ラカンは、精神分析家の欲望の起源がフロイトの欲望にあるとしました。
しからば旧「ジャック・ラカンと精神分析」スレの起源は、>1の欲望にあります。
すなわちそれは、以下のとおりでした。
>さあ、どうぞ
>なんと言っても今世紀はラカンによる読解の冴えがあったよ。
>フランスでは知的なれんちゅはみんなラカンにいかれたぞ
この言説も、すでに前世紀のものとなりました。何とめでたい御長寿スレでしょう。
しかしこの類い希な欲望を、果たして前スレは十分に理解してしていたでしょうか?
私は前スレの限界を感じざるをえません。
従って、私はここに「ジャック・ラカンと精神分析part2」の設立を宣言いたします。
さあ、どうぞ
◆旧スレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/950266631/-100
2 :
考える名無しさん :01/12/25 23:21
alapageで検索していたら、autres ecritsって本が見つかりました。 セミネールやエクリにない論文を集めたものと理解してよいのですか。
4 :
考える名無しさん :01/12/26 00:44
なんで哲学板にあるんだろう。。。 まぁ、精神分析の板って病的ゴシップの巣窟だからねぇ。 僕もチラッと見て目が痛くなってもう覗いてないや。 ここが落ち着くのかな。
6 :
考える名無しさん :01/12/26 00:59
>>6 いや、どこでやってもいい、たとえば数学のスレッドでもいい。
実際、フランスの大きな書店では数学書に混じって、
ラカンを提唱者とするトポロジーの専門書など置いてあります。
ですから、どこでもよいが、たまたまここなんだと考える方がよい。
それこそが精神分析というものです。
7がいい事言った。
資本主義のディスクールって、ミラノ講演のやつでしょ。 S barre S2 ------- ------- S1 a 項の順序が入れ替わってるので分かりにくいの。説明していただけるかしら。フジタさん?
>>9 女性を偽装した男性とみた。すなわち擬態。
すぐに答えを聞く前に、
あなたはどのように説明する?
11 :
考える名無しさん :01/12/26 23:42
>>10 レスありがとうございました。門外漢です。「資本主義のディスクール」ですか(w
もうレベル高すぎです!
>>9 前スレで蝉氏(斉藤環氏?)退場以降、もっともシャープなレスを展開していた方ですよね?
実は藤田先生の登場で、復活がありえるなと予想していた三人のうちの御一人でした。
レスが何気に挑発的なんですが、純粋な学問的興味としての質問ですか?
それとも協会派の刺客としての軽いジャブ?(w
面白いのは「本物の」精神分析家は資格に対して無頓着だということです。 資格云々といっている間は「資格が必要」というわけです。 厳密な話をするなら、分析主体(いわゆるクライエント)は 分析家「に」分析を受けているのではなく、 分析家「を使って」自らを分析しているのですから。 分析家であるための資格云々という話は実はとてもナンセンスな議論です。 ラカンの有名な「Le psychanalyste ne s'autorise que de lui-meme.」という言葉は そのような文脈の中で意味が明らかになっています。 自分たちがすでに当たり前だと認めてしまっているような既成の団体(大学、組織など)とか権威は 一旦括弧に入れて、そもそも「精神」を「分析する」とはどういうことなのか、 このことについて徹底的に考えてみるべきでしょう。 ラカンは分析家を聖人に喩えて「聖人は聖人であるほどよく笑う」と言っています。 この表現を借りるなら「分析家は分析家であるほど資格を笑い飛ばす」とも言えるでしょう。 要は、ただそこに「精神」の「分析」があるのであり、その「分析」が 自己分析の構造的な限界を越える必要が生じたときに初めて、 「他者」としての分析家を「使う」必要が生じてくるのです。 精神分析の基本は、フロイトが父の死を契機として「精神分析」を編み出したように、 「喪の仕事」のなかでの徹底した「自己分析」の中にこそ見出すことができます。 忘れてはならないのは、分析家を選択するのは分析主体の方なのだということ。 その限りにおいて、分析主体に選ばれた分析家は他の誰が何と言おうと分析家であり得るのです。。 「創始者フロイト自身は教育分析を受けていない」 このテーゼの重い意味をもう一度考えてみてください。 俗に存在する精神分析家の資格云々の問題は、実は 「資格を持っているか否か」ではなく 「資格にこだわっているか否か」 という問題であることが見えてくるはずです。 精神分析は常にそのようなこだわりとは異なる地平で機能し続けていると考えるべきです。 たとえば、たった今、この場所でも、、、
>晩年のセミネールまで緻密に読み込んだとしても、
>「ラカン」「から」学ぶところはひとつもない、
>と断言できる。
上記のレスは
>>13 >分析家(ラカン)「に」分析を受けているのではなく、
>分析家(ラカン)「を使って」自らを分析しているのですから。
と解釈していいでしょうか?
つまり「学ぶ」=「自己分析」と変換したのですが・・・
15 :
ラ力二工ンヌ :01/12/28 03:17
>10 ギタイだなんて、野暮はいいっこなしにしましょ。 正直いって、フジタさんが本人かどうかは分からないし、 それを詮索することに関心もないんです。カフェ・フジタの フジタさんのほうも、本人度は高いでしょうけれど、なぜハンドル ネームをカタカナにしていらっしゃるのでしょう。それをギタイ でないとおっしゃるとするなら、そしてあくまで本人である、と いうことに固執なさるのでしたら、残念ながらここでの議論は、 やるだけ無駄というものではないかしら。 資本主義のディスクールがわからない、といった、そのわけを 申し上げましょう。いわゆる四つのディスクールは、主人の ディスクールから、各項を一つずつずらすかたちで説明されて いましたね。そのとき、各項の順番は時計回りにS1,S2,a,S barre で変わらないでしょう?ところが資本主義のディスクールでは これが変わってしまう。なぜなのかしら。不思議じゃありませんこと? >11 私のことを覚えていて下さったのはとてもうれしいわ。 刺客だなんて!!私みたいな気分屋さんに、とてもそんな役目 は務まりませんわ。
16 :
une femme :01/12/28 11:50
ラカニエンヌさんへ ご存知のように精神分析と女性との関係は、必ずしも蜜月ではありませんでした。 例えばフェミニズムは、精神分析とアンビヴァレントな関係にある、 というよりはまさに精神分析批判を通して自らを語ろうとしてきました。 ところが一方で20世紀後半、精神分析のみならず広く思想の世界において、 多くの女性たちがラカンを読み、ラカンについて語り、ラカニエンヌと呼ばれた。 彼女たちにとってラカンとはどういう存在だったのだろうか、とても気になっています。 ラカニエンヌさん、何故あなたはラカニエンヌになられたのでしょうか?
17 :
考える名無しさん :01/12/28 21:56
16がいい事言った。
18 :
山城しんごwithむつみ :01/12/28 22:00
今、17がいい事を言った。
「ラカニエンヌ」さんへ わたしは16番さんと共に、あなたに、語り口が女性であるか男性であるかというのは、 思いがけなく重要な問題である、ということだけ指摘しておきましょう。 あなたがこのことにどれだけお気づきであるのか興味のあるところです。 まあ、この問題についてはまた先で触れることになるでしょう。 さて、本題に戻ります。 資本主義のディスクールについて、わたしは 「すぐに答えを聞く前に、あなたはどのように説明する?」と問うた筈したが、 返ってきた答えは単なる「資本主義のディスクールがわからないわけ」の説明でした。 したがって、もう一度問います。 「ラカニエンヌさん、資本主義のディスクールの構造をあなたはどう説明しますか?」 同じことを繰り返すのでは少し意地悪に見えるかも知れませんのでヒントを一つだけ。 ヒント「plus-de-jouirとplus-value との関係に注目」。 以上。
横槍ですが。 Sbarre:資本家 S1:資本主義のイデオロギー、自由、競争など。 S2:商品。商品は商品相互の中の差異化によってしか、その価値を表現できない。 a:文字通りマルクスの剰余価値(労働力) という感じでしょうか。 資本主義という物の交換を超えた制度によって、労働力という価値が新しく生まれた。 一方、自由、は抑圧されている。 ところで、ラカニエンヌさんの疑問は資本主義のDではSbarre,S1,S2,aの布置が4つのディスクールと異なるのはなぜかという点にあるように読めますが。 4つのディスクールが順番に回転できる訳は、ラカンのいう主人ーヒステリーー分析家ー大学人の各構造が密接な関係にあったから、という同語反復のような理由に過ぎないということか。 どこかにあった、フジタさんの「言葉遊びに過ぎないが」につきるのかな。
>>20 初歩的な質問になるんですが
「テレヴィジオン」に出てくる「資本家のディスクール」って、
「資本主義のディスクール」と同じなんですか?
通俗的なことをいっていいですか。俺は大学を中退したから 協会に入る資格はないんすけれども、それはそれでいいとも思う ですよね。やっぱ、どっか、遮断というのか、しきりがあっても いいと思うんですよ。そういう遮断って、ラカン的じゃないですか。 まあ、これは一個人の感想にすぎないんですけれども。
ごめんなさい。いま、「カフェフジタ」をのぞいたら、その話題は 解決ずみだったのね(一応)。
>>15 (ラカニエンヌさん)
あの〜、大変失礼ですけど、あなたの
マムコのバイブをつっこんでオナニー
してくれませんか?
そしてその模様を実況中継して欲しい
んですね。オカズにしますから。
25 :
考える名無しさん :01/12/29 23:19
是非ともピンク色か、せめて黒で。 青や紫はグロっぽくて萎え〜。
>>14 門外漢さんへ(遅くなりましたが)
そのように考えていただいて結構です。
つまらない書き込みは流れを止める。
30 :
考える名無しさん :02/01/01 00:45
紅白の小林幸子クローンやってくれたね
新年、あけましておめでとうございます。
>>15 「気分屋さん」なのですか。激しく好みです(w
今年も素敵なレス楽しみにしています。
>>27 先生、ご返事ありがとうございました。今、先生の訳された「テレヴィジオン」を
読んでいますが、難しいです(w
今年もよろしくお願いします!
フジタさま。 明けましでおめでとうございます。そして、13のお返事どうもありがとうございま した。 分析主体に選ばれたものは誰がなんと言おうと分析家なのだとおっしゃっていま すが、そうすると、私であってもしらないうちに誰かの分析家になってしまって いるってこともあるのでしょうか。
「大学」という「温室」とは無関係なところで、 様々な職業を持っている人たちと共に、 「本物の」精神分析に出逢うことが必要。 あなたがもし大学生なら、 「教師ー学生」という「共犯関係」に、 一刻も早く、 潔くピリオドを打つこと。 あなたがもし大学教授なら、 一刻も早く、 教授以外の職業にも就いてみること。 そして、 フロイトが「大学の外」で精神分析をつくりあげてきた、 ということについてよく考えてみること。
>>35 誘っていただいて感激です!ご指摘の通りゼミのことは気になっていたのですが、
スケジュールがどおしても合いません。いろいろありまして・・・
カフェ・フジタのBBSをロムしたりしながらいろいろ学ばせていただきたいと思
います。またとんちんかんな質問とかをさせていただきますのでよろしくお願い
します。
>>36 今年はまた新しい企画を予定しています。お楽しみに。
>>37 「新しい企画」ですか。楽しみです(w
このスレも藤田先生の登場、ラカニエンヌさんの復活と、新しい局面を迎えつつある
ような気がします。状況の推移を注視している次第です。前に提起された、ラカニエ
ンヌさんの「語り口」の問題が宙に浮いてしまっているのですが、この微妙な問題に
絡むべきか否か正直思案中というところです。僕としてはラカニエンヌさん待ちとい
ったところなんですが・・・
私もラカニエンヌさんの登場を待ってます。 バイブオナニー実況を早くお願いしますね。 パンツを下げて待ってますから。早くして くれないと、風邪ひきそうです。ティムポ も萎えてしまいます。何卒、お早めに・・。
>>40 君は待っててくれなくていいです(w
ソーカルスレにレスしたのもフォロー半分、釘刺し半分のつもりだったん
だけど、やっぱりOFW@区別モード=らげ氏とは別人なのか?
まさか、おまえ、もしや阿修羅!?
>>41 OFWもOFW@区別モードも短文レスはほぼ騙りです。
ご本人は、ヘーゲリアン且つ生粋のマルキストです。
ばりばりの硬派なので、哲学板の厨房の標的になってしまったらしいです。
相手するとつけあがりますので、どうか放置で大人の対応をお願いします。
Rage=らげの可能性もありますが、詮索は薮蛇かと。
>>42 了解しました。大人の対応を心がけたいと思います。
どうも根が厨房な者で、つい絡みたくなってしまいます(w
レスを拝見して、もしや!と思いましたが、
「詮索は藪蛇」ということでしたね(w
>>44 ありがとうございます!ロムはかかさずしているのですが、
なにぶんみなさんのレベルが高すぎて(w
そのうち駄レスをさせていただきにお邪魔します。
「父と娘の間に近親相関の禁止条項が存在しない」
新年の幕開けを告げる衝撃的な問題提起ですね!!!
赤間は今何してんだ? まだ東工大で腐れ助教授でもしてんのか?
つーか最近の赤間は病気じゃねーか? なんであんなに醜く太ってるんだ?
48 :
考える名無しさん :02/01/09 02:01
一応再婚したんだよな?
49 :
考える名無しさん :02/01/09 10:19
>>49 いうまでもなく意図的に同じことを「反復」しているのです。
ここと<カフェ・フジタ>の両方を覗いている人はあなただけではありません。
むしろ「反復」の持つ「効果」ということについてよく考えてみて下さい。
51 :
考える名無しさん :02/01/09 11:52
藤田博史にはがっかりした。 もう少し知的に誠実な人だと思っていたのに……。
>>51 いうまでもなく意図的に同じことを「反復」しているのです。
ここと<カフェ・フジタ>の両方を覗いている人はあなただけではありません。
むしろ「反復」の持つ「効果」ということについてよく考えてみて下さい。
53 :
考える名無しさん :02/01/09 16:52
資本主義のディスクールってな〜に? ミラノ講演ってな〜に? すみませんがご存じの方、原典を教えてください。
54 :
考える名無しさん :02/01/09 18:24
蝉寝る=環、逝ってよし
55 :
考える名無しさん :02/01/09 19:46
>>51 フジタ@2ch not equal 藤田博史 だべ。
でも、フジタ@2chもいいこと言ってるよな。ときには
本人よりよかったりして・・・。
そりゃ偽フジタだよ。51よ、煽んのはよせ。 ところで、カフェフジタのEFPさんは、「〜〜するべき」と他人を 拘束づけるのが好きな人のようだな。 2001/12/22 01:17 「よく覚えておくべきだと思います」 2001/12/22 03:51 「すぐにでも入会して会議で動議をだされるべきです」 2002/01/08 05:49 「これは謝罪すべきだと思います」 引用では文脈を再現できないけど、しかし安易に他人に「〜〜するべき」と 命令(推奨?)していいものかどうか。カフェフジタに闖入する意欲など ないから、2chで書き込んでおくんだが。
>>56 どうやら偽でもないようですよ。>>こんな記号を
フジタさん使ってます(藁
ご指摘の「〜するべき」は、個人にむかっていっているというより
そういう方向でいきませんか?というかんじの状況に対する「〜べき」なのです。
他人を拘束なんてできませんよ。
58 :
考える名無しさん :02/01/10 06:59
>>57 つーかカフェ・フジタのフジタも偽だったりして。
EFPさんはヒールを買ってでてんのかな。たしかにあの人のおかげで カフェフジタはおもしろいけど。私がひっかかったのは、とりあえずは 「べき」だけ。
60 :
もう一回だけ56 :02/01/10 08:00
考えてみりゃあ俺も51に「よせ」と命令はしているんだ。 でも51は(焙り出し系)煽りだからな。あんたが失望しようが期待しようが あんたの勝手だけど、そんなことをいちいち公言するほどのこと かっての。
61 :
考える名無しさん :02/01/11 11:49
フェフジタで、吉本氏の論文が解釈学であって精神分析でないと 言っているが、「なぜ父親と娘の間にインセストタブーがないのか」 という議論だって、漏れには解釈学に思えるが・・・。よくわからん。 それに、自由な討論と言いつつ、結局はカフェフジタ独特の暗黙の ルール(それが精神分析的対話というものなのだろうか?)を押しつ けているように思える。 吉本氏は通常のコミュニケーションを望んでいるのに、フジタ氏は 精神分析的対話で返す。吉本氏はフジタ氏に精神分析を受ける契約を 結んだのだろうか。カフェフジタに書くと言うこと自体が、その契約 を了承したことになるのだろうか。 だとすると、「このような対話がいやなら出てけ」ということで、 開かれているといいつつ、結局、同意しないものは排除しているの ではないだろうか・・・。
62 :
考える名無し :02/01/11 22:13
でもさ、掲示板で軽く「精神分析とはおよそ無関係なお粗末な発表」と 書かれて、謝罪要求をするのって、「社会通念上妥当」なのかね?。 そんなにも怒るべきことなのかな。 それとEFPっていう人、教養があり才気走っているが、初登場が 420で、いいタイミングで出てきたよな。しかも名前を明かさない。 あれだけ執拗に、攻撃的、かつ挑発的に議論を展開する。ほとんど だだをこねているけどさ(EFPのEがenfantのEだなんて、笑って しまった。遁辞以外のものではあるまい)、 やっぱ、協会防衛って思われても不思議ではないね。そこらへんを フジタさんは明らかに語れないヴァルネラビリティ(だったか?)が あって、気の毒だが。
63 :
考える名無しさん :02/01/11 22:53
結局カフェフジタの対話は、内輪が、内輪の理屈で行っている対話にしか
見えない。そんならイブキ氏や吉本氏に迷惑かけず、内輪で勝手に
クローズドでやれ!とも言いたいが、一方で精神分析関係のひとのよく
使う言葉が、「分析を受けたことがないひとにはわからない」というもの。
分析的対話をオープンにしてくれているカフェ・フジタにも、感謝する
べきなのだろう・・・。
しかし、一般常識からしたら非常識で失礼な言い方をしているよな。
でも、
>>62 さんの言うとおり、ネットの掲示板にいちいち目くじらを
たてなくても・・・といえば、それもその通り。
64 :
考える名無しさん :02/01/11 23:46
EFPは、ほとんど、藤田氏に身元バレしているものと 思われる。EFPもそれを承知に、エキセントリックに 書き込みつづけた。
>>62 あそこではEがenfantなんですよくらいの嫌味が必要なのですよ。
笑って頂いてこそまともな反応です、藤田さんも笑えばいいのに。
そのあと子供の概念について書いてるのも読んでくれたかな。
藤田さんが気の毒と書いている時点であなたがどういう人か、誰でも
わかるねえ。説明もなしでけなされる人のほうがよほど気の毒でしょう。
それから協会防衛なんて片腹痛い。最初からいかがわしいといってるのを
読んでないな。なんでも単純な対立図式にしちゃ人生おもしろくないよん。
>>64 はずれ〜
藤田さんが根本的にはいい人なだけ。そしてEFPとしては
藤田さんを敬愛してるだけ。もう少し深みのある読みをしてみよう!
俺がカフェフジタで、2ちゃんねるみたいに >>でレスポンス先かかなくてもいいのにって いったとたん、「フジタ」って語る人がこなくなって そのかわり62番みたいに「気の毒だ」なんていう人は 急に出てくるのは面白い事実だから注目しよう! ついに先生ここで憂さ晴らしか?
67 :
考える名無しさん :02/01/12 03:43
いや確かにさ、掲示板で書かれたくらいで騒ぐのは
>>62 の言うとおりだと思うよ。でもEFPってよく読むと
やり方は激しいけど仲裁しようとしてるとしか見えないんだけど。
だだをこねてるとか62の人が書くのはちょっと異常な反応では?
それにEFPって協会を批判してたしね。
個人的に強い感情を持ってないとこういう書き方はできないよね。
いい意見なんだから、だいたいカフェフジタでかけばいいのに。
68 :
考える名無しさん :02/01/12 03:58
おれはysって小文字で書いてくれってだだこねていたのに大笑いした。 ysってフジタと吉本の争いで火に油を注いでいるだけなのが わかってナイらしい。
69 :
考える名無しさん :02/01/12 06:23
EFPって藤田氏からまともなことを引き出すというよりも、怒らすこと しか考えていないように少なくともギャラリーの俺には思えるぞ。 ギャラリーへのサーヴィスというより、それは甘えでしょ。 「ついに先生ここで憂さ晴らしか?」は66の妄想。「匿名は子供」と 書く人がここで匿名で書くか?。 EFPの情熱って、しかしどっか変だけどね。まともに仲裁しているとは 到底、思えん。かれは誤解されないためにも(誤解されるのがあたりまえ の状況なんだから)、もっと適切に振る舞う「べき」だった。
70 :
考える名無しさん :02/01/12 07:24
どうかな、普通に見てたら、フジタって学者の誠実に
欠けると思うんだよね。だって人の論文をけなしっぱなし
その説明もしないし、謝りもしない。一般的な常識を外れた
感じをおれなんか、普通だからうけるけどな。
しかも精神分析的掲示板ときてるから、最善とは思わないけどEFPみたいな
やり方でなきゃ、取り巻きどもに潰されて煙にまかれるのがおちじゃないの。
こんなとこで騒いでないで
>>69 自信がありそうだから、試しにやってみれば?
怒らすって言うのは精神分析の方法でなんとよばれているのかな〜 それが正当な方法だということを知らない人がいるみたいね?
72 :
考える名無しさん :02/01/12 07:44
>>71 EFPが精神分析やるために怒らせてるっていうのはへんだよ。
たしかに本人は詳しそうだけど。結構、流れでやってるだけでしょ。
藤田氏を怒らせるというより、外部のみんなを怒らせてるのが藤田氏
の発言だよね。ただし
>>69 はすこし偏りのある見方をしている
みたいだな。いつも怒らせてばかりじゃないし、なだめたり、
ほめちぎったり、いろいろEFP氏はやっているようだ。どこまで
本当かわからないけど、藤田氏の読者みたいだし。
73 :
考える名無しさん :02/01/12 07:50
藤田先生って変な人なんですね。
74 :
フジタ(偽) :02/01/12 08:01
吉本氏、EFP氏の努力むなしく再登場! 「紛争」だそうです。 屁理屈のべず正直謝っときゃよかった(フジタ)
75 :
考える名無しさん :02/01/12 09:43
カフェフジタでも入峰氏のレスがついたようですが、 フジタ氏が「法律の専門家」を引っぱり出してきたのはどうか・・・。
76 :
考える名無しさん :02/01/12 09:44
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。 このあいだ、哲学板行ったんです。哲学板。 そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいでカキコできないんです。 で、よく見たらなんかスレ立ってて、「精神現象学がわからない」、とかあるんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。 お前らな、ヘーゲルごときで普段来てない哲学板来てんじゃねーよ、ボケが。 哲学板だよ、哲学板。 なんか「C-Life」や「びたみん」なんかもいるし。コテハン総出でヘーゲルか。おめでてーな。 金子訳より長谷川訳、とか言ってるの。もう見てらんない。 お前らな、美学講義やるからそのスレ下げろと。 哲学板ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。 「阿修羅無限大落し」が「幼児性全能感」にマジレスしてもおかしくない。 マジレスするかされるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。「ぴかぁ〜」は、すっこんでろ。 で、やっとスレ下がったと思ったら、Iridiumの奴が、コジェーブはどう?、とか言ってるんです。 そこでまたぶち切れですよ。 あのな、コジェーブでヘーゲル読むなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。 得意げな顔して何が、コジェーブは、だ。 お前は本当にヘーゲルを理解したいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。 お前、卒論の参考文献に「ヘーゲル『精神現象学』」と書きたいだけちゃうんかと。 哲学通の俺から言わせてもらえば今、哲学板での最新流行はやっぱり、ニーチェ、これだね。 ルゥ=サロメにふられるダメ男。これが通の哲学者。 20世紀になって大流行り。そん代わり性病持ちで素人童貞。これ。 で、それにツァラトゥストラに「神は死んだ」と言わせる。これ最強。 しかしこれを言わせると次からナチス扱いされるという危険も伴う、諸刃の剣。 素人にはお薦め出来ない。 まあお前、1は、竹田青嗣でも読んでなさいってこった。
77 :
ラ力二工ンヌ :02/01/12 12:36
誰も私の名前を呼ばない。寂しいことです。 他の人ならまだしも、文字に敏感であるはずの精神分析家まで・・・ これはいったいどうしたことでしょう。精神分析家とは 私が考えていたようなものではなかったのでしょうか。それとも フジタ氏が精神分析家ではなかったということでしょうか。あるいは ネットという場そのものが、こうした無感覚を例外なく引き起こす ものなのでしょうか。 資本主義のディスクールについては、私にはわかりません、と繰り返す よりほかありません。それをなお答えよとおっしゃるのには、おそらく 例の分析上の規則「分析はできるかぎり「欲求不満」 Versagung の状況で 行われなくてはならない」を実践されているのでしょう。しかし、そもそも 分析家はいついかなる場合にも、分析家でありつづけなければならない のでしょうか。分析の「外」で分析家に語りかけることは、かなわぬ ことなのでしょうか。 こうしたことをフジタさんは、考えられたことがおありかしら。
資本主義のディスクールについて書かれている出典を 教えてくだされ。誰かおねがい。
79 :
考える名無しさん :02/01/12 19:58
(゚д゚)あらら、吉本氏、突如ホコをおさめた・・・。
80 :
考える名無しさん :02/01/12 22:11
,,/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ │ ぼくたちラカニアン、他者にだ〜けつい〜ていく〜♪ │ 今日も〜象徴界、現実界、そして想像界〜♪ | いろんな学派が〜争ってる精神分析で〜♪ | 今日も〜鏡像段階、幻想、そして〜対象a♪ | | 分析うけて〜 怒られて 涙して〜♪ | でも 私たち金かえせとは〜言わないよ〜♪ | 分析うけて〜 話をそらされて〜♪ | でも 私たち分析家に転移し続ける〜♪ ,,\___ _________ ∨ ♪ ∧ ∧ ♪ (-@∀@) ♪ |つ[|lllll]) 〜| | U U
プロの人たちは自己責任で勝手にやってください。 今後も、ラカンの思想が私の職業に直接関係することはありえ ませんが、彼の考えを知り得たことは幸運でした。マジで。
83 :
考える名無しさん :02/01/12 23:06
フジタさん本物だったみたいね。 ちょっとみんなでいじめすぎたかしら・・・・。 実は、傷つきやすいいひとだったのかも。 フジタ〜カムバック〜!
84 :
考える名無しさん :02/01/12 23:13
私がフジタ氏に教えてほしいのは、 島で得た体験。 藤田氏の最初の著書で、南の島の論理を描いてなかったっけ。 私もダイビングが好きで伊豆諸島にはよく行くので、 心底おしえてほしいと思う。 きっとカフェ・フジタの議論より 私は感動できると思います。
86 :
考える名無しさん :02/01/13 13:06
87 :
考える名無しさん :02/01/13 16:58
やっぱりこの板のフジタ、違うような気がする。 がっついているというか、なりふりかまわないというか。 人が集まればいいみたい。 ひさしぶりに「オルグ」という言葉を思い出した。 「生フジタ」だって。(失笑
88 :
考える名無しさん :02/01/13 18:14
>>80 評価:日本的癒し系マゾソング「ピクミン 愛の歌」を、精神分析現場に置き換え、
なんかよくわからんが、笑える。猫目に映る小文字aもよし
評点:A
>>77 ラカニエンヌさん、あなたはここには似合わない。
<カフェ・フジタ>へお越しください。
ラカニエンヌさん、ここではあなたを分析ぜめにできない。 <カフェ・フジタ>へお越しください。 私のほうがほんとのラカン協会(本家)です。 ほかはゆるしません、たくさん信者の方をおまちしています。
91 :
考える名無しさん :02/01/14 07:53
>でもさ、掲示板で軽く「精神分析とはおよそ無関係なお粗末な発表」と >書かれて、謝罪要求をするのって、「社会通念上妥当」なのかね?。 >そんなにも怒るべきことなのかな。 自分の自信のなさの裏返しなのじゃないの? それはともかく、一個人としての感想としては、あのサイトは面白くない。 ただの絵解きじゃない。 (もしかしたら一流の)山師であるデュシャンが適当に描いているものに、 都合のよい言葉をひっぱってきて貼り付けただけだと思うけどなあ。
92 :
考える名無しさん :02/01/14 07:58
"フジタ"氏が、いつも問いだけをなげかけて、 自分では答えを言わないのは、分析家を禅の導師と重ねているからでしょう。 ただ禅的に言えば、やっぱり、ただ「喝!」とだけ言っているにわか坊主と そうでないのとは違うのだよね。 しかし、分析的には、答えを持っている必要はなくて、 ただ、知を想定された主体としていればいいわけなのだ。 (それって、でも日常用語で言えば、えらそうにしていればいいという ことでは?)
94 :
考える名無しさん :02/01/14 10:43
しかしだれも藤田の書いたものを批評しないのね。かなりとんでもだと思うんだけれど。
95 :
考える名無しさん :02/01/14 21:59
96 :
考える名無しさん :02/01/16 17:16
英語の小説を読んでいて、次のような引用がありました。 どうやらラカンの著作からのもののようですが、ネットで 調べて「フロイト理論と精神分析技法における自我」(1998、 岩波書店)ではないかとあたりをつけ、読んでみたのですが どこに以下の記述があるのか見当たりません。 おわかりになるかたは、何ページあたり、とか、ちがう本だ とか教えてください。 <Le moi est une construction imaginaire. S'il n'etait pas imaginaire, nous ne serions pas des hommes, nous serions des lunes. Ce qui ne veut pas dire qu'il suffit que nous ayons ce moi imaginare pour etre des hommes. Nous pouvons encore etre cette chose intermediaire qui s'appelle un fou.>
97 :
考える名無しさん :02/01/17 21:29
>>48 赤間みたいなドブネズミみたいな奴が何で再婚できたんだか (藁)
98 :
考える名無しさん :02/01/17 22:12
君より魅力あるからじゃない?
