人の心の一番奥には悪魔がいるのか、
それとも、天使か・・・?
私は結構、人の不幸が好きである。
あまり人の成功談は心から喜べない・・・。
私は悪だと思う今日この頃・・・。
皆さんは実際いかがなものか・・?ちょっと教えて・・・。
すみません、自分もマジレスのみで
お願いします。
何を悪とし、何を善とするかにもよりますが、やはり悪でしょうね。
親が我が子をかばう行為ですら、自身のDNAにより近い存在を守ろうとする行為であるというのですから。
どんな人間にも最後にすがるものがあると思うので
善だと思っています(ただ、最後にすがるものが万人共通とは思いません)。
ハァ?
善悪なんてシロモノは存在しないだろうが。
人間が勝手に在ると思い込んでいるだけだ。
その場その場のテキトウな解釈で「これは悪だ」、
「これは善だ」と幻を見ているだけだ。
主題と違うが6の意見もわかる。この世の中に存在する殆どの宗教に
天国と地獄という様なものが存在し、それは善と悪の概念を象徴している。
しかし、善も悪も人間がつくりだした概念ですからね。死後の世界まで人間の
概念が通るのか?宗教の矛盾点の一つですな。本題と関係ないけど…。
>>4 それ解ります。私も一児の親です。
他の子は興味ないです・・・自分の兄弟の子(甥?)でさえも、
結局は自分ですよね。自分に関係ない事はどうでもいい
考え方を第三者的に見たとするならば、それが
>>1さんのいう悪なんじゃないのかな?
ひとつでも悪い点があれば「悪」なんでしょう?
だから本性は悪だって言うだけならおもしろくもないし、
実生活の中で他人を見ている目からも遠いんじゃ
ないですか?
(「あのひとは『善いひと』だよ」なんて)
結局は善と悪の概念がはっきりと定められないんですよね。ありきたりな例えですが殺人は悪い事であっても
戦争は容認するように。TPOによって善と悪の概念はあやふやになってしまうんです。
人間は感情の動物ですから。4の付け足しですが、働きバチの例を出したいと思います。
働きバチは女王の為にその名の通りただ働いて死んでいくだけ。しかし遺伝子レベルにおいて
女王バチに一番近いDNAを持つ存在は働きバチなんだそうです。よって利己的な存在ともいえる。
昆虫と人間がイコールで結ばれるわけではありませんが…。
善悪という言葉は少し選択ミスかな・・・。
善悪という言葉で議論してほしくはないです・・・申し訳ない。
ここでの善悪という言葉はあくまで、たとえです。
11へ というと、どういうことになるんでしょうか?
だから人間の行動に意味なんか無いの。
善でも悪でもないし、あるいは汚でも清でもない。
人間はただ存在しているだけの存在。悪い存在でも善い存在でもない。
人間が幸せになるために生きているとすれば基本的には善への方向性を持っている
と思います。ただそう簡単になれないのが人間で
>>12へ
人の心の一番奥には悪魔がいるのか、
それとも、天使か・・・?
>>13 1はもっと世俗的な意味合いで言ってるのでは?
>>13 人間はただ存在しているだけの存在。ってわかる気がするけど
それは、寂しすぎないか?まぁ
>>13は本心じゃないだろうけどね・・・。
>>10 蜂って女王蜂と働き蜂以外なにがいるのですか?
ごめんなさい、無知で・・・。
女王バチに一番近いDNAを持つ存在は働きバチというのは、あたりまえのような気が
するのですが・・・。
>>17 世俗的に考えるならば、「利己的な遺伝子」説が良い解を与えているのではないでしょうか。
守るべき「遺伝子」の範囲を「自分自身の遺伝子」、「肉親の遺伝子」、
「同じ部族(〜町、〜市、〜県、〜地方、〜国など)の人間の遺伝子」、
「すべての人間の遺伝子」、……などと拡張して行くことができる、と考えれば
「殺人は悪」だけど「戦争は善」というのも成立しうると思います。
それぞれの範囲ごとの優先順位はどうなるんでしょうね。
そもそもどのような範囲で区切るのかも問題になるでしょうけど。
>>1 氏は「他人の成功を喜べない」ことを悪として例示しておられる。
世の中の資源はゼロサムであるから、他人が何かを得るというのは
自分が何かを失うことであり、これは自己の生存に不利益を与える。
よって他人の成功を喜べないのは利己的説では当然のことである。
ということは、利己的説に拠れば人間は根本的には悪ですか?
19さんへ 書き方が悪くてすいません。基本的に物語などにおいての扱われ方として、働きバチは勤勉という
イメージがあると思うんです。しかしその理由は…。と、考えていただければ…。
ちなみに蜂の巣には働きバチ、雄バチ(出産のため)、女王バチがいるそうです。
>>19 兵隊蜂、雄蜂が居ます。他にも居るかもしれませんが、私は知りません。
でも善と悪という概念をとってもコインの裏表みたいなもんだから
人間は善であり悪であり善であり悪であり・・・って感じだと思うんですが
ありゃ、ごめんなさい。兵隊蜂は居ませんでしたか。兵隊アリと勘違いしました。
いや、俺が挙げたのはミツバチの例なんで他のハチにはいるかもしれません。
27 :
考える名無しさん:02/03/19 20:59
というか、処女派とアンチ処女派って分け方が気が狂ってるとしか思えん。
そんなことはどうでもいいという奴の方が絶対どっちかじゃなきゃだめって
人間より多いに決まってるだろう。
いわゆる「処女派」はなにかにつけて、
「どちらかといえば処女がいい」という奴の方が多いということを引き合いに出すが、
「どちらかというえば」という連中は、こんな気狂いどもの仲間にされるのは
迷惑だと思ってるだろう。
28 :
考える名無しさん:02/03/19 21:11
人間が人間の立場から考える人間像の理屈遊びそのものが、
「人間は根本的には悪か善か? 」を考えるというゲームだろうと思う。
だから、こうして我々は意識、思考、創造を言葉にして意志疎通して、
各自の感情起伏を楽しんでる。
意味の無いところに、幻想をつくり、白か黒かが好きなのが人間。
29 :
考える名無しさん:02/03/19 21:36
いや、善悪の話をすると、必ず、「それは幻想だ」、という奴が出てくるけどさ。
その「幻想である」ってどういう意味なの?
