ハイデガー『存在と時間』を読むスレ

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タイトル通り、『存在と時間』を読むスレです。
一節ごとに読み、まとめていきます(誰がまとめてもよし)ので、おかしなところや、理解不足のところなどがあれば、どうぞ遠慮なくご教示ください。
基本的に、必要なところでは本文を引用していきますが、
本文を全部提示してからまとめる、ということはしません。
また、まとめる人は、
「第一節 存在への問いを、はっきりと繰り返すことの必要(2)」
といった風に、自分がまとめる一節のタイトルを冒頭に書いてから、書き始めてください。

それでは、序文は私がやります。
2アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/05 16:53
序文(1)

 ハイデガーは「……というのは、きみたちが<ある>という言い方をするとき、
いったいそれがどんな意味なのか、きみたちはずっとまえからむろんよく知っているのだ。
ぼくたちも以前には、それがよく分かっているつもりだったが、
いまはてんで分からなくなって困りきっているのさ」というプラトンの著作からの引用を元に、
私たちが「存在とは何か」と聞かれたときに答えを知らない、と書き始める。
そして、答えを用意していないからこそ、改めて「存在の意味への問い」を提出しなければならない、とする。
 また、私たちは、「存在の意味」をまったく理解せずに
「である」「がある」といった存在を意味する言葉を日常的に用いているのではなく、
「存在」という表現はある程度分かっている(だからこそ、「である」が理解できるのである)。
しかし、「存在とはどういう意味であるか」と改めて問われたときに答えられないのは、
その問いの構造を理解していないからだ、とする。
そして、以下の『存在と時間』という長大な論文の中で、
この「存在とはどういう意味であるか」という問いの意味、存在の意味、
そして、すべての存在了解一般が可能になる視界としての時間を解明しようとする、と、
いわばこの論文全体の概略を述べていることになる。
しかし、文体は極度に凝縮されていて、いきなり最初から読みにくい。
3アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/05 16:54
と、こんな感じでマターリいきましょう。
4考える名無しさん:02/04/05 16:54
訳者はだれ?
5考える名無しさん:02/04/05 16:55
わるい。邪魔するつもりはないが
何版で(=誰訳で)読んでるのか一応教えてくれ。たのむ。
6アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/05 16:56
あ、最初にそれを書くべきだったですね。
私は、岩波文庫の桑木務さんのです。
ページ数は原典ドイツ語のを使いましょう。
75:02/04/05 16:59
Danke.
Bitte, weiter.
8考える名無しさん:02/04/05 16:59
哲学者の悪い癖は、無根拠な断定を元に勝手な論理を構築することです。
それに気づいて以来、私は哲学書を深く読むのをやめました。
9考える名無しさん:02/04/05 17:17
>しかし、「存在とはどういう意味であるか」と改めて問われたときに答えられないのは、
>その問いの構造を理解していないからだ、とする。
これって正しいのかな?なんで「問いの構造」を理解していない事にいきなり行きつくんだろ。
ハイデガーに聞きたいね。
 
>すべての存在了解一般が可能になる視界としての時間を解明しようとする
存在了解ってのは、「存在とは何か」という問いの答えのことだろうか。
「可能になる視界」ってのもよくわからん。「視界」って言葉を使った必然性はなんだろう。
それに続く「時間」もねぇ。。。
結局「存在とは何かって問題に対するいろんな答えが出てこれるような時間」ってこと?
「時間」をどういう意味で使ってるのか聞きたい。ハイデガーを小一時間問い詰めたい。
>>9
レスサンクス
夜にまたレスします。

一応、
>しかし、「存在とはどういう意味であるか」と改めて問われたときに答えられないのは、
>その問いの構造を理解していないからだ、とする。

これは、ハイデガーが言ったのではなく、
ハイデガーが言ったのは、
問いの構造を理解する→問いの答えが探求できる
であって、漏れが逆にしてしまったのです。
すいません。
後は夜にでも。
119:02/04/05 18:10
>>10
なるほど、それならわかります。
12アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/05 19:18

>存在了解ってのは、「存在とは何か」という問いの答えのことだろうか。

パッと読んだところ、「存在了解」の定義はなされていないようです(違ってたら指摘してください)
このあとの第一節で、人間は、通常の言語使用でも「空が青い(青くある)」などと、
「存在」の概念を<ふんわりと>理解している云々という文脈、で、
「わたしたちがすでにそのつどひとつの存在了解の中に生き、
しかも存在の意味が暗黒に包まれている」(原書p.4)とあるので、
「存在了解」というのは、「存在の意味」を明確には提示することは出来ないが、
<ふんわりと>存在とは大体このようなものだろう、と曖昧に分かっていることだと思われます。

>「可能になる視界」ってのもよくわからん。「視界」って言葉を使った必然性はなんだろう
>それに続く「時間」もねぇ。。。
>結局「存在とは何かって問題に対するいろんな答えが出てこれるような時間」ってこと?
>「時間」をどういう意味で使ってるのか聞きたい。ハイデガーを小一時間問い詰めたい。

それは、大分後の時間性の所で出てくると思います。
原書がないので「視界」にどういう語が当てられているのか分からないのですが、
英語のviewにあたる言葉なら、visible=存在の意味が「見える=分かる」という意味につながるのかと思います。
時間性に関しては、中期(?)フッサールの時間性との関連とでも考えてみたいですね。
もっと詳しい方がおられれば、ご教示ください。
13考える名無しさん:02/04/05 19:32
存在と時間スレは過去3つあったが、
その全てが30ページも進まず撃沈してしまった。
健闘を祈ります
序説 存在の意味への問いの究明

 第一章 存在の問いの必要、その問いの構造と優位
  第一節 存在への問いを、はっきりと繰り返すことの必要(原書p.2)

 序文で提示された「存在とは何か」ということが、
プラトンやアリストテレスなどといった形而上学者にとって大きなテーマであったのに、
現代ではその問いは無視され、あえて問おうとするものは、
何か間違いでも犯しているかのように白い目で見られる。
ハイデガーはその「存在とは何か」という問いをあえて再び提出しようとする。
ハイデガーは「「形而上学」を再び肯定することが、
現代の進歩のしるしだと考えられているにもかかわらず、
右の存在への問いは、いま、忘れ去られています。」と書いてあるが、
ここでの「再び肯定された形而上学」とは、何のことを指しているのか私には分からない。
フッサールの現象学のことであろうか。分かる方、教えてください。
 そこで、ハイデガーは、ギリシアの古代存在論はその土台に既にドグマを内包していて、
そのうえに以後の哲学が立てられて、存在の意味を問わないことを正当付けている、とし、
その偏見として、以下の三つをあげる。
 @「存在」とは最も普遍的な概念である。(アリストテレス、ヘーゲルの考え)
 A「存在」という概念は定義できない。(パスカルに近い考え)
 B「存在」は自明の概念である。(カントにつながる考え)
 哲学史家としても高く評価されるハイデガーだからこそ、
こういう偏見を見つけえたのであろうが、これら三つの偏見をハイデガーは打ち破るのである。
 @については、普遍的なカテゴリーや類概念は物と物とを区別するが、
そういった区別がなされる事物全体が「存在」という概念で捉えられるのであって、
「存在」概念は存在するものの最高の領域を境界付けているのではない。
「存在の「普遍性」は、すべての類的普遍性を「超えています」(原書p.3)」
とハイデガーは言い、「存在」を「超越概念」とする。

 Aについては、概念は最も近い類と種差によって作られるとすると、
上で示されたように、他の概念を超越した最高の普遍性を持つ「存在」には
並ぶものがないために、確かに「存在」は定義できない。
ここで、ハイデガーはパスカルの
「存在を定義しようとすると、『存在とは……である』となり、『である』という『存在』の概念を定義に使わざるを得ない」という意味のパラドキシカルな一節を引用している。
しかし、定義できないからといって、存在を問わなくてもいいわけではなく、
Aが示すところは「「存在」は存在するものといったようなものではない(原書p.4)」くらいのものである。

 Bについては、人間は、通常の言語使用でも「空が青い(青くある)」などと、
「存在」の概念を<ふんわりと>理解しているが、曖昧にしか理解していない、
ということが、かえって誰にも本当の意味では分かっていない、ということを示す。
だからこそ、「存在」の意味への問いを提出しなければならない。
カントのいう純粋理性から自明性が引き出されるとしても、その自明性自体を検討せねばならないし、
哲学の議論で自明性を引き合いに出すべきではない。

 以上のように、ハイデガーは存在に関するドグマを否定し、
改めて「存在とは何か」を問わなければならないとする。
そして、三つの考察から、この問いの答えが見つかっていないばかりでなく、
問いの構造そのものが曖昧で、問いを探求する方向が見定められないため、
まず、問いの構造を見極めようとするのが次節以降の仕事である。

>>13
うーす。ガンバリマース。
哲人の参加モトム。
レベル低くてつきあってられないかもしれませんが。
17考える名無しさん:02/04/05 21:56
いいぞいいぞ読んでるぞ。もっと続けてくれ。
>>9 再び
>「可能になる視界」ってのもよくわからん。「視界」って言葉を使った必然性はなんだろう
>それに続く「時間」もねぇ。。。
>結局「存在とは何かって問題に対するいろんな答えが出てこれるような時間」ってこと?
>「時間」をどういう意味で使ってるのか聞きたい。ハイデガーを小一時間問い詰めたい。

「視界」は原典ではホリツオントかもしれません。
「見渡せる」という感じですね。、
horizon、から「地平」につながるのかも?
フッサールの生活世界的な、存在概念を認識するために要求される地平、ってことでしょうか。
そうなると、「視界→見る→分かる」「視界→見渡し→地平」で、「分かるようになる地平」のダブルミーニング、ってのも考えられる。

>>13
過去スレ、アドレス分かります?
一応参考にしたいので。

>>17
うっす。
19考える名無しさん:02/04/05 23:39
ハイデガーは、地平(Horizont)を古代ギリシア語の
ホリスモス(形態)の意味で使っていると思う。
だから「存在了解の地平」とは存在了解の形、つまり
存在の了解を形作るものと考えられる。
そしてこの存在了解を形成するもの(地平)が時間なのである。
20atuko:02/04/06 00:15
読んでいます。全然理解できませんが、かっこつけて読んでいます。
21 ◆6xx97tjc :02/04/06 00:24
面白いから続けてくれ!!
22考える名無しさん:02/04/06 03:39
ちくま版なら自分でつくったノートがあるのですが、、、
23考える名無しさん:02/04/06 09:21
>>22
少しずつ、公開してくれ!!!
違う訳を比べるのもおもしろいぞ!!!
24考える名無しさん:02/04/06 13:15
「開示」という彼の用語に象徴されるように、彼は「存在(真理)」は隠されていると考える。
で、「存在」は「存在と時間」の中で開示されたのかな?
私が読んだ限り、結論は書いてなかった気がする。
>>22
是非、少しずつでよいので公開していただきたいです。
訳の違いも、私の理解のおかしいところも分かると思いますので。

>>19
ドイツ語にもお詳しいようですので、少し質問です。
桑木訳では第2節で「視界」にホリツオントとルビを振ってますが、
horizont の訳は他にもあるのに、ここをあえて「視界」と約した
必然性はどこにあると思われますか?

他にも、第一節で、「存在のなかに、先天的(ア・プリオリ)に、
一つの謎がある」と書き、そのあとすぐにカントの純粋理性に
ふれていたりするのを見ると、アプリオリの先験的、先天的という
二つの意味を論の展開にうまく利用しています。
ハイデガーはこういう言葉選びが巧妙ですね。
  第二節 存在への問いの形式的構造(原書p.5)

 前節を「存在問題を再び提起するということは、問題の出し方そのものを、
改めてもう一度十分に吟味する、ということなのです。」と書いて終えた後、
この第二節では、「存在とは何か」という問いの問い方、構造を規定しく。
 ここでハイデガーは、一般的な問いというものの構造を引き合いに出してくる。
すなわち、何かを問うとき、そこには常に、
 @問われていること(ゲフラークテス)
 A問いかけられているもの(ベフラークテス)
 B問い求められているもの(ダス・エアフラークテ)
の3つがある。例えば、道行く人に交番をどこか問うときは、
問われていることは交番であり、問いかけられているものは道行く人であり、
問い求められているものは交番の位置である。私には@とBを区別する必然性が
よく呑み込めないのだが、ハイデガーはこの構造を「明確な問い」の構造と
見なす。
 そしてハイデガーは「ただたずねてみること(漠然と問うこと)」と
「はっきりと問いただすこと」を峻別して、後者の問題の出し方は、
上の問いの構造を満たし、見通しが利くようになっている、と言う。
 そこで、「存在とは何か」を明らかにするために、この問いの構造を
存在への問いにも適用する作業に移るのだが、その前に、
「存在の意味は、すでになんらかの仕方において、わたしたちに手がつけられる
ものでなくてはなりません」と書き、私たちが「存在とは何か」と
改めて問わなくとも、漠然とではあるが「存在」を理解しているという、
状況を書いている。
第二節 続き

 そして、存在への問いを始めるためには、数え切れないほどの種類がある存在するものの
中で、一体どの存在するものに問いかけることを始めればいいのか、という問題に移り、
「模範的な存在するもの」を明らかにしようとする。ハイデガーの考えでは、
その模範的な存在者は、「存在への問い」と問う人間存在自身であり、その「問う」という
行為が存在者の「あり方そのもの」にまでなる。そういう存在者のあり方を、
ハイデガーは「現存在」という術語で表現する。
 ここで、存在一般の意味を問う、という本書の目的が、ひとまず現存在の意味を問う、
という方向にすすみ始めることになる。
 しかし、「現在持っている曖昧な存在了解からはじめて、存在の意味を問う」という
方法には、循環論証である、という批判がなされる。なぜなら、「曖昧な存在了解」と
いう概念が、既に結論として得られるであろう存在の意味を前提しているかもしれない
からである。
 この批判に対してハイデガーは、出発点である「曖昧な存在了解」は、
従来の存在論においては前提されていたが、
それは「処理しうる概念(探し求められたもの)」としての存在概念ではないとし、
「曖昧な存在了解」と最終的な「存在の意味」の間を切断する。
 そして、この「曖昧な存在了解→存在の意味」という問いの方向との類推で、
「存在とは何か」を問う主体である現存在が、現存在自身(自分自身)に問いかけるのが、
よいのではないか、として、これを現存在の優位とする。
>>22
というわけで、一人でまとめるのも寂しいので、
第三節やっていただけませんか?
299:02/04/06 17:46
なるほど、「存在了解一般が可能になる視界としての時間」ってのは結局、
「ふんわりとなんとなく『ある』ってことがわかってる状態ないし形をつくりあげている時間」
ってことみたいですね。わかるようなわからないような気がしますが、これから読んでいけば、
わかってくるのかもしれません。
 
これ、結局みなさん「存在と時間」を読みますか?
本気で続けていくんなら、俺も岩波をちょっと調達してみようかと思いますが・・・
30レスで倉庫行きする感じならそれも考え物なので・・・
30考える名無しさん:02/04/06 18:33
横レスで申し訳ないんですが、最近古本屋で辻村公一訳(『有と時』河出書房)
を衝動的に買ったんですが、この訳はいかがでしょうか?
31アキュビュー :02/04/06 18:34
つまり、善とは、一部の人間の嗜好に過ぎず、
そういった嗜好を持たない多くの人間にとっては、
特別に重要なことがらということではなく、
他にそれよりも重要なことがらいくらでもあるということなんだね。

私は、これだけ大勢の人が問題にしているからには、善悪の概念は、
全ての人間にとってなんらかの特別な意味があるものではないかと思い、
それゆえに、それが何であるのかを知ろうとしているのだが、
それは思い違いだったのだろうか。

そうするといったい、このスレを初めとして、
哲学板で善悪について論じている人は、なぜそんな問題についてわざわざ論じているだろう。

私と同じように、大勢の人が論じているのを見て、
全ての人間にとってなんらかの意味があるものだという愚かな勘違いをしているのだろうか?
32倫理マン:02/04/06 18:59
「存在と時間」本は岩波の文庫で持ってるけど、数ページでギブアップしました。

存在の意味を問わないことを正当付けている下の3つの例が挙げられているのですが、
おおむね私の考えと同じです。でも存在について議論することは否定しませんよ。
>その偏見として、以下の三つをあげる。
> @「存在」とは最も普遍的な概念である。(アリストテレス、ヘーゲルの考え)
> A「存在」という概念は定義できない。(パスカルに近い考え)
> B「存在」は自明の概念である。(カントにつながる考え)
たとえば数学的に「点」と言ったとき、
「普遍的」で「定義できなく」「自明である」のではないかと思うのです。
>>27
にあるように自分自身の存在に問いを発すること、これが主要なテーマになるのかなぁ。
3322:02/04/06 19:34
(一般にはちくま版の訳のほうがいい、とききますがw)
そですね、ノートひっぱりだしてきますか。。
34考える名無しさん:02/04/06 19:35
>>31
善を求めようとしても、
時が経つにつれ何らかのファクターで善が悪にも為り得るし、
悪が善にも為り得るんだよね。


>>31
私ではありません、別の人です。
一応、念のため

>>22
では、次の節、お願いします。
存在的、存在論的などと用語がややこしいですが(藁
私も、ちくま版調達してこようかな。
ちくまはいいって聞きますね。
『有と時』は木田元が酷評してたって聞いたことあります。>>30

>>29
と、このスレまだまだ続くみたいです。
あなたも参加されたらいかがでしょう?
とりあえず、私は一日一節くらいのペースで書いていこうとおもってます。
3630:02/04/07 01:16
>>35
レスありがとうございます。
再びこのスレの流れから逸れてしまいますが、この辻村なる者、ハイデガーの問い
、目標からいって「Seinは如何にしても〈存在〉とは訳され得ない」と言い張るん
ですね。
Seinを「で有る」という繋辞に開かれた訳にしなければならないのに、「存在」と
訳すと物のように錯覚するということのようです。
つまり、「〈真である〉は如何にしても〈存在〉ではない」と。
この区別はなんとなくカントっぽくて気に入ったんですが…
(僕はハイデガーを入門書でしか読んだことがありません。いずれちゃんと読もう
とは思ってます)

木田元の批評はどんなものでしょうか?

特に急ぎの質問ではありませんので、気が向いたらレスお願いします。
37アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/07 12:09
>>36
確かに「存在」と書くと、実存するものなのか、存在という観念なのか、
区別がつきにくいですね。

私の持ってる岩波訳では、

現実に存在する存在者=「存在するもの」
概念としての存在(有る)=「存在」

というように訳されています。
で、「存在とは、いずれにせよ存在するものの存在である」とか
一見して意味の取りにくい文になっています。
ちくま版はどうでしょう?
38鹿鳴館大学萌え:02/04/07 13:01
ところで、ちょっとこれ見てください。
存在と時間で検索していたらでてきたんですが、
これ、明らかに曲解ですよね。

http://www.rinku.zaq.ne.jp/suda/suz/

>要するに、『存在と時間』という本は、デカルトの「私は考える。故に私は存在する。」
>というのはおかしいと問うていることになります。

最後をこんな言葉で結んでますが、
むしろ、デカルトの「ある(存在する)」とはどういうことか、
というのを突き詰めたのだと思ってますが。
存在論史を解体するところでも、一回もそんなこと言ってません。
というか、解説本でも、こんな解釈みたことないです。
鹿鳴館大学文学部の講義はドキュソ決定。
39考える七資産:02/04/07 13:21
>>38
というか、鹿鳴館大学ってどんな大学なんだ?
ヨゼミにも河合塾にも載ってなかったし、
その大学のサイトにも募集要項すら載ってない。
文学部も理学部も、ぜんぶ須田って人がやってるみたいだし。
さらには、助教授募集中なんて書いてあるよ。
なんだこりゃ? ホントに大学なのか?
知ってる人情報キボンヌ。
40考えない名無し:02/04/07 13:34
ハイデッガーって禅宗文献読んでたの?
かなり近いものもあるんだけど。こないだとある人にきいたら道教文献は読んでたみたい、という回答らしからぬ解答はもらったけれど...?
4122:02/04/07 14:00
>>40
一応読んでたらしいですよ
なんだっけかな、ドイツ語に翻訳されたやつをちょこちょこっと。
42考えない名無し:02/04/07 14:20
レス、ありがとうございます

それは、例えば所蔵書リストに書名が見られるとか、どうやってみなさん
確認しているんですか。

実は上の質問をしたとき、「彼は見ていません」というのが第一解答だったんです。

上田閑照さんでしたっけ、筑摩文庫に入った『十牛図』で、留学して受講した
お偉さんが、講義中に『十牛図』についてコメントしてた、っていうのが載っ
ていて、全く見ていない訳ではないのは分かるのだけれども...

現代思想の特集「ハイデッガー」でのインタビューで、本人が、道元さんでした
か、名前出しただけでも嫌っている。

何をそんなに嫌うのか、要確認と思っているものですから。
43考える名無しさん:02/04/07 14:40
なかなか面白いです。今後とも続けていただくことを期待。
44アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/07 14:44
ちくま版ちょこっと確認しましたが、
ホリツオントの訳は「地平」になってましたね。
この点では確かに、ちくまの方が分かりよいかも。

ちくま「存在一般の意味の解釈のための地平を打開する作業としての、……」
岩波「存在一般の意味解釈のために、視界を開くこととしての、……」

こんな感じでした。
4522:02/04/07 14:50
>>42
たしか「現代思想と道元」春秋社 に禅が云々って触れられてましたヨ
それとハイデガーがエックハルトに多少なりとも影響されていたことは
ご存知かと思いますが、、、
よければエックハルトスレのほうもごらんくださいw

お、十牛図って文庫にもなってたんですか、そっちじゃないVERなら
手元にあるのですがw
46考える名無しさん:02/04/07 15:24
『ハイデガー「存在と時間」註解』(ちくま学芸文庫)でゲルヴェンは
Seinの英訳Bing(大文字)に対して「Seinは to beという動詞の不定
詞なのであって、そのままto beと訳すべきである」とし、Das Seiende
にはexistentではなくbeingをあてれば、Seinとの語源的なつながりも
保てると主張しています。
これは無茶苦茶わかりやすいように思えます。
もちろん英訳のBing─existentでほとんど問題ないわけですが。
ただ存在─存在するもの、となるとやはり要注意ですね。
47考えない名無し:02/04/07 15:25
>>45
私も文庫じゃない元本の方です。元本はもう入手しにくいかと思って、
現役?の文庫を上げましたが、実は文庫は読んでいない。

>たしか「現代思想と道元」春秋社 に禅が云々って触れられてま
>したヨ

そうですか、ちょっと探してみます。

48考える名無しさん:02/04/07 15:40
「在ること―在るもの」じゃ駄目なんすか
49考える名無しさん:02/04/07 16:30
「在る」(>>46指摘のto beを考えればよりはっきりするが)はそれ自体、
物ではない、といえるよね。
でも「存在」はそれ自体、物ではない、いわれると、はあ?でしょ。
へたをすればなにかそこに形而上学的錯覚(希望)が入り込む。
そうすると、『存在と時間』の冒頭でつまずくことになる。
50ちょっと質問:02/04/08 08:13
検索してたらこんなのがありました。
http://www.icnet.ne.jp/~aramakingdom/index.sonzai-0-0.html
『存在と時間』の翻訳みたいんなんですが、
本の写しなんでしょうか、それともオリジナルなんでしょうか?

今、手元には「世界の名著:ハイデガー」の翻訳(原佑、渡辺二郎訳)があるのですが、
これとは違うようです。

誰か教えてくれたら嬉しいです。よろしく。
51カンガルー@名無し:02/04/08 09:21
>>45
これって『講座道元』のね@どっかで聞いた書名だとは思ったがすっかり
忘れてた。

笠井貞さんとかね...余りあてにならない...
52アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/08 10:21
>>50
これはちくま版みたいね。
でも、著作憲法違反でしょう(藁
ま、当分、私のようにちくま持ってない人は参考に
できるから、いいんではないか、と。
でも、10節までしかないね。

>世界の名著「ハイデガー」
これの訳はどうでしょう?
それと、他にハイデガーの何が入ってます?
53考える名無しさん:02/04/08 10:25
今までのハイデガースレで「存在」という訳は問題になったことはあるんだろうか?
あるのならどんな意見が出ていたんだろうか?

なんにしても「存在」でやっている以上これでいくしかなさそうだ。
そこで今までの議論を踏まえて提案。
1.当分は「存在」とでてきたら「在る」と頭のなかでつぶやく。
2.この場合「在る」とは「…である」の不定詞形とみなす。
3.これは不定詞形とは品詞ではなく、動詞の基本形程度の意味。それを特別
に「在る」と表記したとみなす。
5450です:02/04/08 11:56
>>52
そうですか。ありがとうございます。
違法かもしれませんが、
読む側としては写しの方がとりあえず安心ですね。

「世界の名著」の収録は『存在と時間』だけです。

私も一緒に読んで行きます。お互い頑張りましょう。
ただ、2chで読書会を成立させるのは難しそうですね。
普通は、担当者が原文を翻訳して、要旨をまとめて、
それに対する質疑応答というパターンなんでしょうが。

もちろん、型に嵌める必要はないので、
どうなるかはアキュビューさんの構想次第でしょうか。
とにかく、続けることが大事ではないかと思います。

このスレが盛り上がれば、きっとハイデガー・プロパーが
やさしく助言してくれるだろうと期待したいところです。
哲学する人は、基本的に知識を出し惜しみしないと思いたいです。
55考える名無しさん:02/04/08 12:13
ここは匿名掲示板であり、無責任な発言、荒らしが横行するところで、
スレの進行役に匿名掲示板の分を超えた要求をするのはいかがなものか。
その匿名掲示板の分に応じて、スレの進行役は判断すればいいのでは?
56通りすがり:02/04/08 13:26
>55
>匿名掲示板の分に応じて

そうだね。
匿名掲示板でスレ主が悪意ある攻撃を招いたとしても、それに対してスレ主
は責任を負えない以上、スレ主の責任は問われない。
これが会社なり具体的な集団なら、内部が荒れたら、荒らした本人だけでなく、
経営者なり責任者なりの結果責任も問われるところだが。
おのずと「匿名掲示板の分」というのがあるわけだ。
57アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/08 19:38
>>53
私も昔読んだときは、そこの存在のところでつまりました。
「存在」→「在る、有る」という風に読み替えるのは
よい方法だと思います。

>>54
>普通は、担当者が原文を翻訳して、要旨をまとめて、
>それに対する質疑応答というパターンなんでしょうが。

このスレの場合は、私はドイツ語を翻訳できるほどの能力もありませんし、
既に邦訳が何種類もなされていて、解説書も数え切れないほどある
ハイデガーの『存在と時間』ですから、
原文を翻訳、が、噛み砕くという作業になりますね。
現在の形で続けていってもいいと思いますが、
欲を言えばもっと質問、というか、ツッコミ、
それはちゃうやろ、というのが欲しいですね。

>>22さん、3節書くときコテハン化希望。
もちろん、このスレだけでいいので。

第二節、存在への問いの形式的構造(原書p.5)(追加)

 この節を通して、一般的な問いの構造の要素である
@問われていることは「存在」であり、
A問いかけられているものは「現存在自身」であり、
B問い求められているものは「存在の意味」であることが示された。
58アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/08 19:38
【術語、用語の整理】
理解に不十分な点があれば、ご指摘ください。
読み進めていく過程で別の意味、
使用法が見られた場合には改定して、定期的にアップします。

・存在了解……「存在の意味」を明確には提示することは出来ないが、
       <ふんわりと>存在とは大体このようなものだろう、と分かっていること
・現存在……「存在とは何か」という存在への問いを行なう可能性を持つあり方をする人間存在
・存在……「ある」という状態(>>49 >>53参照)
・存在するもの(存在者)……現実に存在する存在者
・存在的……存在するものの属性や関係などを探求する(一般諸科学の)あり方
・存在論的……存在するものの存在そのものを探求する(存在論の)あり方
5922:02/04/08 19:45
存在了解のそれはちくま版のP31をそのまま抜き出すと
「存在というものはわけもなく了解されている」、ということ、になります
そして我々はいつもすでにある存在了解の中に生きている、とも。
60不一:02/04/08 23:21
浅い知識で書き込んでおります。その前提のもとに以下を御覧下さい。

存在の意味は、存在の働きが存在者へ現われを送る働きであるために探究の仕様がなくて
『存在と時間』が未完になってしまったのではないのですか?
61アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/08 23:45
>>22さん
岩波版では、「とやかくいうことなく理解されている」ですね。
原語はなんでしょうか?

書いてから言うのもなんですが、
存在了解って、そんなに術語的に捉えなくてもいいのかな、と思いました。
結局、「存在(有る)」を了解している、ってことですから。

そう仮定してみると、一つ問題なのは、
もし『存在と時間』が完結していて、存在一般の意味が明らかになったとき、
それは、「存在了解」だろうか、ということです。

存在「理解」になるのかな。
なんだか無意味な議論でスマソ。

>>50
ところで、>>50さんもまとめるの、やりますか?
62通りすがり:02/04/08 23:50
できれば、ページと行、書いてくれたらいいな、
なんちゃって。
63考える名無しさん:02/04/09 00:16
「ふんわり」と了解っていいニュアンスだなあ。
64考える名無しさん:02/04/09 00:17
In allem Erkennen, Aussagen, in jedem Verhalten zu Seiendem, in jedem Sich-zu-sich-selbst-verhalten wird von >>Sein<< Gebrauch gemacht, und der Ausdruck ist dabei >>ohne weiteres<< verständlich.
65ジョージ・OL:02/04/09 01:44
アキュビュー ◆yX7NUl/Eさん

ご存知かもしれませんが、こんなサイトがあります。ご参考まで。

http://www-miyakelab.mp.es.osaka-u.ac.jp/morita/philosophy/postmodern2/seinundzeit.html
66アテーナイ:02/04/09 11:16
<<61
50です。一応、「アテーナイ」と名乗りたいと思います。

>ところで、>>50さんもまとめるの、やりますか?
いいですよ。
ただ、とりあえずテキストにするのは先に参照したHPということになりますが。
(「世界の名著」はサブ的。図書館からの借り物だから。)

それから、
どなたか『存在と時間』の英語訳テキストがあるHPをご存知ないでしょうか?
ドイツ語原典、フランス語訳でもいいです。教えて下さい。
(調べるの面倒なんで。申し訳ありませんが…。)

>>64さん
出来れば日本語でコメントを付けてもらえると個人的には助かります。
67アテーナイ:02/04/09 11:20
(66)の訂正

>>61
50です。一応、「アテーナイ」と名乗りたいと思います。
68カンガルー@名無し :02/04/09 12:15
フランス語訳って、あの問題の?
69アテーナイ:02/04/09 12:19
>>68 何のことスか?教えてケレ。
70考える名無しさん:02/04/09 12:41
英語のサイトでこんなのがあったよ。
「性起」
ttp://www.webcom.com/~paf/ereignis.html
71アテーナイ:02/04/09 17:03
>>70
ざっと見ましたが、テキストそのものは無かったようですが。
やっぱり、本を買うしかないのかなあ。
7264:02/04/09 21:51
>>66
すいません
「とやかくいうことなく理解されている」の原語はどうなってるか
と書いてあったんで、コピペしたんですが、
コメントの上に貼ってました・・・馬鹿です

コメントと言っても、
『SEIN UND ZEIT』(MAX NIEMEYER VERLAG TÜBINGEN)から、というだけ。
ドイツ語は、ほとんどできません・・・

あと、
俺が買ったとき(4、5年前)、
英訳:4077円(出版BLACKWELL)
原文:4095円だった。takeeeeee!!
7322:02/04/09 23:56
>>61
原語で、ですか
というわけで早速大学で原書借りてきました
「わけもなく」「とやかくいうことなく」という箇所は
>> ohne weiteres << そのほかのことなしで
となってますね
7422:02/04/09 23:58
あ、もう >>64 でのってましたね、スマソw
75アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/10 00:02
>>22さん、
「そのほかのことなしで」
ですね。
私も大学図書館で原書借りてきます。
あったらいいんですけどね。
明日、入学式なんです<某国公立医大

ところで22さん、第三節早くプリーズ。
76純丘:02/04/10 02:22
ひさしく年度代わりの行事や事務で多忙であったが、
 また来てみれば、まともそうな『存在と時間』のスレが立ったので
  なかなかよろこばしい。およばずながら私も応援しよう。

>>61
>存在了解って、そんなに術語的に捉えなくてもいいのかな、と思いました。
>結局、「存在(有る)」を了解している、ってことですから。

存在了解は、ハイデッガーにおいて、
 現存在の根本機制であり、まさに術語であろう。

第二節において、それは、現存在という奇妙な語と対になるもので、
 現存在が、おのれの存在を賭けて、他のものごとの存在を立てるという
  特殊な存在性格、その反転性を示しており、これを、了解、と言う。

このことについては、あらかじめS148(第32節)の冒頭を参照せよ。
 とりあえずの日常的了解と、了解の完成としてのアウスレーグンクは、
  区別されていることにも、先回りして注意しておこう。

(たとえば、山中で、道がない、とするのは、
  山ではなく、私という現存在である。
 それゆえ、こっちが目的地だ、と決意すれば、そこに道はできる。
 このように、了解、は、表面的な、存在の語以上に、
  『存在と時間』の全体を貫いて軸となる概念だろうと思う。) 
77カンガルー@名無し:02/04/10 21:09
>>69

翻訳権を持っているガリマール書店/ヴザン訳をして
ラクー=ラバルト云く

「純然たる災厄」(désastre)

と評したという。研究者たちは私家版のマルティノ
訳を用いているとのことだが、この辺にまつわる話は
「ハイデッガー問題」について見れば知れる。

迂生、この辺で失礼することにしよう。
78おおよそ:02/04/10 23:34
「存在と時間」、昔読んで思ったんだけど、現象学の方法によりながらも、
フッサールの真実に迫る迫力に欠け、ロマンチシズムに流れちゃってる。
すごく中途半端な哲学という印象。むきになって読む価値ないね。
79考える名無しさん:02/04/10 23:35
「哲学者の密室」でもこきおろされてたよーな
80考える名無しさん:02/04/11 06:00


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  / /     \            |   /    /         /\
  / /        `ー 、       |   \    \        /    \
  | .|           ー―-、   |    \    \      /       \
  |  |               |   |      \   \ /    /\   \
  |  |        l        \ |        \        /   \    \
 ,^ヽ.|  ,;;_llliiillli_iJ   ,;;iiillIIii_   |/=          \     /       \   ,`
 |i^.| |  ,彳てフ’   气.てフ'   | i | \       /      \       \/
 ヽ | |  ヽ  ̄'/   【   ̄ ,   |_//  \   /    /\   \
  | ||     ̄    ┃  ̄     |_l\   \/    /    \   \
  `-|      /  ┃       |   \       /       \   \
    |      | _,__i )     .|     \   /        /   /
     l      i| ||;|||||||i     |.      \/        /   /
    ヽ、   |||||:|||||||||ll  (  /                /   /
     |\   ̄ ̄二 ̄ ̄ |//^\             /   /
_ ,――|  \       / /   \          \  /
 /    |\  ー――一  /    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\  ` '
/     |  \ _/    /    /           \
     |  /  入   /    /              \


81アテーナイ:02/04/11 07:16
先に参照のHPで読んでいますが、
わかりませんねぇ。
音声認識ソフトでパソコンに音読してもらっています。
テキストがデジタル化されるというのはいいですね。
途中で挫折という悲劇はとりあえず減少するのではないでしょうか。
がんばりましょう。
82名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/11 11:19
>>79

「哲学者の密室」!
んなっモンの方が???