99 :
考える名無しさん :02/01/18 07:12
95,98 は煽り認定ということで無視してください。 ささ、どうぞ続きを。
100 :
考える名無しさん :02/01/18 08:18
>>97 どぶネズミと言うより浮浪者といったほうが・・
102 :
考える名無しさん :02/01/18 12:51
↑オマエモナー
103 :
考える名無しさん :02/01/18 12:52
104 :
考える名無しさん :02/01/18 13:31
>>96 「フロイト理論と精神分析技法における自我」邦訳の下巻
118ページの11行目から
105 :
考える名無しさん :02/01/21 21:13
藤田博史氏は分析を受けておられない、もしくは終えられていないのだろうか。 公式サイトのプロフィールには教育分析についての言及が無いし、 肩書も「精神分析医」(そのようなものが存在するのか疑わしい)とされている。 できればご本人による釈明を願いたい。
仮に分析を受けていないとして、 何でそれを「釈明」しなくてはいけないのか? 突然、フジタ氏を擁護したりして・・・。
107 :
考える名無しさん :02/01/22 09:47
>>105 フジタ氏はすでにそのことについて触れておられたはず。
12,13,14,33,34,35をみよ。
108 :
考える名無しさん :02/01/22 15:54
あれってそういうことだったのか。 藤田氏は昔2冊読んで、パリ8のオーソドクシーだと思いこんでいたが 激しく誤っていたな・・・ まあ確かに精神分析家という国家資格があるわけではないから 勘違いする方が悪いのだけど、 教育分析を終了した分析家だと思って藤田氏の分析を受けようと思う、 ないしそのような分析家の言うことだと思って本を買う人もいるわけで、 そういう人を(広い意味で)騙すことにはなる。 斉藤環もそうだけど。(あれは本の内容で分析家でないとわかるか)
109 :
考える名無しさん :02/01/22 21:19
>>108 問題はむしろ教育分析を受けた分析家のなかにも
かなりひどいのがたくさんいるということ。
だから分析を受ける側からいうと
結局フジタ氏がいうように、
自分が選んだ人がその人の分析家になるわけで、
教育分析受けているとかいないとかは
あんまりあてにしないほうがいいらしい。
110 :
考える名無しさん :02/01/22 23:06
分析を受けていても往々にして「転移の言説」(十川)になってしまう。 それでは分析経験があったとはいえない。 という問題があるのはわかるけどさ。 だから受けなくていい、受けてないのに分析家面してもいい、 ということにはならないだろう。 前衛党は必要か、みたいな話だな。 俺からは109が日和見主義に見えるし、 109からは俺がスターリニストに見えるんだろう。
111 :
考える名無しさん :02/01/22 23:45
>>110 だから教育分析受けているから分析家面してもいい、
ということにもならないだろう?
112 :
考える名無しさん :02/01/23 00:50
必要だが十分でない。という意味で同意。
113 :
考える名無しさん :02/01/23 08:05
十分だか必要でない、という意味で同意。
114 :
考える名無しさん :02/01/23 11:16
クライエントが分析家だと認めた人が分析家である。 少なくともフロイト自身はそのような形で診療していた。
映画の「青い夢の女」(原題「死にいたる転移」)ってどうよ?
まさに精神分析が高度なジョークで 第一級のトラジ-コメディーであることを 証明してくれた作品でした。
117 :
考える名無しさん :02/01/23 23:18
「精神分析家の欲望は盗みの欲望である。」 という解釈はどうですか?
119 :
考える名無しさん :02/01/24 17:04
「盗まれた手紙」の構造かなと思ったんですが。 他者の他者=原父(オルガの夫)[大臣]から、 対象a(金、オルガないしその死体)[手紙]を窃取し、 他者=死せる父(父−転移を起こしているところの老分析家)[王室] へと送り届けるという。 しかし金を受け取らないので、結局その構造から脱落しきらない。 映画は分析を外から見ているので、 「精神分析家の欲望はこのような盗みの欲望なのであろう」 という作品だったというべきかもしれませんが。
120 :
考える名無しさん :02/01/25 19:50
>>114 クライエントが医師だと認めた人が医師である。
少なくともヒポクラテスはそのような形で診療していた。
121 :
考える名無しさん :02/01/25 19:58
120がいいこと言った。
122 :
考える名無しさん :02/01/27 15:36
ラカンのジョイス論について誰か教えて
123 :
考える名無しさん :02/01/27 15:50
ラカン? あんなのだめだめ。 今の時代はユング。 オカルト心理学。これ最強。
124 :
考える名無しさん :02/01/27 21:20
>>123 キミミタイナバカイツノジダイニモイルモンダ
125 :
京極夏彦@絡新婦の理 :02/01/27 21:28
「益田君。世の中はすべて偶然でできているのだ。驚くまでもないよ ・・・ただ、人間というのは小賢しい生き物だから、それでは納得で きないのだ。そこで人間は朧気な偶然の点と点を線で結んで、蜘蛛が 巣を張るようにはっきりとした像を造りたがる・・・蜘蛛の糸は通常 ぼやけていて、これがはっきり見えるものをサイエンス(合理的認識) と呼び、全く見えぬものをオカルト(隠秘学)と呼ぶ。隠秘学はだか ら非合理的認識ではない。それは相反するものではなくて、本来その 程度しか違いのないものだ・・」
126 :
考える名無しさん :02/01/27 21:29
>123 どうせなら76みたいに緻密な牛丼屋ネタを展開してくれ。
127 :
考える名無しさん :02/01/27 21:33
新宮氏の「ラカンの精神分析」の冒頭で、 なんかシンクロニシティみたいな話がなかったか? よくいうよと思った記憶がある。
128 :
考える名無しさん :02/01/28 04:53
129 :
考える名無しさん :02/01/28 08:40
130 :
考える名無しさん :02/01/28 17:27
ラカン自体がある意味トンデモだろ
女医す・・・頼むよだれか・・・
>131 ラカンが、ジョイスを読んで英語を勉強したと言ったら、皆が笑ったという 逸話しか知らんぞ。
134 :
考える名無しさん :02/01/29 00:31
ラカンって虚数の使い方が全く間違っているらしいよね。 アラン・ソーカルの『知の欺瞞』にそう書いてあったぞ。
135 :
名無しさん :02/01/29 01:57
お前ら「ラカン」と言いたいだけちゃうんか?w
136 :
朝からカキコ :02/01/29 10:10
>>133 フジタ氏が「知」のひとなら、新宮さんは「情」のひとだね。
ふと思ったんだけど、新宮さんは「在、不在」みたいのにこだわって
いるけど、やはり西田哲学などの京都学派の流れをひきずって
いるのかしら???
137 :
考える名無しさん :02/01/29 17:55
痴のひとだろ。 新宮は京都学派ではないだろうが、 仏教にこだわるのはやはり京都ゆえかな。
138 :
在日日本人 :02/01/29 20:20
>>136 「無常」から「小林秀雄」と連想したが「京都学派」か、そうね。
で、この方向性は、ある意味、日本的文化人の王道では?
新宮一成氏は知性と感性の絶妙なバランス感覚をもった希有な思索者です。 みなさんはもう少し新宮氏の著作を読み込むべきであろうし、 できればご本人に直接お会いになることをおすすめします。
140 :
考える名無しさん :02/01/30 11:22
新宮一成氏は知性だの感性だののバランスを突破する希有な思索者です。 フジタ氏はもう少し新宮氏の著作を読み込むべきであろうし、 できればご本人に直接分析をお受けになることをおすすめします。
希有な分析家です。新宮氏は。
142 :
考える名無しさん :02/01/31 19:43
女椅子は?叙位す。
144 :
考える名無しさん :02/02/01 10:48
でも新宮のまわりの学生は彼の分析によって、 かえっておかしくなる奴が多いというのは、 京大ではちょっと有名な話。
145 :
考える名無しさん :02/02/01 13:25
>144 詳細求む。 でも、分析自体意図的なヒステリー化だからね。 一生分予め狂っておく作業というか。
147 :
考える名無しさん :02/02/01 18:52
>>143 中野ってのもこの程度の奴だったんだな。
>>145 ども。アクセス不能=カフカしろ。しろ=まいなす・ふぃー。
>>147 この程度の奴だったんだな。君は哲板でなにしてる?
<カフェ・フジタ>(634)に座布団一枚。
150 :
考える名無しさん :02/02/06 11:33
昔日ノ高調子イマ何処?
フジタよ、「もっと堂々と」。 徹・底・操・作・が必要(ハート)。
152 :
考える名無しさん :02/02/07 13:18
「おもしろい謝罪文」とか言って、アクチング・アウトで醜態さらすのがお似合い。
153 :
考える名無しさん :02/02/07 15:19
言いすぎです。 ここは無・根・拠・な・中傷を楽しむスレッドです。
154 :
考える名無しさん :02/02/08 15:32
優良スレ 普通 クソスレ ┝━━━━━━━━━━┿━━━━━━━━━━┥ 88彡ミ8。 /) 8ノ/ノ^^ヾ8。( i ))) |(| ∩ ∩|| / / <ココ! 从ゝ__▽_.从 / /||_、_|| / / (___) \(ミl_,_( /. _ \ /_ / \ _.〉 / / / / (二/ (二)
155 :
ルパン三世 :02/02/08 23:41
ふ〜じたさ〜ん。 「早々」じゃなっくて、「草々」だよ〜。
156 :
考える名無しさん :02/02/08 23:52
欲望とは他者の欲望を欲望することだ。
157 :
考える名無しさん :02/02/08 23:58
主体の知らない処で、それは語る。
158 :
考える名無しさん :02/02/09 00:15
横棒とは縦にした横棒を横にすることだ。
159 :
考える名無しさん :02/02/09 00:21
死体を知らない処で、おれはかまう。
160 :
考える名無しさん :02/02/09 00:25
エスは、スケベのエスだ。
161 :
考える名無しさん :02/02/09 00:33
エムは、スケベのメスだ。
162 :
考える名無しさん :02/02/09 13:00
>155 ソウソウ。。。 早々→早々に退散 こういう書き損じを、失錯行為といいます。さあ皆様ご一緒に! そうそう。そうそう。そうそう。そうそう・・・。
163 :
考える名無しさん :02/02/09 14:06
>>162 早々→早々に返事しろ!
ってことだろ。
返事しろ!だとよ。
165 :
考える名無しさん :02/02/10 01:27
投降大で腐ってるA助教授age
166 :
考える名無しさん :02/02/10 09:04
<カフェ・フジタ>の参加者で、この「2ちゃんねる」を定期的にチェック している人が少なからずいることをわたしは知っている。しかしながら、 私的欲望フェチ氏と、甲斐甲斐しい斥候キャラ氏をのぞいて議論に参加して きた人はあまりいないようだ。 そしてなによりも残念なことは、フジタ君が、真なる議論というものに対して 不誠実な人間であり、まともに相手するに値しないということを、つい最近 知る機会があったことである。
フジタのテクストっていいよね。。
今回の騒動でテクストだけってのがよくわかった。
テ・ク・ス・トこそすべて〜 す〜べ〜て〜はシニフィアン〜♪
>>165 赤間研は下僕しか必要としないから腐敗しきってんだよ
我は雷、電波なり。すべての者を語らせ、すべての問いに答える者なり。
172 :
考える名無しさん :02/02/11 20:06
日本で精神分析って... 阿呆か、お前ら! インドネシアで分析してたら笑うだろ、お前らだって! 司馬遼太郎でも読んで呂!
173 :
考える名無しさん :02/02/11 23:02
>>172 インドネシアで分析で何が悪いんだ!
インドネシア差別反対!・・・(藁
でも、ラカン派ってアルゼンチンで栄えていたりするし、
インドネシアと変わらないんじゃないの?
174 :
考える名無しさん :02/02/11 23:11
インドネシアの司馬...いやマルドロール現る。
171ですが、招かれざる電波?を招いてしまいましたね。(彼らはお仲間と 見ると挨拶をかわしに飛び込んできます) このスレは、<カフェ・フジタ>の集客装置&場外バトル専用スレですから、 <カフェ・フジタ>との”インター・プレイ”をお楽しみください。 ラカン派精神分析については、「斎藤環スレッド」を見るべし。 こっちも荒れてるが・・トホホ
>>170 あの人も「怖い」ひとだけど、環よりかはましだと思う。
177 :
考える名無しさん :02/02/12 12:15
フジタ氏は「協会の良心性」(=協会が自己基準によって判断すること)を、 「伊吹氏の良心」(=答えないと伊吹氏個人に良心がないと見なされること) へすり替えましたね。
178 :
考える名無しさん :02/02/12 21:04
ちょこっと「シニフィアンだけ」とか書かれてさ、それじゃぁーてんで シニフィエもってくるなんざ、フジタもまだまだケツが青いなって思うわけサ(藁
179 :
考える名無しさん :02/02/13 05:10
chi=ys chi=「知」 「フジタ氏が「知」のひとなら〜」(136) 「カフェフジタ」464を見よ。 年始あいさつのメンバーがすべて。 407=503
181 :
考える名無しさん :02/02/13 12:56
>179 ysって、自分ではデキルとか思ってるんだろうが、ナルシスちゃんは 所詮ナルシスちゃん、使えません。 ハンドル変えるなら、個人的感想って前置きする癖をなんとかしろ(失笑
182 :
取り急ぎオコタエシマス :02/02/13 13:10
水上氏宛てに投稿しておいて、目は外野に向いている。失礼なオンナ。 マジ、キモイ。逝ってください。 早々
>182 あら、まあステキ。あたしをオンナと認めてくださったのね。 あたしなかなか逝けなくて、欲求不満なの。 この断言ぶり、きっと立派なペニスをお持ちなのね。見てみたいわ?。
184 :
考える名無しさん :02/02/14 02:40
<カフェ・フジタ>ってものすごく気色の悪いところなんだな。
185 :
考える名無しさん :02/02/14 11:44
そうですか。chiさんはオンナと認めて欲しかったんですね。 そうですか。chiさんは欲求不満だったんですね。 17cmですが、それがなにか? 黒光りしてますが、それがなにか?
186 :
考える名無しさん :02/02/14 12:30
17.5cmですが、それがなにか?
187 :
考える名無しさん :02/02/14 14:56
結論 chi=ysは自分がデキルと思っている。 chi=ysは欲求不満。
188 :
考える名無しさん :02/02/14 16:43
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ・∀・)< 勉強の邪魔だから静かにしてくれる? _φ___⊂)__ \________ /旦/三/ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | |愛媛みかん|/
みんな仲良くやってるのに、ごたごたいうのは、野暮だ、おせっかいだ、 まだまだ人間として出来ていない、理屈こねているうちはまだまだ青臭い、 と決めつけていい、という共通了解がある(660) 例 ここは裁判所ではありません。自由に討論を進めてゆく場です。 TPOを熟慮してもう一度冷静によく考え直されることを希望します(540) 自らを向上させようと努力している「うざったい」人間を、自分は何の努力 もせずに見下しあざ笑うことの出来る一度味をしめたら忘れられない魔法の 言葉(660) 例 自分の自信のなさの裏返しなのじゃないの?それはともかく、一個人として の感想としては〜(91−2ch) いずれにせよ、「語り続ける」ことよりも「語らない」ことの方が、最終的に得を する、そういう形で権威が保たれていく悪循環をどこかで断ち切る必要がある、 と思う今日この頃です(660) 一ヶ月まえにそのセリフが言えてたら、誉めてやったYO!
190 :
考える名無しさん :02/02/14 19:42
<カフェ・フジタ>に関する問題提起は、私にとって「精神分析 の研究の交流を目的に複数の個人がある集団を結成した時点 で、外部の一個人が(ゲリラ的に)運営方針に動議を醸したが、 様々な経緯の後、まともに相手するに値しないと判断された。そ れに対してこの一個人はどう対応するか、またその対応はどの ような意識構造から生まるのか」という点に関心があって、様子 を見守っています。私は個人的には<カフェ・フジタ>がどうなろ うと関わりはありませんし、さらに言うならばフジタに興味があっ てこの掲示板を訪れる者でもありません。でも、今回の一連のや りとりをめぐる考察は、ものごとを考えるための普遍的な材料に なるものだと思います。
191 :
考える名無しさん :02/02/14 19:55
ジャックラカンとカックラキン…
192 :
考える名無しさん :02/02/15 14:51
193 :
考える名無しさん :02/02/15 14:53
194 :
考える名無しさん :02/02/15 16:54
倒産寸前で、自前で何とかしようとしてたが、 結局身売りして助かった。 フジタ氏もまた。ということか。
ジャック・ラカン原作のサイボーグエースってなんですか?
実は赤間は2ちゃんねら〜♪
197 :
赤間とアッカーマン :02/02/15 22:06
カフェフジタでこのスレをミラーサイトなどとほざいているが、 どんな権利があって、このスレをミラーサイトなどというのか。 向こうがこっちのミラーサイトだろ!!
199 :
考える名無しさん :02/02/15 23:56
et c’est pourquoi personne qui habite cette langue, n’a besoin d’être psychanalysé,
200 :
元気よく逝ってらっしゃい! :02/02/16 18:01
ラカン派精神分析家は、最終的に、自らが対象aという廃棄物として、患者から 捨て去られることを覚悟せねばならぬのじゃ。。 反対に、分析家は、患者が対象aに同一化してしまわぬよう注意せねばならぬ。。 患者が対象aに同一化してしまえば、その時、分析家は患者が生きる筈だったシ ニフィアンを、つまりは人生を、患者のかわりに生きるはめになるんじゃ。。
アンタはすでに死んでいる…
202 :
考える名無しさん :02/02/22 12:13
フジタって誰?赤間って誰?
204 :
酔っぱらい :02/02/28 20:46
話題提供。 カルロス・ゴーン『ルネッサンス 再生への挑戦』ダイヤモンド社、 2001年 253ページ 「あくまで私見だが(言語学者の見解はきっと違うだろう)、実際の ところ、人は言語で考えることはしていないと思う。言語は思考がま とう衣装のようなものだ。言い換えれば、言語は思考に形と感触を与 えるものである。」 レバノン系ブラジル人。フランスのエコール・ポリテクニックを卒業 し、日本で日産を立て直したゴーンさんの意見です。
205 :
考える名無しさん :02/03/05 16:02
あげ
206 :
考える名無しさん :02/03/06 18:22
赤間マンセー age
207 :
考える名無しさん :02/03/10 12:55
age
208 :
考える名無しさん :02/03/18 11:04
209 :
考える名無しさん :02/03/26 13:47
藤田age
210 :
考える名無しさん :02/04/08 14:37
210、情報ありがとう。 しかし洋書は基本的に高いものだし、日本語訳されることがあれば値段も8万はしないものとなるだろうと予想するのだが、これは世間知らずのガキの言い分に過ぎないだろうか。 これ以上高い本は見たことはないけど。
212 :
考える名無しさん :02/04/08 23:02
>>211 ジジェクの邦訳で一番高価なのが確か『為すところを知らざればなり』で、6500。で、521ページ。
1600ページの原書を訳すとなると…。やはり20000円は行くな。分冊かな。
つうか訳が出るのに相当時間かかるでしょ。
214 :
考える名無しさん :02/04/14 17:04
プッ
215 :
考える名無しさん :02/04/15 17:57
>>201 ほんと白痴は哲学板くんな、マジできえろ。
216 :
考える名無しさん :02/04/16 22:37
いつのまにか前スレ閲覧可能になってたage
>>215 変なヤツ。二ヶ月まえのレスにレスつけてどうする?
217 :
考える名無しさん :02/04/24 00:53
age
218 :
考える名無しさん :02/04/26 12:15
もうおわりかあーーー。
fin
220 :
考える名無しさん :02/05/04 07:38
THE END
221 :
せっしゅー :02/05/07 02:48
(???)ためしに書いてみよ! ・・・終わりじゃないっぽい、んすけど...。
222 :
せっしゅー :02/05/07 03:04
ついでに質問でもたてておくか。 皆さんが考える、邦訳でよめる最良のラカン研究書(解説書)って何ですか? 邦訳書、邦人著者の書、いずれは問いません! 僕個人が(いろんな意味で)一番スゴイと思うのはジュランヴィル!! 日本語に邦訳されていないものでも、いいのがあったら教えてほしいな。
精神分析は終わった頃にやってくる(何のこっちゃ)
>>222 ジュランヴィルは
ジュランヴィル,A. 1990[1984]
『ラカンと哲学』,高橋哲哉・内海健・関直彦・三上真司訳,産業図書.
のことですか?
因みに私は
向井 雅明 1988 『ラカン対ラカン』,金剛出版.
(古いけど)
225 :
考える名無しさん :02/05/08 00:40
最良のラカン解説書?An Introductory Dictionary of Lacanian Psychoanalysis, Dylan Evans,Routledge 群を抜いています。分かり易く、要を得た解説。特に入門者には最適。
226 :
考える名無しさん :02/05/08 00:41
1のこの文体… これだからラカニアンてヤなんだよ。ブツブツ…
227 :
考える名無しさん :02/05/08 02:31
最良の入門書? 「ヘーゲル読解入門 『精神現象学』を読む」 アレクサンドル・コジェーヴ(国文社) 哲学板だからってことで…(笑
228 :
考へる名無したん :02/05/08 03:00
>227 人によっては、コジェーヴを読むために先ずラカンを読むなんて人もいるよね。 コジェーヴって、欲望、欲望って、やたらと強調するでしょう!? 結局のところ、ラカンはやはり「臨床」ではなく「哲学」の人だったのだろうか?
229 :
考える名無しさん :02/05/08 06:16
>人によっては、コジェーヴを読むために先ずラカンを読むなんて人もいるよね。 そんな人がホントにいるんですか? >コジェーヴって、欲望、欲望って、やたらと強調するでしょう!? ヘーゲル解釈だから、やむをえない部分もあると思いますが。 「評伝アレクサンドル・コジェーヴ」(パピルス)には、コジェーヴの死後、 ラカンがコジェーヴの住居に侵入して何かを必死で探したというエピソ ードが載っています。 (どうもコジェーヴの書き込みのある「精神現象学」を是非とも入手した かったらしいです。ホントかウソかは知りませんが...)
230 :
考える名無しさん :02/05/08 22:22
たしかラカンには、ヴィシー政権下にユダヤ系の奥さんの出生証明だか書類だか を役所から盗み出したってエピソードがあったと思う。 そういうことをした位だからコジェーヴの蔵書くらい探しに行くかもね? で、見つかったのかなあ…。
それぐらいコジェーヴが難解であるという例え。 (でも、実際にそういう発言をしていた人は身近にいたよ) 実は、僕はヘーゲルはちゃんと読んでいないんだけど、 欲望の体系としての市民社会、という観点はどうなの? 精神分析の「欲望」とヘーゲル的な(経済的、社会的)「欲望」の違いがよくわからないのです。
231に227は228の間違い。ゴメン。
>230 ナチの占領下では、そのラカンの行動は止むを得ないという気がします。 フロイトとヘーゲルを比べたコジェーヴの草稿は数枚しかみつからなかったので、 どうも、『精神現象学』が目当てだったということのようです。見つかったどうかは 書いてなかったように思います。(訳書の文章の流れでは見つからなかった感 じでしたが・・・。) >ヴィシー政権下にユダヤ系の奥さんの出生証明だか書類だかを役所から盗み >出したってエピソードがあったと思う。 奥さんがユダヤ系というのはコジェーヴと一緒ですね。 (他人の奥さんをとっているのも、それなのに、相手側に不思議に好意を持たれ ているのも同じだな。「他者の欲望」?まさか(笑)) この奥さんというのは、例のバタイユの奥さんの事なんでしょうか?それとも、一 人目の奥さんなんでしょうか?
浅田彰のラカン解説ってどこで読めるの?
235 :
考える名無しさん :02/05/09 07:33
幸造と主税
>欲望の体系としての市民社会、という観点はどうなの? >精神分析の「欲望」とヘーゲル的な(経済的、社会的)「欲望」の違いがよくわからないのです。 精神分析の「欲望」とヘーゲル的な「欲望」は別のものなのでしょうか? 精神分析そのものが、市民社会の成立によって生れている(経済的、 社会的でない人間の精神をあつかうのは少なくとも人間の精神分析 とは思われない)ので、扱いかたや表現の違いでは?という気もしま す。 いそいで付け加えると、市民社会の成立によって生れているのはヘー ゲル哲学自身もそうですし、扱いの違いを考えることが大切な事だと私 は思います。 といった、保留(前置き、言いわけ)だけで終わっても何なので、例えば、 こんなコジェーヴのヘーゲル解釈の一節はラカンに興味を持たれている 方からはどう読めるでしょうか? 「他者が欲するものを他者がそれを欲するが故に欲することが、人間的(欲望)なのである。」 (「ヘーゲル読解入門−『精神現象学を読む』」(国文社) P15) 「人間は空間における自己自身との永遠の同一性の中に存在する存在者ではなく、時間とし て空間的存在の中で−この存在を否定することによって−いまだ存在せずいまだ無である観 念ないし理想(「企図」)から始まり、所与を否定し変貌させることによって−すなわち闘争と労 働(Kampf und Arbeit)の行動(Tat)と呼ばれる否定によって−無化する無である、」 (同、P63)
>>233 調べなおしてみた。
福原泰平の『ラカン 鏡像段階』(講談社)によると、ユダヤ人の奥さんというのは
バタイユの元奥さんのシルヴィアのこと。彼女の母親がうかつにもシルヴィアをユ
ダヤ人だと申告してしまって、その書類をラカンが一人ゲシュタポの駐留施設に行
って取り戻してきた、らしい。で、シルヴィアとの間にのちにミレールの妻となる
ジュディエットが生まれるんだけど、この「ジュディエット」という名前は「ユダ
ヤ人の女」を意味して、さらに旧約聖書に出てくる侵略軍の司令官を殺したユダヤ
の英雄ユディットにもつながるらしい。なかなか挑発的な名前の付け方だよね。
をしている。
>237 230さん、ありがとうございました。
>ヘーゲル検定四級さん なる!ヘーゲルとコジェーブがほんのり伝わって来ました。 ありがとです。 ラカンがそこから影響を大いに受けていることは明らからしいです、が... で、そこからラカンが精神病とかの問題に何を持ち込んだのかって、実はよく解らないのです。ジジェクがよくするような社会科学化は、結局のところ臨床と乖離してしまうだろうし。 市民社会論と臨床とが全く乖離しているとは思はないけれど、ヘーゲルから精神病の何かが語れるというのでしょうか? (ドイツの本家、ブランケンブルクですら、ヘーゲルへの言及は極めて少ない) ヘーゲル検定四級さんの博識さについては尊重しているつもりですが、ラカンがなぜそれを臨床に持ち込んだのかが、私の知りたいポイントです。
240 :
考える名無しさん :02/05/10 04:12
>240 下世話、煩い。 ボケか?おミャァー。
>なる!ヘーゲルとコジェーブがほんのり伝わって来ました。 興味を持って頂いて、幸いです。 > ラカンが精神病とかの問題に何を持ち込んだのか > ヘーゲルから精神病の何かが語れるというのでしょうか? > ラカンがなぜそれを臨床に持ち込んだのか 239さんの問題提起は、ラカンがヘーゲル−コジェーヴの哲学から精神分析に @何を A何故 持込んだのか。ということのようです。 「何を」に関して、先に引用した箇所に則して言えば、「欲望とは他者の欲望である」、 とか「人間は存在する存在者ではなく無化する無だ。」といったロジック、レトリッ クということではないでしょうか? 「何故か」は難しいですね。ラカンに聞いても教えてはくれなさそうですし、彼にも 分からないかもしれません。彼自身の精神分析が必要です。 ラカンの精神分析と言えば、 『ラカンの精神分析』新宮一成 (講談社現代新書)が思い 出されます。 同書からは、メラニー・クラインやアンナ・フロイトへの、ひいてはフロイト自身への ラカンの抵抗という事も読み取れそうです。また、ラカンの講義への参加者が哲学志望 者だったことも無関係ではないのではないでしょうか? 臨床と哲学に関して言えば、それが、実践と理論という意味であれば、両方とも必要 なんだと思います。
>>226 >1のこの文体…
>これだからラカニアンてヤなんだよ。ブツブツ…
ぼくはラカニアンじゃないよ。ラカンの(日本語訳の)文体を
真似しただけ。
ところでコジェーブですけど、当時のフランスにはヘーゲルの思想は
ほとんど伝わってなくて、そこでコジェーブが、非常にわかりやすく
ヘーゲルを講義したもんで、みんなビクーリしてしまったらしいよ。
もちろん僕にとっては、コジェーブは難解だけどね。
>ところでコジェーブですけど、当時のフランスにはヘーゲルの思想は > ほとんど伝わってなくて、そこでコジェーブが、非常にわかりやすく > ヘーゲルを講義したもんで、みんなビクーリしてしまったらしいよ。 「評伝アレクサンドル・コジェーヴ」(パピルス)によると、どうも、当時の フランスのアカデミズムでは弁証法という用語すら警戒されていたよう ですね。 で、アレクサンドル・コイレの代理ということで、いわば、無印で在野に 近い立場のコジェーヴが講義したということのようですね。その他に、 本人が非常に魅力的な人物ということもあるようです。 >もちろん僕にとっては、コジェーブは難解だけどね。 それは、ラカンにくらべてということでしょうか?
245 :
ラカン検定落ち :02/05/13 02:23
ヘーゲルと精神病は難しいけど、ヘーゲルと神経症症状の関係ならなんとか。 精神分析が扱う「症状」は、それ自体「真理」の回帰であり、 神経症者はそれと気づかずに、症状行為を行うわけですが、 それは主体にとっての真理を明らかにしている点で、 単なる誤りとは「臨床的に」識別すべきものです。 こうした識別を行ったのは、ほかならぬマルクスであり 「彼らは自分たちのしていることを知らない」 という貨幣の流通についての定式化は、そのまま症状行為にあてはまると、 で、もちろんこうした思考の起源には、真理の問題を物質化し、 文字通り身体化して考えたヘーゲルがあるということかにゃ。 やっぱし難しいです。
>245 >ラカン検定落ちさん。 明確な私へのレスというわけではないかもしれませんが、 レス、どうもありがとうございます。 >ヘーゲルと神経症症状 というのは、非常に興味深いですが、正直、私の手にあまります。 ただ、フロイト/無意識≒マルクス/下部構造、というのは首肯で きました。 ラカンではないですが、私もコジェーヴによるフロイトとヘーゲルの 比較論文や「精神現象学」への書き込みが読みたくなってきました。 これも、また「他者の欲望」でしょうか?(笑
247 :
考える名無しさん :02/05/13 02:52
岡本太郎はどうよ?(マジレス)
>247 スレ違いになってすいません。 矢代梓「年表で読む二十世紀思想史」(講談社)の今村仁司の「はじめ に」によると、コジェーヴの授業の履修者の名簿の中には、確かに岡本 太郎の名前もあるそうです。同時にアンドレ・ブルトンの名前もあるそう なので、バタイユやカイヨワなどとともに、シュールレアリスト達のヘーゲ ルやマルクスに対する関心がうかがわれます。ただし、今村氏は岡本や ブルトンは「果たして出席したかどうかわからない。」と、述べています。
>248 コジェーヴの講義をまとめたのが、 作家レーモン”地下鉄のザジ”クノー というところがなぜか気になっている。 ダリ=ラカンコネクションといい、 あの時点でどういう知的環境があったのだろうか?
