◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない41◆
1 :
考える名無しさん :
2005/08/15(月) 22:46:37 人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
前スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1122911041/ 過去ログ
http://www.emit.jp/ai/ai.html
とりあへず立ててみました。。。
無限ループの世界へようこそ
4 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 23:20:50
前スレ
997 名前:考える名無しさん 投稿日:2005/08/15(月) 15:44:26
>>996 >これが実証不可能だから、
実証されるかどうかではなくて、同じ選択ができることが、自由意志ってことだと思う。
同じ選択ができなかったら、自由意志ではないと思う。
実証不可能であるが、
意志の通りに同じ選択ができる→決定論の世界
意志の通りに同じ選択ができない→非決定論の世界
ってことだろ。
これは、違う。
>>4 >意志の通りに同じ選択ができない→非決定論の世界
自分で決定することができないから、やっぱり非決定論だろ。
あれだ、カントの善悪の判断の自由意志は? ガイシュツか
7 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 23:37:25
>>5 決定することができないから、非決定論なのではない
決定論であっても、非決定論であっても、自由に選ぶことはできる
同じ条件でAしか選ぶことができないというのが、決定論
同じ条件であってもAか、Bかどちらでも選択できるというが、非決定論
スピノザのように、強い決定論は自由意志を否定する
>>7 強い決定論こそ、自由意志を肯定するだろ。
つーか、お前の言う自由意志って何?
>同じ条件であってもAか、Bかどちらでも選択できるというが、非決定論
どうやって選択するの?出来るわけないと思うが。
>>7 現実の世界では「全く同じ条件」は作り出せないが、これはコンピュータの世界が参考になる。
「全く同じ条件」からは、全く同じ選択しかできないのが現実。
意見を聞きたいので、一応もう一度貼っておきます 998 SYN氏の発言を読むと、「決定論は正しい」とは言わないで、 あくまでも因果律を前提とした仮定であり、それは「ものの存在」と同じくらい高い尤度である、と主張している。 前提はおそらく反証も検証も不可能だから、この主張に反論するには尤度を論点にする方がいいと思う。 「決定論」は「ものの存在」と同じくらい尤度が高い、というのはきっぱり言い切れるくらい確かなことなの?
11 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 23:56:07
>>8 かなり読みにくいが、決定論のテーゼに関しては
>>1 の記述は正しい
>「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
強い決定論において、自由意志とは、単なる感じであり、本当は存在しない。
非決定論では、「Aを選択したとしても、Bを選択することもできた」という
可能性を根拠として、自由意志の存在を主張する
決定論ではAが選択された場合、それ以外の選択は始めからなかったということ
Bが選択されていれば、それは初めからBが選択されていたということ。
>>10 「目の前のものの存在」以上に確かです。
目の前のものの存在はマトリックス的世界によって否定されますが、決定論は否定されません。
>>11 >自由意志とは、単なる感じであり、本当は存在しない。
「感じ」として存在しているのではないでしょうか。そうでなければ、存在とは一体なんでしょうか。
14 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 00:02:30
>>13 あなたも決定論者ならば、曖昧に自由意志を肯定してはいけない。
霊の存在を感じても、それが「存在」することにはならない。
考え抜いた末に、論理的に答を見つけたならば、
自由意志の存在はあくまで否定すべき。
>>14 それは自由意志の定義によると思います。
私は決定論(的作用)によって自由意志が保証されるという立場です。
16 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 00:04:54
議論に勝つのが快感、というのはわかるよ。 しかし何事も決定されているということは実際にはない。 そういう考えが生まれるのは、マクロでは概ね決定されているように 物事が進むのと、人間の感覚が粗雑であることによるよね。
17 :
芥川 :2005/08/16(火) 00:06:19
存在なんてものはない それは単なる 人間の本能的な理由付けを 何回もしたら 勝手に生まれてきたもの
18 :
芥川 :2005/08/16(火) 00:09:06
だいたい、哲学語れるやつは 2ちゃんにはいない バーチャルへの依存ですか 現代病だね 哲学はもともと高級な遊びだよ そんな、余裕のないやつには楽しめないよ
>>16 ミクロの非決定性も、無限の原因によって作り出されています。
決定論は、非因果的事象を否定するものではありません。
フィルムの傷のようなものはあってもおかしくはありませんし、
それは決まっているのと同じということです。
重要な事は、人間の意志で未来を変える事は絶対に出来ないということです。
>>8 >強い決定論こそ、自由意志を肯定するだろ。
哲学史を勉強し直せ、アホ
21 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 00:13:18
>ミクロの非決定性も、無限の原因によって作り出されています。 なんだいそのおもしろいドクマは。何の根拠もないし 実生活での体験とも整合性がないだろ(藁
>>21 根拠はあります。粒子のエネルギーの計算などをしたことがあれば常識です。
23 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 00:29:11
>>22 エネルギーというのはマクロの状態を示す一指標に過ぎないから。
25 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/16(火) 01:13:23
>>10 >「決定論」は「ものの存在」と同じくらい尤度が高い、というのはきっぱり言い切れるくらい確かなことなの?
「ものの存在」と無造作におっしゃりますが、「もの」って何ですか?
ある科学者が言った『(「この」世界に)「何も存在しない」のではなく、「何かが存在する」ということが、
「最も不可思議なことである」という言説は、「それなりに判る」と思います。
何故「完全な無」ではなく「雑多な解釈を受け入れるが結局『ビッグバンの瞬間に決定された「(この)宇宙史」を、
我々「その宇宙に生まれ落ちた有機体」が「体験」あるいは「観賞」「鑑賞」しなければいけないのか?
については・・・判りません。・・・「単なる偶然である」というのは「自然科学的回答」ですが、「私の自我が・・」
ということになると「単なる偶然です」と説明しても「そんなはずはない」と主張する「自我」が多いのは事実です。
1等3億円の宝くじに当たるのは「240万分の1」の確率(@)であり、「当たるわけはない」と思って買うのですが、
「中には当たる人が居る」というのも事実です。
「確率論」で言えば・・・
A.今後12ヶ月間に「交通事故で死ぬ確率」は、上記の確率(@)の約300倍
B.今後12ヶ月間に「自殺する確率」は、上記の確率(@)の約1000倍
・・・・となります。
26 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 01:15:49
>>25 目の前の机が量子力学的効果で1m飛び上がる確率はゼロじゃないだろ。
しかしそんな確率はとても小さい。人間の感覚にはほぼ引っかからないし、
そういう状態がいわゆる「客観的」で「決定論的」な世界観を支えている。
机が量子力学的効果で1m飛び上がる確率があるということも「客観的」。 「決定論的」かどうかは知らんが。
しかし「確率」という概念は非決定性を前提にしてるわけではない。 例えば52枚のトランプがある。 Aはその一番上にハートのAを置く。 Aから見れば「条件が変わらない限り一番上のカードがハートのAで ある確率は100%」だ。 他方で何も知らないBから見れば「条件が変わらない限り一番上の カードがハートのAである確率は1/52」だ。 また、AもBも、「条件が変わらない限り一番上のカードは決定している」 と考えるだろう。
>>28 確かに「ほんとは決定してるんだが実際問題として
観測できないから確率を用いる」という立場は普通
に使われてる。
でも哲学的には問題視できるでしょ。 「AがあればBがある」 というのは演繹されるんじゃなくて帰納されるんだから。 物理学はこれを100%に近い数値に近付けようと努力する。 やっぱ「決定性」は前提として採用するかどうかだと思うんだが。
>>30 ってか「AがあればBがある」自体を確認するのは不可能。
なぜなら理想条件でやらないと無理だから。
物理学は理想条件を設定してモデルを組み立てて、現実に
当て嵌めて、近似するかどうかを確認できるだけ。但し、この
手続を最も精確に踏んでるのも物理学なわけだが。
もっとも、最初からモデル⇔現実の近似(あるいは同一)を前提に
してるから、「現実世界でも因果律は成立する」という前提は採用
されると考えていいだろう。
>>31 なんで、
>、「現実世界でも因果律は成立する」
と言えるん?
>>31 それも結局「似てるから」「上手くいくから」としか言えない。
まあ「物理学のモデルは現実世界と同一」が物理学者の
本音だろうけど。
「因果律は現実世界にもある」という考え方は物理学以前に常識と してあるでしょう。でないと何もできないわけで。
>>34 日常生活における「因果律」の捉え方は、
「AがあるとBが結構起こる」
「物事には多くの場合原因がある」
というもの。
問題となるのは採用されるのは、
「AがあるとBが必ず起こる」
「起こらない場合は命題がおかしい(因果律は破綻しない)」
「原因なくXが起こることはない」
という前提を導入するのが妥当なのかということだ。
>>28 確率の主観的解釈と客観的解釈だね
前者が決定論と相性がよくて、後者は非決定論と相性がいい
「条件が変わらない限り一番上のカードがハートのAで ある確率は100%」
「条件が変わらない限り」という言葉によってごまかしているだけ
現実には条件が変わるんだから
逆の例もある
気体の分散における粒子の割合は確率で表現されるが、
「気体が分散するとともにわれわれの無知が増大していると考える必要はない」って言葉がある
この地震もビッグバンの時点で決定していた・・・ 宮城の人カワイソス(´・ω・)
>>36 確率は一定の条件を設定しないと解が出てこない。
「条件が変わらない限り」というのは、どんな確率の計算でも
前提とされている。数学の試験で「問題文に書いてないことは
起きないものとする」という前提がわざわざ書いてないのと一緒。
決定論だけがそれを導入してはいけないという理由は無いと思うが。
>>37 がそのカキコをするのもビッグバンの時点で決定していた・・・
つーか、この問題は既に「決定論的モデル」と「非決定論的モデル」の 対決であって、形而上学的論争になってるのは否めないと思うんだが。
>>40 そうなのか???
純粋に実証的な問題だと思うが。
>>41 「純粋な」実証が何を指してるのか分からんが、物理学が
理想条件下で構築された「モデル(仮説)」と「現実」の比較
を行っているということは
>>31 の言う通り。
だから、現実との比較が不可能な問題、例えば確率「解釈」の
問題などは、実証主義から離れているとしか言い様が無い。
>>42 「純粋な」っていうのは「実験で確認可能な」という意味ね。
もちろんそれが近似値で行われることは俺も否定しない。
だが確率も実験によって確認されてるのでは?
>>43 確率は当然実験で計算することができる。
俺が問題にしてるのは確率「解釈」の話。
「1/2というのはどっちかに決まってるが情報不足で確率的に
しか予測できない」のか「1/2状態というのが実際にあるのか」
という問題。
ただ日常生活では前者が成立していると思われる。
実際、ハートのAを一番上に置いても1/52の確率でしか
それが実現しないなどということは起こっていない。
確率は同じ条件で、しかも繰り返した場合だけ意味をなす。 歴史のような一回性の出来事に確率というのは適用できんだろ
>>45 うん。だからもう形而上学論争だと思う。
それに意味が無いとは言わないが、物理学(実証主義)は
決定論・非決定論の基礎になりえないという点に注意すべき。
形而上学的論争だ、というのは一言辺りが既に告白している。 SYNは形而上学的論争とは言わないが「決定論が物理学に 基礎付けられるのではない」と言っている。
>>38 決定論にそれを導入したら何も語ってないに等しくなるし、研究も進まなくなるぞ
誰だって言えるよ
A「条件が変わらない限り、決定されている」
B「あれ?予測と外れたよ」
A「条件が変わっただけだ」
どのような条件において理論が成立するか成立しないかなどについて明確にしておくのが反証可能性であり
科学の研究はそうやって進んできたというのに
決定論は予言が外れたときに自由に言い訳ができる要素をひっそりと導入している
言い訳が制限されているのが科学ということさ
わら人形 ワラワラwwwwwwwwwwww
>>48 決定論でも、予測精度を上げようとしたり、原因を追究したりするから、科学は進む。
非決定性を導入しない限り、諦めないから常に研究して成長し続ける。非決定論は思考停止。
>>50 非決定論でも科学の研究は前進する
しかし決定論を科学的に扱おうとしても研究が前進しない
「普遍的な決定論の全面的な肯定は科学外のことであり、科学にとって有用ではなく、
まさしく形而上学的な仮説であるが、
これに対する信頼は、方法としての決定論と独断主義としての決定論を混同することだけにもとづいていた。」
ユルモ
52 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 17:04:15
いきなりお邪魔しますが… 自由意志の問題をいきなり物質の因果関係に 還元するのは若干無理があるような気がするのです。 つまり隔たりが大きすぎる。 そこで自由意志の原初形態、物質と生命体 の接点から問題を煮詰めては如何でしょう? つまるところ自由意志は生命体のシステム 変容における最も進化した形態(人類が現状知り得る 範囲では)と看做すことが出来るからです。 物質の変容、変態があります。 氷ー>水ー>水蒸気 物質はエネルギー形態の変容とも捉えられます。 では生命体とは何か?物質エネルギーの どのような変容、変態によって生じるもの なのか。 本スレのミッシングリングは一般物質エネルギー から生命体への変容接点にあるのでは ないでしょうか?
53 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 17:06:19
西村さん!プログラム板における人大杉による 排除をなんとかして下さい。
>>51 決定論でも科学の研究は前進してきた
しかし非決定論では思考停止で研究が前進しない
>>54 決定論を科学的に考察しようとしても決定論の中に無条件に言い訳可能なロジックが入ってるからそれ以上進まない
科学的な決定論は決定論に対する研究を前進させることができない
形而上学的な信念として決定論を支持することもできるが、
非決定論を信念として持っていても科学の成果はあげられるし科学的研究を前進させることはできる
訂正 無条件に言い訳可能→無制限に言い訳可能
>>55 >科学的な決定論は決定論に対する研究を前進させることができない
馬鹿か。それはお前が進まないと思っているだけだ。
決定論でも科学的研究を続ける人もいる。ニュートンやアインシュタインがそうであったように。
量子力学以前は、決定論によって科学が進歩してきたのは歴史が証明している。
58 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 17:17:57
>>55 >科学的な決定論は決定論に対する研究を前進させることができない
できるぞ。お前には無理だろうが。w
独断主義者同士で言い合いしてもなんもならんと思うが。
むしろその言い訳で前進して来たんでしょ。
>60 無制限な言い訳ではなく制限された言い訳をするということによって前進してきた
>57 決定論を科学的に考察しようとしても、予測と切り離されているから研究が前進しない 決定論を支持しながら、まったく別の科学的研究を前進させることもできるが 決定論そのものは研究を前進させる科学的態度を保つことができない
63 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 17:33:26
>>62 お前がそう思っているだけで、実際にはできる。
オレオレ詐欺は火病でつか
>63 では決定論を実験するための予測をしてくれ
>>62 それ、決定論と非決定論と入れ替えても変わらないよね?
どっちの味方って訳じゃないから誤解しないで。
>64 「普遍的な決定論の全面的な肯定は科学外のことであり、科学にとって有用ではなく、 まさしく形而上学的な仮説であるが、 ・・」 決定論そのものは科学の外、決定論について思考を前進させるような予測はできない
>66 ああ、そうだよ
> ああ、そうだよ ・・・w もうひとつ、多分わざとだと思うけどオレオレさんさっきから科学の対象としての決定論(そんなのあり?)と世界観としての決定論とごっちゃにして論じてるよね。
70 :
52です。 :2005/08/16(火) 17:51:42
>66 >それ、決定論と非決定論と入れ替えても変わらないよね? 決定論か非決定論かを議論されておられること自体 不毛な様相を呈しておられるからして、 新たなきっかけ(火種?)を提供したのですが…。 乗って来られませんよね?
>>69 >科学的決定論のテーゼ
「過去のできごとについて十分に正確な記述がすべての自然法則といっしょに与えられれば、
どのような出来事も、望みどおりの精度で予測できる」
有名なテーゼ
↓決定論についての研究は科学的に前進させることができない 決定論「世界は決定している」 →決定論を支持することで科学の研究を前進させることができる 非決定論「世界は決定していない」 →非決定論でも科学の研究を前進させることができる 最初から同じことを説明しているが、これで分かりやすくなったと思う
もう一回確認しとくか。 1、科学的決定論の支持者はこのスレにいない。 2、決定論は科学の研究対象ではない。
3、決定論は哲学の研究対象である。
>>71 それってまともに受け取っている人いるのかな?
それはテーゼはテーゼでも「あるべき」科学的決定論のテーゼでしょ。
76 :
青猫 :2005/08/16(火) 18:11:14
はじめまして、最近座りはじめた者です。 鬱について宮沢賢治が柳原昌悦宛の手紙に興味深いことを言っています。 あなたがいろいろ想ひ出して書かれたやうなことは最早二度と出来さうもありませんが、 それに代ることはきっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。しかも心持ばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。 私のかういふやうな惨めな失敗はただもう今日の時代一般の巨きな病、「慢」といふうものの一支流に誤って身を加へたことに原因します。 僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが、何か自分のからだについたものででもあるかと思ひ、 自分の仕事を卑しみ、同輩を嘲り、いまにどこからか自分を所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、空想をのみ生活して、 却って完全な生活をば味ふこともせず、幾年かが空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、ただもう人を怒り世間を憤り、 従って師友を失ひ憂鬱病を得るといったやうな順序です。 仏教に傾倒していた賢治の自戒が伝わってきます。身につまされます。
78 :
青猫 :2005/08/16(火) 18:12:18
誤爆です。すいません。
>>77 哲学が科学なら科学論はすべておかしいということになる。
なぜなら自分で自分の境界設定を設けようとしてるんだから。
そもそも「反証可能性を持つ理論が科学的である」という命題は
反証可能性が無い。哲学だからこそこう言える。
落ちてるようだからコピペ ・「物理学主義」の歴史 機械論的-力学的研究伝統は、 「あらゆる物体の力学的なふるまい、運動がそれを質点同士のつり合いと質点の運動とに還元することによって解明される。 ふつう広がりのある物質は、たがいに力を及ぼしあう質点の集まりと見なされる。 したがって、力が働いた時の質点のふるまいを規定とする法則=運動方程式がすべての力学の基礎になる。 どんな物体であっても、それをつくる質点の数、相互の距離、それらの間に働く力を知ることによって、 そのいかなる力学的なふるまいも演繹的に導くことができる。」 このような要素論的−力学的研究伝統は、17世紀の段階ではまだ数ある自然思想のうちの一つにしかすぎなかった。 しかし、18世紀に入り、ダランベールが 「力学は全自然学の基礎である。 実際あらゆる自然現象、物体系でおこるすべての変化は運動に帰せられねばならず、運動法則によって支配されている。」 と断定してからは、この研究伝統は野望をあらわにする。 要素論的−力学的研究伝統は、まず天体力学の分野での正確な予測の成功などにより、その目的を徐々に達成していった。 他方その理論はオイラー、ダランベール、ラグランジュらによって数学的に厳密に定式化され、強大化していった。 そしてラブラスが太陽系の安定性を証明したころには、物理学を代表する世界像を確立していた。 ラプラスは将来を見越して勝利宣言する。 「同じ式の中に宇宙でもっとも大きな天体の運動も、もっとも軽い原子の運動も包摂できるだろう。 この叡智にとって不確かなことはなにひとつない。 未来も、過去と同じように見通せるだろう。」
つーかそのテーゼは反証可能性を云々する前に 不確定性原理によって前半部が破綻したわけだから、 今でも信じてる人はいないでしょう。
>>82 「この決定論だけが科学的である」
↓
「この決定論は破綻している」
というのがポパーの論法だから一応反証可能性は出てくる。
>82 だが、このラプラスの考えがそのまま科学において盲信すべき教義のように扱われつづけたのも事実だし 今なおそう思っている人も多いんじゃないかな 非決定論者は決定論でなくとも科学を支持できるし研究できることをひたすら説明しているわけだから
>>84 非決定論で科学研究が進まないと思ってる人は、
科学的非決定論が「未来は予測できない」という
ほとんど中身が無い主張だということを知らない
だけだと思われ。
>85 俺的には「方法論と独断主義を混同している」という表現の方がしっくりくるけどね
>>86 反証可能性は方法論だが物理は独断主義でも進むから
それもあんまりいい議論では無いと思われ。ってか、決定論は
既に物理から離れてるわけだし。
>>87 遅くなったけどご意見感謝
たしかに独断主義もひとつの解釈ですね
しかし独断主義もひとつの解釈である、という考え方を 徹底すると、その先に待っているのは「沈黙」か「煽情」 だろう。 ポパーは批判的合理主義の立場からこれを認めない。
90 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/17(水) 00:09:15
>>87 >決定論は既に物理から離れてるわけだし。
どうしてそんなことをおっしゃるのか理解できません。
「この『宇宙』は10次元ないし11次元」ということで、最終的に固まりつつある
最新の「理論物理が描き出す『世界像』」に、もはや「大きな振れ」はあり(え)ません。
いずれにしろ「最後の(最表層の)次元」は「時間である」という共通点はありますが、
21世紀には「キリスト誕生以来の『観念論の時代』が2000年以上続いた」・・という
こと、及び21世紀のある時点で「真理」=機械的唯物論が、一般人にも普及し始めた。
という「歴史」が「常識になっている」ことは間違いありません。
92 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/17(水) 00:20:46
>>73 >1、科学的決定論の支持者はこのスレにいない。
私は「(自然)科学」を本格的にマスターすれば、(「真理に誠実」な頭脳は)当然に、
「決定論」を「当たり前のこと」だと受け入れるようになると考えます。
2、決定論は科学の研究対象ではない。
(自然)科学は、むしろ「決定論」を前提として・・それをどうやって「証明するか」に
腐心してきた「人類の知性の歴史(そのもの)」だと思います。
「自然というモノの中に隠されていた『法則』を見つけ出すこと」は自然科学の『大目標』
であり、「真理は一つである」という信念は「自然科学の原動力」なのです。
・・・念のため『隠されていた』について「隠していた主体が居ることの証明である」
「観念論」「神」・・・は必要ありません。
「ビッグバン」により「全ての時空間は『決定されていた』」ので、ビッグバン以降は、
「『この宇宙』に対する、あらゆる『(本質的な)変更』は(神でさえも)不可能」なのです。
・・・それが『決定論』です。
>>90 相対論や量子論が世に出るほんの少し前の時期にも、そんな「もう自然界
のことはおおよそ分かった」みたいな雰囲気が物理学界にあったそうだよ。
残る問題らしい問題といえば、マクスウェル方程式が慣性系に依存してし
まうこととか、黒体輻射のスペクトルがうまく説明できてないこととか、
枝葉末節の問題ばかりだとね。
その後、そういう枝葉末節の問題が何を導き出したかというと……。
94 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/17(水) 00:31:00
>>93 「枝葉末節であるか否か」は、誰が決める事項なのですか?
「あなた」が決める事項である・・・訳ではありませんし、
「この国の権威ある科学評論家」が決める事項でもありませんし、
サイエンス誌に論文が掲載されるような「権威ある科学者」が、
「決める」訳でもありません。
97 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 00:45:03
前者から相対論が、後者から量子力学が生み出されたのだよ。 ホントに知らんのか。学校の授業ちゃんと聞いてたか?
98 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/17(水) 00:51:41
>>97 「あなたの学校」の授業を受けなくて良かったと思いつつ、就寝させていただきます。
99 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 00:54:15
とにかく「物理学が完成されたから決定論が証明された」 という程度の議論では話にならないよ。
100 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 00:54:25
働きなさいよ
101 :
93 :2005/08/17(水) 01:05:24
>>97 その通り。枝葉末節どころか、物理学(物理学的世界観)は大幅な修正を迫
られることになった。
>>94 枝葉末節の問題だったと主張してるのではなくて、当時の雰囲気がそうだっ
たと描写したんだよ。
>>95 ,96
すまん、こういう科学哲学っぽい話してるとこでは周知の事実とか勝手に
思い込んで省略してた。
「機械的唯物論」者は物理学の歴史の本を読んでくれ。オネガイだ。 高校の力学で物理のイメージを固めて、そこから権威付けで 最新の宇宙論を読みかじり、人間関しては脳の物質な構造を読んで、 それで決定論を主張しているだけなんだろ?そうなんだろ???
餌をやっちゃ駄目でつよ?
104 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/17(水) 01:16:22
>>102 そうではありません。
「真理」は時に厳しく「価値の相対性」を明らかにし、
「人類の個体の無力さ」を明らかにしますが、
そういう「真理」を「誤魔化して」自分を騙す「自己欺瞞」
よりは「大きな悲劇の基になる可能性は少ない」・・ということです。
「歴史」という観点からみれば「真理からの逃走」に同調して命を落とした
「尊い教訓」を「糧」にして、「くだらない思い込みによって自分の人生を
短縮するようなことはやめた方が良いですよ」・・と言っているだけです。
決定論は、仮定や前提であり、証明することは不可能です。 しかし、今まで否定することもできていません。 タイムマシンが存在すれば反証となりますが、 否定も出来ないのに非決定論を主張する事は徒労であり無意味だと思います。 (時間旅行を含む決定論も作れますが、私はそこまでは主張しません) 重要な事は、人間の意志で未来を変える事は絶対に出来ないということです。
決定論原理主義を信仰し過ぎるのも 「くだらない思い込みによって自分の人生を 短縮するようなことはやめた方が良いですよ」 にならなければよいがね。
>>106 それは非決定論者が注意するべきことだと思います。
真の決定論者には、自由意志が保証され、自由感と選択感があり、
さらに後悔もありえないので、そのような心配は無用です。
>>107 念のため捕捉。
決定論者は反省しないのではないかというツッコミが入るかもしれませんが、
その心配もありません。似たような事が起きたら、以前の経験が利用できる可能性を考えます。
決定論の世界でカオスもありますし、予測不能性も受け入れ、主観としては世界が非決定論的に
見える事を認識していますから、非決定論者のいいところ(未来へ希望など)は、持ち続けます。
非決定論者の悪いところは持ちません。
「それは違う」と思われる非決定論者がいるかもしれませんんが、
それはその人が決定論者ではないから、その心の持ち方が理解できないだけです。
ちょっと整理。 決定論をDで代表させると、 D1,2,3,4,5,6,... というようにその分派がたくさんある。 非決定論をnDで代表させると、 nD1,2,3,4,5,6,... というようにその分派がたくさんある。 ある理論には反証可能性があり、ある理論にはそれが無い。
【第一段階】
ポパーのやり方は、この中で反証可能性のない理論をまず除く。
すると、決定論は(本当かどうかは知らないが)あるDが一個だけが残るという。
これを科学的決定論(SD)と名付ける
>>71 。
この否定が科学的非決定論(nSD)である。
それ以外は非科学(NS)の枠に追いやられる。
S { SD,nSD }
NS { その他全部の決定論・非決定論 }
【第二段階】 次にSDの反証が挙げられる。 これは天気予報でも良い。 よってnSDが真である。
>非決定論者のいいところ(未来へ希望など)は、持ち続けます。 >非決定論者の悪いところは持ちません。 それは、あなた個人だけのことでしょ。 というか、「非決定論者の悪いところ」って何? >人間の意志で未来を変える事は絶対に出来ない そもそも、未来はまだ「存在しない」。存在しないものを「変える」ことは、 全知全能の神様でも不可能。 人間の意志で未来を「創り出す」ことができるのは、決定論でも非決定論でも 変わらないんだから、この論争はそもそも無意味。
113 :
111 :2005/08/17(水) 09:59:34
しかし批判される、あるいは不満が述べられる可能性はある。 第一に、批判的合理主義を認めない立場から見れば、 そもそも「科学的・非科学的」というやり方が独断主義的 偏見だ、とも言える。もし、ポパーとデリダが論争する機会 があったら、このような応酬になったかもしれない。 第二に、決定論の問題は科学の問題ではなくなったかも 知れないが、未だに哲学の問題なのかもしれない。あるいは、 非科学的な問題として未だに有意義なのかもしれない。 第三に、nSDは結局のところ「未来は予測不可能」と言っている に過ぎない。これは、もしかすると、非決定論者の側から見て、 不十分な命題と受け取られるかもしれない。
>>113 第一の批判に対してコメント。
おそらく合理性肯定論者と合理性否定論者の間で和解が
為されることはないだろう。立ってる場所が違うんだから、
議論にならないと思われ。
四番目に付け加えて欲しいんだが。 「これは本当に決定論の話なのか?」 ってこと。 むしろポパーは「決定論・非決定論は非科学的議論だ」と 言った上で「予測可能論・予測不可能論は科学的議論で あり前者は偽だ」というべきだったのではないかと。 実際に「科学的非決定論」の命題の中には「未来は決まって いない」という文句は出てこない(未来は開かれているという 文学的表現をした点も、ちょっと?だし)。 ポパーからすれば「決定論・非決定論は非科学的議論だ」と 言うだけで十分だった思うんだが。
116 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 10:39:49
決定論の対象とする世界がこの世界、すなわち実在的自然世界 を対象とするなら、それは自然科学と同じ対象であるから、 それは「科学的決定論」となる、というのがポパーの主張でしょう。 人間主観の世界を対象とするなら形而上学的決定論であり、宗教世界を 対象とするなら宗教的決定論となる、というように世界を第一世界、第二世界 、第三世界に分類して考察してるところがポパー流でしょう。 いずれの世界も開かれている、非決定論がお勧めというのがポパーの立場でしょう。
117 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 10:45:38
物理学でいう決定論はもちろんこの自然世界が決定論的である という主張です。ラプラスの魔のような自然世界は法則と初期値 で過去・未来すべて決定されてしまう、という世界観でしょう。 しかい、自然が力学的に決定されたら世界のすべてが決まってしまう というのはなんら根拠のない論理飛躍です。 いまどきそんな機械論的世界観を持ってるのは化石人間でしょう。
118 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 10:54:29
>>110 ポパーだったら、決定論やその否定は科学ではなく、形而上学であり、
そうだからこを意義がある、って言いそうな気がするけどねえ。
>>117 論理の飛躍は起きていないよ。
三段論法で組むこともできる。
「我々は、古典的力学のモデルについて、法則と初期値さえ
与えられれば、任意の精度で過去・未来を予測できる」
「古典的力学のモデルは世界と同一である」
ゆえに「我々は、世界について、法則と初期値さえ与えられれば、
任意の精度で過去・未来を予測できる」
>>110 の時点でおかしいだろ。
特定の決定論を否定するものは、特定の非決定論だけじゃない。
121 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 11:01:40
>>118 人類の間違いのコレクションとして役に立つだけだろ。
典型的な間違いをしり人類をそこから救い出すのが
哲学本来の目的だろって。決定論自体の価値は
フロギストンと変わらん。
>おそらく合理性肯定論者と合理性否定論者の間で和解が
>為されることはないだろう。立ってる場所が違うんだから、
>議論にならないと思われ。
論理が必要かどうか判断するにも論理が必要だと
エウリピデスが言ったものだが。非合理主義者とやらは
彼のつめの垢でも煎じて飲んではどうかね。
>>120 nSDの中に複数の理論が入っててもいいんだよ。
ただSDの否定する理論(群)が¬SDということが意味されている。
123 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 11:03:09
>>118 ポパーの非決定論の擁護は下記の本で尽くされていると思われる。
「開かれた宇宙」(カール・R・ポパー著 小川原他訳 岩波書店 ISBN4-00-001922-3 C3010 ¥2800E)
124 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 11:06:30
>>119 >「古典的力学のモデルは世界と同一である」
これが論理の飛躍でしょう。世界と古典力学のモデルが
同一である根拠を示さなければならない。
まず、「世界」とは何か?から明確にしなくては哲学論議のならない。
>>121 合理=論理的という図式であるとは限らないということは、
前スレで出たばっかりでしょ。
合理性否定論者ならば論理否定論者である。
とは限らない。
だから「合理性って何よ?」という哲学的問題が生じる。
>>124 >同一である根拠を示さなければならない。
それは論理の仕事じゃないんだって。
127 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 11:09:47
論理的でなければ合理とはいえない。
>>127 それは前スレでも認められてたでしょ。
問題は、「互いに、矛盾する推論が複数あっていずれも実証できない」
場合に「より合理的な選択はあるのか?」ということ。
129 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 11:13:19
>>126 >それは論理の仕事じゃないんだって。
だから、自然科学で言えない世界に勝手に拡大しなければよい。
力学は力学の範囲で論議すれば問題ない。
>>129 それは世界観なんだからラプラスの勝手なんだよ。
少なくともラプラスの推論は妥当だが実証できないものだ。
131 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 11:17:56
>>128 命題の真偽は論理の範囲外だけど推論の妥当性は形式論理の
範囲でしょう。
前提とする命題がすべて真でなければ妥当であっても健全な
推論にならないことも形式論理でいえるでしょう。
>>116 ポパーの場合、物理世界、主観世界、理論世界の3つじゃなかった?
