キリスト教とイスラム教と仏教どれが一番正しいの?

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1考える名無しさん
どれか選んで下さい
2考える名無しさん:02/06/23 08:37
三択問題で選択肢だけが示されても、問題の本文が無ければ答えられない。
3考える名無しさん:02/06/23 08:43
>>2
>どれが一番正しいの?
4考える名無しさん:02/06/23 09:15
発生した時点では正しかったが、
今となっては環境に合わず、陳腐化しているため
どれも正しくない。
5考える名無しさん:02/06/23 09:20
哲学的にいえば最も合理的なのは仏教。人格的な超越神等々は一切認めない。
(日本で非合理的と思われているのは思想内容の理解が浅すぎるから。)
6考える名無しさん:02/06/23 09:23
>>3
それは設問じゃなくて回答条件だろう。

次の問題に正解があると思うかい?
--
以下のうち一番正しいものを選べ
1.ワシントン 2.ロンドン 3.パリ
--
7考える名無しさん:02/06/23 09:27
以下のうち一番住みよい街を選べ
1.ワシントン 2.ロンドン 3.パリ

だったら可能なのでは?

宗教に「正しさ」は判断基準にならないと言われたら、そうかもしれないけど。
街にしても、「住めば都」とも言うし。

「正しさ」をはかる基準があるのかどうかがまず問題だよね。
8考える名無しさん:02/06/23 09:34
>>7
それはつまり、
「以下のうち住みよい街として一番正しいものはどれか?」
ってことだろう。

このスレの設問は「住みよい街として」に対応する部分が欠落してるから
回答できないってこと。

>街にしても、「住めば都」とも言うし。
だから、「正しい(とあなたが思う)ものはどれか?」という設問にならざるを
得ないわけだが。

>「正しさ」をはかる基準があるのかどうかがまず問題だよね。
「正しさ」というのは「問題の要求を満たすかどうか」でしか測りようがない。
だからその問題が無い以上は「正しい」答えは存在しようがない。
9考える名無しさん:02/06/23 09:34
哲学と数学と物理学どれが一番正しいの?
10考える名無しさん:02/06/23 10:04
>>8
1はさ、「正しいのはどれか」という意味の限りにおいてであって、
「正解」を選べというような「正しさ」を求めていないと思う。
だから、依然1の問いは有効であると思われる。
11考える名無しさん:02/06/23 10:11
仏教に関しては、中村元氏の著作、イスラム教に関しては井筒さんの著作。
キリスト教に関しては、田川建三さんの著作。
旧約聖書はW・H・シュミットなどを読んでみましょう。
12考える名無しさん:02/06/23 10:53
>>10
どうも意味を判別しずらいのだが。
「「正しいのはどれか」という意味の限りにおいて」 1 は
「何を」聞いているというのだね?
13考える名無しさん:02/06/23 10:56
正しいというのは武力があるかどうかである。
現在のところ最大軍事勢力であるアメリカを取り込んでいる
キリスト教がもっとも正しいと言わざるを得ない。
14考える名無しさん:02/06/23 10:58
「正しい」の意味が不明。
キリスト教とイスラム教と仏教どれが「教義内部に矛盾がないという点において」一番正しいの?
キリスト教とイスラム教と仏教どれが「個人の安心立命に至る方法として」一番正しいの?
キリスト教とイスラム教と仏教どれが「麻原尊師の教えに照らして」一番正しいの?
15考える名無しさん:02/06/23 12:17
まぁいずれにせよ1は色んな意味でとっても無責任という罠
16考える名無しさん:02/06/23 21:25
正しいか正しくないかは人に聞くな。
勉強しろ!
17考える名無しさん:02/06/24 19:18
我々は正しい
すごく正しい
いっちゃん正しい
       〜 by あじま しでお 〜

というわけで、自分にとって都合のよい教えが正しい教えなのです
18考える名無しさん:02/06/29 01:09
まあ仏教が一番マシだよな。イスラム教は最悪。
19考える名無しさん:02/06/29 01:31
>>18 君が最悪 日本のお子ちゃまが宗教を把握した気になんな
20考える名無しさん:02/06/29 01:37
>>11
田川健三さんてすんごいよね
日本のキリスト教研究のレベルの高さを表しています
21考える名無しさん:02/06/29 01:38
>>19
>日本のお子ちゃまが
ってことはお前は外国人?

キリスト教も仏教別にいいんだけど
イスラム教ってダサくねーか?
22考える名無しさん:02/06/29 01:39
>キリスト教も仏教別にいいんだけど
ここ「キリスト教も仏教も別にいいんだけど」に修正。

23蝿皇子:02/06/29 03:26
各宗教は、それぞれの背景の文化にしたがって成立しているので、どれが正しいと言うのは意味のないこと。
特に仏教とキリスト教は、あまりにその最初の段階と発展段階とが違うし、それぞれに矛盾を多くかかえることになる。
そうした意味ではイスラームが最も正しく伝えられているだろう。
しかし、新しい時代に生まれ、しかも日本というニュートラルな場所に在るという幸運に恵まれた我々が、どれが正しいなどと断ずるのはあまりに無価値。
どれが正しいのか? と興味を持ち、自分で探求するのは価値のあることだが。
24考える名無しさん:02/06/29 07:45
正直、昔の天才よりも現代の凡人のほうが知的レベル上だろ?
たとえば
昔の数学者が一生をかけて定理を発見したとする。
その定理を現代の学生は90分の講義を聞いて理解してしまう。
25考える名無しさん:02/06/29 07:49
仏教が正しい
ああ神様とかほざいて前頭葉赤くさせてる様な奴等
には理解できんだろうが
26考える名無しさん:02/06/29 07:57
知的レベル……。
27考える名無しさん:02/06/29 08:52
ラディンと話すと殺人も神のためだと納得できるらしいね。
28>24:02/06/29 09:27
言えてるな。
一生かけても円周率を1000ケタ計算できなかった時代があったなんて
29考える名無しさん:02/06/29 09:36
>>1
全部正しいんじゃねーの? 信じてる人には。
こんなトコに書き込んでる暇があったら、全部入りなよ。
30考える名無しさん:02/06/29 09:55
日本人なら、神道 だろ
3111:02/06/29 13:40
正しい正しくないっつーか。
文献学的に読んでみろよ。
哲学板なんだから宗教的な読み方をするな。
32考える名無しさん:02/06/29 15:45
すくなくとも、カインの妻の出身も説明できないような宗教は
正しくないと思うぞ。
33考える名無しさん:02/06/29 23:26
>>32
仏教の場合「方便」として真実とはいえないような話が語られたりするけど
キリスト教(というよりユダヤ教かな)もそんな感じじゃないの?

旧約聖書の内容を全部マジで信じるようでは頭悪すぎ
3433:02/06/29 23:27
>頭悪すぎ
これは32さんを指してるわけじゃないよ、念のため
35考える名無しさん:02/06/30 09:31
つまり、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も、
みんな頭悪すぎということですね。
36考える名無しさん:02/06/30 15:33
>35
あなたが頭悪すぎということとちゃうか?
37考える名無しさん:02/06/30 19:55
論理的に正しいのは仏教
38考える名無しさん:02/06/30 20:27
天皇が最も正しい
39考える名無しさん:02/06/30 20:49

釈尊は、実際のところ独覚にすぎなかった、と
考えてよろしいでしょうか? 歴史的に。
40考える名無しさん:02/06/30 22:51
お前は権威主義者か?
41考える名無しさん:02/07/01 06:23
>>5>>18>>37
仏教が一番マシってのには賛成。
キリスト教、イスラム教が人間中心の世界観に閉じこもっているのに対して、
仏教は自然も含めた包括的な世界観(宇宙観っつった方が近いか)を持っている。
つまり、エコロジカルで、システム的でかつ、ちょっと神秘主義的。

ただ、これらの特徴をすぐにニューエイジサイエンスと結び付けるのは早計。
両者に類似性があるのは確かだが、明確な関連性があるわけではない。
42考える名無しさん:02/07/01 14:13

イスラム教とキリスト教は「正しく」はない。
>>32が指摘したような、「教義内部の自己矛盾」を抱えているから。
43考える名無しさん:02/07/01 14:30
国内にゆるしと正義を
教皇、マケドニア大使に
(2002.6.28)
 教皇ヨハネ・パウロ2世は、28日、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国の新しい大使と
お会いになった。
 この日の朝、イヴァン・アンゲロフ大使は、信任状提出のため、
バチカン宮殿を訪れた。同大使は61歳、これまでローマに本部のある
国連食糧農業機関(FAO)のオブザーバーや、同国の農林大臣をつ
とめていた経験もある。
 教皇は大使に向けた挨拶の中で、バルカン諸国の民族紛争の影響
を背負う同国が、分裂と憎しみを乗り越え、ゆるしと正義、兄弟愛
に満ちた未来を築いていけるよう願われた。
 そして、同国の社会において、人権擁護や社会福祉、教育などの面
で、カトリック教会も少数派ながら積極的な貢献をしていきたいと
述べられた。
44考える名無しさん:02/07/01 16:57
>>42
ヨーロッパ中世において最高の学問とされた神学は
こういったことに屁理屈を無理やりこじつけて正当化する学問だったんだろうか
45考える名無しさん:02/07/01 17:59
中国の経学も、イスラム神学も、
似たようなもんじゃなかったの?
46考える名無しさん:02/07/01 18:07
>44
そんなことを言う前に
W.G.KummelだのPh.VielhauerだのJ.Schimidだの
読んでから語れ(ドイツ語の文献です)。
47考える名無しさん:02/07/01 19:26
>>46
神学になんぞ興味はねえ
「ニッポンには、いらん」
48考える名無しさん:02/07/01 22:33
>47
仏教やるならマックス・ミューラーぐらい読め!
49考える名無しさん:02/07/01 22:52

日本人なら神道だろ

お賽銭ケチるな !

50考える名無しさん:02/07/01 23:21
>>48
心から仏教を学びたいなら、文献学者の本なんか読むな! 
菩提心を備えた伝承者から、教えを聞け!
51考える名無しさん:02/07/01 23:36
ひたすら禅を打てば、そのうちに頓悟しますが、何か?
52考える名無しさん:02/07/01 23:47

カツ丼を食ってはならぬ 

天丼にすべし

53蝿王子:02/07/03 02:13
>>52

和羅!

54考える名無しさん:02/07/04 02:40
キリスト教はね キリスト本人が言ったことの正しさ云々より
キリスト教会がいかに権威を維持できるかに注力されてっから ダメね^
宗教会議(何とかの… 忘れたが・・)で解釈をケテーィしてんだから 
キリスト本人を馬鹿にしてるってのにもほどがあり過ぎるっちゃ
仏教にしても キリスト教にしても実際本人の自筆ではないわけだから
信憑性薄いよな だって読んでて信じらんない出来事があまりにも起こりすぎてっから
それは 教義への参加を煽るためのもしくは信者へのサービス???
ふぃくしょんなんだなあ
そういう人間の手の掛かった代物には胡散臭さが必ずしも残ってしまう。
でも僕キリスト君も仏陀君も嫌いじゃないね
尊敬してるくらい。
憎むべきは以降の正義を装った似非聖人たちだなあ
逝っていいよなあ
大体さあ 母体は一緒でいろんな風に枝分かれしてクジャン
仏教にしろキリスト教にしろイスラム教にしろさあ
だから胡散臭いってえの 人間様様って感じの匂いぷんぷんさせちゃってて
やんなるなあ 
解釈次第だね 
ちゅうことで 何が一番偉いかってったら
それは 俺だね 
逝っていい?

55C_sugar:02/07/04 02:50
まあ、不老不死が科学で実現できれば宗教は必要ないってことだ。

輪廻転生を唱えている仏教は微妙だが。
56考える名無しさん:02/07/04 04:10
山に登ることを目指すのが宗教の目的だと例えれば、

山を登る経路はいくらでもあり、
どの経路が正しいというのは、すこし違っていて、
自分にとって、どの経路が一番あっている、あるいは
たまたま見つけ出した経路であると考えるの、
合っていると思われ。
57 :02/07/04 04:30
ピオ神父列聖ミサ・説教
(2002.6.16)
 親愛なる兄弟姉妹の皆さん
 「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」
 (マタイ11、30)
 今、耳にしたばかりのキリストが弟子たちに向けたこの言葉は、
今日の荘厳な列聖式の最も大切なメッセージを理解するために大きな
助けとなります。キリストのこの言葉は、今日、聖人の列に加えられ
たピオ神父の全生涯をある意味で見事に要約していると言えます。
58 :02/07/04 04:30
福音が言う「くびき」という言葉は、サン・ジョバンニ・ロトンドの謙遜なカプチン会士ピオ神父が日々出会わなければならかった様々な試練を想起させます。
今日、私たちは、キリストの「くびき」は忠実な愛をもって担う時、どれほど負いやすく甘美なものであるかを、ピオ神父の中に観想し理解します。
 ピオ神父の生涯とその使命は、困難や苦しみは愛によって受け取られるなら、ただ主だけがご存じのより大きな善へと開かれた聖性に到るための、素晴らしい手段になるということを証明しています。
59 :02/07/04 04:31
「しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架
以外に、誇りとするものは、断じてあってはならない」
 (ガラテヤ6、14)。
 ピオ神父の生涯において最も輝いていたのは、この主イエス・
キリストの「十字架の誇り」だったのではないでしょうか。
ピエトレルチーナの謙遜なカプチン会士が生きた十字架の霊性は、
今日でも何と価値のあるものでしょうか。私たちが生きているこの
現代は、希望へと心を開くための価値の再発見を必要としています。

60 :02/07/04 04:31
あがないのみ業に特別な方法で協力するよう自分が呼ばれていること
をはっきりと自覚していたピオ神父は、その全生涯を通じて、絶えず、
ますます十字架に架けられたキリストに似た者となるよう努力しまし
た。この絶えざる十字架への指向を抜きにしてピオ神父の聖性を理解
することは出来ません。
61 :02/07/04 04:31
神の救いのご計画において、十字架は全人類を救うための真の手段
であり、キリストに従いたいと希望するすべての人々に主ご自身が
はっきりと示された道です。
 ガルガーノの聖なるカプチン会士はこのことをよく理解しました。
1914年、聖母被昇天の大祝日に次のように書いています。
 「私たちの最終目的に到達する為に、神である私たちの指導者
キリストに従わなければなりません。キリストは、選ばれた霊魂を
導くために自分自身が歩んだ道、すなわち、自己放棄と十字架の
道以外お選びになりませんでした」。
62 :02/07/04 04:32
 「わたしは、あわれみをもって 行動する主である」
 (エレミヤ9、23)。
 ピオ神父は神のあわれみの寛大な分配者でした。すべての人々を
喜んで受け入れ、霊的指導を与え、特に赦しの秘跡を通して神の
あわれみを多くの人々に分配しました。
 告解場での使徒職はピオ神父を特徴づける使徒職の一つでした。
無数の人々がピオ神父から告解を聞いてもらうためにサン・
ジョバンニ・ロトンドの修道院に赴きました。
 ピオ神父が、時には巡礼者たちに見た目には厳しい態度を取ったと
しても、彼らは皆、罪の重さに気づき、真心から痛悔して、
いつも秘跡の赦しを得る為に、再びピオ神父のもとに戻ってくるの
でした。
63 :02/07/04 04:33
 ピオ神父のこの模範が司祭たちを励まし、今日でも大変重要なこの赦
しの秘跡の使徒職を喜びと熱意を持って果たせるよう心から願ってい
ます。

 「主よ、あなたはわたしの唯一の善です」。
 今日のミサの答唱詩編の中で私たちはこのように歌いました。この
言葉を通して、新聖人は神を私たちの唯一最高の善と考え、すべての
ものの上に置くよう招いています。
 事実、ピオ神父のあの効果的な使徒職の最も深い理由、深い霊的な
実りの源泉は、彼自身の絶えざる親密な神との一致にあったのです。
その証拠に、ピオ神父は長時間を祈りの中に過ごしていました。
そして、よく次のように繰り返し言っていました。「私は、祈りとは
最高の武器であり、神の心を開く鍵であるとの確信をもって祈る、
一人の貧しき修道者です」と。 
64 :02/07/04 04:33
ピオ神父の霊性の根本的な特徴であるこの祈りは、彼が創立した
「祈りのグループ」の中に脈々と受け継がれ、教会と社会に信頼に
満ちた絶え間無い祈りの素晴らしい貢献を提供し続けているのです。

 ピオ神父は、祈りに具体的な愛徳の業をも一致させていました。
「苦しみを和らげる家」と名づけられた病院はその素晴らしい例です。
祈りと愛徳、これこそ、今日、すべての人々に提示される、
ピオ神父の教えの具体的な総まとめだと言えましょう。
65考える名無しさん:02/07/04 09:18
>>56
各自が違う山を目指しているという罠
66考える名無しさん:02/07/04 15:23
このスレ読んで、日本人には仏教が合ってるんだなと思った。
67キムチ教徒:02/07/04 15:26
42って馬鹿だよね。
68考える名無しさん:02/07/04 18:06
>>66
確かに仏教大人気だね
69考える名無しさん:02/07/04 18:40
臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前!
70考える名無しさん:02/07/04 19:43
魔女狩りやテロがないから仏教
知らんだけかも。。
71考える名無しさん:02/07/04 20:07
哲学的に深そうな感じなので仏教。
72生臭坊主:02/07/04 20:51
71みたいなバカっぽいのが好みそうなので、仏教以外。
73考える名無しさん:02/07/04 21:19
>>72
そんなあなたにヒンズー教
74考える名無しさん:02/07/04 21:33
ゾロアスターに一票
75考える名無しさん:02/07/04 21:36
オウム真理教

