青木孝平『コミュニタリアニズムへ』

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1考える名無しさん
青木孝平『コミュニタリアニズムへ』

現代におけるマルクス主義の瓦解は、徹底したリベラリズム
への屈服と溶解、イデオロギー的同化現象として進行している。
こうしたマルクス主義のリベラリズム化にあえて異議を呈し、
マルクスの現代的再生の可能性を追求する。
2胡雨:03/05/28 21:22
ヘー ソウナノ?オマ?
3目次:03/05/28 21:25
第1部 ポスト・リベラリズム

 序 章 「自由・平等・友愛」を超えて
 第1章 コミュニズムからコミュニタリアニズムへ

   第1節 問題提起
   第2節 リベラルvs.コミュニタリアンの論争
   第3節 カール・マルクスの両義性
   第4節 分析派マルクス主義の批判的検討
   第5節 宇野弘蔵の社会哲学
   おわりに

第2部 家族・私的所有・国家の社会哲学

 第2章 エンゲルス家族理論の克服
   第1節 家族理論におけるエンゲルスとマルクス
   第2節 『家族・私有財産・国家の起源』の家族理論
   第3節 『資本論』からの家族理論
   おわりに 現代家族のゆくえ

 補 論 夫婦別姓について

 第3章 マルクス商品所有論の再審
   第1節 商品世界における所有主体
   第2節 商品論の論理構造
   第3節 交換過程論における所有論
   第4節 価値形態論における所有論
   第5節 商品所有論の再構成
   おわりに マルクス経済学から社会哲学へ
4目次:03/05/28 21:26
第4章 資本主義における土地所有の正当性
   第1節 土地所有の根拠と無根拠
   第2節 倫理学・法学と経済学のポレミーク
   第3節 「自由・絶対の土地所有」というイデオロギー
   第4節 「土地所有の利用権への従属」というイデオロギー
   第5節 資本主義と土地所有権の正当性
   第6節 土地利用権の規範的構造
   おわりに 土地所有の倫理的正当性
第5章 マルクス主義国家論の総決算
   第1節 方法としての日本資本主義論争
   第2節 日本資本主義論争とは何であったか
   第3節 日本における国家論論争の原型
   第4節 帝国主義論と国家論
   第5節 絶対主義論と国家論
   第6節 ブルジョア革命論と国家論
   第7節 資本論と国家論
   第8節 ファシズムと国家論
   第9節 共同体と国家論
   第10節 経済・法・国家の構造連関論のために
   おわりに 二一世紀国家論への道標
第3部 ポスト・コミュニズム
第6章 ポスト・マルクス主義という幻想を超えて
   第1節 マルクス主義の終焉
   第2節 マルクス主義社会理論の回顧
   第3節 コミュニズム的社会理論の批判のために
   おわりに コミュニタリアニズムのために
第7章 会社「共同体」という神話のあとに
   第1節 フィクションとしての会社「共同体」
   第2節 会社「共同体」の成立から崩壊まで
   おわりに リベラリズムからコミュニタリアニズムへ
終 章 結論にかえて
5アマゾンにある書評:03/05/28 21:29
6考える名無しさん:03/05/28 21:42
>>1
コミュニタリアンはさっさと田舎に帰って、
畑でも耕していろや、ボケが。
7考える名無しさん:03/05/28 21:52
青木をホントに批判したいなら、自分で読んで自分の言葉でカキコしてください。
8:03/05/28 21:54
>>7
んだんだ。
9考える名無しさん:03/05/28 22:08
ここって、「柄谷行人を<解体>する」スレのつづきだよネ。
青木って柄谷とならぶほどのモノか?
でもまあ、まだ読んでないから、なにもいえん。
でも柄谷批判としては、おもしろそうではある。
10:03/05/28 22:42
青木vs柄谷でもいいし、青木vs何々でも構いません。
しかし、このスレの最終目的は青木理論を用いて竹田セイジを
論破することです。

竹田を論破する前哨戦として、柄谷をとりあえずいじっといて
くれれば幸いです。
11:03/05/28 22:48
日本思想界の首領である竹田セイジを論破することで、
青木孝平先生を名実ともに日本思想界の首領に祭り上げる
ことが、このスレの目的ということですね。
12考える名無しさん:03/05/28 23:25
青木って、思想的にはおもしろいけど、政治的・実践的にはあんまり意味がない気がする。
政治的には、西部邁や佐伯啓思らの伝統保守派と、そんなに変わらんのじゃないか?
青木の最大の功績は、マルクスや宇野というサヨク理論をベースにして、
それらを徹底的に読みこなし、広松の関係主義を逆手にとって、
常識的にはまったく逆にみえる、ある種の保守主義を導き出した点だろう。
 
 宇野+広松=コミュニタリアン  と、いうところかな?
13考える名無しさん:03/05/29 00:32
青木の資本論というのはどういうの?
14こういうの:03/05/29 00:33
サヨはしねw
15考える名無しさん:03/05/29 01:02
>>13
きほんてきには降旗節雄を経由した宇野経済学です。
しかし東大の宇野派(山口重克派)と根本的に違って、商品所有者の行動論などという
方法論的個人主義を全面的に否定します。
人間の行為ではなく、非対称的な関係性を主語にして市場連関を読み解き、
反対に「人間」が市場関係の結果であり、市場経済のイデオロギーであることを
解明します。
 これは、かつてのロシア・マルクス主義のホーリズム的弁証法とも、
近年の流行である新古典派・新制度派・アナリティカルマルクス派などのアトミズムとも
まったく異なる資本論の理解であり、資本論を、経済学のテキストから
倫理学的人間批判の書物へ決定的に転換したといえるでしょう。
16考える名無しさん:03/05/29 01:12
広松の関係主義は逆手に取らなくても、リテラルに読んで
保守思想だろう。ヘーゲル主義=保守思想なんだから。
広松はどマルクスをヘーゲルの亜流に貶めた香具師もいない。
17考える名無しさん:03/05/29 01:25
青木は、広松の関係の第一次性を継承するが、ヘーゲル的弁証法については
完全に否定している。その意味では、ヘーゲル=マルクス的な進化史観の否定にたって、
広松の共同主観性論を構造主義的な関係論に転用したというべきかもしれない。
私は、この点を「逆手」と表現したのだ。
18考える名無しさん:03/05/29 01:33
>「人間」が市場関係の結果であり、市場経済のイデオロギーである。

これは別に目新しい考えではないとおもうけど。
19考える名無しさん:03/05/29 02:04
>広松の共同主観性論を構造主義的な関係論に転用したというべきかもしれない。

もともと広松の理論は構造主義でしょう。
20考える名無しさん:03/05/29 02:05
ところが、ところがなのです。
 最近の社会思想は、ソ連の崩壊を官僚制独裁、人間抑圧のせいして、
なたぞろ人間主義を全面開花させているのです。
 ミクロ経済学に新制度派、現象学的社会学派、リバタリアニズム、
法と経済学、新ウエーバー派などなど。
 マルクス派でも、柄谷・田畑などがアソシエーショニズムを宣伝し、
宇野派でも、伊藤誠の市場社会主義、須藤修の複合的ネットワーク、
金子勝のセイフティネット資本主義、新田滋の疎外論の復権など
ミクロ的人間主義が、思想界を制覇しているのです。
いまや忘れられた「人間は社会的諸関係の総体である」という
マルクスの名言を、サンデルのロールズに対する「負荷なき自我」批判
に結びつけ、資本論をリベラリズム批判の社会哲学として読んだのは
やっぱり青木の目新しさだと思います。


 
21考える名無しさん:03/05/29 02:14
ヘーゲルの史観は進化史観ではなく、始まりが既に常に
終わりを含んでいる円環的な循環史観でしょう。
22考える名無しさん:03/05/29 02:25
「人間の本質は社会的諸関係の総体である」

この「総体」を「完結した全体」と誤読することで、閉じた共同体主義
が胚胎するんだよな。マルクスはトータリティではなくアンサンブルと
いったわけで、この差異はあまりにも大きいが、共同体主義者はこの
差異が見えない、というか抹消する。だからむしろこのマルクスの命題は、
「人間の本質は社会的諸関係の”全体”には還元されない」と読むべきで、
これは実はクリプキの「固有名は確定記述の全体には還元されない」
という命題とパラレルの関係にある。
23名無子21:03/05/29 02:29
 「このさい一言だけしておきたいことがあります。共産主義の社会
といえば、私どもは、『共同社会』(ゲマインシャフト)のイメージ
で考え、それの典型として『家族』という“共同体”をモデル化しが
ちです。・・・しかし、マルクスがそういうベットリとした共同態の
相で未来の共産主義社会を考えていたかどうかは聊か疑問です。」
   広松渉『今こそマルクスを読み返す』講談社現代新書269頁

 このように、マルクス主義者広松と、家族を共同体のモデルにすえ
る青木は、全く異なると思われる。
 この新書程度で書かれていることを読み落としておきながら、広松
を取り込んだふりをするとは・・・。全く大した度胸で感服する。
24考える名無しさん:03/05/29 02:57
夫婦別姓批判なんて宮崎哲哉なんかもいってなかったっけ?
それで西部邁に持ち上げられて賞賛されたが、今では西部と袂を分かち、
西部の天敵である宮台真司とつるんでいる。
共同体主義者・宮崎の変節ぶりには、全く感服する。
25考える名無しさん:03/05/29 03:16
広松「(全体主義というのは)ゲマインシャフトの優位という思想
ですからね。ナチズムの場合、近代市民社会の原理であった自由・
平等・友愛の個人主義では理論的にも実践的にも妥当しないというわけで、
民族共同体の”全体”なるものに立脚すると称して、近代個人主義の
超克としての全体主義、共同体の原理による新社会を唱え、文化革命
をも含む”ナチス革命”を標榜したわけです。抽象的にいえば個人主義
か全体主義か、ということですけど、彼らの主張はゲゼルシャフトぁ
ゲマインシャフトか、この二者択一を迫ったかたちですよね。」
(「哲学に何ができるか」p283-284)
26 :03/05/29 05:17
> マルクスの名言を、サンデルのロールズに対する「負荷なき自我」批判
> に結びつけ、資本論をリベラリズム批判の社会哲学として読んだのは

このサンデルのロールズ批判は、サンデルの誤読だったということで
後で取り消したよね
青木タソはいまだにロールズ=普遍主義者と思ってるんだろうか?
27考える名無しさん:03/05/29 05:40
まじめだなぁここは
28考える名無しさん:03/05/29 09:47
>>19
そうなんです。私も広松理論のベースは,完全に構造主義だと思うのですが、
広松の弟子筋や哲学会では、広松を現象学の間主観性論の流れでりかいするものが
多いのです。野家啓一、高橋順一、熊野純彦らの哲学系はもいろん、経済学系でも
高橋洋児は山口的な行動論だし、石塚良次などは典型的なアナリティカル・マルクス派で
ミクロ経済学へ向かっています。
 それらに対し、青木はレビ・ストロースやアルチュセールの原義に引き戻して
構造主義の反進化主義(反弁証法)と反ディアディック・モデルにこだわる点で
広松の「逆用」だといったのです。
 精神的には、ほかの弟子より広松の魂をもっともよく継承していると思う。
ちなみに広松の『唯物史観と国家論』に書いた青木の解説は、広松の最初の文庫本とはいえ、
広松をもちあげすぎ。青木らしさが全然でてなかった。
29考える名無しさん:03/05/29 10:01
>>21
たしがにヘーゲルは始源に終点を含む円環をなすが、
同時に終点は最初の時点を豊富化し超克する。
いわゆる俗にいう弁証法的止揚があるのもたしかだ。
だからへ−ゲルの弟子は、スターリン主義者も含めて
ホーリックな俗流の進歩史観にはまっていった。
青木がカントとともにヘーゲル主義を批判したのは、
この点だろう。
30考える名無しさん:03/05/29 10:14
>>22
誰よりもこの点を強調しているのが青木だろう。
わざわざ総体にアンサンブルと仏文字までつけている。
マッキンタイアあたりのコミュニタリアンと区別して
共同体の実体化を回避するために、広松と構造主義を
援用しているといえるのではないか。
たぶん私が思うには、青木はホントは共同体なんて
どうでもよく、ホーリズム(コミュニズム)と
アトミズム(アソシエーショニズム)を両面批判したいから
コニュニタリアニズムにとびついたんじゃないかと思う。

31動画直リン:03/05/29 10:17
32考える名無しさん:03/05/29 12:37
>>26
サンデルがロールズへの批判を取り消したのは、
さきにロールズの側が、「無知のベール」に始まる原初状態と
社会契約論の仮説を取り消したからだろう。
これによって、ロールズが普遍主義リベラルからコミュニタリアンに
接近したから、批判の必要がなくなっただのはず。
サンデルには大きな変化はないんじゃないかな。
33胡雨:03/05/29 12:41
ツギノカタ ドーゾー!オマ!
34考える名無しさん:03/05/29 13:27
おもしろそうだね

買ってきます
35考える名無しさん:03/05/29 13:31
宇野派について知りたいんだけど、いくつか文献が絶版になっていて 困ってます
宇野先生に直接おしえてもらっていたおじさんからちょこちょこもらうくらいです

手に入る本で何かあればおしえてもらえませんか
36考える名無しさん:03/05/29 13:36
>たぶん私が思うには、青木はホントは共同体なんて
どうでもよく、ホーリズム(コミュニズム)と
アトミズム(アソシエーショニズム)を両面批判したいから
コニュニタリアニズムにとびついたんじゃないかと思う。

↑これさ、わざと誤読しているんだろうが、普通はこうだろう。

>たぶん私が思うには、青木はホントは共同体なんて
どうでもよく、ホーリズム(全体主義・アーキズム)と
アトミズム(アナーキズム)を両面批判したいから
コニュニタリアニズムにとびついたんじゃないかと思う。

コミュニタリアニズムが、アソシエーショニズムとコミュニズムの
双方を批判して、柄谷の理論をやっつけたつもりなのだろうが、
コミュニズムをホーリズムに還元し、アソシエーショニズムを
アトミズムに還元するのは、意図的誤読か、そもなければ、無知な
中傷。アナーキズム及びアーキズムを相互的に批判をして、
コミュニズムやアソシエーショニズムが出てきたわけだろう。
そういう柄谷のトランスクリティカルな視点を剽窃して、
コミュニタリアにズムの”勝利”を歌い上げるのは、ほとんど詐欺的。

37考える名無しさん:03/05/29 13:43
たぶん私が思うには、柄谷はホントは共同体なんて
どうでもよく、ホーリズム(全体主義・アーキズム)と
アトミズム(アナーキズム)を両面批判したいから
アソシエーショニズムにとびついたんじゃないかと思う。
38考える名無しさん:03/05/29 13:43
コピペうざいよwサヨ
39 :03/05/29 14:35
>>32
いやいや、そもそもサンデルが批判する原初状態の付加なき自我って
いうのが端的に誤解の産物で、これはサンデルが原初状態とういうのが
反省的均衡の「結果」として出てくるものだというのを誤解して、
「はじめに原初状態ありき」で考えていたからそうなったと
ここら辺のことは、渡辺幹雄氏の本にくどいくらいに繰り返し強調
されているから是非一読を
40考える名無しさん:03/05/29 14:50
渡辺幹雄さんの本を勉強してみます。
ご教示ありがとう。32
41 :03/05/29 14:52
いえいえ、どういたしまして
42考える名無しさん:03/05/29 15:28
コピペうざいよwサヨ

↑これは何語?
43考える名無しさん:03/05/29 15:28
>>23,25
広松が言っているのは、テンニエス以来のゲマインシャフトとゲゼルシャフトの
二項対立の不毛性だろ?それこそが、青木のいうホーリズムとアトミズムという対抗の
不毛性批判そのものじゃないかな?
だから広松がゲマインシャフト批判をしても当然だし、この点に青木となんの矛盾も
内と思うよ。上のほうでも誰か書いてたが、青木のコミュニティは関係による主体への
存在拘束性という、マルクスの大前提のことで、テンニエスとは関係ないだろう。
 それから家族モデルの共同体というが、青木は、家族(婚姻)が氏族共同体相互の間に成立する
市場の産物であることを認めている。ただその市場が共同体を完全に解体する資本主義
においては、パラドクシカルにも市場が家族を共同体として要請するという。
 しかも人間の共同性は重層的・複合的であって、家族・地域・階級・民族などのアンサンブルが
個人のアイデンティティをつくりだすという。この説のどこが、ナチスのゲマインシャフトに
似ているんでしょうか。
44考える名無しさん:03/05/29 15:34
>しかも人間の共同性は重層的・複合的であって、家族・地域・階級・民族などのアンサンブルが
個人のアイデンティティをつくりだすという。この説のどこが、ナチスのゲマインシャフトに
似ているんでしょうか。

似ているもなにも、そのまんまじゃん。
45考える名無しさん:03/05/29 15:42
>>35
宇野の本はたしかに出てるのが少なくなったなあ。
出版社名を気にしないなら、こぶし文庫から『価値論』と
『資本論と社会主義』がでてるよ。もっとも、そのままでは、
いまや全然古いけどね.宇野に忠実な宇野の解説書としては、
最近、社会評論社が『降旗節雄著昨集』をだしつつあるから、
その2巻にはいってる「宇野理論の解明」がおすすめかな。
これも今では、めちゃくちゃ骨董品だけど、宇野理論の初心を
知りたいなら、読んどいて損はないと思います。
46考える名無しさん:03/05/29 15:48
広松は主体の存在被拘束性をいうのは、資本主義的生産関係の
歴史的可変性をいうためなんだけどね。例えば、合理的経済人
という人間の本質規定は、資本主義的諸関係から規定されたものだ
が、その諸関係を変えることで、その人間の本質規定もまた
変わりうる。階級や民族といった資本主義的諸関係に副次的に
伴う関係性が人間の本質を規定するといっても、広松の本意は、
それらの諸関係を共産主義的諸関係に構造変動されることにしか
なかったし、その基礎固めとして、あの抽象的な関係主義の構築
をしていたにすぎない。その抽象性は逆にいまある所与の諸関係
歴史性をむしろ強調するためだろう。
47_:03/05/29 15:50
48考える名無しさん:03/05/29 16:00
>市場が共同体を完全に解体する

↑ここがそもそも間違っているんだな。ほとんどSF的夢想。
49考える名無しさん:03/05/29 16:00
というか、被害妄想。
50”管理”人:03/05/29 16:05
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51考える名無しさん:03/05/29 16:06
階級も民族も資本主義の力の場が不断に再生産する関係性
だからね。なんで、こんなもので自己のアイデンティティを
固定的に規定しなければならないのかね?この手の存在規定を
マルクスは幻想の共同性といって、徹底的に退けたはずだが。
文盲でない限り、そんなことは自明のはずだがね。
52考える名無しさん:03/05/29 16:19
>>36
前に、「柄谷解体4」のスレにも書いたけど、柄谷が宇野の価値形態論を
ホントに理解していたら、絶対、断言して絶対、「個人的所有者の
アソシエーション」という展望は出てこない。価値形態論の最大の成果は、
リンエルと上着の交換不可能性を説いて、買い手(貨幣)の優位を
導き出すことよりも、所有が最終的に自己労働によって根拠づけられない
ことを明らかにした点にある。宇野自身も、個人的所有者というのは、
商品の売買からは出てこず、労働自身が商品の形式で労働力の売買として
行われるとき、はじめて労働が所有が基礎づける関係にある、という。
(青木『コミュニタ』137頁。)
柄谷が個人的所有の再建やそのアソシエーションをいうのは、
なんとしても理解しがたい。きっと平田系の市民社会派の残党や、
田畑稔や表三郎なんかに,いいかげんなことを吹き込まれたんだろう。
 そういう訳で、アトム的個人のアソシエーションは、ホーリックな
理性の権化の設計主義的コミュニズムとともに、受け入れられない。





53考える名無しさん:03/05/29 16:30
>個人的所有の再建

これはマルクスが「資本論」第一巻で言っていることじゃん。
54・・・・・:03/05/29 16:43
柄谷信者がみんな、ごちゃごちゃ青木批判をしてるけど
昔のコミュニズム信者みたいに、生産力だか市場経済だかの
グローバルな発展の延長に、弁証法的に、自由な個人が自発的に
アソシエーションを作り始めると、本気で信じているのか。
おめでたい馬鹿。柄谷ははじめから冗談。
そうでないなら、今ある共同体を守る以外にないだろべが。
青木はいまでもサヨクのつもりらしから
どうだかしらないけど、オレ、保守派こみゅにたりあん。
55考える名無しさん:03/05/29 16:43
>所有が最終的に自己労働によって根拠づけられない

???
56考える名無しさん:03/05/29 16:47
>今ある共同体を守る以外にないだろべが。

守らなくても不可避に残るって、そんなもの。
57考える名無しさん:03/05/29 16:51
>>53
だから「資本論」の構成を変えることで、
資本主義の理解だけでなく、マルクスの
コミュニズムのイメージまで180度
変えたのが、宇野理論なのだ。倫理的に
柄谷は、宇野を「資本論1巻」に引き戻し、
青木は、宇野を極限まで突き進めた。
58考える名無しさん:03/05/29 16:56
>柄谷は、宇野を「資本論1巻」に引き戻し、

だから、柄谷は宇野ではなくヴァレリーや小林秀雄から
資本論の読み方を学んだって、本人が言っているでしょ。
59考える名無しさん:03/05/29 17:00
>>55
所有の根拠を最終的に自己労働に求めたのが
ロック=ノージックの自己所有権テーゼ。
いわゆるリバタリアニズム。
分析派や市民社会派マルクス主義はこれに依拠して
搾取を論証しようとした。
宇野派は搾取論に疑問を呈し、
青木は自己所有権テーゼもろとも搾取論を否定した。
60考える名無しさん:03/05/29 17:08
>>58
柄谷は卑怯だから理論的に都合が悪くなると
自分は文学者だと言い出す。
えばりたいときだけ、自分は
そこいらの文学評論家と違って
東大で、鈴木コウイチロウを通じて
宇野理論を徹底的に学んだという。
61考える名無しさん:03/05/29 17:11
>所有の根拠を最終的に自己労働に求めたのが
ロック=ノージックの自己所有権テーゼ。
いわゆるリバタリアニズム。

自己所有権テーゼを一番否定しているのは、ほかならぬ
資本主義自身だろうな。だって、マルクスが言うように、
自己労働に基づく所有を否定すること、つまり、労働主体から
生産手段を分離することで、資本主義は近代的私有権を確立
したんだから。
62考える名無しさん:03/05/29 17:13
>宇野理論を徹底的に学んだという

というか、徹底的にバカにしている。
63考える名無しさん:03/05/29 17:19
柄谷は鈴木に対しては、ヘーゲル的に一貫しすぎている
と批判し、逆にそこからマルクスとヘーゲルの差異を
知ることが出来たといっている。つまり、鈴木だろうが、
宇野だろうが、柄谷にとっては反面教師として機能して
いたことのはうが大きい。いかにこいつらがマルクスを
理解していないかということでね。
64考える名無しさん:03/05/29 17:27
>>61
リバタリアニズムの否定者こそ資本家だということね(w
これほどのアイロニーもないだろう。
65考える名無しさん:03/05/29 17:48
>>61
ぜんぜん分かってないなあ。
だから「自己労働にもとずく所有」というのは、労働者が労働力を
商品化して生産物を買い戻すところに、はじめて成立する
イデオロギーだ。フィクションだ。
あるいは資本家が購入した労働力で生産した商品だから
はじめて所有できるのだ。
労働したって当然にオカネが所有できるわけじゃない。
所有は、マルクス=宇野=青木が強調するように
貨幣で買う意外に手に入れる方法はない。
モノの所有に労働なんて初めから関係ない。
「労働にもとづく所有」というリバタリアニズムこそ
資本主義の最高のイデオロギーなのだ。
資本主義はそれを否定するのでなく、
徹底的に全面的に肯定する。
この点が分からないと青木のいうことは、
永遠に理解できないだろうな。
66考える名無しさん:03/05/29 18:15
>>45
レスサンクス
中学の時、近くに宇野派で学んだ経済の先生がいたんで個人的に経済学をおしえてもらってたんだけど、
いざ自分で集めようとおもうと絶版が多くて困る


67考える名無しさん:03/05/29 18:16
>だから「自己労働にもとずく所有」というのは、労働者が労働力を
商品化して生産物を買い戻すところに、はじめて成立する
イデオロギーだ。フィクションだ。

だから、自己労働に基づく生産物所有の可能条件が労働主体が同時に生産手段の
所有者である場合に限るという話をマルクスはしてんでしょ?
その可能条件を否定することで、資本主義は近代私有権を確立するんだから、
自己労働に基づく所有という構成自体が資本主義下では成立しないの。
その下では、労働者が生産した労働生産物は、その手を離れ、生産手段の私有者
である資本家(非労働者)の所有下に置かれ、交換財として商品形態を纏うことになる。
そして、彼は市場におもむき、商品所有者として交換過程に入ることになる。
その際、今度は、労働者が労賃を引っさげて、消費者=購買者として資本家=
商品所有者に相対し、それを買い戻すが、そこから剰余価値が発生する。それは
労働の価値と労働力の価値の差額から生まれるものだが、それはまた、労働者が生産手段の
所有者でないという条件(労働者が労働力商品の売り手としてあらわれるという条件)
が結果可能にした事態で、つまり、自己労働による所有が成立していないことにまさに
その根拠に持つ。

「自己労働にもとずく所有」はイデオロギーでもなく、フィクションでもなしに、
そんなものは資本主義が存続する限りは始めから存在していないし、逆にそれは資本の
再生産条件でさえある。
68考える名無しさん:03/05/29 18:20
「自己労働にもとずく所有」はイデオロギーでもなく、フィクションでもなしに、
そんなものは資本主義が存続する限りは始めから存在していないし、逆にそれは資本の
再生産条件でさえある。



「自己労働にもとずく所有」はイデオロギーでもなく、フィクションでもなしに、
そんなものは資本主義が存続する限りは始めから存在していないし、
逆に「自己労働にもとずく所有」が不可能であるという制約条件は資本の
再生産条件でさえある。
69考える名無しさん:03/05/29 18:57
熾烈な戦いだね、ちょっと期待
70考える名無しさん:03/05/29 19:41
 あのね。それは宇野理論でなく
俗流の正統派マルクス主義、つまりsターリン的「資本論」理解。
このスレにくるなら、青木の「コミュニタリアニズムへ」とともに
前作「ポスト・マルクスの所有理論」ぐらい読んでおけよ。

宇野理論の初歩的解説になるが、宇野は「資本論」冒頭の商品から
価値実体としての労働をはずして、これを資本の生産過程へ移した。
そして商品・貨幣・資本を労働を前提としない流通形態として説いた。
資本主義は、この流通形態があらゆる社会に共通の生産過程を
包み込むところに、初めて成立する。したがって資本主義は
労働力の商品化を介してのみ生産過程を獲得する。
 
71考える名無しさん:03/05/29 20:08
(つづき)
これを所有論として読みこめば、どう理解できるか、というのが、
青木の前作のテーマ。
まず資本主義とは、かならずしも労働と関係のない流通によってなりたつ。
だから人がモノを「所有」する方法は、労働することではなく、貨幣で買う
のが唯一の方法である。
では人々は、なぜ所有を労働と結びつけて理解しようとするのか。
それは資本主義では、流通が労働・生産過程を包み込んで、
あたかも労働・生産が流通の前提であり根拠あるかのごとく見えるから
である。これが、あらゆる近代イデオロギーを実体化するゆえんだ。
流通が生み出す「所有」というイデオロギーがまるで生産過程の
「労働」の結果に見える。
青木は、宇野理論を徹底的に推し進めて、労働価値説も
「労働にもとづく所有」と同根の自然法イデオロギーと不可分だ、
とまで言っている。
 マルクスの「労働にもとづく所有」が弁証法的に反対物に転化し
「不払い労働の領有に転回する」という領有法則転回論は
まったく成り立たない。
 そんなものは、資本主義の前提に単純商品生産があるはずだと
考えるスターリン的デマコギーである。これ宇野理論の常識。
72考える名無しさん:03/05/29 20:26
(さらにつづき)
 ついでに常識を付け加えておくと
「自己労働にもとづく所有」の否定の否定として、マルクスは
「資本論1巻」の最後で社会主義を説いた。一般に
「個人的所有の再建」論といわれる。
昔これにとびついたのが、市民主義マルキスト、たとえば平田清明。
最近このオウム返しをしているのが、アソシエーショニスト。
柄谷ほかいっぱいいる。
もう分かるだろうけど、この個人的所有論をもっとも批判したのが、
宇野弘蔵。青木は、宇野を突き詰めて、個人的所有の正当化の背後には
自分の身体は自分のものと考える自己所有論があると主張している。
ロック=ノージック的リバタリアニズム(自己所有論)を青木が
徹底的に批判する理由は、たぶん、この文脈にある。
これが、宇野理論からコミュニタリアニズムへの道だろう。

これを
73考える名無しさん:03/05/29 21:21
生産手段の所有関係はどこにいったんだ?この観点を捨象するなら、
マルクスを読まないほうがいい。どの道理解できないし、くだらない
曲解と誤読に終わるから。特に「ゴータ綱領批判」なんかはまず読めない
だろう。マルクスがなぜ生産協同組合運動を高く評価したかが解らない
はずだ。

つまるところ、宇野学派には碌なのがいないし、その中でもこの青木という男
が一番出来が悪そうなのがよく解った。理解出来たのはただそれだけ。
74考える名無しさん:03/05/29 22:04
マルクスは、生産関係の法的表現を生産手段の所有関係といっている。
生産手段の所有関係という法イデオロギーから社会関係を逆立ちして
説明したのは、スターリンだけです。
それから、流通形態としての資本は、共同体と共同体のすきまに存在
するのだから、生産手段の所有関係とは、何のかかわりもない。
しかし資本が生産過程を獲得するためには、共同体を解体して
共同体の中にある労働・生産過程に入りこまなければならない。
宇野理論では、ここで初めて「労働力の商品化」が問題となる。
しかも労働力が商品化するには、共同体の土地・生産手段を私有化
して、そこから労働力の分離が必要となる。
だから、宇野理論では、労働力の商品化と土地・生産手段の商品化が
表裏一体のものと規定される。決して「生産手段の所有関係」を
否定するのではなく、所有とは、しょせん商品化のイデオロギーであり、
土地・生産手段と労働力が商品化されるところ、すなわち
共同体が解体をとげる資本主義でのみ、イデオロギー的に確立する、と
言っているのです。
75考える名無しさん:03/05/29 22:05
だれにいってんだ>>70
76考える名無しさん:03/05/29 22:21
77!!!!!:03/05/29 23:19
ここは、すごくまじめだけど、
リベラル・コミュニタリアンの政治思想論争と
宇野経済学と正統マルキストの論争と
アソシエーションとコミュニティの社会学論争と
カント主義とヘーゲル主義の哲学論争と
ぜーんぶいっぺんにでてくるから
ついていくのがたいへんです。
青木の本って、ほんとはどの分野?
きっと本屋さん、どこにならべたらいいか
わからないで、苦労してるぜ。
78!!!!!:03/05/29 23:29
あと、所有権論の法学と
   家族の人類学と
   日本資本主義論争の歴史学と
   夫婦別姓の時事論もあったか。
よくいえば博覧強記、悪くいえば何でもかじり。
全部読みきれないけど、なんか読み応えありです。
79名無子21:03/05/30 03:27
 青木批判をしたら、いつの間にか柄谷一派に含められているは、まあどうでも
いいけどさ。
 青木擁護派は、イデオロギー・イデオロギーとほざいているけどさ、広松は、
常に認識しようにも「それ以上の何か」がひっついてくるというわけでしょう。
それは常に認識は純粋ではありえず、「虚構」がひっついてくる(それゆえ、
本当は「現実/虚構」という二項対立を想起するような表現はさけるべきなの
だが)。
 こうしたことからすると、イデオロギーという言葉が批判概念になるのか。
 それが疑問の第一点。
80名無子21:03/05/30 03:36
 青木の言いたいことが、個人主義否定、コミュニズム否定、そこでコミュニタ
リアニズムというのも形式的整理としてはわかる(この言葉の用い方は今は批判
しない)。
 しかし、彼は家族やら、町内会やら例をだし、本の末尾で共同体の条件を提示
する。しかし、その条件はどうよんでも青木の批判するコミュニズムにしか見え
ない。
 また、別の観点からいえば、現在では、引っ越しとかざらなわけでしょう(銀
行員一家、裁判官一家などなど)。そうすると、地域的コミュニティーを重視す
る青木の立場だと、その人らの位置づけがみえない。悪意に解釈すれば、しばし
ば引っ越しをしている連中は被差別集団にしてよいという議論にしかみえない。
 これが青木に関する疑問の第二点。
 別に青木の全否定をしているわけではなく、その限界あるいは今後の検討課題
を提示しているわけだよ。
 これ学問の常識。
81名無子21:03/05/30 03:52
 それと青木との状況認識の違い。
 青木はリベラリズムが世界制覇していると言っている。
 確かに、市場が拡大しているし、またその制度も整っている面がある。
 しかし、他方で、閉じたEUとか、国際法など無視し、ローカリズムの側面
を強く持つアメリカの動きを見ていると、とても簡単にリベラリズムが世界
制覇しているとはいえない。
 また、青木の議論は日本にそのままあてはまるとは思えない。個人所有を
追求と位置づけているが、株主の権利をほとんど無視して突っ走ってきたの
が日本の会社なわけでしょう(最近はもう少し複雑だが)。あるいは、社会
国家的な側面がかなり濃厚でしょう。アメリカ人のかなり多くが保険に入れ
ずに医者にいけない状況に比べれば。
 そういう意味で、何かでっかいこと言っているわりに、具体性がない(つ
まり悪しきマルクス主義の伝統を引きずっている)。
 個人的には『コミュニタリアニズムへ』は、ほかのマルクス経済学者の批
判を全部省略して、自説開陳のみに専念すれば、いいんだと思う。そうしな
ければ具体的なビジョンが全くみえない。
 ウォルツァーだって、いろいろ批判はあるけど、読まれるのは具体的な記
述が多いからでしょう(論敵ドゥオーキンもその点を評価している)。
82考える名無しさん:03/05/30 11:42
>>79 名無し21さんへのレス
 青木がいうイデオロギーというのは虚偽意識や虚構一般のことじゃなくて、
市場経済のつくりだす「人間」やそ自由・平等というリベラリズムの
普遍的正義への疑問の意味であり、反対に、はじめから特殊性を前提と
している多様な共同体のローカルな観念のほうが、逆に信じるに足りる
というような意味じゃないの?
>>80
 青木は、やっぱり今でもコミュニストでしょう。柄谷や最近いっぱい
いるリベラルではない、コミュニタリアン的コミュニズムをめざして
いるんじゃないの?
 それから別に引越ししてもいいんじゃないの。青木の言いたいのは
そいう具体的なことじゃなくて、人間が自由意志で社会をつくる
社会契約論のスタンスは逆立ちしているということを言うために
アイデンティティの構成根拠を共同体と呼んでいるだけなんじゃ
ないですか。



83考える名無しさん:03/05/30 11:58
サヨ自演うぜーーーー
84考える名無しさん:03/05/30 12:02
>>81
状況認識の違いは、どうしようもない。
だけど、イラク戦争にみられるように、アメリカン・デモクラシーの
世界制覇志向は明らかで、これにバカな反戦運動みたいに
ジョン・レノンのイマジンやスマップの歌を歌って、世界中
宗教も国境もなくなって、みんな個人主義リベラリズムになって
世界は一つと歌われたんじゃ、アメリカの戦争応援歌じゃないか。
 実際、戦争支持も戦争反対も、リベラリズムを旗印にしてる。
だから、あの戦争にほんとに反対しようと思ったら、
グローバルなリベラリズムの普遍主義に対して、イスラミック・
コミュニタリアニズムの文化的個別主義を擁護するしか
ないと思います。これ、コミュニタリアニズムの具体化の例。
85名無子21:03/05/30 13:01
 とりあえず、2ちゃん用語に習熟していることを示すのみの83は無視する
として。
>>82
 アイデンティティーの構成根拠を共同体と呼んでいるだけというのは、半分
承認。半分反対。
 完全に共同体によって規定されているなら、既に共同体と同一化してアイデ
ンティティーと呼べないでしょう。共同体から自律する可能性があってこその
アイデンティティーじゃないの。以上が半分反対の理由。
 また、引っ越しばっかりの人間についてそのアイデンティティーが共同体に
よって構成されるということはそもそも妥当なんだろうか。
86考える名無しさん:03/05/30 13:30
田吾作と土人のための本だろ、これ。
87sage:03/05/30 13:44
そうです。でもサヨの本ではありません。
88考える名無しさん:03/05/30 14:04
田吾作と土人はサヨの本は読めません。なぜなら
馬鹿だからですね。
89考える名無しさん:03/05/30 14:07
いやですね、野蛮で。本当に。
90考える名無しさん:03/05/30 14:24
あーあ、また1930年代的な問題構成を
無邪気に反復しているな。

なん言うか、余りに歴史のプログラム通りに動いているんで、
その凡庸さには、呆れるほかないけどね。
91考える名無しさん:03/05/30 14:27
一度目は悲劇として、二度目は笑劇・茶番としてだけど。
92考える名無しさん:03/05/30 14:37
ロールズ的普遍主義→ローティー的多文化主義→コミュニタリアン

という流れは物凄くありがちなパターン。だから、今やコミュニタリアンが
主流であって、リベラリズムはむしろ少数派。コミュニタリアンが
反時代的なんて言い草は、冗談にも笑えない。
コミュニタリアンこそ今や時代的な主流派なんだから。この時代の感性ならぬ
時代の「慣性」に抵抗することが、本当の課題なんだが。
93考える名無しさん:03/05/30 16:21
 で、時代の「慣性」に抵抗すると、またまたリベラルな個人を
賞賛して、Jレノンやスマップを謳うロールズ主義者になるんでしょうか?
時代の本当の課題を果たすと、
アメリカン・グローバニズムと市場原理主義をうけいれて、世界資本主義の未来に
リベラルな個人がボランタリーにアソシエーションを展望するのでしょうか。
柄谷は、反時代的で少数派だったんですねえ。
コミュニタリアンが時代の主流派というのは、はじめて知りました。
マルクスをリベラルに読むインテリは日本に腐るほどいますが、
コミュニタリアン的マルクシャンは、寡聞にして知りません。
主流の方々をよろしければご教示ください。
94主流派:03/05/30 16:41
>>90
 いつもいつも1930年代の危機の再来を叫び、
歴史のプログラムとかいう必然性史観を語り、
自立した個人だけがファシズムに抵抗できるらしい。
そういえば、レーニンの昔から個人の自由を奪うものを
「帝国」主義とよんでいたなあ。最近は、それに抗するものを
国際プロレタリアートと呼ばず、マルチチュードとか
いうらしいけど。やっぱり、
これが時代に抵抗する「主体」でしょうか。
95考える名無しさん:03/05/30 17:10
コミュニタリアン的マルクシャンは、寡聞にして知りません。

↑ははは。コミュニタリアンになることはマルキシズムを
捨てることじゃん。コミュニタリアン的マルクシャンなんて
そもそも存在しない。「寡聞にして知りません。」そりゃそうだ。
いないものを知ることは出来ないからね(w
96考える名無しさん:03/05/30 17:18
Jレノンやスマップを謳うロールズ主義者になるんでしょうか?

↑馬鹿ですか??
97考える名無しさん:03/05/30 17:23
>いつもいつも1930年代の危機の再来を叫び、
歴史のプログラムとかいう必然性史観を語り、
自立した個人だけがファシズムに抵抗できるらしい。

当たり前じゃん。
98考える名無しさん:03/05/30 17:46
>柄谷は、反時代的で少数派だったんですねえ。

柄谷が時代的で多数派だったら、NAMの運動はもっと盛り上がって
いただろう。NAMの失敗をさんざん揶揄しといて、柄谷が時代的で
多数派だというのは、ほとんど関係妄想か、さもなければルサンチマン
以外のなにものでもないだろう。
99考える名無しさん:03/05/30 17:52
浅田: その第III期ですが、一方では、いままでの延長ということで、淡々
と続けていきたいと思うんですね。そもそも、柄谷さんが最初から強調して
いたのは、特集主義で人為的に盛り上げるのはやめ、誰もが本当に書きたい
ことを書けるような開かれた言説の空間を確保するということでした。いま
までもそういう方針でやってきたつもりだし、これからもそのまま淡々と続
けていきたいと思うんです。一部には、『批評空間』グループという閉じた
セクトがあるかのように言う人もいる。あるいは、『批評空間』がある時期
に日本の知的シーンをリードしたかのように過大評価し、そこから反転して
、『批評空間』はもう終わったとか、俺はあんなものに背を向けてひとりで
やっていくとか、そういう大げさなことを言う人もいる。しかし、少なくと
も僕としては、それはこちらの意図と違うし、事実とも違うだろうと思いま
す。理性というのは、ひそかに、しかし執拗につぶやき続けるものだという
フロイトの言葉を柄谷さんがよく引用していますが、『批評空間』も、まさ
にそのとおり、部数からいってもごく小さな場所で、ひそかに、しかし粘り
強く、批評的な言説を紡いでいくことができればいいと思ってやってきたし
、これからもそういうつもりでやっていきたいと思っているんです。

http://www.criticalspace.org/book/03001_st1.html
100考える名無しさん:03/05/30 17:57
>一部には、『批評空間』グループという閉じた
セクトがあるかのように言う人もいる。あるいは、『批評空間』がある時期
に日本の知的シーンをリードしたかのように過大評価し、そこから反転して
、『批評空間』はもう終わったとか、俺はあんなものに背を向けてひとりで
やっていくとか、そういう大げさなことを言う人もいる。

ここにもいるぞ。柄谷グループが主流派で多数派で時代的だと錯覚し、
過剰反応している人たちが。
101考える名無しさん:03/05/30 18:52
コミュニタリアンは潔くマルキシズムをお捨てなさい。
そうすればすぐあなた達のお仲間に会えるから。

マルキシズムを採りつつ、コミュニタリアンたろうとするから、
自分は少数派で反時代的だと錯覚する。マルキシズム自体もう
死んだと言われて久しいし、それ故それは少数派たらざるを得ない上、反時代的に
なるほかない。しかも、コミュニタリアン・マルキシズムなんてのは
そもそも定義矛盾だから、余計コミュニタリアン・マルキストは
自分を少数派で反時代的だと錯覚することになる。
しかし、それは単にカテゴリーミステイクをしていることから来る被害妄想に過ぎない。

ここで見誤ってはならないのは、少数派であり反時代的なのはマルキシズム
であって、コミュニタリアンではないということ。さらに、見誤ってならないのは、所謂
グローバリゼーションがリベラリズムの運動だけを意味するのではないということ。
グローバリゼーション(資本の世界化)を単にリベラリズムの運動だとするのは、
近代国家や民族という共同体(ネーション=ステート)がそもそも資本主義の現実的
力が事後的に構成したということを忘れている。だから、資本主義の世界化の果てに、
共同体がすべて死滅することなどあり得ないどころか、かえって、それを不断に再生産する。
だから、グローバリゼーションが主流の運動であるならば、共同体運動もまたそれと
相補的な対をなすが如く主流の運動をなすことになる。

その対をなす二つの主流派の相補的運動で常に既に排除されるのが、資本主義のみならず、
共同体にも同時に抵抗するマルキシズムの運動であることを忘れてはならない。
マルキシズムとはリベラリズムとコミュタリアニズムの共犯的相補関係を
トランスクリティークする運動に与えられた名にほかならない。

繰り返すが、資本主義が共同体を壊滅させるのではない。それは再度不断に共同体を
再生産するのである。コミュニタリアンが愛してやまない家族や民族や階級や国家の共同性は、
ほかならぬ資本主義が事後的に構成したものなのだ。それ故、グローバリゼーションが
いかに進捗しようとも、共同体が死滅することなどあり得ない。
102考える名無しさん:03/05/30 20:48
>ロールズ的普遍主義→ローティー的多文化主義→コミュニタリアン

↑ローティは自らエスノセントリスト(自民族中心主義者)だと称している
から、彼はコミュニタリアン(共同体論者)でもあるし、ロールズは普遍主義
を放棄し、ローティがその変節を賞賛したので、結果、コミュニタリアンが
理論的に優勢ということになる。(大澤真幸「文明の内なる衝突」を参照せよ)

それ故、コミュニタリアンが反主流や反時代性を気取るのは欺瞞である。それこそ
今最も保守的な制度のなかで承認されている立場に過ぎない。一体コミュニタリアンは
何に「対抗」しようとしているのか?グローバリズムにか?しかし、グローバリズムが
共同体の結束をかえって強めることは自明だろう。というか、コミュニタリアニズムは
グローバリズムの必然的帰結でさえある。岩井克人の不均衡動学が明らかにするように、
市場の安定化にはそれとは異質の共同体を不可避に要請してしまうのである。

エスノセントリストやコミュニタリアン(共同体論者)は、おそらくグロー
バリズム・市場原理主義を通してこそ、その初心を貫徹することになるだろう。
この相補的共犯関係に無自覚な者は、単にカスである。
103 :03/05/30 21:23
ローティは『正義論』のときから普遍主義者じゃないと思うけどなあ
大澤は多分ちゃんと『正義論』読んでないと思われ
104 :03/05/30 21:23
まあ、そんなことはどうでもいいんですけどね
105考える名無しさん:03/05/30 21:54
>>101
いよいよ柄谷一派の真打の登場か。よろしい。受けて立とう。
資本主義が、家族や民族=国家を事後的に構成する。このテーゼは正しい。
しかし、いささか乱暴である。なぜなら
資本主義が、労働力の再生産の場として原理的に要請する家族のような共同体と、
資本の蓄積様式の不均等から導き出される民族=国家「共同体」とは、
その共同体としての意味が根本的に異なるからである。
たしかに前者は、市場自身が構成するといってもよいが、
後者は、むしろ市場に対し一定の制約要因をなす。
このことは、20世紀資本主義が金融資本的蓄積を制限することによってのみ
存立し、いわゆる福祉国家であれファシズム国家であれ、それは、
家族機能を極限まで縮小させ、反対に、民族=国家組織を際限なく肥大化させたことに明らかだ。
では21世紀資本主義はどうか。もう分かるだろう。
バーチャルな商品が実体経済を遊離してサイバー空間を瞬時に飛び交う
、世界資本主義ならぬ地球資本主義市場は、
もはや資本の再生産の場も福祉的国家も要請しはしない。
それは、あらゆる人間紐帯から人体や臓器、性行為や夢や理想まで
市場に投げ入れていくではないか。資本のグローバリゼイションが
家族や民族=国家と共存不可能となった時点で、これまでの
資本主義からの退行を保守・右翼、資本主義からの進歩を革新・左翼とする
思想区分は、すべて無効となった。おそらく個人の自立・自己決定・自己所有
というリベラルなイデオロギーは、市場の普遍化とともに、左右の区別を問わず
一方で家族を、一方で民族=国家を掘り崩して進捗していくだろう。

「資本の文明化作用」や「領有法則の転回」「個人的所有の再建」「アソシエーション」
などという市民主義的マルクス主義の妄想は、アメリカン・デモクラシーに
先導されたグローバル・リベラリズムに対して、なんの抵抗にもならず、
むしろ、これに迎合し称揚し加速させるだけだろう。マルクス自身の志向性は、
リベラリズムに溶解したマルクス主義と逆のものである。


106考える名無しさん:03/05/30 22:59
>おそらく個人の自立・自己決定・自己所有
というリベラルなイデオロギーは、市場の普遍化とともに、左右の区別を問わず
一方で家族を、一方で民族=国家を掘り崩して進捗していくだろう。

進捗していかないと思うけど。なぜなら、ほかならぬ君たちコミュニタリアンがそれを
阻止するだろうからね(w。だから、君たちコミュニタリアンがいる限り、
逆説的に資本主義は不均衡累積過程から免れ安定化し、生き延びてしまうのだよ!!
107名無子21:03/05/30 23:22
 番号はレス番号

【リベラリズムとコミュニタリアニズムのどちらが主流か】
 リベラリズム(105)→理由:市場化
 コミュニタリアニズム(92)→理由:時代の流れ
 どちらともいえない(101)→理由:共犯関係

【「リベラリズム主流」説対「どちらでもない(共犯関係)」説】
 共犯関係説(101)の批判をどうするか。反論:20世紀には共犯関係に
あっただろう。しかし、21世紀には市場が共同体を掘り崩す(105)。
 再批判:貿易に関するアメリカの保護主義的な政策をいかに位置づけるか。
 なお、コミュニタリアニズム主流説は、学説史を整理しているようなのでそ
もそも対立軸が違うように思う。

【共犯関係説の課題】
 共犯関係はいかなる意味においての共犯か。→市場の安定化のための共同
体(102)。
 市場の安定化とは、具体的に何を意味するのか。岩井の議論の要点は、理
論的に市場は自立することなく、外部を要請するものであるということ。
 では具体的には何か?

