか
467処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/10(木) 06:59:58
皆様、本日も醜悪極まる資本主義的一日が始まってしまいます。
468処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/13(日) 00:56:35 0
「ゾーオン・ロコン・エコン」ってどういう意味だっけ。
469処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/13(日) 00:58:10 0
470考える名無しさん:2007/05/13(日) 18:15:19 0
ふるちん はいでっかい
471考える名無しさん:2007/05/13(日) 19:50:56 O
はいはい。やれやれ
472考える名無しさん:2007/05/13(日) 21:24:02 O
ここで何いっても何も変わらないな。俺は応援してるぞ。幸多き人生を・・・・
473考える名無しさん:2007/05/13(日) 22:12:45 0
>>450
>>451
なんかラカンの言う平べったい生物みたいだな
474考える名無しさん:2007/05/14(月) 04:00:42 0
ツルネン マルテイ

マルティンの親戚って本当?

ティンティン勃起
475考える名無しさん:2007/05/26(土) 20:14:42 0
リルケの「ドゥイノの悲歌」からハイデガーに入った俺って邪道?
476処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/26(土) 22:03:21 O
ああ、丘のなぞえの、ひともとの木よってか。
477処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/26(土) 22:22:25 0
>>473
抽象モデルだから二次元なだけで、現実存在は三次元だ。時間項を足すと四次元。
で、『存在と時間』、即ち現象世界。
478処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/26(土) 22:32:50 0
>>195-197
いわゆる「二次元的な、水平化された人間」、頽落せる生活者は
抽象的時計時間(ツァイトカイト)を相手にテンポラリテートの構造
の檻の中で生きていると言えるかな?
479処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/26(土) 22:37:15 0
ハイデガーが解体を試みた通俗了解の世界の基底は、
実はハイデガー自身が基盤にしようとしたアリストテレス
主義それ自体でもあった。だから『存在と時間』の試みは
自己解体してしまって、未完に終わらざるを得なかった。

ず〜っと昔、そんな話をしたが。
480処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/27(日) 20:22:05 O
というのは、十字軍遠征によってイスラム世界から持ち込まれた
アリストテレス哲学が中世カトリックにおける信仰と理性の並行関係に
よる、所謂「二重真理説」を形成させ、信仰によらず理性による
神の存在証明が可能であると仮定することによって、中世カトリック教会は
暗黙裡に理性を神を越えた位置に措定してしまった。

ここに、ヨーロッパの中世カトリックへの離反と世俗化の萌芽が
あったからである。
481処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/27(日) 20:34:43 O
このネタは禿しくガイシュツね?
482処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/27(日) 21:01:57 O
理性とは、人間が普遍妥当な推論によって絶対の真理に到達する
ことが可能であると信じるところの、その知的能力を意味する。

そうして近代社会はその信仰の上に自らを形成したのであり、その
挫折としての相対主義、乃至はニヒリズムが存在する。
483考える名無しさん:2007/05/27(日) 23:14:01 0
処刑ライダーが出てくるスレは全部クソスレになってしまう。
484処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/27(日) 23:19:28 0
俺は廃墟が好きなのさ。
485考える名無しさん:2007/05/27(日) 23:23:48 O
真理というのはある種の知ではなく理性的存在である。
ソクラテスやデカルトのような理性が真理といえるだろう。
486処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/28(月) 12:59:31 O
という風に理性に絶対の信頼を置きたがるのがルネッサンスの
精神だったと一般的には理解されているな。
487処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/29(火) 22:55:54 O
1900年に世を去ったニーチェの遺稿には自分の死後100年はニヒリズムの
時代、次の100年は本格的なニヒリズムの時代になるって文章が
わるらしいが、悪い冗談だな。
488考える名無しさん:2007/05/30(水) 00:00:04 0
デモクリトリス
穴臭ゴラス
援ペド刳巣
アウグスチンコ
トマス・ヴァギナス
ションベンハウアー
フルチン・ハイデガー
ヘー下痢
(珍毛)フッサール
姦徒
489考える名無しさん:2007/05/30(水) 00:10:44 O
ニーチェの予言は当たるぞ。
細木数子なんて目ではない。
490処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/05/30(水) 00:11:17 0
バカはますますバカになって行くわけだな。
491考える名無しさん:2007/05/30(水) 00:21:45 0
>>488
ワロタw
アウグスチンコとか、もう全然ちがうやんw
492考える名無しさん:2007/05/30(水) 02:54:35 0
>>489 >>490
しかし、昔から「畜生」という六道思想の言葉があった以上、
予言も何も、「この世が末世でなかったためしなし。」とか
「すべてこの世はこともなし。」とかいうことでは?
493考える名無しさん:2007/05/31(木) 09:59:20 0
482,485,487は 真理=権力=暴力
というサルトル以降の現代思想の真理批判の地平を
まったく理解していない。
フーコーならあんたを真理のテロリストというだろう。
強制収容所の番人に近いね。
494考える名無しさん:2007/06/01(金) 08:57:14 0
> 真理=権力=暴力というサルトル以降の現代思想の真理批判の地平

わざわざそんなバカバカしいものを取り上げる必要はないでしょ
495考える名無しさん:2007/06/01(金) 13:58:29 0
>>488
禿和露w
496考える名無しさん:2007/06/01(金) 14:22:41 0
いまだに真理を同一性でしか抑えられないとすれば、
またソ連邦のような愚かしくも悲劇的な収用国家で人間と
生命をヒーヒー締め上げるかよ。あんたサド?
497考える名無しさん:2007/06/01(金) 14:29:14 0
494のようなアンチ・ハイデガーがこんなところで荒らしてんだよな。
498考える名無しさん:2007/06/01(金) 14:31:22 0
 きっと残酷なロボット集団のまわしもんだろ。哀れだよな。
499考える名無しさん:2007/06/01(金) 21:48:13 0
『存在と時間』の時点ですでにハイデッガーからしたら
>真理=権力=暴力
みたいな話は通り過ぎてるんじゃない?

veritas transcendentalisとAletheiaのすり合わせを
超越論的にもしくは現象学を通してやっちゃおうってのが
『存在と時間』でしょ
500処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/06/02(土) 13:44:40 O
>>493
俺は神秘主義だからポスモダ相対主義には余り好かれない方だ。
501処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/06/02(土) 13:53:24 O
俺は頂上を目指して山を登っていたんだが、ある頃、たどり着け
ないかも知れなくても、遠回りをしよう。安易な道を登るのは
止めようと決めた。ともかくも、頂上を目指すことが重要なのだ、
そう思った瞬間、自分が頂上に立っているのに気付いたのさ。
502考える名無しさん:2007/06/02(土) 16:18:10 0
482.485.487さんと494さんは同一人物
かと思いましたが、失礼。
 前者の真理という言葉の使い方に嫌
な権力的なものを感じましたので。
 非隠匿性の顕れとしての真理はだい
じょうぶですよねえ、なにせポスト構造
主義の基礎なわけですから。
503考える名無しさん:2007/06/02(土) 17:38:04 0
ホロコーストのナチズムに加担したとは思われないほどの美文だ
ハイル・ハイデガー!
504処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/06/02(土) 18:12:29 O
構造主義は直観的に内観することを知らなきゃ単なる相対主義だぞ。
505考える名無しさん:2007/06/02(土) 18:57:03 O
>>501

ほう、それはなかなか味のある言い方だ。
506処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/06/02(土) 19:04:10 O
道元の『正法眼蔵』の「修証(修行と悟り)は別にあらず」と同じさ。
507考える名無しさん:2007/06/02(土) 19:52:24 0
ハイデッガー、って呼ぶのはやめにしませんか。
ハイデガーにしましょうよ。
508処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/06/02(土) 20:16:28 O
ハイデッゲルの方がゲルマンぽいがな。
509処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/06/02(土) 20:23:06 O
>>503
俗悪すれすれのひねくれた奇怪極まる文体で定評があるのを知らん
のか。

話違うが、構造主義とハイデッゲルなら、ハイデッゲルが影響を
受けたディルタイとレビ=ストロースの方法論的類似性について
考察すべきだな。
510考える名無しさん:2007/06/02(土) 20:34:27 0
レビ=シュトラウス
511処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/06/02(土) 21:25:25 0
グーグル検索の結果
レビ=ストロース に一致する日本語のページ 約 801 件
レビ=シュトラウス に一致する日本語のページ 約 129 件

801/129=6.2093
512考える名無しさん:2007/06/02(土) 21:30:14 0
フルチン・ハイデガー の検索結果 約 35 件中 1 - 10 件目 (0.26 秒)
ハミチン・ハイデガーの検索結果 2 件中 1 - 2 件目 (0.22 秒)
513考える名無しさん:2007/06/02(土) 22:10:13 0
>>511
ハイデガーとハイデッゲルを検索して見れ
514処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/06/02(土) 23:01:51 0
戦前はハイデッゲルと呼んだんだ、バカモン。
515考える名無しさん:2007/06/03(日) 00:08:58 0
atomnetとは何か

516考える名無しさん:2007/06/03(日) 18:28:19 0
>>514
ゲーテをギヨウテと呼んでいた時代でしょ?
517考える名無しさん:2007/06/03(日) 21:52:01 0
ギョエーテだばか
518考える名無しさん:2007/06/18(月) 06:52:34 0
初心者ですが、最近ハイデガーを読み込んでいます。
結局、彼のテーマは
「私とはなにか?」
と思った。
これでいいのでしょうか?
519考える名無しさん:2007/06/18(月) 23:44:31 0
ダメです。
「存在とはなにか?」です。
『存在と時間』ならば、せいぜい、
「私の存在とはなにか?」
でしょう。
「私」は「存在」が明らかになる場(Da)でしかありません。
520考える名無しさん:2007/06/19(火) 00:22:26 0
しっかり序論読んだら>>518みたいなことは言えないはず
やっぱ『存在と時間』って序論すらまともに読まれてないのを
痛感するね
521考える名無しさん:2007/06/19(火) 00:44:24 0

「存在とはなにか?」なんていってるのは、
題名しか読んでないヤツかも。
全部読んでみれば、
「私」について書かれていることがわかるよ。



522考える名無しさん:2007/06/19(火) 01:21:21 0
『存在と時間』の既刊部分は、前半だけで、全体の1/3程度。
だから「現存在分析」で終わっている。
表面的には「私」の分析のようにも見える。
でも、それは誤解。他の本も読めば、
それが『存在と時間』の目的でないことは明白です。
523考える名無しさん:2007/06/19(火) 06:02:04 0
ちょっと冷静になってみれば
「存在とはなにか?」なんて意味不明で
学問的テーマにならないことがすぐわかる。
入門書を読んで偏見に染まってしまった結果。

正確には
「私の本質はなにか?」
と思う。
524考える名無しさん:2007/06/19(火) 08:47:09 0
もう2500年前にゴータマ・ブッダが法(真理)を見出しているんだから、
存在論でこれ以上上塗りしても仕方がない希ガス。
 ウィトゲンシュタインにしても、今更巡り巡って、
ナーガールジュナを超えてはいないんだから。
525考える名無しさん:2007/06/19(火) 10:10:51 0
インド料理よりフランス料理の方がブランド化するのが
上手だっただけ。
526考える名無しさん:2007/06/19(火) 22:54:44 0
>>523
だからさ序論を読めよ序論を
あと『存在と時間』前後の講義とか

ハイデガーは終始一貫して「哲学史的問題意識の人」ですよ
決して「俺哲学の人」じゃないから
527考える名無しさん:2007/06/20(水) 01:01:38 0
時間は存在しないだろう。
528考える名無しさん:2007/06/20(水) 15:15:56 0
時間は現象するか
529考える名無しさん:2007/06/21(木) 00:21:17 0
時間は存在者の一つなのだろうか。
530考える名無しさん:2007/06/23(土) 21:08:54 0
>>529
存在と存在者とは全く違う。存在的と存在論的という概念の相違と同型だ。私という
現存在は時間のうちに位置づけられてある。時間は過去・現在・未来という態様として
現実的世界に対応して存在し、そのうちにおいて、現存在はある。しかし、私は時間の
うちのどこにあるのか。私は固定したあり方としては存在しない。私という存在は一切の
持続的なものはない。(中島義道「カントの自我論」)
531考える名無しさん:2007/06/24(日) 02:25:56 0
>>530
存在と存在者を区別するならば、時間性が時熟した過去・現在・未来という形での時間は、
存在者として取り扱うべきなのか、それとも存在として取り扱うべきなのか。

こうした問いがすでに自然科学的なのかもしれないけれど。
532近刊:2007/06/28(木) 00:53:38 0
http://www.sobunsha.co.jp/bookdates/ISBN978-4-423-19646-5.html

西洋的思考におけるニーチェの形而上学的な根本の立場(44)
等しいものの永遠回帰
(ハイデッガー全集 44)

著訳編者 ハイデッガー、M 著
菊地 恵善 訳 グッツオーニ、A 訳
本体価格 A5判/274頁  5,000円 [新刊未刊]
刊行年月 2007年07月
ISBN 978-4-423-19646-5
内  容 本書は、フライブルク大学の一九三七年夏学期の講義を収録する。
ニーチェ哲学の根本思想の一つ、永遠回帰思想の解釈を試みる本講義は、
一連のニーチェ講義の一部である。
Nietzsches metaphysische Grundstellung im abendlaendischen Denken(1986)
目  次 序文 第一部=等しいものの永遠回帰の教説についての、成立、形態、
領域に関する暫定的説明(教説の成立を手引きとした、公刊された著作における
回帰教説の解釈/その成立を手引きとした、ニーチェの遺稿における回帰教説の
解釈/回帰教説の形態と境域の規定) 第二部=形而上学的な根本の立場の本質と、
西洋の哲学の歴史におけるその従来の可能性(形而上学的な根本の立場という概念
の注意的な特徴 付け/ニーチェの形而上学的な根本の立場の包括的な特徴付け) 
付録(復習) 資料(『グロースオクターフ版ニーチェ全集』内容構成)
533考える名無しさん:2007/06/28(木) 05:12:25 0
ニーチェ講義はものすごく重要な作品だが、値段が高すぎる!
研究者でもなけりゃ、平凡社ライブラリーの『ニーチェ』で十分だろう。
ところで、六月頃に出ることになっていた、
木田元訳『現象学の根本問題講義』
https://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/kinkan-info.htm
来年一月の出版予定になってる。
こりゃもう出ないな、やっぱし。

534考える名無しさん:2007/06/28(木) 09:45:00 0
そういや、こっちも復刊されてたね。

ニーチェ1
マルティン・ハイデガー 著/薗田 宗人 訳
税込価格5250円 (本体5000円)

ニーチェ2
マルティン・ハイデガー 著/薗田 宗人 訳
税込価格5250円 (本体5000円)

ニーチェ3
マルティン・ハイデガー 著/薗田 宗人 訳
税込価格4410円 (本体4200円)

ハイデガーが『存在と時間』によって確立された自己の存在論的基盤を踏まえつつ
ニーチェという巨大な現象と対決し、それを通して新たな哲学的視点を切り開いた
思索のドキュメント。

http://www.hakusuisha.co.jp/topics/fukken2007.php
535考える名無しさん:2007/06/28(木) 19:24:58 0
木田先生が先延ばしとは珍しいな
病気か?
536考える名無しさん:2007/06/28(木) 19:31:37 0
他人の訳にはさんざん文句言っておいて
いざ自分の仕事となるとズルズル先延ばし
しかも値段もどんどん上がってる

ダメ人間の典型だね
537考える名無しさん:2007/07/01(日) 02:57:01 0
渡辺二郎先生がタイホされた件について
538考える名無しさん:2007/07/01(日) 23:45:00 0
ああ、そうか・・・
539考える名無しさん:2007/07/06(金) 22:09:58 0
>>537
これはギャグだと
わからないひとのために。
ハイデガーの翻訳者は渡邊二郎。
もとプロボクサーは渡辺二郎。
540考える名無しさん:2007/07/07(土) 00:25:23 0
おまけに、どちらが逮捕されてもおかしくないしねw
541考える名無しさん:2007/07/16(月) 17:41:35 0
俺、東大病院の精神科に通ってるんだけど、時々待合室で渡辺二郎見るよw
(実話)
542考える名無しさん:2007/08/03(金) 06:34:19 0
「ニーチェ」を読みたいんだが、
“全集”、“平凡社ライブラリー”、“白水社”の
どれが理解しやすくて良い翻訳なの?? 
詳しい人、教えて。
543考える名無しさん:2007/08/03(金) 07:51:48 O
>>542
> 「ニーチェ」を読みたいんだが、
> “全集”、“平凡社ライブラリー”、“白水社”の
> どれが理解しやすくて良い翻訳なの?? 

 俺が最初に読んだのは平凡社ライブラリー版で、訳は読みやすかったですね。
 ただ、平凡社ライブラリー版は完訳でありません。最後の章一つか二つが抜けています。それを除けば読みやすく、製本もコンパクトで携帯に便利です。

 白水社版はかなり前に読みましたが覚えていない(笑)

 創文社全集版は、良いところは巻末の索引でしょうね。索引があることで、細かい用語の使われ方について、すぐ調べられて、手間がかなり省ける利点がある。

 因みに2ch.でも毎度お馴染みの(笑)Seinをめぐる翻訳「存在」「有」の使われ方ですが、創文社全集版以外は「存在」が使われていると思います。
544考える名無しさん:2007/08/03(金) 20:25:45 0
  , '     , '  f     |       l    ',   ヽ.  ,'   __ノヽ、_ノヽ_ノヽ_ノヽ、_ノヽ_ノヽ
. /     ./    {.       {       j  ,  }    .! /   )
,'     ,' i    ヽ、,\-┘    '-y、   i      |, '   <
!       , ! !   ./,, ==ゝ、    _ノ__,ヽノ  丿 i !      !さしあたって「存在と時間」を読んで参りました!!!
t     | t ヽ、/ '' 〃_)i. ` ´  rf´)iヾ,ヽ/ 丿ノ     丿
. \    t. ゝ-v’  { i、リ!     |f_j|  ,'_ / ´    ∠__
   ` ‐- !ゝf ‐、     -‐‐'    ヽ .ヒタ  .fノ          ヽ,.-‐- 、,. -‐-、,. -‐- 、,. -‐-、,. -‐- 、,. -‐-
      ', l  }  .:::::::::.  ,〜-┐ .::::::. }|  ヾ、
       l ゝ、_`      /    l    ,.' !    }.}  、
      ノ  _.  \     {   ,'   , イ ヽ  ノノ  丿!
 t ‐--‐'  / `/"ヽ` 、 ヽ - '  _,-'⌒!`` =' '‐-‐'  l
  ` ‐-ッ' ./   {  .∧   ` ー ',-'     !`i ヽ     ノ



545542:2007/08/03(金) 23:16:55 0
>>543
ありがとう。
とりあえず「平凡社」で読んでみる。
再読する気になったら全集版を買うことにします。
546考える名無しさん:2007/08/08(水) 13:14:11 0
ハイデガーは終始一貫して「哲学史的問題意識の人」の煙幕を張った人ですよ。
「俺哲学の人」になるしか実力がなかったのに、「哲学史的問題意識」で
ごまかそうとした人だから
547考える名無しさん:2007/08/08(水) 13:15:55 0
まあハイデガーの哲学史の知識は半端でなく凄いけどね
548考える名無しさん:2007/08/08(水) 13:21:37 O
最近思ったが
(他人に迷惑をかけている)
世間一般的に浮いている人間
稀な人間 変わっていると言われる人間
非常識な人間
その他大勢ではない人間
は罰を与えられて当然なのではないか
個人の自由を強く表現していたが
上者らには自由などないのではないか
549考える名無しさん:2007/08/09(木) 03:07:56 0
実存主義に乗っかって、ちゃっかりとのしあがった人。
おかげでナチスにもかわいがられたし、大学の学長にもなれた。
実存主義の言葉を散りばめたその無内容さを批判されることを
見越して「哲学史の人」でごまかした。
ハイデガーのしたたかさを見習うべきだ。
550考える名無しさん:2007/08/09(木) 03:24:12 0
政治的には敵対したヤスパースやアーレントにとってもハイデガーは畏敬の対象だったよね。
551考える名無しさん:2007/08/09(木) 04:13:55 0
ハイデガーは哲学者の思想を取り上げるとき、よく講義の冒頭で、
その人がどんな人だったかどうでもよい
大事なのはその人の考えた事柄そのものだ
という言い方をしているけど、それはハイデガー自身に関しても同じだろう。
確かにハイデガーという人にはいろいろ問題もあるし、
世渡りという点から見れば、俗っぽい面も目に付く。
でもハイデガーの語る言葉を聞くと、そんなことはどうでもいいと思えてくる。、
モーツァルトという人が女や金にだらしなかったとしても
モーツァルトの音楽の前ではそんなことはどーでもいい
と思えるのと同じだ。
552考える名無しさん:2007/08/09(木) 15:16:34 0
こういう読まずにイメージだけでハイデガー
語っちゃうのって後を絶たないね
553考える名無しさん:2007/08/10(金) 08:15:36 0
体格の良いハマコーって面構えだよなあ、この人。
554考える名無しさん:2007/08/11(土) 10:23:26 0
9月18日発売
定価12600円(本体12000円+税)A5判
ジャン・グレーシュ著/杉村 靖彦(すぎむら やすひこ)他 訳
『存在と時間』講義 統合的解釈の試み
ISBN978-4-588-15049-4 C1010
現代フランス哲学を活気づけてきたユニークなハイデガー受容と、ハイデガー全集の
刊行が進むに相俟って世界各国でますます盛んになってきた生成史的研究の双方を自
在に横断し、あくまでハイデガーの思考を正確に解説し提示する姿勢を保ちながら、
ガダマーやリクールの流れを汲む解釈学的現象学の立場から『存在と時間』とその
「作業場」の姿を鮮やかに浮かび上がらせた画期的な注釈書。
555考える名無しさん:2007/08/11(土) 21:54:39 0
>>551
ハイデガーは毀誉褒貶が激しい。かれは私生活では、判明している愛人が2人(ハンナ・
アーレントともうひとり)多分女癖の悪い男だった。また、フッサールとの関係でも師に
忠実な弟子ではなく、不肖の弟子と思われていただろう。フッサールは「存在と時間」を
よく読まずに激賞したが、あとでよくよく精読して、自分の現象学とは異なることに気づいた
。ナチスについてはホロコーストという冤罪を着せられたヒトラー・ナチスに肩入れしたことを
連合国に糾弾され、公職追放のような処分を受けたが、戦前ドイツでヒトラーナチス政権を
支持しなかったのはユダヤ人とコミュニストくらいだったのだから、非難するのはかわいそうだ。
ハイデガーは哲学史に造詣が深いとされるが、それはそうだと認めるが、「ニーチェ」にしても
「カントの形而上学の問題」にしても、その我田引水の性癖が強すぎる。
556考える名無しさん:2007/08/12(日) 00:36:30 0
我田引水はいいと思うよ。私見を排したガイドブックとして読みたいと思うやつはいないだろうから。
ハイデガーの哲学とナチの関係は人によるが、自分は根深い関係があるという立場だ。
557考える名無しさん:2007/08/12(日) 05:07:16 0
ハイデガー的な「存在」をテーマとした小説ってあるのかな?
読者が、世界が存在している奇跡に覚醒する、というような小説。
ある??
558考える名無しさん :2007/08/12(日) 05:15:08 0
>>557
『ソラリス』スタニスワフ・レム著 国書刊行会
レムはポーランドの作家で、ノーベル賞の有力候補だった人ね。
559考える名無しさん:2007/08/12(日) 05:52:14 O
>>549書いたの、中沢さん?w
560考える名無しさん:2007/08/12(日) 13:29:35 O
ニューアカ・ブームに乗っかって、ちゃっかりとのしあがった人。
おかげでオウムにもかわいがられたし、大学研究所の所長にもなれた。
ポスト構造主義とオカルトの難解な言葉を散りばめたその無内容さを批判されることを
見越して「宗教学をやめた人」でごまかした。
中沢新一のしたたかさを見習うべきだw
561考える名無しさん:2007/08/12(日) 18:49:18 0
>>557
小説ではないが、古東哲明「ハイデガー=存在神秘の哲学」講談現代新書
は小説のようにおもしろい。
562557:2007/08/13(月) 02:39:41 0
>>558
映画の「ソラリス」は観たことある。読んでみるよ。ありがと。

>>561
こちらもありがと。古東哲明はオレも好きだ、面白い。
しかし、体言止めを多用した、あの独特の文体は
読んでると段々イライラしてくる。著者が一人悦に入っているようでw

もっと他にないかな〜。「存在」の不思議を書いた小説。
563考える名無しさん:2007/08/13(月) 14:05:28 O
>>557
> ハイデガー的な「存在」をテーマとした小説ってあるのかな?
> 読者が、世界が存在している奇跡に覚醒する、というような小説。ある??

