>>935 >>「刑罰を与える義務」or「権利」は、ただちに「死刑にする義務」「権利」(を含む)
>>でしょうか?
>死刑に相当する罪を犯した者を死刑にする義務」はあると思います。
無造作に「死刑に相当する罪」と言われますが、最高刑として死刑がふさわしいのか
終身刑がふさわしいかが不明なまま、つまり、たとえば無差別大量殺人などの罪が
「死刑に相当する」のか、それとも「終身刑に相当する」のかが不明なままでは、
これは無意味な用語だと思います。
「死刑は是」であれば、「死刑に相当する罪」は存在することとなり、国家or社会は
そのような罪を犯した者を「死刑に処す義務」を負うことになります。
「死刑は非」で、最高刑が終身刑であれば、「死刑に相当する罪」は存在しないため、
当然ながら、国家or社会は、誰かを死刑にする「義務」も「権利」も持ちません。
つまり、「死刑に相当する罪」というものを「前提として」論じている以上、
あなたの論は、「死刑は合理化できるか否か」ということについても、また
「国家or社会の刑罰権は、『死刑にする権限』を含むか」ということについても、
何事をも規定するものではありません。
>俺個人としては死刑賛成ですが、その意見を他人に言って
>納得させるだけの言葉を今は持ち合わせていません。
私は、別に死刑廃止論者でも何でもありません。また、あなたが何らかの主観的な
理由によって死刑を支持されるのは、全くあなたの自由です。
しかし少なくとも、「死刑を是認するための/是認できるだけの『客観的な』理由」を、
あなたは持っていない、と理解してよろしいですね。
つまり、あなたは誰か他人に対して死刑制度の正しさを説くことは(まだ)できない、と。
953 :
理系学生A:02/07/26 11:02
>>952 >「死刑を是認するための/是認できるだけの『客観的な』理由」を、
>あなたは持っていない、と理解してよろしいですね。
>つまり、あなたは誰か他人に対して死刑制度の正しさを説くことは(まだ)できない、と。
その通りです。
>「死刑は是」であれば、「死刑に相当する罪」は存在することとなり、国家or社会は
>そのような罪を犯した者を「死刑に処す義務」を負うことになります。
>「死刑は非」で、最高刑が終身刑であれば、「死刑に相当する罪」は存在しないため、
>当然ながら、国家or社会は、誰かを死刑にする「義務」も「権利」も持ちません。
具体的に量れなくても、どの刑罰にも「罰の重さ」はあると思います。
また、やはり具体的に量れなくても、どの犯罪にも「罪の重さ」はあると思います。
よって「死刑は否」となっていても「ある罪の重さ」=「死刑の重さ」となる
犯罪は存在すると思います。
ただ「死刑は否」となっていれば死刑にすることができないのでしょうがなく
その犯罪を犯した者を終身刑にするだけのことです。
ただこのことで俺が言いたかったのは無条件に
「国家・社会が犯罪者の生命を奪う権利を持つと保障するものがない」とは
言い切れず、その条件は何かしらの公的文書(例として刑法)に
「死刑は否」と書いてあることだ、ということです。
954 :
考える名無しさん:02/07/26 12:01
>>953 >よって「死刑は否」となっていても「ある罪の重さ」=「死刑の重さ」となる
>犯罪は存在すると思います。
>ただ「死刑は否」となっていれば死刑にすることができないのでしょうがなく
>その犯罪を犯した者を終身刑にするだけのことです。
なんですかこれ。
>>953 >どの犯罪にも「罪の重さ」はある
その通りだと思います。
しかし、「罪の重さ」と「罰の重さ」との「つりあい」は、無前提に決まってはいません。
「殺人罪の重さ」=「死刑の重さ」なのか、「殺人罪の重さ」=「終身刑の重さ」なのか。
これはまだわかりません。
従って、
>「ある罪の重さ」=「死刑の重さ」となる犯罪は存在する
と断定することは不可能です。
「殺人罪の重さ」=「終身刑の重さ」<「死刑の重さ」かもしれないし、
「無差別大量殺人罪の重さ」=「終身刑の重さ」<「死刑の重さ」であって
「死刑の重さ」に匹敵する「重さ」の「罪」など存在しない可能性もある。
故に、あなたの行論は、その前提が成り立ちません。
>「国家・社会が犯罪者の生命を奪う権利を持つと保障するものがない」とは言い切れず、
