?。?。?。仏教の無我と真我は両立可能か?。?。?。

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1考える名無しさん
前スレ: http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1056128400/

諸法無我や諸法実相は両立可能か?
前スレが原始仏教に限定されていたため大乗仏教について話にくかったのですが、
こちらでは主に大乗仏教を中心にやってみませんか?
形式として、主張、典拠みたいな形をとってくれると嬉しいかも。

例:
  主張:諸法実相とは〜である。
  典拠:『法華経』大正9巻5ページ

とかね。ということでよろしくどうぞ?。?。?。
2考える名無しさん:03/09/15 23:25
2
3考える名無しさん:03/09/15 23:31
      3ゲト…          (´´
    ∧_,,,   )      (´⌒(´
  ⊂(゚-;;゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
        ̄ ̄  (´⌒(´⌒;;
      ズザーーーーーッ
4考える名無しさん:03/09/15 23:37
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1056128400/980
>>動物への輪廻は三悪趣に落ちるという風に一般的に説かれています。
>この点についてはチト、私は納得がいきませんね。
>たとえばそのジャータカ物語などでも、たしか仏陀の過去世としてウサギの物語などが描かれています。
>これは飢えてヒモジイ人間に自分(ゴータマの過去世)を食べさせた
>過去世での功徳を説くものであったと思います。
>これらは、どう考えても明らかに動物への生まれ変わりという意図で述べたものです。
>つまり、インドでは一般的には人間が動物にも生まれ変わり、
>再び動物から人間へも転生するという考えが当然のようにあったことを示しています。
>そして動物に対する慈しみの大きな理由の一つとして、
>自分の愛する家族や先祖たちが転生している姿かもしれないから、
>という教え方をして、動物への不殺生および無害を実践するよう教えていたものと思われます。

輪廻のあり方や過去世の話は、想像や意図ではなく宿命通によるありのままの
記述と考えますが、クリスタルさんはそうは考えられないですか?
5考える名無しさん:03/09/15 23:53
>>4
>輪廻のあり方や過去世の話は、想像や意図ではなく宿命通によるありのままの
>記述と考えますが、クリスタルさんはそうは考えられないですか?
>
宿命通による過去世についての教えそのものは、私ももちろん肯定しています。
前スレ: http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1056128400/
573-574『ディーガ・ニカーヤ:2/沙門果経(出家の功徳)』
を紹介した通りです。

しかし、ジャータカ物語や動物←→人間の転生というものは無いと見ています。
ゴータマ直による教えであったかどうかについても強い疑います。
(もし、あったとしたら、それはインドの伝統思想をそのまま引き継いだだけの方便でしょう)

尚、
>「こちらでは主に大乗仏教を中心にやってみませんか?」
ということですが、
大変申し訳ありませんが、
このような主旨の場合には、私は参加する意思がありません。

以降については、適切な続きのスレが宗教板に建ってから、
再び、議論の再開に参加します。

さようなら....
6考える名無しさん:03/09/16 00:07
>>しかし、ジャータカ物語や動物←→人間の転生というものは無いと見ています。
>>ゴータマ直による教えであったかどうかについても強い疑います。
>>(もし、あったとしたら、それはインドの伝統思想をそのまま引き継いだだけの方便でしょう)

これではベロさんの立場と変わらない感情論ではないですか?
要するに自分のイメージや感情に沿わないものは方便とか、改竄といって切り捨てる。
7クリスタル  ◆rXhk8XNQU6 :03/09/16 00:20
>>6
880 885 889 902 918
私は、前スレでのこれらの投稿にて、
動物←→人間の転生が無い理由と、
そして、ジャータカ物語の信憑性の無さについての説明を述べました。

これにて、ここでの投稿を終えます...(尚、>>5も私の投稿です)
8くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 00:20
諸法無我と諸法実相は
「勝義の真理」と「世俗の真理」

大乗仏教は、仏像に見られるように、原始仏教の「勝義の真理」が
とてもじゃないが、理解しがたいので、もっと分かりやすく説明を
していると思います。

分かりやすい説明とは、「有」を導入した説明、輪廻転生の説明などです。
みなさんが、(「有」で理解するから)ある物を目にされる時、
特徴をつけた方が理解できませんか?

「勝義の真理」の説明では輪廻転生など、説いていないでしょう。
輪廻転生や、永遠のものなどについての観念が頭にある
と言うのは、「有」なのです。 明らかに執着しています。

苦しみの解決を図るには、「有」を滅さなくてはなりません。
大乗仏教は、最小限の有への智慧のある誘導だと思います。
その後は、各自に委ねられるのだと。
9くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 00:31
>>8 続き
「勝義の真理」と「世俗の真理」の違いは根低に「有」が
あるか、ないかだと思います。

「世俗の真理」は輪廻転生が前提と言いましたが、釈尊の無記に対する
答えをこちらは、含むものと考えます。
だから、実際に様々な仏様がおられる事や、
(個人的にも大乗仏教の仏のような存在は認めてはいる)
実際に輪廻転生や霊界の存在は多くの方々が唱えているので
信憑性はかなりあってもいいでしょう。
10くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 00:33
ただし、「勝義の真理」では、
世俗の方で真実を知ったつもりになってしまうが
実はそれすら、執着に過ぎなく、苦しみを滅する事が出来ないと
主張していると思います。

クリスタルさんは、勝義と世俗をごちゃ混ぜに考えているのでは
ないでしょうか?
そうでなければ、あそこまで意見が対立することは無いと思うんです。
11クリスタル  ◆rXhk8XNQU6 :03/09/16 00:34
あまりにも馬鹿げた内容であきれ果てました。とさぁ..
もう一つだけの「オマケ」です。

あなたの中では、
「仏陀」や「ニルヴァーナ」までもが、「無常」(一時的な非実在)扱いなのですか?
あなたにとって仏陀とは、「有」という「執着」の産物というわけですか?
無常を離れた世界にこそ仏教の求める究極の境地があるのですから、
当然それは、「永劫不滅」の境地以外の何モノでもありませんよ。
無常という苦の世界を離れた境地が「涅槃」(ニルヴァーナ)です。
その意識状にある存在が仏陀です。
仮の一時的でしかない非実在性の世界(境地)を求めて命がけの修行をするのではありませんよ。
仏弟子というものは!

(繰り返し読んで下さいませ!!)

