ジャック・ラカンと精神分析part2

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230考える名無しさん
たしかラカンには、ヴィシー政権下にユダヤ系の奥さんの出生証明だか書類だか
を役所から盗み出したってエピソードがあったと思う。

そういうことをした位だからコジェーヴの蔵書くらい探しに行くかもね?
で、見つかったのかなあ…。
231227:02/05/09 05:29
それぐらいコジェーヴが難解であるという例え。
(でも、実際にそういう発言をしていた人は身近にいたよ)

実は、僕はヘーゲルはちゃんと読んでいないんだけど、
欲望の体系としての市民社会、という観点はどうなの?

精神分析の「欲望」とヘーゲル的な(経済的、社会的)「欲望」の違いがよくわからないのです。
232訂正:02/05/09 05:32
231に227は228の間違い。ゴメン。
>230
ナチの占領下では、そのラカンの行動は止むを得ないという気がします。

フロイトとヘーゲルを比べたコジェーヴの草稿は数枚しかみつからなかったので、
どうも、『精神現象学』が目当てだったということのようです。見つかったどうかは
書いてなかったように思います。(訳書の文章の流れでは見つからなかった感
じでしたが・・・。)

>ヴィシー政権下にユダヤ系の奥さんの出生証明だか書類だかを役所から盗み
>出したってエピソードがあったと思う。
奥さんがユダヤ系というのはコジェーヴと一緒ですね。
(他人の奥さんをとっているのも、それなのに、相手側に不思議に好意を持たれ
ているのも同じだな。「他者の欲望」?まさか(笑))

この奥さんというのは、例のバタイユの奥さんの事なんでしょうか?それとも、一
人目の奥さんなんでしょうか?
234名無し:02/05/09 07:15
浅田彰のラカン解説ってどこで読めるの?
235考える名無しさん:02/05/09 07:33
幸造と主税
>欲望の体系としての市民社会、という観点はどうなの?
>精神分析の「欲望」とヘーゲル的な(経済的、社会的)「欲望」の違いがよくわからないのです。

精神分析の「欲望」とヘーゲル的な「欲望」は別のものなのでしょうか?

精神分析そのものが、市民社会の成立によって生れている(経済的、
社会的でない人間の精神をあつかうのは少なくとも人間の精神分析
とは思われない)ので、扱いかたや表現の違いでは?という気もしま
す。

いそいで付け加えると、市民社会の成立によって生れているのはヘー
ゲル哲学自身もそうですし、扱いの違いを考えることが大切な事だと私
は思います。

といった、保留(前置き、言いわけ)だけで終わっても何なので、例えば、
こんなコジェーヴのヘーゲル解釈の一節はラカンに興味を持たれている
方からはどう読めるでしょうか?

「他者が欲するものを他者がそれを欲するが故に欲することが、人間的(欲望)なのである。」
(「ヘーゲル読解入門−『精神現象学を読む』」(国文社) P15)

「人間は空間における自己自身との永遠の同一性の中に存在する存在者ではなく、時間とし
て空間的存在の中で−この存在を否定することによって−いまだ存在せずいまだ無である観
念ないし理想(「企図」)から始まり、所与を否定し変貌させることによって−すなわち闘争と労
働(Kampf und Arbeit)の行動(Tat)と呼ばれる否定によって−無化する無である、」
(同、P63)
237230:02/05/09 23:40
>>233
調べなおしてみた。
福原泰平の『ラカン 鏡像段階』(講談社)によると、ユダヤ人の奥さんというのは
バタイユの元奥さんのシルヴィアのこと。彼女の母親がうかつにもシルヴィアをユ
ダヤ人だと申告してしまって、その書類をラカンが一人ゲシュタポの駐留施設に行
って取り戻してきた、らしい。で、シルヴィアとの間にのちにミレールの妻となる
ジュディエットが生まれるんだけど、この「ジュディエット」という名前は「ユダ
ヤ人の女」を意味して、さらに旧約聖書に出てくる侵略軍の司令官を殺したユダヤ
の英雄ユディットにもつながるらしい。なかなか挑発的な名前の付け方だよね。
をしている。
238233:02/05/10 00:45
>237
230さん、ありがとうございました。
239228:02/05/10 04:08
>ヘーゲル検定四級さん

なる!ヘーゲルとコジェーブがほんのり伝わって来ました。
ありがとです。

ラカンがそこから影響を大いに受けていることは明らからしいです、が...