【トランスクリティーク?】
 リベラリズムとコミュニタリアニズムの共犯関係を横断すること。
 具体的には何か。柄谷流アソシエーションか。
 2ちゃんねるに書き込むためのパソコンはアソシエーションで手に入るの
か(アソシエーションの現実性)。
108カス:03/05/30 23:24
たしかに>>101のいうように、資本主義のグローバリゼーションが主流の流れ
であるから、共同体運動も、それに対をなして現れるというのは、正しい。
また>>102のいうとおり、コミュニタリアンは、グローバリズム・市場原理主義を
通してこそ、その初心を貫徹できるというのも、そのとおりかもしれない。
しかし、それなら「相補的な対」や「相補的共犯関係」をなさない、「カス」ではない
「運動」「思想」のとは何かを教えてもらいたい。
それがマルクス主義だなどと気取っても駄目だ。そのマルクス主義の中身を
尋ねているのだから。アソシエーショニズムなどというのは、コミュニタリアニズムより
はるかに資本主義のグローバリゼーションに相補的で共犯的というより、
適合的で同伴的な運動であり思想だろう。それは、独立した個人の気紛れな契約的参加
という意味において、資本主義の主流派イデオロギーとしてのリベラリズムそのもの
なのだから。
109考える名無しさん:03/05/30 23:38
>しかし、それなら「相補的な対」や「相補的共犯関係」をなさない、「カス」ではない
「運動」「思想」のとは何かを教えてもらいたい。

「ゴータ綱領批判」でも読めば?

110考える名無しさん:03/05/30 23:45
>そのマルクス主義の中身を尋ねているのだから

マルクス=エンゲルス全集でも読めば?
111考える名無しさん:03/05/31 00:09
>2ちゃんねるに書き込むためのパソコンはアソシエーションで手に入るの
か(アソシエーションの現実性)。

だから、こういうパラドクスが起こらないためにも、コミュニタリアンにように
「資本の文明化作用」は全否定してはならないということだ。
112考える名無しさん:03/05/31 00:49
>>111
どこのコミュニタリアンが「資本の文明化作用を全否定する」と言ったね?
資本の文明化を手放しで賞賛し、その進歩史観の延長に未来を展望するのを、
リベラリズムの普遍主義というのだ。
コミュニタリアニズムは、あくまでそのような普遍主義に反対し、
個別的に異なる文化をもつ共同体の共存を主張する特殊主義にすぎない。
それにしてもリベラル・マルクス主義者は、資本の文明化の行く手に
アソシエイトされた個人のコミュニズムが待っていると、本気で
信じているのかねえ。たぶん資本の自己増殖の永久運動を、永久に
支持していくんだろうな。そしてウルトラ資本主義者になるんだろうな。

113考える名無しさん:03/05/31 00:55
>>109>>110
いえ、宇野の原理論と広松の物象化論を読みます。
114考える名無しさん:03/05/31 01:05
「資本の文明化の行く手に」は「アソシエイトされた個人のコミュニズム」
ではなく、「共同体の共存」が「待っていると、本気で信じている」。

115考える名無しさん:03/05/31 01:07
いえ、柄谷の「トラクリ」を読みます。
116考える名無しさん:03/05/31 01:11
1000円くれるって。
http://f15.aaacafe.ne.jp/~storm/
117考える名無しさん:03/05/31 01:36
二次文献が大人気。
118考える名無しさん:03/05/31 01:50
それにしてもコミュニタリアン・マルクス主義者は、資本の文明化の行く手に
個別的に異なる文化をもつ共同体の共存の壊滅が待っていると、本気で
信じているのかねえ。たぶん資本の自己増殖の永久運動に、永久に
反対していくんだろうな。そしてウルトラ資本主義者を裏から支えるんだろうな。
119aa:03/05/31 02:00
個別には破壊される共同体があるし、あった。資本の文明化の途中に、末に。
ただ、1やったから2もついにはnも、というぐあいにはいかない。
資本が壊していけバイクほど後ろから、よこから、つぎつぎにとはいかないけど
にょきにょき生えてくる、あるいはあれよと新たに見つかる。
絶えざる追いかけっこのようなものでしょ、と論理的に敷衍できるか。
ただし絶対数はそれこそ生物がいろんな影響のもとで絶滅品種を増やしていってる
ごとくに、減りつづけるんじゃないかな。それでもなくなる、ということはありそうにない。
小さなものがなくなってもより小さな形で生き残り、あるいは見つかるからとすればね。
反動もきくしね。
120考える名無しさん:03/05/31 02:17
複数の価値体系がなければ、商人資本は運動が出来ない。だから、
その手の特殊な複数性は必ず残る。というか、商人資本自体が残す。
というか、なきゃ差異化して自ら作り出す。
121aa:03/05/31 02:32
うーん、グローバルな規模でいえば「なくならない」。
けれども、リージョナルに、ローカルにみていくと「なくなるものもある」。

とすれば、
なくなる!だから復権!われらが共同体が大事!論というものは
グローバルに見るのを拒絶してあえてローカルに、地域的な視線で
すべてを一般的に述べる態度のことになる。
逆に なくなりはしまい!論というものは
個別的なものや特殊なもの、足場にある些細なものをあえてみえなくなる
くらいの巨視的視線でもってすべてとなし一般的に述べる態度になる、態度からくる。
とすれば、そもそもの物を考えたり見たりする態度の違いが最終結論のちがいと
なって示されるわけで、どちらがどうって、、、個別的なものをさしあたっては度外視して
はたからこの対立を見ているものとしては一概には支持をしにくいなとは思いますね。
122名無子21:03/05/31 02:37
 包括的な価値体系を絶えず更新して作りだすことというのが資本主義の広い
意味での定義。
 これを自分で作り出すというのが、80年代全盛期を迎えた広告代理店。そ
のカリスマが糸井重里。
 現在は、「資本主義を否定し、ウェットな人間関係を説くコミュニタリアニ
ズム」が売れ筋の商品。
 こうして自分でいったことが自分に跳ね返ってくるのが、「再帰性」。
123aa:03/05/31 02:44
ウェットな関係もいやだけど、たとえばプラスチック製品だけに
囲まれてしまいがちでありそれまでの民芸品などが消え行くのも
ちょっと違和感があるという人を知ってる。
その人の立場で言えば、資本主義の価値差異化性には疑問符がつく。
あれもある、これもあるというよりは、あれしかない、という
ことになるから。もっともじゃあ、共同体主義ならそうした多様性保持は
可能になるのかといえば、まるで期待できないけどね。
124考える名無しさん:03/05/31 03:48
今は案外レトロブームだったりする。
125名無子21:03/05/31 03:51
 ほかに『「負荷なき自我」、この僕のアイデンティティーが欲しいんだよ。
僕を「共同体に/胎内に」受け入れてよ〜〜エヴァンゲリオン』がいまだに
売れ筋の商品です。
126考える名無しさん:03/05/31 09:13
柄谷のトラクリは、ヘーゲル的でない、カントを通してマルクスを読みのが売りでしょ?

柄谷って、やっぱりずるいね。マルクスとくに「資本論」の解釈では、宇野を
ヘーゲル的に再構成した鈴木コウイチロウを持ってきて、世界資本主義の局地性をいい、
共同体は世界資本主義が構成したとか、商人資本の共同体に対するすきまの
関係を強調する。つまり資本主義の現状認識は、ヘーゲル主義そのものだってこと。
だが、コミュニズムの構想なんて言い出すと、今度は自分はヘーゲルでなくカント主義者だといって、
定言命法的に倫理的な主体を超越論的に説き始める。そりゃそうだろう。
アソシエーションなんて、負荷なき個人が私的利益を最大化するための任意契約集団なのだから、
もともと世界資本主義どころかヘーゲル的マルクス主義の弁証法的世界像と
なじむ訳がない。
だったら、どのみち弁証法を捨てたのなら、マルクスをリベラル的に再構成するのも
コミュニタリアン的に再構成するのも、可能でしょう?
「コミュニタリアン的マルクス主義」が定義矛盾だなんて、よく言うよ。
だったらカント的マルクス主義そのものが定義矛盾なんだよ。
資本主義の認識とコミュニズムの構想にぜんぜん哲学的一貫性がないんだな。
127考える名無しさん:03/05/31 09:51
マルクスのテキストからヘーゲル主義的弁証法を放逐しようとするのは、
ことさら柄谷の専売特許ではない。最近では、分析的マルクス主義は分析哲学的な
論理実証主義しか認めないし、宇野学派とくに山口門下の東大宇野派も、
実質的に論理実証主義だといえるかもしれない。それから、なにより
鈴木流のへ−ゲル的世界資本主義を論理=歴史主義として批判し、
資本論のカント的体系化をはかったのが、宇野弘蔵その人だったといってよい
だろう。この点、柄谷はヘーゲル・鈴木的資本主義論だが、青木の方が完全に
カント・宇野的「経済原論」理解だ。少なくとも資本論からヘーゲル弁証法を
消去する論理的一貫性では、柄谷は青木に太刀打ちできないだろう。
鈴木・柄谷の世界資本主義論vs宇野・青木の純粋資本主義論といったところか。
しかも青木の強みは、分析的マルクス主義や山口系宇野派や柄谷と異なって、
方法的個人主義や倫理的個人主義といったリベラリズムのイデオロギーを
宇野原論の理解から徹底的に放逐することに成功している点だ。
おそらくこれは、青木が広松渉の関係主義や構造主義に大きな影響を
うけたことによって可能になったものと思う。
青木のコミュニタリアニズムを英米のコミュニタリアンの水準で理解するのは
正しくない。それは、日本の哲学史の流れによって理解されるべきだ。
128考える名無しさん:03/05/31 11:13
たしかに柄谷は、鈴木・磐田の世界資本主義論だった。でもそのころの
柄谷はソシュールを持ち上げて、諸品の価値形態の言語的アナロジーを
主張していた。いわば構造主義の世界だ。
おそらく柄谷の方が完全に変節したのだろう。世界資本主義論から
アソシエーションはでてくるはずがないし、ソシュールの構造主義と
カントの超越論的主体とは、水と油だからね。
個人的所有者のアソシエーションという発想は、おそらく青木がいうように、
英米系のアナリティカル・マルクス主義の受け売りだろう。柄谷は
ああみえても流行に敏感で、世界的な学問の主流派に入りたくて
しようがない奴だから、いちはやくドイツ観念論から英米系の
分析哲学に乗り換えたつもりなんだろう。
それがいけないとはいわないが、少なくとも自分の過去の主張との
関連くらいは明らかにしてほしいね。ソシュール的マルクス主義や
ヘーゲル的世界資本主義は、もう否定したのか。そうでないなら
カント的主体によるアソシエーションと、どう折り合いをつけたのか。
柄谷一派は、柄谷にくっついていくだけでなく、これに自分で答えてほしい。
129考える名無しさん:03/05/31 12:05
>>128
> おそらく柄谷の方が完全に変節したのだろう。世界資本主義論から
> アソシエーションはでてくるはずがないし、ソシュールの構造主義と
> カントの超越論的主体とは、水と油だからね。

お前「〜主義」を全部教科書で学んだクチだろ?
議論の基礎が全部上滑り。
「〜が出てくる」「出てこない」
それぞれの根拠が薄弱。
130考える名無しさん:03/05/31 12:29
タイトルに騙されちゃいけない。

つまり青木を本当にコミュタリアンだと思い込むと議論がややこしくなる。
青木はたんに資本論を、柄谷のような世界資本主義の発展過程としてでなく、
あくまで宇野の経済原論的な、その意味で構造主義な純粋資本主義につきつめて、
そこからはイデオロギーとしてはいかなる矛盾もでてこない。ゆいいつ
自由なアトム的個人という完全なリベラリズムが出てくる、というんでしょ。
だから自由な個人から始めるかぎり、どんな社会契約、たとえばアソシエーション
契約を結んでも、資本主義は超えられない。本当に資本主義を超えたいなら、
自由な個人という前提そのものを否定しなければならない、というロジックに
なる。たぶんコミュニタリアニズムは、この論理を際立たせるための
レトリックに過ぎないだろう。青木の本は、あくまでターゲットを進歩派左翼をきどる
宇野派(たとえば伊藤誠や山口派、それに柄谷派など)に置いていて、
これに冷水を浴びせるのが目的と考えると分かりやすい。
131考える名無しさん:03/05/31 12:40
>>129
ひとに難癖つけるなら、世界資本主義とアソシエーションでも
ソシュール的価値形態論理解とカント的主体でも、なんでもいいから
柄谷の「可能性の中心」と「トラクリ」がどうつながってるのか
一貫性を説明してくれよ。オレはホントに知りたいんだ。
132考える名無しさん:03/05/31 12:46
>>131
俺は柄谷派じゃない。
難癖というより、そもそもあんたの構造主義理解が怪しいと思っただけ。
133考える名無しさん:03/05/31 12:55
一言で言えば(流通過程における)売る立場の「命がけの飛躍」を
買う立場が、「橋」のようなものを構築し飛躍から倫理的な横断
134考える名無しさん:03/05/31 13:39
サヨくさいってw
135考える名無しさん:03/05/31 14:25
スピノザ、構造主義言語学、論理実証主義などを
無節操に取り込んでいたのだが、
さすがにマルクス−カント、アソシエーショナリズムはまずかっただろう。
文芸批評でも江藤に取り入って
「(近代化によって)日本は汚染された」と言っていたかと思えば、
「文物として輸入されたのみで(影響は無い)」と抜かすくらいだから
バカバカしくて相手に出来んよ。

柄谷のセールスポイントは批評領域が広範で異質な事象を組み合わせた
アクロバティックなスタイルで、それが新鮮だっただけだろう。
基本的には目立ちたがり屋の田舎者だからな。
ま、見世物としては面白いが。
136考える名無しさん:03/05/31 14:40
なにが蒼きだばかたれ
137考える名無しさん:03/05/31 14:48
>>133
こんなのただの宇野価値形態論に何も付け加えてないじゃないか。
だから、宇野からカント的主体の展望は絶対に出てこないし、
個人的所有もアソシエーションも導き出せるはずがない
というのが、青木による柄谷批判の最大のポイントだろ?
138考える名無しさん:03/05/31 15:14
>>133
あたりまえですが、商品の命がけの飛躍と、貨幣による購買の実現という
商品の価値形態および貨幣の購買手段機能は、文字とおり「流通過程」
だから、つまり労働や生産がないからいえるにすぎません。
そこに「橋」を架けるのが「倫理的な横断」であるにしても
それがどうして、生産=消費者などという、労働・生産過程を前提にした
「個人的所有」なるものになるのでしょうか。
そもそも生産過程があるなら、商品の価値形態も命がけの飛躍も
ありえないでしょう?まして、たんに流通形態に橋を架けるのが
どうしてカント的主体なんでしょうか?どうして生産者の協同組合
なのでしょうか?支離滅裂です。まったく論理的に理解できません。
やっぱり柄谷は、「トラクリ」で、自らの初期作品の清算・自己批判を
はkっきり語るべきだったのではないでしょうか?
139考える名無しさん:03/05/31 16:21
柄谷は宇野ではなくマルクスを読んだんだってば(w
なんで全部宇野に結びつけるのかね?関係妄想も甚だしい。
140考える名無しさん:03/05/31 16:30
田吾作と土人の逆襲が始まったのか?
141考える名無しさん:03/05/31 16:35
二次文献ばかり読むとバカになるといういい見本でしょ。
オリジナルとまがいものの価値転倒をよろこぶポストモダンの
成れの果てがここにあるということだ。
142考える名無しさん:03/05/31 16:42
二次文献
143考える名無しさん:03/05/31 16:58
具体的にテキストに沿った形で読み取った限りでのコンテキストの中で、
批判なり疑問を出した方がいいと思う。
ページも指定してさ。
2ちゃんねるでそれぞれの問題意識がすれ違ったり捻じ曲げられたり不
毛に衝突すると時間がもったいないじゃんか。
144考える名無しさん:03/05/31 17:08
>>101
 この見解は、おそらく現在の柄谷自身のそれを最も忠実に表現していると思われるので、
やや>>105的コミュニタリアンとは異なる批判をしておきたい。あなたは、
資本主義のグローバリゼーションは共同体を最終的に破壊することはできない、と言う。
私は、105とは違って、この見解に完全に賛成である。
 しかし問題は、あなたが資本主義が共同体を必要とすることを、そのまま
イデオロギーとしての「リベラリズムとコミュニタリアニズムの共犯的相補関係」の
問題にすりかえている点である。ここではマルクスの哲学的な最大のテーマである
物神性(フェティシズム)論がまったく考慮されていない。マルクスは、商品世界は
生まれながらの平等派であり、そこでは「自由・平等・所有そしてベンサム」が
支配するという。
 すなわち、資本主義は完全に世界を覆い尽くすことはできないかもしれない。しかし
リベラリズムというイデオロギーは、そのフェチシズム的性格のゆえに、つねに
普遍主義という相貌をもってあらわれ、その性格ゆえに局地的ではありえない。
かつてのソビエト・マルクス主義こそ、この普遍主義の「共犯的相補者」では
なかったか。それは、国際コミュニズムとして、全世界を合理的・計画的に
したがって普遍的な「自由・平等」に設計しようとしたからである。 
 ひるがえってコミュニタリアニズムは、その性格ゆえに、いかなるフェティシズム
とも無縁である。それは、世界の獲得も、普遍的自由・平等とも、合理的・計画的
設計主義とも無縁である。あなたの言い方をまねて言おう。
 コミュニタリアニズムは、リベラリズムとコミュニズム(ここにはもちろんあなたたちの
アソシエーショニズムも含まれる)の共犯的普遍主義をトランスクリティークする理念に
与えられた名にほかならない。

145考える名無しさん:03/05/31 17:13
一言で言えば、柄谷の言う(資本によって破壊されない)共同体とは
常に「想像の共同体」という点。
146考える名無しさん:03/05/31 17:23
>>139
だから、宇野でなくマルクスだけを読んだら、商品の命がけの飛躍と貨幣(買い手)の
優位という柄谷理論の根幹をなすモチーフは、絶対に、絶対に出てこない。
この商品の価値形態と貨幣の購買手段の非対称性の理解こそ、宇野理論の最大の成果
なのだから。むしろ柄谷はマルクスではなく宇野しか、しかもいいかげんにしか
読んでいないのは明らかだ。
147考える名無しさん:03/05/31 17:43
宇野ではなくマルクスの「グルントリッセ」から引き出したんでしょ。
なんでもかんでも宇野に結びつけるのを関係妄想という。
148名無子21:03/05/31 18:09
>>144
 コミュニタリアニズムは、いかなるフェティシズムとは無縁な思想?

 「物象化された事態は、単なる正しい認識だけでは克服することができず、
それを克服するためには当の物象化を生ずる関係態を編成し直すことが必要
である。」(広松渉『ヘーゲルそしてマルクス』275頁)
 物象化から逃れることはできない。別の関係態へと編成し直すことができ
るのみ。

 フェティシズムなき夢の世界へは一人で逝ってください。
149考える名無しさん:03/05/31 18:37
>一言で言えば、柄谷の言う(資本によって破壊されない)共同体とは
常に「想像の共同体」という点。

想像の共同体以外の”真の”共同体なんてあるのか?今は21世紀だけど?
問題はまさにそこだろう。コミュニタリアンはその気高い理想に反して、
資本の事後的構成体である想像の共同体を擁護することにならんのかね?
もはや現存しない”真の”共同体を守護することなど出来ないはずだ。
これからそれを新規に作り出すんだ、というなら話しは別だが、その際資本と
国家の援助で行うなら元の木阿弥だろうが。

マルクスは確かにロビンソンの無人島やインドの共同体や暗黒の中世では、
フェティシズムは存在しないというが、今はもう21世紀なんでね。そこには
もはや資本主義+想像の共同体(資本-ネーション−ステート)の相補的、共犯的
複合しかありえない。従って、資本への対抗運動は、同時に想像の共同体への対抗
運動を含意しないと、いずれかの要因に足元をすくわれることになる。

しかし、柄谷自身は、ネーションが資本の蓄積運動で解体された共同体の想像的回帰で
あることを認めている。だからこそネーションの運動は時に資本への対抗を意味する
場合があり、ナショナリズムやファシズムの運動として穏健な保守主義者である大衆
を魅了することになる。だからこそ、柄谷はネーションの「止揚」こそ必要だと説くのだが。

>「自由・平等・所有そしてベンサム」

これね。確かにマルクスはこのブルジョワ革命の理念を皮肉っているが、
それはブルジョワがそれらの理念を歪曲し卑小化した形でしか実現しない
ことを皮肉ったのであって、マルクス自身は「自由・平等・友愛」の理念
を手放したことは一度もない。
150???:03/05/31 18:48
飛び入り質問なんだが、「共同体」でどのようなものを
考えているんだろうか?
まさか北朝鮮はゲマインシャフトじゃないよね
イラク部族社会、インドのカーストとか・・
どのように考えられるわけ?
151考える名無しさん:03/05/31 19:06
げまいんしゃふとって、なんだよ?
152考える名無しさん:03/05/31 19:11
>コミュニタリアニズムは、リベラリズムとコミュニズム(ここにはもちろんあなたたちの
アソシエーショニズムも含まれる)の共犯的普遍主義をトランスクリティークする理念に
与えられた名にほかならない。

これは無理があるでしょ。普遍主義と特殊主義の相補的共犯関係で安定するという
話しをしているのだから、普遍主義はもう一つの普遍主義(アソシエーショニズム)
を要請するのではなく、特殊主義(コミュニタリアニズム)をこそ安定化要因として
要請し相補的対をなして、互いの意識には無関係に相対しつつ共犯的に存続を図るわけ。
153???:03/05/31 19:19
>>151
23-25で触れられています。
154o:03/05/31 19:23
ここってなかなかいいと思いません?安いし
 
http://www.dvd-yuis.com/
155考える名無しさん:03/05/31 19:24
>>147
あのね、「グルンドリッセ」には、「命がけの飛躍」どころか
価値形態論もないんだよ。あほらしい。
156アメリカの保守主義:03/05/31 19:26
米国の大学キャンパスに保守主義な学生運動が活発だ。25日付の米
紙ニューヨーク・タイムズは昨年11月、米議会の中間選挙で共和党
が大勝をあげた主な原因の一つが「保守主義運動圏」の学生によると
ころが大きいと報じた。保守主義運動圏の学生が無報酬で有権者たち
に接触し、選挙戦の垂れ幕を設置する活動などに精力的に取り組んで
くれたからだという。

共和党が政権を担当したここ3年間、新保守主義政治理念の拡散を目
指している学生組織がキャンパスごとに生まれており、募集会員数も
米全域で最低でも倍以上増えた。


保守主義学生運動は、1951年エール大学の学生だったウィリアム
・バクリが「エールでの神と人間」という理論書を発行し、「大学連
合勉強機関」を組織してから根を下ろしはじめた。この機関は、共和
党の政治戦略家であるラルプ・リード、保守主義論客のアン・クルタ
ーなどを輩出した。また、73年「大学共和党員」の議長を務めたカ
ル・ロブがブッシュ大統領の政治補佐官にまで登りつめたのとみると
、キャンパスでの保守主義が現実政治にどれほど近づいてきているの
かがわかる。
157アメリカの保守主義:03/05/31 19:26
最近、キャンパスで保守主義学生運動に弾みがついた理由については
、学生たちの考え方自体が保守化しているため、というのが保守陣営
側の主張だ。実際、UCLA高等教育研究所が大学新入生を対象に行
ったアンケート調査によると、自由な性行為に対する支持が87年5
1%から現在42%に、堕胎の合法化に対する支持は89年66%か
ら54%に、お金持ちに対する高率の税金を課することへの支持は9
5年66%から50%に減った。


しかし、このような懸案別の意見が政治運動として組織化できたのは
、逆に進歩主義の陣営が提供した理由が大きかったと、同紙は分析し
た。進歩陣営側で性や人種などについてあまりにも「政治的な正しさ
(political correctness)」だけを強制したため、大多数の学生が
嫌気をさしてしまったという。


もちろん、保守主義的な学生のかげには保守的利益集団がある。これ
らの団体は、保守的な大学新聞の創設に向けた財政支援、保守主義講
演者たちのキャンパスへの招待、保守主義的な出版の見学など、次世
代共和党員を育てる活動を行っている。
158???:03/05/31 19:29
「命がけの飛躍」は資本論ですね。
159考える名無しさん:03/05/31 19:29
>>148
あのね、物象化と物神性とはぜんぜん違うの。
フェティシズムは、物神性のこと。
こんなことも知らないで、広松を引用するなよ。
160考える名無しさん:03/05/31 19:36
>>156>>157
それがどうしたの。ここと何の関係があるの。
161考える名無しさん:03/05/31 19:51
>あのね、「グルンドリッセ」には、「命がけの飛躍」どころか
価値形態論もないんだよ。あほらしい。

だから、柄谷は「トラクリ」で「グルントリッセ」から「資本論」を
読み直したんじゃないの。
その伏線としてネグリの「マルクスを超えるマルクス」があるわけでしょ。

柄谷がボイコット戦術として「働くな」というが、これはネグリの示唆による
のは明らか。ネグリは「資本論」には資本の主体しかないが、「グルントリッセ」にある、
消費の場では労働者は資本に対する受動的であるほかない労働者としての規定を脱ぎ捨
てているというマルクスのパッセージに注目して、「グルントリッセ」には資本主体以外
の主体(能動性)が現れていると評価しているわけでしょう。
「トラクリ」にそういうネグリの示唆はあっても、宇野の影響を見ることの方が困難。
162考える名無しさん:03/05/31 19:57
アメリカがリベラルと保守の一人二役を常に既にやっている。
163考える名無しさん:03/05/31 20:00
なんの議論か知らないけど、物象化と物神性はかなーり深い関係にあるよ。
ぶっちゃけ物神性というのは物象化現象でしょ。
164考える名無しさん:03/05/31 20:02
「グルントリッセ」には「資本論」で定式化されるような
価値形態論はまだ萌芽としてしかないだろうが、貨幣論は
あるんだよな。どうでもいいことだが、
岩井は「グルントリッセ」のその貨幣論を凄く気に入っているらしい。
165考える名無しさん:03/05/31 20:03
>>163
激しく同意。
166考える名無しさん:03/05/31 20:05
ぶっちゃけ柄谷対ネグリの方が面白い。
スレ違いスマソ
167???:03/05/31 20:09
物神性、生産されたモノが商品としての価値を属性的に持ってしまう。
物象化、人間が労働力として「モノ、商品」のごとくになる。
168考える名無しさん:03/05/31 20:13
因みに、柄谷がネグリの「マルクスを超えるマルクス」を読んだのは、
1994年のこと。だから、比較的最近なんだな。「マルクスその可能性の中心」
のころは、だから言うまでもなく読んでいない。
169考える名無しさん:03/05/31 20:14
>>161
分からん人だなあ。だから「可能性の中心」や「探求1」でみられた
価値形態論=流通形態論という宇野理論による資本主義批判が
「トラクリ」では、意図的に消されて、針に棒をつないだような
個人的所有のアソシエーションになっちゃったわけでしょ。
グルントリッセなんてのは、価値形態論抜きの価値実体論で、
日本では昔から講座派系の市民主義者しか評価しない。
価値形態論がないから、商品に対する貨幣の優位も説明できない。
それで、どうやって買い手の立場を導きだすの?
柄谷得意のホラフキで、過去の自説との関係を覆い隠して
いるだけでしょ。あんた、ほんとに「グルンドリッセ」も
「資本論」も「宇野原論」もちょっとでも読んだことあるの?
せめて、これらの古典の相互関係と、日本の研究史、学派との
関係くらい勉強してから、柄谷やネグリのようなキワモノを
読んだらどうか。
170考える名無しさん:03/05/31 20:20
ネグリの価値論(価値形態論)は超難解だけど、スピノザ勉強したら
基本線がわかるようになった。
171考える名無しさん:03/05/31 20:20
>意図的に消されて

だから、それが輝かしい進歩なんだよ!!!
172考える名無しさん:03/05/31 20:25
というか、移動。
173考える名無しさん:03/05/31 20:25
>>167
ここで問題にしたのは>>148が引用したような、広松の物象化論。
つまり、あらゆる惰性的関係態一般にあてはまる実体的錯認のこと。
商品経済に特有のフェチシズムとは違います。
174考える名無しさん:03/05/31 20:35
「最初に確認しておくべきは、「労働価値論によって価値の実体
をなすものとして明らかにされる、商品の生産に社会的に必要と
される労働は、社会的に必要とされる生産物が商品形態を与えられ
ないでも、社会的実体をなすものである」という一文に明らかな
ように、宇野は価値実体論を、価値形態論に昇るためのハシゴ
として捨て去っているわけではないということである。むしろ、
彼はこれをより深いところで肯定している。」
(山城むつみ「生産協同組合と価値形態」『可能なるコミュニズム』p260)
175考える名無しさん:03/05/31 20:44
広松は物象化はいくないから乗り越えろなんてアフォな議論はしてないんだよね。
錯視なんだけど、ぶっちゃけ物象化は人間社会の協働的編成につきまとう「構
造」なんだ、と。
物象化自体はいいもわるいもない。
ただ、資本主義下で物神性を帯びて固定化した物象化現象はいくないし、解消
は可能、ということじゃん。
176考える名無しさん:03/05/31 20:49
山城ごときド素人による宇野理論の解説は相手にしない。一言でいえば
我田引水。生産協同組合につじつまを合わせるための強引な宇野の利用。
177考える名無しさん:03/05/31 20:54
普通に考えてアソシエーショニズムによる共同体主義は
マルクス主義的には退行だろうな。
だって、そんな事をいうとマルクスによる初期社会主義者批判は
意味がなくなるもの。
178宇野弘蔵:03/05/31 21:03
「労働価値論によって価値の実体
をなすものとして明らかにされる、商品の生産に社会的に必要と
される労働は、社会的に必要とされる生産物が商品形態を与えられ
ないでも、社会的実体をなすものである」
179考える名無しさん:03/05/31 21:06
アソシエーショニズムによる共同体主義

↑これは形容矛盾じゃ・・・
180考える名無しさん:03/05/31 21:08
物象化された固定的な制度として重要なのは、固定的な分業と固定的な地位、この二点。
さらにこの両者が固定的に結びつくことを入れて三点。
アソシエーショニズムといえども、これを完全に廃棄することはできないだろう。
しかしキチガイじみた希求は収まるならよいのよ。
181考える名無しさん:03/05/31 21:08
 誰かが「柄谷行人を解体する4」のスレッドで、青木本の中の柄谷批判の一部を
引用しているのを見て、このスレッドについてきた。だが、私を含め青木派は
柄谷を読んで批判しているが、どうも柄谷信者の連中は、青木を読まずに
 青木派を批判し、好き放題にいいかげんなことを書いているようだ。
青木による柄谷批判の妥当性や青木本の評価を議論したいが、柄谷信者を
これ以上あいてにしても、時間の無駄とわかった。
 青木をよんでない柄谷信者は、このスレッドから去って、柄谷のスレに
帰って議論したほうがよいのではないか。 






青木さんによる柄谷批判を
182考える名無しさん:03/05/31 21:16
「信者」と言い出した時点で、敗北ですね
183考える名無しさん:03/05/31 21:39
>>179
だって、アソシエーショニズム(結社主義)で
可能なるコミュニズム(共同体主義)だからね。
柄谷はプルードンやオーウェン的結社と
マルクス的共同体の区別を明確にしていない。
初めて聞いた時「バカか?」と思ったよ。

共産主義に共鳴しつつ産地直送の野菜を販売している
そこら辺の生協職員と大して変わらんよ。
まぁ、あのオバさん連中はマルクスなんて読んでいないのだから、
それはそれで許せるけど、柄谷の場合は…。

184考える名無しさん:03/05/31 21:57
共産主義の話はソ連か政治板でやれよバカサヨが
185長谷川@熟糞中:03/05/31 22:11
もらちた
186考える名無しさん:03/05/31 22:43
>>182
他者をまったく理解しないままで他者を批判し
自己とその主張の正当性があらかじめ普遍的であることに
何の疑いもいだかない集団を「宗派(セクト)」と言い、
それを支持することに何の疑問ももたない者を
「信者」という。
相手の本を読まないで、恥ずかしげもなくその本を
批判する傲慢な人々を「信者」と呼ぶのは
まったく語の厳密な用法に適っている。
187_:03/05/31 22:43
188考える名無しさん:03/05/31 23:20
>>184
ははっ、君は頭が悪いね。
語の定義でコミュニズムを持ち出しているだけなんだよ。
コミュニズムはアソシエーショニズム批判の文脈で提示された概念である
と言う事を言ってるだけさ。
柄谷だけじゃなく原典にもあたらなければ駄目だよ。
わかりましたか、ん?
189考える名無しさん:03/06/01 00:08
マルクスを正しく理解したかどうかとか宇野がどうとかってことより
結局それでどうすりゃいいわけ?資本主義の中で楽しく訓詁学やってりゃいいの?
190名無子21:03/06/01 00:29
 「現代のリベラリズムは、・・・多様なヴァリアントを含んでいることが分
かる。だがこれらは、共同体の解体によって生じたアトミスティックな個人を
普遍的前提とみなす点で一定の共通性を持っている」(青木『コミュ』47頁)。

 現代リベラリズム(ドゥオーキン・井上達夫)とコミュニタリアニズム(ウ
ォルツァー・サンデル)は、自我論を含めて、接近化傾向にある。
 この点を踏まえていないので、リベラリズム理解としては50点。
 しかも、この点が繁茂に書かれている文献を、青木は引用している。にも
関わらず、はずしている。
 よって、読んでもない(あるいは読めもしない)文献を読んだかのように
引用している点で失格。
 原典を読めという輩は、その教祖たる青木にまず言いなさい。
191名無子21:03/06/01 00:30
>>189
 全く仰るとおりです。
192考える名無しさん:03/06/01 10:56
ジョン・レノンのイマジンを知っていますか?

「想像してごらん。天国なんてないんだと。 ほら、簡単でしょう?
 地面の下に地獄なんてないし、僕たちの上にはただ空があるだけ。
 さあ想像してごらん。みんなが今を生きてるって。
 想像してごらん。国なんてないんだと。そんなに難しくないでしょう?
 殺す理由もなく死ぬ理由もなく、そして宗教もない。
 さあ想像してごらん、みんながただ平和に生きてるって。
 僕のことを夢想家だと言うかもしれないね。でも僕一人だけじゃないはず。
 いつかあなたもみんな一緒になって、きっと世界は一つになるんだ。」

アメリカのイラク戦争のとき、この歌が反戦運動のテーマソングとして
世界中で歌われていました。スマップの「世界に一つだけの花」も一緒に
よく歌われたそうです。私は、直感的に、おかしいと思い嫌悪感を感じました。
アメリカが世界にリベラル・デモクラシーを定着させることを目標に戦争を
しているとき、これらの歌は、そのまま同じリベラル・デモクラシーを理想と
する歌でしかありません。>>101で、たぶん柄谷さん本人と思われる人が、
コミュニタリアンこそ主流派だと書いておられましたが、リベラルな帝国の
戦争に、反戦派もリベラルで立ち向かう不気味さに嫌悪を感じないのでしょうか。
 青木さんが、世界の思想状況はリベラル一色に塗り込められたという、危機感が
私は共感できます。アソシエーションというのは、けっきょく負荷のない個人を
理想とする社会契約論のひとつですから、リベラルのグローバリゼーションの
一種だと思います。
 という訳で、レノンのイマジンに直感的に共感する人はリベラル。
直感的に反発する人はコミュニタリアン、と言ってよいと思います。
後者のひとは、ぜひ青木さんの本を読んでみるとよいと思います。
193考える名無しさん:03/06/01 12:27
>。>>101で、たぶん柄谷さん本人と思われる人が、
>コミュニタリアンこそ主流派だと書いておられましたが、

そりゃあ違うだろう。
柄谷の本をよく読んでいる輩だとは思うが。
もしかしたらNAMの関係者か。
あるいは周辺の、そうだな、、、関西の左翼サークルのひととか。
しかし共同体は別に消滅もしないよ。社会にとってそれは永遠に。
ただ共同体の関わり方、我々、主体の立場からの使い勝手というのが
少々よくなる。合理的になる。楽になる。。。程度のことかな。
たとえ社会的な改良が真に到来しているとしても。

あんまり幻想持ちすぎないほうがいいよ。
そういったマルキシズム言説。柄谷バイアスが入ったところで。。
194考える名無しさん:03/06/01 13:12
>>186
必死ですね
195考える名無しさん:03/06/01 13:33
共同体の解体→想像の共同体の成立(共同体の想像的回帰)→依然個人は
存在しない

従って、個人が自立することへの攻撃は、逆説的に想像の共同体の擁護に
帰結する。一体自立した個人とはどこにいるのか?いないものを攻撃する
ことは出来ないし、想像の共同体もなくなることない。そして資本の文明化作用が
自立した個人を「自動的に」作り出すことは決してない。資本は想像の共同体を
事後的に再生産し続け、個人が自立することを常に既に阻止し続けるからである。

資本の文明化作用は、共同体を解体するが同時にそれを想像の共同体として再生させる。
従って、資本の文明化作用で「自動的に」作り出されるのは、自立した個人ではなく、
想像の共同体だと言うべきである。資本の文明化作用は、自立した個人を作り出す
ことはなく、国民・民族をただ作り出すのみである。
196考える名無しさん:03/06/01 14:14
>>195
資本主義社会は主体=隷属(subject)を産み出す。
主体=隷属は固定的な分業と地位というマトリックスの中で育つとともに、
そのマトリックスを強化する。
このような強化の過程で資本主義社会で役に立たなかったり邪魔だったり
するものは消える(例えば家父長制)。
また階級ごとの文化資本(知識・教養・技能・学歴・趣味・話術・ものごし
・表情・感性等)が蓄積される。
197考える名無しさん:03/06/01 14:17
だれも資本のグローバリゼーションによって、共同体がなくなるとか、自立した個人が
完成するなんていってないよ。
ただリベラリズムというイデオロギーが普遍主義的様相をもって現出していると
言っているだけ。なんだかんだいってもマルクス主義のアソシエーショニズム化なんて、
この典型なんじゃないですか。
だから言いたいのは、広義のイデオロギーないしは倫理的選好の問題として、
もはや現代の選択肢はリベラリズム以外にありえないのかどうか、ということ。
そこで聞きたいのは、193でも194でも195でも、素朴な感性において
レノンのイマジンに共感を感じるか、反発を感じるかだよ。
198動画直リン:03/06/01 14:17
199考える名無しさん:03/06/01 14:36
おれもイマジン反戦にはうんざり。宗教もカントリーもなく、世界は一つ
というのは、アメリカの戦争応援歌だよ。
現代という対米テロとイラク戦争の時代におけるほとんど唯一の対抗軸は
グローバルなリベラル・デモクラシーの世界化に対してイスラミック・
コミュニタリアニズ固有の価値をどこまで承認するか、に尽きると思う。

200考える名無しさん:03/06/01 14:39
>>194
それしか言えないのか。だから信者っていわれるんだ。
201考える名無しさん:03/06/01 14:57
「自由、平等、友愛」を束ねる資本制=ネーション=ステートの三位一体
を見事に示したのが、ヘーゲルの「法権利の哲学」。
ここから人はリベラリズムも、ナショナリズムも、福祉国家論、シュミット
的主権論も取り出すことができるし、それらへの批判も取り出すこともできる。
それゆえ「法権利の哲学」そのものと対決しなければならない。
もっとも、「法権利の哲学」は既に出来上がった資本制=ネーション=ステート
の相互関連を弁証法的に把握したのであり、考古学的視点はない。
とはいえ、イギリスをモデルにした「法権利の哲学」は、ドイツが持つべき目標
でもあるところからして、自然に三位一体が実現されるわけではない。
こんなことが「トラクリ」に書いてあった。
新しいことをやっているようでその実ヘーゲルの手のひらにいるだけかもしれな
いという疑いは必要だ。
202考える名無しさん:03/06/01 15:35
>>200
信者としかいえないんですね(w
203考える名無しさん:03/06/01 16:08
世界の思想状況はリベラル一色に塗り込められた

↑君らコミュニタリアンがいる限り、絶対一色に塗りこまれる
ことはないって(笑)。
204考える名無しさん:03/06/01 16:31
>>201
植民地化による近代家族原理の導入で伝統的共同体が再編成される、
という事は「法(権利)の哲学」で述べられています。
マルクスはヘーゲルの超越論を疎外論で批判したわけですが、
例えば「経済学・哲学草稿」で迂闊にも
未開社会(絶対的窮乏の幸福状態)/市民社会(相対的窮乏の不幸状態)
と規定している事からも推測できるように
イギリス的文明観の持ち主なわけです。

マルクス・ヘーゲル主義における専制主義の責任はヘーゲルのみに
負わせられるものではありません。
ですから、カントやスピノザで相対化を図っても無意味です。
旧共産圏や共産党内部でやるのならそれなりに意義があるとは思いますが、
現代の東京やニューヨークでやっても…。
205考える名無しさん:03/06/01 16:39
>マルクス・ヘーゲル主義における専制主義の責任はヘーゲルのみに
負わせられるものではありません。


206考える名無しさん:03/06/01 16:45
一言で言えば、NAMの場合、共同体的なものにLETSだとか
クジ引き選挙を導入して、貸借の明確な数値化と偶然性を導入し
再組織化する、という試みだったと思いますが、それが挫折した
のは、共同体の「閉鎖性」みたいなものに対する態度が理論的にも
実践的にも曖昧だったからだと思います。
207考える名無しさん:03/06/01 16:47
>>204
それだけヘーゲルの手のひらから逃れるのは困難な作業だということでしょうw
だからこそ批判のターゲットを一度はヘーゲルに絞らないといけないんだろう。
208考える名無しさん:03/06/01 16:50
NAMが閉鎖的なのか、共同体が閉鎖的なのか、NAMはそもそも
共同体だったのか。
209201:03/06/01 17:01
>>204
>マルクス・ヘーゲル主義における専制主義の責任はヘーゲルのみに
>負わせられるものではありません。

誰が専制主義の責任をヘーゲルのみに負わせたって?
201はそんなテーマの話じゃないよ。
210考える名無しさん:03/06/01 17:21
>>206
まったく逆です。NAMがつぶれたのは、それが出入りが自由な
任意加入のボランタリー・アソシエイションだったからです。
趣味者のサークルは、はじめは人気があっても、じきに飽きて
嫌になるのが当たり前です。そんなこと、青木の本に強調されていた
ことでしょう?
211考える名無しさん:03/06/01 17:39
ポスト・フセイン政権のイラクでアメリカが押し付けた西洋式
民主主義選挙を実施すれば、かえって、イスラム政党が勝利する
んじゃないか、と浅田が言っていた。

西洋式デモクラシーの原理で、イスラム的価値観が逆に正当化
されるのなら、イスラム的価値観を破壊するとしてデモクラシーを
批判する共同体論者や、或いは、イスラム的価値観を消去する
ためにこそ西洋式民主主義を導入しようとしたアメリカに対する、
これほどの皮肉もないだろうな。

イスラム原理主義政党の特殊主義的要求は、民主主義選挙を通してこそ、初心を
貫徹することも出来るのだ。それはデモクラシーに内在する抽象的形式性(普遍性)
にこそ由来しているとしたら、実に皮肉なものだろう。
212考える名無しさん:03/06/01 17:40
>>190
この名無子21さんのご批判は、たいへん的を得た正しいものだと思います。
たしかに青木は、現代のリベラルとコミュニタリアンの対立図式を
強調しすぎていると、私も思います。まあ、それは、マルクステキストを
二分割して、現代のマルクス主義を、リベラル(分析派・山口・柄谷)と
コミュニタリアン(宇野弘蔵)に、きれいに整理するための一種のレトリック
だったとは思いますが。
ご指摘のとおり、近年、英米ではリベラルとコミュニタリアンの接近がみられ、
結果、リベラリズムのバージョンアップなどが言われています。しかし、これは
けっきょくリベラリズムは何でも包含できるという、リベラリズムのさらなる
普遍主義がいっそう広がった結果とも言えるのではないでしょうか。
213考える名無しさん:03/06/01 17:45
>任意加入のボランタリー・アソシエイション

おいおい、これ↑が嫌なら2chから出て行けよ。2chこそ
誰でも任意に参加可能なボランタリー・アソシエーションの極致だろ?