「善がどういうものかははっきりしているが、そういうものは現実には存在していない」
ということなのか、
「そもそも善などという概念自体があいまいなもので、あるとかないとか
議論できるものではない」
ということなのか、どちらなの?
例えば、「ペガサス」というものは、羽根が生えている馬である、ってことはあきらかだよね。
逆に、「なんやらもんやら」というものが存在する、と主張する人がいて、
「なんやらもんやら」というものが、具体的にどういうものか、
言っていることがちぐはぐで、まったく要領を得ないとする。
そうすると、「ペガサスは存在するか」という議論は成り立つけれど、
「なんやらもんやらは存在するか」って議論はそもそも成り立たない。
「幻想である」っていうのは、
「善」を、ここでいう「ペガサス」のようなものであるといっているのか、
「なんやらもんやら」のようなものであるといっているのか、
どちらなのだ?
>>29 私は、善悪の概念は「なんやらもんやら」のようなものであると
すでに
>>6 で言ってますが。
31 :
考える名無しさん:02/03/19 22:51
>>30 では、「人間」や「その場」といった言葉と違って、
「善悪」に限って「なんやらもんやら」のようなものであるといえるのは
何故だ?
>>31 あなたは「『ペガサス』というものは、羽根が生えている馬である」
というような異論の入り得ない説明を「善悪」に対してできますか?
33 :
考える名無しさん:02/03/19 23:03
>>32 俺にはできない。
ところで、俺の質問の答えは?
横レス
>>32 そのペガサスの説明は、異論の入り得ない説明なのか?
35 :
考える名無しさん:02/03/19 23:11
>>34 ああ、「異論の入り得ない説明」ではないね。
「議論の前提にできるだけの具体性を持った説明」
ってことだろうね。
まあ、善悪についても、それだったら、示すことだけだったらできるね。
それが、本当に善悪についての説明になっているかどうかは、
わからないけれど。
38 :
考える名無しさん:02/03/19 23:24
>>36 なんだそりゃ?
ちゃんと説明しろよ。
説明できないなら最初から発言すんな。
>>38 だから「『善悪』をちゃんと説明できない」っていうのが私の説明なんだよ。
その場その場でテキトーに「悪とは…」とか「善とは…」って
言ってるんだからちゃんと説明きるはずがない。
>>37 なんですか? そのリンク先はスレッドが上がるたびにころころ変りますよ。
40 :
考える名無しさん:02/03/19 23:48
>>39 なら最初からそういえよ。
「人間」や「その場」という概念は説明できるけれど、
「善悪」は説明することができない、
説明できないという性質を持ったものについて議論するのは無駄である。
というのが君の主張なわけだ。
>その場その場でテキトーに「悪とは…」とか「善とは…」って
>言ってるんだからちゃんと説明きるはずがない。
つまり、善と悪について言われることは、全てなんの根拠もなく
テキトーに言ったことである、君はそう断言するわけだ。
41 :
考える名無しさん:02/03/19 23:54
>>1 どっちでもないよ。二項対立は止めてね
====================終了================
アナザヘブンで言ってたじゃないか!本当に戦争や争いがないのが天国か?
結論 悪
====================終了================
>>40 > つまり、善と悪について言われることは、全てなんの根拠もなく
> テキトーに言ったことである、君はそう断言するわけだ。
ある人が「これが悪である」と説明するとき、そこに根拠はあるだろう。
ただ、その根拠自体が空虚なものでなければならないと私は言っている。
44 :
考える名無しさん:02/03/20 00:11
>>43 「根拠が空虚である」ってのはどういうことなんだ。
「根拠が無い」とどうちがうの?
>>44 「殺人は悪だ」としよう。命を奪うのはワルイコトだ!
だが戦争における殺人は賞賛される。
そこで「戦争時以外での殺人は悪だ」としよう。
しかし仇討という殺人行為は容認される。
(忠臣蔵が愛されているが、あれは仇討物語だ。)
ならば「戦争と仇討以外の殺人は悪だ」としよう。
人質をとって建物に立てこもった犯人を、射殺して事件を解決させることがある。
ならばこれも除外するか? きりがないな。
説明の連鎖は空虚だ(むなしい)と思いませんか?
46 :
◆Jw4.nqFk :02/03/20 00:16
人間はすべて平等。元々はみんな善です。文明によって、欲に溺れ、汚れていくんだと思います。
48 :
考える名無しさん:02/03/20 00:32
>>45 単に、条件によっては、同じ行為であっても善悪の判断が異なるということじゃないの。
同じ者が、同じ条件における、同じ行為について、判断したとき、
考え方が変わったとか、気が狂ったといった以外の理由で、
違う結論になることって、普通あるだろうか?
>>48 なぜ「同じ者」である必要があるの?
「ペガサスは羽の生えた馬」というのは誰が聞いても納得するでしょう。
「考え方を変」えて「いや、ペガサスは羽の生えた牛だ」とかなるかい?
様々な判断、それも互いに矛盾するような判断が多数存在しうること自体が
もうすでに「なんやらもんやら」なんだよ。
忠臣蔵だって、結局浪士たちは全員切腹を申し付けられてるわけで、
庶民の評価とお上の評価は違う。こういう空虚さを含んでるから、
そもそもそんなものは幻なんだと、私は考えている。
50 :
考える名無しさん:02/03/20 01:12
>>49 ある対象についての、評価が人によって評価が違うのは、
別にめずらしいことではないだろう。
例えば、ある人にとっては「楽しい」ことが、別の人にとって「楽しくない」ことは
あたりまえにあることであって、だからといって「楽しい」が
空虚だとか、幻だとか言う人はあまりないんじゃないか。
51 :
◆Jw4.nqFk :02/03/20 01:23
47>
∧_∧ /オマエマナー
( ´∀`)
( )
| | |
(__)_)
52 :
考える名無しさん:02/03/20 17:39
>集団(群れ)の維持に役立つ行為 = 善
>集団(群れ)の秩序を乱す行為 = 悪
よって、人間は善。群れてるから。
>>50 楽しさは生理的なものだから、そもそも善悪の概念とは違う。
「楽しさとは…」とやりはじめたら、それは空虚な議論になる。
けれど、いま、誰かが楽しいと感じてるのであれば、そこには
(現代の科学に拠れば)人間の脳の状態として楽しさが存在するでaro。
>その場その場のテキトウな解釈で「これは悪だ」、
>「これは善だ」と幻を見ているだけだ。
こういう考え方は「悪」だね。
しかし私は6氏が本当にこう考えて生活しているとは思えない。
幻というが個人の内在律として善悪はあるはずだからだ。
いずれにせよ、2chに来られるほどの人は他人の善意を
信じて生活しているに決まっていると思うのですが・・・・・・
違うでしょうか?
