伝説または逸話

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1あなたのうしろに名無しさんが・・・
なんかねーかよ?
2漣 ◆CqKwAumo :02/09/18 17:45
2ゲット。」
3げっつ
4あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/18 17:46
3?
5あなたのうしろに名無しさんが・・・ :02/09/18 17:49
スレッドの止めかた
名前欄:&rf&rusi&ran&ras&ran&rrlo
本文:真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ
メール欄・停止
6あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/18 17:54
スレタイに機種依存文字使ってる?
もしかして
7あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/18 17:54
やめんか。
8あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/18 18:08
要は「嗚呼!そうなの!?」的な雑学及びオカルティックな不思議なお話
を希望します
9語り部六 ◆1p9svnFc :02/09/18 18:10
私の友人は車に撥ね飛ばされた後に1回転してそのまま着地したと言う逸話があります。
どうも嘘みたいですw
10ロロ・トマツ:02/09/18 18:12
Hey you >>1!
Why fucking you are fucking builder of fucking thread?
11あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/18 18:13
FDを発明したのは、ドクター中松じゃないそうです。
12あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/18 18:18
>10
ケニアの方ですか?
13あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/19 01:17
もうちょっと!もうちょっと!
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1032362767/
14あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/19 01:20
俺の先輩が、飲み屋に5人で入り
ビール120本飲んで帰ってきたらしい。
ヒグマは最大時速60キロで走るらしい。常人では勝てない。
16あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/20 09:52
age
17あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/20 10:19
織姫星(琴座)のルーツを辿ると、中国の西王母になる。
(という説がある。)ちなみに、地球の歳差運動によって
西暦14000年頃には琴座のべガが北極星となる。
18あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/20 10:29
>>11
ドクター中松のアイディアは、磁気記録で音楽用のメディアを作ろう、
というものだったんでしょ?
19あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/20 10:49
スタッフはベラルーシへ飛んだ。

1976年のモントリオール・オリンピックであのコマネチと

人気を二分し、吉田拓郎(当時29歳)の胸をときめかせた

ネリー・キムさんは、現在45歳ながら

現役時代の面影を残す美しい御婦人だった!

街中に美人が多かったことから行きがけの駄賃で

『ベラルーシで世界一の美人』を捜すことに!
ttp://www.ntv.co.jp/daisousa/sosa07.html
20あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/20 11:16
盆踊りの始まりは、どこだかの坊さんの踊り念仏。
21あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/20 11:25
>>20
それ、日本史で勉強したyo!
>>21
学生じゃなくなって何年もすると、そんなことは
さらっと忘れちまうもんさ〜
(自分がそうだった・・・・・・・・・)
23あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/20 12:06
>>18
いや、それまではオープンリール形式だった
磁気メディアを、円盤状にすれば場所をとらないのでは?
という安易な発想。レコードを見ていて思いついたそうだす。
24あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/20 12:25
女の言う「ねぇ・・」を無視していいのは2回まで。
3回めまでやるとキレてえらいめにあう。
25あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/20 18:10
では、「サランラップ」の名前の由来について。

舞台はアメリカ。時は南北戦争が終結した頃。
戦いに疲れきった二人の兵士がいました。名前は忘れましたが、仮にトムとマイク
にしておきます。トムとマイクは戦いに疲れた体を癒すため、それぞれの奥さん
を伴ってピクニックに行く計画を立てました。
ピクニック当日になり天気は快晴となりました。そして昼になり、4人は昼食を
とることにしました。トムとマイクは食べ、驚きました。食べ物がとても新鮮
なのです。トムとマイクは二人の奥さんに「なぜだ?」と尋ねました。二人の
奥さんは「これを使ったのよ」とラップを二人に見せました。その時代サランラップ
は弾薬などを湿らさないように保管するために使われていただけで、名前もただの
「ラップ」でした。だからピクニックなどをしても食べる頃には野菜などはしなびて
いたのです。トムとマイクはこんな素晴らしい使い方があったのか、と驚き
二人の奥さんに敬意を表して、「サランラップ」と名づけたのです。
二人の奥さんの名前は「サラ」と「アン」でしたとさ。
26あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/20 22:47
age
27? ◆2TGiExxE :02/09/20 23:06
俺の伝説が聞きたいのか?

1よ。。
なんか黒岩省吾のウンチクみたいでいいなあ

↓ 「黒岩省吾全セリフ集」
ttp://akane.sakura.ne.jp/~korosuke/program/kuroiwa/kuroiwa.html
29あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/21 08:25
ageついでに。現在都道府県で「県」のついてないところは昔または現在政治の
中心になっていたからです。つまり北海道(幕末。旧幕府の開いた政府)、
京都府(大昔から天皇が政治を行なっていた)、大阪府(秀吉時代)、
東京(現在の首都)。
30あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/21 09:05
奈良はなぜダメなの?沖縄だって昔政府があったじゃない?
31あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/21 13:57
沖縄に政府らしきものがあった時代、沖縄は違う国として扱われていましたので関係
ないのよ。奈良は昔過ぎるから。
鎌倉・・・
そもそも道と府県とでは行政単位としてのレベルが違ったわけで。
34あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/21 15:53
70年代生まれの奴は上に闘うバブリー人種を持ち、
下にハジケタ刹那主義人種を持ち、間に挟まれて冷めてることが多い
35あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/21 17:48
1の伝説
奇妙なスレタイを付け、人にものを訊ねる言葉遣いも知らない
36あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/22 18:31
オーストリアに生まれたザッヘル・マゾッホは、女性からの被虐の
快感に陶酔する人物だったが、その体験を文学化して一躍ヨーロッパの
有名作家となった。
彼は、最初の妻に姦通され、妻とその男に全ての財産を持ち去られた。
しかも、彼女は離婚の証明書にサインしなかったため、2度目の妻と
正式に結婚できなかった。
彼の名前を元にドイツの性心理学者クラフト・エビング博士によって
性倒錯の症例として「マゾヒズム」と造語されてから、いかがわしい印象
を与えるようになり、彼の作家的名声はなくなった。

これがマゾの語源・・・真反対のサド侯爵は、本人が「地上からの痕跡」が
消え去る事を祈ったが「サディズム」と彼の作家的名声も充分に残ってしまった。
37あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/23 20:09
流れ星にお願い、大抵のヤツは3つ数えられない
自販機でジュースを買い、その場でゴクゴク飲むと、多少奇異な目で見られる。
39あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/24 09:08
内気で人付き合いの苦手な奴らの顔つきはとても似ている。
40あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/24 18:23
>35
気にすんな。そんなこと気にしてたら、2ちゃんなんかできねーだろ。
それにアホと思われるであろうから、気にすんな。
41あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/24 18:25


    は〜  そろそろはろうぃんですね〜
42あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/25 08:03
age
431:02/09/25 08:51
まだなんかねーかよ
44あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/25 08:53
1は女らしいよ
45あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/25 09:50
1900年頃、古代エジプトの王家の谷で『柩に触れた者には死が訪れる』と
呪の言葉を刻んだ石棺が発掘された。呪を無視して柩の蓋を開けると
中にはまるで生きているような美しい王女のミイラが眠っていた。
それは、イギリスに運ばれ大英博物館に展示された。
しかし、ミイラに触れたり、見学した人々が次々と不運や変死が続出したため
博物館はそれを地下室に封印した。
それから、十年ほど経った頃、アメリカのある博物館がその噂を聞き
この柩を引き取りたいと申し出て、ミイラはイギリスからニューヨークへ
向う船に運び込まれた。
その船の名前は、タイタニックといった。

・・・伝説と言うより与太話ですな。
46あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/25 17:54
>45
与太話って何?実話?
?は三流芸能人、しかもお笑い系。
48あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/25 22:50
おもろ揚げ
49あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/26 08:24
虎子
50あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/26 09:01
>46
http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/dict_search.cgi?MT=%CD%BF%C2%C0%CF%C3&sw=2

だが45の話は実話だったと思うのだが。
51? ◆2TGiExxE :02/09/26 11:30
>>47
そろそろ俺の伝説の話しをする時期が来たようだな。。

プロジェクトX的に話すか?
?はAV男優
53好爺:02/09/26 15:36
十字架上のキリストのわき腹をついたロンギヌスの眼にキリストの血が飛び込んできた。
すると、ロンギヌスがそれまで患っていた眼病が治ってしまった。
その事に感動したロンギヌスは、騎士をやめキリスト教に改宗した。
その後、カッパドキアで修道士として28年暮らしたが、一部の反対者に密告され処刑された。

その後、彼の殉職を記念して建てられた聖ロンギヌス教会で
神に捧げるパンが肉に、赤葡萄酒が血に変化するという奇跡が起きたと言う。
54あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/26 18:13
シャチってクジラ食べるんだぜ。あんなでかいクジラをどうやって仕留めるかと
いうと、群れで次々とクジラの上に乗って、クジラを溺れさすんだよ。んで6時間
くらいかかってやっと仕留めんだけど、シャチはクジラの下アゴの部分しか食べな
いのよ。
第二次大戦中、アメリカ太平洋沿岸在住の日系人はカリフォルニアのトゥールレイクの隔離施設に収容された。
そこで囁かれた噂。

人魂を見る。
狸や狐が跳梁する。
女が狐に憑かれる。
女が狸と訳のわからない言葉で話しているのが目撃される。
そのうち施設内を侍が徘徊し始める。
そのうちロスに12冊の電話帳を一撃で真っ二つにする侍が潜んでいると噂になる。
56あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/27 13:10
age
57あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/27 13:18
>>55
ワロタ
58あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/27 13:25
>>54
もったいない
実に無駄な狩だねぇ
59あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/27 13:40
>>58
沈んで腐った鯨の肉を、深海の魚たちが食すので無駄じゃない罠。
6054:02/09/27 14:09
>58,59
59の言う通り無駄ではないのよ。残りは深海に沈んで、海底ウナギに食べられる
のよ。その深海ウナギってのが不気味な奴で、目は見えなくて、体長は2メートル
くらいあって、太さが大人の腕くらいある。しかも集団でクジラの死体をついばむ
から、もののけ姫のイノシシにとりついてたミミズみたいに見えて気持ち悪いのよ。
あと、深海サメとかも死体食ってた。
61あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/27 14:18
>>60
確か歯がないウナギで、擦るみたいにして食うんだよな。
残るは鯨の骨ばかりなり。思い出すとキモゲロイ。
6254:02/09/27 15:26
>61
そーいや、そーだ。奴等は歯がないから、死骸に吸い付いて食べるんだ。
6358:02/09/28 00:33
深海ウナギ・・・
 ((;゚Д゚)ガクガクブルブル
64あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/28 03:35
深海生物にはワクワクさせられる!

このテの番組ってNHKでたまにあるよね
民放でも「密着!警視庁24時」とかやるんだったら
「潜入!日本海溝24時」とかやってホスイ

結構見る奴いると思うんだけど…
65あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/28 04:22
>50
オカルト話は実話として語られる。
例え嘘であってもだ!
66あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/28 20:37
眼力で人を石に変えると言われるメデューサは、地中海の女神で
海神ポセイドンのカミさん。

おもろい情報求めage。
67あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/30 08:05
age
68あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/30 10:11
人って他人のために涙を流さない。自分のためだけに涙を流すらしいよ。大切な人が
死んでも、涙を流すのはその故人のためではなく、「この人が死んでこれからどうしよう」
とか「大切な人を亡くした自分が可哀相」とかいう理由で涙を流す。そう意識してなくても
深層心理でそう思っている。
>>68
なんかわかる。感傷だよな。それでも涙は流れるわけだが・・・。
7068:02/09/30 10:23
>69
人間なんてラララさ
71あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/30 18:13
age
>>70
なつかしー
73あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/01 09:07
age
74あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/01 09:12
人や猿の目はカメラのレンズに似ていて、目の奥の網膜に逆さまに
映った像を、脳でひっくり返して見ている。

学校でも習うことだけど、個人的に不思議感を拭えないんだよね。
とか言いつつ揚げちゃう。
>>74
周りの物が逆さまに見えるメガネかけさせてもすぐにその世界に
順応しちゃうとか聞いた。
7674:02/10/01 10:22
>>75
じゃあ全人類がその眼鏡かけて生活し始めたら、すぐに逆さまの世界が
常識になるんだ。
こわくて混乱してきた。本当にみんなと同じもの見えてんのかな。
77あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/01 13:27
>76
何かの小説で読んだ気がするのですが,ある人には,
赤が緑に見え,緑は赤に見える.でも,それに気が
着かないから,名前も逆に覚えるので,他の人と話は
合う.でも,その色から受けるイメージは逆にならな
いので,「赤より緑のほうが情熱的」のような微妙な
ずれができるという話.
>>77
とすると紅葉と新緑が反対に見えていても気づかず
「新緑っていいなあ」と黄色い葉っぱを眺めている可能性もあると。
でも反対に見えていても確かに気づかないね。
79あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/01 20:24
>78
そのとおりです.ただ,その色に対するイメージがあるから,
「新緑ってはでだなぁ」とか,「紅葉を見ていると気分が
落ちつく」となって,?なやつと思われるわけです.
80あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/02 08:03
燃えageれ
81あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/02 10:20
太陽光線てのは七色で、物とか植物とか動物がその色に見えるのは太陽光線の七色
のうちその物体が一番吸収し易い色を吸収してるからその色に見える。例えば、ポストは
の赤は太陽光線の赤を最も吸収し易いから赤に見えるらしい。てことは実は世界は無色の
世界なのか?
82あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/02 10:26
吸収したら見えないだろう。
反射するからこそ見える。
8381:02/10/02 17:56
吸収して放出すんだろ
>>83
正気か? 一度中学生の理科でいいから、やりなおしたほうがいいぞ。
85あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/02 22:56
あれじゃない.例えば夕焼けの雲は,長い波長(で良かったのか)
の赤を撹乱して乱反射するので,赤く見える.青空は,短い波長の
青だけが地上に届くので,青く見えるという話をしたかったんじゃ
ない.
86あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/03 12:08
ポストが赤く見えるのは、太陽光線(可視光線)の大まかな三原色である
赤・緑・青のうち、緑と青が吸収されて、赤だけが反射するからだよ〜。
と、>>82>>85が言ってるんだろうなと思うことを勝手に細かく言ってみる。
ちなみに黒は、全部吸収するから黒く見える。

とかしたり顔で書いたけど、実はあまり自信がない。これであってる??
87あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/03 18:10
いずれにしても吸収してから反射するなんて漫画の必殺技みたいなことはない。

81は中学校からやり直すことをお勧めする。
88あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/03 21:27
>>81の存在が伝説
89好爺:02/10/03 23:06
『チュイルリー宮殿の赤い男』と呼ばれている赤い服の男がいる。
彼は、チュイルリー宮殿の主に良くない事が起きる前に現れると言う。
アンリ四世の時は暗殺される日の早朝に現れ、
マリー・アントワネットはフランス革命の前夜にこの赤い服の男と会っている。
ナポレオンは、この赤い服の男と会話した数ヵ月後にエルバ島へ流された。

この赤い服の男は、“サン・ジェルマン伯爵”ではないかといわれている。
90あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/04 00:12
>>77
俺そんな感じ。色弱。
色覚検査で正常なら○が見え、色弱なんで×が見えるって感じの
テストで×が見えて看護婦に
「そんなの見えるんだぁ!」ってびっくりされた。
で、色からうけるイメージが人と違うからズレがある説が出てたが
考えると経験的に色のイメージが決定されていくならば
結局ずれは無くなるのではとも思ったりするがどうなんだろ?
極端な話赤が青、青が赤に見えていたならば
暖かいものが冷たく、冷たいものが暖かく見えるような世界で
過ごしているわけで
結果色に対するイメージが健常者と変わらなくなってしまう
のではないか?ということでどうなんだろう?
>>89
時をかける伯爵
92あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/04 03:46
>90
経験的でない,色のイメージがあるんでは,という話に行き
着くわけですね.
93あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/04 08:52
87は81に対してあんなこと言ってるけど、実は小学校中退らしい
94あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/04 14:54
>>93=81
伝説的な必死さですね。
中学校の理科の教科書は見つかりましたか?
ポストって赤く塗ってるから赤だろ・・・?
え?ここ何のスレ?
96あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/04 16:39
ポストが赤いのは遠ざかっていってるからだろ。
97あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/04 16:40
赤方偏移ね?>>96
98あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/04 16:49
まぁ、どちらにしても太陽光に含まれてる色には違いないんだけどね。
ポストが赤いのは「ポスト赤塗り魔」のせいです。
>>86

物が赤色に見えるのは、青緑色の光(波長約495nm)を
吸収するからであって、
赤色の光「だけ」を反射しているわけでは無かったと記憶している。
青色の光(波長約470nm)も緑色の光(波長約515nm)もあるのだが、
人間の目の持つ補色という機能によって
青緑色の光(波長約495nm)のみが欠けた光を赤色と感じる、
というような感じだったと思う。
101金槌で往復ビンタ:02/10/04 21:14
恥ずかしがり屋ってのは無しですか。
102あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/04 22:59
でも,速度が遅いものでも,遠ざかっていくものは若干赤っぽく見える
ということが人の目にもわかる位の現象としてあったら面白い.
10358:02/10/05 00:22
>>101
ワラタよ
>>100
そっか。赤だけを反射じゃ確かにおかしいね。
わかりやすい説明をありがとう。
自分もかなり混乱してて、>>95の説でいいかと思いかけてたよ。
いや、今もその意見は大好きだが。理科?は苦手だ・・・。
105あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/05 15:08
age
106あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/05 17:10
>>68
マインドアサシンに載ってたなァ
スレタイとまったく関係ないレスを続けるスレはここですか?
108あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/07 08:06
では、次の話題にいくか
109あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/07 16:09
>>97
ドップラーもビックリ!
110あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/07 18:32
1ヶ月前生まれてはじめて流れ星を見て以来、オレが最近流れ星をよく見るのは、
涙がこぼれないように夜空を見上げるからだ。
111あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/07 20:52
>110
九ちゃんもビックリ!
1121:02/10/08 10:00
がんばっていいネタ披露してくれよ
113あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/08 17:51
age
地元にまつわるオカルト的な伝説とかどうよ?
115好爺:02/10/08 23:18
パラケルススの“ホムンクルス”の伝説
製造法は、男性の精液をレトルトに入れて密封して生きた馬の子宮の中に置く。
温かい子宮の中で精液はまもなく生動しはじめる。
40日後にいよいよ人間らしき形のものが現れるが、それは透明でまだほとんど実体がない。
これを人間の血の中で40週間、馬の胎内と同じ温度で養うと小さな人造人間“ホムンクルス”
が誕生する。
伝説によればパラケルススは自分の精液を用いて、実際に造ったという。
116あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/09 00:12
レトルトって何?それに入ったまま,馬の子宮にいれるの?
>>116
そうだ、そこがつっこみどころだ。偉いぞ!
118好爺:02/10/09 00:37
レトルト:化学実験用の試験管みたいなものガラスの入口を熱で密封する。
レトルト食品の語源
それに入れたまま馬の子宮に入れるって・・・まあ、精子だけで出来るとは思わないが。
本人がきちんと文章に残したわけでもないので
伝説ですから・・・。そうですよね、桐生さん。
119あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/09 08:05
age
120好爺:02/10/09 11:19
前述のパラケルススの本名をボンバツス(Bombast)は英語で“誇大妄想症”の意味となった。
121橇 ◆T.CxvhQZS2 :02/10/09 11:36
>>115好爺さん
昔は男の人だけでも人間が出来ちゃうだろう〜って感覚だったのかなぁ?
でも馬の子宮に置くって事は、男の人だけじゃ子供出来ないの解ってるんだよね。
つか馬の子宮って・・・そんな密封パック置けるほど大きいの?
馬もそんな実験いやーんって感じだったろうなぁ。
122あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/09 15:19
>>120
「パラノイア」じゃないの?
こっちのがパラケルススに近いし。
123あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/09 18:11
>122
真偽は不明だが,説得力があるなぁ.
124好爺:02/10/09 22:15
パラケルススは大法螺も吹きまくった一方で医者として奇跡の治療を行なった
エピソードも多い。
1526年スイス、バーゼルで他の医者が足の切断を提案するほどの疾患を持った男の
足を切断することなく治療したり、街中の医師が見放した少女(生まれつき体が麻痺
していた)を歩けるまでに治療したりしてた。
1527年にはスイスのバーゼルに医師兼医学教授と言う名誉ある地位で招かれた。
彼の代表作でもある『大外科学』第一部、第二部は数ヶ月もたたぬうちに売り尽くした。
ただそれと同時に予言書をだしたり、大学と喧嘩をしたりとか・・・。
結局、教授職も捨てる事になる。
こう云う素地が“ホムンクルス”の伝説を生むのです。

ただの馬鹿の独り言ではないのです。
125あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/10 17:57
あげ
126好爺:02/10/10 22:19
パラケルススは死後蘇生術を実験してたとの伝説がある。
自らの死期が迫ったことを予感した彼は、助手に霊薬を渡し、自分の死後
その死体を細かく刻んでこの薬にまぶし、それを容器に密封して九カ月後に開くように命じた。
死後、助手はそのとおりにしたのだが、好奇心から七カ月後に容器の蓋を開けてしまった。
中を覗くと容器の底には小さな胎児のようなものが蠢いていたが、外気に触れた為に
絶命してしまったと云う。
127山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/10 22:31
>124
南ドイツの富豪フッガー家の水銀や香木による梅毒治療に警鐘を鳴ら
した人物でしたしね。エラスムスに尊敬されていただけあって、かな
り「いい性格」をしていたようですが。
128あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/10 22:36
>62
深海ウナギってのはメクラウナギの類のことだろう。
奴らは円口類なので顎がないが、歯はあるよ。それも
すごいヤツが。

>77
99が述べた理由により、その現象はもし実在しても
検証不能。従って「そういう可能性もあるよね」
というだけの話。思考実験として面白がるのは結構
だが、あまり真剣に受け止めちゃダメ。
( ´_ゝ`) 「パラノイア」paranoiaは
       接頭辞para+nous(希:ヌ−ス=精神)+接尾辞iaだとオム。
       パラケルススってどういう意味か気になるなぁ。
130好爺:02/10/11 00:21
>>129
パラケルススのことが詳しく書いてあります。
http://www7.ocn.ne.jp/~elfindog/PARACEL.htm
パラケルススの意味も・・・
パラ(超える存在)+ケルスス(ローマ時代の名医)
ということらしい。
131あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/11 06:19
え〜っと…
このスレ何気に面白いのですガ。。。
1321:02/10/11 08:19
>131
だろ?これもみんなのおかげさ。
133あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/11 17:44
age
134あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/12 00:11
>128
99って「ポストが赤いのは..」なんですが...
>130
パラパラ=メッチャすごい
135131:02/10/12 01:38
でわ、皆に感謝〜。
俺も何か面白い伝説とか逸話知ってたらカキコ
したいとこだが…
>>130
( ´_ゝ`) お、どうもありがとうです。
       そうか、ケルススを超える存在か…
137好爺:02/10/12 14:52
19世紀初めバイエルンの通りにボウボウの髪に泥だらけの服と言う格好で
酒に酔ったようにふらふらと歩く奇妙な少年が発見された。
やがて彼は警察に預けられた。言葉は片言で名前を聞くと「カスパール・ハウザー
(カスパー・ハウザー)」と答えた。16歳にしてはあまりにも無知であったが、
ニュールンベルクの名士であるダウマー教授に預けられるて教育をうけると
数ヵ月後には読み書きや計算は言うに及ばずピアノを弾けるようになでなった。
しかし、1年後に黒い覆面の男に襲われ、表れてから5年後の1833年12月14日
何者かに襲われて命を落した。
各地で彼の出生や生い立ちを調べたが未だになにもわかっていない。
彼の名前をとって“ひきこもり”を『カスパール・ハウザー症候群』という。
138散歩:02/10/12 15:32
五捨択一式・100問のテストで、鉛筆を転がして全問回答したとして、全問外れる確立はほとんどない。
139HAL:02/10/12 16:46
>>99-100

なるほど。沈んでいく夕日が赤いのと同じ理屈ですね。
ということは中華人民共和国が赤く見えるのも
日本列島もハワイに向かって移動しているためなのでせうか?
( ´_ゝ`) お、出ましたカスパール・ハウザー。
       正体不明、暗殺の動機も謎。
       映画もありましたねえ。
141好爺:02/10/12 22:50
フランス、太陽王ルイ14世の時代にラ・ヴォワザンという宝石商の妻だった女性がいた。
彼女は、占星術やタロット占いに通じており、自分の豪邸でパーティを催したり、
悩み事のある貴婦人の身の上の相談にのってやったりしていた。
彼女は此処で媚薬を渡したり、堕胎をしたりしていた。
さらに黒ミサを行い10年間で2000人以上の赤ん坊を殺したと言われる。
彼女は警察に捕まり、足の甲を木槌で叩き潰すと言う拷問により全てを告白したが、
捜査線上にルイ14世の愛人モンテスパン候妃の名前があがったため、
それまでの捜査資料を全て焼却させ、ラ・ヴォアザンも火焙りの刑に処した。
>120
パラノイア>偏執狂
メガロマニア>誇大妄想狂
143ダヌル・ウェブスター:02/10/12 22:56
>140
ヴェルナー・ヘルツォークの映画ですね。とうとう見れずじまいでした。

種村季弘の「謎のカスパール・ハウザー」はわりと面白い本でした。
ちょいと(かなり)オカルト風味でしたけど。

計算してみたら約0.00000002%ですな
ほとんどないどころの話じゃない
>144は>138へのレスでした。
>>139

物(や星)が遠ざかっても
赤くは見えないよ。

と、指摘してみる。
147あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/13 00:08
遠ざかっていくものが赤く見えるのは尾灯のせいだよん.
148好爺:02/10/13 00:42
>>142
そうですね。
bombast:大言壮語、大法螺を吹く
bombastic:大げさな
ですね。心理学的にはmegalomaniaのほうが一般的みたいです。
訂正しておきます。
149好爺:02/10/13 16:02
伝説として書くにはあまりにも有名な呪われたホープのダイヤ
最後の持ち主は事業に失敗して破産寸前になりその呪われたダイヤを
スミソニアン博物館に寄付した。
『そのためイギリスは呪われた。』は有名なジョークだが
スミソニアン博物館に寄付する時ダイヤを普通小包郵便で送りつけた。
ダイヤの横にはその小包も展示してある。
150131:02/10/13 19:21
>好爺さん

面白い話たくさんありがとうございます!
応援してまっす
151好爺:02/10/13 20:33
1703年11月19日パリのバスティーユ監獄で鉄仮面を被せられたままの囚人が獄死した。
彼はバスティーユ監獄にいた時は特別待遇で専用の部屋や食器が与えられていた。
食事する時や医者に診察する時ですら鉄仮面をはずさなかったが34年の獄中生活の
うちに16人の人々がその秘密を知ってしまった。
そのうち8人は口が軽かったのか、命を落した。そして完璧に口外しなかった者の中には
高額の恩賞に与ったものがあったという。
>151
映画にもなったよね〜。
これって向こうで言えば都市伝説みたいなもんなのかね〜
153好爺:02/10/13 22:05
>>152
実話です。ただ、彼の死亡台帳には“無名”と記入されてサンポール墓地に埋葬された。
彼の正体はマスコミが発達していなかった当時みんながその顔知っている顔つまり
国王の親族ではないかと言われている。
ルイ14世の双子の兄弟とか腹違いの兄弟とか言われている。
154152:02/10/13 23:56
>>好爺
有名っすよね。
そっか実話だったのかぁ〜。
中身は知ってたけど、実話・フィクションどっちか
知らなかったYO
155好爺:02/10/14 20:59
空海が唐から帰ってきて真言密教のさまざまな呪法で権力者たちの信任を得て、
僧都の位に登った頃、共に護持僧を務めていた興福寺の守敏という僧都がいた。
ある日、守敏僧都が嵯峨天皇に「この栗を煮てみよ。」と命じられた時
それに対して守敏は、法力により栗を煮たという。嵯峨天皇はこれに大変感心
されて、それからは薬湯なども温めさせた。
しかし、それを耳にした空海は「私にも見せて欲しい。」と頼み、守敏が加持を
してもそれを自分の験力でそれを阻止したという。
156好爺:02/10/14 21:09
>>155・・・つづき
さらにどちらからともなく互いに殺そうと呪詛しあったという。
二人の験力は均衡して呪詛合戦は長期に及んだが、いっこうに決着がつかなかった。
そこで、空海は、弟子たちに自分の葬式道具を買いにいかせて「空海僧都が
亡くなった。」と噂を流した。それを聞きつけた守敏は喜び、呪詛を終えてしまった。
空海は守敏が罠にかかって結願したことを聞きつけるとさらにいっそう精進して
祈祷したため、守敏は亡くなってしまった。
157あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/14 21:20
坊さんが人を呪っていいのか!空海!
と思わず突っ込みたくなりますた。
158あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/14 21:35
密教坊主なんてある時期呪殺専門家だったよ。
159ダヌル・ウェブスター:02/10/14 21:37
坊さんはアナルセックスしてもいいんだよ。
160あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/14 21:42
寺の病が痔だからな
161あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/15 00:56
>160
いままでのうち,最も説得力のある逸話
162あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/15 09:32
age
鉄仮面はルイ14世の実の父親だよ
164あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/15 11:38
パラケルススが精子のレトルトを入れたのは馬の子宮
じゃなくて馬糞の中ジャなかったっけ?

馬糞にはすっごい魔力があるってことで
近づくだけでこれだけ嫌悪感を引き出すくらいだからってサ
165あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/15 17:56
 儲 か る
    ↓
信者 か る
166好爺:02/10/15 19:42
人の為と書いて偽り。
未だ女でないと書いて妹。
168好爺:02/10/16 00:19
1885年ピレネー山脈のフランス側に位置するレンヌ・ル・シャトーという寒村に
ソニエールという司祭が赴任してきた。彼は大変貧しかった。
ところが、1891年教会の祭壇を修復する途中、柱の中から木製の筒に入った文書を
発見し、その文章を解読した後、祭壇の下の石板をはずすと宝がぎっしり詰まった
壷を発見して一躍大金持ちとなった。
その金額がどれほどかは不明であるがパリの銀行が司祭の為だけに村に連絡員を駐在
させたくらいだった。司祭は、村人の為に道や水道を整備し、教会を改装して
自分自身は別荘を建てたりした。しかし、司祭は金の出所については一切口をつぐんだ。
噂は噂を呼び、テンプル騎士団の財宝を手にしたのだとか、キリスト教カタリ派が
隠した財宝であるとか噂された。中には財宝ではなく、鉛を金に変える賢者の石を
手にしていたと噂す者もいた。
1917年彼は息を引き取る直前、隣の教区の神父を呼び、最後の告白をした。
部屋から出た神父は顔面蒼白となり、告白内容があまりにも衝撃的だった為
笑顔を失ったとの記録がある。だが、その告白内容についての記載はない。
169あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/16 01:29
>>168
好爺さん、気になりますよ〜。
これなんじゃないの?とかいう説は無いのでしょうか?
170あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/16 09:16
というわけでage
171好爺:02/10/16 09:19
>>167
最も有力な説は、テンプル騎士団の財宝説である。
その理由は、木製の筒の中の文章を見つけた後に有名な音楽家ドビュッシーに出会って
いる事である。ドビッシューはテンプル騎士団の残党による秘密結社の一人とも言われて
いるからである。ちなみにテンプル騎士団とはキリスト巡礼者を警護する為に12世紀に
結成され、巡礼者からの寄付により、巨万の富を蓄えたとされる組織である。
次はキリスト教カタリ派の物ではないかとの説である。
言い伝えによるとカタリ派はキリストが磔刑になったことを信じなかったために、
強行に抹殺されかかり、難をのがれた4人が大量の財宝を持って姿を消したと言われている。
又この司祭以外に古来から大量の金貨が発見されたとの噂や20kgもの金の延べ棒や、
大きな黄金の像のかけらが発見されてもいる。
172好爺:02/10/16 23:23
18世紀のヨーロッパで宮廷に自由に出入りし、社交界で人気を集めていたカリオストロ伯
と云う男がいた。彼は、交霊術、魔術、予言などを行い錬金術で非金属を金に変え、
ペテルブルグではロシア皇帝の侍医さえ見放した病気を治したという。
また、この男はマリー・アントワネットの男子出産を予言し的中させたという。
173好爺:02/10/17 09:45
カリオストロ伯は、パリのタンブル地区で数多くの病人達を治療したが、相手が金持ち
だろうと貧乏人だろうと一切治療費を取らなかった。病人の脈を取りながらその人が
患った病名を過去にまで遡って当て、予防法や治療法を教えていた。
その処方箋は、植物の樹皮や根を配合した物であったと言うが、彼自身は医学的知識
はゼロに近かったというから不思議という意外に言いようがない。
174好爺:02/10/17 09:53
カリオストロ伯の不思議な事はもう一つあって、有力者とは関係をもたず
銀行や手形ともまるで縁はなく、生まれもシチリア島の貧しい商人の生まれ
でありながら、おそろしく金を持っていたということである。
贅沢三昧を続け、召使いまで侍らせていた資金源が何処にあったのかは、不明である。
彼は、マリーアントワネットの首飾り事件という詐欺事件に巻き込まれ、
バスティーユに投獄され、何とか無罪は勝ち取るものの、フランスを逃げ出す事になる。
以後は落ち目の人生をたどり、1795年イタリアのサンレオ要塞で獄死する事となる。
175山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/17 13:06
千住あたりの隅田川には鐘ヶ淵と呼ばれるところがあるが、ここには古くか
ら鐘が沈んでいるという伝説があった。
その起源については諸説あるが、一説によれば元々は足立区扇町の瑞応寺の
鐘であった。瑞応寺は夕顔観音で知られる寺であるが、室町時代にこの地に
勢力を誇っていた千葉常胤が娘の夕顔姫の菩提を弔う為に建立した寺。
そこにあった鐘が動かされたのは天文21(1552)年の事であった。
176山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/17 13:11
上杉氏を越後に追い、当時日の出の勢いであった北条氏康に千葉氏は
服属。北条方は戦利品として瑞応寺の鐘を持ち帰ろうとした。
ところが隅田川を船で運ぼうとしたところやがてどこからか女のむせ
び泣くような声が聞こえて来た。しかもよく聞いてみると音は鐘の中
から聞こえて来ていたのである。
はじめは風の音であろうとそのまま進もうとしていた北条の兵達。だ
が泣き声は鎮まるどころか大きくなるばかりで、ついには強い風が吹
き雨が降り出した。
恐れた兵達は鐘をその場で水中に投げ入れて逃げ去ったという。
177山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/17 13:14
それから二百年近い歳月が過ぎ去った、享保の末の事。この鐘を引き上
げさせようとした男が居た。名は徳川吉宗。すでに八代将軍となってい
た彼は江戸市中から女の黒髪を集めさせそれをより合わせてつくった髪
綱で鐘を引き上げるように命じたのであった。
綱を鐘に結びつけるように命じられたのは潜りの名人で龍太郎という男。
将軍家より拝領した菊一文字を咥え、竜頭に綱を結び付けようとしたそ
の時であった。
178山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/17 13:20
突然水底の暗がりより一人の美しい娘が出て「これは主の定まった鐘
ですから」と言って止めて来たのである。
だが自分も将軍家の命令でやっているのだから止める訳にもいかない。
龍太郎がそう言うと娘は「ではあなたのお顔を立てて水面まで」と許
可をくれた。
龍太郎は水上に戻って合図を行い鐘は水面近くまで引き上げられた。だ
がそこまで来て髪綱は切れ、鐘は再び水底へと消えて行った。
その時竜頭がきらりと光ったようで気味が悪かったという。
鐘は明治までは時折水の澄んだ時に見る事が出来たというが、今ではち
らりと見たという話も聞かれなくなった。
179あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/17 13:21
これって本当か?

↓ ↓ ↓
http://www.dream-express-web.com/space-trust.htm
180山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/17 13:24
またある時には江戸城内で妙な噂が囁かれた事があった。なんととう
の昔に死んだ筈の六代将軍とその愛妾が舟遊びをしているのを見たと
いう者が何人も現れたのである。
妖怪の仕業だと睨んだ吉宗が家臣に命じて鉄砲で狙撃させたところ、
一メートル以上もある大猫が死んでいたとか。
また吉宗が狐憑きを脅し挙げて狐を離れさせたという事もあった。同
様の話は豊臣秀吉のものとしても伝わっている。
181あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/17 18:25
ふむふむ
さすが暴れん坊だな。
歴史人物VSもののけの逸話もおもろいな。
>182
あんたのせいで、>175-180 が台無しだYO!

でもワロタ
185あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/18 00:52
>177
女性にとっては迷惑な話.
186あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/18 08:00
age
187山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/18 11:35
古代エジプトの第18王朝のトトメス4世がまだ王子であった頃の話である。
ある日彼はギザのピラミッド周辺で狩りを楽しんだあと、砂に首まで埋もれ
てしまっていたスフィンクスの傍らで仮眠をとった。
すると夢の中に地平線の守護神であるスフィンクスが現れ、「私の周りの砂を
除いてくれるならお前を王位につけてやろう。」と言った。
目覚めたトトメスは早速周囲の者達に命じて砂を除去させたが、はたして彼は
兄をさしおいて王位につく事が出来たのであった。
その事を感謝したトトメスが奉納した石碑が今でもスフィンクスの前足の間に
存在している。
188山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/18 11:39
宇多天皇がまだ源の姓を授かって臣籍降下しておられた頃、夢に加茂
の大明神が現れて訴えて言った。
「他の神々には年に二度の祭りがあるというのに私には一度しか無い
のが寂しい。どうか秋にも祭りを行って欲しい。」
「しかし、私は卑しい身(天皇ではない)ので出来ません。」
「案ずるでない、いずれ出来る身にしてやろう。」
やがて神託の通り宇多天皇は即位する事が出来たので、秋に加茂社で
祭りが行われるようになったのであった。
189山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/18 12:04
本能寺の変の直後、壮麗さで欧州にも知られた安土城も主の後を追う
ようにして炎上し、地上からその姿を消した。
それから数年後の夜中。財宝目当ての三人の浪人が安土城の焼け跡を
探索していた。
しばらくあちこちをひっくり返していたがやがて蜂の羽音のような妙
な音が聞こえ、更にときの声のようなものまで響いて来た。
振り返ってみると何処から出て来たのか多くの兵達が自分達に向かっ
て来ていた。慌てて応戦する三人。
だが向こうは切って来るのに自分達の攻撃は宙を切るばかりで当たら
ない。気がつけば二人が死んでいた。
190山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/18 12:07
三人目はなんとか麓まで逃げ切ってこの事を伝えたが傷は深く間も無
く死亡。死の直前に
「兵達の向こうに槍のようなものを構えていた白い寝巻き姿の男が見
えたが、それが一際恐ろしく感じられた」
と言ったという。この事を聞いた豊臣秀吉は亡き主の供養を命令。以
後城跡にわざわざ行く者がいなかったせいもあってか、怪異は絶えた。
191あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/18 15:55
期待age
もうネタねぇのかよ〜
193あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/18 17:51
age
194あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/18 18:28
onegai
195(´Д`;) ◆Vdlbq5Fy0I :02/10/18 19:19
保全
196山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/18 21:51
>192
何か書いて下さいよ。
慶長14(1609)年4月4日の朝、家康が居た駿府城内に小児のような
肉の塊の化け物が現れた。上方を指すようにして歩いていたという。
気味悪がった家康は家臣らに命じて追い払わせたが、後にそれを聞いた医師
は「それは肉人というもので天下の妙薬となるものであったのに、惜しい事
をした。」と語ったという。
家康の絡んだ怪異では彼が反魂香を欲しがったというものもあるが、誰を呼
ぶつもりであったのやら。
197山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/18 22:02
上杉家の家臣直江兼続は豪胆な人であった。
ある時化け物茸があると人が騒いでいたのを聞きつけた彼は現場に行っ
て茸を見て言った。
「成る程。確かに大きい。だが化け物というほどではないな。」
次の日、現場に行ってみると今度は茸は人くらいの大きさになっていた。
「おお、これは確かに化け物であろう。だが城門に入るくらいでは大し
たものではないな。」
更に次の日。今度は城門よりも大きくなっていた茸を見て言った。
「おお、これは大きい。しかし人に言われて大きくなるような化け物な
ら恐ろしくは無いな。」
次の日。呆れたのか恐れ入ったのか、茸は消えうせていた。
198192:02/10/18 23:11
>>196
スマヌ。俺は伝説とか好きだけどほんとに疎くて、赤い玉くらいしか知らんのだ。
茸の話は笑わせてもらった。カワイイ化け物だ(w
199山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/18 23:20
>198
うーむ、残念です。近頃の若い人は言い伝えとかあんまり知らんようで。
信長については安土城に牛の妖怪が出たという話も聞きましたが、詳細
不明。
200192:02/10/18 23:23
将門の生首が飛んだとかなら聞いた事があるけど詳しい事覚えてないっす。
あの時代って権力者が自分の力を誇示するために、
妖怪やらなんやらを相手にする書き物をいっぱい書かせてる気がする・・・
201192:02/10/18 23:26
ちなみにこのサイトおもろいよ。怪奇現象集めてる。
ttp://www.netbugs.ne.jp/~ryoshida/kaiki/00top.htm
202あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/18 23:28
田中河内介の最後の話を誰かしてー.
203山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/18 23:32
>200
後世の人間が英雄を伝説に絡めた、という事だと思います。酒呑童子
には「山の民」と比叡山を追放された在地の「山神」の二つのイメー
ジが投影されているのでしょう。
ただ伝説というものは信じられるに値しなければ伝承されませんから
ね。自然と育成される事はあっても当初から創作されるという事はな
かったと思います。
204好爺:02/10/19 00:12
1900年7月イタリア国王ウンベルト一世はモンツァ市の小奇麗なレストランで食事を
している時にレストランの主人が自分とそっくりなのに気がついた。
近くに呼びはな死をすると似ているのは顔だけでない事に驚いた。
名前、生年月日、出身地、結婚した日、妻の名前、子供の名前まで同じであった。
しかも、彼がレストランを開いた日が自分が王位についた日と同じであったのに
気を良くして次の日の競技会に一緒に観る事を約束した。
次の日になかなかレストランの主人が来ないのを不審に思い侍従に迎えに行かせた。
侍従が戻ってくると彼が自分の銃を掃除している最中に事故で亡くなった事を告げた。
ウンベルト一世はあまりの事にガックリし葬式の花を贈ることを頼んでいる最中に
暗殺者によって射殺された。
>>204
それ知ってる!てか上に書いたサイトで見た。
伝説と歴史的事実の垣根ってどこだろう?
自分でリンク張っといてなんだが、事実としてあった事ってこのスレでも桶?
206好爺:02/10/19 02:11
すみません
>>201のリンク見てなかった。
事実と言われていてもかなり怪しい話しだから伝説や逸話程度の話として書きました。
お詫びに明日何か書いときます。
207169:02/10/19 02:13
>好爺さん
お礼送れてごめんなさい。>>171のレスありがとうございました。
208あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/19 02:55
>182

伝説と言えば


松平健は、領収書をもらう時、店の人に「お名前は上様でよろしいですね。」と必ず言われるという伝説がある。
209あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/19 03:00
>168

1 司祭の正体は実はアルセーヌ ルパンだった。

2 ヴァチカンの宝物殿から盗んだものだった。

3 司祭の正体は実は狸か狐。死後正体を現わし、宝は全て木の葉に変っていた。


だったらきっと衝撃的だと思う。
210あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/19 03:12
4 死に際の言葉が「糸井重里とTBSを出し抜いてやった。」だった。
211好爺:02/10/19 03:19
19世紀にイギリス中を震撼させた“ばね足ジャック”と云う犯罪者がいた。
被害者や目撃者の証言によると彼はマントをはおり、角の生えたヘルメット(もしくは
帽子)を被り、表情は人間の物とは思えず瞳はまるで火の玉のように光り、手は氷の
ように冷たく、鋭いカギ爪形をしていたと言う。それだけでも不気味であるが口からは
青い炎や白い炎を吐き出したと言われている。
彼は夜の闇から突如として飛び出しては人々を襲い、時には脅かし、時には乱暴して、
あっという間にたかい塀を飛び越えて屋根に飛び移り、人間とは思えぬ身軽さで、
逃げさてしまうのである。その並外れた跳躍力と身のこなしから、悪魔か怪人の
仕業と恐れられていた。
襲われた番兵が発砲した時には銃を放っても軽々と逃げおおせたからジャックは
不死身だともささやかれた。

212あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/19 03:34
江戸時代初期、「おあむさま」と呼ばれていた女性の実体験談を記録した、『おあん物語』。
関ヶ原合戦前後の不穏な世相や戦時下の生活が、口語体で筆録されている。
歴史的にも国語史的にも、高く評価されている一級史料。
以下はその本文の抜粋。

「治部(石田三成)どの御謀反の時、美濃の国おほ垣のしろ(岐阜大垣城)へこもりて、
我々みな/\一所に、御城にゐておじやつたが、不思議な事が、おじやつた。
よな/\、九つ時分(午前0時頃)に、たれともなく、男女三十人ほどのこゑにて、田中兵部どのゝ(一オ)う。
田中兵部殿のうと、おめきて、そのあとにて、わつというてなく声がよな/\、しておじやつた。
おどましや/\。おそろしう、おじやつた。
その後、家康様より、せめ衆、大勢城へむかはれて、いくさが、夜ひるおじやつたの。
そのよせ手の大将は、田中兵部殿と申すで、おじやつた。」
213205:02/10/19 08:52
好爺さんスマソ。イヤミじゃないよ。
知ってる話が出て妙に嬉しかっただけで(w

>>208
松平でなくてもたいていの領収書は上様だろう。

関が原で思い出したが、大谷行部の呪いによる小早川の悶死について詳しい人いない?
214205:02/10/19 08:57
>>209
「狐が憑くのは日本人だけ」って話知ってるかい?
西洋には狐が人を呪うという伝説だの伝承が無いので憑くのは悪霊。
日本人に狐が憑くのは「狐が人に憑く」という事を伝承としてきた日本人だけ。
知らない者には憑かない=思い込み
まぁ、アンチによる民俗学的な心霊批判なんだが。
215あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/19 12:59
>213

>松平でなくてもたいていの領収書は上様だろう。

いや店員が本人に気付いて冗談で言っているんだよ。

普通はなんてお書きしましょうかと聞く。


216205:02/10/19 14:29
>>215
確かに、松平に対してはギャグの意味も含まれる事が多いだろうな。
しかし漏れは遡れば高校の学祭の買出しの頃から常に「上様でよろしいですか?」しか聞かれた事ないぞ。
毎回店の名前出すのが面倒でそのうち先に名詞渡すようになった(w
217205:02/10/19 14:32
書いてて関西ローカルなのかと思った。
ちなみに上様は「オールマイティ」の意味合いが強い。
もしマツケンが
「領収書のお名前は何にいたしましょうか?」と聞かれたら


「余の顔見忘れたか!」
                       とか言ってホスイ
219山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/19 16:31
>214
戦国時代に来日した宣教師は豊後で狐憑きの患者に悪魔祓いを試していまし
た。本人達の本国への報告によると効いたそうな。
220好爺:02/10/19 21:17
第一次世界大戦中ベルギー造船中のUボートの一台U-65の船体に巨大な鉄材を取り付けて
いたとき、鉄材が突然落下して2人の作業員を無残にも押しつぶした。
この事件は原因もわからず、作業中の事故ということで処理されU-65は最終整備に
まわされた。その最終整備で作業員三人が機関室に閉じ込められ死亡した。
さらに、潜水テストを行なう直前に各所の点検を命じられた作業員がふらふらと
海中に落ち、二度と姿を現さなかった。
これほど事件が続いていても少しでも戦力の欲しかった為U-65は戦闘にかりだされた。
初仕事のパトロール航海を終えて帰港して食料や弾薬を詰め替えている最中に
突然、弾頭が爆発して5人の作業員が犠牲となった。その中に「シュヴァルツェ
(黒い奴)」というあだなの2等航海士が含まれていたが、その後たびたびU65に
姿を現すことになった。それ以降U65は敵艦を撃沈するなどのいくつかの功績を
あげながらも、「シュヴァルツェ」の幽霊が出るとの噂が絶えなかった。
幽霊騒動のほかにも、艦長が飛んできた爆弾の破片によって首をもぎ取られた。
一人の魚雷砲手は正気を失って海に身を投げた。機関主任は滑って脚の骨を折り、
砲兵の一人が波にさらわれて海に消えた。
奇妙な事件を起こし続けたこのUボートは、敵のアメリカ軍の潜水艦の眼の前で
いきなり大爆発して海に沈んだ。
221あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/19 21:43

 ∧⊂ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 (゚ー゚)ノ <  あげまーす。ケイレイ
. (|   |   \_____________
 ∪∪
222好爺:02/10/19 22:45
将門の首塚では、奇怪な事件が起きている。
関東大震災で、大蔵省の建物が焼け落ちたため、首塚は壊され、その上に大蔵省の
仮庁舎が建てられた。しかし、大震災の3年後、蔵相早速整爾が突然病死し、
さらにあいついで14人の役人が次々と死んでいった。そこで将門の祟りだと騒がれ
首塚は復元され、鎮魂祭も行なわれている。
さらに、終戦後アメリカ軍が取り壊そうとした時も、ブルトーザーが突如転倒して
運転手が死亡した為、工事は中断した。
223あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/19 22:48
それ、不思議な話だよね。
224世にも奇妙な押尾学:02/10/19 23:01
>>211
ばね足ジャック…何か微妙な名前…。
切り裂きじゃあないんだよね。う〜む…何かばね足のほうが
オカルトチックなことしてるね。

>>214
そうなんだ〜狐かぁ〜
確かに西洋じゃあ聞かないもんなぁ。
でも狗神とかもそうだけど憑き系って何となく
田舎とか行くとありそうな勝手なイメージがあるんだよね。
225ディル ◆C9gDYnH7po :02/10/19 23:02
ERROR:2重カキコですか??
       
うっるせぇーよ!!ばぁか!!サーバ破壊すんぞ!!!
くされダニやろうが!!

226あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/19 23:31
サラスヴァティの涙、と呼ばれる有名な宝石がある。
小指の爪ほどの大きさのサファイアで、白銀の台座に填め込まれ指輪となって
おり、カットも平凡で微かに緑がかった青は強烈な自己主張をするでもなく慎
ましく輝いている。確かに美しい石ではあるが、希少価値を主張するほどの逸
品ではない。この宝石の高名は宝石自身に由来するものではなく、この宝石に
纏わる奇譚に依るのだ。

サラスヴァティの涙、の来歴は明かではない。サラスヴァティとはヒンズー教の
神話に登場する学問と英知の女神で額に三日月を戴く白い肌の優美な女性として
表現される。日本で弁財天と呼ばれている女神のことだ。しかし、この宝石とイ
ンドとの関わりは不明である。初めて記録に登場するのはフランス、それも十九
世紀末のことである。

パリの郊外に居を構えるジャン・ピエール・ボルフォールは海運業で財を成した
実業家である。彼の若き日の数々の冒険譚は興味深く南大西洋で巨大な海蛇と遭
遇した話などもあるのだが本筋から逸れるので今回は省略することにして、彼が
ある初夏の昼下がりに近くの公園を散歩している時に一人のジプシーの老女に出
会った。
その老女は指輪や首飾りなどの装身具の行商をしているようだった。特に興味の
なかったボルフォールはそのまま通り過ぎようとしたのだが老女に声をかけられ
て足を止めた。もちろん彼は購入する気などなかったのだが、老女は一つの古ぼ
けた指輪を取り出して無料で進呈すると言う。彼はその指輪を手に取って眺める。
それほど価値のある物とも思えない。いくら無料とは言え、貰っても仕方がない
と考えた彼は返そうとしたが、目を離した僅かな隙にその老女は煙のように消え
ていたという。結局、彼はその指輪を持ち帰ることにした。これがサラスヴァテ
ィの涙である。
227あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/19 23:32
数日後より、彼の身には恐ろしい災難が降りかかった。五十を過ぎても豊かだっ
た自慢の金髪が、突如として抜け始めたのだ。頭頂部は既に地肌が見えている。
彼は恐怖し、混乱した。この災厄は老女に貰った宝石の呪いに違いない、そう考
えた彼は即刻宝石を手放す決心をした。かといって捨てるのも躊躇われる。考え
た末、彼は商売敵のジョルジュ・フェリエに匿名で送りつけることにした。
フェリエは喜んだ。吝嗇家の彼には、たとえ来歴不詳の宝石であれ送り主が不明
であれ無料で手に入れたという事実自体が喜びだったのだ。しかし程なく、この
フェリエにも恐ろしい災難が降りかかる。屋敷の階段の三段目を踏み外して滑り
落ち右足首を捻挫してしまったのだ。この宝石の呪いに違いない、そう考えた彼
は使用人のディーニュにサラスヴァティの涙を二百フランで売り払った。
ディーニュも呪いから逃れることはできなかった。モンマルトルの雑踏の中で十
五フラン入りの財布をすられてしまったのだ。これもこの宝石の呪いに違いない、
そう考えた彼はサラスヴァティの涙を通りすがりの浮浪者にやってしまった。そ
してその浮浪者は酒屋の蔵から盗んだワインで酔っぱらい、セーヌ川に落ちて風
邪をひいた。
サラスヴァティの涙は、たまたま近くを泳いでいた野良猫に拾われた。その野良
猫は陸に上がった途端野良犬に襲われ尻尾の先を食いちぎられて指輪を奪われ、
その野良犬は馬車にはねられて右前足を骨折した。御者はその宝石を拾い、脇見
をしているうちに溝に落ちて膝を擦り剥いた。そして御者は家に帰り妻にその宝
石をプレゼントしたが、妻は料理の際に熱い鍋を掴んで指先を火傷した。その息
子がその宝石を持って学校に行くとガキ大将に殴られて取り上げられ、ガキ大将
は罰としてバケツを持って廊下に立たされた。役得としてその宝石を入手した教
師は悪性の水虫にかかり、その妻は出入りの酒屋との浮気がばれて家庭争議にな
った。そして、その後もサラスヴァティの涙は数多の人々の手を渡っていく。

228あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/19 23:32
もうおわかりだろう。この宝石、サラスヴァティの涙は持ち主に不幸をもたらす
呪われた宝石なのだ。その呪いの手は長く、逃れられた者はいない。確実に持ち
主に不幸をもたらしていく。まさに身の毛もよだつような恐ろしい話である。こ
の宝石の元々の持ち主は誰なのか、何故呪われているのか、それらは謎のベール
に包まれている。だが、この宝石の存在も呪いの存在も、紛れもなく事実なのだ。
このサラスヴァティの涙であるが、現在は巡り巡って日本の国立民俗学博物館に
ある。もっとも収蔵庫に納められたままで一般展示はされていない。いわば日本
という国が持ち主になったわけだ。国立民俗学博物館の所有になったのは199
2年のことでバブル経済崩壊の時期とほぼ一致するが、これは偶然であろう。
そして、さる筋から聞いたところによると、まもなく日本はこのサラスヴァティ
の涙を手放すという話だ。国連に寄付されニューヨークの国連本部に展示される
というから、世界全体が持ち主になると言ってもいいだろう。
じゃあ、北挑戦には影響がないのね。
>>228
じょんいるにプレゼントしようよ・・・
231好爺:02/10/20 08:29
役行者:えんのじょうじゃ(役小角:えんのおづぬ)は、699年(文武3年)に
「妖術を使って世間を混乱させた。」と云う理由により伊豆大島に島流しとなった。
だが、彼は、昼間はおとなしく伊豆大島で修行していたが夜になると雲に乗って
天城や箱根、さらには富士山へと飛び、明け方になると島に戻っていた。
それどころか、大陸にまでも渡っていたらしい。『日本霊異記』によるとある日本の
僧が中国に行く途中に新羅で法華経を講じたところ、聴衆の中から日本語で質問
してくる者があった。そこで名前を尋ねると「役優婆塞:えんのうばそく」(役行者の
別名)と答えたと言う。
232あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/20 08:36
金スマの週末占い...
233あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/20 08:39
>>228 なんか全然こわくない呪いなのね。。。

>>231 待ってました!
234あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/20 10:40
>228

大体だな。野良猫が食べたこととその猫を犬が襲ったことをなんで人間が知っているんだよ。
235あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/20 10:43
凄い伝説がある。

俺は給食を持ったまま転んだが、中身を一切こぼさなかった。
しかも3回も。

遠い昔の話でさぁ・・・
236あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/20 10:48
>>235
逸話の方かな・・・?
サラスヴァティの涙って
ものすご〜く控えめな呪いなのね。
昨日 赤玉出ちゃった。。。
>>238
画像うpきぼん
240好爺:02/10/21 00:33
1930年11月カナダのチャーチルから500マイル北にあるイヌイットの村で30人の村人
全員がいなくなると言う事件が起きた。もぬけの殻になったテントや小屋を調べると
火を使った跡には手付かずの食べ物がたくさんかけられて、ドアの横にはライフル銃が
立てかけられていた。食器に残っていた穀類を調べると彼らがいなくなってから2ヶ月は
経っており、さらに村から100ヤードほど離れた場所では7匹の犬が飢死にしており、
村のそばの墓地では墓が暴かれて遺体が運び去られていた。
襲撃の後もなく、ライフルも犬も置き去りにしながらなぜ遺体のみを持ち出したのか
全く理由のつけようもなかったが、ツンドラを越えたのではないかと判断され、
捜索隊が出されたが足跡一つ発見できなかった。
241944:02/10/21 01:33
>>240
聞いたことあります!
好爺さんのネタってどこから取ってきてます?
やっぱり自分の知識の蓄積から??
242あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/21 08:20
hey!
>>228 は星新一とかのショート小説っぽいような。
244あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/21 18:03
oh!
245あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/22 08:02
あげ
246山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/22 11:23
>231
しかも講義を受けていたのは虎だったので、この時行者は虎の姿になってい
たという事になる。
247あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/22 14:03
伝説というか、我が家の風習レベルなんだが。

ウチでは絶対に鏡を粗末にしてはいけないんだ。
なんでも実家にある鏡。 (三面鏡なんだけど)
ず〜と昔、その鏡から「神さま」が出てきて今後の未来を預言して
アドバイスして帰っていったらしい。
ひいじいちゃんしか見ていないんだが、当時28歳くらいだったから
ボケていたわけじゃあないらしい。
当時はどエライ貧乏で、8人兄弟だったのだ。
長兄だったひいじいちゃん以外は全員戦争で死ぬことになるが、死んだ兄弟全員が
自分に乗り移り、幸運をもたらしてくれると・・・
「困ったことがあれば鏡から兄弟たちが教えてくれる」と。
その後事業に成功してからも、鏡はキチンと大事にしてます。
割れたらお寺で供養するのだが、「鏡供養」のあるお寺があったらたぶんそこが
ウチの近所だよ。
だって始めたのはウチのひいじいちゃんだもん。
248あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/22 18:18
aeg
249あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/22 19:24
249 伝 
250あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/22 19:24
250 説   
251好爺:02/10/22 21:38
江戸中期の『見聞雑記』と云う書に九郎右衛門についての不思議な話が書いてある。
ある時、九郎右衛門は、弟子に早走りの術を教えていた。ところが、途中で空腹を
おぼえたため、弟子と共に姿を消し、近くでやっている婚礼をやっている家に入り込み
客にまぎれて料理を食べた。しかし、弟子は未熟だった為うっかりして術を破り、
姿をあらわした。客がそれに気づいて大騒ぎになり二人はあわてて逃げ出した。
252好爺:02/10/22 21:47
前述の九郎右衛門は松本藩の忍者である。隣の諏訪藩で御家騒動が起き、家老の
千野兵庫が悪い重臣達に欺かれ牢屋に監禁されてしまった。この時九郎右衛門は
頼まれて、姿を消して厳重に警戒されている牢屋に忍び込んだ。さらに兵庫にも
薬を飲ませて透明にして、誰にも見られずに牢屋の外までつれだし、無事に
江戸藩邸に送り届けたと云う。
253好爺:02/10/22 23:28
ある夜、藩主が九郎右衛門を酒宴に呼んだ時に「座興になにか忍びの業を見せよ」
と云った。九郎右衛門は「承知。」と言ったままただ平伏して、額を畳に擦り付けて
いるばかりだった。居並ぶ人々はどんな業を見せるのかと期待していたが何もせずに
時間だけが過ぎて行った。何もせずに平伏している彼の姿が滑稽に見えて人々の間から
失笑が漏れ出した。その時藩主の近くで舞っていた二十人近くの女達の悲鳴や絶叫が
起こり人々が何事かと驚いてそちらを見ると彼女たちは袂で顔を隠しながら、その場で
うつぶしていた。そればかりか彼女らの頭上から真っ赤な腰巻がひらひらと舞い落ちて
きたのである。一瞬の内に彼女たちの腰巻を剥ぎ取り、頭上に舞わしたのだが、
あまりにも早く九郎右衛門が平伏したままのようにしか見えなかったのである。
人々はそのことを知って、その神業に只唖然としたと言う。
254あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/22 23:32
なつかしいな!黄表紙だぁー
255好爺:02/10/23 00:16
九郎右衛門が弟子に黒豆を蜂に変身させる術を教えてやると、弟子はその術を得意げに
他人に見せてやった。そのことに怒った九郎右衛門が睨みつけると弟子が手にしていた
黒豆がふっとかき消えたと言う。
256あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/23 00:18
「稲生物怪録」やってくれ
257好爺:02/10/23 00:21
九郎右衛門が台所で夕食の支度を始めようとしていると、刺客が彼を狙って
忍び込み、物陰から隙を覗っていた。九郎右衛門は、土間で薪を割ろうとして
斧を振り上げ、薪を真っ二つにした。それと同時に物陰に隠れていた刺客の
片腕も肩から切落とされたと云う。
258ホープダイヤモンド:02/10/23 05:47
1666年にインドからフランス人貿易商が、お寺の像の眼にあったブルーダイヤモン
ドを盗んだことが、悲劇の始まりでした。
その2年後フランス王ルイ14世に売却し、彼はハート型にカットし、フレンチブル
ー・ダイヤモンドと名付けました。4カ月後、貿易商は破産しました。インドからの
帰りに溺れかけ、帰国と同時に野犬の群れに食い殺され変死体で発見されました。
その後ダイヤは、マリー・アントワネットに伝えられましたが、このルイ王朝は、
フランス革命に巻き込まれて、自らの臣民によって斬首されました。
その後30年ほど姿を消し、正体不明の男の手により、オランダの宝石商のもとに持
ち込まれ再研磨され、67.5カラットあったダイヤは45.5カラットまで研磨されたと
いわれてます。
ところがダイヤは正体不明の男の手に渡る事はなく、宝石商の息子が盗み出しまし
た。そして宝石商親子は、罪を嘆き共に自殺を遂げてしまいました。
「呪われし者」として知られたアブドゥル・ハミも、ホープ・ダイヤモンドを所有
したと言われてます。息子に玉座を追われたハミは無一文の狂人として死にました。