ここでこきおろされたからって、何がどうなの?

>>78

どちらかというブリタニカ「現象学」の項目の執筆で、フッサールと亀裂を生じたという
両者の立場の相違の方に興味が...

ハイデッガーの場合、同時代までの形而上学に金字塔立てたことと現在までの影響力を考えると、やっぱり今後も研究されなければならない世紀の哲学者だと思いますよ。
83考える名無しさん:02/04/11 12:24
>>78
「ロマンティシズムに流れちゃってる」
意味不明。
84考える名無しさん:02/04/11 12:35
>>83
ドイツっぽいロマン主義ってこと?
85おおよそ:02/04/11 21:28
>>83
もっと明確な言葉で言えば、神秘主義気取りってとこかな。
西田も神秘主義的ではあるが、ハイデッガーと違い、宗教的「行」
に裏付けられている。神秘めかした「存在」を、いじくりまわすのは、
人を曖昧に酔わせ、たぶらかしに通じる危険性をはらむ。
86考える名無しさん:02/04/11 21:45
>>83
神秘主義的なのは、節でいうと何節あたりですかですか?

私は、『存在と時間』読んで、
言葉はややこしいがサクサク分析してるなーという印象で、
神秘主義的なとこには気づかなかったんですが、
「良心の呼び声」の辺りはちょっと引っかかりました。
その辺ですか?
8786:02/04/11 21:46
訂正
>>83 じゃなくて >>85
88おおよそ:02/04/11 22:14
>>86
存在者の根拠としての存在。これを真に把握することは
実に困難。それを「サクサク分析」出来るってことが怪しい。
そこが神秘主義的魔術の術中に陥ってるってことじゃないか。
8986:02/04/11 22:32
なるほどー。
ということは、ハイデガーは「神秘主義的魔術」で
サクサク分析してるように見せかけてる、
読者をハメてるってことですかね?んー・・・
9085:02/04/12 09:22
>西田も神秘主義的ではあるが、.......宗教的「行」
>に裏付けられている

なんのこっちゃ?
「鈴木大拙が」ならわかるが。
91おおよそ:02/04/12 21:20
>>90
西田は禅の修業に心血を注いでいる。
おそらく大拙以上に。少し調べてごらん。
9291:02/04/12 22:21
>おそらく大拙以上に

円覚寺山内に在住していた居士をあいてに「以上に」と言われても。
それも「おそらく」が付いてちゃ。sageでしょう。

あまりいいたかないが、ハイデッガーのナチ協力だって自身の哲学の実践。
「行」という実践面は両者を比較するコンパスにはならないんでないの?
93考える名無しさん:02/04/12 22:23
テキストに戻ろうよう。
94考える名無しさん:02/04/12 22:35
>>91
「非連続の連続」ってベルグソンに似てない?
95考える名無しさん:02/04/12 22:40
次は、第一章第三節らしい
96おおよそ:02/04/12 22:43
>>92
実践抜きの理論はない。
ナチ協力とハイデッガー哲学は切り離せない。
「禅」と「薄汚い政治的熱狂」は、比較のしようもない。


97おおよそ:02/04/12 22:46
>>94
ベルグソンは時間的。それに対し西田はあくまで場所的。
9893/94/96:02/04/13 09:23
>>93
テキストと離れてスマソですm(_ _)m
なんか荒らしになっていて、気になっておりました。

>>94
「非連続の連続」ってよく「京都学派の用語で、現在では
別の用語概念が必要」ってあちこちで意見を聞くが、ハイ
デッガーやベルグソン、キュウルケゴールでもいいや、の
中にあるんですか...そのものズバリが。

>>96
何を愚かな!
自分の哲学を現実に展開しようとし(あるいは現実における意味を
模索していっ)たことは洋の東西を問わず同じ。

また禅といえどもそれほど綺麗なものではない。特に見性などとという
いう非仏教的なもので、自己陶酔し暗示にかかっている人々はどうしよ
うもない。

禅宗をはじめ当時の知識人達の戦争協力の問題をみて、ナチ協力とどう違
うというのだろう。

#突然、西田をもってきたところが敗着かな。それにのって鈴木大拙を
 もちだした自分も莫迦だったが。
9998:02/04/13 10:10
で真ん中、「キルケゴール」の誤り。英語と混ざっちゃった。
テヘヘ、スマソ。(*^_^*)
100アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/13 16:42
このスレの1、アキュビューです。
ハイデガーで盛り上がっていただけて嬉しいです。
荒らしだとは思っていませんので、ご安心ください。
私も知識が増えますし、良いと思います。

で、次は第3節なんですが、
22さんがなかなか来られないようですので、
他の方でもやっていただいて結構です。
もちろん、アテーナイさんもね。

あ、でも書くときはコテハンにして下さい。
混同しますので。
101アテーナイ:02/04/13 17:12
>>100
とにかく、テキストを進めなくては始まらないので、第3節は
及ばずながら私がまとめを引き受けましょう。
ただし、例のHPを使いますが…。

あと、コテハンとは何ですか?
102おおよそ:02/04/13 21:26
>>98
>見性などという非仏教的なもの
禅の見性は非仏教的という意見を初めて聞いた。噴飯物。
東洋思想をかなり研究していたハイデッガーも大笑いするだろう。
戦争協力した当時の知識人と、西田を十把一絡げにして論じるのもおかしい。
彼は常に軍部に批判的だった。
ハイデッガーと共通項のある日本の哲学者として西田に言及してもいいはずだ。
小さくまとまるな。
103 :02/04/13 22:21
ハイデガーよりベルグソンを読んでる方なので、このスレは
結構参考になる。

あと、関係無いが伊藤四郎テレビでみると、ハイデガーに見えて
面白い、食わず嫌いにでてて一瞬ビビタ。
10498:02/04/14 09:50
>>102
>禅の見性は非仏教的という意見を初めて聞いた。噴飯物。

これは仏教研究の方へ行くと昔から言われていたこと。古くは胡適の指摘で
大拙との論争から始まり(これは禅思想は中国独自の要素で構成されている
ということですが)、山口瑞鳳さんとか(こちらは仏教的・非仏教的の本家
かな?)、この系統に属する学者や、その代表として袴谷・松本がいます。
他にもありますがこれくらいで。

まあ禅がどうのこうのいうのなら、胡適・大拙くらい見ておいてね、損はな
い...どころかこれが底辺にガンとしてあるんだろうな。

>戦争協力した当時の知識人と、西田を十把一絡げにして論じるのもおかしい。

西田はあまりよく知らないのでおっしゃるとおりなのかも知れないけれど、
例えば大拙なんかは戦争協力しておりますので...ハイデッガーのナチ協力と
禅とを天秤にかけておられましたので、そうではないんだよというために適
例でしょ。

まあ参考までに。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~shohyou/2001-6.html#zen-war
古くは市川白玄の批判などが有名ですネ。

重ねていいますが、現時点では西田もそこに含めようとは思っていません。

>ハイデッガーと共通項のある日本の哲学者として西田に言及しても
>いいはずだ。小さくまとまるな。

いえいえ、ここが今回のあなたと私のやりとりのポイントでしょう。あなたは
『存在と時間』は「むきになって読む価値ない」とおっしゃっておられるから
あえて苦言を呈したまでのこと。

またここにいらっしゃる方々は、原書も持って読もうとされているんだから、
>>98 で少し述べたように、まあこちらからの質問なんですが、京都学派の既
成の概念にとらわれたら旧態依然としたものにしか仕上がらないんじゃない
かと...

>>77 が、仏訳について触れているのも、安易に依用すれば誤った結果が出て
きてしまうんじゃないか、の意味だと思うんですよね。

> 小さくまとまるな。
あれは「小さい」こっちは「大きい」、というのは相手を担ぎ上げるときに
出る言い回しですよね。虚偽がある。こんな錦の御旗は持ち出さないで欲し
かった。

とまれ、おおよそさんがおっしゃる、神秘思想・ロマン主義というのはおっし
ゃるとおりだとは思います。ハイデッガーに限らず、哲学の文学・芸術的
指向性はなぜかと思っていたが、考えてみればこれを払拭すると記号論理学と
かになるのだろう、と。換言すれば哲学はそれによって人間性を求めていくも
のかと、妙にヒューマニストになってしまってる、今日この頃です。(で『ヒュ
ーマニズムについて』を読んでいる。サルトルとの対比もできるし。一石二鳥)

ついでですが、ドイツに行きましたら、やっぱりハイデッガーは神秘思想家
という人が多かったですね。ハイデッガーにかぎらず、形而上のことに触れ
ればそれは神秘思想だ、何を当たり前のことを、という感じで...。



105アテーナイ:02/04/14 10:03
第三節のまとめにあたって

使用するテキストは、
・以前参照のHP(ちくま版?)
・中央公論社版(別訳と表示)


<前回までのあらすじ>

前節では、一般に問いというものにそなわる形式的構造を手引きにして、存在への問いの性格を明らかにした。
(別訳:存在問題を、この問題そのものの形式的な構造を手引きとして性格づけてみた…)

その結果、この問いが特有のものであること、しかもそれを開発したり、まして解決したりするためには、一連の基本的考察が必要とされることが明瞭になってきた。
(別訳:…存在問題は特有な問いであることが判然となったので、この問いを仕上げ、ましてやこの問いを解決するためには、一連の基礎的な諸観察が必要になってくる…。)

けれども、存在への問い(別訳:存在問題)が格別の問いであるということは、この問いをそれの機能や意図や動機などに関してゆきとどいて画定してみると、はじめて十分に明らかになるであろう。
(別訳:…十分に限界づけられたときにはじめて、完全に明らかにされるであろう。)

いままでのところ、とりわけて、それに明確な答えが欠けていること、否、そもそも満足な問題設定さえ欠けているということから動機づけられた。
(別訳:この問いを繰り返す事が必要とされた動機は、…満足のゆく問題設定一般が欠如していることにもとづいていた。)

しかし人びとは、この問いがいったい何の役に立つのかを知りたく思うであろう。
それは、もっとも普遍的な普遍性についての宙に浮いた思弁の仕事たるにとどまるものなのか。
そもそもそれはかような思弁なのであるか。
それとも、それは(別訳:この問いは)、もっとも原理的であると同時にもっとも具体的な問いなのであるか。

(以上)
106104に追加:02/04/14 10:20
テキストそっちのけでスマソ

こんなものありました。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/X/0016610.html

『西田哲学の脱構築』
           中村 雄二郎
■体裁=B6判・上製・カバー・290頁 ■本体 2,600円
■1987年9月25日 ■ISBN4-00-001661-X C0010

一方で日本を代表する独創的な哲学者と目され,他方で理解不能かつ戦争に加担した
イデオローグとして批判される西田幾多郎.その哲学が孕む問題群を現代思想の文脈
の中で明らかにし,摂取点と批判点を明快に腑分けする.
107106:02/04/14 10:27
西田において、戦争賛歌が、実は絶対的平和を志願するものでありえた、
それこそが「絶対矛盾的自己同一」である。
なんて言ったら大間抜け。
悲しい.....
108アテーナイ :02/04/14 18:50
>>1のアキュビューさんの基本とは違うかもしれませんが
とりあえず私なりに書き込みしてみます。
まとめというよりも翻訳テキストの提示に近くなるかもしれませんが、
その方がハイデガーの議論に沿った感じになるのでしょう。(まあ、これは当然ですが。)

第三節は長さからいって二つ分けて書き込みする予定です。
先ずは、以下に、前半を送ります。

何か問題があれば言って下さい。
後半はニ、三日中に書き込み出来るでしょう。
また、第三節のテキストについては途中ですが
前半部分についての議論は活発にしていただければとも思います。
109アテーナイ :02/04/14 18:55
第三節「存在問題の存在論的優位」のまとめ(前半)


存在とは、いつも、ある(別訳:なんらかの)存在者の存在である。

存在者の一切は、そのさまざまな境域(別訳:区域)に応じて、一定の事象領域の開拓と画定の分野となりうる。
(別訳:存在者の一切は、…特定の諸事象領域からその邪魔者を取り払ったり、それらの諸領域を限界づけたりするための分野になりうるものである。)

これらの事象領域はまた、たとえば、歴史、自然、空間、生命、現存在(別訳:生存)、言語などのように、それぞれに相当する学問的研究において主題的な対象とされることができる(別訳:対象として主題化される)。

学問的研究は、これらの事象領域の開発(別訳:引き立て)とその最初の画定(別訳:確定)を、素朴な態度でおおまかに遂行している。

それぞれの領域をそれの基本的諸構造について明確にする(別訳:仕上げる)仕事は、
すでに、ある形で、その事象領域そのものがそこで画定される存在境域についての、前=学問的な経験および解釈によって、はたされている。
(別訳:その事象領域自身を境界づけている存在区域が学以前に経験され解釈されていることによって、或る種の仕方ですでに果たされているわけである。)

このようにして生じてきた「基礎概念」が、さしあたっては、この領域の最初の具体的開示のための手引きになっているのである。
(別訳:…その領域を最初に具体的に開示するための手引きにとどまる。)

科学的研究の重点は、いつもこういう実証性におかれているけれども、
その研究の本当の進歩は、そのようにしてえられる実証的研究成果を集積して「事典(別訳:手引き書)」に収録する事にあるよりも、
むしろ、事象についてこのように蓄積されていく知識の増加からたいてい反作用的におしだされてくる、それぞれの領域の根本構成への問いのなかにある。
(別訳:研究本来の進歩は、…むしろ、諸事象についてのそうした増大する知識から…反動的に抜け出して、そのときどきの領域の諸根本機構を問いたずねることにあるのである。)



諸科学の本当の「動き」は、それの基礎概念に加えられる――透明な自覚をもってなされる、多かれ少なかれ根本的な――改訂作業のなかで起こっているのである。
(別訳:諸科学本来の「運動」は、もろもろの根本概念を多かれ少なかれ徹底的に修正して、この修正自身にも見通しのきくものにすることのうちでおこなわれる。)

一学問の水準は、それらの基礎概念がどれほど深い危機に際会することができるか、ということから決定される。

諸科学に内在するこのような危機に当面すると、実証的研究の立場での問いが問い掛けられる事象そのものに接する関係が、動揺しはじめることになる。
(別訳:諸学のそうした内在的な危機のうちで、実証的に探求しつつ問うことと、問いかけられた諸事象自身との関係がぐらついてくるのである。)

今日では、さまざまな学科において、研究を新しい基礎の上にすえ直そうとする傾向がいたるところでめざめてきた。


まとめ(前半)、以上。
110純丘:02/04/16 19:02
ハイデッガーとナチスの関係で五月蠅が多いが、
 あいつはたしかに先生は売るは、女弟子は囲うは、ロクな人間ではない。

しかし、そのことと、彼の著書の哲学的意義とは別であろう。
 むしろ、自分自身の哲学を磨く試金石として、
  彼の思想に内在する根本的欠陥を見破ることこそ急務ではないか。

現実に立ち向かう人間のあり方として、
 『存在と時間』は、その構造分析に大きなひらめきを与えてくれる。
  だが、その一方、それは、カント的な敬虔さ、
   社会性や倫理性の位置づけの余地がないのも事実である。

ハイデッガーのような巧妙な欠陥を持つ高度の哲学者に接するには、
 哲学者に学ぶのではなく、自分こそが哲学を学ぶのだという
  根本的な指針を、我々はかたときも忘れてはなるまい。

さて、ときに109だが、
 たいへんよくまとまっている、と思う。
  しかし、引用的な抜き書きではなく、
   自分自身の言葉で内容を整理することも必要だろう。

一方、五月蝿については、
 まず、ハイデッガーの沈黙について学ぶことが望ましい。
  もっとも、蝿は、ぶんぶんいうから蝿なのだろうが。
111アテーナイ:02/04/16 23:49
第三節まとめ(後半)にあたって

前回の最後に、「今日では様々な学科において研究を新しい基礎の上にすえ直そうとする傾向が目覚めてきた」と述べたハイデガーは、次にそれらを例示する。

数学においては、形式主義と直観主義の間の論争。
物理学においては、相対性理論の問題。
生物学においては、機械主義と生気主義の問題。
歴史的精神科学(歴史学的な諸精神科学)においては、文学史を問題史とする傾向。
神学においては、教義体系の構成が、第一義的に信仰者の問いの中から発したのではない「基礎」に依存し、その概念構成が神学的問題領域に不相応(不十分)であるだけでなく、むしろこれ(神学的問題)を蔽いかくすものであるという、ルターの知見を理解する傾向。

このような諸学の現状をみながら、これら諸学に先立って研究しなければならないのが「存在問題」であるとハイデガーは続けるのである。


(第三節まとめ(後半)にあたって、以上)
>>アテーナイさん、お疲れ様です。
レスは後でしますが、
とりあえず、第4節は誰がやりましょうか。

やりたい方いらっしゃったら、どうぞ名乗り出てください。

なければ私がやります。
というわけで、私は夜にもう一度来ます。
113アテーナイ:02/04/17 19:04
第三節「存在問題の存在論的優位」のまとめ(後半その1/2)


基礎概念とは、諸科学のあらゆる主題的対象の根底にある事象領域についての諸規定である。
この領域はこれらの規定においてあらかじめ理解され、そしてこの理解があらゆる実証的研究を先導することになる。
(別訳:或る学において主題となっているすべての対象の根底には事象領域があるが、
根本概念とは、そうした事象領域を、すべての実証的な探求を導いている先行的な了解内容へとゆきつかせる諸規定のことである。)

したがって、これらの基礎概念に真正の証示と「基礎づけ」を与えるためには、それに相応して先行的に事象領域そのものを究明しなくてはならない。
(別訳:これらの根本概念が真正のものであることを明らかにされたり
「根拠づけ」られたりするのは、その事象領域自身が、それらの根本概念に対応して先行的に研究しつくされるときだけである。)

ところで、これらの事象領域は、それぞれ存在者そのものの境域から得られるものである。
よって、基礎概念を汲み上げる先行的な探求とは、この存在者をそれの存在の根本構成について解釈するという仕事にほかならない。
(別訳:こうした諸領域のそれぞれが存在者自身の区域からえられるものである限りでは、
諸根本概念を汲みつくそうとした先行的な研究は、この存在者をこの存在者の存在の根本機構に基づいて解釈すること以外の何ものをも意味しない。)

このような探求は、実証的諸科学に先駆しなくてはならないし、また先駆することができる。
(別訳:そうした研究こそ、実証的な諸学に先立ってなされなければならず、しかも先立ってなされうる。)

この意味でおこなわれる科学の基礎付けは、ある科学のその時々の現状を調べてその「方法」をつきとめるというような、遅ればせの「論理学」とは、原理的に区別されるべきものである。
(別訳:…このような後からやっとついてくる「論理学」は、或る学の偶然的な現況をその学の「方法」にもとづいて探究するに過ぎない。)

それは、特定の存在領域の只中へいわば率先して飛びこんで、
それに具わる存在構成をはじめて開示し、こうして得られた諸構造を問いの透明な指針として実証科学のように供えるのであるから、この意味でそれは先導的な論理学である。
(別訳:そうした基礎づけこそ先導的な論理学である。
それは、この基礎づけが、或る特定の存在領域のうちへといわば率先して飛び込んで、
その存在領域をその存在機構においてまずもって開示し、獲得された諸構造を、
問うことを指令して見通しをつけさせるものとして、実証的な諸学の意のままにさせるという、この意味においてである。)



存在論という言葉をなんらかの存在論上の学派や傾向に結びつけずに、もっとも広い意味に解すると、それは以上のような問題設定を指す。
(別訳:しかし、以上のように問うことは、(つまり、最も広い意味に解されたものであって、あれこれの存在論的な方向や傾向を頼みとしない存在論は)、…)

このような存在論的な問いは、それ自体またもう一つの手引きを必要とする。


(第三節まとめ後半その1/2、以上)
114アテーナイ:02/04/17 22:51
第三節「存在問題の存在論的優位」のまとめ(後半その2/2)


存在論的に(ontologisch)問うことは、実証科学のように
存在的に(ontisch)問うことに比べれば一層根源的な問い方であるけれども、
それが特定の存在者の存在を問いながら存在一般の意味を究明せずにいるならば、やはりそれ自体も、素朴さと不透明さを脱しない。
(別訳:…だが、存在論的に問うことも、
存在者の存在を追及するその諸研究が存在一般の意味を論究しないままにしておくかぎりでは、それ自身あくまで素朴で見通しのきかないものにとどまる。)

そして、存在論的課題を遂行するにあたって、存在のさまざまな可能的様態を、
演繹的な構成を加えずに辿ってその系譜を明らかにしようとする限り、
なおさら「《存在》というこの言葉を用いて我々が本当に何を言おうとしているのか」ということについて、あらかじめ了解をとげておくことを必要とする。
(別訳:存在論は、存在のさまざまの可能的な在り方を、
演繹によらずに構成する系譜学という課題をもっているのだが、
まさにこの存在論的課題こそ、「何を一体われわれは『存在』というこの言葉でもって指しているのか」ということに関して、前もってわからせておく必要がある。)


してみれば存在への問いは、存在者をしかじかの存在者として探求していて
その際いつもすでにある存在了解のなかで動いている諸科学の先見的可能条件をめざすに
とどまらず、存在的諸科学に先行してこれらを基づけているもろもろの存在論そのものの可能条件をめざすものなのである。
(別訳:存在問題が目指すのは、
存在者をこれこれしかじかの存在者として研究しつくして、しかもその際、
そのつどすでに或る存在了解内容のうちで動いている諸学を可能にする
一つのア・プリオリな条件であるばかりでなく、存在的な諸学に先立っていて、しかもそれらの諸学を基礎づける諸存在論自身を可能にする条件そのものでもある。)

すべての存在論は、いかほど豊かで堅牢なカテゴリー体系を具備していようとも、
それよりも先に存在の意味を行き届いて明らかにし、
この解明こそ己の基本的課題であるということを自覚していない限り、根本においては、依然として盲目であり、自己の本来の意図に背馳するものである。
(別訳:すべての存在論は、…範疇体系を意のままにしていようとも、
それがあらかじめ存在の意味を十分明瞭にしておかず、
この明瞭化をおのれの基礎的課題としてとらえておかないときには、根本において盲目であり、おのれの最も固有な意図を顛倒するにとどまるのである。)


かようにして、たんに由緒正しい伝統の継承とか、
いままで不透明だった問題の推進とかいう理由だけでなく、正しく理解された存在論的研究そのものが、存在問題にその存在論的優位を与えるわけである。
(別訳:正しく了解された存在論的研究自身は、畏敬すべき伝統を
単に再びとりあげるということ、また、これまでは見通しのきかなかった問題を促進するということ、これらのことを越え出て、存在問題にこの問題の存在論的優位を与える。)

けれども、ここに述べた事象的・学問的な優位だけが、この問題のただひとつの優位ではない。


(第三節まとめ後半その2/2、以上)
115アテーナイ:02/04/17 22:57
一応、第三節、終わります。
苦しかったですな。
それからちょっと読みづらいかも。
次回の担当の時は、工夫してみます。
116考える名無しさん:02/04/17 23:37
>>アテーナイさん

とりあえず、乙カレー!
117カオル:02/04/18 02:44
アキュビューさん、アテーナイさん、ご苦労様です。
とても読みやすくまとめて頂いてありがたいです。
わたしはDQNなので協力できませんが応援してます。\(^0^)/
118五月蝿:02/04/19 22:15
沈黙してるのが苦しくなり、出てまいりました。
「存在を了解する」のですか。すごいっすね。
カントの言うように、物自体は理論的には不可知である。
そういう謙虚さが必要なのではないか。しかし了解できてるんだろうな。
ハイデッガー君は。苦しいのに逐語訳ご苦労さん。
盛り上がってるのに水差してごめんね。
119哲学初心者:02/04/20 00:33
>>118
ハイデガーの「存在了解」は、「物自体」とは全然違うんじゃないでしょうか。
カントで言うなら「悟性」的な認識とか、
アポステリオリな、「構成」された世界、といった感じだと思います。

まず、いわゆる普通の人の「了解」では「存在」はどうとらえられているか、
と言う話なので、謙虚さがないと言う問題ではないと思います。

不勉強で自信ないので、間違ってたらツッコミ入れといてください。
120五月蝿:02/04/20 00:46
>>119
貴方は「存在と時間」を訳本でいいから通読
してみてほしい。ハイデッガーの存在は
日常的存在者の根拠であり、たやすく分かる
ものではない。それはハイデッガー自身が認めている。
カントの悟性で捉えられるものではない。
121考える名無しさん:02/04/20 01:02
Haben wir heute eine Antwort auf die Frage nach dem, was wir mit dem Wort
>seiend< eigentlich meinen? Keineswegs. Und so gilt es denn, die Frage
nach dem Sinn von Sein erneut zu stellen.
Sind wir denn heute auch nur in der Verlegenheit, den Ausdruck >Sein<
nicht zu verstehen? Keineswegs. Und so gilt es denn vordem, allererst
wieder ein Verstaendnis fuer den Sinn dieser Frage zu wecken.
122ジョージ・OL:02/04/20 01:38
>>119〜120
58【術語、用語の整理】参照
「存在を了解」と「存在了解」の違い?
123119:02/04/20 02:13
>>120-122
ありがとうございます。
「存在了解」じゃなくて、
「存在を了解する」と言う話だったんですね。・・・アホでした(鬱
124考える名無しさん:02/04/20 02:23
>>123
いや、そんなに自己卑下する必要はないと思う。
俺の見るところ、

>まず、いわゆる普通の人の「了解」では「存在」はどうとらえられているか、
>と言う話なので、謙虚さがないと言う問題ではないと思います。

という君の話はぜんぜん間違ってはいない。
むしろ>>120氏の言ってることの方が、
完全にミスリーディングなわけではないにせよ
テキストからは逸脱気味。

存在が日常的存在者の根拠としてのみ考えられていたんなら
真理(やコプラ)の問題にハイデッガーがなぜこだわったのかが
わからなくなるし、
概念把握されていないにしても存在がだれにでも「わかっている」という主張は
>>121氏が引いてるように、ハイデッガーによっていたるところでしているもの。
125124:02/04/20 02:32
>ハイデッガーによっていたるところでしているもの。

>いたるところでなされているもの
の間違いでした。
126考える名無しさん:02/04/20 02:35
ハイデガーは「存在を了解する」なんて一度もいってないだろ。
127124:02/04/20 02:49
翻訳をぱらぱらめくってたら、
>>121氏の引用してる箇所以外に、次の文章が出てきた。

(いかなる態度においても)「「有る」ということが使われており、しかもその際、
その言い表しは「それだけで直ちに」理解され得る。「空は青く有る」とか
「私は喜ばしく有る」とかそのようなことは、誰でも解る」
(辻村訳『有と時』、第三節)
ちなみに辻村訳では、ふつう「了解」と訳される語を「理解」と訳してる。

いま手元に原書がないのではっきりした自信はないが、
「存在を了解する」という用例が一度もないとまではいえないのでは?
たぶん、さがせばいろいろ出てくると思うよ。
「存在了解」と「存在を了解する」との間に術語としての使い分け
がなされているって話は聞いたことないし
(俺が無学なだけかな?)

