2 :
考える名無しさん :04/02/24 16:51
浅田彰スレ@不法流出から先ほど出てきた 次のようなコメントを引用しておこう >ドゥルーズを読むジジェク 2003.12.02a. >マルクスが生半可な唯物論より観念論から学ぶことの方が多いと言ったように、我々も 、ドゥルーズを安易にネグリなどと結びつけようとするドゥルージアンたちの「善意」より バディウやジジェクの「悪意」から、いっそう多くを学ぶことが出来るのではないか
3 :
考える名無しさん :04/02/24 16:51
>ドゥルーズを読むジジェク 2003.12.02a. > ドゥルーズ本人は良くも悪しくも偉大な哲学者であった (その哲学は「多」や「生成」にとどまらず「多の一」や「生成の存在」=「回帰」に まで到達せずには置かないだろう)と思うし、ドゥルーズ本人を何とか開かれた多様性 の方に引き出そうとする凡百のドゥルージアンのドゥルーズ論よりバディウやジジェクの ドゥルーズ論の方がドゥルーズ哲学の一面に肉薄していることを認めるに吝かではない。 >
4 :
お約束 FAQ :04/02/24 23:34
■基本的なお約束(FAQ)■ ●イメージだけでドゥルーズを語るのは、もうやめよう。 ○「ドゥルーズはハイデガーやヘーゲルについて語っていない」 →『差異と反復』を読みましょう。暗に、でなく明示的に語り、対決しています 『批評と臨床』や死後刊行の論文集二冊もよく読むこと ライプニッツ論のタイトルはどこから来ていますか? ○「ドゥルーズはフランス的哲学者だ」 →あの時代にハイデガーの影響を受け、ヘーゲルのフランスでの再評価を横目でにらむ そうしたフランス的な文脈にいるという限りではそうでしょう。 ただしハイデガーとの対決が、決して入門書を読んだから(笑)といった程度のものでないことは まともにハイデガーも読んだことがある人なら分かるはずです。 ところで、出版した本の目録を見れば分かるように、ヒューム研究から出発してカント論を出して、 という人が、本当に、巷の人が言うような意味で「フランス的哲学者」なんでしょうか? ○ドゥルーズは哲学史を知らない →自分が習ったとおりの哲学史がそこにないことに腹を立てているだけではありませんか? ハイデガーを読んでいて、ヘーゲルを読んでいて、腹は立ちませんか? ●だからといって、ドゥルーズを忘却してはならない。 ○「ドゥルーズの概念は、すべて彼が読んだ哲学に解消できる」 →たしかに「器官なき身体」「襞」といった用語をお題目の様に唱えるのではなく、 再び哲学史の中に戻して考えることが重要です。 20年前に、彼が広告的に売れてしまった悪影響は、まだ残っています。 しかし、たとえば彼の思想を、カントを読むハイデガーに解消してしまうのは それはアカデミズム的防御反応に過ぎないと思います。
僕はドゥ−ルーズはまだ一冊しか読んだことがありませんからなんとも いえませんが、60年位までのフランスではカントの読み(評価)も相当 悪かったという話を読みました。それに対する再評価の時代とちょうどドゥ−ルーズや フーコーやデリダの初期のころと重なっていますね。 フーコー(スレ違いですが)に関しては科学哲学的な認識論のことも考慮する必要が ありますね。この二人はお互いの著作のいい読み手同士だったように感じます。
>>3 関連情報だけど、
ジジェクのドゥルーズ本の、アマゾンの書評は一読の価値あり。
バデュウの(誤)読解の受け売りという批判は同感。
ただし浅田が言うように刺激的なのも事実。
7 :
考える名無しさん :04/02/25 08:33
「ドゥルーズとハイデガー」の関係が気になったので、 できるだけ具体的な引用を交えながら検討していただければと。 個人的には『差異と反復』における「存在論的差異」の扱いが注目。 ひとつよろしく。
早速レス。『差異と反復』におけるドゥルーズのハイデガーの扱いというのはかなりつまみ食い的だと思う。つまりハイデガーを論じるというのではなくて、ハイデガーとは無関係に自分のテーマがあった上で、そこに都合のいいときにハイデガーの議論を引っ張ってきている。
唯一の例外は邦訳p.111-113「ハイデガーにおける差異哲学への注」 のように思えるんだが、ここでは様々なハイデガーの後期作品を僅か 数ページで要約するという無茶なことをやっている。 ハイデガーをきちんと読んでいる人からすれば乱暴すぎるのでは? この要約の具体的な問題点を指摘できる人がいたら、 教えてもらいたいのだけれども。 いずれにしても、対決という程のことはやっていない。 読みもスピノザ、ベルクソン、ニーチェなんかとの処し方に比べ、 全くやる気が感じられないw。
暫定的な結論としては、ドゥルーズは、ヘーゲルに対する程ハイデガー に対しては批判的ではないが、読み方がかなり適当な気がします。
うーん、なんかみんな他人任せなのが笑った。 ・・・という自分も他人任せ(笑) (というよりも、実は、ここの部分ホットな話題なので コメントできる人は、自分の論文用にとっておくために 書き込まないのだったりして)
14 :
考える名無しさん :04/02/25 11:56
>>13 いや。対してしりもせずに気分だけで語っているだけだから書かないんだよ。
この程度のことだったら、雑誌にでたドゥルーズ関連の論文のオイシイところだけ
かいつまんでまとめればいくらでも言えるからね。
前スレ参照。
>>14 いや、気分で語っている人たちもいるけど、何人か専門家とまともに読んでいるひとも
潜んでいるでしょ。突っ込みいれるだけだけど。たとえば
>>14 さんとかね(笑)
16 :
考える名無しさん :04/02/25 12:32
>>13-15 のようなメタ言及ばかりしていても建設的でないので、
>>9 さんあたり、いいだしっぺとして、とりあえず
>>11 さんが指摘している注を
簡単でかまわないので、まとめてみませんか?
まずそれを叩き台にして検討してみましょう。
17 :
考える名無しさん :04/02/25 12:40
いきなりハイデガーの存在論やると、ドゥルーズ哲学が持つクリティカルな側面の重視という 今までのスレの流れから思いっきり外れると思うよ。存在の神秘学みたいになったら最悪。 そうなるとドゥルーズのクリティカルな側面とクリエイティヴな側面を総合的に捉えることが 不可能になる。 一番最初のポイントはカントだと思う。 ドゥルーズは『ニーチェと哲学』で言ってるけど、「カントが手がけたと同時に裏切りもした批判 を創り直すこと」を目標とする。 そしてヘーゲル、ハイデガーはカント哲学に対するのカント自身の裏切りを正確に見抜き、ドゥル ーズはほぼそれを受け入れているかのようだが、しかしヘーゲル、ハイデガーのそれぞれの流儀の 「創りなおし」には抵抗する。 そこで、ニーチェだ。ニーチェは「カント哲学をラディカルに変容」し、新たな基礎に立った批判を 企て、新たな諸概念によってやり直したのだと。 それにしてもカントめぐるヘーゲル、ハイデガー、ニーチェの継承と対立と創造の構図を読み解く のは大仕事だねえ。
ドゥルーズのハイデガーに対するまとまった言及なら、 『批評と臨床』の一見ギャグのようなジャリ論は見逃せない。
ドゥルーズはカント論で、 図式論の「謎」を相対化する発言をしている。 これはハイデガーのカント読解に対する留保を意味していると思います。
20 :
考える名無しさん :04/02/25 14:15
カント哲学に対するカント自身の裏切りって何? で、ヘーゲル・ハイデガーはどうやってそれをせ・い・か・くに 見抜いたの?
21 :
考える名無しさん :04/02/25 14:24
カント哲学に対するカント自身の裏切 批判 クリティック を行うとするところで それを徹底的にはやらなかったこと。 思考の土台や枠組みは古式ゆかしいものを残した。 むしろ、その残しこそが批判であり、それは消極的だが 結果的に哲学および形而上学をより純化し強化する 意味のあることだと述べた。 カント以後、むしろ枠組みや土台の破壊を通じての作り直しが 課題とするようにもなった。破壊というと目的が無化とも みえるが、むしろここでは再建が目的といえる。
ニーチェと哲学のテーマは 「批判の批判」によるカント哲学の徹底。 ドゥルーズをポモ呼ばわりする奴はこの本読んでいないと思う。
>>19 もちょっと詳しく説明お願いしますよ、ダンナ
どういう留保なんですかの
無人島1953-1968 120ページ 悟性自身が立法者の役割をもつとき、構想力は、 悟性の規定された諸概念に応じて、思弁的関心のなかでしか図式化しないのだ。 それゆえ、あたかも図式作用の神秘が構想力の本質のなかに、 あるいはその自由な自発性のなかにその最後の言葉を秘めているかのように、 この神秘を探ることは間違いであろう。 図式作用は一つの秘密ではあるが、構想力のもっとも深い秘密ではない。
∧ ∧ (*゚ー゚) 難しぃ? と つ .〜(_⊃ (ノ
>>21 徹底的に、批判 クリティック?を行うとはどういうことを指すの
でしょうか?
思考の土台や枠組みは古式ゆかしいものを残したというところの
古式ゆかしいものとは何でしょうか?
むしろ、その残しとが批判とは、いかなる理由からそう説明するので
しょうか?
それは消極的だが結果的に哲学および形而上学をより純化し強化する
意味のあることだと述べたというところの形而上学の純化をもうすこ
し詳しく教えてください。
28 :
考える名無しさん :04/02/25 19:29
いやいや、そこまでたずねるのはやりすぎでは カントの純粋理性批判の序文だけよみな。 君の聞きたいことがすでにそこにあるから ただね、君がその記述に満足いくかはわからない。 むしろ、質問攻めしたくなろう。。。
29 :
考える名無しさん :04/02/25 19:36
>>27 答えられないから、やめときな。こいつらは、適当に
受け売りを真に受けて書いているだけだからさ。
30 :
考える名無しさん :04/02/25 19:46
?
31 :
考える名無しさん :04/02/25 19:51
27ではないが、おいらも聞きたいところだ。 21の文が、なんか、ノリっぽいところがあるから。 スルーとか言うのはやめてよ、そんなノリ調の言葉じゃ、 からかわれても仕方がないよ。
32 :
考える名無しさん :04/02/25 19:53
?
33 :
考える名無しさん :04/02/25 19:57
おおせのとおりでして、 からかわれるのがいいとこなんです 答えられないから カントを差し出しました。 これ以上のいい回答はなきものと。
34 :
考える名無しさん :04/02/25 20:05
カントの話か?ドゥルーズのカントを乗り越えるってのは、 どこへいった?
21に書いてある事って、「ニーチェと哲学」の序文に書いてなかった? 古式ゆかしいものっていうのは、キリスト教道徳のことだったと思ったけど。
36 :
考える名無しさん :04/02/25 20:22
なんだ、引用かよ・・・
いや、17の補足でしょう
38 :
考える名無しさん :04/02/25 23:30
ドゥルーズが単なる言葉遊びでないことはどうすればわかるのでしょうか?
>>10-12 早速のレス乙でした。まともな方がいるのでほっとした。
>>16 無理な課題を・・・。
というのもあの註自体がかなり強引に
ドゥルーズがまとめ上げてるものだから、
それをさらにまとめるのは至難の業。
で、
>>10-12 に付け加えるべきことはわずかしかないのだけれど
結局『差異と反復』p.111-113の註が最もハイデガーについて
まとまって語ってる部分になるんだろうと思う。
で、端的にいえば、同書p.67のところにあるように
ドゥルーズにとってハイデガーの存在論的差異をある程度評価するのも
「存在の一義性」のスコトゥスの援軍としてという位置付けだろうと思う。
というのも、同書p.203-204のところにあるように
デカルト、ヘーゲルのラインにハイデガーも含めてるわけで。
41 :
考える名無しさん :04/02/26 00:05
>>38 ドゥルーズの文章を読んで、感動もしくは驚嘆した覚えはないのかな?
そういう経験がある者にとっては、無意味な質問なのだが。
42 :
考える名無しさん :04/02/26 00:07
>>41 やはりそこにしか価値はないのですね。なんかほっとしました。
では、ドゥルーズはフッサールや現象学についてはどうなんでしょうか? デリダと対照的で、ハイデガー以上にフッサールを軽く扱ってると思われます。 言及している部分がほとんど印象に残ってないんですが。。。
>>43 なんで定番哲学者を扱っていないと不安なんだ?
『意味の論理学』
けっして軽く扱ってなどいない。
訳がひどいから原文じゃないと電波にみえるかもしれないが。
45 :
考える名無しさん :04/02/26 01:24
ひろきたんのものやバデイウのものでもみれば、Dがハイデの影響下 に書いたことは自明でしょ? ハイデをDのもとに見るという筋が可能性の中心だというほかないでょうね。 フッサールに関してはdeleuze webの講義を見たら? 英語版もあるしね。 うなみの役はそりやひどいさ。univociteか゜包括性だとさ。
>>45 でもハイデガーから読むのも、もはや定番。
可能性の中心はいい杉。
47 :
考える名無しさん :04/02/26 02:39
うむ。ドゥルーズを相対化して読むために必要なのは ハイデガーでもラカンでもジジェクでもなく、デ・リ・ダ。ハートマーク。
頑迷なデリダ派は脱構築以前/以後で哲学を分けがち。 するとドゥルーズは単に拙い読解に追いやられて終わる。 例えば、器官なき身体は神話だというデリダの批判は、 みもふたもなさすぎてドゥルーズとは無関係なまま。
確かに例えばドゥルーズのジャリ論を読んで、現今のハイデガー研究に照らして
ハイデガー読解として正しいのかどうか、キマジメにあれこれ論じたりしても、
なんだか滑稽なことになりますわな。
>>48 の言い方を借りれば「みもふたもない」と。
しかし、あれはただ単にドゥルーズ一流のユーモアだ、
なんて分かった気になるのも、詰まらないし、不毛だ。
となると、ドゥルーズ研究って実は凄く難しいのではないか。
真面目に読解することが予め嘲笑されていることになるから。
>現今のハイデガー研究に照らして >ハイデガー読解として正しいのかどうか、キマジメにあれこれ論じたりしても、 まー、それはどんな哲学者(のほかの哲学者の読解)を論ずるにしてもそうでしょ。 ハイデガーのアリストテレス解釈が正しいかどうか、キマジメに論じても・・・ ってなわけで。
51 :
考える名無しさん :04/02/26 03:42
ドゥルーズ研究が難しいのは、 ガタリ無視派とガタリだけ重視派の不毛な争いにも一因がある。 哲学科の人間がガタリを無視しすぎなのが問題の根本だと思うよ。
52 :
考える名無しさん :04/02/26 03:44
ガタリ無視派は鈴木泉以下多数。 ガタリだけ重視派は、市田とか杉村。
53 :
考える名無しさん :04/02/26 03:47
マルクスとエンゲルス ドゥルーズとガタリ
54 :
考える名無しさん :04/02/26 03:50
ちょっと違う。 マルエンの場合、エンゲルスだけ重視派の存在は考えられないから。
55 :
考える名無しさん :04/02/26 03:51
実は、ガタリがマルクスだったんだよ。 な、なんだって(略
でも正直、ガタリって哲学としては読むに堪えない。。。
>>50 >ハイデガーのアリストテレス解釈が正しいかどうか、キマジメに論じても・・・
>ってなわけで。
いやいや、ハイデガーの場合はアリストテレスであれプラトンであれ、
解釈が間違っていたら徹底的に叩く価値があるでしょうに。
だってハイデガーは逐一註釈して論述なり講義をするわけでしょ。
そこはドゥルーズとは違うんじゃないの。
>>57 なるほど、なるほど。
んー、でもハイデガーのニーチェ解釈にしても、アリストテレス解釈にしても
「間違っている」にせよ(あるいはむしろ、間違っているところが)面白いのであって、
用は、そこから何を引き出しているかなんじゃないの?
えらく凡庸な結論になってしまうけれどさ。
59 :
考える名無しさん :04/02/26 05:17
>>56 そう思う香具師はドゥルーズを「研究」しないほうがいいよ
60 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/02/26 05:21
なんかいろんな奴がいるな、、、
杉村昌昭 財津理 湯浅博雄 花村誠一 宇野邦一 篠原資明 前田英樹 長原豊 小沢秋広 田中敏彦 石田英敬 河本英夫 丹生谷貴志 小泉義之 松浦寿夫 松葉祥一 山内志朗 合田正人 市田良彦 宮林寛 樫村晴香 江川隆男 澤野雅樹 田崎英明 守中高明 浅野俊哉 廣瀬浩司 桧垣達哉 廣瀬純 高桑和巳 大塚直子 國分功一郎 鈴木泉 大崎晴美 郡司ペギオ−幸夫 松浦寿輝 兼子正勝 仲正昌樹
これを分けろというのですか? 例の表みたいに?
http://members.at.infoseek.co.jp/maruheso/codic/aa.html#isikawa ガタリは無視派 ─┬─ 哲学じゃないよ派
│
├─ 哲学ではあるよ派
│ │
│ │
│ │
│ ├─ ガタリから出るものは検討に値しないよ派
│ │ │
│ │ └─ DGのアイデアはドゥルーズのものだ派
│ │
│ └─ ガタリから出る哲学はDGの哲学ではないよ派
│
├─ 哲学ではない思想があるよ派
│ │
│ ├─ ガタリは垂れ流し派
│ │
│ └─ 形式がないよ派
│
│
└─ 哲学は関係ないよ派
|
├─ ガタリとは精神分析だ派
|
└─ ガタリとは政治運動であるよ派
関係あるよ派 ─┬─ ドゥルーズと同じぐらい重要派 │ ├─ DGの中ではドゥルーズ以上に重要派 │ ├─ 哲学では無いが重要派 │ │ │ └─ 形而上学ではない哲学をする派 │ ├─ 政治運動をする派 │ │ ├─ ガタリなしではドゥルーズは無意味派 │ └─ ドゥルーズでもガタリでも一緒派
ワラタ
なんか、素人目には偉くレベルが上がったように見えるんだけど、 ベルクソン論のスレから流れてきた人も多いのかな。
66 :
考える名無しさん :04/02/26 10:54
「ドゥルーズとハイデガー」てなテーマで『差異と反復』に即してきちんと議論を するってことになると、かなり面倒なことにはなるんだろうな。 とりあえずの話の取っ掛かりとして、東が『存在論的、〒的』で書いてるような、あまりに あまりなドゥルーズ論(みたいなもの)を誰かきちんと批判しておいた方がいいんじゃないか? 東の本の最終章は、「こいつ哲学の教育ほんとに受けたのか」って思うくらい哲学史的教養の 無さが露呈されてて、ちょっとマトモに相手にする気持ちが萎えてしまうわけだけど、 暇なヤシとかいたら、ちゃんと批判してあげたら?
67 :
考える名無しさん :04/02/26 11:23
ハイデガーを「存在の一義性」のスコトゥスの援軍にしたとは、どういうことを いうのですか?もうすこし詳しく教えてください。 デカルト、ヘーゲルのラインにハイデガーも含めてるわけでということの意味が まったくつかめません。 デカルト・ヘーゲルラインとは何をいっているのですか? また、ドゥルーズは、デカルト・ヘーゲルラインと言っているのでしょうか?
東の最終章にドゥルーズ出てきたっけ? あれは吉本隆明を元ネタにした表現論だと思ったけど。
だからぁ!デカルト ヘーゲルラインをばぁ〜んとやって 批判して、ハイデガーはめんどうだから、スコトゥスを もってきてぇ〜、援軍にしてやっつけちゃうわけよ。 で〜、カントをクリティックして形而上学を笑っちゃうんだよ。 分かる?感動するでしょ! そこんとこに、ドゥルーズの感動があるのよ。ばぁ〜んとクリティックして だぁ〜って、援軍よんでやっつけちゃうのにさ。
70 :
考える名無しさん :04/02/26 11:35
>>68 ごみん。見直したら、ドゥルーズのことをちょびっと書いてたのは第3章の終りの所
だった。
でも、ここでの議論がどうダメダメなのかをちゃんと述べるには、第4章がどれほど救いが
無いかをきちんと論じる必要があると思う。
とゆうわけで、暇なヤツはやっちくり。オレはしらん。(←無責任)
ここは宿題を出す人ばかりいて、やってくる人のいないインターネットですね(笑)
72 :
考える名無しさん :04/02/26 11:49
>>70 「存在の一義性」てゆうテーゼ自体を振かざしても、あんまり意味無いと思うんだけど。
スコトゥスとの絡みで内容のある話をしたいんなら、せめてスピノザ論をきちんと踏まえて
やった方がいいと思うが。
だいたい、「デカルト ヘーゲルライン」とか言うけど、哲学史の上でドゥルーズが引く線は
独特で錯綜してるわけだし、そんなに単純な太線ではないと思う。
73 :
考える名無しさん :04/02/26 11:52
「哲学者単位」でライン引きすること自体が、かなり単純化のし杉つーことやね
74 :
考える名無しさん :04/02/26 11:54
ところで、最近、スレが盛り上がってきたので、やや建設的な提案をしてみたい。 『無人島』に入っている論文を、一本ずつ、たとえばそれぞれ一週間(ものによっては二週間かな)かけて 読んでいくというのはどう? フランス語が読める人はフランス語で、邦訳を使う人はそれでも可ということで。 あんまり緻密にやっても続かないと思うし、 「今週の感想文」という程度の枠でと思うんだけれど。
75 :
考える名無しさん :04/02/26 12:02
田島正樹の『スピノザという暗号』が一番いいスピノザの読み方だと 聞いたんだけど、どうよ。 薄い割りに結構値段が高いからまだ買わないでいるけど。
76 :
考える名無しさん :04/02/26 12:04
『無人島』も悪くないと思うけど、個人的には『意味の論理学』の方が(なんせ邦訳が あまりにあまりなので)キボンなんだが。
77 :
考える名無しさん :04/02/26 12:08
たしかに『意味の倫理学』やっても良いのだけれど(個人的にも興味はある) それをやるなら、本気で別にスレをたてて、ゆっくり、ベルクソニスムスレのように やった方が良いよね。 『無人島』の方は、もうちょっとぱーっと概観したいという人向けの、 でもイメージばっかりで語っていてもつまらないから、少しゆっくり見てみよう、という提案。
78 :
考える名無しさん :04/02/26 12:11
>「哲学者単位」でライン引きすること自体が、かなり単純化のし杉つーことやね はげどう。 ちゃんとした相関図が引けてないんだよ。
79 :
考える名無しさん :04/02/26 12:11
田島正樹の本は、いろんな意味で面白いけど、「スピノザの読み方」として一番かというと、 話はまた別だと思う。 田島の本の売りというのは、「反実在論的なスピノザ解釈」ということになると思うけど、 これが受けているのは、日本では反実在論がなぜかもてはやされているという状況とも 無縁ではないと思う。
80 :
考える名無しさん :04/02/26 12:12
81 :
考える名無しさん :04/02/26 12:15
>>79 「反実在論的なスピノザ解釈」といっても、力をちゃんと扱っている
し、それゆえ政治まで論理を進めることができる仕立てになっている
のでは?
82 :
考える名無しさん :04/02/26 12:16
>>80 いわゆる「構造主義」というのは(例えば丸山圭三郎のソシュール解釈みたいなの)、
ある意味では反実在論に親近性があると思うけど、ちょっと区別しておいた方がいいと思う。
ここで言う反実在論というのは、基本的にダメットが打ち出したような立場。
>ダメットが打ち出したような立場 すんません、それだけだとちょっと・・・
84 :
考える名無しさん :04/02/26 12:23
>>83 たしかにそうなんだけど、こりをちゃんと説明するのはまた面倒なのよ。
それはスマソ。 聞いちゃいけないこと聞いちゃったみたい。
86 :
考える名無しさん :04/02/26 12:34
反実在論の話はスレ違いになるし、とりあえずは野矢茂樹さんの本でも読むのがええのでは。 田島さんとも個人的に親しいそうだし。
>>66 東のはデリダ論なわけで。
>>67 『差と反』p.67、p.203-204と参照箇所が提示しているんだから(
>>40 で)
まず参照してからレスしてくれないかな?
>>72 >>70 氏のはちょっと乱暴なやっつけレスだろうけれど
「存在の一義性」というのは『差と反』の重要概念(上記該当頁参照)。
で「哲学史の上でドゥルーズが引く線は独特で錯綜してる」とのことだけど
細かな部分に目をつむればレジュメは容易でしょ。
@まず「存在の一義性」に関してはスコトゥス、スピノザ、ニーチェを評価。
Aで、トマス・アクィナス、デカルト、ヘーゲルを批判。
カントについては両義的ながらも割と評価は高く、
フッサールはほとんど言及なし(『差と反』で名前に言及したのは5箇所)。
ハイデガーは存在論的差異を@に絡めてある程度評価しながらも、
ところどころでAのラインの括りに入れてしまっているということ。
>>73 ドゥルーズは他の哲学者に比べれば結構「単純化」してるよ。
>>74 >>76 『無人島』は結構ラフに語れるが、『意味論』は結構やっかいだね。
88 :
考える名無しさん :04/02/26 12:51
>>87 まあその通りなんだし、誰を評価して誰を批判といった話は「ドゥルーズ早分かり」には
悪くないと思うけど、やっぱりこれも単純化されたイメージになっちゃうと思うよ。
ドゥルーズが哲学史を単純化しているかに見えるのは、哲学史的な著作の独特なスタイルとも関係
してるわけで、例えばスピノザ論の場合であれば、ドゥルーズがスピノザから何を取って、何を
切り捨ててるのかをきちんと見る必要があると思う。
89 :
考える名無しさん :04/02/26 12:58
>>88 いや、DQNなイメージ化に一定の歯止めをかける働きをもった相関図
は必要だと思うよ。
なにもその相関図で全てをわかったことにするわけじゃないんだから。
90 :
考える名無しさん :04/02/26 13:14
>>87 東の本はデリダ論なわけだけど(それに、少なくともデリダの「読み」としては
それなりに面白い)、ハイデガーとデリダとの相違が一つの大きな主題でもある
わけで、その意味で「ドゥルーズとハイデガー」というような問題について話をする
叩き台にもなりうるとは思う。
それから、『差異と反復』の111ページ以下の注を見てみたけど、これを見ただけで
ハイデガーとドゥルーズとの間の(スコトゥスを介しての)関係について何かを言おうと
するのは、かなり乱暴な話になると思う。
スコトゥスの「存在の一義性」というテーゼとの絡みでは、どうしても形相的区別
(distinctio formalis)の話が出てくるわけで、これはぶっちゃけて言えば要するに、
「意味の区別」ということになるわけだけど、こうした観点からすれば、『意味の論理学』
について取り上げてみるのもいいかと思う。
91 :
考える名無しさん :04/02/26 13:22
それから、ドゥルーズがヘーゲルだとかハイデガーだとかと「対決」したとか、してない とかいった話が前スレから盛り上がってるわけだけど、「対決」ということでどういったことを 考えてるのか明確にしてもらわないと、そういった話はあんまり意味がないと思うんだけど。 (正面からの対決を回避して迂回することで対決する、といったような戦略だってあるわけだし。)
とりあえず、『無人島』を読んでくというのは悪くないのでわ おりは翻訳しか持ってないので、誤訳とか教えてもらえると助かるし
「存在の一義性」というのは『差と反』の重要概念。 @「存在の一義性」に関してはスコトゥス、スピノザ、ニーチェを評価。 Aトマス・アクィナス、デカルト、ヘーゲルを批判。 カントについては両義的ながらも割と評価は高く、 フッサールはほとんど言及なし(『差と反』で名前に言及したのは5箇所)。 から重要ではないようです。 ハイデガーは存在論的差異を@に絡めてある程度評価しながらも、 ところどころでAのラインの括りに入れてしまっている。 このラインでくくりをいれると読みやすくなる。 『無人島』は結構ラフに語れるが、『意味論』は結構やっかいだね 無人島はけっこうラフに語れる。 でも、意味論はやっかい。 スコトゥスの「存在の一義性」というテーゼとの絡みでは、どうしても形相的区別 (distinctio formalis)の話が出てくるわけ。 これはぶっちゃけて言えば要するに、 形相的区別は「意味の区別」ということになる。 こうした観点から意味の論理学をとりあげても、ノリ程度のものか ドゥルーズ早わかりにしかならないと思うぞ。
>>93 コピペとみまがう引用もやめれ
内容には同意。
けれどあまりに本格的だと書き手が割れるから、
そのへんはルーズでよくない?