>>46 = 51
> 人間はすべて平等。
なぜ?
平等というのを均等と意味に取れば、人間は不均等なもの
だから(顔からして一人一人違う)平等というのはおかしい。
「神が創ったから平等」と言うのであれば、それは一部の
宗教教育を受けて育ったものにしか受け入れられない。
それとも「平等であるということにして、平等であるように扱うべき」
という意味なのかな?
> 元々はみんな善です。
どうして?
元々の、自然な状態における人間を善だと言うなら、そもそも
道徳教育などは存在し得ないはず。
けれど、現実には人間の自然な行動を抑制するようなものが
様々な形で存在する(教育、法律など)。
自然が善ならこういった抑制をすべて無くせば善なる世の中になるの?
ちがうでしょ。
> 文明によって、欲に溺れ、汚れていくんだと思います。
どこからその考えは来たの?
文明が悪だというなら、文明を持たず、ゆえに欲に溺れていない動物は善なのかな。
ということはサメやクマなど、文明を持たない=善である動物が
人を食い殺してもそれは悪ではないはずだ。
でも、実際は悪として恐れられてるでしょう。
クマなんかが人里におりてくると、射殺されるよね?
そもそも文明は人を欲に溺れさせるものなの?
ネタにマジレス格好悪い、というやつか。ハハハ。
>>54 私は偽善家であるよりは露悪家でいたいと思っています。
しかし、ですね。あなたの仰られる通り、
現実にこんな考えを基にして行動していたら、
生きてゆかれませんよ(笑)。
実際、私自身無数の人の善意によって生かされていると感じます。
しかし、以上をも含めて、善悪は幻だと、心の中では思わずにはいられないのです。
57 :
考える名無しさん:02/03/20 19:13
>>53 あのね、俺は「楽しさ」だけの話をしたんじゃないんだよ。
「例えば」って言葉の意味を知らないのか?
「ある対象についての、評価が人によって評価が違う」
事柄はいくらでもあるけれど、だからといって、
そのことのみをもって、その事柄を空虚だとか、
幻だとか言う人はあまりないんじゃないかってことを言ってるんだよ。
それらの事柄と「善悪」は何が違うわけ?
58 :
考える名無しさん:02/03/20 19:21
メガネって固定はバカを演じているの?
ネタ?
>>57 だから、評価が違い得れば幻だ。
「楽しさとは…」とやり始めたら空虚になる、と言っただろうが。
60 :
考える名無しさん:02/03/20 19:48
>>59 じゃあ、他の評価が違うえる事柄はあまり幻などとは言われないのに、
善悪に限ってのみ、そういうことをいうのは何故なの?
>>60 このスレッドの話題が善悪に関するものだからですが何か?
>>60 あと、君は
> 幻だとか言う人はあまりないんじゃないか
というように、「そういう人はあまりいない」という言い方をしているが、
それで何が言いたいんだ? より多くの人がそう考えているから正しい、
そう考えている人が少なければダメだとでも言いたいのか?
善悪の観念は幻である、という考えがダメだと思うなら、
何故ダメなのかをちゃんと言いなさい。
「多数が考えているから正しい」という論法がダメなのは、
たとえば天動説・地動説の論議を見れば明らかだろう。
63 :
考える名無しさん:02/03/20 20:27
善/悪の脱構築くらい自分のものにしとけよな・・・もう2002年だぜ?
64 :
考える名無しさん:02/03/20 20:29
銀河の中心はブラックホールだって。
これを知って少しショックだった。
65 :
考える名無しさん:02/03/20 20:29
>>61 >>62 つまり、あなたにとっては、
「ある対象についての、評価が人によって評価が違う」場合、
それらは全て幻なんだね。
>>65 確定した評価が存在し得ない(「存在しない」ではない)以上、
確固たる存在とは言えないでしょう。
67 :
考える名無しさん:02/03/20 20:37
58=6=玲奈か。
68 :
考える名無しさん:02/03/20 20:38
>>66 「確固とした評価が存在し得ない」のなら、
同じ人が、同じ事柄について評価した場合でも、
評価は一定にならないはずじゃないのか?
>>68 「評価」という言葉を選択したのがまずかったかな。
あなたの言われるような意味の「評価」ではなくて、
事実というかなんというか、例えば「人間は存在している」とか
そういった確固としたものか否か、というのが問題なのです。
70 :
考える名無しさん:02/03/20 20:49
人間は「無」。
72 :
考える名無しさん:02/03/20 20:50
>>69 「確固とした」っていうのは具体的にどういうことなの?
個人個人の評価であっても、その人の精神が正常なら、
充分確固としたものだと思うけれど。
>>72 >個人個人の評価であっても、その人の精神が正常なら、
>充分確固としたものだと思うけれど。
違う。
病んでいない精神が評価した結果であっても間違っていることはある。
私が言った「確固としたもの」というのは、もっと強い意味で確立されたもの
なんです。真理という表現がいいかもしれない(違うかも、ぬう)。
74 :
考える名無しさん:02/03/20 20:59
>>73 それは、ある人は、何かを「善だ」といった場合に、
それが「間違っている」といえる場合があるということか?
その場合、間違っていると判断する根拠は何だ?
75 :
考える名無しさん:02/03/20 21:04
>>10で既に
>TPOによって善と悪の概念はあやふやになってしまうんです。
>人間は感情の動物ですから。
って出てるだろ。
76 :
考える名無しさん:02/03/20 21:07
>>75 だからさー。
ある判断が、「TPOによって善と悪の概念はあやふやになってしまった。」
ということは、どういう根拠で判定できるの?
