1 :
考える名無しさん:
おいおい。収拾つかないぞ・・・・
調子に乗ってスレ乱立させんじゃねえよ、ゴルァ!
以後、このスレはsage
5 :
考える名無しさん:03/03/20 05:55
東が近況で紹介していた北田暁大「広告都市東京」読んだけど、まあ面白かった。
しかし俺がビックリするのは東といいこの北田といい1970年代生まれというのはどうして
こんなに活字文化というものに無条件に適応できるのかということだ。
俺は60年代前半生まれだが、俺にとって活字とは最後の最後まで徹底的に抵抗しなければ
ならないものだった。いや、活字というより言語と言ったほうがよい。
言語-知識的でない精神のありかたをとことん追求して、そんなものはないということが
証明できて初めて本は読んでもいいものだったのだ。しかし結局俺も言語は否定できないという
結論に達したので70年代生まれの書き手は何も考えずに普通に本を書いていればよろしい。
物質的進歩は終わっても20世紀の意味を解明するだけであと100年は歴史、持つだろ。
6 :
考える名無しさん:03/03/21 05:52
「広告都市東京」の中では「ケータイ世代は都市を無意味化する」という主張が面白い。
彼らは広告の仕掛けに踊らされることもないし、渋谷に特別な魅力も感じない。
彼らにとってはケータイでつながった直接的な人間関係がすべてで、べつに宇多田ヒカルや
浜崎あゆみがスターだなんて思ってもいない。これは個人が成熟したと考えればいいこととも
言えるが世界が無意味化するとしまいには直接の友人まで無意味化する可能性がある。
斉藤環もサイバースペースは他者なき内面空間だといって精神の空洞化を警告している。
それではどうすれば世界の物質性が担保できるのか。喧嘩して命の危険に晒されればいい。
今回はじまった戦争はたぶんそういうわけなのだ。
だからageんなって言ってるだろ?このボケェ!
8 :
考える名無しさん:03/03/24 03:20
「インターコミュニケーション」の鼎談で東は「オタクはメタ化したがる人たちだ」
と言っているが「メタ化」って何だろう。
脳の中に特別なメタ回路でもあるのか。そんなことはない。
メタ化とは形式回路だけをオンにして内容(意味感覚)をオフにした状態のことだ。
たとえば80年代、青春ドラマはギャグになった。これは青春ドラマの形式だけを知覚して
内容の意味を感じない状態になった時それをギャグと感じるのだ。
ちなみにこのメタ感覚を形成したのはテレビである。1985年のファミコンの大ブレイクは
二重の意味でテレビに対するカウンターであった。一つは同時性の否定、もう一つは科学性の否定だ。
ゲームというのは同じことを何度も反復する娯楽であり、それは進歩の放棄なのである。
新人類世代はこのテレビによる意識のメタ化を極限までつきつめることで新しいレベルに進化しようとした。
しかしこの考え方は論理的におかしい。世界の出来事を少数の形式に還元するのはよいが、
その世界にとどまっては意味がない。世界の原理を発見したら再び現実世界に戻ってそれを
応用してこそ形式化する意味があるのだ。あらゆる意味を否定することは手段であって目的ではなかった。
似たようなケースに共産主義というのもある。現実否定の先に理想社会の幻影を見たはいいが、
それがいざ実現してみると地獄だった。メタ化主義もいざゴールに到達してみれば無意味の砂漠だった。
まあしかしこの戦争を機会にメタ化のプレッシャーを抜けば精神的解放があるかもしれない。
ワーワー騒いでるだけのバカ音楽が心地いいと思うようなサルにだけはなりたくないがな。
9 :
考える名無しさん:03/03/27 05:13
>まあしかしこの戦争を機会にメタ化のプレッシャーを抜けば精神的解放があるかもしれない。
本人補足。メタ化圧の力は抜くもんじゃなくて、言語認識のメカニズムを解明することで、
いくら力を入れても無意味だということがわかって力の入れようがなくなり自然に抜けるものだ。
「メタ化した意識」の状態というのは超異常なもので、ヒトとサルの意識ほど隔たっている。
それは、宇宙の外からこの世界の出来事を眺めているような体験だ。
確かに意味感覚のない形式知覚のみの世界とも言えるが、その内側で体験する状態はそんな
生やさしいもんじゃない。通常の意味世界に生きる人間が、進化からはるかに取り残された原始人に思える。
たぶんこの「メタ意識」というのは言語進化の順調な展開なのだ。
人間の言語認識は固有名→固有概念→理想概念→実証概念→進歩概念と進化し、
最終的にメタ言語(メタ意識)に辿りついたのだ。それは順調な展開ではあったが、
理想概念のように万人が安定して採用するわけにはいかないものという落とし穴が待っていた。
進歩概念もそうだが、メタ意識もつねに上昇圧力をかけてないとその状態は持続しない。
それは社会全体が輝く未来を信じていた時は多くの人によって維持されるが、進歩が信じられなく
なると一斉に放棄される。ソ連(=共産主義)の崩壊によって進歩意識は放棄されたが、
メタ意識への進化を信じる人間には何の関係もなかった。やがて世の中はインターネットや
ケータイの時代に入っていくが、それはメタ化主義には屁の価値すらもないものに思えた。
なにしろ人間は近々想像を絶する進化を遂げるのだ。しかし1999年が過ぎても21世紀になっても
何の変化も起きなかった。さすがにここにきてメタ意識への進化が信じられなくなってきた。
しかしまあ俺的には全然問題ない。メタ化状態で、あらゆる意味を形式化したおかげで山ほどの
新発見を成し遂げることができた。今からはそれを小出しにしていこう。
しかしもう二度と生きる意欲が復活することなく古尾谷雅人みたいになるかもしれんがな。
10 :
考える名無しさん:03/03/27 06:02
しかしアメリカ人にとって世界貿易センタービルの崩壊は相当ショックだったようだな。
あのツインタワーはマンハッタンにひときわ高くそびえることでNY全体の、または世界全体の
人間の意識や行動、さらには自然現象までコントロールする存在だったのだ。
SFによくある世界のすべてを支配するスーパーコンピュータのようなものだ。
それが完璧に破壊されたのだから人間でいえば脳がグチャグチャにされたようなものだろう。
そういえば9・11事件は最初「アメリカ中枢テロ」と言われた。この場合の中枢とはたぶん
ツインタワーのことで、ペンタゴンは関係ないのだ。
ところでツインタワーという形態には生命が宿る気がする。生物の体のパーツは通常二個づつ
ついているからだ。ツインタワーは2つの目で周囲を睥睨しているような印象を与える。
あるいは二本足で立つ巨人の幻。そういった生命的中枢イメージが精神的衝撃を増幅したとも言えよう。
さらにつけ加えると、人間の記憶には世界の不変の枠組みに関する意味記憶と、その枠組みの中での
出来事に関するエピソード記憶の二種類があるが、世界貿易センタービルの記憶は意味記憶の回路に
納められていた。太陽や月、あるいはピラミッドや万里の長城のように、WTCも永遠に存在しつづける
不変の枠組みだったはずなのだが、それが一瞬にして崩壊したので脳生理学的にも巨大な衝撃となったのだった。
11 :
考える名無しさん:03/03/27 06:07
★アメリカは敵の敵として育てた国(または個人)が自分の地位を脅かすようになると
★徹底的に叩くというパターンを繰り返している。サダムしかり、ビンラディンしかり、
★ヒトラーもそうだし、日露戦争で日本を応援しながら日本が勝って力をつけたら太平洋戦争で
★徹底的に叩いたのもそのパターンだ。これはもう神経症というべきだが、俺の理解だとこれは
★イギリスからの独立戦争がトラウマになったものではないかと思う。
★アメリカ東部13州はイギリスから渡ってきた人が作ったイギリスの子供のような地域だったが、
★いざ一人立ちしようとしたら、それはいかんとさんざん叩かれた。しかし結局アメリカは独立
★できたのだが、子供というものは親から受けた仕打ちを自分の子にもしてしまうのといっしょで、
★最初は自分のために育てた国も、成長してくると叩きたくなる神経回路がアメリカには
★刷り込まれているような気がする。
3〜4日前の毎日新聞に、このイラク戦争はアメリカのトラウマ戦争だと誰かが書いてたが、
やっと言ってくれたかという気がした。べつに石油なんかが目的じゃねえよ。
12 :
考える名無しさん:03/03/27 13:31
┌──┬──┬──┬──┬──┬──┐実はこのミニ将棋、発明したの俺なんだよね。
│▽飛│▽桂│▽銀│▽王│▽金│▽角│NTTドコモのi-modeの直接のきっかけを与えた
├──┼──┼──┼──┼──┼──┤「プリクラ新聞」はなかったことにされているけど・・・。
│▽歩│▽歩│▽歩│▽香│▽歩│▽歩│俺のその他のあらゆる業績がキチガイ扱いされたとしても
├──┼──┼──┼──┼──┼──┤このミニ将棋だけは否定できまい。
│__│__│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__│__|
├──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│▲歩│▲歩│▲香│▲歩│▲歩│▲歩│
├──┼──┼──┼──┼──┼──┤
│▲角│▲金│▲玉│▲銀│▲桂│▲飛│
└──┴──┴──┴──┴──┴──┘
13 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/03/27 13:35
桂馬の筋が気に入らないです。
あと、銀桂飛の並びがちょっとチャチかな?
