今サラダと思う人は大勢居ると思うけど、永井と小泉の対談読んだのだが
あれじゃ説得力ないよ。永井の方がまだ潔くて、あとなんとか論理的に説得しようとしている。一方、小泉は自分と価値観が合わないやつは切捨てというか説得せず、自分の意見の押し付けって感じ。
彼はあれでも教師なのか?(って教師なんだが・・・)自分の考えと根本的に違っていても説得する努力しようよ、小泉君。最後に自分の意見。
法律、世間体等は説得するtoolとしては弱い。様々な考えをもった人々全員を説得できるような理論は?考えていくと哲学の根本の対立にまで遡ってしまって結論が出ない。
結局統一的なものは出ないのか?ってみんなこの話題飽きてるだろうと予想するが・・・。まいっか
>>1 重複スレ。
まぁそれはともかくレスする。
俺は対談読んでないからなんともいえんが、気になったのはここ。
>法律、世間体等は説得するtoolとしては弱い
法律以外で殺人を禁ずる論理があるか?
生物として同族殺しは駄目→動物だって自分の命が危うければ平気で同族を殺す
殺人とは絶対的悪だから駄目→根拠を明確に示せボケ
等など。
結局、法律で禁止されてるから以外に理由ねーだろ。
それすら「駄目」ってわけじゃないしな。
殺すと色々罰せられるけど、それでも良ければ殺しなさいってことだし。
>殺すと色々罰せられるけど、それでも良ければ殺しなさいってことだし
問題はこれ。覚悟ある殺人者(精神病は違う)には法律、世間体によるサンクションは効かない。
一般人は法律でカバー。善人はその前の道徳で。だが、覚悟ある殺人者は最後の砦である法律をいとも簡単に乗り越える。
この人々を説得する論理がないから池田の宅間容疑者等が出てくる→秩序が乱れる→模倣犯→・・・
こんな感じかな。混乱した社会を望む人もいるだろうから秩序ある社会が絶対の正義ではないことは分かっている。
4 :
考える名無しさん:02/01/12 10:29
「殺されたくないから」
余りにも通説的だが、この答えは避けて通れないよね。
5 :
考える名無しさん:02/01/12 10:33
月に一度はこのスレが立つな。もはや月例行事か。
>「殺されたくないから」
>余りにも通説的だが、この答えは避けて通れないよね
だから覚悟ある殺人者には効かないのよ。
それは一般人向けの論理。
>5
それだけ危機感があるんだろう
織れも覚悟ある殺人者に対しては恐怖するからな
>>6 その覚悟はどこからくるの?
「覚悟」してる人を説得できる「論理」はないと思うけど。
それが「覚悟」の意味だから。
>8
池田事件の宅間を見てくれ
彼は自殺したいが自分ではできなかったから人殺して死刑を望んでいるのよ。
つまり彼は自分の犯罪で死刑になるのを覚悟してるわけ。むしろ死刑にしてくれって感じかな?
そんな奴には確かに論理が通じないかもしれんが、なんか無いかね〜いい論理が
殺人は是非は論理ではありません。
倫理です。
11 :
考える名無しさん:02/01/12 13:06
>>4 何度も繰り返されてきたが、その答えでは
「自分が殺されても(死刑になっても)いい」or「自分は殺されない(捕まらない)自信がある」
って奴には通用しないよな。
んでそういう奴を説得する方法は無いよ。
12 :
考える名無しさん:02/01/12 13:15
おそらく、「いけない」ということがどういうことなのか、明確になっていないのは、
まず問題なのではなかろうか。
「他人から非難される」ということなのか「損をする」ということなのか、
それともそれ以外の意味があるのか。
13 :
考える名無しさん:02/01/12 13:29
人を殺してはいけない理由は、
社会の一員だから。
社会を成り立てるため、
この掟は必要。
もし、社会の一員でなりたくなければ、
人を殺してもよい。
ただし、あとから、社会の制裁が待っているが。
例を挙げると、
戦争なんかは、
社会と社会のぶつかりあいだから、
人を殺してもいいんだよ。
たとえ、民間人でも。
14 :
考える名無しさん:02/01/12 13:50
してはいけない じゃなく
してもいい としたらどうなるか見物だな
そしたら解るかもな
>>11 漏れが思うに11が一番真理(真理なんてあるか分からんが)に近いんじゃないか?
他は社会、倫理云々。
だからそれは一般人or善人には通用するが覚悟ある殺人者には通用しないよ
で、11の結論のあとだよ
11は諦めてるが、覚悟ある殺人者(もう法律の壁は突破)をどう囲い込むか?
それが問題
16 :
考える名無しさん:02/01/12 17:36
つまり、人を殺したいという奴を、
殺すのを思いとどまるように説得する方法を考えろということか。
17 :
考える名無しさん:02/01/12 17:38
言葉で説き伏せるのではなく、力でねじ伏せる。これっきゃない。
18 :
ある理系高校生:02/01/12 17:58
「自分がされていやなことは他人にしてはならない。」理由は絶対にめぐりめぐっ
て他人にしたことが自分に降りかかってくるから。
これで収束させられない?
19 :
考える名無しさん:02/01/12 22:31
>>13 人の心は読めないから、殺そうと思ってる奴を未然に捕らえることはできない。
だから殺したあとに捉えて、二度と人を殺せないように罰を与えるしかない。
21 :
考える名無しさん:02/01/12 22:35
殺す自分の気持ちじゃなくて
殺される相手の気持ちを考える。
殺されるのが嫌な人がいるんだから
殺しちゃいけないと思う。
23 :
考える名無しさん:02/01/12 23:06
話しかけられると嫌な人がいるから
話しかけちゃいけないという理論ですか?
24 :
考える名無しさん:02/01/12 23:07
なぜ人を殺しちゃいけないか?というと、法律でそう定まっているからだよ。
なぜそう決まったから過去の習慣などから来るもので理屈じゃない。
なぜ結婚は一人としか出来ないんですか?と同じ類の質問だ。
25 :
考える名無しさん:02/01/12 23:08
話し掛けられないと嫌な人がいるから
話し掛けなければいけないという理論にもなるのかなぁ
26 :
考える名無しさん:02/01/12 23:10
殺されたい人がいるんだから
人殺ししないといけない?
27 :
考える名無しさん:02/01/12 23:13
動物をむやみに殺しちゃいけないのと同じ理由だと思う。
韓国では犬食するらしいですね。
人食する民族には僕は反論できない。
28 :
考える名無しさん:02/01/12 23:16
殺してもいいんです
−−−−−終了−−−−−
29 :
考える名無しさん:02/01/13 00:09
−−−−−再開−−−−−
30 :
考える名無しさん:02/01/13 00:10
人殺したら死刑じゃなくって、
脳みそに電極つけて無限苦痛の系にするしか。
やっぱり終了
32 :
考える名無しさん:02/01/13 00:15
絶対だれも殺人したくなくなる刑ってどんなのかな
33 :
考える名無しさん:02/01/13 00:19
国民全員に一度電気ショック与えて究極の苦痛を与える。
あとは殺人刑になったらこれをもう一度受けることとする。
実際に罰をうけてみないと分からん輩が多すぎるのだよ。
社会的殺人の80%は衝動によるものである...
36 :
考える名無しさん:02/01/13 00:23
>>33 街を歩く人全てが、何かに怯えた、負け犬のような暗い目をして、
力ない足取りで歩いている光景を想像しちまったよ。
37 :
考える名無しさん:02/01/13 00:34
38 :
考える名無しさん:02/01/13 00:39
殺人を絶対的に禁止するってのいうそれ自体も、なんかなあ。
決闘権とか、駄目?
39 :
考える名無しさん:02/01/13 00:40
40 :
考える名無しさん:02/01/13 00:43
いや、殺人の予防方法を議論しているわけではないのだが・・・。
41 :
考える名無しさん:02/01/13 00:44
すべては幻で殺人しても意味無いんじゃない?
すべて無意味。
ばかだなぁ。
42 :
考える名無しさん:02/01/13 00:45
絶対禁止ぐらいにしとかないと
わけわかんない事件とかに巻き込まれて
合法的に殺されていく危険性があるんじゃない?
43 :
考える名無しさん:02/01/13 00:47
>23 コロすこととハナすことを一緒に扱うな
人を殺しても許される理由なんて存在しないと思ふ。
許される理由がないのに人を殺せば、それは罪であると思ふ。
罪であるから人を殺してはいけないと思ふ。
だけど、今までの歴史のなかで人は人を殺してそれを賛美してきている。
自らの自由や解放という目的で大勢の人を殺してきているから謎。
本気で人に殺意を抱いた場合は良く考え、覚悟を決めてから行動すればいい。
殺人をする、しないは最終的には本人の自由意志なのだから。
最も自分の事、相手の事、周囲の事を本当に良く考えていれば、
殺人をしないことが一番良い結果になるんだろうけどさ。
44 :
考える名無しさん:02/01/13 00:48
45 :
考える名無しさん:02/01/13 00:54
>>44 殺し合いを合法化するのは人命尊重とかの
法哲学に反するからたぶんそれは
成立しないだろ。
過去にはあったかもしれないが、
現代では非現実的と思われ。
延命装置を切るだけで殺人者になってしまう世の中
再開するが
覚悟ある殺人者は殺人の後に来るすべての抑圧をうけいれちゃってるから、
躊躇(ちゅうちょ)無く人を殺すことができる。
↓
結論:止めるのは多分無理だろう・・・
でいいか?
あえて言うなら、人の恨みを買わないように生きる。
もしくは日々(殺されてもいいと)覚悟して生きる
48 :
考える名無しさん:02/01/13 11:01
殺人を減らすには取り締まるしかないっす。
税金増やしておまわりさん増やしましょう。
49 :
考える名無しさん:02/01/13 12:06
>>47 >結論:止めるのは多分無理だろう・・・
まぁだから道徳によって、「人を殺さないこと」に
あたかも特別な価値があるかのように"洗脳"するんだろうけどネ...
50 :
考える名無しさん:02/01/13 12:11
>>49 いや、だから、そういった洗脳を行う必要があるのは何故?
51 :
考える名無しさん:02/01/13 12:16
>>50 え?
>>47,
>>49読めば分かると思うけど...
「覚悟ある殺人者」をくい止める「論理」はない→
「人間の命は神様に与えられた物だから大事にしなければならない」とか
「人を殺すと地獄に堕ちる」とか
「殺人は非人間的行為である」とか言って、あらかじめ洗脳しておくことで予防する。
52 :
考える名無しさん:02/01/13 12:20
「殺人は非人間的行為である」
↑
これは洗脳て言うか、まあ「事実」だけど。
どちらにしろ「覚悟ある殺人者」には「効かない」と思う。
53 :
考える名無しさん:02/01/13 12:21
>>51 だから、なぜ予防しなければならないかってこと。
「なぜ人を殺してはいけないか?」ってのは、
そこを聞いてるんじゃないの?
54 :
考える名無しさん:02/01/13 12:23
事実をそのまま教えることも「洗脳」になるの?
55 :
考える名無しさん:02/01/13 12:25
>>53 そんなののはもう、ずっと前のほうででている。
自分が殺されたくない、だから予防する。当たり前。
ちょっとズレてない...?
56 :
考える名無しさん:02/01/13 12:26
>事実をそのまま教えることも「洗脳」になるの?
だから洗脳じゃないて。
57 :
考える名無しさん:02/01/13 12:28
1=47を見て。
「覚悟ある殺人者」に対応するか、という話。
58 :
考える名無しさん:02/01/13 12:29
×「覚悟ある殺人者」に対応するか、という話。
◯「覚悟ある殺人者」にどう対応するか、という話。
59 :
考える名無しさん:02/01/13 12:36
>>55 >そんなののはもう、ずっと前のほうででている。
じゃあ、スレ終わってるんじゃないの。
60 :
考える名無しさん:02/01/13 12:41
>>1 お前が一度殺されてみろ
そうすればわかります
終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了
終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了
終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了
終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了
終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了終了
>>59 だから何度も終了って出てるんだボケェ。
てめぇみたいなのがageて疑問を書きこむから終わらねぇんだよ。
>>47も「これが結論でいい?」って発言だろ。
62 :
考える名無しさん:02/01/13 12:42
>>59 ...終わってないよ。ちゃんと読んでる?
予防の必要(殺されたくない)は前提。
1=47はそっから後の話でしょ。
63 :
考える名無しさん:02/01/13 12:44
なんかとつぜん変な人が多くなった...
覚悟ある殺人者を止める方法は無い。
だから少しでも覚悟ある殺人者を減らす為に、幼少の頃から
「人間の命は神様に与えられた物だから大事にしなければならない」とか
「人を殺すと地獄に堕ちる」とか
「殺人は非人間的行為である」とか言って、洗脳しておくことで予防する。
これが洗脳だと感じられない人間は、既に十分に洗脳されてる証拠。
何故なら、
「人間の命は神様に与えられた物だから大事にしなければならない」
「人を殺すと地獄に堕ちる」
「殺人は非人間的行為である」
これが本当に正しいなら、覚悟ある殺人者を決定的に否定する理論となるはずだから。
65 :
考える名無しさん:02/01/13 12:46
>>62 ああ、なるほど、「様々な考えをもった人々全員を説得できるような理論は」
ということね。
「なぜ人を殺してはいけないか」というタイトルに惑わされたよ。
その意味では「人を殺してはいけない」という論理は
(たとえ論理的に適切な根拠があったとしても)、
「様々な考えをもった人々全員を説得できるような理論」
では無いということだね。
66 :
考える名無しさん:02/01/13 12:47
>「殺人は非人間的行為である」
これは「事実」じゃないよ。同族殺しは人間の性だ。
67 :
考える名無しさん:02/01/13 12:51
>>66 人間だけじゃなく他の生き物でもな。
>>64の言葉を借りるなら、
>>52はキッチリ洗脳されてるんだろ。
そう見るとなかなか効力あるわけだな。幼少期からの道徳的観念での洗脳というやつは。
68 :
考える名無しさん:02/01/13 12:53
>>65 そうそう。「殺されてもいいから、殺したい」と考えてる人間には、
「殺されたくないから、殺さない」「殺されたくないなら、殺すな」
という論理は通用しないの。
1=47はそれを言いたい(ハズ。たぶん)。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| おえりゃあせんのう。 |
\_____ ______/
.↑ ∨
●
│ ∧‖∧
│( ´∀`)
⊂ V >
│/__\
│(__)_)
70 :
考える名無しさん:02/01/13 12:56
>>66 >>67 ん〜にゃ、甘いね(ニヤ
動物は同族は殺しを躊躇しない。
人間は躊躇する(社会的動物であり、ありかつ自由意思性の動物)。
だから殺人は「非人間的」と言い得るんだよ。
71 :
考える名無しさん:02/01/13 12:58
>>70 なぜ同族殺しを躊躇するのか。
それこそがまさに幼少期からの洗脳の賜物。
稀にその洗脳から解脱した人間で、「別に自分が罰を与えられて死んでもいい」と思う人間があらわれる。
彼らは同族を殺すことを躊躇しない。
72 :
考える名無しさん:02/01/13 12:59
>>71 洗脳されていても、されていなくても、躊躇「できるん」だよ。
それが自由意思性。
わかる〜?
>70
なるほど。
しかし社会性は動物にもあると思うが?
74 :
考える名無しさん:02/01/13 13:03
つまり
「殺すこともできる」
「殺さないこともできる」
それが人間なのか。
75 :
考える名無しさん:02/01/13 13:03
>>72 洗脳されていれば躊躇するしか選択肢がないし、洗脳から解脱していても躊躇するかどうかは自らの意思で決められる事ではない。
映画を見て悲しいと思うかどうかは選択できない。
その映画が自分にとって悲しい物なら悲しいと思うし、悲しくないものなら悲しいと思わない。
そこに選択は一切無い。
他の動物と同じである。
76 :
考える名無しさん:02/01/13 13:04
>>74 そしてそれは他の動物も一緒。
仲間を殺すことをためらいつつも殺す動物もいる。
77 :
考える名無しさん:02/01/13 13:05
>>74 そうッス。
動物は遺伝と環境にほぼ100%支配されている。
人間には自由意思がある。
その自由意思で社会を造る(動物の社会とは違う)。
78 :
考える名無しさん:02/01/13 13:06
選択が無くても結構だが、じゃあ、判断を下してるのは何だ?
79 :
考える名無しさん:02/01/13 13:07
>>76 そんなの聞いたことない。
あっても人間程じゃないよ。
80 :
考える名無しさん:02/01/13 13:07
>>77 プ
>動物は遺伝と環境にほぼ100%支配されている。
>人間には自由意思がある。
lol
81 :
考える名無しさん:02/01/13 13:09
>>75 >洗脳から解脱していても躊躇するかどうかは自らの意思で決められる事ではない。
まあね。100%自由意思ってわけでもないんだよね。人間もね。
82 :
考える名無しさん:02/01/13 13:09
>動物は遺伝と環境にほぼ100%支配されている。
とするなら人間も100%支配されてる事になるだろう。
>人間には自由意思がある。
とするなら動物にも自由意思があることになるだろう。
83 :
考える名無しさん:02/01/13 13:11
>>82 意味不明〜。
人間=(その他の)動物でしか成り立たないよ。きみがいうことは。
84 :
考える名無しさん:02/01/13 13:12
>>83 じゃぁ両者の間の明確な違いは?
人間というのは
動物>哺乳類>人間
なんだよ、厨房君(ゲラ
85 :
考える名無しさん:02/01/13 13:12
人間の思考と動物の思考は全く同じなのか?
生物の思考は、原生生物から哺乳類にいたるまで、全て同じなのか?
進化論を信じてない人がいるようだな(苦笑)
宗教系。
87 :
考える名無しさん:02/01/13 13:14
>>85 チンパンジーですら道具を使うな。文字を理解するな。
イルカですらしゃべるな。
動物は自らの意思で行動しないなんて時代錯誤もはなはだしいな。
88 :
85(83ではないよ):02/01/13 13:16
>>84 >人間というのは
>動物>哺乳類>人間
細かい突っ込みで申し訳ないが、
動物⊃哺乳類⊃人間
だろう。
そういう意味では、
>>85 は以下のように訂正
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考える名無しさん:02/01/13 13:17
>>84 >じゃぁ両者の間の明確な違いは?
いまの文脈で言えば、自由意思性の圧倒的な差だな。
91 :
考える名無しさん:02/01/13 13:18
宗教野郎、荒らすなよ。
>>87 >チンパンジーですら道具を使うな。文字を理解するな。
>イルカですらしゃべるな。
それだけをもって「全く同じ」とはいえるのか?
原生生物も同じだというのか?
>動物は自らの意思で行動しないなんて時代錯誤もはなはだしいな。
そんなことはいってないが。
93 :
考える名無しさん:02/01/13 13:19
人間は神に特別な使命を与えられたから、自由意思を持ちえるのです。
他の畜生とはわけが違います。
同じ物理法則に支配されえていたとしても、人間だけは特別なのです。
爆笑
94 :
考える名無しさん:02/01/13 13:19
進化論という言葉を不用意に使っている目的論者がいるようだ。
95 :
考える名無しさん:02/01/13 13:19
チンパンジーやイルカは結構高等動物だからなあ。
それでも人間とは差が大きいよ。
96 :
考える名無しさん:02/01/13 13:21
>>92 >>77 >動物は遺伝と環境にほぼ100%支配されている。
>人間には自由意思がある。
>その自由意思で社会を造る(動物の社会とは違う)。
97 :
考える名無しさん:02/01/13 13:22
人間が自由意思をもったのは進化論的帰結だぞ。
だれだ神のお陰だなんていう宗教野郎は。
宗教板に帰れ。
98 :
考える名無しさん:02/01/13 13:22
>>85 だれも全く同じだなんて言ってないよ。
>動物は遺伝と環境にほぼ100%支配されている。
>人間には自由意思がある。
>その自由意思で社会を造る(動物の社会とは違う)。
が無理があるといってるだけ。
100 :
考える名無しさん:02/01/13 13:24
>>98 >だれも全く同じだなんて言ってないよ。
>>82 は違うの?
>が無理があるといってるだけ。
私も無理があると思うけど?
102 :
考える名無しさん:02/01/13 13:27
>>99 ああ、そうなの。すまんね。同じだと思っていたよ。
人間に物事を選択する意思があるとしておいて、動物にそれを認めないのはおかしいって事よ。
どっかの研究所のチンパンジーにしたって、ボタンを押すかどうかの選択はできる。
別に人間と他の動物の思考が全く同一レベルだと言ってるわけじゃないよ。
3歳児ですら言語を解し、選択することができる。ならそれより知能の高い動物は選択できると考えるのが当然って言いたいだけ。
いまなにが議題になってんの?
>私も無理があると思うけど?
えっ?そう?
う〜ん。動物には100%自由意思がない、と、とられたのかなあ。
だったら訂正。
>>101 お互いどれが相手の書きこみかわからなくなってるな。
予想以上に人数多いっぽい。
>>101=104?
益々混乱させるようなことをしないでくれ。
107 :
考える名無しさん:02/01/13 13:30
>動物にそれを認めないのはおかしい
断っておくけど、それを全然認めないって話しじゃないよ。
人間が100%自由でないようにね。
108 :
考える名無しさん:02/01/13 13:31
>102
あ、ごめん。名前と宛名を間違えたよ。
>hiro
なんだろ。荒らしっぽい人が出てきたんで混乱してる。
全員、番号コテハンにしたらどうだね?
111 :
考える名無しさん:02/01/13 13:34
覚悟ある殺人者を止める方法は無い。
だから少しでも覚悟ある殺人者を減らす為に、幼少の頃から
「人間の命は神様に与えられた物だから大事にしなければならない」とか
「人を殺すと地獄に堕ちる」とか
「殺人は非人間的行為である」とか言って、洗脳しておくことで予防する。
これが洗脳だと感じられない人間は、既に十分に洗脳されてる証拠。
何故なら、
「人間の命は神様に与えられた物だから大事にしなければならない」
「人を殺すと地獄に堕ちる」
「殺人は非人間的行為である」
これが本当に正しいなら、覚悟ある殺人者を決定的に否定する理論となるはずだから。
とりあえずここまで話を戻そう。
混乱してきた。
せめて自分の発言が誰宛てかわかるようにしてくれ。
俺はコテハンだが
113 :
考える名無しさん:02/01/13 13:36
俺はコテハンではないんだな。
115 :
考える名無しさん:02/01/13 13:37
117 :
102=111:02/01/13 13:38
とりあえず、今の議題の発端は
>>66-67に対する
>>70のレスだな。
動物は同族は殺しを躊躇しない。
人間は躊躇する(社会的動物であり、ありかつ自由意思性の動物)。
だから殺人は「非人間的」と言い得る。
という主張。
>少しでも覚悟ある殺人者を減らす為に、幼少の頃から
>「人間の命は神様に与えられた物だから大事にしなければならない」とか
>「人を殺すと地獄に堕ちる」とか
>「殺人は非人間的行為である」とか言って、洗脳しておくことで予防する。
>これが洗脳だと感じられない人間は、既に十分に洗脳されてる証拠
これを前提として考えられないのは確かに洗脳されている。
この「殺人は非人間的行為、命は大事に」的な感情をもてない奴(覚悟ある殺人者)
に、殺人は非人間的行為、命は大事に、などと言っても意味が無いのは
ということは前提にある
>>111 これって、
「現在我々は洗脳によって殺人を抑止しようとしている」
という現状の分析だよね。
一つのものの見方ではあると思うけれど、
いま問題なのは、それが100%の抑止力になってないから、
それより優れた方法は無いか?ということだと思うのだけれど。
あぼーん
100%の抑止は難しいと思う。
洗脳による抑止も、ある程度必要なんでは。
122 :
102=111:02/01/13 13:49
>>118-119 そ。それで問題になるのが
>>70の発言。
殺人を「非人道的」と言いきれるらしい。
動物は遺伝と環境にほぼ100%支配されている。
人間には自由意思がある。
その自由意思で社会を造る(動物の社会とは違う)。
だから殺人は非人道的。
ということになるというわけだ。
俺としてはここのところの解説を是非して欲しい。
洗脳による抑止は善人、一般人向け
覚悟ある殺人者には洗脳が通用しないといっている
>>121 >100%の抑止は難しいと思う。
私もそう思うが、それを敢えて考えようというのがこのスレの趣旨なのでは?
>洗脳による抑止も、ある程度必要なんでは。
いや、100%の抑止力になってないから捨てろなどと極端なことを
言うつもりは無いのだが。
わずかでも効果があって、顕著な弊害が無いのなら、必要だろう。
実際、洗脳の効果は「わずか」ってわけではないのだろうし。
>>124 いやそれは前後関係が逆転してるよ。
覚悟ある殺人者にならないように「洗脳」すると言ってるだけでしょ。
で、その洗脳に失敗して覚悟ある殺人者になったものを止める事はできないってのが今までの所の結論でし。
127 :
104=70:02/01/13 13:54
そうだなあ。高等動物は結構、躊躇するかも。
躊躇している、という実例を102=111が出してくれるなら、
「殺人は非人間的」なのではなく、「殺人は非高等生物的」と訂正するよ。
>>122 というか、「非人道的」云々は、この際関係無いと思うがどうか?
「非人道的」であろうがなかろうが、それだけでは抑止力にならないわけだから。
要は「殺人は非人道的な行為であるからやってはいけない」
という洗脳が、殺人の抑止として効果を持つかどうかということではないのか?
え、なんかおかしいぞ。
「ころされたくないから」という「論理」が通用しないから「洗脳」するんでは。
つまり洗脳は、覚悟ある殺人者を止める為の物じゃなくて、覚悟ある殺人者を作らないようにするための物って事ね。
で、覚悟ある殺人者ができてしまった場合、止められない。
何故なら覚悟ある殺人者に対し、殺人を論理的に非とする方法がないから。
というのがこれまでの流れ。
そこに一石を投じたのが
>>70 殺人自体を「非人道的」と言いきるという論法を持ち出した。
もし仮に殺人自体が絶対的に「非人道的」ならば、覚悟ある殺人者を否定する理論もまた見つかるかもしれない。
>>128 洗脳により、覚悟ある殺人者が生まれる数が減ってるなら、殺人の抑止力になってるだろうね。
だけど問題にしてるのはそこじゃないでしょ?
もっと限定された
「覚悟ある殺人者が生まれてしまった場合、それを止める理論はあるのか?」
って部分でしょ。
失礼。
>>128 そうそう。「非人間的だ!」と非難しても
「それがどうした、人間でなくてもいい! いやむしろ人間を越えたのだ!」
といわれたらどうしようもない。
>>130 ここでの目的は「覚悟ある殺人者を思いとどまらせる」ことにあるのであって、
第三者がいくら論理的に否定できたところで、
あまり意味が無いのでは?
>>132 というか、
「覚悟ある殺人者は理論では止められない」
という結論はもう出ていると思うけど。
だから洗脳の話になったのじゃないの?
136 :
考える名無しさん:02/01/13 14:01
>殺人自体が絶対的に「非人道的」ならば
「非人道的」ではなくて「非人間的」ね。
もと発言↓
>70 :考える名無しさん :02/01/13 12:56
>
>>66 >>67 >ん〜にゃ、甘いね(ニヤ
>
>動物は同族は殺しを躊躇しない。
>人間は躊躇する(社会的動物であり、ありかつ自由意思性の動物)。
>
>だから殺人は「非人間的」と言い得るんだよ。
またもや失礼。136=104デス。
>>134 >ここでの目的は「覚悟ある殺人者を思いとどまらせる」ことにあるのであって
そう。そこは俺と一致してるな。
>>132でも書いたけど。
で、ここまでの流れだと、覚悟ある殺人者を第三者が論理的に否定することすらできてないのよ。
殺されちゃ嫌だから殺しちゃ駄目→覚悟ある殺人者は殺されてもいいor殺してもいいと思ってる
幼少期からそう洗脳されてきたから殺しちゃ駄目→覚悟ある殺人者は洗脳から解脱している
つまり、自らが殺されてもいいor殺されるわけないと思ってて、幼少からの洗脳から解脱した人間は、他人を殺してもいいって事になる。
当然まずここを崩していかないと、覚悟ある殺人者を止める理論ができるわけないのよ。
覚悟ある殺人者が犯す殺人自体を否定する理論が必要なわけ。
>動物は遺伝と環境にほぼ100%支配されている。
人間には自由意思がある。
>その自由意思で社会を造る(動物の社会とは違う)。
だから殺人は非人道的。
人間は自由意志があり、動物のように遺伝と環境に100%支配されていない
だから、その自由意志に基づき、人を殺す自由も殺さない自由もある
そして、そのどちらの行為をするにしても自由な意志にもとづいているから
非常に人間的といえるだろう
なぜなら動物は遺伝と環境に100%支配されているから同属殺しはきわめて稀。
つまり人間が人間(同属)を殺すことは人間的(動物的ではない)といえる
だが、その自由意志に基づき同属を殺すことを多くの人が選ぶと
都が悪いので洗脳という手段がとられた
と考えることもできる
>>136 訂正サンキュ。気づいてなかった。
>>135 そう。
止める理論がないというより、覚悟ある殺人者が犯す殺人を否定する理論すらないという結論だった。
が、
>>70が殺人という行為自体が人間的で無いと言ったわけよ。
もし
>>70の発言が正しければ、覚悟ある殺人者が犯す殺人自体が否定できるわけ。
人間としておかしい、と。
でも俺は
>>70が正しいとは思わないのよ。
幼児並に知能を持った生き物は幾らでもいるし。
そいつらが犯す同族殺しは否定せず、人間が犯す同族殺しだけ否定するのはおかしいって事。
141 :
考える名無しさん:02/01/13 14:11
>殺されちゃ嫌だから殺しちゃ駄目→覚悟ある殺人者は殺されてもいいor殺してもいいと思ってる
>幼少期からそう洗脳されてきたから殺しちゃ駄目→覚悟ある殺人者は洗脳から解脱している
>つまり、自らが殺されてもいいor殺されるわけないと思ってて、幼少からの洗脳から解脱した人間は、他人を殺してもいいって事になる。
>当然まずここを崩していかないと、覚悟ある殺人者を止める理論ができるわけないのよ。
ちょっとまって。これでは洗脳が足りなかったから、という結論も出ちゃうよ。
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145 :
140=70:02/01/13 14:14
>>140 >幼児並に知能を持った生き物は幾らでもいるし。
>そいつらが犯す同族殺しは否定せず、人間が犯す同族殺しだけ否定するのはおかしいって事。
それは
>>127で言及済み。
>>138 「覚悟ある殺人者を第三者が論理的に否定する」必要が何故あるのかわからないな。
仮にそれができたとしても、その論理で、「覚悟ある殺人者自身を思いとどまらせる」
ことはできないのだから「第三者」の自己満足でしかないのでないの?
確かに洗脳が足りなくて殺しちゃった奴も居るだろうね
>>141 全然違うよ。
洗脳強化は殺人を無くす為にできることは何かって議論なら、答えの1つかもしれないけど。
今議論してるのはそこじゃないのよ。
「仮に覚悟ある殺人者が生まれたとして」って前提があるの。
覚悟ある殺人者が生まれたとして、そいつを止める理論なんてある? って話してるの。
で、今までの話では「そんなものはない」ってのが結論。
それどころか、覚悟ある殺人者の行動を否定することすらできないってのが結論。
洗脳が足りなかったから覚悟ある殺人者が生まれた。だから洗脳を強化すればいい。って話をしてるんじゃないの。
覚悟ある殺人者が生まれた。奴を止める理論は何かあるか。法律も洗脳からも解脱した奴を止める理論は無いんじゃないか? って話をしてるわけ。
>>145 もしかして70本人?
まぁそれはどうでもいいとして、何故同族殺しが非高等生物的になるのか教えてくれ。
>>147 俺の自己満足でしかないかもしれないね。
つーか、俺には覚悟ある殺人者の行動を否定する理論が見つからないわけよ。
(今までの議論ではないんじゃネーノってことになってるけど)
まず覚悟ある殺人者の行動を絶対的に否定できなければ、仮に覚悟ある殺人者を止める方法なんて見つかるわけない。
が、逆に言えば、まず覚悟ある殺人者の行動を絶対的に否定できる理論があれば、それをもとに覚悟ある殺人者を止める事ができるかもしれない。
>>149 なんか変だな。
論理を超越した「覚悟ある殺人者」であって、洗脳を解脱しているかどうかは
まだ俎上に載ってなかったような。
まあいいや。
まあ100%殺人を抑止する法律も洗脳も理論もないと思うけどねぇ。
152 :
104=70:02/01/13 14:27
>>150 >もしかして70本人?
気づくの遅すぎ。ずっとまえから104=70といってる。
>何故同族殺しが非高等生物的になるのか教えてくれ。
同族殺しを躊躇するのが、非高等生物的、と言ってる。
でもなんかhiroに論破された気もする(笑。
>>150 >つーか、俺には覚悟ある殺人者の行動を否定する理論が見つからないわけよ。
まあ、スレのタイトルからいえば、それを追求するのがスレのテーマって
ことになると思うんだけど、残念ながら違うようだからね。
>まず覚悟ある殺人者の行動を絶対的に否定できなければ、仮に覚悟ある殺人者を止める方法なんて見つかるわけない。
>が、逆に言えば、まず覚悟ある殺人者の行動を絶対的に否定できる理論があれば、それをもとに覚悟ある殺人者を止める事ができるかもしれない。
「覚悟ある殺人者」というのはそもそも「理論が通じない相手」という意味で示されたものだと思うのだが。
すいません。また間違った。欝堕死脳。
>>152 ×同族殺しを躊躇するのが、非高等生物的、と言ってる。
◯同族殺しを躊躇するのが、高等生物的、と言ってる。
もう間違えないぞもう間違えないぞもう間違えないぞ(←自分を洗脳
とりあえず出かけるので最後に乱文でもレスしとく
>>152 あ、じゃぁ同族殺しを否定できるわけじゃないのね。
んじゃぁ結局殺人を否定できるわけではないって事か。
了解。
これで疑問は氷解した。
156 :
考える名無しさん:02/01/13 14:39
殺人賛美
↓
人類滅亡
↓
地球に平和が訪れる
>>155 >んじゃぁ結局殺人を否定できるわけではないって事か。
(なんか意図と違うようだが)その通り。これまで言ってきたとおり。
>> 52 :考える名無しさん :02/01/13 12:20
>「殺人は非人間的行為である」
> ↑
>これは洗脳て言うか、まあ「事実」だけど。
>どちらにしろ「覚悟ある殺人者」には「効かない」と思う。
>>133 :104 :02/01/13 13:59
>失礼。
>
>>128 >そうそう。「非人間的だ!」と非難しても
>「それがどうした、人間でなくてもいい! いやむしろ人間を越えたのだ!」
>といわれたらどうしようもない。
あ、誰かあぼーん依頼してくれの? ありがとう。
>hiro
お待ち遠様。
>>139 人間が「自由意思がありかつ、社会的動物」である、というのがキーかな。
自由意思で人を殺す/殺さないだけでは「高等動物」の条件にならず、その自由意思によって敢えて「殺人を思いととどまる」必要がある。
なぜなら殺人(同族殺し)は、社会的価値に反するから(例外あり→戦争とか)。
だから「殺しを躊躇する」のが「人間的(あるいは高等生物的)」と、言うことが出来る(ただし、これも殺人を決定的に止める論理ではない)。
160 :
考える名無しさん:02/01/13 16:22
「やりたい」という衝動がある限りレイプも否定できないね
再開希望age
162 :
考える名無しさん:02/01/14 00:09
人を殺すことが「いけない」という事はない。
「良い」という事もない。
そもそも「良い」「いけない」そのものがない。
まとめておきます。
■人間(高等生物も?)の場合
1.自由意思がある(100%ではない)
2.社会的動物である
自由意思によって人を殺すのは、人間の性質として1項には適合するが、2項には適合しないので、非人間的(非高等生物的)である。
自由意思によって殺人を思いとどまるのは、1項にも2項にも適合するので、人間的である。
■その他の動物の場合
1.自由意思はない
2.社会的動物もいれば(猿山のサル、蜜蜂、群れの狼など)、そうでない動物もいる(ウィルス、ごきぶり、はぐれ狼など)
その他の動物には自由意思はないので、そもそも自由意志的に同族殺しを行うことはない。そのような行いは「非その他の動物的」である。
.
新しく入るね?
