「青春という亡霊」でも読んでくさい
いいかげんにしろ
4 :
考える名無しさん:02/11/07 19:13
+ アハハ・・・
アハハ・・・ + +
+ lヽ
. / ̄\ +. ∧_∧ l 」 +
コロスナヨー( ´∀`) (´∀` )‖
(つ つ (つ つ +
. + ( ヽノ ( ヽノ ナゼコロシチャダメナノ〜?
し(_) し(_)
(⌒\ / ̄\ +
\ヽ( ´∀`) ダメダッテイッテンダロ
(m ⌒\ +
+ ノ / / +
( ∧ ∧
ヘ丿 ∩Д` ) +
(ヽ_ノゝ _ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
丿 ,;⌒⌒i.
/ ̄\⌒ヽ ( ;;;;;) ______
(´∀` ) ⊂) ,,:;;;) | |
/⌒ ( ) ヽ| |/ |;,ノ | 樹海 |
( ⊃ ∨∨ | / .,i |______|
( ヽノ | | ,,i; ,, . ,;⌒‖
し(_) /ヽ ,,,丶, | |,,,;. ;i, ‖ヽ
やれやれ、、、
6 :
考える名無しさん:02/11/07 20:22
そんな事より聞いてくれ、すごい事に気づいてしまった。
よく「単語の意味は文脈に依存する」って言うだろ、文脈が変われば
同じ単語も意味が変わってしまうと。(解釈学的、ソシュール言語学的
なことを言っている)でもこれって科学の基礎概念には当てはまらない
んじゃないかと思って来たんだ。例えば重力は重力じゃねえか、直線は
直線じゃねえか、他に違う概念に取って換える事は出来ないと。
ところが科学の基礎概念もやはり例外ではない事に気づいてしまった。
どうやって考えるかは教えない、ウフフ。
あったな
Q 点とは何か
A それは角から2辺を取り除いたものである
そもそも、「いけない」という言葉の意味がわからん。
広辞苑で引いてみたら
@(禁止を表す)不可である。…すべきでない。
A(非難・絶望・拒否・憐憫などの意をもって)よくない。まずい。だめだ。
望ましくない状態である。
B酒が飲めない。
だと。まあBは関係ないから、要するに「禁止」と「非難・拒否」という意味
しかないわけだ。で、
「人はなぜ人を殺すことを禁止(非難)するのだろう。」と問われたら、答えは
簡単で、「誰でも殺されるのは嫌だから」で話は終わりだ。
たぶん、この問いが哲学的に問われるってことは、「人は人が自分を殺すこと
は禁止(非難)するけれども、自分が人を殺すことは必ずしも禁止(非難)
しない場合がある。」からなんだろうな。要するに倫理の「相互性」に根拠が
あるかってことだ。違うかな。まあ何だかよくわからねえ。
9 :
考える名無しさん:02/11/07 21:25
みんな逃げ腰なのは何故?
>>9 もう飽きたからだと思われ。
何度、同じようなスレを立てる気だ?
sageていこうや
重複スレだろ。
本スレは?
13 :
考える名無しさん:02/11/07 21:39
1 は嫌がらせだろ
14 :
考える名無しさん:02/11/07 22:40
699出てこいよー
15 :
考える名無しさん:02/11/07 22:54
16 :
考える名無しさん:02/11/10 02:13
age
いちいちゼロから始めるのはシンドイな。
なんで、既存のスレ使わないんだ、馬鹿か
>>1は。
こんなテーマ、既出に決まってるだろうが、探せよきちんと。
想像力欠如した奴は、人として認めがたいな。
18 :
考える名無しさん:02/11/10 09:35
1は時代遅れ。
4はお花畑。
しかし、ま、「人はなぜ人を殺しては………」
というスレタイで、
>>1の書き込みが「なんとなく」だから駄目なんだな。
同じような問題でも、細かい問題提起の仕方に独自性を持たせていれば
それはそれで、スレとしての価値は相対的に生じると思われる。
破れた紙が2度とくっつかないように
消えた命は2度と再生されないから
つまりは取り返しがつかないことだから
理屈で説得できるレベルじゃなければ
愛という概念を萌芽させるしかにゃい
有名な殺人犯ヘンリー・ルーカスもシスターの慈悲で愛の人になったらしいから
性善説も否定出来るもんじゃない
21 :
考える名無しさん:02/11/10 11:51
殺人の善し悪しは人間が決めたこと。
殺人行為に制裁を加えるのも人間。
人を殺したきゃ、まずは国家権力と戦う覚悟を。
いけないと評価することと、殺さないようにさせる手段の話は分けろ
>>20-21
>>21 とりあえず、「天に唾する」って言葉の意味を、ちゃんと調べてみたら?
24 :
考える名無しさん:02/11/22 15:19
>6
としゆきだろ?
いいんです、やっちゃって、いいんです。
26 :
考える名無しさん:02/11/24 01:24
だからさ、「いけない」ってのは、人や社会や国が「いけない」って言ってる
だけの話なんだよ。神様が「いけない」って言ってるわけじゃないんだ。
そりゃそうだ、神様なんていねえんだから。人や社会や国(何なら自分の
「良心」でも同じ)が「いけない」って言おうが言うまいが、それは環境・所与
としての「事実」に過ぎない。その事実を考慮に入れた上でなおかつ「殺す」って
決定を下すなら、そりゃもう個人の自由だよ。仕方ねえじゃねえか。まあ
そんな決定を下す奴はあんまりいないだろうと思うがね。
27 :
考える名無しさん:02/11/24 15:25
>>26 いけないって言ってる「だけの話」ではなくて、いけないって言ってる「話」である、だろう?
さりげなく評価をもぐりこませて無責任な発言をコソコソと書き込むのは、いい加減にせえ。
クズが。
28 :
考える名無しさん:02/11/24 15:26
なにしても良いよ
29 :
考える名無しさん:02/11/24 15:29
環境として所与として、という時点で、「いけないと言う」、という行為が
捨象されている点もおかしい。これも「事実」だろ?
なんで「いけない」は常に「言われる」こととしてしか、ないことになる?
その事実を考慮に入れた上で殺すという決定を下すような「自由」は
認められてない。決定が行われる場合があることが避けられないことと、
それが「自由」として認められるかどうかは別だ。
自由にしていいよ、っていう言い方があるよな?
殺すことを自由にしていいよ、って言う奴がいるか? ふざけんな。
あはは。お前が先に死ねよ>30
>>31 お前は死ぬべきだって言ってるんだよ。
お前のように死なすのでない。
殺すことがどうってことないんなら、
死んで見せろ、と言ってるんだ。
いつか、勝手に死ぬさ
うん?ちびり君?あはは
>>34 ちびり君はお前だ。どうってことないんなら、「今」死んで見せろ、ほら。
嫌だね。他にやりたい事があるから。
君と相手してる暇ねえ(無い)。
自分で自分を殺そうとしてみろ。
どうってことないかどうか、すぐに分かる。
死ぬのは恐いけど。
死のうとするのは楽しいよ。
殺すのもね☆
>>36 他にやりたいことがあるから、自分で自分を殺すのは嫌なんだな?
他にやりたいことがあるなら、お前以外の人間が殺すとしても、
自分が殺されるのは嫌なはずだが、なんでどうってことないことになるんだ?
おら、答えて見せろ。ガキが。
>28
41 :
考える名無しさん:02/11/24 15:40
お前みたいなヤツが人殺しに成り易いんじゃない?>39
>>40 何してもよい、は、何でもする、っていってる「だけ」だろうが。
何でいけないということは、「いけないといってるだけ」になって、
何してもよいということは、「何してもよいといってるだけ」にならないんだ?
馬鹿だからよく分からないよ
相手にしない方が良いよ。>42
>>43 ん? お前はどっちの考えなんだ?
42が相手にしないほうがいいといってるのか?
42を・・・のか?
まあ馬鹿を相手にするのは馬鹿なのは間違いないから、
別に俺を馬鹿扱いするのは構わんぞ。ただ、このスレの話と
その話は別だ。
28=31=34=36=38=40=41=43
さよなら
>>45 ん、逃走か? あ、そうそう、
>>28は、
>>39の答えになってないぞ。
つーのは、自分が殺されるのが嫌だが、自分に何してもいいよ、ってのは
にわかには理解できない文章だからな。普通は嫌ならしてはいかんことに
なるだろう。今は40が殺される話をしてるんだからな。
というわけで、
>>8で終了な。
47 :
考える名無しさん:02/11/24 18:21
どーでもいいけど
>>26はどこでもあんな書き方してるな。
しかも神はいないとかいってるし。
関係ないじゃん。
生まれながらに「殺し」を快楽と感じる人はどうなるのでしょうか?
その人にとっては何の罪の意識も無く楽しい遊びの一つだったら・・・。
社会にとっては明らかに悪でしょう。
しかし、その人にとってはただ、娯楽を楽しんでいただけなのに、厳罰を与えられます。
これは、極端に言えば「多数の正義」になるのでは・・・。
いいたいことが分かってもらえるでしょうか?
49 :
考える名無しさん:02/11/24 18:36
殺しは狩の習性なわけだしそこに
快楽を感じるのはあたりまえ
多分人を殺すときは勃起するだろうな
>>47 絶対はないから何でもOK、っていう馬鹿がときおり沸いてくるよな、この板。
>>48 多数の意思が現実に通用することは「多数の正義」で強制的なニュアンスで理解し
少数の殺人という不当な決定が通用することを、殺される者にとっての強制と理解しない
理由はどこにあるんだ? 社会にとって悪だってのを認めるのも、個人にとっての悪を
おおいかくすための方便に過ぎないだろうが、お前んのは。クズは死ねよ。
自分は、善とは何か?悪とは何か?とか考えまくりました。
んで、出た結果がこれです。
「そんなものはない!」
善悪、そんなものは人間が勝手に決めたエゴです。統率者が市民に与えた鎖のようなモノ。
自分は昔、善い人間になろうとか考えて、世間で言われてる「良い事」を一生懸命やりました。
「良い」という言葉に振り回されるようになってしまいました。
結果、自分の意志そのものがなくなり、混乱状態(ノイローゼ)になりました。
きっとこの世には、もともと良い悪いなんてない。
そんな事いうなら人間は、他の動物や植物を平気で殺す、最低最悪の悪魔だ。
そして、人間を殺しちゃいけないと言う人は、毎日罪の意識で生活しなければいけない。
生き物は、生きたいなら頑張って生きるのが鉄則だ。
だからみんなも、良い悪いとか考えないで、なるべく素直に生きようぜ。
あーすっかり誤解されてるね。いや俺の書き方が悪いから当然だけど。
で、俺の本意はまさに
>>50氏の言っていることなんだよ。要するに
「人を殺してはいけないという絶対的(というか実存的)な理由」なんてものは
ないけど、ないってことを気に病んだりする必要は少しもない。社会的に殺人を
禁止する必然的な理由があるんだから、それで十分だ。」ってことだ。
昔、ドストエフスキーか誰かの(知ってる人教えて)「神がなければすべては
許される」って言葉に衝撃を受けて、いろいろ考えたことがある。で、結論は
「許す主体がいないんだったら、許されるもクソもないだろう」ってことだ。
神が許したって(というかいないんだから許しようがないけど)、「人間」や
「社会」や「自然」が許さないことがたくさんあるんだから、それで十分なんだ。
俺は
>>48氏の言いたいことはよくわかる。それは「多数の正義」に「過ぎない」
と思うけど、でも、「多数の正義」で十分なんだね。だって「多数の正義」以上
の「正義」なんて、原理的に有り得ないんだから。そういう快楽殺人犯は、当人に
とってどうであれ社会的に「許されない」存在なんだから、さっさと死刑にする
だけの話だ。ここでまた「殺人はいけないといいながら国家が死刑という殺人を
犯すのは矛盾だ」とか「思い悩む」人がいるけど、そんな必要少しもない。だって
「殺人はいけない」ってのは「絶対的な規範」じゃなくて、「相対的な事実関係に
基く政治的な決定」に「過ぎない」んだから、例外があるのは当たり前なんだ。
もう一度言うが「絶対的な根拠がない」ってことは「相対的な根拠で十分だ」
むしろ「相対的な根拠が最高の根拠だ」って意味だよ。誤解なきよう。
53 :
考える名無しさん:02/11/25 21:49
人を殺してもいい場合もたまにある。正当防衛と緊急避難。
すなわち、そうしなければ自分または第3者の命に関わると客観的に判断できる場合に限り
人を殺してもよい事になっている。
54 :
考える名無しさん:02/11/25 21:54
>>52 「絶対的な規範が存在しない」ことを気に病んでる人がどこかにいたの?
56 :
考える名無しさん:02/11/25 22:41
施行されている法律と善悪は無縁である。
じゃあ、その善悪ってのはどういうもの?
>>58 つまり、法律は、マジョリティの価値観とは無縁だってこと?
あのさ、一つ聞いていい?
みんなは、「悪い」と言われてるから殺人をしないの?
人を傷つけると心が痛むからじゃないのか?
善悪とか言う前に、本質的に物事を考えなきゃ駄目だろ。
51みたいに、善悪に振り回されるようになるぞ。
提案だけど、
>>60のリンク先の内容をひととおり確認して見たら?
>>60のリンク先の内容をひととおり確認して見たら
いいことあるかも
いい加減、現代的倫理観を前提において議論するのはやめれ。
それかスレタイを「何故殺人は倫理的に否定されるのか」にでもしとけ。
66 :
考える名無しさん:02/11/26 12:29
「現代的倫理観」て何でつか?
それと「人はなぜ人を殺してはいけないのだろう」と
「何故殺人は倫理的に否定されるのか」と、どこがちがうのでつか?
67 :
考える名無しさん:02/11/26 13:30
>>62 >人を傷つけると心が痛むからじゃないのか?
俺は痛まないよ。
「悪い」と決められてなかったら、今すぐにでも人を殺してみたい。
でも、ルールはちゃんと守るよ。
68 :
考える名無しさん:02/11/26 14:05
殺されたら嫌だから
わかるわけない
人を殺しちゃいけない理由なんて
70 :
考える名無しさん:02/11/26 14:49
自分の自由は他人の自由を保護するために制限されなければならない。
そのために法がある。これは善悪とは無縁だ。
人を殺すことは他人の自由に対する侵害ではあるが、善でも悪でもない。
善悪というのは、自意識過剰な人間が作り出したフィクションにすぎません。
71 :
考える名無しさん:02/11/26 15:36
みんな想像力が欠如してるね。
俺も人を殺したことはないけど、なぜいけないのかは分かる。
もし、殺したりしたら、たぶん、一生後悔するだろう。
つまりは、「自分のために」殺してはいけないってことよ。
人はなぜ糞スレを立ててはいけないのだろう?
なんとなく考えてみませんか?
いま一つわかりませんね。
ネタは別として、本人は糞だと思わないのであり、
防ぎようはないと思われ・・・
74 :
考える名無しさん:02/11/26 16:05
なぜ物を盗んではいけないのですか?みたいなもんじゃねえか?
>>71 後悔しない人は殺してもいいってことですか
人間を製造しているのは他ならぬ人間だからでしょ
自分たちがせっかく作ったものを自分でこわして何が楽しいの?
ってか意味ないじゃんってこと
でもね、たまにはそういう自暴自棄っていうの?
なんかこう自分がせっかく積んだ積み木の塔を崩してみたり?
こういうのが楽しいこともあるから人間というのは不思議だよね
>>75 そうだよ。
絶対に後悔しないならね。
ただし、精神異常ならともかく、そんな奴いるのかね。
78 :
考える名無しさん:02/11/26 18:38
うーん、洞察の浅い言葉言うより罪悪かもね。
つうか、後悔するとなぜ悪いの?
理由はそもそも会話・記述といった、「行為」の上で示されるものであり、
「行為」によって「理由」を述べる「行為」を無視することは、常に可能なので
「絶対的な理由」は、原理的にありえません。
理由があるかどうかとは、まず、@形式的な問題であり、次に、A説得性の問題です。
説得性は、「その理由は説得的でない」といった台詞で無視することができるので、
「絶対的な説得性」も、原理的にありえません。 馬鹿には何を言っても通用しないのです。
▼
文章を書いているときに「この文章に理由がない」と言いますね。
こういう場合、@理由のあるなしは、形式的に決定されます。
実質的妥当性は問題とされません。 この意味では理由がない、などということは
ありえません。例えば、
・人(任意のB)を殺してはいけない。なぜなら、秋刀魚を食べられなくなるから。
この文章の理由は、実質的に結論を支えませんが、形式的に理由を述べたことになります。
「理由がない」のではありません。「理由はある」。しかし、説得的でないだけです。
・人(任意のB)を殺してはいけない。なぜなら、殺される人は、殺されることで非常に大きな不利益を負うから。
殺す側、殺されない側は、殺されることによって生じる直接的な不利益を受けないが、
そのことは、殺される人が負う不利益を解消する原因・理由にはならない。
付された理由が説得的かどうかは、人によるでしょうが、殺されること一般に付随する不利益を
無視することは、かなり説得的でない立場でしょう。
▼
AがBを殺すときには、
・Bが殺される事実以外の事実を考えているか(利得目的)、
・Bが殺される事実自体を目的としているか(復讐)、
・Bが殺される事実が判断に入っていないか(心神喪失)、
・Bが殺される事実を、何らかの事情で引き起こしてしまった(過失)から、
殺すことになります。
Aにとっての、()内の要因に対する評価(利益)は、
Bが殺される事実に対する評価(不利益)とは、無関係です。
Bが殺される事実に対する評価はそれ自体主張可能である以上、
これを示すことができれば、日常的に問題が生じない程度の意味で
「人を殺してはいけない」理由を答えたことになります。
重要な補足です。
理由は、理論的には矛盾していても、現実的には並立して存在可能です。
主張という行為は並立して存在するからです。
あと、人を殺してはいけない理由と、人を殺すことを抑止できる要因は違います。
これを混同して論じている人が多いですが、きちんと区別しないとまずいです。
いいかげんにやめよう。
>>62さんの発言は、このスレの答えではないのですが、とてもよい発言だと思います。
・きちんと「殺人を「しないの」?」という問いを立てた上で、
・「傷つけると心が痛むから」と答えを与え、
・殺さないことは、善悪が判定できるかどうかの問題ではない点を指摘している
点が、よいと思います。賛成です。
以前似たようなスレに書いたことがある者ですが、ちょっと一言。
この問いが「日常的な意味で」発せられているなら、答えは自明です。狂人でもない
限り、わからない人はいないでしょう。
しかし、この問いが「真剣な哲学的疑問」として発せられているなら(私の知る限り
では哲学者の永井均氏などがそうです)
>>80-82のような答えでは答えになりません
(善意は十分わかりますが)。それは「馬鹿には何を言っても通用しない」
からでは決してなく、問いのレベルが(上とか下とかでなく)ズレているから
議論が噛み合わないだけだと思われます。ただ、この問いは哲学的どころか単なる
悪ふざけや軽いノリで発せられることもあるから厄介なのですが。
>>86 なぜ、日常的な意味で答えをはっきり与えないのですか?
>この問いが「日常的な意味で」発せられているなら、答えは自明です。狂人でもない限り、
>わからない人はいないでしょう。
「殺してはいけない理由は、日常的な意味である」なぜ、認めないんですか?
私の知る限りでは、この点をはっきり断言したレスは、あんまりないんですよ。
上の認めないで哲学である、とか、たわけたことを言ってるから、確認してからやれよ、と言ってるんです。
なんで、悪ふざけや軽いノリで論じられるケースがあるという点を知っておきながら、
それを批判し尽くすという責任を果たそうとしないんです? 哲学者である前に、
貴方達は人間でしょう? 人間として当たり前のことを当たり前に回答できない馬鹿が、
哲学者を名乗れるとでも思ってるんでしょうか?
ふざけるのもいい加減にしてくださいよ。
日常的な意味である
↓
日常的な意味で、ある
また、日常的なレベルで回答でき、その点を承認するという事実がある点を排除できるような
「論理」は、原理的に存在しません。日常的なレベルでの要請は論理によって覆される性質の
事柄ではないからです。その点を指摘できない哲学は、哲学として欠陥があるでしょう。
よくわからないんだすけど…どうも僕ひとりで勘違いしているみたいなのかな?
「人のコミュニティーにしばしば人が人を殺してはいけないという決まりが存在する理由」
つまり「ほとんどの人が人を殺したがらない理由」じゃなくて、
「お前が俺を殺してはいけない理由」を答えないといけないのかな?
「死ねー!」ってナイフつきつけられた時に「ちょっと待ってよく考えてみたまえ」
とか言って相手を説得できるだけの理由だよね
そんなものあるのかちょっと心配になってきたよ…
正しいことにもたれてる人間の鼻をあかしてやりたいだけですね。
>>80 >理由はそもそも会話・記述といった、「行為」の上で示されるものであり、
>「行為」によって「理由」を無視することは、常に可能なので
ここの部分、日本語として意味不明。
なんらかの行為についての論述という行為において、
「論述する対象となる行為」と「論述するという行為」を故意に混同してるだけに読めるが。
>>91 つまりこの問いの意図するところは
藻前等ワケわからん言葉とか定義とか論理とかを好んで扱う奴の
命乞いはどんなに論理的で説得力のあるものなのか聞かせてみろ
ってことなのかな。
スレタイにするなら
【ヤメテ】物凄い勢いで哲学者が命乞いをするスレ【オネガイ】
か。
それは漏れも聞いてみたいYO。
よってage
なぜ命乞いをしなければいけないのだろう?
95 :
考える名無しさん:02/11/27 21:16
俺はやっぱ、どうせ死ぬなら思い切り他人に迷惑かけて死にたい
という思いがあるね。
96 :
考える名無しさん:02/11/27 21:26
自然界で共食いって、何故かおぞましい。
同類で殺しあうのは、縄張り争いとかの場合だけでしょ。
だったら戦争も已む無しか・・・。
>>90 @「人のコミュニティーにしばしば人が人を殺してはいけないという決まりが存在する理由」 は、
コミュニティーの中にいる人(たち)が、殺してはいけないという禁止を要請したからです。
A決まりが効果を持ち、それに従って刑事法などが作られた理由は、
要請が、支持、維持、黙認、された・されている、からです。
▼
「殺してはいけない」という禁止を要請する理由は、殺される(過程で傷つけられる)のは痛いから、
殺されそうになるのは怖いから、殺されそうだと考えながら日常を送るのは嫌だから、
生きていれば得られる可能性がなくなるから、殺された者が殺されるのは悲しいから、などです。
「お前が俺を殺してはいけない理由」は、上の禁止を要請する理由を、そのままあてればOKです。
なぜなら、「お前が殺すかどうかに関係なく、殺されると困るという要請はある」からです。
例えば、泥棒・教室で騒ぐこと・嘘をつくことを、禁止するとします。
対して、泥棒をしたり、教室で騒いだり、嘘をついたりすることは、可能です。
しかし、泥棒をしてはいけない・教室で騒げたり・嘘をついてはいけない理由が無かったことを、
示すことには、ならないです。やられたら困るなら、してはいけない、と禁止される点は、
結局変わらないからです。
「相手を説得できる理由」=「相手が説得される理由」は、
正しくは@「殺さない」「盗まない」理由です。A「殺してはいけない」「盗んではいけない」理由ではありません。
@を考えるときに、Aは、考慮されえます。さらに、@は、Aに限定されるわけではありません。
例えば、@の理由としては、A以外に、かわいそうだと「思う」から
>>62、
殺人罪や窃盗罪の適用を受けて一生台無しになるから、学級委員長のナントカさんに好かれたいから、
嘘をつくとハリセンボンのます指切った、をやったから、でも、構わないのです。
>>98 最後から5行目 さらに、→しかも、が、良いですね。すみません。
もうひとつ、
>>8 さんのレスにもリンクさせてもらいますね。
>>97 だから、「人を殺してはいけないという理由を述べるという行為」と
「殺人という行為」に何の関係があるんだね。
103 :
考える名無しさん:02/11/28 01:17
人はなぜ人を殺してはいけない?
自分は殺されたいのかい?hah hah
104 :
考える名無しさん:02/11/28 01:58
俺は学生時代、草取りを一度もしたことがない。
植物だって生きてるんだ!
106 :
考える名無しさん:02/11/28 02:20
人類の歴史見れば
殺したい奴が殺したいようにさくさく殺してるじゃねーか。
で殺したあとも面白おかしく楽しい人生をおくってる。
きまりごとといのうは神授説の形でも取らない限り
絶対的な根拠は得れないと考える。
だから殺したいと思ったら
殺したあと報復をかわすまたは跳ね返すだけの権力か知恵があれば
殺してもだいじょーぶなんです!!
実際そういう人間はたくさんいます。
107 :
考える名無しさん:02/11/28 02:32
殺すことがいいのか悪いのかではなく、
殺すことにすら、意義を見出そうとしている状態は、
苦しい。
意義は無いと知りつつ、意義を作り出されるとき、
確かに、力を得た、といえるだろう。
108 :
考える名無しさん:02/11/28 02:38
おそらく快楽的とさえ言われる殺人ほど、
意味を多く求めて、殺している。
殺すって行動だろ
行動にいけないも何も無いだろ
出来るか出来ないかだけだと思う
やるかやらないか、それだけ
またやってんのか。
111 :
考える名無しさん:02/11/28 12:04
>人はなぜ人を殺してはいけないのだろう?
誰が殺してはいけないといったんだ?
112 :
考える名無しさん:02/11/28 12:57
>人はなぜ人を殺してはいけないのだろう?
何で殺さなくてはならないんだ?
>>111,112
「ボクはなぜアナタを殺してはいけないのだろう?」
だったらどうする?
114 :
考える名無しさん:02/11/28 13:54
>>113 「何でおまえに殺されなあかんのじゃ」
ってことだな。
115 :
考える名無しさん:02/11/28 13:55
>>113 殺したければ殺せばいい。
ただその前に、
どうして殺したいのか教えて?
116 :
考える名無しさん:02/11/28 14:08
>>106 別に権力なんて無くたって、
どうしても殺したきゃ殺せよ。
それで素直に刑務所入ればいいじゃない。
殺されそうになったら殺します。
それがなにか?
「なぜ?」 に対しての回答に、倫理・道徳的な善悪を持ち出したら
それは哲学的な問いへの回答にならないだろ。
「なんで人は死ぬ?」ってのと同じくらいの単純で純粋な問いなんだろ。
倫理・道徳を持ち出さないで回答をしれ。
121 :
考える名無しさん:02/11/29 04:02
殺人と言う行為を善悪で考えるならば、そこに決定的な理由を付けること
は不可能でしょう。
なぜなら、人間には「絶対善、絶対悪」と言うものを定義できないからです。
あくまで「殺人が悪である」というのは「法律上そうなっている」
と言う意味でしかありません。
しかし、「人を殺してなぜ悪い」と主張する人は「自分が殺されても良い」
と主張することだと考えなくてはなりません。
665 :名無虫さん :02/11/07 23:12 ID:W3r6f7am
教えて下さい。
鯨を一定の保護のもとで食すことにはもちろん賛成です。
牛・豚はいいのに鯨だめって理屈は通らないです。
しかし、私は犬はぜったい食えない。
今現在も犬食ってる連中に対して
「鯨も牛も豚もいいけど犬だけは食ってはいかんよ」
という主旨のことを論理的に説明できないものでしょうか。
それともやはり犬食いのみに対して偏見を抱くことは
鯨を食べることに反対する白人連中と同じ穴のムジナなのでしょうか。
672 :名無虫さん :02/11/11 00:27 ID:???
>>665 哲学板で聞くとおもしろいかも。
「犬を食べてはいけないと説くに有用な論理を構築してみせよ。
但し、食文化や価値観という言葉を用いて不可能だとする場合は、
人を食べてはいけない理由を法という言葉を使わずに説明してみせるべし」
ってなぐあいで
123 :
考える名無しさん:02/11/29 04:35
>>122 アハハ・・・
簡単だよ。
犬よりも鯨、牛豚のほうが肉が取れるから。
犬を食う理由なんかないね。
124 :
考える名無しさん:02/11/29 04:58
>>120 んじゃひとは殺人をする権利を国家に譲渡する義務があるから、てのは。
権利を返してもらってもよいがその場合国家から出ていくことになる。
多分すべての国でこの義務があるので、権利を返してもらった奴は
いくところがない。野垂れ死に・・・
125 :
考える名無しさん:02/11/29 06:10
俺は二度殺されかけたがね。
126 :
考える名無しさん:02/11/29 09:55
>>120 「人を殺してはいけない」という規範に対する答えなんだから
倫理や道徳がでてくるのは当然なんじゃないの。
哲学的な問いに対する回答に倫理・道徳を持ち出してはならないてことはないし、むしろ
「人を殺してはいけない」を倫理・道徳がどのようにして可能にしているか、とか
その倫理・道徳がなぜ妥当なのか、とかを問うことは十分哲学的だと思うが。
127 :
考える名無しさん:02/11/29 13:01
128 :
考える名無しさん:02/11/29 13:11
犬は「愛玩動物」
人間が動物の役割を勝手に決めてんだね。
129 :
ウルトラマンコスモス:02/11/29 13:13
表面的な大人しさ(偽善)に騙されるな!
A型の特徴
●とにかく気が小さい(二言目には「世間」)
●ストレスを溜め込んでは、キレて関係ない人間を巻き添えにして暴れまくる(小心者のくせに短気)
●自尊心が異常に強く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず、実際にはたいてい、内面的・実質的に負けている)
●他人の忠告を受け入れない、反省できない、学習能力がない(自分の筋を無理にでも通そうとするため)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者に対してはへりくだり、弱いものに対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため、性格がうっとうしい(根暗)●一人では何もできない、女は連れションが大好き(群れでしか行動できないヘタレ)
●多数派(注・日本では)であることをいいことに、少数派を馬鹿にする、排斥する
●異質、異文化を排斥する(差別主義者)
●集団いじめのパイオニア&天才
●悪口、陰口が大好き(性格極悪)
●他人からどう見られているか、体裁をいつも気にしている(「世間体命」)
●DV夫が多い(特にB型やAB型の女に対して、世間体を気にするあまり)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度も言う、知障)
●頑固で融通(応用)が利かず、表面上意気投合しているようで、腹の中は各自バラバラ(しかも考えていることは驚くほど幼稚)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自分は常に自己抑制しているもんだから、自由に見える人間に嫉妬し、徒党を組んで猛烈に足を引っ張ろうとする(ねたみが人一倍強い)
●おまけに執念深くしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(冷酷)
●要するに女々しい、あるいは女の腐ったみたいなやつが多い
>>127 えさ代とか食べ頃になるまでの期間とか飼育のスペースというコストパフォーマンス
を考えれば、鶏は小さくない。
犬がどうしても食いたいやつはペットとは区別された食用犬を食えばよい。
131 :
考える名無しさん:02/11/29 14:09
てゆーか生死そのものに異常なまでの執着を示すのって人間だけだな。
>>126 これは同意
>「人を殺してはいけない」を倫理・道徳がどのようにして可能にしているか、とか
>その倫理・道徳がなぜ妥当なのか、とかを問うことは十分哲学的だと思うが。
俺が言いたかったのは、
>>1 の言う
「人はなぜ人を殺してはいけないのか?」
の「いけない」は、道徳的な「善悪」においての「悪なのか?」という問いじゃないのでは、と。
ようは、「善悪」を問うているのではなくて、「殺すのがダメという理由は?」と問うている
のではないかにゃーと
>>120 >>120の「哲学」は、実は「善悪を持ち出さずに話すというルール」を指してるに過ぎません。
なぜなら、
>>120は、何が「哲学」的かについて「純粋な」考え方であるとし、
「純粋な」考え方とは、「善悪を持ち出さないような」考え方である、としているだけ
だからです。
つまり、はじめから「殺人は悪だと言ってはいけない」ルールをつくり、
そうしたルールをつくったことを、「哲学的に考える」と称してカモフラージュし、
「いけない=ダメ と言えるかどうか」の議論をすることは、認めて見せたかのような
そぶりをしているわけです。
いけないということを問題にすることは、必ず善悪を結論として出して、
禁止を正当化しますから、
>>8さん、のレスや、
>>80-82 にある日常的な答えは、絶対に
「哲学」的な答えにならない(=善悪を問題にしてはいけないというルールに反する)
ことになる、という寸法です。そして、
>>120が「哲学」的に考えているように見せて、
哲学的に考えてない者より、さも深く考えているかのように演出するわけです。
>>120は「哲学」という言葉を使って、インチキしてるだけです。
>>132 ダメという理由は、ダメだという側が、日常的に気に入らないという理由でOKです。
>>8 >>80-82 ダメ、は、倫理的な要求を示すとは限りません。
例えば、
部屋で着替えをしているときに、入るよー、と言われたのに対して「ダメ」と答えるのが、
倫理的といえなくても、ダメと言った事になるように、
殺そうとされたときや、殺すことを問題にしたときに、それはダメ、と答えるのが、
倫理的といえる必要はありません。倫理的でなくても、ダメ、と言えます。
ダメだといわれる側が納得する理由は、
>>98にあるとおり、
ダメかどうかの話ではありません。
>>121 ▼
>>121は、「絶対善、絶対悪はない」と言うことで、
「善が全ての人によって守られることはない」という考えを、読み手に前提させます。
しかし、これは、善がなぜ善なのかの話とは関係ないですよね。
守られるべきことがあることと、それが守られるかは、別の話ですからね。
>>121の言い分だと、やったことは全部善であるという理解になるんでしょうね。
人を殺してしまった場合、殺した人は「善に反した」と考えずに
常に「善を行った」と考えることになっていますね。そんな事実はないですから、
121も、単におかしな思想に染まってるだけなわけです。
▼
また、まともに法律学を勉強したことがある人なら、
「殺人が悪である」というのは「法律上そうなっている」
とは、絶対に書きません。
なぜなら、守られるべき利益があるから、法律を使って守るという考え
(法益保護主義といいます)が、一致して認められているからです。
守られるべき利益が無ければ、法律上悪いとする理由はないですから、
ある利益を侵害しない行為が、法律に悪いと書かれていたとしても、
ある行為を「法律上」悪いとすることはできない、ことになります。
>>135 「殺人が悪である」というのは「法律上そうなっている」
↓
「殺人が悪である」というのは「法律上そうなっている」 という意味でしかない
>>120 倫理・道徳を持ち出すと、どうして哲学的な回答にならないんだね?
>>137 だから、「人を殺してはいけないという理由を述べるという行為」と
「殺人という行為」に何の関係があるんだね。
>>140 それで、、「人を殺してはいけないという理由を述べるという行為」と
「殺人という行為」の関係については、説明できないのかね?
>>141 >殺してはいけない理由について、
>>80 だから、「人を殺してはいけないという理由を述べるという行為」と
「殺人という行為」に何の関係があるんだね。
>>142-143については、
>>140のような問題がありますので、
返答は差し控えさせていただきます。
細かい表現に質問を行った上で、瑣末な議論を展開させ、
内容
>>141とそのリンク先 が書かれたログが目につかないように
しようという手には、乗る気はありません。
>>144 私は、「細かい表現」について質問しているつもりは無いが。
「人を殺してはいけないという理由を述べるという行為」と
「殺人という行為」というのは、
>>80 の主張の中で、
それなりに意味のある概念ではないのかね?
それは私の勘違いで、
「人を殺してはいけないという理由を述べるという行為」も、
「殺人という行為」も、そしてそれら二つの関係も、
あなたの主張のにおいては、瑣末な表現の問題でしかないのかね?
>それなりに意味のある概念ではないのかね?
>二つの関係も、 あなたの主張のにおいては、瑣末な表現の問題でしかないのかね?
・・なんでしょうね、この質問。馬鹿ですか?
>>146 というか、あなたが、質問に答えられないにもかかわらず、
同じ主張をコピペし続けているから、こちらも、同じ質問を続けているだけだが。
私の質問が「論点外れ」だとすると、
>>80 の冒頭では、
一体何が述べられているのかね?
「人を殺してはいけないという理由を述べるという行為」についても、
「殺人という行為」についても、
そしてそれら二つの関係についても、
述べられていないというのかね?
155 :
考える名無しさん:02/11/29 21:45
人が人を殺すというと血生臭い殺人現場ばかりを連想しがちですが
妊娠中絶や安楽死についてはどう思われますか?
人が理性的な判断から人を殺すという行為は実は結構日常的なことだったりします
事の本質は痛いとか法律違反とかそういうところにあるのではないんじゃないでしょうか
>>155 いや、まず、
「人が理性的な判断から人を殺すという行為は実は結構日常的なことだったりします」
という事実から、
どういった結論をあなたが出しているのかを示してくれないと、
どういうことを言いたいのかよくわからないんだけれど。
>>155 どうしても、人を殺してよいことにしたいらしいですね。なんなんですか、あなた。
そんなに本質知りたきゃ、自分の胸をナイフでつけばいいでしょう。
すぐに、本質を理解できますから。
>>155 いくつかの方向があります。
殺すことに関する是非を、血なまぐさい現場を除外した上で、
「日常的」である→ありきたり→許容されがち、なものとみせかけ、
結論部分では、血なまぐさい現場をも含むような「殺すことが許されている」結論を
とっている点がうさんくさい、ひとつ。
問いの意味を意図的に押し広げて、問いが問題としていない事例の判断を
問いが問題とする事例の判断に及ぼすような詭弁はやめろ、ふたつ。
答え
>>151 は、「事の本質」なる、155個人の解釈でどうとでもなる(155は内容をあかしてない)
インチキ概念によって変化する内容でない点、3つ。
妊娠中絶の場合、ここで「殺される」主体は、このスレの問いが意図するところの「人」であるか、
そうではないだろう、という方向、
また、ここで「殺される」主体が、殺されてよい主体になったとしても、前述の
>>151 の点は
変化しないのに、「人」という範疇全体に答えが与えられないことをもって、根拠がなくなったかのように
見せかけている点、4つ
さらに、中絶反対の議論がある点、5つ、
中絶を行うことの可否と、中絶の正当性に関する評価を一致させる必要が無い点、6つ
安楽死について、安楽死を認めるとは、殺すことを認める話ではなくて、
死期を選ぶ手助けを認めるかどうかの話だろうが、ふざけんな、7つ。
安楽でない死について問題にしてたんじゃないのか、8つ。
法律違反を問題にした議論は
>>135で反駁された、9つ。
いくらでもつっこめるけど、このへんで終了。
162 :
考える名無しさん:02/11/29 22:35
毎度さんは文章を理解出来ないのでしょうか?
それとも、わざと曲解っしてるのかな?