77 :
考える名無しさん:02/03/20 21:09
自分で考えろバカ。
整理すると、このスレッドの主題は「人間は悪か善か?」であり、
私はそれに対し「悪でも善でもない、人間はただ存在しているだけの存在だ」と
返しました。ここで根拠として「善とは…、悪とは…という答は出せない。
善悪という観念自体が空虚である」ということを挙げました。
ただいま
>>74 で「善とは…である」と誰かが言ったときに
「それが答ではない」と言い切れるのはなぜか、と質問されました。
たしかに、私は
>>39 「『善悪』をちゃんと説明できない」っていうのが私の説明
>>43 ある人が「これが悪である」と説明するとき、そこに根拠はあるだろう。
> ただ、その根拠自体が空虚なものでなければならないと
とは言っておりますが、なぜ空虚でなければならないかは説明しておりません。
私はいま困っています。なぜなら善悪を定義できないからです。
もし定義できるとしたら「善悪とは〜というものであるから
空虚でなければならない」といった説明ができると思うのですが。
80 :
考える名無しさん:02/03/20 21:20
>>78 >ただいま
>>74 で「善とは…である」と誰かが言ったときに
それは少し違うんだな。
俺の言ったのは「…は善である」という、
個々の事柄についての個別の評価の話だよ。
「…は善である」というときは、「善とは…である」ということについての、
(顕在化していないにしても)なんらかの認識があって、
それに照らして評価しているわけだろう?
その評価(判断)に対して、「間違っている」というためには、
「善とは…である」という認識について、なんらかの共有がなければならない。
両者の「善とは…である」についての認識が全く違うものであるのならば、
それは「善とは…である」についての認識が違うというだけのことがであって、
「…は善である」といった者の判断自体が間違っていることにはならないはずだ。
>>80 同じモノに対し、両者の認識が違うとすれば、それこそが空虚さの証明になりませんか?
あるモノの認識が違うということは、そのモノ自体が別々の違うものということです。
82 :
考える名無しさん:02/03/20 21:25
この問題の本質は善悪の定義だろ。
善悪の定義ができないっていうのは、
単なる思考停止。
>>6 善悪について、深く考えたことがないだけだろ。
>>82 ならば、この思考停止している私に、
あなたの考える善悪の定義をご教示願ってヨカですか?
85 :
考える名無しさん:02/03/20 21:30
>>81 それは単に違うものを同じ言葉で呼んでいるに過ぎないだろう。
別のものについて別の認識を持っているのはあたりまえのことであって、
その場合は、それら個々の認識が別のものであるということは、
個々の事柄の性質とは全く関係ないんじゃないの?
>>85 ですから、「善」(「悪」)という同じものに対して、互いに矛盾するような
複数の認識が存在すること自体がおかしい、と私は申しておるわけです。
人が変れば認識も変り、かつ認識が正しいという客観的な(=誰が見ても
納得する)証明が存在しない。このような状態を指して、私は空虚と呼びました。
87 :
考える名無しさん:02/03/20 21:38
>>86 互いに矛盾する複数の認識があったとして、
それらが同じ事柄についての認識であるということがなぜいえるの?
>>87 順序が逆です。「同じ事柄についての認識」を無数の人に質問したとして
そこで互いに矛盾するような認識が出てくるようではいけない、ということです。
89 :
考える名無しさん:02/03/20 21:44
>>84 >>52の定義が全てだろ。
そもそも、何故人間が『善悪』なんてモノを
意識するか、考えたことがあるか?
>>89 そのような矛盾だらけの概念を、確固として存在するものだと
言ってはいけない、という意味です。この「確固として」というのは
先程申した強い意味での言葉です。
矛盾していようがなんだろうが、存在するものは存在します
(現に私は「善悪」という言葉を何度も使っている)。
しかし、そういう存在が、いわば真理として存在しているか否か、というのが
空虚か否かという問題なのです。
>>55 >>けれど、現実には人間の自然な行動を抑制するようなものが
違うだろ、人間の自然な行動ではなくて、原始的な生命として自然な行動を
抑制する志向が、ヒトにとっての自然だろ。
>>90 >何故人間が『善悪』なんてモノを意識するか、考えたことがあるか?
社会の維持、集団の維持、でいいのかな。
「道徳」とか「罪と罰」などが同じ目的で存在する。
忠臣蔵の浪士たちは、社会の和を乱したかどで切腹を申しつけられたのですが、
庶民が彼らに対し善の判断をしたのはなぜでしょうか。
(これは善ではなく忠というべきなのか?)
殺人は悪、群の和を乱すから。戦争は善、群の中の和を乱す群の外の敵を攻撃するから。
群の和を乱すものの殺人は善。お、うまく説明できそうか?
>>20 で出した論点だが、もうすこし考えてみよう。
>>92 原始的な行動を高次の志向で抑制するのが自然、ということですか。
「人間は元々善で平等。文明に毒されて悪になる」という流れで出された
「元々」という言葉ですが、元々の高次の志向が善ならば、
その志向により生み出された文明は善なのではないでしょうか。
>>93 >
>>20 で出した論点だが、もうすこし考えてみよう。
つーか、それくらい直ぐ分かれよ!
96 :
考える名無しさん:02/03/20 22:20
>>91 >そのような矛盾だらけの概念を、確固として存在するものだと
「認識」という言葉を安易に使いすぎたようだが、
基本的に、善に対する考え方が、各個人で異なっているということ自体は、
善が「矛盾した概念である」といえる根拠にはならんだろ。
人によって、善に対する考え方は違うけれど、
誤解などのコミュニケーション上の問題がなければ、ちゃんと話し合えば、
「善についてあいつの考え方こうで、俺の考えかたはこうで、こういう点が違っている」
という認識が得られるはずだ。
これはつまり、「同じ事柄についての違う考え方」なのであって、
「考え方が違う」と認識できるのは「事柄」についての共通認識が存在するからだ。
97 :
考える名無しさん:02/03/20 22:29
「人間は根本的には悪か善か?」
を定められると思ってるなら善なんじゃないの。
設問自体が既に答えを前提してないか?
