47 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 09:06:46 O
>>2 他人が考えて書いたものを読むという依存をするのなら、さらに他人に翻訳してもらったところで依存度はあまり変わらない。
48 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 11:16:23 0
原書読めても馬鹿は馬鹿だけどなww
こんなスレたててまで自分の優位を示したがる奴とか
49 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 14:04:55 0
原書ってなんか独特の良さがある。製本とか
50 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 14:13:26 0
翻訳って翻訳者のオナニーじゃないんですか?
51 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 14:18:57 0
逆じゃん。難解なセンズリファンターを
図解する。フランス人翻訳者(笑)
背に腹はかえられませんよ。仕事はゲームじゃないもの。(笑)
52 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 16:05:37 0
日本語で哲学する馬鹿馬鹿しさ
53 :
男根の象徴(笑):2008/03/22(土) 16:22:00 0
若干あるかもね。日本の法律用語は酷いもんね。
世紀を跨いだ訳がそのまんまだしね。
じゃ、フランス行けばいいじゃん
フランスで
センズリ(笑)
54 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 17:06:53 0
意外と翻訳養護派が多いな
55 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 20:45:56 O
研究者以外の人が原書読んでると不気味じゃないですか?
翻訳と解説書研究書よんでれば大きな誤読なんかしないはずなのに。
外国語能力というのはまだ翻訳されてない文献を読むために身につけるんだから。
>研究者以外の人が原書読んでると不気味じゃないですか?
んなこたーない
>外国語能力というのはまだ翻訳されてない文献を読むために身につけるんだから。
んなこたーない
57 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 21:33:27 0
56たんに同意
58 :
考える名無しさん:2008/03/23(日) 00:13:18 0
原書読めても馬鹿は馬鹿だけどなww
59 :
考える名無しさん:2008/03/25(火) 07:36:14 0
原書読めないとただそれだけで馬鹿と判定されるけどなhh
60 :
考える名無しさん:2008/03/25(火) 15:24:33 0
原書読めても馬鹿は馬鹿だけどなww
じゃあ原書読めて馬鹿のほうが恥ずかしいですね。
翻訳であれ原書であれ、哲学書を読むってのは馬鹿馬鹿しい事さ
>2
おっぱいを笑う者はおっぱいに泣くぞ!
>36
俺の努力も苦労も、俺だけのものだ!他人にくれてやる気はない
そして、
「お前の頑張りを私も知っているよ」
などと吐く事で他人の苦労を奪ってしまう事を恐れる
翻訳されれば意味を失う哲学、そこまで言語に依存した哲学
それは哲学ではなく、ただの言葉遊びであり
翻訳はもちろん、原書で読む価値さえ無いだろう
65 :
考える名無しさん:2008/04/01(火) 15:24:16 0
>>64 翻訳でも意味がないハイデガーの胡散臭さは
原書で読むとなおさらよくわかるね。
ヘーゲルはドイツ人にとってはそれほど難しくない、
というのは本当なのですか。
到底信じられないのですが。
>>63 努力や苦労を労りによって奪い合うだなんて考えがすでに人間不信の塊なのですよ。
他者への労りってのはそういうものじゃない。仮にその労りが他者の努力や苦労を
そぎ落とすような結果を招くとすれば、その労り自体が不完全である証拠なんだ。
「ぜんぜんだめだ」の一点張りが他者への労りに値しないのはもちろんとして、
「よくがんばった」の一点張りもまた他者への労りと呼ぶには値しない。
前者はただ相手を頭ごなしに叩き潰すだけであるし、後者はむしろ甘やかしといえる。
相手の努力や苦労に対して、適度な「よくがんばった」と適度な「でもだめだ」の
組み合わせにより完全に適当な評価を行った時、相手の努力や苦労は
叩き潰されることも助長されることもない最も適当な立場を得ることができ、
そのような他者への評価を「労り」と呼ぶ。
労りは、確かに難しい。一歩間違えば相手を甘やかし、あなたの言うとおり
かえって相手の努力や評価をそぎ落とす結果を招きかねない。しかしだからといって
他者への評価を疎かにし、ただ己の殻に引きこもると共に相手をも殻に引きこもらせる
結果となるならそれこそ現代における最も重大な病理の象徴といえるのではないか?