>>161 >>156 は質問のつもりだが。
「人が理性的な判断から人を殺すという行為は実は結構日常的なことだったりします」
という事実をあなたは示しているわけだけれど、
その事実からどういった論理で、どういった結論をあなたが導き出して、
>事の本質は痛いとか法律違反とかそういうところにあるのではないんじゃないでしょうか
という主張に到ったのかを教えて欲しいんだが。
私は、
「人が理性的な判断から人を殺すという行為は実は結構日常的なことだったりします」
という事実からは、殺人の是非について、とりたてて特別な結論を導きだせないものだから。
>>163 確かにひとりよがりな文章だったかもしれないですね
注意してほしいのは、私が出した結論であるところの最後の行は
殺人の是非に関するものではなく、事の本質がどこにあるのかってことです
私達が求める答えは、想像もつかない死ぬほどの痛みや人生を狂わすほどの重い刑罰の
評価から導かれるものではなく、もっと日常的な感情とか思索の中にみつけられるものなの
ではないか、またそのような答えでなければ意味がないのではないか、といいいたいのです
殺人とそれに対する良心の呵責というは日常的にありふれたものなんですから
>>164 どのような状況から導かれた答えであったとしても、
問題の要求を満たしていれば正しい答えだと思うんだが、違うだろうか?
そういうことではなくて、「そういった状況を探したほうが、正しい答えを見つけ易い」
ということを言っているのだろうか?
166 :
考える名無しさん:02/11/29 23:24
>>164 日常的な感情とか思想という物自体、ある限定された場所、時代背景
においてでしか通用しない物であり、それを求める限り、普遍的な
答えは導き出せないと思いますよ。
良心の呵責自体も人間の内面にもともと備わっている物ではなく、
生後の環境によって作られる物ですから
>>133 >つまり、はじめから「殺人は悪だと言ってはいけない」ルールをつくり、
違うよ。「殺人は悪」というならば、それはなぜに? と言ってるのだよ。
その回答に、「道徳的に答えるのか」と、「哲学的に答えるのか」では
結論が大きく違ってきやしないかい?
1の問いは、
「道徳的に悪いとされていることは承知→
で、殺人を行った→とすればそれは、道徳は考慮された上で捨てられた、ということ
→ならば、その行為は道徳と言う観点からは非難できない→では、なぜ「いけない」の?
ということかと思うのだが。
「道徳」ってのは、一つの「価値観」だろ?
その価値観を持たないで行われた行為(問い)に対して、なんで「道徳」を
持ち出して裁ける(回答できる)のだ?(「法律」は、また別ね)
道徳的価値観を根本においてるなら、そもそもこの質問が出るのかな?
純粋に種の保存に反するからでは?
種(家族、民族)を守るためなら躊躇なく人殺しするし。
あと、そう「言われてる」からしないっていうのは間違いだと思う。
それは他律であって、自律ではないし。
既出だったらスマソ
種の保存に反するとなぜいけないんだ?
170 :
考える名無しさん:02/11/29 23:41
「なぜ人を(以下略)」スレをゾンビスレと呼ぶことにする。
ゾンビーは悪いやつだから、ぼくがやっつけなくちゃいけないんだ。
>>169 種の保存は最も原始的な本能であり、生命の目的だから。
「いけない」っていうか「出来ない」。
なぜ子供を産むのかってことと同じ。
人を殺すことが、種あるいは自己を守る唯一の手段と思った者には
何を言っても止められないんだと思う。
>>165 正しい答えに対するあなたの認識は正しいです
私がいいたいのは、そういった状況を探してみつかる正しい答えの方が
平和で理性的な日常生活を送る我々にとっては
適切、参考になり、役に立ち、おもしろいんじゃないのかってことです
>>162 曲解という言葉を述べるだけで、曲解がなされたふうに見せかけないでください。
>>157-159 >>164 あなたが、「日常的」として示す実例は、ちっとも日常的じゃないです。
日常性をいうなら、そもそも人殺しをするかしないか問題にしない側面を問題にしなければ、
おかしいです。また、このスレのテーマは、もともと日常的であってはならない事実も
含まれているのに、それをわざわざ日常的なものとして位置付けたがるのも、おかしな態度です。
>>62 >>155 >>158 >>160 >>166 普遍的な答えを導くうえで、実際に生じる不利益に着目しない限り、普遍的な解答を
あたえることはできない、という文脈で書かれたのでしたら、賛成です。
私は、良心の呵責という点は、禁止を守るのに必要なこと(のうちの、ひとつ)だと考えてます。
>>167 私は「道徳的に悪いとされている」という結論を述べていません。
殺人について、「悪い」という表現をあてられ、「いけない」「ダメ」などの言葉を使って
禁止できる、と述べただけです。
>>80-82 >>134 禁止は道徳的なものに限定されません。
「道徳は考慮された上で捨てられた」とは、「禁止は考慮されたが破られた」ということを指します。
そして、行為を非難するのは、まさに禁止を破られたときでしょう。
道徳という観点から非難できるかどうかは別として、
>>80や、
>>134-136 >>8さん、の観点から非難できます。
>>168 それは、種を守るという目的が正しい話であって、殺された不利益が正しかった話ではないでしょう?
既出です。
「人はなぜ人を殺してはいけないのか」
ここに含まれる下の問い
「人はなぜ人を殺してはいけないということになっているのか」
↓
道徳、法律に反するから。場合によっては「いけなくない」と、道徳と法律がおっしゃる。
「人を殺すのは悪いことか?」
↓
道徳的価値観(善悪)ならば悪。道徳的価値観を排除すると、そもそも「善悪」が語れない。
>>172 >種の保存は最も原始的な本能であり、生命の目的だから。
本当に、「原始的な本能」「生命の目的」
「であるかどうか」についての議論は、
スレ違いになるので保留するとして、
仮にそうであったとして、
なぜ、それに反する行為が「いけない」といえるの?
>「いけない」っていうか「出来ない」。
>なぜ子供を産むのかってことと同じ。
いや、本当に「出来ない」のであれば、「いけないかどうか」は
問題にならないんじゃないの?
>>176 何回も言ってるように、道徳は、禁止を守らせるための手段であって、根拠ではないです。
そう考えれば問題は混乱せずに理解できます。
法律(刑事法の運用)は、法益保護という目的にしたがって禁止を正当化するのであって、
法律がおっしゃるから、悪いことになるのではありません。
>>176 その、道徳と法律は、なぜ、「いけない」と「おっしゃる」ってるの?
>>178 道徳は根拠ではないね。でも、道徳は「手段」なの?
>>181 正確には、手段の一つ、です。
手段が無くても現に禁止が守られる場合は、考えられますね。
廊下で友達と話しに夢中になっているとき、廊下をはしってはいけない、という禁止は
守られてますよね。つまり、普段の生活をふつうにおくる、仲良く生活することも
「手段」です(あくまで、目的との関係で)。車を注意深く運転する、というルールを守ることや、
交通安全をうるさくいうことも、人を殺してしまわないようにするための、手段とみることができます。
>>182 「人を殺さないこと」は何の手段なんですか?
>>173 そういうふうに、それっぽい見識があるようなフリをしながら、
非日常的・暴力的で非理性的と理解されている「殺し」全体を、日常的なレベルに近づける表現をとってるのは、
どこの誰ですか? うさんくさいんですよ。
>>155
>>177 >いや、本当に「出来ない」のであれば、「いけないかどうか」は
問題にならないんじゃないの?
DNAという人為的ではないプログラムのような形で人間が支配されているがゆえに、
「出来ない」事への反抗というか、不安といったものがあるから議論し、
答えを出そうとするのだと思う。
人間がすべてを支配できるというエゴからね。
この考えが全く正しいとは思わないけど、人間には限界があるよ。
>>178 「法律がおっしゃるから悪いこと」 なんて書いてないよ。
「いけないということになっている」って書いたじゃないの。
>>180 治安維持。大多数の「平和」。
>>187 法律がおっしゃるから、いけないということになっている、んだろう? 同じでしょう?
何が治安維持だ。馬鹿が。戦前へ帰れドアホウが。
ああ、何が治安維持だ、の部分はわからないと思うので注釈。
社会秩序維持っていう表現をとらないこと自体が、彼がその分野をなんにも
勉強してないことの証拠なんです。気になる人は、刑法の本を確認してみてください。
参考:通常は、法益保護と自由保障が刑法の目的とされています。
>>175 おおよそ同意。
確かに非難はできる。でも、その相手が「なぜ?」と
聞いたときへの「回答」にならない。
>>167 の後半もっかい読んでくれ。
>>193 何度言わせれば気がすむんですかね。
道徳的・哲学的に回答する必要など微塵もないし、回答はもともと殺された側に関する理解なんですよ。
殺された側の不利益がそのまま回答になります。
>>98-99他
195 :
考える名無しさん:02/11/30 00:44
人を平気で殺す香具師は迷惑この上ないので、殺してもいいです。
でも精神異常者なら責任能力がないので殺さないでほしい。
計画的な殺人は残虐非道この上ないので殺すべきです。
戦争で殺すのは家族が悲しむので戦争もないほうがいいです。
196 :
考える名無しさん:02/11/30 00:44
>>189 「法律がおっしゃるから悪いこと」 これは善悪のことを
言っているのであり
「いけないということになっている」 は決定された事実について
言っている事だと理解します
もう少し文章理解力をつけたほうが良いと思います
それと人格攻撃はやめましょう。みっともないですよ。
ついで
>>176 にある「悪いこと」ってのは、道徳的な「善悪」での「悪いこと」で、
「いけないこと」ってのは、君の書く「禁止事項とされていること」って
ことじゃないの?同じじゃないと思うぞ。
あと、別に解りやすく書いただけじゃねーの?治安維持でも社会的秩序でも
平和でもいいじゃねーかそう怒るなよ...
>>194 あれー? じゃあ、俺と君は、ようは同じ考えじゃないか。
>>185 いや、そっちの話は、このスレ的には本筋じゃないんだが・・・。
「なぜ「殺人はいけないか」が問題になるか」という問題について論じたいのならば、
別スレをたててくれ。
それで、本筋の問題として、
仮に、「種の保存は最も原始的な本能であり、生命の目的」であったとして、
その目的や本能に反して「いけない」理由は何?
>>195 1行目、3行目、表現を変えたほうがいいです。殺すこともやむをえない。
2行目は、嘘でしょうが、法律的には、そのような解決であるべきでしょう・・。
まあ、用語や事例で結論が変わってしまいますが・・・。
4行目は全く賛成です。
>>187 治安や大多数の「平和」が脅かされるから、
殺人を「いけない」と「おっしゃる」わけだね。
実際のところ、殺人によって治安や大多数の「平和」は、脅かされるの?
201 :
考える名無しさん:02/11/30 00:55
殺人に対し罰が無くなり、気に食わない人は殺しても良い
と言う世の中になれば、十分平和は脅かされると思いますよ。
>>200 え?
おまいの平和は、殺人によって脅かされないのか?
殺人が身近だとして、それは今の環境(殺人が身近でない環境)より、安心して生きてゆける環境?
だとすれば、
「平和を守らなくてはならない」「平和を脅かしてはいけない」とするならば、
殺人は、「いけない」といえるのでは?
>>202 いや、「あなたが」どう考えているかを聞いてるだけだが。
つまり、「実際に」脅かされる、と認めるわけだね?
>>196 治安維持。大多数の「平和」。
こういう表現をこの問題の根拠として述べる人間に対して、ドアホウ、戦前へ帰れ、
というくらいは、全然OKだと、私は思います。それぐらいあなたの発言は、ふざけた発言です。
丁寧な言葉を使えば、内容がまともになったり、とんでもない不勉強に基づく発言が
まともであったことになるとでも、思ってるんでしょうか?
文章についてですが、法律が、禁止という結論を正当化しているとき、必ず禁止する行為を悪いとする
根拠を問題にします。いけない、ということになっている、とは、悪いとされている、と同義です。
禁止が導かれるまでに、問題にされたことがなんだったか意識しないで法律を語るのはやめてください。
>>197 治安維持でも社会的秩序でもいいのは、そのとおりなんだけど、
いきなり治安維持という言葉を使うこと自体が、歴史とかなにやらの
理解が全く無いことを物語ってるわけですよ。それを問題にしたのです。
同じ考えですか。それは、よかった。軽い海苔で同じ考えと
ハッキリ言ってくれたのは、あなたがはじめてですよ。ありがとう
>>203 「決め事/法律」的には「いけない」と、言える。
「道徳」的には「悪いこと」と、言える。
では、
法も道徳もとっぱらって、「なぜいけないのか?」
に、答えることができるのか。
>>205 別に
>>176が書いていることは「問題の根拠として述べている」
というんじゃないと思うのだが。
そう語られている環境や現状を、書いただけどと思うのだが。
208 :
考える名無しさん:02/11/30 01:05
国家は国家の平和を守らなくてはいけないので、
殺人を禁止しています。国家にとってはいけないことです。
>>204 認める。過去に実際に「殺され」かけて、とてもじゃないが「平和」とはいえない状態だったもの。w
>>207 でも、「法や道徳」が無くても、
「殺人」によって「平和」は「実際に」「脅かされる」わけだろう?
もちろん「法や道徳」が「あるから」、「平和を必要としている」なら、
「法や道徳」が無ければ、(平和が脅かされたとしても)
「いけない」とはいえないだろうね。
では、実際のところ「平和」は、「法や道徳」があるから、
必要とされているものなの?
212 :
考える名無しさん:02/11/30 01:15
>>205 まだ理解されていない様に思われます。
貴方は「悪いこと」と表現されています。
「悪いこと」と「悪いとされている」は同義語ではありません。
まあ、レスの趣旨とは関係無いことですが^^;
ちなみに私は176さんとは別人ですよ。念の為(^^)
ん? なんか今日は珍しくいい方向だ・・・
私は去ります・・・みなさん、ひまなときに「厨房」を諭してやってください。
とか書いてたら、
>>212 悪いこと、と悪いとされている、は、「同義語でない」のは、その通りですね・・ただ、・・・
うう、もう疲れたよ・・・じゃなくて、
えー、
>>176さんが書いた「されている」という流れの説明は、人によって道徳や法律がつくられ
維持されているという点が完全に抜けているのが、ひっじょーにまずいわけです。
でもって、この観点をいれますと、悪いこと、と、悪いとされていること、というのは
同じ事であるとわかります。宙に悪いことが浮いているかのようにあるわけではなくて、
悪いこと、とは、人によってつくられること、悪いとされること、であるからです。
ですから、意味としては、同じ事です・・・ということで、許してくれませんか?
214 :
考える名無しさん:02/11/30 01:31
丁寧な説明有難うございます(^^)
みなさん毎度さんと同じ様な考えを言っているのだと思いますよ。
>176さんが書いた「されている」という流れの説明は、人によって道徳や法律がつくられ
維持されているという点が完全に抜けているのが、ひっじょーにまずいわけです。
この部分も文脈から読み取れることだと思ったので^^;
おやすみなさい。
215 :
考える名無しさん:02/11/30 01:33
「人はなぜ 人を殺してはいけないのか・・・。」
逆から考えれば・・・。
「人はなぜ 人を殺してしまうのか・・・。」
それは道徳的善悪のある「人」だから・・・。
それは社会的ルールの中にいる「人」だから・・・。
殺人の原因は怨恨・金銭トラブル・男女のもつれ等々の
道徳的善悪の有無、社会的ルールがあるゆえ生まれることが多い。
もちろん性的欲求、快楽殺人などもあるが、
性的関係を持ちたいが為に相手を死に至らしめる
などという行為は子孫繁栄の理に適っておらず
SEXという行為そのものに溺れた「人」特有ではなかろうか。
殺人そのものに体の底から快感を覚えるのもまた
理性があるからこそと思う。
「人であるから人を殺してしまう。」
では「人はなぜ 人を殺してはいけないのか・・・。」
「殺してはいけないのか?」と考えてる時点で
道徳的善悪があり社会的ルールに
適応している「人」である。
だが「人」であるゆえ「人」を殺すことがあるかもしれない。
だが「人」であるから「人」を殺してはいけないと考える。
・・・なら猫なら殺っていいのかと消防な考えはなしの方向で。
>>206 毎度氏
ありがとうなんて言うない。照れるじゃないか。オツカレー。
>>176は私だ。ふっかけてみた。すまんな。
このスレで使われてる、「善い・悪い」と「良い・悪い」「好い・嫌い」ってのが気になってな。
>>214 文脈から読み取れますかね・・・うーん、
>>176さん、もしそのつもりで書いたのでしたら、ごめんなさい。
>>215 あんまり好きな傾向の文章じゃないんですが
(ルールが意識されずにルールが守られていってる「とき」が、抜けている感じがする、
ルールにいっつも直面しているかのような、危うさが感じられる・・ので)
いいんじゃないかと思います。
これくらいだと、批判をすると、批判のための批判だーとか言われても、うるせー!と、
言いにくくなるなー、と、思いました。
>>216 Σ( ̄□ ̄|||)
(´Д`;)ヾ ドウモスミマセンデシタ。イイスギデシタ
∨)
((
>>218 ははは
意図していたのとは違う論争になっちゃったけど
言葉選びにしくじった。ごめんよ...
221 :
考える名無しさん:02/11/30 02:48
121ですがどうしてこの様な解釈になるのか理解できません。
>>135 「絶対善、絶対悪」という観念が理解出来なかったのでしょうか?
善悪と言う物は、「ある限定された時間、場所においてのみ通用する」
観念であり(相対善、相対悪)、恒久的に通用する観念では無いと言うことです
道徳的善悪を持ち出してこの問題を語る事は意味の無いことだと言う事です。
なぜならば分かりきったことだからです。
また、「殺人」と言う行為を行えば賞罰が与えられることも周知の事実でしょう。
その事を「法律上」と言う表現を取ったまでのことです。
「道徳」、「法律」を抜きにすれば「なぜ人を殺しては行けないのか?」
の問いに対する答えは「自分が殺されたくないから」以外に無いのでは無いのでしょうか。
222 :
考える名無しさん:02/11/30 02:48
法律とか国家とかから切り離して、より根本的な命題として
人間が他の人間の生命を、それを奪うという行為によって制御することついて
意見できるヤシはいないの?
223 :
考える名無しさん:02/11/30 02:50
自分の存在を認識する他人は自分の存在理由であり、他人を殺害する行為は
自分の存在理由を減少させてしまうため。
225 :
考える名無しさん:02/11/30 03:05
>>223 「相手が可哀想」だから殺してはいけないのであれば、
「相手が憎い」ならば殺しても良い、と言う事になりませんか?
226 :
考える名無しさん:02/11/30 03:09
私には自分と他人の違いが分からない。
228 :
考える名無しさん:02/11/30 03:20
道徳的な観念で物事を捉える限り、本質には迫る事が出来ません。
道徳、倫理と言ったものは、人間が「本来持っているもの」ではなく
生まれてから覚えるものだからです。時代と場所が変われば他の
道徳、倫理観が生まれます。
そのようなあやふやな物は尺度とはなりえません。
229 :
考える名無しさん :02/11/30 03:22
>>227 俺も小学校3年以来そう感じている。
なぜ目の前の奴が食べているものの味が俺の味覚に作用しないのか?
なぜ他人が見ているものが俺の視覚に作用しないのか?
つまり、俺が俺じゃなくてお前でない理由、俺がお前の場所にお前として
存在していない理由がわからないのだ。
230 :
考える名無しさん:02/11/30 03:22
>>227 鏡などを使わずに顔が見えるのが「他人」です。(^^)
それで、人を殺してはいけないと考える存在を再生産することが、
機能的に考えた場合最もよい方法であると思います。
>>221 同意。
毎度氏も、私も、貴方も結局同じ事を考えていると思うのだ。
毎度氏は、ちょっと喧嘩ッ早いのだ。だから「曲解してる」とか
言われちゃうのだ。
>>227,229
「独我論」にゃー もっともっと考え続けれ。それぞ哲学。
しかし<<227 が18歳以上のばやいは
分裂病の症状とも言えるが。w
234 :
考える名無しさん:02/11/30 04:31
>>232 ありがとう(^^)じつは言ったのは私なんだが^^;
>>221 追記 人間から「道徳観、倫理観、法律、感情」等を取り払えばその後に
残るのは「本能」でしょう。
本能には「人間を殺してはいけない」とインプットされているのでしょうか?
「闘争本能」と言うものがあれば、それも疑問です。
しかし、物が飛んでくれば避けるように、防衛本能は備わっていると考えます。
「殺されたくない」=「防衛本能」であり「殺されたくないから殺さない」
もまた「防衛本能」ではないでしょうか?
ご批判お待ちしてます。(^^)
235 :
考える名無しさん:02/11/30 04:34
ズバリ人殺しはしても良いと言い切れます。
しかし我々は人間。他の下等生物と同じ方法での人殺しは許されません。
どうしてかと答える前に、人間がダメで下等生物がよい事を見つけていきましょう。
まず裸。人間が裸で生活をする事は非常識です。
セックス。動物は子孫を残す事だけのためにセックスしますが、人間はそうではありません。
同種殺し。これは人間特有と思われがちですが、昆虫に多いですね。
なぜ1がしようとしている事がいけない事か、皆まで言わずとも解りますね?
237 :
考える名無しさん:02/11/30 05:01
>>236 裸、子孫を残すためのセックスがなぜ「良い」か教えてください。
皆まで言われないと解らないので言ってください(^^)
>>237 >>236が使っている「良い」は、「good」じゃなくて「OK」の方じゃないかな。
「特に問題ナシ」って意味の。
1の問い「人はなぜ人を殺してはいけないのだろう?」、
ここで使われている「いけない」は、回答者によって
「法律的に、いけない(禁止事項)」「道徳的に、いけない(不道徳・悪)」
「自分がされたら嫌だから、いけない(嫌)」
などなど、いろんな意味で解釈されてる。
だから、それぞれの回答があってもおかしくないのだろうけど
なぜだか皆それぞれ納得できないから面白いな。w
239 :
考える名無しさん:02/11/30 05:52
>>235さらに追記
これでは、殺しては「いけない」理由になってませんね^^;
「いけない」と言う言葉も持つ意味は「命令、強制」であり
道徳的(道徳と言うのは価値観と言い換えられる。相対的な善悪
もまた価値観である)には「好き、嫌い、良い、悪い」と言う表現
になり「命令、強制」とは違うことが解ります。
感情もまた「うれしい、嫌だ」と言う表現を取ることになり、
法律のみが「強制力、命令権」を持つものだと言うことが解ります。
間違ってたらご指摘お願いします(^^)
>>239 ぬ?
それでは、このスレの1の問いとは
「人はなぜ人を殺してはいけないと法で定められているのだろう?」
という問いだったということか?
241 :
考える名無しさん:02/11/30 06:40
>>240 「いけない」という言葉のみを取り上げると「強制力」を持つ物
が「法律」以外に無いと云うだけの事です。
あくまで「言葉の定義」くらいの軽い気持ちで流して下さい。
法律が「強制力」を持つかどうかは「毎度さん」の登場を待ちましょう。
私の考えでは「殺しては行けない」と云う結論に持っていくためには
「法的強制力」を用いなければ不可能だと思えてきました。(^^)
>>241 了解。
私の1の問いに対する解釈は
>>120-167で書いた通り。
「道徳的に×」や「法律的に×」、以外の回答が気になるの。w
あと、(人間の)「本能」ってのはどうなのだろう?
基本的には「生きる」を選ぶということになっているけれど
場合によって「生きない」を選ぶ可能性もあるから。
これも「道徳」「法律」のように、環境によって変化してしまう。
つまり、「殺されたくないから殺さない」を選ばない場合も
あるんじゃないかな。殺人を犯した者は、(大半は)
「殺されたくないけど殺したい」だったのでは?
243 :
考える名無しさん:02/11/30 07:38
>>236 初期人類の化石の中にカニバルの痕跡がたくさん発見されている。
チンパンジーにも子殺しとその肉を食うカニバリズムがあるらしい。
子殺しをする種はいくつか知られているがいずれもその科の中では
より進化をとげた種、より複雑な社会構造を持つ種のようです。
チンパンジーのカニバリズムは野蛮な動物的行為に見える
けれどもむしろ、チンパンジーが人間に近い高等動物だからこそ
それがうまれたといえるらしいです。
人間性の本質は時としてカニバルや子殺しを要請するのだろうか。
そもそも人間性とはなにか。本能のことをいうのだろうか?
理性により得られるあるべき理想の姿のことだろうか?
子殺しが一般道徳的に最悪の部類に入るのは
子供のもつ愛着を持たせ保護を促す本能的な作用に反するからだろう。
子宮の中のそれは感情的な拒否反応が多少少ないように思える。
精子にいたってはなんらかえりみるられることなく捨てられるw
しょせんこんなもんだろ。人間の認識力やそこから生まれる制度なんて。
捕鯨反対運動と同レベル。感情起因で論理的な根拠に乏しいものが腐るほどある。
おはようございます。
>>86-87のような問題を踏まえたうえで議論をはじめられましたね。
あくまで、こうあるべきだと思います。
>>221 ひとことでいうなら、あなたが使った言葉を、別の言葉で日常的な要請を満たす合理的な視点から
再解釈し、解体できる、双方の解釈をとる必然性は無い、そうであれば、合理的な解釈が採用されるだろう、
というのが、私が言いたいことです。
つまり、「あいまいに」「絶対善」があるっていうておいたらええねん、どっちにしろ善とか言えることはあんだろうが、
あ? それでなんか困るのかよオラァ というのが私の考えですが、それでは説得力ないとか言われてしまうので、ちっ仕方ねえな、じゃあ論破すっか、
きちんと論理的にも述べてみよう、述べたもののうち、日常的な要請を満たす解釈はとられ、
禁止は主張されるよ、となるわけです。
02/11/30 02:48現在とったそのような解釈が「可能」であり、その解釈が変更可能であるわけがないことは、
認めます。つまり、歴史的に殺人が悪いとされなかったケースがあった、これからもある、点は認めます。
(でも、これをイヤイヤ認めてない奴は絶対うさんくさい)しかし、そのケースにおいては、
必ず殺された奴がどう思ってたかもあわせて考えられなければなりません。
そういう視点から見たとき、殺してはいけない要請はあったとみるのが説得的でしょう
>>80。
2段目冒頭以上の意味で絶対性を考察することは、不合理な定義ですから認めません。
例えば、多くの人がたいていの場合善・悪という観念で指し示せるような何らかの思考を行っている点を
指摘できるなら、その何らかの思考をを普遍的、口をすべらせて絶対的だ〜と称して「語ってよい」し、
語る実益ゆえに許される、語らないのはうさんくさい、というのが、私の言い分です。
また、殺人という行為を行えば賞罰を与えられるとのことですが、そんなのは全ての行為に妥当することです。
それを称して法律上と呼ぶのは、一般的な定義からは相当かけ離れてます。
>>223 GOOD
( ゚д゚) ポカーン
>>238 いけないは、あなたがあげたいろいろな意味で理解されてるのではなくて
そのいずれも含めた意味で理解されるべき言葉ですよ。そういう風に使われてますから。
>>239 いけないという言葉が持つ意味は「命令」であって、「強制」は含みません。
言葉で強制は行えないからです。法律上の強制力をもつ「命令」という用法がありますが、
ふつうはその意味で命令という語は、使われていません。
相対的な善悪は価値観であるとは限りません。善悪は現実的な利益・不利益を
反映している場合があるからです。
法律のみが強制力命令権をもつ、とありますが、命令も強制も権利が無くても可能です。
可能だから歴史的に圧政がしかれもしたのです。正しくは強制に正当性を付与できる、です。
>>241 法律が強制力をもつ点はその通りです。
殺してはいけないという「結論」にもっていくためには、
>>98 >>248にあるとおり
法的強制力が無くても可能です。「結論」は、
>>248にいう命令で足るからです。
強制力があるかどうかは、
>>98にいう殺さない・盗まない理由への働きかけが強いかどうかの
問題、つまり、命令を守らせる働き・手段
>>181-182 のひとつです。
>>242 >>120は、
>>167さんが書いたものだったんですか? うーん
「道徳的に×」や「法律的に×」、以外の回答は、
>>80-82、
>>98 同じ考えをとっていたのであれば、あれで理解できたことになるはずですが・・
あと、生きないを選ぶことは、当然に生きたくないことを内容とするわけではないです。
生きることも生きないことも好ましくないが、
ある人の生きる現実が、生きないことでつらくなる状態に至るよりつらいことであった場合に
生きない選択をする場合があるというべきです。
また、この事例は 他者を殺すこととは関係が無い類型の問題なので、
この類型での結論を、人 全体に及ぼして結論とすることはできません。
251 :
考える名無しさん:02/11/30 10:00
>>251 さっきから、何やってるんですか?
断片的にふざけてる部分(内容はふざけてませんが)だけ
とりあげて、印象を歪めようとしないでください。
253 :
考える名無しさん:02/11/30 10:04
約束事。
そういうルールにした。
それだけ。
((( ; ゚д゚)))ガクガクブルブル
殺してはいけない理由について、
>>80 殺す側の理由について、
>>81 補足
>>82 >>98 >>62さんのレスに対して、
>>85 >>8さんのレス
>>120 >>132 ←
>>133-134 >>121 ←
>>135-136 >>243 好きですね。テーマとの論理的関連を示してください。
>>244 人間性という言葉によって、なされた行為が要請されたかのように問題提起する、
典型的な詭弁ですよ。
「なぜミソ汁を飲んで頭が良くなったのか?」
「そもそもミソ汁とは何か。ミソと水のことを言うのだろうか?」
「大豆によりつくられる、形としてとられる豆腐のことだろうか?」
「頭が良くなるのがテストの上で好ましいとされるのは〜」
と全く同じ構造です。あなたは、使われている言葉の連想を殺しに近づけたがってるだけです。
意味付けがなされてないからです。
あと、わざわざ感情に起因する理由にばかり着目してるだけですね。
>>80-82 >>98
精子が人に関連するからといって、人であることにもなりませんね。
こういった議論に関しては、
>>158
意味付けがなされてないからです。 →意味付けがなされてないうえに、
冒頭の子殺しや、精子を殺す話など、殺す点と関連付けられそうな文章を
ただつらねているだけだからです。
人が人を殺してはいけないのは
自分が殺されない為だ
法律(ルール)と言うものは人と人との間で交わされる一種の契約だと考える
《私は〜〜しませんから あなたも〜〜しないで下さい》
てな感じに
人が人を殺さないのは 上に当てはめて
《私は貴方を殺害しませんから あなたも私を殺さないで下さい》
と言うものになる。
人間は毎日毎日 自分が殺されないように警戒するのは真っ平だから
相手に《私は貴方を殺害しませんから あなたも私を殺さないで下さい》
という交換条件(一種の契約)を待ちだす
その相互同意契約の上に 法律は存在する。
よって《相手を殺さない》という契約を破ったものを
死刑や懲役などによって 契約を強制的に履行させる
(懲役中や死刑になれば 人を殺害できない)
と 思いますが
人と人の間における相互契約
・・
てか 社会契約論でもよめ
善悪なんぞこの世に存在せんぞ
存在するのは言葉の上だけだ。
259 :
考える名無しさん:02/11/30 12:26
別に殺したっていいんだよ。
オマエが人を殺そうとしてることなんて
誰にもわかんねーし誰にもとめることは
できねーよ。ただ「国家」の法律がどうオマエに
対してどうするかはわかんねーが。
260 :
考える名無しさん:02/11/30 12:31
259は正解。
>>258 >てか 社会契約論でもよめ
>善悪なんぞこの世に存在せんぞ
>存在するのは言葉の上だけだ。
善悪が存在しないのなら、契約に何の意味があるの?
守っても善では無いし、破ったとしても悪ではないとしたら、
契約はそれこそただの言葉じゃないの。
そうそのとおり 人が人を殺そうとしているがわからないから
殺されないように警戒しなくちゃいけない。
(死にたいと思ってる人間でもいざその場になれば助かろうとする)
だから何度も言うが
人間は毎日毎日 自分が殺されないように警戒するのは真っ平だから
相手に《私は貴方を殺害しませんから あなたも私を殺さないで下さい》
という交換条件(一種の契約)を待ちだす
だから殺されそうになった人間には殺そうとした人間を殺害する自由が与えられる。
(相手が契約破棄したのにこちらだけが 契約に従う必要はない)
よって正当防衛が成立する。
このように人の社会は 相互の契約によって成り立っている。
263 :
考える名無しさん:02/11/30 12:39
おはようございます(^^)121です
まだ多少の誤解があるようですが^^;
もしかして、毎度さんとは主体と客体が反対なのではないですか?
私は、なぜ「私」が「お前」を「殺してはいけない」のか?について
考察しているのであり、
なぜ「お前」が「私」を「殺してはいけない」のか?について考察
しているわけではありません。
私の立場から考えれば「殺さないでくれ」という「要求」は強制性、
命令権を持たないので、そこに「法的効力」を持ってこなければ
「いけない」という結論にたどり着かないわけです。
>>259 禁止に反することがばれないかどうかと、禁止されるかは別の話です。
あと、殺された人が禁止するかどうか、が、話から抜けてます。
>>258 社会契約論は、ルールを守らせるための政治理論であって、
禁止がなしうるかどうかに関する理論ではないです。
>>261 善悪を利益・不利益、約束、などにおきかえると、分かりやすくなりますね。
内容にはもちろん賛成です。
265 :
考える名無しさん:02/11/30 12:43
人殺しは自由。
ただ、国家が破滅しちゃうから法律でダメっていってるだけ。
>>263 それは、あなたが禁止に応じない、という主張をしたがっている、という動機が必要になりますが?
そういう動機があるんですか?
禁止に応じるか応じないかは、禁止がされるかどうかとは別の話です。
あなたの話は、論点外れです。
>>265 そして、その国家を「あなた」が「必要」としているなら、
「あなた」にとっても「殺してはいけない」ということになるんじゃないかね?
>>265 それは可能を自由という言葉におきかえているだけです。
自由は自分主義的ではない、個人主義的な概念
○○○○○○○○○○○○○○
↑
自分
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
個 人
なので、個人を尊重しない「自由」は、自由ではありません。
善悪何ぞ関係ない
契約を破りたければ結構
破ればよろしい
その代わり自分も相手に殺害される事を理解しなければならない
・相手には貴方を殺害する自由がある
・貴方にも相手を殺害する自由がある
・相手には自分の身を守る自由がある
・貴方にも自分の身を守る自由がある
そして片方が襲い掛かったときには
・相手は自分の身を守る為に貴方を殺害する自由がある
・貴方は自分の身を守る為に相手を殺害する自由がある
だから最初の時点で
・相手には貴方を殺害する自由がある
・貴方にも相手を殺害する自由がある
を契約によってその自由を奪う事によって
双方の安全を図ろうとするのが契約ではないか?
270 :
考える名無しさん:02/11/30 12:50
うん。だから、人殺しは善悪の問題じゃないんだって。
権力を握った人間(国家)がその力を維持するために禁止してるだけなのよ。
>>269 善悪なんぞ関係ない、は、善悪を「てさ」という個人が無視する、という言明でしかありません。
あなたのように考える必然性は、どこにもありません。
>>80-82 >>98 社会契約論は、ルールを守らせるための政治理論であって、
禁止がなしうるかどうかに関する理論ではないです。
自由については、
>>268
>>毎度氏
話しずれるけど、覚せい剤なんかは善悪か?
>>269殿
>>善悪なんぞ関係ない、は、善悪を「てさ」という個人が無視する、という言明でしかありません。
あなたのように考える必然性は、どこにもありません。
>>80-82 >>98 と有りますがそのとおりです。
が善悪を考慮に入れても
>>269は成立すると思いませんか?
出来れば言葉の端々ではなく本体を読んでいただきたい
まあ哲学者が最終的に同じ結論に出ないと言う事から考えても
貴方と私は多分永遠に分かり合えないのでしょうが・・
275 :
考える名無しさん:02/11/30 12:59
つーか、善悪なんて存在しないんじゃないか?
おそらく存在しないでしょう
その人又はその人たちにとって都合のいいものが『正義』ですから
その人又はその人たちにとって都合の悪いものが『悪』ですからね
>>269 >双方の安全を図ろうとするのが契約ではないか?
善悪が無いなら、安全であってもなくても変わらないんじゃないの?
安全であっても善でなく、危険であっても悪でないのなら、
なぜ、安全を図る必要があるの?
278 :
考える名無しさん:02/11/30 13:09
でしょ?
で、”その人又はその人たち”は国家なんだよ。
一番初めに権力を握ったってだけの。
だから、人殺しは自由。
法で裁かれるか否かは知らん。
そのリスクを背負って人を殺すのは何ら問題ない。
279 :
考える名無しさん:02/11/30 13:10
>>266 なんとなく話しが見えてきました。つまりあなたの主張は
なぜ「お前」は「私」を「殺してはいけない」という「要求」が
「我々の共同体の中」で「受け入れられている」のか?と云う事ですね。
その様な解釈でよければ貴方の主張は正しいと思われます。
それ以外の解釈であれば、論点がずれている、又は、議論の為の議論
としか考えられません。
280 :
考える名無しさん:02/11/30 13:11
何だこの暗いスレは?
君ら他人を「人間」としてみてる?
>>277 ・・・・死にたくないからというのは理由にならんのですか?
>>278 だから殺される側には殺されない自由も存在します
返り討ちにする自由も
貴方の言い分は確かに理解できるのですが
どこか納得し切れません
>>280 みてなかったら相手の自由なんて思いつきませんがな
>>281 >・・・・死にたくないからというのは理由にならんのですか?
死にたくないのなら、安全は「善」で危険は「悪」になるんじゃないの?
284 :
考える名無しさん:02/11/30 13:25
>>283 てささんではありませんが、「善、悪」と云う物が(人間が作り上げた)一時的な
価値判断に基づく物である限り、それを尺度に物事を計ることは出来ないという
事です
>>てさ氏
だったら殺人は善悪の問題じゃなくないか?
殺す自由もあって殺されない自由も存在する。
殺された場合、殺された人間の殺されない自由を行使できなかっただけ。
またその逆も然り。
>>283 そのとうりですが相手がいる事をお忘れになっているのでは?
自分にとっては{善}かも知れませんが 相手にとってそれは{善}と言えるのでしょうか?