その後ブルーダイヤはロンドンにその姿を現します。入手経路は分かりませんが、
実業家エリアソンが手に入れたのです。彼はダイヤを手に入れて数日後、落馬で死
亡しました。そして、彼の遺品であるダイヤが1839年ロンドンのオークションに出
展されました。
259ホープダイヤモンド:02/10/23 05:48

呪いの噂は誰もが知ってはいましたが、ダイヤの価値はもちろん、数々の伝説から
誰もが手に入れたがりました。呪いのブルーダイヤを競り落としたのは、実業家の
ヘンリー・フィリップ・ホープでした。ホープ・ダイヤモンドの名は、彼に因んだ
ものです。彼は、オークションでホープを手に入れたときが人生の絶頂期で、それ
からは坂道を転がるかのように多くの不幸に見舞われました。人々はそのホープの
人生に注目しました。その期待に応えるかのようにホープは落ちぶれ、ダイヤを
買った数年後に破産、ホープも死亡しました。だが一族はこのダイヤを手放さず、
ホープ家は4代に渡ってダイヤを所有、そして一族は地に落ちました。そしてこの
ダイヤは、呪いのホープダイヤモンドと呼ばれるようになるのです。

そして、ついに手離れたホープダイヤモンドをあのカルティエが購入しました。
260ホープダイヤモンド:02/10/23 05:50
1909年カルティエは、買ったばかりのホープ・ダイヤを新聞王、アメリカ
人のエヴァリン・ウォルシュ・マクリーン婦人に売却します。ブルーダイヤ
はその呪いの威力を弱めることなく発揮しました。1918年、マックリーンの
長男が交通事故死しました。さらに夫の浮気が原因で、評判だった夫婦仲に
亀裂が走り、娘までも睡眠薬の飲み過ぎで変死しました。その数ヶ月後には、
マックリーン夫人も肺炎で病死しました。

1949年マクリーン婦人の遺産の中からハリー・ウィンストンがホープ・ダ
イヤモンド買いました。これを、飛行機で運ぶとき、ニュースとなりました。
ハリーの隣りに座っていた乗客が、ハリーとは知らずに、”この飛行機に
ハリーウィンストンが、あの有名な呪われたダイヤモンドもって、搭乗して
るらしい…。飛行機が、墜落するかも…”と語ったそうです。ハリーは、
宝石商としてホープに認められたといわれています。しかし、そのハリーは、
10年間所有した後、スミソニアン博物館に寄贈しました。その後何も起こら
ないところを見ると、魔性の石はようやく安住の地を得たのかもしれません。

紺碧に輝く希望の石-ホープは、その所有者に災いをもたらしてきたダイヤ
として知られます。身に付けると人間にマイナスの作用を及ぼす電気的痕跡
が放出されていて、それを身につけた人はストレスや体力低下、いらだちな
どで自分を見失い、病気、自殺など人生そのものがマイナスの方向に作用し
ていったのではないかという仮説もあり、中には、社会的状況などが原因と
なった者もいるでしょうが、所有者たちがダイヤを身につけていたことを考
えると、周囲の者の死もそのマイナスの作用の結果ではないかと考えられる
のです。あの有名なマリリン・モンローも、主演映画の中で、本物のホープ
ダイヤを身につけました。彼女の変死も周知の事実です。

そして、真偽は未だわかりません。
マリリンが「紳士は金髪がお好き」で身に付けたダイアモンドはホープではないよ。
マリー・アントワネットが所有していたという、大粒の黄色い涙型のダイア。
誰からプレゼントされたのかは不明。
彼女は宝石類を殆ど持たない人だった。5年前、彼女の遺品の展覧会で黄色いダイアを
見た。20カラット以上はあったね。サイズの小さいレプリカデザインのダイアを売ってたっけ。
スレ違いなんでsage。
262好爺:02/10/23 11:58
小野篁は、遣唐使として選ばれたが、二度航海の途中で失敗し、三度目のとき藤原恒嗣と
意見が対立して、仮病を使い乗船を拒否した。このため嵯峨上皇から絞首刑を命じられたが
藤原良相が罪が軽くなるように頼み、壱岐への流罪に変更された。
その時に「和田の原 八十嶋かけて漕ぎいでぬと 人にはつげよ海士の釣舟」と詠んだ。
この歌は百人一首にも入っている。さて篁はそれから一年余りで赦免状が届き、都へ戻り
出世して参議へ昇進した。
それから暫くして藤原良相が病気で死去してしまった。閻魔の使者に捕えられ、閻魔宮で
罪を糾弾される事となった。その時に閻魔の臣の中に篁がいた。
篁は死罪を流罪にしてもらった恩義を感じており、閻魔に「この人は善心の持ち主で世のために
まだ必要な人です。」と懇願した。閻魔はそれを受け入れたため良相は蘇生した。
蘇った良相は篁に会い、「冥土で助けてもらって、かたじけない。でも何故そこにいたのか。」
とたずねても篁は「他言無用」と答えるだけだったと言う。
263あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/23 18:06
篁自体が地獄の審判だった,という話はありませんでしたっけ.
昼は人間の役所,夜は地獄の役所で働いているとか.
264山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/23 19:07
>263
「今昔物語集」その他に記されております。六道珍皇寺や引接寺に縁のある
人物で、珍皇寺の井戸を通って冥界とこちら側を行き来したとか。
珍皇寺の井戸は今でもお盆になると鐘の音に引かれて御先祖様達が戻って来
られるのに使用されると言われております。
ここにはしょって記すよりは原典をお読みになられた方がよろしいかと。
「稲生物怪録」も同様。というよりあれは検索かけた方が早い。
265好爺:02/10/23 22:51
アブラハム・ジョンソン博士が或る日、或る名家の若い娘を診察にゆくと若い娘は
妊娠していた。両親は家の恥だと悩んでいたが娘は自分が絶対に処女であり、
恥ずかしい事は何もしていないと主張して譲らなかった。博士はこの娘の真剣さに
思わずほろりとして交合なしでも妊娠する場合があることを証明してやろうと思った。
博士は苦難の末“女性を受胎させる有機体の分子”を採取する為の機械を作った。
博士は一人の小間使いを実験台にする事にした。彼女の口から例の分子入りのスープを
慎重に飲ませた。それから病気という口実で、彼女を修道院に監禁した。彼女のそばには
牡の犬さえ近づけなかった。やがて彼女に妊娠の徴候が現れた。すると彼女は博士に告白
した「実は3年前ある牧師に誘惑された事があります。」これで実験の結果の子供である
事が判明したので博士はその子供が生まれると自分の子供として認知した。
266好爺:02/10/23 23:13
1637年4年間も夫と離れていたのに男の子を産んだマドレーヌは姦通罪で
起訴された。彼女の供述では『夢の中に夫が出てきてまるで現実と変わらない
愛撫をくわえたので、確かに自分でも妊娠したという感覚を味わった』と言った。
裁判所はこの供述を全面的に信用して無罪となった。
このときのモンペリエ大学の医者たちの意見は、『おそらく夫人の夢見た夏の夜で
部屋の窓は開け放たれ、彼女の夜具は乱れていて、そこへ西風が吹いてきて、
空気中を漂う小さな人間の胎児を彼女の体内に送り込み、彼女を受胎させたのである』
当時は西風が雌を受胎させる“有機体の分子”を運んでいると思われていた。
当時は科学者もロマンティクだったんですね。
267あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/24 08:03
age
268好爺:02/10/24 08:27
出雲の国に調介と言う裕福な百姓がいた。或る日、調介は、友人の家に行ったが、
床の間にたいそう美しい女性の姿絵がかけられているのに気がついた。
調介が思いつめたようにその絵を見ながら「もしこのような美人が生きている
女だったら全財産を投げうっても惜しいとは思わないな。」といった。
「本当にそう思うのなら生きている女にする秘術があるのだが、ためしてみるかい?
その気があるのならこの絵をお前にあげよう。」
「まさか、そんな馬鹿なことが・・・。」
「試した事はないが、疑いながらやってもうまくいかない。本気でやらないと駄目だ。」
「悪かった。俺は本気だ。是非教えてくれ。」
「わかった。それでは教えよう。この絵に向って真剣に呼びかけるのさ。一日も欠かさずに
誰の目にもふれない密室で、百昼夜つづけるのだ。すると絵がお前の言葉に応じるように
なる。その時、八年ものの古酒を絵に注ぎかけるのさ。その瞬間この美人は生きた人間に
なるそうだよ。」
調介は「まさか」と思ったものの、「ありがたい。恩に着るよ。」といい、
友人から絵をもらうと急いで家に帰った。
269好爺:02/10/24 08:47
・・・つづき
それから、調介は一室に閉じこもり絵に真剣に呼びかけた。すると不思議な事に
ちょうど百日目になって絵の美人は「私をお呼びになったのね。」と答えた。
調介は準備していた八年ものの古酒をその絵に注ぐと絵の中から美人が飛び出した。
調介は早速食事をを整え彼女の前に差し出したが、彼女は普通の女性と変わらない
ように食べた。良く話をするし、笑顔型ならなく素敵だった。
調介はこの女性を妻にし、子供も生まれた。絵をくれた友人にはお礼をし、恩に報いた。
やがて、疎遠になっていた従兄弟の進兵衛が訪ねてきた。進兵衛は妻子がいることに
驚き、「なんと美しい奥方だ。いつのまに何処から向かえたのか。いままで知らせない
とは、ひどいじゃないか。」調介は「悪かった。」というばかりだった。
しかし、進兵衛が執拗に聞くので小声でいきさつを話した。
進兵衛は驚き、顔色を変え「それは、妖術に違いない。その女は妖婦だ。
幸い私は稀有の名刀を持っているのでそれを貸そう。その刀であの女を殺しなさい。
そうしないと、どんな災いがあるかわかりませんよ。」と進兵衛は忠告した。
調介は半信半疑でその名刀を預かった。
270好爺:02/10/24 08:56
・・・つづき
進兵衛が帰ると妻はいつもと異なる険しい態度で調介にいった。
「わたしは、南方に住む仙人です。たまたまあなたに望まれ、この数年妻として
暮らしてきました。でもあなたは進兵衛の言うことを信じて、私に疑いを抱いた。
こうなっては、此処にとどまる事は出来ません。」
そう云うなり、調介が注いだ古酒を吐き出し、子供を抱きかかえると、
空中に消えてしまった。調介は必死に妻を抱きとめようとしたものの、すでに妻と
子供の姿はなかった。調介は「なんと愚かな疑いをだいたものだ」と後悔した。
調介は妻の面影を求めて蔵の中からあの絵を取り出した。なんと不思議な事に
そこに描かれていたのは妻が子供を抱いている絵だった。
いくら眺めても、呼びかけても、絵の中の妻は何もいわなかったという。
271ななし:02/10/24 12:52
マリリン・モンローが身につけた写真がある黄色のダイアの名前は
「バローダの月」これを身につけると有名になるという噂があったらしい。
272好爺:02/10/24 20:41
あまりにも有名な果心居士の話
果心居士が京都で地獄絵をひろげて説法して評判になっていた。
それを聞き付けた織田信長が果心居士を自分の屋敷に呼び寄せて評判の地獄絵を
披露させた。迫力の或る絵だったので信長は欲しくなり「買い上げてつかわす。」
といったが、果心は「商売道具の絵だからゆずれない。もし買い上げるなら黄金100枚
を頂きたい。」といった。信長はむっとしたがあきらめた。
ところが、信長の家臣で荒川と言うものが果心居士の態度が不遜だと立腹して町外れまで
つけて行き、いきなり襲い斬殺した。地獄絵を奪い、信長に届けたがそれは白紙だった。
273好爺:02/10/24 20:49
・・・つづき
数日後「果心居士が北野天満で説法している。」との噂が伝わり、荒川は
確かに殺したはずだとそこに行くと確かに果心居士は生きていた。
荒川は果心を捕えて奉行所に突き出し「この妖術使いを処罰してほしい。」
と申しでたが奉行はそれまでの経緯を聞くと果心居士に理があると判断して
逆に荒川を拷問にかけて処罰した。
荒川には弟がいて兄の仇だとつけねらいある日討ち取り首を切落とした。
しかし、まもなく首のない死体が起き上がって歩き出し、いずこともなく
姿を消してしまったと言う。
274あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/25 17:35
age
275好爺:02/10/25 19:18
平安の頃、御所に武徳殿と云う殿舎があり、そこの東には縁の松原が広がっていた。
その松原の西を3人の美しい婦人が東へと向って歩いていたところ、松の下に美しい
顔立ちの男がたたずんでいた。男は一人の婦人を手招きすると婦人はうっとりとして
男のほうへ行った。彼女は男に手を取られて木の下で語り合っていた。
ところが、やがて話し声が全く聞こえなくなった。怪しんで木の下を探したところ
婦人の折れた手足だけが木のそばでみつかったが、首と胴体は何処に消えたのか
なくなっていた。御所の護衛を担当する物が知らせを受けて調べに行ったが、
死体もそこにいた人々も姿を消していたと云う。
276山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/25 19:26
>275
大した事じゃありませんが、宴の松原では。出典の「今昔物語集」には
この手の話が多いので興味がおありの方は是非ご一読を。
277好爺:02/10/25 20:54
>>276
出典は、原本ではないですが、『三代実録』からで“縁の松原”となっているようです。
確かにこの話はかなり有名で『今昔物語集』にもでているようですね。
でも、原本を読むにはどちらも口語文訳でもないとつらいですけどね。
「宴の松原」と言うが、実際には相当寂れた場所だったらしいよね。
本当は「縁(=フチ、境界)の松原」だったのが、「鬼が宴をしそうだ」ということで
「宴の松原」になったのかも。
279好爺:02/10/25 21:54
オカルトとは少しずれるけど面白い話なので・・・。
1935年ニューヨークの近代美術館でゴッホの大展覧会が行なわれた。
その頃、ゴッホはまだ今ほど有名でなくゴッホの作品よりもむしろ例の耳切事件など
をはじめとするこの作家の狂気のエピソードに猟奇的興味を寄せているにすぎなかった。
そのため展覧会には連日のごとく人々が大挙して詰め掛けたが、壁にかけている絵よりも
『ゴッホの自ら切断した耳』に殺到していた。
だがそれは、無論本物ではなくヒュー・トロイと言う男の作った偽物であった。
280あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/25 22:40
画家は死ぬ前に耳を切っておけ,と.
281山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/25 22:58
>277
成る程。こちらは「大鏡」からです。今昔はページをめくるのもしんどい。
282好爺:02/10/26 01:05
江戸時代上州高崎に横田保庵という医者がいた。るんと云う妻と仲むつまじく暮らしていたが
保庵の医者としての評判が高まるにつれ、「江戸へ来て欲しい。」との誘いがかかり
「江戸で修行してくる。」と単身江戸へ出かけた。当初は真面目に修行していたものの
まもなくある女性と世帯を持ち、医者を開業した。妻のるんが心配して江戸へ使いを
出したが、その使いは保庵からの離縁状を持って帰ってきた。るんはそれが信じられずに
保庵に直接会って確かめようと江戸へ出かけたが、保庵はるんの話に耳を貸さずに
「高崎へ帰れ。」というばかりだった。るんは失意のまま一人で高崎に帰った。
その後江戸の妻が保庵の子を産んだものの一年もしないうちに病死し、しかも二人目、
三人目とも子供が生まれてすぐに死んだ。さすがに保庵もるんの怨念ではと恐れた。
やがてるんは嫉妬のあまり病を患い亡くなった。その知らせを聞いた保庵はさすがに
気がとがめたのか、るんを哀れにおもったのか墓参りに帰郷した。
るんの墓で花を供えて頭をたれた瞬間、るんの死霊が摂りついたものなのか、保庵は
顔を恐ろしげにゆがめ、わけのわからない事を口走りはじめた。さらに自分で自分を
殴りつけ、地面を転がった。そばにいたものが保庵を取り押さえ引きずるように
るんが住んでいた家に連れて行った。だが、保庵はさらに異常になり、うつろな笑い声を
たてながら、自ら柱や壁に体をぶつけた。そして数日後、熱病を患ったようになって息絶えた。
283山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/26 23:35
ある時、悪夢を見て目覚めたフリードリヒ大王は夢占い師を呼びつけて夢判
断を命じ、次のような事を語った。
彼が夢の中で明るく輝くプロイセンの星を眺めていると、ギラギラと輝く別
の巨星が近づいて来て、プロイセンの星を落としそうになった。
ぶつかりあった星の戦いは最後にはプロイセンがかろうじて勝利して終わっ
たが、これの意味を知りたい、と。
すると夢占い師は「此度の夢は我がプロイセンにとって脅威となる、例えば
戦の天才の様なものが生まれた知らせに御座います。」と答えた。
仰天してプロイセンの命運について聞くフリードリヒ。だが夢占い師は運次
第としか答えなかった。
結果その日の朝はフリードリヒが悩んでなかなか便所から出て来なくなった
訳だが、ちょうどその頃遠く離れたコルシカ島で一人の男児が生まれていた。
その名を、ナポレオン・ボナパルトといった。
284好爺:02/10/27 08:54
享保年間のこと、三河国にいわと云う25歳の女性が住んでいた。
彼女はひどく神経質で、夫の帰りが遅いときなどいらぬ勘繰りををして暴れた。
思い込みが強く、夫を誰にも取られたくないと暴れだし、ついに夫はいたたまれなくなり
夫はひそかに逃げ出してしまった。彼女は気づいてあとを追いかけたものの夫の姿は見当たらない。
やがて歩いていくと村人が林の中で死人を火葬しているのが見えた。
彼女は燃える火を見ているうちに神経が切れてしまい、誰もいないのをいいことに
彼女はは半焼けの死体を死骸を火の中から引きずり出し、腹を裂いて内臓をつかみ出し
鉢に入れるとまるで素麺でも食べるように貪り食った。
そこへ村人達が火葬の様子を見に来ると彼女の姿は、まるで地獄の餓鬼のように見えた。
村人達は驚いて彼女を追い払おうとしたが、彼女は獣のように唸り声をあげ、叫ぶように
言った。「こんな美味いものはないぞ。お前たちも食べるが良い。」
彼女は血まみれになって暴れたが、やがて内臓の入った鉢を持ったまま何処かへ
行ってしまった。その夜、僧が近くの山寺で内臓を食っている彼女を見つけ
村中で彼女を追ったが、捕えることは出来ずに、その後彼女を見る事は無かったと云う。
村人達は「愛しい夫に逃げられ、生きながら鬼女になった。」と噂しあった。
285好爺:02/10/27 20:30
大和国松塚村の大山川には陰火出るようになった。
松塚村の小右衛門と言う百姓が「怪しげな陰火の正体を確かめたい。」と思い
ある日、陰火がよく出没する所へ出かけた。すると陰火が北から南へと飛んできた。
小右衛門の方向へ飛んでくる格好になったから、彼も誘われるように歩み寄った。
陰火が小右衛門の前に来ると不意に高く飛び上がり小右衛門の頭上を飛び越えて
いった。小右衛門は手に持っていた杖で陰火を打ち据えた。打たれた瞬間
陰火は砕け散って数百の陰火となって小右衛門の周りにまとわりついて離れない。
小右衛門はおびただしい小さな陰火を杖で打ち払いながら家に帰った。
ところが、小右衛門はその夜から病になり、手当ての甲斐もなく、息を引き取った。
このため、人々は「陰火が小右衛門を病死させた」と噂しあい、この不思議な陰火は
『小右衛門火』と呼ばれるようになった。
286あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/28 08:25
age
287あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/28 18:20
age2
288好爺:02/10/28 20:33
小倉藩主小笠原家江戸屋敷にうのという美貌の奥女中がいた。
ところがある日、突然行方不明になった。門番は外出する姿すら見てなかったと云う。
親許に連絡すると両親も何も知らずに、おろおろするばかりだった。
屋敷の者達が心配したものの何の手がかりが得られぬまま20日ほどが過ぎていた。
そんなある日ある女中が手水を使おうとしてふと下を見ると手水鉢へ白い手が伸びて
貝殻で水を飲んでいた。女中は悲鳴をあげ、気絶した。その声を聞きつけて人々が
駆け寄ってくると、怪しい女が縁の下へ潜り込もうとしていたので、男達はそれを
取り押さえた。驚いた事にやせ衰え、薄汚れてはいるものの、よく見ると行方不明に
なった奥女中のうのだった。彼女に水を飲ませた後に「一体、何処に行っていたのだ。」
と問いただすと、うのは澄ました顔で「私は良縁があって嫁ぎ、今では夫のある身。
何一つ不自由はなく、楽しく暮らしているのです。」と答えた。あまりにもおかしいので
何とか言い含め嫁いだ先へ案内してもらうとそこは縁の下だった。それもずっと奥の方へ
筵を敷き、欠けた茶碗などを並べてあるだけ。それでもうのは「此処が住まいです。」と言った。
夫の名前を聞いても「前に話した男ですよ。」と云うばかりで名前を告げなかった。
何かに憑かれたとしか思えなく、小笠原家ではしかたなく親許へ引き取らせた。
両親は、薬を与え治療させたがついに回復することなく死んでしまった。
289あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/28 20:39
age
290山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/28 23:19
青山忠俊は徳川家光の教育に関わり、家光が成長してからも度々叱り付ける
事があった。やがて勘気を蒙り遠ざけられたのだが、これには春日局が一枚
噛んでいたともいい、忠俊は憤死する直前に江戸の方角を向くと「おのれ、
春日の女狐め。必ずや半年の内に引きずり込んでくれるわ。」と叫んだとい
う。果たして春日局が病死したのは、その五ヵ月後の事であった。
291あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/29 00:41
川井越前守がまだ次郎兵衛といって御勘定吟味役を務めていた頃の話。

自宅でくつろいでいたときに、庭先で蘭の花の間から三尺あまり炎が立ち上るのを見た。
怪しいとおもい人払いをし、心を静めていたのだが、
炎はますます燃え上がり、隣家との境の板塀から異形の大男が槍を振り回し飛び降りた。
川井はなおも臍を固め両目を閉じ、黙然と半時ばかり対座した。
やがて怪異は収まりほっとしたところ、何やら隣家が騒がしい。
家人に聴きにやらせたところ、隣家の主人がいきなり乱心に及び、刃物を抜き放ちて
荒れ狂っていたらしい。
川井が隙をみせなかった故、かの異形の者は隣家に載り違えたのであろう。

(「思出草子/東随舎著」享和六年)
292文鳥ちゃん:02/10/29 00:53
もういっちょ。

高野山の近くの白髪畑(しらがのはた)という高い山の麓では、若い女がよく行方不明に
なっていた。怪しいものが出るとの噂があった。
ある夕月夜、近隣にすむ若き男女が駆け落ちをし、道を急いでいたところ、
後ろから何者かが追いかけてくる。それが追い越す瞬間、いきなり女を抱きかかえ、疾風のごとく
走り去った。
大事なものを奪い去られた男は、女を求めて山路深くわけいった。
ついに谷川に至ったところ、向こう岸に女を発見した。喜んだ男は
「おーい」
と声をかけた。橋は向こう岸に引き上げられてる。
「その橋を早くかけろ!」
しかし女は頭上の松ノ木を指して泣き出した。
男が見ると、松ノ木には怪物が登っており、下の女を睨んでいたのだ。
男が来たのをみすかして怪物はするすると木をおりると、
目前で女の体から臓物を引きずり出すと、喰いつくしてしまった。あまりのすざましい光景に男がへたりこむと
怪物は息絶えた女のなきがらを松の枝に逆さづりにした。
気を失った男は二人を追った村人達に発見され、そこで一部始終を告げた。
それからというもの、その山には誰も足を踏み入れなかった。

(「遊京漫録/清水浜臣」文政三年)

わざわざ男がきてから女を惨殺、というのが怖かったです。
>>292
((;゚Д゚)ガクガクブルブル
294あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/29 09:17
あげるけど?
295好爺:02/10/29 11:39
771年11月15日肥後の八代に住む広公と云う男の妻が卵を産んだ。
生まれてきたのが卵とは異常で人の目にふれては具合が悪いので、山の中に隠しておいた。
しかし、気になってしょうがなくなった広公は7日目にそっと山に行って見たところ、
卵がすでに割れていて女の子が生まれていた。広公は女の子であれば問題ないと安心して
女の子を家に連れて帰った。妻もそのことを喜んだ。それ以来二人は女の子を可愛がり
大事に育てた。女の子は生まれながら賢く、7歳の頃には経を詠む様になった。
ところが、どうしたわけか成人しても、成人しても身長は三尺五寸(約1m5cm)しかなく
顎もなく、女陰もなかった。その娘はその後、尼になったと云う。
296文鳥ちゃん☆1/2 :02/10/29 18:47
出羽・陸奥の境に森山大蔵という侍がいた。ある夜、山道を行くと、誰かが
「穂に出る枯れ尾花、たずね来しな、浮き寝の夢・・・」と、謡っている。
こんな夜更けに謡とは、と声のするほうに行ってみた所、そこでは朽ち果てた髑髏が謡っていた。
髑髏は森山を見ると
「わが首に生い茂る草を刈り取って欲しい」といった。森山はその通りにしてやった。
「これで自分の苦しみも消えた。ありがたき武士の情け・・・。」
あまりにも奇異な話故、あくる日森山は殿様をはじめみなの前で昨夜の話を披露したのだが、
当然のことながら誰も本気にしない。弁解すればするほど、面目を失うばかり。
こうきたら、森山も後には引けぬ。
「よし、このことに偽りあらば、一命を賭しても良い。」
そう答え席を蹴ると、さっそくかの山中に立ち入り、髑髏に声をかけた。
「生前はいかなるお人であったか存ぜねど、自分はかかる賭けをしてきた。昨晩の苦しみを救った例として
みなの前でものをいい、謡いをうたってほしい。」
骸骨は快く承知した。
297文鳥ちゃん☆2/2 :02/10/29 18:47
森山がみなの前に再び姿を現し、かの髑髏を殿様の前に差し出した。
しかし髑髏は謡わない。
「さあ、謡え!やれ謡え!!」
それもむなしく髑髏の口から声がもれることはなかった。
もういい訳もきかぬ。切腹も許されぬ。ついに約束どおり森山は裃をはぎとられ、後ろ手に縛られて、
殿様の前にて、首切り役人に斬首された。
 森山の首がコロリと地上に落ちると、そこでようやく髑髏は口を開いた。ガヤガヤと笑い、
「今こそ我が願い敵い、多年の本懐をとげ、恨みもはる月ののぼれば峰の松風・・・・・。」

このことは、以前森山が無実の家来を手討ちにしたことがあり、その恨みがこの髑髏にとどまり、積年の
あだを討ったものであろう、ということだった。

(「黒甜瑣語/人見芭雨」寛政七年)

なんか落語でもこのネタつかわれていたかな?結構有名かも。
298あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/30 00:08
299好爺:02/10/30 01:44
1750年頃ルイ15世に在オーストリア大使のベイアイル元帥がサン・ジェルマンと
名乗る不思議な男がフランスに来ているので一度宮廷に招いてみたらとすすめた。
ベイアイル元帥が言うには「何者かわからないが、恐ろしく博識で化学や錬金術に
関する知識は他に並ぶものがなく、黄金や不老長寿の薬まで作っていて、その上
途方もない大金持ちでもあるそうです。」
物はためしにとサン・ジェルマンを宮廷に呼んだ。
見るところ、年のころ40歳ぐらい。小柄な体を白いサテンのネクタイと黒いビロード
の服につつみ、高価な宝石をふんだんに身につけている。物腰も洗練されており、
なかなかの美男子ではあるが、特に変わっているようにも見えなかった。
ところが次の瞬間、挨拶したかと思うと突然ポケットから無造作に一掴みのダイヤモンドを
取り出し、テーブルにばらまいた。「どうぞ、お受け取りください。贈り物です。」
「こんな素晴らしい物をどこで・・・」
「買ったのではありません。私が作ったものです。」
これ以来サン・ジェルマン伯の名はパリ社交界に知れ渡ったと云う。
300好爺:02/10/30 06:13
サンジェルマン伯は暇があるといろんな突拍子もない話をして人々を煙に巻いた。
200年ほど前スペイン王国のフェルナンド五世の大臣をしたことがあると言い張り、
当時の極秘文章を懐から取り出して見せたたと云う。
また、彼の話しは聖書の時代まで遡り、キリストやシバの女王と親しく交際していた
とか、アレキサンダー大王がバビロンの都に入場する時も自分もその場にいたとか云った。
ある日、彼にあったジェルジ伯爵夫人がしばらく彼の顔をまじまじと見た後
「あなたは私が40年前にヴェニスでお会いしたかとそっくりですわ。でもあの時
あなたは45歳ぐらいでした。きっと人違いでしょう。」
「いいえ、マダム。確かにあなたが40年前にヴェニスであったのは私です。
あの時、あなたのご主人は確かイタリア大使でしたね。」と彼は言った。
この話しは、たちまち宮廷中に広まった。これが本当なら彼は90歳以上になって
いるはずだが、見た目には40歳ぐらいにしか見えないのだ。
此処まで来て人々はサン・ジェルマン伯がフランスにきて何年も経つのに
まだ誰も彼が食事をしている所を見たことがないのだ。晩餐会に招いても断るし、
たとえ出席しても、一切物を食べないし、酒すら飲んだ事はない。
そこで人々は、彼が不老不死の霊薬を持っているのではないかと噂しあった。
>>299-300
で、そのジェルマン伯は今いずこに?
流石にもう死んだ?(w
302あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/30 18:12
age
303好爺:02/10/31 02:38
>>301
サンジェルマン伯の最後は明確ではないがドイツのエッケンフェンデの教会に
「世にいうサン・ジェルマン伯又はヴェルダン伯爵。1784年2月27日死亡」と
記されている。死因はリューマチと鬱病ではなかったかと言われる。
しかし、1789年マリー・アントワネットにサン・ジェルマン書名の「最後の警告です。
ルイ16世を退位させなさい。」と云う手紙が届いている。また、彼女が捕えられた頃
彼女の侍女の一人がサン・ジェルマン伯を見かけている。
ほかにも、ナポレオンが彼に忠告を受けたとか、イギリスのチャーチル首相が彼に
会って助言を受けたとも言われている。
さらに最近では、1972年のフランスでリシャール・シャンフレーと云う若者が
TVに出演してキャンプ用のストーブで鉛を金に変えて見せた後、自分は
サン・ジェルマン伯爵だと名乗ったと云う。
304あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/31 03:02
「月光仮面」といっしょ
305好爺:02/10/31 08:17
サン・ジェルマン伯の不死性は、いかがわしいものはあるもののその他の技術は
相当な成果をあげているといっても良い。
有名な色事師のカサノヴァは「彼はひどく博学で、いろんな国の言葉が話せた。
大音楽家で、化学者でもあり、それに美容効果てきめんの不思議な化粧水を惜しげもなく
ばらまくので女達の人気者であった。彼は人々の度肝を抜く事を平気で口にした。
溶かしたダイヤからもっと良質のダイヤを1ダースも作ることが出来るとか、
エリクシールと云う特別なものを飲んでいるので自分は老いる事もなくもう何千年も
昔から生きているだなどと・・・。」
哲学者ヴォルテールは「サン・ジェルマン伯と云う男はあらゆる事を知っている」
と感嘆している。彼等ほどの文化人がこうも言っているということは只の変人ではないと
思われる。
306好爺:02/10/31 08:31
あるときサンジェルマン伯は、ルイ15世から傷のあるダイヤを預かると
一ヵ月後にはその傷を消してしまったと云う。
また、オーストリア領ネザーランドの総督コベンツルはサン・ジェルマン伯の
さまざまな技術をベルギーのトゥルネー工場で実用化することになった。
彼の秘術の数々、卑金属を貴金属に変える錬金術、絹などをカラフルな色に変える
染色技術、皮をなめして驚くほど滑らかにする皮革技術などである。
これらの秘術を提供すると言う約束でサン・ジェルマン伯は10万グールデンを
受け取ったが秘密の全てを渡さないでさっさと姿を消したものの秘術の一部のみで
その工場は大成功だったと云うからその秘術は実践的であっと考えられる。
確かダイヤって溶けないよな。もともと炭なんだから。
そういう、昔チックな不思議話からするとやっぱり日本の御伽噺みたいなものなのかな。
実在してたとするなら、ダイヤは溶けないって事も解ってるはずだし。
いいねぇ〜こういうの。
御伽噺一つにも国民性が現れてて。
あ、好翁さん。
あんましレスはつけないけど、毎日楽しみに読ませてもらってるです。
いつもありがとうごぜえます。
308山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/31 12:07
文政2年に書かれた「国郡志御用書上帖」に拠れば、芸州の野呂山には様々
な化け物が出ると言われていた。これはそのうちの一つ。
「当村和七と申者」今六十才ばかりなるも十八才の時、八月上旬七つ時この
山へ登ったところ「よいよい、と声をかける者有之」。「おい」と答えてふ
と向うを見ると十二、三才ばかりの「小童、天窓(あたま)に毛あり、惣身
の色赤くぼろを着たるごとく見えて、人にあらず」というものこれあり。
冷水を浴びせかけられたかのようにゾッとしてしばしその場に立ち竦んだが
「追々迫り来る故」恐ろしくなり、振り返りもせず逃げ帰った。
309山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/31 12:16
また「和七の弟新平と申者」二十七才の時十一月二十九日夕七つ時、
「この山へ参居候処」急に足腰が立たなくなり、出くわした者が驚い
て家までかついで運んでやったという事があった。
家人が介抱を続けたところ夜中になってようやく気付いたが「やれ恐
ろしや、やれ恐ろしや」と身を震わせるばかり。そうなった訳は一言
も言わなかった。
そのまま「右の方半身しびれ働ならざる故」医者じゃ薬じゃとあれこ
れ手を回したが、ついに治らず「翌年六月十日相果申候」。
病の間介抱の者らはあの時なにがあったのかと度々訳を訪ねていたが
「その節の事一切物語せず。」きっと口止めされているのであろうと
皆諦めていたが死の直前になって「山で小坊主に会うて恐ろしかった。
みんなもう山には行くな。」と言い置いて間も無く死んだ。それがた
だ一つの遺言であったという。
310山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/31 12:20
兄の和七は「わしが見た小坊主を見たな」とハッとした。それにして
も何故右半身が不随になったのか。おそらく血気盛んな新平の事、化
け物に会って懸命に山鎌で切りつけたに違いない。
「わしみたぁに逃げて帰りゃあえかったんじゃ。」和七は今更ながら
恐ろしがりまた口惜しがったが、どうにもならなかった。和七はそれ
以降60を過ぎた当時まで野呂山へは行かなかったという。
311山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/31 12:26
「又当村元吉と申者」早朝野呂山へ登ったところ小童を見た。「又長
七郎と申者」形はこれと同じとおぼしきも、小童にあらず背高く大人
のように見えるものを見た。
もしや「狒々」では無いかと村中の評判になった。「狒々は深山に住
む猿の年経たるもののよし」、「赤黒の総身の毛の生えたるさまぼろ
を巻きたるごとく見ゆるも」まさに狒々の正体か、小坊主の「よいよ
い」と言った事は「狒々」のかけ声かと言われたという。
312好爺:02/10/31 21:35
1952年に日本の漁船がある島に漂着した時に岩肌に角のある動物が彫られているのを
発見した。“ナガシマ”と云う日本人学者がそれに目をつけ、海賊記キャプテン・キッド
の財宝の話を思いついた。キッドのスペルは“Kidd”でコヤギは“kid”であることに
着目したのである。“ナガシマ”はそこを調査してある洞窟の中に入っていた。
そこには約5000万ドルの金貨や銀貨がはいった古ぼけた鉄の箱が、うず高く積まれていた。
彼はそれをひそかに日本に運んだが、その後なぜか、彼はその財宝とともに
姿を消してしまったと云う。
それが本当にキャプテン・キッドの財宝かどうかは定かではない。
313あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/10/31 21:56
今更ですが
果心居士って誰なんでしょう?
すいません無知で…。
>>303
一応、死んだとされる記録はあるんですね。
八百比丘尼とは違うかも知れないけど
不死に対する憧れが生んだ架空の人っぽいね。
ジェルマン伯は俗に露出し過ぎ(w
315文鳥ちゃん☆1/3:02/10/31 21:59
ある国を領する太守の奥向きに仕える者の中に、二人の美少女がいた。
この二人はとても仲がよく、また太守の覚えもめでたかった。
彼女たちは金弥、銀弥と呼び称されており、座するも一緒、床に就くのも一緒であった。
ある日金弥が病に冒され、父母の許に帰された。親元が遠かった故
その間消息はなかったが、二月ばかりのちにふたたび太守の元へとふたたび出仕できるようになった。
太守はもとより、銀弥もこれをたいへん喜んだ。
ある夜更け、金弥が厠にたったまま、なかなか戻ってこないことがあった。
これを心配した銀弥がなにげなく戸の隙間からのそくと、金弥が左右の手に火の玉を
もって、二つ手玉にとるようにしている。その玉の光に照らされた金弥の顔は
この世の者とは思われぬ妖気に満ち溢れていた。
銀弥は落ち着いた性格ゆえ、なにごとも見なかったふりをしていたが、あのような
怪異を目の当たりにした今となっては、心が千々に乱れ、落ち着くひまもなく、
とうとう床に伏すようになってしまった。
316文鳥ちゃん☆2/3:02/10/31 22:00
金弥はまめまめしく介護をした。が、時折銀弥の耳元で
「あなたの病気のもとは、物思いによるものではないのかしら。
近頃、なにか見たものありませんこと」
などと囁く。
銀弥はこれは、と思い何事もなかったふりをするのだが、
日々病気は重くなっていくばかり。
このうえは父母の元へ帰るにしかずと思い、銀弥は病のことを文にしたためた。
娘の手紙を手にした両親は驚き、娘のもとに医師をおくり、また祈祷師を
呼び、神に祈ってもらうことにした。師は両親に告げた。
「これには物の怪がついている。たいへんあぶないところまできておるが、
本日の夕暮れまで持ちこたえたら助ける法があるかも知れぬ。早々に呼び寄せ、
わたしのそばに置きなされ。」
あわてて太守の屋敷の近くに住む、銀弥のおばにあたる人に事情を話した。
おばは駕籠をよび、太守に親元で養生させたいと申し出、銀弥をひきとることとなったが、
分かれる際に金弥は、実の姉妹さながら、涙をながして銀弥を見送ったのだった。
317文鳥ちゃん☆3/3:02/10/31 22:01
おばは銀弥に祈祷師のことばをつげた。おばをのせた駕籠と、銀弥をのせた駕籠は
祈祷師の元へと急いだが、時間の余裕がない。道のりを半分すぎたところで、
空も次第に曇り、夕暮れがせまってきた。
そのときに、にわかに銀弥の駕籠のうちから悲鳴がきこえた。
どうしたものかと、たれを引き上げたところ、銀弥はなかであおむけに反り返り、
その顔面の皮がむきとられており、目鼻のわきまえもなくなって息絶えていたのである。
両親はすぐにこの一件を太守に訴え出て、太守側もこれは不思議と金弥をたずね探したが
どこにも姿は見えない。金弥の親元に問わしめたら、
「先来、病にて家にかえりましてから、二月ばかりしてから死にました。
その後、お屋敷にもぼったことはございません。」
との答えが返ってきのだった。

(「反古のうらがき/鈴木桃野」天保?年)

ちょっと思い出しましたが、
昔笑っていいともにKINYAというオカマちゃんがでていませんでしたっか?
(松金よね子・渡辺めぐみらと”ヨメキン”なるユニットを結成)
あんまりこの話とは関係ないですね。
318山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/31 22:40
>313
検索すれば出てきそうですが・・・織豊時代の幻術師で元興福寺の僧。松永
久秀や織田信長、明智光秀、豊臣秀吉らをたぶらかしたというがこれらは近
世の書や明治の「夜窓鬼談」によって流布した話で、実在したどうかも定か
ではありません。広島城下に住んでいたともいいますが。
319山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/31 22:43
>317
よくこんなマイナー書籍を読めましたね。嘉永2〜3年の成立だそう
です。編者は儒学者。
320好爺:02/10/31 22:53
>>313
果心居士は戦国末期に大和の国に現れたという幻術師です。
人から「術を見せて欲しい。」と請われると気軽に術を見せたと云う。
たとえば、水際の笹の葉をとり、呪文を唱えて水面に散らしたところ、
葉はたちまち大魚になって泳ぎはじめた
特に松永久秀や筒井順慶らの大名に依頼され探索や攪乱などの仕事したと言われている。
豊臣秀吉に招かれて幻術を披露したがその時に女性の亡霊を出現させた。
その女性は秀吉には思い出したくないような秘事だったので、怒って果心居士を
磔にする事にした。いよいよ刑が執行されようと云う時に鼠に変身した。
そして何処からともなくトビが飛んできてその鼠をくわえて大空へ飛び去っていった。
その後果心居士の消息は聞かれなくなったと云う。

山田風太郎などの忍者ものの小説にはよく出てきたりします。
321あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/01 08:15
age
キャプテンキッドで思い出したんですが、だれかビリー・ザ・キッドの詳しい話知りません?
323あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/01 18:21
あげ
324あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/01 22:07
逸話といえば。

現ダイエー監督の王さんが巨根なことは広く知られている。

現役時代、合宿所でのこと。
王さんが風呂でイスに座って体を洗っていたとき、
となりでやはり体を洗っていたある選手が熱湯を流した。
とたんに王さんは股間を押さえて「アツイ!!」と叫んだそうな。

また、娘さんがテレビで言っていたが、王さんは性教育だとして
風呂上りには娘達の前でもブラブラさせて歩いていた。
その後、娘達は父より巨大なブツを見たことがないらしい。
325あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/02 00:45
田中河内介の最後の話をしてください.
326あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/02 08:01
age
よこやりみたいで悪いんだが・・・
>>322みたいに知ってる人いるか?って聞くのはまぁいいとしても、
>>325みたいに〜の話をしてくださいって強制すんのはやめようや。
まぁ、言葉遣いの問題かもしれんがな。
ずっとネタ提供してくれてるお二方にもうちょっと敬意をはらってもいいんじゃないかと。
328好爺:02/11/02 10:31
>324
王さんがそうなのは知らんかったが、その逸話は歌手のディック・ミネ(名前通り!)
のものだよん。
330あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/02 14:44
age
実しやかに囁かれている数々の長島茂雄伝説は本当?
それともテレビ業界お約束の単なるネタ?
実際に会った事ある人以外は判らないだろうけど・・・
>>331
マジだと思う。
テレビで実際に流れてるのもあるし。
>>332
だから、そのテレビで流してるの自体がネタかも知れないでしょ。
テレビの流す情報なんてほとんど嘘なんだし
334文鳥ちゃん:02/11/02 22:41
>>319
イエイエ、私が書き込んだのは明治のなかごろ?に出版された
「日本の奇談」(というタイトルだったと思いますが・・・)
というオムニバス本からひっぱってきたものです。
叔父の遺品のうちのひとつで、表紙もなく、欠損ページが多く、状態も大変悪いのですが、
さまざまな怪談が引用されていて、お気に入りの本のひとつです。
当時から、古典から引用してまとめる、オムニバス本ってあったんですねー。
(編者は桐生操の先祖か?)
335山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/03 00:39
>334
成る程。私は昭和初期の妖怪ブームの時に出された本を何冊か持っています
が、古典の中からいくつか抜粋したものが何冊かあります。
336好爺:02/11/03 01:10
江戸時代中期頃、善右衛門はある武家から「五張の幕が欲しい」と注文をうけ、
吉田の町を探したものの三張しか集まらず、やむなく名古屋まで足をのばすことにした。
途中で日暮れとなったが、空には月がかかっていたので知り合いの宿で少し休みしただけで、
馬を仕立ててもらって名古屋に向った。馬子が知っているという近道を急いで進んでいると、
烏頭村という寂しい所にさしかかった。突如として激しい旋風が吹きつけてきた。
善右衛門は思わず頭を抱えて地面にひれ伏した。馬子も同じ様にしている。
息が出来ないほど苦しく、気が遠くなった。
まもなく、何者かが近づく物音がして、善右衛門はふと顔をあげた。少し先の林ほうから
仁王のような大入道が歩いてくるのが見えた。大入道は強い旋風の中びくともせず
坊主頭で身の丈は一丈三、四尺(約4m)ほどもあり、目が鏡のように輝き吸い込まれそうに
怖い。善右衛門は怯えて地面にしがみつき震えていた。まもなく大入道は地響きを立てながら
去っていった。
337好爺:02/11/03 01:21
・・・つづき
善右衛門は不審に思いながらもともかく名古屋へ向い、2張の幕を買い、宿に泊まった。
ところが、気分が悪くなり食事も喉を通らない。体が熱っぽく、頭痛もひどくなったので、
宿に医者を呼んでもらった。医者は「流行病のようじゃ。薬を飲んでゆっくり休むが良い。」
といい、帰った。だが、薬を飲んでもさっぱり良くならず、翌日駕籠をやとって、
吉田の自宅へ帰った。それから医者に治療してもらったり、薬を飲んだりしたが、
いっこうに効き目はなかった。
こうして、13日目に善右衛門は遂に帰らぬ人となった。
あまりの不思議さに人々は「善右衛門が出会った怪物というのは、疫病神だった
のではないか。」と噂しあった。
>>333
そうじゃなくて、テレビで実際にミスターがワケわかんない事言ってたっての。
それが他の番組で選手の誰かがミスターのおかしな発言って事で紹介してた。
だから、その他の噂も本当なんじゃないかって言ってんだよ。
>テレビの流す情報なんてほとんど嘘なんだし
今時こんな事かっこつけて言わんでも普通の人間ならみんな分かっとる。
>>338
おそらく大多数の住人は理解していただろうから熱くなるな。
保守
341好爺:02/11/03 22:40
清和天皇の頃の話
ある朝のこと、役人の一人が朝廷に出勤するとすでに上官の車があった。
上官より後に出勤するのはまずいと思い、急いで役所に駆け込んだ。
しかし、部屋を覗いてみると、明かりは消えているし、人の居る気配もなかった。
不思議に思い、下男に聞いたところ「すでに東の庁にお入りになりました。」と言った。
彼は、慌てて下役を呼んで灯りをつけさせた。中の様子がはっきり見えるようになると
彼は驚いた。なんと、上役の座る場所が真っ赤に血まみれになっていた。そればかりか
髪の毛のついた頭皮があちこちに散らばっている。上官の筆跡で今日の執務の順序など
を記した扇があったから、上官が先に出勤して仕事に取り掛かろうとしていたのは
まちがいない、と思われた。やがて夜が明け人々が集まってくると大騒ぎになった。
いろいろ調べた挙句「夜明け前に出勤した上官が人気のないところで鬼に食われたのだ。」
という結論になった。
342好爺:02/11/04 20:31
讃岐の満濃池の主である竜があるとき、小さな蛇に化け、池の土手で昼寝をしていた。
ところが比良山の天狗が鳶の姿をして舞い降りるとその蛇を嘴でひっさらった。
天狗は飛びながら蛇を食べようとしたが、その正体は竜だから硬くて食べる事ができな
かった。やがて比良山に戻ると、天狗はその蛇を岩山に閉じ込めると再び餌を探しに
飛んでいった。
一方残された竜は水がないため術が使えず蛇の姿のまま苦しんでいた。
天狗は比叡山に飛ぶと、ある僧が便所から出てきて柄杓で水を汲んでいる処を襲い、
僧を足で捉えて飛び上がった。天狗はこの僧も岩穴に閉じ込めた。
しかし、竜にとってはこれが幸運だった。僧が手にしている柄杓に水が残っていたからだ。
蛇になっていた竜は僧に頼み、その水を頭にかけてもらった。
すると蛇はたちまち力を取り戻し、竜になった。竜は岩穴を破って脱出すると、
雲を起こして僧とともに飛んでいった。
その後、竜はなんとか復讐しようと、空から京の町を探した。ちょうどその頃、
天狗もまた荒法師に化け、獲物を求めて京の町にいた。竜は天狗を発見すると
すばやく舞い降り、天狗を蹴り殺した。荒法師は正体を現し、翼を折られた
糞鳶(鷹の一種)の姿になっていたという。
343あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/05 01:25
>>333
ただの長嶋ファン
344あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/05 08:15
現代・近代ネタ求む
345あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/05 13:59
>>343
プロレスの鉄の掟だった「馬場に勝ってはいけない」と同じで、
一部のヲタには「長嶋を神とあがめなければいけない」という掟がある。
346あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/05 17:12
別スレで書いたののコピペで悪いがこっちの方がふさわしいと思って。
細かなディテールは忘れたがこういう話。



不思議系の話にこういうのがある。

ある冒険家が一枚の古い宝の地図を手に入れた。財産や家を処分して何億もの金をかけていざ出発という数日前、
鑑定を間違っていた事が解り、その地図は現代になってかかれたものだという事が解った。

しかし冒険家はひっこみがつかなかったのか、やけくそになったのか、
その「明らかにニセだと証明された地図」の通り宝を探しに逝った。

果たして、そこには宝があった。地図に書いてあるとおり、古い時代の誰も手をつけた痕跡のない宝が。
神がイタヅラっ気をおこして、そのニセ地図を書いた者の指に何か働きかけたのか、
はたまた単なる偶然なのか・・・
どうにも不思議な事だが真実は一つ。

そこに宝があった。





これ、実話らしいよ。
347あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/05 17:39
まことしやかにささやかれるマリー・セレスト号の話。
これ、実際は救命ボートが全て無くなっており、
これで脱出したというのが当然っちゃあ当然の話なんだと知ってる人はいるんだろうか?
348あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/05 18:14
>>347
だからよ、何で救命ボートに乗って脱出したんだよ。
賢しらに書き込みするならそこまで書けよ。ボケェがっ!
>>348
ボートに乗るのに、理由が必要かい?
ちょいとお洒落に舟遊び・・・お金持ちの考えそうな事さ。
なんにでも噛み付くあおり厨がいるのな。

http://www.zdnet.co.jp/netlife/links/9912/04/past.html
漏れはここで見たことを言ってるだけ。
連続ですまないが、このサイトだと
「我が妻、ファニーが」も創作と言われてるようで、漏れとしてはちょっと寂しいって事も付け加えておく。
352好爺:02/11/05 22:18
ナチスドイツはヨーロッパ各地でユダヤ人を収容所に送り込んだが、
その時に財産の全ても没収した。そのためユダヤ人も財産を貴金属などに換えて
所持していたが、ナチスも囚人を丸裸にして没収した。
例えば、たった一人の人間から数万ポンドの紙幣が発見された事もあったという。
手荷物の二重底や衣服の縫い目、靴の底、生殖器をはじめとして体のあちこち
考えられる限りの場所が隠し場所として利用されたがドイツ兵の検査は徹底を
きわめ、ことごとく発見され奪われた。また、ガス室送りとなった死体からも
金歯やプラチナの歯まで回収された。
これらの資金はドイツ降伏時にもまだ残っていたはずだが、それらの行方は
現在に至るも分っていないと云う。
353好爺:02/11/05 22:35
ナチスドイツの財宝は戦後ほとぼりが冷めた頃各地で一部が見つかっている。
1947年ある農民がゴミの山から2個の鉄製の箱を見つけた。蓋を開けるとなんと
約1万枚以上の金貨が入っていた。
その翌年にはある湖で魚を釣っていた男達が重い木箱を釣り上げた。
中にはドル札がいっぱい詰まっていたという。
1952年には鉱山の廃坑で遊んでいた少年が金塊50tを見つけたこともあった。
>>352,353
ナチスがユダヤ人から強奪した金品や宝石で、戦前〜戦時中にスイスの
相場が何度かパニックを起こしているはず。
決して全部が全部行方がわかっていないわけじゃない。
というか、普通に考えて戦争資金に使われているんで、戦後まで
残っていた額はそれほどばく大なものにはならないのでは。
355好爺:02/11/06 01:22
>>354
ナチスの犠牲になったユダヤ人は、600万人とも1000万人とも言われるから
彼等から奪った財産は莫大なものであるからその十分の一でも相当の額になると
思われる。
1967年にはテープリッツ湖で二人のCIA調査員が死体で発見される事件が起きている。
一説には、ナチスの残党に殺害されたとも言われるが未解決のままである。
しかし、この事件以後この湖にナチスの財宝が隠されているとの風評がたち、
一躍秘宝探しでごった返した。金貨や宝石が入ったトランクなどが十数個も
引き上げられたという。ただし、秘宝探しに出かけた人々の多くが行方不明になったり、
殺されたりしているという。
ドイツやヨーロッパの各地にはナチスドイツの財宝が未だに眠っていると思っている人は
多いという。
356あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/06 08:21
あげ
357好爺:02/11/06 11:39
ドイツ降伏の1ヶ月前の1945年4月にザルツブルグへと向うドイツ軍爆撃機がアルプス上空で
撃墜された。爆撃機が撃墜されたアッター湖周辺にいたハルトと云うドイツ兵は救助に
向ったが、誰一人助ける事が出来なかった。しかし、そのうちの一人が死の間際に
「この爆撃機で800万ドルの金とプラチナの塊をザルツブルグに運ぶ途中だった。」と言って
亡くなった。
ドイツ降伏から10年もの間そのことを秘密にしていたが1955年にほとぼりが冷めた頃
ノーランという潜水夫を雇い、引き上げた財宝の3割を与えるという条件で一緒に財宝を
引き上げる事にした。財宝の引き上げの途中に「財宝に手を出すな。お前らの命はないぞ」と
いう脅しの手紙が届いたが無視して財宝を引き上げる途中にハルトはボートの上で何者かに
射殺された。警察はノーランをハルトを逮捕したが警察署長にも「事を大きくするな」と
いう脅迫状が届いた為、3日後にノーランを釈放した。
湖からプラチナの塊の一部を引き上げていたらしいのだがその行方は不明のままだったらしい。
>>355,357
「という」「らしい」だけじゃん。
まあ伝説や逸話ってことで、伝聞風評なんでもアリだろうけどさ。
359あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/06 18:05
age
360あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/06 18:10
>>358
そういうケチを付け出したら日常会話すらできなくなるよ。
ましてやこの板じゃね。
361あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/06 18:12
                  ノ      } ゙l、   」′           .,/′   .,ノ _,,y
    .,v─ーv_         〕      〕 .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
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    \《 ヽ     .゙li ._¨''ーv,,_     .》′  ゙゙ミ| ,r′                }
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              }    }     ′    }                   {
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              {      ¨^^¨′¨'ー-v-r《               

 
362あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/06 18:13
あらあら、反対意見されてAA荒らしか。ワンパターンだな。
363あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/06 18:17
                  ノ      } ゙l、   」′           .,/′   .,ノ _,,y
    .,v─ーv_         〕      〕 .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
   ,i(厂  _,,,从vy      .,i「      .》;ト-v,|l′          _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/
   l  ,zll^゙″  ゙ミ    .ノ       .il|′アll!           .>‐〕 \ _><
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              |     ノ′ ヽ      〔                   ミ
              }    }     ′    }                   {
              .|    .ミ     .<     〔                    〕
 
364あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/06 18:20
        ∧∧
       (д`* ) <カモン
       (⊃⌒*⌒⊂)
        /__ノωヽ__)
365あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/06 18:25

     ____
    /∵∴∵∴\
   /∵∴∵∴∵∴\
  /∵∴∴,(・)(・)∴|
  |∵∵/   ○ \|
  |∵ /  三 | 三 |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |∵ |   __|__  | <ジャパネット ジャパネット 
   \|   \_/ /  \_____
     \____/


366あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/06 18:26
      ∧_∧
      〃,(;∩Д`)ヨヨヨ
      /(_ノ ィ \
    ⊂こ_)_)`ヽつ
もう終わりか。根性ねえな・・・
都市伝説スレを荒らしてんのもこのヴァカだろうね。時間的に。
369358:02/11/06 21:53
なんか俺が荒らしたことになってしまったようだが、まあそれは
いいとして(IDナシじゃ反論するだけムダだし)
伝説っていうにはちょっと生々しいというか、新しすぎるような
気がするんだよ>ナチス
金額とか検証できるはずじゃん。
>>369
だから伝説・・・って事でいいじゃないか。
すくなくとも書いてくれてる人は財宝発掘の専門家じゃないんだし。
371好爺:02/11/06 23:56
ドイツのロンメル将軍は北アフリカ戦線で連合軍から“砂漠の狐”と呼ばれる
勇猛果敢なドイツの軍人であった。彼は、恐れを知らない勇気ある将校であったが
ヒットラーの為にアフリカ各地で次々と黄金、宝石、美術品などを奪っていた。
1943年頃から戦いの流は連合軍側へと流れた為、かき集めた莫大な財宝を
当時はまだ安全だったコルシカ島へ一旦移した。ところがコルシカ島へも
戦火は迫っておりナチ親衛隊長ヒムラーの提案により、北アフリカを通過して
ドイツ本国へ移送する事になった。ヒムラーの片腕と言われたシュミットが
指揮官に任じられ、わざわざ嵐の日を選び、夜陰にまぎれて出航した。
しかし、コルシカ島を離れてまもなく連合軍の航空機に発見され、財宝を積んだまま
あっけなく海中に沈められた。乗船員のほとんどは亡くなったがシュミットは
助かった。一旦は、連合軍の捕虜となったがその後釈放され姿を消した。
実は、彼は連合軍と密約を結び、財宝の沈んだ位置を示す地図を渡す代わりに
自分を釈放して、チェコ国籍のパスポートを発行するように要求したのだ。
連合軍はシュミットが釈放された後彼がくれた地図を頼りに海中をさらったところ
引き上げられたのは、古ぼけた陶磁器のかけらだけだった。
これを機会にロンメルの財宝が地中海に沈んでいるという噂が広まった。
372あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/07 08:47
age
373あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/07 18:27
age
374あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/08 08:02
hou
375好爺:02/11/08 16:41
熊本藩には剣術師範を務めていた松山主水と云う男がいた。
彼の身軽さは常人を超えており、奇怪な術を使うといわれていた。
あるとき、主君の細川忠利から「これまで見たこともない怪しい術を見せよ。」と言われ
主水は奇怪な術を披露した。 突如として足元の畳が一枚何の物音も立てずに宙へ浮上り、
その中に主水が吸い込まれるように消えたのである。やがて、畳は次々に宙に舞い始めた。
主水はその中を自由自在に潜り抜けていった。忠利をはじめ居並ぶ人々はあまりの
不思議さに、ただ唖然と息を呑むばかりだった。人々がはっと気づいた時、主水は
すでに向うの廊下に立っていたのである。
376あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/08 16:49
>>好爺さん
他にもロンメル将軍に関する事教えて欲しい
377あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/08 18:16
あげるか
378好爺:02/11/09 02:02
私自身ロンメル将軍に詳しくはないので
http://www.f5.dion.ne.jp/~mirage/message00/erwin.rommel.htm