もう遅いので寝ますね。それじゃ。
128126:02/04/20 03:02
ていうかオレも2〜3年前に読んだきりなんでうろ覚えだけど。

存在了解とは存在によって可能になる地平であって存在とは全く違う。
存在は現存在や存在了解をこえてあるものであり、
概念や対象として把握できるものじゃないから、「了解」はできない。
だからハイデガーはそんな表現はしてないはず。
129考える名無しさん:02/04/20 03:06
ところで、>>121はどの辺りなんですか?
130考える名無しさん:02/04/20 03:43
うーんこのスレためになります
131考える名無しさん:02/04/20 03:57
うんこのすれためになります
132考える名無しさん:02/04/20 04:01
きっと、肥しになってくれるでせう
133アテーナイ:02/04/20 13:01
>苦しいのに逐語訳ご苦労さん。
記述の意味がよくわかりませんが、私は翻訳は出来ませんので念のため。
以前の言は、私は初心者なので翻訳を読むだけで苦労したという意味でした。
議論とは関係ありませんが、知ったかぶりや虚栄心を私は嫌いますので、
私の書き込みがそのように思われたとすれば残念です。
ところで、ハイデガーは面白そうなので私は読書は続けます。
アキュビュー ◆yX7NUl/E さん、その他のみなさん、がんばりましょう。
134ハーマイオニー:02/04/20 23:31
明日私も図書館で本を借りてきて、皆と一緒にハイデガーを読み解こうと思います。
ヨロシクね♪
135124:02/04/20 23:46
スレの流れとあんまり関係なくて
アテーナイ氏アキュビュー氏その他の常連の方々には申し訳ないが
>>128
存在了解が存在によって可能になる「地平」だ、という話は
俺もある程度は納得できる。
しかし、
>存在は現存在や存在了解をこえてあるものであり、
>概念や対象として把握できるものじゃないから、「了解」はできない。
というのはかなり疑問。

存在は現存在の存在了解のなかにのみ与えられる、というテーゼ、
『存在と時間』にはしょっちゅうでてくるんだが、
それについてはどう考えるの?
だいたい、存在了解が存在「を」了解することでないとしたら
事柄としていったいどういうことなのかわからなくなりそう。
少なくとも俺には意味がわかりません。

だいたい、存在了解ってふつうはSeinsverstandnis(aはウムラウト)の
訳語なんだけど、Verstandnis vom Seinって言葉も出てきたと
記憶してる(原書がないので用例が示せんのは申し訳ないが)。
こっちも存在了解と訳すと学部時代には教わったが、
Verstandnis vom Seinって、文字通りに訳せば
まさに「存在を了解すること」って意味だよねえ。
136124:02/04/21 00:05
ちょっとお酒が回ってるようで
「だいたい」が二回も出てきました。すまん。
>>121
『存在と時間』の扉、巻頭に書かれてる文章ですよ。
137考える名無しさん:02/04/21 00:07
了解、っていうニュアンスの取り方だと思うのですが、
「包括的なもの」ではないでしょう。
だから理解って訳に、少し違和感がありますが…

気付いている…っていうとオカしくなるんだろうか。
138137補足:02/04/21 00:08
理解、ってのは前述の辻村訳のことです
139126:02/04/21 00:46
>>135
スレ見たらだいたいみんな存在了解は明瞭でないにしても「存在を了解している」と
とらえているようなので、できる限り丁寧にレスするよ。

『存在は現存在の存在了解のなかにのみ与えられる』、というのは、
現存在は存在了解という仕方で、存在に対して開かれ、投げ出され、宙づりにされ、
人ごとでないこととして存在に関わっているということ。
この存在了解によって存在が自明であるかのような事態が可能になる。
つまり、我々が了解しているのは存在ではなく、
存在に開かれているもの(地平)や個別の存在者。

「存在を了解する」っていう記述があるとしたら、ハイデガー的存在と日常的存在の区別が
まだされていない前半部分だと思う。
存在了解が存在を前提しているわけだから、
存在そのものを了解してしまえるというほうが、わけがわからなくなってしまうよ。
140通りすがり ◆9qoWuqvA :02/04/21 00:59
>>101
コテハン=固定ハンドル(ネーム)

名前の後に 
#(適当な文字)
を入れるといいかも

失礼しました。

141124:02/04/21 01:06
うーん。俺、実は(ってみんな知ってる?)
ハイデッガーの専門家ではないので、こまかい解釈はできないから
テキストを引用する。

「存在は、存在了解といったようなものがその存在にぞくしている存在者の
了解のうちにのみ「ある」。存在は、だから概念把握されていないことは
ありうるが、完全に了解されていないということはありえない」
(第39節。後半の原文は、Feickによるインデックスでは
Sein kann daher unbegriffen sein, aber es ist nie vollig unverstanden
である由だが、俺自身はみてない)

存在が了解の対象にはならないとか、けっして了解されざる何ものかだと
『存在と時間』のハイデッガーがもし言ってるんならその箇所を
引いていただきたい。
どこまでがハイデッガーのテキストでどこからが126氏の解釈なのか、
よくわからんので。
142ジョージ・OL:02/04/21 01:16
>123〜128、135〜138
第二節
>27
>「曖昧な存在了解」と最終的な「存在の意味」の間を切断する。

143124:02/04/21 01:28
>>142
うん。だから、あいまいな存在了解は誰にでもある
(=存在はあいまいな形では誰にでも了解されている)
だからそのあいまいな存在了解が何によって可能になってるのかを
(=存在了解の地平は何なのかを)
調べていって、結局はそれが「時間」であると示したい、
っていうのが『存在と時間』のアウトラインだと思うんだが。。。

>>126
ここでやると序論から地道に読書会やろうとしてる他のみんなに
迷惑かもしれんから、

★★私がハイデガーだが何か質問ある?―その2★★
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1001691809/

あたりでやらない?
ハイデガー先生は最近はぜんぜん来てなくてネタスレになってるようだから、
のっとってしまっても問題ないかと
(俺、毎晩2chに来てるわけじゃないからとくに平日には即レスはできんだろうけど)
144126:02/04/21 01:52
オレがいっているのは、存在と存在了解を厳密に区別(切り離し)したいわけではなく、
現存在が存在了解の地平でしか存在に関われないということ。
その了解の全てが存在と密接に関係する、というか、むしろ存在によって成立する。
だから存在は存在了解と無関係ではあり得ない。
その限定された意味で存在了解が存在を了解しているというんだったら同意だけど、
あとでハイデガーによって区別されたよね。
145126:02/04/21 01:54
>>143
別にいいんでない?今止まってるみたいだし。
それにこのスレの中心的な人にも意見聞きたいんだけどなあ。
146126:02/04/21 02:43
現存在が存在に開かれているということが、存在了解の地平となる。
あくまでわかりやすくするための比喩だけど、現存在は存在の内部にいるようなもの。
目とそれが見ている世界の関係でもいい。
目は世界(存在)を見ているわけだけど、世界そのものを見ているんじゃなくて
見えている世界(つまり地平)でしかあり得ないよね。もちろん自分の目も見えない。

オレはハイデガーがやろうとしたのは存在そのものを把握しようというんじゃなくて、
現存在の必然として存在了解の地平を受け入れつつ了解を探求することで、
不可能な地平としての「存在」を浮き彫りにすることだと思う。
147126:02/04/21 20:19
久々に読んでみたら最初の存在了解についての説明で
「存在について何らかの了解を持ち」って確かにいってるね。
だからこのスレの前半の読解で存在了解を存在についての了解ととらえるのは当然だよな。
>146も「存在と時間」に忠実な解釈じゃなくて現在のオレの解釈だしな。
先走ってスマン。

だけどこの存在はあとで存在的と存在論的の区別がされたような記憶があるんだけど違ったっけ。
148ジョージ・OL:02/04/21 21:15
>147
>114を参照
存在論的(ontologisch) 存在者の存在を主題とする認識態度
存在的(ontisch) 存在者の属性や関係などを主題にする実証的認識態度
第三節(P45)への訳者の注記(P483)(ちくま学芸文庫版)
149ジョージ・OL:02/04/23 06:07
存在了解
「現存在には存在了解がそなわっているだけでなく、この存在了解が
現存在自身のそのときどきの存在様相にともなって発達したり崩壊し
たりする」(SZ16)
『存在と時間』 (ちくま学芸文庫版 P56)

「<存在>とは、<現存在>つまり人間のうちで起こる一つの働きだという
ことらしい。そして、この働きが<存在了解>と呼ばれる。(中略)
こうして、<存在とは何か>という問いは、現存在の<存在了解>へ向け
て問いかけられねばならないことになる。」
「ハイデガー『存在と時間』の構築」 木田元編著 (岩波現代文庫 P39)
第一章 『存在と時間』既刊部の概要 三 存在了解
150126:02/04/23 20:26
この話題続けてもいいんですか。
まだ三節までしか進んでないなら先の議論してもあんま意味ないと思うんだけども。
そもそも一般的にはどう解されてるんだろう。
151考える名無しさん:02/04/23 20:32
>>126
読んでるだけですまんですが、
ずっとおもしろく読んでます。ぜひ続けて下さい。
152126:02/04/23 21:18
とりあえず、続けるには存在了解が存在そのものを了解しているとか、
ハイデガーが存在そのものの把握や解釈を目指してるという主張を想定しないといけないんだけど、
いいのかなそれで。

それから反論とか、『存在と時間』の中で上に挙げた解釈でしか
読めないというような箇所があれば教えてください。
153126:02/04/24 21:34
じゃあまず現存在の特殊性を確認しよう。
現存在とは、存在了解という様態で存在し、世界や自己が開示されている。
ゼロから何かを生みだすのではなく、客観的存在に従うのでもなく、
ともかく与えられている了解から自己の存在や日常性等を解意するという循環構造がある。

で、ハイデガーは現存在の存在様態の一つとして
すでに「ある」が可能となる存在了解を分析し、その根拠を遡るという方法をとるわけだよね。
存在を最初から断定して存在の側から現存在を分析するのではなく、
あくまで現存在の側からその根拠を追求していく。
存在というものを現存在がどのように問うべきかが問われているわけで、
存在そのものについては最後まで直接的には問題とされてないのではないか?
154126:02/04/24 22:39
そして現存在の、根拠との関係は受動態で言い表されている。
開示されている、投げ出されている、存在に関わらせられている…
それに対して、了解は能動である。現存在は了解として自己の存在を存在しているんだけど、
その根拠は与えられている、というわけ。
存在そのものを了解できるとすると、この存在の受動を排除することになる。
存在了解は、存在そのものが分かるどころかむしろ、
それによって解意するものを誤解させるような指向性を
本質的に持っているのではないだろうか?
155126:02/04/24 23:04
「根拠との関係」なんていっちゃうと
根拠とか存在を客観的に実体化させてしまうな。
「現存在そのもの」とでもいおうか…
156考える名無しさん:02/04/24 23:43
>とりあえず、続けるには存在了解が存在そのものを了解しているとか、
ハイデガーが存在そのものの把握や解釈を目指してるという主張を想定しないといけないんだけど、
いいのかなそれで。

つーか、君の意見とは食い違うらしい意見を述べてる方は、
>>141を除けば多少見当違いかなと思わせるものも含んでいるにはせよ
出典を出してるようだが、
君の方はいままで一度もテクストを踏まえていないことがきになる。
そういう主張をしてるって読める箇所はいくつも上げられたわけで、
むしろその主張を取らないべきだと認めさせる客観的な理由が
求められているのでは?

通りすがりが横レスして悪いけど、
発言の根拠を示すって、大事なことだと思うよ
157シラクサ ◆SvzAGINI :02/04/25 07:23
議論の腰を折って申し訳ありません。

存在了解については、次の第四節でも論じられている
ので、よろしければ、四節のまとめに進んでから、再度
論じて頂いてはと思うのですが、如何でしょうか?

>>112
>>とりあえず、第4節は誰がやりましょうか。
>>やりたい方いらっしゃったら、どうぞ名乗り出てください。
アキュビュー ◆yX7NUl/E さん

哲学初心者ですが、私でよろしかったら、第4節のまとめ
をさせて頂けませんでしょうか。
158126:02/04/26 00:04
>>157
いや邪魔してごめん。テキストチェックもしたいし一時中断する。

>>156
『存在と時間』を通して読んだ人なら、どんな解釈をする人でも
内容や用語は『存在と時間』全体の連関から読まれなくてはならないってことには
同意してもらえると思う。
ほかの哲学書だってそうだけどこの著作は特にそれが顕著なんだな。
内容と構成が密接に関わっていて、断片を少しずつ組み立てて全体との連関から初めて
個々の断片の意味が明らかになるような構成になってる。
部分の引用は意味がないとは全然思わないけど、そのまま読めるとも限らないんだよ。
一応いい箇所ないか探してるけども。
159考える名無しさん:02/04/26 01:16
訳者の細谷は、この本はかなり慌しく書かれたと言っている。
そのため、厳密に読むほど解読が難儀になるのだと思う。
同じ用語の意味の不整合や論理の飛躍が気になると止まらないから。
160シラクサ ◇SvzAGINI:02/04/26 01:37
126さん
>いや邪魔してごめん。テキストチェックもしたいし一時中断する。
邪魔なんてとんでもありません。こちらこそお邪魔して
すいません。

158でおっしゃってるいる
「内容や用語は『存在と時間』全体の連関から読まれなくてはならない」
は同感です。

実は、私も最初は156さん同様、126さんが何に悩まれているのか分かり
にくいと思っていたのですが、アキュビュー ◆yX7NUl/E さん、アテーナイ
さんのまとめを通してよんでから、第四節を読みすすめると、126さんが感
じておられることが何となくわかったような気がしてきたので、出過ぎた事
とは思ったのですが、157のようなレスをした次第です。

157にも書いたように初心者なので、いろいろ教えて下さい。

126さんは、『存在と時間』をどの本でよまれていますか?よろしかったら
教えて下さい。


161126:02/04/26 02:10
>>160
オレはちくま版。ちなみにドイツ語はできない。
ところで『存在と時間』は全部読んだ?それとなんでトリップないの?
162シラクサ:02/04/26 02:52
>>161
> オレはちくま版。ちなみにドイツ語はできない。
自分が何をつかっているか先にいうべきでした。すいません。
私もちくま版です。ドイツ語もできません。

> ところで『存在と時間』は全部読んだ?
いえ、読もうと思ってそれっきり積ん読になっていました。
このスレを見たらはじまったばかりのようなので、他の参加者の方
と一緒に最後までゆきたいと思っています。

>それとなんでトリップないの?
あれ、何ででしょうか?
>>157
のシラクサです。

>>112
アキュビュー ◆yX7NUl/E さんの許可をまっています。

又、私以外に4節のまとめをなさりたいかた、いらっしゃいましたら
教えて下さい。
164アテーナイ:02/04/27 02:10
別に「まとめ」が他人と重なっても問題はないのではないでしょうか。
その方がかえって見えてくるものがある場合もあるでしょう。

私もアキュビュー ◆yX7NUl/E さんの返事を待ちたいとは思いますが
アキュビューさんにどんな事情があって反応がないのか測りかねる状況です。

私としては、シラクサさんが担当されることに期待します。
とにかくこちらが進まないと自分の読書も進まない感じです。

励まされながら、あるいはせかされながら読むのでないと、
なかなかしんどいもんですね。
>>164
アテーナイ さん
シラクサです。
レス有難うございます。

とりあえず、もう一晩だけアキュビュー ◆yX7NUl/E さんをお待ちしてみます。
明日になっても、レスがないようでしたら、私なりにまとめてゆきたいと思いま
す。

>励まされながら、あるいはせかされながら読むのでないと、
>なかなかしんどいもんですね。
ほんとうに、おっしゃるとおりですね。なんどか読もうとはしたのですが、挫
折しました。
予備的な話ですが、邦訳の件です。

シラクサはちくま学芸文庫の細谷貞雄訳を使います。
みなさん使われている邦訳書がことなっているようなので、該当箇所
が分かりにくい場合は、>>149 でジョージ・OLさんがされているように
(SZxx)という表示をしたいと思います。ジョージ・OLさんの引用されて
いる、「ハイデガー『存在と時間』の構築」 木田元編著 (岩波現代文庫
)(まだ、読みはじめたばかりです)によると、邦訳書にはみんなついて
いるそうです。 (SZで、「存在と時間」Sein und Zeitという事なでしょうね)
167ジョージ・OL:02/04/27 18:47
>>159
>訳者の細谷は、この本はかなり慌しく書かれた
「私はこの本がさほど周到な彫琢を経たものではなく、かなり慌ただしく
書き下ろされてものにちがいないという印象を抱くようになっていた。そ
れまでは緊密な構成をもつ統一体のようにみえていたものが、しばしば
異常な飛躍を含み、あちこちにつぎはぎの痕跡をのこしているのである。
このことは、ハイデッガーの独特な思考形式を前提としても、なお指摘で
きることである。」
後記 細谷貞雄
『存在と時間 上』 (ちくま学芸文庫版 )P516



「これらの点は、翻訳技術的には、いろいろな不都合をひきおこすもので
ある。」同、P516

「これらは、ハイデッガーの思想を理解するためには、それほど大きな生
涯にならないような性質のものである。」同、P515
168ジョージ・OL:02/04/27 18:51
>>167
失礼、訂正
大きな生涯 → 大きな障害


169126:02/04/28 00:39
>>160
他の人もそうだけどまだ全部読んでないならオレの話なんて聞かずに
ちゃんと通して読んだ方がいいよ。
今までの書き込みは、読んでない人も意識してたけど通読した人向けだし。
しかもなんかの解釈とか一貫した助けになる読み方の提示じゃなくて(それもあるけど)
そういう論理的に完結したものとみる解釈に対する疑問だし。
もしかしてこのスレ見てる人ってほとんどスレにあわせて前半しか読んでないとか
全く読んでない人ばかりだったりする?
>>169
126さん
シラクサです。
>>ちゃんと通して読んだ方がいいよ。
おっしゃるとおりですね。
>>1
>一節ごとに読み、まとめていきます(誰がまとめてもよし)
とあったので私のような初学者向けのスレッドと勘違いしていました。
どうぞ、>>155からの論考をお続け下さい。
議論の邪魔をた事を深くお侘します。ごめんなさい。その他の方も、
つまらない書き込みをして、申し訳ありませんでした。
171考える名無しさん:02/04/28 01:36
存在了解と「存在を了解すること」とが
同じなのか違うのかって話から始まったんじゃなかったっけ?
で、>>126さんは
「存在を了解する」とはハイデガーは言わないはずだ、と主張してたんだけど、
この点に関してはもう決着済みのような気がする。
いま、何が論点になってるのか見えないので、
>>126さんか>>124さんに解説をお願いしたい。
172哲学初心者=119=123:02/04/28 01:52
すいません。「存在了解」の話をこじれさせてしまった張本人です。

>>170 シラクささん
>私のような初学者向けのスレッドと勘違いしていました
いや、勘違いじゃないと思います
アキュビューさんの意向どおり、
初心者が読み、まとめ、詳しい人に、解説や、助言をいただく
と言う形で進行していると思います。

もう第四節に進んでいいとおもいます。
シラクサです。
>>171
哲学初心者=119=123 さん、有難うございます。

アキュビューさんはいらっしゃらないようですが、私なりに少しづづ読み進めさせて
下さい。すこしづつしか進めませんので、おかしな点については、その都度、詳し
い方からの助言や訂正をお待ちします。
準備

第三節から第四節への流れ

第三節で確認された存在論的優位とは、諸学に対する存
在論の優位である。それは、>>111危機をむかえた諸学が
自身を基礎づけようとするの対して、すべての学問を基礎
づけ可能にする存在論(「在るとは何か」)の優位と、そのよ
うに問いうる現存在の他の存在者への優位としてまとめる
られる。
だが、ハイデガーは存在問題と現存在の優位はそれに、と
どまらないと言う。

「けれども、ここに述べた事象的・学問的な優位だけが、この
問題のただひとつの優位ではない。」(SZ11)
(第三節の末尾)

では、どのような優位が他にあるのか。第四節(存在問題の存
在的優位)では、前の三節を受ける形で現存在の3つの優位が
確認され、現存在が他の存在者から区別されること、存在への
問いが現存在のもつ優位の徹底化として捉えられる。
準備U

存在的  − 存在者の属性や関係などを主題にする実証的な認識態度
         「Aは何であるか」
存在論的 − 存在者の存在を主題とした認識態度
         「在るとはそもそも何か」

実存的−実存論的
おおまかにいうと、人間存在自身を主題とする範囲内で「存在的−存在論的」
区別に対応するものである。

『存在と時間 上』 (ちくま学芸文庫版 )P483
訳者の注記 細谷貞雄
第4節 存在問題の存在的優位 まとめ(1)

「学問は一般に、真なる命題の論証連関の全体として規定されること
ができる。」
神学をも含めた全ての学問は、どれだけ複雑な体系を持っていても、
「Aは何であるか」といった命題の論証の連関として考えることが出来
る。言い換えれば、「言葉は神である」という聖書の言葉も「1足す1は
2である」という数学の言葉も命題として見る限り等価であり、そのよう
な命題の論証の連関の体系で在る限りにおいて諸学は等価であると
いうことである。(「存在とは何か」をあつかう存在論はそれらの諸学に
優位する。)このように規定できるからといっても、それは諸学の定義で
はないし、また、諸学の意義を述べたものでもない。こうした論理実証主
義のような文章が、通常、その対極にいると思われているハイデッガー
の主著である「存在と時間」の中にあるのは非常に興味深いことである。
177考える名無しさん:02/04/28 04:00
ハイデガーって単なる見栄っ張りだよね。
ハイデガーの著作読むと
深遠そうに見せ掛けることに一生懸命腐心している様子がありありだけど
実質は内容空疎。
178考える名無しさん:02/04/28 04:03
マアマアマア。そんな事言わず、いっぺん読んでみなはれ。
179考える名無しさん:02/04/28 04:04
>>177
いや、懸命につじつまを合わせようとした結果だと
思うよ。
180考える名無しさん:02/04/28 04:16
正直、存在と時間を読む気にはとてもなれない。
形而上学入門ならばとっつきやすそうだったから
ちょっとだけ読んだことあるけど。
181考える名無しさん:02/04/28 04:18
>>180
そういう人にもってこいなのがこのスレなんじゃない?
第4節 存在問題の存在的優位 (2)

前節では、存在論的な問いが人間に固有な存在様式をそなえ
ているものとして捉えられた。だが、学問または科学もまた、人
間に固有の存在様式をもつとハイデッガーは言う。
「この存在者(現存在)を、われわれは術語的に現存在と指称
している。」

固有な存在形式をそなえている存在者を現存在と呼ぶことが
定義されている。現存在の定義を再確認しておこう。

第二節 存在への問いの形式的構造
(SZ7)
「この問い(存在への問い)において問いが向けられている
当のもの――すなわち存在――の側から本質的に規定され
ているわけである。われわれ自身が各自それであり、そして
問うということを自己の存在の可能性の一つとしてそなえて
いるこの存在者を、われわれは術語的に、現存在(Dasein)
という名称で表すことにする。」

要約すれば、現存在とは、これまでの定義によれば、

1.存在の側から本質的に規定されている
2.存在論的に問うことを、自己の存在の可能性の一つとし
てそなえている

存在者である。
第4節 存在問題の存在的優位 (3)

「学問的研究は、この存在者(現存在)の唯一の存在様態ではなく、
またそれのもっとも身近な存在様態のひとつでもない。」
では、現存在のもっとも身近な存在様態のひとつとはなんであろう
か?
おそらく、ハイデッガーが言いたいのは、それは存在だということで
ある。例えば、ハイデッガーは第一節(SZ3)でトマス・アクィナスのこ
んな言葉を引用している。
「最初に覚知のなかに入ってくるものは存在である。それの理解は
、人が覚知するおよそあらゆるもののなかに含まれている」
トマス・アクィナス『神学大全』二一第九四問a二
さらに、この節の後半で言及される部分(SZ14)でもトマス・アクィ
ナスは次のように述べている。
「知性が最初に、いわばもっともよく知られたものとしてとらえ、
そして、すべての概念をそれへとたちかえらせるところものは、存
在するもの ens である。」
『真理について』第一問題第一項「真理とはなにか」
『人類の知的遺産 第20巻 トマス・アクィナス』稲垣良典 P314
第4節 存在問題の存在的優位 (4)

現存在(人間)は、ほかの存在者から突出した存在者である。
それは、
「おのれの存在においてこの存在そのものに関わらされていると
いうことによって、存在的に殊別されているのである。」(SZ12)
ハイデッガーらしい言回しである。「世界の名著」の原佑の訳を
みることする。
「現存在が存在的に際立っているのは、むしろ、この存在者には
おのれの存在においてこの存在自身へとへとかかわりゆくという
ことが問題であることによってなのである。」
最後に、原佑が「全面的な教示にあずかりえた」(『世界の名著
ハイデッガー』P53)という松尾啓吉の訳(勁草書房)を上げる。
「彼(現存在)の特筆すべき優顕性はむしろ次の点にある、すな
わち、現存在というこの存在者はおのれの存在において〔換言す
ればみずから存在しながらもまたはみずからの存在をもって〕当
の存在そのものに関わり行く〔換言すればそのものに交渉・態度
する、そのものに関心・腐心する、そのものを問題・疑問とする〕
ものである、と。」
言換えれば、現存在の優位とは、「自分が存在すること」を主体
的な問題として引受けうるということである。
第4節 存在問題の存在的優位 (5)

第2節で問題となった、存在論における現存在と存在の再帰的な相関
関係と存在了解についての考察が繰返される。
*A(4節)−a(2節)−A’(4節)の順(Bも同じ)

A「現存在の存在構成には、それがおのれの存在においてこの存在へ
向かって、ある存在関係を持っている、ということが属しているわけ
である。」
a「(現存在は)存在問題そのものに、ある―おそらくは格別の―かか
わりをもっている、ということにほかならない。」(SZ8)
A’「この存在者(現存在)には、おのれの存在と共に、かつこの存
在を通して、この存在が自己自身に開示されている、ということがそ
なわっているのである。」
存在論の再帰的な性格を確認しておけば、存在を問うところの存在者
も、また、存在している以上、存在を問うことは、そのまま、問うた
存在によって問いかえされることである。(例えば、暗闇の中で鏡に
向かって明かりで照らせば、自分自身も照らしかえされるようなもの
であると考えてよい。)これは、現存在が存在によって規定されてい
るということと一致する。

B「現存在は己の存在においてなんらかの様式と明確度において、自
己を了解している、ということを意味する。」
b「存在了解は、つきつめれば、現存在そのものの本質的構成にぞく
しているものなのである。」(SZ8)
B’「存在了解は、それ自体、現存在の存在規定なのである。」
現存在は「存在とは何か」に答えるような形ではないにしろ、存在と
いうことを「ふんわりと」は理解している。これは、存在論の先駆的
性格としてやはり2節で説明されたものである。これは、現存在が、
存在論的に問うことを、自己の存在の可能性の一つとしていることと
矛盾しない。

「現存在の存在的殊別性は、それが存在論的に存在するということに
ある。」
現存在は本質的に「在るとは何か」を問うような存在であるというこ
とである。だが、「それが何であるか」という本質についての存在的
な問いと「在るとは何か」という事実としての存在を問う存在論的な
問いを区別してきた、これまでの記述とは矛盾する。現存在の本質が
存在論的に存在しているということならば、そもそも、存在論を明確
な問いとする必要などなくなってしまうからである。

ハイデッガーはこの問題を解決するために「存在論的に存在する」と
「存在論を形成する」こととを区別する。存在論が明確に理論化され
た存在への問いを表すとすれば、ここで、「現存在の存在的殊別性」
とされているのは、前=存在論的な(vor-ontologisch)存在と呼ぶ
べきであるというわけである。
186126:02/04/28 21:20
>>171
単に言われたかどうかじゃなくて、『存在と時間』全体で
そのような主張がなされてたかどうかってこと。
でこれは存在了解という用語をどう解釈するかって問題にとどまらず
ハイデガーが存在をどうとらえていたかってことにつながるから
『存在と時間』全体の読みに影響するんだよ。
第4節 存在問題の存在的優位 (6)

存在論的−存在的に対して、「存在論を形成する」にはいたらないが
「存在論的に存在している」現存在(人間)の在り方が「前−存在論的
な(vor-ontologishc)」と表現された。その上で、ハイデッガーはこ
こまでの主張を再び繰返す。その際、今までの記述に矛盾するのでは
ないかと思われた、「現存在の存在的殊別性は、それが存在論的に存
在するということにある。」という言い回しは次のように言い直され
る。松尾訳の特徴が発揮されていて興味深いので、松尾訳を引く、

「それに向かって現存在がしかじかに関係〔交渉〕することができる
しまた常になんらかの関係・交渉をとりむすんでもいる当の存在者自
身を〔現−存在の存在の方を〕われわれは実存 Existenz と名づける
。またこの存在者〔現存在〕の本質規定は事象含有的な「何か Was 」
を申立てても規定されえなし、彼の本質はむしろ、「彼はそのつど彼
のものとして彼の存在でなければならない〔彼の存在するということ
が常に彼のものなればこそ彼が存在できている(常自己性・常我性)
という点に存するのであるから、現存在という名称は、かくのごとく
に存在を為す者を言い表す純粋な存在作用用語として選ばれている〔
のであって事象含有的・実質的な「何か」の表現ではない〕のである
。」

つまり、「如何にある」とか「何である」とかいった(存在的な)命
題においても、現存在は「ある」という限りで存在に関わりあいをも
っており、その場合でも、現存在の特質は「如何に」や「何」にある
のではなく、「ある」という存在(「実存 Existenz」)の方である。
だからこそ、人間存在のことを現存在という術語で呼ぶのだとハイデ
ッガー言っているのである。
>>187
引用句の訂正です。

「それに向かって現存在がしかじかに関係〔交渉〕することができる
しまた常になんらかの関係・交渉をとりむすんでもいる当の存在者自
身...」 → 「存在自身」
第4節 存在問題の存在的優位 (7)

ある意味で第四節の中でもっとも興味深い部分である。

「現存在は自己自身をいつも自己の実存から了解している。」
実存とは「何である」といった際に関わっている「ある」のこと
である。だが、自己の実存から了解される、自分自身とは「何」
(現)であろうか、それとも「ある」(存在)であろうか?

「すなわちそれは、自己自身として存在するか、それとも自己自
身としてでなく存在するかという、おのれ自身の可能性から自己
を了解している。」
現存在は自分を本来的にも、非本来的にも理解する可能性がある
ということである。>>182 の現存在の定義においては、現存在は
自己の存在の可能性のひとつとして存在論的に問う可能性が認め
られたが、今ここで、本来的にも非本来的にも自己を了解する可
能性のあることが明らかにされた。ついで、この2つのいずれか
の可能性に対する現存在の対応が3つあげられる。現存在は、こ
れら2つの可能性のいずれかを、1.選んでいるのか、2.それ
らの可能性の中へたまたまおちいってきた、3.すでにはじめか
らその中で成長してきたか、の3つのうちのどれかだとハイデッ
ガーはいう。(組み合わせとしては6通りあることになる。)

「実存を己のものとして掌握するにせよ、あるいはそれを逸し去
るにせよ、実存はそのつどの現存在自身によってのみ決定される
。実存の問題は、いつもただ、みずから実存することによって決
着さるべき問いなのである。」
微妙な言い方である。実存が現存在がおのれが何であるか、いか
にあるかという際に関り合う現存在自身の存在作用である事は、
すでに述べた。従って、その存在作用としての実存が現存在によ
って決定されるというのはどういう事であろうか。ここでは、前
の文章から、考えて、本来的な自己を了解することを現存在自身
が決定するという意味にとっておく。言換えれば、自分が「何」で
「ある」か決めるのは現存在自身であり、現存在自身の自己の了
解は現存在の主体的に解決すべき問題である。
こうした実存の問題に現存在をみちびく、先駆的な自己了解を、
ハイデッガーは実存的了解(existennzielles Verstehen)と名
付ける。

「実存の問いは、現存在の存在的な「懸案」である。それに対処す
るためには、実存の存在論的構造についての理論的透明さを、かな
らずしも必要としない。」
だとすれば、冒頭にあげた、「現存在は自己自身をいつも自己の実
存から了解している。」は「存在」よりも「現」(何)に重心をおい
た現存在の自己理解と解釈される。「何であるか」を扱うには、必
ずしも実存の存在論的な考察を必要としない。実存の存在論的構造
についての理論は実存を構成しているもろもろの構成要素を解明し
なくてはならない。「これらの構造の連関」をハイデッガーは実存
性 Existenzialitat(最後の a はウムラルト)と名づける。
複数の構造が想定されていることは、このあとでて来る現存在と現
存在以外の存在者の関り、存在論と諸学との関係を考えると興味深
い。第三節>>114参照。
この諸構造の連関(実存性)の分析は、実存的了解に対して実存論
的了解(ezistenziales Verstehen)な性格を持つとハイデッガーは
言う。このような「現存在の実存論的分析論」は「現存在の存在的
構造」から要請されている。
第4節 存在問題の存在的優位 (8)

「実存が現存在を規定る限り、この存在者(現存在)についての
存在論的分析論は、いつもはじめから、それの実存性への先行的
な見越しを必要とする。」
確認すると、実存性とは「実存を構成する諸契機の構造の連関」
であった。現存在の存在論的分析論のために、「実存を構成する
諸契機の構造の連関」にまず注目する必要があるということであ
る。

「しかるに、実存性とは、実存する存在者の存在構成ということ
であり、」
この、存在者は現存在だけではなく、現存在をも含めた存在者一
般をさしている。だから、現存在だけでなく他の存在者も実存し
ているということである。「何である」、「如何にある」といっ
た場合の「ある」には、現存在以外の存在者も関っているのだか
ら、実存性とは現存在だけではなく現存在をも含めた存在者一般
の存在構成だというわけである。

そして、存在構成という考えの中には、既に存在が含まれている。
「従って現存在の分析論を遂行することの可能性も、存在一般の
意味への問いをあらかじめ開発しておくことの成否にかかってい
るわけである。」

ここまでの、ハイデッガーの話の流れからは、現存在である人間
は、最も身近な存在者である自分自身を通じてそれ以外の存在者
の存在を理解していくという発生的な議論の進め方が感じられる。
191アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/30 19:16
すいません、忙しさにかまけて全然見てませんでした。
ったく、うちのDQN医学部、今年からカリキュラム変わって
一年次から異様に忙しいのですよ。
と、私事はおいといて、
シラクサさん、お疲れ様です。
レス反応できなくてすいません。でも、感謝してますよ。

「存在了解」「存在を了解」などで議論が紛糾してますが、
私の解釈は、>>126さんの、

>存在了解とは存在によって可能になる地平であって存在とは全く違う。
>存在は現存在や存在了解をこえてあるものであり、
>概念や対象として把握できるものじゃないから、「了解」はできない。

とほぼ同じです。
テクストの中で一貫して、存在は了解する、というより、
「開示されるもの」として扱われています。
存在了解=能動、存在を理解=受動という図式、よいと思います。

さて、では、第5節は私が担当しましょうか。
ドイツ語版が手に入らなかったので、英語版と岩波+ちくまでやります。
192アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/04/30 19:16
【術語、用語の整理2】
理解に不十分な点があれば、ご指摘ください。
読み進めていく過程で別の意味、
使用法が見られた場合には改定して、定期的にアップします。