 存在というのを<脱‐社会>、宮台などの云う<底の抜けた>或いはハイデガーも『哲学への寄与』で書いている<底無しの深淵>とするならば、それらを包括するものだとするならば、

岩井俊二の『リリィシュシュのすべて』は存在の<底無し>に憑依された人間を描いた作品として見れるのではないか。

 あの中の星野という生徒の変貌の仕方、というのはひどく恐ろしいし、また謎めいている。地味な生徒だったのが、夏休みが終わったら、支配欲に取り憑かれたかのようになって、かつてのクラスメイト達に地獄の日々をもたらすようになるのね。
564557:2007/08/14(火) 02:47:33 0
>>563
その映画、借りてみる。ありがとう。

オレの予想では、本当に<底無し>を腑に落ちて理解・体感すると、
支配欲に取り憑かれるようなことはないと思う。
その時、ハイデガーの言う「慎ましさ」を人は知るのではないだろうか。
「現存在しているという事態」だけを共有する共同体は可能である、
そのことをハイデガーは「哲学への寄与」で書きたかったのでは、と思う。
565考える名無しさん:2007/08/14(火) 03:48:31 O
>>564
 うん。“支配欲に取り付かれている”という言い方は適切でないでしょうね。

結果的に他者を支配するとしても、支配すること自体が目的なのではない。また、慎ましさ、というならば、“無への慎ましさ”だと言わなければならないし、“拒絶への慎ましさ”だと言わなければならない。

 ちなみに、『哲学への寄与』「W跳躍」は「有の底無し」について、様々に語っており、例えばこう書かれている。なお、ここで「有」は、「有」の上部に「・」が付けられており、それにより、「底無し」を暗喩している。

《或いは、有の予感が人間にやってくるのは、まさしく有るものからではなく、有にどこまでも帰属しているがゆえに、それのみがなおも有と同等のもの、つまり無からなのだろうか。しかし、それならわれわれは、いかにして無を理解するのだろうか。

純粋な拒絶の過剰として。「無」が純粋であればあるほど、有はますます単純である。

 しかし、最初に有の真理を基づけることが重要である。そのときにのみわれわれは、「無」という不吉な語から虚無的なものを取り去って、有の底無しの深淵性を示唆する力を与えるのである。》(『哲学への寄与』262頁)

 つまり、ここで有は底無しの深淵として掴まれており、“慎ましさ”は“底無しの深淵性”への“慎ましさ”である他はない、と考えられる。それは人間の通常の思考からすれば、狂気かもしれない。だが、そこには有への慎ましさがある、ということになります。

 同書のこの章はそれ自体謎めいている章で、別の読み方をすべきかもしれない。ただ、俺は、「真理それ自体の脱離」(278頁)がここで重要なモメントとして語られていることを、そのように読むべきだと考えている。
566考える名無しさん:2007/08/14(火) 04:36:03 O
 あと付け加えることがあるとしたら、にも拘らず、そこで「底無し」としての有が目標とされるべきではない、とハイデガーが断ってもいることで、底無しとしての有は“有るものと神現との橋渡しでしかない”としていることで。

《なぜなら、有(そして、すなわち無)は有るものと神現にとっての<その間>であって決して「目標」にはなり得ないから、ということである。》(285頁)

だが、その場合に《有それ自体の内における無化するもの》《この無化するものは、われわれを初めて本来的に有とその真理の中に愕‐然という仕方で奪い‐移す。》(285頁)とされている。

だから、神現への橋渡しとしての有(底無し)ということだと思う。
567考える名無しさん:2007/08/14(火) 16:36:45 0
なんつーか日本語でしか読んでないの丸出しの読解だね
568考える名無しさん:2007/08/15(水) 19:19:20 O
そもそも岩井俊二とか持ち出してる所が寒い
569考える名無しさん:2007/08/18(土) 07:46:30 0
>>557
カフカや阿部公房じゃダメかい?
実存主義の洗礼を受けたオッサンだけど
570考える名無しさん:2007/08/18(土) 13:13:57 0
カフカはキルケゴールよりは後だけどハイデガーその他よりはだいぶ前だ
571557:2007/08/18(土) 23:06:15 0
>>565
「哲学への寄与」の関連書は読んだけど、この著書自体はまだ最初の方しか読んでないので
ちゃんとレスできなくて申し訳ないんだが。。
>《この無化するものは、われわれを初めて本来的に有とその真理の中に
>愕‐然という仕方で奪い‐移す。》
なるほど。この「愕-然」から、新たな歴史が始まるってことだな。
この理路はとてもよく分かる。でも、この驚愕を共有することで成立する
社会や歴史の実現となると、一体いつになることやら、って気が遠くなるような。
やはりこの著書、面白そうですね。読み進むのが楽しみになってきた。

>>569
ありがとう。カフカも安部も各々数冊読んでるんだが、もっとこう何て言うか、
ごく自然的態度で生きている人を「存在の奇跡の覚醒へと導く」装置としての小説
みたいなヤツがあれば読みたいなと。
572考える名無しさん:2007/08/18(土) 23:30:05 0
「異邦人」のラストあたりじゃね?
573考える名無しさん:2007/08/23(木) 00:43:07 0
驚愕だの奇跡だの不安だのっていう言葉を使っているだけで
もうだめ。「哲学」じゃなく「文学」だ、というなら許して
やってもいいが。
574考える名無しさん:2007/08/23(木) 23:19:30 0
ハイデガーが奇跡とか言ってたか?

感情や情態性による存在開示なんてはプラトン以前から
哲学の伝統的モチーフなんだが・・・
575考える名無しさん:2007/08/23(木) 23:48:22 0
ハイデッガーの講義テキストとかあまり読んだことない人
(そもそも著作のほうもマトモに読んでなさそうだが)って
ハイデッガーを文学よばわりしたがるよね

木田元あたりの本読んだだけの人か普通にハイデッガーを
専門にしてるかの温度差って大きすぎるねやっぱ
576考える名無しさん:2007/08/24(金) 00:05:14 0
自分は木村敏から入ったので
その辺はかなり微妙・・・
いや邪道・・・
577サンシティーなかがわ ◆TJ9qoWuqvA :2007/08/24(金) 20:28:36 0
qwe
578考える名無しさん:2007/08/24(金) 21:18:07 0
そもそも「存在」なんてのをデカい顔して論じてる時点で
哲学などと自称してほしくないですが。
579考える名無しさん:2007/08/24(金) 21:19:08 0
英米系の方ですか?
580考える名無しさん:2007/08/26(日) 00:48:54 0
>感情や情態性による存在開示なんてはプラトン以前から
>哲学の伝統的モチーフなんだが・・・

モチーフだからといって、感情や情動に基づく文学的表現で
延々と独りよがりの文章を見せられてもなあ。
まあ、議論してもいいんだけど、「哲学」としてじゃなくて、
人生についての感想とか世間話とかのジャンルでやって欲しいものです。
581考える名無しさん:2007/08/26(日) 00:55:03 0
なんでこうハイデガーって読んでもいない人から
批判されるんだろうね
582考える名無しさん:2007/08/26(日) 01:00:55 0
>>578とか580とか明らかに読まないで
決めつけた批判をしてるのが丸分かりだよな

つまらない独善的な非難を書き込む前に
講義でいいから、何かきちんと読んでみればいいのにね
583考える名無しさん:2007/08/26(日) 01:37:17 0
文庫版の『存在と時間』さえ持ってないので具体的に
例を出して批判することもできないんだろうなぁ
584考える名無しさん:2007/08/27(月) 08:54:17 0
イリヤの空、UFOの夏その1→V
イリヤの空、UFOの夏その2→泣き声
イリヤの空、UFOの夏その3→重力の虹
イリヤの空、UFOの夏その4→スローラーナー
新潮社より訂正
585考える名無しさん:2007/09/01(土) 03:29:41 O
 来たる9/22、 9/23に京都大学で第二回ハイデガー・フォーラムが開催されますね。今回はちくま新書『ハイデガー入門』著者細川亮一も講演をするそうです。

 講演後には質疑応答も用意されてると思うので細川とサシで対話することも可能でしょう。

 今回は統一テーマが「時間と存在」、特集「アリストテレス―ハイデガーと古代ギリシャ」とのことらしい。『存在と時間』について一言ある人は発言してみたら良いんじゃないかな。
586考える名無しさん:2007/09/01(土) 04:54:30 O
一般人は見学できるの?
行ってみたい
587考える名無しさん:2007/09/01(土) 11:12:09 0
>>586
一般人も歓迎されてるようですよ。
去年の東大のシンポでも一般の人やら若い学生さんやら
いっぱい来てた。で、質問もしてたね。
588考える名無しさん:2007/09/01(土) 14:19:22 0
細川亮一パートは発表者もさることながら
司会とのやりとりも見てみたいな
589考える名無しさん:2007/09/01(土) 22:08:30 0
なんで今さらハイデガーなのかね?
実存主義と脳科学で十分消化されてるじゃん
590考える名無しさん:2007/09/01(土) 23:18:34 0
東京とか関西圏とか、都会の人は得だな。
メスキルヒのごとき田舎にすんでる俺からするとうらやまし
591考える名無しさん:2007/09/02(日) 09:58:37 0
ハイデガーと実存主義なんてさして関係ない
少なくとも一番おもしろい30年代以降は
592考える名無しさん:2007/09/04(火) 20:38:39 0
死にいく存在だとか亀頭だとか、客観的妥当性のない
主観的心情ばかり語ってるから、
ハイデガーも実存主義も同様に価値がない。
593考える名無しさん:2007/09/04(火) 20:42:53 0
ハイデガーも実存主義も同様に価値がないという主観的心情には客観的妥当性がないから価値がない
という主観的心情には客観的妥当性がないから価値がない
という主観的心情には客観的妥当性がないから価値が(ry
594考える名無しさん:2007/09/04(火) 22:33:59 0
ハイデガーもサルトルと同様に価値がない。
どっちも哲学というより単なる文芸。
595考える名無しさん:2007/09/05(水) 00:37:58 0
とハイデガーを呼んだことのない中学生が申しております
596考える名無しさん:2007/09/05(水) 01:46:30 O
おれもさすがに呼んだことはないな
597考える名無しさん:2007/09/05(水) 03:04:23 O
>>592
> 死にいく存在だとか亀頭だとか、客観的妥当性のない
> 主観的心情ばかり語ってるから、
> ハイデガーも実存主義も同様に価値がない。


 ↑のような理解も一種の存在了解、存在企投だと云える。つまり現前性の信仰であり、現代の社会で流通する一般的通念ですね。通俗的としか云えませんが(笑)ただ、これがダメだ、というのは現代の哲学にとってはおそらく前提でもある。

また、ダメなんだけど、まだ猛威を振るっているものでもある。教育現場などで特にね。このような通俗的思考に鉄槌を振り下ろす、その成立の歴史を問い直し、破壊する、という力がハイデガーにあり、そこが魅力でもあります。

 ハイデガー・フォーラムに行けるか分からないので(笑)今、ハイデガーについて考えているところを少し。
 
 存在了解とは存在企投でもある。また、被投性でもある。被投的企投、て用語があります。存在企投ってものが、実は被投性の刻印を帯びている、というの『存在と時間』における現存在の構造において、重要なポイント、或いは一般的通念との分岐点でもある。

というのが俺の読み方ですね。

 そこがサルトルのような人との分かれ目でもあり、ハイデガーにおいては対自と即自は明確に分けられるのではなく、むしろ対自存在における即自性の刻印が問題、とも云えると思うのです。

 対自存在における即自性の刻印、てところで後期のいわゆる性起とか、自性‐現起、という概念の発見にもなっているんじゃないか。

《必要とすることと聴き従い属すこととのこの対抗躍動が、性起てしての有Seynを成しており、この対抗躍動に含まれる躍動を知の単純性なまで高め、その真理において基づけることこそ、われわれに思索という仕方で課せられている第一のことである。》

と『哲学への寄与』日本語版269頁にありますが、つまり、この言い方は企投性と被投性との対抗躍動と言い換えてもよい。また、同時にその対抗躍動を一つの概念、有Seynによって包括できる、ということを彼が考えていたことを示している。

 歴史性への考察の方法として根本的なものをここでハイヅガーは提示しており、『哲学への寄与』がハイデガー思想における到達点の一つとしてある所以がその辺りだと思えるんだけど。
598考える名無しさん:2007/09/05(水) 03:10:09 O
>>597
↑読み返したら打ち間違いが多いな(苦笑)失礼しました(一礼)。
599考える名無しさん:2007/09/05(水) 03:13:35 0
もともと、存在の意味への接近は循環的だったか円環的とか言ってたんじゃねーの。
600考える名無しさん:2007/09/05(水) 03:34:53 O
596 ワラタww
601考える名無しさん:2007/09/05(水) 10:37:47 0
お前は常にすでに頽落している
世人に明日を生きる資格は無い
ウワチャー!!!
602考える名無しさん:2007/09/05(水) 22:29:57 0

存在は あわただしさの内に出会われる。
現存在がめぐり逢う時間性として
想い出に疲れたら
壁際の世人としての
果て無き寝返りに打ち替えて
いつの日にか先駆するがいい
ただ心の 片隅にでも 小さくメモして
603考える名無しさん:2007/09/06(木) 00:17:34 0
そもそも「企投性、被投性」だの「対抗躍動」だのいう用語や概念が
自己満足の狭い世界の中でのことでしかありませんから。
「E電」や「モヒカン族」みたいなものです。
604考える名無しさん:2007/09/06(木) 01:09:10 0
具体的に批判できないから「自己満足」や「文学」というしかないんだね
まずは木田チェンチェイの解説本を読むことからスタートしては?
605考える名無しさん:2007/09/06(木) 01:28:26 0
木田先生のほうが優秀じゃんじゃないのか
606考える名無しさん:2007/09/10(月) 10:45:05 O
『ハイデガー入門』以外の細川亮一の著作ってどうなんだろう。
とくに『ハイデガー哲学の射程』が気になってるんだけど、誰か読まれた方いますか。
607考える名無しさん:2007/09/12(水) 21:55:21 0
ギリシア哲学から存在と時間を理解したいならためになるかも
自分はあまり興味のない方向だけど最低限の知識として信頼の
おける研究者の本は読んで損は無い
608考える名無しさん:2007/09/15(土) 22:22:09 0
>>603
「現存在が先駆しつつ、おのれのうちで死がすでに自らの生命のすぐ近くに強く存在し
ていることを自覚するとき、現存在は、死に向かって自由でありつつ、おのれに有限的
ににしかありえない自由という固有の圧倒的な力を感じることにおいておのれを了解する」
「存在と時間」p593
企投や被投などは当たり前のことを言っているにすぎぬ。
通常は「頽(廃堕)落」(これは浮世の生活を送ることで、それを軽蔑的に言うのは
思い上がりだ)している世人は死のことを考えないで、ひたすら暮らしのために、
子供たちのために働いているのだ。
死こそがハイデガーのこの本を書いた強い動機の中の一つだ。
609考える名無しさん:2007/09/22(土) 20:55:03 0
質問者のピントもズレてたとは言え大御所フルボッコ
こんなことあるんだ・・・
610考える名無しさん:2007/09/22(土) 20:58:29 0
>>609
なんのこと?
611考える名無しさん:2007/09/22(土) 21:06:13 0
バタバタしてて面白かったがフルボッコではないだろw
612考える名無しさん:2007/09/22(土) 21:23:07 0
>>611
なんのこと?
613考える名無しさん:2007/09/22(土) 22:02:48 0
今日のハイデガーフォーラムじゃね?
614考える名無しさん:2007/09/24(月) 02:05:02 O
最終日どうでした?
615考える名無しさん:2007/09/24(月) 07:41:16 O
 そういえば、ハイデガーフォーラム第二回、昨日終わったんだよねー。俺は去年は二日間出たけど今年は行きませんでした。去年も、質問に考え込んで壇上で立ち往生する先生はいました。ハイデガーの使う世界概念について、多分よく解ってない先生もいましたね。

あれはいわゆる、有るものの集合ではない。そこを有るものの集合と思い込んでいるという…この問題、世界概念というのはハイデガー読解のポイントだし、それが解ってないとなると、サルトルとハイデガーの違いも解ってないことになる。

それを理解できてないまま講演してるとなると、聴講者から突っ込まれても仕方ない。多分、昨年の教訓から、立ち往生はしないような人を集めたろうと思ってましたが…

 今は、またハイデガー読解について、自分の見解を深めようと頑張ってるので、自分の中である程度の結論の出てるであろう来年はまた来て見ようかと思っています。
616考える名無しさん:2007/09/24(月) 13:19:26 O
来年は学習院だね
再来年はまた関西へ来るのかな
617考える名無しさん:2007/09/25(火) 21:38:36 0
>>615
>世界概念というのはハイデガー読解のポイントだ
くわしく教えてほしい。
618考える名無しさん:2007/09/26(水) 22:30:22 O
>>617

 それはハイデガーの作品を読めば至るところに出てくる問題で、例えば『道標』所収「根拠の本質について」だとこうあります。

《それでは、世界への現有の関連はそれ自身を如何に限定するのか。

世界はいかなる有るものでもなくして、現有に属する筈であるから、この関連が、或る一つの有るものとしての現有とそれとは別の有るものとしての世界との関係として、思惟され得ないことは明白である。》(『道標』日本版194頁)

《世界を企投することは、その企投が企投されたもの<すなわち世界>を殊更に<対象的に>把握していないのと同様に、

また常に、有るものを越えて、企投された世界を超投することである。その先行的超投が、有るものが有るものとしてそれ自身を開示することを、初めて可能にする。》《すなわち、現有はその有の本質に於いて世界形成的にある。》(同195頁) 
 
 たしか木田元のハイデガー本には“存在了解と世界企投は同じ”といった言い方で説明してあったと思いますが。引用した箇所にも明らかなように、ハイデガーの使う世界というのは、色んな場面もありますが、有(存在)との関連で使う場合には、

明らかに有るものとしては使われないで、有るものを開示する、といった意味でしか使われていない。有るものではない、という点が重要で、こんな言い方もしている。

《有るものの全部性のうちで有るものが現有の時熟という仕方に於いて「一層有るもの」になる時にのみ、有るものが世界の内に入って行く時と日とがある。》

 世界の内に有る、ということと、現有にとって有るものが開かれる、ということは同じ。で、現有は有るものを世界へ超越する、ともされている。そこに、現有の単独化、単独性という有り方ないし可能性の有限化は付き纏ってくる。

 この辺りの思索がハイデガーによる人間理解の特徴であり思索の根幹だと思います。それは個体としての人間の存在構造についてよく突き詰められている。で、重要だと書いたわけです。
619考える名無しさん:2007/09/27(木) 01:28:44 0
>世界概念というのはハイデガー読解のポイントだ
>くわしく教えてほしい。

つまり、子供の「世界」はゲームや漫画、家族、友人、女の子、先生、アニメ、おやつ、お年玉、宿題などを
「超出」しつつ未来に向け開けつつ、かつ閉塞感もない様でもないというように「現」じているわけです。
この「世界」は家族や友人その他の人々の世界と半ば「癒合」しているような
いないような不明瞭な「界域」を持ったものだと言えるでしょう。
620考える名無しさん:2007/09/27(木) 22:39:44 0
>>619
ハイデガーのドイツ語はわかりにくい。翻訳の日本語の意味がわからないのは、たぶん
翻訳者もその意味がわからないからではないか。
原・渡辺訳はまだわかる。

621考える名無しさん:2007/09/27(木) 22:43:48 0
>>618
自分の言葉でもっとわかりやすく解説頼みます。
622考える名無しさん:2007/10/07(日) 01:30:47 0
ハイデガーのおばさんに対する侮蔑は痛快だ
623考える名無しさん:2007/10/07(日) 19:06:32 0
古東哲明の「ハイデガー存在神秘の哲学」て読んで、結構面白かったんだけど、
前半の半分くらい費やして批判しているのが、近代の構造が「未来」のことばっかり考えて
本当の「現在」が、おろそかになってる、っていう近代消費社会の批判だと思うんだけど、
最後の結論が「今はない「本来性」を’待ち望む’」って言ってて、これって前半で批判してる
近代の構造と同じじゃない??矛盾してると思ったんだけど。
624考える名無しさん:2007/10/09(火) 22:08:16 0
「本来性」を’待ち望む’からといって現在がおろそかになるもんでもないんじゃない?
625考える名無しさん:2007/10/10(水) 10:14:21 0
>>177 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 13:02:43
>Martin Heidegger Critiques Karl Marx - 1969
http://jp.youtube.com/watch?v=jQsQOqa0UVc

ハイデッガー
(略)社会の変革などということがいったいどこまでいえるのかということも問題です。世
」界変革の要求を問題にするとすれば、けっきょく、しばしば引用されるカール・マルクス
の『フォイエルバッハに関するテーゼ』にある例の命題にまでさかのぼらねばなりません。
その命題を正確に引用して読み上げてみましょう。「哲学者たちは世界をいろいろと解釈し
たにすぎなかった。大事なことは世界を変革することだ。」
この命題を引用し、そしてまた特にこの命題に従って行動する場合、人は、世界の変革とい
うものを前提としており、世界表象というものを十分に解釈することによってのみ得られる、
とうことを見のがしています。
つまりマルクスはまったく明確な一つの世界解釈を地盤として、そのうえで世界の変革を要
求しているのです。だからこの命題は決して基礎づけがしっかりなされたものだとはいえま
せん。この命題は決然として哲学に反対しているかのように見えますが、じつはこの命題の
後半には言わず語らずはっきり一つの哲学を要求する態度が前提されているのです。

『ハイデッガーは語る』(1973年、理想社、pp78-79)
626考える名無しさん:2007/10/10(水) 10:15:19 0
>>177 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 13:02:43
>Heidegger And The Future: The 'Task Of Thinking'
http://jp.youtube.com/watch?v=Yu_UFHrC02k

ハイデッガー
思惟の運命がどういうふうなさまになるかは誰にもわかりません。
私は1964年にパリで「哲学の終わりと思惟の使命」という講演をしました。もっともこれ
は私がでかけて行って自分でしゃべったのでなく、フランス語に翻訳してもらって皆さんの前
で読んでもらったのですが。この題からもおわかりのように、私は、哲学すなわち形而上学と、
私が解しているような意味での思惟との間に一つの区別を設けているのです。
この講演の中で私が哲学と区別し対照して置いている思惟------この区別、対照は特にギリシア
的アレテイア(真理)の本質を明らかにしようという試みがなされることによって生じるので
すが------この思惟は、事柄から言えば、形而上学との関係においては哲学よりずっとずっと単
純です。しかし単純だからこそ実行においてはずっとずっとむずかしいのです。
そしてそのためには、言葉というものを今までとは違った意味で慎重に扱わねばなりません。
ただしこのことは、私自身もかつては考えていたことのある新しい述語の発明ということでは
ないのです。そうではなくて、われわれ自身の国語でありながら、だんだん枯れてゆくような
状態にありつづけている言葉の根源的な内実へと帰ることなのです。
誰か将来の思惟する人が、たぶん、私が準備を試みているこの思惟を真に受け継ぐという使命
の前に立たされるでしょう。その人に対しては、かつてハインリッヒ・クライストが書いた一
句が述べているのとぴったり同じことがあてはまるでしょう。その句というのは次のようなも
のです。「私は、まだここにいるのではないひとりの前で後ずさりし、その人の精神のまえに
ひざまずく。」

『ハイデッガーは語る』(1973年、理想社、pp89-90)


627考える名無しさん:2007/10/10(水) 10:26:53 0
>>624

いや、前半の近代の構造の批判が「未だにない未来への志向」が「現在」を支配してしまっている、だから、それを批判しておいて結論が「未だにない「本来性」を’待ち望む’」
では、そのまんま批判してる未来志向に構造的になっちゃうよ。
628考える名無しさん:2007/10/10(水) 10:52:05 0
こんなのもみつけました。

ニコニコ動画
お厚いのがお好き?
ハイデガー(上)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1033680

同(下)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1033793
629考える名無しさん:2007/10/27(土) 04:15:09 O
ひどい解釈だった
630考える名無しさん:2007/10/27(土) 05:20:49 0
この番組、昔見たはずだが、ほとんど忘れていた。
まあ、こういう軽〜いノリで語るものいいけど、
でもなあ…
「存在=その人にとっての特別なもの(only one)」って
ハイデガーとは何の関係もない話だよ。
631考える名無しさん:2007/10/30(火) 14:14:32 O
>>630
> 「存在=その人にとっての特別なもの(only one)」

 俺もその番組は見てないし、全く関心が湧かないんだけど。

 上の言い方はおそらくハイデガーにおける慮りsorgeについて制作者は言いたかったんだろうね。
 「only one」という語彙を使うというのは若い女性向けに恋愛と結び付けて関心を引きたかったのかもしれない。

 恋愛において、存在が《本質を贈る》ということを言いたかったのかな。
632:2007/11/04(日) 09:16:04 0
ふみつけ
さいみんじゅつ
メガドレイン
サイコキネシス
万延元年のフットボール
633未定:2007/11/04(日) 09:17:08 0
トライアタック
そらをとぶ
ドリルくちばし
はかいこうせん
634考える名無しさん:2007/11/04(日) 09:17:48 0
635考える名無しさん:2007/11/04(日) 19:37:52 0
中国ってどんな国?
http://www.geocities.com/deepbluepigment/
636考える名無しさん:2007/11/08(木) 00:26:47 0
A chance to hear Heidegger Live (Audio, text)
http://orpheus.ucsd.edu/eands/home.html

Der Anspruch der Identitaet spricht aus dem Sein des Seienden.
Wo nun aber das Sein des Seienden im abendlaendischen Denken
am fruehesten und eigens zur Sprache kommt, naemlich bei Parmenides,
da spricht to auto, das Identische, in einem fast uebermaessigen
Sinne. Einer der Saetze des Parmenides lautet: to gar auto noein
estin te kai einai. 'Das naemlich Selbe ist vernehmen (d.h.
Denken) sowohl als auch Sein.'