95 :
考える名無しさん :04/02/26 13:44
ぶっちゃけましたね。
96 :
考える名無しさん :04/02/26 13:46
>>94 でも、93がまとめた程度のことは、誰でも知ってないか?
そのくらいで書き手が割れるなんてことはないと思う。
つーか、おまいらオッカムとかスアレスも読んだの?
オッカムは授業で読まされまいた(泣)
99 :
考える名無しさん :04/02/26 13:54
ドゥルーズの本を聖書として読んどります。 だから、ドゥルーズが評価した本は、買い ますた。でも、少ししか読んでません。 トマス・ヘーゲル・デカルトは、パラパラと斜め読みです。 速く、ドゥルーズの世界に触れて、感動を味わいたいと思いまして。
100 :
考える名無しさん :04/02/26 14:00
誰か、アンチオイディプス、猿にでも分かるように教えて!
教えにゃい
欲望にはリアリティーがある フロイトの「夢は願望充足である」を社会理論にまで高めよう そのためオイディプス主義を打ち壊そう
103 :
考える名無しさん :04/02/26 14:04
>>93 >カントについては両義的ながらも割と評価は高く、
そんなもんじゃないでしょ。
構想力の問題に関してはドゥルーズは前代未聞の革命的なものとして
扱ってるでしょ。
ただ第2版で構想力を逆方向に貶めたから批判してるわけで、カント
が切り開いた問題はまることドゥルーズは引き継いでいる。
この関係は複雑だけど両義的ではないのでは?
104 :
考える名無しさん :04/02/26 14:09
若村麻由美、変なおやじとケコーン
106 :
考える名無しさん :04/02/26 14:10
このスレのタイトルは、さるでも分かるドゥルーズ入門でいいのでは?
いや、やっぱり サルには、ちとつらいかもしんない ドゥルーズ にゅうもん じゃないかな?
108 :
考える名無しさん :04/02/26 14:13
いやいや、猿程度の頭脳しかもっていない人が書いてるから いいんだよ。だって、デカルト・ヘーゲルラインだよ。
カントに対するニーチェ ヘーゲルに対するマルクス ドゥルーズこの2組の関係の平行性を指摘した上で、関係はもっと複雑 だということなわけだけど、やはりカントの存在は大きい。 (カントは構想力なしに認識を得ることはできないことに気づきながら、 盲目的な総合に晒されるのを回避してしまったわけで、ヘーゲル、ハイ デガーがカントに噛み付くのもこの部分) ドゥルーズが目指したのはカントの根本的変形でしょ。 そしてその大きな達成をニーチェに見たわけ。
自演乙
構想力の話は良く知らんが、ハイデガーのカント書と対比して論点をまとめちくり
112 :
考える名無しさん :04/02/26 14:17
構想力は自由と結びつくからね、それにくらべて総合は常識と 結びつくと。
『判断力批判』だと構想力の問題はまた『純粋理性批判』と違ったしかたで
現れてくるからね。
>>103 はその辺を勉強すべき鴨。
この論点はドゥルーズの『無人島』のカント論が必見。
114 :
考える名無しさん :04/02/26 14:31
どうでもいいけど、スコトゥスを挟んでドゥルーズとハイデガーの関係をどうこう言うんだったら、 ハイデガーの学位論文は無視できないと思うんだが。 おまいら読んだか?
116 :
考える名無しさん :04/02/26 14:34
faculteの争い、つーことやろ
ハイデガーが依拠したテクストは、 スコトゥスのものではなかったからなあ
118 :
考える名無しさん :04/02/26 14:34
ハイデガーも騙されたのでちた
119 :
考える名無しさん :04/02/26 14:36
でもまあ、Scotist てのは結構勢力があったわけだし
ドゥルーズのスコトゥス論はジルソン依拠だろ? ならハイデガーよりはまともか。 けれどネオトミストのスコトゥス論ってどうなんだろう? 誰かがジルソン説をまとめてほしい。 ドゥルーズだけだとあまりにも断片的なので。
相変わらず、宿題ばかりでるなあ。 だれもやってこないけど。
122 :
考える名無しさん :04/02/26 14:39
>>119 は、結構正解。
ハイデガーが間違えて数えいれてしまったテキストは、
中世当時の理論文脈では割とスコトゥス派に近いところにあったのは事実。
>>24 を読む限り、ハイデガーのカント論は
あくまでも思弁的関心についてのみあてはまるという考えなのでしょうか?
124 :
考える名無しさん :04/02/26 14:42
ジルソンの本は長いし、読むのは結構シンドイよ。 でも、スコトゥスの「存在の一義性」てのを持ち出す人は、せめて、形相的区別の問題とかも きちんと考えてほしいよ。
>>115 分配というより(遊動的)合致の問題かな。
ドゥルーズの読解によれば『判断力批判』は構想力の自律的な遊動性を
最大限に引き出すことで、諸能力(理性、悟性、構想力)がそれぞれの
自律性を保持した上で合致するという「超越論的発生の原理」を示した。
この論点は『純理』からは出てこないよね。
126 :
考える名無しさん :04/02/26 14:54
可変的な単純様態が基体─存在─に原本的に含まれているように、 離接的様態も基体に含まれているから、ある存在に離接的両項の どちらか一方が該当する、という命題は基体に原本的に含まれて いる。そうすると、ある存在が第一のものである、ということは 存在の意味構造に原本的な仕方で潜在的に含まれることになり、 こうしてまた「あるかどうか」「なんであるか」も含まれている。 第一の存在はその意味構造の然らしめる必然として存在に原本的に 含まれているの。
127 :
考える名無しさん :04/02/26 14:59
>>125 そうですね。
能力の超越的行使として「超越論的発生の原理」が考えられるわけですよね。
となると、 ドゥルーズは時間の総合を構想力とは別の源泉に見いだしているわけですか?
>>130 カント純理の感性論。
直観形式としての時間。
くわしくはハイデガーのカント論参照。
三能動総合は時間そのものは扱えないとぴうことですか?
超越論的観念論といっても、本当は超越論的実在論と超越論的観念論 に振れている疑いがあるわけだ。
(訂正) 超越論的観念論といっても、本当は超越論的実在論と経験的観念論 に振れている疑いがあるわけだ。
103はあげるのならもう少し考えてから書き込め 刻々と感想書くならさげてくれよ
137 :
考える名無しさん :04/02/26 15:51
「超越論的」観念論と「経験的」実在論だべ
>>137 カントはそのつもりでも、悟性による総合は、コギトの統一か対象の統一
か、あるいはそれらの総合に過ぎないというところからカント批判は可能
ということかと。
140 :
考える名無しさん :04/02/26 16:05
悟性による総合と、構想力による総合のふたつがあるんでしょ?
141 :
考える名無しさん :04/02/26 16:06
つうか、カント論は他にいってやれよ
143 :
考える名無しさん :04/02/26 16:09
カントから持ってきたものであっても、総合はドゥルーズにとって 重要なキーワードと思われるのでつ・・・。
144 :
考える名無しさん :04/02/26 16:12
>>103 いや。いちおう確認しただけでたいした展開はないです。
ただ、自分的には総合のふたつのタイプというのは大事なポイント
だと思ってるわけですが・・・。
145 :
考える名無しさん :04/02/26 16:13
構想力をア・プリオリな総合判断として根源的統一理性と見ると ヘーゲルになるわけで、これはなかなか厄介な見識かと。
147 :
考える名無しさん :04/02/26 17:33
103さんは、以前にAOの翻訳の良い悪いでお書きになっていた方ですか? カントの話から、そのように思いました。間違っていたら、ごめんな さい。
148 :
考える名無しさん :04/02/26 18:10
>>146 翻訳はあんまり良くなかったように記憶するが
149 :
考える名無しさん :04/02/26 20:08
>>146 ジルソン流に「存在忘却」の歴史が語られるやつね。
でもスコトゥスについて果たしてどんなことが書かれてたか、オレはもうすっかり忘却して
しまってたのでちた。
150 :
考える名無しさん :04/02/26 20:18
そう言えば、フランスでのカント評価がどうこうといった話が前の方(
>>5 )でもあったけど、
これってブランシュヴィックとかその辺の(サルトル以前の)時代のことを知った上で
言ってんの?
前スレ994-996 の「ああシェストフ」さんから引用 994 :「ああシェストフ」 :04/02/25 22:23 『差異と反復』邦訳で17頁。 こういうクスッと笑わせてくれる所がDにはあるね。 「口髭をはやしたモナリザと同じ意味で、 哲学的に髭をはやしたヘーゲル、 哲学的に髭をそったマルクスを想像してみよう」 995 :「ああシェストフ」 :04/02/25 22:31 ちなみに「ああ、シェストフ」は邦訳205頁にある。 ここもクスッと笑わせてくれたっけ。 「彼こそ、一時的でも永遠的でもない《反時代的な》者である。 ああ、シェストフ。彼が立てるすべを知っている諸々の問い。」 996 :「ああシェストフ」 :04/02/25 22:41 994の引用はヂュシャンとオッカムがコンテクストにあるだろう。 995の引用はニーチェのラインでシェストフ(またドスト)が ドゥルーズの念頭にあることが見てとれる。 ドゥルーズを読むにはユーモアのセンスが必要だね。
で、上の >「口髭をはやしたモナリザと同じ意味で、 >哲学的に髭をはやしたヘーゲル、 >哲学的に髭をそったマルクスを想像してみよう」 わたしはぜんぜん詳しくないのでわかんないのですが この部分の解説を詳しい方お願いしますです。
154 :
考える名無しさん :04/02/26 22:46
>>146 田舎だってカレーくらい自宅で作れるだろ。
ココイチ以上のカレーなら誰だって簡単に作れる。(トライ娘を除く)
別にココイチは嫌いじゃない。二度と行かないし別の世界の存在と思えば、
何の感情も抱かずにすむ。嫌いなのはココイチ擁護。
頭の悪い奴が何を生意気に自己主張してるのやら、
奴等如きが俺と対等な立場だと思ってるのが片腹痛い。
誤爆?
156 :
考える名無しさん :04/02/27 00:18
>>151 いや単純にさ、サルトルとかメルロ−ポンティとかの現象学受容以前には、新カント派が
フランス(というかソルボンヌを中心とした講壇哲学)を支配してた、ってことなんだけどさ。
(そのレベルとか内容はともかくとして。)
どうでもいいんだけど、ドゥルーズはフーコーとかデリダとかいった人たちとは違って、
ソルボンヌ出身ということで、また独特な屈折もあるような感じもするんだけど。
157 :
考える名無しさん :04/02/27 00:24
>>153 「口髭を生やしたモナリザ」つーとデュシャンの「作品」でつね。
オッカムの剃刀というのは言わずもがなで、「プラトンの髭をオッカムの剃刀で剃っちまえ」と
ゆったのはクワインですな。
158 :
考える名無しさん :04/02/27 00:30
とゆうか、カントについてあれこれ言うひとにもっとユーモアのセンスを見せて欲しいんだけど。 ドゥルーズのカント論てのは、要するに、理性や悟性といった諸能力(faculte)の間の対立が どのようにして調停され、調和を見るか、ということが話のポイントになってるわけど、 これは当然、「学部(faculte)の争い」を下敷にしてるわけでしょ。 旧制高等学校生みたいなデカンショ話は勘弁してもらいたいんで、もっと芸を見せちくり。
159 :
考える名無しさん :04/02/27 11:47
ヒューモア n'est pas オヤジギャグ
160 :
考える名無しさん :04/02/27 11:59
ヒューモア n'est que オヤジギャグ
158 がなんかスレの勢いを止めたような・・・
158のレスはナイスだよ。勉強になった。
163 :
考える名無しさん :04/02/27 13:16
>>161 まあ、そうはいえるね。
別に、つねに芸を見せる必要はないわけだし。
164 :
考える名無しさん :04/02/27 13:35
「学部の争い」てのはカントの論文だっけ? どんな内容だったか、教えて、偉い人!
「スレの勢い」っていっても中身がなあ・・・
>>157 をふまえると
>>153 はどんな解釈になるのだろうか?
むしろ思考の実験=SFが重要ってことですよ
昨日も誰か書いてたけどさ、『無人島』の涜書会はやんないの?
読書会スレは ↓ コアメンバーのテンションに対して周りがひく ↓ 時々基礎的ミスもみつかる ↓ けれどツッコミを入れる奴は性格が悪いので荒れる ↓ なんとか持ち直す ↓ 中心人物が忙しくなり寂れる
いやでも、素人の俺には勉強になった。
今のこのスレの状態が一番いいと思います。 読書会スレッドは別にありますし。
172 :
考える名無しさん :04/02/27 13:55
『ベルクソニスム』スレでもそうだけど、読書会スレはやっぱ、一人でも続けてくという 気概のあるシトがいないとダメやろ
173 :
考える名無しさん :04/02/27 14:10
イポリットの書評とか書いているんだね
174 :
考える名無しさん :04/02/27 14:11
>>167 「思考の実験」というのは確かにドゥルーズ最大の魅力
「SFサイエンス・フィクション」は「虚構の知」なんだろうけれど
>>153 の部分はヘーゲルを揶揄してマルクスを評価してるわけですかね?
>>174 「歴史上のあらゆる名は私だ」という、
自己同一性が失われたニーチェ晩年の世界を積極的に捉え直す試みでしょう。
176 :
考える名無しさん :04/02/27 14:16
随伴現象学ワラタ
>>168 読書会の件だけれど、『無人島』は、別にかまえて読まなくてもよいと思うし、
「この週はこの論文」ぐらいに決めて、まとめたい人がいればまとめる、
突っ込む人がいれば突っ込むぐらいでやればいいと思う。
つまり「今週の課題図書」ぐらいののりで。
だから、このスレでもよいと思うんだな。
そろそろ開始時期とか決める?
多分、これから本を手に入れるという人もいるだろうから
少なくとも一週間ぐらいはおいたほうが良いと思うんだけれど。
ちょうどきりが良いから、三月の1日からの一週間ぐらいから はじめても良いけれど。
>>178 そうするとその週は、
このスレがその話題ベースになるから別スレを頼む
180 :
考える名無しさん :04/02/27 14:27
今すぐスレ作って話題を分離しろよ。
182 :
考える名無しさん :04/02/27 14:49
別スレにしてもいいと思うよ
経験上、読書会スレでない方が専門家が立ち寄ると思う。 例えば東スレも、 「しろうと」氏が立てたスレには関係者は降臨していない模様。 科哲スレなど、三人ぐらいで回すことになっていたし、 ここが読書会一色になるのは嫌ですね。
前スレからの書き込みから判断すると、 このスレには数人専門家がいると思います。 けれどその人たちが読書会スレに書き込むとは思えません。 個人が特定されてしまうからです。
185 :
考える名無しさん :04/02/27 14:56
ケツの穴の小さいヤシらやね〜
>>183-184 結局、何を言いたいのか良くわからないのだが。
前スレ終わりぐらいからの勢いというのは、
今みたいに「宿題を出す人ばかり」で
あいまいな話を続けていても続かないと思うよ。
それと、「わかっている人」からの突っ込みというのは
「ちゃんと読めよ」ってことなのよね、基本的に。
187 :
考える名無しさん :04/02/27 14:57
てゆーか、ここで読書会やられたら、のびのびと電波を出せないだろ。
読書会といっても、いいかげんなものにしかならんのちゃうかな。 電波の素材、ってことでいいんじゃないか?
189 :
考える名無しさん :04/02/27 14:59
190 :
考える名無しさん :04/02/27 15:01
>>183 しろうとのスレには関係者は降臨してないかもしれないけど、いわゆるプロ
は書き込んでいるよ。これは確実だと思う。
192 :
考える名無しさん :04/02/27 15:06
とりあえず別スレ立ててみたらどないだ? 盛り上がらなかったら、また出戻ってくればいいやろ
>>191 まあそうだけど、2ちゃんで読書会スレはうまく機能しない。
俺はこういうスレでの一言レスの方が見ていて刺激的。
宿題には論文で答えを出してほしい。
「しろうと」を例にしたのは、
彼が2ちゃんに充足しているようだから。
194 :
考える名無しさん :04/02/27 15:08
195 :
考える名無しさん :04/02/27 15:10
196 :
考える名無しさん :04/02/27 15:12
宿題って誰からの宿題だ?
2ちゃんねるで論文を公開できない香具師はケツノ穴が小さすぎで ドゥルーズを語る資格がない。
199 :
考える名無しさん :04/02/27 15:31
まあ、論文てのはオレにとってはどうでもいいのだが。 日本語でドゥルーズについて書かれている論文は「電波が大目に入ってる」か「ユルユルすぎ」 かのどっちかだし。
200 :
考える名無しさん :04/02/27 15:35
>>193 >宿題には論文で答えを出してほしい。
>「しろうと」を例にしたのは、
>彼が2ちゃんに充足しているようだから。
意味不明
201 :
考える名無しさん :04/02/27 15:47
ともかく、みんなでケツの穴自慢をしててもしょうがないわけだが
202 :
考える名無しさん :04/02/27 15:49
俺はケツの穴小さくてもいいや。
一気にレベルが落ちたな
>>198 の公開論文でもたたき台にしようか?
204 :
考える名無しさん :04/02/27 17:13
ま、
>>9 のような、気分だけで読んでるやつがいなくなって良かったね。
205 :
考える名無しさん :04/02/27 17:48
ちょっと真面目な話に戻ると、前から話題に出てた「ドゥルーズとハイデガー」てことで 言えば、『差異と反復』でちょこっと書いてる注を見ても、恐らくあんまり生産的な話には ならない感じがするし、それよりはむしろ、カントとかニーチェに対する双方の態度を見比べて みた方が良さそうに思うんだけど。 そういったわけで、カントの話をするのもいいけど、もうちょっとハイデガーのカント論のことも 織り混ぜて話をしてもらいたいと思うのだが。 (その他には例えば、ハイデガーがほとんどスピノザに言及してないといったことも、 それ自体として興味深いわけなのだが。)
206 :
考える名無しさん :04/02/27 17:49
ちょっと長くなっちゃったけど、オレ個人としては、ドゥルーズとハイデガーが それぞれ哲学史に対してとった態度に本当の対立があるような感じがするんだよな。
207 :
考える名無しさん :04/02/27 17:52
どうでもいいけど、ユーモアについて何か言うのだったら、マゾッホ論の話をはずすわけ にはいかないだろ
208 :
考える名無しさん :04/02/27 18:00
ドゥルーズのもろ哲学の本は読んだことないけど、ユーモアということなら 「ミッシェル・トゥルニエと他者なき世界」が最高だった。
ドゥルーズスレって結構レスが入るものだと驚いた。
とりあえず簡単ながら応答を。
>>88 具体的に突っ込んだ話に移るとそうなるね。
でもまあこういう場所ではこんなものかと。
ただ一見レジュメ・チャート化しやすい図式化の裏に
緻密なコンテクストがあるのは確かにその通り。
>>89 コンテクストを読んでくれて感謝。
木を見て森も見てくれるのはありがたい。
(ひとつのレスがどういう流れの中で出たかという)
実は
>>9 で書いた「ドゥルーズとハイデガーの関係」には
実際のところは興味がなかったりする。
でも
>>10-12 のような的確なレスがあったので、
あえて投げかけてみた甲斐があった。
>>91 >正面からの対決を回避して迂回することで対決する、といったような戦略
その通りだと思う。
で、あえて「ドゥルーズとハイデガーの関係」を見るには
Dにハイデガー論と呼べるものがない以上は
>>205 のような指摘、すなわちDとHがそれぞれ
カントとニーチェにどんな態度をとったかを見るのは適切ではあるけど。。。
>>211 ってかさ、あくまでドゥルーズについてを中心にしてカントやハイデガーなんかは
補足としてこういう問題を考えることができるということを指摘できればそれで
いいんじゃないだろうか。あれ読むとかこれ読むあの問題この問題って次々出るけど
そこに深く突っ込んでいくことはまずないないし。
>>212 の「ドゥルーズ中心」というのはスレの基本だし、
まあそんな感じでいいのではと思う。
あと、ドゥルーズのユーモアについては
>>207 のはわかるが
文体や言葉のユーモアなら
>>153 にあった部分も含め
やっぱ『差異と反復』の序文がめっちゃ面白いな。
ここに書き込んでいる人それぞれ個々の 具体的な問題意識が知りたい。
>>214 それはおれも聞きたいね。
まず214さんはどんな点?
216 :
ノマド ◆HAAd4wEbmI :04/02/28 01:24
>>213 まったく同感ですね。
『差と反』序文ほど知性とウィットを感じさせてくれるものは
哲学的なテクストにおいては稀有ではないかと。
>>214 哲学としてはやはり『差と反』の第三章が白眉ではないかと。
ただ、様々な領域を横断してゆくスタイルがドゥルーズの持ち味でもあり、
正直なかなかテーマを絞りきれませんね。
差異と反復は第五章が一番面白い。 解説されることがほとんどないのは難しいから?
>>214 具体的な問題意識ではないけど、例えば『ミルプラトー』なんかを読むと
正直涙が出そうになるときがある。すでに主体や個性その他云々が過剰に消尽されて
それでも強靭な思考によって、その先を見ようとするするような。
まったくの誤読だろうけど、今の若い連中(私を含んで)でそういう読み方を
してる奴は少しはいると思う。自己形成期にすべてが終っていた、あるいは消尽
されていた世代と表現出来るかもしれない。意味不明かもしれません・・・
「ミル・プラトー」の『平滑と条理』にぶっ飛びました。
>>219 あの展開はガタリがいないと無理だった。断言。
それにしても、感想文が多いな。性懲りもなく、感想文派が二人でてきてるし。
それは読書会派との対比?
感想レスを叩くことはスレを荒れさせるだけだ。 ところで 無人島(狂人二つの体制)にも入らなかった論考を持っている人はいますか?
別にいいよ、学会でもFormalな場でもないんだから、感想書いたって。 読みたくない人は読み飛ばせばいいだけ。
224氏はその通りだが、221は自己言及DQNだろ。 221のレスが感想以外の何ものでもないわけだから。
>>225 なるほど、そうしたイロニー/ユーモアだとは気づかなかった。
227 :
考える名無しさん :04/02/28 13:35
>>223 著書にまとめられてない論考てどんなの?
>>227 (223ではないが)
たくさんあるよ。たとえば『無人島』の巻末を参照。
229 :
考える名無しさん :04/02/28 14:07
『無人島』は翻訳の上巻しか持ってない(泣) 貧乏はつらいよ
>>214 「問題意識」とかってゆうのは、あんまり詳細に書くとアレなんだけど、おりの場合は
「個体の形而上学」がどうたらいったことになる鴨。
大雑把に言うと、ベルクソン論の主題である潜在性の問題と、スピノザ論で取り上げられる
数的区別(個体性)の問題とが交錯する辺りが一番面白かったりする。
231 :
考える名無しさん :04/02/28 18:20
>Dにハイデガー論と呼べるものがない以上は
>
>>205 のような指摘、すなわちDとHがそれぞれ
>カントとニーチェにどんな態度をとったかを見るのは適切ではあるけど。。。
適切ではあるけれど、何?で、どんな態度をとったのよ?言ってみ。
232 :
考える名無しさん :04/02/28 18:24
>>205 って関連雑誌のフレーズをつまみ食いしてるだけでは。
あーオレオレ
>>205 書いたのオレだけどさ、単純に素朴な感想つーことで書いただけだから。
「関連雑誌」とかゆわれても良く知らないし。
「言ってみ」とかゆわれても、一言で言えるくらいなら誰も苦労しないわけで。
234 :
考える名無しさん :04/02/28 20:04
おまいらにはガッカリだよ
>>234 でも一番何も知らないのは君なんでしょ?
236 :
考える名無しさん :04/02/28 20:13
その通りでごぜーます。さよーなら
237 :
考える名無しさん :04/02/28 20:39
なかなか頭良くならないね
238 :
考える名無しさん :04/02/28 22:25
なぜか、居る人たちは ドゥルーズ的姿勢からはほど遠い人たち。
240 :
考える名無しさん :04/02/28 22:50
241 :
ああシェストフ :04/02/28 23:00
>>239 さんその通りだがスルーしようよ。
ドゥルーズスレでは否定的で反動的なレスは
差異と反復の運動の中で振り落とされるのだから。
ところで、読書会の件さんが『無人島』の話題を出してたけど
まあ読書会というノリでなく話題を振ってもらえばいいと想う。
で、前に『無人島』のジャリ論(ほんとはアクセロス論)の話が出たっけ。
ユビュ的とかフォーストロール的とか、おれはよくわかんなかったんだがどう?
242 :
考える名無しさん :04/02/28 23:03
ドゥルーズ的姿勢て何だ? 爪でも伸ばすことか? 関連雑誌て何だ? みんなバカ?
244 :
ああシェストフ :04/02/28 23:11
『無人島』所収「ジル・ドゥルーズ、哲学について語る」を再読。 ドゥルーズ曰く「もし何かを賞賛せず、そして何かを愛さなければ、 もはやそれについて書くことに理由などなくなってしまうでしょう」
245 :
考える名無しさん :04/02/28 23:14
>>241 ユビュつったらユビュ親父(Pere Ubu)やろ。良く知らないけど。
ジャリつったら、ブルトン「ジャリはアブサンにおいてシュールレアリストである」とか
ゆってなかったっけ?(←テキトー)
sage進行しよう
「ジル・ドゥルーズ、哲学について語る」からもう少し。 「(スピノザやニーチェの)その力は、つねに肯定、歓び、 その肯定と歓びを崇敬すること、生を損ない生を苦しめる者たちに対して、 あくまでも生を要求することから迸り出ます。」 うーん、かっこいいよなー、ドゥルーズって。
>>245 ジャリの『ユビュ王』『フォーストロール言行録』は読んだことあるんだが
いきなり形容詞化されて使われてもちょっと戸惑うんだよぉ〜。
パタフィジックならまだわかるんだけど・・・。
まぁ、そこがドゥルーズらしいところではあるんだけど。
んー、何だか良く知らんが、オレの中ではジャリってゆーと、結構「ワハハ本舗的なもの」 と深く結び付いていたりするのでちた。
>>249 『ユビュ王』は確かにそんなノリだね。
それがドゥルーズの手にかかると
「パタフィジックを創造することで、ジャリは現象学への道を開いた」
ってことになるらしい。
『無人島』の中の書き物で言うと、おれ的には、「ジルベール・シモンドン 個体とその物理 −生物的な発生」てのに興味があるんだよな。 誰か生物学とかも詳しい人で、きちんと解説とかしてくれないかな。 だいたい、シモンドンてどんなヤツかも良く知らないんだけど。
シモンドンは技術哲学者だってことしか知らん。
シモン丼については筑波大の廣瀬が論文をいくつも書いている。 現代思想の機械特集かなんかにも載っていた。 あれ便利。
254 :
考える名無しさん :04/02/29 03:00
廣瀬キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! というかもう往ってるのか
ペギオ的なもの?
256 :
考える名無しさん :04/02/29 12:06
ドゥルーズは、ジャリの世界を真に受けよと言ってるのさ。 パタフィジックの現象学を創設しろってね。
257 :
考える名無しさん :04/02/29 12:14
>>247 ドゥルーズファンっていうのは、そんな言葉に感動するのか・・・。
文脈はわからないが・・・オウムのように、真面目なんだね。
258 :
考える名無しさん :04/02/29 13:49
260 :
考える名無しさん :04/02/29 22:21
ジャリの話が出てたけど、『記号と事件』の中でも(翻訳の180ページ)やっぱ同じように ハイデガーとジャリと並べてたね。 これってのは、「思索と詩作」つうハイデガー的な主題を引き継いでるようでいて、でも やっぱり強引にそれを捩曲げてしまってる所が、いかにもドゥルーズではあるなあ、 という感じがする。 (だいたい、ジャリを持ってくる時点ですでに「ちょっと変」なわけだが。) こういったところから見ても、「ハイデガーとドゥルーズ」といったような問題は どうも一筋縄ではいきそうにないと思ってしまふ。
261 :
考える名無しさん :04/02/29 22:24
パタフィジックと聞くと、何となく「稲垣タルホ」的なファンタジックな響きも あるけど、ジャリって基本的にズンドコなんだよな。
最近ジャリの評伝が出ている。 顔写真といい装幀といい、雰囲気でているね
263 :
考える名無しさん :04/02/29 22:52
>>256 そうですね。以外に、哲学と詩作などの違いにばかりとらわれていて
、そうした創造を軽くみるむきがあるね。
というか、ハイデガーも創造者の一人として評価しているような。 セリーヌやジャリと同時にほめたり。
265 :
考える名無しさん :04/02/29 22:59
>>259 文脈なんて感想書いてるだけのやつらにないだろ。
おいらも、読んだかぎりでは、ナイーブすぎると
思うね。オウムといわないまでも、あくまで、
比喩だが何かに埋め込まれてしまった人達と
感じたね。
>>265 「比喩に埋め込まれる」って何ですか?