・存在了解……「存在の意味」を明確には提示することは出来ないが、
       <ふんわりと>存在とは大体このようなものだろう、と分かっていること
・現存在……存在の側から本質的に規定されていて、「存在とは何か」という存在への問いを行なう可能性を持つあり方をする人間存在
・存在……「ある」という状態(>>49 >>53参照)
・存在するもの(存在者)……現実に存在する存在者
・存在的……存在するものの属性や関係などを探求する(一般諸科学の)あり方
・存在論的……存在するものの存在そのものを探求する(存在論の)あり方
・前=存在論的……存在論を形成しはしないが、存在論的に存在すること
・実存的、実存論的……おおまかにいうと、人間存在自身を主題とする範囲内で「存在的−存在論的」 区別に対応するもの
・実存的了解……実存そのものが自分がどうあるのかを決定する主体的な了解
・実存性……実存を構成している構造の連関
>>191
アキュビュー ◆yX7NUl/E さん
シラクサです。
お留守の間に勝手なことをいたしまして、申しわけ有りません。
第四節のまとめは、出来るだけ早く終わらせますので、もう少
しだけお待ち下さい。
第4節 存在問題の存在的優位 (9)

神学をも含めた諸学が人間の固有のものであることは冒頭に述べら
れたとおりである。諸学問では、現存在は自分以外の存在者とも関
りをもつ。

「現存在には本質上、「なんらかの世界のうちに存在する」という
ことが属している。」

「世界」という言葉が出てきたので、他の訳も参照する。
原佑・渡部二郎訳では、

「現存在には、なんらかの世界の内での存在ということが、本質上
属している。」

松尾訳では、

「現存在はいっぽう本質的に、「世界なるものの内に存在する〔世
をなして存在する〕Sein in einer Welt 」ということが属する。

「したがって、現存在に本属している存在了解は、同根源的に、「
世界」というようなものの了解と、世界の内部で接しうる存在者の
存在についての了解とにも及んでいるのである。」
現存在の存在了解の射程は
1.いわゆる「世界」といわれているものの存在
2.世界の内部で接しうる存在者の存在
まで届いているということである。
*ここで、同根源的(gleichursprunglich)(後ろの u はウムラルト)
と断られているのは、世界や存在者への存在了解がここで述べてい
る現存在の存在了解だけに還元される訳ではないということ。
(SZ131 参照)

「してみれば、現存在的でない存在性格をそなえている存在者を
主題にしているもろもろの存在論は、前=存在論的存在了解とい
う性格を内包している現存在自身の存在的構造のうちに、その基
礎を持ち、かつそれによって動機付けられているのである。」
「もろもろの存在論」という言い方は存在者が各々、その存在論
を持つ事を想定している。そう考えると、
現存在自身の存在的構造→個別存在論→個々の存在者
となり、個々の存在者を扱う、神学を含む個別科学を基礎付け、
動機付けるのは、現存在の存在的構造であるという事になる。
ここで、「現存在の存在的構造」いわれているのは「私は何々で
ある」という時の現存在の在り方であり、私が何であるかによっ
て、諸々の存在者はその意味付けを変える。
これは、第四節の冒頭(>>181)で言及された論理実証主義的な立
場に対する批判でもある。同一命題でも「誰が」、「何処で」語ったか
によって、意味するところは大きく異なるからである。
第4節 存在問題の存在的優位 (10)

「現存在は他のあらゆる存在者に対して、いくえにも優位を持ってい
ることが分かる。」として、その優位が3つにまとめられる。

1.存在的優位「この存在者(現存在)はその存在において実存によ
って規定されている。」
実存とは現存在が「何である」「如何にある」という際に関り合う「
ある」(現-存在の存在の方)である。一方「実存はそのつどの現存
在自身によってのみ決定される。」だから、現存在は他の存在者とこ
となりそのつど自分が「何」で「ある」かを決定している事になる。

2.存在論的優位「現存在は実存によって規定されているために、お
のずからにして「存在論的」である。」
「存在論的」に「」がついているのは前−存在論的という意味であり、
明確な「存在論を形成する」のではないが、「存在論的に存在する」
ことであり、現存在は他の存在者とことなり「ある」の意味を明確に
ではないが知っている。

3.第三の優位「現存在には、それと同根源的に―実存了解の構成契
機として―現存在的でないあらゆる存在者の存在についての了解がそ
なわっている。つまり現存在には、あらゆる存在論のための存在的=
存在論的な可能条件がそなわっている」
現存在は実存することにおいて、自分以外の存在者の存在を了解して
いる。つまり、「私がAである」ことを了解するという事は、「Aが
ある」こと、そして「Aがなんである」かの了解を含む、という訳で
ある。だから、現存在は自分以外の存在者の存在や存在論を考える事
ができることになる。

「このようにして、現存在こそ、他のあらゆる存在者に先んじて存在
論的に第一次的に問いかけられるべきものであるということが判明し
たのである。」
第4節 存在問題の存在的優位 (11)

本節の中で最も重要かつ問題のある部分である。

「しかしまた、実存論的分析論は、つきつめれば、実存的な、すなわ
ち存在的な根をもっている。」
実存論といった場合には、現存在を主題として存在論的考察を意味し
た。それが、存在的な、言換えると「私が何であるか」に関るような
根を持っているとはどういう事であろうか?実存という概念には、現
存在の意志、決定、選択といった主体性が含まれていることは、先に
見た現存在の存在的優位にあたるものである。そのことは続く文章か
らも明らかである。

「哲学的に探求する問いそのものが、各自実存する現存在の存在可能
性として自ら実存的に選び取られたときのみ、実存の実存性を開示す
る可能性が成立するのであり、そしてひいては、ゆきとどいてもとづ
けられた存在論的問題設定一般の着手の可能性もそこに存するのであ
る。」
つまり、哲学的な態度は現存在によって選択される可能性の一つであ
り、その態度を取ることが、現存在によって主体的に選択された時に
「実存」(現存在が「何である」という際に関り合う「ある」(現−
存在の存在の方)「を構成する諸契機の構造の連関」=「実存する存
在者の存在構成」の解明の可能性が開かれ、ひいては存在論の可能性
もそこに根拠をもつ。繰返せば、存在的な問いも存在論的な問いもを
現存在が哲学的に探求する問いを実存的に選び取ったときにはじめて
、その可能性を持つことになる。このことは、われわれ現存在の全て
が哲学者なわけではない事を考えれば理解しやすい。また、哲学者も
常に存在論的に考察しているわけではなさそうである。

ところで、確認すれば、現存在とは、
1.存在の側から本質的に規定され
2.「存在とは何か」という存在への問いを行なう可能性を持つあり方
をする人間存在
のことでああった。
今、ハイデッガーが言っているのは2の「存在への問いを行なう可能性
」は現存在の何らかの選択によって開かれるということである。これは、
1.の現存在が存在の側から本質的に規定されるという事とどう整合す
るのであろうか。これは存在−現存在の再帰的構造(問うことによって
、問いかえされる)によっては解決されない問題である。規定と選択は
なじまないのである。このことについては、まとめの最後で論じる。

「そうだとすれば、存在への問いの存在的優位も、おのずから明らかに
なったわけである。」
存在への問いは、諸学問を基礎付け、また、動機付けるのであり、他の
問いに優先して問われる価値をもつとハイデッガーは言っている。
第4節 存在問題の存在的優位 (12)

哲学史に興味がないと面白くない箇所である。

論旨を単純化すると、今まで述べてきたような現存在の優位は
昔から哲学者(パルメニデス、アリストテレス、トマス・アク
ィナス)によって論じられてきたが、明確に存在論的な問いと
しては、自覚されなかった、ということである。

各々の哲学者の主張を確認するにとどめる。

まずパルメニデスから。パルメニデスについては、第四十四節
(SZ212-213)でハイデッガー自身がふれている。

「存在者の存在をはじめて発見したパルメニデスは、存在を存在
についての覚知的了解と「同置」して το γαρ αντο ν
οειν εστιν τε και ειναι(思惟と存在とは
同一のものである)と言っている。」
第4節 存在問題の存在的優位 (13)

アリストテレス

「第八章」431b20
「心はある意味でで存在するもののすべてである、と言うことに
しよう。すなわち、存在するものとは、感覚されるものであるか、
思惟されるものであるかのどちらかであり、知識はある意味では
知識の対象であり、感覚は感覚の対象である。(中略)したがっ
て、心はちょうど手のようなものである。なぜなら、手は道具の
道具であり、理性は形相の形相であり、感覚は感覚されるものの
形相だからである。」
「心とは何か」アリストテレス 桑子敏雄訳(講談社学術文庫)P174

「第五章」430a10
「自然全体においては、あるものは各類にとって質量(これは可
能態において、各類のすべてであるものである)であるが、ある
ものはそれとはことなっていて、ちょうど技術が質料に対して持
っている関係のように、すべてのものに作用することによって、
原因であり作用するものである。だから、心にもそれらの差異が
なければならない。そして、すべてのものになるという点で、そ
のような理性があり、他方、すべてに作用するという意味で、そ
のような理性がある。」
同、P163、164

この、「理性」は分かりにくいので、注を参照する。こちらは分
かりやすい。

「すべてのものになるという点で、そのような理性があり」
への注(31)
「理性はすべてのものを思惟するが、思惟対象は自己のうちにある
ことで、理性はすべてのものになりうるものであるとされる。この
とき、すべてのものとはもっとも普遍的なものであり、これが差異
をもつことによって個々の種となる。その意味で、普遍的なものが
質料である。」
同、P165
第4節 存在問題の存在的優位 (14)

トマス・アクィナス

『人類の知的遺産 第20巻 トマス・アクィナス』稲垣良典 P314、
『真理について』第一問題第一項「真理とはなにか」に記載されて
いるが、稲垣良典が非常によく分かりやすくまとめているので、そ
れを引用する。

「トマスは、「存在するもの」 ens とおきかえることができることば、
すなわち、すべての存在するものをさすのにもちいられる名称 --
超越的名称 nomen tarnscendens --として「もの」 res 「あるも
の」aliquid「一」unum 「真」verum 「善」bonum の五つをあげてい
る。(『真理について』一・一)
『人類の知的遺産 第20巻 トマス・アクィナス』稲垣良典 P335

「けれどもこの優位は、存在者の全体を悪い意味で主観化するとい
うようなこととは、明らかにまったく別のことなのである――。」
この文章だと、前述の三者の哲学に対する批判なのか擁護なのか
分かりにくい。が、取敢えず、擁護して、「彼らが言おうとしたのは悪
い意味での主観化ではない。」と言いたいのだと解しておく。
第4節 存在問題の存在的優位 (15)

「存在問題の存在的・存在論的殊別性の立証は、現存在の存在的・
存在論的優位をとりあえず予告する叙述に基づけられている。」
今まで、行ってきた論証のこと。

「けれども、存在問題そのものの構造の分析(第二節)は、すでに
問題設定そのものの内部でのこの存在者の格別な機能に突き当たっ
ていた。」
存在問題における、存在−現存在の再帰的、双方向的(問うことに
よって、問いかえされるという)な特殊な性格のこと。

「そのさい、現存在は、この問題を透明な問いとして問うためには、
まずもって存在論的にゆきとどいて開発されなくてはならない存在
者であることが、明らかになった。ところが、いま示されたように
、現存在の存在論的分析論がそもそも基礎存在論を形作っているの
であり、したがって現存在こそ、原理的に先行してその存在につい
て問いかけられるべき存在者としての役割を果たすものなのである。
存在の意味の解釈が課題となるときには、現存在は第一次的に問い
かけられるべき存在者であるだけではなく、現存在はそれどころか
、この問いにおいて問われているところのものへ向かって、己の存
在においていつもすでに関わり合っている存在者なのである。」
循環論法であると言われる事を警戒して、このような言い回しにな
っている。循環しているのは、論理ではなく、現存在の在り方なの
だと開き直って、暴力的に単純化すれば、現存在はその本質上、存
在への問いを問はずにはいられないような特殊な存在者であるとい
うこと。

「してみれば、存在への問いとは、現存在自身にそなわっている本
質的な存在傾向、すなわち前=存在論的な存在了解の根源的開発に
ほかならないのである。 」
したがって、現存在はその本性に従って「本質的な存在傾向」=「
前=存在論的な存在了解」を押し進めることが、存在への問いに他
ならない。
>>194
補足
「世界」については、(SZ65)を参照。
第4節 存在問題の存在的優位 (16)

感想

ハイデガーの「存在への問い」が、「存在の本質への優位」といった
具合に概説書で説明されているのとは違って、さらに包摂的なもので
あることが分かって興味深かった。便宜的に現存在の三つの優位に即
して言えば、ハイデガーの「存在への問い」は

@ 存在的-存在論以外の哲学、神学、人文学(「人間とは何であるか」)
A 存在論的-存在論(「あるとは何か」、「なぜ在るのか」)
B 第三-数学を含む、諸科学(「Aとは何であるか」)

の全ての「ある」を包括するものとして構想されている。

より、重要なのは本節の中で現存在に選択や決定といった何らかの意思が
導入されたことである。>>196でもふれたように、こうした意思は、「存在
の側から本質的に規定される」という現存在の定義にそぐわない。存在問題
でしめる現存在の意思の地位が高くなればなるほど、それだけ存在の地位は
没落せざるをえないのである。このことはハイデガー自身も十分気付いてい
て、>>189>>196であれほど現存在の主体的が重視されているのに、>>195
存在的優位では「この存在者(現存在)はその存在において実存によって規
定されている。」と存在からの規定の方を重視した言い方をしている。ハイ
デガーはこうした現存在の意思と存在からの規定を両者の緊張関係として、
その特殊なありかた−再帰的構造、に求めようとしているようである。だが
、そのことに成功しているとは言えないようである。例えば、現存在の意思
を強調する立場をとってみよう。現存在は如何に特別な性格を持っていても
、それ自体は存在ではなくあくまで存在者なのであるから、この考えは、存
在者ではなく存在を問うという存在論の構想とはずれてしまう。反対に存在
からの規定を強調する立場を取ってみよう、存在論の可能性も必然性も存在
によって規定されるのだとすれば、我々が今まさに存在への問いを問おうと
していること自体の意味が宙に浮いてしまう。何故なら存在への問いが可能
になるかどうかは、我々の態度がいかなるものであろうと存在からの規定次
第だからである。話を分かりやすくするために「存在の悪意」というものの
可能性を考えてみよう。存在が現存在に対して「存在への問い」を問わずに
はいられないように、同時に、決して、「存在への問い」に答えられないよ
うに規定しているという可能性である。このわざととけない知恵の輪をわた
されているという可能性は原理的に否定するのは困難である。むろん、この
ような「存在の悪意」を想定することをハイデガーは「おとぎばなし」をす
ることだといって否定するに違いない。だが、存在と存在者の関係に「意思
」というズレが持ち込まれたことは間違いない。(この問題は、問題の構造
としては「決定論と自由意志」というそれ自体は古典的な問いと同様のであ
る。)ハイデガーがこの「ズレ」にどのように解決を与えるか(あるいは与
えられないか)は「存在と時間」を読み進めることによって明らかにされる。

(第四節のまとめ 了)
長い間、議論を中断してもうしわけありませんでした。
ようやく第四節のまとめを終えました。
お待たせしてすいませんでした。
204考える名無しさん:02/05/02 22:26
マジ乙彼ー!
シラクささん、頑張ってますねぇ。みんなエライなぁ。

そろそろageますよ。
205ジョージ・OL:02/05/03 03:30
>>176
>>202
「私はハイデッガーが存在と不安について考えていることを、十分
に考えることができる。人間には、言葉の限界へ向かって突進しよ
うという衝動がある。たとえば、何かが存在するという驚きを考え
てみるがいい。この驚きは、問いの形で表現することはできないし、
また答えなど存在しない。われわれがたとえ何かを言ったとしても、
それはすべてアプリオリに無意味でしかない。それにもかかわらず、
われわれは言語の限界に向かって突進するのだ。」
ウィットゲンシュタイン
(1929年末、シュリック家での談話)
「ハイデガーの思想」木田元著(岩波新書)P79、P9
「ハイデガー『存在と時間』の構築」 木田元編著 (岩波現代文庫 P37)
206考える名無しさん:02/05/03 20:30
>>205
ちなみに、たしか二人は同い年なんだよな
207考える名無しさん:02/05/03 21:37
空前絶後の偉大な二人・・・
208ジョージ・OL:02/05/03 22:18
>206
1889年
一方はつましい寺男の息子として生れ、他方はユダヤ系の大実業家
の息子として生れた。
翻訳に関してですが、細谷貞雄氏は、ちくま版の上巻の後記で、自身が
翻訳するにいたった経緯にふれていますが、その中で、

「(新しい翻訳を検分した)その結果は、雑誌『文化』の昭和三十七年秋
季号に「『存在と時間』の翻訳について」という題で報告した通りである。
この報告には、松尾、桑木両氏のふたつの翻訳のいずれも上巻のみを
取上げて、重大な異論を立てざるをえない諸点を列挙し(網羅したわけ
ではないが)、あわせて、この本の翻訳についての私の原則を述べてあ
る。」

とあります。この雑誌を探せなかったので、ご存知の方がいらしたら、どん
なことを書いているかお教え願えませんでしょうか?
翻訳に関しては(その2)

松尾啓吉訳では、

存在 → 存在作用(あるのわかりとルビ)
  として、あくまでもモノでなく、はたらきであること
存在了解 → 存在了解性
  濃淡強弱高低をもった傾向
として、それぞれ、工夫して訳していて面白いと思いました。
211年表遊び人:02/05/06 02:31
>>208
1789 フランス革命始まる
1889 4.26 ヴィットゲンシュタイン生
    9.26 ハイデッガー生
1989 ソビエトを含むヨーロッパ共産圏の崩壊始まる
212考える名無しさん:02/05/06 02:35
>>211
何でいきなり1989年w
…ワロタ
213考える名無しさん:02/05/06 11:37
>>211
へー、同い年なのは知ってたけど、日にちも同じ26日なんだ。
因みに没年はWが1951年、Hは1976年でバラバラですな。
214考える名無しさん:02/05/06 13:31
>>210
>>205がよくわかります。
215考える名無しさん:02/05/06 16:43
>>211
年表氏は人が悪い。

1889年に第二次インターがパリで結成され、ドイツ社会民主党が
主導権を獲得しアナーキズムを排して、メーデ等の大衆運動化を
促進したという説明がないと、なんで1989が唐突に出てきたか分
からないに決まっている。
この第二インターは1914年の第一次大戦の勃発で空中分解し、
(独社民党の戦争協力宣言など各国の労働党のナショナリズムの
隆盛)その最中の1917年にロシア革命が起きるわけで、だから、1
889年の後に1989年が出て来る。

って、ひょっとして、皆、知ってて、黙ってるのかな?だとしたらゴメン。
216考える名無しさん:02/05/06 22:44
211=212=215?
第二章 存在問題の開発における二重の課題 考究の方法および構図
第五節 存在一般の意味の解釈のための地平を打開する作業としての、現存在の存在論的分析論 (1)(SZ15)

「存在問題の「設定」ということのうちに含まれるいくつかの課題を印づけるさいに示
されたことは、第一次的に問いかけられるものとしての役割を果たすべき存在者を確定
することが必要であるだけでなく、この存在者への正しい近づき方を明確に身につけ、
かつ確保しておくことも必要条件である、ということであった。」(SZ15)

 ここまでの流れのまとめである。第二節で存在の問いの構造を示し、第三節、第四節
 では現存在の存在論的優位、存在的優位を示した。そこで得られた結論は、ただ単に
 存在を問うのではなく、問いの形式構造に沿って問わなければならないし、また、問
 うもの自体のあり方にも気を配らなければならない。同じ問いでも、問う主体がどん
 な人であるのか、また、どんな時・場所・文脈で問うかによって、その価値や意味が
 変わってくるのである。

「このうち、その存在問題の内部でどの存在者がそのような抜きん出た役目を引き受け
るかということは、すでに論じたところである。しかし、この存在者、すなわち現存在
に、どのようにして近づき、そして了解的に解釈するにあたってどうしてそれにいわば
照準をつけたらよいのか。」(SZ15)

 近づくべき、問いかけるべき存在者は現存在という述語で示される存在者自身である。
 以下、現存在に近づき、了解し解釈する仕方が示され、以前から言われていた
 「存在一般の意味を時間性から解釈する」ということに取り掛かることになる。
第五節 存在一般の意味の解釈のための地平を打開する作業としての、現存在の存在論的分析論 (2)(SZ15)

「現存在には存在的・存在論的な優位があるということを指摘したので、人々はこのこ
とにひかされて、この存在者は――それが存在者として「直接に」手のとどくところに
あるという意味だけ出なく、それの存在様式もやはりすでに「直接に」与えられている
という意味で――、存在的・存在論的に第一次的に与えられているものであるに違いな
いという見解へ引きこまれるかもしれない。たしかに、現存在は、たんに近くにある
とか、もっとも間近にあるとかいうだけでなく、それどころか、我々の一人一人が自ら
それであるのである。それにもかかわらず、というよりもそれだからこそ、それは存在
論的にはもっとも遠いものなのである。」

 前節を仔細に読めば分かることだが、現存在の存在的・存在論的優位は、現存在の持
 つ構造や、存在論の諸学に対する優位から始まり、自己自身を自分の実存から了解す
 る、という仕方で、つまり現存在のあり方に、存在の問いの解決の成否がかかって
 いる、ということにまでなる。そのため、ここで、「それの存在様式もやはりすで
 に「直接に」与えられて」はいない、と書かれるのである。
 現存在が存在論的にもっとも遠い、というのは誇張だろうが、前=存在論的に存在し
 ている≠存在論的を強調する意図だろう。前=存在論的に存在している存在者は、存
 在を理解する可能性を内包すると同時に、存在を間違って解釈する可能性もあるのだ。

「なるほど、現存在が己の存在についてなんらかの了解を持ち、そしていつもすでに、
自己の存在がなんらかの仕方で解釈されているありさまに身をおいているということは
、ほかならぬ現存在自身の固有の存在にそなわっていることである。しかしながら、そ
れだからといって、あたかもこの存在了解がひとごとならぬ自己の存在構成への主題的
に存在論的な省察から発源したものであるかのように速断して、現存在自身の、この
もっとも身近な前=存在論的存在解釈を適切な手引きとして引き取ってよいということ
には、決してならないのである。むしろ現存在は、それにそなわる存在様式に応じて、
自己自身の存在を「世界」の側から、すなわち、現存在が本質上いつもとりあえず交渉
している相手側の存在者の方から、理解しようとする傾向を持っている。現存在自身の
中に、したがってまた現存在に固有の存在了解のなかに、われわれがやがて、世界了解
が現存在解釈におよぼす存在論的返照として挙示する事柄がひそんでいるのである。」(SZ15)

 現存在は何らかの形で存在了解を持つが、その存在了解は、存在の意味の解明、とい
 う大きな目標に向けて作られたものではない。また、現存在は自己を解釈するが、そ
 の前=存在論的な存在解釈を、早まって存在の意味の解明の手がかりとしてはいけ
 ない。あくまでも、日常の存在了解から出発し、存在の意味を問うのである。
 なぜ前=存在論的な存在解釈を用いてはいけないかというと、現存在は自己の存在を
 世界の地平から解釈しようとするため、世界了解からくるドグマを含むからである。
 そういう意味において、「現存在(の存在解釈)は存在論的にはもっとも遠い」のである。
>>218
松尾啓吉は、

>現存在は、〔中略〕我々の一人一人が自らそれであるのである。
>それにもかかわらず、というよりもそれだからこそ、それは存在論
>的にはもっとも遠いものなのである。」

を要約して「在る点では最も近く、なぜ在るかの点では最も遠い」
とし、それこそが、

>「現存在には存在的・存在論的な優位」

であって、現存在の優位を「在るという点では最も近く自明的−
なぜ在るかという点では最も遠く不明的という現存在の優れた
地位」とまとめていますね。
>>218
ハイデガーの「世界」という用語については、四つの意味(SZ65)が
あるようです。日常生活というか生活世界というものについての意味
付けも多義的で、ここでは、マイナスの評価をしているようですが、
一概に否定的とも言えないようですね。(この節の後段)何によって、
評価が分岐するのかを考えると、興味深く思います。
221考える名無しさん:02/05/11 20:50
マイナスではないでしょうに
222シラクサ本人 ◆fucfJ8ns :02/05/11 21:09
221さん、私も確信を持っているわけではないので、もう少しご説明頂けると
助かります。
シラクサです。
自己レスで恐縮ですが、アキュビューさんもいらっしゃらないようなので、
220〜222の流れについて、説明させて下さい。

222で、221さんの発言に反応したのは、私自身が最初に読んだ時は、アキュビュー
さんの解釈よりニュートラルに、この箇所の『世界』について考えていました。

例によって、該当箇所の松尾訳をあげるると、

「現存在はむしろ、彼に属する存在様式にしたがって、おのれの存在をば、彼が本
質的に、不断にかつ先ずもってそれに向かって態度している当の存在者の方から、
すなわちいわゆる『世界』から、了解する、という傾向を有する。現存在者自身の
うちには、したがってまた同時に彼自身の存在了解性のうちには、世界了解性の現
存在解釈への存在論的反映が存することをわれわれは提示するであろう。」

となっています。細谷訳よりも、中立的な感じがしますね。で、アキュビューさん
の読解を読んだ時に、そんなにネガティブな表現だったかなと思い細谷訳で、第五
節を読み直したところ、後段で、日常性についての記述があり、そことの対比で、
このような読解が妥当と考えました。
221さんにどうして、マイナスでないと思われたのかおききできたらと思った次第で
す。

『世界』については、(SZ65)に詳述されています。参考までに松尾訳をあげてみま
す。

『世界』という語の既述の吟味と頻繁な使用とから、その語の多義性は明白である。
この多義性のもつれを解くには、諸種の意義をもたされた諸現象とそれらの連関とを
示せばよいであろう。

一、世界は、存在的概念として使用され、そのさいは世界の内部に前存在しうる存在
者の一切を意味する。
二、世界は存在論的術語としての役をはたすが、このさいは「一、」に言われた存在
者の存在を意味する。ただし『世界』は、存在者の多様を包括しているそれぞれの領
域(レギオーン)の名称ともなる、例えば世界は、数学者の『世界』というような言
い方では、数学の可能的諸対象の領域と同じ意味である。
三、世界は、またも存在的意味に了解されることがあるが、このさいはもはや、現存
在とは本質的に異なったところのかつ世界内部的に出会われうるところの存在者とし
てではなく、『その内 worin』(「その内」に傍点)でこそおよそ現事実たる現存在
がその者どおりに『生活している』当の場として、了解されている。世界はここでは、
前存在的論的に実存的な意味をもつ。ここではまた異なった可能性が成立つ、世界は
すなわち、『公共的な』「われわれ−世界」die>>offentliche<<Wir-welt (最初のoは
ウムラルト)か、または『自分のものなる』身近な(家庭的)環境界 die >> eigene
<<und nachste die (hausliche) Umvelt (aはウムラルト)を意味する。
四、世界はさいごに、世界性(傍点)die Weltlichkeit という存在論的−実存論的概
念を言い表す。世界性自身は、特殊的『諸世界』(ウェルテン)のそれぞれの構造全体
にまで、変様しうる、とはいえそれ自身のうちに、世界性一般という先天者(ダス・ア
プリオリ)はこれを蔵している。われわれは世界という語を、術語としては「三、」に
おいて確定された意義を表わすのに用いることとする。この語がときおり「一、」にい
われた意味に用いられるさいには、その意味たることの目印として引用符(『 』)を
附することにする。

該当の箇所の『世界』は「一、」の意味ということですね。
224考える名無しさん:02/05/17 01:47
age
225考える名無しさん:02/05/17 02:24
このスレ読むの、気合が要るなぁ・・・(俺の場合ネ)
でも、勉強になります。
83節までがんばりましょう!
226考える名無しさん:02/05/18 01:54
227考える名無しさん:02/05/18 03:22
ちくまの細谷貞雄訳の方がいいらしい。
でも、片方だけ買うより、両方買って読み比べた方が面白いと思う。
>>226
>>227
ちくま版の方が読みやすいと、言われる方が多いようです。
>>50のサイトをご覧になってはいかがでしょうか。
また、「世界の名著:ハイデガー」(原佑、渡辺二郎訳)もありま
す。好みもありますので、本屋さんや図書館で読みくらべられて
決められてはいかがでしょう。「存在と時間」については、>>65
サイトもあります。
229考える名無しさん:02/05/18 20:25
いや、皆さんどうもありがとう。
たった今ちくま文庫の方を注文してきました。
230考える名無しさん:02/05/19 11:52
>>228
おお、よい情報まとめ、ありがとう! 漏れも早速・・
231考える名無しさん:02/05/19 17:27
一応言っておくけど、機種依存文字は使わない方が賢明です。
>231
>>202のまる1、まる2の事ですね。気をつけます。
233考える名無しさん:02/06/05 20:30
お〜〜い!アキュビューさんや〜〜い。
まだ忙しいのかーい
234考える名無しさん:02/06/20 01:25
age!
235考える名無しさん:02/06/23 02:52
これスレでも読むんだね

おまえにいってんだよーん

236考える名無しさん:02/06/23 03:35
オマエダヨ
今長文のレスした お ま え

237  :02/07/11 00:27
止揚
238イヴァン:02/07/18 19:18
あちゃー.
第五節までかなりよかったのに,やっぱり終わってしまった.
俺的にはアキュビューのが一番わかりやすくてよかった.
アテーナイとかシラクラはもう少し簡潔に自分の言葉でまとめて欲しかった.
しかし彼らのように国語の授業のように精読していく方法は,
やはり限界があるのだろう.彼らの方法で最後までやり抜くことは,
そう容易ではあるまい.

俺も第六節いっちょやってやるかと思ったけど,第五節までの仕事を見ると,
これは自分には手に負えないと思った.