うーん。だいぶ話が広がりましたね…。
今までの話を踏まえた上で1の質問を考えると、「自己に不利益が発生する場合において人間が感じる心理や行動は、現代社会において共通の認識の元にある、「善」と「悪」のどちらか?」
という事ではないでしょうか?抽象的な表現なのでTPOによりその概要は変わりますが、
1のいいたいのはこういう事だと思います。
>>95 ハイ
>>96 私は、
>>91 で「存在するものは存在します(現に私は
「善悪」という言葉を何度も使っている)」と言っているように
「事柄についての共通認識」は認めています。
ただ、私が「その事柄は幻である」と言うときは、
もっと狭い意味での共通認識が無い、ということを意味しているのです。
これを指して「矛盾している」と言うのは
再度言葉の選択を間違えたのかもしれません。
100 :
考える名無しさん:02/03/20 23:01
>>99 >>96 でいう「事柄」とは「善悪」のことだけど、
「善悪」についての共通認識は存在するということでいいのか?
>>94 高次の志向っていうほどのものでもないでしょう。
集団化することで生存確率を上げてきた生物が、
基本的に持っている本能的な行動様式でしょ。
>>100 善悪という言葉と、それに付随するイメージは存在します。
私はなにも、「善悪という言葉自体が存在しない」と言っているのではありません。
(そうだとしたらこの議論自体が存在しないはず。)
善悪という言葉で表される中身、
これが確固とした存在ではないと言っているのです
(これを「もっと狭い意味の共通認識は無い」と
>>99 では言いました)。
103 :
考える名無しさん:02/03/20 23:13
善悪の概念 っていうと、自分の決定を自分の外から正当化するためのもの、
否定するためものってかんじっすね。いらないいらない。
104 :
考える名無しさん:02/03/20 23:14
>>102 「それに付随するイメージ」とはどういったものなの?
なーんか
>>29 にはじまる議論がどうもしっくりこないなあ。
私が
>>6 の前半3行と
>>13 で言ったことが一番主張したいことで、
「善悪というもの自体が曖昧で…」という議論はどうもしっくりこない。
まあ、頭の中がちゃんと整理されてない(= I'm stupid な)だけなんだろうけど。
>>104 だから「悪とは…」「善とは…」という説明のことだよ。
107 :
考える名無しさん:02/03/20 23:19
善悪を悩んでる奴は法律に従うか
神を認めろ!
108 :
考える名無しさん:02/03/20 23:21
110 :
考える名無しさん:02/03/20 23:31
>>109 なるほど・・・。
いや、ちょっとまて、
>>106 って全然説明になってないな。
君の言っている
「「悪とは…」「善とは…」という説明」ってのは、
「善悪」に対する各個人の考え方」のことだろ。
俺が
>>100 で言ったのは「善悪」それ自体についての共通認識の話だよ。
つまり、
>>106 が君の認識なら、
>>102 は全然検討違いってこと。
111 :
考える名無しさん:02/03/20 23:34
誰にも善・悪はあるさ。善悪で人を見るのは西洋流だね。
もう流行らないよ。
むしろ人間には善悪両者があるという前提で、むしろ善悪が変化する存在
と見たほうがいい。善悪など二項対立的なものが変化するとみるべきである。
112 :
考える名無しさん:02/03/20 23:38
つまり儒教でいうところの陰陽剛柔だね。つまり人間には善悪両面があり善悪はっきり
二分するのは無意味。むしろそうした対立した概念が変化する存在と見るほうが理解しやすい
のではないだろうか。
113 :
◆Jw4.nqFk :02/03/20 23:42
55>6さん まー、なんでもいいよ。。。あなたの意見も尊重するよ。
>>110 >君の言っている
>「「悪とは…」「善とは…」という説明」ってのは、
>「善悪」に対する各個人の考え方」のことだろ。
そうです。
> 俺が
>>100 で言ったのは「善悪」それ自体についての共通認識の話だよ。
私は、「それ自体についての共通認識」というのが確固たるものではない、と言っているのです。
「善悪とは○○というものだ。ゆえに人間は善である」と言うと
「いや、△△だから悪だろう」とか「何言ってんだ、□□だよ。だから善」という
際限無い循環におちいるでしょう。
これを、私は善悪は幻たるゆえんだとしています。
例えば「人間は存在する」という言明であれば、「いや俺は存在しないと思う」という
人はいないでしょう。このような確実性が善悪の観念には無い、という意味で
狭い意味での共通認識は無い、と私は言っています。
日本人に「おい、ゼンアクって知ってるか」と聞けば「ああ、善悪ね」と反応するでしょう。
この反応は善悪という言葉があるからこそできるものです。
「おい、ハバイアウジェって知ってるか」と聞いたとしても「はぁ? 何それ」という
反応が返ってくるでしょう。そんな言葉は存在しないからです。
このような意味での「共通認識」は存在します。
しかし、なんか頭わりーな、俺……。
>>115 自分の頭で考えない奴よりは、全然マシだろ。
117 :
考える名無しさん:02/03/21 00:13
善悪ということになったら何か基準が必要だね。西洋の場合それはキリスト
教。
119 :
考える名無しさん:02/03/21 00:25
>>114 >反応が返ってくるでしょう。そんな言葉は存在しないからです。
>このような意味での「共通認識」は存在します。
だから、それにとどまらないだろう。
「○○はゼンアクどちらだ」と質問したとき、「善だ」、「悪だ」、あるいは「わからない」
といった答えが返ってくるだろう?
「はぁ?なにいってんだ?」とはならないはずだ。
だから、「単に言葉が存在する」だけではなく、
なんらかの意味が認識されていることは確かだし、その意味において、
共通の認識が存在することも間違いない。
(まあ、言葉だけが存在し意味が存在しないというのは言葉というものの機能からういって、
普通ありえないんだが)
そして、「○○は善だ」という人と、「○○は悪だ」という人は、
自分と相手の意見が違うということを認識できるし、
議論を交わすことも可能だ。
大体において、「□□だから善」というような場合の、「□□」において、
そして、「○○は善だ」という人と、「○○は悪だ」という意見の対立が
ある両者についてさえ違うことがあるかい?
「○○が□□であるかどうか」という議論はあっても、
善とする根拠、悪とする根拠において、両者が違うことをいうことはあっても、
相反することをいうことなどあるだろうか?