>生物の体のパーツは通常二個づつ
>ついているからだ。
どうせならちんぽも2本欲しかった・・・・・。
15 :
考える名無しさん:03/03/27 13:46
なんで? チェスと一緒じゃん。でもこれより小さなミニ将棋は
すでに発明されていて、プロも遊んでいるのだがな。
16 :
考える名無しさん:03/03/29 00:23
┌──┬──┬──┬──┬──┐もっと小さなミニ将棋ってこれでしょ?
│▽飛│▽角│▽銀│▽金│▽王│俺はこれだと将棋らしさが半分失われてると思うんだよね。
├──┼──┼──┼──┼──┤桂馬も香車もないし歩も一つだけだし角交換もできない。
│__│__│__│__│▽歩│また、俺のミニ将棋はチェスとも違う。
├──┼──┼──┼──┼──┤チェスには金も銀もなく大駒だけがびゅんびゅん走り回る
│__│__│__│__│__|ゲームで日本人の繊細な感性には合わないのだ。
├──┼──┼──┼──┼──┤(クイーンは飛車+角だし、ナイトの八方桂も強過ぎ)。
│▲歩│__│__│__│__│日本将棋らしさを残したまま最小の将棋を作ることに
├──┼──┼──┼──┼──┤意味があるのだった。
│▲玉│▲金│▲銀│▲角│▲飛│
└──┴──┴──┴──┴──┘
17 :
考える名無しさん:03/04/02 15:31
ついでに言うと「朝日新聞を潰すためセブンイレブン不買運動」を提案したのも俺だし、
部落解放同盟(あるいは一般に戦後民主主義)がカルト宗教だと最初に指摘したのもこの俺だ。
小林よしのりにはわざわざ葉書を出して教えてやった。小林は自分が発見したことにしているが。
18 :
考える名無しさん:03/04/02 15:45
わしの生命思想の犠牲者が出たわけやな
俺もセブンイレブン不買運動を提案したし相対性理論を提案したのも
俺じゃ
ブッシュにイラク攻略を提案したのも俺じゃ
20 :
考える名無しさん:03/04/02 16:15
バカヤローーッ。イラク攻撃を決断したのはオレだ!
人の功績をつけねらいやがって・・。
>19
>俺もセブンイレブン不買運動を提案したし
いつどこで提案したんだ? 証拠を示せ。示せなかったら第一発見者の詐称であり
重大な犯罪だ。いいかげんなことを言うな。
ちなみに俺は昨年10月の時点で「2003年3月に重大な時代の転換がある」と
予言していたが、それがイラク戦争という形で実現したのは誰も否定できまい。
┌──┬──┬──┬──┬──┐もっと小さなミニ将棋ってこれでしょ?
│▽飛│▽角│▽銀│▽金│▽王│俺はこれだと将棋らしさが半分失われてると思うんだよね。
├──┼──┼──┼──┼──┤桂馬も香車もないし歩も一つだけだし角交換もできない。
│__│__│__│__│▲飛│また、俺のミニ将棋はチェスとも違う。
├──┼──┼──┼──┼──┤チェスには金も銀もなく大駒だけがびゅんびゅん走り回る
│__│__│__│__│__|ゲームで日本人の繊細な感性には合わないのだ。
├──┼──┼──┼──┼──┤(クイーンは飛車+角だし、ナイトの八方桂も強過ぎ)。
│▲歩│__│__│__│__│日本将棋らしさを残したまま最小の将棋を作ることに
├──┼──┼──┼──┼──┤意味があるのだった。
│▲玉│▲金│▲銀│▲角│ │
└──┴──┴──┴──┴──┘
24 :
考える名無しさん:03/04/02 19:28
参りました
25 :
考える名無しさん:03/04/02 20:48
_,,,――-,_
.,/″ ◇ ゙'i、
/ ◇ _ ゙ `| ∧ ∧ <おまいが雑魚
| _,,ノヘ /゙゙ l . ( ´ 〆` ) _ 丶三
・= =・=-´彡ミ゙゚''`''ヾ 丿三 三
三 ゚'i、ム ( ( 彡丿=ミ `゙-、_
;・ ゙ l◎ (.゚ヽlヽ彡 `'ー_、_、 '⌒⌒ヽ
三・゚;∴`″∴ヽ―--''^° `゚i、| `゙''ヽ、,___ノ
: ;”∵;′° .,,ノ │ ゙
.,,,i´ .. .|│ │三 =
,,/^,i´ 'ヽ .:l/" │
_,,r'"` | ゚''w,,,.'l│
._,/′ .| `ヽ .~''K│
彡 :'"` _,,v・〕 `ヽ,、 `ヽ,,
彡 ._,,r‐''″ l゙ `'i、 、 .゙゚''-、
彡 彡 .'"` ,! ‘'-,、 ゙゙'r,,,、
| >>下降機はんばい `ケ'-,、 `‘三x、
] │ ゙\、 三三 `'i、
.| :| ゙''ヘ,、 三 三
:[ ゙l ‘'--.三
゙l ゙l
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/ヽ |;,.|
/ ヽ、,|;;;|、,,.,;!, 、
. ,/ ";゙ '゙;`'\
/ へ _ へ ゙i ヤマァァァァァ ・ ・ ・ ・ ・ ・
l u゚ i´`i υ * ,!
! 。 !;,,。! ゚o ノ`i
\ `";`; ,,./ l
! ``ー--ー"´ |
| ゙i ' ;、 i ,/ ノ
| ,! ; l ,! i'
!、 ノ "・, ヾ、_ノ, |
`´l ' ゙ ; ,. l
|; . ;i
ノ 、;;.,' , |
l ゙l゙;'|ゞ; ゙i
!, ';|'';|''i; ,' |
ヾ、_ノ;:'|;ヾ、 ノ
|',.| '、| `i´
|j |.ノ ノ
|,.'| ゚`";
27 :
考える名無しさん:03/04/03 00:49
┌──┬──┬──┬──┬──┐
│▽飛│▽角│▽銀│__│▽王│後手持ち駒:飛
├──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│☆金│
├──┼──┼──┼──┼──┤
│__│__│__│__│__|
├──┼──┼──┼──┼──┤
│▲歩│__│__│__│__│
├──┼──┼──┼──┼──┤
│▲玉│▲金│▲銀│▲角│__│先手持ち駒:歩
└──┴──┴──┴──┴──┘
【世界全体における意識の構造】
┌─────────────────────────────┐
│____________全体の意識____________|
├─────┬─────┬─────┬─────┬─────┤
│個体の意識|個体の意識|個体の意識|個体の意識|個体の意識|
┝━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┿━━━━━┥
│個体無意識|個体無意識|個体無意識|個体無意識|個体無意識|
├─────┴─────┴─────┴─────┴─────┤
|____________全体無意識____________|
└─────────────────────────────┘
★ブッシュ大統領はイラク戦争終結ののちにはぜひ日本の北方領土を軍事的に奪回してほしい。
その場合、占領するのは北方四島のみとし、ロシアに対する賠償(または経済援助)はなし。
ただし、千島列島すべてを返還するなら経済援助するという条件で平和条約の交渉に臨めばよい。