たびたび、脇道の話題で、すいません。 >249 247さん。 お詳しい方のようなので、私の書く程度のことは、既にご存知かもしれ ません。 >コジェーヴの講義をまとめたのが、作家レーモン”地下鉄のザジ”クノー おっしゃっている、「コジェーヴの講義」というのは「ヘーゲル読解入門」 の事だと思います。 国文社の「ヘーゲル読解入門−『精神現象学を読む』」の訳者、上妻精 氏の解説によると、レイモン・クノーはシュールレアリズム運動や小説家、 詩人としての側面の他に、「しかし彼はまた哲学教授有資格者でもあり、 言語や数学の問題にも巾広い関心を寄せ、フランス数学者集団、N・ブ ルバキの同人でもあり、」とあります。この哲学教授資格の取得のため にパリにでた祭にコジェーヴの講義を聴講したということです。 >あの時点でどういう知的環境があったのだろうか? とのことですが、コジェーヴの講義にはラカン以外にも、レイモン・アロン、 バタイユ、クロソウスキー、ヴァール、メルロ=ポンティ、ヴェール、カイヨワ 等、サルトルを除く大立て者のそろい踏みといった感があります。 バタイユや、カイヨワといった「社会学研究会」メンバーの当時の動向に ついて興味がおありでしたら、「聖社会学 1937−1939パリ「社会学 研究会」の行動/言語のドキュマン」ドゥニ・オリエ編(工作舎)という本 があります。ナチズムの台頭という精神的緊張の中で、バタイユらが精 神分析や民俗学を含む「聖社会学」をいかにアクチュアルな問題として 捉えていたか分かって面白いです。 私自身は前にあげた、矢代梓「年表で読む二十世紀思想史」(講談社) に教えられることが多いです。
251 :
考える名無しさん :02/05/13 21:19
>>250 サルトルがコジェーブの講義に出ていなかったというのはホントですか?
なぜなんでしょう。
252 :
227(ワキ道専門) :02/05/13 21:58
>251 >サルトルがコジェーブの講義に出ていなかったというのはホントですか? 「ヘーゲル読解入門」(国文社)の解説にはサルトルも講義 をうけたように書いてありますが、「年表で読む二十世紀思 想史」(講談社)で今村仁司は「はじめに」でサルトルはうけ ていないと書いています。 >なぜなんでしょう。 何故なんでしょうね? サルトルは確かにこの講義の始まる前年の32年から一年 間、ベルリンのフランス学院で現象学を学んでいます。 コジェーヴの講義は1933年〜39年まで続いているので、最 初の一年出られなかったかったという事もあるのかもしれま せんが、本当の事はわかりません。 ただ、サルトルはこの手の行動の常習で、前掲のベルリンへ の留学の際も、フライブルクのフッサールやハイデガーを訪れ たという記録はないそうです。もっともこちらの方はドイツ語が どの程度できたかということと関係があるような気もします。 (哲学書は読めても日常会話は苦手ということは、大いにあり 得そうです。)
253 :
考える名無しさん :02/05/13 22:13
すんません厨房質問なんですけど コジェーヴのヘーゲル講議では「精神現象学」が中心なんですか? 「大論理学」とかはどうなんでしょう? 「精神現象学」はフランス人向きとも聞くので(主人と奴隷)
254 :
227(ここがラカンスレなのは知っています) :02/05/14 02:27
>253 >「精神現象学」はフランス人向きとも聞くので(主人と奴隷) 面白い意見ですね。どんな風にフランス人向きなのか教えて下さい。 >コジェーヴのヘーゲル講議では「精神現象学」が中心なんですか? そうです。もともと、アレクサンドル・コイレの「宗教哲学」の代りの講師 として、講義をおこなったそうです。 >「大論理学」とかはどうなんでしょう? 手元にある「ヘーゲル読解入門」(国文社)の索引では、「大論理学」へ の言及は7箇所ですね。 未読ですが、 概念・時間・言説 ヘーゲル改訂の試み アレクサンドル・コジェーヴ著 三宅正純/根田隆平/安川慶治訳 2000法政大学出版局 初版 カバー 帯 \3,500 の方が、題名からして、「大論理学」をあつかっているかもしれません。 ご存知のかたがいらしたらお教え下さい。
255 :
227(ここがラカンスレなのは知っています) :02/05/14 02:35
256 :
考える名無しさん :02/05/14 04:57
コジェーヴよりむしろイポリットが重要と言ってみるテスト
257 :
227(ここがラカンスレなのは知っています) :02/05/14 08:28
>256
>コジェーヴよりむしろイポリットが重要と言ってみるテスト
ヘーゲル研究という意味では、そのとおりかもしれませんよ。
ヘーゲルの文献学的研究は、コジェーヴのこの講義の後か
ら本格化しているので、コジェーヴ自身はその恩恵に浴して
いません。
浅田彰氏は、「コジェーヴと言えば誰でも思い出すのは、決
て正確とは言えない、しかし独特の歴史的緊迫感をもったヘ
ーゲル読解――とくに「歴史の終焉」についての解釈(アラン・
ブルームを通じてフランシス・フクヤマにまで影響することに
なる)だろう。」とおっしゃっておられます。
http://www.criticalspace.org/special/asada/020404.html あと、ゴメンなさい。250からは抜けていますが、コジェーヴの
この講義には、J.イポリットも参加しています。(笑
ラカンに関してね
>258 256さん >ラカンに関してね ここがラカンスレなのは知っていますなどと言っておきながら、 ゴメンなさい。
ごめんなさい。 からかったのではなく、 イポリットがラカンの現実の協力者だったことは重いのでは? ということです。
261 :
227(ラカニアンのみなさん、すいません) :02/05/15 05:37
>260 256さん そうでしたか。 からかわれたとは思わなかったのですが、その内、誰かにいいかげ んにしろと怒られても仕方がないという気がしていたので、早とち りして、ゴメンなさい。(やっぱり、哲学の横道というスレでも立 てたほうが良いのかもしれませんね。なんか道草ばかり、くってる ようですいません。) >イポリットがラカンの現実の協力者だったことは重いのでは? 「エクリ II」(弘文堂)には、「フロイトの《否定》(Verneinung) に関するジャン・イポリットの評釈」がはいっていたはずですし、 セミネールにもレヴィストロースとちがって、出席しているので、 おっしゃるとおりのはずなのです。(イポリットの「ヘーゲル精神現 象学の生成と構造」(岩波書店)は皆が読んでいるかどうかはともか く、基本書といわれています。)ただ、どうも、協力者という感じで もなさそうな気がします。「エクリU」は未読なので、大きいことは いえないのですが、『フロイトの技法論』(岩波書店)を読んだ限り では、セミネールでのイポリットはラカンの引き立て役といった感じ で、勢いこんで、哲学上の発言をしたり、フロイトの批判をしたりし て、ラカンにいなされるというか、たしなめられるという場面が(と いうか場面でのみ)印象に残っています。むろん、セミネール以外の 場所で、ヘーゲルについての示唆をうけている可能性は否定できませ んし、単なる印象に過ぎませんが...。 イポリットはラカン派から出て、後にラカン派と対立する、ガダリの 盟友、ドゥルーズの先生でもあるので、むしろ、そちらでラカンと関 係しているのかもしれません。 無理にコジェーヴに結び付けると、ガダリがラカン派と対立し、ドゥ ルーズと出会った、学生騒乱の1968年、コジェーヴが亡くなります。
>>227 亀レスだが、
なぜヘーゲルの「欲望は他者の欲望」をひっぱたかというと、臨床実践がそうだったからさ。
自分でも分析を受けてごらんよ。
患者はまずこういうことを夢や空想で、時にははっきりと口にするの。
「先生は私に何を望んでいるのか?(先生の望むようにすれば”治る”のか?)」
ここで患者の欲望=分析家の欲望に重なるのよ。
そして、これは遠い昔、「僕はママに期待された通り(望んだ通り)の大人になるよ!」と言っていた、あの時の反復なのさ。
繰り返すが、分析を受けてごらん。「欲望が換喩」とラカンはどうして言ったのか、なぜ「隠喩」でないのか、わかるからさ。
ついでのあなたの「自我」が、人に模られて作られてに過ぎないこともわかる。衝撃だよ。
ラカンは自分を哲学者と規定していないし、自分は「分析家に向かって話している」と晩年まで言っていたろ。
説明しにくい「分析とは何か」を「理解しやすくする」のに「使える概念」をあちこちから引っ張ってきただけだろ。
>>245 なんかジジェックくさいぞ。ラカンもフロイトもおれが読んだ限り、そんなこと書いてないぞ。
でも、この場で、そういう説明が「わかりやすい」のなら、なんの問題もない、というか、別に非難される筋合いのものでもないか。
別にラカン訓古学やっているわけでもないし。
263 :
考える名無しさん :02/05/15 20:31
>>262 「分析を受けないとわからない」というのは、分析関係の人の常套句。
分析を受けると、分析的な枠組みでしか考えられなくなる。
分析の枠組みでしか考えられなくなったら、分析終了。
そして、そのあげくにふろいと(orラカン)の言うことは正しい、という結論。
人はまず相手を信じ、それから理解するといっていたジジェクは正しい。
・・・と煽ってみるテスト・・。
>>264 >「分析を受けないとわからない」というのは、分析関係の人の常套句。
私はそのような言葉を耳にしたことがないのですが、出典があればご教授ください。
>分析を受けると、分析的な枠組みでしか考えられなくなる。
>分析の枠組みでしか考えられなくなったら、分析終了。
これは患者さんの話でしょうか?それとも研究者の?
>そして、そのあげくにふろいと(orラカン)の言うことは正しい、という結論。
上に同じ。よろしくお願いしま。
>>264 先日は、酔っぱらった勢いで煽ってすみませんです。
本で出典をさがすのは、おっくうなのでごかんべんを。しかし、
精神分析について議論していくと、途中で、「あなたは分析を
受けていないので理解できない」という言葉がよく出てくる。
それはそうかもしれないが、分析を受けていない人にたいして、
分析の体験を伝えようとする努力も必要だと思う。
精神分析では、患者さんと教育分析を受ける人との区別は
あまりないのではないでしょうか?
私自身のスタンスとしては、精神分析理論は科学的真理ではなく、
ひとつの考え方、自分のひとつの理解の仕方だと思うし、
さまざまな考え方の一つとして、精神分析を批判検討したいと思う。
だから、精神分析を科学的真理だと考える人は、
ちと煽りたくなるのです。
>>266 レス有難うございます。
「あなたは分析を受けていないので理解できない」という人は、、、、
おそらく、「精神分析理論は科学的真理」とは考えていない筈、、、、
このふたつは究極のところ矛盾していると思いますから。
>精神分析では、患者さんと教育分析を受ける人との区別は
>あまりないのではないでしょうか?
患者さんや、誰それという名を冠した精神分析に帰依を表明している、
分析家予備軍の人が、「分析を受けると、分析的な枠組みでしか考え
られなくなる」としても、それが問題でしょうか?むしろ、それは精神分析
が機能する上で、意味のあることではないでしょうか?
研究者の場合、際限無く同一化してしまうことは、もちろん問題でしょうが・・
268 :
考える名無しさん :02/05/18 22:08
>>267 あなたは「精神分析は科学的真理」と考えておられないようですが、
ちまたの精神分析派の多くは、そう考えているように思います。
>患者さんや、誰それという名を冠した精神分析に帰依を表明している、
>分析家予備軍の人が、「分析を受けると、分析的な枠組みでしか考え
>られなくなる」としても、それが問題でしょうか?むしろ、それは精神分析
>が機能する上で、意味のあることではないでしょうか?
問題だと思います。それでは「自由」連想と言いながら、患者をある特定の
考え方に誘導していることになります。
つねに、これは一つの考え方にすぎないという注釈を行うべきだと私は
思いますが、いかがでしょうか。
>>268 私個人は、精神分析を科学的真理の名のもとに権威づけたり、、、、
科学的真理を基準に語る必要は感じていません。私の理解が誤りでなければ、、、、
精神分析はもっと別の「権威主義」に属するものではないでしょうか?
つまり「大文字の他者」という。。
人は他人に影響を与えることが出来ますし、そもそもコミュニケーションとは
他人に影響を与えることそのものです。そして、このような当たり前のことが、
精神分析「療法」の前提にもあると私はかんがえています。
>それでは「自由」連想と言いながら、患者をある特定の
>考え方に誘導していることになります。
フロイトが自由連想法を導入したのは、催眠に代わってでしたが、このことから
自由連想法の機能を、抑圧の解除と言語化として要約できるのではないでしょうか?
自由連想の「自由」は抑圧の解除という意味であって、思考の中立性とはあまり関係
がないのではないでしょうか?
270 :
考える名無しさん :02/05/19 13:54
ラカンの饒舌なお喋りは、簡単なことを不必要に難解な言い回し にしてるだけで、フロイトを越えるものはない。 彼の言説で、唯一評価できるのは、「フロイトに帰れ」だ。 今時、ラカンなど持ち出す奴の気が知れん。
271 :
考える名無しさん :02/05/20 03:03
>270 て誰の本から「学んだ」の?
272 :
考える名無しさん :02/05/20 04:32
>>270 最低限、ラカンの著書をそれなりに読み込んだ上での発言でしょうから、
ラカンがどうフロイトを超えてないか分かりやすく解説をお願いします。
>>269 269さんの前半の考えには、全面的に賛同いたします。
コミュニケーションの本質は、情報を伝えることではなく、
他人に影響を与えることであると、私も考えています。
後半に関してですが、フロイトは催眠を捨てて、自由連想に基づく
精神分析に移行したわけですが、
「精神分析」の内部の人たちの主張によれば、
催眠暗示は医者の意思の押しつけであるのに対し、
自由連想は患者の自発的な行為であり、
従って精神分析は医者の考えに左右されない、精神の客観的な探求を
可能にした・・・ということになります。
ですから、「自由」連想と「中立性」と「客観性」は関係して論じられている
ように思います。
しかし自由連想と解釈にもとづく精神分析もまた、
患者に影響を与えるコミュニケーションの一手段であることには
かわりないと思います。
274 :
考える名無しさん :02/05/20 20:24
>272 超えてるところの解説をお願いします。 どう読んでも超えてるものが見つからない。
275 :
考える名無しさん :02/05/20 22:44
>>274 申し訳ないですが、私には出来かねます。
「超えてる」、「超えてない」という発想自体、私の中にはありませんので。
それは274=272さんのレスで初めて示されたものですから解説をお願いした
わけです。
276 :
考える名無しさん :02/05/20 22:59
新しい学説を提起するなら、既存の概念を超えるノイエス がなければならない。超えてる、超えてないという発想がない ということは、学問の初歩が分かってないってことじゃないのか。
277 :
考える名無しさん :02/05/20 23:12
バカウザイ
278 :
考える名無しさん :02/05/20 23:46
>>276 だからどこが「超えてない」のかを解説してくださいと言ってるんですど。
もういいです(w
279 :
考える名無しさん :02/05/21 00:13
横レスですが,ある人の著作を一部読んだだけでも, どこが駄目か明確に説明できなくても,その人の言 っていることがぜんぜん駄目だと分かることがある と思うんですが。
280 :
考える名無しさん :02/05/21 00:30
>>279 ただそういう判断は当人の「偏見の体系」に依存するから、
そいつが深入りしないメリットぐらいしかないのも事実。
281 :
考える名無しさん :02/05/21 00:34
「ラカンに深入りは危険」ってもう聞き飽きたよ
282 :
考える名無しさん :02/05/21 04:33
漏れのみたところ ラカニアンはみんな神経症。 神経症者にだけ妥当性のある心理モデルを あろうことか非神経症者にも適用しようとする。 あなたも人間・わたしも人間 わたしも神経症・あなたも神経症、と 強引に一緒クタにする感じでウザイ。
283 :
考える名無しさん :02/05/21 05:37
284 :
考える名無しさん :02/05/21 05:40
>282 いや、書いてるもの見るとそんな感じが・・
285 :
考える名無しさん :02/05/21 05:42
それは臨床の現実だろ? 精神医学と精神分析の線引き問題からの派生。 ラカンに限られた話ではない。
>>273 かみ合っているようでかみ合っていない議論になっていますね。
私が抑圧の解除と言語化によって要約できるとした催眠は、
患者アンナ・O 由来の催眠「カタルシス」法のことでした。
催眠「暗示」法は抑圧の強化による治療を目指すもので、
まったく別のものです。(フロイトは両方やっていました)
自由連想法は催眠カタルシス法の発展形と見るのが自然です
から、「自由」とは抑圧の解除のことであると申し上げたの
です。
>催眠暗示は医者の意思の押しつけであるのに対し、
>自由連想は患者の自発的な行為であり、
>従って精神分析は医者の考えに左右されない、精神の客観的な探求を
>可能にした・・・ということになります。
あえて催眠暗示法と自由連想法との比較ということで言うなら、その結論は
自明のものでしょうが、それはあくまで相対的なものに過ぎないと思います。
>283 ラカンの理論そのものが神経者どうしで 「おまえもだろ?」「うん、君もなの?」「やっぱみんなそうなんだ!」 とか「やっぱ、本心てわかんないよねー」「そだよねー」とか 納得しあってる感じ。 他の気質の者からすれば「ハァ?」だ。
288 :
考える名無しさん :02/05/21 05:53
自由連想でも、微妙な誘導は可能だ。
289 :
考える名無しさん :02/05/21 05:54
>>287 精神分析が全部そう見えるのか、ラカン派だけそう見えるのか。
現実に精神分析全般がそうということはあるでしょうね。 それはそれとしてラカンの理論を読んでるとそんな印象を受ける。
フロイトとちがって、欲望の不定形性・流動性を説いたのが功績ではあるんでしょうが。 遺伝などの要因によって人の欲望はそれほど不定形ではないと思う。 「人の気持ちは確たる把握はできない、不定形だから」と言う際、 本とは「本心」があるんだけどそれを直視できない神経症メカニズムによって 抑圧し目を逸らし、勝手に「なかった」ことにしている。 これではある意味ではフロイトよりかえって後退しているのではないか?
292 :
ラカン検定落ち :02/05/21 06:47
>>262 亀レスですが、、
245はエクリからの引用でした。
いま手もとにないのでページ数わかりません(訳が悪いと言われると汗)
ちなみに仏版エクリは人名索引、フロイトのドイツ語概念索引までついてるのでとっても便利です。
ジェジェクはラカンの引用に関しては非常に正確。
日本のラカン派よりかなりましでは。
293 :
考える名無しさん :02/05/21 18:19
>>291 >本とは「本心」があるんだけどそれを直視できない神経症メカニズムによって
>抑圧し目を逸らし、勝手に「なかった」ことにしている。
ラカンは、「本心はない」と言っているのでは?
>>291 ごめんなさい。発言の趣旨をまったく誤解していました。
ラカンが「本心はない」と言うのが、自らの神経症の
産物だという意味ね。293は自主あぼーん。
295 :
ラカン検定落ち :02/05/22 04:53
ラカンが「本心はない」って言ったんですか?? 「本心」は、症状として自らその真理を明らかにするわけで 主体と真理の関係として精神分析を考えたのがラカンだと思てたYO ところで遺伝的にきまるラカンの欲望ってやっぱり女好きのことかにゃ。
296 :
2ちゃんねるで超 〜有名サイトだよ :02/05/22 05:23
297 :
考える名無しさん :02/05/22 06:47
ラカニアンは
>>296 みたいのをどう説明する?
こういう分析はフロイトの方がうまい気がするよ。
>>297 契約的二者対峙的性関係なのさ〜象徴界と想像界と現実界が交わるところなのさ〜
299 :
考える名無しさん :02/05/22 11:16
>>297 「精神分析は馬鹿を利口にする以外のことは.....。」
300 :
考える名無しさん :02/05/22 12:05
ラカンを読んでないのにラカンについて語りたい奴が多いということが よくわかるスレですね。
301 :
無学者です :02/05/22 20:40
>>286 横レスですいません。
「初心者ですさん」が、レスをつけている
>>263 は、もともと、262の
> なぜヘーゲルの「欲望は他者の欲望」をひっぱたかというと、
> 臨床実践がそうだったからさ。
> 自分でも分析を受けてごらんよ。
にたいする発言だったと思います。
「初心者ですさん」は、この件についてはどう思われますか?というのは、
つまり、
1.ヘーゲルの哲学をラカンが導入したことと臨床実践の関係
2.1に限らず、ラカンの理論について議論していると、「分析を受けよ。」
(分析をうければ分かる、逆に、うけないと分からないとは言わないまでも
否定的な評価を受ける。)と言われること
3.ラカンの理論にかぎらず、一般的に理論よりも実践を優位に置く考え方
といった、いくつかの議論のレベルがあると思うのですが、「初心者さんで
す」さんにご意見があったら、お教え下さい。
>>301 たとえば赤ん坊が泣くと、母親(大他者)は、おしめが濡れていないか、
空腹でないかetc、赤ん坊の欲望を「解釈」し、刺激を鎮圧すべく努めます。
このようなコミュニケーションでは、かならずしも刺激と解釈が完全に一致
する必要はなく、赤ん坊は自身の欲望の本当の意味を知らず、それを大他者
から事後的に送り返される形で知るということが起こります。
ラカンを論じる時、常に念頭に置いておきたいのは、このようなコミュニケー
ションのあり方とも無関係ではない、ラカンにおける言わば「読者至上主義」
ではないか、と私は愚考します。ラカンが「お好みならあなたがたはラカニアン
になることが出来るが、私自身はフロイディアンなのです」と語ったように、
ラカンはフロイトの「読者」としての特権を享受しました。(フロイトだけでなく
いろいろと・・)
ですから皆さんも、ラカン読者として、自らの有用性の観点から、利用できるもの
を利用すればよいのではないでしょうか?
以上、ご質問に対する直接の回答にはなっていないかもしれませんが、「初心者」
なりの考えを書いてみました。
303 :
301(読者です) :02/05/23 06:03
>>302 レスありがとうございます。
ラカンの理論を、「ヘーゲル哲学」や「実践」、「ソシュールの言語論」といった単一
の「要因」に還元した上で、その観点から解釈して、こと足れりとするような「貧困
な読書」に対する戒めと受け止めたいと思います。
>ですから皆さんも、ラカン読者として、自らの有用性の観点から、利用できるもの
>を利用すればよいのではないでしょうか?
ラカンに限らず、どのような理論についても、そうありたいと思います。
>謙虚な人が多いね(w
お約束としては、「オマエモナー」と書くべきかもしれませんが、
「目には目を、歯に歯を」、謙虚には謙虚を、ではないでしょうか(笑
304 :
考える名無しさん :02/05/23 06:51
「謙虚とは、往々にして、他人を服従させるために装う見せかけの服従に過ぎない。 それは傲慢の手口の一つで、高ぶるためにへりくだるのである。 それに、傲慢は千通りにも変身するとは言え、 この謙虚の外見をまとった時以上にうまく偽装し、まんまと人を騙しおおせることはない」 La Rochefoucauld
305 :
考える名無しさん :02/05/23 08:21
「悪賢さは、哀れな器用さにすぎない。」
306 :
考える名無しさん :02/05/23 21:32
お前ら、中卒がラカンを語るなって!
307 :
考える名無しさん :02/05/23 21:41
「エクリ」と「セミネール」を原文で読んでから来なされ。
308 :
考える名無しさん :02/05/23 21:44
ヤカンの底でも直してろ!!
309 :
考える名無しさん :02/05/23 21:47
「精神分析は教養を前提とする。」 フロイトの言葉じゃ。
310 :
考える名無しさん :02/05/23 22:36
>302は知ったかぶり。 母子関係はイマジネールだから、その一方である母親が 大文字の他者であるはずがない。 だいたい大文字の他者は経験的次元には直接あらわれないのよ。
>286 催眠か「自由」連想かではなく、 催眠であろうと、自由連想であろうと、 抑圧の強化にもなれば無意識の解放にもなるのでは? 自由連想を用いた精神分析が自動的に客観的・科学的な心理の探求法という ことにはならない、ということでは意見が一致したと思って良いのでしょうか? しかし、こうした考えには、精神分析派のひとはおそらくなっとくしないでしょう。
>>295 >ラカンが「本心はない」って言ったんですか??
>「本心」は、症状として自らその真理を明らかにするわけで
>主体と真理の関係として精神分析を考えたのがラカンだと思てたYO
いや、その通りで・・・。
「本心には到達できない」と言った方がよかったかな・・?
313 :
考える名無しさん :02/05/23 23:09
314 :
考える名無しさん :02/05/23 23:38
>>307 >「エクリ」と「セミネール」を原文で読んでから来なされ。
そんなひと、日本に十人もいないじゃん(藁
おれなんか、日本語訳でも読んでないYO
315 :
考える名無しさん :02/05/24 02:03
316 :
らかん?まぁ、たしなむ程度に :02/05/24 05:15
>>310 「たとえば赤ん坊が泣くと、母親(大他者)は〜」という文は、精神分析的な
コミュニケーションの雛型について、BBS的にかなり端折って書いたもので、
正確さを期したものではありません。
>母子関係はイマジネールだから、その一方である母親が
>大文字の他者であるはずがない。
それでは「父の名」を応答するものは誰なのでしょう?
それとも大文字の他者と言わず、大文字の他者「の場から」と言うべきという
指摘でしょうか?
>>311 >自由連想を用いた精神分析が自動的に客観的・科学的な心理の探求法という
>ことにはならない、ということでは意見が一致したと思って良いのでしょうか?
もちろん精神分析は心的リアリティーの「探求法」であって、客観的な心理の
探求法ではありませんからね。
y a de l'un って何よ?
318 :
考える名無しさん :02/05/24 08:51
>312 つまり「本心」とはカントの物自体のようなものである、 ということでごじゃりますかな?
319 :
310じゃないけど :02/05/24 10:14
>>316 だから、父は、象徴界につながっているんじゃないの。
ちょっと乱暴かも知れないけど、大文字の他者って、キリスト教の神
みたいに、父性が昇華してできたやつのこと何じゃないの。
#この辺、議論は分かれるところかも知れないけど。
そして、母は、想像界(イマジネール)につながるんでしょ。
もう少し、基本的なことを勉強した方がいいんじゃないかなあ。
320 :
312じゃないけど319だよ :02/05/24 10:17
>>318 むしろ、本心とみえるものは、他者の欲望だって
ことじゃないのかな。
321 :
考える名無しさん :02/05/24 11:35
>>319 父は象徴界
母は想像界
じゃないよ アハハ
322 :
考える名無しさん :02/05/24 13:01
ラカンスレのヒトって、 どうしてすぐにけなしあってケンカになるのかね・・・ いろんな理解度や、いろんな関心があるひとがいるんだから・・・。 学会じゃないんだから、わきあいあいといきませう。
324 :
考える名無しさん :02/05/24 15:38
320 本心とみえるものは、他者の欲望 「誰」の本心が「誰」にとっての「他者」の欲望?
325 :
考える名無しさん :02/05/24 16:25
>323 ラカニアンには 自分だけが賢いと思い込んでらっしゃる 幼児的全能感のおこちゃまが多いので。
>>325 おこちゃまは実は少ないかも。間違い個性的すぎてバレバレ〜
それにラカニアンか?ラカン読んだことないのによぉw
327 :
考える名無しさん :02/05/24 20:20
326 間違い個性的すぎてバレバレ〜 意味わからん
>>319 私が楽しそうに見えたので、許せないと思いましたか?(まぁ、興味ありませんけどね)
329 :
考える名無しさん :02/05/25 21:38
フロイトの「夢判断」を読んでいるのですが、 夢を出発点にして自由連想をすると、願望(特に幼児期の願望)に 行き当たるということはわかったが、そこからなぜ「夢は願望充足である」 という結論が出てくるのかわからん。 フロイトの主張は、「夢をきっかけにしてあなたの願望を見いだせ」という 倫理的主張に聞こえます。 このへんは、現在のフロイト派や、ラカン派はどう理解しているのでしょう。 ばかにしないで教えてね。
>夢を出発点にして自由連想をすると、願望(特に幼児期の願望)に >行き当たるということはわかった これは自由連想の話 >夢は願望充足である これは夢の構造分析の話。 別の話だから、 >そこからなぜ「夢は願望充足である」という結論が出てくるのかわからん。
331 :
考える名無しさん :02/05/25 23:25
>>329 それは結論ではなくて仮説。
一応あの本は「夢は願望充足である」というテーゼを検証していく形式。
ただ第一次大戦の後の戦争神経症にぶち当たって
「快感原則の彼岸」を書いて、その仮説を修正。
>>330 ,
>>331 さんくす。
「快感原則の彼岸」をもう一度読んでみる。
ラプランシュ・ポンタリスの辞典を見てみたら、「欲望充足」
という項目で載っていたが、
「・・・欲望充足という述語は、実際上幻想の同義語となる」(P476)
と書いてあった。よくわからん。
333 :
考える名無しさん :02/05/26 15:11
象徴と想像の違いを厨房でもわかるよう簡単に説明してください。
334 :
考える名無しさん :02/05/26 18:56
>>332 原語対応表をみれ。
ラプランシュ・ポンタリスの良さの一つ。
Wunsch(独)をdesir(仏)と訳してしまったんだよ。
英仏独の訳語表を折に触れ見ておくと誤解が減る。
335 :
考える名無しさん :02/05/27 01:33
>>333 主体(象徴的なもの)との関係、自我(想像的なもの)との関係から
区別するのが基本。
二者対峙状況でも、直ちに想像界に還元してしまうことは出来ない。
336 :
考える名無しさん :02/05/27 06:45
昨日『市民ケ−ン』(NHK教育)見た 一種、精神分析的な映画だね、あれ
337 :
考える名無しさん :02/05/27 09:41
>336 幼児期のトラウマってこと? そうすると、なんかすごいつまらない映画みたい。
338 :
反社会的なもの :02/05/27 11:44
>>334 ふむふむ
ラプランシュ・ポンタリスの「欲望」の項を読んだら、
Wunschとdesirの関係が少しわかたーよ。
340 :
考える名無しさん :02/05/31 22:21
馬鹿たちに教えちゃるけん。 ラカンを熟読すれば、「象徴界」は「言象界」、「現実界」は「始原界」とでも訳さねば !。 意味は通じん。
341 :
考える名無しさん :02/05/31 22:33
「大学」に在籍していても「実態」は「中卒」って、分析の初歩だろ。
342 :
考える名無しさん :02/05/31 23:16
(市民ケーンのオチは名作の蛇足。)
343 :
考える名無しさん :02/06/01 01:44
〉340 よけーなお世話(馬鹿笑)!! って、ラカンの方がバカだったりして... まぁ、そういうバカは好きだけど...