お前の発言自体が、2chの開放性で可能になっていることに
いい加減気付け。
214考える名無しさん:03/06/01 17:57
特殊主義は普遍主義的「寛容」の裏返しに過ぎない。

だから、普遍主義→多文化主義→コミュニタリアンという流れは、
普遍主義的寛容を前提しているのであって、特殊主義的要求はかえって
普遍主義的寛容の強化を要請する。ここに共役的依存関係を見ないほうが
奇妙である。
215考える名無しさん:03/06/01 18:01
>>213
おいおい、だれも任意のボラ・アソがいけないなんていってないだろう。
ボラ・アソは長く続かないといっているだけだ。
だいたいNAMは、それが「可能なろコミュニズム」などと笑わせるから、
そんなものは趣味のサークルにすぎず、コミュニティを前提としなければ
永続的な社会そのものの編成原理たりえないといいたいだけだ。
216考える名無しさん:03/06/01 18:04
普遍主義がいっそう広がった結果、コミュニタリアン的言説が
かえって拡がるという罠。
217考える名無しさん:03/06/01 18:12
つうか、インターネットの世界そのものが
ボランタリー・アソシエーション。
218考える名無しさん:03/06/01 18:16
コミュニティを前提としなければ

↑これを前提にしたからQは失敗したんだがね。
219考える名無しさん:03/06/01 18:17
コミュニティというのは基本的に「趣味のサークル」ですよ。
ただし「趣味」を釣りとか将棋みたいに考えてもらっては困り
ますが。
220動画直リン:03/06/01 18:17
221考える名無しさん:03/06/01 18:22
出入りが自由な任意加入のボランタリー・アソシエイションって
本当に素晴らしいですね。
222コミュニタリアン:03/06/01 18:27
出入りが不自由な強制加入の非ボランタリー・共同体って
本当に素晴らしいですね。
223コミュニタリアン:03/06/01 18:42
学生時代は囲碁・将棋サークルに所属していましたが、何か?
224考える名無しさん:03/06/01 18:43
またこのスレのタイトルの意味が分かってない信者が増殖してきたな。
青木本のコミュニティとアソシエーション、組織の定義がわかってない
方は、柄谷スレの方へ行って、勝手に続きをやってください。
225考える名無しさん:03/06/01 18:47
↑苦しくなると、こうなる。
226考える名無しさん:03/06/01 18:53
板違い
227考える名無しさん:03/06/01 19:00
どうやらインターネットなどというアノミーな匿名空間で
コミュニタリアニズムという場違いの議論を、まじめにできると
考えていたのが、大きな間違いだったようです。
今後は、柄谷ネタにはいっさいレスしないことにします。
それでは、これにて失礼。
228考える名無しさん:03/06/01 19:14
ネット世界は出入り自由だから、出て行くのも楽だよね〜♪
229考える名無しさん:03/06/01 20:09
柄谷的にはコミュニティはアソシエーションの基盤でしょ。
コミュニティが欠落しているか貧弱な日本でアソシエーションといっても
それは現段階では無理。

コミュニティ→アソシエーション→リゾーム、という段階で考えればよい。
段階といっても、各段階は共立可能なものであって、古い段階は消えるわけ
ではないし、逆戻りしたりもするだろう。
230考える名無しさん:03/06/01 20:21
法人資本主義
231考える名無しさん:03/06/01 21:11
生活基盤はどうなってる?
232考える名無しさん:03/06/01 22:47
略奪
233考える名無しさん:03/06/01 23:22
生産者=消費者協同組合でだいこん買った
234考える名無しさん:03/06/02 09:00
インターネットはネットワーク。ボランタリー・アソシエーションにさえなりえません。
235考える名無しさん:03/06/02 09:13
スイスでサミット反対デモが拡大し荒れているらしい。
これは、政治闘争ではなく、サミットというグローバリゼーションの
侵入に対する、スイス地域住民の素朴なコミュニタリアン的心情の
なせるわざに、外部の左翼やエコロジストが加わった現象といえる
だろう。
236考える名無しさん:03/06/02 13:18
コミュニタリアンが今やメジャーということだ
237考える名無しさん:03/06/02 15:10
反グローバリズムの運動は、ヨーロッパ各地から結集するNGOや労組や
学生が運動の主体。彼らの行動は、国境や地域に全く無関係で、国際的。
238考える名無しさん:03/06/02 15:24
グローバリズム・・・Think globally, Act globallyの一人一役
コミュニタリアン・・・Think locally, Act locallyの一人一役

二つで一つの共役関係

--------------------------------------------

アソシエーショニスト・・・Think globally, Act locallyの一人二役
239考える名無しさん:03/06/02 16:24
>>214
この点についてはコミュニタリアンでも異存ないと思います。
もともと青木の着想は、マルクス、宇野、ポランニーにもとづく「商品経済は
共同体と共同体の間に始まる」という視点をとおして、リベラルとコミュニタリアンの
論争を、マルクス主義ではなく、カール・マルクス的に再読しようとするものです。
つまりリベラリズムはコミュニティ相互の調整原理なのであり、現代の問題は、それが
本来の役割を逸脱して、コミュニティの内部原理そのものになっている異常性だと思います。
リベラリズムに、「普遍主義の強化」ではなく、コミュニティ相互の異質性を尊重する「寛容性」
を求めるのが、青木の言うコミュニタリアニズムだと思います。
240考える名無しさん:03/06/02 17:19
今大流行のグローバリズムが西洋の固有の特殊な歴史に基づく諸々の
特殊主義が、全世界規模で拡大し、つまり、西洋の特殊事情が
普遍性を要求している事態なのなら、それ自体、ある種の特殊主義が
暴走しているという風にも言えると思う。つまり、普遍主義を僭称
する特殊主義が暴走している、と。

だとしたら、普遍化した西洋の特殊主義に対抗するためには、西洋の
擬似的普遍性さえも特殊な下位分類とするような、真に高次の普遍主義が必要になる
という逆説があるのではないか。それこそコミュニティ相互の異質性
を尊重する「寛容性」を体現する高次の普遍主義ではないか。つまり、
西洋的価値観の特殊性さえも自覚させ得るような真の普遍主義がそこで要請
されるように思われる。

例えば、英語が今や世界言語として通用している。しかし、英語は英米圏の
民族言語であることには変わりない。つまり、英語という一つの特殊な言語に
過ぎないものが、擬似的な普遍的言語として通用しているという事情がそこにはあるし、
これが(似非)グローバリズム(特殊なものの強引な普遍化)を可能にしている条件
にもなっている。(経済的にはアメリカの国民通貨ドルが世界基軸通貨だという事情が
そこに重なる。)だから、その際、この歪みを正すためには、エスペラントのような
真の普遍言語が必要になるし、そうなれば、英米圏の連中も自分らの民族言語(英語)が、
世界言語だと僭称出来なくなり、自分達の文化の特殊性を自覚するほかなくなる
だろう。しかし、問題は、エスペラントのような高次の、というより、空虚な普遍性を
体現するものが普及しにくいというところにある。かと言って、英語が一特殊言語に過ぎない
と言い募るだけでは事態は何も変わらない。問題は、英語を特殊に格下げしうる文句なしの
普遍性を構築することにしかやはりないし、でなければ、グローバリズムは決して終わらない。
241考える名無しさん:03/06/02 22:51
「寛容性」というのはJ・ロックがピューリタン的自我確保の為に言い出した事で、
その余禄として他民族との調整が出てきただけ。
基本的には個人主義的原理だが、
社会形成にあたって分散型社会を想定しているわけではないので、
共同体的部分もあるというだけの話。
だから近代民主主義のチャンピオンとも言われるわけで。
アメリカだったらロックに行くだろうな。
242考える名無しさん:03/06/02 23:48
>>240
ご意見よくが理解できますし、基本的には御説に賛成です。
私も、現代のリベラリズムあるいはその生み出すグローバリズムが「普遍主義
を僭称する西洋的特殊主義」であると思います。ここまでは全面的に賛意を
表したいと思います。やや考えが異なるのは、ここからです。
すなわち、こうした擬似普遍主義に対抗するには、「これを下位分類とする
ような、より高次の普遍主義」が必要になるという論点です。
ここであなたは英語やドルを一例として提示されていますが、私が問題としたい
のは、たんなるグローバリズムではなく、あくまでもイデオロギーとしての
リベラリズムのもつ普遍主義なのです。言うまでもなく商品経済は、あらゆる
主体とも接合可能であり、多様な共同体と共同体のコミュニケーション・ツール
として、それ自体は必ずしも普遍主義的リベラリズムを生み出すわけではありません。
しかし、それが一度共同体の内部を侵食すると、たちどころに普遍主義の
相貌をもって登場します。これがまさしく資本主義ということです。資本主義とは、
もともと商品経済による共同体の分節の結果にすぎないにもかかわらず、そこでは
あらかじめアトム的個人が存在し、しかるのち彼が自由意志による契約によって
社会をつくった、あるいはそうあるべきだというリベラリズムの普遍主義が
はじめてできあがるのです。
 コミュニタリアンは、こうした共同体内に侵食し、共同体を過剰分解した
リベラリズムに反対を表明しているのです。商品経済ないし市場経済は、
共同体の隙間におしもどされたときは、もはや普遍主義ではありません。
したがって必要なのは「真の高次の普遍主義」ではないと思います。
「真の高次の普遍主義」という表現には、低次の普遍主義と特殊主義に対する
なにかヘーゲル弁証法的な「止揚」が想起され、ある種の歴史の内在的発展
という古いマルクス主義や、共同体と個人を超克するアソシエーショニズム
を感じてしまいます。
243考える名無しさん:03/06/03 00:02
242のつづき
コミュニタリアンは、そのようなヘーゲル主義的止揚を認めないので、「高次の
普遍主義」ではなく、あくまで市場の局地化=特殊主義化をめざします。
言い換えればそれは、節度ある自己抑制されたリベラリズムと言ってもよい
かもしれません。ウオルツアーの表現を借りれば、市場と市場が影響を及ぼしては
ならない領域の「分離の技法」というべきものです。グローバリズムを制御できるのは、
そのような共同体的倫理なのではないでしょうか。
答えになったかどうか分かりませんが、これが私が青木さ(んの研究会)から学んだことです。
244考える名無しさん:03/06/03 00:16
>>241
私がいった「寛容性」はロック的な「自己労働にもとずく所有」を前提とした
個人的主体のそれとはまったく違うことを、上記の書き込みで理解していただきたい。
リベラリズムのような自然法的社会契約論ははじめから念頭になく、あくまで
異質な共同体の相互尊重の意味でしかない。
245名無子21:03/06/03 00:25
>>240
 別の観点から敷衍すると
 「自立」より「寛容」を重視する立場のリベラリズムの伝統が一方において
あります。例えば、1648年のウェストファリア条約は、アウグスブルクの宗
教和議を確認したわけでしょう。つまり、「領主の宗教がその領土でおこなわれ
る」という原則を確認し、その背後には寛容の原理がある(無論文字通りパワー
ポリティックスの所産だけど)。
 そしてこのウェストファリア体制というのは、近代の国際関係を論じるにあたっ
て欠くことのできないもの。


246名無子21:03/06/03 00:37
>>242-244
 ウォルツァーが「分離の技法」は言うとき、若干疑問です。
 例えばCIAが軍事クーデタに協力し、チリのアジェンダ政権(→当然反アメ
リカ的)を潰したわけでしょう。ほかにもニカラグアの例などあるが、アメリ
カは、徹頭徹尾自国の利益に従って、相手の国益をぼろくそにしたわけです。
 このことから、アメリカにはラテンアメリカ諸国に対して一定の責任を負う
べきと考えるわけです。
 つまり、介入して相手を潰した後、その後で「分離」などいわれては単純に
無責任ではないか。そういう文脈でウォルツァーは使われるのがオチ。ウォル
ツァーが割と政策担当者に読まれているという事実を想起してください。
 あるいは国際関係の経済的相互依存状況で分離など可能か。
247考える名無しさん:03/06/03 00:42
>>245
名無子21さん。敷衍ありがとう。
けれど、それってしょせんリベラリズムは何でもありっていうのに、つきるのでは?
今日はもう寝ますが、よろしかったら、>>212でも、同様のレスしましたので、
あわせてご検討ください。
248考える名無しさん:03/06/03 05:10
名無子21氏に質問、つーか確認。

前置き。まず、おいらは>>242-243の話は理念的・概念的な話だと読み取った、と。
んで、名無し21氏は>>246ではウォルツァーの主張に疑問を挟んでいるけど、
これはおいらにはプラグマティックな観点からの批判と見えるわけです。

で、本題。ウォルツァーのようなコミュニタリアン的発想は、理念的・概念的な
レベルで見た場合でも妥当性を持たないと思われているわけでしょーか?

理念的・概念的なレベルの話とプラグマティックなレベルの話が混同している
ように見えたので、ちょいと質問してみますた。すまんですがお答えよろしこ。
249考える名無しさん:03/06/03 07:48
ふー。お掃除完了。
ここもやっと。ウザいの消えて
読み応えののあるスレに戻った。
250abcde:03/06/03 11:15
<<242
251abcde:03/06/03 11:33
<<242
多少とも宇野を勉強した者にはよく理解できる。
要するにマルクスや宇野流にいえば、市場経済は労働力の商品化と土地の商品化に
よってのみ社会の普遍主義的原理(資本主義)になるということ。青木がいいたいのは、
これを敷衍すれば、自由なアトム的個人(負荷なき自我?)の社会契約というリベラリズムの
理念は、リバタリアニズムでもアソシエーショニズムでも、ただただ資本主義にのみ
適合的だということ。つまりリベラリズムの自立した個人ではけっして資本主義批判に
なりえないということ。
 こんな論理と理解していいですね?でも宇野を知らない人に分かるかな?
252考える名無しさん:03/06/03 14:38
>つまりリベラリズムの自立した個人ではけっして資本主義批判に
なりえないということ。

なると思っている人は始めからいないのでは??
253考える名無しさん:03/06/03 15:06
>コミュニタリアンは、こうした共同体内に侵食し、共同体を過剰分解した
リベラリズムに反対を表明しているのです。商品経済ないし市場経済は、
共同体の隙間におしもどされたときは、もはや普遍主義ではありません。

コミュニタリアンが市場を共同体の隙間に押し戻すのではなく、市場が
その競走作用を通じて、コミュニタリアンを淘汰して共同体の余剰プールに
押し込めると言ったほうがいい。つまり、コミュニタリアンが市場を捨てる
のではなく、市場がコミュニタリアンを捨てるのだ。
254考える名無しさん:03/06/03 16:33
土地の商品化は別にまずくないという論理もある。土地が商品化され、
その私有者がはっきりしている場合、その持ち主はそれが自分の土地
であるがゆえ、しっかり管理するだろうし、そうしないとかえって
土地の価値は下がる。だから、土地の価値を下げないためにも、
その私有者はその管理を怠らず、そのため土地の疲弊がかえって避けられるという
考えもできるだろうし、実際古典派経済学はそういう風にして、土地の
商品化を正当化する。逆に、土地が十分に商品化されておらず、私有者が
あいまいな場合、いわゆる「コモンズの悲劇」が起こり、早晩土地は疲弊し、
使い物にならなくなると言う。古典派の論理で行けば、もし土地の疲弊や
環境破壊があるのならば、それはかえってその商品化が未だ不十分だから
、となる。無論、例えば、森林資源が今減る一方だが、それはまた森林資源が
商品化され木材商品として売買された結果だとも言えるが、しかし、森林の
乱伐をすればするほど、その絶対数が減るがゆえ、木材価格の高騰を招くだ
ろうし、そうなれば、木材需要は抑えられ、もって森林の乱伐に一定の規制が
働くだろうとなる。木材商人も馬鹿ではないのだから、一方で木を伐採しつつ、
他方では植樹活動をし、その保全にも努めもするはずだ。でなければ、自分の
商売道具を自らで壊滅する愚を犯すことになるが、その愚が起こるとすれば、
それはかえって「コモンズの悲劇」として起こるだろうと古典派は切り返す。

しかし、この古典派の論理が多少欺瞞的に映るとすれば、他方で、土地の商品化は
所謂土地投機を生むからだろう。つまり、土地を買ったはいいが、それを生産物の
生産手段として使うというより、その値上がりを期待して事後的に高く売る
ためにだけ買う土地投機をそれは他方で生むというわけだ。今、韓国では
この手の土地投機がブームであり、その加熱ぶりを懸念した韓国政府はその規制に
乗り出したわけだが、こういう規制はある程度は必要ではある。
255:::03/06/03 17:11
>>252
上の方の書き込みをずーと呼んでみて下さい。
ところが、自立した個人こそが真に資本主義を批判できると思っているひとが
いーぱいいるんです。誰とはいいませんが、リバタリアンやアソシエーショニスト
とかいう「単独者」こそが、真の資本主義批判者だと主張する方々が。
256考える名無しさん:03/06/03 17:23
環境破壊というのは、先進国より第三世界や中国でひどい。しかし、これは
先進資本主義国のせいもあろうが、それ以外の要因もあるのではないか
と疑っている。例えば、前近代的な大家族制が残存し、女性の地位が低く、
子供の量産をひたすら課せられているという現実が、資本主義的な機械制工業
とミスマッチを引き起こし、過剰人口の問題を引き起こし、都市のスラム化
の一因になっているだろうし、その過剰人口を食わせていくために、国家主導の
開発独裁を温存させているとか。開発独裁は、市場原理の規制が働かないから、
滅茶苦茶な資源開発を可能にしてしまう。

ここに到っては、古典派の描く均衡論的な美しい世界は既に破綻している。
257考える名無しさん:03/06/03 17:29
>上の方の書き込みをずーと呼んでみて下さい。
ところが、自立した個人こそが真に資本主義を批判できると思っているひとが
いーぱいいるんです。

いないだろ??
258考える名無しさん:03/06/03 17:32
「ところが、自立した個人こそが真に資本主義を批判できると思っているひとが
いーぱいいるんです。誰とはいいませんが、リバタリアンやアソシエーショニスト
とかいう「単独者」こそが、真の資本主義批判者だと主張する方々が」と言う
コミュニタリアンの思い込みがただ延々あるだけにしか見えん。
259考える名無しさん:03/06/03 17:48
リバタリアンは資本主義肯定派であって、もともと資本主義を批判する
意図なんかないだろう。極論をすれば、アソシエーショニストも資本主義を
万年批判する気はないだろうしね。アソシエーショニストは、印象では、
資本主義が共同体を解体するのではなく、それを都合のいいように再編成
するのに嫌気がさしているように見える。
彼らは資本主義が前近代の共同体を破壊し尽さない事にむしろ不満を抱い
ているように見えるというか、その結託様式を批判しているように見える。
260考える名無しさん:03/06/03 20:28
ああ、誰かの可能なるコミュニズムっていうのは、
資本主義批判じゃなかったんだ。
261考える名無しさん:03/06/03 20:53
>ああ、誰かの可能なるコミュニズムっていうのは、
資本主義批判じゃなかったんだ。

「批判」ではないのは確か。
262考える名無しさん:03/06/03 21:30
このスレでローティやPL以降のロールズの話が出ないのは
不思議だな
263考える名無しさん:03/06/03 21:35
ローティ
264考える名無しさん:03/06/03 21:50
「自立した個人」が分かりにくい。
普通のサラリーマンは入るの?
265考える名無しさん:03/06/03 21:56
>>256
鋭い着眼ですが、少し誤解があります。
それは、コミュニタリアンが必ずしもエコロジストではないということです。
コミュニタリアンは資本主義の内発的な生産力を批判しているのではなく、
あくまで、市場という外部的関係が内部化し、人間関係がアトム化している点を
批判しているのです。それは、ポランニ=宇野的に言って、市場という形式的
経済に対する批判であって、労働・生産力という「実体」的経済に対する批判では
ないのです。
あなたが「前近代的な大家族」と呼ぶ共同体的なるものも、初めから有機的構成の
高度な金融資本が外から後進国に移入され、かえって過剰労働力が市場の受け皿を失い、
農村に滞留して形成された擬制「共同体」にすぎないと思います。開発独裁は、
「市場原理が働かないから」生じるのではなく、逆に、高度な市場が突然に共同体を
急速に破壊したからこそ生じたと言うべきでしょう。
この点は、宇野=青木が、日本資本主義論争における労農派、講座派両派の国家論の
総括から詳しく導き出しているところで、コミュニタリアニズムの守備範囲です。
266考える名無しさん:03/06/03 22:02
>>262
ここはマルクスのスレだからね。
>>264
入るも入らないも「自立した個人」はリベラリズムの幻想だからね。
誰かの「単独者」と同じ。
267264:03/06/03 22:15
>>266
かなり納得。
268考える名無しさん:03/06/03 23:54
>>262
PL以降のロールズ問題。はじめの方で出てるよ。
269-----:03/06/03 23:58
>>267
おいおい、簡単に納得しないで、もうちょっと突っ込めよ。
270267:03/06/04 00:11
グローバリズムは装いを新たにした「米帝」の
ようにも見えるけど、それは言い過ぎなのかな?
271-----:03/06/04 01:07
言い過ぎではありません。そのとおりです。
ただし問題はその「帝国」が、たんなる古典的な経済学的意味のそれではなく、
デモクラティックなリベラリズムの帝国である点です。
それは人権・自由・個人主義といった「普遍」的理念の啓蒙と世界化を使命と
する点で、いかなる進歩的な反戦運動や地球市民的なインターナショナリズムも
同化し吸収し無力化してしまうでしょう。もちろん負荷のないデラシネとしての
マルチチュードなるものも、これに抗し得ないのは言うまでもありません。
272267:03/06/04 01:13
アメリカ=ネオコンでは無いと思いたい
けどもね・・・
国際戦略の筋書きはとうの昔に練られているのだろうけど・・
273考える名無しさん:03/06/04 01:32
>>238
アソシエーショニストは、Thinnk globally,Act locally だって?
ははは、二つ合わせて、「グローカル」かい。
そいやあ、どこかの転向左翼の市民主義者も、それから政府の広報誌も
おんなじスローガンを掲げていたなあ。
ま、みなさん仲良くしてください。
274名無子21:03/06/04 02:38
>>247
 その通り。また、コミュニタリアニズムにもいろいろあるわけでしょう。あ
まりリベラリズムとコミュニタリアニズムという対立軸には興味がない。コミュ
ニタリアニズムでもいろいろあるわけでしょう(リベラリズムに近いものもある
)。もちろん、そこで議論されている内容には興味がありますが。
 もう少し「具体的な」レベルの話に興味があるので、歴史とかあるいはウォル
ツァーの周りの文脈とか書くわけです(理論にも配視しながら)。
 だから、青木本の評価にしても内在的にみて「町内会」に可能性はあるかとか
柄谷の「アソシエーション」に可能性はあるかとかの議論に興味があります。
 一方において、「町内会」といっても擬制的な共同体にすぎない場合がある。
ベビーブーム世代は都会へ集団就職して、擬制的なコミュニティーを作っている
ことはよく知られています(祭りもすぐに衰退化する)。
 これを会社共同体を擬制的として批判をする青木と整合性はあるか。
 他方において、柄谷の「アソシエーション」においては、柄谷という固有名が
徹頭徹尾はずせないわけでしょう。
275名無子21:03/06/04 02:59
>>249
 まず、理念的レベルと実践レベルは一応は切り離し可能ですが、原理的には
不可能です(やや抽象的で官僚的な回答ですが)。
 その上で、答えるならば、246の批判は、両レベルを含みます。実践レベル
は置くとして、理念的レベルでいえば、共同体の間に線を引くことが可能か、
ということです(引けることが理論的前提でしょう)。既に指摘したとおり、
合衆国とラテンアメリカの間に明瞭な線がひけるか、というのが具体例です。
 ほかにも、現在国家で貿易をしていない国はほとんどない(あの北朝鮮でさ
え)。その上で、パワーポリティックスが当然働いて、例えば日本はアジアに
大量の産業廃棄物を「輸出」している。このときに分配の平等を別々にする
ことなんてそもそも可能なのか、あるいは妥当なのかということです。

 別の用語で言い換えると、共同体倫理がグローバリズムを制御できる(243)
というが、グローバリズム(ゼーション)は、リベラリズムというより、多文化
主義的なところがあるでしょう(クリントン政権が典型、他国の文化を尊重する
と宣う)。つまり、先進国にとって都合のいい棲み分けの論理。この点に配視し
なければ、「分離」を説いても、「理論的に」不十分。グローバリズム理解が若
干異なる前提にあるからかもしれないけど。
276考える名無しさん:03/06/04 03:44
自作自演はやめて国へかえれ朝鮮人め
277考える名無しさん:03/06/04 06:37
今ある共同体や個人の大半は近代資本によって形成されたものだから、
対抗勢力とはなりえない。
共同体の枠組が拡大したり極端な個人化が進むと
統治上の観点から問題が起こってくる、というだけの話であって。

278考える名無しさん:03/06/04 09:42
>>277
逆だ。
資本ないし市場によって形成されながら、同時に資本の限界を示すものである
ところに、共同体の意味があるのだ。
最も典型的には、家族がそうだろう。家族はインセスト・タブーの回避を前提と
するがゆえに、血縁氏族の内婚を禁止する氏族外婚制として始まる。夫婦別姓を
想起せよ。家族はレヴィ・ストロースのいうように女性の交換を原型とするので
あって、それは原理的に商品の市場と同一の構造をもつ。
これに対して資本主義は、市場の内部化によって氏族という共同体を解体するが、
逆に家族という新たな共同体をつくりだした。それは、たしかに労働力商品の
生産・再生産、相対的過剰人口のプールでしかないが、市場のリベラリズムに
対する最大の解毒剤であった。家族は、資本主義を補完しながら、資本主義の
リベラリズムに一定の倫理的制限を画するものとしてあった。それゆえ
コミュニタリアンは家族を肯定する。
 だが、現代のグローバリゼーションは、フェミニズムというかたちでリベラルな
個人主義を家族の内部に浸透させようとする。いわゆる核家族の核分裂(市場的
個人主義)という問題だ。個人主義はリベラリズムそのものであり、もちろん
資本主義の対抗原理でありえない。
上に誰かが書いていたが、リベラリズムは共同体の間の調整原理としてのみ
意味をもつ。家族相互についてもそれはいえる。われわれは、性差より個人差、
ジェンダーフリーには懐疑的にならざるをえない。しょせんリベラルな家族論
は家族内の商品経済的関係化であり、家族解体論にすぎない。
279考える名無しさん:03/06/04 11:22
>家族はインセスト・タブーの回避を前提とするがゆえに、
>血縁氏族の内婚を禁止する氏族外婚制として始まる。
族内婚もあれば族外婚もある。
ストロースは交叉婚研究を通して
女性(負債)の押し付けというコミュニケーション様式を明らかにしたと思うが?

近代資本は氏族(族長)制を解体し、家父長制を形成する。
これはロックのような個人主義者やヘーゲルも指摘している事で
きわめて倫理的な存在様式だ。
だからこそ、フェミニストの批判がある。
ただ、近代資本発生を保障する私的所有や個人主義というものは
きわめて神学的構成を持っているので、
このメカニズムを解き明かさない限りフェミニストの批判は空を切る。
近代資本と言うのは単なる生産関係だけに還元できるものではない。
280ジョージ・ブッシュ:03/06/04 12:08
ふー。イラクのフセインのお掃除完了。
世界もやっと、ウザいのが一匹消えて
住み応えのある世界に戻った。
281考える名無しさん:03/06/04 12:40
やっぱり、「大量破壊兵器」は大ウソだったね・・。目的のためには
手段を選ばない国、アメリカ・・・。つぎの標的はイランか!?
いいかげんにせいや!
282ジョージ・ブッシュ:03/06/04 14:57
コミュニタリアンは、Thinnk locally,Act locally だって?
ははは、我々のグローバリズムと二つ合わせて、「グローカル」かい。
そいやあ、我が国の保守派も、それから右翼ナショナリストも
おんなじスローガンを掲げていたなあ。
まあ、お互い仲良くしましょう。

>つぎの標的はイランか!?

然り。我々はイランに真のナショナリズムを台頭させるために、
彼らを挑発しているのだ。現に我々の挑発行為で、イスラムの連帯が
強化されているわけではないか?

アジア主義を台頭させるためにも、北朝鮮も挑発するので期待してくれ。
万国のナショナリストよ、団結せよ。
283名無子21:03/06/04 15:01
>>277
 だから、共同体の極とか個人の極とかを議論するより、現在ある制度
を支える前提を分析する必要がある。「資本主義」がマジックワードに
ならないためにも。

>>277
>>278
 この「資本主義と共同体」問題は循環していて、つまり、資本主義は、
一方において、前近代的な共同体(家族→労働力の再生産)を利用し発展
し、他方において、その共同体を資本主義がその前近代的な共同体を資本
に都合のいいように組み替える(核家族化)。
 こうしたものを総合して「資本主義」と定義する流派もある。

 さらに別の論点に配視しつつ敷衍すると、家族の個人主義化が資本主義
に都合がいいという(レス278)。しかし、家族の個人主義化は、労働
力再生産に機能不全を起こす面もある。それゆえ、資本主義にも悪影響が
あるわけですね。レス278には、再生産の問題に触れられるにも関わら
ず、家族の個人主義化を道徳主義的に悲観している(ようにしかみえない)。
 よって、正しくは家族の個人主義化が再生産問題と関連しない、あるい
は再生産をより有効に機能させるという点を論証しなければ、反論にはな
らない。

284ジョージ・ブッシュ:03/06/04 15:07
家族は重要だ。現に私などは父に叱咤激励され、イラクに攻め込んだの
だからな。これはエディプス・コンプレックスの解決なのだよ。
285ジョージ・ブッシュ:03/06/04 15:26
因みに、私はフェミニズムは嫌いだ。私の妻は、古風で大人しい
弱い女だ。ヒラリー・クリントンなんぞは、単にクズである。

ところで、イスラム原理主義者のネットワークは今や世界規模だ。
彼らは世界情報網で緊密に連絡しあい、投機市場で活動資金を
稼ぐ多国籍ネットワークを持っているのだ。彼らの活動はまさに
グローバルであり、それゆえ危険なのだ。
かのビン・ラディン一味は、9・11後の保険会社の株価の急落を利用
して、大量の資金を稼ぎ出したのは周知の事実ではないか。
我々はテロのグローバリズムの被害者なのだ。私は9・11以降、ア
メリカ共同体の安全を守るためにこそ活動しているのだ。
私はアメリカン・コミュニタリアン。
286考える名無しさん:03/06/04 15:52
>コミュニタリアンは資本主義の内発的な生産力を批判しているのではなく、
あくまで、市場という外部的関係が内部化し、人間関係がアトム化している点を
批判しているのです。


>あなたが「前近代的な大家族」と呼ぶ共同体的なるものも、初めから有機的構成の
高度な金融資本が外から後進国に移入され、かえって過剰労働力が市場の受け皿を失い、
農村に滞留して形成された擬制「共同体」にすぎないと思います。

なんかあべこべじゃないか。一方で、資本の原理は人間関係をアトム化するといい、
他方では、資本の原理は、人間関係を前近代的な大家族制度に擬制的に固着される
と仰る。終いには、こう仰る。

>開発独裁は、「市場原理が働かないから」生じるのではなく、逆に、高
度な市場が突然に共同体を急速に破壊したからこそ生じたと言うべきでしょう。

「「前近代的な大家族」と呼ぶ共同体的なるものも、初めから有機的構成の
高度な金融資本が外から後進国に移入され、かえって過剰労働力が市場の受け皿を失い、
農村に滞留して形成された擬制「共同体」にすぎない」のではなかったのか?
287考える名無しさん:03/06/04 16:47
「開発独裁は、「市場原理が働かないから」生じるのではなく、逆に、高
度な市場が突然に共同体を急速に破壊したからこそ生じた」のなら、他方で、
「過剰労働力が市場の受け皿を失い、農村に滞留して形成された擬制「共同体」
にすぎない」ものとされる「前近代的大家族」が形成されるのか?

(1)「市場が急速に共同体を急速に破壊したから」→「開発独裁が生じる」

(2)「高度な金融資本が後進国に移植される」→「回収しきれない過剰人口が生じる」
→「前近代的大家族制度が擬制的に形成される」

288287の続き:03/06/04 16:47
(1)共同体の破壊は人間のアトム化になるというのが、コミュニタリアン
の主張だが、それがなぜ、開発独裁に連結するのか?ここの因果関係が不明。

(2)高度な有機的構成をもつ資本制機械工業が、さほどの労働力を農村から
都市へと呼び寄せないというのは解る。そして、農村が前近代的なまま保存され
るというのも解る。そして、これがある種の擬制共同体に映現するのも解る。
つまり、先進国の高度な資本が後進国に移植された場合、さほど農村の分解が
起こらないということだろう。市場が人間関係をアトム化する傾向にあるのは
確かだが、それは後進国では限定的でいわば不発に終わるということだろう。
であるなら、かえって、「市場が急速に共同体を急速に破壊したから」という言明が
後進国では妥当しないのではないか。だとしたら、開発独裁を市場による共同体の
破壊に原因を帰するのは妥当ではないだろう。なぜなら、後進国では共同体の破壊
は不発に終わるのだから。従って、開発独裁はやはり、別のところに発生の根拠を
持っていると言わざるを得ない。

市場が人間関係をアトム化する傾向にあるのは確かだが、それが後進国ではいかに
遅遅として進まないかという観点も必要だろう。しかも、それは今後漸近的に進展する
かといえば、逆に後退するだろう。なぜなら、資本が進化するということは、益々
その有機的構成を高めることなのだから、そうなれば、ますます、市場は労働力を回収
しなくなるからだ。グローバリズムはかえって、労働力を市場が回収しなくなるという
逆の問題も生むことになるだろう。そうなれば、かえって、アトム化は後退することになる
。むしろ人間関係のアトム化の「困難さ」こそ考えるべき所以である。
289::265:03/06/04 17:54
私の>>265の書き込みに対して、たくさんの方からレスをいただき、ありがとう
ございました。みなさんが鋭いところを真剣に突いてきたので、全部に答える
時間も能力もなく、申し訳ありません。
>>288の書き込みの方がほとんど言いたいことを言ってくれたので、あまり
付け加えることはありません。
@整理すれば、資本主義市場経済は、原理的性格上、法形式的ないしイデオロギー的に
共同体を解体し、倫理的に人間をアトム化し、リベラリズムを普遍的観念として
登場させること。
Aしかしながら、現実の共同体に対する社会経済的分解力は、共同体を外から
包摂する市場の有機的構成の差によって、多様にあらわれざるを得ないこと。
欧米の先進国では、比較的構成の低い資本が漸進的に共同体を解体して、しだいに
資本の有機的構成を高めていったがゆえに、リベラリズムが普遍主義的様相を
もって、ひとびとを支配した。
Bこれに対し、後進国は、はじめから構成の高い高度な金融資本が外から侵食し、
これによって外発的に資本主義化を余儀なくされた。そこでは資本主義に制度的に
対応するため法形式上、近代リベラリズムを摂取する。しかし資本の労働力に対する
吸収性はかぎられており、共同体から遊離した過剰人口はゆきばを失う。この浮遊せる
過剰労働力は、都市のスラムに、あるいは農村の村落に擬制的に擬似「共同体」を形成して
滞留することになる。法イデオロギーとしてのリベラリズムは、このスラム化した過剰人口
に無力であるばかりか、かえって事態を悪化させた。
C要するに、現代の資本主義と相補的な「共同体」は、共同体を遊離し負荷を喪失した
小ブルジョア的個人が小ブルジョアのまま貧困化ししがみ付いている擬制「共同体」
でしかないということ。
D現代のグローバリゼーションがこの擬制「共同体」さえも破壊しようとするとき、
いま必要なことは、この破壊を促進するリベラリズム的個人主義に立つことではなく、
むしろ市場主義の蔓延をいかに阻止するか、であること。この市場リベラリズムに
ノンを唱え得るのが、コミュニタリアニズムであること。


290考える名無しさん:03/06/04 18:17
グローバリゼーションはもう終わったんだけどね。10年間で。
その輝かしい帰結が、9・11テロとアメリカのあの巨額な貿易赤字。
291考える名無しさん:03/06/04 18:17
コミュニタリアニズムというのは単純な疎外論ではないか?
292考える名無しさん:03/06/04 19:27
実はね、そうなんですよ。
293考える名無しさん:03/06/04 20:13
疎外論というのは、初期マルクスのそれを指しているのだろうか?
宇野と広松を受け継ぐと自称する関係主義がなぜそがいろんなのか?
疎外論だと断定するなら、何が何をどのように疎外しているというのか、
きちんと説明しないと支持も反論もしようがない。
294直リン:03/06/04 20:17
295考える名無しさん:03/06/04 20:24
物象化論という名の疎外論を展開し続けた広松渉 by A・A
296考える名無しさん:03/06/04 22:07
自己疎外と人間疎外を区別しといたほうがいいと思うよ。
297考える名無しさん:03/06/04 23:08
>>279
族内婚と族外婚の定義が違ううのではないでしょうか。そもそも未開社会では、
共同体といってもそれ自体が重層的な構造性をもっており、たとえば、部族、
種族、胞族、氏族のいづれをもって共同体とみなすかは一義的には規定でき
ません。しかしモルガン=エンゲルスからレヴィ・ストロースにいたるまで、
内部で性関係を禁忌された単位が認められるのは事実であり、これを仮に
エンゲルスいらい使用されている「氏族共同体」という名称で呼んでも
さしつかえないと思います。
あなたの言われるとおり、近代資本主義は氏族の解体の代わりに、たしかに
「家父長制家族」形成するといえます。しかし、これが倫理的存在であるのは、
家父長の権力の故ではなく、この家族が二つの氏族に引き裂かれていた夫と妻を
新たな社会的単位とするからです。この意味で家族は、従来の氏族共同体を
解体し、これにまたがって新しく形成された近代の、そして最後の共同体と
いえると思います。私も、家族を資本主義的「生産関係」なるものに還元
できるとは考えていません。まったく逆に、あなたのいうう「私的所有や
個人主義という神学的構成」つまりリベラリズムの普遍主義やその亜流と
してのフェミニズムに、批判的に向き合うための最後の拠りどころこそが
家族であると思っています。
298考える名無しさん:03/06/05 00:01
青木の勉強会で柄谷批判をして盛り上がったヤツの宣伝か
299考える名無しさん:03/06/05 00:23
>>291>>296
疎外論は、有機体的共同体ないしは自立的個人を普遍的実体として前提と
しないかぎり、なりたたないフィクションだ。青木が、前者をホーリズム、
後者をアトミズムとして徹底的に批判していることは前に書いた。
「自己疎外と人間疎外」なるものは、どちらも近代ヒューマニズムを共通の
人間本質論としている点で問題にならない。
広松の主張が「物象化論という名の疎外論」だというのは、何がいいたいのか
まったく分からない。
コミュニタリアニズムにもいろいろあり、例えばマッキンタイアのそれは、
たしかに少し共同体の実体視があるといえなくもないが、ロールズ的
リベラルを批判したサンデルや、宇野を関係主義的に読み替えた青木の
コミュニタリアニズム理解に、「超越論的主体の疎外」によって現実を
批判する弁証法的思惟形式は、まったく見られないと確信している。

300考える名無しさん:03/06/05 01:26
共同体=共同社会=ゲマインシャフト、と考えて
よいのですか?
301考える名無しさん:03/06/05 01:26
>>297
>内部で性関係を禁忌された単位が認められるのは事実であり
インセストタブーを取り出すだけならフロイトでも良いわけです。
モースやストロースの画期性は負の転換という「構造」を取り出した所にあります。
これは市場原理とはちょっと違う。
それに中国のように同姓婚まで禁止した地域や
日本のように親・兄弟を除いた親族間の結婚が奨励された地域がありますからね。
特に日本のようなケースを氏族社会とは言いません。
あと、ヨーロッパで従兄弟同士の結婚が可能になったのは
19−20世紀の市民社会成立以降ですね。

>これが倫理的存在であるのは、 家父長の権力の故ではなく、
>この家族が二つの氏族に引き裂かれていた夫と妻を
>新たな社会的単位とするからです。

神―族長―人という契約関係を神(あるいは法)―人に置き換えたのが
近代家族原理で、神学的構成を有しているというのは
ロックやヘーゲルも指摘していることですよ。
ロックにおいては確信的に、またヘーゲルにおいては擬制的に
捉えられています。
この際に戸主である家長の権利が聖書の記述に従って確約されたわけです。
男女同権が提唱されたのは19−20世紀の大衆民主主義以降ですよ。
302考える名無しさん:03/06/05 06:31
サヨのコピペuzeeeeeeeeeee
303考える名無しさん:03/06/05 07:50
>>300
違います。私たちが使う〈共同体〉というタームは、テンニエスのような
有機体的社会観を指すものではなく、人間のアイデンティティを構成する
社会関係のアンサンブル、いいかえれば主体の存在拘束性(負荷性)の
ような意味です。個人についても社会についても、実体的錯認を峻拒
するのが、コミュニタリアニズムです。
ですからドイツ的ゲマインシャフトよりも、あえていえば英語のコミュニティ
のイメージに近いと思います。
304考える名無しさん:03/06/05 08:52
>>301
たしかにレヴィ・ストロースの「女性の交換」は近親婚の禁忌を負の交換
で解決する。とくにその一般交換モデルは、常識的には市場交換ではなく、
互酬交換の典型とみなされている。しかしマルクスや宇野が市場の最初の
形態を共同体と共同体の間に見出すとき、この共同体というう概念は、
種族でも胞族でも氏族でもよい。ややトートロジカルであるが、たんに
内部に市場をもたない人間関係の実在を示唆するための技法であると
言ってもよいだろう。すなわちこの市場も、共同体内部の使用価値的
欠落を解消する「負の交換」である。この意味で、女性の交換は
共同体間の市場交換と同一の構造をもつともいえる。
近親婚のインセストについては、モルガン以来の外婚制論でよいと
思うが、その最大の問題点は、進化論的な婚姻=家族の発展段階説
であろう。この点、構造主義的批判に同意したい。
また資本主義は、この氏族ないし血族の共同体を解体したが、ぎゃくに
これにまたがって造られたのが「家父長制家族」であったことも認める。
私も、この家父長権力を否定したのは、20世紀のケインズ主義福祉国家
であり、これによる家族機能の簒奪と女性労働力の個別商品化こそが男女の
同権化を実現したと考える。
意見を異にするのは、
家父長制や神学的粉飾も含めて、近代家族に、資本主義を補完しつつその
倫理的批判を可能にするパラドクスを承認するか否かということ。
誤解なきよう断っておくが、私は20世紀の同権化になんの倫理性も認めない。
それは家族内の市場関係化であり家族機能の外部化であり、つまるところ
家族の解体現象であるとみなすからである。


305長谷@いろいろ厨:03/06/05 09:46
どうも、生田さんは、オイラよりも純粋無垢な方らしい。思想や常識を含
めて。
どうも、生田さんは、オイラよりも素晴らしい社会の到来を信じているら
しい。日本や国際社会を含めて。
306考える名無しさん:03/06/05 15:10
生田ってだれよ?
意味不明のカキコするな。
307--:03/06/05 16:48
>>304
 全面的に賛成なわけではないが、青木本は「選択的夫婦別姓」に反対論を
展開しているので、ちょっと紹介しておく。
青木は、近年の別姓論は改姓の不便・煩雑さの回避というプラグマティック
な議論で、慣習的な「姓」や民法の「氏」とは何かという根本的な定義が
欠如しているという。
 わが国には現在「姓」について大きく3つの見解があるという。
第一は、リベラル派法学者と主流フェミニストの見解で、姓名は個人の
人格の属性であり、それゆえ姓は自己決定権・自己所有権の一部をなす
というものである。第二は、姓は同一の祖先をもつ血縁を表示し、血統
の統一性を意味するという人類学的見解である。このばあい血縁婚で
ない証として夫婦別姓が原則となる。第三は、姓は夫婦とその未青年の
子によって構成される家族という生活共同体の呼称であるというものである。
 青木によれば、姓が個人の人格権に属すれば、夫と妻だけでなく子も
まったく別の姓でよく、個人が自由意志でいつでも変更できることになり
この見解を一貫させれば、そもそも名と区別して姓を論じる意味がなくなる。
それは姓の否定論である。
 姓を血統の継承性を示すとみなす説は、現在の韓国・中国や明治期以前の
日本など東アジアに広汎にみられる。これは逆に同本同姓の者どうしの婚姻
を禁じる制度であり、女性は近家の一族に入ることを認めない、夫婦関係
よりも血縁への帰属を重視するものである、とされる。
 姓を家族の呼称とする説は、日本では明治民法によって妻が夫の「家」に
入ることを認められ、姓が血族の呼称から生活共同体の呼称に転換されたこと
を意味する。さらに戦後憲法によって、家が廃止されたことで、現在の「夫
または妻のいずれかの氏を称する」ものとなった。姓は前近代てきなものでは
なく、資本主義が血族の共同体を徹底的に破壊し、かわって労働力の再生産
単位として形成した最小かつ最後の共同体の名称といえるのではないか。
 もちろん姓によって実質的不平等が存在する事実は認めねばならない。
しかし現在の別姓論は、家族の紐帯を希薄化させる原因でないにしても、紐帯
の希薄化の結果であるのは、事実として認めざるを得ないのではないか。

308--:03/06/05 16:57
(ツヅキ)
結論。別姓によって生じるのは「シングル社会」なるものではありえず、
結婚後も、家族より実家の親との関係を優先する過剰な実家依存症だけで
ある。また「選択的別姓」なるものは、たんなる結婚後の姓の選択では
なく、じつは姓の定義そのものを個人の自己決定にゆだねる姓概念の
破綻を意味するものでしかない。

なお、これはあくまで青木の本の紹介です。念のため。どんどん批判して
やろう。
309考える名無しさん:03/06/05 18:21
苗字を名乗ることは、武士の特権だったと日本史の時間に
習った覚えがある。それで、江戸の幕藩体制が崩壊し、明治時代に
なって、平民も苗字を名乗ることが許された、と。
儒教倫理なんかも、江戸時代には庶民には無縁で、主に武士階級の道徳
だったが、明治に国民教育が確立され、それ以後、平民にも儒教倫理が
普及したと聞いたことがある。

江戸時代が終わり、武士階級が没落したのは確かだが、彼らの制度は、
かえって、明治時代には、汎通的に拡散したとも言える。それは国民
の男子が、全て潜在的な武士階級=国民軍に仕立て上げられた徴兵制
と深くリンクする面があるように思われる。無論、日本において家父長制は
近代化の過程(というより、中央集権化の過程)で確立されたのは言うま
でもない。
310考える名無しさん:03/06/05 19:11
どうでもいいが、2ch哲学板は姓がないどころか、名さえない匿名空間な
わけでしょう。皆潜在的には「考える名無しさん」なんだから。

まあ、誰もが潜在的に「考える名無しさん」という名ならざる名を共有する
ことで、個体化・アトム化が避けられているとも言えるが。個体識別さえ
この場では困難なんだから。しかし、コテハンになろうとする者も後を絶たない
ので、他方では、個体性への執着も垣間見える。

閉じた小さなコミュニティでは互いに名を知っているのが通例だが、2chでは
互いに名を知っている方が稀である。というより、その匿名性にこそ魅了されている。
個体性と固有名は深くリンクしているわけだが、ここでは、全ての固有名が還元され、
一度無名の存在にまで還元されるが、そこから再度コテハンを名乗るものもいる。
しかし、本名を名乗るものはほとんどいない。つまり、偽名はあっても、本名はないの
である。

つまり、2chには名がない。それが個体識別を著しく困難にするし、アトム化・個人化を
妨げもする。その際、identityは崩壊している。しかし、個体識別(identification)ではないが、
個体を指示する方法はある。要は>>1のように番号(数字)で呼び合うわけである。

こういう匿名空間では、一切の社会的諸関係は消え去っている。互いに互いがどこの
コミュニティに属しているかを知りようがないし、知りたいとも思わない。
その際、identityは崩壊するが、その崩壊に抗する方法が、一つにはコテハン(仮の固有名)
を名乗ることだろうし、或いは、数字で呼び合うことであろう。一切の社会的諸関係が
還元されたら、identityの根拠はもはや、固有名か、indicationの方法はID番号にしかない
のである。
311考える名無しさん:03/06/05 19:42
>閉じた小さなコミュニティでは互いに名を知っているのが通例だが

ここに補足をしておくと、例えば、家族内では互いの名を嫌になるほど
知り合っている。だからこそ、そこでは逆に固有名は抹消され、例えば、
「お父さん」「お母さん」「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」などのタイプ名
が支配的になる。これは会社組織でも同様である。「社長」「部長」「課長」
などのタイプ名が支配的だ。しかし、ここで注意されたいのは、例えば、
弟が姉を「お姉ちゃん」と呼ぶことは可能だが、逆に、姉が弟を「弟」
と呼ぶことは出来なくはないが、不自然である。そのさい例えば「孝平」という
固有名が使用されるだろう。そして、同様に平社員が社長を「社長」と呼ぶ
ことは可能だが、その逆に、社長を平社員を「平社員」と呼ぶことは不可能
ではないが、不自然である。その際もまた例えば「青木孝平」という固有名が
使用される。ここに固有名と組織における上下関係との密接な関係を見て取る
ことは不可能ではない。つまり、概ね、固有名で指示される者は、コミュニティ
のなかでは、下位に属しているということだ。下位に属しているが故、コミュニティ
への帰属度は低いだろう。つまり、下位に属している者は、社会的諸関係(コミュニティ)
の抹消の直ぐ隣にいる。それ故、「社長」や「お父さん」のようなコミュニティの中核
にいる者たちとは違い、彼は固有名で呼ばれるほかないと言うべきであろう。
312#:03/06/05 22:05
たしかに姓に象徴される家族というテーマは、リベラリズムやアソシーエショニズム
への、最も根本的な批判になるかもしれないという気がする。
だって、どんなに頑張っても人は自己決定してこの世にうまれてくるわけじゃあ
ないからね。家族は自由意志で造れるように見えるが、子供の視点から
すれば、決定的に自己を構成する遺伝子というか親を選択できる訳ではない。
それから近親相姦の禁止も、単に優生学上の問題じゃなく人間の最後の自己
決定できない領域だと思う。だから家族は、究極的に個人が自由意志で参加
するアソシエーションとして人為的につくれない。たしかにインターネトは
自由な匿名の世界だけど、そこに生まれ込むことはできないだろう。
313考える名無しさん:03/06/05 22:28
まあ、芥川龍之介の「河童」とか「イ朱儒の言葉」なんかを
読むと、家族への呪詛に満ちていたりするがね。

そういう芥川を最も嫌ったのが小林秀雄。人はAにもBにもCにも
なれただろうが、ほかならぬDにしかなれない、それが驚きだと
いった宿命論者の小林秀雄。しかし、芥川の呪詛というのは、
ほかならぬDにしかなれなかったことへの呪詛なんで、両者の関係
は循環していたりするが。キチガイの母を持つことしか出来なかった
ことへの呪詛。そんな芥川が見出したのは「精神の自由」という領域。
遺伝情報や環境決定下にある身体(機械)レベルには自由は始めか
らない。だから、それは精神のレベルにしかない、と。芥川にとって、
精神は脳や神経組織でさえない。それは身体(機械)にすぎないから。
314考える名無しさん:03/06/05 23:01
そういえば、伊田広行が、家族単位社会をシングル単位の社会に変えようと
主張している。この人って左翼だろ?リバタリアンと言っていいのかな?
それとも青木が右翼なのか。
いずれにしろ、伊田が青木らコミュニタリアンの敵であることだけは
間違いない。
315考える名無しさん:03/06/05 23:03
「河童」の世界では、子供に決定権があるわけだ、生まれてくるか
否かの。無論、実際の人間世界ではそんなことは不可能で、親の
恣意で子が生まれるわけだから、それを小説という虚構の世界で
縦横に皮肉ってみせたわけでしょう。人間世界では生まれるか否か
という始めの決定の自由さえ、初発的に既に失われているではない
か?と。だとしたら、人間世界に自由など文字通り始めからあり得
ないだろう。それは河童の世界=虚構の世界にしかないフィクシ
ョンだ、と。だから、自由を実在する関係だ思念し、そんなものは
実在しない、フィクションに過ぎないと批判する者は既に倒錯している。

芥川は自由を否定している。しかし、それは身体(機械)レベルには
自由はないと言うためにである。
316考える名無しさん:03/06/05 23:57
アダム・スミスやそれを受け継ぐノージックらのリバタリアン、
さらにそれをマルクス主義に適用した分析的マルクス主義は、
自己の身体に対する自己所有権(内的資産)テーゼから労働の
生産物についての所有権の正当性を導き出した。
資本主義的な所有権に対する青木の批判点は、通常のマルクス主義
のようなそれが労働に基づかない搾取であるということではなく、
所有権を労働によって正当化する論理そのものが、あらかじめ自己
の身体は自己の内的資産であるという、根拠のないフィクションだ
という主張なのだろう。
自己所有権(内的資産)によって、資本主義の生産手段(外的資産)の
所有の不平等を批判するのでなく、逆に、資本主義こそが自己所有権
の「主体」をたえず正当化し再生産する。だから資本主義の批判の
ためには、自己所有権に依拠するのでなく、自己所有権そのものを
批判しなければダメだ。ここで自己所有権の批判がやっと家族論に
むすびつく。
要するに家族論は、自由な自己所有(自己決定権)の主体に対する
批判のための長い回り道だと解して、始めて理解できる。

317考える名無しさん:03/06/06 00:13
ムム、私は私のものであるというカント的主体。
これは自動律の不快という埴谷雄高的問題か。
それともマルクスのカント的解釈というトランスクリティーク問題か。
318ジャイアニスト:03/06/06 00:32
俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの。
お前のものはお前のものではない。なぜなら、
それも俺のものだからだ。

全ての自己所有権を俺に集中させよ。さすれば、俺の自己所有権
以外の全ての自己所有権は消滅するだろう。お前のものはお前の
ものではないのだ。自惚れるな。しかし、例外とは付き物である。
その例外こそ俺だ。従って、俺以外の例外は断じて認めない。
319ノビタリアン:03/06/06 00:44
例外状況に現れる絶対的主権者・ジャイアニストを打倒せよ。
そして自己所有権を再び我らの手のなかに奪回せよ。

「俺のものは俺のもの、お前のものはお前のもの」

我々は、絶対的主権者たることを否定し、相対的主権者たることを
欲する。
320考える名無しさん:03/06/06 00:58

           ( ⌒ ⌒ )
          (     )
          (、 ,   ,)
            || |‘

        / ̄ ̄ ̄ ̄\
        l ∨∨∨∨∨ l
        |   \()/   |
        (| ((・) (<) |)     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        |    ⊂⊃   |    /  俺は気分をこわした。
       | .| ⌒ \.l/ ⌒ | |  <
     / |. l + + + + ノ |\  \  決とうを申しこむぞ!
    /   \_____/  \  \___________
  /   _              \ 
 // ̄ ̄(_)               |
 |ししl_l  (            |    |
 |(_⊂、__)            |    |
 \____/              |    |
321考える名無しさん:03/06/06 00:59
自由な自己所有って何だ?
自由に活動できる場が無ければ自由とは
言い難いと思うが・・・
322考える名無しさん:03/06/06 01:00