マジレスです。仏教の本流でしょう。
76考える名無しさん:02/07/04 21:37
神道。全ての自然に神が宿るという考えが(・∀・)イイ!!
77考える名無しさん:02/07/04 21:38
だから「正しい」って何さ。
78考える名無しさん:02/07/04 21:45

日本人なら、神道だろ。

最低、100円、賽銭入れろ。

79考える名無しさん:02/07/04 21:48
統一教会まんせー!
80考える名無しさん:02/07/04 21:54
教皇庁諸宗教対話評議会
議長 フランシス・アリンゼ枢機卿

2002年灌仏会(花祭り)によせて

親愛なる仏教徒の皆さん

 今年も灌仏会にあたって、教皇庁諸宗教対話評議会を代表し心から
のお祝いを申しあげます。世界中の仏教徒の皆さんが喜びに満ちた
素晴らしい祝日を迎えることが出来るようお祈りいたしております。
81考える名無しさん:02/07/04 21:55
今このお祝いの言葉を述べながらも去年の9月11日に起こったあの
衝撃的な出来事を思い出さずにはいられません。あの時以来世界中の
人々が未来に関して新たな恐れを抱いています。このような恐れの
最中にあって、未来に向けてより平和な世界の実現のため、希望を
はぐくみ、そしてこの希望に基づく文化を築き上げるのは、善意ある
あらゆる人々と共にキリスト教徒、仏教徒としてのわたしたちの義務
ではないでしょうか。

 今日、わたしたちは高度に発展した技術社会に生きています。
この事実は、人間的価値観促進に関して様々な問題を提起します。
このことについて皆さんと一緒に考えてみたいと思います。受胎の
最初の瞬間から自然死に至るまでの各自の生命に対する権利は、
人間的価値の中で疑いもなく最も重要なものの一つです。しかしながら
、この生命に対する権利が、高度に進歩した技術に操作されると言う
深刻なパラドックスともなっていると考えるべきです。このような
パラドックスは「死の文化」を作り出すまでになっています。
そこでは、中絶や安楽死、または生命そのものに関する技術的実験
行為が、あるところではすでに、また他のところではこれから法的
にも認可されるだろうという事態にまで発展しています。何のとがも
ない無防備な生命や回復の希望のない病に犯された生命を死に追いやる
ような「死の文化」と何千という罪なき人々を虐殺するというあの
9月11日のテロリズムとの間に何らかの相関関係を見出すことが
出来るのではないでしょうか。双方とも人間の生命についての概念に
起因するものです。
82考える名無しさん:02/07/04 21:56
俺イズム
83考える名無しさん:02/07/04 21:56
 仏教の教えや伝統は、ありとあらゆるもの、たとえ何の意味もない
ように見えるものをも尊重しています。何の価値もないようにみなさ
れるものに対してもこれほどの配慮を示すのであれば、わたしたち
キリスト者が、神ご自身の似姿として創造されたと信じる人間に対
してはどれほどの尊敬を抱くことでしょう。人間の尊厳とその権利は、
確かに近年カトリック信者たちが関心を示す最も重要な問題です。
生命の権利が、自然死に至るまで完全に保護され、かつ、人間の尊厳
に相応しい具体的な生き方が出来るための必要条件が、すべて
整えられるような「生命の文化」をカトリック信者と仏教徒は、共に
手を携えて築き上げるべきです。これこそ「死の文化」を阻止し打ち
破るための方策だと思います。

人間の生命に対する尊敬は、社会的な現実となる以前に人々の心の中
にこそはぐくまれるものだというのが、わたしたちの共通の確信です。
ここでわたしは、おそらく、自分たち自身が目の当たりにしたあの
悲劇的な出来事に躓き、最もその心を痛めている若者たちに特別な
注意を向けてみたいと思います。生命の尊重に向けての若者たちの
教育は今日最も急を要する事柄の一つです。青少年たちの間で確固
たる倫理的確信や生命の文化が何よりも価値をもつようにするために、
若者たちの教育についてわたしたちはそれぞれの宗教団体を通じて
分かち合いをすることが出来るでしょう。社会全体の中に生命の文化
と倫理がなによりも大切にされるようになって、はじめて生命尊重の
原理が社会の中にも法制度にも根づくのを期待することが出来るのです。


84考える名無しさん:02/07/04 21:56
親愛なる仏教徒の皆さん、これが今年皆さんと
分かち合いたかった思いです。すべての人々にとってより平和で
幸福な世界をもたらすだろうとの希望をもって、共に未来に目を
向けましょう。灌仏会おめでとうございます。

2002年4月8日  バチカンにて、
      
教皇庁諸宗教対話評議会
議長 フランシス・アリンゼ枢機卿
85考える名無しさん:02/07/04 21:57
そっか
86考える名無しさん:02/07/04 22:09
>65
おもしろい!!!
劇藁。
87考える名無しさん:02/07/04 22:23

梅棹忠夫なんてどうなん?
88考える名無しさん:02/07/04 23:27
どれがって言われてもな。それぞれの教えを
ここに載せてくれよ。それから判定する。
89 :02/07/04 23:47
神学もろくに知らないやつが哲学やってるのか。
そりゃ世界的な哲学者でないわな。
永井はキリスト教徒らしいけど。
90考える名無しさん:02/07/05 00:28
仏教には勝てないって。まじヤバイから。
91考える名無しさん:02/07/05 13:12
>>89
キリスト教のような論理的に不備の多い宗教の知識がなんで哲学に「必要」なわけ?

哲学って「キリスト教に汚染された西洋哲学」に限定されるほど狭いもんじゃあるまいに
ソクラテスやプラトンやアリストテレスがキリスト教を知ってたのなら話は別だけど(w
92考える名無しさん:02/07/05 14:30
知ってたら、教義内部の破綻を指摘して否定してたと思うヌ
93考える名無しさん:02/07/05 16:16
>>91
論理的に不備の少ない哲学を教えてください。
94考える名無しさん:02/07/05 16:35
>>93
仏教は論理的に不備は全くないよ。ある意味完璧哲学。
天才が書いたものには論理的な破綻が無いことが多いよ。

釈迦は天才!
95考えない名無しさん:02/07/05 16:49
ということだそうなので、誰か仏教の論理破綻を指摘してキボンヌ
96考える名無しさん:02/07/05 16:50
>>94

もう少し具体的にきぼんぬ。
他の宗教と対比して。
97考える名無しさん:02/07/05 16:51
---------------------------------------------------
FLASHでみんなの心を一つにしたい!
http://pc.2ch.net/test/read.cgi/swf/1025774508/-100

低下した2ちゃんねるのモラルを回復させ、みんなの心を
一つにするFLASHを作りたい!
どんな感じでの協力でもいいので協力してください。
FLASH作れる人は是非協力を!
---------------------------------------------------
98丸楠:02/07/05 20:12

宗教は、   あ、変だ。
99考える名無しさん:02/07/10 20:33
神様が本当にいると思ってる馬かいるのか?
ただ単に小さい頃から神様が当たり前に存在してる
と感じさせる生活をする事で洗脳されただけなんじゃないのか?
100考える名無しさん:02/07/10 21:10
agetageru
101考える名無しさん:02/07/10 21:21
>>99
分からなければ、神様に聞いてごらん。
この世の真理という神様に。
102考える名無しさん:02/07/10 21:23
そういう冗談はやめにしてくれないか・・・
103   :02/07/10 21:59
99の考える神の定義を聞きたい
104考える名無しさん:02/07/10 22:09
八百万も神がいてたまるか! ヴォカ!
ってサウスパークで言ってた。
これって仏教?
10599:02/07/10 22:33
>>103
人に聞くときは自分がまず答えろ!
106考える名無しさん:02/07/10 22:48
>>104
だまれFuckin' Jew!!
107   :02/07/10 23:12
いちいち書くのがメンドイからスピノザの「エチカ」
辺りが自分の考えにそこそこ近いからその辺読んで。
108考える名無しさん:02/07/10 23:35
>107
103?
109   :02/07/10 23:37
そうです
110考える名無しさん:02/07/11 07:18
「工千力」 ( こうせんりょく ) って、なに ?
111考える名無しさん:02/07/11 08:24
>>110
ワカラン
112荘田:02/07/15 20:11
 宗教は過去に起こった出来事やこれから起こる出来事に対して、都合の良い答えを与えて普段の生活をし易くするための潤滑油だと考えている。
したがって、どの宗教が正しくてどの宗教が間違ってるとかではなくて、個々が一番受け入れやすい宗教選べばいいし、自分の生活が円滑に行くのであれば
世間に認知されてない宗教でもかまわないと思う。  
113考える名無しさん:02/07/15 20:43
ひんどぅーは?
114考える名無しさん:02/07/15 21:30
>>113
ひんどぅーは正しい
すごく正しい
いっちゃん正しい
115考える名無しさん:02/07/15 22:08
個人的にキリスト教は嫌いです
116考える名無しさん:02/07/16 05:22
>>115
なんで?
117考える名無しさん:02/07/16 05:25
日本沈没破滅滅亡教が正しい
118考える名無しさん:02/07/16 05:26
>>117=儒教
119考える名無しさん:02/07/17 01:43
キリスト教、仏教、イスラーム、一応入門的な本は
読んでみたけど、やっぱり仏教が比較的納得いくかなあ。
まあ漢字語の意味が最も取りやすいだけかも知れんが。
「無理矢理漢字にしてみました感」が少ないって意味で。

まあ、一預言者イエスの扱いに困ってるのが見え見えな
イスラームもかわいくて萌えだが。
120考える名無しさん:02/07/17 01:56
>「無理矢理漢字にしてみました感」が少ないって意味で。

まあ、中国で無理矢理漢字にして、
その後の長い歴史があるから、
こなれてきてるんだろうね。
でも、やっぱ、サンスクリットとかパーリとかやると、
もっと分かりやすくなるって聞いたよ。
(おいらにゃ無理だけど)
121考える名無しさん:02/07/17 08:14
>>99

典型的な日本人の思考パターン。
日本で育つと誰もがそうなる気がします。
その先入観を捨てるのに10年はかかると思われ。
122考える名無しさん:02/07/17 08:37
日本にゴッドはいない。
123考える名無しさん:02/07/17 09:48
キリストとマホメットと釈迦誰が一番好き?
124考える名無しさん:02/07/17 10:53
キリストとマホメットと釈迦
誰が一番偉いの?
125119:02/07/17 13:49
>>120
おお、言いたいことがわかってくれてありがと。書いた後、
「仏教の原語が漢字?ハァ?」って言われる気がしてた。
>>123
友達にいてもいいかな〜って思うのは
ムハンマド、釈迦、イエスの順かな。すぐキレるイエスは
まさに現代のDQNかも。
126考える名無しさん:02/07/18 03:16
釈迦以外はただのパラノイア
127考える名無しさん:02/07/18 03:23
>>121
つっ釣られてるゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーッ!!!!!
128考える名無しさん:02/07/18 03:52
>1
ここは哲学版だから、その観点からすれば仏教。全く比較にならない。話にならない。
セム系宗教を「宗教」とするならば、仏教は「宗教」とすら称すべきではない。
機会があれば中央公論社『世界の名著2 大乗仏典』の冒頭の概説だけで良いから、
立ち読みしてみることを勧める。いっていることが即座に分かるはずだ。
129考える名無しさん:02/07/19 15:35
>>124
キリストじゃないの?
130考える名無しさん:02/07/19 15:37
キリストはガテン系
131考える名無しさん:02/07/19 15:53
オウムは?
132考える名無しさん:02/07/19 16:01
>>131
ヒンドゥー教や、中国化する以前の仏教は大体あんなもの
133♯I rub you:02/07/19 16:40
僕は一つ目教です。未来キノコくれよ。
134考える名無しさん:02/07/19 17:47
>>95
無理。少なくとも釈迦が言った事に議論するのは無理。
まじ天才やばい。
数千年も前から独我論と実在論を矛盾なく両立させてる。
ttp://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1002665842/l50
ここでも両立させたが、ヒントは釈迦だった。
135考える名無しさん:02/07/19 18:17
直リン白よ?
136考える名無しさん:02/07/20 13:08
>>135
同意。見れないぞ。
137考える名無しさん:02/07/20 19:52
>>134
そのスレ全部見たけど、
どこで「独我論と実在論を矛盾なく両立させてる」のさ?
138考える名無しさん:02/07/20 19:55
釈迦は実在論じゃないぞ。
139考える名無しさん:02/07/20 19:58
釈迦もキリストもホモです。
140考える名無しさん:02/07/20 20:01
宗教家は負け犬で、もてないか、女性の前に出ると自信がなくなるから、
当然ホモが多い。
141らーふら:02/07/20 20:12
>>139
釈迦は子供がいるぞ
142信者:02/07/20 21:41
皆さん何をおっしゃっているのですか。
統一原理が一番正しいに決まっているではありませんか。
143考える名無しさん:02/07/20 21:43
信者は全員自分が冗談を言っていると思っているからたちが悪い>宗教
144信者:02/07/20 21:55
え?どういうこと?
私のことですか?皆さんのことですか?
私は真剣な統一原理信者ですよ。
皆さんは冗談なのですか?
145考える名無しさん:02/07/20 21:56
>>144
真剣なのは教祖だけだ。それか教祖の後継者か、しかしそういう奴は
分派を作るので信者にとって迷惑な場合もあるかもしらん。
146考える名無しさん:02/07/20 21:57
統一原理って統一協会?
147信者:02/07/20 22:07
一応、統一教会になりますね。
統一教会は組織的にまずいところが多くて苦しみも多いですけど…
でも原理は真理だと思います。
要は教理の通りに実践する心の強さを持つことが大事だと。
釈迦やイエスも、勿論、我が師、我が父である文鮮明先生も強い人だったはず。
148既知外:02/07/21 10:39
宗教はどれも間違ってる。
これが正解。
149考える名無しさん:02/07/21 13:10

カトリックのほうが戦闘能力高いと思われ
150考える名無しさん:02/07/21 14:46
無神論でもカトリックでいられるあたりが、連中のすごさだと思う。
アクション・フランセーズとかさ。一遍、破門されたけど。
151考える名無しさん:02/07/21 16:14
>世界基督教統一神霊協会
なんでオマエラ、略称「統一協会」にしないの?
「統一教会」だって(ププ
152考える名無しさん:02/07/21 17:34
>でも原理は真理だと思います。
かいつまんで「絶対に真理だ〜」っつ〜強烈な部分を書いてみれ
153考える名無しさん:02/07/23 06:00
どれも正しくない。
154考える名無しさん:02/07/23 11:57
全部正しいよ!!
155もはや:02/07/23 12:29
正しいか否かなんて、どうでもいい。
(ちゅーのは仏教だけかな?)
156考える名無しさん:02/07/23 13:58
神道が一番。
そもそも野暮ったい修身や戒律など必要としない。
お腹を満足させるための米作りと一体化して誕生。
日本最長にして最古。寺みたく門がないから何てたってオープン。
ガキの頃のかくれんぼから学生の頃の女の子との立ちバックまで何でも
カミさまは包み込んでくれる。最高だろ?
157考える名無しさん:02/07/23 14:19
>>156
もう飢饉はないし、米の需要も激減したし、立ちバックは居酒屋のトイレ
でするから神道もいらないや。
158考える名無しさん:02/07/23 15:02
>>156
いつ飢饉がきてもおかしくないと思うが
159考える名無しさん:02/07/23 19:23
さすがわ、2chですね。
知識がないのにカキコですね。
160考える名無しさん:02/07/23 20:39
>>56 
禿しく遅レスですが、その山っていつまでも頂きが見えないんですよね。
登ってるかと思ったら下ってるし。
161考える名無しさん:02/07/23 21:59
愛する若者の皆さん

1 恒例の世界青年の日にあたり、喜びと愛をもって皆さんに心を向けると
き、ローマのトル・ベルガータの広場に建てられたあの大きな「門」の素晴
らしいイメージを思い起こします。昨年8月19日の夜、第15回世界青年
の日の閉会式前夜祭開催にあたり、世界5大陸圏を代表する5人の若者たち
と手に手を取り合い、十字架に付けられて死に、復活されたキリストのまな
ざしのもとであの大きな「門」をくぐりました。それは、皆さんと一緒に第
3千年期に入ることを象徴していました。

 「ここで私は、皆さんを通して、教会と世界にみなぎる“若さの賜物(た
まもの)”の故に、心から神に感謝の意を表したいと思います」(2000
年8月20日「閉会式ミサ」説教)。

 同様に、過ぎたばかりの20世紀最後の約20年間、“きのうも今日も
永遠に変わることのない”(ヘブライ13・8)キリストに通じる道を世界
中の若者に示しながら、彼らと共に過ごすことができたことを心から神に感
謝します。同時に、若者たちにも感謝します。彼らは、世界の国々を巡って
使徒的訪問をする間、教皇と行動を共にし、支えてくださいました。

 第15回世界青年の日。その日が、もし、私たちの救いのために人となら
れたみことばの秘義を観想するための充実した時でなかったとしたら、いっ
たい何だったのでしょうか。それは、教会の信仰を祝い、宣言するため、また
、人を救う力あるみことばの告知を待つ世界を視野に置きながら、キリスト
者の責任ある務めをあらためて意識するための、日常を超えた絶好のチャン
スだったのではないでしょうか。若者の聖年行事の実りを、統計的に把握す
ることはできません。それはほとんど目立たない、着実に流れる日々の貴重
な愛と正義の業だからです。

162考える名無しさん:02/07/23 22:00
愛する若者の皆さん、私はあなた方に、わけても忘れることのできな
い聖年の出会いに直接参加された方々に、世界の前で一貫した福音的
あかしを立てるという課題を出しました。

2 豊かな経験に富まされた皆さんは、それぞれの家に帰り、いつも
の仕事に戻ったところで、今度は、第16回世界青年の日を教区レベ
ルで祝うために、皆さんの司牧者と一緒に準備していることでしょう。