「ないとは言い切れない」ということだけで、ただちに「ある」と「論証」してしまうのは、
日本仏教(略)や38の得意とする、きわめて非論理的な論法でしたね。
「国家・社会が犯罪者の生命を奪う権利を持つと保障するもの」は、
「あるかもしれないし、ないかもしれない」。
このようにしか言えない、ということは、あなた自身が以前に指摘して
おられました。
956 :
理系学生A:02/07/26 14:54
>>955 >「殺人罪の重さ」=「終身刑の重さ」<「死刑の重さ」かもしれないし、
>「無差別大量殺人罪の重さ」=「終身刑の重さ」<「死刑の重さ」であって
>「死刑の重さ」に匹敵する「重さ」の「罪」など存在しない可能性もある。
>故に、あなたの行論は、その前提が成り立ちません。
なるほど。罪や罰の重さはあるが、比較することができないので
「死刑に相当する罪」がどの程度か特定できず、また存在しない可能性も
あるということですか。もし誰か一人がその基準を作れば問題ですが
国民主権の名の下に国会で基準を定めれば問題ないと思います。
で、今刑法の上で死刑が使われているということは
その基準は客観的に問題ないものなのだろうと思います。
>「ないとは言い切れない」ということだけで、ただちに「ある」と「論証」してしまうのは、
>日本仏教(略)や38の得意とする、きわめて非論理的な論法でしたね。
「言い切れず」という言葉を使ったのは「あるかもしれないし、ないかもしれない」ではなく
「ある場合もあるし、ない場合もある」からであり、その場合分けは
「死刑は是か否か」 ということを
>>953下2行で言ったのですが。
>>956 >国民主権の名の下に国会で基準を定めれば問題ないと思います。
>今刑法の上で死刑が使われているということは
>その基準は客観的に問題ないものなのだろうと思います。
つまり、「日本国の現行刑法が死刑を認めているから、死刑は是だ」と
言われるのですね。
そういう立場で立論されるならば、これ以上あなたと議論すべきことは、
少なくともこちらからは、ありません。
長々とおつき合いいただき、ありがとうございました。
>957
理系学生に論理的根拠なんて無いのですよ。
それは私に理系学生が完全に論破されているところから自明。
959 :
考える名無しさん:02/07/27 16:21
良いか悪いかなんて議論にならないと思いませんか?
明確な判断基準がないのに判断なんてできない。
俺が良いと思ったらよい悪いと思ったら悪い、それともこう決めますか?
>959
中立的な調停者が居ない以上こうなってしまうのですよ。
あなたがやってみますか?
961 :
考える名無しさん:02/07/27 16:29
判断基準を決めようとしてもそんなのは結局個人の趣味の問題になってしまう。
>>960 あなたはどう考えているのでしょう?
参照レスなど教えて下さい。
>961
ここでは荒らし、キチガイは完全無視というルールを
管理人である私が出していますが。
まずそれをご理解いただいた上で。
>あなたはどう考えているのでしょう?
議論を突き合わせて相手が反論できなくなるまでやるというのが
現在取られる手段でしょう。
そうなればどの判断基準が妥当かもそれによって決まることになります。
ですからより妥当な議論の遂行のためには中立的な調停者が必要だと
私は提唱しているのです。
964 :
考える名無しさん:02/07/27 16:56
ルールは分かりました。
反論できなくなるまでやるというのは危ないやり方ではないですが
効率的なものでもないなぁ。他にないからしょうがないですけど。
ところで好き嫌いの問題だから結論なんかでないとは思わないのでしょうか?
だとしたらそれはなぜですか?
>964
結局は他に手段が無いのが原因なんですよ。
ですから中立的な調停者というのが切望されているのですが。
好き嫌いで法の議論されたいけないということは自明なことなのですが
しかし現状ではその要素が議論に混入されているというのが
問題なのですが。現在取れうる手段がこれが最良なものなので。
966 :
考える名無しさん:02/07/27 17:10
>>965 好き嫌いではされていない法の議論とはどういうものでしょうか?