 :::::::::::/         ヽ:::::::::::::::::::::::::::::::
:::::::::::|  現  な  闘 i::::::::::::::::::::::::::::::
:::::::::::.ゝ 実   き   わ  ノ:::::::::::::::::::::::::::: 
:::::::::::/  と。  ゃ    イ:::::::::::::::::::::::::::::
:::::  |           ゙i       ::::::::::
   \_          ,,-'
――--、..,ヽ__  _,,-''   
:::::::,-‐、,‐、ヽ. )ノ      ∠_:::::::: 
:::::_|/ 。|。ヽ|-i、        ,-、ヽ|::::::::: 
/. ` ' ● ' ニ 、       |・ | |, -、:: 
ニ __l___ノ      ゚r ー'  6 |::
/ ̄ _  | i        i     '- 
|( ̄`'  )/ / ,..      ヽ 、   
`ー---―' / '(__ )      ,/ニニニ
====( i)==::::/       /;;;;;;;;;;;;;;;;  
:/     ヽ:::i         /;;;;;;;;;;;;;;;
323考える名無しさん:03/06/06 01:02
間違ってます。ロック=カント的自己所有権とは
「俺のものは俺のもの」ではなくって
「俺は俺のもの」です。
自己のアイデンティティを自己の普遍性によって
基礎づけようとすること。つまりは「負荷なき自我」。
324考える名無しさん:03/06/06 01:11
>>321
正解です。自由であるためには自由を基礎付ける「場」が必要で
この人間に負荷を与える「場」をコミュニティと呼ぶのです。
321さんは、間違いなくコミュニタリアンです。
325考える名無しさん:03/06/06 02:52
>「俺は俺のもの」

ハァ??
326考える名無しさん:03/06/06 13:57
recoreco vol.2.この夏イチ押しの読みたい本   
今どきの社会の「仕組み」を考える10冊     橋本努
『コミュニタリアニズムへ 家族・私的所有・国家の社会哲学』
          青木孝平 社会評論社/本体4700円
 市場と国家の両方に対抗する原理としての「共同体主義(コミュニタリア
を視軸にしつつ、マルクス派社会哲学の遺産を救出しようと企てた労作。
宇野理論の脱科学化、家族論や所有論や日本資本主義論争の脱進化主義化、
会社共同体の批判的検討などを経て、市場原理主義の思想を批判する理論的
観点を再規定する。その議論展開には勢いがあって包括的である。著者の
関心の中心には、自然法思想、古典派経済学、超越的主体論、方法論的
個人主義といった概念装置に対する強い疑念と批判がある。他方では、
現代の分析マルクス主義やアソシエーション論に対しても批判的な立場を
とり、家族や自治会や町内会や階級や民族といった、自由意志に左右
されない共同利害性の原理としてのコミュニティを復権しようと呼びかける。



327考える名無しさん:03/06/06 14:47
自由を基礎付ける「場」=市場
328考える名無しさん:03/06/06 16:27
329zzz:03/06/06 20:20
左翼がみんながみんな、夫婦別姓を支持している訳ではない。
上野千鶴子や小倉千加子などのマル・フェミは、別姓に反対しないまでも、
この運動には批判的だ。もっとも彼女たちの批判の根拠は、そもそも婚姻
の国家登録である戸籍制度に反対のせいなんだからだろうけど。
その意味では青木とまったく逆のリバタリアン的な夫婦別姓批判だ。
いってみれば、体制内リベラル左派だけが別姓支持派で、
マルクス主義は、リバタリアンもコミュニタリアンも別姓批判というわけだ。
330図書新聞2586号:03/06/07 13:13
今日マルクス理論は根底的社会批判能力を取り戻すことができるか
青木孝平著『コミュニタリアニズムへ』書評        降旗節雄

 20世紀末の社会主義圏とマルクス・レーニン主義の大崩壊の後をうけて、
今日マルクス理論は、その根底的社会変革能力を取り戻すことができるか?
これが本書を貫く基本テーマである。
 本書は、この問いに対して「コミュニタリアニズム」の提唱をもって答える。
コミュニタリアニズム自体は、1980年代以後、M・サンデル、A・マッキ
ンタイア、Ch・テイラーらによって、唱道された社会哲学である。しかし著者
の採用するコミュニタリアニズムは、これら欧米の思想家の射程範囲をはるか
に超える。著者は、コミュニタリアニズム概念をさらに精錬して、それを武器
にマルクス主義への根底的批判を敢行するのである。
 そこから析出されるマルクスは、初期・中期・後期をとおして、コミュニタ
リアンとリベラルという相克する二つの相貌をもって現れる。つまり近代世界
の全面的批判を目指したマルクスも、実は近代最後の教義である「自己所有権」
の絶対的呪縛からは逃がれられなかったのである。
 「資本家的所有は、個人的所有の第一の否定であるが、資本主義の発展は
それ自身の否定を生み出し、この否定の否定によって、生産手段の共同占有を
基礎とする個人的所有が再建される」という『資本論』の有名なテーゼは、
「自由で平等な生産者たちのアソシエーション」という魅力的だが内容の全く
ないイメージによって、現代でもプチブル的体制批判者たちの最後の切り札
になっている。
331図書新聞2586号:03/06/07 13:42
(つづき)
 しかし著者は、「個人的所有権」にしろ「自己所有権」にしろ、それは
むしろ資本主義社会によって生み出されたイデオロギーにすぎないと
一蹴する。そもそも所有を基礎に階級の成立を説く「唯物史観」が誤り
だったのだ。つまりマルクスの文献にも散見する「自由な諸個人が自由意志
にもとづいて形成する共同体」というイメージは、便利な「道具的共同体」
や気まぐれな「情緒的共同体」にはなりえても、決して「位置づけられた
自我を着床し、共通善をめざす構成的共同体」を導くことはできない。
そして「構成的共同体」こそ、近代世界をトータルに批判したマルクスの
真にめざしたコミュニズムではなかったか、というのである。
 著者は、「コミュニタリアニズム宣言」とでもいうべき本書の第一部
「ポスト・リベラリズム」で分析的マルクス主義・山口重克・柄谷行人
から宇野弘蔵におよぶ現代のマルクス派の諸理論の徹底的検証をとおして
宇野理論こそリベラリズム幻想を完全に排除し、「新たな共同体」への
展望を秘めた唯一の社会哲学であることを確認する。
 この視角から展開する、家族・私的所有・国家・価値形態・土地所有
などの基本概念の検討と、日本資本主義論争における国家論の総決算が、
本書の第二部を構成する。ここでの綿密・周到をきわめた著者の分析には、
紙数の制約で立ち入ることはできない。
332_:03/06/07 13:43
333考える名無しさん:03/06/07 13:45
>>330
ありがと〜
334図書新聞2586号:03/06/07 14:25
(つづき2)
 しかし第三部「ポスト・コミュニズム」における、マルクス主義の階級・
所有・支配概念をめぐる著者の分析と、日本型企業に対する考察にはふれて
おかなくてはならない。
 著者は、本書の終わりで「マルクス主義の資本主義に対する批判は根本的に
間違っていたのではないか。したがってこれにもとづくコミュニズム論は
原理的に成り立たないのではないか」という深刻な「反省」に捉えられる。
勿論著者のこの「反省」に対する回答が本書であり、コミュニタリアニズム
の先駆として宇野のテキストを読み直すというのが、この問題に対する著者
の終極的結論である。
 最終章の、日本企業における「会社共同体」神話への批判的検討は、実に
鮮やかに著者のコミュニタリアニズムの切れ味を示す。著者に切って捨て
られたのは宮崎義一・奥村宏・西山忠範・北原勇・植竹晃久・森嵩・有井
行夫・公文俊平・村上泰亮・佐藤誠三郎・小池和夫・青木昌彦・柴垣和夫
の面々である。日本企業論の総決算とみてよいだろう。評者は、著者の主張
にほぼ全面的に賛意を表する。評者はもともとマルクスの最後の到達点は
、唯物史観ではなく共同体史観ではなかったか、と疑問を呈してきた。その
意味でコミュニズムを共産主義と訳すのはミスリーディングであって、
正しくは共同体主義とすべきではなかったか、と思うのである。
 しかし本書には若干の疑念も残る。著者の展開する徹底的な近代批判の
視角と論理の明快さに較べて、その最終章で提示される新しいコミュニティ
が「町内会」ないし「自治会」の再評価というのはどうであろうか。ここに
欠落しているのは、現代資本主義がすでに国家の域を超えてグローバリゼー
ションをとおしてしか生き残れなくなったという現実と、それが生み出す
世界的な分極と荒廃の構造である。「自治会」的共同体と、国家を超える
アジア的共同体とを、同時に視野に収めるコミュニタリアニズムの構想
をこそ、著者の次の作業目標として望みたい。
335考える名無しさん:03/06/07 17:32
>しかし著者は、「個人的所有権」にしろ「自己所有権」にしろ、それは
むしろ資本主義社会によって生み出されたイデオロギーにすぎないと
一蹴する。

いやぁ、本当に頭悪いですね〜
336考える名無しさん:03/06/07 18:18
他人に頭悪いという以上は
どこが、どう悪いか、なぜそういえるのか、
説得的に説明する義務があるだろう。
できないなら、自分の方が「本当に頭悪い」。
337考える名無しさん:03/06/07 18:21
他人に頭良いという以上は
どこが、どう良いか、なぜそういえるのか、
説得的に説明する義務があるだろう。
できないなら、自分の方が「本当に頭良い」。
338考える名無しさん:03/06/07 18:37
「町内会」ないし「自治会」の再評価


オイオイ・・・・(嘲笑

339考える名無しさん:03/06/07 19:07
「個人的所有」というのは、自分が生産したものは
自分のものという意味ですか?

340考える名無しさん:03/06/07 22:22
そうです。マルクスはそいう小生産者的の個人的所有を基点にして
自己の労働に基づく所有の否定の否定としてコミュニズムを展望しました。
これに対して、商品とはそういう労働を前提としない流通形態であるとして
宇野あるいは鈴木は(そして柄谷も)価値形態論の意義を強調しました。
商品とは共同体相互の隙間に形態的関係として成立するのであり、
その所有は労働にもとづく「個人的所有」ではないというう論点です。
これが売り手に対する買い手の優位、商品と貨幣の非対称性という問題に
つながるのです。
ですから商品の価値形態論を評価するかぎり、これを「否定の否定」しても
コミュニズムにおいて「個人的所有者のアソシエーション」は
出てくるはずがないのです。

この程度のことも分からないで、マルクス研究の大家、降旗先生を
「頭悪い」というやつは、きっと自分が「本当に頭悪い」のでしょう。
341考える名無しさん:03/06/07 22:34
>マルクス研究の大家

プ、宇野研究の大家の誤りだろ?字間違えるな。

342考える名無しさん:03/06/07 22:53
>>340
「否定の否定」は疎外態から自己への還帰と
捉えて良いのですか?
343考える名無しさん:03/06/07 23:05
>売り手に対する買い手の優位

これは主に資本家の賃金労働者に対する優位しか基本的には
意味しない。しかしそれは、資本家が銀行家と結びつき、巨大な貨幣
所有者として賃金労働者に対し現れているからではない。それは
生産手段の所有権が株式という形で、彼らの実質的な所有下にある
からである。資本家階級が主体的なのは、貨幣の場にかれらが
いるからではない。それは、彼らが生産手段の所有者であるからに
過ぎない。従って、いかに労働者が資本家に対し、消費者(貨幣
所有者)の場に立とうとも、主体にはなりえない。なぜなら、
彼らは、貨幣所有者ではあるが、生産手段の所有者ではないからだ。
従って、彼らは生産過程であろうが、消費過程であろうが、主体
にはなれない。

柄谷自身、NAMの失敗を受け、その誤りを認めている。NAMは
様々な流通過程での運動を横に繋げていくことを目的としていたが、
肝心の運動がそもそもなかったわけである。従って、その運動自体、
NAMで作らなければならないはめになったが、それは失敗した。
つまり、流通過程においても、消費者としての労働者はなんら主体的
ではなかったわけである。

貨幣所有者が主体的などとは幻想である。資本家が主体的なのは、
彼らが労働力商品を買う立場にいるからではなく、生産手段の所有者
の立場に居るからに過ぎない。柄谷が労働者が共同所有する生産協
同組合の創出を唱え、NAMの運動に幕を閉じたことをここで想起
すべきである。
344考える名無しさん:03/06/07 23:26
社員達がつぶれそうになった会社を共同で
買い取って再建に乗り出したという出来事
が数年前にありましたね。(細かいことは忘れましたが)
興味深い事例と思いますが・・・

345考える名無しさん:03/06/07 23:36
NAMの失敗は、ほかならぬ価値形態論(商品と貨幣の非対称性)
の意義の偏重にあったわけである。

ところで、生産協同組合などは、資本制社会とは聊かの連続性もない。
資本制社会と連続的なのは、せいぜい「資本制内での私的所有
の廃止」(マルクス)とされる株式会社であって、生産協同組合ではない。
したがって、生産協同組合の当為が、価値形態論から出てくる
可能性など始めからないし、誰もそんなことは言っていない。
「資本論」の論理から出てくるものは、高々、株式会社の可能性だけである。
同じくそこで、マルクスは協同組合の可能性も語るが、それは唐突に出てくる
もので、資本制社会との連続性など始めからないし、マルクス自身語らない。

従って、柄谷のいう独立生産者とは、商品所有者であるはずがない。
それは生産手段の共同所有者しか始めから意味していない。
確かに、生産手段の所有者たることは、商品所有者であること
の必要条件だが、しかし、生産手段の所有者でないにも拘らず、
商品所有者である者が存在する。それが、労働力商品の所有者
である賃金奴隷階級である。その際、自分の身体が、いわば、
労働力商品を生産する生産手段になっているわけで、その(再)
生産工場が家庭である。しかし、そのように身体を労働力商品の
生産手段にし、それを売ることを強いられる関係は、労働者がブルジョワ
にとって変わり、物的な生産手段の所有者になってしまえば、たちどころに
消えてしまう関係にすぎない。資本家が自分の労働力を現に売らなくて済む
のは、単に、彼らが物的生産手段の所有者だからである。そこには
身体の自己所有などという観念などない。それは、物的生産手段から分離
され、自身の身体を商品(労働力)の生産手段にするほかない賃金奴隷に
押し付けられた観念に過ぎないが、言ったように、労働者が共同所有する
生産協同組合では、そんな関係も観念もたちどころに消えるのである。
346考える名無しさん:03/06/08 00:16
>>342
そうです。マルクスはどこまでもヘーゲル的弁証法の痕跡を
そのまま残していますから、高次の還帰を意味します。
宇野はこの「否定の否定」という論理を峻拒し、
青木は弁証法そのものを、「形而上学ゆずりのあいまいで
両義的な議論」として全面否定しています。

>>345
柄谷がやっと価値形態論とNAMが両立しないことに気がついたのは、
よいことです。
しかし価値形態論の意義をを全面否定して、はたしてマルクスに何が
残るのでしょうか?しょせん「生産手段の所有者の立場」などという
エンゲルス・レーニン・スターリンの古いドグマに戻るだけの
ようですね。まったく逆に、青木のいうように、
生産協同組合を否定して価値形態論を擁護し、そこから
新たなコミュニズムの可能性を謙虚に再考する道も
残っているのではないでしょうか。
347直リン:03/06/08 00:17
348考える名無しさん:03/06/08 00:26
>しかし価値形態論の意義をを全面否定して、はたしてマルクスに何が
残るのでしょうか?

だから、字を間違えるなって。

>しかし価値形態論の意義をを全面否定して、はたして宇野に何が
残るのでしょうか?
349考える名無しさん:03/06/08 00:46
宇野の経済学は、ほとんど構造主義的と考えていいですか?
ヒューマニズム的な契機を排除という意味合いも込めて。
350考える名無しさん:03/06/08 00:48
価値形態論は文字通り、マルクスにとって「付録」にすぎない。
その付録の意義を強調しすぎた転倒から柄谷が脱却しただけである。

価値形態論は貨幣を媒介にすぎないと切って捨てた古典派経済学への
批判にはなっても、資本主義への批判にならないどころか、資本は
貨幣の商品に対する著しい非対称性に魅了され、とりつかれている。
無論、その程度の認識なら、マルクス同様、古典派の批判にまわった
ケインズにも共有されていることだ。それが流動性選好の概念である。

商品と貨幣の非対称性は、古典派の脳内でのみ消去されているに過ぎないが、
現実の資本主義は、その非対称性でむしろ動いている。マルクスもケインズも
その事実をただ認識したに過ぎないし、それは古典派への批判にはなりえても、
資本主義への批判にはなりえないのは自明である。なぜなら、商品と貨幣の非対称性は
、かえって、資本の存在条件だからだ。生産と消費の同時性が商品と貨幣との関係、売りと
買いとの関係として現れる時、生産と消費は時間的に分離され、それは種種の
資本制的信用制度を構築する条件になるからだ。無論、信用崩壊としての恐慌が、それを
「批判」し、根源的な非対称性を露にするが、かといって、恐慌で資本制が崩壊する
わけでもなければ、かえって、それは景気循環の一要素として、好況を準備し
さえする創造的な破壊過程にすぎない。
351考える名無しさん:03/06/08 00:57
マルクスの「可能性の中心」が価値形態論であるというのは、
宇野や柄谷でなくても、岩井克人らの貨幣論や
新古典派など主流派経済学の効用価値説でも
承認している、世界的な常識ではないかと思うのですが。
352考える名無しさん:03/06/08 00:59
>宇野の経済学は、ほとんど構造主義的と考えていいですか?

OKでーす
353考える名無しさん:03/06/08 01:00
交換(商品)価値の高次な表現(抽象)が「貨幣」という
ことでいいですか?
354考える名無しさん:03/06/08 01:08
>世界的な常識ではないかと思うのですが。

そりゃそうだが、価値形態論は資本主義を理解する便利なツール
だよね、ってだけでしょう。ただ、それを資本主義批判の論理だの、
対抗運動の原理だのに仕立て上げるのは、やりすぎ。
355考える名無しさん:03/06/08 01:11
>>349
難しい質問です。宇野自身はそれに近い一面があるのですが、
青木の本が指摘し批判しているように、
宇野派の主流(東大の山口重克に連なる人たち)は、商品所有者の
行動論という人間主体を重視する方法論的個人主義を採用しているし、
柄谷と同じく鎌倉孝雄はカント的主体を採用し倫理的人間主義に
向かっています。広松渉の関係主義の影響もあって、宇野理論から
ヒューマニズムの契機を完全に消去し、自覚的に構造主義に
接合しようとしたのは、青木の大きな成果だと思います。
356349:03/06/08 01:16
>>359
そうすると、「疎外の克服」がテーマでは
無いわけですか?
357349:03/06/08 01:18
>>359 ×
>>355 でした。
358考える名無しさん:03/06/08 01:19
なにが共産主義だばかw
359考える名無しさん:03/06/08 01:19
>>353
「高次の表現」とか「抽象」という言い方が、
そもそも弁証法的形而上学を想起させて不適切だと思います。
宇野的にいえば、貨幣だけが唯一の商品の直接的交換可能性の形態
であり、構造主義的にいえば、貨幣だけが商品経済の唯一の結節だ
ということになります。
360考える名無しさん:03/06/08 01:19
>岩井克人らの貨幣論

岩井は宇野派と対立したがね。その「貨幣論」を出版してから、岩井への批判は相次いだが、
その大部分は「マルクスを守れ」や「宇野を守れ」などの護教論にすぎず、岩井は
呆れたわけだ。岩井は「買う困難」「貨幣を売る立場」や「貨幣の命がけの飛躍」なんてこと
をいって、あくまで「商品を売る立場」を強調した宇野派の亜流といってよい柄谷とも
最終的には対立したくらいなんでね。ご存知のことだとは思うが。
361考える名無しさん:03/06/08 01:24
生産協同組合を否定して価値形態論を擁護し、そこから
新たな資本主義の可能性を謙虚に再考する道も
残っているのではないでしょうか。
362考える名無しさん:03/06/08 01:27
>>356
そうです。疎外論などというのは、初期マルクスにおけるヘーゲル
主義の残滓にすぎません。そこでは、あらかじめ普遍的実体が前提
されています。資本論を宇野および広松的に徹底する
青木本のスタンスからは疎外の克服というのは問題になりません。
363349:03/06/08 01:27
>>359
貨幣のみが市場-商品経済を可能にする。
と理解していいですか?
364考える名無しさん:03/06/08 01:29
しかし価値形態論の意義をを全面否定して、はたして宇野に何が
残るのでしょうか?しょせん「生産手段の所有者の立場」などという
マルクス本来の古いドグマに戻るだけのようですね。
365考える名無しさん:03/06/08 01:36
>>363
そう理解してよいと思います。
>>364
誰も価値形態論を否定するといっていません。墨守するといっているのです。
生産手段の所有から階級を導き出すマルクスの古いドグマを否定する、
と言っているのです。
366考える名無しさん:03/06/08 01:41
>>364

これは「宇野」を「柄谷」に変えると全面的に正しい。
>>343>>345で柄谷を支持する人が、そのとおり言っています。
367349:03/06/08 01:49
>>362
「疎外の克服」でないとして、どのような
方向なのでしょう?
368考える名無しさん:03/06/08 01:54
故マルクス著『私はマルクス主義者ではない』

現代におけるマルクス主義の瓦解は、徹底したコミュニタリアニズム・
アソシエーショニズムへの屈服と溶解、イデオロギー的同化現象として
進行している。こうしたマルクス主義のコミュニタリアニズム化・アソシ
エーショニズム化にあえて異議を呈し、不肖の弟子たちを徹底批判しつつ、
自らの本意を明かそうとする待望の霊界通信第一弾。
369考える名無しさん:03/06/08 02:01
人間の依存関係性の再構成とでもいうことになるでしょうか。

申し訳ありませんが、今日はそろそろ寝させていただきます。
また書き込んでいただければ、私の考えるかぎりで答えさせて
もらいますが、私は宇野や青木から学んだだけなので、
是非それらの本を直接読まれることをお勧めします。
疑問点があれば、またどうぞ。真面目な質問、批判は大歓迎です。
370考える名無しさん:03/06/08 02:06
誰も価値形態論を否定するといっていません。付録だといっているのです。
価値形態論から資本主義批判を導き出す宇野学派の古いドグマを否定する、
と言っているのです。
371考える名無しさん:03/06/08 02:10
価値形態論フェチが多いな
372考える名無しさん:03/06/08 02:15
誰も価値形態論を否定するといっていません。墨守するといっているのです。
生産手段の所有から階級を導き出すマルクスの古いドグマを否定するコミュニタリアン
をさらに否定と言っているのです。
373実存的」者:03/06/08 02:20
生産手段は、カネ、土地、装置、技術、
情報、(買われた)労働力、モロモロですね?
374)(:03/06/08 12:39
どうでもよいけど間違い。これでは
自己増殖する価値のメタモルフォーゼとしての「資本」の定義にしかならん。
生産手段は、労働手段(土地・機械設備・触媒)と労働対象(原料・材料)の
こと。ただし降旗が上で書いているように、生産手段の所有から支配階級を
説くことはできない。それはロシア・マルクス主義の俗説。そもそも資本主義
では最も重要な生産手段である土地が資本家のものではなく、地主の所有と
なるのだから。(>>345によると、柄谷がこのロシア・マルクス主義に転向した
ようにも読めるが、NAMの事情を知らないので、これ以上ふれない。)
要するに、資本主義は生産手段の所有の問題ではなく、
土地をはじめ生産手段と労働力がそれぞれ商品化されている社会と定義できる。



375考える名無しさん:03/06/08 22:48
そもそも資本主義では最も重要な生産手段である土地が資本家のものでは
なく、地主の所有となるのだから。

生産手段の所有から支配階級を説くことはできない。

それはロシア・マルクス主義の俗説

(1)土地という生産手段は地主の所有である。
(2)生産手段の所有から支配階級を説くとこは出来ない。

(1)は正しいというより、トートロジー。地主とは定義上、土地の所有者。
(2)は意味不明。生産手段の所有が支配階級の要件でないなら、土地という
生産手段の所有者である地主は支配階級ではないということになる。これが暗黙の
地主階級擁護でないなら、何だろう?自ら土地を所有し、そこで自ら労働する独立自営農民
ならいざ知らず、大土地所有者で、私有地を投機の対象にするなら、彼は商人資本である。
無論、近代資本制は、商人資本と絶対主義国家が結託し、独立自営農民を原始的蓄積や
産業革命や農業革命で徹底的に解体することから開始されるのだ。その結果、土地を収奪された
農民は生産手段から分離され、賃金労働者に転化し、他方、土地の擬制的国有化が進展し、租税を
支払うことで、その私有が承認される。その際、土地からの生産物は、交換財に転化し、商品形態
を纏って、全面的に売買の対象になる。その売買売り上げの一部が租税として納税され、再度
土地私有が再生産される。無論、英や仏に対し日本のような後進国は、高度な構成を持つ資本を
輸入し、それで資本制を開始するので、さほど農村分解は進展せず、(2)のように地主階級は
あたかも支配階級でないかのような錯覚、及び、そのイデオロギー的正当化が蔓延することになる。
376考える名無しさん:03/06/08 23:04
商品の価値形態論を否定して生産協同組合を擁護し、そこから
新たなコミュニズムの可能性を謙虚に再考する道も
残っているのではないでしょうか。
377考える名無しさん:03/06/08 23:36
原理的な資本主義は、資本・賃労働・土地所有の三階級によって構成される。
資本主義において地主は寄生階級であり、
土地の肥沃度の差によって資本の生み出す超過利潤が
地代として分配されるにすぎない。
要するに利潤の人格化としての資本家と
地代の人格化としての土地所有は、まったく別の階級をなす。
これは「資本論」の何人も認める最低限の常識であって議論の余地がない。
378考える名無しさん:03/06/09 01:26
土地の肥沃度の差→資本のよる超過利潤の創出→地代への再分配

この場合、土地の肥沃度の差が産業資本にいう資本構成の高低に対応し、
資本構成の高度な資本はそれが低い資本より相対的に安価に生産物を
生産でき、もって、資本構成の高度な資本が市場を制覇し、超過利潤、
特別剰余価値を取得する。超過利潤→地代という移行が正しいなら、
地代は超過利潤を前提しているのであり、従って、産業資本を前提している上、
商品交換を前提している。つまり、価値形態を前提している。

地主階級が資本家階級とは「別の」階級をなし、それゆえ、無垢の階級だとするなら、
それは価値形態を単に無視しているにすぎない。無論、超過利潤の分配は地代として
地主階級に分配されるのみならず、労働者階級にも分配されることを聊かも妨げない。
それは国家によって推進されることもあれば、海外貿易から行われることもある。
その際、国内的には社会民主主義を採り、国外的には重商主義を採ることになる。
だから、国外的に覇権主義的に振舞う国が、国内的に平等主義的に振舞うことを
聊かも妨げない。いずれにせよ、その根底に働いているのは価値形態であることに
議論の余地はない。

379考える名無しさん:03/06/09 01:59
国内的・・・支配階級(地主階級+資本家階級)-被支配階級(労働者階級)

国外的・・・支配国家(地主+資本家+労働者)-被支配国家(地主+資本家+労働者)

従って、国外的には、支配国家の労働者は国内的には被支配階級にもかかわらず、
被支配国家にたいしては、支配国家の一員として振舞うことになり、ここで国内の
階級対立があたかも抹消されているかの幻想を得ることになる。しかし、その対立は
単に国と国との間に移されてだけに過ぎない。国家間の対立の頂点である戦争に
おいては、だから、国内の階級対立はそれだけ抹消されたかの幻想を生み、文字通り
国民・民族一丸となって、被支配国の徹底した搾取に乗り出すことになる。国内の階級対立の
幻想的な消去には戦争はうってつけなのであり、それは時に元マルクス主義者によっても
推進されることを妨げないどころか、そこで最も活躍するのが彼らである。
380考える名無しさん:03/06/09 04:48
バカサヨコピペうざいよ
381考える名無しさん:03/06/09 05:39
ピエールさん、いらっしゃい
382考える名無しさん:03/06/09 08:56
>>378
まったく意味不明。
このひと、「価値形態」という言葉をなんか勘違いして使ってるみたいだ。
383考える名無しさん:03/06/09 11:50
青木孝平著『コミュニタリアニズムへ』をようやく先週買った。
なかなか進まないが、とにかく序章と第一章だけは読了。読み応えあり。
ここまでの一応の感想。ふー。
リベラル、リバータリアニズム、アソシエーショニズムが、共通に
「負荷なき自我」を出発点とする自然法的社会契約論に基づくというのは
なんとなく理解できる気がする。 
よくわからなかったのは、コミュニズムとコミュニタリアニズムの関係。
コミュニタリアニズムとしてのコミュニズムが、いまいち理解できず。
おもしろいと思ったところ。136ページ。
 
「労働力という商品こそは、これによって流通が生産を包摂し、商品による
商品の生産として商品経済が全社会的に労働生産過程を編成する基軸をなす。
資本が労働力という何でもつくれる商品を購入することによって、初めて
労働生産行為の産物が商品となる。このことは、資本主義社会においてのみ、
価値という人と人の特殊な関係にすぎないものが人間労働の結果として、
換言すれば人と物の普遍的な関係として転倒して観念されることを意味する」
 「労働価値説は、正確には労働が価値を生むのでなく、資本主義において
人間労働が価値関係と結合される、あるいは、誤解を恐れずもっと大胆な
言い方をすれば、あたかも労働が価値を生むものであるかのごとく観念される
というように理解されるべきである」

 これは価値を所有と読みかえれば「自己労働にもとづく所有」(個人的所有・
自己所有」批判としてはすごいと思うし理解できる。しかし、これは労働価値説
そのものが資本主義のイデオロギーだと言っているようにもみえる。はたして
価値形態論の社会哲学的理解は労働価値説(マルクス経済学)そのものの否定
なのだろうか?
 これは、コミュニタリアニズムはマルクス的コミュニズムの継承か否定か、と
言い換えても良い。根本的疑問だ。
 
384_:03/06/09 19:40
「資本論」一巻の労働価値論が、三巻の生産価格による売買と整合性がなく
理論的に破綻していることは、経済学の常識です。
この本の意義は、こうした経済学上の理論的確認だけではなく、
労働価値論の倫理学的限界、すなわち資本主義を
「不払い労働の搾取」として批判する近代主義的な正義論を
全面的に批判した点にあると思います。
その意味では、マルクス主義の否定であるとともに
マルクス自身の独特な再評価なんじゃないでしょうか。
385考える名無しさん:03/06/09 21:19
>このひと、「価値形態」という言葉をなんか勘違いして使ってるみたいだ。

全くそうは思わない。
386考える名無しさん:03/06/09 21:51
「資本論」一巻の労働価値論が、三巻の生産価格による売買と整合性がなく
理論的に破綻していることは、経済学の常識です。
この本の意義は、こうした経済学上の理論的確認だけではなく、
労働価値論の倫理学的限界、すなわち資本主義を
「不払い労働の搾取」として批判する近代主義的な正義論を
全面的に批判した点にあると思います。
その意味では、マルクスそのものの否定であるとともに
サムエル・ベイリー、ベーム・バヴェルクの独特な再評価なんじゃないでしょうか。
387_:03/06/09 23:02
バヴェルクはともかくベイリーは一定の評価をしてよいでしょう。
マルクスの労働価値論は、しょせんスミス=リカードの受け売りであり、
思想史的には「労働全収益権論」に過ぎません。
資本主義に生きる人々の一般的な日常感覚として
「働かざる者、食うべからず」とか「俺がつくったんだから俺のもの」とか
「ひたいに汗した者が報われるべき」という倫理観があるけれど
マルクス主義における「社会主義」のイメージである「労働に応じた分配」
というのは、こうしたリカード左派の労働全収益権論とほとんど変わりません。
マルクス主義が「資本家による剰余価値の搾取」を批判するとき、
その前提には、やはり暗黙裡に労働価値論の倫理的肯定があったと思います。
このような労働価値論は、やはり資本主義への対抗理念ではなく、
資本主義のふだんに生み出す規範イデオロギーといってよいでしょう。
価値実体論ではなく価値形態論こそ評価されなければならない訳です。

388考える名無しさん:03/06/09 23:30
「働かざる者、食うべし」とか「俺がつくったものだが俺のものではない」とか
「ひたいに汗した者は報われるべきではない」という倫理観がコミュニタリアニズム
なわけです。

要するに、額に汗して作ったものを自己所有してはならず、働かざる者に
お布施しなければならないわけです。不労者の天国がコミュニタリアニズム
の世界だと言っていいでしょう。
389考える名無しさん:03/06/09 23:37
「全てのものの商品化」とか「市場経済の全面的浸透」が
問題なのでしょうか?
それとも別なのでしょうか?


390考える名無しさん:03/06/09 23:46
ベイリーはともかくリカードは一定の評価をしてよいでしょう。
マルクスの労働価値論は、スミス=リカードの継承であり、
思想史的には「労働全収益権論」である。
資本主義に生きる人々の一般的な日常感覚として
「働かざる者、食うべからず」とか「俺がつくったんだから俺のもの」とか
「ひたいに汗した者が報われるべき」という倫理観があるけれど、
実際の資本主義ではそれらは全て逆立ちになるわけです。
マルクス主義における「社会主義」のイメージである「労働に応じた分配」
というのは、こうしたリカード左派の労働全収益権論とほとんど変わりませんが、
さらに進めて「コミュニズム」では「必要に応じた分配」が成立するわけです。
リカード左派が「資本家による剰余価値の搾取」を批判するとき、
その前提には、やはり正鵠にも労働価値論の倫理的肯定があったと思います。
マルクスが継承したこのような労働価値論は、「働かざる者、食うべし」とか
「俺がつくったものだが俺のものではない」とか「ひたいに汗した者は報われるべき
ではない」という逆立ちしたイデオロギーで動く資本主義への対抗理念あり、資本主義の
ふだんに生み出すそういう逆立ちしたイデオロギーへの批判といってよいでしょう。
価値形態論ではなく価値実体論こそ評価されなければならない訳です。
391__:03/06/09 23:57
「資本論」一巻の労働価値論が、三巻の生産価格による売買と整合性がなく
理論的に破綻していることは、経済学の常識ですが、その破綻を示したのが、
ベーム・バヴェルクです。
392_:03/06/10 00:14
>>388
そうではありません。
では100歩ゆずって、仮に労働者が労働生産物を全収益すれば
資本主義が成り立つでしょうか。もちろん成り立ちません。
ここで言いたいのは、どんな社会でも、社会を継続的に再生産するためには
直接生産者は必要労働分をうけとり、剰余は、労働不能者の生活分だけでなく
拡大再生産のための蓄積や公共的インフラ分に充当しなければならないと
いうことです。もちろん資本主義でも。
要するに、どんな社会でも「俺がつくったから俺のもの」になるわけじゃない
という当たり前の事実を倫理的に認めること。(価値実体論批判)
逆に、物を俺のものする、所有する唯一の方法はカネでモノを買うしかない
というのも事実です。(価値形態論)労働者といえども、働くから賃金をもらう
訳ではなく、労働力を売って貨幣に買ってもらうからカネになるのです。
こうした市場の価値形態が侵入できない領域を社会のなかに確保しようと
いうのがコミュニタリアニズムなのではないでしょうか。

393_:03/06/10 00:32
>>390
いまどき実体を前提とする形態などというドイツ観念論の形而上学や
労働中心の人間主義は成り立ちません。そんなことは、ハーバマスの
コミュニケーション的理性論でさえ認めるところです。労働価値説を
前提とするマルクス主義を生産力主義というのであり、それがソビエト・
マルクス主義のドグマだったのは、すでに歴史の事実です。
>>391
バウェルグには残念ながら価値形態論がありませんでした。
重要なことは、労働生産物は生産価格で売買されるが、労働力だけは
つねに価値(必要労働)によって売買され、価値の生産価格への「転化」
という問題が生じないことです。価値形態論の先駆としてベイリーを
評価するべきでしょう。
394__:03/06/10 00:34
そうではありません。
では100歩ゆずって、仮に労働者が労働生産物を全収益しないとすれば、
コミュニズムが成り立つでしょうか。もちろん成り立ちません。
ここで言いたいのは、どんな社会でも、社会を継続的に再生産するためには
直接生産者は必要労働分をうけとり、剰余は、労働不能者の生活分だけでなく
拡大再生産のための蓄積や公共的インフラ分に充当しなければならないと
いうことです。もちろんコミュニズムでも、当然の「控除」として。
要するに、どんな社会でも「俺がつくったから俺のもの」になる
という当たり前の事実を倫理的に認めること。(価値実体論)
逆に資本主義では、資本家が物を俺のものする所有する唯一の方法は、カネでモノ
を買うしかないというのも事実です(価値形態論)。資本家は、働いて所有する
訳ではなく、労働力を買って商品を売るからカネになり、それでモノを買うのです。
こうした市場の価値形態が侵入できる領域を社会のなかに不断に確保しようと
いうのが資本主義なのではないでしょうか。
395__:03/06/10 00:49
>>390
いまどき形態を不変の前提とする実体なきベイリーの価値形態論や
資本中心の非人間主義は成り立ちません。そんなことは、マルクスの
「資本論」でさえ認めるところです。労働価値説を
前提とするマルクス主義を生産力主義というのであり、それが本来の
マルクスの立場だったのは、すでに歴史の事実です。
>>391
ベイリーには残念ながら価値実体論がありませんでした。
重要なことは、労働生産物は生産価格で売買されるが、労働力だけは
つねに価値(必要労働)によって売買され、価値の生産価格への「転化」
という問題が生じないことです。価値形態論の先駆としてのみベイリーを
評価するべきでしょう。つまり、価値実体論を継承し、ベイリーを批判した
マルクスの本来の意図はそこにはなかったということです。
396_:03/06/10 01:06
他人の文章を適当に組み替えてまったく逆のことを言おうとすると
文意が支離滅裂になるという典型です。
商品の所有根拠を価値実体を労働に求めながら、剰余分の控除を
当然といい、他方で、所有の根拠は価値形態にしかないという。
また、資本主義の成立根拠を価値形態に求めながら、390では
自己労働にもとずく所有の否定が資本主義であるという。
だいたい社会主義から共産主義への進歩などというのは、
ソビエト・マルクス主義のデマコギーだった。いまごろ
何を言ってるのだろう?
反論は自分の言葉でお願いしたい。
397考える名無しさん:03/06/10 01:43
>>389
たしかに「すべての物の商品化」や「市場経済の全面的浸透」は
大きなもんだいであるが、コミュニタリアニズムによる批判は
むしろリベラリズムにこそむけられている。
資本主義は、市場という関係がアトム的個人をつくりながら、
イデオロギー上、これを転倒し、個人の自由意志が市場を
つくるかのように観念させる。この負荷なき自我による
社会契約的世界観こそ最大の問題だろう。


398__:03/06/10 01:51
他人の文章を適当に組み替えてまったく逆のことを言おうとすると
文意が正確になるという典型です。
生産物の所有根拠を労働に求めても、コミュニズムでは剰余分の控除は
可能であり、他方で、資本主義では労働しない資本家の所有の根拠は価値
形態にしかないのは当然である。
また、資本主義の成立根拠を価値形態に求めながら、390では
自己労働にもとずく所有の否定が価値形態であるが故、それは資本主義である
というのはトートロジカルに正確である。
だいたい社会主義から共産主義への進歩などというのは、
マルクス本来の立場だった。いまごろ何を言ってるのだろう?
反論はあなたの言葉でお願いしたい。
399考える名無しさん:03/06/10 02:06
>生産物の所有根拠を労働に求めても、コミュニズムでは剰余分の控除は
可能であり、


これはマルクスが「ゴータ綱領批判」で言っているよね。
400考える名無しさん:03/06/10 03:50
壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁
壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁
壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁
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壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁
401マルクス:03/06/10 04:01
今日の社会では、労働手段は地主(土地所有の独占は資本独占の基礎
でさえある)と資本家の独占である。
402!:03/06/10 12:01
これはまた珍しい。いまどきまだ冷戦時代の遺物である唯物史観を
本気で信仰している人がいるんだなあ!
ここはコミュニタリアンのスレだから場違いだよ。
でもまあ、一応レスをカキコしておこう。
今日の日本では、そもそも労働手段を独占する資本家なんていないんだよ。
企業の大株主のほとんどは法人だし、地主はほとんど自営農民だ。
そのうえ大企業の経営者は労働者出身の無産サラリーマン重役。
こんなこと、高額所得税の長者番つけだけ見たってわかるでしょ。
医者とパチンコ屋とウタダとアユだけ。
独占資本家なんてどこにもいない幻想なの。ちょっとは現実みたら。
403考える名無しさん:03/06/10 12:17
労働価値説を擁護するリベラルの方へ

哲学板に「勤労=善という幻想」スレができたよ。読んでみて
そっちに反論を書いてみたらどう?
404考える名無しさん:03/06/10 20:35
>>402
現代は 法人資本主義 すなわち 資本家のいない資本主義 なのです
405考える名無しさん:03/06/10 20:40
価値形態論を擁護するコミュニタリアンの方へ

無職・だめ板に「勤労=悪という幻想」スレができたよ。読んでみて
そっちに反論を書いてみたらどう?
406考える名無しさん:03/06/10 20:47
今日の日本では、そもそも労働手段を独占する労働者なんていないんだよ。
企業の大株主のほとんどは金融資本だし、アメリカによる農地改革後の地主は
ほとんど自営農民だ。さすが、リベラルのアメリカ!
そのうえ所有と経営が分離された大企業の経営者は労働者出身の
無産サラリーマン重役だが、しかし、所有はすべて金融資本に握られている。
こんなこと、高額所得税の長者番つけだけ見たってわかるでしょ。
医者とウタダとアユは自営業で、資本家ではない。
生産手段を所有している労働者なんてほとんどどこにもいない幻想なの。
ちょっとは現実みたら。
407考える名無しさん:03/06/10 21:04
ここはコミュニタリアンのスレだから場違いだよ。


哲学板にこのスレがあること自体場違いなんで、政治思想板か
経済板に立て替えるべし。
408考える名無しさん:03/06/10 21:10
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
409考える名無しさん:03/06/10 21:28
ふー。お掃除完了。
ここもやっと、ウザい板違いスレが消えて
読み応えのある板に戻った。
410考える名無しさん:03/06/10 21:54
よその板まったくレスがついてないぞ
411考える名無しさん:03/06/10 21:56
板違い。
412考える名無しさん:03/06/10 21:58
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
413考える名無しさん:03/06/10 21:58
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
414考える名無しさん:03/06/10 21:58
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
415考える名無しさん:03/06/10 21:59
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
416考える名無しさん:03/06/10 21:59
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
417考える名無しさん:03/06/10 21:59
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
418考える名無しさん:03/06/10 22:00
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
419考える名無しさん:03/06/10 22:00
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
420考える名無しさん:03/06/10 22:01
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
421考える名無しさん:03/06/10 22:01
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
422考える名無しさん:03/06/11 04:02
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
423考える名無しさん:03/06/11 04:33
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
424考える名無しさん:03/06/11 18:55
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
425考える名無しさん:03/06/11 18:56
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
426考える名無しさん:03/06/11 19:01
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
427考える名無しさん:03/06/11 19:01
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
428考える名無しさん:03/06/11 19:02
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
429考える名無しさん:03/06/11 19:03
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
430考える名無しさん:03/06/11 19:51
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
431考える名無しさん:03/06/11 19:51
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
432考える名無しさん:03/06/11 19:52
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
433考える名無しさん:03/06/11 21:36
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。

434考える名無しさん:03/06/11 21:37
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。

435考える名無しさん:03/06/11 21:37
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。

436考える名無しさん:03/06/12 06:11
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
437考える名無しさん:03/06/12 18:33
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
438考える名無しさん:03/06/13 19:02
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。



439考える名無しさん:03/06/13 19:02
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
440考える名無しさん:03/06/13 19:03
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
441考える名無しさん:03/06/14 04:27
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
442考える名無しさん:03/06/14 09:50
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
443考える名無しさん:03/06/15 01:57
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
444考える名無しさん:03/06/16 10:25
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
445考える名無しさん:03/06/16 14:14
どこら辺が板違いなのか説明してくれ
446考える名無しさん:03/06/16 17:22
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
447考える名無しさん:03/06/16 17:25
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。


448考える名無しさん:03/06/16 17:26
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。



449考える名無しさん:03/06/16 17:27
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
450考える名無しさん:03/06/17 15:06
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。


451考える名無しさん:03/06/18 04:29
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。


452考える名無しさん:03/06/18 04:29
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
453 :03/06/18 21:57
age
454考える名無しさん:03/06/18 22:48
労働価値説を再検討しよう
抽象的労働時間が商品の価値というのは
本当か?
455考える名無しさん:03/06/18 22:51
>>454
おまえレベル低すぎw
出てってよし
456考える名無しさん:03/06/19 00:09
やっと荒らしは去ったかナ?
おーい、コミュニタリアンの諸君、
そろそろもどってこいよ。
457考える名無しさん:03/06/19 01:24
嫌だよ
458考える名無しさん:03/06/20 11:05
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
459考える名無しさん:03/06/20 11:05
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
460考える名無しさん:03/06/20 11:05
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/


コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
461考える名無しさん:03/06/20 11:05
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/





コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
462考える名無しさん:03/06/20 12:06
   ↑
長期の執拗な荒らしの犯人は、すでにメボシがついてる。
不当な言論弾圧を許さないぞ。
まずは age で闘うぞ。
463 :03/06/20 12:32
↑のコピペ馬鹿って何がやりたいの?
464考える名無しさん:03/06/20 16:15
「嫉み」からだろうが・・・
465考える名無しさん:03/06/21 23:58
このスレ、かつての勢いはもうないなア。
コピペ荒らし馬鹿のせいで、コミュニタリアンは、もう寄り付かんか。
面白くネエな。荒らし氏ね。
466考える名無しさん:03/06/22 08:10
本格的論争は、これからだ!
467考える名無しさん:03/06/22 20:14
 NAM、Q、FA、L、とかいう名前だけ新奇な「道具的アソシエーション」
や「情緒的アソシエーション」に比べりゃ、コミュニタリアンの無我の境地
とでもいうべき「構成的共同体観」の方が、ずーとマルクス的でしょ。
 おっと、もう「ねたみ」の荒らしはやめてね。
468考える名無しさん:03/06/24 15:01
滅私奉公のほうがいい?そんなことナイと思う
469考える名無しさん:03/06/24 15:11
>>468 意味不明。分かるように書いてね。
470考える名無しさん:03/06/24 16:11
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/


コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
471考える名無しさん:03/06/24 16:11
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
472考える名無しさん:03/06/24 16:11
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/

コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。

473考える名無しさん:03/06/24 16:12
経済板の青木スレ
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政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。

474考える名無しさん:03/06/24 16:12
経済板の青木スレ
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政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。

475考える名無しさん:03/06/24 16:12
経済板の青木スレ
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政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。

476考える名無しさん:03/06/24 16:12
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。

477考える名無しさん:03/06/24 16:13
経済板の青木スレ
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政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。

478考える名無しさん:03/06/24 16:13
経済板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
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479考える名無しさん:03/06/24 16:22
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480考える名無しさん:03/06/24 16:22
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481考える名無しさん:03/06/24 16:23
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
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482考える名無しさん:03/06/24 16:23
経済板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
483考える名無しさん:03/06/24 16:23
経済板の青木スレ
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484考える名無しさん:03/06/24 16:23
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485考える名無しさん:03/06/24 16:24
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
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486考える名無しさん:03/06/24 16:24
経済板の青木スレ
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487考える名無しさん:03/06/24 16:24
経済板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
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488考える名無しさん:03/06/24 17:31
発作キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
489考える名無しさん:03/06/25 00:25

NAMだかFAだかQだかLだか知らんが、コピペ荒らしするしか
脳がないんじゃ、自由な個人のアソシエーションがどんな立派なものか
よーくわかったよ。
永遠に発作やってろ、バーーーーーカ。
490考える名無しさん:03/06/25 18:48
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
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491考える名無しさん:03/06/25 18:49
経済板の青木スレ
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政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
492考える名無しさん:03/06/25 18:49
経済板の青木スレ
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政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
493考える名無しさん:03/06/25 18:50
経済板の青木スレ
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政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
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494考える名無しさん:03/06/25 18:50
経済板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
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495考える名無しさん:03/06/25 18:50
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
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496考える名無しさん:03/06/25 18:50
経済板の青木スレ
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政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
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497考える名無しさん:03/06/25 18:51
経済板の青木スレ
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政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
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498考える名無しさん:03/06/25 18:51
経済板の青木スレ
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499考える名無しさん:03/06/25 18:59
経済板の青木スレ
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政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
500考える名無しさん:03/06/25 18:59
経済板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
501考える名無しさん:03/06/25 18:59
経済板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
502考える名無しさん:03/06/25 18:59
経済板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
503考える名無しさん:03/06/25 18:59
経済板の青木スレ
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政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
504考える名無しさん:03/06/25 19:00
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/


コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
505考える名無しさん:03/06/25 19:00
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/


コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
506考える名無しさん:03/06/25 19:00
経済板の青木スレ
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政治思想板の青木スレ
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コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
507考える名無しさん:03/06/25 19:00
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/


コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。
508スレッド終了宣言:03/06/29 17:17
このスレッドは原則的に>>360あたりで終わっています。
それよりあとは、荒らしの妨害が多くて読むに耐えません。
恐れ入りますが、はじめてここに来られた方は>>1 から順に
お読みください。
509考える名無しさん:03/07/03 18:19
経済板の青木スレ
http://money.2ch.net/test/read.cgi/eco/1055246846/
政治思想板の青木スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1055246795/





コミュニタリアンは以上のスレに速やかに移動すべし。
板違いである。



462 :考える名無しさん :03/06/20 12:06
   ↑
長期の執拗な荒らしの犯人は、すでにメボシがついてる。
不当な言論弾圧を許さないぞ。
まずは 
510ネオ・クラムボン:03/07/03 18:24
どうしたんだ?
511考える名無しさん:03/07/03 19:34
ag
512ネオ・クラムボン:03/07/03 19:36
ここを上げてどうしようと?
513考える名無しさん:03/07/14 23:55
非匿名で、柄谷氏の著述について対話できる、ネット上の場を教えてください!