1950年頃地中海のイビサ島に滞在していたベーカーという船長のもとに
ガンサーという男からロンメル将軍の財宝を引き上げないかとの以来があった。
宝捜しなどという荒唐無稽な話に不審をもったが、シュミット将軍にあわせる。
とまで言われたので、実際にシュミット将軍に合うことにした。
実際に新聞で見たことのあるシュミット将軍に出会いそのシュミットに
「9月7日、サルディーニア島のアルゲロに来てください。」といわれた。
これで本当に財宝が手に入るかもしれないと思い、急にこの計画に乗り気になった。
ところが彼が8月末にコルシカ島のアジャクシオ港にヨットで立ち寄った時に
酒場でグラスを傾けていると一人のサングラスをかけた男が近づきこう言った。
「ベーカーさんだね。命が惜しかったら、今すぐ此処を引き上げたほうが身のためだよ」
ベーカーは怖くなり、急いで出航したが、突然船のエンジンが突然止まった。
見るとエンジンに細工した跡があった。懸命に直して一息ついたがすぐに船が座礁した。
何とか岸について命だけは助かったものの、不思議な事にそれからはガンサーに
連絡が取れなくなってしまった。もしかしたらガンサーはもうこの世にはいないのかも
知れないと思い急に怖くなり、この計画から離れ、この事をめったに人に語らなかったという。
379好爺:02/11/09 17:34
18世紀フランスに“デオンの騎士”と呼ばれるスパイがいた。
伝説によるとデオンの騎士は生まれながらの両性具有者で、女には男として
男には女として巧みにとりいって、ヨーロッパ社交界を征服し、次々と重要機密を
盗み取った、国際スパイである。
本名はシャルル・ジュヌヴィエーヴ・ルイ・オーギュスト・アンドレ・ティモテ・ド・ボーモン
で1728年ブルゴーニュ地方のトルネードで生まれ、父はそこの市長で、国王の子門でもある
下級貴族であった。彼は大学で法律の博士号をとった後は、パリ財務局経理部の
秘書を務めた。その一方でパリ社交界に出入して、当代の有名芸術家や詩人と交流を
結び、自分でも詩を作ったりした。
国王ルイ15世がある舞踏会でデオンをみかけ夢中になり、彼の美貌と女装癖を利用して
秘密の外交任務に当たらせた。
ロシアに女装して宮殿に入り込み女王エリザベータとの間にフランスとロシアの
同盟条約に調印させた。が、プロセインから嫁いだエカテリーナがエリザベータの
あとを継ぐとフランスとの条約を破棄した。
380好爺:02/11/09 17:51
ロシアとの接近を諦めたルイ15世は次にイギリスとの和解工作に乗り出し、
そこにデオンは大使秘書の名目で入り、そこでも目覚しい活躍をとげ
「王の夜会」の常連となり、この夜会にもしばしば女装して現れ、
人々を驚かせては喜んだという。
ルイ15世は彼の仕事振りに喜び、彼に騎士の称号と6000ポンドの報奨金を与えた。
しかし、デオンの浪費ぶりに次第に国王や政府は負担を感じるようになり
彼を首にした。重要書類を彼から奪い取ろうとさまざまな策を弄したが、
うまくいかず、フランス国内の彼の全財産を没収した。
そのことに怒ったデオンは持っていた重要書類の一部を一種の暴露本として刊行した。
それは、パリやロンドンなどの各都市で売れまくったという。
381好爺:02/11/09 18:11
ルイ15世が死去し、ルイ16世が王位につくと機密文書と引き換えに
年金1万2千ポンドという条件でフランス国内に戻る事を許された。
しかしそれにはもう一つ条件が付け加えられており、今後死ぬまで女装を
続けることだった。彼がフランスへ帰るとまさにスター扱いで、マリー・
アントワネットからもドレスを送られたりした。
フランス国内では彼の性別に対しての賭けすら行なわれた。
また、彼はフェンシングの名手でもあり、スカートをまくってフェンシングの
試合をした。しかし、1796年の剣の試合で相手から左胸を突かれて、お乳の
あたりが腫上がり、デオンのバストは女性のように膨らんでいると噂された。
デオンはフェンシングの傷がもとで1810年83歳でなくなった。
遺体は解剖されその書類には「肉体は異常な丸みを示す。髭の伸び具合は微弱。
顎部は男性のそれとははなはだ遠い。胸部著しくふくらみ、腕、手、指は女性の
それである。男性性器は正常に発達している」と記されている。
382好爺:02/11/10 22:25
享和3年(1803年)常陸の国の沖合いに不思議な形の船のようなものが漂っているのが見えた。
浜の人々は不審に思いながら多くの船を出し、船のようなものを浜辺に引き寄せた。
よく見たところ、その船は丸く、直径は3間(約5.4m)で上部はガラス張りで、継目は
松脂のようなもので塗り固められて、底部も丸く、鉄板を筋のように張ってあった。
人々はガラス張りの上部から内部を覗いたところ、異様な身なりをした女が一人だけ乗っていた。
女の顔は桃色をしており眉と髪の毛は赤く、長く背にたれている髪は白い入髪のようであった。
言葉は通じなかった。この女は2尺(約60p)四方の箱を抱えていたが、よほど大切な
のもなのか、ひと時も手から離さず人も近づけなかった。船の中を調べてみると、
敷物が2枚、瓶に入った2升ほどのほか、菓子のようなもの、肉の練物らしい食物があった。
浜の者たちが集まって、しきりに詮議したがその女性はのどかに微笑を浮かべながら
眺めているばかりであった。浜の人々は議論を重ねたが、この船を役人に訴えると
面倒な事になりかねないので、女をもとの船に乗せ、沖へ出して海へ流してしまった。
383ダヌル・ウェブスター:02/11/10 22:29
オデンの騎士は有名だね。

ちくわとはんぺんが好きだったそうだ。
384あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/11 08:04
age
385好爺:02/11/12 01:01
寛政年間の頃、江戸の天守番頭の春日半十郎は自分の屋敷でいつものように飯を食おうとした。
半十郎が膳の前に座り、箸を手にすると不意にその膳が宙に浮き上へ昇っていき
ついに天井まであがってしまった。半十郎は呆気にとられたが、やがて恐怖がつのり
人を呼んだが恐怖のあまり声が出なかったのか誰もこなかった。
立ち上がろうとしたが腰が抜けて思うようにならず、すくみあがったまま天井まで
浮上った膳を見つめていたが、暫くすると膳はゆっくりと下へ降りてきて、静かに
もとの場所に元の場所に落ち着いた。半十郎は恐る恐る膳を覗いたが運ばれた時と
同じ様に料理が並んでいた。誰かの悪戯かと思ったが部屋には誰もいなかったいし、
膳にも何の細工もしてなかった。それから半十郎の屋敷では家の中の道具が勝手に
飛び回るようになった。数人の男がやっと持ち上げられる大きな石臼も、誰も
いないのに浮上り、道路に飛んで行った事もあった。
半十郎は怪事に悩んだが、ある老人が訪れて「この怪事は目黒の人を雇ったから
起こったのだ。」と告げた。半十郎は半信半疑だったものの、とりあえず数名の
者に暇を出した。すると、怪事はぴたりとやんだ。
なぜ、目黒の人なのか理由はわからなかったという。
386あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/12 08:06
age
387あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/12 08:30
>385
池袋の女って話もありますよね.当時の目黒とか池袋って,
今だと,宇都宮とか水戸のイメージなのかなぁ.
388好爺:02/11/12 23:41
享和元年の6月1日に漁師たちが水戸浦で漁をしていたところ、海中から赤ん坊の泣き声が
聞こえてきたので怪しみながら船をとめ、そのあたりに網をおろしてみた。
すると、再び泣き声が聞こえてくる。漁師たちが刺網を引きまわしたところ、その中に
十四、五匹がかかったので、引き揚げた。これがなんと河童であった。河童は網のなかを
逃げ回る。漁師たちが棒や櫂で打ち据えたものの、体がぬるぬるしているせいか、
棒や櫂が滑ってまるで効果がなかった。そのうちの一匹が船の中に飛び込んできたので
船の覆いにつかうむしろをかぶせ、打ち殺した。その間河童は赤ん坊のような泣き声を
あげ続けていた。河童は死に際に放屁したが、それは耐えがたい悪臭で、それを嗅いだ
何人かの漁師は病気になったという。
389あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/13 01:27
>388
タマちゃんの先祖かも.
390あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/13 05:05
サンタ服がコカ・コーラと言うのは嘘です
作り話が広がり、その噂を根拠無く載せた本が出
それを参考にまた本が出、TVもそれを参考に紹介し
こんな具合に様々なところでそれが出され広がっただけです。
391あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/13 08:00
age
392あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/13 18:20
カマン
393好爺:02/11/13 22:52
染殿の后は美貌だったもののどうしたわけか、幼少の頃から物の怪に憑かれやすかった。
ある時、天皇は日ごとに衰弱していく后を心配して、金剛山に住む聖人を招き、
彼女への加持を頼んだ。聖人は「后の侍女に老狐が憑いている為の物の怪の患いである」
といい、侍女に憑いた老狐を追い出して、后の病を治した。お礼として聖人をしばらく
滞在させ、歓待した。聖人は屋敷にとどまり、のんびりとすごしていたが、ある日、突然
后に恋慕してしまった。聖人は暫くは自制していたものの、やがて欲望に負けて、
女官たちがいないのをみはからって、后の寝室へ忍び込み、后に襲いかかった。
后は驚き抵抗した。女官たちはその物音に気づき、大声で騒ぎ立てた。
394好爺:02/11/13 23:34
…つづき
それを聞いた侍医はすぐに駆けつけると聖人を引きずり出し、縛り上げて、
獄へ入れた。しかし、聖人の后への恋慕は執拗で、「私は死んでも鬼となり、
后と睦ぶ」といい続けた。獄司がそのことを后の父である大臣に伝えたところ
大臣は気味悪くなって聖人を放免した。聖人は金剛山へ帰ると「わたしは
心から願ったように、鬼になるのだ」といって、断食をつづけてついに死んで
しまった。まもなく聖人はその願い通りに鬼となり、后のいる几帳のそばに現れた。
その鬼の姿は、身の丈は八尺(約2.4m)、裸ではあるが肌は漆を塗ったように
黒く、目は鋭く、口は広く開いて、剣のような歯が生えていた。赤い褌をして
腰には槌を差していた。鬼は后の正気を失わせ、狂わせた。このため后は鬼を
御帳の中に誘い入れ、あられもなく鬼とともに、褥に身を横たえた。
その後も鬼は毎日のように現われ、后は親しく迎え入れた。そればかりか、
鬼が人に憑いたので、侍医とその息子達も狂って死んだ。天皇と后の父の大臣は
恐れおののき、高僧たちに鬼降伏の祈祷をさせた。すると、鬼は3ヶ月ほど
姿を見せず、后の気分も良くなった。天皇もそれを聞いて安堵し、久しぶりに
后のいる染殿へ出かけた。后は以前のように元気そうに見える。
ところが、暫く話をしているうちに突然、片隅から鬼が姿を現し、勝手に御帳
のなかに入っていった。それを見て天皇は「なんとあさましいことだ」と
嘆いたが、后はまったく意に介する様子もなく鬼のあとにつづいた。
まわりには多くの人々が見ているにもかかわらず、后と鬼は誰には
ばかることなく睦つづけた。天皇はなすすべもなく、嘆きながら帰っていった。
好爺さん、いつも楽しみに読んでます。また、あなたの博識には敬服しています。
突然すみませんが、>>393->>394の話の出典を教えていただけないでしょうか。
(なんとなく物語の形が『今昔』っぽい気がします)
この話、個人的に興味があるので…
396あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/14 06:04
私も出典を知りたいものがあります。

山野野衾さん、まだ見てらっしゃいましたら教えて頂けないでしょうか?
>>180>>189-190
で紹介された、吉宗が化け猫や狐憑きを退治した話と、
安土城跡に織田信長率いる戦武者の亡霊が出た話しの書いてある本、
どうしても読んでみたいのです。
自分でも探してみたのですがお手上、お願い致します。

山野野衾さん、好爺さんの紹介される話し、いつも楽しみにしています。
特に実在の武将などが絡んだ逸話はとても興味があるので、
もしよろしければオススメの本なども教えて頂けるとありがたいです(^^
397あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/14 08:33
age
398あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/14 18:29
age
399好爺:02/11/15 00:08
>>395
原本からではないですが『今昔物語集』からです。
400あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/15 00:11
400
401あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/15 08:22
401
402好爺:02/11/15 12:59
元禄年間のはじめ頃京都の上京に住むある男が夜、魚をとるために、川に出かけて
網を打っていたところ、加茂のあたりでふいに狐火が手元に近づいてきた。
男は驚いたが、とっさに網を打ちかけた。狐火は一声鳴き、遠ざかっていったが、
網のなかには正体不明の光るものが残っていて、それは玉のように赤く輝いていた。
男は不思議に思いながらも、それを大事に持ち帰り、翌朝じっくりと見た。
すると、それは薄白く、鶏卵のようで昼間は光を発しなかったが、夜になると
光を発して輝いた。提灯の中に移してみると、蝋燭の光よりずっと明るく、宝物と
して大切にしまっておいた。
ある夜、男は魚をとろうと、川に出かける時にこの光る玉を薄い紗の袋に入れ、
提灯代わりに肘にかけながら網を打っていたところ、不意に大きな石のようなものが
川に落ち、水があたりに飛び散った。男はあわてたが、気がつくと玉の光が消え、
暗くなっている。急いで紗の袋を手探りで調べてみたところ、袋は破れて玉はなかった。
あたりを見まわすと二、三間(約4〜5m)ほど離れたところに、光っているものがある。
取り返そうと追いかけたが、遂に取り逃がしてしまった。
403あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/16 00:05
ラジウム?
404あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/16 00:10
好爺 (・∀・)オウエン!
405好爺:02/11/16 01:18
北条高時が酒を飲んで酔っぱらい、一人で田楽を舞っていた。
すると、十数人の田楽法師がどこからともなく忽然と座敷に現われて舞い、歌い始めた。
暫くして妙な歌声になったのでよく聞くとこう歌っていた。
「天王寺のや、ようれいぼしを身ばや」
ある侍女がその騒ぎを聞きつけて、あまりの面白さにそっと障子の隙から見てみると
田楽法師と見える者は一人もいない。その代わりに、異形の天狗達がいた。
高時はそれと知らず、天狗に囲まれて楽しそうに舞い、歌っていた。
侍女はあまりに不気味なので、使いを出して高時の家来達に知らせた。
家来達が太刀をとり、急いで座敷に駆けつけてみると、怪しいものはどこかに
姿を消してしまっていた。灯りをかかげて見回すと、確かに天狗達が集まって
いたと見えて、畳の上に鳥とも獣ともつかない足跡がついていた。
406好爺:02/11/16 23:18
徳川家康は70歳を過ぎても常に若い側室をそばに呼んで寝ていたと言う。
その側室の中でも特にお気に入りだったのが家康より56歳も年下の美貌の少女・お六で
あった。彼女が13歳の時に出遭ったといわれる家康はまるで孫のような彼女を溺愛し
大阪冬の陣真で連れていた。家康の死後全ての側室は頭を丸めて尼になったが、お六だけは
尼にならずに、足利家に嫁入りした。その後、そこも飛び出すと自由な暮らしを送るように
なった。そして、家康の死から数年後、お六は日光東照宮に参拝し、家康の位牌の前で
焼香をした。すると、仏前にあった香炉が突然はじけて、その破片がお六の額にあたり、
彼女はその傷がもとで亡くなってしまった。人々は「東照大権現が嫉妬した」
「家康の祟りだ」と噂しあった。
407あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/17 00:10
>382

これはどうも創作らしい。と学会の本に書いてあったのだが、そのことが書かれた本以外この事件に関しては何も記録が残ってないらしい。大事件だから幕府の記録に残ってもおかしくないから創作ではないかと結論つけていた。

関係ないけど渋沢龍彦がこの話しを元に短編小説を書いている。

>385

目黒と言えば

で、そのお膳にはやはりさんまでも乗っていたんですかねえ。

>394

>まわりには多くの人々が見ているにもかかわらず、后と鬼は誰には

見ている方も方だとおもうぞ。

聖人が色香に迷って、化け物になるという話しは、昔から仏教説話に

なるけど、それは単なるエロ話しなのでは、大体聖人以外誰も死んで

いないしね。
408あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/17 00:41
>406
どう考えても家康が悪い.
つーかただのロリコン糞爺じゃん。おまけに人殺しだし
ロリコンって言やぁ、秀吉もかなりの変態さんだよね。
410好爺:02/11/17 21:50
京に住むある男が美濃か尾張へ行こうとして、夜更けに家を出た。
まだ京の町を歩いている時ある四辻で、青い衣を着た女官にであった。
彼女には供の者がおらず、一人で立っている。男はこんな夜中に身分の高い女性が
一人でいるわけがない。物の怪かもしれないと早く通りすぎようとした。
するとその女官が「このあたりに、民部大夫の家があるはずなのですが、知りませんか」
と聞いてきた。男はその家を知っていたものの、教えてよいかどうか迷ったものの
彼女があまりに思いつめた感じだったので、しぶしぶながらその女官をその家へ
案内してやった。彼女は喜び、自分の住んでいる所を告げると、門前で急に姿を
消してしまった。男は、不審に思いながらも立ち去ろうとしたが、突然家の中から
泣き騒ぐような声が聞こえてきた。暫く家の様子をうかがっていたが、後は静かに
なって、何が起こったのかわからない。明け方になるのを待ってその家の者に
事情を尋ねた。
411好爺:02/11/17 22:03
・・・つづき
そのものの話によると近江の国にいる女房が大夫に捨てられた事を恨み
生霊になって取り憑いて二、三日患っていたのだが、この明け方急に亡くなった
と言うのである。しかも、大夫は息を引き取る時「生霊がいる」と叫んで
亡くなったと言うのだ。男はその話を聞くと出発を遅らせて、三日ほど家で
休んでから出かけた。途中、夜更けに出遭った女性の言い残した近江の住まいを
訪ねてみた。女主人は男を歓迎して御簾越しに対面すると
「この間の夜はありがとうございました。あの折の恩は、絶対に忘れません」
といい、絹布などを送ったという。
412あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/17 22:13
住所がわからないのに取りつくことはできるけど,
とどめを刺すのは,場所がわからないとダメという
ことですね.
413395:02/11/17 23:43
>>399
回答ありがとうございます。
これからも好爺さんのカキコを興味深く読ませてもらいます。
414あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/18 08:17
age
415好爺:02/11/19 01:18
伊予宇和島の伊達秀宗の家臣・松根新八郎弘親が宿直番に当たっていた時に、城中の
詰め所で同じ宿直番の者と四方山話に花を咲かせていた。そんな時ふと外で怪しい
物音がした。宿直の者一同で外に出ると何処から入ってきたのか見知らぬ男が立っていた。
男は顔面蒼白で着ているものはあちこち破れ、しかも手には血がしたたる生首を下げていた。
男は消え入るような声でこう言った。「この首どうぞ預かっていただけないか」
宿直の者達は一様に尻込みして、宿直部屋に逃げ込む者さえいた。
その中で一歩前へ出たのが松根新八郎弘親だった。「わしが預かろう」
男は何度となく頭を下げ、くどいぐらいに礼を言うと何処へともなく姿を消した。
その夜、弘親の夢枕に現われ「実は、あの生首は私の仇なのです。私はあの男に
命を奪われたが、なんとしても仇を討ちたく、魂はこの世に止まってあの男を
つけねらい、遂に今夜長年の思いを遂げたが、仇を討ったとたん、無常感に
襲われました。私はこれで思い残すことなく成仏できるでしょう。でも、あの男は
きっと私と同じ様に無念をはらすまでは成仏できないでしょう。しかし、男の仇で
ある私は冥界に旅立つのです。どうか、あの生首をねんごろに弔ってくださりませぬか。
お礼に、貴公の家の隆盛は固くお約束申し上げる」
幽霊と約束したとおりに弘親はこの生首を手厚く葬り、さらに幽霊との言葉を信条と
する証拠に、生首をの図を家の旗印とした。
その後松根家は、隆盛をつづけ、弘親の代では侍頭、その子の代には城代奉行にまで
上り詰めたという。
416:02/11/19 18:38
みんないつもありがとよ
417好爺:02/11/19 22:42
室町時代の中頃、筑波山の麓の名主の一人娘でおしのという女性がいた。
一人娘だった為婿をもらった。婿は仕事も良くできれば夫婦仲も良かったが、
姑と仲が悪く、ある日婿は家を飛び出してしまった。この時、おしのは妊娠しており
臨月が迫るに連れて夫への思いはつのり、夫の後をおい家を飛び出した。
ところが途中で道に迷って、寂しい古寺で産気づいた時にその寺に住み着いていた
夜盗に襲われ、身の回りの者を奪われ、殺害されてしまった。
それから、数日たったころ、このあたりの茶屋の戸を深夜に叩く者があった。
店主が不思議に思いながらも戸を開けると白い顔をした女性が立っていて団子を売って
欲しいと懇願した。それが、数日続いたため茶屋の主人が不審に思ってそっと女の
後をつけてみると女は古寺に入っていったが中からは赤子しかいなかった。
元気そうな赤子ではあったがなぜか頭髪は真白であった。
茶屋の主人はこの赤子を保護すると小田の寺に預けて育ててもらった。
この赤子は長じるにつれて、類まれな明晰さを発揮するようになり、
遂には天台宗の高僧となり、頭白上人と名乗るようになった。
418好爺:02/11/20 01:33
頭白上人は全国行脚を終えた後母の供養といって五輪の塔の建立をした。
この塔の建立式のの最中に小田城主・小田左京大夫が鷹狩りで殺生をしてしまい、
式を台無しにした。これを見ていた頭白上人は、「左京大夫はやがて自分の愚かさに
復讐される。我は、次の世では必ず武人に生まれ変わり、小田の城を我が物にしてみせる」
とひそかにつぶやいた。この言葉は側近の耳に焼きつき、周囲の者に言い伝えられた。
その言葉通り戦国時代になると常陸における小田氏の地位は次第に佐竹義宣にとって
変わられた。佐竹義宣自身も「我は名僧・頭白上人の生まれ変わりであり、仏の加護を
得ているため、どれほど無茶をしても怪我もしなければ、死にもしない」と豪語していた。
佐竹義宣が頭白上人の母を祀った五輪の塔の前で祝宴を張り、塔に祝の酒をそそぐと
白い顔の女の姿がふんわりと姿を現し、一瞬慈母さながらのやさしい笑顔を浮かべたという。
419あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/20 11:50
agere
420あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/20 11:53
                           - 、   - 、
                 _,, -― "⌒ヽ-、   ヽ    \
           -=≡ ,,-"        i ヽ    ヽ  ヽ.ヽ
         -=≡   /      ,,-ヽ  .i  i     i   i ii
       -=≡   ./ /    /  i  |.i  |     |   i ii
      -=≡   / ./、Д , )./     | '⌒/⌒)(_ヽ  !   ! !!
      -=≡    | |/ ̄∨/      ゙ -/ /-⌒) i
     -=≡, 〜⌒| | ⌒l/ /          | | ヽ (ヽi  ぐるんぐるん
     -=≡ー-ヽ | | | | /        .| |  し' (         i i
     -=≡   ./ノ|)  |         | |_∧、_つ    i | i
     -=≡  (__|  |.| .|        / | Д`)       .i i lおれが伝説だー!!
⌒ヽ   -=≡    !  ヽ \      /     /    /  / //  
 ⌒ヽ   -=≡   ヽ  \ ヽ、    /     /   /  / .'
  '"⌒ヽ  -=≡    \  ⌒ヽ⌒ン     /   _,,-'' ,,-"
  ヽ   ヽ、_-=≡     \       ,, -" _,, - '' - "
    )__ノ⌒    -=≡    ゙ ー---- "
 ー"   ゴロゴロロロ・・・
421あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/21 08:55
アゲ
422あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/21 16:16
ロリコン最高
423好爺:02/11/22 01:40
源頼家は朝霧高原(富士の樹海の南)で狩りをしていた時、好奇心から新田四郎に
人穴という洞穴を探索するように命じた。四郎は5人の配下ををつれ、人穴を探索
したが、配下の者は全て亡くなり、四郎もやっとの思いで帰ることができたという。
四郎は人穴の中で地獄と極楽を巡ったといわれる。地獄では、生前の悪行のために
責め苦を与えられている人々を見て、そのあと大菩薩が現われて極楽浄土に導いてくれた。
それは、あまりにも美しい世界だったが、大菩薩は人穴から出る時に四郎に
「この中の事は3年間は他言すべからず。それが出来ぬ時はお前の命はないぞ」と誓わせた。
四郎は、鎌倉の江ノ島弁天の岩屋から地上にもどった。ところが頼家から人穴の様子を
たずねられ、大菩薩との誓いを思い出し苦慮しながらも、とうとうその記録を
頼家に差し出した。その3ヵ月後に四郎は命を落す事になった。
424あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/22 08:30
この前理想の女性に出会いました。その人はアルベド族でした。名前は「リュック」
425あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/22 09:18
ドラクエ2が出る直前でどこも予約がいっぱいのとき
漏れの知ってる店でまだ予約やってるのを教えた瞬間、
友人Nは電話をしにマクドナルドを飛び出ていった
直後ものすごい音がして入り口のほうを見ると
喜びのあまり自動ドアのステップをも飛び越えてしまったNが
額を割って転がっていた。

友人Nにまつわる伝説でした。
>>424
あ〜その娘っこは止した方がよいでしょう。
なにせそれはおまいさんのあ
>>425
そりゃ伝説じゃなく目撃。
この場合、友人Nさんの行動が限りなくDQNに近い事から
まさに目撃DQNそのものと言えるでしょう。
428好爺:02/11/24 07:27
聖武天皇の母・宮子皇太夫人は、子供を生んですぐ我が子と引き離され精神に異常を
きたしてしまった。だが、学問僧として唐に渡っていた玄ムが宮子のために祈祷すると
たちどころに長年の気鬱が治り、にこやかかな笑顔さえ取り戻した。
当然、宮子から取り立てられるようになり、玄ムは宮中で思いのまま振舞うようになった。
この玄ムの振る舞いを快く思わない者も出てくるようになった。その筆頭が藤原広嗣であった。
広嗣は当時九州の大宰府に左遷させられていたが、都の情報には誰よりも通じており、
宮子と玄ムの異常接近の噂も早くから耳に入れていたため、「玄ムを排除しなければ、
朝廷を乱される」と上奉文を都に送ると筑紫で兵を挙げた。しかし武運つたなく、
玄ム追放の願いがかなわぬまま、死んでいった。しかし、死んでなお呪詛を送り続けた。
飛ぶ鳥を落とす勢いの玄ムの運勢は広嗣の死を境に次第に落ちていた。
聖武天皇は玄ムに僧正という最高位を与えていたにもが、急にその上に大僧正という
位を設けると行基という僧を指名した。その上、玄ムに筑紫の観世音寺の修復という
理由で九州に左遷した。さらに観世音寺の拝殿で供養の読経をしていた玄ムを突然
何者かが現われ空中から現われると彼を捕えて、そのまま空高く連れ去ってしまった。
その後、八方手を尽くしてさがしたが、何処に行ってしまったのか誰にも解らなかった。
やがて、月日は流れその噂を誰もが口にしなくなった頃、奈良の興福寺に突然、
空から首が落ちてきた。みえば玄ムの首であった。人々はこれは、広嗣の亡霊の
仕業であると噂しあったという。
429あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/25 08:04
df
430あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/25 18:27
yc
431好爺:02/11/25 23:51
越後国の和野村に百姓で権七という男がいた。ある年の10月頃このあたりはすでに
雪が多く降り積り、寒気も厳しく、家族が囲炉裏をかこみ火にかけた大鍋で雑炊を
炊いていた。ようやく炊き上がり、権七が柄杓をとりあげ、鍋をかき回そうとした時
不意に屋根の上で大きな物音がして、家中がら鳴動しはじめた。地震かと思ったが
少し気配が違う。不安そうに家族で顔を見合わせたとき、天井から多くの手が伸びて
くると、権七の手からすばやく柄杓を奪い、雑炊の大鍋を引き揚げた。家のものは
奇怪な出来事に驚き、転がるように外へ逃げ出した。
すぐさま変事を村人に知らせたが誰もまともに取り合おうとしなかったが、権七の
家の前に集まり、とりあえず家の中を見てみることにした。数人の村人が権七の家に
入ろうとすると、何処からともなく大量の砂利がつぎつぎと飛んできて、大騒ぎに
なり、中には小石に当たって怪我をするものもいた。
やがて半時(1時間)ほどするとまた家が鳴動し、それを境に砂利は飛んでこなくなった。
あたり一面、雪に覆われていたのになんと砂利に埋まってしまった。
村人は怖気づき誰も権七の家に入ろうとはしなかったが、豪胆だといわれる男が
おそるおそる入ってみると、部屋は何事もなかったかのように静かだった。
ただ、不思議な事に雑炊の大鍋が空になっていた。
騒ぎがおさまったので権七と家族は家の中に戻った。その夜は何事もなかったものの
翌日の夜囲炉裏で茶を沸かそうとしたところ、前夜と同じ様に家が鳴動した。
権七たちはすぐさま外へ逃げ出し、騒ぎがおさまるのを待った。
幾日も同じ様な事が起こったので、やむなく権七は別のところへ引越した。
それ以来何も起こらなくなったという。村人達は、「一体、あれはなんだったのか」と
噂しあったが、怪事の謎はついに解かれなかった。
432あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/26 01:05
稲川さん,あれって一体なんだったんでしょうね.
guest guest
434あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/26 08:07
age
435あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/27 08:23
満月の夜はビデオショップのAVコーナーは人が多い
436あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/28 18:32
最近のAVはマンネリ気味だ
437あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/28 20:28
3年程前にパッケージだけ見た
血まみれプレイのAVを見とけばよかったと後悔中
438好爺:02/11/28 21:50
埼玉県の熊谷に夫婦で細々と営んでいた薬屋があった。ある日、主人が急死し、
残された妻は途方に暮れていた。夫に先立たれた悲しみばかりか、残された家業の
やりくりも考えていた。明けても暮れても心を痛めて、体を休めようと早めに床に
入るのだが中々寝付けない。
夜中に厠に行った時に小用を足していると、何かが股間に触れたような気がする。
いつもなら大騒ぎをするところだが、悩み疲れてぼんやりした頭では、気のせいかも
知れないと思えて、その晩はそのまま寝てしまった。
ところがその翌晩やはり厠で用を足しているとなにかが尻に触ったような気がした。
怖さよりも昨夜の事が間違いではないとわかりこの次は確かめようという気持ちが
むくむくと湧いてきた。その翌晩には小刀を持って厠に向った。厠で用を足すふりを
して様子を窺っていると、下からにゅっと飛び出してきたものがある。そこでつかさず
引き寄せると、もってきた小刀ですっぱりと切落とした。「ぎゃああ〜」という悲鳴と
ともに、えたいの知れない何かは逃げ去った。その場には切落とされたものが転がっている、
それは手のように見えるが、人間のそれとは違う。どうやら河童の手のようだ。
厠の悪戯は河童の仕業だった事がわかった。
439好爺:02/11/28 22:07
・・・つづき
その翌日、一人の若者が悲しそうな顔で薬屋を訪れた。手土産に大きな鯉を
持参している。話を聞くと「昨日切落とした手を返してほしい」というではないか。
これには妻も驚いたが、持ち前の気の強さを発揮して少しもひるまない。
「はて、お前がこの手の持ち主かどうかは分からない。それを確かめるまでは
返す事は出来ませぬ」と話すと、若者はいっそう肩を落して、私がその本人ですと
詫び、袖をまくると確かに右手の先がなくなっていた。間違いはないようだが、
切り落とした手など役には立たないではないか。いまさら返してもらってどうする
つもりなのかと、妻は気になって尋ねてみると、特別な薬を使って元どうりに
戻せるのでございますと、思いもかけない事をななした。
そのような妙薬は珍しいのでこの場で見せて欲しいと頼むと、若者はその場で
薬をふりかけて手を元どうりにしてみせた。そのうえ、手を返してもらった
御礼ににと、薬の作り方を教えて、その場を去っていったのである。
薬屋の妻は、思わぬことで妙薬の作り方を伝授された。
この薬は『河童の妙薬』として熊谷あたりに広く知れ渡るようになった。
440あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/29 08:13
あげ
441あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/29 08:54
>>415
おもしろい話しなのでぐぐってみましたら、旗がでてました。
http://homepage1.nifty.com/akazonae/second/naomasa/sasimono/sasimono2.html
チョットコワイヨー
442441:02/11/29 08:56
シマッタ!直リンしちまった・・・
ゴメンヨー
443好爺:02/11/30 02:56
能登の国に友忠という若侍がいた。能登の領主の畠山義統に仕え、学問にも武芸にも
優れているうえに性質もよく人気者だった。20歳になったある冬、京都の細川政元の
処に使いを仰せつかった。道中猛烈な吹雪に見舞われて、ひとまずどこかで吹雪が
おさまるのをやり過ごしたいと思っていると一軒の小屋が目にとまった。
手入れが行き届いて誰かが住んでいるらしい。小屋のそばには柳が生えていた。
そこには年寄り夫婦が住んでいて、突然舞い込んできた若侍を迷惑がりもせず迎え、
温かい食事と酒をすすめてくれた。おかげで、すっかり冷え切った友忠は元気を
取り戻し、先を急ごうといとまを告げると、泊まって行ったほうがいいとしきりに
すすめる。急ぐ旅ではあったがここで無理をしても仕方がないとありがたく泊まらせて
もらう事にした。すると何処にいたのか美しい娘が現われて酒の酌をしてくれた。
青柳という名前の娘で、ふすまの陰に隠れていたらしい。友忠はたいそう美しく、
身のこなしは上品でしとやかで一目で青柳が好きになってしまった。そのうえ、
酒をすすめられ、いい気分になった時に思いがけなく、娘を嫁にもらってくれないかと
たのまれた。そこで旅の途中ではあるが青柳を京に一緒に連れて行き友忠は
青柳と結ばれた。ところがそんな日が続いたある日、突然の不幸が襲いかかった。
青柳が突然苦しみ始めて倒れたのである。抱きかかえて介抱する友忠に青柳は
「実は、私は柳の精でございますが、たった今、その木が切り倒されてしまいました。
私はもう生きていることは出来ません。どうか念仏を唱えてください」と言うと
青柳の体から力が抜け、まるで溶けるように姿が消えてしまった。
友忠は青柳の死後、仏門に入って全国を行脚してまわった。その途中、越前に寄った時に
ぜひともあの家に行ってみようと思い、探し訪ねてみると、家の前には三本の
柳の木の切り株だけが残っていた。2本は老木で一本は若木だった。
444あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/11/30 08:11
age
445好爺:02/12/01 00:55
文化七年(1810年)7月20日の夜、浅草南馬道竹門の近くで青年が不意に空から降ってきた。
男の姿は、足に足袋だけははいていたものの、着物は着ていないし、下帯もつけぬ
真っ裸である。彼は強烈な衝撃をうけたらしく、ぼんやりと佇んでいた。
この異変を目撃した近所の若者は町役人に彼を届けた。医者にみせ介抱して、役人は彼に
事情を聞いた。男は「わたしは京都油小路二条上ル、安井御門跡の家来、伊藤内膳の倅で
安次郎というものだ。ところでここは何というところだ。」
町役人が「江戸の浅草というところだ」と答えると男は驚きしきりに涙を流した。
経緯を詳しく聞くと「今月の18日の朝四つ時(午前10時)頃私は友人の嘉右衛門と
言う者と、家僕の庄兵衛をつれて、愛宕山へ参拝した。ところがものすごく暑い日
だったのでやむなく衣を脱ぎ、涼んでいた。すると一人の老僧がそばにやってきて、
私に『面白いものを見せてやろう。ついてきなさい』といった。興味があったから
老僧についていった。その後のことは全く覚えていない」
手がかりは男の足袋しかないので調べると確かに京都の足袋であった。
ただ、京都から飛んできたとは信じがたかったが草履や履物を履いていたわけでは
ないのに足袋には少しの泥もついてはいないことが不思議だった。
好爺さん、何時も楽しくは意見させて頂いてます。学生時代、古典は結構読んだ
つもりだったのですが、まだまだ面白いお話がこんなにあったのですね。
また読んでみようかなぁ・・・なんて思ってます。どうもありがとうございました、
447あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/02 02:19
>>445
なんだかメチャメチャ不思議な話ですな。
その男やその僧侶はは何者なのか、何を意味する話なのか…
後日談とか無いんですか?
448好爺:02/12/02 03:12
>>447
後日談としては奉行所につれて事の次第を届け出て、結局どうしようもなく
浅草溜(病気になった犯罪者や15歳以下の犯罪者を入れた獄舎)にお預けとなった。
その後の消息は不明との事です。
滝沢馬琴がまとめた『兎園小説』に実際にあった話として記録されている者です。
449好爺:02/12/02 03:17
江戸時代の話
火葬場に置いて早桶(棺桶)を火にくべていると中から男が蘇生してきた。
その男は慌ててそこを飛び出すと追ってきた男達を振りきって川に飛び込み
姿をくらましたという。
なぜなら、その時代早桶を火にくべた時点でそのものは人扱いされなくなり
蘇生してきてもまわりに居る男達が撲殺してそのまま燃やしても良い事になって
いた事をしっており、撲殺されはかなわぬと逃げ出した者と思われる。
450あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/02 03:58
この話しは本当だと前置きして何かの本に書いてあったけど・・・・。
明治時代の初期、ある殺人事件を起こしたAがいた。そのAは裁判の結果
死刑と判決が決まった。そして死刑(絞首刑)にかけた。しかし彼は3
回執行され3回とも息を吹き返した。そこでその者死刑は完了した。と
して釈放されたそうな。これって本当だったのかな?
451あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/02 08:44
age
452好爺:02/12/02 11:19
イギリスでは、絞首刑台から生還した例が、十数例あるという。
1740年には、処刑後に移送された解剖室で息を吹き返して、直ちに監獄に送り返された例があった。
中には、生き返ったついでに芝居見物をして帰った、という冗談のような例もある。
18世紀には、タイバーンで処刑された男の遺体を買って解剖しようと外科医が安置して
いたものをお手伝いが好奇心から解剖室に見にいったところ、裸の男が酷い形相で睨んで
いたという話が伝わっている。彼は生き返っていたのである。彼女が驚いて逃げ出したのは
言うまでもないが、外科医はこの男を哀れに思い、アメリカに逃がしてやった。
男は新世界で成功を収め、恩人の外科医に財産を残して死んだ。
453あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/03 00:34
 乃木将軍が若き日、戊辰戦争の後始末で金沢に出張したときの話。
将軍の宿に当てられたのは、その頃としては珍しい、木造三階建ての旧家だった。
さぞ見晴らしがよかろうと床を三階にとるようにいったが、その家の老女中はなぜか二階にとる。
布団を上げる骨惜しみをしているのかと、きつく命じたら、しぶしぶ三階にとった。
うとうとすると、若い女の声がして蚊帳の上から将軍の耳に口を寄せる。
驚いて跳ね起きると誰も居ない。またまどろむと同じ女が現れる。
とうとうまんじりともできなかった。その次の晩も同じであった。
三日目の晩になると老女中がしたり顔で
「三階では良くお休みになれないようですから、今晩から二階にしました」と言った。
後に人づてに聞くと、その三階の間では先代の当主が不義を働いた妾を柱にくくりつけて、
干殺したいわくのある間であることを知ったという。

 この話は乃木将軍が初代院長を務めた学習院の講話録に載っている。

    i'~~~~~'i
    | ウマイ|
    |   棒.|
    | (,,゚Д゚)   < うまい棒の半分は無許可添加物で出来ています。
    |.(ノ  |つ
    |.    |
    |.,,,,,,_,,,,,|
     U"U
455あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/03 07:43
>453
「不義を働いためかけを干殺し」自分のことはたなにあげて
ひどいことをする人だな.
456あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/03 08:24
age
457好爺:02/12/03 11:25
ヨーロッパで猛威をふるった魔女狩りは、北アメリカ大陸にも飛び火し、ニューイングランド
のセイレムで、黒人奴隷が密かにブードゥ教の儀式を幾度となく見せられていた10代の娘たち
がものに取り憑かれたようなしぐさを見せ始めたため、周辺の村に魔女の妖術にかかったと云う
噂が広がった。教師のサムエル・パリスは魔女狩りの先頭にたち、1692年3月に裁判に訴えた。
容疑者は次々に逮捕され、200人近くにふくれ上がり、最初に有罪判決を受けた者のうち
20名が絞首刑にされた。その中のセアラ・グッドは絞首刑台に立ったとき、ニコラス・ノイズ
といういう牧師に自白を勧められた。
「お前は魔女だし、このことを自分でも知っているではないか」
「嘘もいいかげんにしな。あんたが魔法使いでないように、あたしは魔女でも何でもありはしない。
あたしの命を奪ってごらん。神様はきっとあなたに生き血をたっぷり飲ませる事だろうよ」
群れ集まっていた観衆はこの言葉を耳の底にしっかり刻み込んだ。
これから25年後ニコラス・ノイズが臨終の床にあったとき、喉が詰まって口からおびただしい
血があふれ出た。これを聞いたセイレムの人々はセアラ・グッドの祟りだと噂した。
458好爺:02/12/04 09:31
1386年フランスのノルマンディ地方のファレーズで雄豚が赤子を噛み殺した事件が起きた。
その雄豚を裁判にかけ、死刑の判決を受けさせた。死刑囚となった豚は、鼻を切落とされた
うえ、人間の仮面をかぶせられた。さらに服に合うように前足を多少切落とされ、上着を
着せられた。前足には手袋をはめられ、後足には半ズボンをはかせられた。
そのような姿で絞首台に吊り下げられて絶命した。
当時動物も処刑となる人間と同様に扱われていたから人間と同じ様に恩赦などで
減刑を宣告されることもあった。
16世紀前半スイスに近いフランスのオータン司教区では、穀物を食い荒らす鼠たちが
農民達に告訴された。裁判所は鼠に通告し裁判所に出頭を命じたが鼠たちは公判を
欠席した。欠席裁判で敗訴となったが、鼠側の弁護人はおびただしい鼠では1回の
召集状発令では、全ての鼠に届かない事、裁判所までの遠い道のりの間には猫が
虎視眈々と狙っており、裁判所まで来るには容易ではないと言って裁判所に主張を
認めさせた。
459好爺:02/12/04 09:43
1685年にドイツのニュルンベルグの西にあるアンスバッハ市で市長が死亡した
後に彼が人狼となって家畜を襲い、子女を襲って貪り食った。と言う事件が起きた。
事実はただの狼ではあったが市民はそう思い込んでその狼を殺害し、死体に
人間の皮膚と同様にこしらえたピッタリとした皮を着せ、そのうえに市長が着ていた
のと似た服を着せた。頭には市長の髪型に似たこげ茶色のかつらをかぶせ、
白い口髭をつけ、狼の鼻を削り取って、元市長の特徴をかたどった仮面をかぶせた。
そうしてから裁判所から死刑の判決を仰ぎ、絞首刑に処した。

これらの動物達はこのまま放置しておけば悪魔の介入を許してしまうと考えられて
いたため、処刑された家畜は食用とされずにきちんと埋葬された。
460好爺:02/12/05 00:04
近江国のある屋敷で若い男達が集まり、世間話に花を咲かせ、飲み食いに興じていた時
安義橋を無事に通った者がいないと言う噂話が話題にあがった。するとある男が
「評判の名馬を貸してもらえてればわけのない事だ」と言った。屋敷の殿様はそれを
聞きつけると名馬を貸してくれた。ところが広言した男はすっかり怖気づき辞退しよう
としたが他の者達は「いまさら見苦しいぞ」と言って実行を迫った。
結局広言した男はその名馬に乗り、出発していった。いよいよ安義橋に近づいてくると
なにやら恐ろしい気配が感じられて、男は身がすくんだ。やがて陽が西の山に
沈みかけてくる。人里離れた場所だけに、心細い事おびただしい。それでも男は、
橋を渡り始めた。橋の中ほどまでくると、前方に何やら物影が見え「鬼ががでたか」と
思ってびくついた。しかし、それは苦しそうにうずくまっている女だった。
若くておだやかな女に見えたが、考えてみると、そのような女がこのような場所に
一人でいるわけがない。男は「やぱっり鬼だ」と思い急いで通りすぎようとした。
ところが女は不意に声をかけてきたのである。
461あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/05 00:04
好爺さん今日もありがとうございましたm(__)m
462好爺:02/12/05 00:17
・・・つづき
「もしもし、どうしてそんなにつれないのですか。このような寂しい所に
捨てられ、難儀しております。どうか人里まで連れて行ってください」
男はその声を聞くと、恐ろしさがつのり、夢中で馬を走らせた。だが女も
「ああ、情けない」と大声で叫びながら追いかけてくる。男が振り返って
みるとなんとしたことか、その女はいつのまにか鬼に変わっていた。
身の丈は九尺(約2.7m)で体は緑青色である。真っ赤な顔に琥珀のような
大きな目が一つ。手の指は三本、爪は五寸(約15cm)ほど伸び、刀のように
鋭くなっている。一目見るなり身も凍りつくような恐怖が湧いてくる。
男はかろうじて人里へ逃げ込んだが、一つ目の鬼は「いつか必ず命を奪って
やると言って姿を消した。
463好爺:02/12/05 00:34
・・・つづき
男は命からがら家へ帰ったもののその後も怪しいことが続いた。陰陽師に尋ねると
この日には物忌みをしなければいけないと教えてくれた。
指示された日に男は門を閉ざして厳重に物忌みをしていたところ、弟が訪ねてきた。
男は門の外にいる弟に物忌みの事を話し「明日になったら対面しよう」といったのだが、
弟は「実は母上がなくなられたのだ」といって開門を迫った。
男はやむなく門を開き、弟を入れて食事をさせた。暫く二人は静かに話をしていたのだが
やがてにわかに取っ組み合いを始めたのである。妻が心配して声をかけると、
弟を組み伏せた男が「早く太刀を取ってくれ」と叫ぶ。妻はためらっていたが
そのうちに弟が男を跳ね除けて上になると、いきなり鋭い歯で男の首を食い千切った。
逃げる時「うれしや」といったが、それは弟ではなく男が安義橋で追いかけられた
一つ目の鬼だった。
464好爺:02/12/05 10:34
鳥取県の日野郡に黒坂の竜王滝という滝がある。村はずれの滝山神社にある滝で
天狗や妖怪が出るとの噂が絶えず、そのため幽霊滝とも呼ばれていた。
村人達はめったに近づかなかったが、ある日竜王滝で肝試しをしようという話になった。
しかも、本当にいったかどうかをはっきりさせるために滝山神社の賽銭箱を持ってこよう
ではないかとの話までまとまった。ところがいざとなるとみんな怖がって誰一人行こうと
しなかった。そこへ負けん気が強いお勝と云うおんなが名乗り出た。お勝は自分の子供を
背負うとみぞれ混じりの天気のなか竜王滝へと向った。いざ歩き出すと、夜道は真っ暗で
みぞれも冷たく、さすがのお勝も不安になってきた。こんな事をして何になるのかと
自問自答しながら進んでいくと水音が聞こえてきた。どうやら竜王滝の近くまで来たようだ。
ここまできたら、さっさと済ませてしまおうとお勝は最後の勇気を振り絞って、無我夢中
で賽銭箱を抱え、一目散にかけ戻った。気のせいか背後で野太い笑い声が響いていたような
気もしたが一刻も早くその場を離れたくて無我夢中で村へと引き返した。
戻ったお勝は賽銭箱を投げ出し、得意げに頷いてみせた。ところが村人達はまるで
凍りついたように震えて声も出せない。ようやくひとりが声をあげた。
「お前、その背中の子はどうした」お勝が慌てて背中の子を見てみると、
首から上が食い千切られていたと言う。
465あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/05 10:37
こわいよー!!!
>>464
好爺氏、いつも楽しませて頂いてます。
その話、20年程前(うろ覚え)にTV化されていた気がします。
子供心に「お姉ちゃん、行っちゃ駄目だよ!」と
TVを見ながらブルブルしてたのを思い出しました。
意気揚揚と帰ってきたお勝が村人の言葉に子供を確かめるシーンは
かなり衝撃でした。
467好爺:02/12/06 08:48
織田信長の死後織田家の重臣は三男である信孝を跡目として押したが豊臣秀吉は
信長の長男・信忠の子三法師が織田家の後継者として強く押した。
また秀吉は信長の次男信雄の後見として天下人の座を虎視眈々と狙っていた。
信孝は柴田勝家・滝川一益等と秀吉・信雄の撃退の計画を練り始めたが、
どうした事かこれがもれ、信孝の居城を取り囲みその退路を断つと伊勢の一益を落し、
勝家も滅亡させた。信孝はこの報を聞くとやむなく城をして尾張・内海まで逃げ延びた。
秀吉は主君の信長に対する恩義からさすがに信孝に手をかける事はせずに
自決するするように説得した。信孝は、鎧の下に
『むかしより主をうらみの野間なれば、むくいをまてやしばし筑前』と辞世の句を残し、
腹を切ると腸をつかみ出して、掛け軸に向って投げ始めた。
掛け軸は梅の花が天を望むように直立している珍しい構図の絵で、確かに掛け軸の
左上には血痕らしいシミが残っていると言う。
この掛け軸は不思議な事に季節の変わり目になると毎年、花の色がさまざまに変わり、
ほのかに血の色を帯びる事もあれば、死人のように青ざめた色になる事もあるという。
正法寺では「死んでもはらせないほど信孝の怨念が残っているに違いない」と掛け軸を
大切に保管し、何度となく丁重な供養を営んでいるという。
又この寺では信孝が自刃の際に使用した短刀には自害した5月初旬にうっすらと血の跡
がにじみ出るように浮かび上がってくるという。
468好爺:02/12/06 23:26
嘉永五年(1852)岡崎近くの村の常蔵という若者が病気で亡くなった。
それから八年経ったある夜、常蔵がいとこの夢に現われた。どうにも気になり、
常蔵の母親に話すときちんと葬式も出しているから何かの間違いだと言われた。
すると今度は、兄嫁のところに現われ、「あの時は立派に葬式をを出してもらったが
それから、さっぱり供養もしてくれない」と嘆いた。
兄嫁は単なる夢だとしか思わなかった。すると、常蔵は次の夜も現われ、
「つまらぬ夢と思われては困るから此処に証拠を置いていく」と言った。
確かに翌朝目覚めると、着物の片袖が置いてあった。それは確かに常蔵のもので
鍵のかけてあった長持の中から常蔵の着ていた着物の片袖が引きちぎられいるのが
見つかった。遺族は着物を木箱に入れて九品院に納め、供養した。
その時、常蔵の亡霊が本堂の前に現われ、「確かに供養して頂きました。
これで成仏できます」と礼を述べたと言う。
九品院には、この着物は保管されているが一般には公開してはいないとの事である。
469(´Д`;) ◆Vdlbq5Fy0I :02/12/09 13:02
ホゼン
470好爺:02/12/09 23:08
文化九年(1812)寅吉と云う少年が、江戸上野の池之端、五条天神の境内で遊んでいる
ときに奇妙な薬売りの老人を見かけた。その老人は仕事を終えたのか、道端に並べて
いた薬などを片付けるところだった。老人は全てのものを小さな壷に入れ、みずからも
壷のなかに姿を消していずこともなく飛び去っていった。
寅吉は腰を抜かさんばかりに驚いたが、好奇心が旺盛だったから、また境内にきてみると
例の老人がいた。老人は寅吉に「わしと一緒に壷に入らぬか」と誘った。寅吉は
好奇心に駆られ老人と壷に入ると常陸国の南台丈へつれていかれたのである。
こうして寅吉はたびたび老人につれられ各地へ飛行した。やがて岩間山へ飛び、
その山中で諸武術、書道、祈祷術、医薬の製法、占術などを四年間にわたって修行し、
その間、岩間山と家とを往復しながら超能力を身につけていった。
しかし、あまり何度も家を留守にするので世間では天狗にさらわれた少年ということ
になり、“天狗小僧寅吉”とか“仙童寅吉”と呼んだ。実際、失せ物を探し当てる
など、占術では異能を発揮した。
471好爺:02/12/09 23:22
その後寅吉の超能力に興味をもった江戸下谷長者町の薬種問屋長崎屋の主人
新兵衛に気に入られ彼の家で暮らすようになった。新兵衛の屋敷ではしばしば
超能力研究会を開くようになったが、そこには幕府祐筆をつとめた国学者の
屋代弘賢、その友人の国学者平田篤胤、農政学者佐藤信淵らが顔をそろえていた。
彼等が関心を抱いたのは、超能力少年の寅吉だった。特に興味を持ったのは
篤胤で何度も話を聞き『仙界異聞−仙童寅吉物語』を発表した。
不思議な事に20代後半になると仙人からさずかった異能は消え失せ、平凡な
人物になり、晩年は風呂屋の主人になったという。
472好爺:02/12/11 00:46
天正八年(1580)豊臣秀吉は鳥取城の吉川径家を兵糧攻めにした。
兵1,800人、城に逃げ込んだ町民を合わせると4,000人あまりが城内に立ち篭って
から1ヶ月も経つともはや食べられるものはすべて食べ尽くし、木の根、草の根は
おろか死んだ馬の肉までも食べ、それでも飢えは容赦なく襲ってくる。
城主の径家さえ一日に口にするのはわずかに木の皮をひいた粉の団子と野草の水ゆで
だけであった。家臣は勇気さながらにやせこけてしまっている。
ついに戦には欠かせない馬までも殺して食べるようになった。鼠も蛙も虫も、口に
入れるものならなんでも食べた。だが、それも一時凌ぎに過ぎず、やがて子供や
老人など、弱い者から餓死者が出始めた。すると、人々はその肉まで食べ始めた。
はじめはこわごわと死人の肉を口にしていたのだが、少し慣れると、肉をあぶって
食べるようになった。あぶった肉の味は格別で、人々は争うように人肉を食べ始めた
という。いまだに死なない虫の息の者まで食べたとの記録すらある。とりわけ美味だった
のは首だったようで、奪い合って食べていた。毎日のように自室の窓から降伏勧告が
届き、径家の助命も約束するとあったが、家臣や城下の人々に此処までの苦しみを
与えた罪は城主の自分にあると秀吉の助命を断り、径家は切腹して城を明け渡した。
篭城は実に4ヶ月にも及んでいた。それから夕暮れともなると何処からか
「なにか口に入れるものを。人の肉ではない物を・・・」とかすかに聞こえると言う。
あうあうあう〜怖いなぁ。こう、何というか日本独特の暗くてじめじめした
ウラの歴史をかいま見たような。
そして、その様子が浮かんでくるようで・・・

いつも好爺さんありがとうございます!
>471
ある意味、全世界の男のあこがれ。
僕も晩年は風呂屋の主人になりたいでつ。
好爺さん多謝!
476好爺:02/12/11 22:51
元禄年間の頃、増上寺での話。あるとき檀家が「湯灌と剃髪をして頂きたい」といって
死人を連れてきた。あいにく住職が不在で、弟子の僧が行なう事になった。
僧は人々を奥へ案内すると落ち着いた様子で剃刀をとり、死人の髪を剃り始めた。
ところが、どうしたわけか手元が狂って、死人の頭の肉をわずかに削ぎとってしまった。
周囲には檀家の人々が頭をうなだれて、じっとしている。慌てた僧は、とっさに死人から
削ぎ取った肉片を自分の口に押し込み隠してしまった。誰にも気づかれなかかったが
はじめは死人の肉を気味悪く思っていたのに、ふいにたとえようのない美味に感じられ
体が震えた。僧は周りに人がいるのも忘れ、肉片を噛みしめると、喉を鳴らして飲み込んだ。
これまでに味わった事のない美味さで僧はすっかり人肉のとりこになってしまった。
その後、何とか忘れようと思った物のどうにも我慢が出来ずに、ひそかに墓地に出かけ、
埋めたばかりの土を掘り返すと、死骸の肉を切り取り貪り食った。
その欲望が満足すれば冷静さが戻ってくる。僧は己の所業が情けなくなって後悔するものの
それは、長くは続かず、また何日かすると自然に脚が墓地へ向っていく。
こうしてたびたび墓地が荒らされると住職が狐か犬の仕業ではないかと不審に思い、
墓地の隅に身をひそめて様子をうかがっていた。僧はその事に気づかずに新しい墓の
土を掘り起こすと、脇目もふらずに死骸の肉を食いはじめた。住職はその凄惨な光景に
仰天して声も出ずにどのようにして寺へ戻ったのか、わからないほどだった。
翌朝、住職は弟子の僧を呼び、昨夜見たことを率直に訪ねてみた。僧は震えるばかりで
答える事が出来ない。だが、やがて「申し訳ございませぬ」というなり平伏して詫びた。
さらに死人の肉を食ういきさつを語り、「このうえは人間としてのつきあいもできません。
何処かの山に篭って修行いたします。」といって寺をでていった。
その後、その僧の行方はまったくわからないという。
477好爺:02/12/14 00:20
19世紀最大の霊媒師と言われるダニエル・D・ヒュームは1833年にスコットランドの
エジンバラに生まれた。彼の霊能力は並外れており、トランス状態になり重い家具などを
宙にうかせて、それを又もとの位置に戻す事などをした。
交霊会では、必ず何か不思議な現象が起きた。彼が一旦トランス状態に入ると、雷鳴が
とどろくように床が振動したり、花瓶の中の水が噴水のように噴出したり、タンバリンが
空中を泳いだりした。
そして、彼が19歳の時、絹商人のチェニイの自宅で交霊会を行なった時にテーブル実験
ラップ現象、トランペットの空中浮遊などを披露している時に突然、彼自身が宙に浮いた。
この時交霊会に超常現象に懐疑的な『ハートフォード』誌の編集長が来ており、彼は
この出来事をこう書いている。「そこにいた人々は予想もしていなかったが、ヒュームが
突然、空中に舞い上がったのだ。そのとき私は彼の手を握っていたが、あまりに驚いたので
放してしまった。すると次に彼の足が私の手にふれた。彼の足はなんと床から30cmのところ
に浮いていたのだ。ヒュームといえば、喜びと恐れが入り混じった感情に身をふるわせ、
声も出ないありさまだった。一回、二回と彼の体は床からはなれ、三回目には天井まで
のぼり、手や足が天井に軽くふれた」
478あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/14 16:55
【懐かしい】昔話はオカルト満載・第2話【語れ】
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/occult/1035538023/143-145
479好爺:02/12/14 20:09
>>477続き
ヒュームは、一生の間に少なくとも1万回以上の交霊会を開いたがそれが他の霊媒師と
異なるのは、他の霊媒師が固執するような暗がりのなかではなく、明るい光の下で
行なわれた事である。彼自身が「暗がりのある所にはごまかしの可能性がある」と言っていた。
ヒュームは「私が空中に浮かぶのは、目に見えない何者かが、私を上に引張あげてくれる
からだ」と何かの霊の力であると主張していた。しばしば彼の交霊会に出席した
クルックス教授も何度か雲のようなモヤモヤしたものが何処からか現われ、しだいに
固まり手の形になるのを見たという。それは触ってみると冷やりとして、握ると向うからも
生きているかのように握りかえしてきた。けれど教授が握った手にギュッと力を入れると
スーッと消えていってしまったという。
480好爺:02/12/14 20:22
…続き
“霊手”の出現はヒューム特異のレパートリーで、ナポレオン三世に招かれた
時には、あのナポレオン・ボナパルトの手まで現われて、自分の名前をサイン
したという。さらにヒュームが霊を呼び出すと亡霊が姿を現して、霊界からの
伝言を喋りだすのだが、この時部屋の中は真冬のように寒々としてきて、
周囲の人々はガタガタ震えあがったともいう。
しかし、1872年彼は自分の能力が限界にきた事を感じて突然引退し、
1886年53歳で、多くの謎を残したままこの世を去ってしまった。
481好爺:02/12/16 01:08
世界一の悪女と言われているのはイタリアのカトリーヌ・ド・メディチである。
何しろ彼女の一存で殺された人の数は5万人とも10万人とも言われている。
カトリーヌは、メディチ家の政略結婚の為に13歳でイタリアからフランスのアンリ二世の
元に嫁いだ。アンリ2世はもともと容姿のパッとしなかった(かなりブスだったと云う説も
あるが知性的な魅力に溢れていたとの説もある)カトリーヌを露骨に馬鹿にし、愛人で
あるディアーヌ・ド・ポワチエのもとに入り浸ってカトリーヌには見向きもしなかった。
彼女は今は、じっと耐えているしかないと思い目をつぶっていた。
しかし、思春期を過ぎて日一日と肉体が熟していく彼女にとってセックスなしの生活は
絶えがたかったのか、お小姓の美少年や腰元の美少女達を縛りつけ鞭で打って喜んでいる
との噂がたったのもこの頃である。
482好爺:02/12/16 01:19
…続き
この間彼女はメディチ家より妖術師、毒薬使いなどを密かに呼び寄せ、自分の
腹心として脇にはべらせていた。
そうこうするうち、夫のアンリ二世が槍試合での事故で目を突き、世を去る。
この事故はノストラダムスが予言したと云う事でも有名だが、或いはカトリーヌ
が呼び寄せた妖術師の力が働いていたのかもしれない。
夫の死後よりいままでネコを被っておとなしくしていたカトリーヌは本性を表わす。
まず、ポワチエをはじめとする夫の愛人を全員追放し、15歳だった長男のフランソワ
一世を王位に就ける。だがこの長男は病弱で、しかも無能であり、カトリーヌの
道具としてはどうも役に立ちそうになかった。そのためか王位に就いて一年も
しないうちにポックリ死んでしまう。
483好爺:02/12/16 01:32
…続き
次に王位に就いたのは次男のシャルル九世。彼は兄と異なり明晰な頭脳と経験な
信仰心をもった優秀な青年だったが、未だ幼すぎると云う理由でカトリーヌが
摂政となって、実質にフランスの国政を取り仕切るようになる。
そしてカトリーヌは此処で本性を表わす。当時新教が勢力を得て、旧来のカトリック
との間に一種の宗教戦争があちこちで勃発していた。パリ市長を呼び出した
カトリーヌは8月24日、聖バルテルミーの祭の日、新教徒達を全員虐殺するように
と軍に命令を下した。これが有名なサン・バルテルミーの虐殺である。
パリの街は新教徒達の悲鳴と絶叫、そして断末魔の呻き声で溢れかえった。
銃声がとどろき、街路には新教徒達の死骸が山と積まれた。
逃げ惑う新教徒達を屋敷のベランダから狩りの様に狙い撃ちにするカトリック教徒
もいた。セーヌ川は血で染まり、歩いている人は殺されて窓から投げ落とされる
新教徒の死体に当たらぬように用心せねばならないありさまだったという。
484好爺:02/12/16 01:46
…続き
この大虐殺の詳報を宮殿の奥で聞きながら、カトリーヌは眉一つ動かさず、
自分で作成した虐殺予定者リストと報告を冷静に検討していたと言われる。
彼女は冷静だったが、シャルルには相当堪えたと見えてその衝撃から人格が
変わり、酒びたりの毎日を送るようになった。
それから暫く後、シャルルもまた24歳の若さで急死する。
兄と同様に王にふさわしくないという母親の判断で毒殺されたと密かに噂された。
続いて王座に就いたのは三男のアンリ三世だった。彼は生まれついてのホモで
女装趣味があり、おまけに幼児殺害に興奮する異常性格者の持ち主だった。
カトリーヌはこのアンリ三世を王位に就けてからほどなく、70歳の生涯を閉じる。
アンリがその同性愛の趣味を改めようとしなかったため、傷心のあまり死期を
早めたと言われるが、彼女の性格を考えればちょっと信じがたい。
兄達の運命を見ていたアンリが、逆に母を毒殺したとも言われている。
いずれにしても十万の新教徒を殺害した事を彼女は後悔するどころか、
一生を通じて最も誇らしい事業として自画自賛しながら死んでいった。
好爺さん多謝!
486好爺:02/12/17 01:46
昭和23年新橋の芸者まさ次姐さんは“猫芸者”と呼ばれるほどの猫好きだった。
上客の「囲い者にならないか?」にも猫を理由に断り、毎晩猫とひとつ布団で
寝るほどの猫好きだった。
しかし、戦前の御贔屓筋だった旦那達がみな公職を追放されたりしてまさ次姐さんは
だんだん生活が苦しくなっていった。そこで自宅で三味線教室を開いたが、その教室も
パッとせずに生活はさらに苦しくなった。その三味線教室を開く時に人の紹介で吉井と
云う金貸しから金を借りていたが、その借金をなかなか返せずにいた。
吉井と言う男はクロという犬をいつも連れて歩き、まさ次姐さんに借金が返せねば
自分の妾になれと強要していた。ある日遂にまさ次の家に上がりこみ、無理にでも
自分の女になれ、それが嫌ならこの場で貸した金を全額返せと脅迫した。
487好爺:02/12/17 02:01
続き…
するとまさ次姐さんが飼っていた猫のみい公が吉井に飛びかかった。
怒った吉井は連れていたクロをみい公を噛み殺すようにけしかけた。
みい公はクロの攻撃をかわすとクロの目を爪で引っかき、さらに吉井の顔に
飛び掛り吉井の目に爪をつきたてた。吉井とクロは病院に担ぎ込まれたが
爪から黴菌がはいったものか高熱を出し翌々日には主従して息を引き取った。
一方まさ次もその凄まじい光景をみて気を失い、昏睡状態だったが、
吉井とクロが死んだ時にむくりと起き上がり「わしは、あのみい公の母猫じゃ。
今から一年前数寄屋橋のたもとに住んでいたわしと子供達をあの吉井の飼い犬クロ
が遊び半分に噛み殺しおった。その時一匹だけ生き残ったのがみい公じゃ。
わしは魂でこのまさ次に乗り移りクロに仕返しをするため、今まで機会を
うかがっておったのじゃ」と同じ事何度も繰り返しつぶやいた。
お払いをしても効果はなかったが、一月後まさ次はストンと正気に戻ったが
まったく猫には興味がなくなってしまっていたという。
488あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/17 10:59
●        猫の怨念        ●
ttp://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/occult/1040055345/
好爺 さん 今日もありがとう。
490好爺:02/12/18 00:23
平安時代は、重病人が出ると地獄からの使者に供える為、門の左右に食べ物を置いて
おくという習慣があった。このようにすれば、疫病神をもてなした事になり、病気を
治してもらえると信じられていた。
讃岐国山田郡の女の家でも、女が重い病にかかると、さっそくさまざまな美味の料理を
つくり、門の左右に出しておいた。
やがて地獄からの使いの鬼がやってきて、重病の女を呼び出した。しかし、鬼は冥土から
急いでやってきたために疲れていたし、腹もすいていた。そこで鬼は、門の左右に
置かれた料理につい手を出し、食べてしまった。鬼は女を連れて行こうとしたが途中で
ためらった。
「先に御馳走を食べてしまったのでこのまま連れて行きくのは気がとがめる。お前と
同姓同名の女が他にいれば、御馳走の恩返しにその女を連れて行っても良いのだが」
女はどうしてそうなるのか、わからないまま「讃岐国の鵜足郡に同姓同名の女がいます」
と答えた。
491好爺:02/12/18 00:44
…続き
鬼はそれを聞くと山田郡の女を許し、鵜足郡へ飛んでいった。そこには確かに
同姓同名の女がいる。鬼はその女を呼び出し、連れ去った。一方、許された山田郡
の女は家に帰り、すぐ行き帰った。ところが閻魔王は鬼が連れてきた鵜足郡の女を
見るなり、「お前は人違いをしたな」と鬼を叱りつけた。
「これは、わしが呼び出した女ではない。もう一度娑婆にいき、山田郡の女を
連れてくるのだ」命じられた鬼は、やむなく、また山田郡へでかけ、女を連れてきた。
「わしが呼び出したのはこの女のほうだ。間違って連れてきた鵜足郡の女は、
もとの家にかえしてくれ」閻魔王にいわれたおり、鬼は鵜足郡の家に鵜足郡の
家に帰しにいった。ところが女の亡骸はすでに火葬にされたあとである。
女は戻るべき体が無いので閻魔王に苦情を言うと閻魔王は暫く考えていたが、
山田郡の女の亡骸がまだそのままになっているのを確かめて、山田郡の女の
体を与える事にした。鵜足郡の女は正直なところ、事情が飲み込めぬまま
山田郡に連れて行かれ、女の亡骸に入って息を吹き返した。
492あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/18 00:46
>>490
今昔物語だったか、宇治拾遺記だったかにも類似の話がありますよね。
こちらは男が主人公で場所は越前から京都にかけての場所だったと思いますが。
493あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/18 00:47
すきじいさん、もっと!
494あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/18 00:50
「すきじい」って読むの?
「こうや」かと思ってた。
495あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/18 00:52
>493
子供か
496好爺:02/12/18 01:06
…続き
ところが鵜足郡の女にはどうにも居心地が悪い。「ここは、私の家ではありません。
私の家は鵜足郡にあります」突如としてそう言うものだから「娘が生き返った」と
喜んでいた両親は驚き、うろたえた。それからまもなく、女は不意に家を飛び出し
鵜足郡の家へ向った。しかし、両親は見知らぬ女がやって来たので、訝しげに見ていた。
女は家に近づきながら「ここが私の家です。お父さん、お母さん…」
と言ったので両親は吃驚した。「違うよ。お前は何処の誰なんだね。うちの娘は
もう火葬にしてしまたから娘はいないんだよ」
当初、良心はなかなか信じなかったが、両親は生前の娘の事を尋ねると、女は
実際にあったとおり、間違いなく答える。赤の他人なら知るはずのない事まで
正確に話すので、両親もようやく信じるようになった。
「体は娘と違うが、心はまさに我が娘だ」両親はそう思い、それ以来、この娘を
大事にしてかわいがった。一方、山田郡の両親にしてみれば、心は鵜足郡の娘
かもしれないが、体はままぎれもなく我が娘である。かわいという思いには
変わりなかった。このため、娘は双方の両親のもとで交代に暮らしたという。
497好爺:02/12/18 01:19
>>493-494
正しい読み方はスケベじじいですが・・・。
こうじいと呼んでもらえるとうれしいです。
好爺さん、きょうもありがとうございました。

