健全な議論とやらをしたいなら、理系学生も除外したほうがいいと思うのは
私だけではないはずだ
私は除外の対象にならないのでしょうか・・・・・
強いですね、1さん。そこまで初志貫徹する人はほとんど見たことがないです。
私は死刑賛成派の人間です。
法とは人が生きるための手段です。
死刑になる人間とは他の大勢にしてみれば、
「自分の命を奪う確立の極めて高い人間」っと、
言えると思います。
であるならば、生き残る確率を上げるために、
その人間を殺すのは動物として正しい判断と言えると思います。
ここで忘れてはなら無いのは、
「人間は今この地球上で最も人間を殺している動物である」と言う事です。
さすがは隔離スレ
5レス目にしてDQN度高いな
>>5 俺は死刑に対しては賛成とも反対とも言えんが、
まあ、国や時代によって、変わって当然なのではないかと思うね。
殺伐とした時代には、死刑も必要だろうし・・・。
あなたは死刑を廃止した国の法が間違っていると考えるのですか。
にしても、1さんがこうまでして議論な場を提供する理由がわかりません。ROMってる
だけで満足なのでしょうか?それとも他に理由があるのですか?できれば1さんに理由を
聞きたい。
>>8 死刑がいらないと言うのはどういう状況でしょうか。
今死刑を廃止している国が死刑が要らない状況の手本足りえるのでしょうか。
>>10 生き残る確率を上げるには、死刑でなくても
終身刑で十分だと思うが。
12 :
考える名無しさん:02/07/26 03:09
議論の場で「死刑になる人間」という表現を安易に使うこと自体、
裁判の手続きを「かじった」人間からすれば、単なるアホだ
「死刑を言い渡される人間」と言い直してみれば
冤罪の可能性も簡単に頭に入ってくるし
死刑が法制として定められているという前提が先であって、
「死刑を下されるような」人間が先なのではないことも簡単にわかる
結論を先取りして論ずるようなアホしかいないのか ここには
僕の知るかぎりでは、死刑反対の明確な肯定根拠は「死刑を廃止しても犯罪発生率は変化
しない」という統計のみです。(ちなみに僕はその資料を実際に見たことがないので、偉
そうなことを言えない立場にいます。)だったらわざわざ人を殺す必要はないじゃないか、
というわけです。
>>11 確かにそれだけならそうです。
しかし、終身刑が刑罰になるのかが私には疑問です。
国の予算で囚人を養う事が罰足りえるかと言う事です。
15 :
考える名無しさん:02/07/26 03:20
>>14 囚人の置かれている状況から判断する限り
国が養っているとは言えないのは自明なんだけど。
金を出すと当然に養っていることになるなんて、
どこぞの冴えないクソ中年親父のような考えだな
16 :
考える名無しさん:02/07/26 03:21
終身刑が刑罰になるのか疑問
ここを音読するといいよ。
>>14 犯罪者を苦しめたいわけだね。
確かに、食うものも無いような人にとっては刑務所も居心地が
良いかも知れんね。
でも俺は、それはそれで良いと思うよ。
犯罪者を苦しめなくちゃいけないとはあまり思わん。
>>15 どこに矛盾がありますか。
金を出している事は養っていると言えないとでも言うのですか。
>>19 たぶん俺は「目には目を・・」っていう考え方が好きじゃないからだね。
アホは放置で。
>>12 法制化している現状で初めから
こうゆう人間が死刑になるべきと話し合うほうがよほどバカバカしいですよ。
それに仰っていることは常識であって「かじった」などと言えるものではありませんよ。
>>23 だから、
>>13さんが言ってるように、死刑に犯罪抑止効果は無いらしいよ。
>>24 それは証明されていません。
両者とも有る、無いと言い張っていてどちらが正しいともいえないため。
それが理由では納得できません。
>>25 有るか無いか分からんのに、それを理由に人を殺していいわけないでしょ。
ちなみに死刑肯定の統計的根拠は「再犯率」のみのようです。
僕は刑罰は「労働」であるべきだ、と思います。自分の生活費は自分に稼がせるのが当然
です。詳しい事は死刑板の元スレのパート4だかに書きました。もうずいぶん前のことで
す。たぶん200台くらいのところに書いたと思います。
>>26 だから、私のように死刑賛成派は有ると思っているんですよ。
もちろん私もです。
はい、「再犯率」のみ、だそうです。
>>27 そこには、普通の生活とどうゆう違いが有るのですか。
「シジフォスの神話」のように、最も重い刑罰は、
終わりの無い労働であるという考え方もあるね。
32 :
考える名無しさん:02/07/26 03:52
理屈の上ではありえる >死刑に犯罪抑止効果
なんでもかんでも死刑に す れ ば 、 抑止効果はある
ただ、実際にはなんでもかんでも死刑にするわけではない
何かの犯罪を犯しても、死刑になる場合のほうがずっと少ないので
事前に死刑になると予期できるケースは極めて少なくなる
つまり死刑があることで抑止効果があると言うのはきわめて難しくなる
でもって
・見つかると思ってない
・覚悟をしてやる。+私怨
・怒りにまかせてやる。+私怨
上の3つの場合には、抑止効果が完全に無い
あとメインとして問題になる殺人の場合だけど
たいていの「殺人」は傷害致死なんだよね
これは法定刑の上限の関係で「死刑」にならない
立証の段階で明らかに死ぬような方法をとらなければ
殺人罪の故意はみとめられず
死刑になりようがない という問題もある
明らかに死ぬような方法をとらなければ
明らかに死ぬような方法をとった といえないなら
確かによく言われています。
しかし、そこまでしても死刑判決は下ります。
逆に考えれば、人を殺そうとして殺した人間は確実に存在するのです。
詳しいことは元スレの過去ログを見て欲しかったのですが、仕方ないですね。
簡単に言うと、特に違いはありません。常に厳しい管理の元に置かれ自由がかなり制限さ
れるくらいです。あと、「労働」がかなり危険なものになります。
最終的に自分の罪に気づかせることも、その目的になります。ゆえに囚人であろうと学習
の自由は当然認められます。
36 :
考える名無しさん:02/07/26 04:08
人を殺そうとして殺した人間
これだけではその殺した人間を死刑にする理由としては不十分な
場合が多いんだよ
この点は死刑存置と廃止に関わる論点ではない(!)
それならば納得できます。
けれどそれならば死刑と終身刑とが両方有っても良いのではないですか。
>>37 >これだけではその殺した人間を死刑にする理由としては不十分な
>場合が多い
であるにもかかわらず死刑判決が下る現状だからこそなのですよ。
落ちます
ドキューーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーソ
>>38 だからその現状をやめようぜっていってんの。死刑反対派は。
現状がすべて是ではないだろ?
>>42 >だからその現状をやめようぜっていってんの
どうやって止めるのですか。
無くて済むならば確かに無い方が良いのです。それは分っています。
しかし、それを成す事が現状では無理であろうと言いたかったのですが。
法律論争はどうあれ、現実に「死刑」の名の下に生命を奪われる者がいる。
この「殺人行為」は、哲学的に見て、「正しい行為」なのだろうか。
それとも、「正しくない行為」「合理化できない行為」なのだろうか。
もし、死刑に「抑止効果」があるとしても、その「効果」とやらは、
人間一人の生命を奪うに値するほどの価値があるものだろうか。
もし価値があるものだとしても、その価値をを享受できない死刑囚本人には、
従容と殺されるべき どんな理由があるのだろうか。
自分の命を失っても、別に誰にもその「命」を分け与えることはできないのに、
命をただ失うことは何かの「償い」となり得るのだろうか。
死刑囚が執行前に逃亡して、もし私の近くにあらわれたら、私がこいつを
勝手に殺したら殺人罪で死刑にされるべきだろうか。
何もしてない人を殺す「殺人」と、刑吏が殺人犯を死刑にする「殺人」と、
裁判を受ける前の殺人犯を私が勝手に殺す「殺人」とは、どう違うのだろうか。
私は抑止力の事だけを言っているのでは有りませんし、また、
>もしてない人を殺す「殺人」と、刑吏が殺人犯を死刑にする「殺人」と、
>裁判を受ける前の殺人犯を私が勝手に殺す「殺人」とは、どう違うのだろうか
では違いが無いと言いたいのですか。
殺すと言う行動だけを取り出して、
「ホラ皆殺すと言う事に変わりない」と言っているように聞こえます。
哲学的にと言うのなら状況を加味したうえでもう1度考えてください。
刑吏以外が殺人予告をしたら脅迫で罰せられるだろうが。
>殺人予告をしたら脅迫で罰せられる
君の国では、日本のとは違う法律が通用してるようだね。
1:考える名無しさん(319)
2:教導者(72)
3:理系学生A(41)
4:1(29)
5:詭弁伯爵(24)
6:日本仏教哲学100年の集大成(21)
7:463(14)
8: (13)
9:あぼーん(10)
10:think(9)
また蒸し返すのは嫌ですが
「現状の事実」だけから「未来に成すべきこと」は導き出せませんよ
語るにはまず、どのような価値を求めるべきか、があり、次に現状の事実、があり、
そこから、未来において何を成すか→死刑制度を存続するか廃止するか、が導き出されるのです
51 :
考える名無しさん:02/07/28 01:12
人が人を殺してはいけない。死刑制度そのものが人権侵害だ!
死刑執行官をはじめ死刑制度を存続させている国会議員すべてが殺人者だ。
>>51 他人の権利を侵害した人間が、己の権利のみを主張したとして、
その主張を受け入れるのですか。
その考えには賛同しかねます。
>人が人を殺してはいけない。死刑制度そのものが人権侵害だ!
「人権」イコール「何が何でも生命を保障される権利」ですか?