>>122 それだと、
>>110 の
> この否定が科学的非決定論(nSD)である。
という表現にとくに意味はないのか?
要するに、非科学的なものを取り除けば科学的なものだけが残り、その中
で決定論が外れれば最後に科学的非決定論だけが残る、それだけ読み取れ
ばいいのか?
>>128 何かの必要があって「待ったなしの選択を迫られている」のなら、
「論理的実証以外の合理的選択」を模索する必要があるだろうが、
「決定論か非決定論か」なんて、別にどちらかに決めなくても、誰も困らない。
単に「判断停止」で、いいじゃないの。
なんで意地になる人がいるのか、さっぱりわからん。
>>133 科学の範囲について言えばそれでいいんだよ。
形而上学みたいに雄弁である必要は無い。
>>131 論理の「飛躍」がそこまで含意してるなら否定しないよ。
137 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 11:37:41
決定論は健全かどうかも確かめようが無い。
むしろそこに合理性の鍵かあると思う。 真偽不明なのに説得力はあったりなかったりする。
139 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 11:56:29
説得力がないが反論しきれない、という辺りが 現代科学の矛盾を突いているようでルサンチマンが晴れて気持ちいいんじゃないかい>決定論
140 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 11:56:43
>>131 それは違う。論理というのは、それほど確定したものではないし、
その論理で表現される内容(理論)と完全に分離できるものでもない。
特殊なものでは、矛盾を許容する論理さえある。
141 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 11:59:01
しかし「矛盾(を公理に含む公理系)からは何でも証明できる」 というのは論理学の一大テーゼなので、価値のある(=合理的な?) 結論に到達するためには論理的手続きの正しさだけに執着してもなんとも。
142 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 12:03:12
だから、それは標準的な古典論理の場合。すべての理論が、標準的な古典 論理の中で表現される必要はないんだよ。
>>139 どんなに説得力のない意見でも反論しきれることはない
それゆえに知識は獲得可能であるし議論することは有意義である
、というのが批判的合理主義の立場だ
解釈をする人間はたいてい自らの解釈に沿った実例になるもの
「ルサンチマン」という言葉を吐く人間こそ怨念に蝕まれているように見えるよ
>>143 すまん
> どんなに説得力のない意見でも反論しきれることはない
と
> それゆえに知識は獲得可能である
がどうつながるのか理解できないので教えてくれる?
>>123 確率の客観的解釈についても触れないとね
『確定性の世界』(カール・ポパー著 田島 裕訳 信山社)
『量子論と物理学の分裂』(カール・ポパー著 小河原 誠他訳 岩波書店)
下は量子論の細かい話にも触れているので物理学に興味ある人にもいいかも
>>144 批判的合理主義関連の本でも読みなよ
批判的合理主義の基礎だよそれ
理論の根拠付けの合理性には限界がある
もし限界がなければ議論は無意味だし議論しても空しいだけだろう
批判の合理性には限界がない
もし限界があれば議論は無意味だし議論しても空しいだけだろう
うろおぼえだけど、こんな感じの文章がある
ちょっと待っててね
きちんと引用するから
ごめん、146の表現は小河原先生の文章かも 「批判に限界はない、予測に限界はある」でポパーの本には書いてあるね
>>146 私は後者の批判の合理性には限界がないという観点にたち、
自らの合理性の判断に基づき、決定論・非決定論の議論は
無意味で続けても虚しいだけだ、と思うが。
>>144 ここでの内容は
「説得力のない意見は反論しきれてしまう」という仮定のもとでは
↓
「知識が獲得可能である」という余地がない
ということなんだよね
>>148 多分、議論における目的が批判的合理主義と君とで違うのだと思うよ
でも、君が議論に求めていることって何なのだろう?
>>150 では皆がここでの議論に求めていることは何?
単に議論を楽しんでいるだけにしか見えないけど。
152 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 12:53:14
合意を求めてるんだろ。合意を求めることを「合意のテロ」と 批判する人もいるから、まぁ批判する人もいるんだろうな。
>>150 そうだね、楽しいということはまず何より大事なことだと思うよ
それと自分と意見が異なる者からの批判を受けることは「批判的合理性」にとって重要なことだよ
というのも批判的合理主義が望むことは思考を前進させることなわけだから
積極的に批判を受けることが奨励される
批判的合理主義者は議論に参加することで、
自ら批判を受けること、そのことによって思考の問題点を探りながら考えを前進させることを目的としている
ところで君は?
なるほど、君は議論に合意を求めているわけか ・議論によって皆が一様に合意して意見がまとまるべきである ・決定論や非決定論は意見を統一できない ↓ ・決定論や非決定論について議論することは無意味 ってなわけか まるで独裁者が自分の言うことを聞かない大衆を虐殺するかのようなロジックだ・・・
>>153 > 批判的合理主義者は議論に参加することで、
> 自ら批判を受けること、そのことによって思考の問題点を探りながら考えを前進させることを目的としている
基本的立場はもちろんよく分かる。
しかし、ここでの批判のなされ方は、あなたのような哲学者から見てもまともじゃないだろう。
> ところで君は?
明確な意図はある。しかし、それは明言しない。
157 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 13:08:48
オレオレ詐欺はリオタール的な民主主義者で周りを敵だと思ってるんじゃないのか?
>>112 >そもそも、未来はまだ「存在しない」。
存在しています。貴方が知らないだけです。
>人間の意志で未来を「創り出す」ことができるのは
できません。勝手に世界が動いているのを、
作り出しているように感じているだけです。映画を見ているだけなんです。
自分の時間が世界の中心でも、最前線でもありません。時空は相対的なものです。
「時間の瞬間」というのも自己にとってはそうですが、観測する世界は常に過去のものです。
8分前の太陽を見て、1秒前の月を見て、10億分の1秒前の隣人を見ているわけです。
自分以外の未来は既に先に進んでいます。
自己が認識できるのは自分いる場所と瞬間だけで、独我論でないならば、
自己のいる時空以外にもあらゆる時間と空間は既に存在しています。
未来も過去も一つしかありません。神が作った法則、制限には誰も逆らえません。
円周率の値を変えることが出来る人間が出てきたら、認識を改めますが、その可能性は0でしょう。
哲学的に考えるなら、円周率を変えられたり、世界が1秒前に出来た可能性、自分以外は
仮想現実であるシミュレータの可能性など、いくらでもあると思います。
でも現実には、そんな想定をしてても幻想世界を楽しむ以外何もないでしょう。
「決定論」は過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。
>>154 >まるで独裁者が自分の言うことを聞かない大衆を虐殺するかのようなロジックだ・・・
過剰な(合理的)批判の行使自体が知の暴力とも言えるけどね。
160 :
史的唯物論 :2005/08/17(水) 15:39:09
未来はすべて決まってる人間に自由はないなどと言うおかしな哲学も土器が論じられてるが 物理的立場から見ればエネルギ―問題の未来など人間社会は物理要素に大きく制約されて、成るほど未来において今のような化石燃料浪費などのみ込みは全くない 取るべき道はかなり決まってる、大変な問題だ 、むろん死活問題 そうするとそれを広く訴えたい警告を発したい気持ちが昂じて未来はすべて決まってるなどと言いたくなると言うものだ、具体性の知識が乏しいものほど抽象論にはあいりたくなるのではあるが かように抽象論は物的、つまり生活実体的状況のみこみから昇華して抽象論が出るものだ、下部構造が上部構造を規定すると言う 物理的に明るいものから見れば抽象論はいったい何を言ってるのかと戸惑うが次に彼らは具体を知らないからこうなのだと納得する
非決定論だと過去も決まってないことにならないか? いろいろな歴史があったり、人の証言が違う時は、 別々の過去から集まってきているだけじゃないの?
>>161 さまざまな過去の可能性はあるけど実際の歴史は一つだ、と言い張ることはできる
>>162 証拠は?複数あると言い張ることもできるんじゃね?
>>163 >証拠は?
んなもんない。
だから「言い張る」んだろ
165 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 16:15:47
( ´,_ゝ`)プッ
>>158 >未来も過去も一つしかありません
そりゃ、実現する未来が一つしかないことを認めない人はいないわな。
結局、決定論って「現実の世界は一つしかない」と言っているだけで、
実質的な内容は非決定論と何も変わらないよな。
167 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 18:05:08
>決定論って「現実の世界は一つしかない」と言っているだけで、 それは、事実的決定論なんてオオボケを言ってる決定論者だけだろ。
168 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 18:24:09
>>132 >ポパーの場合、物理世界、主観世界、理論世界の3つじゃなかった?
たしかに、この方がわかりやすい。
もともとは、第一世界がPhysical World 第二世界がMental World
第三世界がCalutureだから。小河原さんは物理的世界、意識の世界、
客観的内容の世界、で客観的世界が自律してることが重要だとか。
で、ポパーの三世界の相互関係はOSIの階層関係のようですね。
物理世界、主観世界、理論世界じゃ並びが悪いな。 客観、間主観、主観と同じ順に並べれると物理世界、理論世界、主観世界となる。 しかし正反合みたいなものだから別にいいのかな。
>>156 誤解はすまんかった
けどさ、小河原先生の言葉だか蔭山先生の言葉だか忘れたけど
「理解しようとすると誤解を避けることはできない、だが理解を拒絶することはもっと危険だ」ってのがあったと思う
>>169 関係はね
物理世界(実在世界)⇔人間の精神の世界(個人の意識)⇔概念の抽象的世界
って感じなのよ
で、理論と現実の間には必ず人間の意識が介入する
あと概念の抽象的世界が自律していることも重要
というのも理論的な誤りはそのその誤りを指摘すれば修正できるけど、
もし第三世界が人間の精神から自律していなかったら
理論についてあれこれ考えることじゃなくて、その人個人をどうするか?という方が重要になってしまう
「この理論はどこが間違ってるんだろう?」じゃなくて「この人の考えを変えるにはどうすればいいんだろう?」って感じにね
>SYN >158 >自分の時間が世界の中心でも、最前線でもありません。時空は相対的なものです。 >「時間の瞬間」というのも自己にとってはそうですが、観測する世界は常に過去のものです。 >8分前の太陽を見て、1秒前の月を見て、10億分の1秒前の隣人を見ているわけです。 この内容は決定論ではないよね 人間の感覚と切り離されて対象が存在しているということなのだから「実在論」であるわけだ それでさ、実在論と決定論が分離不可能に結びついているならば決定論は正しいかもしれない だけどさ、もし、実在論と非決定論が両立可能ならば決定論に固執する理由はひとつ消えるよね?
>>169 ってかこれはペンローズそっくりなんだよね。
物理世界⇔物理世界
主観世界⇔精神世界
理論世界⇔イデア界
やっぱ西洋文化圏の枠組みなんだよ。
>>173 ポパーは西洋文化圏の人だからね
そればかりはどうしようもない
初期はプラトンにかなり否定的な感じだったのに、『開かれた社会とその敵』とかね
晩年は「わたしは自分がプラトンと同じ問題に直面していると考える」と述べてたと思う
>>171 >「この理論はどこが間違ってるんだろう?」じゃなくて「この人の考えを変える
>にはどうすればいいんだろう?」って感じにね
それは第三世界が分離してるかどうかの理由になってないのでは?
>>172 いや、もう長ったらしい議論は抜きにして、SYNが言うには人には未来が決定していることが
分からないということが分かっているのだから、決定・非決定を論じること自体、意味はないだろ。
>>174 確かにプラトンは全然死んでないからね。
ウィトも最後は結局「確実性の問題」に行っちゃたし。
>>175 三世界論は形而上学で一種のメタファー(隠喩)
>>177 著名な数学者のたいていもプラトン主義の立場をとるらしいしね
それが素朴なのかどうかは知らないけど
プラトンってやっぱすごいんだなとか思ってしまう
そういや関雅美さんがポパー研究者の立場から「『開かれた社会・・』のポパーはプラトンを誤解している」とか書いてた気がする
>>179 理論と現実の関係をうまく表現していると思うけどね
182 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 20:30:01
>>179 数学を例に出すと客観世界の自律性は理解しやすいと思うよ
数学は人間の意識の内部の産物とは考えにくいでしょ?
SYNじゃないけど、がんばっても円周率を変えられないでしょ?
かといってこの世界のどっかに「円周率」や「数自体」が存在しているとも考えにくいでしょ?
>>183 人間の意識の産物でもなく世界の何処にも存在しない
というのはおかしくないか?
ヒント:イデア界
意識の産物なら変えられるっていう前提は正しいのか?
比喩で言うのはいいけどやっぱそれは誤魔化しなんだよね。 プラトンの後期著作群を読めば、イデアと現実の関係 を正確に説明するのは非常に困難ということが分かる。
188 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 20:57:32
>>180 数学の哲学で数学的真理の実在論の立場のことを
たしかにプラトニズムと呼ぶが、
これとプラトンの哲学とは直接結びつかないなあ。
業だからあきらめるしかないことであるのか
190 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 21:34:12
一人で考えていると間主観であるものが客観であるように思えてくるということかな?
>>183 > SYNじゃないけど、がんばっても円周率を変えられないでしょ?
変える以前に、定義されたものなんだから出自からして明らかに人為的で
は?
逆にいえば、定義さえ変えればいくらでも変わりようはあるともいえるわ
けで、「約束事」の意味合いが強いと思う。
192 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 22:11:39
>>191 より都合の良い約束事でないと広まらないのでは?
定義だって約束事だし脳の性質にフィットするということもあるだろうし。
ここ暫くの流れ、 一言さん、参考になってますか?
ちょっと小話になりますが、私が大学の講義で物理学者 の先生と話していた時に、ふと先生が「数学も結局は実証 科学なんですよ。だからゲーデルは間違いだと思います。」 と仰ったのを今でもよく覚えています。
ちなみに「ゲーデルが」の部分は「ゲーデルは数学の諸命題が 実在すると考えた」という点に対してだと思います。
198 :
素人 :2005/08/17(水) 22:38:27
>>195 こういう、生の、人間に密着した意見・レスは
すごく好感が持てる。
199 :
素人 :2005/08/17(水) 22:39:05
りろすべきだったか・・・ orz
200 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 00:00:46
>>183 >かといってこの世界のどっかに「円周率」や「数自体」が存在しているとも考えにくいでしょ?
「かっこ」の外が重要な概念なのです。
すなわち・・・「**が『存在する』か否か?」・・・古来から不変の「存在論」です。
「観念論」の基本的間違いは『「認識論」を「存在論」と「混同したこと」』です。
「認識論」は「存在論」以前の「クオリア」として論ずるべきなのに、「存在論側からの解釈」
が、「認識論に先行する」状態・・・が続いておりました・・・それが「基督教的存在論ありき論」が、
「現代思想」を支配している(一つの)原因です。
201 :
素人 :2005/08/18(木) 00:07:01
クオリアってのは伝家の宝刀か?水戸黄門の印籠か? 何でもありの為のキーワードと化しているように見受けられるなw
202 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 00:07:07
「円周率」や「数自体」は間主観なんだって。 現代思想はそんな変なものには支配されていないって。
203 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 00:09:44
>>201 あなたは「(ある種の肯定的)存在ありき」論を「信じて」いるだけであり、
そのことに「自覚的ではない」だけです。
204 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 00:10:36
>>203 あなたも「(ある種の肯定的)存在ありき」論を「信じて」いるだけであり、
そのことに「自覚的ではない」だけです。
205 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 00:18:14
人間の脳にはある程度の均質性があるのよ。 あなたの脳にも私の脳にも似ている点がある。 視神経がダイレクトに意識に繋がっているわけじゃない。 脳の内部に結ばれる像の性質が互いに似通っていて それについての合意が形成されるということは有り得る。
206 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 00:18:28
我々「人類の五感」 @視覚・・・電磁波(可視光線)→神経電磁波→脳 A聴覚・・・音波(空気の波動)→神経電磁波→脳 B味覚・・・味蕾への化学刺激)→神経電磁波→脳 C触覚・・・皮膚神経への物理刺激→神経電磁波→脳 D嗅覚・・・嗅覚末端への化学刺激→神経電磁波→脳 であり、「それ以外は」・・・一つも「全くあり得ない」のです。 「他に何か・・ある(筈)」という方は・・どうぞ「提言」してみて下さい。
207 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 00:20:48
>>206 感覚器官が存在するということを詳細に記述しただけだろ?
それに何の意味が???(「神経電磁波」というのはおいておいて)
208 :
素人 :2005/08/18(木) 00:22:57
第六感 あ、初めてかも機械にレスしちゃったのw
209 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 00:23:20
>>207 「知覚の窓」は「5個しかない」・・・それ以外「ある」というのなら
「例示して下さい」ということで、「まず『知覚の窓』論の入り口」を
整理したいだけです。
210 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 00:25:51
>>208 根っからの(根治できない)観念論者=宗教者・・なのですね・・
「ご愁傷様」です。
三半規管を忘れてるね?
>>209 まぁ頑張ってくれ。しかしそのクオリアでもイマージュ(ベルグソン)でも
個人的にしか体験できないがある程度客観的な性質を持つものについては
いろいろ名前が付いているよね。
目に入るだけ、口に入るだけ、でしょうか。 ミライだけという訳ではないようでしょう。 熱いと猫舌だから冷やしてから食べようと考える人もいるでしょうから。
214 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 00:27:24
>>211 確かに「味蕾」を言うなら「三半規管」も入れるべきでした。
215 :
素人 :2005/08/18(木) 00:28:30
216 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 00:29:26
>>212 ありがとうございます。
でも、あなたの「無自覚に信じている概念」は「客観的性質」なのですね。
217 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 00:32:12
>>216 ある程度の合意が成り立つ程度にはな。完全に主観的で
他人の言うことの意味が全く了解できないというものではないよ。
218 :
Limahl ◆SxAKrzWJr. :2005/08/18(木) 01:03:32
オレオレさんは、「脳の中に正三角形のイデアが存在する」という言い方をしますか? 正三角形を△と認識してから二十年経って、俺の脳の中の物質もそれだけ変化した。 俺の脳は、かなり端的に言ってあの時の脳じゃない。しかし、正三角形は△のまま。 これは時間や空間の規定を受けない、非物質的なイデアの世界が存在するからなのか? はたまた、イデアなどはなく、△の悠久性は単に脳の記憶の仕方に拠っているだけのか、、、 つまり、俺にとって悠久的な△の認識も、ひょっとしたら物理法則による変化を受けているのか? こんな雑な言い方で申し訳ないんですけど、俺はよくわからなくなってしまいました。 機械さんは、クオリアと概念認識と記憶の関係について、いつものような達者な知見を持っていますか? 猛勉強したいんですけど。
219 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 01:16:09
>>218 正直言うと「ありません」
「三角」は(日本語において)「△」に名付けられた「エクリチュール」
ですので・・・「△の悠久性」について論じる立場にはありません。
非ユークリッド幾何学・・において、「三角形の内角の和」は「180度を超える」
ことは、「理解して」おります。
220 :
素人 :2005/08/18(木) 01:16:48
>>218 と同じ事がクオリアについても言えると自分は考えるのだよ。
221 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 01:22:46
>>220 「三角形の内角の和」の問題と「クオリアがどうであるか」の
問題とは・・・(少し・かなり)違うかも・・・と思います。
222 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 01:29:59
@真理は一つしかない A「自然科学」それ(がどうであるか)を証明しつつある @&Aを前提としても、 「キッチン観念論者」は「神が最期に『最終正義をもたらす』」という、 「ハリウッド映画を見ていれば不安はない」ような「宗教的宣託」を施しても、 「信じられない」・・・というのが「本音」だと思います。
223 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 01:30:14
>>219 >非ユークリッド幾何学・・において、「三角形の内角の和」は「180度を超える」
>ことは、「理解して」おります。
pupupu
224 :
素人 :2005/08/18(木) 01:36:23
>>221 話にならんw 2
最後に、ネタ振りになるかどうか解らないが
『第六感とは意識だよw』と言い放って寝るとするw
おやすみ〜 (´ー`)ノシ
>>172 >実在論と決定論が分離不可能に結びついているならば決定論は正しいかもしれない
私は何もかも分離不可能に結びついているという立場です。というか何もかも一体です。
そういう意味では「実在論」ではないかもしれません。
「手の指」のようにそれぞれ独立的に観測することも出来きますが、
実際には独立なものはなく、すべて繋がって連動しているという立場です。
>>183 円周率に限らず、他人の意識も同じようなものですよね。
論理や計算はイデア世界に存在します。
意志や意識は精神世界に存在します。
物や物理現象は物理世界に存在します。
それぞれ別々に存在しているのではなく、
在りて在るもの(=YHWH)の別の側面を世界として見ているに過ぎません。
>>191 円周率という言葉ではなく、それが指し示す本質は、天体のように、人が存在する前から存在しているものです。
これは定義の問題ではありません。
>>191 >変える以前に、定義されたものなんだから出自からして明らかに人為的で
>は?
その定義は「円周率」という言葉とそれが指すものであってπの具体的な数字は定義ではないんじゃないかな
「円周率」だと紛らわしいから「最大の素数」はどうだ?
これなんか、まだ発見されていないし(そもそもあるかどうか不明だし)人間の意識でどうこうできる問題でもない
ただ数学にはもっと大きい素数を発見しようって伝統があったわな
円周率を計算する伝統もあったけど今はコンピューターで一瞬だからな
人為的であることは否定しない
ポパーは第三世界を文化的世界としているけど、文化は人為的なものだわな
問題はそれが人間の精神から自律しているのかということでは?
ピタゴラスがタイルを見て三平方の定理を発見したように、人間の精神からは自律していると思うよ
>SYN >私は何もかも分離不可能に結びついているという立場です。というか何もかも一体です。 理論の話だよ 実在論と決定論はそれぞれ別のことを論じてる理論だけど、 SYNは実在論を主張して「だから決定しているんです」って言うじゃん そこで俺は疑問に思うわけよ 実在論と非決定論が何ら矛盾せずに両立できるなら、わざわざ決定論を支持する必要はないなって こういうのも議論のひとつだよ
>それぞれ別々に存在しているのではなく、 >在りて在るもの(=YHWH)の別の側面を世界として見ているに過ぎません。 これは否定しない 三世界論は「この世界はひとつである」という前提の上に「世界」という比喩を使ってるだけ
>>218 >オレオレさんは、「脳の中に正三角形のイデアが存在する」という言い方をしますか?
しません
イデアはきっと紙の表面にでもあるのでしょう・・・
>>230 >こういうのも議論のひとつだよ
これについては仰るとおりだと思います。
ただ、私は実在論を主張しているわけでは在りません。実在論【的】な説明をすることはありますが。
234 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 06:18:40
>「円周率」だと紛らわしいから「最大の素数」はどうだ? > これなんか、まだ発見されていないし(そもそもあるかどうか不明だし)人間の意識でどうこうできる問題でもない いったいどうなってるんだ? 「最大の素数」は存在しないことがすご〜く簡単に証明できるんだが。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \ /⌒ヽ / '''''' '''''' ヽ | / | (●), 、(●) | | | | ,,ノ(、_, )ヽ、,, | | | | `-=ニ=- ' | | | ! `ニニ´ .! 235 | / \ _______ / | | ////W\ヽヽヽヽ\ | | ////WWWヽヽヽヽヽヽヽ | | ////WWWWヽヽヽヽヽヽヽ E⊂////WWWWWヽヽヽヽヽヽヽ E//// ヽヽヽヽヽヽヽ | | //WWWWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
>>234 数学ではそれを探す伝統があったのよ
「人間が得られる上で最大の・・・・」とでもつければいいか?
円周率もそう、割り切れないけどさらに計算する伝統があった
俺は数学者を尊敬してるし、こういう行為が馬鹿らしいとも思えない
ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学を持ち出しても 数学の普遍性の否定にはならないと思います。そもそも、 採用している公理が違うのですから。 同一公理を採用しているのに、「この人とあの人では矛盾する 結論がしかも合理的に出ている」というのなら、普遍性が否定された かな、とも思いますが。
ラッセルは『哲学入門』で「イデア」を単に「普遍」と言っています。 そして、これが本来のイデアの持つ意味であり、プラトンの哲学が (完全とは言わないが)最も成功している、とも言っています。
>>239 どうでしょうか。ちょっと分かりません。
ただ因果律の普遍性とその破綻は、実証も反証もできないので、
前提として理論に取り入れるしかないと思います。ですから、
因果律を普遍だと考える立場では、原因と結果が一致しない命題
は「因果律の破綻ではなく設定の失敗」と捉えられるでしょうし、
逆に、因果律を普遍だと考えない立場では、「原因が見当たらない
現象は原因が無いと仮定する」かもしれません。
>>240 >「因果律の破綻ではなく設定の失敗」
例えば?