>正しい読み方はスケベじじいですが・・・。
ワロタ
私は「こうや」さんと読んでいましたが、「すきじい」でも「スケベじじい」でも
好きです(^_-)〜☆
>497
好青年みたいな感じで好爺(こうじい)だとオモテタヨ(w

こうなりゃ『昔のチョトエロくて恐い話し』でもつくりましょか?w
500494:02/12/18 09:55
俺は、好好爺の方から連想してたよ
501好爺:02/12/19 00:16
白河天皇は延久四年(1072)20歳で皇位に就いたが、なかなか皇子が誕生しない。
そこで頼豪と云う僧に皇子誕生を祈祷させた。この時天皇は、「成就しれば、褒美は
望みのままにあたえよう」と約束した。まもなく中宮の賢子が懐妊した。
承保元年(1074)12月、めでたく皇子が誕生し、敦文親王と名づけられた。
白河天皇は約束を果たそうとして、頼豪にたいし、「どのようなものを所望するのか」
とたずねた。頼豪は即座に、「ぜひとも圓城寺に戒壇の建立をお許しいただきたいのです」
戒壇は僧徒に戒を授けるための式場で、当時は延暦寺にしかない。延暦寺のライバルである
圓城寺にとって、戒壇の県立は悲願であり、頼豪もその設立運動にかかわってきた。
それだけに、頼豪の願いは格別のものだった。ところが、戒壇の県立となると、両寺の
紛争の種にもなっていたし、おそらく延暦寺から反対の声があがるに違いなかった。
天皇としてもおいそれと許可するわけにはいかない。天皇は「褒美は望みのまま」と約束
したにもかかわらず、やむなく「存外の所望だ」といい、却下した。
天皇は延暦寺の反対を恐れたのである。
502好爺:02/12/19 00:34
…続き
頼豪は約束を反故にされて怒り、延暦寺に帰ると、憤死してしまった。
頼豪は天皇を怨み、百日間、髪を剃らず、爪も伸びるにまかせ、顔や手などは
炉壇の烟にすすけて黒ずんだ。怒り怨む心の炎に骨を焦がし、「我が願いは大間縁
となって、天子を悩ませ、山門(延暦寺)の仏法を滅ぼす」と悪念を起こし、
ついに壇上で死んだ。その怨霊は邪毒を放ったので、頼豪が祈祷して生まれた
敦文親王は疱瘡にかかり、4歳で夭死した。その後、頼豪の亡霊は鉄の牙、石の身を
もつ八万四千匹の鼠となり、延暦寺へ向った。この鼠の大群は延暦寺に忍び込むと
つぎつぎに仏像や経典を食い破っていく。これを防ぐ術が無いので、一社を建立し
頼豪の怨霊を鎮撫した。
503好爺:02/12/19 23:45
参議三善清行の息子に浄蔵という僧がいた。延喜九年(909)、左大臣藤原時平が菅原道真の
怨霊に苦しめられ、病に伏せった時、怨霊調伏の祈祷をした僧である。
天暦年間のころ、浄蔵は八坂の坊に住んでいたが、ある夜、八坂の坊に数人の強盗が乱入
してきた。彼等は火をともし、剣を抜き、目を怒らしていたが、不意に立ったまま
固まったかのように動こうとしなくなった。さらに言葉を失いものをいわなくなったし、
まるで失心したかのように茫然として顔もこわばったままであった。
実をいうと浄蔵が盗賊達を呪縛したのである。それから長い時間が過ぎ、まもなく夜が
明けようとする頃、浄蔵は本尊に向って、「早く赦してあげてください」と祈った。
すると呪縛が解け、盗賊達はやっともとの状態に戻り、浄蔵に非礼を詫びて立ち去った。
504好爺:02/12/20 00:07
浄蔵はまた、飛鉢の法を自在に使うことができた。飛鉢の法とは、ある場所へ
鉢を飛ばし、その中に物を入れて運ぶという呪術である。
浄蔵が比叡山いた若い頃、飛鉢の法をつかい必要なものを手に入れ、暮らしていた。
しかし、どうしたわけか、三日間も空の鉢が戻ってくる。これは奇妙な事だし、
暮らしにも事欠くので困惑した。
なぜ、鉢が空なのか、その理由を知ろうとして、四日目に鉢が戻ってくる方向の
山の峰を見続けていた。やがて、鉢は物を入れ、王城のほうから飛んでくる。
ところが、北のほうから別の鉢が飛んできて、浄蔵の鉢のなかから移し取ると、
飛び去っていった。これには、さすがの浄蔵も怒って、自分の鉢に加持を行い、
これを道案内として犯人探しに出かけた。北へ向って2,300町(約20〜30km)
も歩いたと思われるころ、谷間に川が流れているのが見え、そのほとりに
方丈の草庵があった。
505好爺:02/12/20 00:34
…続き
浄蔵は草庵に近づき、中を覗くと、一人の老僧が脇息に寄りかかり、読経していた。
だが、とうてい普通の人間とは思えぬ気配が漂っている。
浄蔵は鉢の中のものを取った犯人はこの老僧なのかと疑いの目を向けた。
すると老僧は不意に振り向き「どなたかな。此処は滅多に人のこない所じゃが」
と声をかけてきた。浄蔵が鉢のいきさつを話すと老僧はそれを聞き、困った顔をしたが
「それは気の毒なことじゃ。だが、わしはそんな事があったとは、まったく知らぬ。
ちょっと調べてみよう」といい、小声で人を呼んだ。
姿を現したのは唐装束を見につけた天童だった。天童とは護法の鬼神などが少年の
姿をして人間界に現れたものである。老僧は天童の顔を見てすべてを悟ったらしく
厳しい口調で天童を叱った。「この方が話されたことはお前の仕業に違いあるまい。
今後はしてならぬ」天童は申し訳なさそうに頭を下げ、退いていった。
「これからは、もう鉢の物がなくなることはあるまい」老僧の言葉を聞いて納得して
帰ろうとしたが老僧はひきとめ瑠璃の皿にもった唐梨(林檎)を馳走してもらった。
天の甘露とはこのようなものを云うに違いない。浄蔵はそう思った。
たちまち身が涼しくなり、疲れも消えてしまった。浄蔵はこうして比叡山へ帰ったが
それからは、飛ばした鉢が空で戻ってくる事はなくなったという。
( ´_ゝ`) 浄蔵といえば、こんな話もあったっけ。
       熊野で修行中、父親の三善清行重病の知らせを受けた浄蔵は
       急遽都に帰るも間に合わず、今の一条戻橋で父親の葬列に出会った。
       ところが橋上で浄蔵が加持を施したところ、死人が蘇生したという。
507好爺:02/12/20 23:16
平安中期の頃、安部清明は宮廷の陰陽師だったが、清明が活躍していたのと同じ頃、
蘆屋道満という民間の陰陽師がいた。あるとき、清明の評判を耳にした道満は、術くらべ
を挑むため、都へやってきた。道満は大柑子(夏みかん)を加持し、殿原や中間に変え、
木の枝を加持して太刀や長刀にに変えるとそれらを従えて、清明をたずねてきたのである。
一方、清明は占いによって、すでに20日も前から道満が上洛してくる事を知っていたので
道満が訪ねてきても少しも驚かなかった。道満から術比べを挑まれ、内裏の白洲で
優劣を決することにした。もし、どとらが負けても、勝った者の弟子となる事を約束した。
当日、天皇は大柑子を16個入れた長持を運ばせ、「この中に何が入っているかを占うのだ。」
と命じた。道満は「16個の大柑子です」と答えた。しかし、清明は密かに加持をしたうえで
「鼠が16匹入ってます」と答えた。大臣達は清明を勝たせてやりたいと思っていたので
長持を開けるのをためらったが道満がしびれを切らせて蓋を開けるように促し、清明も
同じ様に促すのでしかたなく長持の蓋を取るとどうしたわけか中から鼠が飛び出し
数えてみると16匹だった。道満は負けた為、約束通り清明の弟子となった。
508好爺:02/12/20 23:38
その後、清明は陰陽道をきわめる為に唐土へ出かけていく。妻の利花と弟子になった
道満が留守を預かった。清明は唐で伯道上人の弟子となり、修行に励んだ。
伯道の命令で三年三ヶ月も萱を刈りつづけたが、伯道は文殊菩薩の像を作り、
萱葺きの寺院を建てた。ところが、清明が留守のうち、道満は利花に言い寄り、
密通してしまった。そればかりか、清明が秘蔵にしていた卜占の書『金烏玉兎集』を
無断で写し取ったのである。やがて10年後、清明は唐から帰国したが、道満は
利花の手を借り、殺してしまった。
一方、唐では伯道が不吉な予感をおぼえ、術を用いて占ってみたところ、清明の
死相が見えた。そこで伯道は急いで日本へ渡り、清明を訪ね歩き、彼の死を知ったのである。
伯道は清明の塚を訪れ、掘ってみた。遺骨はばらばらになっていたが、一つずつ
拾い集めると、すべてが揃った。伯道が生活続命の法を執り行うと、清明はすぐ蘇生した。
509好爺:02/12/20 23:44
やがて伯道は道満を訪れ、清明と会った事を告げると道満は「清明はもう三年も
前に死にました。それなのに会ったなんて、夢でも見ているのではありませぬか。
もし、清明が本当に生きているのなら、私の首を差し上げましょう」とまで言った。
それを聞いた伯道は、清明を呼び寄せた。道満は清明の姿を見て驚いたが、
もう遅い。道満は清明に首を切られてしまった。
510グランドクロス ◆XXXAXAQILI :02/12/20 23:54
>>406
家康てロリコンだったんだねw
まああの時代には多いけど。
511あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/21 01:03
まあ当時の14歳(かぞえ)なら、今の23歳くらいの感覚でしょ。
512あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/21 01:06
はぁ?
513変態まん:02/12/21 01:17
好爺さん、出典を書いていただけたら嬉しい。
502の話は中世の『山王絵詞』にもらいごうの話はでているよね?
514変態まん:02/12/21 01:18
日本語おかしくてごめん。
515好爺:02/12/21 02:09
>>513
>>501-502は原本からの抜粋ではないが『太平記』『愚管抄』『源平盛衰記』など
をもとにしている本から抜粋しています。
>>511
数えで14なら、実年齢は13だろうが
産まれてから一年毎に1歳ずつ、昔も今も歳の取り方は同じだ。
まさか一年で2歳も3歳も成長する化け物でもいたのか?
>>507-509
そりゃ10年も嫁をほったらかしにしてりゃ寝取られるわな(w
>>516
歴史に疎いようだから教えといてやるが、当時の平均年齢は30歳程度。
これは乳児死亡率が高いからだが、長く生きても普通は40歳くらいが
平均的で、50、60まで生きられるのは栄養状態のいい特権階級が中心。
男の元服(成人)が15歳だぞ。女で13、4といえば立派に性行為の
対象だよ(まあ今で言えば18〜20台前半くらいの感覚か)
そして寿命が短いせいか成熟も早く、今の20歳と当時の20歳では全然
老生度が違う。当時20歳といえば今の30〜40歳の感覚だ。
結婚も12〜15歳前後でするものだった。
まあ60過ぎても若い女に手を出そうっつーあたりはさすが天下人って
感じだけどな。

ま、昔は若いうちから女性を囲うなんてのはしばしば行われていた
(光源氏の例を挙げるまでもないな)。

519好爺:02/12/21 23:51
西行が高野山の庵で修行していた頃、親しくしていた修行僧が京都へいってしまったので、
西行はその友を懐かしく思うあまり、昔聞いた恐ろしい話を思い出した。
それは、荒れ果てた広野の闇に鬼が現われ、白骨化した死骸の骨を拾い集め、人間に復元
したという話である。西行はその秘儀の手順など、復元する方法を聞いていたのに
ついぞ思い出す事も無かった。その話を思い出すと、西行はつい広野へ出かけてみた。
しばらく歩くうちに、明るい月光のなかで、捨て置かれて白くなった人骨を見つけたのである。
西行は聞き知っているとおりに、散らばっている骨を集め、蔓草などで結びあわせ、
秘術を行じて、なんとか人間を復元した。ところがどうしたわけか、人の姿をしているものの
人の心が無く、肌色も悪い。そのうえ声が悪く、まるで吹きそこなった笛のように
何をいっているのか理解出来なかった。
西行は恐れ、困惑した。身近に置いてもおけないし、抹殺することも出来ない。
やむなく西行は、そのものをだれも足を踏み入れることの無い高野山の奥地へ連れてゆき
置き去りにした。
>>518
いや、そう言う事を言ってるんじゃなくて
今も昔も年は一年に一つしかとらんだろと言ってるの。
それを511はナニをどう勘違いしてるのか
>数え年だから23歳くらいだろ
とかアフォな解釈しとるからツッコんだのよ。
おわかり?
ああ、511が本当は何を言わんとしていたかは判ってるよ。
当時のその位の年齢だと、今の23に相応だと言いたかったのでしょう?
つまりアレだ。漏れのしたレスは2ちゃん特有のアレだよ。
522あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/22 18:37
好爺さん、週末もカキコありがとうございます。
でもでも〜、西行さんもそんなモノ山に置き去りにしないで欲しいですね(W
こわひじゃないですか〜!
523グランドクロス ◆XXXAXAQILI :02/12/22 19:16
ネタニマジレスが流行歌。
524YOSHIKI:02/12/22 19:21
おい、おまえら今年の紅白にオレは出ないから裏番組を見ろよ!

そして永遠の命を手にした■慎太郎クローン■が次期総理に向けて
始動したぜ!
石原は「自分に代わって■慎太郎クローン■が首相になって
大日本帝国を再建する。」といっているらしいが、本当かよ?
詳しくはこのHPに書いてあるぜ。
http://www12.brinkster.com/uhikaru/a&w.htm

紅白や永遠の命の質問などおれのスレにいろいろ書けよ。
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/musicnews/1038739531/l50

石原隠し子及び■慎太郎クローン■ 関連スレ
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/mayor/1032166274/l50

おしんもよろしくな。
http://music.2ch.net/test/read.cgi/classical/1037874647/l50

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★■▲▼?■▲▼
525グランドクロス ◆XXXAXAQILI :02/12/22 20:33
インディアンは嘘つかないらしい。
526あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/22 21:03
●消えた花嫁

 それは1973年3月26日の夜、地中海を臨むエジプトのアレキサンドリアで起こった。
 新婚のアンワール夫妻が道を歩いていると、突然路面が避けて、妻のメルベットさんが穴に落ちてしまった。
 当局はすぐに捜査をはじめたが、水道管が破裂していた報告があったため、水道局の怠慢ということにされた。
 現場を堀り起こしたが、遺体もなにも見つからなかったという。
 古代遺跡の井戸や貯水槽に落ちたのではないかとされている。
527あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/22 21:04
●目前で消失した男

 1880年9月、アメリカのテネシー州メンフィスの牧場で、牧場主ジョー・ガラップは馬を見回りにいくところだった。
 家の前では、妻と子ども二人が遊んでいた。
 近づいてくる馬車にはジョーと親しい人が二人乗っていたため、ジョーは手を振った。
 ジョーが5、6歩歩き始めたとき、信じられないことが起こった。
 煙のように彼のからだが薄れ、消えてしまったのだ。
 呆気に取られていた人達が正気に戻り、現場をよく調べたが、人が落ちるような穴も崖も無かったのである。
 ただ、その付近には直径5mくらいの、枯れて黄ばんだ草の輪があっただけだったという。
528あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/22 21:04
●2年間行方不明だった男

 1985年8月7日、Kさんは仲間12人と新潟県の西山町へ海水浴にいった。
 彼は午後3時ごろに、「もうひと泳ぎしてくる」といって行方不明になった。
 しかし2年後の1987年10月13日、家族の元に彼から電話が入った。
 「今、沖縄にいるんだ」
 迎えに行って訳を尋ねても、
 「気がついたら、なぜか沖縄の海の中にいた」
 と、2年間の記憶もなく、ただ首をひねるばかりだったという。
529あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/22 21:04
●20年後に帰ってきた男

 1748年〜1764年ごろ、今の滋賀県の八幡に、松前屋市兵衛という反物商がいた。
 ある夜、手伝いの女中を連れて厠に行った市兵衛がいくら経っても出てこなかったため、女中は妻と共にかわやを開けた。
 しかし、何処にもいなかったのである。
 いつしか妻はあきらめ、新しい男と結婚してしまった。
 しかし20年後、かわやから人を呼ぶ声が聞こえてきたため戸を開けると、市兵衛が消えたときの服装のまま、そこにいたという。
 彼は「腹が減った」といい、見事なくいっぷりを見せたが、暫くすると急に煙っぽくなり、丸裸になってしまった。
 衣服がほこりとなって散り失せたのだ。
 20年間の記憶もなかったが、普通の生活に戻った彼は、新しい夫と妻の間で、さぞおかしな関係だったに違いない。
530あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/22 21:13
●小説は事実よりも奇なり

ここに、小説が人命を救った奇妙な話をご紹介しよう。
1882年5月4日、ブラジル軍艦が波間から一つのビンを拾い上げた。
そのビンの中には、古い聖書を破った紙切れにこう書かれていた。

”私は「海の英雄号」の2等航海士。乗組員が反乱を起こして船長と1等航海士を殺した。私は船を操縦するため命だけは奪われずにいるが、急ぎ救援願う”

軍艦は、紙に書いてあった方角に向かい、「海の英雄号」を発見、無事2等航海士の救助に成功した。
しかし、2等航海士は「どうして反乱のことがわかったのか???」と不思議顔。
ビンのことも知らないという。
事の顛末はこうだった。

この事件の16年前、「海の英雄」という小説が出版された。
広告方法が独特で、宣伝の為に本文からいくつかの文章を抜き出し、それをビンに入れて海に流した。
この方法で、当時はかなり有名になったとのことだ。
そして現実の船名も、この小説にちなんでつけられたものだった。
このビンは16年間も波間を漂い、同名の船の危機を救ったのだった。
世にも奇妙とは、このことではないだろうか。
531好爺:02/12/23 12:24
井上皇后は養老元年(717)、聖武天皇の皇女として生まれ、30代なかばに白壁王の妻となった。
称徳天皇が神護景雲四年(770)に53歳で死去すると、白壁王は左大臣藤原永手、右大臣藤原良継
その弟百川らに擁立されて即位し、光仁天皇となった。光仁天皇は即位すると、妻の井上内親王
を皇后とし、翌年一月には二人の間に生まれていた他戸親王を皇太子に立てた。
当時、藤原一族が主導権を握り、政治を動かそうとしていたが、光仁天皇は高齢ゆえに気力も
衰えており、積極的に行動できない。井上皇后には、それがもどかしく何かと口をはさむ。
それが百川には煩わしく、さっそく光仁天皇と高野新笠との間に生まれた山部親王
(後の桓武天皇)を擁立しようと陰謀をめぐらす。そのためには井上皇后と他戸皇太子を
廃する必要がある。百川は宝亀三年(772)、ひそかに光仁天皇に「皇后と皇太子が天皇を呪詛
なさった、との密告がありました。おそらく他戸皇太子を早く皇位につけようと、望んでの
ことでしょう」と告げた。光仁天皇は、百川の話をすぐには信じられなかったが呪詛したと
いう巫を生き証人として、天皇の面前に引き立てた。こうなっては信じない訳にはいかない。
それに天皇は、自分を擁立してくれた百川に感謝をし、信頼していた。
532好爺:02/12/23 12:25
…続き
井上皇后と他戸皇太子は庶人に落され、さらに翌年に天皇の姉の難波内親王を呪い殺したと
言う理由で、大和国宇智郡に幽閉されたのである。しかし、井上皇后と他戸皇太子は、
そこから出る事はなかった。二年後の宝亀六年四月の同じ日に二人は死んだ。二人が同じ日に
死ぬというのは奇妙なことで、これは殺害されたと見るのが自然だろう。
宝亀六年五月十四日、白虹が天にかかる天変があり、六月二十二日には疫病の流行を防ぐため
疫病を畿内諸国にまつらせ、大祓を行なった。さらに宝亀八年二月、宮中に妖怪が現われると
いう事件が続発した。大祓をしたほか、六百人の僧、百人の沙弥を集め、宮中で大般若教転読
を行なわせた。しかし、それでも怨霊の祟りは鎮まらない。十二月には井戸が枯渇し、
多くの川が干上がった。同じ頃、二人を死に追いやった藤原百川、光仁天皇、山部親王は
百余りの鎧武者に追われ命を取ろうと驚かせる悪夢にうなされ続けた。
宝亀十年七月五日、ある巫女が百川に「この月の九日、物忌をきびしくしなさい」と教え
百川も夢見が悪かったので、この日は篭っていた。そのとき、百川の帰依する僧が、
井上皇后を殺したために百川が首を切られるという夢を見て驚き、百川に告げにいった
ものの、物忌中で会えない。しかし、この日、百川は急死してしまう。四十八歳だった。
好爺さんご苦労様です。
534好爺:02/12/24 02:03
菅原道真失脚事件の時、反道真派の藤原時平に加担し、道真に政界引退を勧めたのが
文章博士の三善清行である。清行には僧になった道賢という息子がいた。
天慶四年、八月二日にその道賢が金峰山で無言断食の修行をしているうち、突如、
高熱を発して体が硬直し、呼吸困難となって気を失い、まもなく息絶えた。
道賢の霊魂は、肉体から離脱して冥界に行く途中、いつのまにか姿を現した僧に
案内され、冥界の金峰山へつれていかれるのだが、そこで菅原道真と出会った。
道真は道賢にこう告げた「私は、菅相公だが、今は太政威徳天と呼ばれている。
これから私が住む大威徳城を、そなたに見せてやろう」道真はそういうと、
道賢を白馬に乗せて数百里の天空を走り、巨大な王城へつれていった。
そこで道真はこう語った。「私は怨みから、疫病や災厄、天変地異を起し、この国を
滅ぼそうと思ったが、菩薩たちが慰めてくれるので、祟りはしなくなった。それでも
十六万八千の悪神、眷属がいて災難を起してくれる。だが、私の形像をつくり、名号を
唱えて心から祈れば、決して祟ることはない」
535好爺:02/12/24 02:04
…続き
さらに道真は道賢に「いまから名を日蔵と改めるが良い」という。
道賢は金峰山に戻り、蔵王菩薩に道真から聞かされたことを話した。
すると、菩薩は「延喜王(醍醐天皇)が身体六腑を焼かれて死んだのは、
道真の配流を認めたからだ。延喜王はいま、地獄の苦しみにあえいでいる。
そなたに、その様子を見せてやろう」といい、道賢を地獄へつれていった。
確かに醍醐天皇は、地獄で苦しんでいた。醍醐天皇はそのとき、道賢に
「私は在位中に犯した罪の報いで、このように鉄窟地獄に落ちた。その罪とは、
藤原時平の讒言を信じ、無実の道真を配流したことだ。そなたは、まもなく蘇生
されるだろうが、どうかこのことを朱雀天皇に伝え、私の罪業消滅のために、
法要を営むように頼んで欲しい」と涙ながらに訴えた、という。
道賢は醍醐天皇に帰路を教えてもらい、八月十三日に息を吹き返した。
好爺さんいつもありがとう。猫の話、最近の話だけに、超面白かった。
漫画の「鎌倉ものがたり」に出て来そう。
537好爺:02/12/25 01:55
1534年ごろ、パラケルスス(>>115-126参照)がインスブルック郊外の森を歩いていると
どこからか彼を呼ぶ声がした。
「カシの実を閉じ込められているんだ。頼むから出してくれよ」
見ると、傍らの大きなカシの木に三つの十字架で封印された小さな実がかかっている。
なんと哀れにも、悪魔がその中に閉じ込められているのだ。
パラケルススは、悪魔を助けてやるお返しとして「あらゆる病を治せる薬」と「すべての
ものを黄金に変えられる秘薬」を要求した。悪魔が同意すると、彼はメスでカシの実の
封印を解いてやった。彼があとずさりして何が起こるか待ち受けていると、一匹の蜘蛛が
穴から這い出してきて苔の上に落ちた。その直後、蜘蛛の姿は消え、あとには痩せこけて
しかめっ面をした悪魔が立っていた。
538好爺:02/12/25 01:56
…続き
悪魔がハシバミの枝を折って岩に叩きつけると、岩は真っ二つに割れ、その裂け目の中
から二つの小瓶が現われた。「黄色いのうが黄金製造剤、白いほうが万能薬だ」
悪魔はそういうと、パラケルススにこれから自分を封じた悪魔払い師に復讐をしにいくが
一緒に行かないかと持ちかけた。
しかし、パラケルススはこう言った。「悪魔払い師は、お前をこんな穴の中に閉じ込め
られるほどの能力の持ち主だ。だが、お前の力では、小さな蜘蛛に変身して、この穴に
もぐりこむような真似はとうてい出来ないたろう?」彼がけしかけると、悪魔はみるみる
小さくなって、再びカシの実にもぐりこんでしまた。それを見たパラケルススはさっさと
穴を封印して十字架を刻んでから、その場を立ち去っていった。
騙された悪魔が助けを求めて泣き叫ぶ声を後ろに聞きながら・・・。
539あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/25 01:59
540あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/25 23:59
>526
なあ、その話俺なんかの本で見たんだよ。
消防ぐらいの頃。
もっかい見たいんだけど本のタイトル思い出せないんだよ。
他にも半漁人の目撃談とか巨大カンガルーとかも一緒に乗ってないその本?
タイトル教えてくんない?
541あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/26 00:25
>540
ミステリーゾーンを発見した,では?
542好爺:02/12/26 01:07
在原業平はあるとき、都の西に住むある人の娘が美女だったので、ぜひ自分のものにしたいと
近づいた。ところがその人は娘をたいそう可愛がっていて、誰かにやる気はない。
まして業平は悪名が高かったので、業平の申し出を一蹴してしまった。
だがそうなると業平も意地を張り、ひそかに屋敷から娘を盗み出した。
しかし、残念ながら、せっかく娘を手に入れたのに、隠して置く場所が無い。
あれこれと探しまわったところ、やっと北山科で人が住んでいない荒れた山荘を見つけた。
業平は「これは手ごろな隠し場所だ」と思い、女を連れてその中に入ろうとしたものの
あまりの荒れように驚いた。床板は朽ちているし、柱もところどころが折れ、
おまけに蜘蛛の巣が張りめぐらされており、仮寝するどころではなかったので、
やむなく外へ出て適当な隠れ家を探した。裏手にまわったとき、校倉が目に付いた。
543好爺:02/12/26 01:08
…続き
業平は女に「さあここに入るのだ」と声をかけ、校倉の中へ連れ込んだ。
床板はまだ残っており、横たわっても大丈夫のようだった。業平は薄絹を敷くと
「こっちへくるのだ」と女をうながした。女の顔は青ざめてはいたが、もはや観念したのか
いわれるままに薄絹のうえに身を横たえた。業平はすばやく着物を脱ぐと、女のうえに
体を重ねていった。ところがその瞬間、それまで月光が輝き、澄み渡っていた夜空が
一変した。稲妻が光ったかと思うと雷鳴が激しく轟き始めたのである。
「なにか異変が起きるのか」とさすがの業平も身をふるわせた。
つぎからつぎへと稲妻が光り、夜だというのに昼のように明るい。そのせいかどうか
頬が熱くなり、ひりひりと痛む。業平は「さては物の怪のしわざ!」と叫ぶなり
太刀を抜き去った。女はおののき、体を小さくしている。業平は女を片隅に押しやると
太刀で空を斬りはじめた。かなりの時間がすぎ、やがて稲妻や雷鳴がやんだ。
544好爺:02/12/26 01:08
…続き
静かな夜明けである。業平はふと気づいてあたりを見渡したが、女の姿はない。
「物の怪を相手に太刀を振るっているあいだに、逃げ出したのだろうか」と思い
後ろを振り向いてみた。業平は悲鳴をあげ、へたり込んでしまった。そこにあるのは
なんと目を見開いた女の首と、胴体の抜けた着物である。あまりの悲惨さに業平の
体を悪寒が走った。物の怪の仕業ならじっとしてはいられないが、腰がくだけて
立つ事ができなかった。杖になるような棒切れでもないかと、あたりを見渡すと
いやでも女の首が目に入ってくる。女の目は恨みがましく業平を見ていた。
業平は誰もいない山荘で、恐ろしさのあまり、絶叫し続けていた。
その後やっとのことで助け出されたが、土地の人から聞いた話では、あの校倉には
いつからか鬼どもが棲み付き、知らずに入り込んだ人間を食い続けたという。
そのため、人々は「人を食う倉」といって、恐れていたとも事であった。
……というのが、実は姫の兄貴にまんまと姫を取り戻されてメンツが
潰れた在原業平がとっさに作ったお話やね。
この姫は天皇に嫁いでる。結構若く亡くなったはずだが。
「ある人」は藤原家。
業平はやんごとない血筋の風流人。

えっちしようとしたんじゃなくて、山荘に隠して番をしている間に
鬼に食われた、というのが本来の伊勢物語の筋じゃないっけ。
伊勢物語の作者自身が在原業平だし。
547好爺:02/12/27 01:59
私の出典は『今昔物語集』です。
まあ、本人が書いた『伊勢物語』とは表現が異なっているのでしょう。
『伊勢物語』は、在原業平を思わせる男を主人公にしていますが、
業平が作者ではありません。この物語の作者は未詳です。
ま、似たような話があっちこっちに点在してるからな。
550あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/27 22:20
age
551あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/12/27 22:21
552ダヌル・ウェブスター:02/12/27 22:25
かきのタネ 食いつつナメにし マンコなれば

ヌルヌルアナル 指をしぞ匂う
553国文学講座:02/12/27 23:48
>>552意外とインテリだなダヌル。

『伊勢物語』に収められている和歌、
「唐衣 着つつなれにし 妻しあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」
これは各句の頭に「かきつばた」を読み込んだ「折り句」という作法が用いられている。
さらに、
イ、(着物に)慣れる と (妻に)馴れる
ロ、遙々 と 張るばる(衣の洗い張りの意)
ハ、来ぬる と 着ぬる
を掛けた「掛詞」という手法が用いられている凝った和歌なのだ。
554好爺:02/12/28 11:57
家康の祖父、松平清康は戦の最中に家臣の一人である弥七郎に切られて亡くなった。
その時に使われた刀は切れ味が抜群なことで知られる村正の名刀だった。
のちに家康の父、広忠も家臣岩松八弥の村正で殺されたし、家康の嫡男信康が織田信長の
命で自刃させられたとき、介錯人が使ったのも村正だった。
また、関ヶ原合戦の時、織田長孝が戸田重政の兜を槍で突き通したと聞いた家康は、
長孝を呼び寄せ、その槍を検分した。ところがどうした事か家康の指がその槍に触れると
血が流れ出たのである。まわりにいた者は驚き、騒いだが、家康は平静にこういった。
「この槍は村正の作だろう」 調べてみると案の定村正だった。
長孝は後になって、村正は徳川家にとって忌まわしい刀であり、家康が家臣達に村正の
使用を禁じていると知らされ、驚き、その槍を切り刻みすててしまった。
やがて、村正が徳川家の禁忌になっていることが知れ渡り、世間では「徳川家に祟る刀」
とか「妖刀」などと噂した。
幕末になると倒幕の志士たちが「徳川家に祟る」という言い伝えから、好んで村正を
もつようになったという。
555ダヌル・ウェブスター:02/12/28 12:09
これからカマボコを買いにいかねばならん
556好爺:02/12/30 09:52
越後国の村上周防守義明の家来に忍術を始めとして、じつに不思議な術を使う侍がいた。
「あの男ならどんな堅城であろうと、やすやすと忍び入るに違いない」と噂になるほどだった。
あるとき2,3人の同輩がその術者の家を訪ね、歓談した時、術者は奇妙な問いかけをした。
「おのおの方、天河の鮎というものを食した事がおありか」
いくら興に乗っての話とはいえ、天の川に鮎などいるはずもなく、話をしていたのは冬の
ことなので、鮎など見る事も出来ぬ季節である。
「冗談をいうな。天河の鮎などあるはずがなかろう」同輩達は笑いながら言った。
「そうか、見た事も食したこともないのか。それでは雪のもてなしに、天河の鮎を
食してもらおうか。おのおの方、よくごらんられ」術者はそういうと、使用人を呼んで、
何本もの細引を持ってこさせた。一本ずつ結びあわせて長くすると、これをもって
庭へ出かけたのである。術者は長く結んだ細引の一端をしっかり握ると、細引を
思い切り空へ投げた。普通なら細引はすぐ落ちてくるはずなのに、不思議なことに
彼が空へ投げた細引はまるで生きているかのように、ぴんとたちあがり、ドンドン天へ
上がっていく。術者はその細引に手をかけると木を登るのと同じ様に、するすると
登っていった。それが実に素早い。彼の体が半分になったかと思うと、やがて小石くらい
の大きさになり豆粒ほどになって遂に見えなくなったのである。
557好爺:02/12/30 09:54
…続き
同輩は唖然としながら空を見上げていると、まもなく術者の姿が雲のあいだからぽっと
現われると次第におおきくなり、あっというまに庭におりたった。術者は疲れた様子もなく
細引を手繰り寄せ、使用人に持っていませた。
「天河の鮎はあったのか」同輩達は平然として着物の袂から次々に鮎を取り出した。
2,30匹もあったろうか、いずれも立派な鮎であった。
術者はその後もこうした不思議な術を見せ、人々を驚かせていた。それを伝え聞いた村上義明
も興味を抱き、「私もその術とやらを見たいものだ」と言い出し術者は城中で不思議な術を
披露することになったのである。
術者は義明をはじめ、側近が居並ぶなか、懐中からなんの変哲もない鼻紙を取り出すと
口にいれてぐちゃぐちゃとやりはじめた。つぎにこれを口から出し、豆粒ほどの大きさに
まるめて、庭の柱に押し付け、もとの場所に戻った。
558好爺:02/12/30 09:55
…続き
義明や側近の者たちは、顔に不審の色を浮かべ、柱にくっつかれた小さな紙の塊をみつめていた。
「なんだ。なんにも起こらないではないか」人々が内心そう思い出した頃、まもなく柱に
くっつけられた紙の小さな塊から、ゆっくり滴が垂れはじめたのだ。
その滴が流れとなっていく。ここで義明らは、驚きの声をあげた。やがて、その流は滝となり
水が庭一面に満ち、ひたひたと座敷へ上がってくる。悲鳴をあげたものもいたが、
義明もあわてふためき「もはや無用じゃ。やめよ」と命じた。
術者はゆっくりと立ち上がり、柱につけた小さな紙の塊を取り除く。すると、それと同時に
座敷まで押し寄せてきた水が引き、見る間に庭の土も現われてきた。あっというまにの出来事
だった。しかも、不思議な事に、水がひいた後の畳や庭はまったく濡れていなかった。
「見事だが、怪しい術じゃ」義明はそう言って、晴れない顔をした。
559好爺:02/12/30 09:55
…続き
それからまもなく「あの男は禁制のキリシタンではないのか」と噂が立った。
重臣達も放置しておけず、協議した。
「不憫な事だが、無益の術を覚えている科によって、切腹を命じる」という結論に達した。
術者は僧に埋葬の事を頼み、切腹の座につく。ためらいもなく腹を切ると、介錯人が
首を落した。僧は頼まれた通り、死骸を長持に入れて鍵をかけ、葬ったのである。
それからまもなくして、死んだ術者からの書状が家老の元に届けられたのである。
「私にはなんの科もなく、死罪にあういわれはない。それゆえ、私は城下から出て、
遠くの地へ退いた」とあった。切腹したはずの人間がどのようにして退出できるのか。
重臣達は恐れおののいたが、それが本当なのか確かめて見なければいけない。
さっそく術者を葬った長持を掘り出して検分した。なんとしたことか、そこには
術者の死骸がなく、腸をだした大きな狸の死骸が横たわっていたのである。
これは、『耳の垢』という書に書かれている話だが、さしさわりがあるのか術者の名は
記されていない。
>好爺さん
乙さんくす
561526-530:02/12/30 11:39
>>540
>>541
そうそう、ミステリーゾーンを発見した!だった。
売っちゃったんだよなぁあの本。
562好爺:02/12/31 10:35
寛政七年(1795)摂州岸和田(大阪府岸和田市)の荒れ果てた武家屋敷で、古井戸から
おびただしい数の虫が這い出るという変事があった。
その虫はこれまで見た事もない不思議な虫で、あたりを飛んだり、這いまわっている姿は
不気味というしかない。これを捕えてみると、玉虫か黄金虫のような形をしているが
虫眼鏡でよくよく見ると、なんと後ろでに縛られた女の姿をしていた。
大阪の素外という俳諧の宗匠がその虫を秘蔵していたが、素外が諸国を旅している途中
『耳袋』を書いた根岸鎮衛もその虫を確かにみたと書いている。
この不思議な虫には元禄年間頃として、青山喜督が尼崎五万石の城主だったとき、
喜多玄蕃という家臣がいた。暮らしぶりも裕福で玄蕃の妻も容姿にはすぐれていたものの
たいそう嫉妬深い女だった。玄蕃はお菊という女を心にかけ、召し使っていた。
563好爺:02/12/31 10:36
…続き
お菊は16歳で温厚な性格である。ところが妻にしては面白くない。ある日お菊を落としいれよう
と密かに飯椀のなかに針をいれて配膳させた。玄蕃が飯を食べ始めるとなんとしたことか
針が突き出す。玄蕃は怒ったが「菊の仕業ですよ」と讒言する。玄蕃は妻の言葉をうのみ
にしてお菊を後ろ手に縛り上げると、庭へひきずって古井戸へ突き落としてしまった。
まもなくお菊は古井戸の中で息絶える。お菊の死を知った母は、嘆き哀しみ、自分も
古井戸に身を投げて命を絶った。
その後、玄蕃の屋敷では怪し火が現われたり、古井戸から女のすすり泣きが聞こえて来る。
など、奇怪な事がつづいた。やがて玄蕃の家は絶えてしまったという。
その百年後に井戸から『お菊虫』がでたのであると噂された。
根岸鎮衛は『番町皿屋敷』はこの虫の事件を元にかかれたものだと記している。
564あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/03 18:34
あげ
565あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/03 18:42
せかいの まんなかにたつ とうは
らくえんに つうじている という

はるかな らくえんを ゆめみて
おおくの ものたちが
このとうの ひみつに いどんでいった
だが かれらの うんめいを
しるものは ない

そして いま またひとり‥‥
566あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/03 18:42
http://members.tripod.co.jp/horror_world/
オカルトページつくったんでぜひきてけれ。
恐い話知ってたら投稿お願いします。
567好爺:03/01/03 21:59
仁平年間(1151〜54)の頃、近衛天皇が夜な夜な物の怪に脅かされる、という怪事が起こった。
夜もふけた丑の刻(午前2時)になると、東三条の森の上空に不気味な黒い雲が湧き出し、
風もないのに流れてきて御殿を覆う。天皇はそれとともに怯え、発作を起して苦しんだ。
朝廷は天皇を脅かす物の怪の正体をつきとめ、退治しようと、高僧達に加持祈祷を行なわせた。
しかし、物の怪の正体はわからずに天皇の怯えが消える事も無かった。
そこで堀河天皇の先例により、鳴弦を行い物の怪を追い払う事にした。
当時、弓の名手として有名であった源頼政がよびだされ鳴弦を行なう事になった。
頼政は正殿につめ、夜を徹して警護にあたった。しばらくは何事も起きなかったが
丑の刻頃になると、人々がいったとおり、突如として東三条の森のほうから怪しげな
黒雲が近づき、御殿の上にたなびいた。頼政が見上げると、その黒雲の中に怪しい物の
姿が見えた。頼政は迷わず、それをめがけて矢を放った。
「仕留めたぞ」頼正が叫ぶと同時に大きな音が響き、巨大な怪物が落ちてきた。
頼政の家来の猪早太がそれを取り押さえ、明かりを灯してみるとなんとも奇怪な姿をしている。
その頭は猿で、胴体は狸だが、尾は蛇、手足は虎という複合妖怪だった。
鳴き声はトラツグミに似て怪しげである。人々はこれを鵺と呼んだ。
この妖怪はくり船に入れ、海へ流した。頼政が鵺を退治したことで天皇の悩みは癒えた。
568ストリンドベルイ:03/01/04 21:29
スウェーデンの劇作家。

1910年に書いた最後の戯曲で、彼は一人の日本人を登場させている。
この日本人は犯した罪の償いをするために自殺したいと考え、死んだように見せかける
薬を飲み、死体を火葬するようにという遺言書を残すことにした。

他の者が
「しかし火葬場の炉の中で気がついたらどうする?」
と訊いたとき、彼は答えた--

「気がついた方がいいんだ・・・罪業を浄める炎がどんなものか知りたいんだから・・・」

その日本人の名前は「ヒロシマ」だった。
>>568
ある意味、アメリカ人が喜びそうなお話だね・・
570好爺:03/01/05 00:37
吉備真備が唐に留学していた頃、唐の学者達は彼の才知を妬み、夜な夜な鬼が出没する高楼に
幽閉してしまった。その鬼の正体は、かつて留学生として唐に渡ったものの、同じ様にこの
高楼に閉じ込められ、餓死した阿倍仲麻呂だったという。真備は訪ねられるままに日本の事情
等を鬼に語ると、鬼は真備が帰国できるように援助を約束する。
唐の学者達は真備に『文選(漢詩文集)』を読ませ、字句の間違いをあざ笑ってやろうとした。
ところが真備は鬼から「飛行自在の術」を学び、皇帝の宮殿で30人の学者が『文選』を講ずる
処へ飛んでいき、講義のすべてを暗記して、難問を解決した。
次に唐の学者達は、囲碁をまったく知らない真備に勝負をしかけ、負かそうとした。
真備は鬼に囲碁の奥義を習うと翌日、唐の囲碁名人に勝つのである。
唐の学者達はそれでも懲りずに、食べ物を与えずに真備を殺そうとするのだが、真備は鬼を
使って双六を取り寄せ、これを呪具にして太陽と月を封じ込める。世の中が暗闇になって
困ったのは唐人だった。彼らは真備の帰国を許し、太陽と月をもとに戻してもらった。
>>565
SaGaかよ!

かみは うらがえしに なった
572山崎渉:03/01/06 12:38
(^^) 
573好爺:03/01/07 01:18
江戸後期、一人の日雇いの男が古道具屋からかまどを買った。二日目の夜になにげなくかまどを
見るといかにも汚れた坊主が、かまどの下から手を出している。男はビックリして腰を抜かす
ところだった。一体あれは難だったろうかと思い、次の夜もかまどを見ると、前夜と同じ様に
汚れた坊主がかまどから手を出していた。かまどの下には人が入れる隙間など無いのに
坊主が手を出しているのだ。奇怪な出来事に男は気味悪くなり、かまどを買った古道具屋に
持っていった。追い銭をだしてかまどを新しい物と取り替えてもらった。それ以来、不思議な
出来事はピタリと止まった。ところが、やがて日雇い仲間の一人がそのかまどを買った、と
いう話を小耳にはさみ、仲間に変な事が起きていないか訪ねてみた。
仲間は、毎晩かまどの下から怪しい物が出てきて寝むれないと答えた。
574好爺:03/01/07 01:18
・・・続き
それを聞いて男は自分も買った事があり、同じ様にかまどの下から汚い坊主が出ていた事を話して
古道具屋へ持っていき取り替えてもらうようにそそのかした。仲間も気味悪がって古道具屋で
当たらしい物と取り替えてもらった。男は自分だけでなく、仲間も同じ様な目にあっているので
不思議でならずに古道具屋に事の次第を話して、尋ねてみた。
主人は最初は信用していなかったが、そのかまどが何度も戻ってくるので、自分の台所に置いて
みた。やがて夜になると男の話の通りに汚い坊主がかまどの下から手を出してきた。
主人は不気味さに体を震わせた。こんなかまどを置いておくといつまでも奇怪なことが
つづくかわからなかい。主人は夜が明けるのを待って、そのかまどを打ち壊したのである。
すると、かまどの片隅から五両の小判が零れ落ちてきた。古道具屋の主人には、なぜかまどに
五両のも金が埋められていたのか、不思議だった。ただ、妙な事もあるものだと思っていたが
ある人はこう話した。「おそらく坊さんが金を貯え、かまどに塗りこめたまま死んだので
その執念が残ったのかもしれない」古道具屋の主人はそれを聞き、奇怪な出来事が起きたのも
無理はないと、妙に納得した。
>>573-574
で、その坊主の残した銭は結局誰の手に?
古道具屋の主人?番所の役人?
576好爺:03/01/08 01:58
唐の玄宗皇帝が病気で寝ていると片足だけ靴を履いて、赤い褌を締めた小鬼が現われた。
小鬼は御殿の中を歩き回って、玄宗をからかった。玄宗が小鬼をとがめると
「私は他人のものを盗んでふざけ、人の憂いをつくって喜ぶ虚耗(きょこう)というもの
ですよ」と答えた。玄宗は警護の兵を呼んでこれを捕えようとしたが、突然巨大な鬼が
現われて、虚耗を捕えて食べてしまった。びっくりした玄宗が「お前はなにものだ」と
たずねると、鬼は「私は科挙に落ちて故郷に帰れず、宮中の階段に頭をぶつけて自殺した
鍾馗(しょうき)というものです。陛下が手厚く葬ってくださいましたので、御恩に報いる
ために参上いたしました」と答えた。
ふと玄宗が夢から覚めると病気はすっかり治っていた。玄宗は喜んで絵師に鍾馗の絵を描かせた。
また、鍾馗は邪気を払い妖気をしずめる力のある者だから、各屋で除夜にその絵姿を貼るように
と命じた。
577好爺:03/01/08 02:03
>>575
それ以後の話は何も書いてないから・・・たぶん古道具屋の主人のものになったのでしょう。
578あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/08 02:09
>576
これが鍾馗の由来なんですか。
勉強になるなー。
579好爺:03/01/09 00:31
秋田県湯沢市の町外れに清涼寺という寺がある。その寺の11代の住職・竜国寿金禅師の話である。
代々、この寺の住職は京の都から高僧が派遣されてくるのが習いだったが、禅師の場合は様子が
違っていた。禅師はある日突然、門前に姿を現し、「わしは新しい住職の竜国寿金禅師である」
と名乗ったのである。早飛脚で都に問いただそうと、寺内で論議をしているのをよそに、禅師は
本堂にどっかと座り、読経を始めてしまった。ところが、その読経の素晴らしさに、それまで
半信半疑だった寺僧たちも、やはり都から遣わされた高僧は違うものだと信じ、禅師が住職と
なるのに異論を唱える者はいなくなった。やがて、その名僧ぶりは近隣に鳴り響くようになり、
はるか都まで届いたのである。
ところが、突然に異変は起こった。ある夜に「みな、起きろ!火事だ!」と禅師の大声が響いた。
寺僧はじめ、近在の人が駆けつけたが、寺には火の気は無く、勿論火も炎も浴びてはいなかった。
ところが禅師は「火事だ、火事だ」と庭石に水をかけている。それどころか集まってきた僧たちに
「何をぐずぐずしておる。寺が丸焼けになってしまうではないか」と火を消すように命じるのだ。
やむなく、庭石に水をかけながら、寺僧たちは、正気の沙汰ではないと小声で言い合った。
勇気ある僧の一人が、何処が火事なのかと尋ねると、禅師は大真面目に「唐土の金山寺が
燃えているのじゃ」と答える。いよいよ頭がおかしくなったのだと、誰もが顔を見合わせた。
580好爺:03/01/09 00:32
…続き
ところがそれから暫くして、驚いた事に、唐の金山寺からなんとも見事な錦織の幕と竜の髭の
払子が届けられた。添えられた書状には「先般、当寺が火災を起した折には、力を貸して頂き
厚く御礼を申し上げる次第である」と書いてある。寺はこの幕と払子を丁重に扱い、寺宝として
厳重に保管する事になった。
禅師が不思議な力の持ち主だった事を伝えるのは、金山寺の火事事件だけではない。
雨乞いに関しては百発百中といえるほどの霊力を持ち、禅師が祈祷すると、どんな日照続きの
時も、たちまちかき曇り、滝のような雨が降ってくるのである。但し、不思議にも、禅師は
「どんなことがあっても、絶対に自分が祈祷中の姿を見てはならぬ」と固く命じていた。
ある時、僧の一人が祈祷中の禅師の姿をのぞき見ようとしたところ、堂の中には人の姿は無く
竜がとぐろを巻くようにして座り、一心不乱に読経しているではないか。仰天した僧が思わず
大声を出した為、禅師は自分の真の姿を知られてしまったと気づいた。すると次の瞬間、
すさまじい風が吹き、竜はその風に飲み込まれるようにして、天の高みに消えてしまった。
巨大な竜巻の中に竜の頭がのぞき、名残惜しそうに何度も清涼寺を振り向く姿が見られた。
そしてそれを最後に、禅師は二度と寺に戻らなかった。
秋田って龍伝説多いよね。
582好爺:03/01/10 02:26
紀伊国名草郡貴志の里(和歌山市貴志)に道場が一つあり、貴志寺といった。
光仁天皇の世に一人の優婆塞がその寺に住んでいた。そのとき寺の中で「痛い、痛い」と
うめく声がした。その声は老人の呻き声のようであった。男は午後8時頃には、旅人が
病気になって泊まっているのだろうと思った。そして起きて堂のまわりを探したけれど
誰もいなかった。ただ、塔を作るための木材があったが、まだ造られないで長い間倒れて
腐っていた。男は、この塔の霊がうめいたのか、と思った。呻き声は夜じゅうやまなかった。
男は聞いてられなくなって起きて探してみたが、やはり病人はいなかった。明け方頃には
それまでの声よりはるかにまして、大地に響くほどうめいた。男はいよいよ塔の霊がうめく
のではないかと、と思った。
翌朝、早く起きて堂の中を見ると弥勒像の顎が土の上に落ちて、千匹ほどの大きな蟻が
その顎を噛み砕いていた。男は不思議な事もあるものだと思い、檀家の人たちに知らせ、
新たに弥勒像を作り、うやうやしく供養した。
がんばれハオじぃ!
584あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/11 05:29
64 名前:名無しさん@引く手あまた 投稿日:2003/01/04(土) 21:27 ID:Nez9add/
線路のそばに住んでるが、自殺者の頭蓋骨が家に庭に落ちてたよ。
警察に連絡して引き取ってもらった。

これはまだマシな方で、首丸ごと落ちていた家も・・・・
585好爺:03/01/11 17:30
1892年の夏フランスの歴史学者ルノートルはふとしたことからテオドール・ティフローと
いう奇妙な老人と知り合った。その老人、テオドールは自分が作った黄金として10グラム
ほどの黄金の塊をみせた。テオドールの話によるとこの最初の10グラムが成功したものの
それいらい、二度と成功しないというのであった。
1845年28歳のテオドールはナントの専門学校で化学の実験助手として働いていた。
ある日彼は、メキシコに研究旅行を行い、メキシコ各地の鉱山を訪れ、地層を調べたり、
標本を集めたり、鉱山で働く坑夫に直接話を聞き、それらをもとに論文を書こうと思っていた。
ある時、一人の砂金採集人がテオドールに川で見つけたばかりの小さな金塊を見て、
「ほら見ろよ、こいつはよく熟しているぜ!」といった。よく訪ねてみると彼らは
黄金になりきってない物は川に捨て、丁度良い加減に熟した黄金のみを採取すると
いうのである。それから、出遭う採取人事に聞いても同じ答えが返ってきた。
つまり「黄金は、よく熟すまで待たねばならない」と言うのだ。
586好爺:03/01/11 17:32
…続き
そこでテオドールはもしかしたら鉱物も植物や動物などと同じ様に成熟するものかも
しれないと考えた。それならその証拠として“熟していない”黄金をどうしても
見てみたくなった。そこで採取人に数週間観察したが、“熟していない”黄金はいつまで
たっても見ることは出来なかった。そこで、彼らにからかわれていると思ったテオドールは
黄金採取人に別れをつげて、旅を続けた。ところが、数週間後、硫黄温泉近くのゴンザレスの
銀山を訪れた時、テオドールは鉱石片のなかに、ところどころ錆びているものが混じって
いるのに気づいた。持ち帰って調べると、それは酸化作用の所為ではなくて、まぎれも無い
金属変化によるものであることがわかった。これが“熟していない”黄金であろうと思い、
俄然興味をもちだした。ホテルに急ごしらえの実験室を作ると銀山で見た現象を人工的に
作り出そうとした。合計10グラムの銀と銅をヤスリで削って細かい粉にして、これを小瓶に
入れて亜硫酸をそそぎ、窓の日当たりのいい場所に置いたのだ。
587好爺:03/01/11 17:33
…続き
変化はすぐに起こった。
亜硫酸ガスが大量に発生し、小瓶の底に黒い沈殿物が溜まったのだ。つぎにテオドールは
別な方法もやってみた。銀と銅のヤスリクズに蒸留水を加え、これを瓶に入れ、ガスコンロで
沸騰させるのだ。水が全部蒸発してしまうと、すぐに沸騰した亜硫酸をそそぐ。
ガスが発生し、それが消えると瓶の底に何か黒いつやの無い物質が出来ていた。
がっかりしたテオドールは、結局、実験をそこで中止して、又旅をつづけた。2週間ほど
あちこち鉱山を見て回り、もとのホテルに戻ってくると窓の近くに放ったらかししておいた
瓶には相変わらず黒い物質が溜まっていた。何の進歩も見られないので、捨ててしまおうか
とも思ったが、もう少し待って見ようとそれから2日ぐらいたったころ、何気無く小瓶に
目をやった時、黒い物質に緑色のシミが現われていたのだ。それから数日後には、物質全体
がすっかり緑色になっていた。そしてさらに24時間後、それは褐色がかった黄色に、
それから明るい黄色に変わり、そしてとうとう・・・なんと黄金色に変化した。
588好爺:03/01/11 17:35
…続き
まだ、半信半疑だった彼は、その夕方実験の成果を金銀細工の店で鑑定してもらうと、
何処の店にいっても正真正銘間違いなく純金ですという答えが返ってくる。
数週間後、テオドールは自分が作った10グラムの黄金をスーツケースに入れ、祖国フランス
への帰途についた。そして、フランスに戻ると大量の銀と銅と亜硫酸を買い込んだ。
そして、同じ様に実験を行なったが最初は順調にすすみ17日目には緑色の物質が出来、
それはやがて褐色がかった黄色にかわったが、それ以上は変色しなかった。
なんとそれは黄金ではなく銅だった。もしかしたら銀と銅の配合を間違えたのかも
もう一度実験を最初から行なったが何度やっても黄金は出来なかった。
失敗の原因を何度もかんがえたが、きっとフランスの気候風土が金属変化に向いていない
のかもしれない・・・多分、メキシコのような熱帯気候と熱い太陽が黄金変成には
必要なのこも知れない。そう思ったテオドールはメキシコ行きの資金援助を集め始めた。
589好爺:03/01/11 17:35
…続き
しかし、誰もが馬鹿にして相手にしてくれない。テオドールはアルバイトでなにがしかかの
金を稼ぎ、それで実験結果をパンフレットにして自費出版した。それが話題になり、
マスコミの連中がインタビューにやってきた。そして1889年国際博覧会の事務局が、
新しく出来たエッフェル塔近くの展示会場にテオドールが造った10グラムの黄金を展示
してくれるというのである。これぞ絶好のチャンスとばかりに張り切ったが、見物人はそれに
何の関心も示さずに、ただケースの前を通り過ぎるだけである。あまりのことにテオドールは
開いた口がふさがらなかった。展覧会が終った時彼に残されたのは苦い絶望感だけだった。
こうしてテオドールの黄金変成の話は、次第に人々から忘れられていった。その後もテオドールは
ただ一度の夢が忘れられず、極貧の中で死ぬまで実験を続けたが、とうとう二度とその手で
黄金を作り出すことは出来なかった。しかし、彼が作ったという10グラムの黄金の塊は
いまもなお、歴然たる証拠として存在している。
590好爺:03/01/12 12:25
宝亀九年(778)の12月下旬のこと、備後国葦田郡(広島県芦品郡)大山の里の人、品知牧人(ほむちのまきひと)
は、正月用の物を買うために、市へ出かけたが、途中で日が暮れ途中の竹林に泊まったところ、
「目が痛い」と言ってうめく声がした。牧人はその声を聞いて、一晩中眠る事が出来なくて
うずくまっていた。翌朝見ると、髑髏が一つあり、目の穴に竹の子が生え刺さっていた。
牧人は竹の子を抜いてやって、自分が食べるはずの食べ物を供えて、「私に幸福を与えてください」
と祈った。市から帰って来て、同じ竹林に泊まった。そのとき、髑髏は生き返り、牧人に
「私は芦田郡屋穴国の里の穴君弟公(あなのきみおとうとぎみ)と申します。賊の伯父秋丸
に殺されたものです。風が吹いて動くたびに目がひどく痛みました。貴方様のおかげで、
痛みがすっきりとれました。今又十分にいただいて、このご恩は忘れません。この有り難さは
限りなく、貴方様の御恩に報いたいと思います。私の両親の家は屋穴国の里にあります。
今月の晦日の夕方に私の家に来て下さい。その晩でないと、御恩返しができません」
といった。
591好爺:03/01/12 12:25
…続き
牧人はこのことを聞いてますます不思議に思い、他の人にも話さなかった。
月の晦日の夕方、約束どおりに牧人はその家に行った。弟公の霊は牧人の手をとって
家の中に引き入れ、供えてあった食べ物を牧人にすすめて一緒に食べ、余りはみなつつみ
それと一緒に他の品物を与えた。しばらくしてその霊は急に見えなくなった。
両親が死んだ人たちの霊をおがもうとして家の中ににはいり、牧人を見て驚いて、
はいってきた理由を聞いた。牧人はそこで詳しく話した。両親はそこで秋丸をつかまえて
弟公を殺したわけを聞いた。秋丸はすっかり恐れて去年の12月下旬に正月用の物を買いに
一緒に出かけた時に殺した事を白状した。両親は自分の弟でもあることから役所に突き出し
暴露する事まではしなかったという。牧人には礼をつくし、さらに飲食を出し御馳走した。
牧人は帰ってこの様子を話して語り伝えた。
592あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/13 04:19
なんか落語家何かで似た話を聞いたことがあるな。

