生物の行動を考えるときに、絶対正しいと言えることは「私欲追求」(脳内快楽追求)であり、
殺人を犯すと逮捕されたり社会的評価が下がったりするので、自分の利益にならない。
だからダメであるということ。だが、絶対ダメとは言えない。
人を殺したときのリスクと利益を計算し、期待値がプラスであると判断された場合、むしろ殺人は正しい。
私欲にかなうことは正しいことである。
考えられるリスク:逮捕される可能性・精神的罪悪感、など
考えられる利益:金銭・愉しい(精神的快楽)、など
決して、「公共の利益に反するから」という理由ではない。
自分ひとりが公共の利益に反することをしても、確かに公共の利益は減るだろうが、
それにともなう自分個人の利益の減り具合は微々たるものだ。公共の利益は大勢の人間で薄められてしまうのだから。
だから刑法があるのだ。刑法により強制的に「殺人」という行為が得でないようにしている。
殺人が絶対にダメではないということを説明したが、
「殺人は絶対ダメ」と主張することは正しいことだ。そうすることにより、「他人に得な殺人をされて、公共の利益を損なってしまう。」ということを防ぐためだ。
正しい正しくないは主観でしか決められない。「客観的な正しさ」など無い。「客観的な神」を持ち出して宗教で説明するしかない。