>>241 例えば、というより「何でもそう」ですね。
「『種を蒔けば芽が出る』は反証された」
「それは因果律の破綻ではなく命題がおかしい。
別の原因を探して命題を修正しなさい。」
「『毒を飲んだら人は死ぬ』は反証された。」
「それは因果律の破綻ではなく命題がおかしい。
別の原因を探して命題を修正しなさい。」
↓
どこまで適用できるのか?
243 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 12:20:02
>>242 科学では、そんな反証の仕方はしないでしょう。
現実の事象とは、蓋然的なもの。だからこそ、確率を用いるのです。
『種を蒔けば芽が出る』というのは、100%確かとはいえません。
この条件なら、80%の確率で芽が出る。
これなら芽が出なくても誰も文句はいいません。
生物学は芽が出る仕組みを確率で記述しないけどね。
245 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 14:32:18
因果律とは、原因と結果の関係だけに基づいて考察すべきなのに、 結果から原因が導き出せると、勘違いしてる人が結構います。 例えば、2+3(原因)からは、5(結果)が簡単に導き出せますが、 結果が5となる原因となると、 32678−32673、10×2−15、などなど、 無限に考えられ、特定することは不可能です。
246 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 16:55:12
本当は、未来も過去も無くて、 あるのは、次に起き得る可能性と、 直前に有り得た可能性だけだよね。
>>243 「この条件下で種を蒔けば80%芽が出る」
という結論が出るならば、次に追求するのは
「100%になるための条件が不足している。それは
何だろうか? 養分か? 水か? 日光か? 遺伝子か?」
という「真の原因」でしょう。
この時、
「100%になるための条件が不足している」
と予想するのは、因果律の仮定に基づいて、真の原因がどこかに
あると考えるからです。
>>248 勿論なりません。因果律は「仮定」なのです。
因果律はモデル構築作業の前提として採用されるのであって、
現実に因果律があるかどうかは、問題になりません。
また、実際に因果律があるかどうかは「実証」もできません。
>>250 私が因果律、というのは次の4点を意味します。
一、万象の有因性
ある事象には必ず原因がある。
二、関係の記述可能性
原因と事象の関係は何らかの形で記述可能である。
三、「真の原因」の仮定
原因と事象の関係が100%に近づいて行く時、その
状態を「真の原因」に近づきつつある、と表現する。
四、関係の還元可能性
ある関係表現は、より真の原因に近い関係表現に還元可能である。
しかし、これらが合理的かどうかは科学の範囲外でなされます。
必要条件かどうか、についてはまだ分かりません。
>>251 えーと、確認。
基本的に物理主義的還元主義の立場という理解でオケ?
分子生物学みたいな。
>現実に因果律があるかどうかは、問題になりません。 科学は方法論として決定論的思考を採用するが 現実に決定であるか非決定であるかは問題にならない 、ということですね またひとつ決定論を支持する理由が消えましたね
255 :
史的唯物論 :2005/08/18(木) 18:07:09
>>184 厳密には意識の産物なのだが、客観性と普遍性がある(イデアの捕らえ方によっては普遍性は??になる)
捕らえ方と言うくらいだから意識の産物だが不変性と客観性を要する変ったもの
>>252 失礼。読み飛ばしました。
基本的にそういう方向ですが同一かどうかは分かりません。
また科学者がこの点で一枚岩だとも思いませんので。
科学者は絶対的な一枚岩だということにしないと今までの議論はほとんど成り立たないでしょ
ここまで読んではっきりしたこと オレオレ詐欺はスルーで。
>>257 私は科学者の立場は複数あっていいと思います。
科学の基礎論(?)も複数ありえると思います。
>>259 還元主義の場合は美や善も物理に還元される?
真面目な質問として。
>>260 されません。というと矛盾してるように思われるかもしれませんが。
私は「現象」と現象の「説明文」を区別します。
現象とは例えば目の前の「画像」です。
説明とは例えば「座標(x,y)に黒の点がある」などです。
しかし、座標の集積は画像そのものではありません。
「説明文」は別の「説明文」よって説明されていきます(還元可能性)。
が、現象自体が説明文に還元されはしません。
但し、「説明文」もまたひとつの現象です。
ある「説明文」と別の「説明文」が同一ということも在りません。
これが私の仮説です。
ちょっと251で明白なミスがありますね。訂正させていただきます。 >四、関係の還元可能性 >ある関係表現は、より真の原因に近い関係表現に還元可能である。 ↓ >四、説明による還元可能性 >ある説明文は、より真の原因に近い説明文によって十分に説明され得る。
>>261 座標の集積は画像じゃないと言うがゲシュタルト的な考えなの?
>>263 いえ。言い方が悪かったですね。
訂正します。
>しかし、座標の集積は画像そのものではありません。
↓
>しかし、座標による説明文の集積は画像そのものではありません。
>>257 そうだよ。
つまり反証可能性のように「科学に明確に境界性を引く」行為は
別に科学の進歩と全然関係が無い。科学者は多種多様な立場
と信念で研究をし、成果を上げている。
>>251 むしろ因果律と呼ぶに相応しいのは「万象の有因性」だけで
他は独立した仮定なんじゃないかな?
>>266 確かに
>>251 はまだ未熟な理論です。
「万象の有因性」と「真の原因の仮設」だけが「因果律」かもしれません。
第一原因の問題がありますが、それは「神の一撃」というものを
仮設的に採用するしかないと思います。ケルゼンの根本規範の
ようなものです。
>>267 真の原因の仮設ってのは具体的に言うと?
>>268 夕方頃表現を整理してたんですが、こういうことだと思います。
【古典的枠組み】
ある事象 Q が x% の確率で生じる時、
x=100 となる原因 P が必ず存在する。
【現代的枠組み】
ある事象 Q が x% の確率で生じる時、
x を観測精度の限界まで上昇させる
原因 P が必ず存在する。
えーと、事象=現象?
271 :
素人 :2005/08/18(木) 23:27:37
>>269 ミクロな状況とマクロな状況とで変わるんじゃない?
また、一因一果がそもそもおかしいと思うし・・・
いや、そういう場合もあるだろうけど
そうでない場合(複数因一果)もあると・・・
※ 一因複数条件一果かもしれないけど・・・ ※
>>270 いえ。違います。
現象は「まさにこれ」です。
「まさにこの机」「まさにこの痛み」「まさにこの幸せ」。
事象は現象が概念化されたものです。
「机」「痛み」「幸せ」
モデルを構築する以上は概念化されたものを扱わねばなりません。
ただこの枠組みはあんまり安定していないのですが。
すみません。よく考えたら
>>261 はおかしいですね。訂正します。
私は「事象」と事象の「説明文」を区別します。
事象とは例えば「画像」です(現象は「まさにこの画像」です)。
説明とは例えば「座標(x,y)に黒の点がある」などです。
しかし、座標による説明の集積は画像ではありません。
「説明文」は別の「説明文」よって説明されていきます(還元可能性)。
が、事象自体が説明文に還元されはしません。
但し、「説明文」もまたひとつの事象です。
ある「説明文」と別の「説明文」が同一ということも在りません。
>>271 モデル構築時の仮定ですから、「もしかすると一因一果ではない」
かもしれません。しかし、「現実」の真相を知ることはもともと人間
にはできない相談ですから、「現実は本当は一因一果ではない」と
言われても、「そうかもしれません」としか答えようが無いと思います。
>>272 すまん。次の何が違うのか理解できない。
ある現象 Q が x% の確率で生じる時、
x=100 となる原因 P が必ず存在する。
ある事象 Q が x% の確率で生じる時、
x=100 となる原因 P が必ず存在する。
>>275 現象は一回性、瞬間性、現在性を持ちます(これも仮定ですが)。
本当は「まさにこの机」とか言っても意味がありません。
現象は常に体験されているものです。
ですから、
>ある現象 Q が x% の確率で生じる
ということはありえません。
「人生」は何回も起こりますが「私の人生のまさにこの瞬間」は
何回も起こらないという仮定です。
277 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 23:50:34
>>273 おっしゃりたいことは判りますが、
単純に「私の『真理についての直観』は「物理現象が全てである」
ではいけないのでしょうか?
それこそ「物理現象以外の事象」の存在が「証明された事は一回もない」
・・・という「真理」に対して、どういう「(ふうに)反論」しますか?
とか・・、反論を求めるべきだと思います。
>>277 そういうスタンスで理論構築することを私は許容します。
「物理現象が全てである」という命題は「物理現象が全て
ではない」という命題と同様に、実証も反証不能ですが、
説得力があります。
ただし、私の場合は「物理現象が全てではない」という
立場も許容するという点であなたとは違います。
いわゆる寛容主義ですか?
280 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/18(木) 23:57:31
>>278 >ただし、私の場合は「物理現象が全てではない」という
>立場も許容するという点であなたとは違います。
それは、
>ただし、私の場合は「物理現象が全てではない」(と思いたい)という
>立場も許容するという点であなたとは違います。
と、(正確さに配慮して)訂正すると「判りやすい主張」になります。
>>279 私は私が寛容であるとは考えません。
そもそも寛容とは何か、がとても難しい問題です。
私には当然、私のスタンスがあります。
それは敵対するスタンスとは相容れないものです。
>>280 私は「直観的に物理現象が全てだ」という主張は、証明として
不十分だと思います。私は厳密な証明を欲するタイプです。
ですからそれが明白に正確な表現だとは認めません。
283 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/19(金) 00:03:31
>>281 この国における「寛容さ」とは、「間違っているけど本人のプライドを傷つけないよう
に「適切に処理しようよ」・・という「事なかれ主義」にすぎません。
こんなことで、「この国」の経済システムが他国に対抗できるのか?
・・・・非常に「心配」ですね。
>>283 間違ってるという証明が無いのに間違ってるということは
できません。日本の経済システムが他国に対抗できるか
どうかはどうでもいいことです。
285 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/19(金) 00:11:53
>>284 >日本の経済システムが他国に対抗できるか
>どうかはどうでもいいことです。
「純粋哲学」では「そう」かもしれませんが・・・
未だかつてそのような「純粋哲学」が出現した歴史はありません。
(樽を住居にしていた)ディオゲネスは「アレキサンダーの兵士」に
「日陰になるのでどいてくれ」と言って惨殺されました・・・
「その時」のエピステーメー=「権力」が、マケドニア王:アレキサンダー
に「あった」からであり、「真理」とそれとは全く関係ありません。
・・・しかし「現代」で、・・・「金はないけど真実」・・ということは??です。
>>285 ディオゲネスのそのエピソードは知りませんが、真理が必ずしも金に
ならないのは今でも同じです。実際、ニュートリノの研究は、金になら
ないので、ノーベル賞を取ったにもかかわらず、予算は減りました。
>>285 真理と経済が相関関係にあるという方が?です。
それだと何故自然科学内部で経済性のばらつきがあるんですか?
>>286 私も知りません。ところで野球ファンの方ですか?
今日はもう落ちますね。おやすみなさい。
290 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/19(金) 00:30:07
>>286 >>287 経済は「結構複雑」です。・・本当は「結構重要」です。
・・・これは誰もが「当たり前」だと思うことです。
では、
経済のシステムを理解している2ちゃんねる住人が「何%」居るか?
「投資」
「資本」
「労働力」
「利潤」
「利益」
「所得税」
・・等々の「社会システム」について、「あなた方」がどこまで「理解」しているのか?
・・・それが「現代哲学の基本」なのです。
どうなんですか?皆さん・・・・???
>ディオゲネシス 樽の中に住む聖人に当時のローマ国王が「君が望むことを叶えよう」と尋ねて 「王様がいることで日陰になるからそこをどいてくれ」と答えたエピソードを指しているのだろうけどね
機械君はグーグルマシンと化しているねぇw グーグル、サテライトはすごいねぇ。びっくりしたよ
294 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/08/19(金) 01:11:55
ディオゲネスが「日陰になっているから…」といったエピソードはある。 が、惨殺はされていない。 アルキメデスが床に図形を描いて幾何学の研究をしているところに、 ローマの兵士がどかどかと入ってきたので「邪魔するな」といったため、 兵士に殺されたエピソードを、機械が馬鹿だから混同しているだけ。
295 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 03:08:42
>機械が馬鹿だから これは余計だろ。 どうでもいいけど煽るなよ
296 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/08/19(金) 03:37:05
機械は「頓馬」だから、に訂正させていただきます。
一言は確率解釈をどう考えるの?
>>297 申し訳ないですが確率解釈はまだ自分の中で固まっていません。
急にのびなくなったねぇ
300 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/20(土) 00:13:58
>>299 「投資」
「資本」
「労働力」
「利潤」
「利益」
「所得税」
そして「普通選挙」・・・等々の制度に「無批判的に反応している」人達・・
は、そもそも「哲学」する資格があるのかどうか?「疑問」です。
「それら」は、JJルソー「人間不平等起源論」「エミール」「社会契約論」に
「よる」ところが多いのですが・・さらに「ホッブス」「ロック」等々の「基督教を
客観的に観た「ヨーロッパの知性達」が、「起源」だということです。
西洋思想史・・・は、もっと「非軍事的」に「学習」すべきだと思います。
・・・あまりに「軍事的に優秀」なので、「西欧思想」=軍事機械の製造思想・・のような
イメージが(強く)ありますが、・・・「それだけではない」と思います。
>>300 こういうことを得意そうに言ってる機械タンは、実は底の浅さを一番露呈しているということに
本人は気がつかない。自分以外の人間は何も考えていないと思い込むことで維持されている
自我なのかな? もう少し他人に対する客観性を持つことをお勧めします。哲学以前の問題
ですがw
302 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/08/20(土) 03:29:53
頓馬の癖に。
303 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 11:20:20
>>300 こうした問題が哲学とは関係ないとまではいわないが、
自分にとってはさして重要な問題ではない。
限られた時間なんだから、もっと考えたい問題がたくさんあるよ。
304 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 12:13:58
生命体(特に人間)が自由意志でもって行動や考えを選択できるのは、
>>245 さんの
カキコの所に何か秘密がありそうな気がした。^^
このスレ41にもなってたのか!
つまり人間が作る「意識」はなんら特別ではなく。 幽霊も人間と狸と狐の専売特許じゃないということ?
307 :
2%の男か女 :2005/08/20(土) 15:53:27
41にもなって未来はすべて決まってると連呼してるからあきれかえったのさ もともとは意識は決定してるかだろう?・それなら問題になる
>>307 実際決まっているのだろうが、重要なのはどのように決まっているかってことだと思う。
309 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 16:08:39
>>304 選択はできないだろ。選択しているように感じているだけだと思う。
できるよ
311 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 16:22:35
感じる事はできるね。選択はないけど。
あるさ
313 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 16:40:39
ないよ
ある
315 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 16:42:40
選択できないって人は、ただ叫んでるだけじゃなくて 選択できないことの根拠をちゃんと示してほしい、 41にもなって同じことの繰り返しは正直秋田
316 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/20(土) 16:43:38
決定済みなら選択のしようがないよ。
>>315 それは選択できるって言う人も一緒だろ。
318 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/20(土) 16:50:03
例えば、 Aという選択にはA'という結果があって、 Bという選択にはB'という結果がある。 仮にAを選択したとしても、その選択自体が決まっているなら選択した感じだけ。 あと、Aを選択すると決定されているのならわざわざB'という結果を用意する意味もない。
神はいる、いないと同じ形而上学だから、結論なんかでっこない。 結論が出てるように言うのはただのアフォ
320 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 16:53:10
神はいない、世界は非決定的だ、と結論がでるまで頑張ってみましょう(笑
321 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 16:54:31
322 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/20(土) 17:02:19
神はいる。世界は非決定的だ。というのが私のスタンス。 ある者の思い通りに全ていくと、ある者の認識上にはある者只一人しか存在できなくなる。 そのある者という神は孤独だから、非決定的な世界で他我を認めていると思う。
323 :
史的唯物論 :2005/08/20(土) 17:08:33
自分は全く正気で世界を語ってるはずだと言うう強い思いこみ自負があるから.以下のような書き込みは見向きもされない だが今世界を語ってるのは自分であるのだ、意外と自分と言うものは見えない.特に哲学カテの天狗にはね 未来はすべて決まってる人間に自由はないなどと言うおかしな哲学藻土器が論じられてるが 物理的立場から見ればエネルギ―問題の未来など人間社会は物理要素に大きく制約されて、成るほど未来において今のような化石燃料浪費などのみ込みは全くない 取るべき道はかなり決まってる、大変な問題だ 、むろん死活問題 そうするとそれを広く訴えたい警告を発したい気持ちが昂じて未来はすべて決まってるなどと言いたくなると言うものだ、具体性の知識が乏しいものほど抽象論にはあいりたくなるのではあるが かように抽象論は物的、つまり生活実体的状況のみこみから昇華して抽象論が出るものだ、下部構造が上部構造を規定すると言う 物理的に明るいものから見れば抽象論はいったい何を言ってるのかと戸惑うが次に彼らは具体を知らないからこうなのだと納得する
>>322 それは決定論の世界の中で、非決定【的】に見える世界があるってことと同じですね。
映画を作った人は結末を知っていますが、映画を始めて見る人は結末を知りません。
決定論を否定できてはいないですよ。
>>318 これは物理現象と意識の問題と同じで、どちらも同じものだが、
その現象を客観的に物理現象と見ると、選択は存在せず、
その現象を主観的に意識と見ると、選択しているように感じられる、
ということでしょう。
イデアの世界で見れば、その現象はすべて「計算」になりますが。
326 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/20(土) 17:25:36
>>325 あのー、言いたかった事は
>Aを選択すると決定されているのならわざわざB'という結果を用意する意味もない
で、色々選択肢ある中でどんな選択にも結果が「決定されて」用意されているというのは
とてつもなく非合理的なことだと思います。
それはプログラム的に言うと選択肢(If文やSwitch文)があるであろう所に
始めからそれが無くて延々と四則演算のみでコーディングされているという。。。
>>326 >で、色々選択肢ある中で
ありません。主観的には色々あるように見えるだけです。映画の登場人物が、選択に悩むのと同じです。
>>326 >それはプログラム的に言うと選択肢(If文やSwitch文)があるであろう所に
>始めからそれが無くて延々と四則演算のみでコーディングされているという。。。
電子回路に選択肢なんてありません。状況に対応した動きがあるだけです。
329 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/20(土) 17:53:17
>>328 >状況に対応した動き
だから、状況に対応しなくていいんだって。
だって、状況も決まってるんでしょ。
だとすれば、構造化プログラムしなくて、この値はこれで決まっているとみなして
そのまま演算を積み重ねるだけでいいでしょ。
330 :
史的唯物論 :2005/08/20(土) 17:56:25
すいレッドが41になっても同じことを繰り返してる00を見ると普通はなぜそう思うのだろうと言う疑問しかなくなる
>>329 >だから、状況に対応しなくていいんだって。
しなくていいのではく、勝手にしてしまうだけです。
>だって、状況も決まってるんでしょ。
ここはその通りです。
>だとすれば、構造化プログラムしなくて、この値はこれで決まっているとみなして
>そのまま演算を積み重ねるだけでいいでしょ。
プログラムが最終的に機械語で動いているのは理解していますよね。
CPUの回路で、演算がどうやって実現されているかも理解していますよね。
値は決まっていて、そのまま論理演算で組んだら、プログラムが肥大化することも理解していますよね。
>>331 NAS6が何をいわんとしてるか読み取ろうとしてないだろw
if true {処理1} else {処理2}
みたいな状態になるなら、処理2にどんな記述があっても意味がないって
話じゃないのか?
333 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/20(土) 18:08:35
>>332 そうそう、デッドコードが発生するって奴。
訳してくれて有難う。
>>332 私はそういう無駄なコードレベルの話はしていません。
そんなコードはコンパイル時に削除されます。
>>333 なら、それは単にデッドコードが発生するというだけですね。それが何か?
重要な事は、決定論はどうやっても否定する事はできないこと、 人間の意志で未来を変える事は絶対に出来ないということです。
世界全体で見れば、あらゆるものは、ただの機械、計算にすぎません。
338 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/20(土) 18:35:25
>人間の意志で未来を変える事は絶対に出来ないということ それが出来たら神で、出来ない香具師は奴隷人間ですね。 奴隷人間になるのは嫌だから、 未来を変える事の出来る神になる道を選びたいと思います。
>>338 それを奴隷だと思ってしまうのは貴方の思い込みに過ぎません。
未来が見えない存在に、未来を変える事は原理的に不可能です。
それは過去を変えられないのと同じです。
341 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/20(土) 18:50:33
予兆が見えれば未来を変えられる?過去は変えられないけど。 過去を変えるとすれば過去を知っている者を片っ端から抹殺するとか。
過去が変えられないというのも仮定だと思います。 神が5分前に世界を作らなかったことを証明できますか?
過去が変えられるかどうかと5分前世界創造説とがどう結びつくんだろう?
>>343 変化の対象を定めておかないと「変わる」「変わらない」論争しても
仕方がありません。「過去」が変えられる、という時の「過去」が「私の記憶」
なのか「一般に認められている歴史」なのか「客観的過去」なのか、
という問題があります。
しかし、「客観的過去が変わるかどうかが重要だ。」と言う時、一体、
「客観的過去とは何か?君は神が5分前に世界を作らなかったことを
証明できますか?」と問われるでしょう。
>344 それは認識論の問題で、ここでそれを持ち出しても話がこんがらがるだけだな ここで問題になってる過去が「一般に認められてる歴史」なのは自明だろう
>>344 前半に関しては同意。
と言うかこれは
>>342 について俺が言いたかったことです。
後半に関しては蛇足でしょう。
変えられる、というときの「過去」が記憶なのか事実としての過去なのか(あるいはそれ以外)が重要なので
不要な疑いを差し挟むと議論の本筋を見失ってしまうと思います。
>>345 そういうことですね。
348 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 20:46:28
ラプラスの魔と呼ばれる万能コンピュータで、ある人間の次の行動の 予測が立てられるとしよう。 @まず、普通に観察していたら、予測通りになる。 A予測をその人間に教えた場合、その人間は「わざと」予測に反する 行動をとることが可能かどうか。おれは可能だと思う。 Bこの万能コンピュータは、一回目の計算による行動の予測を 当の人間に教えることを前提にした上で、教えた後にその人間が どういう行動をするかどうかを予測することができるだろうか?
>>347 概ね賛成です。
しかし「一般に認められている歴史」というのはあくまで事実そのもの
ではなく「事実そのものがある」と仮定して、推論を積み重ねてできた
ものだと思っています。
ですから「それは事実としての過去なのか」と問われた場合は、必ず 「なぜそれが事実だと言えるのか?」という問題が、哲学的レベル で発生するでしょう。
351 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/20(土) 20:55:53
>>348 出来るでしょう。
教えた後の行動を予測するより、
始めの行動を予測する事の方が難度が高いと思う。
「過去自体」「歴史(一般に認められているもの)」「記憶」の 関連性を少し整理してちょ。混乱してきた。
>>349 失礼しました。
>>347 の
>そういうことですね。
は「話がこんがらがるだけだな」につけられたレスです。
「一般に認められている歴史」に関しては言われるとおりで、それが(記憶同様)変えられることについては納得できます。
しかし、事実としての過去は変えられるでしょうか?
哲学や科学で「変えられる」という議論があれば教えてください。
また、
>>342 の「過去」はどういう意味の「過去」なのでしょうか?
>>352 「過去自体」(うまい言い方ですね)は仮設です。
「過去自体」が認識できたらその人は超越的存在(神?)でしょう。
「歴史」は現在の史料から推論され、解釈され、記述されたものです。
(注:過去自体から推論され、解釈され、記述されたものではない!)
「記憶」は多分「現象」と変わりません(これはあまり自信が無い)。
>>353 「事実としての過去」が変えられる、という哲学的言説は結構
あったと思います。但し、中心的存在として学会を支配してきた
ことはないでしょう。
例えば、ボルヘス(小説家)の『トレーン・ウクバール・オルビス
テルティウス』という短編の中には、そういう哲学が紹介されて
います(この中では、形容詞だけを認める言語世界、動詞だけを
認める言語世界などが描かれており面白いです)。
ただ、私が提起した問題点は「事実としての過去(過去自体
>>352 )」
が「そもそも認識可能なのか?」というものです。私の書き方が
少し悪かったかもしれません。
だからそれは自分が培養器の中の脳ではないと証明できない のと同じ認識論上の問題なんだよ。 このスレで問題になってるのはそれが認識可能かどうかではなく (原理的にそれは無理だろう)まず「事実としての過去」と いうものが存在することを前提にした上での議論なんだから、 それの認識の可能性を云々するのはスレ違いだってこと。
「過去自体」=「物自体」 「歴史」=「表象」 「記憶」=「妄想」??? で考えても桶?
358 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 21:16:58
学問・理系の方があってる気がするのは俺だけだろうか…。
>>356 > (原理的にそれは無理だろう)まず「事実としての過去」と
> いうものが存在することを前提にした上での議論なんだから、
それと同様の形式で「事実としての未来」を前提として決定論を展開して
る者がいるようなのだが、それが受け入れられないとする立場の者にとっ
ては「じゃ、過去だって磐石じゃないよね」というアプローチは意味がな
いか?
決定論の問題に歴史の認識論を持ち出すのは 刑事裁判で、過去の認識の可能性を議論するくらいアフォくさいよ
>>355 「過去」は変えられる、という主張に興味がある俺にとって「過去」とはつまり「事実としての過去」なのであって、
その「過去」とは別に「過去自体」というものを立てたうえで「そもそも認識可能か」と問うことはやはり議論の本筋をはずすこととしか思えません。
(全く不要な議論かどうかは自信がないです。例えば
>>359 のように違った角度から検討する必要もあると思うので。)
なので
>>342 を読み違えた俺が悪かったです。
>>356 認識論上の問題として「不可能」だからこそ「過去自体は存在する」
と仮定しなければなりません。しかし、その際に、「変わる」「変わらない」
ということも仮定しておかないといけません(
>>342 )。ですから、
「過去自体は変えられる?」という問い自体が、変だと思います。
それは最初にどっちかに決めておかなくてはなりません。
>>355 >>356 何か両者共に話がスレ違ってる気がするが、
>「事実としての過去」というものが存在することを前提に
仮定したものについて「変わるのか変わらないのか?」なんて
議論するのが変ではないか?例えば、水槽脳があると仮定して
「ではその水槽脳に物理法則は適用できるのか?」とか聞いたら
「どうやって確かめるんだよw」と答えて終わりでしょ?
だから
>>342 の発言が出ると思うんだが? 俺の勘違い?
>>361 ではスレ違いだったということで。ご意見ありがとうございました。
>>363 そう考えてくださって結構です。
>>357 それはダメです(汗
「表象」は「物自体」の認識を経てますが、「歴史」は「過去自体」の
認識を経て得られたものではありません。あくまでも、現在の史料
から推論、解釈、記述されるものです。
>>359 「事実としての未来」を前提とした決定論を受け入れられない立場の人はむしろ
その決定論のもうひとつの前提=過去と未来が同様の在り方をしている、ことをこそ受け入れられないと思われますのでやはりそのアプローチは意味がないと思います。
仮に神が5分前に過去の記憶をひっくるめて世界を 創造したとしても、10分前には世界も何もなかった「事実としての 過去」があるわけじゃん。したがって過去の認識が正しいかどうかは 認識論的に証明できないけど、事実としての過去は厳然として あるだろう
自分なりに整理。 一言の主張 「過去自体は認識できない」 ↓ 「ゆえに過去自体は仮定される」 ↓ 「仮定されたことの性質について議論しても意味無し」 ↓ 「ゆえに変わる変わらないも先に仮定しなければならない」 ↓ 「仮定として過去自体は変わらない」
369 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 21:52:35
>>342 過去は変えられないだろう。
しかし認識が変わることで、過去が変わるといえる…。ああ、もうわかんね
>>365 もちろん、そういうこともあるだろう。
ただその場合、「過去と未来が非対称なのはなぜか?」に対する答えが必
要になってくる。
決定論が成立しても、過去と未来は非対象なわけだが。 未来が非線形かどうかという話なんだろうね。
ディオゲネスはカウンター・カルチャーなのであって、「完結した真理の体系」というものを持たないのです。
ソクラテスだってペリクレスに対するカウンターカルチャーだよ。
>>371 そもそも対称性を問題にしない「事実的決定論」というのがある。
375 :
素人 :2005/08/21(日) 00:12:38
「全ての事象(現象)は一回性のものである」 という言説は認められるものでしょうか?
哲板なのに認識論を持ち出して叩かれる一言カワイソス(´・ω・`)
>>376 ちょっとだけ同意w
認識論は哲学の中心的課題のひとつだと思うが。
>>378 古いと言うより現代哲学が「解決不能」で放棄した問題を
まだ扱い続けている、という感じだ。それを「古き良き哲学」
と捉えるか「無謀」と捉えるかの違いでは?