 同一性の語りかけは存在するものの存在から語るのである。ところで
しかし存在するものの存在が西洋的思考において最初に且つ明瞭に言葉
に表わされるのは、云うまでもなくパルメニデスであるが、彼において
to auto(トアウトー:ギリシア語)即ち同一なるもの(das Identische)
が殆んど極端すぎるような意味で語られている。パルメニデスの文の一
つは次のように述べている、
 
 <<同じものは即ち Vernehmen〔観取の意〕(思考)であるとともにま
た存在である>>

ハイデッガー選集第10巻『同一性と差異性』p11より
Heidegger, Identity and Difference,
Der Satz der Identität.

音声は上記サイトで試聴可。
音源CDは以下で購入可能。
http://www.amazon.de/exec/obidos/ASIN/3608910476/ref=ord_cart_shr/303-1961892-4277801?%5Fencoding=UTF8&m=A3JWKAKR8XB7XF
637考える名無しさん:2007/11/14(水) 11:54:39 0
ディディエ・フランク『ハイデッガーとキリスト教――黙せる対決』
萌書房、2007年11月[9日頃?]刊行予定。 ISBN: 9784860650339
638考える名無しさん:2007/11/21(水) 00:21:32 0
>>628
ハイデガーが憤死しそうな番組だな…。
639考える名無しさん:2007/11/21(水) 03:49:44 O
ハイデカは読みにくいしいらいらすんな
たいしたこと書いてねーのに
640考える名無しさん:2007/11/21(水) 17:55:56 0
Die sprach spricht.
Es spricht.

「西洋と日本」っていう本でハイデガーやニーチェを援用して
日本の禅思想と絡めて語られている箇所があったのですが、
アポロにうたれるような言語表出ってどういうことですか?
ハイデガー読んだことないのでわかりません。
641640:2007/11/21(水) 17:57:37 0
これって要するにロマン主義的傾向ってことなんですかね?
ナチズムに無批判っていう側面も、そこからきてる気がしますが…。
642考える名無しさん:2007/11/21(水) 19:42:38 0
そういうことはせめてハイデガー読んでから言ってね

まずロマン主義的傾向ってどんなものを想定してるの?
ナチズムに無批判ってのはどう判断してそう言えるの?
643考える名無しさん:2007/11/22(木) 08:01:49 0
640です。
ロマン主義的傾向というのは、ナチスがゲルマン神話を体制化に持ち出したり
あるいはナショナリズムの方向に傾いたことを指して言ったのですが…。
それからハイデガーって、1933年にナチス党に入党したんですよね?
まだ勉強不足なもので、間違いがあったら指摘してほしいです。

>そういうことはせめてハイデガー読んでから言ってね

恐縮です。本当その通りですよね…。
644考える名無しさん:2007/11/22(木) 08:16:54 0
…と言っていた640本人ですが、過去に「存在と時間」読んで挫折してました。
記号(指し示すもの)のくだりまでは読んでありました。
645考える名無しさん:2007/11/22(木) 09:39:11 0
> ロマン主義的傾向というのは、ナチスがゲルマン神話を体制化に持ち出したり
> あるいはナショナリズムの方向に傾いたことを指して言ったのですが…。

それが具体的にどういう点で「ロマン主義的傾向」と言えるんだろう?
ロマン主義ってどういうものだと理解してるの?

言葉の意味をはっきり意識せずになんとなく使ってみました的な
雰囲気を感じるんだけどそういう人がハイデッガー読むのはさぞ
しんどいでしょうな
646640:2007/11/23(金) 16:08:37 0
一応19世紀末のドイツを中心とした芸術など各分野で勃興した
「ロマン主義」の神秘的傾向を念頭に置いていたのですが…。
それと「存在と時間」が読めないことには、何の論理的関係性もないですよね?

とにかく質問の要は、ハイデガーの哲学観が
東洋の思想にどれだけ近かったのかを知りたっかたのです。
揚げ足取りの回答に見せかけたレスだけならば、今後この問題については発言しません。
647考える名無しさん:2007/11/24(土) 09:01:15 0
単にハイデガーに絡みたかったんでしょ
648考える名無しさん:2007/11/24(土) 12:01:31 0
揚げ足取りっちゅーか19世紀末のロマン主義うんぬんって
言ってる時点でハイデッガーにはおかど違いなんだよ

せいぜいトラクル、リルケ、ゲオルゲに言及してるくらいでしょ
そのあたりはほぼ20世紀に活躍した人だし神秘的傾向うんうんも
関係ないし

もしかしてワーグナー的なものとハイデッガーの思想を同一視
してるようならお話にならない

ロマン主義とハイデッガーとの関連で言うなら19世紀初頭の
初期ロマン主義以外にはほとんど繋がりは見出せないよ
649考える名無しさん:2007/11/24(土) 13:43:04 0
ハイデガーの思想には他者がいない。それが最大の欠点だろう。
650考える名無しさん:2007/11/24(土) 13:47:51 0
東洋思想がわかる奴がおらんから答えられんっちゅーことやね
このスレは
651考える名無しさん:2007/11/30(金) 11:02:13 0
東京大学出版会 『死と誕生――ハイデガー・九鬼周造・アーレント』 
森一郎 1/中 ¥6,090 

東北大学出版会 『ハイデガーにおける循環と転回――他なるものの声』
後藤嘉也 -/- ¥3,675 
652考える名無しさん:2007/12/02(日) 00:58:49 0
道元の正法眼蔵というのは哲学書としてはどうなの?
読む価値ある?
653:2007/12/05(水) 17:07:43 0
ずつき
さいみんじゅつ
サイコキネシス
ゆめくい
新しい人よ眼ざめよ
654:2007/12/05(水) 17:10:08 0
ふみつけ
いわなだれ
じしん
じごくぐるま
静かな生活
655考える名無しさん:2007/12/05(水) 17:13:20 0
シュヴァルツヴァルトにて
656処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/12/05(水) 20:10:35 0
大拙とハイデガーの写真めっけ♪
ttp://www.geocities.jp/themusasi2/gorin/image/501daisetu.jpg
657考える名無しさん:2007/12/05(水) 23:32:17 O
A:鈴木たいくつとハイデガーって面識あったんだな。知らなかった。B:うん。あったんだな。ていうか、あれ、「たいくつ」て読むのか?A:違うのか。B:違うだろ。失礼だぞ(笑)A:じゃあ何て読むの。

B:それは他のレスの人、例えば処刑ライダーさんとかが答えてくれることになってる。A:「ことになってる」て決め付けたね。知らないぞ。B:そういや、今年ももう少しで終わりだが、ハイデガー関連で目立った話題はあったかな。

A:やはり、昨年から始まったハイデガーフォーラムかな。今年は行かなかったけどね。B:俺も今年は行かなかった。来年は学習院でやるらしいね。あと、ハイデガー関連で何冊か出たよな。A:読んだの?B:いや。

A:読んでないのか。B:関連書よりかやはりハイデガー本人の本がいいね。飽きないよ。緊張感というか、切迫感がある。何か、この人にしか見えなかったものがあって、そんな何かと格闘している感じがいいんだよね。

A:ほう。で、格闘しながら、ハイデガーは、敵を倒せると思っていた?そこは?B:倒せると思っていたのかは分からないが、でも、見えていたんじゃないかね。敵が。無数の幻のような風景の中に、何が真の敵かを見定めていたような気がする。

そこが凄い。そんな感触を抱かせる書き手はそういないからね。

A:確かにそうかもな。その辺がハイデガーを読む面白さの一つかもしれない。意味深な言葉遣い、それを辿ることで初めて浮かんでくる風景というか、地球という惑星の歴史というか、それが浮かんでくる…。

B:人類という謎の謎解きを見せるような意図はなかったはずだが、読んでるとその、ほつれた糸を解かれて行くような、快感がある。A:人類という謎、か。ところで、全集だが、あと日本版の刊行はどのくらい残ってるの?

B:残り少ないはずだよ。でも、中には大部の講義もまだある。楽しみといえば楽しみだね。A:根本的な質問をするけど、ハイデガーの思索てまだ死んでない?B:死んでないね。まあ、それは読んだ一人一人が決めることだろうね。

A:まずはハイデガーを読め。語るのはそれからだ!B:その文句はパクリだろ。サルトルが死んだときに誰かが言ってたぞ。A:つべこべ言わずに読め。B:お前こそ読め!
658考える名無しさん:2007/12/06(木) 12:21:50 0
ハイデガーの第一印象は「コイツ冷酷な奴だな」である。
今のヒルズ族のイメージが浮かんだ。
頭はキレるのか知らないけど、やはりどこか自己的でかっこつけだったり
俺たちサイコーって賛歌が聞こえてきそうな。
ハイデガーって都合の悪いことは放置してんでしょ?
そんな人間を哲学者と呼んでいいものかね。
個人的にはフッサールが築き上げてきた現象学をぶち壊しにした野郎だと思ってます。
心の中では「そんな小難しくネチネチ考えなくてもいいじゃないのフッサールさん」って思ってたんじゃないかと。
659考える名無しさん:2007/12/06(木) 12:40:16 0
哲学者で顔が歪んだのはハイデガーが初めて。
怖い思想だと思った。
存在と置き換えてしまってる時点でもう…
660処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/12/06(木) 18:38:02 0
悔しいか? 悔しいだろ?
661考える名無しさん:2007/12/06(木) 18:39:16 0
ダメだ・・・もう我慢の限界・・・なにこの糞スレ・・・・

もうね、金融工学を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね・・・
高卒とか文系の人は楽しめるかも知れないけど、自分は無理っすわ・・・

っつーことで落ちるわw あとは高卒&文系の諸君で楽しんでくれやノシ
662処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/12/06(木) 19:38:17 O
薄型野郎、乙。
663考える名無しさん:2007/12/06(木) 20:10:03 0
なんで658みたいなマトモにハイデガーを読んだこともない人間は総じて
同じような意見を持つんだろうね?

専門に研究してる人とそうでない人との間のイメージの乖離がここまで
激しい人って哲学者の中でもそうそういないだろうし

一体誰がこういったステレオタイプを生成してるんだろうか・・・?
664処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/12/06(木) 20:32:23 O
ああいうのが新しい世界秩序の指導者層なんだと。可愛らしい連中。
665考える名無しさん:2007/12/06(木) 21:13:15 0
フッサールとハイデガーて何の問題で意見が合わなかったの?
666処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/12/06(木) 22:55:18 O
フッサールの弟子のエディット・シュタインもユダヤ系だったっけか。
ガス室に消えた。
667処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/12/06(木) 22:58:34 O
手元の著作のポートレートは収容所で撮ったとおぼしき睨むような写真。
668処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/12/07(金) 12:35:43 O
フライブルクでの記念撮影は1953年、アーサー・ケストラーが
アーヴィング・クリストルの雑誌で禅批判をやって来日して
ペン・クラブと喧嘩したのは1958年。
669処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/12/07(金) 12:40:29 O
戦後、大拙は右翼扱いされたが、そんなじゃ漱石も芥川も賢治も
皆、右翼になっちまう。
670考える名無しさん:2007/12/07(金) 16:27:26 0
>>663
まともに読んでない時点での感想だと判断しつつ、
そんな奴と専門家を同列で比べちゃってることは無意味だと思わないんだな。
ステレオタイプってそういう認識の甘さから生まれるんじゃないの
そう、おまえみたいな奴が生成してんの(笑)
671考える名無しさん:2007/12/07(金) 16:30:26 0
ハイデガーはまともに読む書物ではない
反面教師として、乗り越えるべき壁として今も存在してるんですよ
672考える名無しさん:2007/12/07(金) 16:37:39 0
>>661
これからは人文系の時代だから理数系は落ちて結構
673考える名無しさん:2007/12/07(金) 22:56:17 0
>>672
人文系で研究してる者だが、それはないよ…。
674考える名無しさん:2007/12/08(土) 03:04:28 O
A:さすがに夜中は誰も書き込まないんだな。 B:俺達くらいか、こんなとこ来てるの。 A:“こんなとこ”は余計だけど。しかし人気ないな、ハイデガーは。人気ないだけじゃなく、理解もされてない。 

B:理解されてないだけでなく、理解されてないことさえ忘却されているな。 A:つまり忘却の忘却なんだね。窮迫か。これはハイデガーらしい。 B:そんなところで感心するか。 A:つまり、まともに読んでるのは俺達だけ、てことだね。

B:俺達だけ、てことはないだろ。たかが2ch.の書き込み具合で、ある思想の浸透性について判断してるヤツがあるか。本物の馬鹿だぞ、そいつは。 A:いや、だって、人気ない、て解るから。 B:馬鹿。思想家と芸能人、一緒にするな!人気は関係ねえよ。

A:そうかもね。いや、心配でね。全集売れてるのかな、とかさ。 B:売れてるかどうかはともかく、創文社はよくやったよな。よく続けたよ。 A:訳が悪い、とか木田元にまで難癖つけられてたもんな。可哀想に。

 B:木田の本の解説だってそう解りいいものではないよ。そもそもハイデガーの思索自体、解りいいものではない。 A:俺はすぐ解ったけどね。 B:…だから何。A:いや、何って?別に。 B:自慢げだったね。 A:自慢なんかするか!事実性だよ。 

B:まあいいけどね(憮然)。訳が云々はともかく、あれが出て、初めて訳され日本で出版されたハイデガー本、それも重要なものもある。そこは評価されるべきだ。

A:あんまり言うと創文社の回し者だと思われるからその辺にしといたほうがいいぜ。まあ、創文社って昔から地道な出版するとこだと思ってたけど、今回のは全集で、巻数が巻数だからな、ご苦労さん、てことだね。いや、創文社から回されてるわけではないが。

B:馬鹿。そんなことする会社か!際どい発言すんなよ! A:すいません。冗談です。 B:ひやひやする‥ A:眠いからもう止めるか。 B:寝てよし。
675考える名無しさん:2007/12/08(土) 23:00:15 0
>>674
なかなか読みやすい。

やっぱり哲学書もこういう会話形式で書いてくれないかなぁ。
だいぶ理解の助けになると思うんだけど。
哲学ってそもそも対話から成立するもんだし。
676考える名無しさん:2007/12/09(日) 00:08:27 0
行替えのセンスに脱帽
677考える名無しさん:2007/12/09(日) 11:23:34 0
木田元ってあれだけ他人の翻訳叩いといて自分の翻訳は
ズルズル延期していつのまにか定価も上げてるんだよね

ハイデガー関係での実績って学部生向けの概説書程度だし
専門向けでの実績ってあったっけ?
678考える名無しさん:2007/12/09(日) 11:28:37 0
>>677
たくさんあるよ。「メルロ=ポンティの思想」あたりが主要実績かな。
679考える名無しさん:2007/12/09(日) 16:21:19 0
でも氏本人も良くわからんらしいね>メルロ=ポンティ
680考える名無しさん:2007/12/11(火) 12:23:21 0
ハイデガーがナチスになったのはニーチェとか読んでた影響もあるの?
681考える名無しさん:2007/12/11(火) 19:54:20 0
まずニーチェを読め
そしてハイデガーのナチス加担がどんなものか
マトモな研究を読め
682考える名無しさん:2007/12/11(火) 20:02:01 0
>>681
> マトモな研究
って、一二冊紹介して
683考える名無しさん:2007/12/16(日) 21:03:08 O
>>680
> ハイデガーがナチスになったのはニーチェとか読んでた影響もあるの?


A:あるの? B:“ナチスになったのはニーチェの影響もある”と云われたら、No.だろうな。大体ニーチェにたいしても、ナチス寄りにされていたニーチェをハイデガー的に有の問いから読み直す、という意図で試みたのが所謂ハイデガーの『ニーチェ』なわけだから、

“ニーチェに引き摺られた末にナチスに”であるわけがない。 

A:しかし、ハイデガーの『ニーチェ』も版数がけっこうあるな。ざっと挙げただけでも白水社の3巻本『ニーチェ』、理想社からハイデガー選集の中で出た『ニーチェ』(上下)、それを再発した平凡社ライブラリー『ニーチェ』(1.2)、そして、全集版『ニーチェ』(T、U)、

よくこれだけ出したもんだと感心するよ。 B:つい最近、白水社版3巻本が再発なったしな。よく出てるね。違う版元からこれだけ出た本てのも珍しいんじゃないか? 

A:木田元のように、“読むべき哲学書を一冊あげるなら細谷貞雄の訳した『ニーチェ』だ”とまで言ってるのもいるしね。 B:言ってるね。ただ、細谷訳は全部を訳されてないから、途中までで終わっちまうのが難点なんだな。そうすると、“おいおい、この先はどうなったの?”

と俺でも聴きたくなってくる。 A:そうだよ。結局完訳版が欲しくなる。なら最初から完訳版買えばええわ、てなる。その難点ね。 B:ただ、細谷訳は確かに読みやすかった記憶がある。木田が薦めたのも解るんだけどね。

A:木田のハイデガーといえば、ハイデガー読み始めがたいてい一度は通過する入門書だからね。木田がそういうなら、てなるんだよ。 B:『現象学の根本問題』てどんな凄い講義なんだ、とかね(笑)全集版『現象学の根本諸問題』の売り上げには確実に貢献してるんじゃないか?。 

A:木田の影響力って読み始めにはあるよな。 B:うん。で、実際にハイデガーを読み始めると、副読本はあんまり読まなくなる。 A:本家は凄味があるからな。何でもそうだろうが。 B:てところでお開きか。
684考える名無しさん:2007/12/16(日) 21:08:42 0
『ニーチェ』は創文社版だとネスケから刊行されたのを底本にしたのと
講義録版があるからさらに増えるじゃん
685考える名無しさん:2007/12/18(火) 21:20:47 0
ハイデガーの発言が入ってる、
Martin Heidegger. Teil 1. German / Heidegger Speaks. Part 1.
をニコニコ動画で訳しておいたよ。英訳からの重訳だけど。
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm1808266

独語も読めるハイデガー読みからすると、不十分な訳文になってるかもしれないけど。
686考える名無しさん:2007/12/18(火) 21:26:50 0
>>682
フィリップ・ラクー「ハイデガー 詩と政治」藤原書店、2003年9月
トム・ロックモア「ハイデガー哲学とナチズム」北大出版会、1999年
ジェフ・コリンズ「ハイデガーとナチス」岩波書店、2004年11月
ヴィクトル・ファリス「ハイデガーとナチズム」名大出版会、

さあ、読みな。
687考える名無しさん:2007/12/19(水) 02:00:20 0
フーゴ オット「マルティン・ハイデガー―伝記への途上で」も有名なほうだな
688考える名無しさん:2007/12/20(木) 02:29:11 0
研究者じゃないんだから、全部読もうという気にはなれんが、
その五冊のうち、
1)内容の充実度
2)翻訳などの読みやすさ
3)値段、手に入れやすさ
という観点から一冊にしぼったら、どれ?
689考える名無しさん:2007/12/20(木) 03:28:45 0
オススメしない順でいうと

ファリアス>トム・ロクモア>ラクーラバルト>ジェフ・コリンズ

フーゴ・オットーは知らない
690689:2007/12/20(木) 03:30:17 0
とは言えハイデッガーとナチスなんて何の実りもないジャンルだから
本人の学長就任演説とシュピーゲル対談読むのが一番手軽で理解も容易だよ
691考える名無しさん:2007/12/20(木) 04:11:27 0
じゃあ、コリンズ『ハイデガーとナチス』買ってみるよ。
thx

本棚を探したら、シュネーベルガー『ハイデガー拾遺』って本が出てきた。
ナチス関係の資料集のようだが、暇な時に読んでみるか。
692考える名無しさん:2007/12/20(木) 18:45:07 0
ハイデガーファンの皆さん今晩は!
 ↓
【投げっ放し2】「あえてさらにハイデガーを語る」 | 伝統
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=3&nid=1923975

こいつ基地外なのかなんなのか教えてください!
お時間があれば、添削・批評もしてください!
春から粘着していて、板住人一同とても迷惑しています。
693考える名無しさん:2007/12/20(木) 22:02:14 0
用語の使い方から察するに訳書しか読んでないっぽい
議論の端々にドレイファスっぽいものを感じる
たまにとんでもない物にひきつけて語るのは木田かな?
ハイデガー理解に関してはちょっと話にならない
どの時期のハイデガーを想定してるのかも曖昧だし

とはいえ色んな物事を誰かしらの思想を通して考えようと
してるのは見てて面白いかもね

それがハイデガーである必要もないしそもそもこの人が
持ち出してるのはハイデガーでさえないんだけど
694考える名無しさん:2007/12/20(木) 22:12:28 0
>>693
ご教示ありがとうございます。
そこは旧の歴史板(現・伝統板)で、彼は板違いのスレを良く投稿しています。
当然、哲学の専門的な知識を持った人がいないもので、どうしたものかと判断がつきかねていました。
今後どう対応するか、じっくり考えてみます。
ありがとうございました。
695考える名無しさん:2007/12/21(金) 01:01:02 0
自殺、売春、虐待、大量殺戮、女性差別、は農耕社会になってから始まりました

天皇はA型で朝鮮の出身です。A型は2000年前に日本に来たから帰ればいいのに。
A型は100%農耕民族とはいえないがO型かB型にぜんぜん好かれないA型は
農耕民度が高すぎるから2000年前に日本の先住民族を大量に殺してきた
遺伝子、多そうだね。

遊牧民族は厳しい自然の中を小さい家族で移動しながら生活してきたので家族と他人の線引きをはっきりさせたと思う。
これをクールと感じる。だから、そのぶん身内にはあつくなるのか。

B型は遊牧民族、O型は狩猟採取民族。
A型は農耕民族。農耕民族は2千年前(つい最近)に、中国から日本に来た。A型は2万5千年ごろ誕生して農耕社会を
作ってきた。農耕民族社会になってから狩猟採取民族が大量に殺され滅び吸収され、ホームレス、虐待、売春、
女性差別 が始まり、強制的に横並び結婚し横並び子作りしないと女が生きていけない社会になる。
横並びの群れ社会(農耕民族社会)は無理やり敵を作り差別しないと作れない。これが、いじめ。
ブサイクで、もてない農耕民族はとくに性欲として横並びの群れ社会を作りたがる。

農耕民族社会はA型女も不幸になります。
696ochimusha:2007/12/27(木) 05:10:41 0
692で告発された被告人です。正直、10日ほど前までは完全に「ハイデガー素人」でした。
692の投稿者自身は既に論破されて逃亡済みなのですが、そこで話された内容自体は誤謬のみ取り除いて後に生かしたいと考えています。それに関してとりあえず「ハイデガー(新井恵雄)」にあった文章をアレンジして、こう言い換えてみましたが意味は通ってますでしょうか?
「近代科学は、全ての存在者を対象化する。
そして対象化とはすなわち表象化(vor-stellen=目前に立てる)であり、憎むべき組み立て(Ge-stell)の仲間なのだ。
こうした組み立て(Ge-stell)の支配下において、人間は取り立て(bestellen)てきた役立つもの(Bestand)に目を奪われて存在の本来の根源を見失い、自分をこの地上の主人と思い込む事で却って自分自身、役立つもの(Bestand)に仕立て(stellen)られてしまうのである」。
多分、片言英語みたいに見るからに頭の悪そうな文章で「ハイデガー哲学(特に後期)を本気で学びたければドイツ語に本気で慣れ親しむしかないのだ」という現実を目の当たりにさせられる様な仕上がりになっているかと思います。
「まさにそうである」という確証を得て「所詮、付け焼刃は付け焼刃」と自己納得した上で引き下がりたいと思っている次第です。
697ochimusha:2007/12/27(木) 05:25:04 0
ちなみに、本件はある韓国人が迂闊にハイデガーを引用し、その紹介内容が余りに余りなので「少し調べただけでも、そうでない事は分る」と私が介入した事で始りました(引用した本人は深く反省し、もう手を出さないと言ってます)。

そこへ空気も読まず割り込んできて「2chの賢人がこいつを駄目とみなした!!」と粋がったのが692の告発者です。

最後にid削除して消えてますし、本人が哲学分野における知識が皆無なのは明らかなので、もはやこんな形で下らない騒動が飛び火する事はないと思います。御迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。
698ochimusha:2007/12/27(木) 05:57:37 0
ほんの片鱗に触れただけの若輩者の勝手な統括ですが…

本人が結局どれほど聡明であったとしても、
他人を利用するだけで自らは何も学ばず危険も犯そうともしない
「被投されたままの存在」は、
腹を据えて「世界-内-存在における自らの被投性」を諦観と共に受け入れ、
「せめて企投に生きる」覚悟を決めた相手に
最終的に敗れざるを得ないのではないでしょうか?