 この機会に、弟子になろうと決心した人にイエスがうち出す条件に
ついて考察なさるよう、皆さんを招きたいと思います。イエスは言わ
れます。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の
十字架を背負って、わたしに従いなさい」(ルカ9・23)と。
イエスは、華やかな名誉と権力に輝くメシアではありません。事実、
イエスは、イスラエルをローマの支配から解放したわけではありま
せん。また、政治的栄光をイスラエルに保証したわけでもありません。
イエスは典型的な主のしもべとして、連帯、奉仕、死の辱めによる
メシアの使命を実現しました。あらゆる憶測とあらゆる騒ぎとは全く
無関係なメシアで、成功や権力の論理によって理解することはできま
せん。この論理は、世が、自分たちの計画や業績の評価をするときに
しばしば持ち出す基準です。

 御父のご意志を行うために来られたイエスは、それに対して徹底的
に忠実です。こうして、イエスを信じ、口先だけでなく行いをもって
イエスを愛する人々の救いを実現されます。愛がイエスに従うための
条件であるかぎり、その愛が本物であるということのあかしは犠牲です
(教皇ヨハネ・パウロ2世使徒的書簡『サルヴィフィチ・ドローリス』
17―18参照)。
163考える名無しさん:02/07/23 22:01
3 「もしだれか、わたしの後に従いたいなら自分を捨て、自分の
十字架を担ってわたしについて来なさい」(ルカ9・23参照)。
このことばは選択の根本的な基盤を表し、ためらいや後悔をゆるし
ません。それは厳しい要求であり、使徒たちをすら動転させ、時代の
流れの中でキリストに従うことから多くの男女を引き止めました。
しかしまた、まさにこの根本的な選択が、教会の歩みを堅固なもの
にし、称賛に値する聖性や殉教の実りを結んだのです。いまだにこの
イエスのことばは人々をつまずかせ、あるいは愚かなこととの響きを
もっています。にもかかわらず選択に当たっては、このことばに照準
を合わせなければなりません。なぜなら、御子のために御父が敷かれ
た道は、イエスの後に潔く従う弟子の列に加わろうとする者もまた
通らなければならない道だからです。そこに2つの道があるわけでは
ありません。ただ1つだけです。それは、師イエスが通られた道です。
弟子には、もう1つ別の道を作ることはできません。

 イエスは弟子たちの前を歩み、自分が行ったことを彼らも行うよう
に要求なさいます。イエスは仰せになります。わたしは仕えられる
ために来たのではない、仕えるためである。わたしのようになりたい
人は、すべての人のしもべになりなさい。わたしは、無一物であな
たたちのところに来た。このように、わたしはあなたたちに、天の国
に入るのを妨げるあらゆるタイプの富を捨てるよう要求することがで
きる。矛盾があることや、わたしの民の大部分から拒否されることを
引き受ける。あなたたちにも矛盾や、各方面から来る異議申し立てを
受け止めるようにと願いたい。

 言い換えれば、イエスは、自分自身が歩まれた道をあなたたちも
勇敢に選ぶようにと望んでおられるのです。まず何よりも「心の中で」
選び取ること。なぜなら、外的にいろいろな状況にさらされるのは
私たちによることではないからです。私たちにかかっているのは、
御父に従ったイエスのように、できるならば自分も従いたいという
意志、そして、御父が1人ひとりに用意しておられるご計画を徹底的
に受け入れる準備があるとの意志です
164教皇ジョン=ポールセカンドMESSEGE:02/07/23 22:04
4 「自分を捨てなさい」。自分自身を捨てるとは、神のご計画を受け
入れるために、限界の多い、貧弱な自分の計画を放棄するという意味
です。使徒パウロの、キリスト者としての存在に不可欠な回心の歩みは
、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたし
の内に生きておられる」(ガラテヤ2・20)と認めるまでに至りま
した。

 イエスは、生きることを放棄せよとは言われません。彼だけが与える
ことのできる新しいいのちと、充実したいのちを受け入れるようにと
言われるのです。人は「自分自身について心配する」傾向、関心事の中
心に自分を据える傾向、そして、自分を他のあらゆるものを計る尺度
とする傾向を、自分の存在の根深いところにもっています。それに反し
て、キリストの後に従う人は、この自己中心的な屈折を除き、自分の
利益を規準にして物事を評価しません。今生きているいのちを、賜物
あるいは無償の恵みと考え、獲得したものあるいは所有するものとは
考えません。事実、真のいのちは、キリストの恵みの実である自己贈与
のうちに開花するものであり、神と兄弟との交わりにおける自由な
存在なのです(『現代世界憲章』24参照)。

 もし、主の弟子として生きることが最上の価値だとすれば、そこから
、他のあらゆる価値は各々の位置づけや重要性を帯びて来るのです。
ひたすら地上の宝に重きを置く人は、一見成功したかに見えたとして
も結局その宝を失うでしょう。その人の死は、そのような宝を、生命の
無いがらくたの山とするでしょう(そのような宝は、人の死によって
単なるがらくたの山に過ぎなくなるだろう、と解釈できる)
(ルカ12・13―21参照)。そこで、身分の選択は、「在ること」
と「持つこと」、「充実した人生」と「空しい存在」、「真理」と
「虚偽」のどちらを選ぶかということです。
165教皇ジョン=ポールセカンドMESSEGE :02/07/23 22:05
5 「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」。十字架が装飾
品にされているように、「十字架を担う」という表現も一つの言い回
しに過ぎないことがあります。しかし、イエスの教えの中で使われ
ているこのことばも、克己や放棄を最も重要な内容と見なしてはいま
せん。また、主要な意味として、大小さまざまな日々の苦労を辛抱強
く耐え忍ぶ義務を指しているわけでもありません。さらに、神に喜ば
れるための手段として、苦しみを称賛する意図もありません。キリス
ト者は、苦しみそのものを探し求めません。愛です。受け止められた
十字架は、愛や全面的な自己贈与のしるしとなります。十字架を背負
ってキリストのあとに従うとは、愛の最高の試練をささげる中で、キ
リストに自分を合わせるという意味です。

 私たちにとって、神の愛を抜きにして十字架を語ることはできませ
ん。実際、神は、ご自分の良いものをもって私たちを満たそうと望ん
でおられます。「わたしに従いなさい」という招きをもって、キリス
トは弟子たちに、ただ「わたしを模倣しなさい」と言うだけでなく、
「わたしのいのちや選びを、わたしと分かち合ってください。神と兄
弟への愛のために、わたしと一緒にいのちを賭けてください」とも言
っておられるのです。

 このようにキリストは、私たちの前に「いのちの道を」を開いてく
ださいます。残念ながら、その道は「死の道」によって絶え間なく危
険にさらされています。「死の道」は、社会を内側から分裂させ、衰
弱させることによって、人を神と隣人から引き離す罪です。

 キリストの立場をとる「いのちの道」は、信仰と回心の道です。
それは、まさしく十字架の道なのです。それは、キリストと救いのご
計画に対する信頼へと導く道、キリストは1人1人の人間に神の愛を
表すために亡くなられたのだという信仰へと導く道です。それは、せ
つな的で矛盾の多い社会のただ中にある救いの道です。それは、往々
にして波乱に富む日常生活の中で最後までキリストに従う忠実の道で
す。それは、失敗や困難、疎外や孤独を恐れない道です。キリストの
現存が人の心を満たしているからです。それは、平和の道、自己支配
の道、心の底からわき出る喜びの道です。

166教皇ジョン=ポールセカンドMESSEGE :02/07/23 22:07
6 愛する若者の皆さん、第3千年期の初めに、教皇が、いのちおよ
び真の忠誠の歩みとして、繰り返し十字架を指し示してもおかしくは
ないでしょう。教会は初めから、ただキリストの十字架にだけ救いが
あると信じ、宣言して来ました。 好きなものや美しく見えるものに
価値を認めるうつろな文化は、幸せであるためには十字架を取り除く
必要があると思い込ませようとします。そのような文化は、理想とし
て、簡単な成功、出世の近道、無責任な性欲、ついには他者への尊敬
に欠けた自己肯定・自己中心的存在を掲げています。

 皆さん、よく目を見開いてください。これは、いのちをおう歌させ
る道ではありません。死に落ちていく暗い道です。イエスは言ってお
られます。「自分のいのちを救いたいと思う者は、それを失うが、
わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのである」
(ルカ9・24)。イエスは、私たちを惑わすことはありません。
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、
失ったりしては、何の得があろうか」(ルカ9・25)。このこと
ばは厳しく響きますが、心を平和で満たします。その真理をもって、
イエスは、真の人生の秘密を明かしてくださいます。

 ですから、初めに主が歩まれた道を、あとから私たちがついて行く
ことを恐れないでください。皆さんの若さをもって、始まったばかり
の第3千年期に、若者らしい希望と情熱のしるしを刻みつけてくだ
さい。もし、皆さんが、自分たちの中で神の恵みが働くに任せ、日々
の仕事をまじめに果たしていくならば、すべての人のためにこの新
世紀をより良い世紀にすることでしょう。

 主の御母マリア、弟子たちの中でも第一の弟子マリア、十字架―私
たちを子として彼女にゆだねた十字架―のもとに最後まで忠実にとど
まったマリアが、皆さんと共に歩んでおられます。大きな心で私が送
る使徒的祝福も、皆さんと共にありますように。

                 2001年2月14日
                     バチカンにて

                     ヨハネ・パウロ二世

167考える名無しさん:02/07/23 23:40
>>161-166
キリスト教徒には理論が欠落してて
だだもう「だれそれがこう言いました、聖書にはこう書かれています」
なんだね

やっぱり、頭悪すぎ
168考える名無しさん:02/07/24 01:29
その言葉そっくりアンタに返します。
たとえば法。
引用の仕方は法律を学んだことある人には
ピンとくるのですよ。
まあ共に契約の話ですから当然ですが。
宗教=理論の欠如
法 =理論がある。
これは単に167の能力の限界であって
神学自体の限界ではありません。
法テリトリーの中の秩序と
神学テリトリーの中の秩序との間には相対的な
差しかありません。
哲学板の人間にこんな初歩を説明するとわ思わなんだ。
まあ167の世界の見え方の限界は日本の大学の哲学の
専門外が見渡せないのとパラレルですが。
もともとヨーロッパの大学は神学として出発しました。
神学のもとに人文自然社会科学がひとつでした。
ので欧州の教養人は現代でも学問横断なのです。
169世界@名無史さん:02/07/24 02:52
>>168
>もともとヨーロッパの大学は神学として出発しました。
>神学のもとに人文自然社会科学がひとつでした。
>ので欧州の教養人は現代でも学問横断なのです。

欧州では確かにその通り。
だが19世紀後半に設立された日本の大学の場合、ちょうど欧州で人文・
社会・自然科学の各分野が学問的自立を遂げつつある最中にそれを移植
した。例えば、本来哲学の一部門である政治学・経済学を独立の原理を
もつ学問として移入し、学部・学科を新設など。
本来は根元から分化・成長しつつある茎の部分だけを切断して鉢植えに
したようなもの(国家・社会の近代化を第一義とする明治政府の政策に
規定された面が大きい)。
こうした点は、戦後の大学の学部・学科の在り方にも引き継がれ、現在
のような専門分野の個別細分化を招来した。これを改善しようと分野横
断的な学際的研究も行われているが……………。
要は、欧米の大学で専門教育の基礎としてなされるリベラルアーツの修
得が不完全なのではないかと(現在の一般教養課程レベルの教育では到底
不充分)。
基礎にしっかりした教養があってこそ専門の幅・深さも保持される筈。
当方哲学ではないが、上記の弊害は身をもって感じている今日この頃。
170考える名無しさん:02/07/24 03:13
宗教は真理ではありません。安心して生きていくための道具です。
哲学は真理を追究する学問。一緒にしないでね。
171考える名無しさん:02/07/24 04:19
>>168
まともな哲学屋は超越概念の系譜を想起するだけで
神学を参照せざるを得ない事に気付くと思われ。
172考える名無しさん:02/07/24 14:16
哲板的にはキリスト教が正しいと・・・
173考える名無しさん:02/07/25 09:01
キリスト教徒ってなんでこうだらだら書き込むの?
もう少し簡潔に書いてほすい。
174考える名無しさん:02/07/25 18:57
>>172
正しい云々は留保するとしても、イスラームの影響は無視できないかと。
今のイスラーム神学がどうなっているか分らないが、
12世紀に西欧にアリストテレス哲学が再導入され
シゲルスやトマス以下に重大な影響を与えた訳だが
系譜的にはイスラーム圏のイブン・ルシュド(アべロエス)を受け継いでいた筈。
175考える名無しさん:02/07/25 18:59
どーでもいいが、ヨハネ=パウロ2世が
もともと現象学者だった事を知って驚愕した…
176考える名無しさん:02/07/25 19:00
そりゃびっくりだ。
177175:02/07/25 19:42
昔、現象学辞典で見たような気がして確認したけど、
見当たらない。
こりゃ間違いだな…
178考える名無しさん:02/07/25 20:17
禅宗は?
個人的に頓悟の発想とか大好きなんだけど。
179考える名無しさん:02/07/25 20:19
禅宗は?
頓悟の発想とか個人的には大好きなんだけど。
180飛び込みですいませんが:02/07/25 20:41
宗教が生きる支えとして人々に望まれている物とするなら。
戦争をして人々を殺す物は正しくない。
そう仮定すれば、三っつとも元はどうあれ今は全て正しくない。
又、普遍である事が心理でありそれを教えるのが宗教ならば三っつとも宗教と
呼べるものではなくただの思想集団に過ぎない
181激甘納豆:02/07/25 21:39
むかしから仏教において気になっている点がある。
仏教では苦の世であるこの世界で輪廻転生しつづける我々に対し、
修行ののち最終的に、輪廻の輪から外れること、
つまり、仏となること(解脱、悟りを開くこと)を説いているが、
誰も彼も全てが仏になってしまったら、
この世から人間(仏になれる――仏性がある
――のは人間だけではないようだが)が全ていなくなってしまうのではないのだろうか。
だから仏教は人間を滅ぼす宗教なのではないのだろうか、
と、ずっと疑問に思っているのだが。
つまりは人間を滅ぼしてしまう宗教は「正しい」といえるのだろうかと。
182考える名無しさん:02/07/25 22:31
すべての人間が仏になるのは、まだずっと先でしょうから、
あなたは安心して、あなたの修行に励みなさい。
183考える名無しさん:02/07/25 23:28
全ての霊は、どんどん生まれているのが現状です。しかも、大昔からほとんど減っていません。
ここ何十年かでようやくわずかに減りました。(別に減らすのが目的ではありません)
出来れば減って欲しくないようです。

で、どうやって生まれてくるかというと、我々の考えること何もかもがそうです。例えば、人を恨めば生霊になって、
恨んだ相手の人生をかなりつぶします。考えたこと一つ一つが一体の小さな霊となって、生まれます。そして、そのままほったらかしです。
人類誕生から今までの人間の考えたこと一つ一つがうろうろしています。
はた迷惑な虫が大量発生していると思えばイメージしやすいでしょう。
でも、逆もしかり名のでご安心を。良いことを考えれば生き霊の反対の霊が生まれます。
現在の地球上では良い霊のほうの絶対量があまりにも少なく、生き霊などのほうの絶対量が非常に多い。だから、基本的に悪いことが起きやすい。

生き霊に限らず、あらゆる霊は救って霊界に帰ってもらってはじめて地球上での数が減ります。
霊界でも数が減るには神人合一できるほどにレベルアップしないといけない。
ここまでしないと、永久に、一つも、この間やっていた「陰陽師 阿倍清明」での成仏した親子のようなことがない限り、
ぜったいに減りません。

なぜなら、その方法を知る者が非常に少ないからです。
184考える名無しさん:02/07/26 00:12
でむぱね、183さん。
ちなみに「阿倍清明」って誰よ?