野ざらしになっているどくろが葦が刺さって鳴くので埋葬してやったら
家に「妃(ひ)です」とか言って楊貴妃がきて、良い思いをしたっての。

オチは隣の香具師がそんなウマーな話があるなら俺もやるぜぇ
とか言ってやったら家に「ひです」とか言って来て
キターとか思って戸を開けたら張飛ですたってんだが。
好爺さん、がむばってますねー。いつも楽しく読ませて頂いてまーす(^^)
>>592
で、いいおもいをしたと。
595銀龍 ◆XXSDRAGtw6 :03/01/13 15:44
田沢湖はキレイだよ
>>592
私はなんかの民話の元?と思ったよ。
けど、そっちはウマーな話じゃなくてバリバリの怪談だった。
「謡うしゃれこうべ」ての。
>>595
いや、汚いよ。
魚も皆死んじまったし、時々酔っ払いも死ぬけどさ(w
辰子と言い、小野小町と言い、秋田の女は面の皮が厚いですなぁ。
599好爺:03/01/14 22:40
大和国十市郡菴知村(奈良県天理市庵知)の東の方に大変裕福な家があった。姓を鏡作造といった。
一人の娘がいた。万の子という名前で、まだ結婚せず、男と交際もしていなかった。
容貌は美しかった。近くの高い家柄の人が結婚を申し込んだが、娘は断り続けて何年かすぎた。
ところがある男が結婚を申し込んで、急に物を送ってきた。いろいろの色に染めた絹を三台の車に
のせてある。娘はそれを見て心動き、男に近づき親しんだ。男のいうことを許し、寝屋で交わった。
その夜、寝屋の中で、「痛い、痛い」と言う声が三度した。娘の両親はこの声を聞いて、
「まだ慣れないので痛いのでしょう」と話し合って、我慢して寝た。翌日の明け方に起きて、
母が戸を叩いて起したが、何の答えもなかった。母は、不思議に思って戸を開いて見ると、
娘は頭と一本の指だけを残して、その他はみな食べられていた。両親はこれを見て恐れ悲しみ、
結婚のしるしとして送ってきた絹を見ると、動物の骨になっており、絹をのせてあった3台の車も
ぐみの木に変わっていた。付近の人々は聞き伝えて集まったが、これを見てみな不思議に思った。
600山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/15 15:25
590〜591と599の話は「日本霊異記」に入っているものですね。比較
的簡単に手に入るので原典を読んでみるのも面白いかと。
601あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/15 19:56
>600
「日本霊異記」って、古文に慣れてない人間でも読めます?
602山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/15 23:07
>601
読めないことはありませんよ。現代語訳がついているものがほとんどですが
原文(漢文を読み下したもの)を読んだほうが雰囲気が出ますね。
599の話はこうなっています。(講談社学術文庫から)
ここに人有りてよばひ、品々物を送る。彩のきぬ三つの車なり。見て心にお
もねりて、兼ねて近づき親しみ、語に随ひて所を許し、閨の裏に交通(とつ)ぐ。
其の夜閨の内に、音有りて言はく、「痛や」といふこと三遍なり。父母聞き
て、相談(かたら)ひていはく、「未だ効(なら)はずして痛むなり」といひ
て、忍びて猶しいぬ。
603601:03/01/15 23:12
>602
すいません、すぐに挫折しそうです。
当分現代語訳だけにしときます。
604好爺:03/01/16 09:30
「日本霊異記」は平凡社ライブラリーから現代語訳がでております。
でも、仏教臭くて・・・。まあ、仏教説話集だからしかたないけど・・・。
605山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/16 12:20
>604
「今昔物語集」もですよ。それほど仏教臭が無いのは「宇治拾遺物語」。
穀断ちの僧が穀糞の僧になる話にワラタ。
あと、自分の糞尿(のレプリカ)を自分に惚れてる男に食わせる官女とか(w
608601:03/01/16 22:19
>604
情報thxです。
仏教には抵抗ないつもりですが、実際に読んでみたらきついかも
609あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/16 22:26
あげげ
610好爺:03/01/17 02:17
天正の末年(1585頃)備後の沼隈郡神村に石井又兵衛と言う男がいた。又兵衛は潔く武士を
捨てると弟と力を合わせて荒地を開拓し、ついにはこの地きっての富豪になった。
そして安芸の宮島の遊女おややを身請けすると、正式な妻の座にすえた。これは、遊女としては
破格の厚遇だった。だが、おややは又兵衛の目を盗んでは男遊びにうつつを抜かすばかり。
ついには村の修験者長覚と人目をしのんで逢引を続けていた。二人の仲は誰一人知らぬ者はなく、
コケにされたのは亭主の又兵衛。ある日又兵衛はおややの後をつけ、長覚と密通の現場を押さえた。
こうなっては、おややも申し開きはできない。「どうぞ、お気にすむようにしてください」
と殊勝に申し出たが、それは、言後を絶するものだった。
又兵衛はまず、大きな桶を用意させた。中には百足と毒蛇がうようよと詰め込まれている。
ここに真っ裸にしたおややと長覚を放り込み、さらに上から酒をつぎ込んだのである。
611好爺:03/01/17 02:18
…続き
酒気を帯びた百足や毒蛇はあたりかまわず蠢きまわる。無論、手と言わず脚といわず、
体中食い荒らされ、おややも長覚も遂には狂って死んでいった。この様子を見物していた
村人達も、あまりのむごたらしさに目をそむけたと言う。
長覚の命乞いに駆けつけた山伏達は、憤死した二人の無念をはらそうとおややの血を
長覚の法螺貝に注いで吹き鳴らした。其の血しぶきをあびたものはことごとく、奇妙な
行動をするようになった。おややと長覚の二人は伊勢山の麓に埋められたが、この塚の
あたりでは、夜毎に、青い人魂が燃え、人魂はやがて中空に浮かび上がると、石井家の
屋根に泊まり、一晩中動こうとしなかった。屋敷の中でもわけのわからない異変が相続いた。
又兵衛が客を招いて、馳走をしようとしすると、突然、膳のものが赤く血にまみれてしまう。
しかも、血に汚れた器や膳はいくら洗っても絶対に落ちなかった。
612好爺:03/01/17 02:20
…続き
さらに又兵衛の家に、近隣では評判の色男が招かれたところ、男はその夜から一言も物を
言わなくなり、日に日に石のように固くなり、遂には死の床についてしまった。
そして、今際の際に又兵衛の屋敷で起こった出来事をようやく語り始めた。
宴席の途中で尿意を催し、厠を借りた。ところが厠に入ったとたん、眼の前に女がいたばかりか、
女は、股を開いて強引に男に迫ってきたのだという。逃げようにも逃げ場は無く、しかたなく
女の誘いに応じると、女は思うまま男をむさぼり、ようやく男を解放したにのだが、
別れ際に凍りつくような声でこう言った。「このことは誰にも言うてはならぬ。もし、口外すれば、
お前の命はその場で耐えるぞ」どうやら、こうした目にあったのはこの色男だけでは無いらしく、
又兵衛の屋敷に招かれ、帰宅すると床につき、やがて無くなるという怪奇な例が相次いだ。
613好爺:03/01/17 02:20
…続き
そして、ある日、おややは又兵衛に襲い掛かった。その日宴席を開いていた又兵衛は、
満座の客の眼の前で突然「おやや、化けてでたな」と叫部なり悶絶し、そのまま乱心してしまったのだ。
又兵衛はその日から空を見つめては「おややが髪振り乱して私に食らいつく」と口走るばかりに
なってしまった。こうした出来事からついに神村平の常福寺では、おややと長覚の二人の
ために夫婦塚をつくり、二人の霊をねんごろに供養した。
だが、それでも怨念は消えないのか、不義密通している者がこの塚の前を通りかかると
何処からともなく青い人魂が現われ、家に着くまでつきまとい、その上男も女も知らぬ間に
もとどりを切られ、ざんばら髪になってしまうのである。
それが怖さに、この塚の前を大きく遠回りして通る人が少なくなかった。村人はおややの
怨霊を慰めようと、今度は神村八幡神社の中におやや大明神を祀って供養したという。
とんでもねぇ嫁だな。おい
テメェで「どうぞ、お気にすむようにしてください」とか言ったクセに
遠慮なく気の済むようにしてやったら、終いには祟って出るのかよ。
それに対して長覚タンは潔くてヨロスゥイね。
615好爺:03/01/18 14:32
山城国紀伊郡(京都市伏見区付近)に一人の女性がいた。生まれつき慈悲の心が篤く、
因果の道理を信じ、五戒十善を保って生き物を殺さなかった。あるときその里の牛飼童が
山や川で八匹の蟹を生け捕って、焼いて食べようとしていた。この女はそれを見て
牛飼にたのんで「どうかこの蟹を私に下さい」といった。牛飼は聞かないで
「やはり焼いて食べよう」といった。女はていねいに頼んで、衣を脱いで買った。
そこで牛飼童たちは許した。女は義禅師にたのんで、蟹のために呪文を唱えてもらって放してやった。
そののち女は山に入って見ると、大蛇が大蛙をのんでいた。女は大蛇に頼んで
「この蛙を私に下さい。沢山のお供え物をあげましょう」といった。蛇は許さなかった。
女は供え物をふやして、祈って
「お前を神としてまつろう。どうか、私に下さい」といった。蛇は許さないでなお蛙を飲み込んだ。
また蛇に向って
「この蛙のかわりに私を妻にし、私に免じ、蛙を許して下さい」といった。
蛇はこのことを聞いて、首を高く上げ、女の顔を見つめて、蛙を吐き出して許した。
616好爺:03/01/18 14:32
女は蛇に約束して、
「今日から七日後にきなさい」といった。
女は蛇のことをくわしく父母に告げた。父母は悲しんで
「お前はたった一人の子なのに、何に狂って出来ない約束をしたのですか」といった。
そのとき行基大徳は紀伊郡の深長寺にいた。女はそこに行って事の次第を告げた。大徳は
「ああ、どうしようもないことだ。ただ仏法を信じるだけだ」といった。
女は教えをうけて、家に帰り、約束した日の夜、戸を閉じ、身を固くして、いろいろ祈願して
仏法を信じた。蛇は家のまわりをはいまわって尾で壁を叩き、家の屋根に登って、
草を食い破って穴をあけ、女の前におちた。しかし蛇は女に近づけなかった。
ただ、ばたばたという音がした。とび上がってかみ合うようであった。翌日になって見ると
八匹の大蟹が集まって、その蛇をずたずたに切っていた。
マジでこんなコメントしてるとしたら、あほだな
とんでもねぇ女だな。おい
テメェで蛇の食事を邪魔しといて、終いには約束破って
おまけにその蛇を死なせるたぁ、どこに慈悲の心があるんだか( ´,_ゝ`)
単なるDQN電波女じゃねぇか
619山崎渉:03/01/19 05:04
(^^)
この話も「日本霊異記」だっけ?
ところで蛙は何も恩返ししてないのか。
薄情な奴。
621好爺:03/01/19 11:13
考謙天皇の世に紀伊国牟婁郡熊野村に永興禅師がいて、海辺の人々を教え導いていた。
その頃の人々は禅師の行いを尊んで、菩薩と褒め申上げた。奈良の都より南にいるので
南菩薩といった。そのとき、一人の僧が菩薩の所にきた。持っている物は、法華経一部と
白銅の水入れ、縄を張った椅子であった。僧はいつも法華経を読み唱えていた。
一年ほど過ぎて、僧は菩薩と別れて去ろうと思い、菩薩にうやうやしく頭を下げて、椅子を与え
「いま、ここを去って山の中に入って、伊勢国に越えて行きたいと思います」といった。
菩薩はこのことを聞いて、炊いたもち米を粉にした粉にした食物を二斗僧に与え、俗人の男
二人に見送らせた。僧は一日の道のりを送ってから、法華経と鉢、もち米の粉などを男に与えて帰らせ
麻の縄二十尋と水入れだけを持って去った。
二年過ぎて、熊野村の人が熊野河の近くの山にはいって、木を伐り倒して船を造っていた。
すると法華経を読む声がした。何日もたち何ヶ月も過ぎたが、なお読む声はやまなかった。
622好爺:03/01/19 11:13
船を造る人は経を読む声を聞き、信心を起して尊び、自分の食べる分の食物を与えようと思い、
声の主を捜したが、姿を見る事ができなかった。そこでもどると、経を読む声は依然として
やまなかった。のち半年すぎて、船を引き出すために山にはいった。聞くと、経を読む声は
なおもやまなかった。不思議に思って、このことを菩薩に話した。菩薩も不思議に思って行って聞くと
本当に経を読む声がした。菩薩は声の主を捜してみると、一人の死人の骨があった。
麻の縄で両足をしばって、岩に身を投げて死んでいた。骨のそばに水入れがあった。
そこでこの骨は別れて去った僧である事が分かった。永興禅師はこれを見て、なき悲しんで帰った。
その後三年が過ぎて、きこりが菩薩に
「経を読む声は前と同じくやみません」と告げた。
菩薩はその骨を取ろうとして、されこうべを見ると、三年過ぎたのに舌は腐らないで、そのまま生きていた。
623山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/19 11:16
>620
「霊異記」ですね。621〜622も「霊異記」。そうでなければ「今
昔物語集」。
624好爺:03/01/19 23:57
平井利市という60代の料亭の監査役(つまり太鼓持ち)がいた。彼は陰毛占い師としてその名をはせた。
彼は京大の経済学部を卒業して虎ノ門で自動車会社の社長になっていたが、戦災ですべてを失い、
昔、通っていた料亭で太鼓持ちをする事となった。平井老人はその昔遊びなれていたが
顔は上品で、エロ話をしてもちっともいやらしくなく、料亭での話で最も受けていたのは
女性の陰毛で「こう云う形は、いい性格で、・・・こういう形は情が深くて・・・」などの話であった。
芸者達もその話を聞きつけ、自分の陰毛を見せて平井老人に占ってもらうようになった。
彼は占った記念に写真を一枚とり、千種もの写真を資料にデータを出して占っていたので、
百発百中だったたと云う。来月良縁に結ばれるとか、来月にには亡くなりとかまで
当てていたという。
625好爺:03/01/19 23:57
ある時良家のお嬢さんがその噂を聞きつけ平井老人に見てもらい近く良縁の話が出ていると
占った。しかし、その事を聞いた母は、嫁入り前の娘のあそこを覗くとは・・・と怒り心頭で
二度と家の敷居をまたぐなと塩をまいて追い出したが、数日後願ってもない良縁が2つも来た事に
驚愕し、平井老人に謝り、二つのどちらを選んだほうが良いか訪ねたが、さすがにそこまでは
分からずにいいかげんに答えたが、断ったほうが偶然にも経営が破綻して行方不明となり、
ますます平井老人の陰毛占いは評判を得ていった。

ただ、平井老人の死後、その極意を伝えるものもなく、貴重な資料も散逸してしまい、それ以後
陰毛占いをおこなうものはいなくなったという。
そもそも平井老人は何故陰毛で占おうと思ったのだろう・・・。
若い頃、女郎屋で遊ぶ度に陰毛を集めていたと推測されるが
いつからこれを元に人々の統計の取ろうと思い始めたのかが非常に気になる。
よりによって何で陰毛・・・毛髪では駄目だったのだろうか
627好爺:03/01/20 16:11
明治11年、神奈川県青柳村に母・きん(56歳)と息子・金次郎(26歳)が魚屋をやっていた。
明治の56歳といえばもう老人ではあるが、きんはまだまだ手足達者で容貌も若い者に負けないくらいであった。
しかも、毎日息子が売りに行く魚を日本橋の魚河岸へ買出しに行くほどの元気があった。
ところで、きんは信心深く買出しの行き帰りにはいつも近所の神社に御参りしていた。
ある日、いつもの帰り道、声をかける男がいた。きんが青柳村へ帰る途中だと聞きつけると
自分も立川まで帰る途中なので、道々の話し相手にしてくれと一緒に歩き出した。
しかし、その男はきんにちょっかいを出し始めた。いきなりの事に吃驚したきんは
もっていた魚を入れていた箱をその男に叩きつけた。するとその男は急に怒り出し
「やれ汝!我を撥ね退けるとは不埒なり。我と汝は今より百年前、前世において、
巫山の契を結びて南柯の夢を見しこともありしを真に不義理なれ」と叫び、
逃げるきんを追いかけてきた。前世で夫婦だと馬鹿な事を言うおかしな男きんは必死に
逃げたが、その男に追いつかれ抱きしめられた。とっさにその男を払いのけると、
男は転んだはずみに近くにあった桑畑の切り株に腰をしたたか打ち付けた。
その隙にきんは一目散に駆け出し家まで逃げ帰った。
後で息子と共に現場に行ってみると桑畑の切り株の下に神社の御札が二つに裂けて落ちていた。
人々はきんがあまりに色っぽいので参詣していた神社が色に迷ってきんを犯そうとしたんであろうと噂した。
628好爺:03/01/21 00:57
聖武天皇の世に紀伊郡伊刀郡(和歌山県伊都郡)桑原の狭屋寺の尼達が願を立てて、
その寺で法事を行なった。奈良左京の薬師寺の題恵禅師を招いて、十一面観音に向かい
懺悔の法事を行なった。そのとき村に一人の悪人がおり、姓を文忌寸(ふみのいみき)といった。
生まれつき邪見で、三宝を信じなかった。この悪人の妻は上毛野公大橋の娘であったが、
一昼夜の間に八つの戒を受け、その寺に参詣して罪を懺悔し、大勢の人々の間に混ざっていた。
夫が外から家に帰ってみると妻がいない。家の人に聞くと、答えて
「お寺に罪を懺悔しに行きました」という。
それを聞いて怒り、すぐに寺に行って妻を呼んだ。道師は正しい教えを述べて導いたが、男は信じないで
「役に立たないことをいう。お前は俺の妻を犯した。頭を打ちわられるぞ。この坊主め」といった。
その悪口雑言の数々は言葉で表わせない。男は妻を呼んで、家に帰り、妻を犯した。
たちまち男のものに蟻が噛み付き、その痛みで死んでしまった。
好爺さん乙です。
ホゼン。
630好爺:03/01/22 23:28
14世紀後半のパリ、エクリヴァン街のサン・ジャック・ラ・ブーシュリー教会の隣に
ニコラ・フラメルという書籍販売業者がいた。とくに普通と変わった事などない小柄で
パッとしない老人だった。
1330年にポントワーズに生まれたフラメルは、13歳のときパリについた。挿絵画家のゴベールの
もとで学んだ後、ラテン語の熟を開く傍ら、祈祷書の写本販売業をいとなむようになった。
当時のパリは、百年戦争やペストの流行で不穏な空気がただよっていた。追剥事件が頻発し、
サン・セヴラン寺院で聖母の像が血の涙を流したり、死んだ男に聖水を振り掛けると生き返ったり
などという、超常現象がいくつも起こった。
1357年のある夜、フラメルは奇妙な夢を見た。夢の中に天使が現われて、一冊の本を差し出してこう言った。
「この本を見よ。これはお前にも、他の誰にも理解することの出来ない本だ。
しかし、お前はいつの日か、他の誰にも分からない秘密をここから発見するだろう」
631好爺:03/01/22 23:29
…続き
数日後、一人の男がふらりとフラメルの店を訪れた。彼はフラメルにこの間夢で見たのと瓜二つの
本を見せて、売り渡した。それは、古い分厚い手稿本で、なにかやわらかい若木の樹皮に書かれていた。
フラメルには全く理解できない、古代言語がぎっしり書かれていて、どのページも錬金術らしい奇妙な
記号や用語でいっぱいだった。フラメルはその本を熱心にめくってみたが、読めば読むほど
何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。最初のページには金文字のラテン語の序文があり、
この本はユダヤ人の始祖アブラハムによって書かれたもので「屠殺人と公証人をのぞいて」
これを読んだ者は呪われるだろうと書かれていた。
20数年の月日をかけたが書物の解読は依然として進まなかった。ある日のこと彼はふと
この本がユダヤ人の始祖アブラハムに書かれたものなら、もしかしてユダヤ人なら読めるかもしれない
と考え、妻に留守をまかせてスペインへの巡礼を口実にユダヤ人学者の多いスペインへと
旅立った。スペインに着いてユダヤ教の礼拝堂を足しげく訪れて、例の書物の事を聞いてみたが
なんの効果も得られなかった。がっかりしたフラメルは帰途についたが、帰りの旅で
マイトル・カンチェスという改宗したユダヤ人のカバラ学者にあった。彼は医師でもあり
貧民を無料で治療しいて彼の住む町では尊敬されていた。フラメルは例の書物の中から
絵図の写しを見せるとカンチェスは急に目を輝かせて身を乗り出してきた。
632好爺:03/01/22 23:30
…続き
「それはきっと、ラビ・アブラハムの『アッシュ・メザレフ』に違いありません。
カバリスト達が、もう数百年に失われてしまったと諦めている物です。」
話はとんとん拍子にまとまり、カンチェスはその書物を自分の目で見るため、フラメルについて
パリまで着いて行く事になった。パリまでの道中の間、カンチェスは練金術について
自分が知っている限りの事をフラメルにさずけた。ところがカンチェスは高齢の上に旅の疲れが重なって、
途中のオルレアンで病気になってしまいあえなく世を去ってしまった。
死の直前にカンチェスはフラメルに卑金属を金や銀に変えることのできる“賢者の石”の秘密を教えたという。
こうして“賢者の石”の秘密はカンチェスからフラメルに受け継がれたのだ。
当時、セーヌ河の水にユダヤ人が毒を投げ入れたという噂が立ち、大量のユダヤ人が投獄されたり、
殺されたりする事件が起きていた。危険が迫るのを感じた隣家のユダヤ人シモンがドイツへ逃げる際に
迫害者達に奪われないようにと持っていた財産を親ユダヤ人であるフラメルに預けに来た。
それと前後して、フラメルは錬金術に成功したらしい。1382年1月17日正午頃、妻ペンネルの前で
ついに一塊の銀を火の中から取り出して見せた。半ポンドの水銀を純銀に変える実験に成功したのだ。
さらにそれから3ヵ月後の4月には半ポンドの水銀を純金に変えることに成功した。
633好爺:03/01/22 23:31
…続き
フラメルが実験に成功している間にもユダヤ人迫害は続いており、ユダヤ人は次々と亡命したり
殺されたりしていた。そしてそのたびに親ユダヤ人として名高かったフラメルのもとに、
つぎつぎとユダヤ人達の財宝や遺産が持ち込まれたらしいのだ。
そのせいかどうか、このころからフラメル夫妻はパリ市内の数軒の教会に寄付を行なっている。
急速にフラメル家が裕福になったのは確かだが、それが練金術のおかげだったのか、それとも
亡命ユダヤ人たちから譲られた遺産のおかげだったのかは分からない。
フラメルが練金術を行なっているという噂が広まると、金の造出にあやかろうとする者も現われた。
その筆頭がフランス国王で1400年初頭、請願書審理官クラモワジが王命によってフラメルの家を捜査した。
しかし、クラモワジが見たフラメル夫妻の生活は予想に反してひどく質素なものだった。
食事は野菜と粥だけの質素な食事を土器で食べるというもので、とうてい練金術を使って好きなだけ
金を作り出している人間とは思えなかった。
ニコラ・フラメルは1417年、90歳近くで世を去り、遺骸は聖ジャック教会の聖クレメンス礼拝堂に葬られた。
妻はすでに死んでいたので遺産は数軒の教会に寄進され、遺著は甥の一人に継承された。
何代かあとに、フラメルの子孫であるデュ・ペランという医師が、ルイ13世の為に金粉を造ったという
話が伝えられている。
好爺さん乙です。
いまさらながらユダヤ迫害の歴史っていろんな時代場所にあるんですねぇ
636あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/23 02:47
ユダヤは金持ちだから妬まれるのさ。
637好爺:03/01/24 00:26
むかし、大和国吉野郡に龍門寺という寺があって、安曇と久米という二人が仙術習得するため
修行していた。熱心に励んだ結果、やがて天空を飛行する術を身につけた。
ところがある日、久米仙人がのんびり空を飛んでいたところ、下界の吉野川の岸辺で
若い女が洗濯しているのが見えた。若い女は着物をはしょっているから、美しく白い脛が
あらわになっていた。久米は好奇心からその美しく白い脛を覗き込んだ途端、通力を失って
女の前にドスンと落ちてしまった。こうして仙人でなくなった久米は、その若い女を妻とし
俗人として暮らすようになったという。その後、都を大和国高市に移す事になり、
大勢の人夫によって造営工事が行なわれた。久米も駆り出され、その人夫達に混じって
働き始めたが、仲間達はみな久米のことを「仙人」と呼ぶ。
不思議に思った役人は人夫達に「なぜあの男を仙人と呼ぶのだ」と訊ねた。
638好爺:03/01/24 00:26
…続き
すると、人夫達は「以前、彼は仙人だったらしいのですよ。だけど、空から落ちて俗人になった
と聞きました」と答えた。役人は驚いたが、「もしそれが本当なら、通力によって山のような材木を
一度に運べるのではないか」と思い、久米に頼んでみた。役人は本心から信じていたわけではなく
冗談半分だった。ところが、久米はあっさり「わかりました。やってみましょう」と返事をした。
役人は内心「どうせ無理だろう」と思ったが、久米は自信満々である。
久米はその日から7日間、静かな道場にこもり、食事を断って祈り続けた。役人達は久米の姿が見えないので
「やっぱり出来ずに逃げたのだ」といい、嘲った。ところが、8日目の朝のことである。
急に空が曇ると雷鳴がとどろき、激しい雨が降りはじめたのだ。何か異変が起きそうな兆しだと思っていると
あれほど激しく降っていた雨がふいにやみ、突然、晴れあがってしまった。
役人や人夫達が外に出てみると、驚いた事に、山の麓に積み上げてあった材木が一本残らず
造営工事の現場に移されていたのである。驚きの声をあげ、久米のもとに駆け寄ると
思わず頭を下げて恐れ入った。
ホゼン。
640好爺:03/01/25 23:28
水戸城下のある富豪の家に13歳になる娘がいた。たいそう美しく、心根もやさしいのに
不思議な病があった。それは明るい所を嫌い、暗い所を好む、という異病だった。
娘はまだ、おむつが取れないころから、暗いところにいるのを喜んだ。明るい所では機嫌が悪く
泣き続けたが、暗い所へ連れて行くと、すぐ泣きやむ。このため、娘は奥の薄暗い部屋で
戸を立てたまま育ったのである。手習いの稽古もそうした部屋で行なったから、下女達は娘の
顔をよく見ることが出来ない。しかし、ときおり手洗いにいく娘の姿を見て、下女達は誰しも
その美しさに感嘆した。確かに異病と言えば言えたが、両親は一人娘だけに格別に愛し、いつくしんだ。
水戸藩では、城内に施薬院を設け、病の者に医療をほどこしていたが、ちょうどそのころ
「病の者や異病の者があれば申し出るように」との触れを出し、役人が城下を調べてまわった。
町役人はそれに応じて「あの富豪の家の娘は異病だろう」といい、両親に触れのことを説明し
娘のことを書類にして報告したのである。それを見た藩主は「これは異病に違いないが、
治療すれば治らぬことは無い。明日にでも連れてまいれ」と命じた。無論、好意からの判断だった。
641好爺:03/01/25 23:30
…続き
町役人は、早速両親に支度をするように告げた。しかし、娘は「嫌です。私はまいりません」
というばかり。とはいえ、藩主の命だから、行かざるをえない。父も懸命に娘を説得した。
「私は、幼いころから暗いところでなければ元気に暮らせないのです。お父上も、よく御存知のこと
ではありませんか。明るい所へ行くなど、出来ません。どうぞ、お許し下さい」娘はそう言って
泣き崩れた。困った町役人である。事情はどうあれ、城へ娘を連れて行かなければ、どのようなお咎めを
うけるかわからない。だが、手荒な事をして強引に連れて行くと、親達が恨むに違いない。
「娘の目をふさいで連れて行けば、暗い部屋にいるのと変わりがないだろう。連れて行って異病が
治れば、娘にとってこれ以上の幸せはない」町役人達は相談したすえ、こうやって両親と娘を説得した。
娘もようやく納得し、町役人は安堵して、父親と共に娘につきそい出かけたのである。
ところが、どのようにして娘のことが知れ渡ったのか、多くの人々が「美しいのに異病があるんだってさ。
どんな娘なのかね」と噂しあい、一目見ようと集まっていた。大変な人手の為、町役人達は棒を持って
整理に当たったものの、うっかりすると群衆が娘のそばに殺到しかねない。娘は左右をかこまれ
ゆっくり歩いた。しかし、城に近づいてくると、突然「私は行きたくない」とごねはじめたのである。
642好爺:03/01/25 23:32
…続き
まもまく娘は町役人が群衆に気を取られている隙に、父親を置いたまま走り出した。
娘はいつのまにか、凄まじい形相に変わり、人間業とも思えない素早さで、多くの見物人達の頭を
飛び越えていく。娘は追手を振り払い、走り続けると、城の堀に身を投じてしまったのである。
あっという間の出来事だった。町役人をはじめ、多くの人々が堀端に集まり、じっと覗き込んだが
いつまでたっても娘の死体は浮いてこない、城の許しをもらい、泳ぎの熟練者に頼んで堀の水中を
探した者の、何処にも娘の死体は無かった。堀の中に飛び込んだはずなのに、あの娘は一体どこに
消えてしまったのか。人々は不思議がった。それでも死体があがらないまま、天保四年(1833)
四月の娘が身を投じた日を命日として、手厚く葬儀を営んだ。
その後、八月一日暴風雨に襲われた。そのさなかの巳の時(午前10時)頃、水戸城の堀から竜が現われ
天に昇っていった。この余勢で、水戸城の内外で大きな損失が出たほどだった。
人々は「あの竜は堀に身を投じた娘だ」と噂しあった。
643&lro;:03/01/28 12:23
 
644&lro;:03/01/28 13:37
 
age
646好爺:03/01/29 00:59
1937年7月のある午後、ジャック・ベルジェは師ヘルブロンナーの使いでパリのガス会社の実験室に
出かけ、そこで一人の不思議な人物と出会った。ベルジェは、その男の顔がどこか普通ではないことに
気づいた。男の顔はまるで大理石のように無表情で、そして奇妙にも、見る角度によって老人の
ようにも若い娘のようにも見えるのだ。最初に口を切ったのは、その男だった。
「あなたは、アンドレ・ヘルブロンナー博士の助手だそうですね」ベルジェがうなずくと
「あなたがたは核エネルギーを研究していられますね。しかも成功を目前にしていられるようだ。
しかし、あなた方が進められている研究は、大きな危険をはらんでます。それもあなた方とってだけ
でなく、全人類にとっての危険なのです。核エネルギーの開放は、実はあなた方が想像するより
ずっと容易な事です。ただ、そうやって作り出された人工放射能は、数年後には地球を完全に
汚染してしまいます。さらにごく数グラムの金属から作られる原子爆弾は、数個の都市を同時に
破壊してしまうほどのエネルギーを持っているのです。これは練金術師なら、誰でも昔から
持っている知識です」男はそう言って、机上にあったフレデリック・ソディの『ラジウムの解釈』
という本を手にとると、アトランティス文明が原子放射能によって破壊された事をほのめかす下りを
声にして読み上げた。
647好爺:03/01/29 01:00
…続き
「私は太古の昔、すでに原子エネルギーを駆使していた文明が、エネルギーを誤った目的に
用いられた為、滅びてしまった事を知っている。そもそも近代物理学は18世紀、一部の王侯貴族や
自由思想化達の遊びのなかから生まれたものです。だからそれは、きわめて危険な学問なのです」
若いベルジェは興味をそそられて、こう問い返した。
「あなたは、錬金術の事を言っていられるのですね。あなたご自身は、その古代の知恵を用いて
黄金を作り出した事がおありなのですか?」男はベルジェを見てニヤリと笑った。
「どうやらあなたは、私が生涯を賭けて追求してきた学問に興味がおありのようだ。
しかし、それをほんの数分間で、誰にも分かる言葉で話すなど、とても不可能です。
もし知りたいなら、あなた自身が時をかけて研究するほかないでしょう」
「しかし、賢者の石はどうなんですか。それによる黄金の製造は?」
「それは応用の一つに過ぎません。重要なのは金属の変成ではなく、練金術師その人の変容なのです。
これは古代から受け継がれた神秘で、1世紀に、ほんの2,3人しか成功できないものです」
そう言うと男は突然夕闇のなかにスーッと吸い込まれるように姿をけしてしまった。
648好爺:03/01/29 01:01
…続き
たった今起こった事がすべて夢だったかのような思いにかられて、ベルジェはそのあとに呆然と
立ち尽くした。ベルジェ自身は、名前も言わずに消えてしまったこの男の事を、いつかすっかり
忘れてしまった。第2次大戦が始まり、ドイツ占領下にあるフランスでベルジェはナチス・ドイツへの
抵抗運動に参加していた。そんなある日、原子物理学者として有名になっていた彼のもとに、ドイツが
計画中の原爆開発計画をさぐる連合諜報部から、こんな依頼がとどいた。
練金術師フルカネッリなる人物と接触して“金属変成のある方法”をつきとめてくれというのだ。
渡されたフルカネッリの肖像画を見たベルジェはビックリした。それこそ8年前にガス会社の
研究室で会ったあの不思議な男だったのだ。フルカネッリとの再会はベルジェの人生観を大きく変えた。
彼は原子物理学に疑問を抱くようになり、第2次大戦後は、練金術の研究に熱心に取り組むようになった。
現代では、この分野に世界に名をとどろかせる研究家である。
フランスでは、フルカネッリの名は、すでに16世紀から文献に現われている。
べりジェの話が本当ならフルカネッリは何百年も生きていた事になる。
649あなたのうしろの名無しさんが・・・:03/01/30 00:53
うーん、
奥が深い話というか・・・
恐いです
650あなたのうしろの名無しさんが・・・:03/01/30 03:19
古事記とか読むと面白いよね
651あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/30 03:21
風土記とか読むと面白いよね
652あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/30 04:07
万葉集とか読むと面白いよね
653あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/30 04:09
通は日本書紀だよ
654あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/30 05:00
フルカネッリってどっかで聞いたな、と思ったら昨日買ったマンガに出てたやつだ。
「機工魔術士」ってやつ。
フルカネルリ
656あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/30 05:55
初めて外国人が描写された日本の書物を知っている人いますか?
昔の人にとっては相当ショッキングだったんじゃないかと思うんですが。
私が知っているのは、オランダだかスペインの船が難破して云々ってヤツですが、
それより昔のコンタクトの話、どなたかご存じないですか?
当然、和漢朗詠集でしょう。
658あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/30 13:43
>>657さんありがとうございます。
早速見てみました。が、読めません(涙
659好爺:03/01/30 23:26
フルカネッリは最近は、フルカネルリと記されるほうが多いみたいですね。
私が持っている本にはフルカネッリと記されていたもので。
スペルは、どうなんでしょうか。

彼は、1926年に『大聖堂の秘密』という奇書をパリで出版して有名になった。
>>646に書いたジャック・ベルジェのベストセラー『魔術師の朝』で大きくとりあげられたのも
フルカネッリの名をフランス中に知れ渡らせる原因となった。
当時フランス最高の電子工学者のアンドレ・ヘルブロンナーの弟子の中に一人の天才的な
練金術師がいたが、その男はフルカネッリというペンネームで『賢者の住居』と『大聖堂の秘密』
という奇書を発表した後、世俗との関係をすべて断ち切って、突然何処かに姿を消してしまった。
660好爺:03/01/30 23:45
フルカネッリが出版した『大聖堂の秘密』は彼の弟子を自称する、ユージェーヌ・カンセリエなる
人物が編纂したものであるが、カンセリエによると、彼自身も師フルカネッリから
“金属変成の粉”なるものを少し分けてもらい、自分もそれを用いて鉛を黄金に変成したことが
在るとの事である。カンセリエによるとフルカネッリは裕福なブルジョワの家に生まれ、
最初の頃はごく普通の家庭をいとなんでいた。しかし、あるとき練金術師による神秘的変容を遂げてしまうと
世間との一切のつながりを断ち切って、突然どこかに姿を消してしまったのだ。
フルカネッリが姿を消してから30年後に、カンセリエは一度だけ彼に再会した事がある。
そのときフルカネッリは奇妙な事に、30年前より逆に30歳若返って見え、しかも女のような外観をしていたという。
師フルカネッリから連絡を受けたカンセリエは、指定された山の中の古い城館に出向いた。
そこでフルカネッリに丁重に迎えられ、一室を与えられた。数日後の早朝、カンセリエは階段を降りて
中庭に散歩に出ようとした。するとその時、中庭に16世紀の服装をした女性が三人見えた。
そのうちの一人が歩きながらこちらを振り向いた時、彼はそれがフルカネッリであるのをみとめたという。
661あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/31 01:26
耳嚢 根岸鎮衛著 長谷川強校注
油虫呪(まじない)の事

木の葉・草の葉に油虫が付くのを人は忌み嫌うのは常のこと。
私(根岸)の知人の石川某が植木屋を呼んで庭木の植え替えなどした時、
「油虫を駆除する方法があるか?」と尋ねると植木屋は、
「簡単な事です。前金十六文と書いて立て札すれば 油虫の憂いはありません」
と言ったので、「馬鹿な事をいう。そんなことあるもんか」と笑うと
「そう思うならまず立て札を立ててみては?」というので、召し使いに
申し付けて馬鹿馬鹿しいが立て札をしたら、それきり油虫がいなくなった。
見せ物小屋や芝居でお金を払わずに見物する事を例えて油虫というが、
何か子細のあることかもしれないと、石川某が語った。
662あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/31 01:27
耳嚢 根岸鎮衛著 長谷川強校注
古札棟より出て成功之事

武州葛飾郡大戸曲金(葛飾区奥戸)の川渡船場の辺りに題経寺(柴又帝釈天)という
法華経の寺がある。綾瀬川の近くで江戸にも至って近い所である。
その寺寛永中(1624〜44)の草創だが、寂れた所にあり寺も壊れて雨露をを凌ぐ
のもままならないので、住職はなんとか再建立したいがうまくいかない。
そこで村の人にお願いして江戸に出て3年ほど勧進をし、ようやく30〜40両を集め、
修復に取りかかった。しかし柱などは腐っていて中々修造も出来かねていたので、
住民からお金を寄進させていた。ある日、堂をとりくずした所、棟の上から三、四尺
(90〜120?B)もある古板が出てきた。その板の正面には何か不思議な絵が彫られ、
裏面には南無妙法蓮華経の七文字があって、日蓮の名が彫ってあった。が、うす汚く
よく分からないので裏の用水路に捨てた。しかし二、三日すると水で洗われた板の
文字・画像が鮮やかになってきたので、これは何かと仏師や仏画師に尋ねたが誰も
知らない。本山中山(千葉県市川市中山法華経寺)の仏経寺へその板を版画押しに
した紙を持っていき、貫主や衆僧に見せたが確かなことは何も分からなかった。
しかし「日蓮の正筆に間違いない」と世人が言い、その版画を頂きたいと諸方から
申し込みが次々とあったので、押してあげると皆たいそう喜ぶ。
「なんか詐欺みたいでどうですか?」と本山に問うと、本山は「板に押すことを断って
も全ては御仏の思し召しだから、なるようにしかならないだろう」とそれを許した。
そこで乞われれば押してやっていたが、ある日旅の僧が立ち寄って「その板を見せて欲しい」
という。そこで見せると「いままで誰も帝釈天の本形を見た事がなかったが、これは
間違いなく帝釈天だ」と言うので本山にそれを話すと「極め難いがそうかも…」との事。
寺はその後どんどん繁昌して参詣者も多く、帝釈道などという道路標識も出来て文化三年
(1807)の頃には荘厳も美しく見事になった。ところでこの板が出てきたのは天明元年
(1781)で日蓮没(弘安五年1282)よりちょうど500年忌にあたった。

疲れますた。(つД`) 希望があれば今後も耳嚢現代訳載せます
663好爺:03/01/31 07:39
>>661-662
「耳嚢」 根岸鎮衛著は、大変興味深い話が沢山載っているのでよろしくお願いします。
664好爺:03/01/31 08:29
大和の国添上郡山村の中の里に椋家長公(くらのおさのきみ)と云う人がいた。
12月に方広経によって、前世で犯した罪を懺悔しようと思った。召使いに
「禅師を一人お招きして来い」といった。召使いは
「どこの寺のお坊さんですか」と聞くと、
「何処の寺でも良いから、出会った僧をお呼びしろ」といった。その召使いは、言われたとおり
道を歩いている一人の僧を招いて家に帰った。家の主人はこれを有難がってもてなした。
その夜読経がすでに終って、僧が休もうとした時、主人は衾を用意して僧にかけた。
僧はその時、明日仏事の礼物をもらうよりは、この衾を盗んだほうが良かろうと思った。
その時、声がして
「その衾を盗んではいけない」といった。僧は大変驚いて家の中を見回したが、誰もいない。
ただ、一匹の牛が家の倉の下に立っていた。僧が牛のそばに行くと、牛は話をして、
665好爺:03/01/31 08:29
…続き
「私はここの主人の父です。ところが前世で人に与えようとして、子供にだまって、稲十束を盗みました。
そのために今の世に牛に生まれ変わって、前世の償いをしているのです。あなたは出家の身でありながら
どうして衾を盗もうとするのですか。私の話を嘘だと思うなら、私のために座席を用意しなさい。
その上に上がりましょう。そうすれば、この家の主人の父である事がわかるでしょう」といった。
そこで僧は大変恥じて、部屋に帰って寝た。翌朝、仏事が終った後で
「他人を遠ざけてください」といった。その後身内の人々を呼び集めて、くわしくさっきの事を話した。
そこで主人は慈悲の心を起して牛の側に行き、藁を敷いて
「本当に私の父上ならこの座に上がってください」といった。牛は膝をまげ席に腹ばいになった。
身内の人々は声を出し、大声で泣いて、
「本当に父上です」といった。そこで主人は立ち上がって牛に礼拝し、牛に
「前世でお使いになったものは、ことごとく許しましょう」といった。牛は聞いて、涙を流して嘆息した。
その日の夕方、四時頃牛は死んだ。その後、着せた衾や品物を僧に施し、そのうえ、
父のためにいろいろと供養を営んだ。
オカ板的666GET
667あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/31 11:52
このスレ読んでたら甲子夜話か狗張子が読みたくなってきた。
668あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/31 23:42
どうも。好爺さんありがとうございます! 

耳嚢 根岸鎮衛著 長谷川強校注
雷の落ちんとする席に焚火燃えざる事

文化2、3年(1807〜8年)の事である。夏のある日、その日は荒天で雷が鳴っていた。
一ツ橋家(徳川御三卿)のお屋敷内(現大手町合同庁舎内気象庁の辺り)のある部屋で
焚火をしていたが、どれほど焚いてもよく火が起きない。それを見た一橋治済(一橋家2代目)
が「火がよく起きない場所には雷が落ちる事がある。場所をどこかに移しなさい」と
その火を他に移し人も退去させた所、はたしてその場所に雷が落ちた。世間で雷が
鳴った時よく焚火をするのには、こういう分けがあるのではないだろうか。
669あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/31 23:43
耳嚢 根岸鎮衛著 長谷川強校注
狐蟇目を恐るゝの事

ある女の人が狐に憑かれ、色々加持祈祷をしたが落ちない。その親戚に本目某なる弓矢の師範が
いたので蟇目(カエルの目状の的を弓矢で射る儀式。降魔(ごうま)の法に用いられる)をお願
いした。その師範は「そのような事をするならば身を浄め、精進をしなくてはいけないので。今
から準備に入ります。いつ頃執行致しましょうか?」と挨拶に来てその日はそのまま帰った。
その夜夢の中に狐憑きの女の親が来て「私は女に憑いてる狐です。どうか蟇目を三日間だけ待っ
て下さい。私は件の女の人に怨みがあるわけではありませんし、また家に遺恨があるわけでもあ
りません。そもそも私は遠国の者でどうしても叶えたい願いがあって大変な苦労をして此所に来
ました。その願いもあと三日中には叶うのです。いま蟇目に掛けられれば我が身はもちろん憑い
ている女性の命も危ないのです。なにとぞ待って下さい」と言ったが師範は『どうせ夢の中の事、
信用出来ないし合点もいかない』と答えもしないで無視した。すると次の夜は狐憑きの女が来て
「くれぐれも私の願いを聞いて下さい。このお礼に天災は無理ですが、火災がある時は三日以内
に必ず知らせます。そして貴方様の御息女に明日縁談があります。これは先方にも不足もありま
しょうが曲げて取り組んでください。行く末大変に幸せになります」と言うので「そのように言
うならばたった三日くらい伸ばしてやろう」と答えると目が覚めた。「不思議な事もあるものだ」
と母に言うと、母は大いに信じて「是非延期しなさい」と言うので先方にも「潔斎(精進)の事
で多少差し障りあるので蟇目は延期したい」と書き、ついで「しかし蟇目をせずともしばらくす
れば狐は落ちるでしょう」と手紙を送った。さて不思議な事に翌日、多紀某という医者から縁談
が来て、三日後には例の家から「狐が落ちて本心に帰りました」と厚くお礼を言ってきた。本目
の親戚が私に語った話である。
670あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/31 23:44
耳嚢 根岸鎮衛著 長谷川強校注
讃岐高松善導寺狸の事

讃岐松山(香川県坂出市内)に善導寺(未詳)という大きな禅寺があった。文化三年(1808年)
の現在でもあるとのこと。その寺にしばらく納所(金銭や米殻の出納を行う)という事柄をする
僧がいた。その僧はとても律儀で得が厚く、寺の全て金銭の勘定を任されていた。僧は清廉潔白
に業務を行なっていたが、元より算術の専門家でもない只の坊さんなので、ある日2両程金勘定
が合わなくなった。その僧は朝に夕にそのことを思いわずらい、色々改めて計算してみたが2両
が出てくる分けもなく、その律儀な正格なので「しょせん生きていても恥ずかしいだけだ」と、
一途に思いつめて「死のう」と思い極めて遺書を書き「今晩死のう」と座禅を組んでいると、戸
の外から「ちょっと待った」と声を掛ける者がある。僧は「私個人の事で他人が知るべき術もな
いのに、一体誰だ?」と咎めれば「まず表に出てきて下さい。お話があります」と言うので「不
思議な事だ」と立ち、表に出てみると古狸がいる。「すみませんが貴方に聞きたい事があります。
私はこの山に数年住む者ですが、貴方はなぜ死のうと思ってるのですか?」と問うので「このよ
うに決心したからには隠す事もない。これこれこういう事で死を決心したのだ。かねてから山中
に長年住む狸がいる事は知っていたが、どうして私の自殺を止めるのだ」とたずねると「いくら
足りないのですか」と聞く。2両だというと「それでは明後日迄に調達して持って来ましょう」と
約束して帰ろうとする。その時この僧は心の中で『狸が金など用意出来る分けもない。どうせ盗
んだ金を用意して私を救おうとするのだろう。私が手を出さずとも、狸が盗んだ金で不足を補填
してもそれは盗みも同じだ』と思い返し「お心差しは嬉しいが止めておこう。お前が持っている
金じゃなければ、他より盗んで来るに違いない」と断ると「もっともの事ですが、さらさらその
ような事ではありません。安心して下さい」と言って帰って行った。  続きます
671あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/01/31 23:44
続きです
さて、翌々日の夜になり、狸がやって来て僧に金2両を渡した。「約束を守ってくれてありがとう」
と僧は喜び、感謝して金を改めて見てみると通常の小判ではない。「これはどういう金か?」とた
ずねると狸は問いに答えて言うには「これは土佐の境いの人も入らない秘境の谷に、長曾我部没落
の時(元四国領主。元親が秀吉に降伏、子の盛親の時関ヶ原で西軍につき、領土没収)金銀、財宝
を投げ入れたその物です。これを取ろうとしたが谷が険しくて、我々狸でも中々容易には取れませ
んがようやくこの通り数を揃えて持って来ました」そして重ねて「私は善導寺の山に長年住んで、
子孫も増えて食事が足らない事もあったのですが、貴方が納所として仏に備える食べ物などを山に
捨ててくれるので、私は眷属を養う事が出来ました。この御恩に報いたいし、また貴方がいなくな
った後にどんな納所が出来て私達に害を及ぼすかもしれないとこの事思い続け、眷属を動かして埋
蔵物を取りに行ったのです」と話して去っていった。さて僧はこの金を見たが、通常金とは違い両
替えも出来ないので、今や隠す事もないだろうと寺の住職にかくかくしかじかの一部始終を話すと
住職はおおいに驚いて「年中の勘定に不足が生じるのはあたりまえの事なので、不足があればちゃ
んと報告するように。死ぬなどとは夢にでも考えてはいけない」と教えたが、僧のその心構えには
感心した。さてこの金だが、住職でさえも両替出来かねたのでこの顛末を役所に訴え出ると、この
奇談は領主さえ知るところになり、領主が「この金子だが通用金に直すと幾らぐらいになるのか?」
とその職の者にたずねると、「百両ぐらいにはなるでしょう」との事なので、この埋蔵金は領主の
元に留めおいて、新たに百両あまりを善導寺に寄進した。   
672好爺:03/02/01 00:54
行基大徳は、難波の堀江を切り開いて、船着場を造らせ、仏法を説いて人々を教え導いた。
僧も俗人も、身分の高い人も賤しい人も、集まって説法を聞いた。そのとき、河内国若江郡川派の里
(大阪府布施市)に一人の女がいた。子を連れて法会を聞きに行ったが、その子は盛んに泣いて
説法を聞かせなかった。その子は十歳をすぎても、歩く事が出来ず、いつも泣いて、乳を飲み
たえまなく物を食べていた。大徳は、女に
「おい、その女よ、お前の子を連れ出して淵に捨てなさい」と言った。
人々はこれを聞いて、ひそひそ話しあった。
「慈悲深い聖人なのに、一体どうして、あんな事を言われるのか」
女は我が子可愛さに捨てず、なおも子を抱いて説法を聞いていた。女は次の日もまた来て、
子を連れて説法を聞いた。子はなおも激しく泣いた。聴衆は泣き声のやかましさに邪魔されて
説法を聞く事が出来なかった。行基大徳は女をせめた。
673好爺:03/02/01 00:54
…続き
「その子を淵に投げ捨てよ」女は不思議に思って、大徳の言うことに、それ以上我慢する事が
できないで、深い淵に投げ捨てた。すると子は水の上に浮かび出て、足を踏み、手をもみあわせ
目を大きく見張って、うらんで、
「なさけなや。あと三年間お前から取り立てて食ってやろうとしたのに」といった。
母は不思議に思って、法会の席にもどって説法を聞いた。行基大徳は、
「子を投げ捨てたか」と聞いた。女は右の出来事を詳しく話した。すると大徳は、
「お前は前世に、あの子の物を借りて、返さなかった。そこでいま子の姿になって、貸した分を
取り上げて食うのだ。あの子は昔の貸主だ」と言った。
いつも大変興味深く読ませてもらっています。
読んでばかりではなんなので、書き込みをしようと思いますが
長い上に有名な話なので、ご存知の方は飛ばしてください。
ちょっと場所をお借りします
 吉備の国の賀夜の郡、庭妹の里(岡山市庭瀬)に、井沢庄太夫という人がいた。
祖父は播磨の赤松氏に仕えていたが、さる嘉吉元年(一四四一)の乱に、赤松氏の
居城を去ってこの土地へ流れてきて、庄太夫に至るまで三代の間、春には田を耕し
秋には収穫して、裕福に暮らしていた。
 ひとり子の正太郎という者は、農業を嫌うあまり、酒に溺れ女色にふけって、
父の言いつけを聞こうとしなかった。両親はこれを嘆いて、ひそかに相談し、
「ああ、よい家の娘で器量のいい人と結婚させたら、正太郎の身持ちも自然とおさ
まるだろう」
と、国中くまなく探し求めたところ、さいわい仲を取り持つ人がいて、
「吉備津神社の神主の香央造酒の娘は、生まれつき美しく、両親にもよく仕え、
その上歌も詠み、琴も上手です。もともと香央家は吉備の鴨別の命の子孫で、家柄も
正しいのですから、あなたの家と縁組をなさるのは、あなたの家にとってきっとよい
前兆でしょう。
この縁組の成就は、この老人の願うところです。私がきっとこの話をまとめてみせ
ます」と、いうので庄太夫はたいそう喜んだ。
香央家へ行って話をすると、香王の方でも喜んで、妻に相談したところ、妻も乗り気
になっていうには、
「娘ももう十七歳になりましたので、朝夕に、よい人はいないものか、結婚させて
やりたいものだと、気の休まる日もありませんでした。早く吉日を選んで結納を
納めて下さいませ」
と、強く夫にすすめるので、婚約は早くも成立してその旨を井沢家に返事した。
すぐに結納を厚くととのえて送り届け、吉日を選んで結婚式を挙げることとなった。
 その上にも幸運を神に祈るというので、香央家では、巫女や神官たちを集めて、
御湯を奉る神事を行なった。そもそもこの吉備津神社に祈願する人は、
神前に数々の御供物を供えて、御湯を奉り、吉兆・凶兆を占うのである。
巫女が祝詞を唱え終わり、湯が湧き上がると、吉兆の場合には釜の鳴る音が牛の
ほえるように聞こえる。凶兆の場合には釜は音をたてない。
これを吉備津の御釜祓という。
 ところが香央の家の縁組は、神がご承諾なさらないのであろうか、ほんの秋の虫が
草むらで鳴くほどの音さえしない。これには香央も不審に思って、この凶兆を妻に
話した。
妻は全く疑いもせず、
「御釜の音がしなかったのは、神官たちの身が穢れていたからでしょう。また井沢は
武士の子孫で、厳格な家と聞きますから、今となって縁組を断っても承知しますまい」
と、言葉を尽くして夫を元気づけ、香央も、もともと願っていた縁組なので深くは
疑わず、妻の言葉に従って結婚の準備もととのい、両家の親類一族が集まって、
鶴の千年、亀の万年を謡って祝ったのであった。

 香央の娘の磯良は、井沢の家に嫁いでからというものは、朝は早く起き、夜は遅く
寝て、いつでも舅姑のそばを離れず、夫の気性を理解して、真心をこめて仕えたので、
井沢夫婦は磯良の孝行と貞節に感激して非常に喜べば、正太郎もまた磯良のけなげさに
ほだされて、むつまじく暮らしていた。
しかし、生来のうわついた性質はどうにも仕方のないもので、正太郎はいつの頃からか
鞆の津(広島県福山市内にあった港町)の袖という遊女と深い仲になり、ついに身請け
までして、近くの里に別宅を構え、そこで何日も過ごして、家に帰らなかった。
磯良はこれを恨んで、あるいは舅姑の怒りにかこつけて諌め、あるいは正太郎の浮気心
を恨み嘆いたけれども、正太郎はうわの空に聞き流して、その後は何か月も帰って
こなかった。
正太郎の父は磯良のいじらしい振舞を見かねて、正太郎を叱責して一間に監禁して
しまった。
磯良はこれを辛がって、朝夕、正太郎にまめまめしく仕え、一方、袖の方へもこっそり
物を届けなどして、真心の限りを尽くしたのであった。
 ある日、父が留守の間に、正太郎は磯良に相談をかけていうには、
「そなたの真心のこもった貞節ぶりを見て、今は自分の罪を後悔するばかりだ。
あの女をも故郷へ送り返してから、父上のお怒りをおなだめしよう。あれは播磨の国
の印南野の生まれなのだが、親もない身であさましい境涯に落ちていたのを、ひどく
かわいそうに思って、情けをかけたのだ。
私に捨てられたら、あの女はきっとまた港町の遊女になるに違いない。同じあさましい
仕事にしても、都は人の情けも厚いと聞くから、あの女を都に行かせて、身分のある
人に仕えさせてやりたく思う。だが私がこのように押し籠められて、助けてやれない
ため、何かと不自由しているに違いない。
旅費や身に着ける物も、誰が工面して与えてくれようか。
そなたがこのことをうまく取りはからって、あれに恵んでやってくれまいか」
と、熱心に頼んだので、磯良はたいそううれしく、
「このことについては、どうぞご安心なさいませ」
といって、こっそり自分の着物や道具を売って金をつくり、更に香央の母の元からも
嘘をついて金を借り、正太郎に渡した。
 この金を手にして正太郎は、ひそかに家を抜け出し、袖という女を連れて、
都へ逃げていってしまった。これほどまでにだまされたので、磯良も今はただひたすら
恨み嘆いて、とうとう重い病気になって寝込んでしまった。
井沢・香央の両家の人々は、正太郎を恨み磯良に同情して、もっぱら医療の効果を
願ったが、粥さえ日に日に喉を通らなくなって、どう見ても望みのない有様となった。
 正太郎はいまや地に伏して死者の国を恋い募ったが、袖の魂を呼び返す手だてもなく、
空を仰いで故郷をしのぶと、かえってあの世よりも遠いように感じられ、前へ進むにも
渡し場がなく、あとへ戻るにも道を見失ったようなもので、途方に暮れて、
昼間は一日中、物思いにうち臥して、
夕暮れごとに墓に詣でて見てみると、雑草が早くも生いしげって、虫の声も何となく
もの悲しい。
 この秋のわびしさは、まるで自分ひとりの身の上に集中しているようだと、
しみじみ思い続けていると、よそでも同じ嘆きがあると見えて、袖の墓に並んで立て
られた新しい塚があった。そこに詣でる女が、いかにも悲しそうな様子で、花を手向け
たり水を注いだりするのを見て、
「ああ、お気の毒に、うら若いあなたがこのように人気のない荒野においでになるとは」
というと、女はふり返って、
「私が夕暮れごとにお参りいたしますと、あなた様は必ず先にお参りなさって
おられます。
離れがたいお方にお別れになったのでございましょう。ご心中をお察しいたしまして、
悲しゅうございます」
といって、さめざめと泣いた。
正太郎がいうには、「そのとおりです。十日ほど前に、いとしい妻を亡くしましたが、
生き残って心細く思いますので、ここにお参りすることだけを、せめてもの慰めに
しているのです。あなたもきっとそのようなご事情なのでしょう。」
 女は、「このようにお参り申し上げておりますのは、お仕えしておりましたご主人様
のお墓で、しかじかの日にここに埋葬申し上げました。家に残された奥様がひどく
お嘆きになるあまり、近ごろ重いご病気におなりになりましたので、このように私が
お代り申し上げて、香花をお供えしております」
といった。
 正太郎は、「奥方様がご病気になられるのも、ごもっともです。そもそも故人はどんな
お方で、どちらに住んでいらっしゃったのですか」といった。
女は、「尾仕えして降りましたご主人様は、この国では由緒ある家柄のお方で
いらっしゃったのですが、他人の讒言によって領地を失い、今はこの野原の片隅に
ひっそりと住んでいらっしゃいます。
奥様は隣国にまでも知られたお美しいお方で、ご主人はこの奥様のことが原因で、家や
領地までもなくしてしまわれたのです」と語った。
正太郎はこの女の話に何となく心をひかれて、
「それで、その奥方様がお暮らしになっておられるのはここの近くなのですか。お訪ね
申し上げ、同じ悲しみを語って慰め合いましょう。どうかお連れ下さい」といった。
女は、「家はあなた様がおいでになった道から少し脇道に入った所です。心細く暮らして
いらっしゃいますから、時々お訪ねくださいませ。
私の帰るのをさぞお待ちかねでしょう」
と、先に立って歩いていった。
 二丁ほど来ると、細い横道があった。そこからまた一丁ほど歩いて、薄暗い林の裏手に
小さな茅葺の家があった。粗末な竹の扉がわびしいのに、七日過ぎの月の光が明るく
さしこんで、広くもない庭が荒れているのが見える。
かぼそい灯の光が窓の障子紙を漏れてきて、もの寂しい。
女は「ここでお待ちください」といって、家の中に入った。
苔むした古井戸の側に立って中の様子をのぞいてみると、襖が少し開いている隙間から、
灯の光がゆらめいて、黒塗りの棚がきらめくのも、奥ゆかしい感じがする。
女が出てきて、
「ご訪問のことを申し上げましたところ、
『お入りください。物越しにお話申し上げましょう』
とおっしゃって、端の方へいざリ出ていらっしゃいます。あちらへお入り下さい」
といって、庭の植え込みをまわって、奥の方へ案内してゆく。
ニ間続きの客間を人が通れるぐらい開いて、低い屏風を立てまわしてある。古い布団の
端がすこしその陰から出ていて、女主人はそこにいると思われた。

 正太郎はそちらの方へ向いて、
「ご不幸なお身の上に加えて、ご病気にさえかかられたとのこと。私もいとしい妻を
亡くしたものですから、同じ悲しみをも語り合ってお慰め申し上げようと、無理に参上
いたしました」といった。
主の女が屏風をすこし押し開けて、
「珍しくもお目にかかったものですね。
ひどい仕打ちの報いのほどを思い知らせて差し上げましょう」
というので、びっくりしてよく見ると、故郷に残してきた磯良であった。
顔色はひどく青ざめて、だるそうな目つきは物凄く、自分を指した手が青くやせ細って
いる恐ろしさに、正太郎は「うわっ」と叫んで気絶してしまった。