何か例があれば教えて下さい。
あと、その手段でやるのであればとにかく多くの考え方を出していく必要があるので
自ら考え方を提唱して自分でも否定できないか考えてみるといったこともしたほうが
良いかと思います。
967 :
考える名無しさん:02/07/27 17:13
>>965 好き嫌いで決められたものではない法でも良いです。
何か例を下さい。
>966、967
そもそも法というものは私情を介入してはならない。
それが法の存在意義でもある。
私情を介入すればすなわち無秩序の様態になる。
私情というものを考えれば好き嫌いで法を決めると言うのもが
どういう結果になるかは自明でしょう。
>あと、その手段でやるのであればとにかく多くの考え方を出していく必要があるので
>自ら考え方を提唱して自分でも否定できないか考えてみるといったこともしたほうが
>良いかと思います。
それは非効率なやり方ですが、それがうまく機能するには
各人の自己の努力が前提になってしまいます。
より効率化のためにはやはり中立的な調停者というものが必要になってくるでしょう。
969 :
考える名無しさん:02/07/27 17:26
どういうところがですか?
具体的に指摘をしてください。
971 :
考える名無しさん:02/07/27 17:51
>>968 >私情を介入すればすなわち無秩序の様態になる。
なることもあるの間違いではないですか?
無秩序ではない法が存在するなら結果的にであれ私情がそれを
選択する可能性があるでしょう。
>私情というものを考えれば好き嫌いで法を決めると言うのもが
>どういう結果になるかは自明でしょう。
↑と同じ考え方ができます。
絶対的に正しいものがあってそれが法であるということではない
ので法には絶対的な正しさがあるわけではない。そうすると
何か揺らぐことのあるものによって決定されていることになります。
揺らぐことのあるもの、つまり絶対的に正しいわけではないもの、
によって決められているので法は私情とたいして変わらないものによって
決定されていると思います。
要するにいい加減さを持つということです。
972 :
考える名無しさん:02/07/27 17:55
だからいい加減さを持たざるをえないことについて議論しても
明確な結論は得られないのではないか、ということです。
>971
>無秩序ではない法が存在するなら結果的にであれ私情がそれを
>選択する可能性があるでしょう。
「私情がどうしても入ってしまう」と「私情を入れるべき」
とは違います。その違いをまずは理解せねばなりません。
つまり問題はいかに私情を法から排除できるかに掛かっているのです。
その私情による好い加減さの介在した法によって無秩序が起こるのなら
やはりその法は不適切と言わざるをえません。
974 :
考える名無しさん:02/07/27 17:58
>絶対的に正しいものがあってそれが法であるということではない
>ので法には絶対的な正しさがあるわけではない。
この部分おかしいかもしれません。少し時間を下さい。
975 :
考える名無しさん:02/07/27 18:10
>975
レスするのならレスを一通り読んだ上でしないさいと何度も言っているでしょう。
>>968を読みなさい。
977 :
考える名無しさん:02/07/27 18:17
>そもそも法というものは私情を介入してはならない。
>それが法の存在意義でもある。 /
>つまり問題はいかに私情を法から排除できるかに掛かっているのです。
>その私情による好い加減さの介在した法によって無秩序が起こるのなら
>やはりその法は不適切と言わざるをえません。
私情が介入した法⇒不適切だ.これの正しさは絶対的な何かによって保証されるのでしょうか?
私情ではないにせよいい加減さを含むものからしか導かれないでしょう。導くという表現は不適切だが。
だから絶対的なものにするには絶対的であると決めなければいけない。
この世に無い物事についての議論をするときには最初に数学でいう公理を決めなければ
その正しさを保証できない。その公理の決定は絶対的なものによってなされるのではなく
決めた後の便利さ、決定者の思想などによってあくまで主観的に決められるのです。
絶対的な正しさを持たないことについて絶対的な決定はできない。
今の問題も同様です。
978 :
考える名無しさん:02/07/27 18:18
>>976 >そもそも法というものは私情を介入してはならない。
今までは私情が介入しているですか?