また私が管理人として管理する必要のあるスレのようですね。
私が管理してあげましょう。
死刑には抑止効果はほどんどないということが私によって既に充分証明されています。
55 :
考える名無しさん:02/07/28 15:17
欠陥品による再発防止のための淘汰かと思てたよ
はじめまして。
思考実験として、世田谷の一家四人惨殺事件を取り上げてみます。便宜上
「怨恨による殺人である」と仮定いたします。
未だ未解決で、今もなおこの暑い中多くの警察官が捜査に当たっていることと
思いますが、そもそも、そうまでして犯人を探し出して処罰する必要があるのは
なぜでしょうか。
「再犯を防ぐため」でしょうか。「一度殺人を犯した人間は癖になって続ける」
という統計上の傾向があるならともかく、そうでないなら、無意味です。犯人は
今ごろ犯行を思い出して悪夢にさいなまれている可能性もあります。
「同種の犯罪抑止のため」ならどうでしょう。よく「殺人を犯す人間は理性が
飛んでいるから、死刑の可能性など考えない。従って死刑には抑止効果がない」
と申します。しかし、死刑に殺人抑止効果がないならば、自由刑や財産刑には
なおさらあるはずもありません。要するに「殺人については刑罰による抑止を
考えても意味がない」という結論になり、犯人を逮捕する必要はないことに
なります。
「罪を犯したまま償わずにいると犯人が不幸になる」からでしょうか。善意の
宗教家などに散見する考え方ですが、これだと警察官たちは炎天下に「殺人犯
の幸福」のために脚を棒にしていることになります。これで納得する警察官は
いないでしょう。
以上の観点からは、犯人を逮捕して刑罰を科すことは完全に時間と労力の無駄で
あり、放置するのが一番、という結論になります。しかし、それで納得する国民は
あまりいないはずです。
現実には、警察官たちが執念を燃やして犯人を追っているのは、「犯人を捕らえ、
痛い目に遇わせて思い知らせてやりたい」からです。そして、これがそもそも刑罰
の本質なのです。刑罰は本質的には「復讐」であり「報復」です。ただ報復を野放
しにしては社会秩序が保てないから国家が肩代わりしているに過ぎません。それに
哲学的な衣をかぶせたのが「応報」という概念です。
だとすると、このケースで「終身刑」を課すことで社会全般の報復感情が満た
されるとは思えません。基本的には、これが「国民の間で死刑廃止が少数派である
理由」だと考えます。
>ニヒリスト
管理人である私が反論をして上げましょう。
その前にこもでのルールは、
荒らし、キチガイは完全無視です。
それ以外のルールは無効です。
それを了解していただいた上で、
そもそも刑罰を応報刑だという根拠が稀薄。
教化刑であることは一番合理的且つ効率的な刑罰である。
そもそも応報による何らかの利益は全く存在しないのがその応報刑の欠点であろう。
死刑支持論者はやはり敗走したか。
死刑支持論者の論法は感情論でしかない
と言う特徴は明白だな。
みなさん このスレでこそ
>>1のルールを守ろうね
なんか言いたい人は 議論「死刑制度を哲学する」(健全版)Part2
でやろうぜ
ここでは管理人である私の提示したルールに従ってください。
それ以外のルールは無効です。
現在あるスレを有効に合理的に使っていくと言うのが
管理人として然るべき行動である。
よって柔軟に避難していくのが妥当な行動
>>56 >刑罰は本質的には「復讐」であり「報復」です。
では、被害者でも何でもない警察官が必死に捜査する理由はありませんね。
警察官が犯人を捜査するのは、個人的な復讐心や正義感のあらわれではなく、
それが彼らの任務、社会から託された義務だから、であるべきです。
「自分たちは国家・社会から、法を執行すべき権限と義務を与えられた」と
自覚しているから、職務の遂行に執念を燃やし、誇りを持つ。
これが、あるべき姿だと思います。
「犯人を捕らえ、痛い目に遭わせて思い知らせてやる」という報復願望は、
「法の公正な執行者」「行政の代表」の動機であってはならないと考えます。
私は、刑罰とは「ルール(法律)を破った者に対する罰則、ペナルティ」だと
思っています。
だからこそ「罪刑法定主義」「遡及摘適用の禁止」が大原則とされる。
あらかじめ「殺人罪は死刑」と定められているからこそ、それを承知で殺人を
犯した犯人は、死刑に処されるのです。
あらかじめ「立ち小便は罰金」と定められているからこそ、犯人に罰金刑を
科すのです。
もし犯人を「社会全般の報復感情」によって殺したり、罰金を科すのであれば、
そんなことは近代国家では絶対に許されません。
ペナルティとは、ルールが守られることを担保するために定められるものです。
応報感情を満足させるために定められるものではありません。
>63
基本的に同意している部分がある。
応報刑というものの根拠の無さは
いつまでたっても同じである。
やはり反論できない死刑支持論者は、
ただ知能が低いというだけでなく、
キチガイというわけか。
私は数ある死刑支持論者を見てきて
キチガイでない論者を見るのは滅多にないということが言える。
>>59 感情論という物をまったく考えずに議論を進めるのも又おかしいと思う、
人が感情を排除しうる事は無いのだから
それまで考慮した上で話し合うべきと考えます。
理性でどうこう言うだけで、感情論を完全に排除して考えようとするのは、
物を一面的にしか見る事の出来ない、閉ざされた考えだと思うからです。
>66
荒らし、キチガイは完全無視です。
それ以外のルールは無効です。
という管理人としてのルールをご理解いただいたということで、
反論しますと。
>人が感情を排除しうる事は無いのだから
>それまで考慮した上で話し合うべきと考えます。
過去ログを読めば分かると思いますが、
以前より私は、
「感情が入ってしまうもの」と「感情を入れるべき」
ということは全く違うと言うことです。
人間である以上感情がどうしても排除しきれないと言う
のは致し方の無いことということは理解できても、
感情論を入れるべきという主張によって
あからさまに感情を入れてくるのとは全く違うと言うことになります。
ですから、法というものを考える以上、
感情論で語ってはいけないことは当然なので、
如何にして議論をしていく中で感情を排除出来るか
ということが重要な要素で無ければならないことは当然と言えるでしょう。
>66
荒らし、キチガイは完全無視です。
それ以外のルールは無効です。
という管理人である私が出したルールに
従ってもらうことをもう一度念を押して言わせて貰います。
死刑支持論者にちゃんとした奴はほとんどいないな。
自分はちゃんと議論できるという自身のある死刑支持論者は
今後出てくるのだろうか?
もし、1氏が教導者氏ならなんの矛盾もありませんね。最初に立てたルールを自分で訂正
してるだけですから。
1氏と教導者氏と違った場合は、1氏には深くお詫びします。すみません。
私が誰と同一人物かどうかはともかく。
死刑議論において私が管理人であり、私の出したルールに従うのが
客観的に見ても当然の帰結と言える。
キチガイのルールに従うのはキチガイのすること。
私のような極めて論理的思考能力の高い人のルールは
普遍的に通用するものである。
>>71-72 最初に
>教導者(=38)は、ここのスレ立て人でも「管理人」でもありません。(
>>1)
と明記しておきましたが、もし未見であれば御確認いただきたく存じます。
私が管理人であることは定着しつつあるようだな。
ここは荒らし、キチガイは完全無視ですよ。
管理人の出したルールに従うように。
皆さんの気分を害したならば謝りますが、
一意見としての正当性を感じるならば、
私は一個人としてそれに対応する事が間違っているとは思いません。
誰の意見であれそれは「考える」と言う事には必要と考えるからです。
先のレスはその考えからですが、以後は止めにします。
>>78 こっち行け ↓
議論「死刑制度を哲学する」(健全版) Part2
>>56を書いた者です。初心者のため、このスレッドの事情がよく飲み込めません。
とりあえず教導者氏へのレスは控えますのでご了承ください。
それと、揚足取りや「自分を優位に見せる」ための議論などをやるつもりは毛頭
ありません。そう見えたら私の未熟ですのでご指摘ください。
>>63 >ペナルティとは、ルールが守られることを担保するために定められるものです。
まさに「人を殺してはいけない」という「ルール」を担保するために「死刑」と
いう「ペナルティ」を定めることに意味があるのかどうか、を論じるのが拙文の
趣旨でした。思考実験として、「死刑」を「刑罰一般」に拡張してみたわけです。
繰り返すと、殺人に対する刑罰の「ルール担保効果」は、
1.犯人の再犯防止について
…殺人犯の再犯の可能性が一般人より高い(殺人は癖になる)のでなければ無意味。
2.一般人の犯行の防止について
…死刑廃止派の理屈としてよく使われる「殺人犯は理性が飛んだ極限状態にあり、
刑罰の可能性など考えない」というのが事実とすれば、無意味。
要するに、死刑廃止論者の理屈に従うと、殺人犯に刑罰を科しても科さなくても、
「人を殺してはいけない」というルールが守られる可能性は変わらないことになりは
しないか、ということです。
思考実験を進め「刑法から殺人罪を実際に除外した場合、どんな弊害が考えられ
るか」につき論じてみます。(つづく)
例えば、違法駐車を合法化した場合、路上駐車は激増すると私は思います。それに
比較すれば、殺人を合法化しても、殺人が急増するかどうかは疑問です。そもそも
殺人は生物としての同族殺しのタブーにも触れるし、日常の理性的行動の延長線上に
はない行為なので、死刑廃止派の「抑止効果否定論」にも一定の論拠はあるわけです。
それでは、刑法から殺人罪を除外することに誰もが反対する(と私は思いますが)
最大の理由は何でしょうか。それは要するに「殺人犯が何の罰も受けないでのうのうと
過ごしているのは許せない」「理屈抜きで我慢できない」という被害者周辺および
社会一般の感情です。一言で言えば「報復感情」なのです。そして、国家がこの報復
感情を放置すれば、容易に私的報復の連鎖を招き社会秩序が崩壊する恐れがあること
も事実です。だからこそ、どの国の刑法にも殺人罪が規定されている、要するに、
殺人のような罪に対する刑罰の本質は「応報刑」であって、だからこそ、ある程度
以上残虐な殺人犯に対しては死刑をもって臨め、というのが世論の大勢なのではないか、
というのが結論です。
なお、私自身について言えば、刑罰に殺人の「抑止効果」が全くない、という
議論には賛成できません。そして、死刑には自由刑より大きな抑止効果があるとも
考えます。死刑の意義は、第一に「応報」であり、第二に「一般予防」であり、第三
に「特別予防」だ、と一応考えております。
余談ですが、「罪刑法定主義」については、自由主義的な国家観に立つなら当然の
ことです。逆に言うと、教育刑の思想は基本的に「国家は個人の内面にまで立ち入り
それをより良きものにする権利(むしろ義務)がある」ということですので、つきつ
めれば罪刑法定主義を相対化せざるを得ないと考えます。
応報感情は「やられたらやり返す」というものです
しかし、これはサド感情によるものではないでしょう
面白いデータを手に入れたので以下に書きます
1983年ジェラルド・ウィルキンソンによるコスタリカに住む吸血蝙蝠の研究です