やはり,この本は通読するのがよいのではないか.
2chで精読するには無理がある.
こういうのは大学とかでやるべきだ.
「精読」の前に「通読」.
239考える名無しさん:02/08/05 13:51
age
240考える名無しさん#:02/08/05 19:52
>>239
なぜ揚げる?
続きやるか?
241考える名無しさん#:02/08/05 19:54
>>239
どうして揚げる?
続きやる?
83節までやれば相当な名スレになることは確実だが。
242考える名無しさん:02/08/08 12:02
続きは??
243考える名無しさん:02/08/09 03:41
所詮は無理。
邦訳じゃなくて、ドイツ語原文で読むべし。
その方がずっとわかりやすい。
244考える名無しさん:02/08/09 16:52
中国語を選択していたので、ドイツ語を全く知りません。
自力で勉強して「存在と時間」の原書を読めるようになるでしょうか?
例えば1年くらいで!
245考える名無しさん:02/08/09 19:13
>>244
この場合は、翻訳なしで原文だけで読むのではなく、
翻訳を参考にしながらドイツ語を読んでいけばいいだけだから、
さほど難しくはない。
一年あれば十分。
246通りすがり:02/08/09 19:25
>244
前から気になっていたんですが、中国語では存在論をどう考えるのでしょうか?
「A is B」を「AB」って表現できる文化であれば、to beとかbeingとは
何か?っていう問題は回避できるのかな?と思いまして。
247244:02/08/09 21:38
>>246
中国語が「AB」で表現できる文化と初めて聞いたのですが、
我 是 日本人。の「是」はbe動詞とは違うのでしょうか?
僕は中国語も殆ど勉強してないんです。単位取っただけ。
あほ学生です。
248考える名無しさん:02/08/09 23:30
>>246-247
『ハイデガーを学ぶ人のために』という論文集の巻頭に、
日本語(と中国語)での繋辞をどう考えるべきかって話がちょっと載ってたよ。
国文学の方での扱いについても、参考文献って形で触れられてた。
まあ、話の主な関心は日本語の方にあって、
中国語に関する話はほんの少ししかなかったような気がするけど。
興味があれば立ち読みでもしてみたら?
249考える名無しさん :02/08/09 23:35
もっとアバウトに読み進めても、
いいんじゃないか?
250考える名無しさん:02/08/10 02:06
>>248
それこそ「たいらく」とよばれるものでは・・・

251考える名無しさん:02/08/10 02:07
↑間違えた
>>246
252考える名無しさん:02/08/10 02:25
邦訳で読むならば、解説書をもっと参考にしてもよいのでは?
253 ◆1whJCgOU :02/08/15 05:36
久しぶりに来たら。
終わってる。

誰かマターリとやんない?
254考える名無しさん:02/08/24 09:04
age
255考える名無しさん:02/08/24 09:55
>>248

現代ロシア語もコプラが退化してるから「AはB」を「AB」って表現するね。
ハイデガーについては哲学史の教科書程度しかの知識無いんですけど繁辞
が存在と密接に結びついてるって考察はあまりにも特定の文化に依存しす
ぎてる議論のような気がしました。
256考える名無しさん:02/08/24 10:42
>>255
ハイデガーの主張としては、そうした言語現象も、「存在忘却」としてたいらくなのだと思われ。
ドイツ的なものが存在をもっとも保持しているので、それに傾聴せよ、という説なので、「あまりにも特定の文化」に依拠しすぎているのは、自明なことで、ハイデガーにとっては非難されたとは思わないでありましょう。
ハイデガー内部から、「ドイツ的なもの」を解体するパスを見つけないと、問題にならない。
257考える名無しさん:02/08/24 11:04
>>256

なるほど。ということはハイデガーは『存在と時間』では近代ドイツ的な
ものこそが「存在」を最も保持しているってことを論証してるのですか?
なんか茶化すわけじゃないですけど、それって「ムー文明を形成していた
のは日本人だった!」ってな議論とかわりないような気がします…。
258考える名無しさん:02/08/24 11:35
>>257
「近代ドイツ的なもの」というよりは、もっと古いドイツだとおもわれ。
基本的にドイツこそが古代ギリシャの正当な継承者で、ヨーロッパの主宰であるということをめざしているといえます。これが国民国家の基礎付けになるわけです。
一般的に、産業が十分発達した状況下(フランスやイギリス)では、こんな「哲学的な」国家の基礎など、求めないわけですが、第一次世界大戦に敗れたドイツでは、重要なムーブメントとなったわけです。
「ムー文明を形成していたのは日本人だった!」は、「第三帝国万歳」と余り変わらないというのは、いえると思います。だから、ハイデガーに関するさまざまなパロディが、ドイツでもかかれるわけです(フランクフルト学派など)。
実際、「存在と時間」でも歴史性の部分は特に、まともに相手にしていいものか躊躇しますね。
産業経済がうまくいっていないと、個人や国家の自己意識が崩壊しかけてしまうので、そのほころびを何かで埋めあわれる必要が出てくるのでしょう。古代への復帰はもっともわかりやすいやり方です。



259考える名無しさん:02/08/24 20:18
age
260考える名無しさん:02/08/24 20:21
「ドイツ的なもの」を日本人が解体する意味って、なんでしょう。
261考える名無しさん:02/08/25 00:23
>>258

レスどうもです。
なるほど、国民国家の基礎付けとしてドイツ的なるものを仮定して据
えるわけですね。つーことはフランスはフランク的なもの、イングラ
ンドはアングロ−サクソン的なものが国民国家の基礎にあるわけです
よね。しかし、それってのは完全に循環っすよね? 政治と経済圏の
枠としてかなり恣意的に国境線が決められて、その上でそれを正当化
するために歴史叙述されて国民が発明された、っていう極素朴な国民
国家観を前提にすればの話ですが。あとはこれは歴史の話になるんで
ますますもって知識があやしくなって知ったかっぽくなっちゃうんで
が、古いドイツ(っぽい文化圏)と古代ギリシアなんてなんの関係も
ないですよね? 文化的には明らかに断絶してますし12世紀ルネサン
スでもその学問の拠点になったのはイスラムからぶん取った土地が中
心で、古いドイツ(っぽい文化圏)は辺境もいいとこですよね。それ
がなんでドイツが古代ギリシアの正当なる後継者になっちゃうんでし
ょうか? ハイデガーの議論に従えば、ギリシア的なものを国民国家
の基礎に据えているギリシア(当時もうトルコから独立してましたよ
ね?)こそがその正当な後継者のように思えます。ドイツが古代ギリ
シアの後継者を主張することは、例えば、日本が女真に占領された後
の中国の後継者を主張するよりも正当性がないと思えます。
262考える名無しさん:02/08/25 10:32
age
263考える名無しさん:02/08/25 13:00
ドイツ語が言葉としてそれをもっとも濃く受け継いだからじゃないんですか?
それが一番ドイツ語の中に聴き取れる、と。
何がどう聴き取れるのか、なんて素人でドイツ語を母語にしてるわけでもない自分にはわかりはしませんけど。

ハイデガーは晩年楽しみにしていたギリシア旅行に行って、そこに失望を味わったらしいけど。
264アキュビュー ◆yX7NUl/E :02/08/26 04:52
>>255
>繁辞が存在と密接に結びついてるって考察はあまりにも
>特定の文化に依存しすぎてる議論のような気がしました。

確かにね。
加賀野井秀一だったか誰かが「二十世紀言語学入門」で
「ハイデガーはローカルな思想家」って書いてたのを思い出したよ。

久しぶりage。
265考える名無しさん:02/08/26 13:36
>264
だから、ハイデガーはローカルに根ざした思想を自認している哲学者なんだったら。
266考える名無しさん:02/08/26 13:42
>>265 知ってる
267考える名無しさん:02/08/26 14:53
>>265
本当に自認してたの?上のほうにもあったけどとくに歴史性の議論のところからは
そんな自覚は微塵も感じられないなあ。
268考える名無しさん:02/08/26 17:11
>>267
「存在と時間」は、哲学界へのデビュー作だぞ。
そんなところでいきなり「ほんとのこと」書く馬鹿がいるか?
周りは新カント派ばっかりなんだぞ。
まずアカデミズムの世界で地歩を固めなくちゃいけないんだ。
教授就任講演まで、ネタはとっておいたんだよ。
かなりあとになるけど「なぜわれわれは田舎にとどまるのか」は読んだか?(まぁ、このラジオ講演は負け惜しみくさいけど)
それでも、「存在と時間」は歴史性と民族についてある程度素描している。
269考える名無しさん:02/08/27 13:48
>>261
正当性云々に関しては問題あるでしょうけど、ハイデガーの主張の事実ということ関しては事実として受け止めないとまずいでしょう。
なんにしても、哲学は自己の正統性の主張なので、つまるところ古代ギリシャ哲学をいかに正しく継承できているか、が問題なのです。
「存在と時間」は、はじめアリストテレス研究(「形而上学」の現象学的解釈学)として構想されていたもののメモなのです。
270考える名無しさん:02/08/27 13:57
>>260
たとえば、和辻哲郎の風土は、内容のレベルがかなり違うが、「存在と時間」の日本語版だと評されたことがあったような(しかし私が読む限りでは、まったくお話にならない代物ですた)。
また、仏教と絡めたハイデガー解釈も同じような系譜かもしれません。
「日本」とは関係ありませんがレビィナスやデリダのハイデガー理解は、ある程度「ドイツ的なもの」の汚染から、問題の核心を救い出そうとしています。
271考える名無しさん:02/08/27 14:14
アキュビュー さん<もう読まないの?
272考える名無しさん:02/08/27 14:18
まだ何かありますか?
273考える名無しさん:02/08/27 14:26
挑発的とか全然そんなつもりないですよ。意味が不明です。メールして下さい
274考える名無しさん:02/08/27 14:31
今週の鉄板標語

気付いてますか
    あなたの誤爆
275考える名無しさん:02/08/27 14:34
何がですか?誰なんですか?
276考える名無しさん:02/08/27 14:57
277考える名無しさん:02/08/27 19:24
いったい何?誤爆って?
278考える名無しさん:02/08/27 19:28
私のミスはあなたのミスなのです。
279考える名無しさん:02/08/27 23:15
ミスった チルドレン
280考える名無しさん:02/08/28 00:10
はげしくがいしゅつ
281考える名無しさん:02/08/28 22:36
282考える名無しさん:02/08/29 00:16
コリャびっくり
283考える名無しさん:02/08/29 00:18
>>281
カコイイ!
284考える名無しさん:02/08/29 00:18
Ich habe gelacht.
285考える名無しさん:02/08/29 00:52
訳「私はゲラハトを持っています」

俺も ホスィヽ(´ー`*)ノゲラハトタン
286ヽ(´ー`*)ノ:02/08/29 00:54
ゲラハトタンage
287考える名無しさん:02/09/16 00:33
ダンケ
288考える名無しさん:02/09/16 04:35
「AがAは我ではないという」この場合に弁明できる場合があるかどうかについて、西、東洋の代表的な思想家の考えを参考にして答えよ
289考える名無しさん:02/09/16 19:31
今月末までに存在と時間の要約しなきゃいけないので参加したいのですが
まだやってますか?
290考える名無しさん:02/09/16 20:31
だれかが第六節の要約を書いてくれれば再開するとおもいます
291考える名無しさん:02/09/17 03:04
ハイデガー「存在と時間」の解釈に、躓いているものです。
一体、誰の、何処の出版社から出ている翻訳を使えば、この本はいいのでしょうか?
誰か、教えてください
292考える名無しさん:02/09/17 03:26
第6節ですか?

Alle Forschung - und nicht zuletzt die im Umkreis der zentralen
Seinfrage sich bewegende - ist eine ontische Moeglichkeit des Daseins.
Dessen Sein findet seinen Sinn in der Zeitlichkeit. Diese jedoch ist
zugleich die Bedingung der Moeglichkeit von Geschichtlichkeit als einer
zeitlichen Seinsart des Daseins selbst, abgesehen davon, ob und wie
es ein in der Zeit Seiendes ist. Die Bestimmung Geschichtlichkeit
liegt vor dem, was man Geschichte (weltgeschichtliches Geschehen)
nennt. Geschichtlichkeit meint die Seinsverfassung des Geschehens
des Daseins als solchen, auf dessen Grunde allererst so etwas moeglich
ist wie Weltgeschicht und geshichtlich zur Weltgeschicht gehoeren.
293考える名無しさん:02/09/17 03:55
>>292
引き写してるだけで、要約になってないよ。
294考える名無しさん:02/09/17 04:02
>>291
今入手が比較的簡単で充実してるのは辻村ら訳創文社刊の「有と時」か?
多少坊主がかった解釈だがしょうがない。
岩波文庫のやつは、古すぎるのでやめといたほうがいいと思う。
ほかに
松尾訳とか細谷訳とかあったな。あと世界の思想シリーズにもないっていたっけな。
これは今入手できるのか?
正確なリストを誰か作ってくれ。
#基本的には、原書も見ておかないと、日本語訳に引きずられて訳がわからなくなる可能盛大だが・・・・
295考える名無しさん:02/09/17 04:26
細谷訳(ちくま学芸文庫)が手に入りやすいですよ
296考える名無しさん:02/09/17 04:32
そうかちくまに入ったのか
それはよかった。
とりあえず、これが普通の訳かな。
297考える名無しさん:02/09/17 04:33
それでは適当に六節のところを本分より抜き出して書いてみましょうか。

第六節 存在論の歴史の解体の課題

時間性ー同時に現存在自身の時間的存在様式の歴史性を可能にする条件。
歴史性、という規定はふつうに歴史(世界歴史的経歴)と
呼ばれているものに先立つ規定である。

歴史性(Geschichtlichkeit)
↑現存在の「経歴(Geschehen)の存在構成」をさしていう。

(続けます?こんなのでよかったら)
298295:02/09/17 04:34
>>296
ええ、読みやすいですよ。
お値段は1200円と手ごろですw
299考える名無しさん:02/09/17 04:36
続けてくれるとうれしいな。
後半部分の存在論の歴史のところが1つやまだね。
300295:02/09/17 04:39
(なんとなく続けてみます)
現存在はそれがすでに存在していた様相で、
それがすでに存在していた「ところのもの」を
そのつどの事実的存在において存在する。

現存在は、あからさまにそうしているかどうかは別として、
”自己の過去を存在している”のである。
(現存在の過去が現存在のすぐ「うしろ」にある、といったものではない)

現存在が自分の過去を「存在する」というとき、この「存在」は
現存在に固有の存在様相でいわれており、この存在は
そのつど現存在の将来のほうから「経歴する」のである。
(適当にまとめたノート読み返して思ったのですが
このへんですと訳書読んだほうがわかりやすくないですか?)
301291:02/09/17 04:39
そうですか。僕は岩波文庫の三分刷の奴を読んでいたのですが、
どうにも、妙な「ですます」調が、それでもって意味不明の
論理的な構成の文章で、アタマに来ていたところでした。
302考える名無しさん:02/09/17 04:45
>>301
「ですます」運動に犯されてたんだね。
「存在と時間」で「である」がかけないと意味不明になりがちだ。
303295=Aurelius ◆ESSE.EOM :02/09/17 04:46
(まぁせっかくですので続けましょう)
#要するに、「現存在自身の過去というものは、あとについてくるものではなくて、
いつもすでに現存在に先回りしている」と本文にある通りですね。

さて、、
現存在は、それがそのつど、その内に、存在している自己の世界にもたれかかり、
この世界の側から返照的に自己を解釈する傾きがあるだけではなく、
現存在は多少ともわきまえてえらんだ”自己の伝統”にもたれかかるのである。
これがみずから問い、選択するという自主的イニシアティヴを奪ってしまう。

存在問題を手引きとして古代的存在論の伝承的形態を解体し、
かつて存在の最初のーそしてそれ以来主導的となったー諸規定が
そこで得られた根源的諸体験へひきもどす。
『解体作業(Destruktion)』をしなくてはならない。
304考える名無しさん:02/09/17 04:49
>>300
> (適当にまとめたノート読み返して思ったのですが
このへんですと訳書読んだほうがわかりやすくないですか?)

この個所は、「存在と時間」自体の要約っぽいので、節目になりそうなところを抜書きして、とりあえずの理解に役立てればいいのではないかと思う。
305考える名無しさん:02/09/19 07:45
哲学板の設定を変更してもらって、フランス語のアクサンやドイツ語のウムラウト、 
数学の記号などを使えるようにしてもらいたいと思うのですが、いかがでしょうか? 
より正確な文献表、引用、議論の展開が可能になると思います。   
    
賛同いただける方、意見のある方は、以下のスレッドにお書き込みください。
    
哲学板にウムラウトやアクサン、数学記号を!                    
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1032388691/l50    
                                    
         
306考える名無しさん:02/10/06 10:47
fjkb;
307考える名無しさん:02/10/08 16:37
ハイデガーの無と仏教の無ってどう違うんでしょうか?
広松と吉田(仏教の人)の対談読んでて気になりました。
なにか比較的入手容易な文献ありましたらお教えいただきたい。
ちくま学芸文庫「デリダと道元」とかはそれに近いんでしょうか?
308考える名無しさん:02/10/08 20:26
agq
309考える名無しさん:02/10/16 20:32
あげ
310考える名無しさん:02/10/16 20:43
『道元とサルトル 「存在」と「無」の哲学』
『道元とヴィトゲンシュタイン』
など、『デリダから道元へ』だけでなく道元は西欧の思想家と
相性がいいようで。
311考える名無しさん:02/10/16 23:58
ハイデガーと東洋哲学を結びつけるのは安易じゃない?
ハイデガーの哲学はプロテスタント神学から始まったんだから。
312考える名無しさん:02/10/17 00:01
ハイデガーは
カトリックだよ

なにいってんのよ。あなた
313考える名無しさん:02/10/17 00:05
↑間違えた。
314考える名無しさん:02/10/17 00:06
趣旨は分かるんだが
>>305
iso-2022-jp-2を通すようにしろという要求なのか、
UNICODEを使えという要求なのかわからん。

もうすこしがんばりましょう  三点
315考える名無しさん:02/10/17 14:38
ハイデガーの奥さんが、プロテスタント。
316考える名無しさん:02/11/03 19:55
ハイデガーはフライブルク派のカバリスト
317考える名無しさん:02/11/03 20:01
ハイデカーをヒタスラ意訳するスレ
とか誰かやってくんないかなー ギャグでいいから
318痔郎@ロケット団 ◆vNF7ZKAORI :02/11/13 23:51
age
319考える名無しさん:02/11/13 23:53
ハイデッガーってナチス党員だったらしいね。
大変だね。敗軍の将の側近は。
320考える名無しさん:02/11/29 21:37
age

321考える名無しさん:02/12/04 18:21
>>319
がいしゅつ。よく読め。
322考える名無しさん:02/12/04 18:30
いやー負けた負けたで大騒ぎ。
323興味深い引用:02/12/20 23:59
20世紀の重要な哲学のひとつに実存主義があります。実存を語るとき、誰もが
使う「世界内存在」という概念があるのです。これはハイデガーの使ったドイツ語
「Das In-der Welt-Sein」の訳として私の先輩達がこんな風にしたものですから、
まるでハイデガーの造語のように日本でも思われてますけれど、実は荘周(荘子)
の「処世」という述語の間接的なドイツ語訳なのです。天心岡倉覚三がロンドンで
"The Book of Tea"(茶の本)を書いて出版したとき、荘周の「処世」を英訳して
「Being In The World」としたのは19世紀末でした。それが1908年シュタインドルフ
によってドイツ語に訳された際、この英語がそのまま逐語訳されてあのようになった
という次第です。ご承知のように、処世とは「世に処る(In-Sein)」と「世に
処する(Verwalten)」の二つを兼ねますから、ハイデガーの言っていることは
荘周の考えそのままといってもいいでしょう。ついでに申しますが、この独訳は
訳者がユダヤ人であったため、第二次大戦前後ヒトラーの親族に当たるミュンヘン
大学の日本学教授クルト・ハミッチ(K.Hammitzchi)がインゼル書房から再版
した際、訳者の名を消し、内容の独文は少しも変えず、後記を自分で書いています。
それはあたかも彼が訳者にもみえるのです。
324興味深いから引用:02/12/21 00:04
こういう不愉快なことはナチス時代のドイツにありました。『現象学入門』という
本に現象学の創始者ユダヤ人フッサールの名前が一度も出てこなかったり、ハイデル
ベルグでのクリバンスキーの編集事業はその戦時下の出版ではすべて他人名義でし
た。全くひどいものです。しかし、ナチス時代以前や今のドイツにはそんなことは
ありません。
 私の恩師の一人、伊藤吉之助は1918年、第一次大戦直後、ドイツに留学、そのとき
ハイデガーを家庭教師にやとっていました。敗戦後のドイツはひどいインフレで、
連合国側の日本の留学生のポケットマネーはドイツの若い学者達には大きな魅力
でした。そのあたりの事情はヤーコブの『ジャクリーヌと日本人』(岩波文庫)
という小説を読めばよく分かります。
325興味深いね引用:02/12/21 00:15
それはともかく、伊藤は帰国に際し、お礼の心づもりで『茶の本』の独訳
"Das Buch vom Tee"をハイデガーに手渡しました。それが1919年。そして
1925年にハイデガーの名を高からしめた『存在と時間』が出版され、あの術語
が何のことわりもなしに使われていたので、伊藤は驚くと同時に憤慨もしました。
それからはるか後年の1945年、「いやあ、世話にはなったんだが、やづげれば
よがっだなぁ」と庄内弁で私に述懐なさったことがあります。ハイデガーが
東洋の書物からヒントを得ていることはほかにもまだありますが、このくらいに
しときましょう。こういう話を私は伊藤先生からずいぶんうかがい、それにもとづき
調べたのです。
 1968年に私はハイデルベルク大学のガーダマーに呼ばれてした集中講義のあと、
右のことを茶話会で話したことがあります。日本人の留学生達も聴講してくれました。
その際、ハイデガーの根本思想には、東洋の古典哲学で考えられていたものが沢山
あるということをその他の例によっても説明しました。私は多分言いすぎて、もし
かしたらプラギアト(剽窃)にも当たると言ったのです。ガーダマーはハイデガーの
愛弟子ですから、まあ怒るの怒るまいの、4,5年というもの絶好状態の目にあいまし
たが、1972年でしたか、アイヒシュタットの形而上学会で再会し、仲良しにもどり
ました。
326考える名無しさん:02/12/21 00:18
そしてアゲ。
327考える名無しさん:02/12/21 02:47
>>323-325
誰の引用だい?
328考える名無しさん:02/12/21 02:59
田舎者の武勇伝かよ。
そんなことではハイデガー読めるわけないな。
329考える名無しさん:02/12/21 05:03
>>328
ま、ハイデッガー本人も田舎者だし関係ないのでは?
330考える名無しさん:02/12/21 18:22
>327
多分名前を出すとこの板では受け入れられないので、
東大で哲学を勉強していた人とだけ書いておこう。
331考える名無しさん:02/12/26 13:24
存在と時間age.
332考える名無しさん:02/12/27 21:53
>>330
今道じゃないの?
333考えるいかず後家@38歳:02/12/29 18:43
・まだ結婚できません。時間が・・・
・今年のクリスマスも男に逃げられました。存在って・・・

結局サザエさん見てやけ酒だよ。
AOLと2Chが生きがい。
334考えるいかず後家@38歳:03/01/04 20:10
age
335山崎渉:03/01/08 19:12
(^^)
336考える名無しさん:03/01/09 11:37
AGE
337考える名無しさん:03/01/09 11:44
山崎君なんでここにいるんだよ。
ネットウヨについてのオレの質問調べて答えてくれ。
338考える名無しさん:03/01/09 21:10
25歳。
去年まで無教養君だったけど、ニーチェとハイデガー読んで
二年で350も論文書いた。いちど読んでみなよ。
筑摩のみだけど、文庫で『存在と時間』を揃えれば2000円くらいで読める。
読むだけ読んで企投せずに頽落することもできるし、不安の中で神の死に
思い切って賭けてしまえば50パーセントで超人になる。
言語ゲームだと思えば寝転んで読むだけ。暇つぶしになる。
後期ハイデガーとか遺稿とか色々あるのでマジでお勧め。
339考える名無しさん:03/01/09 21:22
>>338
それ、なんていうスレにあったんだっけ?
340考える名無しさん:03/01/14 20:38
ハイデガーはもう流行らないのかな?
341考えるいかず後家@38歳:03/01/16 22:34
論文なんてかけません。
思いつきの駄文ならいくらでもかけます。
もちろん長いだけのクソ文章で、ひとから突っ込まれるんで、日記にとどめています。
342山崎渉:03/01/18 09:36
(^^)
343考えるいかず後家@38歳:03/01/19 22:48
鬱だ。
344考える名無しさん:03/01/19 22:59
>>341
あまり難しく考えず、チャレンジ。

http://allabout.co.jp/study/adultedu/subject/msub_ronbun.htm
345痔郎@ロケット団 ◆vNF7ZKAORI :03/01/22 04:46
2月9日(日)、ロケット団創設一周年記念イベント開催です。

↓詳細
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=704&KEY=1042123841&LAST=100
346考える名無しさん:03/01/25 13:44
age
347考える名無しさん:03/01/25 14:29

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348考える名無しさん:03/02/06 02:03
age
349考える名無しさん:03/02/06 03:33
事実性の生起
350考える名無しさん:03/02/06 04:48
昨今は、ハイデッカーではなく、低床タイプが流行りですな、バス。
351考える名無しさん:03/02/06 23:18
事実性の生起
352(゚Д゚ ) ◆UYOMNZkX3A :03/02/06 23:29
教えて君で悪いんですが、
「存在と時間」の要約
「存在と時間」と「実存主義」との関係を短文で良いのでわかり易くご教授願えませんか?
353考える名無しさん:03/02/06 23:50
存在の意味は時間です。
『存在と時間』はその主題が誤解されて「実存主義」の古典と見なされました。
354考える名無しさん:03/02/07 00:26
事実性の生起って何?
355考える名無しさん:03/02/07 03:13
事実性の生起
356考える名無しさん:03/02/07 21:11
事実性の生起?
357考える名無しさん:03/02/07 22:48
存在の意味が時間っていうか、存在の本質は時間性にもとづいて
初めて開示されるってことじゃないの?
存在と時間は現存在(極解すると人間存在)の在り方から始めて
存在一般を定義しようとしたけど、時間性でつまづいて
現存在の在り様をある程度規定して終ったって感じだったと思う。
故に存在一般は宙ぶらりのまま。
358考える名無しさん:03/02/08 00:37
>存在の意味が時間っていうか、存在の本質は時間性にもとづいて
>初めて開示されるってことじゃないの?

同じことだよ、それは。
ただし、「本質」は余計。
359考える名無しさん:03/02/18 02:38
この板で「性起」=事実性の生起なんて言ってた香具師はヴァカ
ものを知らないにもほどがある
360考える名無しさん:03/03/12 03:34
>>359
ヴァカというな!阿呆といえ!
361考える名無しさん:03/03/12 05:08
田代まさし=『存在が痴漢』
362考える名無しさん:03/03/12 17:03
>>323-325
これ、誰の?
本当に知りたいのですけど、教えていただけませんか。
363考える名無しさん:03/03/14 18:53
age
364考える名無しさん:03/03/16 23:01
いまハイデガー研究はどうなのでしょう
365考える名無しさん:03/03/22 17:02
NHK出版のハイデガー読みましたか?
北川東子が書いたヤツ。異常とも読める読みやすさで
驚愕したんですけど。ハイデガー入門といえるレベル
じゃないけど、これまででたハイデガーの入門書の中で
一番読みやすい代物でしょう。
366考える名無しさん:03/03/22 17:05
それと、北川の本の中で紹介されてた

ハイデガー ドイツの生んだ巨匠とその時代
   著者名 :ザフランスキー,R. 著  

読んだ人いますか?感想聞きたいんですけど。なんせ6800円しますから。
367考える名無しさん:03/03/24 03:44
>>359
正しくはそれが何であるのかを説明してもらえませんか。
368考える名無しさん:03/04/04 13:42
古東哲明の「存在神秘の哲学」読んでハイデガーに興味を持ちました。
存在と時間も読んでみようと思うんですが、訳はどの版がわかりやすいでしょうか?
369超真剣です!!!マジで聞いてください!!!:03/04/04 17:29
ほんとの話です!!!!
女の子が40日間渡って監禁され、計100人ぐらいに強姦、朝から晩まで超暴力と超陵辱された。ヤクザ顔負けのリンチで、天井に血が飛び散っていた。(深くかかわったのは5,6人)
膣を灰皿代わりにされ、自慰(オナニー)を強制され、
真冬に裸で外(ベランダ)に出され、裸で踊らされ、手足を押さえつけられ、膣やお尻の穴に鉄の棒を突っ込まれ、お尻の穴に花火を入れ爆発させ、20キロの鉄アレイを身体(裸体)になんども落とされ、瞼(まぶた)に熱いろうそくをたらされ、
手足を押さえつけて、膣にマッチ棒を入れられ燃やされ、膣の中のや裸体をライターで火あぶり、精液を大量に飲まされ、500ccの尿を飲まされ、基礎の他むちゃくちゃ。(生きてるか死んでるかわからないが)ゴキブリも食わされたそうだ。
女の声だが、人間とは思えない叫び声(悲鳴)(絶叫)を上げ続けた!苦しさのあまり何度も気絶した。
殺された彼女の親友が言うには、監禁され殺される一日前、幽霊(生霊)となって「助けて!」と親友に助けを求めたが、親友はどうすることもできず、泣きじゃくった。
「狂宴犯罪」は 一ヶ月以上 続いた 。
そして(失禁して)死んだ。(殺された)i78i78i78i
専門家によると自死(あまりのつらさに耐え切れず、脳が死ぬことを選択した。(命令した。)らしい。(死体にの脳は溶けていたらしい)
死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。死体には髪がなくなっていた。
40日間の監禁で極度のストレスのあまり全部髪が抜け落ちた
死体の膣(マンコ)にはオロナミンC2本、入っていた。
         grdfgdsfgadgf
「裁判記録」は死ぬほどエグイ内容であった。「コンクリート詰め事件」で検索すればわかる。
(俺は何時間も涙が止まらず、夜も何日も眠れなかった。たとえ99.9%の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!絶対、絶対いらない!!!!!絶対認めない!!!!!)
l;ok;l(私の心の底からの叫びでした。)

asdasdad
370考える名無しさん:03/04/05 00:20
>368
細谷貞雄訳 ちくま学術文庫
371考える名無しさん:03/04/09 22:40
>>370
× 学術文庫
○ 学芸文庫
372考える名無しさん:03/04/10 04:05
>おおよそさん

出現願います。
373考える名無しさん:03/04/10 15:51
まともなスレだと思ったのに、いつのまにかおかしな連中に荒らされちゃってw
374考える名無しさん:03/04/10 22:24
中公クラシックスで出ました。
375考える名無しさん:03/04/11 01:01
T『存在と時間』を読む意味/意義って何ですか?
Uこの著作は哲学史内でどのような位置付けがなされているのでしょうか?
Vこの著作はなぜこれほどまでに高い評価を得ているのでしょうか?

以上三点について、いろいろな方からのお答えいただきたいです。
376_:03/04/11 03:27
>>368
>>228
参照
377_:03/04/11 03:33
378考える名無しさん:03/04/11 08:35
読みてえ!今日買ってくる!!!
>>378
お前、このスレを続けろ!
だれかリードしてくれるんなら復帰してもいい。
380375:03/04/12 15:40
>>377
それは違うかな。
周囲からの評価が知りたいところです。
381考える名無しさん:03/04/14 01:15
周囲って?
382考える名無しさん:03/04/14 04:22
>>379
>お前、このスレを続けろ!
>だれかリードしてくれるんなら復帰してもいい。
高飛車な言い方ですね。
383考える名無しさん:03/04/14 11:16
das man
384考える名無しさん:03/04/14 16:34
存在に根拠はないって…じゃあなぜ存在は急に消えたり出現したり
しないんだ?量子力学なんて持ち出すなよ。存在があり続けて今この瞬間に
消えうせるということがない以上、こういう存在形式で存在し続けていることに
根拠があるに決まってるじゃん。ハイデガーってバカだねぇ
385考える名無しさん:03/04/14 21:45
>380
竹田青嗣センセの評価でもヨメば。
ttp://www.phenomenology-japan.com/takeda/labo01.htm
386考える名無しさん:03/04/15 14:55
In-der-Welt-sein
387考える名無しさん:03/04/15 15:16
>>384
「存在は根拠である。」ってハイデガーはいってるよ。
これは存在の背後に根拠を求めない無神論ってことなんだろか?

あと存在が消えると言うようなことは経験しようがないよね。
そのときはぼくたちもいっしょに消えちゃうんだから。
それは死の経験不可能性と似てるよね。
ハイデガーがばかである可能性もあるけれど
あのようなことを考えることはある意味自然なことじゃない?
388考える名無しさん:03/04/15 16:20
天然馬鹿!
389375:03/04/15 23:05
>>385
だから違うでしょ。それも>>377のようなレジュメスタイルでしょ。
そうじゃなくて、読者側というか、つまり、ハイデガー以外からの
評価が知りたいのです。
390考える名無しさん:03/04/16 12:56
>>375

だからそうゆうこと、要求する前にテメエで書けよ
391375:03/04/16 15:29
>>390
こっちが質問してるのに、何で自ら答えなくちゃいけないわけ?
あなたのそんな読解力じゃ、『存在と時間』なんてとてもじゃないが読めないでしょうね。
392考える名無しさん:03/04/16 17:26
殺伐としてんな
393考える名無しさん:03/04/16 17:42
誰も読める奴いないから雰囲気サイテー
394考える名無しさん:03/04/16 17:51
>>393
勝手に決めるな。
395考える名無しさん:03/04/16 17:54
存在は時間性に企投されるんでしょ
396考える名無しさん:03/04/16 17:56
企投ってなんですか?
397考える名無しさん:03/04/16 17:57
ちんちんの先です
398考える名無しさん:03/04/16 18:01
先生! じゃあ>>395は、こういう意味ですね。

存在は時間性にちんちんの先されるんでしょ
399考える名無しさん:03/04/16 18:10
>>396は大丈夫か?
400考える名無しさん:03/04/16 18:12
400ハイデガー
401375:03/04/16 18:14
T『存在と時間』を読む意味/意義って何ですか?
Uこの著作は哲学史内でどのような位置付けがなされているのでしょうか?
Vこの著作はなぜこれほどまでに高い評価を得ているのでしょうか?

心ある方、ぜひとも以上の質問にお答えいただきたく・・・・・・
402考える名無しさん:03/04/16 18:14
やっぱバカバカッカ・・・。
403おもいつくままに(適当):03/04/16 18:24
T『存在と時間』を読む意味/意義って何ですか?
哲学書で有名だから。読めると頭よさげだから。
読まなきゃハイデガー以後の大陸の哲学者のジャーゴンについていけないから。

Uこの著作は哲学史内でどのような位置付けがなされているのでしょうか?
ギリシア哲学の存在論の現代版。分析哲学からはほぼ無視無価値とされてる。

Vこの著作はなぜこれほどまでに高い評価を得ているのでしょうか?
文体。ローティーがハイデガー哲学を「喚起哲学」といってるしね。
当時実存哲学として理解されある種の強力な人生論として流通。
404考える名無しさん:03/04/16 18:29
あとハイデガーのアリストテレス解釈は結構間違いらしい。
くわしくは藤沢「プラトンの哲学」岩波新書。
この点は、肝だからなあ。でもおもろいからいいと思うんだが。
おもろいだけじゃだめか。
405考える名無しさん:03/04/16 18:36
藤沢「プラトンの哲学」岩波新書
いま該当個所読み返したらハイデガーにかなり手厳しいすね>藤沢

406bloom:03/04/16 18:42
407考える名無しさん:03/04/16 20:01
ちょっといい?