暫く会えなそうですね。
では、また。いずれ.....
12くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 00:44
>仮の一時的でしかない非実在性の世界(境地)を
>求めて命がけの修行をするのではありませんよ。

そう思ってしまうのが、執着であると思います。
仮では決してなく、それを判断するのが、凡夫であるなら
常住なのです。

涅槃寂静は「ああでもない、こうでもない」と思いをめぐらす事の無い
火を消したような静まり返った世界ですから、
それを「有」で考えるのは変です。「空」です。
13考える名無しさん:03/09/16 00:47
>>11
如来についての無記はこのような見解を防ぐためのものだと考えます。

たしかにクリスタルさんは常見ですね。もうこれは仕方がない。
まあ、いずれ気が付く時がくるかもしれません。

また、いずれ、いつでもどうぞ、
14考える名無しさん:03/09/16 00:56
>>8-10
私は逆に大乗仏教が微細なこと、深遠なことを説いていると考えます。
多分、クリスタルさんは『般若経』等の光明や『宝性論』などの如来蔵などに
魅力を感じるのではないかと思いこのようなテーマにしたのですが、ショボーンです。

勝義/世俗の二諦を分離したものとして理解せず、不二と考えたいです。
15くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 00:59
ここ数日であることに気がつきました。
それでは、クリスタルさんが「有」「空」の混同なさる核心
を突きましょう。 よく聞いてください。

クリスタルさんは、「空」を広い意味合いで捉えられてます。
「有」の定義が重要です。

「有」というのは変わらない存在です。
つまり、有なモノは何をしても、変化しないと言うのです。
完全に停止した(静止した)状態を言います。

無常は停止したものが無いと考えたほうがよろしいと思います。
それは、有と空を区別するためです。
つまり、涅槃というのは、「停止した状態」ではないのです。
16くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 01:00
「永劫不滅」とおっしゃるモノも、「有」といった
静止した状態では無いのです。

無常ですから、何らかの変化をしている。
釈尊の教えと言うのも、聞く人によって理解の度合いが違います。
「諸法無我」でもあなたと私で解釈が違います。
だから、その真実自体「有」ではありません。

悟りを開いたからといっても、更なる悟りの高みがあると
いう事です。

だから、釈尊のおっしゃる「諸行無常」はこの世で
静止した者などないのだよ!という事です。
17クリスタル  ◆rXhk8XNQU6 :03/09/16 01:01
>>12
はいはい、いずれ再びきました。とさぁ
優しいから、更にオマケですよ(笑)

>涅槃寂静は「ああでもない、こうでもない」と思いをめぐらす事の無い
>火を消したような静まり返った世界ですから、
>
こういうことを述べる自体が、何も理解していない証拠なのです。
では、何が消えるのかを述べてみて下さい。
すぐ、簡単でいいです。
18クリスタル  ◆rXhk8XNQU6 :03/09/16 01:08
>悟りを開いたからといっても、更なる悟りの高みがあるという事です。
それは同意。問題ないです。
スンマセンが、
くぅさんは、半分解かって半分はコンランしてるようにと見えますよ。
19くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 01:09
>>14
>私は逆に大乗仏教が微細なこと、
>深遠なことを説いていると考えます。

実はこの意見にも賛成なんです。
釈尊の説く真理は「苦しみを滅する」を主眼にしているので、
もっと広いところから見ると、それ以外の部分の真理が
あるのではないかと思うのです。

つまり、真理の一部だとも思えるのです。

釈尊の教えで悟りを開く者がいただろうし、さらなる深遠な
ものを説いたのが、大乗仏教の仏陀とも考えてます。
ただし、そこまで深遠でなくても十分ではとも思います。
20考える名無しさん:03/09/16 01:10
>>17
それは煩悩が消えた状態と言われます。
21クリスタル  ◆rXhk8XNQU6 :03/09/16 01:14
>>20
はいはい(笑)
20番のあなたは正解です。ピンポン
けどぉ、何もあげません。。。

では、煩悩が消えて「何が」在る??
22くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 01:19
>>17
わたしの中では、筋が通ってます。
なんどもなんども、「有」について考えて下さい。
わたしは、かなり時間が掛かりました。

>涅槃寂静は「ああでもない、こうでもない」と思いをめぐらす事の無い
>火を消したような静まり返った世界ですから、
>
>こういうことを述べる自体が、何も理解していない証拠なのです。

あのですね。以前、その境地になってみないと、実際は分からない
と申しました。
涅槃が理解できたら、今頃、涅槃してます。

だから、苦しみを滅した境地は「火を消したような」と先人から
伝えられていることを述べたまでです。
理解をするというのは頭だけですか?
心の底から実感しないと、理解とは言いませんよ。
空を頭で理解をしているだけですか?
心の底から理解をしてますか?
空を理解できずに、涅槃は理解できないと思いますよ。
23考える名無しさん:03/09/16 01:25
勝義諦から見れば、本来のあるがままの状態から見れば、「在る」とは言えません。
『中論』によれば空だからこそ、縁起し輪廻するからです。
「有」というか「〜がある」というのは日常言語的にだけ使われる、という意味で世俗的にあるのです。
『中論』的に「有」「在る」といった場合、恒常不変の実体を指示し、恒常不変では何も作用を与えられないから、そうは言えないと考えます。
『般若経』『般若心経』等も同じ意味だと思います。

つまりあらゆるものが変化し生成しているのを、
分別によって名付け恒常な何かがあると我々凡人は捉えてしまうわけです。

また、煩悩が消えた状態で、生きている間を解脱していて、業の縁起は現れるが煩悩とはならない、
それが肉体的にも死んだ時、業の顕現も消え、完全な涅槃になると考えます。
24くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 01:27
>>21
あなたはそれが聞きたかったのですか…
もっと先の話をしています。

涅槃の心境を述べているのですよ。
論点がずれてます。

「ああでもない、こうでもない」という戯論の余地が
無い状態は、どうしたらなりますか?
25くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 01:31
>>23
そうですね、
言葉の使い方が難しいですね。

私の使った「ある」は「在る」と別で考えていただきたいです。
26クリスタル  ◆rXhk8XNQU6 :03/09/16 01:46
>>22
>涅槃が理解できたら、今頃、涅槃してます。
それはそうですが、
もっと明確に示されているということをいっているのです。
それを、

>だから、苦しみを滅した境地は「火を消したような」と先人から
>伝えられていることを述べたまでです。
などというわけです。

まー、これは昔からの伝統的に言い回しではありますが、
こういうとを述べている限りは、全然、具体性がこちらに伝わりませんね。
どうしてこんな言い回しがされてきたのか?
それは教えを理解できていない者がこういう言葉で誤魔化してきたからに他なりませんね。
こんな言葉をいくら聞いても、いつの時代になっても誰も意味が判りませんよ。

「涅槃」とは何か、ももう少し具体的に判る筈ですよ。
教えているわけですから・・・。

>空を理解できずに、涅槃は理解できないと思いますよ。
その考え方は否定しません。いいと思いますよ・・・。

私は「空」とは縁起の因縁生起のことであり、諸行無常とも殆ど同意に捉えています。
よって「涅槃」とはこれらを超越した世界です。
涅槃は無常なる五蘊や六処と一緒ではありません。
よってこれら消滅後にもそこに「在る状態」を意味します。
27クリスタル  ◆rXhk8XNQU6 :03/09/16 01:51
>>23
>それが肉体的にも死んだ時、業の顕現も消え、完全な涅槃になると考えます。
はい、これは何を意味しますか?
判っていってますか??

わたしからあなた方の説明を見ていると、
結局、普通に死を迎えようと、或いは煩悩が消えた状態で死を迎えるようと、
その違いが全然見えてきませんよ。
28考える名無しさん:03/09/16 01:59
> 私は「空」とは縁起の因縁生起のことであり、諸行無常とも殆ど同意に捉えています。
> よって「涅槃」とはこれらを超越した世界です。

なぜ<よって「涅槃」とはこれらを超越した世界>なんでしょうか?
我々凡夫は諸法の生成を何か不変で固定した実体と捉えてないでしょうか?
特に自分があると、生まれたときから一貫した自分があると考えている。
そうではなく、自分などなく、ただ縁起し、無常で空であることを実感すること、
それが悟りであり、解脱であり、その状態で死ねば、再生しないので完全な「涅槃」なのです。

それでもう再生しない涅槃した如来が、
在るとか無いとかいう問い自体が無意味であるというのが無記でしょう。
29考える名無しさん:03/09/16 02:05
> わたしからあなた方の説明を見ていると、
> 結局、普通に死を迎えようと、或いは煩悩が消えた状態で死を迎えるようと、
> その違いが全然見えてきませんよ。

それはクリスタルさんが涅槃を日常の縁起の世界を越えたアートマン・ブラフマンと合一すること
と捉えているからではないでしょうか?