古くはないでしょ。 むしろ問題設定が古典的で解決が現代的傾向なのでは?
381 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/21(日) 02:47:00
>>354 >「過去自体」(うまい言い方ですね)は仮設です。
>「過去自体」が認識できたらその人は超越的存在(神?)でしょう。
という言説には?です。「それ」(その言説)が、
『「認識できない」ものは「存在できない」』という(間違っている)ドグマ
・・に基づいた「言説」であるから・・です。
>>348 は間が悪いことこの上ないな。
おもしろい問題だと思うんだけど。
Aは俺も可能だと思う一方、Bはどうかな?
この問題は「万能」コンピュータとかの道具立ても含めて決定論や予測可能性、自由意志とかが凝縮されてる問題で答えるのがなかなか難しいな。
ふかわりょう 人間ドミノ
348の問題はちょっとおかしいのではないかと。
何か勘に引っ掛かるんですよね。 言語化できたらまた後で書きます。
フェアじゃないとか言い出したりして。
分かりました。多分次の点です。 ラプラスの悪魔による計算には「自分が教えるか教えないか」も 含まれていなければならない。ゆえに@の行程は要らない。 いきなり「私はあなたの未来における行動を予測した。その際に 私があなたにこれを教えるということも当然含んで計算した。」 というところから始まってよい。
メモ もし確率的決定論ならば「%」で多くの行動が示されるから 一回の試行では不十分である。自由意志があるならば、 その確率にも反さなければならない。
ただどうやっても実験できないのであまり意味の無い思想実験 のようにも思います。
390 :
考える名無しさん :2005/08/21(日) 20:13:21
↑だからナニ?
392 :
考える名無しさん :2005/08/21(日) 20:54:46
>>387 それでもいいと思うけど、
たとえばそこで万能コンピュータは「今の段階での計算では
あなたの次の行動は右手をあげることだ」と告げる。
そして「あなたにこのことを告げたあと、あなたがどういう
行動を取るかも私はすでにわかっている」と万能コンピュータは
言えるのかな?そしてそう言えたとして、それは100%的中するのかな?
393 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/21(日) 21:13:49
エヴェレット解釈とコペンハーゲン理論 これら2つ、なんかいいですね。
>>392 今の段階で、というのはどのような意味でしょうか?
「告げる前までの計算」だとすれば「計算不十分」なので
ラプラスの悪魔とは言えません。
実際に生起する事象はただ一つ。突き詰めると これだけが決定論者の拠り所ではないかな。
396 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/21(日) 23:58:11
>>348 >>382 >@まず、普通に観察していたら、予測通りになる。
「普通に予想」の「普通」は普通哲学では使用しません。
>A予測をその人間に教えた場合、その人間は「わざと」予測に反する
>行動をとることが可能かどうか。おれは可能だと思う。
「自由意思」はあくまで「自由」に「意思」している「感じ」ですから、
「(アポロンの神託のような)予測に反した行動を採った」感じを「持つ」ことは当然です。
『「自由意思」は、あ・く・ま・で・「か・ん・じ」のことである』と何度も申し上げております。
>Bこの万能コンピュータは、一回目の計算による行動の予測を
>当の人間に教えることを前提にした上で、教えた後にその人間が
>どういう行動をするかどうかを予測することができるだろうか?
「万能コンピュータ」というものは「神」と同じように「人間の想像(創造ではない)物」です。
従って「この世界(4次元時空)には存在し(え)ない」ので、論じること自体無意味です。
397 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 00:15:14
機械は思考実験はしないの?
>>396 > 『「自由意思」は、あ・く・ま・で・「か・ん・じ」のことである』と何度も申し上げております。
過去ログも読まないような人間が入れ替わり立ち替わりやってくるが、
まともな人間はとっくに相手にしていないという現実を表している・・・
>>348 >@まず、普通に観察していたら、予測通りになる。
>A予測をその人間に教えた場合、その人間は「わざと」予測に反する
>行動をとることが可能かどうか。おれは可能だと思う。
まず万能コンピューターを仮定しているが
2が成立するなら万能コンピューターの仮定に反する
だから問題設定に欠陥がある
万能コンピューターはいかなる事象もはずれないで予測するから「万能コンピューター」と定義されるということだ
ただし、この万能コンピューターも予測できないものがある
それは「このコンピューターラプラスが次に何を予測するのか」
これだけは予測できない
これが"予測機械のパラドクス"
万能コンピューター ラプラスが「世界は決定している」と言う時
彼が言う「世界」にラプラス自身は含まれていない
雑感。 これまでの議論だと予測不可能で後は決定的と考えても 自由意志があると考えても良いということになるだろう。
>>399 それはどんな機械にも言えるよね。
例えば、左に1m/sで10秒移動、右に1m/sで10秒移動を繰り
返す玩具が完全に閉じた系の中にあったとする。この時、
これを予測する単純な計算機は、自分を世界に含めていない。
すると、計算機から見れば(実際は見れないんだが)自分が
物理法則に基づいてるだけなのか自由意志を持つ機械なのか
は分からない。
しかし、系を拡大して他の観測者を導入すると機械に自由意志が
ないことが分かる。
>>401 それは前スレか前々スレ辺りで出て来た議論に繋がると思います。
つまり、観測者は自分の観測行為を完全に観測できません。
なぜなら観測行為を観測する観測行為をも観測しなければならなく
なるからです。これは原理的に無限後背に陥ります(但し、これが
無限時間を要するのか、アキレスと亀のように有限時間に収束して
しまうのかは分かりませんが、いずれにせよ技術上不可能でしょう)。
>>402 しかし「世界」は観測者も含めて考えないと意味無いのでは?
>>403 意味があるのか、ないのか、という問いは非常に曖昧です。
「世界に観測者を含めずに決定論・非決定論を実証できるか?」
これは明確な問いであり、答えは"No"です。そして、
「世界に観測者を含めて予測することは原理的に可能か?」
という問いに対しても答えは"No"なのです。
>>402 エヴェレット解釈では、観測者の問題は既にクリアされている。不確定性原理は成立しない。
406 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 14:15:41
決定論という事と完全な予測が出来るという事は全然意味が違います。 完全な予測=タイムマシンでつ、だから不可能 でも決定論は可能
408 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/22(月) 16:17:12
その2つの理論、唯識的に似てるんですよね。 事象に対する見方でしょうか。
>>399 とか。
「万能」コンピュータが設定として無理があるのなら「極めて高性能」のコンピュータぐらいに替えてみたらどうだろか?名前は「細木カズコ」とか。
で、その「細木カズコ」はある人物の行動を、予測結果を本人に知らせないという条件のもとでは完全に予測することができる。
では、その条件を予測結果を本人に知らせるというものに変えた場合でも尚「細木カズコ」はその人物の行動を予測することができるかどうか。
みたいな。
やっぱりこの問題は答えるに値しない問題なのかな?
ついでに、 > ただし、この万能コンピューターも予測できないものがある > それは「このコンピューターラプラスが次に何を予測するのか」 > これだけは予測できない > これが"予測機械のパラドクス" こういうのよく見かけるんだけど なんで予測できないのか素でわからん。 なんで?
答えるに値しないというか前提がおかしい気が。 オレオレの意見も一言の意見も説得力は一応ある。
>>410 予測機械はあくまで「予測」するのだから、もろもろのデータから計算して未来をはじき出す
仮にこの万能コンピューターで同型のもの「テル」と「トルド」があったとしよう
テルに「トルドがどのような予測をするか計算しろ」と命令する
テルがトルドの未来を計算するにはトルドの初期条件を与えねばならないが、それにはトルドが計算を開始するまで待たねばならない
(テルはトルドの未来をあらかじめ知っているのではなく計算ではじき出すのだから)
するとテルが計算を開始するのはトルドの計算開始と同時かそれより遅くなる
テルとトルドは同型のコンピューターだから計算の処理速度は同じである
さらにテルは計算が終わったあとにそれをプリントアウトする必要がある
テルの予測はトルドの行動完了後にしか成しえない
結果としてテルはトルドの予測をすることに失敗する
これがパラドクスの中身だったかな
>>411 まあある意味問題の不備を指摘することも答えることになるんだろうけどね。
でもこの問題で何が問われているのかは承知されてると思うんで多少の不備は目をつぶって頂くなり、
改善して頂くなりした上で議論してもらえればロムってる方としては嬉しいです。
>>412 観測行為と予測って一緒なのかなあ?
この場合の予測って「夏休みの宿題を片付ける順番の予定を立てる」のと違わないような気がするんだけど、自分は何かひどい想い違いしてるような気もする。
俺の間違いを指摘してもらえるとこれも嬉しいです。
>>413 あ、ごめんリロードしてなかった(汗。
読ませてもらいます。
>>413 読んだら余計わからなくなりましたw
>>399 のパラドクスは「自分で自分の行動を予測する」パラドクスで
>>413 のとは違うんじゃないの?
それに
>>413 の場合も結果的に遅れた「予測」でも別にカンニングwしたわけじゃないから
結果が当たっていれば「予測」したことにはならないの?
>>416 仮想実験の最初に、予測ができる万能コンピューターを仮定しているので
結果が当たることは仮定の中に含まれている
決定論が正しいと仮定して、さらにその宇宙を記述する数式を手に入れ、われわれが何でも知りうるラプラスの立場になったとしても、
われわれはどうしても知ることができないものがある
それは「自分の将来の状態を現時点で知る」ということ
これは"系の自己予測"と呼ばれる
このことを簡易な言葉で次のように定式化した哲学者がいる
「明日になってはじめて知ることを今日知ることはできない」
>>417 「自分の将来の状態を現時点で知る」ことではなくて、正確に言えば
「自分の将来の状態を自分で知ること」が不可能だと思います。
>>416 こうすれば一応問題の前半は成立します。
1、万能機械ラプラスは世界の外側にいる。
2、ラプラスは世界の法則と初期値を持っている。
が、後半は成立しえません。
>>417 > 決定論が正しいと仮定して、さらにその宇宙を記述する数式を手に入れ、われわれが何でも知りうるラプラスの立場になったとしても、
> われわれはどうしても知ることができないものがある
> それは「自分の将来の状態を現時点で知る」ということ
> これは"系の自己予測"と呼ばれる
これは
>>399 や
>>413 を述べなおしただけだよね?
俺が聞きたいのはなぜ予測できないのか、なぜ知ることができないのかということなんだけど。
ものわかりが悪くてスマンです。
ちなみに観測行為が無限後背に陥るというのはなんとなく理解できる(気がする)。
でもそれと予測は違うように思えるんだけど、明確に言葉にできない自分がふがいない。
421 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 19:51:24
>>417 >「明日になってはじめて知ることを今日知ることはできない」
これって、予測は不可能だという独断ではないか?
予測が不可能だという論理的根拠も示せないと思うけど。
時間の明日が実在してそこにアクセスできるなら予測は可能でしょう。
まさに、予測とは計算可能に他ならないでしょう。
>>420 単純に説明いたしますと、
1、決定論的予測には完全な初期値と法則が必要である。
2、完全な初期値を得るには完全な観測行為が必要である。
3、完全な観測行為はありえない(無限後背だから)。
4、ゆえに2の条件が充たされず1も充たされない。
423 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/22(月) 19:52:09
>>402 運命論者さん
その書き方はある仏典の表現に似ています。
>>423 そうですか。私は仏教は主観的世界の説明に関して西洋哲学よりも
先に進んでいたのではないか、と思っています。
425 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 19:56:28
100年後の予測を200年かけて行うラプラスなら矛盾無し。 犯罪捜査とかこれはこれで役立ちそう。
>>420 >俺が聞きたいのはなぜ予測できないのか、なぜ知ることができないのかということなんだけど。
>ものわかりが悪くてスマンです。
まず「予測することができる」と仮定する
ここで「予測」とは預言者が神託のように啓示するのではなく
数式に条件をあてはめることで計算して出すものだということにしよう
最初から答えを何でも知っている"物知りボックス"が、与えた質問に間違えない答えを出すのではなく
世界の決定性を数式としてもって計算することで答えをはじき出す予測機械、それが万能コンピューター ラプラスということだ
このラプラスに同型機の次の予測を計算させても、仮にすべての条件がうまくいっても
ラプラスの予測の計算結果は同型機の予測より遅れてしまう
ラプラスは予測することに失敗している
>>421 >時間の明日が実在してそこにアクセスできるなら予測は可能でしょう。
それ言葉だけでしょ
「小説の中の主人公は文字だから密室も関係なく入れる」と同じ印象を受けるよ
過去にアクセスすると過去が変わってしまうんではないでしょうか。
いや多分ですけども。
430 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 20:19:56
>>427 「時間の明日が実在する世界」はたとえばニュートン力学の世界でしょう。
ニュートンの時間は絶対時間であり、当然「明日」は実在する時間です。
ニュートン力学の成立する条件を満たしている範囲でたとえば人工衛星の軌道
予測を計算で算出することは現在でも有効な手段です。
「科学的」決定論はそのよって立つ物理法則の成立条件を満たす限り現在でも
有効な予測手段です。そうでなければ科学技術は成り立ちようがない。
世界のすべてが決定論的であるなどという極論を言わなければ因果の法則に従って
未来予想をし自己の意志・行為を決定することは現在でも巧妙な方便です。
ただ、それだけにとらわれてはいけない。因果の法則も仮説ですから。
431 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 20:24:08
>>428 >過去にアクセスすると過去が変わってしまうんではないでしょうか
ヴィデオの逆回し再生のような完全な時間反転であれば何のパラドックス
も生じないでしょう。時間パラドックスの発生は部分的な時間の逆行を許容するからです。
433 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 20:28:20
>>431 いえ、ヴィデオは見られる(観測される)度に微妙な
変化を受けています。観測するということ(つまり波長を
用いるということ)は必ず対象を歪めてしまいます。
>>433 バートランド・ラッセルがこう言ってます
今までずっと太陽が東から昇って西に沈んだからことから
「明日は太陽が西から昇らない」ということを導くことはできない
ものわかりが悪いじゃなくて理解力がないの間違いだな<俺。
>>422 なるほど。これは単純にして明快だ。納得しました。
ただ、ちょっと疑問なのは決定論的とはいえ完全な観測行為による完全な初期値が必要なんでしょうか?
予測するに十分な初期値ではだめ?
>>436 初期値の微妙なズレは、時間の経過に伴って大幅な結果の
ズレをもたらしてしまいます(例えば三天体問題)。
十分な初期値は完全な初期値と考えて差し支えないと思います。
438 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/22(月) 21:54:42
観測−ある点から自己の点の差と変換行列の積。 ローカルからグローバルにするには逆をすれば良いから、 逆行列をかけて自己の座標を足せば良いと言ってみるテスト。
439 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/22(月) 22:02:37
>>438 ある点から自己の点の差としたら
自己座標を原点とするベクトル群それぞれとの変換行列の積。
という文が浮かんでその次のイメージが
太陽の中心に自分がいて放射状に出る光線に変換行列が積算されていく
というものでした。
>>438 お前、行列わかってないだろ。逆行列が存在するとは限らない。
441 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/22(月) 22:57:12
幾何変換とか透視投影変換とかって逆行列が無いときってあったけか。 -ze,0,0,0 0,-ze,0,0 0,0,-ze,0 we,xe,ye,0 ん?逆行列無い?
442 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/22(月) 23:11:07
冷房代が勿体無いので寝ますね。逃げちゃいます。
444 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/22(月) 23:52:46
>>404 >「世界に観測者を含めて予測することは原理的に可能か?」
>という問いに対しても答えは"No"なのです。
『何で?「noであるか?」』という、哲学に不可欠な「理由(根拠)」の説明が
省略されております。
@「1+1=2は『真』である」
A「2−2=0は『真』である」
@とAから「2−1−1=0である」は『真』である。
という「真」を導いても「それは『真』ではあっても『真理』ではない」・・
と言い張る方はいるのでしょうか?
例えば、『「ルシファー」が「科学」など粉砕する』という狂気が言わせている
なら、「そういうことを『言う』人もいる」・・かもしれないとは思いますが・・・
>>441 透視投影変換が行列だと思っている時点で馬鹿。
逆行列の求め方も知らないのだろうな。
>>430 >ただ、それだけにとらわれてはいけない。因果の法則も仮説ですから。
因果の法則も仮説というのは正しいですが、前半は全く意味不明です。
人間の意志では未来を変える事は原理的に不可能ですから、
決定論的であろうとなかろうと、事実上、未来は決まっているのと同じです。
>>341 未来は変えられません。
>>342 神が作ったとしても、【人間の意志】で過去を変える事はできません。
>>348 >A予測をその人間に教えた場合、その人間は「わざと」予測に反する
>行動をとることが可能かどうか。おれは可能だと思う。
教えることで、予測時の設定を変更することになるので、この問題は全く無意味です。
しかし、「教える」というものの内容は事象が圧縮されているため、
範囲を限定すれば、外れない予測の可能でしょう。
例えば「貴方は今から0.5秒以内に月に行く事はできない」とか。
>>392 コンピュータのプログラムをデバッガで動かし、データを与えながら観察していることを考えれば自明です。
全知という設定が無謀ですが、全知なら100%的中しますし、的中しなければ全知ではありません。
ただ、全知でなくても100%的中する場合もあります。
>>401 人間もその機械と同じです。
>>405 エヴェレット解釈でも不確定性原理は成立しています。成立の仕方が違うだけです。
>>413 それはトルドが何をしているかによるでしょう。
>>422 一般的にはそうですが、予測するものによりますよね。
>>449 不確定性原理を排除できることが、コペンハーゲン解釈との違いだと思ったのだが。
>>450 コペンハーゲン解釈もエヴェレット解釈も数学的には同値じゃなかったっ
け?
452 :
考える名無しさん :2005/08/23(火) 03:06:13
>過去を変える事はできません 単なる推測だろ。断言するのは間違い。わからないというのが正解。
>>452 いいえ、断言できます。
それを理解できない人はいるかもしれませんが、過去を変える事は絶対にできません。
運命論者氏が指摘した、観測者の無限後背のパラドックスは興味深いね。 シュレーディンガー方程式の計算可能性は限定的である、ということになるのかしらね?
>「貴方は今から0.5秒以内に月に行く事はできない」 予測機械が「できない」と可能について語りうるとはね
宗教者の跋扈→哲学の終焉
>>455 私はシュレーディンガーの方程式は考慮に入れていませんし、
入れるほど知識もありませんが、観測者の無限後背ではなく、
自己観測の無限後背です。
観測対象が自己以外の客体ならば無限後背は起きないでしょう。
459 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/23(火) 23:53:15
「もとい」ということですが、 「不確定性理論」の「解」が「確率論で出される(しかない)」ということは 「世界の事象が『確率論』で時々刻々『決定される』・・という意味」では「ありません」 その点を混同するのが「文科系の『頭の良い方々』」なので、「混同と混乱が助長される」 ・・・だけなのです。 文科系の方々も「シュレディンガー方程式」=細かい細かい細かい・・更に細かい「世界」 では・・・「我々の世界」とは「異なる観測方法」しか存在し(え)ない・・ということ、 「一点」だけでも理解して欲しいと思います。 「我々の観測方法」は、せいぜい「光子」を当てて「反射を観る」程度以上に「ミクロ」にはなり得ません。 「光子が当たった(光子と同じ程度の)量子」の「位置と速度」が「反射されて帰ってきて『観測値となった』」 光子に「ぶつかられた『結果』」が「どうなるか」は「確率の範囲である」・・ということです。
>>459 それは多分ひとつの賭けみたいなものでしかない
>>456 なんにせよ「語る」時点で、一部分に限られますし、
事象を圧縮、符号化したものになります。
>>461 「できる」とか「できない」とか
可能についての表現はいったい何について語っているのだろうか?
予測機械は未来がどうなっているかについて予測するのであり
その助動詞は「〜である」と言うのではないか?
>>462 わかりました。では書き直します。
×例えば「貴方は今から0.5秒以内に月に行く事はできない」とか。
○例えば「貴方は今から0.5秒後は、その地点から15万キロ以内に存在しているのである。」とか。
>>462 「できる」「できない」も「である」「でない」と同様に結果論でしかない、
という点は非常に難解な問題を提起していると思います。あるいは、
「選ぶ」「選ばない」もそうです(月並みですが「やってみないと分から
ない」という表現は何か神秘的なところがあります)。
>>465 「あのリンゴは落ちる」
→「リンゴが落ちた」
→「リンゴが落ちることは最初から決まっていた」
「私は泳げる」
→「私は泳いだ」
→「私には泳げるという可能性が最初からあった」
「私は手を上げよう」
→「私は手を上げた」
→「私は手を上げることを最初から選べた」
467 :
素人 :2005/08/24(水) 00:48:26
一言さん・・・ 素通りしたくなってこない?w
468 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/24(水) 01:28:31
うーむ、結構難しいですね。 人材不足・・・とまでは断定出来ませんが・・・
さいころが因果律に従わないならば1の目の確率が6分の1じゃなく何でもよいことになる。 量子が因果律に従わないならば観測結果がシュレディンガーの確率論になることもない。
∧ ∧ / ヽ ./ .∧ / `、 / ∧ /  ̄ ̄ ̄ ヽ ふ〜、自作自演も疲れるぜ /::::::::: .\ /:::::::::: ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- ∧/ ∧ ヽ::::::::::: \___/ / ヽ / ヽ ヽ:::::::::::::: \/ / ヽ_____/ ヽ / / \ | / ヽ | '''''"´) ● \─/ ● |'´) \ -‐´ ヽ/ /´ | | \ /
>>348 単に、その万能コンピューターは
「人間に未来の真実を教える」自由を持っていない、ということだろ。
仮にそれがコンピューターでなく万能人間なら
「自分の未来については予測できない」ということだろ。
もっとも、自分も世界の一構成要素である以上、それは
「世界の未来について予測できない」ということと同じだ。
要するに
1.「自分の意志で行動できる」
2.「未来が完全に予測できる」
この2つは矛盾するから、両立し得ない、というのが結論。
>>463 これは言い方を変えただけで予測じゃないよ。
「キミは道具を使わなければ、空を飛べない」「時速50キロで自走することはできない」とまったく同じ。そんなできないことを幾らあげても「当たり前」のこと。
可能性がある中で、人間が想定していないことを計算するから予測の意味がある。
例えば、「人間Aは、2日後の5時23分。交通事故で死ぬ」
「3年後の5月23日4時45分、ニュージャージーに巨大隕石が落下する」とか。
これを覆すことができなければ、予測はあたったことになる。
でも、完全な予測が成り立つには、相手がその情報を知ってはいけないという条件が付く。
だって、最初の予測をAが聞けば、当日は交通事故に遭わないように、
一歩も外に出ないだろうしね。
ただし、閉じこもっていた家にダンプカーが衝突してやっぱり死んだってのは、なし。
それだとミステリー小説だからね w。
>>472 >だって、最初の予測をAが聞けば、当日は交通事故に遭わないように、
>一歩も外に出ないだろうしね。
それができないっていうのが決定論の立場でしょ。
自由意志を前提にして実証不可能な思考実験する意味あるの?
>>471 >
>>348 > 単に、その万能コンピューターは
> 「人間に未来の真実を教える」自由を持っていない、ということだろ。
「自由」の意味をも一遍考えるヨロシ。
475 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 12:48:39
ギリシア神話のデルフォイの神託だと予言を告げられる事も予測に入ってるから 本人が知っていようがいまいが、100パーセント的中する
>>473 >それができないっていうのが決定論の立場でしょ。
予測と決定論は関係ないでしょ。
ここで言いたかったのは、
単に、万能コンピュータを作ることは原理的に不可能ということだけ。
>>475 >ギリシア神話のデルフォイの神託だと予言を告げられる事も予測に入ってるから
>本人が知っていようがいまいが、100パーセント的中する
アキレスが、「デルフォイの神託はデタラメだ」と言おうと決意する。
すると、『「アキレスはデルフォイの神託はデタラメだ」と言うであろう』と
デルフォイの神託があった。
それを聞いたアキレスは、「デルフォイの神託はやはり正しかった」と言った。
デルフォイの神託の預言は的中したのか?
非常に単純な話、人間は心臓の筋肉は自由に動かせないが、腕や脚の筋肉は 自由に動かせる。 心臓の筋肉の動きについての予測(デルフォイの神託)は当たるかもしれないが、 腕や脚の筋肉の動きについての予測は、当人に知られた瞬間に当たらないわな。
>>477 動かせないよ。動かしたと思っているだけ。
脚や腕は、潜在意識が勝手に動かしてから、潜在意識が顕在意識に「自分の意志で動かした感じ」を与えている。
意識より行動が先。潜在意識は物理法則に従っているだけ。
479 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 14:18:42
アキレス「ハッハッハ!賭けは俺の勝ちだな!やっぱりデルフォイの神託はデタラメだ…ハッしまった!!」
これくらいの強引さがギリシア神話にはありまつ。
各種実験からも
>>478 は正しいと思われ
480 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 14:29:00
たとえば、障害物を避けて目的地にたどり着くような場合、 障害物を避けるコースを考えてるのは?
>>478 潜在意識ってのは何さ?
また、意識しても行動に移れないってことは、いくらでもあるぞ
482 :
409 :2005/08/24(水) 14:53:27
>>437 度々申し訳ない。
>>436 の質問を少し変えてみます。
例えば
>>401 で
> 例えば、左に1m/sで10秒移動、右に1m/sで10秒移動を繰り
> 返す玩具が完全に閉じた系の中にあったとする。この時、
> これを予測する単純な計算機は、自分を世界に含めていない。
俺はこの機械は将来の自分の状態(自分がどの位置にあるか)を予測することができると思うんだ(できないのかな?)。
必要なのは初期値(今現在の自分の位置情報)と移動の法則であり自己観測の無限後背は起きないと思う。
この移動を予測に置きかえるなら自分が次に何を予測するかを自己予測する機械は可能だと思うんだ。
その機械が観測するのは入力と出力を法則にしたがって処理する客体としての自己であり
主体が主体を観測することによるパラドクスは起きないんじゃないかなと。
で、この機械を前提とした設定で
>>409 ないし
>>348 を考えるとどうなるのか。
俺は自己観測の無限後背の問題ももちろん興味深いと思いますが、
それ以上に予測機械と自由意志の問題もおもしろいと思うのです。
>>478 行動を支配するのが意識であるか、無意識であるか、潜在意識であるか、
脳自体であるか、それは問題の本質とは全然関係がない。
「事前に予測できれば、(意識か無意識か潜在意識か脳自体かが)
自分で変更できる」ということが問題の本質。
リベットの実験も、「脳の電位変化を自分で観察できれば、事後的に
体の動きを変えられるはずである」ことを理由に、自由意志の否定にならない、
という解釈もある。
ちなみに、意識や無意識や潜在意識や脳自体が「物理法則に従っているだけ」
かどうかは、誰も立証した人がいないので、わからない。というか、
それは立証不可能なのではないか、という疑問がこの問題の本質ともいえる。
484 :
409 :2005/08/24(水) 14:54:28
あと、オレオレさんのテルとトルドの話はやっぱりポイントはわからない・・・スマソ。
>>409 >その条件を予測結果を本人に知らせるというものに変えた場合でも尚
>「細木カズコ」はその人物の行動を予測することができるかどうか。
できないでしょ。自分の行動を完全に予測することも、原理的にできないでしょ。
486 :
409 :2005/08/24(水) 15:13:28
>>485 正直予測機械の自己予測については自分でも無茶言ってるなあと思うんだけど、
そこに引っかかって話が進まないのがどうも。。。
その点
>>476 や
>>483 はうまいねw
いや、だから、その変更できない行動は何がトリガーになってるか。
489 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 17:11:31
機械的に動いているだけなのに、変更した気にさせているだけってことだろ。
490 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 17:14:14
はやく「部屋掃除しておいて」というとそうしてくれるロボットを作れよ。
>>489 いや、だから、機械的に動くのは何がトリガーになっているか。
>>483 状況的には十分立証されているだろ。
脳が物理法則に従っているだけなのは、リンゴが落下するのが物理法則に従っているのと同じぐらいに自明だ。
それで不十分というのなら、この世界に物理法則に従っていると立証できるものは何も存在しないだろうね。
脳は間違いなく機械だよ。
>>491 機械的に動くのはただの物理現象だろ。川が流れるのと同じだ。
494 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 17:19:29
>>492 自由意志が脳に由来するなんて誰も決め付けてないだろ。
人間の感覚の及ぶ範囲は有限でかつその外から影響を受けているんだから、
外の世界が決定論的か非決定論的か推測もできないんだからそんな問題は
どうでもいいんだよ。それより「ここプログラミングしといて」と言ったら
プログラムしてくれる人工知能を作れって。
>>493 それは、「機械的に動くこと」の話でしょ。
私が聞いているのは、その「機械的に動くこと」の「トリガー」は何か?ってこと。
「川が流れる」なら、「水源地に雨が降る」というトリガーがあるわけでしょ?