(自分にとって善であっても あいては貴方を殺害しようとしている以上相手にとって貴方は悪です)
だからぼくは定義の上で絶対なる善も悪もないといいたいんです。
絶対なる善悪が存在しない以上 善悪は存在しないと言っているんです
てさ氏の考えおれと全く同じだわ。
>>284 よくわかからないな。
その論理でいくと、「死にたくない」と思う人が、「安全」を「善」、「危険」を「悪」と考え、
安全を図り、危険を遠ざけるという行動を取った場合、
この判断は(人間が作り上げた一時的な価値判断であるから)、
「死にたくない」という欲求のためには、全く役に立たないということになるように思うんだけれど、
そういうことを言ってるの?
289 :
考える名無しさん:02/11/30 13:32
>>286 まったくその通りだと思います。
絶対善、絶対悪の定義
>>221が解ればこの辺りの議論は不要となります。
>>286 絶対的な善悪が存在しないことと、善悪が存在しないこととは関係無いだろう。
あなたの言っていることは、善悪に絶対的という性質が無いという事に過ぎない。
善悪それ自体の定義に、「絶対」が含まれないことは、
「自分にとっては善」「絶対的な善悪」という言い方ができることからも明白だ。
善悪が、その定義に含まれない性質を持っていなかったからといって、
それ自体が存在しないというのは、おかしいんじゃないの?
とりあえず、「自分にとっては善」という善が存在することはあなたも認めてるわけだから、
「善悪は存在しない」という表現は、正確じゃないように思うが。
291 :
考える名無しさん:02/11/30 13:42
292 :
考える名無しさん:02/11/30 13:45
>>290 表現についてこちらが間違ってたなら謝罪はします。
しかしそれを言うなら
>善悪が、その定義に含まれない性質を持っていなかったからといって、
それ自体が存在しないというのは、おかしいんじゃないの?
(その定義に含まれないものはもってなくて当たり前だ)
なども意味不明ですし
自分で勝手に決めたものが善として存在するのなら
この世はすべて善だけになります
正しい事が善と言う訳でもない事を知っていてください
294 :
人殺しは…いや〜ん:02/11/30 13:48
いいか、制度の中で生きていて制度の否定をするだけでは制度の外に出たこと
にはならないのだぞ。
日本で人を殺してもよいというのであれば、ありとあらゆる制度の外で生きて
から言えよ。
戸籍も抹消しろ。
人を殺してもうまくいく制度なんてはないのだから。
商売人は、お金を受け取る時客を殺したら代金を受け取れなくなるしな。
しかしあらゆる制度の外の世界が実現したすれば「人を殺してもよい」という発言
は無意味になるな。
端的に「殺す」という行為があるだけになるだろ。
つまりいずれにせよ「人を殺してもよい」という発言は精神科医以外無意味。
それともなにかい、人を殺してもよいという「制度」を作ればよいとでも?w
それならオウムにでも入会したら。
絶対的でないものを持ち出してくると
話がややこしくなります
戦場で見方が負傷して助からないとき
とどめをさしてくれと頼む見方がいます
とどめをさしてやる事を善とみるか とどめをささないのを善とするか
とどめをさしてやれば彼は楽になります
(見方にとって善。が彼を殺したと言う観点からみれば悪
とどめをささなければ彼を殺した事にならない。
(殺さなかったと言う面から善。が彼をわざわざ苦しんで死なせたと言う面で悪
てな感じに同じ事でも二面性があります
自分にとっての正義は存在する
しかし同時にそれを悪とするものも存在する事を忘れないで下さい
296 :
考える名無しさん:02/11/30 14:01
>>294 どうも趣旨を理解していない様に思われます。
私たちは「殺人をしたくない」から人間の中に「人を殺してはいけない」
論理を見つけ出そうとしているのです。
ただ、残念ながら「法、正義、道徳」と云う物の中にしか「人を殺してはいけない」
と云う理論を見つける事が出来ないのです。
「法、正義、道徳、善悪」が人間が作り上げた「とりあえず今都合の良いもの」
である限り「人は殺しても良い」と云うことを残念ながら否定出来ません。
まあ ぼくにとっての結論は
>>269が実行されない場合
北斗の拳みたいな世界になるでしょうな。
でなっていない所をみると
無意識のうちに
>>258や
>>269が実行されているからだと考えます
何だかんだ良いながらここにいる人は 人を殺してないと思いますし
298 :
人殺しは…いや〜ん :02/11/30 14:14
>>296 >ただ、残念ながら「法、正義、道徳」と云う物の中にしか「人を殺してはいけない」
>と云う理論を見つける事が出来ないのです。
それで十分でしょ。
俺は商売人を例に出したが、人殺しは商売上不都合だからね。
>「法、正義、道徳、善悪」が人間が作り上げた「とりあえず今都合の良いもの」
>である限り「人は殺しても良い」と云うことを残念ながら否定出来ません。
例えば、サッカーをやっている時、ボールを抱えてゴールに突進する香具師に、
「それは反則だ」といったところ、香具師が「この方がいいだろ」といっても否定で
きないとでも?
299 :
人殺しは…いや〜ん :02/11/30 14:22
「法、正義、道徳、善悪」、こういう諸制度を抜きに殺しても良いとか悪い
とかいっても、それこそ無意味と思わない?
300 :
考える名無しさん:02/11/30 14:25
301 :
考える名無しさん:02/11/30 14:26
>>298 それで十分だとすれば「法、道徳」等が無くなれば「人を殺しても良い」
と云うことになりませんか?
何度も繰り返すように「法、道徳」が「時代とともに変わる物」である限り
変わった場合の「抑止力」にならないのです。
そこから「殺されたくないから殺さない」
>>234の結論に至るわけです。
302 :
人殺しは…いや〜ん :02/11/30 14:41
>>301 >それで十分だとすれば「法、道徳」等が無くなれば「人を殺しても良い」
>と云うことになりませんか?
全ての制度がなくなればそうなるよ。
でもそれは空想でしかありえないから無意味といっている。
>変わった場合の「抑止力」にならないのです。
つまり普遍的で制度を越えた制度、宗教すら越えた制度を希望しているの?
神経症的な発想だよ。
制度はしょせん制度であってよいし、固定的でないからこそ改善もあり得る。
神経症的な発想だから何だっつーんだ?
304 :
人殺しは…いや〜ん :02/11/30 14:53
305 :
考える名無しさん:02/11/30 15:09
ここでの会話はいったい誰のための会話なのだろう?
今までに、人を殺しても良いと言った国家も無ければ、
人殺しの居ない国家も無かったと思うが。
306 :
考える名無しさん:02/11/30 15:10
>>302 すべての制度が無くならなくても可能性はあります。
現にアメリカは「正義」の名の下にアフガニスタンに対し「殺人」を
行っています。「正義」=「良いこと」=「善」ではあり得ない訳です。(善悪の二面性)
>>つまり普遍的で制度を越えた制度、宗教すら越えた制度を希望しているの?
制度が無くても「人を殺さない」理由を考えているのです。(^^)
307 :
考える名無しさん:02/11/30 15:13
>>305 ナチスは「人(ユダヤ人)を殺すこと」を国家が容認しています。
308 :
考える名無しさん:02/11/30 15:14
>>306 自分が殺されるのが嫌なように、相手も嫌だろうから。
でよかろう。
>>293 >自分で勝手に決めたものが善として存在するのなら
自分で勝手に決めたものが善として存在するなどとは言っていないが。
「死にたくない」という欲求は、「勝手に決めたもの」だ、
でも、その欲求について、「安全」が善で「危険」が悪である、
というのは、当人が決めようが決めまいが、いえるのではないかね?
310 :
考える名無しさん:02/11/30 15:25
>>308 今まで出た結論はその様に考えて良いと思います。
ただし、「自分が殺されたくないから、相手を殺さない」と云う結論であり
1さんが問題にしている「殺してはいけない」ではありません。
「殺さない」は内的要因であり、「殺してはいけない」は外的要因だからです。
「いけない」(命令)を考えると「法律」を持ち出さないと説明がつかないわけで・・・
まあ、ささいな表現の違いと云えばそうなんですがね^^;
311 :
人殺しは…いや〜ん :02/11/30 15:26
>>306 国家が掲げる「正義」なんてそんなものでしょ。
だからこういうのが固定的であれば困るわけ。
しかし固定的でないからこそ、政府は国民に対して絶えずプロパガンダを必要
とするが、一方で大統領選でNOと突きつけることも可能。
それと人殺しと戦争は便宜的にわけたほうがいい。
>>299>>308 人殺しの気持ちをよく分かっておかなくては人殺しの登場する小説は書けないんです
法律とか国家を前提にできないとき人はどういう考えに基づいて行動できるか
考えておかないと、そういう世界も書くことができません
ショッキングなスレタイに驚かれるのも無理ないですけど
ここは善悪を決めるためにあるスレじゃないのでどうか放っておいてください
313 :
人殺しは…いや〜ん :02/11/30 15:45
>>310 >「殺さない」は内的要因
フーコーは「奴隷は倫理をもたない。そのとき、自由はそれだけで政治的
なのだ」と言った上で、「自由は、人が自分の自己や欲望の上に、支配、統御という一定
の関系をうちたてることを必要とする。こうした関系は、アルケー──権力
、権威と呼ばれた」と言っている。
人殺しの欲望は、大体において自分が自分の奴隷になっていると状態と思われ。
314 :
考える名無しさん:02/11/30 15:52
>>311 >>国家が掲げる「正義」なんてそんなものでしょ。
だからこそ「正義、制度、法、道徳」といったものを除外して
話を進めているのです。
315 :
考える名無しさん:02/11/30 15:57
>>313 「自分が自分の奴隷になっている状態」とはどんな状態なのでしょうか?
もうすこし詳しく教えてください。
つうか、欲望なり、感情の奴隷というなら話はわかるが・・・。
317 :
人殺しは…いや〜ん :02/11/30 16:03
>>314 「そんなもの」ではあるけど現実のパワーには違いない。
「正義、制度、法、道徳」の除外よりも、それらと自分(たち)がどう
いう関系にあり、どういう関系に変更していくかを考えたほうがいいと
自分的には思うぞ。
善悪というのは、現実にいいか悪いかじゃないの?
それ以外に何か意味があるのか?
319 :
人殺しは…いや〜ん :02/11/30 16:14
>>315>>316 >欲望なり、感情の奴隷
とりあえずそういうこと。
しかしここでいう「自由」とは自由の問題化のこと。
問題化といっても答えを目的をしたものとは違い、答えをすら統治する
「問題」化、と理解している。
320 :
考える名無しさん:02/11/30 16:16
ちょっと時間なのでまとめておきます^^;
「殺さない」論理は理解頂けたと思います。
「殺してはいけない」論理に付いては、私は「法」の力が必要だと思います。
唯一「毎度さん」が主張している(私がそう思い込んでいる)「殺される側」
から見た場合のみ「殺してはいけない(お前は私を殺してはいけない)」と言う
理論が、法、道徳、等を排除しても、必要条件を満たしているとおもわれます
それではさよなら(^^)
321 :
考える名無しさん:02/11/30 16:29
>>320追記
更に云うならば、「道徳、感情、善悪、正義」等を持ち出しても
「殺さない」以上の結論を導き出すことは出来ません。
なぜならば、上記の事は内面的な物であり、「したくない、しない」
と言う表現になるからです。
>>321 感情はともかく、「道徳、善悪、正義」における、「殺さない」は、
内面的な問題ではないと思うが。
もちろん、「殺したくない」という「感情」は内面的な問題だし、
「感情を害したくない」という欲求も内面的な問題だ。
しかし、「殺すことによって感情を害される」ことが確かであるのならば、
「感情を害したくない」という目的にとって、
「殺人」が「悪」であることは、それ以外の当人の内面的な問題とは
無関係に決まることじゃないの?
毎度です。前回の書き込み
>>273以降回線が不調になってたため、書き込めませんでした。
>>270 それは、人殺しが悪いという判断を、権力を握った人間(集団)が現実に反映させられる、
つまり、禁止が社会的に行えるという、ありがたい事実を、断片的に語って見せているだけでしょう。
>>274 厳しい応じ方をしたのに、丁寧な応対をされた点については、ありがたいと思いますが、
内容に同意することはできません。なぜなら、あなたの自由の解釈が、不当だからです。理由は、
>>268 自由は
>>269でふんだんに使われていますよね。269の自由は、「可能」である、に、おきかえられなければなりません。
自由という語を使うことで、行為に評価が混入してしまっています。
>>275-276 言明が「存在=もの」的でない点を何らかの観点から語りえたからといって、
人間関係において言明が意味をもたない点を指摘したことになりません。
都合のいい、という表現に慣用的に含まれる「恣意的な」ニュアンスをまぜて
禁止に関する評価と混同させて判断を混乱させようとするのは、やめてください。
>>279 >あなたの主張は なぜ「お前」は「私」を「殺してはいけない」という「要求」が
>「我々の共同体の中」で「受け入れられている」のか?と云う事ですね。
違います。ある個人が禁止を正当化する理由は何か、です。
共同体の中で禁止の主張が受け入れられるかどうかは、別の話です。
>>98 >>181-182 >その様な解釈でよければ貴方の主張は正しいと思われます。
ですから、こちらの主張をあなたの側で変更しないで理解してください。
>それ以外の解釈であれば、論点がずれている、又は、議論の為の議論 としか考えられません。
レス冒頭に書いた解釈が、論点がずれていない答えです。あなたは、禁止を実現する手段・実現可能性の議論と
禁止の成立の議論を混同しています。また、「それ以外の解釈」が、主体と客体の転換を伴う解釈を指すなら、
それは、「人を殺してはいけない」点に関する問題ではありません。
>>80-82の、
>>81 >>98
>>293 >正しい事が善と言う訳でもない事を知っていてください
これは、要するにこういうことです。
医者「不摂生するな」
患者「はい、摂生します」
患者は、摂生しなかった
医者「不摂生するなと言ったろ」
患者「摂生には、摂生と不摂生の二通りがあります。私は不摂生という摂生をしたんですよ」
意味から用法を確定しない議論をする人間は、議論をすべきではありません。
>>296 >私たちは「殺人をしたくない」から人間の中に「人を殺してはいけない」
>論理を見つけ出そうとしているのです。
おかしいですよ。それなら「殺人をしたくない」なら、「殺人をしたくない論理」を
見つけ出そうというのが、論理的でしょう?
>>98をご覧ください。
殺人をしたくない論理なんてのは、ふつうに生活してれば山ほどあります。
そして、その生活を意識した書き込みであるという点で、
人殺しは…いや〜ん さんの、
>>294の書き込みは、全く正しいです。
>>298(人殺しは…いや〜ん さん)
同意です。
>>299(人殺しは…いや〜ん さん)
諸制度を抜きにして良いとか悪いとかいっても、無力である、が正しいです。
(意図は同じだと思いますけど) 良いとか悪いとかの規範は、無力であっても立てられます。
無意味だといってしまうと、個人が規範を立てるという側面が、思考から抜け落ちてしまいます。
>>306 >>311 強く反対します。あなたたちは、行為が権威によって実際に正当化されたことをそのまま結論として
もってきているだけではないですか。戦争によって殺された人間は、どう考えるかが、
殺人はいけない、という点についての、話でしょう?
国家は、国家の利益のために人を殺しかねない、のであって、
国家が殺す場合、正当という言葉が使われる、だから正当だ、では、
単に用「例」のチェックをしているだけでしょう?
ですから、殺人と戦争を便宜的にわけろ、という国家主義的な理解には
全く賛成できません。
>>312 殺人を犯す者、という語で類型的に、小説的な故意殺を描き出して、
殺人が起きたケースの列挙を現実から引き離して語るのはやめてください。
>>81 また、小説を書くことが大事であることと、殺人の禁止が正しいか否かは、全く別の問題です。
しかも、一般に猟奇的な小説でも志向しない限り、殺人がいけないことを当然視できる視座を
持てないような人間は、それこそ小説をかけません。バカも休み休み言ってください。
>>290 >>309 >>322 文体からすると、589さんのように思えます(違ったら、ごめんなさい)が、的確だと思います。
>>290は、善悪に絶対性を要求する定義が恣意的である点
>>309は、欲求に応じて禁止を要求する点に関して、当人の行為が無くても、欲求が満たされるか否かに関して
言及可能な事実の指摘、
>>322は、殺さない、という決定の事実的側面に関して
>「道徳、善悪、正義」における、「殺さない」は、 内面的な問題ではないと思うが。
殺されてしまう
●→→→→→→x○
↑決定 ↑事実的な問題(不利益が発生しない)
>「感情を害したくない」という目的にとって、 「殺人」が「悪」であることは、
>それ以外の当人の内面的な問題とは 無関係に決まることじゃないの?
○→→→→→→x●(殺される当人)
○○○○○○○○○○○○○○それ以外の当人たち(の内面)
という、正しい位置付けが行われています。
333、●→→の下の、「決定」を、「決定しない=殺さない」に変更します。
>332
ん?やめてください?って?
なんでぼくがきみに命令されているのかバカな自分にはよく理解できないんだけど…
ここって確か2chだよね?
>>280の、考える名無しさん
>何だこの暗いスレは?
>君ら他人を「人間」としてみてる?
私は、他人を人間として見ています。ただ、議論をすること自体(殺してはいけない、と、応じる私も含めて)に、
そういうニュアンスを受けられたことは、ごもっともだと思います。私の周囲にも、この話をふってみましたが、
似たような反応の人が多かったです。
ただ、戦争を防止する観点から殺しを悪いと言える根拠を個人主義的な観点から、語れるようにすることが
大事だとして、
>>80-82を、説明したところ、みんな、納得してくれました。
(名無しさんに、あらかじめ断っておきますが「めんどくさそうに納得した旨の返事をされた」のではありません)
>>335 なんで命令するか?
殺人を肯定するかのような発言を読むことによって、まずい影響を受ける人間が出てくる
可能性があるからです。ここは、2chですから。
うわっ 半日ですげー伸びてるなこのスレ。
遅レスですが
>>250 毎度氏
解釈間違えてたんだごめん →
>>80-82,
>>98 納得した。納得しちゃって悔しいから別方向で模索思案中。w
毎度氏、喧嘩っぱやいというか、感情がこもりだすと「コ コワイ...」。w
強いね。そう簡単にアラが見つからん。ちくしょー
毎度氏が過去レスしたもの、他
>>1〜順にしっかり読んでいけば
この論議が何度か堂堂巡りになってることに気づく。
339 :
考える名無しさん:02/11/30 17:54
ここは、2chだから、大丈夫だよ。
>>338 レスありがとうございます。まだ抜けている視点があるかもしれませんから、
気づいたところがありましたら、つっこみをいれてみてください。
>>337 君の独自の判断でこのスレの情報統制をやってるのかい?
まずい影響って具体的には?
逆にボクはキミに命令することはできるだろうか?
>>342 命令、情報統制、という語のニュアンスにたよって、
私が何らかの形で強制力を及ぼしているという理解を読み手に与えたいようですが、
私が行ったのは、命令的である前に、単に記述的です。
記述的であるが、内容ゆえに命令的なわけですが、それを「強制的」に理解するならば、
私は言葉によって、物理的にあなたの行動を制限できないので、原理的に強制的であれませんし、
命令的で不当というのであれば、あなたの
>>312の書き込みが不当であるから、
それをやめろと指摘することが、命令であろうがあるまいが、正当な指摘である、と主張します。
情報統制については、強制力をもたない個人が行えない方法ですから、あなたの用語の使い方が
おかしいだけです。
よくわからないが結局のところ
ボクはキミに対してさっきボクがされたのと同じように命令を書いても構わないのだね?
>>337 まずい影響って具体的にはどういう?
ボクにとってもまずい影響ですか?
>>348 それと、あなたにとっても、多分まずい影響ですね。まず、善悪を無視する馬鹿は社会的に
相手にされませんし、通常の意味での小説家として失敗しますし、
猟奇小説が好きなだけでなくて、それを善悪の話とからめて気味悪がられたりしますからね。
(人を殺してはいけない点に関する議論とは、全く別問題です)
善悪を無視する馬鹿→人を殺してはいけない理由が問題になっているときに、
善悪を決めるためにあるスレッドではない、とするのは、善悪を無視していることになります。
キミは自分にとってまずい影響が読者に及ばないようにと考えて
そのような影響の原因になりそうな文面のレスには「やめてください」と命令し
これを牽制するってわけだよね?
ボクや他の誰かもそれぞれの考えるまずい影響を勝手に危惧して
キミと同じことをして構わないかい?
実際にはボク自身はキミと同様の命令や悪口を駆使して
対等の立場を保つ時間も悪口のセンスもない
だから、キミがたとえ「構わない」と言ったとしてもレスをやめるしかないんだがね(笑
356 :
人殺しは…いや〜ん :02/11/30 20:29
>>330(毎度さん)
>>311の俺のレスの文章がヘタレだったのでちょっと訂正
>国家が掲げる「正義」なんてそんなものでしょ。
>だからこういうのが固定的であれば困るわけ。
>しかし〔実際は〕固定的でないからこそ、政府は国民に対して絶えずプロパガンダを必要
>とする〔し〕、一方で大統領選・〔世論調査〕で〔国民が政府に〕NO〔を〕突きつけることも可能。
で、
>それと人殺しと戦争は便宜的にわけたほうがいい。
に関してだけど、俺のスレに対する態度というのは、制度を軽視した議論の批判だった。
制度の中に居ながら、「殺しても良い」「悪い」と制度を前提とした制度的な発言で制度を否定
したり超越しようとすることは不可能なんだと。
ここでいう制度にとって殺人は、禁止の対象だったり、不合理な対象だったり、取り締ま
りの対象だったりと、肯定の対象ではない。
だからこそ「人(敵)を殺せ」と命令する戦時下の制度と切り離した方がいいと思ったわけよ。
で、日常の制度と例外状況(シュミット)の制度を分けた上で、その移行の問題を扱えばいい
と思ったわけね。
>>356 制度の中にいながら、制度を前提した制度的な発言で制度を否定したり超越したりすることは、
不可能ではありません。
@制度の中にいる、とは、単なる擬制であり、事実を反映した指摘ではなく、
A良い・悪いという言葉に対して、何らかの意味付けを行うことは、端的に「可能」だからです。
Bあなたの考えを論理的・事実的に徹底すると、制度を批判すること自体が不可能であることになりますが、
これは、明らかに事実に反しています。
制度下において行う肯定・否定が、制度下にある「とされる」、現実的な人間関係において、
必ずしも通用するとは限らない、「その意味で」制度を軽視してはならない、という含意であれば、
その考えには同意します。しかし、仮にそうだとしても、制度を肯定・否定することが「不可能」なわけではありません。
また、
>だからこそ「人(敵)を殺せ」と命令する戦時下の制度と切り離した方がいいと思った
とは、戦時下において、人を殺しても良い事になる、ということでしょうか?
あなたの日常の制度と非日常の制度とを分けているのは、国家ですから、
あなたの見解ですと、常に個人による制度の肯定・否定=見解は、国家による決定の
否定か超越を試みるものであり、それに対する個人の見解による制度批判は不可能、と言っているのと同じです。
このレス冒頭の批判が妥当しますし、こういった議論は、
>>330にあるとおり、殺人に関する議論とは
関係がありません。
それに対する個人の見解による制度批判は不可能→それは不可能 に訂正します。
失礼しました。
359 :
考える名無しさん:02/12/01 04:47
>>327 まったくその通りですね^^;「殺人をしてはいけない」理論を
とでもしておけばよかった^^;
その他の私の主張に対する批判は受け入れることが出来ません。
それから「法」の力を持ってきても「殺してはいけない」にならないですね^^;
個人の受け取り方は「はい、殺しません」になりますね。
360 :
考える名無しさん:02/12/01 04:59
>>80 この主張だと「不利益を受けるから」「殺してはいけない」ですね?
「不利益を受けるからいけない」と云う判断の根拠は「道徳観、常識」
等から導かれる答えであり
>>167の主張を取り入れた回答とは認められません。
毎度さんは私の主張を「理解したくない」様なのでこれ以上の議論はやめさせて
いただきます。後は人格攻撃しか残ってないと思われますので。
361 :
考える名無しさん:02/12/01 05:43
人はなぜ人格攻撃をしてはいけないのだろう?
なんとなく考えてみませんか?
>>360 ごめん、どの過去レスしてた人か教えてください
>>361 別に「いけない」ってことはないんじゃないかな。
人格攻撃しちゃったら、思考・議論の過程(哲学的やりとり、思考法)
を、楽しむことができなくなる。
すぐに結論が出ちゃうじゃないか。「個人的」に「好き」か「嫌い」か。
>>359 >まったくその通りですね^^;「殺人をしてはいけない」理論を とでもしておけばよかった^^;
なんで同じ間違いを繰り返してるんです?
>>327を引用します。
---
>
>>296 >>私たちは「殺人をしたくない」から人間の中に「人を殺してはいけない」
>>論理を見つけ出そうとしているのです。
>〜「殺人をしたくない」なら、「殺人をしたくない論理」を 見つけ出そうというのが、論理的でしょう?
>>98 >殺人をしたくない論理なんてのは、〜山ほどあります。
>そして、その生活を意識した書き込みであるという点で、 人殺しは…いや〜ん さんの、
>>294の書き込みは、〜正しい
---
「殺人をしたくないから」見つけ出そうとする論理は、「殺人をしたくない論理」
>>98最後の@ と書いてあるでしょう?
「殺人をしてはいけない理論」は、
>>80 >>98最後のAの問題です。
>その他の私の主張に対する批判は受け入れることが出来ません。
>それから「法」の力を持ってきても「殺してはいけない」にならないですね^^;
理由がないので、全く説得力がありません。
>>80-82 >>98 また、
>>325を無視しないでください。
>個人の受け取り方は「はい、殺しません」になりますね
「殺してはいけない」という禁止を認めることは、「殺さない決定を下す」ことではなくて、当然
「殺してはいけない」という禁止を認めることです。どうして「殺しません」になるのか、全く謎です。
正しくは「私も他人も殺してはいけないとする、殺しを禁じる」です。禁止は、あくまで
>>98のA 話です。
「殺しません」「殺しを行わずにすむ」は、
>>98最後の@の判断の話です。
>>360 >「不利益を受けるからいけない」と云う判断の根拠は「道徳観、常識」 等から導かれる答えであり
>
>>167の主張を取り入れた回答とは認められません。
>>167に対して、
>>175ですでに反論を行いました。また、167さんは、
>>338で、納得した、とされてます。
次に、
>>167では、常識について全く触れられてません。きちんと引用を行ってください。
さらに、私の判断の根拠は、
>>333-334に示したとおり、道徳観、常識を根拠としたものではありません。
@私が示した答えは、実際に生じる不利益が、どう表現されうる、されるか、されたか、という視点から導かれています。
>>80-82 >>98 道徳や常識が、仮に「殺しを(場合によっては)「よい」」としたとしても、私の議論の結論が
変わらない点から、明らかです。
A
>>360は、どんな根拠を示しても、あなたが「道徳観・常識」と根拠を呼べば、それは根拠で無くなる、と言ってるだけです。
「道徳観、常識」の内容が全く示されていないからです。
B「(毎度が)理解したくない」理由は、あなたの理解が不当だからです。
あなたの理解だから、認めたくないのではなくて、あなたの理解の不当性を問題にしているだけです。
C人格的に問題がありすぎる(ある、ではない)ような発言がなされたのに対して、人格「攻撃」するのは、
あたりまえです。方法的に「人格攻撃」を行うことで議論を有利に進めようとしていません。
むしろ、そういう方法をとっているのは、
>>360-361 のほうです。
人格攻撃を行った、と「だけ」書いて、相手の議論の説得性を落とそうとしているからです。
>>365@修正
>道徳や常識が、仮に「殺しを(場合によっては)「よい」」としたとしても、私の議論の結論が変わらない点から、明らかです。
>道徳観や常識が、仮に「殺しを(場合によっては)「よい」」としたとしても、私の議論の結論が変わらない点から、
>私が道徳観や常識を根拠としていないことは、明らかです。
下のように直します。失礼しました。
毎度クン自身は常日頃どのように自分を説得し、殺人をしないように我慢しているか
教えてもらえませんでしょうか?
たとえばキミのことですから、まずい影響を受けちゃった人やまずい影響を
与えようとする人を殺したくなるときもあるでしょう?
それをキミは普段どういうふうにして我慢しているのかを知りたいのです
まずは、自分を中心に考えるとするならば
殺しに科せられる罰から受ける不利益と殺しから得る利益の評価というものが考えられるでしょう
他にはなにか自分を説得する材料をお持ちですか?
>毎度クン自身は常日頃どのように自分を説得し、殺人をしないように我慢しているか教えてもらえませんでしょうか?
■
>>98と、このレスの後半を読んでください。
>たとえばキミのことですから、まずい影響を受けちゃった人やまずい影響を与えようとする人を殺したくなるときもあるでしょう?
■これは、一見質問に見えますけど、方法的な「人格攻撃」
>>360-361 ←
>>365 ですね。なぜなら「毎度」が、
・まずい影響を受けたことにつき、自分に原因が無かったか反省したり、
・まずい影響を受けた人を説得したり、まずい影響を与えようとする人を説得したり、
・まずい影響が及ばないような方策を提案したり、可能なら周囲の協力を得て実行したり
できない点を、隠れた前提とした上で、短絡的に「まずい人間だから殺す」と考えるような人間であると描き
(→キミのことですから)、
■読み手が、殺意を簡単に抱くような人間の議論を信用しない点を利用して、「毎度」が行った議論の説得性を、
落とそうとしているからです。とても姑息な文章です。
>まずは、自分を中心に考えるとするならば 殺しに科せられる罰から受ける不利益と殺しから得る利益の
>評価というものが考えられるでしょう 他にはなにか自分を説得する材料をお持ちですか?
■自分を中心に考えることが「まずは」と前提されてる点、自分中心に考えると殺しが当然に問題として出てくる点が、
かなり妙です。
■「自分も他者も、配慮されたよい扱いを受ける方が、それぞれにとってよい。そう考えるとするならば〜」となるのが
自分も他者も要求することを正しく踏まえた始め方です。
■殺しに科せられる罰から受ける不利益は、殺しに関わらない者=一定の自由が保たれた人間関係の中を生きる者、
車の運転に注意する者には、関係が無い話です。
あいさつする、ご飯を一緒に食べる、仕事する、勉強する、遊びにいく、
天気の話、同僚の話、同級生の話、芸能人の話、音楽の話、恋愛の話、ゲームの話、スポーツの話、格闘技の話、
勉強の話、食べ物の話、政治の話、経済の話、地理の話、平和・軍事問題、哲学談義、2ch書き込み、安全運転、
こういう「なんの変哲もない日常」の中にある人間にとって、殺しの話などというものは、
>>336さんのような反応を
引き起こすものでしかないのです。
憎い人間がいても、仲のよい人間はおり、大切な趣味も、冷静な判断力もあります。腹が立つことがあっても、
仲のよい人間とすごしていれば、普通はその人間と過ごす結果、あなたがいうような思いは、そもそも感じられないか、
かき消されていきます。本を読んだり、音楽を聴いたり、ゲームをしたりして、作者の気持ちに共感するうちに
過ごすこともあります。テレビで悲惨な状況の中に生きる人の映像を目にし、そうした状況と自己のおかれた状況を
相対化する中で、自己のおかれた状況を冷静に見つめる視点を取り戻せることもあります。
人間は怒りも相対化できる能力があります(これは、知性に限られません。よい習慣・言説の中に生きることもそうした
能力を作ります。怒りに身をまかせるような自分を見る自分を置くことは、格闘家にとって必要な資質だそうです)
これらは、殺さないように自分を説得するような作業ではありません。説得する必要を感じずに生きているし、
衝動的でない習慣を保てる個人的・社会的条件の中を、人は生きられるという、事実の指摘です。
注釈です。
>>369冒頭の、「このレスの後半」とは、
>>371のことです。
>>371 そもそも感じられないか、かき消されていきます。 ほぼ全ての場合は、そもそも感じられない場合です。
これで、終わりにしましょう。
すみません、もう一つ注釈
>>371 殺しの話→殺意を抱かないようにする話
なるほど毎度クン
怒りとか憎しみの結果生じるような殺意はやはり同じく感情に訴える手段によって
これを解消させる、というわけですね
ではこんどは、感情を原因としない殺意についてキミがどう考えているか教えて下さい
キミ自身以前ボクに命令をし、罵倒をした時、その理由をきちんと答えてくれましたね?
つまりキミは感情によって命令や罵倒をしたのではなく、何らかの目標があり、
その目標を達成する手段として命令や罵倒を用いたわけです
キミが日常において暴力や、殺人を目標達成の手段として選択しないのは
どういう損失を評価してのことなのでしょうか?
まずは、法律による罰が挙げられるでしょうが、他には何か挙げられますか?
議論の価値は議論自体にあって、それを誰が行うかは関係ないんじゃない?
たくさんの名無しさんが有用な議論をすることだって考えられるだろう?
ボクはどうすればキミに質問に答えてもらえるのだろうか?
もしかして名無しさんにもどってもう一度同様の質問をすれば、
「議論をするに値しない人間」だとか「あなたと話す気はありません」などと
言われずに答えてもらえるかな?
そうしようか?
>論点外れな質問に応じる気はありません
毎度クンは毎度クンの勝手な判断でこのスレッドの論点を何かに固定したいようですが
どうしてそのようなことを?
少なくともボクはそのような考えをもちません
多くの人の様々な価値観から導かれた、人を殺すことに対する考え方を
その考えの正邪は抜きにして、とにかく理解したいと思っているのですが…
その方が勉強になりますし、なによりおもしろいでしょう?
>>384 >>382-383 「勝手な判断」という言葉を使って、判断が勝手だったことにしないでください。
論点はずれかどうかの判断基準は、示してありますよ。示した点について同意された方もいます。
どうしてそのようなことをするかについては、
>>349-351、
あなたがいう「おもしろい」が、どんな内容かについては、
>>312 ←
>>332
どうしてそのようなことをするか?
は要するにあなたが個人的に得をするから、ということですか?
違います?
えーと 途中介入すみません。
312氏、できれば毎度氏が過去レスしたもの、まとめたもの(
>>387、他)
これらを読んだ上で、どの部分にアラがあり、なぜ納得できないのかを
具体的に(解りやすく)レスしてくれないかい?
『されるのがいやだから、してはいけない』に対する批判→自殺志願者、生に対する意識の低いヒトは、人殺ししてもよいんですか?
81について
81の発言の基盤が『相手を、手段としてのみ用いては、いけない』という倫理の上に成っていると思われます。倫理は、慣習などがもとになっていますから論理的な矛盾の説明になっていないと、思いました。
>>390 確かに、その前提では、殺されるのが嫌な人の社会に属さない人は
人を殺してもいいと捉えることもできますね。
しかし、倫理も習慣も文化も知能その他、差異のある人間全てに対し
普遍的な結論を導き出すことは不可能ではないでしょうか。
そうなると、子孫を残し繁栄する為の生物としての本能だとか、
そういう話に持っていかざるを得ないわけで、
「されるのが嫌な人々の社会では、してはいけない」
と考えて差し支えないのではないでしょうか。
うんうん。うれしい返事です。ただね、倫理的な視座からみた結論は、現代では多少説得力に欠けると思うんです。動物であり、獣ではないヒトとしての矛盾が、殺人の肯定の中に含まれていると思っているんです。
たとえば、他殺であれ自殺であれ、そこには、暴力という、ある種特殊な力の発動があるはずです。問題は、この、暴力性の中にあるのかなぁとか、中途半端ですいません。
395 :
時の魔術師:02/12/03 14:49
まず人間は群体であることから始めよう
それは、人間の種は、社会を持ち、他の干渉がもっとも強い生物である
同種の死体を見たとき不快を覚えるようにプログラムした
それは、生命が同種と社会形成、交配するのに必要不可欠と言える
だがその呪縛から逃れた人間がいる
「歓楽殺人者」と「殺人者」
である、前者の説明は簡単だ、生命の刺激である不快を快楽に変えるという
変換に成功したものだ、このものは、あくることなく殺人を繰り返す
それは、ある意味まだ群体である
一方後者は、説明できない部分がある
後者の方は、殺人事態を楽しみわけでもなく、不快に思うこともない
いわえる息をするかのように人間を殺すのだ
別にそれに目的があるわけでもない善悪の概念も当てはまらない
なぜなら私たち善悪と個体の善悪は、異なるものである
だが個体の罪は決して許されることがない
>>392(ひつじさんとよく似た考えを持つ名無し)
>確かに、その前提では、殺されるのが嫌な人の社会に属さない人は 人を殺してもいいと捉えることもできますね。
▼
■「殺されるのが嫌な人の社会に属さない」とは、「殺されるのが平気な人が大勢を占める社会に属する」ということですが、
このように書かないのは、やはり、そんな社会は原理的に社会でないことがバレてしまい、結果、個体レベルでの殺しを、
社会という語で押し広げて、イメージ的に広く捉え普遍化しようとしているだけにすぎないと、ばれるのを恐れてでしょうか?
現実の社会については、
>>98 >>370-371参照。
また、自分が殺されるのが平気であると、他人を殺してよいと捉えていいことになりません。
自分が殺されて平気でも、他人はそうとは限らないからです。正しくは「他人に殺されてもいい」にしかなりません。
▼
>しかし、倫理も習慣も文化も知能その他、差異のある人間全てに対し 普遍的な結論を導き出すことは不可能ではないでしょうか。
通常、殆どの人間が、経験則上殺してはいけないという禁止を行うと考えられるとき、その禁止は「普遍的」である、と
するのは正しい用法です。あなたが言っているのは、「絶対的な結論」のことでしょうか。そうであれば、
>>135参照。
さらに、ローカルな結論が導かれ、ローカルな結論が、多元的・普遍的に並立しているなら、
それは「日常的な意味では絶対的」です。
禁止↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○…●
↑ ↑
>>392 ローカル(この範囲で正当性は完全に主張される)
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
普 遍 的
↓
日常的な意味では、絶対的、という言葉をあてて、なんらさしつかえない。(「絶対に人を車で轢いてはいけません」)
逆に、日常を生きる者として、それに異議を唱える方が、いかがわしいです。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
>>390-394(
>>392のぞく、ひつじさん)
>『されるのがいやだから、してはいけない』に対する批判→自殺志願者、生に対する意識の低いヒトは、人殺ししてもよいんですか?
■説明は行いますが、質問で立証責任の転嫁を行って批判したことにするのは、やめてください。
そういうのは、批判とはいいません。
■されるのがいやだから〜は、正確には次のように書き換えられます。
「A、B、C、…が、殺されるのが嫌である理由があるから、A(・B・C)は、殺してはいけないとする」への批判
→Xが、X自身をXの手で殺すことを考えている場合や、Yの脳内で、生に対する意識が低下していた場合は、
A、B、C、…を、殺してもよいんですか?