344 :
考える名無しさん :02/06/01 02:58
>>339 性急な批判者はしばしば翻訳問題を見逃すから注意してね。
345 :
考える名無しさん :02/06/03 02:29
一時より sage ていますが、マジな議論がされると良いなという希望で、私が気に なっている点を書いてみます。 ちょっと原点回帰っぽく、哲学板ということで、 哲学とラカンの精神分析の差 ってどう思います? そもそも差があるのか。あるなら何処なのか。それとも、そもそもこの差を測る ことが哲学的、あるいは精神分析的に実りがないのか。
テーマを投げたので、私の回答を書いておきます。 荒削りだけど、ズバっと言うと、ジジェクが典型的なように、「転移」という「愛」 を第一原理とするかどうかに違いがあると私は考えてます。
上の回答の補足。 但しラカンの残したもの自体は、転移を重要とはみなすだろうけれども全てとは言 えない、という思考をしていると思います。 というか、「全てとは言えない」というように見えるところに、精神分析を超える 哲学的可能性を私は感じてます。 その超えた可能性というのは、私はジュランビルの『ラカンと哲学』が主な準拠に なりますが(以降、少し引用しますが、そこでは『ラ哲』と省略します。合わせて 記述したページ数は邦訳版)、「欲望の原因」である実体的な対象 a と区別して、 欲望の発生に「十全性を待望されると同時にそれを不可能なものと断言するところ のもの」(『ラ哲』P201)で「探索や欲望が到達することの不可能な終局として、 永久に失われた終局」(『ラ哲』P201)という「もの」を「神話的」(ジュランビ ルの言い方)とはいえ要請しているところなどです。 もちろん、ラカン自体も転移の重要性を認めています(そのハズ)。 転移を重要とみなすのは、それは「精神分析」というものの固有性だし、最終的に は患者(分析主体)が訴えてくる(としか分析者には見えない)病との関わり(治 療とはいいにくい。厳密には、病を取り除く意味で治すのではないから)という臨 床の現場の要請/ラカンのこだわり=アイデンティティだと思っているのです。 この「病」との関わりや緊張感を抜きにしたら精神分析とは言えないと思うのです。 無意識というテーマは、そことは別に(哲学的に)本質的で、旧スレ(昔々のネタ でスマン)で否定神学的な話題が出たけど、もし哲学があるとすれば、ざくっとい えば言語化不可能なもの(あるいはラカン流なら「もの」)であるにも関わらず、 現として存在する存在(との出会い)の(不可能な)開示を求める思考/叙述だと 思ってます。 そこではあくまで否定神学「的」であって、それを踏み台にして存在の開示に至る のが哲学の本筋。そのレベルでは、(叙述の結果ではなくて)思考の(非)目的と しては、否定神学か神学かという区別自体が無意味、と言えます。 もちろん、「愛」もそのための重要な契機の一つかもしれませんが、最終的には二 次的なものだと考えます。
余談だけど、ちょっと繋がりあるので・・・ ジジェクの理論は対象 a の魅力に惹かれすぎている、のが問題だと私は考 えています。 我々(怖い主語だけど)には、不可能ながらも対象 a を超えたものがある、とい うことをボジティブに語るとラカンが「もの」という点でこだわったところだった はずで、そこにこだわらないならば、それこそ病として対象 a に十全性を仮託 しすぎる神経症の転移関係の苦しみからの(暫定的とはいえ)治療はないと思う。 ※但し、治療の可能/不可能に関しては、あくまで門外漢の理論的な演繹です。 さらに脱線した余談だけど、これまた理論的に演繹すると、「象徴界を拒む硬い 核」(ジジェク流)が必ずしも「転移」につながらないとすると、そのようにし て発生した病は、ラカン流精神分析ではそれこそ象徴化不可能な病となる。 とか何とか言えそう。 そういう突っ込みって、誰かしてないのかな? (あるいは、ラカンの理論の中で位置付けられてる?)
後で気が付いた・・・上の文章中を一括訂正。 ×ジュランビル → ○ジュランヴィル 『ラカンと哲学』(産業図書)の著者アラン・ジュランヴィルです。 #うろ覚えで書くとこれだ。
350 :
考える名無しさん :02/06/07 22:14
先ず、原文を読めって! ジジェクも枝雀もそれからだよ。
351 :
Toujours le snobelisme. :02/06/07 22:27
les Japonais ne s’interrogent pas sur leur discours
352 :
考える名無しさん :02/06/08 02:45
≫350 典型的な「語学屋」のセリフだな!やや嫌味な351もそうだが・・・ ふッ
353 :
考える名無しさん :02/06/08 09:32
>我々(怖い主語だけど)には、不可能ながらも対象 a を超えたものがある、とい >うことをボジティブに語るとラカンが「もの」という点でこだわったところだった >はずで、そこにこだわらないならば、それこそ病として対象 a に十全性を仮託 >しすぎる神経症の転移関係の苦しみからの(暫定的とはいえ)治療はないと思う。 この前半の文章文法的によくわからんけどね。 逆に対象aを超えたものが存在すると言い切ってしまうと、 それは精神病なのよ。 ハイデガーだって存在にバツをつけるわけだし。
すいません、まずは訂正。
>うことをボジティブに語るとラカンが「もの」という点でこだわったところだった
というのは、
「ボジティブに語るというのが、ラカンが「もの」という点でこだわったところだった」
です。
ところで、自分としても、もやもやしていたところそのままの部分が指摘される形
で
>>353 の回答として来たのは驚きです(ある意味の当為)。
そう、実は「精神病」が、やっぱり今ひとつ分からんのです(トホホ)。
(そもそも知を拒否する精神病を分かるハズないって?)
とはいえ、私なりの理解で精神病について、神経症と対比する形で書くと・・・ 神経症は、「禁止」という形で去勢を抑圧する。 (ラカンにおいては、神経症は「抑圧」という言葉で特徴的に説明される) この禁止さえなければ、十全なる世界がまっているのに・・・ という禁止の向こう側にあると見なされる純粋な世界、という仮定を生み出してい る構造そのもにおいて、去勢という現実を抑圧する。 つまり、苦しんでいる症候という形で、神経症者にとってはより耐えられない去勢 という現実を抑圧する。 精神病は、「妄想」という形で去勢を排除する。 (ラカンにおいては、精神病は「排除」という言葉で特徴的に説明される) 神経症とは違って、精神病はこの世界が純粋で統一された世界だということは端か ら認めないということにおいては正しい。けど、そのボロボロな世界の真っ只中で、 世界が完全ではないことを証明する、世界を越えたもののである実在を「妄想」と いう形でポジティブに認めることにおいて病んでいる。 排除の過程とは「<象徴的なもの>の明るみにやってこなかったものが<現実的な もの>において現れる」ことである。
>>355 の続き。
そうであったとしたとして、まったくの正気の只中で、その妄想ともいえる
象徴的なものからは排除されざるえないものを、それでも文字/思考として
練り上げることさえも「精神病」と言ってしまうのでしょうか?
「ハイデガーだって存在にバツをつけ」ざるえないにしても、一度は「存在」
と語り、少なくともそれ(×をつけられた何か)があることによってその思
考が導かれている(という構造である)ことだけは譲らないんではないでしょ
うか。
と、ここまで書いて、またそれを精神分析的に見ると、そういうものを仮定
する哲学自体がそもそも「病」といえるのかもしれません。
その病が克服可能か不可能かという、どちらの立場をとるか・・・
と、一回りして、なんか結局、自問自答してます・・・
#ところで、「排除」や「抑圧」と絡めて、バタイユ(レヴィナス)
とハイデガーの対比を西谷修氏が『不死のワンダーランド』で語っていて、
確か、結構参考になる内容だったと思ったのだけど・・・
今、手元に本がなくて、私は比べることできないです。
意味ありそうなら、どなたかよろしく。
coke is it!だね
>>357 it とは、coke の中にあって coke 以上のもの。
とはいえ、それは「アメリカ」にすぐ横滑りしてしまう?
あるいは流言に従えば、単なるコカインか?
しかし、ジジェクに従えば「空想」の背後には何もない・・・
フェティッシュたる対象 a の効果で「空想」が産まれ、その世界を越えた価値は
重要な契機だが、その空想の背後に何もないとするならば、我々に残されるのは
逆説的に対象 a とその空想の関係しかない・・・
だからこそ「汝の症候を楽しめ」?
とはいえ、フェティッシュはやはり病的ではないか?
その空想を超えて、あるいはそれを支える実体的な a を超えてまで「それじゃな
い!」と言える導きが存在するのでは?
フェティッシュに陥らない倒錯の可能性は・・・
まだまだ思案中につき、断片的つぶやきでスマン。
359 :
考える名無しさん :02/06/09 11:05
「男根の意味作用」 解説してちょ。
360 :
考える名無しさん :02/06/09 12:27
ラカンにおける対象aの問題は、ハイデガーが「ニーチェ」のなかの 「芸術としての力への意志」などで述べている芸術作品の問題と つなげてみるとよいかもね。 「芸術は真理より価値がある」。ここに哲学と精神分析の交わる領域 を見出すこと。
361 :
考える名無しさん :02/06/09 13:17
>345 フェティッシュは病的?そうね。じゃあ、人間はみんな病的じゃん? みんなお金好きだし。乳房とか好きでしょ?
362 :
考える名無しさん :02/06/11 12:29
363 :
考える名無しさん :02/06/11 20:59
愛すること、それは持っていないものを与えることだ。
364 :
考える名無しさん :02/06/11 21:05
父の遺産、それは父の罪のことだ。
365 :
考える名無しさん :02/06/11 21:13
われわれがもし有罪であり得るとすれば、それは「己れの欲望から譲った」ことだ。
366 :
考える名無しさん :02/06/12 21:29
なんか、難しくてよくわらかないが、 345の話をもう少し聞きたいね。 もうちょっと、具体的に話して下さい。
カントとラカンを繋げて読むって事でしょ。
368 :
◆HcZDkbag :02/06/29 23:15
違う
369 :
考える名無しさん :02/06/29 23:44
370 :
考える名無しさん :02/06/30 01:38
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ´Д` ) <ここの住人は全員DQNと認定しますだ! /, / \_______ (ぃ9 | / /、 / ∧_二つ / / / \ ((( ))) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / /~\ ( ´Д`) < 認定シマスダ! / / > ) (ぃ9 ) \_______ / ノ / / / ∧つ / / . / ./ / \ (゚д゚) シマスダ / ./ ( ヽ、 / /⌒> ) ゚( )− ( _) \__つ (_) \_つ / >
371 :
考える名無しさん :02/07/10 05:20
age
372 :
考える名無しさん :02/07/10 06:14
『精神分析の倫理』訳高すぎ 薄いのに上下各5000円ってどうよ????
373 :
考える名無しさん :02/07/10 12:01
訳が難しいし売れないからでしよ 邦訳でるだけましって考えたほうがよい。 でも5000円だして誤訳がばんばんあったら怒るけどね 安いもんだよ
374 :
考える名無しさん :02/07/10 12:50
フラ語で読めないことはないけどめんどくさい という人は今回見送るか
375 :
考える名無しさん :02/07/10 13:00
誤訳はどのくらいあった? つーか、翻訳という行為そのものに無理があるのだが。。。 まあ、情報を仕入れる程度には問題ないけど。
376 :
考える名無しさん :02/07/10 13:19
守中高明「脱構築」の参考文献でエクリの邦訳のこと めちゃくちゃいっとるよ
377 :
考える名無しさん :02/07/29 23:02
ラカンの性化の定式の男性の側(力学的アンチノミー)は否定神学モデルで 納得できるんですが、女性の側(数学的アンチノミー)は具体的にどういう モデルになるんですか?
378 :
考える名無しさん :02/07/31 00:07
>377 唯名論的モデル、とか、直観主義論理的モデルってのはどう? 深く聞かないで。言ってる本人もよくわかってないので。
379 :
考える名無しさん :02/08/01 18:20
>>377 ラカンもそういうカント的なカテゴリーを使うんですか?
教えてくんで済みませんが、ちょとだけ解説キボンヌ
380 :
考える名無しさん :02/08/01 19:53
>>379 カント的カテゴリー?
「数学的」「力学的」っていう用語のことですか?
381 :
考える名無しさん :02/08/21 08:46
コジェーヴとの関係が話題に出ていましたが、誰か、 ミケル=ボルク・ヤコブセン『ラカンの思想』法政大学出版局 読んだ人いませんか? かなり凄い本だと小耳に挟んだもので。 コメントください。
382 :
考える名無しさん :02/08/21 11:49
383 :
考える名無しさん :02/08/21 17:37
『精神分析の倫理』を翻訳する前に『アンコール』を翻訳してくれよ。
384 :
考える名無しさん :02/08/21 17:47
>>381 ラカン叩き本。
十川が論評していた。
フロイト以前の催眠療法への回帰。
解離好き。
385 :
考える名無しさん :02/08/21 20:16
『エクリ』を読まずに(というか読めない)『セミネール』とかジジェクの本で補えば ラカンを理解することは可能でしょうか?
386 :
考える名無しさん :02/08/21 20:19
浅田彰に『エクリ』を翻訳してもらいたい。
387 :
考える名無しさん :02/08/21 21:02
>>387 「セミネール」は「精神分析の四基本概念」から読むのがいいと、
新宮や十川が言っていたけど。ほんと?
ジジェクが問題ありだともよく聞くけど、何で?わかりやすくて好きだけどなあ…
哲学者の書いたラカン論ってどう?
389 :
考える名無しさん :02/08/23 21:06
第一巻から順番にって決まっておろう。 馬鹿相手にやってた1,2,3巻はめっちゃ分かりやすいよ。 日本で言う研修医相手だもん。
390 :
考える名無しさん :02/08/23 21:08
ろくにドイツ語さえわからんレベルの。
391 :
考える名無しさん :02/08/23 21:59
>>388 ジジェクの教養はいわゆる「左翼の伝統」に属している。
ヘーゲルで弁証法を学んで次にマルクスを…
という、日本でも数十年前までは機能していた読書傾向。
そういう伝統下にあるスロベニアで、
アメリカ大衆文化やヘーゲルに依拠しつつ、
レーニンやスターリンをも擁護するというスタンスが彼の味。
事実、ジジェクはラカンよりはヘーゲルに詳しい。
そして臨床の次元は「あえて」考慮に入れられていない。
もちろん臨床至上主義はそうでない読者を遠ざけるけれど、
ジジェクはラカン派の応用編だということです。
392 :
考える名無しさん :02/08/24 00:14
>>388 ジジェク・・迂遠。映画を知らないものには逆に分かり難い。そこをはしょって、
エッセンスだけ取り出せば、数ページで済む話を広げているだけにも思えます。
それならラカンを直接読んだほうが、密度の濃い読書ができる。
結局ラカンをなぞるのみで、理論自体が新しく進んでいる感じがしません。
ただ彼は自己の享楽からのみ書いていたのでは?誤読かも知れませんが、
社会=大文字のAとして考えているようにも思え、ミスリーディングな感じもします。
皆さん丁寧なレスどうもです。ありがたいです。
>>389 なるほど。あっ、3巻とも邦訳あるんですね。激しくガイシュツである可能性が高いですが、セミネールの訳はどのような評価ですか?
エクリの訳については、浅田の評価があまりにも有名ですけど。極論というか正論としては、仏語で読むべきですよね。
当方は哲学科在籍学部生で、仏語は2年程やった程度です。手元に原書があったとしても、邦訳中心にならざるを得ないです。
>>391 >>392 哲学をやっている人間がラカンを読む際臨床をどう考えるべきでしょうか?
ラカンもしくは精神分析を哲学的思弁に回収することにはどのような問題があるのでしょうか?
ラカンや精神分析を理解するにあたり、テキストを読む以外に、精神分析的な特別な体験のようなものを必要とするのでしょうか?
394 :
考える名無しさん :02/08/25 00:05
>>393 392の者です。
臨床をどう考えるか。・・・あなた自身が哲学をどう考えているか、によるのでは?
精神分析的な体験が必要か?・・・それは、「精神分析」や「理解」にあなたが込めた
意味にもよるのでしょうが。精神分析「学」の理解なら不要でしょう。「精神分析の理解」
という言いまわしは厳密に考えると、よく分からないような――「精神分析」という言葉自体が
既に、分析家としてのあるいは被分析家としての、実践を意味しているものと捉えるなら。精神分析「的」
な体験というのをどこまでひろげて考えるか、ということは問題として残るでしょうが。体験していないこと
への不安や、体験することへの躊躇があるのですか?
ジャック、アカンで、そんなことしたら。
だって、ジャック.........ラカン ないんだもん・・・
>>393 上に挙がっていた「ラカンの思想」は、
最終的には批判目的とは言え、
かなり哲学的なラカン読解だと思います。
セミネール翻訳は、ラカン研究者には不満が残るようですが、
実用上不便はありません。
哲学と精神分析の関係は、
20世紀フランス思想の一つのテーマと言えるでしょう。
デリダの「真実の配達人」もこの問題を扱っていますが、
彼の場合「文学批評」というもう一つのテーマがあるため、
やや入り組んでいます。
したがって、
やはりベーシックにフロイトのメタ心理学論文、
そしてラカン初期セミネール、
さらにデリダの「フロイトとエクリチュールの舞台」(訳は悪いですが)
を読むと良いのではないでしょうか。
ジジェクが映画を参照するのは、
「臨床例」の代わりです。
非臨床家が文学等の芸術作品を例に取るのは、
フロイトも行っていたことであり、
必ずしも「戯れ」ではないのですが、
ジジェクは露悪趣味が目立つため反発を買うのです。
>>394 「精神分析」をどのように考えるべきかについても、まだはっきりしていないのですが。
「臨床」と関係があるかどうかは分からないのですが、以下に引用する十川幸司の文を読んだもので。
「精神分析的に思考することは、精神分析の概念を操作する技術を学ぶことではない。…
…またそれらの概念で何か既成の現象を理解することでもない。
それゆえ精神分析的に思考するために精神分析関係の本を読むことは本質的に重要なことではないといえる。
それよりも、精神分析に関心を持つ人が何らかの形で、、デカルトの言葉を借りれば「一生に一度」は、
自分自身のことを根本から転覆させる経験を通過することが大切であろう。…
…可能な限り自己の深部にまで向けられた自己転覆の経験をもつことが肝要なのである。
この経験を通過しないと私たちはいつまでも精神分析的な思考とは無関係な思考に留まっているだろう。」
私が精神分析に興味を持ったのは、斉藤環やジジェクの書いたものを読むことによってです。
それらはまさに、十川の言う「精神分析の概念の操作」であり、「それらの概念で何か既成の現象を理解すること」でしょう。
例えば、主体、言語、他者、欠如、等々に関する話は(哲学的に、精神分析的に、どうかはさておき)お話として、興味深いと思ったわけです。
当方は曲がりなりにも哲学科の学生であるので、お話として面白いだけでは、議論にはならない、と思うわけです。
議論として強度を持ちうるにはどうすればいいのか?
哲学では、数学や、デカルト的コギトのような、疑い得ない地点や基準を確保する、ということが重要だと思うのですが。
精神分析は、そもそも、他人に対して説得的であることを欲しているものなのかどうかも分からないのですが。
うー…ん。すいませんだらだらと長くなり、かつ論点がはっきりしなくなってきてしまいました。
とりあえずの質問としては、394さんのおっしゃっている「実践」や「体験」は上の十川の言葉と関連があるのでしょうか?
>>397 レスありがとうございます。教えてくださったテキストにあたってみたいと思います。
399 :
考える名無しさん :02/08/25 23:28
>>398 394のものです。十川の述べていることと同一と考えていいでしょう。
疑い得ない地点や基準の確保ということは、主体に斜線を引いてしまっているラカンの図式を
見れば、それは精神分析とは逆の動きにあるもの、と考えることができるのでは
ないでしょうか。議論として強度を持ちうる、他人に対して説得的・・・ということ
についても、主のディスクールを強固にするためのものであれば、精神分析に逆行するものであると
思いますが、どうでしょうか。
400 :
考える名無しさん :02/08/26 01:48
>>399 デカルト的哲学イメージに対してはそれでいいけど、
ハイデガーにその論法は通じるかな?
それと精神分析的経験は、
ラカン派の四ディスクール分類に収まりきるとは思えない。
十川を特権視すること自体に問題あり。 斎藤環に関しても同じ。 新宮や佐々木は、やはり若い世代には受けないのかな?
>>399 仰っていることは単なる相対主義ではないわけですよね。正直難しいのですが。
ラカンは自らの語りを正しいと思えるからこそ語っているのではないのでしょうか。
それとも、「正‐誤」という見方自体が精神分析とは相容れないものなのでしょうか?
>>401 確かに、世間的評価を無批判的に受け入れているところが私にはあります。ご指摘ありがとうございます。
ところで、上の十川の精神分析に対する態度は、彼特有のものなのでしょうか?
403 :
考える名無しさん :02/08/26 23:36
>>400 四ディスクール分類に収まらない精神分析的経験とは?
404 :
考える名無しさん :02/08/26 23:52
>>402 399のものです。やはり、「思想」と精神分析の違いを認識される必要があるのでは
ないでしょうか。確固とした考えを構築するという動き(「思想」を少し単純化しすぎて
いるかもしれませんが)と、自我を削ぎ落として行く動きの違いです。ラカンの語りは
そのような後者のプロセスの途上で出てくるものでは? 私はラカンではないのでわかり
ませんが。少しラカンを持ち上げるとすれば。
405 :
考える名無しさん :02/08/27 00:50
>>403 正確を期すと、
「精神分析のディスクール」は、他のディスクールから、
ラカン流の仕方で構造分化されるものではないだろうということです。
ラカンの説明は、職掌としての精神分析家と
言説のあり方を意図的に混同しているように思われる。
個人的には
ラカンのようにすっきり「科学」と主張してしまうよりは
フロイトの逡巡に充ちた動きから
精神分析経験を再規定する方がよいように思われます。
例えば「素人分析〜」とかいったテクストでの態度など。
402君へも この判で、十川と斎藤が持ち上げられていたから、ちと述べてみただけ。 確かに最近の著作で、十川と斎藤のはスリリングで読みやすいのだが、それだけではダメだろうという危惧がある。 佐々木さんや三好さんの訳がいくら読みにくくても、「エクリ」邦訳は読まな。しゃーないでしょう。俺等の運が悪いだけで、嫌なら自分で邦訳なされ!
読みにくいだけじゃなくて誤訳だらけ。 「君はまずフランス語を学んだほうがいい」JAM
408 :
考える名無しさん :02/08/29 04:35
エクリは迂回が吉。
フランス人には理解できるの?
410 :
考える名無しさん :02/08/29 17:44
部分訳の英訳でeeじゃん 哲学科の人なんだから
>>411 神!!!
とりあえず一文訳すぞ。
十三年前にわれわれの最後の会議で私は、鏡像段階の
概念を紹介しました。そしてそれは、フランスのグループ
の実践のなかでいくぶん確立されてきました。
>>411 ひまみてたまにフラ語チェックしようか?
俺のレベル低いけどね
>>412 「最後の」よりは「最近の」が良いと思う。
414 :
考える名無しさん :02/08/30 01:03
漏れも参戦。 しかし、特に今日、われわれが精神分析のなかで 経験するように、鏡像段階は「私」の構成について 光をあててくれます。そのために、私はもう一度 あなたがたの注意を鏡像段階に向けさせることが やりがいのあることだと思っています。 鏡像段階は直接的にコギトから由来するいかなる 哲学とも反対するようわれわれを導くひとつの経験です。
415 :
考える名無しさん# :02/09/01 06:40
そろそろあげとこう。
思い出されるかもしれませんが、私たちはこの概念を比較心理学上のある事実 により解明された、人間行動のある機能もしくはある面から引き出しました。 短期だが一定期間を経た幼児はチンパンジーよりも器質的もしくは道具的知性 の点で劣るが、それにもかかわらず、鏡の中の自己のイメージを自分であると すでに認識できるという事実ですけれども、この幼児の認識は、いわゆる 「あはあ体験(Aha-Erlebnis)」--ケーラーが人間の知性活動の本質的な段階 である状況的統覚の表現として理解した--という解明的な典型により示唆され ているわけです。
この活動(Act 行動、のほうがよかったね)はサルのケースのように、いったん イメージが獲得されてその中身が空っぽであるとわかるやすぐに終わりとなるのと違って、 人間の幼児のケースでは一連の行動がすぐに跳ね返ってきます。幼児はこの遊びを通して、 関係というものを体験します--自己として引き受けたイメージの動きと周囲の反射との、 つまりは鏡に映るヴァーチュアルな複合とこれが重ねるリアル--幼児自身の身体、それから 彼を取り囲む人や物といったものとの関係を体験するのです。
418 :
考える名無しさん# :02/09/01 11:47
ボールドウィンの発見以来、われわれが知っているように、 この事件は生後六ヶ月から起こりうります。そのような事件を 見ることが重なって、しばしば私は鏡の前の幼児の驚くべき 光景について考えさせられました。その時期の子どもはまだ 歩くには幼すぎ、ましてや立つこともままなりません。 そして人間や人工のもの(フランスで、トロット・ベベというようなもの) によって強く支えられなければ、子どもは決して困難を克服 することはありません。歓喜に満ちた行動がはばたいていくに 際して、彼の支えとなる障害物や彼の姿勢をわずかに前傾した 位置に直す諸障害物を子どものまなざしのなかに保持するために、 イメージの瞬間的な外観を差し戻すこともありません。
419 :
考える名無しさん# :02/09/01 11:48
私にとって、この行動は生後十八ヶ月まで私が与えた意味を 保持します。リビドーのダイナミズムは、分裂症的な知識に 関する私の熟考と一致する人間世界の存在論的な構造と 同じように困難を伴うものとして今までのところ残りますが、 この行動の意味は、そのリビドーのダイナミズムを明らかにします。
420 :
ラカニアソ :02/09/01 12:42
2ch文語体による試訳。 十三年も前に、国際精神分析学会があったんですよ、国際精神分析学会。 そこでね、漏れ、「鏡像段階(Looking Glass Phase)」って理論を紹介したんです。 思わず漏れ、熱くなっちゃって、けっこう時間オーバーしたのね。 そしたらね、ジョーンズっていう厨房が、漏れの発言を遮るんですよ。 お前ら、人の理論の発表のときくらい、静かに聴けねぇのかゴルァ! まぁ、それから、フランスの、割と漏れにしたがってくれる人たちのあいだでね、 臨床の方でも色々とやって、その理論も確立してきたわけですよ。 で、今回のこのチューリッヒ国際分析学会ですよ。 漏れらが精神分析やってるうちによく体験するんだけど、 鏡像段階って、「漏れ」の構成について光を当ててくれるわけ。 要するに、鏡像段階において、「漏れ」が作られるの。OK? まぁ、そんなこんなで、お前らもっかい鏡像段階に注目しろよ、 と言ってみるテスト。 何?「漏れ」の構成ならデカルトだって? この厨房めが!逝ってよし! 今日び、コギトなんてはやんねーんだよ。 鏡像段階っつーのは、アホくさいコギトみたいなもんとは全然逆の 哲学に漏れらを導いてくれる一つの経験なんだよ! 精神分析通のあいだで今、熱いのは、「鏡像段階」、これだね。 コギトよりも自己言及のパラドックスの面で強い、それでネギがちょっと多め。これ最強。 ま、お前ら厨房は、いつまでも「コギト・エルゴ・スム」とか 言ってなさいってこった。
421 :
ぐりとぐら :02/09/02 02:28
英語版訳すのはやめとくれ、かなり意訳がはいっているから! フランス語版を直接訳すのが本筋だぜ!
422 :
考える名無しさん :02/09/03 23:52
423 :
ラカニアソ :02/09/04 00:31
420 名前: ラカニアソ 投稿日: 02/09/01 12:42 2ch文語体による試訳。 十三年も前に、国際精神分析学会があったんですよ、国際精神分析学会。 そこでね、漏れ、「鏡像段階(Looking Glass Phase)」って理論を紹介したんです。 思わず漏れ、熱くなっちゃって、けっこう時間オーバーしたのね。 そしたらね、ジョーンズっていう厨房が、漏れの発言を遮るんですよ。 お前ら、人の理論の発表のときくらい、静かに聴けねぇのかゴルァ! まぁ、それから、フランスの、割と漏れにしたがってくれる人たちのあいだでね、 臨床の方でも色々とやって、その理論も確立してきたわけですよ。 で、今回のこのチューリッヒ国際分析学会ですよ。 漏れらが精神分析やってるうちによく体験するんだけど、 鏡像段階って、「漏れ」の構成について光を当ててくれるわけ。 要するに、鏡像段階において、「漏れ」が作られるの。OK? まぁ、そんなこんなで、お前らもっかい鏡像段階に注目しろよ、 と言ってみるテスト。 何?「漏れ」の構成ならデカルトだって? この厨房めが!逝ってよし! 今日び、コギトなんてはやんねーんだよ。 鏡像段階っつーのは、アホくさいコギトみたいなもんとは全然逆の 哲学に漏れらを導いてくれる一つの経験なんだよ! 精神分析通のあいだで今、熱いのは、「鏡像段階」、これだね。 コギトよりも自己言及のパラドックスの面で強い、それでネギがちょっと多め。これ最強。 ま、お前ら厨房は、いつまでも「コギト・エルゴ・スム」とか 言ってなさいってこった。
424 :
考える名無しさん :02/09/04 02:04
>>421 お前みたいなフラ語厨がスレの勢いをくじくのはウザイ。
ならお前がフラ語でやれ。
日本での英語普及を考えろよヴォケ。
ラカンの秘教化を何とかする方が重要だろうが。
両方できるヤシがサポートで良いだろ?