514考える名無しさん:03/07/17 23:04
いいスレだったのになあ。
もう一度復活して欲しい。
とりあえず保全挙げ。
515考える名無しさん:03/07/27 00:47
「自由」派、「平等」派、「友愛」派…。

プッ
516考える名無しさん:03/07/27 23:11
漏れは青木を支持しますが、この「プッ」は何か?
517考える名無しさん:03/07/28 02:08
大雑把に言うと、社会科学的思考と現実(現象)をダイレクトに結び付けすきています。
518考える名無しさん:03/07/28 02:17
だから青木は、あくまで「イデオロギーを図式的にシンボライズする」と
ことわって「」を付けているでしょう。しかも、そこは
本文に導入するための「序章」にすぎません。
堂々と本文に「プッ」をつけてください。
519考える名無しさん:03/08/02 16:29
要注意が必要。

リバタリアンとかコミュニタリアンとか、あれあれ。
520考える名無しさん:03/08/02 23:59
議論もそうだが、いかんせん名前がいけません。

インチキビジネス書の著者という感じです。

斎藤孝とはりあえます。
521考える名無しさん:03/08/04 00:04
>>519
何が「要注意」で、何が「あれあれ」なのか意味不明。
>>520
議論はもちろん、名前がコミュニタリアンぽくってカッコイイと思います。
柄谷行人のような、わざとらしい、とってつけたような名前でなく
いい感じです。
522_:03/08/05 19:40
読書人によると、
ようやく青木本がじんわり静かなブームを呼んでいるらしい。
もしかすると、このスレのせいかな?
523Kurihara:03/08/05 19:43
癒し系ナショナリズム
524考える名無しさん:03/08/05 21:56
>522

あちゃー
525考える名無しさん:03/08/05 22:25
>>523
うまい。kuriharaさん、言い得て妙。
ざぶとん1枚。
526考える名無しさん:03/08/05 23:57
西部邁のような殺伐系ナショナリズムでなく
いちおうマルクス系のポーズをとったナショナリズムなので、
ネグリの「帝国」なんかを読んでウンザリしたあとで
この本を読むと、たしかに癒される。
ネグリが「マルクスを超えるマルクス」なら
青木は「マルクスを裏切るマルクス」か。
527_:03/08/08 01:49
ようやくこの本が社会的認知をうけた。
528考える名無しさん:03/08/08 02:22
今頃になってほんとにブレイクしてるよ。信じられん。
529Kurihara:03/08/08 02:30
嘘はいけませんね。アマゾンランキングでは10万位台の
売れ行きに過ぎませんよ。「コミュニタリアニズムへ」は。
530考える名無しさん:03/08/08 09:10
10万位って何冊くらい?
堅い学術書で
出版から1年以上たって
このくらい売れてれば
たいしたものです
531Kurihara:03/08/08 18:35
まあ、このスレの流れを見ますと、青木さんと柄谷さんの比較が
主らしいので、その流れに便乗すると、

青木孝平「コミュニタリアニズムへ」(April 2002)
Amazon.co.jp 売上ランキング: 128,514

これが青木さんの一番売れている本の順位です。

柄谷行人「倫理21」平凡社ライブラリー(June 2003)
Amazon.co.jp 売上ランキング: 12,631

これが柄谷さんの一番新しい本の順位です。一番売れている本は下です。

柄谷行人「日本近代文学の起源」 (June 1988)
Amazon.co.jp 売上ランキング: 7,195

要するに、両者を比較すると一桁も二桁も売れ方が違うということです。
何がブレイクやブームかは知らないけど、現実はこうだということです。

因みに「必読書150」のランキングはこうです。

柄谷行人「必読書150」(April 2002)
Amazon.co.jp 売上ランキング: 7,789

これは柄谷さんの単著とはいえないので比較にはならないけど、
「必読書150」と「コミュニタリアニズムへ」の出版年月が2002年
の4月というので同じですね。しかし、これも売れ方が二桁も違うという
ことがお分かりいただけるかと思います。
532Kurihara:03/08/08 18:45
ネグリの「帝国」の売り上げは因みに以下になります。

ネグリ「帝国」(2003/01/23)
Amazon.co.jp 売上ランキング: 4,999

青木さんの本はいうまでもないとしても、柄谷さんの
「日本近代文学の起源」より売り上げているわけです。
533Kurihara:03/08/08 18:46
というか、ネグリとハートでしたね。
534考える名無しさん:03/08/08 20:40
本を読む能力のない香具師は売り上げでしか評価できない。あわれー。
535Kurihara:03/08/08 20:47
>今頃になってほんとにブレイクしてるよ。信じられん。

この判断に対する反証を一つばかり提起したまでです。
536Kurihara:03/08/08 20:50
つまり嘘を暴いただけです。
537考える名無しさん:03/08/08 21:54
最近、政治哲学でも社会思想でも経済思想でも
学会でかなりの評判ですが何か?
538考える名無しさん:03/08/15 21:45
アメリカのイラク侵攻は、石油のためではなく、なにより
自由・平等・人権というリベラリズムのグローバルな普遍化をめざすものだ。
それはまさに民主主義の「帝国」だ。
これに対しネグリのいうマルチチュードはまったく無力が証明された。
こいつらは、せいぜいレノンのイマジンを歌ってデモをし、
ほんとの「民主主義」で「世界はひとつ」と歌い、結果的に
アメリカン・デモクラシーの別働隊にすぎなかった。
ほんとうにグローバリズムに抵抗したのは、ただひとつ。
それは、コーランを唱えモスクから出撃する反米の民衆、
すなわちイスラミック・コミュニタリアンである。

イラク戦争は、柄谷のアソシエーションやネグリのマルチチュードよりも
青木の言うコミュニタリアニズムの正しさを証明した。
539考える名無しさん:03/08/16 14:10
単純に、暴力には暴力で対抗するしかないということだと思うが。
540考える名無しさん:03/08/17 00:46
そうじゃないよ。
リベラリズムは、自由・平等・人権の普遍主義。
レノンのイマジンのように、宗教も国もない近代合理主義を押し付ける。
これがアメリカの戦争の正体だ。
コミュニタリアンは普遍主義を求めない。
文化と伝統の棲み分けと、異文化の相互の尊重を求める。
アメリカは世界を一元的に民主化しようと、民主主義をイラクに押し付ける。
コミュニタリアンは、プルーラリストでありマルチカルチュラリストである。
そしてエスニカルなリージョニストである。
リベラルな反戦運動は「平和と民主主義」は普遍的価値であるというが
コミュニタリアンの反戦はあくまで「ヤンキー、ゴーホーム」である。
541Kurihara:03/08/17 01:05
なるほど。学会の人しか買っていないから、
こういう悲惨な売り上げにしかならないわけですね。

Amazon.co.jp 売上ランキング: 233,980

542考える名無しさん:03/08/17 01:08
いくらなんでも>>540の言うような内容じゃないと思うがね
青木の本は
543Kurihara:03/08/17 01:16
裏切ることが、コミュニタリアンの倫理のようですから、
540さんのように青木さんを裏切るカキコは歓迎します。
どんどんやって下さい。
544考える名無しさん:03/08/17 01:31
そうか。
裏切ることが、アソシエーショニストの倫理だから
Kuriharaさんは柄谷さんを裏切ってるんですね。
フマさんや栗さんとの喧嘩にあきたらず、
こんなとこまで出てきましたたか。
コミュニタリアンの倫理を語るなら、青木の本読んでからにしたら?
ああ、そうか。読まないで、売り上げでヒョーカするのが、
アソシエショニストの倫理でしたか。
545540:03/08/17 01:46
>>542
いや、青木の本は、マルクスや宇野の言葉を借りてはいるが、
背後には現代世界のアメリカン・リベラリズムに対する
激しい煮えたぎるような怒りが潜んでいるのだ。
542は、ぜひ言外の意味を読み取ってほしい。
546Kurihara:03/08/17 02:05

青木は「マルクスを裏切るマルクス」か。

ご名答。
547Kurihara:03/08/17 02:12
太平洋戦争で日本がアメリカに負けたのが、
そんない口惜しいの?
548Kurihara:03/08/17 02:17
494 名前:吾輩は名無しである :03/08/17 00:28
1作も読んだことないよ。読まなくてもいいよね。
549考える名無しさん:03/08/18 20:28
Kuriharaさんは、読まなくていいですよ。
読んでも、どうせ理解できないからね。
ま、猫に小判っていうことですよ。
550考える名無しさん:03/08/18 20:48
>>542
青木さんは、マルクスを読んで読んで、徹底的に読み込んで
マルクス派のままで、結果的に保守派、右派に近づいた。
だがそれは、マルクス自身が、俗にいわれるような進歩派リベラルや左翼ではなく、
その根本的思想は、保守派や右派コミュニタリアンのままだからだ。
青木さんより、マルクスや宇野を読み抜き、突き詰めた理論家=思想家を
今まで寡聞にして知らない。このスレで初めて知って、騙されたつもりで買って、
感動した。ウソじゃないよ。
551mmm:03/08/18 21:13
たしかに、いま資本主義批判を全面的にやってるのは
サヨじゃなく、西部邁や小林よしのりらのウヨだろうな。
その意味で、マルクスの資本主義批判をつきつめたら
サヨよりウヨに近づくのは、感覚が鋭いのだろう。
人権やフェミやアソシエーションよりは鋭いマルクス論だろが。
552:03/08/20 00:53
宮台もリベラルから転向して、亜細亜主義を唱え始めた。
われわれが主張してきたコミュニタリアニズムの意味が
少しは分かってきたようだ。
553考える名無しさん:03/08/21 02:19
つまり、リベラリズムの実現のためには
コミュニタリアニズムも手段として梃子として
使えるケースがある、と。
554:03/08/21 09:01
違うでしょう。
宮台の場合は、なしくずしの転向でしょう。
555うぷされますた:03/08/21 13:17
■世の中にはベネディクト・アンダーソンを誤読して「国民化の歴史を振り返り、国民幻
想を相対化せよ」などと語る輩がいる。「ボーダーレスな時代だから国民国家にこだわっ
ていては駄目だ」と言う。時代錯誤だ。
■私たちは領域的にも力の大きさ的にも国民国家=ネーションステイトを超える主体を持
たない。私たちが世界を変えようと思ったら、ネーションステイトをハンドリングするし
かない。

ミヤディー「亜細亜主義の可能性 〜国家を操縦する導きの糸〜」
http://www.miyadai.com/message/?msg_date=20030821
556mm:03/08/21 18:21
コピペありがとう。
宮台さんの国民国家と区別される「社会」の理解は、基本的に、
青木さんのコミュニタリアニズムと一致できる視点だと思います。
557考える名無しさん:03/08/22 04:04
>>538
> ほんとうにグローバリズムに抵抗したのは、ただひとつ。
> それは、コーランを唱えモスクから出撃する反米の民衆、
> すなわちイスラミック・コミュニタリアンである。

こーいう実践的立場は現在の青木とは違うんじゃないの。ブント理論に先祖帰り。
とはいえ、理論の構成としては青木はブント理論の一揆主義(過激な非合理主義)を
保守主義(穏健な非合理主義)に装いを変えたものにすぎんわけだが。
それゆえ、彼はマルクス主義は終わったと盛んに言いながら、
実は新左翼理論の失敗を総括できていない。

>>555
宮台はもともと保守主義者だよ。
彼のバックボーンは広松・ルーマン・小室直樹。
保守主義を擁護して橋爪と論争したこともある。
いわく、日本は民度が低いからアングロサクソン型リベラリズムを
輸入しても使えん、ルーマンを勉強したほうが良かったねだってさ。
558mm:03/08/22 22:51
>>557
青木さんの本を処女作『資本論と法原理』以来ずっと愛読してますが
たしかに青木さんの眼目は、一貫して人権や個人といったリベラリズムと
いった理念の普遍主義をフェティシズムとして批判し相対化するところにあり、
実践主義とは無縁だと思います。
でも、青木さんは、岩田的宇野理論について指摘されるブント主義とは
何の関係もないので、「ブント理論」云々は、やや的はずれでは?

宮台を保守主義というなら、青木さんのバックボーンは、
宇野・広松・マッキンタイヤだから、やっぱり保守主義ということになってしまう?
559考える名無しさん:03/08/22 23:38
宇野だと何で保守主義になるの?
560考える名無しさん:03/08/22 23:56
宇野は、マルクス・オンリー主義だから、左翼のようにみえるけど、
じつは、そこからはどんな社会主義の展望もまったくでてこない。
青木さんがいうように、個人的所有の再建やアソシエーションや
リベラルな社会の展望は、宇野とは無縁です。
資本主義というより市場経済が異常で特殊なものだということは
明らかになるが、それを搾取だとか不平等だとか左翼的に批判することは
できない。宇野理論は資本主義の進歩の先に「未来」を見る理論ではなく、
逆に、それが社会(共同体)の外部から社会を侵食する点を批判する理論です。
青木さんの宇野理解は、そういうものだと思います。
561具体的適用(中学生のいじめ世界):03/08/23 00:59
 具体的なものに適用して考えてみるといい。
 内藤朝雄「学校リベラリスト宣言」(in 宮台真司・藤井誠二・内藤朝雄『学校が自由になる日』雲母書房)より。
 「中学生たちのノリをめぐる身分関係は、きわめて厳格です。たとえば、いじめ被害者が楽しそうに微笑んでいるのを偶然見かけただけで、
いじめグループが憎しみでいっぱいになる、といったケースがよくあります。この場合彼らは、まるで不正をおかした者に対するかのように「ゆるせない!」と憤激します。
 みんなの感情共振的なノリの秩序の中で、誰がどのくらい存在感をもってよいか、楽しげに存在してよいか、
幸福そうに笑ってよいか、といった身分が厳格に定まっています。だから、いじめ被害者が楽しそうに微笑んで「よい」わけがありません。
中学生の自治的な世界の内部では、いじめ被害者が幸福そうに振る舞うことは、「われわれ」の共生に対する、いわば「態度罪」あるいは「表情罪」にあたります。
 彼らの秩序がノリの秩序であればあるほど、そのノリや「こころ」のありかたの配分をめぐる身分関係は峻厳苛烈なものになります。
その場その場のみんなのノリに気を配り、そのノリに即した自分の位置(身の程)をわきまえなければなりません。この微妙な線引きを少しでも誤ると、ムカツクとかジコチュウ(自己中心的)とか言われます。(中略)
 さらに突っ込んで、彼らの現実感覚にとってそもそも「人間とは何か」という問題を考察してみましょう。というのは彼らは時に人間の尊厳を、時には生命さえ、
当たり前のように軽視するからです。自分たちがいじめていた「友達」が自殺や自殺未遂をしたと知らされて、クラスのみんなが拍手喝采して大はしゃぎする、
といった出来事は学校でよく起こります。(中略)
 (続く)
562具体的適用(中学生のいじめ世界)続き:03/08/23 01:30
 中学生が生きる「自分たちなり」の秩序によれば、一人ひとりの人間存在は、その場その場の「みんなの気持ち」あるいは「ノリ」の側から個別的に位置づけられて在るもの(位置ある人間)であって、
人間が「人間である」というだけで普遍的に与えられるもの(負荷なき人間)ではありません。
人間は、水面のさざ波のように刻々と動いている諸関係のアンサンブルのなかから、そのさざ波のかたちをなぞるべく結節したうつわにすぎません。
人間は諸関係の総体なのです。彼らは哲学的な思考などしませんが、徹底的な関係主義と社会構成主義を「いま・ここ」で生きています。
 たとえば「いま・ここ」の「仮死ごっこ」という遊びは、わたしたちの大切なノリの営みであり、そのノリに即して人間の位置と価値が定まります。
この秩序の中ではいじめられる身分の者は、その場その場のノリをこの身に受けて共振するうつわ=関係の項(玩具)としてのみ存在意義があります。
玩具に対しては、「独自の人格」を前提すること自体が不自然であり、命令によって動かすことが最も自然な接し方です。
女子中学生が「気絶するまで闘わせる遊び」という命令的な言い方を、大人たちの前ですらごく自然な感覚でしたのは、このニュアンスにおいてです。
 彼らの倫理秩序の鉄則は、項に対する関係の第一次性です。いじめ被害者は、あくまでも「われわれ」の関係の中で玩具「として」在ります。
みんなが共に生きる間柄を離れて彼が彼としての実体的な生命やこころをもっており、それを「われわれ」の「いま・ここ」を踏みにじってまで
尊重しなければならないといったことは、吐き気をもよおすほど不自然な理屈です。
遊ぶ者と玩具が同じ人間として平等であるというのは、人間と牛馬が同じ生物として平等であるというのと同様、
「いま・ここ」で現に生きられている関係を無視した奇怪な抽象論理です。
近代実態主義を超えた「生きられる関係主義者」たちが、このような不自然で奇怪な論理を押しつける大人たちを
「挑戦的な表情で上目づかいににらむ」のは当然のことです。
 (続く)
563具体的適用:03/08/23 01:50
 哲学的関係主義と共同体主義をつなげるときは、このような具体的事例に則して考えよ。

 前掲書より。

「 わたしたちは市民状態を生きていればいるほど、まず個人があって、その個人と個人が絆を結ぶと考えがちです。
しかし中学生たちの学校共同体では、まずみんなの関係が第一次的にあり、個人はその第二次的な項として関数的に在ります。
当然みんなのノリの絆に対して、個人と個人の絆はそれ自体では無に等しいものです。
 たとえば、ほんの数分前まで「なかよく」じゃれ合っていた「友だち」がみんなから「浮いた」とします。
すると次の瞬間、「なかよく」していたはずの生徒は、当人にもなにがなんだかわけがわからず意地悪な気持ちになり、
みんなといっしょに「友だち」をバンバン蹴ります。
このとき、共同体のなかでパブロフの犬のように身体化した「われわれの善き慣習」が、関係の第一次性として生きられています。
このとき蹴っている者の現実感覚の半分はこすっからい保身であり、あとの半分は、私が蹴るというよりも、
私の中から関係が蹴る、あるいはわたしの中からノリが蹴るとでもいったものです。
 蹴られた人が負傷したり死んだりして事情聴取されるとしたら、加害者たちは「なんとなくノリで蹴ってた」
「おもしろいから蹴った」と言うでしょう。(中略)
 自分が好意を持って近づこうとする以前に運命としてベタベタさせられる生活環境で、生徒たちは、
個人で愛したり憎んだり楽しんだりむかついたりするのではなく、みんなのノリを感じ取り、
その盛り上がりに位置づけられた「自」の「分」としての「自-分」の感情を身分的に生きます。
あるいは、そのようなこころの動きの軌跡として自分が在るとでもいいましょうか。
このように「ノリ来たりて我を照らす」間柄存在の無責任のおかげで、生徒たちは身も心も軽くなって、
一人ではできないことを平気でやります。 
564トミーちゃんだよ!:03/08/23 02:23
ママもパパも寝ちゃったみたい。廊下は真っ暗!
あーん。・゚・(ノД`)・゚・。 眠くて仕方ないのにぃ。
オバケが怖くてベッドルームに行けないよう・・・。(涙)
ママのこと、起こしちゃおうかなぁ。(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
。   ∧_∧。゚       
 ゚  (゚ ´Д`゚ )っ゚ ママは68歳   
   (つ   / トミーちゃんは35歳だよ。それが何か?
    |   (⌒)
    し⌒
    ...ウワァァァァン
565かい:03/08/23 02:25
562はどうして省略されてないんだ?
気になるな
566考える名無しさん:03/08/23 04:05
> 青木さんの眼目は、一貫して人権や個人といったリベラリズムと
> いった理念の普遍主義をフェティシズムとして批判し相対化するところにあり、
> 実践主義とは無縁だと思います。

宇野は一揆主義を積極的に肯定しないが積極的に否定もしない。
ただ、単純流通の諸表象を全否定するがゆえに
外的ショックで物象化的錯認の世界を破壊するしかないとする
一揆主義の主張に成立条件を与えるわけだ。
宇野原理論からブント主義とか共同体回帰とか政治的主張を
引き出すのは自由ですが、理論家は「負荷」を負いませんので、
実践家の方は自分の責任と覚悟でやって下さいってところ。
青木は価値中立な理論家としての禁欲を破って実践家的に説教たれておるが、
これは宇野の実践的解釈の一つにすぎんかもしれないと
青木信者は思いを致してみるべきであろう。
567考える名無しさん:03/08/23 08:26
>>566
そういう新カント派的な理論と実践の分離論が、宇野理論を科学という特権的
地位に祭りあげてしまった。しかし今や価値中立的な科学主義は、英米の
分析哲学や論理実証主義に道をゆずり、降旗のような科学的経済学観は
それ自身ひどく硬直的な近代主義イデオロギーとなっています。

青木さんの本はけっして「宇野の実践的解釈」じゃないんじゃないか、
と思います。むしろこの本の主眼は、山口重克や伊藤誠系の東大系宇野派が
新古典派ずいて「商品所有者の行動論」を提起したことへの批判であり、
価値形態論をはじめ宇野原理論全体を、関係主義的に読み替える方が
メインだと思います。その結果、リベラルの人間が商品経済を編み上げる
のでなく、反対に、商品経済が「所有者」「人間」というイデオロギーを
つくりだすという逆立ちが明らかになった。
こういうフェティシズム批判が、社会契約論を批判するコミュニタリアンと
共通するというだけであり、青木さんが「理論家としての禁欲を破った」とか
「宇野の実践的解釈の一つ」というのは、やはりちょっと違うと思います。

>>563
哲学的関係主義と共同体主義をつなぐ具体的事例は重要だと思います。
引用はおもしろかったです。
でも広松や青木さんが言いたかったのは、特殊な場面で関係の一次性が
成り立つことがある、ということではなく、人間存在そのものの関係拘束性
の問題であり、人間の普遍主義そのものの批判だと思います。
やや抽象のレベルが違うと感じました。
568具体的に考えるとヘンだ:03/08/23 11:09
>>567
広松を読むと「ずるいな」と思うことがあります。
広松は、かたや緻密かつ価値中立的に、物象化や実体化をどんな場合でも生じているものとして描きます。
でもその舌の根も乾かぬうちに、やはり彼は自分の好みの価値とからめて「物象化である(だからダメ)」「実体視である(だから軽蔑)」といったことを吹きまくります。
「人間存在そのものの関係拘束性」というすべてにあてはまる関係主義を根拠にするのならば、「人間の普遍主義そのもの」をよいとかわるいとか批判することはできないと思います。
このことについて上記前掲書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4876721041/ref%3Dpd%5Fsim%5Fb%5Fdp%5F1%5F2/t/249-1962808-6919553
に面白い記述がありました。292ページから293ページの箇所です。
ハンマーでぼこぼこ壊すような批判を、わかりやすい言葉で展開していて、感動しました。
引用すると肩と首がつらいので、すいません。
569考える名無しさん:03/08/23 17:19
たしかに広松は、人間を関係の結節とみなし、関係の第一次性を
主張します。このばあい、主語となるのは役割連関、マルクス的にいえば「分業」
ということになります。マルクスや広松は、たしかにもう一方で分業そのものを
否定的事象として理解し、そのレベルで物象化を批判しているようにも読めます・
この意味で568さんのいう「ずるいな」というのも当たっていると思います。

これに対して、青木のばあいは、もう一方の柱として宇野理論があります。
だから労働・生産過程としての分業は、あらゆる社会に共通する通時的構造
として理解され、市場連関としての流通形態と完全に切断されて把握されます。
自由な主体という人間(自由・平等・所有・ベンサム)のリベラリズム
に対する批判は、分業ではなく、市場という特殊な場面の倒錯イデオロギー
批判として敢行されます。

これが、青木さんがマルクスと広松を継承しつつ、彼らと決定的にタモトを分かつ点
つまりその理論をコミュニタリアニズムとして打ち出す理由だと思います。
570アンチ・新左翼:03/08/24 10:25
>>557 >>566
たしかに宇野は、結果として、ブント的一揆主義に根拠を与えた。
資本主義を永遠に循環する運動として説くことで、そこから脱出する回路を
必然性としては説明できないと主張した。それは法則的根拠がないゆえに、
法則の外に身を置くことを「主体性」と呼んだわけだ。
ここから新左翼は、宇野のいわゆる経済学の「科学主義」に対し、
実践運動の一揆主義つまり「主体性主義」を正当化した。
たとえばルカーチ、コルシュ、マルクーゼ、サルトル。
日本では西田哲学的マルクス主義。梅本、梯、そして黒田。

だが青木は違う。青木は、これら新左翼的「主体性」とは無縁である。
青木は、これら個人の実存的・超越的・一揆的・主観的・決断的「主体」
そのものをリベラリズム的な「負荷なき自我」であると批判し、逆に
これらの主体に対する関係性の優位を主張する。
宇野の実践へのつなぎ方が新左翼とは逆向きなのだ。
青木が、「新左翼理論の失敗を総括できていない」という批判はあたらない。
571考える名無しさん:03/08/24 12:44
>>570
新左翼理論でも、「脱出する回路」がない理由がまさに
「主体に対する関係性の優位」なんだからさ、同じだろ。
それから新左翼がリベラリズム的自我にもとづいてるなら、
ブルジョア法秩序を守り、他人の生命財産を尊重してくれるはずだが、
それを「倒錯イデオロギー」とするから勝手に逸脱して
リンチ殺人の限りを尽くしたわけだろ。
572考える名無しさん:03/08/24 14:12
違いますよ。
資本主義に脱出の回路がないのは、市場経済が近代的自我の普遍性として
倒錯的に現出し、自立した個人の社会契約というイデオロギーを生み出すからです。
それは、イデオロギー上、「主体の優位」です。新左翼は、このイデオロギーを
極限まで肥大化し、リバタリアン的主体性主義にいきついた訳です。
それは「逸脱」ではありません。むしろこうした主体の絶対化が、唯我独尊主義に
いきつき、一揆主義的暴力礼賛とむすびついて、リンチ殺人を生み出したと
思います。
573考える名無しさん:03/08/24 14:32
青木本を左翼本だと思い込むから間違う。
もう左翼はみんなリベラリズムへ逝ってよし。
柄谷も浅田もカンサンジュンもネグリもみんなそうだ。
でも青木は保守だから、マルクスなみの資本主義批判ができた。
いっとくけど、ほんとの保守は、反資本主義だからね。
しょせん左翼は差別や搾取という「資本主義の失敗」は批判しても、
資本主義の精神=リベラリズムそのものは批判できないのさ。
574考える名無しさん:03/08/24 15:34
保守主義の資本主義批判というのは、どういう点で疎外論
を免れることができるんだ?
575考える名無しさん:03/08/24 15:42
物象化論と保守主義というのはバッティングしないのか?
576考える名無しさん:03/08/24 15:51
>>573
>でも青木は保守だから、マルクスなみの資本主義批判ができた。

この文の繋がりがわからない。
なにが「だから」なのか?
保守だから資本主義批判ができると言うならば、マルクスは何によって
資本主義を批判したのだろうか?
577考える名無しさん:03/08/24 16:04
「関係」といっても、「関係」を「物」の相で表象して「関係」を
礼賛してもしようがない話だと思うが。
578考える名無しさん:03/08/24 16:32
ていうか、保守主義の考え方というのは、価値実体というのが先ず在るわけでしょ。
で、保守主義者の語りというのはいつも価値現象体の内に普遍的な価値本質が住ん
でいるみたいな思念(私念?w)するでしょ。
なんか種みたいなのに一般的推及したって、やってることは、間主観的に一致してい
る機能的関係を物象化しているだけでしょ。
579考える名無しさん:03/08/24 16:44
>>574>>576
私は573ではないが、全部まとめて答えよう。
要するに、マルクス自身の本音が保守だったてことさ。
資本主義は、市場が共同体を破壊して商品経済が全社会関係を
包摂する。これをマルクスは物象的依存関係と呼んだ。
つまりリベラリズムのいう自由で平等な個人の契約関係だ。
資本主義の生産力とやらがどれだけ発展しようと、この関係は
超克できない。なぜなら資本主義の商品経済そのものが
無機的でアノミーな個人をたえず実在的に錯認させる。
それは共同体ごとに異なる文明を破壊し均質化し
中性的で全能の「人間」というバケモノを創り出す。
これに対抗できるのは、アソシエーションやマルチチュード
といった人工的・国際的的・設計的な「ソフト化されたソ連」主義
ではない。地域や文化、風土、宗教ごとに異なる多様・多重な
依存関係の承認であり、相互の棲み分けしかないということだ。
580考える名無しさん:03/08/24 16:56
>>577>>578
だから青木は価値実体に価値形態を優先する宇野理論を使うわけでしょ。
普通の保守が使う普遍的価値本質をカッコに入れて、ただ資本主義の
形態批判だけを利用するわけです。だから守るべき「普遍的本質」は
共同体ごとに異なる多様な関係性であり、決して実体化されないのです。
その意味で、「機能的関係の物象化」というなら、たしかにそのとおり。
ただそれは市場関係のような普遍的人間をつくりだしません。
581考える名無しさん:03/08/24 17:03
>>579
>地域や文化、風土、宗教ごとに異なる多様・多重な
>依存関係の承認であり、相互の棲み分けしかないということだ。

そんなのあたりまえじゃん。
誰もそれを否定しないよ。
582考える名無しさん:03/08/24 17:12
>>581

ところがあたりまえじゃない。
グローバリゼーションをマルクスのいう「資本の文明化作用」だという
新左翼マルクス主義者、柄谷もネグリも。
資本主義の世界的生産力の発展を社会主義の物質的基礎だという正統派、
共産党もトロツキー主義者も。誰もこれを認めないのです。
583考える名無しさん:03/08/24 17:50
>>582
グローバリゼーションは「資本の文明化作用」?
そんな単純な議論をしてたのか?
584考える名無しさん:03/08/24 18:36
>>580
>>580
>だから守るべき「普遍的本質」は
>共同体ごとに異なる多様な関係性であり、決して実体化されないのです

「関係性」を「実体化」しているから関係性を「普遍的本質」と言えるんだよ。
実体化させないような論理的的歯止めはないの?
585考える名無しさん:03/08/24 18:50
>>579
資本主義が共同体及び共同体の経済を破壊したからけしからん
そう考えたマルクスは
本音では「昔に戻せ、昔を復興させろ」と思っていたと?
それが本来のあるべきマルクスの姿であると?

保守の資本主義批判がその程度だったらつまらんね。
とはいえそれなりの役割はあるんだろうからがんばってほしいが。
586考える名無しさん:03/08/24 20:00
>>584
「普遍的本質」は「」にいれてる。578さんの引用のつもりです。
ようするに商品経済は共同体の間の関係だから、どこでも同じ普遍性という
イデオロギーをうみだす。これに対し共同体は地域的固有性をもつから
普遍主義のイデオロギーを示さない。これを実体化する倒錯はありえません。

>>585
誰も「昔に戻せ」なんていってない。近代個人主義や合理主義の
普遍主義を拒否し、価値的な相対化を言ってるつもりです。
K・ポランニーも言ってるように、商品はある日突然、社会に
とりつく癌細胞のようなものだから、癌の成長の極点に未来が
あるとするマルクス主義の進歩史観は「資本論」とあいいれない。
「先に進む」のでも「昔に戻る」のでもなく、市場に過剰依存しない
構造的な人間紐帯の復権とでもいえましょうか。
587疑問:03/08/24 20:34
>>573 よりあとの議論に全部反対!
私の読んだ感じでは、青木さんは保守派じゃない。
むしろ、進歩と保守、左と右なんていう二項対立図式の無効を主張する
のが、青木本のねらいと見た。
左は資本主義を批判しながらそのイデオロギーのリベラリズムを保守し、
右はリベラリズムを批判しながら資本主義を保守しようとする。
これ、どっちもずるいんじゃない?ってのが青木の言いたいこと。
青木は資本主義を批判するならリベラリズムも批判しなきゃダメと言ってる、
と思う。つまりホントのラジカリズム。違うかなあ?
588SW:03/08/24 20:39
旧陸軍参謀本部企画院の連中はレーニンから学んだ。
それが東条軍事ファシズム政府であり、現在も生きている「構造」だ。
継承者は官僚と自民党だがな。
589考える名無しさん:03/08/26 20:10
>>588
SWさん、スレ違いでは?
議論のつながりぐあいが全然わかりましぇーん。
590物象化批判→共同体主義という飛躍:03/08/26 20:16
568さんが肩こりのために日和った作業を身体強健なオイラがやるよ。
『学校が自由になる日』(柏書房)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4876721041/ref%3Dpd%5Fsim%5Fb%5Fdp%5F1%5F2/t/249-1962808-6919553
の292ページから293ページ(内藤朝雄発言)だったよね。
わけのわからん哲学呪文(おそらく論理は穴だらけ)よりも、こういうわかりやすいまっすぐな論理がいい。
「 こういう人たちは特定の絆、とくに共同体の絆をもって絆全般を僭称してますね。
さまざまにあり得る絆ユニットの一つのタイプにすぎない共同体的関係性が、何かそれが関係性のすべてだとでもいうふうに玉座を僭称するのは、滑稽です。
多種多様な絆ユニットの生態学的な布置を考えれば、こういう考えがでたらめだということは一目瞭然になります。
さまざまな絆ユニットがせめぎあうダイナミズムのなかで、その布置が変わるだけのことを、彼らは絆全般に対する冒涜と考えているようです。
しめったコケ類が後退したところに、タンポポが咲き乱れている生態学的遷移を、植物の否定と呼ぶような誤謬です。
絆ユニットという広い概念の地位を共同体という何か狭いものが僭称する。
あるいは関係性という広い概念を、「自己決定によって損なわれる」特殊なタイプにすり替えています。
 絆ユニットや関係性そのものを、共同体主義もリベラリズムも衰退させることはできないですよ。
それはもう原爆で人類が破滅しないと衰退しません。絆ユニットとか関係性なんていうものは、どんな社会にも、どんな人間にもあるから。」
(続く)
591関係主義→共同体主義という飛躍:03/08/26 20:33
(続き)
「 それから、自由はでっち上げだとか物象化だとかいう話にしても、
実は「何とかのお陰です」というときには、「何とかの」というのを実体化しているわけですよね。
これは最近の存在論的ゲリマンダリングの話なんかがまさにそうなんだけど、
絶対的な関係主義の水準で他人を批判しながら、相手がひるんだスキに、自分は好みの実体化や価値判断を言いっぱなし、というわけです。
ありたあらゆるものが関係の中でつくられているなんてお気楽に言う人が多いけど、
ありとあらゆるものが実体化されることのない、絶対零度のような状態を何かの根拠として持ってきて、死の自己決定がいいだのわるいだのを引き出すことはできません。
 菩提樹の木の下で涅槃に入ったお釈迦様に聞いてみても、
「すべてはすべてと絡み合って、ほどけて、なんとも言えん、わしゃ知らん。無記、無記、無記」と言うだけでしょう。
「あなたは関係のなかで生かされているのですよ」なんていう大雑把な水準では、
こうすべきであって、ああすべきでない、なんて細かい価値判断を導き出せるわけがありません。
自己決定するのもしないのも、「すべて関係の中でなるべくしてなっておるのです。南無阿弥陀仏−−」となるはずなのに、
共同体主義者は他人を強制して自分たちのチマチマした細かいコスモロジー通りに振る舞わせようとする根拠として、
「関係のなかで生かされている」を持ってくるんですね。
メチャクチャです。」
(引用終わり)
関係主義を根拠にした共同体主義を批判する論は、これに尽きてるんじゃないかと思うよ。
それが高校生にも理解できるようなシンプルな論理なんだよね。
592考える名無しさん:03/08/26 20:51
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こ、これは!?
602考える名無しさん:03/08/26 21:07
592−600さん。
テロは禁止です。
いままでまじめな議論をしていた「考える名無しさん」たちにも失礼です。
「物象化批判→共同体主義という飛躍」さんの表現は、雰囲気が若くて元気なだけで、
あきらかに許容範囲内です。
それに対して、あなたがやっていることは許容できません。
きちんとした議論を続けましょう。
603コミュニティマインド:03/08/26 21:27
テロリストはコミュニティから出て行け。
604考える名無しさん:03/08/26 21:56
ところで広松は最後に実践の領域に踏み込もうとしたようだけど、
広松哲学は上記内藤の批判に屈するほどヤワな論理だったのか?
広松ならこういう批判をどういうふうにはねかえすだろうか。
605考える名無しさん:03/08/26 21:59
中田英寿 たいど でかいぞ
606考える名無しさん:03/08/26 22:01
まったくそのとおり。荒らしの自己目的化は許されません.
「物象化批判→共同体主義という飛躍」さんの議論は、正当なものです。
とはいえ、リベラル・コミュニタリアン論争では、リベラルの側が
たえず主張する常套文句ではありますが。
コユニタリアンがリベラルを「負荷なき自我」と呼んで批判するとき、
リベラルはそれが個人に対する関係拘束性という事実認識を説いているのか
それとも、そうあるべきだという当為論なのか、両者の混同があるという
指摘です。カント的二元論に立つかぎりで正当な批判なのですが、
青木さんのコミュニタリアニズムには当てはまりません。
前にも書きましたが青木さんには、広松物象化論のほかに、
マルクス=宇野のフェティシズム論というもう一つの柱があるからです。
つまり「飛躍」さんの議論には、市場経済固有のフェティシズム論が欠けて
います。近代的個人の実体化は、商品による商品の生産によってもたらされる
のであり、分業=役割連関一般による物象化とは異なるのです。
むしろ青木さんは、分業という関係性一般はつねに差異をもたらす
(たとえば男女の役割がジェンダーの性差をもたらす)のであり、
市場経済こそが、逆に分業=役割連関を通約し、相互に置き換え可能にする
ことを強調しています。資本主義市場においてのみ「自由・平等の個人」という
ノッペラボウの人間の物象化が生じる点を批判しているのです。
つまり青木さんのコミュニタリアニズムは、物象化批判一般ではなく、
あくまで市場経済特有の物象化批判から導き出されていることを理解してほしいです。
607考える名無しさん:03/08/26 22:14
>>604
広松は、物象化を役割の差異と理解し、そこにヘーゲル弁証法によるズレを
読み解き、たえず差異(矛盾)を解消しようという運動=実践を構造変動論として
説明しようとしたようだ。もちろん青木の場合はは弁証法を否定してので
広松と異なる。青木にとって、差異は矛盾ではなく、逆にアイデンティティを
根拠づけるものとして評価される。青木が保守主義とも読める理由が
ここにあろう。
608身体強健:03/08/26 22:28
受験参考書ふうにまとめると、
関係主義→コミュニタリアニズム:×
物象化批判→コミュニタリアニズム:×
(市場経済がそれ以外のさまざまな関係、さまざまな物象化におよぼす)通約(という特殊な関係や物象化)の波及効果に対する批判→コミュニタリアニズム:○
という理解でいいのかな。
法物象化に対して、穂積なんとかという人が民法いでて忠考滅ぶ(今日のねむい講義で聞いたんだけど)と叫んだというけど、
通約によって自由で平等な個が成立することから、ローカルに生きられる関係規定(身分)を守ろうとしたのかな。
通約が嫌いだって人と、通約によって重石がとれて嬉しいって人がいるよね。
親が決めた相手と結婚させられなくて済むし。
609身体強健:03/08/26 23:06
オイラがいってた小学校、592、、、600みたいなクズやろうがグループ組んでて、すごく嫌だった。
ほんとに嫌なことばかりの毎日だった。あのころは、ぼろぼろになってた。
それで受験勉強がんばって脱出できた。点数は嫌なやつらから自由になる脱出費用だった。
受験勉強は大好きだったから、偏差値の高い大学に入れた。
内藤朝雄の『いじめの社会理論』(柏書房)を読んで、あの嫌な日々をドッと思い出した。
この本に、「物象化による解放」「十分な物象化によって守られているときには平和な日々が続くが、
隣組の共同体が強制されると地獄になった」といったことが書いてあって、すごく共感した。
通約によって守られているおかげで、ああいう嫌な思いをしなくて済む、
「態度がでかいぞ」とかわめいてるやつらと距離を置いて生活できる。
こんなやつらとの関係はゴメンだと思うとスッと距離をとることができるのは、ノッペラボウの個人という物象化で負担免除をつかえるからだ。
自由平等の個人のおかげだ。
小学校のときは、どんなに嫌でもしがらみのなかで「ともだち」しなければいけなかった。
もしこういう関係規定圧(「態度でかいぞ」)から逃げられる負担免除を生み出したのが市場経済なら、市場経済万歳だ。
もちろん勉強ができてもできなくても、平等にしがらみからの負担免除の物象化を使う権利がある。
市場経済が許されないところでは、なぜか北朝鮮みたいになる。
哲学的な理屈とはべつに、経験的にどこでもそうなってる。

610考える名無しさん:03/08/26 23:15
中田英寿 たいど でかいぞ
611考える名無しさん:03/08/26 23:27
>>609
クニはどこだい?
612身体強健:03/08/26 23:39
「資本主義市場においてのみ「自由・平等の個人」という
ノッペラボウの人間の物象化が生じる点」は、こんなにひどいともいう価値評価があり、
こんなにすばらしい!ともいう価値評価がある。
これは価値と価値の争いか。
613:03/08/26 23:59
好き嫌いのレベルで本の評価をされると、やっぱりちょっと抵抗がある。
人間は社会関係のアンサンブルである、というマルクス的人間観をどうとらえるかという問題だから。
君が法学生なら社会思想で学んだろうが、ロック、ルソー、からロールズにいたる
英米の社会契約論には致命的欠陥がある。アプリオリに自由な個人を前提として
その合意から国家権力の正当性を導出する論法だ。物象化論によるコミュニタリアニズムは、
社会有機体説という全体主義と個人実在説というアトミズムを両面批判する論理を追及した。
だからそれが北朝鮮のような全体主義だという批判は、やっぱり的はずれだ。
むしろホッブズ的社会契約がリバイアサンという絶対無制限の国家権力の正当化を導きだした
ことを想起すべきだろう。それに経験的議論でもコミュニタリアンは
「市場経済を許さない」なんて一度も言ってない。コミュニタリアンは
個人の自由と国家の強制を両面批判している。もっと正確にいうと
個人の自由至上主義(リバタリアニズム)と国家の権力市場主義(エタティズム)は
表裏一体だと論じてる。市場経済の暴走を制御するのは、権力的統制ではなく、
個人と国家の中間に、人間相互の間主体的関係性としてのコミュニケーションを
再建することだと説いているんだよ。
内藤朝雄さんというのは戦後民主主義的リベラリストと思ってたけど、
君のカキコを読んで、彼はどうもリバタリアンのようだと思った。
内藤理論では、イジメから解放されるどころか、逆に市場の無批判な競争主義に
よって、ますます弱肉強食のイジメを助長するような気がする。
614身体強健:03/08/27 00:00
新宿区立O窪小学校だ。
615身体強健:03/08/27 01:29
ノッペラボウの人間の物象化が生じる点を批判しているのです。
つまり青木さんのコミュニタリアニズムは、物象化批判一般ではなく、
あくまで市場経済特有の物象化批判から導き出されている」と言っているから、
もしそうならば「市場経済万歳」って言った。
オイラ「自由・平等の個人」っていう仕掛けを大切に思ってるから。
あと「市場経済特有の物象化」を主要敵にしてたたきまくると、「許さない」と誤解されやすいかも。
「市場経済特有の物象化」のおかげでこんなに助かりました、という余地がないように思う。
思想系の講義を聴いてると、国家と個人という両面の嫌な面ばかり問題にしてるけど、
社会の権力にあまり重点が置かれていない気がする。トクウィルとかミルとかもおまけでついてくるけど。
先生たちは『お役所の掟』(宮本政於、講談社)の国で、なんでこんな関係ない話ばかりしてるんだろうと思う。
ほんとは、リバイアサン国家とアトム個人なんて思想家の頭の中にしか存在しないのかもしれない。
アメリカ大衆もフランス知識人もアトムどころかどろどろ「個人と国家の中間の人間相互のコミュニケーション」を
のたうちまわって生きているんじゃないか。無名人の日常生活は、戦争のときを除けば、
国家なんかよりも、学校や職場の嫌なやつらのほうがずっと怪物だ。
実際には世界のなかでもっともリバイアサンっぽいNO1の北朝鮮だって、ひとりひとりの庶民にとっては
国家権力よりも中間的な社会の権力のほうが強いかもしれない。
個人の自由至上主義は、世界史上、実現したことは一度もない。
国家の権力至上主義は、弱小テロ国家以外では、現在実現していない。
だから、「再建」もなにもあったもんじゃなくて、現状は
「個人と国家の中間の人間相互の間主体的関係性としてのコミュニケーション」
が圧倒的に強い社会的権力のあわいを、人々がアップアップ生きている。
以上は説が事実にあわないことを指摘することによる批判。
616身体強健:03/08/27 01:30
オイラ、教科書に出てくる思想家たちにまったく感心しない。歴代天皇の名を挙げるみたいに名前をあげても、
それを論証の代わりに使うのは変だ。でもそういう名前で飯を食っている先生たちは、そんなことばっかりやってる。
もともとまちがったことを言っている大思想家グループAとBを括って、両方を批判することもできるけど、
そういう地図を描いて「批判」をしたことと、自説の論証をしたことは別だ。
コミュニタリアンとかリベラリズムとかリバタリアンとかって、
あまり意味のわからないレッテルみたいな気がする。
なにか、こっちが論理でつめているのに対して、名前の符合でレッテルを貼られて処理されてる気がする。
けっこう先生たちって、空に浮かぶ雲のみたいな思想史的な位置づけの地図にはめこもうという思考の習慣の人と、
論理的にきちきちつめていこうという人と2種類いる。
で、思想系の人って前者が多い。
オイラAとかBとかのどっちの陣営にも属しているつもりはなくて(ただ名前に無関心)、
人間と人間がノッペラボウになる仕掛けによって救われる側面を大切に思っていて、
それが市場経済に負っているとしたら(ほんとにそうかどうか知らないけど)、
それはすばらしい(万歳)と言っただけ。
市場経済から出てくる「のっぺらぼう」メカニズムをもっぱら批判するという説明に対して、
この「のっぺらぼう」が救済になるような側面、通約による負担免除の効能を強調しただけなのに、
市場の無批判な競争主義とか弱肉強食がどうしてでてくるのか理解できない。
そういうことは一言も言っていない。
617kamo:03/08/27 01:38
科学を社会に正しく根付かせることは、科学教育とも深く関わっている。
本来の意味の科学教育と言うのとは少し違う。「科学を伝える人の理論と
実践」とある。学校教育よりも社会一般での科学の教授に焦点をあわせ、
しかも「受」よりは「授」の方に重心を置いている。
618考える名無しさん:03/08/27 02:07
>>616

均質化され同質化され中性化され匿名化されたノッペラボウのオバケに、ホントに「救われる」のかい?
で、ほんとにニッポンは「お役所の掟」の社会だと思ってるのかい?
このクニほど、宗教的・倫理的・公共的タブーが喪失した「自由」なくには世界にないと思うんだけど。
これだけマスコミ仕立ての思い込みでカキコして「論理的につめて」は
ないだろう。まあ、国境も宗教も文化も家族もジェンダーも非合理なものには違いないから、そんなものが
全部なくなったグローバルでボーダレスでジェンダーフリーで無個性な人間に救済を感じるヒトがいてもいいが
そのときアンタは生きていないだろう。だって他人と差異がなければ生きる存在意味がないからね。
またレッテル貼りと言われるかもしれないけど
そういうのを「負荷なき自我」、つまりアイデンティティの喪失って言うんだよね。

619考える名無しさん:03/08/27 02:09
カタカナてムズカシイ・・・
620考える名無しさん:03/08/27 02:11
急にレスの質が落ちてきたな
621身体強健:03/08/27 02:17
それから、オイラも北朝鮮出したのはちょっと失礼だったような気がする。
622考える名無しさん:03/08/27 02:30
>>590>>591
内藤朝雄って誰かしらんが、まちがいなく青木を意識してしゃっべってるな。
だって、物象化とか関係主義とかいう、ドイツ=広松系の観念哲学と
共同体主義という英米系の社会哲学は、まったく別物だから、この二つを繋いだのって
青木孝平しかいないからなあ。いまんとこ。広松は一度も共同体主義なんて言ってないだろ。
内藤を持ち出して青木派に対抗しようとしたセンスはなかなか鋭い。
青木本をどの程度よんどるかは知らんが。
623身体強健:03/08/27 03:11
それぞれがそれぞれの凹凸負荷を生きるために、ノッペラボウの仕掛けが必要だっていうのは、
みんなノッペラボウになればいい、というのとは違う。
一人一人が人生をかけて生ききりたい多元的な「絆ユニット」をつかみとるための、
フィルター装置だ。深く信頼され愛されることによって埋め込まれたものだけが、ノッペラボウの装置を通過する。
それぞれがそれぞれの「非合理」を掴み取り、生き切りながら成長するための、「枝狩り」の条件をもたらすのがのっぺらぼう装置だ。
それぞれにとって完成度の高い絆ユニット以外は、どんどん脱落していくから、
「ほんとうにすばらしい」と思えるものしか残らない。
縁を切ろうと思えばノッペラボウのフィルターを使って切れるんだけど、
自分がこの着床から自己でありたい「絆ユニット」だけが回帰するという仕掛け。
もちろんノッペラボウフィルターは初期状態から繰り返し「これでよし」とするものは通し続ける。
のっぺらぼうのフィルターが、完成度の高い凹凸が多元的に進化するための
淘汰圧になるという仕掛け。
のっぺらぼうの仕掛け程度で自我の負荷がなくなることなどありえない。
のっぺらぼうの仕掛けによって淘汰された(むしろ凹凸をくっきりとさせた)十人十色の多元的な負荷ある自我が花開くだけ。