フレーゲ至上主義者かてめえは?
267 :
考える名無しさん :04/02/29 23:02
比喩だがと何かにのあいだに句読点がないのでは?
268 :
考える名無しさん :04/02/29 23:06
269 :
考える名無しさん :04/02/29 23:07
まあ別にいいよ。
>>265 自体が単なる感想なわけだし。
>>247 が別にナイーヴでもいーじゃん。
本当に感動したんだろうから。好きなこと言ったらいいよ。
271 :
考える名無しさん :04/02/29 23:18
そう言えばドゥルーズも、自分のことを「ナイーブな哲学者」て言ってたね。 文脈は違うけど。
たしかにドゥルーズのメッセージ自体ってのはかなりシンプルだな。 デリダなんかと比べるとひねくれてない。
ただ非常にストレートに見えるだけに
逆にドゥルーズが難解に見える面もある。
ジャリについての部分でも
>>256 のように受け取っていいのかどうか・・・
274 :
考える名無しさん :04/02/29 23:33
ドゥルーズの(ある意味での)ナイーブさってのは、エコール・ノルマルでのアルチュセールの影響力 をスルーできたことも関わってるような感じがするんだけど、こうした見方って間違ってんのかな?
275 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/02/29 23:36
なんかジョジョに出てきそうな名前だな≧(´▽`)≦アハハハ
276 :
考える名無しさん :04/02/29 23:37
Denken und Dichten
278 :
考える名無しさん :04/03/01 01:08
ジジェクのD論よんでるのですが、意味の論理学の比重はやはり 大きいですね。しかしし当人としては、「無人島」にあるように、 「私は変わりました。表層真相の二分法はもうとりません」てな もんでさ。ジジェクの言い方はあまりに穴黒だと思った。
279 :
考える名無しさん :04/03/01 01:19
↑それ正確な引用?(出典キボン)
どうして? よくわかるじゃん。 ジジェクもガタリが嫌いなんだよ・・・そういうひと、 いまだに多いよ。
ナイーブ云々出てるけど、フランスでのドゥルーズの受容、特に若者層への受容のされ方を 見るならばある意味当然と言えるものであるんじゃない?ある程度の熱狂を伴ったわけだし。 そういう部分を見落とすなら、わざわざドゥルーズがピンクパンサーなんて使った意味すら 取ることが出来ないんじゃないの?
ないーぶだから自殺したのね。と勘違いしてみるてすと(古!)
つまりドゥルーズには哲学者的な顔に加えて芸術家的な顔もあったのでR.
284 :
考える名無しさん :04/03/01 13:48
ジジェクのドゥルーズ論て読んでないんだけどさ、何かこう読書意欲を掻き立てるような 論評書けるヤシいるか? そう言えばジジェクスレで、柄谷についてジジェクが書いた書評みたいなのがupされてるけど、 それ見ても「コイツあんまりぱっとしねーな」という感じしかないのだが。
285 :
考える名無しさん :04/03/01 13:49
そりから、ドゥルーズが自分自身のナイーブさてなこと言ってたのは、『記号と事件』 の148ページのあたりやね。
286 :
考える名無しさん :04/03/01 13:51
ドゥルーズが言うナイーブとここで言われているナイーブは
全く違わないか?ここでいわれているのは、単に馬鹿だってことと同義。
>>281 フランスでの話は、市田さんがよくしゃべってるね。
リオタールが追悼文で、彼はあまりにも無防備だったみたいにいってたような ことじゃないの
ドゥルーズがいってるナイーブを自分のナイーブさと勘違いする香具師。
反動的で否定的なレスしかできん香具師。
290 :
考える名無しさん :04/03/01 14:02
足の引っ張りあいは止めて、ジジェクのこと教えてくり
291 :
考える名無しさん :04/03/01 14:03
>>286 そうですね。市田氏の言うように、読者には保守的な人が多いかも
しれないですね。
あれは予め状況を把握し戦略的に考えて演じている(デリダ、蓮実、浅田)んではなく それをやったらどうなるかなんて知らん 直観的にしてマジ(ドゥルーズ、柄谷)なんだろう
>>289 反動の反対は革命的?
否定的の反対は、肯定的?でいい?
294 :
考える名無しさん :04/03/01 14:06
反動の反対は能動やろ
ドゥルーズのニーチェ論によれば 能動的かつ肯定的な力=差異。
296 :
考える名無しさん :04/03/01 14:09
>>292 どうでもいいが、「戦略」派はどんどん内容スカスカになってんね。
>>295 その肯定的な力をどうしたいって、ドゥルーズはいってるの?
298 :
考える名無しさん :04/03/01 14:12
どうするたって、力に対しては力としての関わりしかないわけで
力と力のぶつかりあい?もっと、抽象的なもの?
300 :
考える名無しさん :04/03/01 14:15
力自体が能動的な力もあれば反動的な力もある。 力に対する関わりも、能動的な関わりもあれば反動的な関わりもある。 こういった力の絡み合いについては、ニーチェ論を読むのが手っ取り早いと思うんだけど。
301 :
考える名無しさん :04/03/01 14:17
このスレに書いてあることは、単に批判をしないってこと。 積極的に読書しましょうってこと。 別にドゥルーズが言うのとは全く違う。
>どうでもいいが、「戦略」派はどんどん内容スカスカになってんね。 そういうものだよ、参謀という役割は。 秀才といってもいい。状況に左右されて何ぼなところがある。 逆に状況がとてもホットで人材も豊かなところでは 天才をしのぐように見えることがある。 よくもわるくも時代を映す鏡。
303 :
考える名無しさん :04/03/01 14:19
>>300 力自体に能動と反動があるんだ。力に対する関わりって誰が関わるの?
で、力はどこにあるの?ニーチェにあるの?
304 :
考える名無しさん :04/03/01 14:22
>>303 力てのがそもそも、いろんな力の関わり合いの中にしかないわけ。
例えば、「たった一つしか力がない」なんてのはナンセンスなわけで。
(譬えとしてあんまり良くないかもしれないけど、たった一つしか単語のないような言語てのが
ないようなもの。)
つまり、力が問題になるというのは、つまり、色んな力がせめぎ合ってるような場が問題に
なってるということ。
305 :
考える名無しさん :04/03/01 14:25
>>303 「誰」ということで言えば、一般には、「誰」と呼ばれるような主体の中にも、
色んな力の線が走ってるということになると思う。
フーコーが言うようなミクロの権力論みたいなものを考えても(さしあたっては)
いいと思うんだけど。
306 :
考える名無しさん :04/03/01 14:35
>>302 んー、「状況に左右されて何ぼ」てのとも少し違うような感じがするんだけどな。
蓮実はまあ(戦略的に?)問題外としても、最近のデリダのスカスカ振りはちょっと
シドイ感じがするのだが。(デリダはある意味では状況をよく見てはいると思うんだけど。)
ジジェク〜
力の能動と反動、肯定と否定についてはニーチェ論参照。 そのへんの基本的な概念を最初からここで説明するのはちと辛いんで。
309 :
考える名無しさん :04/03/01 16:09
ジジェクの『イデオロギーの崇高な対象』ってなんか凄くね?
反動的な力を、能動的な力に奉仕させるのが、肯定的な力への意志とかいう話だっけ。
311 :
考える名無しさん :04/03/01 16:54
力っていうのは、抽象的なものなの?
312 :
考える名無しさん :04/03/01 17:06
スレの書き込みを見るとドゥルーズに対しての理解の度合いが 分かってよろしいですな。
313 :
考える名無しさん :04/03/01 17:13
>>309 浅田彰スレ@不法流出から先ほど出てきた
次のようなコメントを引用しておこう
>ドゥルーズを読むジジェク 2003.12.02a.
>マルクスが生半可な唯物論より観念論から学ぶことの方が多いと言ったように、我々も
、ドゥルーズを安易にネグリなどと結びつけようとするドゥルージアンたちの「善意」より
バディウやジジェクの「悪意」から、いっそう多くを学ぶことが出来るのではないか
3 :考える名無しさん :04/02/24 16:51
>ドゥルーズを読むジジェク 2003.12.02a.
>
ドゥルーズ本人は良くも悪しくも偉大な哲学者であった
(その哲学は「多」や「生成」にとどまらず「多の一」や「生成の存在」=「回帰」に
まで到達せずには置かないだろう)と思うし、ドゥルーズ本人を何とか開かれた多様性
の方に引き出そうとする凡百のドゥルージアンのドゥルーズ論よりバディウやジジェクの
ドゥルーズ論の方がドゥルーズ哲学の一面に肉薄していることを認めるに吝かではない。
>
314 :
考える名無しさん :04/03/01 17:16
始原にして生成するヘーゲルにポモは恐怖するがいい。
315 :
考える名無しさん :04/03/01 17:22
>バディウやジジェクの「悪意」から、いっそう多くを学ぶことが出来るのではないか 確かにバディウやジジェクから学ぶべきだと思います。
316 :
考える名無しさん :04/03/01 17:38
ヘーゲル読んで真の唯物論に到達したと豪語するレーニンが、今まで資 本論の始めの1章を誰一人できなかったのは当たり前で、それはマルク ス以外ヘーゲルを理解した者がいないということだと言っていた。
317 :
考える名無しさん :04/03/01 17:44
>>314 ヘーゲルというよりヘーゲル=ラカンという感じでしょ。
318 :
考える名無しさん :04/03/01 21:00
ジジェクヲタはジジェクスレでどうぞ。313のコピベ飽きた。 電波レスはへーゲリアンのルサンチマンだったのかな?
ジジェクのドゥルーズ本て、買う金が無いからさ、本屋でちょびっと立ち読みしたけど、 あんまり面白そうじゃない鴨。 ジジェクの英語は別に難しくないし、暇なシトでも訳出してみたら。
カントをめぐるドゥルーズとジジェク(=ラカン)の読解の相違点に注目
321 :
考える名無しさん :04/03/02 01:07
もっと詳しくおせーて!!!
浅田も実はガタリが嫌いなんじゃないかと思った
323 :
考える名無しさん :04/03/02 02:10
オレも嫌い。 理由:バカだから。
ところがドゥルーズはバカが好き。 ドゥルージアンはこのことを考えないと駄目
325 :
考える名無しさん :04/03/02 02:21
まあ、勝手に考えてくり。 そう言えばジジェクは、『アンチ・エディプス』はドゥルーズの著作の中でも最悪 とか言ってたな。
>>322 どっちかというと、ガタリにシンパシーを感じるらしいが。
それはジジェクの師匠ミレールが叩かれたから。 ジジェクには当然マフィア体質があるよ。 良く言えば仁義に富む。
328 :
考える名無しさん :04/03/02 02:29
ガタリは本読んでもワケワカラン。 でも身近にいたら面白いかも。
ジジェクは蓮實を叩いて柄谷を支援。 まあそういうことだ。
どうでもいいが、ミレールには多分、ラカンちの「婿どの」としての自伝しか期待してない 人がほとんどだと思う
>>330 <<suture>>読んだことがない厨ハケーン
普通に考えれば、読んでる方が厨なわけだが
それはありえない
読書がそのまま厨とはいかに。 ドゥルージアンとも思えん
勝手に読んでれ
ミレール=厨という認識は端的に間違い
ミレールは、権力を握れたので単なる厨とは違うのれす。 戦略があったのれす。
単なる読書自慢だったら、デリダスレにでも往ってやったらええやろ ミレールの話したいんだったら、もっと内容のあること書いちくり オレもミレールは読んでないし
ラカンがマテーム路線に行ったのは ミレールのミスディレクションに責任あり
マテームやめちくり せめてフレーゲくらいは読んできてくり〜
>>339 柄谷にカントを吹き込んだ浅田と同罪と考えてよいか?
ミレールは「算術の基礎」を使ってラカンを説明しているんだっけ?
>>341 もしこの推測が正しいなら、ソーカルの無用な煽りを招いた責任がある。
343 :
考える名無しさん :04/03/02 18:11
そろそろバディウのドゥルーズ論について話をしたいんだけど…
344 :
考える名無しさん :04/03/02 18:22
フレー下
346 :
考える名無しさん :04/03/02 18:46
ドゥルーズの「何を構造主義として認めるか」は名論文っ誉高いけど 何書いてるのかさっぱりわからん。
>343 バディウのドゥルーズ論ってどう?
348 :
考える名無しさん :04/03/02 18:52
「構造主義に反対する書物には何の重要性もない」って言ってるし。
そう、なにかいてあるのかわらない。 それでいい。ただし、次のことを把握 するなら。すなわち、構造主義は人が そう思うよりもより開放的で動的でも あるバージョンをもつということを。 共時態分析に基づく固定的な把握だけ でなしに、歴史にも動的な把握を与え かねない理論であるということを。 最近では柄谷でさえ「構造論的把握」 の重要性を言い出した始末。あれほど 嫌っていた節がある男でさえ、国家と 資本とねーションとの関係を、手と手 を取り合って一緒にやってくる動的構 造と把握することを重視している。
350 :
考える名無しさん :04/03/02 19:07
>>347 ドゥルーズの一なる存在は無知の隠れ家に過ぎないということらしい。
351 :
考える名無しさん :04/03/02 19:09
>>349 >最近では柄谷でさえ「構造論的把握」
>の重要性を言い出した始末。
昔から言ってるんじゃない?
そう、だから昔からいっていたので 驚くには当たらないと 訂正します。
353 :
考える名無しさん :04/03/02 19:16
バディウのドゥルーズ論もジジェクのドゥルーズ論も つまりたいして読む価値がないってことなのか・・・。 まあドゥルーズのテクストを読んだほうがいい罠。
355 :
考える名無しさん :04/03/02 21:26
ジジェクのドゥルーズ論って、ドゥルーズはヘーゲルのオカマだけは掘らなかったが それは近親相姦になるからだって。 ドゥルーズは20世紀のヘーゲルだということ。
356 :
考える名無しさん :04/03/02 22:13
バディウの本はこれから読み返してみる〜
357 :
考える名無しさん :04/03/02 22:17
おまいらは山内志朗の『天使の記号学』でも読んどけ
359 :
考える名無しさん :04/03/02 22:47
ところで『無人島』の中でもニーチェについて書かれたものが多いわけだが 「ノマド的思考」なんかはわかりやすくて入門としてもいいんじゃないかな。 そういえばちくまの『ニーチェは今日?』にも入ってたっけ。
みんな浅田のジジェク褒めに引きずられ杉だろ
361 :
考える名無しさん :04/03/03 13:54
ジジェクはどうでもいいけどさ、バディウの本は結構面白いと思うんだよな。 でもこの翻訳て何だかぎこちなくて、ちょっと気になるんだけど。 原書も持ってて誤訳とか気付いた人いたら、教えてもらえないかな?
362 :
考える名無しさん :04/03/03 14:11
バディウのドゥルーズ批判は
350 :考える名無しさん :04/03/02 19:07
>>347 ドゥルーズの一なる存在は無知の隠れ家に過ぎないということらしい。
363 :
考える名無しさん :04/03/03 14:13
そんな大雑把な話はどうでもいいんだが バディウの「プラトニズム」とかいうものも、真に受ける人間がいるとは思えないし
バディウは自分の思想からドゥルーズを斬っている。 「存在と出来事」を読まないと意味不明なのではないか。
365 :
考える名無しさん :04/03/03 14:16
で?
366 :
考える名無しさん :04/03/03 14:17
まあ、とりあえずはバディウのドゥルーズ本を読んでみるからさ
367 :
考える名無しさん :04/03/03 14:19
バディウもジジェクもさ、ドゥルーズをvitalismに押し込めようとしてるっぽいけど、 それって無理やりじゃないの?
>>367 デリダにもそういうところがある。
ジェイムソンも浅田も、揃いも揃ってvitalismeは駄目と言うが、
どう駄目なんだ?
よくナチズムっぽいとか聞くけど、
思想ってそんなに単純なのか?
370 :
考える名無しさん :04/03/03 14:28
vitalismeは駄目になりがちなのは、カント的な感性と悟性の関係から逃避 したささやかなフランス的趣味に陥るからだよ。
vitalismeが駄目なのは、カント的な感性と悟性の問題系から逃避 して、ささやかなフランス的趣味に陥るからだよ。
372 :
考える名無しさん :04/03/03 14:36
細かいことにこだわる香具師だなあ!
それってアメリカでプラグマティズムが駄目と言われるのと同じ? カンティアンはこう考えている? 各国の駄目思想 ドイツ 弁証法 フランス 生気論 アメリカ プラグマティズム
だとするとドゥルーズはカントの問題系を無視しないまま、 これら「駄目思想」を総合する試みなのではないでしょうか?
ささやかなフランス趣味っていう規定自体が、 すでに趣味のような気がします。 例えばその反対規定としての「カントは厳密」という趣味。 具体的にはどういう趣味? 西田哲学に依拠する日本人のフランス版みたいな?
376 :
考える名無しさん :04/03/03 15:15
つうか、
>>370 は根本的にワケワカラン
カント的な問題系て何だ?
結局、バディウもジジェクもドゥルーズを読めてないわけだ。
哲学科独特の伝統ではないでしょうか? 学派を問わずカントは古典なので、 その人にとって厳密さが欠けた哲学を批判するときに、 カントを参照するようにうながすわけです。
379 :
考える名無しさん :04/03/03 15:23
>>379 別にDQNでも良いですが、
ささやかなフランス趣味の内実を規定してくださいな。
381 :
考える名無しさん :04/03/03 15:32
別に趣味の話に付き合うつもりはないし。 で、vitalismてことで、例えばベルクソンの『創造的進化』みたいな話を考えるんならさ、 たしかにvitalismてのはいかにもダメダメとは思うけど、 そうしたダメさてのは、カント的な問題系やらいったものを参照するとかいったこと とは無関係なわけで。
物質と記憶だろうて
>>381 趣味の話をしたのはvitalism批判者だろう。
384 :
考える名無しさん :04/03/03 15:38
どうでもいいよ。
でも
>>375 >「カントは厳密」という趣味
って、一体どんな趣味なんだよ。
ドゥルーズのベルクソニスムという側面を批評空間系は批判し続けてきた わけだけど、もっとも根本的なベルクソニスム批判は樫村晴香の「ドゥル ーズのどこが間違っているか」だと思われ。 ベルクソンを全面的に扱った論文でないけど、ドゥルーズの間違いの起源を ベルクソンに見ている。 理論的水準ではドゥルーズのベルクソニスムはとっくの昔に勝負がついていた。 ただ難解だからいまだにみんな気づかないでドゥルーズの啓蒙的な語りにうっ とりしてるんだよ。 ドゥルーズ自身がベルクソンの批判すべきところをきちんと批判していればこんな 事態は最小限に抑えられたと思う。ドゥルーズも罪なことをしたもんだ。
386 :
考える名無しさん :04/03/03 15:47
>>385 そうなにょ?
樫村の論文てちゃんと読んでないんだけど、そいじゃまあ見てみるわ。
できたらかい摘んで内容紹介してくれたら助かるけど。
ドゥルーズのベルクソン読解は、 決して標準的な生気論理解ではない。 385は本当に樫村論文を理解したのか。 あの論文は二重セリー理論の批判であって、 さらにはハイデガーとニーチェの読み方の批判だ。 樫村や浅田による留保を含めて、 ベルクソニズムはマルクス主義と相性が悪いから叩かれている面がある。
388 :
考える名無しさん :04/03/03 15:51
うん、
>>387 の言う通りで、ドゥルーズのベルクソン論てのは、(少なくとも普通に読む限りでは)
vitalismを擁護しているようには見えないわけで。
その辺を385には訊きたいんだけど。
ドゥルーズが機械と言った意味を考えれば終わる話題。
390 :
考える名無しさん :04/03/03 16:03
ドゥルージアンは樫村を電波扱いしないでちゃんと反論すべきでは? 引用されない定説が増えていくのは問題が多いと思う。
樫村のドゥルーズ論は、どっちかというとマルクスと相性が悪いからというよりも、 ニーチェをスピノザやベルクソンに引き寄せて読んだ事に対する批判で、どっちかというと そこからマルクスに繋げたことに対する批判と読んだけど。 実際、マルクスが前面に出てくる、「アンチ・オイディプス」以前の仕事に関しては、 割と評価してる。まあ、断絶は「意味の論理学」以降という話だけど。
ジジェクも樫村も「意味の論理学」が重要と考えているわけですね。
>>384 ほとんどのカント好きがたんなる趣味という意味
395 :
考える名無しさん :04/03/03 17:13
>>393 「意味の論理学」は理論書というよりアンチ・ハイデガーのための啓蒙書でしょ。
396 :
考える名無しさん :04/03/03 17:15
樫村のドゥルーズ論は、まさに強迫神経症的な読みだね。
ノマディズムを解説してください。
>>395 ちょっとトンデモな理解ですね
あの本で重要なのはクライン派の精神分析です。
直接アンチハイデガーではありません。
よってジジェクが気に入るのは当然と言えます。
>>367 正しさに固執して理論化しるとああなるんだよ。
400 :
考える名無しさん :04/03/03 17:28
ジジェク鋭い
401 :
考える名無しさん :04/03/03 17:43
樫村論文をトンデモとまではいかないまでも、まったくの的違いと 理解できないのだったら、ドゥルーズを読んでる意味がないね。
最近のレスを読んでわかったのは 樫村とジジェク読んでドゥルーズ読まないと トンチンカンになるってこと。
ドゥルーズの『意味の論理学』は『差異と反復』より難解だと思う。 「ナンセンス」と「パラドックス」について、「セリー」について、 また蓮實が借用した「表層」や「出来事(事件)」について、 また「差異化=微分化ディフェランシ(t/c)アシオン」はもちろんのこと、 「特異性」や「単独者サンギュリエ」、「ユーモア」と「イロニー」について 未だに自分の中で充分に吸収できているとはいえないなあ。 これを充分に理解できた人は尊敬できる。 千の高原もそうだけどこれは「芸術的な哲学」! 意味サンスの論理学ロジックとはいっても、 サンスにはそれこそいろんな意味があるからね。
404 :
考える名無しさん :04/03/03 19:11
樫村さんはドゥルーズが「芸術的」であることも批判してたんだっけ?
>>401 まったくの的違いっていうのを論文引用しつつ詳しく解説してください
あんまりよく判らなかったので…
405 :
考える名無しさん :04/03/03 19:25
>>403 ある程度まともな人は今樫村のせいで呆然としてるのに、君は「芸術的な哲学」とかいって
ハクチ晒すか?
>樫村のせいで呆然としてるのに ってどういう意味?
407 :
考える名無しさん :04/03/03 20:10
>>404 そんなもん自分で調べろや。ハクチさらすな
>>406 呆然ってどういう意味か教えてくれよ。樫村って注目していたというか
今から読んでみようと思っているから、気になる。
409 :
考える名無しさん :04/03/03 20:18
樫村スレの住人がいっせいにこちらに移動中
410 :
考える名無しさん :04/03/03 20:35
樫村もバカにまとわりつかれて大変だな。
411 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/03 20:49
僕は、、、 ≧(´▽`)≦アハハハ
412 :
考える名無しさん :04/03/03 20:51
>>407 論拠も示さずにまったくの的違いとか言ってるほうが「ハクチ」だろうが
413 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/03 20:57
≧(´▽`)≦アハハハ
ニー哲読んだときに、樫村による、ドゥルーズの永遠回帰解釈についての 説明は、参考になった。熱力学とか、シャッフルしたカードを比喩にする奴。 もっともこれはドゥルーズ自身が語ってたことだと思うけど。 こうした読み自体は、樫村も間違ってるとは思ってないのでは。 一面的な読みのみであり、それがガタリとの共闘以降(こっちは全然評価してないらしい)に 結びつくという不満はあるにしても。
415 :
考える名無しさん :04/03/03 21:33
ハクチとかCQNとかいう2ちゃんねる概念を用いる人って(ry 「芸術的な哲学」って別に樫村の専売特許じゃないわけだし、 従来とは異質なドゥルーズの哲学をそう名づけてみても別にいいんじゃない。
CQNってなんですか?あと白痴って2ちゃん用語なの? 子供の頃、ヘマすると父親に「白痴がっ!」って怒られたけど
だね。「芸術的哲学」と呼んでみてもいいし 「実験的哲学」「遊牧的哲学」と呼んでみてもいい。 既存の哲学にはない「特異性」があるのだから。 で、2次文献の話ばっかりがよくレスされてるんだが 『意味の論理学』や『無人島』を読んでる人は少ないのかな。
418 :
考える名無しさん :04/03/03 23:53
>>397 ノマドロジーはライプニッツのモナドロジーを意識させるわけだけど
セダンタール(定住民)に対するノマド(遊牧民)の思考スタイル。
419 :
考える名無しさん :04/03/04 00:08
用語だけ羅列してもわかんねーよ
420 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/04 00:10
ジョジョの奇妙な冒険の新キャラ名を勝手に作るスレッドはココですか?
>>419 そりゃあ2ちゃんだけで理解しようとしても無理。
ドゥルーズのテクストを読まないとね。
422 :
考える名無しさん :04/03/04 01:04
バディウのドゥルーズ論を途中まで読んだけどさ、こりは結構こまったちゃんだな。 きちんとしたドゥルーズ論てよりは、自分の「哲学」(プラトニズムだかピタゴラス主義だか知らないが) を売り出すための宣伝パンフてな感じだし。 いちおう重要なポイントは押えてると思うんだけど、議論が荒っぽすぎ。 差し当たって分かったのは、バディウに寄っ掛かってドゥルーズについて何か言おうとするヤツは ロクなもんじゃない、てことだな。
423 :
考える名無しさん :04/03/04 01:10
で、結局さ、樫村のベルクソニスム批判て話はどおなったのよ? 何だかよく分かんないままなんだけど
樫村スレで聞いたら?>423
425 :
考える名無しさん :04/03/04 02:55
『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』は邦訳予定ないのでしょうか。
山縣なんたらが止めたまま
428 :
考える名無しさん :04/03/04 14:57
樫村のドゥルーズ論ての、とりあえず§1だけ読んでみたけどさ、これのどこが
(
>>385 が言うみたな)「ベルクソニスム批判」になるのか、全然分からないんだけど。
ここだけ読む限りだとさ、(
>>392 で言われてるような)「ベルクソンに引き寄せた
ニーチェ読解」への批判てよりも、もっと単純に、ドゥンス・スコトゥスからベルクソンに
連なるような「強度」の概念の系譜てゆうのが、この人には全く分かってないようにしか
読めないんだけど、違うの?
教えて、偉い人!
429 :
考える名無しさん :04/03/04 15:49
で、樫村の論文は全部読んでみたけど、§2は、「ハイデガーに引き寄せたニーチェ解釈」への批判で、 この部分はもっともな所はあると思うけど、『差異と反復』の中の例の注(存在論的差異についての注)で ドゥルーズがハイデガーのニーチェ解釈に留保をつけてたことを考えると、どの程度までドゥルーズへの批判 と言えるのか、あまりはっきりしない。 そりから§3は、潜在的/現実的という二重セリーの理論への批判ということだけど、実際にはラカンが 批判対象になってる。§3は読んでも結局良く分からなかったんだけど(もっときちんと読めば 面白そうなことが書いてる感じはするけど)、少なくともベルクソニスム批判に関わってきそうな 部分て言うと、§3の後半の方でちょびっと書いてた箇所くらいのもので、それは要するに、 「ベルクソンはお気楽だ」てことなんだろうけど、でもそうした批判自体がお気楽としか 言いようがない。 で、結局どーなんすか?