それに英語圏での議論の歪み具合がわかるのは俺には面白い。
というわけで、
訳の方々はぜひ続けて下さい。
おながいします。
425 :
ラカンの兄 :02/09/04 03:54
ゴヒャック・ラカン
426 :
考える名無しさん :02/09/04 04:32
>>388 >ラカンもしくは精神分析を哲学的思弁に回収することにはどのような問題があるのでしょうか?
と書いてましたが、丁度読み返してたら、
>>345 で、少し関連しそうな議論を見つけたけど、どう思う?
427 :
考える名無しさん :02/09/04 05:24
>>424 >ラカンの秘教化を何とかする方が重要だろうが。
なんとかしなきゃいけないほど、そもそも普及しているのだろうか・・・
428 :
考える名無しさん :02/09/04 05:27
何の本(雑誌だったかな?)忘れたけど 金井美恵子もラカンについて言及してたな。
429 :
考える名無しさん :02/09/04 05:30
オーライオーライ。どっちもいい感じだよーヽ(´ー`*)ノ 訳も行こう!カモンナ!
430 :
考える名無しさん :02/09/04 05:34
ラカンて日本人に精神分析は必要ないって言ったらしいじゃん。
431 :
考える名無しさん# :02/09/04 06:22
ねぇ、2ch語訳と普通の訳、どっちがいいの?
432 :
考える名無しさん :02/09/04 07:11
>>431 Verifiez par vous-meme!
433 :
考える名無しさん :02/09/05 20:37
>勘違い金八風教師>精神分析大好き これ、どういう理由?
434 :
考える名無しさん :02/09/05 21:47
正確には 勘違い金八風教師=精神分析大好き だな
435 :
考える名無しさん :02/09/07 19:56
セミネールの翻訳、岩波から出てますが、 今、何巻まで出ているのでしょうか。 少し本格的に読もうと思いまして。いずれ 原文に当たるでしょうが、一応訳として 信頼できるそうなので手元に置いておき たいのです。 絶版になってたりしませんよね。
436 :
考える名無しさん :02/09/07 20:06
「金八」と「北の国からは」似ている。
437 :
考える名無しさん :02/09/07 22:14
>435 あまり信用はできません。
438 :
考える名無しさん :02/09/08 09:30
439 :
考える名無しさん :02/09/08 12:39
つうかよ、いちいち翻訳批判する連中はよ、 言いたいことはわかるけど、 フランス語を読めない人間に対して必要以上に権威的なふるまいだと気付け。 ラカンのセミネールが本国では海賊版買いがデフォだとかいうんだろ? けど仮に誤読だとしても、 誤読もまた歴史を作るのだし、 日本語訳を叩けばいいという考えはもう聞き飽きた。 むしろ現状での最良のガイドを心がけろよ>高スキル?系
440 :
考える名無しさん# :02/09/08 12:41
おい! お前ら、
>>435 みたいな厨房にも
答えてやらないと、
ただでさえヤヴァイ、ラカン派がさらにヤヴァクなるじゃねえか!
1953 T 「フロイトの技法論」
1954 U 「フロイト理論と精神分析技法における自我」
1955 V 「精神病」
1960 XII 「精神分析の倫理」
1964 XI 「精神分析の四基本概念」
邦訳はこれだけ。
全部で26巻出るらしいんだが、
正統をめぐる問題やらなんやらでもめてて、
今は10巻しかでてなかったと思う。
残りは、
W「La relation d'objet(客体=物の関係)」
[「Le transfert(転移)」
XZ「L'envers de la psychanalyse(精神分析の背景)」
XX「Encore(アンコール)」
くらいか?
441 :
考える名無しさん# :02/09/08 12:42
誤爆。 >1960 XII 「精神分析の倫理」 VII、だな。
>>440 ありがとうございます。原典にあたれ、というのは
全くその通りだとは思いますが、何しろ初心者なので
厨房ぶりは大目に見て下さい。
444 :
考える名無しさん :02/09/10 07:08
俺さ、信州大学に在籍してたとき佐々木(『エクリ』の邦訳者ね)の心理学の 講義とってたんだよ。で、その講義のテストのときたまたま試験官を務めたの が山本哲士だった。テストの内容についての質問とかを受けるため試験中に 佐々木が入ってきたんだけど講義室の中ほどで立ち止まって教壇に立ってる 山本とは目も合わさずに説明だけしてそそくさと出てったよ(笑) 山本は自分の著書の中で「(エクリの)邦訳は使い物にならず」って言い切っ てたんだよね(笑)
445 :
考える名無しさん :02/09/10 08:09
中2んとき、部屋でオナーニした後、素っ裸で熟睡してしまい、 起きたら、お腹の上のザーメンはキレイに拭いてあるわ、タオルケットかけてあるわ、 脱いだパンツは片付けられて、パジャマと新しいパンツがたたんでおいてあるわ。 もー、かーちゃん、放っておいてくれよー。と泣きそうになったyo...
スレ違いだがワラタ。 つか、なぜここに書く?
447 :
考える名無しさん :02/09/10 09:43
セミネールはミレール版のほかに、ジャックラカン版 (基本的に速記録)というのをスイユ社が準備 してるらしい。 岩波はどうすんの?両方訳して出す?
448 :
考える名無しさん :02/09/10 13:45
まずはアンコールだろ? ラカン存命中の刊行物なら価値は失われないから
>>439 セミネールの日本語訳は そういっても良いでしが
エクリは 誤訳というより フランス語ができてないだけってあるでし
誤訳が作る歴史というほど たいそうなものは そこにはないでし
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
, _
彡丿へヽミ
│ρ ρ|
( ´ー ,) 旦
∧:¬∀ ̄三つ
| |;: : ::|
し,∴∵∴ヽ
ノ∵∴∵∴ゝ
 ̄│|´│|´
∪ ∪
>>448 ラカン本人が逝っちゃっいかけていた時期の本でし
だから入門としては微妙なところがあるでし
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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彡丿へヽミ
│ρ ρ|
( ´ー ,) 旦
∧:¬∀ ̄三つ
| |;: : ::|
し,∴∵∴ヽ
ノ∵∴∵∴ゝ
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∪ ∪
どのくらいの頻度で書き込めば落ちないですむのでしょうか? sageても書き込めば落ちない?
452 :
考える名無しさん :02/10/03 17:09
ここのところ、dat落ちの周期ははだいたい20日ぐらい。 とにかく500以降はばっさり切られるので もうそろそろageどきですね。
453 :
考える名無しさん :02/10/03 17:14
>>449-450 かといってエクリが与えた影響力は計り知れない。
エクリだけで入門しようとすると失敗するけれど、
エクリをちゃんと論じている本と一緒に読めば、
そこから入門も可能ではないかと。
たとえばデリダの「真実の配達人」と一緒に読むとか。
454 :
考える名無しさん :02/10/04 04:05
>>449 439は、
ミレール編集が信用できないとか言ってるワナビー相手のレスだと思う。
455 :
考える名無しさん :02/10/04 15:01
2ちゃんねるには、 「プロ固定」と言われる 給料を貰って毎日書き込みをする人物が、各板に5人から15人、います。 一人の職員は、たいてい3つ以上の板を掛け持ちします。 2ちゃんねるマガジソにて取材を受けていた人物は、 全員プロ固定です。 2ちゃんねるは、個人情報を一つのIPあたり0.01円で販売しています。 コレは、同一のIPであっても「日付毎」時間ごとに別個に販売しています。 コレは事実です。 京大みのるをさらした時、集まった人の半数以上はプロの探偵でした。 自作自演です。 「彼等は」インターネットのIPやメアド等、その情報から個人情報を割り出して 人をさらす事が、出来るのです。 2ちゃんねるの個人情報は、権力に販売されています。 「創価・公明板」 この板が存在する理由、知っていますか。 「創価に批判的な人物」の個人情報を集める為です。 嘘かどうかは貴方の判断に任せます。 ただ、「事実」です。 危険があるサイトである事を、よく認識してください。
456 :
考える名無しさん :02/10/04 17:32
まあ数学勉強してからな。
457 :
2チャンネルで超有名 :02/10/04 17:33
458 :
考える名無しさん :02/10/04 17:34
ねえねえうえのひとー
459 :
考える名無しさん :02/10/04 21:23
その程度のリスクは皆さん覚悟の上でしょ。
460 :
考える名無しさん :02/10/04 21:53
家出だよって思ってた主婦が屋根裏部屋で首吊。 半年後にハケーン。
a
463 :
考える名無しさん :02/10/09 23:34
464 :
Kurihara :02/10/09 23:48
蝉寝るの正体は僕だったんですよ。
「日本人は精神分析の対象にさえならない。」 というラカンの言葉の出典は? 知っている方おしえて下さい。
466 :
考える名無しさん :02/10/11 18:20
>>465 エクリの日日本語版の序文じゃなかった?
↑日本語版
468 :
考える名無しさん :02/10/11 21:50
セミネールの訳も、じっくり読むと、誤訳が多い。 といっても、おれは一日に10行ぐらいしか読めないが。 訳者のなかに、精神科医だけではなく、フランス語の専門家を入れることを 希望。
469 :
考える名無しさん :02/10/12 01:59
>>465 日本人には精神分析が不要といったのではないか?
日本語の漢字仮名混合文が精神分析と等価な機能を
はたしているので、そういう日本語をもつ日本人には
精神分析はいらないと。
470 :
考える名無しさん :02/10/12 04:51
>>日本語の漢字仮名混合文が精神分析と等価な機能をはたしている これは本気で言ったんじゃないと思うけどなあ。
精神分析なんて学問は猿の日本人なんかに与えなくてもいいのだ勿体ないのだ ってこと?
473 :
考える名無しさん :02/10/18 22:40
>>472 いや、漢字が表意文字だからって意味だと思ってたんですけど、
真相を知ってる人は教えてください。
474 :
考える名無しさん :02/10/18 22:47
ラカンの数学理解って怪しい。
475 :
考える名無しさん :02/10/18 23:50
>>473 権威が社会に内発的なものじゃないからじゃない?
音読みもノーベル賞も、外からやってくるものだからね。
476 :
考える名無しさん :02/10/18 23:57
で、そもそも精神分析のディスクールが成立するのかと。
477 :
考える名無しさん :02/10/18 23:58
日本人に啓示はないと、あってもホリゾンタルであると。
478 :
考える名無しさん :02/10/19 00:01
お前らのノイローゼは、再びアメリカに追いつき追い越せをやれば治るんだと。
479 :
考える名無しさん :02/10/19 00:05
そもそも精神分析を輸入するわけかと。 俺さまのエクリを訳したい? 好きにしろ、自由にしろと。
480 :
考える名無しさん :02/10/19 00:06
知が成果のつもりでいるから、 そんなラディカルな(他人事の)問いをたてるのだと。
481 :
考える名無しさん :02/10/19 00:10
境界の外に知がある以上、知の境界に立てまいと。
482 :
考える名無しさん :02/10/19 00:10
と
483 :
考える名無しさん :02/10/19 00:14
あらゆるエクリが痕跡であるわけだが、 聖書を研究しても啓示は得られんぞと。
484 :
考える名無しさん :02/10/19 00:27
日本人の話す言葉は自らのものではなく、 その都度新しい焼き菓子であり、 日本人のパロールは何らかの無言であると。
485 :
考える名無しさん :02/10/19 00:29
国際精神分析学会で俺のために発言してくれるには、 ちょいと遅かったようだなと。
>>468 セミネール、部分的にしか読んでいないけれど、非常にアバウトな訳に
なっている部分が多いような気がする。ひとつひとつの単語をきちんと
意味づけしないで「まあ、こんなこと言ってる」という程度で適当に
訳していたり。あとは、訳語の統一なども中途半端。こんなアバウトに
ラカンを読んでるのか?、っていぶかしく感じてしまう。訳者たちは
精神科医で、語学や哲学の専門家ではないから仕方ないかもしれない
けれど、やはり訳者の中にそちらの専門家も必要だと思う。
487 :
考える名無しさん :02/10/19 00:35
やはり成果であり、つねに問題は訳出であると。
488 :
考える名無しさん :02/10/19 00:36
実がなっているのに木に登る手段がどうだこうだと。 俺さまは熟れた実かと。
489 :
考える名無しさん :02/10/19 00:37
第一日本語版への序なんかまじめな気持ちで書いてるかっつの。
490 :
考える名無しさん :02/10/19 00:41
能記とシニフィアンとどっちがいい訳ですか? 知らんて。それこそ音読みと訓読みだろって。
491 :
考える名無しさん :02/10/19 00:43
正確を期す前にまず慣れろってか。
492 :
考える名無しさん :02/10/19 00:56
シニフィアンの方が焼きたてなら、 いいも悪いもどうせそっちだろうし。
493 :
考える名無しさん :02/10/19 00:58
常により正確な訳のスノビズム。
494 :
考える名無しさん :02/10/19 01:00
Agieren!
495 :
考える名無しさん :02/10/19 21:32
「ラカン哲学空間のエクソダス」講談社選書メイエ 良いよ。
詳細教えて
>>473 ラカン曰く、表意文字なんて言ってるヤシはDQN。
「さて、表意文字についてわたしはどう思うかという問いですが、
表意文字というのは大変まずい言い方だとわたしは思います。
表意文字は、あらゆる文字と同じように一つの文字であって、漢字と、
フェニキア起源のアルファベット文字との間に、いかなる種類の相違もなく、
それらは両方ともシニフィアンであるのでして、これこれの表意文字が漠然と
何かに似ているという口実で、それは物の理念を表していると断言することは、
わたしには、全く興味のないことに思われます。」
(東大教養学部外国語研究室でのインタビュー)
499 :
考える名無しさん :02/10/20 17:51
>>497 たんにダメとか言うんではなく、どこがどうだめなのか言ってみろよ。
オレはまだ読んでないから判断は保留。
500 :
フジタ美容外科開業? :02/10/21 07:08
決戦! EUROCLINIQUE vs TRANSCRITIQUE
502 :
考える名無しさん :02/10/21 07:26
503 :
考える名無しさん :02/10/21 07:28
微妙にラカニアンな文体から推すに、本物でしょう。
>>500 う〜む、キワモノに走ったか。
504 :
考える名無しさん :02/10/21 09:46
>カウンセリングはすべて無料です(精神分析的カウンセリングのみ有料) フジタの分析、ちょって受けてみたいような気もするけど・・・
∧ ∧ ΛΛ ( ゚Д゚( ) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |つ つ⊂ | <鏡像段階 〜 || 、〜 \________ ∪ ∪ ∪∪
506 :
考える名無しさん :02/10/21 12:28
507 :
考える名無しさん :02/10/21 12:35
>>506 高いのか安いのか…。
「美容に関する精神分析的カウンセリング 」だから普通の分析とはちょっと違うのかな?
508 :
考える名無しさん :02/10/21 12:38
その他おもろい整形 包茎(亀頭直下埋没法)・・・・・・・・・・・・・・・15万円(学割12万円) 亀頭強化(ヒアルロン酸)1本・・・・・・・・・・・・1本 9万円 長茎術(切開固定法)・・・・・・・・・・・・・・・・30万円 小陰唇縮小・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30万円 膣縮小・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30万円 陰核包茎・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15万円 処女膜再生・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20万円
509 :
考える名無しさん :02/10/21 12:58
510 :
考える名無しさん :02/10/22 05:50
ほれ。
>>496 「フロイトの開いた人間存在の最奥に位置する問題へと踏み込んでいった
ラカン。「シニフィアン」をはじめ独特の諸概念を生み出したセミネールの
議論をたどり、「他者がある」ことに向けられた問いとの格闘の軌跡を
たどる。
序章 精神分析のモーセ
第1章 フロイトからラカンへ―「危機」の相続人として
第2章 精神分析への道―パラノイア・文学・戦争
第3章 「シニフィアン連鎖」の思想
第4章 エディプスコンプレックスと「グラフ」―王国の地形図
第5章 大他者の基層―脱出の経路を求めて
第6章 「ディスクール」と「性別化」―砂漠の住まい方」
511 :
考える名無しさん :02/10/27 09:23
定期 age
512 :
考える名無しさん :02/10/27 09:53
ひとりラカンが精神分析の経験に誠実であろうとした、 に残る賭け金ぜんぶ。
513 :
ラカニエンヌ :02/10/27 12:59
514 :
考える名無しさん :02/10/27 13:19
もしそうすることができるなら蕩尽しなさい。 何かになろうなどと、わけてもラカニエンヌになろうなどというのは、 給与生活者の疲れた夢想だからね。
515 :
考える名無しさん :02/10/28 05:44
セミネールの訳、日本語としては読みやすいけど、フランス語と照らし合わせると、 かなりニュアンスが落ちているのがわかる。哲学の語彙とか、単純に訳せてないし。
あと、現代思想の冒険者たちのシリーズの『ラカン』、能記と所記をまちがえてるよ。 能記=シニフィアン、所記=シニフィエは常識だよね。反対に書いてる。
518 :
考える名無しさん :02/10/29 12:04
>>517 現代思想の冒険者たちの『ラカン』は、基本的にシニフィアン、シニフィエで
押し通していたように思うが?
519 :
考える名無しさん :02/10/30 23:23
age
520 :
考える名無しさん :02/10/31 00:18
517は逃げます田
521 :
考える名無しさん :02/11/05 07:08
ユロクリ 開業 age
>>508 ワロタ
女性向けの学割はないのねん
522 :
考える名無しさん :02/11/05 23:27
そ う か 、 ま だ p a r t 2 だ っ た の か 。 。 此 の 板 だ け 時 間 の 流 れ が 違 う . . . . . . .
誰か試しにユロクリの「美容に関する精神分析的カウンセリング 」を 受けてきてくれないでしょうか?
524 :
考える名無しさん :02/11/06 04:41
30分2マソならもっと他に行くとこがあるなり。。。
>518 p.130を見てみな。
「ソシュールはシニフィアンとシニフィエとを言語表象と言語内容といった 相対する二項として提唱している。つまり、前者が「意味するもの」である所記 であるのに対し、後者を「意味されるもの」である能記としたわけである。」p.130 これは、単なるケアレスミスだけど、やっぱりやばいでしょ。
529 :
考える名無しさん :02/11/06 20:35
530 :
考える名無しさん :02/11/06 21:22
小豆とぎましょか、所記所記。それとも人とって食いましょか、所記所記。
532 :
ぺん(ぺん) :02/11/07 05:13
ジジェク・スレでちょっと話題になった ラカンの性的関係を表す式についてですが 女性の式を「ω不完全性」に相当するような意味の式と解釈してもよろしいのでしょうか。 後期ラカンについては何も知らないようなものなので ドキュソな思い違いでしたら、すみません。
533 :
ぺん(ぺん) :02/11/07 06:25
あ、あと酔っ払った頭で、ふと思ったのですが 男性の式:∀x(Φx)∧∃x¬(Φx) は、様相量化論理を用いて、∀x(Φx)∧◇∃x¬(Φx) と解釈してはいけないのかな。 いや、それだと、¬(Φx)を満たすxがただ「一つ」(大文字の他者=原初の父) だけ存在するという意味合いがでてこないですかね。 (しかし、それを言うならば、もともとの男性の式もそのような意味合いは 直接的には表現されてはいなでしょうけど) まあ、ちょっと遊びで考えただけなので 意味無い考え方かもしれませんが。
日本ラカン協会第2回大会プログラム 日時:2002年11月30日(土) 場所:専修大学神田校舎7号館731教室(3F) 〒101-8425 東京都千代田区神田神保町3-8 ・水道橋駅(JR)西口より徒歩7分 ・九段下駅(地下鉄/東西線、都営新宿線、半蔵門線)出口5より徒歩3分 ・神保町駅(地下鉄/都営三田線、都営新宿線、半蔵門線)出口A2より徒歩3分 1. 研究発表 午前9時30分〜11時45分 ・午前 9時30分〜 志津 史比古(専修大学大学院)「理想について」 ・午前10時15分〜 原 和之(電気通信大学)「ラカンと論理学 −1960年代に おける選言命題の利用について」 ・午前11時00分〜 佐々木 孝次(専修大学) 「解釈と暴力」 (発表時間は30分、質問時間を15分とする) 2. 理事会 午後0時〜1時 3. 総会 午後1時〜2時 4. シンポジウム 午後2時〜5時30分 シンポジウムテーマ:「オイディプス・コンプレックス」 提題者:妙木浩之「可能性としてのエディプス・コンプレックス ― その論 理」 若森栄樹「エディプス・コンプレックスの射程」 芝崎和美「精神分析とフェミニズム」 司会 : 石澤誠一 5. 懇親会 午後6時〜 於 イタリア食堂 Pago Pasto 、懇親会費5000円。 以上
>>535 だからほら、「解釈と暴力」が炸裂するんだよ。
>>535 石澤氏の司会は司会にならないに違いない。きっと「暴力」になるに違いない。
538 :
考える名無しさん :02/11/21 06:57
フジタの「ユロクリ」逝ったやつは報告しる。
539 :
考える名無しさん :02/11/21 09:28
ユロクリで包茎手術してもらった香具師、一歩前へ出ろ!
540 :
考える名無しさん :02/11/23 10:48
age
541 :
考える名無しさん :02/11/23 12:31
谷徹『これが現象学だ』講談社現代新書 これいいよ
542 :
考える名無しさん :02/11/24 04:45
ラカンで判り易い入門書って何ですか?
543 :
考える名無しさん :02/11/24 04:50
ラカンの思想は親や先生や友人のい顔色ばかりうかがい、 彼らの反応によってしか行動指針を決定できない良い子ちゃんバカの なれのはてさん専用の思想です。
>>543 >ラカンの思想は親や先生や友人のい顔色ばかりうかがい、
彼らの反応によってしか行動指針を決定できない良い子ちゃんバカの
なれのはてさん専用の思想です。
→ラカンの思想は親や先生や友人の顔色ばかりうかがい、
彼らの反応によってしか行動指針を決定できない「政治・民族・宗教共同体」
の馴れ合いの果てさんたちへの旅へのいざないです。
と、思いま〜す♪
545 :
考える名無しさん :02/11/24 13:39
つうかおまえら知の欺瞞で、こやつのあほらしさは完璧に証明されたのに、 いまだにこの詐欺師にらぶらぶなわけ?
546 :
考える名無しさん :02/11/24 14:16
理解できない香具師はほざいてなさい プ
知の欺瞞を祭り上げるのと ラカンの著作を無条件に祭り上げるのと 大差ない。 一方は科学主義的に過ぎるというか結局は読解というものを誤解していて あるいは精神分析の読解の歴史を無視していてラカンもしくは彼の読者が たっている問題圏を理解できないままにただただラカンの記述を 自然科学者の立場からその分野ではそれはそうは言わないし理解もしない慣習がある、 といっているだけの、あげあしとりといえばあげあしとり。 他方、ラカンの無批判な信奉の問題はあるのであってそれはそれとして、しかし、 精神分析理論の読解の歴史内部において、批判的に彫刻されるべきことで、 それ以上でもそれ以下でもない。それをしないことには、現在の精神分析理論の 抱え込んだ課題は超えられないのであるから。 まあ、読解というものは一般にかなり困難だ、ということに過ぎないけれど。 批判というものは、その対象をそれと理解した上で、それと把握した上で、 それをそれであると仮定した上で(なるべくなら根拠はあったほうがいいが) なされるわけだが、実際に、それはそれであるのかどうか、あるいは それはそれに還元可能か、可能ではないだろ、というところで議論は起こっている。
要するに、たいがいの批判は、読解対象のある解釈により描かれうる像を やっつけるのであるから、対象からは他の像も引き出しうるとだけいっておけば 下らん争いをしないぶんだけまし。知の欺瞞については、ラカンのやっていた 精神分析とりわけフロイトの読解の歴史を理解しようとしていないし、ラカンは ラカンで彼の用いた知識がある分野では相はみなされてはいないというのを知らなかった 蚊のように扱った点が誤解の元。ただし、ほんとをいえば、その分野での通常の 理解なんてあってなきようなものなんだ。逆にそういう通常の理解が足かせになる。 ある程度は進めるがそれ以降が進まないという諸刃の剣でもある。学会でいろんなやつと あうが結構共通理解というのはむずかしいというほうあってる気がする。つかい記号の一致は あるが観念レベルではずいぶんとちがうから。イメージも。単純な例でいえば、 アイディアとモデルという言葉の使い方だってしばしばずれている。アイディアの具体例がモデルとする 連中もいるしその逆もいる。しかもそれぞれが「こっちが通常の理解だ」といってのけている。 狭い集団内部ならば、じゃあ、今はこっちでいきましょう、とルールを設定すればいいだけのことだね。 それはそれに還元可能か、可能ではないだろ、というところで議論は起こっている。
ようするに、議論はアンチ相対主義、「答えは一つでなくちゃいや」 という固定観念と相対主義とのあいだで、 あるいは学校テスト規範主義者(そこでは答えはつねに一つ)と 真の優等生 (答えは複数あっていいし、相互に矛盾しているならなおのことおもしろい。 そもそも条件が一つしかない課題なんて現実事象にはありえないんだから場合により 答えが変わり、矛盾さえそのような位相転換から理解できよう) との対立というか、茶番。 こういう茶番はおろかな大衆、つまりなんでもかでも鬼の首をとってやっつけたがる ショーマンシップ好きがいつの時代も多数を占める以上、いつも生じうる。 大切なことは、冷静でいること、すなわち、それはそもそも鬼だったのですか? ただの人、読書する人で、フロイトの読解をここまですすめたし、ここで困難を見つけたが、 ここに課題を残している、われわれはここを超えればいいだけですが何か?」 と済ましていること。ただしそれはむずかしい。ひとはだれしも幾分かは世俗的だから。 つまりいくぶんかは愚かで情念的だから。どうしてもね。。。
最近の蓮実重彦の対談本で蓮実は、
アメリカは二十年送れている、だって知の欺瞞などといって
われわれが以前経験した中沢問題を今ごろ大騒ぎしているのだから、
とすましていましたね。そう、中沢こそいわば日本のラカンだったわけで
彼が東京大学の教授に推薦されながらも反対にあって成れなかった顛末が
ありましたね。地の欺瞞の指摘と似たようなことを言われたわけです。
だから、まあ、著作は読者を選ぶ(再考の読者を)し、また読者を選べない
(凡庸な読者ばかりが大騒ぎする)といういつものとおりです。
ここで再考の読者とは、問題意識を共有したかのようにあつかう、あるいは
ほんの扱い方をしっているということです。たとえば、中沢は浅田彰のように
読解しさえするなら、それほど悪くは内容に見えるわけです、朝田の読解の中では。
そう見えるしそう扱いうる以上、それほど悪い著者ではないのです、
ただし相対的に優秀な読者がひつようですが。たとえばここをご覧ください。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1033919547/548-549
まあ、柄谷みたいに「中沢なんてくだらない」と切って捨てるよりも、 そのインチキ臭さを含めて面白がる、浅田みたいな態度でいたほうが、 良いとは思うけどね。
とは思うけどね。のつぎは やはり、「だめだと思うのよ、中沢にしてもラカンにしても」 でしょうか。かりにそうだとしましょう。 私もそれはそうかもしれないとはおもいますが たしかにおもしろいわけです。 だから、一方でラカンや中沢のようなタイプがいることを認めるなら 他方で相対的に優秀な教科書を書くやつがいるし必要だ、 とはいえるとおもいます。一方を読むやつは、しかし、お願いだから 他方の教科書をよんでおいてね、くらいですかね。 教科書的レベルは理解しておき、その論述ルールも知っておいてね、と。 しかし、脱線を愛するよね、相対的に優秀なやつって時に。 脱輪したまま走りつづけてるやつをついつい愛するという、、、 自分との距離ゆえにか、ひややかにではあれ、ね。 教科書的な、凡庸な理解しかできぬ自分を呪うかのごとく。
553 :
考える名無しさん :02/11/24 16:20
>理解できない香具師はほざいてなさい プ ほほう、あれを理解できるのかよ。電波野郎(w なさけねえ野郎だよな、なにが書かれてるのかわかりもせずに詐欺師をあがめてよ。 まあ、ラカン派(w できちまった以上、お前の人生もうあともどりきかねえのか? あわれだよなあ。社会主義崩壊後のマルクス経済学者みたいなもんだねえ。
>>552 ではないです。
ただ、浅田の中沢に対する態度は、
ちょっと微妙なんじゃないかと。
ラカンに対しては、素直に面白がってるけど、
中沢に対しては、褒めているようで、
実は貶しているように見えるので。
555 :
考える名無しさん :02/11/24 16:23
>最近の蓮実重彦の対談本で蓮実は、 私も理解できずに崇拝しておりました、バカですって、いえばいいのに。 ま、もともとは地味な日本人フランス文学者、哀れ。
あと、学会まで出来てしまっているラカンと、 単なる一物書きに過ぎない中沢では、 同じように扱うことは出来ないのでは?