>「覚悟ある殺人者を第三者が論理的に否定する」必要が何故あるのかわからないな。
…これだと覚悟できれば殺人が出来る事になって、自分の意思とは関係無いところで
勝手に覚悟されて自分が殺されちゃかなわないし、そんな殺人がまわりで多発する
社会もイヤだ。なんとか論理的なモノが形にならないか?…ってな解釈で良い?。
ボクはガイシュツの『自分が殺されるのがのがイヤだから…』と言うので十分な論理に
なると思う。そこから“覚悟ある殺人者”に同意を求めたり、相手の立場に立たせようと
したりするから話が進まないのでは?。“覚悟ある殺人者”にとっては殺人が最良の手段
だとなっていると思う。その価値観の中に入って考えるから答えが見つからないのであって
こちらはこちらで自分の価値観をしっかり持てばいいと思う。殺人という行動は、社会的
動物である人間が、一つの社会集団を形成する上で都合が悪いから否定されるんじゃないの?。
…これではまだ足りないのかなぁ?。
ところで永井と小泉の対談って本だよね?買わないと内容分からない?感想は結構引っかかる
んだケド…内容が分からない(汗)。
>>165 >ボクはガイシュツの『自分が殺されるのがのがイヤだから…』と言うので十分な論理に
>なると思う。
もちろん、『自分が殺されるのがのがイヤだから…』という論理が
ある程度適切なものであることは、私を含む多くの参加者の人も)同意していると思う。
しかし、
>>1 では、
>法律、世間体等は説得するtoolとしては弱い。様々な考えをもった人々全員を説得できるような理論は?考えていくと哲学の根本の対立にまで遡ってしまって結論が出ない。
といっるから、
>そこから“覚悟ある殺人者”に同意を求めたり、相手の立場に立たせようと
>したりするから話が進まないのでは?。“
ということを承知で、あえて難しい問題に回答を求めようというのが
このスレの趣旨だと思うのだが?
167 :
考える名無しさん:02/01/14 11:37
>>165 氏ね馬鹿。過去ログ読んでから参加しろ。
覚悟ある殺人者を止める理論を探してるんだよ。
自分が幾ら殺人は駄目だと思ってても、覚悟ある殺人者と遭遇したら止められないだろ。
意味ねーだろ。
氏ねボケ
168 :
考える名無しさん:02/01/14 11:45
>>167 覚悟ある殺人者を止める理論を探すよりも
覚悟する人が少ない社会を作るほうが現実的かも
覚悟を変えるのは難しいけど元より覚悟させなきゃいい
169 :
考える名無しさん:02/01/14 11:52
>>168 うっせボケ。
過去ログ読めと何度言えばわかる。
覚悟ある殺人者を生まないようにするために、幼少期から道徳観念など洗脳するってのはもう出てるんだよ。
でも今話してるのはそれじゃねぇんだよ。
もし覚悟ある殺人者が生まれたらどうするかって仮定の上で話してるんだよ。
まじ過去ログ読めボケ
ゴメンゴメン。
一応、過去ログは全部読んでるんだけどね(^^;)全部頭に入ってないです(汗)。今後とも指摘
くださいm(_ _)m。
ボクが言いたいのは『自分が殺されるのがのがイヤだから…』と言う論理が成り立たない“覚悟ある
殺人者”の中では、殺人を肯定する論理が組み上がっちゃってる訳でしょ?…殺人を肯定する定義
から殺人を否定する論理は導けないよ?…って事。よく考えてね。スレッドの初期に出てた池田事件の
宅間の事も『自分が殺されるのがのがイヤだから…』と言う論理が崩されてはいないと思うんだよね。
宅間の中では『自分が殺されるのがのがイヤだから…』という論理は成り立ってないとする。でも
それで『自分が殺されるのがのがイヤだから…』と思う人が存在しなくなる訳じゃないでしょ?。
つまり、宅間は宅間で殺人を肯定する論理があったとしても、自分は自分で殺人を否定する論理が
しっかり組み上がっていれば論理としては成り立つんじゃない?って事。ここまで来るとそれでは
お互いに同等の論理じゃないの?って思う人もいると思うケド、『自分が殺されるのがイヤだから
…』ってのは自分一人の意思で決められる。だけど殺人となると殺される相手の意思がある。これは
殺す側が決められるモノじゃ無いよね?。ボクは『自分が殺されるのがイヤだから…』ってのが“
ある程度”では無くて“十分に”論理として成り立っていると思う。同時に殺人を肯定する論理自体
がハナっから組みあがっていないと思うんだ。…論理としてはね。
で、ここからが重要だと思うんだけど“覚悟ある殺人者”の中に殺人を否定する論理を組み上げら
れるか?…って事に移るんだけど…。論理ってモトとなる事象が無いと組み上がらないでしょ?。
論理を必死になって探してるみたいだけど、事象を作ることを考えてみたらどう?。
>>168もあながち
間違いじゃない気がする…こーゆー事考えないと覚悟は鈍らせられないんじゃないの?。
>>170 >れるか?…って事に移るんだけど…。論理ってモトとなる事象が無いと組み上がらないでしょ?。
この段階でいきなり具体性が全く無くなってしまうので、さっぱり理解できないのだが、
ここでいう「事象を作る」ってのは具体的にはどういった作業を想定しているの?
172 :
考える名無しさん:02/01/14 17:16
刑務所入ってもいいから殺す、ということですか?
それなら、自分だってありえるかもしれない…
173 :
考える名無しさん:02/01/14 17:22
>>170 うっせボケ。マジ黙れ。ホント馬鹿か?
殺人を否定する事ができるのかと言ってるんだよ。
今までの理論じゃ
自分は殺されたくないから殺さない
↓
自分が殺されてもいいし、相手が殺されたくないと思ってても殺したいから殺す
と考えている奴は殺していいことになる。
だろ。
マジ過去ログ読め。読んでもわからないなら黙ってろボケ
>>172 そーゆーこと。
死刑になるかもしれないけど殺す、とか。
問題は、「なぜ人を殺してはいけないのか?」ではない。
「なぜ『人を殺してはいけない』というルール(法律・習慣)があるのか?」である。
その理由は、同胞を殺してはいけないというルール(文化)を
持った集団が、現代まで生き延びているからである。
もし、「同胞を無闇に殺していい」というルールがあったら、
その集団はすぐに争いになって死滅しているだろう。
…ていうのはどう? 既出?
>>163 >■人間(高等生物も?)の場合
>1.自由意思がある(100%ではない)
>2.社会的動物である
>
> 自由意思によって人を殺すのは、人間の性質として1項には適合するが、
>2項には適合しない
>ので、非人間的(非高等生物的)である。
> 自由意思によって殺人を思いとどまるのは、1項にも2項にも適合するので、
>人間的である。
これはよくわかったが、「これも殺人を決定的に止める論理ではない」(
>>159)
というのは何故なのだろうか。
納得できないので解説を求む。
>>133 :104 :02/01/13 13:59
>失礼。
>
>>128 >そうそう。「非人間的だ!」と非難しても
>「それがどうした、人間でなくてもいい! いやむしろ人間を越えたのだ!」
>といわれたらどうしようもない。
殺人者がどのように自己規定しようと、彼が生物学的に人間であるのは客観的
な事実であり、殺人が非人間的行為であるのは変わりないと思うのだが…。
176 :
考える名無しさん:02/01/14 21:31
「殺してはいけない」と、社会から洗脳されてるからです。
洗脳されなかった奴が、人を殺す。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| おえりゃあせんのう。 |
\_____ ______/
.↑ ∨
│ ●
│ ∧‖∧
│( ´∀`)
⊂ V >
│/__\
│(__)_)
178 :
考える名無しさん:02/01/14 21:58
>>175 殺人が社会的動物として見ておかしい行動だとしても、単に覚悟ある殺人者が社会的動物である人間という枠を脱しているというだけになるから。
決定的に止める理論ではない。
つーかむしろ人は社会的に生きるべきで無いと思ってる奴には殺人を推奨する理論にもなりうる
ちょっと整理。今問題になってるのは、
(1)人を殺してはいけないということに理由はあるか(ex.道徳、慣習、法律)
(2)殺人を防ぐ効果的な処方はあるか(ex.説得、サンクション)
(3)「覚悟ある」殺人者(説得不能)はどう取り扱われるべきか(ex.排除、死刑、
監禁)
(4)人間と動物との違い(ex.自由意志、同種殺し)私見…自由意志の違いは程度問題
でしょ。これはロボットに心はあるか?系の議論になると思われ。
のようになるのでは。
180 :
考える名無しさん:02/01/14 22:43
>>173 >自分は殺されたくないから殺さない
>↓
>自分が殺されてもいいし、相手が殺されたくないと思ってても殺したいから殺す
>と考えている奴は殺していいことになる。
殺して「いい」ことにはならないだろ。
その主語が殺人者でも、一般でも。全然非論理的。
えーと、すいません。文章がわかりにくかったですね。(^ ^;
>「非人間的だ!」と非難しても
>「それがどうした、人間でなくてもいい! いやむしろ人間を越えたのだ!」
>といわれたらどうしようもない。
これは『事実命題(〜である)から当為命題(〜すべきである)は必ずしも導けない』ということを、端的に表した文章なんです。
「殺人は非人間的行為だから、それをしてはいけない」という文章は一見、なんの間違いもないないように思えますが、この命題が正しいのは、殺人者が「人間的行為」に自己の価値を重ね合わせているときだけです。
たとえば「タバコは体に害があるから、禁煙しよう」という語句が正しいのは、「自分は自分の健康に気をつけている」という前提が存在するときだけです。
逆に「自分はニコチン中毒で死んでしまいたい」と思っている人にとっては、「タバコは体に害があるから、もっと吸おう」という命題は正しい。
わたしたちは皆大抵、人間的行為に価値を置いていますが、それは「人間らしく生きること」に合理的価値を見いだすからです。ま、人間だから人間らしく生きるのが自然ですし、それは物理法則に適ってもおり、もっともコストのかからない「楽な」生き方です。
しかし一方でそうした合理性を重んじない人もいるでしょう。そうした人には、「人間らしく生きること」という前提がありません。あっ、でもそういう人たちが殺人予備軍だという事ではありません(^ ^;
182 :
考える名無しさん:02/01/14 22:57
>>1
「人を殺してはいけない」と考えるヤツは
「生きてることに価値がある」って思ってんじゃない?
だから、なんで人を殺してはいけないかを考えるんだったら
その「価値」っつーのが具体的にどーいうモンなのか
考えてみたらいーんでない?
183 :
考える名無しさん:02/01/14 23:02
「人を殺してはいけない」というのは社会的・一般的ルールなのに、
なぜ、「覚悟して殺す」ような特異な人間の存在が反例になるの?
184 :
考える名無しさん:02/01/14 23:08
いま183はいいこと言うた
>181
丁寧な返答痛み入ります。
>「殺人は非人間的行為だから、それをしてはいけない」という文章は一見、な
>んの間違いもないないように思えますが、この命題が正しいのは、殺人者が「人
>間的行為」に自己の価値を重ね合わせているときだけです。
問題になっているのは「価値観」ではなく「客観的事実」と思うが?
「人間的価値」を認めない人間がおり、その種の「覚悟ある殺人者」が殺人を
正当化する可能性があるのは判った。
だが「殺人は非人間的」であるという事実は、その殺人者が人間であるという
事実は相反する。それは論理矛盾である。
ここでの議題はいかに「論理によって」殺人者を説得するか、だ。この矛盾を
指摘すれば(もちろん論理の通じない相手、敢えて無視する相手には無意味だ
が…)、事済むのではないか?
>178
>殺人が社会的動物として見ておかしい行動だとしても、単に覚悟ある殺人者が
>社会的動物である人間という枠を脱しているというだけになるから。
殺人を冒しても社会的動物は社会的動物。殺人者が「非人間的行為」を冒して
も生物学的に人間を止める事は出来ない。
186 :
考える名無しさん:02/01/15 01:03
人を殺してはいけないと言うルールは、
「覚悟して殺す」人間以外の人のためのルールでしょ。
「覚悟して殺す」人はそのルールに従わない。
だからこそ、その他の一般人は、別の理由で何とか説得して、
覚悟して殺すのをやめさせないといけない。
このスレみたいに、いろいろな説得理由を考えないといけない。
しかし、そんな説得理由とは関係なく、その他の一般人は、
「自分が殺されると嫌だから」という理由で動いていると思う。
187 :
考える名無しさん:02/01/15 01:06
どんな理由考えても、抜け道はあるんだよなあ・・・
>>183(66さん)
客観的事実も価値観次第である、ということをお忘れになってますよ(^ ^;
自由意思によって殺人を犯す者は、確かに生物学的人間像から外れますが、それはこの「客観的事実」を信じる者にのみ、有効です。
どのような根拠であれ、別の「客観的事実」を掲げる殺人者には、理由足り得ません。
もちろんわたしは「殺人は非人間的行為である」という「客観的事実」を大多数が支持する事を知っており、またこの「事実」を覆せるような論拠を挙げることもできません。
しかしこの「客観的事実」を信じない殺人者は想定可能だし、彼は彼の「客観的事実」によって、「殺人こそ人間的!」と言うことすら、出来るのです。
まぁもちろん、そこまでいくとほとんど狂人になってしまいますが.....
>だが「殺人は非人間的」であるという事実は、その殺人者が人間であるという
>事実と相反する。それは論理矛盾である。
ええと、これは確かにそうなんですが、ここでも『「〜である」から『〜すべきである』」は導けないんですよね。
その論理矛盾の存在からは、どのような形であれ直接には、殺人の禁止を引き出せません(その殺人者が、論理矛盾を嫌うときだけです)。
1.「自分が殺されるのは嫌だから、他人も殺さない」といった倫理・道徳説(自分がされて嫌なことは他人にもしないよーにしよーYO説)
問題点:ア) 「俺は殺されても構わないぜ。殺し合いマンセーだ。」といった奴に対して無意味
イ) 「俺は殺されるのは嫌だ。でも殺すぜ。俺以外の人間は逝って良し」といった奴に対して無意味
2.「殺人しないルール→社会が維持してきた」説(殺人しないよ同盟説)
問題点:ア) 死刑や戦争はどうなるの? 「社会維持→殺人」が成り立ってしまい、矛盾する。
ア)に対する反論:人殺しした奴は社会設立のルールに背いた。よって非人間とみなし、死刑に処する。
戦争しかけてくる奴らは、俺らの社会をぶち壊す奴らだ。よって非人間とみなし、原爆投下してあぼ〜んせよ。
つまり、自分らの社会の外にいる連中は人間ではないのだ。
↑に対する更なる反論:非人間とみなすのは頭の中じゃ分かるけどさ、やっぱり人だよ。事実としては人殺しだよ。
とりあえず過去ログあんま読んでないけど、ガイシュツの意見あったらスマソ
190 :
考える名無しさん:02/01/15 01:54
そもそも、「善い」「悪い」て全部主観で決まるから、
この議論って決着着かないんじゃないの?
今、多くの人の中で「人を殺してはならない」とされてるのは、
自分の所属している国にそういう決まりがあるから。
何でそんな法律があるのかって問われたら、
そりゃ社会契約論うんぬんの話になるんだろうけど...
もし、自分が「人を殺しても悪くない」と思えば、
別に悪くない。
ただ、何にせよ自分の所属している国に刑罰は受けることになる。
そういう法律のない国の人々が殺しあってて、
それをそういう法律がある国に人たちが「それは善くない」って文句つけるのって、
何か余計なお世話な気がしなくもない。
ある意味、鯨とおんなじ。
>189
う・・・見づれえ
今日のつぶやき:
論理的説得が有効なのは、論理的説得が有効な人だけ。
すなわち、子供、バカ、既知外、非論理的な人間、自分と別の論理系に属する人間は、論理的説得不可能。
193 :
考える名無しさん:02/01/15 02:06
>>189 >戦争しかけてくる奴らは、俺らの社会をぶち壊す奴らだ。よって非人間とみなし、
>原爆投下してあぼ〜んせよ。つまり、自分らの社会の外にいる連中は人間ではないのだ。
>↑に対する更なる反論:非人間とみなすのは頭の中じゃ分かるけどさ、やっぱり人だよ。事実としては人殺しだよ。
これは国家社会の上に、国家を越えた国際社会という社会を想定すれば解決可能ですかね。
国家間の戦争による殺人は、国際社会の社会的価値からは否定できます。
まぁなかなか上手くはいってないけどね。
極めて人間的な殺人というのもあるでしょ。
「人間的」というのはとりあえず「理性的」という程度の意味ですが。
195 :
考える名無しさん:02/01/15 02:08
はっきりいって、「自分が殺されたくないから人を殺してはいけない」ってのは、
論理的説得力がない気がする。
つながりがよく分からない。
仮に、この理論が正しいとしても、
自分が殺されないんなら人殺してもいいってことになるし。
196 :
考える名無しさん:02/01/15 02:14
197 :
考える名無しさん:02/01/15 02:18
>>196 同じこと。
報復されないんだったら人殺してもいいってこと?
198 :
びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/15 02:18
>>196 でも「自分がされたくないことは人にもしないの!」って誰かが
いう場合は「報復の問題」を考慮していってるわけじゃないよね?
もっと道徳的なものがある。
報復されなきゃ殺していいんだ。
199 :
考える名無しさん:02/01/15 02:25
>>188 ちょっと待った。
論理的矛盾を嫌うてのは非論理的な人だろ。
いまの議題は「覚悟ある殺人者を論理的に説得するには」だろ。
「非論理的な覚悟ある殺人者」は想定外じゃネーノ?
200 :
考える名無しさん:02/01/15 02:27
>>197,198
結構そうなんじゃないの? 絶対報復されないって事はあり得ないんだし。
201 :
びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/15 02:47
でもやっぱり殺してもいいんだよね?
なんだかんだいってさ。
良いか悪いかではなく、殺すか殺さないかの選択があるだけだ。
203 :
考える名無しさん:02/01/15 02:52
AであるからBである、故に...
AでないからBでもない−>×
AでないからとていってBでもない、とは限らない−>◯
204 :
復讐する名無しさん ◆AI14zans :02/01/15 02:53
人の定義はどこまで話あわれたの?
205 :
Iridium:02/01/15 02:53
え〜、とりあえずすぐに「殺すのはよくない」て結論になりたいとすると、
内面的な価値観によるしかないような気がする。
「生命を止めちゃうのがなんとなく不快だから」とか。
206 :
考える名無しさん:02/01/15 02:54
>>201 それは文脈によります
社会的文脈・・・基本的にダメ
個人的文脈・・・よい場合も悪い場合もある
208 :
びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/15 02:56
いや「文脈」とかでなくて、死んでもいいから
人を殺したくなったら是非殺したいなぁ、と思って言ったんです。
209 :
考える名無しさん:02/01/15 02:58
>>208 それは「死んでもいいから人を殺したくなったら」という文脈ですね。
210 :
復讐する名無しさん ◆AI14zans :02/01/15 02:58
>>208 思い? もうちょっと考えてから言ってほしいが。
>>208なぜ、殺したくなる?そしてなぜその衝動に後ろ盾を要求する?
212 :
Iridium:02/01/15 03:03
>>207 内面的な感覚に頼る場合には「虫がどうしても嫌い」な人は
「殺すのは可」でしょうね。
まあ虫だって殺したくないことはないんだと思うけど…。
213 :
びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/15 03:03
???
だって、そうじゃん。
>>211 動機はなんでもいいよ。
動機が問題なんじゃなくて、結果として殺すという選択が
なぜ生じるのか?
216 :
びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/15 03:07
>>214 なぜ…って、「殺人」というものが、唯一の価値になるからじゃないの?
それに、これは「もし」そうなったらの状況での話だから…。
どうして唯一の価値になるのでしょう?
218 :
考える名無しさん:02/01/15 03:12
>>189 その、1.と2.が違う概念だっていうのが分からないんだよね。
まず、1.ア)は、例外。こういうやつは別の論理で説得しないとダメ。
つぎに、1.イ)を許したちゃうと、集団は絶滅する。だから、2.を実施する必要がある。
で、2.ア)に関しては、実際に、文明社会は野蛮人を「非人間」とみなしていた。
奴隷制度も実行していた(殺すより奴隷にしたほうが役に立つ)。
その理論武装の手段として、歴史的に宗教が使われてきた。
あと、基本的な共喰い禁止は、DNAにインプットされている。
種の保存のため。
仕事があるからまた今度。
220 :
びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/15 03:14
>>217 だからそれは状況に拠るんじゃない。。。
例えば、世界から虐められて虐められてイっちゃった人とかは、
人殺しにおおきな快感を感じるかもしれないし。
それに、人を殺すことで死を「擬似的」感じたい!と思う
人とかもいるんでないの?
221 :
考える名無しさん:02/01/15 03:14
>>195 >はっきりいって、「自分が殺されたくないから人を殺してはいけない」ってのは、
>論理的説得力がない気がする。
>つながりがよく分からない。
殺しが横行するような世の中だと、自分の命が保障できない。
>仮に、この理論が正しいとしても、
>自分が殺されないんなら人殺してもいいってことになるし。
極論するとそういうことになるな。
歴史的にはそういう事件だらけだぞ。
つまり、快感が原因なのかい?
223 :
考える名無しさん:02/01/15 03:16
>仮に、この理論が正しいとしても、
>自分が殺されないんなら人殺してもいいってことになるし。
自分が殺されないという保障がない。
いつクーデターが起こるか分からない。
224 :
びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/15 03:16
>>222 快感の人もいるだろうね。
使命かもしれないけどw
びたみん君が因果関係にこだわっていたので少し
確かめたいことがあったが、もうさようなら。
226 :
考える名無しさん:02/01/15 03:25
227 :
Iridium:02/01/15 03:27
>>212 ???
質問の意味がよくわからないんだけど…。
「発展途上国の人達を殺しちゃってる」とかの話?
目に見えないものには感性は追いつかない…んじゃないかな。
どんどん殺しちゃう。
無意識的な殺人を防ぐには、想像力とか情報を得るための
社会的なシステムとか経済に関するポリシーとかが必要になってくる。
おやすみ無為。
228 :
びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/15 03:27
>>226 いや、殺人が社会によって正当化されるかはどうでもいいよ。
殺したくて殺したくて仕方なくなったら、殺すだけ。
ああ、でも社会への反抗としての「殺人」というもんがあるだろね。
229 :
考える名無しさん:02/01/15 03:35
230 :
考える名無しさん:02/01/15 03:37
びたみんは洗脳しておこう
231 :
びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/15 03:37
232 :
考える名無しさん:02/01/15 03:39
233 :
びたみん ◆BWLMxAG. :02/01/15 03:40
234 :
考える名無しさん:02/01/15 03:42
>殺したくて殺したくて仕方なくなったら、殺すだけ。
これは健康な欲望を肯定するということですか?
もしくはなんらかの抑圧は素直に解放すべきだということですか?
ところで自殺したくなったら自殺しますか?
私はベクトルが違うだけで殺人も自殺も自己破たんからくると思うんですが。
びたみんさんは自殺は否定なさるんですよね?
235 :
考える名無しさん:02/01/15 03:42
なぜ人を殺してはいけないのか?→「現在」の社会は人殺しを認めてないから。
殺したくて殺したくて仕方なくなったら、殺すだけ。
↑?何故人を殺してはいけないのかって話では?
237 :
考える名無しさん:02/01/15 03:47
>自殺もOKです。
なんでやねん? お家の方はなんもいいはらへんの?
238 :
考える名無しさん:02/01/15 03:49
では、結論は
「なぜ人を殺してはいけないのか?→「現在」の社会は人殺しを認めてないから」
で、ええね?
〜糸冬〜
>>237 お家の方なんて関係ないっすよ。
熟考に熟考を重ねて自殺ぐらいしか妥当な選択が見つからなければ、
自殺するしかないでしょう。一つ世界が消滅するだけですもん。
「自殺=逃げ」という考えは短絡だと思う。
少なくとも、世間に出回ってる常識はね。
240 :
考える名無しさん:02/01/15 03:53
>「現在」の社会は人殺しを認めてないから
それでいいじゃん?哲学的に議論するとしたら、
ではそのような社会秩序はどのように形成されるか、とか、
規範的な「社会」概念をつくるぐらいしかないよ。
人殺しそれ自体がいいか悪いかなんて論じられるわけないじゃん。
241 :
考える名無しさん:02/01/15 03:55
なぜ人を殺してはいけないのかなぜ人を殺してはいけないのか?→「現在」の社会は人殺しを認めてないから
なぜ自殺してはいけないのか→皆に迷惑→?→「現在」の社会は自殺を認めてないから
で、ええね?
〜糸冬〜
242 :
考える名無しさん:02/01/15 03:55
「とにかく殺したいから殺す。という人間を論理的に説得できますか?」
「できません。それは論理ではないからです」
244 :
復讐する名無しさん ◆AI14zans :02/01/15 03:56
自殺は俺もかまわんと思う。他者を殺すのと自己を殺すのが同じと
捉えることが理解できんしね。
245 :
考える名無しさん:02/01/15 03:59
>>244
はい。「現在の社会」は認めてません。
〜糸冬〜
246 :
復讐する名無しさん ◆AI14zans :02/01/15 04:01
「現在の社会」が認めないとしねないのか。じゃあ俺らはだれそれが
自殺したという幻想をみているわけだ。
247 :
Iridium:02/01/15 04:04
自殺ってイマイチ理解できない…。
価値観が固定されてるってだけじゃん。
頭、堅過ぎだよ。
ブレーンストーミングとかなんかトレーニングしたほうがいい。
頭が固いから理解できないのでは?
249 :
復讐する名無しさん ◆AI14zans :02/01/15 04:07
自殺ってイマイチ理解できない…。
>>247 いやそれが普通だって! イマイチでなく、「完全に」理解なんかされると
「なんか」困るし・・。
250 :
Iridium:02/01/15 04:13
自殺者ってはパラダイムの変更を絶対拒否する人なんだよね。
そういう意味では社会についての殉教者なんだけども…。
殉教されるほうもちょっと困るな。
251 :
復讐する名無しさん ◆AI14zans :02/01/15 04:16
じゃあ戦中の「死のう死のう」とかいう新しいパラダイムをつくった
人たちは何?
生きるために価値観を変えろっていうほうが理解できない
253 :
考える名無しさん:02/01/15 04:18
>熟考に熟考を重ねて自殺ぐらいしか妥当な選択が見つからなければ、
ここでなお且つ自殺するぐらいなら人を殺してみると、
自分の周りの世界は自分の思惑をとりあえず超えるぐらいには、
劇的に変わると思うんですが、社会が殺してくれるかもしれないし、
なんらかの変革の口火になるかもしれない。。。。
。。。という風に社会に巻き込まれるのはいやですか?
なんかびたみんさんのレスは静ひつな寂しさが感じられるので、
参考までにお願いします。
254 :
考える名無しさん:02/01/15 04:20
まあ・・社会は自殺は認めていなくても、みずから(学級・会社)の
力で嬲り殺すことはするけどな
死にたいときに死ねばいい。
それが答えだと思ったときは。
256 :
右翼じゃない者@考える人:02/01/15 06:02
自殺を考えたことの無い奴は信用ならんな 絶望も孤独も知らんのだろう
自殺してしまう奴はもっと信用ならん 自分の存在意義の確立を怠ってきた証拠だからだ
人は信念の為に死ぬことがある。
誰だっけ?あの、切腹自殺した人。
何故自分が殺されるとイヤなのかを考えると…自分の存在意義が否定されるからなのかなぁ?
普段は自分が1つの存在だと思ってるけど、演じてる人格は沢山あるし考え方や意見の数だけ
存在があると思う時がある。殺人を理解するような考えもあるけど、圧倒的にそれを否定する
意見があるから殺人を否定する意見を書いてみたいと思ったりする。…自分(の存在意義?)が
大事だからと思う。殺人を実行した人の間でよく聞かれた『目立ちたいから』『自分の存在が
希薄』と言った類の言葉は、自分の存在意義が確かめられなくて、何かを実行することでその
存在意義を必死に得ようとしている様にも見える。『自分が死んでもいいから…』ってのは
自分の存在意義を得る事を放棄したって事なのかも?。これも放棄する直前は存在意義を必死
に得ようとしてたのではないんだろうか?。何故なら自分の存在意義について考えなければ、
それを放棄する事自体考えないと思うから。
自殺に関しても厳密に言えば理解できない訳じゃない。でもボクが今更言うまでもなく、熟考
して自殺が最終的答えにならないようになって欲しい。特に自分の存在意義を求めているなら
裏に『生きたい』と言う意思があると思うので足掻いて欲しい。自分の存在を大事に思う人が
増えれば、ボクが自分の存在を大事に思う事が認められた気がして嬉しいから。
殺人に関しては当初から“説得”と言うのは考えてない。特に殺人を起こす状態までなった場合
…つまりは“覚悟ある殺人者”の状態で相手に理解は求めていない。でも止める論理は僕の中で
なら作れる。で、その論理に従って止める。いや、止めたい(汗)。だから前のような書き込みを
した。でもこのスレッドではそこから“説得”と言う部分にまで踏み込みたいらしい(?)。で、
説得するには説得する側の論理に呼応する部品が“覚悟ある殺人者”の中に必要だと思う。例え
ば、既に捨ててあるであろう自分の存在意義、自分が大事だと思う価値観を持ってもらわないと
“説得”のどんな理論に対しても反応しない…反応できないのではないだろうか?。
259 :
考える名無しさん:02/01/15 19:17
結局のところ、
誰かに対して、「殺人が悪である。」と言うような場合、
その根拠は「おまえにとって損だから」ということになると思う。
もっとも単純な、「社会的に悪」という話でいうと、
「お前は社会に依存して生きている、殺人は社会の一部を破壊する行為であって、
自分の家を壊そうとするようなものだ。」
ということになる。
もちろん、「社会なんてどうなってもいい」という人間にはこれは通じないわけだが、
その人に、目的なり、欲望なりがあって、殺人がそれをそれを阻む結果をもたらすという
ことがいえれば、「その人にとっても悪」ということがいえるのじゃないか。
逆にいうと、「何もかもどうでもいい」と本気で心から思ってる奴にとっては、
「悪」というものは存在しないともいえる。
でも、「何もかもどうでもいい」なんて状態って若いうちだけだったりして、
そうそう続く精神状態じゃないんだよね。
260 :
食いだおれさん:02/01/17 11:59
永井のいう、「道徳的狂信者」って西洋じゃないから分かりにくいけれど、
日本だと「世間は〜って言っているよ」の『世間』の部分がある意味、
「道徳的狂信者」の役割を果たしていると思うが。
どう思われるか?
261 :
考える名無しさん:02/01/17 20:04
>>260>日本だと「世間は〜って言っているよ」の『世間』の部分がある意味、
というか、厨房の意見はそればかり。
262 :
考える名無しさん:02/01/17 20:41
>1
哲学ってそもそも何を基準にしてるかを考えてみたら
わかってくるものもあるんじゃない?
263 :
考える名無しさん:02/01/17 21:07
そろそろ結論ついたかな?
「すべての覚悟ある殺人者を納得できる普遍的な論理はない。
が、そもそも、「なぜ殺すのか?」という根本の理由にまで
立ち返るならば、説得できるかもしれない」
264 :
考える名無しさん:02/01/18 03:19
ネコを殺すと祟るが、
人間はもっと陰湿で執念深く祟る。
北野天満宮はそういう理由で創建された。
私利私欲で利己的に考えただけでも、不利益
だから殺してはならない。
へんに複雑に考える人はばかです。
265 :
Iridium:02/01/18 03:26
想像力がなければ呪いは存在しない。
266 :
考える名無しさん:02/01/18 03:32
生命の誕生を偶然とせず、その存在意義、絶対価値、慈愛等を前提にし、
死後世界も含めて考えなければ、答えは永遠に見出せないでしょう。
ロボット社会で、なぜロボットが他のロボットを無意味に
破壊してはならないかと考えているのと一緒です。
その答えは、ロボット社会の秩序維持し、生産高率を上げる
ためには、破壊してはならない、てなとんちんかんな答え
にしかならないはずです。
266を訂正します。
ロボットとその社会がどうしてこの世に存在しているのかの
議論をまったく抜きにして、ロボットどうしが
なぜロボットが他のロボットを無意味に
破壊してはならないかと考えているのと一緒です。
その答えは、ロボット社会の秩序維持し、生産高率を上げる
ためには、破壊してはならない、てなとんちんかんな答え
にしかならないはずです。
268 :
考える名無しさん:02/01/18 03:41
蛇とネコは気を付けるべし。
ネコを娯楽で虐待していた知人は
ことごとく不幸に見舞われている。
269 :
考える名無しさん:02/01/18 03:47
宗教もウンザリ
270 :
Iridium:02/01/18 04:22
>>268猫を娯楽で虐殺する時点で精神的な問題があることが明白。
カウンセリングとか受けさせたほうがいい。
271 :
コボルト氏ね:02/01/18 04:35
人だろうが何だろうが、殺しちゃだめなわけねーだろ!
人間生きていく上で、何体もの生物を殺さなきゃなんないんだから。
「人を殺してはダメ」ていうのは、人間がみんなで決めた約束ごと
でしかないぞ。みんな殺されたくないからね。
論議する問題なんて何もない!
272 :
考える名無しさん:02/01/18 20:31
あげるよっ
このスレに統一して欲しいものだ。
273 :
タシーロ神:02/01/18 20:36
殺してもいいが、法の下によって裁かれるだけだな。
こんな社会が嫌なら、鬱だ氏脳・・・で逝ったほうがいいのかもしれんぞ。
ガイシュツだったか?
昔、高校教師のバカで十文字秀行という奴がいたが、何故かと問うた。
するとコイツ異常だという目をしてこう言った。
「法律で定められてるからだよお。」
「法律が変わったらいいけどな。」
悲しかった。こんなに馬鹿なんて・・・。
筑波大出身のお馬鹿教師の話でした。
もっと人間の倫理が発達した理由とか、本能とか推測でいいから
言えよと思ったね。
275 :
プソイドフジタ:02/01/18 23:28
276 :
考える名無しさん:02/01/19 00:49
重複スレが立ってしまったので対抗上げ。
277 :
考える名無しさん:02/01/19 16:37
倫理や法律の面から、「殺人はいいか悪いか」議論しても、しょうがないんじゃないかな。
例えば、軍人ってのは、戦時下で、キチンと軍服を着ていて、作戦行動をとっていて、
捕虜になってなければ、国際法上でも、殺しても罪には問われないよね。
ボクシングの試合でも、ルール守ってれば、相手を殴り殺しても罪じゃない。
こうした例外のことを考えれば、「人を殺してはいけない」ことを単純明快に
証明するのは不可能だってことが分かる。
「自分も殺されるリスクを負ってて、相手も同じ立場なら、殺しちゃってもいい」
これでいいんじゃないかな。
278 :
考える名無しさん:02/01/19 16:43
>>277「いけない」というのはどういう意味なのだろう?
自分に人に殺される理由がないから。
280 :
考える名無しさん:02/01/20 02:32
ルールだから。
サッカーでは何でボールを手で扱ってはいけないの?
野球では何でいきなり三塁に走ってはいけないの?
ルールだから。
281 :
クレタ島の住人:02/01/20 03:57
刑法第199条(殺人)
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処する。
どこにも殺してはいけないとは書いてません。
さぁ、どうする?
282 :
考える名無しさん:02/01/20 03:59
なんか中島義道もそんなこといってたな
283 :
クレタ島の住人:02/01/20 04:14
>>282 まじ?知らなかった。かっこわりぃ。
でも人を殺したら必ず罪になるとはかぎらないからね。
「人を殺してはいけない」って言うときの人には自分はおおいに含まれているんだろうね。
結局自分は殺されたくないわけよ。
284 :
考える名無しさん:02/01/20 05:45
吐き気がするから
285 :
某マンガから引用:02/01/20 06:01
人間はほっておくとすぐに殺しあいを始めるから。
なんだ・・刑法にも殺人はいけないと書いてないのか。
したらどうなると書いてあるだけ。しなかったらどうなる
とは書いてない。殺人は人間に備わってる
行為で(それが防衛本能なのか、過剰攻撃なのはは知らないにして)
殺人はしてもいい。けれどその罪は引き受けろってことか。
ていうか回りから責められるのが怖いからじゃないの。
>殺人はしてもいい。けれどその罪は引き受けろってことか。
その通り。
殺人を倫理の名のもとに説明する事が不可能たからそのように表現
するしか術がないんだね。
289 :
クレタ島の住人:02/01/20 06:31
国家が人を殺すのは罪にならない。たとえば戦争、死刑、凶悪犯の射殺等。
なんか納得いかないけど。
個人で許されるのは緊急避難か正当防衛くらいか。
これはいけないとは言われない。しかたないとは言われるけど。
>>286
してはいけないと書いてないからしてもいいということじゃないよ。
逮捕されて送検されて起訴されて有罪判決が出て控訴しないかできないときは刑に服する
わけだけど。それを覚悟しなさいということでしょ。
>してはいけないと書いてないからしてもいいということじゃないよ。
やれやれ。
キレイ事はうんざりだ。
刑法では殺人はしてはいけないと書けないけど、しても良いとは
書けないんですよ。だってそれは人の倫理の問題だから。法律は
倫理を捌けないから。
292 :
考える名無しさん:02/01/20 13:23
>>281類似スレからのコピペだが・・・。
おそらく、「人を殺してはいけない」、というのは、
日本国憲法
〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進
に努めなければならない。
あたりが根拠になるだろう。
(実際は「生存権」の表記は日本国憲法独自のものらしく、主要国の憲法には同様のものは無いらしい)
293 :
考える名無しさん:02/01/20 14:12
>292
法律を吟味するスレか?