>>119 > なんらかの意味が認識されていることは確かだ
そうです。なんらかの意味は存在します。
ただ、殊に善悪に関してはそれが確定でないのではないか、というのが私の主張です。
> 議論を交わすことも可能だ。
善悪に関して議論を交すことは、仰る通り可能です。
これ以降の部分、何を仰られたいのかよく分りません。
> 大体において、「□□だから善」というような場合の、「□□」において、
> そして、「○○は善だ」という人と、「○○は悪だ」という意見の対立が
> ある両者についてさえ違うことがあるかい?
文の意味が取れません。
> 「○○が□□であるかどうか」という議論はあっても、
> 善とする根拠、悪とする根拠において、両者が違うことをいうことはあっても、
> 相反することをいうことなどあるだろうか?
この文章もよく意味が取れませんが、議論とは相反する意見が出るものでは?
電波板住人から回答がありました。
14 名前:最電波 :02/03/21 00:45
<<12 うん、そうだね。
一様に善悪で物事を判断しようとする君は烈しく時代遅れということさ。
わかったらさっさと教科書開いてお勉強しなさい
真実が見えてきますよ
>>121 アホか?
誰がどんな物事を善悪で判断しようとしているんだ。
123 :
考える名無しさん:02/03/21 00:56
>>120 >文の意味が取れません。
簡単にいうと、「善悪」についての意見の違いがあったとして、
「善である」「悪である」とする根拠が、意見を異にする両者で、
相反するものであることがあるかどうかということだ。
>この文章もよく意味が取れませんが、議論とは相反する意見が出るものでは?
同じことについての、異なる意見だから、「相反する」ということがいえるのだろう?
対象自体が異なるのなら、それは相反するとはいえない。
>>123 > 「善悪」についての意見の違いがあったとして、
> 「善である」「悪である」とする根拠が、意見を異にする両者で、
> 相反するものであることがあるかどうかということだ
表出している意見が違うのだから、根にある根拠は当然違うのでは?
> 同じことについての、異なる意見だから、「相反する」ということがいえるのだろう?
> 対象自体が異なるのなら、それは相反するとはいえない。
善または悪という同じ対象について論じるとき、異なる意見がでるのではないか
というのが私の主張です。さらに、意見が異なっている以上、それが確定した
存在として存在し得ない、とつながります。
どうも「相反する」という言葉(以前の「矛盾」という言葉)がネックのようですね。
私としては相反する、または矛盾という言葉にこだわる必要は無く、
ただ確定でない、というのが問題なのです。
125 :
考える名無しさん:02/03/21 01:23
>>124 >表出している意見が違うのだから、根にある根拠は当然違うのでは?
違うかどうかという話ではない、「相反するものであるかどうか」という話だよ。
>善または悪という同じ対象について論じるとき、異なる意見がでるのではないか
>というのが私の主張です。さらに、意見が異なっている以上、それが確定した
>存在として存在し得ない、とつながります。
〜
>ただ確定でない、というのが問題なのです。
だから、「それが確定した 存在として存在し得ない」ってのは具体的にどういことなの?
最初から言っているように、ある対象について論じるとき、
異なる意見が出ることはごく当たり前にあることだよ。
「ある対象について、違う意見が出るなら、
その対象について議論することは無意味だ」といっているわけじゃないんだろう?
どう考えても、事柄と意見の峻別ができていないとしか思えない。
「仇討ちが善だ」という主張は「善は仇討ちだ」といっているわけじゃないだろう。
同じように、「仇討ちが悪だ」という主張は「悪は仇討ちだ」といっているわけじゃないだろう。
「仇討ちが善だ」という主張するものと、「仇討ちが悪だ」という主張するものの、
「仇討ち」ではなく「善悪」それそのもについての認識に、どういった違いがあるか指摘できるか?
> だから、「それが確定した 存在として存在し得ない」ってのは具体的にどういことなの?
「地球は存在する」という言明は確固としています。しかし、善悪に関しては
確固とした言明ができない、ということです。
> 異なる意見が出ることはごく当たり前にある
その通りです。従って、善悪に限らず、「それは幻だ」と
言うことができるものは相当数存在すると思います。
> 「ある対象について、違う意見が出るなら、その対象について議論することは無意味だ」といっているわけじゃないんだろう?
議論すること自体は大いに結構です。
> どう考えても、事柄と意見の峻別ができていないとしか思えない。
「事柄と意見の峻別」の意味がよく分らないので、できていないのかも知れません。
> 「仇討ちが善だ」という主張は「善は仇討ちだ」といっているわけじゃないだろう。
> 同じように、「仇討ちが悪だ」という主張は「悪は仇討ちだ」といっているわけじゃないだろう。
「仇討が善だ」というのは「善の中に仇討は含まれる」ということです。同値ではありません。
> 「仇討ちが善だ」という主張するものと、「仇討ちが悪だ」という主張するものの、
> 「仇討ち」ではなく「善悪」それそのもについての認識に、どういった違いがあるか指摘できるか?
例えば、「殺人行為はすべて悪」という認識を持っている者は「仇討は悪」と主張するでしょうし、
「主の恩に報いるのは善であり、そのためにはどのようなことをしてもよい。」という
認識を持っている者は「仇討は善」だと主張するでしょう。
実際、お上と庶民の間では赤穂浪士に対する評価は違います(もっとも、お上が仇討を悪とした理由は
「殺人行為はすべて悪」ではありえませんが。お上の認識は「喧嘩両成敗」といったところでしょうか。
私は詳しくは知りません)。
127 :
考える名無しさん:02/03/21 01:44
>>126 >確固とした言明ができない、ということです。
それは単に、形而上の概念である、ということとどう違うの?
>例えば、「殺人行為はすべて悪」という認識を持っている者は「仇討は悪」と主張するでしょうし、
〜
>私は詳しくは知りません)。
それは、「殺人」と「忠誠」についての認識の違いだろう。
俺の言ってるのは、「善悪」それそのもののについての認識の違いだよ。
>>127 > 形而上の概念である、ということとどう違うの?