ま、この議論はこの程度で落ちるのがよろしいかと。 下手にだらだら続けてもしゃあないかんじもしてきますし、、、
いいえ、その点は考慮する意味がわかりません。 そもそも、ソーカルらの論点が ラカンそれから中沢らによって 自然科学の知識もしくはそこで扱われている数式を含む模式図や模型が 無理解にというかまあ共通認識内容と信じられている内容とは異なる意味で、 さらにはその唐突さをかえりみずに不自然さを無視してまで精神分析や 宗教的なものの深層や日本文化的なものを論じる際に用いる点が問題となっており 論者の社会的地位や文壇的地位などはあまり問題にはされていないように思われるから です。
560 :
考える名無しさん :02/11/25 10:28
>学会まで出来てしまっているラカン ラカンで飯くってるあわれな奴らは、ソーカルになにをいわれようがラカンにしがみつく しかないよな。引かれ者の小唄
良く読んでみたら、浅田は中沢のインチキ臭さではなく、 外部を内部に閉じこめてしまうイデオロギーを批判して るんでしたね(柄谷の批判もそう)。 構造と力でも、D-Gに習って、ラカンとバタイユの 外部と内部の弁証法を批判していたのを思い出しますた。 批判するなら、見かけのインチキ臭さではなく、 そういったところをするべきだ、ということでしょうか。
でも、よく知らないんですけど、ソーカルの批判も インチキ臭い現代思想用語を対象とするものではない、 みたいなことをソーカル自身が言ってたと思いますが、 その辺りはどうなんでしょう。
しかし、中沢がいんちき九歳現代思想用語ではなく 自然科学からモデルを借りてきている以上、 ソーカルらの対象になりえますね。 その上でさえ、上にあるような公平な見方というか 再考の読み方といわれている扱い方をすればいいという 態度は理解できるとは思います。
ソーカルの議論を「強い解釈」で受け入れるなら、 「トポロジー」という語は絶対に数学的に用いられるべきで、 さもなければ「メタファー」だという暴論に導く。 この論法をさらに敷衍すれば、 「関数function」を「機能」としてルーズに使う用法までが 「メタファー」だということになりかねない。 つまりソーカルの問題点は、 科学主義ではなくむしろ「メタファー」という語の曖昧すぎる規定にある。 敵の曖昧さを批判するつもりが、 逆に批判対象の曖昧さを全て放り込むゴミ箱としての 「メタファー」という語をマジックワードにしている。
これはメタファーなどのレトリックの機能を細かく吟味していく、 構造主義によって可能になった態度とは正反対のものだ。
ラカンは元々インチキくさいような(笑) しかし、読めないヤツが多いんじゃなあ。
それ以前に哲学板でラカンを話し合うこと自体、へんてこりんだと思うけど
いいえ、そんなことはないと思います。 歴史的にみれば、れヴぃすとろーすら構造主義といった 現代思潮の注目のひとりでしたから アルチュセールがエコールノルマルでのセミナーを 企画実現していました。ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス」 という資本主義と分裂症とを並べつつ自由と解放を論ずる本では ラカンが乗り越えられるべきリミットとして描かれていましたし、 日本では浅田彰による著作でも典型として扱われていましたし、 もちろん木村敏という哲学と精神分析理論とを横断する論文を かけるひともおりますね。 そこでは哲学と精神分析とを横断する視線、横断線、逃走線が 問われていました。いいかえれば、単なるジャンルの区分としての 哲学と精神分析といった枠組みを超えでている理論として ラカンの名前は注目可能なものとして記されてきたわけです。 もちろん、今日では、こうした歴史的経緯さえ忘れられているありさまですね。 よろこばしいことではありませんか。改めて静かに誰に悟られるでもなく 読み直しができる頃合になったというわけですから。
569 :
考える名無しさん :02/11/27 14:43
木村敏は現象学の人ですが。彼の哲学と精神分析とを横断する論文とは?
570 :
考える名無しさん :02/11/27 14:51
精神医学と精神分析の間の深くて広い溝には注意しろよ
木村敏の初期の論文はかなり視野が広いです。 代替、木村敏がげんしょうがくのひとである、って、 どんな根拠がある?彼をそれだけの人として、限定することに どんな意味がある?他の人の扱いに付いても言えるけど、 一般に、これこれの人はこれこれだとするの見解は、 早すぎる解釈にあるよ。たとえば、フーコーは構造主義の人だ、とか。 彼は散々そういうインタビューで初期はとやかく言われて拒絶しつづけたわけだ。 そもそも君らは構造主義がどんなものだったかわかっていないし、 そもそもきみらはれビスとロースやラカン、ニーチェの果たした意味を わかっていない、わたしにとっては、、、だ、と。 まあ、ここでは、きみはそういう限定したがるタイプだと思うから、 私は相ではないので話が合わないことはよくわかる。 あれはこれだ、いや、それだといいあうのは不毛なのでやめておきたい。 相ではなくて、仮にアレをああだとすればこういう徹底を述べることができるし、 そのときにはここまで明らかになり、逆に、かりにあれをこうであってああではないと すれば、また別の徹底が可能になってそのときにはまた別のところが明らかになり その成果としてはこういうものが考えられる、と、こういう議論は意味があると思う。
572 :
考える名無しさん :02/11/28 00:05
しかし木村敏がどれほど精神分析を理解していることか・・・?「木村敏という哲学 と精神分析理論とを横断する論文をかけるひともおりますね。」と言ってもいいほどの 論文は見たことも無い。
573 :
考える名無しさん :02/11/28 02:18
ラカンって結局2ちゃんねるの煽り君のようなものですか。
それはあなたが読み方というものを知らないからです。 単に、もう少し謙虚に成ればいいのではないでしょうか。 あるいは、今度は私が謙虚になればいいのであって、 あなたは逆に私や木村を単に超えているので、 あらためて読むまでもないのではないでしょうか。 その場合には、ラカンや木村やこのスレなどにカラムまでもないという 話ではあります。
575 :
考える名無しさん :02/11/28 09:46
>>568 しかしそんな読み直しを誰がやってるかね。
もうたくさん、て感じ。
576 :
考える名無しさん :02/11/28 12:34
岸田に★★★★★だから、その程度の頭なんでしょ。
もちろん、もうたくさんとおっしゃるほどのかたが 読解を改めて行っても仕方のないことであろうことは 推測可能であり、おそらくは正しい判断でしょう。 そのようにおっしゃる方の読解など別に読みたくないと そんな気さえしてきます。 むしろ新たな読者が新たな文脈において詠むことのできる 環境が生じてきているのかもしれない、そんなことをかいたまで です。そのような読者の読解には私は関心がありますから、 ぜひどこかで発表されれば読ませていただきたいわけです。 むろん、ここのスレでなく、他の媒体でよみたいわけです。 ここでは不当にけなされてしまい気持ちよく読めなくなる恐れさえ ありますから。
579 :
考える名無しさん :02/11/28 18:27
>>576 このひともきっと「古い」ラカニアンだったんだろうね〜。
ラカン関係のものにずいぶんコメントしてるみたいだけど、
どれも相当に屈折してる。
一方で自分が一番ラカンを知っているという自負があり、
(きっとずいぶんがんばったんだろうね)他方でその
ラカンが結局わからないラカンなものだから全否定に
転ずる、という図式。
このひとには「新しい文脈で読む」なんてできそうに
ないなあ。
ラカン関係のコメントでの誤字・変換ミスの多さが
また泣かせる。ラカン関係の本がでるときっと
正気で居られないんだろうね。
をきのどく。
おい、おまいら、エクリの英訳がブルース・フィンクの新訳に変わりますたが、旧訳と比べてどうですか?
581 :
考える名無しさん :02/11/28 22:45
>>581 それがわかるひとはたぶん原語で読んでいる罠。
582 :
考える名無しさん :02/11/28 23:48
583 :
考える名無しさん :02/11/28 23:52
ジャックランタン
585 :
考える名無しさん :02/11/29 02:02
586 :
ジェーン・ドゥ :02/11/29 02:16
ジョン・ドゥ 痛すぎ。
>>576 「
書いてダメ(エクリ)、講演してダメ(セミネール)、インタビュー
されてもダメ(テレヴィジオン)、何なんですかこの人は?
私はいたるところで"ラカン"批判をしています。だって解りますか
皆さん、本当に理解出来てます?私自身取りあえず評価しているのは
『精神病』のセミネールだけです。"知的エリート(彼らがそう想ってい
るだけですが)"連中のペダンチックな議論にはうんざりですよ。ラカン
はフロイトのように読みやすく理解しやすい論文を「書けませんでし
た」。そしてラカンの思想(本当にあるの?)はあくまでも人間個人の範
囲のみで、『幻想の未来』『モーセと一神教』のように、社会について
言及することは有りませんでした。
最近の「これからのフロイト理解はラカンを通してするべきだ」と思う
通説には、如何な物かと思います。ラカンの解説書が山のように出版さ
れている昨今ですが、いずれも役立たずです。ラカンのようなある種の
「難解さ」を作り出したところで、それに如何なる意味が有ると言うの
でしょうか?
」
ジエーん
カムバーーーック!
589 :
考える名無しさん :02/11/29 16:44
おまいらのファロスのベドイトゥングの評判はどうですか?
591 :
考える名無しさん :02/11/30 10:27
592 :
考える名無しさん :02/12/01 12:31
おれがエロ本見てるのに、 おれが対象なの? カメラ小僧より、レースクイーンのほうが 優位みたいなこと?
593 :
考える名無しさん :02/12/02 09:05
594 :
考える名無しさん :02/12/02 11:25
ジョン・ドゥは岸田信者だね 岸田はラカン嫌いでしょ その尻馬に乗ってほざいてるだけ
595 :
考える名無しさん :02/12/04 18:11
>592 「眼差し」とか出てくるとわけ分からなくなるな。 ま、ほかの部分もわかんねーけど。
596 :
考える名無しさん :02/12/05 12:04
ジジェクについて教えて。
597 :
考える名無しさん :02/12/06 06:30
確かに、レーの本は、ラカンに関心を持つ者ならば必ず読まねばならない ような類のモノではないが、かといって、別に目くじら立てて批判すべき 類のモノでもない。 ドゥさん、気になって仕方ないんだね。素直に好き!って言えばいいのに。
599 :
考える名無しさん :02/12/06 19:42
廉価版が出て嬉しくなったのでウプ。 シュレーバー回想録 ある神経病者の手記 D.P.シュレーバー著 尾川浩(おがわ・ひろし)訳 金関猛(かなせき・たけし)訳 平凡社 本体2000円 16cm 689p (平凡社ライブラリー451 ) 4-582-76451-7 / 2002.12
600 :
考える名無しさん :02/12/07 21:45
低学歴がラカンでもないだろう。 お袋に仕送りしろよ。
601 :
考える名無しさん :02/12/07 21:55
日本では年収3000万以上の人間が考えること。 地方のビンちゃんが、...
602 :
考える名無しさん :02/12/07 22:05
ここにいる、「学歴」とか「年収」とかにこだわってる 奴らって、精神分析の絶好の対象だな。
603 :
考える名無しさん :02/12/08 15:14
http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2002/12/08/04.html 7日午後0時40分ごろ、東京都板橋区常盤台の医師小笠原晋也さん(46)方
2階寝室のベッドで女性が倒れているのを、訪ねて来た小笠原さんの父親
(74)が見つけた。
小笠原さんは酒に酔っており、父親は外に出て110番。約5分後に戻った
ところ、小笠原さんが同じ部屋で電気コードで首をつっていた。女性は間
もなく死亡、小笠原さんは意識不明の重体。
警視庁板橋署によると、女性は小笠原さんの婚約者の埼玉県三芳町竹間
沢の中嶋慶子さん(28)。
中嶋さんの首には絞められたようなあとがあり、現場に「結婚相手を殺
してしまった。自分も死ぬ」との内容のメモが残っていた。板橋署は、小
笠原さんが中嶋さんの首を絞めた後、自殺を図ったとみて調べている。
2人の間に最近、別れ話が持ち上がっており、心配した父親が同日、小
笠原さん方を訪ねたという。
604 :
考える名無しさん :02/12/08 16:46
ジ ョ ン ・ ド ゥってここみてんのかね。
605 :
考える名無しさん :02/12/08 16:46
↑え〜っと、これほんと?同姓同名じゃないの?
607 :
考える名無しさん :02/12/08 17:13
608 :
考える名無しさん :02/12/08 19:43
ひゃー、ラカンちゅうよりアルチュセールぽくもありますな。
げげ、マジかよ…。
610 :
考える名無しさん :02/12/09 10:20
レーの本の訳者でもあったのだな、小笠原氏は。 ド ゥ のボロクソ書評が出てすぐか。なんという タイミング。
転移の処理に失敗しますた!
>>612 分析治療も命がけだな。
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
614 :
考える名無しさん :02/12/09 22:07
失敗とか成功とか、勝ったとか負けたとかではなく、 こういう人生を生きたのだと思う。
615 :
考える名無しさん :02/12/11 11:33
愛する女性を自らの手で殺すジュイッサンス……。
小笠原氏の過去の論文を読んでみたいな。
617 :
考える名無しさん :02/12/11 15:21
ソーカルに暴露された詐欺師のいうことを真に受けてるからそんなことになる
ラカンを理解できなかったバカが、その自分を棚上げした上で ラカンを批判する際に持ち出す最適の「道具」=ソーカル 気に入らないならソーカルなど言わずとも、自らが自分の言葉 で論破すればよい。
619 :
考える名無しさん :02/12/11 17:01
621 :
考える名無しさん :02/12/12 01:34
>ラカンを理解できなかったバカが、その自分を棚上げした上で >ラカンを批判する際に持ち出す最適の「道具」=ソーカル まともな学問が理解できないバカが、その自分を棚上げした上で 自然科学へのコンプレックスや自分の知的劣等感を補償し、頭がよさそうに 振舞うための最適の「道具」=ラカン、フーコー・・・ポストモダン ラカンを「理解」するって、そいつは無理だってのがソーカルの指摘したこと なんだが(w お前の「理解」を教えてくれよ(w とりあえず、数学科2年程度の集合位相論は当然マスターしてるという前提で 以下話をすすめるがいいか?618よ。逃げるなよ(w
622 :
考える名無しさん :02/12/12 01:45
とりあえずボグダノフの意見を聞いてみよう。
623 :
考える名無しさん :02/12/12 01:56
624 :
考える名無しさん :02/12/12 02:58
ここにいる奴らがトポロジーを理解できているとは思えないが、 オーソドックスな精神医学すらマスターしているのかどうか?
625 :
考える名無しさん :02/12/12 04:36
小笠原氏の事件は、ラカン派にとっては、 結構深刻なスキャンダルじゃないの? ラカン派の誰か、真正面から答えたら? 煽りじゃなく、まじに聴きたいな。
626 :
考える名無しさん :02/12/12 07:08
小笠原氏の事件は、人間にとっては、 結構深刻なスキャンダルじゃないの? 人間の誰か、真正面から答えたら? 煽りじゃなく、まじに聴きたいな。
627 :
考える名無しさん :02/12/12 10:56
スキャンダルに違いないが、別に深刻でもないと思う。
ラカンを理解することは可能だよ。 ジジェクや入門書を何冊か読んで セミネールから入っていけばそれほど難しくないよ。 ソーカルが言ってるのは「ラカンには誤りがある」 から理解できないってことであって、 逆にその誤りを含んだラカンを「理解」するのは 特に変な話ではない。
629 :
考える名無しさん :02/12/12 12:24
学説が理解できるかどうかではなく、 学説が正しいかどうかが問題。 もし間違ってるのなら正せばいいだけ。 ソーカルの批判に動揺する必要はまったくなし。 ラカンを再構築すればいい。
630 :
考える名無しさん :02/12/12 12:31
>ラカンを理解できなかったバカが、その自分を棚上げした上で >ラカンを批判する際に持ち出す最適の「道具」=ソーカル >まともな学問が理解できないバカが、その自分を棚上げした上で >自然科学へのコンプレックスや自分の知的劣等感を補償し、頭がよさそうに >振舞うための最適の「道具」=ラカン、フーコー・・・ポストモダン どっちも知的コンプに原因を持ってくる点は見事に同じ。 どっちも違うと思うけどね。自然科学やってる人はもとから羅漢理解 するきないと思うから知的コンプはないと思うし。羅漢派は自然科学コンプ で精神分析やってるわけじゃないでしょ。
631 :
考える名無しさん :02/12/12 14:20
ソーカルがとりあげてるとこはラカンが数学をあえて悪用してるとこで どっちもどっちという感じ。というかソーカルが呆れぶりは素直に笑える。 まあ、数学屋さんと物理屋さんではだいぶスタンスが違うようれす。 日本では故山口せんせいがラカンの数式をおもしろがってたようだし。 それより判らんのは晩年のトポロジーの扱いで、こちらはセミネールに数学者が 参加して、いちいち誤りを訂正していたという。そこまでラカンが数学的正確さを 追求していたのはなぜなのか?単にメタファーじゃなかったのね。
632 :
考える名無しさん :02/12/12 21:22
633 :
考える名無しさん :02/12/13 04:30
635 :
zion-ad :02/12/13 05:52
ラカンに足りなかったものはシェーマLだっけかなの、
とにかくその図の各点を同時に見る視線の元、瞳に関する考察。
その瞳が作る四面体をも傍観するわけわからん裏のない瞳。
ボロメオの輪を繋げたのは視線の元、瞳だった。輪を描くことを可能にした紙だった。
俺のメモ帳にこのレスをしてと、あとで読んどこ。
スペンサー・ブラウンなんていらない 黒木 玄
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/SB/ >「無が何も変えることができないなら〈最初の区別〉が以後の一切を出現させる」
>という『形式の法則』の思考を再確認し、
ま、山師だろうがブール代数がなんだか知らんが、
ここらに最初の区別をする無意識のトリックがある。
宮台真司の「サイファ、覚醒せよ」とは別のやり方で、
指し示しのすごさを展開したのが、東晃史(あきふみ)。
東晃史博士のホームページ
http://www.nips.ac.jp/~higashi/ 世阿弥の「離見の見」で座標を読むやり方が、その答え。
ママの贈り物ってのは動機か。裂け目の。
>>634 ありがとうございます。京大で非線形とかカオスとかやってた
山口昌哉先生ですね。
お亡くなりになったんですか・・・。
小笠原君の事件の報道に接しておもうこと フジタ 2002/12/13 08:47 new 10数年来、彼の内的な苦悩を知っているわたしの脳裏に反射的に 浮かんだこと、 それは、被害的な妄想を抱いている女性が男性に対して無意識的に 行使する精神的な暴力(例えば「わたしは彼によって苦しめられて いる」という妄想を周囲の人に知らせることによって当の男性を加 害者に仕立て上げ追いつめてゆくような心理 (「被害的加害者 persecuteuse persecutee」、あるいは 「えん罪的痴漢において被害を主張する女性」等) というものが実際に存在する、ということである。 つまり、このような場合、見かけ上の加害者が実は被害者であり、 被害者が加害者、ということがおこり得る。 客観的な根拠を持っているわけではまったくないが、 今回の事件の報道に接して、わたしの心から 「彼は被害者だったのでは?」という思いが離れない。
638 :
トポロジー :02/12/14 22:00
6.1.8君はどうしたのかね? まさか数学科の学生が相手をするときいて、逃げたのか?
ソーカルはフーコーを叩いていたの?
640 :
トポロジー :02/12/15 01:32
フーコーは叩いてない。ちょっと揶揄してるだけ。
641 :
考える名無しさん :02/12/15 01:41
ソーカルはラカンその他を決して全否定しているわけではないよ。 彼はバリバリの実践的左翼で、ラカン辺りを援用して 空疎な理論をこねくり回すアメリカのアカデミックな左翼に 辟易していたという背景を含めて理解しないと、ソーカル事件の射程はわからない。 で、デリダがフランスの新聞(リベラシオンだっけ)にソーカル批判を書いたのも、 この線から理解しないとわからない。
642 :
トポロジー :02/12/15 05:11
>空疎な理論をこねくり回すアメリカのアカデミックな左翼 違う。空疎な理論ではなくて、理論ですらない紛い物だったということ。 アカデミックな左翼なるものは、ポストモダン系の香具師とチョムスキーやソーカル のような明晰な合理主義者に分かれる。 左翼の良き伝統(啓蒙)をソーカルは守ろうとしたわけだ。
643 :
トポロジー :02/12/15 05:15
デリダには科学の濫用はほとんどないが、 ニセ論文のなかで一箇所だけソーカルはデリダのことをからかってる。 「アインシュタインの定数は定数ではない」というやつ。 「われわれはデリダのいっていることがわからない。明らかにデリダもわかって いないのだが(w」
644 :
考える名無しさん :02/12/15 05:37
馬鹿はやだね。
645 :
考える名無しさん :02/12/15 05:53
トポロジーって馬鹿だね。 こいつのレス読んで馬鹿と感じるのは普通だろ。 こういう馬鹿ふえてんだろな。
まあ、あまりいじめるな。 数学科の中じゃうだつが上がらないとか単位が危ないとか、いろいろあって逃避しに来てるんだろ。 同情したれ。
647 :
考える名無しさん :02/12/15 23:06
>数学科の中じゃうだつが上がらないとか単位が危ないとか あわれだねえ、そういう妄想で自分のちっぽけなプライドを守ろうとするのは 精神分析ではなんというんだい(w 数学科の学部生あたりが常識としてしってる程度のことすら分からずに アホな詐欺師を崇拝してたお馬鹿ちゃん達は必死だねえ。
648 :
考える名無しさん :02/12/15 23:09
>こいつのレス読んで馬鹿と感じるのは普通だろ。 いやいや、高尚で深淵で明晰ですな(W 普通だろときた(W 詐欺師に担がれた哀れな同類同士、ひかれ者の小唄を唄い続ける運命ですな。 まあ運が悪かったとおもって締めることだな。
649 :
素ー刈る・亜欄 :02/12/15 23:13
ポストモダン系の香具師の言説を「比喩」であることを理由にして正当化することは 不可能なのでつか? トポロジーさん。
650 :
考える名無しさん :02/12/15 23:16
>まあ、あまりいじめるな。 いやあ、いじめるなら学識で圧倒したらどうなのかな。それができてない以上 上にあるようにひかれものの小唄ですな。たかだか学部生程度の挑発にもオロオロ して取り乱す様はみぐるしいよ。結局数学の理解度で勝負できる奴はいないわけでしょ。 相手を哀れむような態度をとって自分のプライドを守るってのはわかりやすいなあ 168君(w まあラカンの数学の知識はでたらめで少なくともそれは欺瞞的なものなことは もう反論できないんだから、にも関わらず擁護したいならば泣き言いわず本腰でやれよ。 少なくとも医者なら理系なんだからさあ、がんばれよ。哲学板じゃあ渡り合える 奴はいねえだろうけど。
651 :
素ー刈る・亜欄 :02/12/15 23:19
>>650 あなたはトポロジーさんなんでしょ?
だったら、649 の質問に答えて頂けませんか?
>>651 ソーカルの意図は、堀茂樹氏(慶應義塾大学助教授)によると、
・「メタファーへの権利」を哲学者から奪おうとしてはいない。
批判対象は、論旨を照らし出すどころか読者を煙に巻くこと以外に
何の意味もない「メタファー」に限定されている。
・それぞれの思想家の思想全体に判断を下すことはしないと明言したうえで、
数物理学概念の濫用だけを咎めている。
とのことです。
>>641 氏が書いたとおりで、
>ソーカルはラカンその他を決して全否定しているわけではないよ。
>彼はバリバリの実践的左翼で、ラカン辺りを援用して
>空疎な理論をこねくり回すアメリカのアカデミックな左翼に
>辟易していた
ということですね。
>>642 (トポロジー)氏が書いた
>左翼の良き伝統(啓蒙)をソーカルは守ろうとしたわけだ。
ことがソーカルの真意です。
非現実的な空疎な理論をこねくり回しているだけなのに、自分たちがまるで進歩的で
あるかのように勘違いして傲慢になっていたポストモダニストへの警鐘です。
現実世界に即した理論、一般に通じる理論を組み立てて啓蒙せよ、ということですね。
>>652 >・それぞれの思想家の思想全体に判断を下すことはしないと明言したうえで、
> 数物理学概念の濫用だけを咎めている。
>とのことです。
その点は堀茂樹氏と621氏の見解は異なるようですな。
>>621 >ラカンを「理解」するって、そいつは無理だってのがソーカルの指摘したことなんだが(w
656 :
考える名無しさん :02/12/16 03:30
657 :
考える名無しさん :02/12/16 05:30
>左翼の良き伝統(啓蒙)をソーカルは守ろうとしたわけだ。 プッ 馬鹿丸出し。誰が誰に啓蒙するんだ。 こういうばかばっか。
サルがサルに。
659 :
考える名無しさん :02/12/16 06:51
ソーカルはアウシュヴッツをどう考えてるんだ。 ほんとにこいつは『左翼』なのか?
660 :
考える名無しさん :02/12/16 14:55
>プッ 馬鹿丸出し。誰が誰に啓蒙するんだ。 >こういうばかばっか。 ラカン、ならびにラカン信奉者がバカだということが暴露されたのがソーカルの一件 だと思うのだが。バカ扱いされてるほうが、バカのレッテルを人にはってもなー(w バカばっかと思う理由をいいなよ。どうせいえないんだろうけど。 知の欺瞞に書かれている程度のことは数学科や数理物理学専攻の学部生が 2−3年で習うこと。あんまり対したレベルじゃない。その程度のことも ラカン派はわからなかったというのは十分恥ずべきことだと思う。 文系でも経済学の院生ならあの程度のトポロジーは知ってる。
661 :
考える名無しさん :02/12/16 15:01
ちゃんと文章読めてない馬鹿・・・。
662 :
考える名無しさん :02/12/16 16:35
それはお前
663 :
考える名無しさん :02/12/16 16:38
この「ちゃんと文章読めてない」というのはいかにもポストモダン的だね。 自分のバカがばれるのが怖いから、煙に巻くような言い方や難解な概念で 飾って、批判されると「もっとちゃんと読め」と逃げることができるからね。 ただ、661はそれすらできないバカなんだけどね。
664 :
考える名無しさん :02/12/16 16:53
もいち度よんでからカキなよ。
665 :
考える名無しさん :02/12/16 16:59
こういうのみてるとヘーゲルの主と奴の弁証法そのもの。 不毛。
666 :
考える名無しさん :02/12/16 17:34
>>660 >ラカン、ならびにラカン信奉者がバカだということが暴露されたのがソーカルの一件
おそらく「ラカン信奉者」とは「ラカンの数学を真面目に受け取っている輩」のことなんだろうけど。
ラカンの数学に対する態度はソーカルに指摘されるまでもなく、
ラカン派内部でもいろいろ言われてきたんじゃないの?
ソーカルの引用はかなり一方的で、ラカンの数学への態度は、
ソーカルが書いているよりは、かなり曖昧なはず。
確信的なことを述べたりする一方で、メタファーに過ぎないとも述べたりしてた。
レヴィ=ストロースが数学者に質問したりしたのに対して、
ラカンが数学者にそんなことしなかったと聞いたことあるんだけど、
本当なら、それほど既存の数学には興味がなかったことになるし。
本当じゃないとしても、ラカンの数学への思い入れは、
それほどでもないと考えてよいと思うが。
どっちにしろ、ラカンの数学を鵜呑みにするのはダメなのでしょう。
667 :
考える名無しさん :02/12/16 17:52
相手を罵倒したいが「馬鹿」しかボキャブラリーがない馬鹿(藁) こういうのがポストモダンに憧れるのはよくわかる。
668 :
考える名無しさん :02/12/16 17:56
プッ 相当たまってますな。
669 :
ポストモダン馬鹿 :02/12/16 17:56
ラカンスレばっかり不公平。 ドゥルーズすれも攻撃してください。
670 :
考える名無しさん :02/12/16 18:00
つーか粘着ウザイ。 別にスレッドたててそこで、ちみの大嫌いな『ポストモダン』批判やっちくり。 荒らしだよ、これ。 (ポストモダンっていったいなんざんしょ、サパーリわからん。)
671 :
考える名無しさん :02/12/16 18:06
>
>>642 (トポロジー)氏が書いた
>>左翼の良き伝統(啓蒙)をソーカルは守ろうとしたわけだ。
>ことがソーカルの真意です。
しかし、左翼思想の出発点はヘーゲルとみなすと、左翼は最初から蒙昧主義に
汚染されていたということになりませんか?
672 :
考える名無しさん :02/12/16 18:13
ソーカルって現象学を理解してんのかなあ。 なんかそん辺りの理解の有無が分水峰になりそうな感じなんだけど。
673 :
考える名無しさん :02/12/16 18:39
「連続」や「微分可能」は、微分積分みたいな名前の講座で、確実に一年生 でやる(高木貞治「解析概論」とか、杉浦光夫「解析入門」とかでチェック してみて)。「開集合」や「コンパクト」も、数学科一年の自主ゼミレベル (松坂和夫「集合・位相入門」とか。これ、bk1では「利用対象:高校生、一般」とか書いてあるぞ。高校生?)。 要するに俎上に載ったポスト構造主義の論文は、その程度のレベルの概念を 間違って使ってる。
674 :
考える名無しさん :02/12/16 18:40
へー
675 :
考える名無しさん :02/12/16 18:41
脳内屁
677 :
考える名無しさん :02/12/16 18:47
羅漢はいいからフロイト読めば。
678 :
考える名無しさん :02/12/16 19:02
左翼の古き良き伝統とか言う人が、いかにこういう場で、 攻撃的になるのかみてるとおもしろいね。 やはり、アドルノの啓蒙の弁証法は重要ですな。
>>678 あのう。。あなた言ってる事が全然意味わかんないんですけれども?
忌み
>>679 啓蒙が野蛮に転化するって言いたいんじゃないの?
681 :
考える名無しさん :02/12/16 19:20
言ってる事が三流で全く学ぶものがないね(藁
682 :
考える名無しさん :02/12/16 19:20
>アドルノの啓蒙の弁証法は重要ですな。 アドルノもポパーに散々馬鹿にされていたね。蒙昧思想の根は深いね。 ポストモダンの背後にはヘーゲルやハイデガーがいるね。
蒙昧思想って、なに?(爆藁
684 :
考える名無しさん :02/12/16 19:34
>言ってる事が三流で全く学ぶものがないね 誰のこといってるのか意味不明なのが笑うね(w もちろん「ラカンが」を冒頭につけくわえるんでしょ(w
685 :
考える名無しさん :02/12/16 19:35
>蒙昧思想って、なに? 分からないのか(嘲笑)
685 名前:考える名無しさん :02/12/16 19:35 >蒙昧思想って、なに? 分からないのか(嘲笑) わかんあいよ。だからなんですか?蒙昧思想って
688 :
考える名無しさん :02/12/16 19:46
689 :
考える名無しさん :02/12/16 19:56
ところで、蒙昧思想って 、なんですか? 誰か詳しいひと説明しちくれ
690 :
考える名無しさん :02/12/16 21:07
理由 夫馬裕明が嫌いだから(w
691 :
考える名無しさん :02/12/16 21:26
「不完全性定理」などといわれれば、かなり気をつけて読まない限り「そうか。 数学ってのは不完全な学問なんだ。ふーん。」と思ってしまうだろう。そんなカジ ュアルな読者(誰もいちいち大数学者の定理や予想などきちんと理解する能力もヒ マもないのだ)が、フランスのポストモダン思想家達のもっともらしい、術語に満 ちた「哲学」に欺かれても止むを得まい。しかしソーカルはそれを許さない。いや しくも思想界の旗手たるthinkerたるもの、「メタファー」などという言葉を超拡 大解釈して、それを隠れ蓑にして堂々と嘘をつくなど(実は本人も嘘をついている つもりはなかったりして)、言語道断の仕業なのだ。
蒙昧思想ってなんですか?