分かってるとは思うが憲法は国民に対して書かれてるのではなくて
公務員に対してだよ。だから根拠にはならないよ。
294 :
考える名無しさん:02/01/20 14:20
>>293>分かってるとは思うが憲法は国民に対して書かれてるのではなくて
>公務員に対してだよ。だから根拠にはならないよ。
いや、コレ本気で書いてるのか?
295 :
考える名無しさん:02/01/20 14:23
うん。
公務員は公務員法では?
297 :
考える名無しさん:02/01/20 18:41
>>296それは単なる公務員の内部規律で、憲法は国家と私人(個々の国民)との関係を規律
する事によって(広義の)公務員に対し国民の自由・権利を示しているという意味では?
298 :
考える名無しさん:02/01/20 19:00
哲学板にいるからには、ありきたりな結論は読みたくない。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問があったとき、
「法律で決まってるから」
っていうのは、学級会的結論で面白くない。
「殺人を容認する時、自らも同じ論理で殺されるから」
っていうのは、一番論理的でポピュラーな結論だけど、
ありきたりになっちゃってて、もう一ひねり欲しい。
「殺人はいいとも悪いとも言えない。ただ人間という種の保全のため、
自然発生的にタブーとされてきた」
っていうのが、一番哲学的か。
299 :
考える名無しさん:02/01/20 20:11
>>298>「殺人はいいとも悪いとも言えない。ただ人間という種の保全のため、
>自然発生的にタブーとされてきた」
それは、哲学というより、社会学や、人類学だろ。
なんで、歴史的経緯の説明が「哲学」になると思うのかね。
300 :
考える名無しさん:02/01/20 20:21
これは「面白いか、面白くないか」の問題なの?
生物の行動を考えるときに、絶対正しいと言えることは「私欲追求」(脳内快楽追求)であり、
殺人を犯すと逮捕されたり社会的評価が下がったりするので、自分の利益にならない。
だからダメであるということ。だが、絶対ダメとは言えない。
人を殺したときのリスクと利益を計算し、期待値がプラスであると判断された場合、むしろ殺人は正しい。
私欲にかなうことは正しいことである。
考えられるリスク:逮捕される可能性・精神的罪悪感、など
考えられる利益:金銭・愉しい(精神的快楽)、など
決して、「公共の利益に反するから」という理由ではない。
自分ひとりが公共の利益に反することをしても、確かに公共の利益は減るだろうが、
それにともなう自分個人の利益の減り具合は微々たるものだ。公共の利益は大勢の人間で薄められてしまうのだから。
だから刑法があるのだ。刑法により強制的に「殺人」という行為が得でないようにしている。
殺人が絶対にダメではないということを説明したが、
「殺人は絶対ダメ」と主張することは正しいことだ。そうすることにより、「他人に得な殺人をされて、公共の利益を損なってしまう。」ということを防ぐためだ。
正しい正しくないは主観でしか決められない。「客観的な正しさ」など無い。「客観的な神」を持ち出して宗教で説明するしかない。
302 :
考える名無しさん:02/01/20 20:33
つうか、微々たるものであろうがなかろうが、悪いことには変わりはないんでないの?
巨悪であろうが、微悪であろうが悪であって、その程度について論じているわけじゃない。
>>「殺人は絶対ダメ」と主張することは正しいことだ。そうすることによ
り、「他人に得な殺人をされて、公共の利益を損なってしまう。」とい
うことを防ぐためだ。
ほぼ同意やけど、相手にもよるよね。少なくとも哲学者相手には駄目
だろうけど、中学生などにはさらにレトリックを使って言うことは
正しい
304 :
考える名無しさん:02/01/20 20:41
>>3011行目の「正しい」と他のところでの「正しい」の意味が違ってる。
もし他のところでの「正しい」を1行目の意味で使ってるのならば、
トートロジー(同義反復)。
305 :
考える名無しさん:02/01/20 20:44
好ましい、だね
>>302まるでわかってない。
「悪」と感じか感じないかは人によって違うので、「殺人は悪だ」と感じる人間は「精神的罪悪感」というリスクが発生するから、その人間の主観で「殺人はダメだ」というだけのこと。
簡単に「客観的正しさ」を主張しないでほしい。そんなものはそもそも存在しないのだから。
>>302確かに、「公共の利益を損なうと自分も微々たるものだが損をする」と言ったが、殺人を犯すことによる利益も考慮するとプラスになるので正しい。
無論、これは殺人の利益期待値がプラスの場合だが。
公共の利益を損なっても、そのプラス分を下回るほど自分個人が損をすることはないということ。
人を殺す、っていうのは一般的に1番悪だと思われているから使われているだけだと思うんだな。
つまり「〜してはいけない」の「いけない」って一体なんなんだろうか?
なぜ物を盗んではいけない?なぜ人を裏切ってはいけない?、、etc
人に不利益をもたらすから?倫理的に許されないだから?
じゃあなんで不利益をもたらすと、倫理的にだめだったら「いけない」のか?
「許されない」とはなにか?なぜ許されなかったらいけないのか?
屁理屈みたいだけど、よく考えて見たらこうなる。
誰もが人を殺していいと言われたら地球がすぐ滅びるかもしれない。
なんで滅びたら「いけない」んだろう?
そりゃ私だって滅びたら嫌です。
でも滅びたら「いけない」、、、って、、一体何?
なんで滅びたら「いけない」の?
社会的倫理の芯は「真」ではなく「信」が理想。
哲学で追うのは「真」であるから倫理を疑うのは
問題ないが、結局はどこから「信」を始めるかによる。
>308のように徹底しても構わないが、308自身も
どこかで折り合いをつけ盲目的「信」を揮っている。
倫理の階層化がこの問いを明確にする。
310 :
クレタ島の住人:02/01/21 02:40
「してはいけない」っていわれるから反発する奴が出てくるんだろうね。
「しないほうがよい」とか言ったらどうだろう?
「人を殺してはいけない」改め「人は殺さないほうがいいよ」
311 :
考える名無しさん:02/01/21 12:07
なぜ人を殺したらいけないかは、良くわからないが、人を殺した時の罪の重さは
どうしても殺しをする必要に迫られて犯してしまった殺人(戦争など)>憎しみにかられて
犯してしまった殺人>>面白半分、好奇心で犯してしまった殺人
どうしても殺しをする必要に迫られて犯してしまった殺人と、憎しみにかられて犯して
しまった殺人はどちらが罪深いかは、場合によるのではないかと思われる。
312 :
考える名無しさん:02/01/21 12:24
>>308>なんで滅びたら「いけない」の?
生命は自然に繁殖する性質を備えています。
重力で物が落下するように、自然法則です。
自然法則に逆らうこと、道理にかなわないことは
避けます。そうしないと最終的には不自然で自滅するしかないです。
なぜ人を殺したらいけないかを知るには、殺人というのがどのようなものか知らねばならない。
またそれを判断する上で、どのような立場に立って判断したかによっても、それは異なってくる。
社会秩序、一般道徳、各種宗教的立場。
だが、どのような立場に立っても、好奇心で犯してしまった殺人は他の場合に比べて罪深い殺人だと
思われる。
なぜ人を殺してはいけないのですか?と聞く者がいるとするなら。
私は逆に彼らにこう問うでしょう。
あなたは人を殺すことが出来るのですか?と。
この私の問いに対するそれぞれの返答(YES/NO)が社会からしてどうあれ、
その時、あなたが答えるであろうYES/NO、それ以上の答えなど何処にも存在しません。
余談になりますが、真実と事実は本質的に異なります。それは「わたし」がいて、「あなた」がいる。それと同じことです。
人をなぜ殺してはいけないのか?と誰かに問う姿勢自体間違っているのではないでしょうか?
もし人を殺してはいけないという最もな理屈が存在して、あなたがそれに納得することで人殺しが終わるのだとしたら・・・
いいえ、それこそ人殺しであると言うべきでしょうね。あくまでも、ある意味。
315 :
考える名無しさん:02/01/21 13:30
社会秩序を保持するという意味でなら、殺人がいけないであると簡単に言えますね。
俺的には
どうしても殺しをする必要に迫られて犯してしまった殺人(戦争など)・・・は社会の
システムにおいてしょうがない事。
憎しみにかられて犯してしまった殺人・・・は人間関係においてどうしても有りえないとは
いえない。これも、まあしょうがないと言えなくもない。
面白半分、好奇心で犯してしまった殺人・・・は社会システムに対する挑戦と受け取られても
しかたないですね。これは社会の構成員にとって許せないものでしょう。
と俺は思います。
316 :
考える名無しさん:02/01/21 18:36
社会秩序を保持するという意味でなぜ殺人がいけないかというと、殺人が肯定される
社会では、おちおち日常生活も遅れませんよね。
特に、これといった理由もないのに、面白半分で殺人を犯す奴は最悪ですね。
もし人を殺してもよいとすると、
社会の秩序が保てないし
政治や経済はしょっちゅうとまってしまうだろうし
のんびりと平和に暮らすこともできなくなるし
殺されたくない人は防御に金と時間と労力をとられて不便だし
弱い人は殺されてしまうので
優秀な人間が社会から消えてゆくおそれがあるし
人の死体をみるのは気持ちが悪いし
死体があちこちに散らばって処理できず不衛生だし
医者や警察の仕事が減るし
もう都会に墓地は少ないし
あと、胸も痛みます
318 :
考える名無しさん:02/01/21 19:08
>>306>まるでわかってない。
>「悪」と感じか感じないかは人によって違うので、「殺人は悪だ」と感じる人間は「精神的罪悪感」というリスクが発生するから、その人間の主観で「殺人はダメだ」というだけのこと。
>簡単に「客観的正しさ」を主張しないでほしい。そんなものはそもそも存在しないのだから。
殺人が社会にデメリットを及ぼすことは客観的事実だろう。
あなたは、客観的事実は、善悪の論拠にしてはならず、
善悪は感情のみで判断すべきだとでもいうのかね?
なぜ殺人をしてはいけないのか。それはわたしがひとりであり、
あたながひとりであるからだ。そのひとりを殺してしまったら、
あなたは存在せず、わたしも存在しなくなるから。
320 :
考える名無しさん:02/01/21 20:31
「なぜ人を殺してはいけないか?」という設問は、
初めから「人を殺してはいけない」という「常識」を前提に、
それが「なぜなのか」を質問してるわけです。
例えばこれが、「殺人の正当性を証明せよ」とか、
「殺人はいいか悪いか」とか、設問の設け方によって
答え方は違ってくるよね。
あと、「中学生にそう聞かれたら?」とか、「自分の子供にそう聞かれたら?」
とか、条件によっても変わってくる。
321 :
考える名無しさん:02/01/21 22:26
322 :
考える名無しさん:02/01/22 02:38
正常な(って何?)社会が維持できないくらい人間が増えまくったら
殺人の正当性について議論する人が増えるのかなー?
その時に一番邪魔なものは人殺しは悪という価値観になるのかなー?
人類総道ずれ倫理観って言われたりしてな
おー恐
それまでに衰弱氏できますように祈ろっと
とりあえず俺の頭は湧いてるみたいだな
今すぐ逝こう…
>1
結局よ、別に殺しちゃいけないなんてことは
ないんだよ。
325 :
考える名無しさん:02/01/22 20:45
人間の脳には「ミラーニューロン」と呼ばれるものがある。
一言で言えば、「相手の気持ちになって考えることができる神経回路」だ。
小さい子供はこれが発達していない。人(特に親)の動作の真似をしたりすることで
鍛えられ、「相手の気持ちを考えることができる」能力を獲得していく。
例えば、3歳位の子は、志村けんの後にお化けがいても、
「自分はお化けがいることを知ってる → だから志村も知ってるだろう」
という思考しかできない。
4〜5歳位になると、
「志村はお化けがいることを知らないのでは? → 志村〜っ! うしろ〜っ!!」
と、志村の立場を考えることができる。
ミラーニューロンが無ければ、映画や演劇すら理解できないものになるのだね。
326 :
考える名無しさん:02/01/22 20:45
このミラーニューロンは、チンパンジーにもある。チンパンジーは、
年下の子供とじゃれあう時、相手の子供が喜ぶように、わざと負けたりする。
このニューロンの働きは、種の保存の本能について非常に関係してると言えるのでは。
同胞を思いやる気持ちを持つことで、集団の生存に貢献することができる。
子供の頃、親の愛情を十分受けなかったりミラーニューロンを鍛えようとしなかったら、
殺人に何の罪悪感も感じない人間が生まれるだろう。そういう人間は、種として異常であると言えるのでは。
327 :
考える名無しさん:02/01/22 20:50
人間の生理的な働きから、殺人すれば「罪悪感」を得るように
元々出来ているし、生理的に嫌なものを回避するという、
生き物として当たり前の反射行動から、殺人がタブーになった。
論理的に殺人をいい、悪いと論じるより、生理に従って、
殺人は良くない、と感じる方が自然ではないだろうか。
殺人を楽しむのもまた人間の本性だろが。
329 :
考える名無しさん:02/01/22 22:20
人を殺せば、いつか自分も殺される。因果は巡るあざなえる縄の如し。
くわばら、くわばら。
330 :
考える名無しさん:02/01/22 23:08
自分が殺されることが無い安全地帯にいれば、
殺し易くなるな。ある意味正直になるというか。
331 :
考える名無しさん:02/01/22 23:24
つうか、
>> 比喩的な意味でなく <<
人を殺した人は、そのことによって幸せになれるものだろか。
例えば、なんらかの刑罰も、社会的な非難も、
一切受けないとして。
332 :
考える名無しさん:02/01/23 00:17
>331
おいしいものを食べたくらいには
幸せになるんじゃないか?
まあ快楽だからな。幸せと関係はあまりないような。
333 :
考える名無しさん:02/01/23 00:33
>>332 >おいしいものを食べたくらいには
>幸せになるんじゃないか?
人を殺すってのは、美味しい物を手に入れる程度に簡単にできることなのか?
そもそも、人を殺すことの快楽ってのは誰でも感じるものなのかな?
>まあ快楽だからな。幸せと関係はあまりないような。
つまり、幸せにはなれないんだね。
おいしいものを食べる程度の快楽しか得られなくて、
幸せにもなれないなら、美味しいものを食べたほうがよっぽど簡単で楽だと思うのだが、
なぜ、殺人でなければならないのだろう。
334 :
ほんとうのこと:02/01/23 00:38
>331
>幸せになれるものだろか
なる人もいる。ならない人もいる。それだけ。
人を殺していい場合もある。わるいばあいもある。それだけ。
「いい・わるい」と「ほんとう・うそ」はちがう。いい・わるいは社会的なもの。
根拠はない。「ほんとう・うそ」は科学的なもの。根拠あり。
>333殺人でなければならないのだろう。
殺人も食事もやればなおいいじゃねえか。
片方にこだわる理由ってなんだ?
336 :
考える名無しさん:02/01/23 00:48
>>334 社会的なものには根拠が無いというのかね?
社会的なものには何故根拠が無いのだろう?
337 :
考える名無しさん:02/01/23 00:52
>>335 まず第一に、私の嗜好では殺人で快楽を感じられないからね。
仮に殺人で快楽が感じられるとしても、美味しいもの食べた程度の快楽なのだろう?
殺人は美味しいものを手に入れるより簡単なことだとは私には思えない。
同じ程度の快楽しか得られないのに、なんで手間のかかるほうの方法を選ぶ
必要は無いだろう。
338 :
ほんとうのこと:02/01/23 00:52
>336
人々の関係の中で徐々に形成されるものだから。
>333まあ快楽だからな。幸せと関係はあまりないような。
つまり、幸せにはなれないんだね。
そこまでは言ってないし・・。
反論しやすいように人の意見を極論まで押しやっちゃうのは
どうかと思う。
>337
あのなあ・・・
人間生きていくのに、いろいろ楽しみあったほうが
いいに決まってるだろう。手間かかってでも
たまにはやりたい、それのどこがおかしいんだ?
たとえばSEXの退位だ。
341 :
考える名無しさん:02/01/23 00:59
>>338 人々の関係の中で徐々に形成されるものが「いい・わるい」だというのだね?
ということは、
「いいこと」をしたからといって、社会が「よくなる」とは限らないし、
「わるいこと」をしたからといって、社会が「わるくなる」とは限らないわけだね?
そういうことを考慮して行った判断は、「いい・わるい」では無いわけだね?
342 :
332続き:02/01/23 01:00
>337
だいたい殺人で得られる恍惚も
ひとそれぞれだろうしよ。
俺が言ったからって、同じ、同じ、
いわんでくれ。想像つくだろ?
343 :
考える名無しさん:02/01/23 01:01
>>339 どうも、誤解があるようだ、
私も、「必ず不幸になる」といったわけではない。
「幸せになるというわけではない」という意味でういっただけだよ。
>343
そんなこと言い出したら
「何やったって」幸せになるというわけではないよ。
345 :
ほんとうのこと:02/01/23 01:04
>341
>そういうことを考慮して行った判断
それ自体社会的な産物でしょ。もちろん「いい・わるい」。
346 :
考える名無しさん:02/01/23 01:06
>>340 まず第一に、「誰でもが殺人を楽しい」と感じるわけではないだろう。
>人間生きていくのに、いろいろ楽しみあったほうが
>いいに決まってるだろう。手間かかってでも
>たまにはやりたい、それのどこがおかしいんだ?
>たとえばSEXの退位だ。
いろいろな楽しみを求めること自体は、おかしいなんていっていないよ。
わざわざ、「殺人」などという手間のかかる方法を選ぶのが
不自然だといっているだけだ。
殺人にその手間をかけるだけの喜びがあるというならともかく、
美味しい物を食べた程度の喜びしかないのだろう?
それこそ、楽しみなんてのはいくらでもあるんだから、
手間がかからなくて快楽の大きいものを選べばいいだろう。
347 :
考える名無しさん:02/01/23 01:07
>>344 もちろん、そのとおりだよ。
それがどうしたのだ?
・・・・殺人には
「おいしいもの食べるのとはまた別の恍惚がある」
ってことで、よろしくたのむよ。
349 :
ほんとうのこと:02/01/23 01:09
みんな個人的なはなしと一般的なはなしを混同してんなあ。
もっぺんいうよ。
殺人が楽しい人もいれば、楽しくないひともいる。それだけ。
どれだけ楽しいか、また楽しくないかは、ひとそれぞれ。
350 :
考える名無しさん:02/01/23 01:09
>>345 ちょっとまってくれ、
「根拠が無い」ことが「社会的なこと」であって「いい・わるい」
なのではないかね?
あることを、「社会がよくなる」から行う、
というのは根拠に基づいた判断では無いのかね?
351 :
考える名無しさん:02/01/23 01:11
>346
それこそ、楽しみなんてのはいくらでもあるんだから、
手間がかからなくて快楽の大きいものを選べばいいだろう。
そういう問題じゃないだろう。生きるってことは。
お茶づけもフランス料理も、そしてたまには
さほど好きでないものもすごく食べたくなったりする。
手間がかかるからこそ恍惚が大きいってこともある。
無論、何が楽しいかは人それぞれだ。
>351
要するに349だよ。
354 :
ほんとうのこと:02/01/23 01:16
>350
ちょっとわかりにくいなあ。ま、とりあえず。
>あることを、「社会がよくなる」から行う
ことが「よい」とかんじる、ということに根拠ないでしょ。
355 :
考える名無しさん:02/01/23 01:19
食事が楽しい人もいれば楽しくない人もいる。
殺人が楽しい人もいれば楽しくない人もいる。
356 :
考える名無しさん:02/01/23 01:26
>>352 もちろん、人それぞれを否定するつもりは無いよ。
さらに言うなら幸せの定義も人それぞれだ。
しかしそれも程度問題だろう。
お茶漬けに1万円かける人もいるだろう、しかし、それがたとえば、1億円だったらどうだろう?
その人が対して金持ちでもなく、普通のサラリーマンで、借金しまくった一億円を
いっぱいのお茶漬けにつぎ込むとしたら?
確かに、最終的には個人の自由だけれど、
例えばそれが友人とかなら、いったんは止めるだろう?
>356
それは止める。
だから何?
1億かせぐのより殺人の方が物理的にはるかに簡単じゃん。
社会的な道徳とか制裁とかは除外しての
話だぞ。念のためもう一度言っとくよ。
359 :
考える名無しさん:02/01/23 01:33
>>356 議論のレベルが全くちがう。殺人が凄くしたいけど刑が重過ぎてできない、
ということは、単に合理的な判断だ。
360 :
考える名無しさん:02/01/23 01:39
361 :
考える名無しさん:02/01/23 01:40
>360
おまえの求める結論と違うだけ。
362 :
考える名無しさん:02/01/23 01:41
食事が楽しい人もいれば楽しくない人もいる。
殺人が楽しい人もいれば楽しくない人もいる。
これがひとまず結論な。
363 :
考える名無しさん:02/01/23 01:43
>>354 >ことが「よい」とかんじる、ということに根拠ないでしょ。
ここでの「よい」は、客観的事実としての「よい」のつもりだが、
そういったことは「よい」ということではないのだろうか。
つまり、GNPがあがるとか、乳児死亡率が下がるとかいったことは、
その社会にとって(一般的に)「よい」ことではないのだね?
そうではなくて、なんとなく「よい」と感じることだけが「よい」ことだというのかね?
364 :
考える名無しさん:02/01/23 01:45
>>357 美味しいものを手にいれる方が殺人よりもっと簡単ではないのかね?
365 :
考える名無しさん:02/01/23 01:46
366 :
ほんとうのこと:02/01/23 01:47
>363
>なんとなく「よい」と感じることだけが「よい」ことだというのかね
正解。
367 :
考える名無しさん:02/01/23 01:47
368 :
考える名無しさん:02/01/23 01:48
そんなこと当たり前だろバカ
369 :
考える名無しさん:02/01/23 01:48
>>361 私の求める結論と、あなたの求める結論は違う、
「それだけ」
だということかね?
370 :
考える名無しさん :02/01/23 01:49
人を殺すのが好きな人もいることはわかったからさ、
そろそろ話を「なぜ人を殺してはいけないか?」に戻したら?
371 :
考える名無しさん:02/01/23 01:49
>364
そうだが、でも殺人もかんたんだろ?
372 :
クレタ島の住人:02/01/23 01:51
373 :
考える名無しさん:02/01/23 01:57
>>366 つまり、
殺人をなんとなく「いけない」と感じる人にとっては殺人はいけないことだし、
殺人をそのように感じない人にとってはいけないことではないのだね。
その定義ならまったくそのとおりだね。
しかし、だったら、「なぜ人を殺したらいけないか」
という質問自体が無意味だね。
理由があるなら、それは「いい・わるい」の問題ではなくなるのだから。
なぜこんな質問が何回もこの板で繰りかえされるのだろう。
374 :
考える名無しさん:02/01/23 01:59
>>371 なるほど、あなたにとっては簡単なんだね。
私はそうは思わない。
まあ、これこそひとそれぞれだから、あなたの考えを否定はしないよ。
つまり、簡単だと感じる人もいるってことだ。
375 :
ほんとうのこと:02/01/23 02:00
>373
>なぜこんな質問が何回もこの板で繰りかえされるのだろう
アホばかりだから(根拠なし
376 :
考える名無しさん:02/01/23 02:01
>>372 まあね。
いわゆる、漢の友情って感じだね。
377 :
考える名無しさん:02/01/23 02:03
>>375 それも一つの結論ではあるね。
眠いので寝るよ、今日はありがとう。
378 :
ほんとうのこと:02/01/23 02:04
>377
いえこちらこそ。
>374
あんたでも簡単だよ。
世の中のどんな非力なやつでも
簡単にやれてるじゃないか。
対象が赤子やガキなら造作もない。
なんでそれがキミにはできないんだと思う?
380 :
考える名無しさん:02/01/23 09:25
自分が殺されたくない人間にとっては、殺人は悪い事かもね。
俺を殺さないでくれ。変わりに俺も人を殺さないって事か。
自分が殺されてもいいと感じる人にとっては殺人は別に悪い事ではないのかもね。
381 :
考える名無しさん:02/01/23 20:40
>>379 だって、殺すときに気持ち悪い声上げたりとか、吐いたりとかしたら気持ち悪いし、
死体の始末とか面倒だし・・・。
382 :
考える名無しさん:02/01/23 20:49
>>328 殺人を楽しむのが人間の「本性」という根拠は?
脳のシステムからそれを証明できんの?
想像力の欠如、想像力過多による強迫観念、T型直感脳、
「殺人を楽しむ脳」は、結局、「異常な脳」としか説明できないのでは?
383 :
名無しさん:02/01/23 20:50
>308
確かにそうかもな。
なんでだろうな。
善悪なんて相対的なもんだね。
ヒトを殺していいか悪いかなんて理屈じゃない。
そんなことおおっぴらに公認したら社会が成り立たないじゃねーか。
殺人はキモチワルイからっていうのもあるか。
386 :
考える名無しさん:02/01/23 21:46
社会が成り立っていて欲しいって欲求も個人の欲求としてあるだろう。
387 :
考える名無しさん:02/01/23 22:18
全ての人間が、他者に対して、人を殺すなと要求していることなのであって、
「人を殺してはいけない」ということは本当はない
388 :
考える名無しさん:02/01/23 22:19
つうか、だから、その「いけない」ってどういうことよ?
389 :
考える名無しさん:02/01/23 22:24
>>387さんに同意
世間はお互いがお互いを抑止しあってるだけであって
「いけない」というのはこじつけに過ぎず、実際には存在もしない。
390 :
考える名無しさん:02/01/23 22:25
>いけない
それをするとあなたは不利益を被りますよ
ということ
391 :
考える名無しさん:02/01/23 22:26
>>390 つまり不利益の有無はどうでもいいなら好きにしろってこと?
392 :
考える名無しさん:02/01/23 22:29
>>389 >>390 総合すると、
何をやっても、その結果として不利益をこうむるこということはありえない。
ということでいいのかな。
393 :
考える名無しさん:02/01/23 22:33
>>391 そう。自分以外の全ての人間を、生死のレベルで敵にしてもよいという
意志があるのなら。是も非もない。
ただ、そういう状況で生存し続ける可能性は限りなくゼロだから
社会内に、「人を殺すべからず」という「教え」があるのだと思う
394 :
考える名無しさん:02/01/23 22:39
>>393 なるほど。つまり「社会との共存=自己の抑制」って事でいいんかな?
>>394 そう。言いたいのそういうこと。付け加えると、
自己の生存=社会との共存=自己の抑制
396 :
考える名無しさん:02/01/23 22:52
つうかそもそも、
「自己の生存」の欲望が寄り集まった結果が社会なんであって、
「社会との共存」ってのも変な言葉だ。
397 :
考える名無しさん:02/01/23 22:56
>>396 そもそも社会とは?単なるヒトの集まり?抑制のカタマリ?
>付け加えると
スマソ。タイプミスってた。えらそうや〜
399 :
考える名無しさん:02/01/23 23:05
>>397 抑制が先か生存欲が先か・・・。
定義が変われば結論も変わるが・・・。
でも、とりあえず、我々の生活感覚で、社会に求めるものっていったら、
そういうものじゃないの?
そういうものを社会に求めるには私だけ?
400 :
考える名無しさん:02/01/23 23:08
俺は抑制>生存欲かな。
特に殺意を覚えるような人もいなきゃ大きなストレスを受けるほどの
抑制が必要な状況ってのもない。
そこそこ抑制はしてるけどやっぱ目の前で他の人が泣いてたらイヤだし。
401 :
考える名無しさん:02/01/23 23:08
↑感情論でソマソ
402 :
考える名無しさん:02/01/23 23:09
社会なんて頭の中にしかないよ
403 :
考える名無しさん:02/01/23 23:12
>>402 つまりいくら人が集まろうとそれはタダの人のカタマリだと?
404 :
考える名無しさん :02/01/23 23:17
405 :
考える名無しさん:02/01/23 23:18
倫理的命題に根拠はありません。
406 :
考える名無しさん:02/01/23 23:18
もちろん、基本的には社会は頭の中にあるものだが、
人間の行動は、大部分頭で判断して決めるものだろう。
407 :
考える名無しさん:02/01/23 23:23
>>405 「なぜ人を殺してはいけないか?」は倫理的な問題であって、
倫理的な問題には根拠は無いというのだね。
つまり、
「人を殺すのはよいことだ」というでもかまわないのだが、
たまたま、「人を殺すのはいけない」ということになっている、
ということだろうか?
408 :
考える名無しさん:02/01/23 23:25
ちょっと話がそれ始めてる。
ええと、俺の結論だけど、自分の利己では必要なら人は殺す。
理屈で抑えられんような感情の時も殺す。
ただ今まではそんなことなかったから殺してない。
つまり
「殺す」ことが第一に優先される時が来れば殺す。
周りの人間の抑制は根本的には無意味なモノ。
これが俺の結論だ。
409 :
考える名無しさん:02/01/23 23:29
いや、殺人をなぜ犯すかという問題と、
それが「いけない」ことかどうかというのは別の話ではないのか?
それとも、その人個人に殺人の動機があれば、すでに「いけないこと」
ではなくなるのか?
410 :
考える名無しさん:02/01/23 23:31
「いけないこと」ってのは「いけない」と思ってる人にであって、
動機があれば当人にとっては「いけない」事ではなくなるのか?
411 :
考える名無しさん:02/01/23 23:33
>>408 間違っていないかも。
詰まるところ人間の行動は全て自己責任によるわけだし
412 :
考える名無しさん:02/01/23 23:36
まあ集団による互いの抑制なんて
個人の利己にとってはのれんに腕押しでしょ。
413 :
考える名無しさん:02/01/23 23:38
またわからなくなってきたな。
ここでいう「いけないこと」ってどういうことだ?
414 :
考える名無しさん:02/01/23 23:41
「いけない」ってのは「ソレを犯すと自分の人生で十字架を背負う事になる」
という意味なのか?抑制って他人から云われるだけじゃなく
自己の抑制だってあるわけだし。
415 :
考える名無しさん:02/01/23 23:47
「ここでいういけない」
は意味が二つあると思う。というより、二つの意味がかぶってる。
一つは、「人が人を殺すのは絶対的に非である」
もう一つは、「集団による互いの牽制の、具体的な干渉である『それはダメ』」
416 :
考える名無しさん:02/01/23 23:50
同意→「集団による互いの牽制の、具体的な干渉である『それはダメ』」
だが「それはダメ」というのは第三者がいてこそであって、
もし第三者がいない世界なら殺すことは可なのか?
417 :
考える名無しさん:02/01/23 23:52
>一つは、「人が人を殺すのは絶対的に非である」
いや、「非」ってどういうこと?
>もう一つは、「集団による互いの牽制の、具体的な干渉である『それはダメ』」
わかりにくいけど、
「牽制の手段として、互いに『それをするな』と命令しあっていることがら」
という意味だろうか。
というか、単純に「他人に嫌がられること」ではダメなの?
418 :
考える名無しさん:02/01/23 23:54
仏教では教えの基本である十戒で「人を殺すべからず」を説いている。
確かその理由が、「人はどんな他人ともご先祖様でつながっている
だから、他人を殺すのは自己を否定するのに等しい」
少し違うかもしれないけど、確かこんなの。
419 :
考える名無しさん:02/01/23 23:58
人に嫌がられることをするのが好きな人も
いるからなあ。
420 :
考える名無しさん:02/01/24 00:07
>>416 第三者がいないっていうのは、自分とあと一人しか人がいない世界っていうこと?
>>417 このスレでいう、「いけない」の意味の一つが
「人が人を殺すのは絶対的に非である」で
その「非」は本当は存在していない。上の方にその理由書いてあり
>下段
「このスレでの『いけない』の意味」に、「他人に嫌がられる
こと」は、文意がかみ合わないと思う。
421 :
考える名無しさん:02/01/24 00:08
>382
文化のあり方から証明できるのでは?
今までありとあらゆる種類の趣向を凝らした拷問器具や処刑装置が
作られてきたし、殺しは見世物にもなってきた。
人が殺人を楽しむ性質は程度の差はあるだろうけど
誰にでもあると思うが。
422 :
考える名無しさん:02/01/24 00:14
>>420 >その「非」は本当は存在していない。上の方にその理由書いてあり
存在する、しない以前の問題として、
ここでいう「非」とは具体的にどういった意味なの?
>「このスレでの『いけない』の意味」に、「他人に嫌がられる
>こと」は、文意がかみ合わないと思う。
しかし、嫌だから牽制するのではないのか?
だとするなら、「牽制すること」と「嫌なこと」は同じことだと思うが。
>381
めんどくさくない人殺しの方法が
あったらいいんだね?
銃とか楽そうだけど・・・。
424 :
考える名無しさん:02/01/24 00:28
>>423 つうか、そこまで考える段階で既に面倒。
425 :
考える名無しさん:02/01/24 00:31
>422
>下段
そうじゃない。質問が成り立ってないと言ってるの
413以下をもっと真剣に読んでくれ
>上段
「このスレ」の、「非」の意味はわからん。
多分だれもわからんだろうし、このことの意味することが
自然界や観念に存在するかも知らない。
415で言った「非」の意味は、
存在しえないこと
426 :
考える名無しさん:02/01/24 00:35
>423
仲良くなって、二人で海にいって突き落とす
周りのやつには、いつの間にかいなくなったという
427 :
考える名無しさん:02/01/24 00:44
>>425 >そうじゃない。質問が成り立ってないと言ってるの
>413以下をもっと真剣に読んでくれ
ちゃんと読んでるが、さっぱりわからん。
「牽制として命令すること」というのは「いけない」という
発言がなされるプロセスの説明であって、
「牽制」自体が「いけない」ことの定義というわけではないだろう。
それとも、そうだというのか?
>415で言った「非」の意味は、
>存在しえないこと
つまり、「非」というのは単に「存在しないもの」の代名詞でしかないのか?
そうすると、、「人が人を殺すのは絶対的に非である」 は、
「人が人を殺すのは絶対的に存在しえないことである」という意味になってしまうが。
それではおかしいだろう。
「非」に対応するなんらかの概念があって、それが「存在しない」とあなたは主張しているのではないのかね?
それとも本当に、
「人が人を殺すのは絶対的に存在しえないことである」
といっているのか?
424はどうしても
人殺しを否定したいあまり、
「手間がかかる」から降りたくないらしい。
もっと自由に考えればいいのに。
ためしにこれに答えてみ。
「殺すより助ける方がめんどくさい場合はどうする?」
429 :
考える名無しさん:02/01/24 00:49
>>427 俺は415で一つも主張はしていない。
415では「このスレでの『いけない』の定義」を言っただけ
「なぜ人を殺してはいけないか」については一言も触れていない。
もうやめよう。まったく会話が成り立っていない。
それにあんたのしてること教えて君だよ
430 :
考える名無しさん:02/01/24 00:52
>>427 連続レススマソ
「いけない」という言葉の意味を考察してるのに、
その文中で「いけない」を使ったら矛盾に陥る
431 :
考える名無しさん:02/01/24 00:54
>>428 つうか、
「殺人が面倒」という理由を「人殺しを否定したいあまり」
としか考えられない、
あなたの考えかたは、あんまり自由だとは思えないないが。
>「殺すより助ける方がめんどくさい場合はどうする?」
何もしないのが一番楽だと思うが?