禅宗って不思議だよね。
「不立文字」とかいいながら、公案とか沢山あるし。
パラドックス具合がクザーヌスを思い起こさせる。
中観思想なんかはもっと論理学っぽいんでしょ?
185考える名無しさん:02/07/26 10:44
最初は面白いスレだったのに今はなんか堅苦しくてつまらないスレになっちゃったね。
186考える名無しさん:02/07/26 10:53
イスラム教が正しい。シーア派はヒンズー教の影響を受けているのでダメ。
仏教はヒンズー教の中でももっとも破壊的なカルトなのでもっとダメ。
キリスト教は、エンペドクレス、ソクラテス以来の自死者崇拝があるからダメダメ。
187考える名無しさん:02/07/26 10:56
>>180
いや実際宗教はイデオロギーの一種と考えた方が正しい
現実そういう風に使われてきたからね、君が考えるようなものではなく
社会形態をつくりあげるための、道徳教育の系譜としての意味のが大きい。
188考える名無しさん:02/07/26 10:57
宗教から法が分離した。
189考える名無しさん:02/07/26 11:00
あれ、霊の分かる人が結構来てるねー。
考えた事一つ一つ霊になるなんて結構知ってんなぁ。
哲学者からはどんな霊が生まれるんだろ?
190考える名無しさん:02/07/26 11:31
霊=意味という読み替えで破綻なし。
191考える名無しさん:02/08/01 07:46
カナダのトロントに80万人の若者が集まったんだって。
192考える名無しさん:02/08/11 03:34
個人的な好から言わせてもらえば
イスラム>>仏教>>>>キリストだな。
でも漏れはキリスト教徒…プロテスタントダケドナー
193考える名無しさん:02/08/27 05:00
神様だもん。みんな仲良しに決まってるじゃん。
194考える名無しさん:02/08/27 05:32
キリスト教徒は悪魔の手先です、殺さなきゃいけないんです。
アッラーが言うんだから間違いありません!とかか?
195140:02/08/28 14:16
喪前らどうして宗教板でやらないんですか?
196考える名無しさん:02/08/28 14:42
(゚д゚=゚д゚)キョロキョロ 宗教板ドコ?
197考える名無しさん:02/08/28 15:04
『神道』ってどうなんだ?八百万の神って、仏は知らないけど
イスラムやキリストとは全然宗教観が違うよな。
198考える名無しさん:02/08/28 16:35
>>181 激甘納豆さん

仏教にもいろんな宗派があるから、一概には言えないけれども、基本的には「人間を滅ぼす」というよりは、
“人間性”を否定してしまう思想(あえて「宗教」とは言いませんが)であることには間違いないでしょうね。
知っていると思いますが、仏教には「神」がいる訳ではないので、仏陀の時代にはそれまでのバラモンを中心とした社会への
アンチテーゼであった訳です。
「輪廻転生」という考え方は、もともと仏陀以前のインド社会の考え方だった訳だから、
仏陀自身は「輪廻転生による死後」のことには触れていません。
もちろん、「輪廻転生からの解脱」は説いていますが、「ブッダ」という言葉が示す通り、
「(真実に)目覚めた(人)」という意味ですから、人間時代の否定ではないですよね?
つまり、それだけ革新的な思想だった訳で、後のヨーロッパの思想界などでは、
かなりの影響を受けています。
ただ、仏教はナーガルジュナなどを経て、中国や日本その他に伝わり、劇的な変化を遂げたため、
前述の通り一概には言えないでしょうけどね。
199考える名無しさん:02/08/29 11:02
霊が増えたり減ったりですか・・・やれやれ

霊など宇宙にひとつあれば十分なんですが
200考える名無しさん:02/08/30 01:55
>>1
どれも正しくないよ
愚民の気休め。それだけ
201考える名無しさん:02/08/30 02:10
このスレにいる信者達ってネタじゃないの?
哲板住人ならこれぐらいのアホはシミュレートできそうだし
202考える名無しさん:02/08/30 19:14
何が正しくても
誰も救ってはくれない
信じるのが正しい これで良いでしょう。
203初心者:02/09/01 06:16
哲学の側から宗教をバカにして202のような発言をよく聞きますが、
哲学と宗教の違いは何なんでしょうか?
宗教の歴史をみると各時代の天才が当時の最先端の知識を用いて一生懸命に
分析、研究しています。哲学しているようにみえます。
宗教を、自分のおかれた世界はどういうものであり自分はどう生きたらよいのか
を説明するものであるとしたら、哲学と異なるところはあるんでしょうか?
204考える名無しさん:02/09/01 06:20
203の宗教を世界観、人生観に拡大しているとしたら
セム宗教、西洋哲学は宗教、哲学のうち狭い定義をおいている
といえるでしょうか?
205考える名無しさん:02/09/01 08:00
このごろやっと井筒俊彦がどれだけの凄い碩学だったかが理解できてきた。
「意識と本質」などの圧倒的な著作は物凄い。
206考える名無しさん:02/10/02 23:04
しかし、1000年後はどうなっているんだろう?

仏教は内容うんぬんではなく、布教の動機付けが他2つに比べてはるかに弱い。

だとするとイスラムとキリストで世界は2分されているかな?
207不眠者:02/10/03 01:11
 宗教って、人類を増やすための教えだったんじゃないでしょうか?
人、殺すなよ 姦淫すんなよ 近親婚すんなよ 生肉は寄生虫がいるかも
しれないから喰うなよ
 釈迦は医学の教養もあったそうだし・・・。
元々は素朴な教えが、伝言ゲームのような形態に変化した可能性は
ないかな?
 妄想ですね sage
208考える名無しさん:02/10/03 01:14
汝、起き続けることなかれ。
209不眠者:02/10/03 01:18
寝ます。
210考える名無しさん:02/10/03 09:14
あらゆる宗教の第一義は「瞑想」の実践にあると思います。
それは祈りであったり礼拝であったり念仏であったり行脚や座禅であったりします。
自分の心の深遠を覗く事こそ大事で、それ以外のことは飾りです。
それを最近は(昔からそうだが、特に最近は)その飾りの部分だけを取り出してありがたそうに語る宗教家や商人
飾りの部分を見て本質を知らず、揚げ足をとって批判する一般人や利用する政治家
まとめて逝ってよしって感じですね。
そういう意味でキリスト教・イスラム教・仏教に差はないでしょう。
瞑想の実践に対する個人の資質のみが問題のはずです。
もし宗派に優劣があるなら、瞑想の実践に導くモチベーションの巧さ。
瞑想の先で得たものの表現の巧さ。実践する気のない者にもその果実を提供できる理論体系
あたりではないでしょうか。
今、思い当たるまでに書いたのでよろしく批判してください。
俺個人としてはやはり禅宗が現代社会にはなじみやすいかと思ってます。
211210:02/10/03 09:20
瞑想という言葉は的確ではないですね。
専心の方がいいかな・・?
うまい言葉が今浮かびませんが、つまり雑念を払って心を清浄にしていくことです。
212wise:02/10/03 09:28
もうすぐ、初盆とかには
坊さんからメールが来て
開くと、坊さんの木魚を叩く姿とお経が流れる時代が来ます。
213考える名無しさん:02/10/03 19:40
何だwiseだよ。お前は誠実そうな面してないで、
弱いもの苛めを楽しんでれば良いんだよ。
214まさもね:02/10/21 16:06
キリスト教に関してだけはむちゃくちゃ詳しいので発言します
旧約聖書は実にさまざまな人(特に祭司階級のひと)の手が
長い時代にわたって入り込んでステンドグラスみたいな文書になっています
ここまでつぎはぎだらけで神の言葉の文書だと信じられる人って・・・
次に新約聖書 イエスの言行録(いわゆる福音書)は早いものでは
イエスの死後まもなく書き始められている
福音書は4つあり、内容は互いに錯綜しているが大まかな点で一致している
さて、これらイエスの言行録が歴史的な事実を書いているかを検証することは
ほ    と    ん    ど    不    可    能
ローマ時代のイスラエルは超ド田舎でこのころで残っている文書は
福音書におさめられた文書のほかはごくわずかでそれらを比較検討して
イエスの言行録の真偽をたしかめることは不可能なのだ だから新約聖書は
信  じ  る  か  信  じ  な  い  か  し  か  な  い
でも信じられる?イエスの弟子たちが書いたものしかないんだよ
俺たちの師匠は神だったよ 不思議なことをしたよ って書いてあったって
それだけじゃどうしようもないでしょう?
こんなものだけで信じちゃってる人たちって 頭だいじょうぶ?
215考える名無しさん:02/10/21 16:13
井筒俊彦著作本の話をしたい。
216考える名無しさん:02/10/21 16:15
誰か、井筒俊彦のスレッドを立ててくれませんか。
217考える名無しさん:02/10/21 16:15
>>214
君は証明云々で宗教が語れるとでも?
そんなもの二の次だって「聖書」にも書いてあったろ?
218考える名無しさん:02/10/21 18:44
「信じられないものを信じ、望めないものを望み、愛せないものを愛す。」
キリスト教の根本ですね。
219考える名無しさん:02/10/21 19:20
信じる者は救われる。ということは、信じない者は救われない。あるいは救わない。
ってことか?
もしそうなら、随分とけちくさいじゃないの。神様も。
220考える名無しさん:02/10/21 19:31
逆に言えば救われたければ、信ぜよということかな。
221考える名無しさん:02/10/21 19:32
>>219
「選択の自由」です。
222考える名無しさん:02/10/21 20:41
そういう意味では
信じようが信じまいが阿弥陀如来は差別なく救ってくださる。
とする時宗って随分心が広いよね。
まあ、そんなんだからマイナーな宗派になってしまうのかもしれないけど・・。
223考える名無しさん:02/10/21 22:14
そもそも、キリ、イス、ユダは同根でね。
契約宗教ってやつだな。
契約違反すると、地獄行き。
仏教はどうなんだ。
224まさもね:02/10/21 22:34
>217
>218
「あなたたちはしるしを見たから信じるのか?
まことにまことにあなた方に言う。見ないで信じる者は幸いである」
というくだりですか?パウロの書簡にも類似したものがあります。
これを受け入れられるんですか?なぜ?
紀元1世紀のパレスチナにオウム真理教があって
麻原の言行録をウソツキ上佑が書いたとしても
その書いたものだけを読んで信じられるんですか?
225考える名無しさん:02/10/21 23:00
>>224
自分はキリスト教を信仰の根本を書いただけで、自分はクリスチャン
でもないし、信じる人がいればそれはその人の自由だよ。
ソクラテスも仏陀も孔子もムハンマドも書き残してないよ。
まずは日本にいるキリスト教徒かイスラム教徒に聞いてごらんよ。
「その書いたものだけを読んで信じられるんですか? 」と
226まさもね:02/10/22 09:01
なるほど ではこう聞こう
キリスト教の聖典が文献的にはこのようにお粗末なものなのに
それを信じてしまう人々をどう思う?オウムを信じてしまった人々と
一体どのように違うのか と。
227考える名無しさん:02/10/22 09:10
>キリスト教の聖典が文献的にはこのようにお粗末なものなのに
>それを信じてしまう人々をどう思う?
文献的にお粗末なこととその中身は別でしょう。
聖典が書かれた時代には他にも宗教があり聖典があった。
しかし、聖書は残った。時代の試練に耐えたものだったと言える。
228考える名無しさん:02/10/22 09:17
聖書を文献学的に批判するのは学問としてはいいけど
歴史的事実でないから無意味とするのは、本筋を外してるとは思う。
卑近な例で申し訳ないが、映画「ロッキー」や漫画「巨人の星」
を見て感動した人。勇気や努力の尊さ・友情を学んだ人は多いはず。
だけど、「星飛雄馬は実在しないし・・」とか「大リーグボールなんて物理的に無理だし・・」
なんて言ったら正論ではあるがアホ丸出しだ。
聖書なども同じで、それが歴史的事実であるかよりも
その中から何を掴むかが大切だと思う。
229考える名無しさん:02/10/22 09:34
選ぶのは不完全だからだ。
230まさもね:02/10/22 14:06
なるほど それは宗教の聖典をあくまで人類文化の知的遺産と
とらえている人たちの言い分だな しかしこのスレの主旨には
教祖は本当にいたのか、本当にそのことを語ったのか、本当にそのことを行ったのか
というものも含まれていると思う
その観点に立って言えば歴史的事実か否かの検証は充分に意義があるはずだ
少なくとも信者たちは聖典の内容を歴史的事実と信じているよ
231考える名無しさん:02/10/22 16:48
「隣人を愛せ」は経済学的に正しいんだね、曲解すれば。

ときに、手塚治虫は哲学家ですか?
232考える名無しさん:02/10/22 18:14

キリスト教よりはイスラム教の方が「正し」かったんじゃないの?中世では。
宗教改革後はキリスト教の方が「正し」かったようだけど。

で、仏教は、織田信長に否定されたと。
233考える名無しさん:02/10/22 21:23
キリスト教はキリストが始めたんでしょ。
イスラム教は別名マホメッド教っていうじゃん。
仏教は何故、釈迦教っていわないんだ?
そんで、仏教の宗派では真言宗は空海宗とは言わないし、
天台宗は最澄宗とはいわない。浄土真宗も親鸞宗ていわない。
例外が日蓮宗。
ということは、日蓮宗は東洋的な宗教では無い。ってことか。
どうでもいいけんど。

234まさもね:02/10/23 11:02
日本古来の宗教である神道は聖典もなければ教義もない
これを宗教と呼んでいいのかと思うくらい漠然としたものだ
仏教については詳しくないが根本は哲学的なもので信者の生活や
精神生活まで強く束縛するものではない 知的文化の範疇でとらえられる
問題はキリスト教とイスラム教だ
一神教で排他的だし、信者の生活規範や心の持ちかたまでも
罪という概念で束縛している 
ニューヨークのテロも一神教の排他性が原因だ
もし新約聖書やコーランが信じるに値しないものだとしたら
(信じるに値しないドグマはこの世に無数にあるだろう)
われわれはその中に一筋の文化の光を認めながらも
古いオウム真理教のようなものだとして整理して考えられる
キリスト教が信じるに値しない宗教だということは
俺がいくらでも論証してやる
おらおら なんぼでもかかって来いや
235考える名無しさん:02/10/23 14:09
>イスラム教は別名マホメッド教っていうじゃん。
これは西洋人がイスラム教をキリスト教と同じようなものだと考えた誤解で、
アラビア語でアッラーへの絶対的帰依のことを「イスラム」と言う。
マホメットは「自分は預言者でただの人間である」と言いったが、
キリストは「自分は神の子だ」と言った。そこの違い。
236考えるお猿さん:02/10/23 15:09
>>1
○が1番正しくて、△が2番目に正しくて、□が3番目に正しいとか、あるわけないやん!
全部詐欺だよっ! 詐欺!!
237考える名無しさん:02/10/23 17:01
キリスト教徒の中にはファンダメンタリストってのがいて、
聖書に書かれたことは全部その通りのことですと、固く信じいる。
物理学者も多数含まれている。
物理的に無理と思われることでも、信じちゃってる。物理学者が。
誰か説明してチョ。
238@:02/10/23 17:03
メンヘル板&各板で暴れた姫嬢の悪行を補完しておこう

【警報】姫嬢には気を付けましょう。(名無しで煽る可能性あり。)
・姫いきなり切れて床の個人情報をさらしたうえに
名無しで暴言を吐く。
・床、本気で傷つき泣きながら兄を去る
・自治に対して問題発生したので、自治関連が話題となる
・実質上、自治に関わったコテはエロ、霧、悪意などの大物コテ。
・しかし、急に悪意が去った事で騒ぎになる。
・問題は姫ではないかとの推測レスが続出→次の日そのスレ全体削除、問題となった自分のレス削除
・これはさすがにおかしいと大騒ぎになり、本家メンヘルにまでスレがたつ。
・エロなどの大物コテはアク禁、最後に残ったヘルヨッチーに対する叩きレス、叩きスレがたつ
・ヘルヨッチーをかばうために、悪意が参上するが、ヘルヨッチーと共に追放される
・姫、珈琲その他の一味と結託して暴言吐き散らかしながら住人へ粛正と追放を開始。
あまりのことに住民が9割兄を去る。
ここに姫チャンネル(雑談1)、珈琲チャンネル(雑談2)が実質設置される。

http://www.bbs2.jp/hime/ 姫板、たぬきと共同運営(2chで晒されて慌てて閉鎖)
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/intro/1029138639/ 珈琲スレ
http://www.bbs2.jp/menheru2/ 珈琲が仕切るさぼーるメンヘル板
http://www.bbs2.jp/menheru/ 姫が追放されたさぼーるメンヘル板
http://jbbs.shitaraba.com/sports/3587/ 姫が追放されたさぼーる避難板



239考える名無しさん:02/10/23 17:32
キリスト教は
キリストが作ったのではなく
弟子のパウロが作った。


とか、ニーチェが晩年に言っていたよ。
240考える名無しさん:02/10/23 19:03
「キリスト教徒は一人したかいなかった。その人は十字架の上で死んだのだ」
「キリストは仏教徒だった」とか言ったね>ニーチェ
241考える名無しさん:02/10/23 21:20
宗教ってのは弟子達の出来次第で発展もすれば衰亡もするんだ。
その点、イスラムはなかなかのもんだぜ。コーランんなんか、聖書と比べると
はるかに良くできてる。
もっとすごいのが、大乗仏典だな。内容、物量ともに桁違い。
242まさもね:02/10/23 23:03
>237
キリスト教はローマ・カトリックとオーソドックスへと枝分かれしたが
この頃までは聖書と神学は切っても切れないものだった
しかしプロテスタンティズムが生まれるに至っては神学らしいものがなくなった
こんなことを言うとプロテスタントたちから批判されそうだが
それなら体系立った神学を見せてみろと言いたい
ファンダメンタリズムはその最たるもので神学のかけらも見えない
いや 神学がないこと自体が彼らの神学と言えるかもしれない
物理学者が文字通り信じているとしたら不思議なことと言えば
@神が宇宙、わけても地球をたった7日で造ったこと
Aノアの箱舟の際に雨が40日40夜降り続いて世界の陸地のすべてが水に
 覆われたこと。
それくらいだと思われる。@は神の一日は人間の一日とは違うと言えばそれまでだし
Aは確か当時は大気の厚さが現在とは違っていて水分をずっと多く含むことが
できたと考えているらしい。物理学と聖書の接点はこのくらいだろうし、そこらへんを
なんとか理屈をつけて納得できれば物理学者でもキリスト教徒になれるのだ
243考える名無しさん:02/10/23 23:11
宗教で大事なのはその各々が持つ哲学性だな、いや、「それのみだな」と言ってみる
244考える名無しさん:02/10/23 23:19
>237、240
自然法則は絶対だ。しかし、神はそれを破って、世界を任意に作れる
存在だから、聖書の奇跡はそのまま実在した。
どこにも矛盾は無い。
7日間で200億年の歴史の痕跡を作ることもどこかから地を覆う水を持
ってきて、どこかへと消し去ることも神には任意。
245考える名無しさん:02/10/27 16:02
キリもイスも神を絶対視してるが故に、それに反する(自分たちの教義等について)
ものには断固殲滅を図ろうとする。
結果、殺戮、また殺戮。
仏教圏では如何でしょう?
ただし、オームは仏教面(ヅラ)してるけど、全然違います。