★嫌がる人は、「殺される側の人」
>>80 >>98A です。「殺そうとする側の人」については、
>>98@
>>370-371
■自殺を考えている者であれば、自殺時に、痛くなかったり、将来が失われなかったりするわけではありません。
■自殺を考えていることは、他人に殺されることを認めることでは ありません。
■自殺は、それ自体好ましいことではありません。生きるのがつらいから、つらい自殺という方法が、視野に入ったのです。
■自殺を考えている者は、当然に他殺の動機をもつ、とする根拠はありません。
自殺の考えと、周囲の人間を大事にすることは、両立します。例えば憎い相手を殺して、憎い相手の親類に
自分の親類のうちの誰かがが恨まれることを避けるため、憎い相手を殺さないという配慮、は両立します(あくまで例示)。
自殺者は3万人超。殺人の理由として自殺巻き込みであるケースは、全体的に見ても類型的に見ても、ほとんどありません。
■生に対する意識が低下している、は、言い方を変えてさも新しいことを語ったかのようにしてますが、結局のところ
禁止される側の話である点は変わりませんから、
>>80 >>98Aの話とは無関係です。また、意識が低いからといって、
当然に故意に人を殺そうとすることにはなりません。
>>391 >81の発言の基盤が『相手を、手段としてのみ用いては、いけない』という倫理の上に成っていると思われます。
>倫理は、慣習などがもとになっていますから論理的な矛盾の説明になっていないと、思いました。
>>365で、すでに批判済みの手法が、また使われてます。
>>391は、どんな根拠が示されても、
「道徳観・常識・倫理・慣習」と根拠を呼べるなら、それは論理的な矛盾の説明にならないと呼ぶ」と、
言ってるだけです。「道徳観・常識・倫理・慣習」「論理的な矛盾の説明にならない」の内容が、
全く示されていないからです。また、私が「道徳観・常識・倫理・慣習」を根拠としてない点については、
>>365-367
>>393-394 ■中途半端であるのに正当性を主張するのは、単なる横柄です。謝って横柄さを隠そうとしても無駄です。
■「視座」という表現は、興味深い表現です。なぜなら、312とのやりとりのうち、
>>332で「1回だけ」使った表現であり、
この表現は「普通使われない」からです。少なくとも、ひつじ氏は、
>>332を読み印象を残している人のようです。
■獣ではないヒトとしての矛盾、の内容は、不明ですが、おそらく殺人をする側から肯定する話でしょう。
それが不可能である点は、
>>80-82の、
>>81で指摘しました。
■現実の社会の中で個人的に禁止を行える理由を答えられれば、それは端的に禁止を論じたことになるはずですが、
こうした議論を暴力の視点を強調することで、必死に拒むのはなぜなんでしょうか?
注釈です。
>>398の、ローカルは、普遍との退避でそう表現したのですが、
かえってわかりづらくなったかもしれません。ですので、「任意の個人」に変更します。
>>406 毎度氏
>389
>フォローありがとうございます。
いえいえ。
私も気になってしかたがなかったので。
が、312氏はいなくなってしまったようだ。残念。
こちらはまだ、毎度氏打ち出した論理からアラをみつけられない、
外に出られない状態なので、まだ論議に参加できない(泣)
う〜む。。。。
410 :
考える名無しさん:02/12/04 16:03
西洋では見た目の悪いもの、臭いもの、悪いメロディーなんかはBad(悪)だよ。
逆に見た目の良いもの、いい匂いのするもの、いいメロディーはGood(善)なんだよ。
411 :
考える名無しさん:02/12/04 16:28
>西洋では
一括りにするな。
>悪いメロディーなんかはBad(悪)だよ。
善悪に絡めるな。
412 :
考える名無しさん:02/12/04 16:52
>>411 どうして、悪だよ。の方だけに反応してんのw
べつに410の言ったことは、オカシクないじゃんww
413 :
考える名無しさん:02/12/04 17:27
>>412 いや、オカシイよ。
「善悪」は道徳的意味合いが強いから、Bad=悪、Good=善とは言えない。
414 :
考える名無しさん:02/12/04 17:43
>>413 かってにキミが限定して決め付けてるだけじゃんw
なんでBad(悪)、Good(善)だと、「道徳的意味合いが強い」ことになるのww
あと、「悪だよ」の方だけに反応した理由は何よw 答えなよ、キミの決め付けなんかどうでもいいからw
ここは揚げ足とり大会ですか。
416 :
考える名無しさん:02/12/04 17:50
>>415 プ・・・とかやりたくなっちゃうねw
あまりにアフォすぎてw
とられるように足あげる奴がサルなだけっしょw
417 :
考える名無しさん:02/12/04 17:52
>>414 「善悪」という日本語自体に道徳的意味合いが強く含まれているという意味だよ。
外国語の単語と日本語の単語の意味が一対一で対応してはいないということ。
goodを英和辞典で引いても、いろんな意味が載ってるでしょ?
わかったかな?
418 :
考える名無しさん:02/12/04 17:56
>>417 道徳的意味合いを日本語に人がこめてんの。日本語自体に意味がこもってんじゃないのw
人が意味をこめてつかってるから、辞典にのってんのw 逆だよ逆wプ
そんなことすら分からずに哲学板きてんじゃないよww
外国語と日本語の単語が一対一で対応しているかどうかなんて、410は問題にしてないでしょ
善悪に特定の意味をこめる必然性なんかないよヴォケって言っただけっしょw
ね?
>>410
419 :
考える名無しさん:02/12/04 17:58
あと、「悪だよ」の方だけに反応した理由は何よw
こんな簡単なしつもんに答えられないほどサルなのは、わかるけどさぁww
420 :
考える名無しさん:02/12/04 18:02
>>410のGood(善)は明らかな間違い。
→Good(良)とすべきだね。
>>415 おまえ、なんでもいいから
wをつけるあほぐせやめろ。
>>420 その違いは何よw
>>418見えなかった?ww 文も読めないくらいのサルなんだね!
あと、Goodと良なら、一対一で対応してるのw Goodと善が対応しないのは、
410の用例のせいであって、辞書の意味がずれてるせいじゃないんぢゃないのww
悪のほうは、どうなんだっけww 悪の方に反応してたのにねぇww
そろそろsageるか・・
>>421 やだよ。なんでwつかうとあほぐせなんですかぁ?
なんでwつかってはいけないんですかぁ?
内容で、アフォかどうか決めようねwww
424 :
考える名無しさん:02/12/04 18:09
>>422 おまえ、なんでもいいから
wwつけるあほぐせやめろ。
425 :
考える名無しさん:02/12/04 18:12
>>422 >Goodと良なら、一対一で対応してるのw
いや、そんなことはないよ。
つまり、翻訳するときは、多くの考え得る訳語の中から、できるだけ
近い意味のものを選ばなければならないということだよ。
わかったかな?
>>425 そんなハナシだれもきいてないよw
「善悪」だと、道徳的意味合いが強くこもってんのはなんでw ときいたら
辞書にのってるから、とかいう、サルいこたえが来たから、
意味合いを言葉にこめる必然性なんかねぇよヴォケ! ってなったんでしょ?
Goodと良のほうが対応いいっす、って言われても、
ハァ?? って感じでしょww
もともと410は、西洋ではGood/Badに、ひろい意味合いを持たせてるよ、
日本語の善悪でも、こめたきゃこめることはできるにきまってる、って
言ったんでしょ? そうじゃなきゃ例を広く取った意味がないんだから。
417 名前:考える名無しさん 投稿日:02/12/04 17:52
>>414 「善悪」という日本語自体に道徳的意味合いが強く含まれているという意味だよ。
外国語の単語と日本語の単語の意味が一対一で対応してはいないということ。
goodを英和辞典で引いても、いろんな意味が載ってるでしょ?
わかったかな?
418 名前:考える名無しさん 投稿日:02/12/04 17:56
>>417 道徳的意味合いを日本語に人がこめてんの。日本語自体に意味がこもってんじゃないのw
人が意味をこめてつかってるから、辞典にのってんのw 逆だよ逆wプ
そんなことすら分からずに哲学板きてんじゃないよww
外国語と日本語の単語が一対一で対応しているかどうかなんて、410は問題にしてないでしょ
善悪に特定の意味をこめる必然性なんかないよヴォケって言っただけっしょw
はい、417のヴァカっぷり大公開ww
あっと、もちろん、善に悪の意味をこめたりしても問題ないっす、とか言うつもりはないからねw
道徳的意味合いを、善悪にこめて使う必然性はねぇよヴォケ、のつもりなのでw あくまでww
用法用量は正しく守りましょう。用量を多めにして毒だとかいいがかりつけんなヴォケ、って感じでひとつw
んでは、そろそろ消えますw
429 :
考える名無しさん:02/12/04 18:58
>>426-428 >Goodと良のほうが対応いいっす、って言われても、
>ハァ?? って感じでしょww
う〜ん。もっと英語のお勉強がんばってね。
厳しい先生ならバツになっちゃうかもよ。
「必然性」なんていう問題ではないんですよ。
「慣用」の問題なんです。
言語学に興味があるなら、将来ソシュールから勉強してみてね。
あと、「善悪」についてはニーチェの『道徳の系譜』がいいですね。
英語の「good−bad」は、日本語の「善ー悪」、「快ー不快」の2種類の意味があり、
両者の混同は大問題だというのは、永井均氏なども指摘しておりました。
プラトンに始まる「人は善を目指さざるを得ない存在だ」等々の命題は、
単に両者の混同による「ごまかし」にすぎない、とか。
それと、学校のいじめなどは、やられる側にとっては「悪」(bad)だが、
やる側にとっては「面白い」という意味で「快」(good)だ、という事実を
直視しないと問題の解決にはならない、というような指摘もありました。
このスレの論議も、何かその辺にすれ違いの原因があるように思うのですが…。
横レス失礼いたしました。
>>430 >このスレの論議も、何かその辺にすれ違いの原因があるように思うのですが…。
禁止をする・いけないかとする理由の議論
>>98A と、
禁止を結果的に守るかどうか、守る条件は何かの議論
>>98@ とを
混同して、一方が勘違いしていることが、「スレ違い」なのであって、
すれ違いが起きているのではありません。
>>432 いけないかとする→いけないとする です。
>>430 でも、プラトンを読む限り、善と快の区別は明確になってると思うが。
(その論理の妥当性については別として)
国家とかゴルギアスとかでは、「本当の快とは何か」という問題から初めて、
「善こそが本当の快である」といった結論に到っている。
>それと、学校のいじめなどは、やられる側にとっては「悪」(bad)だが、
>やる側にとっては「面白い」という意味で「快」(good)だ、という事実を
というか、まず、自分にとっての、「本当の快」、「本当の善」というものが、
誰もが、「自分の主観によって正しく判断できる」という前提がおかしいんじゃないの?
「国家」における、「哲人」の必要性は、その問題の認識無しには理解できないと思うけれど。
スレが止まったようなので、様子見をしていましたが、
新たにレスがついたため、スレ違いの、禁止が破られうる話が
また展開されそうなので、用意しておいた、
>>430へのレスを入力することにします。
>>430 >英語の「good−bad」は、日本語の「善ー悪」、「快ー不快」の2種類の意味があり、
>両者の混同は大問題だというのは、永井均氏なども指摘しておりました。
>プラトンに始まる「人は善を目指さざるを得ない存在だ」等々の命題は、〜両者の混同による「ごまかし」にすぎない
ここでごまかしを行っているのは、引用が正しければ永井氏です。なぜなら;
@■永井氏が指摘する、英語使用における、プラトン他X の混同を、指摘するためには、
個別的に「あるX が good の意味として 善悪・快不快の二通りの意味をこめて議論していた点」を
示さなければならないのに、氏は、用法が多義的である点と、全てのXが多義的な語を用いて議論していた点 しか
示していないからです。多義的な語を一義的に用いた可能性、多義的に用いているが、議論の内部で区別されている
可能性が、検討されてません。
■永井氏の議論をそのまま認めるなら、good bad という語を使って議論する限りは、かならず
氏が主張するごまかしに該当することになります。なぜなら、good bad を論者の意図とは関係ない、
用法(用例)が多義的である事実から、議論をごまかしであると位置付けているからです。
ごまかしているのは、むしろ、永井氏です。
A■永井氏は「プラトンに始まる「人は善を目指さざるを得ない存在だ」等々〜」の部分で、善とgoodを混同しています。
「善」の部分には、「good」が入らなければ意味が通らないはずです。
□氏は、プラトンのgood bad の多義的な使用に言及したあと、その多義的な使用についての理解が、
引用箇所の「善」という記号にあてはまるように記述しています。
不注意な読み手が、good bad における快不快の意味を、それが含まれていない(その点は氏がgood badを
区別するに当たって、善悪 快不快と分けていることから明らか)善に読み込むように、仕組んでいます。
□この点は、永井氏があげたいじめについての記述において、評価の対象となる行為はどの主体によるかという観点の
捨象によって、さらに強められます。なぜなら、氏はいじめられる人間が不快であるかどうかを捨象しているからです。
■Aを混同しているのは、永井氏と、永井氏が仕掛けたトリックにかかった読み手以外にありません。
■@Aともに、極めて悪質な論法ですが、特にAがひどいです。
誰かが、ある種の思想は悪魔でも見抜けないくらいに上手く書かれていると言っていましたが、
永井氏の記述は、まさにそういう記述です。
彼が意識的にそういう記述をしたかどうかを、立証することはできませんが、
彼の「哲学」、観念の傾向が、非常に危うい性質を持つことは、間違いありません。
・論法上のいかさまがひどく、・いかさまに基づく理解が、善悪という語を用いて守られるべき現実的な利益が
捨象させられている世界観に直結させられており、それが理論としてでなく、言葉の意味、「本質」として
提示されているからです。
いじめに関する記述についても批判を書きましたが、スレ違い・長い ので、入力しません。
いずれにしろ、
>>430引用部分の論旨が、禁止の成立を論じているわけではなく、
禁止をを守る際の条件を論じている点は変わりませんので、
>>430ないし永井氏の議論がスレ違いである点は
変わりません。
>>438訂正
>なぜなら、good bad を論者の意図とは関係ない、
>用法(用例)が多義的である事実から、議論をごまかしであると位置付けているからです。
>なぜなら、論者の意図とは関係ない、
>用法(用例)が多義的である事実から、多義的な語を用いる議論をごまかしであると位置付けているからです。
, --- 、
,. -一'´ `ヽ、_
/ `\
r'´ ヽ
ノ ,.ヘ、 ,. ‐'^ヽ、 l
(. / /'l,ィi ´ ゝ |
ノ ,' |l |l \、 ヽ ヽ
( | l' ヽ、 `'ー _( }
ヽ. |´`==。、 ー=='。、 } ,r‐、 ノ
)|. } { {,r‐.| 〈 弾幕薄いぞ!!
. ヽ| ノ } } ;,リ ノ
. | !._ ル'_ノ <´ なにやってんの!!
l. `__ |_,r'´
l ヽニニ二) |
ヽ ー / |
ヽ. _, ‐'´ _|、
「l`T 「 ̄ ̄ ̄ |
|.|| ̄| │
すいません。
>>430を書いた者です。こんなにレスがついているとは全く
知らず、失礼いたしました。
で、記憶だけを頼りにいい加減な引用をしたために、私はともかく永井氏の
真意を誤解されるのはまずいと思われるので、補足したいと思います。ただ、
真意といっても私も永井氏の議論を理解している自信はないので、該当個所の
引用が一番かと思うのですが、あいにくネタ元の『子どものための哲学』が
手元にありません。
そこで、とりあえず永井氏の発想のニュアンスだけでも伝わるかと思い、
ナカニシヤ出版『なぜ悪いことをしてはいけないのか』から引用してみます。
『人間は自由の刑に処せられているーマルクス主義を乗り越え不可能な哲学
だと宣言する以前のサルトルは、人間の全面的な自由を主張していた。ごく
若いころ、これを小耳にはさんだ私は、それを、人間は何をしてもよい、
何をしてもよいのであらざるをえない、という意味に理解した。そして、
なんとまあ、分かり切った、あたりまえのことを言うやつだろう、と
思ったものである。どうしてこんなあたりまえのことを、ことあらためて
「哲学的に」主張する人なんかがもてはやされているのだろう、と。
サルトルの真意はともかく、人間が何をしても「よい」ことは、ある意味
では、確かに自明ではなかろうか。たとえばどんなに悪い、普通の意味では
しては「いけない」ことでも、処罰されるかもしれないことも、白い目で
見られるかもしれないことも、後ろ指をさされるかもしれないことも、
地獄に落ちるかもしれないことも、良心の呵責を感じるかもしれないことも、
何もかも覚悟のうえでそれを選んだなら、その人はそれをする「自由」がある。
あらざるをえない。まったくあたりまえではないか。そういう最後の自由を、
だれか他人が否定することなど、できるわけがない。
これは端的な事実であり、世の中はこの端的な事実を最後には承認する
ことによって成り立っているのだと、私は思い込んでいた。世の中で普通に
生きていくうえでの約束事にすぎない道徳なんぞによって、この種の崇高な
人間の自由が制限されるわけがない。わたしは疑う余地なく、そう信じて、
というよりそう感じていた。
私のそのような考え方を、とんでもない考えだと本気で感じて、本気で
怒る人がいることを知ったのは、少し後になってからのことである。…』
上の引用でおわかりかと思いますが、永井氏は無論、通常の意味(法的・
社会的・道徳的)で、「人を殺してはいけない」という規範を否定している
わけではありません。別に「悪人の友」として発言しているのでも、いじめを
奨励しているのでももちろんありません。何と言えばいいか、世界にたった
一人しかいない自分という人間が、様々な社会的規範に拘束されなければ
「いけない」という「哲学的な根拠」の有無を問いながら、道徳的規範の
存立構造などを論じているのです。ここには氏独特の「独在論」的な存在観
がからんでくるので、議論の分かれるところなのですが…。
ちなみに、上に引用した本は、複数著者の論争のような形式で、当然ながら
永井氏に対する激しい批判などもあります。そして、論争が全く「噛み合って
いない」のも、考えさせられるところ大です。
で、このスレで「人を殺してはいけない」という規範に疑問を投げかけている
人達は、恐らく永井氏とある種似た視点や角度からモノを言っているのでは
ないかと思えたので、「すれ違い」という言い方をしたわけです。もちろん、
毎度さんが繰り返しておられる通り、殺される側や社会一般が「人を殺しては
いけない」と主張する「根拠」とは全然関係のない(というか次元の違う)話
なのですが。
430氏に悪意がないことは、分かりましたが、永井氏の言は、やはりおかしいので、批判しておきます。
あらかじめことわっておきますが、私は永井氏の問題意識を否定できるとは考えておりません
>>80。
しかし、彼が問題を立てる際の形式・用語の使い方と、問題に対する答えには大いに反論の余地があります。
>〜人間の全面的な自由を主張していた。ごく若いころ、これを小耳にはさんだ私は、
>それを、人間は何をしてもよい、何をしてもよいのであらざるをえない、という意味に理解した。
>そして、なんとまあ、分かり切った、あたりまえのことを言うやつだろう、と 思ったものである。
↓
>私のそのような考え方を、とんでもない考えだと本気で感じて、本気で
>怒る人がいることを知ったのは、少し後になってからのことである。…』
■形式的な点について
まず、彼の若い頃の理解が示され、最後「怒る人がいることを知ったのは、後になってから」とされた点について。
のっけから申し訳ないですが、これは、明らかに不適切な引用です。なぜなら、最後の文章によるかぎり、
怒る人がいることを知ったあと、考え方がどう変わったか、変わらなかったかが、現在の彼の見解であるはずだからです。
ただ、見解の変化がないから、430氏はこの部分を引用したのだと思います。そうであるなら、永井氏は、
若い人間「ですら」、当然に分かることだ、というような経験談の形をとって、自己の考えに対する予断を、
読者に与えるような書き方をしていることになります。これは哲学者以前に、成人として恥ずかしいやり方です。
□次に、「ある人が」本気で感じて、本気で怒る、という次元に問題をずらしてますが、
○→→→→→●永井氏 ■→→→→→ ←←x□
↑ある人
怒っている人は、実際に生じる利害 □xや ありえない抽象的構成 →→→→→(←←□の抵抗がない)によって
「自由」を論じる馬鹿さ加減(言い過ぎではありません)に、怒っているのだと思われます。
>>265 ←
>>268 怒っている人 ○ が問題にしていることは、■→→→→→←←x□ の話であり、永井氏が怒られる前に
問題にしていた点も、同じ話だったはずです。しかし、どういうわけか、最後のところで、○ が怒っていることが
問題にされてます(こういう手を使う論者は、絶対に信用できません。おそらく彼自身も話をずらしたと思ってない。
そして、相手がこれを指摘できないことにかまけて、いつもこうした議論の進め方によって有利に議論をすすめられる
結果、こういう汚い点を使うのを、やめようとできないからです)。
■怒っていることを問題にすることによって、永井氏の「当然の自由」の文脈からみて、規範を立てる側の主張が
筋があってないように見せています。しかし、これは全くおかしな話です。
なぜなら、永井氏が上図右のx□であるなら、当然殺されることに対して抵抗するはずで、その立場から「も」
見ることができるなら、「殺すことが「自由」だとする考え」に対して怒る(批判する)のは、普通だからです。
そういう人から見ると、永井氏はどういうわけか、殺すことを当然の前提としている馬鹿にしか見えません。
実際、彼はそういう前提で話をしてしまっています。彼は殺しを肯定することとは、自分が殺しを行わない限りでは
他者が自分か自分以外の他者を殺すことの肯定でしかないことを、皆目理解してないのです。ここらへんが
あまりにもアホに見えて、他の人が怒るところなんでしょう。
相手が自分を殺すことが可能であった点を「自由」と呼べると言い張っても、普通そんな言い分に説得力を感じないし、
自由はそういう概念ではないことはご承知の通りです。なぜ、永井氏が発言すると、自由の意義を間違えてもよいことに
なるんでしょう? 自由は歴史的(用例的)に、肯定的なニュアンスとともに使われてきた概念ですから、
自由という用語は、あくまで「自分」の「勝手」「可能性」「任意」である点を指す際に使われるべきではなく、
「個人」の「自由」「蓋然性」「個人が一般的に害されないと言える範囲における任意」を指す際に使われるのが
正しいです。なぜなら、後者のように使われない「自由」とは、ある一人の「自分」以外の「他者=個人」にとって、
単なる「自分」の「勝手」に過ぎず、そんな判断に一般的に肯定的な評価を与えることなどできないからです。
論者自身、論者に賛成する者自身を「自分」とおきかえても、この点への反論になりません。なぜなら、
論者は複数だからです。相手が「自分勝手」なら、私は「自由」にはなりませんし、私が「自分勝手」なら、
相手は「自由」になりません。永井氏が、どんなことをしても「よい」とした点についても、同じ批判があたります。
>サルトルの真意はともかく
■サルトルは権威づけのために引用されただけになってます。
>人間が何をしても「よい」ことは、ある意味では、確かに自明ではなかろうか。
>たとえばどんなに悪い、普通の意味ではしては「いけない」ことでも、処罰されるかもしれないことも、
>白い目で見られるかもしれないことも、後ろ指をさされるかもしれないことも、
>地獄に落ちるかもしれないことも、良心の呵責を感じるかもしれないことも、
>何もかも覚悟のうえでそれを選んだなら、その人はそれをする「自由」がある。
これは(自分の)「勝手」「結果の可能性」であり、(個人の)「自由」「蓋然性」ではないことは、前述の通りです。
永井氏は、結果が可能的である点を「してもよい」「自由」と表現したわけですが、そもそも意図した結果が可能でない
ため「勝手」とも「自由」ともいえない場合がある点が抜けてますし、「してもよかった」といえなかったなら、
そこでその人が自由を感じない点も抜けてますし、そもそも、あることをすることが「自由」だから行うとは限らない
点も抜けてます(尊属殺重罰規定違憲判決の事例を、想起してください。女性が父親を殺したとき、それをする「自由」が
あったから殺したんでしょうか? そんな馬鹿な解釈はないでしょう)。
>そういう最後の自由を、 だれか他人が否定することなど、できるわけがない。
>これは端的な事実であり、世の中はこの端的な事実を最後には承認することによって成り立っている〜
結果が起きたなら、他人が結果を否定することはできないのは当然ですが、「ある人間の自由」を
結果のみに対応させるのは不当です。なぜなら、ある人間が、常に意図した結果を起こせる人間として
構成されているからです。ここで自由という語を不当に狭く解釈しないなら、他人は永井氏他の決定を
妨害することによって、「自由=勝手」を否定することは、いくらでも可能です。「何らかの意味で」必ず否定にも
成功するでしょう。また、普段からそういう考えをなくす方向で、制度・教育・話し合い・仲良くする、など、
いろいろ行為することもできます。
どういうわけか、永井氏は、上のような端的な事実については触れたがりません。なぜでしょう?
>世の中で普通に生きていくうえでの約束事にすぎない道徳なんぞによって、この種の崇高な人間の自由が
>制限されるわけがない。わたしは疑う余地なく、そう信じて、というよりそう感じていた。
どこが崇高なのか、説明をお願いしたいんですが。私は道徳を恥ずかしげもなく守る人間の方が、殺人が
可能なんだ、と言い張る人間よりは崇高だと思います。どちらも極端だ、と言い放つ一般人のほうが好きですが。
しつこいようですが、彼のいう自由は自由ではありません。疑う余地がなかろうが、信じようが、感じようが、
自由ではありません(私がこのように書いたのが馬鹿らしく見えるなら、引用文を見ましょう)。永井氏の「勝手」です。
永井氏以外の人間が、「自由」でないから、それは「よい」わけでも「崇高」なわけでもないからです。
おそらく「押し付けがましい?約束事の」「道徳」の方が、「迷惑な」「永井氏の勝手」より、マシだというひとが
多いでしょう。むしろ、永井氏の迷惑な「自由の解釈」という「崇高さ」のほうが、よほど押し付けがましいでしょう。
430氏へ・・冒頭で断ったとおり、430氏に悪意があるとは考えていません。それは
>>452を見れば明らかです。明白に人を殺してはいけないという規範が立てられる点を
認めてらっしゃいますし、それを文の最後のところにもってきて、論点がずれていた点を
正しく指摘してらっしゃるからです。ですが、やはり引用部分の永井氏の発言は
>>453-458のとおり
不当ですので、批判させてもらいました(論点からは外れています)。
430氏がおそらく共感しているだろう立場に対して、かなり厳しく書いていますので、
気分が悪いかもしれませんが、落ち着いて読んで、批判的に彼の理解をしてもらえたらと思っています。
>>454 実際に生じる利害 □xや →実際に生じる利害 □xの無視や
>1
そういった環境に育ったからと言わざるをえない。
永井氏は、「そう言うべきではない」と言わせたくなる怒りの力もまた、道徳的に形成されたものに過ぎないはずで、
そこに、魂の領域まで置かされてしまうことはないと言っているのではないかな。
道徳規範として「殺すべきでない」と主張することは当たり前で、
魂の領域で「殺すべきでない」という道徳規範に"従うか、否か"は本来は自由なんだという、
やはりまた当たり前のことを言っているのではないの?
人間が道徳的に「行為」しなければならないとしても、
そこに私という特別な存在の仕方をしているものがそこにしたがうべき「絶対的な理由」はないはずだ、
ということでしょ。
それは、道徳を超えた次元での存在に向かっての語り掛けと言えるから、
そこに道徳的言説の正当性を要求しても意味がない。
ひとことで言えば、人間社会上のあらゆる問題を超えて、
<私>というものは存在しているはずだ、ということだと思うんだけど。
人間社会上の問題に出会う前の<子供>にとっては当たり前だった<自由>が、
人間社会上の問題に出会うことで抑圧されて無自覚のうちに抑圧されていく構造の不自由に対する
アンチテーゼなんじゃないの、
永井均の物言いは。
>>463 ■私が書いたレスに、きちんと答えになるようにレスしてください。そう言うべきでない、は、
永井氏の問題意識にかかっているのではなくて
>>453冒頭
>>80、永井氏が論じた内容を
表現する際にとる用語の選択の誤りに向けられています。
>>453-458 同じ解釈を繰り返し述べて、再批判とするのは、そろそろやめてください。
■永井氏が論じてる内容は、@禁止と無関係ですから、このスレの主題とずれており、
Aまた意思決定・勝手・自由を論じたものとしても不適切な内容です。
なぜなら、彼の意思決定は殺しに限定され、勝手な行動も原因なく殺す方向に傾向づけられており、
なぜか、殺さない方向
>>62 >>85 や、殺されたがらない意思決定・勝手・自由
>>80-82 は、
論じられておらず、自由の概念の適用も、誤っている
>>456-458 からです。
道徳的に形成されたにすぎない、については、
>>404 >>365-367 「殺すべきでない」は、道徳規範である必要がない点について、
>>120 >>132 ←
>>133-134 禁止は、ある人間が決定を下したときに、その決定に関わる相手の決定を左右できない点に
かかる問題として位置付けられました。それへ道徳的言説というレッテルを貼って反論する手も、
いい加減にやめてください。
■ある人間が規範を形成するかしないかは、「可能性」「勝手」に係る事柄です。
それを自由と称するのはやめてください。勝手な判断に私が肯定的な評価を下すことが出来る、
と正確に、意味するところを述べてください。他の人間の決定を巻き込まないで頂きたい。
>>464 <私>とか<子供>とか、注釈なしにさも深い意味があるかのように述べて
自分の希望する思想的傾向を吐露するだけの書き込みは止めてください。
例によって「自由」と「勝手」が履き違えられて用いられ、自由の用例上の評価が
混入することで、<私>の決定にすぎないことが個人の決定にすげかえられています。
>>265 >>268 抑圧されていく、と言っているが、<子供>は殺す自由など意識していない。
殺すことも、自由や勝手のような観念を抱きつつ行われるのではない。
>>80-82の
>>81 >>457 対応する像が見出せないような抽象を行って、具体的な結果に係わり合いのある議論を
行うのは、やめてください。
■→→→→→ ←←x□
の図示を借りて示すなら、
■"→→→→→" ←←x□
の""の部分を規定するのが人間社会の道徳でしょう。
その部分での「自由」なら、当然その行為の矛先である対象との関係の中でその規範意識を問題にせねばならないでしょう。
でもそれは言葉で表現すれば「殺し」一般のことなんですよ。
図示できる限りそれはどこまでも「殺し」一般のことでしかなく、殺しの行為そのものを表現するものとは成り得ない。
殺しの行為そのものには、やはり道徳は「絶対的な理由」としては機能しない。
永井氏が問題にしているのは、ふたたび手を加えて図示すれば
〈私〉"→→"■→→→→→ ←←x□
の""の部分だと思うんですよ。■は=「私」一般のことなんだと思うんですけど、
永井氏はそこを問題にしていない。
「私」が具体的な他人と関係する為に必要とされる(「殺してはならない」という規範を含めた上での)道徳に、
"絶対に"従わなくてはならない理由はない、ということだと思います。
そしてそれは、多くの人がじつに当たり前にしていることなんです。
だって、人は人を現にそのように殺す(一般的現実としてでなくまさしく自分の現実として)のだから。
だから、永井さんの理屈は普通からしたら倒錯してはいるのかもしれません。
過剰に、殺してはならないという規範(およびその他の規範の侵犯)を戒める道徳を
守護すべき者と思い込み勝ちな「少数者」へ向けての言葉なのだと思います。
すみません。
469は
>>465へのものです。
それと<私>というのは、この私の独在性を、
一般的自己意識として読み取られ易い「私」一般と敢えて(理解上)差異化する為に用いられる符号だと思います。
<子供>も同様です。
殺すと怒られるから殺さないだけと言ってるみたいだな。
>>469 ★スレ違いの話が続いている点について
殺人の禁止の理由は何か?への答えは、
>>454の図でいうなら、←←x□と、○にかかわることです
(○には、■が含まれえます)。■がなす決定(殺人という現象)が、必ず内容とする、□の側からの記述、
記述に対する評価、評価に従った禁止の可能性の提示、これらが答えです
>>80-82 >>98末尾のA
>>8さんのレス。
>>469と、それへの私のレスは、論点はずれです。私が論点はずれな話に応じる理由は、
>>80-82 の、禁止の要請を満たしうる現実を指摘する
>>98 >>368 ←
>>369-371 ことは、
>>62 ←
>>85 さん、
>>280 ←
>>336さんが指摘する意味で「本質的」であり、大切なことだと考えるからであり、
永井氏や類似の論者の考えが、この日常的な大切さを安定して理解するうえで、極めて有害であると考えるからです。
---
>■→→→→→ ←←x□ の図示を借りて示すなら、
>■"→→→→→" ←←x□の""の部分を規定するのが人間社会の道徳でしょう。
>その部分での「自由」なら、当然その行為の矛先である対象との関係の中でその規範意識を
>問題にせねばならないでしょう。
▼図示
>>454 について
>>469さんは「図示を借りて示すなら」と、図を断片的に利用しています。そして、
>>454へリンクを貼っていません。
○→→→→→●永井氏 ■→→→→→ ←←x□
↑ある人
>>454を見ると、明らかに■→→→→→ ←←x□は、殺人という現象を指していることが分かります。
また、●に、永井氏という注釈が、はっきりついています。
永井氏の見解の考察にあたり、■…だけを
>>469で用いたことは、論じあう場 ○→→→→→● と、
実際に殺人という現象が起きる場 ■→→→→→ ←←x□ を並立的に配置した構成を無視した、不当な引用です。
▼「自由」の適用の誤りに関する指摘が、無視された点、論旨を正しく表現すべきである点、について
>>456-458 >>465後段で、批判をしましたが、一切触れずに、
>>469で「自由」をそのまま使い続けていますね。
どういう了見でしょうか? 真面目な文体であれば、相手を愚弄したことにならないとでも考えてるのでしょうか?
個人 ○○○○○… の、「自由(評価…用法上、肯定的である)○ok○ok○ok○ok○ok…」
>>265 ←
>>268 という
用語は、永井氏の論旨に対応しません。
正しく論旨を表現してください;
・●は、殺人という現象 ■→→→→→ ←←x□ に断片的・瞬間的にしか対応しない、
■→→→→→ に、限定した構成を採用する。なぜなら、こうした考察こそが哲学的
>>133 であり、
■→→→→→ は、魂の領域
>>463 であるため、犯されないからである。
・●は、■の決定は必ず結果すると構成する。結果する以前の□の抵抗・禁止は捨象する、
・●は、■の「自由」を主張し、□の「自由」は「道徳的」と呼び無効として扱う。
「自由」という語の適用は不当だという批判は、無視する。
・●からみて、■→→ は、可能であるから、「人」は ○○○○○○…は、当然に ■→→ をすると見なす
統計的根拠は無視する。
>そしてそれは、多くの人がじつに当たり前にしていることなんです。
>だって、* 人 ■→ * は人 ○○○… を現にそのように殺す
>(一般的現実としてでなくまさしく自分の現実として)のだから。
(* *部分は、不注意な読み手の理解の中で、○○○○○○…として理解されます。人という語に対応する
イメージは、通常人一般であるからです)
・■が、x□につき、否定的な評価をする蓋然性は無視する。
第一に、構成的に、■が殺した瞬間だけを問題にし、残りは無視する。
第二に、■は、殺しを絶対に反省しない。第三に、■は、私怨で殺す場合、相手に不都合がないと考える。
第四に、■は、過失で殺した場合、過失を肯定的に評価する。
すなわち殺人の結果を招いた者は常に殺人を「よい」by 若き永井氏 と考える。
これは魂の領域なので犯されない判断であり、根源的な「自由」である。
以上のように、正確に記述してください(●=永井氏・
>>469氏他)。
自らが正確な記述しないことで、悪質な思想的傾向を読み手側で正当化させるような文章を書かないでください。
▼
私は、永井氏や類似の論者の、要素の認識の甘さを批判しているにすぎません。これは、哲学以前の問題です。
@問題に含まれる要素をきちんと列挙→構成できていない(信念によって、扱われる要素が■に限定されたり、
「個人」「人」「一般人」の性質に根拠無い傾向づけがなされており
>>469 >>368 ←
>>369-371、
しかもその点について自覚的でなく、
A構成した要素に適切な用語が対応させられておらず(自分=私、個人の、区別すらつけられていない)
B一般に肯定的な評価を下せない現象に対して、中立的な「可能」をあてずに、
一般に肯定的な評価と可能なニュアンスが付与されている用語(自由・よい)をあて、可能のニュアンスを利用して
適用の不当さをごまかすことで、一般に肯定的な評価を下せない現象に不当に肯定的な評価を与えるという論法を
用いている。
こういった、非常に次元の低い話をしているのです。いい加減、そういう問題だと言うことに気づいてください。
---
▼
>>469で、"→→→→→"の部分を規定する要因が人間社会の道徳であるとしていますが、これは二重の意味で誤りです。
@まず、主体の■を外されている点です。
○、●、■、□、の存在が世界内にあり、それぞれの立場から認識がなされ評価が下されるという、
図示によって示されている構成を、そのまま踏襲すると、永井氏や、あなたの議論にとって、不都合なので、
読み手に分かりにくい形で無視したのでしょう。
以下、"■→→→→→"に変更し、■が下す評価は、肯定的であるとは限らない点を、改めて確認します。
A"■→→→→→"の部分を規定する要因は、道徳だけではありません。
>>98 >>368 ←
>>369-371 で、指摘済みです。
>>80 >>98要旨
>>134 から分かるとおり、「やはり道徳は「絶対的な理由」としては機能しない。」については、
争っていません。(参考
>>62 ←
>>85)
■によって、禁止が現実に破られる場合はありますし、●が言葉の上で禁止しないと言い張ることもできますから、
絶対的な理由なるものは、ありません
>>80。
かといって、禁止は禁止がまっとうされなければ成立しないわけでは、ありません
>>80-82。
駐車禁止は要請があれば、その段階で禁止として成立します。駐車禁止違反が可能だからといって、
駐車禁止が成立しないことになるわけではありません。
さらに日常的に「絶対的な理由がある」として差し支えない面、また、そう呼ぶ実益・判定機能がある面に
ついて、
>>397-399。
▽"■→→→→→"を、道徳の問題として扱うことを要求したがっているのは、永井氏をはじめとする禁止を破れる点を
強調したがる人間たちです。"■→→→→→"を道徳の問題に限定して扱えば、道徳は必然的な要請でないと
言い張るだけで、「崇高」な「自由」・「魂の領域」を守れるから、そうしたがっているのでしょう。
ですが、そうした考えは馬鹿げています
>>368 ←
>>369-371 >>62 ←
>>85 >>280 ←
>>336。
しかも、そうした考えを「人を殺すのは可能」「私は可能なことは全て正しいと考え、これこそが崇高だ」と、
内容に即して論じずに、「人を殺してはいけない理由が無い」と哲学者として主張し、
哲学者としてみっともない、内容に即した発言は、感化された中学生のような人間の口から吐かせるのです。
これが欺瞞でなければ何が欺瞞だというんでしょうか? x□の視点からの考察を無視し、人に殺されたら困るから、
禁止したい自由は一切考慮に入れない「自由」の、どこが崇高であり自由であると言うのでしょう??