時期によって表現の詳細は推移していくものの、ハイデガーは結局「それ以外、人生に何があるのさ?」と問い掛け続けてきただけの様に感じました。ま、あくまでも「ハイデガー素人」の感想に過ぎない訳ですが。
699ochimusha:2007/12/27(木) 16:13:30 0
ところで今回の件に「巻き込まれて」思った事が一つ。
ハイデガー哲学とは、本人の体験的世界観の系譜だけみていくと…

「ある日突然、ずっと前から自分が宇宙服みたいに全身を覆う密閉型スーツを着せられてCG画像を見せられてその中で暮らしている事に気付いてしまった」

「しかもさらに、それを脱げる可能性は皆無。すなわちこの件で取り乱す事は無意味と気付いてしまった(ただし「存在と時間の頃」はまだそこまで悟り切ってない)」

「やがて、自分が使っている言葉そのものの解析に、世界の意味を本来あるべき形で繋ぎ止め、かつ本来あるべき形で揺らがせる(というより「スナップショット」の撮影に近い?)力を求めていった」

という風になったたりするのでしょうか? 実は「ハイデガーを誤解している韓国人」にそれが間違いと納得してもらうには、こう説明して「疑似体験」してもらう以外の方法が一切通用しなかったのです。

そもそも、ある意味彼らには「存在忘却の経験自身がない(というか近代的孤独感を知らない)」としか考えられない側面があるのですよ。
これは本来ハイデガーが羨む理想郷の世界の筈なのですが、実は未だ「組み立て」られてない「生の有意性」とは「人を惑わす鬼神」に他ならない訳で。
やはり存在者はそこにも「世界-内-存在」として顕現してる訳ではないのですね(ハイデガーが理想としてたソクラテス以前の古代ギリシャも、そんな世界だった気がします)。

正直「妖怪さん」と仲良しだった暫く前の日本人も、どちらかというとそっちの世界の住人で、今日なおそういう当事の残滓を濃厚に残してる気がしてなりません。

しかし、日本人の場合はむしろ自ら望んで「近代」を受容してきた側面もあって、今更「みんな、山寺に篭って修行の日々を送ろう」とか「寅さんみたいな濃厚な地域コミュニティを取り戻そう」とか叫んでも誰からも見向きをされなくなりつつある、と。

そういう時代だからこそ、却って「ハイデガー哲学の行跡」は重要度を増しつつあるんじゃないかと。却ってニーチェが提言した様な「分かっちゃいるけど、騾馬の神様を拝む真似をすると気が休まるんだ」みたいな逃げ道の方が今日じゃ通用しなくなってきてる訳ですし。
700ochimusha:2007/12/27(木) 16:23:24 0
ま、結論からいうと「勝手にハイデガーの道徳哲学を装着して戦場に現れた韓国人」を倒すには同じものを試着して戦うしかなかった訳で。
結果として組み込んだ情報量の多さで相手は倒せましたが、まさにその瞬間を狙って「こいつが着てるのもパチモン!!」という告発があった御蔭で(しかも告発した本人も、その「パチモン」に破れる)何が何だか分からなくなってしまってる次第です。
日本人的感覚だと「神社に奉納」して忘れ去りたい所なのですが…そうもいかなくて、仕方なくこちらに持ち込んでみた次第で。
701ochimusha:2007/12/27(木) 18:18:36 0
良く考えてみるとこのモデルってぶっちゃけこんな構造になっているのですね。

●エイリアンのフェイスハガー(迂闊に覗き込むと、一瞬で全身を包まれてしまい二度と脱げない)

●大リーグボール養成ギプス(有識者から袋叩きにされたくなければ、ハイデガーの述べた方法に従って正しく語れ行動出来なければならない)

●全身拘束具(正しい手順を踏まない限り「世界-外」への影響力を行使する事がないばかりか、正しい手順を踏んだ結果それが行われる保証もない。また、例え実際に「世界-外」に影響を与えられたとしても、その事が当事者に伝わるとも限らない)

これがハイデガー哲学なのでしょうか? パチモンならパチモンらしく跡形もなく粉砕して欲しくて奉納したのですが…
702ochimusha:2007/12/27(木) 19:10:04 0
ただ、こういう世界観を踏まえて九鬼周造の「いきの構造」とかを読むと、何というか「あえてこんな世界で生きていこうとする凛とした決意」がしみじみと伝わってくる事が判りました。今の所分かるのはそれくらいですが、一つの仮説として…

もしかしてこの鎧は、1度身に着けてしまうと2度と脱げないものなのでしょうか?
703ochimusha:2007/12/28(金) 01:00:45 0
やれやれ、迂闊な誘いに乗って権威的発言をしてしまったばっかり完全に手詰まりになってしまいましたね。

1,私は何だか「ochimushaは2chのハイデガー板に論破された。御前がそれを認めれば我々の良心が休まる。認めてしまえ」と迫られてる(迫る本人はハイデガーの事など一切知らず、また学ぶ気もないので他に安心を得る方法がない)。

2.そういう連中がいる御蔭で、一旦は引き下がった「ハイデガーについて知ったかぶりをする韓国人」が、「日本人は、本当はハイデガーの事を何も知らないんだ」と早合点して、また勢いをぶりかえしてくる(それもまた私のせいにされる、と)。

たった一言「君が語ってる事は全然ハイデガーではない」という言質が頂けたら、こんなにも長居する必要はなかったのですが…今やすっかり「荒らし」と化してしまいましたね。
私自身は既に現時点ではハイデガーそのものを理解する能力そのものに欠けている事を認め、まず九期周造辺りの精読からやり直している最中です。
704ochimusha:2007/12/28(金) 01:16:29 0
個人的には、長年の「ハイデガーはフッサールの客観主義を否定した主観主義者」という勝手な誤解が解け「解釈学的方法論」の戦略設定の様なものが見えてきたのが最大の収穫でした。


その結果、既に「ハイデガーがドイツ人としてドイツ語で追求した世界」を日本語で九期周造の方法の延長線上で追求する事の方に関心が移りつつあります。

そういう立場から比較研究的にハイデガーを参照する方が、色々見えてくる様な気がするので。
705考える名無しさん:2007/12/28(金) 10:55:47 0
九「鬼」周造な。
706考える名無しさん:2007/12/28(金) 12:37:06 0
「妖怪さん」…あたかも「非西洋的概念」みたいな言い方をしてますが「ヒューマニズムを超えて(1943年)」における下記の様な伝統的形而上学を告発する言辞がそのまま当て嵌まりますな。

「存在者と存在の差異を思索する事なく存在者にとらわれて存在の真理を問う事を忘れた」
707考える名無しさん:2007/12/28(金) 12:58:19 0
>「自分の内世界における用材性の究明を通じて逆説的に他者に迫ろうとする」

「形而上学とは何か(1929年)」におけるこんなアプローチあたりに対応?

1.日常の中では存在者が存在するという重みは経験出来ない。
 なぜなら日常の中における存在者は道具として意のままになるからである。
 この重みを真に経験する為には、日常的な世界関係が崩壊しなければいけない。
 その点、無の経験とはまさしく存在の経験である。

2.「無の経験」は「存在と時間(1927年)」の様な外からの実存論的分析ではなく、自らを実存的不安の只中に置いて初めて経験できる。
 この事はある意味既に「存在と時間」において「存在の意味を明らかにするに際しての先駆的決意性」として既に預言されていた事である。
708考える名無しさん:2007/12/28(金) 13:05:27 0
映画「エイリアン」のフェイスハガー…本スレ中の書き込みからの引き写しだけど、「哲学への寄与(1939年)」にある「性起=この無化するものは、われわれを初めて本来的に有とその真理の中に愕然という仕方で奪い移す」辺りに対応?
709考える名無しさん:2007/12/28(金) 13:39:13 0
まとめると「ochimushaモデル」が「ハイデガー的にお話になんない」のは、例えば以下の様なハイデガー哲学のダイナミックな推移過程をが全然フォローアップ出来てないから?

【初期?】「存在と時間(1927年)」
●「世界」は用材性によって構成されているが、それが「世界そのもの」ではない。
 存在の意味を明らかにする鍵は「先駆的決意性」である。

【過度期】「形而上学とは何か(1929年)」
●日常の中では存在者が存在するという重みは経験出来ない。
 なぜなら日常の中における存在者は道具として意のままになるからである。
 この重みを真に経験する為には、日常的な世界関係が崩壊しなければいけない。
 その点、無の経験とはまさしく存在の経験である。
 これは自らを実存的不安の只中に置いて初めて経験できる。

【後期?】「技術への問い(Die Frage nach der Technik)」
●「近代科学は、全ての存在者を対象化する。
 そして対象化とはすなわち表象化(vor-stellen=目前に立てる)であり、
 組み立て(Ge-stell)の仲間なのだ。
 こうした組み立て(Ge-stell)の支配下において、
 人間は取り立て(bestellen)てきた役立つもの(Bestand)に目を奪われ
 存在の本来の根源を見失い、自分をこの地上の主人と思い込む事で
 却って自分自身、役立つもの(Bestand)に仕立て(stellen)られてしまうのである」。

●「技術の本性(Wesen)」の「本性(Wesen)」の動詞形である
 wesen(一般に「成存する」という造語か「現成する」という仏教用語が当てられる) は既に死語となってしまった。
710考える名無しさん:2008/01/04(金) 03:21:57 0
『存在と時間』、一応読了したのですが、
使用されている単語の意味があまりに捉え辛く、
ほぼ何も読まなかったのと変わりない状態です。
再度挑戦してみようと思うのですが、
その前に、『存在と時間』についての解説書を挟んでみたいのです。
自分のような初学者に、ハイデガー理解の指針となるような本はないものでしょうか。
711考える名無しさん:2008/01/04(金) 12:32:51 0
木田元
ハイデガーの思想
712考える名無しさん:2008/01/04(金) 12:49:30 0
>>710
ハイデッガー『存在と時間』註解、マイケル ゲルヴェン
ttp://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480085801/

713考える名無しさん:2008/01/04(金) 21:19:05 0
>>711のAmazonカスタマーレビュー

>ハイデッガーの所論を浮かび上がらせることのできる、稀有な語り手

>さすが、我が国におけるハイデガー解釈の第一人者。

>海外でも著名なハイデガー研究者の木田元氏

>木田氏は、ハイデガーの日本における第一人者だけあります。

>日本有数の哲学者でハイデガー読みの木田元氏

>わが国におけるハイデガー研究の第一人者



これ嫌がらせで書いてるだろw
714考える名無しさん:2008/01/04(金) 22:18:17 0
ん?木田元って何か問題でもあったか?
715考える名無しさん:2008/01/04(金) 23:55:29 0
竹下登先生はたいへん素晴らしい政治家です
木田元先生はたいへん素晴らしいハイデガー研究者です
716考える名無しさん:2008/01/05(土) 12:31:52 0
なるほど。それは素晴らしい。
素直にマイケル ゲルヴェンを選びます。
717考える名無しさん:2008/01/05(土) 12:39:35 0
>>710
初心者向けじゃないかもしれんが、『存在と時間』に
本気で取り組むなら、これが必読だろうね。

ジャン・グレーシュ著
杉村 靖彦(すぎむら やすひこ)他 訳

『存在と時間』講義 統合的解釈の試み
ISBN978-4-588-15049-4

http://www.h-up.com/2007-10.html
718考える名無しさん:2008/01/05(土) 12:42:26 0
そのグレーシュの本、いい本らしいね。高いけど買おうかと思ってる。
719考える名無しさん:2008/01/13(日) 12:48:54 0
>>710
竹田もいいと思うよ。

みんなは竹田どう思う?
720考える名無しさん:2008/01/13(日) 12:50:44 0
>>719
竹田は端的にダメ。ドイツ語もできないし、専門知識が欠如。
自己流の理解を分かりやすく素人に語る能力は認めるけどね。
721考える名無しさん:2008/01/18(金) 01:13:16 0
>>712を読んでみた。非常によかった。
難解な単語を噛み砕いて、平明な文章で解説してくれた。
さらに他の解説書も読んでみたいけど、
やっぱり木田元の本は、あんまりよろしくなさそう。
ナチスと結びつけたり、未完の部分を推理しようとしたり。

やっぱ次はこれかなあ・・・・・・・
ハイデガー入門 (講談社選書メチエ) (単行本(ソフトカバー))
竹田 青嗣 (著)
722考える名無しさん:2008/01/18(金) 01:22:21 0
俺は木田元ので
「全く読めん」から「スラスラ読める」に変わったけどなぁ
でも、20節くらいでほとんど忘れたし、思い出せる限りでもあまり読み返す気も起こらないけどねw
まさにとても都合の良い“入門書”だった
723考える名無しさん:2008/01/18(金) 01:31:09 0
>>722
何と言う本?いろいろ出てるが。
724考える名無しさん:2008/01/18(金) 01:58:18 0
>>723
>>711のやつ
それ以外は読んでないよ
725考える名無しさん:2008/01/18(金) 11:53:16 0
>>721
木田の本は別にすごくもないが、入門書として悪いわけじゃない。
読みやすいし、まあまあ面白いし、とっかかりとしてはいいと思う。
ゲルヴェンの本を読んだ721にはもう読む必要ないと思うけど。
726考える名無しさん:2008/01/19(土) 02:19:50 0
「存在と共同」(轟孝夫)、とても良かった。
時系列的に思考と、その表現の変遷を追いながら、
ハイデガーが生涯を通して迫ろうとした「存在」とは何だったのかを
かなり分かりやすくまとめている。
非常にためになった。霧がかなり晴れたような感じ。

いま全集63「オントロギー(事実性の解釈学)」を読んでいるが、
「存在と時間」を書く前のハイデガーも面白いね。

727考える名無しさん:2008/01/19(土) 03:21:42 O
おまえら俺がどんだけ苦労したと思ってるんだ?これじゃあ俺がただのかわいそうな人じゃねえか
728近刊:2008/01/19(土) 16:17:30 0
マルティン・ハイデガー
『アリストテレスの現象学的解釈(『ナトルプ報告』)』
高田珠樹訳、平凡社、2008年2月中旬[10日/14日]頃刊行予定。
ISBN:�9784582702774
729考える名無しさん:2008/01/20(日) 03:09:01 0
宗教板から来た哲学に詳しくない者ですが、突然すみません。

もしかしたら過去スレに、同じような話が出てきたのかもしれませんが、(その場合すみません)
ハイデガーについて、詳しいみなさんにお聞きしたいことがあります。

自分はある宗教団体に大学生の時、はまってしまいました。
最初の方の勧誘では、「哲学と古典を学ぶサークル」なんだという説明でした。

そこで出てきたのがハイデガーでした。そして以下のような話を出してきました。

『ハイデッガーが老後の日記に、「今日、英訳を通じて、始めて、東洋の聖者親鸞を知った。
若し、十年前に、こんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったなら、私はギリシヤ語や
ラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び、親鸞聖人の教えを聞いて世界中に弘めることを
生き甲斐にしたであろう。だが、おそかった」と記しています。・・・』

実はこの話はその宗教団体が出版している本の一節なのですが、このあとまだまだ親鸞賞賛
の話がつづき、ハイデッガーは「親鸞の教えが世界にひろまったら、世界平和の問題に対する
見通しが始めてつき、21世紀文明の基礎がおかれる」と言っているとまで書いてあります。

だから、哲学者も親鸞のことを賞賛しているんだよ、ということで次第に宗教の話が始まりました。
当時先輩は木田元教授に試験だったか論文だったか忘れましたが、親鸞のことを書いたら
通ったとか言っていました。

本当にこんなことをハイデッガーは言ったのでしょうか?ここまで賞賛していなくても、親鸞に関して何かハイデガーは
言っていることは事実としてあるのでしょうか。宗教団体側は根拠は未だに出していませんが、信者は教祖が言っている
ことなので、本当のことだと信じています。

この宗教団体は、カルト疑惑がかかっていて信者に知り合いがいます。
何とかあやしい宗教団体だと説得したいので、色々情報を集めています。よろしくお願いします。
730考える名無しさん:2008/01/20(日) 09:20:05 O
>>729

A:これは面白いね。 B:面白いね。 A:このエピソードは知ってる? B:ハイデガーが親鸞を日記に書いてたか否かってところは初耳なんだけど、ただ、ハイデガーと親鸞て思想の共通項はある。例えば、親鸞がよく使う<業>てのがあるんだけど。 

A:それは唯円の書いたと言われる『歎異抄』にも出てきてるね。例の「私の云うことならばなんでも聞くか」といわれ「はい」と答える。「ならば人を千人殺せ」と親鸞に云われ「私にはそんな度量はありません。千人はおろか一人だって殺すことは無理です」と答える。

それにたいして親鸞は言う。「お前は今、“人を一人だって殺すことは無理です”と答えたが、そんな人間でも殺してしまうことはある。全ての行為や思考は、前世からの業が輪廻し、それが縁となり、今生での物象と結び付くから生まれるのだ」…

たしかそんな話をする。その場合の<業>というのが、ハイデガーの問題にした<有>または<存在>ともいうが、それと近い。 B:うん。『真性の本質について』で、ハイデガーはこう書いている。

《そのように理解された自由、つまり有るものを有ら‐しめることとしての自由は、有るものを露現することという意味での真性の本質を、充実し遂行する。「真性」は、或る人間的「主観」に依って或る「客観」について言明されてそれから何処かで如何なる境域の内から

知られない処で「妥当する」正しい命題のもつ徴表ではなくして、真性は、有るものを露現することであり、その露現を通して或る一つの開性が統べている。その開性の開けた場所の内へ、人間のすべての関わり合いと関わり合いの態度とは、曝しだされている。

それ故に、人間は脱‐存Ex-sistenzという仕方に於いて有る。》(『道標』創文社全集版233頁)

このような云い方は他にも相当ある。ここでの<真性>というのが、<存在>・<有>を指示することは明らかで、それは、人間の行為や言明や意識の根拠について、或る転回を促そうとするものだと言える。『有と時』の第一部標題は

「現有を時性に向かって研究的に解釈することと、時を有への問の超越論的地平として解明すること」となってるけど、このような問の立て方と、親鸞が弟子に語る、行為の果実としての、輪廻(反復)としての業、そこから生ずる縁、というのは問題意識として近い。
731考える名無しさん:2008/01/20(日) 10:21:02 O
A:君が指摘するのは解るがただ、そうだとすると、親鸞研究会とやらがハイデガーを使って勧誘に走ることは正しい、という話にもなるね。 B:そこは、『歎異抄』を読めばカルトとの通路など一切断たれているのは一目瞭然なんだよ。

例えば、遠国からやってきた信者に向かって、親鸞がこう語ったとされるのを読むと

《親鸞(私)においては、ただ、「念仏して阿弥陀に助けられればよい」と良き人の仰せを受けて、信ずるだけで、何の子細もありません。実際に念仏が本当に浄土へ生まれる種なのか、それとも地獄へ落ちるべき業なのかは、全く私には判別できないというのが本当の所です。

(中略)結局のところ、愚かな私の信仰においてはこのような話になります。この後は、念仏を取って信じてゆくか、または念仏を捨てるのも、おのおののご自由になさればよいでしょう。》

また、弟子への手紙では信仰の根拠について、<自然>にあると書いている。

《自然の自はあのづからということであります。人の側の計らいではありません。然とはそのようにさせるという言葉であります。そのようにさせるというのは、人の側の計らいではありません。それは如来のお誓いでありますから、法爾といいます。

(中略)また法爾である如来のお誓いの徳につつまれるために、およそ人の計らいはなくなりますから、これをそのようにさせると言います。これが解って、全て人は計らわなくなるのであります。ですから、義の捨てられていることが義である、

と知らねばならないと云われます。》(『親鸞全集』第四巻330頁春秋社)

ここからカルトはおろか、宗教団体としての“親鸞教”が出てくることは考えにくい。 A:しかし、現実には今に至るまで、浄土真宗を標榜する団体は残っているが? B:親鸞に限らないが、死後の変質は避けられないところがあるんだろう。

例えば、親鸞系統とされる蓮如という人が『蓮如上人御一代聞書』によればこう言ったとされている。

《正信羯・和讃(親鸞の生前の書き物)を読んで、それで仏や聖人に勤行したつもりだろうか。どうしようもないことだ。他宗には、勤めとして、私たちの宗に向かわせなければならない。我が宗の内部では、「他力を知れ」として、

親鸞聖人の和讃にその心を読まなければならない》(『日本思想体系 蓮如 一向一揆』114頁岩波書店 )
732考える名無しさん:2008/01/20(日) 10:39:20 0
さりげなく師匠に責任転嫁してるところが笑える
「たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。」(『歎異抄』第二条)

師匠に対して冷淡なところも二人は共通だな。
733考える名無しさん:2008/01/20(日) 11:20:26 O
B:先ほど挙げた親鸞自身の言葉と、親鸞の死後の継承者と言われる蓮如の間に、齟齬が生まれていると、よく解る。

 この蓮如という人は、このようなことも書いている。

《近頃の真宗念仏者の中には、本当の信心を持てないために、仄聞しただけの、または人並みの、という感じで報恩報謝(お布施)をしてゆく風情がある。ひどく情けない話た。何故ならば、万里の遠路をやってきて、莫大な労力をはらって上京したのに、

いたずらに“仄聞しただけ、人並みにだけ”と考えるのは、残念な話ではないか。非常に不満足な話に思われる。ただし、無宿善(善なる業を持たぬ)の機にある場合には、(何が善いことか知らぬのだから)仕方がない。

ただし、そうであっても、無二の懺悔をして、一心不乱に正しく念仏を唱えるなら、どうにか親鸞聖人の本意に到達することも出来るだろう。》(『日本思想体系 蓮如 一向一揆』90頁岩波書店)

A:なるほどね。これは親鸞とはまるで違ってきてると俺でも解る。 

B:まず、下世話な部分で、“お布施が少ない”と(笑)いうのは論外だとして、問題は“そのように報恩報謝の少ない信者というのは無宿善であるから、より一層の念仏が必要だ”としていることにある。これは本格的な墜落だと規定してよいのではないか、ということだ。 