「見捨てる」を「殺す」と解釈するなら、見捨てるかもしれないね。
432 :
考える名無しさん:02/01/24 00:59
>>429 >415では「このスレでの『いけない』の定義」を言っただけ
「だけ」、というが、その定義がなければ、議論が成り立たないだろう。
だからこそ私は聞いたのだ。
あなたは「いけない」の意味を説明しているのではないのか?
そして、その説明の真意は、あなたにしか説明できないだろう。
本で調べられることを聞いているのではない、
「あなたの」意図を聞いているのだ。
>>430 >「いけない」という言葉の意味を考察してるのに、
>その文中で「いけない」を使ったら矛盾に陥る
「いけない」という言葉の意味を考察してるのなら、
その文中に「いけない」という言葉が出てくるのは
むしろ、当然だろう。
問題は、その使われ方だ。
433 :
考える名無しさん:02/01/24 00:59
人を殺すとお金が亡くなる
434 :
考える名無しさん:02/01/24 01:05
おれの中での殺人をしない理由は、結局、生理的な拒否反応(血が気持ち悪いとか)
など、本能的な部分にしかないなぁ。
>431見捨てるかもしれないね。
「見捨てるね。」だろ?
「面倒だから殺しはしないかもしれないね。」
とは言わないあんたなんだから。
436 :
考える名無しさん:02/01/24 01:09
>>432 まず暴言を言ったことを謝ります。
415を受けたあなたの最初のレスの文章の時点で、
会話は成り立っていません。
「いけない」の言葉の定義が議論に必要になったのは
415の十数段上のレスから。あきらかに、話の流れが変わっているので
わかると思います。
熟読していただければ、この433の言うことが分かると思います。
437 :
考える名無しさん:02/01/24 01:10
438 :
考える名無しさん:02/01/24 01:11
>この433の言うことが分かると思います。
元意、436でわたしが述べたことがわかると思います
439 :
考える名無しさん:02/01/24 01:21
>>436 >415を受けたあなたの最初のレスの文章の時点で、
>会話は成り立っていません。
成り立っていないというのがどういうことかよくわからない。
あなたの発言、
>一つは、「人が人を殺すのは絶対的に非である」
に対して、
>いや、「非」ってどういうこと?
という質問は、会話としてなにかおかしな点があるのかね?
>>388 と
>>413 は、私で、その間の議論の流れは追っているよ。
私は議論の流れにそった形で質問をしているつもりだ。
>>390 の説明で納得しかけたが、
>>412 のような発言がでてきたので、またわからなくなり、
>>413 で再度質問したのだ。
440 :
考える名無しさん:02/01/24 01:49
>439
このスレでは「人を殺してはいけない」という言葉が
2つの意を持ち、二つが同音異義語のような形でもちいられている。
415でわたしはそれを指摘し、含んでいる二つの意味合いを提言しました。
そのうちの一つの意味を
「人が人を殺すのは絶対的に非である」
と表現しました。
ここでの「非」の意味は「存在し得ないこと」です。
あなたは、
「人が人を殺すのは絶対的に存在しえない」となってしまう
と指摘しましたが。
このような文が成立するのは間違いではありません、
ここで発生する矛盾こそが、
「人が人を殺してはいけないという絶対的理由がない」
ということの、理由です。
(このことについては、先述のように、415を熟読してください)
会話が成り立たない、ということの意は
515の文が文意を表現するに及んでいないのか、
あなたの文を読む力が不足しているかのどちらかの事実が
ある、ということです。
失礼 タイプミス
>(このことについては、先述のように、415を熟読してください)
415の十数段上からを
うちらの議論はこの掲示板の空気をみだしています。
これへのレスはご遠慮を
442 :
クレタ島の住人:02/01/24 02:03
「人を殺してはいけない」って誰が言ったのかわからないが、極めて自己中心的で
無責任でおしつけがましい発言であるといわざるを得ない。
まず、おまえはひょっとして神様か?仏様か?自分が殺されたくないだけじゃないのか?
と問い詰めたくなる。
じゃ、戦争はどうなのだ?死刑は?安楽死は?正当防衛は?緊急避難は?堕胎は?
何でもかんでもいけないの一言で済ませていいのか?
前にも言ったけど、日本の法律(刑法)どこを見ても「人を殺してはいけない」という
記述はない。これに対してはどう説明するんだ?
今日の目標 ”人の嫌がること”をすすんでしましょう!
443 :
考える名無しさん:02/01/24 02:16
>>442 >今日の目標 ”人の嫌がること”をすすんでしましょう!
これができる人は、ある意味「人の気持ちを考える」ことができる人でもあるよね(藁
444 :
考える名無しさん :02/01/24 02:25
>>440 意味不明だな。
もともと、成文化されていない問題提起を受けてるんだから
しかたない。
観念と成文化された内容のスクランブルだ。
相手の質問を受けるだけじゃ、成文化したものを出せない。
だから、観念上のものを混ぜて、回答。
これが出来るのは学者さんだけじゃないの?
あ。440が学者さんだっていってるんじゃなくて
これがちゃんと出来るのは。
446 :
Iridium:02/01/24 02:35
「人を殺してはいけない」というのは例によって便宜的な習慣じゃないの?
親が子供にいろんなことを教えるけど、
それってフツウは「たまたま今まではうまく行ってた」経験的な方式についての
知識だよね。なにか論理的な理解があるわけじゃない。
行動の規範として「自分ですべてを考えることのできない(しない)人は
習慣にしたがっておきなさい」って意味なんじゃないか。
この言葉の本質は単純な感情論とか損得からしか来てないような気が…。
447 :
考える名無しさん:02/01/24 03:51
ぼくはこのように考えています。
公理として
「他人のものその人の許可無くをとってはいけない」
これはたとえビンラディンでも否定しないはずです。
では殺人とは何か、といいますと、これはぼくの解釈
ですが、その人からあらゆる物を奪う行為です。
過去、現在、未来、思い出、友達、両親、彼女、人生、世界…
そうですよね。従って、上の公理より殺人は、いわゆる
最もひどい略奪であるといえます。
従って、殺人はいけない、と思うのですがいかかでしょうか?
ぼくは、哲学の専門家ではないので、表現に厳密性が欠けている
ところは容赦して、各自適当に解釈してくださいませ。
448 :
考える名無しさん:02/01/24 04:55
>>421 確かに世間ではそう思われてる。
「戦争するのが人間の本能さ」とか、
「人間には破壊衝動があるのさ」とか、
ペシミスティックに話すのが一つの知的ファッションというか、
まことしやかにそういうことが言われてる。
だけど、フロイトが唱えた「タナトス」(死への憧れ、破壊衝動)は、
今ではほとんどの学者に否定されてる(根強いフロイト信者はいることはいるが)。
KKKのリンチとかローマのコロセウスとか、ああいう物への興奮は、
本能的な物ではなく、文化的な価値観から生み出されていると考えられている。
「人間は本来殺人を好む。だから理性を持ってそれを抑えないといけない」
と言われるが、理性が無くても、殺人を嫌に思う回路は元々頭にあるんだよね。
449 :
考える名無しさん:02/01/24 05:04
確かにかつては、これだけ殺人や戦争が起きてるんだから、
「人間には戦争願望がある」と思われてた時代もあった。
例えばかつてネアンデルタール人が滅んだのは、
クロマニョン人と争いを繰り返して敗れたからだと思われてきたが、
最近の研究ではどうも違うらしい。
ネアンデルタールとクロマニョンはきちんと住み分けていて、
たとえ出会っても争おうとはしなかった。餓死寸前でも、
相手の種族を殺して食べることは、はばかられていた。
世の中には悲惨なことも多いから、ついつい人間に絶望しがちだけど、
人間社会って結構平和なもんなんだと思うよ。「戦争が無かった時代は無い」
って言うけど、そりゃどこかしらは戦争してるが、他は平和に暮らしてるしね。
奴隷制度だって、ホロコーストだって、為政者の都合で作られた文化・教育の
賜物なんだしね。
性欲や食欲が抑えられないように、殺人も本能なら、法や倫理観では抑えられないよ。
人類はとっくに絶滅してなきゃいけないって。
だいたいが人殺しが頻繁に起こる社会で、暮らしたいと
思わないもの。このへいわな日本で。
>>442 >前にも言ったけど、日本の法律(刑法)どこを見ても「人を殺してはいけない」という
>記述はない。これに対してはどう説明するんだ?
まぁそもそも刑法は裁判官の量刑判断の基準を定めたもので説明ってのはし難いのだが・・
○○○をしちゃうと君にはこんな罰則が科されるぞ!
(こんなペナルティがあるなら抑止力になるだろ)
て感じなのかなぁ。確かに○○はするな、とは書いてないね。
わかんねぇな。
452 :
クレタ島の住人:02/01/24 06:39
法の解釈は難しいね。
罰則はあるけど、行動までは縛れないということで。
今日の一言
あいさつは大きな声で「はっきり」と!
453 :
考える名無しさん:02/01/24 07:22
ん〜、つまるところ、
殺人は禁止されてはいないから
「人を殺してはいけない」というのは間違った台詞なのか?
454 :
考える名無しさん:02/01/24 08:14
人が殺人を楽しむ本性を持ってたとして、なぜ、それが人を殺してはいいと
いうことにつながるのか?
もし、人を殺してはいけないとしたら、人を殺してはいけない理由はなんなのか
を考えていかねばならない。
455 :
考える名無しさん:02/01/24 08:50
>>447 「何故人を殺してはいけないのか?」という命題が、
「何故許可無く他人のものを奪ってはいけないのか?」という命題に
スリ変っただけじゃねーか?
456 :
考える名無しさん:02/01/24 08:55
「洗脳」とかいう言葉を安易に使っている奴がガキっぽいというか…
言葉の意味わかってんのかよ。
457 :
$$ ◆OLZ9M7TI :02/01/24 10:04
「殺してはいけない」と言い出した人は元々根拠がなかったのでは?
実は単に感情論で言っただけとか。
「いけない」という言葉に根拠がなければ「いけない」という言葉は
存在しないも同然だと思う。
458 :
考える名無しさん:02/01/24 11:01
安っぽい似非ニヒリストの登場か。
459 :
考える名無しさん:02/01/24 12:35
動物だって食べなきゃ殺さないよ。
460 :
考える名無しさん:02/01/24 12:45
人生に0.001回なら殺してもいいよ(?)
461 :
考える名無しさん:02/01/24 23:30
動物でも、群の新しいボスが決まると
新しいボスによって、前のボスの子供が殺されたりします。
食べるためではなく。
462 :
考える名無しさん:02/01/25 01:02
殺人が「いけないこと」なのか「そうじゃないのか」を議論するのは
ミカンが黄色いのは「いけないこと」なのか「そうじゃないのか」を
議論するようなもので、結論は出ないと思います。
「殺人がいけない事ではない」となったとしても
「殺人罪という法律がなくなる」→「殺人が横行する」→「文明が崩壊する」
→「地上は野生動物のパラダイス」→「とてもよいこと」
と、いう考えだってできるのですから。
「殺人はいけない」という考えにはメリットもデメリットもあり、また
「殺人はいけなくない」という考えにもメリットもデメリットもあると思います。
そのなかで日本国民はいま「殺人はいけない」という法律を支持している。
「殺人をいけなくない事にせよ」と言う人は、選挙に出て、殺人罪の廃止を
訴え、国民に問えばよいのです。
あと問題は「法律を破るのが楽しいから殺す」という理論の輩ですが
疲れたので今はムリ。
463 :
クレタ島の住人:02/01/25 02:54
>462
殺人とミカンが黄色いことは違うだろ!とつっこみたい。
ちなみに緑色のミカンはすっぱかったりするので黄色がいいと思います。
464 :
考える名無しさん:02/01/25 03:30
465 :
考える名無しさん:02/01/25 04:10
466 :
考える名無しさん:02/01/25 19:59
「いけない」の定義に関してん二種類の考えかたがある。
・「社会」ないしは「集団」の構成員としての個人に対して、所属集団から禁止されること。【集団からの命令】
・なんらかの主体(個人、ないしは社会、集団)にとって不利益をもたらすこと。【不利益】
単純に考えると、前者に後者の基準を当てはめれば、二つは同一のように
思えるが、前者の立場をとる人の主張では、社会ないし集団は、禁止を行う際に、
そういった基準を「必ず」無視し、根拠のない感覚のみによって決定するということらしい。
従って、「いけない」という命令には、なんの根拠も、意味さえも存在しないらしい。
だとすれば、「なぜ人を殺してはいけないか?」という質問は非常に無意味な質問である。
「いけない」は「所属集団からの命令」でであって、「必ず、根拠なしに決定される」
ものなのであるから、「いけない」というものの定義からいって根拠が存在しないのであるから、
逆に、根拠が存在するなら、それは「いけない」ことではないことになる。
あくまでも、「『いけない』とは社会ないし集団が、必ず根拠なしに決めることである」という
主張が正しいとすればだが。
>>1 自身の「いけない」の定義は、そういったものなのだろうか?
だとしたら随分間抜けな質問だと思う。
>>466 社会的にみれば、殺人を肯定するような社会だったら社会生活がなり立たないから
殺人は否定されるに決まってるだろ?
>>467 つまり、あなたは、「社会」から見た場合の「いけない」の定義は、
「社会生活を成り立たせなくすること」という意味だということかな?
その定義に従うなら、「殺人はいけないこと」になることに異論は無い。
だから、
>>467 の内容が反論であるならば、
「根拠が無い」と主張する人に対して行ってくれ。
私が問題にしているのは「いけない」の定義そのものだ。
「いけない」っていうのはさ。強制力をつけるための個人の論法じゃないか?
470 :
考える名無しさん:02/01/25 23:12
「個人の論法」って、意味わからん?
方便。根拠なき思い込み。
472 :
考える名無しさん:02/01/26 00:13
おいおい、問いそのものが間違ってるって。
人を殺していけないわけがないじゃん(w
473 :
考える名無しさん:02/01/26 00:55
「殺人をすることはいけない」と
「殺人罪に違反する(文法ヘン?)ことはいけない」
ということを分けて考えなくちゃいけないと思います。
前者は個人的判断、後者は法的(共同体的)判断だと思います。
個人的判断はどこまで言っても個人的判断の域を出ないかと。
474 :
考える名無しさん:02/01/26 01:04
>473
だから倫理とか道徳とか・・・
475 :
考える名無しさん:02/01/26 01:27
>747
倫理道徳はむしろ後者の共同体的判断になると思います。
お父さんお母さん先生などにおそわらなければ殺人が悪いことだとは
わからないですよね。
すみません
>474
でした。
みなさんの中に、個人というものを尊重する気持ちはありますか?
今、突然見知らぬ人に襲われ、殺されそうになったとしましょう。
何一つ言わずに殺されられますか?おそらくほぼ全員無理です!
理由はうまく説明できませんが、死ぬということは、簡単にいうと、いやだとおもいます。
このことを、「だれもが納得するように説明せよ!」といわれて、完璧に説明できる者なんていないでしょう。
同じように、「人を殺してはいけない」なんて言葉なんかで、ほんのことばごときで説明しようと思った時点で、ど阿呆だと思います。
「証明なんてできやしない、しかし事実である」ということなのだと僕は思います。
478 :
考える名無しさん:02/01/26 02:15
>>475 そんなもん、共同体の中で生まれ育っていく過程で自然に教育されていくだろ。
479 :
考える名無しさん:02/01/26 02:20
ちげんだよ飼育されちゃんだよ
480 :
考える名無しさん:02/01/26 05:22
>473
個人的判断って何?
個人と共同体って区別できるか?
481 :
考える名無しさん:02/01/26 09:08
>>480 出来るでしょう。
社会的に見たら殺人は悪は確実だけど、道徳や宗教、個人的な事情による殺人に
ついてはどうかな?
>>471 だから、それれは、「いけない」の定義になるの?
単に「いけない」という言葉が「そのようにつかわている」ということであって、
「いけない」という言葉の意味するところは別にあるんじゃないの?
それとも、本来、「いけない」は必ず、「強制力をつけるための個人の論法」を指す言葉なのか?
もしそうなら、「社会的に見れば悪」といった主張は、定義の段階で
問題(スレの問い)を勘違いしていることになるよ。
483 :
考える名無しさん:02/01/26 09:39
>>482 共同体の中で殺人を肯定してしまうと、共同体内の秩序が乱れ不利益を及ぼす事が
多いので、殺人は悪であると定義される事が多い。
>>483 つまり、あなたは
>>466 における、後者(【不利益】)の立場を取るわけだね。
しかし、
>>471 の 「いけない」の定義はまた違ったもののようだよ。
485 :
考える名無しさん:02/01/26 10:20
「いけない」イコール「(やっては)いけない」。
行動の制御を意味する言葉かな・・・?
>>486 つまり、あなたは、基本的には、
>>466 における、後者(【集団からの命令】)の立場を取るわけだね。
それで、その「命令(禁止)」には、理由はあるだろうか、
それとも、理由は無いのだろうか?
>>466 に書いたように、その立場の意見の人には、「理由は必ず存在しない」とする人が多いようだけど、
あなたはどう思う?
正当な理由なんてないんじゃないの。もしもあるとすれば
それはその集団にとっての内部の都合とか。「いけない」
といって通用するのはその集団において。「いけない」って
村的かもね。
>>488 正当な理由がなく「いけない」と「いわれていること」は、
本当に「いけない」ことなのか?
「いけないこと」と「いわれていること」が「いけない」の定義であるなら、
そもそも「正当な理由」などというものは存在しえないのではないか?
逆に「正当な理由」が存在しえるなら、
正当な理由がなく「いけない」と「いわれていること」は、
「誤って」「いわれている」だけであって本当に「いけないこと」
とは呼べないのではないか?
もう「言葉遊び」も閉幕してくれよ。
読んでる方が赤面するよ。
>>490 意味がわからないのを恥じて赤面するのは勝手だが、
あなたが意味が理解できないことを根拠に、議論をやめろというのは暴論だろう。
わからないなら、ちゃんと質問すればいいし、
理解する努力を払うほどの興味が無いなら読まなければいい。
492 :
考える名無しさん:02/01/26 15:27
なんらかのルールや禁忌を個人が支持する理由は様々だ。
社会に生きる人間としての理由、個人的な信念や理念、信仰、または功利や実益etc...
支持する理由がなんであれ、個々人にとっての正当性が積み重なれば(多数を形成すれば)、それは社会的正当性を持つことになるね。
>>492 つまり、社会のルールは異なる理由による賛成の総和であるから、
そのルールに単一の根拠を求めることはできないということであろうか?
そして「いけない」とは、そういった「社会のルール」において
「禁止されていること」なわけだね。
>>489 うん。そうだね。貴方の言うそのとおりだと思うよ。
しかしそうすると何の議論をしているのか
分からなくなるね。
>>490は分かってて言ってんじゃねーの。
495 :
考える名無しさん:02/01/26 15:45
結局 結論は社会契約論かよ。
分かり切った事をウダウダと…
>>494 どちらの定義を「いけないこと」の定義にしているか、
はっきりしさえすれば、何を議論しているかは明白なのではなかろうか?
むしろ、それを明白にしないまま、
人によって異なる定義を使ったり、
場合によっては、同じ人が一つの発言中で違う定義を使ったりするから、
わけがわからなくなるのではないか。
そう思うよ。
誰もに通用する、誰もがみな持っている、普遍的な殺人禁忌原理なんて、存在しないんだろう。
それが社会的に「いけない」とされるのは、要するに大多数の人が、それぞれが抱え持っている、それぞれの理由から、「それは、いけないことだ」と思うから。
それはそれでいいんじゃないの。
>>497 >それはそれでいいんじゃないの。
ちょっと、解釈に齟齬があるように思う。
私は、良し悪しの問題ではなくて、定義の問題として話しているつもりなのだが・・・。
つまり、「大多数の意見の総和により禁止されている」は、
「いけない」の「根拠」ではなく「定義」であるということ解釈したのだが。
「大多数の意見の総和により禁止されている」を、
「いけない」の「根拠」であるとするなら、
「いけない」の「定義」は別に求めなければならないだろう。
「いけない」という言葉の定義を
・「大多数の意見の総和」により「禁止されていること」
とするなら、
「大多数が支持している」
ということを「根拠」に「いけない」ことであるということができる。
そして、「大多数の意見の総和により禁止されていること」を「いけない」の「定義」
とするなら、「大多数の意見の総和」は「異なる理由による賛成の総和」であるから、
単一の理由を求めることはできない。
ゆえに「なぜ人を殺しては『いけない』か?」という質問には答えが無い。
という結論が下せると思う。
499 :
考える名無しさん:02/01/26 16:17
なに言ってるのか、全然わからん。
なにを迷っているのかも、全然わからん。
「やってはいけない」=行為の禁止。これ以外の定義があるのか?
根拠と定義が、なぜ一緒に論じらなければならないの?
500 :
考える名無しさん:02/01/26 16:23
一体どのレベルで議論しているのかがハッキリしないから混乱するのでは?
一般に時代と場所を問わず「殺人は禁忌」とされているけど、安楽死,戦争
間引き,生け贄,正当防衛,緊急避難等「殺人」が肯定される場合もあれば、
社会的に是認された殺人すらも宗教的理由で許されん人間もいる、
または合法な緊急避難による殺人なんかもマスコミ等とって叩かれて社会的に
抹殺される可能性もありますよね。
各々異なった事情を背景に作り出されたルール全てを包括する黄金律の様な
ものを求めても意味がないのでは?
或る「殺人」については、○○の次元では許されるが△△の場合は許されない
よいう風に複眼的な見方で考えていくしかないとおもいますが?
>>499 うーむ。そうとも言える…。分けて考えるという事か。
502 :
考える名無しさん:02/01/26 16:26
というか、根拠と定義が同一視?
【訂正】
・マスコミ等とって→「マスコミ等によって」
・△△の場合は→「△△の次元では」
>>499 一応辞書を引くと、
---
いけ‐・ない
いけない
〔連語〕(動詞「行ける」の未然形に打消の助動詞「ない」の付いたもの。現在は一語的に用いる)
1 よくない。わるい。非難の気持が少なく、逆に、親しみを込めていう場合が多い。「あいつがいけないんだ」「いけない人」
2 具合が悪い。困る。まずい。「見つかるといけない」「いけない、もう九時だ」
3 よくなる見込みがない。だめだ。「彼はもういけないらしい」「店がいけなくなる」
4 禁止の意を表わす。「見てはいけない」「寝ていなくてはいけない」
5 同情の気持を表わす。「風邪?それはいけないね」
補注 丁寧にいうと「いけません」、ぞんざいにいうと「いけねえ」となる。
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) (c) Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)(c)小学館 1988
---
ということで、「いけない」には「禁止」以外に、単に「わるい」という意味もある。
>根拠と定義が、なぜ一緒に論じらなければならないの?
だから、まず、「定義」を明確にしないと、「根拠」の論じようが無いということを
いっているのだが。
>>500 まぁ、そうなんですけどね。
どのレベルで人が話しをしているのか、ほんと詳しく聞かないと
分からない事もある。分かればそれで議論が終わりともいえるかな。
同意。
「なぜ人を殺してはいけないか?」という質問がおかしい気がする。
以前の殺人スレにもあったけど、この質問は虚偽命題くさい。
何時如何なる場合も殺人が全面的に禁止されているわけじゃないんだよね。
>>504 「いけねえ」つうのがいいな。そう・・・。
殺人を前にいう場合、「いけねえ」はわるい・・って
使い方をしているということ?
>>507 >殺人を前にいう場合、「いけねえ」はわるい・・って
>使い方をしているということ?
というか、そういう意味もあるから、どちらなのかはっきりしてくれないと、
考えようが無いということなのだが。
# 「いけねえ」っていうと鬼平犯科帳の世界を連想してしまう。
# あの世界なら「殺しはいけねえ」で済んでしまうのだが・・・。
なるほど。
「殺してはいけない」という言葉の使い方は、
「体に悪い、状態として悪い」という言葉使いではないね。
よって前者でしょう。
殺人は「いけねえ」事=(悪い)。けれど
どうしてもやらなくては「いけねえ」時、事情もある。
そのときは殺人を許そうよ。そうゆう事かな。すべての
殺人が許されるのではなくて、一部の殺人を許す為の
便宜的な「禁忌」なのだろう。殺人は集団的自衛権かよ?
511 :
考える名無しさん:02/01/26 16:43
「いい」「わるい」は「善い」「悪い」だけでなく、「良い」「悪い」や「好き」「嫌い」の意味でも使われるからね。
それが混乱の元かしら。
例えば、娘を強姦殺人された親が犯人を自ら殺して仇を討った際に、
法律では当然罰せられるけど「法律以外の次元ではどうなのか?」とか
素朴な疑問を感じますよね。
仇討ち否定派とかは人道主義とか持ち出すんだろうけど、「仇討ちしないのは
本当に人道主義ゆえなのか?法を犯す事によって社会的地位を失いたくないと
いう功利的理由からではないのか?」とかいう問いを発する事が許されないのは
何か欺瞞的に思うにですが。
513 :
考える名無しさん:02/01/26 16:51
復讐権か。いいですね。
社会が無用に混乱する気もしますが、一考に値すると思います。
むかし呉智英も似たようなこと言っていた。
>>509 うむう・・・。
しかし、「悪い」の意味で論じたい人も多いような・・・。
収束させることは不可能なのだろうか。
・「理由はこうだ」(定義は「悪い」)
・「理由は無い」(定義は「命令」)
の二つの主張がかみ合わないままループしているように思うのだが・・・。
「善悪として悪い」と「状態として悪い」、
べつに分けて、それぞれ考えてもいいんじゃないの。
しかし禁止命令にも理由があるはず。なんで「理由は無い」になるんだろう。
スレ読んで思ったけれど、「普遍的な理由は無い」ってことじゃない?
516 :
考える名無しさん:02/01/26 17:14
「善い」と「良い」で使い分けれ。
>>515 >しかし禁止命令にも理由があるはず。なんで「理由は無い」になるんだろう。
それはおそらく、「命令者」を「社会(あるいはなんらかの集団)」としているからじゃないのかな。
異なる理由による賛成の総和であるから、単一の理由には還元できないと。
>スレ読んで思ったけれど、「普遍的な理由は無い」ってことじゃない?
結局、そういったことになるのだろう。
つまり、「いけない」が「集団の命令」であるならば、
それは、異なる理由による賛成の総和であって、
賛成している各個人においては、目的さえばらばらなのだから、
「普遍的な理由」は「集団の判断」というものの性質上、
存在し得ない。
しかしまた話が元に戻るけど、人を殺す事に良い(善い)も
悪い(悪)もないんじゃないかと思うよ。故意か事故かくらい
はあるにしても。善悪なら人道主義だろうし、価値か無価値か
ならその殺された人が生きていた場合とを比較するしかない。
>>518 人を殺すことは、良い(善い)も 悪い(悪)もないことなのだろうか。
では、善いと悪いがいえる場合というのは(例えば)、どういう場合で、
殺人はそれらと比べてどういう点が違う(特殊である?)のだろうか?
人を殺す事が<いけない>という前提がおかしくないですか?
また、昨日も他スレで書きましたが、なぜ
<なぜ人を殺してはいけないか? >という質問になるのですか?
<なぜ人を殺さないんですか?>とか<なぜ人は殺さないんですか?>
などではなく。
つまり、<なぜ〜〜してはいけないか?>と言う質問は、かなり窮屈な感じがします。
521 :
考える名無しさん:02/01/26 23:55
>>520 何を言わんとするのか分らないよ?
「何故、人を殺さないんですか?」の主語、
「何故、人は殺さないんですか?」の目的語が無いから、
本人しか質問の内容が理解出来ないよ。
522 :
考える名無しさん:02/01/26 23:59
まあ、「なぜ人を殺さないんですか?」というスレを立てたら、
ネタスレとして叩かれるか、放置されるのがオチかと・・・。
523 :
考える名無しさん:02/01/27 00:01
なぜ殺せないんですか。(反語的ではなく)
524 :
考える名無しさん:02/01/27 00:35
>>523 それだけでは、行為者の内面に関する問いか、外部の障害に関する問いか
分りません…
>520
マジレスすると、「問い」として意味がないからだよ
526 :
考える名無しさん:02/01/27 01:05
なんで人を殺しちゃいけないかって?それは法律で
定められてるからでないの?むしろ、やっていいこと、悪いことなんて
あくまで個人の主観や判断の問題であって討議することが
ナンセンスだと思う。
人を殺しても良いよ社会集団 VS 人を殺しちゃ駄目!でも他の社会集団の人は殺しても良いよ社会集団
どちらの社会集団が勝つか?
なぜ人を殺してはいけないのか?
答えは社会集団的に弱くなるからだ!
なんちって・・・
528 :
stoner ◆r4fKZlYs :02/01/27 04:17
最近ウイルスについての本を読んでいて思ったんだけど
人はウイルスを根絶するために、
例えばアメリカはCDCって言う大きな感染症対策の機関をつくった。
じゃあ、「何でウイルスを根絶させなきゃならないの?」
この問いが非常に「なぜ人を殺してはいけないか?」という問いに似ていると思った。
勘違いか?
人を殺す事が善いも(良い)も悪(悪い)もないのは、それが人間だけじゃ
なく、他の動物にも同等に言える事だからなんだよね。
邪魔なら殺すんじゃないか。種として自己を守ろうとするのは
本能なんじゃないか。
殺されてもいい、なんて暢気に構えていると自然界なら本当に殺され
かねない。人間に特殊事情があるわけではなない。
人と殺す事がなぜいけないのかと問われれば、法律で取り締まられるからである。
530 :
考える名無しさん:02/01/27 07:52
面白そうなので拝見させて戴いておりますが、
度々どなたかご指摘のように「いけない」の意味が
はっきりせず、議題自体が不明確になっている気がします。
思うに、「なぜ殺人はいけないのか」というのは、
@なぜ法律で禁止されているのか
Aなぜ(多くの)人は観念上いけないものとしているのか
という2つの捉え方があるからでしょう。
@については議論の余地はないのでAについて
集中すれば議論が進行すると思いますが、いかが。
観念上の事が議論の対象になるん?
ばかばっかだよ本当に。
お前ら
>>1-531は屋根の上にでも登ってだっふんだーとか言ってろ。
>>531 このスレの趣旨は善いか悪いかではなく、
(厨房)先生、なぜ人を殺してはいけないのですか?
(先生)法律で決まっているからだ。
(厨房)なぜ法律で決まっているのですか?
(先生)悪いからだ。
(厨房)悪いってだれが決めたのですか?
烏賊略
という無益な議論に永遠に終止符を打つような
理論を求めることだと思うが、どうか。
>>529 すまない、何がいいたいのかよくわからなないのだが・・・。
とりあえず、種の保存が、本能による絶対的な命令とみなせるかどうかには、学者の間でも疑問があるはず。
もちろん、自分の行動が人類の存亡を左右するといった事態になれば、
真剣にならざるを得ないけれど、それは本能的な衝動というより、後付の知識による
後天的な思考のような気がする。
>人と殺す事がなぜいけないのかと問われれば、法律で取り締まられるからである。
うう・・。
えらく後退してまってるような気がするが・・・。
「法律」は「集団からの命令」であるから、「いけない」の定義を「集団からの命令」とするなら、
それは同じ事を繰り返して言っているだけだし、「悪い」という意味でいうと、
「法律で取り締まられるから悪い」ということになるが、そういうことがいいたいの?
535 :
考える名無しさん:02/01/27 10:20
>>500〜
>>506辺りで結論らしきものが出ているのに、何で言葉遊びみたいなコトを
してまで議論を継続するのかワカンねー。
536 :
考える名無しさん:02/01/27 12:16
自分が殺されたくないから、他人を殺さない。両者の暗黙の合意。
核威嚇みたいなものなのでは?(稚拙な考えですいません)
538 :
考える名無しさん:02/01/27 12:26
人を殺して良いと言ったやつは
そいつの価値観に合わせて
殺されていい、ということになる。
それで、そいつは社会という思想を持たぬ
存在に抹消される。
逆に、悪いといったやつは
生き残る。
よって生き残ったものの法が生き残る。
>>538 「自分が嫌な事は他人にもするな。」という様な相互主義は、自分と他人が
等価値であるという前提でしか成り立たないよ。
>>539 それは私の歴史感覚であるから
ここで言った「やつ」や「もの」は
私が他の人間一般についていったに過ぎない。
>>533 無益な論議だと「人はなぜ人を殺す事がいけないの」と
質問した人間を納得なせることはできたの?
>>534 法律は前提でしょう。「人を殺すことはなぜいけないか」
と質問する人間の疑問に答える為の。法律で取り締まるの
はそこに人間社会の共通の認識、「人に殺されるのはみんな
やだ」という感情があるからでしょうね。その感情の説明までは
出来ないけど。
ところで「なぜ人を殺してはいけないか?」の意味は、
1 なぜ人を殺すのは「日本において」道徳上「悪いこと」とされているのか
2 なぜ人を殺すのは「世界的に」道徳上「悪いこと」とされているのか
3 なぜ人を殺すのは「日本において」「禁止」されているのか
4 なぜ人を殺すのは「世界的に」「禁止」されているのか
のどれなんでしょうか。
3や4の答えが1になったりループしてます。
「なぜ人を殺してはいけないか?」の意味は、
ほかにもあるのでしょうか。
>1
オマエが殺されたくないからだよ。
結局、”なぜ人を殺してはいけないのか?”という問いには
”自分で考えなさい”としか言えないんじゃない。
殺さない理由は人それぞれ違うだろうし、
大人が出来ることは子供たちに判断できるだけの知性と
判断材料を与えるだけだろ。
まともな理性を持っているなら殺人のリスクを理解できるはずだ。
どんなに言ったって、殺人者は殺人者。
奴らの心の闇は常人には理解できんよ。
546 :
考える名無しさん:02/01/27 18:11
>>545 >奴らの心の闇は常人には理解できんよ。
プ。なんだよ「闇」って(藁
「なぜ人を殺してはいけないか?」の意味が、
「なぜ人を殺すのは日本において道徳上、悪いこととされているのか」
という道徳上の善悪の問題だとすれば、
結論をだすのは大変難しくなります。
道徳は個々人に内面化していて、
最終的に個々人の価値観の話になってしまいます。
548 :
高三→将軍:02/01/27 20:07
>>547 道徳法則かえ?(ようわからんけど)
>>545 でも「リスク」だけではどうも判断基準にならんのでは。
例えばアウシュビッツの兵士はユダヤ人を殺さないほうが
リスクが大きかった。しかし殺してよかったのか、と問われた場合。
「まとも」な理性というものが何かということがまず
道徳を問うことと重なるようだが...
545の通りではないでしょうか?
>>521 僕もどう表現すればいいの変わらないのですが、なぜ〜〜してはいけないのか?という質問は、
してはだめだと言う前提がいりますよね。ゆえに、してはいけないと言う事を質問者は
自分自身でわかっているんですよ。それなのに、相手(答える人)が答える事ができないだろう
と分かっていて、確信犯的に言っているのではないでしょうか?その理由としては
優越感に浸るだけなのかもしれません。
個々の損得勘定で行くしかないんじゃないですか?
ルールなんて複数の人間が社会共同生活というゲームを営んでいく必要上
作り出されたフィクションなんだから、社会を超えた所に普遍的な根拠を
求めるのは無意味。
サッカーというゲームの枠外に、「ボールを持ってはいけない」というルール
の根拠を求めるのと同様に馬鹿げている。
>>542 法律が、「人を殺すことはなぜいけないか」
と質問する人間の疑問に答える為の「前提」になぜなりうるのか
よく理解できない。
「人を殺すことはなぜいけないか」と質問している人間は、
法律そのものに疑問を持っているのではないか?
今までの議論の流れについての私の理解では、
「いけない」の定義の一つとして、「集団からの命令」があって、
いちおう、あなたもその立場に立っていると理解するが、
ここまでの議論ではその「集団の命令」に、
集団を構成する各個人(の大多数)が賛成している理由は、
人によって違うというこだった。
それゆえに、「いけない」を「集団の命令」とした場合、
「理由は無い」という結論になっていたのだが、
その理由を「人に殺されるのはみんなやだ」に
限定してしまっていいのだろうか?
553 :
考える名無しさん:02/01/27 22:31
>>551 いや、「いけない」の定義が「集団の命令」なら、ずーーーっと前から、
そういう結論になってるんだが。
555 :
考える名無しさん:02/01/27 22:53
>>554 ごめん、君はコレ以上なにを議論したいの?