コスタリカのある種の蝙蝠は
・今すぐに自分が必要とする以上の血を吸って帰ってきた時には、そうした余剰の血液を吐き出して仲間に与えるという行為をする
・蝙蝠は何年も同じところに住んでいて互いに識別できる
・蝙蝠は互いに極めて近くに生息はしていない、→相互扶助の説明は成立しにくい
仮説
→ならば、血を分け与えず、貰うだけの蝙蝠が最も利益を得、競争に生き残りやすいであろう
そしてジェラルド・ウィルキンソンはある発見をした
・過去において血を分け与えた蝙蝠は、分け前を貰ったその蝙蝠からお返しを貰う
・分け与えることを拒んだ蝙蝠は分け与えを拒まれる
この傾向が読み取れた、というものであった
このことから「相互性」が生物としての本能に組み込まれてるのではないかという推論が出されるのだが
それは軽率ではあると思う
このことから殺人犯→死刑や死刑制度の肯定を導き出すのもまた行き過ぎであるが
しかし、必ずしも応報感情がサド感情によるのではなく
より社会を保つために役立つものであることは窺い知れる
僕は 議論「死刑制度に反対ですか賛成ですか?」Part4 で
158-159 172 174-176 178 221 224 237 262 264 269-270
みたいなことを言っています。くだらない戯言かもしれませんが見ていただけたら幸いです。
ちなみに僕の言っている事の中にはすでにパート1で述べられている事もあります。暇なら
見てみるのもいいと思います。
あと僕は、応報感情はサド感情から来るものかもしれませんが、それも素朴な感情の一部で
あり社会の円滑化のためには必要な感情だと思います。
>>80-81 >「殺人犯が何の罰も受けないでのうのうと過ごしているのは許せない」
>「理屈抜きで我慢できない」という被害者周辺および社会一般の感情
>死刑の意義は、第一に「応報」であり、
たしかに人間の中には「応報感情」が存在すると思います。が、それは
「私的復讐の根拠」ではあっても、「刑罰の根拠」ではありません。
すくなくとも、「刑罰の根拠であってはならない」と思います。
殺人犯が刑罰を受けると定められ法律として周知されているのは、
「応報」のためではなく、殺人事件の発生を予防するためです。
殺人を罰する法律が社会の構成員たちに受け容れられているのは、
それが「自分が殺されない保障」となるからです。
「他人を殺せば自分が死刑になる」「終身刑になる」と徹底されていれば、
誰かから突然に理由もなく殺される危険は、大幅に減少するはずです。
(もちろん「自分の人生を棒に振っても誰かを殺したい」と願う者には
無効な抑止手段ですが。)
part1に出てた譬えですが、こういう「社会契約」を、国民全員が相互に結んでいると。
第1条「他人は私を殺すな。そのかわり、私も他人を殺さない。」
第2条「これに違反して他人を殺したら、ペナルティとして死刑(or終身刑)。」
もし「第1条」だけだと、この契約が履行されるということを担保できません。
だから、「第2条」は絶対に必要ですし、「第2条」は確実に実施されねば
「第1条」も機能しなくなる。
そして、このシステムには「応報感情」というものの入る余地はありませんし、
また「感情」によって刑罰が執行されたり執行されなかったりしてはならない。
たとえば
「俺はヨソで駐車違反はしない。だから誰もウチの前で違法駐車するな。」
「もし駐車違反をしたら罰金。」
という「契約」が成立するために「応報感情」が不要であるように。
>ニヒリスト
私への反論が無ければ、あなたは敗北したと受け取ります。
ここは私が管理しているスレなので、
私の出したルールに従うように。
>伯爵
後付けの解釈は幾等でも出来ます。
応報感情がサド感情で無いという直接的な根拠は
あなたの出したものでは稀薄です。
仮にあなたの出した根拠で応報感情がサド感情でない
としてもそれが即ち社会を円滑化になるかどうかは疑わしいものです。
なぜなら無秩序が即ち円滑化を意味するものになるからです。
それは過去ログで充分私が解説しましたから詳しくはそこを読んでください。
>兎詩
あなたに対しても伯爵氏へのレスで反論しておきます。
まだ向こうのスレで荒らしている奴がいるが、
ここに来れば幾等でも相手してやるとこちらは宣言しているのに。
荒らしを向こうでやめない。向こうのスレの荒らしのような敗者はこのように見苦しいものか。
なんか殺人を罰するべきかどうか語っている奴がいるが
抑止効果や応報感情以前に殺人は大罪だろう。
殺人犯を罰さずにどうやって一般市民に殺人の罪の重さを
教えることができようか。
この際死刑か終身刑かは問わない。
「罰さない」というのは最も愚かしい判断だということだ。
理系学生がまた恥知らずにも論破されにきたか、
人の述べることも全く理解できていないらしい。
誰も「殺人を罰するべきかどうか語っている」というのはいないのに。
死刑支持論者は常に敗走するものだな。
90 :
考える名無しさん:02/07/30 15:24
>教導者
自分が立てたスレから敗走してきた教導者よ、
自分が立てたスレにカエレ!
91 :
考える名無しさん:02/07/30 15:24
======2==C==H======================================================
2ちゃんねるのお勧めな話題と
ネットでの面白い出来事を配送したいと思ってます。。。
===============================読者数:120141人 発行日:2002/07/25
どもどもー、ロスタイムに身悶える、とっても苦しいひろゆきですー。。。
昨年5月、珍走団に「文句があったらいつでも来い!バーカ!バーカ!」といいつつ、本当に来られたら、土下座をしてしまったおいらですが、実は他にもあるですよー。恥ずかしい話は、、、うぅうぅ
昨年6月のことですが、おいらに批判的なチョンに「ボコる」「焼き入れる」「殺す」と慣れないセリフを使って一生懸命脅してみたですけど、チョンってば全然ビビッってくれないで「相手になってやる!」なんて言うですよー、、、うぅうぅ
おいらってば焦って必死に逃げ回って激ヤセしちゃったですよー、、、うぅうぅ
“歴史は繰り返す”といいますが“おいらの歴史”も繰り返しまくりですよー、、、うぅうぅ
皆さんご存知のとおり、おいらってばネットや電話では結構勇敢なんですが、どうも面と向かってしまうとすっかりドテチンになっちゃうみたいなんですよー、、、うぅうぅ
でも今はなんとか気を取り直してチョンに反撃をはじめたですよー、、、えっへん
イタズラ電話やウィルス爆弾とか家族への嫌がらせとか色々やってますですー。。。
ところで、おいらの病的な臆病さの原因は「腕力に自信がないから」だけではないんですー、、、
それはそれは、、本当に、、本当に、、根深い問題があるんですよー、、、うぅうぅうぅ
臆病さだけではありません。決断力のなさも笑われ始めてます、、、うぅうぅ
元削除人の皆さん!あんまりおいらの秘密言いふらすのやめてよー、、、うぅうぅ
んじゃ!
私はここの管理人だからここにいるだけ。
別に私は敗走していない。ここで荒らしから避難しているだけ。
私はここで存分に相手してやると宣言している以上、
敗走には全くならない。
というかここに来て論戦を出来ない死刑支持論者が敗走していると客観的に言える。
反論しないという行為はそのままは負け犬の戯言に繋がる。
それをルールだとかいって脳内で構築されているものを
持ち出してきても恥の上塗り。
それを死刑支持論者は本気で考えているのならば、
単なるキチガイなだけだろう。
常人なら反論して同道と論戦をするのが然るべき普遍的なルール
であることは自明。
私はその当然のルールにそって管理しているだけのこと
それを負け犬死刑支持論者は理解できないから
キチガイ呼ばわりされているのである。
まあこれを言っても死刑支持論者は理解できない連中だろうが。
荒らしは消えたようだな
ここに書き込まなければ反論とは認めないことを理解できない奴がいるな。
ここで私に反論できない即ち私の勝利であることは
客観的にみて妥当であることは自明。
>>1 >「教導者(=38)へのレスは禁止」
>(もし教導者(=38)のカキコがあっても完全無視で進行願います)
よろぴく! >ALL
ここスレの管理人は私なので
荒らし、キチガイは完全無視と言うルール
その他のルールは向こうという支持に従ってください。
>>84 私は「応報感情」が「刑罰の根拠」である、またはあるべきだ、と言っている
のではありません。私見では、刑罰の根拠は「政策としての合理妥当性」であって、
それ以上の「哲学的根拠付け」などは無意味だと考えております。
一例を挙げると、東南アジア諸国では、麻薬を所持しているだけで死刑になる
と聞きます。マレーシアで外国人の旅行者が逮捕され、国をあげての嘆願を押し
切って処刑された事件もありました。麻薬の所持には被害者がいませんし、いか
なる報復感情も伴いません。これは要するに「麻薬は社会の健全性の根幹を犯す
害悪なので、いかなる手段を用いても撲滅する」というマレーシア政府の「社会
防衛」の苛烈な意志の現われです。「応報刑」ではなく、むしろ教育刑的思想に
基づく死刑、とでもいうべきでしょう(賛否の議論は当然あり得ます)。
ただ、「殺人」に対してほとんどの国が「最高刑」をもって臨んでいることに
関しては「応報感情」を抜きにしてはその政策としての妥当性を説明できない、
というのが拙論の趣旨です。(つづく)
>「他人を殺せば自分が死刑になる」「終身刑になる」と徹底されていれば、
誰かから突然に理由もなく殺される危険は、大幅に減少するはずです。
まさにこの点について、「死刑には殺人の抑止力はない」という議論があるわ
けです(私は必ずしも賛成ではありません)。死刑に抑止力がないなら、懲役刑
や罰金刑に抑止力があるはずもないので、刑罰には「自分が殺されない保障」と
しての意味はない、という結論に至らざるを得ないと思われます。そこで、もし
仮に殺人を合法化しても、爆発的に殺人が増えることにはならないのではないか、
という思考実験をやってみたわけです(繰り返しますが必ずしも賛成ではない)。
現実には、殺人の合法化など誰も賛成するはずもないのは自明です。ではその
最大の理由は何か、といえば、まさに「理系学生A」さんのおっしゃる通り、
社会契約や抑止効果以前に「殺人は大罪」であり、殺人犯は厳しく処罰されなけ
ればならない、というのが社会一般の意志だからです。で、それはなぜなのか、
と問えば、殺人は最大級の「怒り・報復感情」を呼び起こす行為だから、という
のが私の答えです。
(麻薬の所持は別段誰の報復感情も呼び起こしませんので、「大罪」だという
社会的合意もありません。)
以上をもっともらしく言い換えると、「殺人に対する刑罰は基本的には応報刑」
なのです。だからこそ、ある程度以上の残虐な犯人に対しては(やむをえず、で
はなく)積極的に死刑にせよ、という世論が根強くあるのであり、この点を踏ま
えない議論は説得力に乏しいのではないか、というのが最も言いたいことであり
ます。「法の根底にあるもの」としての人間の感情・欲望について論じているの
であって、「法を感情的・恣意的に運用していい」と言っているわけではないこと
をご理解ください。
>刑罰の根拠は「政策としての合理妥当性」であって、
>殺人に対する刑罰は基本的には応報刑
これらは両立するのか?