590をもう一度読んで。

北朝鮮だしたのは謝るけど。
624身体強健:03/08/27 03:32
のっぺらぼうの濾過装置は
永遠回帰みたい。
永遠回帰は卑俗なものをふるい落とす。
「いくたび生まれ変わってもくりかえしたいか?ヤー!」というものだけを
回帰させる。
経済的には貧富の差も弱肉強食もたいしてうみださないけど、
輝く人間とくすんだ人間の差は深くなるかもしれない。
こういう差別はあってもよい。あるべきだ。
それから天皇陛下万歳とかアーメンとか氏族ごっことかいうきちがいが増えるはず。
通常の批判とは逆に、ちょっと困ったまじめ人間や倫理共有集団が雨の後のたけのこみたいに増えそう。
最近まじめ系の10代が主流だって知ってた?昔より「共通善」のしめつけが減ったからだよ。
援助交際もブルセラも激減だよ。後輩なんてピアスして地べたにしゃがんでまじめなこと話す子ばっかりだよ。
625考える名無しさん:03/08/27 03:49
身体強健さん
あなたの文学的レトリックは美しい。
だけどあなたは、資本主義の本当の怖さをまだ知らない。
それはもちろん搾取や差別、不平等という意味ではない。
個人の自由な合意は、社会のあらゆるタブーを解体させる。
あなたは性も民族も人種も階級も、すべて個人差に還元してしまう。
十人十色の個人差はアイデンティティではない。「絆」はユニットとして
個人が選好的に選択できるものではない。絆は自我がつくるのでなく、
絆の結節点こそが自我なのだから。
僕も『学校が自由になる日』をきちんと読むから、君も、青木『コミュニタリアニズムへ』の
原文をしっかり読んでほしい。
議論は、それからあらためて始めよう。
626身体強健:03/08/27 04:22
かかわりから責任が生まれちゃった。
宿題の負荷ひきうけた。
627身体強健:03/08/27 04:24
それから言い忘れてた。

楽しかった。ありがとう。
628考える名無しさん:03/08/29 16:09
>>624
確かにニーチェ-ドゥルーズっぽい。ただ、このやり方から何かを生み出せるのって、
結局のところ少数者でしかないような(ニーチェもそういってる)。ノリからする虐め以上のものは。
浅田がリベラル、宮台が共同体に転向したのも、それで上手くいかなかったからじゃないの。
どっちが正しいのかは知らないけど。
629考える名無しさん:03/08/29 20:59
だれがニーチェ=ドゥルーズっぽいんですか?
青木さん?それとも身体強健さん?
630考える名無しさん:03/08/29 22:06
関係性と「今、ここ」とのっぺらぼうの濾過装置。これってまんまリゾームでしょ。
柄谷のいう単独性もこれ。今更561-563あたりを新鮮に感じながら、一方で柄谷を
バカにする態度ってのはどうかと思うけどね。もちろんこの手の単独性の称揚は
万人を救う処方箋にはならないってのが宮台的な問題なんだろうけど。
631考える名無しさん:03/08/29 23:21
この青木孝平スレは、哲学板でほとんど唯一つ、マジの議論してる良スレだね。
これからもがんばって続けてほしい。オレ、見るの楽しみにしてるよ。
632考える名無しさん:03/08/29 23:44
>>624
宮台は「ブルセラ少女は倫理的」みたいなことをいってたけど(ニーチェを引用しつつの
この言葉は日本人によるもっとも鋭いニーチェ論だと思うけど)、実際のブルセラ少女
たちは、元々宮台がみたような超人ではなかったからね。
体を売った金でブランド品を買いあさり、周囲から認められたいという寂しさから
ホストクラブに通い、占いに填っていたわけで。これは共同体への回帰ってよりも、
東のいう動物化、ドゥルーズ・ガタリによるテクノナルシスに近いわけで。
633考える名無しさん:03/08/29 23:45
近いわけで→近いわけだけど。
634考える名無しさん:03/08/30 01:48
>>631
ここが良いスレなのは、青木本がマルクスものでありながら、保守すれすれの
議論をして、おまけに現代思想までカバーしてるふところの深さのせいで、
サヨもウヨも、哲学も経済学も社会学も、専門家も趣味人も関心をひいて、
雑多な香具師が、しかも真面目に集まってこれるせいでしょう。
だから、荒らしがめったに近づけない雰囲気があり、たまに来ても
みんなで追い返せる。ほんとにいいスレです。みなさん、今後もよろしく。
635考える名無しさん:03/08/30 03:11
名前がイケマセン。
名前がイケマセン。
名前がイケマセン。
名前がイケマセン。
名前がイケマセン。
636考える名無しさん:03/08/30 03:13
『コミニュタ』読んだが、理論的整合性はどうかしらないが、全体的に甘いと思う。
やはり、問題関心の狭さだろう。
637考える名無しさん:03/08/30 10:59
たしかに禿同。
理論書としての体系性と緻密性、一貫性には舌を巻くが、
結局、マルクスのテキストクリティークによる解釈学内にとどまってる。
どこまで挑発してみても、しょせん学会向けの専門書を超えられない。
問題関心が狭いというのは、想定する読者がマルクスと宇野の読者だからだろう。
「全体的に甘い」というのは、リベラル左派へのアンチテーゼにとどまり
批判の言いっぱなし。結局ポジティブなものが何もない、ということだろう。
638Kurihara:03/08/30 11:13
禿同!
639考える名無しさん:03/08/30 11:50
だから板違いなんだって。以前柄谷の単独性について話をしたヤツがいたときも、全くわからなかったみたいだし。
宮台や東の読者なら、これをわかった上で批判してると思うんだけどね。
>>618なんか、まるで西尾レベル。青木って人はここまでレベルが低くはないと思うけど。
640考える名無しさん:03/08/30 11:52
あ、柄谷、宮台、東なら板違いではないといっているわけではないので念ためw
641ていうかね:03/08/30 12:07
このスレは「関係」を哲学的に論じる論理がないので、「関係」をあっさり実体化
してしているから、単なる政治思想談義のひとつにすぎなくなっている。
こういう指摘をしても、回答は決まって〔共同体という関係〕という、こちらが実
体化ではと批判している当の案件をどうしたことか持ち出して、それで回答したか
のような錯覚をしているようだ。
共同体は根こそぎにされるべきだと誰も言ってるわけではないので、被害者妄想に
駆られずに、落ち着いて哲学的に共同体の論理を組み立ててほしいものだ。
もちろんそういう哲学を「無用の長物」として、ただの社会思想に走るのは自由だ
が、そのときは哲学板を荒らしすぎないように。
根こそぎ荒らすのではなく、いくつかの芽は残しておく事。
642考える名無しさん:03/08/30 13:38
ジーパンにセッタ
643考える名無しさん:03/08/30 20:26
>>641
たしかに「落ち着いた共同体の論理」は必要。
ただし共同体を当事者の相互行為モデルやコミュニケーション行為から
説明しようとすると、アソシエーショニズムに陥るので要注意。

>>642
意味不明。アメ哲学とニッポン主義の比喩?
644考える名無しさん:03/08/30 21:48
>>636->>643
みなさん、ちょっと『コミュニタ』に対する評価というか要求が
厳しすぎるのでは?
従来、科学とイデオロギーの峻別とか、理論と実践の分離とかいわれた
宇野理論の土俵で、規範的・社会哲学の復権を導き出す青木の仕事は
かなりの力量量がなければできない、異色のチカラワザと見た。
宇野派のほとんどの経済学者が、つまらん実証主義の毒にも薬にもならん
研究しかせず消滅していくなかで、腹をくくった宇野の哲学的読み替えは
それだけでも孤高の勇気が必要で、評価してやらにゃいかんと思う。
645考える名無しさん:03/08/30 21:56
だから板違い
646考える名無しさん:03/08/30 21:56
>>641
かといって、広松のまねして四肢構造論をしたり顔で展開する香具師もいかがなものか?
647考える名無しさん:03/09/01 00:00
>>645
おいおい、このスレが板違いなら、哲学板のほとんど全部イタ違いだぜ。
君の言う哲学板にふさわしいスレってのは、いったいどのスレだい?
648考える名無しさん:03/09/01 00:20
そういえば、>>407から>>509 まで、「板違い」を連呼する
ひどい大荒らしがあったね。
649考える名無しさん:03/09/01 02:01
650考える名無しさん:03/09/01 23:49
さんざん迷ったけど『コミュニタリアニズムへ』を、ついに買ってしまった。
買ったのは正解だった。なにより文章がこなれていて読みやすいのがいい。
内容は高度だ(と思う)が、自然にずんずん頭に入ってくる。
なんか説得されてしまいそうな気がする。
とくに価値形態論がおもしろいと思った。もう少し読んでみよう。
651考える名無しさん:03/09/02 21:28
『コミュニタ』の評価として
宇野派経済学者による哲学論としては、超一級品と認められる。
高橋洋児や須藤修や広松系の『資本論を物象化論を視軸にして読む』の水準を
はるかに超えている。しかし、やっぱり経済学者の哲学論にとどまる。
哲学書そのものとして見た場合は2級どまりだろう。

652考える名無しさん:03/09/02 23:58
ところで青木信者は、青木の教えどおり町内会活動に精を出しておるか?
俺の地域に私的所有原理を妥当させるために、自民党の集票マシンになろうが
手段を問わない、地域エゴイズムの徹底追求の場に身を置いているか?
開かれた公共空間というものを認めない、厚かましい町内会のジジババ共を見てると、
この間までいた新左翼の団塊ジジイのような既視感に襲われないか?
653考える名無しさん:03/09/03 00:37
個か公かという対立自体が不毛。青木って本当に618みたいな事言ってるの?
アソシエーション的な考え方が批判されるとしたら、>>561-563みたいな、
ノリによる虐めみたいなものを生み出しうるからだと思うんだけど。
ネグリスレの方に出ていた稲葉によるネグリ批判を参考にするならば、
こういうものが悪いリゾームな訳で。一方でこれを否定するのに共同体の
論理も、リベラルな個人主義を持ってきても、実効性がないのは561-563にも書いてあるとおり。
今のところ身体強健氏の実体験にあったように、こちらも同じやり方で
悪い関係性から逃げ出すしかない。そういった強さを持たない人間が
どうしたらいいかというのが問題なわけで。
654考える名無しさん:03/09/03 01:08
652も、653も、かなりの誤解にもとづいて、
青木本の枝葉末節を針小棒大化してるね。
青木本に批判のカキコするんだったら、
少しでも『コミュニタ』」を読んだあとに書くのが
せめてものエチケットっていうもんでしょ。
ここはマジレスでもってるスレなんだから。
655考える名無しさん:03/09/03 01:43
いやだから、アンチも信者も拠って立つ基盤が同じだってことが言いたいんだが。
読んでいるはずの信者の意見を聞いても、561-563への対処の仕方がわからないし。
656考える名無しさん:03/09/03 02:15
内藤朝雄『いじめの社会理論』(柏書房,2001)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4760120882/250-9105492-4208228
に、「561-563」へのみごとな対処の仕方が書いてある。
ただ内藤ファンらしい身体強健さんに一言反論すると、
この完成度の高い本は「高校生にも理解できるようなシンプルな論理」ではない。
『学校が自由になる日』(雲母書房,2002)は一般向けの本だから、高校生にもわかって当然。
ムズカシイ本を軽蔑してはいけないよ。
ムズカシイ方も読んでしっかり勉強しよう。
657あーる・つー:03/09/04 00:28

 他のスレで勧められたので、来てみました。

> 608 :身体強健 :03/08/26
>  法物象化に対して、穂積なんとかという人が民法いでて忠考滅ぶ
> (今日のねむい講義で聞いたんだけど)と叫んだというけど、

 穂積八束だろ?中央大学の一号論文じゃないか?全然関係ないと
思うが・・・・。

> 646 :考える名無しさん :03/08/30
> 広松のまねして四肢構造論をしたり顔で展開する香

 今、広松を読む人なんてどれぐらいいるの?僕は「存在と意味」
の第2巻を発売直後にすぐ読んで、第一巻の方は未だに読んでない。
先ず、5000部しか出てないし、その中でも何人読んだのかな?

> 651 :考える名無しさん :03/09/02
> 宇野派経済学者による哲学論としては、超一級品と認められる。
> しかし、やっぱり経済学者の哲学論にとどまる。哲学書そのもの
> として見た場合は2級どまりだろう。

 これは、このスレの独自性だね。良いこと言うね。

--
http://members.goo.ne.jp/home/masamir2
658考える名無しさん:03/09/04 23:30
 何も、ここで止まらなくたって・・・・。

659考える名無しさん:03/09/05 18:22
青木さん肺ガンで死す。
660考える名無しさん:03/09/05 22:55
いいえ。
コミュニストの青木さんはお亡くなりになりましたが、
コミュニタリアンの青木さんはお元気です。
661考える名無しさん:03/09/06 19:38
コミュニズム死すともコミュニタリアニズムは死せず。
662考える名無しさん:03/09/06 21:35
もともとコミュニズムは全体主義だった。右も左も共同体を個に優先させる。
こいつら同じだよ。
663考える名無しさん:03/09/06 21:42
>>662
そそ。上の方で宮台の「転向」を評価しているヤシがいたけど、奴の転向は
別にその意味での転向ではない。ニーチェ的な個からその批判対象の
個への転向って意味ならそうなんだけど。
宮台は朝生でもはっきりと個を確立するためには何かに服従するしかない
といってるし。ニーチェ学者であるはずの西尾が精神分析の入門書レベルの
ことも知らないのには笑ったけど。
664考える名無しさん:03/09/06 21:43
>>662
ホント馬鹿ばっかりで困るよね。
665考える名無しさん:03/09/06 21:44
古くからの社稷という右翼概念を反芻すると、コミュニタリアンな人は咽び泣くだろうね。
古き良きアメリカの伝統などよりも、はるかに琴線に触れるだろう。
社稷という地点で右と左は合流し、一大全体主義勢力を形成する。
日本は神の国だよ。
666ファシスト:03/09/06 21:45
>>664
そうだね。
667考える名無しさん:03/09/06 21:48
何で宮台があんなに天皇に共振するのか。
それは宮台の青春がコミュニストだから。
根がコミュニストでない者は、天皇に咽び泣かない。
668サクラやってくれ:03/09/07 11:49
 宮台は、広松のパクリとしては露骨ですな!!
 ただ、「大衆化」させるのに、かなり骨を折っている。僕の疑問
としては、彼が、オープンすぎる点。もっと「左翼色」を隠すべき
では?
 以下のサイト2000ヒット行きます。日記にも書いたが、「若手芸
人」のあの芸風にはビックリ。何も今さら・・・・・。
--
http://members.goo.ne.jp/home/masamir2
669考える名無しさん:03/09/07 12:05
青木孝平はなにかの右翼団体みたいなのにつけねらわれているのか?www

ちょうどいいんじゃない?
670考える名無しさん:03/09/07 13:04
何かの間違いでは?
右翼に狙われていたのは、亡くなられた青木雄二さんです。

青木孝平さんは、左翼のSENKIや海つばめで攻撃されてはいますが、
政治的実践の嫌いな人のようですので、
誰にもつけねらわれることなんてないと思いますよ。
671考える名無しさん:03/09/08 23:37
今日、共産党板の宇野経済学スレに行ってみたら、頭のおかしな椰子ばっかで、ひでー目にあった。
それに比べてここは、散発的だけど鋭い核心に迫る議論ができる。
またどなたか、瞠目させる問題提起をお願いします。
私もどんどんレスしたいと思います。
672考える名無しさん:03/09/11 16:08
コミュニズムであれアソシエーショニズムであれ、宇野理論をつかって、
未来社会をポジティブに構想するのは、しょせん無理なはなしだ。
なぜなら宇野理論の論理構造はそのように造られていないからだ。
しかし、宇野理論を援用すれば、未来社会の理念が、
自由な個人の自立や平等な市民社会では決してあり得ないという、
ネガティブな社会像は導き出すことができる。
青木孝平は、こうした消去法による未来社会の構想を
コミュニタリアニズムと呼んだのだろう。
673考える名無しさん:03/09/11 23:37
一見かっこいいようだけど、
要するに、コミュニタリアニズムは何の具体性も展望もなくなく
単なるリベラリズムへのアンチテーゼに留まるということですね?
674考える名無しさん:03/09/11 23:49
>>637で外出
宇野の読み方としては正しい。それだけ。
675考える名無しさん:03/09/11 23:57
リベラリズムとコミュニタリアニズムのアウフヘーベンがコミュニズム
じゃねえの?w
676考える名無しさん:03/09/11 23:58
宇野の読み方として正しけりゃあ、りっぱなもんでしょが。
東大宇野派から柄谷まで、みんなリベラリズムにいかれちゃってんだから。
677考える名無しさん:03/09/12 00:22
>>675
だから、アウフヘーベンなんてのは、ヘーゲル的弁証法の世界のなかで
だけ通じる形而上学のお遊び。弁証法を否定したことだけが、カントの成果。
ヘーゲルではなく、カントや分析哲学に注目した柄谷は、この点だけ正しかったのだ。
678考える名無しさん:03/09/12 08:53
リベラルとコミュニタリアンの論争は、ドイツ観念論的な歴史の法則性や必然性を
否定するところから始まりました。柄谷も青木も歴史や経済から未来を予測しているのではなく、
優れて倫理的・規範的な選択として、アソシエーションやコミュニティを語っているのです。
ヘーゲル=マルクス主義の否定は共通の前提なのです。
679考える名無しさん:03/09/12 11:10
要するに、ようやくマルクスを読める社会環境が整ったということと思われ。
680考える名無しさん:03/09/12 15:41
>>674
>宇野の読み方としては正しい。それだけ。

これまではみんな、宇野を、科学的経済学の書物として読んできたんだから、
「それだけ」はないんじゃないの?
宇野を社会哲学として読むだけでも、「正しい」じゃなくて
思いっきり異端で、かなり画期的な読み方だと思うけど。

681考える名無しさん:03/09/12 15:51
>要するに、ようやくマルクスを読める社会環境が整ったということと思われ。

本当に社会環境が整ってるのかな?ほかのスレ挙げて恐縮だけど
たとえば、この板の「マルクスその可能性の中心」のOFWさんとか、
いまでもマルクスを読む環境は圧倒的にヘーゲル弁証法に侵されてると
思うよ。残念だけど。




682 :03/09/12 16:33
昔の左翼は、馬鹿な扇動に乗せられて労働組合や全学連で、
反日活動を繰り返す、国際共産主義を信じた、似非インテリが多かった。

最近の馬鹿サヨは、低脳が多くなり、主にヒキコモリ秋葉原系アニメヲタで
それでも、マジに国際共産主義をを信じてるとは恥ずかしくて言えないので、
2chねる用語を使いながら、隠れ共産主義者として、オナニーばかり。
反日マスコミを擁護するのが生き甲斐で、世論には低脳で立ち向かえないので、
2chで低脳コピペを繰り返すだけ。2chでしか鬱憤を晴らせない本当の馬鹿サヨに
落ちぶれたけど、反日カルトのオナニーを繰り返すのが特徴。

ゲラゲラ
683>>637を見れ:03/09/12 16:36
>>680

>要するに、コミュニタリアニズムは何の具体性も展望もなくなく
>単なるリベラリズムへのアンチテーゼに留まるということですね?

これを受けてのもの

>結局、マルクスのテキストクリティークによる解釈学内にとどまってる。
>どこまで挑発してみても、しょせん学会向けの専門書を超えられない。
>問題関心が狭いというのは、想定する読者がマルクスと宇野の読者だからだろう。
>「全体的に甘い」というのは、リベラル左派へのアンチテーゼにとどまり
>批判の言いっぱなし。結局ポジティブなものが何もない、ということだろう。

外出な場所





684考える名無しさん:03/09/12 16:37
確かに宇野の読者にとっては画期的
685Kurihara:03/09/12 19:12
確かに宇野の読者にだけは画期的
686考える名無しさん:03/09/12 19:14
真理
687Kurihara:03/09/12 19:19
渡辺真理
688考える名無しさん:03/09/12 19:20
渡辺真理菜
689684:03/09/12 19:40
>>685
つまりそういうこと。
690考える名無しさん:03/09/12 20:05
>>677>>678

カントから弁証法を否定する論理実証主義をうけつぎ、かつ
カントの超越論的主体の観念を否定するということ。
ヘーゲルの弁証法という形而上学を否定し、かつ
ヘーゲルの有機体的社会の観念を関係主義的に再構成するということ。
これが青木のいうコミュニタリアニズムだろう。
691考える名無しさん:03/09/12 21:09
コミュニタリアニズムは共通善を形成する構成的共同体という要件を
満たしている点ですばらしいと思った。
これは手段とか目的というような形而上学を完全に振切ったひとつの
唯物論でしょうね。
692考える名無しさん:03/09/12 21:28
昔の左翼は、馬鹿な扇動に乗せられて労働組合や全学連で、
反日活動を繰り返す、国際共産主義を信じた、似非インテリが多かった。

最近の馬鹿サヨは、低脳が多くなり、主にヒキコモリ秋葉原系アニメヲタで
それでも、マジに国際共産主義をを信じてるとは恥ずかしくて言えないので、
2chねる用語を使いながら、隠れ共産主義者として、オナニーばかり。
反日マスコミを擁護するのが生き甲斐で、世論には低脳で立ち向かえないので、
2chで低脳コピペを繰り返すだけ。2chでしか鬱憤を晴らせない本当の馬鹿サヨに
落ちぶれたけど、反日カルトのオナニーを繰り返すのが特徴。

ゲラゲラ
693OFW:03/09/14 19:10
>>681
 名前を参照されているので、そこだけちょっと。
>いまでもマルクスを読む環境は圧倒的にヘーゲル弁証法に侵されてる
 そうでしょうか?むしろ、ヘーゲル弁証法が見当たらないのが通例かと。
 そもそもヘーゲル自身が言うように、思考の運動における弁証法的契機
 と思弁的契機は対立する。つまり、ヘーゲル哲学の弁証法性と思弁性
 (形而上学性)とは対立する。ヘーゲルの功績は、主観的には後者の
 優位性を主張したことだが、客観的には前者の合理的な内容を明らかに
 したことです。しかし、未だに(>>690のように)「弁証法=形而上学」
 という誤解が後を絶たず、それが「マルクス主義は形而上学だ」という
 俗説、そしてその反射としての「弁証法は最高の科学だ」という見解に
 もつながっている。
 確かに、旧スターリン主義御用哲学は自らを「弁証法的唯物論」と呼び、
 その“絶対無謬の真理”を誇っていたが、実際には非弁証法的な観念論
 (神学)に過ぎなかったわけで、官僚支配の全体主義を共産主義と偽る
 ための“哲学的”粉飾といえます。その上で、マルクスを読むとは何か?
694考える名無しさん:03/09/15 10:46
OFWさん。
このスレにようこそ。お名前はあちこちで拝見してます。
ヘーゲル哲学における思弁=形而上学と弁証法の二面性を認めるにしても、
青木さんは前者だけでなく後者も批判の対象としているのではないでしょうか。
青木さんの本は、論理展開自体が前提そのものを否定していくような思考の運動自体を
認めません。この点を鋭く突いたのがカントによるヘーゲル批判であり、今日マルクス主義が
形而上学といわれるのは、たんにその神学的ドグマのせいだけではないように思います。
青木さんはカント的主体は否定しますが、カントの弁証法批判の論理は高く評価し
マルクスのテキストから弁証法論理を削ぎ落としたうえで、
分析哲学の論理実証主義によってマルクスの論理展開そのものの洗い直しを
行おうとしているのです。それがマルクス的コミュニズムの
リベラリズムとコミュニタリアニズムへの腑分けということであり、
後者の倫理的選択ということになります。


695考える名無しさん:03/09/15 12:01
>>694
青木さんのカント評価が少し気になったもので、ちょっとだけ失礼します。
初期ヘーゲルは『純理』の根本的テーマを「ア・プリオリな総合判断はどう
して可能か」というところに見ていたそうですが(カント自身そう考えてお
きながら躓いた)、このかなり重要なポイントにおいて、青木さんサイドか
らどのような評価(批判)を加えることができると思いますか?
696考える名無しさん:03/09/15 17:44
>>695 ご質問の意味が十分理解できません。
また、青木さんならどう答えるか、正直いって私には判りかねます。
でもヘーゲルは、アプリオリな総合判断を、端緒とか始原とか原基とかいわれる
実体の抽象に求め、その内部に矛盾の契機を認めることで概念の自己展開による
世界の総体的構成を果たそうとしたんじゃないんですか?
これに対してカントは、経験的実在としての物自体の存在を認めつつも、
人間の認識主観における感性的形式がそれに拘束されているため物自体の総合的判断に
到達することはできないと考えた。ここからカントは、逆に自然必然性から自由な
理性的存在としての自由な主体を導き出そうとしたんだと思います。
青木さんは、ヘーゲル的なアプリオリな実体も、カント的な理性的主体も、
ともに普遍主義として拒否して、対他反照的な関係拘束的世界像を構成しようとした。
だから「アプリオリな総合判断」はあらかじめ断念しているパティキュラリストなんだろうと
思います。たぶん的はずれな答えですいません。
697OFW:03/09/15 18:03
>>694
 どもです。
>この点を鋭く突いたのがカントによるヘーゲル批判
 時代的に合わないから、多分、カントによる弁証論批判のことでしょう
 が、そこがヘーゲルの良い所です。長くなるが、少し引用をば。
 「本節への註釈において述べたように、アンチノミーの指摘は、それが
  悟性的形而上学の硬直したドグマティズム(一面観)を除き、思惟の
  弁証法的運動に注意を向けさせた限りでは、哲学的認識の非常に重要
  な促進であったと言わなければならない・・・ところでアンチノミー
  の真実で積極的な意味は、あらゆる現実的なものは対立した規定を自分
  のうちに含んでおり、したがって、或る対象を認識、もっとはっきり
  言えば、概念的に把握するとは、対象を対立した規定の具体的統一と
  して意識することを意味する、ということにある。」
 (ヘーゲル『小論理学』48節補遺、岩波文庫)
 「思弁的」の積極的な意味は推論的という事であり、判断的理性(悟性)
 を超えて、対象の運動を事柄として、概念的に定着させることです。
698考える名無しさん:03/09/15 20:06
ご教示ありがとうございました。
>「思弁的」の積極的な意味は推論的という事であり、判断的理性(悟性)
 を超えて、対象の運動を事柄として、概念的に定着させることです。
これで思弁的の意味はようやく理解できまきた。しかし対象の運動を概念的に
把握するというのは、やはり論理実証的には形容矛盾の気がします。
けっきょく弁証法に対する評価(好み)の違いに終わるかもしれませんが、
私もヘーゲルを解説書でなく、原典で一度きちんと勉強したいと思います。
699:03/09/15 20:53
カント・ヘーゲル問題とコミュニタリアニズムの関係が、ド素人にはぜんぜんわかりゃせん。
700考える名無しさん:03/09/15 21:17
ttp://216.218.192.139/philo/kako/967/967096472.html
OFWを批判するなら、これぐらい読んでおきなよ。
弁証法スレは、過去ログ倉庫に見あたらないが…
701考える名無しさん:03/09/16 04:45
 ┌─────────┐
 │ 基地外警報!!!  |
 │   基地外警報!! |
 └―――──――――┘
      ヽ(´ー`)ノ
         (  へ)
          く

                     |\
┌──────────┘- \
│  気の触れた方が          \
│                     /
└──────────┐- /
      ヽ(´ー`).ノ       |/
        (  へ)
        く
                  - = ≡三                    |\
               - = ≡三  ┌──────────┘- \
               _ = ≡三    │                     \
                ̄ = ≡三    │     いらっしゃいます       /
               - = ≡三  └──────────┐- /
        (´ー`)        - = ≡三                     |/
      ( ヽ ヽ)
       /  >
702考える名無しさん:03/09/16 15:13
OFWはドゥルーズの『差異と反復』をどう見るの?
『アンチオイディプス』や『ミルプラトー』の基礎にある論理だし、
やはり「アプリオリな綜合判断」問題に答えようとしている。
もちろん弁証法批判の部分はヘーゲリアンには不評だと思うが、
「端緒における差異」を、
カントとヘーゲルの両者を見据えて考察している気がする。

ネグリやハートに欠けている論理がドゥルーズにはあると思うんだよね。
703考える名無しさん:03/09/16 15:21
>>702
OFWの考え方はドゥルーズに意外と似てると思うんだけど、そういう読み方をすると怒られるよw
704考える名無しさん:03/09/16 15:27
>>702
http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/1045010275/632n-637
こういう読み方をする人もいる。俺は、分子革命というのは「強者」の思想であって、
社会運動として広く展開していくってのは、夢物語だと思うんだけど。
705アソシエ:03/09/17 11:00
      アソシエ21  2003年9月号
[論説]マルクスはアソシエーショニストか?    青木 孝平
 いうまでもないことであるが、本紙は「アソシエ21」の機関紙である。
アソシエという名称には、この団体が社会的研究・実践をする結社であるという
意味にとどまらず、おそらく人類社会の未来をアソシエーション社会として展望
しようという意図が含まれているのであろう。じっさい多くの会員は、マルクスの
社会主義像を、レーニン型の階級独裁や国権的な計画経済としてではなく、
市民的自由と市場経済を肯定的に評価するアソシエーション社会として再構成
しようと考えているようである。アソシエ21という名称そのものが、まさに
こうした時代の流れに掉さすものといえるだろう。
 あらかじめ誤解のないように断っておくが、私自身、この会に賛同して
自由意志によって参加しており、研究集団としてのアソシエ21の存在意義に
なんら疑義があるわけではない。むしろこうした集いが最近とみに少なくなった
ことを残念に思っておりアソシエ21の発展を心から願う者の一人である。
しかしながら研究集団としてのアソシエ21の性格と人類社会も展望とでは、
まったく次元の異なることがらである。人類社会の未来が自由な個人の
アソシエーションにあり、カール・マルクスはアソシエーショニストであった
という最近の論調については、にわかに賛同しがたい。ここでは後者にテーマを
絞って、かいつまんで論じることにした。
706アソシエ:03/09/17 11:22
 たしかにマルクスにアソシエーショニストとみなしうる一面があるのは否定できない
事実であろう。
 たとえばマルクスは『資本論』の蓄積論において「自己の労働にもとづく所有」を
前提にし、その領有法則の転回によって資本主義的搾取を説明した。そしてさらに
否定の否定として「個人的所有の再建」というシェーマを導き出した。「自由で
平等な生産者たちのアソシエーション」こそがコミュニズムであるというわけである。
じじつマルクスは多くの著書の中でアソシエーションというタームを用いている。
最近では、初期マルクスの疎外論におけるアソシエーショニズム論の萌芽や、
中期の『共産党宣言』や同時期の諸論文におけるアソシエーション論について、
田畑稔や篠原敏昭、大藪龍介らによって精力的な文献研究が進められている。
 また英米のコーエン、エルスター、ローマーといったアナリティカル・マルキシストが
マルクスのテキストからヘーゲル的弁証法を消去し、ゲーム理論を使って
論理実証主義的にアソシエーション型社会主義の可能性を証明しようと試みている。
そのほかわが国でも柄谷行人によって、マルクスのテキストをカント的な定言命法に依拠
した主体の評価へとトランスクリティークする試みが企てられているのは周知のことであろう。
707アソシエ:03/09/17 11:51
 なるほど、かつてまことしやかに語られた「各人の自由な発展が万人の自由な発展の
条件であるような社会」ないしは「自由な個人性の発展がそのまな共同社会性の実現」
でありょうな社会主義像は、もはやこんにち成り立たない。それは伝統的形而上学ゆずりの
両義的であいまいな弁証法的レトリックでしかなく、具体的に構想されるべき
生活世界としてのいかなるリアリティも持たない。せいぜいひいき目にみても、
個人主義と全体主義の折衷的・中間的な社会像にしかならないであろう。じじつ
こうした社会を政治的に啓蒙し人工的に設計しようとしたソビエト・ロシアは、
無残にもその理念とは正反対のディストピアとなって消滅したのである。
 それゆえこんにち、マルクスのテキストをリベラルな個人主義の視点から再読し、
社会主義を自由な個人的所有者のアソシエーションと解するのは、たしかにひとつの
マルクスを救済する道ではある。とりわけ情報のボーダレスな拡大と資本の
グローバリゼーションの急速な進行を前に、あらゆる形而上学が崩壊し、いまや
形式論理的明晰性と数学的合理性だけが最後の哲学とされる現代にあって、
マルクスの思想についても時代にマッチした換骨奪胎がはかられるのは避けられない
のかもしれない。
 多くの論者によれば、マルクスは、アソシエーションを、ルソーの社会契約論に
依拠して、自由な個人が共通の目的のためにそれぞれの自由意志にもとづいて
資材や力能を拠出する協同組合型社会としてイメージしていたといわれる。そこには
まさに、個人の選好以前にどんな道徳的紐帯も認めず、個人の恣意のおもむくままに
完全にヴォランタリーに加入し離脱できるというリベラリズムの社会観が、
はしなくもそのままマルクスに投影されている。
708アソシエ:03/09/17 12:23
 しかしながらここで注意すべきは、こうした独立した個人を前提とし、その合意によって
社会の形成を説くリベラルな社会契約説は、同時に、マルクスが最も嫌悪し否定する
社会哲学でもあったという事実であろう。
 たとえば初期のマルクスは忠実なアリストテレス=ヘーゲルの使徒として、
「木材窃盗取締法」に反対してゲルマン共同体の古き善き入会慣行を擁護して
いたし、「離婚法案」による個人の気ままな離婚の自由化に反対して家族のもつ
人倫的共同性を説いていた。そして『ユダヤ人問題によせて』では、自由・平等・
所有・安全といった自然法的な人権を「孤立して自我に閉じこもった利己的人間の
権利」として全面的に批判する論陣を張ったのである。
 マルクスにとって人間とは一個の個人に内在する普遍的前提ではありえない。
有名なフォイエルバッハ・テーゼがいうように「人間はその現実性において
社会的諸関係の総体である」。それゆえ『資本論』は、人間を一定の利害関係を
担うかぎりで存在しうる経済的カテゴリーの人格化であるとし、個人がどんなに
諸関係を超越しているようにみえても、個人はやはり諸関係の産物であるという。
 自由な個人は一つのイデオロギーであり、共同体と共同体の排他的な関係性、
すなわち商品交換の前提でなく結果としてのみ構成される。したがって自由な
個人的所有者がまず自存し、それが社会契約を結んで関係に入るという
アソシエーショニズムは、マルクスにとって市場経済が共同体を全面的に破壊した
資本主義のフィクショナルなイデオロギーを超えるものではない。労働力の売買が
おこなわれる商品交換の部面こそが天賦の人権の楽園である。マルクスは自由・平等・
所有そしてベンサムを告発する。
709アソシエ:03/09/17 12:41
 このようにマルクスのテキストの中に反リベラリズム、反アソシエーショニズムの
言説もまたいくらでも見いだせるだろう。いうまでもないことだが、わが国における
マルクス理論の有力な系統である広松渉の「関係の第一次性」論は、なによりも
社会契約説的なリベラリズムの主体批判を意図したものであった。また一般には
近代科学主義の権化とみなされる宇野理論は、同時に、価値形態論の再構成によって
マルクスの商品論に残る「自己の労働にもとづく所有」の想定を消去するものであった。
宇野弘蔵が否定の否定による「個人的所有の再建」テーゼを全面否定したことは、
あらためて強調されてよいだろう。
 少なくともわが国においてアソシエーショニストとしてのマルクス像を打ち出そうと
するならば、宇野および広松の学説との対決が避けて通れない。こんにち現象学的社会学や
新古典派のミクロ理論、新制度派の強い影響のもとにマルクス理論のリベラリズム化が
進行しているだけに、この点の再確認は是非とも必要だろう。
710アソシエ:03/09/17 13:03
 最後に、20世紀末以降、英米系実証主義の中からもリベラリズムやアソシエーショニズムに
対して反省の論調が拡がっていることを指摘しておきたい。
 ロールズに始まる現代リベラリズムあるいはノージックに代表されるリバタリアニズムは、
個人の自立や自己決定権、私の身体と意思は私のものであるという自己所有権をまず
前提に置いた。周知のようにサンデルらのコミュニタリアンは、こうした人間観を
「負荷なき自我」と呼んで批判し、リベラリズムの市場的個人主義に対しては、
共同体の自己統治とアイデンティティの共有を可能にする制度の促進を提起し、
共同体ごとに異なる善の多様性を提起する。それは家族・地域・階級・民族など
多様な共同体への重層的帰属とそれぞれの価値の尊重を求めている。
コミュニタリアニズムは、決して単なる保守的復古思想ではない。むしろ
マルクスのリベラリズム批判につうじるラディカルな資本主義市場批判の
要素を含んでいる。
 私は、マルクス理論の中に、宇野や広松からコミュニタリアニズムにつながる
社会了解をみいだし、アソシエーショニズムとは逆のベクトルで再評価したいので
あるが、さて、こうした方向はやはりアソシエ21のめざすものとは相容れないので
あろうか。
711考える名無しさん:03/09/17 14:43
青木タソのロールズ理解が教科書レヴェルだということは分かった
712考える名無しさん:03/09/17 16:11
26: 青木孝平『コミュニタリアニズムへ』 (711)  27: 【サヨナラ】東浩紀スレッド20【人間】 (93)
 ┌─────────┐
 │ 基地外警報!!!  |
 │   基地外警報!! |
 └―――──――――┘
      ヽ(´ー`)ノ
         (  へ)
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        (´ー`)        - = ≡三                     |/
      ( ヽ ヽ)
       /  >
 
713考える名無しさん:03/09/17 17:29
意味不明
714考える名無しさん:03/09/17 17:41
アソシエさん。引用ありがとう。
青木本のガイストがよく分かりました。
アソシエ21への皮肉が利いてますね。
宇野や広松をコミュニタリアニズムに結びつける
斬新で大胆な構想がおもしろい。
まだ読んでないから、挑戦してみます。
多謝。
715考える名無しさん:03/09/17 18:21
 2: 【マルクス その可能性の中心in2ch P4】 (604) 3: 哲学は脳科学に吸収される訳だが… (765) 4: 【サヨナラ】東浩紀スレッド20【人間】 (97)
 5: この世界は因果関係に支配されている (51) 6: ・・・仏教の無我と真我は両立可能か・・・ (82) 7: (ワラワラ先生の哲学講座 (86) 8: それでも、数学やらないか? (149)
 9: 哲板住人は小泉支持? (16) 10: 宇宙はなぜ存在してる (43) 11: ●○● Aquirax: 浅田彰 part11●○● (614) 12: ◇死後の世界は何もない世界なのか。◇ (356) 13: おい、まだ哲学なんてやってるのかね、チミたち (86) 
14: 青木孝平『コミュニタリアニズムへ』 (714) 
716考える名無しさん:03/09/18 00:21
アソシエはリベラル左派集団なのに、なんで青木さんが入ってんだ?
そういえばフォーラム90では、青木さんがよく講師をしてたな。
717考える名無しさん:03/09/19 00:00
アソシエの的場か仲正か新田が、反論したら、おもしろいのになー。
718OFW:03/09/19 00:36
>>702
>ドゥルーズの『差異と反復』
 はツンドク状態で殆んど読んでいないが、『意味の論理学』などを読む
 と、ポストモダン系の思想家の中ではまともな方かと思われ。
 ただ、論理をレトリックに逃げるという、フランス知識人特有の悪い癖
 (比喩性)を共有しており、折角の論理的センスを殺しているような。
 哲学は、文学的(表象的)でも科学的(操作的)でもなく、概念的反省
 により存在の根拠(根源)に向かう知的営為ですが、それは常に後追い
 であり、概念が<真なる対象>を見出すためには、対象は既に存在して
 いなくてはならない。概念だけでの創造(例:器官なき身体)は不可能
 事です。
 自然に接近すればするほど、ドゥルーズが解放的になるのは、唯物論的
 な<生成する自然>が既にそこにあるためであり、反省的思弁は終わり
 にして、現実的実践に向かうべきことを示しているわけです。
 アプリオリな総合判断とて、アポステリオリ(経験)なしには不可能と。
 判断は推理(経験的現実の超越、自由への飛躍)に止揚されるもの。
719考える名無しさん:03/09/19 00:41
OFWさん、青木孝平さんの本もぜひ読んで、ご批判をお願いします。
720考える名無しさん:03/09/19 01:32
> 自然に接近すればするほど、ドゥルーズが解放的になるのは、唯物論的
>  な<生成する自然>が既にそこにあるためであり、反省的思弁は終わり
>  にして、現実的実践に向かうべきことを示しているわけです。
だからドゥルーズが好き。
721OFW:03/09/19 05:43
>>719
 少なくとも>>705-710の引用がホンモノなら、ちょっと・・・。
 「それは家族・地域・階級・民族など多様な共同体への重層的帰属と
  それぞれの価値の尊重を求めている。」
 といった平板さ(平凡さ?)は、まさに重層的な思考が不足している。
 <多様性>とは質的実在性を言いますから、4つの「共同体」は共同体
 というクラスのメンバー(種類)だということになるが、それらに
 「重層的」に帰属することは論理的に不可能であり、TPOに応じて
 選択的(ある時は家族の長として、また別のある時は町内会の世話役と
 して等々)にしか帰属できないはずです。そこにあるのは、役割社会
 (ゲゼルシャフト)という一つの共同体(ゲマインシャフト)??
722考える名無しさん:03/09/19 10:48
OFWさんへ。
>「それは家族・地域・階級・民族など多様な共同体への重層的帰属と
  それぞれの価値の尊重を求めている。」
これは青木の主張ではなく、ルソー=ロールズ的社会契約説に対する
サンデルの批判を紹介したものだと思います。
青木批判と、サンデルらアメリカン・コミュニタリアン批判とは区別するべきではないかと…。
それから「重層的」という言葉で表現しているのは、共同体は、人間が「選択的に帰属」する対象
であるなどという社会学的意味ではなく、逆に、多層的な諸関係のアンサンブルこそが
人間という主体を構成しているという、マルクスの唯物論的な人間観なのではないかと思います。
青木がマルクスとコミュニタリアニズムの親和性を見出したのは、その点ではないんでしょうか。



723OFW:03/09/20 13:00
>>722
>区別するべきではないかと…。
 詳細な批判には関心がないので、細かい区別はしなかったわけです。
 揚げ足をとる気はないが、「重層的」には青木氏の考えが入っていると
 するなら、両者の区別が曖昧になるのでは?
>マルクスの唯物論的な人間観
 とは「人間は自然の一部である」という唯物論一般の基本から始まり、
 社会的人間のあり方の基礎に物質的生産活動をみるものであり、それ
 が諸関係の寄せ集めではなく、一つの社会構造を形成するというもの。
>多層的な諸関係のアンサンブルこそが人間という主体を構成している
 のではなく、マルクス&エンゲルスが言うように、人間の“本質”が
 社会諸関係のアンサンブルなのです。主体である人間(諸個人)は構成
 され得ないが故に主体(構成するもの)と呼ばれるのであり、それ自体
 はアンサンブルではない。おおかたの学者もこの点を誤解しているよう
 で、本質概念なき現象論のためと、論理的思考が弱いためでしょう。
724854:03/09/22 02:31
ここ?
725考える名無しさん:03/09/22 15:34
OFWさん
「重層的」は、コミュニタリアン一般にみられる認識です。
個人はあらかじめ「構成する主体」である訳ではなく、逆に、重層的・複合的な共同体の負荷性こそが
主体性として構成されるという認識です。つまり所属する重層的諸共同体の差異こそが個々人の
アイデンティティの固有性をつくりだすわけです。こうした重層的決定論は、アルチュセールなど
構造主義マルクシズムにも見られる唯物論のかなり基本的認識だと思います。
この点を理解されないOFWさんの「構成され得ない主体」というアプリオリな主体の措定は、
やはり現前の形而上学のそしりを免れ得ないと思います。
もちろんOFWさんのばあいは、それをヘーゲル・フォイエルバッハ・エンゲルス流の
労働生産過程中心の唯物史観や、さらには自然弁証法にまでさかのぼって基礎づけられている
ようですが、それがかえってマルクス固有の人間相互の関係性に定礎した物象化論を見失わせている
ように思われます。↑の青木さんの論説が言おうとしているのは、広松の関係主義や
宇野の形態主義こそが、物象化論に定礎したマルクス固有の唯物論であるという認識でしょう。
「本質概念なき」関係論こそ、ヘーゲル主義やエンゲルス主義という形而上学を克服した
マルクス自身の唯物論だと言っても、やはりヘーゲル的弁証法論者にはご理解いただけない
でしょうか?
726考える名無しさん:03/09/23 12:16
共同体って歴史的に見れば「貧しさ」を基盤に共有、共同、共働せざるを得ない
必然から、かなり自然発生的に生まれて来たものだろう。
そこでは一体感、共通性などもあるだろうがナチス・ドイツだって、相当な程度
共同体だったんだよな。
727考える名無しさん:03/09/23 14:27
>>726
共同体概念の誤解の典型。
ここで議論してるのは、コミューンじゃなくてコミュニティ。
728考える名無しさん:03/09/23 15:58
コミューンておおざっぱにいうと都市市民の自治共同体だろ。
コミュニティは地域において自然な要因に基づき形成されて来るもんだよな。
で、共同体感情やら共同体意識が育ってくるわけだ。
アソシエーションはあらかじめ目的を持ち人為的に作られるもんだが。
729考える名無しさん:03/09/23 16:11
要するにコミューンを地縁と考えたわけか。
730考える名無しさん:03/09/23 16:13
コミュニティが地縁だろ
731考える名無しさん:03/09/23 16:18
人間は自然の一部・・という表現はコミュニティとしての共同体に当てはまる
ものだが、共同体の基盤である自然がその生産力において国際競争という状況にあって無力なものに
なる。勿論伝統的生産ー生活様式もすたれる。人は根無し草となる。
732考える名無しさん:03/09/23 16:21
共同体感情やら共同体意識というのは山とか海の使用権の独占で
形成されるんじゃないか?
よそ者が入って来て山海の幸を採っていくのをしょっ引くわけよ。
733考える名無しさん:03/09/23 16:33
日本には欧米のような教会と中心としたコミュニティの「伝統」がないからね。
アメリカで物凄く発展したNPOだってこういうコミュニティの延長線上にあって、
かつ併存するという感じで、コミュニティ、コミューン、アソシエーションが対立
する構造になっていないようだけど。
734考える名無しさん:03/09/23 16:42
9.11テロと大停電で久々にコミュニティ感情が活性化したわけだ。
735考える名無しさん:03/09/23 16:43
日本には『世間』があるさ。
736考える名無しさん:03/09/23 16:50
俺の町では暴走族を青年団、消防団の頭にして見事に更正させたよ。
今ではお祭りや火事があると生き生きしてるよ。
737考える名無しさん:03/09/23 16:51
まったくピントのはずれた議論をしないでください。
ここで問題にしてるのは、リベラル、リバタリアンとコミュニタリアンの議論。
ま、それにマルクスがプラスされるけど。
要するに負荷なき自我の批判がコミュニタリアニズムだよ。

最近、青木孝平と同じスタンスで、一般向けの入門書が出たので紹介します。
小浜逸郎『なぜ私はここに「いる」のかー結婚・家族・国家の意味』
PHP新書。青木孝平が難しくて読めないなら、せめて、このくらい読んでから
カキコしてください。
738考える名無しさん:03/09/23 16:52
日本の伝統的コミュニティは農林漁業やら陶磁器、織物、その他昔からの
地場産業と密着して存在してきたものだろう。
739考える名無しさん:03/09/23 16:54
負荷なき自我ってOFW氏の言う「主体」と重ならない?
740考える名無しさん:03/09/23 17:12
>>737
>まったくピントのはずれた議論をしないでください

そんなことないと思うけど。
印象悪いよ君ぃ
2ちゃんねるだからいいけどさ
741考える名無しさん:03/09/23 17:38
ノージックや森村進みたいなリバタリアンには「負荷なき自我」という批判は当てはまるだろうが、
ロールズ、ドゥオーキンや井上達夫みたいなリベラルには当てはまらないんじゃない?
自説に説得力をもたせるための「ためにする批判」というレベルでしかないと思うがなあ
742考える名無しさん:03/09/23 18:06
だって、もともと「負荷なき自我」は、サンデルがロールズ批判するときに使った言葉でしょ。
ロールズも含めて、社会契約論的世界観のア・プリオリな前提をシンボリックに表現する言葉だと思うけど。
たしかに青木が、この概念をマルクス解釈に転用したのは、やや強引な気もするが。

743考える名無しさん:03/09/23 18:14
青木がハイエクを新自由主義イデオロギーの代弁者と吐き捨てるように
切り捨てたのは妥当だと思う。
744考える名無しさん:03/09/23 18:41
青木の共同体からすれば、国家などというのは「フィクショナルな幻想共同体」
なので、結構好感が持てますね。
745考える名無しさん:03/09/23 18:54
そもそも「負荷なき自我」なんて現実に存在するのか?
いじめに加わらないと仲間はずれになるからいじめに参加して人を殺した
なんて事件をみても「負荷なき自我」なんてないわけで。
DQNにはDQN共同体のDQNな負荷がかかっている。
ヒキコモリだっておそらく家族や親戚やご近所さんの白い目に晒されて負
荷がかかっているだろうし。
746考える名無しさん:03/09/23 18:56
このスレ気に入りました
747考える名無しさん:03/09/23 19:41
インテリぶらない、こういう素朴な理解は、意外にあたってると思う。
748考える名無しさん:03/09/23 20:15
ぐぐったら、ミヤディーの「無垢の主体」批判を発見。
小浜を薦めているひとがいるけれど、こっちを読んだほうがいいのでは。

> 僕たちはどのように振る舞っても、必ず一定のシステムに無自覚に貢献して
> おり、かつ、そのシステムに無自覚にサポートされています。
> このことをわきまえない輩が、いまだに近代の外に出られると夢想したり、
> システムに汚染されない「無垢な主体」たりうると夢想したりするのが昨今
> です。こういう「絶望が足りない」ヌルイ連中を、早急に取り除くことが、
> 一刻も早く必要です。
> 僕たちは、近代を徹底する以外に――近代に内在することを通じて近代が生
> み出し続ける問題に永続的に対処し続ける以外に――道は一切ありません。
> 近代への内在は僕たちに「無垢な主体」であることを許しません。こう言う
> と勇気が挫かれますが、そういう輩は寝てればいい。どうせ「汚れ」ている
> ならヤルっきゃない。
> 「絶望から出発しよう」(P167)
749考える名無しさん:03/09/23 20:30
>742
そのサンデルも後でその批判がロールズに対する誤解だったって認めてるよね
サンデル自身が取り消した批判を今更持ち出すことに意味があるとは思えない
この辺のロールズに対する誤解は渡辺幹雄が繰り返し指摘している
750考える名無しさん:03/09/23 21:15
>>748
ハイデガーもそのような先駆的決意性からナチス入りしたのだと思う。
751考える名無しさん:03/09/23 22:06
>>749
この論点は外出。ロールズもサンデルも、その後自説を大きく変更した
のは、確かですが、主体から社会関係を説く社会契約論と、社会関係による
主体の構成性を説くコミュニタリアンの対立の構図そのものが解消されたわけでは
ありません。

>>750
青木さんが、全体主義への希求が、関係の紐帯をイデオロギー的に剥離された
負荷なき自我の挫折と無機的個人の焦燥から生じると指摘している論点では……。
752考える名無しさん:03/09/23 22:38
ロールズは「主体から社会関係を説く社会契約論」なんてことは全く主張していないでしょ
ロールズはゼロから社会を構成するなんてこを言っているのではなくて
今、現に存在している制度の正・不正の識別基準を問題にしているんじゃないの
753考える名無しさん:03/09/23 22:54
>>751
>>負荷なき自我の挫折と無機的個人の焦燥から・・・
全体主義、ファシズムへの傾斜は、崩れた共同体が規範の自明性を失い、
その正当性を伝統文化や民族、宗教、国家に依拠しようとするところにあるのでは?