693 :
考える名無しさん :02/12/16 21:53
もうよせ。な。
昔は「数学セミナー」にラカンの「無意識は言語のように構造化されている」を引いて文章を書いた数学者もいて、別に突っ込みも受けなかったものですが、最近の数学人には昔日の余裕はないようですなぁ。
641を見て思ったんですが、 ソーカルを適当に援用して ラカンをお手軽に批判する奴が、ソーカルが批判した ラカン主義者と驚くほど似ているように見えるのは、目の錯覚ですか?
696 :
考える名無しさん :02/12/17 00:06
>蒙昧思想 初期の分析哲学者がヘーゲルを馬鹿にしていった言葉だと思う
697 :
考える名無しさん :02/12/23 08:24
>>694 まあまあ、ここにほんとの「数学人」が来るわけないって。
698 :
考える名無しさん :02/12/23 09:56
そーかるって、偉い数学者なの?
699 :
考える名無しさん :02/12/23 10:00
明晰なの?数学って。 カオスって、ギリシャ神話からのメタファーじゃないの? カオス理論のカオスって。
700 :
考える名無しさん :02/12/23 10:00
alapageで検索していたら、autres ecritsって本が見つかりました。 セミネールやエクリにない論文を集めたものと理解してよいのですか。 面白いのは「本物の」精神分析家は資格に対して無頓着だということです。 資格云々といっている間は「資格が必要」というわけです。 厳密な話をするなら、分析主体(いわゆるクライエント)は 分析家「に」分析を受けているのではなく、 分析家「を使って」自らを分析しているのですから。 分析家であるための資格云々という話は実はとてもナンセンスな議論です。 ラカンの有名な「Le psychanalyste ne s'autorise que de lui-meme.」という言葉は そのような文脈の中で意味が明らかになっています。 自分たちがすでに当たり前だと認めてしまっているような既成の団体(大学、組織など)とか権威は 一旦括弧に入れて、そもそも「精神」を「分析する」とはどういうことなのか、 このことについて徹底的に考えてみるべきでしょう。 ラカンは分析家を聖人に喩えて「聖人は聖人であるほどよく笑う」と言っています。 この表現を借りるなら「分析家は分析家であるほど資格を笑い飛ばす」とも言えるでしょう。 要は、ただそこに「精神」の「分析」があるのであり、その「分析」が 自己分析の構造的な限界を越える必要が生じたときに初めて、 「他者」としての分析家を「使う」必要が生じてくるのです。 精神分析の基本は、フロイトが父の死を契機として「精神分析」を編み出したように、 「喪の仕事」のなかでの徹底した「自己分析」の中にこそ見出すことができます。 忘れてはならないのは、分析家を選択するのは分析主体の方なのだということ。 その限りにおいて、分析主体に選ばれた分析家は他の誰が何と言おうと分析家であり得るのです。。 「創始者フロイト自身は教育分析を受けていない」 このテーゼの重い意味をもう一度考えてみてください。 俗に存在する精神分析家の資格云々の問題は、実は 「資格を持っているか否か」ではなく 「資格にこだわっているか否か」 という問題であることが見えてくるはずです。 精神分析は常にそのようなこだわりとは異なる地平で機能し続けていると考えるべきです。 たとえば、たった今、この場所でも、、、
701 :
考える名無しさん :02/12/23 10:09
そーかるって、ラカンの直面した問題には、 どうアプローチするんだろうか? そう刈るは、”単に数学は使うな”と言ってるだけなの? なぜ、数学はだめなの?
702 :
考える名無しさん :02/12/23 14:36
そもそも、ラカンは何の問題に直面しているんだ? 自分がバカなのを利口に見せるためにどうしようかという問題に 直面して、その結果として得たのが、数学を乱用することだった だけだと思うが。 ラカンのような無意味な言説に振り回されるのは、もうやめにしようよ。
703 :
考える名無しさん :02/12/23 14:43
↑バカ
704 :
考える名無しさん :02/12/23 15:03
>>701 なぜ、数学の概念による比喩が有効なのか説明がないということでしょう。
それに加え使い方が出鱈目なのは、既出のとおり。
数学の概念を使わずに理論を説明すればよいだけの話。
706 :
考える名無しさん :02/12/23 23:11
>>700 コピペやめれ。うざい。
>>702 何が問題なのかって?それを説明した本が
ないわけではなかろうに、なんでこんなとこ
で聞いてるんだ?
707 :
考える名無しさん :02/12/23 23:39
708 :
考える名無しさん :02/12/24 00:07
ジャックランタン知ってる?
ヒーホー!
710 :
考える名無しさん :02/12/24 09:20
でも、ラカンって、面白いんだよね
711 :
考える名無しさん :02/12/24 09:23
こころの謎 神経症から精神病への 理論的シフト
712 :
考える名無しさん :02/12/24 09:25
こころのシステム
713 :
考える名無しさん :02/12/24 09:31
ソーカルって言う人が
こころの動的システムのモデリング理論みたいなの
作ってくれたら、ソーカル支持したいな、俺的には。
ラカン系読んでて、おもろいよね
>>711
714 :
考える名無しさん :02/12/24 09:45
やっぱさぁ、数学とか物理学とか こころとか人間存在の記述には 向かないんでは、ないの? 数学の限界をラカンは無視したような気がする 宇宙とか原子とか 数学の記述対象になるけど、 こころや存在はなぜか複雑すぎて 今の数学や物理学の対象になれないような気がする ソーカルは今の数学や物理学の 限界を超えるなと言いたいんじゃないの? ラカンは冒険しすぎたんだよ だから保守的なソーカルよりはるかに面白いんだよ
715 :
考える名無しさん :02/12/24 10:53
なぜ、数学や物理学は、人間存在を扱えないの?
女と精神病者とはどうちがうんですか? どちらも象徴界にはまってないと いうことだと思うのですが・・・
717 :
考える名無しさん :02/12/28 00:38
ジャックフロストっていうのもいるんだ。プリクラでおなじみのやつね。
象徴論はすで男性になったのではありませんか?
3つまとめて書き込もうとして失敗。もう疲れました。 思いましたが、私は歓迎されてないように感じます。勢いで来てしまったのですが、 ご迷惑をおかけした様にも感じます。私の妄想かも知れませんが、隣国のアタックから守ってもらった可能性も感じます。
720 :
考える名無しさん :02/12/28 20:55
小笠原氏の事件のことで藤田氏がいってた 「被害的加害者」について詳しく知りたいです。 誰か参考になる文献など紹介しておくれ。
721 :
考える名無しさん :02/12/29 22:03
石田浩之『負のラカン』はあまり話題にならないが隠れた名著ではなかろうか。 俺は十数冊ラカン本を漁ったが、初めて理解できる本に出会った。 新宮氏の新書や藤田博史のラカンはなんだか分からなく、ジジェクを読んでも いまいちだった俺でも理解できた。
722 :
考える名無しさん :02/12/30 07:10
723 :
考える名無しさん :02/12/30 09:29
数学はまさに他者なんだね。精神的に参っているとき、 外国語を勉強すると解放されるという人たちもいるように。
724 :
Kurihara :02/12/30 10:28
725 :
考える名無しさん :02/12/30 21:06
726 :
考える名無しさん :02/12/30 21:48
久しぶりにクレ板から戻って来ますた。GOは元気にしてるだろうか? クレジット板面白いよ。みんなもジャックス鰤持とう。では。
727 :
考える名無しさん :03/01/03 20:21
アマゾン・コムで、本上まもるがジョン・ドゥに喧嘩を売った!!! くわしくは新宮一成『ラカンの精神分析』の読者レビューをご覧あれ。
728 :
考える名無しさん :03/01/05 06:42
香山リカってラカン派だったのか・・・ 欝だ・・・
729 :
考える名無しさん :03/01/06 19:44
(^^)
731 :
考える名無しさん :03/01/10 22:56
高校教師見てる?
732 :
考える名無しさん :03/01/11 23:58
どっちも参考にならん書評だな
734 :
考える名無しさん :03/01/12 21:17
>>733 これ買うひとは、書評なんて参考にしないと思われ。
本上、次は何処に登場か?(ワクワク
735 :
考える名無しさん# :03/01/15 01:20
とりあえず 享楽 といっとく。
736 :
考える名無しさん :03/01/18 05:33
高校教師みた?
(^^)
738 :
考える名無しさん :03/01/21 06:55
ラカンて、一種の否定神学を唱えてると思って良いの? 「意味」について考えるのがほとほと疲れた、ポスト近代以降の理性が生み出した ニヒリズムに満ちた発想にしか見えないんだが。門外漢には。
読まずに済ませる理由としてはいいんではないでしょうか。
741 :
考える名無しさん# :03/01/22 00:13
>>738 ラカンが否定神学だって?
あんたそんな4年以上前に終わったアズマのアホ議論蒸し返すのかよ。
ラカンは分析経験の伝達という、不可能なものの伝達に最後まで固執した。
それはなぜだと思う?
分析経験が、伝達からは常に逃れていく反=伝達という不可能なものであったからだ。
アズマなんかはラカンの不可能なものとしての現実界を、
ゲーデル的決定不可能性(笑える言葉だが)の一つしか見ていない。
しかし、分析経験における不可能なものがゲーデルのそれだけなら、
分析経験の伝達はめちゃくちゃ簡単だ。
「いやぁ、昨日精神分析しちゃってさぁ、それで、あのゲーデル的亀裂に遭遇したよ」
これだけで伝達はことが足りるし、分析経験も一つのヴァリエーションしかない
ことになってしまう。
>>1 ジャック・ランタンなんでしょ?そろそろ暴露しちゃいましょうよ。
ところが、ジャック・ランタン・ラカン。 風船の内側空間に住み込んでいる住人(分析家)にとってはどうでしょう。 化粧をした女。平面なのに外空間と内空間があるようなシーツのお化けの話は飛ばして、 かぼちゃのお化けの話を。 頭が空っぽな、カボチャの内側空間にいる住人。分析家。 被分析家(灯火)に観たものは、他者の欲望。 ここでの被分析家は、昨日の自分のことですが、この分析家にとって、 カボチャの内壁面は見えません。ジャック・ランタンを作る過程で、 外壁をすべて穴にしてしまったので。 数学者と違って、任意の一カ所を盲点にじゃなくて、 すべてを盲点にをやってしまった。己の欲望が見えなくなってしまった。 で、しかたなく他所の他者。シーツのお化けを被分析家とすべく求めます。 コワイのがいいかな。蠱惑(こわく)て。
746 :
zion-ad :03/01/22 03:43
747 :
考える名無しさん :03/01/22 07:43
絶対安全地帯のアルバム、映画のレビューでポイントを稼ぎつつ、 ベスト・レビュアーの道を爆走中のアマゾンのジョン・ドゥ。 ラカン叩きがおさまったのは、本上まもるに屈したのか(w しかし書籍のレビューでこれほど共感されていないレビュアーも 珍しい。。。。
あけまして おめでとう ございます m(__)m
749 :
考える名無しさん :03/01/22 22:53
久しぶりに
>>741 でラカンをまともに語れるやつが
出てきたのに、物理屋のクソで台無しだな。
750 :
考える名無しさん :03/01/22 23:05
>>749 アズマについてはろくすっぽ語れないようだけどな
なんで最後にフロイトに逝ってるかまるでわかってない
751 :
考える名無しさん :03/01/22 23:34
>>750 初心者だが、啓蒙してくれ。
どういう意味? 教えれ。
奴の名はあずまかずま。その手は太陽の手。
753 :
考える名無しさん :03/01/22 23:51
>>751 ま、ようするに、君は釣られたってことだね。
ああいう風に仄めかすだけで消えるやつは
たいがい何にも分かってない釣り師さ。
これで一つ勉強になった打ろう。
あたまの悪い方ばかりですね ラカンくらいちゃんと読んでください
東は「いささか乱暴に整理すれば」と断りつつ、ラカンをゲーデルで説明したわけだ で、その否定神学システムを打開するために東はフロイトを持ってきたわけだ 当然ラカンがフロイトからはじまってるのは了解事項なわけだよ、東の論の立て方は。 だからフロイト色の強めなラカン読みをする人は結局東の郵便システムと変わらないわけ
756 :
考える名無しさん :03/01/23 18:40
東はラカン理論というとき、ラカンそのものではなく、彼以降の ラカン派によるある特定の受容のされ方を問題にしてるわけ 注意書きにクドイほど書いてあるよ
757 :
考える名無しさん# :03/01/23 20:58
>>755 =756
ブルース・フィンクのラカンは読んだことがあるかな?
彼の(彼に限らないが)現実的なものを二つに分ける議論を読めば、
アズマがラカンの「現実的なもの」の解釈において決定的に
ミスを犯したことが分かるよ。
なぜアズマはつねに語り損ねというかたちでしか語りえないものを
脱構築と言語哲学の文脈で語るときに、
クリプキの固有名の残滓とゲーデル的外部を同じような例としてみなすのか。
いくら制度的なラカン受容にかんして言っているとしても、
それが読めないのは読解能力がないとしか言いようがない。
ジジェクすら読めていない、とすら言える。
758 :
考える名無しさん :03/01/23 21:15
>>757 あんた自分がなんにも言ってないの気づいてる?
「読めてない」以外になんにも言ってないよ、あんた。
759 :
考える名無しさん# :03/01/23 21:19
さっきの文読んでなにも言ってないように 思えるんなら、お前はアズマ以上のアフォだな。 厨房は困るぞ。
760 :
考える名無しさん :03/01/23 21:19
761 :
考える名無しさん :03/01/23 21:22
だからなあ、テメエいいかげんにしろよ。
東が問題として取り上げたのは制度的なラカン受容にかんしてであって、
あんたが
>>741 で言ってる意味のラカンではないという時点で
あんたの議論は根底から崩壊してんだよ
762 :
考える名無しさん# :03/01/23 21:26
はぁ、制度的なラカンすら読めてないといってるのだが。 お前の言ってるのは、チャート式ラカンだろが。
763 :
考える名無しさん :03/01/23 21:28
著者があれだけクドクドと念を押して「これはあくまでもラカンの制度的受容について 乱暴に図式化したものです」と言ってるのに、わざと制度的受容の議論を避けた上 議題を捏造して「読めてない」だの「アホ議論」だの「厨房」だの 本人に議論つきつけてみろよ、実名で。ここで匿名でダベってられる範囲を 超えて誹謗してることに気づいてないか?
764 :
考える名無しさん :03/01/23 21:31
要するに、アズマのような、制度外の人間が「ラカン」という固有名について語ることに 過剰反応してるだけじゃねえか お前がチャート式ラカンそのものだよ
765 :
考える名無しさん# :03/01/23 21:33
ラカンの現実的なものは、まさに乱暴な整理から抜け落ちてしまう
ものなのだが……?
アズマの議論は、言ってみれば、
「デリダ――フロイトによって、精神分析(ラカン)を救う」
を当初の目標としていた、と(乱暴に)整理できるだろう。
しかし、「ラカンによってラカン(精神分析)を救う」
ことはまったく考えられていない。
アズマ以降の厨房がみなアズマのラカンで満足していることに
私は強い危惧を感じている。
>>738 の厨房に対してアズマのラカンで欲望を満足させる
ことなかれ、と言っているだけなのだが?
766 :
考える名無しさん :03/01/23 21:38
767 :
考える名無しさん# :03/01/23 21:40
768 :
タッソ議員 :03/01/23 21:42
「考える名無しさん#」が何故これほど執拗に【アズマ】にたいして攻撃的な 反応をみせるのか、これは精神分析の対象だ
769 :
考える名無しさん# :03/01/23 21:45
いいところに気がついた。 私のHNを良く診てみなさい。 「#」だよ。
770 :
考える名無しさん :03/01/23 21:54
>アズマの議論は、言ってみれば、 >「デリダ――フロイトによって、精神分析(ラカン)を救う」 >を当初の目標としていた、と(乱暴に)整理できるだろう。 >しかし、「ラカンによってラカン(精神分析)を救う」 >ことはまったく考えられていない。 そりゃデリダ論だからな(笑 なんでもラカンが主役じゃなきゃ気が済まないらしいね
771 :
考える名無しさん# :03/01/23 21:54
あれだけデリダをコンスタティヴに語りなおす男が、 彼の取り上げるラカンが「制度的な」ものである、 ということを、なぜ「注」でしか言うことができないのか? (デリダはテクストの注についてなんといった?) その抵抗について考えてみるべきだろう。
772 :
考える名無しさん# :03/01/23 21:56
結局あの本はパフォーマティヴな意味で「ラカン論」だったわけだよ。
773 :
考える名無しさん :03/01/23 22:01
「アズマ」も例のハイデガー・動物論を東大出版のおフランスなあの人が編集してる 教科書に提供せずに素直に「あの本」に入れておけば「考える名無しさん#」のような 不毛な批判に突っつきまわされることもなかったのだろうが・・・
「考える名無しさん#」の
>>738 にたいする反応をみると、
ああ、ナチズムってこういうふうに発生したんだ、と妙に納得するよ
775 :
考える名無しさん :03/01/23 22:10
ちょっとまてお前ら、ここはラカンスレだろ。
776 :
考える名無しさん :03/01/23 22:11
777 :
考える名無しさん :03/01/23 22:24
>>763 >著者があれだけクドクドと念を押して「これはあくまでもラカンの制度的
>受容について乱暴に図式化したものです」と言ってるのに、
これが厭。
「これはあくまでもデカルトの伝統的受容について乱暴に図式化したもの
です」と断ったデカルト批判をまじめに読む気がするか?
東の身の丈にあわせたデリダの身の丈に合わせたラカンなんて、なにも
のこらないでしょ。
デリダがラカンをあの程度で見切ったと考えるのは、デリダにたいして
失礼。
778 :
考える名無しさん :03/01/23 22:30
779 :
考える名無しさん :03/01/23 22:43
>>778 営業ご苦労様。
示されていないと思いますよ。
というか、そんなに親切に読みこんでやるもんか。(w
780 :
考える名無しさん :03/01/23 22:45
著しく感情的な拒絶反応
781 :
考える名無しさん# :03/01/23 22:54
>>777 そう、それがアズマの抵抗だと私は言いたいのだ。
なるほど
>>778 の本では確かにラカンの可能性を読んでいる。
そのほかにも、アズマの文章では、
「存在論的〜から遠く離れて」など、理論的には
デリダというよりはラカンに依拠している部分が大きい。
ならば、なぜアズマはそれを(事実上の)主著に書かなかったのか?
「デリダ論だから」という回答はここでは無効だ。
>デリダがラカンをあの程度で見切ったと考えるのは、デリダにたいして
>失礼。
この文が言い尽くしている。
782 :
考える名無しさん :03/01/23 22:56
783 :
考える名無しさん :03/01/23 22:57
784 :
考える名無しさん :03/01/23 23:14
>>778 の本におさめられた論文は、簡潔に言えばハイデガーのナチ性についての批判である。
曰く、ラカンの理論はハイデガーに拠っており、間接的なハイデガー批判として
ラカン批判を試みているわけだが
785 :
考える名無しさん :03/01/23 23:30
人はしばしば性交を究極の欲望と見なしますが、それは 何とも不幸な錯覚だと私は考えます。これはとてもラカン的だと いうことも出来ると思いますが、これが不幸な勘違いかどうか教えて ください。
786 :
考える名無しさん :03/01/23 23:33
フロイトが性器性欲以外を「倒錯的」とよんだのは、 それが子どもを生む、という目的がないから、という理由だけだよ。 だから、性器性欲もある意味で倒錯的なわけだ。 そのへんをラディカルにやると岸田になる。
787 :
考える名無しさん :03/01/23 23:50
785です。 けっく私は不幸な勘違いをしているのでしょうか。 「だから」の意味、わたくしには不明です。 なお、ものぐさ氏は、どうもそれほどラディカルではないのではないかと。
788 :
考える名無しさん :03/01/24 01:31
不幸な錯覚だとラカンも考えたからこそ「性関係は無い」との言葉も出てきたのでは。 性器性欲が倒錯と違うのは、そのつながら無さ故であり、倒錯(代表的にはフェティッシュ) は逆に繋がっていると想像しているところに有ると思います。785さんの疑問は男根 を倒錯的に使うこと(発達論的に言う男根期の様相)と、この無を中心にして、 前性器期的な衝動を巡らせ昇華していくこととの区別が不鮮明なところから来るので はとも考えますが。しかし、何がそれほど「不幸」なのですか。
789 :
考える名無しさん :03/01/24 01:36
788です。追加。無を中心に前性器的な衝動を巡らす・・というのが性器性愛と考えてます。
790 :
考える名無しさん :03/01/24 01:39
ほんとうは求めているものはそこにはないのに、そこにこそあると 思うその錯覚は不幸ではないのか、と思うのです。 主観的にはあのねばねばした感じが不快なのだと思えるのですが・・・
791 :
考える名無しさん :03/01/24 02:39
人間がそういう不幸、分裂においてある、というのはラカンも結局言ってることでしょう。 どうやら、790さんの「不幸」と「不快」は違うようですね。「ねばねば」した 「不快」な感じこそは、その「不幸」を見ないためのベールとしての対象a(便?)のよう に思えます。
792 :
考える名無しさん :03/01/24 14:05
790です。ありがとう。主観的には、といったのは、まさに、 それが真の理由でないと一方ではわかっているからでした。
793 :
考える名無しさん# :03/01/27 23:23
>>788 >不幸な錯覚だとラカンも考えたからこそ「性関係は無い」との言葉も出てきたのでは。
>性器性欲が倒錯と違うのは、そのつながら無さ故であり、倒錯(代表的にはフェティッシュ)
>は逆に繋がっていると想像しているところに有ると思います。
おおむねそれでラカン的には正しいと思うが。
われわれは性器性欲によっても「つながっている」と想像していると思う。
だから、性器性欲であっても倒錯的でありうるわけだ。
セックスのときに、男女ともに「イク、イク」というが、
ラカン的に言えばあの発話の「イク」の意味(欲望の対象)は
男女で違っている。だからこそ、ラカンは性関係は存在せず、
男女は出会おうとして出会い損ねる、と言ったのだ。
しかしわれわれは、出会い損ねをしっていても、常に出会おうとするし、
つながっていると想像する。
そういう意味で
>>785 は全面的に正しいといえる。
>>786 もフロイト読解としてはいい線だ。
ところで東バカはもう来ないのか(笑)
794 :
考える名無しさん :03/02/07 23:08
アゲ
795 :
考える名無しさん :03/02/08 12:51
環ですが、何か?
797 :
考える名無しさん :03/02/08 14:12
>>環 環んなら、2ch来るかもしれないね(ワラ でも、いっとくけど、このスレには君よりレヴェル高い ラカニアンがたくさんいるから、君は洋梨だよ。
つーか、タマキンは蝉寝るだろ
799 :
考える名無しさん :03/02/16 18:32
800 :
考える名無しさん# :03/02/16 18:57
まぁ800ゲットなわけだが。
801 :
考える名無しさん :03/02/25 15:15
mage
802 :
考える名無しさん :03/02/25 19:10
面白そうな新刊出てるよ。 『リアルの倫理――カントとラカン』 アレンカ・ジュパンチッチ著 富樫剛(とがし・ごう)訳 河出書房新社 本体3500円 20cm 328p 4-309-24281-2 / 2003.02 『ラカンと政治的なもの』 ヤニス・スタヴラカキス著 有賀誠(ありが・まこと)訳 吉夏社 本体3000円 20cm 350p 4-907758-10-3 / 2003.02
よくでるなあ どこの国の人ですかね。 中東の名前っぽい気がする。
ギリシア人らしい>スタヴラカキス かなり若い
ジュパンチッチは、ミレール=ジジェク系ラカン派の一人だよね
ジュパンチッチは東と5つしか違わないと東スレに書いてあったな。ってことは両方とも若いんだな。 ところでどこでそんな新刊の情報を仕入れてるんだ?
807 :
考える名無しさん :03/02/26 21:31
ジジェクの帯文最高
808 :
考える名無しさん :03/02/26 22:32
809 :
考える名無しさん :03/02/27 10:30
802の新刊読んだ人。 感想希望。
810 :
考える名無しさん :03/03/03 21:43
age
811 :
考える名無しさん :03/03/03 21:47
ラカンとバタイユの関係を教えて下さい。
812 :
考える名無しさん :03/03/03 21:56
813 :
考える名無しさん :03/03/04 01:59
ところで、ラカン関係で日本人の書いた本って、絶版がおおいよね。 佐々木孝次『甦るフロイト思想』とか。 どうなのかね。売れなかっただけなのか、評価がわるかったのか。
私は今年度は転移と、その主観的相違を扱うことをみなさんにお知らせしました。 その用語は、私が簡単に選ぶことのできた用語ではありません。 その用語は第一に諸主体間の非対称性のシンプルな概念より遠くへ行ってしまうものです。 間主観性は転移を伴うことによって、彼自身がそのなかに定着させる現象の枠組みを 提供しているだけであるという考えに対して、 もし私が転移はその原理であるという風に言ったなら、 その用語をタイトルにすることは気取っていることですらあるでしょうか? 言語体によれば、いくぶん便利な言葉があります。 それは「妙な=ペアでない impair」用語<odd 奇数、妙な oddity 風変わり、変人>です。 転移の主観的相違と、「妙な=ペアでない impair」を第一義に構成しているもの。 私はそれら二つを等価なものとして見いだしました。
815 :
考える名無しさん :03/03/04 21:53
ラカン自体がインチキだから、 ラカン関係の本が絶版になるのは当然だろうが。 いつまでラカンをありがたがっているんだ?
817 :
考える名無しさん :03/03/04 22:19
>>811 バタイユの奥さんで女優だったシルビア・バタイユと、
ラカンは結婚しました。
818 :
考える名無しさん :03/03/04 22:24
インチキなの? 精神分析自体がインチキ学問ってこと?
819 :
考える名無しさん :03/03/04 22:27
>>818 人がいんちきだといっただけで不安にある
お前は間違いなくいんちき。
820 :
考える名無しさん :03/03/04 22:38
何でお前が怒るんだよ ちなみに別に不安にあってない。(どうでもいから) ただ、それを一生懸命勉強している人が、疑問を突きつけられただけで、感情的になるとしたら、それが教義であり、宗教である証拠。
821 :
考える名無しさん :03/03/04 22:43
822 :
考える名無しさん :03/03/05 04:31
824 :
考える名無しさん :03/03/11 20:36
age
(^^)
826 :
考える名無しさん :03/03/13 12:37
827 :
考える名無しさん :03/03/15 04:37
なんでこんなに下がってるの?
828 :
考える名無しさん :03/03/15 05:34
829 :
考える名無しさん :03/03/16 02:56
830 :
「哲学的」者 :03/03/16 03:08
要約すれば 『俺は潜在意識の現象学的分析を通じてあんたの定律の根拠が見える』 あるいは『個人の思考は「目に見えない不可知の構造」に支配されているから おまえ達の言説は無効である』 という、「ルールの外に立って見る」特権を獲得しようとする試みは 『啓発的ではあるが、その牽強付会の方向性により(結論は)どうにでもなる』 という通則を免れるに至っていないではないのですか?
831 :
考える名無しさん :03/03/16 03:20
オナニーはなんできもちええのかなあ〜? 俺は小倉優子たんの、下着姿のレースのパンティーの割れめを触ってみたよ。。。萌え☆ピンク色の乳首をなめてみたよ。。。萌え☆
832 :
「哲学的」者 :03/03/16 03:24
Cafe Carthage に書いたばかりなので、 よければ参照してください。
833 :
考える名無しさん# :03/03/18 19:10
834 :
【論理的】議論の大原則【説得力】 :03/03/18 21:44
(1)はっきりと「主張」すること 表現上の曖昧さを取り除き、はっきりと結論を明示すること。 日本人によくありがちな「思う」を使うときは、自信の無いときと推測の時だけにすること。 (2)「根拠」を示すこと 議論において「根拠」は絶対に欠かせない構成要素です。 なぜならば、主張に「説得力を与える」役割があるからです。 主張と根拠の間に飛躍の起きないよう、”意見”と“事実”を混同せずに 「前提条件・因果関係・客観的事実など」を論理的に一つ一つ繋がりを持って 書き込めば書き込むほど説得力のある発言になります(ただし、余分なことは書かない)。 ゆえに、自分と違う意見を持っている相手を説得するためには「根拠」を徹底的に示すことです。
>>833 今は仕事が忙しくて参加できませんが、興味あります。
もし、移転したら、移転先のアドレス書いておいてくださいね。
それでは。
836 :
考える名無しさん :03/03/19 04:25
837 :
考える名無しさん :03/03/19 05:01
みんなさあ。 「知の欺瞞」読んだよねえ。 なんでラカンの話なんてしてるの?
839 :
考える名無しさん :03/03/19 05:42
840 :
考える名無しさん :03/03/19 06:57
841 :
考える名無しさん :03/03/19 23:00
842 :
考える名無しさん :03/03/21 00:53
843 :
考える名無しさん :03/03/25 18:29
age
>>837 (´,_ゝ`)プッ
ラカンの数学インチキ=ラカンの思想が全部インチキ
にはならないよ
( ´,_ゝ`)プッ
845 :
考える名無しさん :03/03/25 18:57
なんか、ラカン読んでるって、ユダヤ神秘主義とかそういうの読んでる 感じににてるな。おどろおどろした感じ。文献もちょー膨大で、 ラカンの自著がトーラーなら二次文献はタルムードか。 いかがわしさなんか好きだな。大恥かいてもいいから誰かラカンの数学 の議論は間違ってないとか、そういう議論やってほしいなあ。 がんばって欲しいものだ。
846 :
考える名無しさん :03/03/25 19:00
ラカンの新境地は宗教家にあったと思う。
847 :
ラカニアン :03/04/01 00:00
848 :
考える名無しさん :03/04/03 21:05
850 :
zion-ad :03/04/05 15:35
>>845 >大恥かいてもいいから誰かラカンの数学の議論は間違ってないとか、
>そういう議論やってほしいなあ。
これからやるところ。
藤田博史師のところに宣伝しといたんで、そっちからどうぞ。
851 :
考える名無しさん :03/04/05 15:38
まじっすか。ちょー期待します。
852 :
考える名無しさん :03/04/06 15:19
age
853 :
考える名無しさん :03/04/06 17:23
ある種の似顔絵のように思い切ってデフォルメし単純化し記号化するためだということ。分析性が何だというのか、それが共有できないものであるならば。
otisugi
855 :
考える名無しさん :03/04/15 16:54
ラカンを理解している人に聞きたい。 勃起性の器官が√ー1であるとはどういう意味ですか?