樫村のドゥルーズ論はラカン批判の隠れみのもんた
バディウのドゥルーズ本は、英訳のがよいらしい
樫村なんてカッパの屁
433 :
考える名無しさん :04/03/04 17:04
屁みたいなレスばっか
434 :
考える名無しさん :04/03/04 17:47
樫村をばかにするのは保坂との対談を読んでからしたまい。 「言葉の外へ」という保坂のエッセイ州にあるから。 ちみたちとは頭のできが違うことがわかるから。
>435 はいはい、わかったから。樫村スレでね。
437 :
考える名無しさん :04/03/04 19:06
樫村のドゥルーズ論は使い物にならないことが分かったから、 樫村の話はあとは樫村スレでやっちくり。 たしかに頭のできが違うのはよく分かった。
哲学プロパーではないが宇野邦一の「D」は読んでる人っている?
439 :
考える名無しさん :04/03/04 19:14
ところで、ジジェックが意味の論理学を評価するのは、 その頃のドゥルーズがラカンの影響を脱しきれていな いからなのでは?その中でも、ジジェックが絡んでい るのは、器官なき身体の評価にかんして。 ラカン派からみれば体系的ではなくパラドクシカルでも ないポイントといえばそこくらいか?
440 :
考える名無しさん :04/03/04 19:15
宇野はダメぽ。『襞』の翻訳すら覚束ないし
441 :
考える名無しさん :04/03/04 19:17
ドゥルーズにおいてラカンはそんなに重要な存在じゃない。 『意味の論理学』でラカンを扱ってる章を読めばわかる。
443 :
考える名無しさん :04/03/04 19:21
>>442 表面的にはそうだ。重要ではない。精神分析の評価に関して
表だってラカンにはふれていなが・・・。
444 :
考える名無しさん :04/03/04 19:43
樫村の論文は高密度で凝縮された感じだけど論理的じゃん。 それに対して目についたフレーズに、感情的な反発からくるような 感想文をぶつけたらなんかもう終わってるなって感じがするな。
445 :
考える名無しさん :04/03/04 21:22
>>422 おいらも同感。バディウはドゥルーズの見解(Nマイナス1の多様性?と
でもいおうか)には否定的。プラトン的なイデアリズムを強引にもって
くる。バディウ本人は、そういっているかどうかは知らないけど、
ペンローズのあからさまなプラトニズムの主張に似ている。
ま、数学者のペンローズがそういうのは、わからないでもないけどね。
おまえら、ほんとに わかってるのか ?
バディウの本は読み終わったけど、分かったのは、翻訳がイクナイてこと(藁
で、
>>445 の書いてることは何の意味もないから気にしない方がいいべ。
バディウの本の中では、最後の章でドゥルーズの位置付けを与えてる所はきちんと
してるし、そこだけ読めばイイ感じ?
そう言えばさ、バディウのドゥルーズ本を理解するには、バディウの『存在と出来事』を読まなきゃダメだ〜、 とか言ってた人もいたけど、ホントにこれ読めば理解できるの? バディウのドゥルーズ論の一つの鍵は、formalて概念で、これは結構無造作に使われてるわけだけど、 「この人ほんとに分かってるのかな?」てゆう疑問が拭えないんだよな。
>>444 自体が単なる感想文になってるわけで、論理的つうならちゃんと説明してくり
450 :
考える名無しさん :04/03/04 22:02
感情的な共感からくるような感想文 なのでわ?
451 :
考える名無しさん :04/03/04 22:17
だいたいペンローズの本って、基礎論学者なんかからはボコボコにされてたんじゃなかったっけ
ペンローズは数理物理学者なわけで、脳について知らんのに語ったりしてるわけです。 ってペンローズの話題はスレ違い。
ペンローズつったら、電波系のゲーデル解釈の代表格みたなやつだろ。 って、またもやスレ違いでスマソ
454 :
考える名無しさん :04/03/04 22:58
おまえら、ほんとに わかってるのか ?
このスレには知ったかの「考える名無しさん」が多いな。
456 :
考える名無しさん :04/03/04 23:09
DQNがいくらいてもいいのだが、 知ったかのDQNはとてつもなく醜い。レス読むたびに吐き気がする。 フランス現代思想関係に膨大に棲息している知ったかDQN。
ペンローズスレなの?
樫村とかジジェクとかラカンとかペンローズとか ごたいそうな名前がよく出てくるわりには中身のないレスが多いな。 ドゥルーズの『無人島』から引用でもしてくれたほうがマシ。
自己言及してる罠
460 :
考える名無しさん :04/03/04 23:54
ではそろそろドゥルーズについて語りましょうか。
すまん。ペンローズって誰?
462 :
考える名無しさん :04/03/04 23:57
463 :
考える名無しさん :04/03/04 23:59
知ったか批判のシトたち〜 腕の見せどころやで〜
ペンローズってロジャー・ペンローズか?何年か前に翻訳本がたくさん出た。
知ったかのDQNとは一味違うところを見せちくりー
466 :
考える名無しさん :04/03/05 00:16
どうでもいいが、標的のはっきりしない批判はそれ自体がDQNだ。 (つうか批判ですらない。) 偉そうなことを言いたいだけなら、どっか他にでもいってやってくり。
自己言及してみますた
>>458 読書会スレ計画に失敗した未練が今ここに
では明日ぐらいからそろそろドゥルーズについて語りましょうか。
ドゥルーズが言う「今ここ」というのはどんなソースがあるの?
471 :
考える名無しさん :04/03/05 02:41
エラそうなこと書いてるヤシに限ってロクなこと言えねーの
472 :
考える名無しさん :04/03/05 12:13
マンデルブローのフラクタル的対象の重要性こそポスト派構造主義の最良の 素材を提供してくれたんだぜ。
473 :
考える名無しさん :04/03/05 12:22
>>472 ドゥルーズは対談でエラクラインを重視しているようにみえるが。
悪いけど興味ナイ だいたい「ポスト派」構造主義て、どんな「派」だよ
475 :
考える名無しさん :04/03/05 12:32
マンデルブローのフラクタル的対象の重要性こそポスト構造主義の最良の 素材を提供してくれたんだぜ。
>>473 ウィトへの当てこすりをしたらウィト以前のレベルにおちてしまったいい例だと思う。
ドゥルーズの悪い癖だ。
ファンデルベルデンなんかどうよ
478 :
考える名無しさん :04/03/05 12:46
それを言うなら高木でしょ。 数学を物理寄りに持っていってポアッソン方程式でOKだ。
これで無限と連続はこれで突破してへっちゃらなんですね
今度は数学ゴッコか せめて哲学ゴッコでもやってくり
481 :
考える名無しさん :04/03/05 13:02
俺はイギリスの教科書のコピーで勉強したんだけど、ソリトンのことが凄く解りやすい例えで解説せいてあったんだ。 2つの箱にそれぞれいる生物のフローを調べるんだ、transition probabilityの入った式ね。 ところが自分のことしか考えないtrans.preb.の2種類あるというわけ こういうところから数学的なxを中心とした±εを取った座標でxのフローを式にするわけ。
×××はスルーでおながいします
483 :
考える名無しさん :04/03/05 13:15
差分な。 特殊関数は差分の対応物が全部あるということだよ。 ルジャンドルにしろラゲールにしろエルミートにしろヤコビにしろ ベッセル関数もうまくいくじゃん、結局さ。
484 :
考える名無しさん :04/03/05 13:27
カラビ・ヤウ多様体とドゥルーズ哲学は強く結びついている。
そう言えば、マイケル・ハートの『ドゥルーズの哲学』て本は、ずっと昔読んだときは 「結構イイじゃん」て思ったけど、ちょっと読み返してみたら、内容はかなり悲惨だな。 ダメな部分を取り除いてみると、単なるオコチャマ向けの本になっちゃうんだよな。 それはともかく、このスレってハート&ネグリ読んでる人とかもいるの? ちなみにおりは『<帝国>』は読んでないけど。
>>485 読んだ。<帝国>を歪曲してなおかつ単純化すれば、ドゥルーズの劣化コピー
487 :
考える名無しさん :04/03/05 13:59
樫村のドゥルーズ批判はメガトン級だったな
488 :
考える名無しさん :04/03/05 14:13
マイケル・ハートの『ドゥルーズの哲学』はドゥルーズの批判哲学 の側面に光をあてつつ、批判即創造を段階論的に処理にしてしまっ たのがなんとも残念なことだ。 結局カントとヘーゲルにきちんと対応できていないのだ。 しかしこの本の欠陥がそのままドゥルーズの新たな読みを示唆す る点でこの本は読むに値するし、樫村論文にほっかむりするおぞ ましい自称ドゥルージアンどもとは比較すべくもない。
>>488 は何言ってるかよく分かんないし。
(「ヘーゲルにきちんと対応できていない」てのはその通りなんだろうけど。)
だいたい、何で樫村の話が出てくるのかワケワカラン。
おぞましい自称カシムランは何とかならないのか?
ちゃんと議論したいんなら、もっと中身のあること書いちくり。
(つうか、おりは単にドゥルーズ読んでるだけで、別にドゥルージアンでもないし。)
ちなみにハートの「段階論的」な読解てのは、まあ問題もあるんだろうけど、あの本の中では いろいろ面白い論点を引き出す役割はしてると思う。 (例えば、ドゥルーズの二つのベルクソン研究の比較とか。)
ハートにとってヘーゲルはわりと通俗的な理解に基づく『論理学』の ヘーゲルだ。これで行くと立論自体が通俗的になる。 それでも読むに値するという理由のひとつは、論争的基盤としてベル クソンを設定している点であり、つまりベルクソンに単純に存在論を 収束させない点である。
492 :
考える名無しさん :04/03/05 14:35
樫村厨ウザイっす
>>491 もやっぱりよく分からない(藁
てゆうか、ハートの本の中では、(段階論的な読解てゆう方法とも関係してるんだろうけど)
一番最初に扱われるベルクソンはやっぱりあんまり活きていないし、ハートはベルクソン論が
どうもうまく読めてないと思う。
(ドゥルーズのベルクソン論から最初と最後だけ拾い集めたみたいな論述で済せてるし。)
495 :
考える名無しさん :04/03/05 14:50
現代思想の冒険者たちのドゥルーズゲットしたよー。 今から読むねー
ああ、なるほど。 樫村論文読んで(眺めて)、これはベルクソンと関係ないと思う人がいたんだ。 この人はドゥルーズのベルクソン論を読んでないし、樫村論文にベルクソンの 名前が出てこないからそういってんだろうな。
樫村論文について今後何か言いたい人は、少なくとも、その論文の§3について自分なりの 理解を示した上で発言した方がいいと思う。 それ以外の発言は黙殺させていただきまつ。
>>497 買ったばっかりなのに・・・そんなこというなんて酷いよ。
読む気なくした。ブクオフに行ってくる。
そういやおれは『記憶と生』をブクオフで100円でゲトしたな
501 :
考える名無しさん :04/03/05 15:12
ああ、なるほど。 樫村論文読んで(眺めて)、これは石川梨華と関係ないと思う人がいたんだ。 この人はドゥルーズの石川梨華論を読んでないし、樫村論文に石川梨華の 名前が出てこないからそういってんだろうな。
キモッ
503 :
考える名無しさん :04/03/05 15:32
ブルミーなんて終ってる。これからはえりりんの時代
なぜドゥルーズなのか?
505 :
考える名無しさん :04/03/05 16:01
506 :
考える名無しさん :04/03/05 16:06
ビューティーキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! つか来ていいの?
いいわけねーだろ
そう言えば「現代思想の冒険者」て、企画当初はドゥルーズの巻は予定されてなかった とかいう話を伝え聞いたのだが
509 :
考える名無しさん :04/03/05 16:50
樫村厨キモい よっぽど変なものを備給されてんだろーな
510 :
考える名無しさん :04/03/05 18:09
>>489 なんだシロウト読者か、せいぜい、ドゥルーズや思想の本を
いっぱい買ってちょ。売れない本の売り上げに貢献してね。
ま、あとは、感動でもしといて、分かりたい君や僕のための
思想理解でも周りに披露して満足しといてね。
511 :
考える名無しさん :04/03/05 18:13
>>447 いまごろ読んでるのかい?翻訳が悪いんだったら、自分で
訳してから話せよな。
512 :
考える名無しさん :04/03/05 19:58
> ドゥルーズ本人は良くも悪しくも偉大な哲学者であった (その哲学は「多」や「生成」にとどまらず「多の一」や「生成の存在」=「回帰」に まで到達せずには置かないだろう)と思うし、ドゥルーズ本人を何とか開かれた多様性 の方に引き出そうとする凡百のドゥルージアンのドゥルーズ論よりバディウやジジェクの ドゥルーズ論の方がドゥルーズ哲学の一面に肉薄していることを認めるに吝かではない。 >
過激な独我論というやつ?
>>470 ドゥルーズが『差と反』で「今ここ」を述べているところでは
英語のnow,hereと共にバトラーのユートピア小説を参照させている。
題名「エレホンerehwon」はもちろんnowhereの逆綴り。
だから、Dzがいうのはどこにもない「今ここ」になる。
また、「いつでもない今」というニュアンスならば
ニーチェの「反時代」にも関連するだろうね(反時代的考察』)。
515 :
考える名無しさん :04/03/05 22:24
>>510 「シロウト読者」て一体…
まあいいけど
>>515 最近お目にかかれないような電波っぷりだよね。香ばしい。
517 :
考える名無しさん :04/03/05 23:28
爽快に電波ビリビリ出してくれるのは面白いけど、 ルサンチマンがじわーと滲み出てくるようなのはちょっと勘弁してほしいぽ。 まあ、サクサクっとスルーてことで。
518 :
考える名無しさん :04/03/05 23:33
それはそうと、篠原のドゥルーズ本(「現代思想の冒険者たち」)て、やっぱダメなの?
519 :
考える名無しさん :04/03/05 23:56
現代思想の犯罪者達 ラカン(金払わない患者ぶん殴った) バタイユ(殺人儀式の生贄キボンヌ) >>>>>>>>>>>>篠原(某ドゥルーズ本でC級戦犯) <<<<<<<< ショーペンハウアー(血気盛んでよく喧嘩した) カント(時計の癖にルソー読んで皆を困らせた+生涯童貞) ウィトゲンシュタイン(生徒をぶん殴り訴訟&出廷せず)
521 :
パレルゴン :04/03/06 00:35
しかし、皆はどのように、ドゥルーズを読んでるわけ。 セリー、領土・脱領土、器官無き身体、リゾーム、リトルネロetc こう言う概念を解いて行かないと分からないんじゃないの。 それと、スキゾフレニーね。
>>521 「器官なき身体」と「死」の関係について教えてください。
523 :
考える名無しさん :04/03/06 00:50
524 :
考える名無しさん :04/03/06 00:52
525 :
考える名無しさん :04/03/06 00:52
犯罪犯してないのはクワインくらいだな。
>>519 の過去スレ見たけど、篠原のドゥルーズ本はボコボコだな。あれは、企画段階で急遽
ドゥルーズの巻が追加されて、篠原が一人で二冊しょいこむことになった、とかいう話を聞いたけど。
526 :
考える名無しさん :04/03/06 00:54
クワインの犯罪 軍属で日本を倒すためにがんがった
527 :
パレルゴン :04/03/06 00:56
「器官なき身体」とは器官が統一的に人体を作らないうことだと思う。 つまり、局所的に身体が欲望する事なんだ。所謂、頭なしの欲望が 身体のいたるところに、発声する事だ。つまり、ドゥルーズのニーチェの「永劫回帰」 の解釈は欲望である。一方「死」とはドゥルーズはあまり使わないと思う。 この辺はバタイユ先生やボードリヤール先生が使う概念だ。 つまり、生と死という対立概念ではなく、生が全てで死は無だと言う解釈を 捨てて、死を生きている世界に持ち込もうとしたんだよ。
528 :
考える名無しさん :04/03/06 00:56
犯罪犯してないほうが多いって。「顔怖杉」だってだけで犯罪にするん ならわからないけど。
530 :
考える名無しさん :04/03/06 00:56
押し入れ探してみたら、なぜか篠原のドゥルーズ本があった。 あとで読んでみる。楽しみ(藁
>>527 『アンチ・オイディプス』で「死のモデル」と「器官なき身体」の関係が
スキゾフレニーと絡めて書かれている。
532 :
考える名無しさん :04/03/06 01:00
>>527 「死の本能(意識的に欲動にしていない)」はドゥルーズの根本概念だよ
533 :
パレルゴン :04/03/06 01:00
つまり、ジュリア・クリステバが言ったように、アブジクシオンとしての (忌み嫌われた死)と生という西洋形而上学的二項対立を脱構築 しようとして、死を持ってきたのよ。生の中に死を あるいは、「性=生=死」と考える。 性は理性的人間の死だからだ。
534 :
考える名無しさん :04/03/06 01:00
>>528 ロールズなんてもっと酷いぞ、転向したとかで犯罪だよw
535 :
考える名無しさん :04/03/06 01:00
>>529 おれのこと?
ガタリとの共著書以外は、翻訳で出てんのはいちおー読んだ。
でも『意味の論理学』すら翻訳で読んだから、こりはほとんど理解できてない。
536 :
考える名無しさん :04/03/06 01:02
>>534 「存在しただけで犯罪だ」なんて言われるやつもでるかな(w
537 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/06 01:06
538 :
パレルゴン :04/03/06 01:06
それは、フロイトの言う、タナトスですね。 破壊的欲望でしょう。つまり、理性的な人間の奥底に 自己を破壊したいと言う欲望がある。これはスキゾフレニー的な分裂症的 欲望なのでしょうね。
Le corps sans organes est le modele de la mort. 器官なき身体ってのは死のモデルなんだよ。 Comme l’ont bien compris les auteurs de terreur, 怪奇モノの作者たちはよく解ってたんだけど、 ce n’est pas la mort qui sert de modele a la catatonie, 死が緊張症のモデルとして役立つんじゃなくてね、 c’est la schizophrenie catatonique qui donne son modele a la mort. 死にモデルを与えるのは緊張型総合失調病なんだ。
540 :
考える名無しさん :04/03/06 01:09
自由な人間は何よりも死について考えることが少ない
541 :
考える名無しさん :04/03/06 01:12
まあ顔怖すぎつったらタルスキだろ(&弟子もイビリまくった)
542 :
考える名無しさん :04/03/06 01:14
アンスコム、ギーチの夫妻も顔はそうとう怖い。 『アメリカン・ゴシック』みたい。
543 :
考える名無しさん :04/03/06 01:14
で、『意味の論理学』の読書会でもやるひとっていないかな? とりあえずは誤訳狩りみたいな形でやっても有益だと思うんだけど
544 :
パレルゴン :04/03/06 01:16
だから、「器官なき身体」と言う概念はアルトーと言う分裂症が最初に言ったんだ。 それは連続的な創造をする「力」なんだよ。ドゥルーズがいつも言う「力」 これはニーチェから引いたんだろうけどね。 ドゥルーズでは強度と言うべきかもしれない。強度とは動きであり運動である。 この辺はベルグソニズムって所だろう。
>>538 ドゥルーズは「器官なき身体」が「死のモデル」だとして
スキゾフレニーschizophrenieが死にモデルを与えるといっている。
それで「死のモデル」と「死の経験」を区別した上で
「欲望する諸機械」が両者にどう関係するかをみている。
>>544 強度零Intensite-zeloもまた死、そして自殺にかかわる。
Intensite-zelo. Le modele de la mort apparait quand le corps sans organes
repousse et depose les organes ? pas de bouche, pas de langue, pas de dents…
jusqu’a l’auto-mutilation, jusqu’au suicide.
547 :
パレルゴン :04/03/06 01:21
セリーって知ってる?シリーズと言う意味だろう? つまり、一つの流れなんだよ。動物の血を吸う虫は、木の上にいて 下を通る動物の二酸化炭素に反応し、近寄った獲物に「ぽとり」と 落ちて、血を吸う。こう言うように、動物学的になった哲学は セリーのように、獣のように、意味を紡ぐ論理的に。でも客観的ではない。 「それ」自身がそれ自身の意味に於いて、意味を紡ぐ。自己組織化? オートポイエシス。余り好きじゃない言葉だけど。
548 :
パレルゴン :04/03/06 01:26
それで、ドゥルーズは自殺した。強度零度。零度のエクリチュールはバルト だべ。この辺の概念は関連していると考えられる。 零度とは皮膜であり、界面=レビナスなわけよ。つまり、プリ=襞に繋がるし メルロポンティのキアスムなのだよ。
549 :
パレルゴン :04/03/06 01:29
間テクスト性ってことだろうな。同時代の、或いは異なる時代のテクスト の間で互いに意味が影響される。これは、パラダイムではない。 パラダイムは構造主義的で、同時代の言説を意味しているから。
550 :
パレルゴン :04/03/06 01:30
零度とは、現存在の存在だ。真理=意味を自分で紡ぐ存在者としての 人間存在の壁だ。
551 :
考える名無しさん :04/03/06 01:32
んー、ドゥルーズの自殺は強度ゼロ(「操行ゼロ」みたいだ!)てよりは、「生存のビガク」 じゃないの? よく知らないけど
今度はパレルゴンという単語&名前羅列の知ったかか・・・やれやれ
553 :
考える名無しさん :04/03/06 01:41
>>552 まあ、ドゥルーズみたいにキーワードっぽいのがいっぱいあるシトはいいよね
そこからすると、分析哲学にポピュラリティの無い理由がよく分かる
でもまあドゥルーズ用語が出てくるだけパレルゴンはマシとしよう。
555 :
パレルゴン :04/03/06 01:45
諸機械ってなんだーーーー? 答えてみて。
つーか「パレルゴン」はデリダの用語なんだけどw
557 :
考える名無しさん :04/03/06 01:46
558 :
パレルゴン :04/03/06 01:47
機械=無意識として読むと分かりやすい。 これって、俺は教えたくなかったのよ。 でも、諸君にアドバイスです。 良かったら、使ってみて。きっと、理解できるから、
559 :
パレルゴン :04/03/06 01:52
パレルゴンはデリダです。二つの相反する意味に分裂する 意味無き増殖・汚染です。 彼の哲学からすると、ドゥルーズの死は絶望の死ではないはずと お偉い先生が言っていたけど、老いて身体の自由がきかないから死んだのね。 それと、オホモ達のガタリちゃんが死んで、寂しかったのよ。
560 :
パレルゴン :04/03/06 01:56
意味の羅列ではなく、哲学書150冊読破なのよ僕。
情報処理工学や数学の複雑系カオス理論が人文科学で理論に 引用されドイツの思想界ではこの理論に対する批判とともに 哲学者はこれをなんとか打ち破ろうする。オートポイエーシス という語はあまりに曖昧で便利な抽象語だ。だからもしとろうと 思えば神秘主義的にも取れる。 例えばこの理論でいえばつまり境界が引かれないところで差異が 生まれる。つまり境界はどこかということが目にみえないことであり それは世界というものはただ人間が認識するために幻想としての 線を人間意識が画定しているといっても過言ではない。つまり境界は なくただ差異によってのみカオス―コスモス―物質―身体―心―コスモス が区切られているにすぎないということにもなる。まあ、こういう 方向性はあんまりよろしくないがね。
562 :
考える名無しさん :04/03/06 01:57
150冊… 学部生か
あとは世界に作用しているものというのは なんらかの線で一本に繋がっているということも考えうる。 三島由紀夫の「獣の戯れ」やカミュの「異邦人」で たとえばなぜ主人公がそういう行動を取ったかということを 人は知りたがる。スパナがなぜそこにおちていたのか? 太陽が登っていたのはなぜか?そして状況がそこにそう あった、そうあらねばならなかったのは なぜか?そこにそういった物体が存在 しなければ主人公はまったく別の行動を取っていただろう。 そこにあらゆる複雑な条件が一つに収縮され現場がある。演劇が 上映される。 ヒステリックブルーだっけ?の彼の行動は理解不能だが、 たぶん彼にそれをしたのはなぜかといわれても答えられない だろう。そこにどのような条件が集約されたか。 人に例えばなぜしたのか?と聞かれて「太陽のせいだ」といって 人はなぜ笑うのか?そして絶えず分離と結合を繰り返すという ことはつまりはそこまでで論理が破綻するということだろう。 自己組織化というのは多くの「いわくつき」を含んでいる。 あくまで抽象語だ
564 :
考える名無しさん :04/03/06 01:58
カオスキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! って、もういいし
電波は電波を呼ぶ・・・
566 :
考える名無しさん :04/03/06 02:00
スピノザ読んでからまた来てね〜
567 :
考える名無しさん :04/03/06 03:59
ドゥルーズ=ガタリというのは、どっちが辻ちゃんで、どっちが加護ちゃんですか?
感想と解釈ばかりだ〜。
>>567 ドゥルーズをあやや
ガタリをミキティ
と考えるのが正しいでしょう。
>>554 同じ電波は電波でもパレルゴン氏は多少はかじってるようだ。
こういう人畜無害な電波レスなら確かにまだマシか・・・。
572 :
考える名無しさん :04/03/06 11:42
>571 ドゥルーズ自身が『意味の論理学』の序文で 「本書は論理的・精神分析的な小説風のひとつの試論」と書いているように 非常につかみにくいテクストではあると思うけれど 各セリーにおけるポイントを出していきながらでいいかと。 訳語や訳文についてはあまり前面にこないほうがいいとは思う。
573 :
考える名無しさん :04/03/06 11:48
DSENS.QlUs というトリップに DドゥルーズとSENSサンスが入ってるところがにくいね。
574 :
考える名無しさん :04/03/06 12:19
403 : ◆wz1/FGWAMI :04/03/03 18:35 ドゥルーズの『意味の論理学』は『差異と反復』より難解だと思う。 「ナンセンス」と「パラドックス」について、「セリー」について、 また蓮實が借用した「表層」や「出来事(事件)」について、 また「差異化=微分化ディフェランシ(t/c)アシオン」はもちろんのこと、 「特異性」や「単独者サンギュリエ」、「ユーモア」と「イロニー」について 未だに自分の中で充分に吸収できているとはいえないなあ。 これを充分に理解できた人は尊敬できる。 千の高原もそうだけどこれは「芸術的な哲学」! 前にとあったけれど、 ドゥルーズ自身が「小説風のひとつの試論」と 書いていることからも納得かと。
>>572 即落ち判定(一定のレスがつかないスレッドは落ちる。この板にはないのかな?)回避を
考えて、訳文を作ったけれど、今後は普通にレジメ形式で読書会風にやるほうが良いかな?
問題がありそうなところは細かく読むということで。
>>575 いや、DSENSのお好みでいいと思いますよ。
訳文はありがたい。結構読みやすい訳になっているし。
その上で議論していく際にポイントを指摘しあいながらでいいかと。
578 :
考える名無しさん :04/03/06 13:20
>>574 書いてあることはわけわかんないことだらけだけど、原理的にはシンプルみたいだね。
579 :
考える名無しさん :04/03/06 14:53
議論レスなのでこちらに移動。 『意味の論理学』は分析哲学〜ウィトゲンシュタインというラインへの攻撃の書である。 最大の標的はウィトゲンシュタイン。 後期ウィトゲンシュタイン流の乗り越えはドゥルーズには不愉快そのものだった。 しかし分析哲学からやればどうしてもウィトゲンシュタイン流になってしまう。 ではどうすればウィトゲンシュタインを抹殺できるか。 出発点を別物に入れ替える、コレである。 その入れ替え物が『意味の論理学』である。
580 :
考える名無しさん :04/03/06 14:55
『意味の論理学』を刊行して、ウィトゲンシュタインに目をつけられたドゥルーズ。 ある夜、ドゥルーズが街を歩いていると、ウィトゲンシュタインが突如として現れて言った。 「や ら な い か ?」
581 :
考える名無しさん :04/03/06 15:03
ウィトが染むだのは、何年?
582 :
考える名無しさん :04/03/06 15:16
583 :
考える名無しさん :04/03/06 15:17
584 :
考える名無しさん :04/03/06 15:25
違う。組んで哲学しよう・・・の意味。ガタリなんかと組まないで オレと組もう・・・と。
585 :
考える名無しさん :04/03/06 15:30
『リゾーム』ってのの翻訳を読んだことがあるよ。ちんぷんかんぷん だったが。ウィトゲンシュタインのノートを覗き見たたときの分かり にくさとは、ちょっと異質だったな。
586 :
考える名無しさん :04/03/06 15:31
ウィトとDのコラボレは魅力的でっせ?