では、たとえば、「PCの電源ボタンを押す」という「機械的に動き」にも
トリガーがあるはず。
それは何?
脳が物理法則に従っているってのは「当たり前」、 それは単にメカニズムを説明しているだけで、 意識については何も語っていないのと同じなんだよ。 現に、物理学的では、生命の謎の一つとして解けてはいない。
>>497 > トリガーは外のあらゆる物理現象。
^^^^^^
これが違うだろう、というのが私の立場なんだがね。
やっと少し面白い方向に話が進み出したようだ。
>>496 お前うみねこか?なんでそこで物理学が出て来るんだ?
物理学とは関係ないだろ。
コンピュータゲームは物理法則に従っているのは自明だが、
物理学では、コンピュータゲームの面白さはわからないが、謎でもなんでもない。
>>497 では、たとえば、あなたがそのレスを書くという、
「機械的な動き」のトリガーとなった「物理現象」
は具体的には何?
>>499 物理法則といえば、話の流れから、当然物理学だろ、
どうしてうみねこなんだよ、
そっちの方がわからん、
偶然にも498に本人が登場してるけど
502 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 17:32:45
>>498 お前の立場なんてどうもいいし、お前と議論したい奴はどこにもいないのだが
>>501 お前は馬鹿か。物理学の謎ではないだろ。
>>504 あのな、馬鹿はお前だ
>>496 は、
>>492 に対するレスなの。
書き込みが急に増えたんで、対応関係がわかりにくくなったが、
>脳が物理法則に従っているだけなのは、
>リンゴが落下するのが物理法則に従っているのと
>同じぐらいに自明だ。
>それで不十分というのなら、この世界に
>物理法則に従っていると立証できるものは何も存在しないだろうね。
これに対して、
意識に関しては、物理学では未だに解けてないだろって、こと
506 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 17:44:37
>>499 コンピュータゲームが面白いと感じるのは謎。
脳内物質がどうたらとは説明可能だが、脳内物質自体の認識に同化することと、
主体、もっと言うと<私>を使わないで説明することの不可能性
いずれにしろ、私はSYN氏とはどうしてもうまくやっていけそうにないので、 また沈黙しているよ。
509 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 17:48:04
とにかく人工知能にセンサーを付けて外の世界に解き放て。 人工知能自体が持つことのできる知識は有限で、世界はその外部にも広がっているから 世界が決定論的かそうでないかを人工知能自身が判断することはできない。 ヤツが悩み始めたらそう教えてやれ。
510 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 17:51:57
AIってのは理論上可能なのか? だとしたら全部物理学で説明できるんじゃないの?
>>505 >意識に関しては、物理学では未だに解けてないだろ
関係ないのでは?
意識に関しては数学では未だに解けてないだろ
意識に関しては哲学では未だに解けてないだろ
意識に関しては科学では未だに解けてないだろ
いくらでもいえると思うぞ。
>>510 可能だろ。不可能な理由はどこにもない。
人間とAIだって、パーツを組み立ててプログラミングするのが、自然か人間かの違いしかない。
私の生きる世界が世界である、この客観否定命題を、 ライプニッツのモナドは無数の主観を持った根元粒子を前提するという、 超越論的な手法で解決しようとしたわけだけど、 やはりそれは科学知識と同じ超越なわけで、 「一般的」な超越論をさらに「私的」な独我論に還元しないと、 そもそも問題が問題として成り立たないと思う。 ウィトゲンシュタインがやったように。
514 :
がーーー :2005/08/24(水) 17:56:04
515 :
がーーー :2005/08/24(水) 17:57:35
マックス・スペイン
516 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 17:57:54
>>505 解けていないわけではないだろ。意識は物理現象と同様に存在するというだけだろ。
物理でも重力や物理法則が成立する理由は解けていない。でもそれは解く必要が無い。
物理としては、物理法則に従っているだけという事がわかればそれで十分。
517 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 18:01:09
論争の原因はやはり、とてつもない深みにまで伸びているようだ… これを解きほぐすのはちょっとやそっとの作業ではすまん。
>>511 キミはパスね、いつまでもやってなさい
>>516 俺は別に物理学では解けないとはいってない。
現状解けていないと言ってるのだ。
意識に関してはペンローズとか一部の物理学者が解こうとしているが、
まだ、解けてはいないし、まだまだ時間が掛かるだろう。
重力に関してもグラビトンという粒子を仮定している。
つまり、それが存在するならば、物として表すことができる
はずというのが物理学だ。解く必要がないということではない。
520 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 18:10:37
ここは決定論スレであって、AIスレではないのだが
>>519 ペンローズはマレイ・ゲルマンにもマービン・ミンスキーにも叩かれてるだろ。
あれこそあれだ。脳の中に意識を生み出す物質的根拠があるという説で、おかしいよ。
>>520 そうだね。スマン。
意識は物理的には十分解けているだろ。脳の物理現象でそれ以上ではないってだけ。 現状の物理法則に反する現象はないよ。
>>521 >脳の中に意識を生み出す物質的根拠があるという説
全然おかしいと思わないが、
そう考えないと、意識はいつまで経っても謎のまま
>>522 解けていない
意識が関与することによって、
量子レベルの物理法則が乱されるのは未だに謎
>>524 >意識が関与することによって、
>量子レベルの物理法則が乱されるのは未だに謎
嘘をつかないように。そんな現象は全くない。
意識の力で2重スリットの結果が歪むことすらない。
>>525 >意識の力で2重スリットの結果が歪むことすらない。
そんなことを言っているのではない
スレ違いだからこれ以上は書かないが
観測者の意識が波動関数を崩壊させる、と言う人はいるが、 物理法則を乱すという人はいない。また、この見解自体が 眉唾で見ないと駄目。全然通説ではない。
528 :
そクラちゃん :2005/08/24(水) 18:35:40
ゲーデルの不完全性定理で解けないということが、解けている。 未だ解けてないというのは、解ける可能性があるということだが、 残念ながら解けないということが解けている。 人間が神を知ることができないように、人間は神になれない。
>残念ながら解けないということが解けている。 つうことは、神でさえ解けないってことなんでは。
万能コンピュータで全てのことが予測できるようになったら 世の中ちっとは良くなるのかな? 「このまま行けば、○○になる」ってことがわかり、それが 不幸な結果であれば、それを避けるためにみんな必死になるだろうね
>>530 良くならない。だって最後は熱死だから。何もかも死んで無になる。
>>492 >状況的には十分立証されているだろ。
>脳が物理法則に従っているだけなのは、リンゴが落下するのが
>物理法則に従っているのと同じぐらいに自明だ。
いや、全然立証もされていないし、自明でもないと思うが。
何かが「物理法則に従っている」ことを立証する方法は、現実に物理法則に
よってその運動を計算してみせる以外には、ない。
現に、リンゴの落下軌道は物理法則で計算できる。
これに対して、人間の行動は物理法則では全く計算できない。
人間の行動がすべて脳の内部作用に由来するとすれば、これ即ち
「脳の内部作用が物理法則に従っているとは立証できない」ということだ。
ここで、「計算ができないだけで、実際には従っているのだ」と主張
するのは自由だが、それは立証不能の単なる「イデオロギー」に過ぎない。
また、脳の内部作用以外にも物理法則で計算できない現象の例として
気象などの複雑系とか果ては量子力学の話などが出てくるが、
そういう現象の「計算のできなさ」と、人間の行動の「計算のできなさ」
が同質のものだ、という根拠も、特にない。
(同質のものであるはずだ、というのも、単なるイデオロギーに過ぎない。)
というより、経験的には明らかに異質のものである。
ここが問題の本質だろう。
533 :
そクラちゃん :2005/08/24(水) 19:04:05
>つうことは、神でさえ解けないってことなんでは。 神という言葉でしか表現できないのが、人間の限界なんだとおもうよ。 物を作るということは何かと何かを組み合わせるということで、 神という言葉を二つのものにわけることができないから。 宗教でも多神教と一神教しかないみたいだし。 二神教って論理的に矛盾してるような気がする。難しい問題ですね。
>>533 >神という言葉でしか表現できないのが
何を?
>>532 人間も天気も完全には計算できないが、どちらもある程度は計算できる。
どちらも物理現象であるのは自明で、十分立証されている。
どちらも物理法則に反する例は全くない。
>が同質のものだ、という根拠も、特にない。
同質のものでないという根拠がなければ、それは同質だ。
他人と自分を同質にしない理由はないだろう。
536 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 19:27:21
>>535 ま、当然だな。人間は特別な存在じゃないし。
宇宙はただの機械。物理現象はただの計算。
>>532 > 人間の行動がすべて脳の内部作用に由来するとすれば、これ即ち
> 「脳の内部作用が物理法則に従っているとは立証できない」ということだ。
> また、脳の内部作用以外にも物理法則で計算できない現象の例として
> 気象などの複雑系とか果ては量子力学の話などが出てくるが、
> そういう現象の「計算のできなさ」と、人間の行動の「計算のできなさ」
> が同質のものだ、という根拠も、特にない。
> (同質のものであるはずだ、というのも、単なるイデオロギーに過ぎない。)
> というより、経験的には明らかに異質のものである。
これが重要ですね。ここではほとんどすべての人がこれに同意しないようですが、
陰ながら応援していますよ。
この世に存在するありとあらゆるものはすべて物理現象だと?
>>536 のようなことを平気で言い切る人が存在するとは、私にはほとんど理解できないよ。
540 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 19:57:12
>>538 当たり前。
なぜなら、存在が確認されたら、それは物理現象と呼ばれる。
>>540 この世に存在するありとあらゆるものはすべて計算機とみなせると?
>>541 ということは、「意識は物理現象である」というのは、
「意識はこの世に存在する」という意味しかないわけですね?
544 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 20:01:07
545 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 20:01:18
>実際、宇宙は計算機と見なせるぞ。 これは飛躍。脳などの個々の対象と宇宙全体との間には、世界(観)という壁がある。
546 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 20:01:38
>>536 宇宙と機械、物理現象と計算、どちらもカテゴリーミスだな。
547 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 20:01:50
>>543 あらゆる物理現象がそうだし、意識現象はその一部に過ぎない。
>>544 ということは、「宇宙は計算機である」というのは「宇宙はこの世に存在する」
という意味しかないわけですね?
計算機スレは面白いぞ。 但し、俺の見るところネタのセンスでは非計算機派のほうが勝ってる。 計算機派もがんばってくれ。 あっちで。
>>547 ですから、「意識現象はこの世に存在するももののうちの一つ」ってことですよね?
それを誰か否定しました?
すもももももももものうちであることは誰も否定してないよ。
554 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 20:07:34
>>552 否定してないぞ。同意しているだけ。
あらゆる物理現象がそうだし、意識現象はその一部に過ぎない。
>>554 ?
誰も否定してないにもかかわらず、なぜ繰り返し主張してるのですか?
この世に存在するありとあらゆるものは、物理現象で、
個々の存在はその一部に過ぎないわけですよね?
こんな当たり前のことを、誰かが否定したわけでもないのに、
なぜなんども繰り返し書くのですか?
556 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/24(水) 20:16:26
計算機というより 計算的なのではないでしょうか。
メイド型万能コンピュータが欲しいな
558 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 20:26:28
哲学で「現象」といえば「意識」に捉えられた事象をいう。 「意識現象」なんて分け解らない言葉を使う哲学があるのか? 少しは自分の頭で哲学したらどうか?
559 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 20:27:54
>>555 質問をするから、再確認のために書いている。
>この世に存在するありとあらゆるものは、物理現象で、
>個々の存在はその一部に過ぎないわけですよね?
その通り。
あらゆる物理現象がそうだし、意識現象はその一部に過ぎない。
>>559 >質問をするから、再確認のために書いている。
いえ、私は、あなたが書いていらしたから質問を始めたのですが?
私以前にも、誰か質問したのですか?
>536 名前:考える名無しさん 投稿日:2005/08/24(水) 19:27:21
>
>>535 >ま、当然だな。人間は特別な存在じゃないし。
>宇宙はただの機械。物理現象はただの計算。
>538 名前:考える名無しさん 投稿日:2005/08/24(水) 19:38:20
>この世に存在するありとあらゆるものはすべて物理現象だと?
562 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 20:37:16
物理現象と言うのは、人間の感覚やそれを拡張するような測定機器で計れるのもののうち、 さらに数学などの共通の言語としてそれについての合意を形成できる部分に過ぎない。 宇宙全体、あるいは世界全体からみれば明らかに一部分に過ぎない。
563 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 20:46:44
>>562 人間の意識はさらにその一部に過ぎんな。
564 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 20:48:50
>>563 脳の物理的機能はそうかも知れんが、それが意識の発生と完全に対応しているかは不明だな。
懐かしいなこの展開は。
566 :
素人 :2005/08/24(水) 21:29:57
意識(意識の働き)はどうして生じるの? 意識の働きは何によって行われているの? 意識の働きは、なぜ・何によって継続されていくの? 死んでしまったら意識はどうなるの?なくなっちゃうの? 意識の働きがなくなっちゃうことが死ぬことなの? 火葬にされた後、意識はどうなるの?なくなっちゃうの? この肉体とは別に意識があるの? ???(´・ω・`)???
567 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 21:31:29
568 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 21:35:45
>>566 眠るだけでも意識はなくなる。目覚めればまた発生する。
意識が意識ホルモンによって生まれ、意識ホルモンを合成する遺伝子を
他の生物にも注入したらその生物も意識を持つ…とかいうのはナンセンスだ。
また脳は高分子レベルで動作するスイッチの集合体だというとは既にわかっているので、
脳の中に「量子力学的構造」のようなものがあってそこから意識が発生するというのも
またナンセンスだ。眠るだけでその「量子力学的構造」が解体して、目が覚めると復活する
なんていうのはばかげている。
眠るだけでなくなるようなものが肉体の死後も残るとは思えない。
結局、現時点では、意識は脳と感覚器官やその他外界との
相互作用で生まれる、としかいいようがなく詳細は不明。
意識の発生に脳は必要ではあるだろうが、脳だけでは不十分とおもわれ。
569 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 22:19:58
えっと、 決定論を支持してない人はなにを根拠に否定してるんですか? つまり「われわれの行動は決定していなく、自由である」 ってことですよね?
そもそも眠りとはどういうことなのか、物理的に説明できるのか?
571 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 22:22:44
えっと、 決定論を支持している人はなにを根拠に肯定してるんですか? つまり「われわれの行動は決定していて、自由でない」 ってことですよね?
572 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 22:33:06
そもそも自由って何だ 決定論が正しいなら自由なんて存在しないから神と同レベルに定義が無理だろ 決定論が間違いならそもそもすべてが自由なんだから定義がむりだろ
>>570 「実際に物理的に説明可能か?」という問いは成立しますし、
「実際に可能だ」とも断定できないのですが、問題なのは、
「では非物理的で確固とした理論を持つ学問が存在する
か?」ということです。
物理主義は「全部これで説明可能である」というよりも、 「今のところこれしか無いからこれで限界まで行って みよう」という立場が適切であると考えます。
575 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 22:38:19
俺の考えのすべて 「この世にはたいていの物事に法則があるし、法則がないもがあるとしても、それは「運」で決まるよな」 ↓ 「そうすると、いずれにしても、「自分」が自由に物事を決定できるわけないよな」 ↓ 「つまり「自分」ができることなんて何一つなくて、全部が自分以外のところで決まっているわけだ」 ↓ 「決定論て すてきやん。」 はい
ただの責任放棄
577 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 22:47:06
>>563 すべての「現象」は「意識」によって認識されてはじめて
存在する。意識がなければどんな現象も認識されない。
理論を考える思考・思惟も意識のはたらきだ。
578 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 22:57:12
>>572 >そもそも自由って何だ
自由も知らないで議論してるの?
自分自身の意志に従って行為の選択が行えることが自由でしょう。
右手を挙げようと思えば右手があがる、これが自由の一例でしょう。
右手を挙げようと思っても身体が思うように動かないのが不自由でしょう。
決定論には関係なく人はいつでも法則に従った自由な行為を選択できる。
579 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 23:03:03
>>578 右手を上げようと思ってるってなんでわかるの?
たとえば、「熱湯が右手にかかったとき急速に右手があがる」
これは、反射っていう名の現象で、脳じゃなく脊髄からの命令で体が動いてるわけだ
本能で。したらこれは自分の意思じゃないよな。
じゃあ、たとえば、「本棚にある本をとろうとして右手をあげる」
これは自分の意思のように思えるけど、これは「本棚の上のほうにある本をとる」
ときの行動のうち、自分が無意識でも 意識的にでも 一番いいと思ったのが
右手をあげて取るって ことだったわけだ。
あれ? したら、たしかに脚立を使うとか 本をとらない
とかいろいろ選択肢があったかもしれないけど、 一番よかったのは
その状況では 右手をあげる しかなかったんだから その行動をするのは必然で
それって 熱湯をかけられて右手を上げる と何が違うの?
580 :
楽餓鬼 ◆EvilehrjfI :2005/08/24(水) 23:10:05
>>569 >決定論を支持してない人はなにを根拠に否定してるんですか?
自分が世界を捉える仕方に、ぴったり合ってるとでも言おうか。
世界の事象はほとんどが決定論的ということは認めるけど、
人間の行動は、やっぱり決定論じゃ計れないからね。
不可解な殺人、犯罪、戦争などなど、人間世界は混沌とし過ぎている。
今、レスをするかどうかの強制力は感じないもんな。 カキコしてもいいし、やめてもいい。おれは自由さ
何も得られない 執念 ┗━━━┳━━━┛ ┏依存心┳━時間━━━ 宿命━━┳━比較的餓鬼が不服になる ┣自尊心┫ ┗━成長しなくなる━┛ ┗┓ ┃ ┃ ┗┓ ┏甘え 無理やりつりあう ┣自意識 依存している事を認めない━粘着┛ 問題 ┣意識的 無意識で┛┗逃げパターンが確立されている┳他者を否定して安心する ┣見下ろす┓ ┏道楽━━━┓他に原因を探す━すなわち依存 精神┛┗━情緒 ┣ループ粘着状態┓贅沢━捌け口┓ ┗━━不安定┛ ┣ひきこもり┛ドロドロ┛ お茶持って来い┳価値が下がる お茶持って来る┛ ┣┛┗牡丹餅┛┗━━━嬲━━揶揄┓実力はある┳価値が上がる┛ ┣安定を求める━普通になる━━╋嘲弄 無理があるエクスタシー━━━━━┓ ┣最初から普通━━まだ甘えられる ━━やばくなる━安定を求める━普通に授付┃ ┠学生が雪崩れ込み介入する┐┗┯現実逃避┯┛ ┌付き添い ふられる━━┛ ├埋め合わせ┬―行き場を失ったエネルギー └花より団子┐ │ └面食らう妙な静けさ 甘え続けられる └面食らう妙な間誤付き 脊髄反射の期待 │ 適当にじりつさせる┼親がはやくじりつさせようとしている └www ┌全体パワー不足┴矛盾 肝 自律神経失調症┘ 。oΟo〇 ┌━┛ (◔ิд◔ิ) ∧_∧
584 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 23:17:29
ささやかだが、自由がある。自由があるが、ささやかだ。それが人生!
>>579 自由ってのは、選択の可能性があるってこと。
右手を挙げたが、左手を挙げることもできたってこと。
決定論者で、しかも自由意志を否定する人は、
「右手しか挙げられなかった」というが、
俺はそんなことはないと思う。
586 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 23:20:02
>>579 >右手を上げようと思ってるってなんでわかるの?
「自分が右手を挙げようと思ったから」でしょ。
こんな無目的な動作なんて遊びだよ、遊び。
遊びも忘れた人なのか?
思ったとおり身体が動かせるくらい幸せなことはない。
人間は失ってはじめてその普通であるありがたさを知る。
自由意志もそう。ほんとに自由意志があるときにはその
ありがたさが解らない。
┣自意識 依存している事を認めない━粘着┛ 問題 ┣意識的 無意識で┛┗逃げパターンが確立されている┳他者を否定して安心する ┣見下ろす┓ ┏道楽━━━┓他に原因を探す━すなわち依存 精神┛┗━情緒 ┣ループ粘着状態┓贅沢━捌け口┓ ┗━━不安定╋訪問販売 ┣ひきこもり┛ドロドロ┛ お茶持って来い┳価値が下がる お茶持って来る┛健康食品┓ ┣┛┗牡丹餅┛┗━━━嬲━━揶揄┓実力はある┳価値が上がる┛ ┃ 交尾し放題 ┣安定を求める━普通になる━━╋嘲弄 無理があるエクスタシー━━━━━┓ ┏偶像崇拝┛ ┣最初から普通━━まだ甘えられる ━━やばくなる━安定を求める━普通に授付╋挫折━━自己陶酔 ┠学生が雪崩れ込み介入する┐┗┯現実逃避┯┛ ┌付き添い ふられる━━┛ ┗━自己嫌悪したふり ├埋め合わせ┬―行き場を失ったエネルギー └花より団子┐ │ 怖魔鬼羅阿┯┛ └面食らう妙な静けさ 甘え続けられる └面食らう妙な間誤付き 脊髄反射の期待 不規則 │ 適当にじりつさせる┼親がはやくじりつさせようとしている └www ┌全体パワー不足┴矛盾 肝 自律神経失調症┘
588 :
骨肉の争い ◆rBlGBOMBeg :2005/08/24(水) 23:24:09
目的もなくどこかへと適当に散歩をする ダラダラと過ごす 気まぐれで乞食にほどこしを与える ・・・・・・・・ 近道をしない なんとはなしに本を読んでみる 2ちゃんにつないでみる 議論する 人間は目的がない行動ができる 非合理的でバカな行為ができるということは人間と機械を区別できる要因になるように思える
>>579 >右手をあげる しかなかったんだから その行動をするのは必然で
人間の行為がすべて「必然」なら、
ある行為に対して嫌悪を感じるのはおかしいんじゃないか。
必然なら、嫌悪なんて感じないはず。
自由意志があるから、強制された時は嫌だと感じるんだろ。
591 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 23:30:10
>>581 つまり希望で非決定論を支持してるの?根拠はないわけだ。批判はしないけど
サンタさんを信じてる子供みたい。でも俺も、サンタを信じたまま大人になれたら
どんなにいいかって よく思うお
>>585 まぁいいや 百歩譲って、左手も上げられた としよう (できるっていう可能の定義がわからないけど)
したら、なにが左手じゃなく右手をあげる って行為をさせたの?
理由ないの? たまたま左手じゃなく 右手をあげたの?
したら たまたま っていう名の 偶然=自由 なの?
偶然は自由とはちがくない?
>>586 うーん わかんないっす。
たとえば、スーパーボールが跳ね返る高さは
落とす高さとか、かぜとか、床の固さとか そういう無数の要因が
重なってそうなっただけで
それは自由じゃないでしょ
したらそのスーパーボールと 意思
なにが違うの?
>>591 >なにが左手じゃなく右手をあげる って行為をさせたの?
>理由ないの? たまたま左手じゃなく 右手をあげたの?
>したら たまたま っていう名の 偶然=自由 なの?
>偶然は自由とはちがくない?
え?本気ですか、私は理由のない行為なんてしょっちゅうしてますよ
キミはどっちかの手を挙げて下さいといわれて、「理由のない行為は
できません」って断るわけですね、
でも、そうした拒否も立派な自由意志なんですよ
595 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 23:46:28
>>594 「本人が理由がないと思っている行動」が「理由がない」わけじゃないことぐらいわかれよ
>>578 決定論こそが自由意志を保証し、非決定論がその意志を妨害します。
選択に理由があるならば、同じ状態の中で何度やっても同じ選択をするでしょう。
理由のある選択の意志を保証するのが決定論です。
自由意志で行動するならば、同じ状態では、同じ選択を行います。
自由意志は、それが未来において決まっているかどうかは無関係で、
その意志が妨害されないことが重要です。
なので、
決定論(自由と秩序) vs 非決定論(不自由と混沌)
という図式になり、
非決定論の非決定性は、自由意志を妨害する敵になると思います。
597 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 23:47:58
>>591 >したらそのスーパーボールと 意思なにが違うの?
スーパーボールに意思があると思ってるの?
スーパーボールがどのように運動するかはその
スーパーボール自体が法則に従って自分で決めるしかない
のではないか? それ自体が自からに由り決める、すなわち
「自由」な運動でしょう。
>>595 >「本人が理由がないと思っている行動」が
>「理由がない」わけじゃないことぐらいわかれよ
バータレ、お前のそんな書き方でわかるかよ
>>581 人間の行動は、ほとんど決定論的です。
ほとんどの殺人には動機があります。
戦争の応酬がいつまでも終わらないところも、まるで機械のようです。
痛みを知ってから反省するのも学習しないと出来ない機械にそっくりです。
人間は特別ではないどころか、自然界の中で一番機械に近い存在でしょう。
>>582 プログラムでも、その程度の事は言います。
自分のプログラムコードが見えないのは幸せなのかもしれませんが。
ヤナセってやがらせって読めるよね
602 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 23:55:10
>>597 だからさー
「意思」が過去、つまりすべての要因から必然的に導き出される結果
じゃないってどうして言えるのさ。
自分の意思が、どうして自分が決めていることだって言えるの?
603 :
素人 :2005/08/24(水) 23:56:28
根と境の和合か?w ある選択をする際に、どこまでを強制的要因とするかの線引き次第か・・・ どこからが(人間の)死なのか?と似てるな たしかに、突き詰めれば全ては何らかの要素(原因や条件)に基づいてなされるわけだが・・・ やはりどこで線引きするかだなw
>>589 それは「目的を持たないようにする」という目的意識が働いていると思います。
そんなものは所詮エミュレータ上の自由と変わらないでしょう。
気分次第で目的を持たない行動など、今のAIでもできます。
>>599 >戦争の応酬がいつまでも終わらないところも、まるで機械のようです。
>痛みを知ってから反省するのも学習しないと出来ない機械にそっくりです。
>人間は特別ではないどころか、自然界の中で一番機械に近い存在でしょう。
機械は人間が作ったのだから、似ていて当然じゃないだろうか
戦争の愚かさを知り、争いを避けている人間の方が多いということを
お忘れなく
>>590 >ある行為に対して嫌悪を感じるのはおかしいんじゃないか。
そういうプログラムで意識が作られています。
>必然なら、嫌悪なんて感じないはず。
感じるのが必然です。
目が見え、目を開けるなら、光を見えてしまうとの同じです。
>自由意志があるから、強制された時は嫌だと感じるんだろ。
決定論的な自由意志ならありますが、そうでない選択性は存在しません。
607 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 23:59:34
>>589 ゆえに、人間をホモ・ルーデンスとはいう。
遊びやせんと生まれける。
>>605 人間が一番わかってないでしょう。動物は同類に対してそこまでしません。
609 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 00:01:22
>>605 お前はなんで哲学板にいるんだ
馬鹿かおまえ
お前の印象が なんで正しいって証明できんだよ
610 :
無慈悲 ◆n1001z04V2 :2005/08/25(木) 00:03:04
>>597 >スーパーボールに意思があると思ってるの?
ありますよ。スーパーボールにはスーパーボールの意思が。
人間とはかなり違うので、ほとんどの人間は意思の疎通ができませんが、
石や植物とコミュニケーションできる人はたくさんいます。
>スーパーボールがどのように運動するかはその
>スーパーボール自体が法則に従って自分で決めるしかない
>のではないか? それ自体が自からに由り決める、すなわち
>「自由」な運動でしょう。
人間も同じです。複雑さやクオリアが違うだけです。
物理現象と意識は同じものです。主観か客観かの違いしかありません。
612 :
無慈悲 ◆n1001z04V2 :2005/08/25(木) 00:04:40
>SYN >それは「目的を持たないようにする」という目的意識が働いていると思います。 いやいや、君はそんなことを考えて散歩するの? 目的をもってももたなくても人間は非合理的な行動ができるよ 目的地に急いでいる時に、まったく車が通ってない赤信号でも信号無視しないで待つことができるよ これは非合理的な行動の代表例だよ
>>609 何興奮してるのか知らないがレス番間違えてないか?