よく科学的発見には帰納と演繹があるというが、ウソだ。発見はすべて演繹だ。
たとえば工学は明らかに演繹だが、素粒子論は帰納かというと、やっぱり演繹だ。
素粒子理論に限らず根源的なことを発見するということは、
何もない状態にさかのぼって、その状態から工学的に世界を演繹することだからだ。
俺は華原朋美の「I'm proud」のPVを見るたびに「ここはいったいどこなんだろう」
とワクワクしてたが、先日トモちゃんはテレビでそれがロスだと言っていたのを聞いて
がっかりした。なんだ、あれロスなのか。どこか知らない街かと思ってた。
しかし具体的地名がわかっちまうとワクワク感は一気になくなるな。
アイフルのお姉さんって小野真弓っていうんだ。ワクワク感喪失。
一般に知識はワクワク感を失わせる。自分がやってることの意味や理由がわからないほうが
世界は新鮮なのだ。そういう意味で学校教育は悪魔の洗脳である。知識が役に立つのはごく一部の
エリートだけで、あとの大多数は知識を詰め込まれたおかげでワクワク感を喪失してしまうのだ。
もっとも大多数の人間は勉強をあくまで表面的知識のレベルに留めてワクワク感を防衛している。
俺は勉強するなら完全にその世界を理解しないと気が済まなかったが、おかげでワクワク感は
ずいぶん低下したように思う。世の中、勉強ができるほうがエラいとされているけど、
知識界の洗脳に抵抗して、生きる意味を失わずに普通に働いている人のほうが生命としてよっぽどエラい。
そういう意味でむかし校内暴力とかしてたヤツはエラい。悪魔の洗脳に堂々と抵抗している。
彼らはツッパリとかヤンキーなどと言われて社会的に差別されているのだが、ダウンタウンの浜田を見ても
わかるように彼らはキチンと結婚して子供も育てるタイプの人間でもある。
子供のころからガリガリ勉強してエリートになってどれだけ幸福だろうか。
日本人はそろそろ人間観を変更すべきである。
「アストロポーイ〜鉄腕アトム」第一話を見た。
あのアトムの舞台の「メトロシティ」ってもろ今の東京じゃん。
レインボーブリッジも西新宿の高層ビル群もあった。
かつての「未来」はすでに実現している。実現はしているが、それは今なお未来的である。
つまり今回のアトムのテーマは「永遠の未来」ということだ。
昭和30年代ブームと永遠の未来が両立する場所に着地しようというメッセージだな。
「アイフル」じゃなくて「アコム」でした。
それと「西新宿の高層ビル群」ってもう言わねえよ。今は「西新宿」ではなく単に「新宿」。
今にして思えば「21世紀の日本」は1970年にはすでに成立していた。
アメリカなら1950年代がすでに「21世紀」だった。
さっきNHK教育TVでやった「サンダーバード」60年代の作品の再放送なんだな。
俺は60年代風にリメイクしたのかと思った。リメイクの鉄腕アトムがフィルムを使って
60年代の味を出してたように。つまり60年代に作ったSFは今でもそのまま通用するということだ。
SFって未来に実現することをえがいたものではなく永遠に実現しないファンタジーだったんだな。
「サイエンスフィクション」改め「サイエンスファンタジー」とするべきだな。
さて、哲学するとはどういうことか。
┏┓
┃┃┏┓
┃┃┃┃┏┓
┃┃┃┃┃┃┏┓
┃┃┃┃┃┃┃┃┏┓ ↓「哲学者」は時々最小の意味を感知してその意味を探究する
┃┃┃┃┃┃┃┃┃┃┏┓ ↓「哲学者」はふだん形式しかない無意味の世界で生活している
┸┸┸┸┸┸┸┸┸┸┸┸───────
↑普通の人はこの一番左の棒グラフの意味レベルで生活している
つまりこれ以上はさかのぼれないという究極の意味を発見すれば「哲学」は終わるのだ。
|言語以前に味覚はない。痛みもない。暑さ寒さも感じない。
|それらはすべて言語によって物語化された感覚だ。もともとの感覚はすべて透明だが、
|言語はそれらに色をつける。
|たとえば熱い鍋に気づかずに触って無意識に手を引っ込める場面を想起せよ。
|「熱い」ということは一瞬あとでわかる。しかしこれがコトバを持たない動物だと
|永遠に「熱い」と思わないし、われわれが感じるような「熱い」という感覚もないのだ。
そしてこれが究極の意味(=意味の起源)だ。「哲学」は終わった。
37 :
考える名無しさん:03/04/14 17:06
☆★☆ イラク戦争によって人類の文化意識は安定した。
★★★ 「未来」は復活した。永遠に実現しないファンタジーとして。
☆★☆ われわれは21世紀を昭和30年代として生きる。
「7000年、別のものが王国を築くだろう」(1−48)というノストラダムスの予言は当たった。
その証拠にイラクの博物館のメソポタミア文明の遺物がほとんど盗まれてしまった。
これはこの戦争が、人類の歴史を否定するためのものであることを示している。
歴史に無頓着なバカが世界を覆い尽くそうとしている。21世紀の地球=猿の惑星。
人間を自動車にたとえてみよう。
ふつうの人は自動車に乗ってエンジンを回して移動している。
俺はエンジンの構造を調べるため、移動する時は重たい車体を押している。
(移動する時だけ乗ればいいというわけにはいかない。いったん運転席に戻って
しまうと再び外には出れなくなるか、出れても何年もかかることになる)。
(^^)
41 :
考える名無しさん:03/04/19 05:07
>>37 × われわれは21世紀を昭和30年代として生きる。
○ われわれは21世紀を江戸時代として生きる。
人間に意味を与えるのは超越性である。有史以来、人間は宗教を超越性として生きてきた。
ところが近代になって「未来」が超越性を一手に担い、宗教は廃れた。
しかし今や「未来」の超越性はなくなり人類は宗教に回帰するしかない。
宮台真司の天皇主義への転向などはその現れだ。
いや、日本人はもともと無宗教だと言われるかもしれないが、日本人にとっては
外国文化が超越性であり、それを消化するのに精一杯だっただけだ。
その証拠にもう外国に学ぶことはないと思った1930年代は強烈な「天皇教」が出現したし、
今もまた学ぶべき外国文化はないので、近いうちにまた日本独自の宗教が発生するだろう。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
笠井潔(1948年生)
1962年(14歳)ビートルズ、デビュー
1968年(20歳)世界的文化革命
1972年(24歳)連合赤軍事件
1980年〜(32歳)自堕落なポストモダン
東浩紀(1971年生)
1985年(14歳)おニャン子クラブ、デビュー
1991年(20歳)ソ連崩壊
1995年(24歳)オウム真理教事件
2003年〜(32歳)唾棄すべき動物化
という平行関係があるな。
誰でも自分が20〜24歳の時に起きた社会的変化が決定的と思い込むのかもしれない。
俺も1983〜87年あたりの変化が決定的で、あとは何も変わってないと思ってるし。
>>43 この平行関係の指摘は有用。
けどあんた40にもなって、
こんなところでクダ巻いてんのか?