 正太郎はしばらくたって息を吹き返した。目を細く開けて見てみると、家だと思った
のは、もともとあった荒野の三昧堂で、黒い仏像だけが立っておられるのであった。
遠くの里の犬の鳴き声を頼りに、家に走り帰って、彦六にこうこうと事情を話すと、
彦六は
「なあに、狐にでも化かされたのでしょう。心がおじけづいているときには、必ず
人を迷わせる物怪がとりつくものです。あなたのように気弱な人がこんなに嘆き沈んだ
のは、神仏に祈願して気持ちを落ち着けるのがよいのです。刀田の里にありがたい
陰陽師がおられます。穢れをはらって、お守り札をいただきなさい」
といって、彦六は正太郎を誘って陰陽師の所へ行き、一部始終を詳しく話して、
占ってくれるよう頼んだ。
 陰陽師は占い考えて、
「災いはすでにあなたの身に迫っていて、容易なものではありません。
前に怨霊は女の命を奪いましたが、恨みはまだ尽きていません。
あなたの命も後わずかに迫っています。
この怨霊が世を去ったのは七日前ですから、今日から四十二日の間、戸を閉めて重い
物忌みに籠りなさい。私の戒めを守れば、九死に一生を得て命を全うできるかも知れません。
ほんの少しの間でも私の戒めを破ったなら、災難を逃れることはできません」
とかたく教えて、筆をとり、正太郎の背中から手足に至るまで、
篆籀のような文字を書いた。
その上朱のお札をたくさん紙に書いて与え、
「このまじないのお札をすべて戸に貼りつけて、神仏に祈りなさい。油断して身を滅ぼす
ことのないように」と教えたので、恐れたり喜んだりしながら家に帰り、朱のお札を戸口に
貼り、窓に貼って、重い物忌みに籠もったのであった。
その夜、真夜中の頃、恐ろしい声で、
「ああ憎らしい。ここに尊いお札を貼ってあることだ」とつぶやいて、
それきり物音がしなかった。
あまりの恐ろしさに、秋の夜長を嘆いた。まもなく夜が明けたので、生き返ったような
気持ちになって、急いで彦六の住まいとの間の壁をたたいて、昨夜の出来事を話した。
彦六もそれではじめて陰陽師の言葉が当たっているのを悟り、自分もその夜は寝ないで、
真夜中の頃をずっと待っていた。
松の梢を渡る風は物を吹き倒すように激しく、雨までも降ってきて、尋常でない
夜の有様に、二人は壁ごしに声をかけ合い、真夜中を過ぎて午前二時頃になった。
正太郎の家の窓の障子にさっと赤い光がさして、「ああ憎らしい。ここにも貼ったとは」
という声は、深夜に聞くといよいよ物凄く、髪も生毛ことごとく逆立って、
二人はしばらく気を失ってしまった。
 夜が明ければ前夜の有様を話し、日が暮れれば夜明けを待ちかねて、このところ数日は
千年を過ごすよりも長いように思われた。
例の怨霊も毎晩家の周りをめぐり、あるいは屋根の棟で叫んだりして、その怒りの声は
夜ごとにすさまじくなっていった。
 こうして四十二日目というその夜になった。もうあと一晩で物忌みも終わるというので、
ことに慎んで過ごし、ようやく午前四時ごろになって空も次第に白んできた。
正太郎は長い夢から覚めたような気持ちになって、すぐに彦六を呼ぶと、彦六も壁に身を
寄せて「どうですか」と答える。
正太郎は、
「重い物忌みももう終わりました。ずっとあなたの顔も見ていません。なつかしくもあり、
また、このひと月あまりの辛さ恐ろしさを思う存分話して心を慰めたいのです。
起きて下さい。私も外へ出ましょう」といった。
彦六は軽率な男だったので、
「もう大丈夫です。さあ、こっちへおいでなさい」と戸に手をかけて半分も開けないうちに、
隣の家の軒のあたりで、
「ぎゃあっ」と叫ぶ声が耳をつんざいて、思わず尻もちをついた。

 これは正太郎の身の上に何かあったに違いないと、斧を引っさげて道に出ると、
正太郎が明けたといった夜はまだ暗く、月は中天にあるものの、光は朧で、風は冷たく、
そして正太郎の家の戸は開け放たれて、その人の姿は見えない。
中へ逃げ込んだのであろうかと、走りこんで見てみたが、隠れる場所もない住まいなので、
それでは道に倒れているのだろうかと探してみたが、近くには見当たる物とてない。
どうなったのであろうかと、彦六は不思議に思ったり、びくびくしながらも灯をかざして、
あちこち見まわったところ、開いた戸口のそばの壁に、
生々しい血が流れかかって、地面に伝わっている。
 だが死体も骨も見えない。月明かりで見ると、軒の端に何か物がある。
灯をかかげてよく照らしてみると、男の髪の髻だけがひっかかってぶらさがっていて、
そのほかには何一つ見当たらない。
驚きながらもその恐ろしさは、筆で書き表すこともできないほどのものだった。
夜が明けて、近くの野山を探し求めたが、
ついに正太郎の何らかの形跡さえも見つからないままに終わってしまった。
このことを井沢の家へいい送ったので、涙ながらに香央家にも告げ知らせた。
だから、陰陽師の占いが的中したこと、吉備津の御釜祓の凶兆も果たして外れていなかった
ことこそは、まことに恐れ多いことだと、世の人々は語り伝えたのである。
>>677-678の間に次の一文が抜けてしまってました。大変申し訳ない

さてここに、播磨の国印南の郡、荒井の里(兵庫県高砂市)に、彦六という男が
住んでいた。この男は袖には従兄弟に当たる近い親戚であったので、正太郎と袖は
まずこれを訪ねて、しばらく逗留した。
彦六は正太郎に向かって、
「都だからといって、人がみな頼りになるというわけでもありますまい。ここにお留
まりなさい。一杯の飯も分け合って一緒に暮らしを立ててゆこうではありませんか」
といい、その頼もしい言葉に正太郎も気持ちが落ち着いて、ここに住むことに決めた。
彦六は、自分の家の隣のあばら家を借りて二人を住まわせ、友達ができたと喜んだ。
 ところが袖は、風邪気味だといっていたのが、これという理由もなく苦しみ始め、
物怪にとりつかれたように狂おしい様子なので、ここに来てまだ幾日にもならないのに、
こんな不幸に会う悲しさで、正太郎は自分も食事さえ忘れて介抱したが、袖はただ
声をあげて泣くばかりで、胸がしめつけられて堪えがたそうにするかと思えば、
正気にもどると、平生と変わらない状態になる。
生霊というもののしわざであろうか、故郷に捨ててきた妻がもしかしたらと、
正太郎はひとりで胸を痛めていた。
彦六はこれを力づけて、
「そのようなことがあるはずがありません。疫病というもので苦しむ例は、沢山見て
きました。熱が少し下れば、苦しがっていたことさえとんと忘れたようになるでしょう」
と、気楽そうにいうのが、頼りであった。
そうこうしているうちに、看病の効果もまったくなく、七日目に袖は死んでしまった。
 正太郎は天を仰ぎ地をたたいて嘆き悲しみ、自分も一緒に死んでしまいたいと
狂おしくいうのを、彦六はいろいろと慰めて、遺骸をそのままにしておくわけにも
いかないと、とうとう荒野で火葬にした。
骨を拾い塚を作って、卒塔婆を立て、僧を頼んで、袖の菩提を厚く弔ったのであった。
良スレホゼン。
耳嚢 根岸鎮衛著 長谷川強校注
天狗に成りしといふ奇談の事

享保(1716〜36)の頃、信州松本(水野氏七万石)の藩中に百石取りの物頭を勤める菅野五郎太夫
という者がいた。武芸も普通に心掛け、和漢書も多少は出来、万事物堅く勤めていたが、多少驕慢な
所もあった。ある年の正月、「大きなたらい桶を幾々日の昼頃迄に造るように」と、厳しく召し使い
に命令した。「一体何をするのだろう?」といぶかしながらも召し使いはそれを用意した。すると今
度はむしろを十枚調達し、餅米四斗(一斗は十升)入り三俵を赤飯にし、十枚のむしろを座敷に敷か
せ、例のたらい桶を据えてその中に赤飯を盛り入れた。そして日が暮れるのを待って自分は風呂に入
り、服を改め麻の裃を着て奥方をしりぞけ、刀を持たずに座敷に引きこもった。奥方は「もしかして
気が狂ったのかも」と思ったが、その用意をさせる時の言葉も行いも普段通りだったし、刀も持って
ないのでやるがままにさせておいた。その夜半頃だろうか、何者かが三、四十人も来た気配、足音が
したが、物を言う声は聞こえず夜明け頃にはひっそりとなり音も途絶えた。とにかく朝が来て、何の
音もなく静まり返っているので、こわごわとふすまを少し開け、中を覗き見ると誰もいないし、赤飯
はひと粒も残ってない。しかも五郎太夫もいないので、あちらこちら探したが行方が分からない。奥
方は大いに驚いて、同じく藩中の者で五郎太夫の従兄弟の久米兵太夫に来てもらって、あれこれ相談
したが、いかんともしようがない。   続きます
続きです
「しかたがないのでこの場はこのままにして、目付(当時の警察)に届け出て検分してもらうしかな
いだろう」と結論して、大目付・目付方に届け出ると早速両役人が来て検分したがやはり何も分から
ない。そして役人はありのままを藩主に届け出た。常々真面目に勤めていた者が悪心を起こして出奔
したともいえず、また藩主に立ち退く意志を伝えたという分けでもないが、行方が分からなくなった
のははっきりしている事実なので、これによって家名は断絶。しかし先祖より代々の功績を認められ、
五郎太夫の息子を新規に呼び出し同じ食禄で召し抱えた。さて翌年の正月、床の間に誰が置いたのか
一通の手紙がある。開けて中を見れば確かに五郎太夫の筆跡で何も近況は書いてないが只「私は愛宕
山(京都北西の山。天狗が住むという)に住む宍戸シセンと言うものだ。そのように心得よ」と書い
てあり、追伸に「二十四日(愛宕権現の縁日)には絶対に酒を飲んではいけない」と書いてあったが、
その後は何の便りもなかった。その年領主は色々あって家名断絶(享保十年、水野忠恒江戸城中にて
刃傷、領地没収)。かの久米兵太夫もその時浪人になり、息子の兵太夫が青山家(丹波亀山五万石か
丹波宮津四万八千石)へ仕えた。そのまた息子の兵太夫が話してくれた物語である。「シセンの手紙
は紛失した」との事。現在「正月二十四日に禁酒すれば火事を避けられる」というのはこの時より始
まったものと考えるがいかがなものだろうか?

●お詫び 先日讃岐の狸の話の中で2両と書いたのは私の訳ミスで、正しくは20両です。すみません!
ここでひっそりと耳袋が語られていることを
オカ板の新耳袋オタも知りはしないだろうねフッフッ(`_')
689好爺:03/02/03 01:39
『耳嚢』と『新耳袋』の違いは、前者はこういう事があったと淡々とかつ出来るだけ
記録として集めているのに対して、後者は怖がらせる事を前提として事実よりも出来るだけ
怖くなるように文章を作っている違いがあると思う。
個人的には『耳嚢』が好きだけど、(全部読んでるわけではないけど…これからも
よろしくお願いしますとフォロー)今店頭にならんで売れるのは『新耳袋』なんだろうなぁ。
「新耳袋」ってヘンな名前って思ってたら
元祖があったのね。
691好爺:03/02/04 00:53
永興禅師は奈良左京の興福寺の僧であった。紀伊国牟婁郡熊野村に住んで修行していた。
その時、その村に病人がいた。病人は呪文を唱えている時は治り、禅師が席から立ち去ると
病気がおきた。このようにして何日も過ぎたが病気は治らなかった。禅師は必ず病気を治すと
誓って、なおも祈祷をした。すると病人に霊がついて
「私は狐だ。簡単には参らない。禅師よ、無理に祈祷してはいけない」といった。禅師が
「なぜか」聞くと、
「この病人は前世で私を殺した。私はその仇に報いたい。この人が死んだら、犬に生まれ変わって
私を殺すだろう」といった。禅師はこれを聞いて不思議に思い、教え導いたが、
霊は病人を放さないで殺した。
一年過ぎて後に、その死んだ人が寝ていた部屋に、禅師の弟子が病気になって寝付いた。
そのとき、人が犬を連れて禅師の所に来た。犬は吠えて、爪で縄や鎖を切って走りかかろうとした。
禅師は不思議に思って、犬の飼い主に
「犬を放して、わけを知るのが良い」といった。飼い主が犬を放すと、犬は寝ていた弟子の部屋に
駆け込み、狐をくわえて引き出した。禅師は犬を制止したが、犬が放さず噛み殺した。
死んだ人が犬に生まれ変わって仇を報いたことがはっきり分かった。
耳嚢 根岸鎮衛著 長谷川強校注
幼女子を産みし事

土屋保三郎(英直。土浦九万五千石)の領地、総国佐島郡藤代宿(茨城県北相馬郡藤代町)の忠蔵とい
う男の娘で、トヤという者がいた。その娘、文化九年(1814)八月に男児を出産した。母子ともに健
康との事。トヤは四才で初潮を向かえ、子を産んだ当時は八才である。こんな事ははまったくありえな
い事だと疑っていたが、代官(幕府の直轄地を管理、運営する職)の吉岡次郎右衛門の支配地はその近
くで、その珍事を部下が村を見回るついでにまのあたりに見たという。また、私(根岸)が知人の家来
も知行地(当時、江戸幕府直参の旗本、御家人は幕府の直轄地より知行地《土地》を拝領する者もいた。
関東に多い。著者根岸鎮衛も旗本。)に行き、忠蔵の家の隣家に泊まってその珍事を聞いていたので、
間違いないと言う。もっとも夫はいない処女懐妊とも云い、または夫はいるが深く隠しているとも云う。
どちらにしても子供が生まれたという事は非常に不思議で、狐狸がその子供に化けているのではないか
との疑問は解けない。しかし二百四十九年前、永禄七年(1565)に丹波の国(京都府の中部と兵庫県
の北東部)に七才の女の子が子供を産んだという記録がとある文献の中にあるので、まったく無い事で
はないと、ある人が私に語った。
うーん、なんて読み応えのあるスレなんだ。
保存しておこう
ほぜん。
695あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/04 13:36
住宅街の細く暗い夜道を歩いていると前から男がやってくる。顔がわかるほど
近づくと、男は妙ににこにこと笑っているではないか。気味が悪くなって足早
に通り過ぎようとすると、すれ違いざま、耳元で「やまざきわたるです」と囁
きかけられる。走り出したい衝動を懸命に堪え、努めてさりげなく、それでも
かなり急ぎ足で歩く。暫くすると、また前から男がやってくる。顔がわかるほ
ど近づくと、さっきと全く同じ顔の男がにこにこしながら…
二人のやまざきわたるに出合ったものは一週間以内に死ぬという。

※一人目と二人目の間に別の人間とすれ違ったら助かる。
※呪われないためには、囁きかけられたらすかさず「悪霊帰省してまーす」
と怒鳴り返す。(アクセス規制がなまったものらしい)

http://book.2ch.net/test/read.cgi/sf/1044086735/81
696あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/04 21:28
このスレのファンはここも読むといいだろう。。決して損はしないと思うよ

http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/occult/1035538023/
697あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/04 21:31
692ってマジかよ。
698あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/04 21:47
チン玉袋の話が知りたいのです。
    .,v─ーv_         〕      〕 .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
   ,i(厂  _,,,从vy      .,i「      .》;ト-v,|l′          _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/
   l  ,zll^゙″  ゙ミ    .ノ       .il|′アll!           .>‐〕 \ _><
   《 il|′     フーv,_ .,i″       ||}ーvrリ、             ¨'‐.`   {
    \《 ヽ     .゙li ._¨''ーv,,_     .》′  ゙゙ミ| ,r′                }
      \ ,゙r_    lア'    .゙⌒>-vzト    .ミノ′                 〕
       .゙'=ミ:┐  .「      ./ .^〃     :、_ リ                   .}
         ゙\ア'   .--  ,,ノ|    、    ゙ミ}                   :ト
           ゙^ー、,,,¨ -   ''¨.─   :!.,   リ                   ノ
              〔^ー-v、,,,_,:     i゙「   }                  .,l゙
              l!     .´゙フ'ーv .,y    ]                  '゙ミ
              |     ,/゙ .ミ;.´.‐    .]                   ミ,
              |     ノ′ ヽ      〔                   ミ
              }    }     ′    }                   {
              .|    .ミ     .<     〔                    〕
              .{     \,_   _》、    .{                    .}
              {      ¨^^¨′¨'ー-v-r《                 
耳嚢 根岸鎮衛著 長谷川強校注
狸縊死の事

一般に狐狸等というが、狸は人を化かす事などは狐には遥かに劣っていて、その性は愚鈍といえる事が
多い。近ごろの事だが、本郷桜馬場(文京区本郷にあった乗馬の練習場)の辺に酒屋とか材木屋とかが
あって、そこに長く奉公している丁稚上がりの若者がいた。そこには田舎から奉公に来ている少女がい
たが、いつの頃からか二人は好きあうようになり「ゆくすえは結婚しよう」と固く約束をしていたが、
はからずも少女の田舎から縁談があるのでお暇をいただきたいとの連絡があった。二人は大いに驚き、
「こうなっては兼ねてからの約束も遂げられない」と、お互いに死を決心して夜な夜な桜の馬場に忍び
行って色々と相談をしていたが、程なく店の主人から田舎に帰る期日を伝えられたので「もはや延び延
びには出来ない。明日の夜こそ桜の馬場で首を縊って死んでしまおう」と約束し、「何時何分に桜の馬
場で待ち合わせしよう」と申し合わせた。翌日若者は仕事を終え、暮れ頃に馬場に来てみると既に少女
は来ていて、いよいよと決心して用意して来た縄を桜に結び付け、首にまとって木から飛び下りたとこ
ろ、少女は何の事なくあっけなく縊れ死に、若者は首は絞まれど足が地面に付いてしまい、死には至ら
なかった。    続きます
続きです
丁度そこになんと死んだはずの少女がやって来て、若者の死ねずに苦しむ様とその隣に自分そっくりの
少女が首を縊って死んでいるのを見て、びっくりして絶叫すると辺りから人が集まって来て見ると若者
はまだ死んでいなかったので木から降ろし、薬などを与えると息を吹き返したので詳細を尋ねれば、今
や隠す事も出来ないので男女ともありのままに事情を話した。「事情は分かったがしかし、だとしたら
死んでいる女は一体誰だろう?」と見てみると、全身に毛が生えていてよく見れば狸である。ますます
驚いて、店の主人に伝えると「二人とも正直な働き者で、死を決心する等とはよくよくの事。何で死ぬ
必要があるのだ」と、主人が少女の実家を説得して夫婦にしてしまった。しかし何で狸が首をくくって
死んだのかその理由は分からないが、狸は毎夜二人が桜の馬場に来て相談するのを聞き、死を決心した
のを可哀相に思って慰めるつもりだったのかもしれない。まさか自分が死んでしまうとは思ってもいな
かっただろうが、過って死んでしまったのが返って二人の仲立ちをする事になった。と、ある人が笑い
ながら私に話してくれた物語である。
耳嚢 根岸鎮衛著 長谷川強校注
怪倉の事

本所(墨田区本所)の御医師(幕医)、数原宗得(五百石二十人扶持)という人の屋敷の蔵内に昔から
化け物がいる。蔵の中から物を取り出す時は、その化け物にいちいち断ってから取り出していた。何々
の品物が明日必要なら、戸口に誰が物を持ち出すのかを書いて置くことにしていた。これをしないと色
々と良くない事が起きるからである。医師は身分の高い高禄の人ではなかったが、貧しい家でもなかっ
た。ある年、火事のもらい火で屋敷が類焼したがその蔵だけは焼け残った。そのとき医師の家来が「な
るほど常日頃は断わりのうえで物を出し入れしてるが、この非常時、何の遠慮はいらなだろう、なにし
ろ寝る場所もないのだから…」と、土蔵の中に入って物を片付けてその場所へ布団を引いて寝た所、し
ばらくすると恐ろしい坊主のような者が出て来て「かねてからの約束を破り蔵内に無断で入ってさらに
無礼にも寝るとはとても憎い奴。普通なら命を取る所だが、この非常時なので今回は許してやる。この
後は決して立ち入るな!」と言うので、家来はたいそう恐れて早々に逃げ出してしまったとか。毎年時
期を決めて、祭礼などをしているそうである。
耳嚢 根岸鎮衛著 長谷川強校注
房斎新宅怪談の事

文化(1804〜1818)の頃、下町(神田・日本橋・京橋中心の地域)に房斎という菓子屋があった。色
いろと工夫をこらした菓子を作ってたいそう流行した。その菓子屋が文化九年に数寄屋橋に引っ越した
時、奉行人が二階の押し入れのふすまを開けようとしたが、半分だけ開いてあとは中々開かない。手で
強く引いたりしたが開かない。そのもの音を主人が聞いて二階に上がって来て「何を手荒くしているの
だ、壊れてしまうだろ」と開けると、別段なんの事はなく開いた。また閉める時も別の奉行人が来て閉
めようとしたが閉まらないので、強く押すとようやく閉まった。次の日、またそのふすまが開かないの
で厳しく押し引くと押し入れの中から女が飛び出て来て、その奉行人に抱きついた。男は驚きあわてて
女を突き放すと、女は煙りのようにかき消えた。またその翌日、二階で今度は奉行人全員の前に昨日の
女が現われて、ふすまの前に取りつき戸を引っ張っているのを主人が取り除こうとしたら消え失せた。
前の住人もこういう怪異があったので房斎に家を譲ったのだろうと、ある人が語った。
703好爺:03/02/05 01:18
幕末頃、伊豆に陰嚢が巨大に腫上がった男がいた。彼は疝気といって、腸や生殖器などが痛む病を
患っていたが、そのせいか、陰嚢がしだいに腫れ、大きくなった。しまいには、五斗(約90リットル)
ほどの米を袋に入れたような大きさになった。足を前に組んで座っていれば、陰膿が頭より上に出るほど
高くなった。前から見ると、顔も体も陰嚢に隠れて、まったく見えない。こんな状態では外出することが
できないし、家のなかで体を動かす事もままならない。彼は広い田畑をもつ、裕福な百姓だったのだが、
畑仕事は出来なくなった。そこで、手先の器用な彼は、陰嚢と腹の間から手をのばし
脇腹のところで草履や草鞋を作りはじめた。これを売って、なんとか暮らしていた。
ある年の11月15日の夜、近くの家で、三歳になった子供の髪置きの祝が催された。
名主をはじめとして大勢の人々がその家に寄り集まり、夜更けまで御馳走を食べ、酒を飲んで騒いだ。
誰もが酔っ払ったが、その帰途、勢いにまかせて大陰嚢の男の家へ押しかけたのである。
酔っ払いたちは、「大玉はまだ起きているか」などと大声をあげ、にぎやかなことおびただしい。
女房は、大勢の酔っぱらいがやってきたので、一瞬、たじろいだ。しかし、すぐ愛想のいい顔になると
「みなさん、御機嫌ですね。どうぞお入りください」といって、迎え入れた。
男はいつのまにか「大玉」という渾名で呼ばれていたわけだ。みんなは、一緒に上がり込み、飲み直し
がはじまった。それぞれ勝手なことを話したり、歌を歌ったりしているうちに、名主が冗談めかして
こう言い出した。「お前の大玉はじつに見事だ。手放すのは惜しいだろうが、俺に五百両で売ってくれ」
704好爺:03/02/05 01:19
…続き
「いまや、私の大玉はは伊豆の名物。とても五百両や千両では売ることができません。そうですな、
三千両なら売らないでもありませんが」男がそういうと、名主は「いやそれは高い。負けてくれないか」
などとねばる。二人の様子を見ていたある男がつい横から口を出した。
男は渋い顔をし、「いつも厄介になっている名主さんのことだから、たっての御所望とあれば
大負けに負けてやろう」といい、みんなで手締めをし、大笑いになった。
むろん、誰もが一座の余興という軽い気持ちで、本気になっていたわけではない。
ところがどうしたわけか、その後、名主の陰膿が痛み出し、少しづつ大きくなってきたのである。
それは薬缶ほどの大きさになりさらに大釜ぐらいになって、体を動かすのも困難になった。
一方、それとは逆に、大玉の大きな陰嚢は日に日に小さくなって、三年後には普通に戻った。
体が随分軽くなり、自由に動き回ることが出来たので、飛脚になって各地を走った。
もっとも、名主の陰嚢は大玉の三分の一ほどの大きさになると、脹らむのがとまった。
人々は「あとの三分の二は、名主へ移る時に消滅したのだろう」と噂しながら、
「冗談にもこんなことをいうべきではない」と戒めあったという。
耳嚢 根岸鎮衛著 長谷川強校注
妖も剛勇に伏するの事

江戸の昔、芸州広島の藩中にとても勇猛な男がいました。さて彼は生来江戸勤務だったのですが、この度
藩主の参勤交代に供なって初の広島入りをしました。そして住居を定めたのですが、そこはお城より遠く、
通勤に何かと不便でした。すると近頃、お城の近くの屋敷が空いたという情報を耳にしたので、早速そこ
への移転希望を出しましたが、人々は「その屋敷には妖怪がいるので止めたほうがいいよ」と止めました。
しかし彼は剛毅だったので「そんな事があってたまるものか!」とそこに引っ越し、住み始めたのです。
さて案の定その日の夜から、寝ていると家鳴りがしてそれがどんどん大きくなり、最後には物凄い大きな
音になるという怪事が連夜のように続いたのですが、男は全然に気にしませんでした。そして数日後、男
の元へ江戸勤務の伯父がやって来ました。(はて伯父は先の参勤交代では帰国の人員に入っていなかった
が、いったい何時返って来たのだろう?)と疑問に思い(これはもしかしてここに住む妖怪の仕業か?)
とも思いましたが、一応あってみる事にしました。伯父は「この屋敷は人間を忌み嫌うというではないか、
これ以上住むと悪い事が起きるぞ」と男に意見をしたので、男は「私は藩主にお願いしてここに住んでい
るのです。何も悪い事はないでしょう?」と反論すると、伯父は物凄く怒っていろいろ男を罵るのですが、
その様子がいかにも変で普段の伯父とは思えません。(これは妖怪に違いない!)男は抜き打ちに伯父を
切り殺し「おーい妖怪をしとめたぞ!」と下僕を呼びました。   続きます
続きです
しかし下僕が伯父の死体をいろいろ改めてみたのですが、怪物でもなんでもありません。ただの伯父の死
骸です。男は「これは大変な事になった。もはや俺は生きてはいけまい、腹を切るしかない」と覚悟を決
めましたが、「どうせ死ぬのなら…」と、なんとまたもや刀を抜いて一刀のもとに伯父の死骸の首を打ち
跳ね、さらに二刀、三刀と切り刻もうとした瞬間、伯父の体は煙りのように消えてしまったのです。「や
はり妖怪だったか」男は一安心して刀を鞘に納めました。さてその夜、男が寝ているとガリガリに痩せた
みずぼらしい老人が枕元に立ち「いやはやアンタの剛気のある人だ。俺は長年この家に住んで、これまで
に多くの人間を脅かし退散させ、このままここに永住しようと考えていたのだが、アンタのような心臓に
毛の生えている人物に会ってしまったからにはもうここには住めない。これから俺は立ち退くからアンタ
はここに末永く住めばよかろう」と言って消えてしまいました。
最初、幽霊を困らせる話というスレに書き込もうと思い、しかし話をあちこち
分散するのもなあーと思い直してこちらに書き込みますた。ので、いつもと
すこし文体がちがいます(w 
708九鬼文献:03/02/06 21:11
インドのニューデリー当局が現在もその場所を秘密に
している人跡未踏の土地がある。
その最初の報告はあらゆる手段で富を追い求めた冒険
家グラハム・ディックフォードによってもたらされた。
1892年インド駐在のイギリスの役人がこの男の存在
を知ったのは、彼が郊外で放心状態のところを保護され
すぐに病院に収容されたときであった。とぎれとぎれの
言葉で彼は恐ろしい経験から脱出してきたことを語った。
彼は仲間とともに密林の奥にある神秘的な谷にでるとそ
の中に入っていった。現地民から彼はその中には夢のよ
うな宝物が一杯詰まった寺院があると聞いていたのであ
る。ところが宝の山の代わりに非常に恐ろしい目に出会
ったのである。...続
709Zanoni:03/02/06 21:16
足にはいりこんでいた蛇

沛(はい)国の華佗(だ)は字を元化、またの名を旉(ふ)という。

瑯邪(ろうや)(山東省)の人、劉勲が河内(河南省)の太守をしていた。
勲には二十近くになる娘があったが、左足の膝の裏がわにできものができて、困っていた。
かゆくはあるが痛みはなく、いちどなおっても数十日たつとまた出て来る。
こんな症状が七、八年も続いていたのだった。
710Zanoni:03/02/06 21:18
>708
すいません。
先客がいたのに気づきませんでした。
711九鬼文献:03/02/06 21:26
彼の話によると彼の仲間は全員死んだらしかった。それ
に、彼の命も時間の問題に過ぎなっかった。激しい高熱
に体は絶え間なく震えた。そして、傷を負った頭には一
本の髪も残っていず、体に物凄い火傷を負っていた。
彼は叫び声を交えながら「空を渡る巨大な火」、
「闇の中の影」、「眼力で人を殺す幽霊」と口走り、
精神錯乱状態の中でその模様を語るのであった。
しかし遭難者の話を理解することは出来なかった。話は
ますます混乱し、発見されてから3日目、探検家は叫び
声をあげ、インド人の看護人を逃げ出させるほど酷く苦
しみながら死んでいったのである。...続
712九鬼文献:03/02/06 21:30
1906年にイギリス当局によって組織された探検隊が
「天然の魔女の釜」と名付けられたところで2人の犠牲
者をだして不幸なる山師の話を確認するまで、それを本
気にしたものはいなかった。死の場所には猛毒をもつヘ
ビが群生し、毒性植物が無数の茂みをつくっていた。
2人の探員が命を失うことになった状況は全く奇妙なの
だ。「漏斗状」の岩壁を下っていく間に、滅茶苦茶な動
きをしだし、地面に激突してしまったのである。すぐに
救出に向かった仲間は遺体を収容するのが精一杯であっ
った。襲ってくる自失感覚と窒息感のために急いでその
穴から出ねばならなかったのである。そして、その夜は
悪夢にうなされ続け、いうにいわれぬ不快感が何日も続
いたのだ。...続
713九鬼文献:03/02/06 21:39
1911年、第二次探検隊がまたその谷に入っていった。
そして、それを組織した7人の男(全員密林のベテラン
で、あらゆる危険になれた人々)のうち生還したのは2
人だけであった。低い丘に囲まれた空き地にでると突如
5人は輪になって踊り始め、その場所から抜け出た2人
の仲間の呼びかけにもロボットのように耳をかさず、突然
の雷に打たれもがき苦しんだ。その8年後、その谷に入っ
た老練な猟師の一行は17個の人間の骨を発見した。そ
して、この探検も悲劇に終わった。仲間の3人が理由もな
く墜落し(そのとき仲間と冗談を言って笑っていた)、
岩壁の上から下の岩石に砕け散ってしまった。...完
ピーター・コロシモ著「時のない地球」大陸書房より
714あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/06 22:15
英語の奇妙な話を探して和訳して載っけようかと思ったけど見つからなかった。
俺も貢献したいなぁ。
715Zanoni:03/02/06 22:19
>709から続き


そこで、佗を呼んで来てしらべてもらうと、佗は、
「これは簡単に治ります」
と言って、米ぬか色の犬一匹と駿馬二頭とを用意させた。
そして犬の頸に縄をかけて馬につなぎ、馬に犬を引っぱって走らせた。
馬がくたびれると交代させる。

かくして馬二頭で五里以上も走らせた。
犬はもう動けなくなっている。
それをまた人に引いて歩かせ、前と合わせてけっきょく八里あまりも引きまわした。
そうしておいてから娘に薬を飲ませる。
たちまち娘は、前後も知らずにすやすやと眠り込んでしまった。
716Zanoni:03/02/06 22:26
それから大きな刀で、犬の腹を後脚のつけ根より少し前からまっ二つに断ち切って
しまった。
その切り口を、娘のできものと向かいあわせ、二、三寸離して置いた。

しばらくそのままにしておくうち、やがてできものから蛇らしきものが現れた。
そのとき、蛇の頭へ横ざまに錐を突き通すと、蛇は娘の足の皮のなかでしばらくの
あいだ
身もだえしていたが、やがて動かなくなった。

そこで引き出してみると、長さ三尺ばかりの正真正銘の蛇である。
ただ、眼の穴はあるが瞳はなく、また逆鱗であった。
あとはきずぐちに膏薬を塗っておいたところ、七日で治ってしまった。
717Zanoni:03/02/06 22:27
この話のネタ本は、「捜神記」です。
ttp://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=00699859
ご苦労様。不思議だねぇ。
それにしても、陀って人すごいんだね。
こんな奇病?をすぐ治しちゃうんだもん。
719Zanoni:03/02/06 22:38
>718
なんせ中国の歴史の中で、一番と言っていいほど有名な名医ですからね。
ttp://kanemasa-web.hp.infoseek.co.jp/data4/data21.htm
ttp://www.pandaemonium.net/menu/devil/kada_cha.html

>眼の穴はあるが瞳はなく、また逆鱗であった。
という描写を見て、寄生虫かではないかと思いました。

それにしても治療に使われた犬は可哀想です
720あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/06 22:51
そういえば華陀って蒼天航路にも出てきたなぁ。
721あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/07 00:44
つか、その時代の人間だからな(w
三国志のゲームだと寿命を延ばしてくれたりしていたこともあった。
スーパードクター華陀
722モルダー ◆ugwYGoa3C6 :03/02/07 11:40
(;´Д`)
723Zanoni:03/02/07 22:51
奇術


永嘉(307-12年)のころ、天竺国の異人が江南へ渡来した。

その人は幾つかの術を持っていて、舌を切ったりつないだりすることや火を吐くことができたため、
どこでも見物人が黒山のように集まった。

舌を切ろうとするときは、まず舌を出して観衆に見せ、それから刀で切り取る。
流れ出る血が地面を覆うほどになってから、異人は切った舌を器の中に入れ、観衆の間をまわして
見せた上、口の中の舌も見せると、そこには舌の半分がまだ残っている。

それから切った舌を取り戻し、口に含んでつなぐのだが、待つほどもなくその舌を見せれば、元の
通りになっている。
本当に切ったものかどうかはわからないのである。
724Zanoni:03/02/07 23:03
切ったものをつなぐときは、絹のきれを出し、一人の人を両端を持ちながら向き合った上で、中央
から二つに切る。
それから二つをくっつけると、絹のきれはまたつながって、元の形と変わりがない。
当時の人々はみな幻術ではないかと疑い、陰に隠れて見ていたが、本当に絹を切るのであった。
725Zanoni:03/02/07 23:08
また火を吐くときは、あらかじめ器の中へなにかの薬を入れておき、ひとかたまりの火を
取って、とうきびの蜜とこねあわせて口に入れ、何度も息を吹き立てる。
それが終わってから口を開くと、火が口中いっぱいに燃え立つのだが、それを物に移し、
炊事をするところから見れば、本物の火なのである。

また書物、紙、さらには縄、糸の類を火の中に投げ入れる。
人々が見ていると、全部燃え尽きてしまうのだが、それから灰をかきわけて取り出した
ところは、さっきのままの品物であった。
726Zanoni:03/02/07 23:09
この話も捜神記からです。
727あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/08 01:34
Zanoniさん面白い話ありがとう
現代のインドでも修行僧で奇術ができる人いるみたいだね。
オレの友人の旅好きの奴から聞いたんだけど、縄がひとりでにスルスルと
天に昇っていって、雲に隠れるくらい高く昇ったら、修行僧はその縄に
取りついて昇っていき、雲に隠れて縄とともに消えてしまうんだって。
すごい不思議らしい。集団催眠か、その術の時に焚くお香に幻覚剤がまじって
いるのでは。。? と友だちは言ってたけど。。
728Zanoni:03/02/08 10:39
>727
>縄がひとりでにスルスルと
>天に昇っていって、雲に隠れるくらい高く昇ったら、修行僧はその縄に
>取りついて昇っていき、雲に隠れて縄とともに消えてしまうんだって

昔話ではよく聞きますが、今でも実際にできる人いるんですね。
一度目の前で見てみたいもんです。
729Zanoni:03/02/08 11:17
変化の術


葛玄は字を孝先といい、左元放(左慈)の弟子となって、九丹液仙経を授けられた。

あるとき客と二人で食事をしているうちに、変化の術の話が出た。
客がそこで、
「食事が済みましたら、先生、特に面白い術を一つご披露願いたいものですな。」
と言うと、玄は、
「食事のあとなどと言わず、この場で見たくはありませんかね。」
と答え、口の中の飯を吹き出したが、一粒残らず大きな蜂に変わった。

その数は数百匹、一斉に客に群がったが、別に刺そうとはしない。
しばらくして玄が大口を開けると、蜂はみなその中に飛び込んだ。
玄がそれを噛み砕くと、元のままの飯粒なのである。
730Zanoni:03/02/08 11:23
また、蛙や昆虫や小鳥を指して踊らせたが、まるで人間のように音楽のリズムに合わせて踊った。
来客があると、冬のさなかに新鮮な瓜や棗をご馳走したり、夏の日に氷を出したりしてみせた。

またあるとき、銭数十枚を井戸の中に投げ込ませ、玄は器を持って井戸の上から銭を呼んだ。
すると、銭が次から次へと井戸の中から飛び出した。

客に酒をもてなすとき、お酌をする人がいないと、杯がひとりでに客の前へと進んでくる。
飲み干さない人があると、杯はその前を去ろうとしないのである。
731あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/08 11:33
あるとき、呉主孫権とともに高殿に座っていると、雨乞いの泥人形を作っているのが見えた。

帝は、
「民は雨を願っているのだが、うまくいくだろうか」
と言うと、玄は、
「雨などお安いご用でございます」
と言い、呪文を書いて氏神の社の中に貼り付けた。

ほどなく天地は真っ暗になり、大雨がどっと降ってきて水は地に溢れた。
そこで帝が、
「この水の中に魚がいるだろうか」
と言うと、玄はもう一度呪文を書き、水中に投げ込んだ。
しばらくすると数百匹の大魚が現れたので、それを捕らえさせた。
>>727
それは有名なマジックだよ。幻覚でも何でもない。
種も仕掛けもちゃんとあります。
733あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/08 11:41
>732
どういう種?
734あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/08 14:57
種が知りたい知りたい
735Zanoni:03/02/08 20:04
風神・雨神

風神・雨神は、元来星である。
風神は箕星(みぼし)、雨神は畢星(あめふりぼし)である。
鄭(じょう)玄*1の説によると、司中星*2が風をつかさどり、司命星*3が雨を
つかさどり、この両星は文昌宮六星のうちの第四、第五星ということである。
雨神は屏翳(へいえい)、号屏(ごうへい)、玄冥(げんめい)などとも呼ばれる。


*1 後漢の有名な学者
*2 北斗七星のひしゃくの柄のそばにある六星を文昌宮という。この六星は筺
 (かご)の形をしており、天の六府で、天下のことを統べると考えられていた。
 司中星はその第四に位し裁判のことをつかさどるものとされた。
*3 文昌宮六星の第五に位し、功を賞し、徳をすすめることをつかさどると考えられていた。
好爺さんあんまり来なくなったけど…
良スレ継続中!
みなさん乙です。
737好爺:03/02/09 02:56
行脚の僧が下総の国の山道を歩いていくうちに日が暮れてきた。ある家から人の泣く声が聞こえてきた。
家があまり多くなかったので、この家に行って、一晩の宿を借りようと思い、家主を呼ぶと
「宿をお貸ししても良いが、私の親が亡くなりました。他の寺に僧を呼びに行きましたが、
使いに出したものがまだ戻っていなくて、葬儀をしておりません。お泊りいただけるなら、
是非、貴方様に葬儀をお頼み申します。さあ、家に上がってください」と言った。僧は
「そのような事は、出家したもの役目ですからお受けいたしましょう」と家に入っていった。
死人を端の間に入れて、棺にいれ蓋をかぶせて、灯明霊供が備えてあった。家主は、
「家のものは、数日間心労で、寝ていません。今夜はまず、少し休もうと思いますので、
貴方様は端の間に御座がありますので、柩を守っていて下さい」と言って、障子を隔てた
隣の部屋で眠りだした。
738好爺:03/02/09 02:57
…続き
僧は、一人で静かにしていたが、暫くすると死人が柩の蓋を開けて、脇に置いて起き上がり
立たずに、白い帽子を取ると脇において、僧を一目見ると棺の端に捕まり、足を出して棺を出た。
僧は、「これは、奇怪な事だ」と家のものに告げようかと思ったが、死人が私に飛び掛ってきたら
その時に告げようと静かにしていた。死人はまた僧ををみて、霊供の飯を右手につかんで大口を開けて
食べた。再びつかんで食べると、棺の中にまた入り、帽子を被り直して元のように蓋を自分で閉めてしまった。
この時になって、僧は家の者を起してこのことを告げた。家のものたちは
「生き返るかもしれない」と喜んで棺を開けたが、体は冷たく明らかに死んでいた。
しかし、右手には飯粒が多くついていて、霊供の飯も減っていたので、僧が言ったことが
本当の事だと驚いた。
739あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/09 03:00
腹が減ってたのか
生き返ったけど坊さんを見て俺は死んだんだなと思って
また棺おけに戻ってそのまま亡くなったのでは?
741あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/09 10:54
>>732
その奇術の種、昔うちにあった本で読んだよ。確か木に引っ掛けるとかだったかな?
本の題名は、「ミステリーゾーンを発見した」だったよ。
太歳に絡んだ中国の話で
土中に埋まったまま生きてる人間の話を知らない?
たまに見つかるらしいが、掘り出しても動かないらしい。
そんで体を破ると中には水しか入っていないという話。
  中国の古典かなんかで読んだ記憶があるのだが。
好爺さんなら古典に詳しそうだ。知りませんか?
743あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/09 12:57
>741
tnx
インド行ったら、そばに巨木があるか確認してから見物してみる。
好爺さん
キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━(  ゚)━(  )━(  )━(゚  )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!!
745あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/09 14:07
腹が減った坊さんが死体のせいにしたんじゃないの?
746あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/09 21:58
ツングースカ大爆発って、ニコラ・テスラの実験だったってほんと?
>>743
インド行ったらって…どこでもやってる訳じゃないし
奇術村だか魔術村を訪ねて、頼まないと見せてくれないよ。
748あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/10 01:07
>747
ていうか、冗談でしょ
ついでに言うと、近くに木や建物、天井が無くてもやる。
何も無い広場で籠からロープだして段階的に上に伸ばして行きまふ。
そっちの方の種や仕掛けは・・・知らん。
750あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/10 01:17
種がなかったりして
751あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/10 01:17
種がない手品は魔法と呼ばれます。
種がない手品はありません。
753おれのすすきの:03/02/10 20:00
このスレはじめてみますた、イイですね。
最近日本の話がないようなので、アイヌのカムイユカラでよろしければうpしますが。
754おれのすすきの:03/02/10 20:03
伝説っつーか、伝承なんですけどね。。
755おれのすすきの:03/02/10 20:27
カムイユカラのほんの一節

大空に描いたコタン

私のコタンが 見たくなり 
そのために 食事を取らず
2回食う分 3回食う分
その近くへ 顎もやらない そのうちに
今はもう 死んだ者と 同じだと
自分のことを 思っていた
そのような ある日のこと
私の兄が 外へ出たが
帰る時を 過ぎても 帰らず
ようやくのこと帰ってきて 言うことは
妹よ 私のコタンを したうあまり
食べ物も 食べもしないで いるうちに
今はもう 死を待つばかり
お前がこのまま 死んだならば
コタンのために ならないことだ
それでわたしは 外へ出て
その昔に住んだコタン
2つの情景 3つの様子を
大空の表へ 描いてきた
さあ早く外へ出て
描いたものを 見るがよい
756おれのすすきの:03/02/10 20:28
続き。。
そのように 私の兄が いったので
外へ出るのも やっとの思いで
はうように 膝をするように 外へ出て
言われたとおり 大空を見上げると
空の表へ 本当にも
私たちのコタン 私たちの国土
2つの姿 3つの形 描かれている
その様子と いうものは
沙流川の流れ 清らかに 光かがやき
川辺の平地に 子ジカの群れが 群れ別に走り
沙流川の流れ 流れの中は
小形のサケや 大形のサケ 競ってさかのぼる
水面のサケは 天日で背が焦げ
川底を泳ぐサケ 腹を擦りむき
サケを捕る者 鈎奪い合い 
河原の原野に 大ジカの群れ 小ジカの群れ 競い走り
シカ捕る者 後を追う
ウバユリ掘る者 小さい袋を 嫌がって
大きい袋を 奪い合い
ヤナギ原は 川岸に生え
ハンノキ原は 山すそに生え
野ガヤの原は 川原に広がり
オニガヤの原は 後の方に
その様子を見た私 気分がすっかり さわやかになった
そのとたんに目の先の絵が 消えてしまった
空の表の絵を見てから私は もとのように健康になりました
とオキクルミの妻が語りました
757おれのすすきの:03/02/10 20:35
ちょっと解説
アイヌでは結婚すると旦那さんのことを兄と呼び、妻のことを妹と呼ぶそうです。
だから誤解しないでね。近親結婚してるわけではないです。
この話は要するに、実家の里が恋しくなった、奥さんが欝になり
見兼ねた神である旦那が里の様子を見せてやったという話だそうです。
リクエストがあればまた書きたいと思います。。
758魔界一号:03/02/10 20:37
>>757
詩の形式なのね。
新鮮だなぁ。
また書いてくれるときは今回みたいに解説してくれるとありがたいです。
よろしくおねがいします。
アイヌのネタとは珍しい。ちょっと分からない所もあるけど
カムイユカラ >>755->>756 の原文もあればうpして
欲しい、ってか発音できないか?
760おれのすすきの:03/02/10 21:53
>758
おー、新鮮でしたか、ありがとうございます。
詩のようになってるのは、そもそもカムイユカラは節を付けてリズムにのって歌うように、話すからですね。
アイヌには文字がないらしいので、この様にして伝説や昔話が伝承されていったと言う訳なんです。
>759
原文ですかぁ、、うーんかなり難しいです。発音も難しければ記載するのもむずいっす。(汗
カムイユカラのラはちっちゃいラで書かれてます。(´Д`;)
一応うpしてみますね。
761おれのすすきの:03/02/10 22:45
アンナホーレホレホレ(←これはサケヘと呼ばれる合いの手のような物で、スペースが空いているところと改行してる所にに毎回入ります。これ自体の言葉の意味はないです。あと、物語によってサケヘも様々です。)
ア・コロ・コタンポ アネシカルン
タンペ・クース トゥ・イペ・ソモ・アーキ
トゥスィ・チェ・クーニ・(プ) レスイ・チェ・クーニ・(プ)トゥカリ・ケーヘ ア・ノテチューワ アナ・ナイネ
タネ・アナ(ク)ネ ライ・クーニ・(プ) ア・ネ・キ・フーミ
ウネクーナッ ア・ラム・キーコロ
アナナイネ ア・コロ・ユーピ
ソイェンパー・ワ アフ(プ)・クーニ
カスノ・イーサム カスノ・イーサム キ・ルウェ・ネ・アイネ
アフ(プ)・アークス エネ・イータキ
ア・コロ・トゥレーシ ア・コロ・コタンーポ エ・エカシカールン
タンペ・クース トゥ・スィ・チェ・クーニ(プ) レ・スィ・チェ・クーニ(プ)
ソモ・エエーノ エ・アン・アイーネ
エ・ライ・ワ・ネーワ ネワ・ネーヤッ
コタン・エ・ウェンー・ペ ネ・ルウー・ネ
キ・ワ・クース ソイェネ・アーン・ワ
ア・コロ・コタンー・ポ 
トゥ・ノカ・オローケ レ・ソカ・オローケ
ア・ネイェー・ワ アフンナン・キーナ
ヘタッ・ソイェーンパ インカラ・キー・ヤン セコロカイーペ

私のコタンを 見たくなり
から
描いた物を 見るがよい
までです、取り敢えずここまででかんべん。(;´Д`)ハァハァ
(かっこ)内は小さく表記されてました。ここはフォントが一定なのでこうするしかないです。
どうです?こんな感じっす。
これを囲炉裏を囲んでみんなで木の棒で囲炉裏のふちを叩きながらリズム取りながら語るそうなんです。
それと、この話はオキクルミと言う神の壮大でながーい英雄叙事詩のほんの一部だそうです。
俺は全部はしりません。
他にも昔話チックな物とかもありますよ。
762魔界一号:03/02/10 22:49
>>761
今度は昔話形式のやつを喉から手が出る勢いできぼんぬ
763おれのすすきの:03/02/10 23:02
ごめん今日はもう寝させて・・・
それでは昔話は次回と言うことで、おやすみ。。
764魔界一号:03/02/10 23:16
>>763
ごめんさい、せかしてしまって。
気が向いたらまたお願いします。
765あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/10 23:33
昔話形式なら、隣のスレの方がいいのでは
766あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/10 23:44
>746
【天才】ニコラ・テスラの最終兵器【狂気】
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/occult/1042202589/
767759:03/02/11 00:31
>>761
うおっ、凄い!
すいません、アイヌの言葉ってどんなんかな〜、と思って
原文とか言ってしまいましたが大変な作業をさせてしまったみたいで。
「かっこ内は小さく表記」、頭が下がります
囲炉裏を囲んでみんなでリズムをとって語る、雰囲気ありそうだ。
聞いたことのあるのは”コタン”だけですがw

すいませんでした、そしてありがとうございました。
768好爺:03/02/11 01:49
昔、智行兼備の僧が諸国を流離っていた頃、ある所に見かけの美しく立派な寺があったが、住持の僧も無く
庭には草が生い茂り、床やそこいらには蜘蛛の糸が大層乱れていた。この霊境見苦しかったので
近くの家に入り、様子を尋ねてみれば「その事ですが、いろんな所の僧が何人かこられましたが
住み込もうと座ってみたが、夜になり次の朝には、みな行方知れずになってしまうのです。
私たちは悲しみに悔やむばかりで、今は住持の僧を持ちません。どうも、化け物が住んでいるようです」
僧はこれ聞いて「しからば、この寺を一日私にお貸しください。他の方にもそう伝えてください」
あるじは「簡単な事ですが、これまで言ったようにあやかしの出る所ですから、みんなで話し合います」
と檀家を集めて相談したが、やはりこれまでの事を考えると危険であるから断ろうとした。
しかし、僧は「そのお言葉も最もですが、不惜身命、不求名利と待っていれば、捨てる命も惜しくはありません。
只、消えないように法灯をかかげるのみです。願わくば許して下さい」と再三に頼んだ。
「あなたの力が足りなくて、今日はかりそめにお会いしましたが、明日の噂に上がるようになれば悲しく思います」
となんとか寺を預けてもらう事になった。
769好爺:03/02/11 01:50
…続き
午後四時頃、油、灯心、抹香を備えて、仏前に形ばかり飾り、しだいに時が過ぎてゆき、夜も午前三時頃になった。
煩悩の霧が晴れ、悟りのの心境になり、心も澄み渡る頃に、庫裏より長一丈あまりの光物が見えた。
「すは」と思ったところに、また外より「椿木(ちんぼく)さすらうか」との声がした。
この光物が「誰だ」と言うと「東野(とうや)の野干(やかん)」と答えて、壁の破れ間より入り
長五尺ばかりで、まなこは日月のようだった。火をともして来た。また、呼び声がした。
「誰だ」と言うと「南池の鯉魚(りぎょ)」の名乗って、横行のもの、長七,八尺、眼は黄金にて
身は白銀の鎧であった。次に呼ぶ声がした。答えれば「西竹林の一足の鶏」と名のりて、朱の甲、紫の鎧
左右に翼があって、長六尺ばかりで、天狗とはこうであろうというほど恐ろしかった。さらに案内を請う
者があった。答えれば「北山の古狸」といって、色は見分けにくく、長四尺ばかりであった。
進退きわまっていずれも怪しいものばかりだった。この五つの化け物は、僧を中に取り込め、鳴き、
いがみ脅したが、僧は恐れずに魔仏一如(魔も仏も本来は一つのもの)と観じ、般若心経を唱えると
彼等は何処とも去って行った。そうこうするほどに東の山に雲が引いて、一番鳥の鳴き声が聞こえてきた。
朝のおつとめの時に、昨日の檀家が五、六人がやってきた。僧をみると不思議に思った。
770好爺:03/02/11 01:51
…続き
「昨日は危険な事はありませんでしたか」と聞いた。僧は昨日のことを話した。
「彼等が寺にやってきては寺を荒らしているのでしょう。どうしたらよいでしょう」
僧は「その事ですが、殺生は仏の戒めがありますが、興隆仏法のため一殺多生の善とはこれらを言う言葉でしょう。
退治いたしましょう。およそ化け物四つは外、一つは内にいます。まず東の野に狐がいます。
南の池に鯉、西の藪に足一つの鶏、北の山に狸、これらから来る四つです」といえば、弓や槍、長刀などを
こしらえて、狩場にでれば、狐が出たのでこれを殺した。池の水を引くと大きな鯉が出てきた。
藪に網を張り、三方より声をだして狩ると鶏を捕まえた。山へ行き穴を調べて古き狸を捕まえた。
「さて、この堂の材木に椿が使われていませんか」と僧が尋ねると昔からいる人が、
「乾の隅の柱が椿の木と語り継がれてます」と答えた。僧は、「光るものの正体はそれであろう」と
大工の棟梁を呼んで、この木を取り替えた。それいらい、この寺には怪奇な事は起こらずに
寺はますます繁盛していった。
771あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/11 01:55
>>770
ご苦労様でした。
いつも楽しく読ませていただいておりますが
リアルタイムでお見かけするのははじめてです。
これからもよろしくお願いします。
772おれのすすきの:03/02/11 20:29
怪鳥フリと白ギツネ

あまりにも私は 退屈なので
或る日のこと 海辺へ出て砂の上へ
2つの模様 3つの模様を 描きながら 遊んでいると 
はるか沖から 1羽の大鳥 フリという鳥
まるのままのクジラ 一頭抱えて 飛んできた
それを見た私は 食べたくなって
少しだけ1口だけ ごちそうしてと 私がいっても
知らんぷりして 川の上流へ 飛び去った
腹を立てながら フリの行方を 目で追うと
高い高い神の山 その上に生えた 大エゾマツ
下の枝は 人間国土を 覆うように 広がっている
上の枝は 大空の表を ふさぐように 広がった樹木
太くて高い 大エゾマツの 枝の上に クジラをおき 
食べようとして いるのが見えた
腹を立てた私は わざとそのように思わせて
まったく急に 神の国自分の住居へ 
帰るように 呪術をかけた
術にかかった大フリは 自分のクジラをそこへ置き
さっとばかり舞い上がり 神の国へ急いで帰った
そのあとで私は 鳥や獣を たくさん集め
クジラの肉を 食ってしまった
そこで初めて フリの神様
あっとばかり 気がついて
食い根性悪く 肉の切れ端も やらなかったのに
どんな神が私より 呪術が上で
クジラをそのまま 置いてきた 
そのように思いながら エゾマツの上へ戻ってみると
クジラは全部食われてない

773おれのすすきの:03/02/11 20:31
後半です。。

それからというもの 呪術をかけた者を 心の内でで探しているけど 
私の前へかすみを回らせ 両刃の小刀の 後ろの方に 隠れるようにして私はいた 
そうすると フリは私を捜し クジラを横取りした者は誰だ どんな神が 私よりも 呪術にたけて私をだましたものか 
誰にもやらんと思った大クジラを 置いてしまって いろいろな化け物に 食い散らかされてしまったものであろうかと思いながら 
怒って怒っているのが見えた そのあとで私であることを 教えてやったらそれからは 
自分の体をのけぞらせながら 食い根性が悪いとよくないものだ ということ 本当に本当に 位の高い神へ 食い物をやらなかったので それを怒ってこのようにされた 
といいながら体をのけぞらせ のけぞらせながらこの次に 大クジラを捕って持ってきたら その時は食べさせましょうと 私に謝りました 

と白ギツネの神がいいました
774Zanoni:03/02/11 20:40
>742
「聊斎志異」の「噴水」という話に似ていますね。
こないだ岩波少年文庫版で
ttp://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30690581
読んだばかりなので、紹介しておきます。
>774
すいません。またバッティングしてしまいました。
776おれのすすきの:03/02/11 21:07
ちょっと解説
このカムイユカラのサケヘ(合いの手みたいなもの)は
ホウェウェパフ(ム)です。
後半ではサケヘを入れず、語り口調になっています。カムイユカラの常套の形です。
大まかな話の筋は
フリと言う怪鳥が大きなクジラを捕まえた。それを見た主人公の白ギツネは1口でいいからちょうだい、といっても無視されたので、白ギツネは怒ってフリがクジラを置いて自分の住みかに帰るように術をかけた。
その隙に寄ってたかってクジラをくっちゃった。って感じです。
食べ物は独り占めせずに食べたいといった人には分けてあげましょうと言う、教訓が入ってます。

アイヌの衣服などには独特な文様の刺繍が入っています。
女性は刺繍を練習するのに小さい頃から、砂に文様を描いて練習するそうです。
ここでは白ギツネは浜辺で砂に模様を描いて遊んでいるシーンがあります。
それと白ギツネが両刃の小刀に隠れるというシーンでは、それほど白ギツネが小さいのだと言うことを表現してます。
>魔界一号さん
と言うことで、昔話チックでしたでしょうか?

>>767
いえいえ、でもアイヌ語って読み慣れてないからけっこう書き写すの大変だたーよ。(w
北海道に住んでるんだけど、地名なんかはほとんどアイヌ語に無理やりを漢字をあてたような名前だし、なので漢字を見ると意味不明なところもかなりある。。みんなアイヌ語だって意識しないけどね。

>762 好爺さん
おもしろかったです、中国の話なんですか?

今度はこちらも化け物とか出て退治する話さがしてこよっかな。。
777742:03/02/11 21:08
ありがとうございます。
ついでなので、こっちを買います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4807487094/qid=1044964912/sr=1-3/ref=sr_1_2_3/250-5752136-7968263
778Zanoni:03/02/11 21:16
>777
というか、今からここに書くという意味だったんですけど。
>772さんの書き込みが終わったようなので、続けます。
779噴水:03/02/11 21:17
莱陽(らいよう:山東省)の宋玉叔(そうぎょくしゅく)先生が、都で役人をやっていたときに借りていた屋敷
というのは、今にも崩れそうに古びたものだった。

ある夜、二人の侍女が先生の母堂のお相手をして広間で寝ていると、中庭でぷっぷっという音がする。
仕立屋が仕立物に霧を吹きかけているような音である。
母堂が侍女を起こし、窓紙に穴をあけて覗かせてみると一人の猫背の小さな老婆、ぱさぱさな白髪に
髷をつけた身の丈二尺ばかりのが中庭を歩いていて、それが鶴のようにそろりそろりと歩きながら
ぷっぷっと無限に水を噴き続けているのだった。
780噴水:03/02/11 21:20
侍女が仰天してこれを知らせると母堂も驚いて起き出したので、侍女たちがかしずいて
窓の前まで行き、一緒に覗いていたところ、その老婆がやにわに近づいてきて窓越しに
びゅっと水を吹きかけた。

窓紙は破れ、三人はその場に倒れてしまったが、家の者は誰一人これを知らなかった。
781噴水:03/02/11 21:23
翌朝、日も高くなってから家の者たちが皆で扉を叩いてみたが、なんの返事もないので、これは
おかしいと扉をこじ開けて入ってみると、母堂と侍女たちが一塊りになって死んでいた。

一人の侍女の胸にまだ温かみが残っていたので、助け起こして薬湯を飲ませると、間もなく息を
ふきかえして以上のことを物語った。
782親切な人:03/02/11 21:24
ヤフーオークションで、凄い人気商品、発見!!!