私から言わせれば明解です。自分という意識が消えたか消えないか、消えていなければ輪廻し、
消えていれば涅槃するというのが非常に単純化した答えです。

それを人無我とか有身見という訳です。もちろん細かく言えばもっと複雑です。
30くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 02:09
>>22
もう、レスがないかと思いましたよ。(笑)
>もっと明確に示されているということをいっているのです。

クリスタルさん、初めに申しましたように、涅槃のことはおきまして
常見というのを解決すべく、
諸行無常・諸法無我の2つを考えていただきたいと申しました。

涅槃を詳しく言ってくれないと、聞いてくださらないなら、 
折れましょう。

「有とおもってしまう、心の働きをやめて、
その原因ともなる執着の心をなくす。
怒ることも、動揺する事もない、愛着すらない状態」
 (>>23さんの指摘ですと、ない→滅する ですかね?)

私の主張している事はこれ以前の問題なのです。
私の「有」とクリスタルさんの「有」でよく検討していただきたいのです。
31くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 02:17
>>30
ちなみに、
輪廻転生から解脱とは言いませんよ。
未来の生死の原因を消滅したといっても
苦しみの解決程度に考えてますから、
輪廻転生は自分で確信できないから、特に考えません。
いろいろ、考えると涅槃と言う言葉に執着してしまう。
32クリスタル  ◆rXhk8XNQU6 :03/09/16 02:18
28
>なぜ<よって「涅槃」とはこれらを超越した世界>なんでしょうか?
無常なる苦の世界からの解脱が仏教の目的です。
これは諸法は無常なのと思考理解することでは、達成されません。
「無常」な世界からの解脱は、即ち永劫なる境地に他なりません。

>そうではなく、自分などなく、ただ縁起し、無常で空であることを実感すること、
>それが悟りであり、解脱であり、その状態で死ねば、再生しないので完全な「涅槃」なのです。
思考的な理解の世界ではなく、更にそれらを超越した境地です。

>それでもう再生しない涅槃した如来が、
では、あなたについては、
涅槃に到達できなかった者の場合には「再生」(転生)を認めるのですね。

>在るとか無いとかいう問い自体が無意味であるというのが無記でしょう。
そのときに無記の態度を取っただけです。
無記の態度は「無い」ことを意味してません。
それは、形而上学的な果てしなく切りの無い疑問に対する無駄という意味と、
もちろん、それらに必要以上に囚われることに対する戒めなどの理由も当然、含むでしょう。
しかし、だからといって「仏」や「ニルヴァーナ」すらも
無常で一時的なものにしか過ぎない、ということでいい理由とはなりません・・・。
33考える名無しさん:03/09/16 02:21
>>31
くぅさんの行が進んで輪廻を確信し、
そこからさらなる精進の心が生じることを願うばかりです。
34クリスタル  ◆rXhk8XNQU6 :03/09/16 02:32
 『解脱の境地においては、生死が存在しない。修行を完成した者は《生死を明察せる者》(スッタ
ニパータ:484)である。この究極の境地は、「不滅の領域」、「不滅の境地」といい、あるいは単に
「不死」とも称する。また単に「不老」ともいうのである。
 そして仏教はこのような最高目的に達することを教えているものであるから、仏教は「不死の門」、
「不死の獲得」であり、修行者は「不死の境地を見る」のである。』
--------中村 元著『原始仏教---その思想と生活』NHKブックス(日本放送出版協会刊)より

もう一度、抜粋で掲載します。
ここでいう究極の意味での「生死がない」
不死で「不滅の境地」とは、何のことをいっているのか熟考して下さい。

以上です。


では、またいずれ・・・。
35考える名無しさん:03/09/16 02:33

               _,,,,,,,,,,,,,_
             ,,r;:r""      ヽ、
          ,r'" "     ,r''"`   ヽ、
         ,r"  /   ,,r ,r"rヾ、`ヽ、 ヽ、
        ,|、_ (_   _ (_,r"'"  ヽ、 `ー、i
         ,|ヾl`'ー`ヽ!`i'"      ゙i、  _,〕 諸君、自らの道を拓く為、
         tヽ|     ゙i、      ヾー[」-!、難民の為の政治を手に入れる為に、
         ヾ|     ゙i、,|  _,,,;;;=''"`  ヽノ、 〕 諸君らのうんこを我が軍に貸して頂きたい。
          !i,‐-;;;;;;、,゙i、r'"-,ニlア    |i、゙`イ|
          |`i;-、ニlア i、 "      |、ヾ|l|゙
          | ゙i,    |:|         | ゙i, ノ,
            ゙l、  `!_,,.       | ゙i |
             ゙!、  ,,,,.. -'''    /  | .|
              ゙i、   --    ,r'   ゙i_!-;
               `!、     ,r"_,,,r-'''ニ-‐''゙i
              rヾ、`ーr‐''ニ""-‐'"     ヽ,.........,___
             __λ i,ヾ| i''"       _,,.r-t"_,r'"_:_:_
    ____,......r-i'",r'ヽ | |:| |     _,,--'"   ~ヽ、:::::  !.
  < ̄ j'"ー'''''j;, ̄ ̄  `i | |:| |  _,,r''"        ヽ、:::::  `t、/
    冫>、i :::::,r'"      i i,r ノ_,,r'"           ヽ、:::::.. /
   |,イ'" ::,r"        ト,i",r'"              ヽ、 :::/
   /::::,r'" __     // |     r'" ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/    ヽ/
36くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 02:35
>>33さん 温かい気持ちに感謝します。

そうですね〜輪廻の確信するなら副産物程度に考えてます。
次に生まれ変わろうと無かろうと
この肉体が果てるまでに、本当の自分に目覚めたいです。

現実的には、怒ったりして、自分を見失わない事です。
常に、充実して、やすらかな気持ちで生きるために。
それが、自然で幸せな生き方ですから。
きっと、その願望は成就すれば、人のためにもなりますね。

輪廻を確信する事で、囚われたら大変です。
そのためにも、どの道わたしにはまだ早いですね。
37考える名無しさん:03/09/16 02:42
> 「無常」な世界からの解脱は、即ち永劫なる境地に他なりません。

これ誤解だと思います。何か根拠ありますか? 
単純な反証としてもし涅槃が永遠の境地なら如来は死後常住であると言ったはずです。

> 思考的な理解の世界ではなく、更にそれらを超越した境地です。

もちろんです。自我をなくすというのはとても高度な境地なんですよ。
五蘊ありますよね。色が空になる、つまり外的世界が空だと感じるのはかなり簡単です。
受、感受が空だと感じるのも、その後、想、概念の空は結構難しい。
行が空だというのを越えるのは、より難しい、その後で識、自我意識がやっと空になるですよ。
大変です。頭で考えて論理的に理解して終わるものではありません。行によって体感するものです。