615 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 00:05:31
>>611 スーパーボールに意思があるとすると
その意思の定義でややこしいからやめれ。
でも人間に意思があるとすると
スーパーボールにも意思があるのは当然だけど
616 :
無慈悲 ◆n1001z04V2 :2005/08/25(木) 00:06:21
>>611 仏壇って一度買ってしまうと買いかえられないからな
>>613 >目的をもってももたなくても人間は非合理的な行動ができるよ
できません。できると思い込んでいるだけです。
または、「非合理的な行動」をすることが合理的な場合に、合理的に非合理的な行動をしているだけです。
酔ったふりをして抱きつくみたいなのがこれに相当するでしょう。
>目的地に急いでいる時に、まったく車が通ってない赤信号でも信号無視しないで待つことができるよ
極めて合理的で、当然のことですが、貴方は無視をするのでしょうか。
機械は与えられた命令に従うだけし、自分のプログラムを書き換えることはできないけど 人間は馬鹿な命令を固持できるし、逆に棄却することもできる ゲシュタルト転換のように、自分がまったく受け入れられない考えを受け入れることもできる
619 :
無慈悲 ◆n1001z04V2 :2005/08/25(木) 00:09:46
>>615 これは仕方がありません。生命の定義と同じで境界が存在しません。
無理矢理境界を作る事はできるでしょうが、すべてが連続しています。
621 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 00:12:17
目的をもってももたなくても人間は非合理的な行動ができるよ 目的地に急いでいる時に、まったく車が通ってない赤信号でも信号無視しないで待つことができるよ これは非合理的な行動の代表例だよ できねぇよんさま。できるとおもってるだーけ。 結果的に、要因がある。すべてのことにね。だからできない。でも 要因が存在しないかもしれないじゃん。そういいたいの? じゃぁ要因が存在しないことも存在するとしよう。 じゃあ「要因が存在しないこと」がどうやって決定するか それは運だよね? したら運も 自由じゃなくない? あれ? 自由って ありえなくない?
>>618 機械もプログラムに反する命令は拒否する。
エラーだと「!」みたいなのがでるっしょ。
ただプログラムを書き換えられたらお手上げ。
人間の場合、脳を改造したらどうなるか?
これが問題では?
>>618 >機械は与えられた命令に従うだけし、
それはその方が都合いいからです。
>自分のプログラムを書き換えることはできないけど
そういう風に作れば、書き換え可能です。
>人間は馬鹿な命令を固持できるし、逆に棄却することもできる
意外に出来ません。正常な状況、状態下で、自殺する命令の実行はほぼ不可能です。
できるというのなら、まずは意識のある生命を殺して食べる事をやめて欲しいですね。
生きるのに必要なら兎も角、哺乳類の肉を美味しいと感じてしまうその味覚を変更してみろと言いたいです。
私はやりましたが。
>>617 >できません。できると思い込んでいるだけです。
>または、「非合理的な行動」をすることが合理的な場合に、合理的に非合理的な行動をしているだけです。
「一見非合理的に見えるだけで実は合理的なんだ」と言うことは可能だ
だが、それは合理的説明が与えられてはじめて有意義な発言になる
でなければ内容がない言葉だけの空虚な文章だ
>極めて合理的で、当然のことですが、貴方は無視をするのでしょうか。
俺が無視するかどうかはどうでもいいじゃん
俺はその時の気分次第で行動する
でも多分、車が通らなかったら赤信号を無視するぜ
別に近道しなくてもいいじゃん
信号を待ったっていいんだよ
一見馬鹿に見える無駄な行為ができるというのは人間らしいことさ
>>623 >そういう風に作れば、書き換え可能です。
できるか!やってみろ!
>>620 (
>>611 )
境界作らずにどうやって分類するの?
便宜的にでも分類しなかったら生活できないよ
少なくとも言葉ってのは分別するためにあるとも言えるわけで・・・
脳死・臓器移植問題はそうした線引きがポイントの一つなんじゃないの?
&
>>603
>>624 >俺が無視するかどうかはどうでもいいじゃん
>俺はその時の気分次第で行動する
その気分というは貴方のプログラムコードの結果であって、
その気分は貴方の意思で作ったものではありません。
貴方は自我意識より一段と低いコードに、決定論的に従っているだけです。
より機械に近いです。
判断が合理的かどうかは本筋じゃないだろ。気分だって判断の理由である 限り、因果関係を認めることができる。 問題は、一切の理由(そのときの心理状態等も含めて)なしに何らかの判断 ができるのかってことだ。
>>626 プログラマなら常識ですよ。自己書き換えなんて普通に行われています。
>>627 言葉は万能ではないです。
分類できない存在が出てきて、問題になることは多々あるのはご存知だと思います。
とはいえ、光の色と波長のように、分けることは可能でしょう。
>>628 別に俺の行動の要因が俺の意思かどうかはどうでもいい
重要なことは「人間は合理的ではない」ということさ
人間と機械の一番の違いはここ
>>631 無理でも何でもありません。全部書き換える事だって可能です。
その代わり、二度と使い物にならなくなるかもしれませんが。
>>633 貴方から見て不合理でも、私から見れば合理的です。これは不変です。
機械と人間にそういう違いはありません。
人間は機械ではなくやじろべえだということさ 仮に物理法則に束縛される存在だとしてもね
638 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 00:30:40
で 決定論がただしいのでいいのね
639 :
黙考幼盆怒 ◆NY/vomu/ss :2005/08/25(木) 00:31:15
>>635 それはプログラミングやシーケンスではない。単なるわがまま
>>636 >貴方から見て不合理でも、私から見れば合理的です。これは不変です。
では、信号を守ることが合理的だと考える人でも信号無視することができる
これは非合理的な行為ができるということの例になるね
コンピューターの「やきにく」→「やき二区」という変換も 不合理だと言えるけどなw
>>640 それすらも、私から見れば合理的な行動に過ぎませんが。
>>640 哲学と其れは密接な関連がある。詳しくは悟りと自律スレで後日
645 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 00:47:23
>>638 未来予測のできない決定論は占いより価値が低いことに決定。
傘が無いとき雨が降る必然と充電してない時に電話を使う事が何故か多い
>>645 その言でいくと、非決定論にはいかなる価値があるというのかね
あるいは決定性を問う議論そのものに価値がないというのなら、
こんなスレに何をしに来たのかね
648 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/25(木) 01:21:46
>>647 >非決定論にはいかなる価値があるというのかね
「価値がある」(あるいは価値ってということを「検証する」のは・・
哲学・・そのものですよね。
価値・・という概念最初にありきでは・・哲学になりえませんよ。
>>647 返す言葉はひとつさ
すべては手と足と指と目が物理的に作用した結果なのだよ
指が曲がってキーボードを打って・・・
>>649 貴方が決定論者のような発言をしたら駄目でしょう(笑)。
651 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 02:22:11
頭がいい、否決定論者に 決定論を批判してほしいんだけどいない?
>>651 どうして自分で考えないのでしょうか。
誰かの言葉を借りて、盲目的に非決定論を支持されるつもりですか。
653 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 03:32:22
>>652 ちがくて、決定論の支持者だけど
いままで非決定論で
まともな意見をしらない
みんな感性をたよってたり
視野が狭かったりする
∧ ∧ / ヽ ./ .∧ / `、 / ∧ /  ̄ ̄ ̄ ヽ ふ〜、毎度の事ながら面白いように釣り餌に飛びついてきやがるぜ /::::::::: .\ /:::::::::: ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- ∧/ ∧ ヽ::::::::::: \___/ / ヽ / ヽ ヽ:::::::::::::: \/ / ヽ_____/ ヽ / / \ | / ヽ | '''''"´) ● \─/ ● |'´) \ -‐´ ヽ/ /´ | | \ /
>>653 俺は逆だけどなぁ・・・。
まともな意見と思える決定論にあったことないよ。
人生の歩み方まちがったかなぁ・・・。
>>655 まともな非決定論があるというのなら教えて頂けないでしょうか。URLでも構いません。
多くの非決定論は、決定論に文句をつけて批判しているだけで、決定論が無くては成立しないものです。
決定論の存在に関係なく、背後の決定性を否定できる非決定性を説明しているものがあるでしょうか。
ちなみに非因果的事象なだけでは駄目です。非因果的決定論が存在しますので。
同様に量子力学の不確定性原理も無力です。
657 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 04:56:17
「非因果的事象」と「非因果的決定論」と 「量子力学の不確定性原理」の解説をお願いします URLでもかまいませんので 詳しく
659 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 05:12:33
>>658 量子力学ってたしか、あるせかいだとランダムでものごとが
決定されるみたいなんでしたよね
決定論を理解するうえでいい本、
また量子力学の手助けとなるさいと
もしくは決定論そのものでもいいので
おすすめのサイト
などありますか?
660 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 05:18:21
そうやって決定論の概念をどこまでも広げていくと、 言葉の定義を言っているだけというレベルの議論になるんだけど、 わかってるかな。つまり、「世界」の概念は、宇宙の深部が科学的に観測されたり、 人間の妄想や観念などで拡張されても、世界という概念であり続ける、 という定義を言っているだけで、よって世界という概念自体に真も偽もない。 真や偽が言えるのは、真や偽の固定した判定基準があるからで、 また、判定基準じたいに真や偽を問うと無限後退になる。
661 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 05:25:02
サイトみました なんかクレクレ房みたいになってすみません。 えっと非因果的決定論を俺なりに解釈したら 因果律を含む決定論では、時間が物理的に なんの影響も与えていないのがおかしい (↑ここよくわかんないす。運動状態によって 時間の流れも左右されるんだから、 「ある時刻の状態を定めれば、別の時刻の状態も決定される」 というのは間違いだと思うけど、 「ある瞬間の運動状態を定めれば、別の瞬間の状態も決定される」 っていうのはおかしいのでしょうか?) そして、不確定性原理が存在するのだからブレがある の二点でおかしい でも現実、過去は一通りしかないのだから われわれが選択できるのは それらをひっくるめても 一通りしかなかった こんなかんじ?
>>660 言葉での説明では無限後退になりますが、
人間の意識の存在はそれを成立させている仕組みに従っているだけですので、
特例を除いて、人間の意識の存在に関しては、構造的な無限後退はないでしょう。
続き660- 「世界の仕組みが分かってないとなんだか気持ちが悪い」という 「力への意志」、世界を支配したいという例の心性であることは容易に見当つくが、 宗教と同じ。自分の自我を安定させるだけで、 当たり前だが言語ゲームすべてを支配する力はない。 「決定論」と「非決定論」が同時にこの世界を説明できないというドクサすら、 同じ場所に「青色」と「非青色」が存在できないという 文法規則(経験則の必要はない)という前提に拘束されてるにすぎない。 論理形式の違う世界では「同じ場所に青色かつ非青色」や 「5メートルの長さの『ゆううつ』」も存在するかもしれないが、 こちらの世界の論理形式ではそれを理解できない。
>>664 >世界を支配したいという
これは非決定論者の方でしょうね。
決定論者は人間の分際で、未来を変える事は不可能である事を認識しています。
人間も落下する林檎と同じで全く無力であり、自己を作っている仕組みに従うしかありません。
その仕組みが何かはわかりようがありませんが、少なくとも人間が何とかできるような
代物ではないことを決定論者は理解しています。意識など物理現象に過ぎないのです。
特例を除き、意識はそれを作っている仕組みに従うしかありません。世界を支配するなど不可能です。
>>665 「世界を支配する」というのは物理的な意味ではないよ。
物理的なそれが能力不足で「できない」事で絶たれたとき、
ルサンチマンは認識・価値の世界観を把握=支配「できよう」とする。
君の言う「自分の無力さの自覚」は、聖書のそれと表現上は同類。
カルバンも決定論をとった。聖書の世界観に従うことで、世界を支配する。
苦しいときでもその苦痛が世界からして「どんな意味か(たとえ「無意味でも」)」
知ることで、苦痛が軽減される。
おばけは怖くてもおばけのメカニズムがわかれば怖さは軽減されるという事ね。
667 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 07:44:32
今日も無職は2ちゃんで頑張れ!
>>665 しかし、それだとまともな科学者や技術者は決定論者ではあり得ない、
ということにならんか。
670 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 09:40:44
>>647 >決定性を問う議論
決定性とは予測可能性があること、計算ができること
だろう。そしてその予測結果が必然であることを決定論は
主張する。だから未来予測のできない決定論なんかは
何でも決定論であり、あとだしジャンケンのように無意味
だということだよ。おわかりかな?
671 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/25(木) 09:50:55
>>665 >意識など物理現象に過ぎないのです。
>特例を除き、意識はそれを作っている仕組みに従うしかありません。
>世界を支配するなど不可能です。
君は面白い事言うね。
「物理現象が世界を支配している」というのが君のスタンスではなかったのですか?
引用を言い換えると、
「<物理現象(である意識)は>世界を支配する事など不可能です」
で、「人間は無力だ」「少なくとも人間が何とかできるような代物ではない」
とは、絶対他力のことを言っているのでしょうか?
決定されていても、されてなくても、俺は「無抵抗」の一言で片付けられる。
>>653 >ちがくて、決定論の支持者だけど
>いままで非決定論で まともな意見をしらない
>みんな感性をたよってたり視野が狭かったりする
決定論の支持者って、どんな勉強をしてきたの?
そっちの方が興味あるな
現代の哲学者では、非決定論者の方が遙かに多いんだけど
カオス理論に於いて、完全なる初期値は局所的には可能であろう。しかし、宇宙全体ではどうか? 現在の世界の初期値はビッグ・バンにあるわけだが、そこは特異点であって物理法則は破綻している。 また、決定論が成立するためには、宇宙空間内にどんな特異点も存在してはならない。これはブラック・ホール存在の可能性と矛盾する。
私は、世界の全てが非決定的だと主張するのではない。 しかし、物理学的に決定論は局所的にしか適用できないのである。 (実存主義者の私が、唯物論的非決定論を展開するのも妙な具合だがw)
676 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 11:49:26
唯物論的非決定論は、唯物論的決定論を否定するためだけに有効なのでないかな。 ビッグバン以前の宇宙もブラックホールの特異点も、現在の科学では計測も記述も計算も出来ん。
677 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 12:30:32
意識を記述する物理法則なんかあるのか? 物理学は意識なんか対象にしていない。
678 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 12:31:54
それ以前に、物理法則で記述できない物理現象もある。今後どうなるかはわからんがな(藁
>物理法則で記述できない物理現象もある。 例えば?
>>677 意識を研究している物理学者はいっぱいいる
ルサンチマンだの何だのと相手の人格攻撃をしてみても 進んでしまうのが自然科学。
682 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 13:21:01
学者になれなかった科学オタがルサンチマンで疑似科学的な主張をしているだけなんじゃないの?
また混乱してきてるな。 決定性の問題、自由意志の問題は異なる。 非決定論でも自由意志が無い可能性は十分にあるから。 あと決定性も一意的決定性と確率的決定性に分ける。
684 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 13:39:48
俺にとって問題なのは
もう一度同じ状態で俺として生まれてきたのなら
まったく同じことを繰り返すのかってことで。
>>673 なんで?
自由意志も反証可能性の点では決定論とほとんど同じ。 あるとしたら全く同じ状態で違う選択肢を選べることを証明 するしかないが、それは現代技術では全く不可能だ。
686 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 13:49:06
光子は自由意志に従ってその軌道を決めるが、 軌道の分布は確率的な法則に従ってるのかも知らんしな。
687 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 13:52:39
で、けっきょく俺はまたうまれたら またおなじことするの? しないの? わからないの?
>>685 残念だがそれでは証明にならない。
なぜなら全く同じ状態でスタートして結果が違ってくる
要因は他にも考えられるから(例えば確率とか)。
>>679 水星の近日点移動のズレを物理法則を用いてきちんと計算できるやつはまだあらわれてない
アインシュタインは太陽を完全な球形として計算しているが実際の太陽は楕円球
観測の問題がある以上、物理法則を用いて全てを きちんと記述できる日は来ません。
691 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 14:20:54
>>685 自由意志の存在証明は簡単だ。
「自由意志がある」と自覚していれば自由意志である。
>>690 だが、物理学の研究はこれからも続く
水星の近日点移動は物理学が解決しようとする問題だし
その解決を放棄することは物理学の終焉そのものだ
量子論におけるコペンハーゲン解釈は非決定論的解釈ではないが
彼らは物理学の観察対象は現象そのものであるとして
観測問題の行き詰まりから物理学の終焉を宣言した
"the end of road"道の終わりテーゼだ
俺は物理学を尊敬している
現場にて研究している物理学者を馬鹿にするような発言は嫌いだ
んじゃ、 「決定されている」と自覚していれば決定論。 と言うことで。
機械は欲望や感情がないからねぇ 意志の神秘は生命の神秘とつながってる気がするね。 おれは意志よりも欲望という現象のほうが不思議に思う。
695 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 14:29:37
>>693 そうですね。
その人にとっての信仰としての決定論でしょう。
696 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 14:30:57
実際の物理学者は目の前の問題の決定論的な部分を記述しようとするが、 一足飛びに世界全体が決定論的だとか宣言したりはしないだろ。
逆に言えば、コペンハーゲン解釈に抵抗する解釈は 非決定論的解釈に対する決定論的解釈ではない 観念論的解釈に対する実在論的解釈だということだ ならば実在論と決定論を分離できるならば、 この問題はきちんと解決できるはずだ この世界が自分の感覚と切り離されて存在しているということを真摯に主張しても それがこの世界が物理法則に従って決定しているということはまるで意味しない
697は692の続き
神の存在とおなじようにどの道結論のでない問題であるなら プラグマチックに考えてみよう。 決定論を支持するのと非決定論を支持するのでは どちらのほうがメリットがあるのだろう
>>699 「神がいるほうがメリットがある派」と「いないほうが
メリットがある派」の論争に変わるだけ。
701 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 14:45:02
決定論の方がおきらくvs.決定論は無責任 という争いになるのでは?
>>699 もし決定論が正しいならば、目的や価値について考えることに意義がなくなる
なぜならば目的や価値などの当為はそれが可能であることを前提とするからだ
物理学が方法論的に決定論を導入するように
例えば法学などのように当為について考える際には方法論的に非決定論を導入する必要がある
このスレで決定論者が「非決定論者はこのスレで何のために議論しているの?」と書くのもまた
そのような目的を問うという行為が非決定論を前提にしている
(それに対する俺の返答はこのことを痛烈に皮肉ったものだ)
決定論を支持するならば目的について考える必要がないのだから目的を質問する必要もなかろう
目的について考えること、目的について考える意義を 見出すことも決まってるんだからそれは関係ない。
>>703 それに対する俺の返答も決まっているのだから君の文章の内容も関係ないね
決定論者は議論をすることや言葉の正しさを求めることに意味を見出せない
705 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 14:58:24
おきらく派は思考停止を好む。自己責任は各自が考えることを望む。 神を信じるのはおきらく。信じないのは自己責任。 魂を信じるのはおきらく。信じないのは自己責任。 決定論はおきらく。非決定論は自己責任。 自由意志を認めないのはおきらく。自由意志をみとめるのは自己責任。 どっちがよいという訳ではないでしょう。
>>706 可能についての表現?!
いえいえ、君が見出せないのは決定していますよ
>>707 俺は非決定論者だけど???
なんか過去ログ読んでると自分以外は全部敵と思ってるみたいだね。
決め付けばっかりでアホらしいからもうレスしないよ。
一応言っとくと、決定論者が議論することも価値について考えることも何ら矛盾しない ただその議論は真剣に議論しているように見えても見せかけだけで、実は物理法則により決定しているのだが・・・・
710 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 15:17:37
>ただその議論は真剣に議論しているように見えても見せかけだけで、実は物理法則により決定しているのだが・・・・ この部分はオッカムのかみそりでばっさり切り落として欲しいものだね。
決定論でも可能の表現は必要なんだけどね。
712 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 16:01:35
>>681 別に科学的に実証される決定論を否定してるわけじゃないよ。
ただSYN氏みたいに因果律のない決定論だのまで決定論の概念を拡大するなら、
その前提としての論理形式すら守る必要はないという事。
つまり「AはBであり非Bである」という術語の使用は、文法=この世界の論理形式的には
間違ってるが、因果律のない世界を想定するのが許されるなら、
それを想定してはいけない禁止律などない。なぜか彼はそこを見逃している。
つまり「世界の仕組みは決定論であり非決定論である」
という命題を拒否させているのは、単に文法規則にすぎないという事。
訂正「AはBでありかつ非Bである」ね。
714 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/25(木) 16:40:11
最近知ったのですが エヴェレット解釈というのは それぞれの世界が用意されていると解釈してよいのでしょうか。
>>714 他世界解釈のいう「世界」というのはひとつの比喩だろう
世界はひとつであるが、観測者によって世界の見え方が変化しそれが確率として表現される感じではないかと思われ
716 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 18:24:41
>>715 量子力学と日本語を勉強してから出直してきてくれ
717 :
そく :2005/08/25(木) 18:26:16
物理は難しいね。よくわからんよ。 物理は、神にどれだけ縛られてるかを証明することなのかな。 自分で自分の首を絞めることになってるようだ。 でも考えたら自分で自分の首を絞めるのは自由だ。 偶然は神がほったらかしにしている状態だと思う。 アインシュタインの言葉「神はサイコロ遊びをしない」ってのは、 「神がサイコロ遊びをしてない時は俺たちは自由だ。」ということかな。 でもそれは偶然の状態で、つらいから人間たちは 「神様、遊んでないでちゃんとサイコロ遊びをしてくださいよ」 って言ったとさ。
>>716 観測者によって→観測の測度によって
ならばOK?
まったくもってなぜエヴェレット解釈から決定論を結論付けられるかの方が俺には不思議なんだけどね
719 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 18:40:56
確率論が持ってる前提を度外視するからだろう。マクロでは決定論的でも ミクロでは非決定論的な現象を確率論では扱うことができる。たぶん、 確率論=決定論という飛躍があるのだとおもわれ。
>>718 それはお前がエヴェレット解釈を理解できていないからだろ。量子力学も理解していないんじゃないか?
>>719 非決定論的な現象を確率論で扱えるということは、背後に決定論的なものがあることを意味している。
本当の非決定性は確率論では扱えない。
>>720 ちょっと待て
エヴェレット解釈それ自体が確率の解釈だよ
エヴェレット解釈は「確率とは観測における測度である」というひとつの解釈だよ
>>723 俺はそんなことを話してはいないが。お前が不思議に思うのは、
>>720 だからだろってこと。
725 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 18:59:59
>>715 オレオレ詐欺は理系?文系?量子力学をどれぐらい勉強したの?
>>724 量子力学を勉強してエヴェレット解釈を理解すれば誰もが決定論を支持するというのなら
確かに俺は量子力学を理解していない
もっとも俺は確率の傾向性解釈の本とかを読んでるからねぇ
コペンハーゲン解釈や他世界解釈への批判はいくつか知っている
728 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:02:58
>>721 だったら、量子力学が表現に確率論を用いたときに、
決定論者のアインシュタインが「神はサイコロを振らない」と怒ったりはしないだろ。
それともアインシュタインの確率論解釈が間違っていておまいさんが修正したとでも?
エヴェレット解釈うんぬん以前に確率論で詰まっているんだろう。
>>725 俺は文系
だけど科学史、科学論を勉強したから擬似理系よりは理系っぽいと思う
量子力学も大学の「科学哲学」の講義で勉強させられた
観測問題がどのような問題かとかハイゼンベルグ方程式とか勉強させられたよ
>>728 >アインシュタイン
俺の知ってる哲学者はアインシュタインはそこで勘違いをしていて
その哲学者は個人的親睦がアインシュタインとあったので
きちんと説明したら理解してくれたと述べてるよ
「アインシュタインは個人的な信念を破棄することはできずまだいくらか固持していたが
決定論と実在論が別物であること、実在論は重要だが決定論はさほど重要でないことに同意をしてくれた」
731 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:10:28
>>729 数式レベルで理解している?エネルギーの計算とかできる?
その程度も出来ないなら理解できていないよ。
量子力学で重要な数学は何か言える?
そんなことより、なぜエヴェレット解釈から決定論は結論付けられないと考えるのかを書いたほうが良いと思われ。
>>728 アインシュタインは別に怒っていないのでは?不完全だといっただけで。
734 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:12:03
>>730 アインシュタインは確率論を理解したうえで決定論に基づき反論したんだろ。
それが後に決定論を取り下げた。実在論が重要かどうかはさておいて、
アインシュタインが確率論を正しく理解していた事は間違いないだろ?
そもそもなぜモノが在り、なぜモノが運動を観測すると法則性があるのかは 説明ってできないなんだよね。それはただそういうものとしてあるだけだ。 この世界の中で人間の意志というものが仮に物理の法則が適用できない 存在だとしても、それはただそういうものとしてあるだけだ。 べつに自由意志があってもなんら驚くことはないね
>>735 自由意志があっても、それは決まっている。決まっている事を知らないだけ。
>>734 君の言う確率論とは「確率の解釈」のことかい?
ならば物理学でこれほど多くの解釈と論争がいまなお起こっている問題もないと思うぜ
739 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:16:28
>>738 たぶんお前は論争の本質もわかってないと思われ。
740 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:18:27
>>738 >>729 数式レベルで理解している?エネルギーの計算とかできる?
その程度も出来ないなら理解できていないよ。
量子力学で重要な数学は何か言える?
>>732 まず第一にエヴェレット解釈もコペンハーゲン解釈も解釈の仕方に過ぎない
また、エヴェレット解釈は確率の一つの解釈の仕方であるということ
エヴェレット解釈はコペンハーゲン解釈に対する問題解決法として出されている
だけどコペンハーゲン解釈もまた非決定論を主張しているわけではない
むしろコペンハーゲン解釈は決定論よりだ
ということはだ
エヴェレット解釈は元から非決定論を批判できる力をもってないんだよ
>>741 実はどっちも決定論。
コペンハーゲン解釈=非因果的決定論
エヴェレット解釈=因果的決定論
743 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:31:17
>>741 そんな断言をする前に、お前はエネルギーの計算はできるのか?
744 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:35:24
>>742 >実はどっちも決定論。
事実的決定論なんちゃって!プププ
745 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:40:12
コペンハーゲン解釈ってのは決定論側からの解釈の一種だろ。 土台あんなのは人間原理の一種なんだから物理学に定着する種類の議論じゃない。
>>742 実はそうなんだよね。
一意に決まってないというだけで。
忘れてはいかんけど量子力学の解釈から自由意志を導き
出すなんてのは誰も成功してない(できたらノーベル賞もの)。
747 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:42:16
>>737 >決まっている事を知らないだけ。
どのように決まってるか知ることができなければ
決まっているなどと言えない。
意識は自覚されたことがすべてである。自由意志とは
自由だという自覚を持った意志である。
他者がそれが自由か自由でないか判定できるコトではない。
意識が自覚されたものだなんて意識論(?)としてはちょっと どうよって感じだが。 意識が常に明瞭でないのは酒を飲むだけでも分かる。
749 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:46:05
>>746 >一意に決まってないというだけで。
一意に決まっていないことは必然ではないから
決定論とは言わない。
750 :
THE グル :2005/08/25(木) 19:46:33
いいですか、 なにやら議論が、 どんどん脇道に逸れて行っているように思われますがね。 どうかしましたか?
>>749 別に非決定論と呼ばなきゃいけないようなら、決定論者
の何人かは乗り換えるだろうけど「所詮は呼称の問題」
てことになるだろうね。
752 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:49:20
>>749 >意識が常に明瞭でないのは酒を飲むだけでも分かる。
そうだよ。泥酔すれば意識は不明となる。
麻酔でも意識はなくなる。
自覚できないということは意識がないと同じだよ。
意識がなくても生きてはいけるんだから心配するな。
>>752 正常から一気に昏睡になるわけではないんだが。
>>751 「確率的に決定している」という表現であれば納得しそうな人は結構いると思う。
755 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:53:27
>>747 >どのように決まってるか知ることができなければ
>決まっているなどと言えない。
言えるよ。お前が知らないことで、決まっているものは世の中にいくらでもある。それと同じ。
自由意志は決まっているかどうかとは無関係。決まっている自由意志があるってだけ。
757 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 19:59:24
>>753 で、自覚されない意識があるとでも?
意識がなければ無意識だよ。
758 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/25(木) 20:00:00
エヴェレット解釈は 「初めに結論ありき」のような感じがするのですが。
759 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 20:02:50
なるほど。 決定論というのは理系の人にだけ関係があって 文系の人間には関係ないってことかw よかったw 文系で。 決まっていようが決まっていまいが、 自分の行動になんら影響があると感じられない(知りえない)以上、 無視して素通りしても問題ないね。 あってもなくても意味のない理論か・・・ p
>>758 解釈ですから「初めに結論ありき」でいいのです
761 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 20:03:26
>決まっている自由意志があるってだけ。 そうだよ。 自由意志は存在する。
>>759 自分が何で作られ、何で動いているか知らない馬鹿はある意味幸せ。低レベルなロボットと同じだね。
763 :
THE グル :2005/08/25(木) 20:05:42
いいですか、 ここは、 新行動主義的S−R−O理論止まりの議論なんですかね? どうかしましたか?