587 :
考える名無しさん :04/03/06 15:34
ぜんぜん言葉が通じないか、当事者2人はどうやら通じいるつもりのよ うだが、聞いているものにはどう通じているのかさっぱり分からない、 ということになりそうな気がするが。そういうのって、魅力的か?
588 :
考える名無しさん :04/03/06 15:35
ドゥルーズ・ガタリだって似たようなもの・・・
589 :
考える名無しさん :04/03/06 15:36
ああいうの読んでると、疎外感感じるよね。(笑)
590 :
考える名無しさん :04/03/06 15:38
だよねぇ。
591 :
考える名無しさん :04/03/06 15:54
ドゥルーズ一人だと行き詰まったはず。
592 :
考える名無しさん :04/03/06 15:58
ガタリを上から偉そうに理解してやる親方のような立場ではまったくない。 それどころか、実はドゥルーズはガタリについていく立場だったんだよ。
593 :
考える名無しさん :04/03/06 16:05
ドゥルーズという哲学者は古典的な問題を華やかな舞台に仕掛ける のが得意でしょ。 ドゥルーズ個人の哲学は、最初は創造的でも最後には所詮古典の粉飾 というところに落ち着く運命にあるのでは? しかしガタリと結びつくことでドゥルーズの最良の部分が生きてきた んでないかな?
594 :
パレルゴン :04/03/06 23:35
読書会のスレは「意味の論理学」法政大学出版の序文「ルイスキャロルからストア派へ」の 丸写しじゃない。それでも勉強にはなるけど。
595 :
パレルゴン :04/03/06 23:41
リゾームね。リゾームって木の根っ子みたいな物でさ、ヒエラルキーの反対ですよ。 つまり、西洋形而上学が基本としている、1)二項対立的ツリー状態 に対し2)ゲリラ的、非インテルグレイトなものなんだよ。 この事は、戦争のスタイルを見れば分かるよ。本来の戦争(古典的) は敵の戦術・配置に対しベストな戦術は一つしかないと考えると(プラトン的イディ) リゾームはゲリラ戦なのよ。
596 :
パレルゴン :04/03/06 23:48
と同時に、リゾームは反集中型なわけよ。 例えば、モダンの時代には大型コンピューターの集中管理が幅を利かせていた。 ところが、ペンタゴンに核が落とされるとマズイので、PCによる ネットワーク化が進むわけよ。これこそ、分散化の時代を象徴している って事だろう。所謂、リゾーム化であり、変幻自在ということかな。 この事が、反形而上的である事は分かるよね。
597 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/07 00:07
ふむ
598 :
パレルゴン :04/03/07 00:14
ドゥルーズは理解してはいけないし、GDとガタリの共同で書いたのよ。 何故か?それは、一人で書くと、一つの意図・一つの道筋になるからですよ。 だから、「僕らは何故複数なのか?」各々の文章が、齟齬を起こす事。 集中化しないこと。意味が唯一の物にならないように、分散し、逃走する為なんだ。
599 :
考える名無しさん :04/03/07 00:58
こういうナイーブな質問をするのも気が引けるけど、 ドゥルーズの文章読んだことあるけど(ちなみに書名も忘れたわけだが)、さっぱり意味が分からなかったんだが... あれを「理解する」ってどういう状態なんだ??
中にはかなりヒドイ翻訳もありまつ
Intensite-zelo. Le modele de la mort apparait quand le corps sans organes repousse et depose les organes ? pas de bouche, pas de langue, pas de dents… jusqu’a l’auto-mutilation, jusqu’au suicide.
>>426-427 ありがとう
亀レスですんまそん。
フランス語の勉強もしたいので
「意味の論理学」スレの裏でひっそり読んでみます…
603 :
パレルゴン :04/03/07 07:10
理解出来る部分もあるが、ドゥルーズ・ガタリの書き方は不親切なんだっよ。 前段で概念の意味を説明しないまま、使ってしまう。 これはでは、分かりっこない。 翻訳者にしても、分かってない部分が多いのではと言う気もするし、 特に、直接師事していない、初期の翻訳というのは問題かもしれない。 いずれにしても、ドゥルーズ・ガタリの本は、理解を超えている。 その理由は1)先に言ったように、概念が説明もなく無造作に突然出てくる。 2)逆に、理解をさせないと言う戦略があるのかも知れない。 理由は捉えさせない事。すり抜ける事。「成る事」と言う ドゥルーズの戦略がある事。つまり、彼らの概念は捉えられない 概念が読者を触発するんだ。(夫々の座標系からトポロジックに現われるのだ と言う事だろう。たった一つの絶対的真の意味を剥奪する という戦略なんだと思えるんだ。
604 :
パレルゴン :04/03/07 07:28
だから、ドゥルーズの読み方は頭ではなく、身体で読む。 いきなり、哲学書を読んだ事がない人は、読む前段として、 雑学を深めておく。小説のように、触発される様に読む。 経験論的に、絶対としては読まない。書いてある事から、 自分がどのように感じるかを大切にする事だろうね。
605 :
考える名無しさん :04/03/07 09:30
ドゥルーズ読むには哲学史の教養が必要だということがよくわかった。
606 :
考える名無しさん :04/03/07 09:50
ドゥルーズ・ガタリはラカンを下敷きにしてるといっていいくらいだ。 ドゥルーズ・ガタリにとって、ラカン以前、ラカン、ラカン以後の 区別は本質的。 だからラカン理解が不可欠。 これを無視したら本当に意味ない。
607 :
考える名無しさん :04/03/07 13:14
ラカンはもっと意味不明だよ。
608 :
考える名無しさん :04/03/08 09:44
パレルゴンは、なかなか熱く語るね・・・。ちょっと感動した!
(゚Д゚)
610 :
考える名無しさん :04/03/08 17:10
ドゥルーズは身体で読め、触発されるように読めっていうのはなるほどと思うし、彼の書いてるものがアートだSFだっていう魅力もわかるんだけど、数学物理の用語を滅茶苦茶に使ってるのを見ると、やっぱり萎えるんだよな。 なんで萎えるのかなと考えてみたが、ドゥルーズが数学物理でなく、法律や経済学の用語を使っても、その道の専門家は萎えるだろうし、もっというと、日本文化の伝統的タームを使って書いたとしても、日本人なら萎えるのではないだろうか。 「反復とは、蛙が古池に飛び込む音響の余韻がかもし出す輪廻からほとばしりでる無間の寂静である。 それは、戦国末期における忍者の存在と、彼らの伊賀の里甲賀の里の敷居と考えてもよい。」 とか(うまく真似できないけど)、こんなんだったら萎えるよな。
611 :
考える名無しさん :04/03/08 18:48
>>610 そこは「お互いさま」てことじゃないかな。
数学者がよく言う「フィロソフィー」てのは、哲学側から見ればかなり「萎え〜」てなもんだったりもするし。
ドゥルーズは、アートだかSFだか言うよりも、まず哲学として見てやっぱ面白い。
数学も一種の哲学なわけで、哲学側の哲学と違うわけで・・・ んじゃ、ドゥルーズの数学も数学の数学と違うんじゃ! って言われても、ドゥルーズの数学は数学の数学をドゥルーズ側に持ち込むから違和感を感じるわけで・・・
613 :
考える名無しさん :04/03/08 21:56
>>612 >数学も一種の哲学
といったのはどういう意味かよくわかんないんで、何とも言いようがないけど、
>>611 で言いたかったのは要するに、
ドゥルーズの著作の中には、数学に詳しい人を「萎え〜」とさせるような部分もある
だろうけど、そうした部分を取り去っても、哲学としては面白い、
ということ。
614 :
考える名無しさん :04/03/08 22:05
ちなみにオレは、「ドゥルーズを身体で読め」とか言いたいわけではない(w
615 :
考える名無しさん :04/03/08 22:10
>>612 >数学も一種の哲学なわけで、哲学側の哲学と違うわけで・・・
てな発言じたいがかなり萎えるわけだが・・・
>>613 >>615 そこが違うのかなー。まぁこういう話しはやめましょう。
なんかソーカル厨がでてきそうなんで・・・
617 :
パレルゴン :04/03/09 23:23
書き込みは金曜日と土曜日が原則だけど、数式については 構造主義、ポスト・構造主義者は良く使うよね。ラカンなんてめちゃくちゃ 数学なんだよね。これは気にする必要がないと思うよ。 つまり、比喩としての数式なわけよ。だから「Sってこうでしょう。こう言う風に 数式でも言えるよね」言ってるに過ぎないと考えるといいと思うよ。 だから専門的な数学者・物理学者達から批判されたって事でしょうけどね。 「知の欺瞞」アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン て言う事じゃなかろか。でも、この批判は的を得ていないと思うな。 つまり、構造主義・ポスト・構造主義者が使用する数学は状況説明に過ぎない わけで、数式に矛盾があるとか、大雑把だとか、十分に理解していない とかの問題ではないと言う事だ。比喩、表現手段として数式を使ってみた までだと言う事。逆に、本当は、数学=数式が、「こうゆう事かな?」と言う 疑心暗鬼な表現しかできないと言う事を暴露していると言う事だ。 だから、数学者・物理学者は恐れていると言う事が実態だろう。 躍起になって、否定した、口をふさいだって事かな? すでに、ゲーデルの問題で数学はほころびているし、ハイゼンベルクによって 物理学は危機にあっているわけで、その上数式までおもちゃにされたくない ってのが本音でしゅね。それでは、又金曜日夜にーーー
>>617 いいこといいますね。浅田彰が書いていたけれど、ソーカル問題は昔からよくある、
実証主義VS大陸哲学の不毛な議論(カルナップVSハイデガーなど)を超えるもの
ではありません。ヘーゲル、ハイデガーが言っているように、哲学は対象に関する
知ではない、というか物事を対象的に思考するということすら疑う。実証主義はそ
のことはカッコに入れてしまう(「語りえぬことについては沈黙しなければならない)。
その意味において哲学は厳密であり、実証主義は精確である、と言えるということだ
と思いますね。
>617 それ(比喩だということ)はよく分かるし、むしろ数式まで使ってまでなにかを表現しようとするポストモダン系の思想家の発想には、感心するんだけど、萎えるもんは萎えるのだ。ハリウッド映画のなかの「日本」に日本人が萎えるのと同じだと思って、許せw あ、いちおう断っておきますが、ポストモダンに黒木風(wの偏見はもってないので。むしろ面白いと思ってる。 …もっとも、翻訳読んでも意味わからんから、解説書の類しか読んでないけどねw
620 :
考える名無しさん :04/03/10 00:11
誰か数学講座してくれ
結局、ソーカルとかの哲学に興味ない輩が、下手に首突っ込むと場違いになるっていう 当たり前の意見に帰着しそうだね。
>617 追加 ポストモダンのノーテーションに数学者が恐れを抱いてるってことはないとおもうよ。 ソーカルも(一応、黒木もw)本人的には学問への誠実を意図してるんだと思うんだよ。 ただ、数学や物理の
623 :
暴力こそ正当革命 :04/03/10 00:15
観念論者の戯言が害悪を垂れ流す。 数学がマクロ経済を正しく記述した試しが一度でもあるのか? 貧窮の青テントの中から、絶対的窮乏化革命の狼煙が上がる。
ただ、数学や物理の感覚でポストモダンを論じても意味がないと思うんだよね。 彼らはドゥルーズなんかの「面白さ」を発見できなかった(科学として読んでしまった)んだと思うんだが。
625 :
考える名無しさん :04/03/10 00:17
n次元空間を考えるメリットってなにかな?
626 :
考える名無しさん :04/03/10 00:21
数学の質問は週末に一括で持ってきなさい。
>>622 それも分かるが、やっぱりお互い様だという感じがするがな。
逆に今回の事件で哲学者にダメージがあったか?となると疑わしいし。
628 :
考える名無しさん :04/03/10 00:23
非ユークリッドのクラインモデルには仰天したんですが、数学的に 疑いようがないとみていいのかな?
>パレルゴンさん
>>617 >すでに、ゲーデルの問題で数学はほころびているし、ハイゼンベルクによって
>物理学は危機にあっているわけで、
このこと、前からちょっと気になっていたので、参考文献教えてください。
>ゲーデルの問題で数学はほころびているし 恥ずかしいせりふだ
そうか?ゲーデル以前に数学は基礎が怪しかったんだから、 言うまでもなくそこが空洞化してる事の再認識だったと思うが。
632 :
考える名無しさん :04/03/10 01:01
ゲーデルが示したのは、一般的に数学を一つの「体系」とみなしてきたことに 表現されている「数学」という概念の不明瞭さにすぎない。
633 :
考える名無しさん :04/03/10 01:21
>>632 まったくその通りだと思う。
というか、そういうことだっのかと目が覚めた感じ。
結局カントの綜合的判断としての斬新な数学論にたどり着くと思う。
カントのこの斬新さは単に先端的な斬新さではなく、真に天才的な斬新さだと
思う。
634 :
考える名無しさん :04/03/10 01:24
>>632 ちょっとしたところだけどコペルニクス的な発想の転換ですね。
>>633-
>>634 ごめんなさい。
>>632 はウィトゲンシュタインの文章です。
一部から批判されたウィトゲンシュタインのゲーデル理解が実は
しっかりしたものであり、さらにウィトゲンシュタインの哲学に
ピタリと沿っているということでコピペしたんですが、いい加減
なスレだと思ってことわりを入れませんでした。
カントですか。そのうち勉強したいと思います。
>>635 ごめん。そういうこと。
ただ一つ言えるのは、 ドゥルーズは数学の基礎の危機にそれほど関心を持っていなかったこと。
>>632 でも直接的にでなく間接的にならそう言えると思う。逆説的と言っても
いいと思う。ウィトの理解もしっかりしていると思う。
>>617 >逆に、本当は、数学=数式が、「こうゆう事かな?」と言う
>疑心暗鬼な表現しかできないと言う事を暴露していると言う事だ。
お前は馬鹿か?そんないい加減なものだったら、どうしてその土台の上に積み上げたもので
飛行機飛ばしたりパソコンで通信できたりするんだ?
最初から出鱈目(本質的に考察者個人個人の脳内で独立に完結している)の哲学と一緒にするなや(w
数学の全体が1つの体系にまとめきれなくても、
量子力学の基礎があやしくても、それでも量子力学のおかげで成立する技術の上に乗っかって生活できてるんだよ。
途中の演繹、実験との照合などはきちんと多数の人間が(まともな知能を持った人間が一定期間勉強すれば)
共通の理解に達せられるようになっている。
それらしいことを適当にくっちゃべってる哲学なんかとわけが違うんだよ。
>だから、数学者・物理学者は恐れていると言う事が実態だろう。
>躍起になって、否定した、口をふさいだって事かな?
数学者・物理学者が恐れている?
まともな連中ははじめから相手にしてないだろう。
ソーカルとかいうアフォは変な信念を持っていたがゆえに
思想界の状況を勝手に憂い、例の事件を起こしたんだろ?
「知の欺瞞」なんてくだらん本より、
いかさま出鱈目満載のでっち上げ論文を提出して、
業界内部の判断基準すら存在しない一部の人文系のイカサマ振りを暴露したことが
まあ当然の事実の再確認ではあったが一応意味があったというわけだな。
数学も物理も数学基礎論も理解できない輩が 大言壮語できるなんて なんて自由な「学問」なんでしょう!!(ゲラゲラ
641 :
汚物だらけ :04/03/10 05:18
456 :考える名無しさん :04/03/04 23:09 DQNがいくらいてもいいのだが、 知ったかのDQNはとてつもなく醜い。レス読むたびに吐き気がする。 フランス現代思想関係に膨大に棲息している知ったかDQN。
1)先に言ったように、概念が説明もなく無造作に突然出てくる。 2)逆に、理解をさせないと言う戦略があるのかも知れない。 という言い訳で、てきとうにいいかげんなこと書き連ねても 立派な論文ができあがるという、公然の秘密をおおっぴらにしてしまったのが例の阿呆ということね。
643 :
考える名無しさん :04/03/10 05:22
644 :
考える名無しさん :04/03/10 05:25
>>639 ってか正直これだけ気合の入った電波ひさしぶりだ
>>640 プププ
リゾーム化であり、変幻自在ということなんだよ?
>>640 夫々の座標系から淡中カテゴリカルにたち現れているだろう?
わかるひとにはわかるんだよ?
ププププ
647 :
考える名無しさん :04/03/10 05:31
論理的整合性に捕らわれていては、芸術足りえない。
>>604 この人の本に限ったことじゃないでしょう。
Don't think! Feel!!
ですよね。
なんか、学問板と勘違いしてねえか? 学問なんて野暮なもんじゃないのよ、そもそも。 妙に力みかえるのはやめようぜ。
>>650 夫々の座標系から淡中カテゴリカルにたち現れているだろう?
わかるひとにはわかるんだよ?
ププププ
>>651 理解をさせないと言う戦略wwwwwwwwwwwwwww
655 :
考える名無しさん :04/03/10 08:11
パレルゴン馬鹿すぎ
まじで相手になるのもどうかと思うが・・・
原和之
659 :
考える名無しさん :04/03/10 23:59
なぜ現代思想はユートピアを弾劾するのか? なぜ生の力の抑制は悪なのか? 簡易説明キボンヌ。
660 :
考える名無しさん :04/03/11 20:16
「生の力の抑制」をするのは善という仮面をつけてる場合が多いわけだが。
661 :
考える名無しさん :04/03/11 20:31
千のプラトーって訳わるくない? よみずらいよ。
たしかに翻訳のレベルにばらつきがあるね
アンチ・オイディプスよりは遥かにマシ。
665 :
考える名無しさん :04/03/12 09:28
あ〜と、意味もなく666をゲットしようかなぁ〜・・・
666 :
考える名無しさん :04/03/12 09:28
野獣ナンバー、ゲト!
667 :
考える名無しさん :04/03/12 22:44
Intensite-zelo. Le modele de la mort apparait quand le corps sans organes repousse et depose les organes ? pas de bouche, pas de langue, pas de dents… jusqu’a l’auto-mutilation, jusqu’au suicide. 上の訳がまだなんだけど。。。
668 :
パレルゴン :04/03/12 23:25
不完全性の定理、不確定性理論、量子力学や複雑系、フラクタル、など、 それまで、科学=数学が自然と言う客体をそのままの姿で掌握できると 考える事がどうも無理な様になってきたのが前世紀だったと言いたかったのです。 その根底には、数学=プラトン的に神の姿=不動の意思を数式と言う見えないもの の中で完全に掌握できると言う考えが、揺らいで来たという事がはっきりした と言う事です。量子力学にあっても、(波・粒)と言う性格を持つ光 の特性を掌握できません。「それでも、あの月が僕が見ていないときにないと言うのかね」 と自問自答したアインシュタインには、今混乱をどう説明するのでしょう。 つまり、結論として言うと1)数学=物理学はツールである。 ツールとは、目的によって変わる物である。釘を抜くにはくぎ抜きが、釘を 打つには金槌が必要なように。一貫性のある全てに利用可能な道具(統一場の理論) はないと言う事です。 2)数学=物理学は帰納法的であり、例外に出くわす事があり、その時は その場面に適した、経験値からなされた数式を発見し、適応すべきだと言う事。 3)数学=物理学もパラダイムに影響されると言う事。 以上から、数学=科学によるPCや宇宙開発した事実を否定しないが 経験に根ざした知識の積み重ねによるのであり、全く異なる知識から 全く同じ開発がなされると言う可能性を否定できないと言う事だ。 つまり、異なるタイプの思考=異なる科学(それ以外の思考も含む) から、もっと安全な宇宙開発やPCが開発されうるだろうと思われる。 その為には全く異なる思考の組み合わせ=布置が可能性として開かれている と言う事だ。反証可能性(ポパー)
669 :
考える名無しさん :04/03/12 23:30
>>667 強度零。死のモデルってのは、諸々の器官なき身体が器官を追っ払い取り外すときに
現われる、口も舌も歯もなく…自らの体を切り刻むところまで、自殺まで。
670 :
パレルゴン :04/03/12 23:43
ただいま。やっと金曜日PM11時。カムバックです。 それと、「知の欺瞞」のソーカルについて、諸君の誤解を指摘すると、 1)ソーカルとブリクモンは物理学者なのですよ。 彼らが、ポスト・構造主義者であるラカン、クリステヴァ、ボードリヤール ドゥルーズ・ガタリ等の利用する数式の間違いを指摘したと言う事です。 2)その指摘に対して、反論したのが私なのです。 ぴかぁ〜さん指摘の、実証主義対たいりく哲学(カルナップvsハイデガー) については私は良く知りませんでした。ただ流れとしては大陸合理論(デカルト) があり、それに対してイギリス経験理論(ロック・ヒューム・バークリー)がいて そこから双方の問題点を」解決する意味で、ドイツ観念論と言う流れがあったわけです。 その後、イギリスに論理実証主義が生まれる。彼らは確かに、ぴかぁ〜さんが仰るように ある問題を避けたと言う事です。つまり、真理を証明する基準点の証明を 避けた。このことで、事実は、夫々の背景、コンテクスト、実用性に対して 開かれるようになった。後期ウイトゲンシュタインのゲーム論がそれです。
671 :
パレルゴン :04/03/13 00:02
ドゥルーズもイギリス経験論特にヒュームに傾注している。 それは、全ての知識は経験を基礎に観念連合で組み立てられるとの考えと 「人間とは、思いもよらない速さで次々と継起し、絶えず変化し、動き続ける さまざまな知覚の束ないし、集合にほかならない、ということである。 心とは一種の劇場である。そこでは、いくつもの知覚が次々に出現する。 それらは通り過ぎ、舞い戻り、すべり去り、さらに混じり合って無数の 多様な状況をつくりだす。」かなり、ドゥルーズ的だと言う事だ。
672 :
考える名無しさん :04/03/13 00:05
>>670 馬鹿だね。ソーカルとブリクモンは物理学者だなんて何を今頃。
ただ彼らは物理学者の感覚でもってその本を書いたんじゃないよ。
それに誤りを指摘したというよりナンセンスな衒学鍍金を非難したんだよ。
その本で沸き返ったのは、主に哲の古典派だよ。
理系が笑ったのはその前のソーシャルテクスト事件だよ。
673 :
パレルゴン :04/03/13 00:16
君はその本を読んだのかい。 僕の言っている事は間違っているのかい。 君が言いたかったのは、適当にポスト・構造主義の真似をして書いたテクスト が賞を取ったって事だろう。 いずれにしても、数学=科学は絶対真理を証明できない時代に なっって事だ。証明してみる君が。
674 :
考える名無しさん :04/03/13 00:21
>>668 結局のところ、哲学にできるのは批評だけ。
何も提出しない、できない。
いまだにパラダイムの変換の本質を取り違えているあたりが滑稽。
変換といってもそれまでの遺産が水泡と化すような変更はおこなわれない。
ゼロまたは全く別の地平から新しい捉え方が生まれるわけではない。
過去の遺産に充分精通している者だけが、その問題点や限界の考察から、
新しい突破口を開ける。
物理や数学についての認識もお粗末だね。
物理は自然界を把握するためのツールだが、数学は必ずしもそうではない。
そして物理屋もツールとわりきっているからこそ、
今のところその変更をせまる実験データがないため一応信頼している量子力学
についても、よりよい理論が構成できればいつでも乗り換えるつもりでいるだろう。
数学が帰納科学だなどというのは、笑止の限り。大丈夫かね?
675 :
考える名無しさん :04/03/13 00:25
え? 「数学は帰納科学だ」っていうところだけは、何か面白い考えが あるのかな、と思ったのだが。
676 :
考える名無しさん :04/03/13 00:26
>>673 数学が絶対の真理を記述するものだなどという馬鹿げた発想がどこからでてきたの?
スレ全体は読んでないけど、誰もそんなこと言ってないだろう?
ましてや科学が・・・(絶句)
だいいち、絶対の真理って何よ(w
677 :
パレルゴン :04/03/13 00:26
君の発言は人を嘲笑するだけで、一向に発言の証明がない。 言い切りだね。 それでは質問1)君の言うパラダイムの変更の本質とは何だろう? 2)数学は自然界を掌握する為のツール出なければなに? 3)数学は絶対真理を示せると思っているのか? 取り合えず以上3点だが、人を馬鹿にする前に自分の証明の未熟さを知るべきだろうね。
678 :
パレルゴン :04/03/13 00:31
676それでは、君が批判する君の意見はなんだ。 先ず君の意見を言ってから、この点が違うのではないか と討議するのがマナーだろうが。 ただ、反論するだけでは、君の知識のレベルを疑うよ。 それでは質問です。君にとって数学とは何でしょう? 答えるだけの知識はあるかな?
679 :
パレルゴン :04/03/13 00:33
675君の興味「数学が帰納法」から何を期待したのか述べよ。
681 :
パレルゴン :04/03/13 00:42
ただの野次馬ならもっと勉強してから来る事だよ。 それとマナーに気をつけること。 1)レスする時には、先ず自分の意見をいって、それで 相違点を明確に示す。 2)感情的な言葉「馬鹿、こんな事も知らないの」等の言葉 を言っても、発言内容の未熟さは変わらない事を知る事。 いや、寧ろ感情的な発言はより未熟な自分の意見を 大きく見せようとしている事が鮮明になる。つまり、内容を問われると 良く分からないので、高飛車にでるって事だろうな。 つまり、結論として、くだらない発言者への返事はしないほうがましだ と言う事だ。それでは、ドゥルーズの「意味の論理学」の翻訳をしている 方々に敬意を払いつつ、君達も本を読みなさい。
「高飛車」ってお前が?
683 :
パレルゴン :04/03/13 00:50
確かに、数学は演繹なんだよ。そうじゃないと例外が起こってはまずいわけだ。 しかし、数学が不変の真理を導き出す数式を発見できないとしたら それは、修復可能性を前提にした科学になると言っているのだ。 だから、数学と言う古典時代の哲学の砦も、無限の組み合わせの問題で つまずいたって事だ。このことは、ポスト・構造主義の求める 内在の哲学の前提でもあるんだよ。
684 :
パレルゴン :04/03/13 00:53
682なんていう発言。君らは荒らし屋? 一向に哲学の意見を言わないで、威張っているだけか?
685 :
考える名無しさん :04/03/13 00:53
>>679 ,680
すでに構成された数学理論の中での証明はそりゃ演繹的証明でしょうが、
新しい数学理論を作り出していく、あるいは発見する理性の働きは、演
繹とは別のものでしょうね。そこの部分に注目したとき、数学を経験科
学として捉える見方もありそうで、そこに興味があるってことですね。
686 :
考える名無しさん :04/03/13 01:02
>>681 あなたこそ、もっと勉強したほうがよいと思われます。
>経験に根ざした知識の積み重ねによるのであり、全く異なる知識から
>全く同じ開発がなされると言う可能性を否定できないと言う事だ。
これは確かに否定できないが、
>つまり、異なるタイプの思考=異なる科学(それ以外の思考も含む)
>から、もっと安全な宇宙開発やPCが開発されうるだろうと思われる。
>その為には全く異なる思考の組み合わせ=布置が可能性として開かれている
>と言う事だ。反証可能性(ポパー)
ここの部分が現実的でないし、少なくともこれまでのパラダイム変換を誤解していると思われる点。
例えば量子力学も古典力学を否定していない。ミクロスケールでは正しくない、つまり自然をよりよく近似するという
物理学的な正しさの観点からは、古典力学の適用可能範囲をそれまでの考えより制限しなければならない、と
告げているに過ぎない。
このように、これから行われる可能性のあるパラダイム変更も、
これまでの十分大きな成果を台無しにして全く別のものに乗り換えるようなやり方では
おこなわれないだろう。また既に書いたように、既存の理論を全く無視した別の地平から
新しい理論が生まれてくる可能性は極めて低い。
繰り返すが、過去の遺産に充分精通している者だけが、その問題点や限界の考察から、
新しい突破口を開ける。相対論も量子力学もそうだった。
>>683 →確かに、数学は演繹なんだよ。そうじゃないと例外が起こってはまずいわけだ。
おめーは論理学の基礎から学び直せ。
→しかし、数学が不変の真理を導き出す数式を発見できないとしたらそれは、修復可能性を前提にした科学になると言っているのだ。
「修復可能性を「前提にした」科学」とか無知を晒すな。
→数学と言う古典時代の哲学の砦も、無限の組み合わせの問題で
つまずいたって事だ。
古典時代の哲学の砦?何を言ってんだ?哲学史の勉強をしなおせ。
無限の組み合わせの問題でつまずいた?定義抜きの高説=フランス馬鹿
→ポスト・構造主義の求める内在の哲学の前提でもあるんだよ。
はあ?死ねや〜おしゃれぶってんなカス。
数学も論理学、科学史、哲学史を踏まえるコスト払わずに浮き浮きしてんな、ぼけ。
なんとなくな数学とか、なんとなくな分析哲学とかは見るにたえねーんだよ。
「論理的に」とか「形式的に」とかレトリックに頼って自慰してんな。
688 :
考える名無しさん :04/03/13 01:09
なんだか、ウンザリする喧嘩だな。
689 :
パレルゴン :04/03/13 01:11
687 質問1)論理学には興味ないな。しかし、基礎ってなんだ言ってみろ。 2)「哲学史を勉強しなおす」所はどこだ言ってみろ。 ただ批判してる。感情的な発言を続けて。 お前こそ何を勉強しているんだ。良く本を読め。 お前の意見の方がなに言ってんだか。もっと論理的に書くんだな。 まだ早いよここに書くのはな。先ず、礼儀を覚える事だな。 お前はガキか?