整理して説明してよ。
みんなが「人に殺されるのはいやだ」と思うから、
「集団の命令」(この言い方に違和感あるけど)があるのか。
それとも「集団の命令」があるから、
それが道徳となって個人に内面化しているのか。
それが問題・・・
>>555 議論を始める前に、
まず、「いけない」の定義が何になっているかを知ろうとしているのだが?
558 :
考える名無しさん:02/01/27 23:07
>>557 「知ろうとしてる」?探してどうするの。ないよそんなの。
「いけない」の定義を決めて、それについて議論すればイイじゃない。
一つの定義についての議論が終わったなら、次の定義を君が提示して議論すればいい。
>>558 いや、探してるんじゃなくて、
1 の定義が何か聞いているんだが?
560 :
考える名無しさん:02/01/27 23:13
>>560 まあ、いないでしょ。
次善の方法として、
意見を述べている人に、その人の「いけない」の定義を聞いて、
その定義に従って論じようとしているのだが、
定義を確認する作業の段階で終わってしまうね。
>>554 >>551は「集団の命令」じゃなくて「ゲームのルール」って書いてんじゃねーか。
お前だけだよ、理解してないのは。
>>562 >「集団の命令」じゃなくて「ゲームのルール」って書いてんじゃねーか。
「ゲームのルール」と「集団の命令」はどう違うの?
>>1を「法律以外に殺人を非難できる根拠は何?」とすれば…
ダメかな、これも。
565 :
>>563 :02/01/27 23:45
「集団の命令」では、その「命令」は集団を運営していくのに必要不可欠な
ものでは無いかもしれんだろ。
更に言えば、集団の運営とは何の関係も無い「命令」だって考えられる。
>>565 >「集団の命令」では、その「命令」は集団を運営していくのに必要不可欠な
>ものでは無いかもしれんだろ。
なるほど、まったくそのとおりだね。
そうすると、
>>551 の「いけない」の定義は、「集団を運営するのに必要不可欠」ということであって、
それが「集団の命令」である必要はないんだね。
つまり、だれか一人が言い出したことであっても、
それが「集団を運営するのに必要不可欠である」という
ことを証明できれば、ルールとなりえるわけで、
「異なる理由による賛成の総和」でなくてもいいわけだ。
そうするとむしろ、私が
>>466 で示したもう一方の定義、
>・なんらかの主体(個人、ないしは社会、集団)にとって不利益をもたらすこと。【不利益】
のほうなんだね。(集団を運営できなくなることは、集団にとって最大の不利益といえるよね)
しかし、この場合「集団が運営できなくなる」というのは充分な理由になると思うのだが、
なぜ「理由が無い」ということになるのだろう?
「なぜ人を殺してはいけないか」と考えている場合、どうやら自分の論点は他の
人からずれている。
「自分が殺されては嫌だから」から「その人が今まで生きてきた人生の全てを奪っ
てしまうから」とか「社会的不利益になるから」とか色んな答えがあるけど、わ
しが問題としたい所は、「人を殺しては」って部分はどうでもいいんだな。何か
一般的に「悪」だと思われていることだったらなんでもいいのだ。例えばな
んで「なぜ人を裏切ってはいけないか」「なぜ物を盗んではいけないか」とか、
なんでも良い。「いけない」ってどういう意味か疑問に思ってるだけっぽいのよ。
倫理的問題を根本まで追い求めて行くと結局、答えはでないから、結論は絶対に
でなさげなのだ。
人が殺し会うと戦争になって、地球が滅びるから?なんで滅びたらいけないんだ
ろうか?わしもすごく滅びて欲しくないけど、「いけない」って何よ?みたいなね。
んで
一般的に語られている「なぜ人を殺してはいけないのか」の論争において。
これも多分殺してはいけない根拠はないと思ってしまう。生命の尊厳を説く
ほとんどの人が蚊が額に止まっていたらまず間違いなくたたき殺すから。た
たき殺さない人が言ってたら(上の考え方とりあえず捨てると)、説得力が
有る。どんな生き物でも命に差はないのだ。これは理性で考えれば誰でも分
かる。人間が他の生きものを支配してるから殺すのである。そこには生命の尊厳
もへったくれもない。
568 :
考える名無しさん:02/01/28 00:48
蚊は反撃してこないし、説得もできない
569 :
考える名無しさん:02/01/28 00:54
466は別スレ立ててやったらどうだ?
問題意識が他者とずれすぎ。
570 :
考える名無しさん:02/01/28 00:59
なんでお前ら、人殺しの是非は気になるのに
他の犯罪の是非は気にならないの?
何で人の物盗ったら犯罪なのですか?(w
571 :
考える名無しさん:02/01/28 01:05
> 何で人の物盗ったら犯罪なのですか?(w
常識として迷惑行為なので法律で罰せられるようになっている。
なぜ人を殺してはいけないのも同様の理由。
572 :
考える名無しさん:02/01/28 01:08
なぜ人のモノを盗ったら法律違反なんですか。
→なぜ窃盗は違法行為なのか。違法行為とされる理由は何か。
573 :
考える名無しさん:02/01/28 01:12
>なぜ窃盗は違法行為なのか。違法行為とされる理由は何か。
私的所有権を侵すため。
なぜ私的所有権は重んじられるのか?
それはみんなが自分の物を奪われるのが嫌だ、と思っているから。
574 :
考える名無しさん:02/01/28 01:15
おたがい盗みあってばかりいたら、
誰も生産的なことをしなくなるから。
575 :
Iridium:02/01/28 01:34
1、
行為そのものが不毛。
建設的ではないから。
2、
人を傷つけることになるから。
本質的に相対的な価値判断なので、トレードオフはありえるな。
あたりまえか。
578 :
考える名無しさん:02/01/28 04:29
>>反サヨ
「生物の行動を考えるときに、絶対正しいと言えることは「私欲追求」(脳内快楽追求)」なのに、「正しい正しくないは主観でしか決められない」というのは、ちょいと具合悪いな。
@戦争時は「人を殺さなければならない」
A平和時は「人を殺してはいけない」
B自分が 「自分を殺すのはかまわない、勝手だ」→自殺
C緊急時は「自分が殺されそうな時は人を殺しても無罪」→正当防衛
・・・と見てくると、「いけない」の意味によって議論の次元が異なる。
「いけない」とは、倫理的にか哲学的にか法律的にか文化人類学的にか?
まずそれを既定しなければ、語れない。哲学は、最初に用語の意味内容を
厳密に既定することから始まるんだ。
580 :
考える名無しさん:02/01/28 06:29
せっかく女が産んだのに何故殺すか
命がけで産んだのに殺すか
581 :
考える名無しさん:02/01/28 06:31
命がけで生まなかったら殺していいの?
おい?
反サヨさんて頭いいね。言ってることが正しいと思う。納得。
私は厨房だし、付き合ってくれた皆さんにここで謝謝。
サテ 殺シニ行クカ
584 :
考える名無しさん:02/01/28 10:56
「やっぱ人の未来を奪ってしまうからなんじゃない」、
と昔とある人にいったことがある。その人は、
「じゃあ、100歳の老人を殺すのはいいのか」と反論した。
そうだな、明日死ぬことが確実視される病人でもやはり
殺しちゃいけない、という根拠って何だろうね。
殺スト不快感ガアルカラニ決ッテンダロ
さげ進行でいきますね。
>>578 「私欲追求」こそはその個人にとって絶対ですよね。それが「主観」以外の
何者でもないのは自明の理では?それこそ。
>>584 明日死ぬという100歳の老人にも今日を生きる権利があるんだよ。
それが分かる(私欲追求&想像力で判断する)から殺せないんだよ。
>>585それもあるし、
>>585 快楽と感じる人間もいるということに関してはどう思われますか。
主観によって違うのです。
>>578 「私欲追求は絶対正しいことだ」
「正しい正しくないは主観でしか決められない」
べつに矛盾してないぞ。
主観で、自分の私欲を満たす行為が正しいと言ってるのだから。
とおもったら586が反論してくれてました。
>>569 「このスレで何が議論されていることはなんなのか」
は、このスレでなければわからないのではないか?
「『なぜ人を殺してはいけないか?』スレにおける『いけない』とはどういうことか?」
なんてスレを立てるのはえらく無駄のように思う。
「いけない」に二重の意味があることはわかったんだろう?
その問題に特化したスレをつくったらどうだね。
あんまり議論になってないように見えるんだよね。
俺はお前の言ってることは面白いと思うし、だから最近ずっとこのスレを注目してきたが、
それでも566の最後の三行なんて意味不明だしな。
(あ、いや、説明はしなくてもいい)
>>590 二重ではない、二通りだよ。
このスレにおける、それが、どちらを指すのかがわからないから、
このスレので何を論じているのかわからないというのが問題なのであって、
「いけない」という言葉自体に複数の意味があることを問題にしているわけじゃない。
そんなことは、このスレが立つ以前からわかりきったことであって、
だからこそ聞いているのだ。
別のスレを立てて何を考えろというのだ?
592 :
考える名無しさん:02/01/28 21:36
結論が出るまで、とにかく人は殺すな。
二重でも二通りでもいいが、分かり切ったていた、とまで言うなら拘る必要もあるまい。
「どっちの意味の話? ああそっちの意味ね。じゃあそっちで話そう」
これで済むだろ?
どうしてもこのスレで続けたいのなら、もう少し自分の中で整理したほうが
いいんじゃないの。
>>593 >これで済むだろ?
まったくそのとおりだね。
それで、あなたはどちらの定義で、どのような主張をしているの?
>どうしてもこのスレで続けたいのなら、もう少し自分の中で整理したほうが
>いいんじゃないの。
なんども整理しているよ。
でも、その整理した結果では矛盾がでる主張がでてきたら、
そのつど確認するしかないだろう。
>>593 >「どっちの意味の話? ああそっちの意味ね。じゃあそっちで話そう」
>これで済むだろ?
というか、私のしようとしていたことはまさにそれなのだが・・・。
あなたもそうしろと勧める以上、何も問題はないんじゃないのか?
>>515や
>>506は俺が書いた。俺はどっちの定義でもいいと思う。
ただ「状態が悪い」の意味だと、「殺人なぜいけない?」という質問の意味が
極端に不明瞭になってしまうがな。
>>でも、その整理した結果では矛盾がでる主張がでてきたら、
う〜ん・・・。その矛盾がな、他人と共有できてないと思うんだよ。整理が足りない、っつうか。
>>554-565の流れを見る限り、お前はそんなシンプルに事を進めてはいないだろ?
努力はしてるのかもしれんけどな。
まあいい機会だから、この際もっと分かり易くまとめてみたらどうだ。
>>596 定義の問題は「いいわるい」の問題ではなくて、
それこそ、前提の問題なんだが・・。
(つまり定義自体は意見じゃない、あたりまえだけど。)
>う〜ん・・・。その矛盾がな、他人と共有できてないと思うんだよ。整理が足りない、っつうか。
というか、あなたは、理解できてるの?
>>597 私自身は最初からシンプルにまとめようとしているよ。
>>466 に書いたとおりだ。
そして「どちらでもいい」がなぜ成り立たないかも、
>>466 で指摘しているつもりだ。
とりあえず、ここまでで
「集団による命令には理由がない、なぜなら、それは異なる理由による賛成の総和であるから、
個々の理由、目的は異なっており一つの理由に還元できない」
ということはわかった。
だから、繰り返しになるが、
「いけない」の定義が「集団の命令」ならば、「なぜ人を殺してはいけないか?」という問いに
答えは無い。
「いけない」の定義が「(社会などにとっての)不利益」ならば、「不利益である」ということが
証明できれば、理由(それが「いけない=不利益」ことであることの)になる。
つまり、どちらの定義をとるかによって、議論の展開は違わなければならないはずであるし、
「(社会などにとっての)不利益」という定義をとるのならば、「理由が無い」という
答えはありえない。
>というか、あなたは、理解できてるの?
悪いが、できんかったわ。
>>590 >それでも566の最後の三行なんて意味不明だしな。
と書いたとおり。
>そして「どちらでもいい」がなぜ成り立たないかも、
>>466 で指摘しているつもりだ。さっぱりわからんな。
ある言葉に二通りの意味があるなら、それぞれの意味に従って別々の答えがでる(あるいはでたりでなかったりする)のはごく自然なことだ。なぜ成り立たないのだね?
後半部分のまとめもよくわからんな。
集団の命令じゃなくて、ルールじゃなかったのかい?
>「(社会などにとっての)不利益」という定義をとるのならば、「理由が無い」という答えはありえない。
これも決着がついたんじゃなかったのか。その「理由がない」は「普遍的な理由はない」ということじゃなかったのか。
つまり集団のルールとしては理由がないが、社会的不利益としては理由がある。
>>551なんかは(本人が意識しているかどうかしらんが)これを踏まえたうえでの発言に見える。それをお前がわざわざ前の段階に引き戻している、俺にはそう見えるんだよ。
突然すみません、昨日から読ませてもらっています。
「いけない」の定義は本当に
「集団の命令」若しくは「(社会などにとっての)不利益」なのでしょうか。
過去レスにもありましたが、
「その角を曲がってはいけない」
の「いけない」は「集団の命令」でも「(社会などにとっての)不利益」
でもありません。単なる「禁止」です。
「人を殺してはいけない」の「いけない」にはもう一つ「禁止」のほかに、
道徳的に「悪いことだ」の意味があります。
言葉には、既に意味していることがあります。
過去レス→過去スレでしたか。
すみません・・・
う〜む。辞書的には「禁止」と「(状態が)悪い」だと思ったけど。
【広辞苑】
いけ‐ない(イケルの未然形に否定の助動詞ナイのついたもので、活用はナイと同型)
1.(禁止を表す) 不可である。…すべきでない。「悪いことをしては―」
2.(非難・絶望・拒否・憐憫れんびんなどの意で) よくない。まずい。だめだ。望ましくない状態である。「―子」「あの病人はすでにいけなかった」「歯が痛いのか。それは―」_(体質的に)酒が飲めない。「―口」
すべての原因は感情にある
>466
二つの定義の中で行ったり来たりしてるんじゃないの。
このふたつの定義は重なる事がないとして進めていったらどうだろう。
「いけない」→禁止
「いけない」→悪・状態の悪さ
これでも考え難いのだろうか。
>>599 >ある言葉に二通りの意味があるなら、それぞれの意味に従って別々の答えがでる(あるいはでたりでなかったりする)のはごく自然なことだ。なぜ成り立たないのだね?
それぞの意味に従って「別々の」答えが出るのが自然であるから、
「どちらでいい」という答えは不自然だといっているのだよ。
>集団の命令じゃなくて、ルールじゃなかったのかい?
私が最初にあげたのは【集団の命令】だよ。
>これも決着がついたんじゃなかったのか。その「理由がない」は「普遍的な理由はない」ということじゃなかったのか。
>つまり集団のルールとしては理由がないが、社会的不利益としては理由がある。
だからそのことを私は何度も繰り返し言っている。
>
>>551なんかは(本人が意識しているかどうかしらんが)これを踏まえたうえでの発言に見える。それをお前がわざわざ前の段階に引き戻している、俺にはそう見えるんだよ。
>>554 の発言がなぜ引きどすことになっているのかさっぱりわからないね。
「前からそういう結論になっている」という発言で、なぜ引き戻すことになるのだね?
>>604 その点については
>>514 で述べたとおり。
全く同意だよ。
そうしてもらえると大変助かる。
全体的に殺人が重罪とされるのは
悪意による殺人とそうでない殺人の区別が難しいからだと思う
でも老人の安楽死以外はいかに生活苦であっても殺すと裁かれるよね
ものすごく曲解かもしれないが 自分の子供ぐらい殺しても無罪でいいんじゃないかなんてな
ただし2歳までとか・・・・いや やっぱまずいな
どうでもよくなってきた
>「どちらでいい」という答えは不自然だといっているのだよ。
おれが「どちらでもいい」と言ったのは、「どちらの定義で考えを進めても構わない」という意味。再々度、
>>515を見てくれ。
>私が最初にあげたのは【集団の命令】だよ。
ん。それはわかってる。でも
>>551,
>>562-566で「ルール」に替わったんじゃないの? と聞いたの。
>
>>554 >の発言がなぜ引きどすことになっているのかさっぱりわからないね。
>「前からそういう結論になっている」という発言で、なぜ引き戻すことになるのだね?
>>554のことを俺は言っていない。
>>566が、議論の後退に見えたんだよ。
>>551が言ってるのは「普遍的な理由が無い」ってことだろ? でも社会必要上のルールなら。それは理由として存在している。
お前、
>>566の最後で「なぜ「理由が無い」ということになるのか?」と言ってるが、これだと
>>515(俺)と
>>517(お前)の会話の段階に戻っているように見えるんだよな。
>>551は「社会的不利益としての理由はない」と言ってるのではなく、あくまで「普遍的な理由はない」と言ってるに過ぎないんじゃないか。だから
>社会を超えた所に普遍的な根拠を求めるのは無意味。
と言ったんじゃないか、と。
まぁ俺の勘違いかもしれない。昨夜も書いたけど、
>>566の最後はなんでそんな問いになるのか、俺にはよくわからないんだ。重複してるからな。だから整理がついてないんじゃないか、と思った。
もしこれが俺の勘違いで、お前にちゃんとした別の意図があったなら、言ってくれ。
「いけない」については、
>>606で整理がつくと思います。
しかし、もう一つ整理しなければいけないのは、「人を殺す」=「殺人」です。
「殺人」という言葉は、
「人間が人間を生物的な死に至らしめる」(もっといい説明があるかも・・・)
という事象を指しています。
「戦争では殺人が許される」は普通の日本語に聞こえます。(たぶん・・・)
「戦争では走ることが許される」は少し変な日本語です。
これは「殺人」という言葉が、既に
「許されないこと」とか「悪いこと」などを意味しているからです。
過去の発言にもありましたが虚偽命題みたいになる原因は、
ここにもあると思います。
>>608 >おれが「どちらでもいい」と言ったのは、「どちらの定義で考えを進めても構わない」という意味。再々度、
>>515を見てくれ。
なるほど、そういう意味なら了解了した。
>ん。それはわかってる。でも
>>551,
>>562-566で「ルール」に替わったんじゃないの? と聞いたの。
その流れについての私の理解は以下のようなものだ。
---
私は
>>551 の 「ルール」を【集団の命令】と解釈したが、
>>562 ,
>>565 において、「集団の命令」ではないとの指摘がなされたと解釈している。
特に、
>>565 では、「集団の命令」は「集団を運営していくのに必要不可欠なものとは限らない」
との指摘がなされている。
「ルール」がそういった性質のものであれば、「ルール」とは、「集団を運営していくのに必要不可欠なこと」
であるわけだから、【集団の命令】ではなく「ゲームの参加者」の【利益、不利益】ではないか?
それなら、「根拠が無い」とするのはおかしいのではないか?
---
だから、私は、
>>566 において、
「ルール」が「集団を運営していくのに必要不可欠なこと」であれば、
「ボールを持ってはいけない」は「ゲームが成立しない(あるいは面白くない)」という目的があって、
その目的のために考えられ、その共通の目的によって、合意されたものであるのだから、
「根拠が無い」という結論はおかしいのではないか?
ということを聞こうとしたのだよ。
>
>>551は「社会的不利益としての理由はない」と言ってるのではなく、あくまで「普遍的な理由はない」と言ってるに過ぎないんじゃないか。だから
>>社会を超えた所に普遍的な根拠を求めるのは無意味。
>と言ったんじゃないか、と。
なるほど、そういう解釈もできるね。
だとすれば、「普遍的な意味」などというものが、全く念頭に無い状態だったので、
私が勘違いしてしまったということだろうね。
しかし、それは
>>551 自身に答えてもらわないと(実際
>>551 がどういう意図で発言したのかは)わからないね。
最初から(あるいは
>>554 へのレスとして)、「普遍的な意味は無い」という意味だといわれれば、
別の話の仕方があったはずだが、
>>565 を読む限り「集団を運営していくのに必要不可欠なこと」という明確な目的が提示されていたので、
「根拠が無い」という結論を不可解に思ったのだ。
551はお前や俺らがやってた、「いけないの意味について」の流れとは、別の方向からアプローチしてきたんだろうな。
>だとすれば、「普遍的な意味」などというものが、全く念頭に無い状態だったので、
>最初から(あるいは
>>554 へのレスとして)、「普遍的な意味は無い」という意味だといわれれば、
「普遍的な意味」ではなく、普遍的な根拠。「社会を超えた所に普遍的な根拠を求めるのは無意味」。
最初から「普遍的な根拠」。
「社会を超えた所に普遍的な根拠を求めるのは無意味。」
これ、逆に言えば、
「社会の内部に理由を求める意味はある」
ってことだろ?
名前間違ったわ。
>「戦争では殺人が許される」は普通の日本語に聞こえます。(たぶん・・・)
>「戦争では走ることが許される」は少し変な日本語です。
「陸上競技では走ることが許される」は普通の日本語に聞こえます。(たぶん・・・)
「陸上競技では殺人が許される」は少し変な日本語です。
これは「走る」という言葉が、既に
「許されないこと」とか「悪いこと」などを意味しているからです。
「住職が結婚するのは許される」は普通の日本語に聞こえます。(たぶん・・・)
「住職が人を殺すのは許される」は少し変な日本語です。
これは「結婚する」という言葉が、既に
「許されないこと」とか「悪いこと」などを意味しているからです。
>>611 >「普遍的な意味」ではなく、普遍的な根拠。「社会を超えた所に普遍的な根拠を求めるのは無意味」。
>最初から「普遍的な根拠」。
すまない、そのとおり、「普遍的な根拠」だね。書き間違いだ。
>「社会を超えた所に普遍的な根拠を求めるのは無意味。」
>これ、逆に言えば、
>「社会の内部に理由を求める意味はある」
>ってことだろ?
というか、「社会を超えた所に普遍的な根拠を求め」ていたのは誰なの?
私が、
>>466 で示した定義では、どちらの定義も、社会ないしはなんらかの主体というような
限定があって普遍的な根拠などというものは最初から念頭に無かったよ。
そのあたりは過去レスを読んでもらえればわかると思う。
もしかすると、誰か他の人に向けられた発言に私が見当違いな横レスをしただけってことになるね。
だったら
>>551 にあやまらなければならないが、 彼が説明してくれないと
本当のところはわからないね。
「社会を超えた所に普遍的な根拠を求めるのは無意味」という結論になるということは、
「いけない」の定義がなにか普遍的なものを指しているということになると思うが、
そういった定義を少なくとも私に示した人はいない。
つまり、
>>551 はなんらかのそういったあらたな定義を前提にして、
「根拠を求めるのは無意味」という主張をしたわけなのだね。
できればその定義を説明してもらえるとよいのだが、もういないようだね。
ちゃんとした説明を聞かないとはっきりしたことをはいえないけれど、
「いけない」の定義をそういった「なんらかの普遍的なもの」とするなら、
おそらく、たいていは、根拠を求めるのは意味の無いことになるだろうね。
>というか、「社会を超えた所に普遍的な根拠を求め」ていたのは誰なの?
スレをざっと見返してみると、
>>551は
>>545,
>>549あたりを補強する意見を提出したんじゃないのかな。「いけない」の定義については念頭になかったろうし、俺らの議論はあまり意識してないだろう。
だから、根拠を求めているのが誰かといえば、「なぜ人を殺してはいけないか?」という質問そのものと言えるかもしれん。それは殺人禁忌の普遍的根拠を暗に求めている、ともとれるからな。
あるいは1かもしれんな。>>1-
>>263くらいまでの流れは、そうした普遍原理について=脱社会化した殺人者を抑止しうる普遍的な論理はあるか?=の議論だった(俺も少し参加している)。
これを551は意識したか、あるいはこれを含めたスレ全体の流れを意識していたのかもな。
>もしかすると、誰か他の人に向けられた発言に私が見当違いな横レスをしただけってことになるね。
俺もそう思う。だからお前と551は、最初のうち話が噛み合わないかったんだろう。
>>616 >だから、根拠を求めているのが誰かといえば、「なぜ人を殺してはいけないか?」という質問そのものと言えるかもしれん。それは殺人禁忌の普遍的根拠を暗に求めている、ともとれるからな。
まあ、いいたいことはなんとなくわかるけれど、「それは殺人禁忌の普遍的根拠を暗に求めている」
とするなら、「いけない」は普遍的な意味ということになる。
この定義で議論をしたい人がいればすればいいけど、今のところ、
そういう人はいないようだね。(いたとしたら、もうすこし厳密な定義をまず聞きたいが)
あなた、自身もそういった定義で論じたいというわけではないのだろう?
だから「普遍的な根拠」という問題は今考える必要は無いということだね。
>俺もそう思う。だからお前と551は、最初のうち話が噛み合わないかったんだろう。
というか、どの発言が
>>551 なのか、さっぱりわからないんだけど。
まあ、
>>554 は余計だったわけだね。申し訳ない。
現状を整理すると、こうなると思う。
「なぜ人を殺してはいけないか?」には、
「いけない」の定義によって以下の三種類の答えがある。
・【集団の命令】 → 根拠は無い
・【なんらかの主体にとっての悪(不利益)】 → 殺人を許すと社会が成り立たない
・【普遍的ななにか】 → 根拠は無い
※ 「悪=不利益」に関しては、異論のある人もいるかもしれない。
>「それは殺人禁忌の普遍的根拠を暗に求めている」とするなら、「いけない」は普遍的な意味ということになる。
これは意味がようわからん。
>だから「普遍的な根拠」という問題は今考える必要は無いということだね。
社会外に普遍的な根拠はない→だから今のところ考えなくてもよい、ということなら、それは551の主張通りであり、俺も特に異論はない。
>というか、どの発言が
>>551 なのか、さっぱりわからないんだけど。
>>555,
>>558が551なのはまず間違いないだろう。
>>560も可能性高い。
>>562はわからんが、
>>565も551なんでは。
>・【集団の命令】
これは
>>600が非常に有効な疑問を呈していると思うが、どうか。
おれも、単に「禁止」あるいは「禁止命令」とするのがよいと思う。
>>619 >これは意味がようわからん。
いや、「普遍的な根拠」ということ自体が私にもよくわからないのだが、
現状「普遍的でない定義」しかないわけだから、「普遍的な根拠は無い」という結論の前提としては、
この人の「いけない」の定義には、なんらかの「普遍的な」意味がふくまれているのであろう、
ということだだが。(詳細は当人にしかわからないだろう。)
>>620 これ(
>>600)はよく意味がわからないんだけど。
>おれも、単に「禁止」あるいは「禁止命令」とするのがよいと思う。
というか、「集団の命令」は定義の一つなのだから、
それこそ誰かがいったように、無理にまとめなくても、
「集団の命令」
「発令者の無い禁止命令」
の二種類の定義があるということでいいのではないか?
つまり、
・【集団の命令】 → 根拠は無い
・【発令者の無い禁止命令】 → ?
・【なんらかの主体にとっての悪(不利益)】 → 殺人を許すと社会が成り立たない
・【普遍的ななにか】 → 根拠は無い
となる。
622 :
考える名無しさん:02/01/31 00:24
お前ら言葉でねじ伏せるのはいいけどたまにはネタ振れや
>「普遍的な根拠は無い」という結論の前提としては、 この人の「いけない」の定義には、なんらかの「普遍的な」意味がふくまれているのであろう。
なるほど。だとすればこれも特に問題はないように思える。
551は「なぜ殺してはいけないのか」という問いが「殺してはいけないという普遍的な根拠は何か」という問いでもあることに気づき、だから「社会外に普遍的な根拠は求めるのは無意味」と言ったのだろう。
「いけないの定義」が551にとっては、強いて言えば「ルール」だったのだから、理屈は通っているな。
>これ(
>>600)はよく意味がわからないんだけど。
たとえば親に「◯◯してはいけません」と言われたなら、それは「個人による禁止命令」だ。自分で自分にする禁止命令もあるだろう。複数の人または集団から別々に理由によって、同じ命令をされることもあるだろう。
「いけない」だけでは「禁止」という意味しか引き出せない。
まあお前がどうしても別々にやりたいのなら、それはお前の自由だが、辞書的にも単なる「禁止」と定義されていることだし、一本化したほうがよいように思える。
以上を踏まえて俺の方からも、
>>621をより詳しくしたまとめをしておく。俺の考えも足しておいた。異論があったら言ってくれ。
「いけない」には次のような意味がある。
◯【禁止命令】としての意味
◯なんらかの主体にとって【不利益】という意味
◯【状態が悪い】という意味
◯【道徳的に悪】の意味
それぞれの意味に従って、「なぜ人を殺してはいけないか?」という問いには次のような答えができる。
◯【禁止命令】としての意味での答え
・集団による禁止命令
→禁止それ自体に普遍的な理由・根拠はないが、個別的な理由・根拠がある(社会的な禁止命令は、それに属する人々の、異なる理由の総和である。
>>517)。
・個人による禁止命令
→命令を発した個人による理由がある。
・その他
→未解明。
◯なんらかの主体にとって【不利益】という意味での答え
→社会上の不利益なので(殺人を許すと社会が成り立たないので)、いけない(
>>468)。(社会内部の普遍的な理由?
>>551)。
→個人の場合は不利益になる場合も、利益になる場合もあるので、いけない場合とそうでない場合、両方が考えられる。
◯【状態が悪い】という意味
→意味がよく通じない(
>>596)。社会の状態が悪くなるのは確か。個人の状態は、個人によって違う。
◯「道徳的に悪」
>>600の主張。まだ議論されてない。
スレもろくに読まずに書き込みしますが、
禁止や命令は社会がすでに成立していなければ成り立たないでしょう。
だとしたら社会の内部ではなく社会を超えたところ(社会が成り立つまさにその地点)
に根拠が求められると思うんだけど。
>>624 >まあお前がどうしても別々にやりたいのなら、それはお前の自由だが、辞書的にも単なる「禁止」と定義されていることだし、一本化したほうがよいように思える。
なぜ別々にしたいかというと、以下の二つの理由がある。
一つには、その定義で議論しようとする人が現にいた定義に限りたいということがある、
別に「考えられる全ての定義における根拠」を考えようとしているわけではないのだ。
「集団の命令」、「発令者のいない命令」については、それで主張を行おうとした人がいたが、
「個人の命令」については、それで議論したいひとはいるのだろうか?
定義を一般化してしまうのは、考えなければならないことがいたずらに増えるだけだと
思うのだが。
もう一つには、
「言葉の意味」を求めているというより、「議論を成り立たせるための定義」であるから、
その定義で議論をしてたら、途中で定義にもどらなくてもいいレベルの厳密さが必要だということだ。
単なる「禁止」としてしまった場合、「誰の命令か」についての認識が両者で異なっていた場合、
議論がかみ合わなくなってしまう。
定義を一般化して、サブカテゴリまで追いかけて論じたいという意欲をあなたが持っているなら、
別にやめろというつもりはないけれど、私はそこまでやる気力は無い。
あくまでも、意見のある各人と、議論をするための定義だと考えている。
スマソ、今日はここで寝ます。
ついでに不利益っていうのも弱すぎる。人は利益で社会を作ってる訳じゃないし、
仮にいっさいの制限がなくなって一人だけ自由に殺してもいいといわれても、
たいていの人は殺せないはず。
なぜ一本化を薦めるかというと、定義を最大公約数的に集約してゆけば、サブカテゴリはメインカテゴリの変則として扱えるからだ。
お前はこの問題に関心があってこのスレで発言する者すべての、個別的な定義を全部受け入れていく気なのか? それはそれで凄いし、意義のあることだと思うが、限りなく増えてゆく個別的定義によって収拾がつかなくなる恐れもあるぞ
(その意味で
>>624にはちょっとした皮肉を混ぜてある)。
個別的定義の氾濫はカテゴライズによってしか解決できないし、だったら最初からいくつかの単純な(かつ一般的な?)定義に集約しておいても同じだろう。その定義群に収まらない新たな定義が出来たとき、改めて増やせばいい。
とはいうものの、やっぱりそれはお前の自由。俺は言いたいことは言ったので、後は好きにしてくれ。
あーそれから、発言者の個別性に束縛されないより広汎で一般的な定義での議論も期待できるな。ま、勘案してみてくれ。
>>628 > なぜ一本化を薦めるかというと、定義を最大公約数的に集約してゆけば、サブカテゴリはメインカテゴリの変則として扱えるからだ。
なんでそんなことしなきゃならんのだ?
定義を階層化することになんの意味があるのかわからない。
>お前はこの問題に関心があってこのスレで発言する者すべての、個別的な定義を全部受け入れていく気なのか? それはそれで凄いし、意義のあることだと思うが、限りなく増えてゆく個別的定義によって収拾がつかなくなる恐れもあるぞ
現状、私の理解している範囲では定義は
>>621 に示した 4つしかないし、
実際上、そのうち二つ(「発令者の無い命令」と「普遍的ななにか」)については、発言者が
もういないので、議論を続けることはおろか、定義を明確にすることさえおぼつかない状態だ。
「限りなく増えてゆく」なんて状態になるとはとうてい思えないし、そうなったらさっさと退散するよ。
> 個別的定義の氾濫はカテゴライズによってしか解決できないし、だったら最初からいくつかの単純な(かつ一般的な?)定義に集約しておいても同じだろう。その定義群に収まらない新たな定義が出来たとき、改めて増やせばいい。
だから、個別的定義を解決する必然性が理解できない。
>>561 で述べたように、
私は議論を行う相手と、同じ問題を考えるために定義を求めているのであって、
その定義で考えようとしている人がいないような定義については興味が無い。
あなたがそれについて考えたいのなら、止めはしないけど、
「個人の命令」とかが出てきた段階で私的には「お腹いっぱい」の状態だ。
だから、もう、
>>あーそれから、発言者の個別性に束縛されないより広汎で一般的な定義での議論も期待できるな。ま、勘案してみてくれ。
なんて段階になってしまうと「ごめんなさい」としかいいようがない。
とにかく「広汎で一般的な定義」なんてものにはハナから関心がないのでご容赦願いたい。
631 :
飛込みレスれす。:02/01/31 21:02
>>630 議論を細分化してしまうと、すべての事案に対して個別に検証して
ゆかなくなる、ということと理解します。
人間の他殺という単一事象が、実は単一ではない、という意味では
狭義では「人殺しは罪であるともないともいえない」ということ
になりますな。まあ、これは自明か。死刑囚への執行官がすくなくとも
法的な罪咎を問われることはないもんな。
原罪というものは純粋理性からは導かれない。だが実践的な要請として
必要なものだから、一般悟性として、他殺を禁止している、、、でいいん
じゃないの。法哲の広義の了解でしょ。他スレでもカントで煽ってる人が
増えてるジャン。あとDQN厨房はぶんなぐっておくのも実践的要請。
>定義を階層化することになんの意味があるのかわからない。
階層化してもいいし、しなくてもいいんだよ。
集約された定義において階層は「折り畳まれている」。必要に応じて展開すればよい。
個別的定義を同価値的に並列したままでは、項目は常に広がったままだろ? 議論を薦める上でも無駄が大きい。
>「限りなく増えてゆく」なんて状態になるとはとうてい思えないし、そうなったらさっさと退散するよ。
なるほど。それは現実的な対応だ。でも無責任だな。
ま、好きにやってくれ。
>とにかく「広汎で一般的な定義」なんてものにはハナから関心がないのでご容赦願いたい。
それは残念だ。
個々人の定義の中だけで繰り広げられる議論では、その結論の妥当性は著しく狭いものになるだろう。狭いものを深く追求するのも手だが、それは視野狭窄になりかねん。
より広い妥当性、より多くの人にとって頷ける結論を追求するのも、また手だろう?
まぁお前がやりたがらないものを無理に薦めているわけじゃない。プラス・マイナスを理解した上でやってくれるなら、それに越したことはない。
>>631 >が実践的な要請として必要なものだから
ええと、この段階で既に根拠があることになってると思う。
つまり、【集団の利益】ということではなかろうか?
定言命令というものの存在を知らないわけではないし、
そういった考え方が無意味とも思わないが、
「原罪」とかの概念も含め、充分に理解しているわけではなく、
カントはそのうち読もうと思っている程度なのでこのぐらいで勘弁。
>>632 > 個別的定義を同価値的に並列したままでは、項目は常に広がったままだろ? 議論を薦める上でも無駄が大きい。
現に個別的な問題しか存在しないのだからそれで問題ないだろう。
広がったまま、とか無駄とかいうことは、個別の問題を超えた問題が存在し、
なおかつその解を求めようとしているという前提でしか意味が無い。
そういった問題は提示されていないし、もちろん私はその解を求めてもいない。
従って広がったままでも、無駄でもない。
> より広い妥当性、より多くの人にとって頷ける結論を追求するのも、また手だろう?