俺は初心者でただの厨房なんだけど、ハイデガー自身が
後には失敗だったと公言してる哲学書を読もうとする人
たちがこんなに多いのは何故?
「存在と時間」は「失敗」なんですよね?
408375:03/04/16 22:02
>>403
おお、ありがとうございます。
やや後ろ向きな趣を感じますが、ひとつの見方として参考になりましたよ。
409考える名無しさん:03/04/16 22:56
>>405
生粋のプラトニストである藤沢氏からすれば、ハイデガーは天敵ですから。
410考える名無しさん:03/04/17 00:20
「ハイデガーは哲学者の哲学者」ハンナ・アーレント
411考える名無しさん:03/04/17 04:07
T『存在と時間』を読む意味/意義って何ですか?
どんな著作でもそれを読む意味/意義は読む人が決めればよい。
Uこの著作は哲学史内でどのような位置付けがなされているのでしょうか?
評価はさだまっていない。現代哲学者の多くと同様あまり近い時代の哲学者
は、評価しづらい。特にハイデガーの場合ナチスとの関係があるので純粋に
哲学史内の位置付け(もしそういうものがあればだが)が難しい。
Vこの著作はなぜこれほどまでに高い評価を得ているのでしょうか?
Uで述べたように高い評価を得ているかどうかは疑問。魅力は「文体」とい
うことはできるであろう。
412考える名無しさん:03/04/17 04:09
>>407
ハイデガー自身が後には失敗だったと公言してることを知っている
人が「初心者でただの厨房」といえるかどうかはともかくとして、
「成功」からしか学べないというわけではないでしょうね。つまら
ない「成功」よりおもしろい「失敗」があるかもしれない。
413375:03/04/17 06:01
>>411
レスありがとうございます。
Vについてですが、『存在と時間』はしばしば「20世紀最大の哲学書」という
評価を受けることがあります。
一部ではそれに猛反発する人々もいるのでしょうが、あらゆる解説本が存在し、
「20世紀最大」と謳われるにはそれなりの理由があるに違いない。
この破格の扱いはどこから来るのか、それが知りたかったわけです。
Uについては、「評価」というよりは、「哲学史への貢献」というか、
アカデミックな位置づけのことです。フッサールの弟子であるハイデガーが
存在論的に・・・・・・う〜ん、これから先がわからないんですね。
彼は何をしたんでしょうか。ハイデガーの仕事は何だったのでしょうか。
そして、以上を総合すれば、Tの答えにもなるのかな、と思っています。
414おもいつくままに(wgs4):03/04/17 07:28
存在は、いままで「前に現れていること」として現在から理解されて
きたことをプラトン・アリストテレス解釈から導き出して、
ハイデガーはそれにかわる未来から理解される存在論を
現象学の枠組みで構築しようとしたこと。

だけどそもそものプラトン・アリストテレス解釈が文献学的に批判
されまくり(藤沢「プラトンの哲学」岩波新書)だということ。
でも個人的に現前の形而上学批判はアイデアとして好き。

>>413一冊でも入門書読んだ?
415書き直した:03/04/17 07:44
存在をいままでの形而上学は「前に現れている」こととして現在から理解
されている。これをプラトン・アリストテレス解釈から導きだし、それに
かわる存在のモデル、未来から理解される存在論を現象学的にやろうとす
る。で、これが失敗したらしい。その意味でこれはギリシア存在論の現代
版。しかし、その際存在を理解する現存在=人間の分析が必要になり既刊部
は、その現存在の分析=基礎的存在論に終始しそれがこの書を実存哲学の聖
典として当時人生論として流通。
プラトン・アリストテレス解釈は、文献学的に研究者から批判されまくり
(藤沢『プラトンの哲学』)、ようはプラトン・アリストテレスのどこをど
うよめば現前の形而上学なんかでてくるのだゴラァーということだろう。
でも個人的には文献学的には駄目でもこの存在論はおもしろい。考えるヒ
ントとなると思う。

まあ適当だけどこんなとこ。専門家はつっこんでください。
416山崎渉:03/04/17 09:23
(^^)
417考える名無しさん:03/04/17 13:30
 
418考える名無しさん:03/04/17 17:47
いつになったら『存在と時間』読むの?
419考える名無しさん:03/04/17 17:49
おれはちょっとずつ読んでる
420考える名無しさん:03/04/17 17:55
哲板では『存在と時間』の序論第1章1節は永劫回帰しますw

それ以降は入門書で間に合わせて下さい
421考える名無しさん:03/04/17 18:22
このスレ1年前からあるのか・・・
422考える名無しさん:03/04/17 18:31
ヒューバート・ドレイファスや門脇俊介ってゴミなん?
http://www.eleutheria.com/philosophia/data/2648.html
423考える名無しさん:03/04/17 19:02
>>421
1年間2ちゃんねるにいると人間もゴミになるということを、このスレ
はよく物語っていますね。
424411:03/04/17 21:56
>>413
こちらこそ、丁寧なレスありがとう。
413のレスを読む限りでは、375さんの方が私より詳しいようですな。
>>379で1氏ものべて(ちょっとタカビーだけど)いるように、いっそ
のことあなたがこのスレを仕切っては。実際に読んでみれば意義も分
かるのではないでしょうか。
425考える名無しさん:03/04/17 22:17
>>422
ドレイファス『世界内存在』はかなりわかりやすかったし
入門としてもおもしろいと思ったけど…
専門の人から見るとだめなのですか? ゴミって…
426375:03/04/17 23:22
>>411
いや、全然知識なんてないです。>>414氏のほうが知ってそうだし、うまくレスを
まとめてくれるんじゃないかな。
427考える名無しさん:03/04/17 23:48
責任の押し付け合いが始まっている(藁)
428考える名無しさん:03/04/17 23:50
実は375は初心者を装った1だったりして。(藁)で414も自作自演と...。
429375:03/04/18 01:30
ヨシ、そんならIchが船長を務めるぜぃ。『存在と時間』という荒波をともに乗りきろう!野郎共、ついてこい!
430428:03/04/18 01:31
やだ
431ガキデカー:03/04/18 01:32
おもしろそうですね。
432考える名無しさん:03/04/18 01:34
429と430は同一人物だね。
433考える名無しさん:03/04/18 01:38
428はアキュビューか。粘着すんなよ。
434考える名無しさん:03/04/18 01:39
邪険にあしらわれたアキュビューが自演で粘着中です。
435375:03/04/18 01:43
じゃ、まずは今月27日までに序論、第一章をマスターする。ょろしく。
436考える名無しさん:03/04/18 13:05
1ページ目
「時間を解釈して、それが存在についてのあらゆる理解の可能的な地平で
あることを示すこと」
がこの本の主題ということらしい。
437375:03/04/18 16:15
俺以外はコテハンを名乗らないでもらいたい。
そうしたほうが、みんなの発言に強い責任が発生しないし、
自己の保身のための揚げ足取り、などの不要な論争もなくなるだろうから。
名無しだったら、前の発言を捨て置いて、次の発言でキャラを変えることができるし。
アキュビューだのなんなのっていらないね。
俺はマスターオブセレモニー的発言のときだけ375を名乗る。
438考える名無しさん:03/04/18 16:16
早く始めてちょうだいよ
439bloom:03/04/18 16:18
440375:03/04/18 16:23
読んでて分からないところがあればすぐに質問しる!
その場合は本のページ数を添えられたし。原書のほうの。
個人的に訳書はちくま細谷訳を使用します。
441考える名無しさん:03/04/18 16:29
>>436
それってハイデガーのフッサール受容と、カント受容(批判的受容)を理解
しないとなんのことかわからないと思われ。
442考える名無しさん:03/04/18 16:29
>>441
うーん・・・じゃあ何から手をつけたらいいんだろう?
443考える名無しさん:03/04/18 16:36
とりあえず、ハイデガーの存在と時間という問題意識を理解するためには
超越論的構想力の射程を追認しておくのが吉かと。
444考える名無しさん:03/04/18 16:39
つまりね、ぽーんとね、だれかが要領よくレジュメを切ってくれれば
いいわけ。
445考える名無しさん:03/04/18 16:53
3ページ目。「存在は類の普遍性ではない」ってどういうこと?

存在

生物/非生物

人間/動物

男/女

みたいな、分類の最上位にあるようなものではない、ってことか?
446375:03/04/18 18:02
>>442
とにかく、『存在と時間』に集中してみたらいいんじゃないかな。
さしあたっての理解をしてから、その後、フッサールやカントにいけばいい。
たぶんこれからも、「そこを理解するには○○の『○○』を読むべきだよ」っていう
意見が出ると思うけど、『存在と時間』というテキストに限るからこその
解釈も生まれると思うし、それが新たな思考の源にもなってくれるんじゃない?
テキストを読むってそういう側面もあると思うからさ。
447375:03/04/18 18:06
だから、俺も含めて、みなさんも誤解を恐れずに、いやむしろ、どんどん
積極的にテキストとの摩擦を起こしていったらいいと思う。
そういう魅力が『存在と時間』から喚起されるからこそ、
あれだけの数の解釈本も出ているんだろうし。
448■□■週間アイドル盗撮ランキング【4月】■□■:03/04/18 18:23
安倍な●み 盗撮ランキング1位
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先週のランキングベスト1はこの人!!!
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449痔郎@ロケット団 ◆RDewFSIEm. :03/04/18 21:43
はやく読もうや。
450考える名無しさん:03/04/18 23:21
>>445
類を超越してるってことじゃない?
451考える名無しさん:03/04/18 23:23
500も行かずに終わる悪寒
452山崎渉:03/04/20 04:36
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
453考える名無しさん:03/04/20 17:59
マイケル・ゲルヴェンの『「存在と時間」註解』買って来て読んでいるんだけど、
この本いいね。
454考える名無しさん:03/04/20 20:45
竹田のハイデガー本のがいいと思うけどなあ。
455考える名無しさん:03/04/20 20:51
>>454
よくぞ言ってくれました!
「王様は裸だ!」と言った子供のような人ですね。
456考える名無しさん:03/04/21 03:18
>>455
「王様は裸だ」と言った子供が裸だったってしってた?
457考える名無しさん:03/04/21 03:30
Tシャツ着てたよ。
458考える名無しさん:03/04/21 19:04
裸にTシャツの絵をかいただけだったりして。
459考える名無しさん:03/04/23 01:11
ハイデガーの歌だそうな。
http://ontology.buffalo.edu/smith/heidegger/
460痔郎@ロケット団 ◆RDewFSIEm. :03/04/23 19:27
>>453
確かにわかりやすくていい。
461訳してみた:03/04/23 20:45
Das Heidegger-Lied
(ハイデガーの唄) (Eichhorn/Pigor 作)

Was ist Sein? Was ist Sein? Was ist die Frage nach dem Sinn vom Sein
(存在って何だ? 存在って何だ? 存在の意味への問いって何だ?)
Was ist Sein? Was ist Sein? Was ist der Sinn vom Sein?
(存在って何だ? 存在って何だ? 存在の意味って何だ?)

Das Fragen dieser Frage hat als Fragen nach natürlich sein Gefragtes Befragtes Erfragtes
(この問いを問うことは、もちろん≪...への問い≫として、その<問われているもの>、<問いかけられるもの>、<問い尋ねられているもの>をもつ)
Und als Fragen eines Seienden selbst den Charakter des Seins (des Seins)
(そして、ある存在者自身による問うこととして、存在という性格をもつ (存在の...!))
Das Fragen dieser Frage ist ein Seinsmodus eines Seienden das wir je selbst sind
(この問いを問うことは、俺たち自身が各々それ<である>存在者の存在性格だ)
Das heisst, das Sein dieses Seienden ist je meins (je meins)
(つまり、この存在者の存在は各々私のものってことだ (各々私の...!))

Und in seiner Jemeinigkeit, darum es diesem Sein in seinem Sein geht
(そしてこの存在にその存在において問題となる、この各私性には)
(Ououou) liegt ein Charakter des Daseins
(Wowwow 現存在という性格がある)
Alles Sosein dieses Seienden ist primär Sein, daher drückt das Wort Dasein
(この存在者の相在はみな何よりまず存在だ。だから、現存在っていう言葉は
Nicht sein Was aus wie Tisch oder Stein (nein nein)
(テーブルとか石とかの、その<何であるか>を表してるわけじゃない。 違う!違う!)

Sondern sein Sein, sondern sein Sein…
(そうではなくその存在、そうではなくその存在、そうではなくその存在を表してる)
Da hat der hat der hat der Heidegger wiedama recht
(これはまたハイデガーのやつの言ってることが正しい)
Da hat der, da hat der Heidegger wiedama recht…
(これはまたハイデガーのやつの言ってることが正しい)
462訳してみた:03/04/23 20:46
Dasein ist Seiendes das sich in seinem Sein verstehend
(現存在ってのは、その存在において理解しながら)
Zu diesem Sein verhält (Ououou)
(この存在に関係するような存在者のこと wowwow)
Und seine Wesensstruktur das In-der-Welt-Sein wirft die Frage auf
(そしてその本質構造、<世界内存在>は問いを投げかける)
Nach der Weltlichkeit der Welt (Ououou)
(世界の世界性への wowwow)

Nach dem Umhaften der Umwelt nach der Inheit des Inseins
(環境世界の<環性>への、内存在の<内性>への)
Nach der Weltlichkeit der Umwelt, der sogenannten Umweltlichkeit (Ou!)
(環境世界の世界性への、いわゆる環境世界性への[問いを] wo!)
Dem ganzen Zeug in seiner Zeugganzheit denn zum Sein von Zeug gehört je immer
(道具全体性における道具全体への[問いを]、だって、道具の存在にはつねにすでに)
Ein Zeugganzes darin es dieses Zeug sein kann das es ist - ne das führt jetzt zu weit!
(そこにおいてこの道具がその道具となりうるような、道具の全体が属しているから。でもこれは高度すぎるぜ!)
Mamma lieber alle:
(まあとりあえずみんな:)
Heidegger Heidegger, ououou - hadda hadda…
(ハイデガーだ ハイデガー wowwow - hadda hadda ...)
463訳してみた:03/04/23 20:46
Ich heideggere euch in Grund und Boden
(お前たちを徹底的にハイデガーってやる)
Heideggere euch den Schwarzwald rauf
(シュヴァルツヴァルト[黒い森]までハイデガー)
(Und wieder) runter heideggere ich Euch die hohlen
((それからまた)お前たちの空っぽで)
Und maroden Schädel auf
(ダレ切った頭をハイデガーする)
Heideggere euch die Wand entlang
(お前たちを森を通ってハイデガーする)
Heideggere euch - so klein
(すっかり小さくハイデガーする)
Heideggere euch zurück auf Anfang
(また原初へ向けて再びハイデガーし返す)
Auf die Frage nach dem
(問いへ向けて)

Sinn nach dem Sinn dem Sinn nach dem Sinn vom Sein…
(意味の意味への、存在の意味、意味への...)
Da hatter hatter hatter Heidegger wiederma recht…
(これはまたハイデガーのやつの言ってることが正しい)
Heidegger Heidegger, ououou - hadda hadda…
(ハイデガー、ハイデガー wowwow - hadda hadda ...)


Gesang: Marcus Rossberg, Richard Westerhaus
(ボーカル: マルクス・ロスベルク、リヒャルト・ヴェスターハウス)
Gitarre: Daniel Cohnitz
(ギター: ダニエル・コーニツ)
Keyboards und Xylophon: Richard Westerhaus
(キーボード・シロフォン: リヒャルト・ヴェスターハウス)
464あぼーん:03/04/23 20:46
   ∧__∧∩   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)/  < 先生!こんなのがありました。 
__ /    /    | http://www.muryou.gasuki.com/yuusei/  
\⊂ノ ̄ ̄ ̄\  \__________
||ヽ|| ̄ ̄ ̄ ̄||
 ...|| ̄ ̄ ̄ ̄||
465おっとしまった:03/04/23 20:49
> Heideggere euch die Wand entlang
>(お前たちを森を通ってハイデガーする)

正しくは、(お前たちを壁にそってハイデガーする)だ。
466考える名無しさん:03/04/23 20:57
何だこの歌
(・∀・)イイ!
467Acid:03/04/23 22:45
細川亮一の「ハイデガー入門」は入門書とは
言えない内容だが、初心者(俺もそうだが)のうちに
読んでおくべきだと思った。

特にWoraufhinという語についての理解は重要。
468考える名無しさん:03/04/24 15:22
中公クラシックスでやっと原佑・渡辺二郎訳のが復刻された・・・やれやれ。
早く第2巻も出してくれ。
469考える名無しさん:03/04/24 15:24
中公の原・渡辺訳は最悪ねw
470考える名無しさん:03/04/24 19:46
>>469
どんなところが?
471470:03/04/24 22:42
邦訳については別スレがあるようなので↑の質問は無かったことに

ハイデガー『存在と時間』の邦訳
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1050403382/
472考える名無しさん:03/04/27 23:04
もう27日だぞ。375よ
473考える名無しさん:03/04/27 23:39
>>445
「存在は類の普遍性ではない」
→属性ではないってことじゃないかな
474或る初学者:03/04/30 21:10
うっす。
立ち読みしていた新書でハイデ(ッ)ガーの事を知り、
「俯瞰的に」(新書で)理解しようとしています。
このスレを1からロムるとこです。
みんな、がんばってください。
小生もがんばります。
475考える名無しさん:03/04/30 21:45
>>467
おいらは哲学プロパーではない初心者だけど、
細川『ハイデガー入門』は参考になったよ。

建築で言ったら、他の多くの入門書(ゲルヴェン
『註解』等)は、一つ一つの部屋(章、節)の
間取りや仕上げ(内容)を丁寧に説明してくれる感じ。
細川は主構造のみをドシンと説明する感じ。

65節辺りの「関心の意味──投企がそれを見越して行われる
ところ──としての時間性」の説明は『存在と時間』のうちで
特に重要と思われるけど、細川さんの述べる「Woraufhin」
というキーワードを前もって知っていれば、非常に理解しやすい。

邦訳だと「文」になってるから気付きにくいんだよね。
おいら邦訳でしか読んでないからね。

まあ、おいらプロパーでないから当てにならないけど。
476考える名無しさん:03/05/01 00:22
ジョージ・OL、カコイイ。
477神様:03/05/04 00:47
わたし、ほどじゃないですよ。
478考える名無しさん:03/05/06 03:27
第六節 存在論史を破壊する課題

現存在の存在は時間性の中にその意味を見出す。現存在はすでに
彼が存在したように存在するから、現存在は彼の過去であり、現
存在の現在は彼の未来である。→歴史性

伝統(ギリシャ存在論)が根源的源泉にいたる通路をふさぐ。

現存在の根拠、実存性に迫らないような伝統的「存在の問い」の
破壊(否定的でなくその限界をいかにして破るかという肯定的なもの)
を行いたい。

では何をするか?まず最初に
1 存在の解釈が時間の現象と主題的に接合せられたかどうか
またその程度
2 このために必要な時性の問題系を原則的に露呈せられたかどうか
たその程度、可能性

これらのことはカントが唯一行った。アリストテレスの時間論を脱して
はいないが…

「時性は人間の心の中の一種の術であってその操縦は無理であろう」
純粋理性批判より

時性の基に起こる諸現象こそ「通俗的理性」の了解性を支える。
カントはこの分析こそ哲学者の仕事だといった。
479考える名無しさん:03/05/06 03:35
再稼動したの?六節から?
480考える名無しさん:03/05/06 03:37
7節もやりますよ

第七節 探求の現象学的分析

現象学とはまずひとつの方法概念を意味する。
この方法概念によって哲学的課題の何かがわかるわけではなくその
How to get it.がわかるだけ。

「現象学」という名称はそれゆえ「事象そのものへ」という方式で
示されうる一つの格率(証明の必要のない基本的な命題)を表明している。
だがそんな自明な格率がどうして現象学といった学問になりうるのか?

そもそも自明性とは何か?この自明性に問題は存するがここでは止める。

現象学とは現象と学とに分けられる。それゆえ現象学の予備概念は
「現象」フェノメーンと「学」ロゴスとが何のことをさしているのかという
性格づけと、その結合である現象学という名前の意味を確立することによって
提示される。
481m:03/05/06 03:41
482考える名無しさん:03/05/06 03:42
これはお願いですが、もしも、そうしていただけるなら。1節から5節も同様に
まとめていただいた方がよいかと思います。拝読させていただきます。
483考える名無しさん:03/05/06 03:45
>>482
1〜6は、既に前のほうにあるよ。
484考える名無しさん:03/05/06 03:56
A 現象の概念

現象…自身を自身以外のものによって仮象することなく、自身に即し
   あるがままみずから示現する者、露現者

存在者はおしなべてその接近様式によって姿を変える。この姿を
…のように見える「仮象」シャインと呼ぶ。
このため現象とは現象、…のように見える者、外見的、仮象的という
意義を持つ。

現象概念の理解をさらに進めるためには、この現象の両義性(自己示現者と仮象)
がいかに関連しているかを見取することにかかっている。
仮象は露現者に対しての仮象であり、またその逆も成り立つ。

あらわれ(エルシャイヌング)とは自己自らを示現することではなく、むしろ
自己を示現しない何事かを、自己を示現するあることによって届け出ること

〈あらわれ〉

     示現→→→→→↓        示現
      ↑        ↓届け出    ↑  
      ↑         →→→→→→↑    
      ↑                  ↑
     自己            自己を示現しない者


〔ここの自己とは存在者の存在のことのようです。〕   
485考える名無しさん:03/05/06 04:20
あらわれるとは自己を示現しないということである。ただし
このないは欠如的な意味ではない。およそ暗示、表示、兆候、象徴などは
みな上記の根本構造を有する。

現れるということが、現象、仮象という意味では自己示現でないことは
確かだが、やはり何者かの自己示現に基づいているから可能である。

だからあらわれとはある者(自己)が自ら現れることでなく、
ある者(自己)が
ある事(自己が示現すること、そのことが自己を示現しない者に作用し
示現させる)を成して現させていることをさす。

これによって現象の概念が画定された!
というわけでなく前提されたのである。しかしこの前提が依然として
隠蔽されているということは「あらわれ」という語を上記のごとく
規定しながらも「あらわれる」という語を多義(現象と仮象と届け出ること)に
用いているからである。
486考える名無しさん:03/05/06 04:20
あらわれという語は別個の3事態を意味する。
1自らは示現しないが届け出を受けている。
2届け出自体のこと
3現象の真意義

     示現→→→→→↓        示現
      ↑        ↓  2      ↑  
      ↑         →→→→→→↑1    
      ↑                  ↑
     自己            自己を示現しない者

                3 すべての過程

では現象とは?

あらわれ(真意義)とは常に隠されている露現しない者(存在者の存在)によって引き起こされた事態

あらわれ(真意義でない)とは「経験的直感の対象」カント
487考える名無しさん:03/05/06 04:33
B ロゴスの概念

ロゴス…話の中で話題になっていることを明らかにすること。
      話されているものを話しつつある者自身に、もしくはその相手に向かって
      見えるようにすること

ロゴスは総合という構造形式を備えることも可能。ここでいう総合とは、
内面的ないろいろな事柄の結合について、それが外面と合致するのか?
というような問題でない。
つながりにおいて見えるようにするということである。

ロゴスは見えるようにすること、ゆえ、真または偽という性質を取りうる。

この際、真理とは合致するということではなくて、隠れから取り出して発見するということである。
偽とは覆い隠すということである。

ところで真理は発見することを意味し、ロゴスは見えるようにすることなので、ロゴスは真理の
第一義ではない。このテーゼ(ロゴスは真理の第一義である)の根拠としてアリストテレスを
ひき合いに出すことも間違っているし
ギリシャ的な真理概念が誤解されている。

判断の真理性という場合隠されているものを明らかにするという意味であり、幾重にももとづけられた
現象である。
認識論、実在論、観念論すべてこれを取り逃がしている。

またロゴスには、理性、挙示されたもの、根拠、関係という意味も持つ。
488考える名無しさん:03/05/06 04:45
C 現象学の予備概念

現象学とはそれ自身のほうから現れてくるとおりに
それ自身のほうから見えてくるようにすること。
ところがこの表現は「事態そのものへ」と何ら変わりない。

してみれば現象学という名称は、…学といった名称とは
異なった意味を持っている。

…学というのは、その学問の対象を実質的内容について指しているが、現象学のほうは
研究の対象を持っていない。挙示と論述の形式について説明しているに過ぎない。

記述的現象学というのは実は同語反復的である。
すなわちそのつどのロゴスの特殊な意味はそれぞれの学問において記述されるべきもの、
すなわち現象という出会い方で学問的に規定されるべきものの「事象性」に即してはじめて
確定されうる。

ところで現象学で、見えるようにしているもの、ことさらな挙示の主題となるものはなにか?
それは存在者の存在である。

現象学とは存在論の主題となるべきもの(存在者の存在)への近づき方でありそしてそれを
証示的に規定する様式である。現象概念の「自己」とは存在者の存在である。

現象の反対の隠蔽という状態は、未発見とか埋没とか歪曲とかいうさまざまな意味で
とらえられる。隠蔽には必然的なもの、偶然的なものがある。伝達された言明というものは
変質する可能性を帯びる。

489考える名無しさん:03/05/06 04:51
存在及びもろもろの存在構造が現象という様態で出会ってくる仕方は
現象学の対象に接して、そのつどこれらからたたかいとられなくてはならない。
それゆえに分析の出発点、現象への近づき方と隠蔽を切り開いていく進行
それぞれ固有の方法的保障を必要とする。

さて、現象学の予備概念を以上のように画定したのでこれに基づいて現象学と現象学的の
意義について確定することができる。

現象的  …現象という出会い方で与えられ展開されうるようになった事柄をさす名称
現象学的…挙示と展開の仕方に属し、またこのような研究で必要になる概念組織

現象学的意味で理解される現象はどこまでも存在を構成する事柄であり
そして存在は存在者の存在であるから、存在の露出に狙いをつけるためには、
まず存在者自身を適切に提示することが必要になる。
490考える名無しさん:03/05/06 05:05
6,7節をやったものですけど今12、13節を読んだり読まなかったりという感じです。

以下引用(河合隼雄だったかな?)

交通事故で自分の家族が死んだとき、科学的にはそれは出血多量で死んだということ以外
のなにものでもないですよね。しかし、家族はもちろんそんな説明では納得できないわけです。
哲学ならば家族が納得できるような説明があるかもしれない。

医療系学生なのでこんなことに興味があり、とくに人間に固執したハイデガーを読んでいます。
それで質問なんですが、ハイデガーを読むと、説明できるようになりますか?ハイデガーに限らず
哲学史の知識を身につけ、思索できるようになると説明できるようになりますか?厨な質問でスマソ
491考える名無しさん:03/05/06 05:56
>>482
では スレの活性化と僕の復習のためにも 

第一節 存在如何の問いをことさらに繰り返すことの必要

ギリシャ時代に「存在」についてある独断(ドグマ)が成育され存在論を無視した。
独断…存在とはもっとも一般的でもっとも空虚である。定義しようとしてもできないし
     必要もない。

存在如何の問いを不必要とする諸偏見は古代存在論に根ざしていて論究できない。

以降存在如何の問いを不必要とする諸偏見

1 「存在」は最も「普遍的」な概念。存在の了解性
  存在は存在者の総和ではない。存在の「普遍性」は最上級で、他の「普遍性」より
  「普遍的」である。だから中世存在論の呼称に従えば、存在は「超越者」といえる。
  存在者の多様性に対して、この存在の統一性をアリストテレスは「類比の統一」として
  認識した。アリストテレスはプラトンの問題提起に依存しながらも、存在如何の問いを
  新たな基盤の上に置いた。そしてヘーゲルが「存在」は「無規定的直接者」とした。
  しかし「存在」とは最も「不明」な概念である。
492考える名無しさん:03/05/06 06:02
2 「存在」は定義不可能(この概念の最高の普遍性から)
  「存在」とは存在者のようなものではないから、存在についての
  規定様式も存在には当てはまらず存在の定義不可能性は存在如何の問いを
  免除するものではなく、むしろこの問いへと駆り立てる。

3 「存在」は自明の概念で即座に了解される。
  この平均的可解性(つきなみなわかりやすさ)は先天的(ア・プリオリ)にひとつの
  なぞがあることを示す。存在了解性の中に生きており、にもかかわらず、
  存在について闇に覆われている部分があるということは、平均的可解性は不可解性
  を自称しているに過ぎない。
  存在は自明と判断する通俗的理性とは何なのか?「通俗的理性の内密の諸判断」カント

存在如何の問いを繰り返す前に問いの立て方を練る必要がある。
493考える名無しさん:03/05/06 06:11
第二節 存在如何の問いの形式的構造

存在如何の問いは問い方から練らねばならないほど基礎的な問いだとすれば
それ相応の見通しを必要とする。以下問いの性質。

1 問うは問われているものの方から方向を定められている。
  …がある(存在事実)…である(存在様態)
  存在者についてこの二点を認識しつつ探すということ。このように認識しつつ
  探すということは探求するということになりうる。
  探求するとは、探求されている当のもの、問いの対象を拓開露表(さえぎる邪魔者
  を取り払って地盤根底をあからさまに)しつつ、規定するという性格を持つ。

2 問われた当のこと(What is asked)と問いの受け手(Who asks)が「存在」する。
  問われた当のことは探求的、理論的な問いにおいては確定され、概念にもたら
  されるのでなければならない。問い確かめられたことが存するであろう。

3 当は問いの受け手の態度であるから存在という性格を持つ。
  問いには漠然とした問いと、顕然たる問いがあるが、後者の問いは上記三つの
  性格の如何をあらかじめ見通せるという点にある。

存在如何の問いを上記三つの構造契機にかんがみて究明すべき必然性に迫られる。
494考える名無しさん:03/05/06 06:20
存在について問うとき「問うは問われているものの方向から定められている」
といった問いの性質上、存在の意味はあらかじめ用いられるべきものに違いない。
しかし存在了解性とは先に暗示されていたことではなかったか?
漠然たる存在了解性から、存在如何の問いという表面的な問いと、顕然たる
存在の概念に達しようとする傾向がここに生ずる。

…であるというとき、このあるについて我々は何らかの了解をしているが、このあるが
何を意義するのかを確定することができないのである。その意味を画定すべき地平すら
我々は知らない。このような平均的にして漠然たる存在了解性が現事実なのである。

存在了解性のいつ何時でも使われるという無規定性(消極的規定性)は積極的に起こる
現象で解明を必要とする。しかしこの解明は存在如何の問いを探求していっても早々に
解決されることではないだろう。まず、形成された存在概念でもって、解明しなければならない。

存在概念、存在概念に属する存在了解作用この二つから考えると存在了解性とは何を意味
するのか?

存在意味の顕然たる概念に達することの第一手は何なのか?

存在了解性については今までも発見されたことがあるが、その発見をさせた理説がまた、
存在了解性についての源泉となっている。
495考える名無しさん:03/05/06 06:29
だからといって第一手が完全に未知というわけでもない。

存在如何の問いでまず問われているものは存在
存在問題の了解に関する哲学的第一歩は存在が存在者としての性格を
有しているかのように無限背進的に考えてはいけない。存在の「意味」というのは、存在者に対しての
「意味」とはまた違うものなのだろう。

存在如何の問いといっても存在というのは存在者の存在である以上問いの受け手(Who asks)は
存在者である。(問いかけられた者という表現、存在が存在者に問いかけてくる)
存在者に存在の諸性格が詰まっているのだとしたら、まず存在者に近づく必要がある。
存在は人間界、自然界のうちに一般に与えられるというあり方のうちに存している。
では存在の意味を考えるとき、どんな存在者からはじめればよいのか、任意でよいのか、特定の存在者が
一つの優位を持つのか、どういう理由で優位を持つのか。

存在如何の問いの立て方は存在を注視し、了解し、概念的にとらえるという仕様の説明、範例たる存在者を
正しく選ばせうる準備、この存在者への近づき方の露呈などを必要とするのは、上記のとおり。
しかしこれらは問うという働きを構成する諸態度でありわれわれ問いを発しつつ問いかけられている者の、
その瞬間の存在諸様態である。
存在について問いつつ、なおかつその問うという態度は存在である。
存在し問うという存在可能性を持った存在を現存在と言い表す。
存在如何の問いを立てるとき、現存在の存在に注目し、説明することが必要だ。

だがそんなことは明らかに一つの循環の中に陥りはしないか?まず現存在の存在を
認めざるを得ず、次いでこの存在に基づいて存在の問いを提起することが、循環作用
でなくてなんであろうか?
このような形式的異論は具体的方法を交渉する際には常に不生産的である。

現事実的には存在如何の問いの問題提起は何の循環も存し得ない。
存在者が存在するというとき、必ずしも顕然たる概念が用いられているわけではない。
私たちが存在するということと存在概念は別のこと、存在が二つに分節される。
存在にはこうした先導的注目が必要でこれは現存在自身の本質構えに属する
平均的存在了解性から生じたものである。
論証の循環ということは存在如何の問いにはそもそも存しえない。
497考える名無しさん:03/05/06 06:44
この問いに答えようとすることは無地盤のところへある存在原理を持ち出してきて、
演繹的な基礎付け、すなわち論証をやろうというのではなく、むしろ提示的な基礎拓開露表
をなそうとするものだから

論証の循環こそ存しないが注目すべき逆位ないしは先行関係なら存する。すなわち存在が
問いかけてくるということ(問うこと自体が一種の存在様態であるから)、これが存在を問うことの
最も固有な意味である。
現存在という性格を持った存在者は存在を問うことに一つの(最も特筆すべき、最も優越した)
かかわりを持つ、ということを意味するにとどまるが、「存在の意味を考えるときにどんな存在者
からはじめればよいか、任意でよいのか、特定の存在者が一つの優位を持つのか、どんな理由で
優位を持つのか」ということに対する回答になっているのではないか?上記の論究では現存在が
第一に問いかけられるべきだという可能性、必然性は決定されていないが、現存在が何らかの
優位らしきものを持っていることは明らかである。

今日はおしまい。要約は2個とかあってもいいよね。
498482:03/05/06 15:03
>>491-497
どうも、ありがとうございました。拝読させていただきます。
499考える名無しさん:03/05/06 19:59
>>497
あんたはエライ!!
このスレ専用のでいいから、HNを付けて続けてほしいです。
500考える名無しさん:03/05/06 21:17
>>493
>3 当は問いの受け手の態度であるから存在という性格を持つ。
ちょっと意味が取れなかったのですが...。
501考える名無しさん:03/05/07 00:55
マイケル・ゲルヴェンぽいかな?
502考える名無しさん:03/05/13 00:20
わからんから、ヘーゲルのスレ探しに行きます。
503考える名無しさん:03/05/20 21:53
別にもう要約なんていらねぇよ。w
504山崎渉:03/05/21 22:24
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
505age:03/05/22 23:58
age
506考える名無しさん:03/05/23 00:01
>>503
えらそ〜に!
507政治家にはだまされるなー!!有事法制反対!!:03/05/23 00:05
有事法制(戦争法)は必要ありません!!!