246考える名無しさん:02/10/27 16:11
ぼくは イスラムの連帯感がすきです。
でもやっぱり豚肉は食べたいです。
247考える名無しさん:02/10/27 16:30
東南アジアのイスラム教徒は、豚肉食べたることもあるらしいね。
真面目なイスラム教徒からすれば、それは豚食うなんてトンでもないだろうね。
248考える名無しさん:02/10/27 17:09
「まさもね」ってニーチェのアンチクリスト読んだこと無いだろ。
>>239>>240はその引用だ。面白い本だから一度読んでみ。
249考える名無しさん:02/10/27 17:30
宗教に正しいも間違ってるもないだろ
オウム真理教でさえ宗教的に間違ってるとはいえない
社会的には間違っているが
250考える名無しさん:02/10/27 17:37
>それは豚食うなんてトンでもないだろうね。

おまえオヤジだろう。
251考える名無しさん:02/10/27 18:26
>250
20代後半のオヤジです。
252まさもね:02/11/03 13:21
>248
サンクス

>249
例えばオレが宗教を創ったとする
オレ教の教義は
@オレは神だ
A悪いことをやめて善いことをせよ
Bオレを信じる者は天国に行き、信じない者は地獄に行く
というものにしたとする。
@とBはあきらかに間違いだよな
Aはそれなりに正しい
こんな状況でも君は
「宗教に正しいも間違っているもない」とか
「オレ教でさえ宗教的に間違っているとはいえない」というのか?
なんでもかんでも認めれば知的に見られると思ったら大間違いだゾ!
253考える名無しさん:02/11/03 13:54
なるへそ
254考える名無しさん:02/11/03 14:05
社会的に(ここでは日本語圏で)比べることが不自然なような気がする。
個人的にキリスト教・仏教・イスラーム教のいずれか、あるいは複数の
(学問や文化を)好む、というのならば問題ないでしょう。
255どごん:02/11/03 14:07
歴史的でもなく、論理的でもない、
純粋に宗教的な正しさの基準ってなんだろうね。
結局「人間の基準を超えたもの」になっちまうのかな。
256考える名無しさん:02/11/03 14:22
宗教の問題は否定しても解決できない。
それは、一般的、という言葉が盲信的傾向、
没慣習的傾向を指してしまう現状からも明らか。

しかし、今の日本で宗教というと、
科学の台頭によって弱体化した宗教や新興宗教が連想される。
あるいは盲信的宗教のイメージだけが強調される。
テクノロジーの進歩によって、
個人が許容できる情報量は飛躍的に向上したが、
いまだ宗教性を一要素として、「受容」できる状況には至っていない。
257考える名無しさん:02/11/03 15:10
「何が正しいのか」は社会が決める事。
そういう意味ではどれも大差無い。
258考える名無しさん:02/11/03 15:18
個人を無化することでしか成立しない社会は、
いわば、不完全な社会に過ぎない。
なぜなら、その社会は社会と個人の違いを認識できていないから。
したがって、その社会は社会と個人を成立させられない未熟な社会である。

倫理は個人的なものであるべきか、
社会的なものであるべきか、が議論されていることすら知らない
日本の社会は、非常に貧しい段階にあるといわざるを得ないだろう。
259考える名無しさん:02/11/03 15:27
「成熟した社会」ってどんなのよ?
 聞いた事無い。
260257:02/11/03 15:37
>>258
>個人を無化することでしか成立しない社会
って日本のことを言ってるんでしょうか
私はそんな社会がこの世に存在出来るとは思えませんが・・・
261考える名無しさん:02/11/03 15:45
「成熟した社会」とは「未熟な社会」が作り上げた幻想、虚構に過ぎない。
兵士的性質は「生きるか」「死ぬか」の極端な世界観しか見ることしかできない様に。

「成熟」や「本物」
といったような刺激的且つ名詞を無化する形容詞が
先行している状況は好ましくないことは確か。
社会のスタートは社会から。
262考える名無しさん:02/11/03 15:55
戦後日本は敗戦を無化しつつ、
つまりアメリカに敗北しつつ(それは暗黙のタブーとして)
アメリカに経済的勝利を果たすことを目指した。

高度経済成長期は「受験戦争」「企業戦士」「24時間戦えますか」など、
非常に戦争的用語が目立った。
これらの用語は「一般人」に向けられた。
当然ながら、兵士はその本質に英雄性が含まれている。
よって、戦後の日本社会では、
一般人の個性より経済的戦争の勝利が優先されてきた。
そして、その敗北からスタートした虚しい戦争の勝利時間が
「バブル期」に当たる。

当然ながら、このような総力戦的戦争形態(一般人も含んでいるため)は
社会にとって、非常に特殊なものです。
ふつうの感性として、このような社会を社会として認める必要はありません。
263257:02/11/03 16:44
>>262

>当然ながら、このような総力戦的戦争形態(一般人も含んでいるため)は
>社会にとって、非常に特殊なものです。
>ふつうの感性として、このような社会を社会として認める必要はありません。
「日本社会」が「特殊」なのは地理、歴史を見れば必然でしょう
「文化圏の末端」「島国」「長期天皇制」「早期封建制度」「ムラ社会」etc,,,。
確かに個性的ですね、

質問があります。
・戦後、個人のどこについて無化されていたと言っているのでしょうか?
・何処と比較して、何をもって「不完全」だと言っているのでしょうか?
・社会だと認めなくて良い、では日本社会は何なのだとおっしゃるのでしょうか?
・日本社会が「総力戦的戦争形態」で無かった時期はいつでしょう、
 そしてその違いは何ですか?
>>258は私へのお答えですか?そうなのでしたら
 私は「個人を無化」等と言った覚えはありませんし、
 そんな社会が存在するとも思えませんが、
 集団≒社会の訳を教えて下さい。

お答え頂けると嬉しいです。
264metae:02/11/03 17:21
仏教とキリスト教とイスラム教ですか。
確かに、教義として、”悟り”のように慈悲と智慧が融合していることもあり、
最初の考察はということです。
先ず、「人を助ける。」ということに歴史的にどうかと言うと、
キリスト教の信者であるはずのアメリカ大統領は、目には目をと言う立場で、
自国の経済が沈滞しているのをいいことにして、その口実に、
フセインとその国にミサイルなどを投じると言う。
これは、”隣人を愛せよ”ということに基づいていることと思われるが、
これは、キリスト教的である。それに付け加え
イスラム教は、アラーの神以外を否定しているので、キリスト教や仏教は邪教として
ミサイルや銃弾で破壊している。真にこれはイスラム教的で、特徴的である。
仏教は、政治的な時に”不服従運動”を提示する土壌から出ていることもあって、
ニセ坊さんが刃物を持った以外は、戦争と言うようなことも行うことを良しとしない。
韓国で、大きなお寺の財産が目当ての坊さんが、血を見たこともありますが、
宗教的というよりは、その人間の強欲としか見えませんでした。
”自己実現”の宗教である仏教は、その宗教の意義を歴史的に貫いており、
他の二つの偽善宗教とは随分違います。
それに”神”などいないのに、神を崇めるなど実に現実的でもありません。
そして、彼らの言う”神”は、実際に助けたことなど無く、言い伝えで、
「そんなことがあったよ」としか言っていなくて、実に不誠実である。
宗教にあるまじき不整合である。
人間の理性では測れないところに神がいるのなら、
そのような神は、いらないし、もし、仮に、(居ないけど)居たとして、
理解できないのなら、別に人間にとって、理論の逃げ場以外に必要ないことである。
自分が説明できないことを、神のせいにして、理論から逃げる。
そんなことのための神なら、全く要らないのである。
但し、そんな用語があったことは、記憶しておこう。
265257:02/11/03 19:51
>それに”神”などいないのに、神を崇めるなど実に現実的でもありません。
独断論者ですか・・。

>そして、彼らの言う”神”は、実際に助けたことなど無く、言い伝えで、
>「そんなことがあったよ」としか言っていなくて、実に不誠実である。
現在も「特別な介入」が数多く報告されていますよ、その真偽は保証出来ませんが

>宗教にあるまじき不整合である。
ユダヤ教を発端とする「唯一神」は、救済の手段を約束した事はほとんどありません
(「唯一神」を語る上での「常識」です)。
特にキリスト教の場合、新約以降、手段が約束されている救済は「終末」だけです。

>人間の理性では測れないところに神がいるのなら、(中略)
>理解できないのなら、別に人間にとって、理論の逃げ場以外に必要ないことである。
>自分が説明できないことを、神のせいにして、理論から逃げる。
>そんなことのための神なら、全く要らないのである。
有用だから存在し続けているのです。

宗教や西洋哲学を語る上で欠かせない、常識的
「認識・概念」が未だ理解出来ていないよう見受けられます。
理解するためにはとりあえず、聖書、コーラン、神学大全等を自分で読んでみて下さい。
西洋哲学をするつもりなのでしたら、最低でも、
  最低でも、  アウグスティヌスや「新約聖書」は読んでおきましょう。
これすら読んでいない・・・というのでは、
話にならない 等と言われたとしても、それで当然ですよ。
266考える名無しさん:02/11/03 21:32
「はじめに無神論ありき」ではお話にならないよ!
「神を信じる奴の気が知れない」というのは
「自分が信じる神以外の神を信じる奴の気が知れない」
を裏返しただけだ。
267考える名無しさん:02/11/03 22:00
多数決でカトリックが正しい。
以上。
268考える名無しさん:02/11/03 22:04
いじょう
269まさもね:02/11/03 22:17
>265
「聖書、コーラン、神学大全等を自分で読んでみて下さい。
最低でも、アウグスティヌスや「新約聖書」は読んでおきましょう。」

わたしはこのようなものの言い方が大嫌いです
それではあなたは あの膨大な神学大全やアウグスティヌスの著作集を読破したのですか?
単に「新約聖書くらいは」などと言わないでください。日本語訳されているとはいえ
1900年前に書かれた古文書の日本語訳です。通読しただけでは全然足りませんよ。
我々は(あなたも含めて)自分の思う通りに資料が読み込めていないのではないかという
「おそれとおののき」をお互いに持ちながら研鑚しているのではありませんか。
あなたが挙げた文献を十全に読みこなしている可能性を全く否定するわけではありませんが
わたしが会った方々でそんな人は一人もいませんでしたよ。
270まさもね:02/11/03 22:42
>265
>現在も「特別な介入」が数多く報告されていますよ、その真偽は保証出来ませんが
あなたがもし聖書を読みこなしているのであればmetaeさんの言った意味は理解できたはずです
イスラエルの民は自分たちの神はイスラエルを守ってくれているはずだと信じていたが
歴史の事実は冷酷で、王国は分裂し、捕囚にあい、最後はイスラエル自体なくなってしまった
イスラエルの地理的位置は南北と東からの民族の通り道にあたっており
いつまでも統一王国が続くような場所ではなかった
しかしユダヤ人たちは 神が不誠実だったからではなく自分たちが不誠実だったから
このような事態になったのだと信じ込もうとした ユダヤ教は来世観というものが
ほとんどない宗教なのだ。現世で報われるはずと信じる宗教がこのような思い込みをやらかす。
例えばオレがサイババに「わたしは生涯あなたを守る」と言われたが
一生ふんだりけったりの不遇の生涯だったとしたら ふつうはサイババは当てにならないと
いう結論が出るところ 「いや 自分がこまごまと罪を犯したからだ」と言い張ったらどうだろうか?
「あいつはバカだ」と後ろ指を指されるだけだと思う。ユダヤの民はこんなことをしてきたのだ。
救いの約束が来世に移行したとしても「神」の人間に対する不誠実は歴史的事実です。
「特別な介入が報告されている」といいますが、ルールドやファチマのことですか?
どこの宗教でも「〇〇が現れた」という「証言」には事欠きませんよ
271考える名無しさん:02/11/03 22:50
まさもねのヨブ記についての評価が聞きたいな。
272まさもね:02/11/03 23:34
>271
おお なかなか鋭いことを言う 今日はヒマだからマターリやりましょう

ヨブ記はイスラエルの民が「なぜ義人が苦しむのか」という疑問に「答えた」作品だ
「答えた」というのは 実はちゃんと答えているとはオレには思えないからだ
義人(つまり神を畏れる者)に約束されている通り大金持ちだった(プッ
神に見聞してきたことを報告する天使(まだ悪魔という扱いはない)が
ヨブの忠実は上っ面だけだと言う。神はヨブの忠実を試すことにする。(以下略)
ヨブは苦しみに耐えかねて神を非難し始めるが そこに神が現れる。
論理の展開はそれ以上ない。神が現れたという圧倒的な事実で強引に結末に持っていかれる。
結果としてヨブは前以上の富を与えられて めでたしめでたし となる。
普通に読むとだれもが目が点になると思う。なんじゃこりゃ と思う。
あとはヨブ記が何を言いたかったのか考えるしかない。義人が苦しむのは神の試練ということらしい。
最後には現世的富で幸せにするということを言いたいらしい・・・。
ユダヤの民にとってはこれ以上のことは言えなかったんだろうね。
現代のわれわれから見れば笑っちゃうしかない状況だけど
生活貧しく、娯楽乏しく、病や厳しい気候の中で生きていくには宗教という心の支えは
どうしても手放すことはできなかったんだよ
神は不誠実だという結論を下すことは実にやさしかったけど
それは自分たちにとって不利益なことだったんだ 
神の度重なる「裏切り」を受けてイスラエルの宗教性も変化していった
それが 内面化 と 来世化 だ 内面化については省略するけど
救いが現世に行われることから来世に行われるということになった
これってどう思う?現金払いできなくなったから手形を発行したようなもんだよ
いままで一度も現金で払ってくれなかった人が発行した手形だよ!
ふつうは信用できないよねえ・・・ はっきり言って理解不能
273257:02/11/04 01:16
>>269
>我々は(あなたも含)自分の思う通りに資料が読み込めていないのではないかという
>「おそれとおののき」をお互いに持ちながら研鑚しているのではありませんか。
そうですね、全ての著作を数えれば膨大な遺産があります、が
私は「彼等の思想の全てを理解しろ」と言ったのではありませんよね?
「一、二度読めばそれで十分」などとも言っていません。
新約聖書については「子供でも」読める様に
解り易く訳されたものが日本でも沢山出回っている筈です。

>わたしが会った方々でそんな人は一人もいませんでしたよ。

だから七行かけて「とにかく、読んでみて下さい。」と言ったのです。

もう一度言います、私は「彼等の思想の全てを理解しろ」と言ったのではありません。
基本的な事すら全く理解出来ていない「宗教・哲学者」は実際、驚くほど多いです。
274257:02/11/04 01:17
>>270
>例えばオレがサイババに「わたしは生涯あなたを守る」と言われたが
>一生ふんだりけったりの不遇の生涯だったとしたら ふつうはサイババは当てにならないと
>いう結論が出るところ 「いや 自分がこまごまと罪を犯したからだ」と言い張ったらどうだろうか?
>「あいつはバカだ」と後ろ指を指されるだけだと思う。ユダヤの民はこんなことをしてきたのだ。
サイババがあなたを「無条件に守る」と言ったのであれば当てになりませんね。
それと旧約の神といったい何処が同じなのでしょうか・・・
「守る方法が超常の力」という所だけ・・のように見えますが・・・?

>救いの約束が来世に移行したとしても「神」の人間に対する不誠実は歴史的事実です
まさかとは思いますが「預言者」達も「想像」だと一蹴しているのでしょうか???
そうだとすれば「聖書なんてでたらめだ」の一言で済みますが・・・
それだと理性の入る余地無いですね、旧約、新約があるのも無意味になりますし。
それとも「歴史的事実(救済)をもって神の存在を証明せよ」ということでしょうか、
聖書で神自身がそれ(証明)をする事は無いと言っていますが・・・。


>どこの宗教でも「〇〇が現れた」という「証言」には事欠きませんよ
そうですね、
私は、それが神が存在する証明だと言いましたか?
「その真偽は保証出来ませんが」と言った筈ですが・・・。

彼方が言っているのは「神が先か人が先か」の鶏と卵の話にしか聞こえないのですが。
・・・でもそれではどちらも証明など出来ませんよね・・・??????
275まさもね:02/11/04 10:55
>257
>基本的な事すら全く理解出来ていない「宗教・哲学者」は実際、驚くほど多いです。
同感です。名のある学者が幼稚な思い込みをしている例は枚挙にいとまがありません。
「あなた、ここの箇所をフツーに読んでごらんなさい」と言いたくなる事は度々です。
しかし、「〇〇も読んでないんじゃないですか?」とは言えないし、言ってはいけない。
坊主頭の中学生が得々として稚拙な論理を述べているのを見たのならまだしも、普通は
無明の闇を追い払おうとお互いに苦心している学友にそんなことはとても言えないのが
普通の感覚ではないのですか。

276まさもね:02/11/04 11:50
>257
預言者が警告したにもかかわらず為政者とイスラエルの民は行いを改めなかった。
それゆえに神はイスラエルをこらしめた、という論理は実に稚拙です。当時のユダヤの
民がそのようなことを言ったのならまだしも客観的に事実を観察できる日本人が
この論理を是としてすましていることがことができるのかわたしには不思議でなりません。
人間たちは努力すれば義人になることができるのですか?
この問いにイエスと即答しているとすればもっと人間を観察してほしいと言いたい。
宗教家や道徳論者にありがちなのは人間を聖と俗に分けたがることです。
人間は本来清いものなどではなく、イヤになるほどサルにちかいです。いや、サルそのものです。
宗教家や道徳論者に言わせれば人間は「ドロドロしたもの」、現実主義者から見れば
「人間は人間にしか過ぎない」のです。何千年たとうと人間は人間なのです。
一人の人間を取り出して聖なる者としようとするのならともかく、旧約聖書で対象となるのは
イスラエルという民族全体です。すべての人が宗教的戒律にきれいに従うなんて
最初からありえません。何割かの人々は宗教的戒律をないがしろにするだろうし
周辺諸国からはさまざまな文化が流入してきて、それらは異教的色彩を帯びているだろうし
日本にも多くの宗教が存在しているように、他の宗教を奉じようという人も当然現れる。
まことに人間的で自然な成り行きなのだが、「イスラエルの神」はけしからんとおっしゃる。
どないせーっちゅうねん?って感じです。繰り返しますが、何割かの人々が宗教的戒律を
ないがしろにし、異教的文化にある程度染まるのは避けられません。これをもってイスラエルを
見捨てることにされたのでは「殿、そのような御無体な」ということになります。
最後に、公明党の方々が奉じていらっしゃる宗教の例を挙げます。かの宗教は現世利益を約束します。
信心すれば現世で幸福になると説きます。ユダヤ教と似ています。ところで信心しても不幸になる人々が
やはりいます。このような人々に学会(ヤバッ)はなんと言うか知っていますか?
「信心が足りないから」です。開いた口がふさがりません。旧約聖書を書いた祭司階級も同じことを
書いているのですよ。「我々がこのような目にあったのは信心が足りなかったからだ。」
277考える名無しさん:02/11/04 13:34
http://www.churchchannel.tv/watch/
アメリカのキリスト教チャンネル。
メガチャーチ一万人の礼拝が見れる。
278考える名無しさん:02/11/04 13:37
>>276
>客観的に事実を観察できる日本人が…
>何千年たとうと人間は人間なのです…