まあ業界関係者かもしれないからアレだが、
東に一方的に終わった世代呼ばわりされていることに対して
どう思うか聞いてみたいところ。
めちゃくちゃ恣意的じゃん
>44
東の言う「終わった世代」というのはその世代には有効な発言をしてる奴が一人も
いないということだろう。しかし俺の理論ほど今起きてることを見事に説明するものは
ないと思うがなあ。詳しくは前スレ「もうすぐ人類の意識は新たな段階へ進化します」
を探して読んでくれ(過去ログ倉庫から行けないのはなぜだ!)。
しかし俺個人もそうだが世の中全体もよくここまで持ち直したと思う。
90年代前半なんかまったく絶望的で、何もかも無意味でもう世界は終わるしかないと思った。
科学も哲学も音楽もスポーツもドラマもバラエティもニュースもすべて無意味。
とくに60年代前半生まれにとってはテレビ=世界なのでテレビ番組が飽和すると
世界全体が無意味になるのだ。しかし70年代生まれのファミコン世代の台頭によって
社会の全体意識における無意味成分は徐々に低下していってパロディにしか見えなかった
世界がだんだん普通に感じられるようになった。そして東浩紀という批評家はその脱テレビ世代の
代表として登場したのだと思う。東自身は自分の属する70年代生まれが動物化していると
非難するが、俺に言わせれば何の抵抗もなく知識の世界に属して本が書けてしまうこと自体が
立派な動物化だ。自分自身、動物化のおかげで本が書けているのに、本が書けないという理由で
同世代を非難するのはまさに五十歩百歩、目糞鼻糞を笑うだ。さらに不可解なのは東はいまだに
社会の進歩や近代文学を信じているらしいことだ。70年代生まれの人間が50年代生まれの感覚で
生きている。だから大澤や斉藤ともスムーズに議論することができる。たぶん71年生まれというのは
新人類ほどテレビに毒されず、なおかつ72年以降生まれほどノーテンキでもない絶妙のタイミング
なのだろう。絶妙ではあるが文学とか進歩を無邪気に信じている点でやがて東は時代から
ズレて行かざるをえない。そういう意味で東こそ終わってる。これから人間は二極化し、
進歩意識のないサル的人間と、進歩の限界と世界のパロディ性を自覚しつつ行動はサル的人間と
いっしょというメタ的人間のみとなり東的近代人は居場所がなくなるのだ。
特に今回のイラク戦争によって文化状況は一段と安定したので、東は内面的危機に陥るだろう。
しかし、世界は終わったと思いこんでいた我々世代に「いやまだ終わってない」と教えてくれた
東の働きには大なるものがあった。新人類世代を代表してここに感謝の意を表する。
|_○_|_○_|_○_|_○_|_○_|_○_|_○_|_○_|_○_| ┐
|___|___|___|___|___|___|___|___|___| │三段目
|___|___|___|___|___|___|___|___|___| ┘
|___|●_●|___|___|___|___|___|_●_|___| ┐
|___|___|___|___|___|___|___|●_●|___| │二段目
|___|●_●|___|___|___|___|___|_●_|___| ┘
|_●_|□◎□|○○○|○○○|○○○|○○○|○○○|□◎□|_●_| ┐
|___|_○_|___|○_○|○回○|○_○|___|_○_|___| │一段目
|___|___|○_○|_○_|○○○|_○_|○_○|___|___| ┘
将棋の駒や配置の恣意性をいったんバラすモデルとして、○の組み合わせで将棋の駒を表現してみた。
○は1マス分その方向へ移動できることを示す。ただし●は○の8個分で8マス先まで進める。
(1〜8個分まで自由に設定できる。9×9の盤なので最大8個で十分)。
桂馬のみ特例で中央に○を置いて桂馬跳びの機能を表すこととした。
(◎は○2個分。□は1個分。なお八方桂まで自在に設定できるがその表記法は省略)。
玉のみ中央に記号として回を入れた(これは○として数えない)。
今回はたまたま日本将棋の初期配置と一致しているが、
自陣内に○129個を自由に配置してよいこととする。
49 :
考える名無しさん:03/04/27 00:59
じゃ、これをそろそろ再利用するとするか
あ〜あ
51 :
考える名無しさん:03/04/27 01:02
あ〜あ
こういう変なオッサンをも呼び寄せてしまうのが
東の弱みというか、なんというか。
しかし俺の予言は見事に当たってるな。
イラク戦争に続いてSARSときて、さらに最近は株も下がってる。
いよいよ来るべき時がきたということか。
★華原朋美って将棋連盟の4級だったんだ。連盟の4級ってけっこう強いはず。
林葉直子と一局指す企画なんかありそう。その時はぜひミニ将棋で(普遍ミニ将棋も可)。
しかしここ一ヵ月の文化状況の安定はすさまじい。まさに96年秋の再来だ。
「ひょっこりひょうたん島」「鉄腕アトム」「ぴったんこカンカン」あるいは
キンキキッズのPVの1970年へのタイムスリップという設定など、
示し合わせたかのように1970年あたりの精神状況へ回帰する動きが見られる。
そしてそれは実にすばらしい回帰のように思える。この状態なら生きてゆける。
キンキのPVの剛の最後のセリフ「未来はええぞ」は印象的だった。
90年代前半だと絶対こんなことは言えなかっただろう。
★ところで「ハイル・ヒトラー」の手を上げるポーズってペニスの勃起だよなあ
「環境管理型権力の地球支配が進行している。マクドナルドの椅子の固さがその証拠だ」
「ニャントロ星人の地球支配が進行している。ミステリアスタワー(実はケータイの中継塔)がその証拠だ」
俺には同じような陰謀妄想に思える。『自由を考える』の中で東は「疎外」のような
キーワードを見つけたいと言ってたけど、「疎外」自体が実体のない被害妄想じゃないのか。
結局「情報化」が進行することで東や大澤が危惧する失われる何かというのは、
自分たちがカルトであることがバレバレになることで失う社会的地位(≒信用)のことだろ。
>>56 現代思想系の書き物を「ニャントロ星人」扱いするおまいは
単なる山形厨
>57
俺は多重人格もひきこもりもキレる少年も学級崩壊も全部テレビが原因だと思っている人間で、
メタ意識のみを別人格のように分離したせいで世界や生きることの意味が完全に消滅してしまう
という恐るべき状態に長い間苦しめられた経験からテレビ以上に危険なテクノロジーはないと
思っている。監視カメラや住基ネットなどの管理技術が危険とか言われても全く実感はない。
この程度のテクノロジーで「人間は何か大切なものを失うかもしれない」などと言うことは
つまりテレビによる深刻な意識の変容を経験してない証拠で、ちゃんちゃらおかしい。
やはり70年代生まれは全員アウトだ。単に50年代生まれの感覚に後退しているだけだ。
80年代前半の「高度感性成長」(中森明夫)の果てに85年に人間の意識は極点を突破して
しまったのだ。それ以降は「死後の世界」(宮崎哲弥)なのだ。すでに人間や社会に関する
基本的問題はすべて解かれてしまい、もう考えることはない。考えることがあると思っているのは
悪魔的権力の地球支配が進んでいると考えるような妄想の持ち主だけだ。
しかし「死後の世界」を生きていると思ってた60年代生まれも社会の「動物化」の進行と共に、
それほど世界は死んでないような気がしてきた。今はこの傾向のままうまく着地できるかどうか
という状況だと思う。そしてその着地にとって「環境型権力の支配が進行している」などという
妄想患者は邪魔だ。ファシズムの危険を叫ぶサヨクといっしょに退場してもらわないといけない。
【 意味=欲望×理想概念×因果関係 】
ただし欲望それ自体に形はなく、個別的な欲望対象への力として発現するのみ。
意味の成分の99%は欲望で、言語はほんの飾りにすぎない。
俺は今まで「人間」というものを世界の単位として受け入れることができなかったが、
人間の素機能としての「欲望」なら世界の最小単位として受け入れられそうな気がする。
いまどきギャルゲーをさも新しいことのように語ること自体がアナクロニズム。
このような末端的サブカルチャーを擁護することは、すなわち戦後民主主義の擁護であり
誰も大人としての責任を取らない体制の延命に手を貸す効果しかない。
そんな腐り切った体制を守ろうとするから日本は今の長期停滞から脱出できないのだ。
歴史の逆回転法則というのは恐ろしいもんで、1996年10月あたりから安定した文化状況が
その反対側の2003年3月から再び不安定化しそうな雰囲気になったきた。
4月中はもうこのまま永遠に安定するのかと思われた精神状況だったが、今回のSARSの
ブレーキの効かない広がりで世界の終わり意識が再びムクムクと頭をもたげてきたぞ。
地下鉄サリン事件3月20日→麻原逮捕5月16日、だったので
イラク戦争開始3月20日→SARSパニック化5月16日あたり、ということになるかも。
千乃裕子氏も5月15日にニビルが接近すると予言してたし、15〜16日あたりが一つの山だな。
>>58 お前あほか
70年代前半生まれと後半生まれは別物だろう
ビデオ普及以前を知っている人間ならそんなことは常識に決まっている
>62
ビデオやファミコンの本格的普及は85年以降で、それはテレビ文化の崩壊を受けた
フラットな21世紀文化の始まりともいえるものであり、84年以前の空気を知っているか
どうかは確かに世代の断絶として成立しうる区切りではあるが、70年代前半生まれは
60年代の空気を知らないという点では60年代前半生まれの俺に言わせると70年代後半生まれと
五十歩百歩なのだ。60年代後半は史上最も進歩が加速した時期であり、この時期に
ものごころがついた世代は無意識に進歩の加速度(=力)が刷り込まれてテレビ的進歩が
終わった85年以降も進歩の努力を続けることになる。そして社会的進歩が終わったあとも
進歩的意識を持続させると世界がパロディに見えるようになり激しい違和感を覚えるのだが、
どうも70年代生まれにはこの違和感がないようなんだな。いや、東浩紀は「動物化」という言葉で
違和感を表明しているではないかと言われるかもしれないが、それは考えが深いか浅いかという
違いであって、そもそもものを考えるということ自体が歴史時代のパロディだと感じるような
俺なんかとは次元が違うのだ。だから俺はそういうすべてがパロディでしかないような事態に直面して
そもそも言葉で考えるとはどういうことかという根本的問題から考えなければならなかったのだが、
東(やその世代)はデリダみたいな本を読んでアカデミズムのルールに従って書いているだけ。
そういうレベルだから「情報自由論」みたいな陰謀論の問題意識しか持てないのだ。
まあしかし俺の歴史反復論から「反復要素」というアイデアをパクった柄谷行人にしても
現実離れした革命思想があってはじめて創造的業績を生み出せたという意味もあるから
何かものを考えるためには現実とは異なる場所に足場を持つ必要は認めないといけない。
俺の場合それは「まだ見ぬ究極の進化」だったわけだが、これは左翼的陰謀論より一段上だろう。
このあと「欲望の極限的拒否」から「人間の素機能の設定」と話は続くのだが、
それはまさにいま考え中なのでいい結果が出たらまた書くこととしよう。
「フセインは悪の枢軸だから大量破壊兵器を持っているにちがいない」
「白装束集団はカルトだからいずれテロを起こすにちがいない」
日本のマスコミはアメリカそっくりの発想で白装束集団を追っかけている。
世界の終わりを確信する心理というのは「世界が終わってほしい」という願望が
「世界は終わらねばならない」という要請に変わり、それが最終的に「世界の終わりは
客観的に切迫している」という認識に変わったものだ。
それではそもそもどうして最初に「世界が終わってほしい」という願望が生じるのかというと
これは進歩的理性の世界をいったん否定する働きに由来する。
理性的な人間ほど現実をそのまま受け入れることはせず、いったん現実を否定して
それが不可能であることを確認して初めて現実を納得して受け入れるのだが、
高度に理性的な人間ほど極限まで現実を疑おうとするので、現実を否定した状態が
ずーっと続くことになり、その状態が耐え難いので早く世界が終わってほしいと願うように
なるのだ。しかし今まで世界が終わった試しはないし、これからも一週間やそこらのうちに
世界が終わるなどということはまずない。いいかげん「世界の終わり」という観念から卒業
すべきである。
理性的人間は極限まで現実を否定するが、それだけでは終末感は発生しない。
その前に「この現実世界とは何もかも異なる理想世界が実現するはずだ」という期待を持つ。
かつては共産主義がこの期待の受け皿であり、その次には「人類の新たな進化」を目指す
ニューエイジ思想が現れた。そして、それらの夢が破れた時、希望は絶望に転じ終末願望は
一気に高まるのだ。
例えば連合赤軍事件で共産主義の理想が崩壊した1972年は終末感が高まった年であり
この年には『終末から』というタイトルの週刊誌も創刊されている。
そして今は1999年の人類滅亡という理想が破れてやはり終末願望は高い状態にあるのだが、
さすがにもう4年も経つし、今回のSARS騒動が鎮静化するころには切迫した終末願望も
引いていくんじゃなかろうか。
「世界はすでに終わっている」
この認識から出発すべきである。
そもそも19世紀後半の時点であらゆる価値の消滅は実感されていた。
ニーチェのニヒリズムというのがそれだ。
しかしテクノロジーの発達でここ百年間、世界の終わりはうやむやにされてきた。
しかし20世紀の終わりと共にいよいよその誤魔化しも効かなくなり社会全体が世界の終わりを
受け入れる時が近づいてきた。そしてこの「世界の終わり」は実はたいへんいいことなのだ。
それを受け入れることで、人類は史上初めて真の自由を獲得するのである。
65はプラトニズム的とか、ヘーゲル的な終末観で、66はニーチェ的終末観?