856 :
ラカニアン :03/04/15 17:51
「イデオロギーの崇高な対象」に書いてあるよ、それ。
857 :
考える名無しさん :03/04/15 17:53
愛(i)は虚数のようだ、というシャレがあったな
858 :
考える名無しさん :03/04/15 18:15
>>856 あなたには勃起性の器官が√ー1という意味がわかるんですか?
859 :
考える名無しさん :03/04/15 18:38
ひとつ聞きたい。 あんたら「知の欺瞞」で指摘されたラカンの欠陥については どう考えてるの? ラカンって、人を煙に巻く表現を多用しているわりに中身がない。 典型的なペテン師だと思えてしょうがないんだがなあ。
>>859 どこを縦読みすれば?
釣りだったらもう少し勉強しましょう
861 :
考える名無しさん :03/04/15 19:48
>>859 なんかその言い方だとラカンにちょっとは中身があるみたいだな。
862 :
考える名無しさん :03/04/15 20:08
La 缶
863 :
bloom :03/04/15 20:26
864 :
考える名無しさん :03/04/16 10:21
ラカンとドゥルーズ 相容れない・・・
865 :
考える名無しさん :03/04/16 10:38
ほら・・傘と聞いたら、ラカンが上がって来たでしょう? 条件反射です。
866 :
考える名無しさん :03/04/16 10:44
虚数をガウス平面にプロットするとなんの神秘性もない。 しかし美しい。
867 :
考える名無しさん :03/04/16 10:53
ファロスって、たぶん勃起性の器官そのものじゃないのよ。
868 :
考える名無しさん :03/04/16 11:10
La 缶 と 泥頭
869 :
考える名無しさん :03/04/16 11:14
ファロスは、小文字のaとむきあってると思われ。
870 :
考える名無しさん :03/04/16 16:36
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/Tmp/godin.html > 著者のラカンに対する一目惚は、多くの場合がそうであるように、ラカンのセミネールの場で生じた。
>「私が高等師範学校で出席していたこのセミネールは、魅力的であったし、今もって忘れ難いものであった。
>《私はそのセミネールの内容をまったく理解できなかった》。時に――希ではあるが――ある一節が私に
>語りかけ、その一節は私のためにこそ語られたかのように私は聴いたのである。そしてこの《理解不能性》は、
>私の足をそのセミネールから遠ざけさせるどころか、さらに私の関心を向けさせ、《私をとりこにした》」。
ワロタ
871 :
考える名無しさん :03/04/16 17:07
ラカンとハイデガーは似てるよね。 言ってることがさ。両方好きさ。
しかし、ドゥルーズとハイデガーは、 どこか似ている。
873 :
考える名無しさん :03/04/16 18:50
>>867 そのファロスが√ー1とはどういう意味ですか?
大文字の他者という実軸上には存在しない。。。と無責任に言ってみる。
875 :
考える名無しさん :03/04/17 02:08
あらゆる同一化からの解放の行き着く先って、なんだ? ミレー留は、日本ではまだ同一化作用が強いから精神分析は存在していないとか言ってるが、 掟も、理想とする自我からも解き放たれた人間って、怖くないか?
876 :
考える名無しさん :03/04/17 02:11
ある意味、それがファロスの定義かも。
877 :
考える名無しさん :03/04/17 07:09
>>874 「大文字の他者という実軸上には存在しない」というのが何故√−1なのですか?
何故√−2や√3や−2や1ではなく√−1なのですか?
(^^)
879 :
考える名無しさん :03/04/17 13:28
>877 ある特権的な「一」との参照から、差異が生じると考えるから2,3,4でなくて1。 −付きのルートなのは、通常「数えられる」次元にその「一」がないと考えるから。 どうしてそうなのかって、そう考えると言語や症状、フロイトの考えた精神分析理論を洗練された形(変な意味をくっつけた言葉を使わずに)で整理しやすくなるから。 ただそれだけ。あくまで「精神分析的」な考えであって、これに納得できなければ仕方ない。
数えられるものは、大文字の他者の上にあると思う。。
881 :
考える名無しさん :03/04/17 15:08
数とは何かとか考え出すと夜も寝られん。 ラカンの数式もどきのほうがまだ精神衛生によいと思われ。
882 :
考える名無しさん :03/04/17 17:13
数・・一定のルールに基づき操作可能なもの。
哲学やってる奴に数は定義できない。
884 :
考える名無しさん :03/04/17 18:19
ここではラカンによって変換された数学について論じている。 新しい言語ゲームなのです。数学そのものとは違う。
885 :
考える名無しさん :03/04/17 21:16
>>879 >ある特権的な「一」との参照から、差異が生じると考えるから2,3,4でなくて1。
>−付きのルートなのは、通常「数えられる」次元にその「一」がないと考えるから。
それなら√は不要で−1だけでいいんじゃないですか?
886 :
考える名無しさん :03/04/17 21:51
はあ〜。疲れる。
>887 「今日は4月18日。桜も散り始めて、少し残念だ」 この文章の中に「特権的な一」はない。もっと別の次元にある。 √-1は....-2,-1,0,1,2....の連続の中にはない。 もし「特権的な一」が「ある」といい始めたらシゾってるということだ。 「私の悪口をいっている”他人”がいる」とか。 これで分からないならいいよ。ラカンはあなたには無縁ということだ。 ソーカルとかあの辺の人たちは、ラカンが臨床経験ーフロイト理論に基づいてものを言っているのを無視している。 安永のファントム理論なんかソーカルにいわせれば噴飯ものなんだろうな。でも安永氏の奥さんは数学者(w
888 :
bloom :03/04/18 07:13
889 :
考える名無しさん :03/04/18 09:06
>>887 >ソーカルとかあの辺の人たちは、ラカンが臨床経験ーフロイト理論に基づいてものを言っているのを無視している。
つまり、ラカンの疑似数学は数学の論理に従ってないのだからそれに適っていなくても構わない、と。
ちなみに、√−1というのは下の数式によって導かれたものだそうです。
「
S(記号表現)
―――――― = s(言表されたもの)、 S = (-1) によって、 s = √-1 が得られる
s(記号内容)
」
ラカンが数学の論理を無視して、−1が数学上の−1の意味ではない記号にすぎないのなら、
どうして代数学の方法を使うことが許されるのですか?
おいおい、「数学の論理」が「−1が数学上の−1の意味」であるというのはどうかのう。 数学が数を対象にしていることと、論理的な正しさは本来無関係じゃと思うが。 「代数学の方法」とおっしゃるのは、正直なんのことやらよく判らん。sとかいう記号を使うことかのう? ちなみにラカン博士の例の式は、論理的にまちがっておるわけではないのう。 なんでs(記号内容)とs(言表されたもの)が同じなのかというと、それが固有名の機能を表そうとしておるからじゃ。 エクリを紐解いてみなされ。ソーカル先生はそのへんもふまえたうえでラカン博士をおちょくっていると、わしはふんでおる。 真の問題はラカン博士の記号の指示対象が何かということなのじゃ。
確かに、記号内容と言表されたものがイコールである、というのは よくわかりませんね・・。固有名の機能といわれても・・。もう少し くわしく教えていただけませんか? 言表されたものって何だっけ?
すみません。エクリが今、手許に見当たらないんで・・。
884が固有名として、それの記号内容(シニフェの訳じゃ)は「884さん」と呼びかけることに他ならないということかのう。 しかし分析哲学系の固有名理論の紹介はわしの手にあまるのう。 ラッセルのOn denotingあたりからマターリ勉強してくだされ。 しかしいつみてもエクリの訳はひどいのう。「知の欺瞞」よりこっちが問題じゃ。 フレーゲは最近、訳がでたのかのう。評判はどうなのじゃろう。
894 :
考える名無しさん :03/04/18 14:58
895 :
考える名無しさん :03/04/18 16:00
そういえば、ラカンはエクリで「心理主義が犯す人間を物化する罪にくらべれば、 物理学者の科学万能主義は軽い悪業にすぎない」(p217)といって、愚劣な効率 性の理想を掲げ、心理学的人間をでっちあげて、アメリカンなスカスカの心理学 主義に逃げ込む連中を告発しているね。 知の欺瞞というなら、ラカンが40年以上も前からやっている知の欺瞞批判を押さ えた上でやってくれないと面白くもなんともない。 デリダの面白さ、インパクトから目をソーカルに転じると、脱力してしまう。
>889 遅レスだが、古井戸氏の 数学が数を対象にしていることと、論理的な正しさは本来無関係じゃと思うが。 につきると思う。 =とか-とか+とかの記号は、ある「関係」を示す約束事な訳で、なにも1+1=2などという式にしか適用できないと言うことはないだろうに。 フレーゲがそう決めたから数学の世界でそう記すことになった。羅漢も「論理」に厳密であろうとして、その記号を使ったちゅうことでは。 895の言うとおりで、なんだか人生相談みたいな心理主義でなく、論理で心を語るところに、羅漢の斬新さがあったと思う。
897 :
考える名無しさん :03/04/18 17:36
>>890 √−1が数式で扱える数字であるならば、√−1は1の√−1倍として表すことができなければいけない。
例えば3mが1mの3倍として表せるように。√−1は何らかの単位の√−1倍として表すことができますか?
もし出来るとしたらその単位は何ですか? √−1が2√−1になると一体何が2倍になるんですか?
単位はない。 2倍にもできない。そういう操作は意味がない。 心の構造を「論理」て解き明かすことがみそなのであって、なにも「なんとか系における代数学」とかなんとかいう厳密な数学にしたてようとしたわけでない。 あなたの質問は、いま私にうかんだ「一つの想念」という表現に対し、その「一」の単位は何ですかと問うているのに等しい(厳密には違うが)。
数学的に言うなら、I自体が虚数軸の単位だよ。実数軸と虚数軸は直交 してる。ラカンは、実数軸を大文字の他者、虚数軸を小文字の他者、 1を主体、Iを自我(ファロス)に見たてて遊んでみたのじゃないかな? 実を言うと、ケムに巻くこと、謎めいてあることを精神分析のひとつの 実践だ、とラカンは考えていたと思う。色々と突っ込まれるのはラカンの 技量がまだ足らなくて、数学の言葉を利用してケムに巻くことがうまく いかなかったせいだと思う。あるいは当時の聴講者たちは数学にさほど 通じてなかったので、そのレベルではこれ位で十分と考えたのかも知れない。
900 :
考える名無しさん :03/04/18 20:55
「ラカンを擁護する人たちがこれらの批判に対抗するときに使いたがる戦略を「でもなく・でもない」方式と よぶことができる。これらの著作は科学として評価されるべきでもなく、哲学として評価されるべきでもなく、 詩として評価されるべきでもなく、・・・でもない。こうなると現世的神秘主義というほかないものにつきあ わされていることになる。これらの言説は、理性に訴えかけることなしに、純粋に美意識ではない精神作用を 作り出そうとしているから、神秘主義なのであり、文化的に参照しているもの(カント、ヘーゲル、マルクス、 フロイト、数学、現代文学・・・)が伝統的宗教となんら関係なく、当世の読者に受けるものだから現世的な のだ。さらに、時が経つにつれ、ラカンの著作は、言葉遊びと断片化された統辞法をないまぜにすることで、 ますます判じ物めいてきた。これは多くの聖典に共通する特性である。そしてこれらのテクストが、弟子たち による敬虔なる教義解釈の基礎となっていくのだ。こう見てくると、つまるところ、われわれは新たな宗教を 相手にしているのではないかと疑っていいようだ。」
確かに精神分析と宗教との関係はある。というより、ラカンの精神分析は 神なき時代に、かってのキリスト教の告白の制度を再現せしめようとして いるのではないか? 神なきゆえにラカンは新たな神=父の場所を創り出 さねばならず、それゆえ多くの謎めいた言説や数学的煙幕を駆使して、 分析者を超越した立場に置くことが緊急の課題であった。
903 :
考える名無しさん :03/04/18 21:25
ラカンはメタ言語がないことに接触したメタ言語のリミットなのよ
「人の世は夢のように儚い」というのが宗教家の語ることだとすれば、ラカン博士の語りはそこから最も遠い場所に位置付けられよう。 講義録の巻の十一を紐解いてみなされ。そこでは、精神分析は現実的なものにふれなければならないということが説かれておるのぢゃ。 しかしラカン博士は神学議論一般を避けておるわけではないし、三位一体の教義や聖トマス、アウグスティヌスもとりあげておるがのう。 アウグスティヌスなぞ今読んでも当然おもしろいし、近頃の大学人がカトリックの教義をそんなにバカにしてはいかんのう。 なにごとも勉強ぢゃ。
905 :
考える名無しさん :03/04/19 09:58
>>904 >講義録の巻の十一を紐解いてみなされ。そこでは、精神分析は現実的なものにふれなければならないということが説かれておるのぢゃ。
精神分析は「一つの想念」に過ぎないと、今さっき誰かが書いたばかりですが。
900はレザンジェのコピペ?
907 :
考える名無しさん :03/04/19 10:39
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
909 :
考える名無しさん :03/04/20 20:00
パート3 めちゃめちゃにしてやるぜ。
911 :
考える名無しさん :03/04/22 23:26
朝日カルチャーセンターで、 財●理が「盗まれた手紙のゼミナール」の 完全読解をしているね。
ドゥルーズの人かと思ってた。
913 :
考える名無しさん :03/05/01 23:15
ところで、「対象a」って何?
914 :
考える名無しさん :03/05/01 23:16
同感です(^^) 今でこそ細かな使い勝手では定評の・・・
915 :
考える名無しさん :03/05/02 12:51
ところで、「想像的なものの排除」(by 斎藤環)って何よ?
>>915 それは2chねらーのようなものの排除という事だろう
(想像的で妄想的なもの)
w
917 :
Dr.ジャッカル ◆LAWhF8CqAA :03/05/03 01:10
翔帰って来い!!
918 :
考える名無しさん :03/05/03 01:17
ラカンなんてサギ師だろ
919 :
zion-ad :03/05/03 01:35
>>918 ラカンなんてサギ師だろ
詐欺師後継者はここにいる。
グローバリズム終了別室〜13〜神ぐれー自作汁!
http://news3.2ch.net/test/read.cgi/news2/1051639498/l50 "慈恩公国の合従連衡−闇の旗保険"
http://www3.to/zion-ad 洗練されてるほうは、中沢新一ってことで。
とにかく抑圧解除。いまは言いたいことを言って、内圧を下げて準備と。
なんの準備か、藤原肇攻略戦。攻城戦にならんな。
長沼伸一郎のところは、あそこのはまるごと欲しいが、
藤原肇は、彼自身すらでさえなく、彼の死体の抜け殻、生霊なしぐらいしか、
価値がないからな。逆手に、敵側の駒としてはやっかい。
官僚は立派であるべきだのママゴトの主張者だから。
エリートはこうすべきだ、リーダーはこうすべきだの
政治家でなはない、下僕ではない、エリートやリーダーを
下僕にしようとしやがるからな。
俺は敵意を剥き出しにする。でも、場所をずらして。
920 :
考える名無しさん :03/05/03 23:14
「否定神学」なるものを、誰か、いっちばんわかりやすく説明してくで!! 単純であればあるほどイイ!! 一応、俺にとって「否定神学」のイメージを。 ↓ 空しさほど人を熱くさせるものはない。 こんな感じ(イメージ)
921 :
考える名無しさん :03/05/03 23:16
20代OLです毎日上司のセクハラや通勤電車での痴漢でストレスがたまっていた
そのときにネットで見つけたアダルトDVDショップ以前からオナニー用にDVD
が欲しかったのですぐ注文しました、とても安くてびっくりしましたが次の日には
もう届きました私が買ったのは、オナニー、レズ、レイプです毎日オナニーしてま
す。
http://www.net-de-dvd.com/
ほどほどにね。
924 :
考える名無しさん :03/05/04 01:30
否定神学:あるわきゃねえと考えてみるアプローチ 例えば「哲学をやってるオレはエラい」 「論理学を学べば思考が論理的になる」などの 虚妄が見えてくる。
925 :
zion-ad :03/05/04 08:36
>>920 線が見える。境が見えないから見える。線。これが否定神学。
926 :
考える名無しさん :03/05/04 08:39
へえー
927 :
zion-ad :03/05/04 08:58
>>926 へえー
もちろん俺の勝手解釈なので、本当のとこは先生に聞いてね。
< へえー >
背景色と文字色の境目。そこを視てたりする。
クッキーの金型がパン生地素材を分離する。文字部と背景部に。
金型の強さが視線。形(文字)認識が行われた。
あ、そうそう、先生が本当のところを知っていればね。
否定神学の先生なら知らないとは言わないと思う。
代わりに鳥居くぐりをするかな。< 形 >
本道を入って出たでは、入れて出してだけ。
壷の窪みが平面に見えたらなんにもなくなっちゃう。
でも、鳥居をくぐって、石畳の本道から戻るのでなく、
くぐったあとに脇から戻ってまた鳥居をくぐると、
なんとなく鳥居の柱が存在することがわかってくる。
でも、柱の表側、周りを廻っているものにとっての表面しか見えなくて、
裏側は見えないんだけど、きっとそこに立体の構造物はあるし、
∞の運動で二本の柱を廻れば、きっと2本の柱は同時に空間内に
存在するだろうな。と、思い込めてくる。周回数が多ければ多いほど、
速ければ速いほど。
知っているとは答えない代わりに。
928 :
考える名無しさん :03/05/05 16:20
言葉遊び以外の何物でもない。
929 :
考える名無しさん :03/05/05 21:55
宮台真司の言う「サイファ」だよ(=対象a)
930 :
考える名無しさん :03/05/08 23:21
うそつけ
<アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)←脳の機能的疾患(遺伝が要因)>
http://www.autism.jp/l-02-03-aspe3.htm http://www3.ocv.ne.jp/~cochome/kaisetsu.htm#chigai http://www.geocities.co.jp/Beautycare/5917/as/ ●接し方のルールがわからず無邪気に周囲の人に対して迷惑なことをしてしまうこと
がある。人を傷つけるということには鈍感です。年配の先生に向かって「おばあさん
先生おはようございます」と明るい大声で挨拶する生徒もいる。こういった言動をす
る場合にも彼らには悪意はない。
●小さな声でひとり言を言ったり、考えていることを声に出して言うことがある。
●融通が利かないことも学校生活で問題になる。時間割の変更や突然の教師の欠勤と
いう事態で不安を感じたりかんしゃくをおこしたりする。あまりに規則に厳格なため
に、遅刻した同級生に延々と注意をしたり、修学旅行などで消灯時間をかたくなに守
り、他の生徒の顰蹙をかったりすることがある。
●行動・興味・活動のパターンが貧困で反復常同的なことも自閉症の特徴である。すな
わち、日常の活動の様々な面にわたって柔軟性のないルーティン(決まった手順や日課)
を押しつける傾向、これを慣れ親しんでいる習慣や遊びのパターンだけでなく、たいてい
は新しい活動にも押しつける。そしてルーティンや個人的な環境の細部の変化(家の中の
置物や家具の移動によるなど)に対する抵抗がみられることがある。
●揺れる木の葉を見続ける子どもは興味のレパートリーが狭いとも言え、視覚的な敏感さ
があるといっても良い。
●精神遅滞を伴うものと伴わないもので大きく分かれる。100%果汁のオレンジジュー
スを思い浮かべてください。それにだんだん水を加えて薄めて行くと終いには水にごく近
くなる。一口飲んで「オレンジジュースだ!」とわかるものは自閉症、水に近いけれどな
にかオレンジの味が混じっているのがアスペや高機能・・。その濃度はさまざま。濃いオ
レンジジュースであったとしても早期の療育や周りの対応によって水に近づいていくこと
は可能。しかし間違えてはいけないのはオレンジジュースが一滴でも落ちている場合は
「純粋な水」にはなれないのです。
シツモーン ! パラノとビスケとどっちがツオイですか?
>>932 パラノ。さらにツオイのがスキゾ。スキゾマンセー
神経症的自我とは、もともと統一のない自我であり、統一という問題がそこから 排除されるような自我である。たしかに正常な人格においても、自我と他者との 弁証法は、自我の無意識的動機と自我の意識的動作とのたえざる葛藤であり、し かもこの葛藤は、自己の統一をたえず危機にさらす他者との間で、さらにその緊 張の度を増し加えている。けれども正常な自我は、そうした危険と不安定に耐え、 彼が現にある状態とあるべき状態とに一致して、己の人物と役割とを選ぶのであ り、かかる両義性から出発して、己の理想である存在を自分に提示するのである。 ところが神経症者の自我は、自己自身の統一と理想にむけて、自己と他者の弁証 法がはらむこのような両義性と不安定とを克服することができないために、自己 であると同時に他者であることをみずから自己に許してしまうのである。 そしてまさしくここに、神経症的自我の演劇的本質がある。 神経症者の実存の演ずる詭計はかれ自身の存在のこの二重性に対応し、神経症 者の弄する詐術はかれ自身の自我のかかる二重登録(ふたごころ)に呼応してい る。神経症とは、己の不真実性(自己の二重性)を空想的な演劇性(遊戯性)の うちで一挙に真実性(自己との一致)に転換しようとする無意識の詐術である。 神経症者の実存は一つの舞台の絶対の演劇性に捧げられており、その舞台では実 存の種々の悲喜劇が演じられている。(略)神経症者の症候論のすべては、彼ら の実体のない見せかけ、突飛さと過激、その戯画的な反応と恐喝に還元される。 言いかえるならば、かれらの自我がその不誠実さとともに自己自身にたいしてと るところの、その危うげで芝居じみた態度に還元されるのである。神経症的行動 の錯綜、防衛の戦略と権謀術数は、自我がそこで姿を消す迷宮である。(略)
神経症者の自我は、自己との一致(誠実)を誰よりも深く求めているのに、
己の深みから真実の願い(不安・恐怖)が立ち現れようとすると、己の自己性
を脅かす異形のものと見て、ただちにこれを自分の外に締め出してしまう。神
経症者の自我のふところで生まれながらも彼自身の存在の一部として承認され
ることのないこの異形のものは、あたかも見捨てられた私生児のように、己の
存在の承認を求めて神経症者の自我にとりつき、すがりつく。自我の歴史性か
ら締め出されたこの異物は、哀れにも他者性の仮面の下で演じられるその偽り
の物語りを通じて、自己の存在を空しく誇示する。(略)このように、神経症
とはもともと自己の隠れた願望を否認しようとする力とこれを承認させようと
する力の戦いであるが、神経症的自我は己の願望と不安をすべて己の偽りの他
者のうえに押しつけているため、その戦いは、自我の歴史と「他者」の物語と
の間の葛藤という形をとるのである。
(山口 泰「心の探求」文化書房博文社1990 p168-70 ルビ等省略)
http://note2.nifty.com/cgi-bin/note.cgi?u=ICF13700&n=5&p=1
山口 泰 × 山口 泰司 ○
937 :
考える名無しさん :03/05/14 21:54
カフェ・藤田が大変だぞ
永久に進行を止めたウェブ日記「八本脚の蝶」という神経症の物語は、 自己の存在を空しく誇示するいくつかの眼差しとともに、 いまやリアルタイムで生成され続ける、「カフェフジタ」という 神経症の物語へと引き継がれたのである。
939 :
考える名無しさん :03/05/15 07:06
>>937 またかい。
自殺した人に関する議論で混乱・閉鎖になった
掲示板のひとたちを自分の掲示板に誘導して、
手がつけられなくなってる。
あげくの果てに自分のセミナーに勧誘して、
ひとの死を集客に利用する卑劣漢よばわり
されている。
騒ぎを起こしてひとを引っ張るのは彼の
常套手段だけど、今回はどうもね。
940 :
zion-ad :03/05/15 11:05
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
944 :
考える名無しさん :03/06/06 01:43
山ア渉をラカン的に分析せよ。
945 :
考える名無しさん :03/06/09 23:03
マスコミの盗聴、盗撮は許されるのか?
http://natto.2ch.net/mass/kako/974/974478132.html 489 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/04/11(水) 17:25
一般人なのに盗聴される、じゃなくて、「一般人だから盗聴される」んじゃないのかな?
基本的にネタ集めのためにやってんなら、有名人のネタを盗むと、有名人は告発できるし、
そんなことされても当たり前だと思われるので告発しても信じてもらえる。
そうでない人は、ここの途中の書き込みにもあったように「電波」扱いされるだけ。
ただで、ネタを仕入れるんなら、一般人に限るでしょう。
マスコミは自分らの無能さを恥じてほしいです。
ちなみに私が盗聴されはじめたのは、芸能人にストーカーされ始めてからでした。
そこからマスコミに広がって行った。
だから余計「妄想」とか思われそう。
友人に話したら完全に病気扱いされた。ストーカーって言葉がない時代だったしね。
書いておいておいた小説のネタが、他人の原作でドラマ化されたときにはきれまくっ
たなあ。(一度や二度のことじゃないけど)
壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁璧壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁 壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁壁
947 :
考える名無しさん :03/06/28 12:12
ぬりかべくん こんにちは
948 :
考える名無しさん :03/06/29 16:47
>>417 関係ないが、「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」のせいで、
チンパンジーが自己鏡映像による自己認知ができないと思ってる人、多そうだな……
テナガザルを除く類人猿ならできるみたい。
サルにはちょっと無理(というか行動の解釈が難しい)。
鏡像段階と自己鏡映像認知とは、まったく無関係だから別にいいけど。
>>527 現代思想の冒険者たちシリーズの福原泰平『ラカン』、
シニフィアン/シニフィエの誤りは、第4刷では直ってました。
>鏡像段階と自己鏡映像認知とは、まったく無関係だから別にいいけど。 「まったく」は言いすぎだった。
950 :
考える名無しさん :03/06/29 16:52
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
953 :
zion-ad :03/07/17 00:02
954 :
zion-ad :03/07/17 01:54
「幻想が表層的」に「なる」のは 主体の問題であって、文化一般には当てはまらない。 てゆーか文化にとって最初から表層は幻想(「である」)だったりする。 例えば日本だと吉本の『共同幻想論』以降 こんな話は色々な議論になってる筈なんだけど。 要するに元々面の議論を点で捉えていることがおかしいと思われ。 ラカン云々以前の問題です。
想像界、象徴界についてもやっぱり間違ってる?
958 :
考える名無しさん :03/08/13 14:30
ラカンの理論はフロイトのテクストを正しく再解釈したものであるなら 正確にはラカンの理論なるものは存在しないのでは?
959 :
お気に入り集 ☆http://beauty.h.fc2.com/ :03/08/13 16:50
960 :
考える名無しさん :03/08/18 05:40
900過ぎたあたりからまったりなわけだが。 そろそろ次スレの頃合いかな。
961 :
zion-ad :03/08/18 21:50
962 :
考える名無しさん :03/08/30 22:26
呆れ臼と亀と依存症
例えば、ラカンの「哲学的」特徴は (1)カントの「物自体」にこだわっていた (2)言語自体の不透明性を強調していた (3)広がっていく無限と収束する無限の差異を主張していた にあるでしょう。 少なくともこの3点は、 ポスト構造主義とラカンの比較のポイントに なっています。
見てくれたかな?>シャープの人
ここじゃ小此木啓吾が死んでも反応なしだよな、普通
968 :
考える名無しさん :03/09/23 00:49
俺はショック受けたぞ。
どうでもいい
970 :
考える名無しさん :03/09/24 03:37
ラカン派の分析は分析家の殺人を止める事はできない。
971 :
考える名無しさん :03/10/03 01:13
ラカンに限らず、自殺もとめられませんね。 分析を理論として「もつ」のでなく、「分析しつつ生きる」という方にもっていくのは難しいのでせう。
972 :
考える名無しさん :03/10/03 01:23
ラカン狂信者は氏ね
973 :
考える名無しさん :03/10/04 21:02
せっかく2chなんだから「恋愛誤診」の事件、分析してよ。 既出?
974 :
考える名無しさん :03/10/09 21:28
なに?恋愛誤診って?
975 :
考える名無しさん :03/10/09 21:35
治療者が患者に愛されていると不可疑的に妄信すること。
976 :
考える名無しさん :03/10/09 21:57
逆転移ってやつの事か?
『ジャック・ラカンの書―その説明のひとつの試み』の小笠原晋也氏のことだよん。
大学時代や、ラカン派のもとでの留学生活時代の苦労をともにしながら、二人の子供
をつくった最愛の初めの奥さんがガンで死んだあと、再婚、離婚。
その後、クリニックにやってきた若く「美しい」患者と、恋愛関係になり、3度目の
婚約。しかし、その患者のさまざまな妄想を、一緒になって信じ込み、子供や父親などの
家族との関係が破綻していき、最期、その患者の「出ていく」という一言に思わず
絞殺。。。
ちなみに浅田彰は、その小笠原氏の行動はさておき、冒頭に挙げた本は、独自の訳語が
やはり無理があるといいつつも、かなり評価してた。
いま「ラカン」と「小笠原」でググッてみたら、
一番目にこんなのでてきた。
http://member.nifty.ne.jp/windyfield/diary0212a.html ライターが詳しく取材して書いてたのは『新潮45』だっけな、今年の9月号だよ。
「恋愛誤診」はその記事のタイトル。
さあ、分析してください!
>>971 で、どうや;れば「分析」できるのかききたいなあw
979 :
考える名無しさん :03/10/11 22:09
「分析」じゃなくても、 あの事件について、小笠原氏ら各登場人物の心理から詳しく説明してください。 やっぱりあんまり「理論」とは関係ない話でしたかな?
980 :
考える名無しさん :03/10/11 22:36
分析も何も、「バカだから」だろう。
>>979 その登場人物ひとりひとりの深層心理を探るのが「分析」でしょう。
それは「手段」として、長い時間をかけ、自由連想法やら夢やらを用いるのだと思われます。
というわけで、あなたの問いのたてかたが誤りだと思います。
982 :
考える名無しさん :
03/10/12 18:25 「新潮45」を読んだだけだがかなりの虚言癖のある女性にホレてしまい 振り回されたようだ。 「人格障害は存在しない」が持論の分析家が人格障害の女性によって 破滅させられたという事だろう。