>伯爵
こちらで反論しない場合は、あなたの敗北と受け取ることもありますからご理解ください。
ここは私の管理するスレで、私の出した規則以外のものは無効となります。
それに従ってください。
>なぜならば応報感情はその行為が良かろうと悪かろうとやり返すものです
>以前に奢ってもらったから今日は奢る
>そのような行為ですらあなたはサド感情と指摘するのですか?
指摘したことが誤って伝えられたようで困っていますが。
応報感情が「その行為が良かろうと悪かろうとやり返すもの」
であったとしても、サド感情の要素を否定するものでないということを指摘したのです。
つまり全く違った要素の証明をしただけで、直接、「サド感情でない」というものを
証明したものでないことを指摘したのです。
ですからあなたの応報感情がの分析が正しいとしてもサド感情の要素の直接の
否定にはなんら関係がないものなのです。
>しかし秩序を形成する土台に応報が存在することを指摘できます
秩序とは感情を否定してこそ成り立つものです。
刑罰の場合、感情の介入は私刑となんら変わるものでなく無秩序の指摘を免れないでしょう。
>応報刑を基準に、より良い刑を探求するべきだ、
>それが僕の意見であることは過去ログからも分かるでしょう
その意見に対して、応報刑がなんら秩序形成にとって効果、貢献しないと
言う意見が私の過去ログから明らかでしょう。
>ニヒリスト
あなたの主張は、すでに私の過去ログから完全に論破されているものです。
もはやここで論じても意味が全くありません。
教(略)さんの言う「過去において論破」は全くのでたらめではないので気をつけた方が
良いです。教(略)さんに論破されたかは別として(あんまりないかもしれませんし、他
の人が論破している場合の方が多いでしょう。たぶん)すでに議論されていることが実は
多いのです。ゆえにここにカキコむ前に一度過去ログを見ることは実は本当に意味のある
ことなのです。まあ、時間がかかり過ぎるのが難点なので、僕も読んでませんが、パート
1くらいは見たほうが良いと思います。ではでは。
>兎詩
私にあんまり論破されてないというのは
事実に反してますね。
何故ならこういった論点のものは私がすべて関わっているのですし、
私が論破してないというのならその点を詳しく論じる必要がありますよ。
兎詩も私に完全に論破された論客だから
所詮この程度の質の人間か。
やはり客観的な論理展開できる論客は私だけのようだな。
勝ち負けで死刑を語りたくねえなあ。
しかし、私が完全勝利しているのが現状での客観的な認識による。
109 :
考える名無しさん:02/07/31 14:18
変なアイデアを一つ
死刑を認め 遺族に殺させる
果たして殺せるかどうか
殺した後何が残るのか
遺族にそんな義務はない。
109=サド感情剥き出しの鬼畜だな。
私が完全勝利してるのは客観的にみて極めて妥当な結論だが。
それを敗走したもの論客達は自分の脳内世界の妄想によって態と負け惜しみをいうのが常になっている。
意味が理解できれば少々変でも構わない。
人の目を引き付けるレトリックが私にはあるのだろう。
>115
ほうもっとも死刑支持論者達(特に理系学生)にぴったりの内容のスレだな。
ここを管理できるのは私しかいないということが当然の帰結となっているな。
究極のところ死刑は人権に反するということで否定されるものになる。
>>101 >>98 をほめたのは皮肉じゃないよ
俺の言いたいことをわかりやすく説明してくれている
このように死刑支持論者は論客の書き込みの意味すら満足に理解し得ぬ連中である。
私が一番人の書き込みの意味が理解できる人間であることは間違いないな。
122 :
考える名無しさん:02/07/31 19:53
で、
>>98は死刑賛成?、反対?
死刑反対派は、(誰かも書いてるかもしれないけど)
なぜ、人間の死だけを特別扱いしたがるの?
俺には、それが本当にわからない
もし、殺害全てを否定したいなら、動物実験や
動物を殺して食べることも否定すべきではないのでしょうか?
俺には、キリスト教由来の、何か変な考えに
取り付かれているだけのように思われる >死刑反対
>122
死刑支持論者のほうが被害者の死を特別視し。
被害者を甘やかせようとする。
なぜ被害者に人権を認め加害者には人権を認めない。
死刑教という宗教に死刑支持論者は狂ったように信奉しているとしか思えない。
124 :
考える名無しさん:02/07/31 20:32
>122
昔、アレクサンドリアだったかどこかに、世界中の文書、書き付け、本など、
とにかく、ありとあらゆる人類の残した書物の全てを蔵した図書館があったそうだ。
で、ある日、あるイスラム教国がその地を占領したときに、”全ての真実はコーランに書かれているから
それ以外の知識など不用だ。”と言って、その図書館を風呂焚きに使ってしまったそうだ。
”殺”の全てを否定しているから、死刑に反対してるんだろう・・・だって?
生を肯定するから、死刑に反対しているんだが。上記の話を読んでなにか心に来るものは無いか?
>124
つまり死刑支持論者は支離滅裂な主張しか出来ないわけか。
ここを見てるとあなたのその故実の内容みて頷ける気がするよ。
???
なんだ、このスレ、死んでるのか。
書き込みして損した。ばかばかしい。
127 :
考える名無しさん:02/07/31 21:37
>>124=126
>>122です
むずかしくてわかりません
つか、殺人の否定と生の肯定って同じでしょ
あと、俺が言ってるのは、死刑廃止派なら
その理屈を徹底するなら、食用も含む全ての殺害に
反対すべきではないか、ってこと
ついでに、
教育刑主義者なら、禁固、懲役など、人権侵害する
全ての刑に反対すべきでわ?
>127
法は人間のためのもの、人間以外の生命は人間の厚生が優先されるため
考慮に入れなくとも説明できる。
私に反論出来ないところを見ると、
122や124は取るに足らない論客だったわけか。
122の書き込みを分析すると真性低脳そのものだな。
>>122 死刑に「賛成」「反対」という2項対立にまず賛成できません。死刑は所詮
「制度」なのであって、運用も含めて「相対的妥当性」をはかる以外はないもの
と考えます。その意味で「死刑は絶対的な悪」という考えには違和感を覚えます。
>>99 「政策としての合理妥当性」と「応報刑」の考えが両立するのか、とのご質問
ですが、応報刑を「形而上学的な正義」(私の理解したヘーゲル流の)と考えれば、
思考法として矛盾するかもしれません。しかし私は、「報復感情を放置すると
報復の連鎖を招き社会秩序の崩壊につながりかねないので、国家が刑罰権(暴力)
を独占して過剰報復を戒めつつ報復感情の満足を図る」、極限すれば一種の
「統治術」として考えておりますので、矛盾は感じません。政策目的に合わせて
「応報」「一般予防」「特別予防」という刑罰の3つの機能を適宜適切に組み合わ
せればよく、死刑はこの3要素すべてについて意味がある刑罰だと思います。
では、「死刑」が絶対的に必要と考えるか、と問われれば否です。現に西欧
中心に廃止している国でも「決定的なデメリット」は顕在化していません。しかし、
「無理してまで廃止する必要は全く感じない」というのが今の感想です。
>>109 「遺族に殺させる」というアイデアですが、まさに「私的報復」を戒めるため
にこそ「刑罰権の国家独占」があるわけです。
それと、「法の前の平等」という大原則があります。早い話が、「遺族も友人
も全くいない天涯孤独の被害者」も、「殺されて誰もが喜んでいる」ような被害者
もあり得るわけです。そのような被害者でも「平等に」取り扱う、というのが
近代国家の「建前」です。この意味で、刑罰が満足させるべき「報復感情」は、
現実に存在する「生の」それというより、「仮定された社会一般の」、さらには
「推測された被害者自身の」報復感情、という方が正確でしょう。実際には、
「生の報復感情」も無視はできないと思いますが。
なお、法の執行の是非はあくまでその「外形」で判断されるべきで、執行者
の「内面」は無関係です。例えば厳密に法に則って死刑を執行する執行官が
毎回「サド感情」に燃えて性的興奮を覚えてパンツを濡らしていたとしても、
それ自体は全く問題ではありません。また、純粋な「正義感」や「人権意識」に
燃える刑務官が受刑者に暴行を働けば、それは純然たる違法行為です。この点も
明記するべきだと思われます。
>>103 兎詩さん
ご指摘ありがとうございます。過去ログPART1だけざっと読んでみたの
ですが、正直言って大変苦痛でした。ただ、このスレが立った理由だけは
よく理解できました(笑)。
>教導者
>指摘したことが誤って伝えられたようで困っていますが。
>応報感情が「その行為が良かろうと悪かろうとやり返すもの」
>であったとしても、サド感情の要素を否定するものでないということを指摘したのです。
なぜでしょうか?