というか、その結論はどういう問題の結論なのだ?
なぜ、示されてもいないその問題の結論を、ここで追及しなければならないのだ?
困ったな。
>現に個別的な問題しか存在しないのだからそれで問題ないだろう。
現に一般的な問題として存在しているんだが・・・。
>そういった問題は提示されていないし、もちろん私はその解を求めてもいない。
>従って広がったままでも、無駄でもない。
もちろん今の時点の話はしていない。将来無駄になるだろう、と言ってる。
それくらいはわかるだろ?
>というか、その結論はどういう問題の結論なのだ?
え〜と、「なぜ人を殺してはいけないか?」という問題の結論なのだが・・・?
あのな、こういうやりとり、まだ続けるか?
俺は別にお前のやり方でも構わない、と言ってるんだがな。
本題に入った方がいいんじゃないのか。
635 :
考える名無しさん:02/01/31 22:37
>>633さん
真摯な方とお見受けしました。教養的な知識は専門スレにいらしてください。
「実践的要請」に部分については、洗練されておらず、もっと野蛮な概念と
漏れは理解します。つまり世の中には「殺人」が絶えることはなく、また
それを心情的に非難する人たちも絶えることがない。その根拠については
明白でなく、また純粋理性を根拠にした議論であるとは到底考えられない。
しかしながら、殺人を一定の規範により管理するということには伝統的な
価値が認められそうだなあ、と直観的に理解できる。その直観とは野蛮な
悟性だ(実践的要請)。純粋理性とはもしかして存在しないのではないか。
とすれば、証明されておらず、また不確実である、というだけを根拠に、
主観命題(定言命題)を否定することはできないのではないか・・・
まあIQ145程度の理解ですが、こんなところじゃないでしょうか。
636 :
ginza:02/02/01 00:05
「借金のために自殺」と「借金から逃れるために殺人」では、
どちらをあなたなら、えらびますか?
(質問をよく、よむように。ハヤトチリは恥かくよ)
人間は集団社会で生活することを前提とした場合、少なくとも2人は必要なわけで、他方を殺害すると当然1人になってしまう。
極論し拡大していくと、他人の殺害を肯定すると大量殺人が生じ社会が成立しなくなってしまう。社会理論的にはこんな考えでいかがでしょうか?
生物学的にはやはり極論ですが、人間1人では生存確率が低くなるの生活がしにくい。あと交配の選択肢が少なくなるのを避けることや生物が元々増える(群れる?)ことを前提に
本能的にコントロールされていると考えた場合、やはり殺人は回避すべきと考えて当然ではなかろうかと・・・。
法律的には条文で禁止されているから。
殺人が肯定される場合は法律上の正当防衛要件に該当するもので良いのでは。
638 :
ginza:02/02/01 00:26
私は「借金のために自殺」という行動原理が、どうしても
理解できず、一方、「逃れるために殺人」は、かなり身近
に感じることができます。<1人では生存確率が低くなる>
という理由で、目の前の<自分を殺そうとしている阿呆>を、
ころさずに生かしていく”動機”が、全く、精神的に導体
できないのです・・・・。
639 :
考える名無しさん:02/02/01 01:01
>>636 >「借金のために自殺」と「借金から逃れるために殺人」では、
>どちらをあなたなら、えらびますか?
中間項(夜逃げする等)は無し、ということでよろしいか?
だとすればそれは「自分の命か、他人の命か」という問題ですね。
大多数の人が前者(自分の命)を取るでしょう。
640 :
考える名無しさん:02/02/01 02:17
「殺し」 というもの自体が ”いけない”行為なのでは無い。
自然界に公然と存在しているものが、社会に入ると何故タブーなのか。
それは ルールの理論にも関係している。
サッカーボールは絶対手で持ってはいけないものなのか?
そんなはずはない。
では何故 手で持ってはいけない などというルールを作るのか。
【利益を生む】からだ。
ここでは「その方が面白いから」という事になる。
殺人でも、行為自体は本当は問題ではない。
ましてや原罪であるなどというのは宗教的な【人間を特別視した】理論。
しかし 社会を形成しようとする場合、これが問題になる。
人が密集するからには ”隣人同士攻撃し合わない”という暗黙のルールが必要。
つまり【安全という利益】を得るのだ。
だから 殺人は重大なルール違反だから ”いけない”のだ。
641 :
突然ですが:02/02/01 07:54
「人の物を盗んではいけない」という規範と、
「人を殺してはいけない」という規範に、連続性はあるのでしょうか。
もし、有るのなら両者を視野に入れた議論をすべきでしょうし、
無いのなら、不殺生戒の特別性をも考慮して考えるべきでしょう。
642 :
名無しさん:02/02/01 08:03
>>641 プラス強姦もね。種の存続に役立つ本能的行為なのに
なぜやってはいけないのか?とか(W
643 :
考える名無しさん:02/02/01 09:32
「なぜ殺しちゃいけない?」って聞かれてるんだから
「・・・だから殺していけない」
て答えなくちゃいけないんだけど
そのときにいう「だから」は
後ろに「ころしてはいけない」
という言葉がくるときに
機能しなくなる
つまり
因果律が成立しなくなる
もっといえば
「・・・」にどんな言葉を入れても
もとから因果律が成立しないってことは
この問いかけ自体がナンセンス
たとえば
「南極点より南にある場所を教えてください」って聞いてるようなもの
644 :
考える名無しさん:02/02/01 10:50
>>643さんの発言が正解だよ。
「ヒトを殺してはいけない」という倫理観の背景には
「ヒトは殺すことが可能である」という実態がある。
もしいかなる手段を用いてもヒトを殺すことができない
のなら、「ヒトを殺してはいけない」のではなく
「ヒトは殺せない」になるからね。
ここから逆説的に言えることは「ヒトは殺すことができる」
ってことで。つまり、殺人は可能なんだなってことで。
だからこのスレで議論されてる「なぜヒトを殺してはいけないんですか」
っていう問いかけは、じつは問いになっていない。なぜなら「イケナイ」
というわけではないからだ。
むしろ正しい問いかけは
「多くのヒトは、なぜ、他のヒトを殺さないんだろう」
これだ。
>>644 うーん、それって事実命題と当為命題を混同してないか。
「多くのヒトは他のヒトを殺さない」という事実から
「殺すなかれ」という規範が導かれないことは、
「とりあえず」前提にできるわけで、
それとは、別に定言命法としての「殺すなかれ」という規範が
あるように思えるから不思議なんじゃないかな。
もっとも、事実命題は論理的に探求できるけど、
当為命題を議論するのは難しいから、
前者に限定して考察を進めるのも一つの方法だろうけどね。
・・・だからひとを殺してはいけない
というのは
・・・だからひとは死んではいけない(例 周りの人が悲しむから死ぬな)
といってるようなもの
経験から人は誰も死ぬと認めた上で
「死なないで」というのは不条理
それと同様に経験から人間社会において
殺人が起きるのを認めた上で
人を殺すなというのも不条理
しかし
意識的にしろ無意識的にしろ
誰もが不条理を必要としてる
例えばヨーロッパはナチスだけに戦争の責任を求めたけど
その原因を探ると
ナチスはもちろんだけど
その前の戦争の多額の賠償金だったり
その多額の賠償金の原因を探ると普仏戦争
さらに普仏戦争の原因を探ると・・・
といつまでたっても埒があかない
そんなの歴史家とか思想家は考えればいいことで
日々仕事に追われてる庶民にはそんな暇はない
それを戦争の原因をすべてナチスに押し付けることで
つまり一種の「不条理」を無意識的に受け入れなくちゃ
日常生活なんか送れない
それと同様に哲学者とかじゃない
多くの庶民は「人を殺しちゃいけない」
という不条理を受け入れている
思うに、「人を殺してはいけない」っていう観念は、
もともと論理ではなく、特定の信念に基づいていたのだと思う。
それは社会おける宗教だったり神だったり倫理観に支えられた「正義」
という信念。
それから「人を殺してもいい」という考えも同様に導かれる。
戦争における殺人や、極悪な犯罪を行った罪人に対する死刑制度。
それらはその社会にいる人たちがそれが「正義」に基づいていると信じて
いるからこそ正当化される。
ただそういう信念が自明なものだった時代があったのだが、今の時代、
「正義」なんて言葉は死語だから共同体の中に共有する信念がなく
なってしまった。だから「殺してはいけない」理由も、「殺していい」理由も
曖昧になってしまった。
これを現代人がより自由に物事を考えられるようになったこととして、
肯定的にとらえるか、あるいは現代人の病理ととらえるかは個人の選択だが。
>>634 >現に一般的な問題として存在しているんだが・・・。
そういう意味ではなくてスレの問題としてはってことだよ。
>もちろん今の時点の話はしていない。将来無駄になるだろう、と言ってる。
>それくらいはわかるだろ?
あなたの予想なわけだね。
>え〜と、「なぜ人を殺してはいけないか?」という問題の結論なのだが・・・?
あなたがそう答えるなら、私はこう聞かなければならない。
あなたのいう「いけない」の定義は何だね?
いや、答えなくていい。
どうせ話はかみ合わないだろう。
つまり、この点に、あなたと私の、この問題についての考え方の違いが集約されている。
だから、無駄な話はもうよそう。
あなたの考えていることは、おそらく、私にとってはまったく興味の無いことだ。
>あのな、こういうやりとり、まだ続けるか?
>俺は別にお前のやり方でも構わない、と言ってるんだがな。
>本題に入った方がいいんじゃないのか。
私はとっくに本題をやっているつもりだよ。
私は個別の定義に基づく問題にしか「関心が無い」と明言しているのに、
あなたが、執拗に「それは無駄だ」など主張しているから、
私が答えなければならないのだよ。
あなたが「いけない」の意味を限界まで拡張したいのはわかった。
それをあなたが、やるのは勝手だが、それは単にあなたと私の関心の対象が違うだけであって、
「あなたの問題」にとって「私の問題」が部分解に過ぎないとか、無駄であったとしても、
それは、それこそ「あなたの問題」であって私には関係の無いことだ。
>俺は別にお前のやり方でも構わない、と言ってるんだがな。
というなら、よけいな事は言わずに、あなたはあなたでやってくれないか?
正直もうお腹いっぱいだ。
>>635 >真摯な方とお見受けしました。教養的な知識は専門スレにいらしてください。
あなたこそえらいまじめな人だね。
でも「専門スレ」ってどこ?できれば URL が欲しかった。
(といってもそこで発言する力量と気力が私にあるかどうかはわからないが)
>「実践的要請」に部分については、洗練されておらず、もっと野蛮な概念と
〜
>主観命題(定言命題)を否定することはできないのではないか・・・
>まあIQ145程度の理解ですが、こんなところじゃないでしょうか。
なるほど、
「定言命令」の概念は百科事典レベルのことしか知らないのだが、
「仮言命令」のような前提を必要とせず存在しえる命令、
という概念は面白いとは思っていた。
ただ、そうすると、「定言命令」はなにをもって「定言命令」たりうるか、
という漠然とした疑問を抱いていたのだが、
「野蛮な悟性」などというものがでてくるのだね。
そのような成立の背景を「根拠が無い」と言うべきか「根拠は在る」
と言うべきか難しいところだね。
とにかく「純粋理性批判」はよまなきゃならんようだね。
(まあ、「そのうち」・・・)
因果律と捉えるか、定義として捉えるか。
651 :
考える名無しさん:02/02/01 22:26
自分がして欲しく無い事は人にやってはいけません。
652 :
考える名無しさん:02/02/01 22:29
自分の親しい人が殺されたら悲しいです。
だから人殺しはいけません。
>そういう意味ではなくてスレの問題としてはってことだよ。
???
何を聞きたかったんだ? もちろんスレの問題として、だよ。
まぁ今となってはどうでもいいか・・・。
>というなら、よけいな事は言わずに、あなたはあなたでやってくれないか?
あのな、俺は俺でずっと前からやってるんだよ(苦笑)。
お前が奇妙なやりかたで「定義は? 定義は?」と聞いてくるから答えたまでだよ。
奇妙な聞かれ方をされたら、されたほうとしては「なんでそんな聞き方するの?」って聞き返すのが普通だろ?
それを「興味がない」とはな・・・。
他人てのはさ、単なるサンプリング対象なんじゃないんだから・・・。
まぁもうどうでもいいか。疲れたyo。
>>653 >あのな、俺は俺でずっと前からやってるんだよ(苦笑)。
〜
>お前が奇妙なやりかたで「定義は? 定義は?」と聞いてくるから答えたまでだよ。
といわれても、どこであなたが答えたのかさっぱりわからない。
この質問が不快なら、少なくともステハンを使ってくれ、
そうしないと、また同じ質問をしてしまうかもしれないよ。
私が理解し得た定義は、
>>621 で示した分だけだ。
それ以外の定義をあなたは答えたのかね?
いい加減開放してくれないか?
私はあなたのやり方を認めている、別々に話をすればいいだろうといっているではないか。
それなのに、あなたは、自分のやりかたで議論を始めようとはせずに、
一方的に私のやりかたに文句をつけるという無駄な発言を繰り返している。
私はあなたの主張やりかたを否定するつもりはないけれど、
私のやりかたを否定されたら反論せざるを得ない。
あなたが私の議論の進め方が不快であるなら、
私に苦言を呈するなんて無駄なことはせずに、
自分のやりかたで、さっさと議論を始めればいいだろう。
ほんとにもうお腹いっぱいだ、勘弁してくれ。
私に構わず、あなたの主張をさあ初めてくれ。
655 :
考える名無しさん:02/02/02 00:05
ある社会のなかで生きていく権利を得たいならルールを守るのが当然だろ
人殺しを肯定したいなら社会から離れればいいこと。
それは同時に人間としての権利を放棄すると言う事。
まさに死んだも同然。
あなたがどこかの国で生きている以上、人殺しは許されない。当たり前だけどね。
人殺しは自分をも殺すって事。単純明解。
>>ALL
このあと、運がよければ、
名前のわからないだれかが、すばらしい意見を述べてくれるらしい。
私はもう疲れたので消えます。
「異なる理由による賛成の総和」と「野蛮な悟性」は面白い指摘だった、
指摘してくれた人ありがとう。
>一方的に私のやりかたに文句をつけるという無駄な発言を繰り返している。
なんでそうなるんだよ。
議論を持ちかけられたました→そのやり方が不審だから疑問を呈する→でもお前はただ「自分がそうしたいから」としか言わない。
しかも俺はそれすら否定していないんだぜ。むしろ、意義ある事かも、とすら言ってる。お前が一方的ならわかるが、なんで俺が一方的なんだ?
>どこであなたが答えたのかさっぱりわからない。
>>594その他だけど、おれには興味ないんだろ。もういいじゃないか。ほっといてくれ。
頼む。
>あなたは、自分のやりかたで議論を始めようとはせずに、
>私に構わず、あなたの主張をさあ初めてくれ。
>自分のやりかたで、さっさと議論を始めればいいだろう。
だからもうやってるんだよ。お前とは別の流れで。
なんなんだよ。もう。
658 :
考える名無しさん:02/02/02 00:22
人殺しを行う人間の心理は正常な人間のそれとは全く掛け離れているんだから
社会性を失った人間に社会性云々で説得させるのは。。
なぜ人殺しはいけないの?なんて別次元の人間にとってどうでもいいこと。
戦争なんて世界が違うし。
ムキになりすぎたな。俺も消えるわ。
660 :
104(181):02/02/02 02:49
661 :
考える名無しさん:02/02/02 03:12
なぜ人殺しはいけないか、という問いを本当は殺しちゃいけないと思ってる人が
考えることにあまり意味はない。
そこで、何、余裕で殺せるよ、という人がいるなら聞きたい、いる?
なぜ人を殺してはいけないか?
なんて古臭くてその疑問の前提を意識できてない問いをするやつはアホですよ
思春期までにしてください
何、余裕で殺せるよ! て人ならいたかもしれないよ。
「それは法律で禁止されてるからだ」
(法律で禁止されてなければ殺しまくる)
「また、社会のきまりだからだ」
(ルールがなければ当然殺しまくる)
「愛する者が殺されるのがいやだからでもある」
(愛されないにちがいないやつは殺しまくる)
「殺されたくないからだ」
(殺されないめどが立ってれば殺しまくる)
「なんかの不利益だから」
(得するなら殺しまくる)
664 :
考える名無しさん:02/02/02 05:17
どんなにガンバって「殺さない理由」を考えても、裏をかくことは簡単なんだよな。
なぜならそれが論理の宿命だから。
665 :
考える名無しさん:02/02/02 08:42
殺し は宗教的に表現するところの【原罪】では無い。
つまり 別にやっても構わない行為。
未開のジャングルで出会った人間を殺したって何の問題も無い。
例えば
法律にも罰せられず、かつ私にとって邪魔なら殺すね。
何故正当防衛は認められてるんだい?
『殺し』という行為自体が原罪なら、正当防衛も罪でしょ?
【真理】として、
殺しは「やってはいけない行為」ではない。
禁止された行為でしかない。
禁止された行為である以上、それを守る守らないは個人の勝手。
個人の勝手を取り締まるのが法律。<いけない/いい>じゃなく、
<する/しない>。個人を束縛する理由は<いけない>の中にはない。
まだ続いてんの?
もういいよ。
ひとを殺してもいいです。
それはその人の自由です。そのかわり責任は各自でとってください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 終了 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
人間は、人間を殺す「自由」を持っている。
何ぴとも、他人からその「自由」を奪うことはできない。
したがって、人間を殺すことはできない。
671 :
考える名無しさん:02/02/03 18:07
殺人がいいか悪いかを知るには、まず殺人者の心情を知ることが
重要だと思うけど。
じゃないと所詮一般人のたわごと以上にはならず、説得力なんて生まれない。
殺人を犯したという破壊の極限について語るより、
まず大事な物/どうでもいい物を壊したときの心情を考えてみたら?
その延長線上に殺人があると思う。
673 :
考える名無しさん:02/02/03 19:37
いかにもアマチュア的結論
↑プロかよ!!(三村風)
__,,.-‐''''''''''''''''''''ー:-、_
,,.-'";:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:~`ヽ:、_
,/;:;:;:;;:-'"~~''ヾ/~~~'''''--、;:;:;;:;:;:;;:\
/;:;:;:-'" `ヾ;:;:;:;:;:;;ヽ、
/;:;:彡 ヾ;:;:;:;:;:;;:ヽ
/;;::;:三 i;:;:ミ;:;:;:;::ヽ
,i";:;:彡 - '' - 、. ヾ;:;:;:;:;:;:;:;:;i
/;:;;:;彡 ,,...:-'" ,,,..... ミ;:;:\;:;:ミ|
/;:;:;:;:;:彡 - ' ''"" - ''" ミ;;;;;;;;ヾ;;;;|
i!;:;/;:;:;彡 ,,;;;;;;;!!!!!:、 ヽ、;:;:;:;;::、
!i;:;:;:;:;:;:;| ,,;;;!!!!;;;;:::: :::. '"" _ ノ i / |
ヾ;:彡/ _ _ ::: :::: ,,.ィゝ-''ヽー ' ヾ/ゝ |
!;:;:;:| ゝ_,.-''"ゞ-'ゝ,;: ::::;:;:;::ー= '" :::ノ |
i、/ ,.-‐>ゝ: : ' " ::::;:;:;: : : :; /
:| ..:/ :::: '⌒ヽ ;::‐'
ゝ、 ..::::: ゝ - 、 ,:-‐-' `ヽ、 .. :|
i ::::/:: `'''' i:::: |
ヽ !:::: __,,,..::;;;;;;;;;;;::::‐-っー ,! そんなことはいけません
ヽ `::: `ーゞL:L:L:Ll.-'~ノ .:: / いかがと どうでもいいか
\ ` `ー-、二二,.:'' .:: ,ィ"
,,...--;'''"";:ヾ, :.. ,;: /
,..:-'" ー:、 .....,,,,,,.... ,.::'"
( ゜ ミ)ゞ` ノノ/しへヾ_
| √~^^^~^'~''゜^^^⌒\、 (_
/ / ___ _ リ彡リ
/ 彡 _ ___ (\リ
| ,) _ェ__ __ィュ. |、(
| シ /-ー"' レ〜⌒ | )
| ミ.| / ゚̄ ̄' 〈´ ゚̄ ̄ . | ヲ
| | ' /ノ| |ヽ ゜ .| |
( | ノ /) 〉 \ |ィ
ヽ | ( し. ) ||
', | ^ 、,! ^゜ | |/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
L 'ィーーv〜‐ッ / / < みんなやってることだからねェ
ヽ ' ̄ ̄ ̄ // \_____
|\_____イ
.ニ二∧ ∧二ニー
>>671 殺人という行為には善悪という価値は含まれていない
価値はこの社会がつける
最初と最後だけしか見てないんで悪いんだが、これだけ言わせてくれ
昔、人間は家族で生活していた(だったと思う)
これじゃ、非効率的だ。村を作ろう
村だけじゃまだ足りない、国を作ろう
そして人々が住みやすくするために法律ができた
(法律とは最大公約数の幸せのためじゃないのか?)
他の国「オレらと一緒にならね〜? こっちは食料がたくさん余ってるよ
そっちの鉄をくれ」
国「よっしゃ、ちょうど食料が足りなかったんだ」
そして1つにまとまる(法律もまとまるんだろうな)
天才の国「おれたちゃ天才だぁ、天才は何やっても許されるんだぁ
凡人なんて生きる価値なし。逝ってよぉぉし(死ね)!!」
合体した国「なにぃ。そんなの許せるか!!」
そして戦争へ
つまり法律ってのは社会の中でのみ機能するもの
だから戦争は全然おっけ〜
んで人殺しがいけないってーのはみんながそうしたいって言ってできたもの
理由? ハァ? そんなものねーよ
何か意見ある?
やっぱそうか・・・できたらどのあたりで出てるか教えてくれません?
>>677 なら、破壊という行為の価値は、どうだろ?
破壊には、善悪の価値なんてないね。
破壊することでそこに新たな芽が生まれるだろうし、
しかし破壊することはその対象を無視することになる。
677さんと同じ意見だこりゃ
??
683 :
考える名無しさん:02/02/07 22:19
http://www.interq.or.jp/snake/totugeki/sinwa.html 「私は神だ」を否定するためには共通理解(自然科学的知識や論理実証主義など)が必要なのと同様に、証明の正当性や根拠の正しさなどの判定には「真偽」や「正誤」の基準を規定する構造、
共通の信仰が必要となる。そして筆者が問題とするのは、まさにこの、共通の信仰が成立しない可能性についてなのである。
「私は神だ」と言う者と我々との関係──共通の信仰、共通の「正しさ」が異なっている者同士の関係は、常に必ず暴力的である。我々の全ての行為は「私は神だ」の彼に対して、極めて不当で、
理解できず、非平和的なものとなるだろう。もし彼が「私は神だから、人を殺すのも私の自由だ」等と言い出したらどうだろうか。我々は、彼の主張──ひょっとすればそれこそ正に真理かも知れ
ない主張──を初めから全然信じようとせず、ただ我々の信仰に基づいて彼を黙殺し、笑い飛ばし、時には罰するのである。双方ともに、自分から見れば自分は全く正当で、相手は不当なのだ。
つまり、そこには「正しさ」ではなく、ある種の権力(暴力的・排他的に獲得される自由)だけが存在した。単なる自分勝手な信仰を「正しいもの」として押し通し、相手を抑圧するということ。
権力、これこそあらゆる「正当性」の歴史的な、論理的な、基礎的な原理に他ならない。「正しさ」の基準が互いに異なるならば、自分の捏造した「正しさ」の基準を押し付ける力の程度だけが「正しさ」を根本的に規定する唯一の因子でなければならない。
信仰の差異は権力的な対立を生むことが示された。それでは、唯一残されたかに見える「平和的な」状態、信仰が共有される場合はどうだろうか。筆者の分析によれば、このような場合を含む全ての行為・状況が、純粋に権力的なのだ。
仮に「解り合い」が可能になり、「平和的な」状態ができたとしよう。しかし、一人でもそれに同意できない者がいれば、「解り合い」「平和」自体が彼に対する状況的な権力差を生むだろう。
例えば「人を殺してはならない」という「平和的な」信仰を多くの者が持てば持つほどに「私は神だ」の者は権力的抑圧を受ける。「私は神だ」などと言い出す者は流石に一人もいないとしても、
それに近い信仰──ある種の新々宗教や、オカルトもそうである──を持つ者の存在は、容易に推察できるだろう。一つの平和が、一つのより非平和的な状況を原理的に要請するのである。
このように、信仰が共有されていない状態は権力的な状態であり、信仰が共有されている状態も権力的な状態であるから、我々は常に権力的な状態にあることが示される。
したがって「人を殺してはならない」などという要請も、単に自分勝手な暴力にしか過ぎないのだ。その暴力を気にしないなら、人を殺すことは何も「間違った」ことではない。
原理的な意味で、我々はそれを「間違っている」と示すことができないからだ。「いや、それは理論上の話で、現実的ではない」と思う諸君。筆者は、それこそが一つの暴力だと言っているのだ
──真面目に構築された理論を(それも学問的には「当たり前」のことを)直感だけで「おかしい」と決めつけるということ、ついには「理論上間違っていない」はずの殺人犯を直感だけで軽蔑するということ……。
「正しさ」の対立を含む全ての対立は最も権力的に解消され、「平和的な」状態を含む全ての状態は最も暴力的である。解釈と権力こそ原理。
>1
そもそも最初の命題が不明確。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
この命題の中に、「誰が」いけないと言ってるのかが明確にされていないので
論点が定まらない。
例えば、
「日本の刑法では、何故殺人は罪なのか?」
「大勢の人が倫理的に殺人を罪と思っているのは何故か?」
「ぼくのおかあさんは、なんでひとごろしはいけないといったのですか?」
このように明確にする必要がある。
>1は、覚悟のある殺人者に人を殺したらいけない理由をどのように問いたらいいか
という疑問を投げかけたが、本人の中にその相手を殺してはいけない理由がない以上
殺人は行われるのは当たり前のことだ。刑法で罪であろうと、大勢の人が倫理的に
罪と思っていようと、おかあさんがだめだと言っても、本人が殺すと思ったらそれまでの
ことだ。
むしろ、「人を殺さない人間を育てるにはどう教育すればよいか?」のほうがマシ。
スレッド名の文字制限越えてるか・・・?
685 :
考える名無しさん:02/02/08 01:22
>1
人を殺したいんですか?
なぜ人を殺してはいけないか、そう考えるよりもむしろ
なぜ人を殺さないほうが好ましいかとして考えたいものです。
〜してはいけない、という考え方をとることが心理的に
好ましくありませんので。
僕も内面的にこの問題についてはより深く考えてゆきたいと
思っていますので皆さん、もう少しご意見を投じてください。
法があるから殺さないのだ、という理論は確かに便宜的に
妥当であるとは思われるのですが未だ本質的な問題の解決
には至っていないように捉えられてならないのです。
他方で、「意味への努力」による解決の方法はもっともらしく
見えるのですが、スピノザの汎神論よろしく占いの要素を
離れてはいないようにも思われるのです。
ご諸賢のご意見をお待ちしております。
>1
疲れるから。
688 :
クロウシテマニヨン人:02/02/08 04:37
>>686 いや、心理的に好ましくないという理由が、よくわからんのですわ。
もし、好ましくないというのがはっきりいえるんなら、つまり根拠があるなら、人を殺さないほうが好ましい、という根拠もでてきそうなものじゃないですか。
>688さん
〜してはいけない、という断定的な云い方をしますと
何らかの前提を持つということになります。しかしながら
今の自分にはその前提が確立しておりません。従って
一時的にではありますが好ましくないという云い方を
採用することで含みを持たせているのです。
また、好ましくないというのがはっきりいえるんなら
から根拠があるならという論理の展開に少し齟齬を
感じてしまいます。あくまで私見でありますので
あなたの考え方を否定したりするものではありません。
私はなぜ人を殺してはいけないのか、の「いけない」の
部分を再考しようとする際に「いけない」という単一
指向に拠るものではなく、また殺人は人間存在に関与
する部分の問題でありますから、共存に必然性が
あるのであれば「いけない」よりも、なぜ人を殺さない
ほうが(我々にとって)好ましいのか、という問題の
考え方をしたいと考えた次第です。
もし誤解があればご指摘いただきたいのですが、688
さんはおそらく「殺人」が好ましいのか好ましくないのか
まだ断定的に捉えるべきではない、とのご指摘であるの
かも知れません。その指摘であるのならば、至極まっとう
で私も再考しなければならないと思います。
またご指摘ください。ありがとうございました。
>689
言いたいことはわかったが、命題の表現を変えても本質的な問題は変わらない。
「なぜ人を殺さないほうが好ましいか」
これは、誰に向けて言っている?自分自身にか?
私は自分にこの問いを向けられた時、はっきりとした答えがある。
君にはないのか?
それとも君の命題は
「人はなぜ人を殺さないほうが好ましいか」なのか。
それならそう、はっきり明記すべきだ。
そして上記の命題に完璧な答えなどあるわけがない。
だから人類は宗教を作ったり法律を作ったりしたのだ。
宗教の成立は遡って治者の側が自国のオーソドキシイを国内に
知らしめ共通理解を築くこと、同時に対外的大義として持つ
ために用いられたものであると捉えています。また、およそ
現在の法の根底にある自然法思想による予定調和は近代以降
その破綻が明らかであり、これは法が根本的に殺人という
問題の事後抑止力として存在はできても、根源的な抑止力に
はなっていないことを証明しているようにも見受けられます。
命題の表現を変えて本質的な問題が変わらないという690
さんの意見は大変参考になるものがあり、私自身が再考する
契機ともなりました。ありがとうございました。
現在の時点において私の内面に確固たる答えはありません。
従ってご諸賢のご見解を披瀝して頂くことで、自身を外的
に相対化する契機としようと考えています。よろしければ、
枝葉末節に拘泥しない建設的な提起を頂けるとより本質に
寄与するものであると思います。
自身がまだ未熟であることから、一層内面的充実を図る
必要性を強く認識しました。
人の死を自分の善とした時点で、
自分の死をも善と肯定する事になるので
殺す自分が まず死んでいなければならないので論理矛盾。
よって殺してはいけない。
その事を人間は本能的に知っているのだ。
693 :
ブロンソン:02/02/08 15:16
>692
人の死を善としても自分の死を善とするとは限らない。
そうなる論拠に乏しい。さらに自分の死を善と肯定
したとこでまず死んでいなければならない必要もない。
論理矛盾はおろか、論理的に整合性を欠いている。
よって証明にならない。
そのことを人間は本能的に知っているのだ。
694 :
ブロンソン:02/02/08 15:19
補足 う〜ん、マンダム
695 :
で、お前は、でりだ。:02/02/08 16:02
徹底的な他者肯定=正義 だよ。
とりあえず、殺したい人のほうが少ないから。>1
多数=正義
697 :
で、お前は、でりだ。:02/02/08 16:31
反復可能な言葉をつかって、誰かに話しかけてる以上、
他者肯定=正義 なんだよ。
殺人の正当化は口を閉じてやりな。
699 :
考える名無しさん:02/02/08 17:10
論理的整合性は他者肯定を超える。
口を閉じてな。
700 :
わかっていないがわかったフリもしていないブロンソン:02/02/08 18:51
わかっていない神へ。
自分が人であっても人の死が善だからといって
自分の死が善となる根拠に乏しい。
人は自分の善となることしかしないという説は
あなたの思い込みに過ぎない。
わかっていない者が殺してしまうと勝手に
いっているあなたを支持する者が殺してしまう。
(頭が)異常。
そなたには鈴木宗男氏を薦めよう。
http://www.muneo.gr.jp/ デリダを信奉しようが池田晶子を読もうがそれは
あんたの勝手だが、批判的考察を加える能力が
無い以上あんたは他人の敷いたレールを転がる
ただの機関車トーマスに過ぎないぜ。
あと殺人の正当化として短絡的に考えてる人は
どういった頭してるんだ?俺みたいなしがない
低脳ちゃんにでも論旨くらいは読むんだが。
せめて他者肯定=正義の必然性を何万語費やしても
良いから説明してくれ。お前の頭がバカだからとか、
そういって逃げるのは勝手だし確かに俺の頭はバカ
以下、それ以下のカスでクソだが説明してよ。
701 :
考える名無しさん:02/02/08 18:58
>>692 たとえ自分の死を肯定しても自分が先に死ぬ必要は無い。人を殺してからでも
よい。
702 :
考える名無しさん:02/02/08 20:23
しゃべり場でも見とけ
703 :
トーマスでござーマス (腹:02/02/08 20:32
異常ってなに?
どヤッテ区別すんの?
704 :
考える名無しさん:02/02/08 20:51
「論理としては正しい。」俺が知る限りの最も笑えないジョークの一つだ。
705 :
ジョーカー ◆pTNOBY9E :02/02/08 21:06
>691
私の見解を表明するのはいいのだが、論点がまるで見えないので、
何について語っていいのかがわからない。
とりあえず私自身のことについて語ると、
1.自分自身は人を殺さない。
→殺す必要がないから。
2.自分以外の誰かが殺人を犯すことを好ましく思っていない。
→自分や自分の家族を殺されたくないから。
1.に属さない事柄
・家族を殺された場合は、相手に殺意を抱くかもしれない。
・身を守るためには相手を殺すかもしれない。
2.に属さない事柄
・その第三者が殺そうとしている相手が、自分や自分の家族の命を奪おうとする人物
であるならば、好ましくない行為とは思わない。
以上。
ちなみに宗教の成立は、死者の弔いが最初だ。
国家がそれを利用するようになったのは、もっと後の話だ。
人の死を善と思うことも善でしょうね。
707 :
766(本物)?:02/02/08 21:30
じゃあ、善だと思う前に、善だと思っているわけだ。結局は。
?
708 :
766(以前から):02/02/08 22:41
他人を殺すことを殺す当人は善だと思ってるからやるわけよ。
殺される方にとっちゃー悪だけどね。
殺す殺さないてーの善とか悪とかはほとんどが全部世間の決まり
で決まるわけではなく、当人の意思のみで決まる。ちょっと前に
そのへんの議論はでつくしたはずが・・・
709 :
考える名無しさん:02/02/08 22:54
くたばればかども!
なんで殺したらいけねーのかよ!あほか!?
710 :
考える名無しさん:02/02/08 22:55
しかし、当人が自分にとって、善であると思ったことが、
かならずその人にとって善なのか?
それなら、なぜ、後悔する人がいるのだろう。
711 :
766(それはどうも):02/02/08 22:55
終わってない、終わってない。
?
盲点があるのよ。
てか、系統だって議論のしようがないから、スレは「漏れだらけ」よ。
ただ「ほとんどが」が気になる。
罠か、それともそれも、このスレに答えが有るのか。
結論だせてるなら、このスレで共同声明でも出せば?
712 :
考える名無しさん:02/02/08 23:10
>>709 殺してよくて「くたばらしたい」なら「ばら」してみれば?
大変参考になります。内省してみて、そもそもジョーカーさんの
おっしゃっていることを少しではありますが、把握できたのでは
ないかと思っています。それでも誤解があるのでしたらご指摘を
頂けると後学になりますのでご指示ください。
確かに、私の論旨には不親切な部分があるように思います。先ず
論点が明確でないこと、従って私の意図している方向性を明確に
示す必要性があること。さらにこれは私の未熟さゆえの欠陥では
あるのですが、前提としてやはり人を殺してはいけない理由への、
意味への努力を持っていたということです。前提のある問題提起
はともすればプレビシットに陥りがちであるということを、私は
顧みる必要があると感じました。
先ず、私の意図する方向性とは端的に以下のようなものです。
1 私または私の周囲の人間を殺害しようとする対象に対して、
殺人を抑止するだけの説得力を持つ論旨を提起すること
2 こどもたちにこの問いかけを投じられた場合、いかにして
その問いに応えるか
1は2を支える目的も伴っている方向性であり、具体的に私は1に
ついて皆様のご意見を伺いたいと考えています。
なお、祭祀と祈りの成立は確かに死者の弔いとして早期に成立を
見せてはいましたがそれが宗教という形式に至ったのは後世であり、
この場合の宗教の定義には些かの矛盾も孕んではいないと考えて
います。
社会契約的に生存権を人としての義務を果たすが故の報酬と決める。
人殺しはやってもよいが、人としての義務を怠るが故に生存権は保証されず死刑にされる。
以上。
わかっていないことがわかっていると全部自分に帰結する。
おめでと〜。
わかっていないことがわかっていないと困っちゃう。
ばんざ〜い。
>713
きちんとしたレスをくれてありがとう。とても良く理解できた。
1についてだが、むずかしい問題だね。
これは、なにも殺人に限った事じゃないから。
泥棒はいけない、詐欺はいけない、暴力はいけない、レイプはいけない、etc.