> 涅槃に到達できなかった者の場合には「再生」(転生)を認めるのですね。

私はずっと輪廻なしに仏教はありえないという立場で一貫してますです。

> >在るとか無いとかいう問い自体が無意味であるというのが無記でしょう。
> そのときに無記の態度を取っただけです。
> 無記の態度は「無い」ことを意味してません。
> それは、形而上学的な果てしなく切りの無い疑問に対する無駄という意味と、
> もちろん、それらに必要以上に囚われることに対する戒めなどの理由も当然、含むでしょう。
> しかし、だからといって「仏」や「ニルヴァーナ」すらも
> 無常で一時的なものにしか過ぎない、ということでいい理由とはなりません・・・。

少なくとも涅槃が永遠の状態であるとは言ってないでしょう。
あるとかないとかは無意味だということでしょう。繰り返しですが。
38くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/16 02:47
>>34
そもそも、生死は人間が意識しているだけの事で
無から有が作り出されるわけではなく、
有から有が作り出されるわけではない。

真理からみれば、無も有もないと理解します。

不滅と「有」とは全然違います。
ここがポイントです。

無から有になるわけではなく、
有から有になるわけではない。

この意味が理解して下さるようになったでしょうか?

そろそろ寝ないと…ふあ〜
39考える名無しさん:03/09/16 02:47
>>34
簡単です。「生死が存在しない」つまり再生しないということです。
そうゆう意味で「不滅の領域」「不滅の境地」「不死」「不老」
なわけです。これをアートマン・ブラフマンと合一と誤解してはいけない。

そうかんがえれば如来無記や吹き消されたということと整合性あると思いません?
アートマン・ブラフマンでは整合性がとれないでしょう。
40考える名無しさん:03/09/16 02:48
ポケニャン
41考える名無しさん:03/09/16 02:49
今日は馬鹿の壁何枚だった?
42考える名無しさん:03/09/16 02:49

      ,.r''"          ヽ,.     ヽ  ,/: : : : : : : : : : : : :
   ,.r'.___   __,,... --──一’゙、  _,......-`r': : : : : : : : : : : : : : : :
  ,.r'_,.-''" `フ´: : : : : :_;:.:..:..:..:..:..:._''": : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : /
r''-'"   /: : : : ,.r '',"r‐'''''¬=;ー-ヽ、: : : : : : : : : : : : : : : : : :/
`ー‐-、._ `ヽ、 /,/''`゙ ': :,r 一-、゙ヽ,  ゙ヾヾ: : : : : : : : : : : : /
: : : : : : :`ヽ、_<ヽ/{:::  、::ヽ. @ ゙、. !、   ゙:, `ヽ、: : : : : : : : :|
: : : : : : : : : : :゙ヽ'、::     ミ=、;;;;jェ,::`-, ,ノ_,ィ,ノ゙ヾ、 : : : : : |
|: : : : : : : : : : : : `:、       ̄""´ ニ、r、,ノ,.._゙、 ゙、 : : : : |
`7¬ヽ、: : : : :|\: :\           ゙、:f"eヽ`゙; }| : : : /   >>1なんてうんこくさいんだよ!
/    ,>、: :.|  ヽ、゙、     ,. _    ,/::ヽ_,..!リ'ノリ: : : :/
__/,..,-ヽ:|    ゙、゙、 ,.:,.r-'"-`ヽ、      /'"/: : : :/     バーカ!!
,イ  Y゙、゙、  ゙!     ゙; /  `ヽ、. `ヽヽ   ,/ /: : : :/
. !   ゙、`、ヽ.|!     ゙ヽ.    }  7'  ./ ,ノ`ヾ、/
 ゙、   ゙、`、 |       `ヽ、  /), '  ,.-',.-''´  _,/
  :゙、  ゙、ヽヽ、        /ヾヾ'、_/,/  ,..ィ''/
、   `、  ゙、\\      /  ``ーYf-,..-''",.イ\
.`、  ヽ.  `、 ``ヽ    /     //´  ,;イ: : ゙、 ゙ヽ、
  ゙、   \  ヽ.  \  /    ,:' /  .,イ/: : : : ゙、   ヽ、_  _
   ゙、   ヽ、. \ ,ノ\/.、_   ,:'::/ ,/:/"`ヾ、._: : :ヽ,、__  7"/^)'"
   ゙、     >く、 /  `ヾ:::/ ,/::/     ``ー 、_`:7゙ / /l
43考える名無しさん:03/09/16 02:49
>>36
人のため、そういう利他心、菩提心大切ですよね。
44考える名無しさん:03/09/16 02:52
>>40-42
ども、書き込みごくろうさまです。

元気があってよろ!
45ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/09/16 02:54
簡単に言うと【悟り】とは…

・【生命】としての強制輪廻からの脱出
・虚無(存在そのもの)への融解による個体化意識の消滅
・【生命】からの脱却、二元的な『生死』では無い完全なる消滅
・個たった独りにだけ関連する『存在そのもの』への反逆行為
・悟った後生を終えるまでの僅かな期間、心底より『楽』で居られる

たったそれだけですが。
46考える名無しさん:03/09/16 02:57
でででででたー
47考える名無しさん:03/09/16 02:59
>>45 仏教的にはぜんぜん違うんですけど。
虚無とか、西洋文献学の古い誤解ですよ。『虚無の信仰』読んでみて。
それとブラフマンみたいなものとの合一ね。ああ、もう。違うっす!
48考える名無しさん:03/09/16 02:59
信仰など弱者のやること(ワラ
49考える名無しさん:03/09/16 03:01
>>46 もしかして >>45って有名人?
50考える名無しさん:03/09/16 03:01
信者はこわいですよ〜(ワラ
51考える名無しさん:03/09/16 03:03
人間が都合よく捏造した偶像ワラ
52ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/09/16 03:03
>>47
違うって!
ブフラマンとか真我とか一切関係無し!

何物でもない『無そのもの』への融解だっての。
自分てモノが無くなって、二度と【生命】存在となる事は無いの。
【無】へと消え去るだけ。
53考える名無しさん:03/09/16 03:05
無へと帰したい欲(ワラ
54考える名無しさん:03/09/16 03:08
>>52 じゃなおさらここと
http://www21.ocn.ne.jp/~kobataka/literature/shimoda/sairoku_kindaibukkyo03_06.html
『虚無の信仰』読んでみて。
55考える名無しさん:03/09/16 03:10
勧          誘   (ワラ
56ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/09/16 03:11
>>54
…読んだけど?
何が言いたい?
57考える名無しさん:03/09/16 03:13
虚無とか、西洋文献学の古い誤解じゃないかってこと。
58ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/09/16 03:17
>>57
だから違うんだよ。
体験した事のある人には分かるけど【虚無】ってのは観念上の用語じゃないんだよ。
それに、シッタルダは偉大な哲学者では在ったけど、それだけじゃない。
かと言って『人間』じゃない。
『神』でもない。
分かる??
59考える名無しさん:03/09/16 03:21
仏教的には釈尊は覚者と言われてますが。