サド感情は相手に利益を与えてもサド感情足りうるのでしょうか?
ならばサド感情という言葉自体に意味がありません
>つまり全く違った要素の証明をしただけで、直接、「サド感情でない」というものを
>証明したものでないことを指摘したのです。
「〜でないこと」は証明できません
ならば教育が「サド感情でない」ことも証明できません
>ですからあなたの応報感情がの分析が正しいとしてもサド感情の要素の直接の
>否定にはなんら関係がないものなのです
要素の否定とは?
応報感情にサド感情が含まれると?
いえ、応報は応報、僕は応報を当為命題とは全く切り離して
つまり価値と切り離して述べています
>秩序とは感情を否定してこそ成り立つものです。
>刑罰の場合、感情の介入は私刑となんら変わるものでなく無秩序の指摘を免れないでしょう。
応報感情は排除しても応報は秩序の根幹として指摘できるのです
なぜならば「囚人のディレンマ」を解決する秩序は応報以外にありません
>その意見に対して、応報刑がなんら秩序形成にとって効果、貢献しないと
>言う意見が私の過去ログから明らかでしょう。
応報刑については僕は述べてませんし、僕も応報刑を主張する訳ではありません
しかし応報「やられたらやり返す」が社会の秩序の維持に貢献していることは指摘できます
刑を考える際にはまず応報刑ありきであり
そこからさらによりよい社会としてどうしていくかを考えるべきであると思います
仮に死刑を廃止するとしてもです
>>131 別スレでやれ。
避難所に嵐を引き入れるな。
>ニヒリスト
あたなは私に対して敗北宣言を出したのですね。
>伯爵
私のルールに従って、
荒らし、キチガイは完全無視でお願いします。
>サド感情は相手に利益を与えてもサド感情足りうるのでしょうか?
>ならばサド感情という言葉自体に意味がありません
この感情は発した側の問題であって、
相手に利益を与えると言うのは結果論でありサド感情を直接否定するものかは正直疑問です。
>ならば教育が「サド感情でない」ことも証明できません
それは容易に説明できます。まず教育とサド感情の関連性がまったくなく
別次元の話であるから。サド感情であると言う証明は出来ません。
同時にその逆のサド感情でないという証明も出来ます。
>いえ、応報は応報、僕は応報を当為命題とは全く切り離して
>つまり価値と切り離して述べています
ですから先のあなたの分析は応報感情のものであって
サド感情のものを直接論じたものでないからです。
そこを私は指摘したかったのですが。
>応報感情は排除しても応報は秩序の根幹として指摘できるのです
>なぜならば「囚人のディレンマ」を解決する秩序は応報以外にありません
囚人のディレンマの解決はゲーム理論で既に行っており、
応報の秩序の根幹とは関係ありません。
ようは合理的な判断を前提とし、協調が必要なだけですから。
>しかし応報「やられたらやり返す」が社会の秩序の維持に貢献していることは指摘できます
そのようなことが殺人の勝手な口実をつくる発端となり、
結果的には秩序の崩壊、無秩序への落ちる結果となります。
法の根本的な性質、感情を廃するというのはそこにあるのです。
その応報というものが無意味に人々の厚生を奪っている
というものをさらに付け加えて鑑みれば、
応報刑というものの無意味さに繋がることでしょう。
>>124 生を肯定するから、死刑が懲罰として有効だと考えていますが、何か?
もし生を肯定しないのなら、死刑なんかに意味はないでしょう。
だから逆に、生を肯定しない立場から死刑廃止を主張することもできる。
あと、アレクサンドリアの図書館が云々とか言われても、何をいいたいのか
まったく理解できません。
本題にどうつながるのか説明希望。
>134
生を肯定するから死刑を容認するという論法は、
被害者側に過度の甘やかしをし、加害者には何の配慮もしないとうう
公平性を排除した上でのものである。
死刑支持論者はやはり法という物をまったく理解できていないものの連中であると言うことが出来る。
現在のところ、ここで私にレスしないかぎり私への敗北宣言と受け取る
というルールを管理人として出すことにしましょう。
(態々言わなくともいいルールではありますが)
137 :
考える名無しさん:02/08/01 14:44
すげー教導者ってネタ師として才能あるよ、マジで。
138 :
考える名無しさん:02/08/01 14:48
>>109 アメリカの有名な死刑囚のゲーリー・ギルモアって銃殺者公募してたよ。
死刑存置州の中には被害者遺族はもちろん議員やマスコミの立会いを
許可するところもある。
存置するなら密行主義(密殺)はやめて実態を公開すべき。
そのうえでの議論ではないと意味がない。
法務当局は確定囚にもプライバシー(≒人権)があるなんてヘンな言い訳するんだ、これが。
>137
死刑支持論者はネタ師にもならない単なる馬鹿である。
まともに客観的な論理展開できるのは現状では私のみである。
>138
まさにサド感情そのものを表している事例だ。
サド感情は被害者の権利だとかいうキチガイみたいな言い訳(もはやそれ未満だが)
を死刑支持論者は述べる。
>>137 だから煽るなってば。
それ用のスレもあるんだから、そっちに行け。
>140
このような支持するから、向こうが荒れだし、
私がここに避難する大義名分が益々強まってくる。
ここでは荒らしは居なくて存分に議論できるから
もっとも相応しい論客は私だろうと思う。
ここは荒らしは居ないから、
死刑支持論者の私への反論の無さが浮き彫りになって
私の完勝がより鮮明になってきていることがわかる。
>>138 なんで死刑執行を公開しないと「議論に意味がない」のか、理解できん。
じゃあ、罰金を払う現場を公開したり、懲役で働いてるところを公開したりしないと
罰金刑や懲役刑について議論できないのか?
145 :
初めてのカキコ:02/08/02 18:45
死刑って「処罰」と「社会からの隔離」と二つの意味があると思う。
死刑にしちゃうと二度と社会に戻ってこれないから、究極の隔離だよね。
世の中には社会から隔離した方が良さそうな人っているでしょ?
こういう人は死刑にしても構わないと思うんだけど。
146 :
初めてのカキコ:02/08/02 18:48
まえは「判決間違いの可能性もあるから死刑はんたーい」だったけど
(特に「12人の怒れる男」を見てから。ビデオだけど)
NHKの死刑を考える番組の、どっか外国の通行人インタビューで
若い男の人が
「死刑は賛成。だって税金がもったいないモン」って言ってた。
これ、ちょっとショックだったけど、よく考えると反対できない自分に気がついちゃった。
判決まちがいのほとんどない、社会から隔離した方がいい犯罪者のために
税金使うのもったいないね。
147 :
初めてのカキコ:02/08/02 18:51
と、ゆーわけで
「死刑制度さんせーい。ただし
『定期的に献血する』
『3ヶ月に一度2/3ぐらい肝臓切り取って移植に使わす』(たしか3ヶ月で元に戻らなかった?)
『腎臓が2つあるならいっこ移植』『目が2つあるなら』(・・・以下略)
をちゃんと続けるなら生きててよし」
ってのを考えたんだけど、やっぱ人権団体からダメですって言われそう・・・。
というわけで、ニヒリスト、M以下低脳の死刑支持論者は敗走したな。
またもや私の勝利で終わったわけだ
>社会から隔離した方がいい犯罪者のために税金使うのもったいないね。
じゃあ、軽犯罪も何もかも死刑にすれば、刑務所が要らなくなって、
税金がだいぶ節約できるね。
って、激しくガイシュツじゃい。
150 :
考える名無しさん:02/08/02 20:26
149さん
そうだったんですか、失礼しました。
ま、軽犯罪は「社会から隔離した方がいい」に当てはまらないと思うんですが、どうでしょう?(これもガイシュツかな?)
sage
よ〜し、それじゃあ、通常一般人が
『定期的に献血する』
『3ヶ月に一度2/3ぐらい肝臓切り取って移植に使わす』(たしか3ヶ月で元に戻らなかった?)
『腎臓が2つあるならいっこ移植』
『目が2つあるなら』
に、耐えられるかどうか、【はじめてのカキコ】を実験台にテストだ!!!!