A:蓮如というのはあの五木寛之が本まで書いている人なんだけどね。五木の『蓮如』というのは今売れている仏教書の一つだろう。
 
B:蓮如でも親鸞を継承している部分は皆無ではないし、広めようとして苦労したのは確かだから、いたずらにけなす気はないが、どう逆立ちしても変質だとし言えない部分はある。継承者と言われる人間が何をどう継承したかが問題なんだよ。
734考える名無しさん:2008/01/20(日) 20:10:36 0
数行にまとめてくれい。
735考える名無しさん:2008/01/20(日) 21:03:31 0
>>731,733
ハイデガーとは全く関係ない駄文を連ねるのは自重してください。
736考える名無しさん:2008/01/21(月) 08:14:28 O
>>728
イイィヤッホゥ!!!
737考える名無しさん:2008/01/21(月) 10:07:19 0
高田先生の翻訳は本当に読み易くて且つ正確で素晴らしい。
高田訳が出る度に日本のハイデガー受容が着実に前進した
手応えすら感じる。
738考える名無しさん:2008/01/21(月) 11:25:01 0
今は阪大の教授ってことになるのかな
739考える名無しさん:2008/01/23(水) 10:12:00 0
いろんな意味での実体性に対する了解の考察はすごいと
思うけど、存在に対してだったり人間にだったりの考察は
単なる不安神経症患者の人生論以外の何者でもない、と。
ほんとにニーチェよんだんか
740考える名無しさん:2008/01/26(土) 05:14:28 O
高田珠樹訳の『アリストテレスの現象学的解釈』って昔『思想』に載ったやつか?
平凡社からってことは全集じゃないし、今度はレクラム版から訳したのかな
741考える名無しさん:2008/01/30(水) 19:39:02 0
西研の「実存からの冒険」でハイデガーのこと書いてあったんだが
なんかよくわからない…バカなのかなぁ
742追加訂正:2008/02/05(火) 21:42:58 0
>>710
誰にもわかるハイデガー (新潮カセット講演) (カセット)
筒井 康隆 (著)
743考える名無しさん:2008/02/06(水) 22:33:52 0
その昔、なにっ筒井がハイデガーだと、こりゃ面白そうだ、
と走って買いに行き聴いてみたら、じつに表面的でつまらなかった記憶が。
744考える名無しさん:2008/02/06(水) 23:18:55 O
森一郎の新刊に注目
745オフクロ:2008/02/07(木) 13:53:46 0
746考える名無しさん:2008/02/07(木) 13:55:43 0
747処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/02/07(木) 18:18:39 O
暇だから「ヒューマニズム書簡」でのマルクス・共産主義論について
レポートを提出しなさい。
748処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/02/07(木) 19:20:23 O
ヘルダーリンから始めて近代人の故郷喪失についてごく一般的な
ことが書いてあるな。
749考える名無しさん:2008/02/07(木) 20:17:38 O
ゴミレス上げるなこのカス野郎
750処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/02/07(木) 21:08:01 O
>>749
あれ、「言葉は存在の家」って有名なテーゼはどの箇所だっけ?
751処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/02/07(木) 21:10:26 O
「言葉は橋、そこに家建てんな」ってのが俺の有名なテーゼだから、
内容的に全面的に噛み合うとは限らないが。
752処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/02/07(木) 22:27:59 O
ハイデッガーともなるとイデオロギーバカの偏見に満ちたマルクス
主義批判を一蹴するのは当然として、近代前と言ってついスコラ主義に
着地してしまうのが限界かなぁ。
753考える名無しさん:2008/02/08(金) 01:19:22 O
シェリング講義品切れ?
754処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/02/09(土) 03:28:02 0
こういう限界性はヤスパースにも共通してるかな。
ハイデガーの方が疎外感は強いな。
755考える名無しさん:2008/02/09(土) 10:43:55 0
>>753
品切れです
756追悼:2008/02/17(日) 11:01:56 0
渡邊二郎氏(東大名誉教授)が死去 (読売新聞)

 渡邊二郎氏(わたなべ・じろう=東大名誉教授)12日、膵臓(すいぞう)がんで死去。76歳。告別式は近親者で行う。喪主は妻、邦美(くにみ)さん。

 1991〜95年に日本哲学会会長を務めた。


[ 2008年2月14日14時25分 ]
http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20080214-OYT1T00409.htm
757考える名無しさん:2008/02/18(月) 00:46:36 0
ひぇ〜〜〜
758考える名無しさん:2008/02/18(月) 00:46:42 O
先生さようなら(合掌)
759考える名無しさん:2008/02/20(水) 12:45:39 0
「存在と時間」読んだけど、
世界―内―存在て世界が先に来てるけど、
どうやって世界を認識できるのか基礎付けされてないような感じがした。
世界や他人があると思っても、ただ幻覚を見ていただけということもあるんじゃない?
まず、超越してると思える世界の存在を証明しないといけないような感じがするけど・・・
学問というよりただの心理学のようなかんじがした。
760考える名無しさん:2008/02/20(水) 14:03:32 0
認識に先立って世界が存在して何が悪いの?
つーかその方がどう考えても自然でしょ
761考える名無しさん:2008/02/20(水) 18:26:43 0
>>759
認識論じゃなくて存在論だからです
762考える名無しさん:2008/02/20(水) 19:16:49 O
なんで渡邊さん死んでもこんなに反響ないの? 彼に習った連中は2ちゃんなど見ないってか。スンマセン。
763考える名無しさん:2008/02/20(水) 22:04:29 0
渡邊二郎さんの最大の功績はあの注の付け方じゃないかw

恐ろしいくらいに大陸系中心に広まってるよねw
764考える名無しさん:2008/02/21(木) 17:47:44 O
読みにくいんだよ
ページ数くらい本文に組み込んでけれ
765考える名無しさん:2008/02/21(木) 20:16:46 0
ジローには、単なる頭の固いウンコ親父イメージしかなかった


・・・ねらーとして精一杯の餞だよ
766考える名無しさん:2008/02/23(土) 22:28:03 0
文章とお話の落差が大きい人じゃった。文章は慣れるまでは固くみえるかもしれんけど。

つうか自分で思ってたよりも彼のことが好きだったことに気づいてしまった。
767考える名無しさん:2008/02/23(土) 22:43:25 0
>>760
ハイデガーの前に
カントを読んで、超越論的観念論を
勉強するべきではないかな。
世界を認識する仕方は「私」の超越論的統覚の世界構成であること、
そして世界は「私の表象」であるということ
これは大前提なのだ。統覚はしかし存在を表象することができない。
なぜなら表象する私の存在は統覚そのものであり、眼は眼を見ることができないから
だからハイデガーは序論でなぜギリシャの時代から存在が忘却されてきたか
を丹念に記述している。
大事なのは認識(きみは存在して認識できてるよ)より
どうして無ではなくあるのかという存在の不思議を探求することじゃないのか。

768考える名無しさん:2008/02/24(日) 11:34:56 0
>>767
もちろんカントを前提として言ってるの(759はカントもまともに読めてなさそう)

ちゃんと『存在と時間』(の中のカントや超越論についての議論)や前後の
ハイデガーのカント解釈読んだら759みたいなことは絶対に言えないよ

イギリス経験論とカントの超越論の関係や20世紀への転換点における現象学の
位置づけ等の文脈なしに『存在と時間』読んじゃうと>>759みたいな感想持ちそう

1927年時点で「認識」の「基礎付け」なんて議論にどれほどの意味があったのよと
769考える名無しさん:2008/02/24(日) 12:37:45 0
ちゃんと読めば、ハイデガーから「哲学の死」が始まったことが読めると思うが。
770考える名無しさん:2008/02/24(日) 13:47:18 0
>>769
と木田チェンチェイの本に書いてあったのですか?
771考える名無しさん:2008/02/24(日) 18:25:06 0
1926年は「量子力学」の年だよ。
『存在と時間』は時代遅れの象徴だったのだよ。
772考える名無しさん:2008/02/25(月) 12:33:55 0
哲学の死w
773考える名無しさん:2008/02/26(火) 01:08:48 0
>>768は、
当然ヒュームやフッサールは読んでるんだよね?
774考える名無しさん:2008/02/26(火) 02:35:44 0
中央大のハイデガー読書会の人たちが読んでる『宗教的生の現象学』((Phänomenologie des religiösen Lebens)
ってのが面白そうだな。
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~asuda/res/reskai.htm#heide3

ハイデガーの新プラトン主義講義とか、ある意味笑えそうだなw
そのうち翻訳で出るのかね。
775考える名無しさん:2008/02/26(火) 03:54:20 0
>ハイデガーの新プラトン主義講義とか
俺、それはハイデガーとバディウをつなぐ線としてすげえ興味ある。
未訳のBd.60ってこういうのなのか。
776考える名無しさん:2008/03/14(金) 23:34:30 O
明日3/15午後から立教で実存思想協会例会
777考える名無しさん:2008/03/16(日) 18:10:36 O
777
実存思想協会は21日だろ
778考える名無しさん:2008/03/16(日) 20:36:05 0
厨房な質問ですみません。
『存在と時間』を読んでるですが、
現象学って超越論的な学なのでしょうか?
現象学ってどこでその正しさを判定するのでしょうか?
ひいては、超越論的なものについて正しさは判定できるのでしょうか?
779考える名無しさん:2008/03/16(日) 23:13:11 O
スレ違いだが、
1913年の前と後で違う
780考える名無しさん:2008/03/17(月) 02:11:50 0
781考える名無しさん:2008/03/17(月) 03:26:00 0
>>779
回答ありがとうございます。
知りませんでした。

ハイデガーの言ってることのイメージは掴めるんですが、
どこに妥当性があるのか・・・、
机上の空論のような気がしていまいちのめり込めないのです。
782考える名無しさん:2008/03/17(月) 05:15:31 0
>>781
存在了解とか志向性については考えているの?
それによってあなたが妥当性とか判定とかをどういうものとして
考えているかが少しは分ると思うんだけど。

そうじゃないと、あなたが何を基準に妥当とか判定といっているのか、
よくわからない。
783考える名無しさん:2008/03/17(月) 09:05:09 0
志向性てブレンターノとかフッサールが研究してたんじゃないの?
784考える名無しさん:2008/03/17(月) 16:05:01 0
>>782
>>783
回答ありがとうございます。
哲学の素人ですので、
変なことを言うかもしれません。

現象学における妥当性とは何か?という問いに対して、
私自身の妥当性や判定に対する基準を述べる必要性があるのか分からないのですが、

例えば論理学なら矛盾律、
デカルトなら我思うゆえに我あり、
というような自明性から出発した妥当性でしょうか。
ハイデガーはデカルトの思惟する存在者の自明性や
存在の自明性を批判するところから出発して存在論を展開していますが、
では何を根拠に論の正しさを判定するのだろうと考えてしまったのです。
何らかの自明性に依拠せずに論の妥当性を云々することもできないと思いますし。

存在了解について。
一般的な自分自身の存在についての了解内容(「平均的な存在了解内容」)を
その現象に即して、余計なものを排除する現象学的手法を用いて根源的につきつめたもの。
と理解しています。(質問の意味を取り違えてたらすみません。)
世界内存在とかについては、
まだ読み途中で、言い方は悪いですが
根拠薄弱な仮説の域を出ないんじゃないかなぁ・・と。
そうでもありうるだろうけど、それ以外ではあり得ないともいい得ない・・と。

志向性について。
フッサールやブレンターノを読んでないので何とも言えないというのが正直なところです。
フッサールを先に読んだ方がよかったようですね。
この辺りの現象学の基本的な部分って何を読んだらいいんでしょうか。
『論理学研究』とかですか?
激しくスレ違いばかりで申し訳ないのですが。
785考える名無しさん:2008/03/17(月) 18:50:34 0
読みやすいのなら「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」とか、
「デカルト的省察」とかじゃないの、
あと世界の名著51はブレンターノとフッサールだから、
古本屋かオクで見つけたら読んでみるのもいいかも。
786考える名無しさん:2008/03/17(月) 19:41:28 0
>>784
俺もあれこれアドバイスする程、わかっているわけではないが、おれが
なぜ存在了解と志向性、ハイデガーでいえば、関心や配慮になるわけだが、
などを質問したかというと、以下のような理由から。少し読みにくくなるかもしれないが、
勘弁してくれ。

まず、存在了解は、現存在が存在者の存在について問う場合、存在を
「あらかじめ」了解していなければ、問い自体が可能にならない、という
様態を描いたものだとして、では、この先行了解とは何なのか。

ハイデガーは、この「あらかじめ」了解してしまっている様態の、時間性、空間性
を問題にしているわけだ。「存在」を問う場合どうしても「あらかじめ」その問いの
宛先であるべき「存在」の圏内で問いを立てなくてはならなくなる。
この「あらかじめ」了解している時空が「存在」や「開け−覆蔵」として描かれるわけだな。
現存在はとにかくこのあらかじめ開け広げられて問いを構築できる地平に
投げ込まれていなければならないことになる。と同時に、存在からは遠ざけられてもいる。
まあこれはいいとして。

ではデカルトの超越論的主観性も同じように読めば、懐疑を可能にしている、条件の「開け」
のように読める。これはむしろフッサールが発展させた事だ。「デカルト的省察」を読むといい。
この主観性の「開け」こそ、フッサールの明晰性の基礎だろう。

しかしハイデガーは、主観性とは言わない。むしろ主観性こそ「存在」の
開けた時空性、存在了解からしか解釈できないというわけだな。

ハイデガーは、「存在する」、ゆえにわれ思う、とたしか、デカルトの
語句を入れ替えていたはずだ。主観性の明晰さも確実性も、「存在」
のあらかじめ押し広げられた時空性なしでは、成立しないわけだからな。

ハイデガーに言わせれば、デカルトの主観の明晰性は「存在」そのものを
問わないことで確保されている、という事になる。
787786:2008/03/17(月) 19:51:50 0
だから、ハイデガーは決して明晰性をあいまいにしているわけではない。
存在了解という様態の時間性や空間性を問う事によって、一般的に言われる
明晰性や確実性の構造を明らかにしようとしているんだからな。

デカルトの明晰性や確実性は、むしろ根源的な存在了解の「明るさ−暗さ」から
しか解釈できないものとしてあると、ハイデガーなら言うんじゃないだろうか。
この存在了解の「あらかじめ」押し広げられている地平は、いわゆる客観的な確実性や
明晰性とは根源的に異なった、「明晰性」のことだからな。

俺が君に存在了解をどう考えているか聞いた理由は、今まで描いたようなことを
君は果たして考えて、明晰性とか確実性とか言っているのか疑問だったからだな。

志向性(配慮、関心)については、まあこの問いの「あらかじめ」や「すでに」の
時間性の事だという事で勘弁してくれ、ちょっと疲れて来たので。

また何か思ったら書く。

ただ、言いたいのはまず、ハイデガーを素直に読むことをお勧めする。
最初から批判する必要はない。変な拒絶の仕方になると思うからな。
まずハイデガーが何を言いたいかなぞってから批判に入ったほうがいいんじゃないだろうか。
788考える名無しさん:2008/03/17(月) 20:20:44 0
>>786
>「存在する」、ゆえにわれ思う
て明らかにおかしいだろ、
存在するものがみんな思考するわけじゃないんだから
石ころも思考するのか?
「我は存在了解をする」、ゆえに我思う
ていうならまだわかるけど
ハイデガーの思想は厳密な学になってないんだよな
ヘーゲルの観念論とかもそうだけど、ただのたわごとに聞こえる
フッサール勉強してからの方がいいんじゃないの
789786:2008/03/17(月) 20:32:04 0
>>788

いや、存在者が存在するゆえにわれ思うではない。

存在が、存在者の思考を可能にするという事だ。
この場合の存在は、何らかの存在者の「ある」ことではなく、
大文字の「存在」のことだ。

「存在」は「対象」ではない。存在を思い浮かべたり思い浮かべなかったり
する事は全く違う。

存在を「es gibt」、それは与える、という言葉にしたのも、存在を「対象」
として思考しないためだ。

君は「存在するもの」=「存在者」と「存在」の存在論的な差異を
無視しているから、そういう批判ができると思ってしまう。

石ころが思考すると入っていない、思考が可能なのは「存在」のあけ開いた
地平の圏内だけだってことだ。現存在がわれ思えるのは、現存在が、
「存在」のうちに安らっているから。

君は恐らくハイデガーを読まずに批判しているからダメだ
790考える名無しさん:2008/03/17(月) 21:18:11 0
>>789
>存在が、存在者の思考を可能にするという事だ。
てどういう意味?

>大文字の「存在」
て何?

>「存在」は「対象」ではない。
ということは存在は何なの?
意識は必ず何物かについての意識ですよね?
対象でないとするとそもそも意識の志向性の対象がないということだから、
そもそも存在について考えること自体できないんですけど。

>「存在者」と「存在」の存在論的な差異
て何?

>「存在」のあけ開いた 地平の圏内
てどういう意味?

>現存在が、 「存在」のうちに安らっているから
てどういう意味?

もちろんハイデガーを読み込んで理解していらっしゃる>>789さんは、
質問に答えられないということはないよね?
791786:2008/03/17(月) 21:24:15 0
>>790
お前見たなコンプレックスの強い怠惰な馬鹿は相手したくないから消えてくれ。
以後お前とみなした馬鹿には何も答えない。存在論的差異も知らないでよく
ハイデガーは厳密じゃないとか言えるなw恥ずかしいから他のスレでやれ。

それよりちゃんと「存在と時間」の中で疑問を見つけようとしているやつとだけはなす
事にする。全部「何?」としか言わないカスは死んだ方がいいよ。
792考える名無しさん:2008/03/17(月) 22:23:40 0
俺は大してハイデガー読んでないけど、
基本的な理解と姿勢の両方において786は間違ったことをいってない。
哲学板の哲学者スレで乞食のように「答えてね」で済ます人間は相手にされなわけで、
791のように切り返した786の姿勢は、間違っちゃいないな。
793考える名無しさん:2008/03/17(月) 23:27:07 0
でもハイデガー初心者にもろハイデガー語で解説しても
意味分からんと言われて当たり前だわw
794考える名無しさん:2008/03/17(月) 23:53:10 0
そう。ハイデガーに限らないけど
対象との距離の取りかたが難しい。
木田元の偉いのは、そういう点だと思う。
>>790 は岩波新書の『ハイデガーの思想』くらい読め。
「存在論的差異」とか分からないんじゃ話にならない。
795考える名無しさん:2008/03/17(月) 23:59:36 0
>>791
やっぱり答えられないのか、
>存在論的差異
の意味くらいしかわからないみたいだな、本の受け売りで、
コンプレックスあるのは791自身だろうな
自分でもよく理解してない概念を自慢げに使わない方がいいよ、
本当に知ってる人は自分の言葉で説明できるからね。
796考える名無しさん:2008/03/18(火) 00:24:06 0
哲学のツラいところは、テクニカルタームを使わずに説明しようとすると、
問題自体が消滅してしまうって点だな。
797考える名無しさん:2008/03/18(火) 00:35:15 O
学部生の話し合いを微笑ましくみてるつもりだったが、
>>790がただの挑発カスだったわけだな。
「言葉は存在の言葉である。雲が空の雲であるように」(『ヒューマニズムについての手紙』)ってわけだな。
798784:2008/03/18(火) 17:14:24 0
>>785
紹介ありがとうございます。
「ヨーロッパ諸学の危機〜」は一応持っています。
世界の名著の方も読んでみたいですね。
786さん二方が薦められてもいるので、
まずは「デカルト的省察」を読んでみようと思います。
799784:2008/03/18(火) 17:19:29 0
>>786
最後まで読まずに批判している点については恐縮するしかありません。
また、以下については自分なりの理解で786さんの言うことを捉えていますが・・。

>ではデカルトの超越論的主観性も同じように読めば、懐疑を可能にしている、条件の「開け」
>のように読める。これはむしろフッサールが発展させた事だ。「デカルト的省察」を読むといい。
>この主観性の「開け」こそ、フッサールの明晰性の基礎だろう
「開け」というのは問いが可能になる地平を開くというようなことでしょうか。

「存在と時間」を読んでていつも感じていたことは議論が逆立ちしているな、ということで、
私が読んでいて苛立ちを感じているのはその辺でした。
おそらく彼の、自明性を解体して根源を解明しようとする思想の特殊性から
それは仕方のないことなのだろう理解しました。
つまるところ自分が先の質問で求めていた答えは、理論の土台となる前提です。
「存在と時間」においては、
「存在」という従来自明とされていた前提自体を解明することを目的としているため、
そこに気持ちの悪さと、根拠薄弱さを感じて先のような質問をしました。
実際には根拠自体を問うているわけであり、
それが薄弱かどうかは読んでいる最中である今の段階では留保されているということなのでしょう。
自明性を問うというその議論の行き着く先に、
新たな前提となる自明性が確立されているのか?
そのことについては今でも疑問視していますが。。。

レスを読んで、ハイデガーの議論の意義について理解が深まりました。
自分の問題意識がはっきりしてよかったと思います。
確かに786さんが仰るとおり、まず批判ありきという態度で読んでいたのですが、
それというのも私はハイデガーという人自身があまり好きではないのです(尊重はしているつもりですが)。
それにまず「存在と時間」はやはり難解ですし、長いので、
読み続ける活力を得るための書き込みでもありました。
丁寧に回答ありがとうございました。
800784:2008/03/18(火) 17:21:52 0
>>790以降の議論について

存在論的差異という言葉は初めて聞きましたが、
以下の議論については、
「存在と時間」五分の一くらいしか読めていない私でも
786さんの言ってることは理解できたし、
正しく言い得ているように思えました。

自分の言葉で説明って言っても程度があると思いますよ。
そもそも他人の思想を語っているわけですしね。
現在でも最も研究されている哲学者の一人ですですから。
本を出している学者でもそれは完全には不可能ですし、
自分の言葉で言えるのならその人は学者というよりまた別の思想家ですしね。
つまり自分の言葉で語りつくしてしまうのもそれはそれで問題な気がします。
801考える名無しさん:2008/03/19(水) 02:56:35 0
そもそもハイデガーの主張以前に、事実的に存在の確実な地盤が
あり得るのかどうか、というのがまず問題なんだな。

実際に日常経験からもそういう存在の無根拠さを導く例が見つけられるわけ。
ある存在者の不在を経験した後でその存在者の存在を明確に理解したりとか、
例えば精神病のように人が存在に対して閉ざされる可能性も持っている、などがそれ。
802考える名無しさん:2008/03/19(水) 09:20:44 0
>>787
おまえさー「存在了解」てそもそもおかしいだろ、
俺は、存在を了解した覚えないけど、
「存在了解」しなくても、了解する前に存在をあるものとして知覚してるんだから、
世界をなぜあるものとして認識できるのか、
現象の現れノエマと志向する意識ノエシスの働きを解明しないとだめだろ、
基礎付けされてないから根拠ないと言われるんじゃないの、
ハイデガーを読み込んでる割には質問には何も答えられないんだな。
803考える名無しさん:2008/03/21(金) 19:40:54 0
こんなんありました。
159 名前: OFW 投稿日: 03/02/16 14:26
面白そうなので、ちょとおじゃま。
>Scarecrowさん
ネタでなければ、存在論の基本を良く突いているが、
突き詰めるには用語に難ありかな。

>>1
>世界が「ある」とは、一体全体どういうことなのだろうか?
有名な哲学者マルティン・ハイデガーが『形而上学入門』の冒頭で
「有があって、無がないのは何故だろう?」という問いを掲げています。
問い自体が誤っていると言える例です。

>果たして無意味かつ不可能なことなのでしょうか?
そして彼は「世界とは<世界と言う意味>である。」
という(意味不明の)結論を引き出している。
「意味」という言葉には、注意が必要です。

>>2
>我の存在を了解している意識は「ある」ということになってしまい、
再びハイデガーが言い出した「存在了解」という用語が出てきましたが、
「了解」とは意識より広いはたらきを指す言葉ですね。
実際には「存在を了解する」のではなく、
「事態を了解する」が正しい。
つまり、「私の存在というモノ」ではなく「私が存在するというコト」を了解しているのです。
804考える名無しさん:2008/03/21(金) 19:42:01 0
160 名前: OFW 投稿日: 03/02/16 14:27
>Scarecrowさん(つづき)
>>121
>そのクルミがある瞬間、なんの前触れもなく忽然と姿を消してしまい
有名な古代ギリシャの哲学者アリストテレスは『自然学』において、
「ひとりでに」と「たまたま」という言葉を区別していますが、
自然物がなんの前触れもなく姿を消すと、
人は驚き、超自然現象かと騒ぎ出すでしょう。
何故なら、人は「自然物は姿を変えることはあっても、
それ自体が突然無くなることは決してない。」という、
自然的存在に対する信頼をもって生活しているから。
そのことは哲学的には「無から有は生じない。」と表現され、
物理学では「時空の連続性」および「質量の連続性」という公準として前提されているものです。
心理的時間についてはまた異なりますね。
>>127
>では、その世界を生成している「そのもの」はどうなっているのでしょう?
「世界」とは<現象の総体>をさす言葉ですね。
>その世界そのものが「ある」もしくは「ない」とは一体全体どのような現象なんでしょう?
現象とは何でしょう?それは「現れること」であり単に「ある」ではない。
「それにおいて何かが現れている」という<存在の二重性>を捉えた言葉です。
>世界内の事象の変化
変化とは何でしょう?
「あるものが他のものになること」つまり<生成>という事柄の発展形態ですね。
時間とは生成変化の規定性であって、逆ではない。
つまり、事柄のない時間はないわけです。
>>129
>「完全無欠の無」そのものは、たしかに存在していると私は思えてならない
無論「無が存在する」のは確かです。
ただし表象(これは難しい言葉ですが「イメージ」と同じと考えて大過なし)の内にのみ。
805考える名無しさん:2008/03/21(金) 19:42:38 0
223 名前: OFW 投稿日: 03/02/18 12:40
何故か、平日の昼間にカキコ・・・
>>166(森下くるみさん)
>ハイデガーは「現われ」と「現象」を区別してたよなあ・・・。
おっしゃる通り。
現れ(Existense(現出、(現)存在))と現象(Phenomenon)は異なるカテゴリーですが、
一度にすべては言えない。

>>185(Scarecrowさん)
>AとBを均等もしくは同じジャンルと見なし
「A」→「主語」 「B」→「述語」 「ジャンル」→「カテゴリー(範疇)」と置き換えれば、
大体OKです。
「無がある」とは一つの<文>です。
平叙文は通常「主語ー述語」の構造を持ちます。
主語は対象を指示し、述語はその性質や状態を記述する。
そして、文全体として何らかの<事態>を表現するという機能をもっています。
上記の第一文での主語は「無」(名詞)、述語は「ある」(動詞)ですが、
主語「無」が指示しているのは、実在する(実在とは時空のうちに存在すること)何ものかではなく、
<無と呼ばれる観念>だということです。