764 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 20:05:56
>>761 でも決まった行動をしている。未来を変える事はできないけどな。
「決まっている」と「存在する」という動詞の違いとか面白そうだな 決定論と実在論が混同されやすいのも、この2つを混同しやすいからなのかな
766 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 20:07:57
>>765 で、お前はエネルギーの計算はできるのか?出来ないのか?答えられないならできないってことだな?
未来を変えることができないにすぎない
768 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 20:12:19
>>763 いいですか、SOS地球号が何のことか知りませんが、
どうもしないんですよ?
>>762 俺のことはどうでもいいが、
ばあちゃんのことを馬鹿呼ばわりされるのは腹立つな。
ま、年とってくるとある意味、食べて排泄して寝るだけのロボットみたいなものかもしれんがな・・
ノシ
770 :
THE グル :2005/08/25(木) 20:17:14
>>768 いいですか、
外部からの刺激(S)、
生活体内部に現れた反応(R)、
それをつなぐ媒介としての生物有機体(O)に関する理論であって、
SOS地球号とやらとは関係がないんです。
どうかしましたか?
稚拙なスレだな、ここ。
>>769 あらゆる人間はウンコ製造ロボットだろ。
地球上の他の生物を食らってウンコにするだけの下らない生命体。
地球のためにはない方がマシ。
773 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 20:18:58
>>764 >未来を変える事
未来というのは時間だろ?
時間を変えるってどういうこと?
時計の設定変更でもすればいいのかな?
未来を変えるとか過去を変えるとか舌足らずなコト言うな。
未来の何を変えるのか、過去の何が変えられるのか、はっきり
言明すれば意義があるだろう。
>>772 地球についたカビ、って誰か言ってたな・・・
775 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 20:21:23
カビに失礼だよ(藁
>>773 >未来の何を変えるのか、過去の何が変えられるのか、はっきり
未来の何をも変えれないんだろ。当たり前のことじゃん。
777 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 20:24:47
>>776 >未来の何をも変えれないんだろ。
未来、たとえば明日の行動予定なんか変えることできるだろ?
予定通り実行できるかは別として予定することは自由だ。
>>777 変えれないだろ。予定を変えるとしても、その行為が必然なだけで。
それを変えれるというなら、ロボットでも変えれることになるな。w
必然であるにすぎない
結局、スレタイ通り、全ては必然にすぎないのね。
必然といっているにすぎない
決定論の勝ちで終了
なんで勝ちになるの? 決定論なんて、必然であるといっているにすぎないだろ。
ほとんど雑談スレと化してるなw
785 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 20:34:47
地球は、人間の未来のために回ってんのかな。 時計もただ回ってるだけだろ。 逆回転すれば過去に戻れんのかな。 でもただ逆に回ってるだけかもしれない。
回っているにすぎない。
きみの髪の枝毛を選り分けるためではないだろうね
>グル先生 規制で書き込めなかったのです まぁダラダラと続きながら 「世界は決定している」という表現が示していることについて理解をしていく程度でいいのでは? ちゃんとした議論は前スレあたりで出尽くしたように思えるのです
全ては映画のように決まっている。結末を誰も知らないだけ。
世界は決定しているに過ぎない
791 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 20:46:46
>>788 で、お前はエネルギーの計算はできるのか?出来ないのか?答えられないならできないってことだな?
>>789 その映画を見る観客は映画の内部にはいないね
映画の内部は決まっていてもその外はどうなってるか不明
ということは観客の結末は決まってはいないということか
794 :
THE グル :2005/08/25(木) 20:52:34
>>788 いいですか、
確か、
オレオレ詐欺さんは、
カントについてお詳しかったですよね。
そちらの方から、
この問題に切り込んだら面白いと思うのですがね。
どうかしましたか?
795 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 20:52:51
「映画」という比喩を使った時点で映画の外の世界が想定できてしまう。 言葉の概念を拡張し合うだけの議論はとっても不毛
>グル先生 自由と因果律の二律背反 「世界が決まっている」と「世界が決まっていない」のどちらも同じ程度に論証可能であるというやつですね
797 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 21:02:14
>>793 何か勘違いしていないか?お前の知性を示すスレじゃないぞ。
エネルギーの計算も出来ない奴が量子力学を語ったら駄目だろ。
そんなこともわからないのか?
>>792 人間は映画の登場人物だから決まっている。観客はいない。
800 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 21:06:04
>>798 何か勘違いしていないか?
こ こ は お 前 の 知 性 を 示 す ス レ で は な い ぞ。
エネルギーの計算も出来ない奴が量子力学を語ったら駄目だろ。
そんなこともわからないのか?
801 :
THE グル :2005/08/25(木) 21:06:06
>>796 いいですか、
流石に良くご存知ですね。
即ち、
意志の自律性のことでもあるんです。
どうかしましたか?
オレオレ詐欺とグルって馬鹿? 前スレのキチガイにそっくりなんだが・・・
オレオレ詐欺って出来ない事を出来ないといえない奴なんだね。 物理にコンプレックスでもあるのだろうか。 そのうち某うみねこみたいにならないか不安だ。
804 :
THE グル :2005/08/25(木) 21:15:54
>>802 いいですか、
そのご意見は、
完全なる自由な、
あなたご自身の意志によって発せられたものなんでしょうかね?
さもなくば、
このサイトやこの板の雰囲気に影響されて、
言わされているだけなのかも知れませんね。
どうかしましたか?
805 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 21:20:04
>>803 つーか、オレオレ詐欺ってうみねこじゃねーの?
オレオレ詐欺にうみねこの評価を聞きたい。w
>>799 いいですか
観客のない映画をはたして「映画」と呼べるのでしょうかね
どうかしましたか?
>>800 知性はレスの内容で示すもの
いいかげん馬鹿な醜態を晒すのをやめたらどうだ?ということだ
皮肉が通じんというのは皮肉なことだな
>グル先生
「自律的に思えるだけで実際は・・・」で片付けられると思うのです
決定論はおいといて意思が他律によって支配されないことはこのスレの中盤ぐらいでも少し触れられたと思うのです
もちろん決定論とは関係がないと打ち切られてましたが・・・
>>805 アインシュタインとボーアの論争の具体的なやりとりとかも俺は勉強したの
うみねこ風情といっしょにすんなよ
808 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 21:23:25
>>806 お前が知性を示すかどうかなど、誰も関心は無いのだが。
お前がエネルギーの計算が出来るかどうかと聞いているのに、なぜ答えない?
>>807 文系向けの本を読んだだけで、実際に何も理解して無いのでは?
811 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/25(木) 21:26:22
無理やり箱の中に押し込めてしまおうみたいな作戦にみえますね。 エヴェレット解釈とコペンハーゲン理論。
>>809 ではアプしようか?
アインシュタインの反論のどこに欠陥があるのか指摘できるのか?
悪いがこのスレにいる似非理系じゃ分からないぜ
>>808 馬鹿を無視する自由ぐらいくれ
>>810 ラプラスは世界の外にいる
非決定論者はラプラスもまた世界の一部であることを指摘すればいい
_ ⊂ヽ ゚∀゚)ヽ きん‥(溜 `ヽ ヽ' )) ノ ノ し' ⌒J _ ( ゚∀゚) ミ もーーーっ☆ γ 二つ つ { ( ヽ,_)ヽ,_)
815 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 21:34:27
>>813 >馬鹿を無視する自由ぐらいくれ
下らないレスをするなら、出来るか出来ないか言うぐらいは簡単だろ。
お前がエネルギーの計算が出来るかどうかと聞いているのに、なぜ答えない?
>>813 ラプラスじゃなくて、ラプラスの悪魔だろ。
ラプラスの悪魔は仮想的な存在。実際には存在しないし、世界に干渉しないから非決定論にはならない。
817 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 21:37:30
>>813 いや、お前には指摘できないよ。見当違いの指摘をするだけ。
お前がアインシュタインの主張を理解していないのは明らか。
相対論は間違っていると主張しているトンデモと同レベル。
819 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 21:40:41
>>815 出来ないに決まっているんだから、苛めるなよ。w
820 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 21:42:31
>>807 誰もおまえ自身の評価を聞いてはいないのだが。w
うみねこの評価はできないらしい。w
821 :
THE グル :2005/08/25(木) 21:47:14
>>806 いいですか、
>「自律的に思えるだけで実際は・・・」で片付けられると思うのです 云々。
とおっしゃっておられますが、
よく考えるならば、
これはそう簡単な話ではないんです。
例えば、
個人の自律意志に関わってくる他律として、
人が道徳法に従うということであり、
即ち、
理性は法則に客観的妥当性を見出してこれに従うがしかし、
これに従うのも行動するのも自己であるから、
結局は自律であり自由であるというのがカントの主張でありますが、
感性や傾向性などの自然的欲望による意志はこのうちに入らず他律的なものとされております。
また、
1940年代に興ったトランザクショナリズムやニュールック心理学に依り、
過去の経験という外的要因や、
価値観や期待や興味などの内的要因に依ってすら影響されるものであるとされているんです。
どうかしましたか?
823 :
考える名無しさん :2005/08/25(木) 21:54:39
とうとう異常者のスレになったか・・・
台風は人の頭の中まで荒らすのか?
825 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/26(金) 00:19:34
>>785 >地球は、人間の未来のために回ってんのかな。
それは違います。
>逆回転すれば過去に戻れんのかな。
それも違います。
>でもただ逆に回ってるだけかもしれない。
そうです。
我々は「夜空」を無視しすぎております。古代の人々は夜空を見上げ、
「12星座」を想定したましたし、神話を考えました。
しかし、我々現代人は毎日TVを観ることに忙しくて「晴れ上がった夜空」
を観ることは殆どありません。
要するに「古代人の方がより『真理』の近くに居た」・・ということです。
「星」と見える「光点」は、実はその殆どが「銀河」なのです。
ちなみに「我々の太陽が属する銀河」の直径は「約20万km」
・・・「光の速度」で「端から端まで20万年かかる距離」であり、
そういう銀河が「この宇宙内」では「一兆個以上」ある・・ということです。
826 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/26(金) 00:41:59
>825の訂正です。 20万年×365日×24時間×60分×60秒×300000km ですから・・・825は「非常に大きな間違い」です。 申し訳ありません。 結果はExcel等で計算してみて下さい。済みませんでした。
>>825 >>826 銀河系は直径10万光年ぐらいです。
また、星座という見方は真実に程遠いです。
一つの星座の中の星の距離より、反対側の星座の星との距離の方が近いことが少なくありません。
横から見ると星座はバラバラです。何万年後には、星は大きく移動しており、星座の形はなくなっているでしょう。
>>670 >決定性とは予測可能性があること、計算ができることだろう。
違います。カオス的事象は決定的ですが、予測不能です。
>そしてその予測結果が必然であることを決定論は主張する。
そんな決定論はありません。決定論は予測不能性を主張します。
>だから未来予測のできない決定論なんかは何でも決定論であり、
>あとだしジャンケンのように無意味だということだよ。おわかりかな?
意味があるかないかは、人それぞれです。
貴方に意味がないからといって全ての人に意味がないわけではありません。
決定論でも意味があると考える人は多いです。私にとっては非決定論こそ無意味です。
829 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 01:10:39
カオスって、 答えに幅があるだけじゃないの? ようするに、 狭い範囲に答えを絞り込めないっていうか。
>>671 物理現象と意識と計算は、一体のものであるというのが私の以前からの主張です。
イデア界の計算が、物理界では物理現象と呼ばれ、精神界では意識になっているだけで、
単純にイデアの物理法則に束縛されているというものです。人の意識はその現象の一部にすぎません。
>>674 >現在の世界の初期値はビッグ・バンにあるわけだが、そこは特異点であって物理法則は破綻している。
違います。
そこはどうなっているかまだわかっていないだけです。
物理法則が破綻しているかどうかもわかりません。
>また、決定論が成立するためには、宇宙空間内にどんな特異点も存在してはならない。
これも間違いです。貴方の想定する決定論がそうだからと言って、
すべての決定論がそういうわけではありません。特異点があっても決定論は成立します。
832 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/26(金) 01:16:34
>>827 >横から見ると星座はバラバラです。
おっしゃるとおり「そのとおり」ですが「古代人のクオリア」について、
なにか「別の視点」がはおありなのですか?文化人類学的とか・・
現代の12星座占星術・・・の起源とか?細木「**星人」についてとか?
\ │ / / ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ─( ゚ ∀ ゚ )< クオリアクオリア! \_/ \_________ / │ \ ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< クオリアクオリアクオリア! クオリア〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________ ________/ | 〈 | | / /\_」 / /\」  ̄ / /  ̄
>>677 物理現象が意識なので、物理現象を記述できれば意識も記述できます。
表裏一体で同じそれを、
・客観的に見れば、物理現象
・主観的に見れば、意識
になります。
835 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/26(金) 01:21:49
>>830 >イデア界の計算が、物理界では物理現象と呼ばれ、精神界では意識になっているだけで、
・・とあなたがおっしゃる「イデア界」などは幻想です。
逆に言うと「イデア界」を必要とする「観念論」という「宗教的思想体系全部」が、「自己欺瞞」
に基づく「誤り」=『真理に目を背ける「人間の弱さそのもの」』です。
∧ ∧ / ヽ ./ .∧ / `、 / ∧ /  ̄ ̄ ̄ ヽ ふ〜、そろそろ自演も飽きたぜ /::::::::: .\ /:::::::::: ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- ∧/ ∧ ヽ::::::::::: \___/ / ヽ / ヽ ヽ:::::::::::::: \/ / ヽ_____/ ヽ / / \ | / ヽ | '''''"´) ● \─/ ● |'´) \ -‐´ ヽ/ /´ | | \ /
>>684 >もう一度同じ状態で俺として生まれてきたのなら、まったく同じことを繰り返すのかってことで。
それは当然でしょう。自由意志で行動しているならその通りになるはずです。
ただ、非決定性(例えば神の介入など)によって、自由意志が歪められれば違うことが起こるかもしれませんが、
もはやそれは「同じ状態」とはいえないと思います。非決定性を含めて同じ状態にする必要があるでしょう。
,、::::::::::::::::::::::::::::. 、 /::::::::::::::::::::::::::::::::::: \ i:::::::::: . -=・=- i、-=・=-| / ``'ー 、_\ .. -=ニ=- / /ー 、_ `\:、_ `ニニ´/ 時間は稼げたかな \,,|丿‐''"ニ,,-‐''''''""'ヽヽ /、,,,,,-‐l" \ Q〜 っ |ヽ/ \丿 / / /,-''''" ̄ /ノl / \ \____/__ ./ || \ノ __,ゝ‐'",--、-、 /'''""'''" / \__/::::::::::::::::::::::/'''‐/ | | ,,,,ノ ヽ‐‐'''"""二"_/ /、 |::::::::::::::::::/、 /| / /_ ,,-‐'''"~ ,,, ゝ /ヽヽ |::::::::::::/,,/ ヽ /,‐'''\ ,,,-‐'''''"~ ,,,-‐'''"// /、,,,、ヽ‐\ / | >‐"/ | | ‐''" ,,,,-‐''" /// ヽ|ヽ \ ,,,-‐''"~ / ヽ_ | ,,,,-‐'" / | ,.‐'''""~ ,-'"ゝ、 ─''''" ''~ / ヽ / / _,,,,/-‐、 \ 片付けると怒られる場合もあるが効率を考慮して無論すぐに使える場所に優先的な配置が形成されるという 片付けても何故か妙に散らかる場合は恐らく散らかす連中に落書きをできる猶予を親方としているから困る だから片付けることはしない屁理屈は自然に散らかす畜生が舵を握ろうとするから舵取りが上手くいかない
840 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 01:24:53
>>835 イデア界は、「人間の観念」とは違うものです。
円周率は無理数であるといった、物質や現象を束縛している原理の世界です。
論理界というのが正しいかもしれません。
842 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/26(金) 01:26:33
>>838 >非決定性を含めて同じ状態にする必要があるでしょう。
そんな「必要」はありません。
「決定論」は4次元時空におけ(いて決定されているあり方)が「決定されている」
ことを「指摘」しているだけですから・・
∧_ ∧
_ ( ´・ω・`) __
/ ( ( つ┳つノ \
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ
| / \ |
>>836 | ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- | さあなあ?そもそも時間なんてあるのか?
| |
ヽ (_人_) ノ
〜〜〜〜 ◎――――――――◎
844 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 01:27:55
仮に、決定されているとして、そのことに何の意味があるのかさっぱりわからない。 それこそ、「決定されているといっているにすぎない」。
845 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/26(金) 01:28:34
>>841 そういう『思想』を「観念論」と総称しますが、あなたは「その分類には属したくない」
と抵抗されると思います。・・・しかしそれは「観念論そのもの」です。
>>691 その自由(感のある)意志を支えているのが決定論的作用です。
848 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/26(金) 01:31:25
>>843 直感的には「あなた」には時間がない・・です。
>>844 意味があるかどうかは、人それぞれです。
貴方に意味がないことでも、他の人に意味がある事はたくさんあります。
私にとっては決定されていることに意味があります。
>>694 >機械は欲望や感情がないからねぇ
人間は機械の一種です。機械も人間も、欲望や感情を持つことも捨てることもできます。
>意志の神秘は生命の神秘とつながってる気がするね。
すべての存在が神秘と繋がっています。
石も植物も虫も機械も人間もかわりません。神の前では全てが平等です。
851 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/26(金) 01:37:04
>>849 いや、そういう「雑駁な意味」論ではなく、
「生きる意味を教えて下さい」と叫びつつ1人/日「自殺を遂げている」
方々に「あなたの伝説」が・・「意味無い」・・ことが「問題」なのです。
3万人/年・・・という統計は「交通事故死者」の3倍です。
,、:'"::::::::::::``:...、 /:::::::::::::::::::::\ i:::::::::::::::::::::::::ヽ !:::::::::;‐、:::::::::_::::::_::::'; |::::::::::::::::::| :: ̄ ``! r''ヾ'::::::::::/ :: | l r‐、\::/ _,,、ii_;;_、 _,,,l、 敵の敵は見方、 ヽヾ〈 ● ● みたいなループを延々と繰り返すことは美ですか? !:!_,、 :: ` ー : |: `´/ ,./ヽ | 、_ :: ,: 'r' :i |: / ,../ `ヽ;_ i | '"、_:::__`:'‐'. / / ``'ー 、_\ ! `::` ̄''`チ`シ /ー 、_ `\:、_ :: ` ̄/ / ``ヽ、 ヽ`'7‐--'゛ / `ヽ、 `/
| )●( | < むっーーー
>>699 決定論の世界の中で、見かけ上の非決定論的世界が作れるので、共存すればいいです。
| )●( | < むっーーー
| )●( | < むっーーーさーーー
| ・ ・ | | )●( | <船頭だらけのスレに談議の方向性など皆無だよ ・・・おめーら
∧_ ∧ _ ( `・ω・´) __ / ( ( つ┳つノ \ /  ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ | \ / | | ● ● | | | ヽ (_人_) ノ ∧_ ∧ ――――――◎ _ ( ´・ω・`) __ / ( ( つ┳つノ \ /  ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ | / \ | | ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- | | | | (_人∧∧ ヽ _ (,,゚Д゚) __ ◎―――/ ( (つ┳つノ \ / ○ ̄ ̄ ̄ ̄ ○ ヽ | ____ | | | | | | .丿 | | ヽ / ̄ ̄ ̄ \. ノ 〜〜〜〜 ◎――――――――◎
>>851 生きる意味など無かったら、わざわざそれを言うべきでしょうか?
死にたい人が勝手に死ぬ事は何も問題ないと考えます。
それは神の意志でもあるでしょう。
汝の欲する所を為せ、それが法とならん。
860 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/26(金) 01:46:47
>>850 >神の前では全てが平等です。
では「現実世界で全てが平等でない」とするならば、
それは「神の前」ではないから・・ということです。
「神」?「エホバ」?「キリスト」・・・何でもいいから「実効性」を
示してしていただきたいです。「神」はみんなの「アイドル」・・「なんかやるかも・」は、
未だかつて「やったこと」はあありません。
『「神」は居ない』・・・それが「ネオ・ニーチェ」の宣言です。
>>702 >もし決定論が正しいならば、目的や価値について考えることに意義がなくなる
それは貴方の勝手な思い込みです。
私は決定論が正しいからこそ、目的や価値について考えることに意義があると思います。
決定論の世界でも、見かけ上の非決定論的世界はあるわけですから、何も問題はありません。
862 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 01:47:57
神学論争は他所でやれw
∧_ ∧ ∧∧ _ (;゚Д゚) __ / ( (つ┳つノ \ /  ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ | / \ | | ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- | <一人二役を操作するのは大変だな、弟よ | | ヽ (_人_) ノ / ヽ | / \ | | ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- | <そうだね、兄さん | | ヽ (_人_) ノ 〜〜〜〜 ◎――――――――◎
>>860 神を感じられない人は、神を意識する必要はないと思います。
その人の世界には神は存在しないのでしょう。
盲目の人間に絵の素晴らしさを説明しても意味がありませんし、知る必要もないでしょう。
865 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/26(金) 01:52:31
>>861 そもそも、あなたの「感じる意義」など・・・まったく「無意味」なのです。
「勝手に自分で(主観に置いて)「意義だと思っていること」は、むろん自由です。
>>712 >それを想定してはいけない禁止律などない。なぜか彼はそこを見逃している。
見逃しているわけでは在りません。無視しているだけです。
それは独我論的世界を排除しているのと同じです。
「人」との議論や論理自体が無意味なるような前提を、私は無視しています。
>>865 重要なのは誰にとって意味があるかです。
誰かに意味があれば、それは世の中で、意味のあるものになります。
>>717 >物理は、神にどれだけ縛られてるかを証明することなのかな。
世界が完全に縛られた存在であることは、2000年前からわっている人間はわかっていました。
物理学は、世界がどのように縛られているかを追究しているに過ぎません。
>>719 確率は事象の捉え方であって、事象そのものではありません。
決定論的作用が把握しきれない時、はじめて確率論が成立します。
>>735 意識を作り出している原理に縛られていますが、
自由を感じることは出来るで、それを自由意志と呼んでいるだけです。
人間だけでなく全ての存在が自由意志で動いていることになります。
人間は流転する世界の一部に過ぎません。
>>831 神秘主義的な言動が多くなったなぁw
量子力学の唯物的決定性を根拠に、その下部構造からマクロの上部構造、ひいては宇宙全体が一意に決定されている、という論旨じゃなかったっけ?
宇宙全体にブラック・ホールが点在するのなら、少なくともその決定性は物理学的根拠を失うんじゃないの?
計算の不能性の話ではなくて、物理法則自体が不可であるという話ですよ?
私は、あなたが正しき唯物論者であると思っていたのでね。
872 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 02:25:21
働 け
>>871 >量子力学の唯物的決定性を根拠に、その下部構造からマクロの上部構造、ひいては宇宙全体が一意に決定されている、という論旨じゃなかったっけ?
一意に決定されているというところは仰るとおりですが、私は物理学に立脚していません。
物理学はイデアにある原理の一部を記述したに過ぎないものです。
>宇宙全体にブラック・ホールが点在するのなら、少なくともその決定性は物理学的根拠を失うんじゃないの?
最終的に出てくる(かどうかは知らないが)物理法則の完成形で、
ブラックホールの存在が必要とされるなら何も問題ありません。
875 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 02:42:07
>>866 >「人」との議論や論理自体が無意味なるような前提を、私は無視しています
「因果律のない決定論」という概念は文章の上では存在しますが、
「丸い四角」と同様に想定不能です。
「丸い四角」を前提とする議論が無意味なように、
「因果律のない決定論」を前提とする議論も無意味でしょう。
ここは無職が多いのでしょうか。私は違いますけど…。
>>875 >「因果律のない決定論」を前提とする議論も無意味でしょう。
私は無意味とは思いません。
非因果的事象があったとしても、人間の意思や同世界の事象によらず決定されている
(上位世界での因果)とする決定論的立場です。非因果的事象を映画のフィルムの傷のようなものと考えます。
宇宙ジオメトリとして過去から未来までが既に存在しており、
その内部からそれが因果律として見られるかどうかは無関係です。
コンピュータゲームをするロボットがいて、その中のゲームの世界を考えると分りやすいかと。
879 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 03:06:14
>>878 コンピュータゲームの中の世界が、いかに現実の物理法則に
逆らっているかに見えても、それは現実の物理法則により規定されている。
ランダムエンカウントとは原因なき(ランダム)結果(エンカウント)ではなく、
乱数に対応したプログラムという因果律に従っている。
世界の背後まで探求の範囲を拡大するのは構わないが、
そこで「因果律なき決定論」つまり「丸い四角」のような、
この世界の自分の頭で想定できない概念を持ち出して議論しても無意味。
「私には意味がある」という語りは独我論も同様。
それを許可してしまえば、「世界の仕組みは決定論かつ非決定論である」
という概念と(個人的な趣向によってしか)区別がつかなくなる。
>>877 聞き方を変えましょう。あなたは「上位世界」に
「丸い四角」や「赤い青」が存在することを認めますか?
>>880 そういう問題定義はおかしいと思います。
ある事象の必然と偶然の関係のように見方によって異なるものなら成立すると思います。
円柱の影が、丸だったり、四角だったりというのでもいいと思います。
>>879 >コンピュータゲームの中の世界が、いかに現実の物理法則に
>逆らっているかに見えても、それは現実の物理法則により規定されている。
>ランダムエンカウントとは原因なき(ランダム)結果(エンカウント)ではなく、
>乱数に対応したプログラムという因果律に従っている。
我々の世界も因果律という点においては全く同じです。
重要なのは人間の自由意志は因果律に従っており、
非因果的事象が存在すればそれが妨害されるということです。
選択に理由があるならば、同じ状態の中で何度やっても同じ選択をするでしょう。
理由のある選択の意志を保証するのが決定論です。
自由意志で行動するならば、同じ状態では、同じ選択を行います。
自由意志は、それが未来において決まっているかどうかは無関係で、
その意志が妨害されないことが重要です。
なので、
決定論(自由と秩序) vs 非決定論(不自由と混沌)
という図式になり、
非決定論の非決定性は、自由意志を妨害する敵になると思います。
883 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 03:29:55
>>881 >ある事象の必然と偶然の関係のように見方によって
>異なるものなら成立すると思います。
>円柱の影が、丸だったり、四角だったりというのでもいいと思います
あなたは「丸い四角」を、そういう「この世界の概念」に押し込めて説明しようとする。
しかし、「因果律のない決定論」については、「上位世界の概念」
(=この世界の概念ではその因果律が見えないが、
上位世界の概念では因果律がある)でさらっと説明する。
これはおかしいと思いませんか?
上位世界では、円柱の影ではなく「円柱がどこから見ても四角い」
という事態がないと、どうして言える?
この世界ではそれが見えないようにプログラムされているだけかもしれない。
>>883 >上位世界では、円柱の影ではなく「円柱がどこから見ても四角い」
>という事態がないと、どうして言える?
>この世界ではそれが見えないようにプログラムされているだけかもしれない。
ええ、そうですね。
その場合、それは(人が想像する)円柱などではなかったというだけでしょう。
つまり、その上位の原理は「人の意識」によるものではないということです。
886 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 03:55:26
>>885 >つまり、その上位の原理は「人の意識」によるものではないということです。
つまり、その上位の原理は、「形而上学」という無限の領域に編入されますよね。
「人の意識」は上位の原理に対し当てずっぽうな推測しかできないのだから、
形而上学的な概念同士の真偽は人間には比較できない。
つまり、あなたの「(この世界に)因果律なき決定論」説と、
例えば「上位世界のどこにも因果律のない非決定論」説の正しさは、
どうやって論理的に他者に説明できるのですか?
>>886 >つまり、その上位の原理は、「形而上学」という無限の領域に編入されますよね。
>「人の意識」は上位の原理に対し当てずっぽうな推測しかできないのだから、
>形而上学的な概念同士の真偽は人間には比較できない。
ここまではほぼ同意です。
>どうやって論理的に他者に説明できるのですか?
究極的にはクオリアと同じで説明不可能な領域だと思います。
言葉という手段ではなく、覚りによって知るしかないと思います。
そこに辿りつくために言葉は必要ですが。
>>872 >>874 無職、乙w
大変な苦労をして書いてる人間も居るわけだが、おまえの知ったこっちゃねえなw
889 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 06:16:52
890 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 06:18:49
偶然はねーよ そんくらい分かれw
892 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 06:49:29
>>888 大変な苦労の発表の場が2ちゃんって
可哀相だね
ゴミ溜まりで?w
>>873 非因果的決定論は物理学に立脚しているようですが、これはあなたの主張と矛盾していませんか?