あと体験にもいろいろな段階があるんですが、その内の最高の段階を体験されていると言うのですか?
60考える名無しさん:03/09/16 03:22
宗 教 板 に 逝 け (ワラ
61考える名無しさん:03/09/16 03:25
シッタルダは人間だったと思うけどな〜。
62考える名無しさん:03/09/16 17:43
虚無と無って違うんですかね?
63考える名無しさん:03/09/16 20:08
一般的には同じでしょう。その違いは彼女に聞いてください。
64ばんぶつ ◆XcblzRwjfY :03/09/16 20:21
そう。シッダールタは人間だよ。
65考える名無しさん:03/09/16 20:28
それはパーリ系の呼び名、大乗系ではサルヴァールタ・シッディ菩薩です。
66ばんぶつ ◆XcblzRwjfY :03/09/16 20:35
へえ、くわしいね。
67考える名無しさん:03/09/16 21:55
ダメだこりゃ。
哲学板はつまらん。
クソ厨房ばっか。
68クリスタル  ◆rXhk8XNQU6 :03/09/16 21:57
>>37
>>涅槃に到達できなかった者の場合には「再生」(転生)を認めるのですね。
>私はずっと輪廻なしに仏教はありえないという立場で一貫してますです。
どうもここには、
輪廻は当たり前だが転生はない、という方が多い・・・。
転生を肯定する場合には、転生する「何かが在る」ことを認めなれはせなりません。
ただ、その「在る」状態を通常は示すことができないと知るべきなのです。

>>「無常」な世界からの解脱は、即ち永劫なる境地に他なりません。
>これ誤解だと思います。何か根拠ありますか? 
>単純な反証としてもし涅槃が永遠の境地なら如来は死後常住であると言ったはずです。
はい、これについては「私の独創による見解」を示そうとしているわけですよ。

まず、重要なキーポイントですが、
一般の人間たちの意識の焦点というものはアートマンには定着していません。
よって、意識は今生のパーソナリティー、
即ち、低級我(低我)に焦点化しているために、ただの無常なる意識なのです。
これは死後、まもなくして消滅します。
しかし、一般大衆は自己(低級我)が不滅であると誤解しています。
このことに対する否定であったと私は見なします。
それから「無我」はアートマンが無いことを言ってはいないのであり、
逆にそれら(無常なる五蘊)は「アートマンではない」として、
アートマンが本当は何かを知らしめる意図が感じられる言い回しになっているのです・・・。
------------もう、ここでは詳しくやりません。

尚、仏典にその根拠探しても到底、無理です。
それから一般的な仏教書というものは、
真理を理解できずに誤解している者たちが書いているものなので、
当然、それらを読んでも殆ど無駄骨です・・・。

生意気な言い方ですが、
私の見解以外に、これらすべての矛盾が問題なく解決することは有り得ないものと自負します。
69クリスタル  ◆rXhk8XNQU6 :03/09/16 21:59
>>39
>>34
>簡単です。「生死が存在しない」つまり再生しないということです。
>そうゆう意味で「不滅の領域」「不滅の境地」「不死」「不老」なわけです。
>これをアートマン・ブラフマンと合一と誤解してはいけない。
「アートマン」と呼ぼうがブラフマンと呼ぼうが、そんなことは問題ではないのです。

つまりは、「再生しない」とはどういう状態に在ることになります?
また、「不滅」とは「滅することがない」ということですよ。
よって、滅することがない存在とは当然、「永久永劫の存在」のことです。
中村氏がこの言葉を用いていることは意図的であり、とても大切なことです。

 ・ふ【不】 (接頭)打ち消し,否定する意を表す。(新辞林 三省堂)
 ・ふめつ【不滅】
  滅びないこと。永久になくならないこと。 (新辞林 三省堂)
 ・ふめつ【不滅】
  いつまでも【何時迄も】
  永(とこし)えに 末永く 行く末永く 後々(あとあと)まで 幾久しく 相も変わらず 
  永久 永遠 恒久〈平和〉 悠久 悠遠 無窮〈に伝わる〉 久遠(くおん) 不滅 
  不朽〈の名作〉 鶴(つる)は千年、亀(かめ)は万年(類語実用辞典 三省堂)

大.大.サービス、投稿でした。
あまり書くと、あとのネタが無くなるのですよぅ。ハハハッ(笑)
それから、何度も登場する方は(笑)、
なんでもいいから、何かコテハンのほうがいいと思うよ。
その人と何々まで対話したか、サッパリになるからねぇ・・。
ということで、
暫くの後、再び「心と宗教@2ch掲示板」の「原始佛教スレ 5」で元気に会いましょう。
私もチカレタよ・・・・

さよならです。みなさま。
トホホ.....
70考える名無しさん:03/09/16 23:04
まぁいくら2chだっつっても
クリスタルの妄想を鵜呑みする被害者いるかもしれないね。
戯論は無視しような自分の判断で
71考える名無しさん:03/09/17 00:22
だいじょうぶだろ。
カルトですら首をかしげとる。
72ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/17 00:45
えっと、こちらの哲学板の新スレはそのまま続行されればとてもいいと思います。
ただ宗教板にも原始佛教スレのシリーズ「原始佛教 その5」を立てましたので
一応、こちらでも宣伝させてもらいます。
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1063719889/
73考える名無しさん:03/09/17 00:53
すいません宗教ヤヴァイですよ・・・
74考える名無しさん:03/09/17 00:54
檀家がやばいとこなのか
75考える名無しさん:03/09/17 01:01
>>72
削除依頼出しとけ
76大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/09/17 02:40
退屈な授業だったね。
77考える名無しさん:03/09/17 04:47
>>45
ハルカは仏教を何も知らないらしい・・・
78考える名無しさん:03/09/17 17:45
>>68
クリスタルさんの説は理解しています。常見、 単純なヴェータンーンタ、チベット他空説的見解、
無常な現象界、恒常な真理界を想定し、行によって現象界から真理界へ行くというものでしょう。
この見解は単純ですから、だれでも理解していると思いますよ。そんな難しいものじゃないですよ。

私のいう輪廻は転生も含む古典的な輪廻です。輪廻と転生を分ける珍説ではありません。
なんども言うように仏教は輪廻は認めるが、恒常な輪廻の主体は認めません。
世俗的言語習慣上、輪廻の主体があるという場合はありますが、それが不変なものとは言いません。

つまり俺様のいうことを聞けということですね。いや無駄なことを長々とやってしまったものです。
仏典というのは聖者たちが細心の注意を払って確認し伝えてきたものですよ。
我々凡夫の意識での語学的推測とは全然レヴェルが違うんですけどね。
79考える名無しさん:03/09/17 17:46
>>69
「不滅」「非我」解釈には笑いました。仏典の文脈に戻して読んでみてください。
そんな意味ではないですから。>>68の発言を見ればそんなことしないでしょうが。

クリスタルさんがニューエイジ風に諸テクストから諸見解を寄せ集めて、
自分の主観で見解を構築するのは、結構ですが、
その見解を仏教にも押しつのは止めてください。
もしかすると信じちゃう不幸な人がいるかもしれませんから。

そういえば、原始仏教スレに書くのは止めた方がいいと思いますよ。誰も望んでないと思います。
まだ、こっちに書いた方がそれほどスレ違いじゃないでしょう。

私もようやく無意味さを実感できたので、消えることにします。さようなら。脱力感だけ残りました。
80考える名無しさん:03/09/17 17:52
「不滅」にかんして補足しとくと、同じ言葉でも文脈によって意味は違うんです。