有事法制ができて、得する人たち(その理由)
1、日本政府  ―軍事的にアメリカ政府に良く思われる。市民の行動を監視し、命令どおりに従わせることができる。
2、アメリカ政府―アメリカが気に入らない国を攻撃するときに、日本に軍事的、経済的支援してもらえる。
3、政治家   ―アジアに対する軍事的支配を実現させる。愛国心をあおって、政治家としての地位を確実なものにする。
4、自衛隊   ―有りあまる武器を実戦で使うことができる。戦争ができる。

有事法制ができて、損する人たち(その理由)
1、日本国民  ―市民は日常生活における自由を制限され、財産は国家の所有物と化す。
           戦争に協力しなかったり、反対すると犯罪になり、懲役や罰金が科せられることもある。
           自分の家が軍事戦略的に邪魔なときは、没収、解体される。
           医療現場では兵士が優先的に治療され、市民は後回しにされる。
2、アジア    ―軍事大国である日本が、軍事的にアジアを威嚇することになり、アジア全体に軍事武装強化の動きが強まる。
3、世界     ―9.11以降、世界的に軍事的な緊張が高まるなか、さらに戦争やテロに依存する傾向が強まる。
4、平和にとって―話し合いによって進めてきた過去の平和外交を大きく否定することになる。

どちらでもない
1、北朝鮮   ―日本を攻撃する理由はない。戦争するための軍備も金も、資源も食糧もない。
            有事法制は北朝鮮に対して、軍事的に大きく刺激してしまうことになる。   

有事法制ができてしまうと、市民の人権や、生活の自由は大きく制限される。
有事法制は、国を守って市民を守らないものだという事を政治家が言っている。
北朝鮮は全然、戦争する気はないのだが、
北朝鮮問題を利用して、知らないに国会では、政治家や日本政府、アメリカ政府や
自衛隊などの権力者のための法律を作ろうとしています。
(武力に頼らない)本当の平和のために、市民の自由のために
有事法制は反対だ!と声を上げていきましょう!!!!!!!
もう、政治家にダマサレていてはダメ!!!!!!!!!!!!
508山崎渉:03/05/28 15:14
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
509考える名無しさん:03/05/29 02:03
.
510考える名無しさん:03/06/01 00:54
あげ
511考える名無しさん:03/06/01 10:56
sage
512初心:03/06/06 00:35
要約もありがたいのですか,誰かこれから質問に答えて下さいませんか?
よろしくお願いします。
513考える名無しさん:03/06/06 00:45
とりあえず質問を書けば誰かが答えるでしょう。
514質問君:03/06/06 06:43
『存在と時間』ではないのですが、質問があります。
ハイデガーは「仮象」について、

  「仮象は存在者そのものの中で、存在者そのものと共に生起する」 (『形而上学入門』選集版p139)

といっています。
これは要するに、仮象(見間違えや幻)は、人間の認識の誤りによって起こるのではなく、
その見誤った物自体が見誤った形で存在している、という意味でしょうか?

大森荘蔵は、

  「道に落ちていた荒縄を蛇と見間違えた時、その場では蛇が立ち現れたのである」

といった自説を展開してたように思われます。
ハイデガーの仮象も、大森と同じ考えと捉えていいのでしょうか?
515考える名無しさん:03/06/06 06:44
はい。
516質問君:03/06/06 06:50
えっ、それだけ?(笑
517考える名無しさん:03/06/08 03:06
>>514
大森荘蔵の説は前後の文脈がわからないからなんとも云えないけど、ハイデッガーに関しては

『ここで初めから正しく見るために、われわれはてっとり早く、仮象(シャイン)を何かただ「想像されたもの」、
「主観的なもの」と考えて偽化してしまわないように注意せねばならない。
むしろ、現象(エアシャイネン)が存在者そのものに属しているように、
存在者には仮象(シャイン)もまた属していると言わねばならない』
(『形而上学入門』174n 川原栄峰訳 平凡社)

とあるから、明らかに仮象が人間の認識(の誤り)によって起こるとするのは間違い。
だから「その見誤った物自体が見誤った形で存在している」というのでだいたいいいんじゃないかな。

ただハイデッガーは「現象することとしての存在そのものに仮象が属している」(ibid、180n)
あるいは「シャインの本質は現象にある」(ibid、167n)という表現をしているから、
「現象」の意味合いを無視して存在者と仮象の関係だけを考えると議論が混乱するかもしれない。
ちなみに、「存在と時間」の第七節「A 現象の概念」にはこういうことが書いてある。

『ところで、存在者はそれへむかってどういう風に近づいてゆくかによって、
さまざまなありさまで、それ自身のほうからおのれを示すことがある。
それどころか、存在者は、それがありのままにはないようなありさまでおのれを示すこともありうるのである。
このような現示においては、存在者は「(いかにも)……のように見かけられる」ということになる。
かような現示を、われわれはみかけ、仮象(Schein)と呼ぶ。
それでギリシア語でも、phainomenon(現象)という言葉には、「(いかにも)……のように見かけられるもの」、
「みかけのもの」、「仮象Schein」という意味をもっているのである』
(『存在と時間』80n 細谷貞雄訳 ちくま学芸文庫)

ともかくハイデッガーは通常の心理学や認識論における認知モデルを否定しているわけだから、
「仮象(見間違えや幻)」といったものが即自的に、存在的にのみ存在していると考えることはできない。
518考える名無しさん:03/06/10 09:13
マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるの?その9
http://natto.2ch.net/mass/kako/1016/10165/1016527634.html

54 名前: かおる ◆31hpx6to 投稿日: 02/03/22 04:20 ID:SNZoz4gQ
作家を目指して勉強中の男のネタをねらって、盗聴盗撮のストーカー行為が
行われた。収集したネタと引き換えに利得を得た彼らは、作家の口封じに、   
彼の情報から虚偽の危険人物を作り上げ、巷にうわさとして流布した。   
作家を危険人物と認知した者達は、グループを結成し、監視体制を確立した
が、作家本人からの事情は聞こうとせず、監視と犯罪者に対する私刑は、延々
と行われた。
519考える名無しさん:03/06/10 22:11
その辺のコップを眺めてみなさい。
コップをコップとして認識できるのはコップが既に先に現象しているからだが、
その時コップの現象そのものを見ているわけではなく、
単に視覚的な一つの外観を見ているだけだね。
視覚的な光景に限っても光の色や量、見る角度などによって様々な相を呈する。
見間違う以前に、コップは現象していると同時に必然的に仮象でもあるのだ。

>現象が存在者そのものに属しているように、存在者には仮象もまた属していると言わねばならない
とはそういうこと。
520質問君:03/06/12 07:12
丁寧なレスありがとうございました。返答遅れて申し訳ありません。  >517氏519氏

>>517
基本的には、僕の考え方でいいようですね。
517氏のいうように、ハイデガーは
 「まず客観世界があり、その中に私という主観を具えた身体が登場する」
といった単純な主客二元的な世界観を否定しています。
あくまで、私という「存在の明るみ」の中で世界は現れ、それが世界の根源なのだと。
かといって、外界の世界自体を否定しているわけでもないし。

この辺りの世界観がいまいちイメージしにくいです。
ここで挙げた「仮象」もそうですね。
たしかに、「客観的に存在する世界(物自体界)」を前提とせず、存在の明るみ
(という存在者を存在させる作用)を根源とすれば、そこではものは物自体で現れず、
なんらかの仮象で現れてきます。

この箇所は、「非隠蔽性としての真理」と関わっていると思いますが、
まだ読み込んでいないのでもう一度考え直してみます。
521質問君:03/06/12 07:13
>>519
なるほど。
たしかにコップを見る時、常に見えるのはコップの一部分(大森のいう知覚正面)で、
それを悟性が組み立てることにより、コップという一つの客観物を構成するわけですね。

ただ、その場合、「存在者には仮象もまた属している」といえるのでしょうか?
むしろ、存在(の明るみ)に仮象が属していると言うべきではないでしょうか。
あくまでも、人間という認識体を通すゆえに仮象が現れるのであって、
もしかしたら別の認識体なら、仮象はあり得ないと。
つまり、仮象は存在者(認識する対象)に属するのではなく、存在(認識する主体)に
属するものではないでしょうか。

私のこの考え自体が、通常の認識モデルをベースにした考え方のような気もしますが・・。
522質問君:03/06/12 07:14
取り急ぎ、感じたことを・・。




523質問君:03/06/12 07:19
>>521追加
>つまり、仮象は存在者(認識する対象)に属するのではなく、存在(認識する主体)に
>属するものではないでしょうか。

ようは、仮象(幻、見間違い)は人間の認識の誤りによって起こるという常識的な考えですね。
ハイデガーはこれを否定しているわけですから、私が勘違いしているのでしょう。
ハイデガーの世界観は難しいです。もっといい例があればご教授願います。

524((≡ ̄♀ ̄≡)):03/06/12 07:22
“ヘ( ̄- ̄ )カモォーン♪
http://homepage3.nifty.com/coco-nut/
525考える名無しさん:03/06/12 12:13
このバカスレまだあったんか
526考える名無しさん:03/06/13 06:11
あげ
527シューニャ:03/06/13 08:16
「存在」と存在者は違う。『存在と時間』が挫折したのは、
『「在る=存在」ということは、理解される意味というよりも、
存在者の存在として存在者と互いに属しあいながら、
存在者では"ない"という仕方で存在者を顕わにしてくる
はたらきそのものである』からであり、
そして『「存在」がこのようなはたらきとして生起するのだとすると、
はたして、一切を意味として可知化する地平の機能によって
このはたらき自身を解明できるかどうか。この方法論的な難問が
ハイデッガーの前に立ちはだかったわけである。』
新田義弘『哲学の歴史』講談社現代新書より

否定神学の比喩を用いれば、「存在」とは光らしい。
光は他を照らして顕わにするが、自らは輝かない。
我々が見る光とは、光が当っているものであり、
全て他に反射したそれであって"光そのもの"ではない。
528考える名無しさん:03/06/13 08:35
おまえは素朴なアホだな。
光を輝きとしてとらえるのは
われわれの「目-脳」のしくみがそうやってるだけで
光自身は電磁波にすぎんのだよピーコ
「存在」とは何の関係もないのだ。
529考える名無しさん:03/06/13 08:36
>>528
比喩だって書いてあるじゃん、ドアホ
530考える名無しさん:03/06/13 08:39
哲学を駄洒落でかたる痴呆
531考える名無しさん:03/06/13 08:41
だからおまえら、自然言語でうだうだ語っても
なんの意味もないのだ。
532考える名無しさん:03/06/13 08:42
>>530
比喩と駄洒落の区別もつかないド痴呆  
533考える名無しさん:03/06/13 08:44
ハイデガーを理解できない悔しさをぶつける中卒一人  
534考える名無しさん:03/06/13 08:46
おまえなくやしかったら
比喩と駄洒落と何がちがうのか
説明してみ
535考える名無しさん:03/06/13 08:49
ハイデガの哲学ちゅうのは
要するに膨大な駄洒落集としてとらえることができる
536考える名無しさん:03/06/13 08:49
これだから中卒は困る
537考える名無しさん:03/06/13 08:50
やれやれ
538考える名無しさん:03/06/13 08:50
ことばをことばで説明してその先に何もない
ということに気づけよあほども
539517:03/06/14 01:44
>>520
どうも俗流カント的な認識論的枠組みを前提とすると、
素朴な実在論から抜けきれないような気がする。
観点が錯綜してきたのでマクロな視点からコメントをします。

「存在と仮象」のオイディプス神話の解釈などを読めばわかるように
ハイデッガーは闘争、争いといったものを根源的に重要なものとしてあげている。

ニーチェは初期の小論「ホメロスの競争」において正面からこの競争という
最も高貴なギリシア的思想について論じているが、
(最も晩年のニーチェはローマ的高貴さのほうへ目覚めてしまったが)
おそらくニーチェのこうした決定的に重要な洞察を
ハイデッガーはつねに意識していたはずである。
実際に「存在と当為」の末尾はニーチェへの批判で締めくくられており、
また存在と生成、存在と仮象、存在と思考、存在と当為という四つの対立にしても
これらの言葉、概念はみなニーチェの主著「力への意志」のなかで主題的に
とりあつかわているものばかりである。

540517:03/06/14 01:45
真に正しい認識、つまりは真理が究極的には価値判断へ還元されるという
ニーチェの主張はハイデッガーには到底そのまま受け入れることができるような
ものではなかったが、しかし単純にそれを無視できるものでもない。
そこであの一連のニーチェ講義が開始される。

要するに「存在者の存在の意味」から「存在そのものの真理」へ向かおうとしていた
ハイデッガーにとって、「存在自体」や「真理」「物自体」を徹底的に批判
するニーチェが一番のネックになったため、潔く彼と対決することにしたのである。

「存在」、「存在者」、「真理」、(「生成」、「現象」、「仮象」…)
などをめぐって展開する一見パラドキシカルに思える議論も、
最終的にはある種の限界(存在と存在者の差異)を挙示するため、
つまりはニーチェの再解釈と批判的乗り越えを意図していると
考えれば良いのではないか。

というよりハイデッガー以上にラディカルなニーチェをつねに対比させて置かないと
ハイデッガーの議論はつかみ所がないものになってしまうような気がする、という
個人的な感想を含めた意見です。
541質問君:03/06/14 09:31
>>527
>否定神学の比喩を用いれば、「存在」とは光らしい。

ハイデガーもこの比喩によく言及するし、僕もそういうイメージを持っています。
それ自体(存在、光)ではなんら存在しないのだが、その作用によりものを存在(認識)させる働きという意味で。
いい例えだと思います。

>>539
なるほど、ニーチェですか。
たしかハイデガーは、ニーチェとの対決により自身の哲学(史)観を培ったと聞きます。

>ハイデッガー以上にラディカルなニーチェをつねに対比させて置かないと
>ハイデッガーの議論はつかみ所がないものになってしまうような気がする、

ニーチェは『ツァラトゥストラ』と『この人を見よ』ぐらいしかまともに読んでないのですが、
『ニーチェ講義』をいきなり読んで理解できますか?
517さんのレスを読んで興味が出てきたのですが・・。


>要するに「存在者の存在の意味」から「存在そのものの真理」へ向かおうとしていた

これが有名な「転回」のことですか?
あと、ハイデガーの真理概念「真理とは非隠蔽性である」はわかりにくいですね。
もう少し考えてみます。
542519:03/06/14 22:06
比喩の話だけどな、
わかりやすい入門書とか解説書って多分比喩がうまいからだと思うが、
そういううまい比喩ってあんま信用しないほうがいいよ。
ハイデガーが存在を光として捉えていたかどうかは知らんが、
そうだとしてもそれは比喩じゃなくて象徴的に語られていたはずだ。
比較的わかりやすいといわれるハイデガーの一連の講義でも比喩はほとんど使われてないしな。
543517:03/06/15 09:59
>>541
「ニーチェ講義」はいきなり読んで理解できると思います。

>ハイデガーの真理概念「真理とは非隠蔽性である」はわかりにくいですね

ハイデッガーの真理概念は私にとっても躓きのもとです。
少なくともニーチェを射程に入れてしまうと非常に厄介なことになります。
たとえば「真理とは非隠蔽性である」からには
「隠蔽性」がそこでは前提されていることになります。
(ハイデッガーは決してそんな言い方をしませんが)
しかし、形而上学の心理学者ニーチェからすればそんなものは虚構でしかありえない。
隠蔽性がある、ゆえに非隠蔽性もある、あるいは
この世は仮象である、ゆえに真の世界がある、
といった類の推論(Aがあるならばその反対概念Bもある)は
形而上学者の苦悩やルサンチマンから要請された空想でしかないのだと。
さらにニーチェの系譜学によって弱者のルサンチマンはキリスト教に起因するとされ、
禁欲主義的理想がニヒリズムを意味することが明らかになる。
こうして、存在・無(ニヒリズム)・真理が「貴族VS弱者たち」の歴史(時間)
から一挙にとらえ返される。
こうして見るとニーチェとの対決なしにハイデッガーが「存在と時間」を
書こうとし、失敗してしまったのも当然といえるでしょう。
544517:03/06/15 10:01
>>541
あと「転回」のことですが、ハイデッガーが用いる「転回」は正確には
「存在と時間」から「時間と存在」への逆転のことを指して言うので
そこに「立場の変更はない」ことになるようです。
しかし一般的には「存在の意味」から「存在の真理」へと重点の移行があったと
されるわけですが、ハイデッガー自身の術語を使わなくともよいのならば、
「存在の意味」への問いの挫折は形式的にはゲーデルの不完全性定理に還元する
ことができ、「存在の真理」への探求はフロイトの「夢判断」での夢解釈の手法と
比することができるように思います。
(「真理」という言葉が使われていないだけで東浩紀の処女作も
これと似たような解釈をしていたと思います)

ラカンは精神分析は意味ではなく真理にかかわるといっていますが、
フロイトの夢解釈の手法というのはまさにそれで、そこでは意味と真理とはきびしく
分けて考えられ、意味を求めることを断念することではじめて無意識を
探求できるにようになった、というわけです。
「錯誤の危険がなければ、同時に真理の獲得も無い」というハイデッガーの言葉は
このあたりの事情をよくあらわしていると思います。
「存在と時間」においてアリストテレス経由の真理観はほぼ完成していましたが、
まだそこでは「存在の意味」への問いが真理を抑圧していました。

(しかしこうした「意味」と「真理」の対立のさせ方は多分にヘーゲル的な発想で、
あまりに形式的にすぎるかもしれません。存在がつねに括弧に入れられてある種の
分裂病的な戯れが優先されることで「存在と存在者の差異」が忘却されるからです。
そして過剰な記号論的な差異は飽和し、すべてはindifference(無差異=無関心)
のなかに融けあいます。これがニヒリズムの完成でなくてなんだというのでしょうか)
545質問君:03/06/15 23:34
>>544  >517氏
ご丁寧にありがとうございます。私には高度すぎる内容です。
よって理解できそうなところから・・。

>しかし一般的には「存在の意味」から「存在の真理」へと重点の移行があったと
>されるわけですが

  「意味」から「真理」へ・・ですね。

  『存在と時間』で使われる「意味」とは、「それを成り立たせるための前提条件」という意味で使われますよね。
  『存在と時間』の主題「存在の意味」とは、「存在を成り立たせるための前提条件」、
  つまり、それが「時間」であることを明らかにしたわけです。

  一方、「真理」は、
    「真理とは発見的であること。発見的であるのは、開示態として存在する現存在である。ゆえに現存在は真理に内にある」(『存在と時間』第四四節(b))
  と、あくまでも現存在の存在との連関で語られています。
  しかし後期において真理概念は変化したようですね。「存在の真理」とはいったい何を探求しているのでしょう。
  現存在と無関係な道をたどって存在を追求しているのでしょうか?

  後期思想を学ぶためのテキストは『ヒューマニズム書簡』あたりがわかりやすいですか?
546質問君:03/06/16 00:04
>>543
>たとえば「真理とは非隠蔽性である」からには「隠蔽性」がそこでは前提されていることになります。
>しかし、形而上学の心理学者ニーチェからすればそんなものは虚構でしかありえない。

真理(=非隠蔽性)が前提とされるのは、現存在の根源的な存在様態が開示態(=非隠蔽性)であるからと
『存在と時間』で述べられています。
真理とは、客体的にどこかにあるものでなく──認識とその対象の一致でもなく──現存在の性質であるわけです。
また、現存在は、非隠蔽性(真理)とともに隠蔽性(非真理)の内にもあるともいいます。

  「現存在は、本質的に頽落するゆえに・・・「非真理」の内にある」  (『存在と時間』選集版p363)

前期ハイデガーは、世界内存在をする現存在を起点に、真理をはじめあらゆる概念の再構築を試みていたと思いますが、
ニーチェにとって、その起点、世界内存在さえも形而上学的虚構であったのでしょうか?
ハイデガーは、後のニーチェとの対決においてこの真理概念を捨てたのでしょうか?
547考える名無しさん:03/06/16 07:26
初歩的質問で恐縮ですが「存在と存在者の差違」というときの存在者というのは、
フッサール現象学でいうと何にあたりますか?
548517:03/06/17 01:12
>>545-547

後期ハイデッガーとフッサールについてはよくわかりません。
期待に答えられず申し訳ないです。
こちらのスレを参考にしてはどうでしょう?
http://mentai.2ch.net/philo/kako/982/982695233.html
http://mentai.2ch.net/philo/kako/990/990681617.html
http://mentai.2ch.net/philo/kako/997/997305266.html

ちなみに「存在論的差異」については
ニーチェ講義U(平凡社)のp467〜に詳しい解説があります。
デカルトとの対比でニーチェの真理解釈が厳しく批判されるのもその辺りです。
私に答えることができるのはこれくらいです。
549考える名無しさん:03/06/17 01:45

     ∫∫∫
      人
     (ミ . ) 
    (ミ ・∇・) <ププッ...ワラタ
47 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/06/16 04:35
私をいい感じで笑わせてください



550考える名無しさん:03/06/17 01:48

     ∫∫∫
      人
     (ミ . ) 
    (ミ ・∇・) <はいでかーイイ
47 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/06/16 04:35
私をいい感じで笑わせてください


551考える名無しさん:03/06/17 02:06
真理は判断に属するのか、それとも
判断以前なるものか?
また、エルアイクニス(生起、=生成?)を存在の真理と
して提出しているのか?
552考える名無しさん:03/06/17 02:17

     ∫∫∫
      人
     (ミ . ) 
    (ミ ・∇・) <真理は判断に属するのか、それとも判断以前なるものか?
47 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/06/16 04:35
私をいい感じで笑わせてください

553 :03/06/17 02:44
小学生チャットに来てね
http://www13.big.or.jp/~fubuki/chat/chat1.html      
554考える名無しさん:03/06/17 03:46
「存在の棲家」は言語なのだから、存在の
真理は「言語-論理-判断」のほうにあるかな?

555質問君:03/06/18 20:05
>>548
いえいえ、大変勉強になりました。
特にニーチェとハイデガーの関係はほとんど知りませんでしたから。
次は『ニーチェ』を読んでみようと思ってます。
556質問君:03/06/18 20:11
>>551
後期における「真理」が何を指すのかよく分からないんですよね。

  前期ハイデガーは、「主観ー客観」で成り立つ通常の二元的世界観をいったん白紙に戻し、
  世界内存在の根拠である関心からなる世界観からあらゆる概念を再構築しようとした。

  前者の世界観での真理は、主観と客観の一致、つまり言明(判断)の中にあると考え、
  後者の世界観では、真理は関心の構造である開示(発見)であるとなる。

「真理とは発見である」とは一見奇妙な定義だけど、彼の世界観を基にすれば、
根拠のない奇抜さではないですよね。

ただし、この真理観自体が変わったとしたら、この世界観(関心)も変化したのか知りたいです。
557質問君:03/06/18 20:13
>エルアイクニス(生起、=生成?)を存在の真理として提出しているのか?

たしかに「存在=生成」と捉えていたと思いますが、『形而上学入門』では、
この両者を対立させることにより存在を規定しようとしてました。
どっちなのでしょう?
558質問君:03/06/18 20:22
>>554
たしかに後期には、「言葉は存在の家である」っていっていますよね。

>真理は「言語-論理-判断」のほうにあるかな?

そうだとすると、関心の世界観を捨てたんですかね。
単純に、伝統的な「主客の一致」の真理観に戻るとも思えないし。

他にも、「言葉の住まいのうちに人間は住む」とか言葉を重視してますね。
わかるようなわからないような・・。

とまれ、存在の考察において、重心が関心(人間の在り方)から言葉に移るようですね。
559考える名無しさん:03/06/18 20:55
言葉-概念網を世界に貼り付けているとも
見えるが、感性的世界はそれ以前に立ち現れて
いるのだし、その意味では犬、猫と大差ない
ような・・・
とすると??
560考える名無しさん:03/06/18 20:59
犬猫とは程度の違い?
561質問君:03/06/18 21:14
>>559
人間が言葉を創り出して、それを世界の事物に貼り付けているんじゃなくて、
もともと言葉(=世界)があってそれに縛られて人間がいる、ってニュアンスなんですよね、確か。

「仮象」の時もそうだったけど、ハイデガーってある意味「逆コペルニクス的転回」
をしてるんじゃないかなと思う。
カントは、従来客観と思われたものを主観の側に押しやったけど、
ハイデガーは、主観(人間によって創りだされたもの)と思われたものを客観の側に押しやる。
違いますかね?
562考える名無しさん:03/06/18 21:23
犬猫主義で般若心経読んだら、面白いほど良く分かった。
563559:03/06/18 21:24
私としては、言葉以前の「立ち現れ」に
まず、焦点を合わすべきと思ってます。
564質問君:03/06/18 21:29
>>563
「立ち現れ」というと知覚経験のことですか?

>>562
犬猫主義???
565559:03/06/18 21:30
>>563
世界の立ち現れです。
566質問君:03/06/18 21:31
>>565
大森の「立ち現れ」ですか?
567559:03/06/18 21:34
大森は読んでないので・・・
面白そうですね。
568考える名無しさん:03/06/18 21:34
ハイデガーの懺悔には感動しました。
569考える名無しさん:03/06/18 21:38
犬猫主義には立ち現れもへったくれもない!
立ち現れの操作を懺悔しる!
570559:03/06/18 21:40
例えば、目の前にあるリンゴが存在している
ことは、証明は出来ず、知覚するしかない
わけで、言葉-論理は、ここでは無力です。
571質問君:03/06/18 21:42
>>566
私も偉そうに言えるほど理解してませんが、大森は凄いですよ。
普通の世界観を基準にするとただの精神病患者にしか思えないけど、
じっくり対話していうちに従来の(主客二元的)世界観がぐらぐら崩れてきます。
本物の哲学者だと思います。ハイデガーも同じですが。

>>514
>大森荘蔵は、
>  「道に落ちていた荒縄を蛇と見間違えた時、その場では蛇が立ち現れたのである」
>といった自説を展開してたように思われます。
572559:03/06/18 21:49
>>571
知覚に取って、荒縄が蛇として立ち現れた、
が、良く見てみると荒縄だった。
一瞬、「地震」かと思ったが、トラックが
通っただけだった。同じですね。
573質問君:03/06/18 21:50
>>570
なるほど。そうですね。
私も、言葉はかなり不完全なものだと思います。
たとえば、「○○ちゃんが好き」という感情を
言葉で厳密に表せられないですからね。
知覚や感情に関してはその通りです。

ただ、そうであっても人間は思考する時(ボンヤリと物思いにふけっている時も)、
言語の枠内でしかできないんですよね。
それを考えたら、ハイデガーのいう

  「言葉の住まいのうちに人間は住む」

もあながち的はずれでもないですよね。 
574質問君:03/06/18 21:52
>>572
??
575559:03/06/18 21:54
物事が、100%立ち現れることは無い
ので、部分的な立ち現れを「補って」
知覚が成立しているのでしょう。
窓から首を出している人を首だけと
思うことは普通無いですね。
576質問君:03/06/18 22:02
>>575
それはその通りなのですが、大森の理論は少し違いますね。

見間違えた(縄→蛇)原因は、普通の感覚ですと我々の主観に求めるけど、
大森(おそらくハイデガーも)見間違えた対象に原因があるとするんですね。
これは視覚の間違いに言えることで、トラックの例のような「勘違い」は当てはまらないのかと。
首の場合も同じく。

まあ、私自身「そんな、あふぉな!」って思ってますが。
577質問君:03/06/18 22:05
すみませんがお先に失礼します。楽しかったです。
578559:03/06/18 22:11
部分的でしかない「立ち現れ」にとっては、
常に錯覚や勘違いの可能性はあります。
大森の例もその一つにすぎないでしょう。
蛇と見えようが、荒縄と見えようが知覚の
構図に基本的な違いはありません。
「良く見る」とは、例えば3%の立ち現れ
から20%の立ち現れへの変化です。
579547:03/06/20 07:42
>>548
ありがとうございます。私の頭で分かるかわかりませんが、『ニーチェU』を読んでみます。

どなたか「エルアイクニス」について、述べられている本を御紹介頂けませんか?
580559:03/06/20 17:19
荒縄と蛇に関して、「蛇」はイキモノで
知覚のアニミスティックな傾向も検討する
必要がありました。
これは、宗教とも発達論とも関連して来るものですが・・
581559:03/06/20 17:32
とりあえず
古東哲明『ハイデガー=存在神秘の哲学』講談社現代新書

 
582氏名黙秘:03/06/28 19:07
病気で死にかけてから、自分の存在というものを考えるようになりました。
そこで存在の哲学者、ハイデガーを読もうかと思いました。当方哲学経験はまったくなしです。
哲学は竹田入門書とNHKBOOKの入門書(北内さん?)を読んだだけです。
ハイデガーを読むには「存在と時間」からがいいのか、他の本からがいいのでしょうか?
それとも他の哲学者からのほうがいいのでしょうか?
583考える名無しさん:03/06/28 21:15
やはり「存在と時間」でしょう。
584考える名無しさん:03/06/28 21:56
フッサール『デカルト的省察』岩波文庫
いきなり読んで理解できます。注・解説ともにすぐれもの。
585質問君:03/06/28 23:21
私も予備知識がないまま、解説書を片手に独学で「存在と時間」読みました。

一つアドバイスがあるとすれば、訳書は文庫でない方がいいと思います。
私はハイデガー全集版(細谷訳 理想社)を使いました。
なかなか読み進めない哲学書に文庫はキツイです。

がんばって下さい。
586考える名無しさん:03/07/03 05:54
dirutai
587考える名無しさん:03/07/03 05:59
もちろんドイツ語で読んでるんだよね?
588_:03/07/03 06:00
589考える名無しさん:03/07/03 06:02
絶句
590考える名無しさん:03/07/03 07:07
2ちゃんねるのハイデガー崇拝者は、ハイデガースレで面白くない
ことがあるとウイルスを撒き散らしているので要注意。
591考える名無しさん:03/07/03 07:09
例えば誰だ?