895 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 06:54:58
株価の将来は、非決定。 現時点でこの世に存在しない会社が誕生し、1年後に上場したとして、 この会社のさらに1年後の株価を現時点で予想することは不可能。 既存の上場銘柄の株価も、このような現在あらゆる方法を以ってしても認知できない パラメーター(材料や需給)が株価が観測されるまで、常に追加される可能性が 排除されない限りは、非決定である。
897 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 09:09:24
いってらしゃい! パパ、お仕事がんばってね☆
株価でも、カラスがカーと啼く時でもなんでもいいんだけど、決定か 非決定かが問題になる時は必ず生命(現象)が絡んでいるよね。 当たり前と思うかも知れないが、ここには重要な何かが隠れているよ。
>グルっち 多分、「意思が自然法則に従ってないと思ってるだけ」と答えられて終わりです 非合理的行動の例も「それもまた合理的に動いている」と答えられるのですから 水かけ論で進展しないように思えます ここで決定論を真摯に主張できているのはSYNだけで ほかの人は物理学主義(physicalism)に陥っているだけでしょう 俺は決定論を論駁するにあたっては、人間の意志を絡めない方がいいと思う 前スレにもいたけどポパーのやり方が決定論に対する一番いい指摘に思える
決定していると考えることは事象の原因や結果を考えること。 決定していないと考えることは事象の原因や結果を考えないこと。
>SYN >それは貴方の勝手な思い込みです。 >私は決定論が正しいからこそ、目的や価値について考えることに意義があると思います。 いいえ、目的や価値について考えるにはそこに可能が必要です われわれの思考は、不可能な目的を追求するようにはできてないんです ある目的地に行くのに電車がいいか徒歩がいいかと考えるならば その選択がどちらも可能である必要があります 電車が止まって再開の見込みがないにも関わらず電車がいいかと考えることはできません このことは決定論を否定する根拠にはなりません しかし、物理学が方法論として決定論的思考を導入することと同じように 目的について考える際にはわれわれは方法論として非決定論的思考を導入するのです すなわち、異なる2つの可能世界を想定するのです これは決定論的思考では、目的について考えるという行為が成立しないということを示しています たしかにすべては決定されているかもしれませんし、人間の思考は幻想かもしれません しかし、目的について考える際にはわれわれはその幻想において選択し分岐した可能性を探るのです
証明が複数の公理によって定理を導くことであるなら、もっとも基本的な公理は 因果律(原因が結果を決定する)である。証明に使用する公理があらかじめ 信用されていなければ導かれる定理も信用されていないことになる。
>>902 もっとも基本的な公理は「矛盾の禁止」だよ
言葉をまじめに扱おうとするなら当然
次が「AかAでないかのどっちか」
実りある思考をしようとするならこれも当然
>>901 我々の思考に可能という概念が存在することはもちろんですが、決定論や非決定論の
対象は我々の思考方法ではなくすべての事象なのです。
>>903 矛盾の禁止も因果律がないと成り立たないのではないでしょうか。
決定論と非決定論のどちらが勝ちか決める方法ってあるのかな? どちらがより現実を認識できるか、どちらが思い通りの結果が出せるか 等のルールがないと決着つかないな。
そりゃ無理でしょ。
>>1 でいってる「決定論」に主張内容としての内実は無いもん。
「必然にすぎない」というのは本当それだけに過ぎないわけで、
意識を指して「必然」と言ってるに過ぎないわけ。
907 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 14:56:51
屠殺場の壁がガラス張りだったら、人々はみな、ベジタリアンになるでしょう。 ポール・マッカートニー 「仏教」「地獄絵図」ってキーワードで検索してみてください。 というよりしてほしいと思う。 ひよこはオスだとわかると数十匹袋に入れられて圧迫されて叩き殺される。 食肉される牛は最後涙を流すこともあるらしいです。 片脚を鉄のチェーンで縛られ逆さまに吊るされ、宙に浮く。悲鳴を上げる。 牛は自らの重い体重を支えられず、 吊るされた脚は脱臼し骨がバキとへし折れる音が解体場に鳴り響き、 牛の頭は人間が持ってきた解体する大きなまな板のよな台に首が乗って目は充血し、 パニックになり鳴きつずける。人間はノコギリのような刃物で首に切れ目を入れ、 その瞬間に動脈が切れ大量の血が滴る。。 ・・・生きてる鶏を吊るして羽をむしりとり首を切って、 中には動脈でつながり意識ある鶏を熱湯に放り投げフタをする。 俺このサイトみてから改心した。 「牛の作文1、2」ってコーナー見て人間は戦争をやめろだとか 平和を願ってるけど、家畜の動物たちに待ってるのは地獄。 安楽死させてると思ってた。 もしくはガスの中で意識薄れていく中で死んでいってると思った。 だけど、現実はそうじゃなかった。涙というよりショックで肉食べれなくなった。。 人一人がベジタリアンになると80の命が救われるらしいです。 俺は宗教あんま信じてるほうじゃないけどそんなんじゃなくて 普通にベジタリアンになろうと思った。 俺が食べないことで少しでも殺される数が減っていることに なるならいいやなんて思った。。 グロテスクな映像は見なくていい。命ってなんなのか。文章だけでも読んでほしい。 ここを覗いた人が何かしら家畜たちに対して感じてほしい。 国道16号線を走っていた時、赤信号で止まって前のトラックの隙間から 見えた牛と目が合った。大きな瞳がすごく潤んで見えた。。 それから16年間肉は食べていませんって書き込みに泣いてしまった。
>>907 >国道16号線を走っていた時、赤信号で止まって前のトラックの隙間から
>見えた牛と目が合った。大きな瞳がすごく潤んで見えた。。
>それから16年間肉は食べていませんって書き込みに泣いてしまった。
これは16号線と16年を引っ掛けたギャグなの?
909 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 15:01:58
で?
910 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 15:03:47
>>1 では
>「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。
が「意識は必然」の根拠なのだろう。
しかし、意識を示す物理化学法則など現在、存在しない。
意識がどのような物理量で示されるか定義されたことはない。
意識は情報であり物理学の対象であるエネルギーや物質ではない。
エネルギーと物質と情報を三位一体とした「情報物理学」でなければ
意識の解明はできない。
911 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 15:20:08
ふむ・・ 痛い どれくらい痛いのか? 悲しい どれくらい悲しいのか? うれしい どれくらいうれしいのか? 程度は様々だ。 なぜ痛いのか? なぜ悲しいのか? なぜうれしいのか? 理由は様々だ。
>>904 矛盾の禁止に因果律は関係がありません
矛盾の禁止は論理規則におけるもっとも前提となるルールでしょうが
この規則に従うかどうかを決定するのは最終的には個々人の「決断」なのです
バートランド・ラッセルも
「もし矛盾した発言をまったく気にしないで行う人間がいたとしても、
われわれがその発言の撤回を強制することはできない(良くない)」と言ってます
矛盾からは何でも証明できるので
矛盾が許されるならばそれは言葉のアナーキズムに陥って
統制のとれた言葉を使用して自らの主張を言葉にて表現することもままならないでしょう
しかし、それが矛盾の禁止を正当化するわけではありません
結局のところ、われわれはそのような言葉の使用をしないということを個々人がそれぞれ"決断している"に過ぎないのです
決断するかしないないかも、意識を作っている作用に従っているだけ。 決定論を否定する事は誰もできない。
>>913 意識を作っている作用とやらが決定論的かどうかもわからないことだけどね。
>>914 決定論的だろ。非因果だろうと人間の意志と無関係に決まるなら、事実上決まっているの同じ。知らないだけ。
>>913 中世のローマ法王パトリック何世かはキリスト教がもっとも優れていることを主張するためにこう言ったそうです
「真にキリスト教を信奉した者は二度と信仰を捨てることはない」
ローマ法王は信仰を捨てたキリスト教徒の例に対しては「彼は真にキリスト教を信奉していなかったのだ」と答えたそうです
わたしは言葉には内容と正しさを求めます
権威付けの言葉にわたしは関心がありません
>>916 結局このスレは宗教戦争スレだったということで終了?
>>915 人間の意志や行動がまるっきり決定論的だとしても、世界のすべてが決定論的だとは限らないじゃん。
人間は凧に縛り付けられている存在だとしても凧自体の糸が切れてる可能性は否定できないよね。
ま、これも君の意見同様屁理屈だけどね。
ところで
>知らないだけ。
もし知ってしまったらどうだろう?
君は予言破りはできると思う?
>>917 いや、哲板で一番賑わってる雑談スレ。
>>917 一応俺は宗教的な論争も無意味とは思ってないが・・・・・
予測と切り離された決定論はかなり宗教に近くなります
しかし形而上学も無意味ではないし、形而上学論争も内容のある論争になりうるとは思うが
ここでの決定論はもはや語っている内容をなくすことで「誰も否定できない」という地位を手に入れた空虚な代物です
論争に負けないようにするために宗教における神の扱いのようにどんどん内容が削られているので
「誰も否定することができない決定論」はもはや権威付け以外の何の力も残ってないでしょう
>>919 > ここでの決定論はもはや語っている内容をなくすことで「誰も否定できない」という地位を手に入れた空虚な代物です
> 「誰も否定することができない決定論」はもはや権威付け以外の何の力も残ってないでしょう
これはすなわちこのスレの役割は終了したということでしょう。
>>920 もう◆決定論:脳波物質だから意識は必然に過ぎない42◆というスレが立つことはない。
そういうことでしょう?
語ることがないのにスレが立てられたら布教が続けられるだけだわな。
>>918 >人間の意志や行動がまるっきり決定論的だとしても、世界のすべてが決定論的だとは限らないじゃん。
え?決定論的だよ。人間の意志に関係なく決定されるから。
別に非決定論と呼んでもいいけど、人間の意志に関係なく未来が決まってしまうのだから、事実上決定論と同じだと思う。
名称なんてどっちでもいいけど、人間の意志は自動的に決められてしまうってこと。
>>912 > 矛盾の禁止に因果律は関係がありません
何故でしょう。論理規則において因果律の概念は主にイコールであらわされます。
>>924 論理について考える時にイコールの記号は使用しないんです
イコールの概念も使用しないでしょう
926 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 18:46:59
自分の意志は自分自身で決める以外に決めようがない。 だれも他人の意志に作用を及ぼすことはできない。 自分の意志の出力は自分の身体の行為としてしか現れない。 だれも他人の身体を自分の意志で行動させることはできない。
>>923 宇宙にまるで意思があるかのように一個体のような変化をしうるとは想像しないのですか?
928 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 18:48:03
宇宙全体の変化が意識?お前までSYNと同じことを言い出すとは。
>>924 あれだけ馬鹿にされたのにまだお勉強してないの?
931 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 18:56:57
>>929 意識をもったように見えるだけで意識があるかどうかは分かりません
重要なことは、宇宙はずっと同じ秩序を保っているわけではないということ
宇宙が変化するということ
これが非決定論者の一番の主張なのです
この世界は人間から見ると果てしなく広く人間の知によって把握できる範囲をとうに超え出ているということ
そしてそれが秩序をともなわないカオシックな変化として見えるということ
この世界は混沌と変化していると考えるのが非決定論の主張なのです
そしてそれは生産を可能にします
すなわち、この世界は(世界自身がまさに)生産的でありうるというひとつの信仰です
>>932 それは決定論者の主張とも同じだと思うぞ。
>>923 要は自由意志は存在しないってことね?
そう考える理由っていうか、そう考えた方が自然だっていう具体例なんかあります?
935 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:05:20
>>934 非決定論の方が自由意志が阻害されるらしいよ。
936 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:06:46
>>928 >知らないだけ。
だから意識には関係ない。
意識されない事柄は意志に反映することはない。
無意識による行為も自分自身の行為であることは同じだ。
>>933 決定論は「この宇宙に新しいものは何も生じない」という信仰があります
極めて形而上学的な話題ですが、信念レベルで決定論と非決定論は衝突するでしょうね
>>934 「存在する」という動詞についてわたしはまるで無知です
938 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:07:36
>>936 つまり、ただ世界の法則に従っているだけってわけね。
>>937 >決定論は「この宇宙に新しいものは何も生じない」という信仰があります
そんなものないぞ?お前の妄想では?
決定論は非決定論に見える世界を否定しないどころか、
非決定論に見える世界を決定論が作っているって肯定しているだろ。
非決定論の宇宙で起こる事は、決定論の宇宙で全て起こりうる。
>>935 決定論か非決定論かはとりあえずどっちでもいいんですよ、
>>923 さん本人もそう言ってますから。
聞きたいのは自由意志が存在しないという信念を持つに至った理由は何か、です。
具体例あればなんか。
941 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:11:55
欲が妨げられると自由意志が妨げられた気がする。意識があるときだけそう感じる。これってどういう事よ。
942 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/26(金) 19:15:04
>>939 宇宙という語の持つ意味を伸び縮みさせる権利は誰にでもあります
944 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:16:29
>>938 >世界の法則に従っているだけってわけね
世界の法則とは何ですか?
知らない法則には従いようがないでしょう。
法を知ってはじめてその法に従うことができる。
法を知らなければ自らの行為が法に則っていようが
法に反していようが自ら従っているとは言えない。
いかん皮肉が過ぎた・・・・反省している
946 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:18:49
>>940 自分がした選択をよーく考えていくと、すべて自分の過去や外の状態に原因があるからかな。
947 :
THE グル :2005/08/26(金) 19:19:54
>>822 いいですか、
何か、
ご不明な点がありましたかね?
どうかしましたか?
948 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:20:10
>>944 重力を知らなければ、重力に従わないわけだw
決定論は「未来は過去に含まれている」と主張します 対して非決定論は「未来は過去に含まれてない」と主張します 非決定論は哲学に昔からある思考「無からは何も生じない」を否定しているのです ですから非決定論は一見とても無茶な内容を述べているように思われて当然です これが決定論と非決定論の形而上学レベルでの一番の違いでしょう 新しいものの生産がこの世界にて世界自身がそうするかのように生じうると考えるか そのような新しいものは何も生じ得ないと考えるか これだけでは形而上学的で議論にのせるに値しないでしょうが 仮に人間が自由意志をもっていないとしても世界が非決定的であることを主張するのは 決定論と非決定論においてこのような違いがあるからです
950 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:27:20
ポパーが『開かれた宇宙』という言葉を使用したとき このようなことが念頭におかれたのではないかと推測しています
他の空間に他者の主体が存在するなら、 他の時間に他者の主体が存在してもおかしくはない。 時空を区別する必要も無い。今だけが時でもないだろう。
決定論が真だとしても、起きる事象を自分が望んだものだと思えば、自由意志はありえる。
>>953 SYNは決定論が自由意志を作っていると言っている。
955 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:37:46
欲が妨げられると自由意志が妨げられた気がする。意識があるときだけそう感じる。 意識が何かという説明が付けば、決定論でも意識と自由意志(という感じ)の説明は付くさ。 外界からの影響が欲という結果を生み、また別の影響が欲を妨げるという結果を生み、 両者のを原因として自由意志(という感じ)という結果が生み出されるんだから。
956 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:39:10
『自由意志』 ある 〔A〕 その行為の という行為 根本的意志 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ↑ ↑ ↑ ↑ 物理的 未来への予測 現在の 過去の 肉体的制限 (成功可能性) 環境 経験・記憶 ある 〔A〕 『自由意志はない』 という行為 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━ ・・・・・ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ 物理的 未来への予測 現在の 過去の 肉体的制限 (成功可能性) 環境 経験・記憶 荒っぽく言えばこういうことかな? 下図は、「根本の意志はなく全ては各種条件の加算によって行為がなされる」と・・・。 そして、外的因子がどの程度の強制力をもって個人へ影響するかの見極めで、 この線上の線引き(即ち「何を自由意志とみなすか。どこまでを自由意志とみなすか。」) が変わってくるのでは? (とりあえず反射的反応は除外してるが・・・)
957 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/26(金) 19:39:12
>>950 「無いものは無い」と二重否定することで何でもありになるとか。
958 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:42:10
>>948 その通りでしょ。
重力を感じられないのに重力に従うことはない。
959 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:44:19
>>958 なんだ、法則を感じていることは知っていることなんだw
結局感じているものに従っているわけねw
960 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:45:54
>そもそも「無」なんてこの世には無い。 自己矛盾のパラドックス。WWW
962 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:52:18
>>961 では、
成功への希望
失敗への怖れ
に訂正w
ってか、そうした細目の名称はポイントではないんだが・・・
様々な要因の影響を受けた上で、我々の思考・行為は成り立っているのだろうという仮定を表したつもり。
その上で、そうした(外的・内的)要因と関係無しに根本的意志があるのかどうか?
ないならば、どこからが自由意志と呼べるのか?
という視点の人が誰もいないようだったから、ない智恵絞って図にしてみたまで。
不備は承知の輔(^^)v
963 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 19:53:28
>>957 二重否定が肯定になるのは排中律を認める論理体系の場合でしょ。
直観主義論理ではそうはならない。
964 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/26(金) 19:53:46
>>960 そうかな?「あるものだけがある」として
「ないものはない」というのは成り立たない?
>>962 >どこからが自由意志と呼べるのか?
その前に自由意志を定義してくれ。決定論でも自由意志があるとすると区別ができん。
966 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 20:01:32
>>959 法則は感じられることではない。
重力を感じ、高いところから飛び降りると下に落ちる、とか
経験し、知覚することにより知識を得る。それが知ることだろう。
経験できない事柄がなんで自分に相互作用することができるんだ?
法則は知識である。因果法則を知ることで将来の予測が可能となる。
「こうすればああなる」と自分の知る知識で将来を推測できることが
自由意志による思考だ。自由意志がなければこのような思考もない。
967 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 20:03:49
>>966 でもその自由意志は決定論が作っているんだよ。
968 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 20:04:39
969 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 20:05:09
>>966 ロボットでも出来るから同じだなwロボットにも自由意志があるわけだw
970 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 20:05:43
>>961 >「予測」は、記憶に含まれる。
ちがう。予測は記憶を使用して「いま」思考することで
可能となる。脳の機能は「いま」しか働かない。
脳には過去も未来もない。「いま・ここ」がすべてだ。
>>970 予測以外の行動や思考をする時点で予測は終了し、予測された結果が記憶になりそれを引き出している。
メモリやレジスタに格納された状態と同じ。
972 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 20:09:34
973 :
THE グル :2005/08/26(金) 20:13:34
>>899 いいですか、
まず始めに申し上げておきたいことは、
グルは、
ヴントのそれと同じく人間の意志は決して心的因果を脱した、
隔絶されたものではないという立場に立つ、
いわゆる緩和された非決定論の立場から人間の意志を考えているんです。
簡単にこの自由意志についての変遷をご説明するならば、
過去において決定(宿命)論者は意志をも自然の法則に従うとみなし、
自由の感は錯覚に過ぎないとし、
非決定(自由)論者は精神の特性を記述するに当たって自由を以って説いてきましたが、
例えばウォルフは意志衝動は表象を生躍しようとする努力と同種のものであって、
努力能力、認識能力に従うものであるとしておりまして、
然るに認識という働きは外部から強制されるものではなく、
したがって意志も外部の強制を受けるものではないと説いているんです。
これとは逆に、スピノザは心理学的意味においては自由は存在しないとし、
自由というものは一方においては最高自律の神性に、
また他方には、
情熱を理知に依って統御するという倫理的理想においてのみ存在するものであるとしているんです。
さらにカントは道徳世界の原理として「実践理性」を重要視いたしまして、
認識世界の原理としての理論理性のようにこれを超感覚的先験原理であるとし、
理性的意志の自律自決を説き、
この理性的自由意志はただ自律的先験的理性原理に依ってのみ決定されると考えているんです。
そして、この自由に依って始めて道徳性は可能であるとしているんです(無上命令)。
しかしながらこの間のレスにも書いたように、経験界における衝動的意志はこの理性的自由意志と区別され、
時間的制約下における経験的具体的意志については自由を説くことはしなかったんです。
即ち、自由とは先験的自由(die transzendentale Freiheit)以外には考えらないとし、
意志決定に関して先立つ状態が内的の表象であるという理由で我々が経験的意志を自由としてしまうならば、
意志の自由はバネを巻けばひとりで運動を断続させるに動く自働機械の自由と変わらないとしているんです。
まあ、これはケトレーによって反論を与えられることになりますがね。
もう少し続くんです。
どうかしましたか?
974 :
THE グル :2005/08/26(金) 20:53:17
>>899 いいですか、
さて、
ケトレーはカントの経験世界における自由の考え方を統計的に否定しているんです。
それは人間の行為の中で最も自由と考えられる行為として、
結婚、犯罪、自殺などを大量な数の客観的観察による統計的な処理をし、
その結果を見たときにそれらが常に人口に対して一定の比率を保っていたことを初めて精密に指摘し、
これによって意志の自由を否定いたしました。
(Quetelet:Sur la statistique moral etc.,mem. de l'Acad. roy.deBelgique,t.21,1848年)
しかもこの結果は毎年驚くほど正確に繰り返されており、
さらに気候、季節、性別、年齢、教育、職業などの変数との関わりにおいても、
ほとんど一定の数字を見出すことが出来ることを証明してみせたんです。
(国家に財政予算があるように、犯罪予算もまた成立する。)
しかしながら、ヴントはこれらの統計的数字に関しては、
各々の内的原因についての言及が不確かであるため、
外部関係が意志に影響するという立証であるというところまでに止めたんです。
これは即ち、
外部からの影響は意志の動機を形作るがその真の原因(Ursache)は性格の内に潜むものであって、
性格における心的因果の連続は個人意識の心理学的進化条件の無限の系列と関わるものであるため、
ほとんど不可知なものであるとしているんです。
そしてこの性格が発達するにつれて意志はますます精神的因果必然性の様相を呈し、
その結果性格はますます安定していくことになる。
つまり、
意志自由の概念は自己の動機選択に伴う主観的自由の感に発するものであって、
意志は決して心的因果を脱したものではないということなんです。
ですから、
>多分、「意思が自然法則に従ってないと思ってるだけ」と答えられて終わりです
>非合理的行動の例も「それもまた合理的に動いている」と答えられる
などという瑣末な回答を例え相手の方がされても、
そうした次元に論ずるものではないことが分かるんです。
どうかしましたか?
975 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 23:28:42
>>965 だから、その定義は
>>956 の線上のどこを採るかでしかないわけで、
まったくもって恣意的にならざるを得ないだろう。
(つまり、拠って立つスタンス・思想・価値観に合わせて必要なレベルで区切ってしまえばいいw)
この話題の時にはここにしましょうw という話者間の共通理解をとるしかないでしょう。
脳死・臓器移植問題の死の基準なんてまさにそれなんじゃないですか?
976 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/26(金) 23:37:45
自由意志は、 正しいと思う事の選択。 あえてそれに反する時もあるけど、反しても大丈夫なものまでしか選択できない。
977 :
考える名無しさん :2005/08/27(土) 00:14:40
>>976 自殺した人は自殺するのが大丈夫なんですか???
俺が自由意志に否定的な理由。 1.自由意志を肯定するためには、未来に対する選択肢がなければならない。 2.しかし、その選択肢の間に主観的な優先順位を付けることができ、最も 優先度の高い選択肢がただ1つならば、その選択肢が必然的に選ばれる はずである。これは意識的選択においても決定性が存在すると解釈でき る。 3.したがって、自由意志を認めるには優先度に差のない複数の選択肢が同 率一位となる状況を想定し、その上で確率的偶然ではなく意識的選択に よってただ1つの選択肢を有意なものとして選ぶことができなければな らない。しかし有意なものを選ぶ前提となる優先順位の存在はすでに否 定されているから、このような選択ができるとは俺には思えない。
979 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/27(土) 00:21:20
>>977 回答用意してあります。
自殺は死で解放されるとか思ってるんじゃないのか。
自殺者じゃないからよく分からないけどね。
>>978 泣く泣く家業を継いでいる俺の立場は・・・・ orz
『主観的』優先順位ではないな
まさに、選ばされている感じだ・・・w
981 :
考える名無しさん :2005/08/27(土) 00:24:07
>>979 「大丈夫」ってのは、主観的にOKって意味なんですか???
982 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/27(土) 00:30:45
>>978 そこまで規律する事もなかろうかと。
好きだ嫌いだ正しい正しくない。で判断していくのは、
(外部で)決定的とも言えるけど、
納得するんならやっぱり内部決定的なのでは?
納得しない時もあるし、する時でもそれが感じに過ぎないと言われそうですが。
983 :
考える名無しさん :2005/08/27(土) 00:32:26
選択の際の基準(強制要素)は 道徳とか正しさとかで単純に規定されるのでなく、多様な要因・条件の複合的結果であり 場合によっては不道徳で非倫理的で正しくない選択も当然なされるであろう。 その意味で極論すれば、 全ての選択は 『過去に自分の中に積まれた経験や記憶と、 現在置かれている環境・状況に規定されるものでありそこに自由はない。』 という主張はもっともなものであろう。
984 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/27(土) 00:33:06
985 :
考える名無しさん :2005/08/27(土) 00:38:52
人間は生物という名の複雑なロボット ただそれだけの事
986 :
考える名無しさん :2005/08/27(土) 00:40:01
>>984 とつぜん、行動の妥当性に関する基準をawarenessとして出されても。
つまり、たとえば夢遊病者で、夢遊病中に事故で死んでしまった人はどうなるんでしょう???
987 :
考える名無しさん :2005/08/27(土) 00:43:15
988 :
考える名無しさん :2005/08/27(土) 00:48:24
989 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/27(土) 00:48:58
>>986 夢遊病が現実なんでしょ。当人にとっては。
そもそも、宇宙人が実験で観察してるのがこの世界というのを否定できるんですか?
その宇宙人から見たら夢遊病も正常者も大差ないかも。
例えば見慣れない外人が皆同じ顔に見えるとか。
でも、事故っていうのと意思はどう繋がってんの?
990 :
考える名無しさん :2005/08/27(土) 00:51:53
>>989 その宇宙人ってのは神様とどうちがうんですか???
超越的かつ主観的な観察者からみて妥当…ってんじゃ、確認のしようがないと思うんですが。
991 :
考える名無しさん :2005/08/27(土) 00:52:24
992 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/27(土) 01:02:02
>>990 >夢遊病者も正常者も大差ないかも
って事が言いたかっただけで例えたんですが。
夢遊している最中でも当人にとっては主観が感じる現実があると思う。
寝てる時、まさに夢を見るでしょ。
で、事故と意思はどう繋がってるの?
「事故で死んだ」って意思とは関係があるのか分かりません。
>>926 選択の自由はこの世に存在していません。選択している自由感ならありますが。
日常的な意味であれば、意識は選択していない瞬間はありません。
常に選択の連続であり、それが意識の流れになっています。
グラスの中で揺れる水のように、外部から作用がない限り、
時と共に決定論的に波打つことしかできません。
選択に理由があるならば、同じ状態の中で何度やっても同じ選択をするでしょう。
理由のある選択の意志を保証するのが決定論です。
選択に理由があっても、その意志が因果的物理作用に関係なく勝手に変えられてしまうのが、
非決定論です。 非決定論の世界では自由意志が妨害されます。
自由意志は、それが未来において決まっているかどうかは無関係で、その意志が妨害されないことが重要です。
なので、
決定論(自由と秩序) vs 非決定論(不自由と混沌)
という図式になり、
非決定論の非決定性は、自由意志を妨害する敵になると思います。
>>952 自分の時間が世界の中心でも、最前線でもありません。時空は相対的なものです。
「時間の瞬間」というのも自己にとってはそうですが、観測する世界は常に過去のものです。
8分前の太陽を見て、1秒前の月を見て、10億分の1秒前の隣人を見ているわけです。
自分以外の未来は既に先に進んでいます。
自己が認識できるのは自分いる場所と瞬間だけで、独我論でないならば、
自己のいる時空以外にもあらゆる時間と空間は既に存在しています。
未来も過去も一つしかありません。神が作った法則、制限には誰も逆らえません。
円周率の値を変えることが出来る人間が出てきたら、認識を改めますが、その可能性は0でしょう。
哲学的に考えるなら、円周率を変えられたり、世界が1秒前に出来た可能性、自分以外は
仮想現実であるシミュレータの可能性など、いくらでもあると思います。
でも現実には、そんな想定をしてても幻想世界を楽しむ以外何もないでしょう。
「決定論」は過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。
一からレス書き起こすのがメンドくて一言一句変わらんコピペですますく らいなら、いいかげんスルーでも覚えろや
>>995 常連ばかりとは限りませんから。というか、こんなスレに常連がいるのでしょうか。
>>976 決定論的に、自分が望む選択をしてしまうだけです。それ以外を選択することは不可能です。
999 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/27(土) 01:26:11
>>994 「過去を見ている」のと「認識された対象が自分が認識した時点より先にいる」は同意。
でもね、少なくとも「自分が見たもの自体(過去の対象のイメージ)」よりも「自分は先にいる」のでは?
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。