690 :
考える名無しさん :04/03/13 01:16
>>683 >しかし、数学が不変の真理を導き出す数式を発見できないとしたら
大昔はいざ知らず、現代の数学は絶対の真理を導き出そうとはしていない。
しかしある公理系内の演繹の連鎖という「数学における真理」の意味においては、
未来永劫不変の真理を見つけてきたし、これからもそれを目的とするだろう。
>それは、修復可能性を前提にした科学になると言っているのだ。
数学の場合、修復とは別の公理系の創設とそこへの乗り換えということだろうが、
既に書いたように、過去の遺産が意味を成さなくなるような公理系の変更はおこなわれないだろう。
691 :
パレルゴン :04/03/13 01:17
喧嘩はやめて、それでは論点を纏めよう。 1)数学は演繹だ。しかし、数式が永遠の真理を表せない。 2)パラダイム・シフトは少しずつ過去の遺産を引き継ぐ 形でしか起こらない。(君の意見) 急激に起こりうる。(私)フーコーの「知の考古学」を参照。 3)それ以外の点については、夫々興味がない。 接点はない。 以上
別のスレでやってよ。ドゥルーズスレなんだから。お願い。
693 :
考える名無しさん :04/03/13 01:19
「数式が永遠の真理を表せない」って何のことだ?
数学が演繹であるかいなかということと、数学のゲームがどのように 進行しているかということの間に強い相関を見い出すあなたの論拠は何?この論拠を積極的に提出して。 パラダイムをクーンが提起した際に問題にしていたことが、 「真理」の相対化であったのか、「科学」というゲームの社会学的な観察であったのかは議論が分かれる はずだけど、とりあえず言えることは「パラダイム」の転換がドラスティックであるか否かはクーンは 「パラダイム」という概念を提出した際に問題にしていない。 あなたがドラスティックである「可能性」を否定できないという意見を提出することで 意図することがイマイチわからん。説明して。
695 :
パレルゴン :04/03/13 01:28
690さん やっとまともな答が返ってきたことに感謝するよ。 687って何だいあいつ。言葉のしゃべり方を知らない奴が 哲学なんて出来るとは思えないな。まず、真摯に、人の事を考える 態度。それがないのに、高等な思考もあったもんじゃないだろうな。 まず、そこからやる事だろう。そうじゃないと、あんな奴が、大学の 教授にでもなったら、日本も終わりだろうな。 690さんには感謝しているが、数学からは、簡単に全く公理系を創造できない。 なるほど。私の意見はもう既に発表していますので、お互いに併記と言う事で。 ポスト・モダンやポスト・構造主義には、大きな自由を開こうとしているとだけ 言いたいですね。哲学が、恣意的体系の中にあるとするなら、創造しかない と言う事です。
>>694 ここはドゥルーズの哲学についての話題なんだから、数学専門は入って来ないでくれ。
もしくは、哲学としての話題で頼む。
697 :
考える名無しさん :04/03/13 01:30
>>691 1)永遠の真理とやらが何を意味しているのかわからないが・・・
とにかく、現在では、数学が現実世界の真理を記述しているとは誰も考えていないでしょう。
非ユークリッド幾何が発明(もしくは発見)された今でも、そしてこれからもおそらく永遠に
ユークリッド幾何学で成立する定理の正しさは否定されない。適用範囲が修正される、あるいは正しく認識しなおされるのみ。
定理の数式が成立するような空間が、この宇宙ではなく、Euclid空間というきちんと数学上で定義された空間である
ということが明示的にはっきりしたというだけ。
ピタゴラスの定理が、将来、誤りであったと認識されることは、ほとんど絶対ありえないだろう。
698 :
考える名無しさん :04/03/13 01:30
>>691 数学的帰納法つーのもあるけどあれは<数式が永遠の真理>を表すのか?w
ぷっ、余裕の700ゲトーだな。
701 :
考える名無しさん :04/03/13 01:42
数学は演繹だっていうのは、「すでに構成された公理系の中で延々と 定理を発見・証明し続ける作業」みたいな数学観。つまらん。
702 :
パレルゴン :04/03/13 01:42
パラダイムの変換は徐々に起こるとは思えない理由。 1)布置の組替えは夫々の要素間の突然の変異によっておこり それが、次々と伝染していくと考えられる。 つまり、ある分野(数学・哲学・芸術・医療・学校・軍隊etc) の要素組替えのあり方が、分野を横断的に超えていくと言う事。 この事は、夫々の分野のみで、変革が起こるのではなく、 変革は全体系の相互布置によって起こされるのだと言う事。 2)こう言う変換は個人的にも起こすとするのが、ドゥルーズ・ガタリ だと言う事。それが器官なき身体であり、抽象機械なんだという事。 つまり、今、討議している人達は数学・論理学専攻だとすると こう言う、発言はもっとも分からない事だろうと思うが、 真理、公理、なる言葉は形而上学として、個人に抑圧的に作用する と言う事を批判するのがポスト・構造主義だと言う事だ。 ここのところが見えないと先ず分からないと言う事だ。 数学と言う客観主義の砦をもてあそぶ事、それは、真理と言う物の 組織による捏造を暴くと言う事でもあったんだ。 は
703 :
考える名無しさん :04/03/13 01:49
数学・論理学専攻の人なんか、いないと思うけど。
もっとも駄目な解答だと思うよ。
>>702 「「真理」や「公理」が抑圧として働く」ということは
個別具体の文脈、事象に即して述べることで意味を持つ
のであって、「数学と言う客観主義の砦をもてあそぶ事」
が「真理と言う物の組織による捏造を暴くと言う事」とい
う謎の発言を「パラダイム」の問題(?)に置き換えるの
もすごいおおざっぱだと思う。パラダイムという概念が明
らかにしようとしたことは、「数学と言う客観主義」という
神話それ自体を問題にしたのだから、「数学と言う客観主義
の砦をもてあそぶ事」という発言自体「パラダイム」という語
をマジックワード化しているとおもいまつ。
>>701 それは数学を知らないからだよ。
すでにあるZF公理系内で、次々と信じられないような美しい結果が得られている。
そして、公理や定義の設定が恣意的なものではないからこそ、
プラトニストが自然界の奥底には厳然とした数理の世界がある、と感じてしまうほどの
神秘的なまでの調和が得られるんだと思うよ。
706 :
考える名無しさん :04/03/13 02:01
数学の命題は数学の何たるかを示すことはない。 (ブスーバックスじゃあるまいし) ただ証明だけが数学的命題の何たることを示すのみ。 それが数学の本質を示すかどうかはまた別問題。 では数学の本質はいかにして… これはカントまで遡るしかない。 ただどうやらこの点で純理の真意を汲み出すためには懸賞論文も 手がかりすればよさげだよ。
707 :
パレルゴン :04/03/13 02:03
最後に、数学がゲームだとは言っていません。 ウイドゲンシュタインの「論考」から後期の「探求」に変わるにつれて 意見が180度転換したのは知っているよね。 つまり、前期には言語の能力を信じていた。しかし、後期になると、 語れない事を認めた上で、言語による表現能力にゲーム性を加えたと言う事 だ。つまり、コンスタティブにパフォーマティブが加わったんだね。 このことを言っているんだよ。 2)「真理の掌握可能性」とは数学、論理学、科学、宗教など一般的に 形而上学と言われている学問が前提にしている基礎なんだと言う事。 この前提が疑われていると言う事が言いたかったわけさ。 そこに、ポスト・構造主義、ポスト・モダンの批判の基礎があるって事。 それでは、今日はこれで。
708 :
考える名無しさん :04/03/13 02:07
>>705 え? 公理系の中での定理の発見や証明がつまらない、って言ってい
るんじゃないんだけど。私がつまらないと言っているのは、数学=公
理系の中での定理の証明、という数学観の方。
710 :
考える名無しさん :04/03/13 02:14
ドゥルーズ・スレで、パラダイムという言葉が頻出する事態はどうなの かな・・・よく文脈が理解できている訳ではないが、どうもなじまない と思うね、「パラダイム」という用語はさ。
ドゥルーズなら「レジーム」の方がいいね。 適用範囲が全然違うけど。
712 :
考える名無しさん :04/03/13 02:18
でも、ドゥルーズとかフランスの現代思想に興味がある香具師と、科学 史や科学哲学に興味がある香具師が、ちゃんと議論できたら面白いとは 思うんだがね。
713 :
パレルゴン :04/03/13 02:25
確かに、公理系という不問の点を前提にしている点は 面白くない。その考えない前提とは、フロイトの原抑圧 デカルトの我思う、デリダの原暴力、 ラカンの原エクリチューのような物なのよ。 そこを言っているんだけど、理系の人はわかりにくいと言う事 も事実、それはそれで、前提だからね。
714 :
考える名無しさん :04/03/13 02:26
>>710 問題にすべきは構造主義だよ。
無人島読んでそう思った。
715 :
考える名無しさん :04/03/13 02:29
あなたはちょっと興奮気味じゃないのかな?フロイトとデリダをつなげて 考えるのはいいが、それとデカルトのコギトとどういう関係があるのか、 その文面では判断のしようもないね。
「理系の人」というラべリングで何を示したいのかはわからない んだけど。同時に「公理系」は何ら不問ではない。問うことが有 効であれば問うだけ。あるいは反例によって問題とされれば問わ れるだけ。フロイト、デカルト、デリダ、ラカンの諸概念がどの ような関係性を持っているのか、あるいはその関係性を述べるこ とで何を示したいのかがわからん。あと、「パラダイム」という 語の理解は絶対的に間違っているからとりあえず野家の本だけで も読んでから述べたほうがいいと思われ。あと、パッチワークが 説得的な効果を持たない場合、ただのファッショナブルなナンセ ンス(分かってると思うけど)。
717 :
考える名無しさん :04/03/13 03:53
つか、もうファッショナブルですらない
718 :
考える名無しさん :04/03/13 03:57
パレルゴンには失望だ・・・。
719 :
考える名無しさん :04/03/13 04:04
もうパレルゴンですらない
720 :
考える名無しさん :04/03/13 05:39
イグアノドンに進化したらしい
721 :
考える名無しさん :04/03/13 06:01
722 :
パレルゴン :04/03/13 07:33
おはよう。 パラダイムについて以下に書きます。 全て引用です。 「科学は究極の真理を目指して、累積的に発展・進歩し続けるのではなく それまでの模範的な考え方自体が別のものに取って代わり、断続的に 転換する。これが科学革命であり、科学者が通常期に模範とするような 標準的業績のことを、クーンは「パラダイム」と読んだ。科学革命によって パラダイムは転換し、その前後では、使用される様々な概念は「通訳不可能」 であって、相互翻訳は不確実にとどまる。パラダイムはその後、思考の枠 組みと言う意味で一般的に拡大解釈され、20世紀の大流行語となった。」 講談社 現代思想の冒険者たち「クーンパラダイム」 野家啓一著 と言う事で、上記の定義正しければ、パラダイム変化前後で通訳不可能なまでに 模範的な考え方が激変すると言う事になるね。 よく読むのはどっちの方だろうか?分かるよね。
>722 716じゃないけど。 > パラダイム変化前後で通訳不可能なまでに > 模範的な考え方が激変すると言う事 その解釈なら、古典力学→量子力学 はパラダイム転換ではないですね。 量子力学は古典論を包摂する基本理論とみなせます:h→0の古典極限。 一般相対論だって、特定の局所系での極大スケールでない現象の記述は、 古典力学と一致します。 すると物理学では、これまでのところパラダイム転換はただの一度も起こっていない?
このスレでそういう話は終わりにして欲しいけど、 最近理系の人間の間では、パラダイム論もなかったことにしたい様子。 科学的探求に対する外野の批判は聞きたくないはず。 だからこの話題で引っ張ると、またソーカル厨がわくと思う。
> このスレでそういう話は終わりにして欲しいけど はい。 > 最近理系の人間の間では、パラダイム論もなかったことにしたい様子。 最近ではなく、そもそも直後からいかがわしいという声も多かったのですが。 つまり実態を知らずに翻訳不可能だと思うあたりが。 たしかに決定論的な考え方からすれば、量子論はまるで別世界の理論ですが、 今の物理は、極微の世界を含めて語るため決定論的世界観を捨てたのです。 量子力学の側からは、舞台を通常スケールに限定することで、 古典論の世界観を得ることが出来ます。
>>722 最後ね。その大流行となった「パラダイム」語の一人歩きに対して
クーンがその後のポパーとの対決等から「科学革命」に重点をおく
のではなく「通常科学」側に力点を置くようになった、ということ
も野家は書いているはず。邦訳もあるSecond Thoughts on Paradig
ms(1969)の最後でクーンは次のように言っている。
「「パラダイム」という用語を導入したのは、科学者共同体の成員
の帰属関係を調査した際に、そのグループにおいて疑問の余地なく
認められている探求のありかたを十分説明できるだけの規則を彼等
が共有している規則のうちに見い出すことが出来なかったからであ
る。そこで私は、成功した実践事例を彼等が共有していることのな
かに、規則という形ではそのグループに欠ているものを補う何かが
あるに違いないと結論を下した。それらの模範事例がその共同体の
パラダイムなのである。。。模範事例がそのような機能(共有され
た規則が普通持つとされる認識機能)を果たすならば、知識は規則
によって統括された場合とは違ったように発展する。これを理解す
るならば「パラダイム」という用語はいらない。」
→続く
→続く つまり、「パラダイム」という用語によってクーンが導入したかった こととは、「共有されている規則」とは異なる発展を持つ認識機能と しての「模範事例」の提出をすることで、「真理を追究する科学」「 演繹としての科学」という神話を地面に降ろすための概念であって、 科学革命という語の持つジャーナリスティックな「科学」観ではない。 そのことは野家も「科学の解釈学」や「クーン」の中で何度も述べて いるはず。恣意的な引用でパッチワークすんなってゆーのはこう言う こと。あと、(1)数学が演繹であるかいなかということと、数学の ゲームがどのように進行しているかということの間に強い相関を見い 出すあなたの論拠(2)数学と言う客観主義の砦をもてあそぶ事、そ れは、真理と言う物の組織による捏造を暴くと言う発言の意味、意図 に対しても解答よろ。この議論に興味が無いのであればそれで終了で 無問題だし、これから勉強するでも無問題。
あと、allへ。スレ違いですまん。とゆーか、無駄なこと のように見えるが漏れはどうしてもレトリカルにドゥル ーズを回収しようというパレルゴンたんの態度に苛立って (釣られて)しまいますた。パレルゴンたんにも謝罪。
あと最後に補完。クーン、ファイヤーアーベント等の基本的な対決相手は 論理実証主義。要は彼等の言いたいことを叱られることを覚悟でまとめれ ばハンソンの「理論負荷性」の概念、「観察はテスト命題と観察命題間の 対応説によって真/偽を判断する(という合意説)」という文における括 弧内を明示的に示そうとしただけ。それをクーンは「科学史」をいかに扱 うかという問題意識において展開したのであって、その意味では「科学史」 の方法論(といったら叱られんのか?)。その後の野家の「物語り」論も 含めて、何ら通俗的な意味での相対主義を煽るものではない。 「コンテクスト限定的」という言明から「真理の相対化」という 言明の間にはまた別の論証が必要でしょ?あと、「真理の相対化」という 言明によってドゥルーズが生きたり死んだりするの?むしろ死ぬんじゃない?
くーん「くぅーん」どうするアイフル〜 クーンはパラダイムを猛スピードで乗り捨てて、マトリクスとかいうのに乗り換えなかったか? 俺の勘違い?
専門母型→disciplinary matrix
732 :
パレルゴン :04/03/13 23:39
いやいやすっかり科学・数学の客観主義的・真理掌握信奉者の論理が花開いていますなぁ〜。 それと、わかりにくい説明。よって、再度以下に質問点を書きましょう。 前段:どのようにして、貴方は、コンテクストによる、「引用性」による 多様な意味の現われを、一元的な意味に還元できると言えるのか、説明すべきですね。 貴方の論理を、明確にするために質問ですが、 1)パラダイムシフトは起こらないのか? 2)起こらないのならば、その理由を述べよ。 3)起こるならば、貴方の真理掌握とは絶対真理ではなく、コンテクスト の多様性を認めているのか?この場合パラダイムの変換とは、コンテクスト の変化と同じと言う立場を指している。 4)数学、科学は普遍の真理を掌握できるのか? 5)出来るとするならばその背景はどのように証明できるのか? 所謂メタレヴェルの無限後退(ラッセルの階型論)は避けなければならないが。 私には絶対真理を掌握すると言う数学=科学の前提はもろくも崩れ去ったと見ているが? 最後に、構造主義に対して、貴方はどのように考えているのか? 恣意的体系としの構造を離れて存在出来うるものなどないと言われるのに。 (この恣意的体系には思考パターンも含まれる。) また、フーコーの言う言説については如何に考えるのか? これだけ言えば、もう答えられないと思うけどな? 最後に、引用性については、デリダの重要な概念であり、引用を制限する 貴方の態度はまさに形而上学的であると言う事だ。自由に対する制限 をもって唯一の真理(読み)を正当化する。権力による外の排除と言う事が 隠されているんだよ君の考えには。
733 :
考える名無しさん :04/03/13 23:43
またやってんのか? 専用スレ作ったら?
734 :
パレルゴン :04/03/13 23:46
はいよ。了解。
735 :
考える名無しさん :04/03/14 00:20
>私には絶対真理を掌握すると言う数学=科学の前提はもろくも崩れ去ったと見ているが? 数学者でも物理学者でも、 まともな者は「絶対の真理(なんだそりゃw?)」なんぞ求めていない。 自然界から読み取れる構造に関して、 できるだけ広汎で普遍的な像を求めようと努力はしている。 絶対の真理を掌握したつもりでいるというあまりに馬鹿馬鹿しいレッテルを勝手に張り付けて 「もろくも崩れ去った」などとはしゃいでいるのは、 理系コンプレックスを解消したいだけの屑。 物理学者は理論を追求し、実験結果とつき合わせて、矛盾があれば 新しいアイデアを提案している(例 各種の弦理論) 数学者は様々な公理を提案し、具体的な理論を組み立てている。 ( 例 Non−standard−anarisys、トポス、モチーフ) 科学者は公理を疑って、その上で代替案を提案する。 現代の哲学者は、全然知識がない領分で、単に批判する(しているつもり)だけ。 要するに最後まで何物も提出しようとしない。 批評家にすぎない。 もしくは、何割かが自らそうのたまっていたように、 日常言語による芸術家きどりなのだろう。
ドゥルーズの話題でお願いします。
まず第1に質問に質問をかぶせるな。昨日の電波のうなった貴方の発言 を脇に置いて「科学・数学の客観主義的・真理掌握信奉者」のレッテル 張れば満足っすか?わかりにくい説明?貴方が「パラダイム」1つ理 解せずに定義抜きで使用した挙げ句に被引用の制限性に「権力」発見! ってか?野家の分かりやすい日本語1つ読めない人間がフランス語理解 できるんすかね(まあ、それはどうでも良いけど)?質問には答えるが、 (1)数学が演繹であるかいなかということと、数学のゲームがどのよ うに進行しているかということの間に強い相関を見い出すあなたの論拠 (2)数学と言う客観主義の砦をもてあそぶ事、それは、真理と言う物 の組織による捏造を暴くと言う貴方の発言の意味、意図に対しても解答 よろ。
1)パラダイムシフトは起こらないのか? →起らないとはいっていない。起るか否かがクーンの「パラダイム」という 概念において着目された問題ではないと言っている。その説明のために「科 学史」の方法論としての「パラダイム」「物語り」という概念を説明した。 大体、「起った」かどうかという問題と「起るか否か」という問題は枠組み が違う。以上より2)は却下。 3)起こるならば、貴方の真理掌握とは絶対真理ではなく、コンテクスト の多様性を認めているのか?この場合パラダイムの変換とは、コンテクスト の変化と同じと言う立場を指している。 →まず「真理掌握」という語の意味を説明して。何度も言うように、「テスト命題」 と「観察命題」という二階を梃子とした論理実証主義に対する批判こそがクーン 等の試み。「パラダイム」と「コンテクスト」を同義で使いたいという貴方の 意図は理解できたけど、そもそも「パラダイム」と「コンテクスト」を同義で使 うことは少なくともクーン/フーコーの枠組みにおいては無理だろ。
4)数学、科学は普遍の真理を掌握できるのか? →ごめん、問題の意味がわからん。説明よろ。 5)所謂メタレヴェルの無限後退(ラッセルの階型論)は避けなければならないが。 私には絶対真理を掌握すると言う数学=科学の前提はもろくも崩れ去ったと見ているが? →すごい発言。論理学勉強してる人間にとっては唖然とする発言なんだが。数学=科学 (の=が何を意味しているかわからんが)の前提が崩れさったというレトリックの意味は? 6)構造主義に対して、貴方はどのように考えているのか? 恣意的体系としの構造を離れて存在出来うるものなどないと言われるのに。 →ここでいう「構造主義」という語が示す範囲は?ストロースのボードレール分析? それともブルバキの権威借り論文?フーコー限定?アルチュセールのLCの序文? ドゥルーズの論文限定?あと「恣意的体系」という語の意味がわけわかめ。
7)また、フーコーの言う言説については如何に考えるのか? →系譜学の方法論。 8)引用性については、デリダの重要な概念であり、引用を制限する 貴方の態度はまさに形而上学的であると言う事だ。 →馬鹿かと。デリダが「引用性」を語っている文脈を無視したうえで 勝手に流用することで自身のクーン=野家の「パラダイム」概念の 誤用を正当化してどうする。引用の制限=形而上学的?デリダが何 の文脈でそんな自らの首を絞める発言をしてるの?説明よろ。東と か言うなよ。 9)自由に対する制限をもって唯一の真理(読み)を正当化する。 →意味がわからん。 10)権力による外の排除と言う事が隠されているんだよ君の考えには。 →馬鹿? 以上。あと、<真理掌握>って超越論的語用論踏まえてるわけではないよね。 スレ立てる? <真理掌握>「パレルゴンVS誰か」<ナンセンス>みたいな感じで。
742 :
パレルゴン :04/03/14 07:40
かみ合わない討議はやめましょう。 貴方はそんなに大きく私とは違っていない面もあるが、 姿勢が「自分は知っている。お前は知らない。」と言う 前提で話している。つまり、意見が近いところでも、否定的に 差異を強調すると言う姿勢である。 はっきり言って、相互交流は無理だと言う事だ。 それにしてもその自信はどこからきたのだろうか? 真理とは外の世界を数学=科学で絶対に理解できるとする、 デカルト的な意味です。分かるよね。その事をそれ以上 分解してはいない。貴方は、理系独特の思考かどうかは別として その事に条件をつけるようだが、全く人の言っている事を そのまま理解しないな。 まあ。フーコーのエピステーメーの概念も分かっているのかな。 時代がそのコンステラシオンによって変わると言う事。 ドラスチックにかわる。この考えと、パラダイム変換と コンテクスト的なデリダの「散種」他の考えを総合して 意見を述べたんだよ。単純にパラダイムとは言ってないよ。 それと、再度言うが、ある「引用」はどのような背景にあるかを 示して、それは違うなんていったら、ポスト・構造主義 言っている(書いてある事)を否定すると言うデリダのエクリチュール 論と正面的にぶつかるんだけど、大丈夫? それでは、これ以上は君と私のコンテクストの相違があるのでーーー 頑張れよ!物理学=数学 真理は(外をそのままの姿で捉える事)でしょう。
743 :
考える名無しさん :04/03/14 15:52
くだらね
> 物理学=数学 両方ともまったくご存じないから こんなこと書けるんですねw
いきごみ: > 真理は(外をそのままの姿で捉える事)でしょう。 現実: > 物理学者は理論を追求し、実験結果とつき合わせて、矛盾があれば > 新しいアイデアを提案している(例 各種の弦理論) > 数学者は様々な公理を提案し、具体的な理論を組み立てている。 >( 例 Non−standard−anarisys、トポス、モチーフ) > 科学者は公理を疑って、その上で代替案を提案する。 > 現代の哲学者は、全然知識がない領分で、単に批判する(しているつもり)だけ。 > 要するに最後まで何物も提出しようとしない。 > 批評家にすぎない。 > もしくは、何割かが自らそうのたまっていたように、 > 日常言語による芸術家きどりなのだろう。
すごっ。議論弱者っぷり丸出しだな。 負け→逃げ→虚勢の三段論法。 カスが。
> 君と私のコンテクストの相違があるので 人文系の必殺技が炸裂!グゥの音もでまへんわな
みんな、馬鹿にばっかりしてかわいそうだよ。せめてなぜ馬鹿っぽいのか教えてあげなきゃ。 「数学=科学」って言ってるけど、ドゥルーズ=ガタリが「リゾーム」で 数学は科学ではない、とか言っているの読んだことある? とか。
理系の奴もパレルゴンも『哲学とは何か』を理解しない限り、 ドゥルーズの科学についての見解を語ることは無理。 どっちもどっち。
科学についてよく知らないのに見解を語れてしまうという自由さは アートの心が無ければ永遠にわからない。 そもそも哲学とは何かを理解するなどと言って悦に入っている奴には、 なおのこと無理。
パラダイムという用語で考えるならば、パラダイムが普遍的カオスに対する 一時的な防壁=避難所であるといえる。それに対してドゥルーズの倒錯的実践 は、カオスの地図なき海域に新たな見取り図、新たな航路を見出そうとする 冒険的な航海である、と言えるだろう。もちろん、その船出の出発点は定在民 たちの都市である「パラダイム」ではあるのだし、あらたな冒険の成果を持ち 帰るのも、そしてその新しい地図によってこのうえない暴力を(暴力は富である) もたらすのも「パラダイム」ではあるのだが。
生物学や医学や化学なんかでは、かなりドラスチックな変化はあったかもね。 数学とか物理とかでも大きな変化はあったけど、たしかに翻訳不能ではないな。 新しい理論の特別な場合として古い世界は完全に描ききれてる。 だからこの2つでは教科書の以前の記述が誤りとして訂正されたことがない。
753 :
考える名無しさん :04/03/17 00:58
初心者です。 アンチ・オイディプスの第1章第5節に出てくる モナコフとムルグの共著 Biologische Einfuhrung in das Studium der neurologie und Psychopathologie は一体どんな本なのでしょうか? ドイツ語もフランス語も出来ないので手がかりも掴めません。 神様、何卒おしえて頂戴。
>753この先もそんなことに出くわしたらまた人に頼るの? 勉強したほうがいいと思われ
>>753 ドゥルーズが言及する書物は大概邦訳されてない。
いちいち気にしてたら終らんぞ、無視してしまえ。
>754御忠告有難うございます。でも知らないのなら黙ってろってことで >753当方学生ではないので心配は不要です。寄り道しながら読むのがこの本の楽しさだと思うので
757 :
パレルゴン :04/03/17 21:59
コスモス カオス ノモスって事でしょうか。 だから、人間は過剰のサンス(意味)の中で、コスモスから はぐれ落ちた。これは、浅田の「構造と力」にあった気がする。 それで、「意味の論理学」パラドックスの第二セリーについて、 ストア派について「彼らは、原因を原因に還元し原因相互のつながり(運命) を確認する。彼らは、結果を結果に還元し、結果相互のいくつかの結び付き を措定する。」この辺の所は、因果関係を破談にし、自由を取り戻そうとしている のかな? ベルグソンにもラプラスの決定論を批判的に捉えているし、決定論 は事後的にその結果、事前の原因によるとこじつけているみたいな事言っていたよね。 講談社学術文庫 「ベルグソン」P150あたり。
パレルゴンてかんぺきバカだな
759 :
パレルゴン :04/03/17 22:29
あんがと。
760 :
考える名無しさん :04/03/17 23:14
>>759 哲学を少しかじってる人(&それ以上)に専門用語を連発するのは逆効果。
「自分は他人の言いたいことを血肉化出来ている」
とアピールするためにも比喩表現などを愛するべし。
と思います。
その他では・・・。そうだな、
まぁ、自分の意見も発表しなさいね。
ドゥルーズの時間論(と言えるとして)の中では、やっぱ純粋過去に関する部分が いっちゃん優れていると思うのはオレだけなんだろうか?