生き長らえて喜ぶなら、この罰は意味がないということで。。。
あんまり意味がなさそうだが、【はじめてのカキコ】はこれまでの罪滅ぼしに
上記の罰を実行の上、適当なアップローダーに証拠写真のうpを義務付ける。
以上。
なんかよくわからないんですが、どうやら失礼なことを
書いちゃったみたいですね。すみません(2ちゃんってこわーい)。
んじゃほんとに失礼します。
もうこのスレつまんね から
終りにして下げません? >ALL
いや、さげてもあの人が勝手にあげちゃうから無理だと思う。
>>145 一応真面目にレスしますと、結局「人命は絶対的な価値であって、他の価値実現
の“手段”として損なうことは絶対に許されない」という命題を認めるかどうか、
が一つの論点となります。
これを認めるなら、「抑止力」以外の理由で死刑を認めるのは理論上は困難です。
凶悪殺人犯を死刑にしても、被害者が生き返るわけではないので、差し引き一人の
人命が失われる結果となるのは間違いありません。
「隔離」のためなら、終身刑や不定期刑等の手段もあります。どれほど費用が
かかろうと、「人命」という絶対価値には代えられない、ということになります。
死刑の「抑止力」については、なかなか立証が難しいですし、他の手段で絶対に
代替不能、とも言えません(個人的には難しいと思いますが)。
で、冒頭の命題ですが、私見ではこれは単なる「善なる嘘」のたぐいに過ぎま
せん。「戦争の際を考えてみよ、我々は味方の命を勝利のための手段として消費
し、敵の命に至っては単に一掃するべき障害物として扱う」というような意味の
ことを述べたアメリカの名判事もおりました。戦争がまずければ、交通事故の例
を考えても明白です。我々は自動車がもたらす「利便」と引き換えに、日本だけ
でも年間一万人に近い死者を「代償」として受け入れているわけなので。要する
に、「人間にとって“自分の命”は絶対的な価値であるが、“他人の命”は相対的
な価値、時には目的のための手段や障害物でしかない」というのが残酷な現実なの
です。ただ、これは「あからさまに」言うと人命軽視の風潮につながりかねない
「邪悪な真実」のたぐいですが。
応報刑の思想は、基本的にはこういう「目的ー手段」の考えを取りません。
「他人の命を奪った者の生命は、奪われるのが“公平”で“正義”に適っている」
という思想(というよりは感情)に立脚し、そこから「情状酌量」によって罰を
減じていく、という方向性を持ちます。だからある意味純粋で、上記のような
「邪悪性」は免れている、とも言えます。
(ちなみに私の立場は、刑罰全体が「健全な社会秩序の維持」という目的のため
の「政策手段」に過ぎない、というものです。)
以上のような点を参考に再度考えてみられてはいかがでしょうか。
失礼、ルールに反してるのは分かりますが、それ以上の憤りが満ちてます
>教導者
>この感情は発した側の問題であって、
>相手に利益を与えると言うのは結果論でありサド感情を直接否定するものかは正直疑問です。
ならばあなたはサド感情と応報感情を全く同じとしていると批判できる
あなたが「応報感情はサド感情である」と批判するなら
あなたはサド感情についてもっと語らねばならない
あなたは無意味に応報感情を否定しているだけです
>それは容易に説明できます。まず教育とサド感情の関連性がまったくなく
>別次元の話であるから。サド感情であると言う証明は出来ません。
>同時にその逆のサド感情でないという証明も出来ます。
では見せて下さい、
もちろんそれが応報感情には通じてはならないことに気をつけてください
>ですから先のあなたの分析は応報感情のものであって
>サド感情のものを直接論じたものでないからです。
>そこを私は指摘したかったのですが。
僕は関連が無いことを主張しました
関連があると主張する方に立証責任が存在します
>囚人のディレンマの解決はゲーム理論で既に行っており、
>応報の秩序の根幹とは関係ありません。
>ようは合理的な判断を前提とし、協調が必要なだけですから。
いえ、関係あります
なぜならば合理的な判断の基準に「応報感情」が存在しています
相手を出し抜ける限り「囚人のディレンマ」の合理的な判断は裏切りを導くからです
>そのようなことが殺人の勝手な口実をつくる発端となり、
>結果的には秩序の崩壊、無秩序への落ちる結果となります。
その結果を目にしたことがありません
>法の根本的な性質、感情を廃するというのはそこにあるのです。
>その応報というものが無意味に人々の厚生を奪っている
法は厚生だけを目的とするのではありません
総合的に判断してできる限りよい方法を採択するのです
応報感情は廃しても、「応報」という方法を廃するあなたの手法は独断的であり非常に危険です
>応報刑というものの無意味さに繋がることでしょう。
再度言いますが、僕は応報刑を支持したことは一度もありません
むしろ僕は死刑はできる限り無いほうが良いと思います
しかしあなたのように無批判に応報を切り捨てる態度は哲学者としては失格だと思います
檻の中にいる人は税金で飯を食っているのでは 人を殺した人に食い物をやるって事
>>157 伯爵さま
煽りに対する完全無視は効果をあげています
しかし、貴方がこちらでレスをつければ荒らしの思うつぼです
気持ちはわかりますが、(私も何度も同じことをしていますから)
あくまで向こうのスレでお答えください
>>156 「他人を殺した者は殺されねばならない」ということが「公平」なのか、
「正義にかなっている」のか、ということについては、私には語る言葉は
ありませんし、多数の合意を得るのは困難だと思います。
しかし私にとっては、「他人を殺したら殺される」という「ルール」と
「ペナルティ」が「抑止力」として機能していれば、それで充分です。
誰かが私を「殺したい」と思っても、「もし殺せば、死刑にされる」と
いうことであれば、ふつうの人間なら思いとどまるでしょう。
「殺人は死刑」というルールによって、私は誰かを気ままに殺すことは
できなくなるが、私の生命の安全は保証される。故に私は、このルールを
支持する。
それではいけませんか?
>誰かが私を「殺したい」と思っても、「もし殺せば、死刑にされる」と
>いうことであれば、ふつうの人間なら思いとどまるでしょう。
俺に言わせりゃ、こういう思考形態を採る奴が一番厄介なわけよ。
死刑にされたくないから、犯罪をしない・・・ではなくて、道義的に、信念として、犯罪をしない。
>160を殺したいほど憎いと思っても、>160みたいにはなりたくないや。。。
と自分を成長させる糧にするなどできるような精神的に余裕をもつ人間になれないことが不思議だ。
それが、万物の霊長たる人間だと俺は信じているし、自分がそうだから。
ところが、2ちゃんねる全体の死刑スレを見てくると、二言目には、税金の無駄だの、
献体させろだの、公開しろだの、こうやって殺したら抑止力UPだの、、、
お前らは、あの恐怖政治にもどしたいのかと、、、
と、気まぐれでレスしたが、別に俺の理論を知ってもらおうとも思わないし、死刑制度が厳然として在る
日本に住んでいる以上、強弁する意味も無いから、討論には加わらない。
>>161 >死刑にされたくないから、犯罪をしない・・・ではなくて、
>道義的に、信念として、犯罪をしない。
そういう道義的な人間ばかりであれば、そもそも法律も必要ありません。
道義的な人間も、道義的でない人間も共存する、そういう社会だから、
最低限のルールとして法律が必要なのです。
みんなが道義的な人間でなければならない、みんなを道義的な人間にしよう、
というのであれば、それはどっかの洗脳バカと同じでしょう。
>伯爵
>あなたが「応報感情はサド感情である」と批判するなら
>あなたはサド感情についてもっと語らねばならない
>あなたは無意味に応報感情を否定しているだけです
いや既に充分客観的な根拠をもって否定しています。
かいつまんで言えば、法の根本的な性質として感情の介入の否定があります。
それで容易に否定できます。
>僕は関連が無いことを主張しました
>関連があると主張する方に立証責任が存在します
私の質問の意図をあなたが理解できたものとして受け取ります。
>もちろんそれが応報感情には通じてはならないことに気をつけてください
ですから先のレスにもあったように別次元のものですから、
サド感情とは全く関連性が無くそれが証明できています。
>なぜならば合理的な判断の基準に「応報感情」が存在しています
>相手を出し抜ける限り「囚人のディレンマ」の合理的な判断は裏切りを導くからです
ですから、あなたの思考がそこで停止しているから批判しているのです。
協調ができる土台を如何にして形成できるかが最重要な方策です。
ゲーム理論で解明されているように協調ができない状況では例えそれが最適戦略であっても
協調が出来る場合と比べて利得が低いのです。
ですから極めてより分析してみれば非効率といえるわけです。
>その結果を目にしたことがありません
現在の日本の状況がそれです。
実際殺人を起すものは自己正当化を行います。
>総合的に判断してできる限りよい方法を採択するのです
私も同意です。
>応報感情は廃しても、「応報」という方法を廃するあなたの手法は独断的であり非常に危険です
独断的なのは応報を認めるほうだと考えます。
それによって無意味に人を害する危険性を最初から私は指摘しています。
>むしろ僕は死刑はできる限り無いほうが良いと思います
>しかしあなたのように無批判に応報を切り捨てる態度は哲学者としては失格だと思います
これほど充分根拠をあげて無批判と指摘するほうが(哲学者とはいいませんが)学者として失格だと思います。
私は応報を認めるほうが根拠無く論じているように感じています。
またそれは他のニヒリストなどの死刑支持論者が黙秘を決め込んで
自分達の敗走を覆い隠している卑怯な態度を批判しているのです。
あなたはそのような卑怯な態度を取っていませんので
こちらも紳士的な態度を取っていますが、
それに対してあなた何も考え様とはしないのですか?