観念は常に何ものかの観念であり、
その対象をもち、それ自体で存在することないにも拘らず、
上記は「無」と呼ばれる何ものかが対象としてそれ自体で存在するかのように平叙文を使用している。
そのことは、「無があるよ」と言われた場合、
「えっ、どこに?」と聞き返すことが奇妙なことからも分かるでしょう。
「存在するものは具体的な個物であり、存在自体は存在しない。」
ということは子供でも分かる自明の理であり、
ハイデガーは、すべての形而上学者(超自然的な存在を主張する者)と同様、
「存在者の存在、つまり存在自体という観念(彼の場合は存在の意味)がそれ自体で存在する」
ということを信じている<言霊主義者>だということです。
806考える名無しさん:2008/03/21(金) 19:43:48 0
224 名前: OFW 投稿日: 03/02/18 12:41
>>187(Scarecrowさん)
>ハイデガーは、言語内問題として世界を片づけてしまったのでしょうか?
日本人なら「単なる言葉の問題に過ぎない」と片づける場合でも、
西洋人は「世界や存在の真実は、言語においてのみ明らかにされる」として、
あたかもその中に神の魂(意味なるもの)が宿っているかのように、言葉を重視する人種のようです。
(それを、哲学業界では「ロゴス(言語)中心主義」と呼んだりします。)

>>188(Scarecrowさん)
>「有が無になることはない」というのは、哲学的な表現としては成立しうるのでしょうか?
「さっきまで此処にあったクルミが、今は無い」とは日常的用法ですが、
「さっきまであった有が、今は無になった」とは言わない(無意味)。
たとえば、
「すべての努力が無に帰した」
とは限定された無としての<成果の無>(成果を生まない努力)を指示しているのであり、
無一般はどこにもないもの(つまり観念)であり、その場所を指示(指差すこと)は不可能。
確かに「無からの万物創造」「終末論」とはユダヤ・キリスト教特有の教義ですが、
だからこそ、それは超自然的な神秘(奇跡)と言われる。
807考える名無しさん:2008/03/21(金) 19:45:45 0
225 名前: OFW 投稿日: 03/02/18 12:42
>>192(Scarecrowさん)
>無が表象の内のみに存在するというその根拠は何でしょう?
要するに、無とは抽象的観念だということです。
それは具体的・実在的対象の知覚・記憶から、
その表象(“私の中にある対象”という形式)への移行(Re-presentation、再現前作用)において、
実在対象を観念化(一般化)するための否定の契機だということです。

実在する<これ>(知覚)
   ↓
もはや実在しない<これ>(記憶)=かって実在した<これ>(再認)
   ↓
<これならぬこれ=一般的なこれ>(表象)

>無は実体としてどこかに存在しているような気がしてならないのです。
<実体>とは最高度に難解な概念の一つですから、
綿密な説明が必要な所ですが、さしあたり、むしろ実体とは<存在を支える無>とでも言える概念であり、
一つの過去的な存在を指示しています。
この辺から、存在(および無)と時間の不可分性が明確になってくるし、
形而上学が時間を嫌う理由も出てくる。
因みに、西洋哲学と東洋哲学の性格について、
前者は存在の立場、後者は無の立場だと言われ、「一切無」という仏教の教えにも通じてくる。

>有が消えてしまったその後に無がある、と考えています。
有(存在一般)が消えるのではなく、
特定の有(一定の存在者)が消滅するのです。
具体的な実在は、時間的・空間的存在であり、生成変化のうちに置かれている。
あるものは特定の有(限定された質)とその否定(限定の無)との統一である、
という認識は弁証法と呼ばれています。
808考える名無しさん:2008/03/21(金) 19:47:18 0
226 名前: OFW 投稿日: 03/02/18 12:42
>>194(178さん)
>現象と実体(それ自体)などのように分けたがる人は多いですね。
「我々に与えられているのは現象であり、物自体は認識できない。」
とはこの板の上で見つめている人(カント)の有名な言葉ですが・・・。

>>199(Scarecrowさん)
>私が忽然として消えてしまう可能性もあるような気がしているのです。
自己意識は観念の自立態ですが、それは(自然物のように)存在しない。
存在するのは私の身体であって、私ではない。

>私が存在し続ける拠り所というか根拠がどこにもない
持続とはなんでしょう?
それは<消滅に抵抗する生成>という運動ですね。
つまり生成と消滅の統一が、存在の根拠としての<本質>という概念です。

>>216−217
>「存在」と「存在者」を区別せんでどうする。
文字通り(表面的)にはそうでしょうが、
ハイデガーこそが両者を区別していないということです。
存在の存在論化(アドルノ)と呼ばれる。
「存在者の存在」とは無意味な言葉であり、
事物の根拠(本質)をその恣意的な意味に解消しようという、
現象主義(解釈主義)です。

>「何故一体存在者があって、むしろ無があるのではないか?」が正確だ。
日本語になっていないが?
「何故?」とは事物の存在理由、その根拠への問いであり、
<意味>への問いではないことを理解する必要あり。
まず、名詞「意味」とは何か(意味の定義)を示して欲しいな。
809考える名無しさん:2008/03/21(金) 19:50:49 0
234 名前: OFW 投稿日: 03/02/18 15:58
段々とスレ違い(擦れ違い?)になってきたが・・・
>>227(216さん)
>ハイデガーの主張と自分の解釈を「区別」できていない
>こう訳さざるを得ないの。
ハイデガーの方法論は解釈学(意味への問い)ですが、
原著本来の意味を訳した<文字通りの訳>と、
文脈に従って“真意”を解釈した<意訳>とを区別できていないという、
いわゆる<解釈学のアポリア>ということかな?
少なくとも、「アホ」が罵倒語であり、理性語でないことは「区別」できるが・・・

>「世界」の本質はそのかぎりで「有意味性」である、ということだ。
まず「事物の本質性ではなく、その存在性を問え」というのが、
ハイデガー流の現象学の立場ではなかったかな?
彼の主張のどこかに「世界の本質」という用語がでてきたかな?

>「意味」というかぎりはわれわれ人間に「了解」されているもの
了解というのも曖昧語ですね。
たとえば部屋の外を見てなにかを了解する場合、
了解されたのは「今は雨が降っている」という現在の事態であり、
その意味とは、たとえば「傘なしで外出すると、濡れてしまうだろう」という未来の事態ですね。
それは予測という知的なはたらきであり、
(透視者でない限り)未来の状態自体が知覚されているのでもなく、
<雨という記号の意味>を解釈したのでもない。
また、たとえば「隊長、了解しました」とは相手の意図を了解したのであり、
コミュニケーションにおいて相手の動作・発言を解釈して、
自分の為すべき行動との関連付けが成功した、ということですね。
結局、「世界の意味付け」とは世界の諸事象が相互に連関しており、
自己を含めたその総体に向かって、関連性を明らかにしようという認識主体の営為でしょう。
それはそれ自体で存在するようなものではない。
用語「意味」「了解」の定義をしっかりしないと、議論が空転するかと。
810考える名無しさん:2008/03/21(金) 19:53:04 0
242 名前: OFW 投稿日: 03/02/19 03:24
>>235
>いい加減な引用
>>236
>ハイデガー理解(真意?意訳?)が不当
>わかりやすくするために、オレが使っただけ。
とかく観念論者や形而上学者はわかりやすいことを難しくする、かな。
要はハイデガーのように、
「存在者」から「存在」という字句を切り離してそれ自体で理解しようとしても、
それは無意味だ、ということ。
「存在者は存在する」を「存在は存在する」から区別することは、字句上でしかできず、
既に前者は後者の誤りを含んでいる(このクルミやあの電車が存在するのであって、
存在者なるものが存在するのではない)から、前者の意味を後者で表わすこと(意訳)は、
ハイデガー理解として不当ではない(むしろより深い?(笑))でしょう。
ハイデガー翻訳者(文献読みの文献知らず)は異論があるかもしれないが。
(スレには関係ないが、ヘーゲルの長谷川訳は相当な意訳のようだ。)
811処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/03/24(月) 00:26:13 0
>>802
お前、飯食ってる時に目の前に茶碗のあるのは不思議とは思わないだろ。
812考える名無しさん:2008/03/24(月) 11:05:30 0
「世界ー内ー存在」て
存在者があらかじめ世界の中に投棄されてるていってるのに、
存在了解するときに存在があるというのはおかしいんじゃない、
了解するまえに世界の内にあるんだから。
存在するコト、とはどういうことか考える時にすでに存在を前提にしてるのに、
超越してる物をどうやって確かにあるものとわかるのかな?

ハイデガーはただのたわごと言ってるだけなの?
どうして「存在と時間」の続き書かなかったんだろうね(笑)

それにハイデガーは恩師に対して、
恩を仇で返したよね、絶対許さないから。
813考える名無しさん:2008/03/24(月) 18:21:36 0
だろうね(笑)
814処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/03/24(月) 18:29:37 O
フッサールは中期はデカルト的考察だったからな。そのまま師事して
いても『存在と時間』みたいな面白い著作は生まれなかったろ。
フッサールも最後は「生活世界」に戻ったが。
815処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/03/24(月) 18:32:21 O
もちろん、これは嫌みに対して嫌みで答えてるんだからな?
816処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/03/24(月) 18:36:55 O
>>812
『存在と時間』が完結しなかった理由は俺はこのスレで二回くらい
解説してやってるぞ。読んでも分からないんだろ。
817考える名無しさん:2008/03/24(月) 22:08:54 O
スルーしようと思うのさえ不愉快
視界から消えろクズ
818考える名無しさん:2008/03/28(金) 16:12:10 0
存在と時間って関係ないだろう。
819処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/03/28(金) 18:29:31 O
ハイデガーのいう「通俗的存在了解」ってのはニュートン力学的な
世界像を指してたりするな。「機械的時計時間」とか。
820考える名無しさん:2008/03/28(金) 23:30:07 0
>>818
私とは時間の中に存在するんじゃないか。
821考える名無しさん:2008/03/28(金) 23:31:57 0
>>819
微妙に違うと思うが今いちいち指摘する暇ないので勘弁してやる
ハイデガーなら「ニュートン力学的な世界像」なんて言葉を安易に
つかわねーと思うよ
822考える名無しさん:2008/03/29(土) 04:36:38 0
>「機械的時計時間」
ベルクソンの時間表象批判かと思ってしまうような語句だな。
というか、『時間概念の歴史への序説』ではハイデガーはベンヤミンをこの主旨で割と高く評価してたんだっけ。
823考える名無しさん:2008/04/03(木) 17:30:12 0
>ハイデガーはただのたわごと言ってるだけなの?

その通り。
ハイデガーの偉いところは、たわごとをたわごとと
思われないよう煙に巻くテクニックにある。
で、結局、たわごとはたわごとでしかないじゃん、と
言われて終わり。
824考える名無しさん:2008/04/03(木) 23:57:05 0

 なんで自分の書き込みにレスしてるの?
825考える名無しさん:2008/04/06(日) 20:29:16 0
細谷貞雄訳の「存在と時間」を読んだのですが良く分からないまま通過してしまったところが多いです;
本文の中で紹介される他の哲学者の著作を読んでいないと分からないと思われるところも結構ありました。
読むべき本は沢山あるようですが何から手を付けたらいいか分かりません。
まず誰のどの本を読むべきでしょうか?ご教授下さい。
826処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/06(日) 21:01:18 O
>>821
『存在と時間』では距離と長さ(延長)は異なるものだって
説いてるだろ。
827考える名無しさん:2008/04/06(日) 21:09:23 0
>>825
ジャン・グレーシュの『存在と時間』講義
値段分の価値はある
828処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/06(日) 21:15:08 O
ニュートン力学的世界ってのは実はアリストテレス主義だったり
するのかも知らんが、だからなおのこと『存在と時間』は自己憧着に
陥ったりしてさ。
829考える名無しさん:2008/04/06(日) 22:28:21 0
>>828
die frage nach dem dingくらいよめ
830処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/06(日) 23:27:24 0
うん、当たり前のことだね。
831処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/06(日) 23:37:18 0
物理学の英語の「フィジクス」はアリストテレスの「自然学」が由来だからね。当たり前のことさ。
832Wittgenstein教:2008/04/07(月) 04:06:39 0
処刑って分裂病みたいだな。統合失調症、ちょっとうるさいな。
833考える名無しさん:2008/04/07(月) 04:26:47 O
>>832
あんたも大概
834考える名無しさん:2008/04/07(月) 08:23:00 0
>>832
お前も同類
835825:2008/04/07(月) 11:10:17 0
>>827
ありがとうございます。アマゾンで注文しました。
836処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/07(月) 12:51:12 O
英語じゃ「天動説」を「地球中心システム」、「地動説」を
「太陽中心システム」って言う。日本語の視点は直観的で逆さまに
なってる。
837処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/08(火) 19:48:32 O
>>822
ベルグソンは有機体哲学と進化論への傾倒が強すぎで、土台が
ナチズムと一緒だから、戦後、ラッセルにお払い箱になったろ。
直観主義的ではありが。
838処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/08(火) 19:49:29 O
あるが。ハイデッガーはナチに荷担したりしたが内容的にはちょっと違う。
839822:2008/04/08(火) 22:26:14 0
「ハイデガーにおけるベルクソンの扱い」の話のつもりだったんだが。
840考える名無しさん:2008/04/22(火) 20:21:14 0
爆笑問題のニッポンの教養
http://www.nhk.or.jp/bakumon/nexttime/

次回、4月22日(火)午後11時〜NHK総合の放送は
FILE035:「哲学を破壊せよ」
木田元(哲学)
日本における西洋哲学研究の第一人者、木田元。彼は79歳の今、“反哲学”を唱えている。プラトンからハイデガー
に至る西洋哲学は、西洋独特の「神」など超越的な視点から世界を見ており、その世界観を共有してない日本人には
分からないのが当たり前だというのだ。デカルトの“我”も西洋的な「神」の理性に裏付けられたものであり、普遍的
なものではないという。西洋哲学を60年にわたり追求してきた大御所のアンチ哲学宣言だ。日本人はうつろう自然
の姿に世界のありようを感じ取ってきた。それはむしろ「万物は流転する」に代表されるような哲学以前の古代ギリ
シャの賢者たちの思想に通じるというのだ。この日、日本人による新たな哲学が構想される・・・!?
木田に大胆な転回を可能とさせたのは、生来の不良・学問的混血児の来歴ゆえだという。満州に育ち、徴兵された広
島で原爆を目撃、戦後はヤミ市で活躍する。そんな破天荒な日々、“なんのために生きるのか”に悩み、哲学に身を
投じる。英・独・仏・ラテン語ギリシャ語を独習し、以来独自の道を歩んだ。現象学やハイデガーの権威となった
後も、通説をひっくりかえす個性的な哲学者として知られる。3年前のガン手術を超え、いまなお精力的に執筆活
動を続けている。伝説の哲学者に、爆笑問題が挑む。
841考える名無しさん:2008/04/26(土) 18:21:30 0
なんだここは? 活発に議論されてるスレだなw
842考える名無しさん:2008/04/26(土) 18:51:09 0
>>840
その「反哲学」って、ニーチェからポストモダニズムへと流れてきた
近代ヨーロッパの「自己批判」に、「日本人には」って枕詞を付け加えた
だけなんじゃないでしょうか? 
843考える名無しさん:2008/04/26(土) 19:46:13 0
日本における西洋哲学研究の第一人者w
844処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/26(土) 22:11:30 O
ハイデッガーのベルグソンに対する言及は知らん。

ベルグソンの中途半端に科学的な哲学はフランスのポスモダに
受け継がれたのかな。
845考える名無しさん:2008/04/27(日) 01:41:13 0
> ハイデッガーのベルグソンに対する言及は知らん。

存在と時間さえ読んでないことは分かった
846処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/27(日) 10:13:13 O
あれれ、何章何節だっけ。途中で挫折してるからさ。
847処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/27(日) 10:24:47 O
あったあった。

第二章 存在問題の開発における二重の課題 考究の方法及び構図
第五節 存在一般の意味の解釈のための地平を打開する作業としての、現存在の存在論的分析論
848処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/27(日) 10:30:23 O
ハイデッガーはベルグソンの時間概念ははアリストテレスの延長線上に
あると書いてるな。
通俗的時間概念にもそれなりの正当な根拠がある、とか。
849処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/27(日) 10:32:11 O
生活世界の時間感覚がそもそも直観的だからだろ。

中途半端な科学知識で考える通俗的な時間概念てのもあるが。
850処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/04/27(日) 10:37:37 O
何が難しいんだ、こんな話。
851考える名無しさん:2008/04/28(月) 04:48:52 0
東浩紀は『存在論的郵便的』のなかで、ハイデガーの存在、存在者、現存在を、それぞれメタレベル、
オブジェクトレベル、クラインの管と図解している↓。これは存在論としてハイデガーを見るなら正し
いがハイデガーはあくまで解釈学なのでクラインの壷が示すようなハイパーインフレーションは起こら
ないと見るのが妥当だと思う。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/41/a0024841_4162993.jpg

ハイデッガー自身の描いた図はもっと簡単である。クラインの管を上から見たと考えることも出来るが、、、
『ツォリコーン・ゼミナール』(みすず書房1991年,p3) より
http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/14/41/a0024841_15442757.jpg

死を先駆するハイデガーに対して、生の哲学であるベルグソンは『物質と記憶』にある以下の図が有
名(田島節夫訳の白水社版では183ページ、合田正人、松本力訳のちくま学芸文庫版では232ページ)。
http://members3.jcom.home.ne.jp/yoshihara.jya/tadoru/cone.jpg

ベルグソンの場合は存在と時間が一致しているが、ハイデガーの場合は存在と時間はズレており、存在
を時間化しようとしていると言えなくもない。
どちらもアリストテレスの因果律を現代的に展開したものではある。

ベルグソン哲学がファシズムにつながるという向きもあるが、(親衛隊ではなく)突撃隊を支持した
ハイデガーにも決断主義の危険があると思う。
852考える名無しさん:2008/04/29(火) 11:15:29 0
先駆的決意性な。
853考える名無しさん:2008/05/09(金) 16:43:40 0
「ニーチェT」間もなく読了だが、いまいち面白くなかった。
所々にぐっとくるフレーズはあるんだけどねぇ。
854考える名無しさん:2008/05/09(金) 18:37:39 0
美学系の人なら面白く読める
改変なしの講義録版も
855考える名無しさん:2008/05/15(木) 23:08:04 0
「世界内存在」も「故郷喪失」も「存在忘却」も
既にマルクスの疎外論の中にあった(byハイデッガー)
http://www.cdams.kobe-u.ac.jp/archive/dp06-11j.pdf
856考える名無しさん:2008/05/23(金) 10:39:31 0
「ハイデガー存在神秘の哲学」を買って損した。
著者がハイデガーを畏敬していることだけはわかったが。
857考える名無しさん:2008/05/30(金) 16:18:40 0
スレチかもしれんが「還元と贈与」を読み始めた。
まだ最初の辺りだけど、
すごいことが書いてありそうでドキドキするw
858考える名無しさん:2008/05/30(金) 19:02:08 0
859考える名無しさん:2008/06/01(日) 04:50:40 0
地方駅弁の学部生です。存在と時間(原・渡辺訳)をテキストに講義を受けました。

初心者的な質問ですが、誰か批判をお願いします。なおハイデガーについては存在と時間しか読んだことないです


ハイデガーの問う「存在」とは、結局独我論に陥ったと解釈していますが、それはおそらくハイデガー自身もまた「私」という現存在の範囲でしか考察できなかったからだと考えます。
決してハイデガーのアプローチに問題があったのではなく、むしろその過程は恐ろしく鋭いものだと思います。ただ、ハイデガーは現存在である「私」の分析について「いつ現存在は意識されたのか」
という考察がないために、「存在」にアプローチしていく中で独我論に陥ってしまったのだと考えます。

860859:2008/06/01(日) 04:52:29 0
つまるところ存在論は言語学的な領域と自我の成立という領域にまたがっているのではないかと思うのです。
なぜならもし仮に人が生まれながらにしてどんな人からも接することなく、ただ孤立してあるような状態、意図的にいわば「無視」されたような状態に置かれ、それでも生きてゆくことが可能だとしたら、
成長の過程において我、および言語というものは形成されえないと考えるからです。これは狼に育てられたアマラとカマラの成長が示していると思います。
861859:2008/06/01(日) 04:54:20 0
うまく説明できないのですが、私は「存在」についてフッサールがいったように「知覚されること」であり、また「他を知覚すること」によって生まれる「距離感」に対して生まれてくる「私」という自らを
意識するために与えられた名称だと思うのです。この「私」という意識の「発現」によって世界は言葉を使い表現されることが可能になったのだと思うのです。
故に通俗的な「存在」という語は物体があるという意味と、ハイデガーのいうところの存在了解といったような意味で、核心的でない輪郭を描いているよくわからないもの、私の主張でいえば「私」という
「意識」の発現に必要な(意識以前の)距離感という意味で二重性をもっているのだと考えます。これは後者によって暗黙のうちに「存在」という概念が形成され、それを「私」以外に対して言葉を使って適用したという意味です。
862859:2008/06/01(日) 04:54:48 0
>786の方が書いているようなことは理解しているつもりですが、漠然と私の中での主張としては存在論的分析を行う上では自我の形成があってこそだと思うのです。
ハイデガーは時間・空間・被等性・世界-内-存在・企投性によって人間がどのような状態にあるのかを明らかにしたと思うのですが、それらすべては自我の成立後の言葉を用いた上での説明です。
ハイデガーが存在了解とよんでいるのは、実は言語という手段が生まれながらにしてあり、それを人間が使わざるを得ない環境におかれている、いわば世界-内-存在としての現存在の非投性であり、
その過程で自我を形成していることだと思うのです。

独断的かつ分かりづらい文章ですが、地方駅弁ではこれぐらいが限界です。
院生の的確かつ論理的な指摘をお願いいたします
863考える名無しさん:2008/06/01(日) 10:06:07 0
>院生の的確かつ論理的な指摘をお願いいたします

ハイデガーは宗教家か詩人と思いましょう。だから、「論理的な指摘」など誰も出来ないでしょう。
貴君のレスで、ましな部分は
「実は言語という手段が生まれながらにしてあり、それを人間が使わざるを得ない環境におかれている」
です。
他は、ハイデガー信者の間でだけ通用する方言です。
宗教や文学に論理的な指摘など出来ません。
864859:2008/06/02(月) 17:53:46 0
>>863 それはそれとして学問としての哲学的な指摘をお願いします。
一応専攻しているので。。
865考える名無しさん:2008/06/03(火) 00:01:51 0
>>862
「自我」という言葉は多様に使われますから、
定義をしてから使うべきでしょう。
866考える名無しさん:2008/06/03(火) 02:37:33 0
ハイデガーは初めから、自我に先立つ存在を考えているのに
「それらすべては自我の成立後の言葉を用いた上での説明です」
なんてこと言えるわけないだろう。
859が勝手の勝手な思い込みに過ぎない。
867考える名無しさん:2008/06/03(火) 15:13:39 O
 人間は他者とともに既にある、ということをハイデガーは認めて入るが、それについて、他者との架橋がまず何よりも為されねばならない、かのような主張については疑問視しており否定的である。具体的には『形而上学の根本諸概念』邦訳332頁前後を読まれたい。

《ところでしかし実際には、多種多様な理由から、そして部分的には本質的な理由からして、この(他者との)相互の同行は、離反行と対抗行、でなければさしあたり大抵の場合、並進行である。ところがほかならぬこの目立たない、自明的な並進行、すなわち相互関係と

相互入り混じりの移し置かれ有との特定の様式としてのこの並進行こそ仮象を呼び起こすのである。すなわち、あたかもこの並進行が先ず架橋されねらならないかのような、相互入り混じりの移し置かれ有はまだ全然存立していないかのような、

一方が他方へと到来するためには先ず他方の中へと感情移入しなければならないかのような、そのような仮象を。そしてこの仮象が長いあいだ哲学をも、ほとんど可能と思えないほどひどく愚弄してきた。それどころかこの仮象は哲学によってさらに強化される

という始末である。》

 もう一つ言っておかなければならないのは、「主観性」「存在論」という名称にとらわれてしまうことは、ハイデガーを読み損なう危険を伴い、というのも、そういった名称の哲学ならば別にハイデガーを読まなくとも、

ヘーゲル、カント、フッサール、サルトル、レヴィナスなど、いくらでもいるのであって、866レスが指摘するように、それらの哲学の成立する土台を問い直し、人間が何者かを考えるにはそれらの概念に留まってはならないことをハイデガーがわざわざ言う必要もない。
868考える名無しさん:2008/06/03(火) 17:17:46 0
フルティン・ハカイダー
869859:2008/06/03(火) 21:19:07 0