66は、そもそもそういった終わりとか、理想郷が存在しないという意味での。
>67
「世紀末」といえば19世紀末を指すように、1890年代は終末感が極度に高まった時期だった。
どうも終末感というのは世界が根本的に変化する直前に高まるものらしい。
新しいテクノロジーのイメージはそれが実現する直前に妄想的なまでに誇大な期待を抱かせる
ものだが、20世紀の高度な都市文明が確立する直前の19世紀末にはそのイメージが
妄想的に巨大なものになったらしい。そしてそれはあまりにも巨大な変化なので、人間はその変化に
耐えられないというイメージを生み、世界の終末という感覚が生じたのだ。たぶん。
そして1914年8月の第一次大戦の勃発時には人々は神の啓示を感じたという。
世界最終戦争のイメージだ。実際それはかつて経験したことのない大量殺戮戦争となった。
さらにその後、第二次大戦が起きるわけだが、これはヒトラー自作自演のハルマゲドンだった。
同時にアジアでも「最終戦争」は起きた。そこでは最終兵器(原爆)も使用された。
この二つの大戦争は「世界は終わらねばならない」という1890年代の観念が生み出したものだろう。
この20世紀前半の激動に比べれば、20世紀後半の歴史なんかはママゴトだ。小学生の遠足だ。
そういう意味で歴史は1945年で終わってる。
いま昭和30年代がブームだというが、昭和30年代と1930年代はほとんど違わない。
しかし昭和40年代に世界は一変した。戦後史は平和なママゴトではあったが、その半世紀にわたる
経済発展で人類ほぼイメージ通りの21世紀を作ることに成功した。この20世紀前半の戦争と
後半の経済成長で最終的に歴史は終わったのだ。
そして戦後民主主義も用済みとなり有事法案は衆院を通過した。
さてそうなると進歩の時代の誇大な観念(革命とか進化とか終末とか)はなんだったんだという反省が
出てくる。そして1890年代の終末感を中和するクスリとして登場したニーチェの意味がここにきて
理解されるようになってきたというわけだ。すなわち進歩時代の観念はすべて錯覚であり、世界には
始まりもなければ終わりもない。単に存在しているだけだ。実は俺はニーチェの「ニヒリズム」が
そういう思想だというのを最近知った。やはりニーチェの果たした役割は大きなものだった。
そして俺の理論が予言した、2003年3月から始まる巨大な変化とはこのことだったのだ。
あずみゃんは、どっちなん?
あずまんは基本的に陰謀論的左翼だからプラトニズム的終末論でしょうね。
環境管理型権力がやってくるぞー、おまえら動物になっちまうぞー、
そうなったら世界の終わりだぞー、って警告しているわけだから。
俺は「動物化」というのはDQNとインテリが世界の意味を回復させるために
結託したもので、なかなか見事な作戦だと思っている。これを心配する必要はまったくない。
だよね。宮台もあずみゃんも、変にヘーゲル的だと思う。
映画「マトリックス」は1999年の世界が実は2199年のスーパーコンピュータが見せている
仮想世界というものだった。しかしこの時間設定は甘くて俺の実感と合わない。
「世界はすでに終わっている」という神の視線の意識は、時間的には少なくとも
50億年先の未来から現在(今なら西暦2003年)を振り返っているというものだ。
50億年後には地球も太陽系もすでになく、あらゆる生命は死滅している。
そういう完全な死の世界から今の時代を「はるか太古の昔に滅亡した文明」として
懐古している超ジジイの意識、というのがポストモダンのパロディ意識の正しい表現だ。
正しい表現ではあるが、それが意識の最終形態というわけではない。
歴史の完全な終わりを確認することで、いつの時代の意識にも自由に適応できるのが理想だ。
そういう意味でDQNと超インテリの意識は一致するのだ。
これが俺の言う「DQNとインテリの結託」の意味なのだった。
「2001年〜」とか「1984年」とか、
SFは時間設定が甘いことこそが重要。
そんで鉄腕アトム誕生とか祝う方がポモっぽい。
「2001年」や「1984年」はSFの時代設定のルールに忠実だった。
SFはほぼ30年後の世界を設定するのが暗黙のルールだからだ。
ウルトラマン(1966)は1993年の物語だったし「ブレードランナー」や
「アキラ」の舞台は2019年だった。
まあしかし「マトリックス」「宇宙戦艦ヤマト」の2199年というのは葬儀屋の「99年後」と
いっしょで「はるか未来」を意味する象徴的数字だから別にいいか。
白装束集団は今年の5月15日に人類史の大転換が起きると予言したわけだが、
これは当たっているかもしれない。そもそもマスコミがこぞってこの予言を採り上げること
自体マスコミ自身が時代の転換を感じ取っている証拠だし(終末を予言するカルトは
いつでもいる)、有事法案からりそな国有化と実際大転換が始まったようにも見える。
俺の逆回転理論からしても、今は根本的転換が起こりうる時期なのだ。
それは「歴史の逆回転はいつか効かなくなる」という性質に基づく。
バブル景気や高度経済成長のようなことが再び起こるとは考えられない。
1990年代以降、死にかかっていた人類精神が96年10月あたりで奇跡的に回復して
以後約6年半その安定は続いたわけだが、今年の3月でその安定期間は終わり、
さて次はどっちに転ぶのかというのが今の局面なわけだ。
「世界はすでに終わっている」と宣言してさらなる安定に向かうのか、90年代前半のように
再び人類精神は死に瀕するのかという分岐点なわけだが、もし後者だったらもう希望はない。
そしてこの時期に何もせずズルズルと精神的に死んでしまうと永遠に後悔するんじゃなかろうか。
あとはどうなろうと、この時期に戦後体制を完全に清算しなければもう二度とチャンスはない。
今ならまだ集合精神に生命力が残っているので改革はできるが、
このまま何もせず半年も経てば改革する気力もなくなるかもしれないからだ。
あのとき何か手を打っておけばよかったと後悔しないために小泉内閣には今すぐ
四大銀行の国有化など徹底的改革を断行することを切望したい。
俺は2001年4月に警視庁に電話して「今から3か月以内に最低5人以上が無差別に殺される」
(和歌山カレー事件の逆回転の関係)から俺の逆回転理論を世間に知らしめよと警告したが、
キチガイ扱いされた。
(ウソだと思ったら警視庁に「ハッタンダ」という人がいるから確認してみろ)。
しかしその2か月後、池田小児童殺害事件は起きた。俺の予言は当たるのだ。
たぶん今回も3か月以内に体制変革を断行しなければ永遠に後悔することになるだろう。
>>76 電話したのは俺だっつうの
嘘つくなヴォケ
そうやって全部てめえの手柄にするな
>77
ほう、どんな電話をしたのかね
歴史の逆回転が効かなくなる理由その2。西暦2000年を起点に、
5000年前(BC3000)文字
500年前(AD1500)活字
50年前(AD1950)テレビ
5年前(AD1995)インターネット
0.5年前(AD1999)インターネット接続ケータイ(i-mode)
と周期的に新しいメディアが登場してきたが、1999年のi-modeに匹敵するような
新しいメディアは2000年には登場していない。2000年はようやくi-modeの一般社会への
浮上が起きただけだ。すなわち2000年代初頭の数年間は90年代後半の勢いでもってるだけで
(高原状態)、本質的に新しいことは何も起きていない。
1995年はインターネット元年と言われたが、それに対応する2004年にインターネットに
匹敵するような新しいメディアが登場するなどということはありえない。
ゆえに2004年こそ明確な逆回転の限界なのだが、その一年前の今、すでに限界が表面化
しつつあるといったところなのだ。
こんなことを言うとニーチェ的終末論と矛盾するようだが、
「終わりなき世界」を実現するための現実的改革をせよということなので問題ない。
近未来=30年後、はるか未来=200年後というルールを確立させたという意味で
「マトリックス」の功績は大きい。どうしてキリのいい100年後ではないかというと、
100年後だといま生きてる人間でまだ生きてる人がいるからだ。いま生きてる人間が
確実に全員死んでる世界で区切りのいい最初の数が200年後なのだった。
クスリの効かない感染症、破局的少子化、資本主義の行き詰まり、テロ横行・・・
もう人類滅亡は確定しています。いま主流社会はそれを見て見ぬ振りをしていますが、
遅くとも2005年には主流社会もそれを認めることになります。そして、このままの状態だと