むしろ時間の空虚な形式が重要 純粋過去はベルクソンの読解だから。
763 :
考える名無しさん :04/03/18 02:30
分かってないねー
いや、内容示さずいきなりそういう事言うのはアンフェアだから。
766 :
考える名無しさん :04/03/19 22:50
篠原の『ドゥルーズ』て本読んだよ。 これはそんなに悪い本ぢゃない。 ただ単に、 @自分のフィールドでしかドゥルーズの著作が読めてなくて、 Aその読み自体もメチャ薄っぺらで、かつまた B論述がやたらに無気力で平板、 というだけのことなんだ!!
768 :
パレルゴン :04/03/20 00:11
素晴らしい本ですよ。初期の解説書なので批判も多かったけど、今読むと 結構いけるね。分かりやすいし。
パレルゴン=Kurihara? 荒らし方がなんか似てる。
770 :
考える名無しさん :04/03/20 00:19
篠原の本てのはさ、中身のないレジュメをまとめたようなもんだから、 ドゥルーズを読んだ振りをしたい人にとっては結構便利な本だと思う
771 :
考える名無しさん :04/03/20 01:02
パレルゴンみたいのを生み出した諸悪の根源てことじゃんw
プカーさまーなんか今日はあまりうまく昇華されませんが なぜだと思います?
頭が一番悪いp.kuriharaじゃないの?
ピエールは一応原書でドゥルーズ読めるだろうし、ジジェクのドゥルーズ論も 評価してなかった? あれを読んでれば、こんな事は言わないだろうってのは、買いかぶりすぎ?
ここまで馬鹿にされて、住人を夫馬扱いしないのも可笑しいし。
いったい何人のkuriharaがいるんだ、哲板には? ものすごく頭の悪いkuriharaが二人いて、 さらにはてなで柄谷論を書いているkuriharaの中の人もいる。 それから三文ライターのkuriharaってのもいる。 そしてそのkurihara4兄弟は、みんな柄谷マンセー派だ、 という把握で正しいですか?
三文ライターのykurihara以外は、マンセーというわけではないと思う。 みな、複雑な感情を持ってるでしょう。ykuriharaは、そもそもそれほど思い入れは 無いのでは。一応批評空間は読んでいたみたいだけど。
はてなkuriharaは、一点の曇りもないマンセー派にみえるが(w
>>778 いや、生産を軽視している柄谷のマルクス論については、それなりに批判的でしょ。
確か、柄谷卓袱台返しメールの頃からだと思うけど、「あの人は、商人資本に
ついてしかやらなかったから」みたいなことをいい続けてるし。
しかし生産をどうしろという具体案がなけりゃ、 消費と流通がだめだったから、生産で革命を!ぐらいの話にしか思えんな。
まあ、そうなんだけどね。 今のKuriちゃんにかんしては、存命中の大物が柄谷ぐらいしかいないからって 感じじゃないの。マンセーな柄谷信者だったら、教祖と同じく廣松を馬鹿にする だろうけど、下手すると柄谷以上に評価してるし。 そういえば、昔ピエールのプロフィールに仏語の実力が5級レベルとか かいてあったけど、初代ベルクソニズムスレの仏語5級がピエールって 事はない? あそこでレベルの高いことをしている奴と、夫馬誤爆を続けるピエールが 同一人物だったら、スゲー笑えるんだけど。
仏検5級なのにおフランスなのは、頭の一番悪い長男で間違いないんじゃないかな? 三文ライター氏よりも年くってるくさいよね。40近いんじゃなかったっけ?
783 :
パレルゴン :04/03/21 00:22
もっと、ドゥルーズを書かないのかい?アンチ・オディプス と言う意味を探ろうとしたりしないのか? 反精神分析学としての、このタイトルはどうして、精神分析学を批判せねばならなかった のか?それは、分析と言うセッションが、無意識に訴えてくる患者の話 の深層を解明出来ると言う、自負に対する批判だと言う事なのだろうと思われる。 つまり、転移と言う現象から抜け出せないからだと言う事だろう。 患者の意識の転移と言う経験で、客観的な観察分析の視点を失ったんだと言う事。 第二に、病気を治し、社会組織に正常者として復帰させると言う行為 が、正常対異常と言う、恣意的・二項対立的既存の価値体系への、 患者の抑圧的復帰(デリダならば暴力的と言うかも)に繋がるからだろうからだ。
784 :
パレルゴン :04/03/21 00:25
つまり、分かりやすく言えば、いかなる組織も、組織内において その組織が正常であるか否かを述べる視点を有してはいない。 これは、クレタ人のパラドックスと同じことだよね。
785 :
パレルゴン :04/03/21 00:34
柄谷たちの言う単独性とは、だから、このような社会的暴力(名指し)から 逃れようとする概念を現しているんだけど。 そのテクニックは、差延を中心にした、デリダの概念の業績と言えるわけよね。
AO読んでいますが難しいですね 「ドゥルーズの思考」(大修館書店)から読んだ方がいいのでしょうか?
>>786 そして次に記号と事件。
そのあと読めばけっこういける。
788 :
パレルゴン :04/03/21 00:44
単独者とは組織から逃走するもの、固有名(原エクルチュール)の暴力に 反旗を翻す者たちの、いや、名付けられない、唯一性であり、唯一無二のものを名付けと言う 暴力から逃れるものを指しているのだ。といっても、指し示してはいない。 指し示すと言う暴力をすり抜けるからだ。 ここに、ドゥルーズの一義性の考えもあるんだろうと思われるんだけど。 唯一無二と言う点で。
789 :
パレルゴン :04/03/21 00:49
適当に読んで、解説書を読んで、読む順序はないと思う。 ただ、ドゥルーズを読む前段として、記号論(ソシュール) は必読だと思う。構造主義が分かった方が、それのアンチ・テーゼと 見ればいいわけだから。それと、ドゥルーズは小説なのよね。
790 :
考える名無しさん :04/03/21 00:49
それはなんとなくわかるけど。逃走した後はどうなるの? その後はさ?
791 :
考える名無しさん :04/03/21 00:50
組織から逃走した後はどうするの?
792 :
パレルゴン :04/03/21 00:52
英米系の文学をかなり読んでいるし、真理の定義ではなく、 言葉による、「表現」と考えるか、概念の創造を遊んでいる。 遊学みたいな感じかな。だから、こうも言える、ああもいえる。 客観はなく、セリーによっていろんな繋がりとして見えると言う事 じゃないかな。だから、分からない所は飛ばして読んでも良い。
793 :
考える名無しさん :04/03/21 00:55
ヒッピーそのものだ
794 :
パレルゴン :04/03/21 00:56
その往復運動なのよ。既存の価値に組み入れる事を領土化といっているよね。 と同時に、脱領土化とは、領土からの逃走なんだと言う事。 原則的には、ドゥルーズは資本主義的な社会を想定している見たいだけど。 つまり、差異的な社会を資本主義に見ている、この点がある意味で彼らの 限界かな。
795 :
考える名無しさん :04/03/21 00:56
パレちゃん、黙殺しないで答えてね!
796 :
考える名無しさん :04/03/21 00:57
だから、逃走に成功したその後のことよ。
797 :
考える名無しさん :04/03/21 00:59
年金生活
798 :
考える名無しさん :04/03/21 00:59
ホームレス
799 :
考える名無しさん :04/03/21 01:01
出家信者。
800 :
考える名無しさん :04/03/21 01:02
いまでは、こ××と言ってはイケナイのね。。。
801 :
パレルゴン :04/03/21 01:02
しかし、ドゥルーズ・ガタリの時代は、形而上学批判の時代背景があって 古典主義的な、社会・組織・真理といったものが、唯一の正しい物へ 求められていたわけよ。そこのところがどうも人間にとって窮屈だった。 そこからの開放として、彼らの運動があったって事だと思うよ。 しかしこの古典主義的真理主義とでも言う、抑圧は、運動だけでは 解決しない。つまり、言語=記号というものが絡んでいたことが 記号論で分かってくる。だからデリダが躍起になって、エクリチュール と言っているんだよ。あるいは、コンテクストとね。
802 :
考える名無しさん :04/03/21 01:06
パレちゃんに、完無視されちゃった。。。
パレちゃんはここでやってれ 他のスレ荒らさないでね〜
804 :
考える名無しさん :04/03/21 01:16
要するに中心と周縁の戦いだな。
パレちゃん文体きもい
807 :
考える名無しさん :04/03/21 02:43
誰だ!パレちゃんをいじめて拗ねさせちゃったのは!! パレちゃんは幹部候補生だぞ!
808 :
考える名無しさん :04/03/21 02:45
,..-──- 、 / \ / ヽ ,! i { } { ●) ●) } 「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ { ! | ぴかぁさんには負けませんよ .ヾ ∀ ノ _ノ __,. -ゞイ! イゞ‐─- __ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ _ -‐ ''" \` ー一'´丿 !\  ゙̄ー- 、 ハ / |ヽ ̄ ̄// ヽ ハ | ヽ く ! .>ーく / > / ! | | _> レ'-、 r‐/ <_ / ! .∧ ! ヽ | 厂L/ / i .∧ / \ | \ ∨ ! / | / ハ ハ ヽ | ヽ ! | / | /ヽ
809 :
考える名無しさん :04/03/21 06:05
>組織から逃走した後はどうするの? 代弁するなら 哲学にできることは他でもない概念の創造。 概念を使って何かをするということは、 話して説得してごまかしてすり抜けて お茶を濁してだまくらかして とにかくさまざまな詐術を用いつつ それとは気づかせぬままに人を対象として かつ手段として用いることとなる。 組織の脱出、ただし、ある組織に留まりつつ。これが肝要。 資本主義からの脱出、ただし、ある資本主義におけるそれ。 そうこうしているうちでの、細かい構造の変動が起きては消える。 決して物理的には出られぬところでの脱出。 哲学批判である哲学。哲学である哲学批判。 新しい哲学、新しいものとは、それまでの哲学、それまでのそれとは 一歩外に出ようとし、出つつあり、出ることがいかに困難であり 矛盾でさえもあることを知っていてなお、ぬけぬけと実践せる態度に宿る。
810 :
考える名無しさん :04/03/23 20:00
667 :考える名無しさん :04/03/12 22:44
Intensite-zelo. Le modele de la mort apparait quand le corps sans organes
repousse et depose les organes ? pas de bouche, pas de langue, pas de dents…
jusqu’a l’auto-mutilation, jusqu’au suicide.
上の訳がまだなんだけど。。。
669 :考える名無しさん :04/03/12 23:30
>>667 強度零。死のモデルってのは、諸々の器官なき身体が器官を追っ払い取り外すときに
現われる、口も舌も歯もなく…自らの体を切り刻むところまで、自殺まで。
これはもはや哲学と呼びがたいほどだな。。。
811 :
考える名無しさん :04/03/23 20:09
,..-──- 、 / \ / ヽ ,! i { } { ●) ●) } 「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ { ! | ぴかぁさんには負けませんよ .ヾ ∀ ノ _ノ __,. -ゞイ! イゞ‐─- __ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ _ -‐ ''" \` ー一'´丿 !\  ゙̄ー- 、 ハ / |ヽ ̄ ̄// ヽ ハ | ヽ く ! .>ーく / > / ! | | _> レ'-、 r‐/ <_ / ! .∧ ! ヽ | 厂L/ / i .∧ / \ | \ ∨ ! / | / ハ ハ ヽ | ヽ ! | / | /ヽ
812 :
パレルゴン :04/03/23 23:26
ぴかぁ〜さん!! どうしているのかい。 ポスト・モダン評価しているよ。 といっても、ぴかぁ〜さんは沢山いるしなあ。 約束通りに、「ウィトゲンシュタインはこう考えた」を読んでいますです。 現在、P112です。 何か書いてくれよ。
AAは敗北者。
814 :
パレルゴン :04/03/23 23:28
翻訳グループの方へ、お邪魔はしませんので、どうぞ進めてください。 こちらも、勝手にやっていますので。
403 : ◆wz1/FGWAMI :04/03/03 18:35 ドゥルーズの『意味の論理学』は『差異と反復』より難解だと思う。 「ナンセンス」と「パラドックス」について、「セリー」について、 また蓮實が借用した「表層」や「出来事(事件)」について、 また「差異化=微分化ディフェランシ(t/c)アシオン」はもちろんのこと、 「特異性」や「単独者サンギュリエ」、「ユーモア」と「イロニー」について 未だに自分の中で充分に吸収できているとはいえないなあ。 これを充分に理解できた人は尊敬できる。 千の高原もそうだけどこれは「芸術的な哲学」! 意味サンスの論理学ロジックとはいっても、 サンスにはそれこそいろんな意味があるからね。
815に付け加えるとすれば「パラサンス=逆識」という概念だな。
817 :
考える名無しさん :04/03/24 01:18
ぴかぁ〜のやつめどこ行った?
818 :
考える名無しさん :04/03/24 01:20
このスレもすっかりぴかぁ〜の負け犬スレになっちゃったな。
819 :
考える名無しさん :04/03/24 01:24
ここはバカ専用
820 :
考える名無しさん :04/03/24 02:18
,..-──- 、 / \ / ヽ ,! i { } { ●) ●) } 「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ { ! | ぴかぁさん逃げましたね、プププ .ヾ ∀ ノ _ノ __,. -ゞイ! イゞ‐─- __ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ _ -‐ ''" \` ー一'´丿 !\  ゙̄ー- 、 ハ / |ヽ ̄ ̄// ヽ ハ | ヽ く ! .>ーく / > / ! | | _> レ'-、 r‐/ <_ / ! .∧ ! ヽ | 厂L/ / i .∧ / \ | \ ∨ ! / | / ハ ハ ヽ | ヽ ! | / | /ヽ
821 :
考える名無しさん :04/03/24 04:16
あおが断言できままいたし、グルの名を騙(かた)るということは、 定説では訴訟を起こしてもよいと言うことになっているんです。 これが断言できま紙オムツのメトノミーでソひアを復活させた。
結局ドゥルーズは反復の論理に存在の一義性を見出した。 ってことでいいの?
824 :
パレルゴン :04/03/26 21:00
違う。反復の中に「非反復=創造」を見た。そして、構造に中に、外=単独者 =それ=一義性 を見た(のではなく)を生きただろうな。
825 :
パレルゴン :04/03/28 14:15
一義性って分かりにくい概念だよね。 確かに変身する多様体ならば、一義性は不動の反復を強調している気がするし。 むしろ、一義性はヒエラルキーに回収される事を否定する意味で創造した 中心からの独立した部分を示していると考えたら分かる気がするね。
826 :
考える名無しさん :04/04/09 06:01
小泉義之著『ドゥルーズの哲学――生命・自然・未来のために』講談社でで以下の本を refer しています
高橋陽一郎『微分方程式入門』
志賀浩二『極限の深み』
三中信宏『生物系統学』、宮田隆編『分子進化』
河田雅圭『進化論の見方』
柴谷篤弘『構造主義生物学』
小泉による「科学」の利用の仕方は、良くてもせいぜい単なる半端な知識のひけらかしに過ぎず、
ほとんどの場合において自分が好ましいと考える「思想」を正当化するためのつまみ喰いに過ぎません。
この小泉の本はクズ同然なのですが、クズを読むことに耐えられる方は関連の箇所を立ち読みしてみると良いと思います。
小泉の『ドゥルーズの哲学』では「解けない微分方程式」がキーワードの一つになっており、50-54頁において小泉は「自然物と生物は、解けない微分方程式を、自ら条件を設定して、
自ら解いている」(p.54)という好意的に解釈しても陳腐に過ぎない主張を驚くべきものに見せかけるために非常な努力を払って失敗しています。
小泉が扱っている微分方程式は真の解の一意的な存在が保証されているような常微分方程式ばかりなのですが、「厳密解を出すことは不可能だと証明可能」(p.50)、
「そこで数学的には、かなり激しい制限条件を課した上で、解けない微分方程式に真の解が一意に存在することを証明する」(p.52)、
「パラメータが隠している要因を顕在化させて立てられる微分方程式については、真の解が一意的に存在することが証明できない」(p.52)のように言ってしまっている。
一般読者には、「厳密解を出すことは不可能だと証明可能」されているので解くことが「神にも不可能」(p.50)な微分方程式を「自然物と生物」は「自ら条件を設定して、
自ら解いている」という驚くべき事実を小泉が指摘しているかのように読めてしまうことになるでしょう。しかし、小泉の議論の仕方は滅茶苦茶であり、デタラメもいいところである。
小泉は『「知」の欺瞞』(
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/ ) において、ドゥルーズの数学用語の濫用が指摘されていることを知らなかったのだろうか?
小泉は「ドゥルーズ」の名のもとで同じことを繰り返してしまっている。
828 :
考える名無しさん :04/04/09 09:54
今の哲学者が駄目なのは、なぜか、名目を能とするせいだ。 大型のノートブックに、老師たちの屁のような思想を書きこみ、四重にも、五重にも袋に仕舞いこんで、誰にものぞかせないで、深い奥義であると思い込んで、大事にしている。 とんでもない間違いだ。ぐずろべえめ、君たちはそんな乾涸びた骨から、どんな汁を吸うというのか? ある種のものの良し悪し心得ぬ連中は、哲学の上で、すきかってな理屈をこねまわし、ある概念をでっちあげる。 あたかも糞のかたまりをひろって、口の中に隠しておいて、他の人に吐き捨てるようなものだ。 世間で難しい文句の早口競争をやるように、生涯を無駄にしてしまう。
ぐずろべえ、っていったい・・・・
なにやら東洋的賢人像を抱いたオサーンというところまではわかるのだが…
832 :
パレルゴン :04/04/09 22:40
826さん 以前に話したとおり、ポスト構造主義に数学の表現が多いのは、引用なのですよ。 真理を定義するために、数学を使用するあるいは、数学の真理を結晶化する為では ないのです。つまり、引用とアフォリズム的、メタファーなのです。 貴方の意見の前提として、数学は、数式は客観的、あるいは、形式的に真理を表せ る道具だ、あるいは、物だと考えているのでしょう。 だとするならば、貴方は数学が(数式が)真にそれが表そうとするものを表している と言う証明をして欲しいものです。自然数にしても、それは、前提としての思い込み があると言う事をウイトゲンシュタインは述べています。 私も同感です。だからと言って、全面的に、数学を否定してはいません。 それは、人間が創造した、便利なツールです。例えば物差しを考えてください。 物差しにある、メモリは絶対あのミリ・メートルという基準が唯一の物でしょうか。 10進法が絶対なのでしょうか。違うでしょう。便利・多数の人間が認めるもの が基準になっているのです。数式も同じように人間にとって便利と言う考えから、 発展してきたものであり、絶対真理ではありえないのです。 のような考えを、忘れ、横暴になりすぎた自然科学を批判したのは ニーチェ、フッサール、ハイデガーです。
833 :
パレルゴン :04/04/09 22:49
ニーチェは人間の理性が真理を絶対善を見出し、それに向かって 流れを切断することを批判したのであり、フッサールは科学的な認識 が、生活世界に根ざしている事を説いています。 ハイデガーは、世界が現存在の意味として開示すると言っています。 これも、世界は物理的(数理論的真理)に人間存在に先んじて存在しており、 その法則を発見することで、人間の未来は発展すると言う妄想を暴いたのです。 このように哲学史は流れているのに、貴方の意見は古典主義的なものから 一歩も進展していないと言う事でしょうね。 ソーカル・ブリクモンの書は逆に彼らの無知をさらけ出していると思います。 つまり、哲学の勉強が不十分と言う事でしょうね。
834 :
考える名無しさん :04/04/10 08:22
>引用とアフォリズム的、メタファーなのです。 出た(w 必殺技だね。間違いと出鱈目を指摘された時の逃げ「メタファー」(w これだから外国のインチキ文献の貼り合わせで論文が書けてしまう「フランス現代思想」の人はいいなあ。 >自然数にしても、それは、前提としての思い込み があると言う事をウイトゲンシュタインは述べています。 がはは。ウィトゲンシュタインだと(W お前初等論理学もマスターしてないだろ。だいたい数学も論理学(数理論理学だぜ。弁証法じゃねえよ(w)) もろくにしらん低脳どもが天才分析哲学者である彼のアフォリズムだけを意味もわからず引用するやり方にはむしずが走る。
835 :
考える名無しさん :04/04/10 08:50
_, ,_ ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
836 :
パレルゴン :04/04/10 09:28
感情的な発言ですね。 大人なのだから論理的に君の信ずる論理実証主義・分析哲学 を述べてみたらどうでしょう。 そしたら、こちらも論理的にコメントしますが、 君の場合は、キライと言う反応だけ表しているだけで、 内容がありません。 君の言う「アフォリズム」とは如何言う意味でしょうか。 先ず、答えてね。
837 :
考える名無しさん :04/04/10 09:30
マネタリズム
838 :
考える名無しさん :04/04/10 09:31
裁量で真似をすること
839 :
パレルゴン :04/04/10 10:59
837さん それは経済学。 貨幣の市場への流通量の調整で、経済の成長をコントロールするんでしょう。
パレルゴンさん皆に迷惑かけていることに気づいていないのですか?
841 :
パレルゴン :04/04/10 12:52
840それはどう言う意味でしょう。どう言う迷惑なのでしょう。 具体的に書いてくれない。ここは、いろんな人がいます。公開の場ですから それはいいんですが、哲学ではないことで、人を排除する、批判する事 はやめないか。貴方の言っている事こそ、迷惑になるのですよ。 どう言う権利でそう言う発言をするのでしょう。 言いたい事は分かりますが、もし君も本当に哲学がしたいのならば 分けのわからない中傷・言いがかりよりも、哲学の討議をすべきではありませんか。 尤も、レベルの差はあります。だから面白くないならば、自分の好きなスレッド で日常会話でもしたらいい。俺は、日常会話には興味がない。 また、中傷には反論すると言う事。 くだらん事言うよりも、勉強だね。
>>841 あんたのせいでまともなドゥルージアンがいなくなった。
最大の原因は読書会スレでクレクレ君だから。
洋書が読めないなら識者のレスに変なツッコミ入れない方が良かったのに…
まあ見事にみんないなくなったね
禿sage
845 :
考える名無しさん :04/04/10 14:11
机上の空論の時代はもう終わりましたよ
ここ来るのはもうこんな愚か者だけ
847 :
パレルゴン :04/04/10 14:39
842まともなドゥルージアンてどう言う事。 定義なしに言葉を使わんでくれ。 語学うんぬんよりも、逃げたのは、やる気がないからだな。 識者とはどう言う人を指しているのか不明だな。俺だよその博識とは。(笑) 答えられんからと言って、けちいつけてもらっては困るな。 150冊位哲学書を読んでから言いな。 それよりも哲学の討議君は知識がなくて出来ないのか。(笑) つまり、知識がないので悔しいから、けちつけてるって事だろう。 843.知識がないので、逃げた。努力なくして哲学は語れません。 だから、逃げたのよ。つまり、哲学をするほどの情熱がなかった って事だ。(笑)そう思うよ。
848 :
パレルゴン :04/04/10 14:46
翻訳をする者が博識だと思うのは、日本の大学院だけだよ。 翻訳とは、置き換え、変換なのよ。そんなものは教養にすぎない。 本当の博学とは、思考力を指すのです。 翻訳と言う作業に弱いのは、無知な証拠です。 読書量・理解力・独自性であり、翻訳は、論文作成の為の 手段に過ぎない。もっとも、翻訳できない者にとっては 必要だが。それ以上の物ではないだろう。
849 :
パレルゴン :04/04/10 14:47
ずいぶん答えてあげたから、今日はお終い。 後は、雑談しなさい。
850 :
パレルゴン :04/04/10 14:51
俺の論文を読んで、参考になった奴は沢山いるだろう。 けちつける奴は理解できるレベルにないって事の証明。 逃げた奴は、もっとレベルが低い。 分かろうとしていない気がするな。 それでは。
>>850 お前、論文書いたことあんの? どこで読めるわけ?
公開しろよ。
∩─ー、 /∵(・)∴、_ `ヽ ←ぴかぁ〜_ ___ /∵(:∵○∵(・)r''",r"∵∴∵∴∵∴ヾ |∵:/(入__/ /∴∵∴∵∴∵∴∴\ . 、::(_/:/ /∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵\ /,i'。'゙\_ / / ∴∴∵/ ̄.. \∴∵∴∵∴\ <、___,,,,/ ./∴∴∵/ ,. i ∵∵∴∵∴| | / / ∠...._____∵:.| /.| |.∵____ノ | ̄\ <______(、.___________________| |__.| |__________________/~| | | ←ソフィア パレルゴン→| | | | | ノノ | | | | U |U ノ | | | |~| | / / / | | | / / / | | | .しし’ \\\ |ノ |ノ
ぴかぁ〜の方がマシかもw
じゃそうゆうことで ================== 糸冬 了 ==================
パレルゴンはソフィアを論破してからでかい口きくべき。
856 :
パレルゴン :04/04/10 15:08
はいよ。わかりぃ〜。
857 :
パレルゴン :04/04/10 15:10
でも、「ポスト・モダン」ちゅうのに、弱いのよ。 PCだの消費社会だの、だいたい、消費ばかりしてどうしたの 生産はしないの。それはデリダ(誰だ)?
858 :
考える名無しさん :04/04/10 15:16
859 :
考える名無しさん :04/04/10 15:16
860 :
考える名無しさん :04/04/10 15:17
論文?
861 :
パレルゴン :04/04/10 15:17
いや。
862 :
考える名無しさん :04/04/10 15:18
フラ語も出来ないやつがドゥルーズ論書いたのか? あたまおかしいんじゃないのか?
863 :
パレルゴン :04/04/10 15:18
秘密だべ。
864 :
パレルゴン :04/04/10 15:20
862お前は何か書いたのか?言ってみろ。
865 :
考える名無しさん :04/04/10 15:21
>>パレルゴン 引用箇所ぐらいは原書を参照するといった程度のことはやった方がいいよ。
866 :
パレルゴン :04/04/10 15:22
その前に、もっと論理的な意見を言ってみないここで。 ドゥルーズについてさ。お前の賢そうな論旨を聞いた事がよ。 偉そうであるけど。
867 :
考える名無しさん :04/04/10 15:24
>>865 の言うとおりで、ほとんどが翻訳されてるんだから、原書の
参照は簡単にできるよ。
868 :
考える名無しさん :04/04/10 15:24
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < パレルゴンの論文まだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | .佐賀みかん. |/
869 :
パレルゴン :04/04/10 15:25
お前に、言われる筋はないな。 どのように勉強しようと勝手ですよ。 俺の勉強の仕方は俺が決めるのです。 君は君のやり方でやりなさい。 ただし、批判だけではだめ。論理的な意見を言ってみなさい。 僕が君のレベルを判断してあげるからね。 因みに、ドゥルーズの翻訳本は大半読破よ俺。
870 :
考える名無しさん :04/04/10 15:26
850 名前:パレルゴン 投稿日:04/04/10 14:51 俺の論文を読んで、参考になった奴は沢山いるだろう。 けちつける奴は理解できるレベルにないって事の証明。 逃げた奴は、もっとレベルが低い。 分かろうとしていない気がするな。 それでは。
871 :
パレルゴン :04/04/10 15:27
佐賀みかん食いたいね。
872 :
考える名無しさん :04/04/10 15:27
873 :
考える名無しさん :04/04/10 15:27
パレルゴンはどっかで論理的な意見を言った?