再度の書き込みになりますが、
管理人である私の指示に従ってください。
このスレで反論が無い場合はあなたが敗走したとルール上
判断するともう一度指摘しておきます。
まあ死刑支持論者は人の意見に耳を貸さない連中ばかりだな。
私のようにすべての意見にそれぞれ対応できるような人間に
せめてなって欲しいものだ。
死刑支持論者にはまず自分がキチガイだと言う自覚が無いのが一番の問題。
だから平然の今でも死刑支持論者は、キチガイ発言を書き込み続けている。
死刑議論はやはり私のような客観的にものごとを考えることができる
人間によって管理運営されてこそ正常な議論が遂行できると言うことはもはや自明となったな。
現実が刑罰によって犯罪を起すのを止め様とする人間ばかりであれば、そもそも法律も必要ありません。
抑止効果がある僅かな人間も、抑止効果がない多くの人間も共存する、そういう社会だから、
最低限のルールとして法律が必要なのです。
みんなが抑止効果がある人間でなければならない、みんなが抑止効果があるという脳内妄想の前提での
主張をするのであれば、それは162のような死刑真性馬鹿と同じでしょう。
死刑支持論者は日本語をまともに理解できないという共通点を持っている
よくこれで議論をしようと思ったものだ。
>160
「それではいけませんか?」とのことですが、いいとかいけないとか答えること
は誰にもできません。この種の問題に「唯一の正解」などないと私は思います。
とりあえず3点だけ。まず、前にも書きましたが、死刑の抑止力については論議
があります。「殺人」を犯す者は、何かに追い詰められた結果か、または生まれ
つきかはともかく「異常な心理状態」にあり、「刑罰の可能性」など考慮しない
から死刑に抑止力などない、という理屈です。逆に言うと、ペナルティがあっても
なくても殺す人は殺すし殺さない人は殺さない、という言い方にも一片の真理は
あるのではないでしょうか。そして、多くの人が死刑を支持する心理の背景には、
抑止力云々以前のもの(私はそれは「応報感情」だと推測します)があるように
思えます。(ちなみに私は死刑の抑止効果を軽視するものではありません。それと
「応報感情」が何か前近代的・非合理的で重苦しい感じを与えるのに対し、
「社会契約ーペナルティー抑止」という理屈の方が「すっきりする」という感覚は、
非常によくわかります。)
次に、それと関連して、「応報原理」が「正義にかなっている」とは私は思い
ません(というか、正直に言うと「正義」という概念は無用の長物である、という
のが率直な感想です)。ただ、一般人の間にはそれが「公平」で「正義にかなう」
とする考えが、かなり「多数の合意」として存在するように思えます。それこそ
人類の歴史と共に古く根強い「黄金律」であって、これを「無視」した法制度は
いずれにしろ困難だろう、と感じるまでです。
最後に
>>161さんのご意見ですが、「死刑があるから犯罪をしない」と「道義的
に、信念として、犯罪をしない」のどちらをよしとするか、について、興味深い
考え方をご紹介します。哲学者の永井均氏が「なぜ人を殺してはいけないのか?」
(河出書房新社)の中で述べているものです。
「好き嫌いで言えば、私は道徳などよりは死刑や国家の方がはるかに好きである。
それらははっきりした権力行使であり権力機構であるから、そのぶん神ではなく、
したがって『存在しない価値を信じる』という意味での「ニヒリズム」とは無縁
だからである。」
「私は…刑法(死刑を含む)が、そして可能であればそれ『だけ』が犯罪の抑止
効果として働くような社会を理想と感じる。だが『残念ながら』そんな社会が
可能だとは思っていない。」 (『』は原文では傍点強調)
実は、永井氏の言は個人的には痛いほどよくわかります。しかし多数派の感じ方は
違うでしょう。要するに、この問題についても個人によって「感じ方」は異なり、
絶対的な答えはないのではないか、と一応指摘させていただきます。
もし、「殺人者は異常な心理状態にあり、刑罰の可能性など考慮しないから
死刑に抑止力などない」、という理屈が成り立つのであれば、あらゆる刑罰も
また無意味となります。
強盗やひったくりだって、自分が後日「確実に捕まる」と思って罪を犯すのではない。
つまり「捕まって刑罰を受ける可能性を考慮しない」から罪を犯すと思われますが、
「だから刑罰には抑止力がない」「刑罰は廃止しろ」という意見には賛成できません。
異常な殺人者もいれば、冷静な殺人者(またはその予備軍)もいるはずです。
すくなくとも後者に対する抑止力として、死刑は有効ではないのですか。
やはりこちらにでレスしておきます。
ここは私の管理するスレなので心置きなくここで書き込んでください。
>ですから応報感情によっての刑罰への対処は否定できますが
>しかし、応報という方法は感情抜きにも社会の秩序に役立っていると言えます
応報そのものの根拠の稀薄さの指摘も同時にあるのですが。
>それは応報感情がサド感情と同じ感情であるということですか?
>ならば僕は教育としての応報を主張します
そういう定義上の問題になってくると議論も成り立ちませんが、
しかしそういう解釈での教育ならば私が納得する余地がありそうです。
>確かに現実の実験では厳密な応報は互いに裏切りあうことで悪い結果をもたらすことというデータがあります
>しかし勘の鈍い程度に応報を実施することが最良の結果を招くというデータもあります
>また、裏切りをいっさいしない場合は相手は常に裏切るというデータもとれてます
そもそも勘の鈍いという意図的に人を陥れ、合理的な判断を抑制するというのらば、
結局はその非合理性がいろいろな面で最良な結果を阻害する結果になるでしょう。
裏切る裏切らないという問題においては、現在のゲーム理論では、
明らかにトリガー戦略よりも、温和戦略のほうがより長期的に最適な戦略となっており、
やはり裏切りは長期的に見て明らかな非合理性が確認されております。
>もし洗脳が可能であるならば洗脳する側は常に裏切りがもっとも合理的です
そもそも裏切りの利得は現在では否定されております。
>応報を教育の一部として捉えればよい
力では教育にはなりません。
教育というのはやはり極端な言い方ですが洗脳という方法が合理的で直接的です。
>応報という方法は常に感情によって成立するわけではありません
感情以外の面でもこれほど充分な根拠をもって応報に対して否定できている
と指摘したのですが。
>しかし応報の概念を無くすことは教育と他ならぬ社会の秩序の形成にとって
>非常に困難であると思います
私は逆に囚人のディレンマ、それに関連する現在のゲーム理論の成果から
応報の根拠の無さ、危険性を指摘しています。
あと、
「またそれは他のニヒリストなどの死刑支持論者が黙秘を決め込んで
自分達の敗走を覆い隠している卑怯な態度を批判しているのです。
あなたはそのような卑怯な態度を取っていませんので
こちらも紳士的な態度を取っていますが、
それに対してあなた何も考え様とはしないのですか?」
に対する返答はまだのようですね。
>>171 前段については、私も以前に論じています。<<56、<<80、<<81、<<98など
ご参照ください。
窃盗犯等が「捕まって刑罰を受ける可能性を考慮しない」のは、殺人犯の
ケースとはやや意味が違うと思われます。前者は「その可能性を検討した上で、
捕まらない可能性に賭ける」人がいる、ということで、後者はそもそも「可能性
を検討するような精神状態にない」場合が多いということですので。
私は「死刑に抑止力がない」という意見には不賛成です。前に東南アジアの麻薬
所持即死刑の例を挙げましたが、もう一つ、評論家の呉智英氏が著書の中で挙げて
いた例で、「ケニアで野生動物の密猟が横行し、有効な対策がなく苦慮していたが、
あるときを境に激減した。理由は簡単、密猟者は直ちに射殺することに決定した
からだ」というのもありました。このように、「冷静な損得勘定に基づく行為」を
抑止するには、死刑は絶大な威力を発揮します。殺人についても同様でしょう。
ただ、そもそも殺人については「ある種の激情に駆られて行われる場合」が少なく
なく、それについては死刑(というか刑罰)の抑止力には限界があるのではないか、
ひいては、殺人に対する刑罰の本質は抑止以前の何かにあるのではないか、と
言いたいだけです。
それと、「異常な殺人者」と「冷静な殺人者」(とその予備軍)、という言い方
は多少引っかかりました。殺人は多少とも「異常な精神状態」のもとで行われる
ケースが多いでしょうが、そういう精神状態に追い込まれる可能性は「誰にでも」
あり得ます。そういう意味では、私もあなたもこのスレのすべての皆さんも
「殺人者予備軍」だという想像力は持った方がよいのでは、と思います。
最後に、改めて考えましたが、それが「報復感情の満足」であれ「抑止力」
であれ「再犯予防」であれ、刑罰が「効果」を発揮するためには、「検挙率」の
高さが前提となります。犯罪を犯しても捕まらない可能性が高い場合には、刑罰
の本質も死刑の是非もへったくれもないことになりかねません。この点では、
わが国の現状はかなり懸念されるところであり、これを改善するためには、畢竟
「警察力の強化」以外の方法はないことも指摘しておきます。
>>173 >殺人は多少とも「異常な精神状態」のもとで行われる
>ケースが多いでしょうが、そういう精神状態に追い込まれる可能性は「誰にでも」
>あり得ます。そういう意味では、私もあなたもこのスレのすべての皆さんも
>「殺人者予備軍」だという想像力は持った方がよいのでは、と思います。
その通りですね。
あなたも私も、「怒りのあまり」とか「憎悪に目がくらんで」とかの理由で
殺人を犯す可能性はあります。
>後者はそもそも「可能性を検討するような精神状態にない」場合が
>多いということですので。
そういう統計を見たことはありませんが、もしも仮に、すべての殺人事件が
そういう状態、つまり心神喪失状態で行われるものだとするのであれば、
殺人犯を死刑に処すことは確かに不合理です。
また、そもそも殺人を刑罰の対象とすることもナンセンスとなります。
ただしもちろん、世の中には、利益目的(営利的な殺人請負とか、保険金殺人とか、
口封じとか、男女関係清算とか)で、判断力を有する状態において行われる殺人も
有ると思います。すべての殺人事件の何パーセントを占めるかは知りませんが、
決して無視できない割合であると、根拠はありませんが私は思います。
……と、言いたいだけ言って、
>私は「死刑に抑止力がない」という意見には不賛成です。
>殺人に対する刑罰の本質は抑止以前の何かにあるのではないか、と言いたいだけです。
「刑罰の本質」とやらはよくわかりませんが、おっしゃりたいことは諒解しました。
>伯爵
>いいえ、「勘の鈍い程度に行うこと」は合理的に可能です
では具体的にその辺をどうぞ。
>自分が裏切った時、相手も裏切り、その結果最悪の結果となる
>自分が協力した時、相手も協力し、よい結果を得られる
>つまり「やられたらやり返す」の存在です
その前提になっているのが協調であり、
裏切り(応報)もそのことを前提にした上で慎重にしなければならないことです。
つまり応報が避けきらないと現状ではなってもやはり避けるべきと言う
根本的な方向性を意識することが合理的です。
>これは「囚人のディレンマ」にて決定されてます
定式化の過程にもよりますが。
囚人のディレンマの根本的な性質は協調するよりも、
裏切合いした結果利得が小さくなるものです。
ですからあなたの上げた順位の一位と二位が逆転するときもあります。
相手が裏切る脅威があるために非効率的なナッシュ均衡になってしまうことなのです。
>洗脳が可能なら洗脳する者が協力する合理的な理由が存在しません
洗脳するものとではゲームが違い、利得表もちがいます。
違う次元のゲームで。
具体的にいうならば、仕事でやっているものなので当の本人は
給料しか利得には反映しません。
>「囚人のディレンマ」の実験は我々の生活に応報が関わっていることを教えても
>その逆はないと思います
私はそのゲーム理論の成果を現実の非効率性、非合理性を分析していると
考えております。この辺はどちらが間違っているよりも観点の違いでしょうか?