その認知がまた混乱を増幅させて地球は地獄の悪循環と化します。
そうならないように地球規模の強力な独裁権力が登場するでしょう。
イラク戦争はその独裁権力樹立のための序曲です。
>>81 > いま生きてる人間が確実に全員死んでる世界で区切りのいい最初の数が200年後なのだった。
この「なのだった」って語尾
かなり粋がっててカコイイ
渡部直巳がよく使ってるね。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
近頃は昭和30年代とかの写真ほ見ても、今と全然ちがわないと思うようになった。
しかしそれは、あまりにも昭和30年代のレプリカを見慣れてしまったので、
もともとの昭和30年代(の写真)もレプリカとして認識しているという倒錯があるのだ。
これは例えば60年代のヒット曲が90年代にTVCMに採用されてガンガン流れたせいで、
その曲を聴くと元の60年代ではなく、リバイバルの90年代を思い出してしまう状態と似ている。
問題は、このヒット曲のリバイバルの場合は思い出す対象が変化しているのが自覚できるが、
写真の場合は当時の感覚なのか今の感覚なのかを普通は自覚しないということだ。
このようにして歴史は捏造されるのだ。やがては60年代の感覚など誰も知らない時代が来るが、
80年代後半以降に懐かしがられる感覚が60年代そのものの感覚として記憶されるようになるのだ。
87 :
考える名無しさん:03/05/25 20:37
本スレで撃破されたアホゥが息つぎしてるようだ
>>87 違うよ。
常に既に奴は竹田に論破されている。
東は「動物化」の原因が「環境管理型権力の進行」にあると思っているが、それは原因ではなく結果だ。
たとえば90年代に人々は環境管理型文化を受け入れた(例:小室哲哉)。
それはもうこれ以上の環境更新型文化は不可能と見切ったからだ。
ていうかインターネットやケータイの登場が一瞬だけ世界を更新させているような気にさせた。
しかしそんなこと言ってたら1955〜85年あたりの戦後文化も高度成長による錯覚だったのかもしれない。
そしてそのIT革命の勢いが止まって錯覚が演出できなくなった時、世界は本当に終わるのかも。
だから世界を延命するため大して意味のないカメラ付きケータイがバカ売れしているのだ。
そして、そう考えれば俺が今までさんざんキチガイ扱いされてきたのも納得がいく。
俺の理論を認めると世界の終わりを認めることになるから受け入れられないのだ。
つまり実はみんな薄々世界が終わっていることはわかっているんだよな。
SFが未来ではなくデフォルメされた同時代をえがいているように、
歴史も過去ではなく過去のレプリカを認識しているだけだ。
東山紀之スレかと思ってここへ来たおばさんです。記念パピコ
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
>90
といっても過去の写真や流行歌を聴いて想起する「過去の思い出」も過去自体ではない。
つまり過去認識には「思い出」と「レプリカ」の二種類があるのだが、過去認識のモードが
変わると「現在」の感覚も変わってしまうのだ。まあこのレプリカ世界も慣れれば普通になるだろう。
1920〜30年代の前衛芸術や文学を訳もわからず有り難がる人間がいる。
中学・高校の教科書などで本物の文化だと持ち上げられているから
自分も高級な人間と思われたくて有り難がるのだろう。
しかし、それらの作品は当時の時代状況の中ではじめて意味を持つのであり、
戦後生まれは戦前文化の意味を理解することはできない。
同時代を知らない人間には過去のレプリカしか認識することはできないのだ。
そして、特に文学は必須の教養とされているからタチが悪い。
必須なのは科学的方法をマスターすることのみで、文学なんか知らなくてもいいのだ。
といっても昭和40年代の歌謡曲やアニメが新しい教養だと言いたいわけでもない。
もう(必須の)教養などという観念は捨ててもよく、個人が心地よいと思う文化を
味わえばそれでいいのだ。これが21世紀以降の「後期文明」の基本思想である。
しかしホントに、ここ2か月で精神状況は一変した。
ついに人類の歴史は最終目的地にゴールインしたと実感する。
もうこれ以上なにも変わらないし、変わりたいとも思わない。
もしかしたらこれからメチャメチャいい世の中になるかもしれない。
「i モード事件」(松永真理著)という本がある。
i モードがヒット商品になったいきさつを書いたとされる本だ。
しかしこの著者の松永(敬称略)は「ショートメールのコンテンツを考えてくれ」と
言われて1997年3月にドコモに入ったのだが、6月になったらいきなりi モードの
サービス形態のアドバイザーという仕事に変えられている。松永は少しもi モードという
企画の立ち上げに参加してない。それではこの3月から6月のあいだに何があったのか。
俺が渋谷でプリクラ新聞を作って配りまくったのがこの時なのだ。
「プリクラ新聞」は業界関係者に多大な衝撃を与えている。俺の出た複数の雑誌を見よ。
そして、i モードを立ち上げることになる企画会議には多くの業界関係者が出席していろいろ
自由に話し合ったと前掲書に書いてある。プリクラ新聞も話題に上ったことがあると考えるのが
自然だろう。俺の推測ではi モードはダイヤルQ2のケータイ版として案出されたものだ。
当時流行の出会い系雑誌「じゃマール」のケータイ版を作ることにしたのだが、まさか
ドコモ自身が出会い系サイトを運営するわけにもいかないので、第三者が誰でもサイトを
開けるような仕様にしたのだ。そしてそれが社会を根本的に変える可能性があるものである
ことを示したのが俺のプリクラ新聞なのだ。まあ百歩も万歩も譲ってドコモは俺のプリクラ新聞を
全く参考にせずにi モードを立ち上げたとしよう。仮にそうだとしてもプリクラ新聞という経験が
なければあれほどスムーズに大ブームになることはなく、もう少し時間がかかったはずである。
というわけで俺はどう控えめに見てもNTTの出してる雑誌に俺の歴史理論を半ページだけ掲載して
もらう権利はあると思ったので、NTTに電話して歴史の縮小コピーについて少ししゃべったら
相手の態度がガラッと変わって「そんな救済活動に協力することはできない」とはねつけられた。
完全なオウム扱いだ。この時おれは、もし将来何か権力を握ったらNTTの人間は皆殺しにしてやろうと
心に誓ったのだった。
その雑誌というのはもちろん「インターコミュニケーション」だが、
東はこの雑誌にたびたび登場しているので同類と見なす。東も死刑だ。
一時は俺を高く評価しておきながら、その後キチガイ扱いに転じた中森明夫も死刑だ
俺がテレビに(VTRで)出た時、きたないものであるかのように言及を避けた
司会の森本毅郎と渡辺真理も死刑だ。
TBS以外のテレビ局はNHKも含め全部つぶす
100 :
考える名無しさん:03/05/30 05:30
プリクラ新聞については警察もさんざん不愉快な妨害をしてくれたな。
あとで、俺がヤクザの手先だと思ってたと判明した時にはその場で殺してやろうかと
思ったが、ぐっと我慢してやった。しかしその2年後おれが部落解放同盟を批判したら
3日間留置場にぶちこんでくれたな。警察官も全員死刑だ。
101 :
考える名無しさん:03/05/30 05:50
「俺」って、誰ですか?(笑
102 :
考える名無しさん:03/05/31 20:19
俺は俺だ。さて進歩の時代が終わるとあらゆる過去が現在と感じられるようになる。
これが1996年10月以降、文化が安定した理由だ。現在の目から過去を振り返らないので、
文化のパロディ性が薄れたのだ。
「あらゆる過去が現在と感じられるようになる」というのは例えば1930年という時点も
1900年から見れば遙かな未来だということだ。1848年も1789年から見れば遙か未来の革命なのだ。
ソクラテスの出現もターレスから見れば遙か未来に起こる事件だということで、
ソクラテス=遙か過去の人間、と固定して認識していた進歩時代の認識態度は
普遍的ではなかったということだ。
1984年までは進歩の時代だったが、85年に世界は死んだ。
しかし85年と86年はまだ時間は止まってなかった。
その証拠にこの2年間、社会的流行は超高速回転をした。
だが、1987年3月にはその回転も止まり、進歩の時間は完全に終わったのだ。
87年の3月は俺には半年にも感じられるほど時間が経つのが遅かった。