874 :
パレルゴン :04/04/10 15:30
ははは。面白い。「ドゥルーズ 意味の論理学を読む」の俺の文章 読んでみてけろ。レベルが分かるでしょう。865さま(尊敬しちゃう)
875 :
考える名無しさん :04/04/10 15:31
じゃあ、パレルゴンはどっかで論理的な意見を言ったなら、それを 材料にして議論しましょうか?
876 :
パレルゴン :04/04/10 15:33
872いや「ドゥルーズ」だす。討議はしないだす。 君の意見を纏めてけろ。俺は、読んでみたいのだす。 高尚な論文て奴を。参考にさせてね。説教屋さん。
877 :
考える名無しさん :04/04/10 15:37
>>876 飛騨は未読か?
ライプニッツ読んでなくて、あれ分かるか?
878 :
パレルゴン :04/04/10 15:44
喧嘩はしません。それよりも、類似のものでも、「ポスト・モダン」は 「ポスト・構造主義」とは根本的に違うのよ。そのスタンスが。 前者は芸術・建築・消費社会を現す言葉なのよ。後者は哲学を現している のですよ。だから、似ているけれど違う。哲学と消費社会の違いがある。 ドゥルーズとボードリヤールの差なのよね。
879 :
考える名無しさん :04/04/10 15:47
構造主義哲学と言われてもイメージわかないな。 なんだい?そりぁ?
880 :
パレルゴン :04/04/10 15:47
だから、内容を言ってよね。「あれ読んだ。」では君の知性は分からん。 内容言ってからでないと、答えられんのう。
881 :
パレルゴン :04/04/10 15:48
879やっぱり、分かってない。いやん。
882 :
考える名無しさん :04/04/10 15:50
>>881 ああ。分かってない。
代表的な構造主義哲学者を挙げてみてよ。
パレルゴンは潜在的な仲間を煽りまくり。 だからスレが寂れてるんだっつうの。
884 :
考える名無しさん :04/04/10 15:52
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < パレルゴンの論文まだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | .佐賀みかん. |/
885 :
パレルゴン :04/04/10 15:58
佐賀みかんちょうだい。僕らは仲間よ。
886 :
パレルゴン :04/04/10 15:59
too know.つうの。
887 :
パレルゴン :04/04/10 15:59
884は絵が上手い。尊敬した。
888 :
パレルゴン :04/04/10 16:06
俺は多面性を持っている「成る事」人間だす。 だから、あるときは論理的な文章を書き。 あるときは、やわらかくすり抜ける事が出来る。 だから、君らに僕は捕まらない。ファントマです。(うふふ)
だそうです ================== 終 了 ==================
890 :
考える名無しさん :04/04/10 18:13
なんか見事に荒れ果てちゃってるなあ。 てか終了ですね。スマソ
891 :
考える名無しさん :04/04/11 03:55
みんな騙されるな! パレルゴンは理系か分析のやつらが送りこんだ刺客なんだ!!
そうだったのかー!?
違う パレルゴンは、少しだけマシなぴかぁ〜みたいなもん
ああ それならよし
こんにちわ。
はい こんにちは 私にだっこされたいの?
わかった 言わなくてもいいよ だっこして頭をなでなでしてあげよう
あをによし
奈良!
きゅーしゃく
バレルゴンって、スレ違いレスする荒しサンですか? 好きだったスレ達が急速に寂れていってるので。。。
902 :
パレルゴン :04/04/13 22:40
そうじゃないでしょ。 俺が書くと、一部の荒らしや 自称翻訳専門のエリート集団が逃げるんですよ。 論理的に書くと言うことに、反応できないのが、前者。 翻訳しても良く理解できていないので、私のコメントが気になって 或いは、翻訳に対する 私の 意見 に 返答できないので、 逃げたのが後者ですかね。
903 :
パレルゴン :04/04/13 22:40
そうじゃないでしょ。 俺が書くと、一部の荒らしや 自称翻訳専門のエリート集団が逃げるんですよ。 論理的に書くと言うことに、反応できないのが、前者。 翻訳しても良く理解できていないので、私のコメントが気になって 或いは、翻訳に対する 私の 意見 に 返答できないので、 逃げたのが後者ですかね。
904 :
パレルゴン :04/04/13 22:47
とはいっても、翻訳チームの復帰を待ってます。 プライドを捨てて、本音でいきましょう。 間違っても良いのです。恥をかかないようにする必要はないのです。 恥をかこう。聞こう。交流しようですよ。 君らの知性を信じているよ。一番である必要はないのです。 それと、荒らし君は、ルールを守ろう。
905 :
教えて君ですいません :04/04/13 22:56
ドゥルーズの言う「論理的」という言葉の意味は何ですか?
906 :
パレルゴン :04/04/13 23:06
創作・創造でしょうかね?絶対に真理を探究する行為ではないよ。
907 :
パレルゴン :04/04/13 23:08
創造的・概念的(概念を編み出す事・行為)
>>905 すいません、まだ分からないです。ペコリ
ドゥルーズは彼以前の「論理」という言葉を捨て、新たな意味を与えたのですか?
彼以前の「論理」という言葉の意味を保持した読者に対してドゥルーズは意識的に新たな意味を混ぜて革新を図ったのですか?
910 :
パレルゴン :04/04/13 23:17
僕も良くは分かりませんが、理論とは余り言わないのかも知れませんね。 理論と言う言葉に、形而上学的な真理の匂いがしますからね。 概念とは良く言っていますよ。概念人物とかね。
>>910 すいません、私が質問したのは「理論」ではなくて「論理」です。ペコリ
912 :
パレルゴン :04/04/13 23:23
概念と言う言葉には、真理とは全く関係ない意味を持たせていると思います。 概念は色んな人物が概念を編み出すのです。多様な概念ですね。 色んな人、色んな場所・位相から 色んな概念が編み出せるそんな気がします。 これは、私の意見でもあります。ドゥルーズの場合には、そのまま解釈する必要も ないのです。概念・文章に触発される事が大事になるのですね。 そう思いますが、どうでしょう?
913 :
パレルゴン :04/04/13 23:27
「論理」と言う事に対しては、彼は全くの門外漢でしょうね。(笑) ありえない。リゾームでも読んでみては。 明日早いので今日はこの辺で。 おやすみ。
パレルゴンさんが言う「論理的に書く」の意味を今度教えてください。おやすみなさい。ペコリ
915 :
考える名無しさん :04/04/14 01:03
「パ」から始まる人のレスを見てると、 「開いた口が塞がらない」とゆう言葉が頭の中をグルグル駆け回るのでちた。
916 :
考える名無しさん :04/04/14 01:37
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 機械タンの実証まだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | .佐賀みかん. |/
誤爆申し訳ない
918 :
考える名無しさん :04/04/14 06:23
日本人がX国に旅行したら日本ブーム。ところがその内容ったらいわゆる「フジヤマ・ゲイシャ」的で間違いだらけ。 それだけなら苦笑して済ますところが、中には大間違いの知識を受け売りのまま「日本に学べ!」本やらセミナーやらで商売する奴も出ている始末。 さすがにムカついた日本人氏、よきX国の人々の目を覚まさせるため、あえて間違った知識で日本人本を書きベストセラー! …で、あとになって「いや〜実は嘘だらけで。日本の飛行機の座席に刀ホルダーはありません」とかバラしたのでX国の人、みんな目が点。 特に「日本人に学べ!」本の著者や崇拝者は大慌てで「日本の知識は間違いでしたが、“学べ”の部分は役に立つしOKでしょ?」と弁解。 で〜もさ〜、「日本」の知識に立脚して主張したんだから肝心の立脚点がおかしいのはマズくないか? さて、日本の知識を数学に、「日本人に学べ!」本の著者や崇拝者をいわゆる“ポストモダン”な方々と読み替えていただくと、これがいわゆる「ソーカル事件」。 別に“ポストモダン”の有効性は置いといて(実際この本の作者も前書きで、その点まで云々しないと明言してる)、いずれにせよ数学的な記述が変なのは間違いないわけで。 しかも高校生が学べるレベルなわけで。集合論の基礎とかね。先のたとえ話の日本人がムカついたように、“理系の人”が腹たてんのも当然だし、まーここまで言われても、 いろいろ屁理屈こねて援護するのはどーも「詐欺師に騙された人は、騙されたと分かった後も信じ続ける」って感じに見えるんだけど、どーよ?
終わってるスレにわざわざマルチお疲れさん
920 :
考える名無しさん :04/04/14 23:55
「知の欺瞞」の出現によって、無批判に科学を論拠 にして勝手に「不確定性」だの「相対」だの 寝言を言っていたポストモダン思想は、完全 に死んだ。 ゲーデルを引用すればえらそうに 見える時代は終った。ポストモダンというく だらない思想は、これで終った。
921 :
考える名無しさん :04/04/14 23:58
勝手に云々の引用とこじつけるモダンも終りだなw
922 :
パレルゴン :04/04/15 22:00
920 それでは、質問ですが、貴方の、ポストモダン批判の立場はどのように証明されるのか。 つまり、もし、貴方が科学の論理的証明を信じているのであるならば、科学の言っている事 が正しいと言う証明が如何になされるのかを述べよ。
923 :
パレルゴン :04/04/15 22:13
多分無理でしょうね。鸚鵡返しに、ソーカル、ソーカルと言っても しょうがないでしょうね。理解しがたいから間違いと言っているような気 がするな〜。或いは、理解しがたいので、反対を繰り返しているうちに 返事から、ポスト・構造主義の理解をしようとしているのが本音かも しれない。哲学は各自の努力で行うものです。努力なくして、理解はない。 そう言う安易な考えでは、哲学は無理でしょうね。 もっとも、真剣に建設的な意見述べる人は、交流したいですね。 つまり、レベルを高めて欲しいのです。同レベルでないと、会話になりませんから。 本当は、ソーカルすらも理解していないかも。 なぜなら、ポスト・モダン批判の内容が、具体的に表されてはいないからです。 批判する対象である、ポスト・モダンを知らずに批判していると言う 無謀が露呈しているんです。
924 :
パレルゴン :04/04/15 22:31
フエリックス・ガタリのカオスモーズ中の、マルグリット・デュラスの 引用文でも読んだらヒントになるかも知れないよ。
925 :
パレルゴン :04/04/15 22:55
「佐賀ミカン」元気か?
>>920 知の欺瞞は、そのようなことを語ってはいない。
あの「詐欺」行為を告発しただけだ。
何も終わっていない。日本語版への序文の章だけでも読み直したほうが良い。
927 :
考える名無しさん :04/04/16 01:51
26 名前: 考える名無しさん 投稿日: 04/04/16 00:34 ソーカルが述べていることは真実です。 ソーカルのいっていることはごく簡単にいると1+1=2ということだけです。 足し算すら理解できないのに足し算のできない素人に「俺は足し算ができる頭のいい人だ」といっているのがラカンやドルーズです。 「ソーカルが正しい」ことは理工系の教養課程程度の数学が理解できる人なら容易に理解できます ポストモダン系で数学用語をでたらめにつかって自分があたかも科学にも通じているかのように装っていた人達はその程度の数学もできなかったというわけです。 だからその程度の数学すら理解できない人に「正しいことを証明」しようとしても馬の耳に念仏です。 ところでパレルゴン君は以下のことが理解できるでしょうか?駄目なら人に「証明」を要求すべきではないです。「数理言語」や「英語」ができない人に数学や英文法の「正しさ」を「証明」することなど できないからね。 答えられますか?楽しみだ(W ラカンが好きな人むけ(W 1、(X,d)を距離空間とする。このとき d'(x,y)=d(x,y)/{1+d(x,y)} はdと同値であることを示せ。 2、(X,d)を距離空間とし、f,g:X→Rを連続関数、c∈Rとする。このとき (f+g)(x)=f(x)+g(x) (fg)(x)=f(x)g(x) (cf)(x)=cf(x) と定義するとf+g,fg,cfは連続関数であることを示せ。 3、距離空間(X,d)の部分集合Aに対して次が成り立つことを示せ。 (@)Aの内部=Aの補集合の閉包の補集合 (A)Aの閉包=Aの補集合の内部の捕集合 4、(R,d(1))においてQの内部と閉包は何か。 「超」基本的問題だよーん
928 :
考える名無しさん :04/04/16 01:56
こんなの見つけた。
529 :くろしろ@社会学白痴断見教教祖 :04/03/14 19:57
あ、あと
利潤率低下傾向の式で
M M/V
r=――― =――――――
C+V C/V+1
って式をよく見ますが、
要するにM/(C+V)をVで割っているわけですよね
なのになぜ左辺rはr/Vにならないんでしょう?
すいません。数学リア厨以下なんで。。。
ご説明できる方いれば一つ。
530 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん :04/03/14 20:04
>要するにM/(C+V)をVで割っているわけですよね
違いますよね。 分母、分子をそれぞれVで割ってるだけです
531 :くろしろ@社会学白痴断見教教祖 :04/03/14 20:17
>>530 むむむ、あ、そうか
5= 25/5=(25/5)/(5/5)=5/1
と同じですね。わかりました。
長年の謎が氷解しました。ありがとうございます
929 :
考える名無しさん :04/04/16 02:03
長年の謎が氷解してよかたね。
数学知らないよ。俺は生粋のヘーゲル厨だから人の人相で判断できるのだ。
(⌒─‐⌒) ((´・ω・`)) マンマー ギャクソーカルジケンマダー ゚し-J゚
>>930 を見て、ジジェクが「顔が怖い」という理由で犯罪者のなかに入れられていたことを思い出した。
933 :
パレルゴン :04/04/16 22:54
数学は哲学と言う分野を正確に捉える事は出来ない。 なぜならば、哲学こそが数学の基礎(母体)だからだ。いや、前提だからだ。 数学が哲学を網羅すると言うならば、全ての人間の問題は数学に於いて解決しなければならない と言う事が言えなければならない。所が、せいぜい数学のなせる事は、数式による 自己満足的な証明なのだ。人間にとって意味のある事を発見すると言う役割 を自覚すべきなのだと言う事を認識すべきである。
数学や理論物理が人間にとって意味のある事を発見するなどとは、 誰も考えていない。あいも変らず勝手な決めつけで、仮想敵をやりこめようとする 癖が抜けていないよう棚。 では、現在の哲学に何ができるのかな? 誤解が誤解を呼ぶ自然言語によるやりとりで、どれほどの共通認識が得られるだろうか? 偉そうなことを吼えるのは、 無人島に移住して、貴方が自己満足的と軽蔑する科学の恩恵を一切排して、 まったく新しい文明を築きあげてからにすることだ。
×数学や理論物理が人間にとって意味のある事を発見するなどとは ○数学や理論物理が人間にとって意味のある事を全て発見しつくせるなどとは
936 :
パレルゴン :04/04/16 23:08
それは、数学者にそっくりお返しします。 数学が生活世界に生きているものがのたまわっている事を理解すべきだな。 生活する中で、数学しているのであり、数学している中で生活してはいない。 証拠に、飯を食わねば、頭は働かない。家がなければ寒い。数学よりも 先にこのような事があるだべ。ここに意味と言う最優先されるものがあるのよ。
937 :
考える名無しさん :04/04/16 23:10
> 数学よりも > 先にこのような事があるだべ そのとおりですね。しかしやはり現実の生活を数学が支えていることもたしかです。 貴方の食生活は科学文明を一切用いないで、野生動物を捕まえて丸焼きにしたものだけで成り立っていますか? 排便した後、単に土に埋めるだけですか? とりあえず、生活も数学も、現在の哲学的課題よりは先にあるだべ。
939 :
考える名無しさん :04/04/16 23:19
940 :
考える名無しさん :04/04/17 00:38
知的障害者が天才でないという証拠でもあるの?ん?
941 :
考える名無しさん :04/04/17 00:44
どんな科学も日常世界・生活世界・日常言語を基盤にしている。 (学問の原理にしていると言ってるんじゃないよ)ヴィトやフッサール ハイデガーetc もそう考えている。
942 :
考える名無しさん :04/04/17 00:58
百姓には百姓の数学があり茶髪には茶髪の数学があると思う。
なにいってんの?
944 :
考える名無しさん :04/04/17 01:02
>>942 まさにハイデガーやウィトの醍醐味ですね。
945 :
考える名無しさん :04/04/17 01:42
Q:パレルゴン君は以下のことが理解できるでしょうか? 駄目なら人に「証明」を要求すべきではないです。「数理言語」や「英語」ができない人に数学や英文法の「正しさ」を「証明」することなど できないからね。 答えられますか?楽しみだ(W ラカンが好きな人むけ(W 1、(X,d)を距離空間とする。このとき d'(x,y)=d(x,y)/{1+d(x,y)} はdと同値であることを示せ。 2、(X,d)を距離空間とし、f,g:X→Rを連続関数、c∈Rとする。このとき (f+g)(x)=f(x)+g(x) (fg)(x)=f(x)g(x) (cf)(x)=cf(x) と定義するとf+g,fg,cfは連続関数であることを示せ。 3、距離空間(X,d)の部分集合Aに対して次が成り立つことを示せ。 (@)Aの内部=Aの補集合の閉包の補集合 (A)Aの閉包=Aの補集合の内部の捕集合 4、(R,d(1))においてQの内部と閉包は何か。 「超」基本的問題だよーん A:パル君の答え 数学は哲学と言う分野を正確に捉える事は出来ない。 なぜならば、哲学こそが数学の基礎(母体)だからだ。いや、前提だからだ。 数学が哲学を網羅すると言うならば、全ての人間の問題は数学に於いて解決しなければならない と言う事が言えなければならない。所が、せいぜい数学のなせる事は、数式による 自己満足的な証明なのだ。人間にとって意味のある事を発見すると言う役割 を自覚すべきなのだと言う事を認識すべきである。 問題をすりかえて逃亡。情けな(嘲笑)
946 :
考える名無しさん :04/04/17 01:44
算数の宿題を出されて解けないと「数学が哲学を・・・」と関係のないことをいいだすパレルゴン君(W
947 :
Я ◆wMDHqGPerU :04/04/17 01:49
確かに、数学の不可能性をいうことは違うよな。
948 :
考える名無しさん :04/04/17 01:52
>>947 地道にやればきっと教科書の例題ぐらいはわかるようになりますよ。
がんばってくださいね。
949 :
Я ◆wMDHqGPerU :04/04/17 01:55
例題解けたらなんかいいことある?
950 :
考える名無しさん :04/04/17 01:55
特殊専門化した学問が生活世界から遊離していくことをフッサールは危惧し ヴィトは、そこにはまった自分に愕然とし、ハイデガーは狡猾に見抜いていたのだよ。
951 :
Я ◆wMDHqGPerU :04/04/17 01:57
まあ、それも安易な考えやね。 どいつもこいつも、世界を単独で理解できると 勘違いした方々やね(w
何故にぴかぁ〜が?あんたとは関係ないだろ。
953 :
Я ◆wMDHqGPerU :04/04/17 02:03
えーやん!
954 :
考える名無しさん :04/04/18 01:06
ソーカルの批判するポストモダニズムのスタイルは、結局レヴィ=ストロースから出ている。 レヴィ=ストロース的な数学の適用も、数学自体には破綻はないのかもしれないが、 親族理論などでの喩としての使い方の手続き、つまり構造の発見というやつは、 かなり怪しげなものだ。 少なくとも英米の「実証的」人類学者はストロースのいってることをまったく信用していない。
くず
____ /∵∴∵∴\ /∵/∴∵\∵\ /∵<・>∴∴.<・>∵| |∵∵/ ●\∵∵| |∵ /三 | 三|∵ | |∵ |\_|_/| ∵| \ | \__ノ |/ /.∴\___/ (∴∵∵∵∴∵∴ \ . \∵ _∴ _ ∵∴ ヽ  ̄\  ̄ \\ ∴∵ヽ ヽ∴∵) ヽ∴∵| 丿∴./ . ヽ∴ | (∵/ |∵ノ
>>954 ドゥルーズは、まさにそのことについて弁護してるね。
交差いとこ婚のルールは、違反が頻繁に起きて、
違反者を拷問するために存在するんだって。
958 :
考える名無しさん :04/04/18 15:37
話を元にもどします。 資本主義の理論的背景をよく見てみるならば、ネオテクストによる物質主義を拒否するか、社会が客観価値を持つにいたると結論づけるかの選択を迫られる。 もし弁証法的脱状況主義が成立するならば、ハーバマス流の言説か、文脈に関する部分文脈化パラダイムのいずれか、の選択が求められる。 従って、文脈一辺倒のうちに組み入れられ、それが一つの現実として真実である、と見なされる。 言い換えるなら、文脈の部分文脈化パラダイムに従う限り、現実なるものは無意識のままにある混沌に由来する。
959 :
パレルゴン :04/04/20 22:35
もう少し詳細な説明求む。」 954さん フーコー、クーンのパラダイム論、ソシュールのシニフィアン シニフィエ、 から構造主義が見えないなら、貴方の解釈はおかしいのでは? 勿論、レヴィ=ストロース の婚姻の構造=規則 からも 見出せるでしょう?
960 :
考える名無しさん :04/04/20 22:51
解釈にdiscrepancyが生まれるということは、書き手の表現が十分では無かったということ。 そこは書き手が負うべき責任と捉えることが出来る。 実在論上での言語の表記と、「常識」(相対主義での論法の素材になるもの)下での言語の 表記の食い違いが、全ての原因です。
961 :
パレルゴン :04/04/20 22:57
食い違いが有っても良いんです。 バルター・ベンヤミン が言っていたように、誤訳こそ 宝なのです。夫々のセリーで映し出すものが違う。 このことは、「散種」「触発」なのですから。 ただ、もう少し私の文脈からは、聞きたかった それだけの事です。真理・絶対唯一の解釈は、背景の多様性で 消されているのですよ。
962 :
考える名無しさん :04/04/21 00:40
>>959 フーコーの言うエピステーメーとクーンの言うパラダイムは全然違うよ。
いろんなものをひとくくりに「構造主義」と呼ぶのはやめるべきだと思うけどな。
パレルゴン、やや息切れ気味。がんばれ!
964 :
パレルゴン :04/04/21 19:54
夏ばて近し。本当に頑張ろう。 ボンチャンも頑張りなはれ! それでは、963 の返事を書きます。 フーコーの言説は確かに時代の表現習慣や真偽の基準がネットワーク的に (諸要素間の布置で)決まっていると考えているわけです。 その中で、勿論権力とそれに従い見張られている側が決まっている。 とはいっても、フーコーの場合には、パノプチコンと言う見張りは実は自分自身が 自分を見張ると言う考えを示しています。これは、エディプス・コンプレックスの 彼独自の解釈でしょう。また、支配者と被支配者とは、フーコーの場合には明確ではなく、 寧ろ、構造によって、決まってくると考えているわけです。 この点こそが、構造主義の暴いた中心点です。つまり、支配と被支配とは 人間の権力によるのではなく、寧ろ構造=知識 が権力構造の背景にある とフーコーは考えていると思います。
965 :
パレルゴン :04/04/21 20:04
一方、クーンについては、科学哲学に疎いですが、野家啓一氏の本を参照すると 「一定の期間、研究者の共同体にモデルとなる問題や解法を与える一般的に 認められた科学的業績」とあります。確かに、一般に使われるような 価値観の転換や思考のドラスチックな変化を言っているわけではないようです。 それでも、クーンのパラダイムと言う考えから、彼が「科学」の殺害者と呼ばれる 理由は、彼がある科学的な思考パターンに依存して、科学的真理と言われる 基準が生まれるとしたからです。つまり、科学が客観的に外の真理を真っ白な 視点で見出すと言う事に疑問を呈したからです。この事から、私は フーコーのエピステーメーとクーンのパラダイム論の共通性を見出したと言う事 です。
966 :
パレルゴン :04/04/21 20:07
もっとも、色んな読み方が有っても良いんですけどね。
967 :
考える名無しさん :04/04/21 21:41
>>964 「構造=知識」ってどういう意味?
構造は無意識的、知識は意識的って感じがして
なぜイコールなのかよくわからない。
968 :
パレルゴン :04/04/21 22:29
仰るとおり分かりにくいですね。 確かに、構造と知識は異なる気がします。 しかし、冷静に考えると、構造は力関係により出来上がっています。 例えばa・b・c −−−−と言う権力要素が有るとします。 これらの間での力関係で、時代のエピステーメーが決まります。 しかし、権力とは何か?と考えた時に、現代の欧米社会(先進国)では それは武力ではありえないでしょう。それは、高い地位であり、地位を 位置付け、構成するもの、それが、構造ですよね。つまり、構造主義とは こう言う事でも説明できます。そこで、それでは、構造を分解すると それはどのような要素に基づいて出来上がっているのかを考えてみると、 つまり、価値観です。 価値の優劣に基づいて、構造化されているのです。そこで、価値とは何かと言う 事になります。価値とは? それは、知識です。その知識を敷衍する事が 権力となるんですね。価値感とは時代の知識と権力とが共犯して創ったものなのです。 私はその様に解しています。
969 :
パレルゴン :04/04/21 22:34
ここの所の考えをもう少し進めると、バーミンガム現代文化研究センター で発足したと言われる、スチュアート・ホールに代表される、 カルチュラル・スタディズになるのです。
見ていて痛々しくなるから、もう止めちくり
971 :
考える名無しさん :04/04/22 02:20
>>968 「価値とは? それは、知識です」
価値=知識=構造???
”構造は価値観から出来上がっている”
価値と構造は同じとも書いてあるぞ。????
パレルゴンの読解は、 エピステーメーを世界観と勘違いする、よく見られる誤り。 サイードだってパレルゴン程度の理解だからまあいいんじゃないの?
973 :
パレルゴン :04/04/22 19:39
それは、誤読ですね。 よく読んでください。 私はそんな事は言ってはいませんよ。 それよりも、貴方のエピステーメーの理解を先ず書いてください。 そうでないと、ただ、批判しているだけで、建設的な討論 になりませんよ。サイードの理解は具体的に如何なのか 書かないと、分かりません。 もっとも、貴方が理解しているかどうか、貴方の発言からは不明です。 「自分は分かっているがお前はわかっとらん!」のならば 「わかっとる」君の考えを具体的に述べよ! って事でしょう。
974 :
パレルゴン :04/04/22 19:44
私のエピステーメーに対する説明が「世界観」と解する貴方の 理解、何も言えないな。もっと、本を読んでね。 今後、具体的な自分の解釈=理解 を述べずに、批判するレス には、無視します。 理由は、理解せずに、批判しているだけと思われるから。 以上
975 :
パレルゴン :04/04/22 22:49
チョット キツカッタかも? すまん。
> 318 名前:ばかぁ〜[sage] 投稿日:04/04/11 19:12 > たぶん、くろしろさんはネタとマジの境界線あたりのこと主張Aをとりあえず書いておいて、 > もしそれにネタ的な回答が来たら、その自己の主張Aをネタとして扱い、もしそれにマジな > 回答が来たら主張Aをマジとして扱う、という政治手法を取っているのではないだろうか。 > たぶんとても負けず嫌いな方なんでしょうね。負けたっていいじゃないか、と僕は単純に > 思ってしまうのだが。 パレルゴンにも当てはまるね。
977 :
パレルゴン :04/04/22 23:15
いや、境界論てのは間違い。そんな手の込んだ事はやらないよ。 負けず嫌いは当たってる。
978 :
パレルゴン :04/04/23 23:24
全ての理解は境界面=界面に於いてしか起こらない。 合田正人「レヴィナスを読む」てな事でしたね。それが、襞なのでしょう。
ここには哲学者がひとりもいないのかね。
狂人の二つの体制げっとーーーーーーーーーーーーーーーーーー
981 :
考える名無しさん :
04/05/21 18:50 狂人の二つの体制 1975-1982 ジル・ドゥルーズ著 宇野邦一(うの・くにいち)ほか訳 宇野邦一(うの・くにいち)監修 河出書房新社 本体3500円 20cm 293p 分類:135.5 04027012 4-309-24310-X / 2004.05