>議論とは直接関係ないと思われますので返答を避けさせていただきます
「またそれは他のニヒリストなどの死刑支持論者が黙秘を決め込んで
自分達の敗走を覆い隠している卑怯な態度を批判しているのです。
あなたはそのような卑怯な態度を取っていませんので
こちらも紳士的な態度を取っていますが、
それに対してあなた何も考え様とはしないのですか?」
の質問は雑談的なものなので、雑談気分の私見という形で良いですから、
あなたが任意に雑談スレを見つけてそこで書いてください。
雑談の上の私見という形でかつ他の雑談スレで行うと言うのはどうでしょうか?
というわけで死刑支持論者は敗走した
>>173 >刑罰が「効果」を発揮するためには、「検挙率」の高さが前提となります。
>犯罪を犯しても捕まらない可能性が高い場合には、刑罰の本質も死刑の是非も
>へったくれもないことになりかねません。
>これを改善するためには、畢竟「警察力の強化」以外の方法はないことも
>指摘しておきます。
そんなことは、何千年も前から指摘されている、あまりにも当然のことです。
もしも検挙率が100%だったら、
死刑になりたい者、死ぬ覚悟のある者以外は殺人なんかしないし、
刑務所に入りたい者、入る覚悟のある者以外は、泥棒なんかしなし、
罰金を払いたい者、払う覚悟のある者以外は、立小便なんかしない。
で、
検挙率が充分に高く、また、「心神喪失状態で殺人を犯す者」の割合が充分に
少ない場合、抑止力として死刑は有効な抑止力を持ちますよね?
翻言すれば、「人を殺したら死刑になる」という制度が有効に機能していれば、
殺人が起きる可能性は減りますよね?
死刑支持論者の主張が論理的でないのは177より明らか。
すでに私に論破されているものばかり。
179 :
考える名無しさん:02/08/08 23:27
死刑賛成!!
>>177 前段については、
>>171の書き込みで改めて「刑の軽重と検挙率はセットで
考えないと意味がないのではないか」という点を考えさせられたもので、言わず
もがなのことを書いて申し訳ありませんでした。それと、仮に極度の「警察国家
化」により検挙率100%が実現し、犯罪が激減したとして、それが本当に良い
ことなのか、という疑問もあり得ますので、一応指摘しておきます。
一点、「心神喪失状態」で行った行為は犯罪にならないはずですので、言葉
の使用法が不正確だと思われます。実務のことは良く知りませんが、普通は
精神障害者や薬物中毒者等に適用されるもので、「一瞬の激情に駆られて」「頭に
血が上って」「怒りに我を忘れて」行った犯罪がそういう理由で無罪になった例
はたぶんないのではないでしょうか。要は「死刑か終身刑か無期懲役か」などと
いう比較計算が「頭から飛んでしまう」ような状態ということで、殺人の場合は
そういう例は少なくないように思います。
(ちなみに私は統計的なことは全く知りませんし、興味もありません。詳しい方
は訂正補足をお願いします。)
で、誤解しないでいただきたいのですが、私は死刑の抑止力を否定したいわけ
では毛頭ありません。ただ、個人的には「殺人に対する刑罰の本質は応報刑だろう
し、またそれで十分なので、死刑の抑止力は波及的、副次的な問題」だと考えて
いるため、「殺人は他の犯罪に比べて死刑(というか刑罰)の抑止力は効きにくい
のでは」という意見があるが、それならそうでも一向に構わない、という趣旨を
述べているわけです。早い話が、死刑の抑止効果で1000件の殺人のうち1件
でも防止できれば(ただしそんなことは立証不可能ですが)それで十分、という
のが私の立場です。
しかし、「応報刑」の考え方を認めない方にとっては、この論点は重大だと
思われますので、必要なら統計等も交えて、大いに議論をお願いします。
181 :
考える名無しさん:02/08/09 00:01
死刑の抑止力は相当なものだよ。EUは馬鹿だね。
偽善だ。死刑は最低限の遺族にとっての慰めだ。
>一点、「心神喪失状態」で行った行為は犯罪にならないはずですので、言葉
>の使用法が不正確だと思われます。
それはその通りです。
あえて不正確な用語を使ったのは、「だから罰しても意味はない」とか
「不罰とすべきだ」という意見が不正確であり誤っている、ということを
示すためでしたが、誤解を与えたならばお詫びします。
失礼ついでに確認させてほしいのですが、
>「殺人に対する刑罰の本質は応報刑だろうし、またそれで十分なので、
>死刑の抑止力は波及的、副次的な問題」
「刑罰の本質」というのは、「みんなが死刑を是認する感情的な理由」と
いう意味ですか?
刑罰に抑止効果があるという根拠も無い主張を恥じ知らすにもよくできるものだ。
死刑支持論者には正常な議論を遂行できる知能を持ち合わせてはいない
185 :
考える名無しさん:02/08/09 19:42
だいたい殺人を犯す奴は、名誉よりも刹那的な快楽を求める短絡的
な性格をしているので死ぬのを極度に恐れる。生かすことは、彼らを
して「助かった」と思わせるだけだ。死刑が彼らに似つかわしい。
>>182 >「刑罰の本質」というのは、「みんなが死刑を是認する感情的な理由」と
>いう意味ですか?
おおむねそういう意味です。「本質」という言葉に哲学的な重い意味を込めて
いるわけではありません。
私の考える「死刑」の機能としては
1.一般的・個別的な報復感情を満足させる(応報)。
→良く言えば「癒し」、悪く言えば「不満やストレスの解消」
2.威嚇による抑止効果(一般予防)。
3.再犯防止(特別予防)。というより共同体からの決定的・最終的な追放。
の3つであり、こと「殺人」に適用される場合は1と3の機能が主として
働くのではないか、というだけの話です。
1については、こういう言い方をすれば試験では落第することは承知して
おります。普通「応報刑」を説明するときは「犯した罪の重さに比例した罰を
受けるのが正義と公平にかなっている」とか「違法性の大きさに応じた罰を与える
ことで、侵害された法秩序が回復する」等々の表現が用いられるでしょうが、
私に言わせればそれらはすべて一種の「神学」「善なる嘘」の類ですので、
できるだけ「実態に沿った表現」を心がけている次第です。刑罰は要するに
国家の政策であって、公定歩合の操作や公共事業の増減と基本的には変わらない、
というのが私の立場なので。
「刑法に感情を持ち込んではならない」という批判に対する反論は、次の機会
に書きます。
>伯爵
>ただしその出し方は縮小できないパターンでなければならない
>この2点で可能となります
所詮は温和戦略です。どうも応報についての定義があなたとでは違うような気がしますね。
>応報は一人称と二人称が同じであることを分からしめるもっとも効果的な方法であると思います
その辺で先に言ったことが伺える気がします。
基本的にはあなたのこのところの主張には私は同調ですね。
>この「囚人のディレンマ」のゲームの得点配分を様々に上下させても結果はさほど変わらなかったという実験結果もあります
>もっともこれはゲームであるために得点よりも優位に立つことを望むことが多いためという批判もありますが
ようは「囚人のディレンマ」の基本的な性格は協調できない場合、ナッシュ均衡は非効率に
なるというものですからね。
>僕には洗脳はもはやゲームとは呼べないと思います
具体的にはそのあとに書いていますので、その部分のあなたの反論へのレスで書いておきます。
>しかし仕事においても直接的な関係がないとしても「囚人のディレンマ」を見出すことは可能であると思いますが?
>仕事をしてもしなくても給料が同じでは
>仕事をしない者が存在するとみな仕事をしなくなり、企業はより悪化の一途を辿るのではないでしょうか?
そうとは限りません。現実の企業がすべて悪化していますか?
これは経済学の賃金に関する説によるもので、各学派によっても意見は様々ですが。
それらを超えて各学派の共通する認識として賃金の最適な水準(労働に関する
インセンティブも考慮にいれて)になるのは長期的には達成するというもの。
ようは短期的な問題で説が分かれているだけなのでその辺は心配する必要はありません。
>僕はこのゲームから、裏切りによる利益取得をできる限り損失に近づけるような社会システムの採用が必要であると思います
同感です。私はより積極的に協調への利得へ関心を持たせるような
ものが一番最適だと考えます。
>応報を基準に、やや寛容さを持ちながら、しかしながら損得勘定から犯罪を実行しない程度の厳罰さも併せ持つ
>そのようなシステムを追求していくべきであると思います
私はそういう回りくどく応急的な方策よりも、
体系的で直接的な方策である教化を私は提案しています。
この辺があなたとの主張の違いでしょうか?
>僕自身、肯定的な解釈を信仰するような形でニヒリズムとは異なる立場にいますが
>ニヒリズムやアナーキズムからの脱却は非常に難しいと思います
>またニヒリズムは得てして議論に対してもニヒリスティックになりがちであると思います
>それはコミュニケーション行為において相互理解を否定的に見る傾向があるということです
そうれはそうでしょうね。道徳の欠如という宗教的なイメージで語るよりも
法の条文に法ったもので教化というものに解釈したほうが
恣意性を排除出来うると考えられます。
つづき
>「自分は殺されるのはいやだし、大方の他の人もそうだろう」という事実判断に
>立って「有効な制度」を模索するほかない、と考えております。
というニヒリストの根拠も無い、客観的な推論にも達しない考え方で
刑罰を考えるのが非常に問題があると考えられます。
死刑支持論者が反論できないのはいつも見える光景になったな。
ここは私が管理するスレなので、
私の出したルール、煽り、キチガイは完全無視、
反論はこのスレに書き込むこと。
というルールに従ってください。
もう一度忠告しておきます。
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