たぶん87年あたり多くの人間がこういう体験をしているはずだ。
あと、89年1月2月も俺には87年3月と同じくらい遅かった。
>>86 遅レスですが、自分も同じようなことを考えています<捏造
「日本にビートルズ世代なんてない。(60年代の日本では)ビートルズファンなどクラスに一人ぐらいしかいなかった」と、音楽評論家の渋谷陽一なんかも言ってます。
105 :
考える名無しさん:03/06/01 05:02
60年代に「なんだこの変な音楽は」という状態で体験してこそ本当にビートルズを聴いたと
言えるのであって、70年代以降評価が固まったあとでビートルズを聴いてもたいして面白くない。
評価が固まったあとのビートルズはビートルズのレプリカにすぎない。
しかし、その時代を実体験してない世代はレプリカ化した歴史しか認識できないのであり、
いずれ進歩の時代を生きた人間はいなくなるのだから、もう今のうちから最近の出来事も
すべてレプリカ化してしまおうというのが俺の戦略なのだ。そうすることで過去は別な形で
生命が与えられ、そのことで現在にも意味が与えられることになるのだ。
106 :
考える名無しさん:03/06/01 05:13
「ホンモノ」は60ねんだいダケダヨ!(藁 ↑
107 :
考える名無しさん:03/06/01 21:00
108 :
考える名無しさん:03/06/01 21:39
ふーん
小学生だったけど、85年頃世界がかわった実感はあるし、
ネットメディアの話もそういう見方としてはうなずける。
ただ、最近毎日が楽しくなってきたのは俺だけなのかな。
楽しい時間が毎日続くようになった、気分のことではなくて。
そういう人、ここにも多いんじゃないか。
109 :
考える名無しさん:03/06/01 22:23
以上結論すると、〜年代とか◯◯年とかにこだわる奴らは
基本的に馬鹿ばかりであると。
>ただ、最近毎日が楽しくなってきたのは俺だけなのかな。
だよね。ここ2〜3か月で明らかに世界の状態が変わった。俺はその原因を論じているのだ。
さて「世界をレプリカとして受け入れる」という動きは最近のテレビ番組にも表れている。
「ぴったんこカンカン」「世界バリバリバリュー」などの過去の番組のリメイクの多発だ。
こういうレプリカ番組を見慣れると、たまに昔の元番組を見ても「あ、昔も同じような番組
やってたんだ」と反応するようになる。しかしこの認識には罠がある。元番組をやってた時代も
今のような時代と錯覚させる効果があるのだ。これはファッションについても言える。
今、70年代ファッションは20年代や60年代80年代などと等価な選択の一つにすぎないが、
70年代においてそれは唯一絶対の超越性を帯びていたのだ。当時はすべてが超越的だったが
(例:ロック、クイズ番組、マンガ、構造主義、過激派によるテロ・・・)レトロ趣味による
レプリカの氾濫はその超越性を忘却させる。今まではその超越性がなくなることにさんざん
抵抗してきたが、ここにきてついに(俺が昨年10月に予言しておいた)脱力革命が起きた。
実際脱力してみたら、それは結構いい状態だった。その結果「最近毎日が楽しくなってきた」
という反応が生じたと俺は見ている。
112 :
考える名無しさん:03/06/02 00:25
寺子屋イッテキタヨ
113 :
その結果「最近毎日が楽しくなってきた」:03/06/02 01:24
ここ2〜3か月で明らかに世界の状態が変わった。
ここ2〜3か月で明らかに世界の状態が変わった。
ここ2〜3か月で明らかに世界の状態が変わった。
ここ2〜3か月で明らかに世界の状態が変わった。
ここ2〜3か月で明らかに世界の状態が変わった。
ここ2〜3か月で明らかに世界の状態が変わった。
ここ2〜3か月で明らかに世界の状態が変わった。
ここ2〜3か月で明らかに世界の状態が変わった。
114 :
考える名無しさん:03/06/02 01:38
>>111 結局その脱力感を「ポストモダン」と呼ぶのではないだろうか?
115 :
考える名無しさん:03/06/02 05:20
それは,団塊世代だけ、でしょ(藁 >111
116 :
考える名無しさん:03/06/02 09:17
>114
どうも「ポストモダン」(近代後)という言葉から80年代は脱力の時代だったという誤解が
あるようだが、脱力どころか80年代こそまさに根本的革新を目指して命がけの苦闘をした
時代だった。東も柄谷の狂気スレスレの努力には敬服している。
>115
とはいえ70年以降生まれにとって80年代の意味は理解できず、力の入れようがなかったかもしれない。
たとえば70年生まれが思想的自覚を持ち始める15歳の時(1985年)すでに進歩は消滅していた。
いまのところ「世界のレプリカ化」はいいほうに作用しているが、俺はかつて
「進歩がなくなると進歩の要因もなくなる」という説を唱えたこともあり、
このままずっとうまくいくかどうかは慎重に成り行きを見守る必要がある。
118 :
考える名無しさん:03/06/04 00:02
あげ
あれ、ここ15スレ?
なんで17スレがもうあるのに?
ポストモダンだからですか?
あっちのスレもこっちも腹話術者が大流行のモヨン
【科学の歴史】
2500年前(BC500)=哲学的人間
250年前(AD1750)=科学的人間
25年前(AD1975)=構造的人間
という進化の図式だけ示しておく
122 :
考える名無しさん:03/06/05 13:35
たまにageるか
ていうか急に気が変わった。俺はもう二度と歴史の縮小反復とか逆回転とかは言わない。
そんなことを言うことに何の意味もないことがわかった。
ただし、進歩の時代は終わったとか、世界はレブリカ化したくらいのことは言う。
×レブリカ
○レプリカ
ちなみにもうこのスレには書かない
雪がつもった山の上に
雪より白いテントがひとつ
テントの入口に立っているのは
かわいそうなモヨン
モヨン モヨン
おまえはどこを見ているの
シカを追いかけていったまま
かえらない人をさがしているの
「おとなは、ボクたち子供のことを、水の中でアブクがボコボコするように、ボク
たちにはわからないやりかたで、話すことがある……。パパもママも、そんなふう
に話しているんだ……。」ともおもった。
「むしあついばんだこと……。」と、ママがいった。それだけが、なにかたいせつ
なことでも話しているように、はんぶんねむっているボクに、はっきりきこえた。
「いきぐるしいくらい……。」
「……。」
パパはへんじをしていない。
「こういう陽気は、子供にはいちばんいけませんわ。」
「あらしでもくるのかな……。」と、パパがいった。
「あらしなんて、まっぴら……。まっぴら……。」
ここまでがボクの耳にのこって、あとはまたわからなくなってしまった。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
128 :
通行人さん:03/07/20 23:50
gjfgj
「やれ、まあ、とんでもねえことをしたもんだねえ。」と、おばあさんはいった。
でも、しかりはしなかった。すんでしまったことはしかたがない。ゴンザには、わたしから話しておくから、
心配しないでもいい。わたしのほうでもわすれるから、いつまでもくよくよしなくてもいいといった。
「でも。そうだなあ……わるいことをしたもんにゃあ、なにかバチをあてなければならねえが、……うんうん、
そうだ、そうだ、おまえさんたちは、おれがしからなかったっていうことをわすれねえように、ときどき、
切った木のところへいって、木がどんなになってるか見てくるんだ。おめえさんたちは、おじいさんの家へ
きたときには、きっと木を見にいくんだ、これがバチだ。」
それから毎年、ぼくたちは、おじいさんの家へいくたびに、木を切ったところへいった。あくる年の夏には、
切ったあとから、新芽がのびて、それがかなりしげっていた。
そのあくる年の春には、枝のあいだにツグミが巣をかけた。
そして、そのまたあくる年には、たおれて橋になった木の幹には、キノコがいっぱいはえていた。もうくされかかって、どんな小さい子どもにも、わたれなくなっていた。カワセミだけが、その橋をわたった。雨がふって水が出たら、流されそうだった。
そして、それからなん年かたった。なん年か、なん年かたった。おじいさんもなくなったし、おばあさんもなくなった。いまはなにもかも、なつかしく思い出されるばかりとなった。
「赤い鳥」繋がりで。
「翼になりたい」の70年代におけるヒットは、大きな物語ですか?
