【ドゥルーズ】『意味の論理学』を読む

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940考える名無しさん:04/12/22 13:49:49
ドゥル−ズ平原にいってみたいなー
941考える名無しさん:04/12/26 10:20:19
もっと、ドゥルーズの討論を進めてください。
「構造と力」は最初の日本へのドゥルーズ紹介の本だと言う事
は正しいのですか。
そう言う意味では、浅田先生の評価が不動のものになっている。
こんな感じでしょうか。
そこで「構造と力」について、書き込み宜しく。
942考える名無しさん:04/12/26 10:24:43
フランス哲学とドイツ哲学どちらが優れているのだろう。

勿論、フランスはドイツからハイデガー・フッサール・ニーチェ
あるいは、ドイツではないが周辺国のオーストリアからフロイト
を持ち込んで、ゲルマンとは異なる哲学を編み出していくのだけれど。
本質的な違いは何だろう。
943考える名無しさん:04/12/26 10:31:04
浅田先生1983年に「構造と力」を発行されて、以後10年間くらいは
古典の研究者は別にしても、日本の哲学者の中では、多分、彼の
言っている事を理解している者はいなかったのではないだろうか。
読み込めない状況で吉本さんがそれとなくポスト・構造主義について
書いたが、的を得ていない状況があり、次に柄谷先生が一連の哲学書を
執筆された。しかし、彼は、浅田先生とは異なる位置付けで
お書きになったが、かなり、浅田先生を意識していたのでは。
944考える名無しさん:04/12/26 10:34:37
巧妙にポスト・構造主義のタームを避けて、彼らの言っている事
網羅し様としたのでは。
最終的には批評空間で、この上下関係は逆転するが、
やはり、浅田先生にはマルクスよりもドゥルーズだったし、
政治よりもスキゾ=逃走だったと言う事だろうか。
945考える名無しさん:04/12/26 10:42:58
つまり、浅田先生の「構造と力」には、それまでの哲学に前提となっていた
西欧の古典的哲学者学を学び・認識する前提が消え去り、
精神分析学・記号論・文学・民族学などの学際的知識によって、認識とは
前提とする構造に基礎付けらてある事を、日本の思想界に初めて表明した
人なのではないかと言う事です。
だから、「構造と力」を読むことで、日本でのポスト・構造主義は始められた
と言う事とですかね。
946考える名無しさん:04/12/26 11:00:48
浅田スレでやれよ
947考える名無しさん:04/12/26 17:56:08
最初の紹介本は「批評あるいは仮死の祭典」だろ
本人にインタビューに行ってるし。
948考える名無しさん:04/12/26 17:58:15
最初に訳したのも蓮實かな?
949考える名無しさん:04/12/26 20:57:08
何と言うドゥルーズの本?
浅田さんがポスト・構造主義を日本に紹介した最初の人だと言うのは
間違いないと思うよ。その後ニュー・アカとか言って、
一連の新思想を総称するようになるんだけど、そこには、中沢新一先生
の密教が加わって、チベットのモーツアルトやバルセロナ秘数3
雪辺曲線論なんか出てくる。中沢さんの密教はまさにポスト・構造主義と
イクオールの感じで、一時浅田ー中沢ラインがポスト・構造主義を引っ張っていた
のではないだろうか。
「批評あるいは仮死の祭典」てのは何時頃書かれた物なの。
それによって、分かるだろう。
950考える名無しさん:04/12/26 21:02:06
最初にドゥルーズの本を翻訳した人は、蓮實先生かも知れないけど、
詳細にポスト・構造主義の哲学を日本に紹介し人は浅田先生でしょう。
間違いない。
951考える名無しさん:04/12/26 21:04:52
「雪辺」は「雪片」ですね。
952考える名無しさん:04/12/26 21:38:51
ドゥルーズの翻訳は止めたの。
「意味の論理学」
953考える名無しさん:04/12/27 01:50:28
ドゥルーズ紹介は蓮實。所謂ポモ、ニューアカを流行らせたのが浅田。
ドゥルーズ紹介史は
http://www.logico-philosophicus.net/profile/DeleuzeGilles.htm