そういうのを事後的かつ超越的視点というんだよ。
だから
>すべての人が宗教的戒律にきれいに従うなんて最初からありえません。
なんてつまらんことが平気でいえるんだぞ。
279考える名無しさん:02/11/04 14:29
それで・・・?
280考える名無しさん:02/11/04 14:48
中学生の読書感想文レベルをはやく超えろと励ましていると思われ。
281考える名無しさん:02/11/04 15:08
ふむ、誰かまさもねを論破してくれ
漏れはROMってるから(W
282Asio:02/11/04 17:21
以前、知合いの浄土宗の和尚に誘われてそのお寺で月一回行われている「念仏の会」に参加しました。
そこで百礼というのをやりました。百礼とは五体投地をしながら念仏を唱える行ですが、
膝まづいて礼拝をして立ち上がってまた膝まづいて・・とヒンズースクワット以上の辛さです。
百回の礼拝をするのに約1時間半かかりましたが運動不足な私は足がガタガタに震えました。
終わってお茶でも飲もうって皆がテープルを出したりお茶の用意したりしてる時も
私はヨロヨロと本堂の中を彷徨ってました。。。
「なんだ若いのにだらしないな〜」と年配の会員さんがからかうので、照れ隠し的な意味も含めて
「これは念仏というより、スポーツですね。。。」と言うと、和尚が
「そうそう。スポーツだよ。仏教にはスポーツ心が必要だよ。」と答えられました。
お茶を飲み、少し落着いてくると程よい疲労感とすがすがしさが私を包みました。
ああ、これが清浄な心というものなのかな・・。なんて思えました。
仏教は心のスポーツだったのか。。なんて得心して、以来都合が合えば出席するようになりました。
仏教が心のスポーツならば、宗派の違いはサッカー部と野球部ほどの違いということになるでしょうか。
やってる事はまったく別でも通じるものがあるはずです。
そして、仏教が心のスポーツならばキリスト教もそうなのでしょう
やはりそういう意味で仏教もキリスト教も(そしておそらくイスラム教も)通じるものがあるはずです。
ただし、以上は個人的な信仰の実践レベルの話ですので、文化的歴史的な範囲の話はまた別ですが。
283考える名無しさん:02/11/04 17:57
>>282
いいことを言いますね。
ただ、宗教は全人的なものだから、
色々なスポーツを楽しむように
色々な宗教を信じるわけにはいかないわけですけどね。
284考える名無しさん:02/11/04 19:08
仏教では何日間も山を歩き回ったり荒行をしますよね
キリスト教では労働修道士が肉体労働を人格の完成及び
苦行として行いますね
ヒンドゥー教でもよく苦行をしますね
宗教にとって身体ってどんな意味を持つのでしょうね
苦行は何のためにするのでしょうね
285考える名無しさん:02/11/04 21:23
心と宗教板で
「なんでいるかいないかも分からない神を信じられるんですか?」
聞いたことあるんだけど
自分は他の人と違う、神と近い存在なんだ!!
って思いたいから信じているらしいよ
だから、宗教はただ心を満たすだけのものだったんだって
納得したよ




286考える名無しさん:02/11/04 21:24
そういう人もいるだろうね。
世の中、いろんな人がいるね。
287考える名無しさん:02/11/04 22:03
他の考え方ってあるのかな??
日本で教育を受けた人なら
本気で信じている人いないんじゃないかな?
いたら話がしてみたい
288考える名無しさん:02/11/04 22:13
教育実習に行ったときに倫理の先生から
「宗教の話をするときは特に気をつけてくれ。実にさまざまな宗教を信じている
親がいるから。いないのはイスラム教くらいだと思っていてくれ。」
と言われた。
宗門系の大学に出講させられたりしたら、そんなことに気を遣ってたら
何も言えんぞ。
俺はもう気を遣うことを諦めて、前途ある若い学僧に「大乗非仏論」なんぞを
解説しているが。
290考える名無しさん:02/11/04 22:25
>>285
> 「なんでいるかいないかも分からない神を信じられるんですか?」

いるということが確実にわかっている存在だったら信じるも信じないもヘッタクレもないと思われ。
いるかいないか分からない存在だからこそ「信じる」「信じない」が問題になるのだと思われ。
例えば、「あなたはアメリカ人の存在を信じますか」という質問は珍妙この上ないが、
「あなたは宇宙人の存在を信じますか」という質問なら十分に成り立つ。

ここでは「信じる」の意味を「存在の有無」に限定して語ったが、別の意味での「信じる」、
つまり「存在することを前提とした上で信頼する」という意味においても似たような事が言えるだろう。

不確実だからこそ「信じる」ことができる、というか、不確実なものでないと
「信じる」ことは出来ないのではないか。
だから「なんでいるかいないかも分からない神を信じられるんですか?」という質問にはは
あまり意味がないように思える。
単に「何で神を信じられるんですか?」という質問ならまだ分かるんだけどね。

本題からずれたレスでスマソ。
291285=287:02/11/04 22:31
>>288
「さまざまな宗教を信じている人」は
本当にしんじているのだろうか?

「自分のいないところは無かもしれない」
というのは偽だという人でも
「(みたことも無い)神は絶対だ 人生を捧げる」
とか考えている人はただ自分が特別だと思いたいだけなんじゃないかと思う

神とか、ヤク中の人でもみることあるらしい(らしいでごめんなさい)
それじゃかっこつかないからね
292考える名無しさん:02/11/04 23:06
293どごん:02/11/04 23:11
「宗教を信じるのは心を満たすため」とかいうのは
理屈のひとつではあるけど、それがすべてじゃない。
「自分を超越した何かがある」という感覚、
畏敬の念や臨在感、そういったものが宗教の出発点にはあるのであって、
教育を受けたからといってそのような感覚がなくなるわけじゃない。
294どごん:02/11/04 23:13
そういう感覚をはじめから否定する場合には
合理的な精神は強い力を発揮するとは思うけどね。
295285:02/11/04 23:43
そうか、
ところで「合理手な精神」
って?
296考える名無しさん:02/11/05 01:38
>>285>>287>>291
信仰については自分のまわりに信仰者がいなければなかなか理解出来ないでしょう。
折角のネット世界です、色々な人と話し(その意味では2chはオススメできません)
人の輪を広げておく事をオススメします。
297285:02/11/05 10:56
2ちゃんはだめかい?
298296:02/11/05 12:13
だめでしょうね、
真剣に人生をかけて「神」と「真理」を追い求めている、且つ、
それなりでも、ある程度年輪を重ねている人の話を此処で聞こうとするのは
おそらく宝くじを当てるようなものだと思いますね(10万円程度かな)
まあ、その分、安心して質問出来る雰囲気ですが。
答えもその程度のもの、と言う事になるでしょう。
299まさもね:02/11/05 12:27
わたしならお答えできると思います
300297:02/11/05 12:33
まさもねさん、答えてください
301考える名無しさん:02/11/05 12:35
>>299
どこかでお会いしましたね。
302まさもね:02/11/05 13:11
なぜ信じるのかということ 信仰についてですね

信仰に入るきっかけは実に人さまざまです
親譲りのものもあれば、本を読んでということもあり
人に勧められてということもあれば、宗教者の姿見て
ということもあります 
親譲りの場合は事情が複雑ですから今回は考えないとして
自発性がある人の場合ですと例外なく求道心というものが
見られます 神に近づきたい 真理を悟りたい とか
若い人に多いのです 若い人が哲学的になって難しい本を
むさぼり読むのに近いかもしれません そこには自分は
人よりも真理に近いとかいう虚栄心は感じられません
求道心は求道心としか表現できないもので
それを間近に見るとそれ自体神々しいものです
宗教心というものは人間の本質に根ざしてるということは
疑うことはできないと思います
日本人のみなさんなら
次のようにしてそれを感じることができるでしょう
朝早く散歩のついでに1人で神社に行って
かしわ手を打って静かに御神体に語りかけてみてください
何か大きくて静かな心に結ばれたような気持ちになり
心が安らいできます

なぜこのような気持ちになるのかはさておき
人間が宗教に惹かれる気持ちは理解できるようになるでしょう

>301
いろんなところに行っているので…
どこでお会いしましたかね?
303考える名無しさん:02/11/05 13:25
イスラームです。>>1
304考える名無しさん:02/11/05 13:29
〉302
なぜ信じるのか、それは人間の本性だから、ってか。やれやれ
305297:02/11/05 13:34
ありがとう
聞いてみるもんだね・・
私たちが真理を知りたいっていっているのと同じだね
306考える名無しさん:02/11/05 13:39
おれの友人は神を信じてるんじゃなくて
見えるんだもん、仕方ないじゃんと言っていた。
おれも見えるんじゃ仕方ないなと思った。おれには見えん。
307考える名無しさん:02/11/05 13:45
>>306
詳細キボン
308まさもね:02/11/05 13:58
>297
いえいえ参考になればうれしいです

>304
そんな感想を持つ人もいるだろうなとも思いました
信仰は気持ちが先にきて理屈は後に来ます
パスカルは熱心なキリスト教徒でしたが
哲学者ですので信仰とは何かについても書いています
彼によれば信仰は賭けだといいます
緻密な構造と絶妙なバランスをもった自然界
これを自然にできたと考えるのも賭け
造物主が造ったと考えるのも賭け
神はいないと考えるのも賭け
神はいると考えるのも賭け
死後の世界があり生前の行いによって罰や報いがあるかも賭け
もちろんないと考えるのも賭け
信じるということは信仰の対象が見えないから信じるのであって
見えているのなら信じるとは言わないでしょう
309308:02/11/05 14:13
>>
>信仰は気持ちが先にきて理屈は後に来ます

パスカルは信仰の後にどんな理屈をこねたんですか?
310失礼:02/11/05 14:15
>>308
>信仰は気持ちが先にきて理屈は後に来ます

パスカルは信仰の後にどんな理屈をこねたんですか?


311考える名無しさん:02/11/05 14:37
さっきは真理を求める求道心のおしゃべりしておいて、今度は不合理ゆえ我信ず、
かよ。
いやはやこのおっさんは
312まさもね:02/11/05 15:12
>>310
ですから308はパスカルの代弁ですよ
私見ではありません
313考える名無しさん:02/11/05 15:26
>>312
なら書きなさんな。
自分ですら信頼出来ていないものを他人に語るなんて・・・
あまりにも無神経です。

晒しage
314考える名無しさん:02/11/05 15:26
>>312
おい、いいかげんにしろよ。
なんでいきなりパスカルの代弁するんだ??????????
オマエは>>308>>304に対する自分の弁解レスをしたんだろ。
315 :02/11/05 15:52
>314
おまえ他人事ながらハズカシイ…
316考える名無しさん:02/11/05 16:24
優秀な人間の代弁をしたり、他人の代わりに恥じたりしてないで、
まず自分を恥じなさい。まさもね君。
317考える名無しさん:02/11/05 17:09
よくイスラム教の性格を表す言葉として、
「コーランか剣か」という言葉が引き合いに出されますが、
この言葉の出所(でどころ)はどこでしょうか?
コーランは翻訳しか読んだことないので、
そのような言葉があったかどうかおぼえていません。
私の勝手な想像では、
おそらくクリスチャン側から出たのではないかと考えているのですが、
歴史的な文献に見られた言葉なのでしょうか?
318闇の中のオレンジ:02/11/05 18:11
>>317
「剣かコーランか」は中世ヨーロッパで人口に膾炙した逆宣伝的俗説です。
アラブの征服者の被征服者への基本的な態度を簡略に表現したもの。
実状に即して表現をなおせば、「剣かコーランか貢納か」。言い換えれば、
戦うか、イスラムに改宗するか、降伏して貢納するか、という三択。
アラブの征服者たちは、このうちもっとも望ましいのは「貢納」と考えていたようだ。
戦えば犠牲がでるし、改宗すれば平等に扱わなければならず、結局「降伏=貢納」がいちばん見入りがいい。
貢納額をアラブ以前の規定より低めに設定して降伏しやすくする、
といった配慮もあったようだ。
319まさもね:02/11/05 20:21
??レスがついてるけど
何が言いたいのか分かりません
反論があるならヤジるのではなく
きちんと論証してください
320考える名無しさん:02/11/05 23:19
>>307
5年前だから以下意訳だがなんでも神は世界が膨張して溶けて
光っているような姿なんだと。視界が輝く水の中にいるようになるそうです。
当然おれは目の錯覚か錯乱だろうとありがちなつっこみをしたのだが
でも喋るからなと言われた。喋るんかいと。
カルビーポテットチップスを買って食えとその声が言ったとか。
それはなんなんだと聞くと、知らんがお告げだからとりあえず食ったそう。
その声がおれを殺せといったら殺すのかみたいなことも聞いた。
殺すそうです。仕方ないそうです。ちょっと恐かった気がする。
他にもいろいろ聞いたんだけど忘れてしまった。
321考える名無しさん:02/11/05 23:25
その人はあなたの友達みたいだね
ふだんはどんな人だったの?
322考える名無しさん:02/11/05 23:29
友達で巫女をやっていた人がいる
神を見たそうだ
強い光で本当に眩しかったそうだ
姿は見えたのかと聞いたが
ただもう 光 光 光 だったそうだ
見えるんだったら折れも見たかったけど
清い処女じゃないと見れないそうです
逆立ちしても処女にはなれないなあ
323考える名無しさん:02/11/06 00:50
>>319
まさもねさん、あなたは既に論破されていますね。
反論は極度に切りつめられて表現されていますが、それに肉付けして論破を
9割完成させているのはほかならぬまさもねさんご自身ですよ。
324俗物:02/11/06 02:50
関係ないけどさ〜、なんでみんな宗教なんてしんじるんだろうね?
結局は自分が幸せになりたいからじゃない?よりどころだったり、アイデンティティーだったり。。。。私はそう思うから自分が納得できれば言いと思うな〜。
だから仏教!!だって、人に修行を強制しないってきいたもん^−^(やはりみんながすくわれるって点ではね)おしつけられるのは俺はやだからさ〜。
325考える名無しさん:02/11/06 02:56
とりあえず
あなたの一人称はアイなのですか?
326考える名無しさん:02/11/06 05:17
なぜ日本は、世界でもきわめて珍しい無宗教国家になったのだろう。
327考える名無しさん:02/11/06 05:50
>>326
織田信長 豊臣秀吉の功績大
328まさもね:02/11/06 17:51
ヨーロッパにキリスト教が伝播した頃
ご存知のように迫害ともに殉教者がたくさん出た
殉教者とともにキリスト教徒が減ると思いきや
それどころかどんどん増加した このことから
「殉教者の血はキリスト信者の種」と言われた
殉教者には天国の栄冠が与えられ
地上には布教の祝福があるとされた
日本での迫害は長期的かつ徹底的であった
多くの殉教者を出し、「殉教者の国」と呼ばれて
現在にいたるまでキリスト教世界では尊敬されているほどである
しかし
日本の現在のキリスト教人口は0.1%ほどなのだ
「殉教者の血はキリスト信者の種」の言葉には唯一の例外があるようだ

>>323
そんなんじゃダメです
329考える名無しさん:02/11/06 18:37
田舎のことは知らんけど東京神奈川の一流私立中高にミッション系は多いけどね。
将来のエリートの多くがミッション校で教育を受けているわけ。
このほうが葬式仏教より影響は大きい。
もちろんミッション校に入ったからといってキリスト教徒になるわけではないけど。
330考える名無しさん:02/11/06 19:03
キリスト教が資本主義を産み出し、それが地上を覆った。
ミッション校の人気があるのは、大学受験で実績があるだけではなく、上流階級
のステイタスがあるから。
その間仏教は何をしていたか。
働かないで托鉢やってたから、葬式仏教しかできなくなっていた。
331考える名無しさん:02/11/06 19:30
座禅は資本家のレクリエーションとして多いに役立ってますが、何か?
332考える名無しさん:02/11/06 20:25
リラクゼーションとして密かに流行っているかもしれないが、
坐禅に上流階級のステイタスがあるいうのは聞かないな・・・・
あったらあったで面白いけど。
333考える名無しさん:02/11/06 21:21
キリスト教が教義レベルで膨張主義を説いたのが諸悪の根源だろ
334考える名無しさん:02/11/06 21:24
以前、和田アキ子と爆笑問題のバラエティ番組で
消えたオランダ人宣教師を探せっつー企画で
アフリカのありとあらゆる少数民族にキリスト教を布教しまくってて
キリスト教の布教欲ってスゲーなーと思いました
335無神論者:02/11/06 21:40