そんな考えは、絶対に自由ではありません。単なる暴力の肯定にすぎません。
480 :
考える名無しさん:02/12/20 09:53
自由とは他人を害さぬ全ての中にある。よって人を頃してはいけない。
481 :
考える名無しさん:02/12/20 15:04
人間は、古今東西、一対一の場面から国対国のレベルに至るまで
様々な要因から殺し合いを続けている「種」の動物である。しかも大量に。
従ってこの種の疑問は愚問であって、人間はこれからも殺し合いを続けていくだろう。
遺伝子操作、突然変異などによって種として変異を遂げない限りは。
すべての存在は設計図からははみ出せない。
482 :
考える名無しさん:02/12/20 15:06
そう、それでいいんじゃないですか。
このスレ、アルコールがまわってこないと、無理。ありえない。
ーーーーーーーーー完ーーーーーーーーーーーーーーー
殺していくけど「殺してはいけない」
それでいいじゃない
485 :
考える名無しさん:02/12/20 15:37
そう。立て前としては殺してはいけない。それで終わり。
>>481-485 ■殺し合いとは、物理的に傷つけようとする行為をとりあっており、それらの行為が原因で死の結果が起きている
ケースを指します。殺しが結果しなかった場合は、殴り合いです。殴り合いは当然に殺し合いにはなりませんし、
殴り合いが、普遍的に行われているとは、言いがたいです。種の性質が全面的に闘争的である事実もありませんし、
闘争的な性質が当然に物理的な暴力として結果するという事実もありません。
□
>>481は、殺しが、いついかなる場所でも続いてるように表現していますが、そんな事実はありませんし、ありえません。。
常に殴らずにいる・殺さずにいることは、可能であっても、常に殴っている・殺していることは、不可能だからです。
後者は相手が必要だからです。
■ある人間が、家族・友人・知人・上司・部下・先生・子供・赤ん坊を殺すケースが普遍的であったためしはありません。
■敵対関係にある人間同士が、常に殺しによって敵対関係を解消してきた事実もありません。
■自分と自分に親しい人間の殺しを禁ずる人間は、殆ど全てです。
■ある国家による殺人の禁止が及ばない地域において、法の範囲に含められないから、当然に殺したくなり、殺す、
という事実もありません。殺しが、法的に禁圧されても、そのことについての抵抗が普遍的であった事実も、ありません。
■傷つけあう行為は、現代においてはボクシングなど合意に従って行われる場合がありますが、これは無差別な暴力を
許容するものではありません。また、人間という種の性質に闘争的な部分があるとしても、それが物理的に殺しという形で
反映されるわけではないことも、ボクシングという制度と、ボクシングへの評価に賛否あることから、明らかです。
■戦争においてすら、敵味方関係なく殺しを行うケースはなく、捕虜を殺すことや殺しを快楽的に解釈することが
推奨されたためしはありませんでした。
>>481の考えは、広く見るなら、
>>481が、一生おかしな思想に染まったままで、彼の周囲に彼に感化された馬鹿がいれば
その範囲、狭く見るなら、02/12/20 15:00頃 に、毎度をコケにしようと考え、口からでまかせを言ったときの思いつき、
その思い付きに乗っかって戯れた馬鹿
>>482-485 の範囲にしか、及んでいません。
488 :
考える名無しさん:02/12/21 05:32
結局、人をコロしちゃだめって言うのは、信号を無視したら事故になってお互い損
だからみんなやめようね。って言うのと同じただのルールだよ。
人間ほど人をコロしたいって思う生き物は無いと思う。
だから、嫌な奴はコロしたいって思うのは、ごく自然の事で人間であることの証明ですよ
コロしたら人間が作ったルールでのぺナルティがあるだけです。
あ、そうか。解ってきた。
「(戦争などで)人は人を殺す・殺した」、ってな事例があったとしても、それが
「人が人を殺してもよい、という理由」にはならない、ってことか。
「Aさんが、●を食べた」という事例から、
「●を食べてもよい(全ての人に、許可されます)」
「●を食べることは、いいことだ(全ての人に、好ましいことです)」
「全ての人は、常に●を食べたがっている」
と、言うことはできない。これ、合ってます?
>488
>信号を無視したら事故になってお互い損 だからみんなやめようね。って言うのと同じ
>ただのルールだよ。
488自身が「ルール」を守って(守ることを選んで)、「損」にならない(得をえたいと思って)
でいるのだから、「ただの(ルール)」〜「ルール」の価値を低くあらわすような言い方〜
は、不適切なのではないのかい?
>人間ほど人をコロしたいって思う生き物は無いと思う。
なぜそう断言できるのかいな。その理由が書かれていないからよく解らん。
人が、歴史上、他の生物によって殺された数よりも、同種(人)によって殺された
数が多いと思うから? または、488(人)が、「殺したい」と考えることが多いから?
どんな理由にせよ、その(殺す・殺したい側の)理由と「殺してもよい」というものとは
別物じゃないのか。
>だから、嫌な奴はコロしたいって思うのは、ごく自然の事で人間であることの証明ですよ
「ごく自然のこと」=「殺してもよい」理由にはならんのではないか?
「嫌な奴は殺したい」=「ごく自然の人間であることの証明」ってものよく解らん。
これは、「牛丼食べたい」=「ごく自然の人間であることの証明」ってのと同じでは
ないのか? 特筆すべきことでも、それによって「殺してもよい」という結論が導き
出されるわけでもないだろ。
>コロしたら人間が作ったルールでのぺナルティがあるだけです。
この物言いが説得力を持つのは、「人間(社会)/ルールが効力を持つ範囲外」に
立っている存在が発した場合、だけではないのかなぁ。
491 :
考える名無しさん:02/12/21 07:03
殺していいんだよ。
悪い奴らが後から追っかけてきて君を石作りの建物にぶち込もうとするけど
殺せるだけ殺せば誰も追ってこないし悪い奴も消えて良いことづくしだよ。
他のスレで「時には前提を疑って考え直そう」と書いている者です。こんにちは。
なぜ「人を殺してはいけないか」疑問に思ったのです?
それは、何者かから「禁止」がかかっているのを無意識のうちにしろ感じたから
ではないですか?
自然状態に置かれた人間は、「あらゆることが可能」な状態です。これ常識。
ご飯を食べたって、犬を殺しても、人を殺すことだって可能です。
これはすべての人に置いて「相互に入れ換えても成り立つ」自明なことですね。
とすると、いつとなりの人に殺されるかもわからない隣人による緊張状態を
引き起こします。
それではうかうか寝てもいられないので、「人を殺してはいけない」と、
村長さんが決めたわけです。ただそれだけのことです。
他に殺してはいけないと決めた人を見つけたなら、個別に議論しましょう。
その方が論点がシャープになると思います。
「自殺はいけないのですか?」という問いも同じ。
禁止を掛けているものが、道徳、倫理、宗教、親心、余計なお世話等、
人以外の場合も多々あるでしょう。
もちろん禁止をかけるものが[自分の良心]という人とも多いね。カントあたりに語ってもらいたいね。
494 :
考える名無しさん:02/12/21 12:50
>>492 今までその前提をのスレの趣旨を取り違えてたみたいだ、俺は。
そのように既存の固定概念から発せられる前提を疑って考えるのは良いね。
それは大衆意識の色を浮き彫りにさせるね。
今までその前提をのスレの趣旨を、ある上げられたスレの存在目的と1のそこにいたった主観的な思考経路を疑って
という風に勘違いしてたから。
今ではゆい脳の方針には賛成だ。
495 :
考える名無しさん:02/12/21 13:31
ところで前前から思ってたんだけど、いけなかったらなんなんだろうね。
殺す奴は殺すし、殺される奴は殺されるでしょ?不毛だな(ワラ
>>489 (ここまで拝見さん)
>「(戦争などで)人は人を殺す・殺した」、ってな事例があったとしても、それが
>「人が人を殺してもよい、という理由」にはならない、ってことか。
その通りです。例えば、約束を破る・破られることが可能だったとしても、
自分か他人のいずれかが、約束を破られると困るなら、困らないことにはならない、ということです。
約束の場合は、破っても破られても大して困らない場合もあるでしょうが、殺人の場合はそうは言えない
だろう、ということです。自分が破ったり、殺したりした瞬間にイメージを限定して、その範囲で自由だの
何ら困ることは無いと言ってる馬鹿(繰り返しますが、言い過ぎではありません)が、永井氏や氏に同意する人たちです。
>「Aさんが、●を食べた」という事例から、
>「●を食べてもよい(全ての人に、許可されます)」
>「●を食べることは、いいことだ(全ての人に、好ましいことです)」
>「全ての人は、常に●を食べたがっている」
>と、言うことはできない。これ、合ってます?
>>98最後の@の観点からいえば、●が毒かも知れませんし、おいしくないかもしれませんし、
●は他の人の分だから盗ってはいけないと思って、B〜さんは、食べてはいけないと思うかもしれませんね。
だから、合っています(ただ、
>>98最後のAの、禁止の話をする際に上のような発言をするなら、論点外れです)。
※
>>450-452 ←
>>453-454(
>>461で修正)
>>455-456 >>457-458 430氏へ・・・
>>460 >>469-470 ←
>>472-478 で使われていた●とは、違う意味で使われています >読んでる人
>>488 ←
>>490のレスについては;
■自然のこと、については、自然の意味がまず明らかでない、と書くと、とりあえず論理性が強まります
(ただ、これ「だけ」だと、オウム返ししているのと区別がつきませんし、常識的な判断を踏まえていなければ、
言いがかりをつけているようにしか見えませんが…)。
ですから、例えば痛覚より、「人」が「生命活動を終わらせる」という抽象的認識の方が、「自然でない」ことは
明らかだ、とでも言っておけば、良いでしょう。
つまり、痛覚と対比されることがあるとするなら、腕を振り回すとか、暴れるとかいうことが「自然」ですね。
対象をの生命活動の終了を目指す認識より、自分が痛いと思う方が明らかに先です。暴れた結果、暴れられた
対象は障害物で、壊れるかもしれませんし、逆に痛い目にあうかもしれませんし、対象が人で、生命活動が終了
してしまったりする場合もあるかもしれませんが、最後の場合を意図的に志向することが、「自然」ではありえないことは、
以上の説明で明らかだと思います。ナイフやピストルを使うのは「自然」ではないのです。情報を後天的に獲得
しなければ、用途も用法も分かりません。
■>コロしたら人間が作ったルールでのぺナルティがあるだけです。
>この物言いが説得力を持つのは、「人間(社会)/ルールが効力を持つ範囲外」に立っている存在が発した場合〜
ここは、まずかったです。ペナルティがあることは、
>>98@の殺さない話であり、
>>98Aの話ではありませんから、
常に説得的でないからです。
▼以下の部分はとても良かったと思います。
□ルールの趣旨・形成過程(不利益の存在、不利益に基づく禁止の主張、主張の認識、認識に従った取り決め)に遡って、
不利益の存在を無視して、ルールをただの取り決めのように理解する立場が、自身の不利益を除外して論ずる
欺瞞的な立場であることを明らかにしている。
□殺したいかどうかの話にずらされずに、「(殺す・殺したい側の)理由と「殺してもよい」というものとは
別物じゃないのか」「それによって「殺してもよい」という結論が導き出されるわけでもないだろ」と
指摘して終わっているところ(終わり方はとても大事です)。
>>492 ■
>>492の「自然状態」は、「自然」な「状態」ではありません。
「自然状態」というモデルのおかしさは、
・「自然」なら、禁止が無いから(←
>>80 批判)、
・禁止で制限されている事柄も全て端的に決定可能である、と認識したうえで、
・直ちに暴力的な行為が選択され(理由なし)、
・ある決定が結果する(殺人が結果する ←
>>458 >>475 批判)
と、論理的・事実認識的に、飛躍される点にあります。
実際には、自然な状態にあるなら、能力や主体の行動が及ぶ限界は、かなり大きいです。
■第一に、物理的な行動範囲が狭いため、自然に殺しを継続することなど不可能です。周囲にそんなに人間はいないからです。
(現在の人口を前提として自然状態を考えるのは、本末転倒です。現在の人口に達した要因には、禁止が結果的に
守られた事実があり、この事実はすでにあなたの解釈における「自然」にはあたらないからです)
■第二に、人数が少ない集団でそんなことを行えば、日常生活を行うこと、共同して何らかの作業をすることすら、
ろくにできなくなるため、暴力的な選択にメリットはありません。
■そもそも知識が無さ過ぎて、生まれたばかりの仲間がすぐ死んだり、病気で死んだケースが圧倒的に多いでしょう。
わざわざ殺すまでもなく、死亡率が高いため、むしろ死なれると困るのが状態だったと考えられます。
■こうした状態では、ある程度互助的な行動があったと仮定しなければ、個体レベル+αでは、すぐ全滅したのでは
ないかと思われるくらい、人間は弱い生命体です。少なくとも、赤ん坊の段階ではそうです。赤ん坊から成長したら、
とたんに殺しをしだす理由は、想像できませんし、そんな事実はありません。
■自然状態においては、生きること自体が大変だったので、とりあえず、なんとなく協力が結果している限りでは、
その結果をもたらしている周りの何かを傷つけようという発想は、浮かばなかったでしょう。
あるいは、浮かぶというような、抽象的な認識なしに、危害を加える行動パターンが身についた一団が、ある地方・時期に
存在したかもしれませんが、そうした選択を行った集団は、淘汰されたでしょう。
■知識・選好や関係による限界や差異は「主観的な主体や客体の区別なしに」個体ごとの差異としてそのまま作用した
でしょう。観念によって共通の傾向をもつことは、自然状態にある人間にとって、殆ど不可能に近かったはずです。
暴力的な行動を、「暴力」として抽象可能であったとは、到底考えられません。言葉がそこまで高度に抽象化されて
いなかったからです。
■単に痛覚を及ぼしてきたり、体を動かすのが快感なので、いろいろしているうちに、ボクシングになっていたり、
器物損壊になっていたり、サッカーになっていたり、太鼓叩きになっていたり、踊りになってたり、していただけ
でしょう。いろいろな行為が結果していくうち、何らかのきっかけで殺しが結果されただろう、程度の理解が、
自然的です。
■最初は、殺しが起きたことがどういうことなのかすら、ろくに理解できないような状態だったでしょうが、
殺しが痛かったり、それが腐ったり、笑わなくなったりすることで、つまらない・臭い・いないから困っている
というような感覚があったため、それを恐れるようになり、それが記号なり慣習なりで表現されていくうちに、
「自然」な状態から脱し、現在の社会状態に少し近づいた状態になったと考える方が「自然」であり
「観念的」「規範的」でない考えと言えます。
(規範が無いから自由である、と認識する人間は、近代的な人間そのものではありませんか?)
現在禁止されるような選択が、多数の人間によって「何らかの理由で」選択されなかったから、
現在のような社会構成が結果したのです。禁止の正しさは、禁止する者が想定する利益に反するかどうかによって
決めることができます。この要求は、感覚的なものから根拠付け可能である限り、「自然状態」であろうが、
そうでなかろうが、変わらず妥当します。ただ、禁止の実効性が、主体的な意思形成のみによっては、
期待できないだけに過ぎないのです。
禁止が実効性を持つためには、
・禁止を破る可能性のある個体が、禁止とかかわりあいがないところに存在するか、
・個体が禁止の範囲内でたまたま行動するか、
・禁止に反しようとする個体に物理的な抵抗を行うか、
・個体が禁止を認めるか、
・禁止に反しようとする個体に対して、禁止自体に含まれない事実を制度的に付与して不利益を科すことで
禁止をまっとうさせようとするか、
いずれかの方法によらねばならないわけですが、
後半に示した認識・手段が、確立されるためには、そもそも禁止が目的とする「利益」が、
各自の感覚的なレベルにおいて受け入れられるものでなければ、現在のような社会状態にはならなかったはずです。
「自然状態」を唱えた人に悪意が無かったことは、よく知られています。このことは、社会契約を理論的に肯定する際に、
「村長さん<という一人の人間>」が「決めた〜ただそれだけのこと」と、矮小化することがなかったこと、
全ての個人に対して通用力があるものとして、禁止の範囲に行動を制限するものとして、位置付けが行われたことから、
明らかです。「自然状態」は、可能的であることを肯定的に捉えるための概念ではなくて、
あくまで否定的に捉えられるものとして、設定されたのです。
>>492は、政治理論の概念から、政治的意義を捨象して
永井氏などと同様の思想的傾向を受け入れさせるための道具として、使っています。
>>495 あなたがいう意味での不毛さがないことは、
・
>>368 ←
>>369-371 >>62 ←
>>85 >>280 ←
>>336、
・見解を変えた、167さんがいらしたこと、
・禁止を破ることは可能だから、禁止が成立するかどうかは、どうでもいいとして
実効性を問題にしない暴論がおよぶ範囲は、殺しに限られていないわけですが、
殺しに関して、禁止を設定する側から考える視点を持つことは、
上の暴論に対する一般的な批判を行うための基礎となるため、一般的意義をもつこと、
などから、明らかです。 不毛に見えるのは、あなたのような馬鹿がいるせいでしょう。
>>495 つまり、「いけない」という「規範それ自体」は、
「殺す奴が殺さないようにするため」のものでも、
「殺される奴が殺されないようにするため」のものでもないということだろう。
>>504 それに一般的意義があることは「いけない」と言う言葉の意味が
あれば十分だろうから解るんだけどね。
でもそれって結局「いけない行為」という概念の上でのカテゴリの
定義しだいじゃないか。例えば人に苦痛をあたえることをその定義にするならば
確かに殺人(の特定の範囲)はいけない行為になるかもしれない。
だけど「自分が不愉快ではない事」がいけない行為の定義とするならば、例えば9.11の
テロやネオ麦茶の悪ふざけは全くいけなくはない。、それどころか面白い、刺激
的な有益さすらある。
それに「殺す事がいけないからと言っても殺す事が出来る。というのは
暴論以前に単なる事実でしょう?
そんな言いかたをすると、いけない行為というものが然としてあるよう
に錯覚させるんじゃないかな。
多分、「なんで人を殺しちゃいけないの?」と質問するような人たちは
殺人そのものを行いたいわけではないでしょう?
そう質問した時に「ルールだから」という回答がくることくらいは解っ
ていて、そのルールという回答に疑問を持っている人が多いんじゃないかな。
これはあくまで個人的な経験からの推論だけどね。
でも結局それが規範に関する問題である以上、「ルールだから」「定義だから」
以上の回答はないだろうと思うんだよ。これは言葉遊びになんだけど
「いけない行為をするのはなんでいけないの?」というのは「いけないから」でしょう。
511 :
509の訂正:02/12/21 15:24
だけど「自分が不愉快ではない事」がいけない行為の定義とするならば
↓
だけど「自分が不愉快な事」がいけない行為の定義とするならば
>>509 (
>>495)
>>504 つまると、相手のレスに形式的に応じないで、手前勝手に一般論を展開して正当化をはかる奴ばかりですね。
もう慣れましたが・・・。
>でもそれって結局「いけない行為」という概念の上でのカテゴリの定義しだいじゃないか。
>例えば人に苦痛をあたえることをその定義にするならば 確かに殺人(の特定の範囲)は
>いけない行為になるかもしれない。
>だけど「自分が不愉快ではない事」がいけない行為の定義とするならば、例えば9.11の テロや
>ネオ麦茶の悪ふざけは全くいけなくはない。、それどころか面白い、刺激的な有益さすらある。
毎度他○→→→●
>>495他 ■→→→x□
このスレの質問の言葉をその言葉の用法どおりに解釈するなら、扱われている問題は、
上図左にいる人間が構成する概念の選択可能性の話ではなくて、右図の現象に対する評価であることは
明らかです。「いけない行為」などの、●が抱く概念の話をしているのではなくて、
□が受ける不利益x□の話をしているのです。その不利益が、質問者が言葉で示した対象・構成に関する
一般的に、正しい解答であると論じているのです。
言葉の使い方を●が勝手に定義できるから意味が変わる、●が楽しめると言ったところで、
私が論じた点へ x□ と、それを正しく認識して考える ○○○○○○○○○○○○○○○○○○…への
正しい反論になりません。単に私が論じた際に基づいた事実を、●が無視しただけに過ぎないでしょう。
>それに「殺す事がいけないからと言っても殺す事が出来る。というのは 暴論以前に単なる事実でしょう?
>そんな言いかたをすると、いけない行為というものが然としてあるように錯覚させるんじゃないかな。
あなたや錯覚した人間が、私が書いた意見
>>80-82 >>98 を読んでいないから、「錯覚」するだけです。
この「錯覚」に関しては、私に責任はありません。「〜はいけない」は評価・禁止する行為をさし、
禁止される行為は、悪いと言う評価を、世界の中で並立する多くの行為によって受ける、受けたから
禁止される行為を実力的に禁圧する制度もつくられる、と、論じてきています。
あなたは、殺すことができるというとき、□の抵抗を無視しており、■の決定を結果時点でのみ判定する
という誤りも犯しています。「可能」「できる」点だけを指示することで、その傾向に反する傾向が
一般的であるか、強いものでないのか、そちらの傾向をとる要請はないのか、を一切無視しています。
あなたは、単なる事実を記号上記しているが、その事実の受けての解釈が、事実以上のものになりがちであることを
知らないはずはないですよね。
>>495 「殺す奴は殺すし、殺される奴は殺されるでしょ?不毛だな(ワラ 」
>>513 >あなたは、単なる事実を記号上記しているが、その事実の受けての解釈が、事実以上のものになりがちであることを
>知らないはずはないですよね。
>
>>495 「殺す奴は殺すし、殺される奴は殺されるでしょ?不毛だな(ワラ 」
↓
>あなたは、単なる事実を(記号上)記していると言うが、その「事実の表現」に対する受け手の解釈が、
>事実以上のものになりがちであること、事実以上の傾向を期待して
>>495の立場にある人間が
>行う場合があることを、知らないわけでは、ないですよね。
>
>>495 「殺す奴は殺すし、殺される奴は殺されるでしょ?不毛だな(ワラ 」
>>512-513 過去ログは面倒なので読んでいないよ。「殺す奴は殺すし、殺される奴は殺
されるでしょ?不毛だな(ワラ 」別に何ら変わらないそのままだけど。あなた
の言う「いけない行為」の説明が一般的な意義を持つことができるのは。
あなたの言うような錯覚があるからでしょう?
それに一般論というけれど、重要なんじゃないかな。「殺し」や「いけない」
という概念や定義が使う場合に違ってしまえば、あなたが言う「いけない理由」が
誰かに通用しなくなるわけだろうし、「いかけない」や「殺し」が持っている概念の
意味そのものが違うわけだからね。
それに□(個人名?)の抵抗を無視する、というけれど。定義によってはそんなものは
カテゴリの範囲外になるんじゃないかな。さっきも言ったけど、「自分が不愉快にならないこと」ならば
テロが起きても、ネオ麦茶がバスの中でどんな行為をしようとも、それで何処かの誰かが
苦痛を受けても、ね。
また間違えた、「自分が不愉快になになること」だった
書いてて思ったんですけど、これって質問した側に話を聞いてみる
必要がありますよね。「いけないこと」ってなんだと思ってるの?って
あ、あとついでなんですけど、そんな感じで「殺人」の定義を聞いて
「強制的に死をもたらす事」的なことを答えたら
人を生む母親は殺人者になりますよね
生まれた時から本人の意思に関係無く強制的に死がくることがきまってますから(ワラ
言葉遊びっておもしれーなー。
毎度タンも大変だな、コリャ。
>>523 母親が子を産むことで、子に死の可能性をもたらす点は、その通りです。
しかし、死の可能性をもたらす原因をつくることは、殺人という言葉で
言い表される内容ではありません。例えば、普通に人生を送ることを、
自分を殺すことである、とは言いません。自分を殺すこととは、
死期を今にすることを言います。
>>525 よくわからないけど
事実に反してはいないんじゃない?「いけない」というのが客観的な物質
ではなくて純文学と大衆文学とのジャンル分けの概念みたいなものでしょう?
>>526 まぁそうなんだろうけど、殺人という言葉の意味かどうかは、あなた
が判断するのではなく、その個人が判断じゃないのかな?
>>532 あのさ、今書いていて思ったんだけどさ
言葉の意味ってのは誰が決めるんだろうね?
やっぱりその誰かが使うときの意図でしかないのかな?
それともそれを読む側、受け取る側の主観?
535 :
考える名無し:02/12/21 16:53
ってか、こんなん法律で決まってるからとしか答えようがないじゃん。
実際は、言葉はコミニュケーションをする両者の間での
了解事項としてしか意味を持たないから、
「個人の判断」とはならないけれど、
一部の当事者間(恋人同士の合言葉とか、仲間内の隠語とか)で意味が決まっていて、
その意味で使っているのならば、それを脇から、
「一般にはこのような意味で了解されているのだかから、そのような意味で
とらえてはならない」
と強制することはできないね。
それは、論文や議論において、「○○はこれこれの意味で使う」と前置きした場合も同じことで、
ちゃんと前もって示しておくのならば、「○○はこれこれの意味で使う」という
議論をする当事者間の了解を、「○○の一般的な意味」をもって、否定ないし、禁止する権利はだれにもないはず。
ああでも誰かが決めるといってもそれに納得して従うかといえば違うんだろうなあ。
ミカンを指してこれからこれをリンゴと呼び。そう考えなさい。と言われても
やっぱりミカンだしね。
すいません分けが解らなくなりました、助けてください。
がんばれー「毎度」さん。
結論からすると、個人的な「いけない」という定義次第ってことでいいですね?
>>550 説明しようよ、煽りじゃないんだから。←勘違いしてそうだから
556 :
考える名無しさん:02/12/21 17:07
がんばれ!毎度
>>552-553 それは「個人的な定義次第」という話についてですよね?
ついでで質問するけど、結論からすると個人的な定義次第でOKですか?
>>555 馬鹿にもわかるように説明しなさい
「いけない」ってのは個人的な観念じゃないの?
観念じゃなくてカテゴリだよね
あ、定義が
早くレスしなさい、こっちはあんまり時間が無いんだから!
OK多分そうなんだな、っていうかそういうことにしておこう。
じゃ、暇が出来たらまた来るから。こんどは初心者用のQ&A作っといてね!
564 :
考える名無しさん:02/12/21 17:17
565 :
考える名無しさん:02/12/21 17:18
566 :
考える名無しさん:02/12/21 17:22
がんばれ!「毎度」さん。
567 :
考える名無しさん:02/12/21 17:25
単に毎度タンが個人主義で495が利己主義だっただけの話し。
568 :
考える名無しさん:02/12/21 17:58
貼ってあったなw
570 :
考える名無しさん:02/12/21 19:27
ご苦労様です
どういたしまして
ぐわぁ 半日でレスがこんなに沢山...
>496-497 毎度氏
やっと頭が整頓されてきました。ありがとうございます。
>498 毎度氏
>ここは、まずかったです。ペナルティがあることは、
>>98@の殺さない話であり、
>>98Aの話ではありませんから、
>常に説得的でないからです。
あ!そうか! 「説得力」という書き方は誤りでした。
>>490「ただのルール」という発言と、「人間が作ったルールでのぺナルティがあるだけです」という発言に
共通する「自身を除外して論じている」要素があったので、同じものとして扱ってしまいました。
>520
>過去ログは面倒なので読んでいないよ。
いかんよ。毎度氏の論に異論を立てるなら、読まないと議論が成立しないよ。
読んで、そのレスのどの部分が「違う!」のかレスをする。そこからやらないと、自己満足の書き捨てに
しかならんだろ。それでは「議論」にならん。
そもそも、この「人はなぜ人を殺してはいけないのだろう?」という問いに、10行やそこらのレスで
どんなツッコミにも対処できる完璧な回答ができるとは思わんよ。
>>568 そのスレの最後の方で行われた議論を見ろ、毎度=699が論破されているぞ、と暗に言いたいようなので、
とりあえず、コメントをしておきます。双方の立場の要約としては、下のレスが手っ取り早く全体像を与えると思います。
825 名前:699 sage 投稿日:02/11/03 02:35 (中略)
人を殺してはいけない理由を論ずる場面で、過失殺を扱わず、義務による殺人は正しいとし、
食べるための「動物」殺しについて大きく展開し、「その部分でだけ」動物の立場から論じ、
結果動物を殺す者は、動物が殺されることを、他人事だと考えている、と主張して
動物が殺される点についての評価を答えず、それを近代法に関する文脈で展開する論者Aと
人を殺してはいけない理由を論ずる場面で、過失殺を扱い、義務による殺人も正しくないとし、
食べるための「動物」殺しについて、人殺しについての評価を問われている場面では論点はずれ
なのに、あえて問題提起に応じ、結果殺す場合がある点では論者Aと変わらないが、
少なくとも動物が殺される点について悪いという評価を下すことをはっきりさせ
主張による状況の変化を志向する論者Bと、
どっちが他人事のように論じてると言うんでしょう?(以下略)
★注:699=毎度(文中の、論者B)、文中の論者Aが、ドラえもん氏です。
話の流れを中断してすいません。
>>451で永井均氏の文章を引用した者です。
引用の仕方がまずかったせいで、またも毎度さんに誤解を与えているようなので、
補足させていただきます。
『なぜ悪いことをしてはいけないか』には、永井氏の文章が3本入っていますが、
引用したのは1本目の冒頭、話の導入部です。その後、毎度さんの批判のような
論点も含めて道徳系譜学的議論等が展開され、他の論者との相互批判なども
繰り広げられるわけです。引用部は氏の「子供の頃に抱いていた実感」を述べた
だけのもので、引用文自体を逐語的に批判されても(永井氏に対する批判としては)
あまり意味がない、ということをお断りいたします。それと「自由」という言葉は
肯定的な意味でだけ使うべき、という議論にはあまり賛成できませんが、「勝手」と
言い換えても、論旨に変わりはないと思われます。要するに一切の肯定否定以前の
「根源的自由」が問題になっているわけですので。「崇高な」というのは、単に
感じ方の問題です。「根源的」と言い換えた方が、誤解が少ないとは思いますが。
で、最大の誤解は、毎度さんは永井氏が何かの「社会思想的」「政治的」な議論
をしている、少なくとも、哲学的な議論にまぶして何らかの思想的傾向を助長しよう
というような意図を持っている、と解釈されたようですが、それは全く違います。
(つけ加えますと、このスレの他の人にも、そういう意味の「悪意」があるとは
思えません。少なくとも私には全くありません。)
およそ、そういうレベルの議論ではないのです。そのことをわかっていただくため
(だけ)に、同じ論文の末尾に近い、氏が自分の意図らしきものを語っている部分
を引用させていただきます。なお、逐語的批判は御自由ですが、これだけ読んでも
永井氏の「哲学」の趣旨は余り理解できないだろうことをお断りします。私などは
全文を何度読んでも十分に理解できませんので(笑)。氏が何かの「悪しき政治的・
社会的意図」を隠して議論しているのでないことだけ感じていただければ幸いです。
『 道徳が有効であるためには、それは神聖にして不可侵のものでなければならない。
だから、なぜ悪いことをしてはいけないのか、なぜ道徳的でなければならないのか、
といった問いに「かくかくしかじかのため」といった明快で単純な答えはあっては
ならないのである。そんなものはすぐにかんたんに論駁されてしまうからだ。今日、
意外なことだが、道徳の権威を守る唯一の砦は哲学である。道徳が哲学的に基礎づけ
られると言いたいのではない。道徳系譜学的知見をも越えて、道徳についてどこまで
も真剣に哲学し続けるという意志だけが、唯一、道徳の権威を保持しうるのである。
それは、はるかなむかしにあのソクラテスが考え出し、今日まで受け継がれてきた
道徳擁護の特殊な、しかし究極的な方法である。そこでは道徳はどこまでも疑われて
よい。いや、どこまでも徹底的に疑われなければならない。その疑いを真剣に受け
止め、さらにそれについてどこまでも考え続けようとすることによってのみ、その
意志の真摯さによってのみ、道徳の権威は保ち続けられるのである。
だから、もしいま、十三歳の中学生に「なぜ人を殺してはいけないのか、そもそも
なぜ悪いことをしてはいけないのか」と本気で問われたなら、「道徳的に」(原文は
傍点強調)正しい唯一の答えは「それについていっしょに哲学しよう」である。
それ以外の答えはまやかしである。」』
なお、私は永井氏には相当の「共感」を覚えておりますが、理由は、永井氏が
幼少の頃に抱いていたという「疑問」を、私も中学生くらいの頃(もう何十年も
前ですが)から抱き続けているからです。そして、永井氏の文章を読んだときに
「私と同様の疑問をここまで徹底的にごまかしなしで考えている哲学者がいるのか!」
と新鮮な驚きを受けたことも事実です。ちなみに、永井氏の議論がすべて「正しい」
などとも、毛頭思っておりません。
肝心なことですが、私は毎度さんの議論には賛成こそすれ、全く反論する気など
ありません。およそ、「人を殺してはいけない」という一般的規範を立てること、
そしてその規範の効力を強めるよう努めること、について、何らの反対もありません。
恐らく永井氏も反対しません。というか、反対の人はほとんどいないのではないで
しょうか。それを踏まえた上での「なぜ人を殺してはいけないのか」という「疑問」
だということをご理解ください。
ただし、
>>80で述べられている内容は、永井氏(少なくとも私)の問題意識とは
あまり関係がないと思われる、という点だけ指摘させていただきます。
それに対する、ドラえもんのレスは、下の通りです。本来全部出すべきですが、長いので途中略します。
832 名前:ドラえもん 投稿日:02/11/03 03:33
よくできました。ドラえもんが登場したカイがありました。
義務による殺人=正しい、って699の意見ですか? (毎度注:ドラえもんの意見です 前スレ
>>841)
それから699が動物と人間の殺しについてドラちゃんに矛盾があるように見えるのは699の矛盾、
というより不徹底さ=無知の知をあぶりだすためのロジックです。
過失や自己防衛は扱う云々は凡庸なだけ〜
〜私のほうが誠意がある!のような誠実さ競争は 醜いので参加しません。
それから>殺される側の「主張内容を理解すること」 共感は道徳、倫理を論じる時のキーなのでいささかも
これによって全体の趣旨がゆがめられることはありません。
824-825には賛成アイロニーがないけど(毎度注:原文ママ、指摘したが訂正無し)。
アイロニーというのは >交通事故防止や、戦争という大規模な殺人 これを他人事といってるの。
どうして これを自分としないかね。 699のように正義君ぶりつつ動物を 殺して食う輩の怪しさというか鈍感さ。
(毎度注:自分が遭遇しないことに関して、防止の算段を考えようとするあり方は、
普通「他人事」のように考えている、とは、言いません。
毎度の議論からは、「私を含めた人間は、必然的に悪いことをして生きている」という
結論しか出てきません(前スレで、ドラえもんが動物殺しも射程に含めたのに対して
応じていたのです)。
前スレ
>>832以降も、ドラえもん氏のレスは続きましたが、それについては省略します。すみません。
(私の意図は十分に伝わると思っております)
>>575を一読しましたが、正しいことを言われてると思いました(表現上の問題を細かくチェックしてないので、
例えば以前批判した「自由」「個人」「自分」のような問題があるかもしれませんが)。
確かに、永井氏が言う意味では「それについていっしょに哲学しよう」が、唯一正しい答えになります。
私は社会的な影響、や、一般的な人間の意思、意思形成(教育上の影響)など考えて、
理論構成しているのですが、永井氏が問題にしている側面については、確かに私の
禁止に関する議論は、答えになっていません。そして、私は正しい認識の方に、
読み手の理解をもっていこうとし、永井氏の問題意識を、
>>98@の問題として位置付けましたが、
永井氏が相手にしている人間の、私(毎度)が呼ぶところの「批判力の低さ(ここでは、悪い意味はこめていません)」
からすると、私の出す答えは「まやかし」にしか、見えない可能性は、十分にあると思います。
(
>>580続き)
このへんで、この話は一般的な人にかかわる話でないよー、と念を押した上で・・・続けます。
私は、
>>369-371において、
>「殺しの話などというものは、
>>336さんのような反応を引き起こすものでしかない」
と書きました。永井氏は、
>>336さんのような反応を引き起こさない状態になってしまった人を相手に、
議論をしようとしているのですね。こうした相手と議論できる人間は、まさしく疑うことを至上とする
「哲学者」であると、言いたかったわけですね。
永井氏が想定する相手の「禁止に反することを、常に可能的にとらえがちになってしまう認識」に、
とりあえず解釈上共感できる部分があることを認め、あくまで自分としては、道徳が守られなければ
ならないイメージから、お互いに批判をしつつ、共に時間をすごしていこう、問いに応じる時間を
とらなくてはならない、と、考えているのですね。これは、全く正しい考えだと思います。
私にとってみれば、これは、永井氏の相手の認識を、
>>370末尾に記した列挙の中に、
広げさせようとする試みに受け取れます。永井氏からは、「不十分。相手によるが」(文字通り)
といわれるような気がしますが・・・。
結局、永井氏が問題にしたいことは、
>>98@の点であり、
>>430さんが、
>>452で
>もちろん、 毎度さんが繰り返しておられる通り、殺される側や社会一般が「人を殺しては
>いけない」と主張する「根拠」とは全然関係のない(というか次元の違う)話 なのですが。
と踏まえたうえで意図されただろうこと(今
>>452をチェックしてないので、こう書いておきます)は、
正しかったのだろうと思います。
そういう意図から
>>451が書かれたのであれば、自由と言う語の使い方に疑義がありますが、
悪い意見ではないと思いました。
>>582 今読みました(
>>581だけ読んでレス返してました)。
なるほど・・・、納得いきました。非常によい意見をありがとうございます。
末尾2行の部分に関しては、
>>581にあるとおり、同意し、今までの私の意見と
良い意味で整合的に理解できると考えます。
構成的な部分で詰めなければならない(批判すべき部分)があるかもしれませんが、
とりあえず、永井氏の意図が悪いものではなさそうだと知り
>>575、嬉しかったです。
>>572 レスありがとうございます。内容には全く賛成です。
新たに
>>430さんの意見が
>>574-576 に書かれました。
道徳のイメージ、それに関連するる「禁止」について、何かしら制限的な
(構成としては、正しくないが)イメージを持ち、それに反する面を
強く認識してしまう人たちの疑問に対して、真剣に答えるあり方、
求められている<答え>とは何か、といった部分が、よく言い表されていると思います。
道徳的な要求、禁止に対応するだけの、内実がともなわない認識を解消していく上では、
疑うことを認めることが大事であり、疑うことを認めない道徳は、浅慮の前に
打ち破れるという指摘であり、
>>98@の観点において、特別な状況
>>581とそのリンク先を参照
においては、よりよい、突っ込んだ視点だと思います。
参考になると思いますので、以上の前提を踏まえて、読んでみてください。
殺すことの正否を論じる前に、なぜ生きるのかを知る必要があります。
ヒトに関わらず、なぜ生命は種ごとに生きて、増えようとするのでしょう。
自然界は食物連鎖によって成り立っています。しかしながらどの種も他種の生命をエサとしたり、或いは寄生したり共生したりしています。
他種の生命を殺し、自種の生存のために子孫を出来るだけ多く残そうとします。
それは自分たちの種が如何にしてこの過酷な自然界で生き延びるかという生存競争であり、またその生存戦略です。
全ての生命が種ごとにあらゆる生存戦略を駆使しています。
霊長類の生存戦略は脳を発達させ、物を掴み道具を使い社会性を発達させ、ヒトにおいては火を使用する事でした。
生命であるということは、自分たちの種族が如何に生き残るかということが命題となります。
ヒトがヒトを殺すということは、ヒトが生存していく上で最も不利な戦略ということになります。
生命の進化の過程で全ての生命に共通する、同種は殺さないという最適な生存戦略が本能的に残っていることから道徳が生まれ、法律が生まれたのではないでしょうか。
しかし時としてヒトは戦争をして大量に同種を殺すし、自己の利益のために同種を殺すこともあります。オランウータンやライオンも時として同種を殺します。
ではなぜ生きるために殺すのでしょうか。そしてなぜ生命は発生し、なぜ必死に生きようとするのでしょうか。私はそちらのほうが知りたい。
>殺すことの正否を論じる前に、なぜ生きるのかを知る必要があります。
理由がありません。
>ヒトに関わらず、なぜ生命は種ごとに生きて、増えようとするのでしょう。
種ごとに生きて、の意味を説明してください。増えようとすることは、個体の意思であるか、
増えることに関わる生殖の知識は、先天的に獲得されるかについて、答えてください。
デタラメを言うのは、いい加減にしましょう。
>自然界は食物連鎖によって成り立っています。しかしながらどの種も他種の生命をエサとしたり、
>或いは寄生したり共生したりしています。
>他種の生命を殺し、自種の生存のために子孫を出来るだけ多く残そうとします。
用語が一般的な説明に対応しているだけで、概念内容が正しくありません。
こういう怪しげな進化論を振り回すのはやめましょう。ある種の個体が、個体の生存に結果的につながる
行動をとり、それが種レベルでも好ましい行動であった場合、結果的に種の生存が結果するのです。
目的的に種の保存を図るわけではありません。これは、生殖に関する知識が先天的に把握されないこと、
人間が生殖を当然に目的としたりしないことから、明らかです。
>それは自分たちの種が如何にしてこの過酷な自然界で生き延びるかという生存競争であり、
>またその生存戦略です。 全ての生命が種ごとにあらゆる生存戦略を駆使しています。
>霊長類の生存戦略は脳を発達させ、物を掴み道具を使い社会性を発達させ、ヒトにおいては火を
>使用する事でした。
>生命であるということは、自分たちの種族が如何に生き残るかということが命題となります。
>ヒトがヒトを殺すということは、ヒトが生存していく上で最も不利な戦略ということになります。
結論だけぐだぐだ述べ、「戦略」という語を使ってそれっぽく見せているだけで、ちっとも理論的では
ありません。タームばかりに頼るのはやめましょう。
脳を「戦略的に発達させる」ことが出来ないことは、周知の事実です。脳が発達する循環に入ったから、
脳が発達したのです。物を掴み道具を使うことも火を使うことも、発達させようとして、できるように
なったわけでは、ありません。目的意識を持つことは、人間の知性がかなり発達した後にできるように
なったことです。その思考様式に沿って進化を理解するのは、誤りです。
>生命の進化の過程で全ての生命に共通する、同種は殺さないという最適な生存戦略が本能的に
>残っていることから道徳が生まれ、法律が生まれたのではないでしょうか。
戦略が痛覚であると解するなら、痛覚は道徳が生まれる原因の一つではあったでしょう。
しかし、それだけで道徳・法律が生まれたとは考えられません。なぜなら、言葉が必要だからであり、
それは、殺さないという戦略を表現するために、戦略的に獲得されたものでないことは、明らかだからです。
言葉はまず何かを指し示すことであったはずであり、いきなり死の概念を理解したなどという想定は
成り立たないでしょう。
>しかし時としてヒトは戦争をして大量に同種を殺すし、自己の利益のために同種を殺すこともあります。
>オランウータンやライオンも時として同種を殺します。 ではなぜ生きるために殺すのでしょうか。
ヘンな一般化はやめてください。殺すことと生きることがトレードオフになっているケースは、
食べ物(程度あり)と戦争(戦場で戦闘している兵士に限る)の場合であって、
「自己の利益一般」は当てはまりません。
>そしてなぜ生命は発生し、なぜ必死に生きようとするのでしょうか。私はそちらのほうが知りたい。
論点外れです。
すみません、もう一回引用しました。最後のリンクは、
>>584 ←
>>586-588 に関連します。
>>584は「戦略」という、闘争的なニュアンスを持つ語を多用し、「種」概念を濫用することで、
個体レベルの要求を、科学的にも規範的にも無視した世界解釈を読み手に
印象付けたがっているようなので、批判しました。
584です。
批判感謝します。非常に鋭いご指摘でした。
私は諸学説に基づいた文章を作成した積もりだったのですが、どうやら伝わらなかったようです。
理由は私の想定する内容の解答と全く異なる解答であったからです。毎度さんのご指摘がどこから来るのか、全く理解できませんでした。
それは毎度さんの文章読解能力でも作成能力でもなく、私の文章作成能力と読解能力の低さが多く原因であるでしょう。
そして私は勘違いをしていました。
私はヒトがヒトを殺すことの真理を問うているのかとおもっていたが、実際はなぜ殺してはいけないと決まっているのかという問いだったのです。
我々がこの世に生まれてきたときには既に、あらゆる物事には規則が設けられていました。
なぜ規則が設けられているのか?