セルフカバーが日本代表ソングになったのも、大きな物語だからでしょうか?
大きな物語の世界では、若いうちはものすごく下手でも、仕事で続けてやって
いるうちに、いい歌手になれた人が多いようですが、そういう夢を持つのはや
めるべきだということでしょうか?
紙風船では、「夕日よ沈まないで」が好きなのですが、今現在において、これ
はどういう小さな物語なのでしょう?
なんか東とか柄谷って見てて痛いんですけど
(⌒Y⌒Y⌒)
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| ___ | ) < かあさん、
\ \_/ / \ この味どうかしら?
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,;:''" "'':;;, ! / ヽ. ゙、
;; ;; l l 、 ゙, ',
':;, ,;:' i. | __`‐-ニヽ |:: :|
'':、,.,.,.;:'' ! ヽ─=‐-. ! :::!
,、,.';;:'' ,! `r-ニ二ニ{ l::!
|hl、_i`i | l iハ |l :::. 〉:|
ヽ'.‐-、ヽ、__l! ヽヽ i l:| :: i ::|
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,.‐´ 最 下 層 ス レ `‐.、.
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ふん やるではないか
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( (6 つ | ) ) )
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〈ー 〈__(_)__|\_( つ=┘| | \ ー ノ | |
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ノ / 人 ヽ. | | 人从人从人从从人 | |
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( ⌒) (__). | | ( ));;;))(;;;))(;;))(;;; ) | |
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| | ̄ | |_/ < 黙れ小僧!!!!!!!!
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|∵ | __|__ | < やるのか?
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| | | |養護| | |
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|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | < あんだと〜?
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| | | |養護| | |
本物ですか?
サヨはきえろ
「きえろ」は言い過ぎです。
146 :
考える名無しさん:03/09/01 14:30
半島にかえれって
うんこ
昔の左翼は、馬鹿な扇動に乗せられて労働組合や全学連で、
反日活動を繰り返す、国際共産主義を信じた、似非インテリが多かった。
最近の馬鹿サヨは、低脳が多くなり、主にヒキコモリ秋葉原系アニメヲタで
それでも、マジに国際共産主義をを信じてるとは恥ずかしくて言えないので、
2chねる用語を使いながら、隠れ共産主義者として、オナニーばかり。
反日マスコミを擁護するのが生き甲斐で、世論には低脳で立ち向かえないので、
2chで低脳コピペを繰り返すだけ。2chでしか鬱憤を晴らせない本当の馬鹿サヨに
落ちぶれたけど、反日カルトのオナニーを繰り返すのが特徴。
ゲラゲラ
611 :考える名無しさん :03/09/12 10:46
↑なんかよっぽど悔しいものがあるんだろうね、この人
612 :考える名無しさん :03/09/12 13:13
2chで多数派なのもウヨ。
613 :考える名無しさん :03/09/12 22:44
こうじん氏の哲学は趣味だと竹田が言ってまつ。
614 :考える名無しさん :03/09/14 23:08
http://www.kojinkaratani.com 615 :考える名無しさん :03/09/14 23:10
あの寝グセを柄谷ウェーブという
616 :考える名無しさん :03/09/14 23:16
久し振りにきたよん♪
617 :考える名無しさん :03/09/14 23:27
昔の右翼は、馬鹿な扇動に乗せられて皇居前で、
街宣車を乗り回し、日章旗を振り回したバカが多かった。
最近の馬鹿ウヨは、低脳が多くなり、主にヒキコモリ秋葉原系アニメヲタで
それでも、マジに天皇制を信じてるとは恥ずかしくて言えないので、
2chねる(←ーーーーーーーーーーーーーー)用語を使いながら、隠れウヨとして、オナニーばかり。
フジ・サンケイ・グループを擁護するのが生き甲斐で、世論には低脳で立ち向かえ
ないので、2chで低脳コピペを繰り返すだけ。2chでしか鬱憤を晴らせない本当の
馬鹿ウヨに落ちぶれたけど、反共オナニーを繰り返すのが特徴。
ゲラゲラ
149 :
考える名無しさん:03/10/18 03:40
『世界』十一月号。
北田暁大「嗤う日本のナショナリズム─『2ちゃんねる』にみるアイロニズムとロマン主義」。
東京都立大学 都立祭
宮台真司×東浩紀 対談トークイベント(司会進行:鈴木謙介)
日時:11月03日(月・休)開場16:00 開演16:30 終了18:30(予定)
テーマ:「情報管理社会とリベラリズム、リバータリアニズムのゆくえ(仮)」
おれ ひどいこと言ってたみたい
ごめんなさい
かい〜もどっておいでぇ〜
北田暁大によれば2ちゃんのナショナリズムを支えているのは、
1980年代前半を中高生で体験した1960年代半ば〜70年代半ば生まれだそうだ。
154 :
考える名無しさん:03/11/08 13:30
> 実は僕は、この日記では、書評はやらないことにしてきた。日記サイトで気軽に書評を連発していたのでは、
> 商売あがったりになる(ような気がする)からだ。
Winny厨はいやらしいね
音楽業界を蜥蜴のしっぽを切るように切り捨てて
自分達は必死で既得権益を死守するなんて
金のために哲学をする奴は死ね
こいつの本は全部ウェブで違法コピーしてぶっ潰そうぜ
155 :
Γ ◆m0yPyqc5MQ :03/11/08 13:35
GOOD!
156 :
考える名無しさん:03/11/14 11:15
今日(14日)のTBSラジオ「アクセス」に東登場!
PM10:00をお楽しみに!
朝のうち、明るく日がさしていたのが、きゅうに、昼ごろからくらくくもって、あらしのように大雨がふった。
雨は夕がたにあがり、うつくしく夕やけたあと、水色の空に星がでた。そんなばん(四月すえのしんりょくのき
せつだったが)ぼくは、ふしぎなしょうたいじょうをうけとった。だれがきていれたのか、雨であらわれたゆう
びんうけの中に、白いふうとうがはいっていた。
まことに、とつぜんながら、こんばんの人形劇に、先生をごしょうたいいたしま
す。先生は、魔法、妖精など、さまざまなふしぎをお書きになる童話作家でござい
ますから、とくにごらんねがいたく、ぜひ、どうぞ、おいでくださいますように。
はじまりは八時。十分まえに、おむかえの自動車をさしむけます。
「スパニョール座……? きいたことがない劇場だが、どんな人形劇をやるのだろう。」
ぼくは、しょうたいじょうを見つめていた。
サッと、このとき、ヘッドライトの光がまどガラスをかがやかして、門の外に自動車がとまった。警笛(クラクション)をたかくならしている。ぼくをよんでいるらしい。
ぼくは、大いそぎでいってみた。自動車のドアーがあいて、劇作家のAが顔をだした。
「やあ、むかえにきたよ。」
「なんだ、きみか……。」
「まあ、のりたまえ。放送局のB君もいっしょだ。」
「こんばんは。」
と、Bも顔をだした。
放送局のBのほかにも、新聞記者のCと、女優のDも自動車の中にいた。
「こんばんは。」
「こんばんは。」
「やあ、やあ。」
というわけで、自動車は走りだした。
おもわぬつれができたので、ぼくは気がるになった。
「スパニョール座って、どこにあるんだね?」
と、劇作家のAにたずねた。
「おや、きみもしらんのか。」と、Aはいった。「それじゃあ、みんなしらんのじゃあないか。あははは……。」