    ・・・っていっても答えられないんだろうなぁ
592考える名無しさん:03/07/03 07:34
存在と時間って簡単に言うと存在に対する問いを問うってことだと思うんだけど
それに時間がどう関係するのかわかんないです。誰かわかりやすく教えてください
593考える名無しさん:03/07/03 07:52
ウイルスうぜー
594考える名無しさん:03/07/04 23:14
空間は何時から存在するの?
誰かお偉いさん教えてくれ。
595質問君:03/07/05 13:34
>>592
ハイデガーの主題は、存在一般への問いです。
で、その漠然とした存在一般を問う手がかりとして、まず人間の存在を『存在と時間』で問います。
なぜ「人間」かといえば、人間においてこそ、他の存在者だけでなく、自分自身の存在をも
了解する働きが備わっているからです。(「存在了解」)

で、人間の存在(了解)とは何かといえば、「関心」です。
関心とは、
 「おのれに先立って(実存性)、すでにある世界の内に(事実性)、世界の内で出会う存在者のもとにある(頽落)」
です。
このように関心は分節的ですが、それらを統一するもの、それが「時間性」です。   


    存在者
     ↓      
  存在了解(関心) ・・・ 存在者を成り立たせているもの
     ↓    
    時間       ・・・ 存在了解(関心)を成り立たせているもの
596質問君:03/07/05 13:34
ようは、

  「存在者があることができるのは、(人間に)存在了解が備わっているからだ。
   そしてその存在了解が可能となるのは、(人間に)時間性が備わっているからだ」

ということです。

597質問君:03/07/05 13:36
>>594
お偉いさんではありませんが・・・

ぶっちゃけ結論からいうと、「人間が存在している時から」がハイデガーの答えではないでしょうか。
おそらく594さんのいう空間とは、物理学で使われるそれ自体で存在する三次元空間のことだと思います。
しかし、ハイデガーの空間概念はそれとは異なっています。

  「空間は主観の中にあるのではなく、また世界は空間の中にあるのでもない。
   ・・(中略)・・。人間が空間的なのである。現存在が空間的であるが故に、
   空間(それ自体)がアプリオリな原理として現れるのである。」 (『存在と時間』選集版p191)

ハイデガーにとって空間は、人間を離れて客体的に存在している何かではなく、人間がアプリオリに持つ
性質(空間性)なのです。
598質問君:03/07/05 13:36
 「まず空っぽの3次元空間が与えられ、その中が客体的事物で埋められる」
のではなく、
 「人間に空間性が属しているからこそ、人間の外部に客体的空間が存在する(と勘違いする)」
と考えるのです。
彼にとって、物理学で使われる空虚な三次元空間は、人間がアプリオリに持つ空間性から生まれた派生態にすぎません。


科学的思考に慣れた私たちから見れば独我論的ですが、それは彼が現象学の方法に乗っ取って考察しているからです。
594さんは、こんな答えでは納得いかないでしょうが(笑

599考える名無しさん:03/07/05 14:31
ま、結局本来性なんて形而上学的概念に過ぎなかったといってしまえば
ハイデッガーの限界を言い当てたことになりそうですな
存在と時間は、前半と後半を分けて考えたほうがよさそう。
現代的意義があるのは、前半のみね。
600考える名無しさん:03/07/05 14:32
>>598
まっとうなご意見ですね。「腐れ脳」には理解困難かもですが。
601考える名無しさん:03/07/05 14:41
>>598
つまり、現存在の認識能力から独立な空間などは、現存在が持つ
アプリオリに有する空間性の派生に過ぎない。
外的事象を現存在の表象能力に還元する究極の観念論者ですな
602考える名無しさん:03/07/05 14:45
なんでこうも3次元にこだわり続けるのか?
3次元空間て本当にアプリオリなんだろうか?
603考える名無しさん:03/07/05 14:53
後期の言語論ってどうなんだろうね。
詩的言語や哲学的言語の可能性の議論って、言語の物象化に過ぎないって
批判があるね
604考える名無しさん:03/07/05 14:55
>>602
>彼にとって、物理学で使われる空虚な三次元空間は、人間がアプリオリに持つ空間性から生まれた派生態にすぎません。
605質問君:03/07/05 14:59
>>599
それってドレイファスの見解?
『世界内存在』は読んでないけど、そうかな?

ハイデガーのミスは、現存在の二つの様態に、「本来的」「非本来的」と
価値付けしたことだと僕は思う。
彼自身、「この区別は道徳的、価値的な区別ではない」と言ってるが、
素直に取れば、非本来態は本来態より劣っているとしか取れない。
(実際、ハイデガーはそうメッセージしている。神無き時代に、神に代わり
おのれの中に絶対の価値を設けたかったんだろうけど・・)

たんに「A態」「B態」とし、自身の価値観を除いた乾いた記述の方が良かったと思う。

ただ、だからといって後半部が意味ないとは全く思わないけど。
(後半部が意味ないなら、前半部も意味ないんでない?)
606考える名無しさん:03/07/05 14:59


 ネジが抜けてるよ
607質問君:03/07/05 15:07
>>601
それは、ハイデガーの空間解釈がどうこうではなく、
現象学を観念論(独我論)と取るかどうかですね。

僕自身は、彼の空間解釈は納得いってない(つまり、現象学はおかしいんじゃないか)
と思ってるけど。


それと
>外的事象を現存在の表象能力に還元する究極の観念論者ですな
はたぶん違う。

「空間は主観の中にあるのではなく>>597」とあるように、「空間や外部の事物は
主観の中に現れる表象で、実在はしない」とは言ってない。
ちゃんと「外部世界は存在する」と言っている。
608考える名無しさん:03/07/05 15:08
>>604
視覚的に3次元の「回路」が作られる前に失明した人の中には、より高次を
直感的に認識できる場合があるようなことを聞いたような気がする。
物理の11次元を俟つまでもなく、コンピュータのディメンション宣言にも違
和感はないし、いや、もしかすると、相空間と3次元がごっちゃに感じられ
る俺の頭がおかしいのかな?
609考える名無しさん:03/07/05 15:10
>>606
ネジ山が潰れてるよ
610質問君:03/07/05 15:13
>>603
僕も全く知らないから、だれかに教えて欲しいんだよね。

ああ、こんな時にチンポ氏がいれば・・・
611考える名無しさん:03/07/05 15:34
いつだって「生活世界」が出発点
612考える名無しさん:03/07/06 14:22
とりあえず難しい言葉を使わずに説明してください
613ちよ:03/07/06 14:24
614考える名無しさん:03/07/06 17:31
超難解実存SF

かめくんはかめくんであってかめくんでしかない。
 かめくんはサイエンスであってナンセンスである。かめくんは日常であって
非日常である。かめくんはフィクションであってノンフィクションである。
ようするにかめくんはかめくんなのだ。
 かめくんはほんもののカメではない。だからにせものというわけでもなくて、
姿がカメに似ているからそう呼ばれているだけなのだ。実は木星戦争に投入する
ために造られたカメ型ヒューマノイドなのだが、いまのところかめくんは戦争に
は行っていない。もしかしたら行ったことがあるのかもしれないが、かめくんは
覚えていない。

とにかく不思議な雰囲気の物語である
できればハードカバーの単行本として書店の新刊コーナーに平積みされている
ところが見たかった。絶対にお勧めである。
615考える名無しさん:03/07/06 23:58
>>612
よし。聞きたまえ。なんでも。
616考える名無しさん:03/07/08 17:51
>物理学で使われるそれ自体で存在する三次元空間

落第生以外はそんなふうにとらえていないと思うが
617考える名無しさん:03/07/08 19:27
「かめくん」

かめくんが考えるのは、世界の成り立ちだとか、自我だとか、記憶の
仕組みだとか、まあそういったようなものである。つまるところ「自
分は何者か」という問いかけを繰り返しているのだ。
 かめくんという存在が自分を探すという行為のメタファであるとす
れば、それはとりもなおさず、かめくんが我々自身であることを指す。
実際、そうなのであろう。
618考える名無しさん:03/07/08 19:51
  
  存在と時間・・・なるほど
619考える名無しさん:03/07/09 03:00
「かめくんの存在と時間」

かめくんが考えるのは、世界の成り立ちだとか、自我だとか、記憶の
仕組みだとか、まあそういったようなものである。つまるところ「自
分は何者か」という問いかけを繰り返しているのだ。
 かめくんという存在が自分を探すという行為のメタファであるとす
れば、それはとりもなおさず、かめくんが我々自身であることを指す。
実際、そうなのであろう。

かめくんの主題は「時間」である。かめくんが現れてから消えるまで
その時間の中でかめくん自身の存在と時間を問うことである。しかし
かめくんの脳内メモリーには制約があるのであった
620考える名無しさん:03/07/09 20:28
age
621考える名無しさん:03/07/13 10:16
チンポ太郎がオフ会やるってよ。
あとマジで分析に鞍替えしたらしいよ。
622考える名無しさん:03/07/13 10:16
誰っ?!
623考える名無しさん:03/07/13 10:43

      ζ
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624考える名無しさん:03/07/13 10:50
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     \__∪/

625考える名無しさん:03/07/13 12:09
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    /::::::::::::::::::|             ノ::ii:ヽ::          l::::::::::|
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626考える名無しさん:03/07/13 17:04
>>621
本物はもっと文章が洗練されてるって。
それにレスが遅いわ
627山崎 渉:03/07/15 12:30

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
628考える名無しさん:03/07/15 20:15
hosyu
629考える名無しさん:03/07/15 20:28
わははははは
630tohtoshi@message:03/07/15 20:37
時代の大きな変化や流れ(潮流)が読めていない政界や経済界の人々が多く、今でも情報社会だと勘違いを
しているようで、今や快適社会(アメニティ)も通り過ぎて次は自律社会であり、それに入りつつあるようです。
目覚ましい科学や技術の発展から生活、社会、経済的な面にしても大変化し、モノの考えや価値観に
まで変貌しているから、思い切って観の転換という、頭を切り替えるという心構えが必要になってくる。
経営者や役員の意識革命が進まないと大恐慌から脱出することは不可能だろうし、邪悪な心の反応により、
今後も、世界を揺るがすような衝撃的な出来事が起り、経済活動や人々の心にダメージを与えるでしょう。
今こそ企業倫理とか政治家の皆さんの再認識と邪悪(利己的)な心の意識革命が必要だろう。
この件に関する出典の説明がHP↓にあります。ご参考に。
ttp://www.d7.dion.ne.jp/~tohmatsu/
631質問君:03/07/17 22:40
久しぶりにageておくか・・・

ちょっと前に『形而上学とは何か』読んだけど、ここで述べられている「無」
がよくわかりませんな。

  「無は、人間的現存在にとって、存在事物がそのものとして顕れることを可能にする」 
  「無が、初めて存在事物への対立概念をもたらすのでなく、むしろ根源的に存在事物の本質そのものに属している」
  「存在事物の存在の中で無の無化が生起する」
                                                  (『形而上学とは何か』選集版p54)

なんのこっちゃ?
632考える名無しさん:03/07/18 00:08
             ___            実  強  ふ  き  山口
          ,. -'''Y´:三三三::`ヽ、__           を.  く   ま  び  よ
      /ミミミミミ三三三三彡彡ミヽ.       つ  ま.   れ  し
    ___/:三:彡''"\ミ三三彡'~`ヾ、彡`、      け  っ   て  い  麦
    {三三ヲ       ̄ ̄      ヾ彡\     る  す      冬.  じ
   .!ミ彡〈                ヾ:彡:ヽ      ぐ  ふ  に   ゃ
   {t彡彡〉               /彡彡}   麦   に  ま
   {彡彡'ノ二ニ_‐-,    i-‐_.ニ二ヽ 彡彡ノ   に  の   れ  青
   /"'i:l  >┬o┬、i   iy┬o┬<  |:i'"V    な  び  て.  い
   | ハ|:|  `┴‐┴' {    }`┴‐┴'′ |:|ハ.l     る  て      芽
   | {..|:l  ` ̄ ̄┌|  ̄ |┐ ̄ ̄´  !|,,} |    .ん          を
    ヽ_||      └`----'┘      ||_ノ      じ           だ
      |  ヽ ヽ--―‐--―‐--/ /   |      ゃ           し
      \ ! \二二二二/ ! /       ,..-''"´ ̄`ヽ
       | \    ――    /lヽ       _」  ,/´    ヽ
     __/\   ヽ_____,i____ノ /井ヽ      く. `く   ,.-''´  ヽ
┬┬/ /井\           /井井|\┬r-、 `r‐ヘ. 〈   ,. -''" ヽ
t井/  /井井\.         /#井井ト、 \井ヽ. ヽ `''ヽ_〈 r┬ |
:井|  |ヽ 井井\        /:#井井|#ヽ ヽ井ヽ ヽ、__ゝ-'   |
井|  | #ヽ井井#\     /井井井|井tヽ ヽ井|ヽ   | l、   |
f#|  |井#ヽ:井井#\.    /#井井井|井井|  |井|井`ノ   ヽ     
633考える名無しさん:03/07/18 01:19
来週のお厚いのがお好きに選ばれたのであげ
634考える名無しさん:03/07/25 20:03
ハイデガーの技術論 著者: 加藤 尚武編

本体価格: \2,000 出版:理想社 サイズ:四六判 / 180p
ISBN:4-650-10532-3 発行年月:2003.6
------------------------------------------------------------------------
■内容説明
現代の技術文化を根底から理解するための必読文献である、ハイデガーの技術論に関する入門書。
ハイデガーのドイツ語を読みこなすための練習書としても使える内容。
------------------------------------------------------------------------
635ビッグバン宇宙論は完全に間違いだった!!!!!:03/07/25 20:05
科学者よ、恥を知れ!
ビッグバン宇宙論は完全に間違いだった!
科学の原則を無視した、デタラメのインチキ理論だったのだ。
そして、そのビッグバン宇宙論の世界的な浸透は
アメリカ、ユダヤ・キリスト教勢力による世界支配のための思想的な戦略だったのだ!
また、ビッグバン宇宙論の思想によって戦争が起こり、
貧富の差がひらき、終末的な絶望感が世界に蔓延しているのだ。
ビッグバン宇宙論は世界の平和を揺るがす、悪の元凶となっているのだ。
ビッグバン宇宙論とは、
「宇宙は『無』からビッグバン(大爆発)によって誕生した」という理論である。
この理論は、ユダヤ・キリスト教の創造神話(神が天地を創造した)そのものである。
ビッグバン宇宙論の実態は、科学理論ではなく宗教思想なのである。
『無』は科学的に証明できるものではなく、
そして、『無からの誕生』も科学では証明できるものではないのだ。
ビッグバン宇宙論が科学の正統であるという思想を、世界中の人々に
浸透させる戦略が成功したことにより、ユダヤ・キリスト教勢力の
世界における優位性が確立されていったのだ。(20世紀に)
そして、その思想的支配の最大の例が、アメリカやイギリスによる
イラク戦争なのだ。
ビッグバン宇宙論の浸透により、世界中に終末思想(世界の終わり)が
蔓延してしまっている。
そのことにより、自己中心的、せつな的、短絡的な考え方が
社会に広がっている。
科学的に間違っているビッグバン宇宙論から脱却しなければならない。
そして、宇宙は無限だということを理解しなければならない。
人間は本当の宇宙観、世界観を構築し、
新しい時代に進んでいかなければならないのだ。
ビッグバン宇宙論が世界を支配している限り、平和な世界にはならないのだ。
そのことを科学者は重く受けとめるべきである。
平和を返せ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

636考える名無しさん:03/07/25 20:10
たぶん
「存在事物の存在の中で無の無化が生起する」

「存在者があることによって、ないことがないこととして生起する」
このてのロジックって古東の本にでてなかった?
 

                           
637質問君:03/07/26 21:35
>>636
>「存在者があることによって、ないことがないこととして生起する」

なるほど。
「無の無化が生起する」と言えば神秘的で胡散臭いが、
そういう意味ならごく当たり前のことを言ってる。
ところで、存在と無は同じ階層にあるのだろうか?

  存在者     ー  存在
  非存在者   ー  無
  (美しいもの) ー (美のイデア)

>>633
報告頼みます。
 
638考える名無しさん:03/07/28 05:53
存在者なしに無は生起しないってことなの?
639考える名無しさん:03/07/28 06:09
ハイデガーのニーチェ解釈のどこが面白いのかね。
640考える名無しさん:03/07/28 06:17
>>639
おれはクロソウスキーと双璧で楽しめたけどね。
641考える名無しさん:03/07/28 06:20
さて、夏厨ばかりでうんざりしているそこの貴方に、こんなスレを紹介しよう。

さて、お前はまた騙された訳ですが・・・
http://comic.2ch.net/test/read.cgi/csaloon/1059322343/

一見「またお前は騙された訳だが」系のスレに見える。
実際、ここの>>1はそのような目的でこのスレを立てたようなのだが、
なかなかレスが付かないことに腹を立てたのか、自分で「うわー騙された」などとレスを付け始めたのだ。
漫画サロン板は強制ID表示。IDが露出している事を気づかない>>1に、当然スレは(・∀・)ニヤニヤ状態。
夏厨の極みとも言えるこのスレ、一度読んでみることをお薦めする。

また、空気が読めない者は来ないで頂きたい。
642考える名無しさん:03/07/28 06:21
>>640
ハイデガーは、ニーチェのことも存在忘却の形而上学者だと書いているよね。
どこが楽しめたの?
643考える名無しさん:03/07/28 06:29
>>642
ニーチェを肴にして自説を語る語り口かな。
これは嫌な言い回しだけど、あれだけやってくれれば、そりゃ面白いわな。
ただ「ニーチェ」と口にしたいだけの素人とはわけが違う。
644考える名無しさん:03/07/28 06:35
「力への意志」を「存在者」として断定して、ニーチェは無としての存在そのもの
を思惟していないという書き方は、私には不愉快なのだが。
645考える名無しさん:03/07/28 06:54
>>644
「無としての存在そのもの」なんていう考え方もハイデガーで知ったんだろ?
それでハイデガーの扱うニーチェを読んで、何故いちいち不愉快になる?
自分なりの「力への意思」解釈をする上でのよい足がかりになったと感謝しとけば?
646質問君:03/07/29 07:52
>>638
>存在者なしに無は生起しないってことなの?

僕の勝手な解釈ですが、そういう意味だと思います。
例えるなら、「裏(無)があるのは表(存在)があるからだ(裏があるところには必ず表もある)」と
同じ意味ではないでしょうか?

ただ、「無」と「〜はない」は別のことを述べていると思うので、「裏表」の例えは
「〜がない」の方で、「無」についてではないかもしれません。
647質問君:03/07/29 07:54
>>645
>「無としての存在そのもの」

って何ですか?
648考える名無しさん:03/07/30 07:00
無と存在者ってどっちが先?

ニワトリと卵みたいだが。
649考える名無しさん:03/07/30 07:07
無の存在=神
650考える名無しさん:03/07/30 10:20
古東の本では、
存在=あること は、 存在者=あるもの のようには ない=無

ゆえに 存在=無 

存在者は存在するが、存在は存在しない。あるはない。存在は無。

古東によれば、あるいは古東にとって、存在=無というのは、ハイデガー哲学の確信なんでしょ。
質問君のがそういうのは詳しいと思うけどさ。

「無」と「〜はない」は、ドイツ語では、両方ともnichtのことでしょう、たぶん。
それが名詞化「無」されてるか、副詞「〜はない」として使われているかの違いでしょう。
そのつながりが日本語だとみえないんじゃないのかしら。しらないけどさ。
詳しい人よろすく。
651考える名無しさん:03/07/30 11:20
>>650
>存在=あること は、 存在者=あるもの のようには ない=無
>ゆえに 存在=無 
>存在者は存在するが、存在は存在しない。あるはない。存在は無。

ただの詭弁にしか思えないが。いいの?それで。
652650:03/07/30 11:35
>651
いいんじゃないすかw
合ってるかどうかわからないけど。
質問君に聞いて。ハイデガー興味もうないし。
653考える名無しさん:03/07/30 11:44
ハイデガーは存在が無だとは言ってない。
つか存在を否定によって定義してどーするのかと。
654考える名無しさん:03/07/30 13:40
じゃあ、古東の本はトンデモ本か。やっぱり。
655考える名無しさん:03/07/30 14:44
ワロタヨ
ハライテーヨ
656考える名無しさん:03/07/31 02:35
ハイデガーはやはり言葉遊び。ごみ>
657考える名無しさん:03/07/31 02:42
時間と空間=延長 しよっかな。
658sage:03/08/22 02:05
第53節まで快調に読みこなしてきたが,
54以降”良心”についての記述が全く理解できん…
<ひと>に聞き入ることによって聞き漏らしている
(=転落している)本来的な自己への呼びかけのきっかけ
となるものが良心?
死への先駆により誘発される最も自己的な自己への可能性を
開示する具体的なきっかけって「不安」じゃなかったっけ…
だとすると、良心と不安の実存論的な構成因子としての
役割の違いがよく分からん…
誰か第53節までに構築されてきた実存論的な諸概念に、
この”良心”をどう組み込んで理解したらいいのか
教えてください。
659sage:03/08/22 02:29
立て続けに質問してしまうと,
第32節の”存在了解”と”解釈”と区別は
よく分からなかった。
”解釈”が了解されたものの予持・予視・予握に
基づいているんなら,これら全部ひっくるめて”存在了解”
と言い表していいんじゃないだろうか。
”存在了解”の延長上の概念として
(と理解しているんだが…)”解釈”という概念が
別途必要になった理由が分からない…
660あげ:03/08/26 03:21
age
661考える名無しさん:03/08/26 03:30
>>659
了解てのは「何となく」分かってるようなもんで、言語化しづらい
わけです。自明そうな事は大体そうですが・・・
その「分かってる感じ」を良く見つめて「言い当て」ようとするのが「解釈」でしょう
662考える名無しさん:03/08/26 03:35
存在というものが限界を持つという本質的な意味において
存在の限界外にあるものが無として生起する

じゃだめでしょうか?
663考える名無しさん:03/08/26 03:38
存在が限界を持つとは言ってないのでは?
存在者ならそうでしょうが・・・
664考える名無しさん:03/08/26 04:11
>>663
でも、存在に限界が無いと無が生起しないように思えませんか?
665659:03/08/28 01:19
>>661
それはハイデガー用語でいうと
手元存在的に存在する存在者を
見回しによって世界・内・存在(=現存在)
に出会わせるということでしょうかね…?
ってことは、”解釈”(ニアリーイコール)”見回し”作用
って捕らえてもいいのだろうか?
それとも、
”存在了解”─>”解釈”─>”見回し”というふうに、
”存在了解”とも、”見回し”とも
別個の概念なんでしょうか?
666考える名無しさん:03/09/03 13:57
木田が自分の『ハイデガー』はそれまでのハイデガー研究が
無駄だったことを証明するような内容だったので、
当時のアカデミズムの世界からは黙殺されてた。
と騙っているんですが、日本のハイデガー解釈は
木田以前と以後にわけられるのでしょうか?
分けられるとしたらどう違うのですか?
教えてください。
667考える名無しさん:03/09/04 23:36
>存在=あること は、 存在者=あるもの のようには ない=無
>ゆえに 存在=無 

存在は存在者のようには存在しない、と言ってるのと
存在は存在しない、では大違いだろ。
668考える名無しさん:03/09/04 23:37
>存在=あること は、 存在者=あるもの のようには ない=無

○存在は存在者のなかのひとつではない
×ゆえに 存在=無
669考える名無しさん:03/09/05 00:23
不安の中で世界への関心が遠ざかっていった時が(前期における)「無」じゃないのか?
670考える名無しさん:03/09/24 11:09
671考える名無しさん:03/10/13 12:05
チンポ氏って誰?
672考える名無しさん:03/10/15 00:55
アゲイン!
673考える名無しさん:03/10/22 07:23
>669
無性の根拠存在Grundsein einer Nichtigkeitによって
不安Angstが引き起こされると考えるならば
無から(そして同時に存在から)不安という根本気分が
起こると考える方が良いように思います。
674考える名無しさん:03/10/22 19:21
>>673
なぜ?
675考える名無しさん:03/10/23 10:01
チンポ氏リゲイン!
676考える名無しさん:03/10/23 21:00
677考える名無しさん:03/10/28 20:47
みなさん「ツォリコーン・ゼミナール」は読みましたか?
初心者から読解に自信がある人まで必読ですよ。
少々高いので借りてでも読みましょう。
678444:03/10/28 20:50
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679考える名無しさん:03/10/28 20:52
>>677
どんな感じ?
680考える名無しさん:03/10/28 21:04
>>679
言ってみればハイデガー自身による現象学入門ですね。
それほど簡単ではないですが哲学門外漢に向けたゼミナールなので
日常的な理解に即して語られています。
おまけに現代技術、精神医学、精神分析批判も聞けます。
681考える名無しさん:03/10/28 21:13
>>680
そうですか。
この本、結構古本屋でみるので買ってみようかな?
682考える名無しさん:03/10/28 21:15
>>681
古本屋でいくらぐらいで売ってますか?
683考える名無しさん:03/10/28 21:19
正確には覚えてないけど、3000円前後だったような・・
684考える名無しさん:03/10/28 21:21
>>683
よっしゃ!それなら買える。
どうもありがとう。
685677:03/10/28 23:38
入門とは言ってもハイデガーですから常に存在が参照されていることは変わりありません。
常識的、自然科学的な理解に対する形でハイデガーの重要な語句が説明されているので
それら重要語句も理解しやすいでしょう。
自然科学等に対する批判もそのような立場から対象領域は非常に広いです。
たとえばアインシュタインによる時間について、人間と動物の違いについて、幻覚や夢についてなど。
686考える名無しさん:03/10/28 23:43
ポールサンデショ
687考える名無しさん:03/10/28 23:57
ハイデガーって時間に関して大したこと言ってる?
688677:03/10/28 23:58
>>686
違いますよ。
実はかなり前にこのスレに書き込んでますが。
689考える名無しさん:03/10/29 00:03
ハイデガーの「時間性」って、大したことと言えば大したことかも知れないけど、
普通「時間」と聞いた時に期待するような物理学的な時間とは違うことを言ってるんじゃないかな?
でも結局、ハイデガー独自の新しい考えじゃないようだから大したことではないのか・・・。
690考える名無しさん:03/10/29 00:10
結局、将来だとか先駆性とか企投、歴運だとか時熟だとか言ったりしてるけど、現存在の始原的な時間了解
みたいなことは言ってないような・・・
691考える名無しさん:03/10/29 00:16
>>689
オリジナリティーよりも厳密さと誠実さ。
692689:03/10/29 00:32
>>691
ごもっともです。
693  :03/11/07 09:13
694考える名無しさん:03/11/09 14:25
>>693
うわっ、なんの参考にもならねぇ。(^^;
695考える名無しさん:03/11/16 21:12
中公クラシックスで「存在と時間」読んでいます。
現在、第40節です。この調子でいけば今月中には読破できると思います。
そこで、生意気かもしれませんが、復讐もかねて、読破後「存在と時間」
のレジュメ作成を僕が、第一節から再開してもよろしいでしょうか?
当方哲学科の人間ではなく、ただの大学生です。学部は哲学とはまったく
関係のないところです。
696考える名無しさん:03/11/16 21:20
おねがいします!
697考える名無しさん:03/11/17 00:15
>>695
あ、もう40節まで読んでるのか。凄いね。

できれば、新スレ立ててやって欲しい。
698考える名無しさん:03/11/17 10:28
>>695
レジュメは不要でしょ。
復讐はともかくとして、復習したいのなら、
ゲルヴェンさんの本でも読んだほうがいいですよ。

むしろ、問題提起や疑問点などを出してもらいたいです。
哲学科ではない視点からの批判とはどうなるものか興味ありますし。
その議論の中で有機的に『存在と時間』の解釈もまた形成されていくのではないでしょうか。
699695 :03/11/23 17:33
ハイデッガーの「存在と時間」読み終わりました。
今は、サブテキストとして使ってた「存在と時間注解」を最初から読んでます。
個人的には、ハイデッガーの現象学と独我論の違いが良くわかりませんでした。
まあ、これは僕が独我論に惹かれているというのもあると思いますけど・・・。

>>697
もし、読書スレを続行させるのなら新スレを立てたほうがいいのでしょうか?
>>698
いろいろありますが、「存在者」と「存在」を分けるセンスに感動しました。
あとハイデッガーの言う「他者」が本当に「他者」を指しているのか
疑問に思いました。自己言及では?と今でも思ってます。


700考える名無しさん:03/11/23 17:37
新スレがいいよ。がんばれ
701新日曜美術館:03/11/23 23:33
今、ふと思ったんだが、「定義」っていったいなんのことなんだろう?
例えば、「点とは部分のないもののことである」と「定義」したとして、これにいったい何の意味がある?

ただ「大多数の人間がボンヤリと感じていることを何となく論理的な感じに言ったもの」のことか?
「同じ意味を持つ別の語で、より一般的な雰囲気があって誰にも反論できないもの」のことか?

いったい「定義」とはなんなんだろう?
702考える名無しさん:03/11/23 23:41
話を進めていく前に、あらかじめ使用する言葉の意味する範囲を限定することじゃないかな?
703新日曜美術館:03/11/23 23:44
>>702
それはそのとおりです。
が、わたしの言いたかったことはですね、、、、
なんて言えばいいのかな、、、、、その、、、、
ちょっと考えます。
704考える名無しさん:03/11/23 23:50
そういう質問じゃなかったのか。
俺の考えでは、「定義」はあくまで、
「ここではこういう意味としてこの言葉を使います」という注意書きのようなものとしてる。

というか、このスレじゃなくて、質問スレに行ったほうがいいんじゃないか?
705考える名無しさん:03/11/25 19:54
毒書スレ3位
706考える名無しさん:03/11/25 20:15
unnko
707考える名無しさん:03/11/25 21:42
現代思想1974/11号のハイデガー特集でさ、
ハイゼンベルク/細川亮一訳「自然哲学と現代物理学」
という論文があって、この論文、ハイデガー古希記念論文集のために
寄稿されたものなんだ。でもハイデガーの名前が一言も出でこない。
内容俺の頭じゃ理解できないから批判してんのかオマージュ捧げてんのか
わからない。量子力学のハイゼンベルクが、ハイデガーについてどう思って
いたか興味あるんだけど、どうですかね。>読んだ人
708考える名無しさん:03/11/25 23:22
>>707
ああ、それなら29年前に読んだよ。
709考える名無しさん:03/11/25 23:26
29年も前だと、もう忘れたって?
710考える名無しさん:03/11/25 23:33
1979年9月臨時増刊(第七巻第十二号)『総特集=ハイデガー』なら手元にあるんだけど。。。
711考える名無しさん:03/11/26 01:56
さぁ皆さん、お待たせしました。
久々の超大型新人コテハン誕生、それが私ことマイケルです。
私がこの板に来ることはある意味必然的なことだったのです。
それは運命とでもいいましょうか。

まぁそれより何か相談事があったら私に何でも相談してください。


712考える名無しさん:03/11/26 02:01
他の板と比較しても尋常ではないほど糞スレが多いのはなぜか?


「脳−意識」スレで、自らSophiaに粘着煽りを入れておいて http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1066150102/356-361(536=538=539=361メール欄注目)
「君が来ると荒れるから」と別スレでSophiaに説教。http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1069460112/84-86(84=86メール欄注目)
その自作自演、そしてそれが暴かれると http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1069460112/87-90
途端に発狂し(w)、「勝利宣言」「美が露」を連発し、糞スレageを連発するいつもの低学歴荒らしに変身、正体を現すw
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1065502222/437     http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1067794678/485
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1068757782/130-138  http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1060414077/153
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1069460112/94-98   http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1068222068/25
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1064049582/31     http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1068808606/21
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1063525221/507    http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1066293293/65
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1059462183/214
(時間帯がまったく同じ)
 
Sophia粘着 = 自殺ROM = 低学歴 = 真性引き籠もり =   「 哲   板   一   の   屑  w 」

714考える名無しさん:03/12/30 17:12
age
715考える名無しさん :04/02/04 23:53
すいません、質問させてください。
B ロゴスの概念の辺りからギリシャ語の単語が訳なしでちょくちょくでてきますが、
みなさんどうされたんですか?読み進めればわかりますか?
716sage:04/02/18 15:34
存在の「意味」

存在の「形態」
存在の「音声」
存在の「統語」
717考える名無しさん:04/02/25 18:41
今日の東大前期入試、国語の問題で
フィガール『ハイデガー入門』の訳者・伊藤徹氏の文章が使われた。
718考える名無しさん:04/02/25 18:42
>>717
ほぅ
719考える名無しさん:04/02/26 17:05
720考える名無しさん:04/02/26 18:42
ちなみに、京大の方は西田幾多郎の文章でした。
http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/sokuho/sokuho04/kyoto/zenki/kokugo/mon2.html
721考える名無しさん:04/02/26 19:01
ずげー簡単。
高校入試みたい。
722考える名無しさん:04/02/27 09:14
>>713
誤爆?
723考える名無しさん:04/02/27 10:25
まあまあ、入試に出てたよ、うん出てるね、で止めとこうよ。
荒れるだけ。
724考える名無しさん:04/03/10 03:38
保守
725考える名無しさん:04/03/24 21:58
726考える名無しさん:04/03/28 12:53
ハイデガーの子どもたち
リチャード・ウォーリン
新書館
4200円
4月上旬
ISBN4-403-12015-6

師から何を学んだか。ヨーナス、マルクーゼ等の思想を検証しハイデガーの本質を探る。
ハンス・ヨナスってハイデガーの弟子なんだな。