979 :
考える名無しさん:02/07/27 18:19
主観的にというのは主観的な正しさしか持たないで、ということです。
おそらくは私情も関係してくることでしょう。
>977
>私情が介入した法⇒不適切だ.これの正しさは絶対的な何かによって保証されるのでしょうか?
要は原因と結果を厳密に分析すればよいこと。
定義上の問題で。私情の介入すなわち無秩序という図式によるものです。
しかしその図式が客観的に否定できうるものが無い以上それを採用するしかありません。
しかし私情の介入が無秩序を引き起こす根拠は、
誰もが(または一部のものが)好き勝手出来ると言うことからも証明できている。
>決めた後の便利さ、決定者の思想などによってあくまで主観的に決められるのです。
>絶対的な正しさを持たないことについて絶対的な決定はできない。
人間の問題である以上主観(私情)の排除は困難なものですが、
秩序形成という一種の「公理」を採用するならば、
それが現状での最適な策といわざるをえません。
>978
今までがどうとかそれを問題にしていますか?
問題にしていないことを持ち出してきても意味ありません。
981 :
考える名無しさん:02/07/27 18:26
決定自体、決まってないから決めないといけないのだから、
絶対的な正しさを持たないのは自明かな。
絶対的な正しさを持つ事柄は初めから正しいから
決める必要なんかないし。例えば運動方程式は何からも導かれない原理。
まぁ間違ってる可能性はあるにせよ。
982 :
考える名無しさん:02/07/27 18:30
>しかしその図式が客観的に否定できうるものが無い以上それを採用するしかありません。
無いから正しいというのはおかしいのでは?
否定できないは肯定できると同値ではない。
否定できないということは真か偽か分からないということ。
だから初めは決めるしかない。
983 :
考える名無しさん:02/07/27 18:33
正しいとは言っていない採用するしかないと言っているという意見であれば
真か偽か分からないものを採用するほどキケンなことはない、と返します。
>無いから正しいというのはおかしいのでは?
いやそれが正しいと言う根拠も出ているのですが。そのあと読みましたか?
現状では根拠が強いほうに軍配をあげざるを得ないのではないでしょうか。
985 :
考える名無しさん:02/07/27 18:37
掲示板上の問題点の一つにきがつきました。
正しいかどうか分からないものを保留してどんどん議論が進んでいってしまう
レスがつかなかったらそのまま忘れ去られる。
これは結構大きな問題なきがします。雑談では流れの関係でしょうがないですみますが・・・。
986 :
考える名無しさん:02/07/27 18:49
>>984 すみません。見落としてました。
>私情の介入が無秩序を引き起こす根拠は、
>誰もが(または一部のものが)好き勝手出来ることから証明される
この証明がどのようにされるのかも疑問ですが、これが証明されることから
なぜ「私情が介入した法⇒不適切だ.」このことが証明されるのでしょう?
これを証明するためにはさらに「法が無秩序⇒不適切」が証明されなければなりません。
全体をあらわすと「私情が介入した法⇒法が無秩序⇒不適切.」となります。
2つの⇒はまだ証明されていません。
987 :
考える名無しさん:02/07/27 18:56
初めの⇒の根拠に「誰もが(または一部のものが)好き勝手出来る」が
あげられていますが、では「私情が介入した法⇒一部以上が好き勝手できる」
はどのように証明されるのでしょうか?
前にいったように私情が介入した法でも、好き勝手できない法が存在するかぎり、
好き勝手できない法であることはありえます。低確率かもしれませんが。
私情が介入したほうがどのようになるかについて誰も確実な予測はできません。
好き勝手にできない法が存在しないのであれば話はべつですが。
988 :
考える名無しさん:02/07/27 18:59
別というのは予測が可能ということではなくて
「私情が介入した法⇒一部以上が好き勝手できる」
が真となるということです。
>なぜ「私情が介入した法⇒不適切だ.」このことが証明されるのでしょう?