例えば『中論』で「不生不滅」っていうでしょう。
この「不滅」は永遠ではありません。「生ぜず滅せず」という意味です。
この意味に近い意味で「不滅」が使われていると思いますよ。

まあ、>>68の方に何を言っても無駄でしょうが、
できれば最初に「経典なんか信じない、俺の話をきけ」って言ってほしかったっす。
81考える名無しさん:03/09/17 18:09
「生ぜず滅せず」は
>>32
>>思考的な理解の世界ではなく、更にそれらを超越した境地です。

に近い、といっても永遠な世界ではなく、思考、分別、戯論が縁起しない世界です。
といっても永遠じゃないんですよ。ということで中道は確かに言葉の意味としても
理解しずらいかもね。輪廻の主体が無常であるという単純なことも理解してもらえないし。

ああ、みれんたらしく、だらだら書いてしまった。
82考える名無しさん:03/09/17 18:19
>>81
戯論ってなんですか。
83ばんぶつ ◆XcblzRwjfY :03/09/17 19:34
法華経もいつか読んでみたいな。
84考える名無しさん:03/09/17 20:31
戯論は、すべてを文節する言語本能みたいなものです。
言語本能から分別が生じ、諸法として世界が顕現する。

あるがままの無常に変動流動する状態を、この言語本能は文節、分別して
切り取り、あれこれのものとして縁起、生成する、
そして、自分を基点に他の世界が無限に生成され、同時に快不快や好悪が、
生まれ、業が業を作り出していくと考えています。

少なくとも「戯れの議論」みたいな表面的なものではありません。
戯論という漢訳は、適切ではないと思います。
しかし戯論という術語が浸透しているので、使っています。
85考える名無しさん:03/09/17 20:47
ジャータカだったかな、飢えた虎に身を投げ出したとかいう話があったと思いますが
他にも釈迦が動物に慈悲の心で接するような話はありますでしょうか?
86考える名無しさん:03/09/18 00:18
そうですねジャータカですね。ジャータカにはそうゆう話がたくさんありますね。

釈尊を殺すためにデーヴァダッタが狂象を象使いに頼んで釈尊が托鉢に逝かれる所に
放った。狂象は暴れ狂い所かまわず走り回り、僧たちに突進してきたが、
釈尊が慈悲心で立ち向かわれると、象は従順になり、釈尊が象を撫でると、
象は釈尊の足の塵を払ったそうです。

もう一つは、釈尊がいらっしゃる時に教団が二派に分かれて争ったことがあったそうです。
その時、釈尊が諫めても両派譲らす、対立していたので、釈尊はひとまずその場を離れました。
そこである所で独りでいらっしゃられた時、群れの中にいた象が、群れの中で
煩わされ群れを離れて釈尊の所へやってきて、釈尊に供物を捧げ、草を払ったそうです。

その時、釈尊が詠んだことばが、人中の龍と、象中の龍は同じ思いで林中に孤独を楽しむと謡われたそうです。

その後で争いは解決したそうです。 こちらの方はちょっと的はずれですね。
87考える名無しさん:03/09/18 00:50
丁寧なレスありがとうございます。世の中には初対面の「犬」に恐れることなく
近づき撫でてやったりする人がいますね。ああいう人は「いきもの」の
「心」が解るのかなと思った次第です。
88考える名無しさん:03/09/18 00:57
そうゆう方はすくなくともその動物に対する愛のある方ですね。
そうゆう愛、慈悲をすべてのいきものにひろげられたらいいですね。

89考える名無しさん:03/09/18 01:31
獏煩悩!!
90考える名無しさん:03/09/18 03:24
>>52
まったく違うよ
でたらめもいいとこ
まず、手塚治の漫画 仏陀の冒頭のシーンを読んでほしい。
91考える名無しさん:03/09/18 07:32
ん?
92考える名無しさん:03/09/18 09:00
不可。
仏教の真理は無我であって真我ではない。

終了。
93考える名無しさん:03/09/18 09:01
っていうか、宗教は悪
94考える名無しさん:03/09/18 09:10
宗教は哲学と似て非なる。

宗教=信者を集める
哲学=お笑いネタ
95考える名無しさん:03/09/18 11:33
>>93
西洋史の概念を持ち込まないでほしいですね。

96考える名無しさん:03/09/18 11:39
西洋史の概念?なにが。
97考える名無しさん:03/09/18 11:45
創価は大成功ということです。
98考える名無しさん:03/09/18 12:19
まず、宗教という概念、religion 。
次に、religion が民衆を苦しめてきたという西洋の近代史観。
最後に、religion の蒙昧、悪から科学が解放したというこれまた西洋の近代史観。

これはキリスト教を始めとするセム系の信仰体系にしかあて嵌らないはず。

それを無理に拡大解釈して仏教にも適応しないでほしいということです。

ついでながら創価以前に日蓮が仏教から逸脱してますよ。問題外。
99考える名無しさん:03/09/18 12:50
創価の大成功を妬むのはよくないですね。
現実を直視しましょう。
100考える名無しさん:03/09/18 12:53
>>98
悪人正機ですから・・・
101考える名無しさん:03/09/18 13:04
庶民からカネ巻き上げて苦しめてたのに西洋も東洋もない
102考える名無しさん:03/09/18 13:34
>>99
日蓮系の成功は、江戸末期からのナショナリズムという流行に合致したことだと思います。

別に妬んでるわけではなく、変なものは変なものなだけです。

103考える名無しさん:03/09/18 13:45
>最後に、religion の蒙昧、悪から科学が解放したというこれまた西洋の近代史観。

>これはキリスト教を始めとするセム系の信仰体系にしかあて嵌らないはず。
何を根拠にそんなことを…。
104考える名無しさん:03/09/18 14:53
じゃ、その前に宗教は悪の根拠はなんですか?
105考える名無しさん:03/09/18 15:47
>>104
>>101 >>103の質問にまず答えたら?
彼等は悪の根拠を述べてると思うが。
106考える名無しさん:03/09/18 15:58
そうか、キリスト教やイスラム教以外は迷信じゃなかったのか。
107考える名無しさん:03/09/18 19:54
わりゃ創価論争は創価板でやれや。
108考える名無しさん:03/09/19 18:12
おもろい
109考える名無しさん:03/09/19 18:25
創価は哲学的だろ。
110考える名無しさん:03/09/19 18:28
哲学が創価的なんだよ
111考える名無しさん:03/09/19 18:32
創価の教義は深いぞ。
宗教的体験がさらに英知として結晶したというのかな。
日本人に生まれて本当によかったと思う。
112考える名無しさん:03/09/19 18:39
創価の教義は知りませんが、確かに創価の人には優秀な人が多いですね。
哲学に限って言っても、私の身の回りにはウィトゲンシュタインの専門家
とかフッサール、カント等の専門家がいますし。
113考える名無しさん:03/09/19 18:39
へー
114考える名無しさん:03/09/19 19:03
創価学会は哲学団体でなく宗教法人だろが!
哲学スレなんだから仏教を思想として扱え!
思想として扱える仏教をテーマに選べ!
115考える名無しさん:03/09/19 19:24
哲学団体とは一体何なのか?
116考える名無しさん:03/09/19 19:45
あ〜あ、宗教は人間をド馬鹿にするだけ。
117考える名無しさん:03/09/19 19:47
創価学会というのは西洋でいえばキリスト教に相当するのかもしれない。
118考える名無しさん:03/09/19 19:59
池田病
119考える名無しさん:03/09/19 20:04