人間関係の最も理想とする姿は他者を頭ごなしに否定することでも、ただひたすら
肯定し続けることでもなく、相手の努力や苦労に対する適度な肯定と否定の
組み合わせとしての労りであるからには、それを恐れるほどに難しいと考えるのは
当然のことであるけれども、にも関わらず相手を労われるだけの勇気が
今の人々に求められているのではないだろうか?
68 :
考える名無しさん:2008/04/06(日) 23:02:39 0
「労り」って何と読むの?
いたわり
哲学書なんか原著だろうが訳本だろうが無意味だろw
71 :
考える名無しさん:2008/04/06(日) 23:57:01 0
>>66 難しくないよ。
おれ、ドイツ人だけどさ、あたりまえのことを
そのままの言葉で書いている感じだよ。
日本人は大変だろうさ。アウウヘーベンだの揚棄だの
止揚だの、日ごろ見たこともない言葉で読まされるんだから。
>71
翻訳で哲学書を読むのと、ドイツ語を習得するのと
どっちのが難しいんだろうな?
73 :
考える名無しさん:2008/04/09(水) 04:10:39 0
おれ、ドイツ人だけどさ、ドイツ語を習得するのも
翻訳で哲学書を読むのもどっちも難しいよ。
簡単なのはドイツ語の原書を読むことかな。
これならドイツ語を「習得」しなくても
訳本を脇に置いて一定の量をこなすだけで
なんとか読めるようになるし。
翻訳は解釈である。
新訳は翻訳の解釈でもある。
といっても辞典だって解釈の歴史みたいなものであるから翻訳が解釈だからといって翻訳を避け、辞典を贔屓にするのも仕方のないことよ。
つ独独辞典
いきなり独独を使いこなせるわけがない。
独和、独英、英和などに慣れ親しんで初めて使いこなせるようになる。
和を以て貴しとなすとはこのことだ。
気に入らないから、馬鹿馬鹿しいからといって和を退けること、これ即ち文盲を貴しとなすことである。
『なんどひとに騙されようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。
まったく人間を信用しないでなにかやるとすれば、山の中の洞窟にでも住んで眠るときにも片目をあけていなければならなくなる。
いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。
ただ生きていることそのこと自体、生命の危険につねにさらされていることではないか。
そして最後には、例外ない死が待っているのだ。』(夏への扉 ハインライン 福島正実訳)
西洋の学術書、文芸書には総じて常識というものが欠けている。
また常識を飛び越えて極端な一般論に飛躍していればいるほどもてはやされる傾向がある。
あたかも自分が神の視点に立てたかのごとく振舞えることが何よりも偉いことであると。
人間にそこまで一般的な視点など――世界征服でも目指さない限りは――必要のないものなのに。
まあね夏への扉は喜劇だな。 ふざけやがってるw
>>83 若禿が天才発明家なのはいいが、
シンデレラの王子様訳でもあるのがいただけないな。
翻訳語で西洋哲学まがいをやろうとする馬鹿馬鹿しさ
>>85 馬鹿が。
哲学が古代ギリシアから出て以来、哲学の言語は
皆、翻訳語だ。
88 :
考える名無しさん:2008/04/12(土) 05:44:07 0
言語で哲学する馬鹿馬鹿しさ
言語論的転回以後の哲学者なら
言語以外で哲学が出来ると思う馬鹿馬鹿しさ、と言うかなw
フィルターが自分の脳か他人の脳かってだけで
誤読可能性は両方とも同じ
そんなことはない。
他人の頭を経由して、さらに自分の頭に入るのか、
原文のコピーが直に自分の頭に入るのかではノイズの大きさが違う。
伝言ゲームでスタート近くの人は遠くの人より正確な文を知っているのと同様。
いや脳のスペックによってはそうとも言い切れないよ
伝言ゲームで様々なルートを通って来た答えを並べて
原文を推測する作業が今でも続けられている
既に自筆原稿は失われた
誤字、誤読、意図的な改竄、誤記と思われる箇所に対する善意の訂正を経て
今、我々の前にその本がある
原書は伝言ゲームの56人目、訳本は57人目
94 :
考える名無しさん:2008/04/12(土) 20:40:27 0
>原書は伝言ゲームの56人目、訳本は57人目
ええこというわー。
>93
何その半端な数字っ!
誰も、いなくなったな