法は秩序形成のための道具です。その目的から容易に証明されます。
>2つの⇒はまだ証明されていません。
ですからこの点においては証明は容易です。
>好き勝手できない法であることはありえます。低確率かもしれませんが。
>私情が介入したほうがどのようになるかについて誰も確実な予測はできません。
期待値を計れば私情を介入しない法が適切と言えるでしょう。
低確率なら期待値も低いです。
>好き勝手にできない法が存在しないのであれば話はべつですが。
それが理想で現在はその試行錯誤をしそれへ向かっている段階です。
> 別というのは予測が可能ということではなくて
私情を介入すなわち好き勝手できる余地という関係が成立するのは自明で
他に予想できるものが無いのです。
990 :
考える名無しさん:02/07/27 19:09
>>977につけたしです。
絶対的な決定ができない、すなわち絶対的な答えはない。
よって、そんな事柄について議論することは馬鹿げていると思う(これは僕の意見)。
>990
私は理想主義者では全くありませんが。
現実の問題として議論せざるを得ないものとして
認識しているのが私の立場です。
992 :
考える名無しさん:02/07/27 19:17
>>なぜ「私情が介入した法⇒不適切だ.」このことが証明されるのでしょう?
>法は秩序形成のための道具です。その目的から容易に証明されます。
「法⇒秩序形成のための道具」これはどう証明されるのでしょうか?
期待値で考えては厳密な議論なんて不可能です。少ないというのも感覚的なものにすぎません。
>>好き勝手にできない法が存在しないのであれば話はべつですが。
>それが理想で現在はその試行錯誤をしそれへ向かっている段階です。
それが理想って本当ですか?みんな好き勝手でよいということですか?
>私情を介入すなわち好き勝手できる余地という関係が成立するのは自明
987から自明ではありません。
>「法⇒秩序形成のための道具」これはどう証明されるのでしょうか?
ですから定義から言えるわけです。
いい方を失敗しました。つまりそれは定義です。
>期待値で考えては厳密な議論なんて不可能です。少ないというのも感覚的なものにすぎません。
しかし、ゲーム理論や統計上の議論で期待値の有効性は確立されています。
それを否定するのでしょうか?
>それが理想って本当ですか?みんな好き勝手でよいということですか?
違います。理想は私情の介入しない法の確立です。
>987から自明ではありません。
自明です。先に述べた期待値や私情というものの性質上
好き勝手できる余地が生まれてきます。
994 :
考える名無しさん:02/07/27 19:38
>>期待値で考えては厳密な議論なんて不可能です。少ないというのも感覚的なものにすぎません。
>しかし、ゲーム理論や統計上の議論で期待値の有効性は確立されています。
>それを否定するのでしょうか?
僕の言った確率というのは何ら厳密なものではありません。
例えば法の総数なんて無限にあるわけで、そのうちの個々が実際に考え出される
確率もわかりません。感覚的にそう思っただけです。「かもしれない」はそのためにつけました。
人がからむので実際に検証することも無理でしょう。
それに期待値の有効性ていうのはそれが数学的に導かれた期待値であるというだけ
のものです。少ない数ではあまり意味をなしません。
>>987から自明ではありません。
>自明です。先に述べた期待値や私情というものの性質上
>好き勝手できる余地が生まれてきます。
987を参照。自明なら証明してください。
本来、自明というのは証明するのに当たり前すぎるから書かれるだけです。
証明できないというわけではありません。
995 :
考える名無しさん:02/07/27 19:48
教導者さん
いいかげんsage進行でやれば?
>それに期待値の有効性ていうのはそれが数学的に導かれた期待値であるというだけ
>のものです。少ない数ではあまり意味をなしません。
ゲーム理論では必ずしも数学的に導かれたものとは限りません。
効用関数とか厳密な数学的なプロセスを通っていないのもありますから。
しかし、感覚的なものでもそれを否定するの不可能であれば
それは採用されます。客観的にそういえるのですから。
>本来、自明というのは証明するのに当たり前すぎるから書かれるだけです。
>証明できないというわけではありません。
自明です。
>>989参照。証明終わり。
この証明に批判があるのなら具体的な指摘があるはずますその「証明」が必要です。
とりあえず今日はここまでにします。
明日適当な場所をあなたが任意に指定して反論しておいてください。
998 :
考える名無しさん:02/07/27 19:53
一番の誤りは自分は誤らないと思い込んでいることさ
999 :
考える名無しさん:02/07/27 19:54
1000 :
考える名無しさん:02/07/27 19:55
ところでどうなるの?
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。