私には私なりの答えがあるが、論じる価値がない。失礼した。
↑の文章を読んで、なんだかもの凄ぉーく、ルサンチマンを感じるのは俺だけか?
>591 の意味が良く解らないのですが...
・「非常に鋭いご指摘でした。 」→「毎度さんのご指摘がどこから来るのか、全く理解できませんでした。」
・「私には私なりの答えがあるが、論じる価値がない。」→なぜ、「価値がない」の?
さて、私が前回「自然状態」と書いたのは、専門用語のつもりでした。 ホッブス以降の思想とか、法学、倫理学などではおなじみの言葉だろうと
思っていたわけです。 同じことを繰り返すわけですが、人が自然状態にあるということは、
その人が地球を丸ごと吹き飛ばす爆弾のスイッチが押せる状況におれば、 その選択肢も実行可能であるし、あらゆる選択肢が実行可能なのだと、前もって
定義(仮定)するよ、ということです。
無意識下で禁止が働いているのであるなら、それを明示的に示すには、その状況を
破壊してみればわかると思う。ただちに姿を現す。
たとえば、「なぜ人は人を殺してはいけないのか」明示的にわからなければ、
殺してみればいい。どんなことがおこるのか。起ったすべてはその解答になろう。
また、法律や暗黙の圧力などが禁止するだけでなく、自分の内側からの禁止も
かかるだろうとおもう。
>>80が解答とのことですが、「絶対的な理由は存在出来ない。ただ、(言語による)
話の説得性の大小の存在があるのみ」とは不十分です。
人が、人を殺す(あるいは殺される)光景を見て、「心の真実としてこれほど
悲しいことが他にあろうか?」と思う人は多いと思う。言語などによらないし、
自分自身の中にその答えがある。
というわけで、そもそも論理学の話題を展開したいのか、倫理学のお話として
展開したいのか、議論そのものを哲学的に深めたいのか、なんだかわからないという
感じがしたので、書込みした次第です。
>>591に「そして私は勘違いをしていました。
私はヒトがヒトを殺すことの真理を問うているのかとおもっていたが、
実際はなぜ殺してはいけないと決まっているのかという問いだったのです。」
とあるが、このようなすれ違いが沢山出るのは、上に書いたように漠然としている
からなのでは?
>594 ゆい脳氏
毎度氏に向けてのレスかとは思うのですがちょっと質問させて下さい。
>たとえば、「なぜ人は人を殺してはいけないのか」明示的にわからなければ、
>殺してみればいい。どんなことがおこるのか。起ったすべてはその解答になろう。
ここ↑で言われている「殺すという行為を実践した殺人者に”起こった”こと」とは、
>また、法律や暗黙の圧力などが禁止するだけでなく、自分の内側からの禁止も
>かかるだろうとおもう。
↑ということが、「殺そうとする人」の内部で起こり、「禁止がかかる」為、
「殺すという行為を”いけない”」と認識する、ということ?
また、その「殺そうとしている人の”自分の内側からの禁止(いけない理由)”」とは、↓
>人が、人を殺す(あるいは殺される)光景を見て、「心の真実としてこれほど
>悲しいことが他にあろうか?」と思う人は多いと思う。言語などによらないし、
>自分自身の中にその答えがある。
↑と言う事だと。
この、「人が、人を殺す(あるいは殺される)光景を見て」というのは
殺人現場を目撃した第三者を指して言っているのだよね?
この、「>心の真実としてこれほど悲しいことが他にあろうか?」という自覚は、
殺そうとしている側にも常にあって、過去の「人殺し(個人・多数)」の
「殺した側」は、この自覚、「自分の内側からの禁止」を持ちながら「殺した」ということ?
596 :
考える名無しさん:02/12/22 23:40
大抵の人は良心の呵責かな
死の意味を人は知っているから
死を知らない人間がいたら
仮に偶然殺しても何とも思わないかも
昨日、久しぶりにグロイ戦争映画見たんだが、吐き気がした。
やはり死ぬのは、気持ちが悪いのだろう。
「人を気持ち良くさせる。」誰かの遺言です。
追加
>594
>このようなすれ違いが沢山出るのは、上に書いたように漠然としている
>からなのでは?
僕の考えでは、この「人はなぜ人を殺してはいけないのだろう?」
は、人によって何種類かの意味に解釈される可能性がある文章表現
だからだと思います。たとえば、
「人は人を殺しては”いけない”の?」
「人はなぜ人を殺すと”悪い”とされるのだろう?」
「人はなぜ人を殺すのだろう?」
などです。これらは、それぞれ異なった問いだと思います。
さて、こんばんは。 結論のほうから先にいきますね。 人は時に、「倫理的判断よりも、苦痛を避ける判断をする」ことが多い
だろうと思います。 理性というものは、肉体の苦痛には負けるものであるということかな。 話を戻します。
実際に殺人をおかしてしまうと、職場を去らなければならなかったり村八分にされてしまって、実質的に生きてはいけない境遇に落とされる
だろうと思われますね。明示的(明文的)な法律なども理由になるけど、こういう不文律なしがらみにも縛られているというわけです。
宗教観などによっては、時に殺人や自殺さえも美化される(聖戦のために自爆したり、殺すべき人を殺すと)天国に行けるという世界観もあるわけ
ですから、そこでは「殺してはいけない」という決まりそのものがないわけですよ。
そして、殺人は、第三者的に見ていても気持ちのいいものではないし、楽しいものではない人が多いでしょう。
昔のギャング映画などでは、邪魔者だとされる人を第三者に殺させるでしょう。「消せ」などと命令して。
直接(実行犯)殺すと、気持ち悪かったり自分が汚れたり面倒だったりするから、楽な方法で殺すんでしょうね。
また、自分の心の中で、殺人は気持ち悪かったり、殺される人を多少かわいそうだと思っていても、殺さなければ自分が殺されるとか、
ご飯が食べれなくなるとか、あるいはすごい苦痛が加わるなどといった場合、殺すのは良くないと思っていても、苦痛を避ける方を
選択することもあろうかと思います。 間引きなどという風習? も、必要に迫られて行ってきた
過去もあるわけですし。だれもわが子を喜んで間引く人はいないでしょう。
と考えると、人間は実に単純に、苦痛を避けながら生きるという生き物
ですね。
法律のほうでは、法律で規定する事柄をイヤでも守らせるには、
「守らなければ法律が苦痛を与える」ようにしてあるはずです。
さて、どのようなことを持って「心の苦痛に感じる」ように教育
すべきかというのは、哲学ではなく倫理の問題でしょうか。
600 :
前田不届き者:02/12/23 01:29
旧石器時代の人類でも人の死を悲しんでいたそうです
死を悲しむこと
究極の伝統なんだとおもふ(或る地域のぞく
>599 ゆい脳氏
・・・あのー 先に >594 でゆい脳氏が書かれたことに対して
私が質問を >595 しているのですが、それに具体的に答えていただけないのかしら...?
それと、
>599
>と考えると、人間は実に単純に、苦痛を避けながら生きるという生き物ですね。
これは、「苦痛(不利益)を避けながら生きる」ではなく、「快・(利益)に向かって生きる」
ではないのでしょうか。なぜなら、ゆい脳氏が挙げた例は、「避けたら利益になる」という事を、
認識して行動していると思われるからです。
この「苦痛(不利益)を避けて」と「快(利益)に向かって」では、その立場にある人の
行為の意味は、大きく変わると思います。
また、読み手に与える印象も、大きく変わります。
>法律のほうでは、法律で規定する事柄をイヤでも守らせるには、
>「守らなければ法律が苦痛を与える」ようにしてあるはずです。
これも、「各自が法を守れば、利益(苦痛の反対の意味を入れて考えて下さい)を得る、
不利益(苦痛)を得ない」という解釈の方が、自然なのではないでしょうか。
「法」が持つ本来の意味は、「規定する・禁止する」が、目的ではないです。
ここまで拝見さんにレスです。短い文章で簡単に語り尽くすことは不可能ですので、ご了承ください。
>>595の質問ですが、私は段落ごとに違うことを書いておりますので、あのようにたとえばこうするの具体例は次の段落か? という質問をされても困ってしまうわけです。
人間は一面的な生き物ではないので、何か一つを決めて詳細を議論するならば、答えることは可能です。
人間は苦痛を避けながら行きますが、一方で喜びを追求するし、悲しむ心も持っています。多面的な生き物ですね。
苦しみでなければ楽しみだという二分法でいっているわけでもない。たとえば、納税は楽しいことですか? 脱税が楽しいことなのでは? 罰則のない法律はザル法です。昔、法律どうりに生活して餓死した司法の方がいたそうです。
やべっ馬鹿呼ばわりされた
これでも規範倫理学学んだんだけどな
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>602
>短い文章で簡単に語り尽くすことは不可能ですので、ご了承ください。
これは、論議を進めていくという上ではあたりまえのことです。ただ言いたいことをレスして、そこで終わり、なんですか?
>私は段落ごとに違うことを書いておりますので、あのようにたとえばこうするの具体例は次の段落か?
>という質問をされても困ってしまうわけです。
こちらはその書かれた1つ1つに確認をとっていく為の「?」をたてたつもりだが。
あなたにとっては筋が通っている論理でも、こちらには不可解。だからこそ質問してる。
>人間は一面的な生き物ではないので、何か一つを決めて詳細を議論するならば、答えることは可能です。
論議する課題は、きちんと定めれれていると思うのだが・・・
>人間は苦痛を避けながら行きますが、一方で喜びを追求するし、悲しむ心も持っています。多面的な生き物ですね。
>苦しみでなければ楽しみだという二分法でいっているわけでもない。
勿論そうですが、それは私が>601 で質問したことの答えではない。
私は、なぜあなたが「快(利益)に向かって生きている」という、「生きる」ということに対して
肯定的な解釈ではなく、「苦痛(不利益)を避けながら生きている」という方を強調したのかが知りたかった。
>たとえば、納税は楽しいことですか? 脱税が楽しいことなのでは? 罰則のない法律はザル法です。
ここで、「楽しい」という言葉を使うのは不適当だと思うが。
「法」を守ることによって得られる利益を考えれば、「納税」をすることによって結果的に「利益」を
得ようとしているのは、得るのは、その納税者自身ではないですか?(民の税金が無駄に使われてる
可能性どうこうは別の問題です)
「納税は楽しいことですか?」に対するならば、「納税しないことは楽しいですか?」ではないか?
「脱税が楽しい」は、また違うだろ。
ゆい脳氏は、論議の基本的なルールすら知らないようだ。残念。
>>594 ゆい脳氏
毎度氏に向けてのレスかとは思うのですがちょっと質問させて下さい。
>たとえば、「なぜ人は人を殺してはいけないのか」明示的にわからなければ、
>殺してみればいい。どんなことがおこるのか。起ったすべてはその解答になろう。
ここ↑で言われている「殺すという行為を実践した殺人者に”起こった”こと」とは、
たとえば人を殺してみると、法治国家であるならば、直ちに強制装置が作動してあ
らかじめ決められた規則どうりに扱われることになるであろうということです。これは議論の余地がない。
次に、自分の心の中にどんな事柄が浮かんでくるだろうか? という想像も出来るだろうし、対人関係的
にも色々な事が出てくるだろうと思われます。これは明文化されていることもあるし、不文律に存在して
いるオキテなんかもそこに顔を出すだろうと思います。
>また、法律や暗黙の圧力などが禁止するだけでなく、自分の内側からの禁止も
>かかるだろうとおもう。
↑ということが、「殺そうとする人」の内部で起こり、「禁止がかかる」為、
「殺すという行為を”いけない”」と認識する、ということ?
また、その「殺そうとしている人の”自分の内側からの禁止(いけない理由)”」とは、↓
>人が、人を殺す(あるいは殺される)光景を見て、「心の真実としてこれほど
>悲しいことが他にあろうか?」と思う人は多いと思う。言語などによらないし、
>自分自身の中にその答えがある。
↑と言う事だと。
ということも、含まれます。
他のレスに書いてしまったけど、人間って一緒に楽しいことをやろうよという生き物だけども、
一方でそれをやって悲しむ人がいるなどという二律背反を経験することも多々あるし、ダブルバインドで迷う・悩む人も多いよね。
高瀬船という小説にもあるし最近の安楽死とか、そこで出てくる問題は一般化出来ないかけがえの
ない事例ばかり。悲しいことだけどそうせざるをえないという状況は、
「殺してあげたいけども出来ない」ケースすら産み出しはしませんか? なぜそうなるのかよく考えて
みるといいと思います。
>>この、「人が、人を殺す(あるいは殺される)光景を見て」というのは
殺人現場を目撃した第三者を指して言っているのだよね?
この、「>心の真実としてこれほど悲しいことが他にあろうか?」という自覚は、
殺そうとしている側にも常にあって、過去の「人殺し(個人・多数)」の
「殺した側」は、この自覚、「自分の内側からの禁止」を持ちながら「殺した」ということ?
上に書いた通り。
>>605 勿論そうですが、それは私が>601 で質問したことの答えではない。
私は、なぜあなたが「快(利益)に向かって生きている」という、「生きる」ということに対して
肯定的な解釈ではなく、「苦痛(不利益)を避けながら生きている」という方を強調したのかが知りたかった。
ほかのスレにも飛び火しちゃったけど、ヤミ米を食べてはいけないということをきちんと守って餓死した人がいました。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1040308162/l50 人間色々やっていると、どうしても利益に向かってという選択よりはさまざまな苦痛を避けつつ選択した結果でそれをやっているということになりがちな実感がありますね。
それでは楽しくないし効率も上がらないのでなんとかしようとして、たとえば国家装置などを工夫して設置し(それを運転するために、税を用いる)やっているのでは?
ちょっとしか読んでないけど、要するに、「人を殺してはいけない」っていう
社会的規範が作られることには理由も根拠もあるわけよ。必然性といってもいい。
これに反対する人間は、まずいないでしょ。どんな凶悪犯や殺人鬼だって、「人は
人を殺してもいい」って「一般的規範」を主張しているわけじゃない。そんなこと
するのは「人間同士の殺し合いをやったり見たりするのだけが生きがい」って
キチガイ以外は、まず考えられない。
ただ、そういう社会的規範が作られた理由をいくら挙げても、「個人」が
その規範に「従わなければならない」理由には、必ずしもならないんだね。
例えば「学生は勉強して偏差値の高い大学に入らなければならない」とか
「夫婦は配偶者以外の男女とセックスをしてはいけない」とかいう規範は、
「作られる」理由はそれなりにあるけど、個人がそれに従わなければならない
理由は必ずしもないわけでしょ。従う気がない人間に、「規範が作られた理由」
(いい大学からいい会社に入ったほうが得だとか)をいくら並べても、当人に
とっては、うざったい「お説教」にしかならない。従わない場合に予想される
不利益を考慮に入れた上で、なおかつ従うか従わないかは、究極的には個人の自由
というほかないわけだ。
人殺しも、基本的には同じだ。いや、もちろん殺人禁止の理由は上の例なんかとは
比較にならないくらい強力なもんだけど、基本的な「構図」は同じだってこと。
いくら「殺される側の苦痛を考えろ」とか「人間なら誰でも殺されたくないだろう」
とか「良心の呵責に苦しむことになるぞ」とか「死刑になるぞ」とか言われたって、
普通の人はそんなことは知っているんだから、あんまり意味がない。例えば怨恨に
よる殺人なんかは、むしろ「相手が殺されるのをいやがっている」からこそ殺すんだから。
言っておくが、別に殺人を薦めてるわけじゃない。この種の「道徳哲学」は
「現実」の前には無力なもんだと言いたいだけだ。別にそれで嘆く必要もない。
道徳哲学があろうとなかろうと、人は人を殺さない場合の方が圧倒的に多いんだから。
>>609 そんな世の中がイヤになったので、地球36個を吹き飛ばすだけの水爆・原爆・
プラスチック爆弾・火薬に火をつけて自殺します……、その人がボタンを押せば、
この議論も The End.
また来週。
バスが行ってしまったので戻ってきた。水爆も破裂してないようだ。
>>609 つまり、「社会的規範が機能している」という形式の方が重要
なのであり、その規範の内容はさして問われないということかも。
社会的規範の機能がキチンと作用していることは、常に強調されていることを
考えれば明らか。
たとえば刑法。人が人に罰を与えるなど神をも畏れぬ野蛮な行為であり、
刑法が設置されている社会など、野蛮社会の証明のようなものかも。
規範の存在を強調、というのは、たとえば殺人事件犯の刑期よりも
横領や詐欺、背任で多額のお金をネコババした犯人の方が「長い」(
倫理的には長短ではかれるものでもないだろうと思うが、まぁ別問題)。
死刑が出なかったことで、愛する家族を突然殺された人がテレビでコメント
しているのを見たけど、では死刑が出た事例はそれ以上に極悪だったのか
と思うと、どうもそういう価値観では比較出来ないような気がする。
言い直せば、「人を殺すのはいけないが、裏切った上でのお金のネコババはも〜っといけない」
という重みづけかもね。
刑法があるということは、カントがいうような自律した個人が形成している
社会ではないということなんだよね。
では、ヤバい人が水爆のボタンを押さないよう祈りつつ、またお出かけです。
>>594 >さて、私が前回「自然状態」と書いたのは、専門用語のつもりでした。
>ホッブス以降の思想とか、法学、倫理学などではおなじみの言葉だろうと思っていたわけです。
■その「自然状態」を批判したことは、明らかです
>>500-501 >>502 >>503。
あなたの前回のレス
>>492 に対して、私が返したレス
>>500-501 >>502 >>503 にリンクを貼らずに、
私が「自然状態」という用語を知らなかっただけであるかのように、書かないでください。
□
>>503の最後で、専門用語としての自然状態は、明らかに踏まえられています。
>>503 >「自然状態」を唱えた人に悪意が無かったことは、よく知られています。このことは、社会契約を理論的に肯定する際に、
>「村長さん<という一人の人間>」が「決めた〜ただそれだけのこと」と、矮小化することがなかった〜
(毎度注:「村長さん〜… は、ゆい脳による)
■さらに、自然状態を唱えた人間には、ホッブズ以外にロックやルソーもいます。彼らによれば、自然状態は「平和」
です(私はホッブズ・ロック・ルソーの「自然状態」いずれも支持しません=議論の前提として採用しません)。
>>500-501 >>502 >>503 ★念を押しておきますが、今論じている点は、このスレの論点とは無関係です
>>503 >>80-82 >>98。
>同じことを繰り返すわけですが、人が自然状態にあるということは、その人が地球を丸ごと吹き飛ばす爆弾の
>スイッチが押せる状況におれば、その選択肢も実行可能であるし、あらゆる選択肢が実行可能なのだと、前もって
>定義(仮定)するよ、ということです。
★「念を押している」かのようですが、実際は、
>>500-501 >>502 >>503 を、無視しただけです。
■端的に、上の仮定は「自然」状態ではありません。なぜなら、ある個体が属する世界の破壊に関する決定が、
決定の時点に関わり無く、常に極大化する状態の、どこが自然なんでしょうか。説明してください。
仮定した内容に対応する呼称をつけてください。また、「地球を」丸ごと吹き飛ばす爆弾とは、どのようなものか、
ご説明ください。
こうした仮定をする人間の悪意・馬鹿さ加減は、明らかです。
>>430さん、見ていらしたら、ここに同意お願いします。
>>574-576 ←
>>580-582 >>583。手短で構いませんので。
■次に、専門用語の「自然状態」の観点からしても、あなたがあげた例は明らかに不適切です。
自然状態は、社会契約(政治理論)を正当化する際に主張される際に想定される、*理論的* 前提であり、
国家(社会)状態に先んじて、人間(ここでいう人間とは、自分ではなくて、個人です。
>>268 ホッブズ「*万人* の 万人に対する闘争」)が、おかれる状態のことです。さらにホッブズは、
かかる状態において人間がおかれた条件として、形式的に平等(条件の平等を指す)であり、
自己保存の本能に支配されるとします。以上を *仮定* します。仮定には批判の余地が残されます。
>>500-501 >>502 >>503 ・ボタンを押す主体として、自分を仮定するのは明らかに「自然状態」の定義に反します。形式的に平等ではないからです。
・ホッブズは、破壊の本能によって規定されていると強調したわけではありませんので、ボタンを押すという行動は、
彼の「自然状態」の定義からは、絶対に帰結しません。なぜなら、「自己」保存の動機に反するからです。
・闘争は、ある「自分」が破壊をはじめ、それに応じる過程を考えれば、必然的に広がらざるをえないとされたのであり
(批判
>>500-501 >>502 >>503)、人間全て
>>268 が、闘争的であると主張されたのではありません。
>たとえば、「なぜ人は人を殺してはいけないのか」明示的にわからなければ、殺してみればいい。
>どんなことがおこるのか。起ったすべてはその解答になろう。
■明示的にわからなければ、殺してみれば「いい」と、限定なしに述べることは、
明示的な理解のためには、全ての行為が許可されることを、意味します。
□明示的・・・は、悪意が感じられる限定です。なぜなら、
・明示的でない、あいまいな理解に従い、行動決定をする場合が多いことは、通常の社会生活上、自明だからです。
・ある点が、明示的に理解できないとしても、それ以外の観点から(
>>98@、
>>62 ←
>>85)
ある行動をとらない場合があることも、自明だからです。
■次に、どんなことがおこるかが分からないことを、暗黙の前提として、「殺してみればいい」としていますが、
全く分からないなどということは、まずありえません。
□なぜなら、誰しも、
・他人が痛覚を感じたときの反応(暴力に限らない。料理していて指を怪我、病気、事故で骨折など)を
見たことがあり、
・その反応を見て、助けたりしたこと(お見舞いして喜ばれた、保健室につれていった、など)もあり、
・また、希望が何らかの形で裏切られた場合の反応(遊びにいく約束が破られてがっかりしたことなど)を見て、
・励ましたりしたこともある、
以上のような経験から、誰かが殺した場合(故意殺に限らない。自動車事故も含む)、殺された誰かがつらい点は、
明らかにわかることだからです。
■多くの人は、私が
>>80-82 で示したように、いけない理由を明確に理解しているわけではないと思います。
多くの人は、殺さない理由
>>98@、
>>62 ←
>>85 の一部として、あいまいに、殺してはいけない理由
>>80-82 を
意識したことがあり、普段は、「そもそも殺すこと自体思い浮かばずに生活しているので、結果的に禁止を守っている」
「交通事故を起こさないように気をつけている」だけなはずです。
この問題を論じる人が、よく言うような、道徳がどうとか、禁止がどうとかいうことは、例えば、ニュースで
事件を耳にしたとき、事件を主題的に扱う際に出てくる、という印象を持つのが、通常でしょう
(
>>286 ←
>>336 >>368 ←
>>369-371)。
そうした生活の中にあって、人々は、殺しを常に
>>397-399 、禁止します(自殺に関しては、
>>402)
この禁止が可能である点が、このスレの問題であり、
>>609は論点外れです。また、
>>609は、
殺さない理由を、従わなければならない理由にすりかえて「無力さ」を言い立てています。
さんざそうではないと言及していますね。道徳の領域に区切って、そこで無力さを唱えるのは、
お門違いなわけです
>>368 ←
>>369-371。
生活の全ては、殺さない理由、殺してはいけない理由、になります。
>また、法律や暗黙の圧力などが禁止するだけでなく、自分の内側からの禁止もかかるだろうとおもう。
>
>>80が解答とのことですが、「絶対的な理由は存在出来ない。ただ、(言語による)
>話の説得性の大小の存在があるのみ」とは不十分です。
私が自分の内側からの禁止(殺さないという決定をする)がかかる点を認めていることは、
>>98、
>>62 ←
>>85 から明らかです。「絶対的な理由が存在できない。話の説得性の大小のみ〜」という点は、
理由の不十分さにかかるのではなくて、理由が絶対的でなくても十分である点にかかっていることは、明らかです。
妙な読み方をしないでください。
>人が、人を殺す(あるいは殺される)光景を見て、「心の真実としてこれほど悲しいことが他にあろうか?」と
>思う人は多いと思う。言語などによらないし、自分自身の中にその答えがある。
それは、
>>98@、
>>62 ←
>>85の、「殺さない理由」に関する話です。禁止の理由ではありません。スレ違い・
論点外れです。
>というわけで、そもそも論理学の話題を展開したいのか、倫理学のお話として展開したいのか、
>議論そのものを哲学的に深めたいのか、なんだかわからないという感じがしたので、書込みした次第です。
わからないと言っているのは、あなただけです。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
>>591について、
>>594末尾でフォローした点について。
>>592-593さんの書き込みも参考に。
(592、593さん、書き込みありがとうございます)
>
>>591に
>「そして私は勘違いをしていました。私はヒトがヒトを殺すことの真理を問うているのかとおもっていたが、
>実際はなぜ殺してはいけないと決まっているのかという問いだったのです。」 〜
>このようなすれ違いが沢山出るのは、上に書いたように漠然としているからなのでは?
殺してはいけないとは、殺すことを禁止する、という意味です
>>8さんのレス。何回も引用してます。
>>8さんのレスを読んでいるなら、上のような理解をするのは、一般にはおかしい態度です。
なぜなら、辞書の意味に全く反する解釈を述べるのであれば、それなりの理由を述べなければならず、
「思う」だけでは、出来の悪い感想文以下のゴミ(
>>591全文をご覧ください)に過ぎないからです。
勘違いというより、わざと無視したか、はじめから妨害する気しかないと言うべきです。
それは、
>>572-584あたりの流れ、
>>591「全文」を読めば、明らかです。参考:
>>593
>>98には、直接批判は来てません。やや詳しい説明は、
>>492 ←
>>500-501 >>502 >>503 (あなた=ゆい脳へのレス) の、
>>503 に書きましたが、これは無視されました。
以上のように、漠然としたところは、ありません。
読まない人の理解が漠然としたままであることや、悪意がある少数の馬鹿が漠然漠然とお経を唱える
ことは、ありがちかもしれませんが、 それは、こちらのせいではありません。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
---
>>594以外にレス返してないとか言われそうなので、手短に。
>>602 >>606 法律どうり、規則どうり、って何ですか?
>>602については、ここまで拝見さん
>>605 >>606 >たとえば人を殺してみると、法治国家であるならば、直ちに強制装置が作動してあらかじめ決められた
>規則どうりに扱われることになるであろうということです。
■あらゆる意味で、小学生からやり直した方が良いです。強制装置が作動する点に議論の余地が無いと書いてますが、
確かに、それはその通りですね。ところで、これは刑事法が制定されている地域においての話なんですよね。
殺されたときに不都合があり、不都合を受ける個人
>>268 が禁止を主張する
>>80-82 ことは、強制装置が
作動する点より、さらに議論の余地が無いんですが。
何らかの理由を意識し、嫌だから殺すな、と、思うか、言うか、禁止の要求を前提とするような生活を
送っていれば足るのですから。
>>607 安楽死については、
>>155 ←
>>157-159 >>160 安楽死は、殺人の話ではなくて、死期を選ぶ手伝いをする例であり、
こちらが殺人をしたい、殺人が正当化される事例ではありません。苦しみから開放してやりたいという目的が
正当であり、その正当な目的のために、殺人という好ましくない手段をとらざるをえない事例、です。
仮に殺人と呼ぶとしても、この例における殺人の評価と、交通事故・故意殺の例の殺人の評価は、違います。
前者に感謝する人間はいても、後者に感謝する、禁止しない人間はいません。
両者は別の評価を受けるべき事例であり、殺人という一般的な語に対応させて、評価を下すのは
いかがわしいやり方です。
交通事故もかけがいのない例なのに、その点について無視して安楽死という死の結果をもたらす例ばかり
持ち出す理由を述べてください。
>>608 向こうのスレを見ましたが、
>>54 基礎ずける って何ですか?
苦痛を避けつつ選択するなら、
>>80にあるとおり、殺人を禁止する選択をとるはずです。
仮に殺人を行う選択
>>81 をとったとしてもです。両者は並立します。
さらに、殺人を行う選択が普遍的である事実は、ありませんし、行われた選択が
苦痛を避ける例である根拠もあげられていません。ここまで拝見さんも指摘されている通り、
あなたがあげた例は、苦痛を避ける例ではなくて、快を得る例です。
さらに、苦痛を避ける例=快を得る例であったとしても、苦痛を避ける=快を選ぶことに、
相手側の苦痛が伴うことである場合、自分が苦痛を避ける=快を選ぶことは、
相手側の苦痛がない根拠にはなりません。自分の苦痛・快の話をいくら行ったところで、
相手・個人の苦痛・快について語ったことにはなりません。
>>610 地球の生態系を36回全滅させることと、地球を「吹き飛ばすこと」は、全く違います。
その違いを科学的に認識しないこと、基礎ずける、法律どうり、などと言っている時点で、
あなたの素性や、馬鹿さ加減が知れるというものです。自殺については、
>>402 >>611 あなたが、刑法がある社会を野蛮社会と呼ぼうが、禁止は可能であり、刑法が禁止を前提して
実効性を確保している事実は、変わりません。刑期の話も、殺人が禁止される理由とは無関係です。
たとえば、「多くの人が明確な理由を持っている(人を殺してはいけないと信じ、実行している行為について)
わけではないだろう」と
>>80-82でおっしゃっていますね。
毎日を、ただ「交通事故には気をつけよう」と思いつつ行動して、結果交通事故に
あわずにすんでいる、それでいいではないかという意見に対して、わたしもいいではないかと
思います。
それでは面白くないので、ここで議論してみようというその発想は面白いと思いました。
少し例を持ち出しますが、人間は当座目の前の問題をさくっと解決しつつ毎日を切り抜ける
ということでプラグマティックに生きているものだと思います。とある国が増え続ける保険の出費を押さえるためにある期間入院してさしたる改善が見られない場合、
治療を打ち切ってしまおうという判断をすると言います。生命維持装置のスイッチを、お金がかかりすぎるから限度の金額を定めておき、それをこえたらば
切ろうということです。
このすれのように、人は通常「なぜ殺してはいけないか」にさしてはっきり理由を自覚することなく対処しているけどもあえて議論してみよう
というように、プラグマティズムに理由を定めて処理するというのはアリでしょうか(一定の収入の中で、より大きな「効果」を求めるため少数派を切り捨てるのは、
全体の幸福を高めるには必要などと理由は付けられるはず)。
ミルーベンサムーロールズを好むかどうか? という問いにもなると思われるのですが・・・。
>>632 だけで、議論を判断しないようにお願いします。
>>631 >>624に、彼の前の前のレスに返したレスを
まとめてリンクしてあります。
>>626で、比較的ラクに読むことが出来ます。
私は、ゆい脳氏と議論を続ける気はありません。リンク先をごらんになった方は、
納得されると思います。
(
>>626で、ログを読むのに便利なツールを紹介しています。)
635 :
考える名無しさん:02/12/23 16:43
殺人行為を悪としたのは、本能か?
それとも理性か?
本能的に悪と思ったことが理性として
今に残ってるのかな。
>>635 「悪とする」ということはどういうことだろうか?