で、そこからラカンが精神病とかの問題に何を持ち込んだのかって、実はよく解らないのです。ジジェクがよくするような社会科学化は、結局のところ臨床と乖離してしまうだろうし。

市民社会論と臨床とが全く乖離しているとは思はないけれど、ヘーゲルから精神病の何かが語れるというのでしょうか?
(ドイツの本家、ブランケンブルクですら、ヘーゲルへの言及は極めて少ない)

ヘーゲル検定四級さんの博識さについては尊重しているつもりですが、ラカンがなぜそれを臨床に持ち込んだのかが、私の知りたいポイントです。

240考える名無しさん:02/05/10 04:12
>>237 >>238
おまえらそんなこと調べて楽しいか?
241見物人:02/05/10 05:17
>240
下世話、煩い。
ボケか?おミャァー。
242227(ラカン初心者):02/05/10 10:43
>なる!ヘーゲルとコジェーブがほんのり伝わって来ました。
興味を持って頂いて、幸いです。

> ラカンが精神病とかの問題に何を持ち込んだのか
> ヘーゲルから精神病の何かが語れるというのでしょうか?
> ラカンがなぜそれを臨床に持ち込んだのか
239さんの問題提起は、ラカンがヘーゲル−コジェーヴの哲学から精神分析に

@何を
A何故

持込んだのか。ということのようです。

「何を」に関して、先に引用した箇所に則して言えば、「欲望とは他者の欲望である」、
とか「人間は存在する存在者ではなく無化する無だ。」といったロジック、レトリッ
クということではないでしょうか?

「何故か」は難しいですね。ラカンに聞いても教えてはくれなさそうですし、彼にも
分からないかもしれません。彼自身の精神分析が必要です。
ラカンの精神分析と言えば、 『ラカンの精神分析』新宮一成 (講談社現代新書)が思い
出されます。
同書からは、メラニー・クラインやアンナ・フロイトへの、ひいてはフロイト自身への
ラカンの抵抗という事も読み取れそうです。また、ラカンの講義への参加者が哲学志望
者だったことも無関係ではないのではないでしょうか?

臨床と哲学に関して言えば、それが、実践と理論という意味であれば、両方とも必要
なんだと思います。
2431だよ:02/05/12 22:33
>>226
>1のこの文体…
>これだからラカニアンてヤなんだよ。ブツブツ…

ぼくはラカニアンじゃないよ。ラカンの(日本語訳の)文体を
真似しただけ。

 ところでコジェーブですけど、当時のフランスにはヘーゲルの思想は
ほとんど伝わってなくて、そこでコジェーブが、非常にわかりやすく
ヘーゲルを講義したもんで、みんなビクーリしてしまったらしいよ。
 もちろん僕にとっては、コジェーブは難解だけどね。
244227:02/05/13 01:17
>ところでコジェーブですけど、当時のフランスにはヘーゲルの思想は
> ほとんど伝わってなくて、そこでコジェーブが、非常にわかりやすく
> ヘーゲルを講義したもんで、みんなビクーリしてしまったらしいよ。
「評伝アレクサンドル・コジェーヴ」(パピルス)によると、どうも、当時の
フランスのアカデミズムでは弁証法という用語すら警戒されていたよう
ですね。
で、アレクサンドル・コイレの代理ということで、いわば、無印で在野に
近い立場のコジェーヴが講義したということのようですね。その他に、
本人が非常に魅力的な人物ということもあるようです。

>もちろん僕にとっては、コジェーブは難解だけどね。
それは、ラカンにくらべてということでしょうか?
245ラカン検定落ち:02/05/13 02:23
ヘーゲルと精神病は難しいけど、ヘーゲルと神経症症状の関係ならなんとか。

精神分析が扱う「症状」は、それ自体「真理」の回帰であり、
神経症者はそれと気づかずに、症状行為を行うわけですが、
それは主体にとっての真理を明らかにしている点で、
単なる誤りとは「臨床的に」識別すべきものです。

こうした識別を行ったのは、ほかならぬマルクスであり
「彼らは自分たちのしていることを知らない」
という貨幣の流通についての定式化は、そのまま症状行為にあてはまると、
で、もちろんこうした思考の起源には、真理の問題を物質化し、
文字通り身体化して考えたヘーゲルがあるということかにゃ。
やっぱし難しいです。
246227:02/05/13 02:40
>245
>ラカン検定落ちさん。
明確な私へのレスというわけではないかもしれませんが、
レス、どうもありがとうございます。