>>866
レスいただきありがとうございます。確かに勝手な思い込みではあるのですが
>ハイデガーは初めから、自我に先立つ存在を考えているのに
という問いを肯定してしまうとハイデガーがそうであったように「存在とは何か」
という問いに到達できないことになってしまうのでは、という観点から主張しました。

>>877
具体的に指摘していただきありがとうございます。形而上学の根本諸概念を読んでみたいと思います。

>>もう一つ言っておかなければならないのは、「主観性」「存在論」という名称に
とらわれてしまうことは、ハイデガーを読み損なう危険を伴い、というのも、
そういった名称の哲学ならば別にハイデガーを読まなくとも、 ヘーゲル、カント、
フッサール、サルトル、レヴィナスなど、いくらでもいるのであって、
866レスが指摘するように、それらの哲学の成立する土台を問い直し、
人間が何者かを考えるにはそれらの概念に留まってはならないことをハイデガーがわざわざ言う必要もない。

という箇所は

>>ただ、ハイデガーは現存在である「私」の分析について「いつ現存在は意識されたのか」
という考察がないために

に対しての言及ということでいいのでしょうか?
それともハイデガ―哲学は「人間が何者か」であることを主題としているため存在論・主観性
という語にとらわれていはいけないということでしょうか?
うまく解釈できなかったので・・・

私はハイデガー専攻というわけではないので、ただ講義でさしあたって「存在とは何か」という問いに対しては自我の成立と言語学の領域が関係しているのではないかと仮説を立て、この仮説に対して具体的に反論、もしくは肯定する哲学者についての情報が欲しいのです。
870考える名無しさん:2008/06/03(火) 22:09:38 0
>ハイデガーがそうであったように「存在とは何か」
>という問いに到達できないことになってしまう

ちがうちがう。逆だよ。自我や主観を存在以前に想定するから
存在についての問いに到達できないのだよ。
自我や主観といったカテゴリーによる存在忘却については散々
ハイデガーは批判しているはずだが。
なぜ『存在と時間』を読んで君のような主張が可能なのか
こっちが知りたいよ。
871考える名無しさん:2008/06/03(火) 22:34:59 0
「存在とは何か」と問う存在論は確かにハイデガー理解において重要では無い。
存在とは何か、自我とは何か、美とは何か
これらを問うとき、すべて同じ問題にぶつかる事になる。
つまり存在の問題では無いということである。
872考える名無しさん:2008/06/04(水) 00:18:24 0
>>871
だよなw
「存在とは何か?」じゃなくても、「・・・とは何か?」というどんな形
の問いであれ、最終的にはその問いを問う存在である「現存在」
の分析にいってしまうのじゃねーのって思うのは、おれだけじゃな
かったのかw
873考える名無しさん:2008/06/04(水) 04:24:10 0
『ハイデガー文献研究』なのか『哲学』なのかを「駅弁」は混乱しているな。

「論理的な指摘」とか「哲学的な指摘」というから『哲学』かと思ったら、
どうやら『ハイデガー文献研究』に興味があるみたいだね。

『哲学』としてならば、
「『○○は何か?』という問い掛けは無意味だ」
というのがウィトゲンシュタインの言ったことで、彼の主張がまともだろう。

『ハイデガー文献研究』としてならば、
原書を暗記してからだな。考えるのは。

874考える名無しさん:2008/06/04(水) 08:01:21 O
 877です。だいたいのところでは駅弁さんの読み方には異論はないのだけども、一方、何が言いたいのか解らないところがあります。敢えて、応答するならば、

“存在論的分析を行うには自我の形成、また言葉が必要であり、”

というのは、そもそも哲学的分析には言葉が必要、ということでもある。しかし、哲学というのは、或いは哲学的言語というのはハイデガーにとっては止むを得ない方法だった。現にハイデガーは大学での哲学教育に、また、同時代の哲学的潮流に不信を表明していますね。

哲学的言語というのはハイデガーにとっては止むを得ない方法であり、壁であった。自分が書いてきた哲学的言語について、有の問いに妥当しているかをハイデガーは疑問視していた。

 現代人が人間を考える場合、理性的動物、という観念がいつでもついて回る。哲学でも、理性、悟性というのは人間への定義としてついて回る。ハイデガーは理性的動物、という人間への定義を敵対視していた。実に執念深くその行方を追おうとしたと言える。

したがって、哲学は有の問いへの梯子ではあるけど、必ずしも必要でない、外されるべきだと考えたでしょう。ハイデガーが書いた文章で、神秘主義にみえる文章はそこで書かれたと思う。その辺りを外さないことがハイデガーを読む場合には必須だと考えます。

 “ハイデガーが独我論に陥った”という点については、例えば『有と時』では“世界”という概念について様々に羅列する場面がありますね。客観的世界にたいして、意味付け、価値付けがされる、我々の生においては、そのような視界、遠近法がいつでも開けている。

ニーチェともその辺で関わってくる。有はあるときは覆蔵され、また解除され、また覆蔵される、そういった辺りに客観的世界への位置付けはあると思います。独我論的である、という批判は解るけども、そう安く作られてはいないでしょう(笑)。
875859:2008/06/04(水) 11:34:47 0
>>870 批判いただき有難うございます。できれば駅弁でも分かりやすいように具体的に指摘していただけるとありがたいです。
>自我や主観といったカテゴリーによる存在忘却については散々 ハイデガーは批判しているはずだが。
については原・渡辺訳のp117(第一篇第一章10節)「人間学、心理学、および生物学に対して、現存在の分析論の境界を画すること」における(原典S46)の
「主観その他、これらの名称はすべて、特定の「形成可能な」現象区域を名付けたものであるのだが、しかしそれらの名称が用いられるときには、そのように表示された存在者の存在を問いたずねる必要はないという奇妙なことが、常に伴っている」あたりでいいのでしょうか?
>>872 
>>最終的にはその問いを問う存在である「現存在」 の分析にいってしまう
漠然としていた私の疑問もこの考え方によるものなので拝借させていただきます。すっきりしました。
876859:2008/06/04(水) 11:35:54 0
>>873
ご意見ありがとうございます。正直自分でもどうしたいのかわからないのでその方向性をはっきりするために質問しました。
これまでの経緯で私自身の主張の源泉が>>872の方と同じような方向なので、さらに質問したいと思います。
>>874 批判有難うございます。
>>一方、何が言いたいのか解らないところがあります
については私自身はっきりしないのですが、これまでの経緯で>自我や主観といったカテゴリーによる存在忘却については散々ハイデガーは批判している> ことについての理解が不十分であるということに気づきましたので、
私としては以上のようなハイデガーの主張は@どこにあるのか?A私はよく理解できなかったので859のような主張を展開したということです。
さらには私の関心は(第一篇第一章10節)「人間学、心理学、および生物学に対して、現存在の分析論の境界を画すること」(原典S46)でのハイデガーのシェーラーおよびフッサールの批判は無根拠ではないのか?という点であります。
この点については広大の助教授のかたが指摘しているような情報がほしいのです。
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AA11618725/AA11618725_56_45.pdf

まだまだ未熟な駅弁ですので知識で勝る院生のかたで、寛大にも付き合っていただけるかたのレスをよろしくおねがいします。
877考える名無しさん:2008/06/04(水) 12:47:03 O
 また、“存在論的分析を行うには自我の形成があってこそ”については、ハイデガー自身の次のような分析があります。

《「自己(Selbst)」とは、わたしの現存在の歴史的な歩みの全体において同じもの(dasselbe)として恒常的に貫通しているもののことで、これはまさに世界内存在、世界内存在可能のありかたで存在しています。》

《自己の恒常性はそれ自身「時間的」で、時熟(sich zeitigen)します。現存在のこの(自己という)自同性(Selbigkeit)は、時熟(Zeitigung)という様態においてのみ存在します。》

《通常の心理学的な自我表象には世界関係がありません。だから、「我思う(ego cogito)」の表象は抽象的なのです。一方、「私は世界の内にある」の方は、「私」を世界と一体にして考える点で、原・具体的(ur-konkret)なのです。》

(以上『ツォリコーン・ゼミナール』邦訳239-240頁)

 よって、“存在論的分析を行うには自我の形成があってこそ”という先のテーゼで言えば、自我は世界形成の時熟として存在する。それは同じものdas selbeとしてある。なので、先のテーゼが、自我形成(や言葉)が存在論的分析に先行すべき、という意味だとすれば、

それは当然先行している。何故なら、自我がある、ということすなわち、世界がある、存在了解がある、ということを意味するから。

 しかし、一方、ハイデガーは「我思う故に我あり」で言われているような我を抽象的として否定するわけで、それはそこで言われている我というのが、『有と時』でも批判されているような、自己-点のような、自己を見損なわれた抽象的なものでしかないからである。

最終的には有論的分析が成立しなくなる場所、ということをハイデガーは考えていたと私は考えるわけで、有の歴史性をどうとらえるか、というのが一つの分水嶺としてある。その場合に、『哲学への寄与論考』では、<底無しの深淵>という言い方を多用する。

それは、有の歴史性には人間が理性で捉えきれないものがある、ということで、そこで有の真理に、現-有は包括されてしまう。また、分析は終ってしまう。

 なぜそう考えるのかというば、『哲学への寄与論考』を読む限り、バタイユとの親近性がハイデガーには豊穣にある。そこで学的分析や主体にたいして、有の忘却、と考えていたのではないか。そう考えます。
878考える名無しさん:2008/06/04(水) 20:39:20 0
>>877
><底無しの深淵>という言い方を多用する。

前に「自我」という言葉の定義について触れたレスがあったが
「自我」という言葉はすでに世の中一般にふれわたっている言葉であり、
そこには使われる状況や、使う人によってすでに一定では無いであろう。
ここで「自我」を定義付けても、そこで展開される論はその時点で世界一般と
の乖離を内包している事になる。

ハイデガー自身の造語であるにしても、その産み落とされた瞬間から言葉は
一人歩きを始めるであろうし、そして何より産み落としたハイデガー自身の認識も
変わっていくのであろう。
ひとつひとつのパーツがこのようなものによって積み上げられなければならない
論理という厄介なシロモノ。

確かに底無しの深淵だね。
879考える名無しさん:2008/06/04(水) 20:42:47 0
ではここで我々は言葉や論理に絶望しなければいけないのであろうか。
いや、説得力のある論理や、リアリティを感じられる言葉はこれからも生まれていくのであろう。
880考える名無しさん:2008/06/04(水) 20:44:06 0
「自我」って日本人にはわからん言葉なんだろうな。
西洋人にとっての「わびさび」のように。
881考える名無しさん:2008/06/05(木) 00:56:35 O
 駅弁さんに提案ですが、さる9/20(土).9/21(日)に東京の学習院大学で第三回ハイデガー・フォーラムが開催されますね。WEB SITEをみると、高田珠樹、秋富克哉、などなど、ハイデガーについて本や論文を書いている研究者の研究発表(30分)と質疑応答(50分)が幾つか

予定されている。駅弁さんも、これに行ってみては如何ですか?私も第一回の大会に聴講者として行きましたが、なかなか面白かったですよ。質疑応答で壇上の先生と討論も可能。また、会場には研究者が多数来ているので、大学でハイデガーについて講義を受けていること

を告げ、質問することは可能だと思います。入場料は私が行った第一回のときは1日\1000でした。これで1日(大体10:00-17:00位)聴いてられるのは安いと思いました。

 ハイデガー研究者がどんなことを考えているのか、目の前で聴ける、また、ご自身の考えを正面からぶつける良い機会になると思いますが。
882考える名無しさん:2008/06/05(木) 11:42:25 0
仲原孝の『ハイデガーの根本洞察―「時間と存在」の挫折と超克』読んだ人いる?高いね…
883考える名無しさん:2008/06/06(金) 05:20:52 0
「独我論に陥った」と言うのは引っかかるね。
言語を前提にしなければ(存在とかも)何も始まらない。
そもそも独我論とは「言語を前提にするということ」なのだから。
884考える名無しさん:2008/06/06(金) 22:46:48 0
>>882
どうせ駄本だろうがバカ高いな。
どのみち哲学は挫折するようにできている。
というのも現存在も言葉も無根拠だからだ。
ハイデガーは無根拠性のあたりを意味ありげに這いずり回るのが上手で
それは「泥鰌すくい」と大差ないものなのだ。

885処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/06(金) 22:52:35 O
おまいら、このスレにロイヤル・シャッハのリトル・ロマンスを
見てない奴はいないでしょうね?
886処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/06(金) 22:57:52 O
少女のカバンから『存在と時間』がこぼれ落ちる。

少年(呆れたように)「ハイデッガー?」
887処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/06(金) 23:03:40 O
誰やねん、ロイヤル・シャッハって。
888考える名無しさん:2008/06/06(金) 23:52:56 O
ハイデガーのいう現存在や世界・内・存在や存在了解や関心や手元にあるもの等といった
存在論的・実存論的用語が今一分からない
誰か解説してくれ
889考える名無しさん:2008/06/07(土) 00:03:36 0
フッサールの遺品に残っていたハイデッガーの著書にも
いたるところに疑問符が書き込まれていたそうだよ。w
890考える名無しさん:2008/06/07(土) 02:38:34 0
>>888
コツは自分の経験を当てはめること。
理解するより先に見えているはずだ。
そうでなければ理解はあり得ない。
891考える名無しさん:2008/06/07(土) 04:53:33 0
ハイデッガーがナチスに加担したということで『存在と時間』をどうしても読めない。(読む気になれない)
ハイデッガー研究者&ヲタはその点に関してどう擁護するの?
892考える名無しさん:2008/06/07(土) 06:04:11 0
>>891
別にそんなのどうもしないでしょ。

俺だってレヴィナスが
あのイスラエル国家にいくらかなりとも賛同の意を示したかと思うと
とてもじゃないけど『全体性と無限』なんて読む気がしないもの。
893考える名無しさん:2008/06/07(土) 07:49:10 0
>>891
一般論ですが、まずは人物とテクストとを分けて扱うこと、
テクストはテクストそのものとして読むこと、という態度が
とれないと、どんなテクストでも読めるようにはならないよ。
894考える名無しさん:2008/06/07(土) 14:26:23 0
しかしながら、ハイデガーのスゴイところはこの後の展開なんだよねえ。
現代に生きる我々にとってこれほど有益な指摘は未だかつてなかったと
言えるほどに。
895考える名無しさん:2008/06/07(土) 14:57:55 0
>>894
釣り?
無くても大抵の人は困らないのでは。
896考える名無しさん:2008/06/07(土) 15:12:57 0
>>893
いやそうじゃないだろ。
哲学者であるハイデッガーが政治的にそういう行動をとったということが問題なんだよ。
それは端的に言って認識の誤りなんだよ。
ナチスの悪について洞察できなかった。それが問題だろ。そういう人間が果たして哲学という場で真実を言えるのかということだ。
897考える名無しさん:2008/06/07(土) 15:54:15 0
哲学と政治的言動をリンクさせる派とリンクさせない派はつねに分かれる。
898処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/07(土) 16:28:45 O
>>896
最近、日本で似たような景色を見たぞ。
899考える名無しさん:2008/06/07(土) 16:32:12 0
では、ハイデガーの真価について。
それはソクラテス、プラトンらが始め、その後連綿と2000年以上にわたって
引き継がれてきたものの背後を指摘した点である。
つまりそれは理性の現実世界への反抗であったという事を指摘もしくは告白している点である。
「それは何か」と問う時、人はすでにある態度を示している。

ヴィトゲンシュタインの「成立しない問い」についての指摘は彼の嗅覚の鋭さを示している。
しかしそれが人のどのような姿勢や態度に起因するものかの言及に欠いてる点に
ニーチェに似たところがある。

私はこのことを20世紀に登場した2人の天才から教えられた。
900考える名無しさん:2008/06/07(土) 17:19:29 0
>>896
なぜそこまでナチスの悪を事前に洞察できないことが
問題視されねばならないのかさっぱり理解できない。

人間誰だって過ちはあるもんだろ。
何で哲学者だけ特別視されねばならんのだ?
901考える名無しさん:2008/06/07(土) 18:09:49 0
私が論理を学ぶのは、論理を理解し利用する為ではなく、
論理に騙されない為である。
902処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/07(土) 20:54:30 O
ナチス運動の内的偉大、すなわち人類と技術の惑星規模の出会い、
だっけ?
903処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/07(土) 20:56:08 O
戦後はさすがに懲りて木こりのお爺さんになったんだろ。
904処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/07(土) 21:01:00 O
この言葉の入ってる『形而上学入門』はナチ政権下の大学講義ね。

ふ〜ん。
905処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/07(土) 21:02:46 O
ケチ付けてる連中、自爆しまくりだね〜
906処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/07(土) 21:56:25 O
「今日、国家社会主義の哲学として横行しているが、この運動の内的真理と
偉大と(つまり地球全体の惑星的本質から規定されている技術と近代的人間との
出会い)には少しも関係ないあの哲学のごときは、〈価値〉と〈全体性〉との
この濁流の中で当てずっぽうに網打漁をしているのである。」
907処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/07(土) 21:58:46 O
ハイデッガーによればマルキシズムもアメリカニズムもこの偉大な運動の
一環なんだと。ヘンリー・フォードはヒトラーの偉大な教師だったもんね。
908処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/07(土) 22:06:10 O
ハイデッガーが貶してる「あの哲学」ってのは進化論から派生した
生物学的人種主義らしいが、このハイデッガーの極端に人工性を
強調した世界も土台は一緒だ。
909考える名無しさん:2008/06/07(土) 22:07:12 O
>>900
あんなものの悪を見抜けない時点でふつうの知識人より劣っているW
910考える名無しさん:2008/06/07(土) 22:16:51 0
ナチスの悪を事前に洞察できない程度の哲学ということだ。
911処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/07(土) 22:17:05 0
そこでわれわれの熱い魂を歌わずにはいられまい。

燦たり、輝く
ハーケン クロイツ
ようこそ遥々、西なる盟友、
いざ今見えん、朝日に迎へて
我等ぞ東亜の青年日本。
  万歳、ヒットラー・ユーゲント
  万歳、ナチス。

http://rasiel.web.infoseek.co.jp/mil/banzai.htm
912考える名無しさん:2008/06/08(日) 00:26:40 0
>>909
「あんなもの」ってのは今だから言えることで、当時ドイツに身を置いてたらまた言えないと思うんだよね。

もし当時のドイツに2ちゃんがあったら、「何でユダ公ってドイツから出ていかないの?(・ω・`)」「ヒトラー閣下批判してるやつって共産主義者じゃね?」「フランス弱すぎm9(^Д^)ぷぎゃー」って書き込みで溢れてたに違いないwww
913考える名無しさん:2008/06/08(日) 01:02:52 0
>>912
単純に「ナチスの悪」というが、
歴史的事実としての「ホロコースト」(民族絶滅)の犯罪とは
ユダヤ人や連合国のでっち上げの要素が強い。
ガス室での殺戮については疑問が多い。
ロシアや中国のコミュニズムによる大量殺戮に比べれば、
ヒトラーの人種隔離政策(強制労働収容所)はまだ程度がよい。
まあ、収容所でのチフス伝染による大量死は弁護の余地はないが。
ハイデガーは単にドイツ国民の義務として、時の政権のナチスを
支持したに過ぎない。
彼の思想にホロコーストの思想はない。
914考える名無しさん:2008/06/08(日) 01:34:18 0
>ハイデガーは単にドイツ国民の義務として、時の政権のナチスを
>支持したに過ぎない。
それが駄目だって言ってんだろw
915考える名無しさん:2008/06/08(日) 03:04:42 0
>>914
同意。
だから彼の哲学を完璧に理解しても、何の役にも立たない。
916処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/08(日) 07:52:44 O
今でいや、新自由主義体制を支持するようなもんだな。
917考える名無しさん:2008/06/08(日) 08:35:29 0
>>912
日本で言えば、小泉改革の100倍以上も勢いのあるブームが続いたようなもんだものな。
そんな中でいざ自分が大勢に流されない判断をできたかというと、まったく自信がない。
918考える名無しさん:2008/06/08(日) 08:39:51 0
ハイデガーの倫理性を責める人ってのは
哲学者が必ず正しい判断をしなければならない(して当たり前だ)という
時代錯誤な思い込みが強すぎるような気がする。

そんなのができるのは神だけですよ。
919処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/08(日) 09:37:18 O
マルクスは何を間違えたのかにも通じる問いだね。

マルクスの著作には当たり前に福音書の引用が転がってるが。
920考える名無しさん:2008/06/08(日) 10:32:34 0
わが心のよくて殺さぬにはあらず
921処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/08(日) 11:03:16 O
それは良い言葉だ。

ハイデッガーはナチに荷担したりはしたが反共思想の持ち主という風では
ないな。
922処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/08(日) 11:07:10 O
反共思想の連中って基本的にバカっぽいからね。
923考える名無しさん:2008/06/08(日) 11:23:50 O
《木田元―私はハイデガーを読み始めてから書く迄物凄く時間がかかったんです。ひどく興味はひかれていたものの読んでも分からないところがあり、しかもシュネーベルガーの『ハイデガー拾遺』などが出た辺りからでしょうが、ハイデガーのナチス時代の行動が洗い出され、

最近はファリアスやオットーやザフランスキーと伝記がいくつも出て、それを見ると人柄もすこぶる悪い。何しろ密告のようなことまでやるんですから(笑)自分のやっている哲学者は人柄も良くあってほしいと思うのですが…。しかしともかく、私はずっとハイデガーを読んできて、

読めば読むほどすごいと思う。それである時腹をくくったんです。人柄は悪い、でも思想はすごい、それで何が悪い、と。(笑)そこを割り切らないといけない。大体芸術家を見たって、ゴッホや中原中也など誰からも好かれる人柄だとは思えないけど、作品はすごい。

ニコニコしていて、あたりの誰からも好かれるような人柄のいい思想家が、世界史をひっくり返すような思想を提起するという、そっちの方がありそうにもないと思うのです。今までの日本でのハイデガーへの関わり方は、とにかくハイデガーをやっている連中は

ハイデガーを神格化して何でもかんでも有難い、あんな立派な人がナチスにコミットするはずがないなどと言い出すし、一方でハイデガーを批判する連中はナチスにコミットするような哲学者のものは読む必要がないと読みもしないで批判する。どっちもどっちですよね。

読んでみればすごい思想家だということはすぐわかる。しかしナチスにコミットしたことも人柄が悪いのも事実だと認める他はない。そう割り切ってから私は少し書けるようになったのですが、それまで30年くらい時間がかかりました。》

『木田元対談集 哲学を語ろう』(新書館)226-227頁

↑ナチス加担を含め、ハイデガーという思想家をどう読むかについての一つの見方ではあると思います。私の見方を少し書くと、結局ハイデガーがナチスに当初、何を期待したか、それが何なのか、がハイデガー-ナチス問題を今に甦らせる、一つのやり方であろう、

それはハイデガーを読めば自ずと浮かび上がる問題でもある。結局ハイデガーはその問題をうまく解くことは出来なかった。あとは残された人間がハイデガーが残した問いを解けるのかどうか、越えられるかどうか、にかかっている、そう考えます。
924考える名無しさん:2008/06/08(日) 20:17:29 0
>>913
ハイデガー擁護が翻って歴史修正主義になってしまうとはな…。
それじゃハイデガーも救われないよ…。
925処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/08(日) 20:33:28 O
親鸞の言葉ナノネ…
926考える名無しさん:2008/06/08(日) 20:50:56 0
ちょっと感心した
927処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/08(日) 22:36:21 O
両刃の剣みたいな言葉だね。
928考える名無しさん:2008/06/09(月) 00:18:39 0
歎異抄
善人なおもて往生をとぐ。況や悪人をや
とかね

ヨハネによる福音書
あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい

優れた宗教家の見解も、傾聴すべきものがあると思われ
929考える名無しさん:2008/06/10(火) 07:02:33 0
 ハイデガーについて、少々挑発的な発想を書いてみたい。麻原彰晃との発想
の近似性である。麻原の本を読むと、人間が前世に拘束される、という考え方
が前面にあることが分かる。これは宗教的な発想であるが、哲学的に翻訳すれ
ば、時間が問題とされていたのは明らかなことだろう。そこに、本来的時間性
と非本来的時間性という分け方をみることは恐らく可能であり、無論、麻原お
よびオウムは本来的時間性を問題としていた。ただ、麻原等の場合、真我=絶
対者への合一することこそが課題であり、そこで、本来性とは、我の滅却こそ
が本来性だと考えられていたのではないか…。そこがハイデガーと違う。ただ
、公共的被解釈性にたいして、超脱すべきであると両者とも考えている。そこ
が共通している。ハイデガーの場合、現‐有という場にこそ有の問いが現れる
、そこでの決断、にウェイトが置かれている。有が有限的に、現有において現
れる、そこが決定的な重要性をもつ。そこからすれば、両者はまったく異なる