スレタイ変更   「学会どう?」   

           










120考える名無しさん:03/09/19 20:10
大作先生万歳!!学会の悪口いう奴にはごっついバチ当てたる
121考える名無しさん:03/09/19 20:21
>>120
ほう 聞きますよ どんな事?具体的に 
122公的明白に搾取:03/09/19 20:25
>>117
どうして?教えて?
123考える名無しさん:03/09/19 20:32
>>120 是非 具体例をお願いします。
124考える名無しさん:03/09/19 21:58
仏教だったらブッダを本尊にせえや
日蓮が本尊というのはどういうこっちゃ

デーサクマンセー
という前に
ブッダム・サラナム・ガッチャーミ
といえ
125考える名無しさん:03/09/19 23:14
法華経の諸法実相の意味ってなんですか?
126考える名無しさん:03/09/20 00:14
>>99
仏教の成功とは、菩提心を起こすことや涅槃することで、
信徒の数を増やすことではありません。
127考える名無しさん:03/09/20 00:45
>>125
因果の理法という考え方があります
128考える名無しさん:03/09/20 00:48
ほれた女が創価学会員でショックだった。
129考える名無しさん:03/09/20 02:47
宗教滅べ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
130考える名無しさん:03/09/21 02:41
宗教は、アヘンだ!
と言った共産圏が滅びまった。。。。。
131考える名無しさん:03/09/21 03:36
共産主義と仏教みたいな本ってありませんかね?
132考える名無しさん:03/09/21 07:31
アンリ・アルヴォン「仏教」「無神論」「アナーキズム」(全て白水社)
133考える名無しさん:03/09/21 07:35
宗教は
会社員にこそ
ふさわしい
134考える名無しさん:03/09/21 08:32
話を得意とするペンギンは空を飛べる
135考える名無しさん:03/09/21 08:47
いくらはエターナルウェポンと称される
136考える名無しさん:03/09/21 10:06
意味の破壊が繰り返されると、カコワル
137仏教:03/09/21 15:34
138考える名無しさん:03/09/21 17:18
 現相世界が現前しています。それがありのままの実相だというのなら話は早いのですが、
そうとは言えません。
認識されているのだから、外在的・自存的とは言えない。意識作用がどうしても絡んでくる。
認識主体・この私=身体に内在しているというのなら、主観の居場所が超越的な外部になってしまう。
云えることは、現相世界は見えているだけで意味であり、被媒介的であるということです。観測者にとって何々である事の方が、自存的な事物・モノに対して第一次的なのです。かかる超文法的判断事態(として把握)は、
例えば、カレーライスについて語る為にはカレーライスについて知っていなければならず、よってカレーライス(世界)は、ゲシュタルト(理念的な一総体)的、第一次的、普遍的に、
よって間主観的・共同主観的に捉えられることを示します。現相は対他帰属相にアル。
そこに於いて、人格的自己の生成は、対他者反照規定性にまつことになります。これ即ち役割存在であり、つまり、対他と対自は同位同格ではありません。対他があって対自があるのです。
「こんな事はやるべきではないなあ」とか「こうしよう」とか「これは云うべきだな」とかいった、
日常的な思念・行為は、自主的なようでいて、その実、対他的なのです。
世人一般として(他人に帰属して、他人として)生きてることからして、そもそも自己疎外的なのです。
139考える名無しさん:03/09/21 21:03
age
140考える名無しさん:03/09/21 21:38
先ず、無我って何?真我って?その辺の定義をしっかりしてくれたら、答えを出してやるよ
141考える名無しさん:03/09/21 21:42
もともと我などというものは存在しない、から出発している仏陀の教説のどこから真我と無我の両立などというはなしになるんだ?
142考える名無しさん:03/09/21 21:44
>>1
無理
143141:03/09/21 21:49
>>1
ちょっと答えて欲しいな。簡潔に。
144考える名無しさん:03/09/21 22:36
ついてこれねえのか、てめえら。
145考える名無しさん:03/09/21 22:41
てめらって誰のこと言ってんだyp
146考える名無しさん:03/09/21 22:48
ごめんなさい。
147考える名無しさん:03/09/21 22:54
>>146
弱っ!
148考える名無しさん:03/09/21 23:19
ごめんなさい。。。。」
149考える名無しさん:03/09/22 00:14
>>140
ごめんなさい。これはある方への方便のために立てたスレでした。
今となってはもう無意味になりました。

一応ケリをつけるためちょっと書いてみます。

私としてはこうゆう立場です。

無我とは一切諸法の自性がないこと、つまり恒常な本質なく、
すべては無常で変化流動していると考えています。

真我とは、本覚、客塵煩悩の流れの途絶えた、
本来の状態である光明の相続、法身、仏性と言われるものと考えています。
もちろん光明の相続も変化流動していますが、その流れを仏性、真我と呼び、
決して恒常なアートマン・ブラフマン等ではない、と考えています。

ということで無我と真我は矛盾せず両立する、と考えます。

ちなみに>>146 さん謙虚でいいですね。>>148 さんもシャレじゃなければ
150考える名無しさん:03/09/22 06:06
いや仏性も光明も無常ですよ
151電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/22 06:17
>>149
真我とは、本覚、客塵煩悩の流れの途絶えた、
本来の状態である光明の相続、法身、仏性と言われるものと考えています。
もちろん光明の相続も変化流動していますが、その流れを仏性、真我と呼び、
決して恒常なアートマン・ブラフマン等ではない、と考えています。

本覚思想は佛教とかけ離れた思想であることは証明されています。
客塵煩悩の意味を恐らくあなたは理解できていない。

「光明の相続」見たいなことばは佛教の主張として存在しません。
法身についても全く理解していないだろうし佛性にあっては「真我」と概念を並び称しているところを見ると
「可能性」を実体視する誤謬を犯しているしもうメチャクチャ。
152考える名無しさん:03/09/22 06:20
どくまんじゅうはくいません!!!!!!!
どくまんじゅうはくいません!!!!!!!
どくまんじゅうはくいません!!!!!!!
どくまんじゅうはくいません!!!!!!!
どくまんじゅうはくいません!!!!!!!
153考える名無しさん:03/09/22 16:06
>>151 本覚思想は佛教とかけ離れた思想であることは証明されています。

まさか松本とか袴谷とかのこと言ってないでしょうね?
154電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/22 17:21
>>153
>まさか松本とか袴谷とかのこと言ってないでしょうね?