 宗教とは ぶっちゃけ 幻想 偽善 依存 ウソも方便 
精神のプラシーボってかんじで OKすか? 
336どごん:02/11/06 21:44
>>335
そう思うなら別にそれでもかまわんが、それって例えば
人間は寝て起きて食って排泄して生殖して死ぬもんだ
っていうようなもんだぜ。
337考える名無しさん:02/11/06 22:11
>>335
ナガシマ監督のノリで言ってみたんだよな?
338まさもね:02/11/06 22:56
ミッション校ってあるけど
西洋の修道会がなぜ教育に乗り出したかというと
布教が目的なんだ。ぶっちゃけ子どもたちに宗教教育を施して
信者にしてしまおうということだな。見方を変えれば結構コワイかも。
日本人にはそんな攻撃は効かないぞ と思うだろ?
これが結構効いているんだなあ。確かに日本のキリスト教人口は少ないけど
これを維持させているのはミッション校の成果なんだ。
339考える名無しさん:02/11/07 01:25
良くも悪くもキリスト教の歴史はスケールが大きいということが解ってもらえた
ようだね。
これに比べれば仏教の歴史はキリスト教のスケールの大きさを再確認させてくれ
る役割しかないということだね。
そもそも貧民をまともに相手にしたのもキリスト教。
仏教は金持ちを相手にすることで発展しようとした(それが嫌なこころある者は
乞食をするしかない、というのも問題ありだが)。

批評の対象として中心的に価値あるのは(負の価値を含めて価値あるのは)キリ
スト教で、仏教はその批評をより立体的にするのに役立つというわけ。
ヴェーバーのスタンスでもあるけど。

哲学的に仏教が価値無いとは思えないけど、現代日本にあってこれだけ日常の言
語観からかけ離れてなおもやる必要性はない。
もちろん西洋哲学だって日常の言語から離れているとはいえるけど、しかしその
抽象概念の生成の現場には立ち会うことは仏教ほど困難ではない。
抽象概念の生成の現場に立ち会えない限り、仏教は深いだの広いだの言っても単
なるおしゃべりだよ。
340考える名無しさん:02/11/07 04:21
>>339
キリスト狂は偏狭で、中世は十字軍、近世は宗教戦争、そして現代はイスラム相手に文明の衝突を起こそうとしている。
乱暴なやつらだ。
説いていることと、やっていることがこれほど正反対な宗教もない。
341考える名無しさん:02/11/07 05:06
>>340 ニーチェ嫁。
342考える名無しさん:02/11/07 07:00
>>339

仏教のほうが古いど
343考える名無しさん:02/11/07 09:39
>>339
「抽象概念の生成の現場」というところ
詳細キボン
344考える名無しさん:02/11/07 20:31
>>343
蛇足の部分なので手短にレス。
西洋哲学(あるいは哲学史)には本質的な批判と創造があるように思う。
それを可能にしているのは論理ではあるのだが、なによりもその論理にはコンセプト
(概念)がある。
Conceptは語源的にいえば「ともにつかまれること」。
批判のコンセプトと創造のコンセプトは共につかまれ、読者とコンセプトは共につか
まれることで、読者は思考の鍛練を受ける。
それがコンセプトの生成の現場であり、もはや単なる観念論ではありえない。

と、ここまで書いたところで仏教の事情についても書きたくなったのでまた後ほど。
345考える名無しさん:02/11/07 21:08
何といっても金豚教が一番強烈だ
346考える名無しさん:02/11/07 21:22
>>344の続き
ところが仏教愛好家は、諸行は無常だという気分としての批判、あるいは詠嘆
から始り、一切諸法は空、で思考がストップする。
相変わらず煩悩は生き生きとしているわけだし。
この仏教愛好家にとって、「空」は、虚無のカオスであることで「ともにつかまれ
ること」を拒むがゆえに世界観の単なる記述であるほかなく、コンセプトの力を
もたないのだ。
世界観の単なる記述には批判と創造が欠けているのだが、その代わり空には悟り
の対象という宗教的な最高の地位が与えられ、虚無はロマンになる。
後は「世間は空」を念仏のように唱えるしかない(文字どおりの念仏というのも
あるが)。
批判や創造や思考鍛練の超越(拒否)は、お守り札の念仏行為か、修行による悟
り待ちしかもたらさない。

私は仏教哲学からなんらかのコンセプトの力を見出す人がいるであろうことは否
定しないが、上記のような空は、仏教愛好家の力量不足だけのせいではないよう
な気がする。
347考える名無しさん:02/11/07 22:53
今度は仏教に詳しい人の登場だな
なんか質問考えておこ
348考える名無しさん:02/11/08 02:25
>一切諸法は空、で思考がストップする。
うーん・・・その先が長いと思うけどなー
止まってしまうのは自分の未熟さに気がつかないからでしょ
349考える名無しさん:02/11/08 03:44
仏教は虚無主義ではありません。
「空」と言うのは全てのものに実体が無く、刻々形を変化させているという「事実」を述べているだけです。
これには例外はありません。たとえば自分から見て「世間は空」と解釈します。それは自分から解釈した
偏見に過ぎません。この事実は必ず自分の外にあり自分から認識すると煩悩になります。
350349:02/11/08 04:14
もしあなたが死んだとします。あなたを構成していた物質は宇宙に四散します。
でもあなた自身にはそれを認識する方法がありません。
自分から認識するのではなく「事実」と自分とをー体化させるのが「解脱」です。
でも常人にはほとんど到達不可能な境地と思われます。
351考える名無しさん:02/11/08 09:24
悟りほ開くのが不可能ならなんで凡人は仏を拝む必要があるんでつか??
352考える名無しさん:02/11/08 09:35
>>351
仏をどのような意味で用いているか分らないけど、
釈迦牟尼だったら自分を拝めなんて言ってないよ。
353考える名無しさん:02/11/08 11:04
>>346が指摘してる空観そのまんまのレスがついてるのでビクーリ。
仏教愛好家ヤバイ。
354考える名無しさん:02/11/08 12:21
>>352
わけわからん。
論点をすりかえないで。
現に仏を拝んでる人たちが大勢居るんだから。
355考える名無しさん:02/11/08 13:40
>>354=351
はぁ?
あんたわけわからん。
必要な理由を問うてるなら、釈迦の教えにはもともと無いと言ってんじゃないの?
釈迦の教えに偶像崇拝なんてあったか?
だいいち、仏って仏陀のことか?死人の事か?

釈迦の死後に形作られた諸々の仏教各宗派でのことなら、
宗教板で聞けば?
356考える名無しさん:02/11/08 15:18
「釈迦の死後に形作られた諸々の仏教各宗派」
それを仏教と言います。
「仏教愛好家ヤバイ。」
357考える名無しさん:02/11/08 16:56
>>356
だから何?
358考える名無しさん:02/11/08 17:05
〜仏教各宗派
>それを仏教と言います。
当り前のような・・・
359考える名無しさん:02/11/09 00:21
>>355
>釈迦の教えにはもともと無いと

もともと、ね・・・
論点すりかえの常套手段でつな。
「本来ならちがう」とか「元々はちがう」とかね。
現に仏教では拝んでる事実があるのに何を言ってんだか・・・
360どごん:02/11/09 00:41
仏を拝まない仏教だって考えられるけど、
そういうのは「教団」にはなりづらいだろうね。
361くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/09 00:42
イスラム教の緑園あげ
362くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/09 00:43
緑園いひひひひひいひひ
363考える名無しさん:02/11/09 00:46
2ちゃんの仏教愛好家だめじゃん。
364考える名無しさん:02/11/09 00:48
なにがだめなのじゃ。
よい宗教愛好家とはなんなのじゃ。
365考える名無しさん:02/11/09 00:59
緑園いひひひひひいひひの馬鹿は精神分析でも治せないらしいですよ。
366考える名無しさん:02/11/09 01:06
ほんと精神分析学の限界を感じるよね。
これじゃあもう鰯の頭でも拝むほかないでしょ。
367考える名無しさん:02/11/09 01:14
>>365
緑園いひひひひひいひひはまだ治せると思いますよ。
彼はわかってるんですよ。
自分が○○○であることが。
そうである限り、その一点で、希望はあるのです。
368考える名無しさん:02/11/09 01:27


○○○…


369349:02/11/09 02:06
この事実としての「空」には例外がありません。よって仏教そのものも「空」です。
ですから「解脱」の境地と常人の境地には本来何の変わりもありません。
これが大乗仏教です。「煩悩即菩提」と言います
370349:02/11/09 02:12
この「煩悩即菩提」を覚知するための体系が簡単に言うと大乗諸宗と言えます。
371349:02/11/09 03:48
あと宗教には権力者による民衆操作の道具としての側面があります。
これについての仏教やキリストとの関係は後ほど詳しく述べます。
これが一番リアルな宗教の正体と言えるでしょう。
372まさもね:02/11/09 08:48
>>371
宗教とは
@信仰する対象を持ち
A教義を持ち
B聖典を持ち
C教義に反することをしたらこれこれの罰を受けることになるとの教義をもつもの
と認識しています
仏教では@〜Cは何にあたるのですか?
*無遠慮にヤジる輩はあなたの学識に嫉妬しているだけなので無視してください
373考える名無しさん:02/11/09 11:02
>>371
キリスト教における司牧権力の問題もはずせないね。
フーコーのいう司牧権力と知と主体化の関系はやはり重要。
374考える名無しさん:02/11/09 11:09
あと、各福音書の中でも年代ごとに教団としての意図が入り込んでいっている。
意図は、不都合な部分の書き換え、場面の記述の明細化をともない、非常に興
味深い。
375考える名無しさん:02/11/09 12:03
知のパノプティコンは物(知覚)のパノプティコンより拘束がきつい。
物(知覚)のパノプティコンはその外に出れば権力から開放される。
しかしミクロの権力が毛細血管のように作用している知のパノプティコン
にはそんな外はない。
376考える名無しさん:02/11/09 12:14
>>373の問題系をシンプルにまとめておく(お馴染みの図式だろうが)

〈知〉─〈権力〉─〈主体〉

〈知〉─〈真理〉─〈主体〉
377闇の中のオレンジ:02/11/09 12:50
>>375
カキコするとき、あーこれ言ったら
叩かれたり絡まれたり荒れたりしそうだからやめとこっていう
あの感じですか。
378考える名無しさん:02/11/09 13:43
歴史的な背景や成立の過程抜きにして、キリスト教やイスラム教に
ついて語っても、小学生の読書感想文にしかなりません。
ユダヤ教、かやの外になってるし・・・
379m:02/11/09 13:46
380考える名無しさん:02/11/09 13:52
小学生の書いたコーランの読書感想文、読んでみたいね。
いや・・・余談だけど・・・。
381考える名無しさん:02/11/09 14:04
>>378
>>374は正統ユダヤ教とキリスト教の歴史的背景、キリスト教成立がテーマ
になっているのがわからなかったんだね。
382くろしろ ◆Mi0a.9Ms2A :02/11/09 14:06
緑園ひひひひぎぎぎ。
383考える名無しさん:02/11/09 14:13


はあ…ここの仏教愛好家はひどいインターネットですね…

384考える名無しさん:02/11/09 14:29
正しさの価値は自己の憐憫と欺瞞によって左右される生命のメカニズム。
385考える名無しさん:02/11/09 18:22
>>359
だからさ、仏教の開祖である釈迦牟尼が、仏(この場合は仏陀?)を
拝めと言った事実があるなら提示してよ。
釈迦牟尼の教えを基にしたと言えば全て仏教、釈迦の教えになるのか?

仏教は釈迦牟尼の教えのことだろ。
麻原をお前は認めるのかよ?
何が、「現に仏教では拝んでる事実があるのに何を言ってんだか・・・」だよ。
新興宗教も原始仏教も禅宗も密教も親鸞も道元も空海も麻原も、
全部同じもんだと思ってるのか?
386考える名無しさん:02/11/09 18:34
あのさ、この板や心と宗教板にはアレフ(元オウム)の輩が多分いるのよ。
真偽は定かじゃないが何度もカミングアウトしてる。
無論、他の新興勢も勧誘活動してたりする訳でさ、そこん所考えてね。
荒れるから仏教哲学は敬遠されてるのよ。
仏教哲学の話題から逸れたら心と宗教板になるべくなら誘導してね。
387考える名無しさん:02/11/09 19:15
>>386
なんつーか、この糞スレでなんで力んでるのか正直わからん。

既に>>1のアホに釣られてこのスレ終わってるだろ?
388考える名無しさん:02/11/09 19:26
387=オウム信者か?
389考える名無しさん:02/11/09 19:31
だいたい世界の情勢からして
モノセイスズム=ユダヤキリストイスラーム
の一神教、たして三つの神ではなく
すべて同じ一つの神を拝む。
モノセイズムと仏教って
仏教勝てんでしょ。
390考える名無しさん:02/11/09 19:31
本当に居るんだ(藁
オウム的なものをプロパガンダしようとしてるのかな。
そうなら、他の思想の攻撃もしてるんだろうな。
391考える名無しさん:02/11/09 19:37
良いレスがある程度ついてるのに。
>>387が一番力んでるじゃん。
つーか泡食ってる。
392考える名無しさん:02/11/09 19:39
>仏教勝てんでしょ。

は仏教はモノセイズムに勝てないでしょって
ゆう意味の方言です。
仏教がモノセイズムに勝てるという意味じゃぁありません。
393考える名無しさん:02/11/09 19:44
勝つも勝たないも、
そもそも仏教は戦わないよ・・・
394考える名無しさん:02/11/09 19:48

オームの泡踊りでつね。
395考える名無しさん:02/11/09 19:51
>>393
仏教は2ちゃんで戦っている。
396考える名無しさん:02/11/09 19:52
あんた戦わないからやられっぱなしなんじゃろ。
仏教国がイスラムやキリスト教になることあっても
逆はないやんけ。
そんなんでええの?
アメリカのブッシュやアラブみてのとーり
(日本版現人神拝んでた時の日本も)
テンションが違うじゃんぜんぜん。
397考える名無しさん:02/11/09 19:53
どんな宗教であろーと、人生は死ぬまで戦いなんです。
398考える名無しさん:02/11/09 19:54
なんかさあ哲学板で「人を殺していいよね」的なこと言ってる奴って、
オウム信者じゃねえの?
399考える名無しさん:02/11/09 19:57
なるへそ無害なわけね。
400考える名無しさん:02/11/09 20:02
所詮ヒキコであるがゆえに無力
401考える名無しさん:02/11/09 20:06
これだから社会復帰できないんだよ。
402metae:02/11/09 21:26
始めに「無神論ありき」じゃなくて、
神が人間の論理で作られたことや神が例えば宇宙の始まりの象徴でしかないとか
宇宙の法則が神であるとか、あとからつけたものであることは、以上のことで
明白である。
そのようなものからどんないいこと言っても、絵空事でしかなく、
新約聖書も紙の無駄でしかない。
くだらない事ばかり書いてあるしね。
また、「神は人間の理解を超えた」存在なら、人間が理解する必要が無いし、
要らないものです。
また、侵略することでしか広がらなかったキリスト教の歴史は、
世界の人が知るところである。
先住民を殺し、偶像を信用させる。無理やりね。
残念なことに日本人は、違う文化ということで、飛びつき、
何も検証せず、信じる人が増えたので、もうどうしようもない状態だ。
キリスト教を信じていない人もなかば脅迫のように、
クリスマスを迎えたりしている。
馬鹿な日本人達である。
403考える名無しさん:02/11/09 21:34
もっと簡潔に書けや
404考える名無しさん:02/11/09 22:54

 俺 、 た ぶ ん 仏 。
405考える名無しさん:02/11/09 22:57
>>404
ドザエモンか?
明日の夜か?