皆でいけないことと決めたことがある。
それぞれ、何故いけないかという説明はできる。
すでにずいぶん前に既出だが、「自分がされたらイヤなことは、他人にもしてはいけない」。
幼児の頃に誰もが教わったことだ。
「いけないこと」と皆で決めたのは、お互いに安全に暮らしたいから。最低限のルールとして
これだけはお互いやらないことにしようと決めた。
倫理観は親のしつけにより植え付けられ、国家単位では法律により罰則を決めた。
しかしながら、倫理観も法律も完全な抑止力とはならない。
皆で決めたことを守らない人間はいる。
いけないことと思っても、やる人間はいる。
何故なら実行可能だから。
残念ながら、「自分または自分の周囲の人間を殺害しようとする対象に対して、
殺人を抑止するだけの説得力のある説明 」は、完全に「抑止する」というのであれば、
不可能というのが私の結論だ。
そして「完全」でなくて良いのなら、前述の「自分がされたらイヤなことは、
他人にもしてはいけない」という明確な説得力のある説明がすでに大昔からなされている。
それでもなおかつルールを守らない者は、法律で罰する。これが治安国家というものだ。
もうひとつ言えば、この問題は哲学とはかけ離れた問題であるので、板違いというヤツだ。
>ジョーカー
あなたの回答は非常に参考になりました。あなたが誠実な対応を
示してくださるからこと、次の視点につながることができるよう
に思えます。
私は殺人という問題に対して、法の前にあるものを観てゆこうと
思ってきました。何となればそれは、遊びという行為に集約されて
いるのやも知れません。
こどもは何かのために遊ぶのではなく、ただ遊びます。ホモルーデンス
という言葉がありますが、遊びの中でルールを定めてゆきます。こども
たちはそれぞれが固有なものとして在りながら、遊びの関係の中で互い
を認識し合い、自らの経験(言語的要素+体験的要素+学習)に基づき
互いとの交換可能性を以て他者認識をもたらすのかも知れません。
従って遊びの中に規範や共存性の本質を見出そうとしてきました。
法の前に殺人を置くと、殺人によってひとりの他者が消失してしまった
世界では、我を知る機会に乏しくなるようにも思えます。私は私ではない
私としての他者を見ることによって、区別における自己同一性を確立し、
私という存在を起立するように思えるのです。もしも他者が存在を欠いた
場合、私たちはひとりでいる限り、或いは死そのものさえも認識すること
ができなくなるのやも知れません。世界にひとりであるとするならば、
死というものを知ることはありません。そこにあるのは、意識を持つ
私、そしてそれは私でなくとも何ら変わりのない存在であるのかも知れない。
他者を知ることは自らを見ることと考えた場合、殺人は自己起立のため
に必ずしも好ましくないのではないか、こう考えたことがこのスレッド
を訪れた最初の動機でもありました。
ここで様々なご意見を投じて下さった皆様には感謝を申し上げます。
これから再び、自らの内面的充実を図ってゆこうと考えています。
重ねて申し上げます。ありがとうございました。
718 :
考える名無しさん:02/02/09 17:31
殺人行為は社会性に反する行為だが、社会性を持っているがゆえの行為でもある。
個人的な問題であれば想像の中で解決することができるが、
殺人はその人の社会の中で培われる問題であるから、社会の中で解決せざるをえない。
だが考えて欲しいのは殺人というのは、殺される当人にとっては個人的な問題である。
殺人を犯す者は、自らの手で個人の人生を断つという事に残酷さを感じないのか。
その者を殺す必要性は自分とその者とで構成された狭い社会の中での問題に過ぎない。
その者と共に構成されている他の社会の事、そこで生きる人々の事を考えたら、どうか。
本当に殺人でなければ解決できないのか。
ただ刺せば、人は死ぬ。そこには事実があるだけだ。
もしそこに心が無いのであれば、それは罪である。
人は自分の善となる事しかしない(事実)。
私は生きている・生きててもいい=善=私の死は非善。
→まだ死なない・死んではいけない・殺されてはいけない(価値)
〔私の死が善・死んでもいい→自殺する〕
−−本質的に知っている
他人も私と同じように生きている(死を非善としてる)、のを知っている。
したがって、殺してはいけない(価値)事を知っている。
しかし殺すことは可能。
→「人を殺してはいけない」(倫理→道徳→法)。
>>719 >人は自分の善となる事しかしない(事実)。
なら、なぜ、後で後悔する人がいるのだろう。
>720
その善がその時々だからではないのかしら。
AかBか。どちらかで迷って、Aを選んだ後になって「Bにしておけばよかった」と。
あの時はあれが善だったが、後であの判断が誤っていたと思い直したとか、
価値が変わったとか、無知だったとか、誤認があったとか、錯乱していたとか。
あと、上(700)で「思い込みだ」という書き込みがあったが、
これは批判のようで批判でないというか、反論たりえてないというか・・・。
実際、我々は「思い込み」で生きている訳で。
「ここは地球だ・日本だ」と思い込んでいるし、
「これはインターネットだ」と思い込んでいるし、
「コレは文字だ・お金だ・人間だ・私だ・・・」
まぁどうでもいいけどね。
>>721 なんだ、どうでもいいのかしら、虚妄論。
>善がその時々だから
そうかしら、善が個人の判断で変わるものかしら?
(きめちゃたら、いけないわ)
723 :
考える名無しさん:02/02/10 01:06
721
神を名乗る
わりに曖昧、
かつ移り気。 (藁
724 :
考える名無しさん:02/02/10 01:14
721は哲学的センスゼロ
悲しくなるほどに
725 :
考える名無しさん:02/02/10 01:35
726 :
ブロンソン:02/02/10 01:41
神(w はある哲学者の著作を読んで理論に感動すると
世の中のあらゆる対象にその尺度をふまえてゆく典型的な
ガキって感ジ。自分でものを考えるより先に善の理論で
解決しようとする。
そんな神くんはパタフィジックという語の意味と語源を
調べてそのパタフィジックな世界の微妙さについて勉強
していなさい。
727 :
考える名無しさん:02/02/10 01:46
725はステレオタイプ
やっぱり哲学的センスゼロ
>>725 ていうか何かしら自分で提示してから聞くということができない。
まあ2ちゃんだから最低水準ははるかに下回る人がでてくるのも
無理はないか。
>>727は中島のステレオタイプということを除けばいいけど。
おいおいおれ「神」じゃないよw
いわゆる通りすがりです。
なんかひどく「神」に対して感情的になってたからからかいたいと思った。
過去哲学板でよくみた風景光景だったから。
アホがむれてヒステリックになってるなーと。
親の仇を討とうとする人がいたとして、
まあ、仇討ち自体の是非についてはいろいろと議論があると思うが、その問題は置いておいて、
とりあえず仇討ちはその人にとっては善だとする。
そして、ついに仇を見つけて殺したとする。
ところが、それが人違いだったとしよう。
この場合、「仇討ちは善」という考えをもってしても、
この殺人はおそらく悪であろう。
当人の主観でいうと、正体がわかるまではこの殺人は「善」であったわけだが、
人違いとわかった瞬間「悪」となったわけだ。
しかし、全ての事情を知る人が見ていたならば、その人の観察では、
この殺人は、仇討ちする人が正体を知る以前から悪だということになる。
ここで、殺人が行われる以前においては、
この殺人は、この仇討ちする人の主観においては「善」であって、
事情通の観察においては「悪」となる。
そして、おそらく、事情通が説明して人違いであると納得させれば、
仇討ち人も、それが「善」ではなく「悪」だと納得するだろう。
ここで、この殺人は、どの時点まで善であって、どの時点から悪となったのか?
もちろん、普遍的な善悪ということではなく、最初に仮定したとおり、
仇討ちを「善」とする仇討ち人にとって、ということであるが。
733 :
考える名無しさん:02/02/10 02:37
>>733 この場合、「殺される人にとって」は除外し、
あくまでも、「仇討ちする人にとって」に
限定して考えた場合ということなのだが。
↑失敬。
で、ブロンソン氏らのセンスある哲学はどう答えてるのでしょうか?
一年ぶりくらいにこの板覗いたけど、まだやってるんだね。このハナシ。
共同体の規範としてそれを守らせるってことでいーんじゃないの?
それを考慮したうえでなら、根本的には何をしようともそれをとめることはできない。
それを無理にとめようとするのは、暴力に頼らざるをえない。
ひととひととがむきあう場合にはまたハナシは違ってくるけど、
それは一般的な規範として語れるようなことではない。そんなものこんなところでどれだけ語っても無意味。
おまえはすでに死んでいる
739 :
考える名無しさん:02/02/10 12:59
先人をパクってほざくのがセンスあるって事らしい
「おまえはすでに(もう)死んでいる」ってチョー哲学的!
カッチョイイことスレにも前いれたけど、
改めていいなぁと思う。いいなぁ
741 :
考える名無しさん:02/02/10 16:04
こんなとこに本当に考えてるやつなんているわきゃねーだろ
読んだもんひけらかしてるだけ。
ガキだとかセンスないとか言ってオナってんのさ〜
742 :
考える名無しさん:02/02/10 16:23
オナニーの対象になるくらいの肴ならいいのだが、その肴たるや
それ以前の問題だし
743 :
考える名無しさん:02/02/10 17:06
チンポの背比べやな。
744 :
考える名無しさん:02/02/10 19:01
なんか最初から喧嘩腰で書き込む人が多いね。
スレのネタが問題なのかもしれないが、
もう少し冷静に考えられないのだろうか。
745 :
考える名無しさん:02/02/10 19:55
比較的近い時間帯に書き込まれているのは全て
同一人物による自己弁護と思われ
幼児性スカトロジーみたいなもの?
あるいは、死が「怖いもの」だから?
748 :
考える名無しさん:02/02/12 23:26
生きとし生きるもの、全てこれ神の御心ならざるは無し。
故に、己が命の尊きが程に、他の命もまた尊きなり。
されば、虫けら一匹と雖も損傷なさんは、神を蔑ろに致すことなり。
己が命を大切に思う如く、他の命をも大切に致すべし。
これ、神の御心に沿い奉る事にして、神への道の第一歩なり。
749 :
考える名無しさん:02/02/12 23:48
85 :考える名無しさん
人間の思考と動物の思考は全く同じなのか?
生物の思考は、原生生物から哺乳類にいたるまで、全て同じなのか?
86 :66
進化論を信じてない人がいるようだな(苦笑)
宗教系。
差異性の進化論。
連続性の進化論。
限界性(自己弁別)
経験則(同等認知)
750 :
考える名無しさん:02/02/12 23:57
進化論はこの際無関係だと思うが。
751 :
考える名無しさん:02/02/14 15:47
もともと人は人を殺せるようにできてるんですよ。
だからこそしてはいけないのだと思います。
752 :
考える名無しさん:02/02/15 00:11
全文は読んでません。重複あったらスマソ。
社会のルールは二つに分かれます。それは規則と法則。
「なぜ人を殺してはいけないか」というのは規則の問題(「〜べき」の話)なのか、法則の問題(「〜である」)なのか。
規則とは一定の価値観であり、法則とは一定の条件がそろえば必然的にそうなる性質のこと、つまり、自然法則、社会法則のことです。
前者であれば「なぜ人を殺すべきではないという規則が成り立つか」と換言でき、
後者であれば「なぜ人を殺さないという法則が成り立つか」と換言できる。
では「なぜ人を殺してはいけないか」とは一体どっちなのか?
形式的にはどちらともいえそうにありません(違いますか?)。
直感では、規則の意味合いが強い気がします。
というか、自然法則・社会法則と同列に扱うことには違和感がある。
でも、両方の性質を持つような気もしますね…。
後者からみてみましょう。この証明は簡単ですね。
人を殺さない教育をするからです。
人を殺すことはいけないということを子供の頃から教育する。
そうすれば原則として人を殺せなくなります。
それでも人を殺す人が出てくるということは、経験的に必然性がないことを示しますから、これは前提が違うのですね。
すなわち、「なぜ人を殺してはいけないか」と言う命題は法則ではない(間違っている)のです。
前者のほうはいかがでしょうか。
こちらはとりあえず成り立ちそうですね。
規則・規範というのは人々の価値観の表れです。これは価値観が変われば変わる可能性があります。
すなわち普遍的・絶対的ではないということです。
ではなぜ、人々が「人を殺すべきでない」という価値観を持つようになったか。
ある人は「自分が殺されたら嫌だから」といい
ある人は「人は社会の中でしか生きることが出来ないから」といい
ある人は「理屈ぬきでいけないから」という。
でも、それらは規範にすぎませんから、それらすべてを否定する人も当然いるでしょう。
よって彼らは人を殺せます。規範とはそのようなものです。
でも理由が確定しなくても、「人を殺してはいけない」という規範が存在することは見逃してはいけません。
それに人間の行動を合理的理由のみで説明できるとは限りません。
理由なくして殺さないということもありえます。
じゃあ、お前はどう考えるのだというとわからないと答えるしかないでしょう。
ただ、「殺すこと」を、「他人の手で死んだ状態にさせること」と考えると、
それは「他人の手によって、生きられなくさせる」ということになります。
それは論理上は、「生きられること・生きること」の意味を探求すればわかりそうですよね。
でもそれは判りませんよね。一生かけて考えていくようなものです。
最後のほうは論理が怪しいですね(笑)。
結局、規範だから一義的には決まらないが、「自分が殺されたら嫌だから」等のもろもろの理由によって
人を殺すべきでないと、とりあえずは考えています。
753 :
利己的な名無しさん:02/02/15 01:20
>>751 もともと人は人を愛せるようにできてるんですよ。
だからこそしてはいけないのだと思います。
754 :
利己的な名無しさん:02/02/15 01:21
ってな感じで反論されたらどうでしょう。
755 :
考える名無しさん:02/02/15 01:32
反論も何も、人殺しをこれからする人間に諭すようなこと言っても
やるやつはやるよ
人を殺してはいけない
人は自己中心的生物、即ちエゴの生物である。
自己内欲求を満たす事が人の本質だと考察する。
そうする事によって殺されたくない、死にたくないと考える人が多数いるだろう、
人を殺せばその対象の人が結果として死ぬ。しかし殺さなければ死なない。
皆殺されたくないから殺さない。という思考が生まれる。
ここでエゴが出てきている事が理解できるだろうか?そう自分が殺されたくないから殺さない、ということである。
そこで律法と言う社会のルールに密接に関連してるが故に
「殺さない+いけない」={殺してはいけない}
この式図が出来るのである。
>>755 751さんのレスとあわせてお読みください。たしか、雑誌で751さんの
ような議論が書かれてたのを読んだんですが、それって別に人を殺す
ことに限らんのでは?って素朴な疑問が沸きましてね。
>>756 ほぼ同意。
人が生きるのがよいことで、殺すのは絶対に悪いことかというと、よく
分からんのですよね。
人が生きるには他の生き物殺さなければいけないわけで、その意味で
「生きたい」っての自体エゴってことは留意すべきと思います。
その上で、自分が死にたくないから、殺人は禁止したい。
>>750 >進化論はこの際無関係だと思うが。
人間と動物が連続的なら、食料として、等で殺せます。
動物と鉱物が連続的なら、動物は物体と変わらない。
そういう意味になります。
759 :
考える名無しさん:02/02/15 13:36
連続的=同一ではないだろ。
同一なら連続的という形容はいらんではないか。
760 :
考える名無しさん:02/02/15 14:14
自はすでに他を含んでる。
他がなければどうやって自己規定するんだ?
名前、肩書き、経歴、身長・体重に至るまで全て他者によって与えられたものだ。
価値観、世界は共有されている。共有されているからこそ、
反発したりエゴといったりできるんだよ。
自の中に他をみて、他の中に自をみる。他を殺すことが、自を殺すことになる。
だから人を簡単に殺すことはできない。
無論例外はあるけど。
同じ社会に属していなかったり、社会性自体が育っていなかったり。
761 :
考える名無しさん:02/02/15 14:25
>名前、肩書き、経歴、身長・体重
そんなのはこの世で望むが望むまいがだれでも背負わされる役割みたいなもの、とは言える。
そこから他を殺してはいけないという理由をみちびくなら、逆に他を殺してもよいという理由をみちびくこともできる。
つまり、そこでの他とは、本来の他ではなくなってしまっている。
それは語ることができないものじゃないのだろうか。
>この世で望むが望むまいがだれでも背負わされる役割みたいなもの
スレみてると、現代のすでに社会構造が教育や法律で整備されている社会を前提に
語っている人が多いけど、社会の成立から考えてみてよ。
これらの例は自分自身にすでに他者を含んでる例としてあげただけ。
もっと言えば言葉も他者(社会的な意味での他者)から与えられたものだ。
言葉がなければ考えることすらできない。
社会の構成員を殺す(全否定する)ことは社会と自分を否定することになる。
たとえ殺す気が無くても殺してしまう。人は人を殺せるようにできている。
「人はこんなことが出来てしまうからこんなことはしてはいけない」
これは殺人に限ったことではない。
人はもともと奪う奪われるだけの動物の世界で生きてきた。
そのなかでも知能の高い人間は奪い合って共倒れするよりも
効率のいい共有することを考えた。
しかしそうする上ではいろいろな不安が付きまとう。
そこでいろいろな約束事が自然に次第に作られていった。
そのなかに殺人もいけなくなったと思う。
「殺す」の前に「危害を加える」、「怪我をさせる」のがいいか考えよう。
「殺した」というのはただの結果。
「殺す」ために「危害を加える」のは人間ぐらいだろう。
>>756 すでに既出だとは思うけど・・・
>皆殺されたくないから殺さない。という思考が生まれる。
この一文の「皆」というのが嘘なんだよ。
あくまでも自分の感情だろ?
それを「皆」と勘違いするから最後の結論が導かれるんだよ。
殺されたくない、は「皆」の共通エゴでは無いということ。
>>762に続ける。
社会の構成員を殺す(全否定する)ことは社会と自分を否定することになる。
だから人を殺すと、法律やエゴ、自分を基準にして他者を考えるといった
外面的な理由では説明できない罪悪感などの強い自己否定の感情が生まれる。
価値観、世界は共有されているといったけど、それは物や概念を一緒に使うという意味じゃない。
言葉を例に挙げたように自分自身に血肉化されている。自分とは他者でもある。
766 :
考える名無しさん:02/02/16 14:40
というか、「感情が生まれる」ということが、殺人を否定する論拠なの?
論理的な根拠は存在し得ないとするわけね。
話は変わるが最近自己責任というと、自分で勝手に判断して何かあれば自分が痛い目みて終わり、
という解釈をする人が多いけど、これは大きな間違いだ。
責任とはあくまで他者(社会)に対するもの。
他者に対して責任を持つ限りで自由に判断し、行動してもいいということ。
自己の身体や命も(自己がすでに社会的な自己なのだから)他者に対して責任を持つ。
だから自殺も否定される。
>>766 何度も書き込んでるけどおれは殺人はいけないとは一度も言ってないよ。
社会が論理で成立しているわけではないから、(むしろ論理は社会が成立した後に可能性が生まれる)
論理的にいけないというのは無理。
769 :
考える名無しさん:02/02/16 14:56
770 :
考える名無しさん:02/02/16 14:57
↑整理的→生理的
・・・・・・以上
771 :
考える名無しさん:02/02/16 15:02
>>768 つまり、
殺人がいけないことであると、「いわれているのは」
こういった事情によるものだのだろう。
ということを言っているだけなのだね。
もちろん、社会において殺人がいけないことと、「いわれている」状況には
完全に論理な根拠は無いだろうね。
ところで、社会においていけないことと、「いわれている」ことと、
社会にとって実際に「悪い」ことは同じなのだろうか、
それとも、完全に同じとはいえないだろうか?
>>771 いわれているってだけでは足りないんだけどな。
自己と他者と社会の存在に関わるわけだから。
773 :
考える名無しさん:02/02/16 15:48
>>772 社会の否定が自己の否定に「繋がるような気がする」ってこととは違うの?
単に推測にすぎないんじゃないかってこと?
自分は社会や他者とは切り離して考えられないんだよ。
例えば、全く知らなくて二度と会うこともないような人でも、
ほめられればうれしいしその人の前で何か下手すれば恥ずかしいよね。
これは社会を構成する人間一人一人が他者を判定する権威のようなものをもっているから。
自己は他者に合わせる形でものをみて、考えている。
自己の存在は、他者によって限定されている。
その他者を殺せば、自己も否定されてしまう。
他者(社会)を否定すれば自己が立つ地平がなくなってしまう、
の方がわかりやすかったか・・・
776 :
考える名無しさん:02/02/16 16:43
>>774 >単に推測にすぎないんじゃないかってこと?
「過ぎない」ということではなくて、「推測されているということ」自体が定義であるという主張なのか?
という質問をしたつもりだが。
>例えば、全く知らなくて二度と会うこともないような人でも、
〜
>その他者を殺せば、自己も否定されてしまう。
>>775 「社会のなかの自分」というものを自己の規定とするならば、
殺人が自己の否定に繋がるのは当然だね。
これは論理的な帰結であって、
「社会のなかの自分」というものを自己の規定とした段階で、
感情の入る余地は一切無くなるのではないか?
777 :
考える名無しさん:02/02/16 16:48
778 :
考える名無しさん:02/02/16 16:59
>>777 「いけない」っていうか、逮捕されちゃうジャン。
下手すりゃ死刑を食らっちゃうジャン。
割に合わないジャン。
>>776 人間はアリのように完全に社会に奉仕してる訳じゃないからね。
自己には何らかの(もしかしたら社会を超えうる)自由が与えられているが、
それは社会の視点からしか規定できないってことだ。
それにまず社会を論理的に構成することができないから、社会も自己も厳密な規定は無理だよ。
780 :
考える名無しさん:02/02/16 17:19
>>779 >人間はアリのように完全に社会に奉仕してる訳じゃないからね。
>自己には何らかの(もしかしたら社会を超えうる)自由が与えられているが、
>それは社会の視点からしか規定できないってことだ。
>それにまず社会を論理的に構成することができないから、社会も自己も厳密な規定は無理だよ。
この場合、社会も自己も「全てを」論理的に規定する必要はないんじゃないの?
殺人との関係性だけでいえば、
自己を(それがどのようなものであるにしろ)、社会の(それがどのようなものであるにしろ)、
一部と規定した人にとっては、(社会の構成員である)人を殺すことは、
自己の否定に繋がる、ということであって、そういった関係性だけの問題ではないの?
うん。
社会を厳密に規定してしまうと、その社会に属さなかったり規範を破ってしまった人間を
殺してもいいってことになってしまうからね。
社会は、広くその社会に属さない他者への余地を残して考えられるべき。
その辺が人間の可能性なんだと思うけど。
782 :
考える名無しさん:02/02/16 17:53
> 「いけない」っていうか、逮捕されちゃうジャン。
> 下手すりゃ死刑を食らっちゃうジャン。
> 割に合わないジャン。
殺人も同じですな
783 :
考える名無しさん:02/02/16 17:53
>>781 自分が、その社会「のみ」に帰属すると考えると、
「その社会に属さなかったり規範を破ってしまった人間を殺してもいいってことになってしまう」
けれど、実際上、
例えば、外国人なら殺しても構わないと考える人は少ない、
これは、殺人の問題に関して念頭に置く、「自分の属する社会」が、
地域社会や国、というもの以外(以上)の「社会」を念頭においているわけで、
そういった「社会」の意識のされかたというのは、
むしろ自発的な自己規定(自分は人間だ)に起因しているのではなかろうか。
784 :
考える名無しさん:02/02/16 18:12
ダメったらダメ!!うぇ―ん・・・。
785 :
考える名無しさん:02/02/16 18:13
,ィミ, ,ィミ, フ
彡 ミ 彡 ミ, ヤ |
,,彡 ミ、、、、、、、、彡 ミ, (⌒) ッ |
彡;:;: ミ, ( ヽ テ
〜三;:;::::: 彡〜 ノ ノ ラ
~~三:;:;:;::::: -=・=- -=・=- 三~~ ヽ ( レ ;;
~~彡::;:;:;:;:::.. ___ ,三~~ ( ノ ,,,,, ッ ;;
~~彡;:;:;:;:;:;:;:. |┴┴| ,ミ~~ ノノ ;'" ,,ノ―、カ ,;'
~~彡:;:;:;:;:;:;:;:;. ノ――| ---==ニノ ,;'′ >=ニ(二二二()
,...-''''""~~,::;:;::;::;::;::;' ミ,, ,;'′ ゝ--〈
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::::::しUUU┘::::ミ:;: ミ l ┃
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>>783 社会といったときにそれが何を包含するのかは、
それぞれの社会、時代、文脈によって変わりえるんだよ。
地球規模で人間は同じコミュニティに属するという考えは歴史的にみればつい最近だし、まだまだ弱い。
人間という規定が通用するなら、なぜほんの百年前まで奴隷取引や戦争がふつうに行われていたのか、
なぜ未だに民族同士の対立が絶えないのかがわからないでしょう。
787 :
ヽ(`Д´)ノ:02/02/16 18:59
>786
ヽ(`Д´)ノ<ここ(2ch)では人間という規定が通用しないんだね。
788 :
江戸ゲイン:02/02/16 19:14
っつーか、殺っちゃだめなの?
789 :
くびちょんぱ:02/02/16 19:16
くびちょんぱ!
くびちょんぱ!
みんなまとめてくびちょんぱ!
790 :
考える名無しさん:02/02/16 20:40
>>786 >社会といったときにそれが何を包含するのかは、
>それぞれの社会、時代、文脈によって変わりえるんだよ。
ある社会において、日常会話における「言語」という言葉の持つ意味、
ということをいうならそのとおりだね。
だから、
>>780 で言ったようにその「社会といったときにそれが何を包含するのか」という問題は、
自己規定のプロセスの問題であって、それが具体的にどういったものであるかは
この問題についてはなんら本質的では無いだろう。
ある社会において、日常会話における「言語」という言葉の持つ意味、
をそのまま社会の定義とする個人もいれば、そうでない個人もいるだろう。
「ある社会に自己を規定するとき、その構成員を殺すことは、自己否定に繋がる。」
という論理自体は、「ある社会」がどんな社会であるかという規定は含まれて居ないのだから、
繰り返しになるが、これは関係性の問題なのであって、規定の内容そのものは
本質的には無関係ではないか?
>地球規模で人間は同じコミュニティに属するという考えは歴史的にみればつい最近だし、まだまだ弱い。
そのことはこの問題とは全く無関係だと思うが。
単に、自己の所属する社会として人類全体を想定しない人が存在するというだけだろう。
人類全体を自己の社会として規定する人間にとっては、全ての人間についてそれを殺すことが
自己否定に繋がるが、そうでない人間にとってはそうではないというだけのことだ。
現代世界において、「ある社会」の概念が優性かどうかという問題と、
「ある社会に自己を規定するとき、その構成員を殺すことは、自己否定に繋がる。」
という論理が正しいかどうかいう問題は別の問題ではないか?
>人間という規定が通用するなら、なぜほんの百年前まで奴隷取引や戦争がふつうに行われていたのか、
>なぜ未だに民族同士の対立が絶えないのかがわからないでしょう。
「通用」という概念がなぜ必要なのかよくわからない。
その当人が、人類全体を帰属社会として規定しているのなら、いかなる人間を殺す場合であっても、
基本的には、自己の存在の否定に繋がるのではないか?
このことは、その当人が人類全体を帰属社会として規定した段階で決定することで、
そういった考えが「通用」しているかどうかとは全く無関係な問題ではないか?
前にも定義されてたような気はするけど…
ここで言われてる「人を殺してはいけない」っていうのは、
一般に通ってる"暗黙の了解"的な規則の事?
それとも個人の倫理観の話なの?
話折っちゃってるかもしれないのでsage
社会とは何かの同一性で個人が恣意的に決めていいものじゃないよ。
自己がその社会に属すると自己規定し、その社会を構成する他の人もそう自己規定する限りにおいてだ。
例えば自己を規定するときに日本人という場合、ほかの〜人と対比することで意味を持つけど、
地球人といってもほかに対比するものがない。地球人なんて空虚な言葉だ。
民族も違う、宗教も違う、言語も違う、文化も違う、思想も違うでは自己規定できない。
それに自己規定の前に社会が先にあるのであって、社会と自己の関係性はそのあと。
だから社会とは何かということはやはり問題だ。
794 :
考える名無しさん:02/02/17 19:23
>>792 >社会とは何かの同一性で個人が恣意的に決めていいものじゃないよ。
社会自体を個人が恣意的に創出することはもちろんできないが、
観察しうる社会のいずれかに対して、自分をどのように関係づけるかというのは、
基本的には個人的な問題だろう。
>自己がその社会に属すると自己規定し、その社会を構成する他の人もそう自己規定する限りにおいてだ。
他者の自己規定がなぜ必要になるのだ?
その当人にとって殺人がいけないかどうかという問題に、
他者の自己規定がどう関係するのだ?
>例えば自己を規定するときに日本人という場合、ほかの〜人と対比することで意味を持つけど、
>地球人といってもほかに対比するものがない。地球人なんて空虚な言葉だ。
対比の必然性が理解できないが。
>民族も違う、宗教も違う、言語も違う、文化も違う、思想も違うでは自己規定できない。
なぜできないの?それは単なるイマジネーションの欠如としか思えないが。
>それに自己規定の前に社会が先にあるのであって、社会と自己の関係性はそのあと。
おそらくそのとおりだが、自己規定において、
存在する社会それぞれに対する関係性をどのように考えるか、
どれだけの社会を視野にいれるか、は、最終的には個人の判断だろう。
>>794 自己がその社会に属すると自己規定し、その社会を構成する他の人もそう自己規定し、
さらにその他者によって自己が社会に属してると認められてる限り、に修正。
社会が成立している時点ですでに、他者の自己規定が含まれているんだって。
個人がどういった社会が存在するか、自分がどの社会に属しているか考えているだけでは
妄想と変わらないよ。
例えばあなたは自分がイスラム社会に属していると自己規定できる?
イスラム教にどんなに詳しくて、どんなに熱心に信仰してても
その社会を構成する他者に認められていなければその社会に属しているとはいえないよ。
796 :
考える名無しさん:02/02/17 20:09
>>795 >社会が成立している時点ですでに、他者の自己規定が含まれているんだって。
>個人がどういった社会が存在するか、自分がどの社会に属しているか考えているだけでは
>妄想と変わらないよ。
「自己規定」とはそういうものだろう。
ここでは、「その社会の構成員として、他の構成員から受け入れられるかどうか」は関係無い。
ある社会から、その社会の一員と認められていないにもかかわらず、
自分自身をその社会の一員と規定づけた例は枚挙にいとまがない。
もちろん、そういった場合は、実際の社会と自己規定の間で、
悲劇的な運命を辿ることになるが、そう自己規定した個人は、
その社会に受け入れられるかどうかにかかわらず、
その社会の規範に従おうとするだろう。
ラフカディオ・ハーン然り、第二次大戦の日本人二世部隊然りだ。
>例えばあなたは自分がイスラム社会に属していると自己規定できる?
>イスラム教にどんなに詳しくて、どんなに熱心に信仰してても
>その社会を構成する他者に認められていなければその社会に属しているとはいえないよ。
イスラム教を熱心に信仰しているのなら、
それだけで、充分イスラム社会を「自己規定」としていることになるだろう。
イスラム社会が構成員として認めるかどうかは別の問題だ。
そういう人にとって、戒律を破ることは、自己否定につながるはずで、
このことは、イスラム社会がその人を構成員として認めようが認めまいが、
その人が、「イスラム教徒」という自己規定を行った時点で決定することだ。
>>796 前にもいったけど、個人の判断で社会に属すことができる気がするのは、
今すでに法律等で整備された社会で当然のように暮らしているから。
イスラムの例でいうなら、もしイスラム教の信仰と知識のみでイスラム社会に属すると決定できるとすると、
その信仰と知識(の基準や内容など)がすでに他者によってイスラム社会に帰属するための必要条件だと認められているから。
個人の判断で(その社会に属するためにどんな条件を必要とする)社会が存在するか、
その条件を自分が満たしているかどうか、決めることはできない。
798 :
考える名無しさん:02/02/17 22:54
>>797 >前にもいったけど、個人の判断で社会に属すことができる気がするのは、
>今すでに法律等で整備された社会で当然のように暮らしているから。
私は、個人が規定するだけで、その社会から「属している」と認められるなんて一言もいってないよ。
「属す」と「規定する」は同じではない、ここで問題にしているのは、自己否定の問題なのだから、
「属すかどうか(その社会が属すと認めるかどうか)」は関係無い。
>イスラムの例でいうなら、もしイスラム教の信仰と知識のみでイスラム社会に属すると決定できるとすると、
>その信仰と知識(の基準や内容など)がすでに他者によってイスラム社会に帰属するための必要条件だと認められているから。
>個人の判断で(その社会に属するためにどんな条件を必要とする)社会が存在するか、
>その条件を自分が満たしているかどうか、決めることはできない。
まったくそのとおり。
だからそれは「社会に属す」ための条件でしょ。
今、何を考えているのか思い起こして欲しい。
ここで問題にしているのは、
殺人が自己否定に繋がるロジックの問題なのではないのか?
殺人が自己否定につながる要件としては、
殺人者、被害者を同一の社会に属する人間と、
自分自身で規定しているだけで充分なはずだ。
それ以外の問題を考えているなら、違った解釈もありえるだろうが、
少なくとも、この問題に限っては、殺人者が、被害者の属する社会から、
その構成員と認められるかどうか、(あるいは、その社会が実際に存在するかどうかさえ)
という問題は考える必要は無いはずだ。
799 :
◆7P44pfbg :02/02/17 23:28
こんな議論をしているということ自体、
それだけで、その人のレベルの低さを表していると思う。
「なぜ人を殺してはいけないか?」
疑問は実は主張だということ。
それに気付いていない人、もしくはその疑問に(無自覚に)賛成な
人だけがこの議論にのっかっているということ。
800 :
考える名無しさん:02/02/17 23:31
>>799 気づくことは簡単だが、論理的に指摘することはそれほど簡単では無いよ。
あなたは単に、努力を放棄した上で、努力できなかった
負け惜しみを言っているだけだ。
801 :
◆7P44pfbg :02/02/17 23:31
例えば
「人を殺してはいけない」
などということを言っている人がいたとしても、
(おそらく、そんな人がいるとこの議論に参加している人は思っている
のだろうけど、実際はその人間の無知と姑息さから来る妄想に過ぎない)
「そう言っている人がいる」
でしかありません。
もう少し適切な疑問の形にするなら、
「なぜあなたは人を殺さないのですか?」
という形のはず。
802 :
◆7P44pfbg :02/02/17 23:35
>>800 馬鹿を説得することに私は何の価値も見いだせません。
たいていの人間は何を言われても、
「それが自分にとって都合がよくなければ採用しない」
と思います。
これを拒否できること、それが哲学をするということだと思います。
803 :
◆7P44pfbg :02/02/17 23:36
もっと適切な形にします。
「なぜ人を殺すことに良心の呵責を覚えるのですか?」
804 :
考える名無しさん:02/02/17 23:40
>>802 >馬鹿を説得することに私は何の価値も見いだせません。
なら、黙っていればよいのでは?
>これを拒否できること、それが哲学をするということだと思います。
相手が「採用しない」ことをこちらが拒否するの?
よくわからないな。
「自分にとって都合が悪くても論理的妥当性を認めれば受け入れるのが哲学だ」
というならわからなくはないが。
>>804 拒否するべきは、
「自分がそう思うから、それを主張する」
もしくは
「相手の意見が気に入ったから、それに賛成する」
ということです。
このことに気付かないで、何を勉強してもただの虚栄心。
>「自分にとって都合が悪くても論理的妥当性を認めれば受け入れるのが哲学だ」
哲学の本質、泥沼を表現するにはこの正論では不十分だと思います。
人間の本質を表現するには。
論理なんて、
「なぜ正しいことが、正しいのですか?」
という疑問1つで吹き飛ぶと思います。
心は目にみえないから、存在しないみたいだけど、
実際何の意味もなく、存在しません。
けれど、そう考えてるのは私の心です。
これが哲学の本質ではないですか?