>ヘーゲルと神経症症状
というのは、非常に興味深いですが、正直、私の手にあまります。
ただ、フロイト/無意識≒マルクス/下部構造、というのは首肯で
きました。

ラカンではないですが、私もコジェーヴによるフロイトとヘーゲルの
比較論文や「精神現象学」への書き込みが読みたくなってきました。
これも、また「他者の欲望」でしょうか?(笑
247考える名無しさん:02/05/13 02:52
岡本太郎はどうよ?(マジレス)
248227:02/05/13 03:18
>247
スレ違いになってすいません。

矢代梓「年表で読む二十世紀思想史」(講談社)の今村仁司の「はじめ
に」によると、コジェーヴの授業の履修者の名簿の中には、確かに岡本
太郎の名前もあるそうです。同時にアンドレ・ブルトンの名前もあるそう
なので、バタイユやカイヨワなどとともに、シュールレアリスト達のヘーゲ
ルやマルクスに対する関心がうかがわれます。ただし、今村氏は岡本や
ブルトンは「果たして出席したかどうかわからない。」と、述べています。
249247:02/05/13 03:58
>248
コジェーヴの講義をまとめたのが、
作家レーモン”地下鉄のザジ”クノー
というところがなぜか気になっている。
ダリ=ラカンコネクションといい、
あの時点でどういう知的環境があったのだろうか?
250227:02/05/13 10:27
たびたび、脇道の話題で、すいません。

>249
247さん。
お詳しい方のようなので、私の書く程度のことは、既にご存知かもしれ
ません。
>コジェーヴの講義をまとめたのが、作家レーモン”地下鉄のザジ”クノー
おっしゃっている、「コジェーヴの講義」というのは「ヘーゲル読解入門」
の事だと思います。

国文社の「ヘーゲル読解入門−『精神現象学を読む』」の訳者、上妻精
氏の解説によると、レイモン・クノーはシュールレアリズム運動や小説家、
詩人としての側面の他に、「しかし彼はまた哲学教授有資格者でもあり、
言語や数学の問題にも巾広い関心を寄せ、フランス数学者集団、N・ブ
ルバキの同人でもあり、」とあります。この哲学教授資格の取得のため
にパリにでた祭にコジェーヴの講義を聴講したということです。

>あの時点でどういう知的環境があったのだろうか?
とのことですが、コジェーヴの講義にはラカン以外にも、レイモン・アロン、
バタイユ、クロソウスキー、ヴァール、メルロ=ポンティ、ヴェール、カイヨワ
等、サルトルを除く大立て者のそろい踏みといった感があります。
バタイユや、カイヨワといった「社会学研究会」メンバーの当時の動向に
ついて興味がおありでしたら、「聖社会学 1937−1939パリ「社会学
研究会」の行動/言語のドキュマン」ドゥニ・オリエ編(工作舎)という本
があります。ナチズムの台頭という精神的緊張の中で、バタイユらが精
神分析や民俗学を含む「聖社会学」をいかにアクチュアルな問題として
捉えていたか分かって面白いです。
私自身は前にあげた、矢代梓「年表で読む二十世紀思想史」(講談社)
に教えられることが多いです。
251考える名無しさん:02/05/13 21:19
>>250
サルトルがコジェーブの講義に出ていなかったというのはホントですか?
なぜなんでしょう。
252227(ワキ道専門):02/05/13 21:58
>251
>サルトルがコジェーブの講義に出ていなかったというのはホントですか?

「ヘーゲル読解入門」(国文社)の解説にはサルトルも講義
をうけたように書いてありますが、「年表で読む二十世紀思
想史」(講談社)で今村仁司は「はじめに」でサルトルはうけ
ていないと書いています。

>なぜなんでしょう。
何故なんでしょうね?
サルトルは確かにこの講義の始まる前年の32年から一年
間、ベルリンのフランス学院で現象学を学んでいます。
コジェーヴの講義は1933年〜39年まで続いているので、最
初の一年出られなかったかったという事もあるのかもしれま
せんが、本当の事はわかりません。
ただ、サルトルはこの手の行動の常習で、前掲のベルリンへ
の留学の際も、フライブルクのフッサールやハイデガーを訪れ
たという記録はないそうです。もっともこちらの方はドイツ語が
どの程度できたかということと関係があるような気もします。
(哲学書は読めても日常会話は苦手ということは、大いにあり
得そうです。)
253考える名無しさん:02/05/13 22:13
すんません厨房質問なんですけど
コジェーヴのヘーゲル講議では「精神現象学」が中心なんですか?
「大論理学」とかはどうなんでしょう?
「精神現象学」はフランス人向きとも聞くので(主人と奴隷)
254227(ここがラカンスレなのは知っています):02/05/14 02:27
>253
>「精神現象学」はフランス人向きとも聞くので(主人と奴隷)
面白い意見ですね。どんな風にフランス人向きなのか教えて下さい。