批評あるいは仮死の祭典
蓮實重彦
ISBN4-7967-0079-X
1974年5月
2500円
四六判上製280頁
フーコー、ドゥルーズ、バルト、ロブ=グリエ等フランス現代知の戦略的導入をいち早く試みた本書は、著者の提示する表層批評の原点を示し、何よりも絶好の現代思想入門たりえている
954考える名無しさん:04/12/27 20:29:22
なるほど。そうか。時代的には蓮實先生の方が先のようですね。
でも、一世風靡したのは、やはり「構造と力」ですよ。
バタイユ・ラカン・ドゥルーズを中心に、クリステヴァ・クライン
ですからね。コード・超コード・脱コードという線も押さえているし
モースの「贈与の一撃」からバタイユの「呪われた部分」、ピュシス・カオス・ノモス
過剰性・恣意性・差異 という構造主義からポスト・構造主義までのオタームを網羅
している点で、日本紹介者としては、第一人者だろうね。
実際蓮實さんはその本でどう言う風に紹介しているの。例えばどんなタームを
紹介しているの。
955考える名無しさん:05/01/04 06:01:50
増田達哉は本当に駄目な奴です。
究極のイナカモノですね。
956考える名無しさん:05/01/04 18:04:30
おれは普通にソーカルに同意。
957私の記憶が確かなら・・:05/01/05 09:53:42
最初にドゥルーズの本を翻訳したのは、足立和弘という人でしょう?
「ニーチェと哲学」の訳者。
958私の記憶が確かなら・・:05/01/05 09:56:25
1974年刊行ですね。
959考える名無しさん:05/01/05 09:58:50
「構造と力」程度で一世風靡・・・・。
960私の記憶が確かなら・・:05/01/05 10:07:30
そうか・・・。宇波さんの「プルーストとシーニュ」訳も1974年で、
蓮見さんの「マゾッホとサド」翻訳が、1973年。
一番早い、ドゥルーズ紹介となる訳か・・・。
961私の記憶が確かなら・・:05/01/05 10:19:23
1974年を日本におけるドゥルーズ元年と呼んではどうか?
962私の記憶が確かなら・・:05/01/05 10:20:30
去年がちょうど、30周年だった事になる。
963私の記憶が確かなら・・:05/01/05 10:24:44
蓮実重彦が、紹介の先陣を切り、宇波彰、足立和弘がそれに
続いた。当時の人間は、浅田の仕事の前にすでにこれらの翻訳で
直接、ドゥルーズを知ることができたんだよ。
964私の記憶が確かなら・・:05/01/05 10:33:08
「構造と力」はようやく1983年。それまでの間にドゥルーズ本
は何冊も訳がでている。(おもに、宇波彰氏の仕事)
9651979年生まれ:05/01/05 10:40:31
へえ〜
966私の記憶が確かなら・・:05/01/05 10:50:15
昔話も少しは参考になるでしょう?
967考える名無しさん:05/01/05 11:53:40
宇波は息子がミュージシャン
その意味では蓮實と同じ(w
968考える名無しさん:05/01/05 13:34:37
>>961
だから蓮實の方が早いって。1973年。
969考える名無しさん:05/01/05 20:32:37
蓮實の「批評あるいは仮死の祭典」って最低の本だよ。
いまは蓮実と袂を分かった(名前を忘れた)某編集者との
共同制作なんだけど、蓮實がドゥルーズにインタビューしにいって、
それこそ赤っ恥もんのDQN質問を連発する(今読んだらある意味笑えるかも)。
それに答えるドゥルーズのいやそうな反応がむごい。
970考える名無しさん:05/01/05 20:42:15
「差異と反復」の訳者もドゥルーズのアパルトマンにのこのこ出かけて、
vice-dictionとはどういう意味か、なんて大ヴァカ質問をしてる。
蓮實にせよ福田でぶ也にせよこの訳者にせよ、途上国民は本当に困る。
971考える名無しさん:05/01/05 21:56:11
変な翻訳にされるよりはハルかにマシ。
972考える名無しさん:05/01/05 22:51:37
vice-dictionは造語だから一応聞いておくというのはアリだろ
vice-というのは注意すればかなり使ってんだけどな
973私の記憶が確かならば・・:05/01/06 00:23:17
ええ。わかってますよ。自分で書き込んだんですからね(苦笑。
ただ、73年は蓮実さんの本一冊なのに比べ、74年は足立氏による
「ニーチェと哲学」、宇波氏の「プルーストとシーニュ」「ベルクソン
の哲学」が訳されはじめ、ちょっとしたドゥルーズ翻訳ラッシュが
本格的にはじまる訳ですよ。それになんと言っても「ニーチェと哲学」
はドゥルーズ自身にとっても大きい存在なんですから、それがはじめて
邦訳された年、という意義は見逃すべきでない点でしょう。これらの
事を踏まえたうえで、74年という年の重要性にアンダーラインを引き
たいのです。
974私の記憶が確かならば・・:05/01/06 00:24:12
986へのレスですね。
975私の記憶が確かならば・・:05/01/06 00:24:48
968。
私の記憶はあまり確かでない・・(苦笑。
977考える名無しさん:05/01/06 01:00:30
まあなんでもいいんだけど蓮實みたいな
頭わるいヤシの話はもういいって。たのむよ。
978考える名無しさん:05/01/06 01:13:25
バカいらね
979考える名無しさん:05/01/07 09:59:27
浅田信者=バカ
980考える名無しさん:05/01/07 11:56:07
>>973
そのころ、ちまたではマルクス主義系の本が、まだまだあふれかえっていたし、
サルトルとかを理解するのにまだまだ必死だった時期だ。