彼らの主張する"eka-vAda"を根拠とした本覚思想批判とは論点が少し違います。
しかし、大筋で見解を異にするわけではありません。

「本覚思想は佛教に非ず」はある意味曖昧な表現ではあります。それと同時に私の
「本覚思想は佛教とかけ離れた思想である」と言うのも曖昧なのかもしれません。
要は佛教のとらえかたの違いにある訳であり三法印という基準で見る限り、本覚思想
は佛教に該当しないことは古くから指摘されており、誰も反論しておりません。
155電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/22 17:23
"eka-vAda" は端折り過ぎました。
"eka-dhAtu-vAda"です。
156考える名無しさん:03/09/22 20:28
> 要は佛教のとらえかたの違いにある訳であり三法印という基準で見る限り、本覚思想
> は佛教に該当しないことは古くから指摘されており、

これって一部の人のことじゃなくて?
157考える名無しさん:03/09/22 20:39
そこんとこ、もそっと詳しくplease
158電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/22 23:39
>>156

>これって一部の人のことじゃなくて?
一部の人とは?

本覚思想の萌芽は既に中国にあり、「頓悟」の問題として古くから議論され、大乗和尚とカマラシーラとの
論争にも象徴されています。最澄と徳一の論争もそれまでの歴史的集約として捉える事が出来るでしょう。

これは「佛性」の捉えかたによる相違が生み出した悲劇であり、三法印を根幹に据えていたかどうかの違い
として観察することが出来ます。

本覚思想批判については山口組と大差はありませんが、彼らの如来藏批判、佛性批判については評価して
おりません。

159考える名無しさん:03/09/22 23:58
>>本覚思想批判については山口組と大差はありませんが、彼らの如来藏批判、佛性批判については評価して
>>おりません。

どこらへんが違うのか知らないけれど、大差ないなら、要するに大乗仏教のほとんどを否定するってことですね。
それでいいんですか?
160考える名無しさん:03/09/23 00:39
>>本覚思想批判については山口組と大差はありませんが、彼らの如来藏批判、佛性批判については評価して
>>おりません。

失礼、本覚は非仏教だが、如来藏・佛性は認めるという意味ですか?
161電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/23 08:57
>>159
原始仏教をお話して三法印を主張するから大乗を評価しない思われがちです。
この件については以前お話しましたが、再びじっくりと説明すべきですね。
このあたりが実は専門なのですから。
162電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/23 09:01
>>160
>失礼、本覚は非仏教だが、如来藏・佛性は認めるという意味ですか?

山口組のような批判はしないという意味です。
つまり、インド・チベット・中国・日本で誤解のもとで受容し、実体的に展開されたものとしては批判的です。
しかし、無常・空・無我として解釈されるもとの意味では山口組のような批判は致しません。

山口組の批判方法では唯識までも否定する事になりますから。
163考える名無しさん:03/09/23 12:11
>>162
では本覚も無常・空・無我じゃないですか?
164阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/09/23 12:29
「山口組」の本を一冊も読んでいない私は、ここは主にロムさせていただきます。
165考える名無しさん:03/09/23 14:00
ゑーバーをちょっとかじったんですが、ヒンドゥー教の中心的教義である輪
廻と業は完全にカースト制のイデオロギーですよね。
自分が所属するカーストは前世の自分の行いの結果である。
来世については、自分が所属するカーストの秩序、掟をしっかり守って徳を積めば、
より高いカーストに再生される。
身分が高い奴も低い奴もともにカーストの秩序を守るようなよくでけたはなしですよね。
166考える名無しさん:03/09/23 14:11
結局、最高の聖典というか、最高のお経はなんですの?
167考える名無しさん:03/09/23 14:15
仏教においては、結局どれが最高の経典かなどという問いは
意味をなさないのではなかろうか?
168考える名無しさん:03/09/23 14:18
仏教というのは最初に法があるというわけでしょ。
いわゆる法前仏後。
あらかじめ存在する法を知る(悟る)というのはかなり素朴な態度ですよね。
169ホッケキョウ:03/09/23 14:22
>>167
てゆーか、みんな俺が最高だとそれぞれ逝ってますが。
170考える名無しさん:03/09/23 14:27
自分が最高だと思ったやつが最高よ。
それが仏教の歴史ってそんなもんでしょ。
171考える名無しさん:03/09/23 14:36
>>168
理屈じゃないのです。その素朴さを味わうのが仏教なんですよ。
チミはリアル厨房ですね。
宿題でもやって糞して寝なさい。
172電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/23 15:43
>>163
そりゃ仏教という看板を出している以上、「無常・空・無我でない」とは絶対に言えません。
言ってしまえば佛教ではなくなる事を自白するわけですから。

しかし、内容的には三法印から外れてしまいます。
173考える名無しさん:03/09/24 00:02
>>172
みやさかとかいう坊さんが般若心経の解説をしてるが、
http://www.mikkyo21f.gr.jp/hannya_honto/concept_hannya06-3.html

そのなかで

>「阿耨多羅三藐三菩提」」は音写語で、いわゆる「さとり」のことですが、
>「この上ない完璧な目覚め」という意味です。ここで「般若波羅蜜多」と
>「涅槃」と「阿耨多羅三藐三菩提」の三つが、しっかり肯定されています。
>般若心経は、なにもかも「ない」といっているのではないのですね。

ってのが出てくる。
これは、要するに涅槃やら悟りやらが空っつうわけではない、と言ってるんか?
般若心経まで仏教の看板はずさなあかんのか??
174ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/24 02:52
>>172
「空」って言うのは「有」と「無」との両極端を排した考え方なのではないでしょうか?
現実に時々刻々と生成・維持・変化・消滅を繰り返してるのが、あらゆる物事なのであって
それは「有」とも「無」とも言えるものではないと言うのが「空」と言う事だと思います。
175考える名無しさん:03/09/24 03:11
↑ベロさんのレスは>>173に向けてかな?
176ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/24 05:28
スマソ。>>173さんへのレスでした。
177考える名無しさん:03/09/24 08:00
>>174
空は文字通り空っぽのことだとみやさかさんは言ってます
178考える名無しさん:03/09/24 18:47
「空っぽ」というのと「無い」というのは意味が全然違うわな
「空っぽ」というのは、閉じられた空間、あるいは囲われた空間の内部に何も
ない状態を「空っぽ」というのであって、空間的な制約をうけている言葉だよ
179考える名無しさん:03/09/25 01:06
議論好きの電波男が釣れないと言うことは、みやさかとかいう坊さんは正しいのだろう。ふむ。
180脱力居士:03/09/25 01:22

 概念無用
181考える名無しさん:03/09/25 01:24
ところで盛宗菅長ってどれくらい偉いの?教えて
182考える名無しさん:03/10/04 22:56
釈尊は「そういう問いには答えな」かったのでは?
183考える名無しさん:03/10/19 02:50
あげ
184考える名無しさん:03/10/19 14:36

煩悩即菩提
185考える名無しさん:03/10/29 23:53
仏教マンセー!
186考える名無しさん:03/10/31 18:13
無 と 無い も違うの?
187考える名無しさん:03/11/01 18:03
〜ではない
も入るからな
188考える名無しさん:03/11/12 05:18
あげ
189考える名無しさん:03/11/17 00:45
有るのでもなく、無いのでもなく、有り且つ無いのでもなく、
有る事なく且無い事でもない?
190考える名無しさん:03/11/17 00:46
可能
191考える名無しさん:03/11/17 04:10
話はサマディーに入れてからだ
192考える名無しさん:03/12/16 03:33
仏陀
193考える名無しさん:04/01/02 23:46
悟りこそ真理!希哲学撲滅!
194考える名無しさん
>>1
言ってる意味が解らんなー。

結局一緒だと言いたいのか?