807 :
考える名無しさん:02/02/18 16:25
>>799 確かに1の問題提起はナイーブ過ぎる。
しかし、カキコしている人でも、気づいている人は気づいていて、
その上で、1の問題設定を有意味に置き換えた上で書き込んでいる。
そこら辺を見分けなきゃ。
もっとも、気づいてない人は気づいていないし、
問題設定の置き換えがかならずしもも一致していないから、
多少は混乱があるけど。
所詮は掲示板だから、有意味な情報だけ抜き出さねば。
単純に我々が生きてるからだろ。
810 :
考える名無しさん:02/02/18 20:25
あふぉ?
哲学は問いの設定からしなければならないからね。
問いが間違ってたり問いの射程が狭かったりしたら先へは進めない。
だから、問い自体が問われねばならない。
スレタイトルにこだわってたら何もできないよ。
とりあえず自分の考えと今までの発言をまとめてみる。
まず最初の問いは、なぜ殺人は否定されるのか?ということ。
自己とは他者によって規定されていて、自己の内面とは自己完結的、生来的なものではなくて
社会的なものだということ。
このように自己が他者(社会)によって存在させられている限りで、他者を殺すことは
自己と社会の存在の直接の否定であるということ。
殺人は自己と他者によって内面的に否定されていて、倫理や法律による禁止はその後だということ。
社会とは何なのか、なぜ社会が可能になるのか今のところ全く分からないということ。
ところで今のスレの流れ読んでる人どれくらいいるの?ほとんど一対一になってる気がするんだけど。
反論や意見や気になることがあれば聞いてみたい。
812 :
考える名無しさん:02/02/18 20:46
>>1 なぜ人を殺してはいけないかって?
じゃあお前は人に殺されてもかまわないのかね?
>>812 構わない、と答えたらどうするの?君が殺されたくないと主張しているに過ぎない。
814 :
考える名無しさん:02/02/18 22:48
815 :
考える名無しさん:02/02/18 23:06
>>811 >スレタイトルにこだわってたら何もできないよ。
だけど、スレタイトルと違う話をしようと一人で勝手に決めて、
説明もせずに話しを進められたら、だれもついていけないよ。
こだわる必要はないが、あなた一人で考えているわけではないのだから、
前提を変えるなら変えるでちゃんと説明すべきだろう。
自分の思うままに考えたいだけなら、一人で考えればいいだろう。
816 :
考える名無しさん:02/02/18 23:10
>自己とは他者によって規定されていて、自己の内面とは自己完結的、生来的なものではなくて
>社会的なものだということ。
その論拠は?
ある人がいて、その人に対する規定を他者が持っているということはあるだろうけれど、
その人自身の自己規定は、他者が行えるものではない。
もちろん、個人の精神は、社会や文化によって形成されるものだから、
その意味で、全く他者を必要とせずに、自己規定は行えないが、
最終的に選ぶのはその個人だ。
>>815 なぜスレタイトルでは不十分か説明しました。
これについて反論があればどうぞ。
>>816 根拠についても何度か言及してます。
いくつかレスをさかのぼって確認してください。
>もちろん、個人の精神は、社会や文化によって形成されるものだから、
>その意味で、全く他者を必要とせずに、自己規定は行えないが、
>最終的に選ぶのはその個人だ。
例えばある会社など社会の中の小さなコミュニティに属する場合は選ぶことができるが(もちろん他者に依存して)、
殺人が否定されるほどの根本的な社会においては選ぶことができない。
なぜなら個人といえる時点ですでにある社会に属しているのだから。
818 :
考える名無しさん:02/02/18 23:38
>>799 >「なぜ人を殺してはいけないか?」
>疑問は実は主張だということ。
これは慧眼だね。
◆7P44pfbg の言うこと、すべては賛成できないけど、
これはいいところ衝いてるよ。
819 :
考える名無しさん:02/02/18 23:51
820 :
考える名無しさん:02/02/18 23:57
>>817 あなたは、問いが間違っているといっただけで、
なぜ、どのように間違っているのか、
ぜんぜん説明していないよ。
>例えばある会社など社会の中の小さなコミュニティに属する場合は選ぶことができるが(もちろん他者に依存して)、
>殺人が否定されるほどの根本的な社会においては選ぶことができない。
>なぜなら個人といえる時点ですでにある社会に属しているのだから。
だから、何度も述べているように、「自己規定」と「属する」というのは
別のことがらだよ。
あなたは、私が「規定」といったことを「属する」にすりかえているだけだ。
821 :
考える名無しさん:02/02/19 00:01
>>820 自己規定ができるのはある社会に属しているから。
他者によって名前をつけられ、他者の基準で自己を評価され・・・
自己規定とはそれを認めることです。
824 :
考える名無しさん:02/02/19 00:08
>>823 ああそう・・・。
まあ、あなたにとって「自己規定」ということば定義がそういうものなら、しょうがないね。
申し訳無いが、真面目に議論するきが失せたので失礼させてもらう。
825 :
眠すぎる部外者:02/02/19 00:09
なんか、話し方にとげっぽさが出てくるとあれだね おやすみ
殺していいよ
827 :
考える名無しさん:02/02/19 00:33
なぜ自己否定してはいけないんですか。
てゆうか、自己否定している人は殺してもいいの?
なんか道行く人って「今にも殺されるかもしれない」
って緊張感ないよね。
830 :
考える名無しさん:02/02/19 00:41
>827
マジに自己否定してたら、先にそいつが死んでるだろ?…なんてな。
殺人の根拠をどこまでも無限後退的に求めることは可能だが、
あんまり意味はないんだよな。
どんな前提をも持たない殺人者を想定するのは可能だが、
実在は不可能だから。
>>827 社会の成立が積極的なものである以上、
その社会の否定となる殺人を社会が認めることはないでしょう。
そういう意味でいけないといえる。おれの話が正しければだけど。
ここでいう自己否定とは自分の顔がヤダとかいう部分的な否定じゃなくて、
社会と自己の存在否定だから、殺したらいけないと説得するのは無理。
ママ、あのさ、道ゆく人が「今にも殺されるかも知れない」
って思ってる社会だと、あまりこういう疑問は出てこないような気がするんだけど。
何かの代償作用なの?
水平と垂直の捉え方が逆になってるみたいな感じ。
何かが「いけない」って言い始めたら、なんでも「いけない」に
決まってるじゃん。
会話になってねー奴が多いな。
何度も出ているが「自分が殺されたくないから、人を殺してはいけない」が結論。
「自分は捕まらないので殺していい」と考えている人はチョット考えて欲しい、日本は法治国家だ。
その日本で生きてきて様々な法的庇護や権利を主張してきた訳だから日本の法は遵守せねばいけない。
「オレは法的庇護は受けていない」という話は通用しない。
なぜなら今まで生きてきた中で、法的庇護を受けていない人間は居ないからである。(具体例を挙げれば小学校教育等)
だから解脱しちゃった人は、その分の権利の代価を払えとケチな事は言わないが日本から出ていくべきである。
「自分は殺されないと思っているのでOK」だと考えている人は殺してあげればいい。
836 :
考える名無しさん:02/02/19 14:35
あややがダメだって言ったらダメなの!!!
人を殺したら手前が殺されるかもしれねぇ、それが因果応報ってやつだ。
838 :
考える名無しさん:02/02/19 15:53
俺はあと64年生きることが決まっている。
絶対に死にはしないので、怖いのは無期懲役だけ。
839 :
考える名無しさん:02/02/19 16:09
1は馬鹿なんでしょ
自分が殺されてもいいのか?
そんなわけねーだろ
>何度も出ているが「自分が殺されたくないから、人を殺してはいけない」が結論。
死んでもいいという人は⇒っていいんだね.
>840
NO、死んでもいいのなら殺される前に殺す。
>>835 最初の行だけ賛成だが。
話がループしそう、てことに気がつかない?
法的庇護を受けているなら法を遵守すべき、と考えない奴もいる。
自分が殺されたくない、と考えない奴がいるのと同様に。
だから最初の行を主張するときは同時に
「殺されてもいい奴が人を殺すなら仕方ない」と言わねばなるまい。
>>840 いいんじゃないの。ただし、君がそいつに殺される可能性も高くなる。
俺だったらそーゆー奴には近づかない。君子危うきに近寄らず。
>法的庇護を受けているなら法を遵守すべき、と考えない奴もいる。
考えてなければ遵守しなくていい、という訳ではない。
考えようが考えまいが守らなくてはいけないものが法であって、それによって国家は成り立っている。
オレは税金払いたくないけど払ってる、それと同じこと。
>「殺されてもいい奴が人を殺すなら仕方ない」と言わねばなるまい。
何度も言うようだが、殺されても良いのであれば殺してあげればいいのである。
844 :
考える名無しさん:02/02/19 23:11
「自分が殺されたくないから、人を殺してはいけない」なら、
戦争は起こらないと思うぞ。
845 :
考える名無しさん:02/02/19 23:14
戦争と個人の社会活動を一緒にしてはいけない。
戦争は外交の手段であり、国政。
それとは全く関係無いところで殺人というものを考えなければいけない。
846 :
考える名無しさん:02/02/19 23:20
>>845 君は835?
835は法律を理由にしてるけど。
そうですがなにか?
848 :
考える名無しさん:02/02/19 23:24
法律も政治じゃん。
個人じゃない。
849 :
通りすがりだが、:02/02/19 23:33
戦争が「許される」のは、それこそが国際社会がいまだ「社会」として
未熟な証拠だな。
国家同士がいまだにお互いを「同じ社会の仲間」とみなしてないんだろう。
馬鹿馬鹿しい話だがな。
850 :
考える名無しさん:02/02/19 23:45
戦争は自衛及び国際的紛争の決済手段として認められているが、
有意なほど強力な国連警察軍が存在すれば、それも必要なくなるだろう。
そういう意味じゃ、
「殺されたくないから、殺さない」
という言葉には、
「殺されそうになったら(戦争を仕掛けられたら)、殺す・やり返す」
というウラの含みもあるんだろう。
報復の可能性とその禁止が、社会を社会たらしめている、そういう部分は
確実にあるんだろうな。
851 :
考える名無しさん:02/02/20 00:02
>>850 「殺されたくないから、殺さない」ってのはさ、結局個人の気持ちでしょ?
それが何で法律になんのさ?
「殺されたくないから、殺す」とか、「殺したいから、殺す」ってのも当然あると思うんだけど。
どこからこの区別が付くのかはっきりしないよ。
>結局個人の気持ちでしょ? それが何で法律になんのさ?
法律とか決まりって、個人の気持ちの集合だろ。
同じ考えの奴が多ければそれが決まりになる。
>どこからこの区別が付くのかはっきりしないよ。
多数か少数かだろう。たぶん。あとは合理性とか、生命への肯定感とか。
853 :
考える名無しさん:02/02/20 00:24
>>852 俺がいいたいのはさ、最初に「殺されたくないから、殺さない」ってのを
持ってくるのがおかしいと思うわけで・・
自分を殺すかもしれないやつなんかと一緒に生活したくないよ。
先に殺すかどこか隔離するかすると思う。
法律も何もないよ。
854 :
考える名無しさん:02/02/20 00:30
>俺がいいたいのはさ、最初に「殺されたくないから、殺さない」ってのを
>持ってくるのがおかしいと思うわけで・・
よくわからん。最初に、ってのはなんのことだ?
「殺されたくないから、殺さない」
「殺されたくないから、先に殺しておく」
これはどっちもアリだろう。
でも前者を選ぶ人間がほうが多いよな。
たぶん後者だと物騒な事が多くなって、社会の維持が困難になるからだろうな。
855 :
考える名無しさん:02/02/20 00:43
前提としてってこと。
要するに法律ができる前はこっちが殺されたくなくても
殺されたり相手を殺したりするのを止める理由はなんもないわけでしょ?
そんな殺すか殺されるかの状態で社会ができるかな?
お互いの信頼が必要だと思うんだけど。
856 :
850=854:02/02/20 00:52
信頼。なるほどそりゃ大切だ。
国家同士がもっと信頼し合えば=国際社会がもっと成熟すれば、
戦争ももっと少なくなるんだろうな。
「殺されたくないから、殺さない」つうのは社会が出来た後の話か、
信頼を築くその瞬間に、出てくる言葉なんじゃないのかな。
信頼関係を証立てする、ていうか?
857 :
原初の契約、最初の信頼:02/02/20 00:56
おれを殺そうとするな。
お前がおれを殺そうとするなら、
おれはお前を殺すだろう。
しかしお前がおれを殺そうとしないなら、
おれもお前を殺しはしない。
858 :
考える名無しさん:02/02/20 01:00
う〜ん・・・
「殺されたくないから、殺さない」ってのだと
信頼はできないと思うんだけどな〜・・・
だって実際問題ふつうに暮らしてて殺すか殺されるかなんて
気にとめることもないでしょ?
859 :
考える名無しさん:02/02/20 01:03
おれは信頼できるけど?
860 :
考える名無しさん:02/02/20 01:06
どうしても殺したければ殺せばいいじゃねぇか。やろうとした時に実際に
妨げるものなんて何もありゃせんよ。殺したくもないのに、殺してはいけな
い理由を考えている。豊かな社会の貧しい問いだねぇ。
861 :
考える名無しさん:02/02/20 01:12
個人が個人である以上、その思考を決定付けるのはもっとも原始的な観念、
すなわち欲だと言える。
人は、孤独ならば抑制しないからね。
そうした中で、周囲に他の個人が存在すれば、欲の折り合いをつけることは
重要にもなるし、その結果として社会はある。
となれば、自分の持つ欲に対して、相手はどういった行動をとるか?
その関係が明確ならば、それは信頼だと思える。
862 :
考える名無しさん:02/02/20 01:20
結局、ギブ・アンド・テイクなんだろ。
「殺すなら、殺す」「殺さないなら、殺さない」は、
おたがいの命を担保とする、負のギブ・アンド・テイク。
対価を払って物資やサービスを受け取るのは、正のギブ・アンド・テイク。
社会にはどっちもあるんだろーな、と。
863 :
考える名無しさん:02/02/20 01:21
相手に殺されないということを確信してなきゃ信頼はできないと思うんだけどな。
冷戦でアメリカとソ連は緊張状態だったけど、それは信頼とはいえないでしょ。
864 :
考える名無しさん:02/02/20 01:24
おいおい。おまいらまだやってんの?
だから、お前は殺されたいのかってきいてんだよ?
865 :
考える名無しさん:02/02/20 01:25
人を殺してはいけない理由、それがあるとすれば、
人を殺したときに、その殺された人を必要としていた人たちが、何らかの損害を受ける。
それだから、理由もなく他人によって被害を受けたくはない、という風には、
誰だって思う。
となれば、須く他人に害の及ぶ行為は、禁止されなければならない。
866 :
考える名無しさん:02/02/20 01:28
殺されることに欲望を覚える人間は、少ない。
だから、殺されないことは信頼になり得る。
しかし、一方で殺されることを望んでいる人が存在した場合、
その人を殺せることは、信頼にもなる。
867 :
考える名無しさん:02/02/20 01:28
>>865 それは結局「殺されたくないから、殺さない」と同じことだよ。
868 :
考える名無しさん:02/02/20 01:30
だから、お前は殺されたいのかってきいてんだよ?
869 :
考える名無しさん:02/02/20 01:32
>>863 誰の、どの発言に対して言ってるの? それによって違うんだが、
とりあえず答えておくよ。
まさしく、殺さないから殺されないだろうという見通しが立ったがゆえ、
信頼が成立するだろうな。
冷戦は、あれこそマイナスの Give&Take だ(いい例とはいえんが)。
なにせMAD(相互確証破壊戦略)と呼ばれていたくらいだからな。
870 :
考える名無しさん:02/02/20 01:33
人間が生きること、その根底には常に、自分なりの欲望、があって、
人は、それが何かに邪魔をされない限り、幸福だと感じることが出来る。
それは、様々な要因が複雑に組み合わさって、とても難しく見えるけれど、
その根源は欲でしかなく、そのため、主義の全ては、奇麗事にしかならない。
871 :
考える名無しさん:02/02/20 01:36
>しかし、一方で殺されることを望んでいる人が存在した場合、
>その人を殺せることは、信頼にもなる。
いい例だな。「契約」は双方の利害の一致によって成立する。
問題は、「殺しあわない」という契約が常に多数であるということだ。
872 :
考える名無しさん:02/02/20 01:36
>>869 それが社会の元になってると本気で思うの?
冷戦時のアメリカ国内での国民同士の信頼も殺さないから殺されないって?
道を歩く人に殺されないのはその信頼のおかげだと?
873 :
考える名無しさん:02/02/20 01:37
それは信頼じゃなくて契約だよ。
874 :
考える名無しさん:02/02/20 01:38
契約は、いつでも破れる。
875 :
考える名無しさん:02/02/20 01:40
契約を破ることは、信頼を破ることだ。
876 :
考える名無しさん:02/02/20 01:40
>872
「万人の万人に対する闘争」つーのがまずあって……という考え(社会契約論)だと、
その通り。
ま、もちろん、マイナスの Give&Take だけじゃ、信頼も社会も成り立たない。
でもここで話題になってるのは、殺人の是非つー、マイナスの問題だからな。
877 :
考える名無しさん:02/02/20 01:40
僕達が生きてるのは、いつの時代も多くの人が殺人NG派だったからではないのでしょうか? 人の多くが基本的にそーゆー構造だから人類は絶滅しなかったのではないでしょうか?
人を殺さなきゃって人たちが増えれば増える程人は減るはず。でも人はどんどん増えてますよね?
878 :
考える名無しさん:02/02/20 01:41
相手がこうしたら、自分はこうする。
それを明文化したのが契約で、信頼を形にした、それだけのことだ。
879 :
考える名無しさん:02/02/20 01:43
>>878 だからそれは信頼じゃないって。
信頼の伴わない契約なんて破られるだけだよ。
880 :
考える名無しさん:02/02/20 01:45
全ての人が、死ぬことを欲望するようになれば、殺人は正当化されるだろうね。
いつの時代も、人は自らの欲望のままに、社会を構築してきた。
人は、社会という殻をつくって、そのなかで暮らしている。
その社会は、ひいては全体の総意、ということになる。
881 :
850=876:02/02/20 01:46
>まさしく、殺さないから殺されないだろうという見通しが立ったがゆえ、
>信頼が成立するだろうな。
>ま、もちろん、マイナスの Give&Take だけじゃ、信頼も社会も成り立たない。
自分で書いてて、矛盾を感じるなー……。
マイナスの Give&Take で成立するのは、「最低限の」信頼だ、と訂正するよ。
核戦争で互いの頭をブチ割らない程度の、ぎりぎりの最低限のな。
882 :
考える名無しさん:02/02/20 01:48
>>879 それでは、契約には最初から、互いの意思が存在しないことになる。
883 :
851その他多数:02/02/20 01:51
「殺されたくないから、殺さない」ってだけじゃ信頼は成り立たない、
社会は成り立たないんじゃないかっていいたかっただけです。
もう寝ます。みなさまおやすみなさい。
884 :
考える名無しさん:02/02/20 01:54
885 :
考える名無しさん:02/02/20 02:04
社会というものを、欲望が形作っていくことは真実だ。
猿にせよ人間にせよ、それぞれの欲望を補助し、抑えあうことで社会を築く。
「そうであれば、世の中はもっと良くなるはずだ」とあなたが思うとしても、
この地球上で、個人の意思などはゼロに等しい。
現在、自分のいる環境に諦めを感じている人のほうが多い、それだけだ。
でなきゃあ、テロは日常茶飯事に起きるだろうね。
>851その他多数
まー暇があったらホッブスでも読んでくれや。古臭いけど。
「万人の万人に対する闘争」つーのはシニスムだけど、アングロサクソン風の
リアリティはあるよ。そしてそれがデモクラシーの基礎にはある。確実に。
そんな「最低限」なところから、人間は始まっていったんだろうし、
始まらざるを得なかったんじゃないだろうか。それはいまも余り変わらない
のかもしれない。
850に対して、信頼、という指摘をしてくれたのは有り難かった。thanx。
887 :
考える名無しさん:02/02/20 02:10
だから、お前は殺されたいのかってきいてんだよ?
888 :
考える名無しさん:02/02/20 02:33
>だから、お前は殺されたいのかってきいてんだよ?
1がこれに答えない限り、あれだな。。。
殺してもよし!
890 :
考える名無しさん:02/02/20 10:35
やっぱ哲学はどんなに袋小路に入ろうが個人の思考と
言葉で格闘するもんだし、それが存在意義なのね。
だって宗教なら、汝殺すなかれって書いてるから殺しちゃいかん、
これで終わっちゃうもんね。
891 :
考える名無しさん:02/02/20 11:18
殺してはいけない理由が
殺さない理由には
ならないと思う。
892 :
考える名無しさん:02/02/21 23:04
だから、お前は殺されたいのかってきいてんだよ?>1
893 :
考える名無しさん:02/02/22 06:11
来世につながるから。
894 :
考える名無しさん:02/02/22 07:05
>>1 >>15 が言いたかっのは、
「死刑にされるのを覚悟した殺人者」に対して、「人殺しはいけない」と説得する方法はあるのか?
ということだったと思ったけど、それは解決したの?
895 :
考える名無しさん:02/02/22 16:24
>>894 説得は不可能だから、
A:「覚悟ある殺人者」を作らないようにするにはどうすればいいか?
B:「覚悟ある殺人者」を作るにはどうすればいいか?
を考えよう。
「Aの逆の答え」がBの答えになれば成立。
なぜ殺してはいけないか・・・・
人の生命というものは、人がのぞんで手に入れたものではなく、どちらかというと、突発的に与えられたものである。
だからその生命を与えられた人間がその生命の上にどれほど「悪い人間」を築いていようとも、それはその生命自体を奪う権利があるといえない。
なんか言ってください(笑)
別にいいわけでも悪いわけでもない
殺傷は現象、ただそれだけ。
人が人を殺す事に特別な意味を求める事が愚かしい
普遍的承認のある善悪のモノサシなど存在しないただただ無意味。
900 :
Маршал Боголюбов:02/02/23 23:33
あさかあんたが権利の有無を判断するわけではなかろう
権利があろうがなかろうが「生命」を奪うことを正当化するのは
「権利」だけではないよ
>>899 なぜ特別な意味を求めることが愚かしい?
>>901 普遍的承認のある善悪のモノサシなど存在しないただただ無意味。
無意味に意味を求める事が愚かしい。
んー・・・
904 :
Маршал Боголюбов:02/02/23 23:37
無意味なことを求めることが愚かなら哲学者はアホだ
アホを奉じるインテリはもっとアホだ
インテリにアホにされる我々は更にアホだ
>>904 無意味に意味を求める事が愚かしいと言った。
その人がその人の知恵に
価値を見出す限りその事に意義は存在する。
907 :
Маршал Боголюбов:02/02/23 23:41
「義務」、「特権」、「義理」、「条理」等等
909 :
Маршал Боголюбов:02/02/23 23:46
>906
「その人」限りかな?
>907
主君のあだを討つのは義務、農奴を暇つぶしに殺すのは特権、
友人の仇敵を殺すのは義理、悪代官を討つのは条理、みたいな
910 :
Маршал Боголюбов:02/02/23 23:46
909を訂正
>907は>908の誤り
スマソ
911 :
考える名無しさん:02/02/23 23:46
そうか、人ってころしてもいいんんだ。
目から鱗。こんど試してみよう。
権利や義務は法によって存在する
だが法に妥当性は無い。
同様に「いい事」「わるい事」を計る価値基準も同様に何一つ
それが妥当だと言える物は無い。
合理な事も非合理な事もそれ自体が「いい」のか「わるい」のかを判断する普遍的承認を得る価値基準は無い。
現象は現象、その域を出ない。
>>909 前にも言いましたけど、生命というものは人間が与えられたものであるわけで、その上に築かれた人間をにくんでも、生命を絶つ、「権利」、「義務」、「特権」、「義理」、「条理」などはない。
914 :
Маршал Боголюбов:02/02/23 23:51
>912
道徳的義務は存在しないとでも?
>>912 法には「人を殺してはいけない」などというのは書かれていない。それは戦争などや、死刑が考えられるからだ。しかし、権利自体は法律がそうだからといってあるわけではない
>>912 道徳的義務にすら妥当は無い。
「いい」「わるい」を計る物差しも無い。
現象に「いい」も「わるい」も無い。
ただ、人間は人間を殺せる。
917 :
Маршал Боголюбов:02/02/23 23:55
>913
だれが生命を与えたのか?
憎まなくても笑って殺すことはできる。現にそうしてきた(時の権力者等等)
あなたのいう「権利」とは生命を与えたものに対する「権利」と思われる
しかしわたしに生命を与えた者は父と母と御先祖だ
わたしは彼等の敵には容赦しない
918 :
考える名無しさん:02/02/23 23:56
>>916 人がやってることなのに何で現象なんだ?
だいたい人が自分で価値を見いだせるなら殺人に価値を見いだすかもしんないじゃん
>>915 そう、ただ仮に法に「人は殺してはいけない」と書かれていたとしても
人は殺せるし、法に「人を殺す事は絶対悪」と書かれていたとしても
それが「わるい」という根拠にはなりはしない。
920 :
Маршал Боголюбов:02/02/23 23:57
>919
平たく言えばそれは実定法と自然法の混同だ
>>918 人がやっていたとしても「現象」は「現象」
生き物はタンパク質の塊。
私が歩くのも話しをするのもこうやって2chをするのも
日が昇り沈むのと動揺に物理現象でしかない。
>>920 それでその妥当性は一体何が示してくれるのか?
>>917 いや、生命を与えたと考えられる父母にも生命を奪う権利というものはない場合がある。
そこで問題になるのは動機だ。
>>923 仮に権利があったとして権利を持たない者の越権行為がなぜ「悪」なのか?
927 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 00:06
>922
究極的な妥当性、それは信仰以外にないのではないか?
ただしわたしは自由思想家だから信仰も持てないよ、残念ながら
つまりはあなたを教え導く資格もないのだが
>923
何で動機に飛ぶんだ
父母が「敵を討つな」と明言してれば別だけど
何も言わなければ、敵を討つべきか討たざるべきか問題になろう
無論、誰が何と言おうと、命を奪ってはならぬ場合もあろうが、
それと動機がどういう具合に関係するのか?
928 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 00:08
>921
その通り、物理現象(物理でも化学でもいいが)
その現象を貴方はなんらかの意味あるものと受け取っている
それだけのことだ
>>927 信仰ですらそれを一人疑っただけで妥当性は消え失せる。
とりあえず現象に善も悪もなくただ発生した
現象が肯定されるべき事実だという事が言いたかった。
>>928 意味は無いが意義はあると思っている。
私は意味は求めないが意義は求めている。
>928
その通り、じゃなくて、
それ、証明してみな。
物理現象だけねぇ。唯物論の音量だな。
>>927 むしろ動機がなく、生命を奪うならわかる。しかし、その子を恨み、殺したとするとそれは権利をおかしていることになるだろう。
「なぜいけないか」
他人がいると言うことを認めなければ、自己の存在もまた無いから。
934 :
考える名無しさん:02/02/24 00:11
>>933
漱石ね。自己本位。
>>934
ポエマーよりマシ
ここで討論しているが、人を殺せば裁かれる。法にはしょせん無力だ。まあ、そういってしまっては、哲学の意味はなくなるが。
937 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 00:20
>929
現象、それは貴方にとって
だから貴方は受け入れか、否定するか
それをどう解釈し、それをどうどう動機付けるか
すでにわたしの手が及ぶ範疇ではない
>930
理由付けではなく、ただ意気に感じたい?
それも一つの選択ではあるだろうけど
>931
あんたに言ったのではないよ
証明できるならやってみな
938 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 00:21
>あかごろさん
法を支えるのは実力ですよ
無法地帯であれば誰をぶっ殺そうと構いはしない
西部劇の世界みたいに
>>937
できねーよな。まず無理。
941 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 00:29
まあまあ
942 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 01:01
正当防衛は如何?
自分は殺されても他人を殺してはいけないのか?
>>942 法では認められてますが、「人間」がしたことである以上生命を奪う権利があるとはいえない。
越権行為に越権行為で対抗しても良いというのはないですから。
944 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 01:24
自分が殺されても人を殺すなかれですか?
聖人君子でなければ遵守できないのでは?
殺されても相手を殺す権利があるわけではない。
なぜなら自分を殺したその人間は生命があり、その上に築かれている存在だから。
その程度で相手の生命を奪う権利が生まれるなら、もっと簡単なことでも権利はうまれる。
946 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 01:31
相手も自分を殺す権利はない
たまたま相手が死ぬことになっても
わたしには関係のないこと
相手が死ぬことは相手にとっては権利の喪失であっても
わたしにとっては自分の生存を保持することは権利
少なくとも相手にわたしの権利を奪う権利はないから
947 :
考える名無しさん:02/02/24 01:33
ばかばか
948 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 01:36
「バカばっか」と言うんだよ
あんたトウシロだな
949 :
考える名無しさん:02/02/24 01:37
ばかばかばかあーん
なんか結論がでてないような・・・
951 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 01:45
少なくともわたしは自らの生存に必要な措置を講ずる権利があると考える
952 :
考える名無しさん:02/02/24 01:50
権利とかじゃなくてね、すべての生命は殺されまい
として生きているわけよ。食べられるならともかく・・・。
954 :
考える名無しさん:02/02/24 01:54
権利なんて人間が主張するもんだよ。
生まれつきあるなんてことはない。
>>954 ある。生命自体をあまり人間ととらえるのはどうかと思う。
956 :
考える名無しさん:02/02/24 01:58
958 :
考える名無しさん:02/02/24 02:00
>>957 おいおい・・・
人間がほかの生命の犠牲の上で生きているのは分かり切ってるだろ?
959 :
考える名無しさん:02/02/24 02:01
生きたい、殺されまい、というのは
近代的概念である権利などとは次元の違う
生命の本質だよ、自分が生きるためには殺すんだ。
ただ生命は、その他の生命の食料として創られている。
生態系の頂点にいても、最後には大地の栄養になるのだよ。
>>958 そんなことはわかりきっている。それが?
961 :
考える名無しさん:02/02/24 02:03
>>960 だからさあ、生態系自体がほかの生命を犠牲にして成り立ってるわけで、
自然すら無視した権利ってなんなの?
962 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 02:03
>959
生きてるところを無理矢理殺されるのと
自然死するのと
区別を認めないか?
なにがいいたいのかよくわからないんですが・・・
964 :
考える名無しさん:02/02/24 02:05
>>963 俺もあんたのいいたいことが全く分からないよ。
生命自体がほかの生命を必要とするのに
一つの生命が殺されない権利を主張してどうすんだよ。
965 :
考える名無しさん:02/02/24 02:06
死に絶えるべきやつが死なないのは
社会に守られているからだ。
民主主義にも平等主義にも無理があるのよ。
進化を遅らせるだけだ。
>>964 権利があるとは言っているが、それが「悪」だとは言っていない。
967 :
考える名無しさん:02/02/24 02:08
>>964 平等主義というのは、死んで良い人間と死んではいけない人間という区別がないという考え方のことをいってるのですか・
969 :
考える名無しさん:02/02/24 02:10
>>968 もう一回レスを見直そうね。
自分で無理があるの気づいてるんだろうけど。
>>967 そもそも人間というものは、人間と動物の生命の平等さというものを理解していない。
しかし、理解していたところで、結局結果は同じで、越権行為をおかして生きていくだろう。
971 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 02:13
何で「越権」なのか、根拠を示してくださいよ
>>969 たしかにレスとは少し議題がずれているが、最初から権利のことを主張してきたつもりだ。
しかし、それをわかっていながら、意見してきたということは、少し矛盾していないか?
974 :
考える名無しさん:02/02/24 02:15
進化を遅らせるが、社会規範がないと
日々殺し合いとなる。
それはちょっとやだなあ と考えたところに
社会を作った生物の社会的生物たる所以がある。
もっとも人類も共同体間ではお互いに正義を主張しながら
いまだに殺し合いをしているが・・・。
他の社会を創る生物と比べて人類が相当劣っていることが
認識されよう。
975 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 02:16
辞書?
国語辞典じゃないよね
976 :
考える名無しさん:02/02/24 02:16
>>972 人間だけじゃなく全ての生命がほかの生命の犠牲の上で生きてるといってるの。
生命の根拠すら否定する権利なんてなんの意味があるんだよ。
矛盾でしかない。
国語辞典。すいません。
>>976 自分のされた質問に答えずに質問に答えてもらおうって?
979 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 02:21
少なくとも、自分の生命を全うする権利はあると思うよ
そのために他の生命を消滅せしめることも仕方ない
自分の生命とは関係なく他の生命を奪うことは許されまいが
980 :
考える名無しさん:02/02/24 02:21
>>978 これではっきりしたけど君は議論して人をやりこめたいだけなんだな。
せいぜい無理のある主張を続けてなさい。
>>979 そんなかんじです。
そう考えると人間は越権行為の上に生きているのかもしれない
>>980 まあ、そんな考えはないが、今なにをいってもだめだろう。そんな閉鎖的になってしまったのでは。
983 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 02:27
越権?
それは貴方の自意識だよ
罪の意識と言い換えてもいいかもね
985 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 02:34
だってわたしは人を殺すことに躊躇しないから
今のところ、わたしの殺人行為を妨げるものは、ただ法律のみ
>1
「人」の中に「自分」を入れろよ、ちゃんと。
そうすれば「いい」と言った途端に、君の命は無い。誰でも、君を
殺して「いい」わけだから、文句言えまい?
「いけない!」と叫び続けていなければ、強盗でも通り魔でも
喜んで君を襲うよ〜〜
>>985 まあ、正直討論することに飽きてきている。
だからこう言う。
人それぞれの考え方があっていいんじゃないですか?別に自分の思想を無理矢理おしつけようとしてるわけじゃないんで。
理解されないならこう言うしかないだろう。飽きてきた。
>>985 ばかたれが、
君が殺される方なんだよ。君は一人で、君を殺してもいい人間は
「世界の全人口−1人(君自身)」いる。どっちが危ういかよ?
989 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 02:40
そもそも何故に議論に参加した?
議論の目的は、自らの意思を他人を押し付けることにある
この意味では戦争と同じだ
以上の観点からずれば、飽きた、疲れたは議論のルールからして御法度だよ
「いい」と言った途端、
自分以外の全ての人間が、自分を殺してもいい許可を得たことになる。
そのことを忘れるな。
>989
いらんことくっちゃべっとらんで、
さっさと
>>988に答えてみれ。
寝たい人間はほうっておけ、粘着するな、構って君は一番情けないぞ。
>>989 それは当然な意見だ。
しかし、あいにく僕はそのようなルールを守るようなできた人間ではない。
でも、これ以上の議論が無駄だと判断した場合はどうなる?
それでもまだ続けろというのか?これ以上無駄なことはない。
で、おれももう寝るんで、
レス書いておいてくれ。また今度(いつになるか不明)見に寄るんで。
じゃな、お先、お休み>all
>Маршал Боголюбов へ
再度、
>>988に答えといてな、じゃな〜〜。
まだ答えんのか? Маршал Боголюбов よ、どしたい?
>>992あかごろ
君は正しい。相手のレベルに合わせる必要はない、
寝たい時にはさっさと寝ろ。んじゃ、お休みー。
996 :
Маршал Боголюбов:02/02/24 02:48
>あかごろさん
自分の意思を他人に押し付けようという意思をもっているなら
死ぬまで言い合うしかないだろう(冗談ではなく)
しかしお互いの思想の基盤を確認するだけでも満足であれば
それが確認できたところで十分だろう。
>その他諸々(悪いね)
少なくとも、わたしは自らの生命・財産を最優先する
議論するのと、カラむのとは
全然意味がちがう。カラんでも無駄じゃ、その前に自分の頭の中を
ちゃんと整理してから書け。
わかったら、もう寝なさい Маршал Боголюбовもあかごろも
睡眠こそが頭をクリアにして、思索を深める。お休め!(命令形)
>>995 答えられないのでは?
自分の意見を変えることが恥ずかしいとでもおもっているのかもしれない。
そのような人間に進歩はないが。
まあ、どっちにしろ答えない以上勝手な想像しても文句は言えまい。
>995
君のは論にも何もなっとらん、ちゃんと
>>988に答えとけや
何ヶ月かかってもいいからな。んじゃ、今度こそ、ホントにお休め!
1000 :
考える名無しさん:02/02/24 02:50
あーあ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。