目先を変える効果はあったかも。オイルショック以降、日本社会も現代に
通じる傾向を見せ始めた時期だからね
981考える名無しさん:05/01/07 23:37:31
なるほど。
てことは、浅田さんよりも早くドゥルーズ紹介が
あったってことか。
しかし、彼の様に、体系立てた、構造主義、ポスト・構造主義
と言う説明書はあったの?
982考える名無しさん:05/01/07 23:39:05
やはり、ドゥルーズってのは「アンチ・オイディプス」からじゃないのかな?
983考える名無しさん:05/01/07 23:44:45
>>981
「構造と力」は、体系立てた構造主義、ポスト・構造主義の解説書じゃないよ。
むしろその反対。読んで構造主義、ポスト・構造主義のアウトラインやイメージ
を漠然と理解したら放り捨てる梯子にすぎない。良くも悪くも。
984考える名無しさん:05/01/08 01:40:38
『構造と力』刊行当時、筆者が誰だったかは忘れたけど、
「浅田彰がここでやっていることは、解説ではなくて裁断だ」
という趣旨の書評があって、上手いことを言うもんだと感心した覚えがある。
985考える名無しさん:05/01/08 05:12:56
裁断って、どういう意味だろう? あまり使わない言葉の
気がするが・・・。もう少し詳しく言ってほしい。 >>984

986考える名無しさん:05/01/08 05:21:44
>>982
その意見はむしろ少数意見で、ドゥルーズはガタリと組むことで
自分のキャリアを台無しにした・・・というのが、哲学業界内での
おおかたの評価だったと思う。ジジェクの最近の本でも、なお、
ガタリと組むことはドゥルーズのいかなる弱さの現われなのか、
という問いが問われている。
987考える名無しさん:05/01/08 05:47:20
「アンチ・オィディプス」のドゥルーズよりも、60年代の
初期ドゥルーズの仕事の方が好きだった、ガタリなんかいなくても
良かった、と感じているドゥルーズ・ファンはたくさん居た。
988考える名無しさん:05/01/08 05:59:47
989考える名無しさん