すみませんが、私は meta-physics 形而上学という言葉は知っていますが、
それが実際にどのようなものかはよく理解しておりません。
形而上の概念とは実際に自分で体験できない、頭の中だけのもの、という意味でしょうか。
それでしたら、形而上の概念すべてが幻である、とは申せません。
例えば、数学には公理から出発してすべてを演繹していく、というスタイルがありますが
その演繹によって得られた定理は確固たるものだと思います。
> 「善悪」それそのもののについての認識の違い
善悪とは、その性質上「善悪とは…」という言明ができないものである、
たとえ出来たとしてもそれは空虚でなければならない(つまり、出来ない・矛盾)
というのが私の主張でありますから、
>>126 のような説明しかできません。
すでに
>>79 で申しあげておりますように、私には「善悪とは…」という説明ができません。
(何かこの説明はおかしいな……。たとえ矛盾だとしても「悪とは…」という
言明自体はできそうだが。)
ところでこの議論はどこに繋がっていくのでしょう。そもそもあなたは
何が主張したいのですか。何かを主張したいわけではなく、私の意図を
確認したいだけなのでしょうか。
やっぱり何か違うなあ。
俺の言いたいことは、人間に善だの悪だのというような属性はない
っていうことであって、善悪とは確定して存在するかというのは
実はどうでもいい。
しかし、人間に善だの悪だのという属性は無い、ってのの理由として
善悪という観念それ自体がナンセンスというのを持ちだした以上、
これは擁護しなければならない。hmm.
130 :
考える名無しさん:02/03/21 02:31
>>128 >の演繹によって得られた定理は確固たるものだと思います。
では、それらと善悪は何が違うの?
>善悪とは、その性質上「善悪とは…」という言明ができないものである、
>たとえ出来たとしてもそれは空虚でなければならない(つまり、出来ない・矛盾)
>というのが私の主張でありますから、
>>126 のような説明しかできません。
君が「矛盾したものであると規定したから」、「矛盾している」ということを言っているようにしか
読めないよ。
だから、どうして、「善悪」は「矛盾したもの」「空虚なもの」で「なければならない」んだ?
>ところでこの議論はどこに繋がっていくのでしょう。そもそもあなたは
>何が主張したいのですか。何かを主張したいわけではなく、私の意図を
>確認したいだけなのでしょうか。
「善悪は幻想だ」といった主張こそ「幻想だ」というようなことを
言っているつもりだが。
131 :
考える名無しさん:02/03/21 02:34
>>129 >俺の言いたいことは、人間に善だの悪だのというような属性はない
「善だの悪だのというような属性はない」というのは、いったい何をいっていることになるの?
「善悪」は空虚で、矛盾していて、幻想なのだろう?
ぶっちちゃけた話、「なんやらもんやら」なわけだろう。
なぜ、わざわざ「人間にはなんやらもんやらというような属性はない」
などという主張をする必要があるのだ?
132 :
考える名無しさん:02/03/21 02:38
1.あるイデオロギーを持ってるものには各々の立場によった善悪がある。
2.イデオロギーを持たないものには善悪はない。
ってことじゃだめ?
簡単にいやぁそういう事。
>>130 >では、それらと善悪は何が違うの?
まるで違います! 数学的にキチンとしたものは、
全世界の数学者が認めたものなんです。客観性に厳しい科学の世界の話ですよ。
誰もが異論をはさまないような善悪の定義はありますか?
> 君が「矛盾したものであると規定したから」、
> 「矛盾している」ということを言っているようにしか読めないよ。
実はそうなのかも知れません。「人間には善とか悪とかは無くて、
存在しているだけの存在」と言いたいがために、
>>29 に始る
「善悪自体が曖昧」論議に乗ったのかも知れません。
善悪を説明する根拠は空虚でなければならない、というのを否定するためには、
空虚でない、確固たる善悪の定義が出来ねばなりません。そのような定義を出来ますか?
私には
>>90 =92=82 氏がとっても頭のいい人間に思える……。
結局はあの定義でいいのかも知れません。
しかし、スレッド「善悪とは何ですか?」
(
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1013858932/)
に300レス以上費やされていることは、善悪の観念が確固としていないという
傍証にはならないでしょうか(私はこのスレッドをよく読んでないのでアレですが)。
> 「善悪は幻想だ」といった主張こそ「幻想だ」というようなことを言っているつもりだが。
それは認めます。私の考えはユメマボロシです。
「地球は存在する」という言明に比べたら、カスのようなものでしょう。
>>131 > わざわざ「人間にはなんやらもんやらというような属性はない」
> などという主張をする必要があるのだ?
それがこのスレッドの主題「人間は根本的には悪か善か?」だから、
私は<Bold>このスレッド</Bold>に書込みをしているのです。
> 「善だの悪だのというような属性はない」というのは、いったい何をいっていることになるの?
「人間は根本的には悪か善か?」という問に対しての、私の返事です。
「悪か善か?」と聞かれても「どちらでもない」というだけの話です。
しかしながら私の返事は、
>>1 氏の期待しているものとは
異なっているであろうことは、当初から指摘されている通りです。
>>1 氏に対しては、
>>20 で一応答えたつもりなのですが……。
137 :
考える名無しさん:02/03/21 03:03
>>134 >誰もが異論をはさまないような善悪の定義はありますか?
おそらく、あるだろうね。
そうでなければ、「人間に善だの悪だのというような属性はない」
などという主張自体成立しえないからね。
>善悪を説明する根拠は空虚でなければならない、というのを否定するためには、
>空虚でない、確固たる善悪の定義が出来ねばなりません。
そんな必要は無いね。
何故空虚でなければならないかについて君は根拠を示していない、
根拠を示していない主張については、
根拠が存在しないことを指摘するだけで、否定するには充分だ。
>傍証にはならないでしょうか(私はこのスレッドをよく読んでないのでアレですが)。
ならないね。
逆に、善悪についての議論というものが存在すること自体、
それを論じるものの頭の中に、共通する概念が存在するという証明に他ならない。
138 :
考える名無しさん:02/03/21 03:07
>>135 でも、「人間には無い」というのは、「善悪というものはもともと無い」ってことじゃなくて、
「人間に限定すれば無い」という意味になるんじゃないの?