754考える名無しさん:03/09/23 23:00
だからその識別基準の中立性を保つために「無知のベール」をかぶせるという
方法的手続きの無理を、コミュニタリアンは「負荷なき自我」と呼ぶわけでしょ。
それに社会契約論の問題性は、単にロールズ一人のことじゃなく、方法論的個人主義を
採るリベラリズム全体に対する批判です。(リベラルもリバタリアンもミクロ経済学も
分析派マルクス主義も功利主義も含む。)
755考える名無しさん:03/09/23 23:10
>>753
言いたいことは同じかもしれませんが、共同体規範の自明性が崩れるということは、
依拠すべき伝統文化や民族、宗教、国家の正当性そのものが崩れるということでは……。
これを青木さんはハンナ・アレントに依拠して負荷なき個人の挫折と焦燥と表現していると
思うんですが。
756考える名無しさん:03/09/23 23:10
個人主義の優位が共同体を突き崩す。共同体の崩壊と無機的個人の焦燥は
表裏一体だ。土着性の喪失・デラシネ・・・
757考える名無しさん:03/09/23 23:30
別に大した事言ってないのに何を宮台は興奮してるのだろう・・
758考える名無しさん:03/09/23 23:33
>736
俺の高校ではヤンキーを体制側に抱き込むために彼らを応援団に入隊させるという伝統があったが、一般の学生はえらい迷惑だったよ。
やつら金髪狩りと称して自分らが金髪であるにもかかわらずバリカンで一般性との頭刈るんだぜ?
公的判断からという名目があるので学校側は何も言わない。

・・・で君たち何の話をしてるの?
759考える名無しさん:03/09/23 23:39
回覧版とか自治会夏祭りとかゴミ当番を盛り上げようっていう話だったっけ?
760考える名無しさん:03/09/24 01:16
コミュニティには聖なる次元が不可欠だ。共同体は個人の寄せ集め以上のものだ。
761考える名無しさん:03/09/24 01:43
>754
「中立性」という語によって何を言わんとしているのかがはっきりしませんが、
それがあらゆる共同体的規範を超越した「普遍性」を意味しているのであれば、
反省的均衡では、「我々の(強調)」道徳判断、そこから帰納された道徳原理、背景理論の
三者の相互調整によって正義原理が導出されるのだから、それは誤解でしょう。
原初状態において判断する自我は、我々の共同体の道徳規範によって「位置づけ」
られているのだから。
そもそも、「無知のヴェール」というのは「公正性」や「相互性」を担保するために導入
されているに過ぎないのであって、正義原理を普遍化するために導入されている訳
ではありません(ひょっとして「中立性」というのがこの「公正性」や「相互性」の方を
意味していたのなら、「公正性」や「相互性」も認めないということでしょうか)。
逆に質問させてもらえば、コミュニタリアン側からある制度の正・不正を判断するのに
何か代替案を提示できますか?
762考える名無しさん:03/09/24 02:14
>>761
コミュニタリアンではないが、
「無知のヴェール」てのは自己の利害得失、身分、来歴などに関する「エポケー」
 だね。もっともらしいが、「無意識的動機」が働いていることを除外できないね。
 つまり、欺瞞的な前提だ。
763考える名無しさん:03/09/24 03:02
>762
もちろん、「無知のヴェール」というのが欺瞞的だというのはそうかもしれないのですが、
青木氏の批判は、「無知のヴェール」=「正義原理の普遍化」という誤解に基づいている
ように思われるんですね。
「無知のヴェール」というアイデアが誤りだとしても、誤った批判は議論を混乱させるだけ
なので、指摘はしておくべきでしょう。
もっとも、リベラルでもコミュニタリアンでもない自分にそんな義理はないのかもしれませんが。
764考える名無しさん:03/09/24 23:14
>>763
そんなにロールズだけにこだわって青木批判されても困るんだよね。
青木氏の本を読んでたら分かると思うけど、ロールズひとりを取り上げてるわけじゃ
なくって、リベラルとコミュニタリアンの全体的な対立を整理する文脈で書かれているんで、
とくにロールズの検討なんてどこにもしちゃいないんだよね。
しかも個人の「普遍化」を批判してるってのもイイガカリで、青木氏はそこに方法論的個人主義の特権化が
あるっていってるだけでしょ。
しかも、おまけに、それは、マルクスの中にリベラルとコミュニタリアンそれぞれの要素を見出して、
マルクスのテキストを両者に腑分けするための、いってみれば「まえふり」でしょ。
なんたって、この本は、マルクスを再構成し再評価するために書かれたマルクス主義の本なんだからね。
この本は体系的記述を目指す本なんだから、体系構成から離れて、ロールズ記述を問題にするのは、
それこそ本の評価として「公正性」に欠け、フェアじゃないと思うんだけどなあ。
765考える名無しさん:03/09/25 00:53
「無知のヴェール」=「負荷なき自我」というのはロールズの「普遍主義」を批判するもの
であるのはサンデルに照らしても明らかでしょう。
ここから普遍主義対共同体主義という図式が描かれるようになったのだから。
また、公正をいうのであれば、論敵を矮小化されたイメージに基づいて十把一絡げに
批判することが公正と言えますか。
いずれにしろ、不毛な議論に陥っているのでもうレスは止めます。
766考える名無しさん:03/09/26 18:14
だから、町内会活動に参加しない香具師を、「この負荷なき自我を絶対化するリベラルめっ」
と糾弾する町内会ファシズムというのが結論
767考える名無しさん:03/09/26 21:55
いくら何でもそこまで酷くはないと思うが。
このスレが例えそうだとしても。
768考える名無しさん:03/09/27 01:47
>>766
ロシア革命初期のボルシェヴィキがそんな感じだよな
769考える名無しさん:03/09/27 13:06
経済理論学会年報 第40巻 2003年 青木書店
 書評 青木孝平著『コミュニタリアニズムへ』(2002年)
                       松井暁(立命館大学)
コミュニタリアニズムという概念は、本学会では馴染みが薄いかもしれない。現代世界、
特に福祉国家資本主義の国々では、市場経済の拡張化と官僚制の肥大化によって、地域
や家族が破壊されて個人はアトム化されて、人間の善き生が喪失している。ところが
価値に対する中立性の態度をとり、個人の自由、権利、正義を形式的に擁護するリベラリズムは
無力であるどころか、むしろ事態を悪化させている。コミュニタリアニズムは、こうした
問題意識から出発する。それは、「家族から地域や階級、民族までを含む多様な共同体への
重層的な帰属とそれぞれの価値の尊重を求める社会哲学」(本書4頁)である。
コミュニタリアニズムの概念は、歴史的にはコミュニズムとほぼ同義で用いられることも
あったが、本書で取り上げられているのは、1980年代以降、英米圏でM・サンデル、
A・マッキンタイア、Ch・テイラーらによって提唱された現代の社会思想を指し、
コミュニズムとは区別される。コミュニズムないし社会主義は、資本主義による経済発展と
現代化を前提として展望されており、伝統的共同体に対しては否定的立場をとる。近年
台頭しつつあるアソシエーショニズムは、従来の社会主義における国家志向を排除し、
市民による自発的アソシエーションを基盤とした社会構想を提示している。市場と国家の
両方に批判的で中間社会に基軸をおくところはコミュニタリアニズムと近いが、原理的には
伝統的共同体でなく、自発的アソシエーションを基盤にする点で異なる。思想の左右の基準を
保守と進歩におくとすれば、コミュニタリアニズムは共同体の伝統と歴史を重視し保守的要素
をも含んでいる点で、左翼として一括することはできない。実際、その提唱者には保守主義者
から社会主義者まで含まれており多様である。
770考える名無しさん:03/09/27 13:41
著者青木氏によれば、コミュニズムが衰退した現在、それがリベラリズムとコミュニタリアニズムに
分岐していくのは、必然の帰結である。著者は、マルクスとマルクス主義の中からこうしたコミュニタリアニズム
の要素を抽出し、コミュニズムではなく、この思想をもってリベラリズムに対抗することを主張している。
第1部では、80年代以降のリベラリズムとコミュニタリアニズムの論争をまず検討した上で、
そもそもマルクスの考えの中に両者への志向が並存していたことを看取する。そして現代マルクス主義において、
リベラリズムの方に接近していった代表として分析的マルクス主義をとりあげ、それとは逆のコミュニタリアニズム
への志向の萌芽を宇野理論の中に見出している。第2部では、コミュニタリアニズムの観点から、
エンゲルスの家族論、マルクス『資本論』の商品所有・土地所有論、日本資本主義論争における国家論の
再読が試みられる。唯物史観に見られる進化主義的思考を払拭し、資本主義商品経済を基礎とした関係構造の問題
という視点からすれば、家族、所有、国家は、市場経済というゲゼルシャフトリッヒな関係に規定される
「主体」として把握することができる。第3部では、マルクス主義に近年みられるリベラリズム・
イデオロギーの典型であるポスト・マルクス主義と、現代日本において生きる「共同体」として
賞賛される会社共同体論が批判的に検証される。以上が本書の概要である。
ポリティカル・エコノミーにおける規範的倫理的要素を重視すべきことを訴えてきた評者は、
従来は社会思想方面でのみ取り上げられてきたコミュニタリアニズムに着目し、単にこれを
紹介・整理するにとどまらず、マルクス主義、マルクス経済学との関係を綿密に検討した点で、
本書は画期的貢献であると評価している。ただし評者はまた、社会主義における
個人主義的要素をより尊重すべきであるという見解をもっており、この点では著者と正反対の
立場に位置していることになる。これらの点をまず読者に了解していただいた上で、
以下、素朴な感想を述べたい。
771考える名無しさん:03/09/27 14:18
第1に、著者はマルクスのテキストにリベラリズムとコミュニタリアニズムの両方の要素を見出した上で、
結局それらは分岐していかざるをえないと判定している。著者のマルクス読解は、自らの標榜する
コミュニタリアニズムに合致する都合のよい箇所を引用して満足するというものではなく、逆の
リベラリズムの要素も見出している点で、公平な姿勢が保たれている。
周知のように、著者はこれまで法の物神性という視点から所有理論に関する貴重な成果を発表してきたが、
本書ではこの所有理論こそがリベラリズムとコミュニタリアニズムを分かつ基準になっている。
マルクスは一方で、搾取論を資本主義批判の最大の論拠としてきたが、そこには自己労働に基づく所有
というリベラリズムと同様の所有観が前提とされてきた。ところが他方でマルクスは、人間相互の
人格的依存関係を新たに形成する共産主義社会を展望しており、それは個人の権利、所有といった
リベラルなイデオロギーを超克した社会として理解されていた。著者によれば、これらの両者は
「けっきょく両立不可能なアンチノミーであり、マルクスのコミュニズムのヴィジョンをきわめて
あいまいで実現困難なイデオロギーにしてしまった一つの大きな原因であった」(94頁)。
評者も著者と同様に自らのマルクス読解が「改釈」であることを認めるものの、著者のように
リベラリズムとコミュニタリアニズムを分割して前者を切り捨てて後者のみを取り出すよりも、
二つの方向性をどのように統一すべきかという問題設定をした方が生産的であると考えている。
所有に関して言えば、マルクスの搾取論はあえて自己所有権というリベラリズムの基本概念に
依拠しながら、生産手段の不平等に由来する搾取のメカニズムを解明することによって、
リベラリズムの矛盾を内在的に導出しようとしたのではないか。すなわち、所有一般を超越的に
批判するにとどまらず、まず外的資産の不平等を照射するために自己所有権をいったんは前提とし、
その上で内的資産の不平等を問題にするという段階的方法がとられていたのではないかと
理解している。
772考える名無しさん:03/09/27 14:55
なお、著者はマルクスをリベラリズム的に徹底した一つの到達点として分析的マルクス主義を
挙げ、これを批判しているが、著者が本書で多用している自己所有権という視点は、分析的
マルクス主義において平等主義を外的資産から内的資産へと深化させていく過程で獲得された
ものであることを指摘しておきたい。著者は、近代社会における法の物神性という視点から
自然法的な自己所有権という社会規範が資本主義的なイデオロギーに過ぎないことを強調している。
しかしコミュニタリアニズムという社会構想をより実現可能にするためにも、物神性の解明に
とどまらず、現代の資本主義社会における人々の個人主義的な意識とそれを反映した社会規範を
前提にした上で、どのようにそこから少しでもより平等で共同が可能な社会へと接近していくかという
アプローチも必要ではないだろうか。
第2に、本書の特色は、コミュニタリアニズム論を規範的に展開するのみならず、
戦前の国家における擬似共同体や現代の会社における幻想共同体の分析にみられるように、
実証的分析のツールとしても活用している点にある。著者の鋭い分析によれば、こうした
擬似的幻想的共同体は、市場経済化によって社会がアトム化された個人へと解体していく過程で、
これを一時的に避難させる場所、もしくは体制による統合手段にほかならなかった。これに対し
著者は、真に人間存在に帰属を与える共同体関係を構築することを訴える。では真の共同体とは
何か。著者は終章で、「どこまでも人間の自由意志による契約的な社会関係を説くものではなく、
社会関係による主体の構成と創造性を説くロジック」(461頁)とし、一つの身近な例として
家族や町内会をあげている。しかし率直にいって、これだけでは著者の言うコミュニティを
基盤とした社会のポジティブなイメージがいまひとつ伝わってこない。コミュニタリアニズムが
将来社会の一つであるコミュニズムに取って代わるというのであれば、国家、市場、アソシエーション
といった現存するセクターとの関係はどのようになるのかという点など、もう少し具体的に
説明すべきではないだろうか。
773考える名無しさん:03/09/27 15:13
また、コミュニタリアニズム自体の評価について、公平にもその負の側面、特に保守主義ではないか
という点が検討されているものの、そこでは上記の主唱者たちの弁論が提示されているのみで、
現存する伝統的共同体に見られる保守主義の問題が十分取り上げられていないように思われる。
さらにいえば、著者は従来のコミュニズムを超克する思想としてコミュニタリアニズムを
唱道しているが、これまでの共産主義を標榜した体制、組織、運動の中に伝統的共同体のもつ
非合理性や閉鎖性が残存していたことも、その失敗の一つの要因であったと評者は認識している。
著者の公平な姿勢を一貫するとすれば、コミュニタリアニズムの抱える負の側面を直視し、
それがいかに克服されるべきかという論理構成をとった方がかえって著者の提案をいっそう
説得的にしたと思われるが、いかがであろうか。
以上、批判的なコメントが図らずして多くなってしまったが、それは本書が新しい社会を
展望する上で、決して避けて通れない重大な課題を提起していることに起因している。
最後にこの点を確認して結びとしたい。
774考える名無しさん:03/09/27 15:41
  書評へのリプライ          青木孝平

松井暁氏より拙著に対して丁寧な書評をいただいた。著者と評者とでは根本的にスタンスが
異なるにもかかわらず、冷静かつ公正な視点にたって率直な評価をいただいたことに、まず
なによりも敬意を表したい。
コミュニタリアニズムの意義、それとマルクス主義およびマルクス経済学との関係については、
その規範的・倫理的な側面もふくめて、きわめて的確に拙著の紹介をしていただいたので、
大筋において異論はない。紙幅の関係上、ここでは評者から提起された二つの根本的な問題に
的を絞ってリピライを試みることにしたい。
第1に、たしかに拙著は、マルクスのテキストの中にリベラリズムとコミュニタリアニズムという
両立不可能な志向が並存することを指摘し、マルクスのコミュニズムはけっきょくこの両者に
分岐していかざるを得ないと述べた。これに対して評者は、両者を分割して後者を取り出すのでなく、
あくまでも二つの方向性を「生産的」に「統一」することの必要を強調されている。そして
評者はマルクスの搾取論を擁護し、自己所有権というリベラリズムの主体概念を前提としてこそ、
生産手段の不平等に由来するリベラリズムの矛盾を内在的に克服することができるという。
こうした議論にかつての「領有法則の転回」や「否定の否定」を思い起こし、分析哲学的な
論理実証主義よりもなお弁証法的な思考のなごりを感じてしまうのは、私の誤解であろうか。
弁証法的ロジックを伝統的形而上学ゆずりの曖昧で両義的な議論として厳しく斥けたのが、
ほかでもない評者の依拠する分析的マルクス主義ではなかったか。

775考える名無しさん:03/09/27 16:10
私が拙著でなによりも批判しようとしたのは、自由な主体の存在をあらかじめ前提とし、
そのミクロ的行為の集積から現実の経済関係を構成しようとする方法論的個人主義、および
そこから平等な社会システムへの接近を展望する倫理的個人主義であった。こんにち分析的
マルクス主義のみならず宇野学派の主潮流までもが、新古典派や新制度派をまねたこうした
「主体の行動」というア・プリオリな前提を共有しており、マルクス経済学の危機は深い。
この前提そのものを「負荷なき自我」と呼んで批判したのがコミュニタリアニズムであり、
そしてまた、こうした主体観の転倒性を「人間は社会関係の総体である」という視点から
批判したのがマルクス理論の原点であったと思うのである。
第2に、評者は、私のコミュニタリアニズム論について、国家・市場・アソシエーション
など諸セクターとの関係が具体的に説明されておらず、新しい社会としてのポジティブな
イメージが十分に伝わってこないと批判しておられる。たしかにコミュニタリアニズムを
未来社会の設計図として理解するならば至極もっともな指摘であり、評者の批判を甘受
すべきかもしれない。だが私は、家族から始まり近隣・地域集団・階級や民族をへて
国際社会にいたる社会関係の総体を、個々人が人為的目的によってつくり任意に加入・離脱
できるアソシエーションとしてではなく、そこで共同的生活が営まれ、重層的で複合的な
人間のアイデンティティそのものを構成していくコミュニティとして理解している。
拙著のコミュニタリアニズム論は、個人が設計的につくりだす将来社会の見取り図ではなく、
市場が生み出したアトム的個人を再び現実の社会関係の中に埋め込む、経済学のベクトル転換
のための社会哲学=倫理学である。
776考える名無しさん:03/09/27 16:32
このことは、評者が指摘するコミュニタリアニズムの「負の側面」にも当てはまるだろう。評者は、
かつての共産主義が失敗した原因の一つを伝統的共同体の非合理性や閉鎖性に求め、コミュニタリアニズムの
抱える保守主義という負の側面を直視し、その克服の方向性を検討すべきことを要請している。
だがリベラル/コミュニタリアン論争というプロブレマティクは、評者がなお思想の区分基準とする
進歩/保守、左/右という対立図式そのものが無効となったという共通了解のもとに開始されたのである。
共産主義の失敗といわれるものも、私は共同体的な保守主義に起因するものではなく、むしろ逆に、
人間が社会を人工的で理想的に編成することができるとする設計主義的な計画経済的社会観の破綻を
意味するのではないかと考えている。それは一見アメリカン・デモクラシーと対極にあるようにみえながら、
じつは同根の普遍主義という近代イデオロギーの所産だったのではないか。
仮に評者がいうように、私たちが追い求めるべき「新しい」社会の構想なるものが
ありうるとすれば、それはリベラル・デモクラシーによって世界を一元的に塗り尽くす
グローバルな普遍主義ではなく、それぞれに異なる文化の棲み分けと相互の尊重にもとづく
多文化主義なのではないだろうか。
777考える名無しさん:03/09/27 17:39
今はみんな賃労働して食っているわけだけど、コミュニタリアニズムって、
どうやってメシを食っていくの?
778考える名無しさん:03/09/27 17:53
町会費
779考える名無しさん:03/09/27 18:28
寺院を建立して、お布施で食っていく。
780考える名無しさん:03/09/27 18:32
>>777
貧窮院を頼る。
781考える名無しさん:03/09/27 21:17
>>777
ほんとのバカ。
哲学をメシの食い方としか考えんヤシに何もいう気がせん。
フェミでも、リベラルでも、エコロジでも、アナキでも、
どんな社会哲学でも、メシの食い方なんか定義する訳ないだろが。
782考える名無しさん:03/09/27 21:50
>>781
いや、オレは777getではないが、たとえば、
リベラル→福祉国家
マルクス主義→計画経済
市場アナキズム、リバタリアン→市場経済

というように、ある程度決まった経済体制を求める思想はある。
しかし、コミュニタリアニズムやナショナリズムは、あまり特定の経済体制を
求めないのではないか。
搾取されることもアイデンティティの一つ、とか、独裁してる側もされている側も
それぞれ共同体的にだな、幸せを感じて生きていける、そんな思想じゃない
んですかコミュニタリアニズムって。
不正と不正じゃないものの基準を決めて、それにそって社会を組織していく
という発想はない気がするけど、どうなの
783考える名無しさん:03/09/27 22:32
↑の論文を読んでください。
普遍主義的正義による設計主義的・組織的社会観を拒否する思想なのですから。
しいていえば、福祉国家と市場的個人のあいだに中間的共同体を編成していこうと
いう経済システムということになるでしょうか。
784考える名無しさん:03/09/27 22:37
具体的に何がやりたい訳?
785782:03/09/27 22:47
「普遍主義的正義」を求めないこと自体は別にいいんだけど、
個別的正義でも何でもいいから、何か基準がないとさ、よくわからない
わけ。
何とかについての自由を最大限保障し、何とかについての平等をこれくらい
保障するのが正しい、というような法律的にある程度厳密な話ができないと、
「まあ人間っていろんな要素からなってて、自由とか人権もその中の一つ
にすぎないんだから・・・」という普通で適当な話にしかならない。

その「中間的共同体」の中身は詰められていないし、市場を肯定する理由、
どんなタイプの福祉国家をどんな論理で正当化するのか、独裁的な政治
体制を否定する理由(または肯定する理由)、共産主義的な共同体が
共産主義的に運営されることを批判するのかしないのか、とか、疑問が
いろいろあるわけ
786考える名無しさん:03/09/27 22:49
だから、マルクスのいう、ほんもののコミュニズムを再生することです。
787考える名無しさん:03/09/28 03:32
また、あまりにも漠然とした答えだなw
788考える名無しさん:03/09/28 09:06
786は、アンチの騙り。
コミュタリアンならでの答えが、もう少し待てば書き込まれるはず。
789考える名無しさん:03/09/28 12:49
訳の分からん質問するなよ。問いが間違っていれば、答えはありえない。
その問い自体が間違いだと、↑で青木さん自身がいってるだろう。
人間が自由に人為的に社会を設計できるというアソシエーショニズムは
理性の傲慢であり、それこそがソ連の失敗を生んだと。
人間が社会をつくるのでなく、社会関係の負荷が人間を構成するというのが
コミュニタリアニズムだ。市場は普遍主義的正義というイデオロギーを
生み出すが、共同体は、それぞれに異なる多元的な文化を持っている。
こうした共同体の負荷を、正義ではなく善という。共同体ごとに異なる
善の多層的な構造が個々人のアイデンティティをつくる。
782=785は、コミュニタリアニズムも、リベラリズムと同じような
未来社会を設計する思想だと勝手に誤解して質問したのだろう。
せっかく↑に誰かが青木さんのリピライをコピペしてくれたんだから、
本とはいわないが、せめて↑の書評とリプライくらいじっくり読んでから、
カキコしてほしいものだ。
790考える名無しさん:03/09/28 12:52
哲板ってマルクス系だけが良スレ多いねぇ
791考える名無しさん:03/09/28 13:34
それはただの現状追認じゃないの?
コミュニタリアンってリベラルを批判するだけで代替案の提示はできない寄生虫ということですか?
792考える名無しさん:03/09/28 13:50
>結局、マルクスのテキストクリティークによる解釈学内にとどまってる。
>どこまで挑発してみても、しょせん学会向けの専門書を超えられない。
>問題関心が狭いというのは、想定する読者がマルクスと宇野の読者だからだろう。
>「全体的に甘い」というのは、リベラル左派へのアンチテーゼにとどまり
>批判の言いっぱなし。結局ポジティブなものが何もない、ということだろう。

外出
793782:03/09/28 15:57
「コミュニタリアニズムも、リベラリズムと同じような
未来社会を設計する思想だと勝手に誤解して質問したのだろう」

>>789は書いていて、未来社会を設計しない、未来には関与しない
ように読めるが、

「人間が自由に人為的に社会を設計できるというアソシエーショニズムは
理性の傲慢であり、それこそがソ連の失敗を生んだと」

この部分は、ソ連を設計主義的だと批判しており、少なくともソ連タイプの
未来社会構想には批判的である。つまり、未来の構想について(批判的に)
関与している。共同体と設計主義を対置しているように読める。

一般的に「設計主義批判」についてオレが疑問に思うのは、何が
設計主義的、人為的で、何が非設計主義的で自然的なのかの区別をどう
するのかが、分からないこと。
政府が税金を集め、年金やその他社会保険、社会保障に国庫負担を行う
こと、インフラを整えること等々の政府の活動は設計主義的なのか、
そうでないのかを理由をつけて指摘してくれませんか。
こういう政府の活動を拡大し延長していくと、ソ連のような経済体制
になると思えるだが、どこで線を引くのか。
GHQ改革、いまの構造改革、企業の中で部署を作り人員を配置すること、
こういう例のなかでどれが設計主義で、どれがそうでないか、選んで
くれませんか、理由とともに。
794考える名無しさん:03/09/28 15:58
そして、
自然にできた独裁政権、自然に生まれた人種差別、アパルトヘイト
を当然視する共同体、政治的自由が抑圧された伝統のなかで形成された
ソ連的社会、家父長制、市場の文化にどっぷりとつかった共同体などは、
設計主義的でないから、共同体の負荷だから、あなたは肯定すること
になると思いますが、それでいいですか?


「人間が社会をつくるのでなく、社会関係の負荷が人間を構成するというのが
コミュニタリアニズムだ。市場は普遍主義的正義というイデオロギーを
生み出すが、共同体は、それぞれに異なる多元的な文化を持っている。
こうした共同体の負荷を、正義ではなく善という。共同体ごとに異なる
善の多層的な構造が個々人のアイデンティティをつくる」

これは設計主義だけを取り除いて、後はすべて現実(の共同体の負荷)
を肯定する文面と受け取ってよいか?
795考える名無しさん:03/09/28 16:22
ここに真理がある!
http://www.x-wisu.com/a005/ao/
796考える名無しさん:03/09/28 18:08
>>793
あなたは哲学という学問について根本的な誤解があるようだ。
私の言う哲学は世界や人間の存在構造についての認識の構えであり、
世界や人間をどうすべきかという当為の次元の問題ではない。
つまりカント的な存在と当為の区別である。
それゆえ哲学から一律に個々の政策の当否を決定できるものではない。
もちろん私個人としては政治政策的な好みや価値判断を主張できる。
しかしそれがミュニタリアニズム一般から演繹される必然的政策などと
いえるわけがない。私と青木さんでは異なった個性をもつから好みも異なる。
ましてリベラルとコミュニタリアンは旧来の左右、革新と保守という
東西冷戦時代の対立軸が無効になったことを前提にして語られるべき
新たな社会認識の対抗軸である。だから↑の書評に書かれていたように、
コミュニタリアンの中には、旧来の区分では保守主義者も社会主義者もいる。
あなたの問いに一つひとつ答えてもよいが、私個人の政策的な好き嫌いを
つまり個人的信条を披瀝してもしょうがないでしょう。
どうか↑の書評やこれまでの書き込み、できたら青木さんの本をよんで
コミュニタリアニズムへの誤解を説いてから質問していただきたい。
797考える名無しさん:03/09/28 18:43
青木さん本人は以下の点に関してどういう考えを持っているんでしょうか?

1.望むべき経済体制の方向性はあるのかないのか?あるのならどういう内容か?
2.共同体内の(歴史的)変化があった場合、それをどう受け止めるべきか?判断基準は?
3.他の共同体を評価する基準あるいは原理はなにか?
4.他の共同体内で(歴史的)変化があった場合、それをどう受け止めるべきか?
798782:03/09/28 19:03
796は、
「あなたは哲学という学問について根本的な誤解があるようだ。
私の言う哲学は世界や人間の存在構造についての認識の構えであり、
世界や人間をどうすべきかという当為の次元の問題ではない」

というが、ソ連の失敗を批判し、設計的な将来構想を批判し、
リベラルによる社会構想や正義の判断を批判し、
市場による「普遍主義的正義というイデオロギー」の発生を批判し、
「共同体ごとに異なる善の多層的な構造」をたたえているかのような
あなたが、本当は「当為の次元の問題」に踏み込んでいないのだと読み
取る方が難しい。
「町内会」という政策提言までしている青木氏にたいしても、とくに
批判や留保をしているわけではない。

796は当為の次元の問題に実際上踏み込んでいるが、まあそれを話し
たくないというなら、別にいい。はじめから言わなければ、もっと
よかったかもしれないが。
799782:03/09/28 19:04
「つまりカント的な存在と当為の区別である。
それゆえ哲学から一律に個々の政策の当否を決定できるものではない。
もちろん私個人としては政治政策的な好みや価値判断を主張できる。
しかしそれがミュニタリアニズム一般から演繹される必然的政策などと
いえるわけがない」

少数の命題からはじまって、一律にすべて厳密に社会事象を判断できる
ようなことは無理としても、多少ともそういう作業をやるのが
政治哲学というものではないの? コミュニタリアニズムから演繹したか
何かして導いた、「町内会」とか言ってるんだし。

「ましてリベラルとコミュニタリアンは旧来の左右、革新と保守という
東西冷戦時代の対立軸が無効になったことを前提にして語られるべき
新たな社会認識の対抗軸である」

政策の違いには至らない、単なる社会認識の違いにとどまるのだと、
言いたいのかもしれないが、「社会認識」を「社会変革」とか「将来構想」
に置き換えてもそのまま通じるだろ。革新と保守は、社会認識のレベル
だけで対抗していたわけではない。
800考える名無しさん:03/09/28 20:01
>>797
あなたが青木さんの本を読んであなたご自身で判断してください。

>>798,799
共同体は文化的に負荷を帯びた多様な人間像を構成する。
これに対して共同体の間に始まる市場は、相互に置き換え可能な
同型で中性的・均質的・平等的、アトム的な個人をつくる。
資本主義はこのような人間観を普遍主義的に前提とし
その自由な合意で社会がつくられるというリベラリズムを生み出す。
だから、このような市場合理主義的な人間観と社会観に反対するというのが、
しいていえばコミュニタリアンに共通する「当為」だと言えば
言えなくもないかもしれないですね。
801考える名無しさん:03/09/29 09:21
>>797
青木孝平を理解しようと思ったら、コミュニタリアニズムの背景に宇野弘蔵とともに
広松渉の関係の第一次性論から最も大きな影響を受けていることを見抜かないとだめだろう。

20年ほど前、早稲田の院生だった青木が処女作『資本論と法原理』を出版したとき、
広松は見ず知らずでありながら、感心して当時の「朝日ジャーナル」に書評を書いた。
広松の著作がはじめて文庫本に収録されることになったとき、一冊目の講談社学術文庫
『唯物史観と国家論』に収録する解説を、広松は編集部の反対を押し切って自分で青木に
依頼した。広松は東大の弟子やとりまきのエピゴーネンの誰よりもよりも、
自分に逆らう青木を高く評価し、かわいがっていたといわれている。

802このスレに参加するのも嫌だね。:03/09/30 00:42
> 広松は東大の弟子やとりまきのエピゴーネンの誰よりもよりも、
> 自分に逆らう青木を高く評価し、かわいがっていたといわれている。
>
 開いたところに、丁度良いことが書いてあった。死の直前の退官
記念partyも、かわいそうなぐらい「クズ弟子」ばっかり来て
たみたいだね。まともな者はもう、行きたがらないだろう、あんな
ところ。
 あれは、「世話好き」の広松にも責任あるよ。だから、基本的に
は僕も、「広松の弟子」には近づきたくない。
 「存在と意味」は一体何人ぐらいまともに読んでるの?5000部ぐ
らいは出てるけど。

-----
試作HP ( Web site on trial)
http://members.goo.ne.jp/home/masamir2
803考える名無しさん:03/10/02 19:56
青木孝平は新しさを装ってはいるが、そのリベラリズム批判の姿勢は
良くも悪くも最も守旧的で、保守的な、古典的マルクス主義者のものだろう。
804考える名無しさん:03/10/02 23:53
さかさまだろ。
青木はマルクス主義を装ってるけれど、そのリベラリズム批判の姿勢は、
よくも悪しくも最も守旧的な、西部や佐伯と共通する保守主義者のものだろう。
805考える名無しさん:03/10/03 01:13
>>803
>>804
両者の総合だろ?
もちろん「弁証法的な」ものではないんだが。
806考える名無しさん:03/10/03 01:41
意味不明。弁証法じゃなきゃ、総合できる訳ないでしょ。
けっきょくマルクス主義者にも保守主義者にも、どっちにもなりきれないから
コミュニタリアンなんて名乗ってるんじゃないの?
807考える名無しさん:03/10/03 14:18
>>806
「ヘーゲル弁証法」に依拠しない総合は可能。
808考える名無しさん:03/10/03 16:08
ヘーゲル弁証法に依拠しないで総合すると、どんな青木孝平像になるのか、
具体的に803と804を総合してみてください。
809考える名無しさん:03/10/04 01:05
Analytical Marxism路線じゃないの?
810考える名無しさん:03/10/04 01:20
だから青木さんは、アナ・マル=リベラリズム左派だと切り捨てているでしょが。
811考える名無しさん:03/10/04 09:37
>>809
ぜんぜん流れが読めてませんね。
だから、現代マルクス理論の両極は
マルクスをリベラル化したのがアナリティカル・マルクス主義で、
マルクスをコミュニタリアン化したのが宇野理論だというのが、
青木本の主張なのです。
812考える名無しさん:03/10/04 10:03
その程度の認識で流れといわれてもな
813考える名無しさん:03/10/04 11:31
青木本よんでないんだったら、
せめて↑にある書評やリプライだけでも読んでから
カキコしたら。
814考える名無しさん:03/10/04 13:28
書評してるのが代表的アナリティカル・マルクス主義者の松井暁さんでしょ。
815考える名無しさん:03/10/04 16:17
商品化されてない労働ってどんなものがある?
家事労働、日曜大工、家庭菜園なんかそうかな?
自治会や町内会の役目を引き受けるのもそうか・・・
自分達で家を作るって人もたまにいるね。
816考える名無しさん:03/10/04 19:25
やっぱり誤解が絶えないな。
誰も商品化されない労働がいいなんて言ってないだろ。
それじゃまるで自給自足の個人主義じゃあないか。
コミュニタリアニズムのまったく逆だろが。
817DISCORD:03/10/05 08:00
今日「コミュニタリアニズムへ」を読み終えました。面白かった。特に家族論が
良かった。その他の部分でもはっとさせられる記述が多かった。
ただ、「人間を捨象した構造としての資本主義認識に徹する」ことがマルクスの
社会哲学の可能性なのだ、という結論は正しいが、今までさんざん言い尽くされ
てきたことであると思うし(マルクス自身も言っている)、また、彼には超越論的主体
とリベラルな主体の定義の混同が著しく見受けられる。カント-柄谷的にいえば、
超越論的主体とは「相対的他者の絶対性」なくしては成り立たない、単独-普遍的な
ものであり、リベラルな主体というのは「絶対的他者の相対性」を前提とした
特殊-一般的なものといえるであろう。青木氏の「近代思想の誤読」がここにはある。

818DISCORD:03/10/05 08:17
さらに「人間を捨象した構造」を問題にするといいながら、アトム化した
個人、負荷なき主体、からの脱却論になると、彼はあからさまに疎外論的で
あり、終末論的である。これは単によくない。青木氏はいいところまでいって
いるが、>>817でいったように、「近代的主体の二つの定義」の峻別が厳密
でないために、単に現状通念(アトム化し過ぎた貧相な主体)の批判に落ち着いて
しまっているのは残念なことだと思う。
819考える名無しさん:03/10/05 08:32
同意。ただ、「相対的他者の絶対性」と言うよりは「相対的他者との関係の絶対性」と
言った方が誤解が少ないかもしれない。
青木は個別性と単独性を(故意に?)混同している。
820考える名無しさん:03/10/05 15:46
>>818
このスレの上の方でとっくに外出。
821考える名無しさん:03/10/05 15:48
ただ、これは柄谷自身が日本的なポストモダンを批判するために、意図的に混同してる面があると思う。
822考える名無しさん:03/10/05 16:30
>青木は個別性と単独性を(故意に?)混同している。

混同というより、意識的に違いを否定しているのでは?

>彼には超越論的主体とリベラルな主体の定義の混同が著しく見受けられる。

たしかにそういえるかもしれない。しかし柄谷がカント的主体や単独者なるものを
生産者=消費者のアソシエーションに結びつけるときの「主体」は、どう読んでも
資本論の商品論を単純商品生産論に(故意に?}誤読したうえで、でっちあげられた
リベラルな主体に過ぎないのだから、青木がアソシエーションをコミュニタリアニズム
の立場から批判するためには、相手にあわせて故意に誤読・混同するのも許されるので
はないかな。要するにカントがけっきょく社会契約論を克服できなかったように、
柄谷の単独者では最終的にリベラリズム的倫理を超克できないということだ。

>彼はあからさまに疎外論的であり、終末論的である。これは単によくない。

この点はまったく同意。ただしそれは、二つの主体の峻別によって解決できる問題ではなく
広松的関係主義の徹底によって、主体の否定を突き詰めた構造的認識を推し進めることで
解決されるべきだろう。二つの定義の峻別は文学的レトリック以上のものではない。

ともあれDISCORDさん、ごくろうさん。



823考える名無しさん:03/10/05 16:34
|ι´Д`|っ < だめぽ
824考える名無しさん:03/10/05 16:34
>>822
>要するにカントがけっきょく社会契約論を克服できなかったように
このへん詳説プリーズ

ルソーを超えるのが難しいということですか?
825考える名無しさん:03/10/05 19:20
>>816
商品化されない労働は共同体にとって重要じゃないのかね?
826考える名無しさん:03/10/05 20:08
>>824
教科書的にいっても、カントはドイツ観念論の出発点というより
ホッブズ・ロックといったイギリス系経験論の到達点と位置づけるのが、
常識でしょう。青木さんの本でも、ヘーゲルがカントの家族論、社会論を
恥知らずな社会契約的アトミズムだとして激しく批判したいきさつが
書かれていたように思います。

>>825
労働力の商品化の克服のことだと思いますが、労働それ自体の問題ではなく、
商品経済的・契約的でない人間関係の構築こそが共同体にとって重要だと
思うのですが。
827考える名無しさん:03/10/05 23:04
DISCORDさんへ
カントの超越論的主体は「自己の意思が、常に普遍的法の原理として妥当するように
行為する」ことを自己に命じるトートロジカルな主体である訳ですが、これを前提に置くと
ロックやルソーのリベラルな経験論的主体よりもさらに固定的な社会契約論にならざるを
得ないと思います。マルクス的にいえば、価値形態論に価値実体を前提とする正統マルクス
主義への後退を意味する訳であり、柄谷氏は、ご自分の初期「マルクスその可能性の中心」の
構造主義的思考を自ら否定した結果になるのではないでしょうか。
この論点も外出だと叱られる気がしますので、詳しくはこのスレの初めの方をずーと
読み返してください。
それと青木さんの本の価値形態論を読み直してください。できればその感想や批判を
書いていただけるとありがたいです。
828考える名無しさん:03/10/05 23:15
>>820
自演でそこまでやることないよ
829DISCORD:03/10/06 00:52
みなさん、レスありがとうございます。カント的超越論的主体とリベラルな主体の
混同については、いろいろな意見があると思います。カントやマルクスを教科書
的に読むかラディカルに読むかの違いがまずあって、それに柄谷、青木その他の論
者のイデオロギーの問題が絡み、問題を複雑にしている観があります。実は僕は
その「イデオロギーの問題」がうまく整理されれば、柄谷と青木の位置は案外近い
ものだと思っています。柄谷は>>822さんのいうように、自分の現実的な運動のため
にいわば「でっちあげられたリベラルな主体」と読まれざるをえない記述をしている
し、青木は自分の時事的意見の表明のために西部ススム的共同体主義を安易に拝借し
ているように思う。そういうのは単に柄谷-青木の最良の部分を打ち消しあっている
ようで、とてももったいないような気がしています。
830DISCORD:03/10/06 01:00
ともあれ、>>827さんのいうように、青木の価値形態論を読みなおし、また、
宇野の著作も神田で探して、ある程度体系的に読んでみたいと思ってます。
それをふまえてまたレスしたいと思います。ありがとうございました。
831考える名無しさん:03/10/06 02:57
誰も廣松を読めていない・・・
832考える名無しさん:03/10/06 06:22
青木の本は、ここの宣伝効果もあって良く売れているようだね。
どの書店にも見当たらないので、注文したよ。
833考える名無しさん:03/10/06 09:46
やっと日本にも、マルクス主義の呪縛から完全に自由な
マルクスの本格的再評価が、この本で始まった気がした。
でもまだ宇野弘蔵主義がかなり残ってるような気がしたので、
ついでに宇野も古典として対象化できれば、さらに良いと思った。
834DISCORD:03/10/07 06:27
>>827さんへ 過渡的レス 青木の価値形態論の(というか第三章の)読み直しについて

 自分なりにもう一度精読してみました。あえて批判的に意見を述べてみたいと思
います。まず「占有」と「所有」の語義峻別の部分は非常に示唆的であったが、
うって変わってカントの超越論的主体とフッサールの超越論的主体の無峻別には、
正直あきれてしまった、という他はありません。下世話な言葉で言えば、哲学学の
貧困(哲学の貧困ではない)を感じました。また、彼は、交換の分析においてマルクス
が、「商品の交換比率から「蒸留法」に基いて使用価値を技術的に捨象しようとし
た」と書くことにより、人間理性の認識が二項弁別的認識と二項対立(実際は第三者
の潜む三項対立)的認識を任意に選択することが可能であり、マルクスは二項対立的
認識を選択したのだ、というニュアンスを含んでしまうように感じました。ここは
やはり、宇野が「価値論」で言っているように、「蒸留法」しか選べないという認識
の制限性を強調すべきだと思います。もちろん青木氏はこんなことは百も承知でしょ
うが。ただ、彼がコミュニタリアニズム的な結論を導くために、細かい記述的なニュ
アンスのレベルにおいて微妙なバイアスをかけてしまっている、という見方は穿ちす
ぎでしょうか。
835考える名無しさん:03/10/07 11:47
836考える名無しさん:03/10/07 22:14
>>834
>カントの超越論的主体とフッサールの超越論的主体の無峻別には、
正直あきれてしまった、という他はありません。

たしかに哲学史の常識から見れば荒唐無稽な非常識といえるでしょう。
でも多分青木さんは、広松的な関係の第一次性の立場から、関係に先立って
人間主体を先行させる西洋哲学の太い流れ全体を貫く思考法が、宇野価値形態論
にもみられる点を浮き彫りにするために、あえてデカルト・カント・フッサールの
共通性を指摘しているのだと善意に理解することもできると思います。

>宇野が「価値論」で言っているように、「蒸留法」しか選べないという認識
の制限性を強調すべきだと思います。

たしかにマルクスの「資本論」については認識の制限性としての蒸留法といえるかも
しれません。しかし宇野の「価値論」は、宇野理論確立以前の初期宇野の作品であり、
宇野「経済原論」における価値論では、蒸留法はおろか価値実体としての労働の抽象
そのものを否定しています。この実体なき形態論こそが宇野の最大の業績だと思います。
この形態としての資本主義論からリベラリズムの表層性=無根拠性を導き出したのが
青木のコミュニタリアリズムだと読めば、やはり「穿ちすぎ」でしょうか。
837考える名無しさん:03/10/08 00:21
青木の教養が狭くて深いことはさっさと認めとけ
じゃないと哲学以外のボロも露呈するよ
838DISCORD:03/10/08 07:07
反論されるとは思うがあえて極論。やはり、自分が誕生するかしないかを選択でき
ない限り、人間は負荷を負うものであり、その負荷だけあれば十分だと思う。その
うえ共同体の負荷がかかるのは嫌だ。例えば、性別の負荷が重しになるようなら、
売春をして、その金で好きな擬似共同体を買い戻すなり、性別の負荷を無効化せし
めるような文化的価値を作り出すなりしたほうが健全的、能動的な気がする。
変なレスでメンゴ。
839考える名無しさん:03/10/08 10:32
>>838
そんなことを柄谷が言ってると思われるのは嫌だw
840考える名無しさん:03/10/08 21:31
>>835
ほう、これはこれは、高杉公望こと新田滋さんによる宇野派本流からの批判ですか?