「高性能ビデオスタビライザー」↓
http://user.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/NEO_UURONNTYA

ヤフーオークション内では、現在、このオークション
の話題で、持ちきりです。

ヤフーが使えない方は、 [email protected]
連絡いただければ対応してくれるそうです。
 
世の中には、親切な人がいるもんですね。
783噴水:03/02/11 21:29
駆けつけた先生は、怒りと哀しみで息も絶えんばかりであったが、その老婆が消えた場所を
突き止めて掘ってみると三尺あまりして白髪が現れ、さらに掘って行くと聞いたとおりの死体
が出てきた。
しかも丸々と肥えてまるで生きているかのようだったので、棒で叩かせたところ骨も肉もただれ、
溶けて皮の中は全てこれ水だった。
何かにぎやかだなぁ
好爺さんはホントスタミナありますね。いつもお疲れです
「怪鳥フリと白ギツネ」「噴水」どちらも面白かった
オカ板の他のスレとは毛色が違うけど、面白く読ませてもらってます
785あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/11 22:51
別に下げなくても
786魔界一号:03/02/11 22:57
>>776
うん。昔話チックだと思うよ。
でも、読解力不足の俺としては解説を読んで意味がわかるって感じです。
解説丁寧でありがとうございます。
昔話の良い点としてはその民族の風俗が随所に見られるところだと思います。
エキゾチックな感じで、面白いです。
787コウジ:03/02/11 23:08
>>776
江戸時代の怪談集『宿直草(とのいぐさ)』からです。
江戸怪談集という本を手に入れたので当分ネタには困らずにレスできそうです。
本当は今日、面白い話を書こうと思ったけど、面白い話が続いているので
明日のお楽しみに!
788好爺=コウジ:03/02/11 23:10
↑好爺からの伝言でした。
いかんあぁ。疲れてる。
789742:03/02/11 23:27
Zanoniさん、ありがとうございました。
結局、 太歳は関係なかったみたいですね。はは
790魔界一号:03/02/11 23:31
太歳関係の(;゚Д゚)コワヒー話、お願いしたいんですけど。
俺の兄貴、中国文学専攻のくせに知らないみたいなんですよ。
たまには俺もスレ運営に協力したいので今度なんか持ってきますね。
791あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/11 23:43
>789
そうですね。
最近、志怪小説開拓しているところなので、太歳関係の面白い話がまた紹介します。
792メージロウ井上:03/02/11 23:45
>>791
あなたはもしかして丁寧な人ですか?
>>788
”コウジ”笑いますた
794Zanoni:03/02/11 23:49
>791は私です。
名前を書くの忘れてました。

>792
よく意味が分からないんですが
795好爺:03/02/12 09:01
京より北陸道に向って下る商人がいたが、ある宿に泊まった。そこの主人にもてなしを受けて
奥の間に泊まったが連れも無く、すごすごと寝ていたが、夜更け頃、次の間に誰が誰がいたかは
知らないが、いかにも気高い声で小唄を唄っていた。
男は、このように面白い事に都でもまだ聞いた事の無い綺麗な声だったので、このような田舎で
聞こえるとは、不思議な事だと、一層目覚めて、次の間に行って
「何方が此処にいらしゃるのですか」と聞いてそば近くまでいくと女性の声で
「奥の間には誰も居ないと思ってました。つまらない事をしたと、返す返すお恥ずかしい」
となおやかに寝た姿であった。
796好爺:03/02/12 09:03
「今夜は、添い寝して、貴方の歌を聞きながら一緒に眠りたいのですが」と男が言うと
「これは、思いがけない事を言われますね。そのような事を言われるならこの部屋から出てください」
と言った。男はさらに彼女に憧れ
「このように不思議な出会いは、出雲神社の結び合わせに違いありません」とか色々言って、
女性にしつこく迫ると、女性は
「そのように言われるならば、私は夫が居ません、これから長い間妻としていただけるのならば、
ともかく貴方の言われるようにしましょう。堅いお約束が無ければ心は開きません」というと
男は、あらゆる神仏に誓いをこめて
「私も妻を持っていません。幸いにも私の国にも私を待っている人はいません」とまでいった。
その言葉に、彼女の固い心も打ち解けて、妹背の契りを結んだ。秋の夜も一夜が過ぎて行った。
797好爺:03/02/12 09:03
こうして、夜もほのぼのと明けていって、彼女をよくよく見ると、その姿はあさましく
眉目の悪い瞽女(ごぜ:三味線を弾き、唄を唄いながら銭を乞うてあるいていた盲目の女性)
が寝ていた。男は肝を冷やして、宿の主人にいうと奥の間には帰らずに、上方に向って上って行った。
ある大河を渡るときに後ろを見ると件の瞽女が、二本の杖にすがりながら
「逃すものか、逃すものか」と追いかけてきた。男はこれをみて馬方に言った
「どうしても、お願いしたい事がある。お前の力であの瞽女をこの川に沈めてくれ」
とお金を渡した。この男も欲深く、不心得な者だったので簡単に引き受け、この女を
川の深みに突き落として帰っていった。
その後、商人は日が暮れたので、ある宿に泊まっていたが、夜半頃に、門を激しく叩き
「ここに商人は泊まっているだろう」と聞いてきた。宿の亭主はこれを見ると、彼女の態度が
この世の者とも思えないほど凄まじいので、「そのような人は泊まってません」と答えた。
そこで瞽女はいよいよ怒りを増し、「なんと言われようとこの中には居るに違いない」と
戸を押し破って中に入ると、商人の隠れていた土蔵の中に押し込むと、雷のような震動が
暫く続いた。あまりの恐ろしさにその夜は宿の主人は近づけなかったが、夜が明けて見ると
その男の体は細切れに裂けて、首はどこにも見えなかった。
798あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/12 09:05
幻覚です
799魔界一号:03/02/12 09:17
ふびんだ。
800あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/12 20:48
アタイこそが 800げとー
801好爺:03/02/13 01:04
『人間と妖怪の恋愛話を語ろう』というレスにも文章をかいでます。
興味のあるかたはどうぞ!
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/occult/1043167549/l50
802好爺:03/02/13 01:45
宣伝だけではなんなんで・・・

一人の聖道が日本六十六カ国を修行するに国ごとに十日、二十日逗留して、その国中の名所
旧跡、大社、験仏、残り無く見てまわった。ある国にて、ここかしこ徘徊するに、はるかに
見れば、大きな家あり。行ってみれば、農作の家であった。はなはだ繁盛していた。牛馬も
多く養い、奴婢僕従、多く群がっていた。門庭の中に入ってみれば、家主の内婦はるかに私を
見て、侍女を持って私を奥に案内した。着いていって見たら客僧をもてなす座敷が有った。
午前中の食事をご馳走になると、食べ終わった頃に内婦がきて「何処からの客僧ですか」と問えば
「私は上方の者です」と答えた。「上方の御僧と聞けば御懐かしく思います。ごらんのように
家は繁盛していますが、亭主は不思議のかたわ人です。その人の果報にて、
このように栄えております。菩提結縁のために、亭主を見せたく思います」
803好爺:03/02/13 01:46
…続き
「それでは見せていただこう」といえば、「そしたらここへ」と内婦は先に行った。
その後に着いていったが、その家は広大にて美しく、綺麗厳浄で目を驚かせた。
また、別に小殿があり、廊下を渡って行く。内婦は立ち返って言った。
「亭主の形をみて驚いて逃げる人もいます。お心を決めてご覧下さい」といって、
内婦は障子を開けば、座敷の中に座っていた。首より上は普通の大きさではあるが、
ひょうたんのように目、鼻、口は無かった。耳は両方に少し形が有って、穴がわずかに
見えた。頭上に口があり、蟹の口があって、蟹の口に似ていていざいざと動く。
器に飯を入れて、箸にて飯を頭上の口に置けば、いざいざと動く。
飯が自ら入っていくようであった。二目とも見がたかった。首より下は普通の人で
皮膚は桜色で太らずやせず、手足指爪、美容にしてあざやかであった。
衣装は華美をつくしていた。帰って元の座敷につくと内婦はいった。
「不思議の人を見せて、恥ずかしく思います。夫婦となってから我が身の業障を
あさましく思ってました。結縁のために」と路銀を少し出す施しを客僧はとって帰っていった。
805おれのすすきの:03/02/13 21:00
えーと、またアイヌの伝説、伝承を書きたいと思いますが、
ほのぼのマターリ系か、オカルト系のどちらがいいっすかね。
どっちかと言うと、今はほのぼのマターリをお勧めしたい気分です。。

>好爺さん
最後の台詞の意味がいまいちわかりませんが、いざいざを想像するとキモイです。。
806Zanoni:03/02/13 22:54
牛がものを言えば


太安年間(302-3年)に、江夏郡(湖北省)の書記をしていた張騁(へい)の車を曳いていた牛が、突然しゃべり
だした。
「天下は今にも乱れようとしておりますぞ。私には大事な仕事があるのに、私に乗ってどこへ行くのです?」
807Zanoni:03/02/13 22:54
騁も数人の供の者も度肝を抜かれた。
そこで、
「お前を帰してやるから、二度としゃべるでないぞ」
と牛を騙し、途中から引き返した。

だが家に帰り着いて、まだ牛を車からはずさぬうちに、牛はまた口をきいた。
「なんだってこんなに早く帰ったのです?」
騁はいよいよ気味が悪くなったが、このことは固く秘して誰にも漏らさなかった。
808Zanoni:03/02/13 22:56
そのころ安陸県(湖北省)に、占いの上手な者がいた。
そこで騁は占ってもらいに出かけたが、その易者が言うには、
「これは大凶ですぞ。一家の禍どころか、今に天下に戦乱が起こってこの郡はすっかり破滅してしまいます。」

騁が家に帰ってみると、牛が今度は人間のように立って歩き、人々が見物に集まっていた。
809あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/13 23:24
つづきまだ〜?
810Zanoni:03/02/13 23:32
その秋、張昌*1が乱を起こし、まず江夏郡を攻略し、漢朝が再興した。
鳳凰の瑞祥が現れて聖人が世を統べるのだ、と言って民衆をたぶらかした。
賊軍に加わった者は皆赤い頭巾をかぶり、火徳*2にあやかることを示したので、民心は大いに動揺し、
少しのためらいもなく賊軍に加わっていった。


*1 もとは義陽県(河南省)にいた蛮族であるが、のち李辰と改名し、丘沈を擁して漢朝を再興すると偽り、
  自らは家老役となった。後に陶侃(かん)に討たれた。
*2 「五行相生」の火。五行相生とは五行説の考え方の一つで、水は木を生じ、木は火を生じ、火は土を
  生じ、土は金を生じ、金は水を生じるもので、この循環が万物の推移を規定し、各王朝もこの順番に
  交代すると考えられた。
  殷は「水」、周は「木」、漢は「火」、魏は「土」、晉は「金」に相当する。
811Zanoni:03/02/13 23:38
そのとき騁兄弟は、ともに将軍都尉(郡の武官。部隊の将に当たる。)であったが、ほどなく打ち破られて
しまった。
かくして一郡すべて破滅に陥り、住民の過半数が死傷し、騁の一族は皆殺しにされたのである。

『京房易妖』に言う。
「牛がものを言えば、その言葉の内容通りに吉凶を占うことができる。」
812Zanoni:03/02/13 23:39
この話も捜神記からです。
813おれのすすきの:03/02/14 00:09
おおっZanoniさんだ、
それではアイヌの伝承いきます。

「桂の木の女神」

結構長いです!
この話は解説はいらないと思いますので、書きません。
アイヌの平和的な考え方がかいまみえて、面白いなあと感じたので、これにしました。
814Zanoni:03/02/14 00:10
この話は、くだん伝説の原型のようなものかと思って興味を持ったのですが、
このあたりの事情をご存じの方、いませんでしょうか?
815おれのすすきの:03/02/14 00:14
ええー、うpしようとしたら本文長すぎ、開業大杉で書き込めませんでした。。
しょうしょうおまちを・・
816おれのすすきの:03/02/14 00:15
あっ、わりこんじゃいましたか?
くだんって牛の首ですか?
817おれのすすきの:03/02/14 00:19
私は一人の娘で、父がいて母がいて、大きい兄がいて小さい兄
もいますが、二人の兄は父達や私と別に暮らしています。
兄たちは熊を捕り、鹿を捕っても、肉のいいと所をわたしたち
にはくれようともしないで、肉の切れ端や魚の切れ端を少しず
つくれるだけです。
その肉の切れ端や魚の切れ端を煮て父たちに食べさせると、父
は、「あの者たちは、子供の時にあれほど可愛がって育てて大
きくしたのに」と少しだけ愚痴をいいながら暮らしていました

それにしても、あんなにたくさん捕れるしかの肉をもう少し多
くくれてもよさそうなものを、どうしてあのように食い根性が
悪いのだろうと父や母は嘆いています。
ある日のこと、父がいうのには、
「私たちが住んでいる所のこの川を上流へいくと、右の方へ別
の小さい沢が入っているので、その沢を登りつめると別の川が
見える。
その川を少し降りると大勢の人が住んでいるコタンがあるので
、そのコタンヘいって干し肉や干し魚をもらってきてくれない
かい。」
と私にいいました。
「いってきてもいいですよ」
と私が返事をすると、もっと丁寧に道順を教えてくれながら食
べ物と取り替える宝物を出してくれました。
それはイコロ(宝刀ですが、何本かまとめて縛って背負いやす
くしていると、それを見た母が、「兄たちもお前が行こうとし
ているコタンヘいく準備をしていた。
と聞かせてくれました。
兄たちは兄たちで、私は別に行くのだと思いながら、荷物をま
とめて、それを背負い、父が教えてくれた道順通りに歩きはじ
めました。
818おれのすすきの:03/02/14 00:21

しばらく行って、山越えのために少し斜面を登りはじめると、
一本の桂の木が立っていて、その立ち姿の美しいこと。枝は四
方に広がり、見るからに神々しい感じです。
その桂の木の周りには、いかにも私たちはこの木の子供ですよ
というように、背丈の低い桂の木がたくさん生えていました。
それを見た私は、背負っていた荷物を下ろし、腰に掛けていた
タシロ(山刀)を抜き、辺りに生えていた芝を切って片屋根の小
屋を作りました。
作った小屋のそばで焚火を炊きたくさん生えている桂の木のう
ち、姿のいい木を一本、私と同じ背丈に切りました。そして顔
の面になる部分をさっと削って白くしてから、自分のマタンプ
シ(鉢巻き)の半分を裂き削った木にマタンプシをさせました

マタンプシをさせた棒を小屋の前へ立て、私は
「これから山のむこうのコタンへ、食料を分けてもらいに行っ
てきたいと思います。それについては、はじめていくコタンで
あり、大変心細く思うので、桂の木の女神の娘であるあなたに
、マタンプシの半分を差し上げてお願いをします。私が行く道
筋を守って下さることや、神の力でたくさんの食料が手に入る
ことができる用にしてほしいのです。
思うように食料が手に入ったら、家に帰り父に話をしてイナウ
(木を削って作った御弊)とお酒でお礼をしたいと思います。
桂の木の女神の娘よ、どうぞ私を守ってください。」
そのようにお願いをしてから荷物を背負って山を登り、別の方
の沢を下っていきました。
そうすると、遠くの方で犬の吠える声が聞こえ、その声がだん
だん近くなりました。
目の前がパッと明るくなると大きなコタンが見え、そのコタン
の中ほどに、島ほどもある大きな家がありました。
819おれのすすきの:03/02/14 00:23
私がその家の前へ行って荷物を下ろし、「エヘン、エヘン」と
せきばらいをすると、家の中から美しい娘が出てきて、私の顔
をチラっと見てから家へ入りました。
そしてその娘がいうのには、
「祖とへきれいな娘が一人来ているけれど、なにを思いわずら
ってか顔の面に憂いの色が出ている娘です。」
と家の者に言ったのが聞こえました。すると、
「いらんことを言わなくてもよい、家の前へ来た方は、男でも
女でもさっさと入ってもらいなさい。」
と老人の声で言うのが聞こえました。
すると娘はもう一度出て来て、
「どうぞお入りください」
と言いながら、片方の手で私の荷物を持ち、もう片方の手で私
の手を引いて家の中にはいりました。
家の中へ入ってみると、上品な老夫婦、それに若者が二人くら
い居るらしく、私を迎え入れてくれた人は一人娘のように見え
ました。家の外側でもそうでしたが、家の屋根裏まで、鹿や熊
の肉がたくさん掛けて干してあります。
その私の顔を見た老人は丁寧に挨拶をしてから、
「どちらから、何の用で来られたのですか」
と聞いてくれました。そう聞かれた私は、

このコタンの西側の山の向こうの沢尻に、コタンを持っている
私の父の使いで来た者です。私のは年老いた父と母、、兄が二
人居ますが、兄たちは別々に家を持っていて、私たちには鹿の
肉なども余り持ってきてくれないのです。
それで父はこのようなものを私に持たせて、山の向こうのコタ
ンへ行き、食べ物と取り替えてくるようにと言ったので、ここ
へ来たのです。」
820おれのすすきの:03/02/14 00:25
と私は言いながら父が持たせてよこしたイコロを出しました。
私の話を聞いた老人は、
「それはそれはご苦労なことだ
親不孝というものは世の中で一番良くないことなのに、どうし
てそうなのだろうか。。」
と大変同情してくれました。
老人は自分の娘に、
「急いで夕食の支度をして、この娘に食べさせてあげなさい」
と言いつけると、娘はさっそく夕食の準備にとりかかりました

そのうち外で人の気配がして、鹿を背負った若者たちが狩から
帰ってきた様子です。母親が肉を家の中にいれるために外へ出
ながら、私が来ていることを言ったらしく、二人の若者は狩り
用の装束を外で解いて入ってきました。
見ると、一人はようやくひげが生えたくらいで、もう一人はま
だ顎ひげもない若者でした。座り直した若者のうち兄の方が、
「どこから来た娘なのですか、何か聞かれたのですか」
と父に尋ねました。
「話を聞いて驚いたところだが、この人は前々からお前たちに
も話を聞かせたことのある方で、山の向こう側の村おさで私も
知っている方の娘だそうだ。兄が二人いるが、鹿を捕っても父
や母、そしてこの娘に肉をほとんどくれないので、食べ物に困って、食べ物を分けてもらいに来たのだ」
それを聞いた二人の若者はあきれながら、
「それはそれは、気の毒なことだ」
と言って、「さあ食べなさい」とおいしい肉をたくさん出して
私に食べさせてくれました。父や母が腹を空かせている事を思
うと、一人でおなかいっぱい食べるのがもったいないような気
がして、お椀の中の肉を父たちに残そうと、こっそり別にしま
した。それを見た家の人々は「そのようなことをしなくても、たくさん持たせるので食べなさい」と、いってくれるなどして次の朝になりました。
821おれのすすきの:03/02/14 00:28
朝になると、若者たちは山の向こうの下り坂になるところまで送ってあげようといいながら、干し肉や干し魚を束にして縛ってくれています。そうしながら言うことには、
「昨日山から帰る途中であなたの兄らしい二人連れがこのコタンの下隣のコタンに行ったのが見えました。」と私に聞かせてくれました。
二人の若者は肉の束を重ねては縛って、男が二人背負う荷物を作り、私には軽く背負える分を作ってくれました。また、二人の若者は私を送ってくれることになり、私は老夫婦や家の娘に丁寧にお礼を言ってから、三人でその家を出ました。
昨日来た沢の中を三人で歩き、私のコタンの方へ流れている沢まで来ました。
822おれのすすきの:03/02/14 00:31
そこで私は、昨日くる途中の、桂の木で神を作ったあの場所を見られるのが嫌で、若者たちに、
「ここまで来たらコタンは近いので、あとは一人で帰ることができます。」
といいました。すると、二人の若者は「そうだ、そうだ」と言いながら荷物を下ろし、二人で背負ってきた干し肉の荷物と、私の背負った分を合わせて、きっちりと縛ってくれました。
若者たちがこのように簡単に戻る気になったのは、たぶん神様がそのようにおもわせたのでしょう。
若者たちにお礼を言った私は、荷物を背負って坂を下り、二人は斜面を登って帰っていきました。
ゆっくりゆっくりと下っていくと、昨日小屋を作った辺りに家が一件見え、その家からは煙が出ています。近づいてみると、
私と同じくらいの美しい娘が黒いマタンプシをして笑顔で私を迎えてくれました。
そして言うことには、
「昨日は本当にありがとうございました。神の国で、娘たちが一番欲しがっているものは、人間の娘が頭に巻いている黒いマタンプシなのです。
それをあなたは知っていたかのように、自分が大事にしている黒いマタンプシを惜しげもなく半分に裂いて、私にくれました。
それを見ていた父神や母神から私は、「大変にありがたいことだ。さあ早く、ありったけの呪術を使ってあの娘を守りなさい」と言われました。それで私は人間の姿になって、あなたの行く手を見守り、老人や若者たちが特別あなたを大事にするよう仕向けたのです。
ここまで来て、二人が一緒にいるのを見られるのが嫌だったので、近くから戻るように思わせたのです。」
と聞かせてくれました。
それを聞いた私は荷物をほどいて、干し肉や干し魚をたくさん出して、神様にお世話になったお礼と言いながら桂の木の根元に置きました。
823おれのすすきの:03/02/14 00:32
その様子を見ながら女神の娘は、
「これから一生あなたの守り神になってあげます」
と言ってくれました。そして、
「神である私が、精神のいい若者をあなたの夫にさせるためにあなたの元へいかせるので、ためらうことなく結婚しなさい。
それから、二人の兄は生まれながらに悪いつき神がついていて、親不孝をしているので仕方がありません。兄たちを恨むことなくあなた一人で親孝行をするように」
と聞かされました。
女神に何度もお礼をいった私は、
「家へ帰って父に一部始終を聞かせてイナウだけでもお礼をさせます。」
と言いました。すると女神は、
「さあさあお帰りなさい。私があとを見守っているので、荷物も重くはないでしょう。」
と言いました。私は女神にお礼をいってその場を立ち去り、しばらく歩いて振り返ってみると家も煙もまったく見えません。
そこで改めて、その女が神であったことを知りオンカミ(礼拝)しながら家へ帰ってきました。
824おれのすすきの:03/02/14 00:36
父や母へは、行きながらのことや、行った先の家族が親切にしてくれたこと、桂の木の女神がいろいろと私のためになるように、人間の若者たちへ仕向けてくれたことを事細かに聞かせました。

背負ってきた荷物を解くと、ぐっと増えて横座いっぱいに、干し肉や干し魚の山ができました。父や母はそれを見て涙を流して喜び、何回も何回も礼拝を繰り返しました。
そして持っていったイコロも向こうの老人は受け取らず荷物の中から再び出たのを見て、なおさら父は感謝している様子です。
さっそく父はイナウを削って桂の木の女神へそれを贈ってくれました。
私が背おっってきた干し肉を食べ終わらないうちに、どこからか立派な若者が来て、我が家に住みつき、毎日毎日、私たちのために狩りへ行き、たくさんの鹿や熊を捕ってきます。
桂の木の女神が聞かせてくれてあったことなので、私はその若者と結婚しました。
夫は狩りの名人なので何を欲しいとも何を食べたいとも思わないで暮らしているうちに、私も大勢の子供を生み父も母も年を取って世を去りました。
そのうちに兄たちは段々と狩りが下手になってきたのか、鹿も熊も捕ることができず、ひどく貧しい暮らしをしています。私もすっかり年をとってしまったので、子供たちへ桂の木の女神へお酒やイナウを贈ることを忘れないように頼みました。
だから今いるアイヌよ、親孝行をしなければいけませんよ、と一人の老女が語りながら世を去りました。
825おれのすすきの:03/02/14 00:37
おわり

826あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/14 00:47
乙。
でももちっと行をあけるかなんかしてくれー
いい話だ、まあ俺は親孝行する気無いけどね
おつかれです。
伝説・逸話でほのぼのもいいやね
つぎはオカルト編をキボンヌ!
829好爺:03/02/14 08:59
江戸時代に、血気盛んな若者達が「夜に、百物語をすると恐ろしい事が起こるそうだ。やってみよう」
と集まって、話だした。早くも九十九まで進んでしまった。
「よし、次の話をしよう。その前にまず、酒でも飲もう」「そう急ぐなよ」など言いながら
順番に杯に酒を注ぎ、次の話を待っている時に一人の男が重箱の肴を輪に座っている仲間の
間を回し始めた。その時に、「ここにも一つくれ」と大きな手が天井から差し出してきた。
手の早い者が居て、抜き打ちにその手を斬った。手ごたえが全く無く、糸を斬ったようであった。
落ちた後を見ると、蜘蛛の手が三寸ばかり切れていた。
「これが、百番目の話だろう」と言い合った。
830あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/14 18:53
ご存知かもしれないが、アイヌの伝説は神話板のこのスレが面白い

「北海道に昔話なんてあるの?」
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/min/1027816866/l50
831あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/14 20:22
>816
くだんの話と、牛の首は全然別物だよー
832あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/14 21:10
>816
くだんは、人面牛だよ
833魔界一号:03/02/14 21:13
くだ〜ん
マジでくだんにあったら死ぬよ。
人間にはでてこないっていうけど。
834あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/14 21:45
>833
>人間にはでてこないっていうけど。

どういう意味?
835あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/14 21:54
>833
>マジでくだんにあったら死ぬよ。

それ、どういう話なの?
836魔界一号:03/02/14 21:55
>>834
くだんは動物から生まれる神の化身。
雌雄一対で、片方が災いを、もう片方がそれを防ぐ方法を予言するらしい。

ぬーべーで見たんだけどね。
動物がしゃべるなんてぞっとするよ。
838魔界一号:03/02/14 22:01
>>835
そんなもんみたらショック死するってこと。

なんか大仰な言い方で期待させてごめんちょ。

>>837
そいつかなぁ。
くだんは件って漢字で書くから牛から生まれるって言われるみたいだけど、
どんな動物からでも生まれるかも。
839あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/14 22:01
>836
thx
でも、「人間にはでてこない」という言葉の意味は、分からず仕舞いなんですが。
840魔界一号:03/02/14 22:06
>>839
動物からしか生まれないってこと。

人間にはでてこない。×
人間からは生まれない○

もののけ見ながら打ってるから、ちょっと日本語変だった。許してちょ。
841好爺:03/02/15 02:20
有馬左衛門佐殿の家来の一人である、高屋七之丞という人が語った話であるが、彼が日光御普請を
勤めて、江戸を目指して帰る途中に下野の内、名前もよく分からない村に泊まった。
亭主は二十四、五、女房も二十歳ばかりで、下人もいなければ、子供も居なかった。
随分ご馳走になり、夜になって眠る時に、彼は座敷側に、若党、中間七人は次の間に寝た。
夫婦は納戸に寝た。戸は離れて回り込んでいるが、壁一枚隔てた隣の部屋であった。
夜半頃に屋根を葺く板が大竹割るように鳴った。何事かと枕そばだてて聞くと、
亭主がうめき出した。不思議に思い、こちら側から声をかけて「何事だ」と言ったが返事は無かった。
そのうちに亭主の声が、消えるようになっていった。良くない事かなと思って、下人たちを起して
手燭をもって、納戸を押し開けて見ると、女房が亭主の腹の上に馬乗りに上がって、臍の下を
食い破り、はらわたを取り出して食べていた。まず、後難をさける為、「隣近所を起して来い」と
下人に言いつけてから、女房に向って「これは何事だ」言ったが、彼女は自分が何をしているかに
気づく様子もなく、ひたすらにはらわたを取っては食べていた。
842好爺:03/02/15 02:21
…続き
もはや、亭主は死んでいた。おそらく、鬼の仕業に見えた。
隣の人々が集まって「まず、鬼であれ、人であれ、逃がしてはいけない。あの者を捕まえろ」と言った。
そこで、たしなんでいた早縄で自ら捕まえて、下人に言いつけて戒めたが、逃げようという素振りも
悲しいという素振りも見せなかった。ただ、平然と何も無かったようで、昨日見た宿の女房で、
化け物にも見えずに合点がいかなかった。ともかく、一族の者も集まり、所の代官も来て、
捕えた彼女を渡した。夜半から朝まで鬼とも人とも分からなかったが、やがて旅起った。
再びその国にはいかなかったので、その後どうなったかは聞いてはいない。
843839:03/02/15 09:39
>840
了解
844あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/15 10:37
>814->838
こちらも牛関係の伝説で盛り上がって?ますよ

牡牛と竜
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/occult/1038203047/448-488
845あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/15 10:40
>816, >831
小松左京つながりか?
846Zanoni:03/02/15 10:57
もう一つ捜神記にくだんに似た話があるので、これも紹介しておきます。
847もの言う死牛:03/02/15 10:58
太康九年、幽州(河北省)の塞(とりで)の北で、死んだ牛の頭がものを言った。

ちょうどそのころ、帝は病気がちで、自分が死んだあとのことを深く気にかけていたが、
後事の託し方が公平を欠いた。
つまり帝の思慮が乱れたために起こった異変である。
848件(くだん):03/02/15 11:05
顔が人、体が牛で、未来のことを予見し、よく当たる。
そこから、"前に言った通り" ということを、件の通りという。
849人面牛:03/02/15 11:14
850あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/15 12:45
件(くだん)というのは、人面牛身で未来を予見する謎生物のこと。
その起源はわりと新しく、明治時代の学者の冗談から誕生したのだと言われているのですが、
ある日けむしさんという読者の方から
「ほんとに明治より前に件 の伝説はないのでしょうか」
というメールをもらったのが話のはじまりなのです。

このとき珍獣は「すくなくとも『山海経』には 件 という名前の生き物は出てこないけれど、人面で
牛身の神様の像がメソポタミアの遺跡から出てくるような。
ところで、こういうお話は他に詳しい人もいるかもなので、掲示板へどうぞ」とお返事したような気が
いたすのです。
珍獣にそそのかされたけむしさんは、後日掲示板にて問題を提起。以下はそのログなのです。

ttp://members.tripod.co.jp/chinjuh/z_sengai/kudan.htm
851あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/15 13:00
最近スレの伸びが速いな。
もうすぐ昔話スレに並びそうだ。
852あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/15 13:38
神社姫は?ほぼ似たような話だと思ったが

人面で体が魚のやつ
853あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/15 14:05
>852
なにそれ?
その話教えて
854あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/15 14:50
>852
それって人魚じゃ?
855あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/15 15:09
人の頭で身体は牛の形のものが生まれ、数日すれば死ぬけれどもその言葉には絶対に間違いが
ないという言い伝えは古く、どこそこにクダンが生まれてこういったという話は戦争前までは県北では
しきりにあった。
そしてこのクダンの話の発生地は中国山地らしいというのであるが、今のところどうして件信仰が生
まれたかわからない。

とり・みき 「事件の地平線」
>>841
鬼は日本の伝説の横綱ですね.
「鬼にまつわる怖い話・伝説」
1つのスレ立ててもいいぐらいだと思うけど、広すぎるんだろうな
857好爺:03/02/16 00:56
ある墓場にて、死人の塚より夜の内三度づつ燃え上がり、塚の内より女の声にて「人恋しいや。人恋しいや」
という声が聞こえていた。なかなか、凄まじく、最後まで見届けた者はいなかった。
ある若者等、三人寄り集まって、これを見届けようと、ある夜、夜半頃、連れ立っていったが、
その中に大胆不敵な男がいた。この塚に腰をかけて待っていたが、案の定、塚の中よりいかにも悲しそうな声で
「人恋しいや。人恋しいや」と言ったか思うと、氷のような手で、後ろよりその男の腰をむんずと抱きしめた。
この男、元々剛の者であるので、少しも騒がずに、二人の連れを呼び寄せ、自分の腰を探らせた。
二人の者は大いに驚き、後も見ずに逃げ帰った。
さて、その男「私の腰にしがみついているのは何者だ。理由を話せ」と言うと、塚のなかから
「さてさて、今までお前ほどの大胆な男は見たことがない。私は三条室町の鍛冶屋の女房であるが、
隣の女に毒殺された。あまつさえ、21日目も過ぎていないのに、隣の女は、私の夫と夫婦になって、
思いのまま振舞って、思えば思うほどに無念さに夜な夜な鍛冶屋の門口までは行ったものの、二月堂の牛王を
お札として貼ってあるため、恐れて入る事が出来なかった。このように執念の闇に迷ってしまった。
願いしたい事あるのですが、その鍛冶屋の門から牛王の札をめくり取ってもらえれば、この世への迷いもはれます」
としみじみ語れば、この男も不憫に思って、その鍛冶屋の家に行くと案の定、牛王の札が貼ってあった。
858好爺:03/02/16 00:56
…続き
そして、その札を引き剥がし、傍らによって、事の様子を伺っていると、俄かに黒雲がの一陣が舞い降りて
その中に提灯ほどの光物が見えて、鍛冶屋の家屋敷の上より飛び入るように見えたが「わっ」という声が
ふた声すると、そのまま彼の亡者が鍛冶屋の夫婦の首を持ち帰ってきた。
男にむかって、「さてさて長年の執念、おかげさまで晴らせて、かたじけなく思います」といって、袋を一つ取り出して
「これは、こころざしのお礼金です。お恥ずかしい程度ですが」と言って消えるようにいなくなった。
この男も不憫に思って、袋を開いて見ると黄金十枚ほど入っていた。このお金で卒塔婆を立て替えて、供養して
念比に弔った。その後は、この塚では不思議な事は起こらなかった。
>>856
漏れは立てて欲しいけど、ヤパーリ駄目かな
860あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/16 13:14
>859
これじゃだめなの?

鬼の話
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/min/1001911816/
861好爺:03/02/17 00:46
丹波の国、野々口(京都府園部市野口)という所に、与次と云う者の祖母が百六十余歳になり
髪は甚だ白くなっており、僧に頼んで尼になった。若いときよりものびのびとしていた。
与次も八十ほどになっており、子供も多かった。孫も多くいたが、彼の祖母は与次を未だに
孫扱いしており、子供を叱るように彼を扱っていた。それでも、与次の事を思っての事だと
孝行な事に養っていた。この祖母、歳をとってはいたが、目も良く見えて、針の孔を通して、
耳も良く聞こえ、ささやく声も聞こえたという。九十歳の頃歯はすべて抜け落ちたが、
百歳を越えた頃から元のように生え始めた。周りの人たちは不思議に思い、幼い子供を持つ者は
この祖母にあやかろうと名前を付けたりと評判になっていた。昼の内は家で麻を績み紡ぎ、
夜になると行き先は解らないが家を出ていた。初めの頃は、そうでもなかったがそのうち
孫も子供たちも怪しみだして、出て行った跡をついていったが、その祖母は振り返って
大いに叱って、杖を突きながらも足は飛ぶ様に歩き、その行き先はわからなかった。
身の肉は消え落ちて、骨が太く現われ、両の目は白い所の色が青く変わっていた。
朝夕の食事は少なくなっていったが、気力は若い者も及ばないほどだった。
862好爺:03/02/17 00:48
…続き
或る時から昼間も出て行くようになったが、孫や曾孫等に向って
「私の留守の間に私の部屋の戸を開ける出ないぞ。必ず、窓の中を覗くな。もし覗いたら
怨んでやるからな」と言った。家の者達は怪しく思った。
ある日、昼出て行って、夜が更けてからも帰らなかった。与次の末の息子が酒に酔っていて
「どうしても祖母の部屋を覗くなと言っていたが何だか怪しいなあ。今から覗くぞ」
と密かに戸を開けて見ると、犬の頭、鶏の羽、幼い子供の手首、又は人のしゃれこうべ、
手足の骨などが数多く床の上に積み重ねてあった。これを見て大いに驚き、走り出て父に告げた。
一族集まって、どのようにしたら良いかと話し合っていた所に、祖母が帰ってきて、
自分の部屋の戸が開いている事に大いに怨み怒り、両眼を丸く見開き光り輝き、
口を大きく開き声はわななき、走り出て行き先がわからなくなった。
その後大江山あたりで薪を取るものがこの祖母らしき者に出会ったという。
白地の帷子の前をはしょって、杖を突きながら山の頂へ登って行った。その速さは
飛ぶ様で、猪を捕まえて押し倒しているのを見て恐ろしさのあまり、逃げ帰ったと話した。
この姥が生きながらに鬼になった事は疑いない。
863魔界一号:03/02/17 00:53
俺、こうじの頑固なとこが好きだよ。
>>860
そのスレも好きででつがちょっと雰囲気、というか見たいものが違うといった感じでつか
空気コテ消えろ
>865
いや、魔界一号は今日も何かを待ち続けてるんだよ。
そっとしといてあげてね。
867好爺:03/02/18 09:12
いつの頃かははっきりしないが、出羽の国守護のある男がある夜の事、妻が雪隠に行き
暫くしてから、戻ってきて、戸を立てて眠った。すると、暫くして妻の声がして
戸を開けて中へ入っていった。守護は、不思議に思って夜が明けるまで、この二人の
妻を二ヵ所の部屋に分けて、色々詮索したが、どちらとも疑わしい事は何も無かった。
どうしようと案じていたところに、ある男が
「一人の女性は疑わしいところが有るように思えます」と言ったので、しつこく詮索した
後に首を跳ねてしまった。しかし、疑わしい所も何処にも無く普通の人間であった。
「もう一人の者が変化のものであったか」ともう一人の方も首を斬った。
これもまた、同じ人間であった。そこで、死骸を数日置いてみたが、変化する事は無かった。
これは、どうした事だろうかと色々尋ねたが、ある人が「離魂という病である」と答えたという。
868魔界一号:03/02/18 22:01
>>866
フォローしてくれてんのかと思えばかっこいいこと言って俺の恥ずかしい過去を広めてんのかよ。

>>865
悪かった。
869好爺:03/02/19 02:08
津の国大阪に兵衛の次郎と言うものがいた。色を好む男で、召使いの女に手を出していたが、
本妻にばれてしまった。本妻は、怒って、召使いの女を井戸の中に簀巻きにして逆様に落した。
兵衛の次郎はそのことを夢にも知らずに、月日がたち、一人の男子が生まれた。
寵愛していたが、ある時に病におかされ、色々養生祈念祈祷をおこなったが、いっこうに
治らなかった。その頃矢野四郎右衛門という鍼医が天下無双の評判があったので、彼を招き
一日、二日ほど養生した。ある夜、月の明るい頃に四郎右衛門が縁に出ていると、
何処とも無く、とても気品のある女性が来て、四郎右衛門に向って、さめざめと泣き出した。
不思議に思って「どなたですか」と尋ねると「お恥ずかしい事ですが、この世を去った者です。
この家の主の奥方にされた仕打ちに恨みに来ました。その子にどのような鍼を立てても
治らないでしょう。急いでお帰りなさい。そうしないと怖い思いをしますよ」と言った。
四郎右衛門は肝を冷やして「さては、亡霊か。いったい、どのような恨みか知らないが
貴方のことをねんごろに弔いますので恨みを晴らしてください」と言った。
870好爺:03/02/19 02:08
…続き
「いやだ。その子を取り殺さないでおくものか」と帰ろうともしなかった。
余りの不思議さに「いったいどのような恨みなのですか」と尋ねると、しかじかと
自分のされた折檻の様子をありのままに話した。すると、女は、身の丈一丈ほどになり、
髪は銀の針を並べたようになり、角も生えて、真っ赤な眼になり、牙がはえだした。
四郎右衛門は一目見てそのまま気を失ってしまった。
主人が来て「これはどうした」と暫くしてから正気づかせて、事の仔細を尋ねたが
「斯様な姿を一目見て、夢うつつともわからなくなってしまった」と答えた。
さらに詳しく尋ねると、初めから終わりまで事細かに語った。
兵衛の次郎はこれを聞いて、どうしようかと思い患い、さらに一両日ほどすぎてから
四郎右衛門を呼び、どうしようかと話し合ったが、その夜に四郎右衛門の枕元にまた女が来た。
「どのようにしようとかなうものか。日にち隔たるが一門眷属次第次第に奥方に思い知らせん」
と言ったかと思うと、屋根から大きな石が落ちてきて、彼の子は微塵に砕けて亡くなった。
母は、月や花のように眺めていた一人子をこのような恐ろしい事でなくして、嘆き悲しんだが
それから打ち続き、母の一門はことごとく滅びて、遂には、母も重い病につき亡くなった。
871好爺:03/02/20 13:26
藤原通信朝臣と呼ばれた人が常陸の守としてその任国にあった時に、たまたま任期の
果てる年の四月ごろ、風が物凄く吹いて海が荒れた晩に、某の郡の東西の浜という所に
大きな死人が打ち寄せられた。死人の丈の長さは、五丈(15m)あまりもある。
砂の中に半分ほど埋まっていたが、役人が馬の背に乗って、向う側から近寄ったのが
わずかに手にした弓の先だけが、こちら側から見えた。死人は首から上が切れていて
頭は無かった。また、右の手、左の足もなかった。鰐かなにかが食い切ったものであろう。
もしも、それが五体満足であったとしたなら、さぞや驚くべきものであったに違いない。
また、うつむきに寝ていたから、男であるか女であるかもわからない。けれども、身体の
格好や肌付きなどは、女のように見えた。
872好爺:03/02/20 13:27
…続き
国中の人がふしぎな死人だというので、見物は引きも切らず、みなみな大騒ぎした。
また、陸奥の国の海道というところにいた国司の某という人も、とんだ大きな死人が
浜にあがったと聞いて、わざわざ使いの者を出して検分させた。砂に埋もれて男女の別も
つけがたいが、多分女であろう、と見たのに対し、見物の名僧などの意見は
「我等の住む世界の内に、このような巨人の住む所があるなどとは、仏のお言葉にも
ありませね。もしや鬼女などではありませぬかな。肌などもすべすべして、いやどうも
そのような気がする」などと疑った。ところで常陸の守は
「これはついぞ見ぬ珍事であるから、お上にさよう申し上げずばなるまい」と言って
今にも報告を持たせて、使いを京にのぼせようとしたが、下についている者たちは
「もしも報告がお上に届けば、官使がおくだりのうえ、七面倒くさい調査があるのは
きまったこと。そのうえ、官使の一行には、たいそうなもてなしをしなければならず、
いっそのこと黙って知らぬ顔をしたほうが、都合がいいのじゃないでしょうか」
と口々に言ったので守もその気になり報告は取りやめにしてしまった。
873好爺:03/02/20 13:27
…続き
一方、この国に、某といわれる武士があった。この巨人を見て
「もしもこんな巨人が攻め寄せてきたら、何として防ぐ。いったい、矢が立つものか
どうか、ためしてみよう」と言って、矢を放つと、矢は深くその身体に突き刺さった。
これを聞いた人は「用心のいいことだ」と言って褒めた。
ところでこの死人は、日がたつにつれて腐って来たので、あたり十町二十町の間は、
人も住めず、逃げ出した。よっぽど臭かったものであろう。
この話は初めは隠してあったが、常陸の守が京にのぼってから、いつのまにか人に
知られて、このように語り伝えられたものである。
874好爺:03/02/22 00:53
ある若い僧が都である娘といいかよい、深い仲になっていた。親師の坊の仰せにて関東へ学問に
行く事になった。しかし、その女性に心残りがあって、暫く仮病を使っていく日を延ばしていたが
いつまでも誤魔化す事が出来ないので、しかたなく、女にそういって東へ旅立った。
女は恋悶え、袖にすがりつくようにして送り出していった。都をまだ夜の内に出て行ったが
粟田口まで来た所で、空が明けてきた。
「いつまでも、尽きぬ名残ではあるが、いいかげん人の目もあるので、この辺でお帰りなさい」
というと、女は前後の区別も忘れて
「今、別れろというのなら死んだほうがましです。そうはいっても付き添っていく事も出来ません。
私が自分で首を切落としますので、形見に持っていてください」と言って、懐から小脇差を取り出した。
僧もあきれてしまったが、刀まで用意していると言う事は生きて帰らない心は本心だろうと思った。
帰りなさいと散々言ったが聞き入れず、女は雪のような肌に刀を刺した。
僧も悲しく重いながら、首を打ち落とし、屍体を埋葬して首を油単(ひとえの布に油をひいたもの)に
取り包み、涙を流しながら東への旅におもむいた。
875好爺:03/02/22 00:53
…続き
飯沼の弘経寺(茨城県水海道)の談林の一箇所に寮を決めて住んだ。この僧が外に出て、帰ってくると
必ず女の声がして、高らかに笑う事が間々あった。隣の僧が不審に思って、隙間から覗いたが
いつもこの僧一人で他に人影は無かった。そうして、三年が過ぎた。
この僧の母親が病気になったと飛脚にて連絡があったので、僧は取りあえず、京に上った。
その後、三十日ばかりして、この僧の部屋から女の声にて泣き叫ぶ事があった。
各々肝を冷やし、寺中騒動して、この戸に鍵がかかっていたが、打ち抜いて中をみたが、人はいなかった。
小さな渋紙包みの中でその声がしていた。怖がりながらも開いてみると、飯櫃のような曲げ物の中に
若い女の首がまるで生きているかのようにしていた。憂いた眼が涙を流し、腫れていた。
人々を見ると恥ずかしそうにしおれたが、朝日を浴びた雪のようにじわじわと色が変わっていき
たちまち枯れていった。どのような事かは解らなかったが、僧達はねんごろに弔った。
その後、京より飛脚が来て「かの若僧、急病を患って亡くなったので寮を明け渡します」との使いだった。
各々思い合わせると、この首の泣いた日がちょうどその僧の亡くなった日だった。
876あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/22 19:48
好爺様、毎回勉強になり、かつ面白いお話を聞かせてくださって
ありがとうございます。今後もいろんな面白い話を教えてください。
877あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/22 22:32
>>871-873
こっ・・・これはあのニンゲンか!?
878好爺:03/02/23 10:35
『豊後の国何がしの女房、死骸を漆にて塗りたる事』―諸国百物語より―

豊後の国に何がし者がいたが、この人の妻は十七歳にて、隠れなき美人にて夫婦仲は非常に良かった。
この男は常々睦言に「お前が先に亡くなっても、二度と妻をもらう事ないだろう」と言っていた。
ある時、女房が風邪をこじらせて亡くなった。今際の際に夫に云った事は、
「私を不憫とお思いなれば、土葬や火葬にはしないで下さい。私の腹を裂き、はらわたを取り出して
中へ米を詰めて、上からは漆を塗り固めて、おもてに持仏堂を作って、私をその中に入れ、
鉦鼓を持たせて置いて下さい。朝夕に私の前に来て、念仏を唱えてください」そう言って亡くなった。
男は遺言の通りに、女の腹をあけ、米を入れて、漆を塗って、持仏堂を作り、そこへ入れた。
それから、二年ばかりは妻を持たずに念仏をしていたが、友達に無理にすすめられて、妻をとったが、
この妻は事情も告げずに離縁してくださいとしきりに言った。男はいろいろ悩んだが、新しい妻は
「とにかく、この家には住めません」と言って実家に帰った。
その後、何度新しい妻を呼んでも、皆同じ事を言って、実家に帰った。
ただ事では無いと思って、さまざまな祈祷などを行なって、又妻を呼び迎えた。
真に祈祷のおかげであろうか、今度は五、六十日ほどは何事も無かった。
879好爺:03/02/23 10:36
…続き
ある夜の事、男は外へ遊びに行き、妻は女中などを集め、話などしていたが、午後十時ごろ
表より鉦鼓の音が聞こえてきた。皆、不審に思って聞いてみると次第に近くなって、奥の間まで来た。
皆驚いて、戸にかけがねをを固め、身を縮めていた。二間、三間の戸をさらり、さらりと開け、
今、最後の戸の前に来て女の声で「ここを開けなさい」と言った。しかし、皆恐れて音も出さなかった。
「此処を開けなければ、仕方が無い。まあ、今度は帰るとしましょう。後で参って夜のお相手を
しましょう。私が来た事は決して夫には言ってはいけません。もしも、語った時には貴方の命は
ないでしょう」と言って、鉦鼓を打ちながら帰っていった。あまりにも凄まじい事なので
物の隙間から覗いて見ると、十七、八ぐらいの女の姿で顔より下は真っ黒にて、鉦鼓を持っていた。
人々は、驚き、夫の帰りを待ちかねていたが、夫が帰ってきたが、あの言葉の恐ろしさに、
その夜は語らなかった。あくる日、ただ「私を離縁させてください」と言った。
夫は不審に思って「急に何を言うのだ」と問いただせば、昨夜の事をすべて語った。
880好爺:03/02/23 10:37
…続き
夫はそれを聞いて「それは、狐に騙されたのだ」とそ知らぬふりをしていたが、
「どうしても、離縁させて下さい」と言うのをいろいろ言ってなだめていた。
その後、四、五日ほどして、夫がまた外へ出かけた後、夜半頃、また表で鉦鼓の音がしてきた。
「これは」と思って、又戸にかけがねを固めていれば、女の声にて「ここを開けなさい、開けなさい」
と言った。みな恐れてわなないたが、俄かに眠たくなって、そばにいた女中達は前後も知らず、
眠りだした。けれども、本妻は眠らずいた所に、二重三重の戸をさらりさらりと開けて、
黒色に塗られた女性が、丈と同じ長さの髪をゆり下げて、本妻をつくづくと見て
「あら情けなや。以前私が参った事を夫に語ってはなりませぬと申したのに、すぐに話しましたね。
かえすがえすに恨めしや」と言うよりはやく、とびかかって、本妻の首をねじ切り、表をさして帰っていった。
夫も聞きつけ、家に帰って尋ねたが、下女たちは一部始終を話した。夫は驚き、持仏堂を開けて見ると
黒色の女の前に今の女房の首があった。夫は「さては、お前はなんと心の卑しい奴だ」と言って
仏壇から引き下ろすと、かの黒色の女房が眼を見開き、夫の喉首に食らいつき夫も遂には亡くなった。
自分で約束破っといて相手には卑しいとは・・・(w
882あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/23 18:27
昔も今も17歳は怖いんだな。
884好爺:03/02/24 11:38
『嫉妬心から妻が箱をあける話』―今昔物語より―

長門国の前の国司で、藤原孝範という人があった。その人が下総の国の権の守を勤めていたころだが
この人の下に荘園をまかされていた紀の遠助という者がいたが、彼が勤務を終えて、美濃の国へと
帰ることになった。
その旅すがら、勢田の橋まで差しかかると、橋の上に女が衣の裾を取って立っていた。
遠助は怪しい女だと思って通り過ぎようとしたところに、女が
「もし、どちらにおいでになりますか」と尋ねるので、遠助は馬から下りて
「美濃の国へ帰ります」と答えた。
「おことづけしたいことがあるから、聞き取ってはくださいませんか」と言うので、なんとなく
「引き受けましょう」と承知すると
「ありがとうございます」と言いながら、女は懐から絹で包んだ小さな箱を取り出し、
「この箱を方県の郡の唐の里の某という橋までお持ちくだされば、橋の西のたもとに女官が
待っているはずです。その女官にこれを渡してください」
885好爺:03/02/24 11:39
…続き
遠助はそんな難しい頼みとは思わなかった、つまらない事を引き受けたものだと後悔したが
その女のありさまがどこか不気味なので、いまさら断るわけもいかず、箱を受け取りながら
「その橋のたもとにおいでの女房のお名前は。どちらにお住まいでしょうか。
もし、そこにおいででなければ、何処をたずねたものか。この箱は誰から差し上げると
言えばいいのですか」と聞くと
「その橋まで行きさえすれば、これを受け取りにその女官が出てくるはずです。
間違いはありません。きっと待ってます。ただくれぐれもお願いしておきますが
決してこの箱を開けて中を見てはなりませぬ」
このように問答しているのを、遠くから遠助の供をしていた従者達が眺めていたが
女の姿は見えずにただ主人が馬から下り、用もないのに立ち止まって、名にやら言っている様子なのを
怪しいことに思っていた。遠助に箱を渡して、女は立ち去った。
886好爺:03/02/24 11:40
…続き
それから馬に乗って旅を続け、美濃の国に着いたが、不覚にもせっかくの約束を忘れて橋を
通り過ぎ、この箱を相手に渡さなかった。家に着いてから、はたと思い出し、これは気の毒な事をした
箱を渡すのを度忘れした。いずれもう一度出かけて行って渡す事にしようと思って
納戸のようなところの棚を上にそっとしまっておいた。
ところがこの遠助の妻は、並外れた嫉妬心の強い女で、遠助が箱をしまうのをちらりと見ると
てっきりこれは好きな女への土産に、京からわざわざ買って来て、自分の目に見えぬところに
隠したのだ、と邪推した。そこで遠助が外出したすきに、こっそり箱を取り下ろし中を開けて見ると
人の目玉をほじくり出して沢山入れてあった。また男のまらの毛の少しついたのを切り取って
やはり沢山入れてあった。
887好爺:03/02/24 11:41
…続き
妻はこれを見るなり、驚きあきれ、足も立たぬほど震え出した。遠助が帰って来るや、悲鳴をあげて
呼び寄せ、これをみせたから
「なんと見てはならぬと言われたものを、困った事をしてくれた」と言いながら、大急ぎで蓋をし、
もとのように結んでおいた。
そこで教えられた橋まで急いでこの箱を持って行き、そこに立って待っていると、約束どおり
女官が出てきた。遠助は箱を渡して、勢田の橋で女から言われたとおりのことを伝えたが、
その女官は箱を手にして
「開けてみましたね」と睨んだ。
「とんでもない。けっしてそんな事はありません」と遠助は弁解したが、女官は物凄い顔付きになって
「良くない事をなさいました」と言って、ひどく立腹した様子ながら、ともかく箱は受け取ってくれたので
遠助もほっとして家に帰った。
ところがそのあと、どうも心持が良くないと言って寝こんでしまった。妻に向って
「あれほど開けないと約束した箱を、分別も無く開けるとは」と愚痴をこぼして、間もなく死んだ。
人のパーツの収集家かな
開けたのは妻なのに理不尽な話だ
890好爺:03/02/25 02:16
『産女の事』―宿直草より―

寛永四年の春、私の里のさる者の下女が子を孕んだまま死に、産女(うぶめ)となって来ると噂になって
里の童は恐れて、柴の戸を閉め、葭(よし)の簾(すだれ)を下ろした。
私はその頃、他の場所にいて、帰ってみるとこの話を聞いた。
「その話が本当なら、その者が通った時に教えてくれ」と言った。
夜の八つの頃(午前一時半頃)私の母親があわただしく起した。
「何事だ」と言ったら「例の者が通るぞ、泣く声を聞いてみろ」と言った。
その声を聞くと、その声は呂律のようで「わああひ」と泣いた。二声まで泣いた。
平調にして、頭の方は高く、後は下がっていった。泣き声は長く、一声のうち二間ほど歩いていた。
その声の哀れさは、今も身に染みているほどだった。
891好爺:03/02/25 02:16
…続き
この亡霊の夫は与七と云う者で、夜な夜な産女は与七の寝屋に行った。与七は眠れなくなっていた。
あまりに腹が立ったので、自分の柱にこの産女を縄で縛り付けて置いたが、姿は残っているかと
翌日に見ると、血のみ、付いていただけだった。
放っておいたが、絶えず来ていた。よそへ行けば、そちらの方まで跡を慕ってきた。
へそくりの金にて経を読んで貰ったが、効果は無かった。暫くして与七は魂が抜けたように
なってしまった。さる者が「その男の褌を、その産女の来る所に置けば、その跡は来ぬというぞ。
ためしてみろ」と言った。
ならばと、下帯を窓に掛けて置いてみた。その夜に産女が来て去って行った。
翌日になって見ると窓に褌は無かった。それ以来二度と来なくなった。
892好爺:03/02/26 01:21
『産女由来の事』―奇異雑談集―

ある人が語って曰く「京の西の岡当たりの事ではあるが、二夜、三夜産女の声を聞いた。
赤子の泣き声に似ていた。『その姿を見にいこう』と言って二、三人、里の外に出て、夜更けに
佇んでいると、一丁ばかり東の麦畑から泣き声が聞こえた。火で照らし出して見ようと
七、八人を誘って、弓槍、思い思いの兵具にて、松明を持った者四、五人が手分けして行くと
麦の少ない所に物陰が見えた。もう少し近づくと人の形をして、両方の手を地面につけて、
跪いていた。人を見て驚いていた。みんなが『射殺そう』と言うのを、古老の者が
『射殺す事は無用だ。化生の物であるから、死ぬ事は無いだろう。もし、射そこないって
驚かせれば、怨みをうけて、この村に祟りをなすかもしれぬ。さあ、もう帰ろう』といって
帰って来た」などと言った。この話は不思議である。
893好爺:03/02/26 01:22
…続き
あるいは、世俗に曰く「懐妊不産して、死せる者がそのまま、野ざらしにしておくと、
胎内の子供が死なずに、野に生まれると、母の魂魄が形となって、子供を抱いて養って夜歩く
その赤子が泣くのを産女泣くと云う。その形は腰より下は血に浸って、力弱い。
人がもしこれに会った時に『負ぶってください』と言われたら、いやがらずに子供を背負って
あげると、その人を裕福にするであろう」と言い伝えられている。これもその真偽はわからない。
唐の姑獲というものが日本の産女である。姑獲は鳥である。これは『本草網目』の『鳥部』に
載っている。その文によると「一名は乳母鳥、いふ心は、産婦死し変化してこれになる。
よく人の子を取つて、もつて己が子とす。胸前に両乳あり」とある。これは人の子を取って
自分の子供として、乳を飲ませて養う事は、人の乳母に似ているので乳母鳥という。
これは、婦人は子を無くすと子を欲しがるもの、たまたま懐妊して、産まずに難産にして
死んだ時には、その執念魂魄変化して、鳥となって夜飛び回って、人の子供をとる。
894好爺:03/02/26 01:23
…続き
又、『玄中記』に曰く「一名を隠飛、一名は夜行遊女。よく人の小子をとつて、これを養ふ。
小子あるの家には、すなはち血その衣に点ずるをもつて誌(しるし)とす。いまの時の人、
小児の衣を夜露(さら)すことをせざるは、この為なり」とある。これは、姑獲鳥で夜飛んで
人の家に行って子供を訪ねると、子供の衣に夜外に置いておくと、その衣に触るために
姑獲の血がその衣につく。これを見て姑獲がきたしるしとする。姑獲は産婦が死んで変化した
ものであるからその身は血にまみれている。日本でも子供の衣を夜、外に干すのを嫌うのは
このためである。
895あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/26 01:58
好爺さん、いつもありがとうございます。お礼に私も一つ・・・

雄略天皇が大和の葛城山に登ったとき、向かいの山の尾根から、
天皇の行列とそっくりの行列を従えてやってくる、天皇そっくりの人物があった。
お供の物の衣装から人数まで、何から何までそっくりなのである。天皇が怪しんで
「この国には、自分以外に王はいないはずなのに、いったいおまえは何者じゃ?」
と言うと、その人物もまた、天皇と全く同じことを繰り返す。
天皇が大いに怒って、弓に矢をつがえると、先方も同じように矢をつがえる。
まるで鏡に向かい合っているようなものである。しかし、この鏡のような均衡は、それまでであった。
天皇がお互いに名を名乗ろうではないか、と言うと、先方は、
「わしは禍事(まがごと)も一言、吉事(よごと)も一言、言い分ける神、葛城の一言主大神じゃ」
天皇はそこですっかり恐縮して、自分の刀や弓矢ばかりでなく、
お供の者の着ている服まで脱がせて、ことごとく、この神に献上した。
大神も喜んでこれを受けた。一触即発の危機が去って、めでたく和睦が成立したわけである。
896あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/26 02:03
>>895
その話は天皇の権力を高めるための話だろうね。
神と全く同じ性質であり唯一違うのは神か人かだけ。



(´-`).。oO(昔の天皇は人だったのか)
897Zanoni:03/02/26 21:45
ろくろ首 (捜神記)

秦の頃、南方に「落頭民」という部族があった。
その人々は首だけが飛ぶのである。
部族には祭りの儀式があって、それを「虫落」と呼ぶために、この名前がつけられた。

三国の呉の時代に、将軍の朱垣(かん)が一人の女中をやとったが、毎晩寝たあとで
その首が飛んで行ってしまう。
時には犬くぐり(犬が出入りするために壁に明けられた穴)、時には天窓から出入りするのであって、
耳を翼にして飛ぶ。
夜明けが近づくと帰ってくるのである。
898ろくろ首 (捜神記):03/02/26 21:53
こんなことが何度もあったので、脇に寝ていた者が不審を抱き、夜中に明かりをつけて
みたら、胴体だけで首がなかった。
体はいくらか冷たくなっており、息はどうやら通っている程度である。
そこで蒲団をかぶせておくと、明け方になって首が帰ってきた。
しかし蒲団に邪魔されて胴体につくことができず、二、三度近づいては離れたのち、地上に
落ちてしまった。
そして悲しそうに溜息をつき、息づかいもたいそう荒くなり、今にも死にそうな様子に見える。

そこで蒲団をどけてやると、首はまた飛びあがって、頸のつけねについた。
そして間もなく、すやすやと寝息を立て始めた。
899ろくろ首 (捜神記):03/02/26 22:00
垣は大変な化け物を買ったと考え、恐ろしくなって家に置くのをやめ、自由の身にして
家から出した。
そのあとでよく調べてみたところ、それが天性なのだということが分かったのである。

当時南方へ征伐に出た大将たちも、ときおりこの種族の者を手に入れた。
また、胴体に銅盤を被せておいた者もあったが、このときは首が中に入れないため、
とうとう死んでしまったという。
900あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/02/27 00:44
900番いただきます。パックン。
SEXしてぇ
901ゲッチュ
902好爺:03/02/28 10:48
『悪縁にあふも善心の勧めとなる事』―曾呂利物語より―

信濃の国の守護に召し使われていたある男が、ある時人を殺して、隠れていたが、敵が数多く
狙っているとの話を聞きつけると、隣国にいた知り合いにの元に頼って行こうと思って、夜に
まぎれて忍んで逃げようとしていた。一門眷属に知らせずに、女房とも別れて一人で行こうとした。
女房は「人の道にはずれているのではないですか。一緒にいましょう」と強いて止めた。
しかし、人に探し出され、どのような目にあうかもしれない。そのほうが恥辱であると思って
「一緒に逃げよう」と言って、夫婦ただ二人、深山の深いところを歩いていった。
ちょうど女房は身重であったので、しきりに腹を痛みながら、腰を押さえてながら、歩いていった。
向かいの火がかすかに見ているのをめざして行ってみると辻堂であった。中にはいって休憩をとった。
その時に、人が一人来た。辻堂の戸を荒らかにたたき出した。
903好爺:03/02/28 10:49
…続き
「誰だ」と訪ねると
「はるです。このように逃げ落ちて行くと聞いて、一所懸命に追いかけてきました。山中をかき分けて
ようやく、此処まで来ました。私は、他の者と違い幼い時から召抱えられていて、いつもおそばにいました。
できれば、ご一緒したいのです。どうかこの戸を開けてください」と言った。
「女一人でこのような険しい山道を、このような夜遅くに一人で来るとはおかしい。本当にはるなのか」
「これは、貴方様のお言葉とも思えません。身体は女ですが心持は男のつもりでここまでやってきました。
その気持ちを察してください」とさめざめと泣いた。その声はまさしくはるだったので、堂にいれてやった。
女房ははるを見て少し心が落ち着いたのか、はるを傍に置いて居眠りを始めた。女房もさすがに山道の疲れ
からか、ぼんやりしているときに後ろにいたはるが女房の首の周りを舐め回した。
驚いて目を覚まし、「どうして、私の首を舐めるなど恐ろしい事をするのですか」と言った。
はるは、「このように出産で気が立っているに違いありません。ただの気のせいです。少しも気にしないで
お休みください」と言った。男はそのような事もあるだろうなと思って油断していた隙に、何処ともなく
二人とも消え去ってしまった。
904好爺:03/02/28 10:50
…続き
男は目を覚ました後、肝をつぶして「これは、どうしたわけだ」と堂の外を調べたが行方は知れなかった。
そのあと、山の上に声がしたので登ってみると、谷の底で叫ぶ声がした。そこで下を覗くと峰で声が
出てくるなど、あちこちに惑わされて歩くうちに夜が明けた。
無念さのあまりに、腹を切ろうとしたが、麓に寺が見えたので、これでどうにかしてもらおうと
急いで下って、住職に「しかじかの事がありました。妻と私の弔いをお願いします」と言って腹を切ろうとした。
坊主達は色々となだめ「兎に角、奥方の行方を捜してからでも遅くないでしょう」と言って、弟子たちを集めて
大急ぎで、隈なく捜すと、大きな木の上にずたずたに引き裂かれて女房は置かれていた。
男は、いよいよ自害をしようと思ったが、長老は色々教訓して勧めて、この寺に出家させて妻を弔わせた。
905仙人奇譚:03/03/01 14:03
906好爺:03/03/01 21:58
『急なるときも、思案あるべき事』―宿直草より―