 しかし、ハイデガーにはもうひとつ、有の歴運という問題がある。たとえば
惑星的規模での有の歴運という問題、そこで有の忘却が全面的になる、という
そこでは、同じく時間性から人間を考えていこうとするオウムと問題意識を共
有しているのではないか。つまり、麻原とハイデガーの見方には共通するもの
があると思えるのだ。自我というものを真我に合一させるべき、というところ
はハイデガーにはないけども。ないことで、宗教的な発想から遁れている。

 「有と時」には、過去にあった有の可能性への応答、というのが重要な要素
としてある。「有と時」に秘められた本来性はそこから考えられる。オウムの
場合、有の可能性という場合、恐らく宇宙の真理、という場所へまで遡行する
のかもしれない。そこがハイデガーとの違いだと思う。
930考える名無しさん:2008/06/10(火) 10:43:02 0
>>928

親鸞が猛勉強した世尊布施論は新約聖書の山上の垂訓だよ。
931考える名無しさん:2008/06/10(火) 11:56:44 O
 巷では秋葉原無差別殺傷事件の犯行にたいする分析や資料発掘が花盛りである。
 一人の人間が、何者なのかを知る、ということは、その人間が一体どのような世界を生きていたかを知ることである。その人間は、何に欠如を感じ、補填しようとし、そうしてそれに失敗したか、その欠如の意識とは、実は何を意味していたか、

意識していたか、それとも意識せざるうちに、引き寄せられたか、この人間にとっての生は、世界はどのように決定づけられたのか、それを明らかにすべきである。道徳や犯罪心理学に頼ったとしても、たいした成果は得られないだろう。

人を殺傷することが良くないことだとか、百も承知で犯罪は起こった。一人の人間にとって、生とはどのようなものか、世界とはどのようなものか、どこからその世界は来たか、それを考えることだ。
932考える名無しさん:2008/06/10(火) 12:42:55 0
直前の現存在の投企を吟味して、無差別殺人の可能性が残ったら「良心の呼び声」が聞こえなかったという事にはならない。
ハイデガーも「世間」という呼称を、否定的な意味で使った訳ではないし、本来的実存が常に事実的に「望ましい形」で現象するとも言ってない。
あらゆる可能性を無性の(天降り式に是非が知られない)選択肢として省み、恣意の「超力」で選ぶ。
覚悟性において価値を選び、目的合理性の追求を図る現存在を止める正当な手段は無い。
「反社会的」に現象した現存在に対しては、貶価ではなく政治的暴力で死を与えるしかない。
方向ではなく方法を考えるのが現象学だとすれば、ナチに絡めてハイデガーを非難しなくてもいいし擁護しなくてもいい。
933考える名無しさん:2008/06/10(火) 12:57:00 O
 加藤容疑者の過去を紹介・分析する論者たちは加藤容疑者が小中学校で優等生で、高校が進学校だったために成績が振るわず、それが挫折の始まりだった、と述べている。

 しかし、それが皆無だとは言わないが、真の挫折感は他にある。加藤容疑者の挫折は母親との関係から来ている。加藤容疑者は、母親が自分に寄せる期待に応えようとした。しかし、或る時、それが徒労であることを感じるようになったのだろう。

同時に、自分という人間の生が、空虚で甲斐のないものだと感じるようになった。居場所はどこにもない、と感じるようになった。自分はどこからも爪弾きだと感じるようになった。その根本的感性の原像は、勿論、生の始まり、ひいては父親と母親との関係にまで

及ぶのだろう。加藤容疑者の生はそのようにして形づくられていった。メディアで報道される情報から、これくらいは推測可能である。つまり、挫折感は高校時代に初めて来たものではない。物心ついたときから加藤容疑者にはあり、それが外的に投影されだしたのが

高校時代だと考えるべきだろう。恐らくそのような世界にいた。

 死は、加藤容疑者にとって、秋葉原で初めて有るものではない。加藤容疑者は、生の初から、実は不能感に苛まれてはいなかったか。初めから、世界は荒廃してはいなかったか。世界は希望なきものではなかったか。

それを加藤容疑者は、外部に投げ掛けただけではないのか。
934考える名無しさん:2008/06/21(土) 21:31:05 0
責めるべきハイデガーの倫理性ってのは、
ナチスうんぬんにあるんじゃなくて、無内容の「人生哲学」を
でっち上げ、最後は「哲学史研究」に逃げ込んだインチキさにある。
935考える名無しさん:2008/06/21(土) 21:56:49 0
>>934
単なる事実誤認だな。

>無内容の「人生哲学」をでっち上げ、

でっち上げたことなどない。

>最後は「哲学史研究」に逃げ込んだインチキさ

哲学史研究は最初からやってる。
936考える名無しさん:2008/06/21(土) 23:41:43 0
哲学には二通りあって、現世の合理化・正当化とその否定である。
カント・ヘーゲルが前者であることは明らかである。太鼓持ちなのである。
ハイデガーは後者であって、ヤスパースは前者である。
ハイデガーのナチスへの加担は「時代」が強いて来る選択である。
「時代が強いる」とは、文化が分極され「中庸」が許されない
ということでもあった。

937考える名無しさん:2008/06/21(土) 23:46:36 0
ダメだ・・・もう我慢の限界・・・なにこのスレ・・・・

もうね、物理学を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね・・・
高卒とか文系の人は楽しめるかも知れないけど、自分は無理っすわ・・・

っつーことで落ちるわw あとは高卒&文系の諸君で楽しんでくれやノシ
938考える名無しさん:2008/06/22(日) 00:00:24 0
>>937
あんた誰?
939考える名無しさん:2008/06/22(日) 21:11:28 0
ハイデガーとかポモとか、哲学じゃありません。せいぜい文芸ですよ、文芸。
よくても人生哲学。

940考える名無しさん:2008/06/22(日) 21:22:04 0
>>939
釣れますか?
941考える名無しさん:2008/06/22(日) 22:09:45 0
>>939
> ハイデガーとかポモとか、哲学じゃありません。せいぜい文芸ですよ、文芸。
> よくても人生哲学。

しょうがないだろう。
カントで終わっちゃったんだから。
942考える名無しさん:2008/06/23(月) 05:42:10 0
マジに疑問に思うんですが、大学で哲学を専攻するのはいいとして、
わざわざハイデガーを選んで人生の貴重な時間を無駄にすることに
虚しくなったりしないのでしょうか? 
943考える名無しさん:2008/06/23(月) 09:35:14 0
ハイデガー『存在と時間』"Sein und Zeit"概略
http://www.geocities.jp/enten_eller1120/text/seinundzeit/seinundzeit.html>>934
944考える名無しさん:2008/06/23(月) 11:51:30 0
>>942
どうかな、>>943を見て圧倒されて言葉も出ないみたいだな。
945考える名無しさん:2008/06/26(木) 20:00:20 0
ハイデガーは最高
946考える名無しさん:2008/06/26(木) 20:56:19 0
ハイデガーより道元(正法眼蔵)を嫁。

ハイデガーが易しく嫁るw
947考える名無しさん:2008/06/26(木) 23:19:05 0
ハイデガーは道元の浅薄なパクリ
948考える名無しさん:2008/06/26(木) 23:20:45 0
>>947
読んでもないものをどうやってパクるの?
949考える名無しさん:2008/06/26(木) 23:55:21 O
>>948
川原榮峰から聞いたんだって
950以下箇条書き:2008/06/29(日) 22:28:08 0
日本の右翼にも統制派と皇道派があるようにナチスにも二種類ある。
ハイデガーは権力を握った親衛隊ではなく、粛清された突撃隊を支持し、下からの革命を考えていた。

世界内存在という言葉をハイデガーは岡倉天心の『茶の本』の独語訳からもらったというが、
のちにはそのバックボーンたる老子も自ら訳(共同訳)している。

『存在と時間』の第42章にでてくる「クーラ(ケア)の神話」が、現在介護思想のバックボーンとされる
ことがあるのは興味深い。

ハイデガーはあれだけ哲学史を勉強しながらスピノザにほとんど言及していない。
ここに数学的思考を排除したハイデガー(というよりは解釈学、現象学)の弱点がある。
951考える名無しさん:2008/06/30(月) 22:26:26 O
 気が付くのが遅すぎたが、渡邉二郎は亡くなってたんだね。最後の著書がハイデガーの『哲学への寄与論稿』の解読だったというのも渡邉らしい。原稿完成直後に急逝したと弟子が後書きに書いていた。最期までハイデガーの思索が気になっていた渡邉。

 渡邉二郎と原佑の翻訳した中公パックスの『存在と時間』にはお世話になった。つつしんで冥福を祈りたい。
952処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2008/06/30(月) 22:35:23 0
ハイデッガーの親父は牧師だっけ。
953考える名無しさん:2008/06/30(月) 22:48:10 0
>>952
牧師ではなかったと思う。メスキルヒのカトリック教会の寺男かなにかをしてたはず
954考える名無しさん:2008/07/01(火) 16:20:43 0
渡辺二郎氏の「哲学への寄与試論集」って読んだ人いる?
買いでしょうか??
955考える名無しさん:2008/07/01(火) 18:48:14 0
買いです。
956考える名無しさん:2008/07/01(火) 19:05:46 O
 955さんほど断言は出来ないけど、書店でめくった感じでは、『哲学への寄与』におけるハイデガーの用いた語彙を細かく分析し、ハイデガーの意図へまで話を進めてましたね。病と闘いながらそこまでやったか、というのが正直な印象でした。
957954:2008/07/02(水) 02:45:08 0
>>955
>>956
「哲学への寄与」はたまにページをめくってみるんですが、
こういうことかな、ああいうことかな、と悩むばかりで。
買ってみます。ありがとう。
958考える名無しさん:2008/07/03(木) 04:32:20 0
そろそろ生命に意味などないことに気付くべき
959考える名無しさん:2008/07/03(木) 10:29:41 0
モンちゃんがとっくに気づいていました。
960考える名無しさん:2008/07/04(金) 01:53:22 0
>>958
ハイデガーが追い詰めようとした問いは、
意味の地平を外れると意味のない世界(生命を含む)が、
「それでも存在するという事実」に意味があるのではないか、
ということじゃないのか。
と釣らたような気分で買いてみるw
961考える名無しさん:2008/07/04(金) 21:34:57 0
>>937
茂木健一郎が「脳とクオリア」日経サイエンス社 1997 3360円という本の中で
「脳の中のニューロンの発火」と私たちの「心」との関係を物理学的に
解明しようと躍起になったが、ついにわからずじまいだった。
ハイデガーだけでなく、哲学や自我論、存在と時間を現象学で追究することと
現代の物理学、量子力学理論とは切り結ぶ接点が、いまのところ、ない。
962考える名無しさん:2008/07/04(金) 21:56:27 0
>そろそろ生命に意味などないことに気付くべき

存在には意味なんかなく、たとえ意味があるとしても
各個人がそれぞれ意味づけを考えていくだけの問題なのだが、
存在の意味を問う、などとぶちあげるとそれに惹き付けられる人も
大勢いることを利用したのがハイデガー。
意味なんかないのだから、ハイデガーにも存在の意味なんか
明らかにできるわけもなく、「無内容の失敗作」で片付けられることに。
963考える名無しさん:2008/07/04(金) 22:04:30 0
第三十二節 了解と解意 から
>意味とは、あるものの了解可能性がそのなかに身をおいているところのことである。

ハイデガーは人間が存在者に与える相対的な意味を考えたのだよ。絶対的な意味付けからは距離を置いている。
964考える名無しさん:2008/07/05(土) 19:19:44 O
>>963
> 第三十二節 了解と解意 から

>意味とは、あるものの了解可能性がそのなかに身をおいているところのことである。

> ハイデガーは人間が存在者に与える相対的な意味を考えたのだよ。絶対的な意味付けからは距離を置いている。


 いや、むしろ、この人の言い方を借りるなら、人間が有るものに与える意味には根拠不明瞭な、絶対性が現れることがある、その辺の、謂わば〈価値付けの不可解〉への解釈可能性を提示した、というのが正しいと思う。
965考える名無しさん:2008/07/05(土) 19:57:35 0
大地震の意味とは、その了解可能性としての現存在がまさに「大揺れ」の
さ中にあるという、まさしくその「ところ」において生起しているのだが
或いは「大地震」は「ハルマゲドン」として「見誤られつつ」、「己を示す」
ように、その真理性を保っているのである。

966考える名無しさん:2008/07/05(土) 22:19:53 O
“根拠不明瞭な内的絶対性”でいえば、先日の秋葉原殺傷事件の容疑者がブログに書き連ねていた自虐的な視線もそうだし、他人からすれば、“何でこっから移動できないんだろう?”と不可思議な感覚が沸き起こる。

どっかで他人がこれ以上入ってくることを拒絶する閾がある。秋葉原の容疑者を見ていると、非常にその辺の謎が多いし、その謎めいたところがハイデガー的だと思える。
967考える名無しさん:2008/07/06(日) 00:54:19 0
ハイデガー哲学の根底は有と有るものの区別なわけだが、
この手の意味についての疑問もすっぽりとこの区別の領域内部なんだな。

現代風に意味が目前の客体的存在者に属してただあるだけと解されれば、
目前にあるだけでそれ以上の意味はないってわけだ。
968考える名無しさん:2008/07/06(日) 01:03:19 0
>>967
それがサルトルの「存在と無」
969考える名無しさん:2008/07/06(日) 13:05:57 O
 サルトル『存在と無』てのはハイデガーの思索における無や超越概念、加えて世界概念を掴み損ない、ハイデガーにおけるいわゆる根本諸概念が一向に伝わらないまんま形成された独自な哲学。ハイデガーとは関係ない。
970考える名無しさん:2008/07/06(日) 14:54:22 0
サルトルはフッサールとハイデガーを理解できなかった。
それゆえ独自の哲学を生み出した。生産的誤読。
971考える名無しさん:2008/07/15(火) 22:38:22 O
ちくまの『存在と時間』、まだ序論なのに挫折しちまったぜ…。
みんなこんなの読めるの?
972考える名無しさん:2008/07/15(火) 22:43:17 O
存在と時間は用語とか概念が多いからわかりずらいけどちょっと手間かけてノートに書き出してみろ。結構図にしやすいからおもしろくなるぞ。途中まで図式化して丁寧に理解してついていくと後半はサラッと読める
973考える名無しさん:2008/07/16(水) 21:25:56 O
 例えば、歴史上の人物で、ある時から考え方や行動が傍からみて掴みがたくなった、そのまま謎の死を遂げたような人物ているでしょう?新しくは歌手の尾崎豊、古くは三島由紀夫‥、

 存在そのものが謎めいてるような人間がいる。ハイデガーを読むと、しかし、それは特定の人間だけが謎めいてるのではなく、あらゆる存在に秘められてある謎なのだ、と思えてくる。

 存在の覆蔵性、てハイデガーはよく言っている。存在は絶えず我が身を覆蔵する、と。で、人間は存在するものに目を奪われて、存在から目を逸らしてしまう。有るものに捉われている限り、存在は掴めない。時の時熟に、目を向けなければ、存在は掴めない。

 我々は、あの生き方にはあの行為には何の価値があるか、といった方向で絶えず考えてしまう。先にあげた、謎めいた死を遂げた人間というのは、そのような、我々が陥りがちな、価値判断を顧みず、別な位相で生涯を閉じている。それは謂わば、

自己の本来的存在を希求したのだと思う。本来的存在というのは、『存在と時間』(既刊部)の中心テーマの一つである。

 存在の問いを問うための前提としての実存、時性の分析というのが既刊部の大まかな筋立てだと思うけども、そこに先にあげた、謎めいた死を遂げた人間を念頭において読むのも面白いと思います。
974考える名無しさん:2008/07/18(金) 09:06:00 O
芸術作品の根源文庫化age
975考える名無しさん:2008/07/18(金) 13:11:50 0
>>947
文庫じゃないし
976考える名無しさん:2008/07/18(金) 23:06:49 0
>>971
それはたぶん、表象というか、想像力の不足か。
書いてあることは日本語になっているが、
それがしめす具体的な表象をつかむことができないのだ。
ただ、翻訳が悪いこともある。
たとえば、死について
「死は追い越しえない」ということの意味だが、
977考える名無しさん:2008/07/18(金) 23:10:11 0
>>976
265 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2007/12/14(金) 23:41:41 0
>>264
前に「存在と時間」を読んだとき。
追い越しえないとは何だろうと思っていた。
死は人間の人生の終末なのだから、追い越すことはできない
と言われれば、違うとは言えぬ。
でも、なぜ追い越すなどと言うのかわからなかった。
978考える名無しさん:2008/07/18(金) 23:11:08 0
>>977
266 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2007/12/15(土) 01:11:21 0
>>265
こたえは、「死が恐ろしいのは、無になるからではなく、「あとから」
自分の死を確認する視点を持ちえない」(p88)からなのだ。
つまり、追い越しえないとは自分の死を確認することができないということなのだ。
中島好きの諸君、死の恐怖に震えて眠れ。
979考える名無しさん:2008/07/18(金) 23:12:11 0
>>978
中島義道「死を哲学する」岩波書店
980考える名無しさん:2008/07/18(金) 23:15:20 0
>>979
これは「中島義道」スレに以前に書いたのもだが、
ことほどさように、ハイデガーの文章はドイツ人でもわかりにくい。
しかし、死と自我を問い詰めていけば、からだでわかってくる。
勉強だよ、必要なのは。
981考える名無しさん:2008/07/19(土) 03:15:34 0
まず入門書を図式化→それをたよりに、でOKだった
982考える名無しさん:2008/07/19(土) 03:20:35 0
>>974
底本もレクラムだしな。むしろもっと早く文庫化されるべきだった作品
983考える名無しさん:2008/07/19(土) 10:29:21 0
どこの文庫?
984考える名無しさん:2008/07/19(土) 13:56:44 0
平凡社ライブラリー。書籍コード上は文庫扱いされてないが
985考える名無しさん:2008/07/19(土) 22:40:11 0
つうか、平凡社ライブラリーは文庫サイズではないので
普通文庫とは呼ばない。
986考える名無しさん:2008/07/19(土) 22:51:16 0
じゃあもうソフトカバー化ってことでいいよ。

ところで、ハードカバー版からの改訂はどれくらいあった?
987考える名無しさん:2008/07/21(月) 02:50:15 O
 枝葉末節のネタはもういいよ。
988考える名無しさん:2008/07/21(月) 04:12:17 0
誰か次スレ立ててくれよ。

オレはハイデガー初心者だしさ、立てれない。

時々タメになる書込みがあって助かるんだよ〜。

よろしく頼むよ〜。
989考える名無しさん:2008/07/21(月) 13:36:09 0
990考える名無しさん:2008/07/22(火) 07:03:13 O
 内なる呼び掛けへの応答、主観性に支配されないもの、宿命的なもの、被投性=企投性、有の呼び掛けにより己を自性化し、委ね贈ること、己を有Seynの犠牲とすること、‥

『哲学への寄与』で唱えられているのはこのような主観性の転回で、たしかにそこではより有は彼岸的な、呼び掛けとして捉えられている。それに呼応する場が現-有だというように。1920年代の思索からの延長と転回がその辺に見える。

 サルトルなどとの違いはより克明になり、主体性はより有との対向躍動に溶解し、主体性それ自体としては成り立たないように考えられていっている。近代的思考の命令“主体的たれ”の命令にそこで完璧に蹴を付け乗り越えている。

 これらの思索が1920〜1930年代のナチ加担の後、そこから離れてゆく過程で形作られていった、というのも興味深い。ナチズム、ボルシェヴィズム、リベラリズム、という時代の政治諸潮流への検討が背後であった可能性も感ずる。
991考える名無しさん:2008/07/22(火) 11:50:10 O
《はたして有が最終決定的に脱け去るのか、それとも、この脱去が拒絶として最初の真理となり、歴史の別の元初となるのか》というのは刺激的な修辞だ。

この表現から、私などは、現代日本における引きこもり、また、若者におけるキレ方、突然の殺傷を連想してしまう。主体化の完成にたいする拒絶、と言い換えてもよいだろうか。そこに有の脱去があり、というのはもっともな仮説であり、唯一普遍的な説明になる。

ハイデガーの思索がそんなところにも生きているのを感ずる。
992考える名無しさん:2008/07/22(火) 21:21:20 O
 因みに<拒絶>という場合、有の脱去であり、有の自性-化の自己覆蔵、とでも呼べる事態をさしている。それはハイデガーによれば、有るものが有り損ないのものと化すことを意味している。

 かつて、人間の側から<有の忘却>として語られたが、同じことを有の側から指示した感がある。忘却の忘却ならば、<最高の窮迫>となる。このような<窮迫>、ここから仮に本来的な存在を想起しようとするならばどうなるだろうか。

 そこに何らか、底無しの否定性が現れるのは避けられない気がする。
993考える名無しさん:2008/07/23(水) 04:41:51 O
 かつて『有と時』の中で、本来性の奪取として、《あり得た可能性への応答を反復する》というのがたしか挙げられていた。

 本来ならば、有が想起されることが企投されなければならない。しかしそこで有が脱去してしまっている場合、どうなるか。そこには何一つ見出だせないならば。有るものの支配に包括され、価値づけられ、そのまま自壊してゆくしかなくなるのではなかろうか。

 キレる犯罪の本質がそれではないかと思える。
994考える名無しさん:2008/07/23(水) 13:19:32 O
 9月になればまた、ハイデガーフォーラムの季節になる。今回の第3回フォーラムも、講演者として大橋良介、秋冨克哉を呼ぶなど、相変わらず人選は良い。昨年はたしか細川亮一も講演していた。次はやはり木田元あたりにお願いしてはどうかと思う。
995考える名無しさん:2008/07/23(水) 13:56:24 0
996考える名無しさん:2008/07/23(水) 13:57:01 0
997考える名無しさん:2008/07/23(水) 15:29:47 O
 有が脱去し、自性-化が拒絶されている、その時に尚も有を想起せむとするなら、そこに二つの方向性が考えられるだろう。
 
 一つは、ひたすら内向すること、これは有るものからの撤退を意味するだろう。
 もう一つは、盲目的に、有るものへの否定性を外へ散布すること。

 方向性は異なっても、双方とも、有の忘却、忘却の忘却=窮迫、から不可避的に帰結する態度を表している。
998考える名無しさん:2008/07/23(水) 16:44:04 0
有るものへの否定性を外へ散布する鎮魂歌
歯止めなき格差社会,政治家は民の窮乏など無関心
ほくそえむ奴隷商人ども
自に害が及ばぬかぎり無関心,それが利口な日本人
事なかれ主義が社会を蝕む
そんな末世に現れし異端児,現代に蘇る侍,加藤智大
待てば海路の日和あり,明日があるさ希望を持たんと
叶わぬことと知りつつ,額に汗して働いてきた懸命に
だが口滑らかな嘘言チャラ男が持てはやされ
やったもん勝ちの外道が勝ち組になる
金や外見,地位や職業だけで人間の価値が決まる
そんな今の日本に馴染むはずはなく
愚鈍な奴と嘲笑われながら,世の底辺でひっそり生きてきた
そこに降りかかりしは解雇通告,またもや使い捨ての道具扱い
俺は機械じゃない!俺は人間だ!その時男の中で何かが目覚めた
もはやこれまで,だが,ここで自ら命を絶とうものなら男がすたる
心に浮かぶは,青春の幻影,まだ見ぬ彼女の面影
君よ,会いたかった,そして愛の意味を知りたかった・・・
俺は疲れてしまって,もう君を探すことはできない
この理不尽な世,暴力しか己の存在手段が浮かばない
男の決意二度と揺るがず
乾坤一擲,一世一代わが闘争
屍山血河の末,刀つき矢折れ,地面に這いつくばったその最期
一寸の虫にも五分の魂の貫いて,大罪背負った
そんな哀れな男の名こそ加藤智大と申すなり
心ある者,この悲惨な世に,一撃を刻んだ男の名をば語り継ぐ
999考える名無しさん:2008/07/23(水) 22:47:49 0
>>998
ものごとは見方によってかわる。
同じ人間や事柄、事態に正反対の評価がある。そして、その相反する評価は
それぞれに根拠がある。どちらも正しい側面がある。
さあどうする。被投の人間は選択する。サルトルならアンガジェする。
一方の立場を選択する。
そして、もう一つ、あるはずもない幻想によって、言葉をつむぐ。
暗黒の言葉は世界と人間を暗黒に邪悪に変える。
この言葉は表象となり、この表象にリアリティを暴力的に付与すると、
加藤智大という犯罪者が出来上がる。

1000考える名無しさん:2008/07/23(水) 23:20:11 0
おっぱい!おっぱい!
10011001
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。