>青木氏のようにアソシエーション論とコミュニタリアニズムを正反対のものとして
>機械的に裁断することの意味するものは、コミュニタリアニズムの名のもとに
>アジア的な共同体をそのまま横滑りさせ、前近代的な諸要素を温存再生産する
>ことにほかならない。
>われわれは、宇野理論の一段階「革命」論を継承してゆくべきである。だが、
>その際必要なことは「革命」の中味の根柢的な再定義である。
>現在もとめられているのは、世界資本主義的グローバリゼーションにたいする
>一段階世界「革命」において、周辺的な大陸ヨーロッパ(仏独も含む)や日本や
>アジアの「革命」も構想してゆくことである。

コミュニタリアニズムは、アジア的・前近代的な諸要素への温存再生産への加担である、とか、
世界資本主義に対する一段階世界革命だとか、周辺的な日本やアジアの革命だとか、
相変わらず四半世紀前の、左翼用語が次から次へと踊っておりますな。
まあ、青木さんには相手にしてもらえないだろうなあ。

841DISCORD:03/10/08 23:31
>>839
838は俺の意見。俺は別に柄谷絶対主義者じゃないよ。青木よりも柄谷のほうが相対的に
いいと思ってるだけ。
>>840
俺は835の2、3あたりは言葉を厳密にすれば、ほぼ同意。
842考える名無しさん:03/10/09 12:21
843考える名無しさん:03/10/09 19:27
「町内会に出たことのない奴は社会哲学を語るなかれ。もし語った場合には、
近代主義的でアトミスティックな主体をアプリオリに想定し世界を把握した
気になっているそういうリベラルは絶対許さんぞ、覚えておけ!」
「なに、お前は町内会にも出たことがないくせにコミュニタリアニズムを理解し
支持しているというのか? まず日曜の朝に公園に行って挨拶してこい!
秋祭りの神輿はかならずかつげ、話はそれからだ」
というのが青木本の結論であることがわかってない香具師がいるな
844DISCORD:03/10/10 01:14
>>843
「そんな町内会なんてあっという間に資本にディコンストラクトされちゃうぜ!」
という認識から柄谷の話は始まってることがわかっていない香具師がいるな。
845考える名無しさん:03/10/11 00:38
838のDISCORDさんへ
>反論されるとは思うがあえて極論。やはり、自分が誕生するかしないかを選択でき
>ない限り、人間は負荷を負うものであり、その負荷だけあれば十分だと思う。

この点はまったく意義ありません。そのとおりです。しかし、そのあとがいただけません。

>そのうえ共同体の負荷がかかるのは嫌だ。

人間の誕生すなわち生きることそのものが、自己の意思から独立した社会関係によって負荷を
負っているのであり、コミュニタリアンは社会関係による自我の構成性を「共同体」という
用語にシンボライズさせているに過ぎません。だから共同体の負荷を「そのうえ」という
接続詞でつなぐことが文法的に間違いなのです。
つまり人間の生死や性別こそ、「自分が誕生するかしないかを選択できない」という負荷
そのものであり、マルクスの言葉を借りれば「人間は類として生まれ、類として死ぬ」
以外にありえないという存在拘束性そのものです。この帰属ある自我を善き生すなわち
アイデンティティと呼ぶのではないでしょうか。

846考える名無しさん:03/10/11 01:52
>>845
市場と民主主義、自由、平等、人権の尊重、さらに日本国憲法の平和主義(または
そのなし崩し的骨抜き)といった負荷がかかった共同体に生まれついた者は、
「帰るべき共同体」というようなものをあまり持っていない、または、いまの現実
そのものが共同体的負荷であり、それはあまりリベラルの考える負荷なき自我と
変わらないように思うのですが、コミュニタリアニズムはそういう個人や社会を
分析・解釈する際に、何か新しい視点を導入するのでしょうか。
847考える名無しさん:03/10/11 02:06
そういうグサッと来るようなことは問わない約束・・・ウグッ!
848DISCORD:03/10/11 02:20
>>845
レスありがとうございます。何か違和感があるのですが、うまく言葉に出来
ません。「共同体」「社会」などという言葉の問題であるかもしれないし、
また、バークVSカントのような主体論の問題であるのかもしれない。もしく
は歴史の不可逆性の問題かもしれない。ともかく熟孝してまた書きます。
ありがとうございました。

849DISCORD:03/10/11 02:30
>>848 熟孝ではなく熟考
訂正ついでに
>>846
「共同体」は日本にはあると思います。江戸的スノビズムだと思う。ことある
ごとに顔を出してきます。俺は帰るべきではないと思うけど。


850柄谷行人 ◆WcOabcjNAM :03/10/11 07:33
この849までの中のどこを読めばこの本についての内容がわかるのでしょうか。
851考える名無しさん:03/10/11 08:10
>>850
そのコテを名乗るのならもっと頭が良くなってから来い


だいたい1000年後でいいよ
852考える名無しさん:03/10/11 11:17
>>846
>市場と民主主義、自由、平等、人権の尊重、さらに日本国憲法の平和主義(または
そのなし崩し的骨抜き)といった負荷がかかった共同体

リベラリズムが自由を否定する自由を認めないのと同様に、
共同体を否定するコミュニタリアニズムは存在しえません。
日本国憲法の人権は、アトム的な個人が社会契約によって国家を
形成するというリベラリズムのフィクションの上に成り立っています。
天賦の人権という自然法思想は、決して「自然」でも「共同体」でもなく
人工国家(State)のつくりだした商品経済イデオロギーでしかありません。
もちろん私は、憲法改正といった政治的パターナリズムを主張する気は
さらさらありませんが、もしあなたが青木本の5章をお読みであれば、
国家を共同体とみなすような誤解をされることはなかったと思います。
むしろ国家は負荷なき個人の依拠する擬制共同体に過ぎません。
コミュニタリアニズムは、民主的国家(法)や自由な個人という
イデオロギーに回収されない社会関係を共同体と呼ぶのだと思います。



853考える名無しさん:03/10/11 15:28
>>852
いまの日本で、民主的国家や自由な個人というイデオロギー等々を
はぎとっていったときに、何か残るものがあるのか、残ったものに
何か積極的に意味のあるものは存在するのか、というのが私の疑問
です。

それと、天皇制と象徴天皇制は法や国家というイデオロギーである
として、家父長制(法未満のレベルでの)とか、現在も憲法では禁止さ
れているのに現実には存在する差別とかは、イデオロギーではなく、
イデオロギーに回収されない社会関係だから、共同体的負荷であると。
そういう指摘をすることで、違ったものが何か見えてくるのかどうか、
よくわからない。

そして、イデオロギーと、イデオロギーに回収されない社会関係の
区別は、どこで線を引くのか。法となったイデオロギーも、現実の
社会関係、たとえば家族の中での常識的事項と、それほど異なった
ものでは、ふつうないだろう。
男女共同参画社会の実現を目的とした法整備は、たんに法のレベル
でのきれいごとではなく、ある程度ふつうの個人もそれがよいと
思っていることに基づいている。
刑法や民法その他、全部イデオロギーで済ましてしまうのか?

イデオロギーと、真実の社会関係とは、どこで区別しますか。
854853:03/10/11 15:35
あれか、商品経済的なものはイデオロギーで、刑法なんかは歴史貫通
的ということか。

しかし、コミュニタリアンをめぐる論争って、こんなレベルでされてたわけじゃない
よな、ああ
855考える名無しさん:03/10/11 16:31
コミュニタリアンが批判しているような単純なリベラリストがいるのであれば
是非お目にかかってみたいみたいものだね
856考える名無しさん:03/10/11 18:14
ここに典型的な「単純なリベラリスト」がいるでしょうが。
男女共同参画社会やジェンダーフリーを普通のことだと思ってる人が。
要するに自由で平等な個人の合意で社会や家族ができている、または
そうあるべきだと思っているような853さん、あなたのような人が
現代社会の多数派になっている現実を、コミュニタリアンは批判して
いるのです。

857853:03/10/11 18:20
でも、批判されてもどうということはない。だからなに?
858DISCORD:03/10/11 23:56
>>856
「単純なリベラリスト」のつもりはありませんが、私も「男女共同参画社会やジェン
ダーフリーを普通のこと」だと思ってますよ。「普通のこと」というのは「ア・プリ
オリに正しい」ということではなく、そうせざるをえない、ということです。「自由
で平等な個人の合意で社会や家族ができているというのは資本制の前提ではなく結果
である」というのならば、今度はその結果を前提として人間関係の物象化をどうする
か、という問題になってゆくのだと思う。それが歴史の不可逆性、起源への遡行不可
能性だと思うんですね。コミュニタリアニズムが疎外論に見えてしまうのは、そうい
う歴史の不可逆性、起源への遡行不可能性をたやすく乗り越えて、「家族単位、自動
加入、長の持ち回り、相互扶助・・」などの属性を持った集団に、いわば安易に「原
型」を見てしまうからではないでしょうか。
859考える名無しさん:03/10/12 00:36
「自由で平等な個人の合意で社会や家族ができているというのは資本制の前提ではなく結果である」
この「結果である」という意味を誤解してるのではありませんか。
これは資本主義のイデオロギーであるという意味であって、決して現実という意味ではありません。
現実には人間は、生死も性別も言語も宗教もインセストタブーも負荷をもち、
社会関係の総体としてしか自我がありえないことを知っています。
自由で平等な個人という法的フィクションが「ア・プリオリに間違い」ということではなく、
そのようには生きられないということです。コミュニタリアニズムは
歴史の可逆や起源への遡及を主張しているのではなく、リベラリズムの
フェティシズムを批判し、それを転倒することを説いているのであり、
けっして社会の原型が「共同体」であるなどと言っているのではありません。
人間のあるべき理念ではなく、人間の存在論なのです。
860考える名無しさん:03/10/15 21:48
解かった。『コミュニタ』を何度も読み返してみて、今ようやく理解できた。
要するに青木の言いたいことは、自由で平等の個人は資本主義においてのみ
唯一登場する。商品生産や流通でも市民革命でもなく、資本主義においてのみ、
しかも資本主義のイデオロギーとしてのみ登場するということだ。
だから、個人的所有や自己所有とかいう近代的人間がどうあがいても
アソシエーションでもネットワークでもマルチチュウドでも、
どんな連帯をしても、その先にはどんな未来もないということだ。
近代資本主義は、資本の文明化は、歴史の袋小路なのだ、どんずまりなのだ。
青木は資本主義の進歩の先に明るい未来を展望する思想を、ひとつひとつ丹念に
しらみつぶしに徹底的に潰してみせてくれた。コミュニタリアニズムというのは、
あらゆる進歩思想の終焉を暴露するキーワードなのだ。いま解ったのはそれだけだ。
861考える名無しさん:03/10/16 10:31
青木さんは、マルクス主義や左翼・進歩派によるあらゆる未来社会のビジョンを、
マルクスそのものに拠って否定してみせてくれた。ですから『コミュニタリアニズムへ』は、
人類史上、おそらく最後のマルクス主義の書物になるだろうと思うのです。
862考える名無しさん:03/10/16 14:12

宗教みたいだ(W
863考える名無しさん:03/10/16 15:38
まあ、マルクス主義はどこまでガンガっても、
しょせん一つの宗教だからな。
宗教の批判は批判的宗教になるしかないだろう。
宗教をリベラリズムで薄めてゴマかすよりも、
結局コミュニズムには救いがないことをはっきりさせたのが、
青木本の成果といえば、そう言えなくもないわな。
864考える名無しさん:03/10/16 21:53
青木がマルクスだけじゃなく宇野の価値形態論も批判してるの、しってるか。

青木価値形態論は、宇野にならって商品論から価値実体としての労働を取り除いただけでなく、
商品の所有者という人間そのものを取り除いた。そして商品の所有者が商品を交換するのではなく、
商品の交換間関係が所有者という人間を作り出すものとした。これは、これまでの宇野派の常識
そのものを否定することになるから、新田滋を始め山口や東大宇野派と全面的に対立することに
なる。これからは柄谷や岩井じゃなく、青木価値形態論が最大の問題だ。


865考える名無しさん:03/10/17 02:22
>商品の交換間関係
      
    ↓

 商品の交換関係
866考える名無しさん:03/10/17 21:39
要するに宇野の実体なき価値形態論を継承しつつ
これを宇野のように商品所有者の行動論としてでなく
むしろ広松的な関係の第一次性によって再構成したと
いうことね。ずっと↑に、新田さんのまとはずれな
青木批判がでてたけど、新田さんがほんとに青木批判を
しようとするなら、この点を突かなきゃだめだね。
価値形態論が最大の争点になるだろうね。
867考える名無しさん:03/10/20 14:53
今月号の「情況」に、山口重克と桜井毅の宇野派重鎮対談ってのが載ってるぞ。
日本の「資本論」研究は、マルクス段階から宇野弘蔵段階を経て、山口重克段階に
入ったんだってさ。ぷっ。我田引水もいいとこ。ワロタ。
山口重克のミクロ経済学的原理論なんて、宇野からどんどん近経に近づいただけで、
青木孝平の批判に誰もまともに答えられないレベルだろがw。それにしても
何が言いたいのか全然わからん、糞面白くもなんともない対談だな。
「情況」ますます売れんぞな。
868考える名無しさん:03/10/20 15:08
>>867
結局あんたのような良い読者が頼りの雑誌だよ
869考える名無しさん:03/10/20 15:23
「情況」は何部出てるの?
870考える名無しさん:03/10/20 16:20
1000部くらい刷ってるようだが
実売は500部程度だろう。
まー、旧ブント同窓会の同人誌にすぎない。
8711002:03/10/25 02:33
>860 :考える名無しさん :03/10/15 21:48
>要するに青木の言いたいことは、自由で平等の個人は資本主義においてのみ
>唯一登場する。
>商品生産や流通でも市民革命でもなく、資本主義においてのみ、
>しかも資本主義のイデオロギーとしてのみ登場するということだ。
>だから、個人的所有や自己所有とかいう近代的人間がどうあがいても
>アソシエーションでもネットワークでもマルチチュウドでも、
>どんな連帯をしても、その先にはどんな未来もないということだ。

>近代資本主義は、資本の文明化は、歴史の袋小路なのだ、どんずまりなのだ。

>青木は資本主義の進歩の先に明るい未来を展望する思想を、ひとつひとつ丹念に
>しらみつぶしに徹底的に潰してみせてくれた。
>コミュニタリアニズムというのは、あらゆる進歩思想の終焉を暴露するキーワードなのだ。

結局、これが結論なわけ?・・・
872考える名無しさん:03/10/27 01:55
nanntonaku.age
873 :03/10/27 20:02
nanntonaku.age
874考える名無しさん:03/10/27 22:26
今日みたんだけど、アソシエ10月号に
「日本資本主義とコミュニタリアニズム」という題で
新田滋の青木孝平批判がのってるぞ。


875考える名無しさん:03/10/31 00:42
宇野派は経済学を科学としか考えないバカばっかり。
青木がうけたのは、宇野理論で科学批判をやった
思想家だったからだろう。
876考える名無しさん:03/11/02 01:53
SGCIMEは、
The Study Group on Contemporary Issues and Marxian Economics
中堅若手の宇野派の研究集団らしいが、新田さんも青木さんも入っていないらしい。
まあ、思想も哲学もイデオロギーも何にもない、科学者集団というふれこみ
らしいから、所詮は官庁エコノミストばっかりだろう。誰も相手にしない。
もう宇野派は青木さんがひとり孤軍奮闘って感じですね。
877考える名無しさん:03/11/02 02:02
それにしても青木孝平の『コミュニタ』は
爆発的ヒットこそなかったが、
じわじわと今でも確実に売れ続けて
静かなブームの様相を呈してる。
これがもっとつづいて欲しい。
日本の読書層も
まだまだ捨てたもんじゃないね。
878考える名無しさん:03/11/02 17:40
そりゃあそうでしょ。硬直したステレオタイプの左翼文化人にはいくら嫌われても
左右、進歩と保守なんていう不毛な対立図式にやっとケリ付けてくれたんすから。

ようやく保守派にも読み応えある、マルクス論が登場したと言っていいんでないかい?
879考える名無しさん:03/11/04 18:18
これ読んで頭冷やせ、アホども
http://www.hotwired.co.jp/altbiz/inaba/
880考える名無しさん:03/11/04 19:51
>>879
まずはお前が読んだほうがいいぞw
881考える名無しさん:03/11/07 00:24
>>879
青木は左翼じゃないから、そんな批判は通用しないぜw。
882考える名無しさん:03/11/07 01:27
364 名前:引きこもり生態調査1 :03/11/07 00:19
772 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 04:56
774 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 04:57
775 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 04:57
776 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 04:58
778 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 04:58
779 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 04:59
780 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 04:59
782 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 05:00
786 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 05:01
787 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 05:02
788 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 05:02
790 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 05:03
792 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 05:04
794 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 05:05
795 :B ◆m0yPyqc5MQ :03/11/06 05:06



883考える名無しさん:03/11/07 02:37
>>881
IS-LMすら知らんくせに資本主義がどうした経済がどうしたと
くだらん馬鹿話に興じてる、お前を始め、このスレのアホどもに言ってんだよ(嘲笑
884考える名無しさん:03/11/07 21:34
>(嘲笑
 ↑がないと安心できないのかね。
自分の意見に自身があるならこんなの必要ないだろうに。
稲葉のそこは前から知ってるよ。
885考える名無しさん:03/11/07 22:51
>>884
>稲葉のそこは前から知ってるよ。

知ってても文系馬鹿にはロクに反論できましぇん。
なぜならマクロ経済学や数学について、まったく無知だからです。
ですから糞スレで利口ぶるしかないのでつ。
886考える名無しさん:03/11/08 11:42
>>885
ボク、頭が悪くなるからこんな板にきちゃいけないよ
887考える名無しさん:03/11/08 17:36
サプライサイドってのは、マクロ経済政策じゃないよ。
重商主義に基づく産業政策なんだ。
学問的バックボーンも経済学ではなく経営学なんだ。

つまり、物価・失業率を取り扱うマクロ経済政策と、輸出マンセー・
価格競争力万歳の産業政策が、政府内部で対立して産業政策側
が勝っているってだけのことだよ。

つまり、「デフレに苦しみ失業者が増大しようとも、日本という国は、
輸出主導で栄えなければならない!」というイデオロギーが勝って
いるという事。

構造改革馬鹿の意見みていればわかるでしょ。中国は脅威だとか
日本の国際競争力だとか、リストラして企業の体質改善だとか、
そういった視点だけで、民衆の暮らしが一言も語られないどころか、
「負け組みは去れ」の一言で切り捨てられている。

バックボーンが経営学なので、こういう結論になる。経営者の視点を
国政に持ち込むから、こういう被雇用者たる国民を無視したような政策
がまかり通るんだ。百姓は生かさぬように殺さぬようにってな具合にな。

ちなみに、サプライサイド改革のもたらす効果については、マクロ経済学
のフレームワークの中で完全に説明できるよ。サプライサイド派の意図する
結論が間違っているって事もね。例えば合成の誤謬、貯蓄のパラドックス、
そして生産性の上昇がもたらす円高。こういった超古典的な経済学上の常識
レベルですら彼等の意図する政策は、労多くて益少ない事が見て取れる。

ま、いわば政治制度の問題なんだな。
888考える名無しさん:03/11/15 00:11
だから稲葉なんて、青木には痛くも痒くもないちゅ〜に。
889考える名無しさん:03/11/15 01:37
高杉公望こと高望みこと新田さんの掲示板は、ちょっとひどいな〜。
特にコジコジとかいう香具師はひどいもんだ。
なにしろ青木さんのコミュニタを平田清明の「個体的所有の復権」と
いっしょだなんて書いてるぞ。
まったく正反対のもんが、どう読んだら一緒に見えるのか。
バカを通り越して、哀れにみえてくるぜ。
890考える名無しさん:03/11/20 09:46
老なんていう椰子もどーしよーもない。
30年くらい前のマルクス主義で
青木批判だって。ぷっ。
古い新左翼が青木読んでも無駄っててーこと。
891考える名無しさん:03/11/20 09:58
古い新左翼ってヘンで面白い。
しかもそれが実態なんだから。
892考える名無しさん:03/11/20 13:09
青木がいうように、近代は自由・平等・友愛の3つのカードを組み合わせてやってきた
わけだが、ケイインズ主義の破産によるネオリベ以降、自由という方向の限界さえ明らかになった今、
結局、近代以前的(17c的?)な「友愛」カードにすがるしかないというのが、
青木コミニタの実情じゃないか?
もちろん、この傾向はブランショやナンシーといった線もあるわけだが、
これは一種の文学論で、実効性ナシ。逆に青木の町内会論は、それ自体としては
噴飯モノということになる。
893考える名無しさん:03/11/20 16:32
>>982
本を、序章と終章しか読まずに、全部わかった気になる典型。
自由・平等・友愛や町内会なんて、青木さんにとって、
どうでもいい部分ですよ。もうちょっと中身をよんだら…。
894考える名無しさん:03/11/20 17:14
>>892はそれなりに説得力があると思うが。
895考える名無しさん:03/11/20 18:01
>>892
どうでもいいことだったら書かなければいいジャン。

896考える名無しさん:03/11/21 01:41
そうじゃないと思うよ。マジレスだよ。
青木さんのサヨク批判は、共産主義であれリベラルであれ
人権とか平等とか民主主義とかいう価値で世界をひとつに
しようとする普遍主義に対して向けられているのさ。
宇野理論は世界資本主義とかいうバカもいたが、
ほんらいは市場の普遍主義批判が最大の眼目であり、
マルチカルチュラルでパティキュラなコミュニタリアニズムこそ
宇野を継承する王道だ。だから、友愛や町内会なんて
コミュニティの特徴をややシンボリックに表現しただけなんだよね。

897考える名無しさん:03/11/21 12:58
問題は、町内会や夫婦別姓批判といったネタでしか、
コミュニタを「シンボリックに表現」できない陳腐さだと思はれ。
898考える名無しさん:03/11/21 13:08
あ〜退屈
899考える名無しさん:03/11/21 14:35
序章とか補論とか終章じゃなく、本論の批判をキボンヌ。
900考える名無しさん:03/11/26 18:25
いよいよ『コミュニタリアニズムへ』の2刷がでるようだ。
901考える名無しさん:03/11/28 01:06
おめでとうございま〜す。
まぁ、当然といえば当然だがね。
902考える名無しさん:03/12/10 22:48
アゲ!
903考える名無しさん:03/12/20 10:24
コミュニズムのことか
904中葉:03/12/20 17:01
>>903 コミュニズムのことか

リバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムの円環
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=28

これ結構面白いと思うよ。
905考える名無しさん:03/12/24 13:57
>>874 これですね。
http://bundpro2.fc2web.com/Sehen/sub13.htm

アソシエの12月号で、青木さんが、またまた反批判してますよ。

「アソシエーショニズムとコミュニタリアニズム―新田滋氏の批判に答える」
906ロック&ロールズ:03/12/24 21:18
他者決定,他者所有に乾杯.
共同体の自己決定でイラクへGO!
907考える名無しさん:03/12/24 21:19
クリスマスも2ヵ月前と会話かよ!
908考える名無しさん:03/12/27 23:27
>>905
高望みこと新田さんが、歯軋りして口惜しがってるぞ。

無題 投稿者:高望み  投稿日:12月24日(水)14時36分56秒

 「アソシエ21ニューズレター」12月号に青木孝平氏による反論への反論がのっているが、
正直言って時間をさいて何かをいうような内容のものではない。しかし、「論争」というのは、
呆れ返って何も言わなくなった方が「負け」なのだそうだ。
 しかし、「ニューズレター」の場ではもう続けることは嫌がられているので
(アソシエの理論・思想水準からすれば、コミュニタリアニズムをめぐる議論に
関心を示す人が皆無なのだろう)、せいぜい、ここか経済学・哲学掲示板での発言を続ける
だけにせざるを得ない。しかし、例年になく時間がないので、しばらくはできない。
また、正直、あまりにも脳に刺激のない「論争」で、このまま呆れ返ってしまいたい誘惑に駆られる。
909考える名無しさん:04/01/10 22:22
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1073403667/l50

同じようなスレが立ったので、こっちは暇だね。向こうへ引越ししよか。
910考える名無しさん:04/01/12 17:15
908 :考える名無しさん :03/12/27 23:27
>>905
高望みこと新田さんが、歯軋りして口惜しがってるぞ。

無題 投稿者:高望み  投稿日:12月24日(水)14時36分56秒

 「アソシエ21ニューズレター」12月号に青木孝平氏による反論への反論がのっているが、
正直言って時間をさいて何かをいうような内容のものではない。しかし、「論争」というのは、
呆れ返って何も言わなくなった方が「負け」なのだそうだ。
 しかし、「ニューズレター」の場ではもう続けることは嫌がられているので
(アソシエの理論・思想水準からすれば、コミュニタリアニズムをめぐる議論に
関心を示す人が皆無なのだろう)、せいぜい、ここか経済学・哲学掲示板での発言を続ける
だけにせざるを得ない。しかし、例年になく時間がないので、しばらくはできない。
また、正直、あまりにも脳に刺激のない「論争」で、このまま呆れ返ってしまいたい誘惑に駆られる。
909 :考える名無しさん :04/01/10 22:22
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1073403667/l50
911考える名無しさん:04/01/22 20:03
高望みがわめこうと騒ごうと、青木本は、長い、静かな、着実なブーム。
912考える名無しさん:04/01/22 21:03
>>911
ごくごく狭い領域の内でのな 笑
913考える名無しさん:04/01/22 23:16
んなこたない。
アメリカン・グローバリズムにホントに対抗できるのは
ネグリのマルチチュードでなく、コミュニタリアンなのは、
イラク戦争で証明されただろ。
イスラミック・コミュニタリアンに幸あれと祈る。
914考える名無しさん:04/02/04 03:11
たしかに、イマジンや世界に一つの花を歌ってるバカサヨの反戦運動みてると、
コミュニタリアンの反戦の方が説得力がある気がする。
915考える名無しさん:04/02/04 07:02
>最近では、分析的マルクス主義は分析哲学的な
論理実証主義しか認めないし

分析哲学についてなにも知らないね。しかも分析的マルクス主義を古い実証主義の一つだと考えてるね。バカ。
916考える名無しさん:04/02/04 07:19
>山口重克のミクロ経済学的原理論なんて、宇野からどんどん近経に近づいただけで

何十年遠回りしてけきょく謹啓か・・・アホかこいつら
917考える名無しさん:04/02/04 12:31
>たしかに、イマジンや世界に一つの花を歌ってるバカサヨの反戦運動みてると、
>コミュニタリアンの反戦の方が説得力がある気がする

確かに、コミュニタリアニズムってイマジンや世界に一つの花マンセーのバカサヨ
批判には有効かも。
918考える名無しさん:04/02/13 18:27
コピペ

次回スガ秀実ゼミのお知らせ

04/02/10 Tue. 12:42



2月20日(金)PM6:00〜 @東大駒場キャンパス、キャンパスプラザB309
テクストは青木孝平『コミュニタリアニズムへ』(社会評論社)、範囲は
第三章 マルクス商品所有論の再審
第四章 資本主義における土地所有の正当性
です。
自主ゼミなので誰でも参加できます。
919夫馬:04/02/13 19:27
無論私もいきますよ
920考える名無しさん:04/02/13 20:33
ヤバイ(w
@ルサンチマンから逃亡する為に虚構をでっち上げる。
             ↓
 A段々、自分が本当は頭良いんじゃないかと思い始める
             ↓
    B簡単に突っ込みを入れられて遁走
             ↓
C自作自演と荒らしを駆使し、論点をずらし、馬鹿に的を絞る
   議論で負けた相手が居ない時に勝手に総括 【new!】
             ↓
   D啓蒙しているような振舞いに自己陶酔
             ↓
 E自分のお城(自我)を更に拡大させる為、更なる虚構へ
             ↓
            Aへ
922DISCORD:04/02/14 00:47
ちょっと疑問なんですけど、「コミュニタリアニズムへ」に「空虚なリベラリズム
に過剰に期待し、疲れた人達」に対しての「癒し」的な意図を感じてしまうのは私
だけでしょうか。俗っぽく言えば「ずっと会社主義だった中年男性」を暗黙のター
ゲットにしている感じがするのです。
青木氏の主張は、ようやくリベラリズムの入り口に立ったばかりの女子供たちに響
く言葉をもち得ていないと思う。どなたか意見ください。
923考える名無しさん:04/02/14 02:12
DISCORDさんも2月20日の自主ゼミにどうぞ。
924考える名無しさん:04/02/14 18:05
つーかリベラリズム自体が資本主義の結果要請されるものというはなしでしょ
だからリベラリズムなんか価値ないという本でしょ
925考える名無しさん:04/02/14 18:48
コミュニズムの実現は人間が神になるまでおあずけよ!
926考える名無しさん:04/02/14 21:00
コミュニタリアニズムってあっても邪魔にはならないけど
ないならないで別に困らないよね
927考える名無しさん:04/02/16 00:47
青木昌彦と勘違いしてた
928考える名無しさん:04/02/20 09:22

スガ秀実ゼミのお知らせ

2月20日(金)PM6:00〜 @東大駒場キャンパス、キャンパスプラザB309
テクストは青木孝平『コミュニタリアニズムへ』(社会評論社)、範囲は
第三章 マルクス商品所有論の再審
第四章 資本主義における土地所有の正当性
です。
自主ゼミなので誰でも参加できます。

本日ですので、みなさんどうぞよろしく。
929考える名無しさん:04/02/20 10:56
基本的なこと聞きたいんだけど、コミュニタリアニズムってなにがしたいの?
@共同体を新たに作ることを主張してるのか?
Aそれとも、今現在の共同体を保守することを主張しているのか?
Bそれとも、失われた共同体を復興することを主張しているのか?
Cそれとも、温故知新みたいなのか?

Bの場合、復興すべき共同体は年代的にどこまでさかのぼるのか?またその
決定基準はなにか?部分的に平安時代を採用する可能性は?
930考える名無しさん:04/02/22 03:27
オウムも共同体っぽかった。
931考える名無しさん:04/02/22 14:39
他スレの1です

「その構成メンバーである自由にして平等な市民が相矛盾し、比較
することさえ不可能な宗教的、哲学的、道徳的教義によって、深く
分断されているとき、安定していて正しい社会が存続することがで
きるとして、それはいかにして可能なのか?」
(土屋恵一郎『正義論/自由論』で引用されたロールズ『政治的リベ
ラリズム』の一節)

こう問われると、コミュニタリアニズムはどう答えるのでしょうか?
932答える猫:04/02/22 15:47
当該条件下では、良い社会は存続できない。
不幸なことであるが、仕方ない。
リベラリズムを信奉したからといって、その現実は変わらない。
それが嫌なら、自ら徳を実践することに賭けるべし。
すなわちそれがコミュニタリアニズムである。
933スターリン:04/02/22 16:19
「チャーチルは信用のならん男だ。やつに少しでも気を許してみろ。
チャーチルは私の懐から1カペリカでも盗もうとするだろう。
チャーチルという男とそのまわりは驚くほどヒトラーとその一味
に似通っているではないか!ではルーズベルトはどうか?
ルーズベルトはそんな男ではない」
934考える名無しさん:04/02/22 18:29
>>932
まさに典型的なコミュニタリアニズムらしい回答ですね。
935答える猫:04/02/22 22:14
でしょ?
936考える名無しさん:04/02/22 23:19
心がけ次第ですか(プゲワラw
937答える猫:04/02/22 23:50
おやおや。隙だらけの回答をした心算なのですが、
もうちょっと気の利いたことを言える人はここには
居ないのですか。寂しいですね。
938考える名無しさん:04/02/23 12:16
青木さんの左翼批判は、左翼であれアメリカのリベラルであれ
人権とか平等とか民主主義とかいう価値で世界をひとつに
しようとする普遍主義に対して向けられているのさ。
宇野のは世界資本主義とかいうバカもいたが、
ほんらいは市場の左翼批判が最大の眼目であり、
マルチカルチュラルでパティキュラな共産主義こそ
宇野を継承する王道だ。だから、友愛や町内会こそが
コミュニティの特徴をややシンボリックに表現しただけなんだよね。

939考える名無しさん:04/02/23 13:49
コミュニタさんたち、北田の『責任と正義』は読んだ?
940考える名無しさん:04/02/23 15:46
>>938
>マルチカルチュラルでパティキュラな共産主義

それ自体いいんだけどさ、世界資本主義に対してどういうスタンスなわけ?
コミュニティといったって経済基盤あってのコミュニティでしょ。
で、その経済基盤というのは世界の株式・為替市場とともにあり、国際貿易
とともにあるわけでしょ。
世界資本主義のなかで、世界の富が一部の先進国に集中してしまっている
現実も含めてさ。
941考える名無しさん:04/02/23 17:20
>>933
それ、ルーズベルトをたらしこむためにいったんだろ?

ただそんな術策を弄さなくても、ルーズベルトは
死にかけてて、正常な判断能力がなかったって話。
まあ、正常な判断能力があったら、米ソの戦争は
必至だったかもしれんけどね。
942考える名無しさん:04/02/23 18:29
>>940
まさにその問いに答えられないでしょこの本じゃ
943考える名無しさん:04/02/23 20:52
>>940
もう、何度も答えてるっしょ。
それは、アメリカに対するイラクの関係にシンボライズされるっす。
だからネグリみたいに世界資本主義=帝国の内部のマルチチュードじゃなくって
外部の伝統的で宗教的で慣習的なイスラミック共同体の側にたつのれす。
それにしても世界は一つなんて歌うイマジンの運動にはむかっぱらが立つ。
世界資本主義なんていうバカは、リベラルやトロツキーのような世界革命主義。
アメリカのネオコンとおんなじ普遍主義にすぎんせん。

>>929
コミュニタリアンの共同体は重層的で多元的で関係的です。
歴史的実体に還元してはいけません。
944考える名無しさん:04/02/23 21:02
>>943
>外部の伝統的で宗教的で慣習的なイスラミック共同体の側にたつのれす
これと
>コミュニタリアンの共同体は重層的で多元的で関係的です。
>歴史的実体に還元してはいけません。

思いっきり矛盾してるけど頭大丈夫?
ノイローゼ出なければ単なる馬鹿?
945考える名無しさん:04/02/23 21:08
市場の外部は多層的で、その一面の一例がイスラムですが、なにか。
946考える名無しさん:04/02/23 22:04
どうも東大駒場は青木派コミュニタリアンに完全制覇されたみたいだな。
947ゆうゆ:04/02/23 23:44
>>943
はろはろ、ゆうゆだ。
>世界は一つなんて歌うイマジンの運動にはむかっぱらが立つ。
寂しい言葉ぞよぞよ。ロックンロールの世界に安易に口を出さないほうがよいよん。
レノンちゃんみたいに世界資本主義の快楽を味わいつくしてからそういうふうに言
うことが出来るのかなかな?世界資本主義はものすごく気持ちいいものなのだん。
じゃね、ではでは。
948考える名無しさん:04/02/23 23:56
>>943
オメデェーナw
世界は特殊性のみから構成されてるのかよ。
個別も普遍もなし。
それでも哲学的思考のつもりかよ。
949DISCORD:04/02/25 23:24
>>943
>外部の伝統的で宗教的で慣習的なイスラミック共同体

ちょっと言葉は悪いが、それは最悪のオリエンタリズムなのでは?
950考える名無しさん :04/03/01 04:35
>世界資本主義なんていうバカは、リベラルやトロツキーのような世界革命主義。
>アメリカのネオコンとおんなじ普遍主義にすぎんせん。

主義・主張じゃなく、現実の問題だろ。
かつての世界資本主義は、各国の国内市場を独立単位とし、それが並存して世
界市場を構成していた。
だが70年代以降の資本主義は多国籍資本の世界規模での相互展開により、国内
市場の枠を越えて、単一の世界市場の形成へと向かいつつある。
それを政治的・軍事的な方法で強行しているのが、最大の多国籍資本群を擁す
る米国、それと同盟関係にある日本も含めた西欧先進諸国であり、これらの米
国を中軸とする帝国主義同盟が、資本のグローバル化の推進主体だろ。

現在のグローバル化は、一面で資本の集中と単一・均質の世界市場を形成しよ
うとしているが、他面では資本と向き合う労働者も出稼ぎや移民など多国籍化
しており、また資本のグローバル化に反対する諸国民のネットワークや運動も
拡大してるから、資本のグローバル化は己自身の墓穴をも掘りつつある。

こうした状況化では、所有関係の変革は一国レベルの変動では収まらず、必然
的に世界的な変動をともなう形態をとるだろうから、その意味では世界革命的
状況という事態も考えられないことではない。逆に言えば、もはや労働者階級
による国家権力の掌握による方法=一国社会主義革命では、所有関係の変革は
不可能ということだろう。
951考える名無しさん:04/03/01 12:27
>>950
コミュニタリアニズムとかいう哲学的思弁は、
煎じ詰めると町内会的コミュニティだそうなw
そんなもので多国籍資本やメガバンクに対抗
できるわけないだろ。
ほとんど茶番的な哲学的おしゃべりw
まあ、実際に社会で働いて見れば、いかに無意味な
言説かはイヤっていうほど思い知らされるだろうけどな。
952考える名無しさん:04/03/01 12:35
>>951
>実際に社会で働いて見れば、いかに無意味な
>言説かはイヤっていうほど思い知らされるだろうけどな。

いやこういう連中は、研究者か何かを目指して社会には出ないのですよ。
だって、この手の議論は要は彼らの研究対象=パンなわけですから。
現実的な社会変革なぞ露ほども考えないのは当然ですよ。


953考える名無しさん:04/03/01 13:09
>>934
こんな枕ソッカー女が少なくとも俺の周りに3人は居た。。。


945名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :04/03/01 12:34 ID:???
ウチの兄貴はパソコンでエロサイトをみてる時に親の気配を感じたらこうやって脱出してた。

     ドア(押し扉)が開かないように隙間を塞いでしまう。
   ?  ↓            ___
  ○ . | |  O_ ガラガラ   |  |←パソコン
  (| |) ┥|||_|_        _|__|
  ハ.  | |└┬|_ 三 = 3|   |
   ||  | | .o┴o     . |    |

《 そしてゆっくりパンツを履く 》

そんな兄貴が一度だけこんな風になってた・・・・・・。
                          __
        ガラガラ     ウワ‐      |  |
        |             彡   | |
       └┬ 三 = 3  O/      | ̄ ̄ |
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
954考える名無しさん:04/03/01 17:55
>>950
根本的なカンチガイをしてる。あんた、ほんとにこの本を読んだの?
まず、典型的な経済主義がおかしい。
グローバリゼーションは単に資本の問題だけじゃないでしょ。
だいたい資本そのものが市場という物象的人間関係そのものだからね。
資本主義のグローバル化は、同時にリベラリズムのグローバル化であり、
デモクラシーのグローバル化であり、人権イデオロギーのグローバル化なんだぜ。
それはアトム的個人を普遍主義的にまつりあげ、自由・平等・民主主義の帝国をつくりあげる。
国境を越えたグローバルな労働者やマルチチュードなんていう化け物こそが、
こうした市場的グローバリゼーションの産物であり、グローバル資本主義のイデオロギーそのものさ。
ぼくたちコミュニタリアンは、市場がつくりだした、無機質で中性的でのっぺらぼうの個人それ自体に
反対してるんだよ。人類に未来があるかどうか知らないが、もしあるとしたら、
きみのいうような世界資本主義の現実の内部からなんかじゃなく、資本主義の外にしかないだろう。
ぼくらは、資本主義つまり市場の交換原理が及び得ない領域をあくまで擁護する。
資本主義がグローバルになればなるほど、家族、地域、民族、宗教、伝統、文化の固有性の意義は増すだろう。
青木さんはどうかしらないが、ぼくは、その意味で左翼は反資本主義でありえないと思う。
ぼくは保守だ、反革命だといわれてもいいよ。きみらのいう世界革命なんて世界資本主義の延長にすぎない。
まっぴらごめんだよ。



955考える名無しさん:04/03/01 18:13
>>954
西部邁のスローガンと全然変わらないじゃん。
956考える名無しさん:04/03/01 23:59
柄谷派が青木派を嫌う理由がよくわかりました。結局、思考が単純すぎるんだよ、
青木派は。市場の交換原理が及び得ない領域、なんて対象的な見方をされたほうは
たまったもんじゃない。彼らは反資本主義理論の整合性のために生きてるわけじゃ
ないんだよ。「無機質で中性的でのっぺらぼうの個人」になりたいと意志している
人たちはその時点で無機質で中性的でのっぺらぼうなどではないのだ。
それにグローバル化が家族、地域、民族、宗教、伝統、文化などの固有性の意義を
大きくするのでは決してない。固有性を持つものは全く偶然的、突然変異的に生成
するのである。その偶然性の酷薄さに耐えつつ、そのつど固有性を引き受けていく
ことこそ必要なのだ。
957考える名無しさん:04/03/02 00:12
>>954
>保守だ、反革命だといわれてもいいよ。
そうした不毛なレッテル貼りをするつもりは全くない。むしろ個人的には、あ
なたの言う
>資本主義つまり市場の交換原理が及び得ない領域
>(=家族、地域、民族、宗教、伝統、文化の固有性)
>をあくまで擁護する。
ことには賛成だし、
>市場がつくりだした、無機質で中性的でのっぺらぼうの個人それ自体に反対
という点にも同意。要するに人間疎外の極限形態(=類的本質から完全に疎外
された人間存在)を最悪と考える点では同じ。
私とあなたとの対立点は、恐らく資本主義(とそのグローバル化)への対抗的
なオルターナティヴに関して
>資本主義の現実の内部からなんかじゃなく、資本主義の外にしかない
と考えるか、資本主義内部にあると考えるかの相違点。
確かにグローバル化(というより資本主義自体)は、あなたが指摘するように、
伝統や文化を破壊し、民族や地域を分断し、家族(我々の生活世界の最終拠点
!)までをも解体するという点で、個人的には忌まわしく反対でもあるけど、
同時にそれは諸個人の意志ではどうにもならない鉄の必然性をもって貫徹して
くる不可逆的な過程でもある(だから「資本主義の外」にいくら抵抗拠点を築
いても堀り崩されるのみ)。資本主義自体が、封建社会の内部に発生してその
胎内で成長し、やがてそれを否定していったのと同様に、資本主義もその否定
的契機(=新しい社会の萌芽形態)をその内部に孕んでいると考えるべきでは。
958考える名無しさん:04/03/02 00:17
(957続き)
> 世界革命なんて世界資本主義の延長にすぎない。
念のために言うと、ここでの世界革命とは、赤軍派などの世界同時革命
のことではない。資本主義のグローバル化が所与の条件であれば、その
全盤的変革過程も、中心‐周縁という地域的偏差を含みながら(ロシア
革命のようにローカルなレベルではなく)世界的規模になるだろうとい
う程度の意味。

>典型的な経済主義がおかしい。
資本主義という歴史的な社会構成体の変革(移行)を土台‐上部構造論
的に考えて、その経済過程の問題を述べたまで。別に経済過程を政治的
・法的構造に対して(価値的な意味で)優先してるわけではない。
959考える名無しさん:04/03/02 00:18
(958続き)
>資本主義のグローバル化は、同時にリベラリズムのグローバル化であ
>り(以下略)
御指摘のとおり。
ただし自由・平等・民主主義・人権などは、グローバル化の所産という
より、初期資本主義の段階で形成された、その土台に照応する法的・イ
デオローギー的形態。
マルクスは、人間の権利」(=人権)の本質について、
「いわゆる人権なるものは市民社会の成員、換言すればエゴイスト的人
間、人間からまた共同体から切り離された人間、の権利にほかならぬ」
(『ユダヤ人問題のために』以下同)
と指摘し、以下フランス革命時の憲法に記載された自由・平等以下の諸
項目についても、
「自由とは、他の誰にも害にならぬことなら何をやってもよいという権
利」つまりは人間相互の「隔離の権利」。
財産権すなわち「私的所有の人権は己が思いのままに、他人と関わりな
しに、社会からは独立に、己が資産を享受しかつ処理する権利、私利の
権利である。あの個人的自由とそれのこの適用が市民社会の基礎をなす
。」(平等は先の自由権の単なる平等性)。
民主主義=参政権についても、疎外された政治共同体(=国家)への参
加権にすぎないこと。
つまり、これらの(近・現代社会の黄金律とされる)諸項目は、そもそ
も資本主義社会の初発から
>アトム的個人を普遍主義的にまつりあげ、自由・平等・民主主義の帝
>国をつくりあげる。
欺瞞的な内容を宿しており、グローバル化はその量的拡大にすぎない。
960考える名無しさん:04/03/02 00:42
>資本主義もその否定的契機(=新しい社会の萌芽形態)をその内部に孕んでいると考えるべきでは。

>つまりこれらの(近・現代社会の黄金律とされる)諸項目は、そもそも資本主義社会の初発から
>アトム的個人を普遍主義的にまつりあげ、自由・平等・民主主義の帝国をつくりあげる。
>欺瞞的な内容を宿しており、グローバル化はその量的拡大にすぎない。

後半はまったく賛成。これと前半の命題がどう結びつくのか全く理解できない。
アトム的個人の量的拡大にすぎないグローバル化が、どうしてその内部に
否定的契機を孕むなんていえるのか?けっきょく弁証法という形而上学に
たよるしかないんじゃないですか?わたしは青木さんのコミュニタリアニズムは
マルクスのテキストからヘーゲル的弁証法を消し去って、形式論理的一貫性を
追求したものと考えてます。商品は共同体の内部からでなく、外部から共同体を
侵食するというマルクス=宇野の思考を徹底する限り、コミュニズムの
倫理的根拠は、市場の外に求めるしかないでしょう。
961考える名無しさん:04/03/02 00:51
>>956
>固有性を持つものは全く偶然的、突然変異的に生成するのである。
>その偶然性の酷薄さに耐えつつ、そのつど固有性を引き受けていく
>ことこそ必要なのだ。

まったくそのとおり。リベラルの負荷なき自我に対する
コミュニタリアンの批判は、まったくそういうことです。
個人の自由意志による自己決定の欺瞞を暴き、
私の自我を構成する「偶然性の酷薄さに耐える」ことを
青木さんおコミュニタリアニズムは主張してると思います。
962考える名無しさん:04/03/02 03:15
「負荷なき自我」だとか勝手に藁人形したてて一人相撲とってりゃ世話ないわな
963考える名無しさん:04/03/02 03:16
>>960
>アトム的個人の量的拡大にすぎないグローバル化が、どうしてその内部に
>否定的契機を孕むなんていえるのか?

アトム的個人と言うのは、あくまでひとつの表象。
経済過程において諸個人が取り結ぶ社会的結合関係は、資本主義の展開に比例
して実際には飛躍的に拡大している。しかし資本主義に特有な社会関係の物象
化や法的・政治的な上部構造(先の自由・平等・所有などの法的規定や政治制
度)の特徴によって、諸個人の意識においては、(彼らの社会的結合関係が)
そのまま反映されず転倒して、孤立した個人という仮象(表象)をとる。
だから、この仮象を剥奪するためには、上部構造の変革が条件となる。

>商品は共同体の内部からでなく、外部から共同体を侵食するというマルクス
>=宇野の思考
この点はそのとおりかと。共同体は自給自足体制(共同体内分業は自然成長的
分業で商品交換を媒介としない)で、商品交換は共同体と共同体との間で剰余
生産物の取引をめぐって発生する(市場の形成)。
しかし、市場の形成=商品経済の展開は、やがて共同体間の分業=社会的分業
へと発展するし、この段階で共同体は貨幣経済に浸透されていく。

(以下横レスですが)
>私の自我を構成する「偶然性の酷薄さに耐える」こと
先のレスにあった、家族〜文化の固有性とそれがもつ「意義」というのは、
その固有性が破壊され喪失した段階で、始めてその「意義」を獲得すると
いう逆説的関係にあるのでは?
とすれば、やはりそのままの形態において維持するのは困難ではないか。
964考える名無しさん:04/03/02 03:32
(963おまけ)
>>960
>弁証法という形而上学
>マルクスのテキストからヘーゲル的弁証法を消し去って、形式論理的一貫性を追求

弁証法は「形而上学」じゃなく現実の歴史過程に内在し、またブルジョ
ア的「形式論理的一貫性」を打破できる唯一の思考法だと思うんだけど
なあ・・・・・。

スレ違いも甚だしくなったようなので、撤収します。
965考える名無しさん:04/03/02 18:31
>アトム的個人を普遍主義的にまつりあげ
と同程度に
>家族、地域、民族、宗教、伝統、文化の固有性
をまつりあげてるんじゃない?
966考える名無しさん:04/03/02 19:27
>>965
こんな枕ソッカー女が少なくとも俺の周りに3人は居たよ。。。


977名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :04/03/01 12:34 ID:???
ウチの兄貴はパソコンでエロサイトをみてる時に親の気配を感じたらこうやって脱出してた。

     ドア(押し扉)が開かないように隙間を塞いでしまう。
   ?  ↓            ___
  ○ . | |  O_ ガラガラ   |  |←パソコン
  (| |) ┥|||_|_        _|__|
  ハ.  | |└┬|_ 三 = 3|   |
   ||  | | .o┴o     . |    |

《 そしてゆっくりパンツを履く 》

そんな兄貴が一度だけこんな風になってた・・・・・・。
                          __
        ガラガラ     ウワ‐      |  |
        |             彡   | |
       └┬ 三 = 3  O/      | ̄ ̄ |
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
967956:04/03/02 23:17
>>961
>個人の自由意志による自己決定の欺瞞を暴き、私の自我を構成する「偶然性の酷薄
さに耐える」ことを青木さんのコミュニタリアニズムは主張してると思います。

あなたがここで主張してる部分は柄谷の論に近いんだよね、非常に。柄谷派も青木派
も両方ともお互いの影を切りあっている印象があって不毛だと感じるとこも正直ある。
青木はあえて柄谷的なマルクス読解に踏み込み、柄谷はあえて青木的なマルクス読解
に踏み込んでこそ、生産的だと思う。別に当人たちがやらなくてもここでわれわれが
やってもいいわけだが・・・
968考える名無しさん:04/03/03 17:09
はぁ?
何が共産主義だばかたれ。
969考える名無しさん:04/03/03 17:15
エロマルキスと〜
970考える名無しさん:04/03/14 16:38
で、おまいら貯金いくらあんの?
971☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/14 16:52

8億円
972考える名無しさん:04/03/14 18:20
>別に当人たちがやらなくてもここでわれわれが
やってもいいわけだが・・・

どうぞ、どうかおつづけになって。
973考える名無しさん:04/04/04 15:43
からあげ
974考える名無しさん:04/04/23 00:39
業務報告 投稿者:高望み  投稿日: 4月22日(木)15時42分13秒

 『季刊 経済理論』(2004年4月)に、書評的論文、
 「交換過程と価値形態−−青木孝平氏の価値形態論をめぐって」
が掲載されました。
 これは、おととし頃に青木氏から、『コミュニタリアニズムへ』の価値形態論についての論評を依頼されていたものです。この掲示板での流れとはあまり重ならない論点が主ですが、わたし自身の価値形態論についての考え方は、ある程度出ていると思います。
975考える名無しさん:04/04/23 13:10
>>249

> raison d’etre のこと(w?  柄谷オタってこんなもんだな。

> 本家同様語学がお粗末

ゾーン=レーテル(Sohn-Rethel 1899-1990)だよ
976考える名無しさん:04/05/01 01:25
>>974
読んでね。
977考える名無しさん:04/05/06 16:29
読んだ。青木本はおもしろいが、
新田さんの批評は、なんかピントがぶれてる感じがした。
978考える名無しさん
静かなトレンドは続く。で、なんとなくアゲ。