若い侍が道を歩いていると、里から遠く離れた所で日が暮れた。どうしようかと辺りを見渡すと
林下に古い寺があった。拝殿に上がって、柱にもたれて、ここで夜を明かそうと思った。
朱の玉垣は年を経た苔に埋もれて、しめ縄も風に飛んで朽ち果てており、荒れ放題になっている
さまは、いくら秋とはいえ悲しげに思えた。
夜もさらに更けて、四更の空(午前三時頃)とおぼしき頃、十九か二十ばかりの女房が赤ん坊を
抱いて忽然とやって来た。このような人家も遠い所へ、女性が夜更けに来るわけが無く、
どう考えても化生の物だと、不安になって用心した。女は笑いながら、抱いていた子供に
「あそこにいる方は父ですよ。行って抱かれて来なさい」といって差し出した。
するとその子は、するするとやって来た。刀に手をかけてはたと睨めば、そのまま帰って母の元に
戻った。「心配ありませんよ」といってまた突き出した。重ねて睨むとまた帰った。
こうする事四、五度になると「ならば、私が行きましょう」といって件の女房がやってくるのを
臆することも無く抜き打ちににて切ると「あ」と言って、壁を伝って天井に上った。
907好爺:03/03/01 21:58
…続き
やがて、夜が明けてから、壁に開いた穴を踏み、桁などを伝って、天井を見ると、
爪から先の長さ二尺ばかりの上晏=iじょろうぐも)が頭から背中まで切りつけられて死んでいた。
人の死骸があって、天井が狭くなっていた。誰か殺された者がいるようだった。
また、連れ子と見えたのは古い五輪の塔であった。多分、思うに化け物と気がついても
子供の方を切っていれば、固い五輪の塔で名剣であっても折れるか、刃こぼれしていただろう。
その時に取り付かれればひとたまりも無かったであろう。天井で死んでいる男はそうやって
殺されたのであろう。思案して、五輪の塔を切らずにすんだのは幸運であった。
908好爺:03/03/02 01:25
『蜘蛛、人をとる事』―宿直草より―

ある人がまだ朝早く、宮へ参って瑞垣のほとりで話していると、拝殿の天井に大袈裟にうめく者があった。
不思議に思って、拝殿にあがって上を見ると、大きな土ぐもが己の糸にて人を巻き、首筋に食いついていた。
上がるとその蜘蛛は逃げていった。それから立ち寄って、取り巻く蜘蛛の糸を取って
「どうしたんですか」と言うと
「それが、私は旅をしていた者ですが、昨日の黄昏時にここに来て、宿もないのでこの宮で夜を
明かそうと思っていたのです。旅の途中で寂しく思っているところに後から、疲れた顔の座頭が
やってきたのです。ともに寄り添ってお互いにはかなさを比べあうように旅の話をして、同じ様な
人もいるなぁ。と思っているとその琵琶法師が香箱を取り出して『これは良い物なので見てください』
と私に投げたので右手で取ると鳥もちのように離れず、左手で押さえると又取り付いて、左右の足で
離そうとすると、足も離れなくなってしまい。そうする間に彼の座頭は蜘蛛へと変わっていて、私を
まとって、天井に昇って、ひたすらに血を吸っていたのです。痛さに耐えがたく、命も消えるかと
思っていたところを救って頂きました。あなたは命の恩人です」と話した。
909Zanoni:03/03/02 11:42
陳宝祠 (捜神記)


秦の穆公のとき、陳倉(陜西省)の住民が土の中から妙な物を掘り出した。
それは羊に似ているが羊とも違うし、豚に似ているが豚とも違う。
穆公に献上しようと綱で曳いていく途中、二人の子供に出会った。
910陳宝祠 (捜神記) :03/03/02 11:43
子供は、
「これは媼(おう)という名です。いつも土の中にいて死人の脳味噌を食べているんです。
もし殺したいと思うなら、これの頭に柏(はく:ひのきの類)を挿すといいですよ。」
と言う。

すると今度は媼が口をきいた。
「あの二人の子供は陳宝という名です。男の方を捕まえると王者になれるし、女の方を捕まえると
覇者になれますよ。」
911陳宝祠 (捜神記) :03/03/02 11:47
そこで陳倉の男は媼を放り出し、二人の子供のあとを追った。
すると子供は雉に姿を変えて、木立の中に飛び込んでしまった。

陳倉の男は、このことを穆公の耳に入れた。
穆公は勢子(せこ)を繰り出して大がかりな猟をした結果、男の報告通り雌の方を捕らえた。
912陳宝祠 (捜神記) :03/03/02 11:59
すると雉は、今度は石に変った。
そこでこの石を汧水(陜西省隴県の川)と渭水の間に据えた。
のちに文公のときになって、そこに陳宝を祀る祠を建てる。

一方、雄の方は南陽(河南省)まで飛んでいった。
今の南陽郡の雉(ち)県がその地である。
秦がこの瑞祥を示すために県の名としたのであった。
913陳宝祠 (捜神記) :03/03/02 12:03
その後陳宝祠の祭りのときになると、必ず長さ十丈あまりの赤い光が雉県から飛来して
祠の中に差し込む。
すると祠の中から盛んに声が聞こえてきたが、それは雄の雉の声のようであった。

さらにその後、光武帝(在位25-57年)が南陽から兵を挙げた。

 -- 終わり --
914Zanoni:03/03/02 14:17
地中の犬 (捜神記)

晉の恵帝の元康年間に、呉郡(江蘇省)は婁(ろう)県の懐瑤(よう)なる者の家で、
突然地中から犬の鳴き声が盛んに聞こえてきた。
声が出てくるあたりを調べてみると、みみずの出口ほどの小さい穴がある。
瑤が杖を突き刺すと、数尺ほど入ったところで手応えが感じられた。
915地中の犬 (捜神記):03/03/02 14:18
そこで掘り返したところ、犬の子が出てきた。
雌雄一匹ずつで、目はまだあいておらず、大きさは普通の犬より大きい。
餌をやると食べる。
近所の人はみな見物に来た。

すると土地の古老の中にこう言う者があった。
「これは犀(さい)犬という名で、これを捕まえた人の家を繁栄させるのだから育ててやるがよい。」
犬はまだ目も明いていないので穴の中に返し、石臼で蓋をしておいた。
916地中の犬 (捜神記):03/03/02 14:26
ところが一晩たってから蓋を開けてみると、側には穴が無いのにどこかへ見えなくなっていた。
結局瑤の家には以後長年に渡って格別の禍も福も起こらなかったのである。
917地中の犬 (捜神記):03/03/02 14:28
太興(318-21年)年間に呉郡の太守張懋(ぼう)が書斎にいると、床下から犬の鳴き声が聞こえてきた。
探してみたが見あたらない。
そのうちに地割れがして、犬の子が二匹出てきた。
捕まえて育ててみたが、二匹とも死んでしまった。

その後懋は、呉興(浙江省)の沈充という兵士に殺されたのである。
918地中の犬 (捜神記):03/03/02 14:36
『尸子』に、
「地中に犬がいるのを地狼と言い、人がいるのを無傷と言う。」
とある。

また
『夏鼎志』
には、
「地を掘って見つけた犬は賈(か)と言い、地を掘って見つけた豚は邪と言い、地を掘って見つけた
人間は聚と言う。聚とは無傷のことである。これらは自然のなりゆきで作られる物であって、鬼神と
して不思議がるには当たらない。」
とある。

そうだとすると、賈と地狼は名前は異なるが実は同じ物なのであろう。
地中の犬氏>

おー私もたまたま捜神記を読んでいたところです。
920地中の犬 (捜神記):03/03/02 14:43
『淮南万畢(漢の劉安による術数に関する書)』に、
「千年の歳を経た羊の肝は、化して地宰となり、ひきがえるは苽(まこも)となり、
死ぬときは鶉(うずら)となる。」
とある。

これらは全て気の変化が原因となってそれに感応して形成される物なのである。
921好爺:03/03/02 15:06
『地神に追われた陰陽師の話』―今昔物語より―

文徳天皇がお隠れになった時に、御陵の土地を選定するために、大納言の阿部保仁と云う人が
その任に当たった。多くの家来を引き連れてその場所に赴いた。
その時に滋岳川人という陰陽師があった。陰陽道については、古にもその比を見ぬほどの大家で
当時世に並びもなかった。この川人が、御陵の選定も終っての帰り道に、深草の北を行きながら
大納言のそばに馬を近づけて、名にやら言いたげな様子であった。そこで大納言が耳を寄せると
ひそひそ声で
「私は今まで長い年月を、陰陽道にたずさわって、格別自慢をするほどのこともありませんでしたが
公私につけて、あらまちということをしたことはありませぬ、それが今度ばかりは、途方もない
あやまちを出かしました。実はわたしどものあとを、地神(土の神)が追いかけて参ります。
これは、貴殿とこの川人とが、その罪を負うものであります。どうなされるご所存か。
なかなか逃げ延びるのは難しい事と思われます」と心配そうに告げたので、大納言はぞっとしたきり
何の分別も湧かず茫然となってしまった。
922好爺:03/03/02 15:08
…続き
「私にはなんとも知恵はない。なんとか助けてくだされ」と言うばかり。
「さよう、とにかく手を拱いているわけにもいきません。何とかうまく身を隠しましょう」と
川人が言って
「後から来る者は、みな先へ進め」と命じて二人だけ後に残った。
その間に日はとっぷりと暮れた。暗闇にまぎれて、大納言と川人とは馬から下りると、乗っていた
馬を前へ走らせ、二人だけ田んぼの中にとどまった。川人は大納言を座らせると、田んぼに刈り取って
積んである稲を運んで来て、大納言の身体が見えなくなるまで積み重ねた。そして小さな声で呪文を
となえながら、その周囲を何度もめぐってから、稲の山を押し開いて中に入り込むと、大納言に準備が
終ったことを告げた。その川人の様子が、いかにも不安げで、手足がわなないているのを見ると
大納言は今にも死にそうなほど蒼くなった。
923好爺:03/03/02 15:09
…続き
こうして二人はひっそりと音も立てずにうずくまっていたが、やがてしばらくすると、千万人の通る
ような足音が、次々と起こった。そのうち、すでに通り過ぎたと思われた足音が、たちまち戻って来て
大声を上げるのを聞くと、人の声にもにているようでも、この世の者とは思われぬ怪しい声色で
「確かこの辺まで、馬の足音が軽くなったはずだ。みなみな、このあたりに集まれ。土の下一二尺ほど
掘り下げて、入念に探してみよ。逃げおおせるわけはない。しかしあの川人というのは、古の陰陽師にも
劣らぬほどの術のすぐれた奴ゆえ、姿の見えぬよう、何やら細工をしたとみえる。このまま逃がすよう
では一大事、くまなく捜してみよ」と命令した。
足音は一斉に乱れたが、やがて、どうしても見つからない旨を口々に述べて、罵り騒ぐ声がする。と
主人と思われる声が
「ええとうとう逃がしたか。しかし逃げ押せるわけにはいかぬ。今日は隠れたとしても、ついには必ず
あの奴ばらに会わずにおかぬぞ。いずれ大晦日の真夜中に、この天下のうち、下は土の底まで、上は
目のとどく限りの空を、必ず奴等を探し出せ。やわか隠れおおせることが出来るものか。されば一同
の者、その夜集まれ。今はこれまでだ」と言って、足音はすべて遠ざかった。
924好爺:03/03/02 15:11
…続き
あたりが静まり返ってから、大納言と川人とは稲の中から姿を現して、走って逃げた。大納言は、
押さえようとしても押さえきれぬ震える声で
「これはいったいどうしたものだろう」とため息をついて、
「あんなふうに隈なく探し回すのであれば、我々はとうてい逃げ延びる事は出来ない」と息も出来ずにいる。
「いや、うまく盗み聞きをしたのが、こちらの運というもの。その夜は人に気取られぬようにして、二人で
うまく隠れましょう。大晦日が近くなってから、詳しい事を申し上げます」と川人が力をつけてやり、
河原に待っていた馬のところまで歩いて行って、そこから別々に家に帰った。
やがて大晦日の日が来た。川人は大納言のもとに出向くと
「けっして人に気取られぬようにして、一人で、二条と西の大宮大路との辻に、暗くなってから来てください」
と教えた。
大納言は聞いたとおりに、暮れがたの、人々が忙しげに雑沓する間を縫って、ただ一人、約束の場所へ出かけた。
そこに川人が、待ちかねて佇んでいた。二人は連れ立って嵯峨寺へ行った。
925好爺:03/03/02 15:12
…続き
嵯峨寺へ着くと、二人は御堂の天井の上へと登った。川人は陰陽道の呪文をとなえ、大納言は手に印を結び
口に真言を踊し、心に本尊を観じるという、三密の行を修していた。そのうちにいつしか真夜中になり、気味の
悪い、異様なにおいのする、なま暖かい風が吹き渡った。そのうち、まるで地震のように、地響きをして何かが
通り過ぎて行ったから、ぞっとしてじっと蹲っていると、やがて時が過ぎて鶏が鳴いた。そこで天井から下り
まだ朝にはなっていなかったが、二人ともそれぞれ家に帰った。別れ際に、川人が大納言に言うには
「今はもうおそれることはありませぬ。しかしこれほどの災難も、この川人なればこそ、どうやら免れることが
できたのですぞ」
これを聞いて大納言は川人をうやうやしく拝み、今は案じて家路についた。
926ラッキーアイテム:03/03/02 23:33
927Zanoni=地中の犬氏:03/03/03 00:25
>919
捜神記勉強になりますよね。
今日、図書館に返しに行く日だったので、集中してあちこちに書き込みました。
928好爺:03/03/03 02:26
『幽鬼、嬰児に乳す』―伽婢子(おとぎぼうこ)より

伊予の国風早郡(愛媛県温水郡北上町付近)の百姓がある時に、家中の人々が次々に亡くなった。
その時に村中の一族残りなく死に失せて、ただ、兄弟二人が生き残った。結核の病はほんとうに
その家系を根絶やしにするというのは、本当であった。
兄弟は、憂いに沈みている所に、弟の妻も亡くなった。独り身で暮らしてはいたが、この春に
生まれた子供もいて、母が亡くなって乳に飢えていた。夜、昼泣いていている悲しさ、
見るにつけ、聞くにつけて涙の耐えるときはなかった。
妻が死んで三十日ばかりの頃、弟の妻がこの家にやって来た。初めは恐ろしかったが、毎晩やって
来たので、後にはなか睦まじく、さすがに追い出す事も出来ずに、夜もすがら話をすることは
死ぬ前と何も変わらなかった。
929好爺:03/03/03 02:27
…続き
兄は、このことを聞きつけ、本当とは思わずに、弟をいさめて曰く
「お前の妻が死んでからまだ、四十九日もすんではいない。どこからか女を呼び寄せて毎夜語り明かす
など、近所に何と云われるかわかっているのか。恥を見るだけではなく、この弟にありてこの兄だと
からかわれるのは恥ずかしい事だ。せめて、妻の一周忌が過ぎてから、女を召し抱えなさい」と言った。
弟は涙を流して言った。「毎晩来る者は、死んだ妻の幽霊です。初めに静かに門を叩き、内にいれると
赤子を抱きかかえ、髪をかき撫でて、乳を飲ませてやっているのです。初めの頃こそ恐ろしく思って
いたが、後には仲睦まじくなり、夜もすがら語り明かして、夜が明ければ帰って行く。
さらに、常日頃嘘などついたことなどないでしょう」と言った。
930好爺:03/03/03 02:28
…続き
兄は、これを聞いて
「一門はすべて死に絶えて、我等兄弟のみが生き残っている。この化け物はきっと弟をたぶらかして
殺すに違いない。その時になって悔やんでも悔やみきれないだろう。化け物も妻と化して
来るうえは、私がこれを殺さねばならぬであろう」と思って長刀を横たえ弟にも知らせずに
忍んで、門の傍らに待っていた。
案の定、猪の刻(午後10時頃)ごろに門を開いて立ち入る者がいた。兄は走りよって
丁度なぎ伏せた。彼の者、声を上げ「あな、悲しや」といって逃げた。夜が明けて見ると
血が流れていた。兄弟で、その血の後を付けていくと、妻を埋めた墓場に来た。
弟の妻の屍が墓の傍らに倒れて死んでた。墓を掘り返して見ると棺の中にはなにもなかった。
元の様に妻を納め埋めたが、その後、赤子も死んだ。しばらくして、兄弟とも続けて
亡くなると、一門の家系はすべて絶えた。
悲しい話だけど、夫と子を残して死んだのが心残りで
化けて?出た妻の気持ちを考えると、いい話だと思った
しかし
>しばらくして、兄弟とも続けて
>亡くなると、一門の家系はすべて絶えた。
ここは怖い

昔は結核なんて手のうちようも無かったから、それに対する
恐怖心は相当なものだったでしょうな。
それにまつわる化け物とか、霊とかの話が出てくるのも分かる気がする

932好爺:03/03/03 23:02
『入棺之尸甦怪(につかんのしかばねよみがえるあやしみ)』―伽婢子より―

古より今に伝えられて世に云われているのは、おおよそ人が死んで棺に納め、野辺に送った後に
あるいは、埋めるべき塚の前で甦ったり、火葬する火の中より甦る者がいる。
これらは皆、家に帰さずに打ち殺す事になっている。ひょっとして、病が重くて絶死した者
もしくは、気のはずみで息の塞がった者、など訳が合って冥土を見てきた者もいるであろう。
これらは、天命がまだ来ておらず、命籍を削らざる者ではないが、日本の風俗では死すると同時に
屍を納め棺にいれて、葬礼を急ぐ為に、たとえ甦っても、葬場にて生き返った人を戻さずに
打ち殺すとは、真に残念な事である。
ならば、異国では、人が死ぬとまず殯(かりもがり)と云う事をして、すぐには埋葬はしない。
このことは書典の中に、死して三日、七日、十日ばかりの後に甦って、冥土の事などを語った例を
多く記してある。
それでも、十日以後は又甦った事などない。頓死、ショック死などは用心したほうがよい。
933好爺:03/03/03 23:03
しかし、葬礼の場にて甦ったのを家に戻さずに、打ち殺すべきであると言い伝えられているのも
訳がある。京房(けいぼう)が『易伝』に「至陰為陽、下人為上、厥妖人死後生」と云っている。
死者が暫くしたあとに甦る事は下克上の前兆であるといっている。この為に甦っても打ち殺す
事であると聞いている。
大内義隆の家の女房が死んだときに、野に送り出し埋めようとした時に俄かに甦った。
打ち殺すにはかわいそうだと連れて帰った。髪を剃りおろして尼になったが、半年ばかりして
又死んだ。その年に果たして、家臣陶尾張守(すえおわりのかみ)の為に義隆は国を追い出された。
永禄年中に光源院殿(足利義輝)の家の下部が亡くなった時に二日ほど置いていたが、
生き返らなかったので、若い下部たちが屍を千本に送って埋めようとしたところ、ただちに甦った。
「打ち殺して埋めよう」と言ったが、この者が手を合わせて、泣き叫んで「助けてください」と言った。
さすがに不憫に思って、連れて帰って部屋に置いていたが、四、五日の内に普通に生活できるように
なった。その年の五月に三好松永が反逆を起した。
屍は陰気であるので、甦れば陽になる為、これを下のものが上のものを犯す前兆とあるという。
そのために、葬所で甦った者は、再び家に戻さずに打ち殺すのである。
8代将軍吉宗は一介の浪人として江戸の街を散策するという趣味を持っていた。
ある日、吉宗は一人の老武士と出合うことになる。
しかし武士といってもその老人は貧しく、妻も息子も無くした一人身のものであった。
吉宗は生来のおせっかい焼きの性格から、その老人の世話を買って出ていた。
老人は、初めは邪険にしていたが、いつの日か無くした息子の姿と重ね合わせ
吉宗と心を通わせるようになった。吉宗も父親の愛情というものを知らずに育ったため
この老人を実の父親のように思い、交流を深めていった。

悲劇は突然起こる。老人の息子は出納方の不正を暴こうとしたため暗殺されたことを
ひょんなことから老人は知ってしまったのだ。
あだを討ちに行く老人。それを止めようと追う吉宗。
吉宗が出納方の屋敷に到着したころにはすでに老人は虫の息であった。
自らの正体を明かし、出納方を捕らえようとする吉宗。開き直る悪党ども。

吉宗、お付の御庭番と共に悪党の手下を叩きのめしていく。
ついに出納方ひとりというところまで追い詰めた。
いつもなら峰打ち後、御庭番に止めをささせるのに、このときの吉宗は違った。
自ら”成敗”を行ったのである。

・・・将軍自ら手を下したという珍しいお話でした。
>>933
そういうわけだったのか。
お棺に火をつけた瞬間から人じゃなくなるんだよね。
936あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/04 00:48
好爺さん、それにしても飛ばしてますね。
この分じゃ、こちらのスレも次スレが立つ日が近いか
937好爺:03/03/04 10:48
『何者とも知れぬ女盗賊の話』―今昔物語より―

いつの頃かははっきりしないが、ある侍で名前もわからないが、年は三十歳ばかりで、背はすらりとして
髭の赤茶けた男がいた。夕暮れがたに、京のとある町の辺りを歩いていると、日よけの格子窓の中から
鼠のように口を鳴らして、手招きする人があるので、男はそばに寄って、
「お呼びになりましたか」と聞くと、女の声で
「申し上げたいことがございます。そこの戸は閉めてあるようでも、押せば開きます。そこを押して
はいってらしゃい」と言うから、男は妙な事もあるものだ、と思いながら、戸を押し開けて中にはいった。
女が出迎えて
「戸を閉めてください」と言うので、戸に錠をかけると
「さあ、おあがりなさい」と言うから、言われるままに上がった。
簾の内側に呼び入れられると、調度などのほどよくととのった部屋に、愛らしい顔をした、年は二十歳ばかりの
目の覚めるような綺麗な女が、ただ一人いて、微笑を含んでこちらを見ていたから、男はそばににじり寄った。
これほどの女から水を向けられて、男たる者、そのままでいられるものではない、とうとう二人で寝た。
938好爺:03/03/04 10:49
…続き
その家には、他に人影も見えないから、これはいったいどういう家かと怪しく思っていたが、いったん契って
しまうと、女を愛しく思う気持ちも深まったので、日の暮れるのも知らずに寝ていたが、日もとっぷりと
暮れてから、誰やら門をたたく者がある。
他には誰もいないので、男が行って門を開けると、侍らしい男が二人、女房らしい女が一人、女中を連れて
入って来た。格子戸をおろしたり、灯を点したりして、美味そうな食物を銀の食器に入れて
女にも男にもすすめた。その時男が考えるには、自分がはいって、戸に錠を挿した。そのあとで、女が
誰かに言いつけた様子もなかったのに、どうして自分の食事まで一緒に持ってきたのだろう。もしや他に
れっきとした夫があるのではないか、などと気をまわしたが、何しろ時分時で腹がぐうぐういっているから
遠慮もなく平らげた。女のほうも、格別男に遠慮をする様子もなく、夫婦のような顔をして箸をとっている。
食事が終ると、女房らしい女が後片付けなどをすませて、みなみな出て行った。その後で、男に戸締りを
させて、二人で寝た。夜が明けて、また門をたたく者があるから、男が行って開けてやると、昨晩の連中とは
まるで違った男女が入って来て、格子戸を開け、家の掃除などをしてかいがいしく過ごすうちに、粥や強飯
なども運んで来て食わせる。引き続いて、昼の食事も持って来て、それがすむと、また連中は煙のように
消え失せた。
939好爺:03/03/04 10:51
…続き
こうして二、三日経ってから女が
「どこかお出かけになりたい所でもありますか」と聞くので
「ちょっと知っている人の所へ、行ってみたい用事があることはあります」と男が答えると
「それじゃ、早いとこお出かけなさい」と言って、暫く待つ間に、みごとな馬に並々でない藏を置き、
水干を着た雑色三人ばかりが、馬の口取の小物を連れて、引いて来た。その家の裏手に、壺屋めいた
建物があり、女はそこからみごとな装束を出して来たので、男はそれを着、馬を乗り、従僕どもを従えて
出かけて行ったが、この男どもはすこぶる気が利いて、手足のように役に立つ。用が終って立ち帰ると
馬も従僕どもも、格別女が指図したわけでもないのに、消えてしまった。食事の用意なども、女が
言いつけている様子もないのに、どこからともなく持参することが、いつに変わらない。
こうして夢のように日が過ぎて行ったが、何不自由もなく二十日ばかりたったころ、女が男に向って言うには
「思いもかけず、こうして二人で暮らすのもはかない縁のようでございますが、これも前世からの定めごと
でございましょう。こうなっては生きるも死ぬも、私の申し上げる事に、よもや否やはございますまいね」
こう聞かれて、男は
「おっしゃるとおり、生きるも死ぬも、貴方次第です」と答えたので、女は
「うれしゅうございます」と言って、男に食事を与え、昼の間はいつもの事で誰一人いなかったが、
奥の方の離れに男を連れて行った。
940好爺:03/03/04 10:52
そこに行くと、男の髪を縄で留め、両手は幡物(刑具)にはりつけに縛りつけ、両足は曲げてしっかりと
くくりつけて、背中を裸に剥いた。そこで女は、烏帽子をかぶり、水干袴を着て、男のような身支度を
ととのえると、鞭を手にして男の背中をしたたかに八十度ほど打った。
「痛かったかしら」と男に聞くので
「たいした事もない」と答えると
「そういうお方と思っていました」と言って、縄を解くと、竈の土を煎じて酢にまぜて飲ませ、土を良く
はらってそこに寝かせた。二時間ばかりして起してやると、もういつもに変わらぬ身体になっていたから
それからあとは、不断よりも滋養のある食事を男にすすめた。
こうして十分に養生して、さて三日ばかりたち、鞭で打った傷もほぼ元通りに癒ったころ
また前と同じ離れに連れて行き、同じ幡物に縛って、以前のように鞭で打ったから、打つにつれて、血は流れ
肉ははじけたのを、構わず八十度ほど打った。
941好爺:03/03/04 10:54
…続き
「がまんできますか」と尋ねるので、男は顔色一つ変えず
「何のこれぐらい」と答えたから、女は前の時よりもいっそう、男の我慢強さを褒めて、十分にいたわった。
さてまた、四五日して、同じ様に鞭で打ち、それにもやはり
「何のこれぐらい」と答えたので、今度は仰向けにひっくり返して、腹を打った。それにも
「何のたいしたことはない」と答えたから、男の我慢強いのをたいそうほめて、そのあと毎日、手厚く
看護したので、鞭のあともほどなく快癒した。
さてある夕暮れがた、女は,黒い水干袴と立派な弓、矢筒、脚絆、藁沓などを出して来ると、男に身支度を
ととのえさせた。そして男に向かい
「これから蓼中の御門に行って、そっと弓の弦を鳴らしてごらんなさい。するとそれに答えて、同じ様に
弦をならす者があるでしょう。また口笛を吹くと、やはり口笛で答える者があるはず。そこに歩み寄れば
『誰か』と聞かれるでしょうから、ただ『参った』と答えてください。そこでその男のあとからついて行き
言われたとおりに立番を命じられたところで立番をし、中から人が出て来て邪魔をしたら、手いっぱいに
防いでください。それから船岳(ふなおか)の麓に行って、その日の獲物を分配するでしょう。
けれども、くれるからといって、けっして受け取ってはなりませぬ」と懇切に教えた。
942好爺:03/03/04 10:56
…続き
男は教えられたとおり出かけて行くと、言われたように呼び入れられた。見れば、似たような装束の者が
二十人ばかり立っていた。その群れから少し放れて、背の低い、色白の男が立っていたが、他の男達は、
その男には一目も二目も置いている様子であった。その他に、下人が二三十人あまりもいた。
そこで手筈をととのえて、うち連れ立って京の町にはいり、大きな屋敷を襲うのに、まず二十人ばかりの
人数を二三人づつ分けて、その付近の手強そうな家々の門に立番させ、残り全部が一気に、目指す屋敷に
侵入した。この男の腕前を試そうと思ったのか、中でも特に手強そうな家の門に割り当てられた人数の
中に、この男も加わっていた。その屋敷からも、助けに打って出ようとする侍どもが、盛んに矢を射たが
男は奮戦して、相手かたを射とめ、また処々方々で戦っている仲間の者どもの働きにも、よく目を
くばっていた。
取るだけのものを奪い取って引き上げると、味方は船岳の麓に行って獲物を分配したが、この男にも
くれようと言うのを
943好爺:03/03/04 10:57
…続き
「私は獲物はいりません。こうして習い覚えるだけで結構です」と断ったから、味方の首領と思われる
少し離れて立っていた小男は、満足そうにうなずいた。そこで仲間は別れ別れになって立ち去った。
この男が家に帰ってみると、女は風呂を沸かし、食事の支度などをして待っていたから、ゆっくり
くつろいだあとで、二人で寝た。もうこの女が愛しくてたまらなっていたから、盗賊の仲間にはいった
とわかっても、この女を恨みには思わなかった。
このようなことがすでに七八度にもなった。ある時には、男に太刀を持たせて、目指す屋敷に侵入させた。
ある時には、弓矢を持たせて外に立たせておいた。どんな時でもまめまめしく立ち働いた。
こうしているうちに、女が鍵を一つ持ち出して来て、男に教えて言うには
「六角小路の北のほうの、これこれというところにいくと幾つも藏があります。その中のこれこれの藏を
この鍵で開き、目ぼしい品物をよく荷造りして、その近くに車を貸す者がおりますから、それを呼んで
積み込ませたうえで、ここへ運んで来てください」
こう命じられたので、男はそのとおりに行ってみると、なるほど藏が幾つもある。そのうちの、
命じられた藏を開けてみると、自分のほしいと思うものは、何でも揃っている。驚きいったものだ、
と感心しながら、言われたとおり車を呼んで来て家に運び、すき放題にそれらを使って暮らした。
944好爺:03/03/04 10:59
…続き
そうこうするうちに、いつしか二年ばかりが過ぎた。
ところがこの妻が心細そうに沈み込んで、こっそり泣いている事が多くなった。今までについぞ
ないことなので、男が怪しんで
「どうしたわけなのか」と尋ねてみると
「何でもありません。ただ、思いもかけず別れるような事になりはしないかと、それが心配でなりません」
と答えた。
「こうして暮らしているのに、何もいまさら、そんな」つまらぬ取り越し苦労なんかすることはあるまい」
と慰めても、女は
「はかない浮世の習いですもの」と言って嘆く。
945好爺:03/03/04 11:00
…続き
男はたいして気にもとめずに聞き流してしまい
「ちょっと用事があるから出かけてくる」と妻に言えば、前々のとおりにまめまめしく支度をととのえて、
供の者も、乗馬も、不断に変わらずに用意した。二三日がかりの用事なので、その晩は旅先にみんなして
泊まったが、次の日の夕暮れがきた。供の者どもがなにげなく馬を引出して行ったかと思ううち、
いつまでたっても帰って来ない。男は明日には家に帰る予定なのに、これはどうしたことか、
とさがしまわっても、どうにもゆくえが知れないので、驚き怪しんで、人から馬を借りて大急ぎで自宅に
戻ってみると、自分の家が跡形ももない。
これはどうしたことかと仰天して、例の藏のあったところへも行ってはみたが、これまた跡形もない。
誰に聞くというほどの人もいないので、茫然自失していたが、その時初めて、妻が泣きながら言った
言葉の意味が思い合わされた。
946好爺:03/03/04 11:00
…続き
いまさらどうにもならないので、昔の知り合いの家に行って厄介になっていたが、つい習い性となって
自分から盗みを働くことが二度三度と重なった。それから検非違使庁に捕えられて、せめ問われたので
これまでの事を包まず自白した。
何とも奇妙な事である。その女は変化のたぐいででもあったろうか。一日二日のうちに、家をも藏をも
一物あまさずに壊して取り壊してしまった。これが不思議。また、多くの財宝も、従僕どもも、みんな
煙のように消えてしまい、あとになっても噂一つ聞くことがなかった。これも奇妙。また、家にいるあいだに
かくべつ女が指図をしたわけでもないのに、時分時になると、ちゃんと従僕どもが食事を運んで来た。
これも奇怪千万である。この家に、男は二三年もいっしょに暮らしていたのに、どういうからくりに
なっているのか、これぽっちも、ついにわからずじまいだった。ただ、一度だけ、仲間の者どもに恐れ
うやまわれている男が、離れたところで指図していたが、その顔つきが、松明の火影に照らされて
男とも見えず、色白で美しく、妻に似ているような気がしたことがあるが、それも確かだと言い切る事
もできず、曖昧なままにそれっきりになった。
世にも珍しき事ゆえ、このように伝えられている。
947あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/04 22:59
>936
次スレは機種依存文字使わないでもらいたいもんだ
948好爺:03/03/05 01:50
『生まれた子の命を予言する話』―今昔物語より―

東国に下る者があった。何処の国とも知れず、ある人里を通り過ぎたが、日もようやく暮れかけたので
今夜はこの里に一宿りしようと思い、あたりを見わたすと、小さな家ながら構えも
ゆったりと、人の出入りもある裕福そうな家が見つかった。そこで馬から下りて
「これは旅の者でございますが、日暮になりましたので、今夜ばかりの宿をお願いします」と申し出た。
この家の主人らしい年老いた女が現われ出て
「さあどうぞおあがりください」とすすめるので、喜んで上がらせてもらい、客間らしい部屋に通された。
そのうちに夜になったから、旅籠(旅中の食糧を入れる籠)を開いて食事を取り、やがて寝たが、
真夜中と思われる頃、家の奥で不意に人の騒ぐ声がする。何事かと思ううち、先ほどの女主人が出て来て
「私の娘が、この月は臨月に当たっておりましたが、まさか今日明日の事はあるまいと思いまして
そこもとの御宿も差し上げました。ただ今娘が急に産気づきました様子で、もう夜でもあり、すぐにも
生まれるような事があれば、不浄のところに御宿いたさせて申し訳のない次第でございますが、
いかがいたしたものでしょう」と聞くから、旅人は答えて
「そんな事はどうぞご心配なく。私は、産の穢れなどということは、ちっとも気にしませんから」
949好爺:03/03/05 01:51
…続き
「そうですか。それは助かりました」と言って、女はまた奥へ戻った。
その後暫くすると、騒ぎが一段と高まったから、さては生まれたなと思っていると、この旅人の
いた部屋の、すぐそばに戸があったが、その戸から、背の高さ八尺ばかりの、思わずぞっとするような
恐ろしい男が、外へ出て行った。その出て行きがけに、何とも言えぬ不気味な声で
「年は八歳、命は自害」と謎のような事を口走った。
どういう男なのか、何でまたこんな事を言ったのか、と不思議に思ったが、外は暗闇でもう姿は見えない。
誰にも話さずに、朝になって早い内に出立した。
さて東国に八年いて、九年目に、この旅人が京に登る途中、行きがけに泊まったこの家のことを思い出し
親切にもてなしてくれたからそのお礼も言おうと思って、また前のとおりに宿を取った。
昔の女主人も、ひどく年老いていたが、顔を出した。
950好爺:03/03/05 01:51
…続き
「よくおいでになりました」などと言って四方山の話をしたが、そこで旅人が
「その節ここに宿をお借りした晩に生まれたお子さんも、もう大きくおなりでしょうねえ。
男の子ですか、女の子ですか。あの時は急いでいたもので、その事もお聞きしませんでした」と言うと
女主人はさめざめと泣いて
「実はその事でございます。可愛らしい男の子でございました。昨年のある月ある日に、高い木に登って
鎌で木の枝を切っておりましたが、足を滑らせて木からおち、その鎌の刃が頭に刺さってはかなく
亡くなりました。本当に可哀想な事を致しました」と言った。
その時旅人は、例の晩に、戸から外へ出て行った者の口走った言葉を思い出して、さてはあれは鬼神ででも
あったのか、とぞっとなった。そこでその晩の事を話して聞かせ
「どういうわけか、訳がわからないので、これは御家内の人が言われた事と思い、どなたにも申し上げずに
おりましたが、これはその怪しい者が予言をしたことなのですね」と言ったので老女はいよいよ泣き沈んだ。
>>948-950
この話、読んだことがある。
寿命が分かっているのなら医者も要らないし努力する必要もねーんじゃねーのかー
って感想をもった。
今回の話、星進一の小説で読んだよ。
あいつの小説は全部星自身のオリジナルだと思ってた。
953好爺:03/03/05 23:08
>>952
まあ、知らないで似た話を書くと言う場合もありますし・・・。
古典なんかを読むと似た話満載でも、パクリかオリジナルかの区別は難しいです。
954あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/05 23:09
>>951
>医者も要らないし努力する必要もねーんじゃねーのかー

それはないが、努力する気は失せるな
955好爺:03/03/06 00:15
『古蛛怪異(こちゅうけい)』―新御伽裨子より―

美濃の国、本巣と言う所の近辺に、道の左右に高い木が生い茂っている所があった。
此処を夜中に通る者は必ず死ぬとの噂があり、日が暮れてからは、あえて通る者はいなかった。
本巣に浪人がいて、ある事情があって、武門を出て、暫くこの場所に住んでいた。
下僕に言いつけて
「今宵、急用があってある所に行ってもらう。早く行ってきてくれ」と言った。
この下僕は、特に臆病であって、彼の松原を通る事を思うと身震いして恐ろしがった。
しかし、迂回して行くと大きく険しい場所を通って、しかも二里余も余計に行かねばならなかった。
さらに、急用であるというには遅くなってしまう。大事な役目であるから、ここはしかたがないと
思いながら、力なく松原にさしかかり、足が地についていなかった。
956好爺:03/03/06 00:16
…続き
ここに大きな榎の木が松に争うように生え出ているところがある。この下を通る時、何とは
知らず、黒く丸くて一尺余の物が鑵子(かんす:茶の湯の釜)などがひらめくように、榎の木から
するすると下りてきた。星さえ出ていない暗い夜に物凄い雨まで降って来て、この男は
進退きわまった。この木のそばを眺めると、七尺余の女が、色が白くみどりの髪の毛を振り乱すと
眼もない顔が忽然と出てきた。男は一目見るなり「あっ」と言って、うつ伏せに倒れて気絶した。
主人は、下僕の帰りが遅いのを不思議に思って、他に使う下僕もいないので、松明を取って、
自ら、この道に行ってみると、下僕が木の下に倒れていた。主人は驚き、水をかけたりして
呼びかけると、ようやく人心地ついて、事の次第を語った。
連れて帰ろうとすると彼が倒れていた場所に怪しい物があった。火をかかげて見ると、針の
ような毛の生えた物凄く大きな蜘蛛が死んでいた。思うにこれは、下僕が気を失って倒れた
所を狙って、取って食べようとして木から下がる時にあやまって倒れ込んだ下僕に押しつぶされ
死んだものであろう。怪我の功名で手柄をたてたと考えられる。
957好爺:03/03/06 00:17
…続き
本当に前々からこのあたりで魔物が出て、人を取るといわれていたのがこれであろう。
見事にこの蜘蛛を自分が退治したと披露して、勇敢な者であるとの評判をあげ、今一度、知行に
あやかろうと思った。下僕を生かしておいてはためにならないと心臓のあたりを刺し通し、死骸を
死骸を荒野のなかに深く埋め、この蜘蛛を引っさげて里に帰えった。近所の者達を呼んで手柄を
語った。人々は皆、肝を潰して、強力の人だと褒めたたえた。
ところが、死んだ下僕が里中の者の夢に出てこう言った。
「私は、このような事によって非業の死をとげた。疑う気持ちがあるならば、この松の根を掘って
見てください」
人々が集まって夢を語ったが、皆同じ夢を見ていた事におどろいて、不思議に思いながら
彼の松原に行ってみると、実に新しく埋めてある土の場所があった。掘って見ると下僕の屍体で
あった。このため浪人は捕まり、殺害された。
958日本不思議発見:03/03/06 01:18
昔話スレからこんばんは。日本不思議発見だよん。よろしく!

『しぶくなったカキ』

ある日、欲張りな村の長者の家にみすぼらしい旅の僧が現れた。
長者は見るからに汚らしい僧を追い出すため、玄関へと向かった。
僧が言うに
「私は旅の途中なのですが…よろしければ今夜一晩だけでも止めていただけないでしょうか?」
「断る! 今日は大事な客があるのだ。そうそうに立ち去れい!」
「…では、せめてあの木に実ったカキを一つ恵んでくだされまいか?」
「カキィ〜? ダメだ、ダメだ! あれは全部シブくて食えん!」
そう長者が言うと、僧は残念そうにまた旅立っていった。
もちろん客が来るというのも嘘であるし、カキがシブくなっているのも嘘である。
カキは長者が長年成長を待ち続け、やっと今年実がなったばかりだったのだ。だが…。
「こ、これは!? 全部シブくなっておる! 全部シブガキじゃあ〜!」
僧が立ち去ったあと、本当にカキはシブくなってしまったのである。
実はあの時の僧は豊後の国を巡礼していた、彼の弘法大師であったのだ。
それ以来、この家のカキは毎年必ず全てのカキが渋くなってしまったそうな。
空海も中国語がペラペラなだけでなく超能力もあったのか。
>>958
ずうずうしい頼みごとをして、断られたら逆切れして呪いをかける。。。
う〜ぬ、DQNの香り。
961好爺:03/03/06 10:01
『幽霊来たりて子を産む事 付亡母子を憐れむ事』―片仮名本・因果物語より―

羽州最上の山方(山形)に霊童と名づけられた者がいた。彼のいわれを聞くと最上の商人が京に上り
女房を持っていたが、その女房を捨てるようにして最上へ戻った所に、京の女房が訪ねて来た。
このとき、山方の女房と別れて、京の女房を家に置き、子供を一人儲けた。
その後、また京へ上って、京の女房のいた場所へ行ってみると、そこの亭主が男を見ると
「貴方の女房が亡くなられて三年にもなります」と言った。男はこれを聞いて
「なんと不思議な事を云われる。その女は最上へやってきて、あまつさえ子供を一人いますよ」と言った。
女の父はそれを聞いてとても喜んだ。急いで最上へやってきて、彼の家に行くと、部屋には女房はいなかった。
父は、あまりのことに部屋を見渡すと、京で立てた筈の卒塔婆があった。戒名年号に間違いなかった。
このことによって、その子の名前を霊童と名づけた。
962好爺:03/03/06 10:02
…続き
摂州、大阪の近所に、死んだもとの女房がやってきて子供の髪を結う事が三年続いた。
ある時来て、今の女房の舌を抜いた。今の女房がいろいろ養生して良くなると、離別してよそへ行った。

紀州にてある人の内儀が難産にて死去した。しかし、子供は生まれてきた。
この母の亡霊がやって来ると子供を抱いて、乳を飲ませ、三歳になるまで育てた。
女房は十七歳の年に亡くなったが三年過ぎても十七歳のように見えた。
その子が十七、八の頃見た人が確かな事だよと語った。顔色が少し悪い男だったとも言った。
963日本不思議発見:03/03/06 13:30
『瓜生島』

昔、豊後の国(今の大分県)は別府湾に瓜生島という島があった。
今の長さにして東西約4キロメートル、南北2キロメートルあまりの大きさだった。
島には1つの町と12の村があり、およそ千戸の家があったそうな。
大名が大友氏の時代には日本国内だけでなく、遠く異国からも色々な品物を持った
異人が船でこの瓜生島に乗り付けていた。
島長は幸松勝タ忠という人で、彼の屋敷を中心に広がり、大変なにぎわいだったよいう。
宇佐八幡宮の影響で寺社やお宮が多く、威徳寺・阿含寺・住吉神社・菅神社・蛭子社
などがあった。
そして、この瓜生島には一つの伝説があった。
「蛭子社にある蛭子様の像の顔が赤くなると、天変地異が起こり、島が沈む」
というものだった。この伝説は親から子へ、子から孫へと言い伝えられてきた。
大人同士の口論も
「そげなことしとると蛭子様ん顔があこうなるぞ! こん島が沈んでもいいんか!?」
という一言で収まっていた。そのため、この島には争いがなく、何百年も平和が続き
人々が楽しく暮らす楽園のようだった。
しかし、この島に一人だけ伝説を信じない者がおった。
加藤良斎というオランダ帰りの医者だった。
「海を越えて異国に行ける今頃、そげな馬鹿なことを信じてどうするんじゃ。迷信に決まっておるわ!」
良斎は異国で様々なものを見てきたため、この島の伝説に懐疑的だったのである。
「良斎さま、なんちゅうことを言いなさるか。お医者様ともあろうあなたが、そげなことを
おっしゃるとは…とんでもねえことでございますよ!」
「ふん、島を沈める力なぞ、石像が持っちょるわけないじゃろうが!」
とうとうある晩、良斎はこっそりと蛭子社にしのびこんだ。
「これが迷信の主か。島を沈められるなら沈めてみいや!」
964日本不思議発見:03/03/06 13:52
良斎は持っていた紅がらを蛭子様の像の顔に塗りたくった。
そしてニヤニヤと笑いながら、何食わぬ顔をして家に帰って行った。
次の朝、島は大騒ぎだった。
「大変じゃあ、蛭子様ん顔がまっかになっちょるぞ!」
「おおごとじゃあ、島が沈んでしまうぞ!」
「はよう逃げんと!」
島中が大騒ぎになり、気の早い人は荷物をまとめて船をこぎ、別府や府内(今の大分市)
の親戚のもとに避難し始めた。
だが、1日経っても、2日経っても、10日経っても島には何も起こらなかった。
島から逃げた人たちも結局また戻って来た。
「ほうら、言わんこっちゃない。やはり迷信じゃあ、オランダん見てきたワシが言うんじゃ。迷信じゃあ!」
が、慶長元年(1596年)の6月ころ、島が揺れた。7月に入って揺れは更にひどくなった。
そして7月12日、島は大揺れになった。家屋や木々が倒れ、海が荒れ狂った。
見ると別府や府内の町も揺れ、由布岳や鶴見岳もさかんに天に向かって火を噴いている。
が、夕刻になるとそれはぴたりと嘘のようにやんだ。人々が恐怖のあまり地面に座り込んでいると
真っ白い馬に乗った老人が現れ、人々に言った。
「島が沈むぞう! 瓜生島が沈んでしまうぞう! はよう陸に逃げよ!」
人々は思わず立ち上がり、我先にと船に飛び乗り、府内や別府を目指した。
その間にまた激しい揺れが来た。そして潮が引いた。このあと、何が起こるのか。そう、津波だ。
船に乗り遅れた人々は干上がった海を陸に向かって走った。
やがて、老人の言った通り、大津波は最期まで残っていた医者の良斎もろとも瓜生島を飲み込んだ。
夜が明けると、別府湾には何も無かった。瓜生島のほかに大久光島や小久光島も無かった。
こうして、瓜生島は沈んだ。
965日本不思議発見:03/03/06 14:02
この話、医者ではなく島の悪ガキのパターンも存在する。
また、京極夏彦の「怪・赤面ゑびす」でも小説・映画の両方あったりして
割とメジャーな気が。
でも瓜生島は本当にあったのよ。島の宝物とか今でも大分の寺にあるし、
何十年か前に某大学の研究チームが別府湾に潜ったら家とか船とかの残骸が
ゴロゴロしてたって。
まあ、大分は地層的に見てもプレートが多いから地震で沈んだのは間違いないね。
あとは津波かな。
966あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/06 22:26
>>960
お前長者だな
967あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/06 22:32
石像の一部が赤くなって、村が水没する話はたくさんのヴァリアントがありますが、
元々は中国から来た話なんでしょうね。
捜神記にもたしか、いくつか話が話があったし。
968日本不思議発見:03/03/07 00:24
『なくなった川の水』

昔、豊後の国(今の大分県)の野津町今俵を1人の旅の僧が腹を空かして歩いていた。
すると、川のほとりで女がサトイモを洗っていた。
僧が
「サトイモを1つ分けてくださらんか?」
と言うと、女は土のついたサトイモを僧の足元に投げた。
そこで僧はわざわざ土のついたサトイモを投げたということは川の水は必要ないだろう、
と思い、不思議な力で川の水を干上がらせ、再び旅路に戻ったという。
実はこの僧こそ豊後の旅を巡礼中の彼の弘法大師であったのだ。
それ以来、その川の水は干上がって2度と水が流れることはなかった。

弘法大師、今度は川の水まで干上がらせちまったよ。パターン的には>>958
と同じだなぁ。
969好爺:03/03/07 00:42
『私をいたしける手代の事』―平仮名本・因果物語より―

越前国敦賀の町に、米問屋仁兵衛というものの手代に、作十郎という者がいた。
長い間奉公をしていおり、しかもよろずの事に才能があれば、万事、作十郎にまかせて
商いを切り盛りさせていた。
その間に私利私欲をかまえて、金銀を貯えて、ひそかに己の商いをして、損をすれば、主人の損に
かけてしまった。この者は、私欲の為に商売をしていると評判になってしまったので
主人の仁兵衛は大いに戒め、叱って
「ゆめゆめ、さようの事、致してません」と神仏に対して起請文を書き、血判を押した。
こうして二十日あまり過ぎた後、作十郎の身に大きな瘡が出来た。身が熱くなる事は
火に焼かれるようで、痛む事はいえないほどであうめき悲しんだ。薬を与えてもらったが
直ることはなく、七日目についに死んでしまった。屍の臭い事はたとえ様もなく。
をしほの西福寺に送って、土葬にして上に卒塔婆を立てた。
970好爺:03/03/07 00:42
…続き
さて、初七日にかの仁兵衛夫婦の人や永々なじみの者が、不憫に思って、涙を流し坊主をよんで
経を読んで、それから、西福寺から墓に回ると、作十郎の卒塔婆がおびただしくべきべきと鳴った。
モミの木の板は、日の照らされている所が乾き縮んでめためたと鳴り出した。
「こんな事もあるかも知れぬ」と云うものもいれば「けしからず鳴る事は、事情があるに違いない
凄まじい事だ」という人もいた。大勢伴って行ったが、だれ一人も近くによって見ようとする人は
いなかった。卒塔婆が動き出て打ちたおれて、墳が崩れて、死骸がはね出て、反りかえって、臥した。
人々は肝を冷やして、逃げ惑った。
けれども、捨てて置く事も出来ないので「火葬にしよう」と人を頼んで、薪を積み重ねて焼くと
火の中からはね出て二三度もこのようにしていたのをようやく灰にしてもとの墳に埋め
ねんごろに、弔えば、その後は別に何も起きなかったと言う。
元和中年の頃、糸屋宗貞がそう語った。
息を吹き返したんだな。
972あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/07 20:56
もうそろそろ次スレの時期だが、くれぐれも機種依存文字は使わぬように。
973好爺:03/03/07 23:36
『艶書の執念、鬼と成りし事』―諸国百物語より―

伊賀の国、喰代という所に寺が六十軒あった。一休禅師が修行に出ていて、この場所で
日が暮れたので、宿を借りようとして寺々を見たが人が一人もいなかった。一休は
不思議に思って残らず寺々を見て回ると、ある寺に美しい稚児が一人いた。
一休はそこに立ち寄って「宿を貸してもらえるかな」と訪ねると
「かまいませんけれども、この寺には夜な夜な変化の物が来て人を取り殺します」と言った。
一休は「出家の身であるので、かまいませんよ」と言った。
「でしたら泊まってください」と言って客殿に入れて、稚児は次の間に眠った。
夜半頃、稚児の寝ていた縁の下から手毬ほどの火が幾つともなく出てきて、稚児の懐へ
入ったかと思ったら、たちまち二丈ばかりの鬼となって、客殿にやって来た。
「今宵、この寺に泊まった客僧は何処にいるのか。取って食おう」と探し回った。
974好爺:03/03/07 23:36
…続き
一休はもとより仏事に専念していたので、鬼は一休を探し出す事が出来なかった。
ほどなく夜も明ければ、鬼も稚児の寝間に帰るかのように消えていった。
一休は不思議に思って「貴方の寝ておられる縁の下を見せてもらえますか」と言って
見てみると、縁の下には血書で書かれた恋文が数知れずあった。
事の次第を尋ねると、方々からこの稚児を恋忍んで、寄せていた文を返事もせずに、
縁の下に投げ入れたままにしていた。その文主の執念が積もり積もって、夜な夜な稚児の
懐に通って、すなわち鬼となっていた。一休はこの文を取り出して、積み重ねて焼き払い
経を読んで、さとし戒めれば、それより後は変わった事は起こらなくなった。
稚児って何?
976好爺:03/03/08 01:12
ちご【稚児】1.幼児 2.寺社の祭礼・法会の行列に参加する子供 
      3.召使いの子供

この場合は、寺の中にいた子供なので、2の意味での稚児です。
977あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/08 01:32
稚児って、実質的にホモの女役のこととして使われる。
978好爺:03/03/09 00:22
『板垣の三郎高名の事』―曾呂利物語より―

駿河の国に大森、今川藤と云われていた人がいた。府中に在城していたが、ある夜の徒然に家の家来達を集め
酒宴が数時間過ぎた頃、
「さて、誰か今夜千本の上の社まで行ってくる者はいないか」と言ったが、日頃手柄を立てる者は多くても
この場所は、噂に聞こえた魔所であるので、あえて行こうという者はいなかった。
此処に、甲斐の国の出身で板垣の三郎という、代々弓矢をとっては隠れ無き勇者がいた。
彼が、「私が行きましょう」と言った。
979好爺:03/03/09 00:23
…続き
頃は九月中旬の事であったので、月はとても白く、木の葉が降り積もっていた森を過ぎて
石段を通って、杉の木より小さな物が一つ、ひらめいて足もとに落ちた。怪しんでこれを
見ると、へぎ(杉または檜を薄く削って作った板)一枚であった。このような所に何かあるな
と思いながら、踏み割って通っていった。割れた音が山彦のようにおびただしく聞こえてくるのを
不審に思いながらも別に何事も無く、上の社の前にて一礼して、記の札をたてて置いて帰ろうと
したが、何処とも無く、白き練りの一重を被っている女が一人来た。さては、音に聞こえた変化の物が
我をたぶらかそうとして来たのだと思って、走りよって被っている衣を引き剥がして見ると
大きな目が一つあって、振り乱した髪の下より、並んだ角が生えていてが、薄化生にお歯黒をつけていた。
恐ろしいとしか言いようがなかった。
けれども板垣は少しもひるまずに「何者だ」と言って、太刀を抜こうとしたら、かき消すようにいなくなった。
不審に思ったが、しかたがなく立ち返って、大森の前に戻って
「証を立てて帰ってきました。お確かめに何方か立ててください」と申しあげた。
「まことに板垣でなければ、無事に戻ってこれなかっただろう」と一同感じた。
980好爺:03/03/09 00:24
…続き
「さて、何か逢いはしまなかったか」と尋ねると
「いや、何事も怪しい事はありませんでした」と言った。すると、座敷からも見えていた月夜であったが
俄かにかき曇り、降る雨はは車軸を流すようであった。虚空にしわがれ声で
「いかに板垣、さっき、我の腹をなぜ踏み割った。誤るが良い」と声がした。
そこで全員車座になって、面々がせめると板垣は千本であった事を残さず話した。
けれども、風雨はなお止まず、稲妻おびただしく、雷さえ鳴り、殿中が物騒がしくなった。
「どう見てもこのままだと板垣を取るつもりだろう」と思い、唐櫃の中に板垣を入れて
各々番をして、夜が明けるのを待った。さて、雷も次第に止み、天の光も晴れ出して、五更(午前3時〜5時)
も明けた。「板垣を出してやれ」といって、櫃の蓋を取ってみれば、忽然として何も無かった。
「これは、どうしたことだ」と皆、奇異の思いをしている所に、虚空から二、三千人の声でどっと笑った。
走り出て見れば、板垣の首が縁上に落ちてきた。
最後の部分って他の物語にも使われてるね。
次スレキボン
983好爺:03/03/09 02:38
私では、なぜか、次スレ立てられませんでしたのでご希望の方
次スレ立ててください。
984あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/09 09:35
スレタイどうする?
985あなたのうしろに名無しさんが・・・:03/03/09 11:57
爺さん、次スレ立てたのはいいけどこっちに案内出すの忘れてるよ。

【左】続・伝説または逸話【右】
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/occult/1047174839/
986好爺:03/03/09 12:47
どうもです!・・・
最近、呆けが多くて。
987好爺:03/03/09 14:10
『別れた女に逢って命を落とす話』―今昔物語より―

右少弁藤原の師家という人がいた。その人がお互いに思い思われて通っている女がいた。
良くできた女で、嫌な事があっても顔に出さず、心持のおだやかな人柄であったから、
弁は何事につけても、女から疎ましく思われまいとして心をつかっていたが、なにぶんにも
公時に勤める身では多忙に紛れることもあり、他の女性に引き留められる夜もあって、
つい足が遠のく事が多くなった。女はそういう目にあったこともなかったので、うとましく
思い、打解けた様子も見せなくなったが、そのうちにようやく、男が尋ねて来る事も稀になり
もう昔のような事はなくなった。憎いわけではないが、寂しさが高じて心良く思わなくなった
ために、お互いに嫌いになったわけでもないのに、とうとう絶えて女の家に出入りすることが
なくなってしまった。
988好爺:03/03/09 14:12
…続き
それから半年ばかり過ぎて、弁がその女の家の前を通り過ぎたことがあった。
その家に使われている者が、たまたま外出から帰ってきたので、すぐさま女主人に
「弁の殿がちょうど家の前をお通りになりました。こちらにお通いになっていた頃の事など
思い合わされて、悲しゅうございます」と告げたので、女主人は行き過ぎる弁の跡を追わせて
「申し上げたい事もございますから、暫くお立ち寄りくださいませんか」と言わせた。
弁はそれを聞くと、昔はここに足しげく通ったものだと思い出して、車を戻してその家に
入ってみると、女は経箱に向って法華経を読んでいたが、しなやかな衣に静しげな生絹の袴など
をつけ、それも男の来るのに慌てて身づくろいをしたという様子ではない。
目、額、口つきなども美しくて、見るからに振るいつきたいようである。
989好爺:03/03/09 14:13
…続き
弁はまるで初めて逢う人のような心地がして、どうして今までこれほどの女をおろそかにして
いたのかと、返し返すも口惜しく、女が経を読んでいるのを押しとめてでも早く寝たいものだと
思ったが、この月ごろ疎遠になっていたのに無理強いな事をするのも気が咎めて、
何やかやと言葉をかけて気を惹いてみるが、女は返事もしない。読経が終ってから、ゆるゆる
話をしようという気色である。やさしげな顔立ちの美しさ、もし過ぎ去った昔の気持ちを
取り返せるものならば、今すぐにでも取り返したいと、恥も外聞もなく思いつめ、今日からは
このまま女の家に滞留して、以後もしこの女を疎んずる様な事があればいかなる天罰も受けよう
などと、心の中で百万遍も宣言を立ながら、このごろ無沙汰に過ぎたのはけっして本心では
なかったなどと、言い訳を繰り返したが、女は相変わらず読経三昧、返事もせず、やがて
七の巻になって、薬王品を繰り返し繰り返し三度ほども読んでいる。弁もついにあきれて
「どうしてお経ばかり読んでいるのですか。早く読み終わりなさい。話したい事も沢山あるのに」
と言った。
990好爺:03/03/09 14:14
…続き
その時女が読んでいたのは
「於此命終。即往安楽世界。阿弥陀仏。大菩薩衆。囲遶住所。青蓮華中。宝座之上。」
というところで、ほろほろと目から涙をこぼした。弁は驚いて
「あきれたものだ。尼さんみたいに仏心がついたんですか」とひやかしたところに
女の涙の浮かんだ目がはたと自分の目と見合った。露に濡れたとみえるその風情に、
ああ悪かった、月日ごろどんなに薄情な男と恨んでいた事だろう、と思ううち、自分も
忍びかねて落涙した。もしやこの後この人に逢えないとしたなら、どんなに悲しかろうと
今までのことが思い合わせて、慙愧に臍をかむ思いである。
そのうちに、女は経を読み終わって、沈香木の数珠に琥珀の飾りをつけたのを押し揉んで
しきりに祈念していたが、やがて目を見上げたその様子が今までとは打って変わって気味が悪いから
どうしたことかと見守るうちに女は口を開いて、
「今一度お顔を見たいと思って、お呼びいたしました。もうこれまででございます」
と言ったかと思えば、もう命は絶えていた。
991好爺:03/03/09 14:15
…続き
弁はびっくりして
「どうしたんだ。誰かいないか」などと大声で叫んだが、急を聞きつけてくる人もいない。
しばらくしてから、やっとのことで年かさの女官が
「どうしました」などと悠長な声をしながら顔を差し出したが、弁が入るのを見てびっくりし
「おや驚いた。これはいったいどうしたことです」と慌てふためいた。
今となっては手の下しようも無く、死人の出た家にいるわけにもいかないので、弁はそこを引き上げた。
生きていた頃の女の顔が面影に浮かんで悲しく思うにつけても、こんな事になろうとは、
神ならぬ身の知るはずもなかったのである。自分の屋敷に戻ってからしばらくも経たないうちに
病みつき、数日後とうとう死んでしまった。
992好爺:03/03/10 11:39
『人玉の事』―義残後覚―

確かに、人の一念によって炎のように燃え上がる怒りと怨みと云うものがあるという事は
僧においても、俗人においてもその説は数が多い。しかし、ついに目に見た事の無い者は
疑う者も多い。目前にこれを見るに、後生ふかくその事を大事に思ってしまう。
これをあわせて考えると、人ごとに人玉という物の有る事を数々の人が歴然にのように
話しても、確かに信じがたく思われる。
北国の人が言うには、越中の大津の城とやらを佐々内藏介に攻めている時に、城側も強く
防いではいたが、多勢の軍勢で手痛く攻めているほどに、城中が弱って、すでにはや明日には
討死しようかという時に、女や童が泣き悲しんだ。まことに哀れに見えていた。この時に
にはすでに日も暮れかかっていれば、城中より天目茶碗ほどの光っている玉がいくらという
数かぎりなく、飛び出るほどに、寄せ衆はこれを見て
「もはや城中は死の用意をしているぞ。あの人玉の出ている事をみよ」といって
我も我もと見物した。
993好爺:03/03/10 11:40
…続き
ここにおいて、降参して城を渡し、一命を取り留めて、さまざまの条件を受け入れたので
内藏介は、それに同意して、戦は終った。「良かった」と城中の者喜んだ。
そして、その日の夕暮れには昨日飛び去っていた人玉がまた何処ともなく出てきて
城中目指して飛び戻った。これを見たものは何千という数しれず。不思議な事であった。
4
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7
9
9
(・3・) 〜♪ 1000だYO!
10011001
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