もう水は冷たいぞ。
406考える名無しさん:02/11/09 22:57
407考える名無しさん:02/11/10 00:31
諏訪市赤沼精和荘1405号室の住人は昼間は基地害学生で、夜は熱心に壁叩きながらトリップしているサイコさんです。熱心な同性愛の求道者なのでお気軽に話し掛けて下さいね?
408考える名無しさん:02/11/10 00:46
勿の論です
409考える名無しさん:02/11/10 00:51
>>407
           ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           ( ´Д` ) < 名誉毀損で通報しますた!
          /,  /   \_______
         (ぃ9  |
          /    /、
         /   ∧_二つ
         /   /     
        /    \       ((( )))  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       /  /~\ \     ( ´Д`) < しますた!
       /  /   >  )     (ぃ9  )  \_______
     / ノ    / /    /    ∧つ
    / /   .  / ./     /    \     (゚д゚) シマチュタ!!    
    / ./     ( ヽ、     / /⌒> )     ゚(  )−    。 ......!!     
   (  _)      \__つ  (_)  \_つ     / >     万
410349:02/11/10 05:30
>>372
@仏教は基本的に中核は全て個人の体験主義です。それは禅でも他力本願の浄土宗でも同じです。
「信じる」というのは「本当の所はどうかわからない」という前提があります。
「人のために神がある」という聖書の言葉がありますが、同じものを信じる他者の存在があって初めて
現実味を帯びてきます。
A教義については個人で自由な解釈または発展させる余地があります。(危険な面もあります)
当然ながら膨大な仏教経典は全て釈迦直説のものではありません。
B宗派によって違います。ただ釈迦は「悪をなさず善を行い自らの心を清める」ことが悟りの境地
に達するのには必要だと言っています。
C仏教にも地獄はあります。でもそれは死後のある状態を指す比喩と考えられます。
全てのものには実体がないという「空」観がベースになっていますので霊魂はありません。
唯識論で言うアーラヤというものが業によって輪廻します。これについては超難解なので
私もよくわかりません(w
釈迦が最初に悟りを開いた時、余りに難しい内容であるため、他人に説くのを躊躇したと言います。
実際の所、止めた方が良かったのかもしれません(w
漁師などの人々に平易な言葉で語ったキリストとは、そこが違うと思います。

411どごん:02/11/10 15:55
今『キリスト教神学入門』という本を読んでいる。
「神学の歴史・方法・内容を一冊で網羅」した凄い本だ。
7500円と、ちょっぴりだけ高いのが難点。
412考える名無しさん:02/11/10 15:59
3つの学問を勉強しろ。
413まさもね:02/11/12 19:40
やはり仏教は難かしいようだなぁ
解釈迦の悟りを核にして哲学や神秘思想がからまって大きなものになった
と考えていいのかな
それならば仏教は正しいとか間違っているなんて判断は難しいだろうな
その点キリスト教とかイスラム教は分りやすいだろうな
イスラム教について知っている人いない?
414まさもね:02/11/12 19:41
×解釈迦
○釈迦

スマソ
415アントンくん:02/11/12 19:46
はじめまして!
ボクのお友達のキャロルくん は、フッサールなどの現象学を勉強して
いま すが、 「現象学って難しいですね!」 「還元に関することが・・・・・
特に超越論的還元の意味が難しいです。」 「生活や自然的実証性から
純粋な 超越論的主観性の意味がわかる人はいますか?」
「わかっている人がいたらぼくに教えて下さいね!」
といっています。 
だれかわかる人がいたらキャロルくんのスレに書いてあげてね!
http://book.2ch.net/test/read.cgi/books/1034769192/l50
あと、たまにはボクのスレにも遊びにきてねん!
http://music.2ch.net/test/read.cgi/classical/1034769515/l50
あと、最近わたしが敬愛する ・・・・先生のサイトもここに紹介します!
ここも、見てくださいね!
http://www16.brinkster.com/aliceandwebern/a.htm
,,,,,,,,,
416:02/11/16 19:50
こやつのせいで止まっているんじゃないか?
417結論:02/11/21 01:00
キリスト教とイスラム教はそれなりに歴史があるってだけで
底は浅いしウソだらけ
消去法で仏教が一番正しい
418考える名無しさん:02/11/21 01:37
仏教極めると温泉掘り当てられるようになるから仏教の勝ち。
419考える名無しさん:02/11/21 01:58
なんで仏教は葬式仏教にしかなれなかったのか?
檀家にぶら下がるしか能がなかったということ?
420N.E.:02/11/21 02:46
人類の最高機関である国連の、その中心機構である安保理で、討議されました。

キリスト教が正しいとの議案が過半数を得ました。

が、中国が拒否権を発動したため決議は成立しませんでした。


421考える名無しさん:02/11/21 04:17
価値は絶対ではない。
りんご、みかん、なし 
どれが一番ですか?ときいているようなもの。
422考える名無しさん:02/11/21 14:38
キリスト教は『義』のレベル。
仏教は『智』のレベル。
423考える名無しさん:02/11/21 14:44
ユダヤ教がいい。
424考える名無しさん:02/11/21 14:48
>>421
本当にそう思うのか?宗教の問題と果物の好き嫌いの問題が同じだと?
もう少し考えて書き込めよ。
425考える名無しさん:02/11/21 18:35
>>421
間違った教えや答えは、どう言ったって間違っている。
正しい教えは道理に叶っているので、誰が聞いても正しい。
問題は、どれを正しいと見、理解し、好きと見るか。
それは個人の自由。
426考える名無しさん:02/11/21 18:40
>>425の補足

ただ知識は知識のレベルに過ぎないので、教えに頼るよりも自分の直感を信じて生きたほうが自分らしく生きられると思う。

427考える名無しさん:02/11/21 18:48
正しさ、の基準を定めなければ判断出来ない。
戦争に強い、のが正しいのなら現代ではキリスト教が正しい。
428考える名無しさん:02/11/21 18:54
キリスト教はエロイベントがわんさかある
よってキリスト教の勝ち
429考える名無しさん:02/11/22 01:30
キリスト教のエロイベントってなに?
430考える名無しさん:02/11/22 01:42
バレンタインデーやホテル満室のクリスマスのことを言っていると思われ
431EX:02/12/06 05:15
仏教における無とキリスト教における無はあながち交錯してるのかも知れない。
伝道者の書なんか、仏教の経典に近いものがあるし。イスラム教はあまり分からんが、
1日五回お祈りするとかなり超越するんではないでしょうか。どの宗教も、自然や精神を超えた創造者の秩序
を洞察しようとする努力であり、尊重されるべきである。根源から話を始めるべきである…
432考える名無しさん:02/12/06 06:24
世界には3つの地域がある。

中東・インド=第一地域
中国・ロシア=第二地域
日本・西欧=第三地域

人類文明は第一地域で始まった(シュメール・インダス文明)。
この時点での宗教は原初的な民族神信仰である。
やがてこの地域から古典的世界宗教が生まれる。キリスト教と仏教だ。
この2つは第二、第三地域にも伝わったが、第二地域では比較的原型をとどめたまま
持続したが、第三地域では大きく形を変え、やがて資本主義システムへと発展した。
第二地域では資本主義の発展はなく宗教的なままだったので20世紀には共産化してしまった。
第一地域は古典宗教を捨て、イスラム・ヒンズー教へ先祖帰りしてしまった。
イスラム教に聖職者は存在せず、最も権威があるのは法学者であるが、これは実は古典宗教
以前の状態に等しい。またイスラム法の同罪報復の原理は古代バビロニアのハムラビ法典の
「目には目を」に戻っただけだし、両者は経済道徳を中心とすることでも一致している。
サダム・フセインがネブカドネザル二世の生まれ変わりを自称するのは古典古代を否定する
という意味もあるのだ。21世紀になってイスラム原理主義や中国が元気なのは日本や西欧と
違ってもともと進歩の観念がないからだが、イラクとアメリカの激突はまさに超古代と近代の
激突なのだった。この戦いに巻き込まれた時点でアメリカは負けだ。21世紀の希望は
日本的平和主義しかないだろう。
433αΩ ◆xNyoEJ3C3A :02/12/06 13:06

http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1032659590/l50
ここの186から191まで
帰納法による神様の存在証明を載せてみました。

基督教、イスラム教、仏教の三つを対立させ、
互いに互いを否定させ合おうとするような言い方は
よろしくないと思われる。

イエス、マホメット、仏陀の三人が
同時代に生まれ出会っていたなら
互いに相手を嘘吐き、ペテン師呼ばわりしただろうか?
いやありえない。
おそらくお互いが相手の徳(優秀さ)を認め合い、
終生変わらぬ友情を誓い合ったであろうと思われる。

私にはどうしてもこの三人が言い争う姿が想像できない。
434考える名無しさん:02/12/06 13:29
>>433
仏陀あたりはごちゃごちゃ言ってたと思うが。
435考える名無しさん:02/12/06 16:13
仏陀は結構粘着だったらしいよ。
436池・田大:02/12/06 17:41
 邪教じゃ!! ナンミョ〜ホ〜レンゲキョウ!! 唱えよ!!
437あべこぼ:02/12/06 17:45
実存主義の入門書でなにかお勧めはないでしょうか??
438考える名無しさん:02/12/06 17:48
サルトルとかキルケゴーるとか?
439考える名無しさん:02/12/06 18:59
キリストは喧嘩相手を愛するマゾ野郎ですから、喧嘩にはなりません。

仏陀は断食しろと言われても、そんな苦行に意味は無いと言い、
飲み食いするので喧嘩になります。

マホメットは左手にコーラン、右手に剣を持って仏陀に切りかかります。
440考える名無しさん:02/12/06 19:01
右のビルに飛行機が突っ込んだら、左のビルを差し出しなさい。
441考える名無しさん:02/12/06 19:05
キリスト教と仏教のエッセンスを消化した奴は最強だな。
無敵+無苦
442αΩ ◆xNyoEJ3C3A :02/12/06 21:11
439と440へ
2chらしくてシミジミワラタ
愉快愉快。

確かに「忠実に教えを守るだけの人々」は喧嘩するわな。
443考える名無しさん:02/12/06 22:59
どれが正しいということはありません。
そもそも、生まれた国の風土とか、色々なものが関わって作られたものなんですから、どれが正しいくてどれが正しくないと言うのは危険です。
444考える名無しさん:02/12/07 00:41
日本人の偏見の立場から言わせてもらえばイスラム教が存在しなければ
世界は現実よりもはるかに平和だと思われる
445考える名無しさん:02/12/07 00:45
世界三大宗教っつっても仏教は弱体勢力だよな
御釈迦さんが神としてあがめられてるビンズー教を含めても
ヤハウェグループ(ユダ屋、キリスト、回教)にはかなわない
446考える名無しさん:02/12/07 00:47
まぁ、どれが正しかろうと日本人には関係ないだろ。
日本人の宗教は儀式にしか過ぎないから
447考える名無しさん:02/12/07 01:12
神はいない。だから、仏教が正しい。
448考える名無しさん:02/12/07 01:13
>447
仏教にも神がいるだろ
449考える名無しさん:02/12/07 13:01
>>448
どこの、ローカル仏教の事?
450考える名無しさん:02/12/11 20:40
記念にどんなことでもかまいません、ひとこと残していってください。
http://www.wide.gr.jp/BBS/003/eternal.html
451考える名無しさん:02/12/11 20:58
キリスト教もイスラム教も自分が神になることはできないけど
仏教は自分が仏になる道を説いている点で全く異質だね

おいらは仏教が好きだな
452考える名無しさん:02/12/12 09:52

賛成。あちらの神様ってけちくさいのよ。
救う奴と救わない奴に差別して。
453考える名無しさん:03/01/01 19:14
正しいも何もない。
バカか?
若干の違いがあるだけ。
454考える名無しさん:03/01/10 10:28
>>451などへ

「真理」を発見したので、報告します。

スレッド:「現代で一番要らない学問=哲学(クソ学)」
455考える名無しさん:03/01/10 18:49
仏陀の悟りは宗教ではない罠。
456考える名無しさん:03/01/10 22:01
僕らの日本を守る為に、尊師の力が必要だ。
457考える名無しさん:03/01/12 00:08
>>441キリスト教と仏教のエッセンスを消化した奴は最強だな。
無敵+無苦
キリスト教だと正教会やユニテリアン派
イスラム教ならスーフィズム
仏教で言えばチベット仏教かな

あとグノーシス派なんてのもあった。
458考える名無しさん:03/01/16 01:39

赤子を生き返らせる魔力をその人物が持っているかもしれない。
彼女は希望に燃え死んだ赤子を抱えて、彼の滞在している郊外の森へと急いだ。
そして同じように訴えた。彼の答えは意外なものだった。
「それは如何にもお気の毒だから、わたくしが赤子を生き返らせてあげよう。
村へ帰って、芥子の実を二、三粒もらって来なさい。」
芥子の実はインドの農家ならば何処にでもある。
その実を用いて、何らかの魔術で生き返らせてくれるのだろうと、
彼女は思い、走り戻ろうとする、その背後より彼が声をかけた。
「ただし、その芥子粒は、いままで死者を出したことのない
家からもらって来なければならない。」
半狂乱の彼女には、彼の言葉の意味が分からなかった。
こおどりして喜び勇んで、村に戻った彼女に、村人は喜んで芥子粒を提供しようとする。
しかし、第二の条件に対しては、「とんでもない。うちでは父や母の葬儀も、子供の葬儀も出した」
というような返答しか聞かれなかった。家から家へと駆け巡る間に、
彼女にも彼の言葉の真意が少しずつ分かってきた。
殆ど村中をまわって、彼のいる森に帰ってきたときには、彼女の狂乱も静まり、
すがすがしい気持ちになっていた。無論、赤子はもどらなかったのだが。

これは非常に有名な話だが、この話の中で、ゴータマ、つまりブッダは、
魔術も説法も行なっていない。彼女を慰めたり、高尚な死の哲学を説いたのでもなく、
ただ彼女に村中を歩かせただけだった。彼女に自ら覚らせる、諦めさせる(あきらかにみる、
これが「諦める」という語の真の意味)のであって、理論や思想をもって相手を屈伏させる
やり方とは、およそ正反対である。

信には二種ある。一には信仰の信。これはセム系宗教の信。二には確信の信。これは仏教の信だ。
仏教哲学が今日、現代の諸思想と比されるのは何故か。まさに後者の信であるからだ。

今ひとつ彼の言葉を挙げよう。
「わたくしに対する尊敬から、わたくしのいったことをそのままうのみにしてはならない。
たとえ尊敬する師の言葉であっても、試金石にかけるようにして吟味すべきである。」
459修正:03/01/16 01:41
幼き赤子が死に、悲しみのあまり半狂乱になってしまった母親がいた。
何とかして赤子を生き返らせてほしいと、会う人ごとに訴えた。
人々は彼女に同情し、近頃評判の高いゴータマ・シッダールタという人がいるから、
彼のもとへ行き相談するが良い、と勧めた。
赤子を生き返らせる魔力をその人物が持っているかもしれない。
彼女は希望に燃え死んだ赤子を抱えて、彼の滞在している郊外の森へと急いだ。
そして同じように訴えた。彼の答えは意外なものだった。
「それは如何にもお気の毒だから、わたくしが赤子を生き返らせてあげよう。
村へ帰って、芥子の実を二、三粒もらって来なさい。」
芥子の実はインドの農家ならば何処にでもある。
その実を用いて、何らかの魔術で生き返らせてくれるのだろうと、
彼女は思い、走り戻ろうとする、その背後より彼が声をかけた。
「ただし、その芥子粒は、いままで死者を出したことのない
家からもらって来なければならない。」
半狂乱の彼女には、彼の言葉の意味が分からなかった。
こおどりして喜び勇んで、村に戻った彼女に、村人は喜んで芥子粒を提供しようとする。
しかし、第二の条件に対しては、「とんでもない。うちでは父や母の葬儀も、子供の葬儀も出した」
というような返答しか聞かれなかった。家から家へと駆け巡る間に、
彼女にも彼の言葉の真意が少しずつ分かってきた。
殆ど村中をまわって、彼のいる森に帰ってきたときには、彼女の狂乱も静まり、
すがすがしい気持ちになっていた。無論、赤子はもどらなかったのだが。
460考える名無しさん:03/01/16 01:43
時間無しです。
461考える名無しさん:03/01/16 01:45
私はどうすべきか分かりません。分からないという事でよろしいでしょうか、
応答願う 時間なし
462考える名無しさん:03/01/16 01:46
死刑でも仕方がないです。こうとしか言いようがありませんが、冥土の土産は
偶然手にしました。
応答願う
463考える名無しさん:03/01/16 02:43
お経数冊、旧約聖書、新約聖書、コーラン、全部読みました。

お経、読んだ本は全部面白い。

旧約聖書、詰まらないところに目をつぶれば非常に面白い。

新約聖書、こ汚い。気色悪い。何年かしてニーチェ読んで共感した。

コーラン、ほとんど無味乾燥というほど詰まらない。というか、面白いとか
     詰まらないとかの彼岸にある。読みとおすと何か悟ってしまう。
     (単に気を失ってるだけだが。)

もしかりにコーランが神の声を集めた本だったとしても、そんな本いらない、
とは思いますね。正しいとか正しくないとかではなく。
464考える名無しさん:03/01/16 02:45
冥土の土産、よかったね。
では、死刑。
465易鬼:03/01/16 02:59
>>463
コーランを岩波文庫で読んだときはまるで話にならないと思いました。
考えが変わったのは、CDで聞いたときです。
前句の信仰告白、「アッラーラ イッラーラ アッラーファア スマル」
なんてきれいなんだろう、と思いました。
コーランは「声に出して読むもの」という意味だそうですね。さもありなん
466易鬼:03/01/16 03:15
コーランはアラビア研究者が訳したものは一様につまらないです。
日本イスラム協会の「聖典クルアーン」は5,7調で訳してあ
るのですが、本当に美しく、おくぶかいですよ。
467考える名無しさん:03/01/16 03:17
「それぞれの神の教えに従い、それぞれ日々の行いを正し、
毎日を生きて行こうとする事」
それ自体が、
欲望に偏ってしまって、エゴになっている事に気がつきさえすれば
すべての宗教の教えは成就されます。
468易鬼:03/01/16 03:26
>>467
言っていることは分かるのですが、その「気づき」は普通、一回的
なものではないと思います。それこそ無限に深めていかなくては、
一瞬一瞬において戻ってしまうでしょう。少なくとも、哲学的論理
操作の気付きは生活や生には普通何の影響も与えません。
 誠実に生きるということはほんとに難しいと思います。
 宗教も大変重要かつ有用な営みであると思います。
469考える名無しさん:03/01/16 03:35
生きている限りエゴイズムを完全に無くすことはできない、
ということを前提に出発しないと、全てがハッピー
になるような幻想を抱いてしまったりするんだ。
470考える名無しさん:03/01/16 09:04
>>469
>生きている限りエゴイズムを・・・・
だから集団自殺するような集団がいるんだろうな
でも自殺もエゴだと気がつけばいいのに
>>468
そう、だからこそ自分が神・・変な言い方だけど
自分だけが唯一神だと言う事、ほかの人達・動物である一般の生命に助けられてもらっている
と言う考え、をする事によって自分こそがすべて恵んでもらっていきられていらる「へぼ神」なのだと考えればいい
・・・・よくみるとキリスト教などのような一つの神をあがめると言う事と
日本古来の八百万の神的な考え方とはまったく立場を変えることだけで同じ体系の宗教ともみれるが、
ぼくは、八百万の神のように、すべてのまわりのものに恩恵を感じて生きていければ・・・・
すべての生きる事が試練であり、そのものが喜びと感じれるようになるでしょう。
その時点になれば、すでに宗教ではなく、生きる事その物を直視して生活できるのです。
471真夏の放火魔:03/01/16 13:19
 どんな宗教も、ニーチェにいわせれば、虚無主義を内包させていて、
「死への意志」を志向しているらしい。本当だろうか。
472山崎渉
(^^)