社会において殺人が悪であるのは、その存在を損なうからで、
殺人が社会を損なうという性質は、
誰かが、決めなくても最初から存在する。
逆に言えば、殺人が悪となるなるような社会というものを作った時点で、
(その時点では「殺人が社会を損なう」ということを知らなかったとしても)
不可避的に、殺人を悪と「してしまった」ともいえるのではないだろうか。
社会を作ったのは、単純に考えれば、生存本能であろうし、
その生存本能によって作った社会にとって、
殺人が悪であるならば、「本能が殺人を悪とした」、
とはいえるかもしれないが、
「社会にとって殺人が悪であること」は、
論理的帰結であって、人間の判断と無関係に存在するのではないだろうか。
帰ってきたらレスがついてたけど、どうもよく意味がわからない。
>>616 「毎度」氏が何を言いたいのかよくわからない。というか、俺と同じことを
言っているとしか思えないんだが。
俺も人は人を殺さない場合の方が圧倒的に多いと書いたはずだがな。そもそも、
生物として「同族殺しはタブー」って本能がある。まして人間は社会の助け合い
の中でしか生きられない脆弱な生物なんだから、「殺さない理由」なんて、外面的
にも内面的にも山ほどあるさ。そもそも、「人を殺そうか」なんて、普通は誰も
考えやしないよ。いや、空想することはあるかもしれんが、具体的にやるかどうか
ってところまで考えることなんて、例外中の例外だ。
「殺しの禁止が可能である点がこのスレの問題」って、そんなの可能どころか
必然だよ。なんでそれが問題なんだか、わかりかねる。可能というなら禁止を破る
のも可能だ。社会の側から言えばそれはあくまでも「いけない」ことだし、破ろう
とする個人の側から言えば、最終的には「自由」だ。そんだけのことだろ。破る
人は「人を殺さない理由」も「人を殺してはいけない理由」も承知の上で破るん
だから。でも、現実には殺人の禁止を破る人は非常に少ない。その点では、
「道徳」は無力どころか非常に強力だよ。だって「常識」なんだから。
俺が無力だと言ったのは「道徳哲学」だ。だって、道徳哲学ってのは、普通の道徳を
何とか超越的に権威づけようとするものでしかないんだけど、うまくいったためしが
ないんだ。いくら理屈を捏ね回しても、出て来る議論は「常識」の範囲を出ることが
できないんだから。どうせなら哲学なんて形を取らないで、伝統的な宗教みたいに
「人を殺したら地獄に落ちる」「神様が絶対的に禁止しているのだ」って主張した方が、
正直でずっといい。逆に言うと、宗教が衰退すれば、道徳の「形而上学的権威づけ」は
すごく困難になると思うね。先進国共通の現象だろ。
>>610-611 「ゆい脳」氏のは、悪いけどもっと意味がわからない。俺の頭が悪いせいか。
刑法の話が出ていたからついでに言うと、よく「死刑は殺人の抑止力にならない」
って議論がある。これは要するに、殺人はもともと心理的にも社会的にも凄く
ハードルの高い行為で、そもそも刑罰があろうとなかろうとやろうとする人間は
少ない、ってことだ。逆に言うと、殺人を具体的に考えるような人は、何か
そのハードルを飛び越えるような強いエネルギーに突き動かされているわけだから、
死刑ってハードルを重ねて置いてみても、あんまり意味がないというわけだ。
要するに、死刑があろうとなかろうと、殺さない人は殺さないし殺す人は殺す、
ってことだ。「死刑」を「道徳哲学」に置き換えても同じだな。逆に言えば、
それだけいつの世でも「常識的な道徳」ってのは現実に強力だってことなんだから、
形而上学的権威づけは、あんまり必要がないと思うけどね。
>>637 人を殺さない場合の方が圧倒的に多い点を認めることは、人を殺してはいけない理由を答えることではありません。
>社会の側から言えばそれはあくまでも「いけない」ことだし、破ろうとする個人の側から言えば、
>最終的には「自由」だ。そんだけのことだろ。
あなたが、ろくに他人のレスを読んでレスを書いてないことが、ここから、分かります。
私はあなたと同じことを言っていません。
社会の側からいけないとは、言っていないからです
>>80-82。
さらに、殺すことを「自由」とする点についても、批判を行っているからです
>>268 >>469-470 ←
>>472-473 >>474-475など。
さらに、自由である。そんだけのことだろ。とは言いません。あなたは、自分や自分の大切な人が
殺された場合、そんだけのことだろ。と言いますか?
殺される側が、殺されることをどう解するかの点に限定される、と、何回も繰り返しました。
社会の側から殺人を行う戦争という事実があります。あなたの議論によるなら、社会が要求するなら
殺しは行われる、と追認するだけになりかねません。
>632 ゆい脳氏 & 書き捨てる方々へ
えー・・・と、何度か指摘していますが、あなたの論議の進め方は、間違っています。
ただ書きたいことだけを書き捨てるならば、毎度氏や私への、他の人に対して、あなた
の論議への参加の要求(第三者に対しての質問・意見)は、するべきではないのでは?
あなたがこちらのスレに対しての返答・質問をする、こちらあなたの意見への返答・質問
をする。それらの内容は、具体的(相手のスレの引用など)という方法をとらなければ
まともに進行しません。あなたのやりかたは、論議のルールという以前にマナー違反です。
そして、「人間は〜な生物ですね?」や「〜ということになっています。だから、」や
「〜な人は多いと思う」、といった論法をとるのなら、1つ1つにきちんと根拠を
記してください。こちらに暗黙の了解を求め、議論の手順をすっ飛ばすのはいかがな
ものかと。
>638 609氏
どうかお願いですから、過去レス(せめて毎度氏がつくってくれたリンク >624 内だけでも)
全部に目を通して下さい。その上で、具体的な指摘・意見といったレスをお願いします。
そうでないと、過去に出た質問と解答の繰り返しで、このスレが終わってしまいます(泣)
★スレの立て直し希望
書き捨てといわれれば仕方ないのだけども、論文を書くがごときの正確な方法で引用
しながらきちんと議論するスタイルをとるのであれば、新たにスレを立て直し、
最初の10〜20レスの中に趣旨やら議論の方法、おすすめのブラウザなど必要なことを
まとめておくのがイイのでは?
わたしはたしかに暗黙のうちに理解を要求した上でどんどん勝手に書いているけど、
掲示板の使い方を工夫するのも意味があることだと思われますね。
ここまで拝見さんがおっしゃるように、掲示板は確かに同じ応答の繰り返しでエネルギー
の浪費で終わりがちですから。
最初から見直してみたけど、毎度氏が引用indexを作り出したのは80あたりから
ですよね?
>644
>論文を書くがごときの正確な方法で引用 しながらきちんと議論するスタイルをとるのであれば、
>新たにスレを立て直し、 最初の10〜20レスの中に趣旨やら議論の方法、おすすめのブラウザ
>など必要なことをまとめておくのがイイのでは?
ゆい脳氏が参加してきた状態、その時のスレの状態を考慮すべきだと思いますが。
このスレが、なんとか完全な「書き捨て場」になることを免れているのは、毎度氏による
>624 のようなリンクをはじめ、過去レスの整頓が行われるようになったからだと思いますよ。
その中で、「書き捨て」る方もいますし、意見を出した対象者と議論が行われる方もいます。
あなた自身が、「>ちゃんと論議するスタイル」を、取らなかっただけだと思うが。
>わたしはたしかに暗黙のうちに理解を要求した上でどんどん勝手に書いているけど、
自覚的にやってたんですか?何の為に?
私は、このような状態に対して、「心の真実としてこれほど 悲しいことが他にあろうか?」(>594)
と、思いますが。
>ここまで拝見さんがおっしゃるように、掲示板は確かに同じ応答の繰り返しでエネルギー
>の浪費で終わりがちですから。
あなたのような方が、「>掲示板は確かに同じ応答の繰り返しでエネルギー の浪費で終わりがち」に、してしまうのだよ。
>最初から見直してみたけど、毎度氏が引用indexを作り出したのは80あたりからですよね?
だからなんなのだ? そのことによって、議論の流れがが円滑になるのであれば問題ないでしょう?
あなたが(名前を名乗って)参加してきたのは、そもそも80以降でしょう?
あなたは「書き捨て」がしたかった(他人と意見の交換をする気も、それによって自身の持つ論理の
発展も変化も強化も望まなかった)だから、毎度氏や私が望むような「まともに論議を行うための
ルール」は邪魔。そういうことと捉えていいのですか?
<皆様へ
スレ汚しをしてすみません。このレスは、このスレの論点から外れている内容です。この件については、これ以上レスしません。
あなたは645において、論理矛盾を起こしている。
>毎度氏や私が望むような「まともに論議を行うための
ルール」は邪魔。そういうことと捉えていいのですか?
と、質問をしておきながら、
><皆様へ
スレ汚しをしてすみません。このレスは、このスレの論点から外れている内容です。この件については、これ以上レスしません。
これ以上レスしませんとある。
質問を要求しつつ、これ以上レスしませんという文言を見る気持ちを考えてほしい。
「心の真実として、これ以上悲しい出来事が他にあろうか?」。
わたしが「勝手に相手の理解を想定しつつどんどん議論を進める」と書いたのは、
そういう指摘が外部よりあったから。
>あなたがこちらのスレに対しての返答・質問をする、こちらあなたの意見への返答・質問
をする。それらの内容は、具体的(相手のスレの引用など)という方法をとらなければ
まともに進行しません。あなたのやりかたは、論議のルールという以前にマナー違反です。
80を確認してそこから始まる議論のやり方をフォローしろという要求も
崇高だとは思うが、ここでしきり直し、2ちゃんねるで普通に行われている
「スレッドの使い方」にあわせてスレを立て直してはどうか? と、いっているのだ。
もともとスレを立てた教育大製さんのサイトにも書き込んできたけども、
ここをしきりたいのであれば、それくらいしても損はないはずだよ〜ん。だ。
……と、いってみるテスト。
だったりする。
>646 ゆい脳氏へ
最後に。
私がこれ以上あなたとレスをしないと言ったのは、あなたが「まともに論議を行うための
ルールは邪魔」 という考えの方だと、今までのやり取りの中で、私が判断したからです。
>645全文を読んで、そうしたこちらの意図が理解できていないのは、あなただけだと
思いますが・・・・・
他の方で上記したことに反論がある方がいましたら、レスをお願いします。
>質問を要求しつつ、これ以上レスしませんという文言を見る気持ちを考えてほしい。
こちらからすれば、今までのあなたの態度は、
「相手が質問をしているが無視され、過去ログも無視し、論議のルールも守らずに、
自己満足の駄レスを繰り返す」、といった、大変不愉快なものです。
そういった態度をとる相手から「>気持ちを考えてほしい。」などと言われる、こちらの
気持ちも考えてほしい。
スレを立て直す理由はありません。「なぜ人は人を殺してはいけないのか?」
という論点から外れ、スレ違いのレスをしているのは、>643 からの、私と、あなた、です。
このことと、前途したあなたへの判断から、あなたとのレスのやりとりを止めたいと考えました。
以上です。
<毎度氏をはじめ、皆様へ
あまりの腹立たしさに負け、またしてもスレ汚しをしてしまいました・・・すみません。
つまり、因果的にいうところの「第一の始まり」は、ゆい脳の示した姿勢だ、と。
>毎度さん、ここまで拝見さんへ
いつもお二人の立派な内容の議論を拝見させていただいてます。
ところで、お二人の議論には何かしっかりとした学問の裏付けがあるように感じられるのですが、
大学では何を学ばれたのでしょうか。もしよろしければ教えて頂けませんか。
(私は来年受験なので参考にしたいのです)
それから、このスレを読んでいて思ったのですが、死刑の是非についても
殺される人の「いけない」という主張の正当性に論点を絞ってもかまわないでしょうか。
スレ違いな質問なのは承知しているのですが、
「なぜ人は人を殺してはいけないのか?」については、
>>80で十分納得してしまっているので、、、よろしくお願いします。
651 :
考える名無しさん:02/12/24 17:55
がんばれ、ゆいのう
653 :
考える名無しさん:02/12/24 20:50
なんで愛してはいけないの?
654 :
考える名無しさん:02/12/24 21:08
人殺しはいい!人間は動物,動物は共食いする。
655 :
考える名無しさん:02/12/24 21:13
人殺し、てのは人口を増大させすぎない
為の自浄作用だから生物の本能としては間違ってない。
ただ人は理性を持ってるわけだから本能とのせめぎあいで矛盾が
生じる。
656 :
考える名無しさん:02/12/24 21:14
>>654 「いい!」ってのがダメだな。
良し悪しは人間の概念に過ぎず、自然摂理に良し悪しは存在しない。
657 :
考える名無しさん:02/12/24 21:14
昔、金魚を飼ってて、仲間に腹を食われてアバラ骨が見えてる金魚の死体があった
気持ち悪かったよー
でも、金魚が虫の幼虫を食べたり、ネコが金魚を食べても気持ち悪くないと思う
共食いって少ないよ
あと、蟷螂のメスが蟷螂のオスを目からかじってるのも気味悪かった
蟷螂は習性だけど
縄張り争い以外で、殺しあうのは変だと思う
658 :
考える名無しさん:02/12/24 21:15
人を殺すとは自然の原理だ
659 :
考える名無しさん:02/12/24 21:19
660 :
考える名無しさん:02/12/24 21:28
人間は動物だ、しかも最低ランクの。動物は共食いする事もある、
メスを争って戦う事もある。人間こそ最低の動物だ、動物の中で自然を壊すものはいない。
661 :
考える名無しさん:02/12/24 21:33
>>660 蝗の大群は草を食べ尽くすよ
ウサギや鹿でも天敵がいなくなると大量発生して自然を壊すよ
662 :
考える名無しさん:02/12/24 21:34
元々は人間が悪いでしょ?
663 :
考える名無しさん:02/12/24 21:37
鋭いかも
蝗も人間が原因なの?
ようわからん
でも、人間にも天敵みたいなのがいるよね
ガンとかエイズとか
あと人間・・・???
だから「人が人を殺すのは」いけないって話だろ。
動物やら病気やら地震やら台風やらが人を殺したって、いいもいけないもクソも
ないよ。だって自然現象なんだから。
「人間も自然現象の一部」って考えれば、殺人も「殺人はいけない」って考え
たり言ったりするのも(要するにこのスレも)みんな自然現象だからいいも
いけないもクソもない、ってことなのかもしれないな。そんなこと言ったって
何にも意味ないけど。
667 :
考える名無しさん:02/12/24 23:39
>>666 なんだよ・・・結局意味ないのかよ・・・
668 :
考える名無しさん:02/12/25 00:14
哲学なんて、所詮意味なんかないに決まってる。
>>667 結局、すべての理屈は「人間の都合」だっちうこった。
地球には痛くも痒くもない。
それどころか、人類はそろそろ地球からパージされかかってる。
……さっそく2チャンネルの洗礼ですな。←スレの秩序とやらはどこいった?
殺しとか容認すると群が成り立たないからダメなんだよ。
俺らは群れて現在の生活水準を維持してる訳だから。
結局この手のスレが何度も立ち上がるっていうことは
世の中に視野の狭い愚鈍な馬鹿が溢れているっていうことだよな。
お前等そんなんじゃ負け犬人生一直線だぞ。
671 :
考える名無しさん:02/12/25 00:29
まあ生きてること自体が意味のないことだからな。
でもおなかは減るからしょうがない、と
Hもしたくなるのでしょうがない、と
死ぬのは怖いから死にたくない、と
眠くなったらやっぱり寝るしかない、と
672 :
考える名無しさん:02/12/25 00:59
>>666 しかし、殺していい、という結論でいいの?
殺されてもいいの?
>>671 賛成するしかない、と
673 :
考える名無しさん:02/12/25 01:03
>>671 人が意味を求める以上、意味を見出さなければ仕方がない、と。
674 :
考える名無しさん:02/12/25 01:09
なぜ人を殺しちゃいけないの、という問いに、
なぜお前を殺しちゃいけないんだ、と反問する人がいたな。
世間しらずの自意識過剰なガキを軽蔑するように。
こんばんは。
>>643 >>645 (ここまで拝見さん)
気持ちよく分かります。ただ、ちょっと不謹慎ですが、私はあなたがそのような気持ちを持ったことは
よいことだと思います。そういう意味で、うれしいです。
あと、スレ汚しである点を気になさっていますが、スレ汚しだからまずいわけではないです。
スレを汚すに至った理由が不当だから、まずいんですよ(笑 (なぜここで笑うかは、理解できますね?)
---
あとですねー、耳寄り情報。ゆい脳氏のことなんですがね。
880 名前:ドラえもん 投稿日:02/11/04 17:15
誰をWEと認めるのか否かというのは実際の行動で判断すると
書いたとうりです。1より理性がある!と主張する699のWE
の境界は動物を殺して食べることを選択するかどうかです。
確定されてる境界は人間なら退治で18週くらい以降、
死刑実行まで。現在胎児も人として認められそうです。
699のような粘着が誰が人であるのか、人権の適用範囲を
広げているのです。これは事実です。
286 名前:てさ 投稿日:02/11/30 13:26
>>283 そのとうりですが相手がいる事をお忘れになっているのでは?
自分にとっては{善}かも知れませんが 相手にとってそれは{善}と言えるのでしょうか?
(自分にとって善であっても あいては貴方を殺害しようとしている以上相手にとって貴方は悪です)
だからぼくは定義の上で絶対なる善も悪もないといいたいんです。
絶対なる善悪が存在しない以上 善悪は存在しないと言っているんです
まあ、こういうわけです。
とうり、という間違え方をする人間は、そういません。議論の内容の趣旨、論法の汚さから
言って、同一人物と見て間違いないでしょう。
>>650 >>650付近のスレ展開をごらんになってますよね?
その状況で、スレ違いな質問をすれば、明らかに私が嫌がることを分かってますよね?
大学で何を学ばれたか、についてですが、その点については、どのような答えを行っても
私の手間が増えるだけだという点も、当然おわかりですね?
(もちろん、質問に答える手間のことではありませんよ?)
さらに、死刑の是非という、殺しを行うケースを、わざわざあげてみせたこと
質問の文章が支離滅裂であるのに、以降で修正を行っていないことから、
まともに議論をするつもりがないことが、読み取れること、
>殺される人の「いけない」という主張の正当性に論点を絞ってもかまわないでしょうか。
「立派な内容の議論」というほめ方が、いかがわしいこと
(なぜ、私達の議論の内容に評価を向けた上で、中身のある記述をせずに、
私達「お二人」に対する評価の話にされたんでしょうか? 私達お二人にとって、
その視点がうっとうしいくらい、分かりますよね。 というか、わざとでしょ?)
などから、よい意図から出た質問だと判断できません。ですから、あなたの
質問には(私は)答えません。
>675 毎度氏
レスありがとうございます。
>スレを汚すに至った理由が不当だから、まずいんですよ(笑 (なぜここで笑うかは、理解できますね?)
了解です。ありがとうございます。それと、
>耳寄り情報。ゆい脳氏のことなんですがね。
以下のソースと、>676
これ、驚きましたが、確かに・・・
「ドラえもん=てさ=ゆい脳」、ある意味感心しました。
>>681 時間的に見て、何もレスしないのもなんなので・・・こんばんはー、おやすみなさい(もう遅いか)。
>>677 なんだ結局逃げたのか。これじゃ浅田彰を批判出来ないな。
>>683 逃げた、というより語れるものが何もないのであろう。
>>675 >>681 規則性を持った表記の間違い、音の入れ換えなどはある確度で存在しうるもの。
参考程度にはなるだろうが、個人の特定には使えない。
だいぶわかってきたが、毎度氏やここまで拝見氏は形式的なことならばいくらでも
話が続くが、内容に関しては語れないタイプの人だな?
具体的にいうと、たとえ話ならば、宮崎駿の劇場版アニメとコミックの違いはいくらでも
話が続くが、作品の根底に流れる多神教的世界観について話を深めていくということになると
お手あげなタイプなのだ。
潔癖症的な牽引作りを好む毎度氏は特にそうであろう。2000年先の曜日計算が
出来る人がたまにいるが、それに似た印象だ。
これはいい悪いの話ではなく、適不適の話なので、誤解のないよう。
なーんだ。
ゆい脳&ゆいのう、こいつ煽り荒らしじゃん。ガッカリ。
ゆいのう必至だな。
686 :
考える名無しさん:02/12/25 19:45
↑毎度も必死だな
687 :
考える名無しさん:02/12/25 19:53
熱気デリダの登場を待つか。
688 :
考える名無しさん:02/12/26 03:42
人に人を殺める権利はない。
自分も殺されたくないから、「殺すのはイケナイ」んだよ。
相手が「殺されたくない」って言うのだから、「殺すのはイケナイ」んだよ。
「殺したい」「死にたい、殺されたい」なんてーのは、「殺したいんだけど
いいかな?」ってことだよ。(文頭に戻る)
ゆいのうがんばれ
693 :
考える名無しさん:02/12/26 17:22
人は殺さないほうが良いよ。
おすすめしない。
695 :
考える名無しさん:02/12/26 17:52
>>694 1じゃなく人々や社会が、だろ。
で、1は馬鹿だからそんな自明の理も分からなかったんだよ。
696 :
考える名無しさん:02/12/26 18:01
>>694 だね。文学作品とか芸術方面では最近なら日本映画で学生が殺しあう作品が問題になった。作り話でも許さない人がいるのはなぜか?
1もほとんどの人もリアル状況のこととしてアプリオリに認知するのか?
697 :
考える名無しさん:02/12/26 18:11
>>696 厨房が勘違いして銃撃ちたがると困るからだよ。
>>696です。
>>697 でもさ、別な映画でマシンガンをがガガガっと撃って、「カ・イ・カ・ン」
って映画のあのシーンは、受けてたね。
勘違い厨がマネキンをガガガガ撃ってもなんも困らないわけよ。あるいは
脳内妄想としてなら。
人は、たとえ作り話であっても「死を連想するだけでも震え上がるほど」
「死への恐怖」というのが作りつけなんだろうね。
大部分はその生理的な恐怖がブレーキになって殺人はおこらないが、
その恐怖を乗り越えて利害を求めたり害基地といわれる人には別な装置を掛けておかないと
やはり不安が残るのだろうね。
このスレでこの視点が出ていたかどうかは、今から確認するけど。
>>698 ないね。人の根源的恐怖に対して考えたレス。
死を是とする世界も過去の記録にあると思うけど、洗脳や宗教は
根源的恐怖さえ変節させる何かがあるのかもね。(新興宗教の
集団死、聖戦の名の元で死を賞賛するテロ、マヤ文明など)
>>675-676 ←
>>684について
■複数のレスに、共通した特徴が認められる場合、その点に関する指摘は、個人の特定に使えます。
なぜなら、それらの点が共通したレスは、特定の個人とみなして議論する「参考程度にはなる
>>684」からです。
参考にするか、「参考程度」と参考になる点を内容を問題にせずに無視したがるかは、人によります。
また、ドラえもん・てさ・ゆい脳が、「法律どうり」「規則どうり」「書いたとうり」「そのとうり」と、
小学生レベルの表記ミスをした点、汚い論じ方をする点、論旨が共通している点、
それらの点が一般人には、あてはまらない点 は、特定云々とは、無関係です。
ゆいのうと名乗っているのは、ゆい脳と名乗ると、今書いた点を言われれば、結局不都合だからでしょうか。
まあ、同一人物でないと言い張るんでしょうけどね。
※どうでもいいですが「確度」の使い方間違えてます。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
▼>だいぶわかってきたが、毎度氏やここまで拝見氏は形式的なことならばいくらでも
>話が続くが、内容に関しては語れないタイプの人だな?
>>684 について。
▽形式・形式的、の、正しい意味について
■形式とは、正しくは、「正しく示された内容や、内容と内容の関係に、見出される構造・論理」を指します。
内容のある議論は、常に「形式的にも正しい議論」です。
□例えば、結論を支える理由を述べる必要がある場合に、理由が示されておらず、結論だけが
書き連ねてあったり、理由と結論の関連付けがなかったりした場合、そこで、示された結論は、
無内容とみなせます。なぜなら、理由が示されていないなら、結論を実質的に支えようがないことが、
形式的に明らかだからです
>>80-82の、
>>80。
□この意味で形式的でない議論が、いわゆる「無内容」な記述です。これは(正しい)常識です。
□ゆい脳氏が、自分が示した内容に対する、これまで拝見さんからの質疑に応じないこと
>>602 ←
>>605 や、
ゆい脳氏が、自分が示した内容で用いた用語に対する、毎度からの批判を「専門用語のつもりでした」と無視する
>>492 ←
>>500-501 >>502 >>503 ←
>>594 ←
>>612… ことは、形式的な回答になっておらず、論じている内容と
無関係な内容をつらつら述べただけの、いわゆる「無内容」な記述です。
□形式的に正しくありません。で、指されていることは、内容です。
なぜなら、相手の質疑に応じないこと・用語に対する批判を無視することは、
形式ではなく事実認識であり、事実認識は、内容だからです。
ここで、形式的に正しくありません。が、上で指摘したような内容を指す点を無視し、
「形式的に正しくない」点を問題にした、と、記号の側面にのみ着目して、
「形式ばかり問題にしている」「形式的な話しかできない」
>>684 などと、
指摘された内容を捨象することが、
・ゆいのう氏がいう意味で「形式的(=無内容)」な記述です。
・内容に対する応対になっていないという観点から見れば、「形式的でない」
(形式的な答えにすらなってない)記述です。
▽ゆいのうがいうところの「形式的」について
■ゆいのう氏の「形式的(=無内容)」は、示された例えからすると「ゆいのう氏にとって、意義のない内容」を
指すことは明らかです。なぜなら、示された論点に対応した議論であるなら、それぞれ、その論点に関わる内容を
持つにも関わらず、片方が「形式的」であり「内容に関しては語(られて)れない」例になっているからです。
■ですから、引用部の内容は、
>〜形式を備えた議論をいくらでも続けられるが、続けられた議論の内容には、
>私は興味がない。だから、私が興味がある内容に関しては、語らないタイプの人だな?
上の通りになります。「私(ゆいのう)が興味がある内容」は、ゆいのう氏のその場の恣意によって決まります。
このことは、
>>650 ←
>>677 ←
>>683-684 を受けて、語れるものが(
>>650に関して)何もないのであろうと
答えている点から、明らかです。確かに
>>650に関しては、私は何も語っていません
>>677。語る必要も意義もないからです。
711 :
考える名無しさん:02/12/26 21:51
読んでないですけど 殺してはいけないということはないのではないですか?
法律は別にして
法律でも禁じてはないですよね?
対価を支払えば。
712 :
考える名無しさん:02/12/26 22:41
>>711 このスレはちゃんとログを読んでそれらしい書き込みをしないと
「皆様」から怒られるらしいよ。
>>711 >>709参照
法律は禁止の正当性を前提とし、刑罰を科して禁止の実効性を確保するための手段です
>>98末尾@
>>712 ログを読んでそれらしい(筋の通った)書き込みをするかしないかは、
怒られるか怒られないかの問題ではありません。幼稚園からやり直してください。
>>706 ■形式とは、正しくは、「正しく示された内容や、内容と内容の関係に、見出される構造・論理」を指します。
内容のある議論は、常に「形式的にも正しい議論」です。
あきれるなぁ。おどろくなぁ。
引用部分の最初の部分は間違えが含まれている。
「■形式とは、正しくは、「内容と内容の関係に、見出される構造・論理」を指します。
ならば、正しいと思う。
そして、内容と形式、という場合、両者の指す事柄に、関連性はない。そして、並列に論じられるようなものでもない。
機能と構造について、詳しく論じている有名な人がいたと思う。
よって、
>内容のある議論は、常に「形式的にも正しい議論」です。
という記述は成り立たないはず。
良く2ちゃんねるのことを「これは悪いインターネットだ」っていう人がいますが、機能と構造(形式と内容)を
混同している典型例だと思う。インターネットという形式と、電子掲示板の中で語られている話の内容とは、まるで違う
ことなのであり、並列でもない。
掲示板で正しい内容が語られているかどうかということと、EUCコードを使っているかS-JISなのか
ということは全く無関係なのだ。バックボーンや中継回線がいくら正しく作動して画面表示がうまくいっていても、
掲示板に書かれた内容はデタラメでとんちんかんということはあるわけだ。
きっと、レヴィ・ストロース(リーバイス?)なんかの言ってることは間違ってるって言い出すんだろう。
千と千尋の神隠しは、劇場版プリントフィルムとDVDは同内容なのだが、全く違っているという人もいますね。
>>714 相手の反論も読まずに、先に用意していた文章だけ述べてるって感じですね。
716 :
考える名無しさん:02/12/27 01:54
717 :
考える名無しさん:02/12/27 01:55
>>715 そうかなぁ? ポイントをさだめて必要なところにちゃんとレスしているようだが。
ざっとですがログを読みました。
>>370-371 の書き込みに共感しました。
少し練習してみます。
>>714 > ■形式とは、正しくは、「正しく示された内容や、内容と内容の関係に、見出される構造・論理」を指します。
> 内容のある議論は、常に「形式的にも正しい議論」です。
>
> あきれるなぁ。おどろくなぁ。
> 引用部分の最初の部分は間違えが含まれている。
> 「■形式とは、正しくは、「内容と内容の関係に、見出される構造・論理」を指します。
> ならば、正しいと思う。
毎度氏が
>>706で述べていることは、
>□例えば、結論を支える理由を述べる必要がある場合に、理由が示されておらず、結論だけが
> 書き連ねてあったり、理由と結論の関連付けがなかったりした場合、そこで、示された結論は、
> 無内容とみなせます。なぜなら、理由が示されていないなら、結論を実質的に支えようがないことが、
> 形式的に明らかだからです
すなわち「理由がなくて結論だけがある→形式的でない」ならば「無内容である」、であって
これは「内容のある議論は、形式的にも正しい議論である」の対偶を示していることになります。
よって 引用部分が間違っているとは言えません。
> 機能と構造について、詳しく論じている有名な人がいたと思う。
名前も出さずに「有名人」を持ち出して権威付けしようとするのは卑怯です。
> 良く2ちゃんねるのことを「これは悪いインターネットだ」っていう人がいますが、機能と構造(形式と内容)を
> 混同している典型例だと思う。
「これは悪いインターネットだ」(正しくは、「ここは悪いインターネットですね」)は、「逝ってよし」「オマエモナー」
と同様の単なる煽りコピペであり、このコピペの使用頻度とこのコピペのそのままの内容の
認識を受け入れている人の数とは関係がありません。
> 掲示板で正しい内容が語られているかどうかということと、EUCコードを使っているかS-JISなのか
> ということは全く無関係なのだ。バックボーンや中継回線がいくら正しく作動して画面表示がうまくいっていても、
> 掲示板に書かれた内容はデタラメでとんちんかんということはあるわけだ。
この文章は「形式的に正しくても内容的に正しいとは限らない」ということを主張しているのであって、
「内容のある議論は、形式的にも正しい」またはその対偶命題である
「形式的に正しくないならば、内容もない」の肯定・否定とは何ら関係がありません。
> きっと、レヴィ・ストロース(リーバイス?)なんかの言ってることは間違ってるって言い出すんだろう。
レヴィ・ストロースがこの点に対して具体的にどのように述べているのかきちんと書かれていないと
同意も反論もしようがありません。
> 千と千尋の神隠しは、劇場版プリントフィルムとDVDは同内容なのだが、全く違っているという人もいますね。
何故そのような混乱を助長させるおかしな例え話を持ち出すのか意味不明です。
あと
>>716-717のような、時間から自作自演であることが簡単に分かってしまう
書き込みはみっともないと思いますよ。
721 :
考える名無しさん:02/12/27 08:09
人を殺してはいけないという風潮はここ最近のものでしょ
今でも死刑は概ね是認されてるわけだし
自分や家族や好きな人・者のためであれば殺せばいいじゃん
じょうずに
みんなそうしてきたんだし
んじゃ、自分流(自分勝手)に。
形式的に正しい物=内容的にも正しい
↑これは誤り。なぜなら、形式と内容とは全く別であって依存関係もなし、だからです。
だから、A=Bの対偶をとってAでないとき=Bでもないとするのも、そもそも無意味である、
というだけのことです。
有名人がなんというひとでなんといってたかは、時間がなくて調べられません。私もしろうとなのだから。
毎度氏=ここまで拝見氏=712氏
↑という何か共通項は、ある。
「ここは悪いインターネットですね」
「逝ってヨシ」
「オマエモナー」
の論理的誤りを看過し、2ちゃんに多発のこの行為も、私の行為も単なる「コピペ荒らし」
だからどっちもどっちというのは、そもそも「看過」しているという部分が、
「全くわかっていない」「見えていない」「感知出来ない」からなのでは? と、
思うなぁ。
「内容」と「形式」について712さんが認識していることを端的に述べてくだされば、
命題を立てながら論考していく? スタイルでやれるかも。今のままでは共通了解事項がなさすぎて、そもそも>>
を使いまくったサヴァン症候群のような書き込みは不可能です。
>>370-371 に共感した(心酔した?)とありますが、うらやましいなぁ。
人間には死の恐怖などの根源的衝動みたいなものがあって健康なのだし、クオリア問題
のような、言語でうまく扱えないような面もあるのだからもちょっと「頭の中だけで」生きてるような
そっけのなさはどうにかしたほうがいいかも。
意味のない混乱を招くような話を突然する(DVDの話とか)のはどういう意図があって? とおっしゃい
ますが、毎度氏だって指切りげんまんをするような……など、どうでもいいことを展開したり
しておりますね。まぁ心酔している人には伝わらないでしょうけど。(共通了解事項が0だから)。
日本は自殺率が世界一だそうですよ。
ゲームや文芸、芸術などの中では、人殺しがとても共感的に(あるいは単に楽しい)受け入れられたりもする。
↑
>>1が、実にシンプルに命題を立てたものだから、現段階では人間のこうした多面性をもうまく説明しないと、
十全ではないですね。712さんが心酔した(かも知れない)
>>370-371 の「内容」だけですべて解決しましたか?
私にはとてもそう思えない。
____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
 ̄ ̄ ̄||∧ ∧¶  ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ゚Д゚)/ < 徳田衛一
/ / \_____
〈 (
∫ヽ__)
____U U____
|∵ / 三 | 三 |
|∵ | __|__ |
\| \_/ /
\____/
自殺を考えれば、なぜ1は「人は人を殺してはいけない」と考えたか? ←
なぜ「ひとは人を殺してはいけないという前提条件」を抱えていたか?
というところにもぶち当たりますね。
↑与えられた命題を考える前に、命題そのものが立てられた背景の特異性に気がつくというか。
その意味で
>>694のような疑問が出てくるほうが、「きちんと物事を考えている」ような
気がする。他人が考えた命題をあてはめてわかった気になるノウナシ? とは違う気がする。
カオナシというのはくだんのDVDに登場するわけだが(と、混乱もさせてみる)。
>>724 なんだ? 検索してみよう、あとで。
自分で自分の命を閉じる人もいるわけだよね。悲しい結末だけど、そういう
選択をする人もいる。
このときの死の恐怖というものは、なんだろう。
人は人を……という場合、一人称ではないよね、人って。でも自殺で考えると、「人は人を殺してはいけない」
なんてことはまるでなかったんだろうか。最後の防衛線になっている死への恐怖すらないということは、
簡単に思い当たることでいえば、「自分のことでさえ、すでに他人事」という心境か。
客観的視点・主観的視点ということをいうけども、
主観的に見る死(死ぬ)というのは死の恐怖がじゃまをする。
客観的に見る死というのは他人事だから別に恐怖心のような生まれながら心に備えつけの
保護装置は働かない。
客観的に他人の死を見る時であっても、自分の死を連想させるような生々しいモノであれば、
死の恐怖が呼び起こされて、拒否しようとする。
でも、生々しさがなくて、何か美しくもある見かけに被われていると、受け入れてしまうのかもね。
↑この場合の死を阻止する装置が、何らかの形で必要なのだ、と、考えられる。
その一つ(というか、その装置を補強する考え)が、「人は、人を殺してはいけない(死はいけないものだ)」
という「考え方」なのかもね。
以上、「別な形式」にてカキコ。
727 :
考える名無しさん:02/12/27 12:05
>>723 >「頭の中だけで」生きてるような
>そっけのなさはどうにかしたほうがいいかも。
↓
>これらは、殺さないように自分を説得するような作業ではありません。
>説得する必要を感じずに生きているし、
>衝動的でない習慣を保てる個人的・社会的条件の中を、
>人は生きられるという、事実の指摘です。
文盲なんですか?
相手が頭の硬い偏屈で、自分は柔軟で革新的だと言う前提を置いて、会話している馬鹿に見えます。
>>727 多少は言語障害かもね。不自由を自覚してるから。しかし、そちらも世の中をすべて二分法で理解しようという姿勢、不自由ではないかな?