>コジェーヴのヘーゲル講議では「精神現象学」が中心なんですか?
そうです。もともと、アレクサンドル・コイレの「宗教哲学」の代りの講師
として、講義をおこなったそうです。

>「大論理学」とかはどうなんでしょう?
手元にある「ヘーゲル読解入門」(国文社)の索引では、「大論理学」へ
の言及は7箇所ですね。

未読ですが、

概念・時間・言説 ヘーゲル改訂の試み
アレクサンドル・コジェーヴ著
三宅正純/根田隆平/安川慶治訳
2000法政大学出版局
初版 カバー 帯
\3,500

の方が、題名からして、「大論理学」をあつかっているかもしれません。
ご存知のかたがいらしたらお教え下さい。
255227(ここがラカンスレなのは知っています):02/05/14 02:35
>247
247さん
>あの時点でどういう知的環境があったのだろうか?
ご存知かもしれませんが、

http://members.aol.com/Hollyberry245/ithink/otros/surrealismo.html

というのもあります。ご参考まで。
256考える名無しさん:02/05/14 04:57
コジェーヴよりむしろイポリットが重要と言ってみるテスト
257227(ここがラカンスレなのは知っています):02/05/14 08:28
>256
>コジェーヴよりむしろイポリットが重要と言ってみるテスト
ヘーゲル研究という意味では、そのとおりかもしれませんよ。
ヘーゲルの文献学的研究は、コジェーヴのこの講義の後か
ら本格化しているので、コジェーヴ自身はその恩恵に浴して
いません。
浅田彰氏は、「コジェーヴと言えば誰でも思い出すのは、決
て正確とは言えない、しかし独特の歴史的緊迫感をもったヘ
ーゲル読解――とくに「歴史の終焉」についての解釈(アラン・
ブルームを通じてフランシス・フクヤマにまで影響することに
なる)だろう。」とおっしゃっておられます。
http://www.criticalspace.org/special/asada/020404.html

あと、ゴメンなさい。250からは抜けていますが、コジェーヴの
この講義には、J.イポリットも参加しています。(笑
258256:02/05/14 13:07
ラカンに関してね
259227:02/05/15 01:55
>258
256さん
>ラカンに関してね
ここがラカンスレなのは知っていますなどと言っておきながら、
ゴメンなさい。

260256:02/05/15 02:14
ごめんなさい。
からかったのではなく、
イポリットがラカンの現実の協力者だったことは重いのでは?
ということです。
261227(ラカニアンのみなさん、すいません):02/05/15 05:37
>260
256さん
そうでしたか。

からかわれたとは思わなかったのですが、その内、誰かにいいかげ
んにしろと怒られても仕方がないという気がしていたので、早とち
りして、ゴメンなさい。(やっぱり、哲学の横道というスレでも立
てたほうが良いのかもしれませんね。なんか道草ばかり、くってる
ようですいません。)

>イポリットがラカンの現実の協力者だったことは重いのでは?

「エクリ II」(弘文堂)には、「フロイトの《否定》(Verneinung)
に関するジャン・イポリットの評釈」がはいっていたはずですし、
セミネールにもレヴィストロースとちがって、出席しているので、
おっしゃるとおりのはずなのです。(イポリットの「ヘーゲル精神現
象学の生成と構造」(岩波書店)は皆が読んでいるかどうかはともか
く、基本書といわれています。)ただ、どうも、協力者という感じで
もなさそうな気がします。「エクリU」は未読なので、大きいことは
いえないのですが、『フロイトの技法論』(岩波書店)を読んだ限り
では、セミネールでのイポリットはラカンの引き立て役といった感じ
で、勢いこんで、哲学上の発言をしたり、フロイトの批判をしたりし
て、ラカンにいなされるというか、たしなめられるという場面が(と
いうか場面でのみ)印象に残っています。むろん、セミネール以外の
場所で、ヘーゲルについての示唆をうけている可能性は否定できませ
んし、単なる印象に過ぎませんが...。

イポリットはラカン派から出て、後にラカン派と対立する、ガダリの
盟友、ドゥルーズの先生でもあるので、むしろ、そちらでラカンと関
係しているのかもしれません。

無理にコジェーヴに結び付けると、ガダリがラカン派と対立し、ドゥ
ルーズと出会った、学生騒乱の1968年、コジェーヴが亡くなります。