「善悪」そのものが空虚であるというのなら、「人間には」という主張の仕方自体が
ナンセンスじゃないの。
>>137 > 根拠を示していない主張については、
> 根拠が存在しないことを指摘するだけで、否定するには充分だ。
裁判等の世界ではそうかもしれません。原告側が立証しない限り罪は確定しないでしょう。
「疑わしきは罰せず」というやつですか。
しかし、そうではない一般の命題の場合は、肯定的にあるいは否定的に証明が
なされない限り、その命題は「肯定・否定どちらでもない」のです。
> 逆に、善悪についての議論というものが存在すること自体、
> それを論じるものの頭の中に、共通する概念が存在するという証明に他ならない。
その通りです。「善悪」という概念自体はちゃんと存在しています。
しかし、その概念が確定的に定まらない、と私は申しているのです。
135は確かにその通りなんですけど、「それをいっちゃあ…」ってとこもありますね。
「善」や「悪」という概念は、自己の存在以外に何かしらの存在がある時においては存在しうるのでは?
それが度々出てくる共通の認識というものでしょう。結局「善悪」という概念が人間の感情的な部分により
左右されるのでばその理論体系を確立するのは難しいかもしれません。
>>138 私の一番最初の発言、
>>6 の通り、私は善悪なんてものは元々無いという立場にいます。
「人間には」という部分は、このスレッドは「〈人間には〉善悪はあるか?」という
主題であるから付くのです。だから「人間には」という部分がナンセンスだ、と
言われても、私にはどうしようもありません。
142 :
考える名無しさん:02/03/21 03:16
世界構造を正邪二神の闘争とする宗教が現在の主要宗教の源流となった。
世界の火薬庫といわれる地域の報道を視聴すれば、あながち無理もない。
しかしやおろずのかみがみをまつる国々の宗教も過去現在を通じてある。
黒白を決するを好まず善悪の彼岸を信ずるモンスーン的立場であろうか。
6氏に質問
人間における、善悪という概念を形成する要因となるものは何でしょうか?
>>142 モンスーンって、熱帯地方に降る強烈なにわか雨のことですか?
しかしそのイメージは「善悪の彼岸を信ずる」というイメージとは合わないな。
モンスーンは雨、ってのが間違ってるのかな。
>>143 今まで生きてきた経験、それも特に幼少期での経験が左右する割合が大きいんじゃないでしょうか。
期待されてるのはこういう答えではないのかな?
いやそんな事ないです。ありがとです。
善悪はそれぞれの人間のイデオロギーに依る。
イデオロギーに依るから普遍的な善や悪はありえない。
しかしながら、所詮人間はなんらかのイデオロギーをもつため
個々人の善悪は存在する。
善悪の議論で答えが出ないのは、
それぞれが異なるイデオロギーを基準に議論するから。
ちなみに、現在の日本において用いられている善悪とは
キリスト教の影響が強い。
日本では古来「善」とは自分に気持ちの良いこと、
「悪」とは自分にとって不快なことであった。
したがって、人間が根本的に善か悪かを考える場合
思考の基準となるイデオロギーによって答えは変わる。
「根本的」という言葉を「普遍的に」というつもりで
使用したのなら、答えはない。
私は「根本的」という言葉を「普遍的に」というつもりで
使用したつもりはない。「根本的」とは「根本的」にという意味だ。
皆さんが頭が良く、真剣に議論しているのはよくわかりました。
だが、私は
>>11で書いたとうり。
皆さんにとって、善人か悪人かという自己分析するうえで
そんなに「善」とは「悪」とは考えなくてはいけないのか?
自分を自分で判断すればいいだけではないか・・・。
各個人の捉え方が違うのは、あたりまえである。
私には知識人ぶってるようにしか見えない・・・。
↑考えなくてはいけないんじゃ?何が善で何が悪なのかがわからないうちは
善人か悪人かの自己分析は出来ない様に思うが?1の例をふまえれば、
「友達の成功談を聞いた」…(A)→「喜ぶ」…(B)の間に「これは喜ばなきゃいけないのかな」…(C)
という感情が入るとします。チャクティパットさんが言いたいのはこの(C)が何者なのかという事ですか?
それは天使でも悪魔でもなく感情でしょう。1の例だとその感情が悪なのだと読み取れるが、
その感情を悪と言う根拠は何でしょう?みなさんはそういうことを語ってるんだと思いますが…。
151 :
Маршал Боголюбов:02/03/21 22:26
自然主義か価値情緒主義か、というやつ?
>チャクティパットさん
まずはこれから。(というかもう寝るかもしれないから後の
展開は他の方にお任せするかもしれませんが)
自己分析して「自分は結局の所いい奴だ」と結論しても
他方で「自分以外は皆悪党」という結論が矛盾無く並立
しませんか…?
だとするなら、いくら自己分析を繰り返しても
標題「人間は根本的に善か悪か?」の結論は出せないのでは?
ゆえにみなより普遍的な善悪の定義を論じているのではないかと
思われるのです。
153 :
考える名無しさん:02/03/21 22:37
>>141 立場はわかったから根拠を言えって。
ここんとこ君は自分の思いつきを何の紺根拠も示さずに、
並べ立ててるだけだ。
154 :
考える名無しさん:02/03/22 01:01
善悪とは行為に修飾する言葉ではないか。
善い人間という場合、「善いことをする人間」が省略されているということだと
思われる。ここでは「人間は根本的に」といっているわけだから、題を換言する
と、人間の本能的な行為は善い行為か悪い行為か、ということになるだろう。
それならばむしろ問題は人間が「本能的でなくなる」状態とはいつ始まるのか、
ということになる。そしてここで考えがわかれるかもしれないが、私が思うに、
それは人間が社会化した時、単純に言えば、環境適応した時である。そうして
このとき客観的視点が規範化し、そこで善い悪いが起こるのであれば、本能的
な行為というのは「規範が形成される前の善悪も考えられぬうちに引き起こさ
れる行為」である。そうなると、規範が形成された後もその行為が残存した場合
それは規範から元々はみ出た行為であるから、その意味では(規範の上の)悪で
ある。しかし、その行為が存在する理由は「それが少なくとも規範を形成する
(そして善悪の基準を形成、その後その基準に従う善い行為をしようという働き
を形成する)準備段階」として必要であったからに違いない。その意味で考えれ
ば、善なのである。ようは、このような根源的な考え方であっても見方次第だと
いうことになろう。