>723
>人間には死の恐怖などの根源的衝動みたいなものがあって健康なのだし、クオリア問題
>のような、言語でうまく扱えないような面もあるのだからもちょっと「頭の中だけで」生きてるような
>そっけのなさはどうにかしたほうがいいかも。
あなたが、「毎度・私(ここまで拝見)・712」に対して、上のようなレスを
つけたことで、よーく解ったことがある。
それは、「あなた(ゆいのう・ゆい脳)が、完全にスレ違い」だってことだ。
そのことにあなた自身が気がついていない、つまり、なんで自分が叩かれて
いるのか理解できない、なんであなたの理論に共感・賛同する奴からの
有効なレスがつかないのか。これらを理解できないあなたに同情するよ。
● >644 >多少は言語障害かもね。不自由を自覚してるから。
● >728 >書き捨てといわれれば仕方ないのだけども、
といった、悪い意味での開き直り、
●権威付けのために、頻繁に持ち出される有名著名人の名前、言葉
(具体的な記述はなし、または誤った引用)
●>722 において、自らが形式的に正しい論理展開ができないということを
表明してしまった(しかもそれに気がついてない)
これだけそろえば、このスレにおいては充分な「放置」対象になると思うが。
>>722 ・自分勝手にと書いて、私の自分主義と個人主義の分類にあてつけたつもりでしょうが、
不当な立場を正当化してあてつけても、説得力に欠けるだけです。
・形式と内容が依存関係にあるとは、ゆいのう
>>722 以外は誰も書いていません。
・書き込み主については、
>>731 ・以降は意味不明です。712さんは、私=ゆいのうの行為を、単なる「コピペ荒らし」と
位置付けてはいません
>>719 キリがないのであとは、省略。
>>723 ・指きりげんまんについては、
>>98を参照。断片的に引用して文意を歪めている。
・自殺については
>>402 人殺しが共感的に受け入れられたりしていない点については、
>>370-371 他に、何らかの意味で「虚構」と「現実」の区別を働かせること、
サバイバルゲームを楽しむ者、戦争がテーマになる話・ゲームなど、殺しが関わる問題においても、
「殺し」が、共感的に語られているのではなく、殺しという事実に関わる人間心理・活動のある種の
部分について、共感される場合があるのであり、結果としての殺しが共感されているではないこと、
さらに、共感的に語られているのは、「殺され」ではありえないこと などさまざまな指摘が可能
>>725-726 自殺については
>>402 殺しによって直接・間接にもたらされる不利益が、自分か他人に殺される結果が好ましくない理由
「前提条件」は、通常その条件が、ある命題の前提になる関係において用いられるべき用語です。
・悲しい結末だけど、という帰結からすれば、殺しが肯定されることはないはずである。
・死(殺され・殺し)の恐怖がある点は、
>>98末尾@の問題
>>98末尾A
>>80-82 とは無関係。
・死というのは他人事だから・・・ゆいのうという自分が、他人に係ることを、他人事として考えるかどうかは
誰も聞いてない。
・以下略
>>712さん
>>718-720、ここまで拝見さん
>>729 レスありがとうございます。
他にも見ている方いらっしゃると思います。単純な書き込みでも全くかまいません。
あからさまに間違っている考え、それも人の生死に関する問題についての考えが、
間違っていると論じられないことは、2chの「哲学板」が、子供や批判力が何らかの事情で欠如している
人が見ていること、それが学問的・権威的なよそおいをこらして語られてしまう点からして、とても危険です。
また、禁止の成立と禁止を守る手段との話を分けるやり方
>>80-82 は、徒にこの問題を大げさにしなくてすむし、
道徳・倫理のような観念の位置付けもすっきりするし、客観的な価値を標榜するようなやり方より、
ずっと説得力があると考えています。ぜひ、建設的な書き込みを、お願いします。
>>736 2chの「哲学板」が、→2chの「哲学板」を、
それが学問的・・・→間違った考えが学問的・・・ に、修正します。失礼しました。
ざーっと過去ログを読んでみた(熟読する時間も頭もないもんで、ご容赦)。
印象として、「毎度」氏の熱意と誠実さは十分にわかった。ただ、俺の考えと
は少しずれることもわかった。それを書いてみるが、誰かを批判したり揚足
取ったり喧嘩したりするのが目的でないことを最初にお断りする。
ただ、氏は、自分の考えと食い違う書き込みをことごとく「悪意」「錯誤」
「論点違い」と決め付け過ぎるような印象を受けた。それと、哲学は「常識を疑う」
って意味で本質的に「危険」なものだ。それを「危険」だから駄目だと言われると、
ちょっと辛いものがある。
以上前置き。
>>639 >社会の側からいけないとは、言っていないからです。
>殺される側が、殺されることをどう解するかの点に限定される、と、何回も繰り返しました。
上の点はちょっと理解できない。殺人を「いけない」として禁止する主体は、
あくまで「社会」だと俺は思う。「個人」の側から見れば、
A.他人から殺されたくないという欲求。殺されることによる不利益
B.他人を殺したいという欲求。殺すことによる利益(の見込み)
の両面がある。毎度氏は、
>>81その他で、「Bの存在はAとは無関係」という
意味の主張をしている。その通りだけど、これは相互的なんじゃなかろうか。
逆に言うと、Aの存在もBとは無関係なんだ。「殺される側」にとって「殺す側」
の事情なんて知ったことじゃないのと同じく、殺す側にとっては殺される側の
事情なんて知ったことじゃないとも言えるわけだ。Aだけを重視しろ、って考えは、
必然的ではないんじゃないかな。
もちろん、そう言いたくなる気持ちはわかる。なぜって、通常は、欲求や
利益の「頻度」からみても「強さ」からみても、AはBとは比較にならない
くらい大きいだからだ。だからこそ、「人を殺してはいけない」という
「一般的・社会的規範」の成立・維持・強化に反対する人は、誰もいないわけだ。
ただし、これには「例外」があると俺は考える。
上のBは、稀だけれども、存在しないわけじゃない。特に「利益」については、
「いや、存在しない。殺人が利益になることは、究極的には、有り得ない。」
という主張もあるだろう。「殺人犯は、例外なしに自責の念に苛まれ、後悔する
ことになる」というような話だ。俺は、そういう話に全く根拠がないとは思わないが、
百%そうだと断定するのは「道徳的神話」に過ぎないんじゃなかろうか。誰でも
「殺される」のはいやだが、「殺す」ことは、絶対的にいやだとは限らないんだ。
で、特定の個人にとってBが圧倒的に大きくなってくれば、「特定の個人を殺す」
って選択をすることが、有り得ないわけじゃない。で、俺は、この選択をするか
しないかは、最終的には「個人の自由」だと思う。俺自身が、将来どうしても
特定の誰かを殺したくなったとしたら、やるかどうかは俺が決める。他の誰かに
決められるいわれは、最終的には、ない。
ただし、これは、あくまでも「社会的には」悪い・いけない・許されない行為だ。
だから当然禁止・処罰の対象になるし、やる側もそれはわかっている。
つまり、「人を殺してはいけない」という原則の例外には、ならない。
問題は、個人的にではなく、社会的にも、BがAより優先される場合が、現実にある、
ってことだ。簡単に言えば「死刑」と「戦争」だ。この二つに関して言えば、
社会の過半数の人々が、AよりもBを優先することが、少なくとも歴史上は
たくさんあったし、現にあるし、今後もあるだろう。例えば、小学生殺しの宅間
みたいな凶悪犯は「さっさと死刑にしろ」って声の方が強い。もしも北朝鮮が
テポドンを撃ち込んできて多数の死傷者が出たとしたら、憲法九条があろうと
なかろうと「報復攻撃しろ」って声が恐らく強くなるだろう。こういう場合は、
社会的にも「人を殺してはいけない」って規範自体が、捨てられるわけだ。
毎度氏は、
>>639で、
>社会の側から殺人を行う戦争という事実があります。あなたの議論によるなら、社会が要求するなら
>殺しは行われる、と追認するだけになりかねません。
って言っているが、俺としては、「追認する」ことになっても仕方がない場合
もあるだろう(というか、追認するかどうかは個人の自由)としか、答えようがない。
もちろん、いくら俺が馬鹿でも、死刑や戦争の是非について議論があること
くらいは知っている。あるいは、毎度氏は死刑にも戦争にも絶対反対のお考え
なのかもしれない。氏が「人を殺してはいけない理由」として挙げているのは、
基本的には相手が凶悪犯でも敵国民でも当てはまることだから。氏は、AとBを
比較考量すること自体を拒否しているように、俺には思える。ただ、もしそうなら、
その根拠としては、
>>81や
>>98では、不充分だ。
>>80にならって言えば、説得力がない。
その辺を明らかにするためにも、氏が「死刑」についての質問に答えるのを避けて
いる(ように見える)のは、やや誠実さを欠いているように思えるが、どうだろうか。
(俺は死刑や戦争の是非自体を論じたいわけではないので、念のため。)
知らない間にスレが立ってて、こんなにレスがすすんでる・・・・
>>1&ALL
誰にとっての「いけない」の理由を話してるのれすか?
以前のスレで、「まいど」ちゃん(同一人物なら)の主張は、ぼくが簡単に要約したでしょ?
学校の授業中、優等生と騒いでる不良の会話。
優等生 「授業中にさわいではいけないよ。」
不良 「何でさわいじゃいけないんだよぉ。」
優等生 「勉強したい人の邪魔になるからだよ。」
って言うのとおんなじなんれしょ?
どうせなら、ぼくはその先が聞きたいんだよな。
不良 「何で俺がお前らの勉強の邪魔しちゃいけないんだよぉ。」
の先だ〜よ。
>>738 (609さん)
>ただ、氏は、自分の考えと食い違う書き込みをことごとく「悪意」「錯誤」「論点違い」と
>決め付け過ぎるような印象を受けた。それと、哲学は「常識を疑う」って意味で
>本質的に「危険」なものだ。それを「危険」だから駄目だと言われると、ちょっと辛いものがある。
■自分の考えと食い違う(=正しくないと考える)書き込みが、ことごとく現れた場合、
ことごとく 〜 決め付ける(結論を明示して批判する)ことは、議論をしているなら当然ありうることです。
論点が違うと言える理由を、いつも明示して論点違いと述べることは、正しい決め付け(結論の出し方)です。
□あなたの印象は、事実に反しています。なぜなら、私は、
>>62 ←
>>85 >>574-576 >>580-582 >>583 などのように、
論点外れであっても、きちんと書かれた意見に対しては、それなりの応対をしているからです。
□決め付けを行っているのは、あなたです。なぜなら、〜印象を受けた、と、印象で結論を出しているからです。
■哲学は「常識を疑う」という意味で、本質的に危険と書いていますが、それは誤った考えです。
なぜなら、常識や、常識という扱いは、必ずしも危険でないわけではありませんし、
常識という扱いで納得せずに認識を批判的に吟味し、より強い認識とすること
− 合 理 的 な 疑いを持ち、論 理 的 に 考 え る こと − は、危険なことではないからです。
□哲学は、本質的に危険だったり安全だったりはしません。危険か安全かは、批判の対象とする内容如何と、
論者のその内容との関わり方によって決まります。事実上安全な位置から、危険な結論をかっこつけて述べる人間
などは、ざらにいます。
□あなたが哲学を危険だと考えるのは、合理的な規範を当面疑っている(否定的に考える)からに過ぎません。
■あなたは、疑うことを「否定してみる」意味に理解しているようですが、疑うことは、結論を定めないで考察すること
であって、現在とられている結論を否定してかかることではありません。あなたの疑いは、一見常識を疑うようでいて、
常識に反する「哲学的態度」を常識としているに過ぎません。哲学が危険なのではなくて、
不合理に反常識的な「哲学(=あなたの考え)」が危険であるに過ぎません。
何かの根拠の多面的な考察が、直ちに危険であるわけがありません。
■さらに、私は常識的な回答をした覚えはありません。道徳が手段と言う考えは、常識的ではありませんし、
>>80-82も、常識的ではありません。あなたは、結論が常識的だから、私の考えが常識だと決め付けています。
>>
>>639 社会の側からいけないとは、言っていないからです。
>>殺される側が、殺されることをどう解するかの点に限定される、と、何回も繰り返しました。
>「いけない」として禁止する主体は、あくまで「社会」だと俺は思う。「個人」の側から見れば、
> A.他人から殺されたくないという欲求。殺されることによる不利益
> B.他人を殺したいという欲求。殺すことによる利益(の見込み) の両面がある。
>毎度氏は、
>>81その他で、「Bの存在はAとは無関係」という 意味の主張をしている。
>その通りだけど、これは相互的なんじゃなかろうか。
>逆に言うと、Aの存在もBとは無関係なんだ。「殺される側」にとって「殺す側」の事情なんて知ったこと
>じゃないのと同じく、殺す側にとっては殺される側の事情なんて知ったことじゃないとも言えるわけだ。
■私は、
>>81で、殺しを正当化出来るとは述べていません。
>>81()内で示した利益を正当化し、殺すことになる、と、
はっきり述べています。この点は、金目的で殺しを行ったが、金が得られなかった場合や、復讐目的で殺しを行った
とき人違いだった場合を考えれば、容易に理解できます。
□また、両方が「知ったこっちゃない」のであれば、Aが出す結論もBが出す結論も両方成立する、ということにしか
なりません。これは、Aだけを重視しろ、ではなくて、Aの結論もBの結論も出るから、Aの結論が出ないとは
いえない、という主張です。結論は、禁止の理由があり禁止は成立させられるかが、禁止は破られうる、であって、
禁止が成立しない、ではありません。
>>609さんは、論理的思考が出来ないと言わざるを得ません。
>>744 後ろから2行目、禁止は成立させられるかが → 禁止は成立させられるが
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
>>739 >「道徳的神話」に過ぎないんじゃなかろうか。誰でも「殺される」のはいやだが、「殺す」ことは、
>絶対的にいやだとは限らないんだ。
■私は誰でも殺されるのはイヤだから道徳とは無関係にイヤだと言うし、それにより禁止は支えられる、
道徳により支えられると考える必然性は全くない、と、はっきり述べています
>>134 >>181-182。
■殺すことはイヤだとは限らない点は、禁止が破られうる点であって、禁止が成立しない話ではありません
>>81。
>特定の個人にとってBが圧倒的に大きくなってくれば、「特定の個人を殺す」って選択をすることが、
>有り得ないわけじゃない。で、俺は、この選択をするかしないかは、最終的には「個人の自由」だと思う。
>俺自身が、将来どうしても特定の誰かを殺したくなったとしたら、やるかどうかは俺が決める。他の誰かに
>決められるいわれは、最終的には、ない。
■これも、禁止が破られうる話です。個人の自由については、あなたの自由の概念は間違っています。
>>268 >>450-452 ←
>>453-454(
>>461で修正)
>>455-456 >>457-458 決定が当然に結果するように構成している
からです。決定が当然に結果しない場合、私達はそれを自由とは言いません。あなたの選択が自由である可能性は
ありません。また、一般的に自由と言う用語には、論者がよい意味を与えつつ論じることが通例ですから、ここで
自由と言う用語を用いるのは、不当な正当化です。
>ただし、これは、あくまでも「社会的には」悪い・いけない・許されない行為だ。
>だから当然禁止・処罰の対象になるし、やる側もそれはわかっている。
>つまり、「人を殺してはいけない」という原則の例外には、ならない。
■社会的な「禁止」・処罰は、
>>80-82 >>98 >>392 ←
>>396-399 のように、個人レベルで禁止の主張が
成立することを前提として、結果的に行われた・行われることです。
■禁止は、禁止の理由・要請ゆえに、許されないからなされるのであり、社会がいけないとするから許されないのでは
ありません。
□多くの場合、禁止の範囲内でなんとなく行動する人が殆どなので、問題はおきませんが、禁止をするだけでは、
禁止が破られる可能性を十分に減らせなかったり、破らないように気をつける点で徹底がされなかったりするから、
処罰などの、
>>98末尾@の観点に働きかけて実効性を確保しようとするのです。
■社会は、禁止の実効性を考える上で考察されるべき要素であって、禁止の成立を考える上では要求しなくても
よい要素です。むしろ、社会を前提しなければ禁止が行えないという主張は、禁止に限らず、なす「べき」配慮に
関する個人の意思を不当に狭める概念設定といえます。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
>>740 >問題は、個人的にではなく、社会的にも、BがAより優先される場合が、現実にある、ってことだ。
>簡単に言えば「死刑」と「戦争」だ。この二つに関して言えば、社会の過半数の人々が、AよりもBを
>優先することが、少なくとも歴史上はたくさんあったし、現にあるし、今後もあるだろう。
■これらの点は、以前論じました。
□過半数の人が自動的に死刑肯定論で戦争推進論者であり、かつ同時にそこで行われる殺人を正当化すると
いえる、統計的根拠はありません。
□死刑肯定論者は、殺される人間にとって死刑が悪くないとは主張しません。死の結果を凶悪な犯人に
もたらすという方法をとることによって、被害者の報復感情を満たすであるとか、一般予防をはかるであるとか、
そういう点を正当化しているに過ぎません。つまり殺してはいけない点を認めた上で、あえてその方法を例外的に
とる例を認める場合があることを主張しているのです。609さん以外にもあてはまることですが、なぜか行われる
ことは、常に正しいと考える、という不可解な前提で考えている人がいます。そんな考えに合理的な根拠はありません。
□戦争についても同じです。戦争をする目的(例えば国境の「防衛」、拉致された人の救助)を正当化しているのであって、
戦争において殺された人にとって、殺しが正しいかどうかを問題にしてその点を正当化してはいません。
>毎度氏は、
>>639で、
>>社会の側から殺人を行う戦争という事実があります。あなたの議論によるなら、社会が要求するなら
>>殺しは行われる、と追認するだけになりかねません。
>って言っているが、俺としては、「追認する」ことになっても仕方がない場合もあるだろう
>(というか、追認するかどうかは個人の自由)としか、答えようがない。
■ここは、殺しの是非を論じた箇所であって、制度の追認の是非を論じた箇所ではありません。
社会が要求するなら、殺しは行われるとし、「殺しの是非を問題にしない(=追認するだけ)」か、
「社会が要求するから」殺しも正しいとすることになりかねない(=追認するだけ)とした箇所です。
結論の追認ではなくて、社会を理由付けに使う点を批判しているのです。
>もちろん、いくら俺が馬鹿でも、死刑や戦争の是非について議論があることくらいは知っている。
>あるいは、毎度氏は死刑にも戦争にも絶対反対のお考えなのかもしれない。
絶対反対の「お」考え、というような文章は、悪意がある文章だと取られても仕方がない書き方です。
決め付けを問題にしておきながら、指摘されるような文章を書くのは稚拙と言わざるを得ません。
■私は、戦争については、殺人・破壊の不利益を念頭におき、否定的・制限的に考える方向をとります。
戦争という事象全体を肯定するか否定するか、については、問題の立て方が誤りであると主張します。
戦争を防ぐ、経済的・思想的・言語的・政治的・制度的条件の検討に議論を集中させるべき、と考えます。
■死刑については、理論的・統計的には正当化できない制度と考えてます。しかし、死刑制度を考える際には、
刑罰システムに対する一般人の信頼も考慮に入れなくてはならないと考えます。死刑制度を維持しなければ、
刑罰システムに対する信頼が弱まる事情があるならば、死刑制度は維持しなくてはならないかもしれません。
>氏が「人を殺してはいけない理由」として挙げているのは、
>基本的には相手が凶悪犯でも敵国民でも当てはまることだから。
>氏は、AとBを 比較考量すること自体を拒否しているように、俺には思える。
>ただ、もしそうなら、その根拠としては、
>>81や
>>98では、不充分だ。
>>80にならって言えば、説得力がない。
>その辺を明らかにするためにも、氏が「死刑」についての質問に答えるのを避けている(ように見える)のは、
>やや誠実さを欠いているように思えるが、どうだろうか。
>(俺は死刑や戦争の是非自体を論じたいわけではないので、念のため。)
■AとBを比較考量することと、AとBの要請がどちらも成立することは、端的に論理的関連がないから、
分けて考えたまでです。比較考量することを拒否するとは、どこにも書いていません。
■死刑を是認するかどうかは、殺しを禁止するかどうかとは論理的に関連しないから、わざわざ触れないだけです。
質問に答えるのを避けていると書いているが、避けた箇所がどこか明示してください。
□理由も述べずに、勝手に誤解した論に対して、説得力がないとし「やや」誠実さを欠いている「ように思える」が
「どうだろうか」などと、ごまかして主張するのは、姑息です。
>>741 >不良 「何で俺がお前らの勉強の邪魔しちゃいけないんだよぉ。」 の先
優等生他が、勉強の邪魔であると困る理由をあげられるなら、それが答えになります。
答えられなければ、その場では不良に言い負かされるかもしれませんね。
あーまいったね。これから外出するんで、簡単に。
まずどうでもいいことだけど「お考え」って書いたのは、純粋に敬意を払った
んで、嫌味のつもりなんか全くなかった。俺は毎度氏に敵意なんか全くない。
ただ、論の立て方(結論じゃない)に納得できない部分があるから書いただけだ。
で、
>>747が一番わからない。
>■禁止は、禁止の理由・要請ゆえに、許されないからなされるのであり、
社会がいけないとするから許されないのではありません。
>■社会は、禁止の実効性を考える上で考察されるべき要素であって、
禁止の成立を考える上では要求しなくてもよい要素です。
俺の考えでは、これは「禁止」じゃなく「拒絶」の話じゃないかな。
もし世界に人間が2人しかいないなら、「禁止」ってのは意味がないと思うね。
「許されないから」っていっても「許す」主体は自分と相手しかいないんだから。
要は、どっちからみても、殺されるのはいやだが(利害得失を計算した上で)
殺したくなったら(稀だろうけど)殺す、ってだけのことだ。拒絶=禁止、
だとすると、実行=解禁、ってことになってしまわないかね。
>>744にならって言うと
A「(殺されることの)拒絶の理由はあり拒絶は成立させられるが、拒絶は無視され得る」
B「(殺すことの)実行の理由はあり実行は成立させられるが、実行は拒絶され得る」
ってだけで。毎度氏は「拒絶=禁止=不当化」と言っているように俺には
読めるんだけど、もしそうなら「実行=解禁=正当化」とも言えるんじゃない
かな。で、それは毎度氏が断固として否定する論理だ。俺も間違ってると思う。
誰かが人を殺しても、それは「個人的実行」であって「正当化」じゃない。
俺は「禁止=不当化」というのはあくまでも社会的(もっと言うと政治的)
な概念でしか有り得ないと思う。要するに、一般論として誰にとっても
A(殺されないこと)の方がB(殺すこと)より比較にならないくらい重要だから、
「人を殺してはいけない」って「社会的な禁止」(道徳と呼んでも同じだと思うが)
が要請される、ってこと。だからこそ、死刑や戦争のような社会的要請による
「解禁・正当化」もあり得るんだ。「やむを得ず」でも何でも、死刑を肯定することは、
その限りで「人を殺してもいい例がある」と認めることだと俺は思うけど。
というか、刑罰は「受ける人にとって悪い(イヤな)こと」だからこそ意味がある
んであって、毎度氏の論で行くと、刑罰はすべて「悪い・いけないこと」になって
しまうと思うんだけど。死刑囚が「殺されるのはイヤだ」って言ったって、死刑が
「いけない」という根拠にはならないんじゃなかろうか。
756 :
考える名無しさん:02/12/28 17:03
>>毎度氏の論で行くと、刑罰はすべて「悪い・いけないこと」になってしまうと思うんだけど。
>禁止は、禁止の理由・要請ゆえに、許されないからなされるのであり、
我ながら芸の無い反論だな。
書き忘れ。
>もし世界に人間が2人しかいないなら、「禁止」ってのは意味がないと思うね。
一人でも意味はありますが?
>>751 疑問に思ったのですが。
>>不良 「何で俺がお前らの勉強の邪魔しちゃいけないんだよぉ。」 の先
>
>優等生他が、勉強の邪魔であると困る理由をあげられるなら、それが答えになります。
>答えられなければ、その場では不良に言い負かされるかもしれませんね。
この論でいくと、例えば優等生が「Aなので勉強の邪魔になると困る」と答えたとき、
不良はなおも「じゃあ何でAなら駄目なのか」と言い返すことができると思います。
つまり不良は常に反撃可能であり、これでは優等生が不良を説得することは
不可能なのではないでしょうか?
「人が人を殺してはいけない世界」に住んでいる僕たちが
人が人を殺してはいけないか、どうかなんてなかなか解らないと思います。
この世界が突然「人が人を殺してもいい世界」になったとすると、
人々はやはり再び「人が人を殺してはいけない世界」に戻そうとするのではないでしょうか。
そもそも「人はなぜ人を殺してはいけないのだろう?」という議題にはおかしい点があるような気がします。
あたかも自分は殺されないという「安全」の上で問いかけているような・・・
戦争の未経験者が戦争映画に憧れる気持ちと似ている?
760 :
考える名無しさん:02/12/28 20:10
>>758みたいな考え方をしてると、
規則・罰則がなければ殺人も構わないなんて発想が生まれてくるんだろうなあ。
>>760 (゚Д゚)ハァ? 私がいつそのような書き込みをしましたか?
762 :
考える名無しさん:02/12/28 21:09
>>761 普通にその時点で持っている情報を整理して会話を続ければ説得可能。
それでも説得できないと言うのは、
不良が「おまえの都合なんて知るか」と言う暴論を吐いた場合、
もしくは「Aなら駄目と言う絶対の決まりなんかない」と言う厨房意見を述べた場合でしかない。
前者なら泣き寝入りか、罰則を与える以外に解決策は無いし、
後者は罰則がないなら殺人を犯しても構わないと考える。
「じゃあなんで殺しては駄目なのか?」
「殺されるのはかくかくしかじかで私に取って非常に堪え難い事だから」
「じゃあなんで堪え難ければ駄目なのか?」
>>726 ●了解したところ
「Aが駄目なのはBだからだ」→「ではBは何故駄目なのか」→「それはCだからだ」
→「ではCは何故駄目なのか」→……という思考実験は詭弁でしかない
●了解できないところ
>もしくは「Aなら駄目と言う絶対の決まりなんかない」と言う厨房意見を述べた場合でしかない。
こうした事態が発生するのは、罰則がないならAしても構わないと考えるからではなく
単にAなら駄目という価値観が受け入れられなかったからではないだろうか?つまり、
行為の対象に対して共感を持てなかったとき、禁止の論理はその行為者にとって説得性を持たない。
だからこそ、普通の人(普通に他者に共感できる人)であれば普通に殺人の禁止を納得するのだし。
あと、断っておきますが、私は不良の考え方をしているわけではなく、むしろ優等生として
どのように不良を説得していけばいいかを考えています。その上で、優等生側がきちんと
整理された理由を述べてもなお、不良が暴論や厨房意見を吐いてしまう可能性は残念ながら
ある、ではその場合どうするのかという話です。
764 :
考える名無しさん:02/12/28 22:56
>>763 自らの所為を神の不在に責任転嫁してしまえる連中には、
個人モラルを持たない点を批判する以外には思いつきません。
>単にAなら駄目という価値観が受け入れられなかったからではないだろうか?
それは「なんでAなら駄目なのか」とは違う話しだと思いますが。
あと説得は会話している両者の内、どちらの了解を欠いても成り立つ物ではないので、
「共感できたから」なんて理由で説得(?)されても困るんですよ。
>>764 あなたが何を言いたいのかわからない。
私の頭では限界。共感できない。
766 :
くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/12/28 23:11
断見教ではダメだとしとります。
>>765 被害者の価値観とやらが無視された上でも説得は可能です。
と言うより価値観云々で論ずるべきではないのです。
>>751 >優等生他が、勉強の邪魔であると困る理由をあげられるなら、それが答えになります。
>答えられなければ、その場では不良に言い負かされるかもしれませんね。
困る理由と言うのは、だれにとっての? 優等生?不良?
言い負かされると言うのは、さわぐ行為に対して否定ができないと言う事?
それと、時々出てくるんだけどさ、
「人を殺してもいけない事はない。ただ、罰則があるだけ。」って言う発言があるでしょ。
これはさ、「代償を払えば人を殺してもいい。」ってことなの?
それとも、「殺してはいけないから刑罰を設けている。」ってことなの?
設定が変。サル並というよりあえてそういうわけわからん設問で混乱させようと
してるんか
こんばんは。
>>758(712さん)
その部分に疑問を感じられたのは、必ずしもおかしなことではないです。
(当然ながら、私は
>>760さんのおっしゃりたいことは非常によく分かりますし、そうあるべきだとは思いますが)
答えは、不良を説得できるかどうかは、禁止の要請があるかどうかとは関係がない、ということになります。
私は、サル並みさんの質問「先」を答えましたが、その過程が禁止の成立であるとは考えていません。
邪魔だからさわぐな、と言った時点で禁止は成立しています。
>>756-757さん、
>>756は、一つ目の禁止を「刑罰」と読み替えて、反論されたのですね。
そういう理解であれば、正しいと思います。
>>757は、609氏が2人しかいないなら、とモデルを提示したことは、(まあ意味がない設定だから)
ひとまずおいて、禁止の要請自体は一人でも意味がある、と答えたということで、OKでしょうか。
いずれにしても、レスありがとうございます。
>>759 >人が人を殺してはいけないか、どうかなんてなかなか解らないと思います。
そんなことはありません。
>>80-82 >>98をご覧ください。全体の趣旨には、同意します。
>>762=
>>764=
>>767 さんでしょうか?
価値観云々で論じるべきでない、とは、不利益に着眼して禁止を論じるべき、の意味でしょうか?
そういう意味であれば、私は全く同じ考えです。
>>764 「それは、なんでAなら駄目なのか」とは違う話し、は、
>>98末尾@(説得)と
>>98末尾A(要請)とを分ける観点から出てくる理解ですよね?
>>766 くろしろさん、書き込みありがとうございます。
>>768(サル並みさん)
困る主体は、とりあえず優等生他です。不良については、理論的には困る面があると主張するか、
不良の主観で困るかどうかを決めるかによって、帰結が変わります。
いずれにしても、優等生他が主張する限り、禁止は成立します。
言い負かされるとは、禁止の要請がなく禁止が成立しないこと、ではなくて、
禁止の要請を説明できないこと、です。騒ぐ行為の否定は、
>>771に示したとおり、可能です。
・人を殺してもいけないことはない。ただ、罰則があるだけ。について
この点については、
>>80-82。禁止の理由=殺しによる不利益があることをもっていけない、と言えます
>>134。
罰則がある点は、禁止の成立を前提として、社会レベルにおいて禁止の実効性を確保するために
設けられた手段の一つです。
>>98末尾@
>>181-182
■内容的には、
>>742-750 で、すでに終わってることが、以上のレスを読めばお分かりいただけると思います。
また、
>>609氏が、相手が書いた文章のうち、都合の悪いところを無視して議論する人間であることも、分かります。
□例えば、
>>639 「〜自分や自分の大切な人が殺された場合、そんだけのことだろ。と、言いますか?」は、
無視されました(
>>739-740 あくまで一例)。過去ログ参照は、
>>626のツールが便利です
■
>>738-740 へのレスの前半、
>>742-743 で、
>>609氏の、「決め付け」や「哲学」の基本的態度のおかしさに
ついて指摘しています。
>>609氏は、哲学に限らず学問をする上で致命的な誤りを犯していることが、この部分から
明らかです。疑うことや、危険の理解
>>759、「決め付けだ」とする、議論に中途半端な自信がある者が
よく使ってくるレトリックに対する対処など、参考になるかもしれません。興味ある人は読んでみてください。
□
>>746は、禁止の成立条件を問題にしていますが、この部分を明らかに恣意的に無視しています(後述)。
□「お考え」が純粋に敬意を払ったものでないことは、
>>740 ←
>>749 を見れば分かります。
「絶対反対」は、思考停止したかのような印象を与える言い方です。
■以下は、あくまで
>>742-750 で批判済みの内容です。言葉をいろいろ弄っているだけで、609氏は
意味のある議論を展開していません。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
>>754 >俺の考えでは、これは「禁止」じゃなく「拒絶」の話じゃないかな。
>もし世界に人間が2人しかいないなら、「禁止」ってのは意味がないと思うね。
>「許されないから」っていっても「許す」主体は自分と相手しかいないんだから。
■世界に人間が2人しかいないという想定を、持ち出す理由が示されていません。
そんな想定を下に議論すること自体意味がありません。
□私が個人による主張で足りるとしたのは、不利益に関する主張が個人の範囲で正当に主張されるという点に
かかっている
>>392 ←
>>396-399 だけです。社会構成がどうかという問題を扱ったのではありません
>>747。
私は、2人だけの世界でも禁止に意味があると主張したのではありません。そんな世界を問題にしてはいません。
□禁止の理由は何かとは、禁止して守る利益・防ぐべき不利益が何かの問題です。
守る利益・防ぐべき不利益があるなら、禁止はなしえます
>>8さんのレス
>>134 >>98末尾A
禁止に意味がある=実効性がある かどうかは、
>>98末尾@の問題であって、
>>98末尾Aの問題ではありません。
それを拒絶と呼びかえる理由が示されていません。また、拒絶は、通常、要求や依頼を断ることであり、
不利益を防ぐ意思表示と言う意味では、用いられません。
>要は、どっちからみても、殺されるのはいやだが(利害得失を計算した上で)
>殺したくなったら(稀だろうけど)殺す、ってだけのことだ。拒絶=禁止だとすると、
>実行=解禁、ってことになってしまわないかね。
■殺されるのがイヤだから禁止する(禁止が成立する)と、はっきり述べた箇所を無視して同じ見解を
繰り返すのはやめてください
>>746。いい加減にしてください。実行=解禁でないことは、
禁止した点を否定できるわけでないことから、明らかです。解禁とみなす背景には、
>>746■3で指摘した、
殺す側に限定して禁止を考え、殺す決定が当然に結果するという間違った想定があります。
殺されそうなとき、必死に抵抗すること、殺される者の意思を考えるなら、禁止が成立していることは
明らかでしょう。
>毎度氏は「拒絶=禁止=不当化」と言っているように俺には 読めるんだけど、
>もしそうなら「実行=解禁=正当化」とも言えるんじゃないかな。
■実行は禁止に反しようとすることです。実行の際に正当化するとしても、正当化できる点は
>>81()内の事柄だと
何回も指摘しています
>>744 >>746(>744で、わざわざ例まであげて考察を促しているのに、無視されました)。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
>>755 >A「(殺されることの)拒絶の理由はあり拒絶は成立させられるが、拒絶は無視され得る」
>B「(殺すことの)実行の理由はあり実行は成立させられるが、実行は拒絶され得る」
■Aは、前述の通り、禁止の理由
>>80 はあり禁止は成立させられるが、禁止は破られうる
>>81 (無視されても禁止の理由・禁止はなくなりません
>>80 >>82)
Bは、実行の理由
>>81 がある場合があるが、その理由は A側の不利益とは無関係な論点の正当化である。
実行は成立させられ「う」る(∵実行される側の抵抗がある)です。
(禁止は、禁止の不利益・意思さえ指摘できれば成立しますが、殺人は死の結果がなければ成立しません)
>「拒絶=禁止=不当化」と言っているように俺には読めるんだけど、もしそうなら
>「実行=解禁=正当化」とも言えるんじゃないかな。で、それは毎度氏が断固として否定する論理だ。
>俺も間違ってると思う
■だから、何回も
>>80-82 >>81 を引用して、「拒絶=禁止=不当化」は、それを主張する側の不利益に
かかることなので、そのまま成立するが、「実行=解禁=正当化」にはなりえない、なぜなら、
実行側の利益を正当化しているのであり、拒絶側禁止側不利益を被る側の正当化にはならないからだ、
と、何回も何回も書いています
>>744-746。いい加減にこちらの主張を主張どおりに受け取ってもらえませんか?
勝手にあなたの側で類比してこちらが主張していない内容を示して、それを批判してこちらの意見を批判した
ことにするのは、やめてください。
■社会的な禁止については、
>>747(
>>755は、
>>747を受けて書かれていません)。
■死刑について、
>>81の正当化
>>749 >刑罰 (毎度注:死刑制度とそれ以外に分けてください) は
>「受ける人にとって悪い(イヤな)こと」だからこそ意味があるんであって、
>毎度氏の論で行くと、刑罰はすべて「悪い・いけないこと」になってしまうと思うんだけど。
>死刑囚が「殺されるのはイヤだ」って言ったって、死刑が「いけない」という根拠にはならないんじゃなかろうか。
死刑制度;
■受ける人にとって、イヤなら(殺されることが不利益なら)禁止の理由があるというのが、論理的帰結です
>>80-82。
刑罰制度;
■上に書いた論理的帰結
>>80-82 から、制度を正当化できないとして、死刑制度・刑罰制度を廃止するまたは、
廃止することが理論的には正しいと主張する人間がいます。
■また、廃止を主張せずとも「刑(事)法は劇薬である」という例えが一致して受け入れられているからです。
つまり、刑事法それ自体は、好ましいものとして理解されてはいません。また、理解されるべきでもないのです。
なぜなら、刑事法が当然に手段として含む刑罰それ自体は、害悪だからです。刑事法は、禁止の実効性を確保する
ことで得られる利益によって許容・必要とされる制度なのであって、刑罰それ自体が正しいとされているわけでは
ありません(この点については、刑法の教科書を参照してください)。
□刑罰は、受ける人にとって悪いものだから、刑罰制度の意味(意義・実効性)がある、という点と、刑罰
(このスレであれば、殺し)が悪いかどうかは、別問題です。刑罰自体は「悪い」ことです。
(上では、混乱をさけるため、刑罰の教育的側面を捨象して論じています)
>>782 また、廃止を主張せずとも〜例えが一致して受け入れられているからです。
↓
また、廃止を主張せずとも〜例えが一致して受け入れられています。
失礼しました。
>>769さんも、レスありがとうございます。そうですね、
>>768の設定は変だと私も思いますよ。
一般的には、
>>769さんの対応で全く問題ないはずなのにね・・・
>>785 だからさ、何処が変だっていってんの?
>それと、時々出てくるんだけどさ、
>「人を殺してもいけない事はない。ただ、罰則があるだけ。」って言う発言があるでしょ。
>これはさ、「代償を払えば人を殺してもいい。」ってことなの?
>それとも、「殺してはいけないから刑罰を設けている。」ってことなの?
この部分か?うん。確かに文章としてちょっとおかしい。反省・・・
「人を殺してもいけない事はない。ただ、罰則があるだけ。」みたいな事を言う人に聞きたい。
「刑罰を覚悟するなら人を殺してもいい。」ってことなの?
「殺してはいけないから刑罰を設けている。」ってことではないの?
ってことを言いたかったんだけど、これならわかる?
>>776 優等生にとってさわいでる不良が迷惑だから「さわぐな」って言えるってことは、
おおむねわかってると思うんだよね、みんな。
それに、不良がどんな屁理屈こねようと、
優等生にとって迷惑だと言う事実を否定できないって言ってんでしょ。それは解るよ。
そりゃあそうだ、刑罰についてだって、騒いでる不良を迷惑だと感じるかどうかと、
不良がそのために停学になるかどうかとは別だろうからさ。
だけど、以前のスレでも言ったけど、ボクがその先って言ってるのは、
優等生にとって迷惑だと言う理由だけでは、不良を説得できないでしょってこと。
まいどちゃんは、このスレの答えには、その事は語る必要がないって言ってんだよね。
ボクにはね、他の人たちが言ってることは、
不良 「何で俺がお前らの勉強の邪魔しちゃいけないんだよぉ。」
優等生「勉強できないと私が損するからだよ。」
不良 「なんでお前が損しないようにって、俺が我慢しなきゃいけないんだ?」
って言う部分だと思うんだ。違うかな?
>>786 いや、どちらもですよ、正確には。よりおかしいのは、
>>786で選ばれた方ですけど。
優等生の話は、無関係。単純に
>>80-82読めば分かるだろ。混乱させるな。
ってことだと思いますよ。実際
>>80-82 >>98 で分からない人は、論理的に考えられないだけですし。
>>787 >優等生にとってさわいでる不良が迷惑だから「さわぐな」って言えるってことは、
>おおむねわかってると思うんだよね、みんな。
少なくとも
>>609氏は分かってないみたいですよ。他にも数名いました。
>優等生にとって迷惑だと言う理由だけでは、不良を説得できないでしょってこと。
>まいどちゃんは、このスレの答えには、その事は語る必要がないって言ってんだよね。
そうです。このスレの答えには。禁止は説得や共感とは無関係ですから。
説得・共感は、
>>98末尾@の話です。具体的にぐだぐだ述べると
>>370-371 みたいな話ですね。
あとは論理性身に付けることとか、教育とかいろいろですね。
>不良 「なんでお前が損しないようにって、俺が我慢しなきゃいけないんだ?」
そもそも不良が前提されてるのが変だってのが一つですね。あと授業中騒ぐことと殺人は、全然違いますよ。
やる人間の数とか相手の抵抗とか。だから類比としてここで持ち出すのは、かなり誤解を招きますよ。
前スレのように、禁止が端的に主張できる例として持ち出すなら、いい例なんですけど。